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第139回詳細成績 Sabermetrics 投手 奪三振(左 奪三振率 右 K/BB) 奪三振率 K/BB 名前 記録 タイプ 三浦大輔(先発基準) 6.65-3.26 先発 アシュクロフト 6.36-1.27 先発 川村丈夫(中継・抑え基準) 5.46-1.42 中継 西くん 5.38-0.85 先発 エヴォルト 4.94-1.03 先発 佐藤 4.93-0.89 中継 マリオ 4.85-0.95 先発 USHIRO4 4.74-1.81 抑え 曹操Ⅴ 4.63-0.88 先発 聲 4.49-0.94 中継 北大路 4.34-1.21 中継 評価 第139回奪三振関係の成績。今期奪三振数3位だったアシュクロフト選手が、奪三振率でもチーム1位。対して、奪三振数10位以内に入ったエヴォルト選手やマリオ選手はどちらかというと打たせてとるタイプの投手と思えるが、長いイニングを投げられるスタミナがあり、それが奪三振に繋がったのか。一方、K/BBは全体的に悪い記録は無かった。記録はやはり、コントロールの良い投手のほうが高い。 投球安定度 DIPS 名前 記録 タイプ USHIRO4 3.01 抑え 三浦大輔(先発基準) 3.54 先発 川村丈夫(中継・抑え基準) 3.96 中継 マリオ 4.70 先発 北大路 4.79 中継 曹操Ⅴ 5.25 先発 聲 5.47 中継 西くん 5.54 先発 エヴォルト 5.65 先発 アシュクロフト 5.89 先発 佐藤 6.25 中継 評 基準から見ると多少見劣りするが(基準のレベルが高すぎるのも原因の一つだが)そのなかで、USHIRO4選手の記録は素晴らしかった。また、記録の高いマリオ選手や北大路選手に共通するのは、被本打数が割と低いことである。セ・リーグには長距離打者の揃ったチーム(阪神とか・・・)があるにしては被本塁打率が低いのは優秀といえる証拠だろう。 野手 本塁打 本塁打率 本塁打1本打つのにかかる試合数 名前 記録 村田修一(野手基準) 6.2-4.3 変則長距離砲 5.34-4.5 中山 5.31-4.7 タカ 4.22-5.6 skill4 4.18-6.4 赤松真人 3.8-7.0 田村達朗 3.3-6.7 羊院長7世 1.5-15.6 藤井彩 0.9-23.3 評 やはり、パワー型の選手の記録は高く出た。能力を見てみるとパワーも高い選手が良く打っている。・・・が、タカ選手の本塁打が多くでたのが意外だった。本塁打数はどうやらミートにも関係するようだ。 打撃安定度(打率と比較) BABIP 名前 記録 打率 タカ 34.1% .331 石井琢郎(野手基準・巧打型) 33.3% .288 変則長距離砲 32.1% .314 田村達朗 32.0% .323 中山 31.98% .319 赤松真人 31.2% .297 藤井彩 30.6% .270 村田修一(野手基準・長打型) 29.8% .266 skill4 26.5% .255 羊院長7世 20.5% .288 評 全体的に打率の高い選手が記録が高いという結果となった。(実際のプロ選手では少し違う結果になったが・・・)パーセンテージが高い程安打がでる確率は上がる筈。しかし、藤井彩選手と羊院長7世選手の差が10%もあるのは・・・。謎である。 総評/来年を見据えた予想オーダー 投手 やはり安定しているマリオ選手を中心に、先発陣は変わり無しの活躍を見せるだろう。先発陣のスタミナが落ちてくることがあれば、佐藤選手を先発に持ってくるのも一つの策だろう。抑えはUSHIRO4選手で決まり。来期も活躍を期待する。 野手 走力に巧打力を兼ね備えた田村達朗選手を1番にもってきて、2番・3番に藤井彩選手、タカ選手で繋ぐ。クリーンナップには、本塁打率の高い変則長距離砲選手、中山選手、skill4選手で点を取り、下位打線からも上位打線に向けて赤松真人選手に羊院長7世選手が繋ぐ。 打順 名前 1 田村達朗 2 藤井彩 3 タカ 4 変則長距離砲 5 中山 6 skill4 7 赤松真人 8 羊院長7世 9 田中賢介 ↑殆ど変わってませんね・・・ このページには今までに - 人の人が訪れました。 本日 - 人 昨日 - 人です。 最終更新者:トシ 最終更新日:2007年07月13日21時21分28秒
