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経過の軌跡 一覧表 経験値の効率の良い稼ぎ方と能力値を上げることによる有用性統率 武力 知力 政治 魅力 適性適性を強引に上げる荒技 コメント 経過の軌跡 2008/11/18(火)において、新たな事実が判明しました。(ちなみに、 中国のサイト (wiki外)では2006/10/12に判明していた) それは、 特技「指導」を持つ武将と同じ部隊にいると経験値入手量が2倍になる という効果です。 これは出陣中のどの行動にも適用されます。 ただし、この効果が得られるのは「指導」所持者以外の武将のみであり、「指導」所持者本人はその効果を得られません。 また拠点コマンド実行時には適用されないことにご注意下さい。 (巡察や訓練や兵器生産を「指導」所持者と一緒に行っても2倍効果は得られません。) そして三國志11スレ Part50 2008/11/25(火) 18 48 59 881氏の調べにより 技巧習得イベント や 五虎将軍イベント などの出陣中の武将にも反映される経験値UP系イベント時もこの効果が現れることが判明しました。 他にも 夫婦の助け 、 義兄弟の気炎 、 遺跡・廟発見 、 夏侯惇の特別イベント などにも反映されます。(全て確認済み) ただし、これらもイベント発生時に「指導」持ちと一緒に出陣していないとダメなので、上記6つ以外のイベントでは不可能となります。 一覧表 能力値は、いずれも経験値100で対応する能力値が+1されます。 能力値が100でカンストしない限り、経験値は繰越されます。 統率経験値 出陣中 行動 入手経験値 備考 輸送部隊を率いての補給 2 基本的に何かを壊さないと入らない統率経験値の中では、安定して稼げるほう。毎ターン軍事施設破壊と同じ量の経験値が入ると思えば意外なダークホースかも。 陣、砦、城塞,破壊 3 通常攻撃の場合、一発で破壊しないと反撃を受けるので注意。 その他の軍事施設,破壊 2 太鼓台から石兵八陣まで一律。 障害物、罠、内政施設、遺跡、廟,破壊 1 内政施設破壊は弩兵の乱射か霹靂付き投石器で豪快に。 部隊,撃破 3 敵味方関係無し。ただし火罠で撃破した場合は統率経験値は入らない点に注意。 一斉攻撃 1 参加した部隊全部に入る。 支援攻撃発生 1 発生したら儲けもの程度と思って。 敵から通常攻撃を受ける 1 戦法を受けると統率経験値は入らない。 敵城陥落 5 余裕があれば陥す時は指導持ち部隊で。 港関陥落 3 暇があれば放置されている港関を指導持ちと一緒に。 拠点コマンド 行動 入手経験値 備考 巡察 2 徴兵中の都市には統率を上げたい武将を派遣。 技巧研究槍兵、戟兵、弩兵、騎兵 LV1 10 技巧研究は、余裕があれば人材府が建設してある都市に能力を上げたい武将を集めてからに。 LV2 20 LV3 30 LV4 50 武力経験値 出陣中 行動 入手経験値 備考 通常攻撃 1 通常攻撃の場合、クリティカルでも入る経験値は同じ 一斉攻撃 1 参加した部隊全部に入る。 支援攻撃発生 1 発生したら儲けもの程度と思って。 戦法成功 3 「クリティカル発生系特技」を持つ武将が用意できない場合はとりあえずこれで。 戦法クリティカル発動 4 「クリティカル発生系特技」を持つ武将と指導持ち武将とセットで。適性経験値と武力経験値稼ぎはこれがメイン。 一騎討ち 勝利 10 勝利の場合は敵将を捕らえても、敵将が退却しても入る経験値は同じ。また経験値はトドメを刺した武将、あるいは敵将が逃げ出した時に相手をしていた武将のみに入る。拠点に近づいてきた敵を混乱させ兵力を弱らせたところを狙うのがお勧め、近くに太鼓台を設置しておくとなお良し。 引き分け 3 敗北 1 拠点コマンド 行動 入手経験値 備考 訓練 2 徴兵中や敵部隊迎撃後の都市に上げたい武将を派遣。 技巧研究 錬兵 LV1 10 技巧研究は、余裕があれば人材府が建設してある都市に能力を上げたい武将を集めてからに。 LV2 20 LV3 30 LV4 50 知力経験値 出陣中 行動 入手経験値 備考 火計 2 敵部隊および建設物にかける。何も無い所に火計をかけても知力経験値は入らない。 消火、鎮静 2 なぜか消火は、何もない所の火を消しても経験値が入る。 撹乱、偽報、伏兵、同討妖術、落雷 3 部隊計略の場合はクリティカルが発動しても入る知力経験値は変わらない。拠点に接近した知力の低い敵部隊に撹乱をかけるのが定石、近くに軍楽台も設置すると良し。指導持ちと組めば倍に、さらに連環持ちと組んで2部隊にかければ4倍に。妖術、落雷は巻き込んだ部隊の数は関係無く、一律で3。 火罠発動 2 罠を一度に何個発動させたかは関係無し、1個でも5個連鎖させても一律で「2」。火計で罠を発動すれば2+2で4となる、連環で火罠を2回発動することはできない。火矢や放射で発動すると武力、適性、知力の三つの経験値が同時に入るので効率が良い。連環持ちがいない場合や敵部隊が接近していない場合はこちらがお勧め、しかし少々金がかかる。火種よりも火球の方が消火処理がやりやすいのでこちらを推奨。 計略失敗 1 拠点コマンド 行動 入手経験値 備考 武器、軍馬生産 2 兵装生産のついでに経験値も入ると思って。 兵器、艦船生産 4 発明、造船を持ってる武将と共に10日で生産が定石。兵器が生産できるついでに経験値も入ると思って。 駆虎、二虎、流言 成功 5 成功率や効率から見て、経験値目当てで狙う行動ではない。 失敗 1 舌戦 勝利 10 端に追い詰めた隣国は、論客持ちを使者にした停戦の波状攻撃で稼ぎまくる。政治経験値も入ってかなりお得。 さらに追い込む 20 敗北 1 技巧研究 発明、火攻 LV1 10 技巧研究は、余裕があれば人材府が建設してある都市に能力を上げたい武将を集めてからに。 LV2 20 LV3 30 LV4 50 政治経験値 出陣中 行動 入手経験値 備考 軍事施設設置、補修 1 経験値はおまけ程度と思って。 拠点コマンド 行動 入手経験値 備考 開発 穀倉、造幣 4 銅雀台 10 その他 3 闇市から工房まで一律。 吸収合併 2 商人コマンドを実行 5 兵糧の「売り」「買い」や量は関係無し、政治経験値上げはこれがメイン。 探索を実行 1 金やアイテムを発見してもしなくても同じ。 探索で人材を発見 登用しない 0 登用する 3 魅力経験値5も同時に入る。 親善 3 捕虜交換成功 8 停戦、同盟成功 5 停戦した国と戦いたい場合は、一回同盟を結んでから破棄すればよし。 同盟破棄 2 外交失敗 1 ただし勧告の場合、魅力経験値が+1となる。 技巧研究 防衛、内政 LV1 10 技巧研究は、余裕があれば人材府が建設してある都市に能力を上げたい武将を集めてからに。 LV2 20 LV3 30 LV4 50 魅力経験値 出陣中 行動 入手経験値 備考 汎用イベント 夫婦の助け 、 義兄弟の気炎 3 狙うほど効率は良くない。 遺跡・廟発見 10 遺跡・廟の登場位置が事前に判明してるのならば、上げたい武将を指導持ちと共に派遣。 拠点コマンド 行動 入手経験値 備考 徴兵 2 徴兵を行うときは、統率と武力を上げたい武将もセットで派遣。 登用 成功 5 余裕があれば、上げたい武将に軍師推薦がでるまで待つという手も。(在野か捕虜の登用以外にそんな余裕なんて無いと思われるが。) 失敗 1 勧告 成功 20 入手経験値は多いのだが狙ってできる行動ではない。 失敗 1 適性経験値 CからBまでに必要な経験値 150,BからAまでに必要な経験値 200,AからSまでに必要な経験値 250, 出陣中 行動 入手経験値 備考 通常攻撃 1 通常攻撃の場合、クリティカルでも入る経験値は同じ。 一斉攻撃 1 参加した部隊全部に入る。 支援攻撃発生 2 適性経験値だけなぜか2入る。 戦法成功 3 「クリティカル発生系特技」を持つ武将が用意できない場合はとりあえずこれで。 戦法クリティカル発動 4 「クリティカル発生系特技」を持つ武将と指導持ち武将とセットで。適性経験値と武力経験値稼ぎはこれがメイン。 攻撃を受けて耐える 1 通常か戦法かに関わらず。これを応用して味方からの投石攻撃を喰らって稼ぐ方法もある。(下記の『適性を強引に上げる荒技』を参照) 通常攻撃で撃破される 1 なぜか戦法で撃破されると入らない仕様。 戦法攻撃で撃破される 0 イベントによる適性経験値については イベント をご覧下さい 経験値の効率の良い稼ぎ方と能力値を上げることによる有用性 統率 統率経験値 を稼ぎたいならば敵の施設はできるだけ破壊した方が良いです。 特に陣、砦、城砦は敵部隊撃破と同じ値の統率経験値が入ります。 しかし敵勢力の施設の破壊は、基本的にこちらが敵国に攻め込んでいる状態でしか出来ないので 平常時は輸送部隊を率いて自動補給を繰り返す方法で稼ぐのが良いようです。 年間最大『144』 また、無印でプレイされている方にお奨めの裏技としてこういう方法があります。(通称『土塁稼ぎ』) まず土塁か石壁を設置しその回りを味方部隊で正六角形の形に囲みます。 その真ん中に弩兵の乱射か霹靂研究済みの投石器で攻撃します。 これで1ターンで18の統率経験値が入ります、指導持ちと組めば36です。 年間最大『1296』!! 『土塁稼ぎ』は技巧ポイントと功績も反則的に入るのでゲームバランスを崩す恐れがあります、ご利用は計画的に。 武力 武力経験値 は「クリティカル発生系特技」をもつ武将と共にひたすら土塁か石壁に戦法を繰り返すのが良いようです。 また船や井蘭や弩兵の火矢、木獣の放射で火罠を発動すれば知力経験値も同時に入ります。 1ターンにつき最大で武力と適性が『8』知力が『4』入るので、総合的にこれが一番経験値を稼げます。 年間最大 武力&適性『288』知力『144』 また敵部隊が接近してきたら積極的に一騎討ちを仕掛けるのも武力上昇の近道です。 有用性 武力は部隊攻撃力に直接影響するので、高武力持ちをたくさん用意しておけば 2正面作戦ができたり、クリーンナップが出陣してる時に攻められた場合にも対処できるようになります。 知力 計略を用いた稼ぎ 年間最大『432』。 知力経験値 を上げるのに一番効率が良いのは「指導」「連環」と組んだ部隊で敵を2部隊まとめて撹乱をかけたりすると知力経験値も3×2×2で12も入ります。 ただしこの数値は「指導」「連環」二つの特技が陣営内に居ると言う非常に限られた条件下でしか行えず、計略を用いた方法は、通常は3×36 = 年間最大『108』です。なお、計略の成功率は100%とは限りません。ご注意を。 火罠を用いた稼ぎ 年間最大『288』 敵がこない状態の時は、火罠を設置して「指導」と組んだ部隊で火計を発動させるのが一番良いようです。火計2+火罠発動2×2(指導)×36ターンです。 火罠を点火する部隊の近くに軍楽台を設置し、消火部隊と火罠設置部隊も投入し《点火部隊→消火部隊→設置部隊》のローテーションで行えば気力が減らなくなるので半永久的に出来ます。ただし年間36個の火罠を設置するには年間で金7200が必要で、相応の経済力が求められます。「指導」持ち武将がいなければ年間最大『144』です。 また火罠は火種よりも火球の方が消火処理が簡単なのでお勧めです。 有用性 軍師の知力は、進言の的中率や行動力の回復量にも影響があるので、積極的に上げておいた方が良いでしょう。 論客の知力も舌戦時の攻撃力・防御力や持ち札の枚数に影響するので、積極的に上げても良いと思います。 また軍師,論客以外の文官でも、兵装生産量UP,兵器生産期間短縮、計略成功率UP、太守ならば敵の流言が回避しやすいなど、良い事ずくめなので上げておいても損は無いでしょう。 武官でも知力が高ければ計略にかかりにくくなり、副将で知力を補う必要が無くなるので、特技のみに重点を置いた編制も可能になります。 知力100ならば事実上「洞察」と同じ効果が得られるので、知力70以上で特技が微妙な武官なら(趙雲、姜維、甘寧、徐盛、徐晃、張遼など)知力を上げてから別の特技に書き換えてみるのも面白いかもしれません。 政治 政治経験値 を上げたい場合は商人コマンドを実行するのが一番効率が良いようです。 年間最大『180』 他には「後方都市で闇市を建設しては撤去する」というのを繰り返す作業もあります。 こちらは一人につき年間最大『108』 魅力 魅力経験値 は基本的に上げにくいのですが 魅力を上げたい武将に登用の軍師推薦が出るまで待ってみたり 遺跡・廟を「指導」持ちと一緒に発見する、といった工夫で少しは多く稼げます。 後は基本的に徴兵を繰り返すしかありません。 徴兵は年間最大『72』 有用性 魅力は徴兵や登用だけではなく、行動力、新武将の初期忠誠値、登用時の武将の初期忠誠値、褒美による忠誠値UP量、季節またぎによる治安の低下などにも影響するので 特に君主は上げておいた方が良いでしょう。 適性 適性経験値 は基本的に武力と同じです。年間最大『288』 「指導」持ちと「クリティカル発生系特技」持ちと共に土塁、石壁、火罠に戦法をぶつければ約1年で適性Sにできます。(適性がAの場合) また能力研究で上げた適性は、今までに蓄積された適性経験値とは干渉しません、これをうまく応用すると例えば 弩兵適性Bで経験値を192まで蓄積した武将に能力研究で「弩兵A」を付与すれば、弩兵Sまでに必要な経験値は58で済む なんてこともできます。 よって適性がCかBの武将でも適性が上がる寸前まで適性経験値を上げておいてもムダにはなりません。(上がってしまったら、また溜め直しになるので注意) 適性を強引に上げる荒技 コメント欄の方に情報提供して頂きましたが 土塁の周りに稼ぎたい兵科+兵士大勢で配置して、土塁に乱射もしくは霹靂研究済みの投石器で攻撃を食らって稼ぐ。投石部隊の数に比例した経験値が稼げる。という荒技もあります。 この方法で稼ぐと、理論上は1ターンで30部隊(射程付き投石器を含むと54部隊)から攻撃を受けるので2~5ターンで適性を上げることが出来ます。(検証済み) オート委任でこの荒技を使う場合、技巧『神火計』は研究しない方が良いです。『神火計』を研究してると委任部隊はなぜか土塁に火計をかけてしまいます。 他にも周りに城塞や軍楽台を設置しておくと、なお良いでしょう。 この方法は減少する兵士数の量も少ないので(C~Sまで上げても平均1000強 程度、城塞付きならさらに減少)非常に効率も良いです。 もっとも、この方法はそれだけの武将数,弩適性S持ち,投石器,広い土地等が必要になるので簡単には行きませんが。 (おすすめの土地は武威 北、零陵 北、襄平 北西,遺跡候補地周辺、会稽 西か南) 有用性 兵科適性をSにしておけば、適性を上げる為に副将を入れる必要が無くなるので、特技のコンボの幅が拡がります。 「クリティカル発生系特技」を持つ武将はそれに該当する適性を上げておいて損は無いでしょう。武力も上がりますし。 またこのゲームは弩や兵器の適性がAの文官が結構いますので、後方での生産が終わり、やることが無くなってしまった文官などは兵科適性を上げておくと、いざという時に役に立ちます。 一騎討ちや舌戦の敗北、外交や計略が失敗しても、最低+1は入ります。 行動力が余っていたり、引きこもりプレイなどをしている時は経験値稼ぎに興じてみるのも一興かもしれません。 コメント 能力を1上昇させるのに必要な経験値はどれくらいなのでしょうか。 -- 名無しさん (2007-09-04 19 43 40) +100です、また+100を超えた経験値は繰り上がるようになっていますつまり知力経験を+99まで上げたあとに、撹乱等の計略を実行すると知力が1上がり、経験値は+2の状態になるわけです。 -- 801 (2007-09-07 12 56 16) 項羽の兵器適性は5年ぐらいで上昇したのですが (pkではない)、pkで槍兵Aの武将を Sにしようとしてもなかなか上昇しません。 技巧は全て研究済みなのに、しかも槍神を副将にしてるのに -- 名無しさん (2007-12-30 23 05 51) 技巧が全て研究済みならば、その槍兵Aの武将の適性経験値は+80まで 溜まっているはずです、Sまでに必要なのは250ですからあと+170必要です ですので、そこからクリティカルを43回成功させないと槍兵Sにはできません 弩兵や兵器の場合は罠や石壁に戦法を掛けることが出来るので比較的上げやすいのですが 槍、戟、騎は敵部隊がいないと戦法が出せないので以下のような方法が必要になります ①まず1部隊で攻めてきた敵を遠距離攻撃等で1000人以下にして混乱させます ②その敵部隊の近くに軍楽台を設置 ③槍A+槍神+詩想or楽奏で兵力1の部隊を編成しその部隊に槍兵戦法を掛けまくる といった方法です、しかしこの方法でも最低430日はかかります 君主の場合は「アイテム充実」等のイベントがあるのでA~Sに適性を上げるのは 簡単ですが、一般武将の場合は膨大な時間がかかります 気長に根気よくやるか、面倒ならばAに上がった時点でSに編集するか した方が良いかと。 -- 801 (2008-01-03 15 26 49) 適性をAからSに上げるのにも、この『「指導」所持者効果』を組み合わせれば 飛躍的に短縮できます、最低220日でSにできます -- 801 (2008-11-18 11 12 11) PCPKでも指導持ちの効果を確認。 32ターンで適性をA→Sにできるのだからすごい効果。 -- 名無しさん (2008-11-23 05 36 07) 私が書きかけで中途半端な状態になっていたページを 仕上げて下さった方、ありがとうございます。 おかげでWiki編集のやり方を多いに勉強させてもらいました。 それから魅力経験値の色は勝手ながらピンクに戻させてもらいました。 戦隊物にはやはりピンクが欠かせないと思うのでw (6人いるので戦隊物じゃねーじゃんと言われればそれまでですがw) -- 801 (2008-12-24 14 25 00) 知力経験値の色を黒に、政治経験値の色を緑にしてみました。 -- 801 (2009-01-20 10 11 05) 弓や兵器の適性上げは、政治を上げたい武将で土塁など 建て、そこにクリティカル特技持ちと指導持ちで土塁 を戦法クリティカル連発 -- (2009-02-24 16 00 58) 能力値90であと10の経験値を得ると91になる武将に能力研究で○○高を習得させると、能力値は95になり90あった経験値は0になるんでしょうか? -- 名無しさん (2009-11-22 14 25 13) 聞いておきながら自分で実験しました。どうやら能力値を95に伸ばしても経験値は以前のままのようです。 -- 名無しさん (2009-11-23 22 20 09) 一騎打ちの経験値はトドメを刺した武将だけですか? 交代とか参加した武将全員に入るのでしょうか? -- 名無しさん (2010-01-01 18 48 37) トドメの人だけ -- 名無しさん (2010-02-15 14 47 13) 火罠の経験値を追加しました -- 801 (2010-03-03 15 30 36) 落雷の経験地は1っぽい。ただ一度に最大7入る上に味方にも撃ち込める。撃破すれば統率(こっちの方が3倍上がる)も上がり技巧も増えるので一石三鳥。 -- 名無しさん (2010-05-30 08 47 52) どこかに書いてあったけど、同一部隊に指導を二人入れると 指導持ちそれぞれにも二倍の特典が生じるっていうのは、CS版 でも有効なんでしょうか? -- 引きこもりレベル上げ (2010-06-12 01 40 24) 引きこもりさんへ。 PC版だけではなく、PS2でも有効です。 新武将で指導持ちをたくさん作り、脳筋武将に同伴させましょうw。戦闘のプロが育成できます。 -- 名無しさん (2010-06-14 21 22 33) 政治経験値の件 商人コマンドだと一都市につき一人だけだが、闇市場なら三人いっぺんに実行できる。 政治68とか69を70にしたいとき(合併が10日で終わる)とか83や84を85にしたいとき(農場や市が一人で30日にて完成) などに有効かも。 地味すぎて使えんかw? -- 名無しさん (2010-06-16 04 58 50) まあ、闇市ばかり造る訳にもいかないのと、開発地に限りがあるから。 安全な隅の都市を取ったら、育てたい三人でやる感じかね。 -- 名無しさん (2010-06-16 08 14 45) 連環+指導+知力向上委員で火罠+火計を実行すると8倍。 金はかかるが、上昇が早いのなんの。何より失敗がないのがいい。 運良く研究で連環が出たら、是非ともお試しを。95から100まで上げるのに必要なターンは63。 これを長いと見るか、超早いと感じるか。 -- 名無しさん (2010-06-16 14 31 33) ↑火薬の隣にはどうやって着火させるの?敵部隊相手だと失敗もあるだろうし、そもそも毎ターン戦闘があるわけでもなし。??? -- 名無しさん (2010-06-16 19 57 27) 実験しました。 (武将A&B+指導)というユニットを作り、統率1上げるのに何ターンかかるか? たったの25ターンでOK。これってスゴイことじゃありませんか? ちなみに、補給されるほうも補給するほうも兵1にして自城の近くでやらせると、万一の時にも 次ターンで戻れますので安心。さらに補給部隊の兵糧も200も持たせておけばほぼ5年分はあるので 放置しといても平気です。イマイチな武将に統率+の枠を使いたくない時にはお勧めです。 まあ問題は指導持ちをどうやって増やすかなんですがね。 -- 名無しさん (2010-06-17 03 04 01) あのー、3レス前の人はPC版で検証なさったのですか? 私はPS2版で検証したのですが、連環は火罠には2回発動しませんでした。 なのでここにも「連環は火罠には2回発動しない」と書いてしまったのですが、これでよろしいですか? -- 801 (2010-07-31 18 59 50) 妖術、落雷を追加しました。 間違いがあれば遠慮なく更新してください。 -- 801 (2010-09-24 17 07 21) 今更だけど、経験値的には神将などの通常攻撃クリも結局ただの通常攻撃と同じだってこと? やっぱり戦法は大事なんだね。 -- 名無しさん (2011-02-07 15 35 32) ⇧遅ればせながら検証しましたが、通常攻撃クリも入る経験値量は変わりません。 -- 801 (2011-02-27 20 04 39) 太守になってるだけで一月に魅力経験値+1でもよかった -- 名無しさん (2011-04-08 17 14 30) 槍、戟、騎の適正稼ぎ 土塁の周りに稼ぎたい兵科+兵士大勢で配置して 土塁に乱射もしくは霹靂研究済みの投石器で攻撃 で攻撃を食らって稼ぐ 投石部隊の数に比例した経験値が稼げる。 -- 名無しさん (2012-01-22 01 10 02) 霹靂で、作りかけの石壁にあてた分は技巧値なし。 経験値も入らないだろうな。 -- 名無しさん (2012-01-28 01 02 03) ⇧×2 情報提供、本当にありがとうございます!検証してみましたがちゃんと兵科適性上がりましたw それにしても凄い方法思いつきましたね~!w -- 801 (2012-02-03 00 12 43) 霹靂あり+神火計無しだと完全にオートで攻撃を続けてくれるから 弩も殴られて稼ぐ方が楽な気がするw 神火計があると何故か土塁に放火する 後城砦と軍楽台を立てておくと 兵士と兵装と食料を節約&気力管理をせずに済む 城砦は有効範囲の中と外で被害が全然違う。 -- 名無しさん (2012-02-06 12 23 38) ↑神火計なしでも稀に土塁に放火します(CSPK) 委任する際に土塁の周りを迂回するルートを取らないと面倒です。 -- 名無しさん (2012-08-10 20 12 07) 当方、編集規制に巻き込まれたので、どなたか編集お願いします。 統率経験値の「輸送部隊を率いての自動補給」の部分、PC版の手動補給でも経験値2が得られるので「自動」を削除してください。 あと、本文末尾の「801」の署名も削除願います。さも責任編集であるかのような印象を与えるwikiにふさわしくない記述かと。 -- 名無しさん (2012-09-24 23 08 45) 情報提供 感謝いたします。 またご指摘通り801の署名は消しておきました。 今まで私の自己顕示欲によるスタンドプレイを黙認なさってくれた方々に厚く御礼申し上げます。 -- 801 (2012-09-25 00 36 05) 「知力」の色をblack(これでは普通の文字と同じ・・・)からpurpleに、かつ太字にし、また書く項目について節分けとしページ冒頭からジャンプできるように、以上のマークアップを行いました。 -- 名無しさん (2017-05-13 00 12 56) 武力経験値なんですが、攻撃した部隊数だけ入るのでしょうか?乱射など大量に経験値はいるのでしょうか -- 名無しさん (2017-07-14 00 34 09) 統率・武力・適性経験値上げる方法を今更ながら まず土塁一つを作りその周りに上げたい兵科の兵士一人だけの部隊で取り囲む 火計などを使って気力をゼロにするあとは土塁にオートで攻撃するようにすれば一斉攻撃になるはずです 委任する部隊は弩兵(騎射研究済みの場合は騎兵も)は遠距離攻撃したりするので槍・戟のどちらかを一部隊混ぜておきましょう 時間はかなりかかりますが三つを満遍なくオートで上げられます しかしこの方法では神火計研究後でもできるのが魅力なのですが兵器と水軍はこの方法が使えないことと 下準備の気力下げがだるい事と長時間出撃になるので仁政は必須になる事でしょうか よかったら参考に -- 名無しさん (2018-07-26 22 39 05) ↑の追記です 水軍も火船で出来ないこともないですがすべての部隊が火船に隣接した状態での 委任でなければ遠距離攻撃をする時もあるのでそこに注意してやりましょう 長文失礼しました -- 名無しさん (2018-07-27 13 02 57) PS2版PKで、各武将の経験値が現在どのぐらい貯まっているのか確認する方法ありませんか? -- 名無しさん (2020-12-10 19 20 32) 名前 コメント
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(01)真宗の咸平二年(999)冬十月、契丹の主の隆緒が大挙侵入した。 当時、鎮定高陽関都部署の傅潜は八万余の歩兵と騎兵を擁していたが、臆病風に吹かれ、陣営を閉ざして自衛に務めていた。将校が出撃を願い出ても口汚く罵るだけだった。朝廷は裏道から使者を派遣して潜出撃を督促したが、潜は命令を聴かなかった。このため范廷召は「女でも貴方のような臆病者はいない」と罵った。また鈐轄の張昭允もなんども出撃を勧めたので、潜はやむを得ず廷召に騎兵八千を授け、兵を出して防衛させた。廷召はさらに都部署の康保裔に援軍を求めたところ、保裔はすぐに兵を率いて出撃した。かくして契丹兵と瀛州で遭遇した。 たまたま日が暮れたので、廷召は、翌日に合流して契丹と戦うべく、各軍に約束を取り付けた。ところが廷召はこっそり逃げ出してしまった。保裔はこれに気付かなかった。夜が明けると、契丹兵は保裔軍を数重にも包囲していた。保裔の側近は武具を取り換えて逃げるよう勧めたが、保裔は「難に臨んで逃げるなどあり得ぬ。いまこそ命をかけて国恩に報いるときだ」といって戦いに赴いた。かくして戦うこと数合、多くの敵兵を屠ったが、兵尽き矢折れ、援軍も至らず、ついに保裔は討ち死にした。 契丹は勝利に乗じて遂城を攻めた。城は小さく、備えもなく、人々は恐怖に陥った。遂城守将の楊延昭は、業の息子だった。延昭は人々を集めて城壁の守りを固め、援軍を待った。折からの大寒のため、水を城の上から流すと、城壁はたちまち厚い氷に覆われ、氷に足を取られて壁を登ることができなくなった。このため契丹軍は遂城から撤兵し、祁・趙・邢・洺州を掠奪すると、徳州・棣州から黄河を渡り、さらに淄州・斉州を掠奪してまわった。 (02)詔を下し、辺境の民が拒馬河を越えて砦の北で交易することを許した。 雄州知事の何承矩の請願――「辺境の戦櫂司は淘河から泥姑海口まで、屈曲九百余里、これを天然の要害としております。太宗は十六の砦、百二十五の宿駅、十一人の廷臣、三千余の守備兵、百艘の船を置き、往来を監視して奸邪を禁じられました。そのため緩急の備えが生まれ、強力な要害となりました。今、公私の交易を認めれば、人馬の交流を許すことになります。これでは全く敵に対する備えになりません。これでは砦や宿駅も無用になりましょう。」承矩の意見書が上奏されると、すぐに前の詔書を取り止めた。 (03)十二月、帝みずから兵を率いて契丹の防衛に向かった。李沆を東京留守とした。 (04)甲寅(五日)、帝は京師を出発し、陳駅に到着した。 (05)戊午(九日)、澶州に到着した。 (06)辛酉(十二日)、行宮で近臣たちと宴を催した。王超らを先鋒とし、戦陣を図示し、各兵の配置を通達した。 (07)壬戌(十三日)、近臣に甲冑・弓・剣を授け、浮橋まで兵を進めた。臨河停に到着すると、澶州の長老に錦袍や茶帛を与えた。 (08)甲子(十五日)、大名に到着した。 銭若水は意見書を提出した。―― 孫武はその書物において「陰謀を見破るのが最上だ」と言い、漢の高祖はその戦いにおいて「軍法を守ることが第一だ」と言っております。陰謀を見破るとは何を意味するのでしょう。それは、将軍たるもの敵を知り勝を制さねばならぬ、という意味です。では軍法を守るとは何を意味するのでしょう。それは、朝廷たるもの賞罰を公平にせねばならぬ、という意味です。 ところがいま傅潜は精鋭数万を擁しながら、自陣を守って出撃せず、敵兵の掠奪行為を座視しております。上は重用の恩に背き、下は精鋭の気を挫いております。潜は勝を制すことができず、朝廷は軍法を守ることができなかったのです。軍法によりますと、戦争で命令を無視したものは斬ることになっております。もし潜を斬って見せしめとし、それから楊延朗(楊延昭のこと)・楊嗣など五七人を抜擢し、地位や俸給を与え、兵権を分与し、万人の兵に強弩を与えて率いさせ、多方から賊を掃討させたなら、命令を聴かぬものなどおりますまい。命令を聞かぬ将軍や逃げるものは死罪であると、このような我が方の態度を知れば、必ずや適は逃げ出すでしょうし、毎年のように国境を侵すこともなくなるでしょう。さすればおのずと辺境は平和になりましょう。かくして陛下が京師に帰還されましたなら、その権威は四海を圧倒することになりましょう。 私は史書を読みましたところ、次のような逸話がございました。――周の世宗が即位したばかりのころ、劉崇は契丹と結んで周に侵入しました。契丹は将軍の楊袞に騎兵数万を与え、崇とともに高平まで南下してきました。当時、樊愛能や何徽といった将軍たちはみな臆病者で、敵を前にしても戦おうとしませんでした。そこで世宗は大宴会を催すと、愛能などを斬り、かわりに副将ら十余人を抜擢して兵を分け与え、太原を討伐させました。劉崇はこの世宗の処断を知ると震え上がり、敢えて周と戦おうとしませんでした。また契丹もその日のうちに逃げ去りました。これ以後、周の武威はいよいよ猛くなり、淮甸を併呑し、秦・鳳を屈服させ、関南を平定し、全土を席捲したのです。ましてや神武をおもちの陛下のことです。なにゆえ世宗に後れを取るようなことがありましょう。これが今日にあって敵を防ぐための奇策です。 末永く辺境を安定させる方法については、近しい過去に例を取りましょう。太祖はまことにうまく辺境を処置なされました。郭進は邢州にあり、李漢超は関南にあり、何継筠は鎮・定にあり、賀惟忠は易州にあり、李謙溥は隰州にあり、姚内斌は慶州にあり、董遵誨は通遠軍にあり、王彦昇は原州におりましたが、彼等は周辺の巡検を与えられただけで、行営部署を与えられはしませんでした。さらに彼等は十余年も同じ職務に就き、もし功績が挙がれば厚く褒美を取らせました。しかしそれでも彼らが観察使になることはなかったのです。身分の低いものは制しやすく、長らく同じ職務に就いておれば、己の管轄地のことはよく分かるようになります。こうしておいて太祖は彼等に策略――敵が来襲すれば不意を衝いて殺し、逃げれば深追いしない――を授けられたのです。これが十七年の間、契丹や西夏が我らの陣営を侵さぬどころか、しばしば和平を乞うてきた理由です。これらは陛下も御存知のことでしょう。 太祖の故事に従い、名臣に辺境を治めさせ、部署の職を罷めて各軍の指揮権をばらばらにし、巡検を設けて相互に救援させるのです。こうすれば兵を出せば必ず敵を破り、城を守っては必ず敵襲を防ぎ、数年ならずして辺地の烽火は不要に帰しましょう。 孫何も意見書を提出した。―― 陛下は即位以来、兵隊の鍛錬と将軍の選抜に心を砕かれておられました。まことに漢の高祖の叡智に蕭王(光武帝)の真心を兼ねたというべく、その神武は百王に冠たり、精兵は前代に倍しております。 兵を指揮するものは、兵士に先んずる心がなければならず、君父の命を違えることに恥を感じなければなりません。しかるに昨今の将軍らは、敵兵を城壁から眺め見ては固く城門を閉ざして保身に走り、強兵の指揮を担いながら成算を失い、ついに凶悪な者どもを好き勝手に暴れさせ、我が辺境の村々は敵方に劫掠され、我が黎民は敵方の災禍を被りました。 陛下は人神として激しい憤りを発せられ、河朔の生霊を哀れまれ、ここに六師を率いてみずから澶淵に向かわれました。ひとたび天の声が発せられるや、敵の騎兵は四散いたしました。しかし鎮州と定州の道が通じたとはいえ、徳州と棣州の戦禍はいまだ息んでおりません。これは将帥に人を得ていないこと、辺境からの伝達に滞りのあること、近隣が互いに救援に赴いていないこと、兵粮は運送を待たねばならぬことが理由であると思われます。 この中、将帥については、このような理由から申し上げるのです。――彼等のあるものは勇を頼んで思慮がなく、またあるものは功を嫉んで辺境の混乱を坐視しております。彼等はただ己の城塞を守ることだけを考え、人民のことなどなんら考えていないのです。また辺境の伝達については、このような理由から申し上げるのです。――城塞を守る臣下は、恋々と俸禄や地位を固執し、城や池が戦火にさらされても事実を朝廷に伝えようとしないのです。また老人や幼子が敵兵に殺されても、それを盗賊の責任になすりつけております。また相互に救援しないことについては、このような理由から申し上げるのです。――国境近辺の州や県は城塞が入り組んでおりますが、これはちょうど頬骨と下顎、唇と歯が互いに助け合うように、また頭と目や手と足が互いに助け合うような関係にあるはずです。しかるに兵が少ないため出撃できないと言ったり、陛下からの許可が出たら出撃するのでそれまで待ってくれ言っておるのです。また兵粮を待たねばならぬことについては、このような理由から申し上げるのです。――敵の騎兵が往来し、犬が馳せ鳥が飛び交うときになってから、ようやくあり余る食料がようやく運び出され、その食糧隊が到着したときには、既に賊は逃げ去っておるのです。 この四者は当今の急務とすべきものです。そこで将帥の選択には、文武官の両者から謀臣を選ばなければなりません。伝達の滞りを防ぐためには、国境の紛争を陛下に直接通達させなければなりません。相互に救援させるには、軍令によって促すとともに、必要な判断を辺境に与えなければなりません。必要に応じて兵粮を運搬するためには、小量の食料を運搬し、運搬速度を競わせなければなりません。 既に陛下の御車は鄴に到着なされました。このため契丹はわが南方を襲う気配を消しました。敵方の掠奪を被ったところは、東北地区の中でも防備のなかったところだけですから、それらには修繕を施して敵に備えさせなければなりません。しかしながら蜂や蠍には毒があり、山犬や狼には飽きというものがありません。既に契丹は西方の大軍を畏れ、北方の帰路を失っております。獣は窮すれば丸くなりますが、事態を軽く考えてはなりません。まだわが国に残るものは討伐し、次の侵略に備えなければなりません。大河には渡し場が方々にあります。禁軍を要害に配置させるのです。かくすれば契丹から講和の使者はすぐにもやって来るでしょう。 (09)丁卯(十八日)、大名の長老を招いて褒美を与えた。康保裔の戦死が伝えられると、保裔に褒美として侍中を授けた。またその子供二人と孫一人に官を授けた。傅潜を呼びつけて房州に配流した。 (10)三年(1000)春正月己卯朔、大名府に到着した。契丹は帝の親征を知ると、掠奪の限りをつくしてから本国に引き上げた。 (11)丁亥(九日)、范廷召らが契丹兵を莫州まで追撃した。そこで契丹兵万余の首を斬り、掠奪品を奪い返した。残余の契丹兵も国境外に逃げ去った。 (12)庚子(二十二日)、帝は大名から都に到着した。 当時、帝は手詔を出して銭若水に北方防備の方法を諮った。若水は次のように応えた。 前代の史書には、匈奴について議論したものが多く残っております。しかし漢の婁敬・樊噲・季布・賈誼・晁錯・主父偃・徐楽・王恢・韓安国・朱買臣・董仲舒の議論は、和親と征伐の二つについてだけです。また唐の李靖・魏徴・温彦博・郭正一・狄仁傑の議論も、戦争か防衛かの二つにすぎません。晉の桑維翰の「盟約に背いてはならぬ」という言葉は、微弱であったがために出た言葉にすぎません。故宰相の趙普は軍を撤退させ、しばらく民に休息を与えるよう申し出ました。しかしこれらは未来まで見すえた計略とは言い難く、臣の賛同できぬものばかりです。一方、厳尤は「昔から戎狄の制禦に上策はない」と言っておりますが、臣は心ひそかにこの発言を笑っております。そもそも「守りは四夷にあり」「勝ちを制するには静を以てす」が上策でなくて何なのでしょうか。 臣が聞くところによりますと、唐の魏博は一鎮のみ、兵数も今日ほど多くありませんでした。しかるに戎狄の騎兵が南方に進まなかったのは、幽州・薊州の険阻を北門として守っていたためです。石晉がその地を割譲して以後、定武(定州)から滄海までの千里の長きにわたり、敵の攻撃を受けることになりました。二つの関所を設け、そこを精鋭に守らせても、敵を抑えられるものではありません。ですから晉の末に契丹は長河を渡り、漢の初めにまた国境を騒がしました。周の世宗の英武をもってして、なお夷狄の中山侵入と上党攻撃を止めることができませんでした。 このたび陛下は防禦策と殲滅策をご諮問なさいました。私は、これに対し、幽州を奪還しないでは夷狄を殲滅できないと思っております。後唐の荘宗は河北から周徳威に幽州を取らせ、その後に南下して天下を争いました。まず万全の計を用い、敵に勝機を与えないこと。――これこそ善く兵を用いるもののすることです。 今日の問題は、攻守が心を同じくしないこと、将軍が敵の実情を知らぬこと、大軍を国境沿辺におき、朝廷に少数の兵しかないことにあります。陛下におかれましては、辺境を任すに足る人間を択び、勇壮の士を親衛軍に招き、官から俸給を与えなさるのがよろしいでしょう。また人を集めて招収軍をつくり、手厚く兵粮を与え、税を免除するのです。