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ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで Gary S. Becker(ゲーリー・S. ベッカー)、Guity Nashat Becker(ギティ・N. ベッカー) (訳)鞍谷 雅敏、岡田 滋行 内容(「MARC」データベースより) アメリカ経済躍進の基礎である「経済的な考え方」の本質をとらえ、市場社会を生き抜くための発想が身につくエッセイ。日常生活の経済的・社会的な側面についてノーベル経済学賞受賞者がわかりやすく論じる。 買ったけど殆ど読んでないです。ネームバリューだけで買っちゃいけませんな。 詳細 単行本 341ページ 出版社 東洋経済新報社 (1998/09) ISBN-10 4492312501 ISBN-13 978-4492312506 発売日: 1998/09 商品の寸法 19 x 13.4 x 2.6 cm
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攻撃量によって求められる最大攻撃力と、実際のダメージとが乖離する現象のこと。 つまり敵が動くということでさえ、正確な攻撃を妨げるものであり、 なおかつ敵は攻撃してくるので、攻撃を続けるわけにもいかない。 こうした理由で実際には振り続けるだけで取れるだろう最大ダメージから 必ずいくらか差し引いた分が実際のダメージの値として返される。 これを戦力減衰と呼ぶ。 また、攻撃以外の行動をとったことによって攻撃率が一時的に低下することも この戦力減衰に含まれており、その大半は何らかの支援行動により 回避することのできる戦力減衰であるとすることもできるが、 一方で砥石の使用やリロードなど、宿命的なものもある。 支援が攻撃効率を論じる場合、この戦力減衰をいかに抑制するかにかかっている。
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千葉市美浜区・稲毛海岸駅周辺の停電についていろいろ 東日本大震災で被災された方々にお見舞い申し上げます このwikiは千葉県千葉市美浜区・稲毛海岸駅周辺の停電についていろいろまとめておこうと思い作成しました この地域は特に高齢化が進んでいるため夏場の停電時が心配です。 各町の自治会が動いていると思いますが、それらについてもまとめることができればと思います。 現在電気どころか寝食もままならない方々が多くいらっしゃる時に、まだ先の夏の停電のことを論じることは気が引けますがご了承下さい。 今、千葉の私達がすぐにできること Yahoo!ボランティア - インターネット募金 日本赤十字社 - 寄付をしたい 美浜区の災害救助法の適用 稲毛海岸駅周辺の計画停電 2011年夏の停電はどうなる?
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要約 現在、経済のグローバル化が進み、それに伴う国境を越えた「人の移動」が盛んになりつつある。そこで今回私たちは、日本における在日外国人その中でも特に「ニューカマー」日系ブラジル人子女の教育問題に焦点を当て、この分野での問題の本質を明らかにしつつ、公立学校における教育環境を整えるなどの政策提言を行う。 第1章では、在日ブラジル人の概観について述べていく。まず、日系ブラジル人が国境を越えて日本へ移動してきた背景と、その移動が拡大していく背景となった1989年に行なわれた出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正をふまえ、在日ブラジル人の増加の経緯を述べる。また、在日ブラジル人の実質的な定住化が進んでいるという現状を登録外国人統計・在留資格・統計や住宅購入者の増加の観点から現状分析を行っていく。そして在日ブラジル人の居住の分布には大きな偏りがあるこという現状を踏まえ、在日ブラジル人の地域性について述べていき、最後に今回私たちが論文を記述するにあたっての先行研究の位置づけを述べていく。 第2章では、日本における日本語教育の必要性を在日ブラジル人子女に教育を施さなければならない理由として、日本が「学歴」社会であるとういう観点から述べ、次に在日ブラジル人子女の高校進学率の動向など地域ごとに比較し、現状分析を行いその問題を論じていく。