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昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-043 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)6 争点6(公正な評論性の有無)について (判決本文p89~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)6 争点6(公正な評論性の有無)について第3・6(1) 控訴人らの主張 第3・6(2) 被控訴人らの主張 第3・6(1) 控訴人らの主張 沖縄ノートの各記述は, 赤松大尉に対する過剰かつ執拗な人格非難をするものである。 例えば, 沖縄ノートの各記述には, 「生き延ぴて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している, この事件の責任者はいまなお, 沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」 「慶良間の集団自決の責任者も, そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを, たえずくりかえしてきたところであろう。人間としてそれをつぐなうことは, あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで, かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。」 「一九四五年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで, かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。」 「しかもそこまで幻想が進むとき, かれは二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に, 甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと, 渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては, およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。」 「かれはじつのところ, イスラエル法廷におけるアイヒマンのように, 沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろう」 との表現があるが, これは,曽野綾子が「人間の立場を超えたリンチ」と評するように, 人身攻撃に及ぶもので, 適正な言論として保護されるぺき公正な論評の域を完全に逸脱するものである。 第3・6(2) 被控訴人らの主張 沖縄ノートの各記述には, 前1で主張したとおり, いずれも赤松大尉を特定する記載はなく, 赤松大尉に対する人身攻撃たり得ない。 本件記述(2)は, 集団自決に表れている沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生という命題が, 核戦賂体制の下での今日の沖縄に生き続けており, 集団自決の責任者の行動が, いま本土の日本人がそのまま反復していることであるから, 咎めは我々自身に向かってくると問いかけるものであり, 集団自決の責任者個人を非難しているものではない。 本件記述(4)は, 「おりがきたら, 一度渡嘉敷島に渡りたい」 と語っていた集団自決の責任者の内面を著者の想像カによって描き出すとともに, これは日本人全体の意識構造にほかならないのではないかと論評したものである。 本件記述(5)は, アイヒマンが「或る昂揚感」とともにドイツ青年の間にある罪責感を取り除くために応分の義務を果たしたいと語ったように, 渡嘉敷島の旧守備隊長が, 日本青年の心から罪責感の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたいと語る光景を想像し, しかし実は日本青年が心に罪責の重荷を背負っていないことについてにがい思いを抱くと述べ, 日本青年一般のあり様について論評したものである。 本件記述(5)は, ドイツ青年と日本青年の罪責感を対比することが主眼であって, 控訴人らが主張するように, 赤松大尉を, 「『屠殺者』やホロコーストの責任者として処刑された『アイヒマン』になぞらえられるような悪の権化」 であると人格非難するものではない。 目次 戻る 通2-043 次へ 通巻
