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- 惜しい。 「幸福論」新宮秀夫 ...人間を含む動物の、種の保存の ための手段を考えてみると大きく3つの事柄が重要なことが判る。それらは、 1. 生むこと、 2. 食べること、 3. 危険を避けること、 である。... 戻る 「幸福論」新宮秀夫 http //web.kyoto-inet.or.jp/org/enekan/shingu/happy.html#0 ...生活の利便性の向上や豊かさ が暗黙の了解であった時代の感覚を、我々は一刻も早く考え直し、新しい人類の目標 すなわち、我々がこれから進む方針を確立しなければならない。 ...人間を含む動物の、種の保存の ための手段を考えてみると大きく3つの事柄が重要なことが判る。それらは、 1. 生むこと、 2. 食べること、 3. 危険を避けること、 である。... 惜しい。 4.排泄すること 5.休息すること 6.死んで次世代に譲ること この辺りの事に関する美学を確立する事が大事だと思ふのです。 念の為:価値在る文章と思っての御紹介で在ります。誤解無きやう。 単なる生活の利便性の向上や豊かさ が暗黙の了解であった時代の感覚を、我々は一刻も早く考え直し、新しい人類の目標 すなわち、我々がこれから進む方針を確立しなければならない。人間の社会活動の規 模が地球の許容量に比較して小さかった今までの時代には、我々の進むべき道につい て考える必然性も少なかった。けれども、50億を超える人間が地球上で幸せに暮ら そうという事を考えねばならない今、我々は最も難しい問題である「幸福論」を、改 めて真剣に論じなければならない時代にさし掛かっているわけである。それは、とり も直さずこれからの開発・発展の指針を見出すことでもある。 1.2 進化論に基づく人間の本性 人間そのものを知らずして人間の目指すものを知ることは出来ない、と考えた先哲 の思考法には感心させられる。性善説、性悪説も、結局どちらと決定は不可能かも知 れないが、そのような概念に照らして人間の行動を論ずると話が判りやすいことは確 かであり、素晴しい智恵だと云える。さて、孟子、荀子は云うにおよばず、ルソー( 1712-1778)もスミス(1723-1790)も、進化論の提唱者ダーウイン(1809-1882)よ りかなり前の時代の人々である。したがって、人間そのものを知る、と云っても、結 局人間は、始めから人間であるとの仮定(ルソーは仮定と云っている)に立って人間 そのものを考えざるを得なかった。アリストテレス(B.C.384-322)も、前歯と臼歯 の機能の差を例に挙げて自然淘汰による進化に言及しながら、目的論つまり自然現象 すべてには目的があると(自然界の秩序のあまりの素晴しさの故に?)結論して、進 化については深く考えていない。そこで、これらの人々が、仮に進化論を知っていた らどう考えたであろうか、という発想で人間そのものを考えて見る。 自然界を見ると植物、動物を問わず、いずれも環境に合わせて驚くべき適合性を持 って生きている。適合性ということは、種の存続という目的に最も都合良い形、行動 パターン等をとっているということである。そこで、人間を含む動物の、種の保存の ための手段を考えてみると大きく3つの事柄が重要なことが判る。それらは、 1. 生むこと、 2. 食べること、 3. 危険を避けること、 である。これらは生殖、生存、防衛、の“本能”と云えよう。自然の作用は、生物に これらの3つの本能を上手く発揮するために種々の都合の良い進化を、形態や機能と して与えているけれども、何が何でもこの3つの事柄を動物がやり遂げるようにする ための最良の方法として、これらのいずれにも、“快”、というものを与えている。 恋することが快であり、食べることが快であり、自分や仲間を守ることが快であるか らこそ我々は皆、命をかけてこれらのことをやり遂げることになる。 コメント 名前 コメント
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内モンゴルの環境問題と環境思想 発表の構成 1.研究背景、目的 2.天人合一思想について 3.内モンゴルに実施した政策について 4.遊牧生活における自然観(天人合一) 5.内モンゴルの風土 6.現代的遊牧の可能性について 研究背景 人間は、自然環境の中に生存し、発展する過程において、自然環境の恩恵を受け、自然を畏れ、大切にしてきた。しかし、近代化、工業化により、この関係は大きく変化して、人間は、自然を支配し、搾取するなど関係になり、その傲慢な態度が大きく拡がった。今日、自然環境問題に対して人々の関心が高まり、ゴミ処理などの日常的環境問題や、温暖化、砂漠化などの自然保護に関する環境問題が深刻化している。 研究背景 内モンゴルでは、かつて遊牧民が住んでいた土地に農民が移住し、草地をどんどん開墾した。清朝期から始まった農業の浸透と中華人民共和国成立後の体制転換を機に牧畜社会そのものが変容し始めた。1949年の新中国建国後、漢民族が長城を越えて漠北と新疆への大量移民を始めて以降、59年から61年には全土が自然災害に遭い、内モンゴルへは192万人が移民し、47年の569万人の人口が90年には2145万人に増えたのである。漢民族による草原への急速な侵入と過剰開発によって、自然の生態系は激変し、草原が急速に退化していった。 研究目的 内モンゴルの砂漠問題、草原退化の原因を明らかにしてモンゴル人の遊牧生活中の自然観をもう一回認める。しかし昔の遊牧生活をそのままに回復ことではなく、科学技術を駆使して現代的遊牧を探ることのよって今の厳しい情況を解決したい。 2.天人合一思想について 漢民族における天人合一と 孟子 「天人相通」 天の本性はすなわち人間の本性であり、天道と人の性は実際にひとつに通じている 董仲舒 「天人相類」 天と人の仕組みが相類している。 天は360日ある、人は360節がある、天は太陽、月がある、人は目、耳がある・・・・ 「天人合一」を実現するには天は人間に合わせることはできず、人間が天に合わせるべき、天が本体であり、人間は天に順応する。 荀子 「天人相分」 人間は必ず天に勝つ 中国人民共和国の成立後 ⇒ 「人は必ず天を勝つ] ⇧ 農業社会の産物 モンゴル人における天人合一思想 自然本体は生命体であり、自然にあるすべての物は相互に依存して一つの全体になっている、人類社会をすべての生態環境の中に入れて考え、人と自然の調和一体を強調する。 ⇧ 生業方式 生活習慣 農業と遊牧 農業⇒原生態自然を人的自然に改造する。 遊牧⇒原生態自然をそのままに持続的に利用する。 内モンゴル⇒地理位置、気候⇒遊牧 3.内モンゴルに実施した政策 請負政策 中国農村普遍的家庭生産請負制⇒1983、1984⇢ 家畜の請負⇒遊牧生活の変遷⇒五種家畜の散らす⇒草原の退化 牧場請負⇒草原退化の防止、保護⇒退化もっと激しい ⇩ 「退牧還草」、「休牧禁牧」「生態移民」政策 ⇩ 草原を守り、保護できなかった ⇩ 農業文化と遊牧文化の違い 政策を農業文化に照らしておこなったことである、特に「退牧還草」、「休牧禁牧」」は「退耕還林」「休漁禁漁」を照らして農業地域の政策をそのままに草原地域に実施した政策である。 内モンゴルは独特な地理位置、気候に位置しているから農業文化は適合でかない。 4. 遊牧生活における自然観(天人合一) 遊牧文化と草原民族を討論すると、多大の人々は農業文化と工業文化に照らして、しばしば遊牧文化を人類の最落後、最原始生産方式の一つと論じている。ところはそうではない、千百年以来、モンゴル族、遊牧民はそう言われた遊牧生活方式によって、脆弱な草原環境と資源を保護していた。遊牧文化は自然を持続的に利用し、自然と人間を調和させていた。この中に深い自然観がふくまれている。 四季遊牧、牧民経験 ⇒ 自然観 ⇩ 移動⇒牧草の回復、保護⇒持続的な利用 ↳牧民の経験に従う。 生活習俗 ⇒ 自然観 ⇩ 水資源の利用、ごみ処理、馬、牛の糞の利用、葬式・・・・ 宗教、信仰 ⇒ 自然観 ⇩ 天の祀り,オボの祀 5. 本土地生態意識と風土 政府からの政策の失敗した原因の一つは本土地生態意識を無視した だから本度地生態意識を再確認する必要がある。 モンゴル人の風土を認める 6. 現代的遊牧の可能性について 草原文明の価値を認める 現代科学技術と制度を用いて遊牧を支える、 三居室の快適な遊動車、移動安い家畜小屋、移動安い小型風力エネルギーと太陽エネルギー技術、草場現状のリモートセンシング、これを用いて遊動と避災する現代的通信手段に使う。GPS定位し空中での救災システム・・・・
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トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』160、2012.12 企画:実学の公共性 백민정「儒教知識人の公概念と公共意識:李瀷、丁若鏞、沈大允の場合を中心に」 박영도「茶山の実学的公共性の構造と性格:いくつかの批判的考察」 이승률「「道」の認識:地下の書籍と紙上の書籍を通じて見た『老子』哲学の形成と展開Ⅱ」 論文 김선민「両晋の宗廟制度と「太祖廃位」」 정연식「居陀知説話の新しい解釈」 류대영「マティー・ノーブル(Mattie W. Noble)の日誌:ある婦人宣教師の生涯と「女性の領域(Women s Sphere)」」 辛珠柏「植民地期新しい知識体系としての「朝鮮史」「朝鮮文学」「東洋哲学」の形成と高等教育」 企画 「社会人文学の対話4:韓国社会の公共性と公的知識人:その構造的特徴と変化:김동춘教授との対話」 『東方学志』159、2012.9 特集:感性と公共性 최기숙「朝鮮時代感情論の推移と感情の文化規約:士大夫の物書きを中心に」 李ハナ「反共主義感性企画、「反共映画」のジレンマ:1950-1960年代「反共映画」論争を中心に」 論文 이승률「「道」の早産論:地下の書籍と紙上の書籍を通じて見た『老子』哲学の形成と展開Ⅰ」 김만태「星宿信仰の一環としての北斗七星の信仰的化現様相」 박봉주「朝鮮時代国家祭礼と籩・豆の使用」 한영호、이은희「『交食推歩法借令』研究」 김진희「泠斎柳得恭の漢訳詩歌「東人之歌」研究」 洪性讃「韓末ソウル東幕客主の米穀取引と荷主:「東泰元」の帳簿を中心に」 김동노「民族主義の多元化と理念の葛藤」 企画 「社会人文学の対話3:新自由主義時代学問の照明と社会人文学:孫歌との対談」 『東方学志』158、2012.6 윤경진「泰封の地方制度改編:『三国史記』地理志高句麗条の分析を中心に」 신성재「高麗の水軍戦略と後三国統一」 朴平植「朝鮮初期の貨幣政策と布貨流通」 연규동、이전경、김은희、김남시「朝鮮王朝実録に現れた「文字」の意味」 김미정「移行の時間性と主体性:開化主体についての一説明」 최경봉「近代的言語観の展開と国語定立という課題の認識様相:韓国の特殊性を中心に」 백문임「朝鮮映画の「風景の発見」:連載劇と空間の専有」 김승구「解放期劇場の映画上映活動についての考察」 조경희「「朝鮮人死刑囚」をめぐる専有の構図:小松川事件と日本/「朝鮮」」 김소남「1970年代原州地域災害対策事業委員会の鉱山地域長期救護事業研究:信用協同組合運動を中心に」 企画 「韓国人文学の脈と延世5:「文字に埋れた」楽しい人文学者:英文学者이상섭の生涯と学問」 『東方学志』157、2012.3 特集:戦争:圏域の事態、境界の事件 서동주「「新しい戦争」と日本先後文学の思想空間」 장세진「トランスナショナリズム、(不)可能そして在日朝鮮人という例外状態:在日朝鮮人の韓国戦争関連テキストを中心に」 신형기「ベトナム派兵と越南の話」 