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※ストーリー会話中に出てくるパロディや小ネタを解説していくページ。 ※話数ごとに区切って表記をお願いします。 ※本当にパロディか疑惑のあるものは、解説部分に表記してください。 テンプレ プロローグ1 特務機関・森羅 プロローグ2 君、死にたもうことなかれ プロローグ3 Shinobi プロローグ4 Welcome to The World プロローグ5 炎の紋章 第1話 鎖の街のアリス 第2話 その男、龍が如く 第3話 一家団欒、そして逆転 第4話 太陽が呼んでいる 第5話 鳳凰の鏡 第6話 名を冠する者たち 第7話 クライム・ジャングル 第8話 踊りで勝負! 第9話 心の中にある幻影 第10話 コード・ホルダー 第11話 死闘への鎮魂歌 第12話 親と、兄弟と 第13話 ワルキューレの再臨 第14話 運命の共振 第15話 星の剣闘士 第16話 追撃!特殊部隊ブラッド 第17話 街頭の闘士たち 第18話 摩天楼にドカーン! 第19話 召喚術の夜 第20話 運命を変える力 第21話 セガサターン、シロ! 第22話 心に巣喰う鬼 第23話 天空のナイトシェイド 第24話 危険な美の妖精たち 第25話 クリスマス 第26話 迫り来る、死の恐怖 第27話 怨念の総和 第28話 燃える心、炎の天使 第29話 真なる龍の拳 第30話 善悪の彼岸 第31話 踊る逆転 第32話 アリス・イン・マーベルランド 第33話 悪魔と、踊ろう 第34話 遥かなる時の扉 第35話 貫き通す、正義 第36話 99番目の欠片 第37話 闇を彩る光の斬線 第38話 最後のケジメ 第39話 さらば、愛しき人よ 第40話 怒りの鉄拳 第41話 百一胎計画 第42話 宿命(さだめ)の国のアリス テンプレ *第○話 元ネタ作品| -本作中の言動 --解説 [部分編集] プロローグ1 特務機関・森羅 NAMCO X CAPCOM 本編開始前の序文ナムカプの事実上の続編と言うことで、ナムカプ本編開始前の序文をほぼ全文引用しつつ、ナムカプ本編開始前からほんぺん開始後に至るまでの森羅と逢魔との戦いが零児親子によって終結に導かれたこと、本作の戦いの予兆となる金の鎖について言及される。BGMはナムカプ同様「すばらしき新世界」のピアノバージョン。 PXZ 小牟「な~のじゃ♪ な~のじゃ♪」前作でソロユニット・ねねこを組ませた時の戦闘前掛け合いから。 ねねこの真似をする小牟に対し「精神年齢が同じなのはどうなんだ? 765歳」と零児に突っ込まれていた。 プロローグ開始数秒でネタをブッ込んでいくおばあちゃんは今作も平常運転。 里見の謎 小牟「BSAAっちゅうと……バイオテロの対抗組織か。プログレッシブ・マップ・リンク・システムじゃっけ?」1996年、サンテックから発売されたPS用RPG『里見の謎』のゲームシステムから。 PMLSは全てのマップが縦方向に連結され場面ごとの画面切り替えは現在いるマップの上端か下端で発生するという、言わば縦スクロールシステム。常に上方向へ移動すれば迷いにくい。 BSAAとPMLSって一文字しか合ってねぇぞおばあちゃん。 ちなみにナムカプ本編のプロローグ1においても同じボケをかましており、バイオシリーズに関わる組織であるアメリカ統合戦略軍のことをアメリカン合同こんにゃく軍とわざとらしく言い違えていた。 北斗の拳 小牟「ふん、765歳から先は覚えていない! わしほどの妖怪になると、色々とあるんじゃ、色々と」漫画『北斗の拳』に登場する羅将の一人・ハンの代表的な台詞「百人から先は数えていない」から。 小牟はナムカプからずっと永遠の765歳。永遠の765歳ネタはナムカプ以降からの後付け。ナムカプ本編における設定では「1000歳から一人前とみなされる仙狐族の中ではまだまだ若い」とされており、劇中でも「わしは765歳…まだまだ若いでな」とシャオムウ自身が発言している。 ナムカプ本編では共演した源平討魔伝の敵役・弁慶に外見年齢を偽って若作りしてることを看破され年寄り呼ばわりされるシーンがあるが、その時のやり取りとシャオムウの反応からして実際の年齢を見抜かれている(=つまり765年自体がサバ読み)と解釈できなくもない。 高田延彦 小牟「ふむ……おかしな気配はあるのう。六本木の中の妖物たち、出て来いや!」元プロレスラー・高田延彦の名台詞、もしくは持ちネタから。 小牟のセリフはPRIDEミドル級GP開幕戦での全選手入場時に使われた「男の中の男たち、出て来いや!」が元だろうが、「出て来いや!」というフレーズが最初に出てきたのは高田の引退試合でのマイクパフォーマンス。 ちなみにボイス付きの台詞なのだが、イントネーションも元ネタとだいたい同じ。 後から前から 小牟「後ろから前から、どうじゃ……と言いたいところじゃが、正面よりは横、横よりは後ろから、じゃな」畑中葉子が歌う楽曲『後から前から』から。「後から前からどうぞ いつでも抱きしめていいの」 ファイナルゾーン-ウルフ- 小牟「ジョーカーを引いてしまったようじゃの! 零児、ここは耐える時じゃ!」1986年、日本テレネットから発売されたPC-8801/SR用アクションシューティング『ファイナルゾーン-ウルフ-』に登場するダコタ・ボンバーの台詞から。 ファイナルゾーンネタはナムカプから小牟の定番。 グラップラー刃牙 小牟「デカアァァァァァいッ! 説明不要!」漫画『グラップラー刃牙』から最大トーナメント編の全選手入場シーンにおける出場選手「アンドレアス・リーガン」の紹介の際のアナウンサーの台詞から。 ナムカプでも使っていた何かと汎用性が高いネタ。 なお、この選手のリーガンは初戦で主人公、範馬刃牙と対峙してしまい、初戦敗退してしまった。その後も他の選手に腕を折られるなど、散々な扱いを受ける。 がきデカ 小牟「心配してソンしたぞ! もっと小回り君の効く車、装備課にはあるじゃろ!」漫画『がきデカ』の主人公・こまわり君から。 無限のフロンティア 零児「仕事は仕事だ、博士。ロマンじゃメシは食えんし、敵と戦うこともできん」 小牟「女か友情が絡まんとロマンを感じんからな、零児は。ほんと、面倒なダメロマンチストじゃ」パロディではなく小ネタ。基本的にリアリストな零児だが、無限のフロンティアでは神夜のために世界を救う賭けに出たハーケンに触発され、元の世界への帰還を先延ばしにして最終決戦まで同行したことがある。 そこでハーケンにも「とんだロマンチストもいたもんだ」と言われた。零児はそれに対して「男はそれくらいの方がいいとガキの頃から言われていた」と返しており、ハーケンから「それはとびきりイイ女の意見だな」と言われて「その通りだ」と頷いた。もちろん零児がノロけるとびきりイイ女とは… ムゲフロ屈指の名シーンなのだが、その次のシーンで他ならぬ小牟に図星を突かれたうえに「いつまで経っても小僧のままじゃ!」と言われて、尻を千叩きすることにしましたとさ。大体小牟が悪い イナバ物置 小牟「ま、たまにはこんな始まりもいいじゃろ。これなら、100人乗っても大丈夫そうじゃしな!」イナバ物置のCMから。やっぱりイナバ。100人乗っても大丈夫! [部分編集] プロローグ2 君、死にたもうことなかれ サクラ大戦シリーズ ステージタイトル『サクラ大戦2』のサブタイトル「君、死にたもうことなかれ」。さらに辿れば大元は与謝野晶子の有名な詩である。 エリカを庇った大神原作では主人公は隊長奥義として仲間を「かばう」ことができ、使った場合は双方ダメージ0のうえ、庇った相手の好感度が上がる。 エリカの台詞で鳴る効果音原作(『3』、『4』の巴里キャラ)において信頼値・愛情値がプラスされたときに鳴る効果音。 35話でのみゆき、37話のモリガン、ワルキューレ、チキなどにも使われている。どうやら今作ではエリカ以外ではセガ作品でない女性キャラに使われる模様。 [部分編集] プロローグ3 Shinobi サモンナイトシリーズ 秀真が異世界に呼び出された際の演出『サモンナイト1~4』にて、召喚術を使用し、召喚獣を呼び出した際のエフェクト。 [部分編集] プロローグ4 Welcome to The World .hack//シリーズ ステージタイトル「The World」は、シリーズの舞台となるオンラインゲーム。ハセヲは初めて「The World」へログインした日に、初心者狩りの2人組にPKされてしまう。そこに現れ、ハセヲを助けたオーヴァンのセリフがそのままタイトルになっている。 ハセヲ「薄明の腕輪……。蒼炎のカイトが持ってたっていうレアアイテム。マジだったんだな」腕輪(アウラギア)とは、「The World」の神に近い存在であるアウラに選ばれた者にのみ与えられる仕様外のアイテム。イリーガルな力を発揮、「データドレイン」でウイルスバグモンスターを元のモンスターに戻したり、高レベルモンスターを雑魚モンスターに変化させるなど、データ書き換えが基本能力。このアイテムをPCにインストールする「黄昏の書」を得たのが、カイトの冒険の始まりでもあった。 所持者とそのパーティーメンバーに対する敵のデータドレインを弱体化させる効果があり、ネットワーククライシスの元凶たる八相と戦うには必須のアイテム。しかし最後の一体であるコルベニクとの決戦直前、腕輪の反存在「クビア」を倒す唯一の方法として、ブラックローズの手を借りることで「黄昏の腕輪」は失われた。現在カイトが装備しているのは後にアウラから贈られた「薄明の腕輪」である。 PXZ ゼファー「リーンベル、遅えよ……ってヴァシュロン!あいつリーンベルじゃ……」前作では異世界に飛ばされた際、ヴァシュロンがいなくなり、『ゴッドイーター』の雨宮リンドウと入れ替わっていた。 End of Eternity ヴァシュロン「女は化粧で化けるというが……豊饒(ほうじょう)なる大地とは、まさにこのこと!」の時のヴァシュロンの立ち絵原作でカーディナル・バーバレラとの会話とその最中のヴァシュロンのダンスから。 [部分編集] プロローグ5 炎の紋章 ファイアーエムブレムシリーズ ステージタイトル「ファイアーエムブレム」を和訳したもの。 ユーリ「女に斬りつける剣は持ってねえから安心しな」「紅の剣士」の異名を持つ凄腕の剣士ナバールのポリシー「女を斬る剣は持たない」から。もっとも、原作では仕様上女性にも攻撃してくるが。 チキ「ふふ、ナバールやオグマを思い出すわ」ナバールは黒髪・長髪の細身で不愛想な性格。オグマはナバールのライバルで、金髪が特徴、またSFC版では青い鎧をしており、見た目そっくりなユーリとフレンを見てチキがそういうのも納得である。 魔人カムーズが持ち去った「炎の台座」「ファイアーエムブレム覚醒」において、イーリス聖王国の宝物とされている盾。正式名称は『炎の紋章』。すなわち「ファイアーエムブレム」。 テイルズオブヴェスペリア フレン「神竜族……つまり、長い年月を生きてきた、竜の力を持つ種族の方……ということですか?」TOV原作には、「竜」とも呼ばれる太古より生きる強大な力を有す種族「始祖の隷長(エンテレケイア)」がいる。 [部分編集] 第1話 鎖の街のアリス NAMCO×CAPCOM ステージタイトル『PXZ』シリーズの前身にあたる『NAMCO×CAPCOM』のプロローグ1のタイトル「ゆらぎの街のアリス」のバリエーション。 バイオハザードリベレーションズ クリス「ジェネシスを使ってみるか。バイオスキャンをかければ、何かわかるかもしれん」ジェネシスとは、ジルが所持するバイオスキャナー。クリーチャーをスキャンして情報を集めたりアイテムを探索する事ができる。水の中や体内の物体を探す事も可能。繰り返しクリーチャーに使用して、解析率が100%に達すると回復アイテムを生成してくれる。 死体もスキャンできるが、敵が生きていて距離が近いほど解析率も高くなる。 マシンロボ クロノスの大逆襲 ???(零児)「待て……!」零児とマシンロボの主人公ロム・ストールの声が同じであることからのネタで、『無限のフロンティア』から定着した。 テキストとは異なり発音は「待てぃ!」。これは『無限のフロンティアEXCEED』でも前作でもそう。そして名前を問われて「名乗る名は無い」と答えるのもお約束。 無限のフロンティアEXCEED ???(シース)「アホポンなチビギツネは引っ込んでてくだサ~イ!」小牟につけられたあだ名の一つ。 ゲノム(漫画) 小牟「このウサギンジャー、誰がアホポンじゃ!」ウサギンジャーとは、ヒロイン・エルエルが気に入っているテレビ番組のヒーローのこと。パンツ一丁でトランペットを持ち、筋肉質な体に頭はウサ耳という格好で、終始無表情・無言であるため、作者をして「キモい」と言わしめるキャラクター。 巨獣特捜ジャスピオン 小牟「むふふ……森羅の誇る、超惑星戦車に驚いたようじゃの!」ジャスピオンの乗る万能戦車「超惑星戦車ガービン」から。飛行可能で、大気圏外ではワープ航法も可能。上下2体に分離可能で、上部は飛行メカのガービンジェット、下部は2連ハイパーロックドリルを装備した地底走行用メカのガービンタンクとなる。 蝶野正洋 シース「メチャ許さんのデ~ス! ガッデ~ム!」「ジョジョの奇妙な冒険第3部 スターダストクルセイダース」に登場する敵、ラバーソールが花京院典明に化けていた際に激高し発した台詞から。本当は「メチャ許せんよなぁ」のはずだが、誤植なのか「ゆる“さ”んよな」になっており、1部の「何をするだァ─ッ」と同じく迷言として親しまれた。 蝶野正洋が良く使用していたスラング「ガッデム」から。「ガッデム」は英語でつづると「god damn you」となり、日本語で言う「こんちくしょう」にあたる。 VS騎士ラムネ&40炎 小牟「なんちゅうハイテンションじゃ。ビリビリ来ておったのう……」ロボットアニメ「VS騎士ラムネ&40炎」のOP主題歌「未来形アイドル」の歌詞より。 PXZ 裏嶋「黄龍寺財閥のバックアップを受けているとはいえ、この龍亀一號の改良にはまだまだ予算がかかるのね」黄龍寺財閥とは、前作のヒロイン・黄龍寺美依の家のこと。 [部分編集] 第2話 その男、龍が如く 龍が如くシリーズ ステージタイトル『OF THE END』でのサブストーリー「その男、真島組」と、タイトル「龍が如く」から。 平八「この神室町の騒ぎを起こしたのは、あるウィルス兵器……"タナトス"と呼ばれるものじゃ」『OF THE END』のゾンビ騒動の元凶となったウィルス。生物の体液を通じて感染し、感染者は「甘美な死を」と言いながら幸福感に蝕まれ、人々を襲う。 制作者は原作の黒幕であるDD。人生には苦痛しかなく、タナトスこそが人間を幸福にできる唯一の手段と考えていたが、その野望は最終的に桐生達に阻止される。 真島「そや、センセには助けてもろたがな。わしの無実を証明してくれたやないか」『龍が如く4』で真島は東城会六代目会長・堂島大吾に売られて警察に逮捕、勾留されたことがある。 零児「こいつは「隔離壁(かくりへき)」の試作タイプだ」原作に登場する巨大な防衛ライン。元は戦争で都市部侵攻を遅らせるために使用されるはずだった。 従来作のように神室町を自在に行き来できなくなっている。 銃撃で給油車が爆発し、ゾンビが吹っ飛ぶ原作の劇場前通りもあの位置に給油車が存在し、それをヒートスナイプで爆破して敵を一掃するのがベターとなっている。 桐生「神室町には、銃の改造職人……『ガンスミス』がいる。俺は借りてきただけだ」参考リンクはコチラ。 ちなみに原作で対物狙撃銃が入手できるのは終盤。 桐生「話聞いて、"アサガオ"を飛び出してきちまった」桐生は現在では極道から足を洗っており、沖縄で児童養護施設「アサガオ」を設立し、園長先生をしている。 桐生「真島の兄さん、このマンホール……『呪いのマンホール』じゃないのか?」原作では第一部四章からこのマンホールに入る事で「神室町アンダーグラウンド」(サブクエスト扱い)というダンジョンに挑むことができた。 全15階層から成り、入る度にマップが変化する不思議スポット。 ガンスミスキャッツ 小牟「ガンスミスじゃと? まさか、女二人組とかじゃないじゃろな……?」園田健一の漫画『ガンスミスキャッツ』から。賞金稼ぎのラリーと爆弾のスペシャリスト、ミニー・メイの女性コンビが主役だった。 てなもんや三度笠 小牟「備えあればうれしいな、とは言うが、こんな使い方をすることになるとはのう」必殺シリーズやはぐれ刑事純情派等で知られた名優、故・藤田まこと氏の出世作である公開収録のコント番組『てなもんや三度笠』のギャグ。 後にアニメ『美少女戦士セーラームーン』のセーラーヴィーナス・愛野美奈子の台詞やアニメ版『星のカービィ』のデデデ大王の台詞としても有名となった。 逆転裁判シリーズ ナルホド「ピンチの時こそふてぶてしく笑えというけど……」成歩堂の師匠であった女弁護士・綾里千尋の名言。 [部分編集] 第3話 一家団欒、そして逆転 ヴァンパイアシリーズ デミトリ「これから魔界大乱戦を始めようという時に……」『ヴァンパイアハンター』のデミトリEDの追加エピローグにおいて語られた、デミトリとモリガンの因縁の戦いのこと。パイロンを制した後に魔王ベリオールを葬るべくアーンスランド城に乗り込んだデミトリだったが既にベリオールが病没していたことを知り、次期当主の座の継承者であったモリガンを次なるライバルと見定め戦いを挑み、モリガンも「望むところよ」とそれに応じた。そうして始まった戦いは長きにわたって続き、後に「魔界大乱戦」と称されるほどに熾烈を極めていたという。ちなみにセイヴァー時点ではあまりにしつこいデミトリにさすがのモリガンも辟易している。 逆転裁判シリーズ ステージタイトル逆転裁判の章題は『逆転』が必ず入っているのが特徴。中でも『~、そして~』という形式のタイトルは1の最終章『逆転、そしてサヨナラ』と2で成歩堂と真宵が再会するエピソード『再会、そして逆転』の2本。 NAMCO×CAPCOM 一八「……ようやく、か。時間はかかったが……デビルの力は、全て俺の物となった」ナムカプでは一八は魔界に放逐されたままフェードアウトしており、リアルでは実に10年の時を経て再登場。 デビルマン 小牟「デビルの力、身につけた三島マンに暴れられても面倒じゃしの」アニメ『デビルマン』のOP歌詞から。「悪魔の力身につけた正義のヒーローデビルマン」 逆転裁判2 ナルホド「あっ! 真宵ちゃんの従姉妹の春美(はるみ)ちゃんに霊力を吹き込んでもらった時か。」真宵の勾玉に春美が魔力を吹き込んだことにより、サイコロックが使えるようになった。 [部分編集] 第4話 太陽が呼んでいる サモンナイトシリーズ ステージタイトル『サモンナイト3』の主題歌「太陽が呼んでいる」。 アティ初登場時の背景『サモンナイト3』での青空学校の背景。 パイロン「この者たちは……? 人間の……魂の力を感じる」「亡霊○○」と言う名前の敵はかつて島で起きた召喚師の派閥「無色の派閥」と島に召喚された島民との戦いで死んでいった者が亡霊と化した存在。 ???(アティ)「機界に、鬼妖界……霊界の人もいる? いえ、まったく違う世界の人……?」ナンバリングシリーズと一部の外伝では「リィンバウム」と言う世界の周りに、機械仕掛けの生き物や融機人(ベイガー)と呼ばれる人間が暮らす機界ロレイラル、龍神や鬼神に見守られて、人間と妖怪が共存している鬼妖界シルターン、強い魔力を持っている悪魔や天使等の霊的存在が暮らす霊界サプレス、高い知能をもつ幻獣や人間と獣を掛け合わせたような亜人が暮らす幻獣界メイトルパと呼ばれる4つの異世界があり、召喚獣の属性にも対応している。 これ以外の世界は「名も無き世界」と呼ばれ、プレイヤーが暮らす人間界もこれにあたる。 アティ「かなり昔に、ニッポンという世界からこの世界にやって来た人がいるんです」『サモンナイト3』の登場人物・ゲンジのこと。日本で教師をしていたが、定年退職の矢先に島に召喚されてしまった。主人公に対して教師としての心構えを説く。 逆転裁判シリーズ マヨイ「あたし、忍者ナンジャ以外の忍者って初めて見た!」「忍者ナンジャ」とは、ダメ忍者が美しい歌声を武器に室町芸能界に殴りこむサクセス物語で、作中での人気特撮作品「トノサマン」に迫るも届かないレベルの作品。 ニンジャスレイヤー 小牟「一度、合同作戦で一緒に戦ったことがあるが……なかなかのワザマエじゃったぞ?」小説「ニンジャスレイヤー」で使われる言い回し、通称忍殺語の一つ。 通常は「実力」などのニュアンスで使われるが、「技あり!」的なかけ声としても使われる。 まほろまてぃっく 小牟「「先生、Hなのはいけないと思います……」とか言いつつ……」ヒロイン・安藤まほろが発した有名な台詞。まほろとアティの中の人が同じなことからの声優ネタ。 ワープ&ワープ 小牟「やれやれ、ワープ&ワープはいつものこととはいえ、疲れるのう」1981年にナムコがパックマンに続く業務用コミカルアクションシューティングとして発売したゲーム。後に「ワープマン」という名前でファミコンでも出た。 ヴァンパイアシリーズ モリガン「また精気を吸われにきたのかしら?」『ヴァンパイア』及び『ハンター』のモリガンEDにて、モリガンに敗れたパイロンが精気を吸いつくされ朽ち果てている。 [部分編集] 第5話 鳳凰の鏡 シェンムー ステージタイトル芭月家が所有していた鏡の片割れが「鳳凰鏡」。対となるのが「龍鏡」。趙孫明と涼の父・巌の二人が桂林より持ち出したとされる。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「徐々に奇妙な冒険になっとったが、ここらで一度リセットできるのう」言わずとしれた漫画『ジョジョの奇妙な冒険』から。 ストリートファイターシリーズ 毒牛頭「足が太すぎンだよ!」春麗の太もものサイズは、なんとウェストと同じ。 PXZ ジュリ「……チッ、セスについてた方がラクだったぜ」前作ではジュリはセスの配下として行動していた。 ルパン三世 小牟「ICPOも似たようなもんじゃろが。ぬし以外だと、もう一人超有名な奴しか知らんぞ」ルパン三世を追っているルパン専任の刑事・銭形警部はICPO所属。創作上のICPO所属のキャラクターではおそらく日本一の知名度を誇っている。 MINI 小牟「な、なんじゃ、変形した……!? ワンタッチ! 完全変化!」2014年のMINIのエイプリルフール広告「THE NEW MINI」から。キャッチコピーは「クラシックMiniへ、ワンタッチで完全変形」。 [部分編集] 第6話 名を冠する者たち ゼノブレイド ステージタイトル『ゼノブレイド』のBGM名。主にユニークモンスター戦やイベント戦で流れる。原作BGMの中でも屈指の人気を誇るトラウマ曲であり燃え曲。 KOS-MOS&フィオルンの通常BGMの片割れでもあり、このステージではタイトルコール後この曲に固定となる。 42話でも、沙夜「あん、そうでしょ? これがホントの名を冠する者たち、ってこと」と言う。 フィオルンの目が赤くなる演出フィオルンには、創世の際、機神の誕生と同時に生まれた機神の魂にして、モナドの力でマシーナを生み出し、機神界を創った女神メイナスの魂が入り込んでいる。 メイナスは、争いを好まず、巨神界・機神界の隔たりなく、全ての生命を慈しむ心優しい女性。過去の巨神との戦いで深く傷つき、長い間眠りについていたが、巨神と機神の戦いの悲劇を繰り返させぬために目覚める。ヴァネアの計らいで、機械の体躯となったフィオルンの身体に自らのモナドと魂を宿し、エギルに自身の復活を気取られないように活動を始める。 フィオルン「キズナ……みたいなものを感じるよ」『ゼノブレイド』では、主人公シュルクと仲間達や市民の間に「キズナ」と呼ばれる好感度のようなものがあり、メインキャラクターや市民の人間関係に影響する。 市民の場合は話しかけたりクエストを引き受けたりすることにより、仲間達とのキズナは戦闘中の「突発キズナ」を成功させること等により深められる。市民のキズナを深めると、受注できるクエストが増えたり、交換できるアイテムが増えたりする。仲間達との「キズナ」は、仲間同士の会話やスキルリンク、チェインアタックなどに影響する。 フィオルン「あれ? ホムス……?」『ゼノブレイド』の世界では普通の人間のことを「ホムス」と呼ぶ。 その後、T-elosを機神界人(マシーナ)だと勘違いするが、「マシーナ」とは、機神界に暮らす、機神より生まれた機械生命のこと。非常に寿命が長く、身体のパーツを追加・換装すればかなりの長い時間を生きることができる(ただしどんどん身体が大きくなり、致死レベルの損傷を負うと死んでしまう)。 龍が如く4 桐生「……いや、卓球だ」『龍が如く4』からミニゲームとして卓球が登場しており、OTEでも引き続き採用されている。ゾンビが闊歩する街を通り抜けて、浴衣姿の美女と卓球勝負する様はなかなかにシュール。 ゼルダの伝説シリーズ 小牟「ほほう、墓石を押すっちゅうんは基本じゃからの。大抵、階段があるんじゃ」『ゼルダの伝説シリーズ』では『時のオカリナ』や『ふしぎのぼうし』などで、墓石を押すと階段が現れる仕掛けが多く出ている。 『ドラゴンクエストV』等でも同様のネタが使われている。 NAMCO×CAPCOM フィオルン「な、なにしたの!? KOS-MOS!? 昼弁当……何?」ナムカプでは『妖怪道中記』のたろすけが「ヒルベルト・エフェクト」を「昼弁当なんとか」と勘違いしていた。 シリアスな空気の中、突然出現するシルフィーの「SHOP」ナムカプでもBGMが突如切り替わると共に突然SHOPが出現し、プレイヤーの腹筋を崩壊させた。 店に出てきてから名を尋ねられて自己紹介するまでの流れはナムカプと一緒。 サモンナイトシリーズ アティ「もう一人の方は? 機界ロレイラルの人……?」機界ロレイラルには、融機人(ベイガー)と呼ばれる、身体を血肉のレベルでナノマシンや精密機械と融合させた人間が暮らしている。フィオルンほどメカメカしい外見の者は登場していないが。 AT Lady! 小牟「あのオートマチック・レディはKOS-MOS」岡野剛の漫画『AT Lady!』より。組織化・高度化した科学的犯罪の多発に業を煮やした警視庁がロボット刑事(Automatic-Tec / オートマティック・テック)プロジェクトを発令し、あらゆる科学的組織犯罪に対抗すべく開発された美少女ロボット刑事「ATレディ(オートマティックレディ)」が7体作成された。 タイムボカンシリーズ 小牟「お助けメカじゃったらいいが、大体、こういう時はじゃな……」タツノコプロ製作のアニメ『タイムボカンシリーズ』にてヒーロー側を手助けするロボットを総称して「お助けメカ」と呼ぶ。 シリーズ第2作の『ヤッターマン』でメカの素をもらったヤッターワンの口から出てくるアレと言えば解る人も多いだろうか。 ストリートファイターII MOVIE 声優ネタ (黒いフェイスを見て)春麗「もしかして……ベガが乗っているの!?」「ストリートファイターII MOVIE」のラストにてベガがトラックでリュウを轢き殺そうとしていた。あまりにも場違いかつ、トラックに乗っているベガがシュールなために何かとネタにされる。 黒いフェイスとベガの声優はどちらも若本規夫氏であるため、恐らくこっちが元ネタ、もしくは上も兼ねた二重パロ。余談だが、この後に登場するガリジャーノンも若本規夫氏が演じているが、こちらはネタにされてない模様。 春麗さん、その人確かに(声は)ベガだけど、ベガじゃない。 PXZ T-elos「そう何度も慣れ合いなどするつもりはない」前作や『無限のフロンティア』シリーズでは敵対のち共闘と言うパターンが鉄板化していた。 無限のフロンティアシリーズ 小牟「商人は何人か知っちょるが、まあ、大体こんなもんじゃ。もっとひどいのもおる」無限のフロンティアシリーズでは共闘しているサブキャラクターの中にショップの店員も兼ねている者もおり、仲間だろうと当然金を取られる。「もっとひどいの」とは恐らく金次第で敵対し、客にも毒舌を吐く琥魔のこと。 [部分編集] 第7話 クライム・ジャングル キャプテン・コマンドー ステージタイトル『キャプテン・コマンドー』メインテーマ『~Crime-Jungle~』から。 NAMCO×CAPCOM 裏嶋「いつものアンドロイドも拾って来たと。未来の」KOS-MOSとはナムカプの頃から幾度となく共闘している。今回で5回目。 小牟のスマホの着メロナムカプのBGM「必勝への軌跡」の冒頭部分。 小牟「こりゃ言われなくても、スタコラサッサじゃ」作画崩壊で名高い、アニメ「MUSASHI -GUN道-」の台詞。言われなくてもスタコラサッサだぜ。 デミトリ「む? シルフィー、貴様……戦えなかったか?」ナムカプではシルフィーはプレイヤーキャラとして操作できた。 スペースハリアー 涼「俺も『ドラゴンランド』に行ってみたいぜ」『スペースハリアー』は、凶悪な魔生物の襲撃により、魔生物や破壊マシーンの巣窟と化したドラゴンランドを救うため、若き超能力戦士ハリアーがショットガンを手に単身突入するというストーリー。 ロックマンX4 ステージトラップ「ミルトラエル」『ロックマンX4』にサイバー・クジャッカーのステージで出て来るザコ敵「ミル・トラエル」のことだが、捕獲されると長時間身動きがとれなくなるため、非常にいやらしい敵。特殊武器「ソウルボディ」で破壊できる。 転がって来る紫の球「プロテクトン」ミル・トラエル同様にサイバー・クジャッカーのステージでのトラップ。移動時に電磁波を発生させ、周囲にいる者にダメージを与える。サイバースペースを進む際に紫色の床を破壊する性質があり、原作でもこれを利用してステージを進む。 サモンナイト3 アティ「キャプテン? 船長さん……なんですか? 海賊さんなんでしょうか?」『サモンナイト3』の登場人物の一人で、島に迷い込んだ海賊カイル一家の船長・カイルの事。竹を割ったような気質の持ち主で、頼りになる兄貴的な人物。 恋のダイヤル6700 小牟「恋のダイヤルも、電波が届かんのではお手上げじゃ」フィンガー5の楽曲「恋のダイヤル6700」から。 PXZ エックス「VAVA……なぜだ! 俺たちの戦いは、もう終わったはずだ!」前作でVAVAは復活したが、エックス達に敗れ、死んだはずだった。 全国こども電話相談室 小牟「もしもし! ハイハイ! 小牟電話相談室!」TBSラジオなどJRN各局で放送されていた電話相談を行うラジオ番組。後継番組も含めると約半世紀にもわたり続いた長寿番組。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「ノックしてもしもお~~~し!」ジョジョの奇妙な冒険第二部「戦闘潮流」に登場するジョセフ・ジョースターの台詞から。 [部分編集] 第8話 踊りで勝負! スペースチャンネル5 ステージタイトルうららの決め台詞「踊りで勝負!」から。 NAMCO×CAPCOM 小牟「いつものことじゃろが。もういい加減に慣れんか、零児」基本的にナムカプからボケ担当が多く、まともなツッコミ兼まとめ役が零児しかいない。 レイドック 小牟「1ドットのエクスタシーを魅せるのもいいが、わしもポリゴンになってみたいのう……」T E SOFTが開発、発売したコンピュータゲーム『レイドック』のキャッチコピー「魅せてあげよう、1ドットのエクスタシー」から。 ちなみに、小牟が出演したゲームはすべてドット絵だが、PS2の本体でナムカプのセーブデータを管理する際にポリゴンの小牟を見ることができる。 .hack//シリーズ クリス「少し前に起こった「第二次ネットワーククライシス」……全世界のネットワークが一斉にダウンしたあの事件……解決の功労者はその子だった」.hack//シリーズにおいて、第二次ネットワーククライシス、すなわちスケィスとの戦いが起こったのは2010年。 PXZ カイト「前に事件が起きた時……ぼくたちはログアウトできなくなったんだ」PXZではカイトとブラックローズは「The World」からログアウトできず、現実世界でも「The World」でのPCモデルの姿で戦う事になった。 サモンナイト3 アティ「私も、踊りは師匠とのダンス対決でそこそこやってます!」『サモンナイト3』のミニゲーム「マネマネ師匠のものまねダンスバトル」のこと。狭間の領域に住むモノマネが得意な幽霊・マネマネ師匠が提示するコマンドを時間内に入力するミニゲーム。 ツイてるねノッてるね 小牟「どこまでもツイておるのう、ノッておるのう!」中山美穂の楽曲『ツイてるねノッてるね』から。 [部分編集] 第9話 心の中にある幻影 バイオハザード4 ステージタイトル『4』のエンディングでレオンがエイダについて「心の中の幻影」と表現した事から。 レオン「ハニガン、こちらレオンだ」「ハニガン」とはバイオハザード4に登場する女性オペレーター、イングリッド・ハニガンのこと。無線通信によりレオンの作戦行動を側面よりサポートしていたが、中盤からは敵組織に電波妨害を施され、連絡が途絶えてしまう。以降、レオンとは任務上幾度も関わっていく。 ミッドナイトレジスタンス 小牟「スーパー・パワーアップ・ウォーゲーマーと呼ばれたわしのゲーム魂を見せるヒマもないのう」データイーストから発売された業務用ゲーム『ミッドナイトレジスタンス』のキャッチコピー「超破壊的戦闘集団(スーパーパワーアップウォーゲーマー)、出動!!」から。 バイオハザード6 レオン「女に振り回されるのには馴れている」レオンは初登場時から何かと女運が悪く、そのたびに「全く女ってやつは!」や「なけるぜ…」とぼやいていた。6でもパートナーのヘレナに振り回されるが、もう達観したらしく「女に振り回されるのは慣れっこだ」とジョーク混じりに語っている。 レオン「ああ、どうも引き際がわかってない奴さ」ウスタナクはバイオハザード6に登場するB.O.Wで、作中ではジェイク捕獲の命を受け、それを実行するために手段を選ばない追跡を行う。度重なる戦闘の末、彼に「引き際がわかってねぇ」「元カノ」と言われた。 やるっきゃ騎士 小牟「その通りじゃな。やるっきゃないっと!」月刊少年ジャンプに連載されていたお色気漫画『やるっきゃ騎士(ナイト)』から。 [部分編集] 第10話 コード・ホルダー CAPCOM FIGHTING ALL STARS ステージタイトルイングリッドは、「CODE HOLDER」(コードホルダー)と呼ばれる「神なる力を持つ者」の一人とされている。コードホルダーはそれぞれが能力と紋章を有しているという設定。 「紋章の力がベガに奪われる」というシチュエーションは、『ストリートファイターZERO3↑↑』に出演した際のバックストーリーから(*1) キャプテンコマンドー キャプテン「キャプテンゴーグルで分析してみたいが……」着用するゴーグル「キャプテンゴーグル」は、2km先の犯罪者の顔まで認識でき、さらにデータベースと照合できる機能を兼ね備えている。 スターグラディエイター2 飛竜「エドワード・ビルシュタイン。……その亡霊がうろついているという話を聞いた」ビルシュタインとは、シリーズの敵ボスである第四帝国の皇帝を名乗る天才科学者。 亡霊というのは、1で倒されたが2で新しい身体で復活したビルシュタイン本人と、その際捨てた1の身体がハヤトへの恨みという残留思念で再生復活した「ゴーストビルシュタイン」の二人のこと。 この二人のビルシュタインが、スターグラディエイター2のサブタイトルおよびストーリー導入になっている。 銀牙 -流れ星 銀- ナツ「銀でできてんの!?」 小牟「流れ星っちゅう感じじゃが、こやつはサイボーグじゃ」週刊少年ジャンプで連載されていた漫画『銀牙 -流れ星 銀-』から。 忍者龍剣伝 手漕ぎのボートで船にやって来た晶と影丸業務用版『忍者龍剣伝』のオープニングで、忍者が木の小船で密入国していることから。 小牟「ニンジャ・イン・USAっちゅう感じでの」同じく業務用版『忍者龍剣伝』のオープニングに出て来る「NINJA in USA」の文字から。 スーパーマン 小牟「空を見るんじゃ! 鳥じゃ! 飛行機じゃ!」 零児「いや、あれは……飛行船だ……!」『スーパーマン』のコミック・ドラマ共通のキャッチコピーである、「「空を見ろ!」「鳥だ!」「飛行機だ!」「いや、スーパーマンだ!」」から。 CAPCOM FIGHTING Jam 小牟「わしとぬしが出会ったら対消滅するじゃろが!」 イングリッド「馬鹿馬鹿しい、ワシのほうが1年早い!」イングリッドのデビューは2004年に発売された『CAPCOM FIGHTING Jam』。小牟のデビューは2005年の『NAMCO×CAPCOM』である。 賭博黙示録カイジ 小牟「被ってるだけならまだしも、それを口にしたら……戦争じゃろうがっ!」コンビニでバイトをしていた主人公・伊藤開司(カイジ)が、金をなくした店長から「盗人めっ…!」と誤解され、逆上して叫んだ一言「ふざけるなよ…!戦争だろうが…疑ってるうちはまだしもそれを口にしたら…戦争だろうがっ!」から。 シェンムー2 イングリッド「おぬしは鳳凰をたずさえし者……芭月涼か」「鳳凰をたずさえし者」は、シェンファの父が彼女宛に残した置手紙「私の役目は終わった。鳳凰を携えし者と共に行け」から。 [部分編集] 第11話 死闘への鎮魂歌 ベア・ナックル2 ステージタイトルベア・ナックル2のサブタイトルから。鎮魂歌は「レクイエム」と読む。 サモンナイト3 アティ「どうして、同じ姿なんでしょう? よく見ると、ちょっと色が違うし……マネマネ師匠?」狭間の領域に住むモノマネが得意な幽霊・マネマネ師匠は姿自体はそっくりに変身できるが、色合いがやや紫がかっている。 ストリートファイターシリーズ イングリッド「お、空を裂く華麗なる舞……春麗か」ストリートファイターⅡシリーズでの春麗のキャッチコピー「空を裂く華麗なる舞」から。 ファイナルファイト 小牟「そっちも、最後の戦いを始めそうな若いのが加わっておるのう。何者じゃ?」カプコンの名作ベルトスクロールアクション「ファイナルファイト」から。 アクセルの見た目が主人公のコーディーに似ていることからか。 [部分編集] 第12話 親と、兄弟と 教師びんびん物語 小牟「うむ!フラグ、ビンビン物語じゃのう!」学園ドラマ『教師びんびん物語』から。 ストライダー飛竜 飛竜「クライムシクルでよじ登ればいいだろう」壁や天井に触れるとクライムシクルという万能鎌を用いて張り付き、そのまま移動することができる。 Shinobi 秀真「壁走りから飛べば、どうにでもなるか」『Shinobi』の主人公、秀真のアクションの一つ。 ロックマンXシリーズ ゼロ「そんな事をしなくても、連続で壁を蹴って上がれば、問題ないだろう」『ロックマンX』においては、壁蹴りによる上方移動は基本中の基本。 ヴァンパイアシリーズ モリガン「私はバーチカルダッシュでお先させてもらおうかしら」『ヴァンパイアハンター』以降に実装されたモリガン特有のダッシュコマンド。垂直に近い高い角度で上昇する。 鉄拳シリーズ カズヤ「ふん、この程度の崖がよじ登れなくてどうする」 平八「準備運動にもならんわ」 仁「確かに、大した高さではないな」三島家は何かと高いところから落とされる事に縁があり、ひどい時は宇宙空間から大気圏に突入している。平八とカズヤはお互いを投げ落とした仲。(一八は幼少時に崖に突き落とされた報復で平八を崖に、平八はその報復に一八を火山の火口に投げ落とした) クレイジー・クライマー 小牟「それに、上から植木鉢とか落ちてきたらどうすんじゃ。アレー!と落ちるだけじゃぞ」日本物産が発売したアーケードゲーム『クレイジー・クライマー』から。クライマーが命綱なしで超高層ビルを登るというゲーム内容で、道中では植木鉢や紙コップ、瓶を落として妨害するおじゃまMANや、一定間隔でランダムに方向を変えながら落ちる鉄アレイなどの障害物がある。 40話で沙夜も「植木鉢とか、鉄骨とか落として妨害するから」と同じネタを使っている。 Devil May Cry ダンテ「次はここか。ここの部屋に、カギになる物があるはずだが……」『1』のミッション6「-地下水路の悪魔-」で、1つだけ入れる扉の部屋にアイテム「古びた鍵」がある。 悪魔くん 小牟「悪魔は悪魔君じゃが……ちょい違うのう」水木しげるの漫画『悪魔くん』から。 鬼龍院花子の生涯 小牟「わしはただのネタ要因ではないんじゃ! なめたらいかんぜよ!」映画『鬼龍院花子の生涯』で花子が発した名台詞「なめたらいかんぜよ!」から。 だまって俺について来い 小牟「黙ってわしらについて来い!」植木等の楽曲『だまって俺について来い』から。 逆転裁判3 ナルホド「ヘンにウラオモテがあるよりは、よっぽどいいよ。……大抵、タイヘンな目に遭わされるから」『逆転裁判3』の黒幕的存在・美柳ちなみは初登場時は物腰が柔らかなお嬢様だったが、1章終盤には本性を現しナルホドを罵倒し、罪が完全に暴かれた時には、ナルホド曰く悪魔のような形相で千尋を睨みつけていた。 鏡の国のアリス 小牟「鏡でワープというのは、古来より伝わる由緒正しい方法じゃ」『不思議の国のアリス』の続編『鏡の国のアリス』では、アリスは鏡を通り抜けて異世界に迷い込む。 勇者ライディーン 小牟「フェード……フェード……フェード……んんんん!」主人公のひびき洸がライディーンに乗り込む時のかけ声「フェードイン」から。 第13話 ワルキューレの再臨 ワルキューレシリーズ 小牟「相変わらず栄光ある伝説の冒険をしちょるようじゃな」全てワルキューレシリーズのタイトル。「ワルキューレの栄光」「ワルキューレの伝説」「ワルキューレの冒険」。 ちなみに栄光→伝説→冒険の順に古くなっていく。 マーベルランド ナルホド「マーベル……ランド? 遊園地みたいだけど、異世界の名前ですか?」『マーベルランド』はナムコが発売したアーケードゲームで、コニーランドにある大遊園地・マーベルランドを支配した魔王モウルを倒し、プリンセス・ルクシーと3人の守護妖精を救い出すため、ドラゴン族の王子パコが冒険する横スクロールアクションゲーム。ワルキューレシリーズのマーベルランドとは関係ない。 32話の舞台になる。 NAMCO×CAPCOM ワルキューレ「キャプテンさんに、飛竜さん! そうですね、長いことお会いしていなかった気がします」ワルキューレとキャプテンコマンドー及び飛竜はナムカプ以来10年ぶりの共演。 ターミネーター シース「では、シーユー! アイルビーバック!」映画『ターミネーター』でおなじみの台詞「I`ll be back」から。 [部分編集] 第14話 運命の共振 End of Eternity ステージタイトル「運命」は、原作での各キャラのキャッチコピーがゼファーが「運命に抗う少年」、リーンベルが「運命を克服する女」、ヴァシュロン「運命を受け入れた男」から。 「共振」は英語で「レゾナンス」で、3人が無敵状態となって敵に攻撃する状態で移動しながら同時に攻撃する「レゾナンス・アタック」から。 また、日本国外でのタイトル名が『Resonance of Fate』で和訳すると「運命の共振」となる。 リーンベル「でも……ここはキレイ。星空みたいだよね。クォーツの鉱山を思い出すな……」「クォーツ」とは、一般に「天頂の星」と呼ばれている青白い宝石。「クォーツの鉱山」とは、チャプター7「星の鉱脈」にて、チームヴァシュロンの3人が依頼の為向かった「第24番鉱脈」のこと。 ヴァシュロン「だがしかし! 新たなグレネードたちに対しては、真剣に向き合わざるを得ない!」原作でカーディナル・バーバレラとの会話の一節で、バーバレラの豊満な胸を「グレネード」と評したことから。 ポケットファイター 小牟「結構、器用に戦っちょったじゃろ? フラッシュコンボ的なこととか」カプコンのクロスオーバー格ゲー『ポケットファイター』のシステム「フラッシュコンボ」は立ちパンチから、パンチかキックを押していくことで発生するチェーンコンボのようなもので、ほとんどのキャラクターがカプコン歴代キャラの衣装やオリジナル衣装に着替えていくところが最大のポイント。 ナムカプでシルフィーの必殺技がこれだった。(こちらはカプコンの(ややマイナー寄りの)アケゲー女性キャラにコスプレして連続攻撃を叩き込む) スーパーマリオブラザーズ3 小牟「バグ空間を無理ヤリ進んだら、急にエンディングになったりしかねんのう」『スーパーマリオブラザーズ3』にて、近年発見された新技の「エンディング強制呼び出しバグ」から。 内容は、乱数を調整するためにザコを倒したりファイアーボールを出す「謎の儀式」を行った後、亜空間から土管に入ると突如エンディング画面にワープするというもの。 ロストワールド 小牟「今度会ったら、服を引っぺがしちゃる!」『ロストワールド』では、シルフィーの服はクリア時に200万点ものボーナスがもらえるアイテム。ナムカプでも装備品として登場。凄まじく高性能だが、値段も目玉が飛び出そうなほど高い。 今作でももちろん買える。 戦国魔神ゴーショーグン 小牟「なんちゅうことじゃ。時の異邦人が増えただけとはのう」TVアニメ『戦国魔神ゴーショーグン』の劇場版『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人(エトランゼ)』から。 35話でも同様のネタを使っている。 Sega R-360 涼「360°回る奴がすごいんだぜ?」1990年11月に発表された、セガの体感型ゲーム筐体で、x軸とz軸方向に360度の回転機構を持つ。筐体価格はなんと1600万円。 [部分編集] 第15話 星の剣闘士 スターグラディエイターシリーズ ステージタイトル『スターグラディエイター』を和訳したもの。 同人用語 小牟「確かに……またコポォ、としたぞ!」「コポォ」とは、コミュ障のオタクが口走りそうなことを揶揄した擬音語。 擬音としてはもう一つあるが、成年向けな内容になってしまうので各々で調べてほしい。 スーパーロボット大戦IMPACT 小牟「うむ、ひとつひとつ潰していくしかない!」『スーパーロボット大戦IMPACT』を象徴する台詞「一つ一つ潰していくしかない」から。 前作の掛け合いでもこのネタがあった。 [部分編集] 第16話 追撃!特殊部隊ブラッド ゴッドイーター2 ステージタイトル「ブラッド」は主人公が所属する特殊部隊の名前。シエルやナナもここに所属。 ナナ「ふざけてないよー。ゴッドイーターなんて、大体こんなんだよ?」『2』に限らず、シリーズにおけるゴッドイーターの衣装は、布切れと言っても過言ではないような露出度の多い衣装の者が多い。シエルのような普通の服はむしろ珍しい部類。 ナナ「ん~、じゃあ、とりあえず……お近づきの印にコレを!」ナナの好物はおでんパンで他の人にも積極的に勧めて来る。 シエル「アラガミの中に感応種がいます。……それが呼び寄せているのでしょう」「感応種」とは『2』から登場した新種のアラガミで、周囲のオラクルの流れを支配し、アラガミを統率、強化する能力を持つ。神機の制御を奪い従来のゴッドイーターを無力化するため、ブラッドや偏食因子の異なるソーマ以外には一切対処できない。 ナナ「あ、そうそう。アバドンって飛んでるアラガミ、結構レアなんだよー!できたら、逃げられる前に対峙しちゃって!」「アバドン」とは、神機の捕喰形態(プレデターフォーム)がミニチュア化したような容姿の非常に小さなアラガミ。ミッション中に突如出現し、その時は必ず主人公の近くに地面から現れる。攻撃手段は持たず、主人公から逃げるように浮遊しながら動き、しばらくするといなくなる。不明な部分が多く、分かっているのは「きまぐれに出現し、ゴッドイーターの元から高速で逃げ続ける」ことと「捕食によりチケット(素材と交換できる切符)を入手できる」ことのみ。 本作では倒せばレアイテムを入手できる。 武田久美子 小牟「わしも貝殻の水着をさっそうと着こなしてじゃな……」今もなお彼女の象徴として語り継がれる貝殻の水着のグラビアから。 アイドル水泳大会 うらら「女だらけの水泳大会、ハゲシク開催中止のピンチのようです!」さまざまな芸能人たちが、水着姿で水泳や発泡スチロールなど浮遊物を舞台としたさまざまな競技に挑む番組。 逆転裁判3 マヨイ「氷が張ってるし、霊媒師の修行になっちゃうよ……。しかもスペシャル・コース」綾里家の分家である毘忌尼が管理する霊行道(霊力を引き出す修行)場・葉桜院では、霊媒師の修行としてキンキンに冷え切った宝水を浴びながら霊氷の上に座って呪詞を3万回唱える修行「スペシャル・コース」があるが、マニアックで生死にも関わるキツさのため、20歳以上の同伴が必要。 ちなみに、その更に上を行くマボロシの「ウルトラ・コース」が存在するらしい。 .hack//シリーズ 逃げるステハニーを追う展開.hack初代ゲーム版にて、「金のゴブリン」のステハニーと戦えるイベント。原作では「金のゴブリン」はとても速く、こちらも「快速のタリスマン」などのスピードアップ手段を講じないと追いつけない。 ハセヲ「チッ! バイクがあれば吹っ飛ばしてやるのによ!」『.hack//G.U. vol.2』のミニゲームにバイクがあり、対ゴールドゴブリンズのミッションもある。 デミトリ「ふざけた奴らゴブ……いや、奴らだ」ステハニーとデミトリの声優が同じことからの声優ネタ。前作でもあった。 今回は残念ながら味方側のキャラが減ってしまった。 サモンナイトシリーズ アティ「う~ん、これは食材次第では化けるかも……」『サモンナイト』シリーズでは入手した食材を組み合わせて料理を作成することができ、人間用料理は戦闘中の回復アイテム、召還獣用料理はユニット召還獣の育成に使用できる。レシピはイベントでの入手のほか、料理を行っていくことで新たなレシピを入手できる。 スーパーロボット大戦シリーズ 小牟「多少の無茶は承知の上でイグニッション……」『スーパーロボット大戦MX』の主人公ヒューゴの必殺技使用時のセリフ。 「多少の無茶は承知の上だ!」→「イグニッション!!」から。 [部分編集] 第17話 街頭の闘士たち ストリートファイターシリーズ ステージタイトル『ストリートファイター』を和訳したもの。 ゴッドイーター2 アリサ「……過去の時代から、タバコとお酒を持ち帰るついでに機密も取り返して来い、と」 「あと、昔のアニメーションや特殊撮影技術を使ったドラマのディスクなども……」これらはおそらく雨宮リンドウと、藤木コウタからの依頼と思われる。 快傑ズバット 小牟「仕方ない、わしがズバッと揃えてやるかの」往年の特撮作品「快傑ズバット」。決め台詞は「ズバッと参上、ズバッと解決」とりあえずコウタに見せたら喜ぶかもしれない。 [部分編集] 第18話 摩天楼にドカーン! サクラ大戦シリーズ ステージタイトル『サクラ大戦V』のキャッチフレーズ「摩天楼にバキュ~ン」のアレンジ。 シャドー「ほう……キミたちから、強い踊りエネルギーを感じる」華撃団のメンバーは表の顔として少女・女性歌劇団のメンバーとして歌に芝居にレビューにと活動している。これは、歌舞音曲が悪霊を鎮めるのに有効とされているため。 ジェミニ「髑髏坊(どくろぼう)!? あの時、爆発したはずなのに!」実は、原作においてジェミニと髑髏坊は面識がない。髑髏坊が紐育の街を襲撃し紐育華撃団に撃退された当時、ジェミニはリトルリップ・シアターに所属していたがある事情により紐育華撃団の正式な隊員とは認められておらず、その戦闘には参加していない。 上記の台詞はまるで面識があるかのように聞こえるが、髑髏坊を撃退した新次郎達に話を聞いたか、後にその戦闘の記録を閲覧したか、あるいは原作の設定を本作向けに変更しジェミニと髑髏坊が実際に戦ったことにしたものと思われる。 ファミ通.comのインタビュー記事によると髑髏坊の登場は森住氏の意向によるものが大きいが、原作の設定に忠実なら本作に登場するサクラ大戦のキャラクター全員が髑髏坊との面識がなく、ストーリー進行をスムーズにするためのやむなき処置だったのだろう。 もっとも髑髏坊はコメディーリリーフとしての役割が大きく、味方の誰も知らない(相手にされない)敵キャラクターというのも選択肢にあったかもしれないが。 さくらが連絡を受けた通信機『サクラ大戦3』のシステム「携帯キネマトロン」。通信メッセージを受け取ることが出来る。ドリームキャスト版ではコントローラーに接続したビジュアルメモリの画面にメッセージが表示された。持っているのは実際に初回限定版に付属したもの。 さくら(この車のこと、紅蘭に話したら作ってくれるかも……)帝国華撃団花組のメンバーにしてメカニック・李紅蘭のこと。さまざまな武装などを発明して花組を助けるが、しょっちゅう実験中に爆発を起こす。 無限のフロンティアシリーズ 小牟「よいよい、わし的には踊って進ぜるぞよ?」『無限のフロンティア』シリーズに登場した式鬼一族の姫・錫華姫の口調と口癖。妖気の糸でロボットを踊りながら操る。 Shinobi 小牟「秀真、ぬしの"影の舞"を見せる時が来たようじゃな?」『Shinobi』の発展形であるアーケードゲーム『Shadow Dancer 影の舞』から。 鉄拳シリーズ シャオユウ「クリスティに協力してもらえば、かなりのエネルギーが稼げるかも」『鉄拳4』から登場した女性キャラクター、クリスティ・モンテイロのこと。ダンスのように華麗に舞う武術・カポエイラの使い手。 ヴァンパイアシリーズ モリガン「相手をムリヤリ躍らせたうえで燃やす技なら、知り合いのコが使えるけど?」リリスのEX必殺技「グルーミーパペットショー」のこと。シルクハットを投げつけヒットした相手をお立ち台に立たせ、画面内に出てきたお手本通りにボタンを押すことで相手を強制的に躍らせた後ダメージを与える。どれだけ正確に押せたかで威力が異なる。ちなみに元の技でのエフェクトは燃やすだけでなく電撃と氷結も加わる。 また、リリスはナムカプでモリガンと共演しており仲間入りしてペアユニットを汲むことになるが、この技は使用しない。 覇王の剣 小牟「覇王の剣? なんじゃ、色々とネタが多すぎて何を言おうか迷うくらいの名前じゃな」『覇王の剣』は、Jam Projectの楽曲名に、塀内夏子の漫画の名前、ファイナルファンタジーシリーズやモンスターハンターシリーズに登場する武器名など、いろいろな意味がある。 サモンナイト3 アティ「何かしらの力を持つ剣……?」アティの持つ魔剣「碧の賢帝(シャルトス)」は桁外れの魔力を持つと同時に、忘れられた島の遺跡の中枢に封じられた意識と繋がっており、遺跡を介して強大な力を振るうことができる。 戦国奇譚妖刀伝 小牟「信長は怪物で、真の黒幕は蘭丸っちゅうパターンか。零児、ぬしの妖刀で切り捨てちゃれい!」ビッグ錠(原作)・橋本孤蔵(漫画)の漫画。3人の忍者が妖刀の力を借りて、織田信長とその妖魔一味を倒していくストーリー。だが、黒幕は森蘭丸で、蘭丸の正体は異星からの侵略者だった。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「なるほど、最高に「ハイ!」ってやつじゃな?」ジョジョの奇妙な冒険の登場人物・DIOがザ・ワールドの時間停止で今までの限界だった5秒を超え、8秒を超えた際に発した名台詞「最高に「ハイ!」ってやつだアアアアア」から。 バーチャファイターシリーズ パイ「無理よ! 私と違ってあなたたちには功夫(クンフー)が足りてないみたいだから!」パイの決め台詞「貴方には功夫が足りないわ」のアレンジ。 ちなみに功夫というのは中国武術において重要視される「練習・鍛錬・訓練の蓄積(要するに実力)」のこと ボンバーマン 小牟「ふむ、ボンバーメンはすべて片付いたようじゃな!」PSP用アクションゲーム『ボンバーマン 爆風戦隊ボンバーメ~ン』から。 無敵鋼人 ダイターン3 小牟「ここじゃ! カムヒア、龍亀一號!」『無敵鋼人 ダイターン3』のオープニングテーマ「カムヒア!ダイターン3」から。 龍が如くシリーズ 真島「卓球やビリヤード台、ダーツもあったのォ」『4』や『OTE』では、ミニゲームとしてビリヤードやダーツもある。 [部分編集] 第19話 召喚術の夜 サモンナイトシリーズ ステージタイトル『サモンナイト』を和訳したもの。 アティ「逆召喚で、呼び出された召喚獣たちをはぐれ者たちの島へ送り返します!」召喚術は元々は送還術と呼ばれる、異世界からの侵略者を元の世界に追い返す技術であったが、これを逆利用する事で異世界から使役対象を呼び出し、その力を行使させる技術となった。なお、送還術も術の一部として組み込まれている。 ナムコ 小牟「この車、遊びをクリエイトしすぎじゃ」バンダイナムコエンターテインメントの前身・ナムコの最後のキャッチコピー「遊びをクリエイトするナムコ」から。 サクラ大戦シリーズ 大神「こ、これは体が勝手に……!」プレイヤーの選択によるが大神は『1~3』にかけて、脱衣所に女性の脱いだ服が置いてあるとシャワー室や風呂場を「い、いかん…体が勝手に…」と覗き始めることから。 37話ではヴァシュロンと共に果敢に温泉に突撃したが…結果は言うまでもあるまい。 さくらの台詞で鳴る効果音原作(『1』『2』および『4』の帝都キャラ)において信頼値・愛情値がプラスされた時に鳴る効果音。 28話でのフィオルン、32話の乙姫、37話のうらら、39話のシルフィーなどにも使われている。 ネットスラング 小牟(アカン)心の中で「アカン」「だめだこりゃ」「嫌な予感しかしない」などと思ったときの心境を率直に表現する際に使う。主にプロ野球板で使われることが多い。 加藤茶 シース「見せてあげまショウ! チョットダケヨー?」 小牟「何を見せる気じゃ。……ぬしも好きねぇ」「8時だョ!全員集合」から生まれた加藤茶の持ちネタ「ちょっとだけよ」「あなたも好きねぇ」から。 無限のフロンティアEXCEED シース「"新世界の魔獣"、カモン、ナーウ!」『無限のフロンティアEXCEED』チャプター6のサブタイトル「新世界の魔獣」から。 ここで召喚されたのが小牟であり、それを踏襲したネタ。 零児「百一胎(ひゃくいったい)計画……か」沙夜がエピローグで語った計画。実に5年越しの伏線回収である。 女神転生シリーズ 沙夜「私は妖狐、沙夜。今後ともよろしく、ね」『女神転生』シリーズより、仲魔を召喚した時のセリフのバリエーション。 すったもんだがあったが現在アトラスはセガ傘下なので、セガネタと言えなくもない。 小牟「毎日おいしい牛乳、ゴックゴクじゃぞ!」アトラス発売の『女神転生』シリーズの一つ、セガサターン用RPG『デビルサマナー ソウルハッカーズ』のガインくんの台詞「毎日おいしい牛乳、ゴックゴク。」から。 小牟「わしの忠誠度が下がっても知らんぞ!」『ソウルハッカーズ』では、悪魔ごとに「性格」が設定されている。悪魔には自分が好む傾向の行動があり、それに合うような指示ならば喜んで行動し、意に反するような指示にはボイコットしてしまう。これらの傾向を決定付けるのが性格である。 しかし、「性格」に反した命令をしなければならないときももちろんある。そこで「忠誠度」の出番となる。高ければ性格にそぐわない指示でも従ってくれるようになる。忠誠度は全5段階で設定されており、3段階目ではそれなりに従ってくれ、5段階目ではボイコットするのは稀になるうえ、戦闘時の能力が上昇したり特殊なアイテムに変化したりといった恩恵がある。忠誠度は戦闘か贈答品で上げられる。 ヴァンパイアシリーズ 桐生「この娘……。テレビで見たことあるな。たしか、孤児院「ねこのこはうす」の……」フェリシアは『セイヴァー』のエンディングで育ての親のシスター・ローズのように今度は自分が幸せをみんなに分け与え、かつての自分のような立場の子供を幸せにしようと孤児院「ねこのこはうす」を創設し、シスターとなっている。 フェリシア「……って、もっと有名なのあるから! ミュージカル『この世は私のもの』とか!」『ハンター』までのエンディングではミュージカルに出演する夢を叶え、デビュー作『この世は私のもの』で一役脚光を浴び、ミュージカルスターへの道を歩み出す。 ポケットファイター 涼「え? あれって……映画『ドラゴンvs猫又』のフェリシアじゃないのか?」 フェリシア「それはケンに騙されて出た映画デビュー作!」映画デビューをしたかったフェリシアはストーリーモードのEDで、ケンの紹介で香港のアクションスター・フェイロンを訪ねた結果「Cat Dragon(邦題:ドラゴンvs猫又)」」というアクション映画に主演した。(本人は恋愛映画に出たかったのだが、ケンの勘違いの結果、こうなった) NAMCO×CAPCOM フェリシア「バトルミュージカルの野外公演、いってみよう!」ナムコクロス本編にて、ワンダーモモの主人公で同業者である神田桃と共演予定であった公演のキャッチが「バトルミュージカル」。そして敵に襲われてベラボーマンに劇場街へ連れ出され、変身能力を授かって本当にワンダーモモに変身をした桃を見て「やろうよバトルミュージカル、今、ここで!」と大喜びで叫んだ。 田村ゆかりのいたずら黒うさぎ ジューン「ちょっと、そこの黒ウサギ! イタズラはほどほどにしなさい!」声優・田村ゆかりを代表するラジオ番組『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』から。ジューンの声優は田村ゆかり。前作でもあったネタ。 なお、このラジオ番組は2016年3月末の放送をもって終了することが発表された。 頭脳戦艦ガル 小牟「あちこち3週か4周して、100個のパーツを集めると、ラスボスに会えるんじゃったな?」FC用ゲーム『頭脳戦艦ガル』では、30ステージを回って、1ステージにステージに1つだけある100個のエネルギーパーツを集めると、戦艦が完成して、ラスボスに挑戦できる。 この木なんの木 小牟「あの樹はなんの樹なんじゃ! 気になる樹じゃぞ!?」日立製作所のCMでおなじみの曲「この木なんの木」の歌詞「この木何の木 気になる木」から。 ヤッターマン 小牟「あの樹のウラオモテまでひとっ飛び……っちゅうわけにはいかんのかの?」『ヤッターマン』主題歌「ヤッターマンの歌」の歌詞「たからかに地球のウラオモテひとっ飛び」から。 宇宙刑事シャイダー 小牟「ほれほれ、シューティング・フォーメーション!」シャイダーとアニーが暮らす超次元戦闘母艦バビロスの変形の一つ、拳銃形態「シューティング・フォーメーション」から。 PXZ ナルホド「な、なんだろう? とてつもなくイヤなヨカンが……」前作でもリボルバーカノンお披露目直前にバンが「なんや、猛烈にイヤな予感がするのう」と言っていた。ちなみにバンの台詞の元ネタは『魁!!男塾』。 ヴァシュロン「フッ……ビッグマグナムさ、お嬢ちゃんたち」前作でヴァシュロンはリボルバーカノンの大きさを「ビッグマグナムにもほどがある」と評した。 さくら「……その時は、途中で何人か落下してしまったけど」~ ゼファー「全員ケガ一つなかったし、平気だろ」 前作でリボルバーカノンから落下した8人の生還方法 アリサ(鉄拳)→緊急回避モードで飛行 ねねこ→原作で戦闘は基本的に浮遊・飛行状態で行っているため直行 エックス、ゼロ→飛燕脚、空円舞、ホバーで飛行 リュウ、ケン→空中竜巻旋風脚で空を飛び届く ゼファー、リーンベル→原作よりもさらに長い滞空時間の大ジャンプで到着 …前半4人はともかく、後半4人は明らかにおかしいが、気にしてはいけない。 [部分編集] 第20話 運命を変える力 ファイアーエムブレム覚醒 ステージタイトル「運命を変える」は『覚醒』のストーリーのテーマ。 ルキナ「ずいぶん大勢の人たちが……。それも、変わった格好をした方ばかりです。かなり素敵なお洋服の方もいらっしゃいますね、お父様」ルキナの服のセンスは非常におかしく、布一面にエメリナ(クロムの姉)の顔が描かれた服や刺激的なピンク色の服、全体に魚の模様が描かれた服に、極め付きは母親に着せようとした服が紐そのものだったりする。 ボコスカウォーズ 小牟「進めい、者ども! 邪魔な敵を蹴散らすんじゃ! 進め、奥の壁へ!」FCゲーム『ボコスカウォーズ』の主題歌「すすめボコスカ」の歌詞「進め進めものども 邪魔な敵を蹴散らせ 目指せ敵の城へ」から。 サクラ大戦シリーズ さくら「邪悪な気配が強くなってきてます」さくらをはじめ真宮寺家は「破邪の血」と言う異能を持っており、降魔等の邪悪な怪人の気配を察知し、退治できる。 シゾー「まさか自分の目で見られるとは思わなかったオーク巨樹……」シゾーは前作でもオーク巨樹について言及しているが、原作ではオーク巨樹の復活にはシゾーを含めたパリシィ怪人の死した魂が必要だった。そのため、その存在を感じ取ることはできても自身の目で直接見ることは叶わなかった。 End of Eternity ???(ヴァシュロン)「ビクトー、会いに行ってやるぜ……」ビクトーは、カーディナル・テレサの夫にして、一隊を率いる軍人でヴァシュロンの師と言える人物。数年前、友人であるアントリオンの依頼で調査隊を引き連れ、ルキアにて聖刻の探索を行っていたところ、怪物と遭遇。ヴァシュロンと共に逃れるも、負傷が原因で死亡した。しかし、彼の技術と信念はしっかりとヴァシュロンに受け継がれ、やがてはアントリオンを打ち負かすほどにまで成長させた。 スーパーロボット大戦OGシリーズ 亜片那「ワオ! おフロ入りたいノネ~!」「わお」はエクセレン・ブロウニングの口癖。中の人ネタ。 のぼらんか 小牟「飛んで木にいる夏のウシ! 姫を助けにのぼらんか!」コアランドが開発、データイーストが発売した縦STG『のぼらんか』から。ゲームの内容は、大きな木の下でのデート中に、ワルサー大王に木のてっぺんまで連れ去られた「プリン姫」を救い出すため、てんとう虫の格好をした「ニュートン・J」が助けに向かう、というもの。 龍が如く2 小牟「カズちゃん、わしはまだまだ若いっちゅうの!」桐生のことを「カズちゃん」と呼ぶのはシロ婆こと白蓮師の呼び方から。サブストーリーをこなしてゆくと、下A技の「蓮家閃気掌」を伝授してくれる。ちなみに小牟は老齢のシロ婆より確実に年上。 [部分編集] 第21話 セガサターン、シロ! せがた三四郎 ステージタイトルせがたの決め台詞兼テーマソング「セガサターン、シロ!」から。これは“セガサターンで遊べ”という意味のほかに、“セガサターンの色が変わって白になったぞ”という意味も含んでいる。CDも販売され、10万枚近いヒットとなった。 ???(せがた)「若者よ、真剣に取り組んでいるものがあるか!」テーマソング「セガサターン、シロ!」の歌詞から。 ユーリ「で、山にこもって修行してたら、いつの間にかこの木の上にいたって?」 せがた「いかにも! 木の幹にサターンをくくり付け、打ち込みをしていたのだ」巨大なセガサターンを背負って山の中で修行し、ボタンを連打したり、本体を木に固定してコントローラのコードを使って背負い投げの打ち込みをしたりするCM「今年は凄いゾッ!」から。ちなみに藤岡氏はこれで本当に指を骨折した。 ユーリ「悪いが、これは遊びじゃないんでね、せがたのおっさん」 せがた「遊びではない……? ユーリ君、もう一度言ってみろッ!」テーマソング「セガサターン、シロ!」の歌詞「遊びの道に魂込めた」からもわかるようにせがたは遊びに魂をかける男であり、ユーリの「遊びじゃない」発言は彼の地雷を踏み抜いてしまった。 せがた「真面目に遊ばぬ若者たちよ……! 体で覚えさせるしかないようだ! 許せ……ッ!」テーマソング「セガサターン、シロ!」の歌詞「真面目に遊ばぬ奴らには 体で覚えさせるぞ」から。 24話でも、ガリジャーノンの所へ向かう際にこのフレーズを使っている。 せがた「まだだっ! 俺の指が折れるまで! 君の剣が折れるまで!」テーマソング「セガサターン、シロ!」の歌詞「指が折れるまで!」から。 せがた「そうか、若者よ……命がけで打ちこんでいるものがあるか……」テーマソング「セガサターン、シロ!」の歌詞「命懸けで打ち込んでいるものがあるか!」から。 さくらとせがたの触れ合い『サクラ大戦2』の宣伝で、桜舞い散る中、真宮寺さくらとキャッキャッウフフするせがた三四郎のCMの再現。セリフも完全再現。 ちなみにこのCMでさくらを演じたのは、中の人である横山智佐女史本人。彼女はシリーズをテーマにした歌謡ショーでもさくらを生身で演じている。 せがた「うろたえるなっ!どんなことにも動じず闘えてこそ、真の格闘家である!」ゲーム『せがた三四郎真剣遊戯』に収録されているミニゲームの1つ『緊急爆裂!かかってこい!』のあらすじにおけるせがたの冒頭のセリフ。 せがた「まだ銃に頼っているのか! 頭を使え!」 ゼファー「それ、頭突きだろ? ダセーっての」『ソロ・クライシス』のCMで頭突きで瓦を割る「脳天瓦割り」を行ったことから。 37話や41話で魔法陣を囲む作戦の際に使っている。 せがた「見せてやる、俺の人命救助!」『バーニングレンジャー』のCMで、火事の現場で取り残されている姉妹のもとに燃えるドアを蹴破って現れ、気を失っている姉に人工呼吸を施し、「人命救助!」と言ったことから。 ユーリとフレンを狙い通りの場所に投げ飛ばした後、せがた「名、監、督……!」CM『日本代表チームの監督になろう! 世界初、サッカーRPG』にて、コーナーキックでボールが蹴られた瞬間、監督せがた三四郎(メガネ装備)は「選手、交代!」の声と共に隣にいた選手を投げ飛ばす。 弾丸のごとく飛んで行った選手の頭にボールが当たり、ヘディングシュートとなってゴール。それを見たせがたが「名監督…」とつぶやいたことから。言うまでもないが、実際のサッカーの試合では審判に交代を申告しなければならないので、「交代した選手のゴール」とは認められない。 42話でも「攻めと守りのバランスが重要! 名監督となって、見極めるのだっ!」同様のネタを使っていた。 せがた「むう! スチーム度、満点!」『バッケンローダー』のCMでのせがたの台詞「スチーム度、満点!」から。 24話では女神像を見て「芸術度、満点ッ!」、32話ではシース、蘭丸、シゾーと揃った毒ウサギを見て「ウサギ度、満点ッ!」と言っている。 無限のフロンティアシリーズ 小牟「なんとなく見たことあるような樹じゃが、初めての場所のようじゃな」『無限のフロンティア』シリーズに登場する国である神楽天原も、巨大な桜・不死桜の周囲に街が作られている。 サクラ大戦シリーズ 大神「思わず、花見の準備をしたくなるよ」原作において、出撃命令を出す際の選択肢「花見の準備をせよ!」から。初めてこの選択肢が出る所では上野公園を防衛するために出撃するため、さくらが「勝った後に上野公園で花見をする」と解釈していた。 が、それ以降の作品でも定番としてこの選択肢が出てくるようになった。 ドラゴンクエストシリーズほか カイト「酒場で仲間を雇う……というのは定番だけど、やっぱりワクワクするなあ」『ドラゴンクエスト』シリーズの「ルイーダの酒場」をはじめ、主にローグライクゲームで酒場でメンバーを仲間にする展開は定番。 PXZ ユーリ「あいつ、時々一人でふらふらと牛乳だの何だの買いに出たりしてるらしいしな」前作でエステルは『無限のフロンティア』シリーズの楠舞神夜の胸をはじめとしたグラマラスなスタイルにショックを受けており、その秘訣としては本人曰く「牛乳を飲むといい」と聞いたため、エンディングで楠舞印の牛乳を購入したことから。 せがたの自己紹介を復唱するフレン前作でもフレンは『サイバーボッツ』のデビロットの長ったらしい自己紹介を暗唱していた。 ユーリ「ったく、どうしてオレはこう、おかしなおっさんと縁(えん)があんだろうな」前作では不死桜に飛ばされた際に『スーパーロボット大戦OG』のゼンガーと出会い、その濃いキャラに苦労していた。 戦うのも前作同様だが、ゼンガーはある程度HPを減らせば良かったのに比べ、せがたは倒す必要がある。 キン肉マン 小牟「言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信じゃ」『キン肉マン』を代表するセリフ「屁のツッパリはいらんですよ」に対するリアクション。 テイルズオブヴェスペリア ユーリ「ちっ、この街の結界魔導器(シルトブラスティア)はなにやってやがんだ!」結界魔導器とは、テルカ・リュミレースでの機械にあたる魔導器の一種。これが発動すると結界が張られ、魔物が近づけなくなる。そのため、大きな街は結界魔導器の中にあるのがほとんど。 ハルルの街の結界魔導器は、町の中心にある大木「ハルルの樹」と一体化している。 ユーリ「前にもこんなエステルと戦ったことがある。ちっ、嫌なこと思い出させてくれるぜ、ったく」原作ではエステルはその身に宿す「満月の子」の力を当時の騎士団長アレクセイに狙われて操られ、ユーリ達と剣を交える事態になったことがある。しかもかなり強く、多くのプレイヤーが回復役を敵に回した際の恐ろしさを身をもって知ったのであった。 ユーリ(ありがとよ、デューク。あとは、てめえで何とかするぜ)「デューク」とはTOVのラスボス、デューク・バンタレイの事。エアルを制御することができる剣「宙の戒典」を持ち世界各地を放浪しながらエアルを鎮めている。 10年前の人魔戦争を戦い抜いた英雄であり、当時の始祖の隷長の盟主であるエルシフルとは親友同士だった。しかし、エルシフルが帝国の裏切りにあって死んだ事で人間に対して絶望し、その後は始祖の隷長側に身を寄せる。始祖の隷長と歩み寄りながら世界を救済しようとするユーリ達に一時は協力するが、星喰みが再び世界を覆い始めたことで過ちを繰り返す人間に再び失望。古代塔市タルカロンを復活させて、全ての人間の命を犠牲にして星喰みを討つべくユーリ達と対立するも敗れ、ユーリ達に協力して星喰みを倒した。 バーチャファイター せがた「格闘家の諸君、再びセガサターンに戻るべき時が来たのではないか!」現在はPS3などで発売されているバーチャファイターだが、初代はセガサターンのローンチタイトル(ハードと同時発売されるタイトル)である。一時はサターンはプレイステーションをライバルと見定めしのぎを削り合っていたのである意味きわどいネタである。 [部分編集] 第22話 心に巣喰う鬼 ロックマンXシリーズ ステージタイトル岩本版の漫画『ロックマンX』では悪の心やイレギュラーを「鬼」と比喩している。 テイルズオブヴェスペリア アクセル「エレベーターが生きていてよかったな。階段で上がれと言われたら面倒だったぜ」原作では、昇降魔導器と呼ばれるエレベーターのようなものがあり、タルカロン最上階にあるそれを起動していれば、このフロアや他の階層と行き来できた。親切なショートカット。『PXZ』でもエレベーターを利用していた。 ベガ「その女からは「気」やサイコパワーとも異なる力を感じる」テルカ・リュミレースを統治する帝国の皇族は、「満月の子」の末裔。「満月の子」とは、極めて優れたエアル操作能力があり、魔導器がなくとも術が使える能力を持つ人々の総称で、現在では血が薄まり、微々たるものになっているが能力はしっかり受け継がれている。しかし、エステルは隔世遺伝により、原初の満月の子と遜色ないほどの力を持っている。 ザギの登場の仕方ザギが登場したのは、原作でユーリ達と最後の戦いをした際に、敗れて奈落の底に落ちて行った場所。 NAMCO×CAPCOM イングリッド「想像するだけでゾッとするのう。年寄りに無理させるでないわ」ナムカプでドルアーガの塔を登った時に小牟が同じようなことを言っていた。ちなみに前作でタルカロンに突入した際も同じ事を言っている。 バーチャファイターシリーズ ベガ「それに、女ならば"素体"にも利用できる……まったく無駄がない」デュラルには、影丸の母・月影の体が素体として使われている。 ゴッドイーター アリサ「ハ、ハイレグなんて……ドン引きです!」「ドン引きです」は『1』時代のアリサの口癖。『2』では言わなくなっている。 サクラ大戦シリーズ さくら「空中戦艦ということは……まさか、ミカサのような大型艦が?」「ミカサ」とは、帝国華撃団が最終決戦時に運用する超巨大空中戦艦。正式名称は「超弩級空中戦艦 ミカサ」。全長8047.882m。全高4121.824m。全幅2907.166m。帝都(銀座~浅草)の地下に格納されているが、発進時にはその巨体故に周辺市街地に天文学的被害が発生する。艦長は米田一基。操縦、火器及び機関管制は風組が担当する。なおブリッジは、帝国華撃団の本拠地・大帝国劇場が変形したもの。 『1』での聖魔城決戦後に艦首部分以外が回収され、二型改装仕様に改装、全長も8888mに伸びた。 ストリートファイターシリーズ 小牟「若い娘ばかりを集めた戦闘集団じゃ。…モリガンばりのハイレグがユニフォームの」どんなユニフォームかは『ストリートファイター』のキャミィを想像して頂ければいい。 ゼノブレイド フィオルン「これは穏やかじゃないわね……」『ゼノブレイド』では街に点在している「困っている人」の悩みを聞いてあげるとクエストが発生する。その際にシュルクをパーティの先頭にしていた場合に発せられる定型句「穏やかじゃないですね」から。ゼノブレイドを代表する台詞として知名度は高い。 28話や39話でも使っている。 せがた三四郎 せがた「それはサンタクロースではない! そこにいる……人の道を外れた男だ!」クリスマス限定のCMで、せがたはサンタクロースに扮して、子供達に無理やりセガサターンをプレゼントした。 デスクリムゾン 小牟「そうじゃ! 下から来るぞ! 気をつけい!」セガサターンの伝説のクソゲー『デスクリムゾン』の象徴たる迷台詞の一つ「上から来るぞ、気を付けろ!」から。 ロストワールド シルフィー「私の敵は、商売の邪魔になるものと、天帝バイオスくらいでございますので」「天帝バイオス」は、カプコンのSTG『ロストワールド』のラスボス。創造主にして最強の戦士。経歴は一切不明となっており、自らを天帝と名乗り、8邪悪神を生み出し暴力という新しい秩序で宇宙を征服せんとしたが、名無しの超戦士1P・2Pに敗れる。 セガサターン せがた「名物……? もしや、限定版パワーメモリー……!」「パワーメモリー」とは、セガサターンにおいて、ゲームのデータセーブエリアを増やす外付けフラッシュメモリカートリッジ。本体内蔵メモリーの16倍以上の容量を持つ。 ソフト添付の限定版パワーメモリーにはパールピンクや緑のもの、『サクラ大戦』バージョンなどがある。 第23話 天空のナイトシェイド NAMCO×CAPCOM 飛竜「……方法はある」ナムカプ40話で、空中戦艦バルログから脱出し、飛行竜に飛び移る際に、この台詞と共に飛竜はカタパルトの使用を提案し、真っ先に飛んだ。そこからの一連の流れもナムカプと一緒。 平八「ふん、面白いではないか」 フェリシア「あ~、これか~……」 ワルキューレ「はい、仕方ありませんね……」 リュウ「まあ、俺たちには空中竜巻旋風脚があるからな」 デミトリ「ガタガタ言わず、さっさと飛べ」 小牟「小牟、トんじゃう!」 仁「……一度やれば慣れる」 零児「方法がこれしかないなら、またやるしかない。覚悟を決めるぞ……!」ナムカプで生身カタパルトをやったみなさん。他にはケンや春麗、モリガンにKOS-MOS、キャプテンコマンドーが経験済。ただし、上記のキャラ中、ナムカプ本編で実際に飛ぶ様子が描写されたのは平八とフェリシアのみ。(*2) 平八、零児と小牟の台詞は零児の台詞に「また」が追加されている以外はナムカプと同じ。 サイボーグ009 エックス「緊急・加速装置っ!」 零児「緊急!加速装置ッ!」『サイボーグ009』で、エックスと零児の中の人が主人公の島村ジョーを演じたことからの声優ネタ(零児の中の人は新昭和版、エックスは平成版)。 島村ジョーの特殊能力「加速装置」は、音速を超えるスピードで行動できるというもので、発動中は敵の行動がスローモーションになる。多段式により加速度は可変で、最大加速マッハ3(昭和版)または5(平成版)で行動できる。加速度を使い分けて敵を翻弄することも可能。 サクラ大戦シリーズ ジェミニ「あ、見えた! ほんとに戦艦だ! 武装飛行船エイハブみたい!」「武装飛行船エイハブ」とは『V』で登場する、紐育華撃団が所有する大型飛行船。全高150m(武装の高さを除く)。乾燥重量119.3t。積載重量69.5t。巡航速度65ノット。外観は星条旗をモチーフとしている。発進は、リトルリップ・シアターの地下から伸びてくる「スリングカタパルト」から。戦闘時は司令自ら乗り込み、実質的な作戦本部となる。 ふしぎの海のナディア 小牟「恐らくは神秘の科学と、無限のエネルギーじゃ」『ふしぎの海のナディア』の挿入歌「我らの万能戦艦N -ノーチラス号-」の歌詞から。 リミッター解除 小牟「おおう、みんな大好きリミッター解除!」「リミッター解除」というフレーズは『遊戯王TCG』や『蒼き流星SPTレイズナー』、『アーマード・コア』シリーズなど、さまざまなゲームやアニメ等で使われている。 ゴッドイーター アリサ「神機、解放! ……みたいなことを言えばいいってことでしょうか?」「神機解放(バーストモード)」とは、捕喰に成功し、生きたアラガミの力を取り込んだゴッドイーターが、一時的に身体強化された形態。移動速度・攻撃力・攻撃速度が上昇し、空中での2段ジャンプが可能となり、オラクルやスタミナの消費量が減少する。発動中は神機から黒いオーラが噴き上がる。捕喰を繰り返せば制限時間延長が可能。 せがた三四郎 せがた「片っ端から放り投げて、中に入るのだ!」初期のCMにて、せがたがゲーム以外で遊ぼうとする若者の前に現れ、投げ飛ばしてKOした上でセガサターンを押し付けて去っていったことから。 ファイアーエムブレム覚醒 クロム「ああ、まるで竜の背の上で戦っているようだ。落ち着かん」『覚醒』の最終決戦は、ラスボスである邪竜ギムレーの背中の上で行われる。 大空魔竜ガイキング 小牟「ぬしの龍亀が、ぬしの車両が狙われてるぞ!」『大空魔竜ガイキング』の主題歌「大空魔竜ガイキング」の歌い出し。 Wizardry 小牟「また忍者!? 少しはバランス考えんか! どんだけクリティカルヒット狙いじゃ!」『Wizardry』シリーズの職業の一つ「忍者」は特殊能力としてクリティカルヒット能力を持つ。「クリティカルヒット」は、ゲーム中では「首をはねた」と表現され、要するに一撃で相手を死に至らしめる。 クラックダウン せがたが用意した爆弾セガのアクションゲーム『クラックダウン』で使われる爆弾がコレ。前作でも使用された。 10%の雨予報 小牟「みゆき! ぬしはわしらの天使じゃ!」あだち充原作『みゆき』の主題歌「10%の雨予報」の歌詞「Everyday you are my angel」から。なお、CD版と主題歌版では歌詞が異なり、「Everyday」が「みゆき」に変わっている。 メタルギアシリーズ シース「ワーオ! ビッグボスじゃあーりまセンか!」「ビッグ・ボス」とは『メタルギア』シリーズの登場人物にして主人公の一人。元FOXHOUND総司令官であり、国境なき軍隊 (Militaires Sans Frontières)、ダイヤモンド・ドッグズ、および独立武装要塞国家アウターヘブン、ザンジバーランドの首領。本名はジョン、ファミリーネームは不明。 チャーリー浜 上記のシースの台詞の「あーりまセンカ」は彼の持ちネタの一つ「~じゃあーりませんか」から。 オーダイン みゆき「毎度ありがとうございます! ご一緒に水中モーターもいかがですか?」「水中モーター」は、ナムコのSTG『オーダイン』に登場するアイテムで、自機が水中に入ってもスピードが落ちなくなる。 [部分編集] 第24話 危険な美の妖精たち End of Eternity ステージ地形カーディナル・ガリジャーノンが所有するアトリエの一部を再現したもの。ステージ上や戦闘背景で存在感を放つ女神像もガリジャーノン作。曰く『慈愛の女神』。各キャラが指摘したとおり、リーンベルがモデル(胸は本人より少し盛っている)。 本作ではさらに、純金・純銀の女神像が登場し、額縁を持ったガニ股の像が3連チャンで出てくる様はプレイヤーの腹筋を崩壊させる。 ヴァシュロン「おまえはあのカーディナルのお気に入りだからな。人選も任せた!」リーンベルがガリジャーノンに気に入られたのは、ガリジャーノンからの依頼を商機と捉えて彼と美で勝負しようとしたヴァシュロンがリーンベルの顔にある事をしたのがきっかけ。ムービーを見れば爆笑間違いなし。 ガリジャーノン「なんじゃこりゃあ……なんじゃこりゃあ……なんじゃこりゃあ……なんじゃこりゃあ……」原作でリーンベルの姿を見てその『美』に衝撃を受けた際の台詞と同じ。以降のセリフも(リーンベル自身に言及した部分を除けば)フルボイスでほぼ完全再現。むしろバリエーションが増えている。 銀と金 小牟「古来より、銀と金は手元に置け、抱いて眠れっちゅうじゃろが!」『賭博黙示録カイジ』でおなじみ福本伸行の漫画『銀と金』の名台詞「金は手元に置け、抱いて眠れ」から。 逆転裁判シリーズ ナルホド「これは……探偵するチャンスじゃないかな?」『逆転裁判』シリーズでは、1つの話が「探偵パート」と「法廷パート」に分かれており、探偵パートで被告の無実と真犯人につながる証拠を集め、法廷パートでそれらと法廷での証言をもとに真犯人を追い詰めるのが大まかな流れ。 デラべっぴん 小牟「デラ、すっぴん!」グラビア誌「デラべっぴん」から。 無限のフロンティアEXCEED 小牟「アレを基準にすると、いろんな妖精がド怒りするぞ」『無限のフロンティアEXCEED』のヒロインで、妖精族の国「エルフェテイル」の姫であるネージュは、強調したい語の頭に「ド」を付けるという口癖がある。 バーチャファイターシリーズ パイ「今度は金のデュラルなんか出されたら、たまらないわ」『PXZ』シリーズのデュラルは銀およびメッキだが、バーチャファイターシリーズでは金のデュラルも登場している。アニメ版のラスボスはこの金のデュラルだった。 ニニンがシノブ伝 小牟「あのマッハボーイがー! 逢魔の好きにやらせたら、この世界も危ないんじゃぞ!」「マッハボーイ」とは、漫画『ニニンがシノブ伝』のキャラクター・音速丸の事で、主人公・シノブに仕える鷹ということになっているが、顔のある直径30センチほどの黄色い球体に手足と翼がついているという正体不明の怪生物。アニメではガリジャーノンの中の人(若本規夫)が演じていることからの声優ネタ。 特捜ロボジャンパーソン 小牟「ぬしは誰じゃ? どこから来て、そしてどこへ行くんじゃ?」特撮番組『特捜ロボジャンパーソン』の主題歌の歌詞「君は誰だどこから来て そしてどこへ」から。 イタダキマン シース「あとは……その金の像もイタダキマンボゥ!」アニメ『イタダキマン』の主題歌「いただきマンボ」から。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「こう見えて近距離パワー型のKOS-MOSなんかもいるから大丈夫じゃろ」『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するスタンドの分類の一つが「近距離パワー型」。 せがた三四郎 せがた「すばらしい素材をありがとう……!リーンベルくん……!」『プロ野球チームもつくろう!』のCMでゲームの監修を手掛けた野茂英雄投手の写真を前に、涙を流しながら述べた感謝の言葉「素晴らしいゲームをありがとう……野茂君!」から。 29話でも「すばらしい技をありがとうッ! リュウくんッ!」と言っている。 [部分編集] 第25話 クリスマス End of Eternity 箱詰めにしたプレゼント原作では、トナカイ衣装のゼファーとヴァシュロンに、ミニスカサンタ衣装のリーンベルの三人で、カーディナル・テレサの依頼で、スクエア・ガーデンで子供達にクリスマスプレゼントの箱を配る仕事を行う。戦闘同様のスタイリッシュアクションで。箱を拾う際のエフェクトは子供達がプレゼントを受け取った時のもの。 ゼファーとヴァシュロンのトナカイの着ぐるみ原作において衣装の一つとして用意され、これを着てストーリーを進めることもできる。ムービーでも変更されたままのため、場合によっては腹筋崩壊する。 PXZ エステル「あっ、沙夜さん……! 今は敵……なんですよね……」『PXZ』では沙夜はある事情から敵対ののち、ソロユニットとして味方になった。 逆転裁判シリーズ ナルホドが沙夜を問い詰めるシーン『逆転裁判』シリーズの裁判パートの流れを、法廷こそないものの立ち絵含めて再現。 沙夜「あ、あ……。い……いやあああああああああああああああああああああああああっ!」『逆転裁判』シリーズにおいて、真犯人が完全に詰みとなった時、このように断末魔を発する。 31話でも黄金の種を盗んだシャドーが追い詰められて「ぬ……ぬう……う……ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」と断末魔を発する。 無限のフロンティア モリガン「そうよ。モンローウォークで教会に入って行ったわ」『無限のフロンティア』でも沙夜がモンローウォークで去る描写がある。普段はそういう歩き方なのかもしれない。 大本を辿ればナムカプ36話において、ソウルエッジを前にしてあっさり撤退した沙夜に対し、その直後にソウルエッジが転移消滅してしまったのを見た小牟が「これを知っててモンローウォークで去るくらいの余裕があったっちゅうわけか」と言うシーンがあるため、恐らくはこれを意識したものと思われる。(言い回しや撤退演出的に実際にしたかは不明) ちなみにモンローウォークとは、名前の通り女優マリリン・モンローが映画で使った大きく腰を振るセクシーな歩き方のこと。 こんなこともあろうかと 小牟「出た! 伝統の、こんなこともあろうかと!」「こんなこともあろうかと」は、科学者が新兵器や新技術を披露する際に使われる定型文。『宇宙戦艦ヤマト』の真田技師長や小惑星探査機「はやぶさ」チームなどが有名。 [部分編集] 第26話 迫り来る、死の恐怖 .hack//シリーズ ステージタイトル「死の恐怖」はハセヲの憑神・スケィス又はそこから転じてハセヲの異名。 ハセヲ「よせ、カイト! ぶっ倒せばいいんだ! そいつは……志乃の……!」「志乃」とは、ギルド「黄昏の旅団」のサブリーダーで、オーヴァン不在時にはマスター代行を務めている。見た目そのままの優しい女性キャラクターだが、芯の強い女性でありハセヲは強く想いを寄せるようになる。 しかしある時、何かに呼ばれて訪れたグリーマ・レーヴ大聖堂でトライエッジによってPKされ、プレイヤー自身も昏睡状態となってしまう。これによりハセヲは深く絶望し、彼女を救うために修羅の道を進む。 黄金戦士ゴールドライタン 小牟「もうメカ次元でも、夢次元でもどこでも行っちゃる!」アニメ『黄金戦士ゴールドライタン』から。内容は、メカ次元から悪のイバルダ大王がこの世界に侵入、侵略行動を開始し、彼らを追って きたメカ次元の戦士・ゴールドライタンは偶然、大海ヒロシと出会う。事情を知ったヒロシ はゴールドライタンに協力し、イバルダが起こした事件に立ち向かっていくというもの。 夢次元ハンターファンドラ 上記の小牟の台詞の「夢次元」は、OVA『夢次元ハンターファンドラ』から。 北斗の拳 小牟「一歩でも踏まれたら、ボン! じゃ!」『北斗の拳』でケンシロウが秘拳「新伏免」をコウを羽交い絞めしていた男にはなった際、「一歩でも踏まれたら、ボン!だ」と宣告したことから。 爆発オチ イングリッド「ここまできて、爆発オチなんてシャレにもならぬわ!」「爆発オチ」とは、物語の内容がカオスとなって収拾がつかなくなった際に爆発で全部ふっ飛ばして無理やりオチに持って行く事。ギャグ作品の場合死者は出ないのがお約束。 日本エレキテル連合 裏嶋「霊的なエネルギーってことでしょ? それ。ダメよダメダメ。爆発しちゃう」日本エレキテル連合の持ちネタ「ダメよ~、ダメダメ」から。 ニンジャスレイヤー 裏嶋「忍者が触っただけでも爆発したわね。きっと」『ニンジャスレイヤー』にて、忍殺語の一つである、忍者が死亡した際に起こる、体内に宿したニンジャソウルのエネルギーが供給先を唐突に失い、暴走した結果の現象「爆発四散」から。 なお、爆発四散するのは首が飛ぶなどで即死した場合であり、絞め殺されるなどの方法で息の根が止まった場合はニンジャソウルが抜けて行くので、爆発四散はしない。 逆転裁判3 裏嶋「結論から言いましょうか。ズヴァリと」『3』第2話登場の星威岳哀牙の口癖が「ズヴァリ」。 NAMCO×CAPCOM 裏嶋「……閉鎖都市・渋谷に異世界の大地が融合するという事件が起きたのね。少し前に」『ナムカプ』最終話「終焉(おわり)の街のアリス」で、渋谷が魔界・幻想界といったあらゆる世界と融合した。 ジル「戦略統合軍から回ってきた資料ね。工作員が一人、現場にいたそうだけど」 春麗「公にはしていないけど、インターポールや中国安全部といった組織も協力していたわ」ジルの言う工作員とは、ナムカプに出演した「BIO HAZARD HEROS NEVER DIE」の主人公ブルース・マッギャヴァンのことで、戦略統合軍は彼が所属している組織。ナムカプの第1話冒頭で、森羅と表立って協力することになったという旨の会話を零児とシャオムウが交わしている。 中国安全部はブルースのパートナー役となる中国人女性キャラ・鳳鈴が所属する中国の国家組織。ちなみに鳳鈴と春麗は中国人つながりで面識があるという設定になっていた。 [部分編集] 第27話 怨念の総和 数学用語 ステージタイトル数式で総和は「Σ」という記号で表される。そしてこのステージにてVAVAがAIDAや蘭丸などの怨念を集めて呼び起こした者は・・・ せがた三四郎 せがた「むっ、なんという頭脳プレイ……!」せがたがCMのイメージキャラクターとなった『ソロ・クライシス』から。CMでは「表裏一体・頭脳ゲーム」として紹介されていた。 サクラ大戦V ジェミニ「蘭丸! 信長はもういないんだ! 信長の魂は、新次郎の……!」『V』のラスボス・織田信長の魂は敗れたのち、新次郎の魂と同化して消滅した。 信長がジェミニ達に敗れた時には既に蘭丸は死亡しており、信長と新次郎の魂が同化したことを知る術はなかった。本作の蘭丸は信長が封印されていた覇王の剣の欠片を集めるなどして信長復活を模索していたが、仮にそれを達成していたとしても、その方法では信長は復活しなかったと思われる。 第28話 燃える心、炎の天使 バーニングレンジャー ステージタイトルセガ発売のアクションゲーム『バーニングレンジャー』の主題歌「Burning Hearts 〜炎のANGEL〜」から。 ちなみにCMはせがたが担当していた。 影丸「闇に影を忘れても……やってくる明日を信じるのみ!」主題歌「Burning Hearts 〜炎のANGEL〜」の歌詞「闇に影忘れても やって来る明日を信じて」から。 ちなみに影丸の中の人が主題歌を歌っている。 「膨張し続けるデータの海泳いで」主題歌「Burning Hearts 〜炎のANGEL〜」の歌詞の1節。この後に上記の「闇に影忘れても やって来る明日を信じて」へと続く。キャラクターの台詞等で直接的な引用はされていないが、第26話がThe World、第27話がサイバースペース、2つの電脳世界を経てからの第28話なので、丁度この歌詞の1節に対応した展開となっている。 単なる偶然と言えなくもないが、後述の第29話がNAMCO×CAPCOMとピタリと対応している辺り、第26話から第28話までの流れも意図的なものと思われる。 スペースチャンネル5 スペースシンフォニー号突入の際の行進『スペースチャンネル5』スペースシンフォニー号突入でも踊りながら突入していた。 また、徒党を組んで列になっての行進は、ラストステージクリア後の大行進演出のアレンジでもある。うらら「銀河の果てまで行進よ!」 Devil May Cry4 ダンテ「おっと、バラを咥えるのを忘れてたぜ」『4』に登場する武器「無尽剣ルシフェル」はバラが付属しており、使用時ダンテはそれを咥える。爆発する剣を無尽蔵に作り出せる装備であり、敵に次々と突き刺したり宙に配置でき、バラを投げるモーションで刃を爆発させることもできる。投げたバラにも命中判定がある。 太極拳 シャオユウ「擺歩(はいほ)とかの方が簡単かも」「擺歩」とは、太極拳の基礎である歩き方の一種で、片足で支え、もう一方の脚を外旋させながら前に向けて踏みだし、踵かを着地させその後爪先を外旋させて足の裏を全面着地する。 アイムジャグラーEX 無限のフロンティアシリーズ 小牟「シエル、ぬしもジャンジャンバリバリいくぞよ~!」「ジャンジャンバリバリ」は、パチスロ『アイムジャグラーEX』で、ボーナス終了後1ゲーム目にBIGが成立すると流れるBIG中のBGM「軍艦マーチ」の事。音楽にのって「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~」「ジャンジャンバリバリ~、ジャンジャンバリバリ~」のセリフがずっと鳴り響く事から。パチンコの出玉の表現にも使われる。 小牟の引用元は「~ぞよ」も含めて、『無限のフロンティア』シリーズに登場したこれまたヘソだし姫こと式鬼一族の姫・錫華姫の口癖。シエルに振った理由は、錫華姫とシエルの中の人が同じため。 NAMCO×CAPCOM 零児「以前の事件で、実際に行ったことがあるしな。その時も……黄金の種は保管されていた」ナムカプでも、『妖怪道中記』の龍宮城に黄金の種が保管されていた。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「燃え尽きるほどヒートじゃ!」 アクセル「俺も心が震えてきたぜ!」ジョジョの奇妙な冒険第一部「ファントムブラッド」作中でのジョナサン・ジョースターの台詞「ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!」から。 アクセルが反応しているのはジョジョの奇妙な冒険第二部「戦闘潮流」の主人公ジョセフ・ジョースターと中の人が同じため。 宝島 小牟「宝島じゃと? ……行くのかの? 夢に見た島へと?」町田よしとの楽曲「宝島」の歌詞「さあ行こう 夢にみた島へと」から。 ファイアーエムブレムシリーズ ルキナ「それとも……そういう兵種のことでしょうか」「兵種」とはドラクエでいう「職業」、FFでいう「ジョブ」にあたるもので、『ファイアーエムブレム』シリーズでは各ユニット(キャラクター)によって兵種が決まっており、アイテムを使って上位の職種にクラスチェンジはできるが、まったく別の兵種になることはできない場合も多い。 『聖魔の光石』においてクラスチェンジ時に兵種を選べるが、兵種ごとに2つしか選べない。『覚醒』の場合も同様で、「チェンジプルフ」の登場により下位クラスの兵種変更が可能になったとはいえ、それでもキャラ毎に数種類の制限があり、性別やキャラ固有のクラスもある(ただしマイユニットや過去作からのゲストキャラは転職制限が最大限に解除されている)。『新・暗黒竜と光の剣』および『新・紋章の謎』では、拠点メニューで「兵種変更」システムにより、ある程度自由にユニットの兵種を変更できる。『if』では、ユニットの素質で特定の兵種に変更可能で、また、特定のユニットと支援レベルを最大にするとそのユニットと同じ系列の兵種に変更可能。 デビルサマナー ソウルハッカーズ 小牟「ダメダメじゃね、チミ」『デビルサマナー ソウルハッカーズ』に登場する悪魔、夜魔モコイの口癖「ダメダメだね、チミ」から。さらにたどれば、『真・女神転生シリーズ』の中心スタッフである礒貝正吾氏のメモが元ネタ。 水戸黄門 小牟「人生ラクあれば、苦もあるもんじゃ」ドラマ『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」の歌詞「人生楽ありゃ苦もあるさ」から。 メタルホーク みゆき「はい! では『メタルホーク』と『プロップサイクル』でよろしいですね?」『メタルホーク』はナムコが1988年に発売したアーケードSTGゲーム。自機はヘリコプターであり、前後左右上下に2本のレバー(操縦桿とスロットルレバー)で操作する。 プロップサイクル 上記の『プロップサイクル』はナムコが1996年に発売したアーケードゲーム。自転車型の筐体にまたがり、ペダルをこぐ事で人力飛行機「ラペロプター」を飛ばす体感ゲームで、プレイヤーはラペロプターを操作してフィールドに配置された風船に体当たりをし、割ることにより点数を得るのがゲームの目的。 29話では、ダイエットになると女性陣に好評で、何人かこのゲームに並んでいたようだ。 [部分編集] 第29話 真なる龍の拳 NAMCO×CAPCOM ステージタイトルナムカプ29話のタイトルと全く同じ。 ベガのサイコパワーに操られたケンをリュウが真・昇龍拳で解放する展開ナムカプでは、殺意の波動を制御できず、波動に飲み込まれたリュウにケンが真・昇龍拳を放ち、目を覚まさせる展開であり、真逆になっている。 ケンがサイコパワーで洗脳されるという展開は、大元を辿ればアニメ劇場版に由来するもの。一連のイベントシーンとステージ終盤で流れるBGM『愛しさと切なさと心強さと』は、同作品において篠原涼子が歌った主題歌である。(*3) ゼノブレイド フィオルン(この地面のミゾは……モナドの傷痕。……お兄ちゃん、ありがとう)フィオルンの兄・ダンバンは、原作のプロローグに当たる1年前の「大剣の渓谷」での戦いを生き延びた英雄である。龍亀一號がはまった溝は、その戦いでダンバンが扱ったモナドの力により出来たもの。 ファイアーエムブレム覚醒 クロム「う、うむ……手伝ってはいたんだが……物を踏み潰したり、壁に穴を開けてしまってだな……」クロムは自警団のメンバーの中で一番物をよく壊す。娘であるルキナも父ほどではないが、五十歩百歩。 ゴッドイーターシリーズ アリサ「私も片付けるのが苦手なので、こっちに来ましたけど」アリサは、未開封のダンボールや脱ぎ捨てられた服などが散乱している自室が描写されるなど、意外とルーズな性格。 テイルズオブヴェスペリア 小牟「こりゃ、漫遊冒険娘!ケンは大丈夫なのかの?」「漫遊冒険娘」は原作でのエステルの称号。 無限のフロンティアシリーズ 小牟「ああ、こやつが操られるのはいつものことじゃ。心配する必要はない」毒牛頭や毒馬頭は『無限のフロンティア』ではアインストに、『EXCEED』ではヘイムレンに操られていた。また、『PXZ』では『シャイニング・フォース イクサ』のリームシアンに操られていた。 魔法少女アイ参 小牟「ご覧の有様じゃよ! エステルまで巻き込まれちょるし!」人気18禁アダルトゲーム『魔法少女アイ』シリーズの3作目『参』のあまりの出来のひどさ(翌日に多くのショップで価格が急落し、中古ショップでは買い取り不可の店も)から、パッケージの裏に「ごらんの有様だよ!」と書かれているのを目ざとく見つけたプレイヤーが、それを揶揄する意味で使ったことから。 今では、黒歴史となったゲームやアニメの惨状を示すネットスラングの一つとして定着。 ストリートファイターシリーズ ベガ(これは調査資料にあった『無の拳』……! "あの波動"に対抗するための力を……この小僧が?)「あの波動」とは、「殺意の波動」のこと。「殺意の波動」は、善悪に関わらず、世を乱す程の大きな力が生まれた時、それに対抗する力として発生するとされる、強さを追い求める者が行き着く究極の力。 しかし強大な力ゆえにコントロールが難しく、豪鬼以前に目覚めた者は全て正気を失い、自らの体を傷つけながら闘いを求めて彷徨い続ける幽鬼と化した。 「無の拳」は、邪悪な力を祓う力を持つ波動のこと。豪鬼の兄にして、リュウとケンの師匠・剛拳のみが使える。しかし、殺意の波動に完全に呑まれてしまった者には効果が無い。 第30話 善悪の彼岸 ゼノサーガ ステージタイトル『エピソードⅡ』のサブタイトル「善悪の彼岸」から。 T-elos「……かつての、ロスト・エルサレムも、こんな姿だったのかもしれないわね」「ロスト・エルサレム」とは、『ゼノサーガ』シリーズでの地球の呼称。ケニア北部で発見され、後に“ゾハル”と名付けられる謎の物体により消滅し、人類は宇宙への脱出を余儀なくされた。 T-elos「そういうことよ。その上で、KOS-MOSから"あの意識"を引きずり出せればそれでいい」KOS-MOSにはケイオスの対存在であり、彼の力の安全装置であるマリアと呼ばれる女性の精神が封じ込められている。T-elosがKOS-MOSを狙うのは、そのマリアの精神を回収するためである。 宇宙戦士バルディオス 小牟「ふむ、この波が重なって、海のブルーになっているんじゃろなあ」アニメ『宇宙戦士バルディオス』の主題歌「あしたに生きろバルディオス」の歌詞「激しい波が重なって海のブルーになるんです」から。 ちなみにこのアニメ、バッドエンド作品の代表的存在として知られている。おもちゃの売上等が振るわず、打ち切りが決まったため急遽最終回が作られたが、その最終回たるや、OPで「明日を救え~」と歌われてるのに、敵の作戦を防げず、上記の歌詞通り、地球上の人口30億人が大津波で死亡し、全く明日を救えぬまま「完」となった。ちなみにバッドエンド自体は打ち切り前から決まっていたので、この打ち切りエンドの反響から再構成して公開された劇場版もやっぱり地球が海のブルーになり、アニメ版では描かれなかったその後の展開もさらに状況が悪化してバッドエンドとなる。また、打ち切りにならず予定通りに終了した場合、最終回の展開は打ち切り決定版よりもっと酷い展開になる予定だったらしい。 ゴッドイーターシリーズ ナナ「あー、泳いだら気持ちいいだろうなー! グボロ・グボロのいない海、サイコーだよね」「グボロ・グボロ」は、腕部に大きなヒレと、肥大化した頭部と口を持つ鰐型アラガミ。砲塔のような突起物から水球を複数発射してくる。見た目に反して移動が速く、水中を移動経路として利用することも。亜種も含めると、世界で最も行動範囲が広い。『2』では索敵範囲が大幅に拡大し、戦闘エリア外からの超長距離砲撃でプレイヤーを攻撃する。 せがた三四郎 せがた「海のホラー……」『DEEP FEAR』のCMで、薄暗い室内で魚を捌きながらせがたが発したセリフ、捌かれた魚はオチで見事な舟盛りとなった。 ゼノブレイド フィオルン「前に私が乗っていた……フェイス・ネメシス。だいぶ壊れてるけど、ジェネレーターは生きてるかも」フィオルンは序盤で連れ去られた後、シュルクらの前に再び現れた時にはフェイス・ネメシスのユニットとなっていた。 「フェイス・ネメシス」は、機神界の副官ヴァネアによって製造・調整された、女性型の白銀の機神兵。天使の輪のようなものやスカート状のパーツが付いた神秘的な外観をしており、双剣を振るって戦う。ガラハド要塞で機体を操られシュルクらと相対するが、シュルクを救うためにエギルの制御を振りほどいてヤルダバオトに突撃し、大破した。 フィオルン「このあたりだと……「イラプランプ」や「エレクトリックフィラ」が落ちてるはずだけど」原作でも「落ちた腕」のマップに落ちている。 テイルズオブヴェスペリア ザギ「思い出すよなぁ……船の上でやりあったことを……」原作ではザギとの2回目のバトルは船の上で行われた。 ちなみに、『TOV』のボス戦には「シークレットミッション(SM)」と呼ばれる、戦闘中に特定の条件をクリアすると、グレード(戦闘の成績のようなもの。クリア後に冒険を楽にする様々な特典と交換できる)10とトロフィーまたは実績がもらえる課題がある。この時のミッションは、「ザギを船の上から落とす」。ひどい。 殺人魚フライングキラー 小牟「なんじゃ!? 海からなんか上がってきたぞ!? 殺人魚!?」アメリカ・イタリア・オランダが合作のホラー映画『殺人魚フライングキラー』から。 のだめカンタービレ 髑髏坊「ギャボーッ! どうしてこうなるのであるか!」アニメやドラマ化もした漫画『のだめカンタービレ』の主人公・のだめこと野田恵の口癖「ぎゃぼー」から。 [部分編集] 第31話 踊る逆転 逆転裁判シリーズ ステージタイトル『逆転裁判』の章題は『逆転』が必ず入っているのが特徴。 乙姫が作り上げた法廷法廷パートで使われる法廷と全く一緒。 マヨイ「あたしもいつもの位置にいるけど……」真宵は法廷パートでは成歩堂の助手として彼の隣に陣取る。 ???(沙夜)「待った!」でフキダシが出る。証人の証言に疑問がある場合、「待った」の掛け声と共にフキダシが現れる。 御剣「検察側…準備完了している。」逆転裁判2の4話「さらば、逆転」でも、御剣は裁判の検事が不在の状態で急遽担当として現れた。 御剣「う……うム。了承した」御剣は動揺すると「うむ」の「む」がカタカナになる。 藤岡弘、探検隊 せがた「せがた三四郎、探検隊、出動……!」『水曜スペシャル』の冒険番組『藤岡弘、探検隊』から。ご丁寧に「、」まで付いている。さらにたどれば『川口浩探検隊』が前身。 NAMCO×CAPCOM たろすけ「おまえ、前の事件の時も"黄金の種"を狙ってただろ!」ナムカプでも魔人カムーズは黄金の種を狙っていたが、すべて失敗し、ワルキューレに討伐された。 たろすけ「小牟ばあちゃんさ……顔とか、変わった? なんか盛ってない?」ナムカプの頃から小牟や零児のイラストは美麗になっている。また、小牟は「増量」もされている。…「何が」かはあえて言うまい。 シルフィー「ですが、こちらは以前見たことがございまして……ひょっとして盗品ではないかと、確認に参ったのです」シルフィーはナムカプに操作キャラとして参戦しており、黄金の種を見たことがある。 小牟「ブロディアパンチとか、できるじゃろが……」ナムカプでのシルフィーの技の一つ。元ネタは『サイバーボッツ』…ではなく、その主人公ジン・サオトメが登場した格闘ゲーム『Marvel VS CAPCOM』。原作の愛機ブロディアが画面外からパンチを喰らわせるという豪快なハイパーコンボ。同作にはバルカンで撃つブロディアバルカンという技もある。 妖怪道中記 せがた「妖怪の道中を記(しる)す少年なのか!」読んで字のごとく、たろすけの出典作品である『妖怪道中記』から。 ソウルキャリバーシリーズ たろすけ「……どっかで見たことある姉ちゃんさ、もっと出るとこ出てから言った方がいいよ?」ナムカプの参戦キャラの一人・タキは凪津同様、夢想抜刀流の忍者。 たろすけとタキは知り合いであり、中の人も同じだった。 PXZ 乙姫「ど、どうされました?」 エステル「ユーリ……。姫は……姫とは……」『PXZ』でも神夜の胸をはじめグラマラスなボディを見たエステルが全く同じセリフを口にしていた。 折笠愛 たろすけ、沙夜、殺女のボイス付き会話3人を演じている声優が全て折笠愛氏であることからの声優ネタ。 本気! 小牟「うむ、今回の『逢魔』は……本気!と書いてマジじゃのう……」極道漫画『本気!』から。読みは「マジ」。 ワルキューレの伝説 乙姫「光の精霊、風の精霊、地の精霊、水の精霊が封印を解かない限りは」カムーズを倒し、エンディングになると登場する精霊。光の精霊はゴールドが7000以上、風の精霊はスコアが220000pts以上、地の精霊はライフが4つ以上、水の精霊は「空飛ぶの術」以外のすべての魔法を習得した状態でクリアすれば出現。 [部分編集] 第32話 アリス・イン・マーベルランド 不思議の国のアリス ステージタイトル童話『不思議の国のアリス』の英訳「Alice in Wonderland」から。 零児「不思議の国からウサギを追うというのも、たまにはいいさ」『不思議の国のアリス』では時計ウサギを追ってアリスは不思議の国に入る。 サモンナイトシリーズ アティ「向かい合ってではなくて、横に座ってお話しするというのも面白いですね」『サモンナイト』シリーズには、「夜会話」と呼ばれるシステムがある。これは一話分のシナリオが終了すると夜になり、仲間キャラクターの中から1人を選んで会話ができ、そのキャラとの親交を深め、好感度を大きく上げることができる。好感度はキャラ別のエンディングに直結。ここではキャラクターの意外な一面を発見できることがある。 『3』『5』およびPSP版『4』では、選んだキャラと向かい合って対話する形式になっている。 テイルズオブヴェスペリア ナツ「カタブツかと思ってたら、ワリと話せるじゃん? フレンの兄さんさ」フレンの称号「夜の帝王」が取得できるサブイベントが元で、ギルドの街ダングレストにて、レイヴンが「社会経験」と称して強引にフレンを酒場に連れていく。レイヴンの狙いはイケメンであるフレンを利用して女の子を釣ることであったが、フレンはその容貌から女性に言い寄られることが多く、そういう場合の対処もとい処世術に慣れていたため、レイヴンは逆に女の子をフレンに奪われ、翌朝げんなりして戻って来るのであった…。 エステル「遊園地……ユウマンジュみたいなところなんでしょうか……?」「ユウマンジュ」とは、貴族御用達の高級温泉旅館。テイルズオブシリーズ伝統の温泉イベントがここで行われる。温泉の入浴料30万ガルド、貸し切り一回60万ガルドとかなりお高い。 ユーリ達はある程度ストーリーを進めると入れるようになる。 鉄拳シリーズ シャオユウ「ややこしいから、シャオユウランドってことにしない?」『鉄拳3』のシャオユウEDにて、大会に優勝して約束通り理想の遊園地を作ってもらうことになったシャオユウがわくわくした様子で妄想していた遊園地の名前。(その後、実際にお披露目されたのが「平八ランド」だったというオチがつく) パチンコ『CR鉄拳』には「シャオユウランドモード」と呼ばれるチャンスモードがある。 うる星やつら 小牟「暗いよ、狭いよ、怖いよと泣き叫ぶとでも思ったか!」高橋留美子の漫画『うる星やつら』の登場人物・面堂終太郎は、暗くて狭い所に閉じ込められると「暗いよ、狭いよ、怖いよ~!」と泣き叫んで暴れる。 ZAVIGA 小牟「ちゃんと中央の7650点を狙うんじゃぞ? ちょっとズレたら5001点とかになるからの?」データイーストのSTG『ZAVIGA』ではピンクと緑に光る砲台にボムを当てると「ザビガ人」が飛び出すことがあり、撃破すると5001点のボーナスがもらえる。 せがた三四郎 せがた「いつかミサイルに飛び移る時がくるかもしれん。その時のために……セガサターン……シロォ~!」せがた三四郎シリーズ最終回『せがた三四郎 真剣遊戯』のCMで、謎の外国人によってドリームキャスト発売間近のセガ本社ビルに向けて打ち込まれたミサイルを激突寸前で食い止め、渾身の力をこめてミサイルの軌道を上空に逸らし、しがみついたまま宇宙へ飛んで行き爆発四散した。 マシンロボ クロノスの大逆襲 零児がゴンドラから跳ぶ際の掛け声アニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』の主人公ロム・ストールから。中の人ネタ。 マーベルランド ステージMAPナムコのアーケードゲーム『マーベルランド』の舞台となるコニーランドにある大遊園地・マーベルランドのアトラクションを再現。 奥の巨大な的各ワールドの1ステージと2ステージ目のゴールが巨大な的になっており、突き破った部分のボーナス点が入る。最高得点は「7650点」。 [部分編集] 第33話 悪魔と、踊ろう Devil May Cry2 ステージタイトル『2』のキャッチコピー「悪魔と踊ろう」から。 無限のフロンティア 小牟「じゃが、KOS-MOSは、熱暴走したポンコツアンドロイドなんかとはちゃうじゃろ?」『無限のフロンティア』シリーズの登場人物の一人、アシェンはハーケンの部下である戦闘用アンドロイドで、コードDTD(一時的に演算性能、運動性能を向上させるモード)発動時には、熱暴走により性格と口調が豹変する。また、錫華姫からは日々の言動から「ポンコツ」呼ばわりされている。 逆転裁判シリーズ ナルホド「教わったカガク捜査、役に立つかな……」『逆転裁判 蘇る逆転』で登場したシステム「カガク捜査」は、DSのタッチパネルを利用したシステムで、証拠品をあらゆる角度から見れたり指紋・足跡に毒物の検出、ルミノール液やX線を使った解析といった本格的な証拠調べができる。 [部分編集] 第34話 遥かなる時の扉 ワルキューレの冒険 ステージタイトルMSX2用に発売が予定されていたものの、開発中止となった『ワルキューレの冒険Ⅱ ~遥かなる時の扉~』から。 ワルキューレの伝説 ステージMAP「黄金の城跡」と呼ばれるステージの再現。MAPを大ジャンプで移動できるスプーンや滑り台での時空の入り口突入も再現。 黄金の城 小牟「ふむ、ワルキューレはこの黄金の城で、鎧をはがされながらも、がんばっとったわけじゃな?」セタ開発・タイトー販売のアーケードゲーム『黄金の城』から。主人公ガリアノスは最初は全身に鎧を着けているが、攻撃を一度受けるとその部分の鎧(ヘッドギア、胸当て、脚甲)が剥がれる。 ロックマンシリーズ ゼロ「針山は危険だ……! 離れろッ!」 エックス「くっ、なんて恐ろしい場所だ……!」ロックマンシリーズでは針山に触れてしまうと、体力満タンでも一発で即死(通称:ティウンティウン)である 藤岡弘、探検隊 せがた「たとえアマゾンの秘境でも、オール一本あれば!」『水曜スペシャル』の冒険番組『藤岡弘、探検隊』から。アマゾンに収録で行ったことがあるため。 せがた三四郎 せがたがスプーンで飛ばされて着地した際の爆発せがた三四郎シリーズ最終回『せがた三四郎 真剣遊戯』のCMの、クライマックスのミサイル爆発シーンから。 パイ「せ、せがた三四郎ーーッ!」 ジューン「最終回みたいな感じになってたけど大丈夫!?」 小牟「せがた三四郎は、ぬしらの心に……。」せがた三四郎シリーズ最終回『せがた三四郎 真剣遊戯』のCMの再現。パイはセガで働くOLの台詞、小牟はナレーションの「せがた三四郎は君達の心に」の再現。 21話でも、零児になぜ未来の放送局であるスペースチャンネル5を知ってるのか問い詰められた際に、せがたが一瞬無言になった後「せがた三四郎は、君たちの心にッ!」とナレーションの抜粋でごまかしている。 ロボピッチャ せがた「木のスプーンではなく、ロボのピッチャであったなら、ストレート、カーブも自由自在なのだが!」セガが1984年に発売していた室内用ピッチングマシン『ロボピッチャ』と、そのCMから。 「セガのロボピッチャが来た日、お父さんは変わった! ストレート、カーブが自由自在!」 ちなみに当時のCMには湯川専務が出演していた。 End of Eternity ゼファーがスプーンの大ジャンプから華麗に着地するシーン『End of Eternity』のジャンプはシステムの仕様上異様に滞空時間が長く、その中で宙返りやらのアクロバットも多数決めて見せる。これぐらいは朝飯前。 カケフくんのジャンプ天国 スピード地獄 小牟「このジャンプ天国、ぬしらだけでは心配じゃからの」ビック東海のアクションゲーム『カケフくんのジャンプ天国 スピード地獄』から。 おねがい☆ティーチャー スプーンの飛び方を実演するワルキューレに小牟「教えてティーチャー!」アニメ『おねがい☆ティーチャー』ではヒロインの国語教師をワルキューレの中の人が演じているため、中の人ネタ。 教えてティーチャー 上記の台詞自体はアダルトDVD『教えてティーチャー』から。 龍が如くシリーズ スプーンジャンプで桐生「天啓が…来たーー!」 真島「大方、ブログのネタでも思いついたんやろ」『龍が如く』シリーズでは、「天啓」 というシステムがあり、道中で発見した出来事を記録し、そこから新たな技「ヒートアクション」を閃くことができる。 対象の人物を見つけたら、人物に視点を合わせ「見る」が表示されたらボタンを押すとムービーが始まる。ムービーでは、途中に表示されたボタンを押して行く。全て成功すると選択肢が出るので、時間内に選び、選択肢が正解であれば、桐生が「閃いた」と言い、「天啓が……来た」と言う。 『3』では対象物が日常風景になり、記録方法も携帯電話のカメラで撮った写真をブログに載せるという方式になった。天啓を得た後は、桐生の書いたブログを閲覧できる。ここで描写される風景が色々とカオスであり、「龍が如く」をバカゲーたらしめている要因の一つになっている。主な珍風景は「スクーターで宙返りするおばさん」「道行く人々に超スピードでティッシュ配りする女性」「カンフー映画ばりのアクションで喧嘩する中国人夫婦」などなど。 ロックマンX5 AIDAに感染したゼロゼロは『5』でシグマウィルスに感染し、さらにそれを大量に浴びた結果、自身にプログラミングされた「ロボット破壊プログラム」と共に本来の人格に覚醒した。ゼロを作ったのはDr.ワイリーであるため、ゼロの真の姿ともいえる。 シグマ「体内のウィルスがもう一つ増えたところで、おまえにとっては大したことではあるまい」上記の「ロボット破壊プログラム」のこと。ゼロがイレギュラーだった時代にシグマとゼロは相見え、結果両者ともウィルスに感染、シグマの体内に入ったウィルスは「シグマウィルス」へと独自の進化を遂げた。 Devil May Cryシリーズ ナナ「おー! スタイリッシュお手本、出たねー!」『Devil May Cry』では、如何に「スタイリッシュに」敵を倒していくかが最重視されている。 Kunoichi-忍- 緋花「そうね。もう少し風にあたっていたかったけど。」最序盤のムービーで言った台詞と同じ。 [部分編集] 第35話 貫き通す、正義 テイルズオブヴェスペリア ステージタイトル『TOV』の固有RPG名「正義を貫き通すRPG」から。 ファイアーエムブレムシリーズ ルキナ「ええ、近くに行商人のアンナさんがいたので、情報を聞けました!」「アンナ」は『ファイアーエムブレム』シリーズでおなじみのキャラで、赤髪のポニーテールに人差し指を口元にあてたポーズが特徴。物語に深く絡んでいることはあまりない。現時点では『外伝』以外のすべての作品に登場しており、唯一別大陸をまたいで登場している皆勤キャラ。 『覚醒』からは味方ユニットとしても登場。『覚醒』での初期兵種はトリックスター。最初に登場するのは外伝2「秘密の行商人」で、その後の外伝4「行商人アンナ」にてクロムで会話すると仲間に加わる。お金にうるさい性格ではあるが、プレイヤーに対してお金を要求してくることはない。 バイオハザードシリーズ レオン「行商人……?どこの世界にもいるんだな」バイオ4では敵を倒すと金をドロップし、各地点に点在する行商人から武器を購入できるというシリーズでは異例のシステムが採用されている。 龍が如く2 桐生「色々入り込んでいるな。・・・・・・誰が今回の絵を描いてる?」龍が如く2 第06章のサブタイトル「絵図」から。 オーダイン みゆき「こちら、神竜の大地にて!セット売り大セールをいたします!」『オーダイン』の「空中IN」では、アイテムは表示される3種類から1つを選んで購入する(表示されないアイテムは購入できない)。複数のアイテムを購入する事はできないが、2つのアイテムがセットになった「お買い得セット」が存在する。 サクラ大戦3 エリカ「おっはよう、おはよう、ボンジュ~ル♪ チキさん、チキさん、おっはようチッキさん♪ ゥン♪」エリカが披露した「おはようダンス」が元ネタ。マラカスで朝の爽やかさを演出してみた…らしい。 第36話 99番目の欠片 ファイアーエムブレム覚醒 ステージMAP『覚醒』DLCの温泉ステージ「絆の秘湯」から。 温泉回 小牟「いわゆる温泉回をしようっちゅう腹か!」「温泉回」とは、いわゆる視聴者サービスで、温泉が登場すると、必然的に肌の露出が多くなるため、あれやこれやのシーンを視聴者が期待することから。 修羅の門 ジェミニ「99……ナインティナインが意味のある数字……?」 小牟「一子相伝の技の使い手を指しておるか、もしくは……」格闘漫画『修羅の門』の主人公・陸奥九十九は、千年もの間不敗を誇る古武術・陸奥圓明流の伝承者。 NAMCO×CAPCOM 小牟(偶然ではないじゃろうな。……99という数字は)ナムカプのラスボスの名前は「九十九(きゅうじゅうきゅう)」。 428 ~封鎖された渋谷で~ 小牟「閉鎖都市……封印された渋谷、じゃろうな」セガ発売、チュンソフト開発のサウンドノベルゲーム『428 ~封鎖された渋谷で~』から。 あつまれ!ぐるぐる温泉 せがた「ぐるぐる温泉に集まっていたのかっ!」セガのドリームキャスト用オンラインテーブルゲーム『あつまれ!ぐるぐる温泉』から。 発売された1999年当時は、自分だけの分身キャラクター(アバター)を作成してネットで対戦したり、チャットで他のユーザーと交流して友達を作ることは当時としては斬新で人気を博した。 [部分編集] 第37話 闇を彩る光の斬線 ストライダー飛竜2 ステージタイトル『2』のキャッチコピー「闇を彩る光の斬線」から。 テイルズオブヴェスペリア ユーリ「まったく……おっさんってのは、みんなこうなのか?」『TOV』のパーティメンバーの一人で「おっさん」ことレイヴンはスケベな性格で、温泉を二度にわたり覗こうとしたこともある。結果一回は覗きには成功したが、ジュディスの豊満なボディの衝撃に気絶、一回は気配を察知したフレンに事前に阻止された。 なお、声優は御剣と同じ「竹本英史」氏である。 ユーリ「縦、横、斜めの位置に立つのか。なんかやったことあるな、こういうの」『TOV』ではラスボス戦後、星喰みを倒すために特殊な魔法陣を練り上げ、ユーリを中心に周りに円形に8人の仲間が立った。 テイルズオブハーツ シャオユウ「他にも何人かいなかった?…正直に手を上げて!涼君とか怪しいけど?」声優が涼と同じ「松風雅也」である『TOH』のパーティメンバーの「ヒスイ・ハーツ」が、女湯を覗こうと数回に渡って仲間と共に奮闘していたことがある。 三度目で遂にパーティメンバーが女湯に入室する瞬間を目撃することに成功するが、妹コハクの裸を主人公シングに見られたくないなどと揉み合いするうちに建物から転落してしまった。 サクラ大戦シリーズ 大神「きれいだったよ……。」原作にて女性キャラの風呂を覗き見してしまった時に出る台詞の選択肢。本作では好感度が上がったが、原作ではごく一部のメンバー(ロベリア等)除いて確実に下がってしまうため注意。 ジェミニ「……まさか、新次郎がお風呂をのぞくのは……この人の影響!?」『V』の主人公・大河新次郎は大神の甥。体が勝手に風呂に動く体質もしっかり受け継がれている…。 ちなみにストーリー上ジェミニの風呂だけは必ず覗く。 エリカ「もうプリンだけじゃ許せません!クレープも付けてもらわないと!」エリカは原作で風呂を大神に覗かれた時に、プリンで許している。 大神「し、仕方ないんだ!君たち!泡の消えないシャンプーの謎が気になって……」『3』において、メルとシーの風呂を覗いたときの言い訳。 さくら「ふう、魔方陣って、あまりいい思い出がないから怖いわね…。」 ジェミニ「ボクもだよ…。はやく終わらないかな…。」サクラ大戦1の敵組織である「黒之巣会」は、「『魔法』陣」を敷いて帝都を滅ぼそうと画策していた。 サクラ大戦Ⅴでは一人の命の犠牲を以って成立する五輪曼荼羅を発動させるために魔方陣を6人で組み、信長を封印し、犠牲を出さずに成功した。しかし当初は5人で組むものだと思い込んだ末に失敗し、信長に剣を貫かれた新次郎が意識不明の重傷という最悪の結果をもたらしていた。 ワンダーモモ 小牟「これがほんとのオフロディーテっちゅうやつじゃ」PCエンジン版ワンダーモモの8面クリア後のビジュアルシーンの1枚絵に添えられたポエムの一節「これがほんとのおふろでィーて なんてね」から。ちなみに、このシーンの1枚絵は神田桃がカメラ目線で泡ぶろにつかるというもので、他にも2枚のポエム付きビジュアルシーンが追加されている。 龍が如くシリーズ 真島「こんなん、アヤシゲな占い師が使ってたん見たことあるで。魔術やろ? 魔術」「占い師」とは、『0』サブイベント「未来が見える占い師」のこと。桐生の運命を占っていたが、恐ろしいほどに的中していた。 魔法陣グルグル 小牟「グルグルと魔方陣を囲んで、カッコいいポーズを取ればいいんじゃな?」アニメ『魔法陣グルグル』の光魔法の一つ「カッコいいポーズ」から。ポーズを取りながら空中に浮かんで光を放ち、魔物の動きを封じることができる。 小牟の中の人はアニメ第二作『ドキドキ伝説 魔法陣グルグル』で主人公ニケを演じている為、中の人ネタ。 ゴッドイーター2 シエル「まるでピクニック、ですね。でも、油断は禁物ですよ? ナナさん」『2』で当初のブラッド隊長だったジュリウスがミッション終了後に発した台詞「まるでピクニックだな」から。 ストリートファイターシリーズ ケン「そんなドラマチックなものじゃないだろ」『ZERO』シリーズに実装されている隠しモード「ドラマティックモード(バトル)」から。 一休さん 小牟「あわてるでない、あわてるでない。一休み、一休みじゃ」アニメ『一休さん』で一休さんのお馴染みの台詞「あわてない、あわてない。一休み、一休み」から。 げっちゅー♥ 小牟「ハヤト、頭が沸騰(ふっとう)しそうじゃよぉ!」漫画『げっちゅー♥』を象徴する台詞「頭がフットーしそうだよおっっ」から。 Devil May Cryシリーズ ダンテ「なあ、冷蔵庫に入れておいたストロベリーサンデーがないんだが、誰か食ったか?」ダンテの主食はストロベリーサンデーとピザ。特に小説・アニメ版で強調されている。 梅原大吾 小牟「裏嶋~! ゲームコーナーの格闘ゲーム、強キックボタンが利かないんじゃけど!」日本を代表するプロゲーマー「ウメハラ」こと梅原大吾氏の逸話に「何十連勝もした後に店員に「あの筐体強キックボタン効かないですよ」と言った」というものがある。 PXZ ディメンジョン・ダイブで飛んだ先の田園調布の豪邸『PXZ』のヒロイン・美依の家がここ。 小牟「今頃、本部の養成所でがんばっちょるってね!」美依は「ってね」をつける口癖がある。 零児「この敷地の地下には、世界の境界線に干渉できる、ある"石"が封印されている」『PXZ』では「境界石」を巡った戦いが繰り広げられ、ラスボス戦もその敷地の地下で行われた。 小牟「零児、諜報部の天斎(てんざい)からじゃ」「天斎」とは、『PXZ』の主人公・天斎小吾郎のこと。 [部分編集] 第38話 最後のケジメ 龍が如くシリーズ ステージタイトル『OTE』のキャッチコピー「伝説の男達 最後のケジメ」から。 桐生「ああ、この街で何かあるとすればここだ」シリーズではミレニアムタワーは毎回散々な目にあっている。テナントなどの爆破だけならまだしも、桐生・真島や警察にギャングの乱闘、果ては殺人事件などが起こっている。 ちなみにミレニアムタワーの土地は何かと曰くつきで、バブル期に複数勢力が土地の所有権を巡って、屍の山を築いたことがある。真島と桐生が知り合う切欠にもなった。 銀河旋風ブライガー 裏嶋「お呼びとあらば参上よ。即」アニメ『銀河旋風ブライガー』の冒頭のナレーション「お呼びとあらば即参上!」から。 [部分編集] 第39話 さらば、愛しき人よ サクラ大戦シリーズ ステージタイトル『V』のサブタイトル「さらば愛しき人よ」から。 髑髏坊「ほれほれ、行くであるぞ! 勝利のポーズ……」原作では戦闘終了後にメンバー全員でポーズを決めるというお約束があった。 スペースチャンネル5 シャドー「踊り……団を……。私は……宇宙……海賊……」シャドーの正体は、真実を求める為には多少の妨害も構わず行う宇宙海賊放送局のリポーター・ジャガー。踊り団への潜入調査を試みたが、行方不明になっていた。ノイズくん曰く、かつてとある事件に巻き込まれたうららを助け、いつしか伝説のリポーターとして語り継がれているらしい。 [部分編集] 第40話 怒りの鉄拳 ベア・ナックル ステージタイトルベア・ナックルのサブタイトルから。 ジョジョの奇妙な冒険 小牟「ぬしがッ! しゃべるまで! 叩くのをやめないッ! 当然、尻をッ!」『ジョジョの奇妙な冒険』第1部「ファントムブラッド」で、エリナを傷物にされた、ジョナサン・ジョースターの怒りの台詞「君がッ 泣くまで 殴るのをやめないッ!」から。 トランスフォーマー 小牟「あっ、そうじゃ……! わしにいい考えがある!」アニメ『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』の登場人物、サイバトロン軍総司令官コンボイの迷台詞「私にいい考えがある」から。当のコンボイの作戦立案能力は皆無。 魔法少女プリティサミー 小牟「ピポパのパで、出前も来るわ……っと」アニメ『魔法少女プリティサミー』の歌詞「ピポパのパで出前も来るわ」から。 松鶴家千とせ 小牟「わかるかの? わっかんねえじゃろうなあ~?」漫談家・松鶴家千とせの持ちネタ「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」から。 [部分編集] 第41話 百一胎計画 ロックマンDASH ジューン「空賊ボーン一家が使う、戦闘ロボットみたい」ボーン一家とは『ロックマンDASH』シリーズに登場する敵組織で主人公であるロック・ヴォルナットの前に立ちふさがる悪役。長男ディーゼル、長女トロン、次男ボンの通称「ボーン三兄弟」といわれる三人兄弟をトップに置き、サポートロボのコブン達を構成員として各地で窃盗、盗掘などの悪事を働く。拠点は空中要塞ゲゼルシャフト号。ただお人好しで憎めないところがあるコメディリリーフでもありロックを助けることも。前作及びナムカプで長女のトロンボーンとその子分であるサポートロボットコブンが共演した。 明石家さんま シース「コレはナイン・ナイン! ヒトアジちゃいまんネーン!」大御所芸人・明石家さんまの持ちネタ「アホちゃいまんねんパーでんねん!」から。 サモンナイトシリーズ アティ「はぐれ召喚獣……!」「はぐれ召喚獣」とは、死亡や悪徳召喚師からの逃亡などの理由で主を失ってしまった召喚獣のこと。主が死んでも召喚時の誓約は生きているので、もとの世界には帰れない。生きるためには基本的に「人間との生活」「化け物として危害を加える」「人間の奴隷」になるしかない。シリーズでは重要な立ち位置にある。 創聖のアクエリオン 小牟「月の彼方まで吹っ飛ぶがいいわ!」『創聖のアクエリオン』の必殺技の一つ「無限拳」は月まで敵を吹っ飛ばしたことから。 [部分編集] 第42話 宿命(さだめ)の国のアリス NAMCO×CAPCOM ステージタイトル1話同様、『PXZ』シリーズの前身にあたる『NAMCO×CAPCOM』のプロローグ1のタイトル「ゆらぎの街のアリス」のバリエーション。 主人公一行を利用してラスボスを降臨させる展開逢魔の目的は時の狭間に封じられたラスボスの九十九を現世に降臨させることだったが、そのためには強大なエネルギーが必要だった。 r()戦いの過程で次元に干渉する力を持つ邪剣ソウルエッジを利用しようとしたものの奪えなかったため、最終的には戦いを通じて次元の歪みを悪化させた上で主人公らに事態を収拾させ、次元のゆがみが修復される際に放たれる莫大なエネルギーを利用するという形で目的を達成した。 フェリシア「最初は台詞もなかったくせに!」毒牛頭、毒馬頭はナムカプでは声優はおろか、セリフも無い『名前のあるモブ兵士』扱いだった。声とセリフが着いたのは、『無限のフロンティア』に参戦したとき。 シグマ「『逢魔』よ、立ち会わせてもらおう。……新世界とやらの誕生にな」ナムカプの主題歌「すばらしき新世界」から。『PXZ』の時から零児・小牟ペアの戦闘BGMにもなっている。 ちなみに『PXZ2』のサブタイトル「BRAVE NEW WORLD」の和訳でもある。 零児「世界は交差し、引かれ合い……光も闇も、やがて溶けて一つになる」「素晴らしき新世界」の歌詞「交差する新世界 引かれ合う 光も闇も やがて溶けて一つになる」から。 キャプテン「待ってもらおう。コマンドーチームにも、ニンジャは欲しい人材でね。」 飛竜「……コマンドーチームには、もう二人いるはずだ。」ナムカプでは、『ファイナルファイト』のガイと『キャプテンコマンドー』の「ニンジャコマンダー」こと翔が、武神流繋がりからペアユニットを組んでおり、合体攻撃「キャプテンストーム」や「キャプテンソード」に参加した際は、色合いや決めポーズなども合わせてあたかも最初からチームの一員であったように見えるなど、ガイがコマンドーチームに違和感なく馴染んでいたことから。 デミトリの城での宴会及びバルコニーで二人きりになる零児と小牟ナムカプのエピローグの流れと一緒。 べーしっ君 小牟「すぽぽーん! と、飛び出したんかい!」4コマ漫画『べーしっ君』の擬音「すぽぽーん!」から。 風の谷のナウシカ 小牟「止まってやがる! 早すぎたんじゃ!」映画『風の谷のナウシカ』のクライマックスで王蟲の群れを撃退するためにトルメキア帝国軍が強引に復活させた巨神兵を見て、第四皇女付き参謀クロトワが独りごちた台詞「腐ってやがる。早すぎたんだ」から。巨神兵は肉体形成を完了しておらず、陽子ビームを2度発射するとまもなく肉体を崩落。 スーパーヘビーウェイトゲイナー 小牟「零児! 敵はスーパーヘビーウェイトじゃ!」チャンピオン社の高カロリープロテイン「スーパーヘビーウェイトゲイナー」から。 やったか!? 小牟「やったか!?」大抵の漫画やアニメでは強敵と戦うとき、必殺の一撃を叩き込んだ後、この台詞を言うことは、倒せていないフラグとして知られている。本作ではちゃんと倒したが。 ロボットアニメのお約束 小牟「古来より、変形中の攻撃はご法度なんじゃが。まあ、それでよく立て直したのう」多くのロボットアニメでは変形中はおとなしくて気が待ってくれるのがお約束。まあ、あえてそれを逆手に取るアニメも少ないながらある。 サクラ大戦シリーズ ジェミニ「幸せなら、なんだってできる! 師匠の言葉、今ならわかるよ」「師匠」とは、ジェミニに剣術を教えた謎の剣豪ミフネのこと。ジェミニの副人格「ジェミニン」の存在に唯一気付いていた。彼の遺言により、ジェミニは紐育へ向かった。 ジェミニ「一郎叔父さん、ステーキサンドもあるから。はい、あ~ん!」 ジェミニ「あ、いや、しばらく新次郎と会ってないからその代わりというか…えへっ!」「一郎叔父さん」という大神に対する二人称は新次郎と同じ。大神家と血縁関係のないジェミニがこの呼び方をするというのはつまり・・・。 ジェミニは、出演ゲームしたの中で新次郎と共演しているゲームの方が少ないという事態になっている。リアル年月で会ってない期間は舞台を入れると2年、除くと8年。なお、新次郎の母親である「大河双葉」は息子のジェミニら星組隊員との結婚を期待している。舞台ではジェミニに真っ先に新次郎の嫁になれと命令したり・・・。 サモンナイトシリーズ アティ「こ、これは、マネマネ師匠のモノマネダンスバトルを勝ち抜いた、真面目な踊りなんですよ!」サモンナイト3のミニゲーム『マネマネ師匠のものまねダンスバトル!』より。 CAPCOM FIGHTING Jam イングリッド「またいつかどこかで、ワシは陽炎のように現れるぞ? にょほ!」『CAPCOM FIGHTING Jam』出のイングリッドのテーマ曲「陽炎」から。 PXZ2 小牟「世界は大きな舞台みたいなもんじゃ」 零児「世界はやがて一つの舞台になっていく、か」本作の主題歌「世界は一つの舞台」から。 ファミコン風雲児 小牟「むふふ、パソコン風雲児と呼ばれたワシじゃぞ? そんなん当たり前じゃ」池原しげとの漫画作品『ファミコン風雲児』から。なお、池原氏は『ロックマンX』のコミカライズも担当している。 悪魔の招待状 小牟「うむ、デミトリから悪魔の招待状をもらっての」アメリカのパソコン用ADVゲームのファミコン移植作にしてバカゲー『悪魔の招待状』から。 PXZ 裏嶋「忍者不足は深刻なようね。どこも。『森羅』にも諜報部にやっと一人、入ったわけだし」37話で諜報部入りが判明した『PXZ』の主人公・小吾郎は天斎流の忍者。 ベア・ナックル アクセル「ビデオゲームも新作が少なくてな。まあ、最近は復刻の流れがあるんだが」最近は昔のゲームを安い値段で買えるサービスが普及しており、『ベア・ナックル』も2015年に復刻した。 せがた三四郎 せがた「零児くんっ! 刹那の快楽を追い続けても、虚しい余生が残るだけだぞっ!」せがた三四郎の主題歌「セガサターン、シロ!」の歌詞「刹那の快楽追い続けても 虚しい余生が残るだけ」から。 セガサターンモデム せがた「心配無用! セガサターンモデムを接続すれば、通信速度14400bpsを叩き出すッ!」 せがた「『The World』を巻き込んだ、"ネットワーク革命"、始まるッ!」「セガサターンモデム」とは、カートリッジスロットに装着する専用アナログモデム。同梱のソフトでインターネット、パソコン通信のほか、対応ソフトとメディアカードを購入すれば、XBANDシステムを利用して通信対戦が可能。モデムの通信速度は14400bps。キャッチコピーは「"ネットワーク革命"、始まる。」。 セガサターン せがた「脳天直撃! スイッチ・オンッ!」「セガサターン」のキャッチコピー「脳天直撃!セガサターン」から。 ドリームキャスト せがた「そうだ。そして、セガサターンはやがて伝説となり、その魂は夢を紡ぐものへと受け継がれていくのだ」セガサターンの次期ハードが「ドリームキャスト」。直訳で「夢を繰る(紡ぐ)」となる。 ハクション大魔王 小牟「呼ばれて飛び出たアウラは、どうするんじゃ?」アニメ『ハクション大魔王』を象徴する台詞「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」から。 テイルズオブヴェスペリア ユーリ「イチゴ乗っけたフルーツパフェだよな? 我流でよけりゃ、作れないこともないぜ?」原作ではユーリはパーティメンバーの中でも一、二を争うほど料理上手で、特にスイーツが得意。 ゴッドイーター2 ナナ「おでんの具と汁に、パンプキンコーヒーもあるよー!」「パンプキンコーヒー」は、「おでんパン」同様に、ナナの母直伝の料理。 OH!MYコンブ 小牟「スペシャルメニューというか、リトルグルメというか……」料理・グルメ漫画『OH!MYコンブ』に登場する市販の菓子や、果物などを用いた手軽な(ゲテモノ)料理「リトルグルメ」から。リトルグルメのレシピは小学生にヒットし、読者が考案したリトルグルメのレシピも本編で採用、または雑誌や単行本で紹介される事もあった。 トリオ・ザ・パンチ 小牟「チーム名は、トリオ・ザ・森羅で決まりじゃ!」データイーストのアーケードゲーム『トリオ・ザ・パンチ』から。 CAPCOMの格ゲー なぜか三島財閥の殴り合いに飛び入り参加する事になったクリスとナルホドクリスやナルホドはカプコンのオールスター格ゲーにゲスト出演したことがある。 龍が如くシリーズ 三島財閥や格闘家達の殴り合いに飛び入り参加する事になった桐生原作では神室町の地下には闘技場があり、桐生はそこで戦ったことがある。そこで真島と戦ったこともある。 なお、対戦者の中には『1』のハデス西沢や『3』のヴァレリー・ギャレットのようにラスボスの動きを流用しているのもいたりする。 逆転裁判シリーズ ナルホド「異議あり!」と共に出るフキダシ『逆転裁判』では法廷パートで承認が矛盾した証言をした場合、この掛け声とフキダシでムジュンを突き付ける。 シリーズのお約束として最終話ラストで主人公が不条理な扱いを受け、それに対して「異議あり!」をしてスタッフロールに入るという展開があり、その再現でもある。 ファイアーエムブレムシリーズ チキ「お兄ちゃん、ね。フレンを見てると、少し思い出すわ」チキが「お兄ちゃん」と呼ぶのは『暗黒龍と光の剣』『紋章の謎』の主人公・マルスの事。青い髪に鎧を着た正統派の騎士の姿をしている。 チキは今でこそ大人の女性だが、マルスと出会った当時は純真無垢な幼い少女の頃であった。 わくわく動物ランド 小牟「うむ……とんだ動物ランドじゃ」TBSの世界各地の動物を紹介する番組『わくわく動物ランド』から。 今夜も朝までPOWERFULまぁじゃん 小牟「今夜も朝までパワフル夜会……っちゅうことか」デービーソフトの麻雀ゲーム『今夜も朝までPOWERFULまぁじゃん』から。 スペースコブラ 小牟「あばよ、ワシの零児、と言ってやるんじゃ」最終話サブタイトル「あばよ!俺のコブラ」から。