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読売新聞社の記事に飛ぶ (元記事控) 宮崎県で発生している家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」問題で、県は8日、新たに都農(つの)町と川南町の計6農家の牛と豚に感染した疑いがあると発表した。これで発生は1市2町の49施設(疑い例も含む)となり、殺処分頭数は牛と豚計6万2426頭に上る。県は9日、都農町の農家の半径10キロ圏で牛や豚などの移動を制限する区域を新たに設ける。 発表によると、5農家が牛を、1農家が豚を飼育。7日に一部の牛や豚に症状が出たという。 都農町の農家は1例目の農家から東に約4キロ。川南町の5農家は、1例目の農家から南東4~7キロの位置にある。 また、県は赤松農相が10日に宮崎県を訪れ、東国原英夫知事らと意見交換すると発表した。この問題で赤松農相が宮崎入りするのは初めて。 (2010年5月9日 読売新聞) 5月 被害状況
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宮崎日日新聞 激震口蹄疫へ飛ぶ(魚拓) 自民、公明、みんなの党、たちあがれ日本の野党4党は28日、口蹄(こうてい)疫対策に関する初動対応が遅れた責任を問うため、赤松広隆農相の不信任決議案を衆院に提出した。 決議案は、赤松氏が感染発覚後にもかかわらず海外出張していた大型連休中に、殺処分対象の牛、豚が一挙に拡大したと指摘。「危機意識の欠如、無神経な対応に国民が怒りと失望を感じている」とした。 一方、郵政民営化見直しの詳細を定める郵政改革法案が28日午前、衆院総務委員会で実質審議入りした。今国会成立を期す与党はこの日夕、質疑を打ち切って採決し、31日の衆院本会議で可決、参院に送付する構え。重要法案の実質審議を1日で終える異例の国会運営に対し、野党は反発を強めている。 (2010年5月29日付) 5月
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原告準備書面(5)要旨2006年11月10日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/25/ 原告準備書面(5)要旨2006年11月10日1 (《梅澤命令説》) 2 (《赤松命令説》)(1)まず、はじめに。 (2)続いて、 (3)さらに、 (4)太田氏は 原告準備書面(5)の要旨 1 (《梅澤命令説》) 本日、原告から提出しました準備書面(5)の前半では、座間味島での集団自決に関する《梅澤命令説》という虚構を、この期に及んでもまだ押し通そうとする被告らの弁解や原告主張への反論に対する再反論を、徹底的に行っています。提出書面は50頁を超えるものですが、時間の関係上、そこから重要な部分を2点ご紹介します。 ひとつは、 「《集団自決隊長命令神話》が通説になったのは援護法適用のための方便だいうが、それでは、昭和27年施行の援護法施行以前の、昭和25年に初版が発行された『鉄の暴風』に、その神話が述べられている理由が説明つかないではないか」 という、被告らの反論への再反論です。 座間味島では、確かに援護法以前から、《隊長命令神話》が風説としてありました。それはなぜでしょうか。 住民の手記や宮村盛永氏の『自叙伝』などの資料をみますと、多くが「忠魂碑前での玉砕」に向けた集合命令を受けたことを証言しています。しかし、そこには命令の主体が書かれていません。ただ、多くの村民は、「忠魂碑前に集合し玉砕する」という命令を、軍命令と受け取り、それが後に風説のもととなったと考えられるのです。宮城晴美さんは『母の遺したもの』においてこう解説します。 「『命令は下った。忠魂碑前に集まれ』と恵達から指示を受けた住民のほとんどが、梅澤戦隊長からの命令と思った。というのも、これまで軍からの命令は防衛隊長である盛秀を通して、恵達が伝令を務めていたからある。」 宮城初枝さんが 「真実の歴史を残す為には此れから私のやるべきことが残っております。」 として原告梅澤さんに宛てた手紙の中で、 「忠魂碑前の集合は、住民にとっては軍命令と思いこんでいたのは事実でございます。」 と述べ、住民の誤解と村の方針のために虚偽に加担したことを梅澤さんに謝罪し、こう結びます。 「お許し下さいませ。すべてが戦争のでき事ですもの」 と。 真実、玉砕命令を下したのは梅澤部隊長でも軍でもありませんでした。 それを明らかにしたのが、まさに宮城初枝さんの勇気ある証言でした。