彼等はわが国と契丹の両方に行き来しており、各々に親族がおりますので、彼等を用いれば契丹の動静を窺い知ることもできましょう。 このように攻守が心を同じくすれば、将軍は敵の実情を知ることができ、国境沿辺の兵の数も減らせましょう。しかし指揮官がなければ兵は用いられず、勝機を制せぬようでは百戦百勝とは申せません。そこで大臣に河北近辺を守らせ、大軍を与えて辺境の問題を一任なさるのです。契丹への警戒が必要なときには督戦させ、平和なときには兵を退かせるのです。こうすれば一々兵を動かす必要はなく、用兵の妙を得られましょう。全軍で力を合わせ、上下で心を一にする。――防備の計略はこれに尽きます。 もし民力の困難に心を痛められるというのであれば、辺地の田畑を広げるなさるとよろしいでしょう。守備兵が驕慢になるのではないかと思われるのなら、将帥への取り締まりを厳しくなさることです。古諺に次のようにあります。――「法は変えてはならず、令は違えてはならぬ」と。また「功あるものに褒美をやらぬ、これ善を止めるに等し。罪あるものを懲らさぬ、これ悪を許すに等し」と。むかし太祖は郭進に兵を与えて西山を守らせましたが、きつく兵卒を戒め、こう仰いました。――「諸君は必ずや軍法を守らねばならぬ。私が諸君を許そうとも、郭進が諸君を殺すだろう」と。兵への対処がこうであればこそ、郭進の至るところ少しの敗北もなかったのです。臣が請い願いますには、かつて太祖の進に対する心をもって諸将を遇すれば、つねに軍法は厳格に適用されましょうし、賞罰もつねに正しく下されましょう。 帝はこれに賛意を示した。 (13)雄州知事の何承矩がこう訴えた。 契丹は軽率で統率がとれず、貪欲で親しまず、勝てども譲らず、負けれども救わず、馬を駆ることを儀礼と思い、戦争や狩猟を農耕や漁労と心得、風雨にさらされても労とせず、野宿や草原を進むことも苦とせず、さらには騎馬戦の利を恃みとして、連年国境を侵しております。 臣が聞き及びますところ、兵には三つの陣がございます。日月風雲は天の陣。山陵水泉は地の陣。兵車士卒は人の陣。いま地の陣を用いて険難を設け、水泉を集めて溜池を作り、それを連綿と滄海に導けば、敵の騎兵の到来にも気勢を削がれることはありません。さきほど契丹が国境を侵したとき、高陽の一路のみ、東は海を背後に置き、西は順安を恃みとし、官民ともに安全でした。これは屯田の賜です。いま順安の西から西山にいたるまで、数軍の地をまたぐとはいえ、距離はわずかに百里。丘陵あり、川泉も多くございます。これを広げて溜池を設ければ、おのずと国境の問題も止みましょう。 いま国境周辺の守将には不当な者が多く、『詩経』や『書経』を悦ばず、礼や楽を習わず、境界を守ることもできず、制禦にも心得がなく、ややもすれば国家を危険にさらしております。たとえ彼等では貔虎のような勇猛な兵隊を指揮しても、犬羊ほどの弱々しい集団すら止められないでしょう。 臣が兵法について考えますに、およそ用兵の道は、計略によって彼我の情実を知ることにあります。将軍はどちらが有能か、天地はどちらに有利か、法令はどちらが行き届いているか、兵はどちらが強いか、士卒はどちらが熟練しているか、賞罰はどちらが正しいか。等々――これが敵を計り勝利を制する方法です。これを理解して戦争すれば必ず勝ち、さもなくば必ず敗れます。そもそも思慮もなく敵を軽んずるものは、必ず敵に敗れることになります。陛下におかれましては、慎重に優れた官吏を選び、国境周辺の民を治めさせ、手厚い俸禄を与えることで彼等を満足させ、権威を貸しすことで彼等に禁令を守らせるようにして頂きたい。この後で城の溝を深くし、防塁を高くし、兵馬を養い、兵卒を鍛え、戦守の備えとするのです。仁を修め、徳を重んじ、恩恵を施し、按撫の道を広げるのです。士卒を訓練し、田野を開き、農耕を進め、米穀を蓄え、凶作の年に備えるのです。長戟を整備し、勁弩を鍛え、砦を繕い、外患を防ぐのです。敵がやって来れば防禦し、逃げ去れば備えを設ける。こうすれば国境周辺は安定するでしょう 臣はまたこのようにも聞いております。――古代の優れた王は、官吏や人民を安住させ、土俗に従って教化し、能力あるものを選んで不慮の事に備えた、と。斉の桓公や晉の文公は、兵を集めて隣国を服従させました。つまり強国の君主は、必ずその人民の中から勇猛なものを集めて一卒(軍人百人のこと)とし、喜び全力で戦う忠勇のものを集めて一卒とし、跳躍して善戦するものを一卒とします。この三者は兵の中でも精鋭のものです。内から出ては囲みを破り、外に出ては城を破ることができます。そのうえ小大は形を異にし、強弱は勢を異にし、険易は備えを異にします。身を卑しくして強者に仕えるのは小国の形です。夷狄でもって夷狄を伐つのは中国の形です。ですから陳湯が西域を治めると郅支は滅び、常恵が烏孫を用いると辺境は安定しました。また勇気ある者、戦いを楽しむ者、命を軽んずる者を集めることは、古代の良策です。試みに行って頂きたい。 また辺境の人は勇壮なものが多く、国外の情実や山川の形勢も知っております。辺境に軍営を設けて人を集め、品格や能力を問わず、ただ若く勇壮で武芸あるもの一万人を求めるのです。契丹に万一があったときには、知勇あるものに彼等を指揮させれば、必ずや大きな功績があがり、中国にとっての長計となるでしょう。 また榷場の設置についてですが、先朝は随時に処置なされ、契丹に恩恵を与えておられました。彼等が盟約に違反してもこれを廃止しなかったのは、中国のあり方を示したものと言えるでしょう。いま国境周辺の榷場は契丹の侵略のため停止しております。去年、臣が申し上げたことにより、雄州に榷場を設けて茶を売りましたところ、物資は移動しましたが、辺境の民の移動はありませんでした。これについて朝廷の大臣に諮問し、可否を議論していただきたい。もし文武官の中で持論あるものがおれば、必ずやよい方策があるはずです。そのものに辺境の任務を委せ、その政策を実施させ、事の成否でもって責任を取らせるのです。空論浮議で陛下の聡明を惑わすとどうなるかは、霊州〔の陥落〕がいい証拠になるでしょう。ましてこの契丹は夏州の比ではありません。(1) (14)四年(1001)冬十月、契丹が進入したので、王顕を鎮定高陽関三路都部署に命じて防衛させた。この月、顕は遂城で契丹を打ち破り、二万余を殺した。契丹は満城まで進軍してから引き返した。 (15)六年(1003)夏四月、契丹の耶律奴瓜と蕭撻凜が定州を襲った。 高陽関副都部署の王継忠は大将王超・桑賛らと兵を率いて康村まで向かい、奴爪と戦った。継忠は東方に陣取っていたが、敵の計略に陥り、兵粮の道を断たれた。超と賛は怖じ気づいて軍を撤退させたが、継忠だけは麾下の兵とともに馬を走らせた。継忠の装飾は兵卒と違っていたため、契丹に感づかれ、数重にも包囲された。軍卒はみな決死の覚悟で戦い、戦っては進み戦っては進み、西山に沿って北上した。白城まで進むと力尽き、ついに捕らえられた。帝は継忠の敗北を知り、すでに死んだものと思い、褒美として官を贈った。継忠は契丹の主に炭山で謁見した。蕭太后は継忠の才智を惜しみ、戸部使を授けた。 (16)景徳元年(1004)八月、畢士安と寇準を同平章事とした。 これ以前、士安は参知政事となると、謝礼のため帝を謁見した。すると帝は「まだだなあ。誰かに君を補佐させようと思ってるんだが」と言い、「誰を参知政事にしたらいいと思う」と尋ねた。 士安、「寇準は忠義を兼ね備えております。大事を決断するに当たっては、私も彼には及びません。」 帝、「剛腹に過ぎるという噂も聞いたのだが。」 士安、「準は我が身を忘れて国に殉じ、正しき道を信じて邪悪を悪む男です。だから世間には喜ばぬものがおるのでしょう。いま中国の民は陛下の恩恵を忝なくしているとはいえ、北戎の跋扈は辺境の問題となっております。準のような男こそ必要です。」 帝、「分った。」 かくしてこの任命があった。 (17)九月、契丹が大挙して侵入した。 当時、契丹兵が内地にまで進入したというので、天下は騒然となった。帝は群臣を集めて対策を問うたところ、王欽若は〔江西の〕臨江出身だというので、金陵に避難するよう申し出た。また陳堯叟は〔四川の〕閬州出身だというので、成都に避難するよう申し出た。 そこで帝は準に意見を求めた。 準、「この二策を申し出たのは誰でしょうか。」 帝、「まずはこの二策の是非を判断して欲しい。誰がいったかは聞かないでほしい。」 準、「私はそのものを捕らえて斬り、軍太鼓の生贄にしとうございます。それが追われば北伐あるのみです。陛下の神武と将臣の協和、この二つをもつ陛下が親征を断行なされたなら、敵はみずから逃げ出すでしょう。逃げぬというなら、騎兵を出して敵の謀略を攪乱し、守りを固めて敵軍を疲弊させるのです。どちらが疲弊し、どちらが安逸か。――勝算は我にあります。それだのに社稷を棄て去り、楚や蜀に逃げるようなどと言い出せば、人々の心は崩れ落ち、敵はこの勢いに乗して中国奥深くにまで侵入いたしましょう。そうなれば、もはや二度と天下を手に入れることはできますまい。」 帝は意を決し、また準にたずねた。――「敵は侵略は速い。天雄軍は守りの要だ。万一にも陥落するようなことがあれば、河朔の地はみな敵のものになってしまうだろう。誰に守らせればよいか。」すると準は王欽若を薦め、「すぐに呼び出し、陛下がじかに敕書を与えて赴かせるとよいでしょう。」欽若はやって来ると、茫然としてまだ何も言えないうちに、準はせかしてこう言った。――「主上が親征なさるのだ。臣子として困難を辞すべきときではない。参政は国の舵を執るもの。この意を実践してほしい。」欽若はこの気迫に押され、辞退できなくなった。 (18)閏月乙亥(二十四日)、参知政事の王欽若を判天雄軍兼都部署とした。 (19)契丹の君主隆緒とその母蕭氏は、その都軍の順国王蕭撻覧に威虜軍と順安軍を攻撃させた。しかし三路の都部署はこれを撃退し、副将を斬って物資を奪った。 また北平砦と保州を攻めたが、再び州や砦の兵に敗北した。撻覧と契丹の君主とその母は兵を合わせて定州を攻めたが、宋の兵は唐河で防ぎ、遊撃騎兵を攻め立てた。契丹はついに二十万の兵を陽城淀に留めると、遊撃騎兵を出して掠奪を行い、少しでも不利になればすぐに兵を引き返すといったように、気ままに立ち回り、戦う意思を示さなかった。寇準はこれを聞くと、「我等を侮っているのだ。精鋭を将軍に与え、要害の地を守らせなければならぬ」と言った。 このとき、かつて宋の将軍だった王継忠は、契丹のために和平の利を説きいた。契丹は継忠の発言を認め、李興に継忠の書状と密表を持たせ、莫州部署の石普のもとに派遣し、そこで和平について議論させた。普は朝廷にこれを報告したが、朝廷首脳に是非を判断できるものはいなかった。 畢士安は契丹を手なずけ、段階をふんで和平を許してはどうかと言った。 帝、「敵はあれほど兇悪なのだ。和平は保ち得まい。」 士安、「むかし契丹の投降者を捕らえたのですが、そのものが言うには、中国内地に侵入しても跳ね返されることが多く、思ったほどに利を得られなかった。だから撤退したいと思うのだが、それでいて戦功を立てられないことに恥を感じている、と。ならば彼等もその心の中では、隙に乗じて誰かが本拠地を攻めやしないかと、戦々恐々なのです。恐らくこのたびの要求は嘘ではありますまい。継忠の上奏について、臣は容れられるべきだと心得ます。」 このため帝あ継忠に詔書を与えてこう言った。――「朕はあくまで戦争を求めるものではなく、むしろ争いを止めたいと望んでいる。もし和平を望むのなら、すぐにでも使者をつかわすがよい。」 (20)己卯(二十八日)、高継勲は兵を率いて岢嵐軍で契丹を破った。李延渥はまた瀛州で破った。 (21)冬十月、曹利用を契丹軍に派遣した。 当時、契丹に戦利が乏しく、さらに王継忠が和平を上奏してきたこともあり、帝は利用を派遣した。利用が契丹軍を訪れると、蕭太后は関南の地を求めたが、利用は拒絶した。 (22)十一月庚午(二十日)、帝は親征を決定し、その車駕が京師を出発した。李継隆と石保吉を駕前排陣使とした。 この日、司天がこう言った。――「太陽が暈(かさ)を包み、黄気が充ち塞がっております。戦わずに退くべきです。」 (23)癸酉(二十三日)、韋城県に到着した。 (24)甲戌(二十四日)、寒さのため近臣が貂帽毳裘を差し出すと、帝はそれを退け、「臣下が寒さに苦しんでいるときに、朕だけが着れるものだ」と言った。 (25)壬申(二十二日)、契丹兵が前軍の前に陣を張った。まだ接戦になる前、蕭撻覧が地形を調べるべく陣から出たところ、李継隆の部将張瓌がその牀小弩で射殺した。撻覧には機略武勇があり、その麾下はみな精鋭だった。撻覧が死ぬと、敵は戦意を喪失させた。 当時、王欽若は天雄軍にあったが、城門を閉ざし、無為無策で、ただ身を清めてお経を唱えるだけだった。安肅軍の守臣魏能と広信軍の守臣楊延朗は敵境に最も接近しており、敵兵に包囲にされていたが、百戦してなおも屈服しなかった。敵兵が国境まで退くと、延朗はこれを追撃して転戦して勝利を収めた。そのため当時の人は二軍を銅梁門・鉄遂城と名付けた。二将が敵の攻撃を防ぎきったからである。 (26)王旦を東京留守とした。 これ以前、帝は親征に際して、雍王元份を東京留守とし、旦らはみな帝に従って戦地に向かった。ここに至り、元份が急病に倒れたと報告されたため、旦を東京に帰還させ、元份に代えて東京留守とした。 旦、「寇準を呼び下さい、申したいことが御座います。」準がやって来ると、旦はこう申し上げた。――「十日しても勝利の報告がなかった場合、如何に処置すればよいでしょうか。」帝は黙り込んでしまったが、しばらくして「太子を立てよ」と言った。 旦は京師に到着すると、すぐに禁中に入ると厳命を下した。このため誰一人として内情を漏らすものはなかった。 (27)丙子(二十六日)、帝は澶州に到着した。 ここでも金陵遷都を申し出るものがおり、少しく帝に迷いの色が生じた。そこで寇準に意見を求めた。 準、「陛下は一尺でも多く進まねばならず、一寸も退いてはなりません。河北の諸軍は日夜陛下の到来を待ちこがれ、その士気は百倍しております。もし陛下が数歩でも退かれたなら、万余の軍は瓦解するでしょう。敵がその背後に乗じたなら、金陵にも到着できますまい。」 準は退出すると殿前都指揮使の高瓊に出会った。 準、「太尉は国の厚恩を受けておられるが、今日にあってそれにどう報いられるおつもりか。」 瓊、「命をかけるまでです。」 準は帝の御前にもどると、瓊は庭に立った。 準、「陛下がもし私の言葉をお疑いなら、試みにそこの瓊に問われなさいませ。」 瓊はすぐに「寇準の発言は正しい」と言った。 準、「時機を失ってはなりません。すぐに出発なされませ。」 かくして帝は軍を進め、澶州の南城まで到達した。遠くから契丹軍の盛強さ目にして、多くの人々は車駕を止めるよう申し出た。しかし寇準は力強くこう言った。――「もし陛下が河を渉らなければ、人々に動揺が生じ、敵の恐れはしません。これでは勝機を掴むことはできません。王超は精鋭を率いて中山の要害に駐屯しており、李継隆と石保吉は大軍を率いて左右を守っており、四方の軍将の来援も毎日のように到着しております。何に迷って進まれないのです。」高瓊も強く賛成したので、帝は衛兵に車駕を進めさせた。かくして帝は河を渉り北城の城門に到着し、諸将をよびよせ慰撫した。車駕を望み見たものは、遠きも近きも勇躍して万歳を叫び、声は数十里まで届いた。たまたま鄆州で契丹の諜者が捕らえられ、連行されてきたので、これを斬り捨てた。かくして契丹兵の間に動揺が広がった。 帝はすべての軍権を準に一任した。準は制を称して専決したが、号令は明白肅然だった。士卒はこれを畏れるとともに悦びもした。ほどなく契丹兵数千騎が城下に迫ったので、士卒に迎え撃たせ、敵兵半数近くを斬殺捕縛したため、契丹兵は引き返した。 帝は行宮にもどると、準を城北に留めた。こっそり寇準の行動を調べさせると、準は知制誥の楊億と賭博や飲酒にふけり、歌や冗談に興じていた。帝は「準がこんな調子なら、なにも心配することはない」といって喜んだ。 (28)十二月庚辰(一日)、契丹は韓杞に書状をもたせ、曹利用ととともに〔宋軍を〕訪れ、和平を求めてきた。 契丹は関南の地を求めていると利用から報告があったが、帝は「土地の返却については全く大義名分がない。どうしてもというなら、朕には戦う決意がある。しかし財貨が欲しいというのなら、漢は玉帛を単于に与えたというではないか、このような故事もあることだから許してやろう。」 しかし準は財貨の下賜を認めず、さらには〔契丹が宋に対して〕臣と称すべきこと、幽州や薊州を献上することをも望んでおり、一計を案じてこう主張した。――「私の主張通りにしてこそ、百年の無事が保証できるというものです。さもなくば数十年の後にまた夷狄が野心を抱くことになりましょう。」しかし帝は「数十年後にもまた我が国を守るものが現れよう。私は人々の苦しみを坐視できない。しばらく和平を許せばよいではないか」と言った。準はなおも認めなかったが、「準は兵権を利用して権勢を得ようとしている」と讒言するものがいたため、契丹との和盟を許した。 再び曹利用を契丹軍に派遣し、歳幣について議論させることになった。帝は「どうにもならねば百万でもいい」と言った。準はこれを耳にすると、利用を帷幄に呼び入れ、「陛下のお許しがあろうと、三十万を過ぎれば私がお前を斬る」と言いつけた。 利用が契丹軍に到着すると、蕭太后はこう言った。――「晉は我に関南を与えたが、周の世宗はこれを奪った。ならばいま返還されるべきではないか。」 利用、「晉や周のことは我が朝の知るところではありません。もし歳幣の金帛を軍費に充てることすら、帝が納得されるかどうか分からぬものを。地を割譲せよなどと、とても帝に申し上げるわけに参りません。」 契丹の政事舎人高正始は急ぎ進み出ると、「我々が大軍を率いてやって来たのは、〔関南の〕故地を回復せんがため。もし金帛だけで国に帰ろうものなら、我が国の人々になんと申し開きをしてよいものか。」 利用、「貴君はどうして契丹のために熟慮せぬのだ。契丹が貴君の計を用いたなら、恐らくは戦端が開かれ不和を起こし、国の利益にはなるまい。」 契丹はなおも関南の地を求め、監門衛大将軍の姚東之に書状を持たせ、〔宋と〕議論させた。しかし帝はこれを許さず、東之は契丹軍に戻った。かくして利用はついに銀十万両、絹二十万匹で和約を成立させて帰還した。 (29)癸未(四日)、帝は李継隆の陣営に出向き、従軍の将校に飲食を与えた。諸軍にも身分に応じて褒美を与えた。詔を下し、軍事の終了を両京に伝えさせた。 (30)甲申(五日)、契丹は姚東之を派遣し、御衣や食物を献上させた。 (31)乙酉(六日)、帝は陣営の南楼に出向いて江河を眺め、そこで側近および契丹の使者と宴会を催した。 (32)丙戌(七日)、李継昌を派遣し、和盟を締結させた。また諸将には契丹の帰路を勝手に攻撃しないよう戒めた。 (33)甲午(十五日)、車駕が澶淵を出発した。 (34)乙未(十六日)、契丹は丁振を派遣して誓書を送り届けた。かくして契丹は帝に兄事することになった。 (35)丁酉(十八日)、契丹の兵が国外に出た。 (36)戊戌(十九日)、帝は澶淵から帰還した。 (37)辛丑(二十二日)、契丹の誓書を書き写し、両河の諸州に頒布した。 (38)二年(1005)春正月庚戌朔、契丹との和議が成立したことにより、天下に大赦した。 (39)壬子(三日)、河北諸州の強兵を帰農させ、諸路の行営を罷め、鎮・定両路を一路とし、北面部署・鈐轄・都監・使臣二百九十余人、河北の守備兵の十分の五、辺境守備兵の三分の一を省いた。 詔を下した。――「国境沿辺のものは国境を出て掠奪してはならぬ。契丹の馬牛を手に入れた場合はすべて返還せよ。」交易を行い、城池を修復し、流浪者を招き、貯蓄を広げた。こうして河北の民の生活は安定した。すべて畢士安の策略の賜である。 また士安は国境要害の地に守将を配置するよう求めた。そこで馬知節を定州知事、楊延昭を保州知事、李充則を雄州知事、孫全照を鎮州知事とした。他の地区の守将もみな適任者であった。 これ以後、契丹と和約を結んだことから、慶弔の使者があれば国信司に任せ、これを宦官に管理させた。 (40)二月癸卯(二十五日)、太史中允の孫僅を契丹に派遣し、契丹の太后の生辰(誕生日)を慶賀させた。また書状を送り、みずから南朝と称し、契丹を北朝とした。直史館の王曾が「『春秋』は夷狄を中国として扱わず、爵位も子爵に止めております。契丹の国号に随えば十分です。なぜ両朝として扱うのです」と批判したが、帝は聞き入れなかった。 (41)秋七月、歳幣を契丹に送った。これ以後、毎年送った。 (42)冬十月、職方郎中の韓国華を契丹に派遣し、正月元旦を祝賀させた。 (43)十一月、契丹は使者を派遣し、承天節(真宗の生辰)を慶賀させた。 (44)十二月、契丹は使者を派遣し、明年の正月元旦を祝賀させた。これ以後、毎年行うことになった。 (45)大中祥符元年(1008)夏四月、契丹は使者を派遣し、歳幣以外に銭幣を貸して欲しいと言ってきた。帝が宰相の王旦に尋ねた。 旦、「東封が近うございますので、これで朝廷の意向を探ろうというのでしょう。」 帝、「なんと答えればよい。」 旦、「粗末なものでもやって、軽くあしらってやればよろしいでしょう。」 そこで歳幣三十万以外に三万を貸し与え、それを来年分から除かせた。契丹はこれを受け取ると、大いに恥じ入った。 (46)二年(1009)十二月甲辰(二十四日)、契丹の太后蕭氏が卒した。 蕭氏には機略があり、巧みに大臣を任用し、彼等に死力を尽させた。〔宋に〕侵略するたび、みずから甲冑をまとって督戦した。和平のことも、彼女のその謀略から出たものである。しかし人となりは残忍で、人を殺すことが多かった。韓徳譲と姦通しては、耶律隆運なる姓名を与え、さらに大丞相を授け、晉王に封じた。ほどなくして徳譲も死に、陵墓の脇に附葬された。 (47)三年(1010)五月、契丹は回鶻を伐ち、肅州を破った。 (48)六月、契丹は飢饉となり、米の買い入れにやってきた。そこで雄州に詔を下し、粟二百万を与えた。 (49)冬十月、契丹は耶律寧に高麗討伐を報告させた。 これ以前、高麗の康肇はその主君誦を弑し、誦の兄の詢を立て、その宰相になった。契丹の君主隆緒は、群臣にむかって、「康肇は君主の誦を弑して詢を立て、宰相になった。これは大逆である。兵を派遣してその罪を問うべきではないか。」蕭敵烈は凶作を理由に時期尚早と主張したが、隆諸は聞き入れなかった。 十一月、契丹兵は鴨緑江を渡った。肇は敗れ、銅州まで撤退した。契丹は兵を進めてこれを捕らえ、ついに開京を攻めた。詢は城を棄てて平州まで逃げた。契丹は開京の宮室や府庫を焼き捨てて帰還した。これ以後、兵を用いること数年にしてようやく止んだ。 (50)乾興元年(1022)二月、帝が崩御した。 契丹の君主隆諸は、蕃族と漢族の大臣を集めて哀悼を捧げ、耶律僧隠らを弔祭に派遣した。〔燕京の憫忠寺に〕帝の御霊を置き、資福道場を建てさせたが、これは百日で完成した。各州軍に音楽の演奏を罷めさせ、契丹国の文字で帝の諱を犯したものは、すべて改めさせた。
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資治通鑑巻第六 秦紀一 昭襄王 五十二年(丙午、前二五五) 1河東守王稽坐與諸侯通,棄市。應侯日以不懌。王臨朝而歎,應侯請其故。王曰:「今武安君死,而鄭安平、王稽等皆畔,内無良將而外多敵國,吾是以憂。」應侯懼,不知所出。 燕客蔡澤聞之,西入秦,先使人宣言於應侯曰:「蔡澤,天下雄辯之士。彼見王,必困君而奪君之位。」應侯怒,使人召之。蔡澤見應侯,禮又倨。應侯不快,因讓之曰:「子宣言欲代我相,請聞其説。」蔡澤曰:「吁,君何見之晩也!夫四時之序,成功者去。君獨不見夫秦之商君、楚之吳起、越之大夫種,何足願與?」應侯謬曰:「何爲不可?!此三子者,義之至也,忠之盡也。君子有殺身以成名,死無所恨!」蔡澤曰:「夫人立功豈不期於成全邪?身名倶全者,上也;名可法而身死者,次也;名僇辱而身全者,下也。夫商君、呉起、大夫種,其爲人臣盡忠致功,則可願矣。閎夭、周公,豈不亦忠且聖乎?!三子之可願,孰與閎夭、周公哉?」應侯曰:「善。」蔡澤曰:「然則君之主惇厚舊故,不倍功臣,孰與孝公、楚王、越王?」曰:「未知何如。」蔡澤曰:「君之功能孰與三子?」曰:「不若。」蔡澤曰:「然則君身不退,患恐甚於三子矣。語曰:『日中則移,月滿則虧。』進退嬴縮,與時變化,聖人之道也。今君之怨已讎而德已報,意欲至矣而無變計,竊爲君危之。」應侯遂延以爲上客,因薦於王。王召與語,大悅,拜爲客卿。應侯因謝病免。王新悅蔡澤計畫,遂以爲相國,澤爲相數月,免。 1. 2楚春申君以荀卿爲蘭陵令。荀卿者,趙人,名況,嘗與臨武君論兵於趙孝成王之前。王曰:「請問兵要。」臨武君對曰:「上得天時,下得地利,觀敵之變動,後之發,先之至,此用兵之要術也。」荀卿曰:「不然。臣所聞古之道,凡用兵攻戰之本,在乎一民。弓矢不調,則羿不能以中;六馬不和,則造父不能以致遠;士民不親附,則湯、武不能以必勝也。故善附民者,是乃善用兵者也。故兵要在乎附民而已。」臨武君曰:「不然。兵之所貴者勢利也,所行者變詐也。善用兵者感忽悠闇,莫知所從出。孫吳用之,無敵於天下,豈必待附民哉!」荀卿曰:「不然。臣之所道,仁人之兵,王者之志也。君之所貴,權謀勢利也。仁人之兵,不可詐也。彼可詐者,怠慢者也,露袒者也,君臣上下之間滑然有離德者也。故以桀詐桀,猶巧拙有幸焉。以桀詐堯,譬之以卵投石,以指橈沸,若赴水火,入焉焦沒耳。故仁人之兵,上下一心,三軍同力。臣之於君也,下之於上也,若子之事父,弟之事兄,若手臂之扞頭目而覆胸腹也。詐而襲之,與先驚而後撃之,一也。且仁人用十里之國則將有百里之聽,用百里之國則將有千里之聽,用千里之國則將有四海之聽,必將聰明警戒,和傅而一。故仁人之兵,聚則成卒,散則成列,延則若莫耶之長刃,嬰之者斷;兌則若莫耶之利鋒,當之者潰。圜居而方止,則若盤石然,觸之者角摧而退耳。且夫暴國之君,將誰與至哉?彼其所與至者,必其民也。其民之親我歡若父母,其好我芬若椒蘭;彼反顧其上則若灼黥,若仇讎;人之情,雖桀、跖,豈有肯爲其所惡,賊其所好者哉!是猶使人之子孫自賊其父母也。彼必將來告之,夫又何可詐也!故仁人用國日明,諸侯先順者安,後順者危,敵之者削,反之者亡。詩曰:『武王載發,有虔秉鉞,如火烈烈,則莫我敢遏,』此之謂也。」 孝成王、臨武君曰:「善。請問王者之兵,設何道,何行而可?」荀卿曰:「凡君賢者其國治,君不能者其國亂;隆禮貴義者其國治,簡禮賤義者其國亂。治者強,亂者弱,是強弱之本也。上足卬則下可用也,上不足卬則下不可用也。下可用則強,下不可用則弱,是強弱之常也。好士者強,不好士者弱;愛民者強,不愛民者弱;政令信者強,政令不信者弱;重用兵者強,輕用兵者弱;權出一者強,權出二者弱;是強弱之常也。齊人隆技撃,其技也,得一首者則賜贖錙金,無本賞矣。是事小敵毳,則偸可用也;事大敵堅,則渙焉離耳。若飛鳥然,傾側反覆無日,是亡國之兵也,兵莫弱是矣,是其去賃市傭而戰之幾矣。魏氏之武卒,以度取之;衣三屬之甲,操十二石之弩,負矢五十個,置戈其上,冠冑帶劍,贏二日之糧,日中而趨百里;中試則復其戸,利其田宅。是其氣力數年而衰,而復利未可奪也,改造則不易周也,是故地雖大,其税必寡,是危國之兵也。秦人,其生民也狹隘,其使民也酷烈,劫之以勢,隱之以□厄,忸之以慶賞,□之以刑罰,使民所以要利於上者,非斗無由也。使以功賞相長,五甲首而隸五家,是最爲衆強長久之道。故四世有勝,非幸也,數也。故齊之技撃不可以遇魏之武卒,魏之武卒不可以遇秦之鋭士,秦之鋭士不可以當桓、文之節制,桓、文之節制不可以當湯、武之仁義,有遇之者,若以焦熬投石焉。兼是數國者,皆干賞蹈利之兵也,傭徒鬻賣之道也,未有貴上安制綦節之理也。諸侯有能微妙之以節,則作而兼殆之耳。故招延募選,隆勢詐,尚功利,是漸之也。禮義教化,是齊之也。故以詐遇詐,猶有巧拙焉;以詐遇齊,譬之猶以錐刀墮太山也。故湯、武之誅桀、紂也,拱挹指麾,而強暴之國莫不趨使,誅桀、紂若誅獨夫。故泰誓曰:『獨夫紂,』此之謂也。故兵大齊則制天下,小齊則治鄰敵。若夫招延募選,隆勢詐,尚功利之兵,則勝不勝無常,代翕代張,代存代亡,相爲雌雄耳。夫是之謂盜兵,君子不由也。」 孝成王、臨武君曰:「善。請問爲將。」荀卿曰:「知莫大乎棄疑,行莫大乎無過,事莫大乎無悔。事至無悔而止矣,不可必也。故制號政令,欲嚴以威;慶賞刑罰,欲必以信;處舍收藏,欲周以固;徙舉進退,欲安以重,欲疾以速;窺敵觀變,欲潛以深,欲伍以參;遇敵決戰,必行吾所明,無行吾所疑;夫是之謂六術。無欲將而惡廢,無怠勝而忘敗,無威内而輕外,無見其利而不顧其害,凡慮事欲熟而用財欲泰,夫是之謂五權。將所以不受命於主有三,可殺而不可使處不完,可殺而不可使撃不勝,可殺而不可使欺百姓,夫是之謂三至。凡受命於主而行三軍,三軍既定,百官得序,羣物皆正,則主不能喜,敵不能怒,夫是之謂至臣。慮必先事而申之以敬,愼終如始,始終如一,夫是之謂大吉。凡百事之成也必在敬之,其敗也必在慢之。故敬勝怠則吉,怠勝敬則滅;計勝欲則從,欲勝計則兇。戰如守,行如戰,有功如幸。敬謀無曠,敬事無曠,敬吏無曠,敬衆無曠,敬敵無曠,夫是之謂五無曠。愼行此六術、五權、三至,而處之以恭敬、無曠,夫是之謂天下之將,則通於神明矣。」 臨武君曰:「善。請問王者之軍制。」荀卿曰:「將死鼓,御死轡,百吏死職,士大夫死行列。聞鼓聲而進,聞金聲而退。順命爲上,有功次之。令不進而進,猶令不退而退也,其罪惟均。不殺老弱,不獵禾稼,服者不禽,格者不赦,奔命者不獲。凡誅,非誅其百姓也,誅其亂百姓者也。百姓有捍其賊,則是亦賊也。以故順刃者生,傃刃者死,奔命者貢。微子開封於宋,曹觸龍斷於軍,商之服民,所以養生之者無異周人,故近者歌謳而樂之,遠者竭蹶而趨之,無幽閒辟陋之國,莫不趨使而安樂之,四海之内若一家,通達之屬莫不從服,夫是之謂人師。詩曰:『自西自東,自南自北,無思不服。』此之謂也。王者有誅而無戰,城守不攻,兵格不撃,敵上下相喜則慶之,不屠城,不潛軍,不留衆,師不越時,故亂者樂其政,不安其上,欲其至也。」臨武君曰:「善。」 陳囂問荀卿曰:「先生議兵,常以仁義爲本。仁者愛人,義者循理,然則又何以兵爲?凡所爲有兵者,爲爭奪也。」荀卿曰:「非汝所知也。彼仁者愛人,愛人,故惡人之害之也;義者循理,循理,故惡人之亂之也。彼兵者,所以禁暴除害也,非爭奪也。」 2. 3燕孝王薨,子喜立。 3. 4周民東亡。秦人取其寶器,遷西周公於憚狐之聚。 4. 5楚人遷魯於莒而取其地。 5. 五十三年(丁未、前二五四) 1摎伐魏,取呉城。韓王入朝。魏舉國聽令。 1. 五十四年(戊申、前二五三) 1王郊見上帝於雍。 1. 2楚遷于鉅陽。 2. 五十五年(己酉、前二五二) 1衞懷君朝於魏,魏人執而殺之;更立其弟,是爲元君。元君,魏婿也。 1. 五十六年(庚戌、前二五一) 1秋,王薨,孝文王立。尊唐八子爲唐太后,以子楚爲太子。趙人奉子楚妻子歸之。韓王衰絰入吊祠。 1. 2燕王喜使栗腹約歡於趙,以五百金爲趙王酒。反而言於燕王曰:「趙壯者皆死長平,其孤未壯,可伐也。」王召昌國君樂閒問之,對曰:「趙四戰之國,其民習兵,不可。」王曰:「吾以五而伐一。」對曰:「不可。」王怒。羣臣皆以爲可,乃發二千乘,栗腹將而攻鄗,卿秦攻代。將渠曰:「與人通關約交,以五百金飲人之王,使者報而攻之,不祥,師必無功。」王不聽,自將偏軍隨之。將渠引王之綬,王以足蹙之。將渠泣曰:「臣非自爲,爲王也!」燕師至宋子,趙廉頗爲將,逆撃之,敗栗腹於鄗,敗卿秦、樂乘於代,追北五百餘里,遂圍燕。燕人請和,趙人曰:「必令將渠處和。」燕王以將渠爲相而處和,趙師乃解去。 2. 3趙平原君卒。 3. 孝文王 元年(辛亥、前二五〇) 1冬,十月,已亥,王即位;三日薨。子楚立,是爲莊襄王。尊華陽夫人爲華陽太后,夏姫爲夏太后。 1. 2燕將攻齊聊城,拔之。或譖之燕王,燕將保聊城,不敢歸。齊田單攻之,歲餘不下,魯仲連乃爲書,約之矢以射城中,遺燕將,爲陳利害曰:「爲公計者,不歸燕則歸齊。今獨守孤城,齊兵日益而燕救不至,將何爲乎?」燕將見書,泣三日,猶豫不能自決,欲歸燕,已有隙;欲降齊,所殺虜於齊甚衆,恐已降而後見辱。喟然歎曰:「與人刃我,寧我自刃!」遂自殺。聊城亂,田單克聊城。歸,言魯仲連於齊王,欲爵之。仲連逃之海上,曰:「吾富貴而詘於人,寧貧賤而輕世肆志焉!」 魏安釐王問天下之高士於子順,子順曰:「世無其人也;抑可以爲次,其魯仲連乎!」王曰:「魯仲連強作之者,非體自然也。」子順曰:「人皆作之。作之不止,乃成君子;作之不變,習與體成;習與體成,則自然也。」 2. 莊襄王 元年(壬子、前二四九) 1呂不韋爲相國。 1. 2東周君爲諸侯謀伐秦,王使相國帥師討滅之,遷東周君於陽人聚。周既不祀。周比亡,凡有七邑:河南、洛陽、穀城、平陰、偃師、鞏、緱氏。 2. 3以河南、洛陽十萬戸封相國不韋爲文信侯。 3. 4蒙驁伐韓,取成皋、滎陽,初置三川郡。 4. 5楚滅魯,遷魯頃公於卞,爲家人。 5. 二年(癸丑、前二四八) 1日有食之。 1. 2蒙驁伐趙,定太原,取楡次、狼孟等三十七城。 2. 3楚春申君言於楚王曰:「淮北地邊於齊,其事急,請以爲郡而封於江東。」楚王許之。春申君因城呉故墟以爲都邑,宮室極盛。 3. 三年(甲寅、前二四七) 1王齕攻上黨諸城,悉拔之,初置太原郡。 1. 2蒙驁帥師伐魏,取高都、汲。魏師數敗,魏王患之,乃使人請信陵君於趙。信陵君畏得罪,不肯還,誡門下曰:「有敢爲魏使通者死!」賓客莫敢諫。毛公、薛公見信陵君曰:「公子所以重於諸侯者,徒以有魏也。今魏急而公子不恤,一旦秦人克大樑,夷先王之宗廟,公子當何面目立天下乎!」語未卒,信陵君色變,趣駕還魏。魏王持信陵君而泣,以爲上將軍。信陵君使人求援於諸侯。諸侯聞信陵君復爲魏將,皆遣兵救魏。信陵君率五國之師敗蒙驁於河外,蒙驁遁走。信陵君追至函谷關,抑之而還。 安陵人縮高之子仕於秦,秦使之守管。信陵君攻之不下,使人謂安陵君曰:「君其遣縮高,吾將仕之以五大夫,使爲執節尉。」安陵君曰:「安陵,小國也,不能必使其民。使者自往請之。」使吏導使者至縮高之所。使者致信陵君之命,縮高曰:「君之幸高也,將使高攻管也。夫父攻子守,人之笑也;見臣而下,是倍主也。父教子倍,亦非君之所喜。敢再拜辭!」使者以報信陵君。信陵君大怒,遣使之安陵君所曰:「安陵之地,亦猶魏也。今吾攻管而不下,則秦兵及我,社稷必危矣。願君生束縮高而致之!若君弗致,無忌將發十萬之師以造安陵之城下!」安陵君曰:「吾先君成侯受詔襄王以守此城也,手授太府之憲,憲之上篇曰:『子弑父,臣弑君,有常不赦。國雖大赦,降城亡子不得與焉。』今縮高辭大位以全父子之義,而君曰『必生致之』,是使我負襄王之詔而廢太府之憲也,雖死,終不敢行!」縮高聞之曰:「信陵君爲人,悍猛而自用,此辭反必爲國禍。吾已全己,無違人臣之義矣,豈可使吾君有魏患乎!」乃之使者之舍,刎頸而死。信陵君聞之,縞素辟舍,使使者謝安陵君曰:「無忌,小人也,困于思慮,失信於君,請再拜辭罪!」 王使人行萬金於魏以間信陵君,求得晉鄙客,令說魏王曰:「公子亡在外十年矣,今復爲將,諸侯皆屬,天下徒聞信陵君而不聞魏王矣。」王又數使人賀信陵君:「得爲魏王未也?」魏王日聞其毀,不能不信,乃使人代信陵君將兵。信陵君自知再以毀廢,乃謝病不朝,日夜以酒色自娯,凡四歳而卒。韓王往吊,其子榮之,以告子順。子順曰:「必辭之以禮。『鄰國君吊,君爲之主。』今君不命子,則子無所受韓君也。」其子辭之。 2. 3五月,丙午,王薨。太子政立,生十三年矣,國事皆委於文信侯,號稱仲父。 3. 4晉陽反。 4. 始皇帝上 元年(乙卯、前二四六) 1蒙驁撃定之。 1. 2韓欲疲秦人,使無東伐,乃使水工鄭國爲間於秦,鑿涇水自仲山爲渠,並北山,東注洛。中作而覺,秦人欲殺之。鄭國曰:「臣爲韓延數年之命,然渠成,亦秦萬世之利也。」乃使卒爲之。注填閼之水漑舄鹵之地四萬餘頃,收皆畝一鐘,關中由是益富饒。 2. 二年(丙辰、前二四五) 1麃公將卒攻卷,斬首三萬。 1. 2趙以廉頗爲假相國,伐魏,取繁陽。趙孝成王薨,子悼襄王立,使武襄君樂乘代廉頗。廉頗怒,攻武襄君,武襄君走,廉頗出奔魏。久之,魏不能信用。趙師數困於秦,趙王思復得廉頗,廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開多與使者金,令毀之。廉頗見使者,一飯斗米,肉十斤,被甲上馬,以示可用。使者還報曰:「廉將軍雖老,尚善飯;然與臣坐,頃之三遺矢矣。」趙王以爲老,遂不召。楚人陰使迎之。廉頗一爲楚將,無功,曰:「我思用趙人。」卒死於壽春。 2. 三年(丁巳、前二四四) 1大饑。 1. 2蒙驁伐韓,取十二城。 2. 3趙王以李牧爲將,伐燕,取武遂、方城。李牧者,趙之北邊良將也,嘗居代、雁門備匈奴,以便宜置吏,市租皆輸入莫府,爲士卒費,日撃數牛饗士;習騎射,謹烽火,多間諜,爲約曰:「匈奴即入盜,急入收保。有敢捕虜者斬!」匈奴每入,烽火謹,輒入收保不戰。如是數歲,亦不亡失。匈奴皆以爲怯,雖趙邊兵亦以爲吾將怯。趙王讓之,李牧如故。王怒,使他人代之。歲餘,屢出戰,不利,多失亡,邊不得田畜。王復請李牧,李牧杜門稱病不出。王強起之,李牧曰:「必用臣,臣如前,乃敢奉令。」王許之。李牧至邊,如約。匈奴數歲無所得,終以爲怯。邊士日得賞賜而不用,皆願一戰。於是乃具選車得千三百乘,選騎得萬三千匹,百金之士五萬人,彀者十萬人,悉勒習戰;大縱畜牧、人民滿野。匈奴小入,佯北不勝,以數十人委之。單于聞之,大率眾來入。李牧多爲奇陳,張左、右翼撃之,大破之,殺匈奴十餘萬騎,滅衣詹襤,破東胡,降林胡。單于奔走,十餘歳不敢近趙邊。 先是,天下冠帶之國七,而三國邊於戎狄:秦自隴以西有綿諸、緄戎、翟、[豸原]之戎,岐、梁、涇、漆之北有義渠、大荔、烏氏、朐衍之戎;而趙北有林胡、樓煩之戎;燕北有東胡、山戎;各分散居溪谷,自有君長,往往而聚者百有餘戎,然莫能相一。其後義渠築城郭以自守,而秦稍蠶食之,至惠王遂拔義渠二十五城。昭王之時,宣太后誘義渠王,殺諸甘泉,遂發兵伐義渠,滅之;始於隴西、北地、上郡築長城以拒胡。趙武靈王北破林胡、樓煩,築長城,自代並陰山下,至高闕爲塞,而置雲中、雁門、代郡。其後燕將秦開爲質於胡,胡甚信之;歸而襲破東胡,東胡卻千餘里;燕亦築長城,自造陽至襄平,置上谷、漁陽、右北平、遼東郡以距胡。及戰國之末而匈奴始大。 3. 四年(戊午、前二四三) 1春,蒙驁伐魏,取暘、有詭。三月,軍罷。 1. 2秦質子歸自趙;趙太子出歸國。 2. 3七月,蝗,疫。令百姓納粟千石,拜爵一級。 3. 4魏安釐王薨,子景湣王立。 4. 五年(己未、前二四二) 1蒙驁伐魏,取酸棗、燕、虛、長平、雍丘、山陽等二十城;初置東郡。 1. 2初,劇辛在趙與龐煖善,已而仕燕。燕王見趙數困於秦,廉頗去而龐煖爲將,欲因其敝而攻之,問於劇辛,對曰:「龐煖易與耳。」燕王使劇辛將而伐趙。趙龐煖御之,殺劇辛,取燕師二萬。 2. 3諸侯患秦攻伐無已時。 3. 六年(庚申、前二四一) 1楚、趙、魏、韓、衞合從以伐秦,楚王爲從長,春申君用事,取壽陵。至函谷,秦師出,五國之師皆敗走。楚王以咎春申君,春申君以此益疏。觀津人硃英謂春申君曰:「人皆以楚爲強,君用之而弱。其於英不然。先君時,秦善楚,二十年而不攻楚,何也?秦踰黽□厄之塞而攻楚,不便;假道於兩周,背韓、魏而攻楚,不可。今則不然。魏旦暮亡,不能愛許、鄢陵,魏割以與秦,秦兵去陳百六十里。臣之所觀者,見秦、楚之日斗也。」楚於是去陳,徙壽春,命曰郢。春申君就封於呉,行相事。 1. 2秦拔魏朝歌,及衞濮陽。衞元君率其支屬徙居野王,阻其山以保魏之河内。 2. 七年(辛酉、前二四〇) 1伐魏,取汲。 1. 