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※元動画が音声消えてる箇所があったので再投稿 https //t.co/HRrGK4BfQl pic.twitter.com/xlWRgcaVHV — もんみ🐻 (@Monmi0614) September 22, 2023 #サンワシティ503号室 このスクショのツイにリンクの貼られた動画は消されていました。 YouTube(アメリカ政府)は安倍さんの暗殺の真相を探らせてくれない。不思議だね♪それなのに中国が犯人説とは。 pic.twitter.com/AUEEIxrnh0 — Naomi (@nao_mi_468) January 14, 2023 Naomi@nao_mi_468 返信先 @nao_mi_468さん #サンワシティ503号室 #山上は単独犯ではない #山上容疑者 はスケープゴート。陰謀論と言うなら消えた弾を出して奈良医大からCT画像とレントゲン画像を出してみな、国民は丸裸にして自分は黒塗り日本政府様よ。#安倍元首相 #安倍晋三 40分くらいからドクターパパがすごい真実を言っている。 「抵抗しても無駄、相手は権力だから」だから彼は脅されてすぐ黙りましたね。 ④スナイパーはどこから撃ったのか? 安倍元総理銃撃事件を俯瞰、木を見て森を知る。 https //t.co/vhJwhh0g8j — Naomi (@nao_mi_468) January 6, 2023 [★安倍氏暗◯事件スクープ映像②!] ネット上で様々な重大疑惑の目を向けられている「荻田義雄」奈良県連・元幹事長の決定的瞬間を、ついに晒します! あんた、いったい何やらかしたんだ? 詳細は、“安倍氏暗殺事件の真相解明- 0.2秒の真実”を!➡https //t.co/jnKBPlm932 pic.twitter.com/rFnJyUfaly — マキシム (@takanamidaigo) December 12, 2022 (※ 動画中の言葉「憲政史上の巨星」かどうかは異論のある人もいるでしょうが、必見の動画かも知れません。) ■ 【緊急公開❗】驚愕の新事実が判明! 「安倍氏暗殺」の真相解明!① - 0.2秒の真実 マキシム (※保存済み) 手を合わせることもなく左手にタバコ持ち吸いながら気だるそうに現場見てるやつが意志をつぐだのどの口が言うとんねん。頭下げて手を合わせてたの半袖のおっさんだけ。俺らはずっと見てたぞ、お前らの行動をな^^ pic.twitter.com/xAVXGva3PY — ⚡︎とまるくん。 (@tomaru__kun) November 7, 2022 ※ tweetライン 奈良県警は前頸部の銃創について説明を変えていた! 暗殺当日の1時間に及ぶ検死がそんなにいい加減だったのか? 「楕円形の銃創2か所」→「銃創1か所と周囲に擦過傷」へ変化 山上銃6発のうち、左肩からを含む2発が命中したとしたいため? pic.twitter.com/yvsHxN8P2B — 井上文二 (@bunji_inoue) December 11, 2022 ■ 【7.8奈良テロ事件】新たな新事実が続々判明、音響からも、エクアドルの動画からも【リアルマトリックス】山岡鉄秀×高田純 ■ 私は、武器を持って戦う。戦闘機にも乗る 「二階堂ドットコム(2022/10/24 03 10)」より (※mono....前半略、詳細はサイト記事で) / 以下投稿 ロシアによるウクライナでの原発攻撃あるいは核実験、北朝鮮による核実験、習近平による台湾・沖縄の侵略が近づいているというのに日本のマスゴミはどうでもよい話題でそれらに触れません。 元総理大臣が暗殺されてもきちんと検証せず、逆に貶めるだけです。 この状態をみておかしいと思わないのは本当の愚民でしょう。 統一教会の霊感商法は安倍元総理に潰されたようなもんです。 執念深い民族ですからさぞかし恨んでいるでしょう。 統一教会がKCIA、CIAと組んで反共活動をしていたのはずっと昔のことです。 今は北朝鮮とお友達ですし、CIAですら日本にとって味方ではありません。 バイデン、アメリカ民主党はDSの手先として世界を混乱に導こうとしています。 一部の米軍もそうですが、CIA、FBIも手先です。 トランプ元大統領、共和党がなんとか盛り返そうとしていますが、その時一番邪魔になるのが安倍元総理でした。 コロナも流行り始めて数か月後にはアビガン、イベルメクチンの使用を訴え、2類から5類の変更を声高に訴えていました。金儲けと人口削減を目論む狂った連中からしたら許せなかったでしょう。 脅してやめさせてからも発言は変わらず、ベロ氏の前に台湾への渡航と応援、ロシアのプーチンとの会談も予定していたそうですから、DSからしたら許せなかったのでしょう。 CIAが作った読売テレビがしつこく統一教会と安倍元総理を結び付けて叩き、安倍派の有力者を潰そうとするのは都合が悪いからでしょう。 岸田総理は当然知っていて、長く総理をして、中国と仲良くしたいのでしょうが、何も見えていないようです。 はやく退陣させないと日本に未来はないと思います。 ただし、デマ太郎がなるともっと早く日本はなくなるでしょうが…。 清話会及び保守派の政治家はまとまって戦うべきです。 このままでは潰されていくだけです。 統一教会の寄附金に読売はじめ各マスゴミが文句を言っていますが、宗教界はだんまりです。 そらそうですよね。 どこの宗教も同じことをしているのですから。 創価学会もそうですが他の宗派も基本同じです。 中国はベロシはよいが安倍元総理だけは絶対に訪台を阻止せよとのことでした。 岸田総理と林外相はウハウハなんでしょう。 これで中国に機嫌をとって売国政策まっしぐらです。 防衛費GNP2%も実質無しになりました。 日本の官僚、政治家はこんなのばっかりです。 攻められてからでは遅いのですが、このままでは侵略されても「何かの間違いかもしれないので動向を注視する。」、「中国に止めるように申し入れることを検討する。」など言って国民の大部分がやられるのを楽しみながら見ているのかもしれません。 財務省、外務省、法務省、厚労省、文科省、、、碌なもんじゃないです。 なんとかせねばなりませんね。 米国の裏組織CIAが日本人暗殺の中枢 — geo | ジオ (@diplo_geo) October 21, 2022 聴いてください 見てください 真実の音「シュッピ」 安倍さんが私たちに知らせた 組織テロの存在 pic.twitter.com/pcq98Qfu4d — 高田純 理学博士 (@gatapi21) October 9, 2022 司法解剖結果は別にスナイパーがいた証拠 安倍元総理狙撃テロ事件 司法解剖結果 弾丸は右首と左上腕にそれぞれ命中 真反対2方向から銃が発射された pic.twitter.com/bu37xR1m1L — 高田純 理学博士 (@gatapi21) July 19, 2022 これで ほぼ確定かな 安倍元総理の心臓への致命弾を放ったのは 山上ではない‼️別の狙撃者 高田純(@gatapi21 )博士による厳密な音響解析⬇️https //t.co/yIf1zqUoGM 「悪うございました、○○からの圧力でウソの司法解剖書を出してました」 とぶっちゃける最後のチャンスだよ 奈良県警 (6/ j ) pic.twitter.com/j3nMZIbYyt — ドルウ (@Dreaux_CHt) September 19, 2022 僕のような八百屋の若造に対しても、お野菜をお届けに伺った時には、詳しくお野菜や果物、農家さんの説明が聞きたいと言って毎回時間をとっていただきました。これまで沢山の宅配をしてきましたが、こんなに丁寧に一つ一つの農産物のことを気にかけていただいたお客様は安倍晋三さんだけでした。 pic.twitter.com/V3347focH9 — 三浦大輝/八百屋菜根たん代表 (@yasai_md) September 27, 2022 多くの方に参列いただき、国葬儀を滞りなく執り行い、厳粛かつ心のこもった形で安倍元総理をお送りすることができました。今はただ、安倍元総理に「安らかにおやすみいただきたい」ということを申し上げたいと思います。国内外からの幅広い弔意に、心より感謝いたします。@kishida230 pic.twitter.com/MuGqUCeyx5 — 首相官邸 (@kantei) September 27, 2022 ツイッターの皆様へ 私は、国葬反対ですが 最近もしかして、安倍さんは 日本をアメリカ支配から 脱却しようとしていたのかも?と思っています。 一番腹が立つのは 自民党内に裏切り者がいて 安倍さんは、亡くなっています。私は誰とは言いません 裏切り者が自民党内に 間違い無くいます🔥🔥🔥 — issey🍉 (@T8Cy4yf9YhKPytv) September 23, 2022 ※ スレッド ※ retweetスレッド まだご視聴されていない方のために。真偽の程は、かりません。 豪州に亡命した元🇨🇳共○党員が解説した動画です。 元は台湾のニュース。和訳付。 【緊急公開!】「安倍氏暗殺」の首謀者は、中○共○党内の極秘国際テロ組織・中央対外連絡部のトップ、劉○超である!https //t.co/koqCK16AiB @YouTube — 【公式】真の国民の声〜📣📣💝😊 (@all_japan_voice) September 5, 2022 ★ 旧統一教会の関連団体、ソウルでのイベントで安倍氏追悼…トランプ氏がビデオメッセージ 「讀賣新聞(2022/08/12 19 34)」より / 【ソウル=中川孝之】安倍晋三・元首相が銃撃されて死亡した事件を機に批判が集まった「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の関連団体が12日、教団の本部がある韓国でイベントを開いた。安倍氏を追悼し、参加者が献花を行う時間が設けられた。 広報担当者によると、イベントはソウル市内のホテルで行われ、各国の元指導者らが世界平和などについて意見交換したといい、米国のポンペオ前国務長官らが参加した。開会式では安倍氏の遺影が舞台に映し出され、参加者らが献花した。 米国のトランプ前大統領もビデオメッセージを寄せ、「安倍氏は良き友で、偉大な人物だった」などと哀悼の意を表した。 随時更新中 捜査は永遠になされないから、一般人が「憶測に憶測を重ね」悪魔の嫌がることをせねばならぬ。無念の安倍氏と侵略された日本のために 故・安倍晋三元首相の暗殺は組織的テロで真実は闇の中 - 虚構と欺瞞の世界に生きる https //t.co/HhI9l7ZrSL — Naomi (@nao_mi_468) August 10, 2022 ■ 故・安倍晋三元首相の暗殺は組織的テロで真実は闇の中 「虚構と欺瞞の世界に生きる(2022-07-16)」より / その日、故・安倍晋三元首相が組織的テロによって殺害されることは決まっていた。 http //yume-corp.biz/20220709/2022-07-09_abe.mp4 ※保存済み (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) 安倍元総理が凶弾に倒れてから1週間が過ぎ、それでも尚、現実を受け入れられない私がいます。 世界からの弔意と喪失感を、日本国自身がどれだけ理解しているのか。 安倍元総理がどれだけ大切な、かけがえのない存在だったか。日本国そして日本人自身が、どれだけ理解していたのか。 時を巻き戻したい — Strawberry 苺🍓 (@FreshMixedBerry) July 16, 2022 3発の音聞こえるよ😎 バズン・・・プチュン・バズン プチュンの時に襟裳の動いてる https //t.co/pqld5QG6Ug — あかいひぐま🎗 (@akahiguma) July 9, 2022 スローによる弾道予測 pic.twitter.com/MYbcG64PlR — YURIKA 🗣 (@yurikawords) July 10, 2022 あの狙撃は、いろいろと謎が多いので、日本版のケネディ事件のようになりそうですね。様々なアングルでの動画も、ネット上に多数出回って、ツイッターでの考察や不審な点を指摘したツイートの多くは、バズってます。 — 智子@第444代目 (@UF_dynasty) July 9, 2022 【続報】銃撃事件について奈良県内の関係各所に厳重な箝口令が敷かれ「一切の情報漏洩を禁じる」旨通達があったとのこと。特に犯人がいる建物は近づく事も許されない「経験したことのない異常な厳戒態勢」。 — Trilliana 華 (@Trilliana_z) July 9, 2022 確かに。 私も、この眼で確かめました。 奈良県立医大を出る時は、アメ車みたいなリムジン霊柩車。 自宅に着いた時は、ベンツの霊柩車。 載せ換えしたのは、明らかです。 では、その理由は?w https //t.co/qVQQO3WHPx pic.twitter.com/IxSCqaA4wO — Mad Doc.K (@DevaBrahma) July 9, 2022 どうして、こんなロング霊柩車を使ったのかと思っていた ロングではマンション地下駐車場に入らないと思った 案の定、神奈川県内か用賀で降りて遺体の積替え 安倍晋三元総理は意外と質素な人 デカ過ぎる霊柩車は似合わない — 遺体管理学 教授 (@Prof_Shigeru) July 9, 2022 YouTubeで6月末に安倍総理に向けた注意喚起の動画を見ました。 暗殺決定している。との話で奈良に行くなと、、 7月初めだと。 慌ててうっかり消してしまったのですがスケジュールには奈良が入って無かったのでデマ動画だと思ったのです。 悔やまれてなりません。 犯人は彼の国だとも言っていました。 — かげきち (@CGP4C42x7IuxqE7) July 9, 2022 看護学生の娘…「心臓に達する傷でAED使ってたの?ヤバくね?血が噴水みたいに吹き出るよ」 学生にすら見透かされる茶番 https //t.co/m2llMhSpUl — mitsu❁hazuki (@mitsuhazuki83) July 8, 2022 別角度から他に撃った人でもいないと説明がつかなくないか。 pic.twitter.com/aJ6wdXAC1F — 付箋 (@KDystopia) July 8, 2022 生前の安倍元首相のメッセージ: 「ゼレンスキー大統領が自国のNATO加盟を主張し、ドンバス紛争を解決しようとしない姿勢がウクライナ戦争を導いた」 https //t.co/i30UWb7iZw pic.twitter.com/izFfspC0gh — You (@You3_JP) July 9, 2022 まじだった。。 (画像は見やすくするため一部非表示)https //t.co/WKEl0ulkCl pic.twitter.com/iFyi0FiWKW — nonono (@bnGe4oIZeFPFB4f) July 9, 2022 銃撃時刻 2022年 8日午前11時25分 銃撃される15分前にWikipediaが編集書き換えされていた?.... 宮本晴代であるかどうかはいいんだわ とにかく直後に開放していたこの女性のインタビューをとれ。素性もhttps //t.co/O8JZKUWFiy — Vox Populi (@bruisu_ncnudl) July 9, 2022 探偵★労働者側社労士 ■ 柿tweetスレッド 0 55 00〜左上から安倍さんに向けて弾らしきものが飛んで来るのが見えます。 (元映像の速度を変えて3回繋げたもの) pic.twitter.com/j9UmB4inu2 — Trilliana 華 (@Trilliana_z) July 9, 2022 弾道は担当医師の発表した内容とピタリ適合。山上容疑者の発砲は煙と音だけだったと分かります。完全に組織的かつ計画的なものであった事は明らかです。 現場の鑑識調査も殆どされておらず、これを隠蔽する(少なくとも不自然な点を追及しない)自民党には違和感しかありません。 — Trilliana 華 (@Trilliana_z) July 9, 2022 これがその動画ソフトでコマ送りをキャプチャしたものです あの画面に見える粒は左上からではないのです pic.twitter.com/evmX0ZMzS4 — けーけー (@kkcircuit) July 9, 2022 気になる人物。 下から左上に描いた弾道の角度、この人の位置なら可能。 この人だけ右手に何か持っている。 持つというより構えている。 違和感しかない。 pic.twitter.com/A9sYdaNiZa — 아 (@GznRwex) July 9, 2022 皆が観る時間帯 大きな音とたくさんの煙が出る派手な武器 2発目の銃声より前にたなびく安倍さんの襟 自分の足で降壇し、ゆっくり座り込む安倍さん 誰も安倍さんを守らないSP 少ない出血 違和感を覚えるなという方が無理ですごめんなさい pic.twitter.com/zrQV7TslgW — 自頭2.0(目覚めてる庶民) (@Awakend_Citizen) July 8, 2022 ★ 安倍晋三元首相、白昼の銃撃で暗殺される 「CNN.JP(2022.07.08 Fri posted at 20 15 JST)」より / 東京(CNN) 安倍晋三元首相(67)が8日、奈良市内で参院選の街頭演説中に銃撃を受け、死亡した。 白昼の元世界的指導者の暗殺は銃暴力に不慣れな日本に衝撃を与え、世界中から支援や同情の声が集まった。 安倍氏は過度の出血が原因で、午後5時3分に死亡が確認された。奈良県立医科大学付属病院の医師が記者会見で発表した。医師によると、銃弾による傷は心臓の深さに達し、出血を止めきることができなかった。 安倍氏は自民党総裁、そして歴代最長の首相を務めた。2006~07年、12~20年の2度政権を担い、いずれも健康上の理由で辞任した。辞任後も存在感を保ち、メディアにたびたび登場して現在の課題を議論していた。 安倍氏は事件当時、10日投開票の参院選を前に奈良市で自民党候補の応援演説を行っていた。 公共放送が報じた映像には、銃撃前に安倍氏が大和西大寺駅前の群衆に演説をしている様子が映っている。その後の映像では2発の銃声が聞こえ、煙が立ち上る様子が見られた。 現場の写真からは、通りに倒れた安倍氏の周りに人が集まる様子がわかる。安倍氏の白いシャツには血痕のようなものがあった。 ヘリコプターで病院に搬送された安倍氏に対し、医師らは懸命の救急措置を行った。NHKは警察の話として、安倍氏が2度銃撃を受け、頸部と胸部に傷を負ったと伝えた。 奈良市消防局の関係者は8日早く、CNNに対し、安倍氏が心肺停止状態だと述べていた。 NHKによると、山上徹也容疑者は地元の40代の男で、殺人未遂の容疑で逮捕された。容疑者は手製の銃を使ったとみられるが、動機は不明で、奈良西警察署で取り調べを受けている。 岸田文雄首相は「心よりご冥福をお祈りしたい」と述べ、安倍氏とは「多くの時間をともにした、よき友人だった」とも語った。 岸田氏は安倍氏が残した実績に敬意を表するとともに、「自由で公正な選挙は絶対に守り抜かなければならない」と述べて9日も選挙活動を続けることを明らかにした。 欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長は8日にツイッターで、安倍氏を「素晴らしい人物、偉大な民主主義者、多元的な世界秩序の擁護者」と評し、「彼の家族、友人、日本国民全員に哀悼の意を表する。この残虐で、卑怯な安倍氏の殺害は世界全体を震撼させている」と記した。 安倍さん、めくれる可能性があるうちは最前線には立たないと思う。 一度死んで2回目登板した後の彼の外交センスは良かったと思うし、真っ先にエストニアに行くあたり、先見の明もあったと思うよ。 てか、文字通り死んだって話はガセなのかどうなのか。 — つぶチョッパー (@pimplechopper) July 2, 2022 安倍晋三は何なんだろねー? ロシアとエネルギーだけはよかったけど しかし、サハリン2から物産や三菱商事を排除したってのは、完全にロシア、ランドパワーが西側シーパワーのいかがわしい裏付けのないお金による投資を排除したってことじゃないか 日本、早くそっちに足を乗っけないと — ミッキーの谷間の百合 (@bruisu_ncnudl) July 2, 2022 https //galapgs.com/politics/abe-kudoukai/ 「ガラパゴス速報(2020年2月16日)」より / 7月17日、国会で安倍晋三首相の事務所が暴力団とつながりがある男に300万円を支払っていたことについて、山本太郎議員が質問しました。 事の発端は1999年。当時行われた下関市長選挙で、安倍氏の事務所は安倍家とつながりの深い清和会系の候補を当選させるため、暴力団「工藤会」とつながりの深い人物を使い対立候補の誹謗中傷をやらせ、清和会系の候補を当選させることに成功しました。 しかし、成功報酬として約束した500万円のうち300万円しか支払われなかったため、2000年に報復として工藤会が安倍氏の自宅に火炎瓶を投げ込むという事件が発生します。 以上は裁判所の判決文に書かれていることで、山本太郎議員も判決文をもとに安倍氏と暴力団との関係を問いただしましたが、安倍首相の答弁は「私は恐喝の被害者」の一点張りでした。 この記事では安倍首相と暴力団「工藤会」の関係について追及するツイートをまとめてみました。 (※mono....中略、詳細はサイト記事で) / 管理人のコメント ツイートにもありますが、暴力団関係者に300万円を支払っておきながら「私は屈しなかった」などと言うのは無理があります。 対立候補のネガキャンを暴力団関係者に依頼したという事実だけですでに民主国家の国会議員としては不適格ですが、さらに報酬をケチってヤクザに詰められるという人間としての格好の悪さ。「えっ、ケチったの?ダッサw」が普通の反応だと思います。Twitterには「ケチって火炎瓶」というハッシュタグまで作られてしまいました。これでも支持率が下がらないのが不気味です。 そしてこれは国会で議論された話題なのですが、大手メディアがみな報じていないことが不気味さに拍車をかけます。 一国の首相が暴力団関係者とのつながりを追及されている重大な場面をなぜどのメディアも報じようとしないのか。 その理由こそが日本の闇なのだと思います。 ■ バカな安倍信者はまだわからないのか 「二階堂ドットコム( 2020/12/03 13 30 )」より / 支那に転んだから、アメリカが特捜部つついて安倍を刺したんだよ。吉川なんてどうでもいい。菅と二階はビビりまくってると思うよ。二階は引退、菅は、さて、どうするのかな。 ■ やめてもこんなこと言うのは転んだ証拠 「二階堂ドットコム(2020/10/14 12 12)」より / 死ねばいいのに。 「対中経済切り離しはできない」 安倍前首相単独インタビュー 2020.10.12 17 40政治政策 安倍晋三前首相 安倍晋三前首相は12日、産経新聞の単独インタビューに応じ、日中両国が貿易・投資で相互利益を得ていることを指摘した上で「(日中経済関係を切り離す)デカップリングはなかなかできない。その中でいかに中国を抑制していくかということなんだろうと思う」と述べた。 おにもつシンゾーは今井とかいうのが中共のスパイと知って 頭かかえたらしいよ それが 時間がない発言w→このままじゃぼくちんザンネック作戦で始末されちゃうってw どんなバカでも分かるw 田中角栄という人が昔キッシンジャーにやられましたしねえw #セカンドフロア — 魔法少女ティロ・フィナーレ@再編作業中 (@mu_kaoru) August 26, 2020 【安倍晋三】 ■ 予想通り入院:安倍政権は今月で終わりだ 「二階堂ドットコム(2020/08/17 10 39)」より / 解散して選挙打って、そして死ねば自民党は勝てる。もうそれしか安倍の役目はない。潰瘍性大腸炎の急性増悪だとしたら、暫く退院出来ないと思います。あるいはガンか。入院予定はないというが、もうこのクラスになると病院にいる必要もないからね。CTとMRI、内視鏡以外は全部持ち込めばいいんだから。ステロイドパルス療法やるのかな? ちなみに、前の病気の時は主治医の一人が朝鮮人w (※mono....以下略) ーーー 事実かどうか確認できていないが、安倍首相が慶応病院に検査入院するという一報を聞いた。昨日から、月曜に入院の可能性という話は流布していたが。野党は、合流話に早々に決着をつけ、コロナ対策を中心に、政権をよこせという具体策を打ち出してほしい。 — 山口二郎 (@260yamaguchi) August 17, 2020 ーーー ■ 安倍総理は検査入院だと聴いています 「青山繁晴の道すがらエッセイ(2020-08-17 10 17 12)」より / 安倍総理が午前10時半から、慶應病院に入院されますが、政権中枢からは「検査入院」と聴いています。 最近にお話ししたときは、きわめて快活にお元気でした。 また8月15日の全国戦没者追悼式では、たいへんしっかりした様子でした。 そのうえで、静かに見守ります。 ーーーーー (※mono....ツイート界隈の実め保守系アカウントがダンマリです。二階堂ドットコムさんの分析が気になります) ■ 無限大バカ総理と今井は死ねよ!【投稿】 「二階堂ドットコム(2020/07/27 01 08)」より / ホストクラブでの感染は間違いなくババアなんだなあと確信したわけでw ホストは性病とエイズの感染を心配した方が良いと思います。 コロナよりよっぽど怖いです。 https //twitter.com/MitoraNatsuki 結核や赤痢よりも指定感染症のランクを上にしていることを容認している安倍晋三が全て悪いです。 小池百合子にせよ、安倍晋三にせよ、他の閣僚、野党議員含めてみんな中国に配慮した行動してますよね。 橋下徹が良いかと問われると、過去には「空港跡地は外国人自治区を作る」という発言もしてます。 ウィルス騒動になってから雲隠れしていて、何やってるんですかね? 一国の宰相が週に一度も国民に説明もしないで、10万配っただけでそれで終わりかよ?って思うのが世間なのですがねえ? 中国船が尖閣諸島周辺に近づける状態が日常化されていることに危機感がない総理に、経済危機を訴えても無理なのかもしれませんね。 ■ 安倍退任に向けて 「二階堂ドットコム(2020/07/02 04 16)」より / 前はウンコ漏らしがきつくてだめでしたって話だったんだから、今年の秋は少しまともにやめないとな。 防衛出動かけて即座に衆院解散とか、歴史に残ることをやればいい。そうすれば参院だけいじればすむ。 小渕恵三は日本国憲法施行以来、自衛隊法に基づく海上警備行動を初めて発令して歴史に残った。 尖閣諸島に現れる潜水艦に対し、防衛出動をするべきだ。また、竹島を支配している南朝鮮軍から我が国の領土を奪還しなければならない。 (※mono....中略、詳細はサイト記事で) / 批判もすごいだろうが、やはり、足跡をつけることは後世に必ず評価される。これは安倍にしかできない。あと、やるとしたら河野太郎だろうがその時また自民が議席を減らしているだろうからどうなるやら。 日本軍には、その持つ戦力の全てを使って、米国の支援なしに支那軍および南朝鮮軍を蹴散らしてほしい。 それでこそ日本の本当の再興もできるのだ。 ■ 安倍首相、退陣の意向固める 「二階堂ドットコム(2020/05/24 09 51 )」より / ↑どうも、うちの海外情報の複数の筋からこういう話が出てるんだよなあ。しかも、今月末って。 昨日かおとといの世論調査の前から出てる噂なの。 ちょっと考えにくいので打たなかったんだけど、同じ話が複数来るとねえ。 ■ 【投稿】武漢コロナで安倍を信用できなくなりました 「二階堂ドットコム(2020/05/11 07 13)」より / 題名 人間味が感じられない首相 メッセージ本文 お疲れさまです二階堂様。 確かにシナコロナ侵攻辺りから安倍が全く国民の声に反応しなくなっていることに違和感がありますね。犬でも生きてる以上叩けば鳴きますからねぇ。国民の声を完全無視する様になって人間味すら感じられなくなってきたので最早まともな人としての思考回路というか喜怒哀楽すら無いのかもしれません。 安倍はシナに絶対服従の「シナ奴隷」か、役人の言うことのみ聞く「リモコンマン」か、はたまた7年の長期政権で脳がボケた「痴呆老人」か、元々シナに育成され時が来たらそうする様に命令されている「スリーパー」か…。 どちらであれ国民がいくら呼び掛けても全く反応しない首相って不要不急でしかないでしょう。役人も議員も企業もそもそも国民自体勘違いしている様ですが首相って何でも許される絶対的権力者じゃ無くて只の国民の代表ですからね。 国民を無視した時点で即効引きずり下ろして棒で叩くべきなんですが、何か安倍に対して国民はすごく甘いと思います。 【日本政府の無能】 ■ 【投稿】支那虫は全員スパイ、そして裏切り、日本に攻めてくる。 「二階堂ドットコム(2020/05/10 16 26)」より / 題名 怒り心頭 メッセージ本文 あまりのアホさ加減に冒頭あいさつ端折って即本題ですみません。 最近、家の前でうちの中を物色していたゴロツキ共が、遂に玄関に入って娘を追い回して、居座って3日間になるのに、そいつらにメシを食わせて病人の面倒まで見てやる奴があるか?そんな奴に家長は務まらん。ゴロツキ共々、家の外に蹴飛ばしてやるしかない。 https //www.sankei.com/politics/news/200509/plt2005090007-n1.html https //www3.nhk.or.jp/news/html/20200510/k10012423921000.html 支那を排斥しよう。これは差別ではなく、国家の安全保障と日本国民やまともな外人を守るためだ! 無限大バカの安倍も最初から最後までタダの犬だな。犬でも叩けば吠えるかと思ったのに吠えもしない。チワワですら吠えるのに。 俺も1/4だかユダ公だからさーナチスの真相もそれなりに知ってるし優勢論もわかってるけど、アホのナチズムだけは容認しねえぞ。機関には安倍は中共に食い込まれた赤化極左だって報告済みだその証拠がプーチン皇帝の戦勝祭参加だしな。オリンピック飛ばしてやっても運命を理解できないらしいな https //t.co/Jxc5WP2aB8 — 魔法少女ティロ・フィナーレ@魔法少女隊 (@mu_kaoru) March 31, 2020 ■ 今まで良くても、今この瞬間が悪ければダメなのが総理大臣。 「二階堂ドットコム( 2020/03/02 05 07)」より / 二階堂ドットコム主宰 二階堂様 私の知り合いに安倍首相は疫病対策をよくやっていると支持する者がいました。わたしは今回の疫病対策については何より初動が間違っていたと思っています。 何で支持するのか聞いているうちに、「よくやっている人の背中を打つのはやめよ」と言い出す始末でした。偏向的支持者でなのかな?と感じました。 学校休校のことにしても小手先の対策です。 良いか悪いか評価は別として、中曽根型のような手法をとれる、それなりに勉強して問題の本質、先を読める政治家、役人の不在が不幸を招いているように思います。超法規的な手法をなぜとらないのか?総理が出てきて国民になぜ語らないのか? (※mono....中ほど略) / 習近平来日、五輪、五輪後の総選挙で勝利し、総理総裁再選・・の方が優先だったのでしょうか。この疫病は大したことはないと甘く見ていたのでしょうか。 令和になって本当に変なことが起きます。自然が悪さしています。なんかの警鐘と理解しています。 ■ 喉痛いなあ 「二階堂ドットコム(2020/03/01 13 20)」より / 習近平は、日本に行く機会ももう無いかもしれませんね。あの人終わり。安倍も下手打って終わり。 【安倍内閣】 ■ 外患 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2019年12月28日)」より (※mono....前半大幅に略) / 此処で、わが郷・左近尉が、度々いってきたこと。米国の腐れ支配層=米穀は支那を強国にして、日本を挟撃することとした。それは、日本の工業技術が、遙かに欧米の其れを凌いだため。戦術攻撃兵器の要である、ミサイル技術では。アメリカは、とうてい日本には敵わない。それで、日本の金融の、ウスラポンポン。能なしの日本金融を、小泉などを使って、米穀に従属させることに、なんと。易々と成功してしまった。国際禁輸麾下の、自動車だとか情報産業。これから支援を受けてきた、自民党は是と戦えない。ならば、いつまで経っても。構造改革の旗が降ろせない。ところが、パチンコ議員が自滅過程に入る。これを奇貨として、安倍晋三氏は新たな自章を書けるのか。 ニホンのサヨクは、米穀支配の。ヒダリからのつっかえ棒。日本が絶対に、軍事的な強国になるのを、徹底的に邪魔してきた。その具体的な証拠は、サヨクの為すこと。全てに米穀金融の日本国内での、チンドン報道。マスコミは、全面的にサヨクの。例えば、モリカケを支援してきた。そして、最近は、お花見騒動を、散々に煽ってきた。 日本の最大の敵は、米国に巣くった戦争屋で金融詐欺師。わが郷の謂う米穀ではある。 イランからの石油輸入を、停止せざるを得なかった。 日本は米穀軍の軍事的、そしてテロの恫喝に忖度する。 しかし、イラクを軍事的に恫喝する。米国などの中東軍事作戦には、加わらないと態度を鮮明にしている。是が、役立たずのガラクタを、沢山買わされた。野田のブタ政権と、決定的に違うところだ。サヨクの馬鹿どもが、執拗に安倍晋三氏を攻撃する。それは、対米的に確固とした政策を推し進める。そうした知略も、勇気も無い。浅ましい戦後特ア利権の、利権に浸かって。脳みそが、完璧に茹で上がった。そうした日本人としての、人でなし。たんなる、カエルだからこそ、為にする。羨望と嫉妬がなせる技。ならば、特ア利権の微温湯に浸かっている。一部の特アだけにしか、サヨクの盲動は支持される筈も無い。 (※mono....中略) / 自民党内の、パチンコ議員等が、これから芋づる式に、あげられるのか。 サヨクだって、このカジノ疑惑を追及すれば、返り血を浴びる。 それでも、此処で闘うのを躊躇すれば、サヨクのじり貧は。絶対に、押しとどめようが無い。 日本を浄化する。その戦いは、序章が終わり。つまり、韓国を完璧に黙らせる。次には、第一章が始まるのか。 韓国の腐った支配層と、つるんだ日本国内の。自民党パチンコ議員等を、消毒する秋が来た。 【宮台真司】 ■ 【宮台真司】劣化した世の中を生き抜く方法 2019/12/13 に公開 ■ 安倍心臓、なぜ総裁でいられるのか? を探る。 「だいはつ(2018年09月14日)」より / 安倍心臓、なぜ総裁でいられるのか? 最初に結論を書いちゃった方が気が楽に成りそうなので、そうします。 安倍心臓 がプレゼントする多額の海外援助金について こんにち一般には、 「 国民から搾り取った税金を元手に、倫理観に優れた指導者を装うことで自身の名誉欲を満たす。」ための行為…と理解されてきたようですがー、実は、もっと単純なものでした。 バカな安部心臓にもわかりやすいくらい、単純すぎて単純すぎて、逆に盲点だったわけです。 いや、思いつかなかったのは私、貧困だいはつだけなのかも知れませんが。。。 海外援助金 の単純なカラクリ それは、 バックマージン。 バックマージンを50億円欲しい時には 1000億円を拠出するのです。 おおむね5%、多い時は15%のキックバックを確約した上で、援助しているというのです。 (※mono....中略) / 安部心臓はもらったお金を 先達から引き継いだアメリカのデラウェア州の銀行に置いているそうです。 デラウェア州の銀行とは、パナマ文章に出てきたようなタックスヘイブン(税金申告をしない) 匿名可能な銀行の事です。 そこから自分への支持を取り付けた議員、友人、シンパ、はもとより、 報道をも含めた各界の要人にバラまいています。 一人当たりに与える金額は常軌を逸する金額で、受け取った側は、もう、正義も倫理観も、議論もヘチマも吹っ飛んでしまうのだと聞きました。 なんせ、「 宝くじ、一等前後賞6億円を2~3回当てちゃうようなモノだからねェ。」…との事。。 (※mono....以下略) ■ 保守偽装の安倍首相は日本の安全保障をズタズタに破壊してきた人物である 「新・大森勝久評論集(2019-09-28 01 03 44)」より / 日本は国家存立の危機にある。中国がアメリカの覇権を脅かす独裁侵略大国として台頭したこと、効率の悪い共産主義経済を放棄した、ソ連の「偽装国家」の独裁侵略大国ロシアが2008年から再侵略を開始したこと、ロシアはアメリカを上回る核保有国だ。中国とロシアは準同盟国であって頻繁に合同軍事演習を行い、共同して日本を侵略し分割支配しようとしているからである。中国は2035年までに西太平洋における軍事覇権を確立し、2049年頃には米軍をアジア太平洋地域から完全に排除すると公言している。つまり日本は中国とロシアの「一地方」にされてしまうことになる。日本の亡国だ。 だが、日本国民には危機意識がまるでない。日本は対中国防強化、対露国防強化に全力を挙げていかなくてはならないのに、安倍首相は戦後の日本の安全保障政策を逆転させて、「日中協調の新時代」「日露の戦略的パートナーシップの強化」を主張して、日本の安全保障をズタズタに解体する政策を推進している。彼は保守に偽装しているが、反日左翼であって両国の尖兵である。だが保守派「識者」のほとんどは保身と私益から「安倍応援団」になってしまっており、首相を公然と糾弾する識者は例外だ。その声は黙殺されている。日本は国家存立の危機にある! 私たち一人ひとりが勇気をもって批判の声を上げなければ日本は亡びる。 ●安倍首相が実行してきた反日犯罪の数々 私はこれまで何年間も安倍首相の反日犯罪を批判してきたが、以下に簡潔にまとめてみたい。 (1)日本侵略を国家目標にしている独裁国家の中国とロシアに日本を急接近させていく。 安倍首相は第1次安倍政権(2006年9月発足)で最初の外国訪問国に、歴代首相がそうしたように同盟国アメリカを選ぶのではなく、独裁侵略国家中国を選んだ(同年10月)。安倍首相が掲げる「戦後レジームからの脱却」の実行である。戦後の日本はアメリカと同盟条約を結び、自由主義陣営に自らを位置づけて(日本国憲法)、ソ連(ロシア)・中国・北朝鮮など共産主義陣営・全体主義陣営に対峙してきた。これが「戦後レジーム」であるが、安倍首相はそれを逆転させたのだ。彼は北京での日中首脳会談で、「日中の戦略的互恵関係の構築・強化」を主張して、中国共産党と一致している。保守派であれば決してしない主張だ。このスローガンは日本を中国に売り渡すものだ。安倍氏は日本の対中国防を解体していく。それによって近い将来、中国は日本を侵略することになる。彼は中国の尖兵である。彼は最近では「日中協調の新時代」のスローガンを唱えている。彼の行為は刑法第88条の外患誘致準備罪に当たる。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 投稿:安倍はいい人 「二階堂ドットコム(2019/03/03 19 42)」より / 私、ふと思い出したんだけど、安倍に遭遇したことあるんだ。靖国神社。九段高校に用があって行ったことがあり、靖国の前を横切った。安倍が何故か秘書と一緒に鉄鳥居から入っていくところだった。確か首相やめて失意のころじゃないかな。 でもこの人はいい人だなとおもった。政治家なら、本殿近くに車停めていけばいいのに、わざわざ鉄鳥居のところに車から降りて、誰も見ていない俺しかいないところで、降りてそこから歩いて入っていこうとしていた。ちょっと声かけたら。「どうも」と軽く会釈していた。 【自由民主党】 / 【北海道】 ■ 国後・択捉島だけでなく、日本の全領土を中ロに献上する“対ロ売国/対中売国のウルトラ非・国民”安倍晋三を、今すぐ内閣総辞職させない自民党は、共産党より極左だ! 「中川八洋ゼミ講義(2019年2月18日 投稿者 吉田寿太郎)」より 筑波大学名誉教授 中 川 八 洋 / 皇位継承を完全破壊し今上陛下に“お前は、今日限り、廃帝だ!”を宣告する「人民法廷4・30」問題や「大嘗祭の始原」に関する研究で、睡眠時間に事欠く多忙な2018年12月、それでも時間を工夫して読んだ二冊に、以前読んだ二冊を加えた計四冊の本の紹介から、話を進めたい。 日本国の現実を直視して国家の将来を憂慮する真正の日本国民(=愛国者)は、昭和天皇の崩御(1989年11月)とソ連邦崩壊(1991年12月)を境に、日本からプッツンと消えた。こんな日本でも愛国者は、絶滅危惧種のように幽かな数ならいることはいる。が、総人口に対しては限りなくほぼゼロとなった。このことは、愛国者の特質である二十年先、三十年先の子孫のことを考える、そのような国会議員すら(腐敗と堕落の選挙屋しかいない自民党国会議員を観察すれば明瞭だが)全くゼロという戦慄する事実に明らかにすぎよう。 国家や民族の精神はむろん国家意識すらなき“人間以下のアヒルやブタ並み”になったのは、何も自民党国会議員約四百名だけではない。最長で三年先までしか思考できない国会議員を、麻薬患者と同種の刹那主義の“選挙屋”だと正しく認識できず、逆さにも“国政を担う政治家”だと錯覚し投票会場に赴くのは、日本の有権者九千万人が、“アヒルやブタ以下の昆虫並み”になったからである。日本人とは、腐敗の極致を泥土の中で酔い痴れる酔っ払いか、その日暮らしのトンボやカナブンと同じ知能指数しかない。 (※mono....中ほど略) / 私は1992年から投票権を行使したことがない。アヒルやブタにすら及ばない、国家毀損のみに現を抜かす“馬鹿以下の白痴集団”自民党国会議員や“赤い犯罪者集団”野党議員たちに投票する事は、真正な日本国民ならば倫理に悖る。 第一節 外国人土地取得を規制しない安倍の“無責任行政”で急増する領土消滅 (※mono....以下詳細はサイト記事で) 北海道全土占領を目的に軍事的先遣部隊用の軍事基地づくりを目指し、北海道を買い漁る中共 中共と通謀する国土交通省が、日本人の税金で中共海軍の軍港を代理建設 香港やシンガポールの金持ちや企業の名義で、日本列島内の軍事拠点を買い漁る中共 第二節 正語「不法占拠」「固有の領土」「四島を返せ」を抹殺した“狂人”安倍晋三 日本人KGB工作員に洗脳された宮澤喜一の狂気「2月7日」案は、絶対許さないと主張した理由 「四島奪還!」の元島民の聲を封殺した2019年2月7日大会──“狂人ロスケ”安倍晋三の恐喝 内閣府HPにこれまで掲示していた「北方領土特別措置法」の全面削除を命じた安倍晋三の“犯罪” 結節 日本人の領土全てを奪い地獄の“地球放浪者”にしようと企図する安倍晋三 (※mono....本文詳細はサイト記事で) 【日本の移民問題】 ■ 安倍晋三は間違い無く朝鮮人!日本の最大の強みを多民族国家にして無くす積りである。 「魂魄の狐神(2019-02-09 04 47 20)」より / なぜ日本は強国になることができ、他はなれなかった … news.searchina.net/id/1675485 (※mono....中略) / 日本の政治屋は総て朝鮮好き好き大好きばかりである。安倍鮮三の移民政策に満場一致で賛成した高速異民族ばかりだと日本民族は心得るべし。日本は単一民族国家であればこそ、内輪揉めが在っても一本に収まることの繰り返しの歴史を持って来た。此れが最大の強みと中国メディアも見抜いて居る。異民族が人口の1/100に成っても大丈夫では無い。其れは欧州を見れば分かることである。(※mono....中略) / 日本には完全失業者は163万に居る。此れを無視して日本を多民族国家にする為に異民族を大量に入れたがる屑が日本の政治屋であり、財界である。此奴等日本民族で無い証拠である。 【自由民主党総裁選挙】 ■ さっききいたが 「二階堂ドットコム(2019/02/08 20 25)」より / 安倍四選はあるぞ。ていうか、そうなる。 軽い神輿の大宰相だ。 ■ 中韓崩壊と安倍総理 「「国家戦略特区」blog(2019年01月26日)」より / 「最近の保守界隈の話題は、韓国軍のレーダー照射と、対チャイナのトランプ政権の貿易戦争ですが、中韓崩壊の前に直視すべき事実があるのでは?」 (※mono....書籍画像略) / 『日本を特定アジアに差し出す安倍政権』 いわゆる保守界隈では、特定アジアと呼ばれるチャイナ・コリア関連のネタが大人気です。トランプの貿易戦争で中国経済崩壊!とか?韓国軍のレーダー照射事件で日韓断交!とか?姦しいですが、現実の安倍政権の行っている政策は、特定アジアに日本を差し出す事のみです。昨年の訪日外国人は三千万人を超えました。 (※mono....中略) / 『インバウンド=チャイナ&コリア』 訪日外国人と言っても中身は、チャイニーズ838万人、韓国人753万人で、これに台湾、香港が続きます。インバウンドって結局は特定アジアに日本を差し出す話しなのです。特に韓国は人口5千万人ですから韓国人の7人に1人が日本旅行を楽しんだ事となり、これは尋常じゃ無いレベルの親日民族になりませんか? (※mono....画像略) / 『日本を韓国人だらけにする安倍総理』 ところが観光庁の統計データを見ると、全く違った側面が分ります。人数がほぼ同じチャイナに韓国は消費額では大きく水を空けられ、449万人の台湾とほぼ同じ水準です。個人消費額が多いのは、オーストラリア、スペイン、イタリアで、韓国人の個人消費は、タイやマレーシアより少なく断トツの貧乏日本旅行です。 『韓国人の日本好きは常軌を逸している』 (※mono....略) / 『戦後ホシュの親韓は異常なレベル』 嫌韓などは日韓W杯以降に顕在化したのであり、特に戦後保守において韓国は反共の最大の盟友でした。上記のリブログ記事に詳しいですが、カルト宗教の統一教会の名称変更に保守派政治家が深く関与したのも、統一教会の別働隊とも言われる勝共連合と強い結びつきが有るからです。安倍総理の正体は超親韓派です。 『景観破壊のハングルと簡体字を撤去せよ!』 韓国は大学進学率が日本より高く日本人より英語が得意なのが自慢なのですから、ハングルの表示など無用です。表音文字を持たないチャイナでは漢字を学ぶ前にアルファベットを習得するので簡体字も必要無しです。特定の外国優遇で日本の景観を破壊し案内が見難くなるハングルと簡体字の看板は全て撤去すべきです。 『中国崩壊論は戦後ホシュの妄想』 自称ホシュの莫迦どもは、日本より遥かに高いチャイナの経済成長が鈍化したから中国崩壊だ!と喜んでいますが、ならば更なる成長鈍化に苦しむ日本が先に崩壊すると判断すべきです。中共政府は、なりふり構わず景気対策に20兆円の減税を実行しますが、この額は日本の消費税廃止に匹敵し日本も見習うべきです。 『安倍政権の中国移民で日本崩壊へ』 安倍総理が強行採決し4月から施行の移民法ではチャイナも受け入れ国に含まれています。仮にチャイニーズ1人を入れると妻と子供数人に夫婦双方の両親4人が、あらゆる手を使い日本に来るのは確実です。ブラック企業が賃金をケチったお陰で4人の老人と日本語を喋れ無い子供数人の面倒を永久に我々が見るのです。 『反日勢力の自民党を叩き潰そう』 尖閣を日中共有状態にし、英霊を強姦魔扱いする日韓合意を結び、北方領土を献上したくて堪らないのは、他ならぬ安倍自民党です。平成になって導入された消費税をひたすら増税して日本を衰退途上国にしているのも自民党です。この日本を米国を含めた外人様に献上する反日勢力である自民党こそ叩き潰すべきです。 『消費税廃止こそ日本復活の切り札だ!』 今の日本に必要なのは自民党に代わる反グローバリズム反緊縮財政の国民政治運動です。幾つか流れが生まれつつありますが、多くの庶民の支持を集めるのは、最悪最低の消費税を廃止する事です。22兆円を超える景気対策を行なえば、外国に頼らなくても日本は再生します!消費税廃止こそ日本復活の切り札なのです。 (※mono....以下略) ■ 【今は日本民族に露骨に牙を剥きだした真っ赤な似非保守だった安倍晋三の「朝鮮好き好き大好き」を安倍を叩くことで支援す燐寸ポンプ「魔意(毎)日新聞」と「赤(朝)日新聞」】 「魂魄の狐神(2019-01-26 15 10 24)」より / 切っ掛けは、大陸孤児?安倍晋太郎を中国東北部から連れて来た西村真琴(水戸黄門□西村晃を次男に持つ親父)が毎日新聞の大阪支店の役員だったことから、安倍晋太郎は毎日新聞に入社した。其れ以来、毎日は安倍一家とは入魂なのだ。 そういえば、カメラマンで在り乍ワシントン支局長迄出世させて貰った強姦魔山口敬之も毎日新聞であった。カメラマンは記者では無く、カメラマン上がりがワシントン支局長とは、世の中が可笑しく成ってる。安倍晋三の身辺は常識を遥かに超える珍事ばかりである。 (※mono....中略、詳細はサイト記事で) / もう日本国は元清和会の首相経験者と首相達(森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三等)に実体褸々にされた。問題は、安倍晋三が首相を辞めた時に一気に噴き出る膿である。 2009年から安倍晋三首相の私設秘書となった西山猛氏は、毎日新聞の元北海道支局長である。 安倍首相の父親、安倍晋太郎は、1949年毎日新聞に入社(56年退社)。 西山猛氏の父親の故西山柳造氏も、元毎日新聞政治部記者で1942年入社し、1946年2月に、幣原内閣が起草した憲法改正草案をスクープした。 このスクープは、政府案が天皇統治に固執した保守的な内容であることを明らかにし、連合国軍総司令部(GHQ)に知られ、GHQが憲法案起草に乗り出すきっかけとなった。 安倍と西山、2人の父とその息子たちの関係と憲法9条改悪を実現するための、新聞記者の金と暗躍が透けて見える。 (※mono....以下略) ■ ロシアに日本領土を貢ぐ“空前絶後の売国奴”安倍晋三 ──愛国心ゼロの正体バレた“シンゾウ寄生虫”小川栄太郎/百田尚樹 「中川八洋掲示板 筑波大学名誉教授 中川八洋(2018.11.22)」より (※mono....以下長文につき副題のみ掲載) / 第一節 法的正義なき“無道徳”安倍晋三は、ソ連の満洲侵攻を誘導した「松岡洋右」 ・安倍晋三は、“国民騙しのフェイク国政”しかしない。つまり安倍とは、極端&常習のフェイク首相 ・安倍晋三の脳裏には子孫と祖先が不在。祖先からの賜物「領土」はゼロで良しが安倍晋三の思想 ・「松岡洋右50%、田中角栄40%、佐藤栄作10%」でブレンドすれば、売国奴「安倍晋三」が誕生 ・「安倍晋三は憲法前文の狂信者」──“稀代の対ロ売国奴”安倍晋三の対ロ平和条約を潰そう! 第二節 “売国奴”安倍晋三に阿諛する“寄生虫”は、日本国土の対ロ割譲に大拍手 ・阿諛追従もここまでするか、“ホラ吹き&大嘘つき作家”小川榮太郎の「日本人に領土は要らない」 ・“日本国土ロシア献上”の安倍・売国暴走を支持する、“売国・非国民”の四匹の“シンゾウ寄生虫” ・僅かでも日本国を愛するならば、皇后陛下殺し(未遂)のテロリスト編集の雑誌に断じて寄稿しない ・参考;北朝鮮人「在日」と韓国系「在日」の見分け方 ■ 貧乏人は、敵だと 知るべし。 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2018年11月14日)」より (※mono....前後略、詳細はサイト記事で) / 国際構造改革は、 たとえば、安い労働力を入れれば、企業会計では儲けが出る。 しかし、今までの日本人労働者は、間違いなく貧しくなる。 新日鐵住金が、貧乏な隣人にめぐみを与えれば、 日本全体では膨大な、ユスリたかりが発生する。 外国人労働者の移民を許せば、日本全体では 企業がコストを浮かせた分だけ、日本が貧しくなる。 そもそも、株式上場企業が、売り上げの 1割を利益計上する。 なんて、国家経済の貧困化政策で、反日・侮日の朝鮮人等が、儲かるだけ。 再生産に廻すカネが、1割減ればそれ以上に、国民経済が縮小する。 こうして見てくれば、安倍政権は特ア・売国政治だった、小泉時代の色変わりの変種だと知れる。 消費税増税だとか、移民で日本の賃金を低くする。なんて、悪政をつづけていては、憲法改正なんて国民が承知しないだろう。 【譲位】 ■ 皇后陛下のお言葉(懿旨、ご抗議)に唾を吐き足蹴した“皇室冒瀆屋”安倍晋三──正語”譲位”を殺し、今上陛下に“廃帝”宣告する“レーニン気取り”の安倍晋三 「中川八洋掲示板(2018.10.30)」より / 筑波大学名誉教授 中 川 八 洋 目を何度も疑った衝撃的なテロップ(字幕)が乗ったニュースがNHKから流れたのは、2016年7月13日午後7時の「NHKニュース7」。この字幕は極度に大きな字で、「天皇陛下《生前退位》の意向示される」であった。 新語「生前退位」は善意に解すれば“譲位”ともとれるから、他意・犯意が満載の奇怪語すぎるキナ臭い不審性を感じたが、それよりも“譲位”という二百年前1817年3月の光格天皇以来の大事件で、かつ皇室典範が禁じる皇位継承の方式なのに驚き、“誤報ではないか”“誤報なら、これほど重大な不敬事件はない”から、正語“譲位”殺し(logocide)に他ならない“世紀の悪辣犯罪語”「生前退位」問題はしばらく凍結しようと決めた。 ありていに言えば、もし誤報ではなく、本当に今上陛下が“御譲位”される場合、それを機に一気に天皇制廃止の仕掛けが創られるのは必定で、「1946年のGHQの《民主化》命令に便乗して、日本側が決行した反天皇・反皇室のトンデモ制度づくりが再燃する」最悪情況ばかりが頭をよぎり、天皇制廃止を含意する“不敬の共産革命語”「生前退位」問題に怒っている余裕などないと自分に言い聞かせた。 ただ、7月13日から三ヶ月後の2016年10月20日、“不敬の共産革命語”「生前退位」に対して、皇后陛下が前例のない「談話」公表というスタイルで懿旨(備考)を政府と国民にアッピールされた、真っ正面からのご抗議事件だけは、気になって仕方が無かった。確かに、縁起の悪い忌むべき言葉「生前」(備考)と(宮澤俊義以来、日本の憲法学界で通念となった)ルイ16世のギロチン送りのための革命憲法用語「退位」とを組み合わせた“血塗られた不敬語”「生前退位」を造語するとは、天皇殺し・皇族殺しを含む皇室を憎悪する超過激な共産主義イデオロギーの持主以外には決してできない。 (備考)天皇陛下の「聖旨」に相当する、皇后陛下の“お考え”を「懿旨 いし」という。 (※mono....中略) / 譲位禁止の「退位」特例法を逆さに“し、譲位”特例法だと真赤な嘘を流す産経新聞 “譲位を禁止する/受禅を禁止する”という反天皇・反皇室の法律「退位」特例法が2017年6月に制定されるに当り、北朝鮮人が編集を牛耳る天皇制廃止狂の“民族系偽装”産経新聞の報道は突出して異常を極めた。何故なら、“狡猾さ日本一の悪新聞”産経新聞は、譲位禁止を定めた「退位」特例法を逆立ちさせて、「譲位特例法」だと真赤な嘘ラベル報道に全力を挙げてきたからだ。 あるいは菅義偉と御厨貴の共産党員コンビが独裁的に運営してきた「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」についても、産経新聞は「“譲位”有識者会議」だと、事実を転倒させた真赤な嘘記事をキャンペーンしてきた。「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の「天皇の公務の負担軽減」の真の意味は、“天皇在位に定年退職制度を導入する”というもの。それは天皇を国家公務員と同一視するということ。 現在の内閣官房や内閣法制局の多数意見は、「“天皇は国民の下僕”であるから、よく働いたらご褒美として定年退職を認めてあげよう」であり、有識者会議のタイトル「天皇の公務の負担軽減」は、これを多少のオブラートに包んだ表現にしただけ。ところが産経新聞はこの事を知っていたからこそ、天皇の譲位を絶対に認めない/天皇を定年退職させる制度づくりに腐心した有識者会議を、真赤な嘘ラベル「“譲位”有識者会議」を貼り、有識者会議の本当の目的と正体を隠蔽したのである。 産経新聞が、これほど“悪辣な嘘、嘘、嘘”を意図的に流し続けたのは、神社本庁と日本会議が“「退位」特例法の言葉「退位」は何か変だ”“天皇制廃止のニュアンス濃い左翼用語のようだ”“「譲位」に正しく直すべきだ”と覚醒して、日頃親しい安倍晋三に猛運動を起こさないよう、「退位」は「譲位」と同義ですよと騙すのが唯一の目的。神社本庁と日本会議を完全に無力化する(=馬鹿アホ化する)、つまり共産革命が整然と遂行されている事態を見えなくする(=盲にする)事が、極左「反日」新聞である産経新聞に命じられた筆頭任務だったということ。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ーーーーー ■ 天皇制廃止に舵を切った“80%共産主義者”安倍晋三 ──今上陛下に“廃帝”宣告する「4・30退位」式典を、中止も是正もせず遂に正体を顕わした安倍晋三 ■ 菅義偉の“革命”「退位」式で、天皇制度の廃止は確定する ──4・30退位礼は、徳仁《新天皇》に対する廃帝人民裁判のリハーサル 【保守】 / 【論壇】 ■ 安倍信者からの転向者が「保守」論壇の中で増えつつある 「大和民族の団結│日本人の誇りを取り戻せ(二〇一八年九月一五日)」より / 安倍政権の政策にはなんでも賛成するというような、悪質な存在が安倍信者である。かつて「ネトウヨ」と呼ばれていたような層は、安倍政権発足以降、ネトウヨと呼ぶのもふさわしくない、安倍信者化したと言える。ネトウヨはネット右翼という意味であるが、安倍信者の主張は右翼的な主張ではなく、安倍政権を擁護するのみであり、その政策がどのような売国的なものであっても、決して批判しないから、これはもはや右翼ではないのである。 これはネット上だけでなく、保守と呼ばれる言論界でも同じであり、保守派と言われる人々は、皆安倍政権を支持しなければならないという宿命を背負い、必ずその政策を内容に関わらず擁護するということが多かった。しかし、そのような保守と呼ばれる言論界においても、安倍信者からの転向が最近になって増えているように思われる。 「保守界の重鎮」として知られ、つくる会や日本会議とも繋がりの深い西尾幹二が、「安倍政権、ないし自民党は保守とはいえない勢力」などとして安倍政権を痛烈に批判したことは驚きを与えた。西尾氏曰く「集会などで安倍政権に疑問を呈すると、キリッと睨まれる」などと話し、安倍政権支持という全体主義的な空気が保守界に蔓延していることも告白している。安倍政権が実行する政策がいかなるものかを見てこれを批評すべきところを、安倍政権を支持することそのものが目的となってしまっているようである。 安倍信者からの転向者は、西尾氏だけにとどまらない。かつては安倍政権の熱狂的な支持者であった倉山満も、最近になって安倍政権批判、というよりも安倍信者批判を始めている。 (※mono....以下『https //nikkan-spa.jp/1505639/2 』からの引用略、詳細はサイト記事で) 倉山が安倍信者から転向した理由は、主として二つである。一つは、安倍政権が来年十月の消費税増税を閣議決定したことである。前回の増税の際には、多くの安倍政権支持者の間で見られた擁護が「安倍首相は増税したくなかったが財務省の陰謀により増税が実行された」というものであった。そもそも財務省を抑えることができなかった時点で擁護になっていないわけであるが、今回の増税に関して倉山は「増税してもすぐに回復する」という財務省の説明を安倍が信じ込んだとし、安倍政権自体を批判している。 さらに直接の転向の原因となったように思われるのは、安倍政権の示した憲法改正案であった。倉山はこれを「従来の自衛隊の解釈を引き継ぐものであり、意味がない」として批判している。 以下引用 これまでの日本国憲法の解釈を正当化し、条文化するのが安倍自民党改憲案。とすると佐藤内閣以降の解釈でしか憲法典は解釈されない。法律を変えようとしても、「憲法違反」の一言で終了。憲法違反の予算をつけることは財務省には無理。いかに財務省主計局といえど、「憲法違反の予算」だけはつけられない。これが主計局より法制局が強い理由。 となると、自衛隊を軍隊にしようとすると、もう一度憲法典の改正をするしかない。だったら何のために自衛隊を憲法典に明記するのか? https //office-kurayama.co.jp/?p=3331 引用終わり 安倍政権の改憲案は、「自衛隊は軍隊ではない」という従来の解釈を維持したまま、自衛隊を「必要最小限の実力組織」として憲法に明記することを明らかにしている。これでは、自衛隊と明記したところで全く意味はないものであり、自衛隊が戦力であるとの違憲の疑いを払拭することもできず、しかもこれまで曖昧だった自衛隊の地位が憲法上「戦力ではない存在」として明確にさせられてしまう以上、これまで以上に自衛隊を軍隊とするのが難しくなるのである。 しかしながら、倉山が最も批判氏をしているのは、こういった政策にかかわらず、安倍政権を妄信的に支持し続ける安倍信者の存在である。 (※mono....中略) / 今回仮に総裁選で安倍が再選されたとしても、来年には参院選がある。この時までには、安倍政権を批判する「保守」派の人々は今以上に増加していると考えられる。また、一般世論の中にも「さすがにそろそろ交代してほしい」という考えが大きくなると思われる。来年の参院選は、ある意味で大きな分岐点となるだろう。当ブログは、安倍政権を倒すということは、安倍政権の暴政を打ちとめ、再び非安定の政局として緊縮など一連の悪政の進行を止めるというだけでなく、「保守」の言論の中に適切な議論を取り戻すという意味でも重要であると考えている。 【日本国内動乱】 ■ 安倍晋三首相に内乱予備罪の告発状「憲法や国会を破壊している」 「livedoor-news[東スポ](2018年9月8日 17時0分)」より / 安倍首相に内乱予備罪の告発状“小沢一郎の知恵袋”が3つの指摘 自民党総裁選(20日投開票)が告示された7日、3選が有力な安倍晋三首相に元国会議員が“内乱予備罪”の告発状を突きつけ、一部で話題になっている。 「台風21号、北海道地震で大きな被害がある中での告発状提出にちゅうちょはあったが、政治をしっかりしないといけないとの思いで予定通り行った」とこの日、最高検察庁に安倍首相を告発したのは元参院議員の平野貞夫氏(82)だ。 平野氏は衆院事務局に30年以上勤務し、国会の裏の裏まで知り尽くしていることから、策士として知られ“小沢一郎の知恵袋”といわれた。 第2次安倍政権以降、強行的に進められた特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、そしてモリ・カケ問題での国会対応、公文書改ざんなど、怒りが沸点に達した平野氏が気付いたのが、安倍首相を“内乱予備罪”に問えるということだった。 「安倍首相は憲法の基本理念をことごとく踏みにじってきた。刑法77条で内乱罪の要件に国の統治機構を破壊し、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動したとある。脅迫も暴動の中に含まれていると解釈でき、内乱を準備した予備罪に問えるんです」(平野氏) 告発状では集団的自衛権の行使容認、昨年9月の臨時国会冒頭解散、財務省の公文書改ざん事件の3つが安倍首相が政府等の組織を使って、憲法や国会を破壊している違法行為に当たるとした。 しかし、内乱罪及び同予備罪はこれまでテロ組織に対しても適用されたことはない。「どういう結果が出てくるか読めません」(平野氏)と告発状は受理されない可能性もある。 それでも平野氏は本気も本気。「平野はついにアルツハイマー病になったのかと心配もされたが、今回の告発は『コロンブスの卵じゃないか』という意見もある」。有罪なら1年以上10年以下の禁錮刑となるが…。 ■ 戦争への扉を開いた安倍晋三は、「憲法改正」して戦争への道を驀進する!! 「高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟(2018-08-13 01 01 57)」より / 戦争への扉を開いた安倍晋三は、「憲法改正」して戦争への道を驀進する!! 憲法改正し、自衛隊を国軍化して「国連軍」という名のもとに世界各地の紛争地に派遣する!! そして紛争地での人的損失に伴い「徴兵制」を施行して、低層階級の国民から戦地に送り込む!! 勿論、不穏分子も戦地に送り込む!! 安倍首相:「憲法改正案、次の国会に」山口県で講演 (※mono....中略) / 一度は収束したかと思われた森友学園問題だが、財務省による森友文書書き換え問題の発覚により、安倍首相退陣を求める声が広がっている。 9月に再選されれば在職歴代最長も視野に入る安倍首相だが、今回のスキャンダルでついに長期政権も終了するのではないか、と海外メディアは報じている。 ◆政権崖っぷち。今度は本当に終わり? CNBCは、これまで様々な危機を乗り越え、安倍首相は常にしっかりと権力を握ってきたと述べる。 しかし、NHKと読売新聞の調査では、森友文書書き換え事件により、政権の支持率が低下していると指摘し、縁故主義疑惑と結び付けられることで、首相の3期目はなくなるのではないかとしている。 キャピタル・エコノミスト社のMarcel Thieliant氏は、これ以上支持率が落ちれば、首相は次の総裁選には出馬しない、 または敗北するかのどちらかだろうと述べている。 ブルームバーグも、今回のスキャンダルは早々には消えないと見ている。 (※mono....以下略) ■ ブログ「国際情勢の分析と予測」のコメント欄より / Unknown (Unknown) 2018-08-03 00 03 58 東北震災の前年、新年の易占で地火明夷という卦を得た。 これは、地震の後の火が消えた暗闇の状態、太陽が地下に没した形(原発)、冬至の夜明け前の真っ暗闇の時を意味しているのだ。 ところで震災の事はさておき、今上陛下の御誕生日は冬至であるのに、御名前に明の字が有る。明の字自体は良い字だろうが、地火明夷 冬至 明夷(明がやぶる、傷つく)ということでこれはおかしいだろう。 思うに霊能者の様な御方がおられて、今上陛下の御代は暗黒時代に成ると予測されて、陛下に危難を背負うて貰おうとして、この様な命名をされたのではないかと推察する。 地火明夷の卦は、外れて翌年に持ち越したのだが、恐らく人工地震テロリストの狙いは陛下の御誕生日であった筈だ。 昭和殉難者の処刑も陛下の御誕生日だったからな。 この時にテロが成功しておれば、日本自体が地下に没したかもしれぬ。 ワシは何故、易占が外れたのか考えていたが、恐らく陛下の霊力に依ってテロ計画が外されたのではないかと理解する。 この暗黒時代いつまで続くのかと思うていたが、もはや暗黒時代は去りつつあると最近、思っている。 地火明夷の卦を逆にすると、火地晋という卦になる。これは地上に太陽が出現した状態を表している。 晋という字は安倍首相の御名前の一部で、安倍首相は火地晋の太陽ではないのか。 安倍首相は地火明夷の時代に没した太陽であり、火地晋の時代に復活した太陽として地上に出現したのだ。 ■ プーチンに北方領土を貢いだ“悪魔以上の売国奴”安倍晋三は、5月1日に内閣総辞職せよ!──日本を安倍晋三の憲法大改悪から救った「森友」「加計」醜聞 「中川八洋掲示板(2018.4.16)」より / 政治はしばしば予期せぬ展開を見せる。詐欺師・籠池泰典の「八億円スキャンダル(醜聞)事件」が、安倍晋三の血迷った“反・国防の極致”憲法第九条改悪を阻止して、日本国の国防が最悪事態になるのを回避するのに貢献することなど、現に、この三月まで誰も予想していなかった。 “神の見えない手”が、詐欺師・籠池を通じて、「日本は国家にあらず、日本など侵略されて滅んでしまえ」(備考)と定めた憲法第九条第二項を“存続させておいて構わない、問題なき憲法条文”だと、国民を騙し国民に(国民投票で)この合意を強制せんとした、“反日の悪魔”安倍晋三の狂気的な憲法改悪をブッ飛ばしてくれた。それにしても、愛国心ある日本国民が、詐欺師・籠池泰典に「日本を救ってくれて有難う」と言わねばならないとは、何という皮肉であることか。「“見えない手”を持つ神様は、悪戯(いたずら)が殊のほか大好きでいらっしゃる」と、嘆息するほかない。 (備考)GHQ占領中は、主権喪失の日本に代わり日本の国防をGHQが担うので、実態でも国際法的にも第二項はなんら問題がない。だが、主権回復の1952年4月末以降、第二項は「」の記述内容に大変貌する。 国防軍設置と第九条第二項削除を拒絶した安倍晋三の狂気を阻止しない日本会議 安倍晋三は、稀代の大嘘つき。三歳程度の幼児性が人格を形成しているので、自らが発した言葉には責任が発生するとは自覚できない。要は、信義という倫理性が安倍晋三の人格には根底から欠如している。信義や誠実の倫理欠如が、“選挙芸人”安倍晋三の虚言病を発症させている。 具体的には、安倍は2012年暮れの総選挙で、「戦後レジームの脱却」を声高に叫んで勝利した。「戦後レジームの脱却」と言えば、岸信介から耳にタコができるぐらいに聞かされたのだから、“憲法第九条第二項を削除し、代わりに『国防軍の設置』を条文とする”事なのを、安倍晋三は百も承知。 ということは、安倍晋三は、政権奪取時の筆頭公約である“憲法第九条第二項を削除し、代わりに『国防軍の設置』を条文とする憲法改正”を意味する「戦後レジームの脱却」をポイ捨てしたことになる。そして、この筆頭公約ポイ捨てに替えて、あろうことか安倍晋三は“第二項を残置し、自衛隊の国防軍昇格をさせない” 「戦後レジームの温存・継続」を2017年5月から主張し始めた。この安倍晋三の対極にぶれる二枚舌は、「大嘘つきめ!」の糾弾などで済ますわけにはいかない。日本の国家存亡がかかっているからだ。 (備考) 憲法第九条第二項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」。 それにつけても、日本会議の異常な大迷走とデタラメは、益々ひどくなっている。“民族系運動のボス”日本会議は、安倍の十八番スローガン「戦後レジームの脱却」に痺れて、過去五年以上も、安倍晋三ブームを熱狂的に牽引してきた。それならば、安倍晋三の「戦後レジームの脱却」ポイ捨てに対しては怒りを爆発させるべきではないか。だが、日本会議は、安倍の憲法第九条二項堅持という“最凶の戦後レジーム継続・永遠化”を支持して、前言とは真逆に、「戦後レジームの脱却に反対する」を旗幟鮮明にしたのである。 安倍晋三の“究極の反日”憲法大改悪を支持した、逆走の事実において、日本会議とは、愛国心を偽装表示して利権に生きる“二十万人の詐欺師やごろつきが集まるクズ人間集団”だと、自らの本性を暴露したことになる。“恐喝常習の暴力団”椛島有三(事務総長、高卒)が率いているのだから、今般の日本会議の正体が暴露されても、驚くものは何もないけれど。 本物の愛国心は、高級な知見と高度な知性と高貴な倫理性が伴っていなければ培われることはない。このような真正の愛国心を具有する真正の日本人なら、朝鮮人売笑婦の不潔感が漂う“日本会議お抱えのエロス売婆”櫻井よし子の、安倍晋三に媚びを売るだけの無学無教養な有害雑談に耳を傾けることなどしない。愛国心ある日本人は、櫻井よし子の有害雑談で自らの見識と倫理を腐食させる自傷行動など決して選択しないからだ。安倍晋三の近づく退陣・内閣総辞職に連座=「殉死」して、日本会議もまた自らを解体・解散させる決断をすべき時が来た。 憲法第一条に「天皇は日本国の元首」と明記する“憲法改正の王道”を忘れた日本 日本会議は「改憲団体」だ、と教条的なスターリン崇拝が今に続く朝日新聞や毎日新聞などは目くじらを立てて非難する。が、朝日新聞などの極左マスメディアは、三十年間ほどずれている。 日本会議が正常な憲法改正を考えていたのは1980年代前半まで。その後は、一気に憲法改悪団体へと変質し続け、今に至っている。特に、“共産党のモグラ”百地章が日本会議の「改憲」を主導するようになってから、日本会議の改憲は、「正しいright改憲」から「狂ったwicked改憲」へと舵を切った。民族衣装カムフラージュの達人で“共産党のモグラ”百地章が工作した策謀の一つが、第九条に『国防軍の設置』を明記するのを阻止する効果を狙った、不必要極めて馬鹿げたナンセンス「非常事態条項」を挿入させる運動に日本会議を誤導した。 次に日本会議は、民族色の背広で隠してはいるが真赤な皮膚の百地章の言いなりに、自民党きっての“痴呆老人”細田博之を洗脳し、その改憲取りまとめで「非常事態条項の加憲」に誘導した。悪貨は良貨を駆逐する諺どおり、日本会議の「狂ったwicked改憲」の策謀が、「正しいright改憲」を放逐したのである。 背後では共産党に操られた“逆走の改憲団体”日本会議の「狂ったwicked改憲」運動によって、1952年4月の主権回復から1960年の岸信介の(本筋を逸脱した)安保条約改定までの八年間、六割を超す日本国民が悲願とした「第九条」と「第一条」という改憲トップ・ツーのうち、後者の第一条改憲の方を、日本会議の言いなりに自民党はばっさりと排斥・削除した。私がまだ中学生だった1957~60年では、(憲法改正を反対する社共を除き)憲法改正と言えば、国民は第一条と第九条の二つの改憲のことだと正しく認識していた。意見の違いは、双方同時か「九条改憲→一条改憲」の二段階か、の方法を巡るものだけだった。 つまり、表1は、1980年代半ばまでは、第九条二項削除と国防軍の二項明記とともに、それと同等の改憲最優先だと改憲派国民の常識だった。が、日本会議の主要ポストと事務局は、1980年代半ばから大挙して浸透した北朝鮮人/共産党員(モグラ)/ロシアKGB工作員に、完全に占領された。以来、まず、表1がまとめている憲法第一条その他を改正して天皇制度を正常化する、(1960年代までは)国民の六割の悲願だった憲法改正の意識と熱意が、日本会議から消えて行った。次に2000年以降、国防軍設置をうやむやにする特効薬「非常事態条項」の策謀が百地章らによって推進された。 表1;緊急を要する、重大な欠陥著しい現憲法の天皇条項の改正 安倍晋三の頭の中は、スッカラカンの空洞。脳味噌は一グラムも無い。だから、天皇を元首にしなければならないことすら、安倍晋三は発想できない。これほど頭が悪いから、安倍晋三は、二千年間の祖先の奉戴によって「存在すること自体が絶対真理」である“天皇の地位”を、「国民の総意」などに摩り替えている現憲法第一条を“タワケの極み”だと怒って一蹴することなどしない。 そればかりか、国家公務員からなる自衛隊と軍人からなる国防軍の絶対的な相違すら、無学無教養な“スーパー反・国防主義”の安倍晋三には全く分からない。有事に防衛出動命令に応ぜず退職願いを出せば、(軍人であれば敵前逃亡罪になるのに)退職金を支給せずの懲戒免職しかできない自衛隊では、戦力の不足どころではなく、ロシアの北海道侵略と中共の沖縄全島侵略の有事が発生すれば、自衛隊はほとんど空っぽで誰もいなくなるのが現実に起こりうる事態である。 「国防軍」を憲法に明記しない憲法改正行為で国民が合意する事は、国防の全否定を憲法に明記することと同じこと。だが、今般、自衛隊加憲論の安倍晋三を(祖国日本を護るために)殺そうとした自民党国会議員が一人もいなかった事実は、今や、日本全土をロシアと中共に差し上げて日本人を地球放浪者(ディアスポラ)にしようとするのが、国会議員のコンセンサスになっているからに他ならない。この「日本人から国土を全て剥奪しよう」を牽引した“史上最悪の国賊”こそ、“共産主義者”安倍晋太郎に育てられた“悪魔すらたじろぐ安倍晋三”。 「反・欧州」「反・正義」「日本のロシア属国化」を推進する安倍晋三の国益破壊外交 要するに、安倍晋三の「憲法改正」は、憲法改正の範囲に括れない。安倍にとって“憲法いじり”が選挙にとって好都合だから、安倍は“憲法改正ごっこ”をしたいだけ。だから、第九条二項を残し、「国防軍」とせず“非・軍隊”「自衛隊」を三項に加憲すれば、日本国の国防を破壊的に毀損する憲法改悪の極みになるのに、安倍晋三は全く気にならない。 一方、産経新聞や櫻井よし子は、日本国の国防を根底から害すること甚だしい安倍晋三の今般の憲法大改悪を支持してフィーバーする。彼らが日本国民ではないことからくる、当然の“非・国民”行動。産経新聞の幹部社員の過半は北朝鮮人だし、正真正銘のゴロツキ記者が九割を占める。 そればかりか産経新聞は、“日本国の敵性国家”ロシアと緊密に通謀し、さまざまな裏取引で利得を得ている。“稀代のロスケ”田久保忠衛/袴田茂樹/木村汎などが「正論」メンバーなのは、産経新聞がロシアと通謀するに必要なパイプ役だからである。まさに“犯罪”的な売国奴が正体の産経新聞は、ありのままに「産KGB新聞」と改名すべきだろう。そうすれば少なくとも、「新聞購読者を騙す詐欺新聞」とは糾弾されることはない。 日本国を毀損する安倍晋三の逆走政治は、何も憲法改悪だけに留まらない。“プーチンの犬”になりきって“ロシアに日本の領土を貢ぐ”、日本の歴史上最凶・最悪の安倍晋三の対ロ売国奴ぶりは、諸外国の法制であれば死刑は免れない。 しかも、日本の同盟国の米国も準同盟国の欧州も、今やこぞって反露/反プーチンで一致団結している時に、安倍晋三は、ロシア新帝国の“侵略の天才皇帝”プーチンに一本釣りされて嬉々として、プーチンの靴まで舐める“プーチンの奴隷”になってしまった。だから、安倍は「日本はロシアの属国です」と世界に宣言して、2014年3月のプーチンのウクライナ侵略から一貫して強化される一方の、すでに四年間も経た欧米の団結した反露網に楔を打つのに躍起。が安倍は、自分が欧米との重要な関係を全面破壊している国益毀損が全く見えない。安倍晋三とは、じつは間接的に日米同盟すら根底から破壊しているのである。安倍晋三の外交盲目病は第一級の天然記念物。 狂気錯乱する安倍晋三の親ロ/反・欧米行動は、国際連盟脱退や(うまく処理してやるからしばらく待てという英国の親切を蹴ってまでの性急な)満洲帝国の承認あるいは米国との海軍軍縮条約破棄などと全く同一の、孤立と破局に突き進んだ1930年代の日本を再現している。安倍晋三には、祖国日本を亡国に導いた松岡洋右や白鳥敏夫が憑依している。 なお、松岡洋右は、近衛文麿とともに独断的に日ソ中立条約を締結したトンデモ売国奴。過激な共産主義者の外交官・白鳥敏夫は、スターリンの全世界侵略・制覇に貢献したく、欧米と全面戦争をするため日独伊ソ四ヶ国同盟を推進した外務省きっての“スターリンの対日工作員”。だが、白鳥敏夫と松岡洋右は過去の亡霊ではない。今、安倍晋三に憑依し、安倍晋三が“第二の松岡洋右”“第二の白鳥敏夫”になって踊っているからだ。 “先天的なスーパー外交音痴”安倍晋三は、トランプ米国大統領が、大統領になる直前までの「親ロ」をかなぐり捨てて、今では豹変して「反ロ」一色になった事実すら気付かない。トランプが、(今ではロシアの衛星国に成り下がった)化学兵器を自国民に使用したシリアに対し、トマホークによる報復攻撃に積極的なのは、「反露」に転向した、ほんの一例に過ぎない。 例をもう一つ。米国は、ロシアが英国の領土内で元KGBロシア工作員の親娘殺害未遂事件(3月4日)に対して、徹頭徹尾に英国に与している。トランプは、3月26日、米国駐在の外交官六十名をスパイの廉で国外に追放した。序に、シアトルのロシア領事館も閉鎖した。 ヨーロッパも、英国の二十三名に続いて、ドイツ/フランス/ポーランド各四名、リトアニアとチェコが各三名、イタリアは二名など、ロシアの主権侵害に対する英国の対ロ制裁に共同歩調を合わせている。欧米諸国の英国に与してのロシア外交官(実際はスパイ)追放は、「26カ国/百四十名」になった(『朝日新聞』3月28日付け)。だが、安倍晋三の日本だけは何もしない。安倍は“ロシアの属国”日本の現状をさらに悪化させようとするばかり。だから安倍は、日本における狸穴の大使館を中心に日本で暗躍する百名近いロシア工作員を野放しにしてあげている。それはまた、親ロ一辺倒の“欧米からの孤立外交”の推進でもあるのだが、安倍晋三とは、恐ろしいことに、日本の将来はロシアの構成共和国でもよいと考える“本物のロスケ”つまり“ロスケの中のロスケ”に徹している。 安倍には、2006年にリトビネンコ元FSB職員をポロニウムで殺害するなど英国領域内で殺人を繰り返すロシアの国際法違反に対する法的正義からの公憤がない。安倍晋三には正義・不正義の境界つまり善悪の差別ができない。根っからの無法者が本性だからだ。だから安倍は、国際法の定める正義の貫徹である北方領土の奪還をしようとはせず、あろうことか逆さにも、北方領土を国際法的にはプーチンに貢いでいる。 安倍が“対ロ売国三代目”河野太郎を外務大臣にしたのは、対ロ売国の共犯者づくり 自民党きっての親中・親ロの河野太郎を外務大臣に起用した安倍晋三の心底について、新聞・テレビは知っているのに、何一つ報道しなかった。北方領土については、「北方領土は日本の潜在主権がある“日本の領土”」とだけプーチンが認めれば、北方領土が返還されなくとも日ロ平和条約を締結し、“平和条約を締結した総理”という一時的な脚光を浴びたいが、“スーパー対ロ売国奴”安倍晋三の本心。小学校卒の社会主義者だった田中角栄と同じく、バラマキ福祉とバラマキ公共事業で高め人気(内閣支持率)維持を図る事しか頭にない、政治家以前の安倍晋三の頭の中には、日本国という“国家”が存在していない。 が、プーチンは“侵略の天才皇帝”として、クリミヤ半島の次は北海道侵攻に照準を絞っている。第一に、日本の潜在主権を認めると、米国が北方領土を占領しても国際法上は同盟国の領土への進駐となる以上、プーチンが潜在主権を認めることすら拒否するのは当然。プーチンはレニングラード大学法学部で国際法を専攻し、しかもトップ学生だった(首席か、それに近い)。一方、“学生もアホ馬鹿、教師もアホ馬鹿”しかいない、大学とは言えない成蹊大学で、さらにアルファ・ロメオを乗り回して女遊びと麻雀しかしなかった“スーパーお馬鹿”安倍晋三にとって、国際法はチンプンカンプン。 第二に、北方領土を経済的に発展させれば、そのぶん、北方領土に膨大な軍隊を常駐させることができる。北海道に侵略する時、ロシアは必ず、北海道を北は樺太、東は択捉島、西は沿海州から包囲する。だからプーチンは、2010年以降、択捉島に次々にミサイルを搬入し、空軍基地も拡張に次ぐ拡張の整備を進め、単冠湾を大規模な海軍基地に大改造している。 しかし、この択捉島の軍事要塞化をさらに加速するには、インフラ整備や経済活動の発展による人口増加が不可欠。そこでプーチンは、紙切れの日ロ平和条約締結だけが欲しい“売名政治家”安倍晋三が際立って知能指数が低い“お馬鹿”であるのに目を付け、この安倍晋三を誑かし、択捉島・国後島の開発をタダで代行させることにしたのである。 北方領土における、安倍晋三の日露共同経済活動を今直ぐ阻止しない限り、北方領土の返還がいっそう困難になるだけではなく、北海道や青森県までロシア領になる日が近づく。しかも、安倍晋三のような知能指数が低く人格低劣な人間は「過ちては改(あらた)むるに憚ることなかれ」とは全く無縁。反省などできないし、自らの非を改める事も決してできない。つまり、安倍晋三の対ロ売国から日本を救うには、安倍晋三を総理官邸から放逐するほかない。 来る五月末、安倍晋三は、プーチンの故郷サンクト・ペテルブルグで、懲りもせずプーチンと首脳会談をする。が、これをさせれば、日本国の存立が危うくなる。安倍晋三をこれ以前に退陣させる事が我が国にとっての絶対国益である。五月一日付け安倍晋三には内閣総辞職をしてもらおう。 (4月11日記) (附記1) ロシアが北方領土の軍事化・要塞化を規定路線としているからと言って、日本の北方領土奪還はできないなどと、決して即断してはならない。逆である。北方領土などいとも簡単に奪還できる。曽野明は生前、「中川君が総理だったら、あっという間に、日本は北方領土を奪還できる」「中川君以外に北方領土の対ロ外交をさせてはいけない」が口癖だった。曽野明は私の方策を吟味して、この結論に達している。この方策とは、一部だが以下の通り。 1、ロシアとは、いっさいの外交交渉をしない。接触もしない。平和条約を決して締結しない。 2、北方領土の全面返還までは、対ロ経済制裁に徹していっさいの経済関係を凍結する。 3、ロシアの対日工作を遮断すべく、狸穴のロシア大使館員を現在の十分の一に減らす。対抗で日本の在モスクワ大使館が事実上閉鎖に追い込まれるのなら、それを大歓迎する。外務省内に跋扈する多くの対ロ通謀外交官の締め出しになるからだ。 4、刑法外患罪に基き、日本人ロシア工作員に禁固刑十年以上を課す法律を立法する。最低でも五十名以上を逮捕するが、最初のリストに、札付きのKGB工作員・田久保忠衛/木村汎/袴田茂樹/佐瀬昌盛/鈴木宗男/森喜朗/斎藤勉の七名を必ず含める。今後は安倍晋三がこのリストに入る。最終的に百名前後(学者30名/新聞記者30名ほど)を収監すれば、ロシアの対日工作は劇的に弱まる。 5、北海道を完全要塞化する。戦車1500両以上(戦車師団10ヶ以上)の配備、対人地雷数千万個の全海岸敷設、すべての空港・港湾を瞬時に爆破する有事無空港・無港湾化、沿海州ロシア空軍基地(約50)に対する先制破壊軍事力の保有、・・・・・。 6、・・・・・。 ロシアは、外交交渉で侵略領土を返還する文化も発想も有さない。そんなケースは過去五百年以上、イワン雷帝以来、一例も無い。東欧を1989年秋に突然返還したように、13世紀のモンゴル帝国の対外行動を継承するロシア民族は、侵略領土を返還する時は、「突然に/黙って」が絶対原則。ロシア・エリートは、血統的にもモンゴル人の血が濃い。レーニンもプーチンも顔を見ればわかるようにモンゴル系である。対ロ外交は、13世紀に、モンゴル帝国の侵略から日本を護った北条時宗に、その精神を学ぶのが出発点。 (附記2) 総理大臣として安倍晋三は、レームダック化がすでに顕著。その退陣は近い。森友/加計問題に関して官僚が隠蔽文書を小出しに暴露しつつあるのは、あくどさ暴力団並みの“コミュニスト”菅義偉を使い官僚脅迫を常道とした、有権者の人気しか頭になかった“国家欠如のテレビ芸人”安倍晋三の退陣が必至になり、人事報復がないと踏んだからだ。が、対ロ売国のやりたい放題で北海道と新潟以北を、あの阿鼻叫喚の“満洲”に再構築した安倍晋三を、このまま静かに政治舞台から退場させてはならない。安倍外交の大罪と安倍の国防無策の大罪を暴くことなしに、危機と崩壊に直面する日本国の存立基盤を回復する方策はない。 安倍晋三の国内政治についても同様。妄想「アベノミクス」の代償として日銀の国債買取り機関化は金融体制に根底から損傷を与え、大量国債の垂れ流しは財政機能破綻のマグマを活性化させた。それ以上に、次代の国民から勤勉の倫理を剥奪し日本経済の終焉を確実にした共産党主導の「働き方改革」や“共産党製スローガン”「輝く女性」(=凶悪フェミニズム)によって家族の自壊と新生児数の大激減が促進された。日本社会の伝統と慣習破壊に終始した安倍晋三政治の大罪は万死に値しよう。異常な安倍晋三の準・脱原発政策を含め、安倍晋三の日本国破綻推進政治は、徹底的に総括されねばならない。次稿に期待されよ。 【小泉純一郎】 ■ 真坂の戦い。 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2018年04月18日 )」より / 幸運にも、シベリア抑留から生還した。 叔父に聞いた話なのだが、 満州には朝鮮人も沢山いて、 市場で麻袋に入った人間を、売っていた。 どうも、あの者たちは、人を人とも思わない。 そうした、人を犬猫扱いする。 そうした習性が、あるのだそうな。 拉致議連 古屋圭司新会長を正式承認 政府への提言 12日に安倍晋三首相に申し入れへ 2018.4.11 23 05更新 https //www.sankei.com/world/news/180411/wor1804110043-n1.html (※mono....引用記事略) / 歪んだ優越感で、人を人とも思わない。 人を麻袋に押し込む。これで、自由を完全に奪ってしまう。 庶民に酷な税制は、見えない麻袋の中に、人を押し込める。 そうして、貧しく不憫な袋の中。人は、希望の見えない環境の中で、生活のために呻吟するしかない。朝鮮人は人の命を、商売の道具にする。人材派遣法などは、人を麻袋の中に押し込んで、勝手気ままに売り買いする。そうした野蛮な朝鮮人の、暴挙以外の何ものでもない。小泉純一郎は、日本国内がわの、いわば拉致グループ。などと言っても、言えばいえる。この人質を返すには、北朝鮮に莫大な 『援助』 を与えねばならなかった。しかし、日本人である安倍晋三氏は、これを決然として拒否した。 この辺りの、「怨恨」が、モリカケ騒動の、根っこにあるのだろう。 (※mono....中略) / 日本の多くの巨大国際企業が、湯田屋金融に後押しされた、特ア・朝鮮系等に、拉致されてしまっている。もともと、米穀の幇間企業。たとえば東芝などが、更に解体されて売り飛ばされる。買うのは台湾の企業だが、金融は米穀なのだろう。こうして日本人の血と汗の結晶。その技術が売り飛ばされている。これで、台湾の人々の仕事が増えて、彼の地の人々は豊かになるのか。そうではあるまい。台湾企業は言訳で、実際は支那の国内に工場が建つ。などと言うのが実態だと思う。 (※mono....以下略) ■ 北のミサイルはタリンも射程内だぜと吹きまくる安倍ちゃん 「DEEPLY JAPAN(2018.1.15)」より / この人たちは本当に気持ちが悪い。 「タリン射程」と吹聴 安倍首相は北ミサイルの“広告塔” https //www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221202/1 「北朝鮮は、いまやタリンを射程に入れる弾道ミサイルを発射するなど重大な脅威だ」 昨年11月29日に北が発射した火星15は米本土が射程に入る。中国、ロシアの上空を通過する西回りなら、エストニアにも届く射程だ。だが、再突入技術に難があるといわれているし、西回りは中ロが黙っていない。もはや安倍首相は北ICBMの“誇大広告塔”と化している。 何をする気なんでしょうね。多分、「国際社会」という名のthe Westの一部が、また何か組みだすのかなと想像。カナダあたりに注目かも。わからんけど。 (※mono.....中略、詳細はブログ記事で) / あと、安倍政権は親米政権というより親イスラエル政権、あるいは親シオニズム政権だと考えるといいんだろうなとも思う。岸さんあたりを込みにして。 それに対して日本の自民党には、目立って親アラブ、反イスラエルの人たちがいたし、日本国民も70年代あたりまでは総じていえばそうだったと言っていいんじゃないかと思う。田中角栄失脚の一つの理由もこのへんにあるんじゃないかと私は疑っていたりもする。 ところがそれがあれよあれよという間に代わって、同時にアラブもだいぶ変質していった。 多分、向こう1、2年の間に、ここらへんを解きほぐすようなことになるのかなという気がする。 いずれにしても、日本人にとっては安倍ちゃんの行動はとうてい理解できるものではない。もうこの人たちは、日本国を私領だと思ってると思うな。 ■ 今度こそ、日本は独立する。 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2017.10.28)」より / 小池百合子氏の、 攪乱戦は失敗した。 柳の下に、ドジョウは そう、二匹も 三匹も いない。 大阪維新の会の、最初の頃の成功だとか、 民主党による政権交代は、 たしかに、マスコミによる 成功した大衆操作ではあった。 南京大虐殺なんて、無かったのは明白だ。 米軍による広島・長崎への原子爆弾攻撃。 これは、明々白々の国際戦時法違反である。 これを覆い隠すために、連合国側は支那にその役割を与えた。 こうした気違いが、強大な殺傷力をもつ原子爆弾を保有している。 ならば、先帝陛下は『終戦』を決意せざるを得なかった。 艱難辛苦、臥薪嘗胆の 70余年ではあった。 米欧の経済は停滞どころか、排ガス数値の偽装にも見られる如く、結果がとまらない。 あとは、日本に取憑いた、コストカットで株価を押し上げる。 このような、日本にも取憑いた、構造改革主義の幻覚から、さっさと醒めねばならない。 安倍首相は人作りのため、3000億円の負担を財界に求めた。 徴税権は、財界を黙らせる、大段平ではある。 その大刀を引き抜くべく、鯉口を切った。 とか、診るべきではある。 税制を、1970年代までの累進課税方式に、暫時もどしてゆく。 この岩峰が最終的な、 山頂ではない。 これは、ジャンダルムであり、単なる山頂への道しるべなのだ。 http //blog.goo.ne.jp/wagasato/e/d353e9bcc733c5b646b0891507be4cec (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) (※mono....安倍晋三氏はグローバリストなのか?それとも・・・) ☆ 安倍晋三はグローバリストか〔Google検索〕 ☆ 安倍晋三は国際金融資本の操り人形か〔Google検索〕 ☆ 安倍晋三は国益派か〔Google検索〕 ☆ 安倍晋三はナショナリストか〔Google検索〕 ☆ 安倍晋三は民族主義者か〔Google検索〕 【官僚】 ※mono....このエントリー記事は話がどんどん逸れていくのですが、安倍総理の話が中心?かと思えたので、このページに置くことにする。 ■ 国交省航空局から話がそれていく話 「二階堂ドットコム(2017.10.25)」より / http //www2.odn.ne.jp/nfs/ ここ紹介してよ。あれ?航空局ってもう俺の知り合い退官しちゃったんだっけ?ダメだ選挙後だといろんな奴が変わるからなぁ。ちょっと航空免許の仕組みとかさ、いろんなの教えて欲しかったんだけど。航空局に聞けば間違いはないからな。そこで間違いなんかあったら大変な話だから。 (※mono....話がいろいろと流れて・・・・) / みんな安倍の「もりかけ」なんて言ってるけど、あのねぇ、あんなもんじゃないから、というか、あんな話じゃ、進まないよ。犯人バレバレでしょ。アレで安倍が口きいたなんてありえないよ。「まぁよろしく」なんて、日本人なら普通に言う話だけだよ。大体、元民進の玉木の実家の方がよっぽどだろうに。忖度といっても、役人同士の話のほうが何百倍もひどいんだから。そんなに安倍は悪い奴じゃないし、悪い奴ならもっとカネ持ってるよ。秘書とかは知らんけど、どう見てもあの人、悪い人じゃ、ないもん。 ....安倍総理に、書き方申し訳ないけど、そこで変なことが起こったのなら「周りを御せませんでした」というだけ。俺みたいな暴力装置じゃないもん、安倍総理、いや、しんちゃん。顔色悪そうだったな、投票日。まぁ、総理の職にあるまま、非常事態を指揮してそのまま死ぬってのがあの人の一番いい死に様かもしれない。 周りもね、たいしたことない。俺がからかって「今井(総理大臣秘書官。経産省出身)天皇」なんて書かないよ。たいしたことないからなんでね。あの今井のクラスまで行った割には、今井は当然に想像できる程度の権力しか使ってない。俺が秘書だったらもっともっと凄まじくエゲつないよ。逆に「もりかけ」なんて段階なら、その程度かって話でね。 でもね。まぁ、マスコミの前ではそんな姿見せないけど、野党というか、左の奴らも、結局、「役人がやってる悪さ」に手をつけたらホントに潰されるって知ってるワケよ。自分らも、もちろん、人に言えないことやってるからね。カネがない議員ならなおさらさ。だから言わないし、ひどい場合だと「なんですかあんたらがグルですか」みたいなね。昔話になるけど、甘利のURの話なんて、その昔、俺が秘書をURに紹介した話だよ?変な話あるわけないじゃん。俺が飯代出したけど、だからなんだっていうの(苦笑)。まぁ、あのとき同時進行していた話があるとは思えないんだよね。工事とか知らねぇし。俺はめんどくさい小銭をみんなで分け合うなんて話に興味ないし。 (※mono....このまま甘利さん、平沢某氏、マスコミ調査能力、ヘリ免許の話へと逸れていくのでこの辺で) 【小池百合子】 / 【日本の政治】 / 【第48回衆議院議員総選挙】 ■ 北朝鮮(と南朝鮮)の断末魔 「平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図(2017.9.30)」より / 安室奈美恵の突然の引退に驚いた物好きもいるかもしれませんが、この引退騒動が崩壊する北朝鮮ネットワークの副産物だとしたら、なるほろ~と納得する向きも多いのでは。安藤とか、安本とか、安岡とか、安の名前は在日朝鮮人に多いですから。なんだか勘ぐりたくなりますね (^_^;) そもそも、芸能界は朝鮮人の巣窟。ハリウッドがユダヤ人に支配されているのと同じ構図です。ハリウッドのタレントは、ユダヤ人の俳優組合(スクリーン・アクターズ・ギルド)に加盟しなくてはならず、組合のヒエラルキーで仕事がもらえる。だから、若くて美人の新人は排斥されてババアばかり出てくる。ジュラシック・ワールドに出てきた主演女優の酷さと言ったら想像を絶するほど (;´Д`) 北朝鮮や南朝鮮が日本人支配のツールとしてきたのがテレビと映画と新聞。TBSは北朝鮮系、フジテレビは南朝鮮系になります。NHKは中国共産党と南北朝鮮シンパだから、荒川静香の金メダルを放送しなかった。 今回の解散総選挙を受けて、小池新党が希望の党として国政参入。小池新党は事実上の自民右派だから、民進党からの参加は左翼排除が建前。北朝鮮の工作員として活動してきた辻元清美が、いくらバイブを(;´Д`)ノθ゙゙ ヴイィィィィンと振り上げても希望の党から公認は受けられない→元ネタ。北朝鮮系のタレントも議員も、安部総理と小池百合子にハメられたのです ^^; 安部総理が上手かったのは、間に内閣改造を挟んだこと。これで民進党極左や、共産党や社民党が解散総選挙はないと油断してしまった。この油断を突き、小池新党は国政参入に時間を使えたし、自民も民進党の不倫議員を文春で叩かせて民進党の解体に追い込むことが出来た。 全部、北朝鮮がキーワードなのです。北朝鮮の工作員やスパイは表舞台から降ろされている。政治家も芸能人も弁護士もしかり。 北朝鮮系のTBSと毎日新聞が、必死になって民進党の希望の党への全移籍を垂れ流したのも、そうしないと親北朝鮮の議員が希望の党の推薦を受けられなくて頓死するからです。衆院選告示が10月10日なのも、この日が北朝鮮の労働党創建記念日だからです。この日から逆算して解散した Σ(゚Д゚;エーッ! 安保法制や憲法改正に障害となっているのが創価学会の公明党。希望の党と自民党右派が連立政権を組めば、公明党との選挙協力も必要なくなる。連立は1期だけで良いのです。必要な法案通して憲法改正すれば、あとは自民が消滅しても困らない。これが安部総理のスタンス。だから、公明党と自民左派が焦っているのです。 北朝鮮問題が片付いたら、返す刀で南朝鮮とフジテレビを切る。NHKは国営化して、左翼組合の局員はクビにする。当然、売国の朝日新聞とテレ朝も総務省から締め付けられる。親中国の二階自民幹事長が、埼玉で子飼いの推薦が受けられないほど二階の力も削がれた。まあ、選対でさんざんリベラルばかり公認して失敗した二階が馬鹿だったんですけどね。 こうして、自民右派と希望の党が連立した暁には、小池総理誕生というシナリオ。創価学会の東京五輪も、小池総理誕生で創価学会色の排除。そこまで行ければ大成功ですが、その前に北朝鮮が戦争に誘導してくるかも。放送された『天空の城ラピュタ』の滅びの呪文・バルスは、北朝鮮と辻元終了の呪文。辻元清美は北朝鮮本国からの指示待ちで行方不明なんですかね? (※mono.....以下略) ■ 保守派の大重鎮・西尾幹二氏「鬼気迫る安倍批判」の真意 「NEWSポストセブン(2017.08.28 16 00)」より / もともと相容れぬ敵から太刀を浴びせられるより、一度は信じた相手から裏切られたほうが、傷口は深い。ついに始まった保守論客による安倍批判は、まさにそれだ。安倍政権を信じて支え、挙げ句に裏切られたことのショックは、これまでにない強烈な批判に転じて、首相に襲いかかろうとしている。 〈憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている〉 保身、臆病風、及び腰、裏切り……激しい言葉が並んだ痛烈な安倍批判を書いたのは、保守論客として知られる西尾幹二氏で、掲載されたのは産経新聞(8月18日付)である。 安倍首相を応援してきた保守派から批判が上がるなど、これまでなら考えられなかった。まして「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長を務めた保守派の大重鎮である西尾氏は、かつて安倍首相に大きな期待を寄せ、5年前の第二次政権発足後には月刊誌『WiLL』に「安倍内閣の世界史的使命」という大型論文でエールを送った人物である。 その西尾氏が、「民族の生存懸けた政治議論を」と題した痛烈な安倍批判を、保守系メディアの本流である産経新聞に掲載した。 思い起こされるのは、戦後の保守論壇を率いた故・江藤淳氏が、1997年、小沢一郎氏に向けて「小沢君、水沢に帰りたまえ」と呼びかけた産経のコラムである。江藤氏は政治家としての小沢氏を高く評価していた。それゆえに党首を務めていた新進党が分裂危機を迎えた小沢氏の苦境を憂え、地元である岩手県の水沢に帰って他日を期すべきだ、と説いた。 しかし、同じ産経を舞台にした政治家への呼びかけであっても、西尾氏の筆致は箴言の域を越え、「見限った」と断じるレベルにある。 さらに西尾氏はこの9月、『保守の真贋──保守の立場から安倍信仰を否定する』(徳間書店)という著書を上梓する予定だ。そこではさらに過激な安倍政権批判が展開されている。冒頭から、北朝鮮拉致問題に対する安倍首相の姿勢をこう斬って捨てる。 〈拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である〉 憲法改正、皇室問題、国土防衛など、その後もテーマを移しながら安倍批判は続く。その表現は鬼気せまるものがある。 〈ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は、臆病なこの人の体質からきている〉 〈いつもいいとこ取りをし、ウロウロ横見ばかりして最適の選択肢を逃げる〉 そしてこう断言する。 〈安倍氏、ないし自民党は「保守」とはまったくいえない勢力だ〉 ◆みんな愛想を尽かしている 西尾氏に真意を訊ねた。帰ってきた言葉は、文章以上に辛辣だった。 「私は安倍氏については、第一次安倍内閣の頃から、おしゃべりはうまいが、口が軽い、人間が軽いと思っていました。ただ、第二次政権発足時はメディアの“安倍叩き”が凄まじかったので、彼を守ろうとする意識で抑制していたし、期待もしていたんです。 ところが、彼はそうした保守派の過度な応援に甘え、憲法にしても拉致にしても皇室の皇統問題にしても、保守であればしっかり取り組むべき課題を何もやろうとしなかった。 5月3日の憲法改正案の発表には決定的に失望しました。戦力の保持を認めない9条2項をそのままにして3項で自衛隊を再定義する。これは明らかに矛盾しています。しかもその改憲すら、やれない状況になりつつある。困難というべき逼迫した軍事情勢にあり、国会でも3分の2という議席を有する今の状況で改憲をあきらめたりすれば、改憲のチャンスは半永久的に失われてしまいます。こんな事態を招いた安倍首相は万死に値する」 西尾氏の矛先は、これまで安倍批判を封じてきた保守派にも向かう。 「保守系のメディアはまったく安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか、評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった。しかし、本来なら保守の立場こそ、偽りの保守を名乗る安倍政権を批判しなければいけないのです。私の論文はもう保守系雑誌には載りませんが、何も恐れてなどいない。覚悟を決めて声を上げるべきなんです。 ただ、徐々にではあるが変化の兆しは生まれています。産経新聞はこの原稿を掲載しましたし、保守派の人たちが産経に載った論考を読んで“よくぞ言ってくれた”と私に率直な感想を伝えてくる。本物の保守はみな、安倍氏に愛想を尽かしています」 ◆人間性に呆れている 西尾論考の波紋はまだまだ広がりそうだ。ベテランの政治部記者は言う。 「森友・加計問題で逆風が吹き荒れる中、それでも安倍政権の支持率は30~40%台に踏みとどまっていた。安倍首相は支持率を下支えしているのが、コアな保守層だと信じている。だからこそ、保守系のメディアや評論家、ネット上で安倍支持を訴える人たちの評価を一番気にしているし、保守派からの批判を一番気にしている」 その恐れている事態が現実となりつつある。安倍政権に期待が強かった分、裏切られたと感じた人たちは強力な反安倍に回る。支持基盤である保守層が離反していけば、文字通り政権の“底が抜ける”ことになってしまう。 江藤淳氏による小沢一郎氏への檄文は言葉こそ厳しかったが、それは期待の裏返しだった。現在の保守論客による安倍批判も、本音はそうではないのか。西尾氏にこう向けたところ、一笑に付された。 「いや、私には江藤さんのように叱咤激励するつもりはないですよ。単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」 安倍首相はもはや、下関に帰ったところで再起はできないのかもしれない。 ※週刊ポスト2017年9月8日号 ■ 安倍総裁は三つの顔をもつ男…霊的観点:投稿者 ぼけ仙人 「阿修羅♪(2006.9.23)」より / 安倍晋三が当然のように総裁になったのう。去年の夏ごろには居流皆亭の指令が出ておって、福田さんには駄目出しがあったんじゃないのかのう。 安倍氏は相当に単純な脳構造の男と思われるでのう、およそ一国の首相とするには大根役者も甚だしいものを感じるわな。また、日本人の金も血も利用したいはずの居流皆亭は当然として、統一教会との関係も取りざたされてもおるし、果たして誰の味方なのか不信も募るが、彼の霊的な背景を検証するとじゃ、意外にも不思議な立場が感じられるぞ。恐らく本人も意識しとらんと思うけどな。 (※mono....中略) / 安倍一族の系譜として、平安時代後期・東北地方の覇権を巡って起きた前九年の役で、東北の雄・安倍一族は源氏と争って破れ、九州大宰府に配流されたんじゃて。この源氏に敗れた安倍氏が安倍晋三の祖先ということは結構知れ渡っとるようじゃが、この安倍氏が安日彦、ナガスネ彦につながるんじゃわな。そして九州に配流後、約120年経て今度は平家の海軍(松浦党)として壇ノ浦で源氏と戦い、再び敗れたんじゃわ。そして、平家が海に散った後山口県に逃げて、現在に至っていると云われておって、安倍晋太郎が青森県でも片田舎の神社参拝に対し、当時興味も持たなかったんじゃが最近ふっと思い起こしたわのう。 東北地方にはニギハヤヒの子孫に続く物部氏の勢力も強かったじゃろうが、ニギハヤヒ命の血族とナガスネ彦の血族は、相当の年月間深い付き合いのあった家柄同士であり、婚姻があったに違いないとすれば(実際、ニギハヤヒ命の妻の御炊屋姫はナガスネ彦の妹であり、ナガスネ彦の妻はニギハヤヒの妹と伝えられている)、安倍一族にはナガスネ彦と同時に不戦の血・ニギハヤヒ命の血も流れていることとなるわのう。(このあたりの話は、http //asyura2.com/0601/idletalk20/msg/222.htmlの霊言を読んで頂ければ、イメージが掴み易いと思うんじゃが。」) そして、遠い太古の時代からやがて時代は巡り、幕末の動乱期、尊王攘夷として幕府から天皇政治への転換を掲げた長州はじゃ、南北朝で破れていった南朝を正統な天皇家として考えていたとされておるわなのう。北朝である明治天皇を南朝(大室寅之祐)にすり替えたとの、噂話も根強くあるくらいじゃし。 この時、長州の思想的師とされる吉田松陰と親交が深かった友人の中に、岸信介の生家・佐藤家の曽祖父がいるわのう。こうして、岸信介のどす黒い血と長州の南朝への思念は安倍晋三にも流れておることとなるわさ。 (※mono....中略) / 彼が岸信介の血を標榜しとると聞いておるが、どす黒い血を志向すれば、日本を争いと混沌へ誘導し、彼は短命で暗愚な総理とされるじゃろうのう。しかし、彼が心の奥底のメッセージを聞き、調和・和合へ舵を切れば、世界の調和と秩序に貢献し、新しい時代の夜明けの先陣となろうのう。そして人々に称えられ、歴史に残るような大宰相へ成長を果たすと思えてならんわな。 ちなみに「晋」の意味は、「日が至る」であり、日が昇って暖かとなることじゃそうじゃ。 日は霊であるから、三つの霊が至る。三つの霊が昇って暖かくなるとしたら、何か予感させるものがあるわのう。 新しい時代へのキーワードは「調和」じゃて、岸信介の「対抗する心」を捨て、大和心の「和をもって尊ぶ心」を進まれんことを、切にお願いしたいもんじゃて。日本の、地球上の民草の幸せのためにのう。 【萩生田光一】 / 【下村博文】 ■ 下村博文、萩生田光一「落選コール」の自民党 「二階堂ドットコム(2017.9.24)」より / 「アベ首相のお友達」と名指しされることの多い、下村博文、萩生田光一両議員。まぁ、性格もよろしくないのはもちろんだが、党内で、これまた評判が悪い。 「次の選挙で落ちろ」 とみんないっている。なぜって、それは簡単。「もり、かけ」の学園問題の次は、成田市における国際医療福祉大学の医学部新設だった。それはモロ、下村と萩生田。 大体、森友学園と加計学園問題はなんで起こったか。実は、安倍総理が一番の被害者(笑)もちろん管理責任はあるとしても、被害者だ。 あの話は、そもそも、下村と萩生田らが「文科省の利権構造を変えて、国家戦略改革特区にしちまおうぜ」的な話から始まったのだ。 結局あの騒ぎになり、自民党は都議選で大惨敗。そして、仕えているはずの安倍政権を根幹から揺るがしたのだ。あんなバカを使うから悪い。まだ、米軍の清掃業者にカネはもらっているのかな萩生田君は。まぁ、別にきっちりと処理されていれば問題はないだろう。それから、下村君は・・・もう呆れてコメントする気にもならないね。クズだ。 (※mono....中ほど大幅に略、詳細はブログ記事で) / それにしても安倍総理、ほんと、あなたは運が強いけど、菅さん以外の官邸の取り巻き議員はロクなのがいないね。まぁ、次はよく考えた方がいいですよ。 ■ 自然なわけはないガラガラ安倍演説 「DEEPLY JAPAN(2017.9.22)」より { (※mono....出かけるので取り急ぎエントリーのみ。詳細はブログ記事で)} ■ 安倍は用済みだ・・・自民党の悲願とそれを手玉に取ったアメリカ 「人力でGO(2017.7.26)」より (※mono....前半は加計学園問題など。詳細はブログ記事で) / ■ 安倍首相はどんな虎の尻尾を踏んだのか? ■ 今回の事件で注目すべきは「安倍1強」と言われた状況が、いとも容易く崩れた点です。 森友問題も加計学園問題もネットでは随分前から噂されていましたが、大手マスコミが何故今頃になて報道を始めたかが事の本質。 「安倍叩き」が「解禁」された理由こそが重要で、いまさら政治家と金の汚い関係を騒いだ所で意味はありません。 陰謀論者の私は、日米貿易協定を有利に進める為のアメリカの恫喝かと妄想していましたが、このまま行くと安倍政権の退陣まで追い込まれそうな気配。そうなると・・・アメリカの目的はもっと違う所にありそうだ。 安倍政権の最後の政治課題は「憲法改正」ですが、今回の事件で国民投票で国民がこれを支持する事は100%あり得ない。 「憲法改正」は自民党立党当時からの悲願であり、日本会議の悲願ですが、その根底にはアメリカの属国状態に独立が在ります。安倍首相は真面目な方ですから、アメリカに面従腹背して憲法改正を達成したかったに違いない。 しかし、アメリカにしてみれば集団的自衛権さえ日本が認めれば、自衛隊を紛争解決に動員する事が可能な訳で、日本の独立性を高める憲法改正めで認める必要は在りません。細かな事は自衛隊法の改正や、有事法制の整備で対応可能な訳で、それが憲法と多少相反した所で、自衛隊の存在自体が根本的には憲法違反なのだから大した問題では在りません。 安倍政権は「憲法改正を認めてやるよ・・」というアメリカの口車に乗せられて、いろいろとアメリカに便宜を図って来ましたが、最後に手のひら返しされた・・・。 まあ、1枚も2枚のアメリカの方が役者が上手だった・・・そんな妄想に耽っています。 (※monoコメ....「人力さん」のこの論が読売・産経共に内閣支持率世論調査結果の低さを説明するに足るものと思う。ここで安倍総理が憲法改正に動くと命さえ危ないのかも知れないと思う。日本の真の独立への道は遠い・・・・) ■ メモ 「二階堂ドットコム(2107.7.26)」より / 安倍を潰したいのはスガ。現時点でね。いや正確にいうと 「潰したい人はたくさんいるけど、スガが裏切らないと潰れない」 とでもいうか。 情報で総理に上がっていないものがある。それに気づいてない、いや気づけないだろうなー 表向きのブリーフィング(永田町ではレクという)で流せないのか。いや止められてるんだろうな。 風流に 流れる人の ひとのこと ひとごとなりて みるるたのしさ。 【自由民主党】 / 【自民党解体計画】 ■ 自民党解体計画 「平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図(2017.6.29)」より / もうすぐ都議選(7月2日)ですが、小池新党の過半数が有力視されています。その後に、小池新党は国政に打って出るとの大方の観方。 バベルの塔展を見に行った時に同行読者に話したのですが、このところの自民党の不祥事続きは、実は安倍総理の仕掛けているものではないのか? というのも、今の自民党は反日親中国の二階が自民党選挙対策委員長を掌握。ここのところの自民党の無能な若手議員や候補選考は二階によって選ばれてきたのです。安倍総理の思惑は、とにかく重要法案を通すのが優先。そのためには選対ポストなどは二階にやるから法案通過に協力せよというもの。 この甘々な安倍ちゃんの態度に増長して、下村元文部科学大臣や、森元総理やノビテルの自民都連はやりたい放題。しかし、裏では小池都知事の誕生からの、自民党既得権を破壊する作戦が着々と進められていた。それが、数々の不祥事と小池新党の台頭で、利権にしがみつく自民党左派を潰して、小池新党と手を組むという算段。 昔、利権の塊の小沢を追い出した手法で、二階と親中派を葬り去ろうとするのが狙い。安倍総理の自爆攻撃で、炙りだされてきた汚い狸が都連会長を務める下村という構図です。ノビテルは死んだし、都連の大物も死んだし、顔の汚い下村さえ政治的に殺せば、東京都に巣食う悪者共が一掃できる。その時は森元もサ・ヨ・ナ・ラ (^_^)/~ (※mono....以下略) ■ 安倍晋三が危ない!小池ユリ子も危ない 「逝きし世の面影(2017.6.24)」より (※mono....櫛の歯引用転載。詳細はブログ記事で) / 第二次安倍内閣成立から4年半が過ぎたが、自民党政権成立直後の4年前の都議会選挙で安倍晋三は街頭演説など東京都内で大車輪の活躍だったが今回は写真だけで済ましている。 余程体調が悪いのか、それとも『お友達スキャンダル』が連続する安倍内閣の劇的な支持率低下で『安倍晋三の応援演説は大迷惑、余計に票が減る』と敬遠されているのか。 通常国会冒頭に1年間の政治方針を行政府の長(首相)が立法府(国会)で行うのが施政方針演説で、臨時国会の冒頭で行うのは所信表明演説で(名称が若干違うが)二つは内容的にまったく同じ意味を持っている。 2007年参議院選挙(40日前の7月29日)で民主党に大敗した安倍晋三首相の責任論が浮上したが辞任を断固拒否、続投を決意して2007年(平成19年)9月10日、自らが招集した臨時国会冒頭で所信表明演説を行った。 辞任云々どころか、この時はやる気満々だったのである。 ところが二日後、安倍晋三は各野党党首の代表質問を受ける事無く、まともな理由も一切示さず9月12日首相辞任を唐突に表明する前代未聞、空前絶後。珍事中の大珍事を引き起こしている。 後(9月24日)に『体調悪化』と発表される。世界では病身を押して最後まで頑張って死ぬ政治家は数多い。ところが、安倍晋三のような例は誰もいない。 ところが、入院したのは所信表明の当日ではなくて、その翌日だった。体調悪化の首相辞任の言い訳ですが基本的に嘘くさいのである。(今の潰瘍性大腸炎の難病だと発表するのは翌年1月) 昭江夫人の勧めで、痢止めの怪しい民間療法「放射性物質」(ラドンガス)大量吸入で治療しているとの不思議な報道もあったが、その後、なんと自民党総裁に返り咲き、4年半前からは自分で放り出した日本国首相にも復帰、しかも閣僚席から野党に野次を飛ばすなど異様にハイテンションである。 / 『自民党幹部も記者も騒然「総理ががんで9月退陣」怪情報』6/20(火)週刊ポスト 「安倍首相が肺がんで9月退陣」──6月第2週の週末に、永田町をそんな情報が突風のように駆け回り、政治部記者たちは裏取りに追われた。情報の発信源とされるのは関西在住ジャーナリストのメルマガだ。 〈数日前から永田町で、安倍首相重病説が飛び交っている。これまでの腸の病気ではないガンではないか?というもの。(中略)安倍首相、退陣、9月に解散か総選挙になるというひともいる。真偽は不明だが、第1次政権でも、病気で退陣しただけに気になるところだ〉(6月6日発行) 当のジャーナリストに根拠を聞いた。 政界にがん説が流れていただけなら“またか”と相手にしないが、政界とは接点のない大物医療関係者が、『安倍首相は肺がんで、入院したら官邸に戻ることができるかどうかわからないくらいの症状だ』と語ったという。母の洋子さんが安倍さんに『すぐに総理を辞めて入院してくれ』と頼んでいるという話まで付いていた。(裏は取れていない) 永田町では権力者がくしゃみをしても重病説が流れる。 安倍首相の“健康不安説”はこれまで何度も繰り返された。それにもかかわらず、真偽不明の重病説に“免疫”があるはずの政治部記者たちが色めき立ったのは、もう一つの情報が直後に広がったからだ。 6月9日、結婚30年目の「真珠婚式」の夜、渋谷区富ヶ谷の自宅で、「急に不調を訴え、慶応大学病院の主治医や看護師らが呼ばれた」。 翌10日の安倍首相の「首相動静」が情報に真実味を持たせている。 〈【午前】東京・富ケ谷の自宅で過ごす。【午後】2時18分、東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」。「NAGOMIスパアンドフィットネス」で運動。5時39分、自宅〉 ジムで3時間以上も運動(首相のフィットネス通い)は、「ホテルの別室で医師の検査を受けるためのカムフラージュ」と“翻訳”される。 体調不良情報の翌日、フィットネスに行ったことが逆に“やっぱり”と首相の体調に不安を抱かせる結果になった。 「二階俊博・幹事長ら自民党幹部は役員会で総理と顔を合わせているのに、その翌日、安倍総理の体調激変と報じた夕刊紙を熱心に読んでいたのは不思議だった」(政治部記者) ※週刊ポスト2017年6月30日号(抜粋) / ★注、 他とか以前と比較すれば誰にでも簡単に、『安倍首相の行動が如何に異常か解る』のです。(今回の『行動』よりも最近の『発言』の方が、もっと異常度は高いが、) ところが、この明らかな異常事態をマスコミが一切報じないので、善良だが愚かな一般市民は誰も気が付かない。 無知な一般市民層どころか、我が日本国では有識者でも孫崎 享など極少数しか安倍の異常事態を理解出来ないのである。 その数少ない例外である孫崎 享でも10年前の安倍の先例と比較するとの発想が無いのですから情けない。(10年前は、当たり前ですが今よりも10歳も若くて健康は万全、元気いっぱい溌剌としていて、突然辞任するまでは一切の健康不安が無かったのですから、健康不安説が飛び交う今回なら突然の急死も十分考えられるウルトラ危険な『成り行き』である。政権末期も末期、もう持たないでしょう) ■ 安倍晋三首相が病気で精密検査の結果、肺がんステージ4、余命3か月と告知されたという記事 「☆牧師の妻☆【こころのブログ】(2017.6.26)」より / 安倍晋三首相は、慶応大病院で精密検査、「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節、脳幹に転移、余命3か月」と告知される / + 続き 為政者たちのために祈れ 聖書には「王とすべての高い地位にある人たちのために」祈るように勧められています。 クリスチャンの中にも、いろんな考えの方がいらっしゃり、時々「打倒、安倍!」というような勢いで話している方もいらっしゃるのですが、まず、私たち夫婦で話していることは「首相を呼び捨てにはしない。」ということです。 「安倍さん」「安倍首相」と呼びます。 いくら何でも、ご本人を目の前に呼び捨てにはしないと思うんです。 たとえいろんな考え方が「自分とは違う」と感じることがあっても、「ご本人を目の前にして言えないことは言わない」ようにと心がけています。 国民が選挙で選んだ方ですし、神がそれを許されたからです。 日本は「王政」ではないので、国の「王様」はいませんが、「王」にあたる方と言えば天皇陛下と首相ではないかな、と思います。 私たちが天皇陛下と首相、またそのご家族のためにとりなし、祈ることが神の前によいことであり、喜ばれることです。 / 追記2 ご紹介させていただいた記事は「デマ」の可能性が高いようです。「板垣英憲」さんのwikipediaページに今回の発言について掲載があったようです。 安倍総理末期癌説 •2017年6月21日、安倍総理が末期(ステージ4)の肺癌で余命3ヶ月であると断定し、麻生副総理が党内に悪口を吹聴していると述べた[5]。なお、板垣は6月17日に総理が病院で精密検査および告知を受けたと論じたが、当日の総理は移動時間の14分を除いて終日公邸と私邸で過ごしており、精密検査そのものを受けていない 私も記事については「これホント?」とびっくりしましたが、正しくない情報に混乱を覚えた方がいらっしゃいましたらお詫びいたします。 ■ 安倍晋三首相は、慶応大病院で精密検査、「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節、脳幹に転移、余命3か月」と告知される 「板垣 英憲(いたがき えいけん)2017.6.21」より / ◆〔特別情報1〕 「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節までに転移しており、脳幹までの転移するのは時間の問題、余命3か月」-安倍晋三首相は6月17日午前、母・洋子夫人(安倍晋太郎元外相の妻、岸信介元首相の長女)に付き添われて慶応大病院で精密検査(MRI検査など)を受けた。この結果を、こう告知された。安倍晋三首相本人も、主治医も、「肺ガンが末期」になるまで気づかなかったのは、「潰瘍性大腸炎」に気を取られて、胸にまで気が回らなかったからだったという。東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」内の「NAGOMⅠスパアンドフィットネス」の個室で主治医の診察を度々受けていても、ここでは、精密検査(MRI検査など)を受けることができなかった。そのせいか、6月19日午後6時から、通常国会の閉幕を受けて首相官邸で記者会見したときの安倍晋三首相の表情は、精彩を欠き、覇気がなかった。元気がなかったのは、主治医から「多臓器不全」(潰瘍性大腸炎)により、ドクターストップ(6月10日)をけられていたためではないかと受け止められていたけれど、「手遅れで、余命3か月」と告知されたのが、原因だった。このことを耳にした麻生太郎副総理兼財務相が、「ポスト安倍」狙いで、自民党内に言いふらしており、衆参両院議員は、安倍晋三首相亡き後の身の振り方に悩み、右往左往しているという。 { (※mono....続きは有料記事)} ■ 6/19 安倍晋三 内閣総理大臣 記者会見 ■ 安倍首相が愛想をつかされる日 「心に青雲(2017.6.10)」より / 日本の首相が政府専用機に乗って外国を公式訪問するさい、機からタラップを降りて来るときに、夫婦で手をつないでみせるのは、安倍晋三が第一次内閣のときからであったと思う。それまでの歴代首相ではなかったことだったから、仰天させられたものだった。「美しい日本」とか「日本を取り戻す」とか言いながら、どうしたってなじまない行為である。 他事ながら、私の両親は外出する時に生涯一度も手をつなぐことはなかった。母は新婚のときから父に、「道を歩くときは少し離れて後からついてきなさい。一緒にならんではいけない」と言い渡されたそうだ。 そんなことを私も聴いて育ったし、周囲もそんなものだったから、安倍晋三の「仲睦まじさ」は異様に思えた。 昭和天皇の場合も、歩くときは皇后は決して並ばず、やや後ろに下がっていたし、大衆に手を振るときも天皇より手を高く掲げることはなかった。これが正しく美しい。 ところが現今の美智子皇后は、天皇にべったり付き添い、介護するかのように支えあって歩き、ときに天皇より前に出るし、手を振るときは天皇より高くしてお構いなし。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / 6月7日付の西尾幹二氏のブログ「インターネット日録」より引用させていただく。 憲法9条1項、2項を残して3項を新設するという5月3日の安倍発言にはまたしても、ブレーンと称する人々の入れ智恵があったのである。安倍さんは自分で考えたのではない。他人にアイデアを与えられている。「今まったく同じことが始まっている」と私が産經論文の結びに書いた一文は証拠をもって裏付けられた形である。 森友学園も加計学園もそれ自体はたいした事件ではないと私は思う。けれども思い出していたゞきたい。第一次安倍内閣でも閣僚の事務所経理問題が次々とあばかれ、さいごに「バンソウ膏大臣」が登場してひんしゅくを買い、幕切れとなったことを覚えておられるだろう。野党とメディアは今度も同じ戦略を用い、前回より大規模に仕掛けている。 同じ罠につづけて二度嵌められるというのは総理ともあろうものが余りに愚かではないだろうか。しかも同じ例のブレーンの戦略に乗せられてのことである。 憲法改正3項新設もこの同じ罠の中にある。 安倍さんは人を見る目がない。近づいてくる人の忠誠心にウラがあることが読めない。「脇が甘い」ことは今度の件で広く知れ渡り、今は黙っている自民党の面々も多分ウンザリしているに相違ない。 保守の核心層もそろそろ愛想をつかし始めているのではないだろうか。櫻井よしこ氏や日本会議は保守の核心層ではない。 / まったく私も同感である。とりわけ安倍首相に「人を見る目がない」には完全に同意する。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / こういうダメさ加減が、最後には安倍が行き詰まって政権から追い立てられる羽目になるのではないか。 西尾氏が書くように「保守の核心層もそろそろ愛想をつかし始めているのではないだろうか」とあるが、そのとおりだろう。 ただ、他に日本の左傾化をいささかでも防ぎ得るであろう人物が自民党にいないから、しかたなく支持しているにすぎまい。 吠えるEGと 燃える同志たちの議場 -25- 1:飯山一郎 2017/04/18 (Tue) 10 13 00 host *.ocn.ne.jp 前スレでは「安倍晋三の革命」=❶総理官邸からゴロツキ戦争屋を追放 ❷プーチンとフクイチ鎮圧を協定.この二つを絶賛し…,戦争屋がトランプ政権を簒奪したクーデタの分析を深め,さらに「森友」で集団発狂した講演会芸人を痛罵する流れ.本スレは,世界の真相の深層を診る視点で,『ホに負けぬ元気』を継続していきたい!なお,ココの略称は『EGボード』.(飯山一郎) 263:やや疲れ人 2017/04/27 (Thu) 12 00 34 host *.access-internet.ne.jp 221 名無しさん@1周年 2017/04/27(木) 11 08 34.84 ID h4N900Ps0 日米安保破棄、日露安保締結! 福島原発廃棄日露共同作業条約締結! 脱グローバリズム条約締結! 安倍晋三、いまこそ売国奴の仮面を脱ぎ捨て愛国者の姿を見せつけろ! 302 名無しさん@1周年 2017/04/27(木) 11 44 01.01 ID h4N900Ps0 284 ここで安倍晋三が引き下がったら日本は確実にヤバイ。 既に森友筆頭に安倍晋三を追い詰めて潰す攻撃をCIA文春を筆頭に開始している。 そして同時進行で小池百合子が安倍晋三の後釜に座ってグローバリズム売国を強化しようと狙っている。 盟友中川昭一、松岡利勝をやられたんだから仇討ちに為にも安倍晋三には踏ん張ってもらいたい。 【外交】安倍首相がロシアへ出発 北方領土での共同経済活動実現に意欲 [無断転載禁止]©2ch.net http //asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1493253572/ ↑で上記の書き込みを試験的にしてみました。 ほぼ完全に無視されてます(笑) ーーーーーーーーーーー 吠えるEGと 燃える同志たちの議場 -25- 1:飯山一郎 2017/04/18 (Tue) 10 13 00 host *.ocn.ne.jp 前スレでは「安倍晋三の革命」=❶総理官邸からゴロツキ戦争屋を追放 ❷プーチンとフクイチ鎮圧を協定.この二つを絶賛し…,戦争屋がトランプ政権を簒奪したクーデタの分析を深め,さらに「森友」で集団発狂した講演会芸人を痛罵する流れ.本スレは,世界の真相の深層を診る視点で,『ホに負けぬ元気』を継続していきたい!なお,ココの略称は『EGボード』.(飯山一郎) 266:飯山一郎 2017/04/27 (Thu) 12 18 06 host *.ocn.ne.jp 263 やや疲れ人さん.↓↓良くぞ書いてくれました!! <>ここで安倍晋三が引き下がったら日本は確実にヤバイ。 <>既に森友筆頭に安倍晋三を追い詰めて潰す攻撃をCIA文春を筆頭に開始している。 <>そして同時進行で小池百合子が安倍晋三の後釜に座ってグローバリズム売国を強化しようと狙っている。 <>盟友中川昭一、松岡利勝をやられたんだから仇討ちに為にも安倍晋三には踏ん張ってもらいたい。 このことが↑↑分からないシトが,多すぎることが不吉です. 新井信介さん,副島隆彦さん,憎悪心を捨てて下さい! 早く分かって下さい. ただし… 安倍晋三が↓↓これをヤッたら,危険です. <>安倍晋三、いまこそ売国奴の仮面を脱ぎ捨て愛国者の姿を見せつけろ! ワシは…,安倍晋三が,殺害されるか,角栄のようになると,おもっています (T_T) ■ ネトウヨ学園の件で安倍総理は財務省にはめられた 「あとはおまかせ(2017.2.25)」より / なるほど それなら 納得 財務省の天下りを たたけ! 陳胡痒 ▼「消費増税再延期」がデフレ退治の必須条件だ!政府のブレーンがノーベル賞学者に従うワケ ↓ ▼二階堂氏「ネトウヨ学園の件で安倍総理は財務省にはめられたな」 安倍総理を嵌めたな。価格の決定は国交省のせいにして。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) 参考 シムズ教授は悪夢の再来首相面会を財務省が阻止 参考 シムズ理論、財政再建がいい加減になりかねないリスクも=麻生財務相 【森友学園】 ここ数日、安倍首相と森友学園に金銭や便宜供与などのつながりがないことが明らかになってきたので、いまは森友学園の教育内容に焦点がうつりそれで戦線をずらしている。教育内容には、もちろん安倍首相はなんの関係もないが、イメージ操作でだぶらせる。本当にただの「政局マター」の道具だなあ。 — 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2017年2月25日 ■ 安倍首相の「お告げ」行脚!! 「清州のブログ(2016.11.21)」より / 07年7月29日の参議院選挙で自民党が大敗した後、池口法主は体調不良に苦しむ安倍氏へこう辞任を進言。その12日後の9月12日、電撃辞任となった。 安倍首相の妻・昭恵夫人いわく主人だけではなく自身も、自分の行動が「神様に動かされている」と語っている 「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね」 「神様なのか、先祖なのか、分からないですけど。何か自分の力ではないものに支えてもらっていることに対しての感謝を」 まあ「信仰の自由」は、憲法で保障されていますから異論はありませんがここにきて、安倍晋三に池口恵観のお告げがあり、 「2018年3月までは、大殺界であるから何事もひかえよ!!」 と言われたかどうかは、立ち会っていませんが~このようなことを言われたようです。 お告げを受けたとたんに、あれだけはしゃいでいた12月15日の「北方領土返還」、「ロシアとの平和条約締結」を成功させて、一気に衆議院を解散して総選挙を予定していましたが「お告げ」のおかげで、軌道修正をはかっているようです・・・・・。 まあ一国の総理大臣ともあろうものが、「お告げ」により右往左往するとは如何なものかと思慮いたしますが・・・・。 (※mono....当wiki主は安倍総理の態度を肯定的に見ている・・・。) ■ 律儀な人・安倍総理、逝去したシンガポール前大統領を弔問。シンガポール国民からは感謝の声! 「なでしこりん(2016.10.25)」より / .....なでしこりんです。高倉健さんの歌に「義理と人情秤(はかり)にかけりゃ~♪」という歌がありますよね。私は基本的には「冠婚葬祭=義理ごとは大切なもの」と教えられて育ちましたので、可能な限り参列しています。でも正直言うと、「金銭面が大変」と思うこともあります。 でも、「律儀であることは大事」ですよね。 私は「律儀な人」が大好きです。 .....私は、「安倍総理は律儀な人」と思っています。先週の土曜日(10/22)に安倍総理が「自衛隊殉職隊員追悼式」に参列されたことはご存知でしょうか? ネット上では、参加者のほとんどが自民党の国会議員であり、民進党からは一人しか参列していないことに批判の声もありました。 (※mono.--中略) / .....もう一つ の話題は「KSM WORLD」さまの映像のご紹介。こちらは、シンガポールのセラパン・ラマ・ナザン前大統領がご逝去された際、安倍総理ご夫妻が弔問に駆け付けたことに対して、シンガポールの人々から「感謝の声」が上がったことを伝えてくれています。こういう記事は、「なんでもアンチ安倍」の日本のマスゴミは「報道しない自由」をしっかり行使してきますからね。 「KSM WORLD」さまのようなネット愛国者は貴重ですね。これからも頑張っていただきたいです。 By なでしこりん 2016/09/08 に公開 【KSM】安倍首相夫妻の振る舞いにシンガポール人が大感激 8月22日に逝去された前大統領、ナザン氏を弔問 スーパーマリオが来てくれた!シンガポールの前大統領を弔問、他国首脳でただ一人駆けつけ「ありがとう、アベさん。」 首相夫妻の振舞いにシンガポール大感激。マスゴミ報道せず! http //ksmworld.blog.jp/archives/1060888270.html 海外「さすが兄弟国だ」 安倍首相夫妻の振る舞いにシンガポール人が大感激 http //kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2047.html 【日本の防衛】 ■ 安倍総理の自衛隊訓示と行橋市議会の犯した過ち。 「大和心への回帰(2016.9.15)」より / 余命本「外患誘致罪」のあとがきにはこう記されている。 「…本書の起稿時点(平成28年初夏)では、まだ「竹島カ-ド」があるだけで、実際に外患誘致罪を適用するには高いハ-ドルがいくつもあった。 だが、日本の今の状況は、すでに2度にわたって中国漁船と公船による尖閣攻撃を受けており、つまり日本は韓国だけでなく中国とも紛争状態に突入しているのだ。また、北朝鮮のミサイル発射に、政府は常時迎撃態勢で対応せざるを得なくなり、日本国民は北朝鮮と紛争状態にあることを改めて認識することになった。 告訴・告発によって起訴されれば、事実上の一審制により刑法最重罪・初の外患罪が適用される。 安倍総理は9/12、自衛隊高級幹部会同に臨み訓示を行った。 以下はその全文である。 数ある歴代宰相の中で、安倍晋三総理ほど自衛隊最高指揮官の名にふさわしい内閣総理大臣はいない。 自衛隊と強い絆で結ばれている姿が惚れ惚れするほど頼もしい。 期せずして、余命本「外患誘致罪」発刊の二日後に行われた自衛隊高級幹部会同にて行われた訓示からは、安倍総理が最重要課題として取り組んできた「日本再生」に寄せる熱意と情熱がひしひしと伝わってくる。 これは、対外存立の条件が整った特亜三国との臨戦体制に寄せる決意のように感じられるのである。 第50回自衛隊高級幹部会同 安倍内閣総理大臣訓示-平成28年9月12日 http //nettv.gov-online.go.jp/prg/prg14182.html (※mono.--訓示書き起こしは略、詳細はブログ記事で) / 訓示からキ-ワ-ドを拾ってみた。 前例のない事態 極めて厳しい状況に、我が国は直面 我が国の領土、領海、領空は、守り抜く 防衛装備移転三原則の策定を始め安全保障政策の改革は、確実に前進 これまで起きたことのない事態への備え 対応が十分でなければ、取り返しがつかないかもしれない 最高指揮官たる内閣総理大臣と、防衛省・自衛隊が、一体となって事に当たること すべては国民を守るため、私は、自衛隊と政治とのシームレスな関係を構築していきたい。 昨日までの平和は、明日からの平和を保証するものではありません。 長文になるので、ご参考までに昨年12月に行われた訓示を末尾に掲載するが、今回との違いは明らかである。 (※mono.--以下長文につき略、詳細はブログ記事で) 【日本を取り巻く情勢】 ■ 【インテリジェンス・K】アメリカの動き 9月12日 安倍首相が史上最悪最低の首相になる日 「二階堂ドットコム(2016.9.12)」より / 一体安倍首相は何をしているのでしょうか。既に事態は危機的な状況になっています。北朝鮮はミサイルも核弾頭も準備を整えました。例えば、南シナ海で米中が衝突すれば、その隙に、北朝鮮が日本や米国に核攻撃というシナリオが現実のものになったのです。現在のBMD体制では不十分なことは、政府内部はよくわかっているはずです。 今からでも遅くはありません。日本が置かれている危機を国民に説明し、すぐに衆院を解散して、国民に憲法改正を訴えるべきです。憲法を改正しても、それに付随して様々な法律を作らなければ、十分な国防体制を作り上げることは出来ません。安倍首相が憲法改正から逃げ回るのであれば、いずれ日本に3番目の核が落ちる日が来ます。その時こそ、安倍首相が史上最悪最低の首相になる日なのです。那須でご静養中の陛下の命が狙われればどうするのでしょうか。現在の日本政府には、もうすこし緊張感があっても良いはずです。 明るい話題といえば、日ロ交渉ですが、ロシア国内の状況からすれば、先行きは暗そうです。 [北朝鮮の核実験] [孤立していない北朝鮮] [北朝鮮の危険性] [日ロ交渉] [本文] [北朝鮮の核実験] http //www.j-cia.com/archives/12790 ←※有料課金記事。 ■ 英霊が書き記せと言うから書きました。安濃談 「帝国政府声明文 安濃豊 戦勝国は日本だった(2016.7.28)」より / 安倍総理へ! 増田は見殺しとせよ。英霊が見限っているからだ。 増田にテコ入れすると、安倍晋三から英霊が逃げていく。テコ入れしたところで当選するわけではない。 英霊は小池支持である。小池当選後、安倍晋三総理と小池都知事、そして英霊がタッグを組み第2次東京オリンピック(大東亜解放オリンピック)を成功せしめよ。 (英霊が書き記せと言うから書きました。安濃談) 【ダッカ襲撃テロ事件】 ■ バングラ人「本当にごめんなさい!ISISは回教徒ではない!」:もちろんイルミの手先さ! 「Kazumoto Iguchi's blog 2(2016.7.5)」より / いやはやダッカ人質テロの被害者は悲惨を極めたが、「イスラム教のジハード」の名を借りた国際テロ組織の典型的な手口のようですナ。 まあ、本当の歴史を学んでいないと分からないわけだが、第2次世界大戦、アジアでは大東亜戦争が起こる前に起こったことを(起こされたことを)彷彿させる。 我が国が大東亜戦争に引きずり込まれる前には、旧ソ連共産党政権が育成したアジアのテロ集団、パルチザンという組織があった。このギャング集団、テロリスト集団が極東アジアでやりたい放題の民間人大虐殺を繰り返した。 このメンバーに支那人、朝鮮人、ロシア人などが含まれ、朝鮮を統治しそこで教えていたり、ビジネスをしていたりした日本からの遠征者たちの婦女子を大量大虐殺したのである。 この一つが「通州事件」というものであった。(詳しくは、小名木善行さんのブログ内で通州事件で検索)そして、さまざまな似たような悲惨に事件を起こされた。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で。以下は『安倍晋三』氏関連記事のみ転載) / たとえば、いまだに我が国の朝鮮系マスゴミは「イスラム国」という名称を使って、あたかもイスラム=国であるかのように演出しているわけである。これまでもさんざん「ISIS」あるいは「ISIL」と呼ぶべきだというイスラム教国の国民の意見を無視しているわけだ。このことからも我が国日本のマスコミ、マスメディアが、イルミナティー側悪魔主義側に属すことを証明している。 ちなみに、安倍晋三はイルミナティー側ではない。もちろん、側近や自公民には一部イルミナティーメンバーもいるが、現政権は国民側にかろうじて立っている。だから、我が国の悪魔主義側に属する在日韓国系が安倍政権に敵対するわけである。ここを誤解してはいけない。(安倍晋三の場合は、第一期安倍内閣の時は脳天気にイルミ側だったが、中国へ行って毒殺されかけて戻り、突然の病気になり突然辞任したのだが、それ以降反省し国民側に変わったのである。) そこで今回のダッカの事件に対して、そのバングラディッシュの国民自体がどう見ているか?これをメモしておこう。以下のものである。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 「稀代の名宰相・安倍晋三」が定着するに至った軌跡。 「大和心への回帰(2016.5.7)」より / 今日安倍晋三総理は、「稀代の名宰相」としての評価が国民に定着し、「策士・安倍」という゛称号゛が似合うようになった。 振り返れば、開設(’14/2)以来、結果的に安倍戦略の考察を主たるテ-マとして今日に至った拙ブログとしては、特別感慨深いものがある。 今日多くの国民は、「政治家・安倍晋三」の政治的力量を当然のことの如く受け入れている感があるように感じられるが、想像するに第一次政権に躓(つまず)いて、並々ならぬ努力と研鑽を積み重ねた雌伏の時代の試練を糧に、第二次政権に返り咲いた「奇跡の復活」があったことが忘れ去られているかの様に映るからかも知れない。 私は復活当時の印象として、今日安倍総理に定着した「稀代の名宰相」「策士・安倍」という評価にはほど遠いものであった事を忘れることができない。 (※mono.--中略) / 現在、多くの国民は消費贈税発言に安倍マジックの臭いを感じている。一年前なら大きな議論を呼び起こしていたであろうが、ポイントは伊勢志摩サミットであろう。国際社会の要請を増税延期に持ち込む腹づもりであり、その段取りも完了していると推察する。GW中の主要国歴訪目的の一つは、その確認であろう。 安倍マジックは、自ら動かず相手の要請を待ち、「打たせて取る」戦法であるが、これまで国民は随分動揺してきた。夕方の一部報道で、官房副長官から増税見送りを示唆する発言が報じられている。 ●衆参同日選については「考えてもいない」 W選については、反日野党対策よりも、対公明党戦略をどう描いているかであると見ている。反日野党対策は既に完了しており、既に選挙後の政界地図を睨んでいるはずである。思えば安倍総理の選挙対策には、必ず公明党戦略が絡んでいたことにお気づきだろうか。 舛添に向けられた批判は、朝日や毎日からも糾弾される事態となっている。東京都知事選で舛添支援に回った自民党に対して、支持層からも大きな批判を浴びたが、今となれば公明党対策であったことが理解できようというものである。 国家基本政策にかかわる安保法案の成立などを見越しての対応であり、当時難航した審議もクリア-した現在、世論は「戦争法案」と逆転しているのが現実である。 最近舛添は、厚労大臣時代、後の第一次安倍政権を失脚に追い込んだ年金問題の事実上の火付け役であることが一部で露呈されており、自民党が苦境に陥った麻生政権時に、麻生総理に砂をかけ、いち早く泥船から脱出したことを忘れてはいない。 図に乗って一首長の立場で媚韓外交を展開し、泳ぎまくった結果が今日猛批判を浴びる結果となったのは自業自得である。泳がせて正体を露呈させる安倍マジックにまんまと嵌ったのが舛添の末路であり、総理が公明党の役割は終わったと判断しているかどうかにかかっている、という見立てである。 (※mono.--以下略) ■ パチンコ連盟最高顧問安倍晋三 「ネットゲリラ(2016.2.14)」より / アベノミクスは「打たれ弱い」と海外からの指摘、というんだが、そら、海外のジャーナリストはご会食のお仲間になってないからw ホントの事を書いても怒られないしw アベシンゾーは気持ちが小さくて打たれ弱いから、それでマスコミに圧力掛けて、悪口を書かせないんです。 「強力なパンチを持っているはずだったが、『ガラスのあご』だと分かった」。 12日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、最近の円相場の急伸や日本の株価下落に関する 分析記事の中で、安倍政権の経済政策「アベノミクス」を打たれ弱いボクサーに例えた。 日本のマスコミのヘタレぶりが凄いんだが、黙らせるだけのカネが行き渡っているわけだ。おいらの知ってる範囲でも何人もが政府からのカネを貰っている。もちろん、オモテに出ない裏金も含む。 (※mono.--以下略) ★ 名誉を捨てて大局を獲る。改めて卓越した安倍総理の洞察眼を考察する。 「大和心への回帰(2016.1.18)」より / 国民は、安倍総理の卓越した洞察眼をまだまだ理解していないようである。 再三再四考察してきた安倍戦略の凄みについて、改めて考察してみた。 日韓慰安婦合意を懸念するNY在住邦人より、1/15付にて安倍総理宛の公開質問状が送られた。 国内では沈静化しつつある本事案について、米国在留邦人においては不満やる方無しである。 一方国内では、桜田文部副大臣の「慰安婦娼婦」発言について、1/14に発言撤回・謝罪に至ったが、この発言の何が悪い!との糾弾が相次いでいる。 BSフジに出演した河野洋平氏が非難したのは当然として、安倍総理が桜田発言を激怒したと伝えられることに対しても非難轟々である。 今回はこれに対して、安倍総理の深淵を考察することにする。 (※mono.--中ほど大幅に略、詳細はブログ記事で) / 究極は、…在米邦人、米国人も含めた外国人を差別している在日特権の不公平について、総理自らが日本政府の運用に批判の声を挙げよ!とメッセ-ジを送っているという神業である。 オバマ政権の交代時期に共和党、民主党いずれでもいい。米国国会を巻き込んで日本の(在日特権による)外国人差別運用に声を挙げよ! 総理は自らの政権までも追求の矛先にせよ、と云っているようである。 私は安倍戦略を「虎穴に入らずんば虎児を得ず」「火中の栗を拾う」と論評してきた。まさに奇策であり、常人にはにわかに理解不能な神業であると評した。 在米邦人の件について、総理は国家(米国)が動かなければ解決は困難であるとの核心を読み切ってのことであろう。 余命氏の洞察は核心を看破し、事実を把握し、第一発信には細心の注意を払い常にことの根幹を読み切ってきた。現実化100%たる所以である。 拙ブログでは、安倍総理が稀代の名宰相であることを戦略面から洞察してきたが、個人の名誉も捨て、批難・誤解・汚名を被ってでも、大局を見据えた政治決断を断行できる点において比肩すべき人材は見当たらないと思っている。 何回も繰り返すようであるが、ここまで来るともはや神業である。 なぜ臨時国会を中止したのか。 何故批難満載の日韓合意に踏み切ったのか。 安倍総理が、理解不能な政治決断を行う時には、必ず次の戦略が開始されている、というこれまでの分析は的を外していなかったようである。 ■ 「安倍首相、やりたいだけやらせては」- 塩野七生氏が語る世界と日本(2) 「日本経済新聞(2015.12.21)」より / 『ギリシア人の物語I 民主政のはじまり』(新潮社)を書き上げた作家、塩野七生さんへのインタビュー2回目は、日本の安全保障などについて聞いた。 ――塩野作品には安全保障にかかわる記述がしばしば登場します。安全保障とは結局何でしょうか。日本で今年成立した安保法制をどうご覧になっていますか。 しおの・ななみ 1937年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。68年に執筆活動を始めた。82年に『海の都の物語』でサントリー学芸賞、83年に菊池寛賞を受賞した。92年から長編『ローマ人の物語』に着手。99年に司馬遼太郎賞に輝き、歴史研究と歴史小説の両分野にまたがる新たな分野を切り開いた。06年に第15巻でシリーズが完結した。このほど最新作『ギリシア人の物語I 民主政のはじまり』(新潮社)を書き上げた。イタリア在住。78歳 「デロス同盟(ペルシャ戦役後のギリシャ都市国家同盟)というのは、多国間で一緒になって安全保障をしましょうという目的でできたものです。一方、ペルシャ帝国にはそんな同盟は一切ない。その後のアレキサンダーもローマ帝国もそんなことは考えなかった。つまり『一緒になって力を合わせて安全保障をしましょう』という同盟の考え方は超大国からは生まれないのですね。日本も中小の国々のひとつだから、同盟による安全保障は当たり前な話であって、ヨーロッパでは安倍晋三首相の安保法制は全然問題になっていない。問題にならないどころか、『当然』という感じで受け止められています。中国だってほとんど何も言っていないんじゃないですか」 「中国は『一緒になって安全保障しよう』なんて言わない。そういう中国に対抗するには、中小国が集まって、アメリカが後ろ盾になる安全保障を考えればいい。中国が脅威的存在にならなければ、これほどの必要性はなかった。かつてソ連があったときと似た構図です。つまり同盟は強大な敵があるからなのです。今の中国はまだ超大国ではないが、超大国になりたいと思っている国であることは確かです」 安定、安全の実現は統治者の務め ――政権に返り咲いて約3年の安倍首相の政権運営をどう見ていますか。 「前回(2013年秋)の日経インタビューで『2度も首相としてチャンスをもらい、それで何もしなかったら政治家でないだけではなく、男でもない』と言いました。そうしたら安倍さんは発奮されて『チクショー、絶対にやってやる』となったのではないですか。安倍さんに批判的な人は『塩野さん、なぜ安倍首相を応援するのですか。彼には健康上の理由があるし』と言う。でも、健康上の理由なんぞは奥さんとお母さんが心配すればいい話です。我々国民が心配することではない。むしろ安倍さんにはやりたいだけやらせたらいいと思っています」 + 続き 「それからギリシャの政治家、ペリクレスにしても、その統治は30年も続いた。安定ということは、すごく大きいです。人間というのは決してバカではありません。安定、安全であれば、何とか適度に自分たちでやれる。しかし、安全だけは統治者が実現しなければならない。だからルネサンスの時代のフィレンツェでも、メディチ家が僭主(せんしゅ)になって安定を築き、そこにルネサンス文明というか、フィレンツェ文明が花開いた。ベネチア共和国というのは経団連が統治したような国だと思いますが、その経団連が中小企業の保護をしたのです。だから社会が安定した。そのため商売はうまくいき、文化もうまくいった。安定は本当に大切です。だからパクス・ロマーナは大切だったのです。安定というよりは、パクスと言いましょう。平和です」 政権、10年は続ける必要 「私は、そんじょそこいらの平和主義者よりかはよほど平和主義者だと思っています。しかしパクスを実現するには、やはり抑止力とかの諸々の力が必要です。だから安倍さんの今の状態は良いと思う。ただし、あの人は説明のやり方が下手だった。安保法制についても説明が十分でなかったのではなくて、はっきり言うと、話し方が下手だったということです。アンチ安倍の人から『安倍晋三という男をあなたは好きですか』と聞かれたから、『まずもって私の好みの男じゃない』(笑)。だけどそんなことは関係ないことです。私は日本が良くなってほしいと心から思っています。今やりますと言っているのが彼なんだから、やってもらいましょうよ、とただそれだけ。もし彼がダメだったら次の人にやらせたらいい。だけど以前のように首相が1年1年で交代するのはいけない。絶対にいけない。あの状態では日本人は何もできなくなりますから」 「英国のサッチャー首相は10年続いた。ブレア首相だって10年続いた。つまり10年は必要だと思う。10年続けばおそらく日本人でも何かやりますよ。今のイタリアで中道左派政権のレンツィ首相がやろうとしていることもすごいですよ。まず上院を事実上なくしました。上院議員は選挙では選ばれないことになった。つまり、ねじれ現象が起きない。重要案件を決定する権利は、イタリアの上院にはない。だけど上院の建物は残しました。上院議員は誰がやるかというと、地方都市の市長などです。その人たちには上院議員としての給料は与えない。彼らはすでに市長の給料をもらっているのだからそれでいいだろうと。だから、レンツィ首相は事実上、議会を、一院制にしてしまったのです。これで、ねじれ現象が解消し、2番目には政策決定の時間の短縮につながった」 「この間、日本人から聞かれたのだが、『レンツィ首相が来日した時に、安倍首相と意見がみな合致したが、なぜか』と。私は『当たり前じゃないの』と言いました。中道左派政権と中道右派政権なんていうものは、もうない。レンツィ首相がやろうとしているのは、(緊縮路線の)メルケル独首相の北ヨーロッパとは反対の道です。つまり成長路線に変えたい。安倍さんのアベノミクスもそれでしょう。安全保障の面では、イタリアは海外派兵を1万人くらいやっている。海外派兵を決めるときはイタリアでも国会が承認する必要があります。そのときには必ず野党まで一緒になって協議している。そうしないとヨーロッパの一国としてやっていけないから。安倍さんは中道右派のはずだし、レンツィは中道左派ですが、そんなことは関係ないのです。ただし、レンツィは40歳というところはあるかもしれない」 「いま日本で河野太郎氏が担当している行政改革相は、イタリアでは女の子が務めています。安倍さんは、『レンツィ首相は閣僚の半分が女で、よくやれますね』と言ってますが、彼女たちはそれがみな奇麗で、しかも若さがある。重要なところは平然と『女よ』と言えるところ。なぜやれるのかといったら、ベテラン男性を副大臣にしているからです。イタリアの男は美人の若い女を前にするとなんでも喜んでやっちゃいますから。というわけで今、レンツィ首相の話自体が面白いというところもありますが、イタリアで政治番組を見るのが面白くなっています。今や彼が出ると必ず視聴率が上がるらしい」 ――小泉純一郎首相もテレビに出ると視聴率が取れたらしいです。 「でも、小泉さんはいつも起承転結の起しか言わない人だった。安倍さんは長々と話していると、聞いているほうもわからなくなるけど自分もわからなくなるところがある。それから、外交交渉では主導権は絶対にこちらが持たなくてはいけないが、この大事なことを安倍さんは忘れたりする。でもヨーロッパでは安倍さんはなかなか評判がいいですよ。それからもうひとつ、これは指導者の条件ですが、安倍晋三という男は決して貧相ではない。これはやはり大切な点です。言うことはなんだかわからないところがあるけど、かわいいところがある。一生懸命やろうとしているのは確かです。『男でない』と言われて発奮したんだから。政治のリーダーは美男である必要はないのです。でも明るい顔である必要はある。レンツィだって、トスカーナ風のかわいい顔をしていますよ」 ■心躍らされる主張のない女性政治家 ――安倍政権は女性活躍を看板政策としています。すぐに成果を上げるのは難しく、日本では初の女性首相もまだ見えてきません。 「女の人は、男社会だと言って文句を言う。しかし抗議するのにもエネルギーがいる。人間にはだいたい一定のエネルギーしかないから、抗議するのにエネルギーを使ってしまうと、創造するエネルギーがなくなってしまう。これが日本の多くの有識の女たちのありさまです。だから次期首相だって女だからダメだっていう訳では全然ないのだけれど、心躍らされるようなはっきりした何か、こっちの注意を引くような主張を言わないといけない。しかし、いまの女性政治家にはそれを言う能力が感じられません。まあ安倍さんにもあまりありませんけれど(笑)」 ――日本の野党リーダーは優等生タイプが多い気がします。 「やっぱり辛気くさいのはダメです。だって世の中、全部辛気くさい話ばかりなのに、リーダーまでも辛気くさい顔をしていたらやる気が起きますか。野党の政治家もやはり自分が能力を発揮するチャンスを逃してはいけない。安倍さんはもう後はないのだから、変なことを考えないでやってもらえばよいわけです。私はそういうように見ています。でも日本でこんなことを書いたら、やはりお金を稼ぐにはちょっと具合悪いし、有識者とも呼ばれないし、というわけで、昔の西洋の話を書いているのが楽だという話です」 (聞き手は、伊奈久喜特別編集委員、坂本英二編集委員) ■ 日本盟主論11・安倍総理の復活が奇跡であったことを忘れてはならない。 「大和心への回帰(2016.1.11)」より / ダイナマイトに毛が生えた程度の自称水爆実験で、幼児が親の気を引くような稚拙な行動に出る国があるかと思えば、反日を外交戦略の柱としてゆすり、たかりで生き延びてきた結果、自縄自縛に陥ってもだえ苦しむ国あり。 そうかと思えば、武力による現状変更を強行し世界中から非難され、経済の崩壊傾向が著しい中露。 わが国に隣接する北東アジアは末期的症状である。 折しも2016年、11回目の国連安保理非常任理事国に就任し、8年ぶりのサミット議長国を務めるわが国は、名実ともに世界を主導する存在感を示すタイミングが巡ってきたようである。 (※mono.--中略) / 安倍政権を全面的に肯定すると、恰も安倍妄信派のように批判する者もいるがそれは全く当たっていない。 功績を率直に評価し、実績に対しては肯定的に捉える姿勢が必要である。 そもそも安倍政権が誕生しなかったと仮定した場合、果たして一強多弱という現象が生まれていたであろうか。今日では、自民党内での一強多弱もなかったと考えるのが常識的な見方であろう。 安倍政権の誕生を抜きにして、この僅か三年余りの間に日本再生意識が覚醒されたかどうかは甚だ疑問であり、また訳の分からない民主党その他の野合政党が、安全保障や憲法問題など国家基本理念の確立を遠ざけていた可能性が高い。 余命ブログなどネットの普及により、日本弱体化を推進する勢力の構造…換言すれば中韓特亜やサヨクが知られたくない情報を暴露したことによって、平和ボケから目覚め、日本人のアイデンティティに着火させた貢献も大きいが、それもおそらく安倍晋三という真性保守理念を持った宰相が誕生したことによってここまでたどり着いた奇跡を忘れてはならないと思うのである。 (※mono.--中略) / 別な角度から検証してみよう。 拙ブログでも何回も言及してきたように、安倍政権の復活自体が奇跡であったということをどれだけの国民が記憶しているのだろうか。 2012年の総裁選出馬を巡っては、一度挫折した安倍晋三氏の負った傷が深く、当時の国民が果たしてどれだけ安倍晋三氏の復活を嘱望していたのだろうか。 平然と見下した発言がまかり通っていたことを忘れもしない。 当の安倍晋三氏は忸怩たる思いを持ちながら、出馬することにさえ引け目を感じていたのである。 党友党員の支持は石破氏に集中し、石原伸晃、林芳正、故町村信孝氏が次々と出馬宣言する中、安倍晋三氏は立候補を躊躇していたのである。 その安倍氏の背中を押したのが、故三宅久之氏、金美麗氏、津川雅彦氏ら20名の有志が、憂国の危機を救えるのは安倍晋三氏を置いてほかになし、との意思を共有し出馬を喚起したからに他ならない。 それでも下馬評では、石破、伸晃に次ぐ第三位という劣勢からのスタ-トであった。 議員票で石破氏を辛くも凌駕したものの、当時において今日の安倍一強時代到来を誰が予測したであろうか。 安倍政権誕生そのものが奇跡の復活だったことを、多くの国民は忘れてしまっているのではないだろうか。 (※mono.--中略) / 私は盲目的に安倍総理を支持しているのではない。 復活後の安倍総理は、この例を見るまでもなく反安倍勢力や国民のみならず安倍親派でさえも簡単に見抜けない高度戦略を身につけていた次元の違いをまざまざと見せつけられてきたからに他ならない。 今更賞味期限切れの「安保法制廃案」を争点に、打倒安倍を目指す野党連合とは次元が違い過ぎて勝負になるはずもないのである。 日本再生のために、安倍一強時代を歓迎する根拠を改めて論評したのが本稿の狙いである。 日本再生のためには、当面安倍総理以外の適任者は存在しないというのが結論であり、同時に非難する前に安倍総理なくして為し得なかった功績に対して、評価すべきところは評価すべきであるということを云いたかったのである。 安倍総理の復活が奇跡であったことと、今日混沌とする国際社会の中にあって、日本の存在感をここまで高められことが当たり前ではないということを再確認したいという思いからの出稿である。 ■ 日韓慰安婦合意、安倍マジックの予兆!? 「大和心への回帰(2015.12.29)」より / 日韓両政府による慰安婦問題合意について悲観論、失望論が目立つ。 拙ブログでは、政権発足以来的確に展開してきた安倍外交を評価している。 こうした論調が必ずしも的を衝いているとは思っていない。 ここまで安倍総理の政治手法について、悲観論、失望論が出るたびに私なりに「安倍戦略」の深淵について洞察してきた。 それは、敵も身内も看破できないところで推進されてきたのが、安倍戦略の真骨頂であるとの視点から一貫して主張してきた。 それは「安倍マジック」あるいは「死んだふり戦術」と形容してきたが、今回もその方向はいささかも変わっていないと見ている。 以下の産経記事は、概ね野党歓迎、自民不満と云った現状を伝えている。 共産党や村山富市も含め安倍外交を評価したのは初めてではないだろうか。 自民党も安倍支持層も、またしても「安倍マジック」にかかり始めている、というのが率直な感想である。 (※mono.--中ほど略、詳細はブログ記事で) / この結果だけを見れば敵に塩を送り、反日野党が評価するという安倍総理らしからぬ結果である。 だが、この不満だらけの慰安婦問題妥結であるだけに、むしろこのこと中に安倍総理の秘策が仕組まれていることを感じるのである。 背後に米国からの圧力があったことは否めない。 だが文書化されなかった共同声明は、年明けにも米国が介在する中で明文化されるはずである。 これによって今回の日韓共同声明は動かぬ決議事項として国際社会に認知されることになるだろう。 韓国内では元慰安婦団体が猛反発している。 慰安婦問題は韓国政府に下駄が預けられたということだ。 (※mono.--以下略) ■ 真の売国奴は、安倍だったと言うこの現実 「WJFプロジェクト(2015年07月10日 (00時03分) )」より / 「売国奴、安倍晋三」を書込む。赤ちゃんのオムツであってもだ。 「ネトウヨ」を名乗る人物が、ある掲示板で、安倍晋三に対する怒りの書き込みを行っています。この方の書き込みがとてもおもしろいので紹介させていただきます。(改行、句読点等を少し修正させていただきました) ネトウヨと呼ばれて、5年だな。新兵の頃は、ロムってろと軍曹に怒られたものだ。何もかも懐かしい。思い出すなあの頃を。そして、どんな脅しにも屈しないという安倍という男に出会ったな。我々は、それを信じて、民主党撲滅作戦とフジテレビ視聴率撲滅作戦の反包囲網作戦で、戦いに挑んだ。花王作戦では敗北したが、寝る間も惜しんで、全チャンネルを使って、日本の無意識層に刷り込んできたんだ。安倍政権を誕生させる為にだ。小林よしのりに馬鹿にされながらも地域コミュニティーやPTAといったチャンネルも使った。 作戦も順当に進み、他国にも仲間が増えてきたとたんに、 後ろから突然、あの男に、英語で全世界に向けて明治の遺産である軍艦島を強制連行島として世界遺産にするという新兵器で縦断爆撃されたんた。ああ、仲間の殆どは、生きながら焼き殺されてしまったよ。後ろから打たれたんだ。防御する時間すらなかったよ。自分が何故戦死したのかも知らない仲間もいた。だが、まだ生き残った仲間がいる。まだ、負けと決まったわけではない 全日本ネトウヨ評議会からの伝達である。現時点をもって、民主党撲滅作戦とフジテレビ視聴率撲滅作戦を一時中断し、二重スパイの安倍政権撲滅特攻作戦を決行する。全てのチャンネルを開いて、1点集中無意識層刷り込み波動砲を放て。場合によっては、自らが砲弾になる事を許可する。以上だ。 友よ、泣くな。ここで、お別れだ。そして、いつか靖国で会おう。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) 【安倍晋三(過去ログ)】