それを踏まえた上で、在日ブラジル人子女の日本語教育の現状と問題点を生活言語と学習言語、母語の重要性を中心に記述し、最後に在日ブラジル人の日本語教育の必要性を実際に行われた調査に基づいて述べていく。現在、公立学校では、教員の加配制、通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣されていなかったり、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていなかったりという問題がある。生活言語は問題がない子女であっても、学習言語の習得が困難であるという場合が多く論ぜられている。このような点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとはいいがたいと考えられる。 第3章では、在日ブラジル人の教育の現状をブラジル人学校と日本の公立学校の分析し論じていく。はじめに、ブラジル人学校について述べ、その中でもHIRO学園を中心に論じる。次に、日本の公立学校日系ブラジル人子女の多い自治体として静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市における事例を挙げて論じる。そして、それらの公立学校での日本語教育の取り組みと制度や授業形態(加配制、取り出し授業やT.T、ブロック別集中システム)などの現状や効果または問題点を挙げ論じていく。最後に、公立学校における日本語教育に対して、同じ地域にある日本語学校がその学習に協力を行っていることから、日本語学校と概要、その取り組みについて現状分析を行い述べていく。現在、一部の公立学校では、教員の加配制・通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣がなされていない場合や、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていないという指摘がある。日常会話に支障をきたさない子女であっても、学習言語授業内容を把握するとなると理解ができないという現状や問題がある。このような点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとは言いがたい現状であるということがわかるであろう。 第4章では、3章までの議論を踏まえ、問題意識の整理をした上で政策提言を行う。私たちの問題意識として、在日ブラジル人児童生徒の進学率が日本人児童生徒と比べよくないということである。静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市などの各地方自治体の公立学校でさまざまな施策がなされているのだが、この問題を解決しているとは言いがたい現状にある。私たちはこの問題を解決するにあたって、在日ブラジル人児童生徒に対する、さらなる日本語指導が必要であると考えた。その中でも特に重要と考えた二点が、生活言語のみならず学習言語としての日本語を獲得し、高校などへ進学することができるための学力を身につけることを可能にする言語的なサポートとその指導を実施するにあたって、必要となる外国人児童生徒のアイデンティティを育む手助けとなる精神的なサポートである。以上の二点を踏まえたうえで、公立学校に通う日本語教育の必要な外国人児童生徒を対象にした支援を政策として論じる。そこで公立学校における日本語の指導が必要な外国人児童・生徒を対象に日本語教育の環境の改善策として①センター校によるダブルスクール制、②センター校における人材確保の二点を挙げ政策提言を行う。 ①センター校によるダブルスクール制 センター校とは複数間の学校の中で取り上げられた、外国人児童・生徒の教育を行う公立学校であり、そこを拠点として日本語教育を必要とする児童・生徒が生活言語のみならず、学習するにあたって必要な学習言語を学ぶ場を設置する。よって児童・生徒は公立学校とセンター校の両方に通うこととなるためダブルスクール制と称する。 ②センター校における人材確保 センター校における教員として、a,言語的なサポートを行う日本語教育を専門とするものと、b,精神的なサポートを行うものを必要とする。そこで、a,の言語的なサポートをするものとして、私たちは日本語教育を専門とする日本語指導教員(日本語学校の教員など)が望ましいと考える。また、b,は精神的なサポートや進学相談などの支援をするもの「ピア・リーダー」を提案する。