2夏太后薨。 2. 3蒙驁卒。 3. 八年(壬戌、前二三九) 1魏與趙鄴。 1. 2韓桓惠王薨,子安立。 2. 九年(癸亥、前二三八) 1伐魏,取垣、浦。 1. 2夏,四月,寒,民有凍死者。 2. 3王宿雍。 3. 4己酉,王冠,帶劍。 4. 5楊端和伐魏,取衍氏。 5. 6初,王即位,年少,太后時時與文信侯私通。王益壯,文信侯恐事覺,禍及己,乃詐以舍人嫪毐爲宦者,進於太后。太后幸之,生二子,封毐爲長信侯,以太原爲毐國,政事皆決於毐;客求爲毐舍人者甚眾。王左右有與毐爭言者,告毐實非宦者,王下吏治毐。毐懼,矯王御璽發兵,欲攻蘄年宮爲亂。王使相國昌平君、昌文君發卒攻毐,戰咸陽,斬首數百;毐敗走,獲之。秋,九月,夷毐三族;黨與皆車裂滅宗;舍人罪輕者徙蜀,凡四千餘家。遷太后於雍萯陽宮,殺其二子。下令曰:「敢以太后事諫者,戮而殺之,斷其四支,積之闕下!」死者二十七人。齊客茅焦上謁請諫。王使謂之曰:「若不見夫積闕下者邪?」對曰:「臣聞天有二十八宿,今死者二十七人,臣之來固欲滿其數耳。臣非畏死者也!」使者走入白之。茅焦邑子同食者,盡負其衣物而逃王。王大怒曰:「是人也,故來犯吾,趣召鑊烹之,是安得積闕下哉!」王按劍怒而坐,口正沫出。使者召之入,茅焦徐行至前,再拜謁起,稱曰:「臣聞有生者不諱死,有國者不諱亡。諱死者不可以得生,諱亡者不可以得存。死生存亡,聖主所欲急聞也,陛下欲聞之乎?」王曰:「何謂也?」茅焦曰:「陛下有狂悖之行,不自知邪?車裂假父,囊撲二弟,遷母於雍,殘戮諫士,桀、紂之行不至於是矣。令天下聞之,盡瓦解,無向秦者,臣竊爲陛下危之!臣言已矣!」乃解衣伏質。王下殿,手自接之曰:「先生起就衣,今願受事!」乃爵之上卿。王自駕,虚左方,往迎太后,歸於咸陽,復爲母子如初。 6. 7楚考烈王無子,春申君患之,求婦人宜子者甚衆,進之,卒無子。趙人李園持其妹欲進諸楚王,聞其不宜子,恐久無寵,乃求爲春申君舍人。已而謁歸,故失期而還。春申君問之,李園曰:「齊王使人求臣之妹,與其使者飲,故失期。」春申君曰:「聘入乎?」曰:「未也。」春申君遂納之。既而有娠,李園使其妹説春申君曰:「楚王貴幸君,雖兄弟不如也。今君相楚二十餘年而王無子,即百歳後將更立兄弟,彼亦各貴其故所親,君又安得常保此寵乎!非徒然也,君貴,用事久,多失禮於王之兄弟,兄弟立,禍且及身矣。今妾有娠而人莫知,妾幸君未久,誠以君之重,進妾於王,王必幸之。妾賴天而有男,則是君之子爲王也。楚國盡可得,孰與身臨不測之禍哉!」春申君大然之。乃出李園妹,謹舍而言諸楚王。王召入,幸之,遂生男,立爲太子。 李園妹爲王后,李園亦貴用事,而恐春申君洩其語,陰養死士,欲殺春申君以滅口;國人頗有知之者。楚王病,朱英謂春申君曰:「世有無望之福,亦有無望之禍。今君處無望之世,事無望之主,安可以無無望之人乎!」春申君曰:「何謂無望之福?」曰:「君相楚二十餘年矣,雖名相國,其實王也。王今病,旦暮薨,薨而君相幼主,因而當國,王長而反政,不即遂南面稱孤,此所謂無望之福也。」「何謂無望之禍?」曰:「李園不治國而君之仇也,不爲兵而養死士之日久矣。王薨,李園必先入,據權而殺君以滅口,此所謂無望之禍也。」「何謂無望之人?」曰:「君置臣郎中,王薨,李園先入,臣爲君殺之,此所謂無望之人也。」春申君曰:「足下置之。李園,弱人也,僕又善之。且何至此!」朱英知言不用,懼而亡去。後十七日,楚王薨,李園果先入,伏死士於棘門之内。春申君入,死士俠刺之,投其首於棘門之外;於是使吏盡捕誅春申君之家。太子立,是爲幽王。 揚子法言曰:或問:「信陵、平原、孟嘗、春申益乎?」曰:「上失其政,姦臣竊國命,何其益乎!」 7. 8王以文信侯奉先王功大,不忍誅。 8. 十年(甲子、前二三七) 1冬,十月,文信侯免相,出就國。 宗室大臣議曰:「諸侯人來仕者,皆爲其主游間耳,請一切逐之。」於是大索,逐客。客卿楚人李斯亦在逐中,行,且上書曰:「昔穆公求士,西取由余於戎,東得百里奚於宛,迎蹇叔於宋,求丕豹、公孫支於晉,並國二十,遂霸西戎。孝公用商鞅之法,諸侯親服,至今治強。惠王用張儀之計,散六國之從,使之事秦。昭王得范雎,強公室,杜私門。此四君者,皆以客之功。由此觀之,客何負於秦哉!夫色、樂、珠、玉不産於秦而王服御者衆,取人則不然,不問可否,不論曲直,非秦者去,爲客者逐。是所重者在乎色、樂、珠、玉,而所輕者在乎人民也。臣聞太山不讓土壤,故能成其大;河海不擇細流,故能就其深;王者不卻衆庶,故能明其德。此五帝、三王之所以無敵也。今乃棄黔首以資敵國,卻賓客以業諸侯,所謂藉寇兵而賚盜糧者也。」王乃召李斯,復其官,除逐客之令。李斯至驪邑而還。王卒用李斯之謀,陰遣辯士齎金玉遊說諸侯,諸侯名士可下以財者厚遺結之,不肯者利劍刺之,離其君臣之計,然後使良將隨其後,數年之中,卒兼天下。 1. 十一年(乙丑、前二三六) 1趙人伐燕,取狸陽。兵未罷,將軍王翦、桓齮、楊端和伐趙,攻鄴,取九城。王翦攻閼與、轑陽,桓齮取鄴、安陽。 1. 2趙悼襄王薨,子幽繆王遷立。其母,倡也,嬖於悼襄王,悼襄王廢嫡子嘉而立之。遷素以無行聞於國。 2. 3文信侯就國歳餘,諸侯賓客使者相望於道,請之。王恐其爲變,乃賜文信侯書曰:「君何功於秦,封君河南,食十萬戸?何親於秦,號稱仲父?其與家屬徙處蜀!」文信侯自知稍侵,恐誅。 3. 十二年(丙寅、前二三五) 1文信侯飲酖死,竊葬。其舍人臨者,皆逐遷之。且曰:「自今以來,操國事不道如嫪毐、不韋者,籍其門,視此!」 揚子法言曰:或問:「呂不韋其智矣乎?以人易貨。」曰:「誰謂不韋智者歟?以國易宗。呂不韋之盜,穿窬之雄乎!穿窬也者,吾見擔石矣,未見雒陽也。」 1. 2自六月不雨,至於八月。 2. 3發四郡兵助魏伐楚。 3. 十三年(丁卯、前二三四) 1桓齮伐趙,敗趙將扈棷於平陽,斬首十萬,殺扈棷。趙王以李牧爲大將軍,復戰於宜安、肥下,秦師敗績,桓齮奔還。趙封李牧爲武安君。 1. 十四年(戊辰、前二三三) 1桓齮伐趙,取宜安、平陽、武城。 1. 2韓王納地效璽,請爲籓臣,使韓非來聘。韓非者,韓之諸公子也,善刑名法術之學,見韓之削弱,數以書干韓王,王不能用。於是韓非疾治國不務求人任賢,反舉浮淫之蠹而加之功實之上,寬則寵名譽之人,急則用介冑之士,所養非所用,所用非所養。悲廉直不容於邪枉之臣,觀往者得失之變,作孤憤、五蠹、内、外儲、説林、説難五十六篇,十餘萬言。 王聞其賢,欲見之。非爲韓使於秦,因上書説王曰:「今秦地方數千里,師名百萬,號令賞罰,天下不如。臣昧死願望見大王,言所以破天下從之計。大王誠聽臣説,一舉而天下之從不破,趙不舉,韓不亡,荊、魏不臣,齊、燕不親,霸王之名不成,四鄰諸侯不朝,大王斬臣以徇國,以戒爲王謀不忠者也。」王悅之,未任用。李斯嫉之,曰:「韓非,韓之諸公子也。今欲並諸侯,非終爲韓不爲秦,此人情也。今王不用,又留而歸之,此自遺患也。不如以法誅之。」王以爲然,下吏治非。李斯使人遺非藥,令早自殺。韓非欲自陳,不得見。王后悔,使赦之,非已死矣。 揚子法言曰:或問:「韓非作説難之書而卒死乎説難,敢問何反也?」曰:「説難蓋其所以死乎!」曰:「何也?」「君子以禮動,以義止,合則進,否則退,確乎不憂其不合也。夫説人而憂其不合,則亦無所不至矣。」或曰:「非憂説之不合,非邪?」曰:「説不由道,憂也。由道而不合,非憂也。」 臣光曰:臣聞君子親其親以及人之親,愛其國以及人之國,是以功大名美而享有百福也。今非爲秦畫謀,而首欲覆其宗國,以售其言,罪固不容於死矣,烏足愍哉! 2. 十五年(己巳、前二三二) 1王大興師伐趙,一軍抵鄴,一軍抵太原,取狼孟、番吾;遇李牧而還。 1. 2初,燕太子丹嘗質於趙,與王善。王即位,丹爲質於秦,王不禮焉。丹怒,亡歸。 2. 十六年(庚午、前二三一) 1韓獻南陽地。九月,發卒受地於韓。 1. 2魏人獻地。 2. 3代地震,自樂徐以西,北至平陰;臺屋牆垣太半壞,地坼東西百三十歩。 3. 十七年(辛未、前二三〇) 1内史勝滅韓,虜韓王安,以其地置穎川郡。 1. 2華陽太后薨。 2. 3趙大饑。 3. 4衞元君薨,子角立。 4. 十八年(壬申、前二二九) 1王翦將上地兵下井陘,端和將河内兵共伐趙。趙李牧、司馬尚御之。秦人多與趙王嬖臣郭開金,使毀牧及尚,言其欲反。趙王使趙蔥及齊將顏聚代之。李牧不受命,趙人捕而殺之;廢司馬尚。 1. 十九年(癸酉、前二二八) 1王翦撃趙軍,大破之,殺趙蔥,顏聚亡,遂克邯鄲,虜趙王遷。王如邯鄲,故與母家有仇怨者皆殺之。還,從太原、上郡歸。 1. 2太后薨。 2. 3王翦屯中山以臨燕。趙公子嘉帥其宗族百人奔代,自立爲代王,趙之亡,大夫稍稍歸之,與燕合兵,軍上谷。 3. 4楚幽王薨,國人立其弟郝。三月,郝庶兄負芻殺之,自立。 4. 5魏景湣王薨,子假立。 5. 6燕太子丹怨王,欲報之,以問其傅鞠武。鞠武請西約三晉,南連齊、楚,北媾匈奴以圖秦。太子曰:「太傅之計,曠日彌久,令人心惛然,恐不能須也。」頃之,將軍樊於期得罪,亡之燕;太子受而舍之。鞠武諫曰:「夫以秦王之暴而積怒於燕,足爲寒心,又況聞樊將軍之所在乎!是謂委肉當餓虎之蹊也。願太子疾遣樊將軍入匈奴。」太子曰:「樊將軍窮困於天下,歸身於丹,是固丹命卒之時也,願更慮之!」鞠武曰:「夫行危以求安,造禍以爲福,計淺而怨深,乃連結一人之後交,不顧國家之大害,所謂資怨而助禍矣!」太子不聽。 太子聞衞人荊軻之賢,卑辭厚禮而請見之。謂軻曰:「今秦已虜韓王,又舉兵南伐楚,北臨趙。趙不能支秦,則禍必至於燕。燕小弱,數困於兵,何足以當秦!諸侯服秦,莫敢合從。丹之私計愚,以爲誠得天下之勇士使於秦,劫秦王,使悉反諸侯侵地,若曹沫之與齊桓公,則大善矣;則不可,因而刺殺之,彼大將擅兵於外而內有亂,則君臣相疑,以其間,諸侯得合從,其破秦必矣。唯荊卿留意焉!」荊軻許之。於是舍荊卿於上舍,太子日造門下,所以奉養荊軻,無所不至。及王翦滅趙,太子聞之懼,欲遣荊軻行。荊軻曰:「今行而無信,則秦未可親也。誠得樊將軍首與燕督亢之地圖,奉獻秦王,秦王必説見臣,臣乃有以報。」太子曰:「樊將軍窮困來歸丹,丹不忍也!」荊軻乃私見樊於期曰:「秦之遇將軍,可謂深矣,父母宗族皆爲戮沒!今聞購將軍首,金千斤,邑萬家,將奈何?」於期太息流涕曰:「計將安出?」荊卿曰:「願得將軍之首以獻秦王,秦王必喜而見臣,臣左手把其袖,右手揕其胸,則將軍之仇報而燕見陵之愧除矣!」樊於期曰:「此臣之日夜切齒腐心也!」遂自刎。太子聞之,奔往伏哭,然已無奈何,遂以函盛其首。太子豫求天下之利匕首,使工以藥焠之,以試人,血濡縷,人無不立死者。乃裝爲遣荊軻,以燕勇士秦舞陽爲之副,使入秦。 6.
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さ行崔琰(字:季珪)(サイエン/キケイ) 蔡琰(字:文姫)(サイエン/ブンキ) 蔡氏(サイシ) 蔡瑁(字:徳珪)(サイボウ/トクケイ) 左奕(サエキ) 笮融(サクユウ) 左慈(字:元放)(サジ/ゲンホウ) 士徽(シキ) 士匡(シキョウ) 士祗(シシ) 士燮(字:威彦)(シショウ/イゲン) 司馬懿(字:仲達)(シバイ/チュウタツ) 司馬徽(字:徳操)(シバキ/トクソウ) 司馬伷(字:子将)(シバチュウ/シショウ) 車冑(シャチュウ) 沙摩柯(シャマカ) 周昕(字:大明)(シュウキン/ダイメイ) 周昴(シュウコウ) 周旨(シュウシ) 周浚(字:開林)(シュウシュン/カイリン) 周倉(シュウソウ) 周泰(字:幼平)(シュウタイ/ヨウヘイ) 周瑜(字:公瑾)(シュウユ/コウキン) 祝融(シュクユウ) 朱儁(字:公偉)(シュシュン/コウイ) 朱然(字:義封)(シュゼン/ギホウ) 朱霊(字:文博)(シュレイ/ブンハク) 荀彧(字:文若)(ジュンイク/ブンジャク) 淳于瓊(字:仲簡)(ジュンウケイ/チュウカン) 荀諶(字:友若)(ジュンシン/ユウジャク) 荀攸(字:公達)(ジュンユウ/コウタツ) さ行 崔琰(字:季珪)(サイエン/キケイ) 出演作品:iM@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:iM@s白馬将軍袁紹の最後の軍師。小沛防衛に関して最善の策を提出したが、傍若無人な性格に豹変した袁紹に受け入れられず。 作品名:おれ達、黄巾賊!袁紹の文官だが第一次南皮攻略戦後、黄巾党に降る。派閥争いに疲れていたらしい。 楼玄とのツーショットで、視聴者に言い知れぬ不安感を与えた。 後に南皮のライブ施設を程秉とともに一晩で作っている。 字の季珪で呼ばれるため判り難いが、何気に張角、張宝の口から多く出る名前No.1であり、内政の要になっている。 蔡琰(字:文姫)(サイエン/ブンキ) 出演作品:美妓皇帝、三國夢想 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。薊のアイドル。天然才女蔡琰のタグがつくほどの天然っぷりを誇る。CVは能登麻美子を推す声が多い。 アイドル活動を通じて何か得られるものがあればと思っていた。後に伊織軍に敗れ、その下に移籍する。 自分で作詞もする。「ふたりのもじぴったん」などのかわいい詩も書く。 百合に関しての抵抗は少なく、趙弘に千早とのカップリングを想像されて赤くなったり、伊織にキスをしたことがある。 作品名:三國夢想司馬懿軍の将。台詞のフォントが丸っこくて可愛い。春香にはぶんきちゃんと呼ばれている。 常に眠そう。美希の「あふぅ」と違い、常時ふわふわしていて木陰でいつの間にか寝てしまう感じ。 司馬懿軍崩壊後離れ離れになっていたが、春香が探し出して馬超軍に加える。曹植からアイドルたちへの作詞の相談を受けている。 意外にも司馬懿のセクハラに鉄拳制裁を返す逞しさを持つ。 蔡氏(サイシ) 出演作品:美妓皇帝 作品名:美妓皇帝あずさ編に登場。襄陽・江陵に地盤を持つアイドル。活動は弟の蔡瑁が取り仕切っている。 蔡瑁(字:徳珪)(サイボウ/トクケイ) 出演作品:閣下で三国統一、曹操P業、その時貧乳が動いた、美妓皇帝、天海無用!、後漢流離譚、三国×M@ster 作品名:閣下で三国統一劉表軍の獅子身中の虫。曹操と内通している。 江陵戦で援軍を装い天海軍を騙まし討ち、春香を負傷させる。囲んで矢を射掛け、嬲り殺しにしようとしたが、真、張苞、関興に蹴散らされて逃げるなど、登場回からかなりの小物臭をさせていた。 作品名:曹操P業劉表軍の水軍都督だが、かっこいい肩書きが欲しかっただけで、船の動かし方などまるで知らない。 都督の仕事は周瑜に丸投げ。ボトルシップさえ作っていられれば幸せ。 作品名:その時貧乳が動いた貧乳軍に負け、斬首寸前に美希の誕生日を祝う言葉を口走ってしまったため、美希への誕生日プレゼントとして巨乳軍に贈られた。 肝心の美希の反応は「いらない」だった。 作品名:美妓皇帝あずさ編に登場。襄陽・江陵のアイドル、蔡氏の弟でプロモーター。荊州の堅守という選択しかできず、呂蒙らを失望させる。 作品名:天海無用!劉表軍の将軍。上庸に流言に来たこところを発見され、亜美真美に捕縛された。 一族の女性陣の我が侭ぶりに頭を痛めており、劉表の目を覚まさせるべく、アイドル達につくことを決意する。 他の戦記とは違い、身内に振り回される苦労人として描かれている。 作品名:後漢流離譚郭嘉らの計にも煽られ、劉表を死に追いやった。念願の荊州刺史となるため、赤壁の戦いでは水軍を率いて周瑜と激突する。 作品名:三国×M@ster劉表軍のメカ「蔡ボーグ」。動くたびに駆動音がする。 襄陽の戦いで壊滅し川に落ち、錆びてしまったが、律子によって分解整備され以前より動きがスムーズになり、Ver.Rにバージョンが上がった。律子をマスターと認識し、春香軍入りする。 左奕(サエキ) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦劉禅軍の武将。孟達や雷銅が天海軍に寝返るのを止めるかに見えたが、実は自分も投降する気満々だった。 やよいに勧告され、ロリコンであることをカミングアウトする。 笮融(サクユウ) 出演作品:iM@S演義 ゆきぽ伝、iM@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:iM@S演義 ゆきぽ伝第七回、八回に登場。別名、南の呂布。武勇伝は残っておらず、南の呂布の名前はトラブルメーカーの枕詞的に使われたのかもしれない。 秣陵に籠城していた。呂蒙が孫策側に「呂布が籠城している」と伝えたせいで大いなる勘違いを生むことに。 韓当・凌操・呂蒙が討伐に向かったが、呉の三馬鹿にいいようにいじられた末よりにもよって知力3の呂蒙に一撃で葬り去られた可哀想な人。 呂蒙(知力3)のついた嘘にあっさり騙された。阿蒙以上のとんでもない馬鹿なのかも。 作品名:iM@s白馬将軍曹操配下の将。千早の混乱策は回避できたが、公孫瓚と真美の連続攻撃には持ちこたえられなかった。 作品名:おれ達、黄巾賊!妖怪王軍。周浚と共に黄巾党の治める平原に侵攻したが、遼西・遼東の両公孫一族に撃退される。 賊根性なる戦勘を持っており、危機感知能力は高いのだが、一歩遅く公孫瓚に一騎討ちを仕掛けられて敗れる。 何故かフィギュア職人であり、周浚の求めに応じてノワールのオーダーメイドフィギュア(新妻ver.)などを作成していた。 左慈(字:元放)(サジ/ゲンホウ) 出演作品:iM@S演義、765プロ三国時代、後漢流離譚、三国×M@ster 作品名:iM@S演義曹操最大の天敵。徐州大虐殺影の主犯。 五十三回まで裏でアイドルの邪魔をしていたが、春香を保護してからはアイドルに協力する。 今やオジャマ虫キャラが一転、元の時代へ帰る鍵を握るキーマンであり、最大の協力者である。 召喚コマンド:「のヮの」。 作品名:765プロ三国時代千早に必殺の「アイドルボイス」「ゴッドアイドルボイス」を授けた張本人。 そのせいで喉を痛め臆病になった千早にハッパをかけて奮起させた。 作品名:後漢流離譚アイドルをタイムスリップさせた元凶。元学友による「武神復活」阻止のため動いている。……が、得意の妖術が使えないためただのおじいちゃんと化している。 作品名:三国×M@ster放浪の薬売り、ドラッグ左慈ヤマ。大陸を放浪している。助けを呼べば現れるらしい。 雪歩によって頭に大穴を空けられた呂布を蘇生させたり、ヤンデレ化した雪歩を眠らせたりと優秀だが、その呂布に色々と薬を食い荒らされてしまう。 春閣下軍の勢力圏では、人々が毎日決まった行動しか取らないという異常性を真に伝えた。 士徽(シキ) 出演作品:三国動乱 作品名:三国動乱士燮の三男。兄の士祗が捕縛されたと聞いて救援に駆けつけようとするなど、一族思いで熱血漢。 父の士燮に推挙され、春香に仕える。春香によって、降将ながら南海の守備役に任命された。 士匡(シキョウ) 出演作品:三国動乱 作品名:三国動乱士燮の甥。天海軍が城壁内に突入した際、臆病風に吹かれて軍主の士燮をさしおいて城内に籠ってしまった。 父の士壱と共に南蛮方面に逃亡したらしい。その後の消息は不明。 士祗(シシ) 出演作品:三国動乱 作品名:三国動乱士燮の次男で跡継ぎ。交趾の戦いでは美希の部隊に壊滅させられ生け捕られる。 予告編ではワンカットのみ春香の登用を断る場面が描かれているのだが、本編ではカットされてしまった。哀れ。 士燮(字:威彦)(シショウ/イゲン) 出演作品:三国動乱 作品名:三国動乱交趾太守。交州平定を目指す天海軍の最初の相手。 シーティェップ、シーニエップとしてベトナムで今も偉人として讃えられている人物らしく、民の生活を第一に考えていた。 春香に大徳を感じ、戦後交趾を明け渡す。士徽を春香に仕えさせ、士祗とともに野で隠遁生活に入った。 司馬懿(字:仲達)(シバイ/チュウタツ) 出演作品:im@s演義、中華無双iM@S、美妓皇帝、北方IM@S伝、ういぽセブン マキシマムiM@S、中華争奪戦、おれ達、黄巾賊!、三國夢想、春望之歌、三国×M@ster 作品名:im@s演義伊織の雑用係(下級官吏)として登場。本編登場時21歳で、凸の使い魔(知力98)。 作品名:中華無双iM@Sどうしようもないエロゲヲタ。 日々エロゲー談義に花を咲かせている。 作品名:美妓皇帝やよい編に登場。洛陽のアイドル・張春華の夫にして名プロモーター『狼顧』。 長安での王允主催の『百合(ひゃくごう)の宴』で、賢しらな小娘(佐野美心)によるやよいたちへの挑発行為を止めさせた。恐妻家ではある模様。 作品名:北方IM@S伝筋金入りのドM(北方三国志より)。 雪歩に罵られたことで間違った方向へ覚醒し、その力は典韋をもたじろかせた(色々な意味で)。 作品名:ういぽセブン マキシマムiM@S妻に木刀で殴られつづけて閣下に仕官。妻の方が能力値が高い。 作品名:中華争奪戦曹操軍。長安防衛要塞の作者。長安の防衛には自信がある。 性眼と小鳥率いる漢中の別働隊が現れた際は、慌て過ぎるぐらい動揺した。少し落ち着け。 作品名:おれ達、黄巾賊!曹操軍の将。妻の「春華たん」とイチャイチャウフフ(SM)したいがために速攻で妖怪王軍を叩き潰す。 張春華と曹丕にはドMだが、それ以外の人物にはドSという、ある意味タチの悪い人物。 作品名:三國夢想春香の育ての親的存在で、「師父」と呼ばれている。春香を溺愛するスケベ爺。ボケる時は顔が老ける。首が一回転以上回る。 洛陽を取り戻したい献帝の勅で馬騰軍(後に馬超軍)と戦になり敗れる。 その後は馬超軍に入り武威にて馬騰と共に静養(ここで馬騰の碁の師匠になる)。後に復職し宮廷警備でそのSっぷりを発揮している。 静養中に暇つぶしに蜀領内に工作を仕掛けたりと、馬家で自由気ままにやっているようだ。 作品名:春望之歌ある事件の黒幕として、歴史の影で暗躍している。 作品名:三国×M@ster董卓軍の将軍。董卓ちゃんの大ファン。台詞は無双版。暴言を吐いた袁術を罵った。語尾はすべて「め!!」。 女の子になった呂布に反応したため、単にロリコンであることが発覚した。 司馬徽(字:徳操)(シバキ/トクソウ) 出演作品:iM@S演義、おれ達、黄巾賊!、三国×M@ster、三国動乱 作品名:iM@S演義潁川で、三国時代に来てしまった律子とやよいを保護した人。別名、水鏡先生。 その後、襄陽に向かい律子達と一時別れたが、洛陽で誰にも出会うことができなかった律子達が後を追う形で再会。後に伊籍の情報でやってきた伊織と美希も合流。 しかし、十一回で4人が姿を消してから、登場は途絶える。再登場は八十回。伊織とやよいが土地の事情に詳しいだろうと訪ねたが、満足な情報を得ることはできなかった。 その代わりに道術に通じた人物として、諸葛亮を紹介する。 作品名:おれ達、黄巾賊!水鏡先生。薊で私塾を開いていたが、軍内で学校を開設するという提案が認められ、責任者となる。 あずさにちょっかいをかけようとしたり、女教師あずさに萌えたりしたため、視聴者にまだ見ぬ諸葛亮と龐統を不安視させた。 実は編成画面を良く見ると、結構前から黄巾党にいたことがわかる。 作品名:三国×M@ster武陵で旗揚げする春香たちのために、必要な学問を教えていた。 何故自宅に封神鏡があったのかは謎。 作品名:三国動乱30年も自宅警備員を続けているガチニート。だが家は無い。 折角美希に助言したのにも関わらず、愛馬ディープインパクトを乗り逃げされ、やっと再会しても馬がNTRており、身投げしようとしてごろつきに諭されるなど、不遇。 その後よろず屋に転職して、春香たち三姉妹の非合法グッズを売りさばいていた。 司馬伷(字:子将)(シバチュウ/シショウ) 出演作品:美妓皇帝 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。唐咨が水軍提督として推挙した一人だが、伊織陣営の中に誰一人として知られていなかった。唐彬、王威とひとまとめで「三人」で表示される。 車冑(シャチュウ) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍袁紹軍武官。やよいゾーンには反応しなかったが、千早発案のあずさのジャンピングどたぷ~んによって公孫瓚軍入り。 沙摩柯(シャマカ) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦韓玄軍の将。馬超に一騎討ちを挑まれ動揺するが、馬超は沙摩柯を憶えていなかった。哀れ。 助太刀に来た千早を追い込むが、毛利てるに負傷させられる。 周昕(字:大明)(シュウキン/ダイメイ) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍曹操軍の将軍。会稽の戦いでは東回りで曹操軍の背後を突こうとする周倉を待ち伏せるが、最終的には水軍勢に敗れた。 建安の最後の戦いでは、わかってはいても通らざるを得ない所に伏兵を仕掛け、千早隊に大打撃を与える。 周昴(シュウコウ) 出演作品:美妓皇帝 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。辛憲英軍のスタッフ。逆転の望みをかけて伊織軍の高唐港を逆占拠するが、亜美の木獣に焼かれる。 周旨(シュウシ) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦曹操軍。天水の城の守備隊。天海軍の女の子たちによってたかってフルボッコにされるも、何故か喜ぶ。 その後の武威攻略の第一陣隊長だったが、典韋に置いていかれて壊滅。もうどうにでもなーれー。 周浚(字:開林)(シュウシュン/カイリン) 出演作品:おれ達、黄巾賊! 作品名:おれ達、黄巾賊!妖怪王軍。笮融と共に黄巾党の治める平原に侵攻したが、遼西・遼東の両公孫一族に撃退される。 やたらとふふふと笑う胡散臭い人物。ノワール派であり、自室には笮融に作らせたノワールのフィギュアが大量にあったが発見され、政宗には厳重注意を受けた後、ノワールに糸で簀巻きにされた。 後に人妻属性であることが発覚。処女厨の沮鵠とは不倶戴天の敵に。 なお周浚は晋書に個人伝がある人物だが、何故かWikipediaに記述はない。 周倉(シュウソウ) 出演作品:閣下で三国統一、iM@S演義、iM@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊!、三國夢想 作品名:閣下で三国統一劉備軍の将。劉備軍が曹操に滅ぼされた後、他の将兵やあずさとともに、呂布と趙雲に保護されつつなんとか江州にたどり着いて天海軍に保護された。 作品名:iM@S演義真担当P。真を気に入って武術を仕込んだ兄貴分。 劉協との出会いでその正体をそれとなく察し、官軍に参加。以後は官軍の一員として賊上がり軍団と共に各地を転戦した。 作品名:iM@s白馬将軍劉備軍、孔融軍、曹操軍と渡り歩くが、白馬の戦いの前にやよいが曹操軍から引き抜く。 以降は公孫瓚軍の貴重な水軍持ちとして重宝されることに。水軍クオリティを自認している。 作品名:おれ達、黄巾賊!黄巾党の同志。張梁と二人してあずさと手合わせして負け、あずさの世界の舞妓の訓練とはそれほど過酷なものかと思い悩んだ。 凡将ながらきっちりと自分の仕事をこなし、決して慢心することが無い。 作品名:三國夢想劉備軍。警戒網を突破して単なる輸送任務中だったやよいを危機に陥れるが、やよいの常識を超えた操船に驚いた隙に甘寧に追いつかれ、投石で船を沈められた。 周泰(字:幼平)(シュウタイ/ヨウヘイ) 出演作品:曹操P業、美妓皇帝、iM@S演義 ゆきぽ伝、ういぽセブン マキシマムiM@S、三国×M@ster、iM@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊!、三國夢想 作品名:曹操P業ガチヤ○ザ。正確に言うと渡世人。義理堅く、君主を「親分」と呼ぶ。作中の武将ではまともな部類の人。 作品名:美妓皇帝あずさ軍スタッフ。黄蓋の命であずさ親衛隊第1号として活躍するが、後に本当にあずさファンになる。 生真面目な性格で要人の護衛に定評があるが、何故かあずさの方向音痴からの失踪コンボは阻止できない。 作品名:iM@S演義 ゆきぽ伝孫呉の武将。ちょっと堅い(ゆきぽ伝的な意味で)。 雪歩孫策入れ替わりに関してはねーよ派代表の一人として会議に参加。「失礼ですが、ねーよ!と言わざるを得ませんな」 孫静曰く「若いくせに頭の固い奴だな。もっと柔軟に物事を捕えろ」。 二十一回で雪歩が出立するシーンには、なぜか姿を見せなかった。 ういぽセブン マキシマムiM@S本編では調教師でシンボリルドルフやホッカイペガサスを管理している。 番外編ではやよいの護衛役。 作品名:三国×M@ster袁術軍の将軍。女の子になった呂布を気遣い、部隊を後退させるジェントルメン。 作品名:iM@s白馬将軍何故か曹操軍にいた。 「めいばをくだされば、ちゅうせいをちかいましょう(by.FC天地)」。見事ゲットで公孫瓚軍に。以降、水軍衆として各地を転戦し活躍している。 作品名:おれ達、黄巾賊!孫堅の臣で孫権の側役。同じく蓮華の側役の思春とともに、素面なら二人とも名君なのにと嘆く。 親族に明命がいるかどうかはまだ明らかになっていない。 作品名:三國夢想孫家のボディガード。ゴリラ。 周瑜(字:公瑾)(シュウユ/コウキン) ⇒個人編-周瑜伝を参照 祝融(シュクユウ) 架空戦記界においては“鬼神真・名勝負数え歌”の始まりとなった伝説の一騎討ちの相手として有名。 出演作品:閣下で三国統一、美妓皇帝、iM@S演義、おれ達、黄巾賊!、中華争奪戦、三國夢想 俗称:姐さん 作品名:閣下で三国統一雲南攻略戦で敗れ、天海軍へ。閣下や雪歩は娘のごとく、真は戦友として大事に思っている。孟獲からの呼び名は「母ちゃん」。 真との一騎討ちで敗れたことから真の鬼神伝説が始まったり、病床の閣下のために作った南蛮汁が閣下の過去エピソードにつながったりと、意外とキーパーソンになっている。 作品名:美妓皇帝やよい編に登場。雲南のアイドルだが、あまりに服装が奇抜すぎたため王允が催したアイドル大会で門前払いにされた。 佐野美心の策に乗り、やよい軍を背後から攻めている。 作品名:iM@S演義第百十九回、南蛮亭総料理長としてゲスト出演。 張遼を亭主関白野郎とみなして挑みかかり、撃破する。南蛮亭はカカア天下らしい。 作品名:おれ達、黄巾賊!春閣下軍の《怒り狂うゴブリン/Raging Goblin(EXO)》を始めとするゴブリン軍団に攻められ、限が無いとこぼす。 作品名:中華争奪戦孟獲の妻。毛利元就のことを気風の良いイイ男と見なして、夫より買っている。 なんだかんだ言って、孟獲とラブラブである。 作品名:三國夢想亜美真美の育ての親。娘の花鬘と同じように愛情を注いでいる。 朱儁(字:公偉)(シュシュン/コウイ) 出演作品:曹操P業、美妓皇帝、おれ達、黄巾賊! 作品名:曹操P業董卓軍の西涼方面軍の一員。董卓死亡後、独立している。 曹操軍の猛攻に、もはや頼れるのは呂布しかいないと頼み込むが、衆寡敵せず敗北。 作品名:美妓皇帝やよい編に登場。貂蝉軍。貂蝉の熱狂的な信奉者。 作品名:おれ達、黄巾賊!老将。ハルヒ軍に組み込まれていたが、その胸には漢王朝再興への激しい妄執が渦巻いていた。 朝倉涼子とともに春閣下軍と内通し大戦化。長門有希を罠に嵌め、洗脳した呂布たちを手駒にして黄巾党を苦しめる。 公孫瓚や張角の弾劾にも耳を貸さず、民は死んでも戦場に戻れると言い放つ外道。自分の命すら漢室再興への生贄として捧げ、周囲の将も、そして春閣下すらも漢室のために利用する対象としてしか見ていない狂気の忠臣。 朱然(字:義封)(シュゼン/ギホウ) 出演作品:iM@S演義 ゆきぽ伝、中華争奪戦、iM@s白馬将軍 作品名:iM@S演義 ゆきぽ伝蒋欽がチョビーという愛称をつけ、以後その愛称でいじられるいじられ担当。 ビビリすぎで韓当に減俸されたり、投石機の餌食になることを指摘したばっかりに自分が前線に出る羽目になったり。 第二十一回では雪歩の見送りに駆けつけるものの、ついに雪歩にまで「チョビーさん」と呼ばれてしまった。 作品名:中華争奪戦呉景と丁封が飲んで吐血した小早川ちぬのお茶を舐めて、孔明の罠と看破。いえ、単にちぬ(と雪歩)の趣味です。 と思ったら本当にリアル孔明がちぬ隊にいた。 作品名:iM@s白馬将軍陳珪軍の武将。この所戦で活躍できず落ち込んでいたやよいのため、千早が撹乱しやよいの一騎討ちに繋げる。やよいにはわずか五合で討ち取られた。 公孫瓚軍の面々に、やたらと「あの朱然」扱いされている。 朱霊(字:文博)(シュレイ/ブンハク) 出演作品:おれ達、黄巾賊!、iM@s白馬将軍 作品名:おれ達、黄巾賊!袁紹の武官だったが黄巾党に帰参している。韓馥領侵攻に参加。 こうきん懺悔室で良くわからないまま水をかけられている。マイナーって言うな。 作品名:iM@s白馬将軍董卓軍の将。徐盛の救援に現れたあずさについでに撃退されている。 あずさの、霍峻への甘い治療を見て公孫瓚軍に寝返り、伊織に男ってアレだと呆れられた。 荀彧(字:文若)(ジュンイク/ブンジャク) 出演作品:閣下で三国統一。曹操P業、美妓皇帝、iM@S演義、765プロ三国時代、中華争奪戦、中学生太守はじめました、ういぽセブン マキシマムiM@S、おれ達、黄巾賊!、北方IM@S伝、後漢流離譚、三國夢想 作品名:閣下で三国統一曹操の知恵袋。青洲兵と突騎兵の増強をし全軍に配備するなどその手腕を発揮。 作品名:曹操P業温厚で冷静な文官。魏の良心のひとり。 17歳に諫言しても無駄と悟ったのか、あるいは曹操の作ろうとする天下に共感したのかは不明だが、史実と違い曹操が帝位に就くことには反対しなかったため、無事に最後まで務めを果たした。 孟徳Pによると「諦めることを憶えた」らしい。そのせいか時々ハジケる。 作品名:美妓皇帝伊織によってオ○Qと交代させられそうになった陳宮に、スタッフとして無理矢理連れて来られた。 伊織に空箱を渡されるが、実態は弁当係だった。郭嘉のことは二回言うほど嫌っている。 襄平攻略戦を私欲のために利用しようとした郭嘉の策を読み切り阻止、郭嘉の決め台詞を引用し彼を逮捕した。 作品名:iM@S演義楊奉と追ってきた美希を捕らえ、返還要求にやってきた律子達に舌戦で敗れるも美希はいないと嘘をつく。 しかし、マイペースな美希がその場にひょっこり現れ、当の美希本人に嘘を暴かれてしまった。 作品名:765プロ三国時代曹操軍ではまともな人。 アイドル趣味には傾倒していない。そのため曹操にハッテン場送りにされそうになったことも。 曹操の釘宮病治療のため秦に潜入した際にやよいに勉強を教えた。視聴者にはマイフェアレディ計画と称される。 その縁で、アイドル軍に捕まった際はやよいの説得で一行に加わる。 作品名:中華争奪戦曹操へのわだかまりは無いようだが、ろくに紹介もせずに独眼流政宗と引き合わせようとするなど、やや仕返しっぽい。 作品名:中学生太守はじめました美希のおっぱいに釣られて仕官を決めた王佐の才。それなんて郭嘉? 黄蓋に匹敵するガン見野郎。残念ながら名無しの文官よりも能力と信用と威厳がない。美希派。 作品名:ういぽセブン マキシマムiM@S解説編の主役で解説を担当するが、稀に小鳥やメフィ○ラスが代行。 しかし本編、番外編、ギアス編には未登場。 ニートだったが765プロのアイドルになろうと面接に行く。しかし結局雑用をやらされているらしい。 作品名:おれ達、黄巾賊!曹操の軍師。娘に桂花がいる。曹操と田豊の会見に立会い、意見を述べた。親馬鹿な曹操のことは微笑ましく思っている模様。 南から春閣下軍、西から八神はやて軍、東から妖怪王軍、そして今また北から黄巾党の四面楚歌に追いやられた曹操のために、郭嘉との両輪でフル回転、自ら戦場にも出向く決死の活躍をしている。 丁寧口調で物腰穏やかな紳士だが、戦場で伊織と接触した雪歩を出撃禁止にするなど軍事面では徹底している。 作品名:後漢流離譚伊織と曹沖の師となる。二人の才能を高く評価している様子。 曹操の魏公就任、求賢令発令に反発する。ただし、曹操自身の漢への忠義を疑うことはない。 作品名:三國夢想謎の人材派遣会社社長に付き従い、劉備陣営へ流れてきた。 諸葛亮を伏龍先生と呼び、二人で様々な真っ黒い計略を巡らす。諸葛亮には王佐殿と呼ばれている。 察しが良すぎる。また彼の書いた書物は一読しただけでスラスラと頭に入ってくるほど精巧なものらしい。 淳于瓊(字:仲簡)(ジュンウケイ/チュウカン) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍袁紹の武官。小沛防衛の最前線を任されたが、伊織に向かってまぶしいと言ってしまったため怒りを買い倒される。 過去に千早が流した「小沛でもやし祭り開催中」のデマにひっかかって退却したことがある。 後に董卓軍に流れた。合肥の戦いで何故か参軍を務めるが夏侯惇に打ち破られる。 あずさの、霍峻への甘い治療を見て公孫瓚軍に寝返り、伊織に男ってアレだと呆れられた。 荀諶(字:友若)(ジュンシン/ユウジャク) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍袁紹の文官。許昌中央部砦の守備をしていたが、千早、美希、あずさに蜂の巣にされた。戦後、寝こける美希を優しく起こすあずさの母性にずぎゅゅゅんときて公孫瓚軍に投降。 荀攸(字:公達)(ジュンユウ/コウタツ) 出演作品:曹操P業、iM@S演義、中学生太守はじめました、三國夢想、三国×M@ster 作品名:曹操P業董卓の元で不遇を囲っていたが、不忠になると考え曹操からの勧誘には応じないでいた。しかし、それは小人の考えと曹操に論破され、曹操軍へと参加。 作品名:iM@S演義冷静な判断力で物事を進める、朝廷の文官。律子の先生役ポジションで、能力は律子よりも上手。 史実通り董卓暗殺計画を企て、劉協らを逃がすが失敗し投獄される。しかしその後董卓が暗殺されたため、史実通りに生還。その後は再び劉協の元に参じている。 作品名:中学生太守はじめました荀彧の甥。肉屋(何進)に就職が決まり、無職の荀彧を焦らせた。 作品名:三國夢想曹操軍壊滅後、官軍となった馬超軍の真意を探るため、あえて司馬懿軍に身を置いていた。戦後、王允の元へ。 馬超軍では副軍師格だが、実態は王允の部下であり、馬家の中の漢王朝への忠節を無くさないために働いている。 賈詡不在時に馬超の参軍を務めるが、人の話を聞かない馬超に心が折れそうになった。 しかし、徐々に馬超の器を推し量れるようになり、手綱を握れるようになった。河北の戦いでは重要な役割を果たす。 作品名:三国×M@ster董卓軍の将軍。宛で袁術の救援に現れ、呂布を催眠術で眠らせた。 名前 コメント