https://w.atwiki.jp/streamergta5/pages/322.html
プロフィール 「アタシ?アタシね、三郎太っていうの!サブちゃんって呼んで!」 「アタシサブちゃん。よろしく」 (初対面の人への挨拶/ 上:街に来た頃、下:街に来て半年後以降) 「人の道には筋を通し、世話になった人たちには恩を返す」 「義理を立て、目上を敬い、女を守り、子供を助ける」 「それが極道っちゅうもんだ」 (「オジキ」からの「教え」) 名前 アイアンメイデン 三郎太(さぶろうた) 出身地 滋賀県(日本) 誕生日 1987年7月11日(36歳) 移転日 2023年3月3日(1年56日) 職業 記者(P.N.A.局長) 過去の職歴市議会議員(第二期) 2023/10/12~2024/1/31 その他所属 イベント実行委員会 コードネーム エージェント・クイーン レーサーネーム Mr. Queen TwiX @愛のサブちゃん@サブちゃん 恋人 奇夢 ヤミ(~2024/04/26) プレイヤー 今井三太郎 告知等 Twitter 配信場所 YouTube 目次 プロフィール 基本情報経歴・性格・職業など 物語が進むに従って...(ネタバレ注意) 所有車両 目標 交友関係「大切な人」 ペンカートン情報局(旧「記者クラブ」) 友人たち ??? 協力者 恋愛遍歴 手がけた記事アプリ版 新聞掲載 エピソードあらすじ 各エピソードのあらすじ アーカイブ 動画切り抜き その他 ストグラ系コラボ 基本情報 本名、鉄山(てつざん)三郎太。 滋賀県出身、35歳。 日本の武闘派組織『南楼(なろう)組』の元・若頭。 義兄弟に裏切られ、追われるように組を抜けた。 常にヒットマンから命を狙われているため 素性を隠し変装を続けた結果、今の状態にいたる。 しかしあくまでも男であり、『オカマ』は禁句。 潜伏先の『スナックおとめ』が襲撃を受け 世話になった人たちに迷惑はかけられないと 単身渡米し、ロスサントスへと流れ着いた。 この町では記者として、素性を隠して生きている。 ゴシップのみならず、ルポからコラムまで幅広く手掛ける。 ちなみに、子どものころの夢は小説家だった。 市長の後押しもあり、現在は情報局の局長を務めている。 友人や堅気に手を出す悪党は、けして許さない。 義理を立て、目上を敬い、女を守り、子供を助け、 世話になった人にはかならず恩を返す義侠人。 趣味は食べ歩きと観光。 (概要欄より引用) + 旧プロフィール 旧プロフィールを閉じる 本名、鉄山三郎太。 滋賀県出身、35歳。 日本の武闘派組織『南楼(なろう)組』の元・若頭。 義兄弟に裏切られ、追われるように組を抜けた。 常にヒットマンから命を狙われているため 素性を隠し変装を続けた結果、今の状態にいたる。 しかしあくまでも男であり、『オカマ』は禁句。 働いていた『スナックおとめ』が襲撃を受け 世話になった人たちに迷惑はかけられないと 単身渡米し、ロスサントスに流れ着いた。 友人や堅気に手を出す悪党は、けして許さない。 趣味は食べ歩きと観光。 (第01話概要欄より引用) 経歴・性格・職業など 🟥経歴&性格 「アイアンメイデン」の名前は、本名の「鉄山」(=アイアン)と『前の仕事』の店こと「スナックおとめ」(=メイデン)から来ているらしい。本人は「サブちゃん」と呼んでくれるよう自己紹介の際にお願いしている。「三郎太」と呼ばれると「古傷が痛む」らしい(01話03 01 00あたり)例外的に、光希ちゃんからは「メイちゃん」、だよちゃんからは「三郎さん」、アキちゃんからは「三郎太さん」と呼ばれている。 基本的に上半身裸であるが、これは本人曰く「背中に『彫っちゃった』ら、体質が変化して服着るとチクチクするようになっちゃった」かららしい。第15話あたりから「覚悟の証」としてチクチクに耐えながら上着を着るようになった。 その後は、ヤミちゃんに見繕ってもらったオーダーメイドのスーツを着るようになり、チクチクは感じなくなった。 流石に冬は寒いので、完全オーダーメイドの冬服を仕立てた。 + 実は... 閉じる チクチクするのは「背中の刺青による体質変化」ではなく過去のトラウマによるもの。義兄弟にクーデターを起こされた際の経験から「上着」類を着るとチクチクしてしまうらしい。(第15話他) 常時マフラーを身につけているのも、義兄弟によるクーデターの際に負った傷跡を隠すため。そのため、マフラーは絶対に外さない。マフラーの下は本人曰く「結構グロい」らしい。(第12話) そのため、一時的に雪見の死やクーデターの記憶が飛んだ際には服を着てもチクチクを感じなくなった。その代わり、記憶が戻った瞬間チクチクが復活して大変な思いをした。 首の傷の上には、ヤミちゃんに思い人ができた(と思い込んだ)際に、自分を痛めつけるため、蜘蛛のタトゥーを入れてある。 基本的には『前の仕事』こと「スナックおとめ」の時にしていた変装の癖でオネエ言葉だが、性別的にはまごうことなき男。「オカマ」「オネエ」扱いされるとキレる。 ギャングや犯罪者でない一般市民(心ある市民)が抗争や事件に巻き込まれることを何よりも嫌っており、相手が堅気に手を出しているような兆候を見ると『前の前の仕事』の口調に戻る。サブちゃん本人としても「前の仕事」の口調と「前の前の仕事」の口調のどっちが本当の自分なのかわからなくなっちゃうらしい。 「前の前の仕事」(ヤクザ)の矜持は忘れてないが、その過去については思うところがあるようで「お日様の下歩けるような生活をしてない」「幸せになれるような生活をしてこなかったから」と冗談混じりに明かすことも。自分がヤクザだったことに関しては、「『前の前の仕事』」「昔のことだから」「終わったことだから」とぼかすことが多い。 もうヤクザに戻る気はなく、ロスサントスでは一切犯罪をしない完全な白市民(カタギ)として生きていくことを決心している。 いまだに裏切った義兄弟の刺客から狙われているため、積極的に自分の過去について明かすことはしない。(実際、WBC観戦を兼ねて日本へ休暇を兼ねて一時帰国した際に「オジキ」の墓参りをしたら、襲撃を受けたらしい) 常に刺客に狙われる生活を続けていたため、一見朗らかに見えるが基本的に相手を警戒してかかる。しかし、「この人なら」と見極めた人には「人に信用されるにはまず自分が相手を信用すること」と自ら腹を割って話す覚悟を見せる。 + サブちゃんが過去を明かしている人々 心から信頼している人々 名前 明かした時期 経緯 奇夢 ヤミ 2023年3月中旬 ヤミちゃん誘拐未遂事件でヤクザだった頃の自分をみられたためこれで拒否感を抱かれたらロスサントスを去るつもりでいたしかしヤミちゃんは受け入れてくれたので恩義を感じている 葛城 司 2023年4月上旬 司ちゃんとゴルド山で対峙した時、彼の過去を打ち明けられて「人を殺した」と言う彼に、自分のせいで死んだ人間が13人いると明かした 雷堂 ましろ 2023年5月中旬 サブちゃんの主治医記憶喪失になった際に、元ヤクザだったことを伝えてあるのちに義兄弟の契りを交わした エド・エトワール 2023年8月上旬 エドちゃんの過去を打ち明けられて色々あって義兄弟の契りを交わした 物忘 レイナ 2023年8月下旬 記憶の断片を取り戻したいと語るレイナちゃんに対して「思い出さないほうがいい過去がある」と語るも覚悟を決めた彼女に語ったのちに自らの過去を思い出した彼女に改めて話した 駆音 エル 2023年10月下旬 情報局入社の際に彼女の「あまり話したくない過去」を明かされてその後は情報局親子師匠と弟子として行動を共にしている 基本的に面倒見が良く、自分を頼ってくれた人には全力で応える主義。また、世話になった人への恩義には人一倍篤い。恩人や庇護下にある子には、自分が全責任を持つという証として、兄弟盃を交わすことも多い。 義侠に篤い性格の一方、自分の過去に縛られがちであり、そのことがロスサントス生活の足枷になることも。特に、南楼組時代に自分のせいで死んだ「13人」については、名前を誦じるほどしっかり覚えており、おりに触れて口にすることも。 特に、自分にとって大事だった「オジキ」と妹「雪見」の墓を北にある教会の墓地に分骨のうえ作ってもらった。のちに相棒『フェアレディ』の墓も隣にできた。 + その後 ヤミ奪還日本篇以降 ヤミ救出の際に、因縁の義兄弟『キバ・コウスケ』と一戦交えることとなり、レイナちゃんの協力もあって、キバちゃんとの因縁に終止符を打つことに成功。 本人は南楼組に戻るつもりはないので、組長に返り咲くこともしなかったが、扱いとしては『元組長』となり、組員からも敬意を持って接してもらえるように 一方で、この一件で命を落とした舎弟の"ヒデ"のみならず、手にかけることとなったキバちゃんにも思うところがあり、自分のせいで死んだ面々にヒデとキバちゃんが加わって15人になった。 もう刺客に追われる心配は無くなったのだが、ロスサントスではあくまで「情報局局長サブちゃん」として過ごしたいと思っており、本名「鉄山三郎太」は基本的には明かさないスタンスは崩していない。 🖊️記者として 記者として就職したはいいが、就職した当時のロスサントスは新聞記者がサブちゃん以外にフランク コロンボしかいない状態(他にも記者の先輩はいたが、久しくロスサントスに来ていなかった)であり、しかも当時の編集長が長期失踪中という大変な時代だった。また新聞の販売方法にも改善点が多かったことから、市長に相談した結果、3/7に記者クラブ局長に任命された。現在はコロンボと書く記事の役割分担をしながら新聞記事の知名度向上を図っている。後日、記者クラブはペンカートン情報局 / P. N. A.(Pencarton News Agency)に改名。 新規住民さんに会うと「アタシの職業なんでしょう?」クイズをすることがお約束。だが、その格好のせいか「理容師」「ネイルアーティスト」果ては「海人さん」に勘違いされるなど、これまで一度たりとも一発で記者だと当てられたことがない。ちなみに一番多い答えは「ストリップバー店員」。→これまで2名が一発で新聞記者と当てた。うち一人は完全初見で当てたため、サブちゃんを大いに唸らせた。 記者として、ゴシップ記事やコラム、依頼された新規開店の宣伝記事や、市からの告知記事などを数多くを手掛けている。個人的にはゴシップやコラム、趣味である食べ歩きを生かしたグルメガイドなどを描きたいが、記者が少ない上に、告知や宣伝依頼が渋滞している状況が長く、そもそも記者の収入が少なくて食べていけないと言う状況が長く続いているため、なんとかしたいと思っている。→第2期市議会(第一回会合)にて、公共事業として"ガイド本&本屋製作費"5億+"毎月"1億の給付金を得ることに成功。記者のお給料を安定させたその後記者の数も増えたため、より大きな活動ができるようになった。 その他にも記事のアーカイブや車図鑑などの構想を練っており、いつかは情報局の業務の一環として書店を開業することが夢。 2023年(2023年3月〜12月)の執筆記事は78本(共同執筆・連名含む)と、情報局ぶっちぎりの一位である。 自身で記事を執筆するのみならず、後進の育成にも力を入れている。 ❤️好きなもの 車好きであり、自動車に関する知識が豊富。喋り出すと止まらない。記者クラブ改め情報局局長としてロスサントス市民の自家用車を全て記憶している。飲食店などでは駐車場を一目見ただけで店内にいる面々を推測できる。 最推しはフェアレディZのZ32(通称「ワニ目ゼット」)。前後のモデルであるZ32 Z34を含めても愛好家がロスサントスに少ないので、フェアレディを所有している市民に会うとものすごく喜ぶ。 一方で、サブちゃんにとって車は「親しい人と楽しい思い出を作る際に使うもの」と言う認識であるためレースに参加するつもりは今の所ない。→司ちゃんやエドちゃんの影響でレースの楽しさに目覚め、ライト層ながらレースに参戦することにした。なお、フェアレディZがあまりにもじゃじゃ馬だったので、気づかないうちに運転技術が爆上がりしており、レース免許試験は一発合格した。 サブカルチャーに関する知識も多く、特に戦隊モノについて幅広い知識を持っている。きな子ちゃんと話した際には思わず記事そっちのけで話し込んでしまった。変装していた際にずぅちゃんに戦隊モノの黄色戦士について力説した結果、「イエロー博士」の称号を頂戴した。 飲食店巡りが好きであり、ロスサントスのお店の店員さんとは大体顔見知り。基本的には「いつもの」か、店員さんのおすすめを注文する。好きな食べ物はオムライスやメロンソーダなどの家庭的なもの。施設出身であることから、そう言うものが「特別」に感じているらしい。 愛煙家。甘めの銘柄やがっつりタールが入っている銘柄が好き。ロスサントスで愛用している銘柄は『キャスパーマイルド』。軽めだが、ヤミちゃんが香りを気に入ってるのもあって、愛飲している。 タバコ屋が開業してからは、甘くてタールががっっつり入っている『マダム』をリクエストし、愛飲している。 吸うのは喫煙所か屋外の灰皿の近く。歩きタバコはしない。 タバコの吸いすぎの自覚はあり、ちょっと控えるつもりではある様子。 人を楽しませることが好き。その一環で、(潜入取材用の変装の延長として)コスプレにも力を入れている。 お酒が好きで、基本的に「情報局」「釣り場」「お酒が飲める店」の三つを拠点にしている。ただし、腎臓が片方しかないためかつてほどガバガバ飲めない体になっている。 また、かつて服用していた仮死薬物「GIFT」の影響で記憶喪失を起こすほどの大事故を起こしてからは、完全に薬物の影響が抜けるまで禁酒に励んでいた。「お酒飲みたーい...;;」 その後もできる限り体に負荷をかけないため、ソフトドリンクか度数の低い飲み物を飲む頻度が増えている。強いお酒に手を出すのは、よほど心に来る出来事があった時くらい。 釣りん人(ツリンチュ)。記事を書きながら釣りをするのが日課であり、よく海上レストラン裏の釣り場にいる。 🔰初心者案内おじさんとして 街に来て早々に道に迷い、もう少しで餓死するところをチュートリアルおじさん(チューおじ)に助けてもらって以来、彼に深い恩義を感じている。その際、「腹が減ってるならこれを食べるといい」と渡されたスモークチーズの味は今も忘れられない。 その恩義を返そうにも、お礼を受け取ってくれないチューおじの姿を見て、「なら今度はアタシが初心者住民さんを案内することで恩返しをしよう」と思い立つ。それからは、引っ越してきたばかりの住民の案内を積極的に行っている。 案内の際には「初心者三点セット」(スケボー・無線機・フィットビット)+試供品の新聞をプレゼントする。場合によっては双眼鏡も。 初心者案内の重要性を周囲に説明し、マニュアルもしくはガイドブックの発行を市議会に依頼していた。しかし、第一期市議会で託していた市議が果たせなかったため、第二期は自らが出馬することに。 + これまで案内した初心者さんたち 案内した子の名前 Ep. 経緯 🐶犬神 いぬりんちゃん 9 ヨタヨタ自転車で走って社用車に衝突したのがきっかけキノコ狩りなどにも連れて行った彼女がパン屋に就職してからも親交がある 🤓デブ田 デブ男ちゃん 14 レギオンでうろついているのを見かけて案内キャラの濃い彼に圧倒された拓也ちゃん強く生きて... 👮加賀 イズミちゃん 54 アパート前でうろうろしている🔰マークを発見し案内警察官志望とのことだったので真光ちゃんに引き継いだなお、この時衛星外。見たい方はイズミちゃんのアーカイブへGO!!その後も釣り仲間として親交を深めている 🎀物忘 レイナちゃん 72 ヨウコウちゃんから引き継いだ記憶喪失の女性ピザ屋を猛烈プッシュした結果、ヤミちゃんの同僚、そして親友に自分にとっても大事な友人で、「日本編」では相棒ポジに自分の身の上を全て話してある数少ない人物の一人 👮♀️花沢 まるんちゃん 特徴的なオレンジマッシュルームの男性後に警察に入隊 🚗なんば てってちゃん 道を変な方向に突っ走ってる🔰マークを見かけピックアップ 🐻ひの らんちゃん 「仮面合コン」の後、蒼ちゃんから引き継ぐ形で案内案内した彼女が警察になったことから、「アタシの案内した子警察になる率高くない?!」と思うように 🐼星唄 サウ汰ちゃん 122 ピザ屋でにかりんから引き継ぎ魔法少女カフェでエモートの筋肉講座もした 🍼ばぶ づみちゃん レギオンで「初心者案内はまだ」と言っていたので急遽実施「ママを探している」とのことだったので、ロスサントスNo.1ママ味をもつろぎあちゃんを紹介 🧥草薙 まおちゃん 一年ぶりに起床した初心者さんレギオンでうろうろしていたところを発見した相談屋稼業をしたいとのことなので情報局を開放することに 他、情報募集中 👔ファッションフォルダ + ファッションアルバム はじまりのすがた ひそみのすがた どうきのすがた 移住当時の姿この頃はまだ上着を着ていない 「ラグナロク」事件を機に購入せめてもの覆面 同期の記念撮影用撮影係なので写真には写らず あやしげなすがた むかしのすがた みそぎのすがた 「GIFT」布教用 記憶を無くした時の姿10年前の姿 司、許すまじ + 変装 というかコスプレ集 (画像はここに) 上田次郎 「どうも、日本科技大の上田です。」「『どんとこい、超常現象』、もう買ってくれましたか?」 (画像をここに) ボーちゃん 「しんちゃん、ちょっと田んぼの様子、みてkおぼぼぼぼぼぼぼぼ?!」 (画像をここに) ニャンちゅう 「お”ね”え”さ”ん”〜”!今日は子どもたちからお手紙が来てるに”ゃ”あ”ん”🎵」「お”ね”え”さ”ん”...中にカミソリが入ってたに"ゃ"ん"...」 (画像をここに) 兵藤会長 「これぞ長寿の秘訣!!」 (画像をここに) 鷲巣 駆け巡る鷲巣の脳内物質...!(以下略) 物語が進むに従って...(ネタバレ注意) + 開く。10話以降のネタバレになりそうなので、ワンクッション入れてます 閉じる 2023年3月16日(第10話)でMOZUのボスに呼び出され、地下駐車場にて、「ラグナロク」の記事を書けと脅され、リーダー"チュータ"とチューをして、耳の中まで舐められた。顔をベタベタになるまで舐められたのはトラウマになったようで、他の人にグループメンバーの説明をする際にそのことを思い出してたびたび気持ち悪くなってしまう。「ラグナロク」とは「彼らの記事を書く」「彼らの活動の邪魔になるようなことはしない」代わりに「サブちゃん自身とサブちゃんと話している人物には手を出さない」という約定を交わしている。 この約定ため、サブちゃん自身は「ラグナロク」逮捕のために直接行動に出ることはできないが、「ラグナロク」自体が彼の最も嫌う「堅気の市民にもためらうことなく手を出すヤツら」なので大変嫌っており、なんとかして「ラグナロク」を潰そうと独自に行動している。 また、「相手にだけ自分のことを知られるのは我慢ならない」として独自に「ラグナロク」の調査を開始。ヤツらの正体について探っている。 + 更なるネタバレ注意 閉じる 彼らの正体について、警察やギャングなどへの取材を経て「タコチューはガンロスとTAMAO」、「『猿頭』が「ラグナロク」の5人目のメンバー」、「山ちゃんが構成員か脅されて協力させられている」など独自の考察を広げていた。 しかし、3/28に突如ガンロス、TAMAOが街を去ることになり、「ラグナロク」は活動休止状態に。「ラグナロク」の脅威が去ったことに安堵する反面、当面の目標を失い呆然とするしかなかった。 + 第59話以降のネタバレ注意 ー特殊RP「記憶喪失」 色々あって、もう本当に色々あって、色々ありすぎた果てに「1ヶ月毎日愛を囁く」月間を終え、ヤミちゃんから「俺もサブちゃんのこと好き」という答えをもらったサブちゃん。 改めてヤミちゃんにプロポーズをし、2人は晴れて恋人同士となった。 しかし、サブちゃんの体は度重なる仮死薬『GIFT』の副作用により蝕まれており、その結果トラックバイトに向かう途中、愛車フェアレディともども海に落下してしまう。 ましろ先生の懸命な救助もあってなんとか一命は取り留めたものの... サブちゃんは、10年間の記憶を失ってしまった。 事故から生還した彼は、記憶が2013年時点で止まってしまっており、ロスサントスに来たことはおろか、自分が「南楼組」若頭だった頃から後の記憶がスッパリなくなってしまった。 それでも、自分のケータイの待ち受け画面に残っていた女性が自分にとっては大切な人だったことを感じつつ、自分の記憶を取り戻す日々を過ごすこととなる。 + 重大なネタバレ注意 ー結末 第62話(5/25)において、ヤミちゃんの奮闘により記憶の半分を取り戻すことに成功。 日本にいた頃の記憶はまだ朧げだが、ロスサントスに来てからの記憶はかなり鮮明に思い出せた。 + 第66話以降のネタバレ注意 ー特殊RP「会話不能」 記憶喪失状態からなんとか復帰したサブちゃんだったが、復帰とほぼ同時にロスサントスにシリアルキラーが出現。 堅気に手を出す犯罪者を何より嫌うサブちゃんは犯人の正体を掴もうと独自に調査を開始する。 そして、99.9%の確率でマイケル モイヤーズが犯人と睨み、独自に接近するなど最後の0.1%を埋めようと奮闘する。 だが、それが裏目に出てしまい、マイケルの凶刃に倒れ、3人目の犠牲者となってしまう。 異変に気づいた友人たちにより即座に病院に送られたものの、サブちゃんは昏睡状態となり、長く入院生活を余儀なくされたのだった。 この際、犯人は念入りに両手の腱と喉元を切り裂いており、会話はおろか筆談もできない状態になってしまった。 + 重大なネタバレ注意 ー結末 第67話(6/4)において、意識を回復。 この時点では会話も筆談も不可能ではあったが、呼吸音でモールス信号を打つことで会話を成功させた。 その後第68話(6/5)において、リハビリの末筆談が可能になり、その状態で裁判にて証言。裁判後には少しずつだが言葉を発せられるようになった。 最終的に第70話(6/9)で完全に回復し、問題なく会話ができるようになり、ヤミちゃんを安心させられた。 ちなみに、誰が見舞いに来るともわからない状態のまま、ただひたすら病院の一室で横たわる配信を敢行。(66話後半〜68話) 配信時間は合計23時間に達した。 誰が呼んだか「ピルボックス・プリズン」。 衛星の観測者からは「見舞い」コールが盛んに発せられるなど混沌の様相を極めた。 + 第95話以降のネタバレ注意 ー特殊RP「引きこもり」 レース参加を経て仲良くなったエドちゃんに内密な相談を受けたサブちゃん。 しかし、「自分の話だな」と勘づいた司ちゃんがなかなかついて離れない。「2人きりにしてほしい」と言っても聞かない彼から逃れるため、車で逃走したエドちゃん&サブちゃんだったが、司ちゃんは執拗に追跡し、逃走に使った愛車"ゼット"は大破。なおも追いかける司ちゃんから徒歩での逃走を図るも鬼電をかけられたためプライベートモードに切り替え着信できなくし、ようやく人気のないところでエドちゃんの相談に乗れた。のだが... 相談を終え、Twitterを確認すると連絡がつかない2人を心配した司ちゃんが警察や知り合いに話を広げ、大変なことになってた。 とりあえず司ちゃんに無事を報告したのだが、「たくさんの大人に迷惑かけたよね?」と説教され、土下座を強要され、禊をするよう言い渡される。 「坊主になるのと、ズボンを脱いで生活する、どっちがいい?」と聞かれ、「どっちもやだ!それなら司ちゃんのクソダサコーデで過ごした方がマシ!」と言ったばっかりに、壊滅的に悪意に満ち満ちたコスチュームを着せられる羽目に。 「こんな姿、百年の恋も冷める...」と落胆するサブちゃんに、追い討ちをかけるように司ちゃんは彼を市中引き回しに処し、ストリップバーでポールダンスをするように指示。観衆からおもちゃ扱いされて心がズタズタになったサブちゃんは、絶対ヤミに見せないため禊期間中は情報局のオフィスに引き篭もることを決意。 そして、巻き込まれただけのエドちゃんに同じことをさせるわけにはいかない、と司ちゃんとの約束である三日間ではなく、エドちゃんの分も加算した6日60時間の監獄生活を決心したのだった。 ピルボックスプリズンならぬ、情報局プリズン。ここに開幕。 + 重大なネタバレ注意 ー意外な結末 翌日、虚無の時間に苦しみながらも禊を続けるサブちゃんだったが、そこにピザ屋でバニー服イベを開催しているという通知が。愛するヤミの貴重な姿をこの目で見れないことに血の涙を流しつつ悶えるサブちゃん。 だが、ヤミの方も「こんなイベントをしているのにサブちゃんが来ないのはおかしい」と思ったのか、心配して電話をかけてきた。とりあえず声が聞けて嬉しいことを伝えるも、「いつもと調子が違う」と勘づかれ、サブちゃんは正直に「会いたいのよ...会いたいけど、会いたくない...!」と悲痛な胸の内を吐露。どこにいるか、と聞かれたので、「景色の綺麗なところ」とだけ答え、禊を再開したのだった。 しかし、ヤミは「景色が綺麗で、携帯電話の圏内」と言う条件から該当する場所を割り出し、あっという間に情報局にいることを特定。バッタリ出会した際には流石に絶句したが、「...説明、説明求む(汗)」と一応は話を聞く姿勢を見せてくれた。 そして、一部始終を話した結果、ヤミはこう言った。 「人は誰だって迷惑かける。それに司だって同じくらいひと様に迷惑かけてるやん。なんでお前だけ禊がなきゃならんの?」 「体の傷は治るけど、心の傷は治らない。いいか?天秤にかけるもの間違えんなよ?」 その言葉に納得したサブちゃんは、禊を切り上げ、いつもの格好に戻ったのだった。 そんなサブちゃんに「やっぱり赤が似合う!」と微笑むヤミ。 賢くて心優しい、またしても自分を救ってくれた彼女を、サブちゃんはいっそう愛おしく思うのだった。 こうして、60時間予定されていた情報局プリズンは、本格始動からわずか1時間半で終了したのだった。 ちなみに、禊を取りやめたことに関して司ちゃんはちょっと反論しかけたが、それ以上の緊急事態が発生したため、それ以上追求することはなかった。 + 第103以降のネタバレ注意 ヤミちゃんの一時帰国&音信不通そして・・・ 夏祭りの終わり際にヤミちゃんからお話しがあると言われたサブちゃん。 それは…日本へ一時帰国すること その理由はどうやら日本からヤミちゃん宛にお手紙が来たらしく…(詳しくはヤミちゃんの配信のアーカイブへ!) 明後日に帰国&連絡すると言い、サブちゃんはそれを信じて送り出した。「帰ってきたら、渡したいものがある」という約束をして。 しかし、戻ってくる予定の日が過ぎてもヤミは帰ってこないどころか、連絡も一切なし。 胸騒ぎのするサブちゃんだが、なにぶん情報が少ないため動くに動けない。 そんな中、8月中に実車カテゴリの廃止に伴い、苦楽を共にした愛車"フェアレディZ"とお別れをすることに。 エッグハントでようやく出会えて以降ずっと苦楽を共にしてきた『相棒』との別れに悲しみに沈むサブちゃん。 その間もヤミからの連絡はなく、ただただ焦りと心配だけが積み重なっていく。 そして、ついに...。 + 第112話以降のネタバレ注意 ー特殊RP『精神崩壊』 "フェアレディ"とお別れした翌日、かねてよりヤミの身に何があったのか調べてもらっていた日本の情報屋(イデちゃん)から「調査を打ち切る」という連絡をもらったサブちゃんは、心の中で大事なものが途切れてしまった。 その時、サブちゃんがとった行動とは... + 重大なネタバレ注意 届いた微かな声 間も無く音信不通になって一ヶ月になろうとしていた、9月11日。 もはや「9割方、この世にはもういないやろな」と諦めかけ、マックからの執拗なGBCへの勧誘を断る期日も迫っていた。 その日、サブちゃんは初心者案内のためレイナちゃんと魔法少女カフェを訪れていた そこに届いた1通のメッセージ。 「たすけて」 それは紛れもなくヤミの携帯から発せられたメッセージだった。 「どこにいる」「すぐ助けるぞ」とサブちゃんは返信したが、それっきりメッセージは来なくなってしまった。 これがヤミ本人からのメッセージではない可能性も、誘拐犯の罠かもしれない可能性すらある。 しかし、ヤミ生存の可能性に希望を見出したサブちゃんは即座に情報局のジョンに連絡。スマホの逆探知を命じ、居場所を特定次第日本へ渡ることを決意したのだった。 共にヤミ奪還を決意した、『ヴァローナ』ことレイナちゃんを連れて... + 140話以降ネタバレ注意 -特殊RP「喧嘩」 あれから市議会の選挙で切磋琢磨として来たサブちゃんとヤミ...正確には、当時は主人格の「明月ヒカリ」。 だが選挙期間中に「ピッツァボーイ騒動」が勃発。その途中で、騒動の渦中の人物である青ピエロ"クラウン"の正体にヒカリが近づいてしまう。 "クラウン"の背後にある潜伏型ギャングに目をつけられることを回避するため、やむなくヒカリの目の前で嘘をつくことになったサブちゃん。 後日、そのことをヒカリに謝罪するも、それを聞いたヒカリは心を閉ざしてしまう。 「アタシ、嘘をつく奴がこの世で一番嫌いなの」 「もうアンタとは赤の他人」 怒り心頭のヒカリは「しばらくアタシに関わらないで」と、言い放ちサブちゃんから離れる事に… ヒカリからヤミに戻るためには、ヒカリ自身の協力が必要のためある意味絶対絶命のピンチ。 彼女のことを理解しようにも全くその糸口が掴めないこと、そして、理解しようとするたびにヤミが遠のくような感覚に、サブちゃんはただただ恐怖し、当惑するしかなかったのだった... もはや、この二人の間を取り持つには、第三者の介入を待つしかないが...? + 心ないジョンより 「局長。今回に限っては貴方の回りくどさが裏目に出ましたねえ...(呆れ😔)」 「補足しますと、今回のRPで難しいのは側から見ると局長とヤミさんの喧嘩のように見えて、実際のところは局長とヒカリさんという全く別の喧嘩だってことです」 「なので、仲裁に入れる人は『局長・ヤミさん双方と親しい』かつ『ヒカリさんとヤミさんの事情を知っている』人物に限られるんです。私が把握している限り、そんな人はロスサントスでも極々限られます。...ちなみに、最後の人物に関しては、会った瞬間喧嘩勃発待ったなしという最悪のカードです。ナンテコッタイ」 + 177話以降のネタバレ注意🚨重要🚨 特殊RP体調不良&... 2月初頭の記事投稿から消息が不明になっていたサブちゃん。 その姿が再び確認されたのは4月24日、ロスサントス国際空港でだった。 この時、サブちゃんは医師からの診断により禁酒・禁煙・適度の運動を言い渡されていた。 そして、密かにヤミに全てを明かした。 自分は正式には退院しておらず、抜け出してきたこと 医師の診断によると、もってあと2年であること。 「自分にはもう未来はない」と見切りをつけたサブちゃんは、断腸の想いでヤミに「わがまま」を伝える。 「俺を、忘れてくれ」 「別れてくれ」 ヤミの未来を邪魔したくない。 何より、愛する人に置いていかれる悲しみを経験してほしくない。 その悲しみは、誰よりもサブちゃんが知っていたから。 今までの友人としての「縁」はそのままに。 しかし、もう自分はどう足掻いてもヤミの隣に「恋人」として居続けることはできない。 いつかくる別れの時に、せめて「知り合いの一人が死んだ」くらいの重みくらいで済むように。 「愛している」の言葉も、指を絡める一瞬も、愛を込めたハグのひとつも、もう呪いにしかならないのだから。 「愛して、いました」 一人きりの部屋で、サブちゃんは涙ながらに呟いたのだった。 + 以下、極秘情報 情報局局長の本気 ⚠️編集者の皆様にお願い⚠️ このネタバレセクションを編集する際には偽名などが検索に引っかからないよう、「わざとひらがなにする」「英語を混ぜる」「スラッシュを入れる」などの検索よけをするようご協力をお願いします。 これは、PLさんが「できる限り『魂』の方にも驚いてほしい」という方針を掲げ、RP外でも極力正体がバレないようにしたいと配信で語られていたためです。 皆様のご協力をお願いします。 内偵調査用に「ハリガヤ ジンセイ」(漢字表記は「針」の「谷」のような「人」の「生」き様)という人物になりきっていることがある。 ハリガヤ's profile 元々はお年寄り向けに健康器具を販売していたトップ営業マン。 しかし、のちに健康器具に科学的根拠がなかったことが判明し、顧客の老人たちから「詐欺師」呼ばわりされることに。 知らなかったとはいえ、自分の所業を悔いた彼は、会社の倒産をきっかけにロスサントスに移住。 現在は情報局長の厚意で、連載小説の掲載枠を新聞にもらい、小説家として生きている。 お年寄り向けの営業をしていた時の癖で、深く、ゆっくりとした喋りが特徴。 + サブちゃんはこう語っている サブちゃん的変装の極意 一、変装の際には覆面をつけるべからず 覆面をつけているのは、大体が犯罪者であるため、相手に警戒心を抱かせてしまう 真の変装とは、「別の人生を生きてみせる」ことなので、素顔でいることが重要である 一、隠せない特徴は別の目立つ特徴で隠すべし ロスサントスにおいては、体に彫ったタトゥーは隠すことができない そこに目をいかせないために、別の目立つ特徴を施すことで、相手の視線をそちらに持っていけ サブちゃんの場合は首元のタトゥーを隠すため、あえて顔に大きなタトゥーシールを貼って視線誘導している 一、連絡先交換は積極的に行うべし ロスサントスでは初対面の人と出会うとまず連絡先を交換するのが習慣となっている しかし、電話番号が同じでは変装に気づかれるリスクが高い かといって、連絡先交換を渋れば、相手に不信感を抱かせてしまう 逆に、全く別の番号で連絡先を交換すれば、一層正体を隠匿できるという利点がある これには、SIMカードを使うことで対応が可能である...が、番号の桁数でばれる可能性があるので注意すべし 口の堅い、信頼をおける人には自らの正体を明かしている。今まで明かした人ジョアンナちゃんレイナちゃん( まさかのバッタリ🎬 )ヨネばあちゃんずぅちゃんシギちゃん(なんのヒントもなしに正体に気づいた最初の人)ヨウコウちゃん(試験に際し、事前に情報共有)苺ちゃん ひろしちゃん(採用試験の際に、変装の極意を教えるため開示)エルちゃん(実は「話した後の息の吸い方」でバレてました...恐るべし)ろぎあちゃん(年末に日本へ帰省するとのことだったので年越しの挨拶ついでに) 所有車両 + 以下車両一覧 所有車両一覧 自転車その1 最初の愛車。これでVinewoodの看板の下まで登山した。(第1話) 自転車を買い求めていた田中・H・レイチェルに譲渡。 自転車その2 自転車その1が出せなくなった(のちにレッカーされてたと判明)際に購入。 誰かの譲渡したのか、2023年7月現在はガレージでは確認できない。(詳細追加求む) Faggio mod(原付 / ピンク) 桃兎 すずめから譲ってもらった一台。 ISSIが手に入るまで社用車と並ぶ移動手段の主力だった。 犬神 いぬりんの原付免許取得祝いに譲渡。(第11話) HOT Blazer(バギー / 赤) サーキット設置の際に購入したバギー。 基本的にサーキットで遊ぶ専用機種だが、緊急時に使用する。 当分は北の駐車場に預け、非常用車両として活用する予定。 レイナちゃんのピザ屋就職 運転免許祝いに譲渡。(第78話) ISSI classic (No. XRGJ6784) 「社用車ふわふわ事件」を機に購入した自家用車その1。 車体色はパーソナルカラーの赤。 小回りが効くのでイースターエッグハントでも活躍した。 デスマウンテンの山頂まで行って大回転したことも。 ヤミちゃんの提案でつけた愛称は『ミニ』。 日産 フェアレディZ Z32 (No. FBPK2385) 当分の目標として設定していた自家用車その2候補(35話で無事購入) こちらも車体色はパーソナルカラーの赤。 個人的に大好きな車種。生まれて初めて惚れ込んだ車種。語り出すと止まらない。この車種が好きなのは、叔父貴がこの車を所有しており、子供の頃からよく乗せてもらったから。 なお、何度か運転してみたいとねだったこともあったが、叔父貴は存命中ついぞハンドルを握らせてくれなかった。 エンジン音が大好き。試乗の時も「初めてじゃないくらい『馴染む』」とご満悦だった。ただし、トラクションがめちゃくちゃなじゃじゃ馬娘なのには苦労している。というか、このじゃじゃ馬娘を日常的に乗りこなしていたせいで、運転技術がアホほど向上してレース免許試験を一発で合格した。 イースターエッグの賞金 + 卵の売上の報酬でついに購入(35話) 一方で、水没したりスタックしたりと結構多難。と言うより、買ってからメインで乗り回しているので事故に遭う時は大体この子。 事務所在室の合図として本社前の駐車場に置かれているので、頻繁にレッカーされる。 ヤミちゃんの提案でつけた愛称は『ゼット』。 4月の購入時からずっと乗り続け、ヤミとのデートや取材では毎回活躍し、雨の日も風の日も共にあった、まさに「相棒」とよぶに相応しい存在だった『ゼット』。しかし、「8月末の法改正に伴う実車カテゴリーの廃止」により、泣く泣くお別れすることに。このニュースを聞いて、サブちゃんは「体を半分に引き裂かれる思いよ!」と人目を憚らず涙を流し、魂レベルで深刻なダメージを受けていた。あまりの嘆きっぷりに、まさのりちゃんのみならず、ヴァンちゃんも慰めに入るほどだった。(※ヴァンちゃんも車愛好家であり、お気に入りの実車を手放すこととなり、「翼をもがれる思いだ」と語っていたことから、思うところがあった様子) 街の北にある教会のお墓に、叔父貴と雪見の分骨を収めた上で、フェアレディのお墓にもすることにしてある。 スマホの壁紙をヤミから『ゼット』に変えるかガチで悩んでいる。一番いいのは、ヤミに乗ってもらった『ゼット』の写真を撮ることなのだが、当時ヤミは日本に一時帰国しており、なかなか時間が取れなかったのである...果たして。 そして8/30。思い出の場所を巡った後、名残惜しみつつお別れ。 Zion Cabrio (No. ) 記念受験程度の心持ちで受けたレース免許試験を一発合格したこと、そして司ちゃんやエドちゃんとレースに参加したことでレースに興味が湧いたことがきっかけで購入したA帯車。当初は、ヤミとお揃いのスポーツカー"Remus"の購入も検討していたが、そちらはB帯車だったので司ちゃんたちと走れるランク帯の車両として購入した。 「予算3000万」「A帯車」「ゴリゴリのレース仕様ではなく、カジュアル寄りで」とあんとあーちゃんや冬馬ちゃんに相談した結果、「ならZion系統だあねえ」とおすすめされた。 実は司ちゃんの愛車とお揃い。彼曰く「買った当時はロスサントスのZion乗りは僕1人だった」「僕がこの車の可能性を開拓した」。それゆえ、冬馬ちゃんがおすすめ車種としてZionを上げた時は感慨深かったらしい。彼の言葉を信じ、各部のアップグレードは司ちゃん監修の下、なのちゃんにお任せした。 『ゼット』とお別れするのに際し、この子を今後相棒にすることも考えたが、「あくまでザイオンは速さに特化した子」と一線を引いている。その代わり、逃走や追跡の際には使用することも。 当初は『ミニ』『ゼット』同様塗装はパーソナルカラーの赤だったが、追跡・逃走の際に「心なき市民の車に紛れやすい」という理由でシルバーに塗り替えた。 社用車 Weasel Newsの社用車であるワンボックス・カー。基本的な移動手段はこれ。 ライトグレー、ダークグレー、赤の3種類がある。 スピードは出ないけど、壊れよーがガス欠だろーが「心ないジョン」が次に出すときには新車同然 ガソリン満タンにしてくれるので愛用している。 壊れないよう注意はしてるけど、大体傷つけて帰ってくるのでジョンに怒られる。 「局長ー?あの、社用車の意味ってご存知ですか?💢」 心ないジョンより 目標 フェアレディZを買う(達成!) 新聞を「ロスサントス観光ガイド」として売り出す(達成!)5/22に全11弾を掲載し、新聞を2万円に値上げした お金を貯めて20億の家を買う 手の届く範囲で堅気を犯罪から守る 情報局の業務として本屋を開くロスサントスの自動車業界振興のため、車図鑑を作る 初心者案内のためのマニュアル、もしくはガイドブックを作る 飲食店振興のため、食べ歩きガイドを作る + 以下ストーリーの根幹に関わるネタバレ注意 閉じる 「ラグナロク」をぶっ潰す(解散により果たせぬ夢に) 5/22までにヤミちゃんに「人を好きになる」と言う感情をわかってもらう(達成!)色々あったけど5/22(実際には日付を超えて5/23)に「俺も好きだよ」と答えてもらった。 その後、改めてプロポーズを行い食い気味にOKをもらい、晴れて婚約者同士となった。 ヤミちゃん以上にお金を稼げるようになるお金を稼ぐためトラックバイトで最高ランクを目指す(達成!) トラック会社を立ち上げる(就職制度の兼ね合いから一旦保留) 司ちゃんに立ち直ってもらう(達成...?)RitUal 開店に前後して、司ちゃんが「あの頃はどうかしていたよ...」と振り返ってたことから「袋小路からは抜け出せたみたいね」と判断しているが...? 交友関係 + 写真を格納しています 閉じる 「同期たち」 3/19、記者クラブ局長室にて(撮影:IM三郎太) 後列(左から):TANAKA MASAMITU、Ueno Kamiya、ジャーク 武士、フランク コロンボ 前列(左から):奇夢 ヤミ、葛城 司、九頭峰 誠士郎、超越ヶ谷 にかり、柏猫 ねこ子、まりー あんとあー 「情報局本格始動記念」 7/5、記者クラブ局長室にて(撮影:IM三郎太) 左から:三下 ザコ、奇夢 ヤミ、アイアンメイデン 三郎太、フランク コロンボ、セレナ ソング 左下円:心ないジョン 「大切な人」 奇夢 ヤミ(ヤミちゃん / ヤミ) 行きつけのピザ屋にほぼ毎日出勤している店員さん。サブちゃんの記事の愛読者でもある。 ただし、彼女のおすすめする「ダークネスチョコピザ」に挑戦する勇気はなかなか起きず、ピザ屋で注文するのはもっぱらお気に入りのマルゲリータ。 よく一緒に遊びに行ったり、一緒に他の住民の突飛な行動にツッコミを入れたりしている。 + のちにサブちゃんはこう語った ーサブちゃんのヤミちゃんに関する言葉 一言では言い表せない関係なのよねえ まあ、恋人と言えば恋人だし 家族といえば家族だし 共依存しているといえば共依存しているし (中略) すごくわかりやすく言うと、大事な人、ね セレナちゃんにヤミとの関係を問われた時の返答(#72) いま俺が、世界で一番幸せやと思えてるのはヤミがおるからや。 それやったら...俺がヤミを世界一幸せにしてやらなあかんやろ。違うか? レイナちゃんに自分の身の上を打ち明けた際の言葉(#92) それで言うと、嫌いなところもあるのよ。 アタシね、人が好きなことを否定するのが嫌いなの。 (中略) アタシはその大好きなものをヤミに否定されたことがあるの。 その好きなものは「奇夢ヤミ」って言うんだけど。 ホントに自己肯定感低いのよ...あの子。 エドちゃんに語った言葉(#95) + 10話以降のネタバレ注意 ー「芽生え」編 カジノのルーレットで車が当たったことから彼女に取材をしていた際に「タコ太郎」なる人物によるヤミちゃん誘拐未遂事件に遭遇。彼女を逃すためステゴロで戦い、色々あってダウンを取ることに成功。「タコ太郎」は現場から逃走したものの、ヤミちゃんの身の安全の確保はできた...と思っていた。 その後サブちゃんが誘拐されたことを一日休んだあと新聞で知りヤミちゃんは驚愕。サブちゃんもヤミちゃんが再び「例の四人組」の標的にならないようできるだけ身の回りにいようとしている。 また、ヤミちゃん誘拐未遂の際に「前の前の仕事」の顔を見られてしまったため、ロスサントスの住民には誰にも話したことのない自分の過去について明かした。それに対して、ヤミちゃんは「サブちゃんはサブちゃんだから」と言ってくれた。彼女に自分の正体について口を滑らせたことは、怖がらせはしなかったかとちょっと後悔している。 + 第36話以降ネタバレ注意 ー「1ヶ月毎日告白」編 イースターイベントを通して、彼女に愛情を抱くように。 その理由は容姿や性格ではなく、「一緒に同じ方向を向いて同じ歩幅を歩いてくれる人だと確信した」から。 だから、かける言葉は「好きだ」ではなく「愛してる」。 司ちゃんとのタイマンに負けた結果、「1ヶ月後までに意中の子に想いを伝えろ」というペナルティが発生した際には、自分のこの心情が本当なのか確認するため、1ヶ月間毎日告白することにしたら、本当に胸がドキドキしていた。 まずは、恋愛感情を知らない彼女に1ヶ月の間に「誰かに惚れる」という感情を抱かせることが目標。 + 第59話以降ネタバレ注意 ー「カップル成立」編 「1ヶ月毎日愛を囁く」月間、そしてヤミちゃん自身の問題が片づいた後、ヤミちゃんから「俺も好きだよ」という返事を聞き、改めてプロポーズ。めでたく相思相愛となった。 一度は大事故を起こして記憶喪失になったり、RED RAM事件で重傷を負ったりしたものの、なんとか回復し互いの無事を確かめ合った。なお、この事件を境に呼び捨てで呼ぶようになり、彼女の方も時折「三郎太」呼びをするようになった。 + 第75話以降ネタバレ注意 ー「再スタート」編 しかし、平穏の日は長くは続かなかった。何度目だナ○シカ レイナちゃんの案内がきっかけで顔を合わせづらくなったことが発端に、さまざまな要因が重なった結果、ヤミと大喧嘩。一時は関係がかなり冷え込み、自分が発端である手前どう修復するべきかサブちゃんは頭を抱えることとなった。 しかし、その数日後。サブちゃんは何者かに攫われてしまった。攫われた際の記憶はないが、気がついた時には大事に身につけていたヤミとの思い出の品がなくなっていた。思い出の品を失い涙に暮れるサブちゃんだったが、ヤミちゃんは「命があってよかった」「また一から始めよう」と言ってくれた。 そして再び彼女と共に歩むことを誓うと、ヤミは「もう置いていかんといてな」と答えたのだった。 + 第80話以降ネタバレ注意 ー「市議会選挙」編 ロスサントス初となる市議会議員選挙が近づき、なんとヤミが議員候補に名乗りをあげた。 当初こそ「公約が曖昧」「立候補の動機が好奇心」と渋い表情を見せていたサブちゃんだったが、個人としては頑張って欲しいと、「やるなら自分にしかできないことをしなさい」「毎日一枚絵を描いて投稿するとか」とアドバイス。しかし、「応援してくれている人への責任を果たしたい」「俺にしかできないことをしたい」というヤミの決意と、「背中を押してくれたサブちゃんへの恩返し、そして情報局発展のきっかけを作りたい」という彼女の熱意、そして「議員候補と情報局の公的な協力関係の樹立」という取引の提案により、全力で応援することを決めた。 一方で、その裏ではイヴちゃんがなぜか幼女化し、彼女の口からGBCの情報がベラベラ出てきてしまった際には仲良く頭を抱えた。 選挙の結果こそ落選に終わってしまったものの、自分のやりたいことに全力で挑む彼女の姿をしっかりと目に焼き付け、「強くなったな」とその頑張りを誉めたのだった。 ペンカートン情報局(旧「記者クラブ」) + 開く 閉じる フランク コロンボ(コロンボちゃん) 自分よりちょっと前にロスサントスに招かれた記者。サブちゃんが記者を始めた当時は他の記者がコロンボちゃんしかいなかったので、記事の担当分野を分けつつ二人で記者クラブを回している。コロンボちゃんの担当はギャング関係やインフラ関係。 サブちゃんが社用車を乗り回してガス欠状態かつ結構傷のついている状態で戻すのには「局長ぉ?」と苦言を呈しているようだ。 3/29(第22話)に正式に副局長への任命と権限の授与を行った。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる サブちゃんが「ラグナログ」に拉致され、記事を書くように強要された事件では衛星外ながらロスサントスに居合わせ、司ちゃんやジャックちゃんへの説明が終わったあと、「コロンボちゃん自身の身が危ない」という理由で事務所に呼び出して自分が現在知っている情報を共有しあった。 ギャング関係の取材をしていたためそこらへんの事情に詳しく、しかも当日Project Yのガレージで「チュータ」と「オクトパス・タコ」らしき覆面の男たちを見かけたことから、山本の店の車庫が「ラグナログ」と関係あるかもしれないという推測を導いてくれた。 + 記者クラブの右腕として 閉じる コロンボちゃんはギャングに関わる取材をしており、そちら方面の事情に詳しいうえに観察力に優れているため、サブちゃんにとって心強い仲間である。 一方で、どんな状況でも崩されないそのマイペースさに救われることも多い。 二人が出会った際の化学反応は必見。 以下の事例列挙(サ:サブちゃん、コ:コロンボちゃん / ネタバレ注意) Case01 (第10話 5 55 45〜) (局長室にて「ラグナログ」についての情報共有が終わり、今後の方針を模索する二人) サ:「やらなきゃいけないことも増えたし、守らなきゃいけない人も増えちゃったし...」 コ:「いやぁ〜大変ですよホントに」 サ:「うん...」 コ:「あ、ちなみになんですけど」 サ:「ん?」 コ:「局長はゴルゴ山の幽霊について聞いたことありますか?」(突然の質問) サ:「ホントについでね?!∑(゚Д゚)びっくり!でも、アタシそういうコロンボちゃんのキャラにだいぶ助けられてる今(笑)」 Case02 (第10話 5 58 05〜) (眠りにつこうとする街を窓から眺めながらコロンボちゃんと語らうサブちゃん) サ:「いくらねえ、新しいギャングが増えたところでねえ、それもまたロスサントスの景色の一つよ」 コ:「かっこいいこと言いますねえー!それあたしが言ったってことにしていいですか?」 サ:「www」 コ:「あ、ダメ?衛星つけちゃってる?監視されてる?」 サ:「...いいわよあげるわよw」 コ:「や っ た あ ( ̄∀ ̄)」かわいい ちなみに、コードネームとして与えたのは「エージェント・ビショップ」。 それ以外に潜入捜査用に「エージェント・キング」の名前をジョンと共有している。 コロンボちゃんが長期不在の際にはかなり弱っており、帰ってきた際には喜びを爆発させた。 ジョン(「心ないジョン」) 記者クラブの社用車であるバンのメンテナンスを請け負ってくれているメカニック。どんな状態のバンだろうと次に出庫する際にはガソリン満タン フル修理状態にまで回復させてくれる。基本的に社内から出ることはないのか、サブちゃんたちの前に姿を現したことはないが、声が聞こえたことはある(第9話1 30 00や4 08 15あたり)。 毎回ガス欠状態かつ損傷状態で社用車を戻しにくるサブちゃんには色々言いたいようだが、社長(局長)相手に面と向かって言うわけにもいかず、コロンボちゃんに愚痴っているらしい。 サブちゃんとしてはコロンボちゃんより安全運転を心がけているので、自分ばっかり小言を言われるのは心外らしく、「心ないこと言われるのよねー」とぼやいている。 あまりにもコロンボちゃんとサブちゃんが社用車をボロボロにするので、キレて10日目から社用車に時速60キロ以上でカーブを曲がると片輪が持ち上がるという恐ろしいギミックを仕組んだ。そのため、急遽自家用車を購入することに。 あと、事務用品の買い出しや記者クラブ内の掃除もやってくれるらしく、こっそりトイレでタバコを吸った翌日は「禁煙ですよ」という張り紙だけされていてサブちゃんをビビらせた。 ちなみにこのwikiの編集もジョンが担当しているらしい。 なお、生粋のロスサントスっ子であり、既婚者であるという。 「きょくちょおおお!ガソリン入れてきてくださいって言ってるじゃないですか!毎回毎回!」 + ネタバレ注意 閉じる 滅多に出歩かないジョンだが、4/10には卵スポット集めをサブちゃんからお願いされ、人前に出てきた。 そして4/11、サブちゃんが寝た後ちょっとだけ「衛星」に登場。 偶然記者クラブにやってきたという"シルバーブレット"という女性にコーヒーを振舞って、しばらく周辺を社用車で周回し、遊園地周辺で重点的に卵探しをした。 ちなみにサブちゃん同様頭がきれ、卵集めにやってきたチョンマゲの方の行動から卵の出現ポイントを割り出したり、"シルバーブレット"の正体を考察するなど、情報局職員なだけあって有能。 最近惚気まくっていることや社用車を私用で乗り回していること、雇用契約にない仕事が多いことにはちょっと物申したい様子。あと「エージェント・キング」呼びは普通に勘弁してほしいらしい。 しかも給料は固定給(行政からの給付金)。卵スポット探しはサービス残業らしい。ジョン、強く生きて。 ちなみにZ級映画を見るのが趣味らしい。おすすめは「シャーケンシュタイン」(サメ×フランケンシュタインな映画)「アトミック・シャーク」(邦題『シン・ジョーズ』のトンデモ映画)「シカーダ」(刺されると爆発するセミのお話。ジョンのイチオシ)。 + そして... 真 名 判 明 ヴァーチャル・ロスサントス(ストグラFV)において、時折ジョンが出歩いていることが再度確認された。 これと同時に、彼の詳しいプロフィールが明かされた。 本名:ジョン・グレイ・コールドマン。ただし、心を許してない相手には"ジョン・スミス"と名乗っている。 サブちゃんもその意思を汲んで、彼の本名はやたらと口外しないようにしている。 生年月日:1999年11月30日生(射手座)つまり、サブちゃんと出会った時点でまだ23歳。 その年齢から分かるように、実は新婚さん。 極度の人間不信であるため、素顔を見ることはおろか、連絡先を交換することもままならない。常にフルフェイスヘルメットを着用しているのはこのため。 いつもの高めの声もヘルメットに内蔵されたボイスチェンジャーによるもの。 実際の肉声は こんな感じ 。聞いたコロンボちゃんはびっくりしていた。 なお、(滅多に見れないが)ヘルメットを取った素顔は こんな感じ 。 しかし積極的なアプローチにはめっぽう弱く、一度心を開くと案外チョロい。 ※表記は「心な『き』ジョン」ではなく、「心な『い』ジョン」であることがPLさんより 明言されました 。 セレナ ソング(セレナちゃん) コロンボちゃんが引き抜いてくれた、ようやく現れた記者志望の新人ちゃん。 初対面がよりにもよって記憶喪失状態という異常事態だったのは今はいい思い出。ちなみに、記憶が戻るかもしれないと「殴ってくれ」とセレナちゃんにお願いしたら、勢い余って殴り倒されちゃった。 記憶を取り戻した後、改めてご挨拶をした際には車好き同士意気投合した。 彼女の初記事の構成と投稿を担当。彼女の才能を高く評価している。 また、彼女の本業であるメカニックの方でもお世話になることが多い。 + ネタバレ注意 ー情報局員として コードネームとして「エージェント・ルーク」を授与。 彼女のまっすぐな気質に期待している。 一方で餡ブレラの一件では、情報をもたらしてくれた彼女に魔の手が伸びないように、あの手この手で守った。 三下 ザコ(ザコちゃん) セレナちゃんについで現れた、初となる専業記者の部下。 初仕事を与えた翌日には記事を送ってきてくれたことから、その手際の良さには大きな期待を寄せている。 ただ、彼の「思い込んだら命懸け」な一面を心配もしており、「場合によっちゃ犯罪者まっしぐらかも」と懸念している。そうならないためにも、全力で情報局で面倒を見るつもり。 + ネタバレ注意 ー情報局員として コードネームとして「エージェント・ナイト」を授与。 駆音 エル(エルちゃん) ある日、サブちゃんに「弟子にしてください!」とお願いをしてきた子。 情報との付き合い方について教えるため、情報局に招き入れた。 主に情報収集を任せているが、記事の書き方も親身にレクチャーしている。 その速筆さと粘り強さには全幅の信頼をおいている。 + ネタバレ ーサブちゃんの手に負えないかもしれない「核爆弾」 彼女がサブちゃんに弟子入りを志願していたのは、彼女の持つ「共感覚」の鋭さと、それにより得た情報の「答え合わせ」をすることをやめられない好奇心の強さをどうにかしたいと思ってのことだった。 このままではギャングに沈められるか、あるいは利用されるかのどっちかだと事態を重くみたサブちゃんは「野放しにしとくとホンマに危ない」と彼女を情報局で雇うことで「保護」することに。 あまりの観察眼の確かさと分析能力の高さ、そしてその情報を遠慮なく並び立ててしまうエルちゃんの姿に恐怖を覚えつつも、鋭さゆえの「生きづらさ」を抱える彼女のため居場所を提供できればと考えている。 なお、彼女の行動に全責任を取るためロスサントスに来て4人目となる兄弟盃を交わした。 後に、山ちゃん失踪とLWGP消滅の際、気が動転したあまりとんでもない行動をしてしまったエルちゃんの懺悔を聞き、「自分を一発殴ってほしい」という願いを「女子供には手をあげない」という自らの信念を曲げて聞き入れた。 その後、彼女の過去を聞き、「名前がない」という事実を知る。「腹割ってくれたのなら、こっちも割るのが筋や」と自らの過去と本名を明かし、新たな名前として「すべてを薙ぎ倒していく戦車」である「エージェント・アルフィル」の名前を贈った。 最近は、なんか師匠と弟子というよりもオトンと娘みたいな関係になってると自覚している。 エルちゃんの方も時々ふざけて「パパ」呼びすることも。 情報局員として街のガソリン価格調査をしたり、釣り場で一緒に記事を書いたりしている。 なお、記者としての腕に関しては「書くスピードと熱意は素晴らしい」「でも内容についてはもーちょっとユーモアを入れてもいいかも」とまだまだ満点は与えられない模様。 クリスマスには、それまで「ピーナッツ(小型車)ほしい〜」って散々欲しがっていたことを知っていたこともあり、自分の有り金を叩いて2000万のピーナッツをプレゼント。(ちなみに、サンタさんからのプレゼントとしてメッセージカードを仕込むほど、しっかり準備していた) ...生来の察しの良さからエルちゃんにバレそうになっていたのを、必死にシラを切るサブちゃんは見ものである。 なお、エルちゃんが引っかかったのは、「髭おっさん(サンタさん)ボコボコにしたった」というサブちゃんの言葉。曰く、「サブちゃんは理由もなく人をボコボコにしないもん」とのこと。 その後、てるみちゃんとエルちゃんの間でさまざまな行き違いが発生してしまい、仕事に支障が出かねないレベルで拗れた際には、悩んだ末にてるみちゃんの解雇を決断。 思い詰めた結果自ら辞職を言い出すエルちゃんを必死に留意し、その頑張りを褒め称えた。 淀川 てるみ(てるみちゃん) 映画館開設とアクティビティー・ガイドブック作成を志している女性。 選挙公約を見て、業務提携を提案してきたので、せっかくだからこのまま記者として働いてもらうことにした。 「ものを書くのは得意です!」という彼女の言葉に期待を寄せている。 + ネタバレ ー初めての「黒」側の記者 情報局に入る際に、「私、前科持ちですけど大丈夫ですか?」と正直に告白。 それにサブちゃんは「七色の情報局」思想を引き合いに出し快諾。 元ギャングだという彼女の所属先が、エルちゃんの追いかけているLWGPであることには不思議な縁を感じている。 しかし、その後(てるみちゃんが一ヶ月半ほど不在の期間があったとはいえ)映像関連の成果が一向に上がらず、また同僚であるエルちゃんと仕事に支障をきたしかねない不和が生まれたこともあって、悩んだ末にてるみちゃんに解雇を言い渡した。 だが、この決定もサブちゃんにとっては後味の悪いものであり、かなり精神的に凹んでいた。 なお、解雇直前に彼女が持ちかけてきた「REDRUM事件の再現VTR化」については、「口伝だから色褪せないものを映像にしたら消え失せる」「そもそもあれはそう簡単にネタにしていいものじゃない」と苦言をしつつも、「この街は好きなことができる街」として特に引き止めることはせず、情報提供にも応じるつもりでいる。 その後、彼女が持ち込んだProject Y閉店の記事については、持ち込みではあるのもの、「情報局員として掲載したことにしたい」というわがままを通し、『記事執筆:淀川てるみ』として掲載。原稿料全てを彼女に渡した。 ユズリハ シャーロット(ユズリハちゃん) 記者志望の新規住民。人物にフィーチャーした対談記事などを書きたいと思っている。 その技量は未知数だが、コロンボちゃんと組ませたら面白いだろうなー、と思っている。 エルちゃんと並ぶ、記者の主戦力として期待をしている。 + ネタバレ ー情報局のエース 「情報局ー釣り場ーお酒の飲める店」を中心に活動し、賭け事には消極的なサブちゃんと、「ネタを求めて街中をぐるぐる移動している」うえにカジノ店員としてカジノにいることの多いユズリハちゃんということで、生活範囲がほとんど重ならないため、会う機会はそれほど多くない。 しかし、コンスタントに記事を投稿してくれるユズリハちゃんのことはとても信頼しており、情報局の中でもエースだとその手腕を誉めている。 ネケ ニマス(ネケちゃん) ゴシップ系記事を志す元メカニック。 しっかり話を通してくれて、コンスタントに記事を上げてくれている。 元々ゴシップ関係も手を出したかったサブちゃんとしては欲しかった人材。 + ネタバレ ネケチャン!!ネケチャン!! かなり攻めた記事を書くネケちゃんのことを気に入っており、面白がっている。 文章能力も高いことから「校正を省いて速報性を高めた記事を書きたい」とネケちゃんから提案が来た際も、「宣伝記事にだけは重ねないように」「あと執筆署名忘れないでね、お金払えないから」とだけ伝えて承認した。 ただ、あまりに警察に対して挑発的な記事を書くため、警察はともかくいつかどこかのギャングに噛みついて沈められるんじゃないかと思っている。 なお、サブちゃんには珍しく、そうなった際のケツモチは勘弁して欲しいと思ってる。 平 社っ不(社っ不ちゃん) エルちゃんが連れてきた記者志望の新規住民。 検証系の記事を志しているため、今までにない新しい風をもたらしてくれるかもと期待している。 + ネタバレ 現在、編集中 ※編集中 友人たち + 開く 閉じる 葛城 司(司ちゃん) ロスサントスに来た当初からよく出会う。職業が裁判官なので、新聞記者であるサブちゃんとの繋がりが強く、何か裁判になるような事件があったら教えてくれるようにお願いされている。 仕事の関わらない場面でもふざけ合ったり遊びに行ったりする良き友人。サブちゃんにとっては「ロスサントスで一番の親友」であり、大切に思っている。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 「ラグナログ」によるサブちゃん誘拐事件に際し、裁判官として初めて逮捕令状を作成。身の安全確保も兼ねて、サブちゃんからの勧めでジャック 馬ウアーと共に記者クラブの局長室にまで同行し、ジャックちゃんと同時に今回の事件の全容を知る数少ない人物の一人となる。(犯行声明を公にする前にサブちゃん本人から事件の全容の説明を受けたのは、司ちゃん、ジャックちゃん、コロンボちゃんの三人だけである) 「危害が及んでほしくない親しい人」として真っ先に名前が出た子であり、できる限り自分と会話をし続けることで身を守るよう忠告している。 + 第36話以降ネタバレ注意 閉じる にかりん・小此木 ナカバとの三角関係について意図せずヤミちゃんともども地雷を踏み抜いてしまい、一部始終を見守ることとなった。 司ちゃんには幸せになってほしいけど、多分にかりんについては勝ち目がないので、早く振り切って新しい恋を見つけてほしいと願っている。 リハビリとしてハニーちゃんに出張ってもらうことを計画しており、「報酬として1700万(当時の全財産)を支払う」「嘘をつかずに情報を提供する」「ハニーちゃんの正体秘匿に協力する」という協定を司ちゃんの知らないところで結んでいる。 桃兎 すずめ(すずめちゃん) 青梅 つばめ(つばめちゃん) 記事の執筆によく使わせてもらってる猫カフェの店長と店員さん。二人して運転技術に難があり、彼女たちが運転する車に乗った際には盛大な悲鳴をあげる羽目になった。 マックちゃんに振り回されがちなすずめちゃんの境遇には深く同情している。 また、つばめちゃんが熱心に集めている「味のあるおじさん」の写真を集めており、よく彼女に送っている。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 自分が休暇中に3回もすずめちゃんが人質に取られたことを聞き、サブちゃんはロスサントスの異変を薄々感じていた。 「ラグナログ」によるサブちゃん誘拐事件のあと、「危害が及んでほしくない親しい人」として彼女たちの顔が浮かんだ。 小此木 ナカバ(バッちゃん / ナカバちゃん) 顔馴染みの警官。事件が起きた際には記事の取材をお願いすることも多い。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる ギャング関係の情報や「ラグナロク」の情報を交換し合う仲。 警察(特に「マル暴」)相手には固くなりがちなサブちゃんだが、彼には結構フランクに接している。 GBC関係でも互いに情報共有する仲である。 なお、司ちゃん・にかりんを含めた三角関係については本人に聞く前に色々察していた。 荒川 拓也(アニキちゃん / タクヤちゃん) 何かと顔を合わせる機会の多いタクシー会社社長。松尾ちゃんの初仕事をきっかけに知り合ったが、その後様々な事件が起きるごとに巻き込まれる彼の不憫っぷりには同情している。 車好き仲間でもあり、会うたびに車談義に花が咲いてる。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる イヴちゃんとの恋路には黄色い声援を飛ばしつつ、心から応援している。彼のためにイヴちゃんの待ち受け画面を作ってプレゼントしたら大喜びされた。 + 22話以降のネタバレ注意 閉じる サブちゃんが「ギフト」に耽溺するようになってからは、同じく「ギフト」愛好家としても接するように。 一緒に「ギフト」を布教するカルト教団「救済教団」の初期メンバーとなった。 + 81話以降のネタバレ注意 閉じる タクヤちゃんが不在の日が長く続き、ついに「荒川交通」は市長主導で新たな経営者を迎え「運び屋『菖光會』」に刷新。タクヤちゃんの会社がなくなったことに一抹の寂しさを感じるのだった。 + その後のネタバレ注意 閉じる ロスサントス市政開始1周年パレードを機会に戻ってきたタクヤちゃんを暖かく迎えた。 不在の間に、会社は他人の手にわたり、意中の人は他人の恋人になり...と踏んだり蹴ったりのタクヤちゃんを支えるため、ロスサントスに来て3人目となる兄弟盃を交わし、義兄弟の契りを交わした。 えびな ヨネ(ヨネばあちゃん) 自分の少し後に引っ越してきたおばあちゃん。何かとよく会う間柄で、サブちゃんはよく世話を焼いている。 元気すぎるばあちゃんの迫力にたじたじであり、彼女のボケが認知症なのか確信犯なのか時々わからなくなる。現状では十中八九後者。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 「ラグナロク」の全容を追いかける日々においては貴重な癒し枠となっている。 + 77話のネタバレ注意 閉じる 「レイナちゃんホテル引き込み事件」および「奇夢ヤミ誘拐事件」がきっかけとなってヤミと気まずい関係になると、双方の友人として仲を取り持ってくれた。 最終的にサブちゃんの誘拐事件が発生した際もずっとヤミの側に寄り添ってくれ、2人が和解する際にもその人生経験に裏打ちされた含蓄のある言葉で2人の背中を押してくれた。 そのことに、サブちゃんは深い恩義を感じている。 福田 明宏(アキちゃん) ティラノレースに前後して知り合った男性で、ナレーションの名手。彼の名調子は一ファンとして大好き。 + 第58話以降のネタバレ注意 閉じる RED RUMを追っている最中、探偵「夜鳥」を名乗る人物から接触を受け、一時は警戒する(正直、犯人の変装も疑ってた)も「夜鳥」自身から自分が福田であることを明かされ、ティラノレースの名調子の実況をそっくり再現してもらったことから信用し、それ以来は協力関係にある。 彼からは「三郎太さん」としっかり本名の方で呼ばれている。 物忘 レイナ(レイナちゃん) ヨウコウちゃんからの依頼で新規住民案内を引き継いだ記憶消失の女性。 記憶を取り戻すため、たくさんの人と触れ合いたい!という彼女の希望を聞き、(当時ピザ屋がヤミちゃんのワンオペ状態だったこともあり)ピザ屋を猛プッシュした。 ピザ屋に就職した後も、ヤミの数少ない友人として何かと世話を焼いている。 + 92話のネタバレ注意 ヤミの友だち、そしてアタシの友だち 彼女から記憶喪失のことについて相談を受けた際、「ヤミが全幅の信頼をおいているレイナちゃんなら」と見極め、自分の過去について話せることを話した。(流石に組の名前や本名は明かさなかったが) 「ヤミちゃん様を絶対幸せにしてくださいまし」という彼女の言葉に、「当たり前や」と答えつつも、「1人では幸せにできんこともある。その時は力を貸してくれや」とも答えており、心のうちを曝け出せる数少ない友人同士となった。 + 121話以降のネタバレ注意 友達から「相棒」へ 一時帰国していたヤミからの連絡が途絶え、サブちゃんが苦しんでいた際には「ヤミちゃん様はきっと大丈夫」と励まし続け、「いざという時は私も日本へ飛びますわ」と勇気づけてくれた。 そしてヤミから「たすけて」のメッセージが飛んできたのを確認すると、共に日本へ。 以降「ヤミ奪還日本編」全編を通して、相棒として活躍してくれた。 その後、いろいろあって「ヒカリ」の人格になってしまったヤミを数少ない同性の友人として支えてくれていることには感謝している。 また、諜報活動においても、「ジェーン&ジョン」としてコンビで活動することが増えた。 エド・エトワール(エドちゃん) 司ちゃんにくっついて回ってる男性。レース仲間にして、無限にボケ倒せる悪友。 「ロスサントスの市民全員を幸せにしたい!」と息巻く彼の夢を笑うことなく、ただ「そこに自分を入れるのを忘れないようにしなさい。そして幸せに『させて』もらいなさい。」とだけ伝えた。 + 95話以降のネタバレ注意 似ているようで、決定的に違う元御曹司と元若頭 司ちゃんから一輪の薔薇をもらったことがきっかけで彼の相談に乗り、彼の血のつながらない妹に対する秘めた想いを知る。 心のうちを明かしてくれたことから、自分の過去や雪見のことを明かし、「その『愛してる』は嘘じゃない。」「自分の想いはしっかり伝えなさい。」と伝えた。 雪見と違って、妹さんは生きているのだから。 + その後のネタバレ注意 閉じる ヤミと音信不通になって、精神的に錯乱した際にはマックちゃんやレイナちゃんと一緒に助けてくれた。それを境にロスサントスに来て二人目となる兄弟盃を交わし、義兄弟となった。 その後、GoodbyeCircusに入って楽しんでいる彼のことを温かい目で見ながらも心配している。 一方で、マックちゃんに対して一億円の詐欺にも等しい負債を背負わされながらも、心酔し切っている様子を見て、「あれはもはや崇拝とか心酔とかでなく、マックちゃんになろうとしている」「もしマックちゃんに何かあった時は、エドちゃんが次のマックちゃんポジね」と読んでいる。 雷堂 ましろ(ましろ先生) 救急隊で何度もお世話になっている先生。 基本的に誰に対しても「〜ちゃん呼び」なサブちゃんが「先生」の敬称をつけて呼ぶ数少ない人物の一人。(あとは転移先生くらい) その恩義から、義兄弟の契りを交わしている。なお、「この町での兄弟盃は『ミルクル』を二人でチュパチュパすること」というのを教えてくれたのもましろ先生であり、以後サブちゃんはずっとその「しきたり」を守っている。 うさぎ さん ロスサントスに来て初めてできた「推し」。 ヤミちゃんのいう「『推し』への感情」が分からなかったサブちゃんも、色々成長したってことです... 夏フェスきっかけでその存在を知り、それ以来コンサートがあるたびに足繁く通っている。 + この先、「うさぎ さん」に関する重大なネタバレ注意! ファンから関係者へ のちにパルコちゃんから「SIMカードの使い方を教えて欲しい」という問い合わせがあった際、彼女から「自分が『うさぎ さん』である」と明かされる。 元々、情報料を取るつもりはなかったものの、「推しに協力できるなら、なおのことロハ(只)で!」と喜んで協力することに。 深沢 えぼし(えぼしちゃん) 記事の愛読者の一人。 「面白かったよー」の感想やおひねりを渡してくれるだけでなく、「記者が食べていけるような活動」を真剣に考えてくれている。 その結果、車輌協会と新聞の業務提携が相なった。 香月 ろぎあ(ろぎあちゃん) 魔法少女カフェ、犬カフェ、菖光亭に務める職業限定特別市民。 彼女がいると必ず飲食店が開いているので、記事執筆の際によく利用させてもらっている。 記事の愛読者であるのみならず、アニメや小説、映画のことで無限に話せる同好の士でもある。 一方で、「特別市民」という枠組みに囚われがちな彼女を、「あなたも立派なこの街の市民の一人」と気にかけている。 + 以下ネタバレ注意 後方腕組み愛の伝道師サブちゃん 彼女がヘルアンちゃんと外出した一件から、二人の間に何か浅からぬ関係を察知。 白市民ライセンス制度開始の際には、真っ先にろぎあちゃんに(それとなく)伝えた。 ヘルアンちゃんがギャングであることをサブちゃんは知っているので、「惚れた女を縛らないようにするため、ヘルアンちゃんがスッパリ足を洗うかどうか」という点を注意深く見守っている。 ??? + 開く 閉じる マクドナルド(マックちゃん) 行きつけの猫カフェの「オーナー」を自称する男。 彼の起こす色々なぶっ飛んだ行動に巻き込まれることも多いが、基本的には「面白い人」判定。彼の起こした記事は書いてて楽しい。 マックちゃん自身からも記事の評価は好意的であり、情報のやり取りも盛ん。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 「ラグナロク」に対する勢力として、マック率いる「GoodByeCircus」の肩を持っている。 サブちゃん個人としては、マックは堅気に手を出さないので少なくとも敵対する理由はなく、「ラグナロク」の情報を融通するなど積極的に有利な情報を共有している。 ただし、スタンス的には「第一目的は『ラグナロク』を潰すこと」「敵の敵は味方」であるため、持ちつ持たれつの関係。 一方で、彼が部下を統制できているのか不安に思ってしまうことも。 + 48話以降のネタバレ注意 閉じる 「ラグナロク」解散により、GBCに喧嘩を売ったことになってしまい狼狽えていたサブちゃんだったが、イヴちゃんの口添えなどもあって、ようやくマックちゃんに連絡がついた際にはすぐに許してもらえた。 多忙ゆえロスサントスにやってくる機会の少ないマックちゃんではあるが、彼の「堅気には手を出さない」という信条には絶大な信頼を置いている。 + 105話以降のネタバレ注意 閉じる ヤミとの時間がなかなか取れない日々が続くなか、突然マックちゃんから接触を受けたサブちゃん。 「サブちゃん、君が欲しい」 それは、マックちゃんからのGBCへの勧誘だった。 しかし、過去のGBC団員疑惑で破局直前までいったこと、そしてヤミに「命を危険に晒すことはしない」という約束をした手前、サブちゃんはギャングに入ることは渋っていた。そこでサブちゃんは「ヤミが『うん』と言ったら」という条件を提示した。 しかし、その直後ヤミは日本に一時帰国したきり音信不通に。 そして、ヤミからの連絡が絶えて約3週間後。再びマックちゃんが熱烈に勧誘し始めた。 すでにヤミが生きている可能性すら9割方諦めていたサブちゃんは、弱々しく「あと一週間だけ待ってくれ。それで連絡なかったら勧誘を受ける」と条件を提示した。 そして期日が迫った9月11日。物語は動き出す。 + 131話以降のネタバレ注意 閉じる ヤミちゃん(一応の)帰還により、GBC入団の件を一時的に保留にすることにしたサブちゃん。 そして、時は流れ第二回ロスサントス市議会議員選挙公示に際し、サブちゃんは選挙戦に出馬するためGBCへの入団を正式に辞退する旨をマックに伝えた。 これは、選挙に際しギャングになると制限が加わると言うこともさることながら、「七色の正義の情報局」のトップとして黒側にだけ肩入れせざるを得ない状況を作りたくないというのがもっとも大きかった。 しかし、正直なところGBCの理念自体には共感しており、マックの掲げる「白市民も含めた一大団体」と言う理念が本当なのであれば、それは素晴らしいことだと思っている。 そのため、マック以下GBCメンバーに対しては変わらず友好的に接しており、彼らに喧嘩を売るような真似はもちろん潜伏型ギャングであるメンバーたちの正体が他に露呈しないよう細心の注意を払っている。また、何名あればGBCへの協力はしたいと思っていることをマックには伝えてある。 その真価は、10/6深夜〜10/7未明にかけて勃発した「ピッツァボーイ騒動」において発揮されることとなる。 桜星 ヨウコウ(ヨウコウちゃん) よく一緒に出かける友人の一人。彼がマックちゃんに洗脳されていた疑惑が浮上した際には、当時ピザ屋にいたヤミちゃんやまさのりちゃんと一緒に彼を呪縛から解くために奮闘した。その縁からか、よく遠出にも参加している。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 「何でも屋」として活動する彼に、今後情報屋として動いてもらう可能性をそれとなく示唆している。 + 21話以降のネタバレ注意 一時期彼がマックちゃん配下に送り込まれた「ラグナロク」配下のスパイだと疑っていた時期もあったが、第20話で率直に聞いたところ、「マックちゃんから時々仕事をもらう請負人」くらいの認識で落ち着いた。 しかし、その後イヴちゃんと行動を共にしていることからGBCの正式メンバーではないかと疑い始め、彼が自分に嘘をついているのではないかと疑念を抱いている。 だが、GBCメンバーだと確定した後は「堅気に手を出さない」「市民を守る」というそのスタンスを認め、友好関係にある。 記憶をなくした際にも、ヨウコウちゃんからは「新聞記者のあなたに、めちゃくちゃ世話になったんです」と言われた。 イヴ トワイライト(イヴちゃん) 街に来た初日に会ったシスター。なんだかんだで出会うことが多い。 懺悔室の取材やタクヤちゃん関係のことで色々と関心を持っている。 + 21話以降のネタバレ注意 ーイヴちゃんGBC在籍時代 ヨウコウちゃんと共に行動していることから彼女がGBCメンバーなのではないかと睨んでおり、のちにヨウコウちゃん・海賊ちゃんと一緒に教会に入り、海賊ちゃんが鈍器を身につけたまま出て来たことから、イヴちゃんがギャングと繋がりがあることを確実視している。 ジョンから聞いた事務所に「迷い込んできた」仮面の女性"シルバー・バレット"の正体は彼女であると睨んでおり、のちに本人にそれを指摘。 シルバーちゃんの方ももはや隠すつもりはないようで、互いに協力関係にある。 なお、イヴちゃんのもう一つの変装「ミーちゃん」に関しても、様々な偶然のせいで「ミーちゃん=イヴちゃん(シルバーちゃん)」であると知ってはいるが、そのことは人前では絶対に明かさないようにしている。 イヴちゃんの方も信頼してくれているようで、彼女を介してGBCとは良好な関係を築けている。 RED RUM事件では共同戦線をはり、新たなギャングができた際にも情報を共有し合う仲である。 「頭のいい子」と評価している。 + 83話以降ネタバレ ーイヴちゃん、GBCを去る 心ない市民による銃乱射事件に巻き込まれた際、偶然病院で転移先生と一緒にいるイヴちゃんを見かけ、彼女の異変を察知。その後、幼児退行を起こした彼女がGBC周辺の情報を漏らすのをヤミと一緒に聞くハメになり大いに慌てることとなった。 イヴちゃんが正気を取り戻した後は、彼女がGBCを抜けたのを聞き「お疲れ様でした」と労った。 一方で、イヴちゃんのいう「愛は人を強くする」という信念に対しては、ヤミと出会って以降の自分と照らし合わせ、「愛したことでアタシは弱くなったかもしれない」「でも、イヴちゃんには『弱くなるっていう強さ』もあるって知ってほしい」と考えている。 ヴァン ダーマー(ヴァンちゃん) 何度か顔を合わせている「MOZU」所属のギャング。 すずめちゃんが荒っぽい運転で弾いちゃった現場に居合わせて平謝りしたら見逃してくれたり、すずめちゃんの車の前輪が脱落してギブアップした現場に居合わせて救援を求めたら助けてくれたりと、なんか出会う回数が多い。 サブちゃんとしては自分のこれまでの生き方もあり「ギャングっていうのはそういう生き方の人たちだから」「堅気に手ェ出してなきゃアタシとしてはいうことない」というスタンスであり、「MOZU」も別に堅気(ギャングではない心ある市民たち)には手を出してないという認識なので別にどうという感情は抱いていない。 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる 第10話のドラッグレースで電話番号を交換した直後、電話で呼び出されて拉致される。 しかし、上記の経験からか基本的には「ヴァンちゃん」呼びで通しており、ギャングの約束を守るという点では信頼をおくなど、後述の4人に比べればまだ好意的。 「ラグナロク」との関係は、構成員の一人ではなくあくまで協力者、もしくは証人としての役割であると考えている。 なおヴァンちゃんとしては「昔の顔」と「今の顔」をすぐに切り替えることのできるサブちゃんの性格は特異なようで、10話で拉致した後の帰り道で「今の顔」に切り替えた瞬間「ああああ怖かったわよぉ〜ヴァンちゃぁん!」と言い出したサブちゃんに「あの...私としてはあなたの方が怖いのですが」と溢していた(しかも動揺していたのか直後近くの民家の壁に乗り上げた)。 なお、個人的には「結構いい人」判定であり、車の趣味も合うなど個人的にじっくり話してみたいとは思っている。 + 47話以降のネタバレ注意 閉じる 尋ちゃんとの一件で、ハンストを実施していた際には、通りがかったヴァンちゃんに路肩まで運んでもらい、車も邪魔にならない位置まで移動してもらった。そして、「苦しかったらいつでも言え、殺してやるからな」と声をかけられた。 その後のRED RUM事件終結後も「サブちゃん、ちょっとツラ貸せよ...体調はどうだ?」とそれとなく気にしてくれている。 + ... 閉じる 「私は選挙の結果や、裁判の結果には興味ないんだ。」 「アイアンメイデン、面白い記事を書いてくれ。君の記事は面白いからな。」 「?????」 + 10話以降のネタバレ注意 閉じる ヴァンちゃんを通じて自分を誘拐した四人組。 堅気に手を出すことを厭わないことを仄めかしているため彼らに対しては明かに嫌悪感を抱いており、本人からのお願いがない限り基本的に「〜ちゃん」呼びのサブちゃんでも彼らは呼び捨て。 一方で、サブちゃんにとってギャングとは「犯罪や抗争を起こしたら『俺が俺が』とするのが普通」というものなので、腹面で顔を隠し正体を隠匿して活動する彼らはギャングではなくせいぜい「半グレ」扱い。 + 21話以降のネタバレ注意 閉じる リーダーがいなくなったことにより一時的に解散したことを知り、ひとまずだよちゃんが副リーダー(実質的な首領)として指揮をとっている間は堅気に手を出すことはないと見ている。 だが、「ラッキーセブン」「ベアー」「猿頭」に関しては未だ正体不明かつ健在なうえに、新リーダーが現れた際にどんな行動を起こすかわからないため、基本的には「『ラグナロク』ぶっ潰す」スタンスで動いている。 しかし、のちに「ラグナロク」が完全解散したことをだよちゃんから聞き、これがGBCとの禍根を産むことに... 堕夜 だよ(だよちゃん) 元警官。彼が警察を辞め犯罪者に転向した際には、怒り狂ったキーモットちゃんから記事を書くよう要請されたが、彼への配慮として実名報道は控えた。 + ネタバレ注意 ー「ラグナロク」メンバーとして 首領2人が街を去った後、だよちゃんとマックちゃんの口論から、彼がラグナロクのメンバーであることを確信。彼自身からも、「ラグナロク」のメンバーかつ暫定的なリーダーをすることを明かされ、以前の約定を継続することを持ちかけられた。 しかし、だよちゃん個人に対しては、首領2人の格好をして猫カフェに姿を現したり、犯罪者になっても警官時代に世話になったキーモットちゃんへの恩義に悩む一本筋の通った性格は好ましく思っており、個人的には非常に目をかけている。 彼からも「三郎さん」と呼ばれ、情報収集能力には信頼を置かれている。 + そして... ー突然の別れ、そして... RED RUM事件でサブちゃんが凶刃に倒れたその日、だよちゃんは自らの組織を立ち上げるためロスサントスを去った。 実は、昏睡状態のサブちゃんにだよちゃんは「お世話になりました」と挨拶に来たのだが、なにぶんサブちゃんの方は意識不明の重傷であったため、その記憶は定かではなく、退院後に人伝にだよちゃんが街を去ったことを聞き、「そっか...」と寂しく思っていた。 だが、約1ヶ月後。ちょうどサブちゃんの誕生日にだよちゃんが突然ロスサントスに帰還。ふらりとストリップバーに現れた彼を力強く抱擁し、帰還を喜んだのだった。 RED RUM ロスサントスに突如現れたシリアルキラー。 堅気の市民を襲ったことから、犠牲者を増やさないためにあらゆる手を使ってでも止めることを決意している。 一方でプロファイリングから「自己承認欲求型」ということを推測したため、不必要に不安を煽る記事は慎む「報道しない自由」を発動。犠牲者が出た際にも詳しい情報を出さないようコロンボちゃんにも厳命していた。 + RED RAM事件のネタバレ注意 閉じる 第一の被害者きな子ちゃんへの取材や、その直前にレギオンに現れた不審人物の情報から、犯人はマイケル モイヤーズであると推定。警察に協力しつつも、司法の限界を感じGBCに処理を任せるなどの行動をとる。 そして、マイケルを監視するため情報局で一時雇用することも視野に入れるも、その行動を勘付かれたためか彼の凶刃に倒れ、三人目の被害者となった。 しかし、サブちゃん襲撃の際にRED RAM=マイケルは覆面をしていなかったため、このことがマイケル逮捕の重要な証拠となり、のちにマイケルの自白へと繋がるきっかけの一つとなった。 被害者と加害者の関係ではあるが、裁判で無期懲役が確定したマイケルには「おつとめ、頑張ってらっしゃい」と言葉をかけて送り出した。その後も、機会があれば面会を申し込むつもりでいる。 + 71話のネタバレ注意 ーエピローグ 完全復帰してしばらくして、JTSにてヴァンちゃんから話しかけられ、「『奴』はもうどこにもいない」ことを知る。 「聖地巡礼」の上で念入りに「ケジメ」をつけたとのことから、彼の末路を察した。 その後、イヴちゃんともその情報を共有し、「少なくとも彼にとっては、死は救済だった」と振り返ったのだった。 なお、ヴァンちゃんから「このことは新聞には書くな」と強く口止めされているが、もとより記事にする気は全くない。(警察の面子などがあるので) 真島 大吾朗 ロスサントスに現れた、THE★筋モノ的な男。 実は南楼組時代に、「関西の方に『マジマ』というモノスゴイ男がおる」というのは聞いてはいた。 だが、南楼組は関東を、真島の属する組は関西を中心に活動していたため、直接会ったことも、組同士で関係を持ったこともなく、あくまで噂話でしか聞いたことがない。 ただ、「シノギのためこの街に来た」という彼の言葉から不穏なものを感じ、新たなギャングを結成するのではないかと警戒している。 菖光會 タクヤちゃんの長期不在に伴い、市長の判断で「荒川交通」が改編される形で発足したタクシー会社。 会社発足時に宣伝記事の依頼を受けたことなどから、所属するメンバーとはそれなりに良好な関係を築いている。特に、実質的な副リーダーである蔵人ちゃんとは顔をあわせる機会も多く、菖光會が飲食店業界にも進出し、「菖光グループ」に発展することも教えてもらった。 一方で、社長の光樹ちゃんの名前について、「どこかで聞いたことがあるような...?」と不信感を抱いている。 + 94話以降のネタバレ注意! ー菖光會の『闇』 「三億円の借金があるっていうのに、あんなに従業員を雇うわけないのよ」 ヴァンちゃんから「新たにシンボルカラー"紫"のギャングが生まれた」と伝えられたサブちゃん。 シンボルカラー「紫色」から連想していくうちに、彼の目は宣伝記事の時の蔵人ちゃんにもらった、会社のエンブレムに吸い寄せられる。 そこには、美しく咲いた紫色の菖蒲の花が。 菖光會は設立時から三億円の借金返済に喘いでいるが、その傘下には実に10名以上の運転手を擁する大きなグループ。そのメンバーを養うのは並大抵のことではないし、返済を急ぐのであればそんなに雇うことはまずない。 それに、所属メンバーの聖母 れりあちゃんは問題行動が多いと聞く。 ならば、そこから導き出せる答えは...。 「だとすれば、所属していたボイラちゃんが警官になったのって...」 「サツの力を得た組織は...強いぞ...」 鬼庭康介(キバ コウスケ) + 以下、サブちゃんの物語の核心に迫るネタバレ サブちゃんの「過去」 サブちゃんがかつて属していた「南楼組」の現在の組長。数えて3代目。 8年前、当時の組長だった義理の親である鉄山久吉を暗殺、若頭だったサブちゃんにその罪を着せ、その首に消せない傷跡を残し、生涯マフラーを外せない体にした男。そして、サブちゃんの義兄弟。サブちゃんの最愛の「妹」雪見とも親交があり、出身の保護施設では仲良し3人組で本当の兄弟のようだったらしい。 一度、『GIFT』を服用した際の幻影として登場し、「雪見を死なせたお前に奇夢ヤミを愛する資格はない」という呪詛を吐いて消えた(ただし、これはどちらかというとサブちゃんの深層心理の具現化のようなものであり、本人ではない) 本人自体は『ヤミ奪還日本編』において登場。 どういう情報筋から得たかは不明だが、関西空港に降り立ったサブちゃんとレイナちゃんをピンポイントで待ち伏せし、今度こそサブちゃんの息の根を止めようと襲撃する。 しかし、サブちゃんの舎弟であるヒデの犠牲により撮り逃し、最終的には覚悟を決め組本部に乗り込んできたサブちゃんに気を取られているうちに、別動隊として本部に潜り込んだレイナちゃんの接近を許してしまう。取り巻きが次々と倒されていく中、みっともなくレイナちゃんを懐柔しようとするが、「これはサブちゃん様の分」「そしてこれは...」と二発の弾丸を喰らい絶命。 彼の死後、「南楼組」は傘下の「北条組」の組長であり、亡き雪見の義父であり、サブちゃんの「喧嘩の師匠」かつ先代組長と義兄弟だった"北条成雪"が率いることとなり、一転してサブちゃんとは協力関係になった。 現在は、サブちゃんの依頼により「明月マコト」周辺の監視をしている。 協力者 + 展開 閉じる リカルドさん 知り合いの沿岸警備隊の職員さん。「不幸の手紙」事件では特級呪物たる「手紙」本体の保管をお願いした。 イデちゃん 日本にいる知り合いで何でも屋。サブちゃんが「南楼組」にいた頃からの知り合い。軽い性格で、愛機のラップトップのことを「ベイビー」と呼んで、ビザとコーラを常食とする。一方で、どんな無理難題でもブツクサ言いながらもしっかり仕事をしてくれる確かな腕を持つ。キミちゃんの戸籍を洗う際に協力をお願いした。なお、キミちゃんの戸籍情報は30分で調べてくれた。有能すぎる。 その後、ある人物の戸籍についても... + 以下ネタバレ注意 閉じる そんな優秀なイデちゃんだったが、ヤミの消息が絶えて以降の足取りの調査については二週間以上かけてもなんの痕跡も得ることができず、調査の打ち切りをサブちゃんに通達。 このことにサブちゃんは大きなショックを抱える反面、「この件には関わりたくない」と言うイデちゃんの意図も感じて...? ヒデ 日本にいる知り合いで、イデちゃん同様情報提供人。こちらも「南楼組」にいた頃からの知り合いで、スジモノ関連の情報について詳しい。「明月ヒカリ」という人物がヤクザと関係を持ったことがあるか調べてくれた。 既婚者で、嫁さんのことを大切にするようサブちゃんから都度都度言われている。 + 以下ネタバレ注意 閉じる 「ヤミ奪還日本編(小説版)」にて、ヒデの過去について 詳細に語られた 。 本名は「小宮 秀典」。元々は南楼組に敵対する組の鉄砲玉で、鉄山三郎太を暗殺するために差し向けられた男だった。 だが、墓参り(おそらく雪見のお墓?)をしていた三郎太を刺したものの、その気迫に押され殺し切ることができなかった。 その後、彼の舎弟となり一転して協力者に。 なお、嫁さんと出会ったのは一年前ほど。実は新婚さんでした。 「ヤミ奪還日本編」本編でもサブちゃん・レイナちゃんの協力者として関西空港で待機・合流。 しかし、どこからか情報を嗅ぎつけた南楼組の刺客たちが襲来。二人を逃すため、ヒデは... なお、このことを予期していたのか、嫁さんに事前に「セーフハウスの位置をしたためた地図」と「拳銃一丁」を託しており、その二つは逃亡中のサブちゃん・レイナちゃんの手に無事に渡った。 主任 サブちゃんのバイト先(トラック運転手バイト)の監督者。無口だけど、仕事に打ち込むサブちゃんを心配してくれている。一方で遠方かつ歪んでる仕事先をサブちゃんに斡旋するため、結構ヘイトを向けられている。 おやっさん 日本にいるサブちゃんの知り合い...というか、数少ないサブちゃんが助言を請える相手。 + その正体は... サブちゃんの師匠「北条成雪」 彼の名前は「北条成雪」(ホウジョウ シゲユキ)。サブちゃんが若頭を務めていた「南楼組」傘下の「北条組」の組長であり、南楼組の先代組長でありサブちゃんの育ての親である鉄山久吉とは義兄弟の盃を交わした男である。そして、サブちゃんの最愛の妹である「雪見」の後見人であり、サブちゃんに「喧嘩」の仕方を教えた師匠でもある。 「ヤミ奪還日本編」では、「南楼組」事務所に殴り込んだサブちゃんを迎撃に出て、彼と死闘を繰り広げる。しかし、レイナちゃんの手で三代組長である鬼庭が倒れると、一転してサブちゃんに協力するようになり、以降は組長不在の南楼組を預かってくれている。 (おそらく、北条のおやっさんも鬼庭の「先代を殺したのは三郎太」という嘘に騙され、彼の死と同時に真相が明るみに出たことでサブちゃんへの誤解も解けたのだろう) その後も、サブちゃんの協力者であり続けている。 ヒデ亡き後、残された嫁さんである「ミキ」の世話も引き受けてくれた。 サブちゃんの方も、市議当選の報告をしたり、ヒカリとの関係が拗れる「嘘」のことについて北条のおやっさんに教えを乞うたりしている。 ちなみに、服役経験があるらしく、釈放された際にはジャンクフードが恋しかったらしい。 恋愛遍歴 + ⚠️以下重大なネタバレ満載なので注意!⚠️ 閉じる ロスサントスに来るまでの恋愛遍歴 「南楼組」時代には若頭の地位と富を目当てに多数の人間から言い寄られていた。基本的に来るもの拒まずのスタンスでいた結果、これまでに女13人男2人と付き合ったことがある。来るもの拒まずのスタンスだったが、南楼組がゴリゴリの武闘派で明日の命も知れない環境であったため、「これは惚れそうだな」とサブちゃんが自覚したら、サブちゃんの方からフった。そのため付き合いは短く、最長でも2年、最短で2日で破局している。 それら付き合った人とは別に、心底惚れた「雪見」と言う女性がいた。フルネームは「ホウジョウ雪見」。サブちゃんと同じ施設出身で、年齢は一回り下。サブちゃんと同様に「オジキ」(先代組長)の養子となり、サブちゃんとは義理の兄妹となった。 自分が思いつきで腎臓移植をさせたことで「雪見」が感染症に罹患し若くして死なせてしまったことがトラウマになっている。 雪見のことは間違いなく大事に思ってたが、生前はついぞ「愛してる」と言うことはなかった。そのことが大きな後悔として残っている。 + ネタバレ注意 閉じる ヤミちゃんへの義理を通すべく一度は雪見への愛を思い出と共に切り捨てようとしたが、ヤミちゃんから「そんなことしたらサブちゃんはバラバラになっちゃう」「切り離せないって教えてくれたのはサブちゃんだったよ」と諭されたことで、思い出を抱きながら生きていくことを決意した。 「雪見...愛してた...さよなら。」 ヤミちゃんとの関係 最初はほぼ同時期にロスサントスにやってきた実質同期として出会い、記者と記事の愛読者、ピザ屋の店員と常連客という関係が続いていた。 だが、ヤミちゃんがカジノの景品として高級車を手に入れた件の取材をしようとした際にタコ太郎を名乗る犯罪者にヤミちゃんが誘拐されかけ、その際に自分の「鉄山三郎太」としての一面を知られてしまった。 日本にいる義兄弟からの刺客へ情報が流れることを恐れたサブちゃんは、自分の素性を全てヤミちゃんに明かしたうえで、彼女が自分の情報を口外しないか警戒していた。 だが、ヤミちゃんは一切口外することはなく、それどころか「サブちゃんはサブちゃんでしょ?」と今の自分を受け入れてくれた。そのことに救われたと感じたサブちゃんは、彼女に計り知れない恩義を抱くようになった。 だが、このヤミちゃん、物欲も金銭欲も低く何かと恩返しとして金銭を渡そうとしても固辞し、無理に渡そうとしたら怒るというサブちゃんにとって初めての手合いであり、サブちゃんは恩義をどう返すべきか大いに悩むこととなった。 そんな最中、イースターイベントが開催される。是非とも一位を取りたいサブちゃんは、特に信頼を置いているヤミちゃんに協力を要請。ヤミちゃんも了承し、期間中はサブちゃんの運転でロスサントス各地を巡る日々を送った。この際、ヤミちゃんが「新しい体験や景色を見ること」が大好きであることを知り、その際に見せる彼女の無邪気な様子を好ましく思うように。 そして、イベント最終日。「ヤミちゃんのこと、好きだわ」と自分の好意に気づくのだった。 + 転機 ❄️サブちゃん、雪見とお別れする その後、司ちゃんの恋愛関係におけるケリをつける「男の三番勝負」で敗北したサブちゃんは、ペナルティとして「1ヶ月以内に意中の相手に告る」ことを司ちゃんと約束。 だが、この時点ではサブちゃんの中で「雪見」への想いが残っているサブちゃんは、ヤミちゃんへの想いが本物なのか確信できなかった。 そのため、サブちゃんは「1ヶ月毎日『愛してる』と告白する」ことを決意。「人を好きになる」と言う感情を知らないヤミちゃんに1ヶ月以内に「人を愛する」ということを教えるのを目標とした。 実際に口にしたら胸がドキドキしていることから、この想いは本物だと自覚。そして自分なりに分析したことで、「ヤミちゃんはアタシと同じ方向を向いてくれていて、アタシは彼女と一緒に歩きたいと思った」というのが始まりだと気づいた。 (あと言うたびに照れ隠しで怒ったり、テンパるヤミちゃんは可愛かった) だが、その言葉をかけられたヤミちゃんに「それはもしかして『雪見』に『愛してる』って言えなかったから、生きてるうちに言わなきゃと焦ってるのでは?」と指摘され、未だに雪見を忘れられない自分に思い悩むこととなる。 そして、5月初頭に日本に一時帰国する際、これ以上ヤミちゃんを「雪見」と重ねることがないよう、「雪見」への想いや思い出を切り捨てようとしたが、これもヤミちゃんから制止される。「その覚悟あるなら俺の目見て『愛してる』っていうてみ?」と彼女に言われるも、どうしても言うことができず、切り捨てたら自分がバラバラになること、そんなことヤミちゃんも「雪見」も願っていないことを知り、「雪見」のことを抱えながら生きていくことを決意した。 そして改めてヤミちゃんの目を見て「愛してる」と言うサブちゃんに、彼女は「受け取っておくっすよ」と微笑みながら言うのであった。 + 空転 🌀サブちゃん、勘違いのうえ空回りする 晴れて自分の想いが通じたことを確信したサブちゃんだったが、未だにヤミちゃんの方から「好きだよ」と言ってくれることはない。 だが、そんなある日ヤミちゃんがやけに素直になり始め、「毎日の愛してる」に対して「ありがとう...好き」と小声ながら返事してくれるように。 やっと「人を好きなるということを知ってくれたか!」と舞い上がるサブちゃん。 だが、その高揚感は一転地の底まで墜落することとなる。 きっかけはヤミちゃんから「サブちゃんってGBCのメンバーなの?」と疑惑を向けられたことだった。 サブちゃんはこれまでのこと全てを包み隠さず明かし、ヤミちゃんもそのことを信じてくれた。 ここまでは良かった。 ふとヤミちゃんの秘密をそんなに知らないことに気づき、それとなく「ヤミちゃんの秘密を教えて」とお願いしたら、まさかの「一週間ほど前から毎日会ってる大好きな人がいる」「その子はツンデレで生意気だけど最高に可愛い」「その人に会って自分は変わった」と言う情報が与えられ、衝撃を受ける。 いざ考えると、自分は「元スジモン」「収入も貯蓄もヤミちゃんに負けてるくらい貧乏」と他の人に比べて全く勝てる点がないことに気づき、「ヤミちゃんに他に大好きな人がいるなら...」と思うようになる。 そして、ヤミちゃんに確認をとった結果その人物はこのロスサントスにいることが確定。自分は身を引くしかないと思い、ロスサントスを去ることを考える。 せめて去る前に世話になった人たちに恩は返さないといけない、と自分が愛用するドラッグ「GIFT」の布教を「救済の使徒 レモン」の偽名で活動を開始。 ...だが配布を始めて最初にやってきたのはよりにもよってヤミちゃんだった。 素性を隠しつつ、せめてヤミちゃんの意中の人の情報を得ようとしたが、彼女は「頑張り屋」「可愛いところもある」と散々褒めた挙句「俺が好きなのは、この街の情報局長、サブちゃんだ!」と言った。 まさかの事態に困惑したサブちゃんだったが、ヤミちゃんがやってきた理由が、「サブちゃんの愛車が塗装変えられて怪しい人物に乗り回されてる」→「まさか誘拐された?!」と心配してのことだと知ると、流石に自分が名乗り出ることもできず「自分は情報局の『心ないジョン』だ」と誤魔化して逃げ出すことしかできなかった。 しかし、直後自分を心配していたヤミちゃんのメッセージに気が動転したあまり「ジョンは休暇で不在」という事実を明かしてしまい、完全に自分の行動がバレてしまったと観念。 ヤミちゃんも自分のことが好きなのかも知れないという事実に喜びつつも、こんな不義理にどんな詫びを入れるべきか頭を抱えることとなった。 ちなみに、この一連の騒動、コロンボちゃんは全部お見通しであり、「喧嘩しないカップルよりも少し喧嘩するカップルの方がいい」「あたしもカミさんと喧嘩しますよ、しょっちゅう」「仲直りするにはしばらく時間をおくことですよ」とアドバイスをくれた。 あと、ジョンのこと騙ったことが当人にバレたら何されるか分からないことにオノノクのであった。 + 衛星関係なので一応格納 閉じる なお、コメント欄はヤミちゃんが登場して以降満場一致で「怒られろw」「ヤミちゃん、殴っちまえw」であり、最終的に 「『ラテ』(ヤミちゃんの愛車)と社用車に跳ね飛ばされろw」 「ダブルラリアットを両側から食らえw」 「ジョンには何も言わずボーナス払っとけよ?w」 とか散々な言われようであった。 サブちゃん、ドンマイ! 翌日、もう観念して洗いざらい打ち明けるつもりで準備していたサブちゃん。 だが、どう切り出したものかと思案している最中、ヤミちゃんから「レギオンに来い」とのお達しが。 慌てて向かうと、「救済の使徒 レモン」の格好をしたヤミちゃんが待ち構えていた。 「いいっていうまで答えるの禁止」「謝ったら◯す」と特大級の釘を刺されたサブちゃんは言われるままヤミちゃんのバイクに乗せられ誰も来ない場所へ連れて行かれた。 そこで、サブちゃんが誘拐されたのかとヤミちゃんが散々心配したことを教えられ、ただただ項垂れることしかできなかった。 そして、今回の騒動の理由を聞かれたので、ありのままヤミちゃんの「好きな人」に対して嫉妬に狂っていたことを白状。 すると、ヤミちゃんは意外そうに「え...なんで?」と言い、その「好きな人」はヤミちゃんが訳あって一、二週間前から同居している「ヤミちゃんのお姉さん」ヒカリちゃんだと教えてくれた。 どうも、「好きな人」について教えてもらった最初の日、サブちゃんには聞こえてなかったけど「クソガキ」っていう単語が出ていたらしい。それを聞き逃した結果のこの体たらく。 完全に自分の空回りだったことを悟ったサブちゃんは安心したやら恥ずかしいやらでその場に崩れ落ちた。 そして改めて、ヤミちゃんに対して抱いている感情は「男として最後に思い出してくれればいい」愛ではなく、「真っ先に選んでほしい」恋だと自覚。「鉄山三郎太は生まれて初めて、恋してます」とヤミちゃんに伝えるのだった。 自分は元ヤクザゆえ脛に傷もたくさんある、お金もそんなに稼げていない、と続けるサブちゃんに、ヤミちゃんは「モノとかカネとかいらんねん。お前だけいてくれたらええねん...」と言ってくれた。そして「君はこれまでの誠意を台無しにするようなことしたんだよ?一生賭けて償いなよ?」とも。 だが、騒動の際に渡そうとした花束は一応受け取ってくれたものの「俺は一度他の人に渡したものを受け取るほど心は広くないんすよ」「次からは花束受け取らねえっすよ」「花束買うくらいなら、自分の将来の貯金に使いなよ」と言われ、今後どうするべきかサブちゃんは再度頭を悩ませるのであった。 そして去り際、実は車の色が変わったって言ったことは、夕日の光を利用した鎌掛けだったことをヤミちゃんから教えられ、彼女の根性が今まで以上に逞しくなったことを実感したのであった。 + 中空 🍀サブちゃん、ヤミちゃんの秘密を知る 「レモン事件」からしばらく。 サブちゃんは情報局宛の1通の手紙を受け取った。 差出人は「明月マコト」という女性。 それによると、情報局の出した記事に彼女の娘である「明月ヒカリ」という女性の写真や、「ヒカリ」の書いた絵が掲載されているのに気づき、盗撮を疑ったり、「ヒカリ」にあることないこと吹き込んでいいように利用しているのではないかと疑っているらしい。 訴訟まで仄めかす異常な内容に辟易しつつも、サブちゃんは言いようのない不安に囚われる。 少なくとも「ヒカリ」なんて子の写真は掲載したこともないし、掲載したのはヤミちゃんの絵だけ。 「ヒカリ」はヤミちゃんのお姉さんのはずなのに、なんで苗字が違う? ストリートグラフィッカーを目指しているのはヤミちゃんだったはずだけど、「ヒカリ」も目指してるのか? 自分なりに調べてみることにしたサブちゃんは、知り合いの情報屋であるイデちゃんに連絡。「明月ヒカリ」という女性の戸籍と、「奇夢ヤミ」の戸籍を調べてもらうことにした。 自分でも調べてみた結果、インターネット上に『明月ヒカリ』という人物に関する画像を発見。見るに、かなりの実力派女優だったらしい。しかし、ヤミちゃんとは髪色も目の色も違うのである。 この日のデートはガリレオ観測所。レモン事件もようやくひと段落し、これまでにないいい天気もあって綺麗な夜景が見られたおかげで、ヤミちゃんとの遠出は再び穏やかなものとなった。 そんな中、サブちゃんは包み隠さず手紙のことをヤミちゃんに報告。 勝手に戸籍を調査したことを謝罪したが、ヤミちゃんもお姉さんのことが心配らしく、許してくれた。 そして、調査結果をイデちゃんから聞いた。 「『明月ヒカリ』という女性は実在しており、母親の名前は『明月マコト』。兄弟姉妹はいない。」 「『奇夢ヤミ』という女性の戸籍は、存在しない」 そんな馬鹿な。 何かの間違えだとサブちゃんはヤミちゃんを励ますが、徐々にヤミちゃんの元気がなくなってゆく。 最後に、ネットで見つけた「明月ヒカリ」の画像をヤミちゃんと共有すべく、印刷したものを渡した瞬間... ヤミちゃんはブルブルと震え出し、手は冷たくなっていった 明かに様子のおかしい彼女を気遣いつつ、ヤミちゃんを家まで送り届けたサブちゃん。 「一晩寝れば良くなる」と言い張る彼女を心配しつつ、事務所にて情報整理を行う。 手元には、印刷した『明月ヒカリ』の写真。 なんでこんな写真で彼女はあんなに動揺したのか... + 暗中 🕶️サブちゃん、10年分の記憶を失う サブちゃんがヤミちゃんの秘密を紐解き受け入れ、説得してから数日後・・・ サブちゃんの容態に異変が・・・ 実はギフト + ... (正体は、「 POISON」という毒物) と呼ばれるものが流行っており、 行政からの通告により法律改正時に違法ドラッグと認定された。 サブちゃんは、日々のストレスからこれを愛用し1日に5~6本も飲んでたときもあった。。 だが、毒物である事には変わりないのでそれが無事ですむとは限らない。 そしてとある日今までの副作用の発作により、愛車とともに海の底へ・・・ 救急隊により無事救助されたものの・・・ 約10年分の記憶が消えてしまったのである。(それは、ロスサントスに住んでいたことや恋人ヤミちゃんの事も・・・) その後ヤミちゃんの奮闘や住民の協力により記憶をとりもどしたのだった・・・ [詳しくは、 05/22 第59話「煙とともに灰左様なら」のエピソード参照] + 明暗 🔪サブちゃん、殺人鬼に襲われる 記憶喪失から回復したサブちゃんにまたもや事件が降りかかる… それは、街を恐怖に陥れたREDRUM事件である。 心ある市民の被害者が5人に及びその中にサブちゃんが含まれたのである… サブちゃんは、REDRUM事件の犯人をGBCのメンバー(主に桜星ヨウコウくんやイヴトワイライトさん) とともにおっていたもののそれが仇となったのか新聞局の中で殺されてしまったのである… その際に声が出せなくなってしまい長期間の入院を余儀なくされたのだった… なおその際顔が出ていたためそれが証拠の徹底的なきっかけとなり逮捕までごぎつけたのだった。 (その後ギャングによって犯人は、報復されたのだが詳しくは、REDRUMの欄へ。) + 黎明 🫧サブちゃん、全ての思い出を無くす + 混乱 💢サブちゃん、初めての痴話喧嘩 + 変貌 👫変わりつつある二人 + 別離 🌆崩ゆく心 + 奪還 🆘届いたかすかな声 手がけた記事 アプリ版 + No.01〜No.10 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 余談 「交通事故率世界一の町・ロスサントス」 3/3 2 啓発記事 「窃盗ダンプ暴走『海を見せたくて』」 3/5 3 ルポタージュ 「問われる企業体質・UD社お粗末対応」 3/6 3 4 ルポタージュ 「ワンパンチ症候群にご理解を」 3/8 6 啓発記事 「猫カフェ爆発、警察は自首呼びかけ」 3/14 7 ルポタージュ 「シーズン到来、キノコ狩りへ行こう!」 3/15 9 紀行文 「???」(エピソード参照) 3/16 10 依頼記事 「ロスサントス北に新名所、ビリヤードができるバー開店」 3/19 12 開店宣伝 「泣き落とし、情状酌量認められ懲役60分」 3/21 14 裁判結果 「面目まるつぶれ、警官まるぼうず」 3/22 15 依頼記事 + No.11〜No.20 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 余談 「副業解禁、市民から歓喜の声」 3/23 - 公示 「建設重機で市内パレード『豆を求めて』」 3/25 18 ルポタージュ 「被告人が増殖 無罪勝ち取る」 3/27 19 裁判結果 「汚職の元警官に怒り露わ」 3/28 21 依頼記事 「今週末にペット同伴カフェオープン!」 4/3 24ほか 開店宣伝 「特級呪物『不幸の手紙』の回収にご協力を」 4/4 23〜25 啓発記事 「ロスサントスに季節外れの雪」 4/8 27 ルポタージュ 「ドッグカフェ『かしりん』オープン」 4/9 27 開店宣伝 「壮絶!たまご争奪戦!」 4/11 28,29 イベント告知 「葉時山バジル電撃記者会見」 4/14 30 ルポタージュ + No.21〜No.30 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 余談 「社名変更のご報告並びにカンパのお願い」 4/15 - 情報局告知 「三億円『持ち歩き』事件」 4/15 31 ルポタージュ 「エッグハント決勝戦、いよいよ明日」 4/15 32 公示 「たまご争奪戦、決着!」 4/18 34 公示 「ロスサントスの『米騒動』」 4/19 36 ルポタージュ 「最高級の住まいに、人生が恋をする」 4/20 37 啓発記事 「GATOが解散を宣言」 4/22 38 依頼記事 「まりもオープンイベント開催!」 4/24 - 開店宣伝 「悲惨!医療行為で海賊が水責め」 4/26 39 ルポタージュ 「ピザ×バーガー・コラボ商品発売中」 4/26 38他 依頼記事 + No.31〜No.40 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 余談 バイクの購入前に確認を! 4/27 42 啓発記事 恋のおまじない「にかのり」大成功! 5/1 ルポタージュ 医療革命、怪我にご注意! 5/2 公示 空前の駅伝ブーム、到来! 5/8 ルポタージュ さらば、ヨーソローハリケーン 5/12 ルポタージュ 白熱のティラノサウルスレース 5/16 54 ルポタージュ タバコ新銘柄“エイトスター”発売! 5/16 54 55 ルポタージュ ロスサントス最強、出てこいや! 5/20 56 イベント告知 パン屋発、新感覚ドリンクレポ 5/22 58 ルポタージュ 新聞が情報誌にリニューアル 5/23 情報局告知 + No.41〜No.50 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 余談 市民への注意喚起 5/30 64 65 公示 レッドラム連続殺人未遂事件、被告は無期懲役 6/8 64~69 裁判結果 熱唱裁判~つむがれたキセキ~ 6/13 70 裁判結果 魔法少女カフェ☆オープン間近! 6/16 71 開店宣伝 ロスサントス市議会選挙のお知らせ 6/21 公示 抗争にともなう注意喚起 6/21 公示 花火の値段が変更されます 6/29 81 依頼記事 ロスサントス市議会選挙、投票期間はじまる 7/2 公示 ロスサントス市議会発足 7/9 公示 ロスサントスに新タクシー会社『菖光會』が設立 7/16 依頼記事 + No.51〜No.60 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 備考 K.S.D.ズズ、お笑いライブ開催! 7/24 ルポタージュ 新聞にて求人情報掲載中! 8/3 情報局告知 ロスサントス夏祭り、明日開催(※イベントテロ罪初施行) 8/8 公示 ロスサントスいちのホストに聞いた、ヤバモテの秘訣 8/16 依頼記事 ウワキな彼をモノにする方法4選 8/21 実質依頼記事"匿名ラブ子"名義 排気量規制に伴う一部車種廃止のお知らせ 8/23 公示 一周年記念セレモニー執り行われる 8/28 ルポタージュ ケパグ大人気、屋台-1グランプリは『ドッグカフェかしりん』に 9/5 ルポタージュ ロスサントス西に新しいカフェ『Père Noël』がオープン! 9/5 開店宣伝 夏フェス前夜祭大盛況、本祭への期待たかまる 9/9 ルポタージュ + No.61〜No.70 閉じる タイトル 掲載日 関連Ep 備考 過ぎゆく季節に思いを馳せて、夏フェス大成功 9/9 ルポタージュ 実録取材『レギ横キッズ』居場所の無い若者たち 10/3 啓発記事 苦渋の決断、逆風にさらされる飲食店 10/4 啓発記事 「第二回市議会選挙、候補者出そろう」 10/7 公示 「第二回市議会選挙、投票期間はじまる」 10/8 公示 「第二回ロスサントス市議会発足」 10/11 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記者クラブ局長に就任し、様々な記事を手がけ知名度を上げつつあったサブちゃん。 そんなある日、友人の1人奇夢 ヤミが誘拐されかける事件が発生。 犯人を殴り倒したサブちゃんだったが、その直後ヴァン ダーマーに連れ去られる。 連れ去られた先で先ほどのヤミちゃん誘拐未遂事件の犯人以下4名の犯罪者と対面。 彼らは「ラグナロク」と名乗り、自分たちの記事を書くようにサブちゃんに強要。 友人たちの安全のため、彼らの要求を飲んだサブちゃん。 しかし、堅気にも手を出さんとする「ラグナロク」のあり方はサブちゃんとは相容れない。 「アタシは堅気に手を出すヤツの敵だからね」 「ラグナロク」の正体について独自に捜査を進めるサブちゃん。 ヤツらとの約定で警察には通報できないけど、他にやりようはある。 サブちゃんはマクドナルド率いるGoodBye Circusとの抗争の気配を察知。 GBCに「ラグナロク」を潰してもらうべく、マクドナルドに自分の捜査情報を渡した。 いよいよ抗争か、と身構えてたある日。 「ラグナロク」は主要メンバーが街を去ることになり実質解散状態に。 サブちゃんは当面の目標を見失い茫然とするしかなかったのだった。 + 第22話〜第36話 『GBCとの因縁の始まり』 「ラグナロク」のリーダーと参謀が去ったとはいえ、残った堕夜 だよから「後継者がいる」「そのうちまた活動を再開する」というメッセージを受け取ったことから、警戒を続けるサブちゃん。 奴らに対抗するにはGBCを戦える勢力にまで拡大させなければならない。 しかし、GBCの全貌は不明。サブちゃんはかつてマクドナルドと接点のあった桃星 ヨウコウと行動を共にすることが多くなったイヴ トワイライトの薦めるドラッグ「GIFT」を精神安定のためとして定期的に服用しつつ、彼女に接近。ついに主要メンバーを割り出すことに成功した。 だが、折悪くマクドナルドはロスサントスに来ない日が続き、このままでは他の人もGBCの情報を探り始めるのではないかとサブちゃんは焦る。 ついに、強硬策としてGBCのペイントの横に「自分からのメッセージ」として「Watching you, dear my friend」と書き残すという思い切った行動に出る。 これにより、「ラグナロク」の脅威への対抗をしようとしたサブちゃんだったが、ある日だよから「ラグナロクは正式に解散した」と明かされた。 今度こそ完全に敵対組織を失い、尚且つこれまでしてきた行動が全て裏目に出かねない事態に、サブちゃんはただただ狼狽するしかなかった。 + 第37話〜第59話 閉じる 街には春の足音が近づき、気温も徐々に快適なものになってきた。 それだと言うのに、司ちゃんの顔がすぐれない。 「ロスサントスにきてから一番の親友」だと思っているだけに、サブちゃんは司ちゃんを心配する。 一方で、町ではイースターイベントである「エッグハント」が開催。誘拐未遂事件がきっかけに自分の過去も打ち明けたこともあり、すっかり仲良くなったヤミちゃんと共に出場し、一位をとらんと奮闘する。 しかし、その本戦中に司ちゃんに異変が。 それは、気もそぞろな司ちゃんが切り出した恋バナにヤミちゃんが言った何気ない一言が原因だった。 「葛城(くずしろ)の兄貴はどうなんすか?にかりんとは最近そういうのないんすか?」 ...司ちゃんは、にかりんへの恋心に苦しめられていたのである。 詳しくは話してもらえなかったが、「サークル内にもう一人にかりんに好意を寄せている人がいる」「自分は『人を愛することができない』事情がある」と語る司ちゃん。 そのウジウジした姿に発破をかけるため、サブちゃんは「負けた方が惚れた女に告る」という男の勝負をかけることにした。 一度は勝負に応じた司ちゃんは「負けたから告るけど、告ったら僕は街を去るよ」と言い出す。これはいかん!と慌てたサブちゃんは急遽3本勝負に切り替えて、絶妙に司ちゃんが勝てるように勝負を持っていくことに成功。結局、サブちゃんが負け、意中の相手に告ることになってしまった。 それでも、司ちゃんが街を去ることを避けることができて胸を撫で下ろすサブちゃんとヤミちゃん。 しかし、別れ際にサブちゃんが突然とんでもないことを言い出した。 「よし、決めた!一ヶ月以内に告白するってことだけども、一ヶ月毎日告白することにする!」 「ヤミちゃん、愛してる!」 サブちゃんもまた、ヤミちゃんと色々な場所に出かけるなどをしていくうちに、ヤミちゃんに対して「同じ方向を向いて歩いていたい」と言う「愛おしさ」を感じるようになったのであった。 突然のことに慌てるヤミちゃんだったが、「人を愛するっていう感情がわからない俺に、教えてほしい」と語る彼女のため、一ヶ月間毎日告白する期間を設ける。 一ヶ月の間、毎日花束を片手にヤミちゃんのもとに通い、「愛している」と伝えるサブちゃん。 途中、一度はGBCに近づきすぎたせいで、「サブちゃんってGBCメンバー?」と怪しまれ、破局寸前まで行くも、なんとか誤解を解くことができ、二人には穏やかな時間が流れていた。 だが、徐々に「人を愛する」と言う感情を理解し始めたヤミちゃんが、「すごく信頼できる人ができた」と満面の笑みでサブちゃんに報告する。 これを、「自分以外に好きな人ができた」と受け取ったサブちゃんは失意の底に沈み、怪しげな薬の売人にまで身を落とすことを考える。仮死薬である「GIFT」の消費量も日に日に増えていった。 しかし、即座にヤミちゃんにバレ、こっぴどく絞られることに。事情を話した結果、その相手は「ヤミちゃんの姉」だという。 ヤミちゃんの気持ちが自分から離れていないことに安堵したサブちゃん。しかし、その直後情報局に届いた1通の手紙で事態は急変する。手紙の差出人は「明月マコト」。それは情報局の写真に娘の「明月ヒカリ」が勝手に掲載されていると言うことへの苦情の手紙だったが、そのような人物が掲載した記憶はない。あるとすればヤミちゃんなのだが... このことをヤミちゃんに相談すると、彼女の様子が急変。 しばらく一人にして欲しい、と言う彼女から離れ、どう言うことなのか思案するサブちゃん。 そこへヤミちゃんからのメッセージが。それは「今までありがとう」と言う言葉と共に、人を愛する気持ちが自分もサブちゃんのことが好きだったことを認めた、長い、長い別れの言葉だった。 尋常な状態ではないことを察したサブちゃんは、「いるとすれば二人で見つけた秘密の入江...!」と辺りをつけ、愛車"フェアレディ"で急行。 「自分『奇夢ヤミ』は『明月ヒカリ』の作り出した人格で、この気持ちも作り物なんだ」「『ヒカリ』が消えたいって言うなら、僕はその願いを叶えるしかない」と語るヤミちゃんに、「俺が『奇夢ヤミ』と言う人間の存在を証明してみせる」「だから時間をくれ」とサブちゃんは語る。 その言葉を、ヤミちゃんは信じてくれた。 その後、彼女が常飲していた「GIFT」の影響で本来の人格である『ヒカリ』が一時的に表面に出てきたことはあったが、なんとか告白開始から一ヶ月後のその日、ヤミちゃんから「俺もサブちゃんのこと、ちゃんと愛してるよ」と言う返答をもらえたのだった。 待ち望んでいた答えをもらい、将来の展望に胸を躍らせるサブちゃん。 しかし、「GIFT」の過剰摂取は確実にサブちゃんの体を蝕んでいた。 そして、告白したその日、トラックバイトに向かっていたサブちゃんは運転中に意識を失い、車ごと海に水没する大事故を起こしてしまうのだった... 各エピソードのあらすじ ※目下、エピソード募集中のもの多数!編集者募集中! + 第37話〜 閉じる 4/20 第37話「東路に筆を残して旅の空」 + 開く 閉じる 今日は司ちゃんから大事な話があるってことなので、心しないと。あと、昨日は流石に「ギフト」をキメすぎた。心臓が痛くなったのは絶対キメすぎたすぎたせいだ...。しばらくは「1日1本」を守らないと...。 変な夢も見ちゃったし...なに?「15mのナマズが窓にビターンッする夢」って? + 編者註 閉じる この夢、サブちゃんが「夢の中」でガチで見ちゃった夢らしい。 社用口座を確認。さあカンパは...またしてもない!くぅ〜!やっぱり直接記者にカンパをお願いした方がいいのかしら... 反応自体はいいのよねー。「雪の日」の記事とか大好評だったし。 新聞を「ロスサントス観光ガイド」にして売り出そうかしら... とりあえずデイリー回しにカジノへ。バス欲しかったけど、ギリギリ当たらなかった!くぅ〜! そういえば煉ちゃんの記事どうしよう?本人に許可取りたいけど、見当たらない。今開店してるピザ屋か猫カフェにいるのかな?ピザ屋には煉ちゃんはいなかった。店番をしているヤミちゃんにいつものセットを頼んだ。 あまりにも落ち着きがなかったのか、ヤミちゃんに「どうしたの?」って心配されちゃった。軽く経緯を説明しておいた。 武士ちゃんがピザ屋にやってきた。今日もバッチリファッション決まってるわね! にかりんも来店。例のアンケートに聞いたら、目標達成まであと5人らしい。 煉ちゃんを探しに猫カフェに行くことにした。武士ちゃんの愛車がピーキーすぎるっていう話だったから乗ってみたら、確かにこれはすごいわね?!曲がらない曲がらない! 煉ちゃんに会えないし、猫カフェのりおんちゃんは友達とダイビングに行くってことで店を閉じるみたいだから、事務所に戻ることにした。なんか記事書けるやつあったっけ?ダメもとで煉ちゃんに電話をかけたら、出てくれた。確認とったら「ダメだ!ダメです!」とのことだった。そうよねー...記事にはしないでおこ。 そうだ、温泉のことを書こう。でもなーんか、温泉のあるゴルド山って地名、どっかで聞いたことあるのよねー? そうだ!コロンボちゃんが「幽霊が出る」って言ってた場所だ!(※第10話参照) 悪霊が出てくるところを記事で勧めちゃ、今後の経営にひびきそうなので、幽霊の確認に行くことにした。だけどゴルド山に登ったら、暗闇で道を見失い愛車のフェアレディが崖下の海に転落。そしてサブちゃんも衝撃でダウン。たぁ〜すけてぇ〜... おりよくももみちゃん、真光ちゃん、カテジちゃんが近くにいてくれたから駆けつけてくれたけど、まさかのドクターヘリ墜落。しかもフェアレディを救出しようとしてくれたももみちゃんが溺れてダウン。ちょっとももみちゃあああん?! カテジちゃんたちの救援要請を聞きつけ駆けつけてくれたのは、ましろ先生だった。久しぶりの再会がとんでも無い形になっちゃった... 急いで北部医療センターに搬送されてなんとかなった。しばらく安静にした後、ましろ先生がヘリで街まで送ってくれた。ましろ先生に「ギフト」のことを話して、成分解析をお願いした。お医者さんとしての意見も聞きたいしね。 それにしてもももみちゃんには悪いことしたわね...お詫びにラムネをプレゼント。 Twitterを確認したら不動産主催で旧鳥野 ぎん邸の内覧会があるらしい。せっかくなのでタクヤちゃんのタクシーで向かうことにした。内覧会で天牌ちゃん(16)が同い年で、不動産社長のあんずちゃん(15)が年下であることをにかりん(16)に教えたら、めちゃくちゃ凹んでた。 凹んでるにかりんが「アンケート目標人数行ったから」と結果を渡してきた。51人分撮ってきたというので、1人5万として255万払っておいた。 ついでに天牌ちゃんにお願いして、20億の邸宅の内見をさせてもらった。タクヤちゃんと一緒に写真を撮ったので、これを使って「高級住宅販売開始」の記事を書くことにしよう! しかし司ちゃん来ないわねえ...仕方ないから、猫カフェの奥で記事を書かせてもらうことにした。すずめちゃん、つばめちゃん、ノアちゃんが出勤してたので挨拶。どうも今日は試乗会に行くらしいので、店の留守番を引き受けることにした。 ついでに、にかりんのアンケート結果を確認...うわぁ(絶句)テキストファイルで生データだし、様式統一してないし、途中から質問内容変わってるし、なんなのこれ...?これ記事にするどころかデータを解析するだけでも大変よ... 結構悩んだ挙句、「高級物件」の記事の見出しは「ここちよさに 住もう」にした。 Twitterを確認したら、ダイビング 釣りに出かけたりおんちゃん一行、なんと漂流しちゃったらしい。しかも、駆けつけた救急隊の手違いでわきをちゃんは車椅子に乗せられて海中をふわふわする羽目になったとか。わきをちゃあああんwwwしばらくしてりおんちゃんが猫カフェに帰ってきた。あまりの事態に笑いが止まらない様子。彼女の笑いのツボが鎮まるまで何があったのか聞いた。 しばらくしてノビーちゃんが新人ちゃんを連れて来店。どうも彼の昔馴染みらしい。その子はにし のんと名乗った。とりあえず自己紹介。 記事の仕上げをしてたら突然銃声と爆発音?!もしかして近くの現金輸送車が襲われた?!イヴちゃんと一緒に現場に急行!周辺に争った形跡はなかった。でも、現場周辺で「パーティーハットを被った馬頭」が連れて行かれていた。あれが犯人かも。 猫カフェに戻っていぬりんとわきをちゃんに注意喚起だけした。 わきをちゃんにさっきの遭難の時に散々な目に遭ったことを慰めた。そうこうしてたら、まさかの猫カフェ前でわきをちゃんがヨーソロー・ハリケーン。近くに駐車していたイヴちゃんのバイクを巻き込んで大爆発しちゃった!しかも対応に駆けつけたれむちゃんの手で逮捕!災難続きねホント... わきをちゃん、今日にかりんのお米を2合食べちゃったらしい。やっぱり呪いのアーティファクトじゃないの?! わきをちゃんがすっかりやさぐれちゃったので、「ギフト」をプレゼントして慰めた。 ようやく記事が完成したので投稿。おりよくバジルちゃんが来店したので、記事を宣伝。どうもバジルちゃんも物件を探しているらしい。せっかくなので山ちゃんとの同棲(シェアハウス)を提案した。つばめちゃんもノビーちゃんとのこともあって、後押ししてくれた。 その後もつばめちゃんとおしゃべり。どうもつばめちゃんもマックちゃんとなんかあったらしい。あなたもなの?!とりあえず一緒に謝りに行こうね... にかりんに250万以上払って金欠なので、ウーバーイーツのバイトを試してみることに。やってみたけど、収入微妙だし単調ね...これならキノコ狩りした方がいいわね。 もう誰もいないだろうと踏んでキノコ狩りに出発。でもなぜかキノコが全然ない。あれ?あれー?一際巨大なキノコが...司ちゃん?!何してんのアンタ?!一日探してたんだけど?! 司ちゃん、どうも寝不足でダウンしてたらしい。お話を日を改めてということになった。OK! キノコ狩りをしてたらイヴちゃんから電話。バイトのお誘いだった。 バイトは採石場での資源回収だった。やってみると、確かにこれは1人じゃ辛いことがわかったわ。話し相手ならいつでもなるわよ!