その証言をもとにして娘の晴美さんが書いた『母の遺したもの』には、自決のための弾薬をもらいに行ったところ梅澤部隊長に「お帰り下さい」とはっきりと断られた助役の宮里盛秀氏らが、次にどういう決断をしたかが、こう語られています。 「その帰り道、盛秀は突然、防衛隊の部下でもある恵達に向かって『各壕を回ってみんなに忠魂碑前に集合するように……』と言った。あとに続く言葉は初枝には聞き取れなかったが『玉砕』の伝令を命じた様子だった。そして盛秀は初枝にも、役場の壕から重要書類を持ち出して忠魂碑前に運ぶよう命じた。 盛秀一人の判断というより、おそらく、収入役、学校長らとともに、事前に相談していたものと思われるが、真相はだれにもわからない。」 宮里盛秀助役が、その単独の判断か、宮平正次郎収入役及び玉城盛助国民学校長らとの協議の上での決断かは不明ですが、自らの判断を「軍の命令」ととれるかのような形で、村内に指示したというのが実態だったのです。 この点とも深く関連するのですが、2つ目の重要な原告からの再反論は、宮里盛秀助役の父親であった宮村盛永氏の『自叙伝』についての評価です。 被告らは、この『自叙伝』には、梅澤部隊長による自決命令があったことを示す記述があると主張します。 しかし、きちんと読みさえすれば誰にでもわかるように、この『自叙伝』には、梅澤部隊長による自決命令はどこにも書かれていません。 逆に、宮村盛永(当時の姓は宮里)が、一族とともに玉砕する覚悟を固めていく過程が、次のとおりなまなましく記載されているのです。 「明くれば二四日午前九時からグラマン機は益々猛威を振い日中は外に出る事は不可能であった。敵の上陸寸前である事に恐怖を感じながら、此の調子だと今明日中に家族全滅するのも時間の問題であると考へたので、せめて部落に居る盛秀夫婦、直、春子らと共に部落の近辺で玉砕するのがましではないかと、家族に相談したら皆賛成であった。」 「丁度午後九時頃、直が一人でやって来て『お父さん敵は既に屋嘉比島に上陸した。明日は愈々座間味に上陸するから村の近い処で軍と共に家族全員玉砕しようではないか。』と持ちかけたので皆同意して早速部落まで夜の道を急いだ。」 この文章から明らかなように、まず一族で「玉砕」するのがましではないかと言い出したのは盛永氏であり、相談した家族は皆賛成し、玉砕の覚悟を固めて部落へと急いだのでした。「玉砕」が、軍の命令によるものではなく、むしろ住民の自然な発意がもととなっていたことがはっきり表れています。 さきほど述べました宮里盛秀氏らが発した《忠魂碑前集合玉砕命令》は、激しい戦闘のなかで追い込まれ、死を覚悟した住民の自然な発意や感情を背景にしてなされたものだったのです。 2 (《赤松命令説》) 準備書面(5)の後半部分は、渡嘉敷島での集団自決に関する《赤松命令説》の神話をいまだに主張する被告らに対する反論です。 (1)まず、はじめに。 前回の法廷で紹介した照屋昇雄さんの《人間の良心》に基づく勇気ある証言によって渡嘉敷島の神話もまた、援護法適用のための方便として村の公式見解になっていったことが明らかになりました。赤松隊長が自決命令を出したという《赤松命令説》は、すでに曽野綾子氏の『ある神話の背景』によって根拠のない神話であったことが明らかになっていますが、最後に、なぜかかる神話が、援護法適用以前に『鉄の暴風』に記述されたのかという疑問が残ります。 渡嘉敷島では、敵に包囲されて逃げ場を失い、渡嘉敷村の幹部が協議するうちに自然と玉砕するしかないという話となり、古波藏村長が音頭をとって、防衛隊が配った手榴弾などによる集団自決がなされました。そのことは『鉄の暴風』以外の多数の資料によっても確認されています。 ところが、集団自決で死なずに生き残った者もいました。生き残った者は集団自決さえしなければと死者への哀惜の念が一挙に吹き出したのです。 曽野綾子氏が『ある神話の背景』で語るところでありますが、 「本当の渡嘉敷の悲劇は、戦争が終って、出征していた兵士や島を出ていた人たちが帰って来た時に始まった。」 「生存者の中には、その立場上、事件について説明責任を免れぬ人たちもある。」 典型的な人物は古波蔵元村長でした。集団自決の音頭をとっていながら生き残った村長として、これらの責めを受けたことは当然予想されます。古波藏村長はその責め苦を少しでも軽くするために、存在しない隊長命令を主張せざるをえなかったことが推測されるのです。 琉球政府で援護業務を担当して渡嘉敷島の村民の聴き取り調査をした照屋昇雄氏は、 「古波藏村長は、住民を集めて全部死ねと言って演説もしているが」、 自己の責任を否定し、軍に責任をかぶせることに奔走した結果、村民から信用がなくなった事情を明らかにしています。 