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基本設定 上級 討死無し 能力変動、落雷無効 他史実設定 いにしえ、追加武将有り 縛りルール 漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可 董卓、李儒の処断 使用できるのは騎兵のみ 第1章 先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。 流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様 楊氏を加入させときます。 能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定 最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。 残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。 三度のゲームオーバーを挟んで。 劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる 石蹈、杜氏、贏政が見つかる 贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得 早速石蹈を軍師に任命。 4月21日都遷都イベントが発生 洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると 司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。 また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。 司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。 司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功 季節はもう8月になってる。 前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった しかし、遂に董卓軍が動き出す。 天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。 何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心 と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で 南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。 まあ、いつまでも撹乱できないので 早く東に回った董卓軍を倒さねば。 191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。 南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。 192年1月 南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人 これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。 4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。 かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので 武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。 残念ながら遺跡でした。 193年1月馬鉄成人 あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。 董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め 東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中 劉焉軍はかなり厳しい模様。 曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻 また、許昌の軍で宛に侵攻している。 7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。 馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」 馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」 ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」 馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」 第二章天水攻防戦 馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000 周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000 馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000 閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃 ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。 天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。 戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始 馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。 胡車児を捕らえたので処断。処断第1号 続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。 一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ 天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始 賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。 何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。 安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、 登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。 この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が 2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。 194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか 天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。 翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。 急いで防衛設備を作り始め 翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始 また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。 成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断 賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた 部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。 ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。 う~ん下手だなぁ。 安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。 10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける 12月指導持ちの廬植死亡。 馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」 195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。 東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。 長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。 南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。 1月 天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。 残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。 天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。 董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。 技巧研究騎射獲得。 これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。 2月頃 董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。 今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。 先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、 白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。 3月 長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス 漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ 第3章董卓討伐 馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」 ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」 王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」 馬騰「では、安定攻略を開始する。」 馬超「お待ちください父上! 天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます 霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」 劉曄「若君、ご安心ください。 長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので 武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」 馬超「なるほど!流石は劉曄だ」 馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」 馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000 馬超(騎神)+劉曄(射程)7000 周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000 楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000 司馬朗(築城)5000 計43000で出撃 項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。 劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。 司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。 敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。 長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて 天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。 天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。 5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。 7月安定を攻略 樊調、楊松、侯選、項籍を処断 馬騰「‥‥しまった!」 馬超「どうしました父上?」 馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」 馬超「‥‥‥‥‥」 10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか 長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。 12月 馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」 馬超「!?宜しいのですか父上?」 馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」 賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」 馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。 漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」 馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」 賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」 ‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。 いやぁ悩みましたよ。 許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。 そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認 案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ 薊、北平に風前の灯でいました。 ‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。 編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。 しかし、プレイ日記で編集機能使用は 例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか? どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。 ゲームを続けます。 196年 曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので 11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。 董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。 漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。 我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。 知恵の部分でも大分強化された。 おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て 今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。 孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様 1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立 2月11日天水からの漢中攻略作戦開始 馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000 霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000 ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000 賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000 計45000で出撃 4月 難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。 陽平関を落とし漢中に迫る。 華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。 中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。 5月劉焉死亡。劉璋継承 許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。 6月漢中攻略成功。董卓滅亡 董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断 鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。 蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥ 斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。 次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。 第4章劉璋との戦い 馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」 白起「は?漢室など古くさい」 馬騰「追放」 ‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。 11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。 全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。 漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。 197年 馬雲録、馬岱が成人 袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ 江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。 曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。 馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月 賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」 馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」 馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000 霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000 張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000 楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000 高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000 計58000対する梓潼は張任合わせて65000 中々厳しい戦いになりそうだ。 7月21日梓潼攻略 予想外に楽な戦いだった都市の兵士数は多かったがそれを指揮する武将が四人しかいない すぐに梓潼を囲んで太鼓台を2個造り一斉攻撃して兵士数を削ってから迎撃部隊を撃破 王甫、高沛を捕虜にした。 急ぎ漢中に治安維持担当の二人を残し残り全員を梓潼内政のため移動させる 10月内政の目処がたったため成都攻略作戦開始 馬超(騎神)+馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+馬雲録(騎将)8000 張遼(威風)+張繍(騎将)+朱桓(槍将)8000 霍去病(騎神)+華雄(猛者)+劉曄(射程)8000 高順(攻城)+馬休(長駆)+董承(築城)7000 計39000対する成都は2つの関を合わせても20000に 届かない。年内攻略できるか? 198年後一撃で成都陥落というところで年明けを迎える。 曹操軍は城陽、北海、盧江を落とし今は、僕陽に部隊を派遣している。 袁紹軍は南皮を奪還しその勢いのまま平原を攻略しようとしたようだが 残念ながら返り討ちにされていた。しかし、北平には70000、南皮には40000の軍が在中し すぐにでも劉備軍を攻める準備は出来ているようだ。 荊州江陵は今は、劉璋軍の支配下しかし、すぐ北の城陽には曹操軍70000が在中。 すぐにでも主交代となりそうだ。 1月成都攻略初の大都市ゲット。 また、楊昂を処断。梓潼には登用に成功した高沛を残して成都へ。 内政を始める。 内政をしている間に捕虜の韓信、張任、楊壊、王甫、また、武官推挙で謝旌を得る。 この頃曹操軍は江陵を支配下し永安にも手を伸ばす。 7月11日曹操軍に永安を獲られないよう 江州攻略作戦開始する。 馬騰(連戦)+賈ク(反計)+董承(築城)12000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000 霍去病(騎神)+韓信(強行)+馬雲録(騎将)9000 張遼(威風)+馬休(長駆)+石蹈(規律)9000 楽毅(心攻)+馬岱(沈着)+華雄(猛者)8000 計56000で出撃。 8月11日二強開戦イベント発生。 まあ、二強開戦と言っても力の差は歴然となってしまっているのだが‥‥ この後袁紹軍は果敢にも北海へ軍を出撃させる。‥‥‥やめとけばいいのに‥‥ 21日江州からの迎撃部隊を全滅させ厳顔を捕らえ、捕虜にする そういえば劉璋軍は初期配下に弓将が二人も居るんですよね。 そして補佐持ちの弩Sの呉懿と 技巧研究は弓を育てろと言わんばかりな布陣に見えるのは私だけでしょうか? 9月21日江州攻略。 雷同を捕虜にする 永安の戦局を窺いながら内政開始。 今回は長安のようなことはせず確実に永安は漁夫の利作戦決行させていただきます。 199年プレイは10年目 曹操軍は北海防衛戦。永安、ギョウ攻略戦と3ヶ所の戦線を抱える 北海の袁紹軍との北海防衛戦では徐晃、関羽の部隊がいる。 場所は違うが白馬の戦いのようでちょっと感動。 袁紹軍は北海に大部隊を派遣するが北海の臨済港の前をがっちり固められ上陸できない。 劉璋軍は永安防衛戦大善戦曹操軍を何部隊も追い返し永安への渡りを渡らせない。 しかし、孫堅軍も永安攻めを始め辛い局面を迎えはじめる。 韓腹軍を継承した王匡軍はギョウ防衛戦見事に曹操軍を追い返すが 陳留よりまた曹操軍がギョウへと進軍を始めている。 2月11日永安攻略作戦開始 馬騰(連戦)+賈ク(反計)+馬鉄(親羌)12000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000 張遼(威風)+司馬朗(築城)+馬雲リョク(騎将)9000 霍去病(騎神)+華雄(猛者)+韓信(強行)9000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)8000 計56000で出撃して一気に攻め落とす作戦 永安へは劉璋軍の武将、兵は全て東から来る孫堅、曹操軍の防衛戦で 馬騰軍に迎撃に向かってくる部隊はなくすぐに永安を包囲劉璋の部隊が全滅するのを待つ 4月11日永安攻略 蔡氏、孟達は処断。呉懿、呉班、秦フク、秦瓊は捕虜にした後登用 唐の名将門神秦瓊ゲット。門神だから特技は金剛何ですかね? 孫堅軍、曹操軍は獲るものなく退却していく。 在野楊阜、韓徳を得る。楊阜は馬超とは嫌悪だが馬騰なので関係なし 内政担当だから戦場に連れていくこともないだろう。 5月1日建寧から劉璋軍が成都に向けて進軍 距離もあるので無視して全員で永安で内政に着手。 8月21日長駆持ちの馬休で行っていた廟、遺跡探索で江州周辺に廟を発見。 張飛プレイの時になかなか役に立った連環を賈クに与える。 11月までに建寧からの成都攻略部隊を全滅させる。 呉起の衝車隊が先陣をきり、その少し後ろから英布の槍隊が続く 渡りのところで待ち伏せ呉起の衝車を壁にしてすぐ後ろに並んだ英布槍隊をまず 太鼓台で強化した騎射で削り頃合いを見計らって呉起の衝車隊を倒し、英布槍隊を倒す その後から来た黄権の衝車隊も一気に全滅させる。その際黄権を捕らえたので捕虜にして 登用。 12月華雄死亡。 特技猛者全く発動を見ることなくお亡くなりになってしまいました。 建寧攻略作戦開始 馬騰(連戦)+董承(築城)+韓信(強行)12000 張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000 馬超(騎神)+劉曄(射程)+呉懿(補佐)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+黄権(規律)10000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+賈ク(連環)9000 計61000で出撃。 200年 曹操軍 袁紹軍に北海を奪われるが王匡軍改め藩鳳軍のギョウを奪うが 袁紹軍の攻撃を受けギョウもまた奪われてしまう と言うさんざんな一年 しかし、南は永安を馬騰軍が奪ったため北以外は全て同盟国となり 北へと兵力、人材を集中できるようになった。 袁紹軍 土地では北海、ギョウを得て、人材では曹操軍にいた高長恭、彭越を得て 昨年は飛躍の1年に。 今は、下ヒとの激しい攻防を繰り広げており何とかせいして河南の大都市を得たいところだろう。 6月永安に廖立が士官を求めてやってくる。まだまだ、文官が不足気味の我が軍にとってありがたい 建寧攻略 本道には連弩櫓を複数設置していたので森を通るルートから都市に接近する。 森ルートからだと内政地には兵舎があり破壊することで建寧の徴兵をストップ。 都市包囲して一斉攻撃にて陥落させる。 11月21日劉璋軍の最後の都市雲南の攻略作戦開始 馬超(騎神)+楽毅(心攻)+馬休(長駆)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 張遼(威風)+韓信(強行)+馬雲リョク(騎将)10000 霍去病(騎神)+呉懿(補佐)+馬岱(沈着)10000 計40000対する雲南には21000そして楊大眼、英布、呉起がいる 多少てこずるかな。 201年 曹操軍 北海を取り戻し、今は、ギョウ攻略へと大軍団をギョウへ進攻させている。 ギョウには24000にいるがその何倍もの兵がギョウへと接近しており 統率している将も徐晃、呂布、魏延、夏侯淵等と名将が揃う。 袁紹軍 北海を奪い返され今は、ギョウも危険な状態ギョウには30人の将がおりここが落ちれば 一気に体勢が決まりかねない。 孫堅軍 昨年は江夏を落とし今年は寿春へと進攻させている。 寿春の劉辟軍には岳飛、鄭成功、張良が居る劉辟軍には厳しいが 勝機は無くもないかな? 4月 建寧で疫病発生。ついてない‥‥ 雲南攻略劉璋滅亡 非常に勿体ないが張松、呉起は漢室無視なので処断する 英布、王累、関寧、孔丘、呉蘭、ホウ義、楊大眼、劉カイ、劉循、劉璋 疾走持ちの楊大眼を誰と組ませたものか贅沢な悩みをかかえる。 何名か除いて中堅どころの者ばかりだが治安維持役として大いに活躍してもらおう。 劉璋は‥‥‥‥‥‥まあ、マスコットとして劉循とセットで何処かに置いておこう。 第5章荊南攻略 荀攸「若君どうされました?憮然として?」 馬超「父上は臆病風に吹かれたのではないのか? 何故曹操に闘いを挑もうとしないのだ?」 荀攸「さて、小人の私には解りかねますが‥‥。」 馬超「謙遜はいい、荀攸の考えを聞かせてくれ。」 荀攸「しからば 曹操軍は今袁紹軍との決戦の真っ只中でございます。」 馬超「だからこそ今こそ曹操軍を後方から襲うべきではないのか? 曹操軍はこちらとはまともに闘えまい。」 荀攸「はい。その通りでございます。 その場合曹操軍は間違いなく停戦を申し込んで来るでしょう。」 馬超「そんなもの突っぱねれば良かろう?」 荀攸「はい。しかし、曹操軍は帝をおさえております。 帝の名で停戦の勅旨が出されればどうでしょう。」 馬超「!!!‥それは‥‥‥」 荀攸「たとえ曹操の意志で出された勅旨であっても 我らが漢室再興を掲げている以上無下に断ることはできませぬ。」 馬超「‥‥なるほど」 荀攸「‥‥と言うのが理由の1つです。」 馬超「1つ?まだあるのか?」 荀攸「はい。もう1つは猛将の血です。 曹操軍と智と智、武と武を真っ向から競いあいたいのでしょう。」 馬超「なるほど、確かに曹操軍は曹操を筆頭に多くの名将、猛将、知将がるというしな。」 荀攸「なので邪魔が入らぬよう先ずは公庫の憂いをたつ必要があります。」 馬超「解ったありがとう荀攸。では、私は来るべき決戦に向け腕を磨こう。」 ‥‥‥と言う会話があったような気がしつつ次は孫堅軍との戦いを始めます。 202年 曹操軍 ギョウ、平原を奪い今は、大軍勢で南皮進軍中 袁紹軍は後何年持つのか‥‥ 孫堅軍 劉辟軍より寿春を奪い今は、劉辟軍最後の都市汝南へ進行中 劉辟軍は後一年の命といったところだろう。 1月孫堅軍との同盟を破棄成都から荊南攻略軍を出撃させる。 馬超「これだけの軍勢をいただける以上 この軍勢を持って荊州南部四群を全て奪ってみせましょう。」 馬騰「うむ。よくぞ申した。頼もしいぞ。しかし、本当に大丈夫か?」 馬超「男に二言なしお任せを」 ‥‥‥出撃部隊は下記の通り 馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000 霍去病(騎神)+韓信(強行)+英布(威風)10000 楽毅(心攻)+徐氏(キ計)+秦瓊(金剛)9000 周泰(水神)+劉曄(射程)+劉表(心攻)9000 馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000 賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)7000 馬鉄(補佐)+司馬朗(築城)8000 馬雲リョク(騎将)+王甫(待伏)+鄒氏(楽奏)7000 呉懿(補佐)+厳顔(弓将)+張既(親羌)8000 40日遅れで輸送隊楊氏1000 計94000で兵糧以外の補給なしで戦います。 四群各都市20000前後の兵がいますが 各都市に武将は3人~4人しか居ないのでおそらくいけるでしょう。 荊南四群攻略部隊が武陵の港に近づく頃には17名の孫堅軍の武将が武陵に入場 兵数は35000に(後に長沙より15000の増援兵が入城)孫堅の戟兵、朱然の弩兵、程普騎兵 陳武戟兵、黄蓋弩兵、もう一回程普騎兵の6部隊の迎撃部隊が出撃してきた。 先ずは孫堅の戟兵から急ぎ倒しにかかる。 また、迎撃部隊を賈クの連環+貂蝉の傾国で2部隊ずつ計4部隊を撹乱で混乱させる。 孫堅の戟兵撃破時に孫堅を捕らえたが漢室重視の将なので解放。 アイテム一定数越えたので左慈登場。馬騰の能力がちょいアップ。 迎撃部隊との戦いで霍峻、蕭何を捕虜にして登用。 9月11日武陵攻略 何人か孫堅軍の将を捕らえたので捕虜に厳白虎のみ漢室無視なので処断。 この戦いで94000いた兵数は73000になっていた。 11月1日気力を全快の120にして零陵攻略作戦開始。 天水で徴兵などをさせていた馬騰ら留守番の将たちに武陵内政をさせる 73000を11部隊に分け1部隊6500で出撃。 孫策戟兵、韓当槍兵、呉景弩兵が迎撃に向かってくる。 前回の武陵攻略戦の反省を生かし太鼓台を3設置して迎撃部隊の接近を待つ 孫策戟兵、韓当槍兵が隣接して接近してきたので賈クの連環+貂蝉の傾国で 撹乱一閃混乱させる。心攻を持つ楽毅、劉表を副将にした周泰の部隊で迎撃部隊を攻撃させる。 12月 黄権「霍去病将軍が陣中に没したと報告が入りました。 馬超「なに!?霍去病が‥‥‥」 黄権「霍去病将軍の部隊は副将の韓信が引き継ぎました、」 馬超「‥‥そうか‥‥‥俺と騎神で大暴れしていた仲だったのだが‥‥哀しいなぁ」 203年 曹操軍 河北は晋陽、襄平を残すのみ河北統一恐らくは後一年か 江東にも兵を繰り出し始めていた。 1月11日零陵攻略残兵71494 敵部隊がすぐに混乱してくれたことや 都市攻めを火計のみにしたことであまり兵を損なわずに済む。 3月11日桂陽攻略作戦開始 約70000で出撃。霍去病の部隊は張遼の副将をしていた馬休を主将にする。 馬休(長駆)+韓信(強行)+英布(威風) また、馬鉄は特技を補佐に変更。対する桂陽21000 長沙から孫堅軍の武陵攻略部隊が出撃してくる。 まだ内政途中で兵士数も1300しかいないが距離もあるので何とかなるだろう。 桂陽から孫堅槍兵、鄭成功槍兵が出撃してくる。 隣接してるので何時ものように2部隊一気に混乱していただきました。 5月桂陽攻略残兵69698 恐らくはまだ、長沙攻略を行ってないが荊南四群で一番楽な攻略戦だろう。 8月精鋭騎兵獲得。 一度研究したですが研究途中で武将が亡くなって失敗今ようやく獲得出来ました。 10月21日長沙攻略作戦開始 桂陽内政を行い少し間が空いてしまった。 11月 長沙攻略部隊が長沙から出撃してきた迎撃部隊と戦うなか 孫堅軍の柴桑より武陵攻略部隊が出撃。武陵には治安維持に将が二人いるだけだが、 まあ、距離もあるので長沙を攻略してからでも充分間に合うだろう。 204年プレイ開始15年目都市数は14武将87 曹操遂に河北統一都市数は21となり武将数は180となる。 そろそろ曹操軍と闘う時か‥‥‥ 1月1日長沙攻略これで四群全て獲得。 この四群制圧のお陰で 孫堅軍から陳慶之、鄭成功、孔丘等多くの人材を得ることができた。 孫堅軍を滅亡させようとすると柴桑、江夏、汝南、寿春のみ。 10月11日柴桑攻略作戦開始 馬騰(連戦)+韓信(競合)+朱桓(心攻)10000 馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000 馬休(長駆)+英布(威風)+陳慶之(白馬)10000 馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)10000 馬鉄(補佐)+凌統(掃討)+司馬朗(築城)8000 馬雲リョク(騎将)+徐氏(キ計)+鄒氏(楽奏)7000 荀攸(百出)+賈ク(連環)+貂蝉(傾国)8000 計63000馬一族で出撃。長沙から南のルートを使う 韓当騎兵、孫堅戟兵、黄蓋弩兵等が迎撃に出撃してくる。 205年遂に決戦 曹操軍 江東に軍を繰り出すが距離があるのでなかなか攻めきれない。 領地数はかわらず。武将数は212名となる。 馬騰軍 都市数14武将数96名 しかし、益州などこれから新しい武将が登場し始めるのであっという間に数が100越えるだろう 孫堅軍 防衛中の柴桑を合わせれば都市数4武将数29名と終わりが見えはじめてきたかな。 他江東に2勢力あるが 恐らくは後一年か二年でいなくなるような勢力なので割愛 1月11日曹操軍との同盟を破棄 在野で劉巴を得、3月は馬忠を得る。 2月21日柴桑攻略が続くなか武陵より江陵攻略作戦開始 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)12000 張遼(威風)+カク昭(不屈)+陳登(キ計)11000 楽毅(心攻)+秦瓊(金剛)+張繍(騎将)12000 呉懿(補佐)+高順(攻城)+石蹈(規律)11000 閻行(繁殖)+陳震(心攻)+鄭成功(水神)11000 張任(連戦)+王甫(待伏)+李カイ(機略)10000 周泰(水神)+劉曄(射程)+趙累(補佐)10000 厳顔(弓将)+張既(親羌)+劉キ(心攻)9000 計86000対する江陵は兵力33168 武将数は24名呂布、夏侯淵、于禁、曹真となかなかの顔触れ。 さて、これからの曹操との戦いは新たな縛りルールの本行いたいと思いますので 新しいページを作ります。 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18 40 54) ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04 06 57) 名前 コメント