권혁태「「国境」内から「脱/国境」を創造する法:日本のベトナム反戦運動と脱営兵史」 論文 박종진「高麗前期開城府の変遷と地理的範囲」 박경안「高麗時代土地利用と人間の暮らし:土地政策と関連して」 임채우「柳得恭『京都雑志』柶占(윷점)の易哲学的解釈」 이선호、박형우「19世紀末アメリカ北長老会の韓国宣教推進過程についての研究」 仲林裕員「1910年代朝鮮総督府の教育政策と在朝日本人教員統制:朝鮮教育(研究)会を中心に」 양태근「戸籍の研究方法論成立過程、応用及びその影響についての考察」 정용서「1920年代天道教新派の「民族自治」構想」 企画 「社会人文学の対話2:古典学者の生涯・学問・世界、その拡張と新化の道程:韓国文学研究者임형택」 『東方学志』156、2011.12 Arif Dirlik「超国家化と大学:グローバル・モダニティの観点」 박명림「知識の人間性、学問の社会性、教育の公共性:知識と学問と教育の統合体系としての社会人文学」 許紀霖「最近10年間の中国の知識生産と知識社会」 富山一郞「公的知識人と連結のための知:生成の過程を共有するという事」 Richard E.Lee「知識生産危機、その後?:歴史社会科学と社会人文学」 草郷孝好「幸福追求を可能にする地域社会の創造:水俣のもやい直しと地元学から学ぶ事」 김선민「東晋南朝褅祫祭原則変化の礼学的根拠と論理」 이승률「『荀子』「天論」篇の天人分離論研究」 企画 「社会人文学の対話1:日常のアジトから公共性を共に作る:文化人類学者조한혜정」 『東方学志』155、2011.9 박미선「新羅占察法会と密教」 한영호、이은희「麗末鮮初本国暦完成への道程」 오이환「『晋陽誌』の出版」 조용호「古典小説『南柯録』の比較文学的研究:中国小説『三国演義』の影響を中心に」 권도경「古典叙事文学・デジタル文化コンテンツの叙事的相関性と古典叙事原型のデジタル・ストーリーテリング化の可能性」 최기숙「恵寰・無名子・沆瀣の批評的物書きを通じて見た「人-文」の境界と物書きの形而上学」 장미현「1950年代「民主的労働組合」運動の始まりと帰結:「臺諫紡績争議」と全国労働組合協議会を中心に」 企画:東西の実践的知識人 孫歌「竹内好と丸山真男」 박영도「アーレント(Hannah Arendt)、ハーバーマス(Jürgen Habermas)、省察的公共性:社会人文学的考察」 書評 이재원「熱帯学研究の可能性を模索する:이종찬『열대와 서구 에덴에서 제국으로』새문결、2009年」 『東方学志』154、2011.6 이호석「僧肇の常滅本性と宗密の本覚真心の比較:僧肇の「涅槃無名論」と宗密の『原人論』に限定して」 李貞薫「高麗前期文散階の実際運営:開府儀同三司と特進を中心に」 박경안「高麗時期巫教の自然観とその推移:「移風易俗」の論理を中心に」 송양섭「18-19世紀公州牧の財政構造と民役庁の運営:『民役庁節目』『蠲役庁(追)節目』を中心に」 소영현「「知」の近代的転換:トルストイ受容を通じて見た「近代知」の編成と流通」 김용흠「「朝鮮後期実学」と社会人文学」 박용규「文世栄『朝鮮語辞典』の編纂過程と国語辞典史的意味」 홍성찬「崔虎鎮の経済史研究と叙述の社会史:1940-60年代」 박윤재「解放後韓医学の再建と韓医師制度の成立」 書評 孫歌「東アジア未来についての横断的事由」 『東方学志』153、2011.3 特集:東アジア文化交流と通信使筆談唱和集 구지현「1763年筆談資料を通じて見た江戸における文士交流:『傾蓋集』序文に見える認識を中心に」 高橋昌彦「福岡藩と通信使」 箕輪吉次「壬戌1682年使行と富士山詩:祖辰を中心に」 진영미「『問槎餘響』と『日観唱酬』所載南玉の酬応詩比較研究」 민후기「西周王朝の族の再配置と同姓不婚:東征以後西周王朝の族統一政策についての検討」 김선숙「上古期韓半島西南部と日本九州地域間交流と文化的相関関係」 김성근「崔漢綺と西周の歴史哲学と近代的「人間」理解」 香野展一「日帝下中部幾次郎の林兼商店経営と「水産財閥」への成長」 이은희「日帝下朝鮮・満州の製糖業政策と砂糖流通」 企画 「韓国人文学の脈と延世4:実践する文人、省察する学人の足跡:国文学者이선영の生涯と学問」 『東方学志』152、2010.12 企画:社会人文学の視角から見た雑誌 백낙청「社会人文学と批判的雑誌に関するいくつかの考え」 Mark Selden「ポスト印刷時代における電子出版と批判的知性:アジア・太平洋の観点から」 呉重慶「中国の社会変遷に対する応答:『開放時代』を中心に」 論文 김연재「複雑系理論から見た周易とそのメタ的世界観:東アジア的事由原型の模索を中心に」 허태용「朝鮮後期「南北国論」形成の論理的過程の検討」 李炫植「「渡江録序」、『熱河日記』のための偽装」 이철호「霊魂の巡礼:19-20世紀韓国知識人の「霊魂」認識と再専有の軌跡」 윤덕영「1926年民族主義勢力の情勢認識と「民族的中心団体」結成の模索:「研政会復活」計画についての再解釈」 廉馥圭「植民地権力の都市開発と伝統的象徴空間の毀損をめぐる葛藤の様相と意味:「京城市区改修第六号線」の事例分析」 이경란「1950-70年代歴史学界と歴史研究の社会談論化:『思想界』と『創作と批評』を中心に」 論壇 金基鳳「「暮らしの批評」としての歴史」 『東方学志』151、2010.9 誌齢150号特集:『東方学志』と国学、東方学研究 정호훈「韓国の実学研究と『東方学志』」 김현주「『東方学志』を通じて見た韓国学総合学術誌の軌跡」 論文 장원태「『老子』38章の徳概念についての試論:儒家の徳概念との比較を中心に」 田寛秀「仏国寺創建説話研究」 한정훈「高麗後期漕運制の運営と変化」 이상현「アンダーウッドの二重語辞典刊行と韓国語の再編過程」 정종현「日本帝国期「開城」の地域性と(脱)植民の文化企画」 배석만「朝鮮製鉄業育成をめぐる政策調律過程と清津製鉄所建設(1935-45)」 李ハナ「1950-60年代再建談論の意味と志向」 企画 「韓国人文学の脈と延世3:家隸からの終わらない脱走:박동환の哲学的問題」 『東方学志』150、2010.6 特集:社会人文学の概念と方法 박영도「省察的社会批評としての社会人文学と境界の事由」 김용흠「韓国中世国家研究の方向と社会人文学」 서은주「科学としての文学概念の形成と「知」の標準化:主要「文学概論書」を中心に」 論文 余昊奎「高句麗初期の王位継承原理と古鄒加」 이정훈「高麗前期文散階運営についての再検討」 이강한「高麗・元間「交婚」法制の衝突」 최윤오「大韓帝国期忠州郡量案の地主制と農民層の分解」 김동노「朴正煕時代伝統の再創造と統治体制の確立」 企画 「韓国人文学の脈と延世2:開かれた、倫理共同体を夢見る省察する「知性人」の肖像:社会学者박영신の生涯と学問」 『東方学志』149、2010.3 特集:人文学の現実と社会人文学の課題 백영서「社会人文学の指標を開いて:その出発点である「公共性の歴史学」」 박명림「社会人文学の創案:「社会の人文性」レベル、「人文学の社会性」発揚へ向かう融合学問の模索」 김상환「人文的想像力:ドイツロマン主義の時代の人文主義再考」 辛珠柏「韓国現代歴史学の三分科制度形成と歴史認識・歴史研究方法」 김건우「韓国文学の制度的自立性の形成:大学制度を中心に」 나종석「学会を通じてみた公共性と学問性の結合の可能性:韓国社会と哲学研究会を中心に」 論文 박동인「賈誼礼論の特徴:等級秩序と制度論」 최진열「北魏平城時代胡人の生活と習俗:胡俗維持とその背景を中心に」 이경록「朝鮮初期『郷薬済生集成方』の刊行と郷薬の発展」 최기숙「古小説に現れた「夫婦不和」の統計分析を通じて見た「夫婦葛藤」と「結婚生活」の想像構図」 企画 「韓国人文学の脈と延世1:民族の言葉の研究に向かった夢と熱情:김석득名誉教授の生涯と学問」 『東方学志』148、2009.12 강종훈「蔚珍鳳坪新羅碑の再検討」 채웅석「『高麗史』刑法志所在「判」についての考察」 윤경진「高麗時代西京畿の形成と再編:『高麗史』地理志沿革の補正を中心に」 조용호「「履霜曲」の意味と淫辞的性格」 조성산「18世紀後半~19世紀前半「朝鮮学」形成の前提と可能性」 김종준「1895-1907年平安道地域の「軍土」調査事業と関連紛争」 임성래「『발別春香伝(발별춘향전)』について」 전재진「三竹趙榥の儒家事業と歌曲集『三竹詞流』」 김영민「近代啓蒙期文体研究:兪吉濬を中心に」 『東方学志』147、2009.9 特集:21世紀韓国学:世界普遍談論を目指して 백영서「地球地域学としての韓国学の(不)可能性:普遍談論を目指して」 박명규「ネーションと民族:概念史から見た意味の間隙」 김성보「内在的発展と国際的疎通の観点から見た韓国近現代史」 松本武祝「朝鮮の「植民地近代」に関する最近の議論について:日本の文脈から」 박명림「普遍韓国学としての韓国民主学序説」 企画:総力戦下の文化事情 김예림「戦争スペクタクルと戦場実感の動力学:中日戦争期帝国の大陸統治と生命政治あるいは朝鮮・朝鮮人の配置」 백문임「「軍人になりなさい」:植民地末期戦前劇映画の朝鮮女性たち」 소영현「戦時体制期の欲望政治」 論文 尹秉模「長寿王代高句麗の西方進出とその境界」 池培善「前秦苻堅について:A.D358-365を中心に」 김경태「壬辰倭乱後、明駐屯軍問題と朝鮮の対応」 백민정「茶山の『中庸講義(補)』条対内容分析:正祖『経史講義・中庸』御製条問及びその他条対との比較を中心に」 정소이「丁若鏞の性記号説:倫理的自然主義の視角に立脚して」 김병길「「黄真伊」説話の歴史小説化とその系譜」 『東方学志』146、2009.6 特集:延世大学校所蔵古書の文献的価値 심경호「延世大所蔵類書及び漢字語彙集の価値」 혀경진「13種叙述を通じて見た官人鄭元容の記録態度」 論文 田寛秀「麒麟窟神話研究」 박애경「朝鮮後期、開化期詩歌研究の現況と課題」 金哲「同化あるいは超克:植民地朝鮮における近代超克論」 차승기「揺れる帝国、脱植民の文化政治学:皇民化のテクノロジーとその逆説」 이인영「伝統の詩的専有:徐廷柱の「新羅精神」を中心に」 李承律「『荘子』の「自然」と『荀子』の「性偽之分」」 『東方学志』145、2009.3 特集:東アジアの知識疎通と韓国 도현철「『三峯集』の典拠を通じて見た新儒学受容」 안대회「楚亭朴斉家の燕行と日常の中の国際交流」 金鳳珍「西欧「権利」概念の受容と変容:兪吉濬と福沢諭吉の比較考察」 論文 조경철「百済王室の三年喪:武寧王と聖王を中心に」 洪性讃「日帝下韓日貿易ネットワーク上形成の一様相:1920、30年代初絹織物貿易業界の事例」 안종철「文明開化から反共へ:李承晩と改新教の関係の変化、1912-1950」 김용천「『荀子』『礼記』「王制」の礼治構想」 황동연「地域視角、超国家的観点、「東部アジア」地域概念と「東部アジア」急進主義歴史の再構成の試論」 全寅初「劉基行状と『南渓聯譚』『南渓演談』」 『東方学志』144、2008.12 特集:植民地期在満朝鮮人の暮らしと記憶 金度亨「韓末・日帝下韓国人の満州認識」 김왕배、이수철「1930年代満州の朝鮮族邑共同体:黒竜江省五常県朝鮮族邑形成過程を中心に」 길태숙「在満朝鮮人抗日闘争歌の過去と現在の意味:「新興武官学校校歌」を中心に」 문백란「カナダ宣教師たちの北間島韓人社会認識:合邦後から庚申惨変対応時期までを中心に」 企画:知訥と退渓、東アジアの知識疎通 최연식「知訥禅思想の思想史的検討」 이봉규「『延平問答』議論を通じて見た退渓学の指標:東アジア儒学者の脈絡と関連して」 論文 제장명「丁酉再乱期鳴梁海戦の主要争点と勝利要因の再検討」 具萬玉「朝鮮後期「儀象」改修論の推移」 李勛相「朝鮮後期地方派遣画員とその制度、そして彼等の地方形象化」 