さて、今回新たに提出した重要な証拠のなかに、沖縄出身の作家上原正稔氏が記述した『沖縄戦ショウダウン』があります。上原氏は、琉球新報に「沖縄戦ショウダウン」を連載中、当時の集団自決の生き残りである金城武徳氏らを調査した結果、渡嘉敷村民の自決について、 「国のために死ぬのだ。だれも疑問はなかった。村長が立ち上がり音頭をとり、『天皇陛下万歳』と皆、両手を上げて斉唱した」 ことを確認しています。 (2)続いて、 被告らが依拠する富山証言の信用性を弾劾しています。被告らは富山証言をもとに米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日、手榴弾を村民に配ったといいます。富山証言は第3次家永訴訟において、沖縄国際大学の安仁屋政昭氏が公に持ち出したものでありますが、日本軍の第32軍も渡嘉敷島の第3戦隊である赤松部隊も米軍が慶良間諸島を最初に攻撃することはないと考えていました。だから地上戦も予定していませんでした。安仁屋氏もそのことを明確に認めています。3月25日8時海上に敵機動部隊船影を確認するまで米軍の渡嘉敷島への上陸を全く予想していなかった赤松部隊が3月20日に米軍の上陸した場合の戦闘に備えて村の少年や役場職員に手榴弾を配布することはありえません。富山証言はデッチアゲそのものです。 (3)さらに、 『鉄の暴風』の著者太田良博氏による『ある神話の背景』批判に対する反批判を行いました。 太田氏は、著書『戦争への反省』に収録した沖縄タイムス上での論戦において『ある神話の背景』に対して縷々反論を試みています。例えば、新聞社が直接体験者でない者の伝聞証拠を採用するはずがないという建前論を述べています。しかし、これに対し、曽野氏は「新聞社の集める『直接体験者の証言』なるものの中には、どれほど不正確なものがあるか分からないとし、例えば「直接体験者の売り込みだという触れ込みの中国大陸で日本軍が毒ガスを使った証拠写真として朝日新聞が掲載した、直ちに間違いを認め撤回した例を指摘し、太田氏を「新聞は間違えないものだ、と素人のたわごとのようなことをいうべきではない。」と批判しています。太田氏は「自決命令の真相を知っている思われる2 人の人物、知念少尉と安里喜順がいるが、真相を語っているとは思われない。」としていますが、『鉄の暴風』では「地下壕内の将校会議で非戦闘員を自決させ、軍人は食糧を確保して、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住む全ての人間に死を要求している』という赤松隊長の発言に副官知念少尉は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」と記載しています。知念氏が真相を語るはずがない、だから取材していないとしながら、知念氏の内面の葛藤まで踏み込んだ描写を知念氏自身から確認しないまま記載したことこそ、『鉄の暴風』の赤松命令説が捏造によるものであることを如実に物語っているといえます。太田氏の強弁と詭弁を交えた弁解が、自己撞着で捻転した挙げ句に破綻を来していることは明らかです。 (4)太田氏は 沖縄タイムス上での論戦において、 「あの玉砕は軍が強制したにおいがある。アメリカ兵が目撃した集団自決の資料の発見者で翻訳者である上原正稔は、近く渡米して目撃者を探すそうである」 と記載しています。その上原正稔氏こそ、先に紹介した『沖縄戦ショウダウン』の著者でした。 上原氏は、『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない金城武則氏、大城良平氏、安里喜順氏、そして知念朝睦氏といった集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく真実に気がつきました。そして、 「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」 と断ったうえで、 「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」 と告白しているのです。 さらに、 「国の援護法が『住民の自決者』に適用されるためには『軍の自決命令』が不可欠であり、自分の身の証(あかし)を立てることは渡嘉敷村民に迷惑をかけることになることを赤松さんは知っていた。だからこそ一切の釈明をせず、赤松嘉次さんは世を去った」 「一人の人間をスケープゴート(いけにえ)にして『集団自決』の責任をその人間に負わせて来た沖縄の人々の責任は限りなく重い」 と結論しています。 『沖縄戦ショウダウン』の記事が沖縄の有力紙琉球新報に掲載されている意味は重大です。そのことは、沖縄の言論人にも事実を調査し、真実を見極めようという誠実な人がいること、そしてそうした沖縄でも赤松隊長命令説の虚偽が自明なものとして知られていたことを意味しているからです。 いま、上原氏の「沖縄の人々の責任は限りなく重い」という言葉に込められた沖縄の良心の叫びを、噛みしめる時が来ているのです。 以上 index