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シナリオ解析勢力図 勢力一覧 外交関係 各勢力分析張飛 袁術 鄧艾 曹植 諸葛亮 張昭 夏侯惇 袁紹 荀彧 関羽 呂布 孫策 司馬懿 魏延 曹操 張魯 孫登 曹丕 劉備 陸遜 羊祜 孫権 董卓 劉禅 張遼 孟獲 孫堅 劉琮 シナリオ解析 勢力図 三国が分裂したシナリオ。CS版PK限定。 関羽や張飛、諸葛亮等が君主となり覇を競い合う。 初期武将数が4~21名で猛将・知将が程よくバラけており、英雄集結の様に極端な戦力差が無いのが特徴。 領地は寿春の張遼、漢中の魏延の様に生前縁のあった土地に配置されている事が多いが、 柴桑の董卓、建業の孟獲の様にまったく関係無い土地に居る勢力も有る。 劉備三兄弟対決や曹家・孫家の親子対決と言った、このシナリオでしか味わえないカオスな展開が醍醐味。 何進や張角・張宝兄弟のように、意外な在野武将が見つかるのも魅力。 勢力一覧 色 勢力 爵位 軍師 現役 兵士数 難度 支配都市 保有技巧 諸葛誕 13 23,000 ☆☆☆☆ 襄平 熟練兵 劉表 蒯良 7 24,000 ☆☆☆☆ 北平 張飛 龐統 8 24,000 ☆☆ 薊 槍兵鍛錬、騎兵鍛錬、良馬産出、騎射 袁術 楊弘 19 30,000 ☆☆☆☆☆ 南皮 曹爽 桓範 9 26,000 ☆☆☆☆☆☆☆ 晋陽 鄧艾 陳泰 12 22,000 ☆☆ 鄴 熟練兵、難所行軍 孔融 許攸 8 24,000 ☆☆☆☆☆ 平原 夏侯惇 郭淮 13 24,000 ☆☆☆☆ 濮陽 曹植 田予 7 25,000 ☆☆☆☆ 北海 騎兵鍛錬、良馬産出、騎射 諸葛亮 徐庶 15 25,000 ☆ 下邳 弩兵鍛錬、車軸強化、木獣開発、神火計、木牛流馬 張昭 張紘 11 20,000 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 小沛 張遼 蒋済 7 24,000 ☆☆☆☆ 寿春 騎兵鍛錬、熟練兵 孫堅 程普 14 26,000 ☆☆☆ 呉 弩兵鍛錬 孟獲 李恢 14 28,000 ☆☆☆ 建業 戟兵鍛錬 劉禅 羅憲 11 24,000 ☆☆☆☆☆☆ 廬江 董卓 李儒 13 36,000 ☆☆☆☆☆ 柴桑 騎兵鍛錬 孫権 魯粛 19 26,000 ☆☆ 江夏 弩兵鍛錬 馬騰 韓遂 10 24,000 ☆☆☆☆ 汝南 騎兵鍛錬、良馬産出 荀彧 郭嘉 13 22,000 ☆☆☆☆☆ 許昌 工兵育成 袁紹 田豊 18 32,000 ☆ 陳留 車軸強化 関羽 王甫 14 26,000 ☆☆☆☆ 洛陽 槍兵鍛錬 呂布 陳宮 15 31,000 ☆☆ 長安 騎兵鍛錬 劉焉 黄権 13 24,000 ☆☆☆ 宛 公孫度 賈範 9 24,000 ☆☆☆☆☆☆☆ 上庸 劉琮 蔡瑁 9 24,000 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 新野 羊祜 杜預 12 24,000 ☆☆☆ 襄陽 弩兵鍛錬 陸遜 陸抗 15 26,000 ☆☆☆☆ 江陵 弩兵鍛錬 袁尚 審配 10 24,000 ☆☆☆☆☆☆ 武陵 車軸強化 曹叡 郝昭 14 24,000 ☆☆☆☆☆ 長沙 劉備 法正 21 26,000 ☆ 零陵 曹丕 華歆 8 22,000 ☆☆☆ 雲南 孫登 諸葛恪 9 22,000 ☆☆☆☆ 建寧 曹操 程昱 17 26,000 ☆☆☆ 江州 槍兵鍛錬、熟練兵 張魯 閻圃 11 24,000 ☆☆☆☆ 成都 劉虞 魏攸 13 26,000 ☆☆☆☆☆☆ 永安 孫峻 濮陽興 12 24,000 ☆☆☆☆☆☆☆☆ 梓潼 魏延 4 22,000 ☆☆☆☆☆☆ 漢中 司馬懿 司馬師 15 22,000 ☆☆ 天水 孫策 周瑜 15 24,000 ☆☆ 武威 弩兵鍛錬、熟練兵 外交関係 開始時の外交関係は基本的に史実の関係に基づいて設定されている。 例としては、劉備三兄弟がそれぞれ親密、諸葛亮と司馬懿が険悪、孫権と張遼が険悪など。 やや例外なのは鄧艾と司馬懿が険悪にあるくらい。唯一張魯のみ、外交関係がどの勢力とも中立以上。 同盟なし。 各勢力分析 張飛 三兄弟の始まりの地、薊に陣取る。周囲に強敵も居らず、何故か騎射を持っていたりと恵まれている。 配下には一族の他に龐統と厳顔が居り、政治面にやや不安が有るが、在野に梁習等優秀な文官が居るので問題は無い。 戦略はやはり東の劉表と諸葛誕を倒して後顧の憂いを無くす方向が無難か。 序盤に三方から攻められるときついが、晋陽・北平方面は隘路を施設で塞げば防衛は容易。 問題は南皮方面だが騎射を駆使してスタートから内政地を荒らし敵の攻め手を封じることが可能。 序盤さえ凌げば楽になるだろう。 袁術 ハチミツ皇帝は、何故か袁紹飛躍の土地に。 武将数は多いのだが、質がアレなのは、シリーズのお約束であろうか。 とはいえ、軍師や核となる猛将が一人入ればその武将の数も光るのであるが、 周囲には君主になった張飛が脅威である上、この北の地は意外に動きが多い。 他の劉表・諸葛誕など北方君主にも言えることだが、 初期は小競り合いが多く防戦になりがちであるが、その防戦も各国・諸処の理由により安定した迎撃がしにくい為、 戦力を削ぐどころか、お互いジリ貧な展開になり、張飛・鄧艾・夏侯惇の猛攻の前に沈む展開がある。 故に、まずは外交を駆使し、周辺弱小3国と提携しつつ張飛を削り、 自身は「捕縛」などの能力研究を急ぎつつ、在野の士を獲得するのが無難な立ち上がり。 さらにその後の敵は、鄧艾・夏侯惇と難敵が続くのだが、 進行については、大陸中央の小競り合いの様子次第では、 平原→濮陽より、内陸ルートも検討する。その際は北海勢力と外交を。 最後は、大抵は強大化している劉備・曹操・袁紹・諸葛亮。成帝様の苦悩は続く。 鄧艾 何故か大都市鄴をゲットした鄧艾。 多くの敵に囲まれてはいるが、東の孔融・西の曹爽は武官不足、南の袁紹・夏侯惇は手強い物の水軍は不慣れ。 東は渡、西は関、南は港と、地形的にも守り易く、個々を撃退するのは比較的容易。 とは言え、やはり多方面から同時に攻められれば苦しく、自軍も武将の質・量共に決め手に欠けている。 必要なら外交で手を打っておきたい。孔融・夏侯惇は相性が良いので、良好な関係を築く事は可能だろう。 在野に居る張角はなんとしてでもゲットしたい。落雷を使う事に抵抗が無ければ最強の一人、禁止でも高い能力と戟Sは魅力。 攻略ルート的には晋陽→薊と攻めて河北統一を目指すといいだろう。 地形とお家芸の難所行軍を最大限活かし、猛将張飛を手玉にとってやれ。 曹植 領地は北海とまた微妙な土地に行ってしまった。何より南の孔明が怖い。 しかし、配下には兄の曹彰や、オールマイティに働ける田予、「傾国」持ちの兄嫁までいる。また、在野には王基がおり人材にはそこそこ恵まれている。 孔明の「神算」は確かに恐ろしいが先手を取れば曹彰の「疾走」で混乱するのだ。孔明の配下には文官が多く姜維でさえ「疾走」の前には無力である。 ただし北海周辺は騎兵兵法が使えない地形が多く、近場で戦う時は王基頼りになりがち。守勢に回るよりはできるだけ討って出よう。 人材さえ揃えば他勢力を吸収するのも容易なはずだ。 諸葛亮 ついに君主に出世しました。私の神算の賜物です。 技巧も充実しています。周瑜を擁する孫策軍や陸遜軍ですら持っていない神火計を始め、実用的な技巧が揃っています。私の神算の賜物(ry 張昭や呂布を押し退け、大都市下邳をいただきました。私の神算(ry この土地を潤す文官たちもちゃんと揃えておきました。私の(ry 隣では徐庶が知力が低いくせにいろいろと進言してくれています。まぁ精度は問題ないので、従って顔を立ててやりましょう。 さて、武官の顔触れはいかがでしょう。 姜維、あなたなら曹植軍の曹彰にも太刀打ちできるでしょう。期待しています。 王平…まぁあなたでも渡で張昭軍を足止めするくらいはできるでしょう。 物量攻めをされると厳しいですが、私と馬謖もお手伝いします。 長時間の足止めに成功すれば敵将の引き抜きにも期待できますし。 ……………こ、これくらいしかいないのですか……。 やはり三者相互に親愛関係の趙雲は無理にでも劉備殿から奪うべきでした。 彼の軍には黄忠がいるのだから、五虎将を一人くらい譲ってくれてもよかったでしょうに。 仕方ありません。しばらくは防戦で敵の戦力を削ぎましょう。然る後に攻勢に転じます。 小沛の兵力が手薄? 何をバカなことを言っているのですか。 張昭軍を滅ぼしても寿春の張遼軍や濮陽の夏侯惇軍、陳留の袁紹軍からの猛攻にさらされます。 支えきるのは私の神算を以てしても厳しいのですよ。 ここは北へ進軍し、曹植軍を滅ぼします。濮陽とは接しているとはいえ距離があり、孔融軍は私たちの敵ではありません。 ここで1度態勢を立て直し、状況を見ます。よろしいですね? 全く、これだから徐庶には任せておけないのですよ。ハァ…… 張昭 孫家の下から離れてとうとう君主になったお爺ちゃん。 だが、守りにくい地形、貧しい都市、武官の質の低さ、隣接する勢力が諸葛亮、袁紹、夏侯惇、張遼ということを考えれば、 全勢力の中でも一、二を争う貧弱さ。そして、都市の関係上、時間がたてばたつほど不利になっていく。 文官面では江東の二張をはじめ優秀な人材がいるが、荀彧軍には遠く及ばない。 武官面も主力が張承と、武力71で特技なしに等しく周辺勢力とはとてもやりあえない。 在野にもあまり期待できない。能力以上に魏の武将ばかりで相性が悪い。張特を最優先に、石苞や王凌を余裕があったら取る程度で。 打開策は2つ。諸葛亮を速攻で落とすか、諸葛亮と速攻で同盟して会稽に逃げるか。どちらにせよ、諸葛亮をなんとかする必要がある。 衝車を含む全軍を渡の前から一気になだれ込ませれば下邳を落とすことも可能だし、 糜竺の富豪+張昭の政治力による米売却ならば人材探索と同時進行しつつ3月の時点で同盟を締結することもできる。どちらも相手の対応や相場など多少運も絡むが。 手に入る武将の質は言うまでもなく下邳を落とす場合のほうが高いが、会稽やその周辺は相性の近い呉の武将が多い。好みで決めていい。 とりあえず速攻策を取るにしても逃亡策を取るにしても、まず始まったら寿春へ繋がる渡の北に陣を作っておこう。 こうすると張遼は陳留方面から回りこんで攻めてくる事が多いので、袁紹が勝手に倒してくれる。 夏侯惇も全武将が知力82未満のため陳珪で盆踊りをさせられるし、こちらも侵攻時に陳留を通るので袁紹と衝突する。張特もいれば盤石。 ……ただ、田豊などがいる袁紹はさすがに厳しい。運が良ければ夏侯惇が濮陽に建てた建築物に引っかかったりするが、確実性はない。 あくまで諸葛亮を落とすor会稽に逃げるまでの時間稼ぎと考えよう。 夏侯惇 片目を失った因縁の地濮陽で、一族を率いて独立した惇兄。 配下には頼りになる従弟の夏侯淵、軍師の郭淮を始め、文武ともに粒が揃っている。 しかし、絶対的な決め手となる武将の不在と、隣接する敵が多い為、序盤は苦しい戦いとなるだろう。 戦略としては、親戚ではあるが兄嫁を奪って浮かれている?北海の曹植攻めをお勧めする。 北海はやや遠いが、甄氏と曹彰、在野の王基を得られるメリットは大きい。 ただ、もたもたしていると諸葛亮に取られる恐れが有るので、最低限の守りを固めたら賭けに出る事も考えたい。 曹植は弱いので、曹彰を一騎討ちで倒せれば多少の兵力差が有っても勝てるだろう。 そして次は当然、最大の難敵とも言える諸葛亮との決戦である。 まあ、これも先手を取って「疾走」で諸葛亮を撹乱し、残りは計略対策をしてれば何とかなるはず。 諸葛亮を得られれば、最早惇兄に敵は居ない。後は地道に勢力を伸ばしていくだけだ。 袁紹 愛息子袁尚と配下を分け合うことになったが、文武の双壁である田豊・沮授・顔良・文醜や 「弓将」持ちの麹義等の優秀な面子が残ってくれているし、在野には相性こそ悪いが劉曄なども居るので、なんら問題はない。 支配地は陳留。都市の特色故か兵器が初期配備されているし、「名声」持ちがいるので軍備はすぐに整うだろう。 多くの都市と隣接しているが、東は隘路に施設を建てれば守りやすいし、敵同士で潰し合ってくれる可能性も十分ある。 西は3勢力と繋がっているが、それぞれ他勢力と争い合うことが多くそれほど怖くはない。 まずは比較的相性の良い洛陽の軍神関羽を攻めよう。 開始早々から川からの内政施設破壊で攻め手を封じ、その内に呂布が攻めてくれたりするのでその背後を衝こう。 堅牢かつ生産力豊かな大都市洛陽と、関羽自身は登用できないものの優秀な息子たち、特に「疾走」持ちの関索が手に入るのは大きい。 その後は2都市で力を蓄え、長安以西を統一するか、荀彧・馬騰ら中央の勢力を滅ぼし地盤を固めたい。 荀彧 許昌にて最近流行(?)の知力縛りに挑戦している(?)荀彧。 何しろ配下は全員知力と政治が70以上!武力は最高51!!と言う徹底ぶり。 在野にも武官系は何儀くらいしかおらず、鍾会が居なかったらと思うとゾッとする。 しかも周囲は関羽、袁紹、馬騰など5勢力に囲まれ、既に詰んでるんじゃ? と心が折れそうになる。 だが、生き残る術が無い訳では無い。 まずは3都市と繋がる北西の道に陣などを建てて死守。敵の撃退よりもこちらの損害を出来うる限り抑え、ひたすら粘りに徹しよう。 渋滞させて敵の兵糧切れを狙うくらいでいい。互いに潰しあってくれる可能性も十分ある。 また、南の2勢力には、先手を打って陽動部隊を出し、守備隊を釣る事で攻め手を封じたい。 特に馬騰軍は、主力を東の湿地帯側に陽動してやれば本道ルートが手薄になる。 更に、森から敵の内政施設の横に陣と土塁を建ててやれば、それだけで相当粘れる。 こちらは森に居るので弩も怖くないし、「築城」持ちなら陣が破壊される事もまず無いだろう。 ただし、必ず内政施設の北に1部隊置いて敵が来られなくする事。当然施設を壊してもダメだ。 時を稼ぎながらもじわじわと馬騰軍を疲弊させておき、戦力が揃ってきたら一気に叩く。 馬超等優秀な武官に恵まれる馬騰軍さえ吸収してしまえば、後はどうとでもなるはず。 関羽 支配地は華雄を斬って一躍その名を轟かせた洛陽。配下は荊州居残り組+徐晃!と言う面子。 三国一とも言える堅牢な大都市洛陽に、軍神関羽が居るのだから弱いはずが無いのだが、 馬良等優秀な文官が他に行ってる為知力・政治面に不安があり、都市開発がなかなか進まない。 また、長安に呂布、陳留には袁紹が居り、決して楽とは言えない状況である。 もっとも、在野には張宝・蔡琰・高柔が居るし、許昌の荀彧軍を吸収すれば全て解決してしまうのだが。 戦略は前述の通り許昌攻めしかないだろう。荀彧・郭嘉を代表とする超軍師軍団との戦いは、計略には悩まされても負ける事は無いはず。 その後は優秀な文官達を使って2大都市でじっくり力を蓄え、長安以西を統一するか、馬騰等中央の勢力を滅ぼし地盤を固めたい。 呂布 大都市長安で献帝を擁立した飛将軍様。 配下はいつもの面子から張遼が抜けて戦力ダウンしているが、その分王允が加わり、 在野には名軍師賈詡・槍将李通・傅嘏・婁圭などが居るので文武に不安はない。 長安は東からの攻撃には堅いのでまずは西進して後顧の憂いを断とう。 西の孫策・司馬懿は早目に叩かないと、どちらかがどちらかを飲み込んで手がつけにくくなるからだ。 またどちらも呂布とは相性も比較的良く攻めとった後の事後処理も楽。 涼州さえ平定してしまえば統一はもはや容易だろう。 孫策 孫堅、孫権と孫呉の英傑を分け合うことになったが、義兄弟周瑜は独立勢力を作らずに残ってくれているし、 太史慈を始めとしてなかなか武官系の武将には恵まれている。 反面、張昭が独立勢力を作っていることもあり、文官系の武将はパッとしない。大喬、小喬を史実武将にしていないとなおキツイ。 配置都市は武威。父や弟がそれなりに縁のある地に配置されているのに何故か北方に飛ばされてしまった。 だがゲーム上の戦術としてはこの地を得たことは極めて大きな利点である。まず、背後を襲われなくなった。 また隣接都市を見ても安定は空白地なので天水の司馬懿軍に集中できる。 こちらとは対照的に、司馬懿軍は文官こそ充実しているが戦闘において優秀なのは司馬懿本人と張郃くらいのもの。 計略に苦しめられるだろうが、文官充実のために多少無理をしてでも早いうちに滅ぼしてしまいたい。 漢中の魏延軍は軍師すら用意できない人材不足なので相手ではない。 安定を占拠し、二都市の戦力を充実させて長安の呂布軍を滅ぼすことができれば後の展開はかなり楽になる。 ただし関羽軍と呂布軍の友好度がかなり低い。 戦端が開かれて両軍が疲弊しているところをたたければ万々歳だが、片方がもう一方を吸収してしまうとなかなか厄介な武将たちがそろう。 その場合は南への進軍も検討すべきかもしれないが、いずれにせよ長安は落としておきたい。 長安を落とさずに漢中を落とすと、長安からの軍が安定・天水・漢中のいずれも狙える形になってしまうからだ。 長安を落としておけば防衛のための兵力や武将を集中させることができる。 司馬懿 基本的に、上記の小覇王様と同じ方針となる。 美周郎など断金ブラザーズにはてこずるが、小覇王の項目にあるように、 「お互いを併合することで、双方の欠点を補える」訳である。 計略の使い勝手の点を考慮すれば、かなり楽な部類であろう。 魏延 ついに君主に! しかも領地は因縁深い漢中! ……なのだが、四方は敵に囲まれ、配下の質も量も乏しく、むしろ四面楚歌。 在野には楊修・傅僉などが居るが、状況を一変できるほどではなく正直生き残る事すら難しい。 最も、彼を好むような反骨精神旺盛な方には丁度良いハンデだろう。 まずは陽平関で司馬懿と呂布に潰し合って貰う為に、迂回路の守りを固めよう。 敵が来てからでは遅いので、事前に陣等を建てておくべし。 後は武将の頭数と兵力が揃うまで引き篭もるしかない。 司馬懿か呂布が他に攻められた所をハイエナするか、在野の衛瓘目当てに雑魚ばかり梓潼の孫峻を蹴散らすかすれば、光明は見えてくる。 反骨魂でこの劣勢を挽回し、狙うは当然諸葛亮の首だ! 曹操 何故か江州に流された曹操。 配下は多目だが、夏侯兄弟や荀彧・郭嘉と言った文武の要が抜けており、かなり戦力ダウンしている。 加えて江州は貧しく、多くの敵に囲まれており、のんびりしているとジリ貧になりかねない。 なるべく速く成都を落とし、腰を据えるのはそれからにしたい。 最初は使える人材の数が限られているので、渡を使って効率的に防衛できる成都方面より先に、永安の劉虞を攻める手もある。 また成都の張魯の方が知力の高い武将も少ないので曹操抜きでも計略を通しやすい。 そして永安を落とした後は渡の前に陣でも作れば完璧に封鎖できるので、江陵の陸遜の侵攻を恐れる必要はない。 最低限の物資を残せば、余裕を持って張魯討伐ができるはずだ。 張魯 念願?の成都に割拠する教祖。大都市+米道パワーで米には困らない。 配下にはいつもの面子に加え龐徳等が居り、戦力的にも史実シナリオより充実している。 とは言え、隣に曹操が居るのがやはり厳しい。出来れば序盤は同盟を結ぶのが無難。 もっとも、江州は北側に釣りが可能だが。北の橋辺りをうろうろしてるだけで敵を減らせる。 建寧も同様に囮で牽制し、北は関で万全なので、同盟せずとも力を蓄える事は難しくない。 曹操との決戦は「明鏡」研究後になるだろう。それまでに南征を済ませておいてもいい。 孫登 孫呉の皇太子さまが君主になった。面子も「太子四友」とその親プラス弟の孫和。内政は比較的楽にできる。 一方で、武に秀でた面子はというと……。陳表の父で戟将持ちの陳武のみ。しかも南北は敵に挟まれている。 しかし、あまり悲観する必要もない。論客持ちの諸葛瑾に南北の敵と24カ月の停戦を結ばせればいい。 なので上級まではどうとでもなる。 さて、内政は陳武以外の誰にやらせてもいいし、頭数が足りないなら顧雍に探しに行かせよう。また文官の推挙も期待できる。 最初に攻めるのは雲南にしたい。まぁ、成都のほうが倒しやすいっちゃ倒しやすいのだが、ここの勢力は張魯。 どいつもこいつもろくな武将ではない(「米道」持ち2人と龐徳を除いて) ので、背後の心配が無くなったら、次は成都を落とす。 さてここからは多少無理をしてでも曹操を倒したい。 え? 孫峻? ここの武将はほんとにひどい。配下にするだけ金の無駄。 こんなしょーもないカス集団よりも曹操の持つ「虚実」の方が魅力的というものである。 曹丕 こんな所(雲南)にまで飛ばされた挙句、嫁まで弟に取られた魏の文帝。 まあ、敵は北の孫登だけなので、立地的にはそう悪くはないのだが。 配下も文官は揃っているが、武官で使えるのは曹休くらい。軍師も華歆ではやや不安。 在野に兀突骨が居るので、彼をエースにしたい。火にさえ気をつければ頼りになる。 父曹操との戦いを見据え、じっくり腰を据えて富国強兵に励もう。 劉備 関羽・張飛こそ居ないが、武将的にも立地的にもとても優遇されている。 関張が居なくて乱突祭や旋風祭が使えないのが寂しいが、代わりに趙雲・黄忠・孫尚香の乱射祭に公孫瓚一族の騎射祭と攻撃力は圧倒的。 立地も隣の桂陽は空白地で、武陵の袁尚軍には大した武将は居ない。 長沙の曹叡軍も怖いのは郝昭くらいなので、あっという間に荊南を制覇出来るだろう。 江陵の陸遜軍も水上で戦わなければ問題無い。 更に、関羽・張飛の勢力が滅べば、もれなく彼等が帰ってくる出来レースぶりと、統一に一番近い君主かもしれない。 陸遜 支配地は関羽を討って自らの飛躍の第一歩を刻んだ因縁の地・江陵。 陸遜・陸抗・陸凱・陸績の君主一族が勢力の要。後は武官の孫桓くらいか。 人材は若干心もとないので、在野にいる馬忠・歩隲・沙摩柯は必ず登用すべし。能力もさることながら特技が非常に有用だ。 人材以上にまずいのは土地である。 東には孫権と董卓、西には劉虞を挟んで曹操、南には袁尚を挟んで劉備、北には羊祜とまさに四面楚歌状態。 この地を守れるほどの戦力があるのならば、江陵を捨てて安住の地を得るための攻勢にその戦力を使うべきである。 問題はどこに攻め上がるかだ。東は遠い上に敵武将も面倒で兵糧不足に陥る可能性が高い。 西・南も、精強な武将をそろえている曹操軍や劉備軍の攻撃に直面することを考えると勧められない。 速攻はおろか普通に勝利することすら難しい相手である上に、もたもたしていると江陵を占領した軍との挟撃に持ち込まれる可能性が高いからだ。 よって、まずは可及的速やかに軍備を整え、北の羊祜軍を討つことを目的とする。 羊祜軍も十分強敵だが劉備や曹操よりは相手にしやすい上に、襄陽の守りやすさ(背後が公孫度と劉琮という弱小勢力だというのも大きい) と生産力は侵攻できる他の都市とは比べ物にならない。 董卓軍と孫権軍は基本的に烏林港で衝突するのでそこまで脅威ではない。 また、少々怖いが江津港を袁尚軍に渡しておくと、ここでも劉虞軍との喧嘩が始まる。 これで戦力のほとんどを羊祜軍にぶつけられるのだが、かなり際どい戦いになる。 槍・戟といった攻城に向かない部隊は相手にせず、あえて都市に向かわせて疲弊させるのも手だ。 ちなみに反則だと思われる方もいるかもしれないが、陸遜軍の武将は君主自身を筆頭に羊祜軍に一騎討ちを仕掛けるのに都合がよい武力をもつものが複数いる。 これを見越して複数行動させておくと、いざという時に活路が開けるかもしれない。 羊祜 ほぼ晋の将が多く配下は悪くはない。周辺で恐ろしいのは陸遜・孫権あたりか。 孫権は初期段階では攻めてこないが、陸遜は脅威。 しかし陸遜軍の主力とも呼べる陸抗は羊祜と親愛関係であり、捕縛さえできれば即登用が可能なのだ。 陸抗が居なければ陸遜・孫桓ぐらいになるはず、後は煮るなり焼くなり・・・。 だが、江陵を攻める・・・というのはよっぽど余裕がないといけないかもしれない。 何故ならあの場所は中々の死地であるからだ。陸遜などを配下にしたら捨てるのもありかもしれない。 孫権 棺桶都市として名高い江夏をあてがわれてしまった孫権。 もっとも、配下には呂蒙や甘寧等が居り頭数も多く、「論客」持ちの闞沢が居るので上級までなら停戦作戦でどうにかなる。 しかし超級ではそうもいかず、即刻脱出しないとフルボッコにされて詰むので注意。 戦略としては、周囲に敵が多くて迷う所だが、ここはあえて長沙の曹叡を攻めて、劉備と早期決着をつける事をお勧めする。 趙雲、黄忠等を擁する最強勢力の一角だが、荊南南部には森林地帯があり、ここで戦えば弩と騎射を無効化出来るのだ。 それでも手強い事に変わりは無いが、ここで勝てれば統一に大きく前進出来るだろう。 董卓 何故か江の真ん中柴桑に降臨してしまった魔王董卓。 配下はいつもの面子だが、質より水軍適性の低さが問題。この地で軒並みCは厳しい。 防衛は棺桶でどうにかなるが、打って出る時の為に在野の留略等は逃がさないように。 戦略としては、徴税・徴収と4つの港のおかげで収入は安定しているので、 暫く籠もって優秀な人材が流れてくるのを待ってから、十分な戦力で江東か荊南の制覇に乗り出したい。 劉禅 配下では羅憲、在野では呂岱や全琮、「言毒」持ちの周魴など良将が存在するが周囲の四勢力に抵抗するには厳しい。 さらに軍師の羅憲の知力が75と低く登用にも時間がかかる。 ここは配下総出でめぼしい在野武将を登用したら会稽に引っ越しをするのが望ましい。 虎林港を在野の水軍適性が高い武将たちを用い、四部隊+輸送隊付きで攻略して会稽に行く進路をとろう。 なお会稽に行くまでに時間がかかるので、城には3000ほど兵を残しておくといい。 ここで重要なのが周魴の存在だ。虎林港は孟獲勢力なので迎撃、もしくは睆口港を狙う部隊がこちらの部隊を狙う事がある。 敵部隊が一つで言毒が効くのなら、港を落とせる1ターン前に偽報をかけておくと、偽報が解けた後も虎林港を再奪取せずに帰ってくれる。 時は金なり、撃破する手間が省けるのはありがたい。 敵部隊が城2マス以内にいると人材の移動ができないので、虎林港を確保しておくと廬江に敵が取り付きそうな場合に港に人材を移動できる。 捕まる心配が無くなるのは序盤では大きい。 引っ越しが完了したら会稽の人材確保と孫堅の侵攻を防ぐ準備をしよう。人材は虞翻・賀斉・鍾離牧あたりか。 孫堅の侵攻は渡の前に陣と軍楽台を設置し、周魴の偽報を使いながら撃退、それと並行して井蘭の製造も進めていこう。 程普、韓当、黄蓋は孫堅に親愛持ちなので、滅ぼすまでは登用できないので注意。 君主の孫堅が圧倒的に強い。相手が一部隊でしか侵攻しなくなってきたら。兵力を回復される前に迎撃からのカウンターで一気に呉を落とそう。 この状態だと迎撃されても一部隊ぐらいなので、偽報をかけ集中砲火で撃破しよう。 見事呉を落とし、孫堅の人材を確保できれば人材も潤い、地の利もある。 建業の状態如何で速効をかけるか内政かで判断が分かれるだろうがここまでくれば安定してプレイできるだろう。 別ルートとしては海路から会稽に句章港経由で逃げる方法もあるどちらを選ぶかはプレイヤーしだいだが 張遼 合肥の地に遼来来! 配下も楽進等合肥防衛戦で共に戦ったわりと優秀な面子が揃っている。 が、それでも四方から攻められる寿春を守りきるには、質も頭数も足りない。 なので、速攻で敵国を奪って引っ越すのが上策だろう。 無難なのは弱目な廬江の劉禅攻めか。廬江も多くの敵に囲まれてはいるが、守り易いので寿春よりはマシだろう。 その後は建業を落とし江東制覇を狙いたい。 しかし、筆者のお勧めは、汝南の馬騰食いである。 例の如く一族の馬超等が居り一見手強いが、汝南は森が多い為、そこに陣取ればこちらは騎兵の戦法を受けずに済む。 張遼なら十分勝てるはずだ。 汝南は開発地こそ少ないが、防御に適した地形に加え、大都市許昌を狙い易い。 早々と許昌の荀彧も併呑すれば、最強クラスの文官達と大都市が一度に手に入る。 その後は地力をつけ、東か西一方を守りながら、逆方向に勢力を拡大していこう。 孟獲 恐らく、生前見た事すら無かったであろう海に面した大都市建業にやってきた大王。 いつもの南蛮武将の半分は在野にいってしまったが、代わりに張翼ら南征で活躍した蜀将達が加わっており、 在野には「論客」持ちの鄧芝が居るので致命的な弱点だった知力・内政面をカバーしている。 特に初期軍師李恢の存在が心強い。彼の機略は背後の孫堅軍の大半に通用するのだ。 おかげで強敵孫堅の打倒はそう難しくは無い。南の森から攻めれば更に有利に。 強力な水軍と地盤を得たら、江東平定は成ったも同然だ。 孫堅 地元呉で孫呉初期メンバーと共に復活した堅パパ。 面子的に決定力にやや欠けるが、周囲には水軍に長けた勢力が無く、 後方の会稽は空白地でいきなり生産都市を得られたりと、かなり恵まれている。 しかし、建業の孟獲はなかなか侮れない相手。特に李恢の撹乱と、大王が南の森から攻めて来た時には注意が必要。 また、北から遥々やってくる諸葛亮の動向にも警戒が必要だ。 劉琮 今シナリオマゾ推奨君主の1つ。 襄陽を追い出され新野に陣取ったおぼっちゃん。地理の関係上、四方向から満遍なく敵が攻めてくる。高難易度で戦うのは完全に無理ゲー。全勢力の中でも一、二を争う貧弱さか。 脱出しようにも長沙に陣取る曹叡とは往復六十日、曹叡と同盟して桂陽に逃亡するのはほぼ不可能と見ていい。 部下も他の都市に速攻を仕掛けられる面子ではないので、新野に留まったまま徹底的に戦闘を避けるしか手は無い。 まず、馬騰については汝南からの間道の出口に土塁を作る。建築中に馬騰軍が反応しないよう、新野領内から間道の出口ニマスを塞ごう。 事前に荀彧軍の行動を釣りで妨害し、攻めてくるのを遅らせておけばなおよい。 すると馬騰軍は何を血迷ったか許昌方面から回りこんで来るようになるので、これで勝手に潰し合ってくれるというわけだ。 念のため、荀彧軍に対しては以後も馬騰軍と戦っている時以外は釣りを仕掛けておく。 孫権軍は江夏城と新野城は距離があるので、蔡氏あたりで釣り続ける。攻撃されないギリギリまで引きつけてできるだけ時間を稼ごう。 釣りを無視して攻撃を開始するようになる頃には築城を覚えた武将がいると思うので、江夏方面を陣と土塁で塞いで補修し続ける。 劉焉とは大人しく同盟する。これで対処する必要があるのは港から来る敵だけだ。 とはいえ劉琮軍の面子では羊祜軍とはまともに戦えないので、港の近くに太鼓台を作り一騎討ちで勝負する。 幸い、羊祜軍は劉焉の開発地に釣られたり同じく港を狙ってきた陸遜軍とぶつかったりするので一斉攻撃を食らう心配は無い。 羊祜軍は相性の近い武将が多いので符節台を使って出来る限り登用しよう。ただし最も欲しいだろう杜預は羊祜を親愛しているので注意。 非常にこすっからい戦法だが、まともに戦えないのでしょうがない。 後は羊祜軍から武将を盗用しつつ軍備を整えるだけ……と言うのは簡単だが、ただでさえ少ない開発地の使用が制限される(孫権軍から井闌などで狙われる)ので非常に時間が掛かる。 反攻に出るまで先は長い。 プレイ日記 上級/張飛/のんびりダラダラプレイ 上級/張飛/のんびりダラダラプレイ4 上級/張飛/のんびりダラダラプレイ3 劉禅/超級/1 劉禅/超級/2 呂布/上級/天下無双が英霊に挑む 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち/コメントログ 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その2 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その3 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その4 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その5 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その6 孫登/上級/皇太子改め君主孫登と愉快な仲間たち・その7 張昭/超級/頑張ってクリアしてみよー 張遼/上級 張遼/上級2 張遼/超級/四面楚歌の鬼張遼が天下を駆け巡る 張飛/上級/名前縛りで天下統一への道2 張飛/上級/名前縛りで統一への道 羊祜/上級/陸羊之交で天下を目指す 羊祜/上級/陸羊之交で天下を目指す2 羊祜/上級/陸羊之交で天下を目指す3 羊祜/上級/陸羊之交で天下を目指す4 羊祜/上級/陸羊之交で天下を目指す5 羊祜/超級/陸羊之交で天下を目指す6 羊祜/超級/陸羊之交で天下を目指す7 羊祜/超級/陸羊之交で天下を目指す8 羊祜/超級/陸羊之交で天下を目指す9 荀彧/超級/知略で天下統一その1 荀彧/超級/知略で天下統一その2 荀彧/超級/知略で天下統一その3 荀彧/超級/知略で天下統一その4 董卓/上級/人徳の董卓と仲間たち 項籍/超級/生え抜きと壮士 魏延/超級/最凶武将伝 反骨演義 魏延/超級/最凶武将伝 反骨演義2 魏延/超級/最凶武将伝 反骨演義3
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建物を建てる時は武将が1人で働いてるわけじゃなく、実際には労働者が何百人と働いて建てていて、武将はその指揮をしていると考えよう これならある程度時間かかっても一定時間あれば建つのはおかしい話ではないと思う -- (名無しさん) 2011-04-19 22 36 14 実際のことを考えれば、地方の名士やそれに認められた人物が、父老たちの信望を得て、それで政治を行っていったのが事実であり、劉備やその周辺は政治という面では全く無力だった。だからこそ諸葛亮が必要だったわけで、そう考えれば関羽の政治の低さ、張昭の異様な高さは納得できる。 とすれば、政治の能力は一定以下はゼロに等しいはず。 能力値に対する不満は言ってもキリがないものだけれども、特技のせいでシビアになったと言える。 たとえば、これまで知力90と知力91ではほとんど差がなかった。しかし、曹操の前では知力90は知力ゼロみたいなものになってしまう。 -- (名無しさん) 2011-04-20 11 04 26 李傕とか孫皓みたいな暴君を表現する特技が欲しい。 たとえば所属都市の収入は倍増するけど治安や配下武将の忠誠が激減するみたいな感じで。 あるいは略奪コマンドを実行できるとかね。 -- (名無しさん) 2011-04-20 18 59 24 ↑大いに同意。徴収・徴税はちょっと違うんだよね。 あれらはある程度政治力のある暴君(?)って感じがする。 -- (名無しさん) 2011-04-20 19 58 39 ↑そうですよね、始皇帝や董卓と李傕みたいな小物一緒にしちゃ可哀想でしょう。 孫権も晩年になるとその特技(仮称・暴君?)に強制変更されるイベントあればもっといい。 もちろん能力値も激減する。陸遜死亡イベントとセットで。 -- (2コ上のコメを書いた者) 2011-04-21 11 22 25 ここに書くことではないかもしれないが、歴代のPKを出したらどうだろう。 たとえば、Ⅱの単純さを愛する人、Ⅶの初期全武将プレイに良さを感じている人はいるはず。 今の機種で昔のゲームを遊べるのは魅力的だと思う。 ただし、能力値はどうやっても全員を納得させられるはずもないのでPKで。 -- (名無しさん) 2011-05-18 23 33 33 あまり完璧な作品だと後がつまんない。 -- (名無しさん) 2011-05-19 00 55 58 ↑お前は肥の社員か どこかのスレで書いてたぞ 「新作が面白すぎると次作が売れないっていう考えは先を見据えてるようで見据えてない」 「糞すぎてユーザーに見離されたら終わり」 -- (名無しさん) 2011-05-19 18 04 11 ↑↑あのAIのドコが完璧なのか詳細を求む! -- (名無しさん) 2011-05-20 14 35 44 ↑完璧な作品だと次作以降がつまらないから、完璧な作品は作らないor完璧じゃなくて良いって意味でしょ。 -- (名無しさん) 2011-05-20 18 09 50 挙兵後僅か30日で孫堅に反乱を鎮圧された区星を出すぐらいなら、孫策を討ち取りかけた祖郎を出して欲しい。できれば独立勢力として。 華歆もS3では王朗配下になってるけど、その頃彼は予章太守だったわけで、別に王朗の配下だったわけじゃない。できれば彼が君主をやってるシナリオを作ってほしい。 -- (名無しさん) 2011-05-29 15 26 31 内政帰還命令を出したい。 途中で帰ってきて、耐久はそのまま(耐久200まで進んでたら200) で途中から内政の続きができるっていう。 -- (名無しさん) 2011-06-07 22 35 58 リアルタイム制がいい。 -- (名無しさん) 2011-06-19 07 54 58 次作だせ -- (名無しさん) 2011-06-19 08 26 21 この肥への要望全部いれた次作だせ -- (名無しさん) 2011-06-19 12 49 52 まあ今回反省すべき点は、一枚マップにこだわりすぎた事じゃないですかね。 実際どれぐらいこだわってんのかは知りませんけど。 -- (名無しさん) 2011-06-19 22 57 54 ↑7そんな向上心もなく小出しにする奴って「クリエイター」って呼べんの? -- (名無しさん) 2011-06-19 23 06 03 今作の「特技」は武将の個性を出す上でとても良かった。 だからこそ、超有名武将には独自の特技が欲しかった。 曹操・仲達はレア特技とはいえ結局諸葛亮の特技を分け合っているだけ。 こういう形ではなく、本当に独自のものを。 -- (名無しさん) 2011-06-25 01 19 33 知力の面でいったら丁度いいと思うけどなあ 二人とも諸葛亮にひと泡ふかされたわけだし -- (名無しさん) 2011-07-01 07 57 03 知力100の神算が強すぎるってのが問題だが「まあ孔明(張良)だし」でギリ許容できないこともない でも曹操と司馬懿がその完全下位互換ってのは確かに哀しい。二人とも統率>知力だし、統率系のオンリー特技希望 反計・鬼謀・威風辺りは持ってる武将の格からしても、もっと使えるものにして欲しいし、特技に関しての要望は山ほどあるなあ。 -- (名無しさん) 2011-07-01 09 35 11 あんまり種類多くて固有物にしたりすると厨臭い上に武将管理も面倒になる。 不満なら編集でシコシコ覇王でもつけてろ。 -- (名無しさん) 2011-07-02 00 44 00 特技はそれほど多くはない。前作のほうが多いと言える。 神将は駆逐+勇将だし、その勇将だって槍将とかを足していったものでしかないから。 (逆に言えば、神将はものすごい数の特技を兼有している。つまり超優遇)。 魏・呉・蜀から五人ずつ選んで、彼らに固有の特技を与えるくらいでいいのではないだろうか。 (もちろん三国以外に属する武将でも固有特技はあってよい。呂布なんかはそうだろう)。 -- (名無しさん) 2011-07-02 01 36 27 肥の三國志は昔から演義準拠+肥補正で蜀優遇なのはどうしようもないこと 前作は特技の組み合わせの数が多いだけで特技自体の数は今作のほうが多い -- (名無しさん) 2011-07-02 03 47 19 ↑↑神将は駆逐+勇将ではないぞ。神将、飛将、勇将はみな特有の効果があるから、ある意味固有特技と言える。 個人的には固有特技よりも勢力ごとの固有技巧がほしい。その勢力を滅ぼすとその固有技巧も開発できるようになる、とかで。 -- (名無しさん) 2011-07-02 09 02 44 ↑×4別に固有の特技がいくつか出来たくらいで増す管理の手間なんて大したことないだろ 不満あったら覇王編集推奨とか頭使わなすぎ。技巧の開発は何かしらの制限があってもいいかもね 今作だと北の勢力も南の勢力も同じように技巧伸ばせるから -- (名無しさん) 2011-07-02 10 12 42 ↑技巧を信長の野望の固有技術みたいな感じにするのも良いと思う。 徳川家が「三河魂」を持ってるように公孫瓉軍は「白馬義従」という技巧を使えるという感じで。 劉表軍や陶謙軍の固有技術は何だと聞かれても困るけど…。(そもそも武官がそんなにいない…) -- (名無しさん) 2011-07-02 12 37 07 ↑技巧を基本技巧+固有技巧とかにしたら良いんじゃないかな。 基本技巧はどの勢力でも開発できる、固有技巧は特定の勢力だけ。 