イヴちゃんにはいっぱい借りがあるし! バイト代は50万!ありがとう! イヴちゃんに送ってもらって、もう少しだけキノコ狩り。明日もキノコ狩りでお金を集めたいので、今日は北の街のモーテルで寝ることにした。昨日は飲み過ぎで心臓に負担かかってたし、今日は「ギフト」飲むのは控えておこう...。 4/21 第38話「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」 + 開く 閉じる 今日こそ司ちゃんの話聞くわよ! 司ちゃんから連絡が来るまでキノコ狩りで時間を潰すことにした。キノコ狩りしながら歌いまくってたら、偶然やってきたヤミちゃんに「何してんの?」って見られちゃった!キャー! ヤミちゃん、意地でも潜伏するつもりみたいだったので、しばらく独演会をする羽目に。 ヤミちゃんと合流。木こりバイトのヨウコウちゃんと一緒に来てたらしい。しばらく無線でお話ししながらキノコ狩りすることにした。 そういえば真光ちゃんがついに警察の体験に入ったらしい。めでたい限り!となると更生記事は急いで書いた方がいいかしら? キノコ買取おじさんは今日はいなかったので、後日売却することにした。しばらくヤミちゃん・ヨウコウちゃんと不動産談義。ヨウコウちゃんは700万の家を買って、ヤミちゃんは7000万のまりーちゃんが声をかけてくれたので、挨拶。4/25に彼女が店長をする高級車ディーラー「Marie Moters(まりも)」が開店するらしい。24に記事を書くことを一応申し出たけど、今記事渋滞してるからなあ。 にーとちゃんもアパートから出てきたので挨拶。 移動しようとしたらヨウコウちゃんまたまたヨーソロー・ハリケーン!何度目よ?!ダウンしたヨウコウちゃんを病院へ運んだ。急げー! やっぱりヨーソロー・ハリケーンは背中に斧や刀を背負っているとなりやすいらしい。もう妖刀「三郎太」は事務所に戻そうかしら。 それにしても司ちゃんどこなのよ?聞けば、今ノビーちゃんを探しているらしいので、病院にしばらくいることにした。追世 伊代という新人ちゃんが病院にいたので自己紹介した。 司ちゃんがノビーちゃんと話した後、話を聞くことにした。込み入った話なので事務所で。 終わるまでの間、病院前のベンチでヤミちゃんと待ってたら、マグナムちゃんのためにメイド服を身につけて来院してきた不二子ちゃんに遭遇。ヤミちゃんは悶えてた。しばらくメイドとしての心構えを説く。 Twitterで武蔵ちゃんが「記者の方いませんか?」と言っていたので、急ぎ猫カフェに向かうことに。このたび、武蔵ちゃんはGATOを解散して堅気として生きていくことを決めたらしい。そのことを記事にしたいとの依頼だった。特急で書いて欲しいということで多め依頼料を貰っちゃった。 解散の経緯については詳しく話してくれなかったけど、多分それは... 猫カフェに入ったら、ヤミちゃんが「お疲れ」と食べ物・飲み物を奢ってくれた。 事務所で司ちゃんの話を聞いた。これは心壊れてるわね...司ちゃん、バッちゃんと一緒に出かけて、やっぱりバッちゃんはにかりんに「あと5年早ければ...」とか言ってたし、想いを寄せているんじゃないのか?という結論に至ったらしい。司ちゃんは2人のために身を引くのを考えているとか。しかし、2人にはそれぞれ実際のところは聞いてないという。 バッちゃんの外堀を埋めてにかりんから遠ざけるという選択肢も考えついたけど、「考えついただけ」らしい。やっぱり、この子はどうしようもなく善・秩序属性だ。 話の流れで、司ちゃんがバツイチであることを知った。どうも彼がロスサントスに来たのは「日本でお金が稼げなかったから」ではないらしい。「四ツ谷」という人物が関わっているらしいけど、心当たりはなかった。 + ネタバレ注意 閉じる 司ちゃんを説得していくうちに、「自分もそういう感情(恋とか愛とか)に無縁ではない」ことを話したら、ヤミちゃんが「ちょっと待て?!」となった。そしてなんやかやで男と男の勝負で決着をすることに。負けたら、意中の相手に告れ!司ちゃんとの勝負は河原でのステゴロ対決にした。結果は圧勝! でも司ちゃんの申し出で、「3回勝負にしよう!」ということになった。2回戦はガリレオ観測所周辺でのレース!やっぱりレースは司ちゃん強かった! 3回戦は...まさかのフリスビー・ゴルフ対決!なんでだよ! やり方わからないし、時間はかかるし(3回勝負で移動時間含め多分6割がフリスビーだった)、上裸で寒いしですんごくグタグダになった。 ...でも、司ちゃんの調子が元に戻ったみたいだし、いっか。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 結果は1勝2敗でサブちゃんの敗北だった。だけど、負けたら告ったうえでロスサントスを離れることを仄めかしてたし、これで丸く収まったわね。 さて、負けたサブちゃんは「1ヶ月後に意中の相手に告らなきゃならない」という約束を突きつけられたわけだが... その相手は、ヤミちゃんなわけで。 そこで、にかりんの「推しリスト」の件について「ヤミちゃんに票入れたのはアタシ」と話したら、ヤミちゃんもサブちゃんに入れたという。 よし、決めた! 「1ヶ月毎日告白する!」 「ヤミちゃん、愛してる」 そう告げると、ヤミちゃんをアパート前に残してフェアレディで走り去った。 もう、後には退けない。 今日は帰って寝るッ! 4/22 第39話「さあ、切符をしっかり持っておいで」 + 開く 閉じる さて、今日はまず武蔵ちゃんの記事を投稿しないと。バッちゃんが語った「人は更生できる」という言葉を添えて投稿。 にかりんが話したいことがあるということなのでアパートまで話を聞くことにした。どうも「推し」から思わせぶりな行動をされて当惑しているらしい。にかりんに聞くと「推し」への感情と恋愛感情は違うらしい。 後にヤミちゃんに語ったら「わかる〜!」って言われた。そういうものかしら? 病院前でどっかで見た人が...?アレーッ、ぷら子ちゃん?!日本から帰ってきたんだ!おかえりー! フェアレディの凹みが直らないので、JTSで直してもらうことにした。修理を待ってたら、Wondaちゃんとにーとちゃんの会話が聞こえてきた。どうも、にーとちゃんが仕事もせずに犯罪行為に手を染めていることにWondaちゃんが怒っているらしく、このままだと解雇すると勧告しているようだった。 食べ物を買いに猫カフェに来たら、ヨウコウちゃんから相談を受けた。どうもわきをちゃんがぷら子ちゃんからチンチロで3000万を巻き上げたらしい。ヨウコウちゃんはぷら子ちゃんに恩義があるので、わきをちゃんがぷら子ちゃんの「その3000万は犯罪には使わないでね」という約束を違えた場合、にかりんの「不幸の手紙」と「呪いの米」をわきをちゃんに送りつける心づもりらしい。よし、そういうことなら事務所に封印している「手紙」を貸すわよ! カウンターにいるりおんちゃんから武蔵ちゃんの記事についてカンパをもらった。 わきをちゃんが斎藤モータースでむしりとった3000万でバイクを買ってるとのことだったので、様子を見にいくことにした。700万のShinobiにしたらしい。このバイクも残りのお金も「世のため人のために使う」とのことだった。コンビニでも買ったらどうかしら? + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる さて1ヶ月間毎日ヤミちゃんに告白することにしたサブちゃんだったが、それならポケットを花束でパンパンにしてやれ!と思いつく。遊園地で今日の花束を購入。 ピザ屋まで行ったら、ヤミちゃんに無言で結構いい右フックを食らった。そのお返しとして花束を渡したら、ヤミちゃんは注文の品だけ渡して「おう、今から拉致るか」とバイクに連れて行った。 ヤミちゃんは自分のどこに惚れ込んだのか全く心当たりがなかったようだったので、「性格でも容姿でもなく、『同じ方向を一緒に歩いてくれる』から」「この感情が心理学的に勘違いだっていうなら、文学的には『恋も愛も勘違いであり思い込み』よ?」と答えた。「結局は『幸せになりたい』ではなく、『愛してるって言いたいから言ってるだけ』」というと、今まで散々っぱら他人に無責任に「幸せになってくれ」と言いまくってた(自覚あり)ヤミちゃんは混乱しながらも黙り込んでしまった。 ヤミちゃんのペンネーム『宵明ヤミ』を教えてもらった。 散々走り回って、ようやくピザ屋に生還。無事故で何よりだわホント。 ヤミちゃん的には「見返りを期待しない『好き』が一番気楽」という。ヤミちゃん的には恋愛と夫婦は違うものらしい。そう考えると、アタシの抱いてる感情は恋愛ではなさそうね...よし、ヤミちゃん籍入れましょ?「バカヤロウなんでそうなる?!」 とりあえず1ヶ月で段階を踏もう、ってことになったけど、ヤミちゃん的には1ヶ月でも短いくらいだという。でも自分の中ではヤミちゃん誘拐未遂事件(第10話)の頃から生まれていたことは話しておいた。 ヤミちゃんもエッグハントの時「俺、1人の人間の秘密を知ってるんだから、心底信頼されてるんだな」とフワフワ考えていて、その結果足を踏み外して大怪我したことを明かした。うーん、また好きなとこ増えちゃったわね。 加えて、昨日ほとんど眠れず、結局今日起きたのが24時だったらしい。それくらい真面目に悩んでくれたのね。「どんだけポジティブなの?!」と言われたので、実のところ無理してでもポジティブに振る舞っていることは明かした。「言われる方も無理してるだろうから、こっちも無理するくらいがちょうどいい」とも言ったけど、少なくとも言われてすぐ殴られるくらいの嫌われ具合ではないことには安心した。 でも、ここで抗われたらアタシの心が宙ぶらりんになってバラバラになっちゃうから、逃げ道は塞がせてもらうけどね! ヤミちゃんは「1ヶ月かけて俺を惚れさせてくれ。愛という感情を教えてくれ!」「それができたら恋人になろう!」ということになった。よし、受けてたつ!その代わり、「もっとわがまま言ってね」とお願いした。「俺もわかんない...」というヤミちゃんに、「なら一緒に探すしかないわね」と返した。 さて次回からデートだけど、どうしよう...ヤミちゃんとは結構いろんな場所行ってるからなあ... 例の観光ブック計画もあわせて、1ヶ月でロスサントスの名所巡りするかあ。 ヤミちゃんもヘッダー担当として同乗してもらって。 そういえばヤミちゃんはヨウコウちゃんに一日5、6回電話をもらってるらしい。うーん、ヤキモチ妬くわね、正直!「ヨウコウくんは俺の公認ストーカー」ってことだったけど、どうなんだろ?場合によっちゃ、ヨウコウちゃんに詫びいれなきゃ。 とりあえずこうなったのは司ちゃんのおかげってのもあるから、お礼言わなきゃね。 司ちゃんに電話したら、「今日は色々あったのよ...僕もピザ屋行くね」とのことだった。とりあえず、話を聞くことにした。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる にかりん関係で殴り合いになる可能性が高いってことなので、ヤミちゃんに体術の指導。何回か殴られたけど、問題ない問題ない。 「惚れた女の拳がなんぼのもんじゃい」 「いや本気で殴るよォ⤴️?!💢」 司ちゃんが乗ってきたのはピンクの新車!「あいのり」ならぬ「にかのり」のラブワゴンだー!お値段1020万!参加者はバッちゃん、真光ちゃん、ヨウコウちゃん、わきをちゃん、ナイチーちゃん、ジョアンナちゃん、にかりんになったらしい。 今日は司ちゃん、にかりんとラブワゴンの下見に行ったらしい。その下見のあと、にかりんはバッちゃんとどっかに行ったらしい。その後、バッちゃんの車がにかりんのアパートの前に...あっ...(察し)とりあえず司ちゃん・サブちゃん・ヤミちゃんで「お前がいうな三すくみ」なので、お話はここまで。 駐車場のかげに誰かいた。あれ、ヤングよねちゃん! ヤミちゃんがご飯も飲み物もなくなっちゃので、猫カフェに行くことにした。でも守ちゃんが修羅場だったみたいなんだけどなあ...来店したらりおんちゃんが夏服に?!ヤミちゃんが「萌え萌えきゅん❤️」をオーダーしてたので悶えてた。スペシャル食らったヤミちゃんも悶えて逃走した。仕方ねえので200万立て替えておいた。 店にいたわきをちゃんにジャム姉の香水を教えて頑張りづけた。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる りおんちゃんのスペシャル代金を立て替えた件について「推しには自分で貢がせて」「心のねえ僕の数少ない娯楽なんだから」と怒られちゃった。 なるほど、これが「推す」ってことか。 そしてヤミちゃんと「推しのスペシャルには自分で払わせろ」と約束した。 ヤミちゃんは「これが俺からの最初のわがまま」と言ってた。 というわけで、支払った200万分はヤミちゃんから返ってきた。 そろそろ帰ろうかと思ったら、司ちゃんがいない。どうも裏でバッちゃんと何かやってたらしい。司ちゃんが勘違いして「いつも仮面つけてるりおんさんが外すとかわいい」とバッちゃんが言ってると思ってた(実際に言ってたのはヤミちゃん)ので、「そーゆーとこだぞ」と言ってたらしい。 バッちゃん曰く、「俺はその人自体をかわいいとかいうことはないよ」「いうとすれば本当にその人がかわいいことを気づいて欲しくて、勇気を振り出していうくらい」らしい。 カ○ジネタで盛り上がったので、今度カテジちゃんも交えて盛り上げることにした。 バッちゃんに鎌かけたら、見事ににかりんのことをゲロった。よーし、詳細は事務所で聞くべよ。 バッちゃんは「葛城くんはいない方がいい!」と言ってたけど、司ちゃん自身の願いで彼も同席することになった。バッちゃんの好意に関しては、「バッちゃんが敬称つけずに呼んでるのにかりんだけじゃね?」とヤミちゃんが色々察するくらいはダダ漏れだったらしい。 これまでの経緯を、司ちゃん自身が語り始めた。結局、にかりんへの想いに気づいたきっかけも、バッちゃんに取られると思ったきっかけもサブちゃんとヤミちゃんだったらしい。 バッちゃんがにかりんとの仲を疑った原因が気になっていたので、「『米騒動』の時、擁護してたのがバッちゃんくらいだった」っていうことを明かした。 にかりんの言ってた「思わせぶりな行動」も事実だったらしい。というより、あの文面は嘘偽りのない本心だったみたい。実際、好きだって気づいたみたいだし。 眠気が限界のヤミちゃんを見送るため、一回猫カフェまで見送り。眠気と脳の処理落ちでボロボロのヤミちゃんに代わり「ラテ」をレギオンまで運転した。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 「俺が『友達』って呼ぶのはさあ...葛城の兄貴とヨウコウくんとサブちゃんの3人だけだからね...💤」 「...光栄ね」 「光栄に思えよお...💤」 「流石に眠いところに追い打ちはかけないからね」 「うん...これから1ヶ月、よろしくね...💤」 あの2人、殺し合いしてないでしょうね?!と急いで事務所に戻ったら、とりあえず2人とも生きてたけど、司ちゃんがカラスの被り物つけて荒れまくってた。バッちゃんの惚気を聞かされて壊れちゃったか...バッちゃんは愛未ちゃんと付き合ってたことから、距離の詰めかたを掴みかねてるらしい。愛未ちゃんとは肩肘はって付き合ってたけど、にかりんとは肩の力が抜けて付き合えるとバッちゃんは語った。わかる、わかるわよ!バッちゃん! 今日の出来事を踏まえ、バッちゃんと恋・愛談義。バッちゃんも、少しは気が軽くなったかしら。 司ちゃんに関しては...もう勝つ目はないわね... 突然司ちゃんが叫んだ。うわ?!なんか入り口に着ぐるみ女?!外まで追いかけたら、植え込みに潜んでいた。本人は黙ってたけどバッちゃんが持ち物検査をした結果とテントを張ったかとから多分イヴちゃんね、これ。 出たら出たでもう車がないので、2人はもう歩いてレギオンまで帰ることにしたみたいね。アタシも情報局に帰ろ。しばらく「ギフト」に頼ることはないだろう、多分ね。 4/24 第40話「みんな欠伸をしていた」 + 開く 閉じる 今日は記事だけ書いておーわろ。その前に、レッカーされたマイ・フェアレディを連れ戻さなきゃ...局長室が本社とかなーり離れているからこういうことになっちゃうのよねー... 久々にバギーを引っ張り出してレギオンまで移動。ようやくフェアレディを返却してもらった。まあ、レッカー代が前の10%まで値下げされたのはありがたいわね。 レギオンで誠士郎ちゃんとWondaちゃんがそっくりルックすぎてびっくりしちゃった! 清利 ユウという新人ちゃんと会ったので自己紹介。この街にはお金を稼ぎに来たとのことなので、記者クラブは実入が少ないことを明かした。 ヨウコウちゃんがやってきたのでユウちゃんに紹介。ユウちゃんは日本でなんでも屋をしてたらしいから、ヨウコウちゃんとはいいコンビになるかも! フェアレディに乗って事務所帰還。記事書こ記事。 + ネタバレ注意 閉じる 本社前で社用口座の残高の確認していたら声をかけられた。お相手は"シルバー・ブレット"ちゃん。話があるという。 局長室にまで招き入れ、「(『話』の内容は)MOZU絡みね?」と言ったら、まさにその通りだった。近々MOZUとGBCが抗争を起こすかもしれないらしい。シルバーちゃんは"友達として"事件にはあまり首を突っ込まないように忠告に来てくれたみたい。その忠告、ありがたくお受けするわ。 このあいだジョンがシルバーちゃんに会ったことと、局長室が「迷い込むような場所」ではないことを明かすと、シルバーちゃんは自分の正体はすでに読まれていることに勘づいたみたい。 シルバーちゃんにはマックちゃんに話を繋げてほしいこと、ジャム姉がGBC周辺を探っていることを伝えておいた。特にジャム姉に関しては、ヨウコウちゃんがMOZUに詰められた一件からもMOZUと繋がりがある可能性が消せない。気をつけなきゃ。 マックちゃんに話をつける際も、シルバーちゃんは出来る限り助力してくれるらしい。例の落書きについても「悪意がないことはわかってる」と言ってくれた。ありがたい。マックちゃんは今週中に顔を出すらしい。 ...とはいえ、首は突っ込まざるを得ないんだけどねえ...アタシ、新聞記者だから!まあ、ギャング同士の抗争なら声明文とか出るなら取材はしやすいっちゃしやすいんだけど。 まずは明日イベントがあるというMarieMortersの記事!短めになっちゃったけど、今回は告知だけだから、これくらいがちょうどいいかもね。というか、最近のが長すぎなのよ! Twitterを確認したら、ジャム姉が30分だけ店を開けるっていうツイートが。プレゼント用の香水とかハンドクリーム仕入れに行こうかしら? + ⚠️重大ネタバレ注意⚠️ 閉じる もちろん、ヤミちゃんへのプレゼント用よ? あの子、タバコも吸わないし、コーヒーもあんまり飲まないしで、ストレス解消剤としては香水やハンドクリームがいいんじゃないかしら? 花束ばっかりっていうのも芸がないし。 移動しようとしたらまーたフェアレディがレッカーされてたー;;スケボーでレギオンまで移動したら、みっちゃんに声をかけられた。タクヤちゃんがイヴちゃんと何かあったのか?と聞かれたので、詳しく聞いてみると、最近イヴちゃんに会えないタクヤちゃんはストーカースレスレの行為までやってるらしい。マジで? だよちゃんがものすごいバギーでやってきた。NAGASAKI「アウトロー」という機種らしい。お値段800万!ヨウコウちゃんが興味津々だったけど、「積載量600」と聞いてアタシも欲しくなっちゃった!でもなー、今マイホーム貯金してるからなー... そーいやアタシなんでここにいるんだっけ?...そうだ!ジャム姉のお店に行くんだった! 急いでジャム姉のお店に行ったら、幸いまだ開いてた。すずめちゃん、つばめちゃん、武士ちゃんが来店していた。ジャム姉が店名変更と同時にウサ耳と尻尾つけてた。かわいー! ぷら子ちゃん来店。今回は免停を回避したらしい。 ぷら子ちゃんがプレゼントの相談にのってくれた。ボーイッシュな子にはシダーウッドとスミレがいいらしい。早速購入。 寝る前にキノコだけ売りに行こうと思って買取おじさんのところへ。 + ネタバレ注意 閉じる タクヤちゃんの件...多分アタシのせいじゃないかしら...この間のリーちゃん誘拐事件の件の話、ヨウコウちゃんが聞いてたからもしかしてそこからイヴちゃんの耳に入ったんじゃないのかな? だとするとタクヤちゃんなんとかケアしないと...大変なことになっちゃった... 買取所近くにリーちゃんがいた。この間の誘拐事件について、タクヤちゃんの立ち位置について再度確認。情報のお礼としてパンプキンパイとパン・ティーをあげた。ついでに赤キノコもお買い上げ。多めに40万払っておいた。おじさんはいなかった。しょんぼり。 落書きの件についてマックちゃんに、鎌かけた件についてわきをちゃんに、と色々と筋を通さなきゃいけないところがあるけど、何より尋ちゃんにハニーちゃんの件で謝らないと...。ずっと会えてないし...。 今日はデイリーだけ回して寝ちゃおう。今日は...ドリンク。事実上のナッシング... 今日はもう寝よう。明日は決戦、「にかのり」よ。 4/25 第41話「時に、残月、光冷やかに」 + 開く 閉じる 今日は忙しいわよ!「まりも」の開店イベントのお手伝いして〜、わきをちゃん水没事件記事にして〜...あと、「にかのり」は今日が本番ね。 ポケットを探ってみたら、昨日買ったハンドクリームがなくなっていた。プレゼント用なんで、ジャム姉の店でもう一回買うことにした。ジャム姉のIDが3で驚く。最近は19時〜5時で活動しまくっているらしい。寝てよ? いいデートスポットがないか聞いたけど、ジャム姉が教えてくれたのはどれも隠れ家っぽい雰囲気でデート向きではなさそうね。でも5002番付近に廃坑があることを教えてもらった!しかも運が良ければエイリアンに出会えるらしい。 お返しに2059番のあたりの家に誰かが住んでいることを教えておいた。 新しい店名の「Happy Nutty Bunny」の由来を教えてもらった。うーん、「みんなを幸せにするイカれたウサギちゃん」ね...確かにオネエとオバアのストリップバーならしっくりくるか! 逆に「清純派」いぬりんとかは似合わなさそう...と思ってたら、この間みっちゃん・守ちゃんと朝5時までHNBで飲みあかしてたそう。何してんのあの子?! フェアレディZを自慢しようと店の外に出たら、盛大にヨーソローしてる車を発見。一向に止まらないので、どうしようもなかった。巻き込まれる前に逃げよう!街を走ってたら真光ちゃんに無限ヨーソローを報告。最近は心なき民の車もごく稀にヨーソローするらしい。へー。 廃坑の下見に行きたかったけど、「まりも」開店イベントの準備しないと。JTSに駆けつけたらジョアンナちゃんと音子ちゃんが出迎えてくれたけど、なんと社長たるまりーちゃんが来てないらしい。うっそ?!どうすんの?!続々参加者は集まってくる。これどうすんの〜?!と慌ててたら、ギリギリでまりーちゃん出社。での社員のにーとちゃんがまだ来てない!勘弁してよもう! ようやくスタッフが揃って30分遅れで開始。アタシはLv4の担当ね!しばらく屋根で待機してたけど、あまりにステルスだったから店内に移動。 ジョアンナちゃんはイベントが終わるや「にかのり」に合流していった。ジャム姉の発案でHNBで司ちゃん視点のパブリックビューイングを楽しむことになった。のっけからもう笑いが止まらないわよw ナイチーちゃんが不参加の代わりにのんちゃんが参加することになったみたい。 見始めて早々にジャックちゃん来店。しばらく一緒に楽しんだ。 いぬりんも来店! あれ?キャプりんとのんちゃん、いい雰囲気じゃない?でもそれでいいのアイドル志望?!あとポ兄とにかちゃむとやっぱりいい感じだったみたい。 武士ちゃん来店。途中からだったから愛称呼びじゃ誰が誰だかわかんなくて頭抱えてたわねw 〆の焚き火でキャプりん炎上!なんでよ!w しかも続いてバキューンちゃんもぶっ倒れた。 + 以下「にかのり」の結末よ♡ネタバレ注意! 告白元 → 告白先 返事 ちょっと待った! ぴかりん → バキューンちゃん Yes キャプりん → のんちゃん Yes ヨウりん(玉砕) ポ兄 → にかちゃむ Yes 司ちゃん(「好き」って言えよ!※) バッちゃん、よく言った! にかちゃむの返事は...「4年待ってて!」だった。 ※司ちゃん、「(にかりんと付き合って外聞悪くて)裁判官の職失っても、まあ...」って言ったわよ!よく言った! エンディングを見届けて退店。司ちゃん...。レギオンで戻ってくる面々を出迎えることにした。 「どこまで見てた?」と聞かれたので「最初から最後まで」と答えて、ドライブに誘った。とりあえずにかりんに謝りに行くことにした。ジャム姉がピックアップしたって言ってたらら、多分HNBね。 しばらく店の外で司ちゃんの話を聞こうとしたけど、司ちゃんは「邪魔者は消え去るぜ!」とだけ言ってどっか行っちゃった...俺の帰りの足、どうせいいうねん。しゃーない、歩いて帰ろう。 とか思ってたら、レギオン前で司ちゃんの車発見。そのまま2人でどっか海の見える場所に行くことにした。 波止場で話を聞こうと思ったら、司ちゃん落水。ほんとに大丈夫なの? 司ちゃんが「流しながら話そう」って言ったので移動始めたけど、ぶつけまくりでまるで話にならなかった。俺の体がいくつあっても足りないので、どっかに駐車して話すことにした。 ガリレオ観測所で話を聞くことにした。でももう一部始終を見届けてたので聞くべき話もないことに気づいた。 もうにかりんもバッちゃんもいないだろうってことで、ジャム姉の店に行くことにした。しかし、バッちゃんも来た。しばらくみっちゃん・ジャム姉も交えて司ちゃん・バッちゃんと対話。 みんなで飲んでたらシルバーブレットちゃん来店。「なんなんだ、この集まり」と面食らっていたので、「バッちゃんが選ばれて司ちゃんがフラれた」と説明した。彼女も司ちゃんを慰めてくれた。 あまりに司ちゃんが可哀想だったので「ギフト」一つわたした。 にかりん突然来店。...じゃなく別室にずっと隠れてたみたい。司ちゃんも謝罪できたみたいでよかった。 にかりんに「4年待って」宣言は『とりあえず有耶無耶にするための方便』っていうことだった。 解散してそのままあてもないドライブに出かけることにした。「心の準備できてなかったんだよお...」「そういうアンタのせいでアタシこの間心の準備できないまま告白する羽目になったんですけど?💢」「いやあの時は告るつもりなかったんだよお...」 あまりにも車がボロボロになったので武士ちゃんのところに駆け込んだら、「なに、山から転げ落ちたの?」って言われちゃった() レギオンまで戻ったら、タクヤちゃんが「闇に堕ちてた」って言ってた。誰を待ってたかは明かさなかったけど、ストーカースレスレ行為をしていたことを司ちゃんに明かし、一旦その人から意識を外そうとしたらしい。ヨウコウちゃんに今日ののんちゃんに対しての行動を窘めたら、あの子めちゃくちゃ素行がやばい子だという。まさのりちゃん怒らせて、MOZUに喧嘩売って、警察にも喧嘩売ってるってなんなのよ! タクヤちゃんに乗っけて事情を聞いてみた。イヴちゃんとなんかあった心当たりはないんだけど、距離はできてるっていう自覚はあるらしい。タクヤちゃんが犯人の手当てをしていた件について話を聞いたら、素直に認めた。やっぱり動機は「警察をギャフンと言わせたかった」ということらしい。でも、イヴちゃんに避けられている理由はそこなんだろう。 「タクヤちゃんがグレーっぽい」ってことを自分の口からリーちゃん(ホントはヨウコウちゃん)経由でイヴちゃんに漏れた可能性が高いことも謝った。 「犯罪の素養ないなあ...」「犯罪に走る誘惑に負けた自分が恥ずかしい」というタクヤちゃんに「子供を羨ましがる親がいてもいいじゃない」「でも親は親の役割をしなきゃね」と言っておいた。あと、今日の司ちゃんの醜態も言っておいた。 最後にキツめの一発入れてタクヤちゃんと別れた。 さーて、まりもイベも終わって、「にかのり」も見届けて、タクヤちゃんと話して...やりたいことおわっt記事書いてないいいいいい?!ワオッ 4/26 第42話「祇園精舎の鐘の声」 + 開く 閉じる 今日はピザ屋×ハンバーガー屋のコラボ商品の取材ね! + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 今日の分の花束購入。 ピザ屋入店の際に悪戯心が湧き上がって、ぐるっと回って入店してみたけど、バレちゃった。うーむ、精進しなきゃ。 今日は飲食店で歪みが大量発生しているらしい。ヤミちゃんはそれで憂鬱らしい。 そうこうしてたら、まりーちゃんから電話。どうも「まりも」の壁にまりーちゃんとジョアンナちゃんのイラストを描くというグラフィックアーティストの初仕事があるらしい。せっかくなのでヤミちゃんの初仕事に立ち会うことにした。 しばらくレギオンでコラボ商品の広告をすることにした。アタシは横で記事の執筆。のんちゃんに広告。彼女のいう「彼ぴ」や「好きぴ」、「カレピッピ」の意味についてヤミちゃんに教えてもらった。 シルバーちゃんに広告。これからクラフトに行くらしい。 一回ピザ屋に戻ったら、久しぶりにまさのりちゃんに会った。今回のコラボについて話しつつ記事の仕上げ。まさのりちゃんから渡された風邪薬を飲んで、ヤミちゃんは悶絶していた。 Wondaちゃんが出勤。しばらく彼の即興ラップを堪能した。 0時を回ったのでバーガーピザの販売を開始。さあ、誰が来るかな?ねむいちゃんがウマに乗って来店。早速バーガーピザを購入してくれた。 音子ちゃんとすずめちゃんが来店。新商品に興味津々だった。 ナイチーちゃん来店。なんかついでの渡しものがあったみたい。 いつまでこんなことしてるのかって?ヤミちゃんのバイクできたから帰ろうにも帰れないのよ... さらにナギちゃん来店。 ヤミちゃんが帰る足がないことに気づいてくれて、希望の場所まで連れて行ってくれることになった。悪いわねえ。レギオンまで行って、ピザ屋が閉まるまではカジノやらなんやらに行くことにした。 さて今日のデイリーは...10万!最近ナッシングないのが嬉しい! さて、どこ行こうか...と地図を見ていたら、周囲が一気に暗転。あれ?どうもロスサントス全域に大規模停電が起きたらしい。今日はここまでね! + その後RP外にて 2時間ほど他の配信者のみなさんとディスコで雑談した。 4/27 第43話「上を向いて進め、下を向いて暮らせ」 + 開く 閉じる 今日は昨日の大停電あったし、昨日の分までヤミちゃんとお出かけしたいわね。ジャム姐から聞いた廃坑とかいこうかしら。 さーて、レギオンでフェアレディを出して...あれ?出てこないと思ったら天から6台くらい落ちてきたー?!ぎゃー! 司ちゃんが病院のノビーちゃんに用があるということだったので病院に行った。 + ネタバレ注意 閉じる 病院に行ったら、偶然シルバーちゃんが入院していた。聞けば、いきなり背後から撃たれたらしい!えー!これはMOZUとGBCの抗争が間近に迫ってる...いや、もうこれは宣戦布告!堅気はアタシが守らなきゃ! シルバーちゃんはもうアタシに正体を隠すつもりはないのか「教会まで送ってくれ」とお願いしてきたので、送ってあげた。ついでに警戒すべき張り込みスポットもいくつか教えておいた。加えて、タクヤちゃんがイヴちゃん関係で悶々としていることを伝えておいた。早くヨリを戻してくれるといいんだけど... カジノにデイリー回しにいこ。今日は10万!勝利! 一回事務所に戻って記事を執筆。今回は免許の啓発記事ね。サクッと書いて投稿。 ATMにお金を下ろしに行った帰り道、坂道で後ろから激突されちゃった!えーっ、タクヤちゃん?!スープラ買ったの?!リーちゃんへ詫びいれて、いくらか心が軽くなったみたい。とりあえず、「貸し100くらい持ってるくらいで思ったほうがいい」と言っておいた。 加えて、イヴちゃんの件についてはきな臭い情勢も合わせて「待ち伏せはしないほうがいいわよ」と言っておいた。いざとなったら、堅気を乗せて逃がしてほしいというのもお願いした。 ついでに「ギフト」の在庫が25個あることも教えておいた。タクヤちゃん、引いてたわねー() レギオンまで戻ったら、いぬりんの移動パン屋の前に見慣れない子がいた。ジョン ドングリという人で、女性にだけ声が届かない症状を見せているらしい。ここでヤミちゃんと合流して出発した。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 出発する前に啓発記事用のヘッダーとして写真を撮影しておいた。いい写真だったので、ヤミちゃんの写真をスマホの壁紙にした。「なぁんでぇ?」 廃坑は暗いということで、フラッシュライトが必要らしい。一旦、採掘場に買いに行ったんだけど、そこでヤミちゃんがつけ方が分からずブンブン振り回しているのにぶつかってダウン。あ〜...オジキが見える〜...ももみちゃんが駆けつけて助けてくれた。「気をしっかりもって!最近叔父貴と会い好きです!」と元気づけてくれた。でもヤミちゃんは結構しょんぼりしちゃってたみたい。 退院後、タクヤちゃんのタクシーで採石場に帰還。途中「やっぱり俺はハンドル握ってるほうが性に合ってるなー!」としみじみ語るタクヤちゃんに「なに握ってたんすか?」と質問しちゃったヤミちゃんに「お寿司よ、お寿司」と誤魔化しておいた。 廃坑に到着。あまりにヤミちゃんがしょぼくれちゃってるので、ここで今日の分の花束を渡しておいた。ヤミちゃんから、「薔薇3本の意味が『愛してる!!!!!!』」であることを教えられた。えー?!なんて偶然! ヤミちゃんが「サブちゃんが『愛してる』って毎日言ってるのって、もしかして『ユキさん』に愛してるって言えなかったからじゃない?」って指摘された。確かになあ...雪見は家族として長く一緒にいすぎたせいで、愛していたのは本当だけど、一度も「愛してる」って言えなかったもんなあ... そっかー...アタシのこの感情って、雪見への後悔から生まれてきたものかしら... その流れで、自分の恋愛遍歴についての話になったので、「引かれるかも」と思いながら「女13人、男2人と今まで付き合ってきた」ことを明かした。でもこの15人は全員、自分から振ってきたのよねえ...最短2日、最長でも2年。アタシ、鉄山三郎太としていたときはオジキの養子として若頭とかしてたから、それでいいよってきたのも相当数いたし、本気で惚れる前に自分から関係を終わらせるようにしていたってのもある。 帰り道、「『愛してる』って毎日言ってるのは、後悔したくないから」ということを認めた上でもう一回ヤミちゃんに「愛してる」って伝えた。彼女は「受け取っておくっすよ」「今回はユキさんと重なってなかったっすもん」と言ってくれた。 帰りの途中、ヤミちゃんは三日月が好きで、アタシは満月が好きなど、好みは結構正反対であることがわかった。でも、それでいいんじゃないかしら? 司ちゃんがノビーちゃんと猫ちゃんというなんかよく分からない写真を送ってきたので、にかりんと司ちゃんのツーショットを送っておいた。これでまた歩き出せるようにと想いを込めてね。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 最近のMOZUとGBC周辺のきな臭さから「自分の身は守ってね」と注意しておいたら、「自分の身は守るから、サブちゃんも身を守ってね」と釘を刺されちゃった。加えて、「シルバーさんってスジモンでしょ?」とも突っ込んできた。アタシが堅気に手を出された時のテンションじゃなかったことからわかってしまったらしい。うーむ... こんなご時世、なにが起きるか分からないけど去り際の「愛してる」はしないことを2人の約束にした。だって、今生の別みたいだもん... いつもの格安ガソリンスタンドに行ったら、見かけない人が。もしかして、と思って声をかけたら噂に聞く斬知 キンちゃんだった!やっと会えた! 今日起きたことを反芻しつつ、事務所の仮眠室で就寝した。 4/28 第44話「ある日の事でございます」 + 開く 閉じる 注意⚠️ この回にはプレイヤー同士の喧嘩RP(罵声・怒声・大声を含む)が含まれていますので、苦手な方は注意してください。 車を取りにレギオンへ。レギオン前でいぬりんが移動パン販売をしていたので、食料を購入した。 猫カフェでご飯でも行って記事を書こうと思ったら、猫を撫でるとバブみが増すことを発見した。これは行政案件と思って『六法』に通報。りおんちゃんがウッキウキで社宅を見せてくれたので、ありがたく見学させてもらった。 レギオンに戻ったらジャム姉とまさのりちゃんがトラックバイトの話をしていた。どうもジャム姉がトラックバイトができなくて参ってるらしい。そういえば「にかのり」の取材をしなきゃ。企画した司ちゃんに話を聞こうとして電話したら、どうにも声の調子がおかしい... 司ちゃんのただならぬ雰囲気を察し、方々を探した。だがグランピング施設にも、デスマウンテン山頂にもいなかった。そして、ゴルド山山頂付近。司ちゃんの車を見つけて駆け寄ると、彼は銃を突きつけてきた。司ちゃんはにかりんとのツーショット写真が送られてきたことに怒っていた。俺は「悪気があったわけじゃない」「傷つけてしまったなら謝る」「でもボロボロの司ちゃんをみてられなかった」と釈明。 司ちゃんは「要らぬお節介はやめろ!」と言ってたが、訥々と自分がにかりんに想いを伝えられない理由を語ってくれた。理由の詳細は司ちゃんの記事で。そこまで重いものを背負っていたとは思わなんだ。 司ちゃんは装填していた弾を全て撃ちつくし、弾倉が空になったことを教えてくれた。彼の心中を少しでも慰めようとアタシたちは抱きしめあった...んだけど、歪みで盛大にズレちゃった。「もうしらないもう!😠」「いや違う違う違う💦」こんな斜面にいるからよ!もう! それでも、できることはあるはずだ。三郎太として、自分が直接的にも間接的(抗争など)で命を奪った人々の名前を唱えた。その数23人。司ちゃんの気が晴れることはないかもしれないが、司ちゃんのことは何があっても友達と思っていることは伝えたかった。 + 三郎太があげた名前 閉じる 「カガ ユウイチロウ」 「ホンマ ショウジ」 「アサヌマ ショウヘイ」 「キムラ トシカズ」 「ババ シンノスケ」 「カゴハラ レンヤ」 「ヤギ コウスケ」 「ヌマカワ ジロウ」 「マツダ コウサク」 「ヤマダ ゲン」 「モリ マサト」 「ホリワケ ダイスケ」 「アユカワ ユウタ」 「スズキ ジュンペイ」 「ヒラタ ケイゴ」 「ヤマシタ ミチノリ」 「タチバナ ススム」 「コヤナギ ユタカ」 「タブチ ヤストシ」 「キムラ タクロウ」 「トダ ユウキ」 「テツザン ヒサヨシ」(「オジキ」) 「ホウジョウ ユキミ」(最愛の妹「雪見」) 以上23名 これからどうするのか聞かれたので、当面は司ちゃんの意思を尊重すること、しかし司ちゃんの目的も「クロの正義」であるのだから借りも恩もある自分は味方することは伝えた。魔法少女サークルについては、「仮面を被る」練習が必要と判断。その道のプロを紹介することを約束した。 「次は折れろよ」とだけ言って司ちゃんは去っていった。アタシも帰ろうと思ったら、斜面でフェアレディ滑落。そのまま水没。ちょっと、アタシ泳げなガボガボ... ももみちゃんが駆けつけて助けてくれた。彼女は「しっかりしなよ!何かあったらまたヤミちゃん泣いちゃうよ!」と呼びかけた。そうだ...アタシ、ヤミちゃんに花束渡さなきゃ...今日の分、まだだったもんね。 今、アタシは何より生きたいと願っている。 ももみちゃんのカルテには「『1人で』あの付近にいた」と答えた。 レギオンにISSIをとりに行ったらイヴちゃんに会えた。ももみちゃんに「『水難の相』が出てる」と言われたので、お祓いを依頼した。イヴちゃんはこの間、作ってた「ギフト」50本盗まれちゃったらしい。 さっき司ちゃんを見かけたらしい。事務所の方へ行ったみたいなので、そっちに行くことにした。 事務所で司ちゃんと会談。「水難の相」のことを話したら、司ちゃんがにかりんのを見様見真似で取得した「お祓いダンス」をしてくれた。 「にかのり」の取材については「しら〜ん」の一点張りだったので、「にかのり」記事は難しいかもしれない。とりあえず取材はにかりんにすることにして、司ちゃんにはラブワゴンを出してもらうために言い値で取材料を払うことにした。 会議室にある模型を眺めていたら、赤いプロットを発見。これは何か考えていたらコロンボちゃんが帰ってきた。彼曰く、この模型は市長が赴任する前の街並みで、赤い点は昔のギャングの拠点かもしれないという。 司ちゃんがコロンボちゃんに話に行ったと思ったら、突然コロンボちゃんの落語独演会が始まった。めちゃくちゃ上手かったので、司ちゃんの提案でロスサントス風落語を考えることになった。「死神」じゃなく「魔女」になりそうね。「ときそば」ならぬ「とっきドッグ」もいいかもねえ。 話の内容も他愛のないものになったので、場所をハンバーガー屋に移動することになった。駐車場でいぬりんに再会。ヤンキー停車をしていたことをつっこんだ。 店内でミーちゃんに遭遇。正体に心当たりがあったので、そっと赤キノコと消火器を渡しておいた。お気に召してくれたようで、「ギフト」をお返しにくれた。 店の外に噂に聞く新人心療内科のお医者さん転位 逆転位に会った。司ちゃんの件もあるし、会えてよかった!ついでに店で騒いでいる「ぷーのん」の治療もお願いした。ニュースの宣伝をしようと思ったけど、ジャム姉がもう宣伝してくれたらしい。ジャム姉、ありがとう! 司ちゃんに「好きな番号を教えたらその刑法条項を教える」というスペシャルがあることを教えられた。 バーガー屋が閉まるってことだったので、飲み物だけ買いに行った。ぷら子ちゃんとねむいちゃんはどっちもわきをちゃんにチンチロでむしり取られた子同士だから、博才ないなら程々にしときなよ?とやんわり注意。 司ちゃんが取材に応じてくれることになったので、ラブワゴンに乗車。ついでに男性陣用の座席(というか外にデサントするやーつ)も堪能。司ちゃんも本腰入れてアナウンスもしてくれた。取材費として100万を支払っておいた。 + ネタバレ注意 閉じる 突然イヴちゃんから電話。何か試したいことがあるらしい。レギオン裏で待ち合わせることに。ミーちゃんとしてやってきたイヴちゃんに誘われるがまま待ってると、物陰に隠れた彼女が"シルバーブレット"として出てきた。 彼女の要件は「ギャングにしか使えないものを初めて作ったので、試したい」とのことだった。はっはーん?「さては拘束用のガムテと紙袋ね?」と聞いたら、まさしくそうだった。それなら実際にされたことがある(第10話参照)ので手伝ってあげることに。無事に使い方は理解できたようだった。ついでに攫われた時に聞いたことから、紙袋はギャング以外外せないことを教えた。 昨日のシルバーちゃん襲撃事件については、「ギフト」もお金も取られてしまったらしい。相手はMOZUであることも間違いないようだ。赤毛のところから考えると、ヘラシギちゃんとライアンちゃんあたりが実行犯だろうが、ヘラシギちゃんはチャカを弾くようなガラじゃない。シルバーちゃんもライアンちゃんが実行犯と睨んでいたようだ。 再びミーちゃんスタイルになったイヴちゃんに見送られてレギオンを後にした。 しばらくミーちゃんとレギオンで「イロモノバンド」ネタで盛り上がった。ミーちゃんはレギオンにやってきただよちゃんとバトってた。 最終的にミーちゃんはだよちゃんに連れて行かれそうになってしまったので、「動物愛護的にどうなの?」と突っ込んだら、なぜか同行するハメになった。 「猫って足から着地するんですかね?」とか物騒なことを言い出したので慌てて止めた。 ミーちゃんをおいていこうとデスマウンテン登山してたら滑落。エンストしちゃったので、めでたく遭難確定。タクシーを呼ぼうとしたけど圏外...歩いて下りようか!途中だよちゃんが心ない市民の車を奪って帰還...しようとしたらまたしても滑落。ヒイヒイ言いながら獣道を這い上って帰還。 途中ペットショップ前のガレージで話題のバギー「アウトロー」に乗り換えて直進行軍を開始。残り15分でレギオンに帰らなきゃならないってことなんだろうけど、これなら多分5分で行けるわね() 最終的にJTSの屋上に乗り上げて車は沈黙。だよちゃんはミーちゃんを拘束したまま落下。そのままダウンしちゃった。なんてこったい! たまたまJTSに修理しにきた司ちゃんの車で病院へ。だよちゃんの治療を見守った。 だよちゃん、絶対ミーちゃんをデスマウンテンに残していくマンになったみたい。 どうもミーちゃんの飼い主はノビーちゃんらしい。 司ちゃんにお礼を述べると「別にいいよ、だけどお前は許さないからな」と言われちゃった。 今日は車も水没しちゃってどうにもならないので、アパートで寝ることにした。 5/1 第45話「恋にくちなむ名こそ惜しけれ」 + 開く 閉じる 今日はまず「にかのり」の記事書かなきゃなあ。あと司ちゃんの相談として尋ちゃんにも連絡しなきゃ。謝りたいこともあるし。電話番号を控えてなかったけど、ありがたいことに尋ちゃんの名刺に載っていた。電話してみたけど繋がらなかった。 アパートを出たらレギオン周辺にたくさん人がいた。ヤミちゃんも発見!どうもジャム姉がまさのりちゃんにとんでもないことを言っちゃったらしい。にーとちゃんのお父さんはまさのりちゃんだったらしい!へー、身の振り方とかわからなかったんで、安心したわねー() まさのりちゃん曰く、「にかのり」の発展系である「ディープラブワゴン」号をわきをちゃんが考案中らしい。なにそのマ◯ック◯ラー号?警察署前でわきをちゃんに「ディープラブワゴン」号の取材。「にかのり」の記事に追加することにした。実行段階になったら、隠れスポット教えるからねー! レギオンに戻ったら、ヤミちゃん・つばめちゃんから「ディープラブワゴン」号にバッちゃんと司ちゃんをぶち込んだらいいんじゃない?と提案された。うーん、いいだろうけど初手事故物件なのはどうなのかなー? 事務所に戻って「にかのり」記事執筆。そういえば、5/4は一回日本に帰るわよー。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 記事を書きながら最近のことを振り返る今回の日本への一時帰国は雪見の墓参りと、過去との訣別のため。ヤミちゃんに「ゆきさんと重ねてるんじゃねえっすか?」って言われちゃったし、そろそろ雪見にお別れいって、前を向かないとね。 ヤミちゃんに今日の遠出のお誘いをして、ついでに「愛してるわよ」ってメッセージを送ったら「うるせっ」「うるさい」「ばか」「こんにゃろ」って返事されちゃった!かーわいwww 「にかのり」記事投稿。観光ガイドの記事も進めようと思ったらノアちゃんから電話。キノコ買取依頼だった。買取のために猫カフェまで出向いたら、プライベート番号から電話。誰?!と思ったらキミちゃんだった。 キミちゃんからの依頼は「最近自分の血液型と同じD型の人とロスサントスで会った」「自分のルーツが知りたいから、日本にある『三階堂』という施設を調べてほしい」というものだった。キミちゃんの境遇は自分にも近いものを感じているし、4日に一時帰国した際に調べることにした。キミちゃんにはものすごく感謝された。お返しで今日の分の食事代を奢ってもらった。 しばらくキミちゃんとすずめちゃんの馴れ初め話を楽しんだ。 ノビーちゃんとヤミちゃんがやってきた。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 大事な話があるってんでついていったら、「今度ダブルデートしよう!」とノビーちゃんに言われた。つばめちゃんはきょとんとしてたけど、これは誰かから聞いたか?どこいこうかしらねー。ガイド用の取材も兼ねて色々調べないとねー。 今日は色々あってお疲れなノビーちゃんに「疲れ吹っ飛ぶやつ、やる?」とつばめちゃんが言い出してたけど、言い出しておいて「そういえばこれ人前でやると恥ずかしいやつ...」と戸惑ってた。うーん、これはバカップル! ノビーちゃんと話していたことについては「互いに『愛を知らないもの』ということがわかった」らしい。それ以上詳しいことはノビーちゃんのプライバシーに関わるらしく教えてくれなかった。今日はちょっとヤミちゃんの言葉に棘がある気がしたので、「何かあったの?」と聞いたけど、なにもなかったらしい。それならと「愛してるわよ」と言ったらどつかれた。なにボソッと「許すまじ」って?! 猫カフェにましろ先生...じゃなくノビーちゃん?来店。つばめちゃんが「顔が全然違う」って言ってたけど、なるほど全然違うわね。解像度はやけに高いけど。 猫カフェのみんなに「なんかおすすめの観光スポットない?」って聞いたら、橋桁の上をお勧めされた。ヤミちゃんがノリノリだったので、行くことに。司ちゃんのことについて、「今後は司ちゃんに女の子くっつけるのは避けたほうがいいかも」と説明。理由については「司ちゃん、女の子に興味ない系かも」と濁しておいたけど、ヤミちゃんは納得してくれた。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 途中、それとなーく遊園地に寄って今日の分の花束を購入してヤミちゃんにプレゼント。この間教えてもらった花言葉「愛してる!!!!!!」と言ったら、いい右フックを出しつつ「どうも💢」と言われた。うーん、いい一撃! ヤミちゃんから「今ある夢を叶えなくちゃいけなくなった」と明かされた。どうしちゃったんだろ?より話を聞いたら「焚き付けられた」「通過点にしたい」とのこと。焚き付けたことに心当たりがあるので、アタシのせい?と聞いてみたら「そうじゃない。『アイツ』から『悪辣な煽り』をされた」とのこと。「アイツ」って?ヤミちゃんは話してくれなさそうだから、聞かないでおいた。とりあえず「将来の夢」にいいも悪いもないから、邪険に扱わないようにね、とだけ言っておいた。それにアタシ、応援はしてるからね! 橋の上に到着...したんだけど怖いわねー...ちょっとヤミちゃん?!走ってくのこれ?!確かにキレイな風景だけど、これはお勧めしたら責任問題になりそうね... おりれる場所を探していたらヤミちゃん落下。幸い怪我はなさそうだった。でも帰り道は遠回りになっちゃった... + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 今日のノビーちゃんと話した内容について話題になった際、ヤミちゃんが「自分の気持ちに納得しちゃった」って言ってたので、どういうことなのか聞こうと思ったけど彼女は絶対に喋ってくれなかった。まあ、そういうところを信頼しているんだけど。やっぱりノビーちゃんに話したのは司ちゃんかなー。だってヤミちゃんとのこと話したの、司ちゃんくらいだもん。あとは守ちゃんとつばめちゃんに鎌かけられたくらいだもん。 ヤミちゃんの好きな色が黒だったことから、自分がいつから赤が好きになったんだろうと考えた。ヤミちゃんがおもむろに「ゆきさんの好きだった色は?」と聞いたので記憶を辿ったら、そういえば赤だった...そっか...。 橋の近くで交通事故の跡らしき場所を発見。どうも子供が交通事故の犠牲になったのを悼む場所だったらしく、ヤミちゃんとその子を冥福を祈った。日を改めて花束を供えることにした。 車はレッカーされていなかった。やれやれ。でもここはデートスポットには向かないわねー。次どこにいこう?9375の海岸とかクソほど汚ねえんだけど、ヤミちゃんは「汚ねえところからしか得られないものがある」って言ってたので、行くことにした。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 「綺麗/汚い」論から、「ヤミちゃんの綺麗なところ好きよ」と言ったら、「俺のどこそんな綺麗なの?」と言われちゃった。うーん、それについてはアタシの胸の内に秘めておこうかしら。でも、その自己評価の低さはなんとかしたいわね。とは言いつつ、ヤミちゃんもアタシの気づかない「魅力」をたくさん知ってるってことなので、お互い様よね 「理解はできるけど納得できない」ってことなので納得してくれるまで「愛してる」って言い続けることにした。「愛してるわよ」「はいはい...😒」...さみしいT T やっぱり9375は汚かったので、ゴルド山の麓の海岸まで移動した。そこで綺麗な洞窟を発見!これはシチュエーションとして完璧よ! ぐるっと回り込んで洞窟の内部をうかがったら、かなり巨大な湖になってた。これは...もう、記事にはしたくないくらいの名所ね。しばらくはアタシたちの秘密の場所にしようかしら。 近くのダム湖に移動して観光したけど、良さげの場所はなかった。うーん、残念。打ちのめされながら市街地へ帰還。 レギオンまで帰ってきたら、Wondaちゃんが何かの映像に見入ってた...なにこのドラマ?ヤミちゃん曰く、なんらかの青春ドラマらしい。なんかドラマの中で遠くから司ちゃんの声が聞こえてきてるの気になるなあ... ドラマを見てたら、ヤミちゃんがヨウコウちゃんから「死んじゃったからみんなにもう会えないんだ、さよなら」という電話を受けたって。えー?!どうもアタシたちヨウコウちゃんの姿も声も感じられなくなっちゃったらしい。転移ちゃんにも声をかけて、ヨウコウちゃんを探したけど一向に見えない。 どうも「呪いの車椅子」に座って並行世界に入ってしまったらしい。無事にヨウコウちゃんは帰ってきた。うーん、「呪いの車椅子」か。 なんかヤミちゃんも歪みに囚われちゃってきた。なんでや?! 無事生還したヨウコウちゃんに護身術を教えた。 なんかヨウコウちゃんの車にヤミちゃんが乗ってどっかに連れて行かれちゃった?!ちょっとー!ヤミちゃーん!!急いでフェアレディで追っかけたら、サーカス近くでスタックしちゃった...。何度目よ?! どうしようもないのでヤミちゃんに無事か連絡したら、まったくの無事だったことが判明。とりあえず迎えにきてもらった。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる 今回は何事もなくて良かったけど、本当の誘拐だったと思うとゾッとしないわね...何より、男の子であるヨウコウちゃんの車にホイホイ乗っちゃったのが気に入らない。うん、これは嫉妬ね!間違いなく。 ヤミちゃんをISSIでアパートまで送った際に、ISSIの愛称を考えてもらった。愛称は「ラディッシュ」になりそうだったので、「ミニ」にしてもらうことにした。フェアレディの方は「ゼット」にしてもらった。 今日もいろんなことあったわねー、と思いつつ事務所の仮眠室で就寝。 + ⚠️重大なネタバレ注意⚠️ 閉じる ヤミちゃんへの想いっていうのは変わってないはずなんだけどなあ...誘拐未遂事件(第10話参照)からずっと、守りたい対象なのは変わらないんだけど... + ⚠️以下若干のホラー要素注意⚠️ 閉じる 本 当 ニ 、 人 を 愛 セ ル ノ か ナ . . . ? + ジョンからのお知らせ 閉じる あ、どうもペンカートン情報局のジョンですー。 第46話以降の局長は特に恋愛RPの割合が高くなっております! だから、恋愛RPのみまとめたセクションを作らせていただきました! そちらもみていただけるとより楽しんでいただけると思います! というか、毎回濃すぎなんですよ局長おおおおお... ちょっとずつ書いていきますからねえ... あと、局長。 出張から帰ったら覚えておいてくださいね?( ^ ω ^ # ) 05/02 第46話「曲がりくねった道を行く」 + 開く 閉じる エピソード募集中 05/04 第47話「意志もまたひとつの孤独である」 + 開く 閉じる 尋ちゃんに謝罪と司ちゃんのメンタル回復への加勢を願いに行く。 尋ちゃんの経営するコンビニに張り込むが、尋ちゃんはなかなか来ない。一度、ガソリンの仕入れにきた尋ちゃんを追いかけたが、止まってくれなかった 最後の手段として、コンビニ前に居座り餓死。個人医である尋ちゃんに通知が行くようにした。通りかかったヴァンちゃんがみかねて倒れたサブちゃんを車通りが少ない場所まで移動させて、車も道路脇に寄せてくれた。「アイアンメイデン、苦しくなったらいつでも言え。俺が殺してやるからな。」と彼は言い残して去った。 誉ちゃんが駆けつけてくれたけど、事情を話したらすぐに理解してくれて、治療せずに戻っていった。 ここに至って尋ちゃんも見捨てるわけにはいかなかったのか会ってくれた。しばらく尋ちゃんの事務所で会談。ハニーちゃんの件についての謝罪は「もう起きてしまったことなので」とのことだった。 司ちゃんのメンタル回復への加勢については、以下の条件と引き換えに承諾してくれた。サブちゃんの全財産(当時)1700万を成功の暁には報酬としてお渡しする 尋ちゃんの知りたい情報を随時渡す。その際、嘘は絶対につかないこと。 『ハニーちゃん=尋ちゃん』がバレない工作に協力。正体を探ってる人物は妨害する。 尋ちゃんの信頼を得るため、自分の本名を明かした。 これまでの司ちゃん、にかりん、バッちゃんの経緯を説明すると、尋ちゃんは頭を抱えていた。その...本当にごめんね? 05/07 第48話「愛は行動なのよ」 + 開く 閉じる エピソード募集中 05/08 第49話「なるほど知らぬは本人だけか」 + 開く 閉じる エピソード募集中 05/10 第50話「恥の多い生涯を送って来ました」 + 開く 閉じる エピソード募集中 05/11 第51話「アスファルトに咲く花のように」 + 開く 閉じる トチ狂って「GIFT」配布騒動を起こす。 ヤミちゃんに詰め寄られ、まさかの自分がヤミちゃんの好きな人だと言われ動揺する。 正体がバレそうになって「心ないジョン」を騙る。そして自分で墓穴を掘った。アギャッ コロンボちゃんには全部バレてた。 + ... 「きょくちょおお💢」byジョン 05/12 第52話「いづれの御時にか」 + 開く 閉じる ヤミちゃんに洗いざらい自白。 ヤミちゃんの「好きな人」がお姉さんの「ヒカリちゃん」であることを知る。 ヤミちゃんに何回も殴られる。それを甘んじて受け入れる。 05/13 第53話「アスファルトに咲く花のように」 + 開く 閉じる エピソード募集中 05/15 第54話「これぞ、カオス理論だ」 + 開く 閉じる (衛星外)加賀 イズミちゃんを案内。 ティラノレースを取材 その日のうちに記事を投稿 05/16 「秘密は人を多忙にする」 + 開く 閉じる 情報局に謎の手紙。差出人は「明月マコト」。「明月ヒカリ」という女性についての問い合わせだった。 「明月ヒカリ」という人物について調べる。戸籍はあって、母親の名前も「マコト」だった。ただし一人っ子だった。 逆に「奇夢ヤミ」という人物の戸籍はなかった。 ヤミちゃんと「レモン事件」のことについて仲直り。 ヤミちゃんに「明月ヒカリ」の写真を見せた途端、彼女の体調が悪くなった。 05/19 第56話「労働はいっさいを征服す」 + 開く 閉じる ヤミちゃんのことを心配しながらも、トラックバイトに精を出す。 最近、仕事のしすぎか意識が飛ぶことが多い。咳まで出始めた。 05/20 第57話「あなたとダンスを踊ろうか」 + 開く 閉じる ヤミちゃんから三日も連絡が来ないことを心配する。 つばめちゃんにヤミちゃんのことを相談する。 ヤミちゃんからのメッセージをうけ、彼女が消えようとしていることを察し、止めるため走る。ヤミちゃんは本名「明月ヒカリ」であり、彼女が苦悩の果てに生み出した副人格だということを知る。 「『ヒカリ』が綺麗なまま消えてしまいたいっていうから、僕は消える」というヤミちゃんを「俺が奇夢ヤミを人間にしてみせる」「だから時間をくれ」と説得。なんとか思いとどまらせることができた。 事態がひと段落した後、なんと「明月ヒカリ」からメッセージがくる。「自分をエスコートしろ」という彼女の要求に狼狽する。 05/21 第58話「たかが言葉で作った世界を」 + 開く 閉じる 迫りつつあるメスガキデートにオノノキながらトラックバイト 05/22 第59話「煙とともに灰左様なら」 + 開く 閉じる 「ヒカリ」をエスコートする超絶ワガママな彼女に振り回されっぱなしになる。 彼女とヤミは意識を共有していないというので、「まあ、ゆくゆくは肉体関係を持ちたいとは思っている」と控えめに明かす。 「ヒカリ」から及第点をもらう。 市長の記者会見に参加する。 起きてきたヤミちゃんから「ヒカリ」の件で謝罪され、実は「ヒカリ」を通じて全部聞かされていたことを明かされる「話が違うやないかあああああ!」 ヤミちゃんから「本当は昨日(5月22日)に伝えたかったけど」と前置きのうえで、「俺もサブちゃんのこと好きだよ」という答えをもらう。ヤミちゃんの実年齢が18歳であることを改めて認識し、2倍も年齢が違うことに頭をかかえる。 それどころか、「奇夢ヤミ」という人格自体が生まれたのは3年前なので、実質3歳じゃないかと悩む。 人気のないところを選んで、改めてヤミちゃんにプロポーズ。ヤミちゃんも食い気味に受け取ってくれて、めでたく恋人同士となる。 あげたクマのぬいぐるみが、自分がコンプレックスもりもりの星座「蟹座」由来の『カニちゃん』になったことに苦笑するも、今までにないほどの喜びっぷりに幸せを噛み締める。 ヤミちゃんとの同棲について相談し、「買うなら折半で」という条件付きながらOKをもらう。 咳と心臓の痛みがひどくなり、ドクターおわりからもらった鎮痛剤を服用した直後体調が悪化し、愛車ごと海に落下。 ましろ先生に救助されるも2013年よりあとの記憶を失う。スマホが使えなくなった。 服装を南楼組若頭時代のものに改めた。 叔父貴も「雪見」も健在だと思っている。 ましろ先生から今は2023年で、自分は記憶喪失だということを明かされる。なんとか記憶を取り戻すことを誓う。 05/23 第60話「思いの外に、醜いだろう」 + 開く 閉じる 散歩中に1人の女性に呼び止められる。彼女は奇夢ヤミと名乗った。「はじめまして」と挨拶されるが、スマホの待ち受け画面にいた人物と同じだとわかっていたので、多分この街の人々の中でも特に大切な人なのだろう ヤミの勤め先のピザ屋でウィスキーを飲んで倒れる。その際に、腎臓片方がないことをヤミに教えられる。そこから、「雪見は腎臓移植を受けた後亡くなったこと」「南楼組は抗争に巻き込まれ崩壊したこと」「自分の首元には義兄弟につけられた傷があること」を教えられ、「もう自分の帰る場所はない」と絶望する。 ヤミから、このまちでの自分の自分の暮らしぶりを教えてもらう。彼女曰く、「明るい未来が待っているっすよ」とのことだ。 大切な場所だというデスマウンテンという山に連れて行かれたが、何も思い出せなかった。ただ、下山中に話題が「なまこの海」というよくわからんお菓子のことになった際、確かにそのことを話した経験があることを思い出した。自分は日本にいた時絶対知り得ないお菓子の銘柄なので、おそらくヤミから聞いたのに間違いないだろう。 自分を自宅にあげようとするヤミに「スジモンをホイホイ家にあげるな」と苦言するも、「そんなことしてきたの?」と言われた。「...そういう奴もいる」とだけ答えた。 ヤミに見守られながら、自分の職場だという情報局の仮眠室で就寝。寝ようとしたものの、自分を心配するヤミの声でなかなか眠ることができなかった。 彼女を刺客と疑ったこともあったが、ひとまずは信頼することにした。 05/24 第61話「風の夜に馬を駆り」 + 開く 閉じる 今日もヤミに街を連れ回された。 自己紹介の時に「新宿、南楼組の...」と名乗ると、ヤミが慌てて止めに入った。どうも、自分の素性がバレるとこの街にいれなくなるらしい。それは大変なので、ヤミに万事任せることにした。 バーガー屋で腕っぷしに自信があるというセレナ ソングさんに「殴ってもらったら記憶が戻るかもしれない」と頼み、殴られる。結局殴り倒されるが、「誰かと殴り合いをしたこと」「それが川の近くだったこと」を思い出した。 ヤミ曰く、葛城 司という裁判官の先生と殴り合いをしたことがあるという。 もう一度、デスマウンテンに行ったが何も思い出せなかった。 ヤミが大事にしているというクマのぬいぐるみ『カニちゃん』を見せてもらったが、「変な名前だな」という感想以外出なかった。ヤミは悲しそうだった。 情報局で今までの写真を色々と見せてもらった。同期一同と言われた写真を見るも、コロンボさんと葛城先生、ヤミ以外のメンバーは記憶になかった。ヤミとのツーショット写真に見慣れない建物があった。聞けば「ガリレオ観測所」という建物らしい。今度、連れて行くとヤミが約束してくれた。 情報局の仮眠室で就寝。 アーカイブ 2023年 + 2023年3月 2023年3月 配信日 day 配信タイトル エピソード 03/02 1日目 第01話「この町は鉄の味がする」 03/03 2日目 第02話「汚れちまった悲しみに」 ジャム姉と知り合うすずめちゃんの危険運転を堪能 03/05 3日目 第03話「灰色の雨でも花は咲く」 ジャークと葛城のファッションチェック 03/06 4日目 第04話「記事もかけ恥もかけ」 銀行の金庫襲撃現場を取材 03/07 5日目 第05話「捨てる神あらば」 動物園を取材市長降臨 03/08 6日目 第06話「雲井に上げよ山不如帰」 局長就任新聞社の方針を打合せ 03/13 7日目 第07話「夢は枯野をかけ廻る」 魔法少女隊と動物園 遊園地猫カフェ爆破事件取材すずめちゃん過労でぶっ倒れる 03/14 8日目 第08話「昨日が明日を嗤っている」 不二子ちゃんのお店プレオープンヤミちゃんたちの浴衣選び 03/14 9日目 第09話「思いの丈を名に込めて」 犬神 いぬりんを案内キノコ狩り取材 03/16 10日目 第10話「触れ合う袖はいずこ」 ヤミちゃん誘拐未遂事件???(詳しくは「エピソード」参照) 03/17 11日目 第11話「月に手が届かぬように」 自家用車購入祝!不二子ちゃんの店開店大所帯で鉱山バイト 03/18 12日目 第12話「夜の底が白くなった」 03/19 13日目 第13話「兎角に人の世は住みにくい」 03/20 14日目 第14話「あづまぢの道のはてよりも」 デブ田デブ男さんを案内裁判傍聴 03/21 15日目 第15話「打ちぬる程も夏の夜の」 お宝探し(金属探知機)赤いジャケットを着る 03/22 16日目 第16話「24時間戦えますか?」 03/23 17日目 第17話「至誠に悖るなかりしか」 03/25 18日目 第18話「行く河の流れは絶えずして」 バジルさんの記者会見の依頼を受ける 03/26 19日目 第19話「オープン・セサミ」 裁判傍聴 03/27 20日目 第20話「人を研ぐのは友である」 ストリップバー取材 03/28 21日目 第21話「銀も金も玉も何せむに」 まさかの結末 03/29 22日目 第22話「神は不可能な試練を与えない」 + 2023年4月 2023年4月 配信日 day 配信タイトル エピソード 04/02 23日目 第23話「えたいの知れない不吉な塊」 04/03 24日目 第24話「楽にならざりぢっと手を見る」 04/04 25日目 第25話「野辺に朽ちぬとも」 「不幸の手紙」騒動 04/07 26日目 第26話「石炭をば早や積み果てつ」 04/08 27日目 第27話「人を知るほど犬が好きになる」 犬カフェオープン! 04/09 28日目 第28話「情報は金より重く血より濃い」 ヤミちゃんの相談に乗る 04/11 29日目 第29話「芸術とは説得力のある嘘である」 04/13 30日目 第30話「ただ春の夜の夢のごとし」 04/14 31日目 第31話「あの噺もできたのに」 ヤミちゃんと一日一緒に卵探し 04/15 32日目 第32話「一夜一時を怠らば」 最後の調整 04/16 33日目 第33話「おい地獄さ行ぐんだで!」 最終日3位で終わる司ちゃんの相談に乗る 04/17 34日目 第34話「挑戦は失敗を栄光にする」 キャプテン わきをを取材イースターの表彰式 04/18 35日目 第35話「一期の栄華と一杯の酒」 昨晩の人質事件の取材フェアレディZ購入 04/19 36日目 第36話「嘘のない芸術は猛毒である」 まさかの結末その2や ら か し た 04/20 37日目 第37話「東路に筆を残して旅の空」 フェアレディ水没金欠にオノノク 04/21 38日目 第38話「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」 ヤミちゃんに愛を囁く 04/22 39日目 第39話「さあ、切符をしっかり持っておいで」 ヤミちゃんと話し合うバッちゃんに取材 04/25 40日目 第40話「みんな欠伸をしていた」 04/25 41日目 第41話「時に、残月、光冷やかに」 まりもオープンイベントにかのり取材人質事件の事をタクヤちゃんと話す 04/26 42日目 第42話「祇園精舎の鐘の声」 コラボ商品取材 04/27 43日目 第43話「上を向いて進め、下を向いて暮らせ」 GBC vs MOZU 開戦を察知ヤミちゃんとの恋愛談義 04/28 44日目 第44話「ある日の事でございます」 ※喧嘩RP注意vs司ちゃん + 2023年5月 2023年5月 配信日 day 配信タイトル エピソード 05/01 45日目 第45話「恋にくちなむ名こそ惜しけれ」 吊り橋デートヤミちゃんと秘密の洞窟を発見 05/02 46日目 第46話「曲がりくねった道を行く」 マックちゃんへの謝罪行脚デスマウンテン山頂にて... 05/04 47日目 第47話「意志もまたひとつの孤独である」 尋ちゃんへの謝罪行脚司ちゃんメンタルケア計画始動 05/07 48日目 第48話「愛は行動なのよ」 ゲロ甘RP回 05/08 49日目 第49話「なるほど知らぬは本人だけか」 大型特殊免許取得ヤミちゃんにGBCとの関係を聞かれるヤミちゃんの「好きな人」問題勃発 05/10 50日目 第50話「恥の多い生涯を送って来ました」 ヤミちゃんの「好きな人」=バイク?それともイマジナリーフレンド?メンタル崩壊トラックバイト 05/11 51日目 第51話「アスファルトに咲く花のように」 コメディ回と告知されてシリアスだと思ったらやっぱりコメディだった 05/12 52日目 第52話「いづれの御時にか」 ヤミちゃんへの謝罪「好きな人」の正体を知る 05/13 53日目 第53話「アスファルトに咲く花のように」 ひたすらトラックバイト ウーバーハニーちゃんが動き出したのを確認過労でぶっ倒れる 05/15 54日目 第54話「これぞ、カオス理論だ」 ティラノレース加賀 イズミちゃんを案内(衛星外) 05/16 55日目 「秘密は人を多忙にする」 情報局に謎の手紙ヤミちゃんと仲直りヤミちゃんに異変 05/19 56日目 第56話「労働はいっさいを征服す」 ひたすらトラックバイト ウーバー咳が出始める 05/20 57日目 第57話「あなたとダンスを踊ろうか」 思い出の入江にてまさかまさかの... 05/21 58日目 第58話「たかが言葉で作った世界を」 どうするサブちゃん 05/22 59日目 第59話「煙とともに灰左様なら」 メスガキデートヤミちゃんから1ヶ月の答えをもらう事故を起こして記憶喪失になる 05/23 60日目 第60話「思いの外に、醜いだろう」 特殊RP「記憶喪失」2013年以降の自分の足跡を知るな ま こ の 海 05/24 61日目 第61話「風の夜に馬を駆り」 特殊RP「記憶喪失」街を回る 05/25 62日目 第62話「バラと呼ばれるあの花は」 特殊RP「記憶喪失」フェアレディZに乗って島内をまわる島の東端にて 05/27 63日目 第63話「貴方の為なら幾らでも」 司ちゃん「さくやは おたのしみ でしたね」緊急放送を猫カフェで見るヤミちゃんの家で就寝 05/29 64日目 第64話「これが人間だわさ」 RED RUM事件を知るスイッチが入る容疑者の目星をつける 05/30 65日目 第65話「それを証明することだ」 探偵 夜鳥などと協力を開始ましろ先生がやられたことを知る守ちゃん、ジャックちゃんと情報共有 05/31 66日目 第66話「ある日の暮方の事である」 第三の被害者となる特殊RP「会話不能」開始「ピルボックスプリズン」1日目 + 2023年6月 2023年6月 配信日 day 配信タイトル エピソード 06/04 67日目 第67話「とてもこの世は、みな地獄」 特殊RP「会話不能」「ピルボックスプリズン」2日目(※配信外を含めると5日目?)意識を取り戻す執念のモールス信号 06/05 68日目 第68話「退屈は罪だと思うよ」 特殊RP「会話不能」「ピルボックスプリズン」3日目(※配信外を含めると7日目?)腕のリハビリのおかげで筆談は可能になるセレナちゃん初めての記事の校正&アップ作業ヤミちゃんから贈り物をもらう 06/06 69日目 第69話「揺れる炭酸飲み干したら」 特殊RP「会話不能」「ピルボックスプリズン」4日目(※配信外を含めると7日目?)RED RUM事件に証人として出廷「ピルボックスプリズン」終わる急いで裁判の記事を書いて投稿 06/09 70日目 第70話「声は耳から胸にくる」 完 全 復 活 !久々の「愛してる」互いに呼び捨てを始めるにしのん裁判を取材目標になるいい物件を発見! 06/13 71日目 第71話「帰ったら、白いシャツ」 にしのん裁判の記事を書くストリップバーでからさわぎにかりんに「魔法堂」宣伝記事を書けと迫られる 06/14 72日目 第72話「金で自由は買えないが、自由は金でしか守れない」 レイナちゃんを案内、ピザ屋にヘドハン「ラブホ事件」をやらかすヴァンちゃんからマイケルの末路を知らされるセレナちゃんにヤミとの関係を話すヘラシギちゃんの「これから」を聞く 06/15 73日目 第73話「春の水岩を抱いて流れけり」 天牌ちゃんに物件を相談セレナちゃんのエージェント任命式イヴちゃんとギャングの情報を共有「魔法堂」の記事を執筆 06/16 74日目 第74話「君も奇跡を起こせる」 「魔法堂」開店日の取材セレナちゃんからMOZU vs WGの気配を聞くニコ●コ老人会ロスサントス支部、開幕 + 2023年9月 2023年9月 配信日 day 配信タイトル エピソード 09/08 120日目 第120話「こごえそうな鴎見つめ泣いていました」 09/09 121日目 第121話「澄んだ空に光る玉ねぎ」 09/11 122日目 第122話「ありふれた人生を紅く色付けるような」 09/13 123日目 第123話「運命よ、そこをどけ。オレが通る」 09/19 124日目 第124話「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた」 09/20 125日目 第125話「闇を晴らす光を欲し、光の中で闇を求める」 09/22 126日目 第126話「犬は、爪を隠せないのね」 09/23 127日目 第127話「他人を騙すなら、まず自分を騙せ」 09/24 128日目 第128話「悪を責めるは易く、悪を理解するは難し」 09/25 129日目 第129話「悲しみのない自由な空へ」 09/26 130日目 第130話「楽しくやろうぜ紛い物」 09/28 131日目 第131話「ともに老いるのも喜びだ」 09/30 132日目 第132話「物書きを黙らせるただひとつの方法は、物を書かせることである」 + 2023年10月 2023年10月 配信日 day 配信タイトル エピソード 10/01 133日目 第133話「ついてこい夢の果て」 10/02 134日目 第134話「どんな人生だっていつかは交じり合う」 10/03 135日目 第135話「救われてなきゃあダメなんだ、独りで静かで豊かで……」 10/05 136日目 第136話「政治家が誠実なのは鏡の前でだけだ」 10/06 137日目 第137話「時代じゃないのにペンを使った」 10/07 138日目 第138話「書ききったって言えるかよ」 10/09 139日目 第139話「それではここでクエスチョン」 10/10 140日目 第140話「打ちおろすハンマーのリズムを聞け」 10/11 141日目 第141話「誰と生きたか思い出して」 市議会選挙当落発表日 10/12 142日目 第142話「本質的なものは何か、本性は何かを問うのだ」 エルちゃんの相談に乗る 10/13 143日目 第143話「嘘を吐いてはならないが、真実も吐いてはならない」 パルコちゃんから問い合わせ 10/14 144日目 第144話「食事を楽しむことが幸せへの第一歩である」 救急隊『ゴチ』企画 10/16 145日目 第145話「教科書がないから自分の教科書を作るんです」 文化祭下見 10/19 146日目 第146話「己の欲望を捨て私にもっとうまいものをおごれ」 「ヒカリ」と和解 10/21 147日目 第147話「本音は多忙の中から顔を出す」 文化祭MC 10/22 148日目 第148話「寝ぼけた人が見間違えたのさ」 ハロウィンイベ取材 10/25 149日目 第149話「でもその一本に人生を変えられた事があるんだ」 コスプレ大会出場 10/26 150日目 第150話「にっこり笑えるから、人間はきれいなのさ」 エルちゃんの過去を聞く彼女を正式に情報局に迎える 10/28 151日目 第151話「咲かすか枯らすか現在、燃えるように陽が沈む」 サーカス公演 10/29 152日目 第152話「鬼が来る。もうすぐ鬼がやって来る。あと5分でやって来る」 はじめての市議会 + 2023年11月 2023年11月 配信日 day 配信タイトル エピソード 11/03 153日目 第153話「さぁ、お前の罪を数えろ」 ロケラン裁判 11/06 154日目 第154話「気軽に約束をしない者は、もっとも誠実に約束を守る」 白市民パス制度開始ろぎあちゃんにお話 11/13 155日目 第155話「泣きごとで人生が開けるか」 ※前半別キャラユズリハちゃん、てるみちゃん入社 11/14 156日目 第156話「ここで恥をかく方が、一生ダメなままよりいいだろ」 11/15 157日目 第157話「明日からがんばるんじゃない」 魔法少女カフェ謎解きテストプレイ 11/16 158日目 第158話「結婚生活とは、長い会話である」 コロンボちゃんの怪事件 11/17 159日目 第159話「釣り好きの人には悪い人はいない」 命田夫妻ご結婚を取材ユズリハちゃんの初記事を校正 11/21 160日目 第160話「本音が歯に挟まったまま」 ピーナッツレース取材久しぶりのまさのりちゃん 11/22 161日目 第161話「結婚は悲しみを半分にし、幸せを倍にする」 馬ウアー夫妻ご結婚取材 11/25 162日目 第162話「人々を助けるものはビジネスをも助ける」 + 2023年12月 2023年12月 配信日 day 配信タイトル エピソード 12/06 163日目 第163話「生まれた街のあの白さをあなたにも見せたい」 ロスサントス徒歩縦断耐久 12/09 164日目 第164話「誰にも内緒でお出かけなのよ」 幼稚園イベント運営「園長ですっ!」 12/13 165日目 第165話「雪は野原を埋めども、老いたる馬ぞ道はしる」 まおちゃん初心者案内 12/29 166日目 第166話「また、人が人を想う季節が、やって来た」 エルちゃんへのサプライズプレゼント大作戦! 2024年 + 2024年1月 2024年1月 配信日 day 配信タイトル エピソード 01/07 167日目 第167話「街の灯りがとてもきれいね」 エルちゃんからGBCに関する情報提供「風邪ひいてるなら寝なさいよ!!!」 01/09 168日目 第168話「会議は踊る、されど進まず」 市議会(一時)解散 01/19 169日目 第169話「情報は溜め込むだけでは意味がない」 てるみちゃんの相談に乗る 01/14 170日目 第170話「寝ころんで待つのが第一だ」 うさぎさんチケット待機ぎゃる美ちゃんから呼び出し本屋店舗探し 1/25 171日目 第171話「人間に必要なもの、1位は食料、2位は娯楽だ」 うさぎさんソロライブ参加エルちゃん緊急事態てるみちゃん解雇 01/29 172日目 第172話「ジェットストリームアタックをかけるぞ!!」 第3回にかのり運営直樹ちゃん入社 - 2024年2月 2024年2月 配信日 day 配信タイトル エピソード 02/04 173日目 第173話「言いたいことは言う。その時は心を込めて言う」 レースランカー授賞式 動画 切り抜き ▶ 【GTA5】有名配信者ボコったら拉致られたwww【 #ストグラ GTAV】 ※第10話の「???」を含みます ▶ 【 衝撃のラスト 】 車に呪われている アイアンメイデン三郎太 【 #ストグラ GTAV GTA5 】 2日目『事故多発日』 その他 ▶ 『 ストリートグラフィティ 』 covered by IM三郎太 / 葛城司 / ジャーク武士 / ジャムリーヌバルサミコス ストグラ系コラボ 2023/03/04 感染系パニック映画だこれ!!【 GTA5 #ストグラ鬼ごっこ 】 参加:市民多数 2023/04/24 【 #ストグラ宵桜船 】 #ストグラ アモアスコラボ!【今井三太郎視点】 主催:ヨウコウ(桜星 ヨウコウ)&居夜ヤミ(奇夢 ヤミ)参加者(以下12名)羽ヶ町つまみ(町田ジョアンナ)・うめjam(ジャムリーヌ バルサミコス)・りおん(海鈴 りおん/イヴ トワイライト)三行ナカバ(小此木 ナカバ)・ごっちゃん@マイキー(後藤 れむ/アルフォート ウェスカー)・猫麦のん(幼 卒)てんぷら(天ノ ぷら子)・今井三太郎(IM三郎太)・小花衣ももみ(ももみ マルフォイ/小花衣 早苗)狗神ゆき(まりー あんとあー)・shiron(葛城 司)・ノビー(ノビー・ラング) 2023/04/30 【 #ストグライカロス 】 #ストグラ 飛行船どつきあいコラボ!【今井三太郎視点】 りおん(海鈴 りおん/イヴ トワイライト)主催チームメイト🌟今井三太郎(IM三郎太)・こうまい(Wonda Darkness)・海鈴なぎ(海鈴 ナギ他)・shiron(葛城 司)
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意見・質問 質問 Q、 バイオハザード アンブレラ・クロニクルズ 攻略wiki とコラボして欲しいです - レン 2012-04-25 20 13 01 最終編集 2 か月前、Æskja 政教分離の歴史 政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する[* 1]。したがってここでは政教分離原則成立の社会的背景を、近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づくものとしてその歴史を概観する。 バチカン市国 中世におけるカトリック教会は教会国家という世俗的な基盤を有しながらも、全ヨーロッパ規模での普遍的な権威を主張した。近代ヨーロッパ各地に国民国家が成立していくと、このような普遍性に支えられていた特権や管轄地は多く失われ、世俗の国家に回収された。現在カトリック教会はバチカン市国としてサン・ピエトロ大聖堂を中心とした世俗の一独立国家となっている 基本的な視野 政教分離とは、信仰生活と政治活動は分離されるべきであるという考え方である。歴史的にはジョン・ロックによって、信教の自由は人間の自然権であるという考えが提唱され、多くの近代国家の憲法に原理として取り入れられて制度化された。ただし国により制度的な実現方法には相違がある。 近代国家成立史として カール大帝の戴冠(ジャン・フーケによる1460年ごろの作品) カール大帝は800年教皇レオ3世によって加冠され、キリスト教西ローマ帝国の皇帝となった。ゲルマン的普遍世界の成立を告げる重要な画期であったが、後代カール大帝はこのとき塗油によって聖別されたと信じられた[* 2]。厳密に言えばそれは後代のアナクロニズム(時代錯誤)であったが、のちに「国王が教皇によって聖別されること」が王権に対する教権の優位の有力な根拠となった一方、一度聖別された国王が聖性をもつことの根拠ともなり、のちには血統霊威の観念[* 3]などと結びついて王権神授説に発展し、絶対王権の根拠ともなった 近代的な市民社会とそれに立脚した近代的な国民国家は、近代の西ヨーロッパに成立したものであるが、中世の西ヨーロッパ世界においては国民を単位とした政治社会は希薄であった。そこでは、古代ローマ帝国の帝権の延長線上に自身を位置づけ、世俗世界での至上権を主張するドイツの皇帝と、キリスト教信仰と教会組織を持ち不可謬権と聖書解釈を独占しようとするローマ教皇が、それぞれローマ法とカノン法という独自の法を持ち、権力と権威を二分していた。したがって国民を単位とする政治社会である近代国家が生起するためには、帝権と教皇権を超克していかねばならず、特に「国家の中の国家」と言われた教会組織の取り込みあるいは克服がなされねばならなかった。 このような状況は西ヨーロッパに固有の問題であると言えるが、近代国民国家が西ヨーロッパで成立したと考えられているために、国家と宗教の関係性の歴史が近代国家の成立史において主要な論点として意義を有することになる。現在の国民国家は例外はあるものの、ほとんどの国が政教分離を原則としており、また近代国家の克服の対象であった教会の側では、中世以来のカトリック教会の首長であるローマ教皇は、一方でバチカン市国という一つの近代国家の首長となり変容を遂げた。 霊性史として さらにより宗教史的・神学的な視点から、キリスト教の宗教的領域(「霊性(スピリトゥアリタス、Spiritualitas)」)についての歴史として、政教分離の歴史的経緯を捉えることも出来る。「霊性」とは本来「洗礼の際、神によって注がれた霊に遵って生きること」、つまりキリスト教的倫理に遵った生活のことであった[1]。 この「霊性」という言葉は、使われはじめた当初から新プラトン主義的な、身体や物質と対立する意味での「魂(プシュケー)」に概念的な接近を見せており[* 4]、12・13世紀の文献においては、政治や経済といった人間の世俗的な概念に対する、人間の「超自然性」「非物質性」を意味している。さらには国家に対する教会法的意味での教会の聖職を指す用語となった[6]。中世の政治思想において国家は、「世俗的なるもの」に対する「霊的なるもの」の優位という階層秩序観に基づき、教会への奉仕を求められることになる[* 5]。これは国家が道徳倫理においても卓越性を持つと考えられていた古典古代の政治思想と著しい対照をなした[* 6]。 すでにアウグスティヌスにおいて、政治秩序とキリスト教倫理の間の緊張関係は「地の国」と「神の国」という超越的な世界観との関連において捉えられていたが、カール大帝の戴冠以後、皇帝と教皇の権力という現実と密接に関連していくことになる。中世盛期に登場したトマス・アクィナスにおいては、政治社会とその秩序は、より上位の神学的・倫理的共通善を実現するための外的諸条件の確保のためにあるものと考えられている。 ところが中世後期のパドヴァのマルシリウスにいたると、逆に国家の平和を維持するという観点から教皇至上権批判が展開される。さらに同時期のウィリアム・オッカムにおいては、政治秩序を自然法的規範よりは自由な合意形成によって形成すべきであるという考えが提示されている。このオッカムの議論は抵抗権の思想に直接的に結びついた。 ルネサンスの時代には、神や普遍的自然法思想に支えられた階層的秩序観は動揺し始め、この時期に登場したニッコロ・マキアヴェリは政治と倫理道徳の結びつきを問い直し、政治原理のキリスト教からの自立を促した。こうしてキリスト教的道徳規範から独立した政治社会は、トマス・ホッブズによって支配契約関係として捉え直され、このような近代国家においては宗教も国家権力に従属すべきとされた。ジョン・ロックはホッブズの理論を批判しつつ継承したが、彼においては国民国家の統一を守るために、宗教の問題はもはや公権力が関知することではなく、政策的に寛容な立場を取ることによって私事として処理されるべきものとされた。 今日の欧米では、国教制をとるにせよ(イギリス)、公法上の法人格を与えるにせよ(ドイツ)、私法上の組織として扱うにせよ(アメリカ・フランス)、国家と霊性を分離し、信教の自由を認めるのが一般的であり、むしろこのような自由が認められない諸国に対して批判的である。しかし、今日の保守主義思想はしばしばこのような宗教(的な倫理規範)と政治との乖離状態を批判し、宗教の持つ公共性への見直しも進められている[* 7]。そのため宗教と政治の関係を単純な公私の関係で割り切ることはできなくなりつつあるといえる。 正教会の事情 「ビザンティン・ハーモニー」も参照 カトリックとは異なり、ビザンツ(東ローマ)皇帝の強い影響下にあった正教会においては、権威において教会の首長であるコンスタンティノープル総主教がビザンツ皇帝を上回ることはなく、公会議も皇帝によって招集された[* 8]。行政区分に基づいた主教管区をおく伝統によって、独立した国家ごとに主教管区が設けられ、ビザンツ帝国の後期には帝国の縮小に伴ってバルカン半島諸国で主教管区がコンスタンティノープル総主教の管轄を離れ、独立する傾向にあった。 ビザンツ帝国が滅亡し、教会がオスマン帝国の支配下にはいると、コンスタンティノープル総主教は帝国の拡大に伴ってバルカン半島や西アジア・エジプトなどに管轄を広げ、アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの三総主教座も事実上その管轄下に収めることになった。しかし一方でオスマン皇帝の意向を重視した総主教が選出される傾向が増し、聖職売買が横行するようになった。またこの時代の東方教会においては聖職者・修道僧の識字率の低下も見られた。このような状況は東方における神学教育の低迷をもたらし、カトリックの神学校に留学する正教神学徒も増加した。西ヨーロッパで宗教改革が起こると、カトリック・プロテスタント両派ともバルカン半島を中心とする東欧国家での布教活動を重視するようになり、正教側も対抗改革派とくにイエズス会の神学校に影響されて、神学校を設立し、正教神学校はのちに近代国家の宗教政策において一定の関与をすることになる。 18世紀以降オスマン帝国が縮小に向かうと、バルカン半島で民族独立運動が激化し、それに伴ってバルカンの民族教会は総主教から独立しようとするようになった。このような動きに対し、コンスタンティノープル総主教は概して否定的で、これら民族教会の正教徒よりはオスマン皇帝に近い立場にあった[* 9]。オスマン帝国の縮小とともにコンスタンティノープル総主教の管轄も狭まり、第一次世界大戦後にトルコ共和国が成立してオスマン帝国の本体が国民国家となると、総主教は形骸化して名目的な地位と化した[* 10]。 歴史的展開 近代のキリスト教は東西いずれの教会においてもその影響力を低下させた。ここでは近代社会と宗教について、とくに近代国家とキリスト教の問題を焦点とすることとし、その際近代国家成立の前提としての近代以前のヨーロッパ史における世俗王権とカトリックの教権の関係をまず概観する。さらにその背景となる思想史についても適宜記述する。近代以降については正教世界にも視野を広げて記述するが、近代国家との関連性を重視するという観点から中世以前の正教世界についてはここでは詳しく触れない。 近代以前の正教世界については正教会・東ローマ帝国・キリスト教の歴史を、正教会における国家と教会の関係を示す政治理念についてはビザンティン・ハーモニーを参照 概要 四福音書記者 新約聖書の中心部分をなすイエスの生涯を記録した文書が四福音書である。4人の福音書記者はそれぞれ象徴を持つ。天使で象徴されるマタイ(左上)。ライオンで象徴されるマルコ(左下)。鷲で象徴されるヨハネ(右上)。雄牛で象徴されるルカ(右下) 「歴史的展開」節の記述は政治社会とキリスト教の関係について、政治史・国家史・教会史・思想史の多岐にわたって概説するため、ここでは便宜のために要約を示す。 古代のキリスト教 「古代のキリスト教思想」では、キリスト教本来の思想傾向と古代に現れたキリスト教の思想を、政治思想史の観点から概説する。 「初期キリスト教と国家」ではパウロの思想やアウグスティヌスに代表される教父哲学を概説する。イエスの思想は内面と政治社会を区別する特徴的な思想を形成し、パウロは神の恩寵という観点を持ち込むことでイエスの思想を一つの宗教にまで高めた。アウグスティヌスの政治思想はのちに中世の異端思想や宗教改革に影響を与えた。 またとくに「両剣論」は教皇ゲラシウス1世が唱えた「教権と帝権がともに神に由来する」という考え方で、中世を通じて教権と王権の関係性についての有力な理論的根拠の一つであった。 加えて「初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝」では、古代の典礼に見られるキリスト教に特徴的な内面性を概観し、皇帝礼拝とキリスト教迫害についての問題を取り上げる。 中世普遍世界 「キリスト教普遍世界」では、一般に封建社会、あるいはヨーロッパ中世として知られる時代での、世俗国家と教権のありかたの推移を概説する。 「教皇国家の成立」では、教皇権の経済的基盤ともいうべき教皇領の成立までを概観する。 「ゲルマン諸民族の世俗国家」では、西ローマ帝国滅亡後に西ヨーロッパに割拠したゲルマン人の諸国家における国家と宗教の関係を概観する。この時期のゲルマン人の王権は後世に比べると世俗的で、教会の宗教的権威に依存する面が少なく、領域内の教会については実質的な支配を及ぼしていた。ただ国家ごとに内実は多少異なり、地中海に面した西ゴート王国やヴァンダル王国と内陸部のメロヴィング朝は経済的条件も文化的条件もかなり異なっていた。 「政治的宗教的統一体の自覚」では、6世紀における政治思想としてトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世を取り上げ、ビザンツ帝国による統一的支配という観念が西欧地域で薄れ、新たな領域国家意識が発生し始めている様子を概観する。 「ランゴバルド族と中世初期の南イタリア」では、東ゴート王国の時代から東ローマ帝国の支配を経て、分裂する南イタリアの情勢を概観し、12世紀のシチリア王国の成立に至る。 「カロリング朝の帝権」では、メロヴィング朝の衰退からカロリング朝が成立し、やがて西ヨーロッパ世界で唯一の世俗的至上権、皇帝権を獲得するまでに至る過程を概観する。 また初期の教権と帝権について、その理念的背景として「カロリング朝期の政治思想」を概観する。 「グレゴリウス改革と教権の絶頂」では、11世紀から始まる教会の改革運動と13世紀の教皇権の絶頂期を概観する。 「周縁における権力と教会」では、西ヨーロッパのキリスト教世界の周縁に位置したイングランド王国とイベリア諸国およびスカンディナヴィアにおける、中世前半期における教会と王権の関係を概観する。 「等族国家と公会議主義」では、封建国家に身分制に立脚した議会主義が成立し、それにより国民単位の政治社会の基礎が築かれたことを概説する。さらに議会主義と国民単位の類似制度が教会においても成立し、公会議主義となった。 「王権の超自然的権威の獲得過程」では、王権が教権に対抗するために一定の宗教的権威を獲得していった過程を概説する。共通にキリスト教思想に立脚しながらも、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の宗教的権威が「ローマ的」であったのに対して、イングランドのそれが「アングロ・サクソン的」、フランスのそれが「フランク的」であり、そこに王権が国民的な国家形成の核になる端緒があった。 「カトリック大国、スペイン」では、この時期あらたに大国としてヨーロッパ政治に主要な位置を占めることになったスペインの初期宗教政策について概説する。スペインがカトリック信仰に熱心であったのは事実とはいえ、その王権や文化が必ずしも教権に盲従していたわけではない。 教会の正統な信仰とは別次元で、中世の民間にはやや異なった信仰が存在した。「中世の民衆信仰」では、このような民間信仰を概観する。 「宗教改革前思想史」では、中世後期の異端思想と人文主義について概観する。それらの思想の立つ政治的立場と背景にある政治状況についてもある程度言及する。また宗教改革との関連性も指摘する。 宗教改革以降 「近代社会とキリスト教」では、宗教改革以降の近代社会における国家の宗教政策、および時代ごとのキリスト教に関する思想の変遷を概観する。 「宗教改革(プロテスタント側から)」では、ルターの宗教改革がなぜ宗教問題にとどまらずに政治的な問題に転化したかということについて簡単に説明する。 「ドイツの領邦教会制度」では、ドイツにおける宗教改革の初期の帰結としての領邦教会制度が成立するまでを概観する。 ドイツで宗教改革が始まった頃、スイスでも同様に福音主義的改革が始まっていた。「スイス盟約者団と福音主義」では、宗教改革の第2戦線ともいうべきスイスの宗教改革を概観する。 「宗教改革派の諸思想」では、宗教改革派の諸思想を概説する。 「フランスのコンフェッショナリズムと主権理論」では、フランスの改革派ユグノーとフランス王権の宗教政策から絶対主義の形成過程を概観する。 「低地地方と宗教改革」では、ネーデルラントにおける独立運動と、それによって成立した新教国オランダの初期の状況について概観する。 日本 「日本近代史における政教分離」では、明治維新以降日本国憲法発布までの日本の宗教政策について概説する。 古代のキリスト教思想(〜500年) 十字架を担うキリスト エル・グレコによる1580年の作。ゴルゴダの丘に向かうイエスの像である。イエスの死は彼が「神の国」をもたらすと信じていた信徒に失望を与えたが、やがて死に意味づけがされ、ひとつの宗教として確立された 具体的な世俗国家とキリスト教の関係性の歴史を、この記事では中世以降の政治史を中心に概観する。しかしながらそれに先だって、キリスト教本来の政治に対する思想傾向と以後のキリスト教と世俗国家の歴史に特徴的な影響を及ぼすいくつかの思想を概観する。 初期キリスト教と国家 ここではまずイエスの思想と考えられるものの中から、政治社会に関係すると思われるものについて概説し、次にパウロの思想について説明する。その後アウグスティヌスに代表される教父哲学の思想を概観する。とくにパウロの「ローマの信徒への手紙」とアウグスティヌスの思想は後世のキリスト教に決定的な影響力を及ぼしており、その歴史上で繰り返し回顧される重要な思想である。 イエスの思想の歴史像 詳細は「イエス・キリスト」、「救世主イエス・キリスト」、「史的イエス」、および「ナザレのイエス」を参照 ここでは新約聖書に現れるイエスの思想の中から、とくに政治社会に言及する限りにおいて重要なものを指摘する。イエス思想において根本をなすのは福音である。福音とは「良い知らせ」と言う意味で、具体的には「神の国」が近づいているという知らせである。 イエスによれば、「神の国」が来ると、既存の社会秩序とは全く異なった新しい秩序に基づく生活が始まる。新しい秩序はまず愛の共同体であって、そこでは人々が神の愛を無条件に受け入れることで一切の対立が消滅する。この「神の国」に参加するために、人は罪を悔い改め、欲を捨てて神に従った生活態度を取らなければならない。基本的にはこれは世俗的秩序の否定であり、人間の内面の重視と政治社会の本来性の否定であった。イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と述べて、世俗社会と精神世界を区別し、「神の国」の到来によってやがては内面的な精神世界が世俗社会にとってかわると述べた。しかしイエスによれば、現存する世俗秩序は決して無意味ではない。「神の国」にはいるためには現世でのおこないが決定的であると説く。イエスは現世でもっとも悪い状態にある者が来世においてもっとも良い状態になると述べる。 以上のイエスの思想に鑑みると、二つの特徴を指摘することができる。一つは政治社会と内面の区別、もう一つは政治社会の価値が「神の国」の価値とほとんど正反対であるということである。このようなイエスの課題はまったく政治社会を超越しており、その意味で非政治的であるが、現実の政治社会に批判の目を向け緊張をもたらすという意味で政治的であった。後述するように、キリスト教の教会が中世において、世俗権力を超えた有力な政治社会となっている点が見られるのも、キリスト教が本来的に現世を超越している点に求めることができる[* 11]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] パウロ パウロ ヴァランタン・ド・ブーローニュもしくはニコラ・トゥルニエによる1620年ごろの作。パウロはキリスト教を言語化し、神学的説明を加えた。これは後代の信仰理解に決定的影響を与えるものであった 詳細は「パウロ」を参照 パウロはもともとイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となった。彼はキリスト教思想において最も重要な人物の一人[* 12]で、その著作「ローマの信徒への手紙」[* 13]は以降のキリスト教思想に繰り返し影響を与えた。 パウロにおいては罪の意識が非常に強いことがまず指摘できる。彼は心の欲する善を行うことができずに、かえって心の欲せざる悪をなしてしまうことに悩んだ。そのため彼の思想では人間の無力さが強調される。このような人間は自力では救われることがないために、神の恩寵によってしか救われることがないのである。そしてパウロはイエスの死こそ神の自己犠牲であると考える。この神の自己犠牲によって人間は罪から解放されるのであり、これを信じ、イエスの教えを実践することで新しい生を迎えることができるという[* 14]。このようにパウロにおいては内面と行為の分裂が説かれた。 政治思想としては、受動的服従が知られる[* 15]。パウロによれば、この世の権威は神に拠らないものはなく、したがってこれを受け入れなくてはならない[* 16][* 17]。だが、それは内面の良心の故であり、決してそれらの権力それ自体に価値があるからではない。その正統性はあくまで神によって認められている限りであるという。このようにパウロは「ローマ人の信徒への手紙」の中でキリスト教の将来はローマ帝国とともにあると考えており[* 18]、ローマ帝国の支配を無条件に肯定している[26]。 また注目すべき思想としては、「自分の手で働くこと」を推奨している[* 19]ことで、これは明らかに古典古代の労働観に反する[28][* 20]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教父哲学(アウグスティヌス) 詳細は「アウグスティヌス」を参照 アウグスティヌスはキリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献した教父のなかで、とくに後世に大きな影響を残した人物である[* 21]。 アウグスティヌス ボッティチェリによる1480年ごろの作品。アウグスティヌスの思想はキリスト教的歴史意識を確立し、中世の異端運動や宗教改革にも大きな影響を与えた 『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように、「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。またアウグスティヌスは、人間の自由意志について論じ[* 22]、古代以来の「自由」という言葉を「神との関係における人間そのもののあり方に関わる言葉」[36][* 23]として再定義し、のちの思想史に大きな影響を与えた。その一方で人間は本来的に堕落しており無力であるというパウロの思想が踏襲され、神の恩寵が絶対的であることも説かれた。 このようなアウグスティヌスの思想は、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別し、キリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった[* 24]。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも決定的な影響を与えるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 両剣論 「両剣論 ("theory of two swords")」とは世俗的な政治権力と宗教的権威の関係性について述べたもので、もともとは「ルカによる福音書」のなかのイエスの言葉に由来する[* 25]。教皇ゲラシウス1世はこれを俗権と教権がともに神に由来することを述べたものであるとし、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた[* 26]。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。 中世になると、両剣論には二つの異なる立場から相反する解釈がおこなわれた[* 27]。ひとつは皇帝に有利な解釈で、帝権が直接神に由来することは世俗的世界での皇帝権の自立性の根拠となった。もうひとつは教権に有利な解釈で、教皇が両剣を持ち、一方の世俗的な剣を皇帝に委任して行使させるという解釈[* 28]で、教権の優位性の重要な根拠の一つとなった。 歴史的には、グレゴリウス改革以前、11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇の叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった[42]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝 ステファノ その名前が明らかにギリシャ風であることからも分かるように、初代教会において、彼はヘレニストの代表であった。彼はファリサイ派によって石打ちの刑にされるが、ジャン・ダニエルーはこの殉教の裏側にキリスト教内部のヘレニストとヘブライストの立場の違いを見ている[43]。図はイタリアバロックのボローニャ派に属するジャコモ・カヴェドーネ (en Giacomo Cavedone) の作品 キリスト教はユダヤ教とは明らかに異なった礼拝観を持っていた。イエスは旧約的な神殿礼拝を拒否してはおらず、祝日には自ら神殿に赴いたが、一方でより内面を重視した新しい礼拝観を示した。「ヨハネによる福音書」のなかでイエスは あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。[44] と言っている。使徒時代のキリスト教徒であるステファノの次の言動には、このイエスの内面的な礼拝観がよく表れている。 神のために家を建てたのはソロモンでした。 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。 『主は言われる。 「天はわたしの王座、/ 地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/ どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。 これらはすべて、/ わたしの手が造ったものではないか。」』[45] 彼はエルサレムの神殿に直結したユダヤ教の祭祀を否定し、イエスの述べた新しい礼拝を強く主張したために、殉教にいたることになった[46]。 だからといって、初期のキリスト教会が外形的な表現を重視しなかったわけではない。集会堂としての教会は典礼の中心となったし、洗礼はキリスト教共同体としての「教会」への加入を視覚的に表現した。しかし一方で2世紀後半から3世紀にかけてのキリスト教著述家ミヌキウス・フェリクスは「私たちには、神殿も祭壇もない」ということを異教徒に対して誇った。教会は集会する場所であり、祭儀は建物としての教会堂に帰するのではなく、信徒共同体としての教会それ自体に帰するのである。初期キリスト教ではイエスこそが「祭司」であり「大祭司」で、そのキリストに繋がれているという意味で、教会が「祭司」なのであった[47]。 このような内面性の強いキリスト教の性格はローマ帝国で行われたいわゆる「皇帝礼拝」と相容れざるもので、帝国は公共祭祀である「皇帝礼拝」を受け入れないキリスト教徒を、公共の宗教からの逸脱者、国家離反者として迫害したという説が歴史学者の間で長く論じられてきた。とくに自らを「主にして神」と称したドミティアヌスがこのような皇帝礼拝の要求者とされ、彼の治下に激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられた[* 29]ことから、迫害と皇帝礼拝は因果づけて考えられてきた。間接的には古代教会が日曜日を「主の日」として制定したことも、皇帝礼拝に対抗するキリスト教徒の信仰告白であったという見方も提示されてきた[49]。また「ヨハネの黙示録」の「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」[50]という記述も思い出されるであろう。 しかし、最近の研究によれば、そもそも「皇帝礼拝」という名で括られている祭儀は多様であり、内容においては極めて政治的な意味を持つものから宗教性の高いものまで、範囲においても都市国家規模から属州単位のもの、担い手も一様でなく、それらを統一的に「皇帝礼拝」という一語で把握することには飛躍が伴うことが示されている。黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難である[51]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教普遍世界(500年〜1500年) 「中世」も参照 中世初期、5・6世紀の段階においては、ゲルマン人の侵入や西ローマ帝国の滅亡など歴史的な地殻変動を象徴する事件が起きた後であったにもかかわらず、なお地中海をとりまくローマ世界はビザンツの帝権の下に存続していたと見ることができる。6世紀のユスティニアヌス帝は一時的にあるにせよ、地中海の大部分を制圧し、かつてのローマ帝国を再現することも出来た。 しかしながら、7・8世紀になると、地中海を中心とした統一的な世界はもはや完全に消滅し、西ヨーロッパはローマを中心としたカトリック世界として、コンスタンティノープルを中心とする正教世界とは分離する傾向が決定的となる。その要因としては以下の3つを挙げることが出来る。 イスラーム教徒の侵入 ビザンツ帝権の弱体化 ローマの自立 まず、イスラーム教徒が急速に勢力を拡大し、北アフリカ・イベリア半島を制圧するに及んで、従来これらの地で高度に発達していたキリスト教の文化は衰退した。今日に至るまでイベリア半島を除くこれらの大部分の地域はイスラーム圈にとどまっている。とくに教会会議が頻繁に開かれ、中世初期において西方のキリスト教世界の一つの中心であったイベリア半島陥落の影響は大きい[* 30]。 次にビザンツ帝国は一時的に地中海を回復したものの、イスラーム教徒の東地中海地域での拡大とランゴバルト族のイタリア半島侵入によって支配領域を縮小させ、西地中海での覇権を維持することが困難となった。これ以後ビザンツの帝権は南イタリアの支配地域を通じて間接的にしか西方世界に影響を及ぼせなくなる。 第三にローマ司教である教皇は上記のようなビザンツ帝権の影響力低下に伴って、西方世界において強力な庇護者を別に求めねばならなくなった。と同時に、東方から自立して西方世界の宗教指導者たらんと積極的な布教活動に乗り出す。8世紀ビザンツで起こった聖像破壊運動に対する教皇の対応の仕方はこの表れで、教皇は西方教会をして、この運動の蚊帳の外におくことに尽力した。 こうして東ヨーロッパと西ヨーロッパは、ローマ帝国とキリスト教という共通の根を持ちながらも、それぞれ独自の発展をしていくことになる。この節で中心的に述べるキリスト教普遍世界とはこのうち西ヨーロッパを中心としたカトリック世界のことである[* 31]。 教皇国家の成立 天国への鍵を授けられるペテロ イエスはペテロに天国の鍵を預けたとされ、彼が最初のローマ司教となったことで、彼の後継者であるローマ司教にその権威が受け継がれているという観念が広まった。ローマ教皇はこの鍵を自身のシンボルとして用いている 詳細は「教皇領」を参照 ここではやや時代を遡って教皇国家あるいは教皇領と呼ばれる教皇の世俗支配の形成過程を概観する。 西ローマ帝国の滅亡と西地中海世界 西ローマ帝国の領域にゲルマン人が多数の国家を形成し、西ローマの皇帝権が没落して古代的な帝国支配が弛緩すると、古都ローマはほとんどゲルマン人の支配の間に孤立した形となり、東ローマ帝国とのつながりは徐々に薄れて西ローマ帝国の領域は独自の発展をしていくようになる。しかしながらゲルマン人たちが西ヨーロッパで優勢を占めているように見えても、かつてのローマ帝国の西側と東側は地中海によって繋がれており、文化的経済的な繋がりは維持されていたのであって、突然にローマ的な文明がゲルマン的な文明になってしまったわけではない。地中海世界での東ローマ皇帝の優位性はいまだ揺らいではいなかったし、ゲルマン人たちは皇帝の支配を名目上は受け入れて、彼ら自身が皇帝になりかわろうという意図を持つことはほとんどなかった。ただ一方でこのような状況がローマ教皇に一定の自立性の根拠を与えたのであり、東方の正教会とは独自のカトリック教会が生まれる素地がここにあったことは間違いない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ペテロの後継者 ローマ司教が教会において優位性を立証できるとすれば、それはまずイエスの言葉に求められるべきであったし、事実そこに根拠が見つけられた。イエスはペテロに向かって、「汝はペテロである。私はこの岩(ペテロ)の上に私の教会を建てよう」と言ったという。ペテロが最初のローマ司教であったことは、ローマ司教こそが教会の本体であるということを指していると受け取ることもできる。ペテロはイエスから「天国の鍵」を預けられたとされた[* 32]。 ただ初期の教会において、このことがあまり重視されていたわけではなかった。4世紀にはローマ司教は有力なイタリア大教区を管轄しており、「西ローマ総大司教」とも見なされていたが、一方で一般信徒の面前で司教の選挙によって選ばれた、小さなローマの聖堂聖区の司教でしかなかった。ローマ司教の特別な地位が認められたのは343年のサルディカ宗教会議であって、それ以前は公式なものではなかった。この時期の教権の上昇に最も貢献したのはレオ1世で、455年にヴァンダル族がローマを攻撃したときに、その王ゲイセリクスと交渉してローマの略奪を防いだ。このころから「教皇(パパ)」という称号はローマ司教だけに特別に認められるものであるという観念がヨーロッパ世界に定着していった。4世紀の教皇シリキウスはテサロニカ主教を教皇代理に任命して、ダキアとマケドニアへの指導権を獲得し、ボニファティウス1世は改めてこれを皇帝ホノリウスに認めさせている。5世紀前半には教皇の権威はイタリア・ガリア・ヒスパニア・アフリカ・イリュリクムに及ぶようになった[54]。 しかしこのことでただちにローマ教皇の地位が、後世のように独自の権威性をもって普遍的な優位を確立したわけではない。東ローマ皇帝ユスティニアヌスがイタリア半島をローマ皇帝の支配の下に回復すると、彼はローマの司教も皇帝の統制に服するべきであると考えた。教皇の側もそれを受け入れ、帝国の支配に復帰することをむしろ歓迎していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の自立化への動き カール大帝 デューラーによる1510年の作。教会側が教皇の手による戴冠に皇帝の根拠を求めたのに対し、カール大帝自身はあくまでその神授性を強調した。彼の名乗った称号は「神によって戴冠され、ローマ帝国を統治し、平和をもたらす、最も至高なる偉大な皇帝にして、神の慈悲によってフランク人およびランゴバルド人の王であるカール」であった。 ところが東ローマ帝国に結びついたことは教皇にとって必ずしも良い結果をもたらしたのではないことは次第に明らかとなった。東方でさかんにおこなわれていた神学論争が西方に持ち込まれる結果となり、しかも神学論争にしばしば政治的に介入する皇帝の姿勢は不満の種となった。北イタリアの大主教が教皇の影響から離脱する動きを示したし、ガリアとイベリア半島でも分離傾向が見られた。関係が変化するのは「大教皇」グレゴリウス1世の時代である。彼の時代にはイタリア半島にランゴバルド族が侵入し、再びローマは危機的な状況を迎えていた。グレゴリウス1世はフランク王国を重視して、これと友好的な関係を結んだ。もともと行政官として経験を積み、ローマ総督の地位についたこともあったグレゴリウス1世は、おそらく都市ローマの行政上における教皇の影響力を増大させた。ランゴバルト族に連れ去られた捕虜の買い戻し、ローマの破壊を防ぐ代償としてのランゴバルド族への貢納の支払いに教皇は積極的に関与している。このころから教皇は都市ローマの公共事業を担うようになったと考えられている。 分離傾向を示す西方諸地域の司教たちに対して、グレゴリウス1世は教皇がそれらの上位にあることを繰り返し強調した。司教は当時すでに有力な世俗領主となりつつあり、司教座を熱望する動きが上層階級に見られるようになっていた[55][56]。その結果、明らかにふさわしくない候補者や若すぎる候補者が司教選挙に立つようになった[55]。しかしグレゴリウス1世は司教座に対する支配を徹底して、ナポリの司教を解任し、メリタの司教を降格し、タレントゥム・カリャリ・サロナの高位聖職者たちを厳しい口調で批判した[57]。ブルンヒルドによるテウデリク2世・テウデベルト2世の摂政期に起こった数々のガリア教会の醜聞に、グレゴリウスは諫言を書き送った[* 33]が、実を結ぶことはなかった[59]。この当時のガリア教会は完全にメロヴィング朝の「領邦教会」と化していたからである[60]。ビザンツ帝国に対しては一定程度の影響力を行使したが、従来教皇の指導権が及んでいたイリュリクムでは教義に関する問題においてさえ、無力であった[59][* 34]。 グレゴリウス1世は正統信仰の拡大に熱心で、ブリテン島への伝道を組織し、このアングロ・サクソン人への布教は順調な成果を上げ、カンタベリー大司教区が設けられ布教の拠点となった。ブリテン島はこののち北ヨーロッパにおける有力な布教拠点となり、たとえばカール大帝の時代にはアングロ・サクソン人の伝道者たちが、大帝のガリアの宮廷で、キリスト教文化の興隆に多大な貢献をするまでになっていた。またアリウス派の牙城であった西ゴート王国のカトリックへの改宗に成功した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピンの寄進、教皇領の成立とフランク人の帝国 フランク王国でメロヴィング朝の君主に替わってカロリング家が実権を握るようになると、教皇とカロリング家は接近し非常に親密な関係を結ぶようになった。教皇ザカリアスはカロリング家のピピン3世の王位簒奪を支持し、つづく教皇ステファヌス3世[* 35]はガリアのピピン3世の宮廷に自ら赴き、フランク王国がイタリアの政治状況へ介入するという約束と引き替えに、ピピン3世の息カールとカールマンに塗油の秘蹟を施した。 この時期ラヴェンナ大司教は東ローマ皇帝の利益を代弁し、ローマ教皇と北イタリアの教会の管轄権を争っていた。ピピン3世はランゴバルド族を討伐すると、ラヴェンナを征服し、ローマ教皇に献じた。これを「ピピンの寄進」といい、ここに教皇の世俗的領土として教皇領が形成された。ピピン3世の跡を継いだカール大帝も774年にイタリア半島へ遠征し、教皇ハドリアヌス1世にローマを中心とした中部イタリアを献じた[* 36]。つづく教皇レオ3世は800年、カール大帝をローマに招いてローマの帝冠を授け、彼に西ローマ皇帝の地位を与えた[* 37]。 かくして西ローマ帝国が事実上復活し、フランク国王である西ローマ皇帝は西地中海においてキリスト教世俗国家を代表することとなった[* 38]。教皇は教皇国家といえるような世俗的な領土を持っていたとはいえ、基本的には教皇領も帝国の一部で皇帝から独立していたわけではない。しかし、教皇は東ローマ帝国のコンスタンティノープル総主教とは異なり、皇帝の官僚であることはなく、教皇選挙によって皇帝の承認を必要とせずに選ばれたのであって、教皇選任に対する皇帝の統制は制度としては介在することはなかった。またカール大帝が帝冠を教皇から与えられたことは、のちに世俗君主が皇帝を名乗るのに教皇の承認を必要とするという観念につながり、教皇に優位性を与える根拠となった [* 39]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン諸民族の世俗国家 ゲルマン諸王国のヨーロッパ世界(526年 - 600年) ローマ帝国東ローマ帝国 ゲルマン系の国家フランク王国|東ゴート王国|西ゴート王国|ヴァンダル王国|ブルグント王国|ランゴバルド王国|アングロ・サクソン諸王国 その他の周辺民族ノルマン人|ピクト人|スコット人|ブルトン人|スラヴ人|テューリンゲン人|スエヴィ人|アヴァール人|ササン朝|アラブ人 西ヨーロッパでは、西ローマ帝国が滅亡してもローマ世界は確かに存続していた。一見西ヨーロッパはゲルマン人の諸王によって分割され、モザイク模様を形成しているかのように見える。しかし彼らは「皇帝の名によって」統治したのであり、実際には東ローマ皇帝の超越的な主権に服していたと見るべきである。これらゲルマン族の国王は宗教的権威において支配したのではなく、純粋に世俗的なものであって、教会はこれらの国家にとって本質的な構成要素ではなかった。国王の即位に際して何らかの宗教的儀式がおこなわれていたわけではない[* 40]。ゲルマン人の王国では国王が教会の首長であり、司教を任命し、宗教会議を開催した。後世の国家とは異なり、これらの王国では世俗的支配者の同意なくして聖職者になることができなかった。ここでは西ゴート王国[* 41]・ヴァンダル王国・メロヴィング朝フランク王国を特筆し、それぞれの国家と教会との関係を記述する[* 42]。 西ゴート王国 西ゴート族はクローヴィスによって南フランスから追い出されると、イベリア半島のトレドに宮廷を定めた。このころの西ゴート王国ではゲルマン人とローマ人の通婚は禁止されており[* 43]、このような分離の背景には信仰の相違があったと考えられている。大部分のローマ人がカトリックであったのに対し、西ゴート族はアリウス派を信仰していたからである[* 44]。西ゴート族は征服した土地のカトリック司教を追い出すことがあったが、これを信仰の違いに帰することはおそらく適切ではない。司教たちの追放の理由は彼らが国王の支配に抵抗したことに由来すると考えられており[* 45]、大部分の西ゴート王はカトリック信仰に寛容であった。 レオヴィギルド王[* 46]の時代にカトリックに改宗した王子ヘルメネギルドによる反乱があり[* 47]、つづくレカレド王の時代には王自身がカトリックに改宗した。こうして西ゴート王国はカトリック信仰を奉じるようになり、徐々に首都トレドはキリスト教西ヨーロッパ世界の宗教的政治的首都と見なされるようになった。589年から701年の間に18回もの宗教会議がトレドで開かれ、いずれも王が召集をおこなっている。これらの宗教会議は、後世のように狭い教義上の問題だけが取り上げられたのではなくて、世俗的な問題も議題とされた[* 48][* 49]。したがって出席者は聖職者ばかりに限られず、世俗の高官も臨席した。 とくに618年ないし619年の第2回セビリャ教会会議および633年の第4回トレド公会議ではセビリャのイシドールスの活躍により、西ゴート王国の教会は独立と自由を維持しながらも国王に忠誠を誓うという形で、ローマ教皇の管轄権を排除した[* 50]。トレド大司教を頂点とする自律的な教会組織が整えられ、国王は「王にして祭司」として君臨し、西ゴート教会はローマ教皇からの自立性を高めた。のちには国王の即位に塗油の儀式も付け加えられるようになった。確実に知られるのは672年のワムバ王の即位時であるが、おそらくレカレド王時代からおこなわれていたと考えられている。西ゴート王国では、国王は宗教上の問題に関しても法令を出した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ヴァンダル王国 アフリカ北岸に王国を築いたヴァンダル族の場合は西ゴート族とはかなり異なる。この王国は東ローマ帝国と敵対的な関係にあり、その宗教政策は政治的対立に基づいていた。ヴァンダル族はアリウス派を信じており、カトリック司教がローマを通じて東ローマ帝国に通じているのではないかと疑っていた。 ゲイセリクス王はカルタゴを占領すると、同地のカトリック司教クオドウルトデウスを追放した。以後24年間カルタゴには司教が置かれなかった。ゲイセリクスの後継者フネリクス王は晩年の484年に、かつてホノリウス帝がドナティスト[* 51]に出した告示を踏襲して、カトリック教徒を法の保護外とする告示を出した。要するに、ヴァンダル王国ではほぼその全時代を通じて、カトリックと王権の間に軋轢が絶えなかった。 カトリック聖職者は王権とそれに結びついたアリウス派に対する抵抗運動を指導した[* 52]ので、王権は弾圧を加え根絶しようとしたが、すでにアウグスティヌスの伝統が深く根を下ろしていた北アフリカの教会はこの弾圧に耐えた[* 53]。ただこのような混乱と迫害は、カトリック聖職者の離散をもたらし、彼らはプロヴァンス地方やカンパーニア地方、イベリア半島へ集団逃亡(「エクソダス」)した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] メロヴィング朝フランク王国 詳細は「メロヴィング朝」を参照 メロヴィング家のフランク族支配を確立したのは、キルデリクスとその子クローヴィスである。キルデリクスの時代には異教的な習俗が強かったが、クローヴィスは496年カトリックの洗礼を受け改宗し、同時に主な従士も改宗した[* 54]。したがってフランク王国はゲルマン諸部族のなかでは比較的早く正統信仰を受け入れた国であった。クローヴィス即位当時北ガリアでは、ローマ人のガリア軍司令官シアグリウスがほとんど独立した政権を維持しており、だいたいのちのネウストリアのあたりを支配していた(ソワソン管区)。486年にクローヴィスはシアグリウスとソワソン付近で戦って勝利し、その支配地域を併合した。クローヴィスは491年にテューリンゲン人を服属させ、496年にアレマン族と戦い、ブルグント王の姪でカトリック教徒であったクロティルドと結婚した。507年には当時強勢を誇っていた西ゴート族を破り、アキテーヌを支配下に収めた。クローヴィスは晩年に有力なフランク人貴族を抹殺し、メロヴィング王権を確立した。511年の死の直前にはオルレアンで公会議を開き、メロヴィング朝の教会制度が組織され、アリウス派異端への対処が話し合われた[78]。 メロヴィング朝フランク王国(600年ころ) クローヴィスの死後王国は4人の息子たちによって分割され、息子たちはさらに領土を拡大した。息子たちのうち一人が死ぬと、その領土は生き残った国王の支配に服した[* 55]ので、クローヴィスの息子のうちで最後まで生き残ったクロタールが死ぬ頃(561年)には再び王国は統一されており、しかも地中海沿岸を支配していた有力なゲルマン民族国家は、ユスティニアヌス1世により滅ぼされるか打撃を受けていたため、フランク王国はゲルマン民族の間で最も有力な王国となっていた。 クロタールの王国は再びその4人の息子たちによって分割され、長男シギベルト1世には王国東部が与えられ、彼の分王国は「アウストラシア」と呼ばれた。アウストラシアの王は飛び地としてプロヴァンスを支配した。次男グントラムにはブルグントの支配が任され、三男カリベルトには王国西部を、末子キルペリク1世には王国北西部のベルギー地方が与えられた。567年にカリベルトがなくなると、その支配地は3分王国の間で分配され、キルペリク1世の分王国はノルマンディー地方にまで拡大されて「ネウストリア」と呼ばれるようになった。 613年、王国はクロタール2世により再び統一されたが、各分王国の自立性は強まっており、各分王国の貴族たちは各分国王のもとで形成されてきた政治的伝統を維持したいと考えていた。614年パリでおこなわれた教会会議の直後、クロタール2世は「パリ勅令」を公布した。この勅令は各分王国の貴族たちの要求を受け入れる形で、アウストラシアとブルグントでは宮宰を国王の代理人とするものであった[* 56]。こうして各分王国で宮宰が特別な地位を認められるようになった。 聖コルンバヌス 聖コルンバの弟子であった聖コルンバヌスは、倫理的で厳格な修道制をガリア地域にもたらしてたちまち熱狂を巻き起こし、6世紀後半、一大修道院設立運動が起こった。図はブルニャートの聖コルンバヌス修道院にあるフレスコ画 クロタール2世の時代はメロヴィング朝の教会政策においても転換期となっている。クロタール2世は、ガロ・ローマン的セナトール貴族を支持基盤としていた王妃ブルンヒルドに反発したアウストラシアのゲルマン貴族に支持されており[81]、従来のセナトール貴族と結びついた司教制度は衰退に向かい、アイルランド修道制を導入した修道院運動が活発化した[81] [82]。これはメロヴィング朝フランク王国内の南北での教会会議の開催数の差によって確認することができ、アイルランド修道制が流布したロワール川以北のフランキア地方では、640年までに5回を数えるのみなのに対し、ロワール川以南では同時期40回を数えた[81]。ロワール川以北では司教活動は明らかに衰退したのである。司教の出自も7世紀を境に、セナトール貴族中心であったものが、ゲルマン貴族が目立つようになってくる[* 57]。このようにゲルマン貴族が司教職に進出したことの背景の一つは、590年聖コルンバヌスによって設立されたリュクスイユ修道院がフランク貴族子弟の教育機関となって、多くのゲルマン人司教を養成することに成功したことである[84]。クロタール2世は前述の614年「パリ勅令」において聖職叙任規定に言及し、パリ教会会議の決定に基づいて首都司教に司教の叙階権のみを認め、選出権は当該教区の聖職者と信徒の共同体に限定した。しかし、選出と叙階の間に王権による審査を経ての叙任令に基づく叙任が必要とされている[83]。 のちのカロリング朝と違って、メロヴィング朝では多数の教養ある俗人が政府内に存在した[* 58]。7世紀のクロタール2世の時代までは社会全体の識字率はカロリング朝のころよりも高く、したがってメロヴィング朝の宮廷文化はカール大帝の時代とは異なって世俗的な教養に支えられていた。フランク王国がゲルマン人の王国の中で比較的早期に正統信仰を受け入れたとはいえ、ローマを中心とする西方の教会の影響を強く受けたというわけではない。このころのローマ教皇はガリアにまで強い影響力を行使できるほど卓越していたわけではなかった。クローヴィスはローマ教皇とではなく東ローマ皇帝と直接外交した。クローヴィスの時代にはローマよりはコンスタンティノープルの宮廷が大きな影響を及ぼしていたと見るべきである。 上述のように、メロヴィング朝の宮廷は全く世俗的であったが、その地方行政においては司教が中心的な役割を担っていた。メロヴィング朝の宮廷は地方支配の組織を欠いており、司教が実質的に地方統治を担当していた。宮廷で官僚として出世した者たちは地方に転出するときに司教職を望んだ。カロリング家の権力掌握過程でもこの事実は確認できる。アウストラシアの宮宰であるカロリング家はネウストリア、ブルグント、プロヴァンス各地の司教職に一門を送り込むことで地方支配に影響を及ぼした。やがて8世紀半ばにイングランドからの影響でフランク王国に大司教制が導入されると、ゲルマニア・ルーアン・ランス・サンスの大司教をカロリング家が占めた。カロリング朝の時代には司教職と地方支配に対する王権の影響力は増加した。 王国の経済に注目すれば、東ローマ帝国の地中海再征服以降ガリアは地中海の経済圏から分離される傾向が強くなり、ブリタニアとの強い結びつきが認められる。6世紀からはこのような経済圏の形成と歩調を合わせるかのようにメロヴィング王朝の北方化・内陸化が進展し、東ローマ帝国の影響は希薄となった。しかしこの経済圏はアイルランドまでは含んでおらず、アイルランドはイベリア半島を通じて伝統的な地中海経済圏とつながっていた[* 59]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治的宗教的統一体の自覚 最後に、この時代の代表的歴史叙述家であるトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世の叙述を主に取り上げ、6世紀の思想状況において、部族国家が、また国家と宗教の関係がどのように捉えられていたかを概観する。 トゥールのグレゴリウス 『歴史十巻』扉 メロヴィング朝治下アウストラシアのトゥールの司教であったグレゴリウスは、彼が著したフランク王国についての基本史料『歴史十巻』によって知られる。彼のクローヴィスをめぐる歴史叙述には、「コンスル」や「プラエフェクトゥス」といったローマ帝国の官職名や、ビザンツ帝国の「パトリキウス」などの用語が使われている。このことが従来歴史家の一部で、特にビザンツ帝国の政治秩序にメロヴィング王権が組み込まれたという認識につながる根拠とされてきた。 しかし最近の研究では、それらの用語はビザンツの帝国法にのっとったものではなく、おそらく聖書の叙述に範をとったもので、グレゴリウスは皇帝とクローヴィスとの間に厳密に法的な関係を想定していたわけではないという見方が示されている[85]。さらに、従来部族の王を指す「rex」には部族名が付されるのが一般的であった。しかるに、グレゴリウスは西ゴート王を記述するのに「レックス・ヒスパノールム」 (rex Hispanorum) あるいは「レックス・ヒスパニアエ」 (rex Hispaniae) という称号を用い、その支配権を領土的観念で捉え始めている。同様に自らの属するアウストラシアの王を「われわれの王」と呼び、その王国を「レグヌム・フランキアエ」 (regnum Franciae) と呼ぶ。彼は自らの歴史叙述の中で、フランクの使者にビザンツ皇帝を「あなたがたの皇帝」と呼ばせている。彼の歴史叙述には皇帝によるフランク王へのガリア統治権委託の観念はなく、クローヴィス以来、フランク王はその征服活動によって自らガリアの支配権を打ち立てているという見方が示されているのである。彼が基本的にビザンツ皇帝にのみ「インペラートル」や「インペリウム」を使用していることは、ビザンツ帝国の優位性を認めている証左であるが、そこから自立した独自の西欧世界の萌芽が見られること、またそこに領土意識とおぼろげながらも一定の民族意識を見ることができる[85]。 グレゴリウスはまた、フランク王に司教を指導する力を認めている。549年のオルレアン公会議は司教の叙任にあたって、王権による事実上の司教任命権を承認したうえで、その介入に歯止めをかけようとしたものであるが、グレゴリウスはこのような王権による教会側への介入を批判するどころか疑問さえ呈していない[85]。 以上のようなグレゴリウスの歴史叙述の性格に基づけば、ビザンツ帝国によるヨーロッパの統一的支配という観念は6世紀には後退し、そこでは各部族王権が部族という枠組みを越えて領域支配を確立しつつあり、一定の領土意識の形成が見られるとともに、そこへの帰属意識を見て取ることができる。同時に王権に教会への介入を認めていることは、中世の特徴である教皇の普遍的教会統治が、この時代のフランク王国には全く存在していなかったことが明らかであろう。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス1世 詳細は「グレゴリウス1世 (ローマ教皇)」を参照 グレゴリウス1世 トゥールのグレゴリウスがかつての西ローマ帝国の領域の部族国家に生きた知識人を代表する存在であるとすれば、同時代の偉大な教皇グレゴリウス1世は、同じ西方世界に生きながらも、より東帝国に近い知識人の代表であった。彼はユスティニアヌスによる再征服後の、まだ帝国の支配が実効性を持っているローマに生き、部族国家の定住によって西欧に生じた現実を見据えつつも、それら部族国家の外側に生きたのである。グレゴリウスは部族国家という政治単位に分断されつつある西欧世界の現実の中で、教会の統一を守ろうとした。したがって、彼にとって教皇の優位性は何にもまして必要なものであった。教皇という核がなければ、西欧世界での教会の統一はたちまち失われ、部族国家ごとに教会は分断されかねない。現に一部の部族国家は正統なカトリック信仰を選ばずに、アリウス派の異端に堕していた。グレゴリウスの言うとおり、教会の統一において教皇の首位性は欠くべからずものであったろうが、一方で彼は教皇と教会を同一視するという観念に先鞭をつけてしまったという見方もできる[86]。 またグレゴリウスは教皇ゲラシウス1世の両剣論を根拠に、俗権の及ばない宗教的裁治に関する管轄権が教皇にあると主張した。しかし彼は、俗権である皇帝権力が霊的使命を放棄し、宗教領域への介入を捨て、世俗的職務に専念せよと述べているのではない。国家はむしろ教会と協働して霊的使命を果たすのであり、その霊的使命を放棄しては国家の存在価値自体が失われるのである。グレゴリウスが教皇に選出されたとき、マウリキウス帝はそれを追認したが、彼は皇帝がローマ司教かつ教皇に対して任命権を行使したことに何ら疑問を抱かなかった。彼は皇帝の権威が神に由来するものであることを認め、その権威を尊重しており、両権の協働を唱えた[87]。 グレゴリウスは部族国家に対しては、その権力を認める代わりにキリスト教秩序への参画を求めた。グレゴリウスは部族の君主たちに助言を与え指導することで、間接的に道徳的権威を行使した。キリスト教精神は国家理念の欠如していたこれら部族国家の目標となり、教会は国家に活力を与える存在となり、教皇座の霊的権能を高めた。それまで各部族国家の王は法律を作る権威を持たず慣習に従属していたが、キリスト教はこの慣習を変えるものであった[88]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって この時代の宗教意識と国家意識の問題の上で、興味深いのが西ゴート王国で起こったヘルメネギルドの反乱事件を巡る当時の歴史叙述における相違である。前述したように、レオヴィギルド王の治世下に王の第一子ヘルメネギルドがカトリックに改宗し、アリウス派であった父に対し陰謀を企てた。 これについて、トゥールのグレゴリウスや教皇グレゴリウス1世は仔細に記述し、この事件をのちのレカレド王の改宗に至る前史的な出来事として特筆した。これに対し、セビリャのイシドールスの『ゴート史』やゴート人ヨハンネスによる『年代記』など、西ゴート王国で書かれた史料はこの事件にほとんど注目していない。ここに西ゴート王国の内部と外部で明確な意識の違いを見ることができる。さらにレオヴィギルドについて、後者ヒスパニアの史料はこの君主を政治的軍事的統一を西ゴート王国にもたらした英主として描くのに対し、教皇グレゴリウス1世は「異端者、子殺し」と呼んでおり、相違が見られる。グレゴリウス1世はレオヴィギルドが臨終に際してカトリックに改宗したことを記して、彼に好意を示すもののその叙述は護教的である。一方トゥールのグレゴリウスはグレゴリウス1世とは異なり、レオヴィギルドの政治的手腕を高く評価し、その視点はヒスパニアの史家に近い。 レカレド王の改宗 この違いはレカレド王の改宗を巡る記述にも見られ、このことは同じ西ゴート王国の外部者という立場に立つ両者であるが、部族国家内部に生きるトゥールのグレゴリウスと、ローマでビザンツ帝国の影響下に生きる教皇グレゴリウス1世の思想状況の違いを示している[89]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン人の集団改宗 メロヴィング朝と西ゴート王国のカトリックへの改宗を見ると、それは決して個人的な理由のみで行われたのではなく、集団改宗という形式で一般に行われたと見る方が適切であろう[90]。少なくともクローヴィスの改宗は明確に集団改宗である。レカレド王の改宗は587年にまずなされているが、この改宗が個人的なものか集団的なものかは明らかでない[* 60]が、589年のトレド公会議は西ゴート王国を公式にカトリック改宗へと導いた[91][89]。このような集団改宗は近代的な個人の信仰心のあり方と同列に論じることはできないであろう[90][* 61]。ゲルマンの王は集団の支持を必要としており、彼らの改宗は、個人的な内面性より集団に重点が置かれていた[90]。改宗が直接的に国王個人や住民の生活習慣を変えるようなものではなかったことからも明白である。たとえばクローヴィスは洗礼を受けたにも関わらず、その後の有様は蛮族の王そのままであった[90]し、そもそもメロヴィング王国住民も表面的にしかキリスト教化されていなかった[93]。 このような改宗は何をもたらしたのであろうか。一般的な説明では、改宗によって支配者と被支配民の宗教が一致し、統治に安定をもたらしたことが述べられる一方、改宗の政治的意義を小さく、あるいは全く評価しない論者もいる。たとえばコリンズ (en Roger Collins) によれば、西ゴート王国は改宗以前、被支配民であるローマ系住民はカトリック、支配者であるゴート族はアリウス派からカトリックへの改宗が進んでおり、両者のアイデンティティーの統合は進みつつあった[94]。レカレド王は改宗後に徹底的なアリウス派根絶に努めており、それにより王を中心とする政治的宗教的統一体形成の基盤をなしたという見方も可能である[89]。メロヴィング朝では7世紀クロタール2世の統治期に王の権威の上昇が見られるが、これはキリスト教が王権に王国を守るという崇高な任務を与え、聖性を付与し、その意義を高めたからである[95]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド族と中世初期の南イタリア 西ローマ帝国滅亡後のイタリア半島は、東ゴート族の支配を受けたのち、東ローマ帝国の支配に復帰したのであるが、やがてランゴバルド族の侵入によって、北イタリアから中部イタリアにかけての大部分はランゴバルド族の支配に帰した。ランゴバルド王国はしかし、イタリア半島全体を支配することはついにかなわず、ローマとラヴェンナの間と南部イタリアは東ローマ帝国の支配下に止まった。やがてカロリング朝がローマ教皇の要請を受けて北イタリアに侵入し、774年にはカール大帝により北イタリアのランゴバルド王国はフランク王国に併合された。 しかし、中部イタリアのランゴバルド系公国であるベネヴェント公国は存続し、分裂しながらも独立した政体を維持した。またビザンツ支配下の南イタリア都市も徐々に独立し、シチリア島はムスリムの支配下となる。こうして中世初期のイタリア半島南部は分裂状態におかれるのであるが、やがて傭兵として雇われたノルマン人の集団がシチリア王国を建国し、地域の統合をもたらすこととなり、新局面が訪れた。 東ゴート王国とビザンツ帝国のイタリア再征服 詳細は「東ゴート王国」を参照 ボエティウス テオドリックに投獄された際に執筆された主著『哲学の慰め』は中世西欧で広く読まれた 西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスがオドアケルによって476年に廃位されると、西ローマ皇帝は存在しなくなった。しかし、ローマ帝国の支配体制自体が変化を蒙ったわけではない。オドアケルは東ローマ帝国の宗主権を認めており、そのオドアケルの政権を打倒した東ゴート王テオドリックも東ローマ帝国の宗主権を認め、この間西帝国の元老院も存続していた。しかしながら、東ゴート族はアリウス派を信仰しており、このことが東ローマ帝国との政治的対立に結びつくこととなった。また王国の統治はローマ人官僚の貢献によって支えられていたが、彼らは正統信仰を維持しており、信仰上の対立がゴート人とローマ人の不和の原因となって王国の統治を攪乱することとなった。テオドリックは寛容な宗教政策を展開して王国内の平和を保っていたが、晩年には宗教問題が政治問題化した。たとえば、ボエティウスの事例が典型的である。ローマの有力貴族アルビヌスが王位継承問題に絡んで東ローマ帝国と通じた問題で、ボエティウスはアルビヌスを弁護して投獄され、524年に処刑された。東ローマ帝国はこれをカトリック教会に対する迫害と捉え、当時アリウス派に一時的な寛容政策をとっていたユスティヌス1世の態度を硬化させた。ユスティヌスは527年に異端に対する勅令を出してアリウス派を弾圧[* 62]し、以前からカルケドン信条を守っていたブルグント王ジギスムントやカトリック信仰に転じたヴァンダル王ヒルデリック[* 63]と同盟してテオドリックを牽制した。 ユスティヌス1世を継承した甥のユスティニアヌス1世は532年にササン朝のホスロー1世と永久平和条約を結んで帝国東部辺境を安定させると、西方の旧西ローマ帝国領の再征服に乗り出した。まずヴァンダル王国に矛先を向け、533年にカルタゴを占領し、534年にはヴァンダル王国を完全に滅ぼした。さらに535年、テオダハドが東ローマ帝国と友好的な東ゴート女王アマラスンタを殺害すると、これを口実としてイタリア半島に遠征軍を派遣した。東ローマ帝国軍は当初有利に事を進めたが、最高司令官ベリサリウスと将軍ナルセスの間に不和が生じるなど指揮系統に混乱が生じた。ナルセスが本国に召還されると、539年にはベリサリウスは東ゴート族を懐柔することに成功した[* 64]が、ベリサリウスはササン朝の侵入に対抗するため540年に本国に召還されてしまい、失望した東ゴート族は再び反乱を起こした。東ゴート族はやがてトーティラを王に推戴して勢力を盛り返した。