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要約たたかれ台 私たちは、日本における在日外国人その中でも特に「ニューカマー」日系ブラジル人子女の教育問題に焦点を当て、この分野での問題の本質を明らかにしつつ、公立学校における教育環境を整えるなどの政策提言を行う。 第1章では、在日ブラジル人の概観について述べていく。まず、日系ブラジル人が国境を越えて日本へ移動してきた背景と、その移動が拡大していく背景となった1989年に行なわれた出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正をふまえ、在日ブラジル人の増加の敬意を述べる。また、在日ブラジル人の実質的な定住化が進んでいるという現状を登録外国人統計・在留資格・統計や住宅購入者の増加の観点から現状分析を行っていく。そして在日ブラジル人の居住の分布には大きな偏りがあるこという現状を踏まえ、在日ブラジル人の地域性について述べていき、最後に今回私たちが論文を記述するにあたっての先行研究の位置づけを述べていく。 第2章では、日本における日本語教育の必要性を日系ブラジル人子女の高校進学率の動向など地域ごとに比較し、現状分析を行いその問題を論じていく。それを踏まえた上で、日系ブラジル人子女に教育を施さなければならない理由として、日本が「学歴」社会であるとういう観点から述べていく。次に、日系ブラジル人子女の日本語教育の現状と問題点を生活言語と学習言語、母語の重要性を中心に記述し、最後に日系ブラジル人の日本語教育の必要性を実際に行われた調査に基づいて述べていく。現在、公立学校では、教員の加配制、通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣されていなかったり、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていなかったりという問題がある。生活言語は問題がない子女であっても、学習言語が習得が困難であるという場合が多く論ぜられている。このような点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとはいいがたいと考えられる。 第3章では、在日ブラジル人の教育の現状をブラジル人学校と日本の公立学校の分析し論じていく。はじめに、ブラジル人学校について述べ、その中でもHIRO学園を中心に論じる。次に、日本の公立学校日系ブラジル人子女の多い自治体として静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市における事例を挙げて論じる。そして、それらの公立学校での日本語教育の取り組みと制度や授業形態(加配制、取り出し授業やT.T、ブロック別集中システム)などの現状や効果または問題点を挙げ論じていく。最後に、公立学校における日本語教育に対して、同じ地域にある日本語学校がその学習に協力を行っていることから、日本語学校と概要、その取り組みについて現状分析を行い述べていく。現在、一部の公立学校では、教員の加配制・通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣されていなかったり、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていなかったりという問題がある。日常会話は問題ない子女であっても、学習言語授業内容を把握するとなると理解ができないという問題は。こういった点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとはいいがたいと言えるであろう。 第4章では、3章までの議論を踏まえ、問題意識の整理をした上で、政策提言を行う。私たちの問題意識として、日系ブラジル人児童生徒の進学率が日本人児童生徒と比べよくないということである。静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市などの各地方自治体の公立学校でさまざまな施策がなされているのだが、この問題を解決しているとはいいがたい現状にある。私たちはこの問題を解決するにあたって、日系ブラジル人児童生徒に対する、さらなる日本語指導が必要であると考えた。