固有技巧でも曹操軍「魏武の強」、袁紹・袁術軍「四世三公」とかの特有なものと あまり特徴のない勢力や新武将勢力用の汎用固有技巧を作れば良い。 汎用固有技巧にも武力系、政治系、反乱系みたいに複数の技巧を作れば個性も出る。 基本技巧にも支配地域や支配都市数に合わせて変化しても面白い。 -- (名無しさん) 2011-07-02 13 25 41 特技は組み合わせ式のほうが良かったように思う。 そのほうがパターン多い(たとえば10個の特技しかなくても1024通り)し、 編集も楽だから。 能力値も増え、特技もあるようになって武将の個性は出やすくなったが、それだけ蜀贔屓する内容も増え、ゲームとして歪になってきた傾向があるように思う。 「編集すればいい」と言われても、能力値が多いと大変だし、そもそも編集なしでもゲームバランスがとれてなければゲームではない。 -- (名無しさん) 2011-07-02 13 42 06 ↑それをやっちゃうと3人部隊にするだけで強力な部隊がいくらでもできちゃうから、微妙なところかな。 それを避けるために特技が過去作みたいに「戦法が増えるだけ」みたいな特技になっちゃうのも寂しい。 というより蜀贔屓は三国志演義がある限りしょうがないことだし、贔屓されている連中は本当にごく一部だけで トータルで見たら国力は似たようなものなんだからゲームバランスはとれてるように思う。(AIが馬鹿だから簡単になっちゃうけど。) それこそ蜀贔屓のないゲームを作ったら、魏が最強すぎて逆にゲームバランスがとれなくなる気がする。 -- (名無しさん) 2011-07-02 14 00 15 KOEIは、あえて「固有○○」というのを無くすことによって、三国志と信長の野望を区別化しようとしてるんじゃないのか? しかも実際三国志に導入するとなるとはっきりしたネタがあまり無いような -- (名無しさん) 2011-07-02 14 51 00 武将の能力の蜀贔屓はむしろ三国志の定番だからこのままでもいいが 武将数をどうにかしてほしい 明らかに呉の武将が少ない -- (名無しさん) 2011-07-02 16 29 07 百出があるんなら、戦法の気力消費1って言うのが欲しい。韓信などの名将軍に -- (名無しさん) 2011-08-01 22 47 22 ↑言っていることは良くわかるし、確かに韓信はその特技に値すると思う。 だけど、そんな特技ができても、どうせその特技を持つのは蜀の誰かだよ。 -- (名無しさん) 2011-08-02 11 47 07 ↑ 司馬懿or曹操のほうがしっくりきませんか?これで孔明と差別化できて、いいと思います -- (名無しさん) 2011-08-02 18 13 29 ↑どちらにせよ高統率系の特技は欲しいね 個人的には政治系特技ももう少し欲しいけど -- (名無しさん) 2011-08-02 19 42 57 蜀の五虎将軍と魏の五将軍の能力特技比べたら 蜀が圧倒的に優れてるというのが酷い 昔ほどではなくなったけどまだまだ魏のメイン層の能力が低いと思う -- (名無しさん) 2011-08-02 21 29 45 その魏よりも人材不足の呉っていったい.... -- (名無しさん) 2011-08-03 00 30 44 十常寺だしてほしい・・・ あと劉協とかだしてほしい -- (名無しさん) 2011-08-08 00 39 11 ↑献帝は決戦制覇の逆賊討伐戦で出てるよ。 あと十常侍の張譲と蹇碩も内部データは存在してて何進は二人を嫌悪してる設定になってるみたい。 -- (名無しさん) 2011-08-08 15 30 58 建安七子の王粲にも詩想のスキルを・・・ -- (名無しさん) 2011-08-08 17 32 19 ↑同じ建安七子の孔融にも詩想を…せめて名声でも付けてあげて… -- (名無しさん) 2011-08-08 17 38 05 脳筋武将のために大喝を入れてほしい。 あと献帝を擁立しているときのみ勅命をだせつようになるとか 例えばaの勢力がbの都市を数か月以内に落とさないといけないとか、お金の要求とかこれで漢室重視の重要性が出てくる。 -- (名無しさん) 2011-08-10 01 53 03 交趾と士一族を復活させて欲しい… 10ではあったのに何故消えた…(9じゃ交趾は出てるのに士一族はいなかったけど…) -- (名無しさん) 2011-08-25 05 13 57 ↑俺も思う。端っこだけど益州・荊州・揚州へとつながる要所だしね。交州に最低2都市は欲しいね。 -- (名無しさん) 2011-08-25 09 28 53 農民の反乱を復活させてほしい -- (あき) 2011-09-11 20 59 42 特技を「プラス効果のある特技」「±両方の効果のある特技」「マイナス効果のある特技」 みたいに3種類用意して、最大で1武将が3種類の特技を持てるようにしてほしい 例) 脳筋…戦法の威力50%アップ、計略の被害50アップ 傲慢…大将の時、部隊内の血縁・義兄弟・親愛以外の武将の特技打消し -- (名無しさん) 2011-09-13 15 20 39 蒼天録みたいに、かなり前の時代のシナリオがあってもいいと思う。異民族を初期から使えるようにして。 -- (名無しさん) 2011-09-14 20 43 34 高句麗を異民族として登場させてもいいと思う。 -- (名無しさん) 2011-09-14 20 45 07 八王の乱シナリオ -- (名無しさん) 2011-09-14 20 46 05 イベントエディタ -- (名無しさん) 2011-09-14 20 47 59 ①戦闘部隊間の計略成否判定時に舌戦に持込めるシステム(武将・能力)希望 ②部隊への命令が即行動反映されないシステム希望(現実ぽい。君主・武将能力、相性が、タイムラグ度合や命令違反確率に影響) -- (名無しさん) 2011-10-10 11 39 26 拠点陥落で付近の部隊の気力低下、低義理武将の忠誠低下、低統率部隊が混乱するように 都市奪取時の物資散逸割合・施設破壊数の低下 ターン経過を5日刻みに(≒戦闘回数倍) 関の耐久値上昇、関の両側の領域に敵対部隊が存在しない限り兵力が自然低下しないように 支城システムの導入 都市に一つずつ築ける。勢力の本拠地にできる。場所は複数の候補から選ぶ。収入収穫は関港の二倍。 都市が徴兵する度に少しずつ兵力が増える。装備兵装は金1と等価で買える 陣、砦、城塞、櫓、連弩櫓は兵が駐屯して初めて効果発揮 拠点兵力or士気0で奪取可能、耐久0で破壊 負傷兵システム復活 外交関係「従属」の復活 放浪軍システム復活 君主のいる本隊と支隊3~4部隊で形成。支隊は本隊から10マス以上離れられない 金・兵糧の概念がない。建設不可。兵装は放浪開始時に選ぶ 月経過で親愛武将・義兄弟以外の武将の忠誠が低下 訓練(戦法)で気力を5回復できる 敵対勢力以外の港を通行可能 都市か支城を奪取することで勢力に復帰可能 技巧は横一列だけ持ち越し ひとりよがりですいません。次回作も同じシステムならマップ拡大してくれると嬉しいです -- (名無しさん) 2011-10-26 00 49 54 既出だとは思うけど、後期シナリオの充実を。魏の一人勝ち状態だとは思うけどね。 -- (名無しさん) 2011-11-12 09 21 52 孔明とか史実(政治家)と演義(軍師)では能力イメージが違うので、それぞれの能力モードを選べるようにしてほしい。 -- (名無しさん) 2011-12-20 11 47 05 蜀滅亡後のシナリオの充実。 晋と呉の後期武将の充実。 -- (名無しさん) 2011-12-27 18 31 23 妖術禁止オプションを選んだときには代わりの特技が出てくるようにして欲しい -- (名無しさん) 2011-12-31 17 10 18 sanngokusi play kibonnna!!!!! fainal koei pleasE -- (内田 雄久) 2012-01-06 09 56 13 三国志12期待しています。 脳内補完必須としても気になりません。 COM弱点探求過程が面白いのですから。 計略→引抜きをスキなく仕掛けるCOM相手はストレスです。 無双シリーズでも、能力初期化・最強武器装備して最高難易度挑戦する際のゲームバランスも絶妙です。 たかが鉄砲小隊がとても怖かったりして現実味・緊張感あります。 ボタン連打だけの限界、また、武将のちょっとしたコメント等よく練られていて感心します。 計略時『家に火をかけるぞ』→混乱、といったKOEI独特の、知識に裏打ちされた上での洒落等絶妙です。 -- (KOEIファン) 2012-02-12 12 47 02 ログを項目別に表示可能にして詳細にかな そのセーブデータを残す必要なくなるしw(途中で飽きる) -- (名無しさん) 2012-02-19 09 05 41 負の連鎖の復活かな -- (名無しさん) 2012-02-19 09 18 52 三国志12をWiiでも発売してください。 -- (?) 2012-02-25 15 55 48 PS2でも発売のほどよろしくお願いいたします -- (白天洛) 2012-03-09 05 29 48 もう…いっその事 みんなでゲーム作らない、 コーエーに提出するプロットみたいなのでを… だってみんな三国志もコーエーも好きでしょう。 ポケモン信長の野望とかマジ許せねえ!! `ヘ´ -- (名無しさん) 2012-03-24 01 49 44 太閤立志伝シリーズも出してくれ -- (名無しさん) 2012-03-24 02 06 31 いよいよ、無茶苦茶になってきたな/// -- (名無しさん) 2012-03-24 02 13 50 上から下まで読むと スパコンでしか無理じゃね? -- (名無しさん) 2012-03-24 22 34 51 12の動画を見たが声優が合ってない 無双系の董卓が曹操ってちょっと お願いですから音声があるなら無双系と一緒にしてください -- (名無しさん) 2012-04-12 18 12 10 イベントで 「酒飲みて、友を得る」 みたいなのが欲しい 功績と相性が近い武将たちが月初めに酒を酌み交わして 親愛武将同士になるとか… -- (名無しさん) 2012-04-14 02 49 41 ↑それ義兄弟と大して変わらんだろ -- (名無しさん) 2012-04-14 04 23 53 技巧Pの減らない義兄弟って感じか? それなら子供が産まれるたび能力+1のほうが良いと思うが… -- (名無しさん) 2012-04-15 00 22 31 また曹操有利になるって -- (名無しさん) 2012-04-16 01 19 50 都市に火計をしたら稀に物資の一部が焼失 それに伴い特技「焼計」とかが追加 「焼計」火計もしくは火矢を行うと敵都市の物資が必ず減る ログは「ちっ 兵糧が燃えちまったぜ(モデル張飛)」みたいなので -- (名無しさん) 2012-04-17 04 19 22 新武将・いにしえ武将・水滸伝武将は削除していいから1000人ぐらい武将入れてほしい。 -- (名無しさん) 2012-05-28 21 30 45 ↑に激しく同意。あと諸葛亮が居なくなったシナもある程度はやっぱほしい -- (名無しさん) 2012-05-29 01 24 11 太守じぶんで楽に決めたい -- (名無しさん) 2012-06-22 19 30 22 ↑2には激しく同意するが新武将は欲しい(個人的に醍醐味) ・三国志10のようなイベント展開をもう少し煮詰めて密にして頂きたい ・あと演義と正史で能力変換+性格変換など ・消えた勢力の復活を希望(士キョウなど) ・ラストに「司馬徽」「華佗」などを武将として使用可能 ぐらいを三国志13では希望あともうリストラすんな! -- (名無しさん) 2012-07-01 01 38 52 能力値は君主の10分の1とかでいいからモブ文官武官が欲しい どんだけ小勢力っつっても初期武将二人とかないだろさすがに -- (名無しさん) 2012-08-08 00 55 19 ,,,...-=、,,_ _,,--‐ "´ ` ヽ、,, / ` 、ヽ / ヽノ ノ ` ヽ, 彡 i /. / l ! ( , ,r ,,.. ハ | `ゝi ,,(/ /´ , ,,. r ´i r ゝ 昔はMAP兵器といえば俺の r ‐、-,_、ミ;;;、 iλィ ´ ヽ. i、 /´ ZZの事を言ってたんだぜ。 ヾt ! 、r _) `リ レ ,;二ニ_ミ ヽ〉ヽ丿 `i.l ` ´ _r _}ヾ ./r ~ 「幸運持ちのジュドーさん」 . l i " ´ /./´ なんて言われてね。 ,, -ヽ ,_ ` " / ´ /. ,,l \ ,, ~´ _/ノ_ 懐かしいなぁ・・・ / l !, \ ,.. ィ ´/ `ヽ 、 _]]´ l ヽ、  ̄,; =,,、 ヽ 、 ・・・なぁ、嘘だって言って _,,, --‐ ",, -‐L、 l ` ヽ,r - "´ ,ヘ `ヽ `ゝ くれよ・・・。 /~ ̄,,.. --‐ ~´ ! \ l、 -、,,_ || _,, - ´ .ヽ / !‐ ~´ ヽ、 ! \ ハ ` Τ ´ λ 、 /ニ=、,_ / ´ ` ! ヽ ! / | | /`l `ヽ、 `ヽ ./ ! . | ! / .l | `! l / |`l -- (名無しさん) 2012-08-08 19 21 56 r 丁´ ̄ ̄ ̄ ̄`7¬‐,-、 / r | | | |/ >、 / ! | | | |レ ´/| | 待 て | | | /\ | |l /⊂う | | | |__∠∠ヽ_\ | リ / j ヽ |´ ̄ O  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`! 〉 あ わ て る な l "´ ̄ ̄ヾ "´ ̄ ̄`ヾ 幵ー{ / ⊥,,,,,_、 ___,,,,,ヾ| l | | lヾ´ f}`7 ヘ´fj ̄フ | l i ⌒i | こ れ は 孔 明 の 罠 だ l ,.ゝ‐イ `‐=ニ、i | l´ ( } ヽ l { | l 、_ノ ∠ヘ l / ̄ ヽ、 | l ヽ_ \,_________ ! ハ´ ̄ ̄ ̄`ト、 |亅〃/\ ,人 f ´ ̄ ̄ ̄``ヾ j ,!// {_っ )、 // `ト、__iiiii______,レ ‐ // _,/ /スァ-、 ,.イl{ { 々 !/´しllllト、 ̄`ヽ、 // /´,.-、 /彑ゝ-{スァ-、 ,.イ彑l l ゞ く l 〃 l|ハ.lヽ、 ハVゝヽ二ノ/ゝ-{、彑ゝ-{、彑ァ-、 ,.イ彑ゝ- l l ( (,) レシ′ !l `ソァ ´ _ノ7{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑{ ュゝ-{、彑l l ` -イヘ !l // /⌒ヽヾ/_ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、 {、彑ゝ- l l f⌒Yハ , !l/ / ヽ_う ノ /-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ 彑ゝ-{、彑l l{ に!小 ヽ /!l / ,/ /彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、 ―――横山光輝著『三国志』より -- (名無しさん) 2012-08-26 19 46 18 pspで11Pkでるなら本体とセットで買っちゃおうかな。 VITAで出すんだろうけど・・・ -- (psp持ってない奴) 2012-09-12 02 06 41 CG鑑賞モードと名跡復活 -- (名無しさん) 2012-10-01 13 01 04 全国の戦猛者達との戦大会等の大会開催希望 -- (名無しさん) 2012-10-25 16 17 13 太守自分で決めたい -- (名無しさん) 2012-10-29 19 11 03 武将の処断を捕虜とか配下に対して行えるようにしたい、暴君プレイとか敗戦の責任を取れ!みたいな感じで -- (名無しさん) 2012-10-31 01 28 45 謀反した時orされたとき 一騎打ちが発生敵対武将をすべて切り伏せると謀反鎮圧みたいな -- (名無しさん) 2012-11-01 12 36 36 漢中は大都市にすべき -- (名探偵孔明) 2012-11-29 20 24 48 戦略に左右されるような生涯に通しての武将の性格の気性の並があったり運がいい時期があったりしたら面白くなりそう 武将のもつ性質で一騎打ちや外交戦略に有利になったり不利になったりする時期があるとか あと 戦闘中金兵糧ある部隊は途中山賊や海賊に襲われるとか捕虜から仲間にして兵数有利になるとか 一発逆転海賊山賊バンザイシステム 野蛮な南蛮人ももっといかせ あと戦闘中自然災害欲しい落雷や洪水落石とか戦略でなく時期や運勢とかリアル映像でね 武将の運勢とかあっていい時期悪い時期で自然災害とかに左右されちゃうなんて最高傑作じゃん♪ 最近の三国志シリーズはあまりにもワンパターン過ぎてつまんないね 攻略方とか通じないの作ってくれ -- (名無しさん) 2012-12-05 03 18 55 政治力が兵糧の減り具合に関係するようなシステムほしいなぁ 特に兵数が増えるほど部隊の政治力高くないと兵糧がみるみる無くなるみたいな あと、指揮兵数が増えると連れていける副将数が増えるとかもほしい まぁ序盤に副将なんかつけてる余裕ないからこれはいいか -- (兵站係) 2012-12-26 15 34 44 相性値が年を経るにつれて変わっていったらいいなと思う。 例えば、劉備が荀彧を登用したら、1年毎に相性が1劉備寄りになるとか。 何年も同じ君主の元にいるのに、ずっと相性が悪いってのもなんだかなぁ・・・。 -- (名無しさん) 2012-12-26 20 20 32 男らしく計略に暗殺を追加してほしい 没年数を過ぎても生きてる奴は殺害できるけど 没年数を過ぎて無い場合は重傷になるだけみたいな -- (名無しさん) 2012-12-31 13 20 33 三国志13は内容が濃い傑作になる事を祈る--☆ -- (名無しさん) 2013-01-07 03 37 06 たとえ制作側に罵られようとも 我々はより良くより好い三国志を求めます より濃くより面白くそしてより熱くそしてより自由に!! っというのを三国志13では希望いたします KOEI三国志成作本陣御中およびシブサワコウ様 敬具 追伸・戦法によるCGカットインは良かったです(女性キャラがもっと欲しかった) 特技は三国志Ⅹと11のミックスが良いと思います 例…全体保有の特技+固有特技 よろしくお願いいたします -- (P&Z) 2013-01-07 11 58 41 一拠点の兵士数・兵装・兵糧・金は上限なしが良かった。 城の改築もほしいね。 -- (名無しさん) 2013-01-18 19 44 43 城の改築は実質的に防衛技巧の研究じゃないのか -- (名無しさん) 2013-01-19 20 02 20 かなり前の作から思っていたのですが、配下文武官の官職名を自由につけたいです。 できれば人数も変更枠つきで…。 オリジナルネーミングは勿論、五虎を同列に並べたり等の拘りプレイをしたいというのが、三国志での一番の望みです故。 -- (名無しさん) 2013-02-08 18 30 54 晋の建国が見たい 220以後のシナリオで蜀が滅亡しており 姜維または鐘会を君主とする勢力が無い 結果…魏の領土が晋になり司馬孚を除く司馬氏が君主となる みたいな -- (名無しさん) 2013-02-18 15 08 36 とりあえず あのアホAIをなんとかして 小出しとかうざいだけ もっと大軍で一気にだしてほしい 他の都市から援軍とかもっときてくれないとつまらない -- (アホAI) 2013-02-27 09 31 06 特技「仁徳」等の追加 「仁徳」嫌悪武将以外からの全支援攻撃あり確率5% -- (名無しさん) 2013-05-29 13 08 03 奇遇。私も今日同じ特技考えてました。水滸伝の宋江に付ける特技は何がいいかな、と。 -- (名無しさん) 2013-05-29 22 45 25 都市毎の人口を復活してほしいな -- (名無しさん) 2013-06-29 01 15 52 もし13で固有特技(新武将と共有で)作るなら 張飛・・・「万軍不退」 兵力50パーセント以下なら三ターンの間ノーダメ 程昱・・・「支主献計」 計略成功率アップと使用P減 関羽・・・「義武神勇」 忠誠120以上の武将を強化 顔良・文醜・・・「闘武双刃」所持武将の数に応じて能力アップ 董卓・・・「暴虐闘陣」相手より兵力が多いと発動、兵力差に応じた能力アップ ただし被ダメージ2割増し 郭図・・・「出たら負け」相手より兵力が多いと発動、統率上昇、知力ダウン 于禁・・・「粛陣堅攻」敵の計略成功率ダウン 被ダメージ2割減 与ダメージ2割減 劉表・・・「儒政安康」治安低下が少ない 馬超・・・「錦馬闘陣」騎兵戦法クリティカル 被ダメージ減 陳羣・・・「品階登法」自勢力の武将の功績アップ時に2割増し 張春華・・・「凶・・・賢妻賢母」血縁武将の能力経験値が2割増し 胡車児・・・「襲撃巧者」コマンド「襲撃」が必ず成功 劉備・・・「仁器天呑」全部隊支援攻撃発生&治安低下なし 項羽・・・「天地覇王」・・・Allクリティカル 劉秀・・・「人道天意」・・・負傷しない 死亡しない 陸系適性三種(槍・騎・戟)クリティカル 張良・・・「千里外勝」計略範囲大 韓信・・・「国士無双」兵法消費P三分の一 呂尚・・・「天意縦計」自分より知力が低い武将に対してすべての計略が妖術・鬼門も含め必ずせいこうする 孫皓・・・「恐政我道」忠誠は下がりやすいが収入は大幅に増える 李斯・・・「法政法治」治安が下がりにくい忠誠が下がりにくい 王異・・・「報復誓意」嫌悪武将が戦場にででおりなおかつ敵だと能力5割増し 費禕・・・「人心融和」自勢力の嫌悪設定が凍結される 田豊・・・「剛直賢士」嫌悪武将所属隊以外の隊の知力上昇 鍾会・・・「溺才英士」能力上昇ただし計略看破率2割減 建安七子・・・「建安詩子」 曹植・・・「詩聖創華」 曹爽 曹羲 曹訓・・・「三頭乱舞」三人いると発動 こんな感じでしょうか全体的に四文字でまとめてみました 厨二くさい感じになってしまい失礼しました それと長文失礼いたしました -- (名無しさん) 2013-07-18 02 15 13 いにしえの固有グラと固有カットインが欲しい。 -- (名無しさん) 2013-09-20 13 23 22 「三国志名将二十四選」スレなんかを元に、不遇武将を救済して欲しい。特に劉備。 http //ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1362941435/ -- (名無しさん) 2013-10-27 15 18 04 PSVIitaで三國志11出して下さい。 -- (名無しさん) 2014-01-31 08 27 19 comAIの性能をもっと高めてください。 1枚マップは必須として、 人口と士気のシステムの復活もお願いします。 -- (名無しさん) 2014-02-15 11 26 53 行動力は都市数に応じていいので、治安を一括で上昇できるコマンドがぜひほしいです。 半分くらい制覇してくると季節毎にストレスたまるので。 -- (名無しさん) 2014-02-15 11 30 16 新武将登録したくても漢字が使えなくて作れない人物が沢山いて残念です。 楚漢戦争の人物だと樊カイ、カイ通、レキ食其etc -- (名無しさん) 2014-09-15 21 50 53 「使えない特技」と不評の親○○系特技について提案 「異民族の根城が出現しない」 という効果からもっと踏み込んで、「異民族の兵を期限付きで借りることができる」に グレードアップしていただきたいです。援軍要請する特殊コマンドを新たに追加して。 「親○○所有武将の魅力」~異民族兵の動員数に反映される 「親○○所有武将の政治」~異民族兵の派遣期間に反映される ゲームバランスの関係上、「異民族兵は攻城戦に参加できない」という制限を設けた方が いいと思います。辺境地の守備戦に活躍するくらいがちょうどいいでしょう。 -- (名無しさん) 2016-01-10 03 04 51 皆さん面白い意見をお持ちだなあ~ 実現されたらかなり面白そうだけど、 俺は高望みせず信長革新の配置ランダム替えと 三国志Internetにあった家臣ランダム替えの2つを 搭載してくれれば、あとは何も要らないよ -- (名無しさん) 2016-01-10 08 27 38 萌えキャライラネ -- (名無しさん) 2016-03-12 00 36 12 シナリオは三国志8のように1年ごとがいい。 -- (名無しさん) 2016-10-30 18 57 46 女キャラ出しすぎ -- (名無しさん) 2017-01-15 20 00 09 正史基準か演義基準かを選択できるようにしてほしい(主に死亡年とか) -- (名無しさん) 2017-02-28 06 24 16 武将の能力値は演義基準だから仕方がなかったのかもしれないが、都市の豊かさや地理関係くらいきちんとして欲しかった。 豫洲の州治である小沛が許昌と繋がってないとか新野や小沛や武陵が貧しくて襄平や武威や会稽が豊かとかあまりにも滅茶苦茶。 それに上党・交趾・広陵が無いせいで鄴‐洛陽‐晋陽の間とか、零陵と雲南の間とか、下邳と建業の間とか無意味に遠いし。 -- (名無しさん) 2017-04-11 21 46 34 最高傑作だからスマホでもやりたい -- (名無しさん) 2018-07-07 22 53 24 AIに穴が多いのはそれでよいと思います。 AIを賢くすればするほど「この局面を抜けるにはこの方法しかない」という状況が増えてしまい、面白味に欠けると思うのです。 いろいろ穴があるからこそ、そこを突く方法もいろいろあり、プレイヤーが選択できる楽しみが生まれている。 そういう面もあると思います。 ただ、「前線に適切に武将を配置する」という程度はできるようになってほしいです。このあたりが13になっても改善されていない。 -- (名無しさん) 2018-07-12 23 08 19 ズームOUT時の表示範囲をもっと増やしたい。 なんなら1枚マップ全体を表示したい。 あちこちで敵勢力がちまちま動いてるのを見たいんです。 -- (名無しさん) 2018-08-24 14 12 21 どう遊ぼうとまったくかまわないし好きにして楽しんだらいいと思うんだが、三国志って歴史ゲーでもあるしその武将のイメージとか活躍を大事にしたいと思うのでなんでもかんでも特技書き換えする人はなんでこのゲームしてるんだろうと思っちゃうね。 要望としてはもっと自由に編集させてほしい。城の配置やシナリオなどその他もろもろ何もかも自由に編集させてほしい。自由度が少ない -- (名無しさん) 2018-09-17 18 24 34 誰を太守にするか決めさせてほしい -- (名無しさん) 2018-10-12 02 44 26 単純に、PS2とPCで性能が違うとか武将やシナリオがあるないとか勘弁してほしいわ -- (名無しさん) 2018-10-14 15 03 03 すっげえどうでもいい話だけど、11をベースにして裏道桟道なんかを残したままで友人と通信対戦できるゲームが欲しい。 三國志はそういうゲームじゃないって公式から明言されてるけど・・・それでも欲しいものは欲しいんじゃ・・・ドヤ顔で兵法引用した戦いを展開したいんじゃ!!← -- (名無しさん) 2018-11-01 13 26 41
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か行つづき呉懿(字:子遠)(ゴイ/シエン) 黄蓋(字:公覆)(コウガイ/コウフク) 高幹(字:元才)(コウカン/ゲンサイ) 黄月英(コウゲツエイ) 黄権(字:公衡)(コウケン/コウコウ) 黄皓(コウコウ) 高柔(字:文恵)(コウジュウ/ブンケイ) 高順(コウジュン) 高昇(コウショウ) 侯成(コウセイ) 黄祖(コウソ) 公孫越(コウソンエツ) 公孫淵(字:文懿)(コウソンエン/ブンイ) 公孫恭(コウソンキョウ) 公孫康(コウソンコウ) 公孫瓚(字:伯珪)(コウソンサン/ハクケイ) 公孫続(コウソンショク) 公孫度(字:升済)(コウソンド/ショウサイ) 公孫範(コウソンハン) 黄忠(字:漢升)(コウチュウ/カンショウ) 高沛(コウハイ) 皇甫嵩(字:義真)(コウホスウ/ギシン) 孔融(字:文挙)(コウユウ/ブンキョ) 高覧(コウラン) 国淵(字:子尼)(コクエン/シジ) 呉景(ゴケイ) 吾粲(字:孔休)(ゴサン/コウキュウ) 呉質(字:季重)(ゴシツ/キジュウ) 兀突骨(ゴツトツコツ) 胡班(コハン) 顧雍(字:元歎)(コヨウ/ゲンタン) 呉蘭(ゴラン) か行つづき 呉懿(字:子遠)(ゴイ/シエン) 密かな名将であり劉備の外戚でもあるのに、個人伝が無く、架空戦記でも目立たない不遇の人。 出演作品:閣下で三国統一、曹操P業、中華争奪戦、おれ達、黄巾賊!、三國夢想 作品名:閣下で三国統一劉焉、劉璋に仕えたが武都陥落後、冷苞、高沛、陳寿とともに天海軍に降る。 後、武都の太守。難民としてたどり着いた劉備や孔明らに同情して勝手に登用してしまっていた。 作品名:曹操P業まったく働く気の無いニートの劉璋をなんとかして働かせようとするもうまくいかず、曹操軍の侵攻に孤軍奮闘し最後まで蜀を支え続けた。 劉璋をフルボッコにして少しずつでも働くようにさせてくれた曹操に恩義を感じ、忠誠を誓っている。 作品名:中華争奪戦天海軍の初陣の相手。あずさの乳揺れで鼻血を垂れ流し混乱。黄権に萎えさせられるも、再びの揺れで混乱した。 作品名:おれ達、黄巾賊!春閣下軍に組み込まれている。春閣下の印象は恐ろしいが頼りになるというもので、他の三国武将よりは春閣下軍に馴染んでいる。 春香に逃げられたことを指摘してしまったため、春閣下に《ファイレクシアの蔵/Phyrexian Vault(MIR)》にぶち込むぞ(つまり、生贄に捧げて殺すぞ)と脅されたことがある。 作品名:三國夢想劉焉軍。永安の守将だが、呉蘭とまったりとお茶を飲んでおり、城が落ちても美希が紛れ込んでも、あまつさえ賈詡が兵を率いて突入しても事態に気付かなかった。 江州と成都の戦では脅威の支援攻撃率を発揮し馬超軍を苦しめる。 黄蓋(字:公覆)(コウガイ/コウフク) 出演作品:美妓皇帝、三国×M@ster、中学生太守はじめました、後漢流離譚、おれ達、黄巾賊! 作品名:美妓皇帝あずさ軍最初期からのスタッフ。アイドル達の胸元ガン見に定評がある。 老いて益々パワフルで、あずさを口説くなど元気である。 作品名:三国×M@ster孫堅と孫策の稽古を見守る孫堅軍の将軍。戦場では春香を傷つけられて怒った呂布隊の兵士達にリンチを受けた。 孫呉の将の中ではまともかと思いきや、ガイア・クラッシャーで大地を割って逃げ出した。お前がブラックジョーカーかよ! その後何故か董卓軍にいて復讐の機会を狙っていたが、呂布に孫堅が春香の仲間になったと聞かされ、去っていった。 作品名:中学生太守はじめました呉の将。亜美にメロメロな孫堅に半ばあきらめ気味。 作品名:後漢流離譚孫呉の忠臣。赤壁の戦いで苦肉の計を謀るが、郭嘉に看破されて戦死する。 作品名:おれ達、黄巾賊!孫呉の将。娘に祭がいる。貴音を祭以来の鍛え甲斐がある若者と張り切って稽古をつけていたが、祭の逆鱗に触れ、腰を外された。 『君主は陶濬』と同じくこっちでもひぎぃと鳴く。 高幹(字:元才)(コウカン/ゲンサイ) 出演作品:おれ達、黄巾賊! 作品名:おれ達、黄巾賊!黄巾党に降っている、なーのですよー。眭固と顔芸 sを結成している。 にぱー☆ 黄月英(コウゲツエイ) 出演作品:美妓皇帝、中華無双iM@S、765プロ三国時代、三國夢想、おれ達、黄巾賊! 作品名:美妓皇帝新野のアイドル。アイドルでありながら人前には姿を現さず、声だけで活動している。そのため醜いのではないかという噂が立てられている。 視聴者からは、声優、バーチャルアイドル、ボーカロイド、シャロン=アップルなど様々な例えが出された。 明確に語られてはいないが、恐らくは気弱で人前に出ることができない人物。そのため、雪歩に親近感と尊敬を抱き、なるべくなら敵対したくないと考えている。 作品名:中華無双iM@Sやよいの戦う姿を見て、やよいクリーチャー(大)を生み出した。以後、劉備軍のメンバーがやよクリに侵食される元凶を作った人物。 そんな自身も真っ先にやよクリの餌食になり、侵食されてしまった。 作品名:765プロ三国時代姜維に襲われた諸葛亮を助けもせず腐った目で見物していた。 作品名:三國夢想劉備軍で兵器開発に携わっている。雪歩をゆきちゃんと呼ぶ。 作品名:おれ達、黄巾賊!夫の諸葛亮とともに春閣下軍に吸収され、既に大戦化している。眼鏡っ娘。丁寧口調。 春閣下により兵器開発部の責任者に任命された。部下には姜維と《ゴブリンの溶接工/Goblin Welder(ULG)》が確認されている。 アーティファクサーとなり、三国世界の武将達でも着けられるアーティファクトを開発した天才。 黄権(字:公衡)(コウケン/コウコウ) 出演作品:閣下で三国統一、中華争奪戦 作品名:閣下で三国統一劉焉、劉璋に仕えたが武都陥落後、李厳、孟達とともに天海軍に降る。 後、建寧太守などを歴任。 作品名:中華争奪戦劉焉軍の将。天海軍の初陣の相手。混乱した呉懿を冷めさせるため、張松の裸を想像させるという奇策に出た。 二度目の対峙時は張任の副官で、一騎打ちでは王伉との連続攻撃で真を苦しめたが、律子に息を整える時間をもらった真に敗北する。 その後、五斗米道軍入りし上杉謙信の部下になっていた。一騎討ちの最中、厳顔と再会する。 黄皓(コウコウ) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦劉禅軍のラストエンペラーズ五龍将軍の一人。超ドMでアイドルたちや毛利三姉妹の罵倒が御褒美に見えるらしい。 足利超神に惚れられている。 高柔(字:文恵)(コウジュウ/ブンケイ) 出演作品:おれ達、黄巾賊! 作品名:おれ達、黄巾賊!袁紹の文官。理想論の田豊と現実論の逢紀の間を取り持つ。 戦後、張宝の登用に応じた。実は冒険野郎であり、日々刺激を求めていたらしい。こいつはちょっとした冒険だな! 高順(コウジュン) 出演作品:閣下で三国統一、曹操P業、美妓皇帝、三国アイドル列伝、中華無双iM@S、真三国志、iM@S演義、三国×M@ster、北方IM@S伝 俗称:社長、陥陣営、タカジュン 作品名:閣下で三国統一韓玄軍にいた。曹操軍の猛攻で武陵が風前の灯となり、特攻を決意したが黄忠に止められた。 亜美真美の妖術で南海に飛ばされてきた。双子を不自由させないために、春香の勧誘を受け天海軍に参加する。 作品名:美妓皇帝伊織軍のスタッフ。 伊織曰く「木獣職人」(陳宮は「解説担当」)。日の出と共に起床して鍛錬を行っている堅物の武人。 本人は真面目なのだが、亜美真美に懐かれており国淵から嫉妬されている。またスーパー紳士タイムを張遼に見られてしまう。 作品名:中華無双iM@S実況担当、そして変態。おジャ魔女派。 陥陣営の名前は伊達ではないが、間違った方向にしか使われない。 作品名:真三国志呂布軍の数少ない常識人。だが彼も真のことを「男っぽくない男」と思っていた。 バレンタインイベントで少年の物だけ受け取っていたこともありショタ疑惑を持たれる。 作品名:iM@S演義呂布配下として史実通りの活躍を見せる。八十九回、調子の出ない真を追い詰め、代わって入った楊奉を破って戦死させた。 続く九十回では呂布の戦死と共に降伏するが、小沛攻めの敗戦の責任から帰順せずに刑死。 作品名:三国×M@ster呂布の馬鹿に振り回されている苦労人C。呂布の紹介では「ブレイクダンスができなさそうな方」。 初期には真の師匠役も務めていたが、その空気を読む能力が災いして段々と空気に。呂布に名前すら忘れられた。 左慈の影が濃くなる薬を飲んだが、社長化してしまった。それでもやよいに気付いてもらえて涙を流す。 高昇(コウショウ) 出演作品:おれ達、黄巾賊! 作品名:おれ達、黄巾賊!黄巾党の同志。弓騎部隊を率いていたが、陳到を隊長に推挙した。辞退する陳到を、アミダくじで再選させる。 柳城櫓付近での乱戦の中、《憎悪/Hatred(EXO)》に理性すら捧げ狂気の獣となった呂曠に殺され、その首級は朝倉涼子によって春閣下への手土産にされた。 生前は熱狂的な伊織派。死後、いい奴だったと伊織に悼まれたのは彼にとって救いか。 侯成(コウセイ) 出演作品:美妓皇帝、おれ達、黄巾賊!、iM@s白馬将軍 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。黄巾党の【徐州大虐殺】によって亜美真美の熱狂的なファンになり、伊織軍スタッフになりに押しかけてきた将の一人。千早のことはまったく眼中に無い。 作品名:おれ達、黄巾賊!元呂布軍の将だが、ハルヒ軍に降る事を良しとせず、黄巾党に参加。 呂布騎馬隊の誇りを失っておらず、元同僚の魏続が慣れない歩兵を率いているのを見つけ、本領を思い出させるため宋憲(と、鶴屋さん)と突撃を敢行した。無駄に死亡フラグを建てる。 作品名:iM@s白馬将軍董卓軍の将軍。合肥の戦いに援軍として出されたが、田楷と伊織の挟み撃ちに遭い撃退される。 黄祖(コウソ) 出演作品:三国×M@ster 作品名:三国×M@ster劉表軍の武将。もじゃもじゃヒゲ。一言話すたびにわしゃわしゃするので大変ウザい。絡まると死亡フラグ。 戦後、ド○クエのモンスターが仲間になるノリで投降。 何故か孫堅に目の敵にされ、ボコボコにされた。瀕死でもヒゲはしゃくる。 公孫越(コウソンエツ) 出演作品:iM@S演義、三国アイドル列伝、im@s白馬将軍、中華無双iM@S、美妓皇帝、おれ達、黄巾賊!、三國夢想 作品名:iM@S演義本来なら191年、正史では戦死、演義では袁紹の手の者に暗殺されたことになっている。 しかし真美と出会ってからは、界橋の戦いで瀕死の重傷を負った趙雲と真美を助けに現れるなど、死亡フラグを次々に折る大活躍をしている。登場頻度、活躍度共に同作品最大の出世株。 登場する回・登場シーンには黄色い声援がお約束。特に第百一回でピンチに陥った春香を徐庶と共に救援に入った際は凄まじい弾幕が。キャーエツサーン! 最終回で実施された人気投票では、三国武将の中ではトップの票を獲得、並み居るアイドル達を抑えて第3位に入賞。最後の閑話休題のゲストとして出演した。キャーエツサーン! 作品名:三国アイドル列伝公孫瓚の従弟。 袁紹に滅ばされた後、公孫範と共に呂布軍に合流。 公孫一族(+田豫)による「イナゴジェットストリーム」「アルティメットイナゴバースト」と呼ばれる兵法連鎖を構成する一員として活躍する。 当初は三国志IXの顔グラだったが、途中からXIの顔グラに変更された。