544年にベリサリウスはイタリアに戻るが、兵力不足から有効な反撃が出来ず、549年には再び本国へ召還された。550年になると、トーティラ率いる東ゴート軍はローマを占領し、イタリア半島をほとんど支配する状態となって、シチリア島に侵入するまでになった。552年にナルセスが大軍をもって派遣されると、ようやく東ローマ帝国軍は反撃に転じ、ブスタ・ガロールムの戦い(ギリシャ語版、イタリア語版、英語版)(ギリシア語 Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum)で東ゴート族を大いに破った。トーティラは殺され、東ゴート族はなおも各地に拠って抵抗したが、554年にはほぼイタリアに平和が戻り、561年には抵抗は完全に収まった。 しかしこの戦乱によってイタリア半島の荒廃は進み、かつての繁栄を失った。東ゴート王国下においては、古典古代の文化を保存する活動は維持されており、前述したボエティウスが『哲学の慰め』を著述してプラトンやアリストテレスの哲学概念を用いてキリスト教教義を論じたり、カッシオドルスが『ゴート人の歴史』を書いてローマ人とゴート人の調和を説いたりといった文化活動が見られた。カッシオドルスは修道院教育に自由七科を導入するなど修道院文化の育成にも関わるが、この伝統は戦乱とともに一時廃れた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド王国 詳細は「ランゴバルド人」および「ランゴバルド王国」を参照 アギルルフス時代のイタリア半島(616年) ユスティニアヌス帝による再征服活動によって、イタリア半島は再びローマ皇帝の支配に服すこととなったが、その統一は長く続かなかった。ランゴバルド族が侵入し、彼らがイタリア半島に王国を築いたからである。彼らの文化水準は低く、したがってその支配による影響は文化的には大したことはなかったが、政治的には以後長く続くイタリアの分裂の端緒となった[98][99]。 ランゴバルド族は1世紀までにエルベ川下流域に定住し、その後547年にビザンツ帝国によって、パンノニアとノリクムの境界地域に定住を許された[100]。パンノニアはゴート戦争開始によって生じた防備の弱体化をついてゲピド族によって占領されており、彼らはシルミウムを首都として王国を築いた。そのため、ビザンツ帝国はゲピド族と東ゴート王国への対抗の意味で領内にランゴバルド族を招き入れたのであった[61][101][* 65]。ランゴバルド族はゲピド族を抗争を繰り返し、566年になってビザンツ帝国がゲピド族と同盟を結ぶと、ランゴバルド族はその東方にいたアヴァール人と結んでこれに対抗、結果としてゲピド族は567年に滅亡した[103]。しかし強大なアヴァール人に圧迫を受けるようになったランゴバルド族は568年になると、王アルボインに率いられてイタリア半島に侵入し、その年のうちにヴェネト地方の大半を占領した[96]。569年にはメディオラヌムを、572年にはティーキヌムを占領し[* 66]、後者を首都としてランゴバルド王国が成立した[96][104][105]。 572年にアルボインが暗殺され、王位を継いだクレフも574年に暗殺されると、ランゴバルド王国は30人以上の諸公が支配する連合政体へと変化した[106][107]。しかしその勢いは衰えず、諸公の一人ファロアルド1世(イタリア語版、英語版)はスポレートを支配下においてスポレート公国を築き、他の諸公ゾットーネ(イタリア語版、英語版)はさらに南下してベネヴェントを占領、ベネヴェント公国を打ち立てた[106][107]。ランゴバルド諸公に対して、ビザンツ帝国は金銭による懐柔外交を展開するとともに、フランク王国と同盟してこれを打倒しようとした[106][108]。フランク王国はすでに574年ランゴバルド王国を征討し、これを打ち負かして貢納と領土の割譲を条件に講和しており、イタリア半島情勢への介入には消極的な姿勢を保っていたのである[109]が、ビザンツの勧誘を受けて585年と588年にイタリアへ侵入し、クレフの子である王アウタリウスは貢納を条件に589年これと講和した。590年にもフランク族は大軍をもってランゴバルド王国を攻撃したが、これは掠奪をおこなうに止まった[110]。フランクによる対外危機は分裂する傾向にあったランゴバルド族に結束の必要を認識させた。既述のように、574年以来ランゴバルド族は王を戴かずに諸公の合議によって統治されていたのであるが、584年になると、アウタリウスが選出されて王となった。アウタリウスの死後跡を継いだアギルルフスは591年、毎年の貢納を条件にフランク王国と和解し、ビザンツ領を侵し始め、593年にはローマを包囲してグレゴリウス1世と交渉し、598年には教皇と講和した[111]。アウタリウスの治世に首都パヴィアを中心として王国としてのまとまりが現れ始め、次代のアギルルフスの治世下には統治制度が整備されて国家としての体裁をとるようになった[112]。パウルス・ディアコヌスは『ランゴバルド史』の中で、このアギルルフスの治世に実現された平和を賞賛している。 リウトプランド時代のイタリア半島(744年) 616年のアギフルススの死後はアダロアルドゥスが継いだが、妃であったテオデリンダが権力を握った。テオデリンダはカトリック信仰に熱心で、教皇グレゴリウス1世とも親しく、聖コルンバヌスによる修道院設立を支援した。アギフルススがアリウス派を捨て、カトリックに改宗したのも彼女の影響である。また彼女以後歴代の国王は、三章書論争[* 67]で三章書を支持して分離したミラノやアクィレイアの教会とローマ教会との調停に尽力した。しかし626年にアダロアルドゥスは義兄アリオアルドゥスによって弑され、アリオアルドゥスは王位に就いた。この簒奪の背景にはビザンツ帝国との融和政策に対するランゴバルド武人の不満があったと考えられる。アリオアルドゥスはアリウス派であった。636年にアリオアルドゥスが死ぬと、その妃グンディベルガを娶ったロターリが王に選出された。ロターリは東方でイスラーム教徒と争っているビザンツ帝国の支配のゆるみをついて領土を積極的に拡大し、リグーリア・コルシカ・ヴェネツィア周辺部などを奪取した[114]。またロターリは643年に「ロターリ王の告示」、いわゆるロターリ法典を編纂したが、これはランゴバルド人の法慣習を採録したものである[115]。ロターリはランゴバルド王国の最盛期を現出したが、652年のその死後、王国は急速に分裂、弱体化した。彼の息子ロドアルドゥスは短命で、653年にアギロルフィング家のアリペルトゥス1世に王位が移った。アリペルトゥス1世の死(661年)に際して2人の息子に王国が分割されたが、これが内紛を生じ、662年ベネヴェント公グリモアルドゥス1世が王位を手に入れることとなった[116]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ベネヴェント公国と南イタリアのランゴバルド三侯国 前節で述べたように、クレフ王の死後の10年間、ランゴバルド諸公は一種の合議政体をもって王国を運営し、この間に地方に割拠する諸公の力は強まった。特にイタリア中部のスポレート公国と南イタリアのベネヴェント公国はラヴェンナとローマの枢軸を維持するビザンツ帝国によって、北イタリアのランゴバルド王国の中央から隔てられているために、自立性が高かった。初代ベネヴェント公ゾットーの跡を継いだアリキス1世はビザンツ帝国領カラブリアと沿岸都市以外の南イタリアをほぼ制圧し、広大な領土を支配するようになった[116]。第5代のグリモアルドゥス1世はランゴバルド王国で起きた王位継承を巡る争いに乗じて、ランゴバルド王位を獲得し、ランゴバルド王とベネヴェント公をかねてランゴバルド人を統一した[116]。しかし彼の死後は2人の息子がランゴバルド王位とベネヴェント公位を分割して保持することになり、再び両国は分かたれた。ベネヴェント公位を継いだロムアルドゥスは弟のガリバルドゥスにランゴバルド王位を譲ったのである[117]。まだ幼かったガリバルドゥスは即位後1年で王位をペルクタリトゥスに奪われ、ランゴバルド人の統一は失われた。 リウトプランドの肖像が描かれたトリミセス貨幣(1トリミセス=1/3ソリドゥス) その後北のランゴバルド王国では短期間での王位の変転が続くが、712年にリウトプランドが王位につくと、ビザンツ帝国側の内紛を利用して領土を拡大した。ビザンツ皇帝レオン3世がイコノクラスムを開始すると、教皇グレゴリウス2世はこれに反発して皇帝と対立し、折しも対イスラーム教徒戦争の重税に苦しんでいた多数のイタリア都市も帝国の支配に反抗した。この防備の弱体化をついてリウトプランドはビザンツ領へ侵攻し、730年ごろにはラヴェンナを奪取した[118][* 68]。ビザンツ帝国は教皇グレゴリウス3世の登位後、ヴェネツィアの協力を得て、734年にこれを奪還した[118][* 69]。リウトプランドはカール・マルテルと同盟してムスリムとも戦い、725年ごろにはムスリム支配下のコルシカ島を従属させた。710年から730年の間にはサルディニア島にあったアウグスティヌスの遺骸がパヴィアに運ばれ、サン・ピエトロ大聖堂 (en San Pietro in Ciel d Oro) に納められた[118][121]。またリウトプランドの治世に、ロターリ法典は新たに153章の法文を付けくわえられたが、これらの中には女性や貧者に抑圧に抗する一定の権利を認めるものが含まれている[118]。リウトプランドの後はまた短命な王が続くが、749年に即位したアイストゥルフは精力的で、751年にラヴェンナを制圧してイタリア半島をほぼ統一した。しかし754年と757年の2度、教皇ステファヌス3世の懇請を受けてピピン3世がイタリアに侵入すると、これらの征服地は奪回された[122]。アイストゥルフの次代の王デシデリウスはカール大帝の弟カールマンと結んでフランク王国の政治に介入しようとし、また教皇領を攻撃して領土拡大を目指したが、逆に773年カール大帝のイタリア遠征を招き、翌774年には首都パヴィアが陥落してデシデリウスは廃され、カール大帝が自らランゴバルド王を兼ねるに至って、ランゴバルド王国は実質的に滅亡した[123][124][125]。 他方、ロムアルドゥスの後継者たちが支配した南のベネヴェント公国は、774年のランゴバルド王国滅亡を傍観しながら生き残り、8世紀後半にはランゴバルド王国の正統を自認してベネヴェント侯国を名乗るようになる[126]。侯国の地方統治はガスタルディウス (gastaldius) という地方役人が担っていたが、彼らは徐々に侯から独立するようになり、ベネヴェント侯国は分権化し始めた[127]。839年に第5代のベネヴェント侯シカルドゥスが暗殺された後、侯位を巡って争いが起こり、849年にはサレルノ侯国(イタリア語版、英語版)が分かれた[128]。このサレルノ侯国の有力者カープア伯は861年に自立してカープア伯領を形成するが、900年にカープア伯アテヌルフス1世(イタリア語版、英語版)がベネヴェント侯に即位してカープア・ベネヴェント侯国(イタリア語版、英語版)が成立した[128]。この統一侯国は982年まで続くが、その後はベネヴェント侯国とカープア侯国(イタリア語版、英語版)に分かれた[129]。こうしてランゴバルド三侯国が成立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝の帝権 詳細は「カロリング朝」を参照 フランク王国では7世紀半ばになると、各分王国で豪族が台頭し、メロヴィング家の王権は著しく衰退した。このような中、アウストラシアの宮宰を世襲していたカロリング家はピピン2世の時代に全分王国の宮宰を占め、王家を超える権力を持つようになった。ピピン2世の子カール・マルテルはイベリア半島から侵入してきたイスラム教徒を撃退し、カロリング家の声望を高めた。つづくピピン3世はすでに述べたように、ローマ教皇の承認のもとで王位を簒奪し、カロリング朝を開いた。カール大帝の時代にはその版図はイベリア半島とブリテン島を除く今日の西ヨーロッパのほぼ全体を占めるに至った。ローマ教皇はカール大帝に帝冠を授け、西ヨーロッパに東ローマ帝国から独立した、新しいカトリックの帝国を築いた。カール大帝の帝国は現実的には、後継者ルートヴィヒ1世の死後3つに分割され、今日のイタリア・フランス・ドイツのもととなったが、理念上は中世を通じて西ヨーロッパ世界全体を覆っているものと観念されていた。 メロヴィング王権の衰退 814年のヨーロッパ カール大帝末年のヨーロッパ。今日の政治的・宗教的枠組みにつながる構造が形成されている。 東方世界東ローマ帝国|ブルガリア王国 西方世界カール大帝の帝国|イングランド|ベネヴェント公国|アストゥリアス王国|ボヘミア イスラームアッバース朝|後ウマイヤ朝 周辺諸民族ノルマン人|フィン人|ピクト人|ウェールズ|アイルランド|スウェーデン人|ゴート人|デーン人|プロイセン人|バシュキル人|ヴォルガブルガル人|モルドヴィン人|ポーランド人|ハザール人|アヴァール人|マジャール人|セルビア パリ勅令で各分王国での宮宰の影響力が増大したことは、ただちにメロヴィング王権の衰退に結びついたわけではなかった。宮宰は一面では豪族支配を統制し、王権の擁護者として振る舞った。ネウストリアでは特にそうであった。それに対してアウストラシアでは7世紀半ばにカロリング家による宮宰職の世襲がほぼ確立し、王権の影響の排除が進んだ。659年にアウストラシアの宮宰でカロリング家のグリモアルト1世は王位簒奪を謀ったが、失敗し処刑された。673年ネウストリアでクロタール3世が没した際に宮宰エブロインは王権を擁護する立場から、テウデリク3世を擁立しようとしたが、豪族たちは自らが国王選挙に参加する権利があるとして、この決定を覆し、新たにキルデリク2世を擁立した。680年ないし683年にはエブロインは暗殺され、王権に対する豪族の優位が確立された[* 70]。このころアキテーヌはほとんど独立した状態となり、王権の支配を離れた。ブルグントでは宮宰職は空位同然であり、エブロイン死後のネウストリアの宮宰職も混乱し影響力を低下させた[* 71]。ネウストリアで国王と宮宰に対する豪族の反乱が起こると、ピピン2世はこれに介入し、687年テルトリィの戦いでネウストリア軍を破って、688年全王国の宮宰職を認められた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール・マルテルとイスラム勢力の西漸 714年12月ピピン2世が死ぬと、カロリング家の支配に対する反動が起こり[* 72]危機を迎えたが、ピピン2世の庶子カール・マルテルによって717年にはクロタール4世[* 73]が擁立され、カール・マルテルはアウストラシアの支配を確立した。724年ごろにはおそらくネウストリアを平定し、アキテーヌを支配していたユードと和平を結んだ。ユードは719年からネウストリアの豪族と結んでカール・マルテルと敵対していたが、これ以降ユードの生きている間はカール・マルテルの有力な同盟者となった。カール・マルテルは730年にアレマン人を、734年にフリース人を征服し領土を拡大した。また733年にはブルグントを制圧した。 このころイスラム教徒が北アフリカからジブラルタル海峡を越えてヨーロッパに侵入し、711年には西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を支配するようになった。720年にはイスラム教徒の軍がピレネー山脈を越えてナルボンヌを略奪しトゥールーズを包囲した。ユードはイスラムの総督に自分の娘を嫁がせるなど融和を図る一方、732年にイスラム教徒が大規模な北上を企てた際にはカール・マルテルに援軍を求め、これを撃退した(トゥール・ポワティエ間の戦い)。 735年にユードが死ぬと、カール・マルテルはただちにアキテーヌを攻撃したが、征服には失敗し、ユードの息子クノルトに臣従の誓いを立てさせることで満足するにとどまった。軍を転じたカール・マルテルは南フランスに影響を拡大しようとし、マルセイユを占領した。このことが南フランスの豪族に危機感を抱かせ、おそらく彼らの示唆によって、737年にはアヴィニョンがイスラム教徒に占領された。カール・マルテルはすかさずこれを取り返し、ナルボンヌを攻撃したが奪回はできなかった。カール・マルテルはこのような軍事的成功によってカロリング家の覇権を確立した。737年にテウデリク4世が死んでから、カール・マルテルは国王を立てず実質的に王国を統治していた。 トゥール・ポワティエ間の戦い アキテーヌを支配していたユードはイスラム教徒の国境司令官オスマーンに娘を嫁がせたが、イベリア総督アブドゥル・ラフマーンはこれを殺害した。732年、アブドゥル・ラフマーンはピレネー山脈を越え南フランスに侵攻し、ユードの軍を破った。カール・マルテルはアウストラシアの軍勢を率いてユードの援軍に駆けつけ、トゥールとポワティエの間の平原でこれを撃退した。この勝利でカール・マルテルの声望は大いに高まった カール・マルテルはフリースラントへのカトリック布教で活躍していたボニファティウスによる、テューリンゲン・ヘッセンなど王国の北・東部地域での教会組織整備を積極的に支援した。722年教皇グレゴリウス2世により司教に叙任されたボニファティウスは723年にカール・マルテルの保護状を得て、当時ほとんど豪族の私有となっていたこの地域の教会を教皇の下に再構成しようと試みた。ボニファティウスの努力によって、747年にカロリング家のカールマンが引退する頃にはこの地域の教区編成と司教座創設はほぼ完成された。またこれらの地域でローマ式典礼が積極的に取り入れられた。 一方でカール・マルテルはイスラム勢力に対抗するため軍事力の増強を図り[* 74]、自らの臣下に封土を与えるためネウストリアの教会財産を封臣に貸与した(「教会領の還俗」)。これにより鉄甲で武装した騎兵軍を養うことが可能となった。カール・マルテルの後継者カールマンはアウストラシアの教会財産においても「還俗」をおこなった。封臣は貸与された教会領の収入の一部を地代として教会に支払ったが、地代の支払いはしばしば滞った。この教会財産の「還俗」を容易にするため、修道院長や司教にカロリング家配下の俗人が多く任命された。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピン3世の国王即位、カロリング朝の成立 741年のカール・マルテルの死後、王国の実権は2人の嫡出子カールマンとピピン3世、庶子グリフォによって分割されることとなっていたが、カールマンとピピン3世はグリフォを幽閉して、王国を二分した。743年、2人は空位であった王位にキルデリク3世を推戴した。747年カールマンはモンテ・カッシーノ修道院に引退し、ピピン3世が単独で王国の実権を握った。750年頃にはアキテーヌを除く王国全土がピピンの支配に服していた。 カロリング家の君主たちが進めた教会領の「還俗」はカロリング家とローマ教皇との間に疎隔をもたらしていたが、ボニファティウスを仲立ちとして両者は徐々に歩み寄った。739年頃からボニファティウスを通じてカール・マルテルと教皇は親密にやりとりしていた[* 75]。742年カールマンはアウストラシアで数十年間途絶えていた教会会議を召集した。745年にはボニファティウスを議長としてフランク王国全土を対象とする教会会議がローマ教皇の召集で開かれた。 751年ピピンはあらかじめ教皇ザカリアスの意向を伺い、その支持を取り付けた上でソワソンに貴族会議を召集し、豪族たちから国王に選出された。さらに司教たちからも国王として推戴され、ボニファティウスによって塗油の儀式[* 76]を受けた。754年には教皇ステファヌス3世によって息子カールとカールマンも塗油を授けられ、王位の世襲を根拠づけた。この時イタリア情勢への積極的な関与を求められ、756年にはランゴバルド王国を討伐して、ラヴェンナからローマに至る土地を教皇に献上した(「ピピンの寄進」)。 ピピン3世の時代には、キリスト教と王国組織の結びつきが強まった。おそらく763年ないし764年に改訂された「100章版」サリカ法典の序文では、キリスト教倫理を王国の法意識の中心に据え、フランク人を選ばれた民、フランク王国を「神の国」とするような観念が見られる[130][131]。またピピン3世は王国集会に司教や修道院長を参加させることとし、さらにこれらの聖界領主に一定の裁判権を認めた。一方でこれらの司教や修道院長の任命権はカロリング朝君主が掌握していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール大帝の時代、キリスト教帝国の成立 ハールーン・アッラシード(左側)とカール大帝(右側) カール大帝はイタリア支配を巡って対立していた東ローマ帝国を牽制するため、時のアッバース朝カリフ、ハールーン・アッラシードに使者を派遣した 詳細は「カール大帝」を参照 768年にピピン3世が没すると、王国はカール大帝とカールマンによって分割された[* 77]。その後771年にカールマンが早逝したので、以降カール大帝が単独で王国を支配した。773年にランゴバルド王デシデリウスがローマ占領を企てると、教皇ハドリアヌス1世はカール大帝に救援を求め、774年これに応じてデシデリウスを討伐し、支配地を併合して「ランゴバルドの国王」を称した[* 78]。781年にはランゴバルド王の娘を娶ってフランク王国から離反的な態度を取っていたバイエルン大公タシロ3世に改めて臣従の宣誓をさせたが、788年にはバイエルン大公を廃して王国に併合した。また772年から王国北方のザクセン人に対して征服を開始し、30年以上の断続的な戦争の末に、804年併合した。イスラム教徒に対しては778年ピレネー山脈を越えてイベリア半島へ親征したが、撤退を余儀なくされた。801年にはアキテーヌで副王とされていた嫡子ルートヴィヒによってピレネーの南側にスペイン辺境伯領が成立し、イスラム教徒への防波堤となった。このようにカール大帝の支配領域はイベリア半島とブリテン島を除いて、今日の西ヨーロッパをほぼ包含する広大なものとなった。 教皇レオ3世は800年のクリスマスにカール大帝に帝冠を授け、西ローマ帝国が復活した[* 39]。ローマ教皇との結びつきが強くになるにつれ、帝権は神の恩寵によるものという観念が強まり、宗教的権威を持つようになった[* 79]。教皇レオ3世のカール大帝への外交文書は東ローマ皇帝への書式に従い、教皇文書はカールの帝位在位年を紀年とするようになった。カール大帝は教会や修道院を厚く保護する一方、このような聖界領主から軍事力を供出させた[* 80]。世俗の領主と違って、聖界領主は世襲される心配がなかったからである。またカール大帝は伯の地方行政を監察し、中央の権力を地方に浸透させるために国王巡察使を設けたが、これは一つの巡察管区に聖俗各1名の巡察使を置くものであった。カール大帝の「帝国」は、さまざまな民族を包含し、さらにそれらの民族それぞれが独自の部族法を持っている多元的な世界であったが、キリスト教信仰とその教会組織をよりどころとして、カロリング家の帝権がそれらを覆い、緩やかな統合を実現していた。君主のキリスト教化と教会組織の国家的役割の増大は、カロリング朝の帝国を一つの普遍的な「教会」、「神の国」としているかのようであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教帝国の解体 詳細は「東フランク王国」、「西フランク王国」、および「中部フランク王国」を参照 広大な帝国はカール大帝自身の個人的な資質に支えられるところも大きく、またフランク人の伝統に従って分割される危険をはらんでいた。すなわちフランク王国では兄弟間による分割相続が慣習となり強固な法意識となっていたので、806年カール大帝は「王国分割令」を発布し、長子カールにアーヘンなど帝国中枢であるフランキアの、ピピンにイタリアの、ルートヴィヒにアキテーヌの支配権を確認し、帝権と王権をカール大帝が掌握するという形式をとった。その後ピピンとカールマンは早逝し、813年東ローマ皇帝がカールの帝権に承認を与えてのち、ルートヴィヒを共治帝とした。 ヴェルダン条約によるフランク王国の分割 西フランク王シャルル2世アキテーヌ|ガスコーニュ|ラングドック|ブルゴーニュ|イスパニア辺境 中フランク王ロタール1世ロレーヌ|イタリア|ブルゴーニュ|アルザス|ロンバルディア|プロヴァンス|ネーデルランデン|コルシカ 東フランク王ルートヴィヒ2世ザクセン|フランケン|テューリンゲン|バイエルン|ケルンテン|シュヴァーベン 814年カール大帝が亡くなると、ルートヴィヒは帝位と王権を継承した。ルートヴィヒ1世は817年「帝国整序令」を出して長子ロタール1世を共治帝とし、次子ピピンにアキテーヌの、末子ルートヴィヒにバイエルンの支配権を確認した。この時点ではロタール1世にイタリアの支配権も認められており、彼は後継者として尊重されていた。しかしシャルルが生まれると、ルートヴィヒ1世はこの末子のために829年フリースラント・ブルグント・エルザス・アレマニアに及ぶ広大な領土を与えることとし、ロタール1世もこれを承認した。内心これを不満に思っていたロタール1世は830年反乱し、ルートヴィヒ1世を退位させて単独帝となったが、ピピンとルートヴィヒがこれに対抗してルートヴィヒ1世を復位させた。その後840年のルートヴィヒ1世の死後も兄弟たちは激しい抗争を繰り広げた。 841年ロタール1世とシャルル、ルートヴィヒはオーセール近郊で戦い(フォントノワの戦い)、ロタール1世は敗北し、842年兄弟は平和協定を結び、帝国分割で合意することとなった。843年ヴェルダンで最終的な分割が決定され、帝国はほぼ均等に三分されることとなった(ヴェルダン条約)。帝権はロタール1世が保持し、さらに850年ロタール1世は子息ルートヴィヒ2世にローマで戴冠させることに成功した。ロタール1世は855年、帝位とイタリア王国をルートヴィヒ2世に、次子ロタール2世にロートリンゲン、三男のシャルルにブルグントの南部とプロヴァンスの支配を認めた。863年にシャルルが死ぬと、遺領はルートヴィヒ2世とロタール2世の間で分割され、帝国はイタリア・東フランク・西フランク・ロートリンゲンの4王国で構成されることとなった。 869年にロタール2世も没すると、西フランク王シャルルがロートリンゲンを継承したが、翌870年東フランク王ルートヴィヒがこれに異を唱え、両者はメルセンで条約を結び、ロートリンゲンを分割した(メルセン条約)[* 81]。西フランク王シャルルは875年のルートヴィヒ2世の死後はイタリア王国と帝位を確保した。876年の東フランク王ルートヴィヒの死に際して、シャルルは東フランクにも支配権を及ぼそうとしたが、アンデルナハ近郊でルートヴィヒの息子たちと戦って敗れ、翌877年失意のうちに没した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 分裂後のカロリング朝後継国家 結局カール大帝の帝国は社会的・制度的に永続性を欠いており、王家の分割相続により瓦解することとなった。 885年にはカール3世によって帝国が再統一されるが、一時的なことに過ぎず、887年にはアルヌルフによって廃位に追い込まれた。翌888年には西フランク王位がパリ伯ウードに移り、一時的にではあるがカロリング家の血統から外れた。ウードは支配の正統性を維持するためにアルヌルフの宗主権を認め、のちにはカロリング家のシャルル3世を後継者として認めざるをえなかったが、ウードの即位は明らかにフランク王国史の新展開を告げるものであった。西フランク王位はこれ以後、カロリング家とロベール家の間を行き来し、やがて987年にはユーグ・カペーの登位とともにカペー朝が創始され、のちのフランス王国へと変貌を遂げ始めた。 この時代は北からノルマン人・南からムスリム・東からマジャール人が侵入し、これにカロリング家の君主はうまく対応することが出来ず、逆に辺境防衛を担った貴族が軍事力を高めるとともに影響力も強めた。前述のパリ伯ウードも対ノルマン防衛で声望を集めた人物であり、東フランクでもフランケンやバイエルン・ザクセンなどの大公・辺境貴族が台頭し、東フランク王国の統合の維持に努めながらも、自らの支配領域を拡大していった。彼らは地域における主導権争いに勝利して地域内において国王類似の権力を有するようになり、やがてカロリング家が東フランクで断絶すると、これら有力貴族が玉座に登ることとなり、のちのドイツ王国の枠組みが形成されていく。この過程で王国の統一維持の観点から、王国の分割相続が徐々に排除されるようになり、10世紀にはカロリング朝後継国家のいずれにおいても単独相続の原則が確立された。 北イタリアでは、888年以降カロリング家の影響が弱まると、異民族の侵入と諸侯による王位争奪の激化から都市が防衛拠点として成長し始めた。ブルグント王国も888年に独立し、1032年に神聖ローマ帝国に併合されるまで独立を維持した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング・ルネサンス、中世文化の始まり カール大帝の宮廷は文化運動の中心となり、そこに集まる教養人の集団は「宮廷学校」と呼ばれた。この文化運動の担い手たちは、西ゴート人・ランゴバルド人・イングランド人などフランク王国外出身者が多かった。9世紀以降、文化運動の中心は修道院へと移り、書物製作や所蔵に大きな役割を担った。このような例としてはトゥールのサン・マルタン修道院などが有名である。 この、カール大帝のいわゆるカロリング・ルネサンスは神政的な統治政策に対応した文化運動であり、正しい信仰生活の確立を目指すものであった。聖書理解の向上、典礼書使用の普及、教会暦の実行において正統信仰に基づくことが目指され、すでに地域差が著しくなっていた俗ラテン語から古典ラテン語へと教会用語の統一が図られた。これによりラテン語が中世西欧世界の共通語となる。一方で、典礼形式の確立と聖職者改革によって、カロリング・ルネサンスは文化の担い手を俗人から聖職者へと転回させ、俗人と聖職者の間の文化的隔たりを広げる結果ももたらした。 カロリング・ルネサンスの意義については、文献についての基本的な2つの要素、書記法と記憶媒体の変質が特に中世文化の成立に大きな意義を持った。カール大帝は従来の大文字によるラテン書記法を改革して、カロリング小字体を新たに定めた。この統一された字体を用いて、さまざまな文献を新たにコデックス[* 82]に書き直され、著述と筆写が活発になされた。書物の形態の変化とともに、書写材料はパピルスから羊皮紙に変化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝期の政治思想 ここではカロリング朝が帝権を手に入れた9世紀初頭ごろの政治思想を概観する。まずカール大帝のキリスト教帝国の政治思想として アルクインの思想を、次に教権の側の政治思想として作者不明の『コンスタンティヌス帝の寄進状』を特筆する。 アルクイン 教皇シルウェステル1世とコンスタンティヌス大帝 コンスタンティヌス大帝はシルウェステル1世にローマ全土を教会領として寄進する約束をしたという説話が8世紀ごろに作られた。この『コンスタンティヌス帝の寄進状』は中世を通じて教権の重要な根拠の一つとなっていたが、のちにヴァラなどによって偽作されたものであることが明らかにされた 詳細は「アルクィン」を参照 アルクインはブリテン島出身の神学者で、カール大帝の宗教政策を中心とした問題についての、最も有力な助言者の一人であった。カール大帝時代のいわゆる「カロリング・ルネサンス」においても指導的役割を演じたと考えられている。アルクインはカトリック信仰が地上に平和をもたらすものであると信じ、その実現者をカール大帝に見た[132]。 カール大帝が795年教皇レオ3世が選出された際に送った外交書簡はアルクインの手になるものと考えられている[133]。この書簡は、キリスト教のための戦争、信仰の擁護などをフランク国王の職務と述べ、ローマ教皇の職務は祈りを通じて国王を補佐することであると述べている。799年にアルクインがカール大帝にあてた有名な書簡では、教皇・ビザンツ皇帝がいずれも堕落している[* 83]のに対し、カール大帝のフランク王国のみが正しいキリスト教君主であるとした。そのすぐあとに出された書簡では、アルクインはカールのフランク王国を「キリスト教帝国 ("Imperium Christianum")」と呼び、カールの王権を全キリスト教共同体を覆うものとしている。このアルクインのいう「キリスト教帝国」は800年のカール大帝の戴冠で劇的に現実化した。 アルクインはまた両剣論を取り上げ、カール大帝が世俗の剣も霊的な剣もともに神から授かったとして教権に対する帝権の優位を説いた[* 84]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] コンスタンティヌス帝の寄進状 詳細は「コンスタンティヌスの寄進状」を参照 『コンスタンティヌス帝の寄進状』は、『偽イシドールス教令集』に記載されていたもので、作者は不明である。このイシドールスとは7世紀イベリア半島のセビリャ大司教のことである。イシドールスは従来の教令集[* 85]にスペインでの教会会議の決定を増補し、『ヒスパナ』という教令集を編纂した。のちにこれが『イシドールス集録』と呼ばれ、カノン法の法源とされた。『偽イシドールス教令集』はこれとは別の物で、8世紀か9世紀にイシドールスに仮託して作成された偽文書である[* 86]。 この文書は書簡形式であり、その日付は315年3月30日に書かれたことになっている[134]。まずコンスタンティヌス1世は癩病を患い、時の教皇シルウェステル1世の祈りによって救われたとする。コンスタンティヌスはシルウェステル1世を皇帝にしようとしたが、シルヴェステル1世は帝冠を一度受け取ったが被らず、帝冠を改めてコンスタンティヌス1世に被せたという。次にこの文書は聖ペテロに向ける形でコンスタンティヌスによる以下の寄進の記録を記す。すなわちアンティオキア・アレクサンドリア・エルサレム・コンスタンティノポリスと、他の全ての教会に対する優越権、皇帝の紋章とラテラノ宮殿の下賜、西部属州における皇帝権を教皇に委譲した。この架空の歴史的事実によって教皇は「普遍的司教」であり、皇帝任命権を保持していると主張した。カール大帝の戴冠もこの理念に則った形で行われ、これを先例としてのちに教皇は皇帝よりも優越的な地位にあることの根拠とした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス改革と教権の絶頂 これまで述べたように、中世ヨーロッパという固有の文明社会の成立には、皇帝権と教皇権という2つの普遍的権力・権威が相補的役割を果たしていた。11世紀に入ると、この皇帝権と教皇権の関係が本質的な対立に向かい、中世ヨーロッパ社会の秩序が根本的な変革に直面することとなった。一般にグレゴリウス改革[* 87]として把握される一連の教会改革運動である。結果的には教皇権は、皇帝権に対して一定の自立を勝ち得、その完結性を実現することになり、日常生活に関わる秘蹟への関与を強めることにより、民衆の精神支配において圧倒的な影響力を持つようになる。さらにシュタウフェン朝の断絶後に皇帝権が著しく影響力を弱めると、教権は全盛の時代を迎える。 一方で教会改革を通じて高められたキリスト教倫理は、12・13世紀になると、民衆の側から使徒的生活の実践要求[* 88]という形で教会に跳ね返り、さらには異端運動を生み出す元ともなった。また14世紀に入ると、教皇権は国家単位での充実を果たした俗権の挑戦を受けることになった[* 89]。 修道院改革運動と教会改革の始まり クリュニー修道院 フランス革命によって破壊される以前は、偉容を誇った壮大な修道院であった。アキテーヌ公ギヨームにより設立された。12世紀にいたるまで西ヨーロッパで絶大な影響力を持った グレゴリウス改革の前史としての修道院改革運動は、11世紀初頭のロートリンゲンで広がりを見せた。このロートリンゲンの修道院改革に影響を与えたのがクリュニー修道院である。クリュニー修道院は909年ないし910年に教皇以外の一切の権力の影響を受けない自由修道院として設立され、ベネディクトゥスの修道精神に厳格に従うことで、西ヨーロッパに広く影響を与えた。ザリエル朝の皇帝ハインリヒ3世は、このクリュニーの修道精神に深く共感し、聖職売買(シモニア)を強く批判し、教会改革を求めた。しかし、後に息子のハインリヒ4世と改革の主導者であったグレゴリウス7世は問題となっていた聖職者の任免権を巡って叙任権闘争で争うことになる。 一方でクリュニー精神の影響を受けたロートリンゲンの修道院は、徐々に修道士団の自立性を唱えるようになり、皇帝権からの自立を目指すようになった。そしてクリュニー精神に基づき、修道院活動を純化し汚れない本来の姿に戻ろうとする動きは、シモニアやニコライティズム(聖職者の妻帯)に対する批判と軸を同じくした。改革に熱心な教皇レオ9世が登位すると、教皇権がこの教会改革の主導権を握るようになった。レオ9世は聖職者の倫理改革を目指してシモニアに対して厳しく対処することを表明し[* 90]、改革遂行のため、当時の改革的聖職者を教皇庁の下に結集して、教会改革に合致する教会法の集成に着手させ、さらに教皇首位権を現実化しようとした。レオ9世時代の改革はこのようにグレゴリウス改革に直結するものであるが、その対象はほぼ教会内部に限られており、教権と俗権の関係には及んでいない。その後ニコラウス2世は1059年、ラテラノの教会会議で下級聖職者に限って俗人叙任を明確に禁止した[* 91]。つづくアレクサンデル2世も聖職者の倫理改革に着手し、教皇特使を活用してキリスト教社会に影響を及ぼそうとし、シモニアやニコライティズムを強く批判した。こうしてグレゴリウス7世の登極までに改革は着実に進展していた。 このように、クリュニー修道院に影響を受けた修道院改革の基本精神は教会改革に継承されたのであるが、これはクリュニーの精神とグレゴリウス改革が全ての面において、一致していたということを必ずしも意味しない[* 92]。教皇主導の教会改革が徐々に急進化するに及び、当初は協力的であったクリュニーは教皇庁と距離を置くようになっていった。たとえば改革派が唱える、明らかにドナトゥス派に通じる叙品論[* 51]に対しては、クリュニーはペトルス・ダミアニとともにこれに反対した。またイスパニアでもカスティーリャ王国に影響を及ぼそうとする教皇の政策に対し、クリュニーはむしろアルフォンソ6世と結びつくことで、これに対抗した[* 93]。 しかしクリュニー精神もグレゴリウス改革も、キリスト教が「危機」に直面しているという認識では一致していたのであり、この時代の大きな雰囲気の中から生まれたものであることは共通していた。クリュニーは世俗権からの「教会の自由」を主張し、この考えがロートリンゲンの修道院運動でシモニア批判に結びつき、グレゴリウス改革で本格的にそれが主張されるという、発展の傾向は認められる[137]。だが、クリュニーはシモニアに対しては妥協的であったし、その運動の進展はグレゴリウス改革と並行していた。したがって、両者の関係はクリュニーがグレゴリウス改革を生み出したというよりは、両者が間接的に影響し合っていたと見るべきである[138]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 周縁における権力と教会 中世ヨーロッパにおいて周縁に位置するイングランドやイベリア諸国、スカンディナヴィアでは、そこがキリスト教世界にとって前線であるがゆえに、西ヨーロッパの中央とは異なったあり方でキリスト教が存在していた。これらの地域ではカトリックとは異なる典礼を発達・維持させていた教会が存在していたのである。しかしグレゴリウス改革の影響はこれらの地域にも波及し、新たな展開を見せた。 イングランド教会の伝統 ブリテン島のキリスト教の歴史は、ローマ帝国時代にまで遡ることができる。古代末期にはペラギウスや聖パトリックが知られており、後者によってアイルランド伝道が開始された。アイルランドが急速にキリスト教化するのと対照的に、ブリテン島はアングロ・サクソン人の侵入を受け、一時的にキリスト教布教が停滞した。しかしながら563年以降、アイルランドから渡った聖コルンバがアイオナ島を拠点にスコットランド改宗に着手し、597年6月9日の死にいたるまで熱心な布教活動を続けた。ちょうど同じ年の6月2日に教皇グレゴリウス1世の命を受けた聖オーガスティンがケント王国に上陸し、イングランド布教も開始された。 アンセルムス 師であるランフランクの跡を継いでカンタベリー大司教となる。イングランド王国での聖職叙任権改革を進め、王権と対立。17年にわたる在位期間中、2度も追放される憂き目にあった こうしてアイルランド人のケルト教会とカトリック教会が同じ島で同時期に別々に布教を開始したが、両者は様々な面で相違していたために[* 94]、布教をめぐって摩擦や対立が生じることとなった。両者は664年、ホイットビー教会会議[* 95]で信仰について話し合い、結局この会議ではカトリック側が勝利した。以後イングランドの地域ではカトリック教会が優勢になった。8世紀末のデーン人の侵入によって、イングランドの教会は再び停滞の時期を迎えた[142]が、10世紀にはアルフレッド大王の下で復興がなされた[143]。その後デーン人侵入の第二波がイングランドを襲うが、その王クヌートはキリスト教徒であり、キリスト教を厚く保護した[144]。 エドワード懺悔王の死後、1066年のヘイスティングズの戦いに勝利したウィリアム1世がイングランド王に即位してノルマン朝を開始した。ウィリアムは自身の王権を強化しようとして、イングランドに強力な支配権を打ち立てようと試み、イングランド国内の司教や大修道院長を自ら指名し、指輪と司教杖を与えて叙任した。このことは当時の教皇庁が進めていた、俗人による聖職叙任を排除しようという改革運動と真っ向から対立するものであった[* 96]。1073年にグレゴリウス7世が登極すると、グレゴリウスはウィリアムを説得して俗人叙任を止めさせようとしたが、徒労に終わった[146]。ウィリアムは勅令を出して、イングランドの臣下が国王が同意しない破門宣告に同意することや、司教が国王に無断で出国すること、国内の聖職者が国王の認めない教皇書簡を受け取ることを一切禁じた[146]。ウィリアムの宗教政策はカンタベリー大司教ランフランクの協力によって推進された。ランフランクはまず、カンタベリー大司教のイングランドにおける首位性を確立するため、ヨーク大司教トマスに服従誓願を迫り、それを取り付けることでイングランドにおけるカンタベリー大司教の首位権確立に大きな前進をもたらした[* 97]。ローマ教皇庁は地域的な首位教会という考えには反対であったので、これを支持しなかったが、ウィリアムとランフランクは伝統的な政教協力の思想の下に、イングランドに強力な政府を樹立し、イングランド教会の独立を守り抜いた[150][151][* 98]。 ランフランクの後継者であるアンセルムスは前任者とは対照的に、ローマ教皇に忠実な人物であった[* 99]。アンセルムスは明確に教皇首位権を認めていた[154][155][156][157]ので、1095年2月のロッキンガム教会会議では、教会に対する国王の干渉を強く非難した。これに対し、国王ウィリアム2世に忠実なイングランドの司教たちは、逆にアンセルムスに教皇への服従を放棄するよう忠告した[158][159]。つづくヘンリー1世は聖職叙任に関して教皇とアンセルムスに歩み寄り、1107年ロンドン協約を結んだ[* 100]。そこでは国王や俗人から聖職者が叙任されることは原則的に禁じられた一方、国王に対する臣従宣誓を理由として司教叙任を拒んではならないという規則が設けられた。これによってイングランド国王は教会に対する実質的な影響力を維持した。しかしながら、1114年のカンタベリー大司教選挙において、国王が推薦する候補が落選するなど、国王の教会政策に一定の疑問が投げかけられる結果をもたらした[161]。ヘンリー1世の跡を継いだスティーブン王の時代は混乱を極め、王は自らの権力を維持するために教会にあらゆる譲歩をしたが、その約束は果たされず、逆に国王と教会の対立は深まった。1139年に国王がソールズベリー司教ロジャーを逮捕投獄する事件が起こり、これを機にスティーブンは聖界の支持を決定的に失った。1141年のウィンチェスター教会会議で司教たちは、司教には国王を聖別する権利があると主張し、マティルダを「女支配者」 ("Domina Anglorum") として認めた[162][163]。スティーブン王の治世の間、イングランドは実質的な内乱状態にあったが、教会はその混乱の中で影響力を強め、王権からの相対的な自由を獲得した。 スティーブン王の死後、生前の約束通りヘンリー2世が即位してプランタジネット朝を開いた。新国王はイングランドの無秩序状態を収拾するため、法律を整備する必要性を感じ、裁判制度の改革に乗り出した。イングランドでは、ウィリアム1世時代に世俗の裁判所と教会裁判所が分離されており、聖職者は教会裁判所で裁くこととされていた。これは聖職者の特権と見なされていたが、国王裁判所では死罪に当たるような罪でも、教会裁判所では軽い罰で済んだために、獄吏を買収して剃髪して詐って聖職者を名乗り、刑を軽くするような法の抜け道が存在していた。ヘンリーは法の公正な執行のために、聖俗で刑罰が異なるこの法制度を改革することを意図し、クラレンドン法[* 101]を制定した。これに対しカンタベリー大司教トマス・ベケットは一度は不承不承認めたものの、のちに教会の権利を擁護して国王に反対した。長く追放された後、ベケットはイングランドに帰国するが、カンタベリー大聖堂で4人の騎士に殺害された。しかしこのことでベケットは殉教者として崇敬されるようになり、国王は逆に譲歩せざるを得なくなった。結局大逆罪に関する条項を除いてクラレンドン法のほとんどは破棄された。 中世の初期においては国王の強力な掣肘化にあったイングランド教会であったが、プランタジネット朝の開始時には大陸での教会改革の成果も取り入れ、王権に対して一定の独立を守ることが可能となっていた。しかし、一方でこの時代にカンタベリー大司教の首位権が徐々に確立され、イングランドにおぼろげながらも一つの信仰共同体が形成され始めたことは、後の国教会体制を準備するものであった[* 102]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴートの伝統、イベリア半島諸国 1031年のイベリア半島 後ウマイヤ朝が滅亡した直後のイベリア半島 キリスト教諸国レオン王国|カスティーリャ伯領|ナバーラ王国|アラゴン伯領|カタルーニャ君主国 イスラム教タイファ諸国アルコス|アルバラチン|アルプエンテ|アルヘシラス|アルメリア|ウエルバ|カルモナ|グラナダ|コルドバ|サラゴサ|サンタ・マリア・デル・アルガルベ|シルヴェス|セビーリャ|デニア|トルトサ|トレド|ニエブラ|バダホス|バレンシア|マラガ|マロン|ムルシア|メルトラ|ロンダ 711年に西ゴート王国が滅亡して後、イベリア半島はそのほとんどがイスラム教徒によって支配された。イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の独自の典礼を維持したキリスト教徒たちがおり、彼らは「モサラベ」と呼ばれた。一方北部を中心にキリスト教国が残存していたが、その中でも山岳地帯に位置したアストゥリアス王国は最も積極的にイスラーム諸国に対抗した[165][166][167][168][* 103]。アルフォンソ2世の治世後半にはアル・アンダルスから移住してきたモサラベの建言を容れて、西ゴート方式の宗教儀式を部分的に採用し、西ゴート王に連なる家系図を作らせ、アストゥリアスが西ゴート王国の継承者であるという「新ゴート主義」[* 104]が成立した[173][174][* 105]。アルフォンソ3世の時代になると、植民活動を活発化させ、教会堂の建設事業を積極的に行うなどキリスト教布教にも力を注いでいる[173][178][* 106]。つづくガルシア1世の時代に王国は首都をレオンへ移し、王国はレオン王国と呼ばれるようになった。レオン・ガリシア・アストゥリアスはそれぞれ別の王を戴きつつ、レオンのガルシア1世がそれらをまとめて緩やかな連合を形成した[* 107]。一方同時期のイスパニア辺境は弱小国家の集まりであり、イスラム教国に対抗することなど不可能で、アル・アンダルスとは友好的あるいは従属的な関係を結んでいた[183]。ナバラ王国もその点は全く同様で、イスラム教国に対し友好的・従属的地位にとどまっていた[184]。アラゴン伯領もいまだレコンキスタ精神からはほど遠い状態にあった[185]。一方のアル・アンダルスでは、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世やハカム2世の宮廷は北部キリスト教国のみならず遠くビザンツ帝国や神聖ローマ帝国からも使節を迎え[186]、ナバラ王国やレオン王国に遠征してこれを屈伏させた[187]。 11世紀にはいると、サンチョ3世の下でナバラ王国が台頭した。王は巧みな婚姻政策でカスティーリャ伯領・レオン王国などの周辺キリスト教国を併合し、「イスパニア皇帝」を自称した[188][* 108]。その息子でカスティーリャ王国を相続したフェルナンド1世はレオン王国を併合(カスティーリャ=レオン王国)すると、南へ遠征し、後ウマイヤ朝滅亡後にアル・アンダルスに割拠したタイファ諸国を攻撃して金による貢納(パリア)を求めた [* 109]。しかし貢納金を支払わせるということは、逆にフェルナンドをしてこれらタイファ国を保護する義務を生じさせるものでもあった。フェルナンドとその息子のサンチョ2世はタイファ国の救援要請を受けて、これを攻めたキリスト教国と干戈を交えている[190][191][192]。フェルナンドの晩年にはいくつかのアル・アンダルスの都市を征服するなど「レコンキスタ」[* 110]的な行動が見られたが、同じキリスト教を奉ずる国々との戦争も頻繁に行われており、このころの軍事行動が宗教的動機を離れて行われていたことは注目に値する[193][* 111]。 11世紀にはサンティアゴ・デ・コンポステーラが巡礼地として知られるようになり、フランス人の巡礼者を引き付けるようになった[* 112]。フランス人はクリュニー修道院の改革精神をスペインにもたらした。クリュニーは王権から寄進を受けてスペイン各地に修道院を獲得し、さらに新たな征服地の司牧を任せられるようになった。例えばアルフォンソ6世はトレドを攻略すると、トレド大司教をクリュニー派のベルナール (en Bernard de Sedirac) に任せた[196][* 113]。一方で改革派教皇はその首位権をイベリア半島に及ぼそうとし、「コンスタンティヌスの寄進状」を持ち出して西ローマ帝国の故地は教皇に捧げられていると主張した。これはカスティーリャ王国の「新ゴート主義」とは基本的に相容れないものであった。グレゴリウス7世がイベリア半島に首位権を主張した時、アルフォンソは「イスパニア皇帝」あるいは「トレド皇帝」を自称して牽制した[199][197][200]。アルフォンソはクリュニーに多大な寄進をすることで教皇権に対する防壁としてクリュニーを利用しようとした[201]。アルフォンソは他方、教皇やクリュニーの要求していた、モサラベ式典礼からローマ式典礼への移行には応え、イスパニアの教会改革を実施した。これによってイスパニア教会が独自の典礼を捨てローマへ一致する道は確定され、イスパニア教会史に一つの画期が訪れた。だが、1090年のレオン教会会議で西ゴート書体の使用が禁止され、カロリング書体が義務づけられたにもかかわらず、アルフォンソは西ゴート書体を使い続けた[202]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スカンディナヴィアの改宗 9世紀まで、スカンディナヴィアにおいてキリスト教が大きな影響力を持つことはなかったが、キリスト教の信仰と典礼はこの地域にかなり早く波及していた[203]。その信仰は西ローマ帝国の滅亡以前に遡るものもあるが、8世紀に形成された北欧とフランク王国などのキリスト教諸国との間の交易路が大きな影響を及ぼしたと考えられている[203]。8世紀の初頭にはイングランドの修道士であったウィリブロード (Willibrord) によるフリジア地方への布教が知られており、彼はデンマーク南部のリベ(Ribe)まで足を運んで、その地から30人の少年を連れ帰って教育し、彼らに現地語で布教させようとした[* 114][203]。また近隣のフランク王国は北方地域への布教を継続的に支援していた[203]。 9世紀初頭にフランク王国はザクセン戦争の結果エルベ川以南のサクソン人を服従させ、改宗を強制した[203]。このことはサクソン人と境を接していたデーン人に脅威を抱かせ、デーン人を率いていたゴッドフリード (Gudfred) はフランク王国に抵抗するが、810年に政敵によって暗殺された[203]。彼の死後は息子たちが抵抗を続けたが、フランク王国との宥和政策を主張するハラルド (Harald Klak) が台頭して内戦となった[203]。819年にフランク王国の支援を受けてハラルドが権力を回復すると、彼の支配領域で、ランスの司教エボ (Ebbo) の主導によってキリスト教布教が開始された[204]。ハラルドの権力はつねに脅かされていたために、彼はフランク王国の支援を必要としており、826年、彼はマインツでルイ敬虔帝の見守る中キリスト教へ改宗した[205]。彼はアンスカル (Ansgar) という修道士を伴ってデンマークへと帰還したが、1年後には追放された[205]。一方、829年にはスウェーデン東方にあったスウェーデン人 (svear) の王の要請でビルカにアンスカルが派遣された[205]。18年の歳月を要した彼の伝道活動は成功裏に終わり、ビルカの総督であったヘリガル (Herigar) を改宗させ、彼によって教会堂が建てられた[205]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 等族国家と公会議主義 アヴィニョン教皇庁 ゴシック建築を代表する。1316年にまず最初の建築がおこなわれ、クレメンス6世時代に増築された グレゴリウス改革以後、西ヨーロッパ教会における教皇首位権は確立された。教権の伸長はこの時期さまざまな局面での教権の世俗の領域への介入につながったが、封建君主たちの激しい抵抗に遭い、一連の政治闘争によって教皇権の根拠に対して厳しい批判の目が向けられるようになった。 この時期封建制国家は、特にイギリスとドイツで典型的に身分制秩序が発展し、身分制議会(これを等族議会という)が形成されるようになった。これは一方で貴族による王権の制限という形式を取ったが、同時に王権を中心とした王国単位での共同体を創設することにもなり、普遍的な世界の解体につながるものであった。このような身分制に基づく議会主義をとる国家を等族国家といい、ヨーロッパ中世後期に特徴的な国家様式であると考えられている。等族国家は西はブリテン島から東はポーランド、さらには聖地に作られた十字軍国家も同様の形態を取るが、その内実は地域によりかなり異なる。たとえばドイツでは大空位時代から諸侯の自立化が進み、カール4世の時代に金印勅書の制定によって国王の選挙制が確立された。重要な帝国法は帝国議会で決定されるのが常となり、典型的な等族国家を形成した。一方でフランスではカペー朝による王領拡大が諸侯領を破壊する形でおこなわれ、王国に対する国王の支配がより強力であったために、等族議会である三部会では当初から国王が主導的な役割を担い、国王の政策の道具として扱われる側面が強かった。 ともかくこのような等族国家は、各王国規模での政治社会を定着させることにつながり、中世的な普遍世界から絶対王政への橋渡しをする役割を担ったといえる。これは普遍的にキリスト教世界に影響を及ぼす教権の側から見れば、王国ごとに教会を分断しようとする動きとなり、危険なものであった。なぜなら皇帝権との対立が同じ普遍性の土台の上で戦ったものであったために教権の普遍性自体を疑うものではなかったのに対し、等族国家はまさに普遍性そのものを問題としたからである。ところでこのような代議制的統治の構造は、実に教会においてまず発展したものであった。そして教会においては教皇首位権に対する公会議主義の思想が展開されていくのである[* 115]。 フランス王権との対立、「アヴィニョン捕囚」とガリカニスム 寡婦なるローマ 教皇不在のローマを象徴的にあらわした図。アヴィニョン捕囚は教皇に対する不満を増大させ、また「捕囚」されている事実それ自体が教皇権威の失墜を意識させるものであった この時代、ドイツの皇帝にかわってフランス王権が台頭し、イタリアにも進出するようになり様々な局面で教権と対立するようになってきた。13世紀後半にフィリップ4世が即位すると、この国王と教皇の間で聖職者への課税権を巡って対立がおこった。教皇の側ではアエギディウス・コロンナが論陣を張り、一方のフランス王権を支持したのがパリのヨアンネスであった。ヨアンネスは聖職者は単なる精神的権威であるから世俗のことに関わるべきでないとして教皇の世俗への介入を批判し、一方で世俗国家を自然的社会の最高形態であるからその君主は教会による聖別を必要としないと論じた。 1302年にフィリップ4世は三部会を開いて等族諸身分の支持をとりつけ[* 116]、教皇ボニファティウス8世を捕らえてこれを憤死させた(アナーニ事件[* 117])。フィリップ4世はフランス人であるクレメンス5世を擁立すると、教皇庁をアヴィニョンに移転させた。以後70年間にわたり教皇庁はアヴィニョンにあってフランス王権の影響をうけることになり、この時代を教皇の「アヴィニョン捕囚」という。クレメンス5世の時代にはテンプル騎士団がフィリップ4世によって異端として告発され、クレメンス5世はこの異端裁判において教皇側のイニシアティヴを維持しようとした[* 118]が、結局はフランス王権に屈服し、ヴィエンヌ公会議ではっきりとした理由も示さずにテンプル騎士団の解散を宣言した。 このようにクレメンス5世はフランス王権の影響を強く受けており、グレゴリウス11世までの「アヴィニョン捕囚」期の教皇の立場は総じてクレメンス5世とあまり変わらなかった。カペー朝の断絶後、1337年に百年戦争が始まるとフランスは徐々に戦争により疲弊し、相対的に教皇庁は自立性を強めた。「アヴィニョン捕囚」期は続く教会大分裂時代とともに概して教権の没落期・低迷期と考えられる時期であるが、一方で教会の司法制度[* 119]が整えられ、教権の教会法上における権限の上昇が見られた。 この時代にガリカニスムという主張があらわれた。ガリカニスムとは「ガリア主義」という意味で、ガリアとはフランスのことである。この主張はフランス教会の教権からの独立を説くもので、その契機と考えられるのは前述したパリのヨアンネスである。このガリカニスムはとくに16世紀以降法学者たちの間でさかんに論じられるようになり、やがてイエズス会などの教皇至上主義と激しく対立して民族主義に近づいていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 皇帝との対立、そして「金印勅書」 14世紀の神聖ローマ帝国 この時代は代表的な家門の間で皇帝権の争奪がおこなわれていた。図中紫がルクセンブルク家の家領。図中オレンジがハプスブルク家の家領。図中緑はヴィッテルスバハ家の所領。このような家門どうしの皇帝権争奪に対して、教皇権はいずれかの候補を支持することで介入した 神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世はイタリア政策を積極的に進めようと皇帝代理をイタリアに派遣したが、このことがアヴィニョンのヨハネス22世を刺激し、教皇はイタリアにおける自身の権益が脅かされているものと認識した。ヨハネス22世はルートヴィヒ4世が教皇による国王としての、あるいは皇帝としての承認を受けていないにもかかわらず、国王として、また皇帝として振る舞っているとして批判した。ヨハネス22世は以上の論法からルートヴィヒ4世が教皇に服従することを求めたが、ルートヴィヒ4世が応じようとしないので、これを破門した。これに対しルートヴィヒ4世は選挙に基づく王権の独立性を訴えた。彼に理論的根拠を与えたのはパドヴァのマルシリウスで、『平和の擁護者』を著して法の権威を人民に求め、教会の介入に対して政治社会の自律性を主張した。教皇首位権に対しても聖職者の平等を訴えてこれに挑戦する内容であった。 ルートヴィヒ4世は1327年にイタリア遠征に出発し、ローマに入城して1328年にはローマ人民によって戴冠された。カール大帝以来、帝冠は教皇によって戴冠されるものと考えられていたのに対し、この新式の戴冠は明らかに同行していたマルシリウスの示唆によるものだった。ルートヴィヒ4世はヨハネス22世の廃位を宣言し、ニコラウス5世を擁立した。しかしニコラウス5世は皇帝がイタリアを去ると、1330年にはヨハネス22世に屈服した。その後もルートヴィヒ4世はオッカムのウィリアムなどの有力な理論的神学者を用い、ヨハネス22世とその跡を継いだベネディクトゥス12世、クレメンス6世との間で長い論争が続いたが、決着はつかなかった。 論争が続けられる一方、1338年に帝国法「リケット・ユーリス」が決議され、皇帝選挙の根拠が定められた。これは皇帝の位と権力が神に由来することを示し、選挙侯による選挙によって選ばれた者がただちに国王であり、皇帝であることを定めたもので、ドイツの国王位と神聖ローマ皇帝位に対する教皇の介入を徹底的に排したものであった。ルートヴィヒ4世の死後、ルクセンブルク家のベーメン王カールがカール4世として即位すると、金印勅書を制定して国王選挙権を7人の選帝侯に限り、さらにその選帝侯の権利はそれぞれの領国に結びつけられ、長子相続によることが定められた。これによりドイツ国王は教皇の承認を経なくても皇帝権の行使をおこなうことが可能となり、皇帝位がドイツ国王位と永久的に結びつけられたが、一方で選帝侯は領国内での無制限裁判高権、至高権、関税徴収権、貨幣鋳造権などの諸特権を獲得し、国王からの自立性を強めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イングランド王権との対立 イングランド王権と教権はジョン王の時代にカンタベリー大司教の選任問題をめぐって対立した。カンタベリー大司教ウォルターが1205年に死ぬと、その後継を巡って王とイングランド教会は別々の人物を後任としようとし、ジョン王は教皇インノケンティウス3世に仲裁を求めた。インノケンティウス3世はこの訴えに対し、王と教会両方を批判した上でスティーブン・ラングトンを大司教にするよう命じた。ところがこの決定にジョンは不満をあらわにした。というのもたとえば前任のウォルターの例をあげれば、彼はカンタベリー大司教であるとともに政治家でもあって、先代の国王リチャード1世が十字軍遠征に参加して不在の間、国内の政治をとって安定を守った。このようにカンタベリー大司教はイングランド国内にあって単なる宗教的権威にとどまらず、国王の重要な高級官僚としての役割も担っていたのであった。当時のイングランドにはカンタベリー大司教の選任には王の同意が必要であるという慣例[* 120]があった上、ラングトンはパリ大学出身の高名な神学者であったが、伝統的にイングランドのプランタジネット王家とフランスのカペー王家は対立関係にあり、フランスの大学出であることもジョン王には気に入らなかった。教皇はイングランドにおける全教会の聖務停止を科し、ジョン王は報復として教会財産の没収を命じた。この争いは1214年まで続けられ、結果イングランド王権は大司教選挙施行の許可権と選挙結果への同意権を確保したものの、ラングトンを大司教とすることを受け入れ、イングランド王が教皇の封臣となることを認めさせられ、さらに多額の賠償金を払うこととなった[* 121]。 エドワード1世 ウェールズを征服し、スコットランドにも遠征してブリテン島におけるイングランドの優位を確立させた。積極的な外征とその成功によって支持を集める一方、内政においても「模範議会」に代表される議会制度の整備や立法制度、司法制度などにも進歩をもたらした。しかし晩年には課税を巡って教会や諸侯と対立するなど政治的には危機的状況を迎えた このときジョン王の王権に対するイングランド諸侯の反発は最高潮に達し、マグナカルタを起草して王に承認を求めた。後述するマグナカルタの「保証条項」が王権の制限をもたらすことを危惧した王は直ちに拒否した。1215年5月5日諸侯は臣従誓約を破棄して反乱し、ジョン王は反乱諸侯の所領の没収を命じた。しかしロンドン市民が反乱に荷担し、彼らがここを拠点とするようになると、ジョン王は妥協を余儀なくされ、6月19日にマグナカルタが承認された。ところがマグナカルタは王権にとって不利であるだけでなく、教権にとってもあまり好ましいものでないことは明らかとなった。マグナカルタは伝統的に「保証条項」と呼ばれる箇所で、25人の諸侯が王国内の平和と諸自由に対して権利を持ち、責任を担うことを規定していたからである。このことはイングランド王が教皇の封臣となっていた当時、教皇権の裁治権を狭めるものであると考えられたからである[* 122]。教皇はマグナカルタを批判し、これに力を得たジョン王はマグナカルタを守らなかった。反乱諸侯はフランス王権に介入を依頼し、カンタベリー大司教など幾ばくかの聖職者もこれに荷担する様子を見せたので、いよいよ混乱が避けられぬかと思われた矢先に、1216年10月18日突然にジョン王は逝去した。息ヘンリー3世の即位にあたって、マグナカルタから「保証条項」が削除され、さらにこの修正版には摂政ウィリアム・マーシャルの印章と共に、教皇特使の印章が付与された。 一方でこの時期イングランド国内では議会制度が形成された。13世紀にはすでに大会議(グレート・カウンシル、"Great council")と小会議(スモール・カウンシル、"Small council")に分けられる封建的集会が存在し、裁判所としての役割をしていたことが知られるが、ヘンリー3世がわずか9歳で即位すると、小会議の役割が増大した。ヘンリー3世は成人して親政を開始すると、小会議に行政官やプランタジネット家の故郷である南フランス系の親族を参加させ、彼らを重用した。このことは諸侯との対立を招き、課税を巡って彼らと対立したためにヘンリー3世は一時的に妥協したが、税金が徴収されると結局は約束を破った。しかしヘンリー3世は一連の諸侯との交渉において何人かの固定した成員によって形成される常設の国王評議会(キングズ・カウンシル、"King s council")を認め、のちにこれが議会(パーラメント、"parliament")と呼ばれるようになった[* 123]。ヘンリー3世に不満を持つ諸侯がシモン・ド・モンフォールを中心に反乱すると、モンフォールは従来の成員のほかに各州より2名の自由民と各都市から2名の代表を集めて議会を開いた。結局乱は鎮圧され、これは定例とはならなかったのであるが、エドワード1世の時代、1295年の「模範議会 ("Model Parliament")」からは平民の代表が呼ばれることが規則となった。エドワード1世はこの模範議会で聖職者と平民に課税同意を求めたが、聖職者は教権に訴え、教皇ボニファティウス8世は教皇勅書「俗人は聖職者に(クレリキス・ライコス、"Clericis laicos")」を発し、俗権の教会課税にはそのつど教皇の認可が必要であり、違反に対しては破門を持って応じるとしたので、エドワード1世の意図はくじかれた。 14世紀半ばのエドワード3世の時代になると、イングランド教会に対する教権の支配に対して国内の聖職者からの反発が強くなってきた。というのも前述したように、この時期教皇庁はアヴィニョンに遷移させられてイタリア半島にある教皇領は周辺勢力に浸食されて慢性的な資金難にあえいでおり、収入の一環として聖職売買をさかんにおこなっていた。とくにジョン王以来教皇の教会支配が強まったイングランドでは聖職売買によって地位を得た外人聖職者を受け入れざるをえない状況が続いていた。国王と議会は1351年に聖職者任命無効令を、1353年に上訴禁令を出してイングランド国内における教権と教会法の影響を排除しようとした。これは教権との政治上の駆け引きにおいて有効な武器として使われることもあったが、実際に行使されたことはなかった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教会大分裂と公会議主義 教会大分裂 青がローマ教皇庁支持。赤がアヴィニョン教皇庁支持。緑のポルトガルは当初アヴィニョン支持だったが、ローマ支持に転じた 教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマへ戻し、アヴィニョンの時代は終わったかに見えた。グレゴリウス11世の死後、教皇選挙でウルバヌス6世が即位することとなった[* 124]。ウルバヌス6世は当初官僚的で温厚な人物だと考えられていたが、即位すると枢機卿に対し強圧的になった。その結果フランス人枢機卿がまずローマを去り、イタリア人の枢機卿たちも結局はこれに従った。彼らはしばらく教皇と交渉と試みたが、埒があかないことを悟ると、一転してフランス王の甥にあたるクレメンス7世を選出し、アヴィニョンに拠った。ここにローマとアヴィニョンに2人の教皇、2組の枢機卿団が並立する長い教会大分裂[* 125]が始まった(1378年〜1417年)[* 126]。 ヨーロッパの主要国は一方の教皇を支持して分裂した[* 127]が、このことは民族を中心にまとまり始めた各国家の利害が教会の内部の問題にも介在するようになったことを示していた。事実両教皇の死後も教権の分立状態は解消されず、主にフランス王権と神聖ローマ皇帝権の意を受けたそれぞれの教皇が並び立つこととなった。ローマではウルバヌス6世が死ぬと、ボニファティウス9世が跡を継ぎ、アヴィニョンではクレメンス7世の死後にはベネディクトゥス13世が即位した。このベネディクトゥス13世はフランス教会への支配を徹底しようとして、パリ大学を中心とするフランス人聖職者の反発を招き、フランス教会のガリカニスムの傾向をますます強めることとなった。 このような混乱のなか、譲歩しようとしない両教皇の態度に業を煮やした両教皇庁の枢機卿団は、公会議を開いて新しい教皇を選任し、この分裂を解消しようという動きを取り始め、公会議派が形成された。公会議派は1409年ピサ公会議を開き、両教皇の参加を求めたが受け入れられなかった。この公会議で公会議派は両教皇の廃位を宣言し、新たにアレクサンデル5世を選出した。これに対し、ベネディクトゥス13世はペルピニャンで、グレゴリウス12世はチヴィタレでそれぞれ自派の公会議を開き、ピサ公会議の決定を受け入れなかったので、ここに3人の教皇が鼎立することとなった。アレクサンデル5世は1年後に亡くなり、そのあとはヨハネス23世が継いだが、この教皇の評判は芳しくなかった。 皇帝ジギスムント 教会大分裂の解消に熱心であった。図中右の鷲の紋章はドイツ王権を、左の双頭の鷲の紋章は皇帝権を象徴する。彼はローマ王として単頭の鷲を、皇帝として双頭の鷲を印璽で用いた最初の君主であり、以後慣習として定着した。また図中の双頭の鷲の頭には光輪が見えるが、これもジギスムントによって帝国の神聖さの象徴として書き加えられることが定められた このときにあたって、ルクセンブルク家の皇帝ジギスムントは、教会の再統一に積極的な姿勢を見せ、ヨハネス23世を説得し、グレゴリウス12世の同意もとりつけて1415年にコンスタンツ公会議を開いた。このコンスタンツ公会議ではイングランドとフランスが百年戦争中で長い対立の中にあったこともあって、国民的な単位に基づく異例の投票形式が採用された。すなわち公会議での決定は個人単位ではなく、イングランド・フランス・ドイツ・イタリアの4つの出身団(ナツィオ、"natio")によりおこなわれ、1417年からはスペインの出身団と枢機卿団[* 128]が加えられて投票権を持つ集団は6つとなった。公会議の途中で教皇ヨハネス23世は出奔し、公会議は召集権を持つ教皇を失って一時危機を迎えたが、公会議派が中心となって公会議の決定が教権に優越することが主張され、公会議は教令「サクロサンクタ ("Sacrosancta")」を発してその正当性を保持することに成功した[* 129]。 しかし会議は難航した。フスなどの異端運動に対する問題や、教会改革を声高に主張する急進者と反発する保守派、そして国民間の対立や神学者同士の理論上の対立[* 130]が持ち込まれることもしばしばであった。さらに公会議に教皇の選任権があるのかという問題も紛糾した。とにかくこの公会議はさまざまな論争と政治的駆け引きに翻弄され、長引いたものの、鼎立した3人の教皇を廃位し、あらたにマルティヌス5世が選任されることで一致した。こうして教会大分裂は終わったが、一連の過程のなかでもはや普遍的であると信じられていた教会のなかでさえ、国民性が影響力を増していることが明らかとなった。教会大分裂の時代にもカトリック教会の統一が維持されたことは、普遍的な教会が未だ求心力を失っていなかったことを示しているが、国民的な単位を通して世俗の権力が教会に対する支配を強めたことは確かであった[* 131]。 教会大分裂 主な教会会議ローマ教皇庁アヴィニョン教皇庁公会議派 ウルバヌス6世 (1378-1389)クレメンス7世 (1378-1394) ボニファティウス9世 (1389-1404) ベネディクトゥス13世 (1394-1417) インノケンティウス7世 (1404-1406) ピサ教会会議 (1409年)グレゴリウス12世 (1406-1415)アレクサンデル5世 (1409-1410) コンスタンツ公会議 (1414-1418)ヨハネス23世 (1410-1415) マルティヌス5世 (1417-1431) 現在の教会史では、ローマ教皇庁の教皇(図の黄色)を正統として数え、それ以外の教皇は対立教皇としている。(M・D・ノウルズほか著、上智大学中世思想研究所編訳『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』講談社、1991年などを参考に作成) [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王権の超自然的権威の獲得過程 中世を通じて王権はキリスト教的な至上権から普遍的な支配権を主張する皇帝権・教権に対抗しうる神聖性、霊性を民衆の心性のうちに獲得しようとし、実際に王権はある種の霊威、あるいは超自然的権威を位置づけることに成功した。このような霊威は当初、偉大な王の個性に基づいて「一代限り」のものであると考えられていたが、徐々に世襲されるようになり、儀礼も備えて王権とそれを世襲する王家に一種のカリスマを付与することになった[* 132]。宗教的儀式によって、王は半聖職者的性格や奇跡的治癒能力を付与されると解釈され、王は聖職者に対しては優位性を主張しえたからである[206]。霊威は、王権が教権に対して一定の自立性を示す根拠となった[* 133]。 イングランド、エドワード懺悔王の霊威 イングランドにおける国王の霊威をあらわす初期の例は、ノルマン朝のヘンリー1世によるもので、王はおそらく瘰癧患者にその手で触れることにより治療をおこなっている。この王権による瘰癧治癒能力は、おそらく後述するカペー朝がすでにおこなっていた瘰癧治療に対抗するためにエドワード懺悔王の説話を用いて設定されたもので、カペー朝の王権に対抗するためのものであったと考えられている。つづくプランタジネット朝の時代にはヘンリー2世がすでに瘰癧治療を「御手によって」おこなっているのはほぼ確かで、エドワード1世時代には治療を受けた者に王が施しをするのが明らかになっているので、会計記録からその集計を知ることができる。この瘰癧治癒の霊威の根源は国王が塗油され聖別されたことに由来するとされた。 エドワード2世のころから別種の奇跡、指輪の奇跡がイングランド王権の儀式にあらわれる。これは毎年復活祭直前の金曜日に、王がまず一定の金銀を寄進した上で、それを買い戻し、買い戻した元の寄進の金銀で指輪を作るという儀式で、こうして作られた指輪は痙攣や癲癇の病人の指にはめられると、病をいやすと考えられていた。この儀式では当初、寄進された金銀が聖性を帯びると考えられ、王権は直接に霊威の由来とはされなかったのであるが、テューダー朝のヘンリー8世のころには塗油された王権に由来するものと考えられるようになり、この時期にはすでに儀式において「買い戻し」の行為が省かれていた。指輪の奇跡は宗教改革の時代に批判に晒されるようになり、エリザベス1世によって廃止された。 一方で瘰癧さわりのほうはしばらく存続した。ステュアート朝初期には熱心に瘰癧さわりがおこなわれたが、オランダ人であったウィリアム3世はこの儀式に否定的で患者に触ろうとはしなかった。つづくアン女王は瘰癧さわりをおこなったが、ハノーヴァー朝以降全くおこなわれなくなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランス、聖マルクールの霊威 百合紋 フランス王家の紋章。14世紀半ば頃に百合紋を巡って一つの説話が作られた。"ある日、クローヴィスがコンフラとの決闘の準備をしている時に従者に甲冑を取りに行かせると、甲冑に普段の三日月紋にかわって、青地に百合が3輪描かれている。4度別の甲冑に取り替えさせるが、いずれも同様の百合紋がついている。そこでしかたなくこれを着て決闘するとクローヴィスは勝利を収めることができた。じつはこれはキリスト教徒であった妃クロティルドの計らいで、妃は百合紋を用いて決闘に向かえば勝利するであろうとの啓示を受けていたのだった" フランスではカペー朝の初期、フィリップ1世がおそらく瘰癧さわりをおこなったと考えられている。フィリップ4世の時代にはフランス全土ばかりか、全西ヨーロッパ規模でこの「瘰癧さわり」は評判となっており、教皇領であるウルビーノやペルージャからも治癒を求める民衆がやって来ていることが確認されている。また中世を通じて医学書に瘰癧の治療法としてこの「瘰癧さわり」が記述されていた[* 134]。一方でルイ6世の時代には王旗や王冠がカール大帝の伝承にむすびつけられ、カロリング朝とフランス王権の間に観念的な連続性を生じさせた。 フィリップ4世のころには、この瘰癧さわりがクローヴィスの洗礼に由来する[* 135]塗油された王の霊威によるものという観念があらわれている。そしてこの伝説はランス大聖堂にクローヴィス以来の聖香油が聖瓶(サント・アンブール)に保管されており、王の即位式で王は聖香油を塗油され聖別されるという観念につながった。 中世末期になると、この瘰癧さわりに別個の聖マルクールの瘰癧治療信仰が混入し、区別がつかなくなった[* 136]。ヴァロワ朝のフランソワ1世の時代には、王の瘰癧治癒能力がこの聖者に由来するという観念が一般化していた。フランス王はコルブニーにある聖マルクールの遺骨の前でミサをおこなう際に瘰癧さわりも施すようになり、それを目的として参集する病人が年々増大した。 フランスの「瘰癧さわり」はブルボン朝のルイ16世の時代まで熱心に続けられていたが、フランス革命が起こると王は神授権説とともにこの慣習も捨てることとなった。これ以降はシャルル10世の時代に「瘰癧さわり」の復活が試みられているが、王自身も否定的であったので1825年に一回おこなわれたのみでこれが最後の事例となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の宗教的権威への挑戦 このような王権の超自然的権威はローマ教皇の宗教的権威、具体的には教皇勅書「唯一の、聖なる(ウナム・サンクタム、"Unam sanctam")」への挑戦であった。この教皇勅書はボニファティウス8世により出されたもので、教皇は世俗的領域と宗教的領域の両方で、至上権を有していることを述べていた。以後歴代教皇はこの勅書を基本的に踏襲し、教皇首位権を擁護する聖職者・神学者たちはこれをしばしば引用したばかりか、ややもすれば拡大解釈して教皇の特権を強調した。 王権の「瘰癧さわり」に関してはしばしば異端の疑いを受け、また宗教的権威において、教権に対しての王権の優位性を根拠づけることに成功したとは言い難いものの、中世の後期には民衆の間でこの慣習が広く受け入れられていたことは事実である。またこのような王権の超自然的権威が、一方で近代的な意味での国民的な感情に結びついていたことを見逃してはならない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ) 中世前期、皇帝派の著述家たちはしばしば王が霊的な権能を有していることを主張した[* 137]。それに対し、教皇派の著述家たちは王権の聖職者としての性格を拒否した。王は純粋に世俗的で肉体的な自然的身体を持つ一方で、王として塗油された瞬間から他の世俗的権力者を超越する霊的身体を持つと考えられ、皇帝派によって大いに喧伝された[* 138]。教皇派は「王に対する塗油が、司教に対するものと違って、魂に何の影響も与えない」[* 139]として、前者の考えを否定した。 中世後期にいたると、王の霊的権能のほとんどは名目的な称号や役職へと退化していたが、それでも著述家たちは王が単に世俗的な支配者であるに留まるわけではないことを強調した。これには中世に発達した法学の影響があり[* 140]、王はあらゆる法的義務から超越し、正義の源泉であると考えられた。その過程において、王権は王個人と区別して観念されるようになった。法学者たちは、王には自然的身体と政治的身体の二つの身体があり、自然的身体は可死的な王の生まれながらの身体であるが、政治的身体は不可死かつ不可視で、政治組織や政治機構からなり、公共の福利をはかるために存在していると考えた[* 141]。 清教徒革命時には王個人の行動が政治的身体である王権に反するものであるとして、議会の王への反抗が正当化された。彼らは「王 (King) を擁護するために王 (king) に対して闘え」と叫び、さらにチャールズ1世を「大逆罪」で処刑することもできたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カトリック大国、スペイン 16世紀に新しい大国が西ヨーロッパの政治舞台に登場した。イベリア半島のスペインとポルトガルである。両国とも盛んに海洋進出をはかり、新大陸・アジアなどへの航路を確保しながら広大な植民地を獲得していった。またこれらの地域への布教活動においても重要な役割を担った。ヨーロッパにおける教権との関係でいえば、スペインはとくに重要な個性としてヨーロッパ政治史に固有の位置を占めることになる。 王権によるスペイン教会の掌握 異端審問 ゴヤによる1815年ごろの作。異端を疑われた者は図のような高い帽子を被らされた カスティリャ王国とアラゴン王国の合同によって成立したスペインは、レコンキスタを完成してイベリア半島からイスラームの勢力を駆逐すると、国内の宗教的統一をはかるようになった。当初は征服地のイスラム教徒であるムーア人に信仰の自由を許していたが、彼らが反乱したのを理由に1501年、ムーア人に信仰を守って移住するか信仰を捨てて洗礼を受けるかの二者択一を迫った。またユダヤ教徒を国内から追放し、キリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソ)についても密かにユダヤ信仰を守っているのではないかという疑いをかけていた。 イサベル1世とフェルナンド2世は、王国の安定のためには国内の宗教的統一が不可欠であると考え、教皇に要請して1478年スペイン異端審問所を設けた[* 142]。この異端審問所では当初から国王が全権を握り、スペイン教会における王権の影響力を高めて事実上教権からの自立を勝ち取ったばかりか、王権による国家政策の一環として政治目的にも利用されるようになった。さらに支配下のナポリ王国に教皇が領主権を主張すると、これに激しく反発して一時は教皇と断交寸前にいたった。つづくカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の時代にはサンティアゴ騎士団長の位が王家によって世襲されることを定め、国王は国内の宗教的権威と権限を掌握した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イベリア半島におけるキリスト教文化の興隆 この時代スペインではキリスト教文化においても大きな前進が見られた。具体的にはルネサンスの人文主義の成果が取り入れられ、先進的な神学校や大学などの教育機関がスペイン各地に設けられた。この時代のスペインのキリスト教アカデミズムを代表するのがメンドサとシスネーロスである。 メンドサは1492年のグラナダ攻略の際にスペインの首座大司教であり枢機卿であった人物で、宗教教育推進のためにキリスト教教育書を書いた。シスネーロスはアルカラ・デ・エナーレス大学を創設し、ここには当時の主要な神学、トマス派、スコトゥス派、唯名論などの講座が設けられ、ギリシア語・ヘブライ語も学ぶことができた。さらにここでは聖書原典の編纂事業が行われ、『コンプルトゥム多国語対訳聖書』が著された。これらスペインでのキリスト教文化の発展は、人文主義に対する一定の寛容をもたらし、とくにエラスムスの著作はこの地域で大変な人気を博し、よく読まれた。このことはのちの宗教改革において、この地域での宗教改革派の影響が軽微に止まる原因の一つともなった。 ポルトガルでは、1554年にイエズス会の手によって、エヴォラ大学が創設された。エヴォラ大学は、中世以来のコインブラ大学に対抗し、近代的な大学であったが、一方で科学の自由な知的探究を排し、講義はラテン語でおこなうなど現地語主義を抑圧した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 中世の民衆信仰 中世を通じて、支配者や聖職者の知的な宗教世界とは別の次元で、民衆の間にも独自の信仰が展開されていた。このような民間信仰は民衆の日常生活や伝統的な世界観と結びつき、ときには集団的な様相を取って大きな宗教的運動に結びついた。ここではキリスト教がいかに中世のヨーロッパの一般民衆の生活に根付いていったかを概観する。 魔術的な神から摂理的な神へ 王としての「キリスト」 フェルナンド・ガレゴによる15世紀の作品。紀元1000年ごろから、威厳を持った王の姿で表されるキリスト像が現れる ゲルマン人の間にキリスト教が受容された当初、「神の全能」は多分に魔術的に解釈されていた。たとえばクローヴィスは妻クロティルドにキリスト教への改宗を薦められると、キリスト教の神が彼の戦勝に貢献するなら、信仰を受け入れようと約し、勝利を得た後に改宗した。これはゲルマン神話の戦争の神オーディンがルーンを習得して魔法を使う魔術の神であったことを考えれば、魔術的な神への信仰としてキリスト教を見ていたことになる[* 143]。中世初期には、聖職者はしばしば魔術的な力を持つと信じられた。聖職者は民衆から尊敬の眼差しで見られる一方、魔術師として恐れられ嫌われた。11世紀のデンマークでは、聖職者は天候に対して魔術的な力を持つと信じられ、天候不順であった際には迫害を受けた。13世紀フランスでは、ある村で疫病がはやった際に、司祭を犠牲にすることで村を救おうとした事例がある。11世紀のグレゴリウス改革において教会が排除しようとしたのは、王権の奇跡能力と、聖職者に対するこのような魔術的迷信であった。グレゴリウス7世は王や聖人の奇跡を否定する一方、デンマークで天候不順の際におこなわれた聖職者への迫害を非難している。 しかしながら中世を通じて、神の起こす奇跡は自然法則を超えることができると信じた民衆の心性は、ほとんど変わることがなかった。例えば王権の超自然的な奇跡能力への信仰は、中世後期にむしろ強められさえし、聖人への信仰は特定の奇跡と聖人を結びつけ特殊化する方向に進んだ[* 144]。一方で民間信仰とは別個の次元で、教会は奇跡を神学的に論じ、神の摂理の合理的な体系の中に位置づけた。すなわち教会はある人物を列聖する際には、その人の起こした奇跡をその生涯と奇跡のあらわれ方から吟味して、聖人とするかどうかを決定するようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和 10世紀末ごろから、従来の信仰形式とは異なった、いくつかの大衆的な宗教運動が現れた。 このころ従来の修道院とは異なった形で、よりイエスのあり方に近い修道生活を目指す運動がおこった。この運動の淵源は東ローマ帝国に近い、南イタリアのカラブリア地方のギリシア系修道士たちの生活に端を発し、南イタリアにイスラム教徒が攻撃を加えるようになると、彼らは難を避けて北上した。11世紀になると全ヨーロッパ規模で、この新しい運動に基づいた修道院設立が活発化した。とくに影響が大きかったのは13世紀に現れたアッシジのフランチェスコで、彼の清貧運動には在俗の多くの信者が共感し、ともに貧しい生活を営んだ。同時期に同様に清貧を唱えた異端のワルドー派も多くの在俗信者を獲得した。このように聖職者の貴族的な共同生活であった修道生活が、イエスの清貧という理想を通じて、民衆の間に広く受け入れられた。 信徒たちの母として描かれた聖母マリア(1445年ごろ) 12世紀西欧では、聖母信仰が流行した。聖母マリアのイエスを失うという悲劇的な体験が、イエスと贖いの苦しみを共有するものと観念されたからである。聖母マリアは普遍化され、「神の母」としてキリスト教社会のすべての信徒を包み込む存在とされ、厚く尊崇されるようになった またこのころ、聖遺物や聖人に対する信仰が高まり、各地に収められた聖遺物や聖人の故地への巡礼がさかんとなった。サンティアゴ・デ・コンポステーラや聖地エルサレムへの巡礼は大衆運動となった。のちには十字軍運動と結びついて、多数の信者が十字軍に参加したり、特に少年十字軍に代表されるように、自発的に大衆の十字軍が組織されたりもした。西ヨーロッパの交通網は11世紀までにまず聖地のネットワークとして形成され、徐々に定期市や港湾にネットワークを広げ、その拠点には金融市場が形成されるようになった。こうして成立した中世の交通網は古代のローマ帝国の街道網とはかなり異なったものであった[207]。 10世紀末の南フランスでは、フェーデに代表される封建的な私闘を、破門を威嚇に用いることで抑制しようという「神の平和」運動が起こった。これは封建的私闘の悪弊から、農民の財産や労働、商人の活動を保護しようという意図をもち、平和攪乱者に対して破門を下すとともに、農民が武器を持って戦うことも正当化するものであった。この「神の平和」運動は11世紀前半には全フランスに広がり、やがてドイツにも伝播した。ドイツではこの平和運動に王権が積極的な役割を演じ、時期を限ってフェーデを禁ずるラント平和令を出した。このラント平和令はのちには永久化されて、中世的な自力救済に基づいた私刑主義を非合法化し、公権力を創出するものとなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト像の変容と聖母信仰 キリスト教が西ヨーロッパ社会で広がっていく過程において、イエス・キリストとその母マリアのイメージも大きく変容した。 まず紀元1000年ごろから「子なる神」イエスに対する関心が非常に高まり、とくに厳しい審判者として、あるいは威厳ある王としてのキリスト像が頻繁につくられるようになった。ところが12世紀ころから、今一度キリスト像に大きな変化が見られ、貧しく苦しみに満ち、貧者の味方である人間性豊かなイエスの像も数多く見られるようになった。このキリスト像を、その清貧の姿勢と聖痕の奇跡によって体現したのが、アッシジのフランチェスコであったといえる[208]。 最近のカトリック教会による教義の明確化[* 145]にいたるまで、教義上は確固とした位置を占めなかった聖母についての数々の信仰もこの時代に成立した。まず12世紀ごろに聖母マリアも死後昇天したという「聖母の被昇天」信仰があらわれ、14世紀にはキリストを宿したマリアが原罪を背負っているはずはないとする「無原罪の御宿り」信仰があらわれ、激しい論争の種となった。聖母は「子なる神」イエス・キリストの母として、信者とイエス・キリストの間をとりなす特別の存在として尊崇を集めた。12世紀には祈祷文「アヴェ・マリア」が成立している。このような聖母マリアへの特別の尊崇は、ときに彼女をキリストの贖罪になくてはならず、贖いの補足者と見なす見解にもつながったが、教会は一貫してこの見解を斥けている[* 146]。この聖母信仰は、のちに宗教改革派によって攻撃の的とされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革前思想史 宗教改革は思想史的に言えば、突然に起こったものではなく、宗教改革諸派の思想は基本的に前代のさまざまな異端思想や人文主義思想と共通する点が多い。したがって宗教改革は思想面での革新性を示したというよりは、むしろ中世を通して堆積してきた政治状況に注意すべき点があるといえる。国家と宗教の関係についていえば、これらの思想はこの問題を直接的に扱い、論じているものが多い。宗教改革を巡る政治状況については後述するが、ここでは思想史的背景から宗教改革の前思想ともいうべき様々な思想傾向を概観する。 近代思想の先駆(1):パドヴァのマルシリウス イングランドの異端思想、ウィクリフとロラード派 思想上の接点は必ずしも明確ではないが、ロラード派はイングランドの宗教改革運動にある程度の影響を及ぼしている 詳細は「パドヴァのマルシリウス」を参照 パドヴァのマルシリウスの『平和の擁護者』(1324年)は、しばしば近代的な人民主権理論の先駆として言及される。この著作においてマルシリウスは世俗社会に対する教会の介入を批判し、当時の皇帝ルートヴィヒ4世と教皇ヨハネス22世の間の論争において皇帝側を擁護する論陣を張った。 さて、マルシリウスが人民主権理論の先駆とされる理由は、法の強制力は公民の同意に基づくと述べたためである。つまり『平和の擁護者』において、強制力を持つ実定法こそが真の意味の法であり、翻って実定法がなぜ強制力によってでも守らなければならないものであるかといえば、実定法がある時点で人為的に、公民の意志に基づいて制定されているからであるという論が示されている。支配者はこうして強制的に法を執行することが可能であるが、一方で人民に対して責任を持つ。 マルシリウスによれば、実定法である法には、次のような性格が明瞭である。 法の対象は外的な行為に対してであって、信仰などの内面に関わらない 神の法は窮極的な原因であるが、世俗の法には直接的に関わらない 国家における正義および利益の実現を目的とする 支配者の安全、統治の継続に資する とくに 1. 2. については明瞭に政教分離の考えを述べている。 マルシリウスは教皇権の批判にも筆を進め、教会がキリスト教徒全体の共同体であるとし、そうであるならば、教皇権はキリスト教自体に全く根拠を持たない歴史的な産物であるとし、本来聖職者は平等であるべきで、教義の問題は教皇ではなく公会議によって決めるべきだとした。このマルシリウスの主張は公会議主義の有力な根拠となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代思想の先駆(2):ブリテン島の科学主義、唯名論の系譜 詳細は「ロジャー・ベーコン」、「ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス」、および「ウィリアム・オッカム」を参照 12世紀から13世紀にかけてスコラ哲学は完成に向かい、それはトマス・アクィナスによって一応なされたのであるが、そのトマスと同時代のイングランドでは、オックスフォード大学を中心として、すでにスコラ哲学の解体へと向かう運動が始められつつあった。14世紀に入ってからの後期スコラ学の時代には、パリ大学ではアヴェロエス主義[* 147]的な傾向が強まったのに対し、オックスフォード大学では、すでにアリストテレスに基づいた論理や概念は必ずしも尊重されず、より正確な論理的方法や概念が探究されるようになり、経験主義的な傾向が強まった。 オッカムのウィリアム 唯名論に基づいた著作が異端とされ、1328年破門されると、ルートヴィヒ4世のもとへ逃亡し、『教皇権に関する八つの提題』を著して教権を攻撃した。このなかで注目されるのは聖書の啓示を万民に許されているという思想で、のちの宗教改革を先取りしている オックスフォード大学における経験主義の先駆としてはロジャー・ベーコンがまず挙げられる。彼はトマス・アクィナスの同時代人であるが、アリストテレスを信じず、それに依拠しないで自ら実験して数学的な知識に基づいて研究し、錬金術も行った。ベーコンによればトマス・アクィナスのような神学は、経験的でないから学問に値しないものであった。 ベーコンの半世紀後に登場したドゥンス・スコトゥスは、ベーコンとは逆に、トマス・アクィナスが演繹的でないという批判を行った。スコトゥスによれば学問とは必然的で論理的な内容を持つものであるべきで、神の問題は厳密に言えばこのような論理的な積み上げによって得られる知識ではないから、神学が学問の中心的分野になることはおかしいとして、トマスの「神学は哲学の婢」という考え方を批判した[* 148]。 オッカムのウィリアムはドゥンス・スコトゥスの考えを発展させ、普遍的なもの(抽象)は名辞によってしか知られず、事物の本質はそれぞれの個体(具体)に存するという考えを唱えた(「唯名論」)。これはつまり「人間という観念がまずあって、それを基に個々の人間が存在する」のではなく、「無数の人間がまずあって、それらの共通点を抽象化したのが人間という観念である」という考え方である。この考えを拡張すると、この世界が合理的な秩序に基づいているという神の摂理を主張する立場が否定され、神の秩序なるものは、所詮神が個々に命じた個別的な意志の集積に過ぎないとする考え方に到達する。これはジャン・カルヴァンの「神中心主義」に近い考えである。 さらにオッカムのウィリアムは前述のパドヴァのマルシリウスと同じくルートヴィヒ4世に仕えて、反教権論を展開したのであるが、その思想はより原理主義的で、のちの社会契約説を先取りしている面がある。パドヴァのマルシリウスがアリストテレスに基づいて、国家を家族から発展した自然の共同体と見ているのに対し、オッカムのウィリアムは国家以前の自然状態を論じ、公共の福祉、共通善の実現のために契約によって国家が成立したのだと論じた。オッカムのウィリアムはさらに、マルシリウスにおいては不徹底であった人民主権的な考え方をより鮮明に打ち出し、国家が契約に基づくのであるから、立法には公民全体が参加すべきであるという考えを説いた。そして、オッカムのウィリアムは自身の理想とする政治社会のアンチテーゼとして現実の教会を批判した。教会においては教皇が異教的なローマ皇帝の制度に依拠して、本来は万民に開かれているべき権限を独占し簒奪している。神の啓示は本来聖書の中に記されているはずなのに、教会や教皇はそれらをみだりに読むことを禁じ、信徒から遠ざけている。本来であれば聖書を読める者なら誰でも、神の啓示に参加できるはずである。オッカムのウィリアムの考えは宗教においてもマルシリウスよりラディカルであり、公会議主義にも否定的である。彼によれば公会議もやはり教会という限られた共同体の聖職者に限られ、信徒全体に依拠するものではないから不完全である。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(1):ウィクリフ 詳細は「ジョン・ウィクリフ」および「ロラード派」を参照 しばしば宗教改革の先駆として引用されるウィクリフは、オックスフォード大学に学んだイングランドの神学者で、1374年ころからイングランド王権と教皇庁の課税権を巡る論争に現れ、イングランド王権を擁護する主張を繰り返すようになった。ウィクリフの主張は課税権にとどまらず、やがて教皇の聖職叙任権にも向けられ、さらには教会は布教に必要最低限の財産しかいらないと述べて、教会財産の没収にまで言及するようになった。教会はウィクリフを異端審問にかけたが、王権や民衆の側から圧力が加えられ、ウィクリフは解放された。 こののちウィクリフは教義の批判に進み、アウグスティヌスに基づいて予定説を唱えた。彼は真の教会が目に見えないもので、あらかじめ救済が予定されている者によって構成されているのに対し、可視的な教会はすでに堕落しており、聖書のみに基づいたキリスト教の原始的な信仰に戻るべきだと説いた。 1384年にウィクリフは死ぬが、そののちコンスタンツ公会議で1415年に異端とされ、死体が掘り起こされて焼かれた。ウィクリフの教えに従って聖書を尊重するロラード派(あるいはロラーズ、"Lollards")という一派を生み、一時はオックスフォード大学などを中心に広まったが、のちに徹底的に弾圧された[* 149]。彼の思想は直接的には次のフスにつながり、宗教改革やイングランドのキリスト教解釈にも影響を及ぼした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(2):フス エラスムス 16世紀前半にヨーロッパで広汎な影響力を持った人文主義者。中世を通じて教会が聖書解釈を独占していたが、エラスムスは独自のギリシャ語新約聖書を出版し、大変な人気を博した。ルターによって宗教改革が始まると、予定説と領邦教会制を批判し、人間の自由意志と全ヨーロッパ的なキリスト教共同体を擁護した。彼は領邦教会制がキリスト教の世俗権力への従属に他ならないことを批判し、ヨーロッパに平和がもたらされるためには全ヨーロッパ的なキリスト教共同体が不可欠なことを主張した。彼は信仰の自由、聖書解釈の自由、キリスト教徒の平和共存を説いたが、宗教改革が激化するとプロテスタント・カトリック双方から槍玉に挙げられるようになった 詳細は「ヤン・フス」および「フス戦争」を参照 フスは貧しい農民の出身で、オックスフォード大学で勉強し、のちにプラハ大学の教授となった。フスはウィクリフの思想に影響されて個人の信仰を重視して教会を否定的に考えるようになった。 神聖ローマ皇帝カール4世の時代にボヘミアは文化的な隆盛を迎えた。この統治者のもとでプラハは独立の大司教区となり、プラハ大学を創設した。プラハ大司教や高位聖職者はカール4世の後ろ盾になり、宮廷で行政に携わったが、のちにこのような一部の聖職者に富が蓄積される傾向が、世俗貴族や下級聖職者の批判するところとなった。このころのボヘミアでは少数でありながら影響力の大きいドイツ人移民と土着のチェック人の間で対立がおきており、その構造はプラハ大学でも同様で、ドイツ人の同郷団[* 150]は3つあったのに対し、チェック人のは1つしかなかった。またチェック人の同郷団はウィクリフ派であったが、残りの同郷団は反ウィクリフ派であった。このことがしばしばプラハ大学でも大きな分裂を引き起こしたが、1409年に皇帝ヴェンツェルはドイツ人の同郷団が皇帝の意向に背いたために、勅令を出してチェック人の同郷団を優遇すること[* 151]とし、これを不満に思ったドイツ人学生はライプツィヒに移住し、ライプツィヒ大学が分離した。そしてライプツィヒのドイツ人はフスを異端だとして突き上げた。 フスは破門を宣告されるが、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とした。またウィクリフに従って予定説を論じたが、ウィクリフとは異なって聖職位階制に対しては否定しなかった。ヴェンツェルの弟で、皇帝であったジギスムントはこの宗教問題を平和的に解決しようとコンスタンツ公会議に出席するようフスを説得し、教皇も破門を一時的に留保したのでフスは公会議に参加した。しかしこの公会議でフスは異端と宣告され、火刑に処された。フスが死んだとはいえ、ボヘミアではフスの人気は根強く、貴族たちの間では反カトリックの同盟が結成された。 ヴェンツェル死後にジギスムントがボヘミアを相続することになると、ボヘミアのフス派はいよいよ反抗的になり、皇帝はボヘミア征服のために十字軍を結成しフス戦争がおこった。フス派はヤン・ジシュカ率いる急進的なターボル派(英語版)を中心としてジギスムントの十字軍を何度も撃退し、一時は一方的に国王の廃位を宣言してフス派のボヘミア国家を事実上実現させるなど大いに盛んとなった[* 152]が、やがてフス派の穏健派が中心となって皇帝と和解し、皇帝を国王として認め、バーゼル公会議でカトリック教会に復帰した。しかしボヘミアは以後もカトリック教会においてほとんど独立した状態を維持していた。 戦争の影響で教会や修道院が大きく衰退し、聖職者は議会において影響力を失い、ボヘミアの議会は貴族と都市市民が参加する世俗的な身分制議会を形成することとなった。またドイツ人が多く域外へ脱出し、チェック人の勢力が強まり、チェコ語の礼拝が重視されるようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 人文主義の宗教観:エラスムス 詳細は「デジデリウス・エラスムス」を参照 エラスムスは15世紀末から16世紀前半にかけて、ヨーロッパに最も影響を及ぼした人文主義者の一人であった。エラスムスはパウロの「ローマの信徒への手紙」に影響を受け、聖書を自ら再検討しようと考え、ギリシア語を学んで『校訂ギリシア語新約聖書』を著した[* 153]。これは印刷術の進歩による後押しもあって当時広汎な地域に流通し読まれた[* 154]。 エラスムスは教会の腐敗と信仰における聖書の重視を訴え、教会が聖書解釈を独占しようとして一般信徒に聖書を調べることをしばしば禁じていることを批判し、一般信徒が理解しやすい自国語で聖書に書かれた福音を聞くことがキリストの御心に沿うものであることを主張した。この面でエラスムスはのちの宗教改革者と同じ平面に立っていたが、彼は教皇首位権の普遍性を疑っておらず、また宗教改革派が世俗権力と結びつく傾向を見て、これを公然と批判するようになった。またエラスムスとルターの教義解釈において、決定的な相違点としては自由意志の問題がある。ルターは「ローマ信徒への手紙」とアウグスティヌスに影響されて予定説に基づいた信仰義認説にいたったが、そこではただ「信仰のみ」が救いに至る道であるとされたのに対し、エラスムスは大部分の人文主義者と同じように信仰における自由意志を信じていた。ともかく両者はこのように、教会の腐敗への批判と聖書の重視という点では一致していたが、その教義上の立場も政治上の立場も全く異なるものであった。 エラスムス自身は教会の普遍性を信じ、カトリックとプロテスタントの統一に尽力したが、エラスムスの死後に宗教改革がますます激しさを増すと、当初は広汎に聖職者の支持を集めていたかに思えた[* 155]彼の著作が宗教改革派との共通点を指摘されて、1546年、トリエント公会議で禁書処分にされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代社会とキリスト教(1500年〜1800年) ルター 「95カ条の論題」を発表[* 156]して贖有がもたらす宗教的危機を指摘した。これは当初の予想をこえて教義論争に発展し、1520年にルターは三大文書、『教会のバビロン捕囚』『キリスト者の自由』『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』によって改革の理論と実践を固めた。とくに『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』で諸侯に、その職務に基づいて改革運動に加わるよう呼びかけたことは、ドイツ国内の政治問題への宗教改革の関与を規定することになった 宗教改革は純粋に宗教内での問題から出発したにもかかわらず、すぐに世俗的問題と結びついて近代国家の成立を基礎づけたばかりか、近代思想にも影響を及ぼした。宗教改革が主権国家を単位として宗教生活を規定する方向に進んだことは、普遍的なキリスト教世界に立脚していた一つの教会という理念を破壊し、教権の基盤を脅かした。近代にはいると、すでに教権は各主権国家に対して優位性を主張することができなくなり、今日まで続く国民を単位とした政治社会が形成される。一方、思想面においては内面の自由、良心の自由が確立され、近代政治思想における基本概念の一つとなっていった。 宗教改革(プロテスタント側から) 詳細は「宗教改革」および「プロテスタント」を参照 1517年アウグスティノ修道会士であったルターによって「95カ条の論題」が発表され、宗教改革が開始された。発表当初は贖有状を巡る僧職どうしの内輪もめと世間に受け取られていたが、やがて教皇首位権が主要な争点になると、人文主義者も続々この論争に関与するようになった。 神聖ローマ皇帝カール5世とエラスムス派の人文主義者、穏健的なカトリック聖職者の姿勢はこの論争に際して宗教の統一を重視し、プロテスタントとカトリックの歩み寄りを期待した。実際両陣営において当初から妥協と和解が不可能ではないことが認識されており、教義においてはルターの思想がカトリック的であることは当時も後にも様々な局面で指摘された[* 157]。一方教皇クレメンス7世とその後継者パウルス3世はプロテスタント側への歩み寄りが教皇首位権の破壊につながることを警戒して和解を拒否し、カール5世を警戒してドイツの分断を狙うフランス王、バイエルン公もこれに同調した。ルター派の側もザクセン選帝侯などが政治的理由から硬化した態度を取り、ルター派の基盤が形成されると当初は寛容的な態度も持っていたルター自身も非妥協的になった。かくして宗教改革は教義の問題をこえて政治問題と化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ドイツの領邦教会制度 当初はごく限定的な教会の腐敗の問題、あるいは教義上の問題から出発した宗教改革は、その影響が広汎にわたるとともに政治的な傾向を強くした。具体的には宗教改革はまず教皇首位権への挑戦という宗教内の政治的問題に変容し、さらにドイツ国内の皇帝権に対する諸侯の自立を求める、極めて直接的な政治問題に転化した。この問題は三十年戦争の直接的な原因ともなるのであり、ドイツが長い分断国家となる契機の一つが宗教改革に求められる[* 158]。 シュマルカルデン戦争 詳細は「シュマルカルデン同盟」および「シュマルカルデン戦争」を参照 1530年にカール5世はアウクスブルクに帝国議会を招集した。この議会では両派の歩み寄りの努力がされたが、結局決裂した。さらに同議会ではルター派から「アウクスブルク信仰告白」が提出されたが、ツヴィングリやシュトラースブルクなどの改革派4都市が独自の「信仰」を提出し、プロテスタント内部の宗派分裂も明らかとなった。議会ではカトリックが優勢を占め、最終的決定は翌年の議会に持ち越されたものの、カール5世はルターを帝国追放刑にしプロテスタントを異端とする1521年のヴォルムス勅令を暫定的とはいえ厳しく執行するよう命じた。 アウクスブルク帝国議会(1530年) この議会ではプロテスタントとカトリックの歩み寄りが期待されていたが、結局はカトリック側の主張がほぼ一方的に認められた形となった これに対してプロテスタントの帝国諸侯・諸都市はアウクスブルク帝国議会直後にシュマルカルデンに集まり、軍事同盟結成を協議し、翌1531年2月にヘッセン方伯とザクセン選帝侯を盟主とするシュマルカルデン同盟が結成された。宗教戦争が一触即発に迫ったが、カール5世は妥協し1532年にニュルンベルクの宗教平和によって暫定的にプロテスタントの宗教的立場が保障された。この宗教平和を境にプロテスタントは勢力を一気に拡大した。南ドイツのヴュルテンベルク公領では、プロテスタントであったために追放されていたヴュルテンベルク公ウルリヒが1534年に復位し、北ドイツでも同年ポメルン公、1539年にザクセン公とブランデンブルク選帝侯がプロテスタントに転じた。西南ドイツではルター派とは異なる改革派信仰が広がっていたが、教義上の問題で妥協しプロテスタントの政治勢力は統一性を持つようになった。カトリック諸侯の側もニュルンベルクで同盟を結成し、プロテスタントに対抗した。 カール5世は対外的な事情から情勢を黙認していたが、フランスとの講和がなると一転ドイツ国内の問題に専心するようになった。1546年にはルターが死亡し、同年ザクセン公が選帝侯の地位を条件に皇帝支持に転じた。それ以前にヘッセン方伯も重婚問題からカール5世につけこまれ、政治的に中立を守らざるをえなくなっていた。自身に有利な条件が整ったと感じたカール5世は同年シュマルカルデン戦争をおこし、シュマルカルデン同盟を壊滅させ、翌年のアウクスブルク帝国議会ではカトリックに有利な「仮信条協定」が帝国法として発布された。皇帝は西南ドイツの帝国都市のツンフトが宗教改革の温床であると考えてこれを解散させるなど強硬な政策を実施した。カール5世の強硬な政策を見て、徐々にカトリック諸侯も反皇帝に転じ、息子フェリペにドイツ・スペインの領土と帝位を継承させようとすると、ますます反発を招いてカール5世は孤立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] アウクスブルクの平和令 アウクスブルク宗教平和令 1555年にマインツで印刷された版本の表紙 このような情勢の中、ザクセン公は再び反皇帝・プロテスタントの側に転じ、1552年に諸侯戦争がおこるとカール5世は敗北し、パッサウ条約によって「仮信条協定」は破棄された。この敗北からカール5世は弟のフェルディナントに宗教問題の解決を任せ、1555年のアウクスブルク帝国議会で、アウクスブルク宗教平和令が議決された。この平和令により「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」という原則のもとに諸侯が自身の選んだ信仰を領内に強制することができるという領邦教会制度が成立した[* 159]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイス盟約者団と福音主義 ドイツでルターによって宗教改革の火蓋が切られた頃、スイスでもほぼ同時にツヴィングリによって福音主義的改革が進行していた。ツヴィングリは改革の半ばで戦場に斃れ、その事業は頓挫したが、ジュネーヴにカルヴァンが現れ、より厳格な改革を実行した。当初は非常に非寛容で妥協を許さなかったカルヴァン主義であるが、各国で政治権力により迫害を受けるようになると、「寛容」を主張して変貌し、ずっとのちに近代的な政教分離の主張へとつながっていくことになる[209]。 スイス盟約者団の歴史的経緯 詳細は「スイスの歴史」を参照 スイスの建国神話として今日一般にヴィルヘルム・テルの物語が知られるが、これはスイスの国民意識が高まった15世紀中ごろに世に広まりはじめたものであると考えられている[* 160]。今日では、スイスの国家統合は14,15世紀を通じてスイス周辺の状況のなかで徐々に進行したと考えられており、当初の盟約はあくまでラント平和令の延長線上に、域内でのフェーデの制限・禁止を目的としたものであった。 12世紀末ごろまでは神聖ローマ帝国辺境の隔絶された山田舎に過ぎなかったスイスは、13世紀の初め頃に南北に貫通する街道が開通すると、一転交通の要衝となった。このことによりスイスは、近隣に支配を拡大しようとしていたハプスブルク家と戦略的価値を重視する皇帝の争奪の的となることとなった。1231年皇帝フリードリヒ2世によってドイツ統治を任されていたハインリヒはウーリ地方に証書を発給し、この地方を帝国直属の地位とした[* 161]。1239年には同じくシュヴィーツ地方も帝国直属の地位を獲得した[* 162]。14世紀初頭にはウンターヴァルデン地方も帝国直属を獲得しているのが確認される。これ以前の1291年にはすでにこれらの三者は盟約を結んでいた[* 163]。 1314年冬、放牧地を巡る争いからシュヴィーツがアインジーデルン修道院を襲撃すると、これを口実にハプスブルク家のフリードリヒ美王は1315年11月15日大軍をもって侵攻したが、モルガルテン山からの奇襲攻撃によって敗北を喫した(モルガルテンの戦い(ドイツ語版、英語版))。この直後の12月9日盟約が更新され、盟約者団はさらに結束を強化した。こののち14,15世紀を通じてハプスブルク家との戦いが続くが、近隣の邦や都市が徐々に同盟の形で参加した。1499年、皇帝マクシミリアン1世がスイス盟約者団に奪われたハプスブルク家の古領を回復しようと戦争を仕掛けたが(シュヴァーベン戦争(ドイツ語版、英語版))、盟約者団はこれを撃退し、この勝利により事実上神聖ローマ帝国から独立した[* 164]。1513年のアペンツェル同盟において13州の形となり、今日のスイスの基本的な国家枠組みの基礎となる十三邦同盟体制が確立され、この体制が1798年まで維持されることとなる[* 165]。 長期の軍事的緊張を乗り越えたスイスは、ヨーロッパ有数の軍事力を持つ国家となっていた。強力な軍事力を頼んでスイスは当時のイタリア戦争に介入し、1513年のノヴァーラの戦い(フランス語版、ドイツ語版、英語版)でフランス軍を大敗させ、ミラノを中心とするロンバルディア地方に覇権を確立したかに見えた。しかし1515年にルイ12世が没し、フランソワ1世が登位すると、同年のマリニャーノの戦い(英語版)で盟約者団はこの若き王に敗北し、南方へ向けての膨張の夢は潰えた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(1):ツヴィングリ ツヴィングリ像 チューリヒのリマト川の岸辺に立っている。右手には聖書、左手に大剣、兜を被り、説教服の下は鎧で武装している 1518年12月の末からチューリヒの教区司祭・説教者となっていたツヴィングリは、1519年初頭からマタイによる福音書の説教を開始した。これがスイスにおける福音主義的改革の幕開けとなる。ツヴィングリはエラスムスを通じて、キリスト教を原典から学ぶことの重要性を認識していた。そのためこのマタイ連続説教においてはヴルガタを使用せず、エラスムスの『校訂ギリシア語新約聖書』を使用した。やがて彼の周囲に新しい福音理解に共鳴する信奉者が集まるようになり、旧来のカトリック的信仰理解を堅持する者たちとの間に徐々に疎隔が生じていった。ドイツの広大な領邦に比べて狭小な地域共同体であるカントン[* 166]の内部での対立は、たちまち先鋭化した。 1522年3月、受難節の断食期間が訪れた際、ツヴィングリ支持者は集まって乾いたソーセージを切り分けて食し、「聖書のみ」の考えを実践した[* 167]。さらにその10日後、ツヴィングリは「食物の選択と自由」の説教をおこない、これに対しチューリヒ市参事会は支持を表明し、チューリヒはツヴィングリの福音主義の拠点となった。そして、ツヴィングリは『最初にして最終的な弁明の書』をコンスタンツ司教に宛て、明確に「聖書のみ」を規範とすべきことを表明した。ツヴィングリ派とカトリック派の対立は激化し、市内での武力衝突の危機も迫ったので、チューリヒ市参事会は最終的な決定を下すべく、1523年1月29日にカトリック側聖職者を迎えて公開討論を開催することとなった。ツヴィングリは公開討論のために自らの信仰を明らかにするため、『67カ条の提題』を公表した。この文書の中でツヴィングリは「聖書のみ」の原則を表明し、聖書に根拠がない教皇制度や祝祭日・修道制・独身制・煉獄を批判した。一方で教会の監督は信徒の集まりが行うべきであるとし、市参事会による宗教の管理を暗に正当化していた。さらに社会倫理について『神の義と人間の義』の説教をおこない、これによりこののちのチューリヒにおける改革の枠組みが定まった。すなわちチューリヒでの改革は都市共同体という政治秩序の積極的な関与の下におこなわれるのである。 1524年6月には市内全域から聖像画・聖遺物・ステンドグラスが取り除かれ、12月には修道院がすべて閉鎖されて資産はカントンに接収された。そして1525年3月の復活節を境に、ミサは完全に廃絶され、替わって福音主義の聖晩餐が導入された。また同年6月には福音主義の司祭養成のためにカロリーヌム[* 168]が開設された。こうしてスイスにおける福音主義の橋頭堡は着々と固められた。 しかしながらこの時点では、スイス内での福音主義の孤立は明らかであった。ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンなどの保守的なカントンはカトリック信仰に揺らぎはなく、福音主義に染まったチューリヒに対して旧来の信仰への復帰を求め、チューリヒを異端と断じて盟約からの追放を宣言した。しかし1528年1月に有力なベルンが福音主義に転じ、1529年2月にはバーゼルで民衆蜂起が起こり、こちらも福音主義に転じた。さらに盟約者団の外部であるが、近隣のザンクト・ガレンやコンスタンツでも福音主義が影響力を増し、福音主義のカントンと軍事同盟を結んだ。これを見てカトリック派のカントンも宿敵であったはずのハプスブルク家も巻き込んで軍事同盟を結成し、両者は同年6月、カッペルの野で対峙した(第1次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))。一触即発の危機が迫ったが、ここで両者は歩み寄り、「現状維持」を約束して和睦した(第一次カッペル和議)。すなわち、福音主義に転向したカントンはその信仰を認められるが、カトリックのカントンへの布教を許されず、その逆も然りとされたのである。ここに信仰の「属地主義」、「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」が認められ、スイスは他のヨーロッパ諸国に先駆けて改革派とカトリックの共存する地域となった。 第二次カッペル戦争 ツヴィングリ率いるチューリヒ市民軍は圧倒的な人数のカトリック軍を迎え撃った。この乱戦の中ツヴィングリは戦死した。1548年に描かれた図版 第一次カッペル和議はスイスに平和と安定をもたらしたかに見えたが、ツヴィングリは現状維持に不満で、福音主義の宣教を軍事的拡張によってでも実現すべきと考えるようになっていた。一方ドイツではルター派は皇帝の圧迫を受けて存亡の危機が迫っていたため、同盟者を必要としていた。ここにルターとツヴィングリの利害の一致点があり、1529年10月、ヘッセン方伯フィリップの斡旋により、マールブルク城で会談が開かれ、ルターとツヴィングリの間で軍事同盟と教義の一致が検討された。この会談において、両者の教義の多くの点で一致を見たものの、最終的には聖餐理解を巡って鋭く対立し[* 169]、物別れに終わった。 ツヴィングリはその後も強硬にカトリック諸州の軍事的制圧を主張したが、ベルンをはじめとする同盟諸邦の賛同を得られず、ベルンの提案にしたがってカトリック諸州に対し経済封鎖が実施されるに留まった。この経済封鎖によりカトリック諸州はたちまち困窮したため、軍事力に訴えざるをえなくなり、1531年10月4日カトリック諸州はカッペルに再度進軍し(第2次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))、これに対してツヴィングリは自らチューリヒ市民軍を率いて邀撃した。このときカトリック側8000に対し、チューリヒの市民軍は数百に過ぎず、乱戦のさなかツヴィングリは戦死した。 しかしその後ベルンを核とする福音主義派は反撃し、第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議が締結され、スイスにおける宗教の属地主義が再確認された。スイスにおける福音主義は後継者ブリンガーに受け継がれ、カルヴァンの登場を待つこととなる。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(2):カルヴァン ジュネーヴのサン・ピエール教会 ここでカルヴァンは幾度となく説教を行った 1536年7月から8月にかけてのころ、たまたまジュネーヴに滞在していたカルヴァンは、同地で福音主義的改革を導入しようとしていたヴィルヘルム・ファレルに援助を懇請された。この年の5月、ベルンの援助を受けて福音主義に転じたジュネーヴであったが、いまだ改革の緒についたばかりで方針も定まっておらず、ファレルは当時匿名で出されていた『キリスト教綱要』の著者がカルヴァンであることを知り、援助を願ったのである。カルヴァン自身はこのときストラスブールへ向かっている途中であったが、これに協力することを決意した。 1537年1月16日にはカルヴァンら牧師団によって市参事会に対して、教会改革の具体案が提出され、ここにジュネーヴはツヴィングリ派とは異なった、新たな改革の方針に従うこととなった。ただちに新しい「信仰告白」を含むカテキズムが刊行され、市民はこの「信仰告白」に対して宣誓を求められた。こうして改革が本格的に開始されたが、カルヴァンらはこの「信仰告白」が守られているか厳しく監督したために、市民の間に改革に対する抵抗感が芽生えた。また当初から市参事会は、カルヴァンらの主張の中に教会を世俗の権力から独立させ、むしろ世俗権力を教会に従属させようとする意図があることに気づいていた[* 170]。1538年4月23日新しい市参事会が発足すると、カルヴァンとファレルはこの新しい市参事会により追放され、カルヴァンはマルティン・ブツァーの勧めにより、ストラスブールのフランス人難民教会の説教師を務めることとした。この間1539年にカルヴァンはビューレンのイデレッテと結婚した。 やがてジュネーヴで再び福音主義派が勢いを盛り返し、彼らによる再びの招聘を受けて、1541年9月13日カルヴァンはジュネーヴへと帰還した。帰任早々の9月20日カルヴァンは早速「教会規定」を立法化し、牧師・教師・長老・執事という4職[* 171]を定め、いわゆる「神権政治」を開始した。「神権政治」開始後の最初の5年間に、56件の死刑判決と78件の追放がおこなわれ、反対派はことごとく弾圧された。1553年には高名な人文学者であったミシェル・セルヴェが三位一体説を批判した廉で、異端としてカルヴァンにより火あぶりに処された。1559年には神学大学が設立され、プロテスタント系の神学大学としては、すぐにヴィッテンベルク大学に勝るほどの勢いとなり、ヨーロッパ各地に改革派の説教師や教師を送り出すようになった。 聖ニコラウス 15世紀後半盟約者団の間で対立が表面化し始めていたが、隠修士として尊敬を集めていたニコラウスの呼びかけによって、諸邦は再び結束し、シュタンス協定を結んで内部抗争の調停方法を定めた。ヴィルヘルム・テルと並んでスイスの国民的英雄である 1564年の死にいたるまでカルヴァンはカトリック根絶を強硬に主張し、さらに死後の1566年にはツヴィングリ派との間で合同がなり、スイスの改革派は統一され勢力を強めた。カルヴァン主義はやがてフランスでは組織化されてユグノー戦争を惹起し、スコットランドにおいては1560年に国教会の地位を獲得するに至った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] プロテスタント圏スイスとカトリック圏スイス 宗教改革はスイスにとって結局どのような変化をもたらしたのであろうか。それについては前述の、宗教的な動機から見た展開とは別に、政治的意味から見た別の側面も確認できることに注目する必要がある。 周辺を諸侯修道院領に囲まれた都市共同体にとって、宗教改革を導入することは、これらを解体して領域支配に組み込める可能性が生じた。同時に教会財産の没収により経済力を高めることができた。またツンフトに代表される中下層の市民にとっては、都市共同体を上層で寡頭支配している門閥や都市貴族を排除できる可能性が生じた。なぜなら彼らの多くは保守的でカトリック信仰にとどまっていたからである[* 172]。ツヴィングリ派から分離発展した再洗礼派はその信仰を守る信者のみで共同体を構成しようとし、農村部では自治運動と結びつくこともあった[* 173]。 1600年ごろには、スイスの宗教的分裂は一過性のものではなく、もはや既成事実として明らかなものとなっていた。盟約者団内部で、カトリック・プロテスタント各々のカントンのみによる分離会議が開かれていた。しかし、民衆の間で好まれた演劇などを考慮すれば、このような状況にもかかわらず、スイス人として自由と協調に基づいた国民意識が存在していたことを推測することが出来る。彼らにとって、ヴィルヘルム・テルやニコラウス・フォン・フリューエは相変わらず「古き良き盟約者団」の象徴であり、国民的英雄であった[211]。もちろん宗教的不和は厳として存在し、それはしばしば顕在化したものの、なお盟約者団への帰属意識が存在していたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革派の諸思想 ここでは、宗教改革における改革派の思想を概説する。前述したように改革派の間には当初から宗派対立が存在したが、これは改革派どうしの間でも教義および政治的立場において異なる傾向があったことに起因する。ここでは宗教改革諸派の代表的思想家を概観することで、それぞれの宗派の教義および政治的立場における特徴の背景を概説する。 ルター ルター像 ヴォルムスにある。中央のひときわ高い位置に立つのがルター像。チューリヒのツヴィングリ像が自ら剣を持ち武装していたのに対し、この像ではルター自身は剣を持たず、側に控えるフリードリヒ賢公が武装している 詳細は「マルティン・ルター」を参照 ルターの思想はアウグスティヌスに決定的な影響を受けている[* 174]。その要点を示すと、信仰における個人主義と内面の尊重、自由意志の否定、「二世界論」である。 ルターはアウグスティヌスに従って人間の原罪を重視し、人間は本質的に罪人である上に神の絶対的支配の下にあるのだから、神の意志を超えた人間の意志による善行があるとすれば、それによって救われるのではないとして自由意志を否定し、ただ神の恩寵によってのみ救われることが可能であるとした。この神の恩寵に預かるためにはひたすら神を信頼し、信仰を寄せることによって救いに至ることができる。この神と個人との間には基本的に介在するものはないという。ここから万人司祭主義、神の前での信仰における人間の平等、聖職者の特権の否定が説かれる。従来教義などの信仰の根拠が教会に求められていたのに対し、ルターはそれを聖書にあるとする。たとえ教会の教えであっても聖書に記載のないものは神の言葉ではないという。教会が独占していた聖書の解釈も万人が自由におこなってよいと述べた。以上のように、ルターは聖書解釈や信仰における教権の優位性を否定した。 政治社会との関係でいえば、重要なのは「二世界論」である。ルターは神がこの世界に二種の支配を作り出したといい、一つは霊的な教会で、目に見えないものでありかつキリスト教徒のみに許されているという。もう一つは世俗的な剣の支配で、これはキリスト教徒に限られず、世界のあらゆる民族を包含している。ルターはキリスト教に反しない限り世俗支配は積極的に受け入れるべきであると説くが、教皇もしくは皇帝が違反した場合にはこれに抵抗することができるという。しかしながら、ルターはあらゆるキリスト教徒が抵抗の主体となることを認めているわけではない。抵抗の主体となりえるのは自らの領民をキリスト教のもとに保護する責務がある諸侯のみである。しかも世俗法においては皇帝と諸侯は契約によって関係を結んでいるのだから、同等であるという。農民のような民衆は皇帝と対等ではないので、抵抗すれば反乱である。これは信仰における諸侯の絶対的権限、領邦教会制度を理論的に認めるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ツヴィングリ マールブルク会談 この会談でルターとツヴィングリは教義について多くの一致点を見いだしたものの、結局は両者の思想の相違が目立つ結果となった 詳細は「フルドリッヒ・ツヴィングリ」を参照 ツヴィングリは後世にツヴィングリ派ともいうべき固有の宗派を残さなかったために、その業績はややもすると限定的に捉えられがちである。しかしながら、彼をルターやカルヴァンらと比べて二次的な地位に留めることは適切であるとは言えない[212]。ツヴィングリの思想は多くの点でルターとの一致を示すものの、ルターとは異なって人文主義やスコラ学の著しい影響が認められるのであり、彼をルターの亜流と見なす考えはこの点で明らかな誤解に基づいている[* 175]。 ツヴィングリの福音主義思想の中で、明らかにルターと異なると認められる特徴は、その実践的な性格である。ルターは個人的な深い宗教的探求によってその思想を形成しカトリックを批判したが、ツヴィングリはより実践的な考慮によって、つまり生活上の慣習や社会通念における誤った宗教的理解について攻撃を加えた。彼によれば、聖書に根拠のない聖人崇拝、修道制、独身制などは廃止されるべきで、さらに進んで生活全般が「聖書のみ」によって規定されるべきであるとし、宗教を含めた生活の監督は信徒の集まりによって、つまり教会ではない住民の自治組織によって行われるべきだとされた[* 176]。 ツヴィングリの死ぬころには、彼の信仰告白を受け入れる都市はスイスに留まらず、ドイツ南部にまで広がっていたが、彼の死後それらの多くはカルヴィニズムの中に分解されていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カルヴァン ジャン・カルヴァン その非妥協で厳格な性格からか、生前から毀誉褒貶が定まらない 詳細は「ジャン・カルヴァン」を参照 カルヴァンの政治思想には2つの要点がある。1つは教会を世俗権力から独立させること、もう1つは世俗権力に教会の目的への奉仕をさせることである。彼は教権と俗権という「二本の剣」は分離不可の関係ではあるが、明確に弁別されるべきであると述べた。 カルヴァンはアウグスティヌスに従って、教会を、神によって定められた独自の権威を持つものと考える。彼はこの世には見える教会と見えない教会があるという。見えない教会は正しい信徒の作る精神的な共同体で、時間と空間の制約を受けない。見える教会は信徒が集まって、儀礼や礼拝、説教が行われる場所で、この見える教会においては成員すべてが必ずしも完全な信仰を有しているわけではない。そのため見える教会は成員すべてを完全な信仰に導くために、規律を必要とし、内部に政治が必要とされるのである。そのため教会の幹部は道徳を含む世俗の問題に対しても判決を出すことが出来る。 一方世俗権力の担い手である国家は、真の宗教、正しい信仰を広めるためのものである。もちろん既存国家の中には必ずしも完全な信仰に合致していない場合もあるが、そのような国家に対して反抗することは絶対に許されない。もし抵抗を認めてしまえば、無秩序に陥る恐れがあり、またそもそも神の力によって、誤った状態は長く続くことはないと考えられるからである。 カルヴァンの思想のうち、無抵抗については彼の死後現実のユグノー弾圧への対応として、理不尽な支配に対しては抵抗してもよいというモナルコマキの政治理論が登場した。同様に彼の思想にある非寛容で妥協を許さない攻撃性も、カルヴァン主義が深刻なコンフェッショナリズムに直面するうちに失われていき、寛容へと傾いていった[* 177]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランスのコンフェッショナリズムと主権理論 コンフェッショナリズムとは、政治闘争が信仰の対立と密接に結びついた、宗教改革の時期特有の政治状況である。このような形での宗教対立が最も典型におこなわれたのが16,17世紀のフランスであった。フランスの宗教改革派はカルヴァン派が主流で、ユグノーと呼ばれる[* 178][* 179]。このユグノーと王権やカトリック勢力の間の政治闘争を通じて、フランス絶対王政が形成された。 フランスの改革派、ユグノー カトリーヌ・ド・メディシス アンリ2世の妃で、メディチ家出身。夫の死後は相次いで息子を即位させ、実権を握った 詳細は「ユグノー」を参照 フランスにおいても宗教改革と通じる福音主義的思想が現れた。その最初期のものは、ルフェーブル・デタープルによるパウロの書簡の注解(1512年)やフランス語訳新約聖書(1523年)があげられる。しかしパリ大学の神学者やパリ高等法院から弾圧され、デタープルはストラスブールへ亡命するなど、改革運動に迫害が加えられた。だが改革派は急速に影響力を増大させ[* 180]、1550年代にはカルヴァンの指導の元で組織化が図られるようになった。 国王フランソワ1世は姉のマルグリットが人文主義や改革運動に好意的であったためか、当初改革派に理解を示していたが、檄文事件を境に弾圧に回り、パリ高等法院に異端審問委員会を設置した。さらに後継者アンリ2世は1547年に特設異端審問法廷を設け、弾圧を強化した。 これに対し改革派は1559年に第1回全国改革派教会会議を開催し、信仰箇条や教会の規則を定めて一応の組織化を果たした。このころからブルボン家やコンデ親王家をはじめとする貴族が改革派へ参加した。とくにブルボン家などの大貴族層は、政敵であるカトリックの大貴族ギーズ家への対抗という政治的意図から改宗を選んだと考えられる。 アンリ2世の死後は、その妃で息子たちの後見として実権を握ったカトリーヌ・ド・メディシスが政治的駆け引きに改革派とカトリック派を利用しようとし、王家と改革派・カトリック派の三分構造が際だつようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノー戦争 詳細は「ユグノー戦争」および「ナントの勅令」を参照 前述の状況の中、1560年の改革派によるギーズ家の影響排除を狙った「アンボワーズの陰謀」事件や、1562年に起こったカトリック派によるヴァシーでのユグノー虐殺など不穏な事件が相次ぎ、ヴァシーの虐殺を契機として最初の武力衝突が起こった(第一次宗教戦争)。以後1598年のナントの勅令公布までの間フランスは断続的な内戦状態に陥った(ユグノー戦争)。1571年には改革派のコリニー提督が宮廷で影響力を増大させ、新教国と連携してフランスを八十年戦争に介入させようとしたが、1572年ユグノーに対する虐殺事件(サン・バルテルミの虐殺)に巻き込まれて殺された。 これに対し改革派は1574年に第1回改革派政治会議を開き、改革派の優勢な地域での徴税とそれを財源とした常備軍設立を決定し、オランダの改革派と結びついて、ほとんど独立した状態となった。また1581年にブルボン家のアンリ・ド・ナヴァルを「保護者 ("Protecteur")」として推戴した。アンリは改革派の軍事指揮権と改革派支配地での司法官や財務官の任命権を得たが、一方でユグノーの顧問会議によってその権力は制限されていた。これは後述するユグノーの共和政的政治思想の影響も無視できない[213][214]。 サン・バルテルミの虐殺 ブルボン家のナヴァル王アンリと王妹マルグリットの結婚式に参列するため、パリに集まった改革派貴族を、1572年のサン・バルテルミの祝日(8月24日)にカトリック派が襲った。この事件の影響はたちまち全フランスに広がり、各地で改革派に対する襲撃が相次いだ カトリック貴族もギーズ公アンリを中心に「カトリック同盟(ラ・リーグ、"la Ligue")」を結成し、独自の軍事組織を持った。こうして王権・改革派・カトリック派の政治闘争はいよいよ本格的な武力闘争に発展した。ユグノーの背後にはオランダとイングランドが、カトリック同盟の背後にはスペインと教皇庁が存在し、内乱は国際的な宗派対立と密接に連動していた。一方でこの時期フランス王権は対ハプスブルク外交としてオスマン帝国に接近した。 この内乱に教皇は積極的にカトリック支援を意図して介入し、とくにグレゴリウス13世はサン・バルテルミの虐殺においてカトリック同盟を支持した。またグレゴリウス14世は同盟支援のために軍隊を派遣した。ハプスブルク家のフェリペ2世が1580年ころからカトリック同盟を露骨に援助するようになると、国王アンリ3世はユグノーに接近し、国王は刺客を放って1588年ギーズ公アンリを暗殺した。しかし翌年には国王も同盟側によって暗殺され、ナヴァル王アンリが王位継承者(アンリ4世)となるが、カトリック勢力は根強く反抗した。1593年にナヴァル王アンリはカトリックに改宗して翌年パリに入城することができた。 アンリ4世の改宗に改革派は危機を覚え、改革派政治会議を全国組織にし、会議は1595年から1597年の間、王権と並ぶ統治機関として機能した。この会議はオランダの改革派との合同も模索したが、これに対しアンリ4世は改革派に宗教上の保証を与えるナントの勅令を1598年に発布した。改革派はこれに満足し、王権への忠誠を誓った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ナントの勅令廃止まで ナントの勅令の実施状況の監督に当たっては、各州改革派とカトリックから選ばれた国王親任官が各教区を巡回した。しかしパリ高等法院やカトリックの聖職者たちはともすればこの勅令を非寛容な方向に厳密に解釈して適用しようとし、種々の訴訟を起こして改革派を陰に陽に弾圧しようとした。改革派にとって最大の後ろ盾であったアンリ4世の暗殺後には、改革派内部に明確な亀裂が生じ、北部のパリやノルマンディーの改革派は王権への服従とカトリックとの妥協を目指す「穏健派」を形成し、南部のギュイエンヌやラングドックの改革派は「強硬派」を形成した。「穏健派」は徐々に王権神授説に傾いた。 アンリ4世の死後摂政となった妃のマリー・ド・メディシスは改革派に配慮を示していたが、成人したルイ13世は改革派に威圧的な態度を取った。1620年ルイ13世が、改革派が多数を占めるベアルヌ地方でカトリックを支持する裁定を下すと、改革派は反発し、その年の12月に開かれた全国会議で「強硬派」が優勢となって武装蜂起を決定した。ユグノー側の軍事的指導者となったのはロアン公アンリである。1621年から1622年にわたっておこなわれた戦いは、ほぼ王側の優勢のうちに決着したが、和平においてはルイ13世が譲歩する形でナントの勅令が再確認された(モンプリエ条約)。 ユグノーの多く居住する地域(17世紀) しかしルイ13世はモンプリエ条約の遵守に熱心でなく、改革派は不満を隠しきれなかった。1625年に再び戦闘が開始されると、宰相リシュリューは改革派の拠点ラ・ロシェルを包囲し、ロアン公アンリ率いる改革派をうち破ったが、このときリシュリューは外交方針を変更して三十年戦争でプロテスタント側を援助することも考慮していたため、1626年には講和してモンペリエ条約を再確認した(パリ条約)。だが平和は短かった。1627年にリシュリューは再びラ・ロシェルを包囲し、改革派はイングランドの援助を受けたが、イングランド艦隊は有効な支援ができず、1628年10月ラ・ロシェルは陥落した。1629年には王軍がラングドックにも侵攻して決定的な勝利を得、またロアン公アンリを国外へ追放した。6月和平がなりアラスの勅令が出され、ここでナントの勅令が再び確認されたものの、改革派は武装解除され、これは「恩恵の勅令」と言われるように、王権が改革派を決定的に従属させるものであった。 1630年から1660年にかけての30年間は、王権への臣従姿勢によって改革派が比較的安定した時期を迎えていた。例えばリシュリューの庇護のもとアカデミー・フランセーズを設立したヴァランタン・コンラールも改革派の文筆家であった。とはいえ、この時期改革派に圧迫が加えられてもいる。リシュリュー死後、実権を握ったマザランは改革派全国教会会議の開催を禁止した。 ルイ14世が親政を開始すると、改革派の権利が徐々に剥奪されていった。まず1661年にフランス全土に官吏が派遣され、改革派の礼拝について調査が行われた。そしてさまざまな条例を発布して公職から徐々に改革派を閉め出した。1679年ドラゴナードという制度が定められ、これは竜騎兵を改革派の家に宿泊させ、暴力的威嚇によって改宗を強制するものであった[* 181]。これに対して1683年に改革派の多い南部で散発的な抵抗運動が起こったが、すぐに鎮圧された。1685年にはついにナントの勅令廃止が宣言(フォンテーヌブローの勅令)され、改革派牧師の追放、改革派教会堂の破壊が命じられた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノーとフランス経済史 マックス・ウェーバーが指摘するように、ユグノーは16~17世紀のフランス経済に大きな影響を及ぼした[* 182]。ここではユグノーのフランス経済に及ぼした影響、とくにコルベール主義との関連を概観し、ナントの勅令廃止(1685年)の経済史的意義についても言及する[* 183]。 ナントの勅令 ナントの勅令は信仰の自由を与えるものとはいえず、カトリックとプロテスタントに対する扱いも平等ではない。あくまでプロテスタントへの寛容を表明するにとどまっている フランスのプロテスタンティズムはその最盛期で人口200万人、当時の人口の10%ほどを占めたが、ユグノー戦争によって5%程度まで減少した[215]。