その中でも特に重要と考えた二点が、生活言語のみならず学習言語としての日本語を獲得し、高校などへ進学することができるための学力を身につけることを可能にする言語的なサポートとその指導を実施するにあたって、必要となる外国人児童生徒のアイデンティティを育む手助けとなる精神的なサポートである。以上の二点を踏まえたうえで、公立学校に通う日本語教育の必要な外国人児童生徒を対象にした支援を政策として論じる。そこで公立学校における日本語の指導が必要な外国人児童・生徒を対象に日本語教育の環境の改善策として①センター校によるダブルスクール制、②センター校における人材確保の二点を挙げ政策提言を行う。 ①センター校によるダブルスクール制 センター校とは複数間の学校の中で取り上げられた、外国人児童・生徒の教育を行う公立学校であり、そこを拠点として日本語教育を必要とする児童・生徒が生活言語のみならず、学習するにあたって必要な学習言語を学ぶ場を設置する。よって児童・生徒は公立学校とセンター校の両方に通うこととなるためダブルスクール制と称する。 ②センター校における人材確保 センター校における教員として、a,言語的なサポートを行う日本語教育を専門とするものと、b,精神的なサポートを行うものを必要とする。そこで、a,の言語的なサポートをするものとして、私たちは日本語教育を専門とする日本語指導教員(日本語学校の教員など)が望ましいと考える。また、b,は精神的なサポートや進学相談などの支援をするもの「ピア・リーダー」を提案する。
https://w.atwiki.jp/boardwalk/pages/43.html
2006/7/1 ダヴィンチ・コード を見てきました。 「イェスに子供がいた」っていう事実をカトリックが 二千年間隠し続けていて、主人公達はそれをあばこうと…、 という内容。 作中では明かしてませんでしたけど、 元ネタは「グノーシス 」っていうキリスト教初期の有名な異端ですね。 グノーシスって言ったら超有名な異端で、 例えば「神は実は悪魔」だと言ってみたり、 宗派によっては快楽目的の性交を肯定したり、 なかなか激しい教義。 それを知ってたんで、この映画に対してキリスト教徒が怒りまくってるって話を聞いて 意地悪い意味で期待しまくっていたのですが、 実際には「あれ?」っというくらい肩透かしな内容。 確かにイェスに子供がいたってのは異端的だけど、 元ネタになったグノーシスはその何倍も異端的。 それから比べれば、「ダヴィンチ・コード」なんて まだまだオブラートにつつまれたもの。 なんで、キリスト教徒もこの映画くらいで怒っちゃいけません。 聖書にも「汝の敵を愛せよ」って書いてあるし、 この程度で怒るのはちょっと大人げない。 っていうかむしろ、この程度で怒ると、 本当に何か隠してるんじゃないかと逆に勘ぐってしまいます。 2006/7/12 今日は日記だけ更進。 仕事の関係でゴールデン・ウィークが無かった のは前に書いたとおりなんですが、 もしかすると今年は例外的に、夏休みも無い可能性がでてきました。 まぁ、忙しいのは仕事が好調な証拠なんで、忙しい事自身はむしろいい傾向なんですけど、 なんでまたこう忙しい時期が休みと重なるんだろう。 どなたか励ましのおたよりください。 チョコレートの「ゴディバ」の名前の由来になったゴディバ夫人は裸で街を回った。 いやぁ、領民の為に裸で街を回るなんてえらすぎる。 これからは、女性からゴディバをせがまれたときは、「裸で街を回ったらね」と答える方向で。 2006/8/11 (1) いやぁ、夏休みが取れないんじゃないかと心配してましたが、 なんとか夏休みが取れました。 まぁ、夏休みが取れたのは仕事が駄目になったからなんで、 よろこんでいいんだかどうかわかりませんが。 しかも何のかんのいいながら、もう2回も出社してるし。 (出社時間は短いけど)。 2006/8/11 (2) エッセイに書いた北極の氷が解けたときの話ですが、 小学校では「海面は上がらない」と習いました。 それからン十年。 一昨日まで、そのまますっかり騙され続けてました。 学校の先生って結構嘘を言ってますよね。 僕が言われた中で一番ひどかった嘘は、小6の頃担任の先生が言ってた 「酸素の名前に「酸」って文字が入ってるのは、酸素が酸性だから」ってもの。 酸素は酸性などでは全くないのですが、この話を信じた僕は、 その一年後、中学の理科の授業中にこの嘘知識を披露して とんだ赤っ恥を書いてしまいました。 