キャーエツサーン! 作品名:iM@s白馬将軍公孫瓚の弟設定。後に晋陽太守。公孫瓚不在時の幽州、冀州一帯の守備を担当する。この度配下に馬超を抱えることに。キャーエツサーン! ハイになると公孫瓚とワン・ツー・ハイを舞う。 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。辛憲英軍のスタッフで曹叡配下の武将。キャーエツサーン! 曹叡の無気力な振る舞いを見て「殴りたい」と思っている。 作品名:おれ達、黄巾賊!ハルヒ軍に滅亡させられたが、降った公孫瓚に納得せず、ハルヒに一泡吹かせてやるため姪の白蓮と共に崔琰と陳琳の勧誘を受諾し、黄巾党入り。 鄴攻め直前で弓騎馬隊の手が足りない程遠志・ティアナ・陳到に歓迎され、早速伝家の飛射で活躍している。キャーエツサーン! 作品名:三國夢想公孫瓚の腹案を密かに律子に伝えた。忙しい律子の体調を慮るジェントルマン。キャーエツサーン! 公孫淵(字:文懿)(コウソンエン/ブンイ) 出演作品:美妓皇帝、おれ達、黄巾賊! 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。叛乱を起こした祖父・公孫度に従い、遼東公孫一族の悲願「アイドル全員俺の嫁」計画を実行しようとした。 雪歩と美希を嫁にして、あえて雪歩の前で美希といちゃいちゃしたいらしい。やめて雪歩が病んじゃう! 反乱鎮圧後、責任を祖父一人になすりつけた。 作品名:おれ達、黄巾賊!ハルヒ軍に滅ぼされて降っている。意外にもハルヒを理解しており、ハルヒの最終決戦の賭けも先手を打ってその戦が派手になるよう準備を進めていた。ハルヒを暴君としつつも、民を笑顔にした指導者としては一定の評価を与えており、その気持ちに応えたハルヒから団員の称号をもらっている。 公孫度をおじいちゃんと呼ぶ。実は父の公孫康を伊織に殺されているが、復讐に全てを捧げる呂曠を見て、恨みの心は失せてしまったらしい。 公孫度から飛射を教えてもらう約束をしており、後日果たされた。また遼西公孫一族ともそれなりに仲はいい。 公孫恭(コウソンキョウ) 出演作品:美妓皇帝、im@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。叛乱を起こした父・公孫度に従い、遼東公孫一族の悲願「アイドル全員俺の嫁」計画を実行しようとした。 やよいと亜美真美を嫁にしたいらしい。嫁だけど性的な考えを起こさないのがアイドルの嫁宣言だという考えを持ち、これは清廉であるとして公孫度に賞賛された。 反乱鎮圧後、責任を父親一人になすりつけた。 作品名:iM@s白馬将軍公孫度軍の武将。公孫瓚軍に敗北するが公孫瓚自身の登用では降らなかった。公孫瓚の嫌いなところは「態度?」。なんで疑問系? はっきりしない態度で公孫瓚をブチ切れさせた。ちなみに楽浪の戦いで千早の虚報に惑わされ、退却している。 作品名:おれ達、黄巾賊!ハルヒ軍に吸収されていた。巨乳派で、みくるとみゆきに南皮攻略の報酬としてぱふぱふをせがむ予定だった。 かなりの助平だが、病気で不能なのは変わらず。 黄巾兵長Tに伊織の限定ブロマイドを提供し、代わりにあずさのブラチラ写真を提供してもらっていたが、張郃に逮捕された。 公孫康(コウソンコウ) 出演作品:美妓皇帝、im@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。叛乱を起こした父・公孫度に従い、遼東公孫一族の悲願「アイドル全員俺の嫁」計画を実行しようとした。 あずさ一筋。 反乱鎮圧後、責任を父親一人になすりつけた。 作品名:iM@s白馬将軍公孫度軍の武将。公孫瓚軍に敗北するが公孫瓚自身の登用では降らなかった。公孫瓚の嫌いなところは「性格」。 後に趙雲の説得で仕官。ウホッの気があるため、趙雲には避けられている。陳留の戦いでは太史慈の横殴りに入り、高幹を漁夫の利で捕獲。 作品名:おれ達、黄巾賊!公孫度軍滅亡後、袁紹軍に仕官したが、仕官早々とある理由で荒れている伊織に稽古で打ちのめされる。 伊織を見て思い出すあの時の小娘とは、涼宮ハルヒと思われる。 親と子を捨てて落ちてきた自責があるようで、二枚看板に娘を大切にするよう語った。 後にそのハルヒ軍に流れるが、よりによって伊織に狙撃されて戦死したらしい。結局買った花を供えてもらえなかった。 公孫瓚(字:伯珪)(コウソンサン/ハクケイ) 出演作品:美妓皇帝、iM@S演義、三国アイドル列伝、ういぽセブン マキシマムiM@S、im@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊!、三國夢想、天下創世合戦エディタで模擬戦をやってみる 俗称:イナゴ 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。薊のアイドル・蔡琰のスタッフ。盧植を師父と呼ぶ。 敗戦後伊織軍スタッフに。劉備と同門コンビで活躍する。 作品名:三国アイドル列伝公孫一族による飛射連携「イナゴジェットストリームアタック」が強すぎる。張燕と並ぶ渋かっこいい漢。 後に公孫越・公孫範・公孫続・田豫との連携で「究極白馬陣」または通称「アルティメットイナゴバースト」を繰り出し、黄忠隊を一瞬で蒸発させ、大百科に編纂されたり、動画自体が「三国イナゴ列伝」と呼ばれるほどの人気を博した。 作品名:ういぽセブン マキシマムiM@S何故か女性、死亡フラグを回避。呂布の弟を狙っているらしい。 作品名:im@s白馬将軍やよいと千早を召抱えて河北を統一し、僻地の戦好きを返上したイナゴっち。「~してくれい」という口癖がある。 主な戦法は全軍を騎馬で統一し、《強行》を多用する【白馬陣】。愛刀は倚天の剣。やよいには青釭の剣を与えている。 趙雲などにタメ口でしばかれるなど威厳の無い君主だったが、徐々に貫禄が出、名君になりつつある。王を自称することには消極的。 ロイヤルモードへの変身能力を持つ。七六五プロ武術大会には、何故か正月に枕元に置かれていた金三千を惜しげもなく提供した。 作品名:おれ達、黄巾賊!娘に白蓮がいる。ハルヒ軍に敗れ吸収されていた。 南皮攻めでキョンたちと井蘭部隊を率いるが、元袁紹幕僚団の策略で孤立、文醜との一騎討ちに敗れ、捕縛。 まだ戦闘中にあっさり寝返り、視聴者を呆れさせた。張角からも尻が軽すぎると言われており、案の定怒り心頭に達した白蓮から、弓騎隊の練習の的にされてしまった。 しかし黄巾党では中堅軍として活躍しており、特に狂気に魅入られた忠臣・朱儁との哲学戦争は敗れはしたものの彼の生き方を表したものとして好評を博した。 自分から始まる飛射五連鎖を(録画ミスにより)なかったことにされてしまった不幸な男。 作品名:三國夢想律子を軍師とし袁紹軍と河北争奪戦をしている。 何かと気弱で律子の尻に敷かれている状態。ほとんどの将軍が律子の私兵と化しているので威厳が無い。 城内でイナゴを育成し、たまに大繁殖して兵糧を食われたりしている。 ついに邪法?が完成し、河北の馬超領にイナゴ害を引き起こす。 作品名:天下創世合戦エディタで模擬戦をやってみるニコニコ歴史戦略ゲーサイドで参加。春香の火縄銃で撃たれまさかの狙撃死。 律子のフォローによりペイント弾ということになった。模擬戦ですから! 公孫続(コウソンショク) 出演作品:三国アイドル列伝、美妓皇帝、おれ達、黄巾賊! 作品名:三国アイドル列伝公孫瓚の息子。 袁紹に滅ばされた際に、父の命によりどんな事をしても生きる道を模索した上、呉まで流れる。 父や一族と合流後は、「イナゴジェットストリームアタック」「アルティメットイナゴバースト」と呼ばれる兵法連鎖を構成する一員として活躍する。 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。恐らく最初は父の公孫瓚とともに蔡琰軍のスタッフだったと思しい。伊織軍のスタッフに。 ヒロシ。亜美と曹叡の部隊に配属されてしまい、微妙な空気にやりづらいと嘆く。 作品名:おれ達、黄巾賊!黄巾党に所属。公孫瓚隊ではやはり父との連携攻撃が強力。若者言葉。 公孫度(字:升済)(コウソンド/ショウサイ) 出演作品:閣下で三国統一、美妓皇帝、im@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:閣下で三国統一曹操軍の将。太守の衛瓘の元、武陵に侵攻してきた趙範・天海連合軍に対し立ち向かうが、兵力差は如何ともできなかった。 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。襄平で叛乱を起こし、遼東公孫一族の悲願「アイドル全員俺の嫁」計画を実行しようとした。 正妻に律子、妾に伊織と千早と真という組み合わせで、いろいろと怒られたいらしい。 反乱鎮圧後伊織に、烏丸国境付近の万里の長城近くで、一人で弓櫓を延々と作り続ける作業に従事させられている(進行形)。 作品名:iM@s白馬将軍公孫度軍の君主。公孫瓚軍に敗北するが公孫瓚自身の登用では降らなかった。公孫瓚の嫌いなところは「顔」。 袁紹軍の禄を食んでいたが、後にやよいの熱心な説得で仕官。白馬陣の一角として対袁紹戦で活躍する。 作品名:おれ達、黄巾賊!ハルヒ軍に滅ぼされて降っている。意外にもハルヒを理解しており、ハルヒの最終決戦の賭けも先手を打ってその戦が派手になるよう準備を進めていた。ハルヒを暴君としつつも、民を笑顔にした指導者としては一定の評価を与えており、その気持ちに応えたハルヒから団員の称号をもらっている。 前倒れ過ぎる黄巾軍の中では慎重派で、対曹操・妖怪王の二正面作戦でもあえて辛い遊撃任務を引き受け、援軍とともに後背の敵に備える構えを見せている。 公孫範(コウソンハン) 出演作品:三国アイドル列伝、iM@s白馬将軍 作品名:三国アイドル列伝公孫瓚の従弟。 袁紹に滅ばされた後、公孫範と共に呂布軍に合流。 公孫一族(+田豫)による「イナゴジェットストリーム」「アルティメットイナゴバースト」と呼ばれる兵法連鎖を構成する一員として活躍する。 作品名:iM@s白馬将軍公孫瓚軍の将。主に援軍部隊の指揮を執る。領土が拡大してからは鄴の太守になっている。 黄忠(字:漢升)(コウチュウ/カンショウ) 出演作品:閣下で三国統一、曹操P業、iM@S演義、三国アイドル列伝、その時貧乳が動いた、美妓皇帝、765プロ三国時代、中華争奪戦、おれ達、黄巾賊! 作品名:閣下で三国統一韓玄軍に所属。亜美真美のおじいちゃん。 曹操軍の猛攻で武陵が風前の灯となり、韓玄や亜美真美を救うため、一か八かの双子の妖術に賭ける。 どこに飛ばされたか明らかになっていない。亜美真美は黄忠らを探すため天海軍に参加することになる。 作品名:曹操P業劉表軍の将として登場。亜美真美曰く「あれが噂の高性能爺ちゃん!?」との事。 反アイドル主義を掲げる劉表軍の中で隠れアイドルファンをやっていた。 曹操軍に降っておおっぴらにアイドルを応援できるようになり、雪歩を喫茶店に呼び出すなど自重しなくなってしまった。 作品名:iM@S演義宛に増援として魏延と共に派遣され、曹操を窮地に陥れる。しかし、英布を憑依させた春香に一騎討ちを挑まれ、魏延共々敗れる。 その後、八十一回で再登場。諸葛亮の態度に反発し、生来のワガママぶりを取り戻した伊織が同行を依頼したが、割ける兵の余裕はないとあっさりと断られる。 代わりに当陽の県令としてもう一人のスーパー軍師、龐統を紹介する。 作品名:三国アイドル列伝公孫瓚一族の「究極白馬陣(アルティメットイナゴバースト)」によって、無傷の状態から一瞬で部隊を蒸発させる場面ばかりがクローズアップされる、ある意味可愛そうな人物。 作品名:その時貧乳が動いた元気すぎるじいちゃん。弓の神様。特に混戦時の「乱射」は反則的破壊力を誇る。 名言「やよいはワシの孫!」宣言は視聴者の度肝を抜くとともに多くのやよいファンを敵に回したという。 作品名:美妓皇帝襄陽・江陵のアイドル、蔡氏のスタッフ。非常にノリがいい爺さん。他人を「○の字」と呼ぶ(呂蒙は「呂の字」等)。 物凄い方向音痴で庁舎の中ですら迷う。演歌と浪曲、吟醸をこよなく愛し、あずさファンとなってそのまま居つく。 作品名:中華争奪戦大耳戦隊ゴコレンジャーの一員。名乗りは“老いて、ますます盛ん”ゴコイエロー。 真に一騎討ちを申し込んだ理由は、真がジジイ狩りをしているという噂のため(真は厳顔、毛利元就、鄧艾とこれまでに三人の老将を破っていた)。 作品名:おれ達、黄巾賊!弓神。韓玄軍及び韓浩軍に仕える。娘に紫苑、孫に璃々がいる。魏延には爺と呼ばれ、乱暴な口調ながらも慕われている。 恐ろしく目が良く、陸遜に嵌められている《ヴィダルケンの枷/Vedalken Shackles(5DN)》の存在を見抜く。絵心もある。 《ゴブリンの集中攻撃/Goblin War Strike(SCG)》の投石を矢で射落とした上、《Centaur Archer(ICE)》や《オーク弩弓隊/Orcish Artillery(9ED)》などを次々と射抜く神業を見せる。 紫苑親子ややよいを城から落ち延びさせようとした。その後再建された劉備軍に脱出した模様。 高沛(コウハイ) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍董卓軍の将軍。合肥の戦いで、伊織軍団の参軍・李典の連環の計に引っかかるという失態を犯す。その李典の追撃に敗れた。 皇甫嵩(字:義真)(コウホスウ/ギシン) 出演作品:閣下で三国統一、美妓皇帝、三國夢想 作品名:閣下で三国統一曹操軍の将。南海戦では井蘭で天海軍を苦しめる。 作品名:美妓皇帝やよい編に登場。貂蝉軍。貂蝉の熱狂的な信奉者。 作品名:三國夢想ガチガチの旧型軍人で漢室信奉者。馬超軍の漢中撤退戦の指揮官として派遣されている。 漢室どうでもいいと発言した劉辟を修正した。 孔融(字:文挙)(コウユウ/ブンキョ) 出演作品:おれ達、黄巾賊! 作品名:おれ達、黄巾賊!孔子の子孫で北海太守。黄巾党の次の侵攻先に決まりかけていたが、倭の妖怪王軍に滅ぼされる。 路頭に迷っていた所を南条蘭に出会い、侵攻してきた相手の特徴を説明するため張角に引き合わされた。 高覧(コウラン) 出演作品:曹操P業、iM@s白馬将軍、おれ達、黄巾賊! 作品名:iM@s白馬将軍袁紹の武官。界橋の戦いでは城近くの砦の守備だったが、やよいのはさみうち戦法のまえに完敗している。 後に曹操に仕えたが、城陽の戦いで千早に壊滅させられ、下邳でも一時退却した真美を狙うも敵本陣から大返りした千早に阻止されるなど、いい所が無い。建業で趙雲の本陣一番乗りを阻止した程度か。 戦後、やよいゾーン(Ver.リルラ リルハ)により公孫瓚軍に仕官。 作品名:おれ達、黄巾賊!袁紹軍滅亡後、ハルヒ軍にいた。第二次南皮防衛線で一番槍をつけ、呂布に賞賛されている。 数え役萬☆姉妹ファンで天和派。濮陽の戦いでは天和の歌に奮起、城に大打撃を与えた。 国淵(字:子尼)(コクエン/シジ) 出演作品:美妓皇帝 作品名:美妓皇帝伊織軍のスタッフ。伊織に無理矢理登用されたが、現着してみて悪くない職場だと思ったらしい。 視聴者が認定する伊織軍で一番危険な男。亜美真美への執着は凄まじいものがある。普段の外面がまともなので余計手に負えない。 亜美真美のために木獣を作り、また非殺傷設定の火炎放射器を組み込んだ。だから変態に技術を与えるなとあれほど。 呉景(ゴケイ) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦孫権の叔父。孫権への小早川ちぬのお茶を毒見(という名の横取り)したが、見事大当たりで吐血する。 吾粲(字:孔休)(ゴサン/コウキュウ) 出演作品:その時貧乳が動いた、おれ達、黄巾賊! 作品名:その時貧乳が動いた立ち上げ当初からいる最古参であり貧乳軍の軍師であるが、能力的は平凡でじつに頼りない。 勝手に自分の能力値を上げるなど、およそ軍師らしからぬ行動をとり現在に至ってもなお視聴者から非難を浴び続ける。 一応この軍の中心的人物、のはず。たぶん。 作品名:おれ達、黄巾賊!なんとランスの軍師。妖怪王軍の併合の場に現れる。言動からはかなりランスのことを買っている模様。 呉質(字:季重)(ゴシツ/キジュウ) 出演作品:美妓皇帝 作品名:美妓皇帝伊織軍のスタッフ。亜美真美による愛称は「ごっつん」。 伊織に無理矢理登用された。傍若無人な伊織を時に諫めるプロデューサー的な役割。 留守番を命じられたり、忠言を聞き流されたり、損な役割を押しつけられたりする。 素直じゃない性格なため、同じくツンデレな伊織とよく衝突するが、お互いを支えあう良き相棒。 兀突骨(ゴツトツコツ) 出演作品:閣下で三国統一、おれ達、黄巾賊!、中華争奪戦、三國夢想、iM@S演義 作品名:閣下で三国統一孟獲軍。春香の挑発に遭った孟獲の突進に巻き込まれ、落ち着けと呆れる。 作品名:おれ達、黄巾賊!孟獲の援軍で登場。領内にファイレクシア病が流行っており、参陣が遅れた。 藤甲兵で群がるゴブリン軍団を押さえ込んだが、《ダウスィーの大将軍/Dauthi Warlord(EXO)》率いる《ダウスィーの殺害者/Dauthi Slayer(TEP)》のシャドーの前に完敗する。 作品名:中華争奪戦孟獲軍の将。あずさのJPYで鼻血を吹いた。が、雪歩のJPYでも吹くことが判明。結局は誰でもいいのか。 天海軍では伊織の副官として藤甲を活かした壁役となる。 作品名:三國夢想亜美真美と花鬘の護衛兼遊び相手。通称ゴツゴツ。超藤甲兀突ロボ。人語は話せず、「マ゛ッ」「アーサー」など古今東西のロボットの鳴き声で会話する。 操縦するのに鉄○28号のようなリモコンがあるらしく、太史慈に壊され暴走した。 作品名:iM@S演義南蛮亭・西鄂店長。百十九回に登場。一人だけ言動がヘン。あずさ達を人質に取り、総料理長の命令で女給長と共に関平と戦う。 「もう自棄だもんげ!」←もう許してやれよ。 南蛮流・超高速連槍術の使い手。しかしあっさりと関平に見切られて撃破された。 胡班(コハン) 出演作品:iM@s白馬将軍 作品名:iM@s白馬将軍陳珪軍の武将。柴桑の戦いで公孫瓚軍が川縁に引いた敵増援からの防衛線が突破できず焦る。趙雲に倒された。 顧雍(字:元歎)(コヨウ/ゲンタン) 出演作品:美妓皇帝、iM@s白馬将軍 作品名:美妓皇帝伊織編に登場。いつの間にか伊織軍のスタッフになっていた。千早派。張宝の落雷実験のために呼び出され、猫千早with落雷に萌え尽くされる。 作品名:iM@s白馬将軍建業の戦いでの曹操軍の参軍。やよいを火責めにしたが、趙雲に撃破される。 戦後、やよいゾーン(Ver.リルラ リルハ)により公孫瓚軍に仕官。 呉蘭(ゴラン) 出演作品:中華争奪戦 作品名:中華争奪戦劉焉軍の将。真に一騎討ちを挑まれるが、それは張松をおびき出すための律子の罠だった。 名前 コメント
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資治通鑑巻第二百二十七 唐紀四十三 徳宗神武聖文皇帝二 徳宗神武聖文皇帝二建中二年(辛酉、七八一年) 六月,庚寅,以浙江東、西觀察使、蘇州刺史韓滉為潤州刺史、浙江東、西節度使,名其軍曰鎮海。 張著至襄陽,梁崇義益懼,陳兵而見之。藺杲得詔不敢發,馳見崇義,請命。崇義對著號泣,竟不受詔。著覆命。癸巳,進李希烈爵南平郡王,加漢南、漢北兵馬招討使,督諸道兵討之。楊炎諫曰:「希烈為董秦養子,親任無比,卒逐秦而奪其位。為人狼戾無親,無功猶屈強不法,使平崇義,何以制之!」上不聽。炎固爭之,上益不平。荊南牙門將吳少誠以取梁崇義之策干李希烈,希烈以少誠為前鋒。少誠,幽州潞人也。 時內自關中,西暨蜀、漢,南盡江、淮、閩、越,北至太原,所在出兵,而李正己遣兵扼徐州甬橋、渦口,梁崇義阻兵襄陽,運路皆絕,人心震恐。江、淮進奉船千餘艘,泊渦口不敢進。上以和州刺史張萬福為濠州刺史。萬福馳至渦口,立馬岸上,發進奉船,淄青將士停岸睥睨不敢動。辛丑,汾陽忠武王郭子儀薨。子儀為上將,擁強兵,程元振、魚朝恩讒謗百端;詔書一紙徵之,無不即日就道,由是讒謗不行。嘗遣使至田承嗣所,承嗣西望拜之曰:「此膝不屈於人若干年矣!」李靈曜據汴州作亂,公私物過汴者皆留之,惟子儀物不敢近,遣兵衛送出境。校中書令考凡二十四,月入俸錢二萬緡,私產不在焉;府庫珍貨山積。家人三千人,八子、七婿皆為朝廷顯官;諸孫數十人,每問安,不能盡辯,頷之而已。僕固懷恩、李懷光、渾瑊輩皆出麾下,雖貴為王公,常頤指役使,趨走於前,家人亦以僕隸視之。天下以其身為安危者殆三十年,功蓋天下而主不疑,位極人臣而眾不疾,窮奢極欲而人不非之,年八十五而終。其將佐至大官、為名臣者甚眾。 壬子,以懷、鄭、河陽節度副使李艽為河陽、懷州節度使,割東畿五縣隸焉。 北庭、安西自吐蕃陷河、隴,隔絕不通,伊西、北庭節度使李元忠、四鎮留後郭昕帥將士閉境拒守,數遣使奉表,皆不達,聲問絕者十餘年。至是,遣使間道歷諸胡自回紇中來,上嘉之。秋,七月,戊午朔,加元忠北庭大都護,賜爵寧塞郡王;以昕為安西大都護、四鎮節度使,賜爵武威郡王;將士皆遷七資。元忠姓名,朝廷所賜也,本姓曹,名令忠;昕,子儀弟之子也。 李希烈以久雨未進軍,上怪之,盧杞密言於上曰:「希烈遷延,以楊炎故也。陛下何愛炎一日之名而墮大功?不若暫免炎相以悅之。事平復用,無傷也。」上以為然。庚申,以炎為左僕射,罷政事。以前永平節度使張鎰為中書侍郎、同平章事。鎰,齊丘之子也。以朔方節度使崔寧為右僕射。 丙子,贈故伊州刺史袁光庭工部尚書。光庭天寶末為伊州刺史,吐蕃陷河、隴,光庭堅守累年,吐蕃百方誘之,不下。糧竭兵盡,城且陷,光庭先殺妻子,然後自焚。郭昕使至,朝廷始知之,故贈官。 辛巳,以邠寧節度使李懷光兼朔方節度使。 癸未,河東節度使馬燧,昭義節度使李抱真,神策先鋒都知兵馬使李晟,大破田悅於臨洺。時悅攻臨洺,累月不拔,城中食且盡,府庫竭,士卒多死傷。張伾飾其愛女,使出拜將士曰:「諸群守戰甚苦,伾家無它物,請鬻此女為將士一日之費。」眾皆哭,曰:「願盡死力,不敢言賞!」李抱真告急於朝,詔馬燧將步騎二萬與抱真討悅,又遣李晟將神策兵與之俱;又詔幽州留後朱滔討惟岳。燧等軍未出險,先遣使持書諭悅,為好語。悅謂燧畏之,不設備,又與抱真合兵八萬,東下壺關,軍於邯鄲,擊悅支軍,破之。悅方急攻臨洺,分李惟岳兵五千助楊朝光。明日,燧等進攻朝光柵,悅將萬餘人救之,燧命大將李自良等御之於雙岡,令之曰:「悅得過,必斬爾!」自良等力戰,悅軍卻。燧推火車焚朝光柵,斬朝光,獲首虜五千餘級。居五日,燧等進軍至臨洺,悅悉眾力戰,凡百餘合,悅兵大敗,斬首萬餘級。悅引兵夜遁,邢州圍亦解。 時平盧節度使李正己已薨,子納秘之,擅領軍務。悅求救於納及李惟岳,納遣大將衛俊將兵萬人,惟岳遣兵三千人救之。悅收合散卒,得二萬餘人,軍於洹水;淄青軍其東,成徳軍其西,首尾相應。馬燧帥諸軍進屯鄴,奏求河陽兵自助;詔河陽節度使李艽將兵會之。 八月,李納始發喪,奏請襲父位,上不許。 梁崇義發兵至江陵,至四望,大敗而歸,乃收兵襄、鄧。李希烈引軍循漢而上,與諸道兵會;崇義遣其將翟暉、杜少誠逆戰於蠻水,希烈大破之;追至疏口,又破之。二將請降,希烈使將其眾先入襄陽慰諭軍民。崇義閉城拒守,守者開門爭出,不可禁。崇義與妻赴井死,傳首京師。 范陽節度使朱滔將討李惟岳,軍於莫州。張孝忠將精兵八千守易州,滔遣判官蔡雄說孝忠曰:「惟岳乳臭兒,敢拒朝命;今昭義、河東軍已破田悅,淮寧李僕射克襄陽,計河南諸軍,朝夕北向,恆、魏之亡,可佇立而須也。使君誠能首舉易州以歸朝廷,則破惟岳之功自使君始,此轉禍為福之策也。」孝忠然之,遣牙官程華詣滔,遣錄事參軍董稹奉表詣闕,滔又上表薦之。上悅。九月,辛酉,以孝忠為成徳節度使。命惟岳護喪歸朝,惟岳不從。孝忠徳滔,為子茂和娶滔女,深相結。 壬戌,加李希烈同平章事。 初,李希烈請討梁崇義,上對朝士亟稱其忠。黜陟使李承自淮西還,言於上曰:「希烈必立微功;但恐有功之後,偃蹇不臣,更煩朝廷用兵耳。」上不以為然。希烈既得襄陽,遂據之為己有,上乃思承言。時承為河中尹,甲子,以承為山南東道節度使。上欲以禁兵送上,承請單騎赴鎮。至襄陽,希烈置之外館,迫脅萬方,承誓死不屈,希烈乃大掠闔境所有而去。承治之期年,軍府稍完。希烈留牙將於襄州,守其所掠財,由是數有使者往來。承亦遣其腹心臧叔雅往來許、蔡,厚結希烈腹心周曾等,與之陰圖希烈。 初,蕭嵩家廟臨曲江,玄宗以娛游之地,非神靈所宅,命徙之。楊炎為相,惡京兆尹嚴郢,左遷大理卿。盧杞欲陷炎,引郢為御史大夫。先是,炎將營家廟,有宅在東都,憑河南尹趙惠伯賣之,惠伯買以為官廨,郢按之,以為有羨利。杞召大理正田晉議法,晉以為:「律,監臨官市買有羨利,以乞取論,當奪官。」杞怒,貶晉衡州司馬。更召它吏議法,以為:「監主自盜,罪當絞。」炎廟正直蕭嵩廟地,杞因譖炎,云「茲地有王氣,故玄宗令嵩徙之。炎有異志,故於其地建廟。」冬,十月,乙未,炎自左僕射貶崖州司馬。遣中使護送,未至崖州百里,縊殺之。惠伯自河中尹貶費州多田尉。尋亦殺之。 辛丑,冊太子妃蕭氏。 癸卯,祫太廟。先是,太祖既正東向之位,獻、懿二祖皆藏西夾室,不饗。至是,復奉獻祖東向而饗之。 徐州刺史李洧,正己之從父兄也。李納寇宋州,彭城令太原白季庚說洧舉州歸國。洧從之,遣攝巡官崔程奉表詣闕,且使口奏,並白宰相,以「徐州不能獨抗納,乞領徐、海、沂三州觀察使,況海、沂二州,今皆為納有。洧與刺史王涉、馬萬通素有約,苟得朝廷詔書,必能成功。」程自外來,以為宰相一也,先白張鎰,鎰以告盧杞。杞怒其不先白己,不從其請。戊申,加洧御史大夫,充招諭使。 十一月,戊午,以永樂公主適檢校比部郎中田華,上不欲違先志故也。 蜀王傀,更名遂。 辛酉,宣武節度使劉洽,神策都知兵馬使曲環,滑州刺史襄平李澄,朔方大將唐朝臣,大破淄青、魏博之兵於徐州。 先是,李納遣其將王溫會魏博將信都崇慶共攻徐州,李洧遣牙官溫人王智興詣闕告急。智興善走,不五日而至。上為之發朔方兵五千人,以朝臣將之,與洽、環、澄共救之。時朔方軍資裝不至,旗服弊惡。宣武人嗤之曰:「乞子能破賊乎!」朝臣以其言激怒士卒,且曰:「都統有令,先破賊營者,營中物悉與之。」士皆憤怒爭奮。 崇慶、溫攻彭城,二旬不能下,請益兵於納。納遣其將石隱金將萬人助之,與劉洽等相拒於七里溝。日向暮,洽引軍稍卻。朔方馬軍使楊朝晟言於唐朝臣曰:「公以步兵負山而陳,以待兩軍。我以騎兵伏於山曲,賊見懸軍勢孤,必搏之。我以伏兵絕其腰,必敗之。」朝臣從之。崇慶等果將騎二千逾橋而西,追擊官軍,伏兵發,橫擊之。崇慶等兵中斷,狼狽而返,阻橋以拒官軍。其兵有爭橋不得,涉水而度者。朝晟指之曰:「彼可涉,吾何為不涉!」遂涉水擊,據橋者皆走,崇慶等兵大潰。洽等乘之,斬首八千級,溺死過半。朔方軍士盡得其輜重,旗服鮮華,乃謂宣武人曰:「乞子之功,孰與宋多?」宣武人皆慚。官軍乘勝逐北,至徐州城下,魏博、淄青軍解圍走,江、淮漕運始通。 己巳,詔削李惟岳官爵;募所部降者,赦而賞之。 甲申,淮南節度使陳少游遣兵擊海州,其刺史王涉以州降。十二月,李納密州刺史馬萬通乞降;丁酉,以為密州刺史。 崔漢衡至吐蕃,贊普以敕書稱貢獻及賜,全以臣禮見處。又,雲州之西,當以賀蘭山為境,邀漢衡更請之。丁未,漢衡遣判官與吐蕃使者入奏。上為之改敕書、境土,皆如其請。 加馬燧魏博招討使。 徳宗神武聖文皇帝二建中三年(壬戌、七八二年) 春,正月,河陽節度使李艽引兵逼衛州,田悅守將任履虛詐降,既而復叛。 馬燧等諸軍屯於漳濱。田悅遣其將王光進築月城以守長橋,諸軍不得渡。燧以鐵鎖連車數百乘,實以土囊,塞其下流,水淺,諸軍涉渡。時軍中乏糧,悅等深壁不戰。燧命諸軍持十日糧,進屯倉口,與悅夾洹水而軍。李抱真、李艽問曰:「糧少而深入,何也?」燧曰:「糧少則利速戰,今三鎮連兵不戰,欲以老我師。我若分軍擊其左右,悅必救之,則我腹背受敵,戰必不利。故進軍逼悅,所謂攻其所必救也。彼苟出戰,必為諸君破之。」乃為三橋逾洹水,日往挑戰,悅不出。燧令諸軍夜半起食,潛師循洹水直趨魏州,令曰:「賊至,則止為陳。」留百騎擊鼓鳴角於營中,仍抱薪持火,俟諸軍畢,則止鼓角匿其旁。伺悅軍畢渡,焚其橋。軍行十里所,悅聞之,帥淄青、成徳步騎四萬逾橋掩其後,乘風縱火,鼓噪而進。燧按兵不動,先除其前草莽百步為戰場,結陳以待之,募勇士五千餘人為前列。悅軍至,火止,氣衰,燧縱岳擊之,悅軍大敗。神策、昭義、河陽軍小卻,見河東軍捷,還鬥,又破之。追奔至,三橋已焚,悅軍亂,赴水溺死不可勝紀,斬首二萬餘級,捕虜三千餘人,屍相枕藉三十餘里。 悅收餘兵千餘人走魏州。馬燧與李抱真不協,頓兵平邑浮圖,遷延不進。悅夜至南郭,大將李長春閉關不內,以俟官軍,久之,天且明,長春乃開門納之。悅殺長春,嬰城拒守。城中士卒不滿數千,死者親戚,號哭滿街。悅憂懼,乃持佩刀,乘馬立府門外,悉集軍民,流涕言曰:「悅不肖,蒙淄青、成徳二丈人大恩,不量其力,輒拒朝命,喪敗至此,使士大夫肝腦塗地,皆悅之罪也。悅有老母,不能自殺,願諸公以此刀斷悅首,提出城降馬僕射,自取富貴,無為與悅俱死也!」因從馬上自投地。將士爭前抱持悅曰:「尚書舉兵徇義,非私己也。一勝一負,兵家之常。某輩累世受恩,何忍聞此!願奉尚書一戰,不勝則以死繼之。」悅曰:「諸公不以悅喪敗而棄之,悅雖死,敢忘厚意於地下!」乃與諸將各斷髮,約為兄弟,誓同生死。悉出府庫所有及斂富民之財,得百餘萬,以賞士卒,眾心始定。復召貝州刺史刑曹俊,使之整部伍,繕守備,軍勢復振。李納軍於濮陽,為河南軍所逼,奔還濮州,征援兵於魏州。田悅遣軍使符璘將三百騎送之,璘父令奇謂璘曰:「吾老矣,歷觀安、史輩叛亂者,今皆安在!田氏能久乎!汝因此棄逆從順,是汝揚父名於後世也。」嚙臂而別。璘遂與其副李瑤帥眾降於馬燧。悅收族其家,令奇慢罵而死。瑤父再春以博州降,悅從兄昂以洺州降,王光進以長橋降。悅入城旬餘日,馬燧等諸軍始至城下,攻之,不克。 丙寅,李惟岳遣兵與孟祐守束鹿,朱滔、張孝忠攻拔之,進圍深州。惟岳憂懼,掌書記邵真復說惟岳,密為表,先遣弟惟簡入朝;然後誅諸將之不從命者,身自入朝,使妻父冀州刺史鄭詵權知節度事,以待朝命。惟簡既行,孟祐知其謀,密遣告田悅。悅大怒,使衙官扈岌往見惟岳,讓之曰:「尚書舉兵,正為大夫求旌節耳,非為己也。今大夫乃信邵真之言,遣弟奉表,悉以反逆之罪歸尚書,自求雪身,尚書何負於大夫而至此邪!若相為斬邵真,則相待如初;不然,當與大夫絕矣。」判官畢華言於惟岳曰:「田尚書以大夫之故陷身重圍,大夫一旦負之,不義甚矣。且魏博、淄青兵強食富,足抗天下,事未可知,奈何遽為二三之計乎!」惟岳素怯,不能守前計,乃引邵真,對扈岌斬之。發成徳兵萬人,與孟祐俱圍束鹿。丙寅,朱滔、張孝忠與戰於束鹿城下,惟岳大敗,燒營而遁。兵馬使王武俊為左右所構,惟岳疑之,惜其才,未忍除也。束鹿之戰,使武俊為前鋒,私自謀曰:「我破朱滔,則惟岳軍勢大振,歸,殺我必矣。」故戰不甚力而敗。 朱滔欲乘勝攻恆州,張孝忠引兵西北,軍於義豐。滔大驚,孝忠將佐皆怪之,孝忠曰:「恆州宿將尚多,未易可輕。迫之則並力死鬥,緩之則自相圖。諸君第觀之,吾軍義豐,坐待惟岳之殄滅耳。且朱司徒言大而識淺,可與共始,難與共終也!」於是滔亦屯束鹿,不敢進。 惟岳將康日知以趙州歸國,惟岳益疑王武俊,武俊甚懼。或謂惟岳曰:「先相公委腹心於武俊,使之輔佐大夫,又有骨肉之親。武俊勇冠三軍,今危難之際,復加猜阻。若無武俊,欲使誰為大夫卻敵乎!」惟岳以為然,乃使步軍使衛常寧與武俊共擊趙州,又使王士真將兵宿府中以自衛。 癸未,蜀王遂更名溯。 淮南節度使陳少游拔海、密二州,李納復攻陷之。 王武俊既出恆州,謂衛常寧曰:「武俊今幸出虎口,不復歸矣!當北歸張尚書。」常寧曰:「大夫闇弱,信任左右,觀其勢終為朱滔所滅。今天子有詔,得大夫首者,以其官爵與之。中丞素為眾所服,與其出亡,曷若倒戈以取大夫,轉禍為福,特反掌耳。事苟不捷,歸張尚書,未晚也。」武俊深以為然。會惟岳使要藉謝遵至趙州城下,武俊引遵同謀取惟岳。遵還,密告王士真。閏月,甲辰,武俊、常寧自趙州引兵還襲惟岳。遵與士真矯惟岳命,啟城門納之。黎明,武俊帥數百騎突入府門。士真應之於內,殺十餘人。武俊令曰:「大夫叛逆,將士歸順,敢違拒者族!」眾莫敢動。遂執惟岳,收鄭詵、畢華、王它奴等,皆殺之。武俊以惟岳舊使之子,欲生送之長安。常寧曰:「彼見天子,將復以叛逆之罪歸咎於中丞。」乃縊殺之,傳首京師。深州刺史楊榮國,惟岳姊夫也,降於朱滔,滔使復其位。 復榷天下酒,惟西京不榷。 二月,戊午,李惟岳所署定州刺史楊政義降。時河北略定,惟魏州未下。河南諸軍攻李納於濮州,納勢日蹙。朝廷謂天下不日可平。甲子,以張孝忠為易、定、滄三州節度使,王武俊為恆冀都團練觀察使,康日知為深趙都團練觀察使,以徳、林二州隸朱滔,令還鎮。滔固請深州,不許,由是怨望,留屯深州。王武俊素輕張孝忠,自以手誅李惟岳,功在康日知上,而孝忠為節度使,己與康日知俱為都團練使,又失趙、定二州,亦不悅。又詔以糧三千石給朱滔,馬五百匹給馬燧。武俊以為朝廷不欲使故人為節度使,魏博既下,必取恆冀,故先分其糧馬以弱之,疑,未肯奉詔。 田悅聞之,遣判官王侑、許士則間道至深州,說朱滔曰:「司徒奉詔討李惟岳,旬朔之間,拔束鹿,下深州,惟岳勢蹙,故王大夫因司徒勝勢,得以梟惟岳之首,此皆司徒之功也。又天子明下詔書,令司徒得惟岳城邑,皆隸本鎮。今乃割深州以與日知,是自棄其信也。且今上志欲掃清河朔,不使蕃鎮承襲,將悉以文臣代武臣。魏亡,則燕、趙為之次矣;若魏存,則燕、趙無患。然則司徒果有意矜魏博之危而救之,非徒得存亡繼絕之義,亦子孫萬世之利也。」又許以貝州賂滔。滔素有異志,聞之,大喜,即遣王侑歸報魏州,使將士知有外援,各自堅。又遣判官王郅與許士則俱詣恆州,說王武俊曰:「大夫出萬死之計,誅逆首,拔亂根,康日知不出趙州,豈得與大夫同日論功!而朝廷褒賞略同,誰不為大夫憤邑者!今又聞有詔支糧馬與鄰道,朝廷之意,蓋以大夫善戰無敵,恐為後患,先欲貧弱軍府,俟平魏之日,使馬僕射北首,朱司徒南向,共相滅耳。朱司徒亦不敢自保,使郅等效愚計,欲與大夫共救田尚書而存之。大夫自留糧馬以供軍;朱司徒不欲以深州與康日知,願以與大夫,請早定刺史以守之。三鎮連後,若耳目手足之相救,則它日永無患矣!」武俊亦喜,許諾,即遣判官王巨源使於滔,且令知深州事,相與刻日舉兵南向。滔又遣人說張孝忠,孝忠不從。 宣武節度使劉洽攻李納於濮州,克其外城。納於城上涕泣求自新,李勉又遣人說之。癸卯,納遣其判官房說以其母弟經及子成務入見。會中使宋鳳朝稱納勢窮蹙,不可捨,上乃因說等於禁中,納遂歸鄆州,復與田悅等合。朝廷以納勢未衰,三月,乙未,始以徐州刺史李洧兼徐、海、沂都團練觀察使,海、沂已為納所據,洧競無所得。 李納之初反也,其所署徳州刺史李西華備守甚嚴,都虞候李士真密毀西華於納,納召西華還府,以士真代之。士真又以詐召棣州刺史李長卿,長卿過徳州,士真劫之,與同歸國。夏,四月,戊午,以士真、長卿為二州刺史。士真求援於朱滔,滔已有異志,遣大將李濟時將三千人聲言助士真守徳州,且召士真詣深州議軍事,至則留之,使濟時領州事。 庚申,吐蕃歸曏日所俘掠兵民八百人。 上遣中使發盧龍、恆冀、易定兵萬人詣魏州討田悅。王武俊不受詔,執使者送朱滔。滔言於眾曰:「將士有功者,吾奏求官勳,皆不遂。今欲與諸君敕裝共趨魏州,擊破馬燧以取溫飽,何如?」皆不應。三問,乃曰:「幽州之人,自安、史之反,從而南者無一人得還,今其遺人痛入骨髓。況太尉、司徒皆受國寵榮,將士亦各蒙官勳,誠且願保目前,不敢復有僥冀。」滔默然而罷。乃誅大將數十人,厚撫循其士卒。康日知聞其謀,以告馬燧,燧以聞。上以魏州未下,王武俊復叛,力未能制滔。壬戌,賜滔爵通義郡王,冀以安之。滔反謀益甚,分兵營於趙州以逼康日知,以深州授王巨源。武俊以其子士真為恆、冀、深三州留後,將兵圍趙州。 涿州刺史劉怦與滔同縣人,其母,滔之姑也,滔使知幽州留後,聞滔欲救田悅,以書諫之曰:「今昌平故里,朝廷改為太尉鄉、司徒裡,此亦大夫不朽之名也。但以忠順自持,則事無不濟。竊思近日務大樂戰,不顧成敗而家滅身屠者,安、史是也。怦忝密親,默而無告,是負重知。惟司徒圖之,無貽後悔。」滔雖不用其言,亦嘉其盡忠,卒無疑貳。 滔將起兵,恐張孝忠為後患,復遣牙官蔡雄往說之。孝忠曰:「昔者司徒發幽州,遣人語孝忠曰:『李惟岳負恩為逆』,謂孝忠歸國即為忠臣。孝忠性直,用司徒之教。今既為忠臣矣,不復助逆也。且孝忠與武俊皆出夷落,深知其心最喜翻覆。司徒勿忘鄙言,它日必相念矣!」雄復欲以巧辭說之,孝忠怒,欲執送京師。雄懼,逃歸。滔乃使劉怦將兵屯要害以備之。孝忠完城礪兵,獨居強寇之間,莫之能屈。滔將步騎二萬五千發深州,至束鹿。詰旦將行,吹角未畢,士卒忽大亂,喧噪曰:「天子令司徒歸幽州,奈何違敕南救田悅!」滔大懼,走入驛後堂避匿。蔡雄與兵馬使宗頊等矯謂士卒曰:「汝輩勿喧,聽司徒傳令。」眾稍止。雄又曰:「司徒將發范陽,恩旨令得李惟岳州縣即有之,司徒以幽州少絲纊,故與汝曹竭力血戰以取深州,冀得其絲纊以寬汝曹賦率,不意國家無信,復以深州與康日知。又,朝廷以汝曹有功,賜絹人十匹,至魏州西境,盡為馬僕射所奪。司徒但處范陽,富貴足矣,今茲南行,乃為汝曹,非自為也。汝曹不欲南行,任自歸北,何用喧悖,乖失軍禮!」眾聞言,不知所為,乃曰:「敕使何得不為軍士守護賞物!」遂入敕使院,擘裂殺之。又呼曰:「雖知司徒此行為士卒,終不如且奉詔歸鎮。」雄曰:「然則汝曹各還部伍,詰朝復往深州,休息數日,相與歸鎮耳。」眾然後定。滔即引軍還深州,密令諸將訪察唱率為亂者,得二百餘人,悉斬之,餘眾股慄。乃復舉兵而南,眾莫敢前卻。進,取寧晉,留屯以待王武俊。武俊將步騎萬五千取元氏,東趣寧晉。 武俊之始誅李惟岳也,遣判官孟華入見。上問以河朔利害,華性忠直,有才略,應對慷慨。上悅,以為恆冀團練副使。會武俊與朱滔有異謀,上遽遣華歸諭旨。華至,武俊已出師,華諫曰:「聖意於大夫甚厚,苟盡忠義,何患官爵之不崇,土地之不廣,不日天子必移康中丞於它鎮,深、趙終為大夫之有,何苦遽自同於逆亂乎!異日無成,悔之何及!」華曏在李寶臣幕府,以直道已為同列所忌,至是為副使,同列尤疾之,言於武俊曰:「華以軍中陰事奏天子,請為內應,故得超遷。是將覆大夫之軍,大夫宜備之。」武俊以其舊人,不忍殺,奪職,使歸私第。 田悅恃援兵將至,遣其將康愔萬餘人出城西,與馬燧等戰於御河上,大敗而還。 時兩河用兵,月費百餘萬緡,府庫不支數月。太常博士韋都賓、陳京建議,以為:「貨利所聚,皆在富商,請括富商錢,出萬緡者,借其餘以供軍。計天下不過借一二千商,則數年之用足矣。」上從之。甲子,詔借商人錢,令度支條上。判度支杜佑大索長安中商賈所有貨,意其不實,輒加搒捶。帛粟麥者,皆借四分之一,封其櫃窖。百姓為之罷市,相帥遮宰相馬自訴,以千萬數。盧杞始慰諭之,勢不可遏,乃疾驅自他道歸。計並借商所得,才二百萬緡,人已竭矣。京,叔明之五世孫也。 甲戌,以昭義節度副使、磁州刺史盧玄卿為洺州刺史兼魏博招討副使。 初,李抱真為澤潞節度使,馬燧領河陽三城。抱真欲殺懷州刺史楊鉥,鉥奔燧。燧納之,且奏其無罪,抱真怒。及同討田悅,數以事相恨望,二人怨隙遂深,不復相見。由是諸軍逗橈,久無成功,上數遣中使和解之。及王武俊逼趙州,抱真分麾下二千人戍邢州,燧大怒曰:「餘賊未除,宜相與戮力,乃分兵自守其地,我寧得獨戰邪!」欲引兵歸。李晟說燧曰:「李尚書以邢、趙連壤,分兵守之,誠未有害。今公遽自引去,眾謂公何!」燧悅,乃單騎造抱真壘,相與釋憾結歡。會洺州刺史田昂請入朝,燧奏以洺州隸抱真,請玄卿為刺史,兼充招討之副。李晟軍先隸抱真,又請兼隸燧,以示協和。上皆從之。 14.盧龍節度行軍司馬蔡廷玉惡判官鄭雲逵,奏貶莫州參軍。雲逵妻,朱滔之女也,滔復奏為掌書記。雲逵深構廷玉於滔,廷玉又與檢校大理少卿朱體微言於泚曰:「滔在幽鎮,事多專擅,其性非長者,不可以兵權付之。」