기광서「ソ連共産党政治局の対韓半島関連「決定」と北韓政府の性格構想(1945-1948年)」 池培善「前秦苻堅について:358年までを中心に」 이현식「『熱河日記』の「第一壮観」、清国中華論と清国文化受容論」 『東方学志』143、2008.9 特集:「朝鮮学」再読:世界、民族、東西和衷 김하수「時代転換期についての崔鉉培とペスタロッチの対応:東洋と西洋の知識人交流についての試論的考察」 崔在穆「鄭寅普「陽明学」形成の知形図:「世界」との「呼吸」、その重層性と関連して」 류시현「韓末・日帝時代崔南善の文明・文化論」 宮嶋博史「日本の国学と韓国の朝鮮学:比較のための試論的考察」 論文 이강한「高麗忠宣王・元武宗の財政運用と「政策共有」」 한영호、남문현「朝鮮の更漏法」 김용흠「南渓朴世采の変通論と皇極蕩平論」 이준식「日帝の映画統制政策と満州映画協会:巡回映写を中心に」 방기중、Suzy Kim「政府樹立期北韓の国家自主性認識」 김성보「戦争と農業共同化による北韓農民生活の変化」 이상돈「朱熹修養論における涵養と体認」 『東方学志』142、2008.6 特集:分断体制下南北韓の社会変動と民族統一の展望 이상의「政府樹立後労働委員会の設置と労働問題」 허수열「1940年代韓国工場工業の連続性の程度についての分析」 배성준「解放~韓国戦争直後ソウル工業の再編成」 정진아「李承晩政権の経済復興計画」 공임순「韓国社会の進歩と保守についての一省察:朴正煕の「代表/再現」の議論と「指導者像」の構築を中心に」 윤인진「韓民族離散(ディアスポラ)と韓民族共同体形成方案」 論文 박재연「晋州柳氏家墓出土諺簡の語彙論的考察」 고운기「徳川家蔵書目録に現れた『三国遺事』伝承の研究」 김현주「1920年代近代的学知とテキストの位相」 이상익「大山李象靖の理主気資論:退・栗性理説と対比して」 『東方学志』141、2008.3 特集:為堂鄭寅普の学問と『薝園文録』 이만열「為堂鄭寅普の韓国古代史認識」 김영봉「為堂鄭寅普の墓道文字に現れた時代意識」 한정길「鄭寅普の陽明学観についての研究」 論文 朴晋勲「高麗時代人々の改名」 도현철「高麗末廉興邦の政治活動と思想の変化」 鄭多函「朝鮮初期野人と対馬島に対する藩籬、藩屛認識の形成と敬差官の派遣」 옥성득「初期韓国改新教礼拝堂の発展過程と特性:キリスト教近代性と土着化の問題、1895-1912」 이민희「朝鮮と中国の書籍仲介商と書籍流通文化研究」 최기숙「「遁甲」の生理、その欲望と受容の文化的脈絡:「遁甲説話」と『雍固執伝』に投影された「遁甲」行為の文化的前提と文学的想像力」 황병기「茶山における易詞の任意性と易象の根本性が与える哲学的意味」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
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週刊ミルクティー*第26号〜 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ 「墨子」は2009年1月24日現在、青空文庫にて校正待ちです。「道教について」は2009年2月21日現在、青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 2009.2.21 No.31 幸田露伴 道教について(三) 定価:200円(税込) p.103 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(167項目)p.585 張魯はついに漢中によって独立し、五斗米道をもって実際的に一団をなしたいわば一国のようなものを建設した形になり、漢中巴蜀(はしょく)に雄視すること三十年におよんだ。(略)諸葛孔明が廬を出づるに先だって劉玄徳と天下の形勢を論じたとき(略)玄徳をして荊州・益州に拠らんことをすすめている場合に、張魯も算計の中に入れられている。孔明の眼中に、曹操・孫権・劉璋らと共に入っている張魯の勢いは実にあなどるべからざるものがあったのである。(略)韓遂の乱を平らげ馬超を逐ったのち、曹操眼前の大邪魔物は張魯であった。建安二十年(二一五)、曹操は大軍をもってみずから散関を出で張魯を征伐した。(略)曹操はもとより如才ない聡明の人であったから、魯の人物を見ぬき、かつこれを追窮して紛争を後に遺さんよりはと思ったのであろう、人を遣って慰喩して魯の心をにぎった。そこで魯は家族をひきいて出て降ったところ、曹操はこれを迎えて、魯を鎮南将軍となし(略)魯の五子および閻圃らを封じてみな列侯となし、吾子の彭祖のために魯の女をめとって魯と姻戚関係をむすんだ。 31.rm (朗読:RealMedia 形式 280KB、2'15'') 張魯 ちょうろ ?-216? 後漢末期から三国時代にかけての五斗米道(後の正一教)の指導者。字は公祺。豫州沛国豊県の人。張陵の孫、張衡の子、張衛の兄。 劉璋 りゅうしょう 162?-219 後漢末期の群雄。劉焉の子。家系は劉氏。爵位は、振威将軍・監軍使者・益州牧・陽城侯。 閻圃 えん ほ ?-230頃 後漢時代末期の政治家。益州巴西郡出身。張魯の功曹として仕えた。 彭祖 ほうそ ?-? 曹宇(そうう)。曹操の第九子で、生母は環夫人。魏の最後の皇帝・元帝(曹奐)の父。妻は張魯の娘。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』『学研新漢和大字典』。 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第31号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (572KB) 2009.2.14 第三〇号 幸田露伴 道教について(二) 定価:200円(税込) p.125 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(113項目)p.410 秦の襄公が少昊(しょうこう)をあがめて西畤を作り白帝をまつった。後の五帝の思想の起こったのはけだしこれからで、少昊・金天氏と西と白とは五行思想において結びついているのであって、五行の思想は、戦国に鄒衍(すうえん)に鼓吹され、漢においてさかんにおこなわれたが、けだし洪範のむかし、周易のむかしより、ずいぶんとうに支那に潜在したものであるといってもよいような気がする。(略) 秦が始皇に至って天下の主となるにおよび、五徳の説により、秦は周の火徳にかわり、水徳をもって帝たりとした。始皇は儒生をよろこばず、泰山に封じ、梁父(りょうほ)に禅するにおよんでも、その礼は雍(よう)において上帝をまつるの儀をもちいた、といわれている。(略)それから始皇は東のかた海上に遊んで、名ある山川や八神やを祭り、僊人(せんにん)を求めるなどということをするにおよんだ。八神というのは古からあって、天主、地主、丘主、陰主、陽主、月主、日主、四時主の八つだが、これらはみな支那の東北地方にあった神々である。秦はもと西北方から出てきたのであるが、天下の主たるにいたって東北方の神々をも神としてあがめたのである。五徳終始の論も東北方におこなわれた説であるが、秦はこれを採用したのである。 30.rm (朗読:RealMedia 形式 292KB、2 21秒) 襄公 じょうこう BC651-BC631 中国春秋時代の宋の君主。姓は子、諱は茲父(茲甫)、諡は襄。桓公の子。春秋五覇の一人に数えられることがある。 少昊 しょうこう 青陽氏、金天氏、窮桑氏、雲陽氏,朱宣と称されることもある中国古代の五帝の一人。 鄒衍 すうえん BC305-BC240 衍。中国、戦国時代の斉の人。儒家の九州を超える大九州世界の存在と、五行(五徳)の消長による王朝の交替を説いたとされる。 洪範 こうはん (1) 模範となる大法。(2) 書経周書の編名。儒家の政治道徳の基本法則に基づいて述べた政治哲学の書。 周易 しゅうえき 易経(えききょう)。占筮に用いられる書物。三易の一つ。単に『易』とも言う。また儒教の基本テキスト五経の筆頭に挙げられる経典。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』『学研新漢和大字典』。 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第30号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (476KB) 2009.2.7 第二九号 幸田露伴 道教について(一) 定価:200円(税込) p.93 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(55項目)p.248 いったい道教は黄帝・老・荘などから導かれ出されたように思われているのが、普通人の認定になっている。なるほど道教では老子を尊んで太上老君としている。荘・列のごときもこれを尊んで、その書を『南華真経』『冲虚真経』などと称し、経典あつかいにしている。これらは周知の事である。しかし考察なしに、老・荘から道教が出たものとするのは早計である。神仙もまた道教のものになっている。神仙と道教者とは同じもので、神仙はすなわち道教の成就者・及第者のように思われているのが一般認識である。しかしこれも無批判に是認するのはあぶないことである。 29.rm (朗読:RealMedia 形式 148KB、1 10秒) #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第29号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (372KB) 2009.1.31 第二八号 幸田露伴 墨子(三) 月末最終号:無料 p.81 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(78項目)p.395 『荘子』が墨家を評して、「その生けるや勤め、その死するや薄く、生きて歌うたわず、死して服せられず、桐棺三寸にしてしかも椁(かく)なく、その道や大(たいかく)、人をして憂いしめ、人をして悲しましむ、そのなしがたきを行なうや、そのもって聖人の道となすべからざるを恐れ、天下の心に反す、天下堪えずんば、墨子ひとりよく任うといえども、天下をいかにせん」といったは実に適評で、大(たいかく)というのは「うるおいのない」ということである。墨子の道は悪(あ)しからずといえども、「うるおいのない」ことはあらそえない。ただしい説でもあり善(よ)い教えでもあろうが、ひとくちにいえば野暮なことで、天下堪えず、墨子ひとりよく任うといえども天下をいかにせん、といったのはさすがに洒落者の巧みな論破ぶりである。 28.rm (朗読:RealMedia 形式 176KB、1 24秒) #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第28号 ※ ダウンロードを開始します。 (432KB) 2009.1.24 第二七号 幸田露伴 墨子(二) 定価:200円(税込) p.90 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(78項目)p.395 『墨子』の道とするところは孔子の道とするところとは何としても異なっている。しかし古(いにしえ)より儒墨といい、または孔墨と併べ称したのはなぜであるか、それは『淮南子(えなんじ)』がいったとおり、両者いずれも先聖の術をおさめ古王の道によったからで、孔子とはその執(と)るところが異なったとはいえ、墨子もまた孔子と同じく尭舜禹湯文武を称したのである。