たとえ先生の言ってることであっても、 ちゃんと疑ってかかんないと駄目ですね。 2006/9/2 六星占星術と冥王星 冥王星が惑星の定義から外されるという「事件」が起こったのは皆さんも御存じの通り。 この事件でもっとも影響を受けた日本人は、おそらく細木数子 。 彼女の発案した六星占星術 によると、 人間は火星人だの木星人だのだのに分かれるんだそうですが、 それが急に冥王星は惑星じゃないなんて言われたら、そりゃ困ってしまうでしょう。 まぁ、そうでなくとも、もともと六星占星術はツッコミどころ満載だったわけですが。 六星占星術は細木数子が中国占星術を応用して独自にあみだしたものだそうですが、基本的なツッコミとして、 「天王星」とか「冥王星」って名前はギリシャ神話からきてるから中国関係ないじゃん ってのがとても気になります。 他にも、昔の人が知ってたのは土星までで、天王星以降の惑星の名前は近代人が勝手につけたもの なんだから歴史浅いじゃん、とか。 個人的に一番気になっていたのは、なんでアステロイド・ベルト人がないんだろう って ものですが。 (*) アステロイド・ベルト:火星と木星の間の小惑星帯。数式上は惑星として考慮する事も。 そんなこんなで、今回の事件は、細木数子にとっては大問題だったでしょう。 なんといっても、冥王星の権威の失墜がそのまま細木数子の権威の失墜に 繋がりかねないわけですから。 細木数子にしてみれば、「あんた死ぬわよ 」っていうよりも 「わたし死ぬわよ 」って状況に違いありません。 そんなわけで、面白はんぶ…学術的探求心をくすぐられた 私は、 早速本屋で細木数子の六星占星術の本を探してみました。 そうしたら、いつのまにやら冥王星人の本がなくなっていて、 代わりに霊合星人 とやらの本になってました。 とても後づけ臭い名前 なのが気になりますが、 その辺を追求すると、それこそ「あんた死ぬわよ」って言われそう なので止めます。 まぁ、おそらく「霊合星(れいごうせい)」は「冥王星(めいおうせい)」とも音が通じるので、 その辺が名前の由来なんでしょう。 気になったのは、霊合星人の本の初版が8月21日である事。 冥王星が惑星からはずされたのは8月24日の事なので、 それより3日も前に初版を刷っている事になるのです。 さすがは細木先生。出版社に圧力かけて出版日を 捏造するなん…お得意の占いで事前に当ててしまうなんて。 (**)冥王星が惑星からはずれる事が正式発表される前に「正式発表は8/24になる」という 趣旨のニュースがあったので、それを見て慌てて刷った、というのが真相だと思われます。 発表日が8月24日であるという情報をくれたY氏に感謝。 2006/9/4 細木先生、あらぬ疑いをかけてどうもすみません。 9/2の日記に関しての話です。 六星占星術の平成11年度版を古本屋で見付けたんで見てみたんですが、 なんと、平成11年の段階ですでに霊合星人でした。 つまり、霊合星人って名前は冥王星が惑星じゃなくなった事となんの関係もなし。 いや驚き。 何を書くにもちゃんと調べてやらないとダメですね。 ほんとすみません。 まさか冥王星の件を本当に占いで当てたのか? …と、言いたいところですが、そうではなくて、 どうやらそもそも僕が霊合星人の意味を取り違えていたようです。 霊合星人は金星人やら火星人やらといった分類とは少し違うんだそうです。 調べてみたら、六星占星術とは人間を金星人、火星人、天王星人、木星人、水星人に分類し、 さらにそれらを(+)と(-)に細分して計12通りに分類するものだそうです。 「霊合星人」とは、これらの12分類と干支とがある特殊な組み合せになった人の事で、 この人達の運勢は極端から極端に移るんだそうです。(例えば土星人(+)の戌年生まれは霊合星人)。 ちなみに僕は天王星人(+)の霊合星人でした。 参考:ズバリ細木数子の六星占術無料で占い! 2006/9/9 (1) はじめてウェブページのデザインを変更しました。 変更時にミスって更進履歴に追加されてしまったのもありますが、 気にしないでください。(ミスってすみません)。 今日の更進は、「◯◯主義」とこの日記のみ。 明日また更新します。 (2) はじめて掲示板に書き込みあり。 書いてくれたのは僕の友人なんですが……あんた、何書いてんの!! 今さらながらに、素晴しい友人を持ったものだと思いました。