滔知之,大怒,數與泚書,請殺二人者,泚不從。由是兄弟頗有隙。及滔拒命,上欲歸罪於廷玉等以悅滔,甲子,貶廷玉柳州司戶,體微萬州南浦尉。 14.盧龍節度行軍司馬の蔡廷玉は判官の鄭雲逵を憎み、奏上して莫州参軍に左遷させた。鄭雲逵の妻は朱滔の娘であり、朱滔もまた奏上して掌書記とした。鄭雲逵は深く蔡廷玉を朱滔と対立し、蔡廷玉もまた検校大理少卿の朱体微とともに朱泚にむかって、「朱滔は幽州にあって統治し、事は専断を多くしています。その性格は長者の風ではなく、兵権を付してはなりません」と言ったが、朱滔はこれを知って大いに怒り、しばしば朱泚に書簡を送って、二人を殺すことを願ったが、朱泚は従わなかった。これより兄弟はかなり不仲となり、朱滔が命令を拒むと、お上は罪を蔡廷玉らに帰して朱滔を喜ばせようとした。甲子、蔡廷玉を柳州司戸に、朱体微を万州南浦尉に左遷した。 15.宣武節度使劉洽攻李納之濮陽,降其守將高彥昭。 15.宣武節度使の劉洽が李納の濮陽を攻撃し、その守将の高彦昭を降伏させた。 16.朱滔遣人以蠟書置髻中遺朱泚,欲與同反。馬燧獲之,並使者送長安,泚不之知。上驛召泚於鳳翔,至,以蠟書並使者示之,泚惶恐頓首請罪。上曰:「相去千里,初不同謀,非卿之罪也。」因留之長安私第,賜名園、腴田、錦彩、金銀甚厚,以安其意;其幽州、盧龍節度、太尉、中書令並如故。 上以幽州兵在鳳翔,思得重臣代之。盧杞忌張鎰忠直,為上所重,欲出之於外,己得專總朝政,乃對曰:「朱泚名位素崇,鳳翔將校班秩已高,非宰相信臣,無以鎮撫,臣請自行。」上俯首未言,□巳又曰:「陛下必以臣貌寢,不為三軍所伏,固惟陛下神算。」上乃顧鎰曰:「才兼文武,望重內外,無以易卿。」鎰知為杞所排而無辭以免,因再拜受命。戊寅,以鎰兼鳳翔尹、隴右節度等使。 初,盧杞與御史大夫嚴郢共構楊炎、趙惠伯之獄,炎死,杞復忌郢。會蔡廷玉等貶官,殿中侍御史鄭詹誤遞文符至昭應送之,廷玉等行已至藍田,召還而東,廷玉等以為執己送朱滔,至靈寶西,赴河死。上聞之,駭異,盧杞因奏:「朱泚必疑以為詔旨,請遣三司使案詹。」又言:「御史所為,必稟大夫,請並郢案之。」獄未具,壬午,杞奏杖殺詹於京兆府;貶郢費州刺史,卒於貶所。 16.朱滔は人を遣わして蝋書を髻中に置き朱泚に遣わし、ともに叛かせようとした。馬燧はこれを逮捕して、使者とあわせて長安に送った。朱泚はこれを知らなかった。お上は朱泚を鳳翔から召喚して、やって来ると、蝋書と使者を見せた。朱泚は恐れて頓首して罪を請うた。お上は、「互いに千里離れているのに、最初から同じ謀なぞできようか。卿の罪ではない」と言い、そこで長安の私邸に留め、名園・肥沃な田・彩錦・金銀を賜ること非常にあつかった。その意が安らかであったから、幽州・盧龍節度・太尉・中書令はすべてもとの通りであった。。 お上は幽州の兵を鳳翔に置き、重臣にこれを代わせようと思った。盧杞は張鎰の実直さを嫌って、お上のためといって、外に出させ、自身で朝政を専ら統べようと思ったから、そこで、「朱泚は名や位は最初から高く、鳳翔の将校の班秩はすでに高いので、宰相が信ずる臣でなければ、鎮撫することができません。臣は自ら行かせてください」と答えた。お上は首を俯いてまだ言う前に、盧杞はまた、「陛下は必ず臣の容貌が悪く、三軍が伏さないと思われているのでしょう。陛下のお考えをお聞かせください」と言い、お上はそこで張鎰を振り返って、「才は文武を兼ね、衆望は内外に重く、卿に代えるほかはなかろう」と言い、張鎰は、盧杞が排斥しようとしていて、辞退して免れることができないことを知り、そこで再拝して命を受けた。戊寅、張鎰を鳳翔尹・隴右節度等使を兼任させた。 それより以前、盧杞は御史大夫の厳郢とともに楊炎と事を構え、趙恵伯の獄で楊炎が死に、盧杞は厳郢を嫌った。たまたま蔡廷玉らが官を貶め、殿中侍御史の鄭詹が誤って文を逓送して昭応に送り、蔡廷玉らがすでに藍田にいたり、召喚されて東に行き、蔡廷玉らが自身を朱滔に遅らせようとしていると思い、霊宝の西に到ると、河に赴いて死んだ。お上はこれを聞いて驚き、盧杞がそこで、「朱泚は必ず詔旨のためだと疑うでしょう。三司を派遣して鄭詹を取り調べさせてください」と奏じ、また「御史が行ったことは必ず大夫が報告を受けています。あわせて厳郢も取り調べしましょう」と言ったが、獄はまだ備わっていなかった。壬午、盧杞は奏杖殺鄭詹を京兆府で杖殺し、厳郢を費州刺史に左遷することを上奏し、ついに貶所で死んだ。 上初即位,崔祐甫為相,務崇寬大,故當時政聲藹然,以為有貞觀之風。及盧杞為相,知上性多忌,因以疑似離間群臣,始勸上以嚴刻御下,中外失望。 淮南節度使陳少游奏,本道稅錢每千請增二百。五月,丙戌,詔增它道稅錢皆如淮南;又鹽每斗價皆增百錢。 朱滔、王武俊自寧晉南救魏州,辛卯,詔朔方節度使李懷光將朔方及神策步騎萬五千人東討田悅,且拒滔等。滔行至宗城,掌書記鄭雲逵、參謀田景仙棄滔來降。 丁酉,加河東節度使馬燧同平章事。 辛亥,置義武軍節度於定州,以易、定、滄三州隸之。張光晟之殺突董也,上欲遂絕回紇,召冊可汗使源休還太原。久之,乃復遣休送突董及翳密施、大、小梅錄等四喪還其國,可汗遣其宰相頡子思迦等迎之。頡子思迦坐大帳,立休等於帳前雪中,詰以殺突董之狀,欲殺者數四,供待甚薄。留五十餘日,乃得歸。可汗使人謂之曰:「國人皆欲殺汝以償怨,我意則不然。汝國已殺突董等,我又殺汝,如以血洗血,污益甚耳!今吾以水洗血,不亦善乎!唐負我馬直絹百八十萬匹,當速歸之。」遣其散支將軍康赤心隨休入見,休竟不得見可汗而還。六月,己卯,至長安,詔以帛十萬匹、金銀十萬兩償其馬直。休有口辯,盧杞恐其見上得幸,乘其未至,先除光祿卿。 朱滔、王武俊軍至魏州,田悅具牛酒出迎,魏人歡呼動地。滔營於愜山,是日,李懷光軍亦至,馬燧等盛軍容迎之。滔以為襲己,遽出陳。懷光勇而無謀,欲乘其營壘未就擊之。燧請且休將士,觀釁而動,懷光曰:「彼營壘既立,將為後患,此時不可失也。」遂擊滔於愜山之西,殺步卒千餘人,滔軍崩沮。懷光按轡觀之,有喜色。士卒爭入滔營取寶貨,王武俊引二千騎橫衝懷光軍,軍分為二。滔引後繼之,官軍大敗,蹙入永濟渠溺死者不可勝數,人相蹈藉,其積如山,水為之不流,馬燧等各收軍保壘。是夕,滔等堰永濟渠入王莽故河,絕官軍糧道及歸路。明日,水深三尺餘。馬燧懼,遣使卑辭謝滔,求與諸節度歸本道,奏天子,請以河北事委五郎處之。滔欲許之,王武俊以為不可。滔不從。秋七月,燧與諸軍涉水而西,退保魏縣以拒滔,滔乃謝武俊,武俊由是恨滔。後數日,滔等亦引兵營魏縣東南,與官軍隔水相拒。 李納求援於滔等,滔遣魏博兵馬使信都承慶將兵助之。納攻宋州,不克,遣兵馬使李克信、李欽遙戍濮陽、南華以拒劉洽。 甲辰,以淮寧節度使李希烈兼平盧、淄青、兗鄆、登萊、齊州節度使,討李納。又以河東節度使馬燧兼魏博、澶相節度使。加朔方、邠寧節度使李懷光同平章事。 神策行營招討使李晟請以所將兵北解趙州之圍,與張孝忠合勢圖范陽,上許之,晟自魏州引兵北趨趙州,王士真解圍去。晟留趙州三日,與孝忠合兵北略恆州。 演州司馬李孟秋舉兵反,自稱安南節度使。安南都護輔良交討斬之。 八月,丁未,置汴東、西水陸運、兩稅、鹽鐵使二人,度支總其大要而已。 辛酉,以涇原留後姚令言為節度使。 盧杞惡太子太師顏真卿,欲出之於外。真卿謂杞曰:「先中丞傳首至平原,真卿以舌舐面血。今相公忍不相容乎!」杞矍然起拜,然恨之益甚。 九月,癸卯,殿中少監崔漢衡自吐蕃歸,贊普遣其臣區頰贊隨漢衡入見。冬,十月,辛亥,以湖南觀察使曹王皋為江南西道節度使。皋至洪州,悉集將佐,簡閱其才,得牙將伊慎、王鍔等,擢為大將,引荊襄判官許孟容置幕府。慎,兗州人;孟容,長安人也。慎常從李希烈討梁崇義,希烈愛其才,欲留之,慎逃歸。希烈聞皋用慎,恐為己患,遺慎七屬甲,詐為復書,墜之境上。上聞之,遣中使即軍中斬慎,皋為之論雪;未報。會江賊三千餘眾入寇,皋遣慎擊賊自贖;慎擊破之,斬首數百級而還,由是得免。 盧杞秉政,知上必更立相,恐其分己權,乘間薦吏部侍郎關播儒厚,可以鎮風俗。丙辰,以播為中書侍郎、同平章事。政事皆決於杞,播等斂衽無所可否。上嘗從容與宰相論事,播意有所不可,起立欲言,杞目之而止。還至中書,杞謂播曰:「以足下端愨少言,故相引至此,曏者奈何發口欲言邪!」播自是不復敢言。 戊辰,遣都官員外郎河中樊澤使於吐蕃,告以結盟之期。 丙子,肅王詳薨。 十一月,己卯朔,加淮南節度使陳少游同平章事。 田悅徳朱滔之救,與王武俊議奉滔為主,稱臣事之,滔不可,曰:「愜山之捷,皆大夫二兄之力,滔何敢獨居尊位!」於是幽州判官李子千、恆冀判官鄭濡等共議:「請與鄆州李大夫為四國,俱稱王而不改年號,如昔諸侯奉周家正朔。築壇同盟,有不如約者,眾共伐之。不然,豈得常為叛臣,茫然無主,用兵既無名,有功無官爵為賞,使將吏何所依歸乎!」滔等皆以為然。滔乃自稱冀王,田悅稱魏王,王武俊稱趙王,仍請李納稱齊王。是日,滔等築壇於軍中,告天而受之。滔為盟主,稱孤;武俊、悅、納稱寡人。所居堂曰殿,處分曰令,群下上書曰箋,妻曰妃,長子曰世子。各以其所治州為府,置留守兼元帥,以軍政委之;又置東西曹,視門下、中書省;左右內史,視侍中、中書令;餘官皆仿天朝而易其名。 武俊以孟華為司禮尚書,華竟不受,嘔血死。以兵馬使衛常寧為內史監,委以軍事。常寧謀殺武俊,武俊腰斬之。武俊遣其將張終葵寇趙州,康日知擊斬之。 李希烈帥所部兵三萬徙鎮許州,遣所親詣李納,與謀共襲汴州。遣使告李勉,云已兼領淄青,欲假道之官。勉為之治橋、具饌以待之,而嚴為之備。希烈竟不至,又密與朱滔等交通,納亦數遣遊兵渡汴以迎希烈。由是東南轉輸者皆不敢由汴渠,自蔡水而上。 十二月,丁丑,李希烈自稱天下都元帥、太尉、建興王。時朱滔等與官軍相拒累月,官軍有度支饋糧,諸道益兵,而滔與王武俊孤軍深入,專仰給於田悅,客主日益困弊。聞李希烈軍勢甚盛,頗怨望,乃相與謀遣使詣許州,勸希烈稱帝,希烈由是自稱天下都元帥。 司天少監徐承嗣請更造《建中正元曆》;從之。
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第24話 荊州・江東制圧戦 275年11月、平原では曹沖を筆頭に政治力の高い武将たちでせっせと内政に励んでいた。曹沖は特技のおかげでものすごい助かっている。賈充とか本来ならすぐ裏切りそうなものだが、特技「仁政」のおかげで忠誠度は下がらないのだ! ここでは「功臣」として袁術の領地で流言を流しまくるなどの妨害活動に従事している。その甲斐あって、烏丸軍出現!! 孫登「さて、そろそろ劉諶には滅んでもらうか」 黄蓋を中心とする武陵からの軍勢と、陸遜を中心とする桂陽からの軍勢で零陵を攻めた。9部隊72000で落ちるだろうか。ちなみに零陵の兵数は40000もいなかったのだが、武将の質が高いので油断はならない。城に近づくと関羽、趙雲らが出てきた。まあ、ここは火攻めしかないでしょう。叩き合いなどもってのほか。というか、呉の武将で武力が90を超えているのって伯父上と甘寧、周泰くらいしか思いつかんのだが、他に誰かいたっけ? 設置しておいた業火球に点火してその先の業火種に引火。劉諶軍の部隊が巻き込まれる。足りなければせっせと業火球を設置して転がす。 陸遜「私が火を扱えば、万の兵も敵ではない」(孔明も同じセリフが見られる、確か) でもやっぱりそれでは不十分。兵数は減らせたが、壊滅させるまでには至らなかった。ここは親愛武将の援護攻撃を活用することにした。必ず起きるわけではないが期待するだけの価値はある。羊祜が攻撃すると、陸抗か杜預隊の援護攻撃が発動するので大いに利用する。ただし、通常攻撃と支援攻撃は不屈で潰される可能性があるので、相手の兵力が3000を切ったら火攻めか、戦法攻撃で倒そう。 関羽と公孫一族は何とか撃破(でも、関羽は強い。こっちにも結構被害が出た。誰かが『兵一万に匹敵する』って言ってただけはあるわ)しつこく火攻めを繰り返し、零陵を落とすことに成功した。34人中24人が捕虜になった。趙雲は出陣中だったので在野になったがまあいいや。あんまり使えないのは解放して(だって給料の無駄だもん)優秀な奴はばしばし登用。その筆頭が関羽。ここは君主自ら頭を下げに行こうと思ったら、周瑜が劉虞殿に任せれば大丈夫だとか言ってるぞ。知力100の助言なので、素直に従う。 関羽「関雲長、思うところあって孫登殿に仕官致す!」 ばんざーい、やったぞ。とっとと忠誠度を100にして一騎当千の活躍をしてもらいましょう。ついでに言うと義兄弟の劉備は呂布に轢き殺され、張飛は火攻めにして始末したので、忠誠度にさえ気を使っていれば引き抜きの心配はない。おまけに経験値でかなり強化されており、武力、統率ともに100。知力も81になっていた。他のも軒並み登用。劉度とか訳の分かんないのは解放したが。一気に人材不足は解消された。ひとまず内政と万一、賊が発生した時のことを考えて、内政官と武力バカを数人残して、建業に移動させた。再び本拠地をこちらに移す。 276年3月、荊州南部4都市は別の軍団に委任することにした。で、何故か都督が季佐叔父上(孫匡)どうも官位の関係でそうなってしまったらしい。まあ、相性は最良で裏切りそうもないから、ま、いっか。叔父上は「第5軍団は私に任せろ」とか言ってる。まあ、現状を維持してくださればそれで結構ですので。さて、これからどうしよう。欲を言えばもっと優秀な人材が欲しい。 司馬懿「他勢力から、引き抜いてみては?」 孫登 「そううまくいくのか?」 司馬懿「ただいま、孔明軍の夏侯淵が、建業にむけて進軍中です。が、忠誠度は71。恐らく引き抜けましょう」 司馬懿は出かけていった。で、引き抜き成功。しかも馬良という特級品のおまけつき。さすが司馬懿。もう笑いが止まんないね。ちょっと気になったのが馬良の知力が98になってたんだが、いったい孔明は何をしたんだ? まあ知力を上げやすい武将ではあるんだよな。 孫登の特技のおかげで司馬懿の忠誠度も下がらない。意外にも司馬懿って野望は最高だけど、義理は普通なのね。これちょっと意外だなあ。実際にクーデターを起こして政権を掌握してるんで、義理はもっと低いかと思ったんだが。孔明勢力は最後に滅ぼすというルールなので、それまで大いにその深謀ぶりを発揮してもらいましょう。 せっせと建業の防備を固め、武器を生産する。遠方の都市から定期的に輸送隊が到着するので、それで金銭、兵糧には苦労しない。馬良と費禕のおかげでみるみるうちに武器庫に兵装が溜まっていく。関羽や登用した文醜のために軍馬も生産しておく。あとは闘艦、と。孫呉の武将は海戦が得意なので、船は多めに作っておいた方が良い。 6月、ここで大事件発生。叔父上(孫匡)が勝手に江夏攻めを開始。が、16000の兵でなにをすると? まあ港は落とせるだろうが……。大きく予定が狂った。くそ。当初、北海を落としてから江夏に呂布を追い込む予定だったのに。江夏は守りにくいことで有名で、河から内政施設を定期的に潰すだけで、敵は弱体化していく。ここは本拠地にしない方が良い。 孫和「とはいえ、見捨てるわけにはいきませぬ」 孫登「んもう、余計な事を……」 柴桑にいた仲異殿、叔朗殿、丁奉にとりあえず援軍に行かせたが、まだ不安だったので、賀斉にも援軍に行かせた。これで合計48000か。まだ不安だなあ。襄陽の張悌にも援軍に行かせる。これ、建業からも援軍を出そう。港は簡単に落とせるだろうが、その後呂布が籠城を決め込むとは思えない。 案の定、港を落とした後がピンチだったが、建業からの援軍が内政施設破壊を始め、呂布軍はそっちを攻撃し始めた。でもまあこれは囮。その隙に別の部隊で江夏に上陸し、囮部隊で城に投石攻撃を行い、何とか江夏陥落。この戦いで、呂布軍は40000弱の兵力だったが呉軍は96000の兵力を動員した。それだけ呂布は強いのだ。副将に智将を入れれば計略も防げるのでまさに最強である。 内政向きの武将を数人置いて、江夏も第5軍団に委任させた。叔父上? もう余計なことはしないで下さいよ? 何かこの作品の武将の思考回路は頭いいんだか、バカなのか(海上から攻撃をするという知恵は働くが、さっきのように明らかに勝てないような兵数で出陣など) だから出来れば委任なんてしたくないのだが、行動力が足りないのでやむなくそうしているのだ。叔父上のせいで無駄ではないが、それでもかなり武器や兵糧、兵力を消耗してしまった。 援軍が建業に引き揚げる最中に、今度は孔明軍が攻めてくるとの情報が入った。しかも相手は馬超(副将 徐庶)の12000。騎馬隊ではないのが救いだがそれでも強い。おまけに後続がきている。生憎、伯父上と太史慈は留守だ。というわけでここはあいつらに任せよう。 関羽と文醜。伯父上と叩きあいで互角に戦える数少ない武将だ。あとは司馬懿と周瑜を計略部隊として出す。先鋒の関羽隊との戦闘が始まった。 関羽「踏みつぶしてくれん!」(突撃) この最初の一撃で、徐庶討ち死に。やっぱ、兵一万に匹敵する強さだ。文醜は後続の部隊を蹴散らす。クリティカルで副将2名(孫和と孫礼)も多く経験値がはいる。いや~、さすがは「渤海の双壁」 片方は序盤で死んでしまったが、ま、いっか。 馬超だけなら、計略で何とでもなる。司馬懿で混乱させ、周瑜で火攻め。紅蓮の炎が馬超隊を焦がし、数ターン後、馬超焼死! といっても孔明軍には関索筆頭に騎馬戦が得意な武将がまだまだ沢山いるから、馬超一人いなくなっても大した影響ではないでしょう? 孫和の騎馬適正もめでたくSになり、全員建業に帰還した。兵力を蓄えたのち、呉と曲阿港を落とした。276年12月。とんでもない情報が入ってきた。友達を討たれ、奪われた曲阿港を奪還すべく大軍がやってきているというのだ。 魏延「はーっはっはっは、散々邪魔者扱いしてくれた恨みを晴らしてやるぜ」 司馬懿「ふふふ、実力の差を思い知らせてやるとしましょう」 周瑜「陛下、先陣はなにとぞ、この周瑜に!」 孫登「(よくもまあ、これだけ反孔明の配下が集まったものよ……)」 魏延の連戦は、兵器以外の兵科の通常攻撃なら発動するので、使う機会が多い。反乱を起こしたというので野望は最高だが、それを差し引いても魏延は強い。まあ、前半で討ち死にしてしまった陳寿によれば魏延が造反したのは楊儀を失脚させようとしただけで、謀反を起こしたわけではないという。 水軍S適正の部隊を多数用意し、約100000の大軍で迎え撃つ。関興だの張苞だの姜維だの月英だの、孫呉水軍の相手ではないわ。ある時は石が飛んできたり、またある時は船ごとぶつけられたり、さらに別の時には火矢が飛んでくる。通常攻撃でも魏延の特技と適正の高さで、1000以上の被害を与えられる。 で、ついに孔明がやってきた。兵数は10000。 孫翊「全軍我に続け!」 激突が成功し、孔明部隊の副将(国淵だったかな?)が負傷。次のターンで、孫翊隊は混乱した。むむむ、やってくれるな、孔明。やばいぞ! 伯父上が助けに行く。伯父上の激突で、今度は孔明が負傷。いやはや「猛者」って便利。そして周瑜との対決。 周瑜「孔明! 今日こそ決着をつけよう!」 火攻めが見事に成功。その後、陸遜、司馬懿、魏延が加勢して、ボッコボコにして孔明隊を撃破。まあ逃げられたが、相当の被害を相手に与えることができたので、ひとまずは良しとする。呉に軍勢を戻して、訓練させておく。 関羽、文醜、伯父上、太史慈らを先頭に大挙して会稽に押し寄せる。華雄が出てきたが、関羽の敵ではない。史実通り突破で大ダメージを与え、他の部隊で攻撃して壊滅させた。城を包囲して8部隊で一斉攻撃。6000強の兵がいたにもかかわらず、一発で城は落ちた。包囲網が組まれていて登用できそうもないので、ザコ武将は斬る。あとは滅ぼした時のことも考えて解放。 ここには孫皓もいた。言わずと知れた暴君皇帝である。とはいえ一族だぞ? どうする? 孫秀「だめです、だめです。ここで斬らねば必ず呉国にとっての災いとなるに違いありません」 まぁ、その通りなんだが、むむ、やむをえまい。孫皓は斬られた。 孫皓「伯父上に斬られるなら本望です」 国ためだ。許せ。孫魯班の時は何とも思わなかったのに、何かこの時はちょっとかわいそうになってきた。雲南に流刑とかにしてやるべきだったかな。ひとまずは、会稽の開発だ。港は董卓領だったが、まあ捨ておいても何の問題もないだろう。ある程度開発が済んだので、呉と会稽は第5軍団に編入した。まあ一応柴桑~会稽の間は行き来できるからね。 ところで、これからどうしよう。北海や蘆江を最優先で攻めるべきだろうが。どういう順番で落としていこうかな。平原の甘寧達に任せてもいいが、袁術に攻められる恐れもあったので、まずは董卓を滅ぼして、人材を吸収し、建業から北上して下邳を落とす。その後北海。の順番でいくか。北海を落としたら、渤海を渡って襄平を落として南北から挟み撃ちにする。これで偽皇帝もひとたまりもないだろう。 孫登 「孔明対策はどうしようか」 司馬懿「あえて、武将を全員解放し、小沛に追い込みます。小沛は生産性の低い土地なので、恐らくジリ貧になり兵も出せぬでしょう」 なるほどな。確かに今呂布も北海一都市に58人の武将がいるが、兵糧はともかく、金銭面はぎりぎり黒字と苦しい状況。偽皇帝など軽く蹴散らして見せるぞ。思いっきり武神、関羽に暴れてもらうとしよう。 277年4月、天下の趨勢は確実に呉軍に傾いていた。 第25話 魔王討伐戦 関羽と伯父上を中心に兵を鍛え、馬良と費禕を中心に武器の生産をする。江東だとどうしても海戦の機会が多くなるので(というか、孫家軍は海戦に持ち込んだ方が圧倒的に有利。港からわざと上陸させて陸戦に持ち込むこともできる)艦船の生産も合わせて行う。 そして、在野だった武将が仕官を求めてやってくる。陳留のような北方で仕官を求めてくる武将もいなかったわけではないが、やはり長江沿岸の都市からの仕官が多かった。 孫堅「我ら一族力を合わせ、我が一族繁栄のため尽くそうぞ」 中国大陸をあちこち旅をしていた祖父上。どこの勢力にも仕えずに呉軍にやってきた。もちろん登用。すごい強いもん。建業にいる黄蓋とは親愛関係なので支援攻撃が期待できる。軍事施設が置けない海戦では支援攻撃は陸戦以上に嬉しい。黄蓋や程普以外にも血縁武将の援護攻撃も期待できる。伯父上はほぼ毎回戦に出すので、積極的に支援攻撃を狙っていきたい。 で、江陵太守の劉虞から報告が入る。太守は「義理が高く、野望が低い人物or相性がいい人物」で選ぶのがお勧め。基本的には官職の上下で決まるので、劉虞にはきっちり官職を与えておいた。というか、皇族が無官職っていうのもね。 孫登「まあ、劉彊(東海恭王・光武帝の長男、皇太子。のち皇太子を辞退)の子孫だしね」 劉虞「それはいいとして、韓当殿が仕官を求めておりますぞ」 もちろん登用。海戦にはもってこいの特技「水将」を持っている。知力をカバーできれば、海戦では無敵だ。ついでに祖父上とは親愛関係なので援護攻撃も期待できる。 魅力92と特技を名声に書き換えたおかげで、兵士を集めるのも苦労しない。集めた兵士は建業へ輸送する。操舵持ちで、この年になってから仕官を求めてきて登用した魯叔に輸送をさせる。地味だけど「運搬」「操舵」は後方からの輸送には大いに役立ってくれる。版図が大きくなってからは実に重宝する。 で、ついでに277年6月、防衛強化の技巧も研究し、全ての技巧を研究することに成功した。が、防衛強化って果たして役に立つのかなぁ……。城塞からの反撃も一応強化されるらしいのだが、そもそも戦法には無抵抗だし、COMは遠くからやたら火計を繰り返すので、城塞が反撃って言うのはあまり見たことがないんだが。で左慈がやってきてお祝いをしてくれるらしい。 で、最後に左慈は「もう会うことは無いが(後略)」とか言って去っていった。 孫登「(正直、来るとロクなことにならないことの方が多いから、もう来なくていいよ)」 個人的には、兵糧襲撃と防衛強化は果たして使える技巧なのか、個人的には疑問だ。他の技巧に関しては持っていて損はしないでしょう。孫家軍としては水軍の強化とかあっても良かった気もするが、そしたら強くなりすぎちゃうか……。 輸送が完了し、277年10月、董卓軍最後の拠点、蘆江攻めに乗り出した。並行して、ついでに寿春も落としてしまうことにした。ここは守りにくいが、南が自軍の領地ならまだ守りやすいだろう。小沛には孔明がいるが、寿春との間は施設を置きまくって要塞にしたり、壁で塞ぐなどすれば何とでもなる。汝南の武将は全員寿春の防衛にあたらせ、暇そうな武将を何人か汝南へ回す。 寿春からは、叔母上と馬雲騄、曹仁が出てきた。どうでもいいが、何で孔明軍の女性武将はマッチョが多いんだ? ちなみに呉軍には大喬と小喬の姉妹、蔡琰、王異とマッチョとは程遠い武将ばかりだ。その内大喬、小喬、蔡琰は特技の関係上前線の都市にいるが、結構優秀で内政もそれなりにこなしている。 龐徳「曹仁はいいとして、何で孔明軍の女は筋骨隆々なやつばっかなんだ?」 魏延「孔明は変な女が好きだからな。結婚した時も世間の人々は『孔明の嫁取りをまねるな』と言ったそうだ」 うん、言っちゃ悪いが月英も「普通の人」ではないよな……。3部隊とも何故か戟部隊だった。魏延隊は戟部隊なので不利ではない。龐徳隊も騎射で攻撃すればまあ、大丈夫だろう。張宝の落雷攻撃で、曹仁隊に大ダメージを与え、ついでに内政施設も破壊する。後続の龐会隊の投石攻撃と張任隊の弓攻撃で曹仁隊は壊滅した。 で、叔母上の戟部隊に魏延隊で攻撃。が「大盾」で防がれた。ちいっ、やってくれる。副将の不屈や大盾で少し手こずったが、278年1月1日に城を包囲して、21日には陥落させることができた。叔母上と馬雲騄には逃げられたが、それでも大量に武将を捕縛できた。身代金目的に全員捕虜にしておく。魏延は建業に移動させ、残りはせっせと内政に勤しんだ。 比較的楽に落ちた寿春とは違い、蘆江攻めの伯父上の方はものすごい抵抗に遭っていた。まず、濡須港と皖口港を落とす。次に投石部隊で東側の内政施設を壊して東西から挟み撃ちの予定だった。が、距離の関係で濡須港側から上陸するのが早かったのと、さっさと内政施設を壊してしまったのが原因で、董卓軍が出陣し、西側の船団が上陸する前に乱戦となってしまった。伯父上や周瑜、太史慈親子が奮戦しているが、相手側もしぶとい。 この城が落ちると、董卓軍が滅亡するので、董卓側も必死だ。夏侯惇、華雄筆頭に猛者が出陣し、董卓も自ら出陣している。ひとまず董卓を先に叩いてしまうことにした。3部隊ほど移動させて、河から攻撃する。とこの隙に西側から関羽、祖父上(孫堅)、仲異殿らが上陸し、城に張り付く。董卓勢は城に引き返した。どうやら籠城戦に切り替えたようだ。ちなみにこの戦をしてるさなかに呉国太がやってきて仕官させてくれとかいうので、登用。身内だし、仁政を持っているので役に立つ。 8部隊で城を囲んで、投石攻撃をくわえてから、一斉攻撃で城は落ちた。董卓以下武将は全員捕まった。さて、捕虜の処遇を決めねばならない。まずは董卓。 孫堅「斬れ!」 祖父上がそう言うもんだから、董卓は斬られた。後で知ったんだが、祖父上の嫌悪武将は董卓だった。まあ、逆賊は斬らねばならない。呉軍は正義の軍隊なのだ。逆賊となれ合う気はない。 董卓「お前ごときに、お前ごときに我が野望を止められるとはな!」(処断時のセリフ) で、次は楊儀。とある方を語る上で欠かせない人物である。 魏延「斬れ!!」 案の定斬られた。というか、楊儀と魏延が共闘なんて考えられないし、魏延が反乱をおこしたら困る。あとは、どうしようもなく使えなくて、かつ、いると足を引っ張りそうな武将は斬った。 万彧「ふん、無様だね」(処断時のセリフ。てか、何でカマ言葉?) 孫策「(気持ち悪い奴だな……)」 それでも捕虜は38人。 孫策「ん、38人か、待てよ38×50は1900か……。1900……」 何か知らないけど、このゲームは捕虜一人養うのに金50がかかるらしい。なんで武将の給料よりも金がかかるんや!? 孫策「公瑾、どうするこいつら。生き埋めにしちまおうか、白起がやったみたいに」 周瑜「使えそうで、相性があまり良くないものは登用。後のは解放しろ」 で、篩にかけ、荀攸、夏侯惇、関統らを登用。後のは解放した。まあ、相性が良いのは向こうから来てくれるでしょう。それに仮に来なかったとしても、もう人材が足りないということは無いので、困ることは無い。しばらくは内政に励むとしよう。孔明が南下してきても、建業には陸遜、陸抗、黄蓋、魏延、馬良らを残してある。海戦に持ち込めば敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、をするくらいの戦力はある。だから心配はいらない。 278年2月に、董卓を滅ぼし、しばらくは平和な時間が続いた。そして5月。大事件発生! 何と呂布軍滅亡!! 北海には34000の兵がいるのに対し、下邳には31000しか兵がいなかったので落とせるわけないと思っていたのに、くっそー、予想外だ。唯一の救いは呂布&陳宮が脱走していたことと、登用に応じてくれたことだった。袁術を滅ぼしたいところだが、あんなアホに兵力を割くのもバカバカしい。そろそろ頃合いかな……。賈充の嫌がらせで、薊に流言を流しまくり、太守の忠誠度を下げることに成功。 蔡琰に太守を唆させて、笮融を反乱独立させることに成功した。こんなの太守に絶対するべきではないが、袁術軍は領土の割に人数が少ない。1つの都市あたり3,4人といったところか。鄴には11、2人の武将がいたが、賈充の策謀で太守が反乱をおこし、戦力を丸ごと奪われてしまったのだ。だから、今は散発的に1か2部隊出してくるだけだ。所詮は偽皇帝。これではもう取るに足らない勢力だな。 ひとまず、毌丘倹討伐を先に行うことにした。その準備を進める。兵を集め、呂布で訓練を行う。練兵台のおかげで呂布一人で気力が10上がる。278年7月、呂布の訓練が始まる。 呂布「怠けている奴は容赦なく斬るぞ!!」(訓練時セリフその1) 「貴様ら強くなりたいか! それとも虫けらでいたいか!」(訓練時セリフその2) 「こんな生ぬるい訓練では、実践の役には立たんぞ!!」(訓練時セリフその3) ついでに巡察もしてもらう。訓練ばっかりじゃ飽きるでしょうから。 呂布「悪党もおれの前では逃げだすだろうな」(巡察時セリフ) そりゃあな、呂布だもん。 その頃、江東では続々と、仕官を求める武将がやってきた。旧董卓軍の配下たちである。吾彦や孫桓、孫歆、孫震などの重臣や身内の武将が続々とやってきた。で、父上までもがやってきた。 孫権「親子で争っていては、先祖に申し訳が立たん。私も協力させてくれ!」 追い返すのもかわいそうなので、ひとまず登用。ただ、もう技巧は全部研究しちゃったしな。出番はあんまりないでしょうけど我慢してくだされ。あと、水軍適正Aなのね、父上。Sはもういくらでもいるから、海戦でも出番があるかどうか……。ついでに言うと野望が最高で義理が普通。つまり司馬懿とおんなじ。司馬懿よりも義理は高そうな気はするのだが、やはり晩年の乱心ぶりが響いたか? とりあえず、周泰を建業に移動させて、知力の補強で父上を一緒の部隊に入れればいいか。 毌丘倹が攻めてきたので、とりあえず迎撃に出る。既に要塞化は完了しているので、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。 呂布「何!? 戦だと!?」 張り切って出陣。んでもって、突撃!! クリティカル+太鼓台の効果もあって、ダメージ2800とかいうおっそろしいダメージを叩き出す。やばいと思ったのか、後続がわらわらと出てくる。 満寵たちで対処する。ところで、ちょっと気になったのが、楽進隊が攻撃した時に支援攻撃が発生すると楽進が「多謝!」って言ってるけどあれはどういう意味なんだろう? 手加減という言葉を全く知らない呂布。2度目の突撃で、毌丘倹討ち死に。で、曹豹とかいうのが後を継いだ。まあ弱そうな奴だな。後から出てきた部隊もさばいて、平原に引き返す。許昌からの物資が届いたら、再び鄴に攻め込むぞ。 毎回、時間がとれずにちょっとずつしかプレイができないが、1時間程度のプレイで今回は色んな事があったな(基本的に1回のプレイで1話) 278年12月、黄河以北でも勢力を広げようとしている呉軍であった。 第26話 冀州平定戦 278年12月、平原の隣の濮陽に貂蝉がいたので呂布に登用させる。すんなり成功。呂布は陳宮、貂蝉とはお互いに親愛関係だったな、確か。 呂布「そういえば、我が娘はどうした?」 あ、呂玲綺ね。呂布の武力、特技と組み合わせれば「疾走」は凶悪的な強さを誇る特技となる。在野でいるならぜひ登用したい。が、いなかった。 呂布「まさか、斬られたんじゃないだろうな!?」 陳宮「いえ、いました」 なんと呂玲綺、孔明に仕えていた。なんということだ。これでまた一人、孔明勢力にマッチョな女性武将が増えてしまったではないか! と、いうか、これで祝融を登用されたらコンプリートだな。 呉軍みたいにもっと「女性らしい」女性武将を登用しろよ! 叩き合いが徐盛や叔弼叔父上(孫翊)より強いって一体……。 孫登「我が軍の女性武将は、誰がいたっけ?」 まず、一番最初に仕えてくれたのが、蔡琰だ。んで、後は王異、祖母上(厳密に言うと、孫登の祖母上は祖父上の第一夫人の呉氏。呉国太はその妹だったな、確か)、徐氏殿、孫氏殿、大喬小喬の姉妹、貂蝉の8人。で、この中で一番武力が高いのが意外にも貂蝉。武力は28(元が26+経験値2) 孫登「ほ、ほほう……。我が軍の花だな。孔明軍は普通の女性武将なんて、糜氏くらいだもんな」 ついでに言うと、能力値や特技の関係上、王異以外は皆、最前線で活躍している。せっせと建業、蘆江、寿春で内政と物資集めに精を出している間に、後方からは物資と兵力を運ぶ。この隙に北部戦線の武将たちに少し働いてもらおう。 満寵、甘寧らが率いる北部戦線は、濮陽に程普と郭淮、陳留に徐晃を残しておき、拠点を平原に移した。279年1月、河北制圧の第一戦として、鄴を制圧することにした。ここを抑えることができればいちいち、濮陽や陳留から物資を送る手間が省けそうだ。特に濮陽は、小沛と北海と接しているため、孔明が攻めてきたことも考えて、ある程度の物資は蓄えておく必要があった。 兵を集め、呂布で訓練させる。練兵台の効果で、呂布一人で気力を10上げることができる。3人でやったとしても12~13くらいしか気力は上がらない。つまり、呂布一人でやってもあまり変わらないのだ。なので専ら訓練は呂布1人の仕事だ。まあ、呂布のオリジナルのセリフを見たいというのも無いわけではないが。他の武将は皆で内政と、巡察、徴兵を手分けして行う。 気力が120になり、呂布を先頭に出撃。呂布は陳宮と貂蝉を副将にして出陣。後で考えると、賈充と貂蝉をセットにすれば、相手部隊に女性武将がいない限りほぼ確実に計略を決めることができる部隊が完成するのだが、まあ、相手は弱いし、力攻めでも特に問題ないだろう。 呂布の騎馬隊を先頭に鄴に攻め込む。その頃、運悪く濮陽に孔明軍が攻めてきてしまった。既に要塞化は完了していたが、武将が7人しかいないので、動員力には限界がある。ひとまず陳留から援軍を出させるが、ここも7人しか武将がいないので、やはり動員力には限界がある。しょうがない、ちょっとずるい気もするがあの手を使おう。 寿春から援軍2部隊16000と平原からも援軍2部隊を出す。小沛からの出陣、ということは今は小沛は手薄なはず。寿春から夏侯覇+張宝+諸葛恪という部隊を作った。ちなみに後の1部隊は普通の弓隊だ。程普と郭淮は、濮陽~小沛の近道となる浅瀬に向かって業火球を転がして進軍を妨害する。とにかく援軍が来るまでの時間稼ぎと孔明の軍勢を個々に釘付けにしておかなければならない。 これで40日は持ちこたえられたが、相手の部隊数が多く、後続に火を消されてしまった。北海からも濮陽に向けて軍勢が動き出したようだ。距離があるのでひとまず捨て置く。60日目に陳留と平原からの援軍が到着した。とまあ、郭淮らが孔明軍をひきつけている間に、寿春からの援軍で小沛の施設をぶち壊しまくる。ただまあ厄介なことに籠城を決め込んでいても、兵舎を壊してしまうと、出撃される可能性があるのだ。でもまあこれも織り込み済み。 小沛の兵舎や鍛冶を壊すと案の定、部隊が出てきた。何と孔明自らが出陣。 諸葛恪「やべっ、叔父上が出てきた! 長居は無用だ。退くぞ!」 夏侯覇の特技「長駆」と騎兵の技巧の研究成果で、騎馬隊の機動力は全兵科中最高のスピードを誇る。とっとと撤退。孔明が追いかけてきたので、張任に殿をさせる。クリティカル+炎上で被害を与えつつ撤退する。鍛冶や兵舎は跡形もなく壊したので元のレベル3にするには時間がかかるだろう。少なくともそれまでは兵は出せまい。 濮陽に攻め込んだ孔明軍は、陳武、朱然、徐晃、費耀、郭淮、程普らで撃退に成功した。捕虜は例のごとく蔣琬がやってきて返してくれとかいうので、金と引き換えに返してやる。こちらも徴兵や武器生産で金が要り様だしね。しかし、COMはどうやって外交の使者を決めているんだろう? ほぼ毎回蔣琬がやってくることを考えると、武将の政治力かな? 劉諶軍の使者は、鄧芝か孫乾だったので、恐らく優先度としては論客持ち>政治力かな? 調べたわけではないので知っている方がいたら情報をください。 この中原のごたごたとは対照的に、鄴はあっさり陥落した。そもそも武将の質が全然違うので、むしろ負ける方が難しいくらいだ。相手方の強い武将と言えば、鮑三娘くらい。呂布隊を中心に一斉攻撃を行う。 呂布「わっはっは、かかったな!」(一斉攻撃時のセリフ) ついでに陳宮の特技で混乱させることができた。鮑三娘は呉軍にフルボッコにされ捕えられた。後は片っ端から出てきた武将を撃破する。相手は文官だろうがザコ武将だろうが能力のことなど一切考えずに、出撃してくる。一方こちらは、呂布、甘寧、楽進、満寵と勇将智将が勢ぞろいだ。当然呉軍にかなうはずもなく、鄴は包囲され、一斉攻撃で落ちた。平原を出てから80日ほどだったように思う。楽進隊を兵器部隊にすればもう少し早く落ちたのではないだろうか。 ただ、兵器部隊は機動力が低いので、目標に着くまでが時間がかかるのと、反撃ができない、戦法でしか攻撃できないなどの欠点があるので、野戦で大軍同士が入り乱れ、乱戦になってしまうと使いづらいので、兵力で圧倒的に優勢なら、とっとと兵器で城を落とした方が良いように思う。 君主曹豹は斬られたが、捕虜は全員解放する。正直言って、絶対に欲しいとか敵に回すとまずい、という武将はいなかったのだ。久々に大都市を得ることができた。ここを河北制圧の拠点とするべく、呂布は兵の訓練、他の武将はせっせと内政に励んだ。 しかし、その頃性懲りもなく、孔明が曲阿港を狙って軍勢を差し向けたという情報が入ってきた。次の戦で孔明軍を撃退したら、下邳を落としてしまおうかな。 委任使うときは対象を後方都市だけにして、攻撃禁止に設定しておくと、勝手に変なとこ攻めたりしなくなるんでいいですよー。あ、でも自分はPCPKなんで、コンシューマ版でも攻撃禁止設定できるのかどうかわかりませんが; -- 名無しさん (2010-11-15 03 03 14) PS2PKでも攻撃無しにできますよ。 -- 名無しさん (2010-11-15 04 02 53) てか、まあ、出撃されても単に委任解除して戻せば済むけどね -- 名無しさん (2010-11-15 05 30 52) 貴重なアドバイスをありがとうございます。委任はちょっと注意する必要がありますね。まさか長沙から江夏へ出兵するとは思わなかったので。 -- プレイ日記の筆者 (2010-11-15 21 01 02) 多謝=感謝感激雨あられ -- 名無しさん (2010-11-20 22 33 56) 名前 コメント