その内訳は貴族・農民・手工業者・商人・金融業者など多様な社会階層に及んだ[216]。そのうち貴族層は前述したように政治的意図が濃厚であったので、その目的が達成されたユグノー戦争 後には、そのほとんどが早期に信仰を離れた。ユグノーが大きな勢力を持った南部では、農民層にもプロテスタンティズムが浸透し、彼らの貢献により、この地域は内乱の被害が著しかったにもかかわらず早期に復興を成し遂げた。しかしとりわけブルジョア層においてプロテスタンティズムは広く浸透した。 ユグノーはとくに集中マニュファクチュアの担い手として重要であり、金融・商業においても支配的であった。コルベールは重商主義政策の柱に国内の金融業・商業・工業の発展を据えていたので、当然その担い手であるユグノーを保護し、これと提携する道を選んだ。 毛織物工業では、ラングドック・プロヴァンス・ドフィネはレヴァント地方への輸出用ラシャが大量に生産されていた。シャンパーニュ地方のスダンも北ドイツへの輸出用ラシャを生産し、毛織物工業の中核でもあったが、ここではユグノーの製造業者が織機の半数を所有していた[217]。絹織物工業においては、17世紀中葉トゥール・リヨンにおける顕著な発展が知られるが、それはユグノーの貢献に拠るところが大きい。リンネル工業をフランスに導入したのもユグノーであり、リンネルはイギリスへの輸出用商品として貴重なものであった[218]。オーヴェルニュやアングモアでは製紙業が発達していたが、その主な担い手もユグノーであった。ここで製造された紙はフランス国内のみならず、イギリスやオランダでも消費された。とくにオーヴェルニュのアンベールの紙は当時ヨーロッパで最良のものとされていた。これらの工業は一般的にナントの勅令廃止後に衰退した[* 184]。 ラ・ロシェルやボルドーにおける海上交易の発展にもユグノーは多大な寄与を為していた。ボルドーにおいては主にイギリス・オランダとの交易を担い、ラ・ロシェルにおいてはナントの勅令直前まで貿易は彼らの独占状態にあるという有様であった[219]。ユグノーの銀行家としては、17世紀初めにはリシュリューの財源となったタルマン家やラムブイエ家が知られる。またユグタン家も有名である。もともとリヨンの出版業者であったが、1685年にアムステルダムに移住し、そこで17世紀最大の銀行家にまで成長した[220]。フランス革命後には多くのユグノー銀行家がフランス金融界で活躍し、現在でもユダヤ系以外はプロテスタント系によってフランス銀行業は担われている[221]。 ナントの勅令廃止によりユグノーの工業技術・資本はイギリス・オランダ・スイス・ドイツに流出し、それらの国々の工業的発展に寄与した結果、対フランス貿易における各国製品の競争力を高めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治思想(モナルコマキとポリティーク) カルヴァンは信徒に抵抗を認めなかったが、ユグノーに対する弾圧が強くなると、ユグノーたちの間に支配権力に対する抵抗理論が現れた。1572年のサン・バルテルミの虐殺によって宗教対立がいよいよ抜き差しならない段階に入ると、武力抵抗を肯定する必要が生じた。こうして武力抵抗を肯定する理論として暴君は打倒しても良いとする暴君放伐論が現れ、暴君放伐論者をモナルコマキ(英語版)という。暴君放伐論として代表的なのはテオドール・ド・ベーズの『臣民に対する為政者の権利について』(1573年)とユニウス・ブルートゥスというペンネームの著者が著した『暴君に対する自由の擁護』である。 ジャン・ボダン 国家の統一を維持すべきという観点から宗教的寛容を主張した。主権の形態としては君主制に優越性を認めていたが、それはつねに主権の行使者が一者であるということと世襲的であるということが、継続的な永続性を実現していると考えたからである ベーズは為政者が人民の同意しない権力を行使した場合は、これに抵抗することが可能であるという。ただし抵抗の主体となることができるのは個々の人民ではなく、三部会もしくは大貴族によってのみ国王を放伐することが可能であるとした。後者の著作はベーズのものより体系的な政治理論を展開しており、一連のユグノーの暴君放伐論の中では絶頂であると考えられている。まず君主が神の代理人として地上で神の法を行う義務を負うと述べ、次に旧約聖書を引用して神と、君主およびその支配下にある人民の間に契約があるという。次に君主と人民の間にも契約があり、君主がこの契約に守らない場合は、人民はこれに服従しなくてもよいとする。このように契約論を展開する一方で『暴君に対する自由の擁護』は、ベーズ同様、等族国家の原理に影響を受けた身分制的な思想を展開する。君主の契約違反に人民は服従しなくてもよいが直接抵抗することは認められない。君主に抵抗できるのは身分ある貴族だけで、身分のない人民は貴族の抵抗に荷担するか、消極的に君主の支配から逃亡するかである。最後にこの著作が示す興味深い論は、近隣の君主が暴君の支配に苦しむ国に干渉戦争をおこなうことを認めている点である。 ラ・リーグの側でも、同様の抵抗理論が展開された。ただカトリック強硬派の政治理論に特徴的なのは、従来の教権擁護の理論を継承して、国王の解任権やその不当支配に対する抵抗権の条件に教会、とくに教皇の承認を重視する点である。 一方で、カトリック穏健派はモナルコマキたちが君主への抵抗に神との契約違反を見たり、教皇の承認を重視したりする傾向に批判的であった。彼らはむしろ国家を重視し、宗教上の問題に寛容な解決をもたらすことで、政治的統一を尊重すべきと説いた。彼らを国家主義者という意味でポリティークと呼ぶ。 ポリティークの代表的論者はジャン・ボダンで、彼は一方で近代的な主権理論の祖ともいわれる。ボダンは中世的な国王大権を発展させて、主権概念をつくった。この主権とは、国家を支配-被支配の関係で捉えた際に支配者側が持つ絶対的な権限のことで、国王にのみ固有のものである。彼によれば、「国家の絶対的な権力が主権」であり、「主権による統治が国家」である。つまり主権は国家そのものと不可分である。要するに、伝統的な封建制や従来の身分制社会では、国王と末端の被支配者である人民との間に、大貴族や群小の領主のように中間権力が存在したが、ボダンは主権を設定することによって、中間権力を排除して、支配者と被支配者の二者関係で国家を定義した。これによりモナルコマキたちが主張した、貴族などが支配権の一部を分担しているという観点から抵抗権を認める暴君放伐論を否定した。この主権概念と対立するのは伝統的な普遍支配権を主張する皇帝と教皇である。まずボダンは皇帝を選挙によって選ばれるのであるから、選挙を行なう支配者たちの主権を譲渡された受益者に過ぎないとこれを主権から外す。また教皇の至上権に対しては、国家の自律性・自然性を強調し、領域国家内の政治から宗教上の争いが排除されなければいけないとして政教分離を主張した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 低地地方と宗教改革 詳細は「オランダの歴史」を参照 メルセン条約によって東フランクと西フランクに分属することとなった低地地方[* 185]は中世後期に至るまで政治的統一とは無縁であった。しかしながら、14世紀にヴァロワ=ブルゴーニュ家の支配下にはいると、地域の政治的統一が促進されることとなった。その後、同家の断絶によりハプスブルク家がこの地を相続し、中央集権的な支配を及ぼそうとしたが、これに対して低地地方の貴族は不満を募らせ1568年に反乱し、やがて北部はオランダ共和国として独立した。オランダ共和国は改革派が多数であったわけではないが[* 186]、独立の過程においては改革派が主導的な影響を及ぼし、やがて改革派の中心国家として台頭することになった。 低地17州の歴史的経緯 ディジョンにあるブルゴーニュ公の宮殿 詳細は「ネーデルラント」および「ブルゴーニュ領ネーデルラント」を参照 12世紀までに、低地地方にはホラント伯やゲルデルン公、ブラバント公、エノー伯、ルクセンブルク伯、フランドル伯などの世俗領主、ユトレヒト司教やリエージュ司教といった教会領主が分立割拠していた。11世紀後半ごろからこの地域に対する神聖ローマ皇帝の圧力は減退していき、低地地方は徐々に英仏両国の影響を受けるようになっていった。 低地地方南部で徐々に強大な勢力を確立したフランドル伯は、フランスとの対立を深め、とくにフランドル伯支配下の都市はイングランドとの通商関係での結びつきがあったことから、イングランド王に接近した。フランドル伯ボードゥアン9世の時代には、ノルマンディをイングランド王ジョンから取り上げたフィリップ2世がフランドルを窺う情勢となった。つづくボードゥアンの娘ジャンヌの時代に、イングランド王ジョン・神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟し、フランス王権に挑戦したが、1214年ブーヴィーヌの戦いで敗北した。以降フランドルはしばらくの間フランス王権の掣肘を受けることとなる。 14世紀半ばに同地は相続を通じてブルゴーニュ家のフィリップ豪胆公の支配下に入り、この公国のもとで政治的統一が進められた。公国は財政的にも低地地方に大きく依存しており[* 187]、自然と公国の重心も低地地方へと移動した。このころすでに聖職者、貴族、有力都市民からなる身分制議会が低地地方でも開かれていたが、あらたに課税賛否権と請願権を与え、この議会は「全国議会(エタ・ジェネロー)」[* 188]へと発展した。 14世紀にルクセンブルク伯領を領していたルクセンブルク家の当主が相次いで神聖ローマ皇帝となり、同家はやがて神聖ローマ帝国の東方に広大な家領を形成した。カール4世の時代にルクセンブルク伯はルクセンブルク公へと格上げされ、同家は最盛期を迎えるが、やがて15世紀初めには同家の男系は断絶し、その支配地域の多くは相続を通じてハプスブルク家の手中に収まった。 1477年にシャルル突進公がロレーヌ・アルザス・スイス軍との戦いで戦死すると、フランス国内のブルゴーニュ公領はたちまちフランス王権に回収され、相続者マリーに残されたのは低地地方とフランシュ=コンテのみであった。マリーは同年ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と結婚し、これらの地域もまたハプスブルク家の支配に収まった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ハプスブルク家の統治(カール5世とフェリペ2世) カール5世の「帝国」(1547年) 詳細は「ネーデルラント17州」を参照 1506年フィリップ端麗公が急死すると、その長子シャルルが公国を相続し、1515年1月に全国議会で即位した。さらにシャルルは1516年にはカスティリャ・アラゴン両王国の君主となり、1519年には対抗馬のフランソワ1世を破って神聖ローマ皇帝カール5世となった。こうして東はトランシルヴァニアから西はスペインにいたる、ヨーロッパ全体を包含するかのような「帝国」が形成された。この帝国には一体的な国家組織がなく、個別の国家がただ単にカール5世のもとに集約されているに過ぎなかったが、低地地方はその中で位置的には辺境であるにもかかわらず、対フランスの軍事的・政治的拠点であり、さらにアントウェルペンの金融は「帝国」の重要な財源であった。カールは低地地方の行政的中心をブリュッセルにおき、中央集権化を進めて政治的統一を促進させる一方、周辺地域の武力的制圧をすすめ、メルセン条約以来分断されていた低地地方を初めて統一した。低地地方が17州[* 189]と呼ばれるのは、このカール5世が帯びた、低地地方の17の称号に由来し、1548年のアウクスブルク帝国議会で正式に承認された。1549年には低地地方が「永久に不可分」な形でハプスブルク家に継承されることを定めた国事詔書(プラグマティック・サンクシオン)が発布され、全国議会で承認された。 カール5世に続いて低地地方を支配したのは長子フェリペであった。フェリペもカール5世の基本路線を継承し、法典や裁判制度の統一をはかり、低地地方を中央集権化しようと試みた。低地地方の政治の実権はグランヴェルなどの寵臣が握っており、オラニエ家などの大貴族と対立した。フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 190]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 191]。このころフランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド 「鉄の公爵」と呼ばれた。彼の設けた「騒擾評議会」は別名「血の裁判所」と呼ばれるほど苛烈で、低地地方を苦しめた 1565年フェリペが改めて低地地方での異端審問の強化を命令すると、下級貴族は反発を強め、1566年には異端審問の中止を求める訴状を執政マルハレータに提出した[* 192]。マルハレータは異端審問の一時緩和を発表したが、これにより改革派が公然と低地地方で活動を開始するに至った。 フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 193]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 194]。しかし、この頃フランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 1566年、フランドルでカトリック教会や修道院を狙った暴動が発生し、その反乱は低地地方各地へと広まった。フェリペが重税などの圧政を行っていたため、まだプロテスタントが浸透していない北部にまで暴動は拡大した。この暴動は一見宗教的動機に隠されてはいるが、そのうちに深刻な経済的理由が存在していた[* 195]。この年は北欧での大規模な戦争によってバルト海方面からの穀物流入が激減し、食糧難と経済危機によって低地地方の人々は苦しんでいたのである。1567年8月、フェリペは事態の収拾を図るため、アルバ公に指揮権を与え軍隊による介入を指示し、1万ほどの軍勢とともに派遣した。アルバ公は「騒擾評議会」なる特別法廷を設置し、暴動の参加者を徹底的に弾圧した。さらに12月にはマルハレータに替わって執政になり、ネーデルラント貴族にこの暴動の責任を問うた。1568年6月5日、異端撲滅の名の下に、エフモント伯ラモラール、ホールン伯フィリップを含む大貴族20人余りがブリュッセルで処刑された。この際、大貴族の一人であったオラニエ公ウィレム1世は1567年4月すでにドイツに逃れており無事だったが、彼ら亡命貴族の財産・領地の多くが没収された。1569年には十分の一税を導入して、スペインの財政改善のために低地地方に経済的圧迫をもたらした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 八十年戦争とオランダ共和国 詳細は「八十年戦争」を参照 ドイツに逃れていたオラニエ公ウィレムは1568年4月に軍を率いてオランダ北部と中部から一斉に進攻するが、5月23日ハイリハレーの戦いに勝利したものの、結局は失敗に終わった。ウィレムはフランスのユグノーに合流し、「海乞食(ワーテルヘーゼン)」を組織して低地地方の沿岸を無差別に略奪した。1572年4月1日海乞食はブリーレの占拠に偶然にも成功し、やがて港湾都市を少しずつ制圧していった。同年7月ホラント州は反乱側に転じ、ウィレムを州総督に迎えることとした。ホラント・ゼーラント2州に海乞食が足場を整えると、改革派が続々と流入し、徐々に主導権を握るようになった。1573年2月にはホラント州でカトリックの礼拝が禁じられた。 1576年には給料の未払いから低地地方に駐留していたスペイン軍が略奪に走ると、スペインに協力的であった南部州も反乱州との提携に転じ、ヘントの和約が結ばれた。和約は全部で25か条あるが、最初の3か条はとくにこの条約の基本性格を表していると考えられている。第1条ではスペイン王による無条件大赦を要求し、第2条では諸州の連帯と低地地方の平和維持を規定、第3条では宗教問題など諸州の問題を解決するために全国議会を開くことを決めていた。しかしながら、この和約は全く効果的な裏付けを欠いていた。そもそも約束された諸問題の解決のための全国議会は結局開かれなかったし、条約は北部と南部が互いに都合良く解釈する余地を残していた。たとえばフェリペ2世の意向を気にする高級官僚は早くも1576年11月9日づけの国王宛書簡で「和約」を容認したやむべき経緯を釈明した上で、和約の実施にあたっては修正を加えることを示唆している。同様にオラニエ公ウィレムの側でも、側近がイングランド宛の書簡で宗教問題について、ホラント・ゼーラント両州では全く妥協する気がないことを述べている。このようにヘントの和約は全くその場限りの一時的な妥協に過ぎず、永続性を欠いており、状況の推移によって簡単に崩れる脆い地盤の上にあった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 日本近代史における政教分離 大政奉還がなされて明治政府が誕生し、日本の近代史が始まる。ここでは近代の法制史の立場から政教分離に関連する歴史を概説する。 大政奉還の年(1867年慶応3年)神祇官が復興され、明治新政府は祭政一致の国家形成を目指す方針を出した[222]。1868年(明治元年)神仏分離令が出され、廃仏毀釈が起こる。また「五榜の掲示」にキリシタン禁制とあるのが確認される。1869年に設けられた公議所の議論で神道の国教化路線が決定され、神道に関する神祇官は太政官から独立して行政制度において独自の位置を占めた。しかし1871年には神祇省に格下げされて、1872年には神祇官が廃止され、教部省が新たに仏教・神道ともに管掌することとなった。国民を教化する職責として教導職制度が設置され、教導職の教育機関として大教院が設置された。 これに対して浄土真宗本願寺派の島地黙雷が三条教則批判建白書を提出し(1872年明治5年)、1875年1月には真宗4派が大教院離脱を内示するなど紛糾し、結局同5月に大教院は解散することとなる。 1873年1月に太陽暦が導入され、1874年には仏教・神道の中での宗派選択の自由が、1875年には信教の自由が保障された。1882年(明治15年)には官国幣社の神官が葬儀に関与することを禁じ、国家祭祀に専念させることとし、国民的な習俗として一般的な宗教とは区別されることが方向付けられた。このさい内務省通達により神社は宗教ではないとされた(神社非宗教論)[223]。 大日本帝国憲法(1889年明治22年)には第28条で「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と記載された。 昭和期に入って、日本国内で国粋主義・軍国主義が台頭すると、神道は日本固有の習俗として愛国心教育に利用され、神道以外の宗教に顕著な圧迫が加えられるようになった。神道以外の信仰を持つ生徒・学生であっても靖国神社への参拝を義務づけたため、1932年には上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否するという事件(上智大生靖国神社参拝拒否事件)が発生した。これに対してカトリック教会は1936年『祖国に対する信者のつとめ』を出し、日本政府の方針にしたがうべきことを表明した。 第二次世界大戦後の1945年、GHQにより神道指令が出され、国家神道は廃止され、現行憲法では政教分離が原則的には実現されている。 現代日本における政教分離原則に関する問題については政教分離原則・靖国神社問題・公明党を参照 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 関連項目 帝権と教権 叙任権闘争 皇帝 ローマ教皇 神聖ローマ帝国 フランク王国 カロリング朝 ホーエンシュタウフェン朝 ハプスブルク家 ルクセンブルク家 選帝侯 各国史 ドイツの歴史 フランスの歴史 イギリスの歴史 教会 キリスト教の歴史 ローマ教皇の一覧 東西教会の分裂 正教会 カトリック教会 教会大分裂 公会議主義 宗教改革 プロテスタント ヨーロッパ外の祭祀王権との比較 天皇 神道 皇帝祭祀 天下 参考文献 全体 森安達也 『近代国家とキリスト教』 平凡社〈平凡社ライブラリー, 446〉、2002年。ISBN 4582764460。[* 196] 歴史学研究会 編『現代歴史学の成果と課題 1980年-2000年 2 "国家像・社会像の変貌"』青木書店、2003年。 小林良彰・河野武司・山岡龍一 著『政治学入門 ( 07)』放送大学教育振興会、2007年。 江川温 著『ヨーロッパの歴史 ( 05)』放送大学教育振興会、2005年。 リュシアン・フェーヴル 『ヨーロッパとは何か 第二次大戦直後の連続講義から』 長谷川輝夫訳、刀水書房、2008年。ISBN 9784887083646。 ウィリアム・ウッドラフ 著、原剛ほか訳『概説 現代世界の歴史 1500年から現代まで』ミネルヴァ書房、2003年。 岡本明 編著『支配の文化史 -近代ヨーロッパの解読-』ミネルヴァ書房、1997年。 各国史全般 松谷健二 著『東ゴート興亡史』白水社、1994年[2003年中公文庫] 玉置さよ子 『西ゴート王国の君主と法史』 創研出版、1996年。ISBN 978-4915810084。 アズディンヌ・ベシャウシュ 著、藤崎京子 訳『カルタゴの興亡』知の再発見双書、1994年。 松谷健二 著『ヴァンダル興亡史』白水社、1995年[2007年中公文庫]。 青山吉信 『先史〜中世』1、山川出版社〈世界歴史大系, イギリス史〉、1991年。ISBN 4634460106。 今井登志喜 著『イギリス社会史』上下、東京大学出版会、1953年。 ベーダ・ヴェネラビリス 『イギリス教会史』 長友栄三郎訳、創文社、1965年。ISBN 978-4423460078。 J・R・H・ムアマン 『イギリス教会史』 八代崇ほか訳、聖公会出版、1991年。ISBN 978-4882740636。 村岡健次 ほか編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』ミネルヴァ書房、1986年。 樺山紘一 ほか編『世界歴史大系 フランス史』1〜3、山川出版社、1995年。 成瀬治、山田欣吾、木村靖二 『ドイツ史』1、山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年。ISBN 9784634461208。 森田安一 『スイスの歴史と文化』 刀水書房、1999年。ISBN 4887082355。 森田安一 『スイス・ベネルクス史』 山川出版社〈世界各国史, 14〉、1998年、新。ISBN 4634414406。 ウルリヒイム・ホーフ 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Medieval Italy during a Thousand Years A Brief Historical Narrative with Chapters on Great Episodes and Personalities and on Subjects Connected with Religion, Art and Literature. George G. Harrap. Edward Hutton (1913). Ravenna a Study. E. P. Dutton. ISBN 978-0554137117. - 名無しさん 2015-08-23 21 32 12 名前 A、 バイオハザード アンブレラ・クロニクルズ 攻略wiki とコラボして欲しいです - レン 2012-04-25 20 13 01 最終編集 2 か月前、Æskja 政教分離の歴史 政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する[* 1]。したがってここでは政教分離原則成立の社会的背景を、近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づくものとしてその歴史を概観する。 バチカン市国 中世におけるカトリック教会は教会国家という世俗的な基盤を有しながらも、全ヨーロッパ規模での普遍的な権威を主張した。近代ヨーロッパ各地に国民国家が成立していくと、このような普遍性に支えられていた特権や管轄地は多く失われ、世俗の国家に回収された。現在カトリック教会はバチカン市国としてサン・ピエトロ大聖堂を中心とした世俗の一独立国家となっている 基本的な視野 政教分離とは、信仰生活と政治活動は分離されるべきであるという考え方である。歴史的にはジョン・ロックによって、信教の自由は人間の自然権であるという考えが提唱され、多くの近代国家の憲法に原理として取り入れられて制度化された。ただし国により制度的な実現方法には相違がある。 近代国家成立史として カール大帝の戴冠(ジャン・フーケによる1460年ごろの作品) カール大帝は800年教皇レオ3世によって加冠され、キリスト教西ローマ帝国の皇帝となった。ゲルマン的普遍世界の成立を告げる重要な画期であったが、後代カール大帝はこのとき塗油によって聖別されたと信じられた[* 2]。厳密に言えばそれは後代のアナクロニズム(時代錯誤)であったが、のちに「国王が教皇によって聖別されること」が王権に対する教権の優位の有力な根拠となった一方、一度聖別された国王が聖性をもつことの根拠ともなり、のちには血統霊威の観念[* 3]などと結びついて王権神授説に発展し、絶対王権の根拠ともなった 近代的な市民社会とそれに立脚した近代的な国民国家は、近代の西ヨーロッパに成立したものであるが、中世の西ヨーロッパ世界においては国民を単位とした政治社会は希薄であった。そこでは、古代ローマ帝国の帝権の延長線上に自身を位置づけ、世俗世界での至上権を主張するドイツの皇帝と、キリスト教信仰と教会組織を持ち不可謬権と聖書解釈を独占しようとするローマ教皇が、それぞれローマ法とカノン法という独自の法を持ち、権力と権威を二分していた。したがって国民を単位とする政治社会である近代国家が生起するためには、帝権と教皇権を超克していかねばならず、特に「国家の中の国家」と言われた教会組織の取り込みあるいは克服がなされねばならなかった。 このような状況は西ヨーロッパに固有の問題であると言えるが、近代国民国家が西ヨーロッパで成立したと考えられているために、国家と宗教の関係性の歴史が近代国家の成立史において主要な論点として意義を有することになる。現在の国民国家は例外はあるものの、ほとんどの国が政教分離を原則としており、また近代国家の克服の対象であった教会の側では、中世以来のカトリック教会の首長であるローマ教皇は、一方でバチカン市国という一つの近代国家の首長となり変容を遂げた。 霊性史として さらにより宗教史的・神学的な視点から、キリスト教の宗教的領域(「霊性(スピリトゥアリタス、Spiritualitas)」)についての歴史として、政教分離の歴史的経緯を捉えることも出来る。「霊性」とは本来「洗礼の際、神によって注がれた霊に遵って生きること」、つまりキリスト教的倫理に遵った生活のことであった[1]。 この「霊性」という言葉は、使われはじめた当初から新プラトン主義的な、身体や物質と対立する意味での「魂(プシュケー)」に概念的な接近を見せており[* 4]、12・13世紀の文献においては、政治や経済といった人間の世俗的な概念に対する、人間の「超自然性」「非物質性」を意味している。さらには国家に対する教会法的意味での教会の聖職を指す用語となった[6]。中世の政治思想において国家は、「世俗的なるもの」に対する「霊的なるもの」の優位という階層秩序観に基づき、教会への奉仕を求められることになる[* 5]。これは国家が道徳倫理においても卓越性を持つと考えられていた古典古代の政治思想と著しい対照をなした[* 6]。 すでにアウグスティヌスにおいて、政治秩序とキリスト教倫理の間の緊張関係は「地の国」と「神の国」という超越的な世界観との関連において捉えられていたが、カール大帝の戴冠以後、皇帝と教皇の権力という現実と密接に関連していくことになる。中世盛期に登場したトマス・アクィナスにおいては、政治社会とその秩序は、より上位の神学的・倫理的共通善を実現するための外的諸条件の確保のためにあるものと考えられている。 ところが中世後期のパドヴァのマルシリウスにいたると、逆に国家の平和を維持するという観点から教皇至上権批判が展開される。さらに同時期のウィリアム・オッカムにおいては、政治秩序を自然法的規範よりは自由な合意形成によって形成すべきであるという考えが提示されている。このオッカムの議論は抵抗権の思想に直接的に結びついた。 ルネサンスの時代には、神や普遍的自然法思想に支えられた階層的秩序観は動揺し始め、この時期に登場したニッコロ・マキアヴェリは政治と倫理道徳の結びつきを問い直し、政治原理のキリスト教からの自立を促した。こうしてキリスト教的道徳規範から独立した政治社会は、トマス・ホッブズによって支配契約関係として捉え直され、このような近代国家においては宗教も国家権力に従属すべきとされた。ジョン・ロックはホッブズの理論を批判しつつ継承したが、彼においては国民国家の統一を守るために、宗教の問題はもはや公権力が関知することではなく、政策的に寛容な立場を取ることによって私事として処理されるべきものとされた。 今日の欧米では、国教制をとるにせよ(イギリス)、公法上の法人格を与えるにせよ(ドイツ)、私法上の組織として扱うにせよ(アメリカ・フランス)、国家と霊性を分離し、信教の自由を認めるのが一般的であり、むしろこのような自由が認められない諸国に対して批判的である。しかし、今日の保守主義思想はしばしばこのような宗教(的な倫理規範)と政治との乖離状態を批判し、宗教の持つ公共性への見直しも進められている[* 7]。そのため宗教と政治の関係を単純な公私の関係で割り切ることはできなくなりつつあるといえる。 正教会の事情 「ビザンティン・ハーモニー」も参照 カトリックとは異なり、ビザンツ(東ローマ)皇帝の強い影響下にあった正教会においては、権威において教会の首長であるコンスタンティノープル総主教がビザンツ皇帝を上回ることはなく、公会議も皇帝によって招集された[* 8]。行政区分に基づいた主教管区をおく伝統によって、独立した国家ごとに主教管区が設けられ、ビザンツ帝国の後期には帝国の縮小に伴ってバルカン半島諸国で主教管区がコンスタンティノープル総主教の管轄を離れ、独立する傾向にあった。 ビザンツ帝国が滅亡し、教会がオスマン帝国の支配下にはいると、コンスタンティノープル総主教は帝国の拡大に伴ってバルカン半島や西アジア・エジプトなどに管轄を広げ、アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの三総主教座も事実上その管轄下に収めることになった。しかし一方でオスマン皇帝の意向を重視した総主教が選出される傾向が増し、聖職売買が横行するようになった。またこの時代の東方教会においては聖職者・修道僧の識字率の低下も見られた。このような状況は東方における神学教育の低迷をもたらし、カトリックの神学校に留学する正教神学徒も増加した。西ヨーロッパで宗教改革が起こると、カトリック・プロテスタント両派ともバルカン半島を中心とする東欧国家での布教活動を重視するようになり、正教側も対抗改革派とくにイエズス会の神学校に影響されて、神学校を設立し、正教神学校はのちに近代国家の宗教政策において一定の関与をすることになる。 18世紀以降オスマン帝国が縮小に向かうと、バルカン半島で民族独立運動が激化し、それに伴ってバルカンの民族教会は総主教から独立しようとするようになった。このような動きに対し、コンスタンティノープル総主教は概して否定的で、これら民族教会の正教徒よりはオスマン皇帝に近い立場にあった[* 9]。オスマン帝国の縮小とともにコンスタンティノープル総主教の管轄も狭まり、第一次世界大戦後にトルコ共和国が成立してオスマン帝国の本体が国民国家となると、総主教は形骸化して名目的な地位と化した[* 10]。 歴史的展開 近代のキリスト教は東西いずれの教会においてもその影響力を低下させた。ここでは近代社会と宗教について、とくに近代国家とキリスト教の問題を焦点とすることとし、その際近代国家成立の前提としての近代以前のヨーロッパ史における世俗王権とカトリックの教権の関係をまず概観する。さらにその背景となる思想史についても適宜記述する。近代以降については正教世界にも視野を広げて記述するが、近代国家との関連性を重視するという観点から中世以前の正教世界についてはここでは詳しく触れない。 近代以前の正教世界については正教会・東ローマ帝国・キリスト教の歴史を、正教会における国家と教会の関係を示す政治理念についてはビザンティン・ハーモニーを参照 概要 四福音書記者 新約聖書の中心部分をなすイエスの生涯を記録した文書が四福音書である。4人の福音書記者はそれぞれ象徴を持つ。天使で象徴されるマタイ(左上)。ライオンで象徴されるマルコ(左下)。鷲で象徴されるヨハネ(右上)。雄牛で象徴されるルカ(右下) 「歴史的展開」節の記述は政治社会とキリスト教の関係について、政治史・国家史・教会史・思想史の多岐にわたって概説するため、ここでは便宜のために要約を示す。 古代のキリスト教 「古代のキリスト教思想」では、キリスト教本来の思想傾向と古代に現れたキリスト教の思想を、政治思想史の観点から概説する。 「初期キリスト教と国家」ではパウロの思想やアウグスティヌスに代表される教父哲学を概説する。イエスの思想は内面と政治社会を区別する特徴的な思想を形成し、パウロは神の恩寵という観点を持ち込むことでイエスの思想を一つの宗教にまで高めた。アウグスティヌスの政治思想はのちに中世の異端思想や宗教改革に影響を与えた。 またとくに「両剣論」は教皇ゲラシウス1世が唱えた「教権と帝権がともに神に由来する」という考え方で、中世を通じて教権と王権の関係性についての有力な理論的根拠の一つであった。 加えて「初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝」では、古代の典礼に見られるキリスト教に特徴的な内面性を概観し、皇帝礼拝とキリスト教迫害についての問題を取り上げる。 中世普遍世界 「キリスト教普遍世界」では、一般に封建社会、あるいはヨーロッパ中世として知られる時代での、世俗国家と教権のありかたの推移を概説する。 「教皇国家の成立」では、教皇権の経済的基盤ともいうべき教皇領の成立までを概観する。 「ゲルマン諸民族の世俗国家」では、西ローマ帝国滅亡後に西ヨーロッパに割拠したゲルマン人の諸国家における国家と宗教の関係を概観する。この時期のゲルマン人の王権は後世に比べると世俗的で、教会の宗教的権威に依存する面が少なく、領域内の教会については実質的な支配を及ぼしていた。ただ国家ごとに内実は多少異なり、地中海に面した西ゴート王国やヴァンダル王国と内陸部のメロヴィング朝は経済的条件も文化的条件もかなり異なっていた。 「政治的宗教的統一体の自覚」では、6世紀における政治思想としてトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世を取り上げ、ビザンツ帝国による統一的支配という観念が西欧地域で薄れ、新たな領域国家意識が発生し始めている様子を概観する。 「ランゴバルド族と中世初期の南イタリア」では、東ゴート王国の時代から東ローマ帝国の支配を経て、分裂する南イタリアの情勢を概観し、12世紀のシチリア王国の成立に至る。 「カロリング朝の帝権」では、メロヴィング朝の衰退からカロリング朝が成立し、やがて西ヨーロッパ世界で唯一の世俗的至上権、皇帝権を獲得するまでに至る過程を概観する。 また初期の教権と帝権について、その理念的背景として「カロリング朝期の政治思想」を概観する。 「グレゴリウス改革と教権の絶頂」では、11世紀から始まる教会の改革運動と13世紀の教皇権の絶頂期を概観する。 「周縁における権力と教会」では、西ヨーロッパのキリスト教世界の周縁に位置したイングランド王国とイベリア諸国およびスカンディナヴィアにおける、中世前半期における教会と王権の関係を概観する。 「等族国家と公会議主義」では、封建国家に身分制に立脚した議会主義が成立し、それにより国民単位の政治社会の基礎が築かれたことを概説する。さらに議会主義と国民単位の類似制度が教会においても成立し、公会議主義となった。 「王権の超自然的権威の獲得過程」では、王権が教権に対抗するために一定の宗教的権威を獲得していった過程を概説する。共通にキリスト教思想に立脚しながらも、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の宗教的権威が「ローマ的」であったのに対して、イングランドのそれが「アングロ・サクソン的」、フランスのそれが「フランク的」であり、そこに王権が国民的な国家形成の核になる端緒があった。 「カトリック大国、スペイン」では、この時期あらたに大国としてヨーロッパ政治に主要な位置を占めることになったスペインの初期宗教政策について概説する。スペインがカトリック信仰に熱心であったのは事実とはいえ、その王権や文化が必ずしも教権に盲従していたわけではない。 教会の正統な信仰とは別次元で、中世の民間にはやや異なった信仰が存在した。「中世の民衆信仰」では、このような民間信仰を概観する。 「宗教改革前思想史」では、中世後期の異端思想と人文主義について概観する。それらの思想の立つ政治的立場と背景にある政治状況についてもある程度言及する。また宗教改革との関連性も指摘する。 宗教改革以降 「近代社会とキリスト教」では、宗教改革以降の近代社会における国家の宗教政策、および時代ごとのキリスト教に関する思想の変遷を概観する。 「宗教改革(プロテスタント側から)」では、ルターの宗教改革がなぜ宗教問題にとどまらずに政治的な問題に転化したかということについて簡単に説明する。 「ドイツの領邦教会制度」では、ドイツにおける宗教改革の初期の帰結としての領邦教会制度が成立するまでを概観する。 ドイツで宗教改革が始まった頃、スイスでも同様に福音主義的改革が始まっていた。「スイス盟約者団と福音主義」では、宗教改革の第2戦線ともいうべきスイスの宗教改革を概観する。 「宗教改革派の諸思想」では、宗教改革派の諸思想を概説する。 「フランスのコンフェッショナリズムと主権理論」では、フランスの改革派ユグノーとフランス王権の宗教政策から絶対主義の形成過程を概観する。 「低地地方と宗教改革」では、ネーデルラントにおける独立運動と、それによって成立した新教国オランダの初期の状況について概観する。 日本 「日本近代史における政教分離」では、明治維新以降日本国憲法発布までの日本の宗教政策について概説する。 古代のキリスト教思想(〜500年) 十字架を担うキリスト エル・グレコによる1580年の作。ゴルゴダの丘に向かうイエスの像である。イエスの死は彼が「神の国」をもたらすと信じていた信徒に失望を与えたが、やがて死に意味づけがされ、ひとつの宗教として確立された 具体的な世俗国家とキリスト教の関係性の歴史を、この記事では中世以降の政治史を中心に概観する。しかしながらそれに先だって、キリスト教本来の政治に対する思想傾向と以後のキリスト教と世俗国家の歴史に特徴的な影響を及ぼすいくつかの思想を概観する。 初期キリスト教と国家 ここではまずイエスの思想と考えられるものの中から、政治社会に関係すると思われるものについて概説し、次にパウロの思想について説明する。その後アウグスティヌスに代表される教父哲学の思想を概観する。とくにパウロの「ローマの信徒への手紙」とアウグスティヌスの思想は後世のキリスト教に決定的な影響力を及ぼしており、その歴史上で繰り返し回顧される重要な思想である。 イエスの思想の歴史像 詳細は「イエス・キリスト」、「救世主イエス・キリスト」、「史的イエス」、および「ナザレのイエス」を参照 ここでは新約聖書に現れるイエスの思想の中から、とくに政治社会に言及する限りにおいて重要なものを指摘する。イエス思想において根本をなすのは福音である。福音とは「良い知らせ」と言う意味で、具体的には「神の国」が近づいているという知らせである。 イエスによれば、「神の国」が来ると、既存の社会秩序とは全く異なった新しい秩序に基づく生活が始まる。新しい秩序はまず愛の共同体であって、そこでは人々が神の愛を無条件に受け入れることで一切の対立が消滅する。この「神の国」に参加するために、人は罪を悔い改め、欲を捨てて神に従った生活態度を取らなければならない。基本的にはこれは世俗的秩序の否定であり、人間の内面の重視と政治社会の本来性の否定であった。イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と述べて、世俗社会と精神世界を区別し、「神の国」の到来によってやがては内面的な精神世界が世俗社会にとってかわると述べた。しかしイエスによれば、現存する世俗秩序は決して無意味ではない。「神の国」にはいるためには現世でのおこないが決定的であると説く。イエスは現世でもっとも悪い状態にある者が来世においてもっとも良い状態になると述べる。 以上のイエスの思想に鑑みると、二つの特徴を指摘することができる。一つは政治社会と内面の区別、もう一つは政治社会の価値が「神の国」の価値とほとんど正反対であるということである。このようなイエスの課題はまったく政治社会を超越しており、その意味で非政治的であるが、現実の政治社会に批判の目を向け緊張をもたらすという意味で政治的であった。後述するように、キリスト教の教会が中世において、世俗権力を超えた有力な政治社会となっている点が見られるのも、キリスト教が本来的に現世を超越している点に求めることができる[* 11]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] パウロ パウロ ヴァランタン・ド・ブーローニュもしくはニコラ・トゥルニエによる1620年ごろの作。パウロはキリスト教を言語化し、神学的説明を加えた。これは後代の信仰理解に決定的影響を与えるものであった 詳細は「パウロ」を参照 パウロはもともとイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となった。彼はキリスト教思想において最も重要な人物の一人[* 12]で、その著作「ローマの信徒への手紙」[* 13]は以降のキリスト教思想に繰り返し影響を与えた。 パウロにおいては罪の意識が非常に強いことがまず指摘できる。彼は心の欲する善を行うことができずに、かえって心の欲せざる悪をなしてしまうことに悩んだ。そのため彼の思想では人間の無力さが強調される。このような人間は自力では救われることがないために、神の恩寵によってしか救われることがないのである。そしてパウロはイエスの死こそ神の自己犠牲であると考える。この神の自己犠牲によって人間は罪から解放されるのであり、これを信じ、イエスの教えを実践することで新しい生を迎えることができるという[* 14]。このようにパウロにおいては内面と行為の分裂が説かれた。 政治思想としては、受動的服従が知られる[* 15]。パウロによれば、この世の権威は神に拠らないものはなく、したがってこれを受け入れなくてはならない[* 16][* 17]。だが、それは内面の良心の故であり、決してそれらの権力それ自体に価値があるからではない。その正統性はあくまで神によって認められている限りであるという。このようにパウロは「ローマ人の信徒への手紙」の中でキリスト教の将来はローマ帝国とともにあると考えており[* 18]、ローマ帝国の支配を無条件に肯定している[26]。 また注目すべき思想としては、「自分の手で働くこと」を推奨している[* 19]ことで、これは明らかに古典古代の労働観に反する[28][* 20]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教父哲学(アウグスティヌス) 詳細は「アウグスティヌス」を参照 アウグスティヌスはキリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献した教父のなかで、とくに後世に大きな影響を残した人物である[* 21]。 アウグスティヌス ボッティチェリによる1480年ごろの作品。アウグスティヌスの思想はキリスト教的歴史意識を確立し、中世の異端運動や宗教改革にも大きな影響を与えた 『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように、「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。またアウグスティヌスは、人間の自由意志について論じ[* 22]、古代以来の「自由」という言葉を「神との関係における人間そのもののあり方に関わる言葉」[36][* 23]として再定義し、のちの思想史に大きな影響を与えた。その一方で人間は本来的に堕落しており無力であるというパウロの思想が踏襲され、神の恩寵が絶対的であることも説かれた。 このようなアウグスティヌスの思想は、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別し、キリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった[* 24]。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも決定的な影響を与えるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 両剣論 「両剣論 ("theory of two swords")」とは世俗的な政治権力と宗教的権威の関係性について述べたもので、もともとは「ルカによる福音書」のなかのイエスの言葉に由来する[* 25]。教皇ゲラシウス1世はこれを俗権と教権がともに神に由来することを述べたものであるとし、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた[* 26]。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。 中世になると、両剣論には二つの異なる立場から相反する解釈がおこなわれた[* 27]。ひとつは皇帝に有利な解釈で、帝権が直接神に由来することは世俗的世界での皇帝権の自立性の根拠となった。もうひとつは教権に有利な解釈で、教皇が両剣を持ち、一方の世俗的な剣を皇帝に委任して行使させるという解釈[* 28]で、教権の優位性の重要な根拠の一つとなった。 歴史的には、グレゴリウス改革以前、11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇の叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった[42]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝 ステファノ その名前が明らかにギリシャ風であることからも分かるように、初代教会において、彼はヘレニストの代表であった。彼はファリサイ派によって石打ちの刑にされるが、ジャン・ダニエルーはこの殉教の裏側にキリスト教内部のヘレニストとヘブライストの立場の違いを見ている[43]。図はイタリアバロックのボローニャ派に属するジャコモ・カヴェドーネ (en Giacomo Cavedone) の作品 キリスト教はユダヤ教とは明らかに異なった礼拝観を持っていた。イエスは旧約的な神殿礼拝を拒否してはおらず、祝日には自ら神殿に赴いたが、一方でより内面を重視した新しい礼拝観を示した。「ヨハネによる福音書」のなかでイエスは あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。[44] と言っている。使徒時代のキリスト教徒であるステファノの次の言動には、このイエスの内面的な礼拝観がよく表れている。 神のために家を建てたのはソロモンでした。 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。 『主は言われる。 「天はわたしの王座、/ 地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/ どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。 これらはすべて、/ わたしの手が造ったものではないか。」』[45] 彼はエルサレムの神殿に直結したユダヤ教の祭祀を否定し、イエスの述べた新しい礼拝を強く主張したために、殉教にいたることになった[46]。 だからといって、初期のキリスト教会が外形的な表現を重視しなかったわけではない。集会堂としての教会は典礼の中心となったし、洗礼はキリスト教共同体としての「教会」への加入を視覚的に表現した。しかし一方で2世紀後半から3世紀にかけてのキリスト教著述家ミヌキウス・フェリクスは「私たちには、神殿も祭壇もない」ということを異教徒に対して誇った。教会は集会する場所であり、祭儀は建物としての教会堂に帰するのではなく、信徒共同体としての教会それ自体に帰するのである。初期キリスト教ではイエスこそが「祭司」であり「大祭司」で、そのキリストに繋がれているという意味で、教会が「祭司」なのであった[47]。 このような内面性の強いキリスト教の性格はローマ帝国で行われたいわゆる「皇帝礼拝」と相容れざるもので、帝国は公共祭祀である「皇帝礼拝」を受け入れないキリスト教徒を、公共の宗教からの逸脱者、国家離反者として迫害したという説が歴史学者の間で長く論じられてきた。とくに自らを「主にして神」と称したドミティアヌスがこのような皇帝礼拝の要求者とされ、彼の治下に激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられた[* 29]ことから、迫害と皇帝礼拝は因果づけて考えられてきた。間接的には古代教会が日曜日を「主の日」として制定したことも、皇帝礼拝に対抗するキリスト教徒の信仰告白であったという見方も提示されてきた[49]。また「ヨハネの黙示録」の「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」[50]という記述も思い出されるであろう。 しかし、最近の研究によれば、そもそも「皇帝礼拝」という名で括られている祭儀は多様であり、内容においては極めて政治的な意味を持つものから宗教性の高いものまで、範囲においても都市国家規模から属州単位のもの、担い手も一様でなく、それらを統一的に「皇帝礼拝」という一語で把握することには飛躍が伴うことが示されている。黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難である[51]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教普遍世界(500年〜1500年) 「中世」も参照 中世初期、5・6世紀の段階においては、ゲルマン人の侵入や西ローマ帝国の滅亡など歴史的な地殻変動を象徴する事件が起きた後であったにもかかわらず、なお地中海をとりまくローマ世界はビザンツの帝権の下に存続していたと見ることができる。6世紀のユスティニアヌス帝は一時的にあるにせよ、地中海の大部分を制圧し、かつてのローマ帝国を再現することも出来た。 しかしながら、7・8世紀になると、地中海を中心とした統一的な世界はもはや完全に消滅し、西ヨーロッパはローマを中心としたカトリック世界として、コンスタンティノープルを中心とする正教世界とは分離する傾向が決定的となる。その要因としては以下の3つを挙げることが出来る。 イスラーム教徒の侵入 ビザンツ帝権の弱体化 ローマの自立 まず、イスラーム教徒が急速に勢力を拡大し、北アフリカ・イベリア半島を制圧するに及んで、従来これらの地で高度に発達していたキリスト教の文化は衰退した。今日に至るまでイベリア半島を除くこれらの大部分の地域はイスラーム圈にとどまっている。とくに教会会議が頻繁に開かれ、中世初期において西方のキリスト教世界の一つの中心であったイベリア半島陥落の影響は大きい[* 30]。 次にビザンツ帝国は一時的に地中海を回復したものの、イスラーム教徒の東地中海地域での拡大とランゴバルト族のイタリア半島侵入によって支配領域を縮小させ、西地中海での覇権を維持することが困難となった。これ以後ビザンツの帝権は南イタリアの支配地域を通じて間接的にしか西方世界に影響を及ぼせなくなる。 第三にローマ司教である教皇は上記のようなビザンツ帝権の影響力低下に伴って、西方世界において強力な庇護者を別に求めねばならなくなった。と同時に、東方から自立して西方世界の宗教指導者たらんと積極的な布教活動に乗り出す。8世紀ビザンツで起こった聖像破壊運動に対する教皇の対応の仕方はこの表れで、教皇は西方教会をして、この運動の蚊帳の外におくことに尽力した。 こうして東ヨーロッパと西ヨーロッパは、ローマ帝国とキリスト教という共通の根を持ちながらも、それぞれ独自の発展をしていくことになる。この節で中心的に述べるキリスト教普遍世界とはこのうち西ヨーロッパを中心としたカトリック世界のことである[* 31]。 教皇国家の成立 天国への鍵を授けられるペテロ イエスはペテロに天国の鍵を預けたとされ、彼が最初のローマ司教となったことで、彼の後継者であるローマ司教にその権威が受け継がれているという観念が広まった。ローマ教皇はこの鍵を自身のシンボルとして用いている 詳細は「教皇領」を参照 ここではやや時代を遡って教皇国家あるいは教皇領と呼ばれる教皇の世俗支配の形成過程を概観する。 西ローマ帝国の滅亡と西地中海世界 西ローマ帝国の領域にゲルマン人が多数の国家を形成し、西ローマの皇帝権が没落して古代的な帝国支配が弛緩すると、古都ローマはほとんどゲルマン人の支配の間に孤立した形となり、東ローマ帝国とのつながりは徐々に薄れて西ローマ帝国の領域は独自の発展をしていくようになる。しかしながらゲルマン人たちが西ヨーロッパで優勢を占めているように見えても、かつてのローマ帝国の西側と東側は地中海によって繋がれており、文化的経済的な繋がりは維持されていたのであって、突然にローマ的な文明がゲルマン的な文明になってしまったわけではない。地中海世界での東ローマ皇帝の優位性はいまだ揺らいではいなかったし、ゲルマン人たちは皇帝の支配を名目上は受け入れて、彼ら自身が皇帝になりかわろうという意図を持つことはほとんどなかった。ただ一方でこのような状況がローマ教皇に一定の自立性の根拠を与えたのであり、東方の正教会とは独自のカトリック教会が生まれる素地がここにあったことは間違いない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ペテロの後継者 ローマ司教が教会において優位性を立証できるとすれば、それはまずイエスの言葉に求められるべきであったし、事実そこに根拠が見つけられた。イエスはペテロに向かって、「汝はペテロである。私はこの岩(ペテロ)の上に私の教会を建てよう」と言ったという。ペテロが最初のローマ司教であったことは、ローマ司教こそが教会の本体であるということを指していると受け取ることもできる。ペテロはイエスから「天国の鍵」を預けられたとされた[* 32]。 ただ初期の教会において、このことがあまり重視されていたわけではなかった。4世紀にはローマ司教は有力なイタリア大教区を管轄しており、「西ローマ総大司教」とも見なされていたが、一方で一般信徒の面前で司教の選挙によって選ばれた、小さなローマの聖堂聖区の司教でしかなかった。ローマ司教の特別な地位が認められたのは343年のサルディカ宗教会議であって、それ以前は公式なものではなかった。この時期の教権の上昇に最も貢献したのはレオ1世で、455年にヴァンダル族がローマを攻撃したときに、その王ゲイセリクスと交渉してローマの略奪を防いだ。このころから「教皇(パパ)」という称号はローマ司教だけに特別に認められるものであるという観念がヨーロッパ世界に定着していった。4世紀の教皇シリキウスはテサロニカ主教を教皇代理に任命して、ダキアとマケドニアへの指導権を獲得し、ボニファティウス1世は改めてこれを皇帝ホノリウスに認めさせている。5世紀前半には教皇の権威はイタリア・ガリア・ヒスパニア・アフリカ・イリュリクムに及ぶようになった[54]。 しかしこのことでただちにローマ教皇の地位が、後世のように独自の権威性をもって普遍的な優位を確立したわけではない。東ローマ皇帝ユスティニアヌスがイタリア半島をローマ皇帝の支配の下に回復すると、彼はローマの司教も皇帝の統制に服するべきであると考えた。教皇の側もそれを受け入れ、帝国の支配に復帰することをむしろ歓迎していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の自立化への動き カール大帝 デューラーによる1510年の作。教会側が教皇の手による戴冠に皇帝の根拠を求めたのに対し、カール大帝自身はあくまでその神授性を強調した。彼の名乗った称号は「神によって戴冠され、ローマ帝国を統治し、平和をもたらす、最も至高なる偉大な皇帝にして、神の慈悲によってフランク人およびランゴバルド人の王であるカール」であった。 ところが東ローマ帝国に結びついたことは教皇にとって必ずしも良い結果をもたらしたのではないことは次第に明らかとなった。東方でさかんにおこなわれていた神学論争が西方に持ち込まれる結果となり、しかも神学論争にしばしば政治的に介入する皇帝の姿勢は不満の種となった。北イタリアの大主教が教皇の影響から離脱する動きを示したし、ガリアとイベリア半島でも分離傾向が見られた。関係が変化するのは「大教皇」グレゴリウス1世の時代である。彼の時代にはイタリア半島にランゴバルド族が侵入し、再びローマは危機的な状況を迎えていた。グレゴリウス1世はフランク王国を重視して、これと友好的な関係を結んだ。もともと行政官として経験を積み、ローマ総督の地位についたこともあったグレゴリウス1世は、おそらく都市ローマの行政上における教皇の影響力を増大させた。ランゴバルト族に連れ去られた捕虜の買い戻し、ローマの破壊を防ぐ代償としてのランゴバルド族への貢納の支払いに教皇は積極的に関与している。このころから教皇は都市ローマの公共事業を担うようになったと考えられている。 分離傾向を示す西方諸地域の司教たちに対して、グレゴリウス1世は教皇がそれらの上位にあることを繰り返し強調した。司教は当時すでに有力な世俗領主となりつつあり、司教座を熱望する動きが上層階級に見られるようになっていた[55][56]。その結果、明らかにふさわしくない候補者や若すぎる候補者が司教選挙に立つようになった[55]。しかしグレゴリウス1世は司教座に対する支配を徹底して、ナポリの司教を解任し、メリタの司教を降格し、タレントゥム・カリャリ・サロナの高位聖職者たちを厳しい口調で批判した[57]。ブルンヒルドによるテウデリク2世・テウデベルト2世の摂政期に起こった数々のガリア教会の醜聞に、グレゴリウスは諫言を書き送った[* 33]が、実を結ぶことはなかった[59]。この当時のガリア教会は完全にメロヴィング朝の「領邦教会」と化していたからである[60]。ビザンツ帝国に対しては一定程度の影響力を行使したが、従来教皇の指導権が及んでいたイリュリクムでは教義に関する問題においてさえ、無力であった[59][* 34]。 グレゴリウス1世は正統信仰の拡大に熱心で、ブリテン島への伝道を組織し、このアングロ・サクソン人への布教は順調な成果を上げ、カンタベリー大司教区が設けられ布教の拠点となった。ブリテン島はこののち北ヨーロッパにおける有力な布教拠点となり、たとえばカール大帝の時代にはアングロ・サクソン人の伝道者たちが、大帝のガリアの宮廷で、キリスト教文化の興隆に多大な貢献をするまでになっていた。またアリウス派の牙城であった西ゴート王国のカトリックへの改宗に成功した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピンの寄進、教皇領の成立とフランク人の帝国 フランク王国でメロヴィング朝の君主に替わってカロリング家が実権を握るようになると、教皇とカロリング家は接近し非常に親密な関係を結ぶようになった。教皇ザカリアスはカロリング家のピピン3世の王位簒奪を支持し、つづく教皇ステファヌス3世[* 35]はガリアのピピン3世の宮廷に自ら赴き、フランク王国がイタリアの政治状況へ介入するという約束と引き替えに、ピピン3世の息カールとカールマンに塗油の秘蹟を施した。 この時期ラヴェンナ大司教は東ローマ皇帝の利益を代弁し、ローマ教皇と北イタリアの教会の管轄権を争っていた。ピピン3世はランゴバルド族を討伐すると、ラヴェンナを征服し、ローマ教皇に献じた。これを「ピピンの寄進」といい、ここに教皇の世俗的領土として教皇領が形成された。ピピン3世の跡を継いだカール大帝も774年にイタリア半島へ遠征し、教皇ハドリアヌス1世にローマを中心とした中部イタリアを献じた[* 36]。つづく教皇レオ3世は800年、カール大帝をローマに招いてローマの帝冠を授け、彼に西ローマ皇帝の地位を与えた[* 37]。 かくして西ローマ帝国が事実上復活し、フランク国王である西ローマ皇帝は西地中海においてキリスト教世俗国家を代表することとなった[* 38]。教皇は教皇国家といえるような世俗的な領土を持っていたとはいえ、基本的には教皇領も帝国の一部で皇帝から独立していたわけではない。しかし、教皇は東ローマ帝国のコンスタンティノープル総主教とは異なり、皇帝の官僚であることはなく、教皇選挙によって皇帝の承認を必要とせずに選ばれたのであって、教皇選任に対する皇帝の統制は制度としては介在することはなかった。またカール大帝が帝冠を教皇から与えられたことは、のちに世俗君主が皇帝を名乗るのに教皇の承認を必要とするという観念につながり、教皇に優位性を与える根拠となった [* 39]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン諸民族の世俗国家 ゲルマン諸王国のヨーロッパ世界(526年 - 600年) ローマ帝国東ローマ帝国 ゲルマン系の国家フランク王国|東ゴート王国|西ゴート王国|ヴァンダル王国|ブルグント王国|ランゴバルド王国|アングロ・サクソン諸王国 その他の周辺民族ノルマン人|ピクト人|スコット人|ブルトン人|スラヴ人|テューリンゲン人|スエヴィ人|アヴァール人|ササン朝|アラブ人 西ヨーロッパでは、西ローマ帝国が滅亡してもローマ世界は確かに存続していた。一見西ヨーロッパはゲルマン人の諸王によって分割され、モザイク模様を形成しているかのように見える。しかし彼らは「皇帝の名によって」統治したのであり、実際には東ローマ皇帝の超越的な主権に服していたと見るべきである。これらゲルマン族の国王は宗教的権威において支配したのではなく、純粋に世俗的なものであって、教会はこれらの国家にとって本質的な構成要素ではなかった。国王の即位に際して何らかの宗教的儀式がおこなわれていたわけではない[* 40]。ゲルマン人の王国では国王が教会の首長であり、司教を任命し、宗教会議を開催した。後世の国家とは異なり、これらの王国では世俗的支配者の同意なくして聖職者になることができなかった。ここでは西ゴート王国[* 41]・ヴァンダル王国・メロヴィング朝フランク王国を特筆し、それぞれの国家と教会との関係を記述する[* 42]。 西ゴート王国 西ゴート族はクローヴィスによって南フランスから追い出されると、イベリア半島のトレドに宮廷を定めた。このころの西ゴート王国ではゲルマン人とローマ人の通婚は禁止されており[* 43]、このような分離の背景には信仰の相違があったと考えられている。大部分のローマ人がカトリックであったのに対し、西ゴート族はアリウス派を信仰していたからである[* 44]。西ゴート族は征服した土地のカトリック司教を追い出すことがあったが、これを信仰の違いに帰することはおそらく適切ではない。司教たちの追放の理由は彼らが国王の支配に抵抗したことに由来すると考えられており[* 45]、大部分の西ゴート王はカトリック信仰に寛容であった。 レオヴィギルド王[* 46]の時代にカトリックに改宗した王子ヘルメネギルドによる反乱があり[* 47]、つづくレカレド王の時代には王自身がカトリックに改宗した。こうして西ゴート王国はカトリック信仰を奉じるようになり、徐々に首都トレドはキリスト教西ヨーロッパ世界の宗教的政治的首都と見なされるようになった。589年から701年の間に18回もの宗教会議がトレドで開かれ、いずれも王が召集をおこなっている。これらの宗教会議は、後世のように狭い教義上の問題だけが取り上げられたのではなくて、世俗的な問題も議題とされた[* 48][* 49]。したがって出席者は聖職者ばかりに限られず、世俗の高官も臨席した。 とくに618年ないし619年の第2回セビリャ教会会議および633年の第4回トレド公会議ではセビリャのイシドールスの活躍により、西ゴート王国の教会は独立と自由を維持しながらも国王に忠誠を誓うという形で、ローマ教皇の管轄権を排除した[* 50]。トレド大司教を頂点とする自律的な教会組織が整えられ、国王は「王にして祭司」として君臨し、西ゴート教会はローマ教皇からの自立性を高めた。のちには国王の即位に塗油の儀式も付け加えられるようになった。確実に知られるのは672年のワムバ王の即位時であるが、おそらくレカレド王時代からおこなわれていたと考えられている。西ゴート王国では、国王は宗教上の問題に関しても法令を出した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ヴァンダル王国 アフリカ北岸に王国を築いたヴァンダル族の場合は西ゴート族とはかなり異なる。この王国は東ローマ帝国と敵対的な関係にあり、その宗教政策は政治的対立に基づいていた。ヴァンダル族はアリウス派を信じており、カトリック司教がローマを通じて東ローマ帝国に通じているのではないかと疑っていた。 ゲイセリクス王はカルタゴを占領すると、同地のカトリック司教クオドウルトデウスを追放した。以後24年間カルタゴには司教が置かれなかった。ゲイセリクスの後継者フネリクス王は晩年の484年に、かつてホノリウス帝がドナティスト[* 51]に出した告示を踏襲して、カトリック教徒を法の保護外とする告示を出した。要するに、ヴァンダル王国ではほぼその全時代を通じて、カトリックと王権の間に軋轢が絶えなかった。 カトリック聖職者は王権とそれに結びついたアリウス派に対する抵抗運動を指導した[* 52]ので、王権は弾圧を加え根絶しようとしたが、すでにアウグスティヌスの伝統が深く根を下ろしていた北アフリカの教会はこの弾圧に耐えた[* 53]。ただこのような混乱と迫害は、カトリック聖職者の離散をもたらし、彼らはプロヴァンス地方やカンパーニア地方、イベリア半島へ集団逃亡(「エクソダス」)した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] メロヴィング朝フランク王国 詳細は「メロヴィング朝」を参照 メロヴィング家のフランク族支配を確立したのは、キルデリクスとその子クローヴィスである。キルデリクスの時代には異教的な習俗が強かったが、クローヴィスは496年カトリックの洗礼を受け改宗し、同時に主な従士も改宗した[* 54]。したがってフランク王国はゲルマン諸部族のなかでは比較的早く正統信仰を受け入れた国であった。クローヴィス即位当時北ガリアでは、ローマ人のガリア軍司令官シアグリウスがほとんど独立した政権を維持しており、だいたいのちのネウストリアのあたりを支配していた(ソワソン管区)。486年にクローヴィスはシアグリウスとソワソン付近で戦って勝利し、その支配地域を併合した。クローヴィスは491年にテューリンゲン人を服属させ、496年にアレマン族と戦い、ブルグント王の姪でカトリック教徒であったクロティルドと結婚した。507年には当時強勢を誇っていた西ゴート族を破り、アキテーヌを支配下に収めた。クローヴィスは晩年に有力なフランク人貴族を抹殺し、メロヴィング王権を確立した。511年の死の直前にはオルレアンで公会議を開き、メロヴィング朝の教会制度が組織され、アリウス派異端への対処が話し合われた[78]。 メロヴィング朝フランク王国(600年ころ) クローヴィスの死後王国は4人の息子たちによって分割され、息子たちはさらに領土を拡大した。息子たちのうち一人が死ぬと、その領土は生き残った国王の支配に服した[* 55]ので、クローヴィスの息子のうちで最後まで生き残ったクロタールが死ぬ頃(561年)には再び王国は統一されており、しかも地中海沿岸を支配していた有力なゲルマン民族国家は、ユスティニアヌス1世により滅ぼされるか打撃を受けていたため、フランク王国はゲルマン民族の間で最も有力な王国となっていた。 クロタールの王国は再びその4人の息子たちによって分割され、長男シギベルト1世には王国東部が与えられ、彼の分王国は「アウストラシア」と呼ばれた。アウストラシアの王は飛び地としてプロヴァンスを支配した。次男グントラムにはブルグントの支配が任され、三男カリベルトには王国西部を、末子キルペリク1世には王国北西部のベルギー地方が与えられた。567年にカリベルトがなくなると、その支配地は3分王国の間で分配され、キルペリク1世の分王国はノルマンディー地方にまで拡大されて「ネウストリア」と呼ばれるようになった。 613年、王国はクロタール2世により再び統一されたが、各分王国の自立性は強まっており、各分王国の貴族たちは各分国王のもとで形成されてきた政治的伝統を維持したいと考えていた。614年パリでおこなわれた教会会議の直後、クロタール2世は「パリ勅令」を公布した。この勅令は各分王国の貴族たちの要求を受け入れる形で、アウストラシアとブルグントでは宮宰を国王の代理人とするものであった[* 56]。こうして各分王国で宮宰が特別な地位を認められるようになった。 聖コルンバヌス 聖コルンバの弟子であった聖コルンバヌスは、倫理的で厳格な修道制をガリア地域にもたらしてたちまち熱狂を巻き起こし、6世紀後半、一大修道院設立運動が起こった。図はブルニャートの聖コルンバヌス修道院にあるフレスコ画 クロタール2世の時代はメロヴィング朝の教会政策においても転換期となっている。クロタール2世は、ガロ・ローマン的セナトール貴族を支持基盤としていた王妃ブルンヒルドに反発したアウストラシアのゲルマン貴族に支持されており[81]、従来のセナトール貴族と結びついた司教制度は衰退に向かい、アイルランド修道制を導入した修道院運動が活発化した[81] [82]。これはメロヴィング朝フランク王国内の南北での教会会議の開催数の差によって確認することができ、アイルランド修道制が流布したロワール川以北のフランキア地方では、640年までに5回を数えるのみなのに対し、ロワール川以南では同時期40回を数えた[81]。ロワール川以北では司教活動は明らかに衰退したのである。司教の出自も7世紀を境に、セナトール貴族中心であったものが、ゲルマン貴族が目立つようになってくる[* 57]。このようにゲルマン貴族が司教職に進出したことの背景の一つは、590年聖コルンバヌスによって設立されたリュクスイユ修道院がフランク貴族子弟の教育機関となって、多くのゲルマン人司教を養成することに成功したことである[84]。クロタール2世は前述の614年「パリ勅令」において聖職叙任規定に言及し、パリ教会会議の決定に基づいて首都司教に司教の叙階権のみを認め、選出権は当該教区の聖職者と信徒の共同体に限定した。しかし、選出と叙階の間に王権による審査を経ての叙任令に基づく叙任が必要とされている[83]。 のちのカロリング朝と違って、メロヴィング朝では多数の教養ある俗人が政府内に存在した[* 58]。7世紀のクロタール2世の時代までは社会全体の識字率はカロリング朝のころよりも高く、したがってメロヴィング朝の宮廷文化はカール大帝の時代とは異なって世俗的な教養に支えられていた。フランク王国がゲルマン人の王国の中で比較的早期に正統信仰を受け入れたとはいえ、ローマを中心とする西方の教会の影響を強く受けたというわけではない。このころのローマ教皇はガリアにまで強い影響力を行使できるほど卓越していたわけではなかった。クローヴィスはローマ教皇とではなく東ローマ皇帝と直接外交した。クローヴィスの時代にはローマよりはコンスタンティノープルの宮廷が大きな影響を及ぼしていたと見るべきである。 上述のように、メロヴィング朝の宮廷は全く世俗的であったが、その地方行政においては司教が中心的な役割を担っていた。メロヴィング朝の宮廷は地方支配の組織を欠いており、司教が実質的に地方統治を担当していた。宮廷で官僚として出世した者たちは地方に転出するときに司教職を望んだ。カロリング家の権力掌握過程でもこの事実は確認できる。アウストラシアの宮宰であるカロリング家はネウストリア、ブルグント、プロヴァンス各地の司教職に一門を送り込むことで地方支配に影響を及ぼした。やがて8世紀半ばにイングランドからの影響でフランク王国に大司教制が導入されると、ゲルマニア・ルーアン・ランス・サンスの大司教をカロリング家が占めた。カロリング朝の時代には司教職と地方支配に対する王権の影響力は増加した。 王国の経済に注目すれば、東ローマ帝国の地中海再征服以降ガリアは地中海の経済圏から分離される傾向が強くなり、ブリタニアとの強い結びつきが認められる。6世紀からはこのような経済圏の形成と歩調を合わせるかのようにメロヴィング王朝の北方化・内陸化が進展し、東ローマ帝国の影響は希薄となった。しかしこの経済圏はアイルランドまでは含んでおらず、アイルランドはイベリア半島を通じて伝統的な地中海経済圏とつながっていた[* 59]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治的宗教的統一体の自覚 最後に、この時代の代表的歴史叙述家であるトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世の叙述を主に取り上げ、6世紀の思想状況において、部族国家が、また国家と宗教の関係がどのように捉えられていたかを概観する。 トゥールのグレゴリウス 『歴史十巻』扉 メロヴィング朝治下アウストラシアのトゥールの司教であったグレゴリウスは、彼が著したフランク王国についての基本史料『歴史十巻』によって知られる。彼のクローヴィスをめぐる歴史叙述には、「コンスル」や「プラエフェクトゥス」といったローマ帝国の官職名や、ビザンツ帝国の「パトリキウス」などの用語が使われている。このことが従来歴史家の一部で、特にビザンツ帝国の政治秩序にメロヴィング王権が組み込まれたという認識につながる根拠とされてきた。 しかし最近の研究では、それらの用語はビザンツの帝国法にのっとったものではなく、おそらく聖書の叙述に範をとったもので、グレゴリウスは皇帝とクローヴィスとの間に厳密に法的な関係を想定していたわけではないという見方が示されている[85]。さらに、従来部族の王を指す「rex」には部族名が付されるのが一般的であった。しかるに、グレゴリウスは西ゴート王を記述するのに「レックス・ヒスパノールム」 (rex Hispanorum) あるいは「レックス・ヒスパニアエ」 (rex Hispaniae) という称号を用い、その支配権を領土的観念で捉え始めている。同様に自らの属するアウストラシアの王を「われわれの王」と呼び、その王国を「レグヌム・フランキアエ」 (regnum Franciae) と呼ぶ。彼は自らの歴史叙述の中で、フランクの使者にビザンツ皇帝を「あなたがたの皇帝」と呼ばせている。彼の歴史叙述には皇帝によるフランク王へのガリア統治権委託の観念はなく、クローヴィス以来、フランク王はその征服活動によって自らガリアの支配権を打ち立てているという見方が示されているのである。彼が基本的にビザンツ皇帝にのみ「インペラートル」や「インペリウム」を使用していることは、ビザンツ帝国の優位性を認めている証左であるが、そこから自立した独自の西欧世界の萌芽が見られること、またそこに領土意識とおぼろげながらも一定の民族意識を見ることができる[85]。 グレゴリウスはまた、フランク王に司教を指導する力を認めている。549年のオルレアン公会議は司教の叙任にあたって、王権による事実上の司教任命権を承認したうえで、その介入に歯止めをかけようとしたものであるが、グレゴリウスはこのような王権による教会側への介入を批判するどころか疑問さえ呈していない[85]。 以上のようなグレゴリウスの歴史叙述の性格に基づけば、ビザンツ帝国によるヨーロッパの統一的支配という観念は6世紀には後退し、そこでは各部族王権が部族という枠組みを越えて領域支配を確立しつつあり、一定の領土意識の形成が見られるとともに、そこへの帰属意識を見て取ることができる。同時に王権に教会への介入を認めていることは、中世の特徴である教皇の普遍的教会統治が、この時代のフランク王国には全く存在していなかったことが明らかであろう。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス1世 詳細は「グレゴリウス1世 (ローマ教皇)」を参照 グレゴリウス1世 トゥールのグレゴリウスがかつての西ローマ帝国の領域の部族国家に生きた知識人を代表する存在であるとすれば、同時代の偉大な教皇グレゴリウス1世は、同じ西方世界に生きながらも、より東帝国に近い知識人の代表であった。彼はユスティニアヌスによる再征服後の、まだ帝国の支配が実効性を持っているローマに生き、部族国家の定住によって西欧に生じた現実を見据えつつも、それら部族国家の外側に生きたのである。グレゴリウスは部族国家という政治単位に分断されつつある西欧世界の現実の中で、教会の統一を守ろうとした。したがって、彼にとって教皇の優位性は何にもまして必要なものであった。教皇という核がなければ、西欧世界での教会の統一はたちまち失われ、部族国家ごとに教会は分断されかねない。現に一部の部族国家は正統なカトリック信仰を選ばずに、アリウス派の異端に堕していた。グレゴリウスの言うとおり、教会の統一において教皇の首位性は欠くべからずものであったろうが、一方で彼は教皇と教会を同一視するという観念に先鞭をつけてしまったという見方もできる[86]。 またグレゴリウスは教皇ゲラシウス1世の両剣論を根拠に、俗権の及ばない宗教的裁治に関する管轄権が教皇にあると主張した。しかし彼は、俗権である皇帝権力が霊的使命を放棄し、宗教領域への介入を捨て、世俗的職務に専念せよと述べているのではない。国家はむしろ教会と協働して霊的使命を果たすのであり、その霊的使命を放棄しては国家の存在価値自体が失われるのである。グレゴリウスが教皇に選出されたとき、マウリキウス帝はそれを追認したが、彼は皇帝がローマ司教かつ教皇に対して任命権を行使したことに何ら疑問を抱かなかった。彼は皇帝の権威が神に由来するものであることを認め、その権威を尊重しており、両権の協働を唱えた[87]。 グレゴリウスは部族国家に対しては、その権力を認める代わりにキリスト教秩序への参画を求めた。グレゴリウスは部族の君主たちに助言を与え指導することで、間接的に道徳的権威を行使した。キリスト教精神は国家理念の欠如していたこれら部族国家の目標となり、教会は国家に活力を与える存在となり、教皇座の霊的権能を高めた。それまで各部族国家の王は法律を作る権威を持たず慣習に従属していたが、キリスト教はこの慣習を変えるものであった[88]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって この時代の宗教意識と国家意識の問題の上で、興味深いのが西ゴート王国で起こったヘルメネギルドの反乱事件を巡る当時の歴史叙述における相違である。前述したように、レオヴィギルド王の治世下に王の第一子ヘルメネギルドがカトリックに改宗し、アリウス派であった父に対し陰謀を企てた。 これについて、トゥールのグレゴリウスや教皇グレゴリウス1世は仔細に記述し、この事件をのちのレカレド王の改宗に至る前史的な出来事として特筆した。これに対し、セビリャのイシドールスの『ゴート史』やゴート人ヨハンネスによる『年代記』など、西ゴート王国で書かれた史料はこの事件にほとんど注目していない。ここに西ゴート王国の内部と外部で明確な意識の違いを見ることができる。さらにレオヴィギルドについて、後者ヒスパニアの史料はこの君主を政治的軍事的統一を西ゴート王国にもたらした英主として描くのに対し、教皇グレゴリウス1世は「異端者、子殺し」と呼んでおり、相違が見られる。グレゴリウス1世はレオヴィギルドが臨終に際してカトリックに改宗したことを記して、彼に好意を示すもののその叙述は護教的である。一方トゥールのグレゴリウスはグレゴリウス1世とは異なり、レオヴィギルドの政治的手腕を高く評価し、その視点はヒスパニアの史家に近い。 レカレド王の改宗 この違いはレカレド王の改宗を巡る記述にも見られ、このことは同じ西ゴート王国の外部者という立場に立つ両者であるが、部族国家内部に生きるトゥールのグレゴリウスと、ローマでビザンツ帝国の影響下に生きる教皇グレゴリウス1世の思想状況の違いを示している[89]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン人の集団改宗 メロヴィング朝と西ゴート王国のカトリックへの改宗を見ると、それは決して個人的な理由のみで行われたのではなく、集団改宗という形式で一般に行われたと見る方が適切であろう[90]。少なくともクローヴィスの改宗は明確に集団改宗である。レカレド王の改宗は587年にまずなされているが、この改宗が個人的なものか集団的なものかは明らかでない[* 60]が、589年のトレド公会議は西ゴート王国を公式にカトリック改宗へと導いた[91][89]。このような集団改宗は近代的な個人の信仰心のあり方と同列に論じることはできないであろう[90][* 61]。ゲルマンの王は集団の支持を必要としており、彼らの改宗は、個人的な内面性より集団に重点が置かれていた[90]。改宗が直接的に国王個人や住民の生活習慣を変えるようなものではなかったことからも明白である。たとえばクローヴィスは洗礼を受けたにも関わらず、その後の有様は蛮族の王そのままであった[90]し、そもそもメロヴィング王国住民も表面的にしかキリスト教化されていなかった[93]。 このような改宗は何をもたらしたのであろうか。一般的な説明では、改宗によって支配者と被支配民の宗教が一致し、統治に安定をもたらしたことが述べられる一方、改宗の政治的意義を小さく、あるいは全く評価しない論者もいる。たとえばコリンズ (en Roger Collins) によれば、西ゴート王国は改宗以前、被支配民であるローマ系住民はカトリック、支配者であるゴート族はアリウス派からカトリックへの改宗が進んでおり、両者のアイデンティティーの統合は進みつつあった[94]。レカレド王は改宗後に徹底的なアリウス派根絶に努めており、それにより王を中心とする政治的宗教的統一体形成の基盤をなしたという見方も可能である[89]。メロヴィング朝では7世紀クロタール2世の統治期に王の権威の上昇が見られるが、これはキリスト教が王権に王国を守るという崇高な任務を与え、聖性を付与し、その意義を高めたからである[95]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド族と中世初期の南イタリア 西ローマ帝国滅亡後のイタリア半島は、東ゴート族の支配を受けたのち、東ローマ帝国の支配に復帰したのであるが、やがてランゴバルド族の侵入によって、北イタリアから中部イタリアにかけての大部分はランゴバルド族の支配に帰した。ランゴバルド王国はしかし、イタリア半島全体を支配することはついにかなわず、ローマとラヴェンナの間と南部イタリアは東ローマ帝国の支配下に止まった。やがてカロリング朝がローマ教皇の要請を受けて北イタリアに侵入し、774年にはカール大帝により北イタリアのランゴバルド王国はフランク王国に併合された。 しかし、中部イタリアのランゴバルド系公国であるベネヴェント公国は存続し、分裂しながらも独立した政体を維持した。またビザンツ支配下の南イタリア都市も徐々に独立し、シチリア島はムスリムの支配下となる。こうして中世初期のイタリア半島南部は分裂状態におかれるのであるが、やがて傭兵として雇われたノルマン人の集団がシチリア王国を建国し、地域の統合をもたらすこととなり、新局面が訪れた。 東ゴート王国とビザンツ帝国のイタリア再征服 詳細は「東ゴート王国」を参照 ボエティウス テオドリックに投獄された際に執筆された主著『哲学の慰め』は中世西欧で広く読まれた 西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスがオドアケルによって476年に廃位されると、西ローマ皇帝は存在しなくなった。しかし、ローマ帝国の支配体制自体が変化を蒙ったわけではない。オドアケルは東ローマ帝国の宗主権を認めており、そのオドアケルの政権を打倒した東ゴート王テオドリックも東ローマ帝国の宗主権を認め、この間西帝国の元老院も存続していた。しかしながら、東ゴート族はアリウス派を信仰しており、このことが東ローマ帝国との政治的対立に結びつくこととなった。また王国の統治はローマ人官僚の貢献によって支えられていたが、彼らは正統信仰を維持しており、信仰上の対立がゴート人とローマ人の不和の原因となって王国の統治を攪乱することとなった。テオドリックは寛容な宗教政策を展開して王国内の平和を保っていたが、晩年には宗教問題が政治問題化した。たとえば、ボエティウスの事例が典型的である。ローマの有力貴族アルビヌスが王位継承問題に絡んで東ローマ帝国と通じた問題で、ボエティウスはアルビヌスを弁護して投獄され、524年に処刑された。東ローマ帝国はこれをカトリック教会に対する迫害と捉え、当時アリウス派に一時的な寛容政策をとっていたユスティヌス1世の態度を硬化させた。ユスティヌスは527年に異端に対する勅令を出してアリウス派を弾圧[* 62]し、以前からカルケドン信条を守っていたブルグント王ジギスムントやカトリック信仰に転じたヴァンダル王ヒルデリック[* 63]と同盟してテオドリックを牽制した。 ユスティヌス1世を継承した甥のユスティニアヌス1世は532年にササン朝のホスロー1世と永久平和条約を結んで帝国東部辺境を安定させると、西方の旧西ローマ帝国領の再征服に乗り出した。まずヴァンダル王国に矛先を向け、533年にカルタゴを占領し、534年にはヴァンダル王国を完全に滅ぼした。さらに535年、テオダハドが東ローマ帝国と友好的な東ゴート女王アマラスンタを殺害すると、これを口実としてイタリア半島に遠征軍を派遣した。東ローマ帝国軍は当初有利に事を進めたが、最高司令官ベリサリウスと将軍ナルセスの間に不和が生じるなど指揮系統に混乱が生じた。ナルセスが本国に召還されると、539年にはベリサリウスは東ゴート族を懐柔することに成功した[* 64]が、ベリサリウスはササン朝の侵入に対抗するため540年に本国に召還されてしまい、失望した東ゴート族は再び反乱を起こした。東ゴート族はやがてトーティラを王に推戴して勢力を盛り返した。544年にベリサリウスはイタリアに戻るが、兵力不足から有効な反撃が出来ず、549年には再び本国へ召還された。550年になると、トーティラ率いる東ゴート軍はローマを占領し、イタリア半島をほとんど支配する状態となって、シチリア島に侵入するまでになった。552年にナルセスが大軍をもって派遣されると、ようやく東ローマ帝国軍は反撃に転じ、ブスタ・ガロールムの戦い(ギリシャ語版、イタリア語版、英語版)(ギリシア語 Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum)で東ゴート族を大いに破った。トーティラは殺され、東ゴート族はなおも各地に拠って抵抗したが、554年にはほぼイタリアに平和が戻り、561年には抵抗は完全に収まった。 しかしこの戦乱によってイタリア半島の荒廃は進み、かつての繁栄を失った。東ゴート王国下においては、古典古代の文化を保存する活動は維持されており、前述したボエティウスが『哲学の慰め』を著述してプラトンやアリストテレスの哲学概念を用いてキリスト教教義を論じたり、カッシオドルスが『ゴート人の歴史』を書いてローマ人とゴート人の調和を説いたりといった文化活動が見られた。カッシオドルスは修道院教育に自由七科を導入するなど修道院文化の育成にも関わるが、この伝統は戦乱とともに一時廃れた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド王国 詳細は「ランゴバルド人」および「ランゴバルド王国」を参照 アギルルフス時代のイタリア半島(616年) ユスティニアヌス帝による再征服活動によって、イタリア半島は再びローマ皇帝の支配に服すこととなったが、その統一は長く続かなかった。ランゴバルド族が侵入し、彼らがイタリア半島に王国を築いたからである。彼らの文化水準は低く、したがってその支配による影響は文化的には大したことはなかったが、政治的には以後長く続くイタリアの分裂の端緒となった[98][99]。 ランゴバルド族は1世紀までにエルベ川下流域に定住し、その後547年にビザンツ帝国によって、パンノニアとノリクムの境界地域に定住を許された[100]。パンノニアはゴート戦争開始によって生じた防備の弱体化をついてゲピド族によって占領されており、彼らはシルミウムを首都として王国を築いた。そのため、ビザンツ帝国はゲピド族と東ゴート王国への対抗の意味で領内にランゴバルド族を招き入れたのであった[61][101][* 65]。ランゴバルド族はゲピド族を抗争を繰り返し、566年になってビザンツ帝国がゲピド族と同盟を結ぶと、ランゴバルド族はその東方にいたアヴァール人と結んでこれに対抗、結果としてゲピド族は567年に滅亡した[103]。しかし強大なアヴァール人に圧迫を受けるようになったランゴバルド族は568年になると、王アルボインに率いられてイタリア半島に侵入し、その年のうちにヴェネト地方の大半を占領した[96]。569年にはメディオラヌムを、572年にはティーキヌムを占領し[* 66]、後者を首都としてランゴバルド王国が成立した[96][104][105]。 572年にアルボインが暗殺され、王位を継いだクレフも574年に暗殺されると、ランゴバルド王国は30人以上の諸公が支配する連合政体へと変化した[106][107]。しかしその勢いは衰えず、諸公の一人ファロアルド1世(イタリア語版、英語版)はスポレートを支配下においてスポレート公国を築き、他の諸公ゾットーネ(イタリア語版、英語版)はさらに南下してベネヴェントを占領、ベネヴェント公国を打ち立てた[106][107]。ランゴバルド諸公に対して、ビザンツ帝国は金銭による懐柔外交を展開するとともに、フランク王国と同盟してこれを打倒しようとした[106][108]。フランク王国はすでに574年ランゴバルド王国を征討し、これを打ち負かして貢納と領土の割譲を条件に講和しており、イタリア半島情勢への介入には消極的な姿勢を保っていたのである[109]が、ビザンツの勧誘を受けて585年と588年にイタリアへ侵入し、クレフの子である王アウタリウスは貢納を条件に589年これと講和した。590年にもフランク族は大軍をもってランゴバルド王国を攻撃したが、これは掠奪をおこなうに止まった[110]。フランクによる対外危機は分裂する傾向にあったランゴバルド族に結束の必要を認識させた。既述のように、574年以来ランゴバルド族は王を戴かずに諸公の合議によって統治されていたのであるが、584年になると、アウタリウスが選出されて王となった。アウタリウスの死後跡を継いだアギルルフスは591年、毎年の貢納を条件にフランク王国と和解し、ビザンツ領を侵し始め、593年にはローマを包囲してグレゴリウス1世と交渉し、598年には教皇と講和した[111]。アウタリウスの治世に首都パヴィアを中心として王国としてのまとまりが現れ始め、次代のアギルルフスの治世下には統治制度が整備されて国家としての体裁をとるようになった[112]。パウルス・ディアコヌスは『ランゴバルド史』の中で、このアギルルフスの治世に実現された平和を賞賛している。 リウトプランド時代のイタリア半島(744年) 616年のアギフルススの死後はアダロアルドゥスが継いだが、妃であったテオデリンダが権力を握った。テオデリンダはカトリック信仰に熱心で、教皇グレゴリウス1世とも親しく、聖コルンバヌスによる修道院設立を支援した。アギフルススがアリウス派を捨て、カトリックに改宗したのも彼女の影響である。また彼女以後歴代の国王は、三章書論争[* 67]で三章書を支持して分離したミラノやアクィレイアの教会とローマ教会との調停に尽力した。しかし626年にアダロアルドゥスは義兄アリオアルドゥスによって弑され、アリオアルドゥスは王位に就いた。この簒奪の背景にはビザンツ帝国との融和政策に対するランゴバルド武人の不満があったと考えられる。アリオアルドゥスはアリウス派であった。636年にアリオアルドゥスが死ぬと、その妃グンディベルガを娶ったロターリが王に選出された。ロターリは東方でイスラーム教徒と争っているビザンツ帝国の支配のゆるみをついて領土を積極的に拡大し、リグーリア・コルシカ・ヴェネツィア周辺部などを奪取した[114]。またロターリは643年に「ロターリ王の告示」、いわゆるロターリ法典を編纂したが、これはランゴバルド人の法慣習を採録したものである[115]。ロターリはランゴバルド王国の最盛期を現出したが、652年のその死後、王国は急速に分裂、弱体化した。彼の息子ロドアルドゥスは短命で、653年にアギロルフィング家のアリペルトゥス1世に王位が移った。アリペルトゥス1世の死(661年)に際して2人の息子に王国が分割されたが、これが内紛を生じ、662年ベネヴェント公グリモアルドゥス1世が王位を手に入れることとなった[116]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ベネヴェント公国と南イタリアのランゴバルド三侯国 前節で述べたように、クレフ王の死後の10年間、ランゴバルド諸公は一種の合議政体をもって王国を運営し、この間に地方に割拠する諸公の力は強まった。特にイタリア中部のスポレート公国と南イタリアのベネヴェント公国はラヴェンナとローマの枢軸を維持するビザンツ帝国によって、北イタリアのランゴバルド王国の中央から隔てられているために、自立性が高かった。初代ベネヴェント公ゾットーの跡を継いだアリキス1世はビザンツ帝国領カラブリアと沿岸都市以外の南イタリアをほぼ制圧し、広大な領土を支配するようになった[116]。第5代のグリモアルドゥス1世はランゴバルド王国で起きた王位継承を巡る争いに乗じて、ランゴバルド王位を獲得し、ランゴバルド王とベネヴェント公をかねてランゴバルド人を統一した[116]。しかし彼の死後は2人の息子がランゴバルド王位とベネヴェント公位を分割して保持することになり、再び両国は分かたれた。ベネヴェント公位を継いだロムアルドゥスは弟のガリバルドゥスにランゴバルド王位を譲ったのである[117]。まだ幼かったガリバルドゥスは即位後1年で王位をペルクタリトゥスに奪われ、ランゴバルド人の統一は失われた。 リウトプランドの肖像が描かれたトリミセス貨幣(1トリミセス=1/3ソリドゥス) その後北のランゴバルド王国では短期間での王位の変転が続くが、712年にリウトプランドが王位につくと、ビザンツ帝国側の内紛を利用して領土を拡大した。ビザンツ皇帝レオン3世がイコノクラスムを開始すると、教皇グレゴリウス2世はこれに反発して皇帝と対立し、折しも対イスラーム教徒戦争の重税に苦しんでいた多数のイタリア都市も帝国の支配に反抗した。この防備の弱体化をついてリウトプランドはビザンツ領へ侵攻し、730年ごろにはラヴェンナを奪取した[118][* 68]。ビザンツ帝国は教皇グレゴリウス3世の登位後、ヴェネツィアの協力を得て、734年にこれを奪還した[118][* 69]。リウトプランドはカール・マルテルと同盟してムスリムとも戦い、725年ごろにはムスリム支配下のコルシカ島を従属させた。710年から730年の間にはサルディニア島にあったアウグスティヌスの遺骸がパヴィアに運ばれ、サン・ピエトロ大聖堂 (en San Pietro in Ciel d Oro) に納められた[118][121]。またリウトプランドの治世に、ロターリ法典は新たに153章の法文を付けくわえられたが、これらの中には女性や貧者に抑圧に抗する一定の権利を認めるものが含まれている[118]。リウトプランドの後はまた短命な王が続くが、749年に即位したアイストゥルフは精力的で、751年にラヴェンナを制圧してイタリア半島をほぼ統一した。しかし754年と757年の2度、教皇ステファヌス3世の懇請を受けてピピン3世がイタリアに侵入すると、これらの征服地は奪回された[122]。アイストゥルフの次代の王デシデリウスはカール大帝の弟カールマンと結んでフランク王国の政治に介入しようとし、また教皇領を攻撃して領土拡大を目指したが、逆に773年カール大帝のイタリア遠征を招き、翌774年には首都パヴィアが陥落してデシデリウスは廃され、カール大帝が自らランゴバルド王を兼ねるに至って、ランゴバルド王国は実質的に滅亡した[123][124][125]。 他方、ロムアルドゥスの後継者たちが支配した南のベネヴェント公国は、774年のランゴバルド王国滅亡を傍観しながら生き残り、8世紀後半にはランゴバルド王国の正統を自認してベネヴェント侯国を名乗るようになる[126]。侯国の地方統治はガスタルディウス (gastaldius) という地方役人が担っていたが、彼らは徐々に侯から独立するようになり、ベネヴェント侯国は分権化し始めた[127]。839年に第5代のベネヴェント侯シカルドゥスが暗殺された後、侯位を巡って争いが起こり、849年にはサレルノ侯国(イタリア語版、英語版)が分かれた[128]。このサレルノ侯国の有力者カープア伯は861年に自立してカープア伯領を形成するが、900年にカープア伯アテヌルフス1世(イタリア語版、英語版)がベネヴェント侯に即位してカープア・ベネヴェント侯国(イタリア語版、英語版)が成立した[128]。この統一侯国は982年まで続くが、その後はベネヴェント侯国とカープア侯国(イタリア語版、英語版)に分かれた[129]。こうしてランゴバルド三侯国が成立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝の帝権 詳細は「カロリング朝」を参照 フランク王国では7世紀半ばになると、各分王国で豪族が台頭し、メロヴィング家の王権は著しく衰退した。このような中、アウストラシアの宮宰を世襲していたカロリング家はピピン2世の時代に全分王国の宮宰を占め、王家を超える権力を持つようになった。ピピン2世の子カール・マルテルはイベリア半島から侵入してきたイスラム教徒を撃退し、カロリング家の声望を高めた。つづくピピン3世はすでに述べたように、ローマ教皇の承認のもとで王位を簒奪し、カロリング朝を開いた。カール大帝の時代にはその版図はイベリア半島とブリテン島を除く今日の西ヨーロッパのほぼ全体を占めるに至った。ローマ教皇はカール大帝に帝冠を授け、西ヨーロッパに東ローマ帝国から独立した、新しいカトリックの帝国を築いた。カール大帝の帝国は現実的には、後継者ルートヴィヒ1世の死後3つに分割され、今日のイタリア・フランス・ドイツのもととなったが、理念上は中世を通じて西ヨーロッパ世界全体を覆っているものと観念されていた。 メロヴィング王権の衰退 814年のヨーロッパ カール大帝末年のヨーロッパ。今日の政治的・宗教的枠組みにつながる構造が形成されている。 東方世界東ローマ帝国|ブルガリア王国 西方世界カール大帝の帝国|イングランド|ベネヴェント公国|アストゥリアス王国|ボヘミア イスラームアッバース朝|後ウマイヤ朝 周辺諸民族ノルマン人|フィン人|ピクト人|ウェールズ|アイルランド|スウェーデン人|ゴート人|デーン人|プロイセン人|バシュキル人|ヴォルガブルガル人|モルドヴィン人|ポーランド人|ハザール人|アヴァール人|マジャール人|セルビア パリ勅令で各分王国での宮宰の影響力が増大したことは、ただちにメロヴィング王権の衰退に結びついたわけではなかった。宮宰は一面では豪族支配を統制し、王権の擁護者として振る舞った。ネウストリアでは特にそうであった。それに対してアウストラシアでは7世紀半ばにカロリング家による宮宰職の世襲がほぼ確立し、王権の影響の排除が進んだ。659年にアウストラシアの宮宰でカロリング家のグリモアルト1世は王位簒奪を謀ったが、失敗し処刑された。673年ネウストリアでクロタール3世が没した際に宮宰エブロインは王権を擁護する立場から、テウデリク3世を擁立しようとしたが、豪族たちは自らが国王選挙に参加する権利があるとして、この決定を覆し、新たにキルデリク2世を擁立した。680年ないし683年にはエブロインは暗殺され、王権に対する豪族の優位が確立された[* 70]。このころアキテーヌはほとんど独立した状態となり、王権の支配を離れた。ブルグントでは宮宰職は空位同然であり、エブロイン死後のネウストリアの宮宰職も混乱し影響力を低下させた[* 71]。ネウストリアで国王と宮宰に対する豪族の反乱が起こると、ピピン2世はこれに介入し、687年テルトリィの戦いでネウストリア軍を破って、688年全王国の宮宰職を認められた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール・マルテルとイスラム勢力の西漸 714年12月ピピン2世が死ぬと、カロリング家の支配に対する反動が起こり[* 72]危機を迎えたが、ピピン2世の庶子カール・マルテルによって717年にはクロタール4世[* 73]が擁立され、カール・マルテルはアウストラシアの支配を確立した。724年ごろにはおそらくネウストリアを平定し、アキテーヌを支配していたユードと和平を結んだ。ユードは719年からネウストリアの豪族と結んでカール・マルテルと敵対していたが、これ以降ユードの生きている間はカール・マルテルの有力な同盟者となった。カール・マルテルは730年にアレマン人を、734年にフリース人を征服し領土を拡大した。また733年にはブルグントを制圧した。 このころイスラム教徒が北アフリカからジブラルタル海峡を越えてヨーロッパに侵入し、711年には西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を支配するようになった。720年にはイスラム教徒の軍がピレネー山脈を越えてナルボンヌを略奪しトゥールーズを包囲した。ユードはイスラムの総督に自分の娘を嫁がせるなど融和を図る一方、732年にイスラム教徒が大規模な北上を企てた際にはカール・マルテルに援軍を求め、これを撃退した(トゥール・ポワティエ間の戦い)。 735年にユードが死ぬと、カール・マルテルはただちにアキテーヌを攻撃したが、征服には失敗し、ユードの息子クノルトに臣従の誓いを立てさせることで満足するにとどまった。軍を転じたカール・マルテルは南フランスに影響を拡大しようとし、マルセイユを占領した。このことが南フランスの豪族に危機感を抱かせ、おそらく彼らの示唆によって、737年にはアヴィニョンがイスラム教徒に占領された。カール・マルテルはすかさずこれを取り返し、ナルボンヌを攻撃したが奪回はできなかった。カール・マルテルはこのような軍事的成功によってカロリング家の覇権を確立した。737年にテウデリク4世が死んでから、カール・マルテルは国王を立てず実質的に王国を統治していた。 トゥール・ポワティエ間の戦い アキテーヌを支配していたユードはイスラム教徒の国境司令官オスマーンに娘を嫁がせたが、イベリア総督アブドゥル・ラフマーンはこれを殺害した。732年、アブドゥル・ラフマーンはピレネー山脈を越え南フランスに侵攻し、ユードの軍を破った。カール・マルテルはアウストラシアの軍勢を率いてユードの援軍に駆けつけ、トゥールとポワティエの間の平原でこれを撃退した。この勝利でカール・マルテルの声望は大いに高まった カール・マルテルはフリースラントへのカトリック布教で活躍していたボニファティウスによる、テューリンゲン・ヘッセンなど王国の北・東部地域での教会組織整備を積極的に支援した。722年教皇グレゴリウス2世により司教に叙任されたボニファティウスは723年にカール・マルテルの保護状を得て、当時ほとんど豪族の私有となっていたこの地域の教会を教皇の下に再構成しようと試みた。ボニファティウスの努力によって、747年にカロリング家のカールマンが引退する頃にはこの地域の教区編成と司教座創設はほぼ完成された。またこれらの地域でローマ式典礼が積極的に取り入れられた。 一方でカール・マルテルはイスラム勢力に対抗するため軍事力の増強を図り[* 74]、自らの臣下に封土を与えるためネウストリアの教会財産を封臣に貸与した(「教会領の還俗」)。これにより鉄甲で武装した騎兵軍を養うことが可能となった。カール・マルテルの後継者カールマンはアウストラシアの教会財産においても「還俗」をおこなった。封臣は貸与された教会領の収入の一部を地代として教会に支払ったが、地代の支払いはしばしば滞った。この教会財産の「還俗」を容易にするため、修道院長や司教にカロリング家配下の俗人が多く任命された。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピン3世の国王即位、カロリング朝の成立 741年のカール・マルテルの死後、王国の実権は2人の嫡出子カールマンとピピン3世、庶子グリフォによって分割されることとなっていたが、カールマンとピピン3世はグリフォを幽閉して、王国を二分した。743年、2人は空位であった王位にキルデリク3世を推戴した。747年カールマンはモンテ・カッシーノ修道院に引退し、ピピン3世が単独で王国の実権を握った。750年頃にはアキテーヌを除く王国全土がピピンの支配に服していた。 カロリング家の君主たちが進めた教会領の「還俗」はカロリング家とローマ教皇との間に疎隔をもたらしていたが、ボニファティウスを仲立ちとして両者は徐々に歩み寄った。739年頃からボニファティウスを通じてカール・マルテルと教皇は親密にやりとりしていた[* 75]。742年カールマンはアウストラシアで数十年間途絶えていた教会会議を召集した。745年にはボニファティウスを議長としてフランク王国全土を対象とする教会会議がローマ教皇の召集で開かれた。 751年ピピンはあらかじめ教皇ザカリアスの意向を伺い、その支持を取り付けた上でソワソンに貴族会議を召集し、豪族たちから国王に選出された。さらに司教たちからも国王として推戴され、ボニファティウスによって塗油の儀式[* 76]を受けた。754年には教皇ステファヌス3世によって息子カールとカールマンも塗油を授けられ、王位の世襲を根拠づけた。この時イタリア情勢への積極的な関与を求められ、756年にはランゴバルド王国を討伐して、ラヴェンナからローマに至る土地を教皇に献上した(「ピピンの寄進」)。 ピピン3世の時代には、キリスト教と王国組織の結びつきが強まった。おそらく763年ないし764年に改訂された「100章版」サリカ法典の序文では、キリスト教倫理を王国の法意識の中心に据え、フランク人を選ばれた民、フランク王国を「神の国」とするような観念が見られる[130][131]。またピピン3世は王国集会に司教や修道院長を参加させることとし、さらにこれらの聖界領主に一定の裁判権を認めた。一方でこれらの司教や修道院長の任命権はカロリング朝君主が掌握していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール大帝の時代、キリスト教帝国の成立 ハールーン・アッラシード(左側)とカール大帝(右側) カール大帝はイタリア支配を巡って対立していた東ローマ帝国を牽制するため、時のアッバース朝カリフ、ハールーン・アッラシードに使者を派遣した 詳細は「カール大帝」を参照 768年にピピン3世が没すると、王国はカール大帝とカールマンによって分割された[* 77]。その後771年にカールマンが早逝したので、以降カール大帝が単独で王国を支配した。773年にランゴバルド王デシデリウスがローマ占領を企てると、教皇ハドリアヌス1世はカール大帝に救援を求め、774年これに応じてデシデリウスを討伐し、支配地を併合して「ランゴバルドの国王」を称した[* 78]。781年にはランゴバルド王の娘を娶ってフランク王国から離反的な態度を取っていたバイエルン大公タシロ3世に改めて臣従の宣誓をさせたが、788年にはバイエルン大公を廃して王国に併合した。また772年から王国北方のザクセン人に対して征服を開始し、30年以上の断続的な戦争の末に、804年併合した。イスラム教徒に対しては778年ピレネー山脈を越えてイベリア半島へ親征したが、撤退を余儀なくされた。801年にはアキテーヌで副王とされていた嫡子ルートヴィヒによってピレネーの南側にスペイン辺境伯領が成立し、イスラム教徒への防波堤となった。このようにカール大帝の支配領域はイベリア半島とブリテン島を除いて、今日の西ヨーロッパをほぼ包含する広大なものとなった。 教皇レオ3世は800年のクリスマスにカール大帝に帝冠を授け、西ローマ帝国が復活した[* 39]。ローマ教皇との結びつきが強くになるにつれ、帝権は神の恩寵によるものという観念が強まり、宗教的権威を持つようになった[* 79]。教皇レオ3世のカール大帝への外交文書は東ローマ皇帝への書式に従い、教皇文書はカールの帝位在位年を紀年とするようになった。カール大帝は教会や修道院を厚く保護する一方、このような聖界領主から軍事力を供出させた[* 80]。世俗の領主と違って、聖界領主は世襲される心配がなかったからである。またカール大帝は伯の地方行政を監察し、中央の権力を地方に浸透させるために国王巡察使を設けたが、これは一つの巡察管区に聖俗各1名の巡察使を置くものであった。カール大帝の「帝国」は、さまざまな民族を包含し、さらにそれらの民族それぞれが独自の部族法を持っている多元的な世界であったが、キリスト教信仰とその教会組織をよりどころとして、カロリング家の帝権がそれらを覆い、緩やかな統合を実現していた。君主のキリスト教化と教会組織の国家的役割の増大は、カロリング朝の帝国を一つの普遍的な「教会」、「神の国」としているかのようであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教帝国の解体 詳細は「東フランク王国」、「西フランク王国」、および「中部フランク王国」を参照 広大な帝国はカール大帝自身の個人的な資質に支えられるところも大きく、またフランク人の伝統に従って分割される危険をはらんでいた。すなわちフランク王国では兄弟間による分割相続が慣習となり強固な法意識となっていたので、806年カール大帝は「王国分割令」を発布し、長子カールにアーヘンなど帝国中枢であるフランキアの、ピピンにイタリアの、ルートヴィヒにアキテーヌの支配権を確認し、帝権と王権をカール大帝が掌握するという形式をとった。その後ピピンとカールマンは早逝し、813年東ローマ皇帝がカールの帝権に承認を与えてのち、ルートヴィヒを共治帝とした。 ヴェルダン条約によるフランク王国の分割 西フランク王シャルル2世アキテーヌ|ガスコーニュ|ラングドック|ブルゴーニュ|イスパニア辺境 中フランク王ロタール1世ロレーヌ|イタリア|ブルゴーニュ|アルザス|ロンバルディア|プロヴァンス|ネーデルランデン|コルシカ 東フランク王ルートヴィヒ2世ザクセン|フランケン|テューリンゲン|バイエルン|ケルンテン|シュヴァーベン 814年カール大帝が亡くなると、ルートヴィヒは帝位と王権を継承した。ルートヴィヒ1世は817年「帝国整序令」を出して長子ロタール1世を共治帝とし、次子ピピンにアキテーヌの、末子ルートヴィヒにバイエルンの支配権を確認した。この時点ではロタール1世にイタリアの支配権も認められており、彼は後継者として尊重されていた。しかしシャルルが生まれると、ルートヴィヒ1世はこの末子のために829年フリースラント・ブルグント・エルザス・アレマニアに及ぶ広大な領土を与えることとし、ロタール1世もこれを承認した。内心これを不満に思っていたロタール1世は830年反乱し、ルートヴィヒ1世を退位させて単独帝となったが、ピピンとルートヴィヒがこれに対抗してルートヴィヒ1世を復位させた。その後840年のルートヴィヒ1世の死後も兄弟たちは激しい抗争を繰り広げた。 841年ロタール1世とシャルル、ルートヴィヒはオーセール近郊で戦い(フォントノワの戦い)、ロタール1世は敗北し、842年兄弟は平和協定を結び、帝国分割で合意することとなった。843年ヴェルダンで最終的な分割が決定され、帝国はほぼ均等に三分されることとなった(ヴェルダン条約)。帝権はロタール1世が保持し、さらに850年ロタール1世は子息ルートヴィヒ2世にローマで戴冠させることに成功した。ロタール1世は855年、帝位とイタリア王国をルートヴィヒ2世に、次子ロタール2世にロートリンゲン、三男のシャルルにブルグントの南部とプロヴァンスの支配を認めた。863年にシャルルが死ぬと、遺領はルートヴィヒ2世とロタール2世の間で分割され、帝国はイタリア・東フランク・西フランク・ロートリンゲンの4王国で構成されることとなった。 869年にロタール2世も没すると、西フランク王シャルルがロートリンゲンを継承したが、翌870年東フランク王ルートヴィヒがこれに異を唱え、両者はメルセンで条約を結び、ロートリンゲンを分割した(メルセン条約)[* 81]。西フランク王シャルルは875年のルートヴィヒ2世の死後はイタリア王国と帝位を確保した。876年の東フランク王ルートヴィヒの死に際して、シャルルは東フランクにも支配権を及ぼそうとしたが、アンデルナハ近郊でルートヴィヒの息子たちと戦って敗れ、翌877年失意のうちに没した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 分裂後のカロリング朝後継国家 結局カール大帝の帝国は社会的・制度的に永続性を欠いており、王家の分割相続により瓦解することとなった。 885年にはカール3世によって帝国が再統一されるが、一時的なことに過ぎず、887年にはアルヌルフによって廃位に追い込まれた。翌888年には西フランク王位がパリ伯ウードに移り、一時的にではあるがカロリング家の血統から外れた。ウードは支配の正統性を維持するためにアルヌルフの宗主権を認め、のちにはカロリング家のシャルル3世を後継者として認めざるをえなかったが、ウードの即位は明らかにフランク王国史の新展開を告げるものであった。西フランク王位はこれ以後、カロリング家とロベール家の間を行き来し、やがて987年にはユーグ・カペーの登位とともにカペー朝が創始され、のちのフランス王国へと変貌を遂げ始めた。 この時代は北からノルマン人・南からムスリム・東からマジャール人が侵入し、これにカロリング家の君主はうまく対応することが出来ず、逆に辺境防衛を担った貴族が軍事力を高めるとともに影響力も強めた。前述のパリ伯ウードも対ノルマン防衛で声望を集めた人物であり、東フランクでもフランケンやバイエルン・ザクセンなどの大公・辺境貴族が台頭し、東フランク王国の統合の維持に努めながらも、自らの支配領域を拡大していった。彼らは地域における主導権争いに勝利して地域内において国王類似の権力を有するようになり、やがてカロリング家が東フランクで断絶すると、これら有力貴族が玉座に登ることとなり、のちのドイツ王国の枠組みが形成されていく。この過程で王国の統一維持の観点から、王国の分割相続が徐々に排除されるようになり、10世紀にはカロリング朝後継国家のいずれにおいても単独相続の原則が確立された。 北イタリアでは、888年以降カロリング家の影響が弱まると、異民族の侵入と諸侯による王位争奪の激化から都市が防衛拠点として成長し始めた。ブルグント王国も888年に独立し、1032年に神聖ローマ帝国に併合されるまで独立を維持した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング・ルネサンス、中世文化の始まり カール大帝の宮廷は文化運動の中心となり、そこに集まる教養人の集団は「宮廷学校」と呼ばれた。この文化運動の担い手たちは、西ゴート人・ランゴバルド人・イングランド人などフランク王国外出身者が多かった。9世紀以降、文化運動の中心は修道院へと移り、書物製作や所蔵に大きな役割を担った。このような例としてはトゥールのサン・マルタン修道院などが有名である。 この、カール大帝のいわゆるカロリング・ルネサンスは神政的な統治政策に対応した文化運動であり、正しい信仰生活の確立を目指すものであった。聖書理解の向上、典礼書使用の普及、教会暦の実行において正統信仰に基づくことが目指され、すでに地域差が著しくなっていた俗ラテン語から古典ラテン語へと教会用語の統一が図られた。これによりラテン語が中世西欧世界の共通語となる。一方で、典礼形式の確立と聖職者改革によって、カロリング・ルネサンスは文化の担い手を俗人から聖職者へと転回させ、俗人と聖職者の間の文化的隔たりを広げる結果ももたらした。 カロリング・ルネサンスの意義については、文献についての基本的な2つの要素、書記法と記憶媒体の変質が特に中世文化の成立に大きな意義を持った。カール大帝は従来の大文字によるラテン書記法を改革して、カロリング小字体を新たに定めた。この統一された字体を用いて、さまざまな文献を新たにコデックス[* 82]に書き直され、著述と筆写が活発になされた。書物の形態の変化とともに、書写材料はパピルスから羊皮紙に変化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝期の政治思想 ここではカロリング朝が帝権を手に入れた9世紀初頭ごろの政治思想を概観する。まずカール大帝のキリスト教帝国の政治思想として アルクインの思想を、次に教権の側の政治思想として作者不明の『コンスタンティヌス帝の寄進状』を特筆する。 アルクイン 教皇シルウェステル1世とコンスタンティヌス大帝 コンスタンティヌス大帝はシルウェステル1世にローマ全土を教会領として寄進する約束をしたという説話が8世紀ごろに作られた。この『コンスタンティヌス帝の寄進状』は中世を通じて教権の重要な根拠の一つとなっていたが、のちにヴァラなどによって偽作されたものであることが明らかにされた 詳細は「アルクィン」を参照 アルクインはブリテン島出身の神学者で、カール大帝の宗教政策を中心とした問題についての、最も有力な助言者の一人であった。カール大帝時代のいわゆる「カロリング・ルネサンス」においても指導的役割を演じたと考えられている。アルクインはカトリック信仰が地上に平和をもたらすものであると信じ、その実現者をカール大帝に見た[132]。 カール大帝が795年教皇レオ3世が選出された際に送った外交書簡はアルクインの手になるものと考えられている[133]。この書簡は、キリスト教のための戦争、信仰の擁護などをフランク国王の職務と述べ、ローマ教皇の職務は祈りを通じて国王を補佐することであると述べている。799年にアルクインがカール大帝にあてた有名な書簡では、教皇・ビザンツ皇帝がいずれも堕落している[* 83]のに対し、カール大帝のフランク王国のみが正しいキリスト教君主であるとした。そのすぐあとに出された書簡では、アルクインはカールのフランク王国を「キリスト教帝国 ("Imperium Christianum")」と呼び、カールの王権を全キリスト教共同体を覆うものとしている。このアルクインのいう「キリスト教帝国」は800年のカール大帝の戴冠で劇的に現実化した。 アルクインはまた両剣論を取り上げ、カール大帝が世俗の剣も霊的な剣もともに神から授かったとして教権に対する帝権の優位を説いた[* 84]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] コンスタンティヌス帝の寄進状 詳細は「コンスタンティヌスの寄進状」を参照 『コンスタンティヌス帝の寄進状』は、『偽イシドールス教令集』に記載されていたもので、作者は不明である。このイシドールスとは7世紀イベリア半島のセビリャ大司教のことである。イシドールスは従来の教令集[* 85]にスペインでの教会会議の決定を増補し、『ヒスパナ』という教令集を編纂した。のちにこれが『イシドールス集録』と呼ばれ、カノン法の法源とされた。『偽イシドールス教令集』はこれとは別の物で、8世紀か9世紀にイシドールスに仮託して作成された偽文書である[* 86]。 この文書は書簡形式であり、その日付は315年3月30日に書かれたことになっている[134]。まずコンスタンティヌス1世は癩病を患い、時の教皇シルウェステル1世の祈りによって救われたとする。コンスタンティヌスはシルウェステル1世を皇帝にしようとしたが、シルヴェステル1世は帝冠を一度受け取ったが被らず、帝冠を改めてコンスタンティヌス1世に被せたという。次にこの文書は聖ペテロに向ける形でコンスタンティヌスによる以下の寄進の記録を記す。すなわちアンティオキア・アレクサンドリア・エルサレム・コンスタンティノポリスと、他の全ての教会に対する優越権、皇帝の紋章とラテラノ宮殿の下賜、西部属州における皇帝権を教皇に委譲した。この架空の歴史的事実によって教皇は「普遍的司教」であり、皇帝任命権を保持していると主張した。カール大帝の戴冠もこの理念に則った形で行われ、これを先例としてのちに教皇は皇帝よりも優越的な地位にあることの根拠とした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス改革と教権の絶頂 これまで述べたように、中世ヨーロッパという固有の文明社会の成立には、皇帝権と教皇権という2つの普遍的権力・権威が相補的役割を果たしていた。11世紀に入ると、この皇帝権と教皇権の関係が本質的な対立に向かい、中世ヨーロッパ社会の秩序が根本的な変革に直面することとなった。一般にグレゴリウス改革[* 87]として把握される一連の教会改革運動である。結果的には教皇権は、皇帝権に対して一定の自立を勝ち得、その完結性を実現することになり、日常生活に関わる秘蹟への関与を強めることにより、民衆の精神支配において圧倒的な影響力を持つようになる。さらにシュタウフェン朝の断絶後に皇帝権が著しく影響力を弱めると、教権は全盛の時代を迎える。 一方で教会改革を通じて高められたキリスト教倫理は、12・13世紀になると、民衆の側から使徒的生活の実践要求[* 88]という形で教会に跳ね返り、さらには異端運動を生み出す元ともなった。また14世紀に入ると、教皇権は国家単位での充実を果たした俗権の挑戦を受けることになった[* 89]。 修道院改革運動と教会改革の始まり クリュニー修道院 フランス革命によって破壊される以前は、偉容を誇った壮大な修道院であった。アキテーヌ公ギヨームにより設立された。12世紀にいたるまで西ヨーロッパで絶大な影響力を持った グレゴリウス改革の前史としての修道院改革運動は、11世紀初頭のロートリンゲンで広がりを見せた。このロートリンゲンの修道院改革に影響を与えたのがクリュニー修道院である。クリュニー修道院は909年ないし910年に教皇以外の一切の権力の影響を受けない自由修道院として設立され、ベネディクトゥスの修道精神に厳格に従うことで、西ヨーロッパに広く影響を与えた。ザリエル朝の皇帝ハインリヒ3世は、このクリュニーの修道精神に深く共感し、聖職売買(シモニア)を強く批判し、教会改革を求めた。しかし、後に息子のハインリヒ4世と改革の主導者であったグレゴリウス7世は問題となっていた聖職者の任免権を巡って叙任権闘争で争うことになる。 一方でクリュニー精神の影響を受けたロートリンゲンの修道院は、徐々に修道士団の自立性を唱えるようになり、皇帝権からの自立を目指すようになった。そしてクリュニー精神に基づき、修道院活動を純化し汚れない本来の姿に戻ろうとする動きは、シモニアやニコライティズム(聖職者の妻帯)に対する批判と軸を同じくした。改革に熱心な教皇レオ9世が登位すると、教皇権がこの教会改革の主導権を握るようになった。レオ9世は聖職者の倫理改革を目指してシモニアに対して厳しく対処することを表明し[* 90]、改革遂行のため、当時の改革的聖職者を教皇庁の下に結集して、教会改革に合致する教会法の集成に着手させ、さらに教皇首位権を現実化しようとした。レオ9世時代の改革はこのようにグレゴリウス改革に直結するものであるが、その対象はほぼ教会内部に限られており、教権と俗権の関係には及んでいない。その後ニコラウス2世は1059年、ラテラノの教会会議で下級聖職者に限って俗人叙任を明確に禁止した[* 91]。つづくアレクサンデル2世も聖職者の倫理改革に着手し、教皇特使を活用してキリスト教社会に影響を及ぼそうとし、シモニアやニコライティズムを強く批判した。こうしてグレゴリウス7世の登極までに改革は着実に進展していた。 このように、クリュニー修道院に影響を受けた修道院改革の基本精神は教会改革に継承されたのであるが、これはクリュニーの精神とグレゴリウス改革が全ての面において、一致していたということを必ずしも意味しない[* 92]。教皇主導の教会改革が徐々に急進化するに及び、当初は協力的であったクリュニーは教皇庁と距離を置くようになっていった。たとえば改革派が唱える、明らかにドナトゥス派に通じる叙品論[* 51]に対しては、クリュニーはペトルス・ダミアニとともにこれに反対した。またイスパニアでもカスティーリャ王国に影響を及ぼそうとする教皇の政策に対し、クリュニーはむしろアルフォンソ6世と結びつくことで、これに対抗した[* 93]。 しかしクリュニー精神もグレゴリウス改革も、キリスト教が「危機」に直面しているという認識では一致していたのであり、この時代の大きな雰囲気の中から生まれたものであることは共通していた。クリュニーは世俗権からの「教会の自由」を主張し、この考えがロートリンゲンの修道院運動でシモニア批判に結びつき、グレゴリウス改革で本格的にそれが主張されるという、発展の傾向は認められる[137]。だが、クリュニーはシモニアに対しては妥協的であったし、その運動の進展はグレゴリウス改革と並行していた。したがって、両者の関係はクリュニーがグレゴリウス改革を生み出したというよりは、両者が間接的に影響し合っていたと見るべきである[138]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 周縁における権力と教会 中世ヨーロッパにおいて周縁に位置するイングランドやイベリア諸国、スカンディナヴィアでは、そこがキリスト教世界にとって前線であるがゆえに、西ヨーロッパの中央とは異なったあり方でキリスト教が存在していた。これらの地域ではカトリックとは異なる典礼を発達・維持させていた教会が存在していたのである。しかしグレゴリウス改革の影響はこれらの地域にも波及し、新たな展開を見せた。 イングランド教会の伝統 ブリテン島のキリスト教の歴史は、ローマ帝国時代にまで遡ることができる。古代末期にはペラギウスや聖パトリックが知られており、後者によってアイルランド伝道が開始された。アイルランドが急速にキリスト教化するのと対照的に、ブリテン島はアングロ・サクソン人の侵入を受け、一時的にキリスト教布教が停滞した。しかしながら563年以降、アイルランドから渡った聖コルンバがアイオナ島を拠点にスコットランド改宗に着手し、597年6月9日の死にいたるまで熱心な布教活動を続けた。ちょうど同じ年の6月2日に教皇グレゴリウス1世の命を受けた聖オーガスティンがケント王国に上陸し、イングランド布教も開始された。 アンセルムス 師であるランフランクの跡を継いでカンタベリー大司教となる。イングランド王国での聖職叙任権改革を進め、王権と対立。17年にわたる在位期間中、2度も追放される憂き目にあった こうしてアイルランド人のケルト教会とカトリック教会が同じ島で同時期に別々に布教を開始したが、両者は様々な面で相違していたために[* 94]、布教をめぐって摩擦や対立が生じることとなった。両者は664年、ホイットビー教会会議[* 95]で信仰について話し合い、結局この会議ではカトリック側が勝利した。以後イングランドの地域ではカトリック教会が優勢になった。8世紀末のデーン人の侵入によって、イングランドの教会は再び停滞の時期を迎えた[142]が、10世紀にはアルフレッド大王の下で復興がなされた[143]。その後デーン人侵入の第二波がイングランドを襲うが、その王クヌートはキリスト教徒であり、キリスト教を厚く保護した[144]。 エドワード懺悔王の死後、1066年のヘイスティングズの戦いに勝利したウィリアム1世がイングランド王に即位してノルマン朝を開始した。ウィリアムは自身の王権を強化しようとして、イングランドに強力な支配権を打ち立てようと試み、イングランド国内の司教や大修道院長を自ら指名し、指輪と司教杖を与えて叙任した。このことは当時の教皇庁が進めていた、俗人による聖職叙任を排除しようという改革運動と真っ向から対立するものであった[* 96]。1073年にグレゴリウス7世が登極すると、グレゴリウスはウィリアムを説得して俗人叙任を止めさせようとしたが、徒労に終わった[146]。ウィリアムは勅令を出して、イングランドの臣下が国王が同意しない破門宣告に同意することや、司教が国王に無断で出国すること、国内の聖職者が国王の認めない教皇書簡を受け取ることを一切禁じた[146]。ウィリアムの宗教政策はカンタベリー大司教ランフランクの協力によって推進された。ランフランクはまず、カンタベリー大司教のイングランドにおける首位性を確立するため、ヨーク大司教トマスに服従誓願を迫り、それを取り付けることでイングランドにおけるカンタベリー大司教の首位権確立に大きな前進をもたらした[* 97]。ローマ教皇庁は地域的な首位教会という考えには反対であったので、これを支持しなかったが、ウィリアムとランフランクは伝統的な政教協力の思想の下に、イングランドに強力な政府を樹立し、イングランド教会の独立を守り抜いた[150][151][* 98]。 ランフランクの後継者であるアンセルムスは前任者とは対照的に、ローマ教皇に忠実な人物であった[* 99]。アンセルムスは明確に教皇首位権を認めていた[154][155][156][157]ので、1095年2月のロッキンガム教会会議では、教会に対する国王の干渉を強く非難した。これに対し、国王ウィリアム2世に忠実なイングランドの司教たちは、逆にアンセルムスに教皇への服従を放棄するよう忠告した[158][159]。つづくヘンリー1世は聖職叙任に関して教皇とアンセルムスに歩み寄り、1107年ロンドン協約を結んだ[* 100]。そこでは国王や俗人から聖職者が叙任されることは原則的に禁じられた一方、国王に対する臣従宣誓を理由として司教叙任を拒んではならないという規則が設けられた。これによってイングランド国王は教会に対する実質的な影響力を維持した。しかしながら、1114年のカンタベリー大司教選挙において、国王が推薦する候補が落選するなど、国王の教会政策に一定の疑問が投げかけられる結果をもたらした[161]。ヘンリー1世の跡を継いだスティーブン王の時代は混乱を極め、王は自らの権力を維持するために教会にあらゆる譲歩をしたが、その約束は果たされず、逆に国王と教会の対立は深まった。1139年に国王がソールズベリー司教ロジャーを逮捕投獄する事件が起こり、これを機にスティーブンは聖界の支持を決定的に失った。1141年のウィンチェスター教会会議で司教たちは、司教には国王を聖別する権利があると主張し、マティルダを「女支配者」 ("Domina Anglorum") として認めた[162][163]。スティーブン王の治世の間、イングランドは実質的な内乱状態にあったが、教会はその混乱の中で影響力を強め、王権からの相対的な自由を獲得した。 スティーブン王の死後、生前の約束通りヘンリー2世が即位してプランタジネット朝を開いた。新国王はイングランドの無秩序状態を収拾するため、法律を整備する必要性を感じ、裁判制度の改革に乗り出した。イングランドでは、ウィリアム1世時代に世俗の裁判所と教会裁判所が分離されており、聖職者は教会裁判所で裁くこととされていた。これは聖職者の特権と見なされていたが、国王裁判所では死罪に当たるような罪でも、教会裁判所では軽い罰で済んだために、獄吏を買収して剃髪して詐って聖職者を名乗り、刑を軽くするような法の抜け道が存在していた。ヘンリーは法の公正な執行のために、聖俗で刑罰が異なるこの法制度を改革することを意図し、クラレンドン法[* 101]を制定した。これに対しカンタベリー大司教トマス・ベケットは一度は不承不承認めたものの、のちに教会の権利を擁護して国王に反対した。長く追放された後、ベケットはイングランドに帰国するが、カンタベリー大聖堂で4人の騎士に殺害された。しかしこのことでベケットは殉教者として崇敬されるようになり、国王は逆に譲歩せざるを得なくなった。結局大逆罪に関する条項を除いてクラレンドン法のほとんどは破棄された。 中世の初期においては国王の強力な掣肘化にあったイングランド教会であったが、プランタジネット朝の開始時には大陸での教会改革の成果も取り入れ、王権に対して一定の独立を守ることが可能となっていた。しかし、一方でこの時代にカンタベリー大司教の首位権が徐々に確立され、イングランドにおぼろげながらも一つの信仰共同体が形成され始めたことは、後の国教会体制を準備するものであった[* 102]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴートの伝統、イベリア半島諸国 1031年のイベリア半島 後ウマイヤ朝が滅亡した直後のイベリア半島 キリスト教諸国レオン王国|カスティーリャ伯領|ナバーラ王国|アラゴン伯領|カタルーニャ君主国 イスラム教タイファ諸国アルコス|アルバラチン|アルプエンテ|アルヘシラス|アルメリア|ウエルバ|カルモナ|グラナダ|コルドバ|サラゴサ|サンタ・マリア・デル・アルガルベ|シルヴェス|セビーリャ|デニア|トルトサ|トレド|ニエブラ|バダホス|バレンシア|マラガ|マロン|ムルシア|メルトラ|ロンダ 711年に西ゴート王国が滅亡して後、イベリア半島はそのほとんどがイスラム教徒によって支配された。イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の独自の典礼を維持したキリスト教徒たちがおり、彼らは「モサラベ」と呼ばれた。一方北部を中心にキリスト教国が残存していたが、その中でも山岳地帯に位置したアストゥリアス王国は最も積極的にイスラーム諸国に対抗した[165][166][167][168][* 103]。アルフォンソ2世の治世後半にはアル・アンダルスから移住してきたモサラベの建言を容れて、西ゴート方式の宗教儀式を部分的に採用し、西ゴート王に連なる家系図を作らせ、アストゥリアスが西ゴート王国の継承者であるという「新ゴート主義」[* 104]が成立した[173][174][* 105]。アルフォンソ3世の時代になると、植民活動を活発化させ、教会堂の建設事業を積極的に行うなどキリスト教布教にも力を注いでいる[173][178][* 106]。つづくガルシア1世の時代に王国は首都をレオンへ移し、王国はレオン王国と呼ばれるようになった。レオン・ガリシア・アストゥリアスはそれぞれ別の王を戴きつつ、レオンのガルシア1世がそれらをまとめて緩やかな連合を形成した[* 107]。一方同時期のイスパニア辺境は弱小国家の集まりであり、イスラム教国に対抗することなど不可能で、アル・アンダルスとは友好的あるいは従属的な関係を結んでいた[183]。ナバラ王国もその点は全く同様で、イスラム教国に対し友好的・従属的地位にとどまっていた[184]。アラゴン伯領もいまだレコンキスタ精神からはほど遠い状態にあった[185]。一方のアル・アンダルスでは、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世やハカム2世の宮廷は北部キリスト教国のみならず遠くビザンツ帝国や神聖ローマ帝国からも使節を迎え[186]、ナバラ王国やレオン王国に遠征してこれを屈伏させた[187]。 11世紀にはいると、サンチョ3世の下でナバラ王国が台頭した。王は巧みな婚姻政策でカスティーリャ伯領・レオン王国などの周辺キリスト教国を併合し、「イスパニア皇帝」を自称した[188][* 108]。その息子でカスティーリャ王国を相続したフェルナンド1世はレオン王国を併合(カスティーリャ=レオン王国)すると、南へ遠征し、後ウマイヤ朝滅亡後にアル・アンダルスに割拠したタイファ諸国を攻撃して金による貢納(パリア)を求めた [* 109]。しかし貢納金を支払わせるということは、逆にフェルナンドをしてこれらタイファ国を保護する義務を生じさせるものでもあった。フェルナンドとその息子のサンチョ2世はタイファ国の救援要請を受けて、これを攻めたキリスト教国と干戈を交えている[190][191][192]。フェルナンドの晩年にはいくつかのアル・アンダルスの都市を征服するなど「レコンキスタ」[* 110]的な行動が見られたが、同じキリスト教を奉ずる国々との戦争も頻繁に行われており、このころの軍事行動が宗教的動機を離れて行われていたことは注目に値する[193][* 111]。 11世紀にはサンティアゴ・デ・コンポステーラが巡礼地として知られるようになり、フランス人の巡礼者を引き付けるようになった[* 112]。フランス人はクリュニー修道院の改革精神をスペインにもたらした。クリュニーは王権から寄進を受けてスペイン各地に修道院を獲得し、さらに新たな征服地の司牧を任せられるようになった。例えばアルフォンソ6世はトレドを攻略すると、トレド大司教をクリュニー派のベルナール (en Bernard de Sedirac) に任せた[196][* 113]。一方で改革派教皇はその首位権をイベリア半島に及ぼそうとし、「コンスタンティヌスの寄進状」を持ち出して西ローマ帝国の故地は教皇に捧げられていると主張した。これはカスティーリャ王国の「新ゴート主義」とは基本的に相容れないものであった。グレゴリウス7世がイベリア半島に首位権を主張した時、アルフォンソは「イスパニア皇帝」あるいは「トレド皇帝」を自称して牽制した[199][197][200]。アルフォンソはクリュニーに多大な寄進をすることで教皇権に対する防壁としてクリュニーを利用しようとした[201]。アルフォンソは他方、教皇やクリュニーの要求していた、モサラベ式典礼からローマ式典礼への移行には応え、イスパニアの教会改革を実施した。これによってイスパニア教会が独自の典礼を捨てローマへ一致する道は確定され、イスパニア教会史に一つの画期が訪れた。だが、1090年のレオン教会会議で西ゴート書体の使用が禁止され、カロリング書体が義務づけられたにもかかわらず、アルフォンソは西ゴート書体を使い続けた[202]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スカンディナヴィアの改宗 9世紀まで、スカンディナヴィアにおいてキリスト教が大きな影響力を持つことはなかったが、キリスト教の信仰と典礼はこの地域にかなり早く波及していた[203]。その信仰は西ローマ帝国の滅亡以前に遡るものもあるが、8世紀に形成された北欧とフランク王国などのキリスト教諸国との間の交易路が大きな影響を及ぼしたと考えられている[203]。8世紀の初頭にはイングランドの修道士であったウィリブロード (Willibrord) によるフリジア地方への布教が知られており、彼はデンマーク南部のリベ(Ribe)まで足を運んで、その地から30人の少年を連れ帰って教育し、彼らに現地語で布教させようとした[* 114][203]。また近隣のフランク王国は北方地域への布教を継続的に支援していた[203]。 9世紀初頭にフランク王国はザクセン戦争の結果エルベ川以南のサクソン人を服従させ、改宗を強制した[203]。このことはサクソン人と境を接していたデーン人に脅威を抱かせ、デーン人を率いていたゴッドフリード (Gudfred) はフランク王国に抵抗するが、810年に政敵によって暗殺された[203]。彼の死後は息子たちが抵抗を続けたが、フランク王国との宥和政策を主張するハラルド (Harald Klak) が台頭して内戦となった[203]。819年にフランク王国の支援を受けてハラルドが権力を回復すると、彼の支配領域で、ランスの司教エボ (Ebbo) の主導によってキリスト教布教が開始された[204]。ハラルドの権力はつねに脅かされていたために、彼はフランク王国の支援を必要としており、826年、彼はマインツでルイ敬虔帝の見守る中キリスト教へ改宗した[205]。彼はアンスカル (Ansgar) という修道士を伴ってデンマークへと帰還したが、1年後には追放された[205]。一方、829年にはスウェーデン東方にあったスウェーデン人 (svear) の王の要請でビルカにアンスカルが派遣された[205]。18年の歳月を要した彼の伝道活動は成功裏に終わり、ビルカの総督であったヘリガル (Herigar) を改宗させ、彼によって教会堂が建てられた[205]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 等族国家と公会議主義 アヴィニョン教皇庁 ゴシック建築を代表する。1316年にまず最初の建築がおこなわれ、クレメンス6世時代に増築された グレゴリウス改革以後、西ヨーロッパ教会における教皇首位権は確立された。教権の伸長はこの時期さまざまな局面での教権の世俗の領域への介入につながったが、封建君主たちの激しい抵抗に遭い、一連の政治闘争によって教皇権の根拠に対して厳しい批判の目が向けられるようになった。 この時期封建制国家は、特にイギリスとドイツで典型的に身分制秩序が発展し、身分制議会(これを等族議会という)が形成されるようになった。これは一方で貴族による王権の制限という形式を取ったが、同時に王権を中心とした王国単位での共同体を創設することにもなり、普遍的な世界の解体につながるものであった。このような身分制に基づく議会主義をとる国家を等族国家といい、ヨーロッパ中世後期に特徴的な国家様式であると考えられている。等族国家は西はブリテン島から東はポーランド、さらには聖地に作られた十字軍国家も同様の形態を取るが、その内実は地域によりかなり異なる。たとえばドイツでは大空位時代から諸侯の自立化が進み、カール4世の時代に金印勅書の制定によって国王の選挙制が確立された。重要な帝国法は帝国議会で決定されるのが常となり、典型的な等族国家を形成した。一方でフランスではカペー朝による王領拡大が諸侯領を破壊する形でおこなわれ、王国に対する国王の支配がより強力であったために、等族議会である三部会では当初から国王が主導的な役割を担い、国王の政策の道具として扱われる側面が強かった。 ともかくこのような等族国家は、各王国規模での政治社会を定着させることにつながり、中世的な普遍世界から絶対王政への橋渡しをする役割を担ったといえる。これは普遍的にキリスト教世界に影響を及ぼす教権の側から見れば、王国ごとに教会を分断しようとする動きとなり、危険なものであった。なぜなら皇帝権との対立が同じ普遍性の土台の上で戦ったものであったために教権の普遍性自体を疑うものではなかったのに対し、等族国家はまさに普遍性そのものを問題としたからである。ところでこのような代議制的統治の構造は、実に教会においてまず発展したものであった。そして教会においては教皇首位権に対する公会議主義の思想が展開されていくのである[* 115]。 フランス王権との対立、「アヴィニョン捕囚」とガリカニスム 寡婦なるローマ 教皇不在のローマを象徴的にあらわした図。アヴィニョン捕囚は教皇に対する不満を増大させ、また「捕囚」されている事実それ自体が教皇権威の失墜を意識させるものであった この時代、ドイツの皇帝にかわってフランス王権が台頭し、イタリアにも進出するようになり様々な局面で教権と対立するようになってきた。13世紀後半にフィリップ4世が即位すると、この国王と教皇の間で聖職者への課税権を巡って対立がおこった。教皇の側ではアエギディウス・コロンナが論陣を張り、一方のフランス王権を支持したのがパリのヨアンネスであった。ヨアンネスは聖職者は単なる精神的権威であるから世俗のことに関わるべきでないとして教皇の世俗への介入を批判し、一方で世俗国家を自然的社会の最高形態であるからその君主は教会による聖別を必要としないと論じた。 1302年にフィリップ4世は三部会を開いて等族諸身分の支持をとりつけ[* 116]、教皇ボニファティウス8世を捕らえてこれを憤死させた(アナーニ事件[* 117])。