(いろんな意味で)。 (内容については掲示板を御覧ください)。 初の書き込みもあり、皆さんも書き込みやすくなった (いろんな意味で)ところで、 みなさんも掲示板に感想の一つでも書いてみてください。 2006/9/13 このサイトは皆に楽しんでもらえる雑学を目標としているものの、 ネタをさがしてる最中、超ローカルな雑学を見付けしまう事が どうしてもあります。 今回はそうした超ローカルな雑学で、 個人的にツボにはまったものを御紹介。 銀河鉄道999の元ネタになった鉄道C62は常磐線を走っていた。 ……… …1000人に一人も面白さが分からそうな 雑学を言ってしまってすみません。 2006/9/22 ここ数日ニュースを騒がしている国旗国歌法。 試しに調べてみたらなかなか面白かったんですが、 国旗国歌法ってようするに、たった2つの事しか書いてない んですね。 つまり、「国旗は日の丸である」と「国歌は君が代である」。 そんだけ。 まぁ、うちのサイトは雑学と詭弁が専門で、 意見やらイデオロギーやらを扱ってるわけじゃないんで、 判決の是非を論じる気はさらさら全然全く無いです(強調)。 ただTVを見ていて、今回の判決を(あえて?)勘違いしてるっぽい意見が 元首相とか都知事とかから出てたんでそれだけ批判。 今回の判決の是非を論じる際忘れちゃいけないのは、 裁判ってのは、物事の是非を論じる場じゃなくて、 それが「法律から」導けるかどうかを論じる場であるって事。 その辺をねじまげて、イデオロギーやら何やらの 「法律以外の」立場から今回の判決を論じるのはどうかと。 で、じゃぁ国旗国歌法から高校での教育云々の話が導けるかですが… その判断は皆さんにお任せします。 トップページに戻る。
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遠藤保仁に3人の子供がいることに驚く。趣味は家具。コロコロPK。精度の高いキック。ミステリアスで魅力的。 -- record17 (2008-06-17 09 08 23) 夕飯はすき家でチーズ牛丼、サラダ、味噌汁。グレープフルーツ。 -- record17 (2008-06-18 09 26 58) 阿部謹也『「教養」とは何か』。「世間」を重視し、「教養」人を論じる。「教養」人とは、「世間」の中にいながら、緩やかに「世間」を変えていく人のこと。アイスランドサガの話は面白かった。しかし、全体的に小難しい。「世間」の定義が難解だ。まさか「世間」と「教養」をつなげるとは。 -- record17 (2008-06-18 17 41 52) 名前 コメント ←きのう(2008.6.16) →あす(2008.6.18)
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今日の訪問者 - Link 沖縄戦関係 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会 沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会 考察NIPPON はてな別館 海鷲よ甦れ 海鳴りの島から 狼魔人日記 曽野綾子「神話」をめぐる話題 その「神話」の背景-ある沖縄人の疑念 読谷村史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」 戦争と沖縄 「戦争と沖縄」8参考文献のページ 沖縄戦の記憶・本館 沖縄戦の記憶・沖縄戦体験の証言 大田昌秀講演「戦後沖縄の挑戦」 西浜楢和さん「沖縄通信」 南京事件 体験者27人が語る南京事件【立ち読みコーナー】 ja2047_memorial 南京事件 小さな資料集 南京事件資料集 思考錯誤 143枚の写真&読める判決 南京事件FAQ 栗原利一資料集 従軍慰安婦 従軍慰安婦問題を論じる 一般 戦史研究室 帝國陸軍~その制度と人事~ 考察NIPPON