墨子もまた孔子と同じく『詩』『書』を称したのである。墨子は、吾(われ)かつて百国の春秋を見るといい、またその蔵書のはなはだ多かったことを本書に記されている。墨子もじつに孔子と同じく古(いにしえ)をまなび史によりて、そして所信を立てているので、我流に一家の見を立てたのではない。 27.rm (朗読:RealMedia 形式 152KB、1 13秒) #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第27号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (432KB) 2009.1.17 第二六号 幸田露伴 墨子(一) 定価:200円(税込) p.96 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(70項目)p.364 墨子の学のおおいに一時に勢力のあったことは孔子系の孟子・荀子らがこれを駁撃しているのでも明白で、軽視しておけぬほどに当世に威炎を有したればこそ孟子・荀子らがこれに対して筆舌を労したのである。それのみならず人間の善悪を超越し是非を忘却するようなことを理想としたかのごとき荘周でさえも墨家に論及し、それからまた手厳しい法治論者の韓非までも墨家を儒家とならべて論じている。これらの事実はみな墨子の学が少なからざる力を当時に有していたことの傍証であって(略)『墨子』の本書に、墨子の弟子禽滑釐(きんかつり)ら三百余人が墨子の道のために守禦の器を持して宋のために楚を防がんとしたことが、「魯問篇」に見えているし、(略)かくのごとくに墨子の弟子または再伝三伝の弟子を二千年前の昔に指摘しうることは、墨子の道の盛行したことを語るものでなくて何であろう。 26.rm (朗読:RealMedia 形式、180KB、1 27秒) #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第26号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (428KB) 幸田露伴 こうだ ろはん 1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30) 本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。 ◇参照:Wikipedia。 公開:2009.1.17 更新:2009.2.24 しだ目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 守禦の器の「器」を「うつわ」と読みましたが、ここはおそらく武器や兵器の意味で「キ」のほうがあっている気がします。 -- しだ (2009-01-20 23 04 51) 朗読ファイルへのリンクがまちがっていたもようです。修正しました。 -- しだ (2009-02-11 09 22 07) 名前 コメント
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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 ① タデ科の一年草。古くから、葉や茎はインジゴ染料に、種子は漢方で解熱、解毒に用いられる。原産地は中国南部、またはインドシナ半島とされ、日本には中国を経て飛鳥時代にはすでに伝わっていた。現在、徳島、広島などで栽培。高さ約八〇センチメートル。茎は紅紫色。葉は長楕円形で、傷つけると藍色に変わる。秋、赤または白色の多数の小花が穂になって咲く。実は長さ二、三ミリメートルぐらいの黒褐色。蓼藍(たであい・りょうらん)。 ※新撰字鏡(898‐901頃)「藍 阿井」 藍 ② 藍の葉から製する一種の染色材料。製造過程のちがいによって、もみあい、すくも、あいだまなどの別がある。 ※日葡辞書(1603‐04)「ai(アイ) デ ソムル」 ③ =あいいろ(藍色) ※能因本枕(10C終)七二「あゐときはだと」 ④ 「あいろう(藍蝋)」の略。 [補注]「あを(青)」との関係が考えられるが、中国でも青と藍とを区別する。「からあゐ(韓藍)」「くれなゐ(紅・呉藍)」「あぢさゐ(紫陽花)」等の植物名は色の特色から発したもの。「ふたあゐ(二藍)」は「あゐ」と「くれなゐ」との二種をあわせた染色。 広辞苑 名詞 ①タデ科の一年草。東南アジアの原産。高さ50〜70センチメートル。イヌタデによく似て、秋に花柄を出し、紅色の小花を穂状につける。葉や茎から染料をとる。古く中国から輸入され、江戸時代には四国を中心にひろく栽培。三草の一つ。たであい。あいたで。 〈新撰字鏡7〉 藍 ②1からとった染料。また、それで染めた色。青より濃く、紺より淡い。あいいろ。 ③〔化〕インジゴに同じ。 大言海 名詞 〔東雅、十五「藍、あゐハ、 靑 (アヲ)ノ轉語也」( 居 (ヲ)り、 居 (ヰ)る)倭訓栞、あゐ「靑キ汁ノ 居 (ヰ)ルモノ」( 靑 (アヲ) 居 (ヰ)、あゐ。 靑 (アヲ) 麻 (ソ)、あさ。 薰 (カヲリ)、こり。雲居、基居)我邦ニ野生ノアリテ、染料トセリ、サルニ、今、單ニ、あゐト云フハ、藥用ノタメニ外國種ヲ渡シタルナリ、外來ノ當時ハ、其葉、蓼ニ似タレバ、固有ノあゐニ別チテ、 蓼藍 (タデアヰ)ト名ヅケ、隨ッテ固有ノあゐニ、山藍ノ名ヲ生ジ、後ニハ、たであゐノ、染色ノ勝レタルニ因リ、あゐノ名ヲ專ラニセシナラム、(生薑モ、舶來ノ時ハ、 吳 (クレ)の 椒 (ハジカミ)ト云ヒシガ、後ニハ、はじかみノ名ヲ專ラニセリ) 蓼藍 (レウラン)ト云フハ、本草ニ見ユレド、 藍澱 (アヰシル)ニナラズトアレバ、文字ノ、國語ト偶合シタルニテ、同ジカラズ〕(一){蓼科ノ草ノ名。又、蓼藍 (タデアヰ)。高サ一二尺、莖ニ紅色ヲ帶ビ、枝多シ、葉ハ互生シ、形橢圓ニシテ、深綠ナリ、夏、枝梢每ニ、穗ヲナシテ、細花ヲ開ク、 蓼 (タデ)ノ花ニ似テ、桃色ナリ、花𮕩ヘテ、 子 (ミ)ヲ結ブ、藥用トス、葉ヲ、藍色ノ染料トス。陸田ニ栽培ス。又、水田ニ作ルモノハ、京都地方ニアリ、 水藍 (ミヅアヰ)ト云フ。享保年中、支那ヨリ渡セルニ、江南ノ大靑ト、浙江ノ大靑ト、二種アリ、其性、稍、異ナリ。 字鏡 五十四 「藍、染草、阿井」本草和名、上 廿一 「藍實、阿爲之美、蓼藍、不 レ 堪 レ 爲 レ 澱」倭名抄、十四 十四 染色具「藍、染草也、蓼藍、見 二 本草 一 、多天阿井」內藏寮式「營 二 藍陸田 一 料、陸田五町」吾妻鏡、三十二、曆仁元年五月十一日「河內國、藍御作手奉行」 藍 (二){藍草ヨリ製スル、藍色ノ染料ノ名。葉ヲ刻ミ、干シテ、數日ノ閒、筵ヲ覆ヒテ返ス、コレヲ 蒅 (スクモ)ト云フ、又、少シ水ヲ和シテ搗キテ、 塊 (カタ)メタルヲ、 玉藍 (タマアヰ)、又、 藍玉 (アヰダマ)ト云フ、(製造法、今ハ種種ナリ)是レ等ヲ染料トシ、又、繪具、其外、種種ニ用ヰラル、靑空ノ色ヨリ濃ク、紺色ヨリハ 淡 (ウス)シ。藍靛 縫殿寮式、雜染用度「深綠綾一疋、藍十圍、云云、淺綠綾一疋、藍半圍」和漢三才圖會、九十四、末、藍「能揉、以 二 麁篩 一 去 二 莖節 一 、再乾收取、俗名 二 揉藍 (モミアヰ) 一 、又、未 レ 經 レ 篩者、臼擣、丸如 レ 餅、俗名 二 玉藍 (タマアヰ) 一 」 (三)次條ノ語ノ略。 (四)藍よりも濃しト云フハ、藍靛ノ色ハ、藍草ヨリ製セラレテ、藍草ノ色ヨリモ濃シト云フニテ、尋常ノ人モ、學問スレバ、拔群ノ人トナル意ニ云フ。移シテハ、弟子ノ、師ヨリ 優 (マサ)リ、子ノ、父ヨリ、新代ノ、古代ヨリ 勝 (スグ)ルルナドニ云フ。 荀子、勸學篇「 學不 (ハ) レ 可 二 以 已 (ヤム) 一 、靑取 二 之於 一レ 藍、而 靑 ( シ) レ 於 (ヨリモ) レ 藍(註、以喩 三 學 則 (ベバ )才過 二 其本性 一 也)云云、 不 (ザレバ) レ 聞 二 先王之遺 言 ( ヲ) 一 、不 レ 知 二 學問之大 一 也」史記、三王世家「靑采出 レ 於 レ 藍、而質靑 レ 於 レ 藍者、敎使 レ 然也」(靑采ハ、染料ニ製セルモノヲ云ヒ、藍ハ、藍草ヲ云フ)異本山家集、郭公「鶯ノ、古巢ヨリ立ツ、ホトトギス、あゐよりも濃き、聲ノ色カナ」萬代集、十六、雜、三「古ヘノ、あゐよりも濃き、御代ナレヤ、 飾磨 (シカマ)ノ 褐 (カチ)ノ、色ヲ見ルニモ」異本拾玉集「 皇 (スメラギ)ノ、 千歲 (チトセ)ノ松ノ、春ノ色、あゐよりも濃く、染ム心カナ」 検索用附箋:名詞植物物品色名 附箋:名詞 植物 物品 色名
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烏焉魯魚 うえんろぎょ 羽翮飛肉 うかくひにく 于公高門 うこうこうもん 禹行舜趨 うこうしゅんすう 右顧左眄 うこさべん 迂疎空闊 うそくうかつ 鬱肉漏脯 うつにくろうほ 鬱塁神荼 うつりつしんと 禹湯文武 うとうぶんぶ 烏兎匆匆 うとそうそう 嫗伏孕鬻 うふうよういく 禹歩舜趨 うほしゅんすう 紆余委蛇 うよいだ 紆余曲折 うよきょくせつ 盂蘭盆会 うらぼんえ 雨霖鈴曲 うりんれいきょく 雲雨巫山 うんうふざん 雲烟過眼 うんえんかがん 雲烟万里 うんえんばんり 雲烟飛動 うんえんひどう 雲烟縹渺 うんえんひょうびょう 雲遊萍寄 うんゆうへいき 雲容烟態 うんようえんたい 烏焉魯魚 うえんろぎょ 意味:文字の書き誤り (「烏」と「焉」、「魯」と「魚」はそれぞれ字形が似ていて誤りやすいことから) 出典:『事物異名録』<二〇> 類義語:魯魚之謬 ろぎょのあやまり 魯魚亥豕 ろぎょがいし 魯魚陶陰 ろぎょとういん 魯魚帝虎 ろぎょていこ 烏焉成馬 うえんせいば 魯魚章草 ろぎょしょうそう 亥豕之譌 がいしのか 焉馬之誤 えんばのあやまり 三豕渡河 さんしとか 羽翮飛肉 うかくひにく 意味:小さなものでも数多く集まれば大きな力になるということ (「翮」は羽軸のことで、「飛肉」は(鳥の)肉体が飛行すること 軽い羽が集まって鳥の体を飛行させることから) 出典:『漢書』<景十三王伝> 類義語:群軽折軸 ぐんけいせつじく 叢軽折軸 そうけいせつじく 積羽沈舟 せきうちんしゅう 積水成淵 せきすいせいえん 積土成山 せきどせいざん 于公高門 うこうこうもん 意味:陰徳を積む家の子孫は繁栄することのたとえ (「于公」は中国、漢代の丞相、于定国の父のこと) 訓読:于公、門を高くす 故事:漢の于定国の父は裁判官として公平に獄を治め陰徳を積んでいたが、 その村の門の修理の時、陰徳を積む家の子孫は繁栄するであろうと、 その門を高官の乗る車が入るように高大に造ったという故事から 出典:『漢書』<于定国伝> 同義語:陰徳陽報 いんとくようほう 禹行舜趨 うこうしゅんすう 意味:禹や舜の表面上の動作をまねるだけで、実質的な聖人の得を備えていないこと (「禹」「舜」いずれも中国古代の伝説上の聖天子 禹が歩き、舜が走るのをまねるだけで実質が伴わない意) 出典:『荀子』<非十二子> 類義語:禹歩舜趨 うほしゅんすう 右顧左眄 うこさべん ※左眄右顧、左顧右眄とも 意味:右を見たり左を見たりためらい迷うこと。情勢を気にして決断できないこと。 (「顧」は見回す、気にかける意。「眄」は横目でちらちら見ること) 類義語:左顧右盼 さこうはん 右顧左顧 うこさこ 左右傾側 さゆうけいそく 首鼠両端 しゅそりょうたん 迂疎空闊 うそくうかつ 意味:まわりくどく実際に適応できないこと。事情にうとく実際に役に立たないこと。 鬱肉漏脯 うつにくろうほ 意味:腐った肉や腐ったほじし。 (「鬱」も「漏」もくさいこと。「脯」はほじし、薄くのして干した肉) 出典:『抱朴子』<外篇・良規> 鬱塁神荼 うつりつしんと ⇒神荼鬱塁 しんとうつりつ 禹湯文武 うとうぶんぶ 意味:夏・殷・周三代の始祖の名。 (「禹」は夏王朝の禹王、「湯」は殷王朝の湯王、「文」「武」は 周王朝の文王と武王のことで、いずれも中国古代の聖天子) 烏兎匆匆 うとそうそう ※烏兎怱怱とも 意味:歳月が早く過ぎ去るたとえ。 (太陽には三本足の烏がすんでおり、月にはウサギがすんでいるという 古代中国の伝説により、「烏兎」は歳月、月日を表す。 「匆匆」はあわただしいさま) 類義語:兎走烏飛 とそううひ 露往霜来 ろおうそうらい 嫗伏孕鬻 うふうよういく 意味:鳥や獣が子を生み育てること (「嫗伏」は鳥が翼で卵を覆いあたためること、 「孕鬻」は獣が子を孕み産み育てること) 出典:『礼記』<楽記> 禹歩舜趨 うほしゅんすう ⇒禹行舜趨 うこうしゅんすう 紆余委蛇 うよいだ 意味:山や林などがうねうねと屈曲しながら長く続くさま 出典:司馬相如の「上林賦」 類義語:蜿蜒長蛇 えんえんちょうだ 紆余曲折 うよきょくせつ 意味:曲がりくねること。また、事情が込み入り複雑なこと。 類義語:曲折浮沈 きょくせつふちん 盂蘭盆会 うらぼんえ 意味:仏教で七月十五日に祖先の霊をまつり冥福を祈る行事。 雨霖鈴曲 うりんれいきょく 意味:唐の玄宗の作った楽曲の名。 出典:『明皇雑録補遺』 雲雨巫山 うんうふざん ※巫山雲雨 とも 意味:男女の情交をいう。 (「巫山」は中国湖北省の山の名で、神女が住んでいたとされる) 故事:戦国時代、楚の懐王が高唐に遊び昼寝をしていた時、その夢の中で 巫山の神女と情を交わし、別れるとき神女が「朝には雲となり夕には 雨となってここに参りましょう」と言ったという故事から 出典:宗玉の「高唐賦」 類義語:巫山之夢 ふざんのゆめ 巫山之雨 ふざんのあめ 雲雨之夢 うんうのゆめ 朝雲夕雨 ちょううんぼう 尤雲殢雨 ゆううんていう 雲烟過眼 うんえんかがん ※雲煙過眼とも 意味:物事に深く執着しないたとえ。 (雲や霞が目前を次々に通り過ぎてゆく意) 出典:蘇軾の「王君宝絵堂記」 雲烟万里 うんえんばんり ※雲煙万里とも 意味:非常に遠く離れていることのたとえ。 雲烟飛動 うんえんひどう ※雲煙飛動とも 意味:筆勢が躍動して力強いことのたとえ。 (雲や霞が飛び動いて一時もとどまらない意) 雲烟縹渺 うんえんひょうびょう ※雲煙縹緲とも 意味:雲や霞が遠くたなびくさま (「縹緲」は遠くかすかなさま、ほのかに見えるさま、遥か遠いさま) 雲遊萍寄 うんゆうへいき 意味:物事に執着せず、自然のままに行動すること。 また、諸国を修行してまわる僧のこと。 (「萍」は浮き草の意) 類義語:一所不住 いっしょふじゅう 行雲流水 こううんりゅうすい 雲容烟態 うんようえんたい ※雲容煙態とも 意味:空の様子が様々に変化するさま。 ⇒四字熟語
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モンゴル族の自然観の再検討ー内モンゴルの環境問題克服のためにー 農学府共生持続社会学専攻 環境倫理学研究室 那日格拉(ナリグラ) 1.研究背景 人間は自然環境の恩恵の中で生活様式を成り立たせてきた。しかし、近代化・工業化の過程で人間は自然を支配し、搾取するようになった。 ⇒日常的環境問題(ゴミ処理問題等)や、温暖化、砂漠化などの環境問題が深刻化している。 内モンゴルでは、かつて遊牧民が住んでいた土地に農民(漢民族)が移住し草原を開墾した。清朝期から始まった農業の浸透と中華人民共和国成立後の体制転換を機に、遊牧社会そのものが変容し始めた。 1949年の新中国建国後、漢民族が長城を越えて漠北と新疆へ大量移民を始めて以降、59年から61年には全土が自然災害に遭った。内モンゴルへは192万人が移民し、47年では569万人だった人口が90年には2145万人に増えたのである。漢民族による草原への急速な侵入と過剰開発によって、自然の生態系は激変し、草原が急速に退化していった。 2.研究目的 モンゴル族と漢民族に共通する自然観である「天人合一」を比較検討し、両者が同じ言葉で異なる自然観を表していることを明らかにする。 そのうえで、モンゴル族の遊牧生活における自然観を再検討し、草原地域に適合する自然と人間との関わりの在り方を模索する。 3.漢民族における天人合一(自然観) 孟子、董仲舒 「天人合一」とは、天(自然)は人間に合わせることはできず、人間が天に合わせるべきであるという自然観である。天(自然)が本体であり、人間は天に順応する。 中華人民共和国の成立後、自然観の変化 荀子「天人相分」⇒「人間は必ず天に勝つ」 自然破壊の深刻化⇒漢民族の天人合一の見直し 4.モンゴル族における天人合一(自然観) 自然は生命体であり、自然にあるすべての物は相互に依存して一つの全体になっている。人間もまたその一部であり、人間と自然の調和一体を強調する。(宝力高 ) (1)天への畏敬 (天の祀り、オボの祀り) (2)動物の崇拝 (鳥類崇拝、祖先・神としてのオオカミ崇拝) ⇒草原の持続的な利用 ⇒遊牧社会の自然観 漢民族の天人合一 ⇒農業社会の産物(農業的自然観) モンゴル族の天人合一 ⇒遊牧社会の産物(遊牧的自然観) 農業と遊牧の生産方式のちがい 農業⇒「原生態自然」(原生自然)を人的自然に改造して、樹木を伐採・開墾する。乱伐採、乱開墾によって生態を破壊する。 遊牧⇒「原生態自然」をそのままに持続的に利用する。自然への依存性が高いため、自然環境との調和を強調する。 5. 農業的自然観の不適合 近代化、工業化以降、内モンゴルでは、漢民族の自然観に基づく農業政策がとられるようになった。 ⇒遊牧的自然観が求められる自然環境に対して、農業的自然観が用いられた。 ⇒内モンゴルの自然環境、遊牧文化を破壊 6.内モンゴルで実施された農業政策 中国で行われていた「中国農村普遍的家庭生産請負制」を、1983、1984年から内モンゴルに適用 (1)家畜の請負政策によって、遊牧生活が変化(五種類の家畜をまとめて遊牧しない等)。それによって草原は退化してしまった。 (2)牧場の請負政策によって、草原の退化を食い止めようとしたが、逆に退化が進んでしまった。 新たに、草原回復のため、1980年代以降から 「退牧還草」「休牧禁牧」「生態移民」などの政策を実施。 ⇒草原の保護はできなかった⇒農業政策の失敗 7. 農業政策失敗の原因 遊牧に適した土地に対して、農業政策を行ったため。 内モンゴル(モンゴル族) 中国(漢民族) 「退牧還草」 ⇒ 「退耕還林」 「休牧禁牧」 ⇒ 「休漁禁漁」 農業地域・・・定住、生態・気候の安定性 草原地域・・・移動、生態・気候の変動性 ⇒草原地域である内モンゴルには、農業文化は適合しない。 8.草原地域に適合する遊牧生活様式 草原に負荷をかけない生活様式 (1)遊牧 季節ごとに移動しながら自然を利用 (2)生活様式 草原における水資源の共同利用、ごみ処理、馬、牛の糞の利用、葬式 (3)宗教、信仰 生命畏敬、自然神崇拝(天の祀り、オボの祀り) ⇒これら三つが合わさることで、遊牧文化における生活様式は成り立ってきた 9.遊牧生活の見直し 遊牧文化と遊牧民について論じるとき、多くの人々は、農業文化と工業文化に照らして、しばしば遊牧文化を人類の最も遅れた、原始生産方式の一つと論じる。 しかし、1000年を超える歴史の中で、モンゴル族は脆弱な草原地域の自然環境と資源を保護しつつ持続的に利用する遊牧生活様式を編み出し、自然と人間を調和させてきた。この中に深い自然観がふくまれている。 ⇒モンゴル族の天人合一(自然観)の再評価 10. 「本土地生態意識」と風土 政府の政策が失敗した原因は、遊牧生活様式を無視したことにある。今後の草原利用については、「本土地生態意識」が重要となる。 ※「本土地生態知識」とは、特定の民族や特定の地域の住民の中で、世代を通じて蓄積された自然と生態システムについての経験則のことである。 11. まとめと今後の課題 「本土地生態意識」を重視することは昔に戻れということではない。その土地に適した自然と人間との関わりの在り方を模索することである。 その際に、かつて草原に負荷をかけない利用を行っていたモンゴル族の自然観には、見直すべきものがある。 ⇒このような視点は風土論(亀山)とも関わっており、今後両者の関係性についての考察を深めたい。 参考文献 『東洋的環境思想の現代的意義』の「儒家の生態環境思想とその現代的意義」王家驊 「荘子の「天、人」説と自然と人間の関係」 陳紹燕 『蒙古族传统生态文化』宝力高 2007 内蒙古教育出版社 『中国の環境政策生態移民 』小長谷有紀、シンジルト、中尾 正義2005 地球研叢書 『草原のロジック』韩念勇 2011.6 北京科学技术出版社 『遊牧中国』 刑莉 2005.12 北京新世纪出版社 『モンゴル族の生態知恵論』乌峰,包庆德 2009 遼寧民族出版社 『制度視域下の草原生態環境保護』盖志毅2008 遼寧民族出版社 ご清聴ありがとうございました 問題とコメント 1・政策なぜ内モンゴルに失敗したのか、具体的に言うこと。また内モンゴルにいる農民(漢民族)は内モンゴルへ愛着を持っているか? →内モンゴルにいる農民(漢民族)も、内モンゴルへの愛着を持っているが、農民と遊牧民とは生活様式が違うから、愛着の出方が違う。畑と草原との違いもある。 2・中国の道教にも自然と人間のかかわりの思想があるが。 →遊牧するにあたって、遊牧する範囲を決めてから回っているか、それとも決めていないかの違いは大きい。 道教にも自然と人間のかかわりの思想はあるが、儒家のほうが、主に天人合一思想に注目している。
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三戦英雄傅 第十六回~小魔玉、徽皇子を皇太子にと百官の前にて発言し、丁原、小魔玉に反逆の意を露にする~ 市井が何やら騒がしい動きを見せている頃、宮中でも様々な動きがございました。 時は、南漢(晋)暦:栄安一年六月。後の歴史書で言う『小魔玉の役(こまだまのえき)』が 起こりました。 小魔玉の役は漢朝の文武百官の集まる朝議にて起こりました。 小魔玉:「漢朝の名だたる官吏は全て集まったようだな( ^∀^)ゲラゲラ」 中山幸盛:「は、大尉のご尊顔を拝見するために皆、喜び参りましたのでしょう。 残念ながら晋国に属する者たちは黄巾賊の対策に追われ参上できないとのことですが」 小魔玉:「黄巾賊対策とな。まあ、坊ちゃん育ちの袁紹には丁度よい( ^∀^)ゲラゲラ。 ところで、今日は皆に漢朝の忠臣として是非とも考えていただきたいことがある」 小魔玉は突如として、百官に呼びかけました。 小魔玉:「ここにおわす晋王は帝の長子なれど、遺憾ながら医師のオイラから見ても 正常な脳の持ち主とは言えず」 晋王(弁皇子):「だあ・・・・・だあ・・・・・」 小魔玉:「オイラは漢朝の将来を思い、帝の次子の徽皇子こそ、次期皇帝に相応しいかと思うのだが・・・・・・」 中山幸盛:「さすがは大尉でございます」 なんということでしょう。小魔玉は、とうとう晋王から皇位継承権を剥奪し、小銀玉に孕ませた 己の息子である徽皇子を次期皇帝にすることを百官の前で提案しました。 小魔玉:「誰か異議を唱える者は?いないよな( ^∀^)ゲラゲラ」 大将軍・何進:「(まあ、どちらにしろ儂の甥には変わりないしな)」 陳羣:「(小魔玉、許すまじ)」 荀攸:「(・・・・・・・)」 荀攸は重大発表にも関わらず眉も動かさずにいましたが、張温は怒りのあまり卒倒し、皆、大声で口には 出さないものの、小魔玉の専横ぶりに怒りを隠せずに意いました。 丁原:「お待ちくだされ」 小魔玉:「なんと、オイラに異議を唱える者がおるとな」 現れましたこの美青年、名を丁原と言いまして州刺史をしております。