フィリップ4世はフランス人であるクレメンス5世を擁立すると、教皇庁をアヴィニョンに移転させた。以後70年間にわたり教皇庁はアヴィニョンにあってフランス王権の影響をうけることになり、この時代を教皇の「アヴィニョン捕囚」という。クレメンス5世の時代にはテンプル騎士団がフィリップ4世によって異端として告発され、クレメンス5世はこの異端裁判において教皇側のイニシアティヴを維持しようとした[* 118]が、結局はフランス王権に屈服し、ヴィエンヌ公会議ではっきりとした理由も示さずにテンプル騎士団の解散を宣言した。 このようにクレメンス5世はフランス王権の影響を強く受けており、グレゴリウス11世までの「アヴィニョン捕囚」期の教皇の立場は総じてクレメンス5世とあまり変わらなかった。カペー朝の断絶後、1337年に百年戦争が始まるとフランスは徐々に戦争により疲弊し、相対的に教皇庁は自立性を強めた。「アヴィニョン捕囚」期は続く教会大分裂時代とともに概して教権の没落期・低迷期と考えられる時期であるが、一方で教会の司法制度[* 119]が整えられ、教権の教会法上における権限の上昇が見られた。 この時代にガリカニスムという主張があらわれた。ガリカニスムとは「ガリア主義」という意味で、ガリアとはフランスのことである。この主張はフランス教会の教権からの独立を説くもので、その契機と考えられるのは前述したパリのヨアンネスである。このガリカニスムはとくに16世紀以降法学者たちの間でさかんに論じられるようになり、やがてイエズス会などの教皇至上主義と激しく対立して民族主義に近づいていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 皇帝との対立、そして「金印勅書」 14世紀の神聖ローマ帝国 この時代は代表的な家門の間で皇帝権の争奪がおこなわれていた。図中紫がルクセンブルク家の家領。図中オレンジがハプスブルク家の家領。図中緑はヴィッテルスバハ家の所領。このような家門どうしの皇帝権争奪に対して、教皇権はいずれかの候補を支持することで介入した 神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世はイタリア政策を積極的に進めようと皇帝代理をイタリアに派遣したが、このことがアヴィニョンのヨハネス22世を刺激し、教皇はイタリアにおける自身の権益が脅かされているものと認識した。ヨハネス22世はルートヴィヒ4世が教皇による国王としての、あるいは皇帝としての承認を受けていないにもかかわらず、国王として、また皇帝として振る舞っているとして批判した。ヨハネス22世は以上の論法からルートヴィヒ4世が教皇に服従することを求めたが、ルートヴィヒ4世が応じようとしないので、これを破門した。これに対しルートヴィヒ4世は選挙に基づく王権の独立性を訴えた。彼に理論的根拠を与えたのはパドヴァのマルシリウスで、『平和の擁護者』を著して法の権威を人民に求め、教会の介入に対して政治社会の自律性を主張した。教皇首位権に対しても聖職者の平等を訴えてこれに挑戦する内容であった。 ルートヴィヒ4世は1327年にイタリア遠征に出発し、ローマに入城して1328年にはローマ人民によって戴冠された。カール大帝以来、帝冠は教皇によって戴冠されるものと考えられていたのに対し、この新式の戴冠は明らかに同行していたマルシリウスの示唆によるものだった。ルートヴィヒ4世はヨハネス22世の廃位を宣言し、ニコラウス5世を擁立した。しかしニコラウス5世は皇帝がイタリアを去ると、1330年にはヨハネス22世に屈服した。その後もルートヴィヒ4世はオッカムのウィリアムなどの有力な理論的神学者を用い、ヨハネス22世とその跡を継いだベネディクトゥス12世、クレメンス6世との間で長い論争が続いたが、決着はつかなかった。 論争が続けられる一方、1338年に帝国法「リケット・ユーリス」が決議され、皇帝選挙の根拠が定められた。これは皇帝の位と権力が神に由来することを示し、選挙侯による選挙によって選ばれた者がただちに国王であり、皇帝であることを定めたもので、ドイツの国王位と神聖ローマ皇帝位に対する教皇の介入を徹底的に排したものであった。ルートヴィヒ4世の死後、ルクセンブルク家のベーメン王カールがカール4世として即位すると、金印勅書を制定して国王選挙権を7人の選帝侯に限り、さらにその選帝侯の権利はそれぞれの領国に結びつけられ、長子相続によることが定められた。これによりドイツ国王は教皇の承認を経なくても皇帝権の行使をおこなうことが可能となり、皇帝位がドイツ国王位と永久的に結びつけられたが、一方で選帝侯は領国内での無制限裁判高権、至高権、関税徴収権、貨幣鋳造権などの諸特権を獲得し、国王からの自立性を強めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イングランド王権との対立 イングランド王権と教権はジョン王の時代にカンタベリー大司教の選任問題をめぐって対立した。カンタベリー大司教ウォルターが1205年に死ぬと、その後継を巡って王とイングランド教会は別々の人物を後任としようとし、ジョン王は教皇インノケンティウス3世に仲裁を求めた。インノケンティウス3世はこの訴えに対し、王と教会両方を批判した上でスティーブン・ラングトンを大司教にするよう命じた。ところがこの決定にジョンは不満をあらわにした。というのもたとえば前任のウォルターの例をあげれば、彼はカンタベリー大司教であるとともに政治家でもあって、先代の国王リチャード1世が十字軍遠征に参加して不在の間、国内の政治をとって安定を守った。このようにカンタベリー大司教はイングランド国内にあって単なる宗教的権威にとどまらず、国王の重要な高級官僚としての役割も担っていたのであった。当時のイングランドにはカンタベリー大司教の選任には王の同意が必要であるという慣例[* 120]があった上、ラングトンはパリ大学出身の高名な神学者であったが、伝統的にイングランドのプランタジネット王家とフランスのカペー王家は対立関係にあり、フランスの大学出であることもジョン王には気に入らなかった。教皇はイングランドにおける全教会の聖務停止を科し、ジョン王は報復として教会財産の没収を命じた。この争いは1214年まで続けられ、結果イングランド王権は大司教選挙施行の許可権と選挙結果への同意権を確保したものの、ラングトンを大司教とすることを受け入れ、イングランド王が教皇の封臣となることを認めさせられ、さらに多額の賠償金を払うこととなった[* 121]。 エドワード1世 ウェールズを征服し、スコットランドにも遠征してブリテン島におけるイングランドの優位を確立させた。積極的な外征とその成功によって支持を集める一方、内政においても「模範議会」に代表される議会制度の整備や立法制度、司法制度などにも進歩をもたらした。しかし晩年には課税を巡って教会や諸侯と対立するなど政治的には危機的状況を迎えた このときジョン王の王権に対するイングランド諸侯の反発は最高潮に達し、マグナカルタを起草して王に承認を求めた。後述するマグナカルタの「保証条項」が王権の制限をもたらすことを危惧した王は直ちに拒否した。1215年5月5日諸侯は臣従誓約を破棄して反乱し、ジョン王は反乱諸侯の所領の没収を命じた。しかしロンドン市民が反乱に荷担し、彼らがここを拠点とするようになると、ジョン王は妥協を余儀なくされ、6月19日にマグナカルタが承認された。ところがマグナカルタは王権にとって不利であるだけでなく、教権にとってもあまり好ましいものでないことは明らかとなった。マグナカルタは伝統的に「保証条項」と呼ばれる箇所で、25人の諸侯が王国内の平和と諸自由に対して権利を持ち、責任を担うことを規定していたからである。このことはイングランド王が教皇の封臣となっていた当時、教皇権の裁治権を狭めるものであると考えられたからである[* 122]。教皇はマグナカルタを批判し、これに力を得たジョン王はマグナカルタを守らなかった。反乱諸侯はフランス王権に介入を依頼し、カンタベリー大司教など幾ばくかの聖職者もこれに荷担する様子を見せたので、いよいよ混乱が避けられぬかと思われた矢先に、1216年10月18日突然にジョン王は逝去した。息ヘンリー3世の即位にあたって、マグナカルタから「保証条項」が削除され、さらにこの修正版には摂政ウィリアム・マーシャルの印章と共に、教皇特使の印章が付与された。 一方でこの時期イングランド国内では議会制度が形成された。13世紀にはすでに大会議(グレート・カウンシル、"Great council")と小会議(スモール・カウンシル、"Small council")に分けられる封建的集会が存在し、裁判所としての役割をしていたことが知られるが、ヘンリー3世がわずか9歳で即位すると、小会議の役割が増大した。ヘンリー3世は成人して親政を開始すると、小会議に行政官やプランタジネット家の故郷である南フランス系の親族を参加させ、彼らを重用した。このことは諸侯との対立を招き、課税を巡って彼らと対立したためにヘンリー3世は一時的に妥協したが、税金が徴収されると結局は約束を破った。しかしヘンリー3世は一連の諸侯との交渉において何人かの固定した成員によって形成される常設の国王評議会(キングズ・カウンシル、"King s council")を認め、のちにこれが議会(パーラメント、"parliament")と呼ばれるようになった[* 123]。ヘンリー3世に不満を持つ諸侯がシモン・ド・モンフォールを中心に反乱すると、モンフォールは従来の成員のほかに各州より2名の自由民と各都市から2名の代表を集めて議会を開いた。結局乱は鎮圧され、これは定例とはならなかったのであるが、エドワード1世の時代、1295年の「模範議会 ("Model Parliament")」からは平民の代表が呼ばれることが規則となった。エドワード1世はこの模範議会で聖職者と平民に課税同意を求めたが、聖職者は教権に訴え、教皇ボニファティウス8世は教皇勅書「俗人は聖職者に(クレリキス・ライコス、"Clericis laicos")」を発し、俗権の教会課税にはそのつど教皇の認可が必要であり、違反に対しては破門を持って応じるとしたので、エドワード1世の意図はくじかれた。 14世紀半ばのエドワード3世の時代になると、イングランド教会に対する教権の支配に対して国内の聖職者からの反発が強くなってきた。というのも前述したように、この時期教皇庁はアヴィニョンに遷移させられてイタリア半島にある教皇領は周辺勢力に浸食されて慢性的な資金難にあえいでおり、収入の一環として聖職売買をさかんにおこなっていた。とくにジョン王以来教皇の教会支配が強まったイングランドでは聖職売買によって地位を得た外人聖職者を受け入れざるをえない状況が続いていた。国王と議会は1351年に聖職者任命無効令を、1353年に上訴禁令を出してイングランド国内における教権と教会法の影響を排除しようとした。これは教権との政治上の駆け引きにおいて有効な武器として使われることもあったが、実際に行使されたことはなかった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教会大分裂と公会議主義 教会大分裂 青がローマ教皇庁支持。赤がアヴィニョン教皇庁支持。緑のポルトガルは当初アヴィニョン支持だったが、ローマ支持に転じた 教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマへ戻し、アヴィニョンの時代は終わったかに見えた。グレゴリウス11世の死後、教皇選挙でウルバヌス6世が即位することとなった[* 124]。ウルバヌス6世は当初官僚的で温厚な人物だと考えられていたが、即位すると枢機卿に対し強圧的になった。その結果フランス人枢機卿がまずローマを去り、イタリア人の枢機卿たちも結局はこれに従った。彼らはしばらく教皇と交渉と試みたが、埒があかないことを悟ると、一転してフランス王の甥にあたるクレメンス7世を選出し、アヴィニョンに拠った。ここにローマとアヴィニョンに2人の教皇、2組の枢機卿団が並立する長い教会大分裂[* 125]が始まった(1378年〜1417年)[* 126]。 ヨーロッパの主要国は一方の教皇を支持して分裂した[* 127]が、このことは民族を中心にまとまり始めた各国家の利害が教会の内部の問題にも介在するようになったことを示していた。事実両教皇の死後も教権の分立状態は解消されず、主にフランス王権と神聖ローマ皇帝権の意を受けたそれぞれの教皇が並び立つこととなった。ローマではウルバヌス6世が死ぬと、ボニファティウス9世が跡を継ぎ、アヴィニョンではクレメンス7世の死後にはベネディクトゥス13世が即位した。このベネディクトゥス13世はフランス教会への支配を徹底しようとして、パリ大学を中心とするフランス人聖職者の反発を招き、フランス教会のガリカニスムの傾向をますます強めることとなった。 このような混乱のなか、譲歩しようとしない両教皇の態度に業を煮やした両教皇庁の枢機卿団は、公会議を開いて新しい教皇を選任し、この分裂を解消しようという動きを取り始め、公会議派が形成された。公会議派は1409年ピサ公会議を開き、両教皇の参加を求めたが受け入れられなかった。この公会議で公会議派は両教皇の廃位を宣言し、新たにアレクサンデル5世を選出した。これに対し、ベネディクトゥス13世はペルピニャンで、グレゴリウス12世はチヴィタレでそれぞれ自派の公会議を開き、ピサ公会議の決定を受け入れなかったので、ここに3人の教皇が鼎立することとなった。アレクサンデル5世は1年後に亡くなり、そのあとはヨハネス23世が継いだが、この教皇の評判は芳しくなかった。 皇帝ジギスムント 教会大分裂の解消に熱心であった。図中右の鷲の紋章はドイツ王権を、左の双頭の鷲の紋章は皇帝権を象徴する。彼はローマ王として単頭の鷲を、皇帝として双頭の鷲を印璽で用いた最初の君主であり、以後慣習として定着した。また図中の双頭の鷲の頭には光輪が見えるが、これもジギスムントによって帝国の神聖さの象徴として書き加えられることが定められた このときにあたって、ルクセンブルク家の皇帝ジギスムントは、教会の再統一に積極的な姿勢を見せ、ヨハネス23世を説得し、グレゴリウス12世の同意もとりつけて1415年にコンスタンツ公会議を開いた。このコンスタンツ公会議ではイングランドとフランスが百年戦争中で長い対立の中にあったこともあって、国民的な単位に基づく異例の投票形式が採用された。すなわち公会議での決定は個人単位ではなく、イングランド・フランス・ドイツ・イタリアの4つの出身団(ナツィオ、"natio")によりおこなわれ、1417年からはスペインの出身団と枢機卿団[* 128]が加えられて投票権を持つ集団は6つとなった。公会議の途中で教皇ヨハネス23世は出奔し、公会議は召集権を持つ教皇を失って一時危機を迎えたが、公会議派が中心となって公会議の決定が教権に優越することが主張され、公会議は教令「サクロサンクタ ("Sacrosancta")」を発してその正当性を保持することに成功した[* 129]。 しかし会議は難航した。フスなどの異端運動に対する問題や、教会改革を声高に主張する急進者と反発する保守派、そして国民間の対立や神学者同士の理論上の対立[* 130]が持ち込まれることもしばしばであった。さらに公会議に教皇の選任権があるのかという問題も紛糾した。とにかくこの公会議はさまざまな論争と政治的駆け引きに翻弄され、長引いたものの、鼎立した3人の教皇を廃位し、あらたにマルティヌス5世が選任されることで一致した。こうして教会大分裂は終わったが、一連の過程のなかでもはや普遍的であると信じられていた教会のなかでさえ、国民性が影響力を増していることが明らかとなった。教会大分裂の時代にもカトリック教会の統一が維持されたことは、普遍的な教会が未だ求心力を失っていなかったことを示しているが、国民的な単位を通して世俗の権力が教会に対する支配を強めたことは確かであった[* 131]。 教会大分裂 主な教会会議ローマ教皇庁アヴィニョン教皇庁公会議派 ウルバヌス6世 (1378-1389)クレメンス7世 (1378-1394) ボニファティウス9世 (1389-1404) ベネディクトゥス13世 (1394-1417) インノケンティウス7世 (1404-1406) ピサ教会会議 (1409年)グレゴリウス12世 (1406-1415)アレクサンデル5世 (1409-1410) コンスタンツ公会議 (1414-1418)ヨハネス23世 (1410-1415) マルティヌス5世 (1417-1431) 現在の教会史では、ローマ教皇庁の教皇(図の黄色)を正統として数え、それ以外の教皇は対立教皇としている。(M・D・ノウルズほか著、上智大学中世思想研究所編訳『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』講談社、1991年などを参考に作成) [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王権の超自然的権威の獲得過程 中世を通じて王権はキリスト教的な至上権から普遍的な支配権を主張する皇帝権・教権に対抗しうる神聖性、霊性を民衆の心性のうちに獲得しようとし、実際に王権はある種の霊威、あるいは超自然的権威を位置づけることに成功した。このような霊威は当初、偉大な王の個性に基づいて「一代限り」のものであると考えられていたが、徐々に世襲されるようになり、儀礼も備えて王権とそれを世襲する王家に一種のカリスマを付与することになった[* 132]。宗教的儀式によって、王は半聖職者的性格や奇跡的治癒能力を付与されると解釈され、王は聖職者に対しては優位性を主張しえたからである[206]。霊威は、王権が教権に対して一定の自立性を示す根拠となった[* 133]。 イングランド、エドワード懺悔王の霊威 イングランドにおける国王の霊威をあらわす初期の例は、ノルマン朝のヘンリー1世によるもので、王はおそらく瘰癧患者にその手で触れることにより治療をおこなっている。この王権による瘰癧治癒能力は、おそらく後述するカペー朝がすでにおこなっていた瘰癧治療に対抗するためにエドワード懺悔王の説話を用いて設定されたもので、カペー朝の王権に対抗するためのものであったと考えられている。つづくプランタジネット朝の時代にはヘンリー2世がすでに瘰癧治療を「御手によって」おこなっているのはほぼ確かで、エドワード1世時代には治療を受けた者に王が施しをするのが明らかになっているので、会計記録からその集計を知ることができる。この瘰癧治癒の霊威の根源は国王が塗油され聖別されたことに由来するとされた。 エドワード2世のころから別種の奇跡、指輪の奇跡がイングランド王権の儀式にあらわれる。これは毎年復活祭直前の金曜日に、王がまず一定の金銀を寄進した上で、それを買い戻し、買い戻した元の寄進の金銀で指輪を作るという儀式で、こうして作られた指輪は痙攣や癲癇の病人の指にはめられると、病をいやすと考えられていた。この儀式では当初、寄進された金銀が聖性を帯びると考えられ、王権は直接に霊威の由来とはされなかったのであるが、テューダー朝のヘンリー8世のころには塗油された王権に由来するものと考えられるようになり、この時期にはすでに儀式において「買い戻し」の行為が省かれていた。指輪の奇跡は宗教改革の時代に批判に晒されるようになり、エリザベス1世によって廃止された。 一方で瘰癧さわりのほうはしばらく存続した。ステュアート朝初期には熱心に瘰癧さわりがおこなわれたが、オランダ人であったウィリアム3世はこの儀式に否定的で患者に触ろうとはしなかった。つづくアン女王は瘰癧さわりをおこなったが、ハノーヴァー朝以降全くおこなわれなくなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランス、聖マルクールの霊威 百合紋 フランス王家の紋章。14世紀半ば頃に百合紋を巡って一つの説話が作られた。"ある日、クローヴィスがコンフラとの決闘の準備をしている時に従者に甲冑を取りに行かせると、甲冑に普段の三日月紋にかわって、青地に百合が3輪描かれている。4度別の甲冑に取り替えさせるが、いずれも同様の百合紋がついている。そこでしかたなくこれを着て決闘するとクローヴィスは勝利を収めることができた。じつはこれはキリスト教徒であった妃クロティルドの計らいで、妃は百合紋を用いて決闘に向かえば勝利するであろうとの啓示を受けていたのだった" フランスではカペー朝の初期、フィリップ1世がおそらく瘰癧さわりをおこなったと考えられている。フィリップ4世の時代にはフランス全土ばかりか、全西ヨーロッパ規模でこの「瘰癧さわり」は評判となっており、教皇領であるウルビーノやペルージャからも治癒を求める民衆がやって来ていることが確認されている。また中世を通じて医学書に瘰癧の治療法としてこの「瘰癧さわり」が記述されていた[* 134]。一方でルイ6世の時代には王旗や王冠がカール大帝の伝承にむすびつけられ、カロリング朝とフランス王権の間に観念的な連続性を生じさせた。 フィリップ4世のころには、この瘰癧さわりがクローヴィスの洗礼に由来する[* 135]塗油された王の霊威によるものという観念があらわれている。そしてこの伝説はランス大聖堂にクローヴィス以来の聖香油が聖瓶(サント・アンブール)に保管されており、王の即位式で王は聖香油を塗油され聖別されるという観念につながった。 中世末期になると、この瘰癧さわりに別個の聖マルクールの瘰癧治療信仰が混入し、区別がつかなくなった[* 136]。ヴァロワ朝のフランソワ1世の時代には、王の瘰癧治癒能力がこの聖者に由来するという観念が一般化していた。フランス王はコルブニーにある聖マルクールの遺骨の前でミサをおこなう際に瘰癧さわりも施すようになり、それを目的として参集する病人が年々増大した。 フランスの「瘰癧さわり」はブルボン朝のルイ16世の時代まで熱心に続けられていたが、フランス革命が起こると王は神授権説とともにこの慣習も捨てることとなった。これ以降はシャルル10世の時代に「瘰癧さわり」の復活が試みられているが、王自身も否定的であったので1825年に一回おこなわれたのみでこれが最後の事例となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の宗教的権威への挑戦 このような王権の超自然的権威はローマ教皇の宗教的権威、具体的には教皇勅書「唯一の、聖なる(ウナム・サンクタム、"Unam sanctam")」への挑戦であった。この教皇勅書はボニファティウス8世により出されたもので、教皇は世俗的領域と宗教的領域の両方で、至上権を有していることを述べていた。以後歴代教皇はこの勅書を基本的に踏襲し、教皇首位権を擁護する聖職者・神学者たちはこれをしばしば引用したばかりか、ややもすれば拡大解釈して教皇の特権を強調した。 王権の「瘰癧さわり」に関してはしばしば異端の疑いを受け、また宗教的権威において、教権に対しての王権の優位性を根拠づけることに成功したとは言い難いものの、中世の後期には民衆の間でこの慣習が広く受け入れられていたことは事実である。またこのような王権の超自然的権威が、一方で近代的な意味での国民的な感情に結びついていたことを見逃してはならない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ) 中世前期、皇帝派の著述家たちはしばしば王が霊的な権能を有していることを主張した[* 137]。それに対し、教皇派の著述家たちは王権の聖職者としての性格を拒否した。王は純粋に世俗的で肉体的な自然的身体を持つ一方で、王として塗油された瞬間から他の世俗的権力者を超越する霊的身体を持つと考えられ、皇帝派によって大いに喧伝された[* 138]。教皇派は「王に対する塗油が、司教に対するものと違って、魂に何の影響も与えない」[* 139]として、前者の考えを否定した。 中世後期にいたると、王の霊的権能のほとんどは名目的な称号や役職へと退化していたが、それでも著述家たちは王が単に世俗的な支配者であるに留まるわけではないことを強調した。これには中世に発達した法学の影響があり[* 140]、王はあらゆる法的義務から超越し、正義の源泉であると考えられた。その過程において、王権は王個人と区別して観念されるようになった。法学者たちは、王には自然的身体と政治的身体の二つの身体があり、自然的身体は可死的な王の生まれながらの身体であるが、政治的身体は不可死かつ不可視で、政治組織や政治機構からなり、公共の福利をはかるために存在していると考えた[* 141]。 清教徒革命時には王個人の行動が政治的身体である王権に反するものであるとして、議会の王への反抗が正当化された。彼らは「王 (King) を擁護するために王 (king) に対して闘え」と叫び、さらにチャールズ1世を「大逆罪」で処刑することもできたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カトリック大国、スペイン 16世紀に新しい大国が西ヨーロッパの政治舞台に登場した。イベリア半島のスペインとポルトガルである。両国とも盛んに海洋進出をはかり、新大陸・アジアなどへの航路を確保しながら広大な植民地を獲得していった。またこれらの地域への布教活動においても重要な役割を担った。ヨーロッパにおける教権との関係でいえば、スペインはとくに重要な個性としてヨーロッパ政治史に固有の位置を占めることになる。 王権によるスペイン教会の掌握 異端審問 ゴヤによる1815年ごろの作。異端を疑われた者は図のような高い帽子を被らされた カスティリャ王国とアラゴン王国の合同によって成立したスペインは、レコンキスタを完成してイベリア半島からイスラームの勢力を駆逐すると、国内の宗教的統一をはかるようになった。当初は征服地のイスラム教徒であるムーア人に信仰の自由を許していたが、彼らが反乱したのを理由に1501年、ムーア人に信仰を守って移住するか信仰を捨てて洗礼を受けるかの二者択一を迫った。またユダヤ教徒を国内から追放し、キリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソ)についても密かにユダヤ信仰を守っているのではないかという疑いをかけていた。 イサベル1世とフェルナンド2世は、王国の安定のためには国内の宗教的統一が不可欠であると考え、教皇に要請して1478年スペイン異端審問所を設けた[* 142]。この異端審問所では当初から国王が全権を握り、スペイン教会における王権の影響力を高めて事実上教権からの自立を勝ち取ったばかりか、王権による国家政策の一環として政治目的にも利用されるようになった。さらに支配下のナポリ王国に教皇が領主権を主張すると、これに激しく反発して一時は教皇と断交寸前にいたった。つづくカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の時代にはサンティアゴ騎士団長の位が王家によって世襲されることを定め、国王は国内の宗教的権威と権限を掌握した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イベリア半島におけるキリスト教文化の興隆 この時代スペインではキリスト教文化においても大きな前進が見られた。具体的にはルネサンスの人文主義の成果が取り入れられ、先進的な神学校や大学などの教育機関がスペイン各地に設けられた。この時代のスペインのキリスト教アカデミズムを代表するのがメンドサとシスネーロスである。 メンドサは1492年のグラナダ攻略の際にスペインの首座大司教であり枢機卿であった人物で、宗教教育推進のためにキリスト教教育書を書いた。シスネーロスはアルカラ・デ・エナーレス大学を創設し、ここには当時の主要な神学、トマス派、スコトゥス派、唯名論などの講座が設けられ、ギリシア語・ヘブライ語も学ぶことができた。さらにここでは聖書原典の編纂事業が行われ、『コンプルトゥム多国語対訳聖書』が著された。これらスペインでのキリスト教文化の発展は、人文主義に対する一定の寛容をもたらし、とくにエラスムスの著作はこの地域で大変な人気を博し、よく読まれた。このことはのちの宗教改革において、この地域での宗教改革派の影響が軽微に止まる原因の一つともなった。 ポルトガルでは、1554年にイエズス会の手によって、エヴォラ大学が創設された。エヴォラ大学は、中世以来のコインブラ大学に対抗し、近代的な大学であったが、一方で科学の自由な知的探究を排し、講義はラテン語でおこなうなど現地語主義を抑圧した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 中世の民衆信仰 中世を通じて、支配者や聖職者の知的な宗教世界とは別の次元で、民衆の間にも独自の信仰が展開されていた。このような民間信仰は民衆の日常生活や伝統的な世界観と結びつき、ときには集団的な様相を取って大きな宗教的運動に結びついた。ここではキリスト教がいかに中世のヨーロッパの一般民衆の生活に根付いていったかを概観する。 魔術的な神から摂理的な神へ 王としての「キリスト」 フェルナンド・ガレゴによる15世紀の作品。紀元1000年ごろから、威厳を持った王の姿で表されるキリスト像が現れる ゲルマン人の間にキリスト教が受容された当初、「神の全能」は多分に魔術的に解釈されていた。たとえばクローヴィスは妻クロティルドにキリスト教への改宗を薦められると、キリスト教の神が彼の戦勝に貢献するなら、信仰を受け入れようと約し、勝利を得た後に改宗した。これはゲルマン神話の戦争の神オーディンがルーンを習得して魔法を使う魔術の神であったことを考えれば、魔術的な神への信仰としてキリスト教を見ていたことになる[* 143]。中世初期には、聖職者はしばしば魔術的な力を持つと信じられた。聖職者は民衆から尊敬の眼差しで見られる一方、魔術師として恐れられ嫌われた。11世紀のデンマークでは、聖職者は天候に対して魔術的な力を持つと信じられ、天候不順であった際には迫害を受けた。13世紀フランスでは、ある村で疫病がはやった際に、司祭を犠牲にすることで村を救おうとした事例がある。11世紀のグレゴリウス改革において教会が排除しようとしたのは、王権の奇跡能力と、聖職者に対するこのような魔術的迷信であった。グレゴリウス7世は王や聖人の奇跡を否定する一方、デンマークで天候不順の際におこなわれた聖職者への迫害を非難している。 しかしながら中世を通じて、神の起こす奇跡は自然法則を超えることができると信じた民衆の心性は、ほとんど変わることがなかった。例えば王権の超自然的な奇跡能力への信仰は、中世後期にむしろ強められさえし、聖人への信仰は特定の奇跡と聖人を結びつけ特殊化する方向に進んだ[* 144]。一方で民間信仰とは別個の次元で、教会は奇跡を神学的に論じ、神の摂理の合理的な体系の中に位置づけた。すなわち教会はある人物を列聖する際には、その人の起こした奇跡をその生涯と奇跡のあらわれ方から吟味して、聖人とするかどうかを決定するようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和 10世紀末ごろから、従来の信仰形式とは異なった、いくつかの大衆的な宗教運動が現れた。 このころ従来の修道院とは異なった形で、よりイエスのあり方に近い修道生活を目指す運動がおこった。この運動の淵源は東ローマ帝国に近い、南イタリアのカラブリア地方のギリシア系修道士たちの生活に端を発し、南イタリアにイスラム教徒が攻撃を加えるようになると、彼らは難を避けて北上した。11世紀になると全ヨーロッパ規模で、この新しい運動に基づいた修道院設立が活発化した。とくに影響が大きかったのは13世紀に現れたアッシジのフランチェスコで、彼の清貧運動には在俗の多くの信者が共感し、ともに貧しい生活を営んだ。同時期に同様に清貧を唱えた異端のワルドー派も多くの在俗信者を獲得した。このように聖職者の貴族的な共同生活であった修道生活が、イエスの清貧という理想を通じて、民衆の間に広く受け入れられた。 信徒たちの母として描かれた聖母マリア(1445年ごろ) 12世紀西欧では、聖母信仰が流行した。聖母マリアのイエスを失うという悲劇的な体験が、イエスと贖いの苦しみを共有するものと観念されたからである。聖母マリアは普遍化され、「神の母」としてキリスト教社会のすべての信徒を包み込む存在とされ、厚く尊崇されるようになった またこのころ、聖遺物や聖人に対する信仰が高まり、各地に収められた聖遺物や聖人の故地への巡礼がさかんとなった。サンティアゴ・デ・コンポステーラや聖地エルサレムへの巡礼は大衆運動となった。のちには十字軍運動と結びついて、多数の信者が十字軍に参加したり、特に少年十字軍に代表されるように、自発的に大衆の十字軍が組織されたりもした。西ヨーロッパの交通網は11世紀までにまず聖地のネットワークとして形成され、徐々に定期市や港湾にネットワークを広げ、その拠点には金融市場が形成されるようになった。こうして成立した中世の交通網は古代のローマ帝国の街道網とはかなり異なったものであった[207]。 10世紀末の南フランスでは、フェーデに代表される封建的な私闘を、破門を威嚇に用いることで抑制しようという「神の平和」運動が起こった。これは封建的私闘の悪弊から、農民の財産や労働、商人の活動を保護しようという意図をもち、平和攪乱者に対して破門を下すとともに、農民が武器を持って戦うことも正当化するものであった。この「神の平和」運動は11世紀前半には全フランスに広がり、やがてドイツにも伝播した。ドイツではこの平和運動に王権が積極的な役割を演じ、時期を限ってフェーデを禁ずるラント平和令を出した。このラント平和令はのちには永久化されて、中世的な自力救済に基づいた私刑主義を非合法化し、公権力を創出するものとなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト像の変容と聖母信仰 キリスト教が西ヨーロッパ社会で広がっていく過程において、イエス・キリストとその母マリアのイメージも大きく変容した。 まず紀元1000年ごろから「子なる神」イエスに対する関心が非常に高まり、とくに厳しい審判者として、あるいは威厳ある王としてのキリスト像が頻繁につくられるようになった。ところが12世紀ころから、今一度キリスト像に大きな変化が見られ、貧しく苦しみに満ち、貧者の味方である人間性豊かなイエスの像も数多く見られるようになった。このキリスト像を、その清貧の姿勢と聖痕の奇跡によって体現したのが、アッシジのフランチェスコであったといえる[208]。 最近のカトリック教会による教義の明確化[* 145]にいたるまで、教義上は確固とした位置を占めなかった聖母についての数々の信仰もこの時代に成立した。まず12世紀ごろに聖母マリアも死後昇天したという「聖母の被昇天」信仰があらわれ、14世紀にはキリストを宿したマリアが原罪を背負っているはずはないとする「無原罪の御宿り」信仰があらわれ、激しい論争の種となった。聖母は「子なる神」イエス・キリストの母として、信者とイエス・キリストの間をとりなす特別の存在として尊崇を集めた。12世紀には祈祷文「アヴェ・マリア」が成立している。このような聖母マリアへの特別の尊崇は、ときに彼女をキリストの贖罪になくてはならず、贖いの補足者と見なす見解にもつながったが、教会は一貫してこの見解を斥けている[* 146]。この聖母信仰は、のちに宗教改革派によって攻撃の的とされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革前思想史 宗教改革は思想史的に言えば、突然に起こったものではなく、宗教改革諸派の思想は基本的に前代のさまざまな異端思想や人文主義思想と共通する点が多い。したがって宗教改革は思想面での革新性を示したというよりは、むしろ中世を通して堆積してきた政治状況に注意すべき点があるといえる。国家と宗教の関係についていえば、これらの思想はこの問題を直接的に扱い、論じているものが多い。宗教改革を巡る政治状況については後述するが、ここでは思想史的背景から宗教改革の前思想ともいうべき様々な思想傾向を概観する。 近代思想の先駆(1):パドヴァのマルシリウス イングランドの異端思想、ウィクリフとロラード派 思想上の接点は必ずしも明確ではないが、ロラード派はイングランドの宗教改革運動にある程度の影響を及ぼしている 詳細は「パドヴァのマルシリウス」を参照 パドヴァのマルシリウスの『平和の擁護者』(1324年)は、しばしば近代的な人民主権理論の先駆として言及される。この著作においてマルシリウスは世俗社会に対する教会の介入を批判し、当時の皇帝ルートヴィヒ4世と教皇ヨハネス22世の間の論争において皇帝側を擁護する論陣を張った。 さて、マルシリウスが人民主権理論の先駆とされる理由は、法の強制力は公民の同意に基づくと述べたためである。つまり『平和の擁護者』において、強制力を持つ実定法こそが真の意味の法であり、翻って実定法がなぜ強制力によってでも守らなければならないものであるかといえば、実定法がある時点で人為的に、公民の意志に基づいて制定されているからであるという論が示されている。支配者はこうして強制的に法を執行することが可能であるが、一方で人民に対して責任を持つ。 マルシリウスによれば、実定法である法には、次のような性格が明瞭である。 法の対象は外的な行為に対してであって、信仰などの内面に関わらない 神の法は窮極的な原因であるが、世俗の法には直接的に関わらない 国家における正義および利益の実現を目的とする 支配者の安全、統治の継続に資する とくに 1. 2. については明瞭に政教分離の考えを述べている。 マルシリウスは教皇権の批判にも筆を進め、教会がキリスト教徒全体の共同体であるとし、そうであるならば、教皇権はキリスト教自体に全く根拠を持たない歴史的な産物であるとし、本来聖職者は平等であるべきで、教義の問題は教皇ではなく公会議によって決めるべきだとした。このマルシリウスの主張は公会議主義の有力な根拠となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代思想の先駆(2):ブリテン島の科学主義、唯名論の系譜 詳細は「ロジャー・ベーコン」、「ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス」、および「ウィリアム・オッカム」を参照 12世紀から13世紀にかけてスコラ哲学は完成に向かい、それはトマス・アクィナスによって一応なされたのであるが、そのトマスと同時代のイングランドでは、オックスフォード大学を中心として、すでにスコラ哲学の解体へと向かう運動が始められつつあった。14世紀に入ってからの後期スコラ学の時代には、パリ大学ではアヴェロエス主義[* 147]的な傾向が強まったのに対し、オックスフォード大学では、すでにアリストテレスに基づいた論理や概念は必ずしも尊重されず、より正確な論理的方法や概念が探究されるようになり、経験主義的な傾向が強まった。 オッカムのウィリアム 唯名論に基づいた著作が異端とされ、1328年破門されると、ルートヴィヒ4世のもとへ逃亡し、『教皇権に関する八つの提題』を著して教権を攻撃した。このなかで注目されるのは聖書の啓示を万民に許されているという思想で、のちの宗教改革を先取りしている オックスフォード大学における経験主義の先駆としてはロジャー・ベーコンがまず挙げられる。彼はトマス・アクィナスの同時代人であるが、アリストテレスを信じず、それに依拠しないで自ら実験して数学的な知識に基づいて研究し、錬金術も行った。ベーコンによればトマス・アクィナスのような神学は、経験的でないから学問に値しないものであった。 ベーコンの半世紀後に登場したドゥンス・スコトゥスは、ベーコンとは逆に、トマス・アクィナスが演繹的でないという批判を行った。スコトゥスによれば学問とは必然的で論理的な内容を持つものであるべきで、神の問題は厳密に言えばこのような論理的な積み上げによって得られる知識ではないから、神学が学問の中心的分野になることはおかしいとして、トマスの「神学は哲学の婢」という考え方を批判した[* 148]。 オッカムのウィリアムはドゥンス・スコトゥスの考えを発展させ、普遍的なもの(抽象)は名辞によってしか知られず、事物の本質はそれぞれの個体(具体)に存するという考えを唱えた(「唯名論」)。これはつまり「人間という観念がまずあって、それを基に個々の人間が存在する」のではなく、「無数の人間がまずあって、それらの共通点を抽象化したのが人間という観念である」という考え方である。この考えを拡張すると、この世界が合理的な秩序に基づいているという神の摂理を主張する立場が否定され、神の秩序なるものは、所詮神が個々に命じた個別的な意志の集積に過ぎないとする考え方に到達する。これはジャン・カルヴァンの「神中心主義」に近い考えである。 さらにオッカムのウィリアムは前述のパドヴァのマルシリウスと同じくルートヴィヒ4世に仕えて、反教権論を展開したのであるが、その思想はより原理主義的で、のちの社会契約説を先取りしている面がある。パドヴァのマルシリウスがアリストテレスに基づいて、国家を家族から発展した自然の共同体と見ているのに対し、オッカムのウィリアムは国家以前の自然状態を論じ、公共の福祉、共通善の実現のために契約によって国家が成立したのだと論じた。オッカムのウィリアムはさらに、マルシリウスにおいては不徹底であった人民主権的な考え方をより鮮明に打ち出し、国家が契約に基づくのであるから、立法には公民全体が参加すべきであるという考えを説いた。そして、オッカムのウィリアムは自身の理想とする政治社会のアンチテーゼとして現実の教会を批判した。教会においては教皇が異教的なローマ皇帝の制度に依拠して、本来は万民に開かれているべき権限を独占し簒奪している。神の啓示は本来聖書の中に記されているはずなのに、教会や教皇はそれらをみだりに読むことを禁じ、信徒から遠ざけている。本来であれば聖書を読める者なら誰でも、神の啓示に参加できるはずである。オッカムのウィリアムの考えは宗教においてもマルシリウスよりラディカルであり、公会議主義にも否定的である。彼によれば公会議もやはり教会という限られた共同体の聖職者に限られ、信徒全体に依拠するものではないから不完全である。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(1):ウィクリフ 詳細は「ジョン・ウィクリフ」および「ロラード派」を参照 しばしば宗教改革の先駆として引用されるウィクリフは、オックスフォード大学に学んだイングランドの神学者で、1374年ころからイングランド王権と教皇庁の課税権を巡る論争に現れ、イングランド王権を擁護する主張を繰り返すようになった。ウィクリフの主張は課税権にとどまらず、やがて教皇の聖職叙任権にも向けられ、さらには教会は布教に必要最低限の財産しかいらないと述べて、教会財産の没収にまで言及するようになった。教会はウィクリフを異端審問にかけたが、王権や民衆の側から圧力が加えられ、ウィクリフは解放された。 こののちウィクリフは教義の批判に進み、アウグスティヌスに基づいて予定説を唱えた。彼は真の教会が目に見えないもので、あらかじめ救済が予定されている者によって構成されているのに対し、可視的な教会はすでに堕落しており、聖書のみに基づいたキリスト教の原始的な信仰に戻るべきだと説いた。 1384年にウィクリフは死ぬが、そののちコンスタンツ公会議で1415年に異端とされ、死体が掘り起こされて焼かれた。ウィクリフの教えに従って聖書を尊重するロラード派(あるいはロラーズ、"Lollards")という一派を生み、一時はオックスフォード大学などを中心に広まったが、のちに徹底的に弾圧された[* 149]。彼の思想は直接的には次のフスにつながり、宗教改革やイングランドのキリスト教解釈にも影響を及ぼした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(2):フス エラスムス 16世紀前半にヨーロッパで広汎な影響力を持った人文主義者。中世を通じて教会が聖書解釈を独占していたが、エラスムスは独自のギリシャ語新約聖書を出版し、大変な人気を博した。ルターによって宗教改革が始まると、予定説と領邦教会制を批判し、人間の自由意志と全ヨーロッパ的なキリスト教共同体を擁護した。彼は領邦教会制がキリスト教の世俗権力への従属に他ならないことを批判し、ヨーロッパに平和がもたらされるためには全ヨーロッパ的なキリスト教共同体が不可欠なことを主張した。彼は信仰の自由、聖書解釈の自由、キリスト教徒の平和共存を説いたが、宗教改革が激化するとプロテスタント・カトリック双方から槍玉に挙げられるようになった 詳細は「ヤン・フス」および「フス戦争」を参照 フスは貧しい農民の出身で、オックスフォード大学で勉強し、のちにプラハ大学の教授となった。フスはウィクリフの思想に影響されて個人の信仰を重視して教会を否定的に考えるようになった。 神聖ローマ皇帝カール4世の時代にボヘミアは文化的な隆盛を迎えた。この統治者のもとでプラハは独立の大司教区となり、プラハ大学を創設した。プラハ大司教や高位聖職者はカール4世の後ろ盾になり、宮廷で行政に携わったが、のちにこのような一部の聖職者に富が蓄積される傾向が、世俗貴族や下級聖職者の批判するところとなった。このころのボヘミアでは少数でありながら影響力の大きいドイツ人移民と土着のチェック人の間で対立がおきており、その構造はプラハ大学でも同様で、ドイツ人の同郷団[* 150]は3つあったのに対し、チェック人のは1つしかなかった。またチェック人の同郷団はウィクリフ派であったが、残りの同郷団は反ウィクリフ派であった。このことがしばしばプラハ大学でも大きな分裂を引き起こしたが、1409年に皇帝ヴェンツェルはドイツ人の同郷団が皇帝の意向に背いたために、勅令を出してチェック人の同郷団を優遇すること[* 151]とし、これを不満に思ったドイツ人学生はライプツィヒに移住し、ライプツィヒ大学が分離した。そしてライプツィヒのドイツ人はフスを異端だとして突き上げた。 フスは破門を宣告されるが、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とした。またウィクリフに従って予定説を論じたが、ウィクリフとは異なって聖職位階制に対しては否定しなかった。ヴェンツェルの弟で、皇帝であったジギスムントはこの宗教問題を平和的に解決しようとコンスタンツ公会議に出席するようフスを説得し、教皇も破門を一時的に留保したのでフスは公会議に参加した。しかしこの公会議でフスは異端と宣告され、火刑に処された。フスが死んだとはいえ、ボヘミアではフスの人気は根強く、貴族たちの間では反カトリックの同盟が結成された。 ヴェンツェル死後にジギスムントがボヘミアを相続することになると、ボヘミアのフス派はいよいよ反抗的になり、皇帝はボヘミア征服のために十字軍を結成しフス戦争がおこった。フス派はヤン・ジシュカ率いる急進的なターボル派(英語版)を中心としてジギスムントの十字軍を何度も撃退し、一時は一方的に国王の廃位を宣言してフス派のボヘミア国家を事実上実現させるなど大いに盛んとなった[* 152]が、やがてフス派の穏健派が中心となって皇帝と和解し、皇帝を国王として認め、バーゼル公会議でカトリック教会に復帰した。しかしボヘミアは以後もカトリック教会においてほとんど独立した状態を維持していた。 戦争の影響で教会や修道院が大きく衰退し、聖職者は議会において影響力を失い、ボヘミアの議会は貴族と都市市民が参加する世俗的な身分制議会を形成することとなった。またドイツ人が多く域外へ脱出し、チェック人の勢力が強まり、チェコ語の礼拝が重視されるようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 人文主義の宗教観:エラスムス 詳細は「デジデリウス・エラスムス」を参照 エラスムスは15世紀末から16世紀前半にかけて、ヨーロッパに最も影響を及ぼした人文主義者の一人であった。エラスムスはパウロの「ローマの信徒への手紙」に影響を受け、聖書を自ら再検討しようと考え、ギリシア語を学んで『校訂ギリシア語新約聖書』を著した[* 153]。これは印刷術の進歩による後押しもあって当時広汎な地域に流通し読まれた[* 154]。 エラスムスは教会の腐敗と信仰における聖書の重視を訴え、教会が聖書解釈を独占しようとして一般信徒に聖書を調べることをしばしば禁じていることを批判し、一般信徒が理解しやすい自国語で聖書に書かれた福音を聞くことがキリストの御心に沿うものであることを主張した。この面でエラスムスはのちの宗教改革者と同じ平面に立っていたが、彼は教皇首位権の普遍性を疑っておらず、また宗教改革派が世俗権力と結びつく傾向を見て、これを公然と批判するようになった。またエラスムスとルターの教義解釈において、決定的な相違点としては自由意志の問題がある。ルターは「ローマ信徒への手紙」とアウグスティヌスに影響されて予定説に基づいた信仰義認説にいたったが、そこではただ「信仰のみ」が救いに至る道であるとされたのに対し、エラスムスは大部分の人文主義者と同じように信仰における自由意志を信じていた。ともかく両者はこのように、教会の腐敗への批判と聖書の重視という点では一致していたが、その教義上の立場も政治上の立場も全く異なるものであった。 エラスムス自身は教会の普遍性を信じ、カトリックとプロテスタントの統一に尽力したが、エラスムスの死後に宗教改革がますます激しさを増すと、当初は広汎に聖職者の支持を集めていたかに思えた[* 155]彼の著作が宗教改革派との共通点を指摘されて、1546年、トリエント公会議で禁書処分にされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代社会とキリスト教(1500年〜1800年) ルター 「95カ条の論題」を発表[* 156]して贖有がもたらす宗教的危機を指摘した。これは当初の予想をこえて教義論争に発展し、1520年にルターは三大文書、『教会のバビロン捕囚』『キリスト者の自由』『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』によって改革の理論と実践を固めた。とくに『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』で諸侯に、その職務に基づいて改革運動に加わるよう呼びかけたことは、ドイツ国内の政治問題への宗教改革の関与を規定することになった 宗教改革は純粋に宗教内での問題から出発したにもかかわらず、すぐに世俗的問題と結びついて近代国家の成立を基礎づけたばかりか、近代思想にも影響を及ぼした。宗教改革が主権国家を単位として宗教生活を規定する方向に進んだことは、普遍的なキリスト教世界に立脚していた一つの教会という理念を破壊し、教権の基盤を脅かした。近代にはいると、すでに教権は各主権国家に対して優位性を主張することができなくなり、今日まで続く国民を単位とした政治社会が形成される。一方、思想面においては内面の自由、良心の自由が確立され、近代政治思想における基本概念の一つとなっていった。 宗教改革(プロテスタント側から) 詳細は「宗教改革」および「プロテスタント」を参照 1517年アウグスティノ修道会士であったルターによって「95カ条の論題」が発表され、宗教改革が開始された。発表当初は贖有状を巡る僧職どうしの内輪もめと世間に受け取られていたが、やがて教皇首位権が主要な争点になると、人文主義者も続々この論争に関与するようになった。 神聖ローマ皇帝カール5世とエラスムス派の人文主義者、穏健的なカトリック聖職者の姿勢はこの論争に際して宗教の統一を重視し、プロテスタントとカトリックの歩み寄りを期待した。実際両陣営において当初から妥協と和解が不可能ではないことが認識されており、教義においてはルターの思想がカトリック的であることは当時も後にも様々な局面で指摘された[* 157]。一方教皇クレメンス7世とその後継者パウルス3世はプロテスタント側への歩み寄りが教皇首位権の破壊につながることを警戒して和解を拒否し、カール5世を警戒してドイツの分断を狙うフランス王、バイエルン公もこれに同調した。ルター派の側もザクセン選帝侯などが政治的理由から硬化した態度を取り、ルター派の基盤が形成されると当初は寛容的な態度も持っていたルター自身も非妥協的になった。かくして宗教改革は教義の問題をこえて政治問題と化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ドイツの領邦教会制度 当初はごく限定的な教会の腐敗の問題、あるいは教義上の問題から出発した宗教改革は、その影響が広汎にわたるとともに政治的な傾向を強くした。具体的には宗教改革はまず教皇首位権への挑戦という宗教内の政治的問題に変容し、さらにドイツ国内の皇帝権に対する諸侯の自立を求める、極めて直接的な政治問題に転化した。この問題は三十年戦争の直接的な原因ともなるのであり、ドイツが長い分断国家となる契機の一つが宗教改革に求められる[* 158]。 シュマルカルデン戦争 詳細は「シュマルカルデン同盟」および「シュマルカルデン戦争」を参照 1530年にカール5世はアウクスブルクに帝国議会を招集した。この議会では両派の歩み寄りの努力がされたが、結局決裂した。さらに同議会ではルター派から「アウクスブルク信仰告白」が提出されたが、ツヴィングリやシュトラースブルクなどの改革派4都市が独自の「信仰」を提出し、プロテスタント内部の宗派分裂も明らかとなった。議会ではカトリックが優勢を占め、最終的決定は翌年の議会に持ち越されたものの、カール5世はルターを帝国追放刑にしプロテスタントを異端とする1521年のヴォルムス勅令を暫定的とはいえ厳しく執行するよう命じた。 アウクスブルク帝国議会(1530年) この議会ではプロテスタントとカトリックの歩み寄りが期待されていたが、結局はカトリック側の主張がほぼ一方的に認められた形となった これに対してプロテスタントの帝国諸侯・諸都市はアウクスブルク帝国議会直後にシュマルカルデンに集まり、軍事同盟結成を協議し、翌1531年2月にヘッセン方伯とザクセン選帝侯を盟主とするシュマルカルデン同盟が結成された。宗教戦争が一触即発に迫ったが、カール5世は妥協し1532年にニュルンベルクの宗教平和によって暫定的にプロテスタントの宗教的立場が保障された。この宗教平和を境にプロテスタントは勢力を一気に拡大した。南ドイツのヴュルテンベルク公領では、プロテスタントであったために追放されていたヴュルテンベルク公ウルリヒが1534年に復位し、北ドイツでも同年ポメルン公、1539年にザクセン公とブランデンブルク選帝侯がプロテスタントに転じた。西南ドイツではルター派とは異なる改革派信仰が広がっていたが、教義上の問題で妥協しプロテスタントの政治勢力は統一性を持つようになった。カトリック諸侯の側もニュルンベルクで同盟を結成し、プロテスタントに対抗した。 カール5世は対外的な事情から情勢を黙認していたが、フランスとの講和がなると一転ドイツ国内の問題に専心するようになった。1546年にはルターが死亡し、同年ザクセン公が選帝侯の地位を条件に皇帝支持に転じた。それ以前にヘッセン方伯も重婚問題からカール5世につけこまれ、政治的に中立を守らざるをえなくなっていた。自身に有利な条件が整ったと感じたカール5世は同年シュマルカルデン戦争をおこし、シュマルカルデン同盟を壊滅させ、翌年のアウクスブルク帝国議会ではカトリックに有利な「仮信条協定」が帝国法として発布された。皇帝は西南ドイツの帝国都市のツンフトが宗教改革の温床であると考えてこれを解散させるなど強硬な政策を実施した。カール5世の強硬な政策を見て、徐々にカトリック諸侯も反皇帝に転じ、息子フェリペにドイツ・スペインの領土と帝位を継承させようとすると、ますます反発を招いてカール5世は孤立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] アウクスブルクの平和令 アウクスブルク宗教平和令 1555年にマインツで印刷された版本の表紙 このような情勢の中、ザクセン公は再び反皇帝・プロテスタントの側に転じ、1552年に諸侯戦争がおこるとカール5世は敗北し、パッサウ条約によって「仮信条協定」は破棄された。この敗北からカール5世は弟のフェルディナントに宗教問題の解決を任せ、1555年のアウクスブルク帝国議会で、アウクスブルク宗教平和令が議決された。この平和令により「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」という原則のもとに諸侯が自身の選んだ信仰を領内に強制することができるという領邦教会制度が成立した[* 159]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイス盟約者団と福音主義 ドイツでルターによって宗教改革の火蓋が切られた頃、スイスでもほぼ同時にツヴィングリによって福音主義的改革が進行していた。ツヴィングリは改革の半ばで戦場に斃れ、その事業は頓挫したが、ジュネーヴにカルヴァンが現れ、より厳格な改革を実行した。当初は非常に非寛容で妥協を許さなかったカルヴァン主義であるが、各国で政治権力により迫害を受けるようになると、「寛容」を主張して変貌し、ずっとのちに近代的な政教分離の主張へとつながっていくことになる[209]。 スイス盟約者団の歴史的経緯 詳細は「スイスの歴史」を参照 スイスの建国神話として今日一般にヴィルヘルム・テルの物語が知られるが、これはスイスの国民意識が高まった15世紀中ごろに世に広まりはじめたものであると考えられている[* 160]。今日では、スイスの国家統合は14,15世紀を通じてスイス周辺の状況のなかで徐々に進行したと考えられており、当初の盟約はあくまでラント平和令の延長線上に、域内でのフェーデの制限・禁止を目的としたものであった。 12世紀末ごろまでは神聖ローマ帝国辺境の隔絶された山田舎に過ぎなかったスイスは、13世紀の初め頃に南北に貫通する街道が開通すると、一転交通の要衝となった。このことによりスイスは、近隣に支配を拡大しようとしていたハプスブルク家と戦略的価値を重視する皇帝の争奪の的となることとなった。1231年皇帝フリードリヒ2世によってドイツ統治を任されていたハインリヒはウーリ地方に証書を発給し、この地方を帝国直属の地位とした[* 161]。1239年には同じくシュヴィーツ地方も帝国直属の地位を獲得した[* 162]。14世紀初頭にはウンターヴァルデン地方も帝国直属を獲得しているのが確認される。これ以前の1291年にはすでにこれらの三者は盟約を結んでいた[* 163]。 1314年冬、放牧地を巡る争いからシュヴィーツがアインジーデルン修道院を襲撃すると、これを口実にハプスブルク家のフリードリヒ美王は1315年11月15日大軍をもって侵攻したが、モルガルテン山からの奇襲攻撃によって敗北を喫した(モルガルテンの戦い(ドイツ語版、英語版))。この直後の12月9日盟約が更新され、盟約者団はさらに結束を強化した。こののち14,15世紀を通じてハプスブルク家との戦いが続くが、近隣の邦や都市が徐々に同盟の形で参加した。1499年、皇帝マクシミリアン1世がスイス盟約者団に奪われたハプスブルク家の古領を回復しようと戦争を仕掛けたが(シュヴァーベン戦争(ドイツ語版、英語版))、盟約者団はこれを撃退し、この勝利により事実上神聖ローマ帝国から独立した[* 164]。1513年のアペンツェル同盟において13州の形となり、今日のスイスの基本的な国家枠組みの基礎となる十三邦同盟体制が確立され、この体制が1798年まで維持されることとなる[* 165]。 長期の軍事的緊張を乗り越えたスイスは、ヨーロッパ有数の軍事力を持つ国家となっていた。強力な軍事力を頼んでスイスは当時のイタリア戦争に介入し、1513年のノヴァーラの戦い(フランス語版、ドイツ語版、英語版)でフランス軍を大敗させ、ミラノを中心とするロンバルディア地方に覇権を確立したかに見えた。しかし1515年にルイ12世が没し、フランソワ1世が登位すると、同年のマリニャーノの戦い(英語版)で盟約者団はこの若き王に敗北し、南方へ向けての膨張の夢は潰えた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(1):ツヴィングリ ツヴィングリ像 チューリヒのリマト川の岸辺に立っている。右手には聖書、左手に大剣、兜を被り、説教服の下は鎧で武装している 1518年12月の末からチューリヒの教区司祭・説教者となっていたツヴィングリは、1519年初頭からマタイによる福音書の説教を開始した。これがスイスにおける福音主義的改革の幕開けとなる。ツヴィングリはエラスムスを通じて、キリスト教を原典から学ぶことの重要性を認識していた。そのためこのマタイ連続説教においてはヴルガタを使用せず、エラスムスの『校訂ギリシア語新約聖書』を使用した。やがて彼の周囲に新しい福音理解に共鳴する信奉者が集まるようになり、旧来のカトリック的信仰理解を堅持する者たちとの間に徐々に疎隔が生じていった。ドイツの広大な領邦に比べて狭小な地域共同体であるカントン[* 166]の内部での対立は、たちまち先鋭化した。 1522年3月、受難節の断食期間が訪れた際、ツヴィングリ支持者は集まって乾いたソーセージを切り分けて食し、「聖書のみ」の考えを実践した[* 167]。さらにその10日後、ツヴィングリは「食物の選択と自由」の説教をおこない、これに対しチューリヒ市参事会は支持を表明し、チューリヒはツヴィングリの福音主義の拠点となった。そして、ツヴィングリは『最初にして最終的な弁明の書』をコンスタンツ司教に宛て、明確に「聖書のみ」を規範とすべきことを表明した。ツヴィングリ派とカトリック派の対立は激化し、市内での武力衝突の危機も迫ったので、チューリヒ市参事会は最終的な決定を下すべく、1523年1月29日にカトリック側聖職者を迎えて公開討論を開催することとなった。ツヴィングリは公開討論のために自らの信仰を明らかにするため、『67カ条の提題』を公表した。この文書の中でツヴィングリは「聖書のみ」の原則を表明し、聖書に根拠がない教皇制度や祝祭日・修道制・独身制・煉獄を批判した。一方で教会の監督は信徒の集まりが行うべきであるとし、市参事会による宗教の管理を暗に正当化していた。さらに社会倫理について『神の義と人間の義』の説教をおこない、これによりこののちのチューリヒにおける改革の枠組みが定まった。すなわちチューリヒでの改革は都市共同体という政治秩序の積極的な関与の下におこなわれるのである。 1524年6月には市内全域から聖像画・聖遺物・ステンドグラスが取り除かれ、12月には修道院がすべて閉鎖されて資産はカントンに接収された。そして1525年3月の復活節を境に、ミサは完全に廃絶され、替わって福音主義の聖晩餐が導入された。また同年6月には福音主義の司祭養成のためにカロリーヌム[* 168]が開設された。こうしてスイスにおける福音主義の橋頭堡は着々と固められた。 しかしながらこの時点では、スイス内での福音主義の孤立は明らかであった。ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンなどの保守的なカントンはカトリック信仰に揺らぎはなく、福音主義に染まったチューリヒに対して旧来の信仰への復帰を求め、チューリヒを異端と断じて盟約からの追放を宣言した。しかし1528年1月に有力なベルンが福音主義に転じ、1529年2月にはバーゼルで民衆蜂起が起こり、こちらも福音主義に転じた。さらに盟約者団の外部であるが、近隣のザンクト・ガレンやコンスタンツでも福音主義が影響力を増し、福音主義のカントンと軍事同盟を結んだ。これを見てカトリック派のカントンも宿敵であったはずのハプスブルク家も巻き込んで軍事同盟を結成し、両者は同年6月、カッペルの野で対峙した(第1次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))。一触即発の危機が迫ったが、ここで両者は歩み寄り、「現状維持」を約束して和睦した(第一次カッペル和議)。すなわち、福音主義に転向したカントンはその信仰を認められるが、カトリックのカントンへの布教を許されず、その逆も然りとされたのである。ここに信仰の「属地主義」、「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」が認められ、スイスは他のヨーロッパ諸国に先駆けて改革派とカトリックの共存する地域となった。 第二次カッペル戦争 ツヴィングリ率いるチューリヒ市民軍は圧倒的な人数のカトリック軍を迎え撃った。この乱戦の中ツヴィングリは戦死した。1548年に描かれた図版 第一次カッペル和議はスイスに平和と安定をもたらしたかに見えたが、ツヴィングリは現状維持に不満で、福音主義の宣教を軍事的拡張によってでも実現すべきと考えるようになっていた。一方ドイツではルター派は皇帝の圧迫を受けて存亡の危機が迫っていたため、同盟者を必要としていた。ここにルターとツヴィングリの利害の一致点があり、1529年10月、ヘッセン方伯フィリップの斡旋により、マールブルク城で会談が開かれ、ルターとツヴィングリの間で軍事同盟と教義の一致が検討された。この会談において、両者の教義の多くの点で一致を見たものの、最終的には聖餐理解を巡って鋭く対立し[* 169]、物別れに終わった。 ツヴィングリはその後も強硬にカトリック諸州の軍事的制圧を主張したが、ベルンをはじめとする同盟諸邦の賛同を得られず、ベルンの提案にしたがってカトリック諸州に対し経済封鎖が実施されるに留まった。この経済封鎖によりカトリック諸州はたちまち困窮したため、軍事力に訴えざるをえなくなり、1531年10月4日カトリック諸州はカッペルに再度進軍し(第2次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))、これに対してツヴィングリは自らチューリヒ市民軍を率いて邀撃した。このときカトリック側8000に対し、チューリヒの市民軍は数百に過ぎず、乱戦のさなかツヴィングリは戦死した。 しかしその後ベルンを核とする福音主義派は反撃し、第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議が締結され、スイスにおける宗教の属地主義が再確認された。スイスにおける福音主義は後継者ブリンガーに受け継がれ、カルヴァンの登場を待つこととなる。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(2):カルヴァン ジュネーヴのサン・ピエール教会 ここでカルヴァンは幾度となく説教を行った 1536年7月から8月にかけてのころ、たまたまジュネーヴに滞在していたカルヴァンは、同地で福音主義的改革を導入しようとしていたヴィルヘルム・ファレルに援助を懇請された。この年の5月、ベルンの援助を受けて福音主義に転じたジュネーヴであったが、いまだ改革の緒についたばかりで方針も定まっておらず、ファレルは当時匿名で出されていた『キリスト教綱要』の著者がカルヴァンであることを知り、援助を願ったのである。カルヴァン自身はこのときストラスブールへ向かっている途中であったが、これに協力することを決意した。 1537年1月16日にはカルヴァンら牧師団によって市参事会に対して、教会改革の具体案が提出され、ここにジュネーヴはツヴィングリ派とは異なった、新たな改革の方針に従うこととなった。ただちに新しい「信仰告白」を含むカテキズムが刊行され、市民はこの「信仰告白」に対して宣誓を求められた。こうして改革が本格的に開始されたが、カルヴァンらはこの「信仰告白」が守られているか厳しく監督したために、市民の間に改革に対する抵抗感が芽生えた。また当初から市参事会は、カルヴァンらの主張の中に教会を世俗の権力から独立させ、むしろ世俗権力を教会に従属させようとする意図があることに気づいていた[* 170]。1538年4月23日新しい市参事会が発足すると、カルヴァンとファレルはこの新しい市参事会により追放され、カルヴァンはマルティン・ブツァーの勧めにより、ストラスブールのフランス人難民教会の説教師を務めることとした。この間1539年にカルヴァンはビューレンのイデレッテと結婚した。 やがてジュネーヴで再び福音主義派が勢いを盛り返し、彼らによる再びの招聘を受けて、1541年9月13日カルヴァンはジュネーヴへと帰還した。帰任早々の9月20日カルヴァンは早速「教会規定」を立法化し、牧師・教師・長老・執事という4職[* 171]を定め、いわゆる「神権政治」を開始した。「神権政治」開始後の最初の5年間に、56件の死刑判決と78件の追放がおこなわれ、反対派はことごとく弾圧された。1553年には高名な人文学者であったミシェル・セルヴェが三位一体説を批判した廉で、異端としてカルヴァンにより火あぶりに処された。1559年には神学大学が設立され、プロテスタント系の神学大学としては、すぐにヴィッテンベルク大学に勝るほどの勢いとなり、ヨーロッパ各地に改革派の説教師や教師を送り出すようになった。 聖ニコラウス 15世紀後半盟約者団の間で対立が表面化し始めていたが、隠修士として尊敬を集めていたニコラウスの呼びかけによって、諸邦は再び結束し、シュタンス協定を結んで内部抗争の調停方法を定めた。ヴィルヘルム・テルと並んでスイスの国民的英雄である 1564年の死にいたるまでカルヴァンはカトリック根絶を強硬に主張し、さらに死後の1566年にはツヴィングリ派との間で合同がなり、スイスの改革派は統一され勢力を強めた。カルヴァン主義はやがてフランスでは組織化されてユグノー戦争を惹起し、スコットランドにおいては1560年に国教会の地位を獲得するに至った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] プロテスタント圏スイスとカトリック圏スイス 宗教改革はスイスにとって結局どのような変化をもたらしたのであろうか。それについては前述の、宗教的な動機から見た展開とは別に、政治的意味から見た別の側面も確認できることに注目する必要がある。 周辺を諸侯修道院領に囲まれた都市共同体にとって、宗教改革を導入することは、これらを解体して領域支配に組み込める可能性が生じた。同時に教会財産の没収により経済力を高めることができた。またツンフトに代表される中下層の市民にとっては、都市共同体を上層で寡頭支配している門閥や都市貴族を排除できる可能性が生じた。なぜなら彼らの多くは保守的でカトリック信仰にとどまっていたからである[* 172]。ツヴィングリ派から分離発展した再洗礼派はその信仰を守る信者のみで共同体を構成しようとし、農村部では自治運動と結びつくこともあった[* 173]。 1600年ごろには、スイスの宗教的分裂は一過性のものではなく、もはや既成事実として明らかなものとなっていた。盟約者団内部で、カトリック・プロテスタント各々のカントンのみによる分離会議が開かれていた。しかし、民衆の間で好まれた演劇などを考慮すれば、このような状況にもかかわらず、スイス人として自由と協調に基づいた国民意識が存在していたことを推測することが出来る。彼らにとって、ヴィルヘルム・テルやニコラウス・フォン・フリューエは相変わらず「古き良き盟約者団」の象徴であり、国民的英雄であった[211]。もちろん宗教的不和は厳として存在し、それはしばしば顕在化したものの、なお盟約者団への帰属意識が存在していたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革派の諸思想 ここでは、宗教改革における改革派の思想を概説する。前述したように改革派の間には当初から宗派対立が存在したが、これは改革派どうしの間でも教義および政治的立場において異なる傾向があったことに起因する。ここでは宗教改革諸派の代表的思想家を概観することで、それぞれの宗派の教義および政治的立場における特徴の背景を概説する。 ルター ルター像 ヴォルムスにある。中央のひときわ高い位置に立つのがルター像。チューリヒのツヴィングリ像が自ら剣を持ち武装していたのに対し、この像ではルター自身は剣を持たず、側に控えるフリードリヒ賢公が武装している 詳細は「マルティン・ルター」を参照 ルターの思想はアウグスティヌスに決定的な影響を受けている[* 174]。その要点を示すと、信仰における個人主義と内面の尊重、自由意志の否定、「二世界論」である。 ルターはアウグスティヌスに従って人間の原罪を重視し、人間は本質的に罪人である上に神の絶対的支配の下にあるのだから、神の意志を超えた人間の意志による善行があるとすれば、それによって救われるのではないとして自由意志を否定し、ただ神の恩寵によってのみ救われることが可能であるとした。この神の恩寵に預かるためにはひたすら神を信頼し、信仰を寄せることによって救いに至ることができる。この神と個人との間には基本的に介在するものはないという。ここから万人司祭主義、神の前での信仰における人間の平等、聖職者の特権の否定が説かれる。従来教義などの信仰の根拠が教会に求められていたのに対し、ルターはそれを聖書にあるとする。たとえ教会の教えであっても聖書に記載のないものは神の言葉ではないという。教会が独占していた聖書の解釈も万人が自由におこなってよいと述べた。以上のように、ルターは聖書解釈や信仰における教権の優位性を否定した。 政治社会との関係でいえば、重要なのは「二世界論」である。ルターは神がこの世界に二種の支配を作り出したといい、一つは霊的な教会で、目に見えないものでありかつキリスト教徒のみに許されているという。もう一つは世俗的な剣の支配で、これはキリスト教徒に限られず、世界のあらゆる民族を包含している。ルターはキリスト教に反しない限り世俗支配は積極的に受け入れるべきであると説くが、教皇もしくは皇帝が違反した場合にはこれに抵抗することができるという。しかしながら、ルターはあらゆるキリスト教徒が抵抗の主体となることを認めているわけではない。抵抗の主体となりえるのは自らの領民をキリスト教のもとに保護する責務がある諸侯のみである。しかも世俗法においては皇帝と諸侯は契約によって関係を結んでいるのだから、同等であるという。農民のような民衆は皇帝と対等ではないので、抵抗すれば反乱である。これは信仰における諸侯の絶対的権限、領邦教会制度を理論的に認めるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ツヴィングリ マールブルク会談 この会談でルターとツヴィングリは教義について多くの一致点を見いだしたものの、結局は両者の思想の相違が目立つ結果となった 詳細は「フルドリッヒ・ツヴィングリ」を参照 ツヴィングリは後世にツヴィングリ派ともいうべき固有の宗派を残さなかったために、その業績はややもすると限定的に捉えられがちである。しかしながら、彼をルターやカルヴァンらと比べて二次的な地位に留めることは適切であるとは言えない[212]。ツヴィングリの思想は多くの点でルターとの一致を示すものの、ルターとは異なって人文主義やスコラ学の著しい影響が認められるのであり、彼をルターの亜流と見なす考えはこの点で明らかな誤解に基づいている[* 175]。 ツヴィングリの福音主義思想の中で、明らかにルターと異なると認められる特徴は、その実践的な性格である。ルターは個人的な深い宗教的探求によってその思想を形成しカトリックを批判したが、ツヴィングリはより実践的な考慮によって、つまり生活上の慣習や社会通念における誤った宗教的理解について攻撃を加えた。彼によれば、聖書に根拠のない聖人崇拝、修道制、独身制などは廃止されるべきで、さらに進んで生活全般が「聖書のみ」によって規定されるべきであるとし、宗教を含めた生活の監督は信徒の集まりによって、つまり教会ではない住民の自治組織によって行われるべきだとされた[* 176]。 ツヴィングリの死ぬころには、彼の信仰告白を受け入れる都市はスイスに留まらず、ドイツ南部にまで広がっていたが、彼の死後それらの多くはカルヴィニズムの中に分解されていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カルヴァン ジャン・カルヴァン その非妥協で厳格な性格からか、生前から毀誉褒貶が定まらない 詳細は「ジャン・カルヴァン」を参照 カルヴァンの政治思想には2つの要点がある。1つは教会を世俗権力から独立させること、もう1つは世俗権力に教会の目的への奉仕をさせることである。彼は教権と俗権という「二本の剣」は分離不可の関係ではあるが、明確に弁別されるべきであると述べた。 カルヴァンはアウグスティヌスに従って、教会を、神によって定められた独自の権威を持つものと考える。彼はこの世には見える教会と見えない教会があるという。見えない教会は正しい信徒の作る精神的な共同体で、時間と空間の制約を受けない。見える教会は信徒が集まって、儀礼や礼拝、説教が行われる場所で、この見える教会においては成員すべてが必ずしも完全な信仰を有しているわけではない。そのため見える教会は成員すべてを完全な信仰に導くために、規律を必要とし、内部に政治が必要とされるのである。そのため教会の幹部は道徳を含む世俗の問題に対しても判決を出すことが出来る。 一方世俗権力の担い手である国家は、真の宗教、正しい信仰を広めるためのものである。もちろん既存国家の中には必ずしも完全な信仰に合致していない場合もあるが、そのような国家に対して反抗することは絶対に許されない。もし抵抗を認めてしまえば、無秩序に陥る恐れがあり、またそもそも神の力によって、誤った状態は長く続くことはないと考えられるからである。 カルヴァンの思想のうち、無抵抗については彼の死後現実のユグノー弾圧への対応として、理不尽な支配に対しては抵抗してもよいというモナルコマキの政治理論が登場した。同様に彼の思想にある非寛容で妥協を許さない攻撃性も、カルヴァン主義が深刻なコンフェッショナリズムに直面するうちに失われていき、寛容へと傾いていった[* 177]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランスのコンフェッショナリズムと主権理論 コンフェッショナリズムとは、政治闘争が信仰の対立と密接に結びついた、宗教改革の時期特有の政治状況である。このような形での宗教対立が最も典型におこなわれたのが16,17世紀のフランスであった。フランスの宗教改革派はカルヴァン派が主流で、ユグノーと呼ばれる[* 178][* 179]。このユグノーと王権やカトリック勢力の間の政治闘争を通じて、フランス絶対王政が形成された。 フランスの改革派、ユグノー カトリーヌ・ド・メディシス アンリ2世の妃で、メディチ家出身。夫の死後は相次いで息子を即位させ、実権を握った 詳細は「ユグノー」を参照 フランスにおいても宗教改革と通じる福音主義的思想が現れた。その最初期のものは、ルフェーブル・デタープルによるパウロの書簡の注解(1512年)やフランス語訳新約聖書(1523年)があげられる。しかしパリ大学の神学者やパリ高等法院から弾圧され、デタープルはストラスブールへ亡命するなど、改革運動に迫害が加えられた。だが改革派は急速に影響力を増大させ[* 180]、1550年代にはカルヴァンの指導の元で組織化が図られるようになった。 国王フランソワ1世は姉のマルグリットが人文主義や改革運動に好意的であったためか、当初改革派に理解を示していたが、檄文事件を境に弾圧に回り、パリ高等法院に異端審問委員会を設置した。さらに後継者アンリ2世は1547年に特設異端審問法廷を設け、弾圧を強化した。 これに対し改革派は1559年に第1回全国改革派教会会議を開催し、信仰箇条や教会の規則を定めて一応の組織化を果たした。このころからブルボン家やコンデ親王家をはじめとする貴族が改革派へ参加した。とくにブルボン家などの大貴族層は、政敵であるカトリックの大貴族ギーズ家への対抗という政治的意図から改宗を選んだと考えられる。 アンリ2世の死後は、その妃で息子たちの後見として実権を握ったカトリーヌ・ド・メディシスが政治的駆け引きに改革派とカトリック派を利用しようとし、王家と改革派・カトリック派の三分構造が際だつようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノー戦争 詳細は「ユグノー戦争」および「ナントの勅令」を参照 前述の状況の中、1560年の改革派によるギーズ家の影響排除を狙った「アンボワーズの陰謀」事件や、1562年に起こったカトリック派によるヴァシーでのユグノー虐殺など不穏な事件が相次ぎ、ヴァシーの虐殺を契機として最初の武力衝突が起こった(第一次宗教戦争)。以後1598年のナントの勅令公布までの間フランスは断続的な内戦状態に陥った(ユグノー戦争)。1571年には改革派のコリニー提督が宮廷で影響力を増大させ、新教国と連携してフランスを八十年戦争に介入させようとしたが、1572年ユグノーに対する虐殺事件(サン・バルテルミの虐殺)に巻き込まれて殺された。 これに対し改革派は1574年に第1回改革派政治会議を開き、改革派の優勢な地域での徴税とそれを財源とした常備軍設立を決定し、オランダの改革派と結びついて、ほとんど独立した状態となった。また1581年にブルボン家のアンリ・ド・ナヴァルを「保護者 ("Protecteur")」として推戴した。アンリは改革派の軍事指揮権と改革派支配地での司法官や財務官の任命権を得たが、一方でユグノーの顧問会議によってその権力は制限されていた。これは後述するユグノーの共和政的政治思想の影響も無視できない[213][214]。 サン・バルテルミの虐殺 ブルボン家のナヴァル王アンリと王妹マルグリットの結婚式に参列するため、パリに集まった改革派貴族を、1572年のサン・バルテルミの祝日(8月24日)にカトリック派が襲った。この事件の影響はたちまち全フランスに広がり、各地で改革派に対する襲撃が相次いだ カトリック貴族もギーズ公アンリを中心に「カトリック同盟(ラ・リーグ、"la Ligue")」を結成し、独自の軍事組織を持った。こうして王権・改革派・カトリック派の政治闘争はいよいよ本格的な武力闘争に発展した。ユグノーの背後にはオランダとイングランドが、カトリック同盟の背後にはスペインと教皇庁が存在し、内乱は国際的な宗派対立と密接に連動していた。一方でこの時期フランス王権は対ハプスブルク外交としてオスマン帝国に接近した。 この内乱に教皇は積極的にカトリック支援を意図して介入し、とくにグレゴリウス13世はサン・バルテルミの虐殺においてカトリック同盟を支持した。またグレゴリウス14世は同盟支援のために軍隊を派遣した。ハプスブルク家のフェリペ2世が1580年ころからカトリック同盟を露骨に援助するようになると、国王アンリ3世はユグノーに接近し、国王は刺客を放って1588年ギーズ公アンリを暗殺した。しかし翌年には国王も同盟側によって暗殺され、ナヴァル王アンリが王位継承者(アンリ4世)となるが、カトリック勢力は根強く反抗した。1593年にナヴァル王アンリはカトリックに改宗して翌年パリに入城することができた。 アンリ4世の改宗に改革派は危機を覚え、改革派政治会議を全国組織にし、会議は1595年から1597年の間、王権と並ぶ統治機関として機能した。この会議はオランダの改革派との合同も模索したが、これに対しアンリ4世は改革派に宗教上の保証を与えるナントの勅令を1598年に発布した。改革派はこれに満足し、王権への忠誠を誓った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ナントの勅令廃止まで ナントの勅令の実施状況の監督に当たっては、各州改革派とカトリックから選ばれた国王親任官が各教区を巡回した。しかしパリ高等法院やカトリックの聖職者たちはともすればこの勅令を非寛容な方向に厳密に解釈して適用しようとし、種々の訴訟を起こして改革派を陰に陽に弾圧しようとした。改革派にとって最大の後ろ盾であったアンリ4世の暗殺後には、改革派内部に明確な亀裂が生じ、北部のパリやノルマンディーの改革派は王権への服従とカトリックとの妥協を目指す「穏健派」を形成し、南部のギュイエンヌやラングドックの改革派は「強硬派」を形成した。「穏健派」は徐々に王権神授説に傾いた。 アンリ4世の死後摂政となった妃のマリー・ド・メディシスは改革派に配慮を示していたが、成人したルイ13世は改革派に威圧的な態度を取った。1620年ルイ13世が、改革派が多数を占めるベアルヌ地方でカトリックを支持する裁定を下すと、改革派は反発し、その年の12月に開かれた全国会議で「強硬派」が優勢となって武装蜂起を決定した。ユグノー側の軍事的指導者となったのはロアン公アンリである。1621年から1622年にわたっておこなわれた戦いは、ほぼ王側の優勢のうちに決着したが、和平においてはルイ13世が譲歩する形でナントの勅令が再確認された(モンプリエ条約)。 ユグノーの多く居住する地域(17世紀) しかしルイ13世はモンプリエ条約の遵守に熱心でなく、改革派は不満を隠しきれなかった。1625年に再び戦闘が開始されると、宰相リシュリューは改革派の拠点ラ・ロシェルを包囲し、ロアン公アンリ率いる改革派をうち破ったが、このときリシュリューは外交方針を変更して三十年戦争でプロテスタント側を援助することも考慮していたため、1626年には講和してモンペリエ条約を再確認した(パリ条約)。だが平和は短かった。1627年にリシュリューは再びラ・ロシェルを包囲し、改革派はイングランドの援助を受けたが、イングランド艦隊は有効な支援ができず、1628年10月ラ・ロシェルは陥落した。1629年には王軍がラングドックにも侵攻して決定的な勝利を得、またロアン公アンリを国外へ追放した。6月和平がなりアラスの勅令が出され、ここでナントの勅令が再び確認されたものの、改革派は武装解除され、これは「恩恵の勅令」と言われるように、王権が改革派を決定的に従属させるものであった。 1630年から1660年にかけての30年間は、王権への臣従姿勢によって改革派が比較的安定した時期を迎えていた。例えばリシュリューの庇護のもとアカデミー・フランセーズを設立したヴァランタン・コンラールも改革派の文筆家であった。とはいえ、この時期改革派に圧迫が加えられてもいる。リシュリュー死後、実権を握ったマザランは改革派全国教会会議の開催を禁止した。 ルイ14世が親政を開始すると、改革派の権利が徐々に剥奪されていった。まず1661年にフランス全土に官吏が派遣され、改革派の礼拝について調査が行われた。そしてさまざまな条例を発布して公職から徐々に改革派を閉め出した。1679年ドラゴナードという制度が定められ、これは竜騎兵を改革派の家に宿泊させ、暴力的威嚇によって改宗を強制するものであった[* 181]。これに対して1683年に改革派の多い南部で散発的な抵抗運動が起こったが、すぐに鎮圧された。1685年にはついにナントの勅令廃止が宣言(フォンテーヌブローの勅令)され、改革派牧師の追放、改革派教会堂の破壊が命じられた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノーとフランス経済史 マックス・ウェーバーが指摘するように、ユグノーは16~17世紀のフランス経済に大きな影響を及ぼした[* 182]。ここではユグノーのフランス経済に及ぼした影響、とくにコルベール主義との関連を概観し、ナントの勅令廃止(1685年)の経済史的意義についても言及する[* 183]。 ナントの勅令 ナントの勅令は信仰の自由を与えるものとはいえず、カトリックとプロテスタントに対する扱いも平等ではない。あくまでプロテスタントへの寛容を表明するにとどまっている フランスのプロテスタンティズムはその最盛期で人口200万人、当時の人口の10%ほどを占めたが、ユグノー戦争によって5%程度まで減少した[215]。その内訳は貴族・農民・手工業者・商人・金融業者など多様な社会階層に及んだ[216]。そのうち貴族層は前述したように政治的意図が濃厚であったので、その目的が達成されたユグノー戦争 後には、そのほとんどが早期に信仰を離れた。ユグノーが大きな勢力を持った南部では、農民層にもプロテスタンティズムが浸透し、彼らの貢献により、この地域は内乱の被害が著しかったにもかかわらず早期に復興を成し遂げた。しかしとりわけブルジョア層においてプロテスタンティズムは広く浸透した。 ユグノーはとくに集中マニュファクチュアの担い手として重要であり、金融・商業においても支配的であった。コルベールは重商主義政策の柱に国内の金融業・商業・工業の発展を据えていたので、当然その担い手であるユグノーを保護し、これと提携する道を選んだ。 毛織物工業では、ラングドック・プロヴァンス・ドフィネはレヴァント地方への輸出用ラシャが大量に生産されていた。シャンパーニュ地方のスダンも北ドイツへの輸出用ラシャを生産し、毛織物工業の中核でもあったが、ここではユグノーの製造業者が織機の半数を所有していた[217]。絹織物工業においては、17世紀中葉トゥール・リヨンにおける顕著な発展が知られるが、それはユグノーの貢献に拠るところが大きい。リンネル工業をフランスに導入したのもユグノーであり、リンネルはイギリスへの輸出用商品として貴重なものであった[218]。オーヴェルニュやアングモアでは製紙業が発達していたが、その主な担い手もユグノーであった。ここで製造された紙はフランス国内のみならず、イギリスやオランダでも消費された。とくにオーヴェルニュのアンベールの紙は当時ヨーロッパで最良のものとされていた。これらの工業は一般的にナントの勅令廃止後に衰退した[* 184]。 ラ・ロシェルやボルドーにおける海上交易の発展にもユグノーは多大な寄与を為していた。ボルドーにおいては主にイギリス・オランダとの交易を担い、ラ・ロシェルにおいてはナントの勅令直前まで貿易は彼らの独占状態にあるという有様であった[219]。ユグノーの銀行家としては、17世紀初めにはリシュリューの財源となったタルマン家やラムブイエ家が知られる。またユグタン家も有名である。もともとリヨンの出版業者であったが、1685年にアムステルダムに移住し、そこで17世紀最大の銀行家にまで成長した[220]。フランス革命後には多くのユグノー銀行家がフランス金融界で活躍し、現在でもユダヤ系以外はプロテスタント系によってフランス銀行業は担われている[221]。 ナントの勅令廃止によりユグノーの工業技術・資本はイギリス・オランダ・スイス・ドイツに流出し、それらの国々の工業的発展に寄与した結果、対フランス貿易における各国製品の競争力を高めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治思想(モナルコマキとポリティーク) カルヴァンは信徒に抵抗を認めなかったが、ユグノーに対する弾圧が強くなると、ユグノーたちの間に支配権力に対する抵抗理論が現れた。1572年のサン・バルテルミの虐殺によって宗教対立がいよいよ抜き差しならない段階に入ると、武力抵抗を肯定する必要が生じた。こうして武力抵抗を肯定する理論として暴君は打倒しても良いとする暴君放伐論が現れ、暴君放伐論者をモナルコマキ(英語版)という。暴君放伐論として代表的なのはテオドール・ド・ベーズの『臣民に対する為政者の権利について』(1573年)とユニウス・ブルートゥスというペンネームの著者が著した『暴君に対する自由の擁護』である。 ジャン・ボダン 国家の統一を維持すべきという観点から宗教的寛容を主張した。主権の形態としては君主制に優越性を認めていたが、それはつねに主権の行使者が一者であるということと世襲的であるということが、継続的な永続性を実現していると考えたからである ベーズは為政者が人民の同意しない権力を行使した場合は、これに抵抗することが可能であるという。ただし抵抗の主体となることができるのは個々の人民ではなく、三部会もしくは大貴族によってのみ国王を放伐することが可能であるとした。後者の著作はベーズのものより体系的な政治理論を展開しており、一連のユグノーの暴君放伐論の中では絶頂であると考えられている。まず君主が神の代理人として地上で神の法を行う義務を負うと述べ、次に旧約聖書を引用して神と、君主およびその支配下にある人民の間に契約があるという。次に君主と人民の間にも契約があり、君主がこの契約に守らない場合は、人民はこれに服従しなくてもよいとする。このように契約論を展開する一方で『暴君に対する自由の擁護』は、ベーズ同様、等族国家の原理に影響を受けた身分制的な思想を展開する。君主の契約違反に人民は服従しなくてもよいが直接抵抗することは認められない。君主に抵抗できるのは身分ある貴族だけで、身分のない人民は貴族の抵抗に荷担するか、消極的に君主の支配から逃亡するかである。最後にこの著作が示す興味深い論は、近隣の君主が暴君の支配に苦しむ国に干渉戦争をおこなうことを認めている点である。 ラ・リーグの側でも、同様の抵抗理論が展開された。ただカトリック強硬派の政治理論に特徴的なのは、従来の教権擁護の理論を継承して、国王の解任権やその不当支配に対する抵抗権の条件に教会、とくに教皇の承認を重視する点である。 一方で、カトリック穏健派はモナルコマキたちが君主への抵抗に神との契約違反を見たり、教皇の承認を重視したりする傾向に批判的であった。彼らはむしろ国家を重視し、宗教上の問題に寛容な解決をもたらすことで、政治的統一を尊重すべきと説いた。彼らを国家主義者という意味でポリティークと呼ぶ。 ポリティークの代表的論者はジャン・ボダンで、彼は一方で近代的な主権理論の祖ともいわれる。ボダンは中世的な国王大権を発展させて、主権概念をつくった。この主権とは、国家を支配-被支配の関係で捉えた際に支配者側が持つ絶対的な権限のことで、国王にのみ固有のものである。彼によれば、「国家の絶対的な権力が主権」であり、「主権による統治が国家」である。つまり主権は国家そのものと不可分である。要するに、伝統的な封建制や従来の身分制社会では、国王と末端の被支配者である人民との間に、大貴族や群小の領主のように中間権力が存在したが、ボダンは主権を設定することによって、中間権力を排除して、支配者と被支配者の二者関係で国家を定義した。これによりモナルコマキたちが主張した、貴族などが支配権の一部を分担しているという観点から抵抗権を認める暴君放伐論を否定した。この主権概念と対立するのは伝統的な普遍支配権を主張する皇帝と教皇である。まずボダンは皇帝を選挙によって選ばれるのであるから、選挙を行なう支配者たちの主権を譲渡された受益者に過ぎないとこれを主権から外す。また教皇の至上権に対しては、国家の自律性・自然性を強調し、領域国家内の政治から宗教上の争いが排除されなければいけないとして政教分離を主張した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 低地地方と宗教改革 詳細は「オランダの歴史」を参照 メルセン条約によって東フランクと西フランクに分属することとなった低地地方[* 185]は中世後期に至るまで政治的統一とは無縁であった。しかしながら、14世紀にヴァロワ=ブルゴーニュ家の支配下にはいると、地域の政治的統一が促進されることとなった。その後、同家の断絶によりハプスブルク家がこの地を相続し、中央集権的な支配を及ぼそうとしたが、これに対して低地地方の貴族は不満を募らせ1568年に反乱し、やがて北部はオランダ共和国として独立した。オランダ共和国は改革派が多数であったわけではないが[* 186]、独立の過程においては改革派が主導的な影響を及ぼし、やがて改革派の中心国家として台頭することになった。 低地17州の歴史的経緯 ディジョンにあるブルゴーニュ公の宮殿 詳細は「ネーデルラント」および「ブルゴーニュ領ネーデルラント」を参照 12世紀までに、低地地方にはホラント伯やゲルデルン公、ブラバント公、エノー伯、ルクセンブルク伯、フランドル伯などの世俗領主、ユトレヒト司教やリエージュ司教といった教会領主が分立割拠していた。11世紀後半ごろからこの地域に対する神聖ローマ皇帝の圧力は減退していき、低地地方は徐々に英仏両国の影響を受けるようになっていった。 低地地方南部で徐々に強大な勢力を確立したフランドル伯は、フランスとの対立を深め、とくにフランドル伯支配下の都市はイングランドとの通商関係での結びつきがあったことから、イングランド王に接近した。フランドル伯ボードゥアン9世の時代には、ノルマンディをイングランド王ジョンから取り上げたフィリップ2世がフランドルを窺う情勢となった。つづくボードゥアンの娘ジャンヌの時代に、イングランド王ジョン・神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟し、フランス王権に挑戦したが、1214年ブーヴィーヌの戦いで敗北した。以降フランドルはしばらくの間フランス王権の掣肘を受けることとなる。 14世紀半ばに同地は相続を通じてブルゴーニュ家のフィリップ豪胆公の支配下に入り、この公国のもとで政治的統一が進められた。公国は財政的にも低地地方に大きく依存しており[* 187]、自然と公国の重心も低地地方へと移動した。このころすでに聖職者、貴族、有力都市民からなる身分制議会が低地地方でも開かれていたが、あらたに課税賛否権と請願権を与え、この議会は「全国議会(エタ・ジェネロー)」[* 188]へと発展した。 14世紀にルクセンブルク伯領を領していたルクセンブルク家の当主が相次いで神聖ローマ皇帝となり、同家はやがて神聖ローマ帝国の東方に広大な家領を形成した。カール4世の時代にルクセンブルク伯はルクセンブルク公へと格上げされ、同家は最盛期を迎えるが、やがて15世紀初めには同家の男系は断絶し、その支配地域の多くは相続を通じてハプスブルク家の手中に収まった。 1477年にシャルル突進公がロレーヌ・アルザス・スイス軍との戦いで戦死すると、フランス国内のブルゴーニュ公領はたちまちフランス王権に回収され、相続者マリーに残されたのは低地地方とフランシュ=コンテのみであった。マリーは同年ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と結婚し、これらの地域もまたハプスブルク家の支配に収まった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ハプスブルク家の統治(カール5世とフェリペ2世) カール5世の「帝国」(1547年) 詳細は「ネーデルラント17州」を参照 1506年フィリップ端麗公が急死すると、その長子シャルルが公国を相続し、1515年1月に全国議会で即位した。さらにシャルルは1516年にはカスティリャ・アラゴン両王国の君主となり、1519年には対抗馬のフランソワ1世を破って神聖ローマ皇帝カール5世となった。こうして東はトランシルヴァニアから西はスペインにいたる、ヨーロッパ全体を包含するかのような「帝国」が形成された。この帝国には一体的な国家組織がなく、個別の国家がただ単にカール5世のもとに集約されているに過ぎなかったが、低地地方はその中で位置的には辺境であるにもかかわらず、対フランスの軍事的・政治的拠点であり、さらにアントウェルペンの金融は「帝国」の重要な財源であった。カールは低地地方の行政的中心をブリュッセルにおき、中央集権化を進めて政治的統一を促進させる一方、周辺地域の武力的制圧をすすめ、メルセン条約以来分断されていた低地地方を初めて統一した。低地地方が17州[* 189]と呼ばれるのは、このカール5世が帯びた、低地地方の17の称号に由来し、1548年のアウクスブルク帝国議会で正式に承認された。1549年には低地地方が「永久に不可分」な形でハプスブルク家に継承されることを定めた国事詔書(プラグマティック・サンクシオン)が発布され、全国議会で承認された。 カール5世に続いて低地地方を支配したのは長子フェリペであった。フェリペもカール5世の基本路線を継承し、法典や裁判制度の統一をはかり、低地地方を中央集権化しようと試みた。低地地方の政治の実権はグランヴェルなどの寵臣が握っており、オラニエ家などの大貴族と対立した。フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 190]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 191]。このころフランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド 「鉄の公爵」と呼ばれた。彼の設けた「騒擾評議会」は別名「血の裁判所」と呼ばれるほど苛烈で、低地地方を苦しめた 1565年フェリペが改めて低地地方での異端審問の強化を命令すると、下級貴族は反発を強め、1566年には異端審問の中止を求める訴状を執政マルハレータに提出した[* 192]。マルハレータは異端審問の一時緩和を発表したが、これにより改革派が公然と低地地方で活動を開始するに至った。 フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 193]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 194]。しかし、この頃フランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 1566年、フランドルでカトリック教会や修道院を狙った暴動が発生し、その反乱は低地地方各地へと広まった。フェリペが重税などの圧政を行っていたため、まだプロテスタントが浸透していない北部にまで暴動は拡大した。この暴動は一見宗教的動機に隠されてはいるが、そのうちに深刻な経済的理由が存在していた[* 195]。この年は北欧での大規模な戦争によってバルト海方面からの穀物流入が激減し、食糧難と経済危機によって低地地方の人々は苦しんでいたのである。1567年8月、フェリペは事態の収拾を図るため、アルバ公に指揮権を与え軍隊による介入を指示し、1万ほどの軍勢とともに派遣した。アルバ公は「騒擾評議会」なる特別法廷を設置し、暴動の参加者を徹底的に弾圧した。さらに12月にはマルハレータに替わって執政になり、ネーデルラント貴族にこの暴動の責任を問うた。1568年6月5日、異端撲滅の名の下に、エフモント伯ラモラール、ホールン伯フィリップを含む大貴族20人余りがブリュッセルで処刑された。この際、大貴族の一人であったオラニエ公ウィレム1世は1567年4月すでにドイツに逃れており無事だったが、彼ら亡命貴族の財産・領地の多くが没収された。1569年には十分の一税を導入して、スペインの財政改善のために低地地方に経済的圧迫をもたらした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 八十年戦争とオランダ共和国 詳細は「八十年戦争」を参照 ドイツに逃れていたオラニエ公ウィレムは1568年4月に軍を率いてオランダ北部と中部から一斉に進攻するが、5月23日ハイリハレーの戦いに勝利したものの、結局は失敗に終わった。ウィレムはフランスのユグノーに合流し、「海乞食(ワーテルヘーゼン)」を組織して低地地方の沿岸を無差別に略奪した。1572年4月1日海乞食はブリーレの占拠に偶然にも成功し、やがて港湾都市を少しずつ制圧していった。同年7月ホラント州は反乱側に転じ、ウィレムを州総督に迎えることとした。ホラント・ゼーラント2州に海乞食が足場を整えると、改革派が続々と流入し、徐々に主導権を握るようになった。1573年2月にはホラント州でカトリックの礼拝が禁じられた。 1576年には給料の未払いから低地地方に駐留していたスペイン軍が略奪に走ると、スペインに協力的であった南部州も反乱州との提携に転じ、ヘントの和約が結ばれた。和約は全部で25か条あるが、最初の3か条はとくにこの条約の基本性格を表していると考えられている。第1条ではスペイン王による無条件大赦を要求し、第2条では諸州の連帯と低地地方の平和維持を規定、第3条では宗教問題など諸州の問題を解決するために全国議会を開くことを決めていた。しかしながら、この和約は全く効果的な裏付けを欠いていた。そもそも約束された諸問題の解決のための全国議会は結局開かれなかったし、条約は北部と南部が互いに都合良く解釈する余地を残していた。たとえばフェリペ2世の意向を気にする高級官僚は早くも1576年11月9日づけの国王宛書簡で「和約」を容認したやむべき経緯を釈明した上で、和約の実施にあたっては修正を加えることを示唆している。同様にオラニエ公ウィレムの側でも、側近がイングランド宛の書簡で宗教問題について、ホラント・ゼーラント両州では全く妥協する気がないことを述べている。このようにヘントの和約は全くその場限りの一時的な妥協に過ぎず、永続性を欠いており、状況の推移によって簡単に崩れる脆い地盤の上にあった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 日本近代史における政教分離 大政奉還がなされて明治政府が誕生し、日本の近代史が始まる。ここでは近代の法制史の立場から政教分離に関連する歴史を概説する。 大政奉還の年(1867年慶応3年)神祇官が復興され、明治新政府は祭政一致の国家形成を目指す方針を出した[222]。1868年(明治元年)神仏分離令が出され、廃仏毀釈が起こる。また「五榜の掲示」にキリシタン禁制とあるのが確認される。1869年に設けられた公議所の議論で神道の国教化路線が決定され、神道に関する神祇官は太政官から独立して行政制度において独自の位置を占めた。しかし1871年には神祇省に格下げされて、1872年には神祇官が廃止され、教部省が新たに仏教・神道ともに管掌することとなった。国民を教化する職責として教導職制度が設置され、教導職の教育機関として大教院が設置された。 これに対して浄土真宗本願寺派の島地黙雷が三条教則批判建白書を提出し(1872年明治5年)、1875年1月には真宗4派が大教院離脱を内示するなど紛糾し、結局同5月に大教院は解散することとなる。 1873年1月に太陽暦が導入され、1874年には仏教・神道の中での宗派選択の自由が、1875年には信教の自由が保障された。1882年(明治15年)には官国幣社の神官が葬儀に関与することを禁じ、国家祭祀に専念させることとし、国民的な習俗として一般的な宗教とは区別されることが方向付けられた。このさい内務省通達により神社は宗教ではないとされた(神社非宗教論)[223]。 大日本帝国憲法(1889年明治22年)には第28条で「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と記載された。 昭和期に入って、日本国内で国粋主義・軍国主義が台頭すると、神道は日本固有の習俗として愛国心教育に利用され、神道以外の宗教に顕著な圧迫が加えられるようになった。神道以外の信仰を持つ生徒・学生であっても靖国神社への参拝を義務づけたため、1932年には上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否するという事件(上智大生靖国神社参拝拒否事件)が発生した。これに対してカトリック教会は1936年『祖国に対する信者のつとめ』を出し、日本政府の方針にしたがうべきことを表明した。 第二次世界大戦後の1945年、GHQにより神道指令が出され、国家神道は廃止され、現行憲法では政教分離が原則的には実現されている。 現代日本における政教分離原則に関する問題については政教分離原則・靖国神社問題・公明党を参照 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 関連項目 帝権と教権 叙任権闘争 皇帝 ローマ教皇 神聖ローマ帝国 フランク王国 カロリング朝 ホーエンシュタウフェン朝 ハプスブルク家 ルクセンブルク家 選帝侯 各国史 ドイツの歴史 フランスの歴史 イギリスの歴史 教会 キリスト教の歴史 ローマ教皇の一覧 東西教会の分裂 正教会 カトリック教会 教会大分裂 公会議主義 宗教改革 プロテスタント ヨーロッパ外の祭祀王権との比較 天皇 神道 皇帝祭祀 天下 参考文献 全体 森安達也 『近代国家とキリスト教』 平凡社〈平凡社ライブラリー, 446〉、2002年。ISBN 4582764460。[* 196] 歴史学研究会 編『現代歴史学の成果と課題 1980年-2000年 2 "国家像・社会像の変貌"』青木書店、2003年。 小林良彰・河野武司・山岡龍一 著『政治学入門 ( 07)』放送大学教育振興会、2007年。 江川温 著『ヨーロッパの歴史 ( 05)』放送大学教育振興会、2005年。 リュシアン・フェーヴル 『ヨーロッパとは何か 第二次大戦直後の連続講義から』 長谷川輝夫訳、刀水書房、2008年。ISBN 9784887083646。 ウィリアム・ウッドラフ 著、原剛ほか訳『概説 現代世界の歴史 1500年から現代まで』ミネルヴァ書房、2003年。 岡本明 編著『支配の文化史 -近代ヨーロッパの解読-』ミネルヴァ書房、1997年。 各国史全般 松谷健二 著『東ゴート興亡史』白水社、1994年[2003年中公文庫] 玉置さよ子 『西ゴート王国の君主と法史』 創研出版、1996年。ISBN 978-4915810084。 アズディンヌ・ベシャウシュ 著、藤崎京子 訳『カルタゴの興亡』知の再発見双書、1994年。 松谷健二 著『ヴァンダル興亡史』白水社、1995年[2007年中公文庫]。 青山吉信 『先史〜中世』1、山川出版社〈世界歴史大系, イギリス史〉、1991年。ISBN 4634460106。 今井登志喜 著『イギリス社会史』上下、東京大学出版会、1953年。 ベーダ・ヴェネラビリス 『イギリス教会史』 長友栄三郎訳、創文社、1965年。ISBN 978-4423460078。 J・R・H・ムアマン 『イギリス教会史』 八代崇ほか訳、聖公会出版、1991年。ISBN 978-4882740636。 村岡健次 ほか編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』ミネルヴァ書房、1986年。 樺山紘一 ほか編『世界歴史大系 フランス史』1〜3、山川出版社、1995年。 成瀬治、山田欣吾、木村靖二 『ドイツ史』1、山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年。ISBN 9784634461208。 森田安一 『スイスの歴史と文化』 刀水書房、1999年。ISBN 4887082355。 森田安一 『スイス・ベネルクス史』 山川出版社〈世界各国史, 14〉、1998年、新。ISBN 4634414406。 ウルリヒイム・ホーフ 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Medieval Italy during a Thousand Years A Brief Historical Narrative with Chapters on Great Episodes and Personalities and on Subjects Connected with Religion, Art and Literature. George G. Harrap. Edward Hutton (1913). Ravenna a Study. E. P. Dutton. ISBN 978-0554137117. - 名無しさん 2015-08-23 21 32 12 名前 意見 バイオハザード アンブレラ・クロニクルズ 攻略wiki とコラボして欲しいです - レン 2012-04-25 20 13 01 最終編集 2 か月前、Æskja 政教分離の歴史 政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する[* 1]。したがってここでは政教分離原則成立の社会的背景を、近代国家とそれに先行する政治社会の宗教政策との関連性に基づくものとしてその歴史を概観する。 バチカン市国 中世におけるカトリック教会は教会国家という世俗的な基盤を有しながらも、全ヨーロッパ規模での普遍的な権威を主張した。近代ヨーロッパ各地に国民国家が成立していくと、このような普遍性に支えられていた特権や管轄地は多く失われ、世俗の国家に回収された。現在カトリック教会はバチカン市国としてサン・ピエトロ大聖堂を中心とした世俗の一独立国家となっている 基本的な視野 政教分離とは、信仰生活と政治活動は分離されるべきであるという考え方である。歴史的にはジョン・ロックによって、信教の自由は人間の自然権であるという考えが提唱され、多くの近代国家の憲法に原理として取り入れられて制度化された。ただし国により制度的な実現方法には相違がある。 近代国家成立史として カール大帝の戴冠(ジャン・フーケによる1460年ごろの作品) カール大帝は800年教皇レオ3世によって加冠され、キリスト教西ローマ帝国の皇帝となった。ゲルマン的普遍世界の成立を告げる重要な画期であったが、後代カール大帝はこのとき塗油によって聖別されたと信じられた[* 2]。厳密に言えばそれは後代のアナクロニズム(時代錯誤)であったが、のちに「国王が教皇によって聖別されること」が王権に対する教権の優位の有力な根拠となった一方、一度聖別された国王が聖性をもつことの根拠ともなり、のちには血統霊威の観念[* 3]などと結びついて王権神授説に発展し、絶対王権の根拠ともなった 近代的な市民社会とそれに立脚した近代的な国民国家は、近代の西ヨーロッパに成立したものであるが、中世の西ヨーロッパ世界においては国民を単位とした政治社会は希薄であった。そこでは、古代ローマ帝国の帝権の延長線上に自身を位置づけ、世俗世界での至上権を主張するドイツの皇帝と、キリスト教信仰と教会組織を持ち不可謬権と聖書解釈を独占しようとするローマ教皇が、それぞれローマ法とカノン法という独自の法を持ち、権力と権威を二分していた。したがって国民を単位とする政治社会である近代国家が生起するためには、帝権と教皇権を超克していかねばならず、特に「国家の中の国家」と言われた教会組織の取り込みあるいは克服がなされねばならなかった。 このような状況は西ヨーロッパに固有の問題であると言えるが、近代国民国家が西ヨーロッパで成立したと考えられているために、国家と宗教の関係性の歴史が近代国家の成立史において主要な論点として意義を有することになる。現在の国民国家は例外はあるものの、ほとんどの国が政教分離を原則としており、また近代国家の克服の対象であった教会の側では、中世以来のカトリック教会の首長であるローマ教皇は、一方でバチカン市国という一つの近代国家の首長となり変容を遂げた。 霊性史として さらにより宗教史的・神学的な視点から、キリスト教の宗教的領域(「霊性(スピリトゥアリタス、Spiritualitas)」)についての歴史として、政教分離の歴史的経緯を捉えることも出来る。「霊性」とは本来「洗礼の際、神によって注がれた霊に遵って生きること」、つまりキリスト教的倫理に遵った生活のことであった[1]。 この「霊性」という言葉は、使われはじめた当初から新プラトン主義的な、身体や物質と対立する意味での「魂(プシュケー)」に概念的な接近を見せており[* 4]、12・13世紀の文献においては、政治や経済といった人間の世俗的な概念に対する、人間の「超自然性」「非物質性」を意味している。さらには国家に対する教会法的意味での教会の聖職を指す用語となった[6]。中世の政治思想において国家は、「世俗的なるもの」に対する「霊的なるもの」の優位という階層秩序観に基づき、教会への奉仕を求められることになる[* 5]。これは国家が道徳倫理においても卓越性を持つと考えられていた古典古代の政治思想と著しい対照をなした[* 6]。 すでにアウグスティヌスにおいて、政治秩序とキリスト教倫理の間の緊張関係は「地の国」と「神の国」という超越的な世界観との関連において捉えられていたが、カール大帝の戴冠以後、皇帝と教皇の権力という現実と密接に関連していくことになる。中世盛期に登場したトマス・アクィナスにおいては、政治社会とその秩序は、より上位の神学的・倫理的共通善を実現するための外的諸条件の確保のためにあるものと考えられている。 ところが中世後期のパドヴァのマルシリウスにいたると、逆に国家の平和を維持するという観点から教皇至上権批判が展開される。さらに同時期のウィリアム・オッカムにおいては、政治秩序を自然法的規範よりは自由な合意形成によって形成すべきであるという考えが提示されている。このオッカムの議論は抵抗権の思想に直接的に結びついた。 ルネサンスの時代には、神や普遍的自然法思想に支えられた階層的秩序観は動揺し始め、この時期に登場したニッコロ・マキアヴェリは政治と倫理道徳の結びつきを問い直し、政治原理のキリスト教からの自立を促した。こうしてキリスト教的道徳規範から独立した政治社会は、トマス・ホッブズによって支配契約関係として捉え直され、このような近代国家においては宗教も国家権力に従属すべきとされた。ジョン・ロックはホッブズの理論を批判しつつ継承したが、彼においては国民国家の統一を守るために、宗教の問題はもはや公権力が関知することではなく、政策的に寛容な立場を取ることによって私事として処理されるべきものとされた。 今日の欧米では、国教制をとるにせよ(イギリス)、公法上の法人格を与えるにせよ(ドイツ)、私法上の組織として扱うにせよ(アメリカ・フランス)、国家と霊性を分離し、信教の自由を認めるのが一般的であり、むしろこのような自由が認められない諸国に対して批判的である。しかし、今日の保守主義思想はしばしばこのような宗教(的な倫理規範)と政治との乖離状態を批判し、宗教の持つ公共性への見直しも進められている[* 7]。そのため宗教と政治の関係を単純な公私の関係で割り切ることはできなくなりつつあるといえる。 正教会の事情 「ビザンティン・ハーモニー」も参照 カトリックとは異なり、ビザンツ(東ローマ)皇帝の強い影響下にあった正教会においては、権威において教会の首長であるコンスタンティノープル総主教がビザンツ皇帝を上回ることはなく、公会議も皇帝によって招集された[* 8]。行政区分に基づいた主教管区をおく伝統によって、独立した国家ごとに主教管区が設けられ、ビザンツ帝国の後期には帝国の縮小に伴ってバルカン半島諸国で主教管区がコンスタンティノープル総主教の管轄を離れ、独立する傾向にあった。 ビザンツ帝国が滅亡し、教会がオスマン帝国の支配下にはいると、コンスタンティノープル総主教は帝国の拡大に伴ってバルカン半島や西アジア・エジプトなどに管轄を広げ、アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの三総主教座も事実上その管轄下に収めることになった。しかし一方でオスマン皇帝の意向を重視した総主教が選出される傾向が増し、聖職売買が横行するようになった。またこの時代の東方教会においては聖職者・修道僧の識字率の低下も見られた。このような状況は東方における神学教育の低迷をもたらし、カトリックの神学校に留学する正教神学徒も増加した。西ヨーロッパで宗教改革が起こると、カトリック・プロテスタント両派ともバルカン半島を中心とする東欧国家での布教活動を重視するようになり、正教側も対抗改革派とくにイエズス会の神学校に影響されて、神学校を設立し、正教神学校はのちに近代国家の宗教政策において一定の関与をすることになる。 18世紀以降オスマン帝国が縮小に向かうと、バルカン半島で民族独立運動が激化し、それに伴ってバルカンの民族教会は総主教から独立しようとするようになった。このような動きに対し、コンスタンティノープル総主教は概して否定的で、これら民族教会の正教徒よりはオスマン皇帝に近い立場にあった[* 9]。オスマン帝国の縮小とともにコンスタンティノープル総主教の管轄も狭まり、第一次世界大戦後にトルコ共和国が成立してオスマン帝国の本体が国民国家となると、総主教は形骸化して名目的な地位と化した[* 10]。 歴史的展開 近代のキリスト教は東西いずれの教会においてもその影響力を低下させた。ここでは近代社会と宗教について、とくに近代国家とキリスト教の問題を焦点とすることとし、その際近代国家成立の前提としての近代以前のヨーロッパ史における世俗王権とカトリックの教権の関係をまず概観する。さらにその背景となる思想史についても適宜記述する。近代以降については正教世界にも視野を広げて記述するが、近代国家との関連性を重視するという観点から中世以前の正教世界についてはここでは詳しく触れない。 近代以前の正教世界については正教会・東ローマ帝国・キリスト教の歴史を、正教会における国家と教会の関係を示す政治理念についてはビザンティン・ハーモニーを参照 概要 四福音書記者 新約聖書の中心部分をなすイエスの生涯を記録した文書が四福音書である。4人の福音書記者はそれぞれ象徴を持つ。天使で象徴されるマタイ(左上)。ライオンで象徴されるマルコ(左下)。鷲で象徴されるヨハネ(右上)。雄牛で象徴されるルカ(右下) 「歴史的展開」節の記述は政治社会とキリスト教の関係について、政治史・国家史・教会史・思想史の多岐にわたって概説するため、ここでは便宜のために要約を示す。 古代のキリスト教 「古代のキリスト教思想」では、キリスト教本来の思想傾向と古代に現れたキリスト教の思想を、政治思想史の観点から概説する。 「初期キリスト教と国家」ではパウロの思想やアウグスティヌスに代表される教父哲学を概説する。イエスの思想は内面と政治社会を区別する特徴的な思想を形成し、パウロは神の恩寵という観点を持ち込むことでイエスの思想を一つの宗教にまで高めた。アウグスティヌスの政治思想はのちに中世の異端思想や宗教改革に影響を与えた。 またとくに「両剣論」は教皇ゲラシウス1世が唱えた「教権と帝権がともに神に由来する」という考え方で、中世を通じて教権と王権の関係性についての有力な理論的根拠の一つであった。 加えて「初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝」では、古代の典礼に見られるキリスト教に特徴的な内面性を概観し、皇帝礼拝とキリスト教迫害についての問題を取り上げる。 中世普遍世界 「キリスト教普遍世界」では、一般に封建社会、あるいはヨーロッパ中世として知られる時代での、世俗国家と教権のありかたの推移を概説する。 「教皇国家の成立」では、教皇権の経済的基盤ともいうべき教皇領の成立までを概観する。 「ゲルマン諸民族の世俗国家」では、西ローマ帝国滅亡後に西ヨーロッパに割拠したゲルマン人の諸国家における国家と宗教の関係を概観する。この時期のゲルマン人の王権は後世に比べると世俗的で、教会の宗教的権威に依存する面が少なく、領域内の教会については実質的な支配を及ぼしていた。ただ国家ごとに内実は多少異なり、地中海に面した西ゴート王国やヴァンダル王国と内陸部のメロヴィング朝は経済的条件も文化的条件もかなり異なっていた。 「政治的宗教的統一体の自覚」では、6世紀における政治思想としてトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世を取り上げ、ビザンツ帝国による統一的支配という観念が西欧地域で薄れ、新たな領域国家意識が発生し始めている様子を概観する。 「ランゴバルド族と中世初期の南イタリア」では、東ゴート王国の時代から東ローマ帝国の支配を経て、分裂する南イタリアの情勢を概観し、12世紀のシチリア王国の成立に至る。 「カロリング朝の帝権」では、メロヴィング朝の衰退からカロリング朝が成立し、やがて西ヨーロッパ世界で唯一の世俗的至上権、皇帝権を獲得するまでに至る過程を概観する。 また初期の教権と帝権について、その理念的背景として「カロリング朝期の政治思想」を概観する。 「グレゴリウス改革と教権の絶頂」では、11世紀から始まる教会の改革運動と13世紀の教皇権の絶頂期を概観する。 「周縁における権力と教会」では、西ヨーロッパのキリスト教世界の周縁に位置したイングランド王国とイベリア諸国およびスカンディナヴィアにおける、中世前半期における教会と王権の関係を概観する。 「等族国家と公会議主義」では、封建国家に身分制に立脚した議会主義が成立し、それにより国民単位の政治社会の基礎が築かれたことを概説する。さらに議会主義と国民単位の類似制度が教会においても成立し、公会議主義となった。 「王権の超自然的権威の獲得過程」では、王権が教権に対抗するために一定の宗教的権威を獲得していった過程を概説する。共通にキリスト教思想に立脚しながらも、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の宗教的権威が「ローマ的」であったのに対して、イングランドのそれが「アングロ・サクソン的」、フランスのそれが「フランク的」であり、そこに王権が国民的な国家形成の核になる端緒があった。 「カトリック大国、スペイン」では、この時期あらたに大国としてヨーロッパ政治に主要な位置を占めることになったスペインの初期宗教政策について概説する。スペインがカトリック信仰に熱心であったのは事実とはいえ、その王権や文化が必ずしも教権に盲従していたわけではない。 教会の正統な信仰とは別次元で、中世の民間にはやや異なった信仰が存在した。「中世の民衆信仰」では、このような民間信仰を概観する。 「宗教改革前思想史」では、中世後期の異端思想と人文主義について概観する。それらの思想の立つ政治的立場と背景にある政治状況についてもある程度言及する。また宗教改革との関連性も指摘する。 宗教改革以降 「近代社会とキリスト教」では、宗教改革以降の近代社会における国家の宗教政策、および時代ごとのキリスト教に関する思想の変遷を概観する。 「宗教改革(プロテスタント側から)」では、ルターの宗教改革がなぜ宗教問題にとどまらずに政治的な問題に転化したかということについて簡単に説明する。 「ドイツの領邦教会制度」では、ドイツにおける宗教改革の初期の帰結としての領邦教会制度が成立するまでを概観する。 ドイツで宗教改革が始まった頃、スイスでも同様に福音主義的改革が始まっていた。「スイス盟約者団と福音主義」では、宗教改革の第2戦線ともいうべきスイスの宗教改革を概観する。 「宗教改革派の諸思想」では、宗教改革派の諸思想を概説する。 「フランスのコンフェッショナリズムと主権理論」では、フランスの改革派ユグノーとフランス王権の宗教政策から絶対主義の形成過程を概観する。 「低地地方と宗教改革」では、ネーデルラントにおける独立運動と、それによって成立した新教国オランダの初期の状況について概観する。 日本 「日本近代史における政教分離」では、明治維新以降日本国憲法発布までの日本の宗教政策について概説する。 古代のキリスト教思想(〜500年) 十字架を担うキリスト エル・グレコによる1580年の作。ゴルゴダの丘に向かうイエスの像である。イエスの死は彼が「神の国」をもたらすと信じていた信徒に失望を与えたが、やがて死に意味づけがされ、ひとつの宗教として確立された 具体的な世俗国家とキリスト教の関係性の歴史を、この記事では中世以降の政治史を中心に概観する。しかしながらそれに先だって、キリスト教本来の政治に対する思想傾向と以後のキリスト教と世俗国家の歴史に特徴的な影響を及ぼすいくつかの思想を概観する。 初期キリスト教と国家 ここではまずイエスの思想と考えられるものの中から、政治社会に関係すると思われるものについて概説し、次にパウロの思想について説明する。その後アウグスティヌスに代表される教父哲学の思想を概観する。とくにパウロの「ローマの信徒への手紙」とアウグスティヌスの思想は後世のキリスト教に決定的な影響力を及ぼしており、その歴史上で繰り返し回顧される重要な思想である。 イエスの思想の歴史像 詳細は「イエス・キリスト」、「救世主イエス・キリスト」、「史的イエス」、および「ナザレのイエス」を参照 ここでは新約聖書に現れるイエスの思想の中から、とくに政治社会に言及する限りにおいて重要なものを指摘する。イエス思想において根本をなすのは福音である。福音とは「良い知らせ」と言う意味で、具体的には「神の国」が近づいているという知らせである。 イエスによれば、「神の国」が来ると、既存の社会秩序とは全く異なった新しい秩序に基づく生活が始まる。新しい秩序はまず愛の共同体であって、そこでは人々が神の愛を無条件に受け入れることで一切の対立が消滅する。この「神の国」に参加するために、人は罪を悔い改め、欲を捨てて神に従った生活態度を取らなければならない。基本的にはこれは世俗的秩序の否定であり、人間の内面の重視と政治社会の本来性の否定であった。イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と述べて、世俗社会と精神世界を区別し、「神の国」の到来によってやがては内面的な精神世界が世俗社会にとってかわると述べた。しかしイエスによれば、現存する世俗秩序は決して無意味ではない。「神の国」にはいるためには現世でのおこないが決定的であると説く。イエスは現世でもっとも悪い状態にある者が来世においてもっとも良い状態になると述べる。 以上のイエスの思想に鑑みると、二つの特徴を指摘することができる。一つは政治社会と内面の区別、もう一つは政治社会の価値が「神の国」の価値とほとんど正反対であるということである。このようなイエスの課題はまったく政治社会を超越しており、その意味で非政治的であるが、現実の政治社会に批判の目を向け緊張をもたらすという意味で政治的であった。後述するように、キリスト教の教会が中世において、世俗権力を超えた有力な政治社会となっている点が見られるのも、キリスト教が本来的に現世を超越している点に求めることができる[* 11]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] パウロ パウロ ヴァランタン・ド・ブーローニュもしくはニコラ・トゥルニエによる1620年ごろの作。パウロはキリスト教を言語化し、神学的説明を加えた。これは後代の信仰理解に決定的影響を与えるものであった 詳細は「パウロ」を参照 パウロはもともとイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となった。彼はキリスト教思想において最も重要な人物の一人[* 12]で、その著作「ローマの信徒への手紙」[* 13]は以降のキリスト教思想に繰り返し影響を与えた。 パウロにおいては罪の意識が非常に強いことがまず指摘できる。彼は心の欲する善を行うことができずに、かえって心の欲せざる悪をなしてしまうことに悩んだ。そのため彼の思想では人間の無力さが強調される。このような人間は自力では救われることがないために、神の恩寵によってしか救われることがないのである。そしてパウロはイエスの死こそ神の自己犠牲であると考える。この神の自己犠牲によって人間は罪から解放されるのであり、これを信じ、イエスの教えを実践することで新しい生を迎えることができるという[* 14]。このようにパウロにおいては内面と行為の分裂が説かれた。 政治思想としては、受動的服従が知られる[* 15]。パウロによれば、この世の権威は神に拠らないものはなく、したがってこれを受け入れなくてはならない[* 16][* 17]。だが、それは内面の良心の故であり、決してそれらの権力それ自体に価値があるからではない。その正統性はあくまで神によって認められている限りであるという。このようにパウロは「ローマ人の信徒への手紙」の中でキリスト教の将来はローマ帝国とともにあると考えており[* 18]、ローマ帝国の支配を無条件に肯定している[26]。 また注目すべき思想としては、「自分の手で働くこと」を推奨している[* 19]ことで、これは明らかに古典古代の労働観に反する[28][* 20]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教父哲学(アウグスティヌス) 詳細は「アウグスティヌス」を参照 アウグスティヌスはキリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献した教父のなかで、とくに後世に大きな影響を残した人物である[* 21]。 アウグスティヌス ボッティチェリによる1480年ごろの作品。アウグスティヌスの思想はキリスト教的歴史意識を確立し、中世の異端運動や宗教改革にも大きな影響を与えた 『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように、「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。またアウグスティヌスは、人間の自由意志について論じ[* 22]、古代以来の「自由」という言葉を「神との関係における人間そのもののあり方に関わる言葉」[36][* 23]として再定義し、のちの思想史に大きな影響を与えた。その一方で人間は本来的に堕落しており無力であるというパウロの思想が踏襲され、神の恩寵が絶対的であることも説かれた。 このようなアウグスティヌスの思想は、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別し、キリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった[* 24]。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも決定的な影響を与えるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 両剣論 「両剣論 ("theory of two swords")」とは世俗的な政治権力と宗教的権威の関係性について述べたもので、もともとは「ルカによる福音書」のなかのイエスの言葉に由来する[* 25]。教皇ゲラシウス1世はこれを俗権と教権がともに神に由来することを述べたものであるとし、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた[* 26]。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。 中世になると、両剣論には二つの異なる立場から相反する解釈がおこなわれた[* 27]。ひとつは皇帝に有利な解釈で、帝権が直接神に由来することは世俗的世界での皇帝権の自立性の根拠となった。もうひとつは教権に有利な解釈で、教皇が両剣を持ち、一方の世俗的な剣を皇帝に委任して行使させるという解釈[* 28]で、教権の優位性の重要な根拠の一つとなった。 歴史的には、グレゴリウス改革以前、11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇の叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった[42]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝 ステファノ その名前が明らかにギリシャ風であることからも分かるように、初代教会において、彼はヘレニストの代表であった。彼はファリサイ派によって石打ちの刑にされるが、ジャン・ダニエルーはこの殉教の裏側にキリスト教内部のヘレニストとヘブライストの立場の違いを見ている[43]。図はイタリアバロックのボローニャ派に属するジャコモ・カヴェドーネ (en Giacomo Cavedone) の作品 キリスト教はユダヤ教とは明らかに異なった礼拝観を持っていた。イエスは旧約的な神殿礼拝を拒否してはおらず、祝日には自ら神殿に赴いたが、一方でより内面を重視した新しい礼拝観を示した。「ヨハネによる福音書」のなかでイエスは あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。[44] と言っている。使徒時代のキリスト教徒であるステファノの次の言動には、このイエスの内面的な礼拝観がよく表れている。 神のために家を建てたのはソロモンでした。 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。 『主は言われる。 「天はわたしの王座、/ 地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/ どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。 これらはすべて、/ わたしの手が造ったものではないか。」』[45] 彼はエルサレムの神殿に直結したユダヤ教の祭祀を否定し、イエスの述べた新しい礼拝を強く主張したために、殉教にいたることになった[46]。 だからといって、初期のキリスト教会が外形的な表現を重視しなかったわけではない。集会堂としての教会は典礼の中心となったし、洗礼はキリスト教共同体としての「教会」への加入を視覚的に表現した。しかし一方で2世紀後半から3世紀にかけてのキリスト教著述家ミヌキウス・フェリクスは「私たちには、神殿も祭壇もない」ということを異教徒に対して誇った。教会は集会する場所であり、祭儀は建物としての教会堂に帰するのではなく、信徒共同体としての教会それ自体に帰するのである。初期キリスト教ではイエスこそが「祭司」であり「大祭司」で、そのキリストに繋がれているという意味で、教会が「祭司」なのであった[47]。 このような内面性の強いキリスト教の性格はローマ帝国で行われたいわゆる「皇帝礼拝」と相容れざるもので、帝国は公共祭祀である「皇帝礼拝」を受け入れないキリスト教徒を、公共の宗教からの逸脱者、国家離反者として迫害したという説が歴史学者の間で長く論じられてきた。とくに自らを「主にして神」と称したドミティアヌスがこのような皇帝礼拝の要求者とされ、彼の治下に激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられた[* 29]ことから、迫害と皇帝礼拝は因果づけて考えられてきた。間接的には古代教会が日曜日を「主の日」として制定したことも、皇帝礼拝に対抗するキリスト教徒の信仰告白であったという見方も提示されてきた[49]。また「ヨハネの黙示録」の「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」[50]という記述も思い出されるであろう。 しかし、最近の研究によれば、そもそも「皇帝礼拝」という名で括られている祭儀は多様であり、内容においては極めて政治的な意味を持つものから宗教性の高いものまで、範囲においても都市国家規模から属州単位のもの、担い手も一様でなく、それらを統一的に「皇帝礼拝」という一語で把握することには飛躍が伴うことが示されている。黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難である[51]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教普遍世界(500年〜1500年) 「中世」も参照 中世初期、5・6世紀の段階においては、ゲルマン人の侵入や西ローマ帝国の滅亡など歴史的な地殻変動を象徴する事件が起きた後であったにもかかわらず、なお地中海をとりまくローマ世界はビザンツの帝権の下に存続していたと見ることができる。6世紀のユスティニアヌス帝は一時的にあるにせよ、地中海の大部分を制圧し、かつてのローマ帝国を再現することも出来た。 しかしながら、7・8世紀になると、地中海を中心とした統一的な世界はもはや完全に消滅し、西ヨーロッパはローマを中心としたカトリック世界として、コンスタンティノープルを中心とする正教世界とは分離する傾向が決定的となる。その要因としては以下の3つを挙げることが出来る。 イスラーム教徒の侵入 ビザンツ帝権の弱体化 ローマの自立 まず、イスラーム教徒が急速に勢力を拡大し、北アフリカ・イベリア半島を制圧するに及んで、従来これらの地で高度に発達していたキリスト教の文化は衰退した。今日に至るまでイベリア半島を除くこれらの大部分の地域はイスラーム圈にとどまっている。とくに教会会議が頻繁に開かれ、中世初期において西方のキリスト教世界の一つの中心であったイベリア半島陥落の影響は大きい[* 30]。 次にビザンツ帝国は一時的に地中海を回復したものの、イスラーム教徒の東地中海地域での拡大とランゴバルト族のイタリア半島侵入によって支配領域を縮小させ、西地中海での覇権を維持することが困難となった。これ以後ビザンツの帝権は南イタリアの支配地域を通じて間接的にしか西方世界に影響を及ぼせなくなる。 第三にローマ司教である教皇は上記のようなビザンツ帝権の影響力低下に伴って、西方世界において強力な庇護者を別に求めねばならなくなった。と同時に、東方から自立して西方世界の宗教指導者たらんと積極的な布教活動に乗り出す。8世紀ビザンツで起こった聖像破壊運動に対する教皇の対応の仕方はこの表れで、教皇は西方教会をして、この運動の蚊帳の外におくことに尽力した。 こうして東ヨーロッパと西ヨーロッパは、ローマ帝国とキリスト教という共通の根を持ちながらも、それぞれ独自の発展をしていくことになる。この節で中心的に述べるキリスト教普遍世界とはこのうち西ヨーロッパを中心としたカトリック世界のことである[* 31]。 教皇国家の成立 天国への鍵を授けられるペテロ イエスはペテロに天国の鍵を預けたとされ、彼が最初のローマ司教となったことで、彼の後継者であるローマ司教にその権威が受け継がれているという観念が広まった。ローマ教皇はこの鍵を自身のシンボルとして用いている 詳細は「教皇領」を参照 ここではやや時代を遡って教皇国家あるいは教皇領と呼ばれる教皇の世俗支配の形成過程を概観する。 西ローマ帝国の滅亡と西地中海世界 西ローマ帝国の領域にゲルマン人が多数の国家を形成し、西ローマの皇帝権が没落して古代的な帝国支配が弛緩すると、古都ローマはほとんどゲルマン人の支配の間に孤立した形となり、東ローマ帝国とのつながりは徐々に薄れて西ローマ帝国の領域は独自の発展をしていくようになる。しかしながらゲルマン人たちが西ヨーロッパで優勢を占めているように見えても、かつてのローマ帝国の西側と東側は地中海によって繋がれており、文化的経済的な繋がりは維持されていたのであって、突然にローマ的な文明がゲルマン的な文明になってしまったわけではない。地中海世界での東ローマ皇帝の優位性はいまだ揺らいではいなかったし、ゲルマン人たちは皇帝の支配を名目上は受け入れて、彼ら自身が皇帝になりかわろうという意図を持つことはほとんどなかった。ただ一方でこのような状況がローマ教皇に一定の自立性の根拠を与えたのであり、東方の正教会とは独自のカトリック教会が生まれる素地がここにあったことは間違いない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ペテロの後継者 ローマ司教が教会において優位性を立証できるとすれば、それはまずイエスの言葉に求められるべきであったし、事実そこに根拠が見つけられた。イエスはペテロに向かって、「汝はペテロである。私はこの岩(ペテロ)の上に私の教会を建てよう」と言ったという。ペテロが最初のローマ司教であったことは、ローマ司教こそが教会の本体であるということを指していると受け取ることもできる。ペテロはイエスから「天国の鍵」を預けられたとされた[* 32]。 ただ初期の教会において、このことがあまり重視されていたわけではなかった。4世紀にはローマ司教は有力なイタリア大教区を管轄しており、「西ローマ総大司教」とも見なされていたが、一方で一般信徒の面前で司教の選挙によって選ばれた、小さなローマの聖堂聖区の司教でしかなかった。ローマ司教の特別な地位が認められたのは343年のサルディカ宗教会議であって、それ以前は公式なものではなかった。この時期の教権の上昇に最も貢献したのはレオ1世で、455年にヴァンダル族がローマを攻撃したときに、その王ゲイセリクスと交渉してローマの略奪を防いだ。このころから「教皇(パパ)」という称号はローマ司教だけに特別に認められるものであるという観念がヨーロッパ世界に定着していった。4世紀の教皇シリキウスはテサロニカ主教を教皇代理に任命して、ダキアとマケドニアへの指導権を獲得し、ボニファティウス1世は改めてこれを皇帝ホノリウスに認めさせている。5世紀前半には教皇の権威はイタリア・ガリア・ヒスパニア・アフリカ・イリュリクムに及ぶようになった[54]。 しかしこのことでただちにローマ教皇の地位が、後世のように独自の権威性をもって普遍的な優位を確立したわけではない。東ローマ皇帝ユスティニアヌスがイタリア半島をローマ皇帝の支配の下に回復すると、彼はローマの司教も皇帝の統制に服するべきであると考えた。教皇の側もそれを受け入れ、帝国の支配に復帰することをむしろ歓迎していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の自立化への動き カール大帝 デューラーによる1510年の作。教会側が教皇の手による戴冠に皇帝の根拠を求めたのに対し、カール大帝自身はあくまでその神授性を強調した。彼の名乗った称号は「神によって戴冠され、ローマ帝国を統治し、平和をもたらす、最も至高なる偉大な皇帝にして、神の慈悲によってフランク人およびランゴバルド人の王であるカール」であった。 ところが東ローマ帝国に結びついたことは教皇にとって必ずしも良い結果をもたらしたのではないことは次第に明らかとなった。