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昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-113 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について (原)カ 徳平秀雄らの体験談 (判決本文p222~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)カ 徳平秀雄らの体験談(ア)(徳平秀雄)* (イ)(大城良平)* (ア)(徳平秀雄)* 「沖縄県史 10巻」(乙9・765頁)に記載された徳平秀雄の集団自決に関する体験談中, 事実を述ぺる部分で主なものとしては, 恩納川原で米軍の攻撃を受けたこと, そこに防衛隊が現れたこと, 徳平秀雄も参加の上, 村長・校長・防衛隊員ら渡嘉敷村の有カ者が何らかの協議をしたこと, 防衛隊員が住民に手榴弾を配布したこと, 村長が何か言っていたこと, その後, 住民が手榴弾を用いるなどして自決したこと, 西山陣地に行ったものの, 軍が陣地内に入れてくれなかったことなどであり, これらの事実は, 赤松命令説を覆すものではない。 そのほか, 徳平秀雄の体験談の記載は, 村の有カ者の協議内容や村長の発言が明らかでないなど, あいまいな部分があり, また, 「防衛隊とは云っても, 支那事変の経験者ですから, 進退きわまっていたに違いありません。」 「そういう状態でしたので, 私には, 誰かがどこかで操作して, 村民をそういう状態に持っていったとは考えられませんでした。」 などの部分は, 徳平秀雄の推測を述ぺたものにすぎないである。 (イ)(大城良平)* 「沖縄県史 10巻」(乙9・781頁)に記載された大城良平の体験談も, 赤松大尉が部下を指揮できなかったという事情について具体性はなく(大城良平の体験談以外に赤松大尉が部下を指揮できなくなっていたと語るものは, 本訴で提出された書証等の中には存しない。), 多くは大城良平の観測を述ぺるものにとどまっている。 目次 戻る 通2-113 次へ 通巻
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上高地線(松本電鉄)もあるんや! 関連 松本電鉄 ーーーー アルピコ交通 松本市松本駅!波田町にある新島々駅を結ぶ14.4km 昔、15.7kmあったが1.3km廃止! 運用 オオムネ40分間隔。 10、 50 、 30 、10 、50、 30 のようにね! 制限速度は、松本 - 渚間ではカーブが多く駅間隔が短いため40km/hで、渚 - 新島々間ではカーブが少なく駅間隔が長いため50km/hで走行している。理由は早過ぎると客が怖がるからだという。ホンマかいな・・・ 駅一覧 松本駅 西松本駅 渚駅 信濃荒井駅 大庭駅 下新駅 北新駅 新村駅 三溝駅 森口駅 下島駅 波田駅 渕東駅 新島々駅 島々駅※ ※廃止 ドア扱い各駅紹介 運行時間中、駅員がいる駅 松本※ 改札・券売なんというかJRに委託。専用券売機台紙がJR。 波田 新島々 時限で駅員がいるんや ※駅員がいない時間なら無人駅扱い。各駅にょり休日は終日無人駅な場合も。 下新 北新松本大学 新村 森口 全駅員がいない無人駅 西松本 渚 信濃荒井 大庭 三溝 下島 渕東 島々んやな?※ 末期は無人駅だ。 廃止区間 新島々西へん!1.3km、島々まで行っていたんだ。 島々駅跡から西、見てもわーとーり、梓川あがる! 水面というか!水底から橋までかなり高さる!そこに橋をかけようもんならあ!当時の技術なら、相当苦労したろう!だから!これ以上、敷設は、難しいんや! こっからバスに乗り換えてもらうことなんや! 需要高まるんバス、駅前は、狭い! そこで1つ松本寄りにある新島々駅に移すことしたんやあ! 新島々、昔は、赤松とだったんや! 名の通り赤松がビッシリ! これ!島々駅のターミナル役割を引き継がせようと赤松駅あ新島々に改称されたあ! これによりターミナル失った島々駅は、閑散利用減無人化。 本数も少なくなったんと思われる しかし、台風がオイタしてしまったんや、 新島々〜島々間が土砂崩れで不通、 結局、復旧もせず放置、利用が減りつづターミナル機能も新島々だか、未練なく廃止! 新駅可能性 以下は駅間が長い。しかしね、家もるんもるん。 信濃荒井〜大庭 大庭〜下新 下島〜波田 波田〜渕東