小魔玉は、これまで自分に逆らう者は おりませんでしたから、徽皇子もすんなり皇太子にできるものと思っていたので怒りに身を震わせながら 声のした方を振り向き、丁原の姿を捉えました。 小魔玉:「・・・・・・・・・媚嬢・・・・・・」 丁原を目にした途端、小魔玉は何やら女人の名を口にしました。確かに丁原は美しい容姿をしており、おまけに 酷い女顔なので髭を剃ったなら美女になるかもしれません。 文官1:「(おい、どうしたんだ?なぜ丁原は無事なんだ)」 武官1:「(何があったんだ)」 武官2:「(あれだ、いつもの鷲巣麻雀で丁原は殺されるに違いない)」 文武の官吏は口々に丁原の末路を予想し、囁きました。宮中にどよめきが沸き起こります。 丁原:「皇太子の任命とは、帝の御意志と天命によるもの。一臣下の貴殿の意見を 挿むべき物事ではござらぬ。貴殿は医師ではあるが、医師であればこそ晋王を医療にてお助けするのが道ではないか?」 丁原は百官の心配を他所に滔滔と正論を述べました。 中山幸盛:「何を、大尉に刃向かうとは・・・・やれ!」 中山幸盛は丁原にこれ以上話させるものかと配下の者たちに丁原を殺すよう命じました。 すると丁原の前に現れた巨漢・・・・・・そう、呂布でございます。呂布は奇矯屋onぷらっとと同等の武力を 持つと評判の男で丁原の養子でした。 中山幸盛:「ぬぅううううう呂布!」 中山幸盛は賢い男ですから負け戦は致しません。呂布の存在を知るなり、手下を下がらせました。 丁原と呂布により防いだクーデターが小魔玉の役でございます。 その夜、小魔玉は毎晩の行事である亡き妻との交わりに励んでおりました。 小魔玉:「媚嬢・・・媚嬢・・・・・こんなに早く生まれ変わってまたオイラのお嫁さんになりに来てくれたんだね。 お前との間にできたリンリン大友も、もう立派な大人になったんだよ」 昼間、小魔玉が口にした『媚嬢』とは加ト清正の娘であり、小魔玉の先妻の幼名でありました。丁原は 小魔玉の亡くなった妻に生き写しでした。今まで抱いた女は星の数ほどあれど、小魔玉の心を占めるのは常に亡くなった 媚嬢だけでした。正式には狂った小魔玉が劇薬で殺したのですが、小魔玉は丁原の姿を一目見るなり 亡くなった妻の生まれ変わりだと信じて疑いませんでした。 翌日、小魔玉は丁原を召しだしました。 丁原:「呂布や・・・・私のところに小魔玉から召集がきたのだが・・・・・」 呂布:「父上、きっと奴は父上を亡き者にしようとしてのこと、この呂布が一緒に参りましょう」 こうして丁原は呂布と共に小魔玉の待つ宮中に参内しました。 丁原:「丁原にございます。まだ何か?」 小魔玉:「・・・・・・やらないか?」 小魔玉は丁原を誘いました。今まで誤解されていたようですが、実は小魔玉は紳士でありました。 確かに人妻や宮女を手篭めにした前科もありましたが、丁原を思う気持ちは本気でしたので 力づくではなく丁寧に誘ったのです。 呂布:「(父上、とうとう鷲巣麻雀で命を奪う気ですぞ!)」 丁原:「せっかくですが、大尉殿、私は麻雀は打ちませぬので」 丁原はまさか小魔玉が自分を欲情の対象として見ているとは思わず、鷲巣麻雀にて命を奪うために 『麻雀に誘った』ものと勘違いし、丁重に小魔玉の申し出を断りました。 中山幸盛:「大尉、まさか!」 勘の良い中山幸盛には小魔玉の意図がわかってしまいました。結局、小魔玉はその日は丁原をモノにするのを 諦めましたが、帰宅してからの荒れようが目も当てられないほどでした。 中山幸盛:「大尉、私は亡き奥様を存じ上げませんが、確かに丁原は美しいですが・・・・・・・・ 男ですぞ!大尉はノンケでございましょう?男に手を出すなどお止めくだされ」 小魔玉:「オイラの理想の女は媚嬢なのに、媚嬢が丁原に生まれ変わったのに、どうして丁原は男なんだ!!!」 小魔玉は家中の陶器を割りまくりました。 八戸のぶなが:「すごい荒れようですな」 この八戸のぶながと申す者、占いを生業としておりまして得意分野は西洋占星術でありました。 以前、中山幸盛を「あんたは貴命の持ち主だ。ただし、波があるがな。生き方次第でなんとか なるじゃろう」と評したのは八戸のぶながでありました。八戸は今は、小魔玉家のお抱え占い師となって おりました。 中山幸盛:「実は、こういったわけで大尉殿が荒れてな」 八戸のぶなが:「ふむ。豪傑、呂布が居ては思いも遂げられぬと・・・・・実は、私は呂布と同郷でして 奴は金品に目のない男・・・・・沢山の財宝を積めば養父とて売り渡すでしょう」 中山幸盛:「それは良いことを聞いた。小魔玉様、ここは呂布を買収しましょう」 小魔玉:「よし、さすれば丁原も漢朝も我が意のまま( ^∀^)ゲラゲラ。中山幸盛、早速手はずを 整えい!!」 中山幸盛:「はっ」 中山幸盛は闇に紛れて呂布の元へ行き、金銀財宝を渡す代わりに丁原を引き渡してもらいました。 小魔玉:「おお!随分早いな。媚嬢、長いこと待っていたぞ( ^∀^)ゲラゲラ」 丁原:「ぬうう、この縄を解け、殺されるくらいなら自害してやるわ」 小魔玉は丁原の言葉に耳を向けず、丁原の髭を剃り、化粧をさせ、再び丁原を見つめました。 どこをどう見ても、目の前にいるのは亡くなったはずの妻の姿でした。 リンリン大友:「マ・・・・ママ~!!!」 加ト清正:「おお、マイドーター!!!」 リンリン大友と加ト清正まで丁原を己の母と娘と間違えておりました。 小魔玉:「さあ、媚嬢、寝室へおいで。暖かい媚嬢を抱くのは久しぶりだ。今夜は、寝かさないぞ( ^∀^)ゲラゲラ」 加ト清正:「小魔玉、とうとうマイドーターを生き返らすまでに至ったか・・・・恐ろしい医術・・・・ さあ、リンリン大友よ。子供は寝る時間じゃぞ」 リンリン大友:「はーい」 リンリン大友を連れて加ト清正は退場いたしました。 小魔玉:「媚嬢、今度は拒まぬようにな( ^∀^)ゲラゲラ」 小魔玉はすっかり丁原相手に欲情しておりました。 丁原:「やめろ!来るな!変態!!」 小魔玉:「おやおや、せっかく生まれ変わったというのにまたオイラを拒絶するのか・・・・・姿の似た者は 性格も似るというが・・・・また今生でも悪い疫病に罹ったようだな。疫病でも罹らねばオイラを拒む女は いないはず・・・・・・」 正確には丁原は男であり、男だからこそ小魔玉を拒んだわけですが、小魔玉はまたしても媚嬢が疫病に罹った と思い込み、劇薬で永遠に自分だけのものにしてしまいました。こうして、漢朝を真に思う気骨の士、 丁原は亡くなりましたが、史書にはおぞましい真相に触れてはおらず、ただ、「大尉、小魔玉の 徽皇子を皇太子に仕立てる案に反対し、死を賜る」とだけございます。 翌日、丁原が小魔玉の屋敷へ拉致されたまま戻らぬという噂が宮中に流れ、主を失った呂布は小魔玉の 護衛となりました。 呂布を護衛としたことに対し、史書には小魔玉の言葉として次のように書かれております。 「屈強な呂布は、護衛のためではなく、オイラが暴れるのを止めるためだ( ^∀^)ゲラゲラ」 さてさて、大尉・小魔玉の悪徳は衰えるのを知らず栄えるばかり。これから先、後漢はどうなって しまうのでしょうか。 三戦英雄傅、続きはまた次回。 三戦英雄傅 第十七回~小銀玉、嫉妬の炎に駆られ、荀攸、小魔玉と対決す~ 人間、種を蒔いた男も蒔かれた女も気付かぬことが多いようで。 何でも、八戸のぶながによると「千何百年以上後の倭国では懐妊による 婚姻が隆盛を極めるであろう」という未来が見えたとか何とか。 時は南漢(晋)暦:栄安一年十二月。年の瀬の押し迫る頃、 奇矯屋onぷらっとと阿梅は吉平の協力の下、平穏に『治療』に専念し、 晋国でも富国強兵に向けて着々と力を蓄え、荀攸の右手には麻雀ダコができていました。 この暦は旧暦でございます。 一軒平和に見える城下とは異なり、宮中では淀んだ空気が消えることはございませんでした。 霊帝の寵愛を受けることが多くなったアダルト日出夫が男児を出産し、姓の王をとり、 『王貴人』に昇格したのであります。皇子は『協皇子』と名付けられました。 これに激しい嫉妬の色を露にしたのは、皇后の小銀玉でありました。小銀玉は元より 霊帝と皇后の地位に何の執着も持ってはいませんでしたが、唯一小銀玉が執着したのは 初恋の相手であり現在の愛人の大尉・小魔玉でした。 実は好色の小魔玉もまた、アダルト日出夫の豊満な胸や尻を見過ごすことができず、 食指の動くままにアダルト日出夫を味わっていたのでございました。協皇子の真の父親もまた 小魔玉でした。女の勘でしょうか。小銀玉は、当の小魔玉も忘れていたことであるのに、 生まれてきた協皇子の顔を見た途端に「この皇子の種も小魔玉さんのものに違いない」と 悟りました。 小銀玉:「兄さん、協皇子がいては兄さんの地位も洩れの地位も危ないから始末してくれ。 協皇子、アダルト日出夫諸共にな。礼と言ってはなんだが、殺す前にアダルト日出夫に何をしても構わん」 何進:「おいおい、妹よ。儂を誰だと思う?元、美形肉屋にして大将軍の何進だぞ。女日照の誰かと 一緒にされてはたまらぬわ。まあ、良い。二匹ともさっさと屠殺してやろう。肉のことなら任せておけ」 こうして、何進はかわいい妹の小銀玉と己の保身のためにアダルト日出夫と協皇子の暗殺を 決意しました。 アダルト日出夫:「何進将軍、ここは男子禁制の後宮ですよ。何事です?」 何進:「恨みはないが、儂たちの将来の為に死んでくれ!」 アダルト日出夫:「ぎゃああああああああああああああああ!!!」 アダルト日出夫こと、王貴人は何進に殺害されてしまいました。皇帝の寵姫をも手にかけるとは、 元、肉屋恐るべし、でございます。 何進:「はて、あとは協皇子だけだが・・・・・・どこにも見えぬな」 (・×・)AaA:「大将軍、先ほど女官の貂蝉が赤子を連れて逃げるのを見たものが」 (・×・)AaAというこの男、小銀玉と同じくらいの毒舌で知られ、妹を嫁がせた何進は 妹の毒舌が聞けぬ寂しさから(・×・)AaAを腹心に加えておりました。 何進:「貂蝉?確か、王允の娘であったな。ちょうど良い。王允への見せしめにもなる。 直ちに捉えて殺せ!!」 (・×・)AaA:「御意!」 その頃、貂蝉は洛陽の王允の家を目指し走っておりました。 貂蝉:「はあはあ・・・・・あともう少しで家だわ。王家まで行けばお父様がきっと協皇子を守って 下さるわ」 (・×・)AaA:「待てぇええい!!控えろ漢朝荒らし害毒物質よ 」 貂蝉:「きゃあああああ!!!(何この男!?)」 (・×・)AaA:「存在するな場違い田舎糞便変態穢多解同こと、スィーツ女が」 (・×・)AaAは貂蝉をばっさりと切り殺してしまいました。 (・×・)AaA:「あれ、肝心の協皇子がいないな・・・・・まあ、いいか」 (・×・)AaAは協皇子を見つけることができず、妹を恐れた何進は協皇子の代わりに子豚のミンチを 小銀玉に見せ、アダルト日出夫と協皇子の暗殺を報告しました。 小銀玉:「さすが、洩れの兄さん」 何進:「はっはっは。妹よ。困ったことがあれば、すぐに兄さんに言うんだぞ」 何進は小銀玉に礼を言われ上機嫌でしたが、小銀玉は元気がありませんでした。 愛する小魔玉の寵愛が他所に移ってしまったのか、小銀玉の元に通う回数が少なくなり、 通ってきても気もそぞろで、小魔玉の分身はハンペンの如くふにゃふにゃになっているからです。 小魔玉の今度の女は誰かですって?それは、勘の良い皆様ならわかることかと思いますが・・・・ なんと小魔玉の地上でただ一人の女と認める媚嬢が蘇ったのでございます。 前回、劇薬にて丁原を『治療』して永遠に自分のものにしたと思い込んだ小魔玉でしたが、 丁原の遺体に媚嬢の乳房と性器を移植した後に死姦を楽しんでいたところ、死んだはずの丁原が 蘇ったのでございました。女人のか弱い体でなら致死量だったのでしょうが、一応男の丁原は 仮死状態に陥っていただけなのでした。 