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要約 たたかれ台~ 私たちは、日本における在日外国人その中でも特に「ニューカマー」日系ブラジル人子女の教育問題に焦点を当て、この分野での問題の本質を明らかにしつつ、公立学校における教育環境を整えるなどの政策提言を行う。 第1章では、在日ブラジル人の概観について述べていく。まず、日系ブラジル人が国境を越えて日本へ移動してきた背景と、その移動が拡大していく背景となった1989年に行なわれた出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正をふまえ、在日ブラジル人の増加の敬意を述べる。また、在日ブラジル人の実質的な定住化が進んでいるという現状を登録外国人統計・在留資格・統計や住宅購入者の増加の観点から現状分析を行っていく。そして在日ブラジル人の居住の分布には大きな偏りがあるこという現状を踏まえ、在日ブラジル人の地域性について述べていき、最後に今回私たちが論文を記述するにあたっての先行研究の位置づけを述べていく。 第2章では、日本における日本語教育の必要性を日系ブラジル人子女の高校進学率の動向など地域ごとに比較し、現状分析を行いその問題を論じていく。それを踏まえた上で、日系ブラジル人子女に教育を施さなければならない理由として、日本が「学歴」社会であるとういう観点から述べていく。次に、日系ブラジル人子女の日本語教育の現状と問題点を生活言語と学習言語、母語の重要性を中心に記述し、最後に日系ブラジル人の日本語教育の必要性を実際に行われた調査に基づいて述べていく。現在、公立学校では、教員の加配制、通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣されていなかったり、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていなかったりという問題がある。生活言語は問題がない子女であっても、学習言語が習得が困難であるという場合が多く論ぜられている。このような点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとはいいがたいと考えられる。 第3章では、在日ブラジル人の教育の現状をブラジル人学校と日本の公立学校の分析し論じていく。はじめに、ブラジル人学校について述べ、その中でもHIRO学園を中心に論じる。次に、日本の公立学校日系ブラジル人子女の多い自治体として静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市における事例を挙げて論じる。そして、それらの公立学校での日本語教育の取り組みと制度や授業形態(加配制、取り出し授業やT.T、ブロック別集中システム)などの現状や効果または問題点を挙げ論じていく。最後に、公立学校における日本語教育に対して、同じ地域にある日本語学校がその学習に協力を行っていることから、日本語学校と概要、その取り組みについて現状分析を行い述べていく。現在、一部の公立学校では、教員の加配制・通訳も兼ねるバイリンガル教員の導入など様々な制度が実施されている。しかし、はたして在日ブラジル人子女は十分な教育を受けられているのであろうか。その実態は、加配教員は在日ブラジル人子女の多い学校にしか派遣されていなかったり、日本語を専門的に指導する教員が学校に配置されていなかったりという問題がある。日常会話は問題ない子女であっても、学習言語授業内容を把握するとなると理解ができないという問題は。こういった点から現在の日本における日系ブラジル人子女に対する教育環境は十分に整っているとはいいがたいと言えるであろう。 第4章では、3章までの議論を踏まえ、問題意識の整理をした上で、政策提言を行う。私たちの問題意識として、日系ブラジル人児童生徒の進学率が日本人児童生徒と比べよくないということである。静岡県浜松市・群馬県太田市・愛知県豊橋市などの各地方自治体の公立学校でさまざまな施策がなされているのだが、この問題を解決しているとはいいがたい現状にある。私たちはこの問題を解決するにあたって、日系ブラジル人児童生徒に対する、さらなる日本語指導が必要であると考えた。その中でも特に重要と考えた二点が、生活言語のみならず学習言語としての日本語を獲得し、高校などへ進学することができるための学力を身につけることを可能にする言語的なサポートとその指導を実施するにあたって、必要となる外国人児童生徒のアイデンティティを育む手助けとなる精神的なサポートである。以上の二点を踏まえたうえで、公立学校に通う日本語教育の必要な外国人児童生徒を対象にした支援を政策として論じる。そこで公立学校における日本語の指導が必要な外国人児童・生徒を対象に日本語教育の環境の改善策として①センター校によるダブルスクール制、②センター校における人材確保の二点を挙げ政策提言を行う。 ①センター校によるダブルスクール制 センター校とは複数間の学校の中で取り上げられた、外国人児童・生徒の教育を行う公立学校であり、そこを拠点として日本語教育を必要とする児童・生徒が生活言語のみならず、学習するにあたって必要な学習言語を学ぶ場を設置する。よって児童・生徒は公立学校とセンター校の両方に通うこととなるためダブルスクール制と称する。 ②センター校における人材確保 センター校における教員として、a,言語的なサポートを行う日本語教育を専門とするものと、b,精神的なサポートを行うものを必要とする。そこで、a,の言語的なサポートをするものとして、私たちは日本語教育を専門とする日本語指導教員(日本語学校の教員など)が望ましいと考える。また、b,は精神的なサポートや進学相談などの支援をするもの「ピア・リーダー」を提案する。
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人工言語は言語学の対象ではない。これは言語学の常識であるとともに暗黙の了解でもある。美しい国語や正しい日本語について論じることがないのと同じで、人工言語について論じることは通常ない。 ただ、それはあくまで現代の言語学においてである。言語学にも潮流やパラダイムがあるので、別に人工言語を論じてはならないという決まりが立てられているわけではない。強いて言語学の中でこれは論じないようにしようと合意を受けたのは言語の起源である。言語の起源は1866年のパリ言語学会で関連記事を掲載しない措置を受けた。だがこのようなことは稀である。(注:周知のとおり、このとき「普遍言語」も拒絶されているが、この皮肉に対する説明は本論の通時論で展開される) 言語に優劣はないというのは現代言語学の常識であるが、この常識は通時的に見ることができる。かつて西洋が世界の中心だった時代は西洋思想がはびこっていたため、屈折語は最も優れた言語で中国語のような言語は文法を持たないとか、日本語には文法が存在しないとか、日本語は非論理的な言語だといった主張がまことしやかに囁かれていた。現在の言語学に言語の優劣を問うと示し合わせたかのように声を合わせて否定するのは、かつての言語差別への大きな反動が関与している。このように、言語学は潮流があり、パラダイムもある。言語学は確固とした不動の存在ではなく、そのことは言語学者自身が痛感している。したがって人工言語が言語学の対象にならないという常識も確固不動のものではない。 そもそも人工言語と自然言語の違いは人為性であり、殆どの人工言語は自然言語と同じく言語学の分析対象となる音韻・文法・文字などを持つ。自然言語を分析する手法はそのまま人工言語に応用することができる。しかし完全に同じ手法ではない。人工言語と自然言語は同一物ではないので、分析には異なったアプローチが必要である。 本論は人工言語学を提唱する。今までの言語学を自然言語学と位置づける。両者を合わせたものが言語学になる。ただし、自然言語学は無標なので普段はこちらを言語学と呼ぶ。人工言語学は自然言語学と平行関係にあり、言語学の下位概念である。したがって術語や研究アプローチは共通する部分が多い。ゆえに本論では逐一言語学の概説書のような術語の説明はしない。その代わり、人工言語学にあって自然言語学にない概念を打ち立てたり説明したりする。 人工言語学にも音韻論や統語論や類型論がある。基本的に自然言語学と同じだが、分野によってはかなり異なる場合がある。たとえば人工言語は自然言語と違って「なぜ作られたか」という理由がある。それは意図された言語の目的や機能であり、自然言語にはない概念である。したがって人工言語学で類型論を述べる場合は屈折語や膠着語といった文法的な類型だけでなく、人工言語の機能分類や目的分類などに基づいた類型を述べる必要性がある。このように、人工言語学は自然言語学と趣を異にするので、本論は自然言語学との差異について重点的に述べる。 尚、本論は日常言語学に対比される人工言語学を意味しないので注意すること。ヴィトゲンシュタインに代表される人工言語学派は本論とは関係がない。尚、人工言語学派の考えを本論の人工言語学に当てはめると、概ね研究型人工言語に相当する。 いずれにせよ人工言語が言語学の対象にならないのであれば、誰かが対象にしてくれるのを待つしかないが、筆者はそこまで気長ではない。