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総評 松永久秀の前に膝を屈するも、不死鳥の如く有力国人の座に復活する。国人衆の意向とあらば、外圧に対し徹底抗戦の構えも辞さず。 中小勢力の割に合戦に貢献出来る武将が多く、プレイヤーが周辺大名を担当した場合は武将狩りの的にされやすいという悲哀を持つ。 シナリオ1・2の難易度はやや難しい。隣国摂津を領国とする大名家への対応が鍵となる。行動力の確保に苦しむこととなるシナリオ3の難易度は難しい。 領国はシナリオ1~3・5で丹波1ヶ国。シナリオ4には登場せず。 人材は丹波国人衆で構成。赤鬼・青鬼・丹波鬼の息子と鬼だらけ。能力値は戦闘方面に著しく偏っている。数は近畿勢力にしては少ない。政治面は波多野晴通が全てと言っても過言ではない。彼が抜けたシナリオ3は大名の波多野秀治が政治31、家中最高値が波多野秀尚の政治59と相当に厳しい。戦闘面は赤井直正を筆頭にいずれのシナリオも半数が戦闘70越えと一定の質を保つ。ゲリラ戦法で織田家を苦しめた実績は足軽適正の平均値にも反映されている。浪人はしばしば流れて来る。南光坊天海などは相性は良くないが登用できれば大きな力となる。 固定戦術は移動系、特殊系、攻撃系が各1つずつ。「壁越」は城攻めの際に効果抜群だが、籠城戦自体を引き起こす必要がないので使用する機会には恵まれない。「挑発」は弓隊対策に。本来の目的以外にも相手側「鎮静」対策にも役立つ。「槍衾」は主なダメージ源として使用。政治面に不安のある波多野家では資金のあまりかからない足軽戦術の存在は有難い。 丹波の文化効果は「地震の被害減少」、技法は「行軍」。 丹波の最大石高は平均よりもやや高い程度。初期文化値は平均的。金山は眠っている。 隣接国は4ヶ国。隣接大名家はシナリオ1の状態で足利家、三好家、一色家、赤松家。シナリオ2の隣接大名家は足利家、本願寺家、一色家、赤松家。三好家に代わって本願寺家が摂津を領国とする。シナリオ3の隣接大名家は足利家、本願寺家、一色家、赤松家。シナリオ2から変化なし。 外交関係はシナリオ1では特記事項なし。同盟はいずれの大名家とも結んでいない。シナリオ2でも同様。シナリオ3では織田家との友好が大きく低下、三好家・赤松家・山名家との友好も若干低下している。同盟関係にある大名家はなし。 ちなみに家紋は「鳳凰」。 固定戦術 壁越 挑発 槍衾 注目武将 波多野 晴通‐政治71 戦闘56 教養60 魅力70 足軽C 騎馬D 鉄砲D 天性:知将 三好家の包囲を三度退ける。守戦の才はありそうだが、何故か暗愚の一言で片付けられる不遇な人。 政治71と知性派にイメチェン。合戦は猛将揃いの他の国人に任せ、自らは兵站の維持に努めるべき。 波多野 秀治‐政治31 戦闘69 教養64 魅力74 足軽B 騎馬D 鉄砲D 天性:猛将 国人衆をまとめ上げる丹波国の旗頭。いつでも弟と一緒。最後まで弟と一緒。 戦闘69とより肉体派に。イメチェンならず。全大名中最低の政治31はシナリオ3における最大の敵。 赤井 直正‐政治30 戦闘84 教養54 魅力66 足軽B 騎馬B 鉄砲D 天性:猛将 「赤鬼」こと浪速のロッキーのご先祖様は丹波における反信長派の筆頭格。波多野レッド。 「名高キ武士」は流石の戦闘84。足軽適正Bに加え騎馬適正もBなので状況に応じて使い分けが可能。 籾井 教業‐政治19 戦闘79 教養34 魅力58 足軽B 騎馬D 鉄砲D 天性:猛将 「青鬼」こと籾井教業の何が青いのかは不明。更には実在の有無さえも不明の波多野ブルー。 足軽隊を率いて「泣いた赤鬼」よろしく赤井直正を支えたい。特殊系戦術は大の苦手。 敵大名としての特徴 シナリオ1~3とも開始直後に一揆で滅亡、という全国版のようなことはない。が、勢力を拡げることもまずなく、いずれのシナリオでも拡大政策は採らない。シナリオ1では三好家・足利家に、シナリオ2・3では本願寺家に比較的早い段階で滅ぼされるケースが多い。 合戦を行う場合に考慮すべきは「槍衾」対策。赤井直正、籾井教業、荒木氏綱は戦闘・足軽適正いずれも優秀。「鎮静」や囮部隊を用意して被害を最小限に止めたい。 シナリオ別攻略 ・シナリオ1 武将は5人。 近畿のエアポケット丹波に拠を構える波多野家。 