「好意など 受ける度量は ないけれど 行為に及ぶ 一物は立つ 」の果物キラーとは違い、純情な 小魔玉は愛妻(正確には性転換させた丁原)の生還を狂喜し、必ず土産の菓子を片手に 定時に帰宅し、 家族と食事を共にする愛妻家に変わってしまい、小魔玉の分身は小銀玉の前では役立たずになってしまったのでした。 意識を取り戻した丁原は性転換された身では今更漢朝に帰るわけにも行かず、小魔玉の夜の誘いは 「今日はあの日だから」と丁重に断り、添い寝だけで勘弁してもらい復讐の機会を窺っていました。 歴史書からも社会からも丁原は抹殺されたわけですが、生きていましたので丁原ファンの方はご安心を。 南漢(晋)暦:栄安二年正月。荀家の許に小魔玉家の使者が訪れました。 八戸のぶなが:「荀攸様にはご機嫌麗しく。本日は我が主、小魔玉より麻雀大会の知らせを持って参りました」 正月は麻雀というのは何も日本に始まったことではなく、既に後漢の時代に小魔玉が作った風習なのでございました。 小魔玉の故事を元に『われポンSP』などは正月特番として企画されたとか何とか。 荀攸:「ご苦労。あちらに労いの宴を用意したので楽しんでいかれよ(とうとう、この日が来たな)」 荀攸の見つめる彼方には、小魔玉の暗殺成功と漢朝の復興が見えておりました。 グダグダになって参りましたが、果たして荀攸の夢は妄想か、それとも実現するのでしょうか。 七宝吸血鬼が吸い取るのは誰の血なのでしょうか。三戦英雄傅、気になる続きはまた次回。 三戦英雄傅 第十八回~秘策、麻雀対決。小魔玉の悪事に荀攸の勝負師の血が挑む(前編)~ ―勝負の世界でしか生きられない人々がいる。人は彼らを勝負師(ギャンブラー)と 呼ぶ―『哲也~雀聖と呼ばれた男』冒頭より~ さて、正月早々小魔玉は荀攸へ麻雀大会の知らせを送りました。 荀攸は根っからのギャンブラー。生まれついての勝負師でございます。 荀攸:「佐倉広夢よ。とうとうこの日が来た。例の物はあるな?」 佐倉広夢:「はっ。これに」 佐倉広夢が取り出したる一枚の美少女の絵。そう、あの幼女のザビエル美少女の 中常寺うんこと呼ばれる絵師、中常寺うんこの描いたものでございます。 荀攸:「うむ。さすがは中常寺うんこ。見事な出来だ。実物の小銀玉皇后よりも 美しいな」 佐倉広夢:「荀攸様・・・・・此度の鷲巣麻雀。荀攸様のお命も・・・・・お止め下さい」 荀攸:「俺は勝負師。誰にも止められん。では行って参る」 荀攸は華奢な体で風を切り、七宝吸血鬼と中常寺うんこの描いた小銀玉想像図を持つなり、 宮中へ出向きました。佐倉広夢はもう帰って来ないかもしれぬ主の無事を祈り、頬に涙を 伝わしておりました。 小銀玉:「荀攸、洩れの小魔玉さんにとうとう殺されに来たか」 荀攸を出迎えたのは小銀玉でした。小魔玉を信奉し、身を焦がすほどの恋の奴隷となっていた 小銀玉にとって小魔玉の嫌う荀攸は、小銀玉の敵でもありました。 荀攸:「これは、これは小銀玉皇后。本日もお美しいことで」 小銀玉:「言うな。カスが。いくら荀子様の子孫でも、お前はただの勝負師。せいぜい、地獄で 先祖に謝るんだな」 荀攸:「これは手厳しい。この荀攸、本日冥土の土産に小銀玉皇后に聞いていただき、ことがございます」 小銀玉:「聞くだけ聞いてやろう」 荀攸:「本日の鷲巣麻雀。実は、小魔玉大尉がこの荀攸を亡き者にしようとされたもの」 小銀玉:「鷲巣麻雀だ。当たり前だろう」 荀攸:「問題は、残される妻でございます。某の妻に小魔玉大尉が懸想され、毎晩のように 通う始末。荀攸とて男でございますから、妻を守ろうとするも非力なこの腕力では小魔玉大尉に 勝てず・・・・・毎晩の如く陵辱される妻を見るよう、命じられる日々」 荀攸は袖で顔を覆い、おいおいと泣いてみせました。袖の陰から見える小銀玉の顔は 明らかに狼狽の色を見せています。 小銀玉:「どうりで・・・・・最近、ふにゃふにゃだし、洩れのところに来ないと思ったら 他に女を・・・・・」 荀攸:「某が死んだら哀れな妻はどうなるのでしょうか」 荀攸は一枚の絵を胸に抱きながら天を仰ぎ泣いて見せます。 小銀玉:「荀攸、その絵はなんだ?見せろ」 荀攸:「はっ。某の妻の絵姿にございます」 荀攸は中常寺うんこの描いた小銀玉想像図を見せました。 小銀玉:「これは・・・・・」 小銀玉は言葉を失いました。自分より美しい美少女が描かれていました。 こんなに美しい荀攸の妻と愛する小魔玉が毎晩睦み合っているのかと思うと、 小銀玉の中の女としての敗北感と嫉妬で腸が煮えくり返る思いでした。 小銀玉:「こ、こんな田舎娘と一国の大尉が、のお」 冷静を装っても小銀玉には明らかな動揺が見えました。 荀攸:「(思ったより動揺が激しいな・・・・己の肖像画を見て動揺するとは 、馬鹿な女だ。まあ、天下の中常寺うんこの描いた想像図に勝てる生身の女はおるまいて)」 小銀玉:「じ、実は洩れは、荀子様に最近凝っていてな。子孫のお前が哀れだから大尉に内緒で 逃してやっても良い」 荀攸:「某は勝負師、売られた勝負は買いまする。ただ、もし、大尉が某を殺めようとなさったときに 皇后がほんの少し時間を稼いで下さればよいのですが・・・・・」 小銀玉:「も、もちろんだ(こんな美少女が相手では小魔玉さんは漏れを相手にしてくれなくなってしまう)」 小銀玉は『荀攸の妻』と偽られた己の想像図を見て慄いていました。 かくして、荀攸は万が一の際の脱出経路を確保し、小魔玉との勝負に向かいました。 荀攸:「荀攸公達、参上いたしました」 小魔玉:「おお、荀攸。待っていたぞ。今日はちゃんと採血器具も用意したな( ^∀^)ゲラゲラ」 荀攸:「本日は生きるか、死ぬかの大勝負。某の持参した七つの宝石で彩られた器具でいかがでしょう。 一国の大尉と荀子の子孫。どちらの死にもふさわしい一品かと」 小魔玉:「( ^∀^)ゲラゲラ。まあ、いいだろう。さっさとつけろ」 小魔玉は媚嬢(丁原)を手に入れてからというもの、私生活、麻雀共に調子に乗っておりました。 ひょーりみという文官などは「麻雀ばっかりやってる奴なんか大尉と呼べん」とさっさと野に下ってしまいました。 八戸のぶなが:「荀攸様は確か西洋占星術だと蠍座。細木だと木星の霊合ですね。今年は大殺界の上、 ハードアスペクト持ち、おまけに今日は天沖日・・・・楽しみですな」 荀攸:「黙れ、糞占い師め。俺は占いなど信じん。信じるのは己の腕と運のみだ」 こうして、荀攸の天下の命運を賭けた大博打が始まりました。 小銀玉の協力のもと、逃げ道は確保しましたが、無事に宮中を出ることができるのでしょうか。 勝負は負けを意識したときから負けだとも言います。勝つのは、荀攸か、小魔玉か。 まだまだ続く三戦英雄傅、気になるつづきはまた次回。
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4月11日(火) 新入生歓迎企画その1 場所:教養棟 E203 時間:18 30~20 10 4月18日(火) 新入生歓迎企画その2 場所:教養棟 E205 時間:18 30~20 10 4月25日(火) 新入生歓迎企画その3 場所:教養棟 E204 時間:18 30~20 10 4月29日(土) フリーバッティング 場所:Let s アカシア 和室 時間:16 00~19 00 5月2日(火) フリーバッティング 場所:教養棟 E203 時間:18 30~20 30 5月9日(火) 新入生大会 場所:教養棟 E203 時間:18 30~20 30 Winner:国本 Winning Answer:ツバクロー 5月20日(土) 会長企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:林 Winning Answer:レゴ 5月23日(火) プレ班企画 場所:教養棟 E203 時間:19 45~ Winner:宮石 Winning Answer:江頭2 50 5月27日(土) 石井・林プチ企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:田中 Winning Answer:カロリング・ルネサンス 5月30日(火) A班(宮石・倉見・諏訪・村田・藤島・猪股)企画 ペーパー担当:宮石 場所:教養棟 E203 時間:18 00~ Winner:林 Winning Answer:宮澤・レーン事件 6月6日(火) B班(田中・兼子・大塚・林・村松・吉澤・成瀬)企画 ペーパー担当:大塚 場所:教養棟 E203 時間:19 45~ Winner:宮石 Winning Answer:COPD 6月10日(土) 宮石企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:林 Winning Answer:アビリーンのパラドックス 6月13日(火) C班(木村・石井・芳賀・境井・宮下・国本・樫村)企画 ペーパー担当:石井 場所:教養棟 E203 時間:19 45~ Winner:林 Winning Answer:ゴールデンステート・ウォリアーズ 6月17日(土) 石井企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:地下鉄 6月20日(火) A班(宮石・倉見・諏訪・村田・藤島・猪股)企画 ペーパー担当:酒井 場所:教養棟 E203 時間:19 45~ Winner:石井 Winning Answer:シュトゥルム・ウント・ドラング 6月24日(土) 倉見企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:林 Winning Answer:田中舘愛橘 6月27日(火) B班企画 ペーパー担当:林 場所:教養棟 E203 時間:18 00~ Winner:宮石 Winning Answer:11 7月1日(土) 芳賀企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:国本 Winning Answer:なごやん 7月4日(火) C班企画 ペーパー担当:境井 場所:教養棟 E203 時間:18 00~ Winner:宮石 Winning Answer:荀子 7月8日(土) 木村企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:三億円事件 7月11日(火) A班企画 ペーパー担当:田中 場所:教養棟 E203 時間:18 00~ Winner:田中 Winning Answer:ヒカリ(ポケモン) 7月15日(土) 大塚企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:田中 Winning Answer:セシウム 7月18日(火) B班企画 ペーパー担当:木村 場所:教養棟 E202 時間:18 00~ Winner:芳賀 Winning Answer:七草粥 7月22日(土) 林・境井企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:4分33秒 7月25日(火) C班企画 ペーパー担当:倉見 場所:教養棟 E202 時間:18 00~ Winner:宮石 Winning Answer:メフィストフェレス 7月29日(土) 田中企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:石井 Winning Answer:アーサー・エヴァンズ 10月17日(火) A班企画 ペーパー担当:村田 場所:教養棟 E202 時間:18:00~ Winner:宮石 Winning Answer:上田秋成 10月24日(火) B班企画 ペーパー担当:樫村 場所:教養棟 E202 時間:18:00~ Winner:林 Winning Answer:キャタピラ 10月31日(火) フリーバッティング 場所:教養棟 E202 時間:18 