赤井直正、籾井教業という戦闘力の高い武将がいるので、全国版や戦国群雄伝ほどの悲惨さはない。 反面政治に明るい者は波多野晴通ぐらい。のんびり内政をするのは意味も効果もないので、早めに打って出た方がいいだろう。 波多野家は周囲の大名家系武将と軒並み相性が悪い。合戦には強いが戦後登用が難しいのが泣き所。 軍備が整ったら播磨に侵攻しよう。赤松家系の武将とは相性が悪いが、黒田職隆だけは例外。待望の事務方武将の仕官が見込める。 あるいは山城を攻め、室町幕府に引導を渡すのも一手。足利義輝との相性は良好、他の幕臣にも好相性の武将がいる。 ・シナリオ2 武将は5人。 シナリオ1と同様。 ・シナリオ3 武将は6人。 大名が波多野秀治に代替わり。月に1~2度訓練するのが精一杯の行動力。月日の流れが早い早い。 西の山名家や赤松家との友好度が下がっているが、向こうから攻めてくることはまず無い。 織田家、毛利家、本願寺家と好戦的な大名に囲まれている。波多野家には政治・教養の高い武将が不在なので同盟しようにも難しいのが難点。 播磨・因幡いずれに侵攻するにしても時間がかかる。一戦必勝の心構えで臨もう。 ・シナリオ5 武将は7人。 大名が波多野晴通に戻った。 摂津を治める大名が羽柴家となったが他に大きな状況の変化はない。 ・シナリオ6 武将は6人。 国人と共に丹波を飛び出し、海の見える土地・相模を本拠としている。頑強な籠城戦が評価されたか。 幸い、駿河・遠江・三河を治める毛利家との関係は良好。甲斐の山名家との友好が低いが特に気にする程でもない。 行動力不足は大きな悩みのタネのなるが、やるべき事は変わらない。とりあえず、安房の河野家に狙いを絞るのがいいだろう。 今までとは違い、周囲の武将との相性は悪くない。戦後登用でも好感触を得られるはず。
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2012年度卒業論文報告会 柳沢研究会では,下記の要領で2012年度卒業論文報告会を開催致します。 当報告会は公開制で実施致しますので,ご興味をお持ちになられた方は,奮ってご参加下さい。 入ゼミを希望,もしくはゼミ選びの参考にしたい2年生の参加も歓迎致します。 ・日時:2013年2月5日(火) 14 00~18 00 ・会場:慶應義塾大学三田キャンパス大学院校舎1F 313教室 ・報告者及び題目(報告30分・ディスカッション20分)(題目未定の部分については,決定次第更新致します) 14 00~14 10 趣旨説明 14 10~15 00 伊澤政宗(経済学部4年) 「関東大震災と損害保険ー火災保険金支払問題の顛末ー」 15 00~15 50 横松健太(経済学部4年) 「高度成長後における工業事業所の立地及び従業員数の変化ー岡谷市における機械金属工業を事例にー」 (15 50~16 05 休憩) 16 05~16 55 谷口洋斗(経済学部4年) 「北海道第2期拓殖計画の成立過程」 16 55~17 45 前田廉孝(大学院経済学研究科後期博士課程3年・博士論文報告) 「近代日本の塩専売制度」 17 45~18 00 総括 ※終了後に大学近辺にて懇親会を開催致します。
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クトゥルー神話を扱った作者・作品 前のページに戻る クトゥルフ神話の作家と作品 [編集] クトゥルフ神話作家 [編集]アーサー・マッケン アンブローズ・ビアス ロバート・W・チェンバース ハワード・フィリップス・ラヴクラフト オーガスト・ダーレス クラーク・アシュトン・スミス ロバート・E・ハワード フランク・ベルナップ・ロング ロバート・ブロック ヘンリー・カットナー リン・カーター ラムジー・キャンベル コリン・ウィルソン ブライアン・ラムレイ スティーヴン・キング ゲーリー・メイヤーズ リチャード・F・シーライト フランクリン・シーライト ジェームズ・アンビュール トレイシー・アンビュール ジョン・グラスビイ ウォルター・C・デビルJr トマス・リゴッティ ヒュー・B・ケイヴ スコット・ディヴィッド・アニロウスキイ ディヴィッド・ドレイク カール・エドワード・ワグナー リチャード・A・ルポフ ジェフリー・トーマス マイケル・H・パグワイア スタンリー・C・サージャント アン・K・シュウェーダー ロバート・M・プライス 日本のクトゥルフ神話作家 [編集]小説家 朝松健 風見潤 菊地秀行 栗本薫 小林泰三 小中千昭 佐野史郎 殊能将之 高木彬光 新熊昇 山本弘 神野オキナ 田中芳樹 伏見健二 漫画家 諸星大二郎 魔夜峰央 矢野健太郎 八房龍之助 槻城ゆう子