00~ 11月4日(土) 宮石企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:松田 Winning Answer:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 11月7日(火) C班企画 ペーパー担当:吉澤 場所:教養棟 E203 時間:18 00~ Winner:林 Winning Answer:0円 11月11日(土) 諏訪・村田企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:倉吉市 11月14日(火) A班企画 ペーパー担当:藤島 場所:E203 時間:18 00~ Winner:石井 Winning Answer:ワンガリ・マータイ 11月18日(土) 南北戦 場所:中央区民センター つどいA 時間:10 00~ 平企画 Winner:林 Winning Answer:湯船 宮石企画 Winner:石井 Winning Answer:フラグ 11月25日 (土) 林・吉澤企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:スウッシュマーク 11月28日(火) B班企画 ペーパー担当:芳賀 場所:E203 時間:18 00~ Winner:林 Winning Answer:滑石 12月2日(土) 石井・村松企画 場所:Let sアカシア 和室 時間: 13 00~ Winner:宮石 Winning Answer:クスマウル呼吸 12月5日(火) C班企画 場所: Let sアカシア 和室 時間:18 00~ Winner:倉見、木村、樫村、清野、大塚、国本、吉澤、村松 Winning Answer:倉見 横槍メンゴ、国本 普通話、吉澤 はじめてのチュウ、村松 くかたち 12月9日(土) 木村・樫村企画 場所: 中央区民センター和室 時間: 13 00~ Winner:田中 Winning Answer:赤坂五丁目ミニマラソン 12月16日(土) 大塚・宮下企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:レキシ 12月19日(火) A班企画 ペーパー担当:諏訪 場所: E203 時間:18 00~ Winner:田中 Winning Answer:エンリコ・フェルミ 12月23日(土) 田中・国本企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石 Winning Answer:藤田咲 12月26日(火) B班企画 ペーパー担当:村松 場所:Let sアカシア 和室 時間:18 00~ Winner:林 Winning Answer:ふんだりけったり 1月9日(火) C班企画 ペーパー担当:国本 場所:E202 時間:18 00~ Winner:林 Winning Answer:下田 1月13日(土) 境井企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:宮石、林、村松 Winning Answer:宮石 金栗四三、林 、村松 白拍子 1月20日(土) 芳賀・藤島企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:村松 Winning Answer:ねずみ講 1月27日(土) 倉見企画 場所:Let sアカシア 和室 時間:16 00~ Winner:林 Winning Answer:耳嚢
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インドの古典文明 東南アジアの諸文明 中国の古典文明 南北アメリカ文明 [部分編集] インドの古典文明 インダス文明 インド古典文明 アーリア人の移動 西側(大移動開始)→カイバル峠→インド東の順に 前2000→前1500→前1000年の順で隔500年。 案外適当。カイバルを"中"と考えるとイメージしやすい ウパニシャッド ブラ(ブラフマン)ボー(梵)! 私(我)はart(アートマン) バルダマーナ 勝者のジャイアン(ジャイナ)、ダルマになる ※釈迦に近い経歴(30歳で出家)を送った インド古代国家の変遷 ヴァルダナ朝 ヴァルダナ朝(606~) ムレムレするぜヴァルダナ朝 南インドの王朝 [部分編集] 東南アジアの諸文明 インド・中国文明の受容と東南アジア世界の形成 パガン朝 破顔しながら十一発目。上に座って陰部をスリスリ。 パガン朝 十一世紀 上座部仏教 スリランカから伝わる チャンパー ①二発目ベトベト、中出しちゃったー! 二世紀ベトナム中部 チャンパー ②いい国作ろうチャンパーだ! 1 92 192~ in 東南アジアのヴェトナム 扶南 こうし(孔子)ろ あーしろってウルサイよ。今までいい子(性善)だったけど、もうし(孟子)らない。ジュンコ(筍子)、グレてやる(性悪)から。 アンコール=ワット 六発直後にクンニで舐めーる。あん? こーれは……っと、貧乳陥没じゃん! 六世紀 クメール人 アンコールワット造営 ヒンドゥー教 カンボジア [部分編集] 中国・朝鮮の古典文明 中国文明の発生 殷と周 中国の王朝 ①ドングリころころに合わせて いん→しゅう→しん→かん→さんごく→しん→なんぼくちょう→ずい→とう→ごだい→そう→げん→みん→しん→ちゅうかみんこく→ ちゅうかじんみんきょうわこく ②「アルプス一万尺」(アルプス一万尺、小槍の上で♪) 殷 周 東周 春秋 戦国 秦 前漢 新 後漢♪ 魏 蜀 呉 西晋 東晋 宋 斉 梁 陳 隋っ♪ 五胡十六(国) 北魏 東魏 西魏 北斎 北周♪(ここで息辛くなるかも) 隋 唐 五代十国 宋 金 南宋 元 明 清♪ 西晋から二手にわかれて、隋で合流ってこと ニコニコ動画に歌ってる動画がある 「初音ミクがネギを振り振り世界史を教えるよ」 ttp //www.nicovideo.jp/watch/sm1617371 (普通に、いんしゅうしんかんぎごしょくしんそうさいりょうちんずいとう って感じで呪文っぽく覚えたほうが早いかもしれません) ③殷周秦漢三国晋 (もしもし亀よ亀さんよ) 南北隋唐五代宋 (世界のうちにお前ほど) 元明清中華民国 (あゆみののろいものはない) 中華人民共和国 (どうしてそんなにのろいのか) ④いしぐぬむふぁぐちゅれいおます かぐついうぶりふまおぺれやじゅ くばづついかすきおじゃぱめんなにがしろじょそん ⑤淫乱行為は楽遊なら寛容!超安心! (殷墟)(鎬京)は(洛邑)なら(咸陽)!(長安)しん! 殷~前漢までの都、多少強引か・・。 ⑥飲 酒運転 瞬間銃殺 死んだ かさなった。 殷 周 春秋戦国 秦 漢 出典(②):実況中継シリ-ズ 春秋・戦国時代 社会変動と新思想 戦国の七雄 ①戦国の七雄 斉 楚 秦 燕 韓 魏 趙 催促新年歓喜の朝(お年玉もらうイメージで) ②新議長 関西 疎遠 秦魏趙 韓斉 楚燕 ③まず秦楚斉燕趙魏韓を反復音読! これ左からクルンと 半時計回りの順番(∨) (適当だから地図で確認を) ④清楚な秦と官議長が援交 斉、楚、秦、韓、魏、趙、燕 戦国の七雄 清楚な晋の感想文 斉→桓公 楚→荘王 晋→文公 覇者 ⑤斉楚韓趙(チョウ)魏燕秦 清楚な人にかんちょうしたら「ギエン!」って言って死んだ ⑥先生、粗チンで感じちゃう! 燕斉 楚秦 韓魏趙 (中国、戦国時代、戦国七雄) 孔子誕生 孤高に生きるぜ孔子さん (552魯で孔子誕生) 五経 ①将来駅で思春期に 書経、礼記、易経、詩経、春秋 ②『来週師匠が優しくなる』 礼記 春秋 書経 詩経 書経 易経 ③シショエキシュンライ ④五経 駅(易経)で詩(詩経)を書(書経)く、春秋・礼記 四書 孟子が大学で論語を教えてるっちゅーよう(中庸) 諸子百家 仁を実行し(じっ孔子)。 生前(性善)を申し(孟子)上げます。 性格悪いので(性悪)、殉死(荀子)した。 儒家 こうし(孔子)ろ あーしろってウルサイよ。今までいい子(性善)だったけど、もうし(孟子)らない。ジュンコ(筍子)、グレてやる(性悪)から。 道家 ①童貞 早漏 夢精する 道家 荘子老子 無為自然 ②どうか(道家)と思うが、浪死(老子)したけりゃそうし(荘子)なよ。 無為自然 道 路 掃除 道教 老子 荘子 掃除したら自然がキレイになるから 「無為自然」 法家 放火(法家)したってしょう(商鞅)がないから かんぴょう(韓非)たべて立志(李斯)しろ。 助言した法家・儒家 「高尚な尻で舞踏会♪」 高尚…孝公 商鞅 尻…始皇帝 李斯 舞踏…武帝 董仲舒 合従・連衝 早朝(蘇張)から合唱(合従)して連勝(連衝) 秦の統一 始皇帝の秦統一 ①全身でふうふういって中国統一、始皇帝 前 2 2 1 (秦の統一) ②フーフー言ってしこってる BC221 始皇帝が即位 ③筒井紀前(のりまえ)が語る「真の四股って?」 221紀元前 秦の始始皇帝即位 ④じじいの始皇帝 前2 2 1年 皇帝 ⑤突いたら死んじゃった 221 秦 焚書・坑儒 にッ……にいさん何してんの?!焚書坑儒 (221始皇帝の焚書坑儒 儒家v.s.法家) 陳勝・呉広の乱 辛くとも闘え陳勝・呉広 (209陳勝・呉広の乱、しかし咸陽陥落ならず) 前漢 前漢 ①フレッツ光で前漢建てろ! (202劉邦が項羽に勝利し前漢建てる 都は長安) ②劉邦は誰より前ににわかに興す漢王朝 前 20 2 (劉邦(高祖)が前漢を興す) 前漢と後漢 ①カンチョー娯楽(ブスッ!!) 前漢:長安 後漢:洛陽 ②前漢後漢は超楽よ! 前漢→長安 後漢→洛陽 ③前漢・後漢は超楽よう 前漢 後漢 長安 洛陽 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 秦と漢の制度 真剣な韓国 【秦】→郡【県】制 【漢】→郡【国】制 ※ただし武帝の時代から中央集権化が進み郡県制に再び戻り始める 呉楚七国の乱 ①いこーよ郡県制つぶしに呉楚七国 (154呉楚七国の乱、しかし鎮圧) ②引越しごそごそ 154 呉楚七国の乱 ③154 呉楚七国の乱 (ひっこしごそごそ) 漢の全盛期 ①いよいよ来たよ武帝の時代 (141漢の全盛期はじまり、郷挙里選など実施) ②前漢の武帝(141~87) →いよいよやな(´,_ゝ`)フッ ③BC141 武帝の在位年代 BC87 (いよいよ武帝のはなみち) 前漢の匈奴討伐 前129年 前漢、衛青や霍去病の匈奴討伐 男:言いにくいんだけど…今日どう?(129 匈奴) 女:衛生的なら…病は今日平気よ(衛生 霍去病) 武帝朝鮮侵略 BC108年 テンパの武帝朝鮮侵略 張騫と甘英の区別 全部頂戴、五歳半にゃ甘いマロンもしょっぱい 前漢:武帝、張騫を大月氏に派遣 後漢:西域都護の班超が甘英をローマへ派遣→失敗 マロン→ローマは無理やりだけど… ちなみに張ケンが派遣されたところが烏孫(ウソン) 新 ①やぁ兄さん!新しいホモがいい性器? 8~23 新 王莽 外戚 ②前漢滅ぼし王莽やっと新起こす 8 後漢 後漢 光武帝、にっこり笑い後漢を興す 2 5 甘英 97 甘英、条支(シリア)に到着 甘英、こっちくんな! ※シリア派遣後に、大海の航海が困難な事を聞き、引き返したと『後漢書』西域伝にある。 黄巾の乱 ①184年 いやよ黄巾の乱 黄巾‥後漢 黄巣‥唐 ②太平かつみ、黄頭巾チョーかっくいー。(太平道・黄巾の乱・張角) ③一発返済高金利。 黄巾の乱 ④日はしずむ、後漢を揺るがす黄布の乱 184 ⑤いやよ後漢黄巾の乱 184年 黄巾の乱 黄巾の乱と紅巾の乱の区別 「黄色は嫌よ、紅はいざ来い」 184年 黄巾の乱 1351年 紅巾の乱 漢代の文化 蔡倫 強姦星人、再臨ッ! 後漢 製紙法 蔡倫