東方でさかんにおこなわれていた神学論争が西方に持ち込まれる結果となり、しかも神学論争にしばしば政治的に介入する皇帝の姿勢は不満の種となった。北イタリアの大主教が教皇の影響から離脱する動きを示したし、ガリアとイベリア半島でも分離傾向が見られた。関係が変化するのは「大教皇」グレゴリウス1世の時代である。彼の時代にはイタリア半島にランゴバルド族が侵入し、再びローマは危機的な状況を迎えていた。グレゴリウス1世はフランク王国を重視して、これと友好的な関係を結んだ。もともと行政官として経験を積み、ローマ総督の地位についたこともあったグレゴリウス1世は、おそらく都市ローマの行政上における教皇の影響力を増大させた。ランゴバルト族に連れ去られた捕虜の買い戻し、ローマの破壊を防ぐ代償としてのランゴバルド族への貢納の支払いに教皇は積極的に関与している。このころから教皇は都市ローマの公共事業を担うようになったと考えられている。 分離傾向を示す西方諸地域の司教たちに対して、グレゴリウス1世は教皇がそれらの上位にあることを繰り返し強調した。司教は当時すでに有力な世俗領主となりつつあり、司教座を熱望する動きが上層階級に見られるようになっていた[55][56]。その結果、明らかにふさわしくない候補者や若すぎる候補者が司教選挙に立つようになった[55]。しかしグレゴリウス1世は司教座に対する支配を徹底して、ナポリの司教を解任し、メリタの司教を降格し、タレントゥム・カリャリ・サロナの高位聖職者たちを厳しい口調で批判した[57]。ブルンヒルドによるテウデリク2世・テウデベルト2世の摂政期に起こった数々のガリア教会の醜聞に、グレゴリウスは諫言を書き送った[* 33]が、実を結ぶことはなかった[59]。この当時のガリア教会は完全にメロヴィング朝の「領邦教会」と化していたからである[60]。ビザンツ帝国に対しては一定程度の影響力を行使したが、従来教皇の指導権が及んでいたイリュリクムでは教義に関する問題においてさえ、無力であった[59][* 34]。 グレゴリウス1世は正統信仰の拡大に熱心で、ブリテン島への伝道を組織し、このアングロ・サクソン人への布教は順調な成果を上げ、カンタベリー大司教区が設けられ布教の拠点となった。ブリテン島はこののち北ヨーロッパにおける有力な布教拠点となり、たとえばカール大帝の時代にはアングロ・サクソン人の伝道者たちが、大帝のガリアの宮廷で、キリスト教文化の興隆に多大な貢献をするまでになっていた。またアリウス派の牙城であった西ゴート王国のカトリックへの改宗に成功した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピンの寄進、教皇領の成立とフランク人の帝国 フランク王国でメロヴィング朝の君主に替わってカロリング家が実権を握るようになると、教皇とカロリング家は接近し非常に親密な関係を結ぶようになった。教皇ザカリアスはカロリング家のピピン3世の王位簒奪を支持し、つづく教皇ステファヌス3世[* 35]はガリアのピピン3世の宮廷に自ら赴き、フランク王国がイタリアの政治状況へ介入するという約束と引き替えに、ピピン3世の息カールとカールマンに塗油の秘蹟を施した。 この時期ラヴェンナ大司教は東ローマ皇帝の利益を代弁し、ローマ教皇と北イタリアの教会の管轄権を争っていた。ピピン3世はランゴバルド族を討伐すると、ラヴェンナを征服し、ローマ教皇に献じた。これを「ピピンの寄進」といい、ここに教皇の世俗的領土として教皇領が形成された。ピピン3世の跡を継いだカール大帝も774年にイタリア半島へ遠征し、教皇ハドリアヌス1世にローマを中心とした中部イタリアを献じた[* 36]。つづく教皇レオ3世は800年、カール大帝をローマに招いてローマの帝冠を授け、彼に西ローマ皇帝の地位を与えた[* 37]。 かくして西ローマ帝国が事実上復活し、フランク国王である西ローマ皇帝は西地中海においてキリスト教世俗国家を代表することとなった[* 38]。教皇は教皇国家といえるような世俗的な領土を持っていたとはいえ、基本的には教皇領も帝国の一部で皇帝から独立していたわけではない。しかし、教皇は東ローマ帝国のコンスタンティノープル総主教とは異なり、皇帝の官僚であることはなく、教皇選挙によって皇帝の承認を必要とせずに選ばれたのであって、教皇選任に対する皇帝の統制は制度としては介在することはなかった。またカール大帝が帝冠を教皇から与えられたことは、のちに世俗君主が皇帝を名乗るのに教皇の承認を必要とするという観念につながり、教皇に優位性を与える根拠となった [* 39]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン諸民族の世俗国家 ゲルマン諸王国のヨーロッパ世界(526年 - 600年) ローマ帝国東ローマ帝国 ゲルマン系の国家フランク王国|東ゴート王国|西ゴート王国|ヴァンダル王国|ブルグント王国|ランゴバルド王国|アングロ・サクソン諸王国 その他の周辺民族ノルマン人|ピクト人|スコット人|ブルトン人|スラヴ人|テューリンゲン人|スエヴィ人|アヴァール人|ササン朝|アラブ人 西ヨーロッパでは、西ローマ帝国が滅亡してもローマ世界は確かに存続していた。一見西ヨーロッパはゲルマン人の諸王によって分割され、モザイク模様を形成しているかのように見える。しかし彼らは「皇帝の名によって」統治したのであり、実際には東ローマ皇帝の超越的な主権に服していたと見るべきである。これらゲルマン族の国王は宗教的権威において支配したのではなく、純粋に世俗的なものであって、教会はこれらの国家にとって本質的な構成要素ではなかった。国王の即位に際して何らかの宗教的儀式がおこなわれていたわけではない[* 40]。ゲルマン人の王国では国王が教会の首長であり、司教を任命し、宗教会議を開催した。後世の国家とは異なり、これらの王国では世俗的支配者の同意なくして聖職者になることができなかった。ここでは西ゴート王国[* 41]・ヴァンダル王国・メロヴィング朝フランク王国を特筆し、それぞれの国家と教会との関係を記述する[* 42]。 西ゴート王国 西ゴート族はクローヴィスによって南フランスから追い出されると、イベリア半島のトレドに宮廷を定めた。このころの西ゴート王国ではゲルマン人とローマ人の通婚は禁止されており[* 43]、このような分離の背景には信仰の相違があったと考えられている。大部分のローマ人がカトリックであったのに対し、西ゴート族はアリウス派を信仰していたからである[* 44]。西ゴート族は征服した土地のカトリック司教を追い出すことがあったが、これを信仰の違いに帰することはおそらく適切ではない。司教たちの追放の理由は彼らが国王の支配に抵抗したことに由来すると考えられており[* 45]、大部分の西ゴート王はカトリック信仰に寛容であった。 レオヴィギルド王[* 46]の時代にカトリックに改宗した王子ヘルメネギルドによる反乱があり[* 47]、つづくレカレド王の時代には王自身がカトリックに改宗した。こうして西ゴート王国はカトリック信仰を奉じるようになり、徐々に首都トレドはキリスト教西ヨーロッパ世界の宗教的政治的首都と見なされるようになった。589年から701年の間に18回もの宗教会議がトレドで開かれ、いずれも王が召集をおこなっている。これらの宗教会議は、後世のように狭い教義上の問題だけが取り上げられたのではなくて、世俗的な問題も議題とされた[* 48][* 49]。したがって出席者は聖職者ばかりに限られず、世俗の高官も臨席した。 とくに618年ないし619年の第2回セビリャ教会会議および633年の第4回トレド公会議ではセビリャのイシドールスの活躍により、西ゴート王国の教会は独立と自由を維持しながらも国王に忠誠を誓うという形で、ローマ教皇の管轄権を排除した[* 50]。トレド大司教を頂点とする自律的な教会組織が整えられ、国王は「王にして祭司」として君臨し、西ゴート教会はローマ教皇からの自立性を高めた。のちには国王の即位に塗油の儀式も付け加えられるようになった。確実に知られるのは672年のワムバ王の即位時であるが、おそらくレカレド王時代からおこなわれていたと考えられている。西ゴート王国では、国王は宗教上の問題に関しても法令を出した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ヴァンダル王国 アフリカ北岸に王国を築いたヴァンダル族の場合は西ゴート族とはかなり異なる。この王国は東ローマ帝国と敵対的な関係にあり、その宗教政策は政治的対立に基づいていた。ヴァンダル族はアリウス派を信じており、カトリック司教がローマを通じて東ローマ帝国に通じているのではないかと疑っていた。 ゲイセリクス王はカルタゴを占領すると、同地のカトリック司教クオドウルトデウスを追放した。以後24年間カルタゴには司教が置かれなかった。ゲイセリクスの後継者フネリクス王は晩年の484年に、かつてホノリウス帝がドナティスト[* 51]に出した告示を踏襲して、カトリック教徒を法の保護外とする告示を出した。要するに、ヴァンダル王国ではほぼその全時代を通じて、カトリックと王権の間に軋轢が絶えなかった。 カトリック聖職者は王権とそれに結びついたアリウス派に対する抵抗運動を指導した[* 52]ので、王権は弾圧を加え根絶しようとしたが、すでにアウグスティヌスの伝統が深く根を下ろしていた北アフリカの教会はこの弾圧に耐えた[* 53]。ただこのような混乱と迫害は、カトリック聖職者の離散をもたらし、彼らはプロヴァンス地方やカンパーニア地方、イベリア半島へ集団逃亡(「エクソダス」)した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] メロヴィング朝フランク王国 詳細は「メロヴィング朝」を参照 メロヴィング家のフランク族支配を確立したのは、キルデリクスとその子クローヴィスである。キルデリクスの時代には異教的な習俗が強かったが、クローヴィスは496年カトリックの洗礼を受け改宗し、同時に主な従士も改宗した[* 54]。したがってフランク王国はゲルマン諸部族のなかでは比較的早く正統信仰を受け入れた国であった。クローヴィス即位当時北ガリアでは、ローマ人のガリア軍司令官シアグリウスがほとんど独立した政権を維持しており、だいたいのちのネウストリアのあたりを支配していた(ソワソン管区)。486年にクローヴィスはシアグリウスとソワソン付近で戦って勝利し、その支配地域を併合した。クローヴィスは491年にテューリンゲン人を服属させ、496年にアレマン族と戦い、ブルグント王の姪でカトリック教徒であったクロティルドと結婚した。507年には当時強勢を誇っていた西ゴート族を破り、アキテーヌを支配下に収めた。クローヴィスは晩年に有力なフランク人貴族を抹殺し、メロヴィング王権を確立した。511年の死の直前にはオルレアンで公会議を開き、メロヴィング朝の教会制度が組織され、アリウス派異端への対処が話し合われた[78]。 メロヴィング朝フランク王国(600年ころ) クローヴィスの死後王国は4人の息子たちによって分割され、息子たちはさらに領土を拡大した。息子たちのうち一人が死ぬと、その領土は生き残った国王の支配に服した[* 55]ので、クローヴィスの息子のうちで最後まで生き残ったクロタールが死ぬ頃(561年)には再び王国は統一されており、しかも地中海沿岸を支配していた有力なゲルマン民族国家は、ユスティニアヌス1世により滅ぼされるか打撃を受けていたため、フランク王国はゲルマン民族の間で最も有力な王国となっていた。 クロタールの王国は再びその4人の息子たちによって分割され、長男シギベルト1世には王国東部が与えられ、彼の分王国は「アウストラシア」と呼ばれた。アウストラシアの王は飛び地としてプロヴァンスを支配した。次男グントラムにはブルグントの支配が任され、三男カリベルトには王国西部を、末子キルペリク1世には王国北西部のベルギー地方が与えられた。567年にカリベルトがなくなると、その支配地は3分王国の間で分配され、キルペリク1世の分王国はノルマンディー地方にまで拡大されて「ネウストリア」と呼ばれるようになった。 613年、王国はクロタール2世により再び統一されたが、各分王国の自立性は強まっており、各分王国の貴族たちは各分国王のもとで形成されてきた政治的伝統を維持したいと考えていた。614年パリでおこなわれた教会会議の直後、クロタール2世は「パリ勅令」を公布した。この勅令は各分王国の貴族たちの要求を受け入れる形で、アウストラシアとブルグントでは宮宰を国王の代理人とするものであった[* 56]。こうして各分王国で宮宰が特別な地位を認められるようになった。 聖コルンバヌス 聖コルンバの弟子であった聖コルンバヌスは、倫理的で厳格な修道制をガリア地域にもたらしてたちまち熱狂を巻き起こし、6世紀後半、一大修道院設立運動が起こった。図はブルニャートの聖コルンバヌス修道院にあるフレスコ画 クロタール2世の時代はメロヴィング朝の教会政策においても転換期となっている。クロタール2世は、ガロ・ローマン的セナトール貴族を支持基盤としていた王妃ブルンヒルドに反発したアウストラシアのゲルマン貴族に支持されており[81]、従来のセナトール貴族と結びついた司教制度は衰退に向かい、アイルランド修道制を導入した修道院運動が活発化した[81] [82]。これはメロヴィング朝フランク王国内の南北での教会会議の開催数の差によって確認することができ、アイルランド修道制が流布したロワール川以北のフランキア地方では、640年までに5回を数えるのみなのに対し、ロワール川以南では同時期40回を数えた[81]。ロワール川以北では司教活動は明らかに衰退したのである。司教の出自も7世紀を境に、セナトール貴族中心であったものが、ゲルマン貴族が目立つようになってくる[* 57]。このようにゲルマン貴族が司教職に進出したことの背景の一つは、590年聖コルンバヌスによって設立されたリュクスイユ修道院がフランク貴族子弟の教育機関となって、多くのゲルマン人司教を養成することに成功したことである[84]。クロタール2世は前述の614年「パリ勅令」において聖職叙任規定に言及し、パリ教会会議の決定に基づいて首都司教に司教の叙階権のみを認め、選出権は当該教区の聖職者と信徒の共同体に限定した。しかし、選出と叙階の間に王権による審査を経ての叙任令に基づく叙任が必要とされている[83]。 のちのカロリング朝と違って、メロヴィング朝では多数の教養ある俗人が政府内に存在した[* 58]。7世紀のクロタール2世の時代までは社会全体の識字率はカロリング朝のころよりも高く、したがってメロヴィング朝の宮廷文化はカール大帝の時代とは異なって世俗的な教養に支えられていた。フランク王国がゲルマン人の王国の中で比較的早期に正統信仰を受け入れたとはいえ、ローマを中心とする西方の教会の影響を強く受けたというわけではない。このころのローマ教皇はガリアにまで強い影響力を行使できるほど卓越していたわけではなかった。クローヴィスはローマ教皇とではなく東ローマ皇帝と直接外交した。クローヴィスの時代にはローマよりはコンスタンティノープルの宮廷が大きな影響を及ぼしていたと見るべきである。 上述のように、メロヴィング朝の宮廷は全く世俗的であったが、その地方行政においては司教が中心的な役割を担っていた。メロヴィング朝の宮廷は地方支配の組織を欠いており、司教が実質的に地方統治を担当していた。宮廷で官僚として出世した者たちは地方に転出するときに司教職を望んだ。カロリング家の権力掌握過程でもこの事実は確認できる。アウストラシアの宮宰であるカロリング家はネウストリア、ブルグント、プロヴァンス各地の司教職に一門を送り込むことで地方支配に影響を及ぼした。やがて8世紀半ばにイングランドからの影響でフランク王国に大司教制が導入されると、ゲルマニア・ルーアン・ランス・サンスの大司教をカロリング家が占めた。カロリング朝の時代には司教職と地方支配に対する王権の影響力は増加した。 王国の経済に注目すれば、東ローマ帝国の地中海再征服以降ガリアは地中海の経済圏から分離される傾向が強くなり、ブリタニアとの強い結びつきが認められる。6世紀からはこのような経済圏の形成と歩調を合わせるかのようにメロヴィング王朝の北方化・内陸化が進展し、東ローマ帝国の影響は希薄となった。しかしこの経済圏はアイルランドまでは含んでおらず、アイルランドはイベリア半島を通じて伝統的な地中海経済圏とつながっていた[* 59]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治的宗教的統一体の自覚 最後に、この時代の代表的歴史叙述家であるトゥールのグレゴリウスと教皇グレゴリウス1世の叙述を主に取り上げ、6世紀の思想状況において、部族国家が、また国家と宗教の関係がどのように捉えられていたかを概観する。 トゥールのグレゴリウス 『歴史十巻』扉 メロヴィング朝治下アウストラシアのトゥールの司教であったグレゴリウスは、彼が著したフランク王国についての基本史料『歴史十巻』によって知られる。彼のクローヴィスをめぐる歴史叙述には、「コンスル」や「プラエフェクトゥス」といったローマ帝国の官職名や、ビザンツ帝国の「パトリキウス」などの用語が使われている。このことが従来歴史家の一部で、特にビザンツ帝国の政治秩序にメロヴィング王権が組み込まれたという認識につながる根拠とされてきた。 しかし最近の研究では、それらの用語はビザンツの帝国法にのっとったものではなく、おそらく聖書の叙述に範をとったもので、グレゴリウスは皇帝とクローヴィスとの間に厳密に法的な関係を想定していたわけではないという見方が示されている[85]。さらに、従来部族の王を指す「rex」には部族名が付されるのが一般的であった。しかるに、グレゴリウスは西ゴート王を記述するのに「レックス・ヒスパノールム」 (rex Hispanorum) あるいは「レックス・ヒスパニアエ」 (rex Hispaniae) という称号を用い、その支配権を領土的観念で捉え始めている。同様に自らの属するアウストラシアの王を「われわれの王」と呼び、その王国を「レグヌム・フランキアエ」 (regnum Franciae) と呼ぶ。彼は自らの歴史叙述の中で、フランクの使者にビザンツ皇帝を「あなたがたの皇帝」と呼ばせている。彼の歴史叙述には皇帝によるフランク王へのガリア統治権委託の観念はなく、クローヴィス以来、フランク王はその征服活動によって自らガリアの支配権を打ち立てているという見方が示されているのである。彼が基本的にビザンツ皇帝にのみ「インペラートル」や「インペリウム」を使用していることは、ビザンツ帝国の優位性を認めている証左であるが、そこから自立した独自の西欧世界の萌芽が見られること、またそこに領土意識とおぼろげながらも一定の民族意識を見ることができる[85]。 グレゴリウスはまた、フランク王に司教を指導する力を認めている。549年のオルレアン公会議は司教の叙任にあたって、王権による事実上の司教任命権を承認したうえで、その介入に歯止めをかけようとしたものであるが、グレゴリウスはこのような王権による教会側への介入を批判するどころか疑問さえ呈していない[85]。 以上のようなグレゴリウスの歴史叙述の性格に基づけば、ビザンツ帝国によるヨーロッパの統一的支配という観念は6世紀には後退し、そこでは各部族王権が部族という枠組みを越えて領域支配を確立しつつあり、一定の領土意識の形成が見られるとともに、そこへの帰属意識を見て取ることができる。同時に王権に教会への介入を認めていることは、中世の特徴である教皇の普遍的教会統治が、この時代のフランク王国には全く存在していなかったことが明らかであろう。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス1世 詳細は「グレゴリウス1世 (ローマ教皇)」を参照 グレゴリウス1世 トゥールのグレゴリウスがかつての西ローマ帝国の領域の部族国家に生きた知識人を代表する存在であるとすれば、同時代の偉大な教皇グレゴリウス1世は、同じ西方世界に生きながらも、より東帝国に近い知識人の代表であった。彼はユスティニアヌスによる再征服後の、まだ帝国の支配が実効性を持っているローマに生き、部族国家の定住によって西欧に生じた現実を見据えつつも、それら部族国家の外側に生きたのである。グレゴリウスは部族国家という政治単位に分断されつつある西欧世界の現実の中で、教会の統一を守ろうとした。したがって、彼にとって教皇の優位性は何にもまして必要なものであった。教皇という核がなければ、西欧世界での教会の統一はたちまち失われ、部族国家ごとに教会は分断されかねない。現に一部の部族国家は正統なカトリック信仰を選ばずに、アリウス派の異端に堕していた。グレゴリウスの言うとおり、教会の統一において教皇の首位性は欠くべからずものであったろうが、一方で彼は教皇と教会を同一視するという観念に先鞭をつけてしまったという見方もできる[86]。 またグレゴリウスは教皇ゲラシウス1世の両剣論を根拠に、俗権の及ばない宗教的裁治に関する管轄権が教皇にあると主張した。しかし彼は、俗権である皇帝権力が霊的使命を放棄し、宗教領域への介入を捨て、世俗的職務に専念せよと述べているのではない。国家はむしろ教会と協働して霊的使命を果たすのであり、その霊的使命を放棄しては国家の存在価値自体が失われるのである。グレゴリウスが教皇に選出されたとき、マウリキウス帝はそれを追認したが、彼は皇帝がローマ司教かつ教皇に対して任命権を行使したことに何ら疑問を抱かなかった。彼は皇帝の権威が神に由来するものであることを認め、その権威を尊重しており、両権の協働を唱えた[87]。 グレゴリウスは部族国家に対しては、その権力を認める代わりにキリスト教秩序への参画を求めた。グレゴリウスは部族の君主たちに助言を与え指導することで、間接的に道徳的権威を行使した。キリスト教精神は国家理念の欠如していたこれら部族国家の目標となり、教会は国家に活力を与える存在となり、教皇座の霊的権能を高めた。それまで各部族国家の王は法律を作る権威を持たず慣習に従属していたが、キリスト教はこの慣習を変えるものであった[88]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって この時代の宗教意識と国家意識の問題の上で、興味深いのが西ゴート王国で起こったヘルメネギルドの反乱事件を巡る当時の歴史叙述における相違である。前述したように、レオヴィギルド王の治世下に王の第一子ヘルメネギルドがカトリックに改宗し、アリウス派であった父に対し陰謀を企てた。 これについて、トゥールのグレゴリウスや教皇グレゴリウス1世は仔細に記述し、この事件をのちのレカレド王の改宗に至る前史的な出来事として特筆した。これに対し、セビリャのイシドールスの『ゴート史』やゴート人ヨハンネスによる『年代記』など、西ゴート王国で書かれた史料はこの事件にほとんど注目していない。ここに西ゴート王国の内部と外部で明確な意識の違いを見ることができる。さらにレオヴィギルドについて、後者ヒスパニアの史料はこの君主を政治的軍事的統一を西ゴート王国にもたらした英主として描くのに対し、教皇グレゴリウス1世は「異端者、子殺し」と呼んでおり、相違が見られる。グレゴリウス1世はレオヴィギルドが臨終に際してカトリックに改宗したことを記して、彼に好意を示すもののその叙述は護教的である。一方トゥールのグレゴリウスはグレゴリウス1世とは異なり、レオヴィギルドの政治的手腕を高く評価し、その視点はヒスパニアの史家に近い。 レカレド王の改宗 この違いはレカレド王の改宗を巡る記述にも見られ、このことは同じ西ゴート王国の外部者という立場に立つ両者であるが、部族国家内部に生きるトゥールのグレゴリウスと、ローマでビザンツ帝国の影響下に生きる教皇グレゴリウス1世の思想状況の違いを示している[89]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ゲルマン人の集団改宗 メロヴィング朝と西ゴート王国のカトリックへの改宗を見ると、それは決して個人的な理由のみで行われたのではなく、集団改宗という形式で一般に行われたと見る方が適切であろう[90]。少なくともクローヴィスの改宗は明確に集団改宗である。レカレド王の改宗は587年にまずなされているが、この改宗が個人的なものか集団的なものかは明らかでない[* 60]が、589年のトレド公会議は西ゴート王国を公式にカトリック改宗へと導いた[91][89]。このような集団改宗は近代的な個人の信仰心のあり方と同列に論じることはできないであろう[90][* 61]。ゲルマンの王は集団の支持を必要としており、彼らの改宗は、個人的な内面性より集団に重点が置かれていた[90]。改宗が直接的に国王個人や住民の生活習慣を変えるようなものではなかったことからも明白である。たとえばクローヴィスは洗礼を受けたにも関わらず、その後の有様は蛮族の王そのままであった[90]し、そもそもメロヴィング王国住民も表面的にしかキリスト教化されていなかった[93]。 このような改宗は何をもたらしたのであろうか。一般的な説明では、改宗によって支配者と被支配民の宗教が一致し、統治に安定をもたらしたことが述べられる一方、改宗の政治的意義を小さく、あるいは全く評価しない論者もいる。たとえばコリンズ (en Roger Collins) によれば、西ゴート王国は改宗以前、被支配民であるローマ系住民はカトリック、支配者であるゴート族はアリウス派からカトリックへの改宗が進んでおり、両者のアイデンティティーの統合は進みつつあった[94]。レカレド王は改宗後に徹底的なアリウス派根絶に努めており、それにより王を中心とする政治的宗教的統一体形成の基盤をなしたという見方も可能である[89]。メロヴィング朝では7世紀クロタール2世の統治期に王の権威の上昇が見られるが、これはキリスト教が王権に王国を守るという崇高な任務を与え、聖性を付与し、その意義を高めたからである[95]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド族と中世初期の南イタリア 西ローマ帝国滅亡後のイタリア半島は、東ゴート族の支配を受けたのち、東ローマ帝国の支配に復帰したのであるが、やがてランゴバルド族の侵入によって、北イタリアから中部イタリアにかけての大部分はランゴバルド族の支配に帰した。ランゴバルド王国はしかし、イタリア半島全体を支配することはついにかなわず、ローマとラヴェンナの間と南部イタリアは東ローマ帝国の支配下に止まった。やがてカロリング朝がローマ教皇の要請を受けて北イタリアに侵入し、774年にはカール大帝により北イタリアのランゴバルド王国はフランク王国に併合された。 しかし、中部イタリアのランゴバルド系公国であるベネヴェント公国は存続し、分裂しながらも独立した政体を維持した。またビザンツ支配下の南イタリア都市も徐々に独立し、シチリア島はムスリムの支配下となる。こうして中世初期のイタリア半島南部は分裂状態におかれるのであるが、やがて傭兵として雇われたノルマン人の集団がシチリア王国を建国し、地域の統合をもたらすこととなり、新局面が訪れた。 東ゴート王国とビザンツ帝国のイタリア再征服 詳細は「東ゴート王国」を参照 ボエティウス テオドリックに投獄された際に執筆された主著『哲学の慰め』は中世西欧で広く読まれた 西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスがオドアケルによって476年に廃位されると、西ローマ皇帝は存在しなくなった。しかし、ローマ帝国の支配体制自体が変化を蒙ったわけではない。オドアケルは東ローマ帝国の宗主権を認めており、そのオドアケルの政権を打倒した東ゴート王テオドリックも東ローマ帝国の宗主権を認め、この間西帝国の元老院も存続していた。しかしながら、東ゴート族はアリウス派を信仰しており、このことが東ローマ帝国との政治的対立に結びつくこととなった。また王国の統治はローマ人官僚の貢献によって支えられていたが、彼らは正統信仰を維持しており、信仰上の対立がゴート人とローマ人の不和の原因となって王国の統治を攪乱することとなった。テオドリックは寛容な宗教政策を展開して王国内の平和を保っていたが、晩年には宗教問題が政治問題化した。たとえば、ボエティウスの事例が典型的である。ローマの有力貴族アルビヌスが王位継承問題に絡んで東ローマ帝国と通じた問題で、ボエティウスはアルビヌスを弁護して投獄され、524年に処刑された。東ローマ帝国はこれをカトリック教会に対する迫害と捉え、当時アリウス派に一時的な寛容政策をとっていたユスティヌス1世の態度を硬化させた。ユスティヌスは527年に異端に対する勅令を出してアリウス派を弾圧[* 62]し、以前からカルケドン信条を守っていたブルグント王ジギスムントやカトリック信仰に転じたヴァンダル王ヒルデリック[* 63]と同盟してテオドリックを牽制した。 ユスティヌス1世を継承した甥のユスティニアヌス1世は532年にササン朝のホスロー1世と永久平和条約を結んで帝国東部辺境を安定させると、西方の旧西ローマ帝国領の再征服に乗り出した。まずヴァンダル王国に矛先を向け、533年にカルタゴを占領し、534年にはヴァンダル王国を完全に滅ぼした。さらに535年、テオダハドが東ローマ帝国と友好的な東ゴート女王アマラスンタを殺害すると、これを口実としてイタリア半島に遠征軍を派遣した。東ローマ帝国軍は当初有利に事を進めたが、最高司令官ベリサリウスと将軍ナルセスの間に不和が生じるなど指揮系統に混乱が生じた。ナルセスが本国に召還されると、539年にはベリサリウスは東ゴート族を懐柔することに成功した[* 64]が、ベリサリウスはササン朝の侵入に対抗するため540年に本国に召還されてしまい、失望した東ゴート族は再び反乱を起こした。東ゴート族はやがてトーティラを王に推戴して勢力を盛り返した。544年にベリサリウスはイタリアに戻るが、兵力不足から有効な反撃が出来ず、549年には再び本国へ召還された。550年になると、トーティラ率いる東ゴート軍はローマを占領し、イタリア半島をほとんど支配する状態となって、シチリア島に侵入するまでになった。552年にナルセスが大軍をもって派遣されると、ようやく東ローマ帝国軍は反撃に転じ、ブスタ・ガロールムの戦い(ギリシャ語版、イタリア語版、英語版)(ギリシア語 Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum)で東ゴート族を大いに破った。トーティラは殺され、東ゴート族はなおも各地に拠って抵抗したが、554年にはほぼイタリアに平和が戻り、561年には抵抗は完全に収まった。 しかしこの戦乱によってイタリア半島の荒廃は進み、かつての繁栄を失った。東ゴート王国下においては、古典古代の文化を保存する活動は維持されており、前述したボエティウスが『哲学の慰め』を著述してプラトンやアリストテレスの哲学概念を用いてキリスト教教義を論じたり、カッシオドルスが『ゴート人の歴史』を書いてローマ人とゴート人の調和を説いたりといった文化活動が見られた。カッシオドルスは修道院教育に自由七科を導入するなど修道院文化の育成にも関わるが、この伝統は戦乱とともに一時廃れた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ランゴバルド王国 詳細は「ランゴバルド人」および「ランゴバルド王国」を参照 アギルルフス時代のイタリア半島(616年) ユスティニアヌス帝による再征服活動によって、イタリア半島は再びローマ皇帝の支配に服すこととなったが、その統一は長く続かなかった。ランゴバルド族が侵入し、彼らがイタリア半島に王国を築いたからである。彼らの文化水準は低く、したがってその支配による影響は文化的には大したことはなかったが、政治的には以後長く続くイタリアの分裂の端緒となった[98][99]。 ランゴバルド族は1世紀までにエルベ川下流域に定住し、その後547年にビザンツ帝国によって、パンノニアとノリクムの境界地域に定住を許された[100]。パンノニアはゴート戦争開始によって生じた防備の弱体化をついてゲピド族によって占領されており、彼らはシルミウムを首都として王国を築いた。そのため、ビザンツ帝国はゲピド族と東ゴート王国への対抗の意味で領内にランゴバルド族を招き入れたのであった[61][101][* 65]。ランゴバルド族はゲピド族を抗争を繰り返し、566年になってビザンツ帝国がゲピド族と同盟を結ぶと、ランゴバルド族はその東方にいたアヴァール人と結んでこれに対抗、結果としてゲピド族は567年に滅亡した[103]。しかし強大なアヴァール人に圧迫を受けるようになったランゴバルド族は568年になると、王アルボインに率いられてイタリア半島に侵入し、その年のうちにヴェネト地方の大半を占領した[96]。569年にはメディオラヌムを、572年にはティーキヌムを占領し[* 66]、後者を首都としてランゴバルド王国が成立した[96][104][105]。 572年にアルボインが暗殺され、王位を継いだクレフも574年に暗殺されると、ランゴバルド王国は30人以上の諸公が支配する連合政体へと変化した[106][107]。しかしその勢いは衰えず、諸公の一人ファロアルド1世(イタリア語版、英語版)はスポレートを支配下においてスポレート公国を築き、他の諸公ゾットーネ(イタリア語版、英語版)はさらに南下してベネヴェントを占領、ベネヴェント公国を打ち立てた[106][107]。ランゴバルド諸公に対して、ビザンツ帝国は金銭による懐柔外交を展開するとともに、フランク王国と同盟してこれを打倒しようとした[106][108]。フランク王国はすでに574年ランゴバルド王国を征討し、これを打ち負かして貢納と領土の割譲を条件に講和しており、イタリア半島情勢への介入には消極的な姿勢を保っていたのである[109]が、ビザンツの勧誘を受けて585年と588年にイタリアへ侵入し、クレフの子である王アウタリウスは貢納を条件に589年これと講和した。590年にもフランク族は大軍をもってランゴバルド王国を攻撃したが、これは掠奪をおこなうに止まった[110]。フランクによる対外危機は分裂する傾向にあったランゴバルド族に結束の必要を認識させた。既述のように、574年以来ランゴバルド族は王を戴かずに諸公の合議によって統治されていたのであるが、584年になると、アウタリウスが選出されて王となった。アウタリウスの死後跡を継いだアギルルフスは591年、毎年の貢納を条件にフランク王国と和解し、ビザンツ領を侵し始め、593年にはローマを包囲してグレゴリウス1世と交渉し、598年には教皇と講和した[111]。アウタリウスの治世に首都パヴィアを中心として王国としてのまとまりが現れ始め、次代のアギルルフスの治世下には統治制度が整備されて国家としての体裁をとるようになった[112]。パウルス・ディアコヌスは『ランゴバルド史』の中で、このアギルルフスの治世に実現された平和を賞賛している。 リウトプランド時代のイタリア半島(744年) 616年のアギフルススの死後はアダロアルドゥスが継いだが、妃であったテオデリンダが権力を握った。テオデリンダはカトリック信仰に熱心で、教皇グレゴリウス1世とも親しく、聖コルンバヌスによる修道院設立を支援した。アギフルススがアリウス派を捨て、カトリックに改宗したのも彼女の影響である。また彼女以後歴代の国王は、三章書論争[* 67]で三章書を支持して分離したミラノやアクィレイアの教会とローマ教会との調停に尽力した。しかし626年にアダロアルドゥスは義兄アリオアルドゥスによって弑され、アリオアルドゥスは王位に就いた。この簒奪の背景にはビザンツ帝国との融和政策に対するランゴバルド武人の不満があったと考えられる。アリオアルドゥスはアリウス派であった。636年にアリオアルドゥスが死ぬと、その妃グンディベルガを娶ったロターリが王に選出された。ロターリは東方でイスラーム教徒と争っているビザンツ帝国の支配のゆるみをついて領土を積極的に拡大し、リグーリア・コルシカ・ヴェネツィア周辺部などを奪取した[114]。またロターリは643年に「ロターリ王の告示」、いわゆるロターリ法典を編纂したが、これはランゴバルド人の法慣習を採録したものである[115]。ロターリはランゴバルド王国の最盛期を現出したが、652年のその死後、王国は急速に分裂、弱体化した。彼の息子ロドアルドゥスは短命で、653年にアギロルフィング家のアリペルトゥス1世に王位が移った。アリペルトゥス1世の死(661年)に際して2人の息子に王国が分割されたが、これが内紛を生じ、662年ベネヴェント公グリモアルドゥス1世が王位を手に入れることとなった[116]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ベネヴェント公国と南イタリアのランゴバルド三侯国 前節で述べたように、クレフ王の死後の10年間、ランゴバルド諸公は一種の合議政体をもって王国を運営し、この間に地方に割拠する諸公の力は強まった。特にイタリア中部のスポレート公国と南イタリアのベネヴェント公国はラヴェンナとローマの枢軸を維持するビザンツ帝国によって、北イタリアのランゴバルド王国の中央から隔てられているために、自立性が高かった。初代ベネヴェント公ゾットーの跡を継いだアリキス1世はビザンツ帝国領カラブリアと沿岸都市以外の南イタリアをほぼ制圧し、広大な領土を支配するようになった[116]。第5代のグリモアルドゥス1世はランゴバルド王国で起きた王位継承を巡る争いに乗じて、ランゴバルド王位を獲得し、ランゴバルド王とベネヴェント公をかねてランゴバルド人を統一した[116]。しかし彼の死後は2人の息子がランゴバルド王位とベネヴェント公位を分割して保持することになり、再び両国は分かたれた。ベネヴェント公位を継いだロムアルドゥスは弟のガリバルドゥスにランゴバルド王位を譲ったのである[117]。まだ幼かったガリバルドゥスは即位後1年で王位をペルクタリトゥスに奪われ、ランゴバルド人の統一は失われた。 リウトプランドの肖像が描かれたトリミセス貨幣(1トリミセス=1/3ソリドゥス) その後北のランゴバルド王国では短期間での王位の変転が続くが、712年にリウトプランドが王位につくと、ビザンツ帝国側の内紛を利用して領土を拡大した。ビザンツ皇帝レオン3世がイコノクラスムを開始すると、教皇グレゴリウス2世はこれに反発して皇帝と対立し、折しも対イスラーム教徒戦争の重税に苦しんでいた多数のイタリア都市も帝国の支配に反抗した。この防備の弱体化をついてリウトプランドはビザンツ領へ侵攻し、730年ごろにはラヴェンナを奪取した[118][* 68]。ビザンツ帝国は教皇グレゴリウス3世の登位後、ヴェネツィアの協力を得て、734年にこれを奪還した[118][* 69]。リウトプランドはカール・マルテルと同盟してムスリムとも戦い、725年ごろにはムスリム支配下のコルシカ島を従属させた。710年から730年の間にはサルディニア島にあったアウグスティヌスの遺骸がパヴィアに運ばれ、サン・ピエトロ大聖堂 (en San Pietro in Ciel d Oro) に納められた[118][121]。またリウトプランドの治世に、ロターリ法典は新たに153章の法文を付けくわえられたが、これらの中には女性や貧者に抑圧に抗する一定の権利を認めるものが含まれている[118]。リウトプランドの後はまた短命な王が続くが、749年に即位したアイストゥルフは精力的で、751年にラヴェンナを制圧してイタリア半島をほぼ統一した。しかし754年と757年の2度、教皇ステファヌス3世の懇請を受けてピピン3世がイタリアに侵入すると、これらの征服地は奪回された[122]。アイストゥルフの次代の王デシデリウスはカール大帝の弟カールマンと結んでフランク王国の政治に介入しようとし、また教皇領を攻撃して領土拡大を目指したが、逆に773年カール大帝のイタリア遠征を招き、翌774年には首都パヴィアが陥落してデシデリウスは廃され、カール大帝が自らランゴバルド王を兼ねるに至って、ランゴバルド王国は実質的に滅亡した[123][124][125]。 他方、ロムアルドゥスの後継者たちが支配した南のベネヴェント公国は、774年のランゴバルド王国滅亡を傍観しながら生き残り、8世紀後半にはランゴバルド王国の正統を自認してベネヴェント侯国を名乗るようになる[126]。侯国の地方統治はガスタルディウス (gastaldius) という地方役人が担っていたが、彼らは徐々に侯から独立するようになり、ベネヴェント侯国は分権化し始めた[127]。839年に第5代のベネヴェント侯シカルドゥスが暗殺された後、侯位を巡って争いが起こり、849年にはサレルノ侯国(イタリア語版、英語版)が分かれた[128]。このサレルノ侯国の有力者カープア伯は861年に自立してカープア伯領を形成するが、900年にカープア伯アテヌルフス1世(イタリア語版、英語版)がベネヴェント侯に即位してカープア・ベネヴェント侯国(イタリア語版、英語版)が成立した[128]。この統一侯国は982年まで続くが、その後はベネヴェント侯国とカープア侯国(イタリア語版、英語版)に分かれた[129]。こうしてランゴバルド三侯国が成立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝の帝権 詳細は「カロリング朝」を参照 フランク王国では7世紀半ばになると、各分王国で豪族が台頭し、メロヴィング家の王権は著しく衰退した。このような中、アウストラシアの宮宰を世襲していたカロリング家はピピン2世の時代に全分王国の宮宰を占め、王家を超える権力を持つようになった。ピピン2世の子カール・マルテルはイベリア半島から侵入してきたイスラム教徒を撃退し、カロリング家の声望を高めた。つづくピピン3世はすでに述べたように、ローマ教皇の承認のもとで王位を簒奪し、カロリング朝を開いた。カール大帝の時代にはその版図はイベリア半島とブリテン島を除く今日の西ヨーロッパのほぼ全体を占めるに至った。ローマ教皇はカール大帝に帝冠を授け、西ヨーロッパに東ローマ帝国から独立した、新しいカトリックの帝国を築いた。カール大帝の帝国は現実的には、後継者ルートヴィヒ1世の死後3つに分割され、今日のイタリア・フランス・ドイツのもととなったが、理念上は中世を通じて西ヨーロッパ世界全体を覆っているものと観念されていた。 メロヴィング王権の衰退 814年のヨーロッパ カール大帝末年のヨーロッパ。今日の政治的・宗教的枠組みにつながる構造が形成されている。 東方世界東ローマ帝国|ブルガリア王国 西方世界カール大帝の帝国|イングランド|ベネヴェント公国|アストゥリアス王国|ボヘミア イスラームアッバース朝|後ウマイヤ朝 周辺諸民族ノルマン人|フィン人|ピクト人|ウェールズ|アイルランド|スウェーデン人|ゴート人|デーン人|プロイセン人|バシュキル人|ヴォルガブルガル人|モルドヴィン人|ポーランド人|ハザール人|アヴァール人|マジャール人|セルビア パリ勅令で各分王国での宮宰の影響力が増大したことは、ただちにメロヴィング王権の衰退に結びついたわけではなかった。宮宰は一面では豪族支配を統制し、王権の擁護者として振る舞った。ネウストリアでは特にそうであった。それに対してアウストラシアでは7世紀半ばにカロリング家による宮宰職の世襲がほぼ確立し、王権の影響の排除が進んだ。659年にアウストラシアの宮宰でカロリング家のグリモアルト1世は王位簒奪を謀ったが、失敗し処刑された。673年ネウストリアでクロタール3世が没した際に宮宰エブロインは王権を擁護する立場から、テウデリク3世を擁立しようとしたが、豪族たちは自らが国王選挙に参加する権利があるとして、この決定を覆し、新たにキルデリク2世を擁立した。680年ないし683年にはエブロインは暗殺され、王権に対する豪族の優位が確立された[* 70]。このころアキテーヌはほとんど独立した状態となり、王権の支配を離れた。ブルグントでは宮宰職は空位同然であり、エブロイン死後のネウストリアの宮宰職も混乱し影響力を低下させた[* 71]。ネウストリアで国王と宮宰に対する豪族の反乱が起こると、ピピン2世はこれに介入し、687年テルトリィの戦いでネウストリア軍を破って、688年全王国の宮宰職を認められた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール・マルテルとイスラム勢力の西漸 714年12月ピピン2世が死ぬと、カロリング家の支配に対する反動が起こり[* 72]危機を迎えたが、ピピン2世の庶子カール・マルテルによって717年にはクロタール4世[* 73]が擁立され、カール・マルテルはアウストラシアの支配を確立した。724年ごろにはおそらくネウストリアを平定し、アキテーヌを支配していたユードと和平を結んだ。ユードは719年からネウストリアの豪族と結んでカール・マルテルと敵対していたが、これ以降ユードの生きている間はカール・マルテルの有力な同盟者となった。カール・マルテルは730年にアレマン人を、734年にフリース人を征服し領土を拡大した。また733年にはブルグントを制圧した。 このころイスラム教徒が北アフリカからジブラルタル海峡を越えてヨーロッパに侵入し、711年には西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を支配するようになった。720年にはイスラム教徒の軍がピレネー山脈を越えてナルボンヌを略奪しトゥールーズを包囲した。ユードはイスラムの総督に自分の娘を嫁がせるなど融和を図る一方、732年にイスラム教徒が大規模な北上を企てた際にはカール・マルテルに援軍を求め、これを撃退した(トゥール・ポワティエ間の戦い)。 735年にユードが死ぬと、カール・マルテルはただちにアキテーヌを攻撃したが、征服には失敗し、ユードの息子クノルトに臣従の誓いを立てさせることで満足するにとどまった。軍を転じたカール・マルテルは南フランスに影響を拡大しようとし、マルセイユを占領した。このことが南フランスの豪族に危機感を抱かせ、おそらく彼らの示唆によって、737年にはアヴィニョンがイスラム教徒に占領された。カール・マルテルはすかさずこれを取り返し、ナルボンヌを攻撃したが奪回はできなかった。カール・マルテルはこのような軍事的成功によってカロリング家の覇権を確立した。737年にテウデリク4世が死んでから、カール・マルテルは国王を立てず実質的に王国を統治していた。 トゥール・ポワティエ間の戦い アキテーヌを支配していたユードはイスラム教徒の国境司令官オスマーンに娘を嫁がせたが、イベリア総督アブドゥル・ラフマーンはこれを殺害した。732年、アブドゥル・ラフマーンはピレネー山脈を越え南フランスに侵攻し、ユードの軍を破った。カール・マルテルはアウストラシアの軍勢を率いてユードの援軍に駆けつけ、トゥールとポワティエの間の平原でこれを撃退した。この勝利でカール・マルテルの声望は大いに高まった カール・マルテルはフリースラントへのカトリック布教で活躍していたボニファティウスによる、テューリンゲン・ヘッセンなど王国の北・東部地域での教会組織整備を積極的に支援した。722年教皇グレゴリウス2世により司教に叙任されたボニファティウスは723年にカール・マルテルの保護状を得て、当時ほとんど豪族の私有となっていたこの地域の教会を教皇の下に再構成しようと試みた。ボニファティウスの努力によって、747年にカロリング家のカールマンが引退する頃にはこの地域の教区編成と司教座創設はほぼ完成された。またこれらの地域でローマ式典礼が積極的に取り入れられた。 一方でカール・マルテルはイスラム勢力に対抗するため軍事力の増強を図り[* 74]、自らの臣下に封土を与えるためネウストリアの教会財産を封臣に貸与した(「教会領の還俗」)。これにより鉄甲で武装した騎兵軍を養うことが可能となった。カール・マルテルの後継者カールマンはアウストラシアの教会財産においても「還俗」をおこなった。封臣は貸与された教会領の収入の一部を地代として教会に支払ったが、地代の支払いはしばしば滞った。この教会財産の「還俗」を容易にするため、修道院長や司教にカロリング家配下の俗人が多く任命された。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ピピン3世の国王即位、カロリング朝の成立 741年のカール・マルテルの死後、王国の実権は2人の嫡出子カールマンとピピン3世、庶子グリフォによって分割されることとなっていたが、カールマンとピピン3世はグリフォを幽閉して、王国を二分した。743年、2人は空位であった王位にキルデリク3世を推戴した。747年カールマンはモンテ・カッシーノ修道院に引退し、ピピン3世が単独で王国の実権を握った。750年頃にはアキテーヌを除く王国全土がピピンの支配に服していた。 カロリング家の君主たちが進めた教会領の「還俗」はカロリング家とローマ教皇との間に疎隔をもたらしていたが、ボニファティウスを仲立ちとして両者は徐々に歩み寄った。739年頃からボニファティウスを通じてカール・マルテルと教皇は親密にやりとりしていた[* 75]。742年カールマンはアウストラシアで数十年間途絶えていた教会会議を召集した。745年にはボニファティウスを議長としてフランク王国全土を対象とする教会会議がローマ教皇の召集で開かれた。 751年ピピンはあらかじめ教皇ザカリアスの意向を伺い、その支持を取り付けた上でソワソンに貴族会議を召集し、豪族たちから国王に選出された。さらに司教たちからも国王として推戴され、ボニファティウスによって塗油の儀式[* 76]を受けた。754年には教皇ステファヌス3世によって息子カールとカールマンも塗油を授けられ、王位の世襲を根拠づけた。この時イタリア情勢への積極的な関与を求められ、756年にはランゴバルド王国を討伐して、ラヴェンナからローマに至る土地を教皇に献上した(「ピピンの寄進」)。 ピピン3世の時代には、キリスト教と王国組織の結びつきが強まった。おそらく763年ないし764年に改訂された「100章版」サリカ法典の序文では、キリスト教倫理を王国の法意識の中心に据え、フランク人を選ばれた民、フランク王国を「神の国」とするような観念が見られる[130][131]。またピピン3世は王国集会に司教や修道院長を参加させることとし、さらにこれらの聖界領主に一定の裁判権を認めた。一方でこれらの司教や修道院長の任命権はカロリング朝君主が掌握していた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カール大帝の時代、キリスト教帝国の成立 ハールーン・アッラシード(左側)とカール大帝(右側) カール大帝はイタリア支配を巡って対立していた東ローマ帝国を牽制するため、時のアッバース朝カリフ、ハールーン・アッラシードに使者を派遣した 詳細は「カール大帝」を参照 768年にピピン3世が没すると、王国はカール大帝とカールマンによって分割された[* 77]。その後771年にカールマンが早逝したので、以降カール大帝が単独で王国を支配した。773年にランゴバルド王デシデリウスがローマ占領を企てると、教皇ハドリアヌス1世はカール大帝に救援を求め、774年これに応じてデシデリウスを討伐し、支配地を併合して「ランゴバルドの国王」を称した[* 78]。781年にはランゴバルド王の娘を娶ってフランク王国から離反的な態度を取っていたバイエルン大公タシロ3世に改めて臣従の宣誓をさせたが、788年にはバイエルン大公を廃して王国に併合した。また772年から王国北方のザクセン人に対して征服を開始し、30年以上の断続的な戦争の末に、804年併合した。イスラム教徒に対しては778年ピレネー山脈を越えてイベリア半島へ親征したが、撤退を余儀なくされた。801年にはアキテーヌで副王とされていた嫡子ルートヴィヒによってピレネーの南側にスペイン辺境伯領が成立し、イスラム教徒への防波堤となった。このようにカール大帝の支配領域はイベリア半島とブリテン島を除いて、今日の西ヨーロッパをほぼ包含する広大なものとなった。 教皇レオ3世は800年のクリスマスにカール大帝に帝冠を授け、西ローマ帝国が復活した[* 39]。ローマ教皇との結びつきが強くになるにつれ、帝権は神の恩寵によるものという観念が強まり、宗教的権威を持つようになった[* 79]。教皇レオ3世のカール大帝への外交文書は東ローマ皇帝への書式に従い、教皇文書はカールの帝位在位年を紀年とするようになった。カール大帝は教会や修道院を厚く保護する一方、このような聖界領主から軍事力を供出させた[* 80]。世俗の領主と違って、聖界領主は世襲される心配がなかったからである。またカール大帝は伯の地方行政を監察し、中央の権力を地方に浸透させるために国王巡察使を設けたが、これは一つの巡察管区に聖俗各1名の巡察使を置くものであった。カール大帝の「帝国」は、さまざまな民族を包含し、さらにそれらの民族それぞれが独自の部族法を持っている多元的な世界であったが、キリスト教信仰とその教会組織をよりどころとして、カロリング家の帝権がそれらを覆い、緩やかな統合を実現していた。君主のキリスト教化と教会組織の国家的役割の増大は、カロリング朝の帝国を一つの普遍的な「教会」、「神の国」としているかのようであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト教帝国の解体 詳細は「東フランク王国」、「西フランク王国」、および「中部フランク王国」を参照 広大な帝国はカール大帝自身の個人的な資質に支えられるところも大きく、またフランク人の伝統に従って分割される危険をはらんでいた。すなわちフランク王国では兄弟間による分割相続が慣習となり強固な法意識となっていたので、806年カール大帝は「王国分割令」を発布し、長子カールにアーヘンなど帝国中枢であるフランキアの、ピピンにイタリアの、ルートヴィヒにアキテーヌの支配権を確認し、帝権と王権をカール大帝が掌握するという形式をとった。その後ピピンとカールマンは早逝し、813年東ローマ皇帝がカールの帝権に承認を与えてのち、ルートヴィヒを共治帝とした。 ヴェルダン条約によるフランク王国の分割 西フランク王シャルル2世アキテーヌ|ガスコーニュ|ラングドック|ブルゴーニュ|イスパニア辺境 中フランク王ロタール1世ロレーヌ|イタリア|ブルゴーニュ|アルザス|ロンバルディア|プロヴァンス|ネーデルランデン|コルシカ 東フランク王ルートヴィヒ2世ザクセン|フランケン|テューリンゲン|バイエルン|ケルンテン|シュヴァーベン 814年カール大帝が亡くなると、ルートヴィヒは帝位と王権を継承した。ルートヴィヒ1世は817年「帝国整序令」を出して長子ロタール1世を共治帝とし、次子ピピンにアキテーヌの、末子ルートヴィヒにバイエルンの支配権を確認した。この時点ではロタール1世にイタリアの支配権も認められており、彼は後継者として尊重されていた。しかしシャルルが生まれると、ルートヴィヒ1世はこの末子のために829年フリースラント・ブルグント・エルザス・アレマニアに及ぶ広大な領土を与えることとし、ロタール1世もこれを承認した。内心これを不満に思っていたロタール1世は830年反乱し、ルートヴィヒ1世を退位させて単独帝となったが、ピピンとルートヴィヒがこれに対抗してルートヴィヒ1世を復位させた。その後840年のルートヴィヒ1世の死後も兄弟たちは激しい抗争を繰り広げた。 841年ロタール1世とシャルル、ルートヴィヒはオーセール近郊で戦い(フォントノワの戦い)、ロタール1世は敗北し、842年兄弟は平和協定を結び、帝国分割で合意することとなった。843年ヴェルダンで最終的な分割が決定され、帝国はほぼ均等に三分されることとなった(ヴェルダン条約)。帝権はロタール1世が保持し、さらに850年ロタール1世は子息ルートヴィヒ2世にローマで戴冠させることに成功した。ロタール1世は855年、帝位とイタリア王国をルートヴィヒ2世に、次子ロタール2世にロートリンゲン、三男のシャルルにブルグントの南部とプロヴァンスの支配を認めた。863年にシャルルが死ぬと、遺領はルートヴィヒ2世とロタール2世の間で分割され、帝国はイタリア・東フランク・西フランク・ロートリンゲンの4王国で構成されることとなった。 869年にロタール2世も没すると、西フランク王シャルルがロートリンゲンを継承したが、翌870年東フランク王ルートヴィヒがこれに異を唱え、両者はメルセンで条約を結び、ロートリンゲンを分割した(メルセン条約)[* 81]。西フランク王シャルルは875年のルートヴィヒ2世の死後はイタリア王国と帝位を確保した。876年の東フランク王ルートヴィヒの死に際して、シャルルは東フランクにも支配権を及ぼそうとしたが、アンデルナハ近郊でルートヴィヒの息子たちと戦って敗れ、翌877年失意のうちに没した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 分裂後のカロリング朝後継国家 結局カール大帝の帝国は社会的・制度的に永続性を欠いており、王家の分割相続により瓦解することとなった。 885年にはカール3世によって帝国が再統一されるが、一時的なことに過ぎず、887年にはアルヌルフによって廃位に追い込まれた。翌888年には西フランク王位がパリ伯ウードに移り、一時的にではあるがカロリング家の血統から外れた。ウードは支配の正統性を維持するためにアルヌルフの宗主権を認め、のちにはカロリング家のシャルル3世を後継者として認めざるをえなかったが、ウードの即位は明らかにフランク王国史の新展開を告げるものであった。西フランク王位はこれ以後、カロリング家とロベール家の間を行き来し、やがて987年にはユーグ・カペーの登位とともにカペー朝が創始され、のちのフランス王国へと変貌を遂げ始めた。 この時代は北からノルマン人・南からムスリム・東からマジャール人が侵入し、これにカロリング家の君主はうまく対応することが出来ず、逆に辺境防衛を担った貴族が軍事力を高めるとともに影響力も強めた。前述のパリ伯ウードも対ノルマン防衛で声望を集めた人物であり、東フランクでもフランケンやバイエルン・ザクセンなどの大公・辺境貴族が台頭し、東フランク王国の統合の維持に努めながらも、自らの支配領域を拡大していった。彼らは地域における主導権争いに勝利して地域内において国王類似の権力を有するようになり、やがてカロリング家が東フランクで断絶すると、これら有力貴族が玉座に登ることとなり、のちのドイツ王国の枠組みが形成されていく。この過程で王国の統一維持の観点から、王国の分割相続が徐々に排除されるようになり、10世紀にはカロリング朝後継国家のいずれにおいても単独相続の原則が確立された。 北イタリアでは、888年以降カロリング家の影響が弱まると、異民族の侵入と諸侯による王位争奪の激化から都市が防衛拠点として成長し始めた。ブルグント王国も888年に独立し、1032年に神聖ローマ帝国に併合されるまで独立を維持した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング・ルネサンス、中世文化の始まり カール大帝の宮廷は文化運動の中心となり、そこに集まる教養人の集団は「宮廷学校」と呼ばれた。この文化運動の担い手たちは、西ゴート人・ランゴバルド人・イングランド人などフランク王国外出身者が多かった。9世紀以降、文化運動の中心は修道院へと移り、書物製作や所蔵に大きな役割を担った。このような例としてはトゥールのサン・マルタン修道院などが有名である。 この、カール大帝のいわゆるカロリング・ルネサンスは神政的な統治政策に対応した文化運動であり、正しい信仰生活の確立を目指すものであった。聖書理解の向上、典礼書使用の普及、教会暦の実行において正統信仰に基づくことが目指され、すでに地域差が著しくなっていた俗ラテン語から古典ラテン語へと教会用語の統一が図られた。これによりラテン語が中世西欧世界の共通語となる。一方で、典礼形式の確立と聖職者改革によって、カロリング・ルネサンスは文化の担い手を俗人から聖職者へと転回させ、俗人と聖職者の間の文化的隔たりを広げる結果ももたらした。 カロリング・ルネサンスの意義については、文献についての基本的な2つの要素、書記法と記憶媒体の変質が特に中世文化の成立に大きな意義を持った。カール大帝は従来の大文字によるラテン書記法を改革して、カロリング小字体を新たに定めた。この統一された字体を用いて、さまざまな文献を新たにコデックス[* 82]に書き直され、著述と筆写が活発になされた。書物の形態の変化とともに、書写材料はパピルスから羊皮紙に変化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カロリング朝期の政治思想 ここではカロリング朝が帝権を手に入れた9世紀初頭ごろの政治思想を概観する。まずカール大帝のキリスト教帝国の政治思想として アルクインの思想を、次に教権の側の政治思想として作者不明の『コンスタンティヌス帝の寄進状』を特筆する。 アルクイン 教皇シルウェステル1世とコンスタンティヌス大帝 コンスタンティヌス大帝はシルウェステル1世にローマ全土を教会領として寄進する約束をしたという説話が8世紀ごろに作られた。この『コンスタンティヌス帝の寄進状』は中世を通じて教権の重要な根拠の一つとなっていたが、のちにヴァラなどによって偽作されたものであることが明らかにされた 詳細は「アルクィン」を参照 アルクインはブリテン島出身の神学者で、カール大帝の宗教政策を中心とした問題についての、最も有力な助言者の一人であった。カール大帝時代のいわゆる「カロリング・ルネサンス」においても指導的役割を演じたと考えられている。アルクインはカトリック信仰が地上に平和をもたらすものであると信じ、その実現者をカール大帝に見た[132]。 カール大帝が795年教皇レオ3世が選出された際に送った外交書簡はアルクインの手になるものと考えられている[133]。この書簡は、キリスト教のための戦争、信仰の擁護などをフランク国王の職務と述べ、ローマ教皇の職務は祈りを通じて国王を補佐することであると述べている。799年にアルクインがカール大帝にあてた有名な書簡では、教皇・ビザンツ皇帝がいずれも堕落している[* 83]のに対し、カール大帝のフランク王国のみが正しいキリスト教君主であるとした。そのすぐあとに出された書簡では、アルクインはカールのフランク王国を「キリスト教帝国 ("Imperium Christianum")」と呼び、カールの王権を全キリスト教共同体を覆うものとしている。このアルクインのいう「キリスト教帝国」は800年のカール大帝の戴冠で劇的に現実化した。 アルクインはまた両剣論を取り上げ、カール大帝が世俗の剣も霊的な剣もともに神から授かったとして教権に対する帝権の優位を説いた[* 84]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] コンスタンティヌス帝の寄進状 詳細は「コンスタンティヌスの寄進状」を参照 『コンスタンティヌス帝の寄進状』は、『偽イシドールス教令集』に記載されていたもので、作者は不明である。このイシドールスとは7世紀イベリア半島のセビリャ大司教のことである。イシドールスは従来の教令集[* 85]にスペインでの教会会議の決定を増補し、『ヒスパナ』という教令集を編纂した。のちにこれが『イシドールス集録』と呼ばれ、カノン法の法源とされた。『偽イシドールス教令集』はこれとは別の物で、8世紀か9世紀にイシドールスに仮託して作成された偽文書である[* 86]。 この文書は書簡形式であり、その日付は315年3月30日に書かれたことになっている[134]。まずコンスタンティヌス1世は癩病を患い、時の教皇シルウェステル1世の祈りによって救われたとする。コンスタンティヌスはシルウェステル1世を皇帝にしようとしたが、シルヴェステル1世は帝冠を一度受け取ったが被らず、帝冠を改めてコンスタンティヌス1世に被せたという。次にこの文書は聖ペテロに向ける形でコンスタンティヌスによる以下の寄進の記録を記す。すなわちアンティオキア・アレクサンドリア・エルサレム・コンスタンティノポリスと、他の全ての教会に対する優越権、皇帝の紋章とラテラノ宮殿の下賜、西部属州における皇帝権を教皇に委譲した。この架空の歴史的事実によって教皇は「普遍的司教」であり、皇帝任命権を保持していると主張した。カール大帝の戴冠もこの理念に則った形で行われ、これを先例としてのちに教皇は皇帝よりも優越的な地位にあることの根拠とした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] グレゴリウス改革と教権の絶頂 これまで述べたように、中世ヨーロッパという固有の文明社会の成立には、皇帝権と教皇権という2つの普遍的権力・権威が相補的役割を果たしていた。11世紀に入ると、この皇帝権と教皇権の関係が本質的な対立に向かい、中世ヨーロッパ社会の秩序が根本的な変革に直面することとなった。一般にグレゴリウス改革[* 87]として把握される一連の教会改革運動である。結果的には教皇権は、皇帝権に対して一定の自立を勝ち得、その完結性を実現することになり、日常生活に関わる秘蹟への関与を強めることにより、民衆の精神支配において圧倒的な影響力を持つようになる。さらにシュタウフェン朝の断絶後に皇帝権が著しく影響力を弱めると、教権は全盛の時代を迎える。 一方で教会改革を通じて高められたキリスト教倫理は、12・13世紀になると、民衆の側から使徒的生活の実践要求[* 88]という形で教会に跳ね返り、さらには異端運動を生み出す元ともなった。また14世紀に入ると、教皇権は国家単位での充実を果たした俗権の挑戦を受けることになった[* 89]。 修道院改革運動と教会改革の始まり クリュニー修道院 フランス革命によって破壊される以前は、偉容を誇った壮大な修道院であった。アキテーヌ公ギヨームにより設立された。12世紀にいたるまで西ヨーロッパで絶大な影響力を持った グレゴリウス改革の前史としての修道院改革運動は、11世紀初頭のロートリンゲンで広がりを見せた。このロートリンゲンの修道院改革に影響を与えたのがクリュニー修道院である。クリュニー修道院は909年ないし910年に教皇以外の一切の権力の影響を受けない自由修道院として設立され、ベネディクトゥスの修道精神に厳格に従うことで、西ヨーロッパに広く影響を与えた。ザリエル朝の皇帝ハインリヒ3世は、このクリュニーの修道精神に深く共感し、聖職売買(シモニア)を強く批判し、教会改革を求めた。しかし、後に息子のハインリヒ4世と改革の主導者であったグレゴリウス7世は問題となっていた聖職者の任免権を巡って叙任権闘争で争うことになる。 一方でクリュニー精神の影響を受けたロートリンゲンの修道院は、徐々に修道士団の自立性を唱えるようになり、皇帝権からの自立を目指すようになった。そしてクリュニー精神に基づき、修道院活動を純化し汚れない本来の姿に戻ろうとする動きは、シモニアやニコライティズム(聖職者の妻帯)に対する批判と軸を同じくした。改革に熱心な教皇レオ9世が登位すると、教皇権がこの教会改革の主導権を握るようになった。レオ9世は聖職者の倫理改革を目指してシモニアに対して厳しく対処することを表明し[* 90]、改革遂行のため、当時の改革的聖職者を教皇庁の下に結集して、教会改革に合致する教会法の集成に着手させ、さらに教皇首位権を現実化しようとした。レオ9世時代の改革はこのようにグレゴリウス改革に直結するものであるが、その対象はほぼ教会内部に限られており、教権と俗権の関係には及んでいない。その後ニコラウス2世は1059年、ラテラノの教会会議で下級聖職者に限って俗人叙任を明確に禁止した[* 91]。つづくアレクサンデル2世も聖職者の倫理改革に着手し、教皇特使を活用してキリスト教社会に影響を及ぼそうとし、シモニアやニコライティズムを強く批判した。こうしてグレゴリウス7世の登極までに改革は着実に進展していた。 このように、クリュニー修道院に影響を受けた修道院改革の基本精神は教会改革に継承されたのであるが、これはクリュニーの精神とグレゴリウス改革が全ての面において、一致していたということを必ずしも意味しない[* 92]。教皇主導の教会改革が徐々に急進化するに及び、当初は協力的であったクリュニーは教皇庁と距離を置くようになっていった。たとえば改革派が唱える、明らかにドナトゥス派に通じる叙品論[* 51]に対しては、クリュニーはペトルス・ダミアニとともにこれに反対した。またイスパニアでもカスティーリャ王国に影響を及ぼそうとする教皇の政策に対し、クリュニーはむしろアルフォンソ6世と結びつくことで、これに対抗した[* 93]。 しかしクリュニー精神もグレゴリウス改革も、キリスト教が「危機」に直面しているという認識では一致していたのであり、この時代の大きな雰囲気の中から生まれたものであることは共通していた。クリュニーは世俗権からの「教会の自由」を主張し、この考えがロートリンゲンの修道院運動でシモニア批判に結びつき、グレゴリウス改革で本格的にそれが主張されるという、発展の傾向は認められる[137]。だが、クリュニーはシモニアに対しては妥協的であったし、その運動の進展はグレゴリウス改革と並行していた。したがって、両者の関係はクリュニーがグレゴリウス改革を生み出したというよりは、両者が間接的に影響し合っていたと見るべきである[138]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 周縁における権力と教会 中世ヨーロッパにおいて周縁に位置するイングランドやイベリア諸国、スカンディナヴィアでは、そこがキリスト教世界にとって前線であるがゆえに、西ヨーロッパの中央とは異なったあり方でキリスト教が存在していた。これらの地域ではカトリックとは異なる典礼を発達・維持させていた教会が存在していたのである。しかしグレゴリウス改革の影響はこれらの地域にも波及し、新たな展開を見せた。 イングランド教会の伝統 ブリテン島のキリスト教の歴史は、ローマ帝国時代にまで遡ることができる。古代末期にはペラギウスや聖パトリックが知られており、後者によってアイルランド伝道が開始された。アイルランドが急速にキリスト教化するのと対照的に、ブリテン島はアングロ・サクソン人の侵入を受け、一時的にキリスト教布教が停滞した。しかしながら563年以降、アイルランドから渡った聖コルンバがアイオナ島を拠点にスコットランド改宗に着手し、597年6月9日の死にいたるまで熱心な布教活動を続けた。ちょうど同じ年の6月2日に教皇グレゴリウス1世の命を受けた聖オーガスティンがケント王国に上陸し、イングランド布教も開始された。 アンセルムス 師であるランフランクの跡を継いでカンタベリー大司教となる。イングランド王国での聖職叙任権改革を進め、王権と対立。17年にわたる在位期間中、2度も追放される憂き目にあった こうしてアイルランド人のケルト教会とカトリック教会が同じ島で同時期に別々に布教を開始したが、両者は様々な面で相違していたために[* 94]、布教をめぐって摩擦や対立が生じることとなった。両者は664年、ホイットビー教会会議[* 95]で信仰について話し合い、結局この会議ではカトリック側が勝利した。以後イングランドの地域ではカトリック教会が優勢になった。8世紀末のデーン人の侵入によって、イングランドの教会は再び停滞の時期を迎えた[142]が、10世紀にはアルフレッド大王の下で復興がなされた[143]。その後デーン人侵入の第二波がイングランドを襲うが、その王クヌートはキリスト教徒であり、キリスト教を厚く保護した[144]。 エドワード懺悔王の死後、1066年のヘイスティングズの戦いに勝利したウィリアム1世がイングランド王に即位してノルマン朝を開始した。ウィリアムは自身の王権を強化しようとして、イングランドに強力な支配権を打ち立てようと試み、イングランド国内の司教や大修道院長を自ら指名し、指輪と司教杖を与えて叙任した。このことは当時の教皇庁が進めていた、俗人による聖職叙任を排除しようという改革運動と真っ向から対立するものであった[* 96]。1073年にグレゴリウス7世が登極すると、グレゴリウスはウィリアムを説得して俗人叙任を止めさせようとしたが、徒労に終わった[146]。ウィリアムは勅令を出して、イングランドの臣下が国王が同意しない破門宣告に同意することや、司教が国王に無断で出国すること、国内の聖職者が国王の認めない教皇書簡を受け取ることを一切禁じた[146]。ウィリアムの宗教政策はカンタベリー大司教ランフランクの協力によって推進された。ランフランクはまず、カンタベリー大司教のイングランドにおける首位性を確立するため、ヨーク大司教トマスに服従誓願を迫り、それを取り付けることでイングランドにおけるカンタベリー大司教の首位権確立に大きな前進をもたらした[* 97]。ローマ教皇庁は地域的な首位教会という考えには反対であったので、これを支持しなかったが、ウィリアムとランフランクは伝統的な政教協力の思想の下に、イングランドに強力な政府を樹立し、イングランド教会の独立を守り抜いた[150][151][* 98]。 ランフランクの後継者であるアンセルムスは前任者とは対照的に、ローマ教皇に忠実な人物であった[* 99]。アンセルムスは明確に教皇首位権を認めていた[154][155][156][157]ので、1095年2月のロッキンガム教会会議では、教会に対する国王の干渉を強く非難した。これに対し、国王ウィリアム2世に忠実なイングランドの司教たちは、逆にアンセルムスに教皇への服従を放棄するよう忠告した[158][159]。つづくヘンリー1世は聖職叙任に関して教皇とアンセルムスに歩み寄り、1107年ロンドン協約を結んだ[* 100]。そこでは国王や俗人から聖職者が叙任されることは原則的に禁じられた一方、国王に対する臣従宣誓を理由として司教叙任を拒んではならないという規則が設けられた。これによってイングランド国王は教会に対する実質的な影響力を維持した。しかしながら、1114年のカンタベリー大司教選挙において、国王が推薦する候補が落選するなど、国王の教会政策に一定の疑問が投げかけられる結果をもたらした[161]。ヘンリー1世の跡を継いだスティーブン王の時代は混乱を極め、王は自らの権力を維持するために教会にあらゆる譲歩をしたが、その約束は果たされず、逆に国王と教会の対立は深まった。1139年に国王がソールズベリー司教ロジャーを逮捕投獄する事件が起こり、これを機にスティーブンは聖界の支持を決定的に失った。1141年のウィンチェスター教会会議で司教たちは、司教には国王を聖別する権利があると主張し、マティルダを「女支配者」 ("Domina Anglorum") として認めた[162][163]。スティーブン王の治世の間、イングランドは実質的な内乱状態にあったが、教会はその混乱の中で影響力を強め、王権からの相対的な自由を獲得した。 スティーブン王の死後、生前の約束通りヘンリー2世が即位してプランタジネット朝を開いた。新国王はイングランドの無秩序状態を収拾するため、法律を整備する必要性を感じ、裁判制度の改革に乗り出した。イングランドでは、ウィリアム1世時代に世俗の裁判所と教会裁判所が分離されており、聖職者は教会裁判所で裁くこととされていた。これは聖職者の特権と見なされていたが、国王裁判所では死罪に当たるような罪でも、教会裁判所では軽い罰で済んだために、獄吏を買収して剃髪して詐って聖職者を名乗り、刑を軽くするような法の抜け道が存在していた。ヘンリーは法の公正な執行のために、聖俗で刑罰が異なるこの法制度を改革することを意図し、クラレンドン法[* 101]を制定した。これに対しカンタベリー大司教トマス・ベケットは一度は不承不承認めたものの、のちに教会の権利を擁護して国王に反対した。長く追放された後、ベケットはイングランドに帰国するが、カンタベリー大聖堂で4人の騎士に殺害された。しかしこのことでベケットは殉教者として崇敬されるようになり、国王は逆に譲歩せざるを得なくなった。結局大逆罪に関する条項を除いてクラレンドン法のほとんどは破棄された。 中世の初期においては国王の強力な掣肘化にあったイングランド教会であったが、プランタジネット朝の開始時には大陸での教会改革の成果も取り入れ、王権に対して一定の独立を守ることが可能となっていた。しかし、一方でこの時代にカンタベリー大司教の首位権が徐々に確立され、イングランドにおぼろげながらも一つの信仰共同体が形成され始めたことは、後の国教会体制を準備するものであった[* 102]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 西ゴートの伝統、イベリア半島諸国 1031年のイベリア半島 後ウマイヤ朝が滅亡した直後のイベリア半島 キリスト教諸国レオン王国|カスティーリャ伯領|ナバーラ王国|アラゴン伯領|カタルーニャ君主国 イスラム教タイファ諸国アルコス|アルバラチン|アルプエンテ|アルヘシラス|アルメリア|ウエルバ|カルモナ|グラナダ|コルドバ|サラゴサ|サンタ・マリア・デル・アルガルベ|シルヴェス|セビーリャ|デニア|トルトサ|トレド|ニエブラ|バダホス|バレンシア|マラガ|マロン|ムルシア|メルトラ|ロンダ 711年に西ゴート王国が滅亡して後、イベリア半島はそのほとんどがイスラム教徒によって支配された。イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の独自の典礼を維持したキリスト教徒たちがおり、彼らは「モサラベ」と呼ばれた。一方北部を中心にキリスト教国が残存していたが、その中でも山岳地帯に位置したアストゥリアス王国は最も積極的にイスラーム諸国に対抗した[165][166][167][168][* 103]。アルフォンソ2世の治世後半にはアル・アンダルスから移住してきたモサラベの建言を容れて、西ゴート方式の宗教儀式を部分的に採用し、西ゴート王に連なる家系図を作らせ、アストゥリアスが西ゴート王国の継承者であるという「新ゴート主義」[* 104]が成立した[173][174][* 105]。アルフォンソ3世の時代になると、植民活動を活発化させ、教会堂の建設事業を積極的に行うなどキリスト教布教にも力を注いでいる[173][178][* 106]。つづくガルシア1世の時代に王国は首都をレオンへ移し、王国はレオン王国と呼ばれるようになった。レオン・ガリシア・アストゥリアスはそれぞれ別の王を戴きつつ、レオンのガルシア1世がそれらをまとめて緩やかな連合を形成した[* 107]。一方同時期のイスパニア辺境は弱小国家の集まりであり、イスラム教国に対抗することなど不可能で、アル・アンダルスとは友好的あるいは従属的な関係を結んでいた[183]。ナバラ王国もその点は全く同様で、イスラム教国に対し友好的・従属的地位にとどまっていた[184]。アラゴン伯領もいまだレコンキスタ精神からはほど遠い状態にあった[185]。一方のアル・アンダルスでは、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世やハカム2世の宮廷は北部キリスト教国のみならず遠くビザンツ帝国や神聖ローマ帝国からも使節を迎え[186]、ナバラ王国やレオン王国に遠征してこれを屈伏させた[187]。 11世紀にはいると、サンチョ3世の下でナバラ王国が台頭した。王は巧みな婚姻政策でカスティーリャ伯領・レオン王国などの周辺キリスト教国を併合し、「イスパニア皇帝」を自称した[188][* 108]。その息子でカスティーリャ王国を相続したフェルナンド1世はレオン王国を併合(カスティーリャ=レオン王国)すると、南へ遠征し、後ウマイヤ朝滅亡後にアル・アンダルスに割拠したタイファ諸国を攻撃して金による貢納(パリア)を求めた [* 109]。しかし貢納金を支払わせるということは、逆にフェルナンドをしてこれらタイファ国を保護する義務を生じさせるものでもあった。フェルナンドとその息子のサンチョ2世はタイファ国の救援要請を受けて、これを攻めたキリスト教国と干戈を交えている[190][191][192]。フェルナンドの晩年にはいくつかのアル・アンダルスの都市を征服するなど「レコンキスタ」[* 110]的な行動が見られたが、同じキリスト教を奉ずる国々との戦争も頻繁に行われており、このころの軍事行動が宗教的動機を離れて行われていたことは注目に値する[193][* 111]。 11世紀にはサンティアゴ・デ・コンポステーラが巡礼地として知られるようになり、フランス人の巡礼者を引き付けるようになった[* 112]。フランス人はクリュニー修道院の改革精神をスペインにもたらした。クリュニーは王権から寄進を受けてスペイン各地に修道院を獲得し、さらに新たな征服地の司牧を任せられるようになった。例えばアルフォンソ6世はトレドを攻略すると、トレド大司教をクリュニー派のベルナール (en Bernard de Sedirac) に任せた[196][* 113]。一方で改革派教皇はその首位権をイベリア半島に及ぼそうとし、「コンスタンティヌスの寄進状」を持ち出して西ローマ帝国の故地は教皇に捧げられていると主張した。これはカスティーリャ王国の「新ゴート主義」とは基本的に相容れないものであった。グレゴリウス7世がイベリア半島に首位権を主張した時、アルフォンソは「イスパニア皇帝」あるいは「トレド皇帝」を自称して牽制した[199][197][200]。アルフォンソはクリュニーに多大な寄進をすることで教皇権に対する防壁としてクリュニーを利用しようとした[201]。アルフォンソは他方、教皇やクリュニーの要求していた、モサラベ式典礼からローマ式典礼への移行には応え、イスパニアの教会改革を実施した。これによってイスパニア教会が独自の典礼を捨てローマへ一致する道は確定され、イスパニア教会史に一つの画期が訪れた。だが、1090年のレオン教会会議で西ゴート書体の使用が禁止され、カロリング書体が義務づけられたにもかかわらず、アルフォンソは西ゴート書体を使い続けた[202]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スカンディナヴィアの改宗 9世紀まで、スカンディナヴィアにおいてキリスト教が大きな影響力を持つことはなかったが、キリスト教の信仰と典礼はこの地域にかなり早く波及していた[203]。その信仰は西ローマ帝国の滅亡以前に遡るものもあるが、8世紀に形成された北欧とフランク王国などのキリスト教諸国との間の交易路が大きな影響を及ぼしたと考えられている[203]。8世紀の初頭にはイングランドの修道士であったウィリブロード (Willibrord) によるフリジア地方への布教が知られており、彼はデンマーク南部のリベ(Ribe)まで足を運んで、その地から30人の少年を連れ帰って教育し、彼らに現地語で布教させようとした[* 114][203]。また近隣のフランク王国は北方地域への布教を継続的に支援していた[203]。 9世紀初頭にフランク王国はザクセン戦争の結果エルベ川以南のサクソン人を服従させ、改宗を強制した[203]。このことはサクソン人と境を接していたデーン人に脅威を抱かせ、デーン人を率いていたゴッドフリード (Gudfred) はフランク王国に抵抗するが、810年に政敵によって暗殺された[203]。彼の死後は息子たちが抵抗を続けたが、フランク王国との宥和政策を主張するハラルド (Harald Klak) が台頭して内戦となった[203]。819年にフランク王国の支援を受けてハラルドが権力を回復すると、彼の支配領域で、ランスの司教エボ (Ebbo) の主導によってキリスト教布教が開始された[204]。ハラルドの権力はつねに脅かされていたために、彼はフランク王国の支援を必要としており、826年、彼はマインツでルイ敬虔帝の見守る中キリスト教へ改宗した[205]。彼はアンスカル (Ansgar) という修道士を伴ってデンマークへと帰還したが、1年後には追放された[205]。一方、829年にはスウェーデン東方にあったスウェーデン人 (svear) の王の要請でビルカにアンスカルが派遣された[205]。18年の歳月を要した彼の伝道活動は成功裏に終わり、ビルカの総督であったヘリガル (Herigar) を改宗させ、彼によって教会堂が建てられた[205]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 等族国家と公会議主義 アヴィニョン教皇庁 ゴシック建築を代表する。1316年にまず最初の建築がおこなわれ、クレメンス6世時代に増築された グレゴリウス改革以後、西ヨーロッパ教会における教皇首位権は確立された。教権の伸長はこの時期さまざまな局面での教権の世俗の領域への介入につながったが、封建君主たちの激しい抵抗に遭い、一連の政治闘争によって教皇権の根拠に対して厳しい批判の目が向けられるようになった。 この時期封建制国家は、特にイギリスとドイツで典型的に身分制秩序が発展し、身分制議会(これを等族議会という)が形成されるようになった。これは一方で貴族による王権の制限という形式を取ったが、同時に王権を中心とした王国単位での共同体を創設することにもなり、普遍的な世界の解体につながるものであった。このような身分制に基づく議会主義をとる国家を等族国家といい、ヨーロッパ中世後期に特徴的な国家様式であると考えられている。等族国家は西はブリテン島から東はポーランド、さらには聖地に作られた十字軍国家も同様の形態を取るが、その内実は地域によりかなり異なる。たとえばドイツでは大空位時代から諸侯の自立化が進み、カール4世の時代に金印勅書の制定によって国王の選挙制が確立された。重要な帝国法は帝国議会で決定されるのが常となり、典型的な等族国家を形成した。一方でフランスではカペー朝による王領拡大が諸侯領を破壊する形でおこなわれ、王国に対する国王の支配がより強力であったために、等族議会である三部会では当初から国王が主導的な役割を担い、国王の政策の道具として扱われる側面が強かった。 ともかくこのような等族国家は、各王国規模での政治社会を定着させることにつながり、中世的な普遍世界から絶対王政への橋渡しをする役割を担ったといえる。これは普遍的にキリスト教世界に影響を及ぼす教権の側から見れば、王国ごとに教会を分断しようとする動きとなり、危険なものであった。なぜなら皇帝権との対立が同じ普遍性の土台の上で戦ったものであったために教権の普遍性自体を疑うものではなかったのに対し、等族国家はまさに普遍性そのものを問題としたからである。ところでこのような代議制的統治の構造は、実に教会においてまず発展したものであった。そして教会においては教皇首位権に対する公会議主義の思想が展開されていくのである[* 115]。 フランス王権との対立、「アヴィニョン捕囚」とガリカニスム 寡婦なるローマ 教皇不在のローマを象徴的にあらわした図。アヴィニョン捕囚は教皇に対する不満を増大させ、また「捕囚」されている事実それ自体が教皇権威の失墜を意識させるものであった この時代、ドイツの皇帝にかわってフランス王権が台頭し、イタリアにも進出するようになり様々な局面で教権と対立するようになってきた。13世紀後半にフィリップ4世が即位すると、この国王と教皇の間で聖職者への課税権を巡って対立がおこった。教皇の側ではアエギディウス・コロンナが論陣を張り、一方のフランス王権を支持したのがパリのヨアンネスであった。ヨアンネスは聖職者は単なる精神的権威であるから世俗のことに関わるべきでないとして教皇の世俗への介入を批判し、一方で世俗国家を自然的社会の最高形態であるからその君主は教会による聖別を必要としないと論じた。 1302年にフィリップ4世は三部会を開いて等族諸身分の支持をとりつけ[* 116]、教皇ボニファティウス8世を捕らえてこれを憤死させた(アナーニ事件[* 117])。フィリップ4世はフランス人であるクレメンス5世を擁立すると、教皇庁をアヴィニョンに移転させた。以後70年間にわたり教皇庁はアヴィニョンにあってフランス王権の影響をうけることになり、この時代を教皇の「アヴィニョン捕囚」という。クレメンス5世の時代にはテンプル騎士団がフィリップ4世によって異端として告発され、クレメンス5世はこの異端裁判において教皇側のイニシアティヴを維持しようとした[* 118]が、結局はフランス王権に屈服し、ヴィエンヌ公会議ではっきりとした理由も示さずにテンプル騎士団の解散を宣言した。 このようにクレメンス5世はフランス王権の影響を強く受けており、グレゴリウス11世までの「アヴィニョン捕囚」期の教皇の立場は総じてクレメンス5世とあまり変わらなかった。カペー朝の断絶後、1337年に百年戦争が始まるとフランスは徐々に戦争により疲弊し、相対的に教皇庁は自立性を強めた。「アヴィニョン捕囚」期は続く教会大分裂時代とともに概して教権の没落期・低迷期と考えられる時期であるが、一方で教会の司法制度[* 119]が整えられ、教権の教会法上における権限の上昇が見られた。 この時代にガリカニスムという主張があらわれた。ガリカニスムとは「ガリア主義」という意味で、ガリアとはフランスのことである。この主張はフランス教会の教権からの独立を説くもので、その契機と考えられるのは前述したパリのヨアンネスである。このガリカニスムはとくに16世紀以降法学者たちの間でさかんに論じられるようになり、やがてイエズス会などの教皇至上主義と激しく対立して民族主義に近づいていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 皇帝との対立、そして「金印勅書」 14世紀の神聖ローマ帝国 この時代は代表的な家門の間で皇帝権の争奪がおこなわれていた。図中紫がルクセンブルク家の家領。図中オレンジがハプスブルク家の家領。図中緑はヴィッテルスバハ家の所領。このような家門どうしの皇帝権争奪に対して、教皇権はいずれかの候補を支持することで介入した 神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世はイタリア政策を積極的に進めようと皇帝代理をイタリアに派遣したが、このことがアヴィニョンのヨハネス22世を刺激し、教皇はイタリアにおける自身の権益が脅かされているものと認識した。ヨハネス22世はルートヴィヒ4世が教皇による国王としての、あるいは皇帝としての承認を受けていないにもかかわらず、国王として、また皇帝として振る舞っているとして批判した。ヨハネス22世は以上の論法からルートヴィヒ4世が教皇に服従することを求めたが、ルートヴィヒ4世が応じようとしないので、これを破門した。これに対しルートヴィヒ4世は選挙に基づく王権の独立性を訴えた。彼に理論的根拠を与えたのはパドヴァのマルシリウスで、『平和の擁護者』を著して法の権威を人民に求め、教会の介入に対して政治社会の自律性を主張した。教皇首位権に対しても聖職者の平等を訴えてこれに挑戦する内容であった。 ルートヴィヒ4世は1327年にイタリア遠征に出発し、ローマに入城して1328年にはローマ人民によって戴冠された。カール大帝以来、帝冠は教皇によって戴冠されるものと考えられていたのに対し、この新式の戴冠は明らかに同行していたマルシリウスの示唆によるものだった。ルートヴィヒ4世はヨハネス22世の廃位を宣言し、ニコラウス5世を擁立した。しかしニコラウス5世は皇帝がイタリアを去ると、1330年にはヨハネス22世に屈服した。その後もルートヴィヒ4世はオッカムのウィリアムなどの有力な理論的神学者を用い、ヨハネス22世とその跡を継いだベネディクトゥス12世、クレメンス6世との間で長い論争が続いたが、決着はつかなかった。 論争が続けられる一方、1338年に帝国法「リケット・ユーリス」が決議され、皇帝選挙の根拠が定められた。これは皇帝の位と権力が神に由来することを示し、選挙侯による選挙によって選ばれた者がただちに国王であり、皇帝であることを定めたもので、ドイツの国王位と神聖ローマ皇帝位に対する教皇の介入を徹底的に排したものであった。ルートヴィヒ4世の死後、ルクセンブルク家のベーメン王カールがカール4世として即位すると、金印勅書を制定して国王選挙権を7人の選帝侯に限り、さらにその選帝侯の権利はそれぞれの領国に結びつけられ、長子相続によることが定められた。これによりドイツ国王は教皇の承認を経なくても皇帝権の行使をおこなうことが可能となり、皇帝位がドイツ国王位と永久的に結びつけられたが、一方で選帝侯は領国内での無制限裁判高権、至高権、関税徴収権、貨幣鋳造権などの諸特権を獲得し、国王からの自立性を強めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イングランド王権との対立 イングランド王権と教権はジョン王の時代にカンタベリー大司教の選任問題をめぐって対立した。カンタベリー大司教ウォルターが1205年に死ぬと、その後継を巡って王とイングランド教会は別々の人物を後任としようとし、ジョン王は教皇インノケンティウス3世に仲裁を求めた。インノケンティウス3世はこの訴えに対し、王と教会両方を批判した上でスティーブン・ラングトンを大司教にするよう命じた。ところがこの決定にジョンは不満をあらわにした。というのもたとえば前任のウォルターの例をあげれば、彼はカンタベリー大司教であるとともに政治家でもあって、先代の国王リチャード1世が十字軍遠征に参加して不在の間、国内の政治をとって安定を守った。このようにカンタベリー大司教はイングランド国内にあって単なる宗教的権威にとどまらず、国王の重要な高級官僚としての役割も担っていたのであった。当時のイングランドにはカンタベリー大司教の選任には王の同意が必要であるという慣例[* 120]があった上、ラングトンはパリ大学出身の高名な神学者であったが、伝統的にイングランドのプランタジネット王家とフランスのカペー王家は対立関係にあり、フランスの大学出であることもジョン王には気に入らなかった。教皇はイングランドにおける全教会の聖務停止を科し、ジョン王は報復として教会財産の没収を命じた。この争いは1214年まで続けられ、結果イングランド王権は大司教選挙施行の許可権と選挙結果への同意権を確保したものの、ラングトンを大司教とすることを受け入れ、イングランド王が教皇の封臣となることを認めさせられ、さらに多額の賠償金を払うこととなった[* 121]。 エドワード1世 ウェールズを征服し、スコットランドにも遠征してブリテン島におけるイングランドの優位を確立させた。積極的な外征とその成功によって支持を集める一方、内政においても「模範議会」に代表される議会制度の整備や立法制度、司法制度などにも進歩をもたらした。しかし晩年には課税を巡って教会や諸侯と対立するなど政治的には危機的状況を迎えた このときジョン王の王権に対するイングランド諸侯の反発は最高潮に達し、マグナカルタを起草して王に承認を求めた。後述するマグナカルタの「保証条項」が王権の制限をもたらすことを危惧した王は直ちに拒否した。1215年5月5日諸侯は臣従誓約を破棄して反乱し、ジョン王は反乱諸侯の所領の没収を命じた。しかしロンドン市民が反乱に荷担し、彼らがここを拠点とするようになると、ジョン王は妥協を余儀なくされ、6月19日にマグナカルタが承認された。ところがマグナカルタは王権にとって不利であるだけでなく、教権にとってもあまり好ましいものでないことは明らかとなった。マグナカルタは伝統的に「保証条項」と呼ばれる箇所で、25人の諸侯が王国内の平和と諸自由に対して権利を持ち、責任を担うことを規定していたからである。このことはイングランド王が教皇の封臣となっていた当時、教皇権の裁治権を狭めるものであると考えられたからである[* 122]。教皇はマグナカルタを批判し、これに力を得たジョン王はマグナカルタを守らなかった。反乱諸侯はフランス王権に介入を依頼し、カンタベリー大司教など幾ばくかの聖職者もこれに荷担する様子を見せたので、いよいよ混乱が避けられぬかと思われた矢先に、1216年10月18日突然にジョン王は逝去した。息ヘンリー3世の即位にあたって、マグナカルタから「保証条項」が削除され、さらにこの修正版には摂政ウィリアム・マーシャルの印章と共に、教皇特使の印章が付与された。 一方でこの時期イングランド国内では議会制度が形成された。13世紀にはすでに大会議(グレート・カウンシル、"Great council")と小会議(スモール・カウンシル、"Small council")に分けられる封建的集会が存在し、裁判所としての役割をしていたことが知られるが、ヘンリー3世がわずか9歳で即位すると、小会議の役割が増大した。ヘンリー3世は成人して親政を開始すると、小会議に行政官やプランタジネット家の故郷である南フランス系の親族を参加させ、彼らを重用した。このことは諸侯との対立を招き、課税を巡って彼らと対立したためにヘンリー3世は一時的に妥協したが、税金が徴収されると結局は約束を破った。しかしヘンリー3世は一連の諸侯との交渉において何人かの固定した成員によって形成される常設の国王評議会(キングズ・カウンシル、"King s council")を認め、のちにこれが議会(パーラメント、"parliament")と呼ばれるようになった[* 123]。ヘンリー3世に不満を持つ諸侯がシモン・ド・モンフォールを中心に反乱すると、モンフォールは従来の成員のほかに各州より2名の自由民と各都市から2名の代表を集めて議会を開いた。結局乱は鎮圧され、これは定例とはならなかったのであるが、エドワード1世の時代、1295年の「模範議会 ("Model Parliament")」からは平民の代表が呼ばれることが規則となった。エドワード1世はこの模範議会で聖職者と平民に課税同意を求めたが、聖職者は教権に訴え、教皇ボニファティウス8世は教皇勅書「俗人は聖職者に(クレリキス・ライコス、"Clericis laicos")」を発し、俗権の教会課税にはそのつど教皇の認可が必要であり、違反に対しては破門を持って応じるとしたので、エドワード1世の意図はくじかれた。 14世紀半ばのエドワード3世の時代になると、イングランド教会に対する教権の支配に対して国内の聖職者からの反発が強くなってきた。というのも前述したように、この時期教皇庁はアヴィニョンに遷移させられてイタリア半島にある教皇領は周辺勢力に浸食されて慢性的な資金難にあえいでおり、収入の一環として聖職売買をさかんにおこなっていた。とくにジョン王以来教皇の教会支配が強まったイングランドでは聖職売買によって地位を得た外人聖職者を受け入れざるをえない状況が続いていた。国王と議会は1351年に聖職者任命無効令を、1353年に上訴禁令を出してイングランド国内における教権と教会法の影響を排除しようとした。これは教権との政治上の駆け引きにおいて有効な武器として使われることもあったが、実際に行使されたことはなかった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教会大分裂と公会議主義 教会大分裂 青がローマ教皇庁支持。赤がアヴィニョン教皇庁支持。緑のポルトガルは当初アヴィニョン支持だったが、ローマ支持に転じた 教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマへ戻し、アヴィニョンの時代は終わったかに見えた。グレゴリウス11世の死後、教皇選挙でウルバヌス6世が即位することとなった[* 124]。ウルバヌス6世は当初官僚的で温厚な人物だと考えられていたが、即位すると枢機卿に対し強圧的になった。その結果フランス人枢機卿がまずローマを去り、イタリア人の枢機卿たちも結局はこれに従った。彼らはしばらく教皇と交渉と試みたが、埒があかないことを悟ると、一転してフランス王の甥にあたるクレメンス7世を選出し、アヴィニョンに拠った。ここにローマとアヴィニョンに2人の教皇、2組の枢機卿団が並立する長い教会大分裂[* 125]が始まった(1378年〜1417年)[* 126]。 ヨーロッパの主要国は一方の教皇を支持して分裂した[* 127]が、このことは民族を中心にまとまり始めた各国家の利害が教会の内部の問題にも介在するようになったことを示していた。事実両教皇の死後も教権の分立状態は解消されず、主にフランス王権と神聖ローマ皇帝権の意を受けたそれぞれの教皇が並び立つこととなった。ローマではウルバヌス6世が死ぬと、ボニファティウス9世が跡を継ぎ、アヴィニョンではクレメンス7世の死後にはベネディクトゥス13世が即位した。このベネディクトゥス13世はフランス教会への支配を徹底しようとして、パリ大学を中心とするフランス人聖職者の反発を招き、フランス教会のガリカニスムの傾向をますます強めることとなった。 このような混乱のなか、譲歩しようとしない両教皇の態度に業を煮やした両教皇庁の枢機卿団は、公会議を開いて新しい教皇を選任し、この分裂を解消しようという動きを取り始め、公会議派が形成された。公会議派は1409年ピサ公会議を開き、両教皇の参加を求めたが受け入れられなかった。この公会議で公会議派は両教皇の廃位を宣言し、新たにアレクサンデル5世を選出した。これに対し、ベネディクトゥス13世はペルピニャンで、グレゴリウス12世はチヴィタレでそれぞれ自派の公会議を開き、ピサ公会議の決定を受け入れなかったので、ここに3人の教皇が鼎立することとなった。アレクサンデル5世は1年後に亡くなり、そのあとはヨハネス23世が継いだが、この教皇の評判は芳しくなかった。 皇帝ジギスムント 教会大分裂の解消に熱心であった。図中右の鷲の紋章はドイツ王権を、左の双頭の鷲の紋章は皇帝権を象徴する。彼はローマ王として単頭の鷲を、皇帝として双頭の鷲を印璽で用いた最初の君主であり、以後慣習として定着した。また図中の双頭の鷲の頭には光輪が見えるが、これもジギスムントによって帝国の神聖さの象徴として書き加えられることが定められた このときにあたって、ルクセンブルク家の皇帝ジギスムントは、教会の再統一に積極的な姿勢を見せ、ヨハネス23世を説得し、グレゴリウス12世の同意もとりつけて1415年にコンスタンツ公会議を開いた。このコンスタンツ公会議ではイングランドとフランスが百年戦争中で長い対立の中にあったこともあって、国民的な単位に基づく異例の投票形式が採用された。すなわち公会議での決定は個人単位ではなく、イングランド・フランス・ドイツ・イタリアの4つの出身団(ナツィオ、"natio")によりおこなわれ、1417年からはスペインの出身団と枢機卿団[* 128]が加えられて投票権を持つ集団は6つとなった。公会議の途中で教皇ヨハネス23世は出奔し、公会議は召集権を持つ教皇を失って一時危機を迎えたが、公会議派が中心となって公会議の決定が教権に優越することが主張され、公会議は教令「サクロサンクタ ("Sacrosancta")」を発してその正当性を保持することに成功した[* 129]。 しかし会議は難航した。フスなどの異端運動に対する問題や、教会改革を声高に主張する急進者と反発する保守派、そして国民間の対立や神学者同士の理論上の対立[* 130]が持ち込まれることもしばしばであった。さらに公会議に教皇の選任権があるのかという問題も紛糾した。とにかくこの公会議はさまざまな論争と政治的駆け引きに翻弄され、長引いたものの、鼎立した3人の教皇を廃位し、あらたにマルティヌス5世が選任されることで一致した。こうして教会大分裂は終わったが、一連の過程のなかでもはや普遍的であると信じられていた教会のなかでさえ、国民性が影響力を増していることが明らかとなった。教会大分裂の時代にもカトリック教会の統一が維持されたことは、普遍的な教会が未だ求心力を失っていなかったことを示しているが、国民的な単位を通して世俗の権力が教会に対する支配を強めたことは確かであった[* 131]。 教会大分裂 主な教会会議ローマ教皇庁アヴィニョン教皇庁公会議派 ウルバヌス6世 (1378-1389)クレメンス7世 (1378-1394) ボニファティウス9世 (1389-1404) ベネディクトゥス13世 (1394-1417) インノケンティウス7世 (1404-1406) ピサ教会会議 (1409年)グレゴリウス12世 (1406-1415)アレクサンデル5世 (1409-1410) コンスタンツ公会議 (1414-1418)ヨハネス23世 (1410-1415) マルティヌス5世 (1417-1431) 現在の教会史では、ローマ教皇庁の教皇(図の黄色)を正統として数え、それ以外の教皇は対立教皇としている。(M・D・ノウルズほか著、上智大学中世思想研究所編訳『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』講談社、1991年などを参考に作成) [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王権の超自然的権威の獲得過程 中世を通じて王権はキリスト教的な至上権から普遍的な支配権を主張する皇帝権・教権に対抗しうる神聖性、霊性を民衆の心性のうちに獲得しようとし、実際に王権はある種の霊威、あるいは超自然的権威を位置づけることに成功した。このような霊威は当初、偉大な王の個性に基づいて「一代限り」のものであると考えられていたが、徐々に世襲されるようになり、儀礼も備えて王権とそれを世襲する王家に一種のカリスマを付与することになった[* 132]。宗教的儀式によって、王は半聖職者的性格や奇跡的治癒能力を付与されると解釈され、王は聖職者に対しては優位性を主張しえたからである[206]。霊威は、王権が教権に対して一定の自立性を示す根拠となった[* 133]。 イングランド、エドワード懺悔王の霊威 イングランドにおける国王の霊威をあらわす初期の例は、ノルマン朝のヘンリー1世によるもので、王はおそらく瘰癧患者にその手で触れることにより治療をおこなっている。この王権による瘰癧治癒能力は、おそらく後述するカペー朝がすでにおこなっていた瘰癧治療に対抗するためにエドワード懺悔王の説話を用いて設定されたもので、カペー朝の王権に対抗するためのものであったと考えられている。つづくプランタジネット朝の時代にはヘンリー2世がすでに瘰癧治療を「御手によって」おこなっているのはほぼ確かで、エドワード1世時代には治療を受けた者に王が施しをするのが明らかになっているので、会計記録からその集計を知ることができる。この瘰癧治癒の霊威の根源は国王が塗油され聖別されたことに由来するとされた。 エドワード2世のころから別種の奇跡、指輪の奇跡がイングランド王権の儀式にあらわれる。これは毎年復活祭直前の金曜日に、王がまず一定の金銀を寄進した上で、それを買い戻し、買い戻した元の寄進の金銀で指輪を作るという儀式で、こうして作られた指輪は痙攣や癲癇の病人の指にはめられると、病をいやすと考えられていた。この儀式では当初、寄進された金銀が聖性を帯びると考えられ、王権は直接に霊威の由来とはされなかったのであるが、テューダー朝のヘンリー8世のころには塗油された王権に由来するものと考えられるようになり、この時期にはすでに儀式において「買い戻し」の行為が省かれていた。指輪の奇跡は宗教改革の時代に批判に晒されるようになり、エリザベス1世によって廃止された。 一方で瘰癧さわりのほうはしばらく存続した。ステュアート朝初期には熱心に瘰癧さわりがおこなわれたが、オランダ人であったウィリアム3世はこの儀式に否定的で患者に触ろうとはしなかった。つづくアン女王は瘰癧さわりをおこなったが、ハノーヴァー朝以降全くおこなわれなくなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランス、聖マルクールの霊威 百合紋 フランス王家の紋章。14世紀半ば頃に百合紋を巡って一つの説話が作られた。"ある日、クローヴィスがコンフラとの決闘の準備をしている時に従者に甲冑を取りに行かせると、甲冑に普段の三日月紋にかわって、青地に百合が3輪描かれている。4度別の甲冑に取り替えさせるが、いずれも同様の百合紋がついている。そこでしかたなくこれを着て決闘するとクローヴィスは勝利を収めることができた。じつはこれはキリスト教徒であった妃クロティルドの計らいで、妃は百合紋を用いて決闘に向かえば勝利するであろうとの啓示を受けていたのだった" フランスではカペー朝の初期、フィリップ1世がおそらく瘰癧さわりをおこなったと考えられている。フィリップ4世の時代にはフランス全土ばかりか、全西ヨーロッパ規模でこの「瘰癧さわり」は評判となっており、教皇領であるウルビーノやペルージャからも治癒を求める民衆がやって来ていることが確認されている。また中世を通じて医学書に瘰癧の治療法としてこの「瘰癧さわり」が記述されていた[* 134]。一方でルイ6世の時代には王旗や王冠がカール大帝の伝承にむすびつけられ、カロリング朝とフランス王権の間に観念的な連続性を生じさせた。 フィリップ4世のころには、この瘰癧さわりがクローヴィスの洗礼に由来する[* 135]塗油された王の霊威によるものという観念があらわれている。そしてこの伝説はランス大聖堂にクローヴィス以来の聖香油が聖瓶(サント・アンブール)に保管されており、王の即位式で王は聖香油を塗油され聖別されるという観念につながった。 中世末期になると、この瘰癧さわりに別個の聖マルクールの瘰癧治療信仰が混入し、区別がつかなくなった[* 136]。ヴァロワ朝のフランソワ1世の時代には、王の瘰癧治癒能力がこの聖者に由来するという観念が一般化していた。フランス王はコルブニーにある聖マルクールの遺骨の前でミサをおこなう際に瘰癧さわりも施すようになり、それを目的として参集する病人が年々増大した。 フランスの「瘰癧さわり」はブルボン朝のルイ16世の時代まで熱心に続けられていたが、フランス革命が起こると王は神授権説とともにこの慣習も捨てることとなった。これ以降はシャルル10世の時代に「瘰癧さわり」の復活が試みられているが、王自身も否定的であったので1825年に一回おこなわれたのみでこれが最後の事例となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 教権の宗教的権威への挑戦 このような王権の超自然的権威はローマ教皇の宗教的権威、具体的には教皇勅書「唯一の、聖なる(ウナム・サンクタム、"Unam sanctam")」への挑戦であった。この教皇勅書はボニファティウス8世により出されたもので、教皇は世俗的領域と宗教的領域の両方で、至上権を有していることを述べていた。以後歴代教皇はこの勅書を基本的に踏襲し、教皇首位権を擁護する聖職者・神学者たちはこれをしばしば引用したばかりか、ややもすれば拡大解釈して教皇の特権を強調した。 王権の「瘰癧さわり」に関してはしばしば異端の疑いを受け、また宗教的権威において、教権に対しての王権の優位性を根拠づけることに成功したとは言い難いものの、中世の後期には民衆の間でこの慣習が広く受け入れられていたことは事実である。またこのような王権の超自然的権威が、一方で近代的な意味での国民的な感情に結びついていたことを見逃してはならない。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ) 中世前期、皇帝派の著述家たちはしばしば王が霊的な権能を有していることを主張した[* 137]。それに対し、教皇派の著述家たちは王権の聖職者としての性格を拒否した。王は純粋に世俗的で肉体的な自然的身体を持つ一方で、王として塗油された瞬間から他の世俗的権力者を超越する霊的身体を持つと考えられ、皇帝派によって大いに喧伝された[* 138]。教皇派は「王に対する塗油が、司教に対するものと違って、魂に何の影響も与えない」[* 139]として、前者の考えを否定した。 中世後期にいたると、王の霊的権能のほとんどは名目的な称号や役職へと退化していたが、それでも著述家たちは王が単に世俗的な支配者であるに留まるわけではないことを強調した。これには中世に発達した法学の影響があり[* 140]、王はあらゆる法的義務から超越し、正義の源泉であると考えられた。その過程において、王権は王個人と区別して観念されるようになった。法学者たちは、王には自然的身体と政治的身体の二つの身体があり、自然的身体は可死的な王の生まれながらの身体であるが、政治的身体は不可死かつ不可視で、政治組織や政治機構からなり、公共の福利をはかるために存在していると考えた[* 141]。 清教徒革命時には王個人の行動が政治的身体である王権に反するものであるとして、議会の王への反抗が正当化された。彼らは「王 (King) を擁護するために王 (king) に対して闘え」と叫び、さらにチャールズ1世を「大逆罪」で処刑することもできたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カトリック大国、スペイン 16世紀に新しい大国が西ヨーロッパの政治舞台に登場した。イベリア半島のスペインとポルトガルである。両国とも盛んに海洋進出をはかり、新大陸・アジアなどへの航路を確保しながら広大な植民地を獲得していった。またこれらの地域への布教活動においても重要な役割を担った。ヨーロッパにおける教権との関係でいえば、スペインはとくに重要な個性としてヨーロッパ政治史に固有の位置を占めることになる。 王権によるスペイン教会の掌握 異端審問 ゴヤによる1815年ごろの作。異端を疑われた者は図のような高い帽子を被らされた カスティリャ王国とアラゴン王国の合同によって成立したスペインは、レコンキスタを完成してイベリア半島からイスラームの勢力を駆逐すると、国内の宗教的統一をはかるようになった。当初は征服地のイスラム教徒であるムーア人に信仰の自由を許していたが、彼らが反乱したのを理由に1501年、ムーア人に信仰を守って移住するか信仰を捨てて洗礼を受けるかの二者択一を迫った。またユダヤ教徒を国内から追放し、キリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソ)についても密かにユダヤ信仰を守っているのではないかという疑いをかけていた。 イサベル1世とフェルナンド2世は、王国の安定のためには国内の宗教的統一が不可欠であると考え、教皇に要請して1478年スペイン異端審問所を設けた[* 142]。この異端審問所では当初から国王が全権を握り、スペイン教会における王権の影響力を高めて事実上教権からの自立を勝ち取ったばかりか、王権による国家政策の一環として政治目的にも利用されるようになった。さらに支配下のナポリ王国に教皇が領主権を主張すると、これに激しく反発して一時は教皇と断交寸前にいたった。つづくカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の時代にはサンティアゴ騎士団長の位が王家によって世襲されることを定め、国王は国内の宗教的権威と権限を掌握した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] イベリア半島におけるキリスト教文化の興隆 この時代スペインではキリスト教文化においても大きな前進が見られた。具体的にはルネサンスの人文主義の成果が取り入れられ、先進的な神学校や大学などの教育機関がスペイン各地に設けられた。この時代のスペインのキリスト教アカデミズムを代表するのがメンドサとシスネーロスである。 メンドサは1492年のグラナダ攻略の際にスペインの首座大司教であり枢機卿であった人物で、宗教教育推進のためにキリスト教教育書を書いた。シスネーロスはアルカラ・デ・エナーレス大学を創設し、ここには当時の主要な神学、トマス派、スコトゥス派、唯名論などの講座が設けられ、ギリシア語・ヘブライ語も学ぶことができた。さらにここでは聖書原典の編纂事業が行われ、『コンプルトゥム多国語対訳聖書』が著された。これらスペインでのキリスト教文化の発展は、人文主義に対する一定の寛容をもたらし、とくにエラスムスの著作はこの地域で大変な人気を博し、よく読まれた。このことはのちの宗教改革において、この地域での宗教改革派の影響が軽微に止まる原因の一つともなった。 ポルトガルでは、1554年にイエズス会の手によって、エヴォラ大学が創設された。エヴォラ大学は、中世以来のコインブラ大学に対抗し、近代的な大学であったが、一方で科学の自由な知的探究を排し、講義はラテン語でおこなうなど現地語主義を抑圧した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 中世の民衆信仰 中世を通じて、支配者や聖職者の知的な宗教世界とは別の次元で、民衆の間にも独自の信仰が展開されていた。このような民間信仰は民衆の日常生活や伝統的な世界観と結びつき、ときには集団的な様相を取って大きな宗教的運動に結びついた。ここではキリスト教がいかに中世のヨーロッパの一般民衆の生活に根付いていったかを概観する。 魔術的な神から摂理的な神へ 王としての「キリスト」 フェルナンド・ガレゴによる15世紀の作品。紀元1000年ごろから、威厳を持った王の姿で表されるキリスト像が現れる ゲルマン人の間にキリスト教が受容された当初、「神の全能」は多分に魔術的に解釈されていた。たとえばクローヴィスは妻クロティルドにキリスト教への改宗を薦められると、キリスト教の神が彼の戦勝に貢献するなら、信仰を受け入れようと約し、勝利を得た後に改宗した。これはゲルマン神話の戦争の神オーディンがルーンを習得して魔法を使う魔術の神であったことを考えれば、魔術的な神への信仰としてキリスト教を見ていたことになる[* 143]。中世初期には、聖職者はしばしば魔術的な力を持つと信じられた。聖職者は民衆から尊敬の眼差しで見られる一方、魔術師として恐れられ嫌われた。11世紀のデンマークでは、聖職者は天候に対して魔術的な力を持つと信じられ、天候不順であった際には迫害を受けた。13世紀フランスでは、ある村で疫病がはやった際に、司祭を犠牲にすることで村を救おうとした事例がある。11世紀のグレゴリウス改革において教会が排除しようとしたのは、王権の奇跡能力と、聖職者に対するこのような魔術的迷信であった。グレゴリウス7世は王や聖人の奇跡を否定する一方、デンマークで天候不順の際におこなわれた聖職者への迫害を非難している。 しかしながら中世を通じて、神の起こす奇跡は自然法則を超えることができると信じた民衆の心性は、ほとんど変わることがなかった。例えば王権の超自然的な奇跡能力への信仰は、中世後期にむしろ強められさえし、聖人への信仰は特定の奇跡と聖人を結びつけ特殊化する方向に進んだ[* 144]。一方で民間信仰とは別個の次元で、教会は奇跡を神学的に論じ、神の摂理の合理的な体系の中に位置づけた。すなわち教会はある人物を列聖する際には、その人の起こした奇跡をその生涯と奇跡のあらわれ方から吟味して、聖人とするかどうかを決定するようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和 10世紀末ごろから、従来の信仰形式とは異なった、いくつかの大衆的な宗教運動が現れた。 このころ従来の修道院とは異なった形で、よりイエスのあり方に近い修道生活を目指す運動がおこった。この運動の淵源は東ローマ帝国に近い、南イタリアのカラブリア地方のギリシア系修道士たちの生活に端を発し、南イタリアにイスラム教徒が攻撃を加えるようになると、彼らは難を避けて北上した。11世紀になると全ヨーロッパ規模で、この新しい運動に基づいた修道院設立が活発化した。とくに影響が大きかったのは13世紀に現れたアッシジのフランチェスコで、彼の清貧運動には在俗の多くの信者が共感し、ともに貧しい生活を営んだ。同時期に同様に清貧を唱えた異端のワルドー派も多くの在俗信者を獲得した。このように聖職者の貴族的な共同生活であった修道生活が、イエスの清貧という理想を通じて、民衆の間に広く受け入れられた。 信徒たちの母として描かれた聖母マリア(1445年ごろ) 12世紀西欧では、聖母信仰が流行した。聖母マリアのイエスを失うという悲劇的な体験が、イエスと贖いの苦しみを共有するものと観念されたからである。聖母マリアは普遍化され、「神の母」としてキリスト教社会のすべての信徒を包み込む存在とされ、厚く尊崇されるようになった またこのころ、聖遺物や聖人に対する信仰が高まり、各地に収められた聖遺物や聖人の故地への巡礼がさかんとなった。サンティアゴ・デ・コンポステーラや聖地エルサレムへの巡礼は大衆運動となった。のちには十字軍運動と結びついて、多数の信者が十字軍に参加したり、特に少年十字軍に代表されるように、自発的に大衆の十字軍が組織されたりもした。西ヨーロッパの交通網は11世紀までにまず聖地のネットワークとして形成され、徐々に定期市や港湾にネットワークを広げ、その拠点には金融市場が形成されるようになった。こうして成立した中世の交通網は古代のローマ帝国の街道網とはかなり異なったものであった[207]。 10世紀末の南フランスでは、フェーデに代表される封建的な私闘を、破門を威嚇に用いることで抑制しようという「神の平和」運動が起こった。これは封建的私闘の悪弊から、農民の財産や労働、商人の活動を保護しようという意図をもち、平和攪乱者に対して破門を下すとともに、農民が武器を持って戦うことも正当化するものであった。この「神の平和」運動は11世紀前半には全フランスに広がり、やがてドイツにも伝播した。ドイツではこの平和運動に王権が積極的な役割を演じ、時期を限ってフェーデを禁ずるラント平和令を出した。このラント平和令はのちには永久化されて、中世的な自力救済に基づいた私刑主義を非合法化し、公権力を創出するものとなった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] キリスト像の変容と聖母信仰 キリスト教が西ヨーロッパ社会で広がっていく過程において、イエス・キリストとその母マリアのイメージも大きく変容した。 まず紀元1000年ごろから「子なる神」イエスに対する関心が非常に高まり、とくに厳しい審判者として、あるいは威厳ある王としてのキリスト像が頻繁につくられるようになった。ところが12世紀ころから、今一度キリスト像に大きな変化が見られ、貧しく苦しみに満ち、貧者の味方である人間性豊かなイエスの像も数多く見られるようになった。このキリスト像を、その清貧の姿勢と聖痕の奇跡によって体現したのが、アッシジのフランチェスコであったといえる[208]。 最近のカトリック教会による教義の明確化[* 145]にいたるまで、教義上は確固とした位置を占めなかった聖母についての数々の信仰もこの時代に成立した。まず12世紀ごろに聖母マリアも死後昇天したという「聖母の被昇天」信仰があらわれ、14世紀にはキリストを宿したマリアが原罪を背負っているはずはないとする「無原罪の御宿り」信仰があらわれ、激しい論争の種となった。聖母は「子なる神」イエス・キリストの母として、信者とイエス・キリストの間をとりなす特別の存在として尊崇を集めた。12世紀には祈祷文「アヴェ・マリア」が成立している。このような聖母マリアへの特別の尊崇は、ときに彼女をキリストの贖罪になくてはならず、贖いの補足者と見なす見解にもつながったが、教会は一貫してこの見解を斥けている[* 146]。この聖母信仰は、のちに宗教改革派によって攻撃の的とされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革前思想史 宗教改革は思想史的に言えば、突然に起こったものではなく、宗教改革諸派の思想は基本的に前代のさまざまな異端思想や人文主義思想と共通する点が多い。したがって宗教改革は思想面での革新性を示したというよりは、むしろ中世を通して堆積してきた政治状況に注意すべき点があるといえる。国家と宗教の関係についていえば、これらの思想はこの問題を直接的に扱い、論じているものが多い。宗教改革を巡る政治状況については後述するが、ここでは思想史的背景から宗教改革の前思想ともいうべき様々な思想傾向を概観する。 近代思想の先駆(1):パドヴァのマルシリウス イングランドの異端思想、ウィクリフとロラード派 思想上の接点は必ずしも明確ではないが、ロラード派はイングランドの宗教改革運動にある程度の影響を及ぼしている 詳細は「パドヴァのマルシリウス」を参照 パドヴァのマルシリウスの『平和の擁護者』(1324年)は、しばしば近代的な人民主権理論の先駆として言及される。この著作においてマルシリウスは世俗社会に対する教会の介入を批判し、当時の皇帝ルートヴィヒ4世と教皇ヨハネス22世の間の論争において皇帝側を擁護する論陣を張った。 さて、マルシリウスが人民主権理論の先駆とされる理由は、法の強制力は公民の同意に基づくと述べたためである。つまり『平和の擁護者』において、強制力を持つ実定法こそが真の意味の法であり、翻って実定法がなぜ強制力によってでも守らなければならないものであるかといえば、実定法がある時点で人為的に、公民の意志に基づいて制定されているからであるという論が示されている。支配者はこうして強制的に法を執行することが可能であるが、一方で人民に対して責任を持つ。 マルシリウスによれば、実定法である法には、次のような性格が明瞭である。 法の対象は外的な行為に対してであって、信仰などの内面に関わらない 神の法は窮極的な原因であるが、世俗の法には直接的に関わらない 国家における正義および利益の実現を目的とする 支配者の安全、統治の継続に資する とくに 1. 2. については明瞭に政教分離の考えを述べている。 マルシリウスは教皇権の批判にも筆を進め、教会がキリスト教徒全体の共同体であるとし、そうであるならば、教皇権はキリスト教自体に全く根拠を持たない歴史的な産物であるとし、本来聖職者は平等であるべきで、教義の問題は教皇ではなく公会議によって決めるべきだとした。このマルシリウスの主張は公会議主義の有力な根拠となった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代思想の先駆(2):ブリテン島の科学主義、唯名論の系譜 詳細は「ロジャー・ベーコン」、「ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス」、および「ウィリアム・オッカム」を参照 12世紀から13世紀にかけてスコラ哲学は完成に向かい、それはトマス・アクィナスによって一応なされたのであるが、そのトマスと同時代のイングランドでは、オックスフォード大学を中心として、すでにスコラ哲学の解体へと向かう運動が始められつつあった。14世紀に入ってからの後期スコラ学の時代には、パリ大学ではアヴェロエス主義[* 147]的な傾向が強まったのに対し、オックスフォード大学では、すでにアリストテレスに基づいた論理や概念は必ずしも尊重されず、より正確な論理的方法や概念が探究されるようになり、経験主義的な傾向が強まった。 オッカムのウィリアム 唯名論に基づいた著作が異端とされ、1328年破門されると、ルートヴィヒ4世のもとへ逃亡し、『教皇権に関する八つの提題』を著して教権を攻撃した。このなかで注目されるのは聖書の啓示を万民に許されているという思想で、のちの宗教改革を先取りしている オックスフォード大学における経験主義の先駆としてはロジャー・ベーコンがまず挙げられる。彼はトマス・アクィナスの同時代人であるが、アリストテレスを信じず、それに依拠しないで自ら実験して数学的な知識に基づいて研究し、錬金術も行った。ベーコンによればトマス・アクィナスのような神学は、経験的でないから学問に値しないものであった。 ベーコンの半世紀後に登場したドゥンス・スコトゥスは、ベーコンとは逆に、トマス・アクィナスが演繹的でないという批判を行った。スコトゥスによれば学問とは必然的で論理的な内容を持つものであるべきで、神の問題は厳密に言えばこのような論理的な積み上げによって得られる知識ではないから、神学が学問の中心的分野になることはおかしいとして、トマスの「神学は哲学の婢」という考え方を批判した[* 148]。 オッカムのウィリアムはドゥンス・スコトゥスの考えを発展させ、普遍的なもの(抽象)は名辞によってしか知られず、事物の本質はそれぞれの個体(具体)に存するという考えを唱えた(「唯名論」)。これはつまり「人間という観念がまずあって、それを基に個々の人間が存在する」のではなく、「無数の人間がまずあって、それらの共通点を抽象化したのが人間という観念である」という考え方である。この考えを拡張すると、この世界が合理的な秩序に基づいているという神の摂理を主張する立場が否定され、神の秩序なるものは、所詮神が個々に命じた個別的な意志の集積に過ぎないとする考え方に到達する。これはジャン・カルヴァンの「神中心主義」に近い考えである。 さらにオッカムのウィリアムは前述のパドヴァのマルシリウスと同じくルートヴィヒ4世に仕えて、反教権論を展開したのであるが、その思想はより原理主義的で、のちの社会契約説を先取りしている面がある。パドヴァのマルシリウスがアリストテレスに基づいて、国家を家族から発展した自然の共同体と見ているのに対し、オッカムのウィリアムは国家以前の自然状態を論じ、公共の福祉、共通善の実現のために契約によって国家が成立したのだと論じた。オッカムのウィリアムはさらに、マルシリウスにおいては不徹底であった人民主権的な考え方をより鮮明に打ち出し、国家が契約に基づくのであるから、立法には公民全体が参加すべきであるという考えを説いた。そして、オッカムのウィリアムは自身の理想とする政治社会のアンチテーゼとして現実の教会を批判した。教会においては教皇が異教的なローマ皇帝の制度に依拠して、本来は万民に開かれているべき権限を独占し簒奪している。神の啓示は本来聖書の中に記されているはずなのに、教会や教皇はそれらをみだりに読むことを禁じ、信徒から遠ざけている。本来であれば聖書を読める者なら誰でも、神の啓示に参加できるはずである。オッカムのウィリアムの考えは宗教においてもマルシリウスよりラディカルであり、公会議主義にも否定的である。彼によれば公会議もやはり教会という限られた共同体の聖職者に限られ、信徒全体に依拠するものではないから不完全である。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(1):ウィクリフ 詳細は「ジョン・ウィクリフ」および「ロラード派」を参照 しばしば宗教改革の先駆として引用されるウィクリフは、オックスフォード大学に学んだイングランドの神学者で、1374年ころからイングランド王権と教皇庁の課税権を巡る論争に現れ、イングランド王権を擁護する主張を繰り返すようになった。ウィクリフの主張は課税権にとどまらず、やがて教皇の聖職叙任権にも向けられ、さらには教会は布教に必要最低限の財産しかいらないと述べて、教会財産の没収にまで言及するようになった。教会はウィクリフを異端審問にかけたが、王権や民衆の側から圧力が加えられ、ウィクリフは解放された。 こののちウィクリフは教義の批判に進み、アウグスティヌスに基づいて予定説を唱えた。彼は真の教会が目に見えないもので、あらかじめ救済が予定されている者によって構成されているのに対し、可視的な教会はすでに堕落しており、聖書のみに基づいたキリスト教の原始的な信仰に戻るべきだと説いた。 1384年にウィクリフは死ぬが、そののちコンスタンツ公会議で1415年に異端とされ、死体が掘り起こされて焼かれた。ウィクリフの教えに従って聖書を尊重するロラード派(あるいはロラーズ、"Lollards")という一派を生み、一時はオックスフォード大学などを中心に広まったが、のちに徹底的に弾圧された[* 149]。彼の思想は直接的には次のフスにつながり、宗教改革やイングランドのキリスト教解釈にも影響を及ぼした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 改革運動の先駆(2):フス エラスムス 16世紀前半にヨーロッパで広汎な影響力を持った人文主義者。中世を通じて教会が聖書解釈を独占していたが、エラスムスは独自のギリシャ語新約聖書を出版し、大変な人気を博した。ルターによって宗教改革が始まると、予定説と領邦教会制を批判し、人間の自由意志と全ヨーロッパ的なキリスト教共同体を擁護した。彼は領邦教会制がキリスト教の世俗権力への従属に他ならないことを批判し、ヨーロッパに平和がもたらされるためには全ヨーロッパ的なキリスト教共同体が不可欠なことを主張した。彼は信仰の自由、聖書解釈の自由、キリスト教徒の平和共存を説いたが、宗教改革が激化するとプロテスタント・カトリック双方から槍玉に挙げられるようになった 詳細は「ヤン・フス」および「フス戦争」を参照 フスは貧しい農民の出身で、オックスフォード大学で勉強し、のちにプラハ大学の教授となった。フスはウィクリフの思想に影響されて個人の信仰を重視して教会を否定的に考えるようになった。 神聖ローマ皇帝カール4世の時代にボヘミアは文化的な隆盛を迎えた。この統治者のもとでプラハは独立の大司教区となり、プラハ大学を創設した。プラハ大司教や高位聖職者はカール4世の後ろ盾になり、宮廷で行政に携わったが、のちにこのような一部の聖職者に富が蓄積される傾向が、世俗貴族や下級聖職者の批判するところとなった。このころのボヘミアでは少数でありながら影響力の大きいドイツ人移民と土着のチェック人の間で対立がおきており、その構造はプラハ大学でも同様で、ドイツ人の同郷団[* 150]は3つあったのに対し、チェック人のは1つしかなかった。またチェック人の同郷団はウィクリフ派であったが、残りの同郷団は反ウィクリフ派であった。このことがしばしばプラハ大学でも大きな分裂を引き起こしたが、1409年に皇帝ヴェンツェルはドイツ人の同郷団が皇帝の意向に背いたために、勅令を出してチェック人の同郷団を優遇すること[* 151]とし、これを不満に思ったドイツ人学生はライプツィヒに移住し、ライプツィヒ大学が分離した。そしてライプツィヒのドイツ人はフスを異端だとして突き上げた。 フスは破門を宣告されるが、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とした。またウィクリフに従って予定説を論じたが、ウィクリフとは異なって聖職位階制に対しては否定しなかった。ヴェンツェルの弟で、皇帝であったジギスムントはこの宗教問題を平和的に解決しようとコンスタンツ公会議に出席するようフスを説得し、教皇も破門を一時的に留保したのでフスは公会議に参加した。しかしこの公会議でフスは異端と宣告され、火刑に処された。フスが死んだとはいえ、ボヘミアではフスの人気は根強く、貴族たちの間では反カトリックの同盟が結成された。 ヴェンツェル死後にジギスムントがボヘミアを相続することになると、ボヘミアのフス派はいよいよ反抗的になり、皇帝はボヘミア征服のために十字軍を結成しフス戦争がおこった。フス派はヤン・ジシュカ率いる急進的なターボル派(英語版)を中心としてジギスムントの十字軍を何度も撃退し、一時は一方的に国王の廃位を宣言してフス派のボヘミア国家を事実上実現させるなど大いに盛んとなった[* 152]が、やがてフス派の穏健派が中心となって皇帝と和解し、皇帝を国王として認め、バーゼル公会議でカトリック教会に復帰した。しかしボヘミアは以後もカトリック教会においてほとんど独立した状態を維持していた。 戦争の影響で教会や修道院が大きく衰退し、聖職者は議会において影響力を失い、ボヘミアの議会は貴族と都市市民が参加する世俗的な身分制議会を形成することとなった。またドイツ人が多く域外へ脱出し、チェック人の勢力が強まり、チェコ語の礼拝が重視されるようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 人文主義の宗教観:エラスムス 詳細は「デジデリウス・エラスムス」を参照 エラスムスは15世紀末から16世紀前半にかけて、ヨーロッパに最も影響を及ぼした人文主義者の一人であった。エラスムスはパウロの「ローマの信徒への手紙」に影響を受け、聖書を自ら再検討しようと考え、ギリシア語を学んで『校訂ギリシア語新約聖書』を著した[* 153]。これは印刷術の進歩による後押しもあって当時広汎な地域に流通し読まれた[* 154]。 エラスムスは教会の腐敗と信仰における聖書の重視を訴え、教会が聖書解釈を独占しようとして一般信徒に聖書を調べることをしばしば禁じていることを批判し、一般信徒が理解しやすい自国語で聖書に書かれた福音を聞くことがキリストの御心に沿うものであることを主張した。この面でエラスムスはのちの宗教改革者と同じ平面に立っていたが、彼は教皇首位権の普遍性を疑っておらず、また宗教改革派が世俗権力と結びつく傾向を見て、これを公然と批判するようになった。またエラスムスとルターの教義解釈において、決定的な相違点としては自由意志の問題がある。ルターは「ローマ信徒への手紙」とアウグスティヌスに影響されて予定説に基づいた信仰義認説にいたったが、そこではただ「信仰のみ」が救いに至る道であるとされたのに対し、エラスムスは大部分の人文主義者と同じように信仰における自由意志を信じていた。ともかく両者はこのように、教会の腐敗への批判と聖書の重視という点では一致していたが、その教義上の立場も政治上の立場も全く異なるものであった。 エラスムス自身は教会の普遍性を信じ、カトリックとプロテスタントの統一に尽力したが、エラスムスの死後に宗教改革がますます激しさを増すと、当初は広汎に聖職者の支持を集めていたかに思えた[* 155]彼の著作が宗教改革派との共通点を指摘されて、1546年、トリエント公会議で禁書処分にされた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 近代社会とキリスト教(1500年〜1800年) ルター 「95カ条の論題」を発表[* 156]して贖有がもたらす宗教的危機を指摘した。これは当初の予想をこえて教義論争に発展し、1520年にルターは三大文書、『教会のバビロン捕囚』『キリスト者の自由』『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』によって改革の理論と実践を固めた。とくに『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える書』で諸侯に、その職務に基づいて改革運動に加わるよう呼びかけたことは、ドイツ国内の政治問題への宗教改革の関与を規定することになった 宗教改革は純粋に宗教内での問題から出発したにもかかわらず、すぐに世俗的問題と結びついて近代国家の成立を基礎づけたばかりか、近代思想にも影響を及ぼした。宗教改革が主権国家を単位として宗教生活を規定する方向に進んだことは、普遍的なキリスト教世界に立脚していた一つの教会という理念を破壊し、教権の基盤を脅かした。近代にはいると、すでに教権は各主権国家に対して優位性を主張することができなくなり、今日まで続く国民を単位とした政治社会が形成される。一方、思想面においては内面の自由、良心の自由が確立され、近代政治思想における基本概念の一つとなっていった。 宗教改革(プロテスタント側から) 詳細は「宗教改革」および「プロテスタント」を参照 1517年アウグスティノ修道会士であったルターによって「95カ条の論題」が発表され、宗教改革が開始された。発表当初は贖有状を巡る僧職どうしの内輪もめと世間に受け取られていたが、やがて教皇首位権が主要な争点になると、人文主義者も続々この論争に関与するようになった。 神聖ローマ皇帝カール5世とエラスムス派の人文主義者、穏健的なカトリック聖職者の姿勢はこの論争に際して宗教の統一を重視し、プロテスタントとカトリックの歩み寄りを期待した。実際両陣営において当初から妥協と和解が不可能ではないことが認識されており、教義においてはルターの思想がカトリック的であることは当時も後にも様々な局面で指摘された[* 157]。一方教皇クレメンス7世とその後継者パウルス3世はプロテスタント側への歩み寄りが教皇首位権の破壊につながることを警戒して和解を拒否し、カール5世を警戒してドイツの分断を狙うフランス王、バイエルン公もこれに同調した。ルター派の側もザクセン選帝侯などが政治的理由から硬化した態度を取り、ルター派の基盤が形成されると当初は寛容的な態度も持っていたルター自身も非妥協的になった。かくして宗教改革は教義の問題をこえて政治問題と化した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ドイツの領邦教会制度 当初はごく限定的な教会の腐敗の問題、あるいは教義上の問題から出発した宗教改革は、その影響が広汎にわたるとともに政治的な傾向を強くした。具体的には宗教改革はまず教皇首位権への挑戦という宗教内の政治的問題に変容し、さらにドイツ国内の皇帝権に対する諸侯の自立を求める、極めて直接的な政治問題に転化した。この問題は三十年戦争の直接的な原因ともなるのであり、ドイツが長い分断国家となる契機の一つが宗教改革に求められる[* 158]。 シュマルカルデン戦争 詳細は「シュマルカルデン同盟」および「シュマルカルデン戦争」を参照 1530年にカール5世はアウクスブルクに帝国議会を招集した。この議会では両派の歩み寄りの努力がされたが、結局決裂した。さらに同議会ではルター派から「アウクスブルク信仰告白」が提出されたが、ツヴィングリやシュトラースブルクなどの改革派4都市が独自の「信仰」を提出し、プロテスタント内部の宗派分裂も明らかとなった。議会ではカトリックが優勢を占め、最終的決定は翌年の議会に持ち越されたものの、カール5世はルターを帝国追放刑にしプロテスタントを異端とする1521年のヴォルムス勅令を暫定的とはいえ厳しく執行するよう命じた。 アウクスブルク帝国議会(1530年) この議会ではプロテスタントとカトリックの歩み寄りが期待されていたが、結局はカトリック側の主張がほぼ一方的に認められた形となった これに対してプロテスタントの帝国諸侯・諸都市はアウクスブルク帝国議会直後にシュマルカルデンに集まり、軍事同盟結成を協議し、翌1531年2月にヘッセン方伯とザクセン選帝侯を盟主とするシュマルカルデン同盟が結成された。宗教戦争が一触即発に迫ったが、カール5世は妥協し1532年にニュルンベルクの宗教平和によって暫定的にプロテスタントの宗教的立場が保障された。この宗教平和を境にプロテスタントは勢力を一気に拡大した。南ドイツのヴュルテンベルク公領では、プロテスタントであったために追放されていたヴュルテンベルク公ウルリヒが1534年に復位し、北ドイツでも同年ポメルン公、1539年にザクセン公とブランデンブルク選帝侯がプロテスタントに転じた。西南ドイツではルター派とは異なる改革派信仰が広がっていたが、教義上の問題で妥協しプロテスタントの政治勢力は統一性を持つようになった。カトリック諸侯の側もニュルンベルクで同盟を結成し、プロテスタントに対抗した。 カール5世は対外的な事情から情勢を黙認していたが、フランスとの講和がなると一転ドイツ国内の問題に専心するようになった。1546年にはルターが死亡し、同年ザクセン公が選帝侯の地位を条件に皇帝支持に転じた。それ以前にヘッセン方伯も重婚問題からカール5世につけこまれ、政治的に中立を守らざるをえなくなっていた。自身に有利な条件が整ったと感じたカール5世は同年シュマルカルデン戦争をおこし、シュマルカルデン同盟を壊滅させ、翌年のアウクスブルク帝国議会ではカトリックに有利な「仮信条協定」が帝国法として発布された。皇帝は西南ドイツの帝国都市のツンフトが宗教改革の温床であると考えてこれを解散させるなど強硬な政策を実施した。カール5世の強硬な政策を見て、徐々にカトリック諸侯も反皇帝に転じ、息子フェリペにドイツ・スペインの領土と帝位を継承させようとすると、ますます反発を招いてカール5世は孤立した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] アウクスブルクの平和令 アウクスブルク宗教平和令 1555年にマインツで印刷された版本の表紙 このような情勢の中、ザクセン公は再び反皇帝・プロテスタントの側に転じ、1552年に諸侯戦争がおこるとカール5世は敗北し、パッサウ条約によって「仮信条協定」は破棄された。この敗北からカール5世は弟のフェルディナントに宗教問題の解決を任せ、1555年のアウクスブルク帝国議会で、アウクスブルク宗教平和令が議決された。この平和令により「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」という原則のもとに諸侯が自身の選んだ信仰を領内に強制することができるという領邦教会制度が成立した[* 159]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイス盟約者団と福音主義 ドイツでルターによって宗教改革の火蓋が切られた頃、スイスでもほぼ同時にツヴィングリによって福音主義的改革が進行していた。ツヴィングリは改革の半ばで戦場に斃れ、その事業は頓挫したが、ジュネーヴにカルヴァンが現れ、より厳格な改革を実行した。当初は非常に非寛容で妥協を許さなかったカルヴァン主義であるが、各国で政治権力により迫害を受けるようになると、「寛容」を主張して変貌し、ずっとのちに近代的な政教分離の主張へとつながっていくことになる[209]。 スイス盟約者団の歴史的経緯 詳細は「スイスの歴史」を参照 スイスの建国神話として今日一般にヴィルヘルム・テルの物語が知られるが、これはスイスの国民意識が高まった15世紀中ごろに世に広まりはじめたものであると考えられている[* 160]。今日では、スイスの国家統合は14,15世紀を通じてスイス周辺の状況のなかで徐々に進行したと考えられており、当初の盟約はあくまでラント平和令の延長線上に、域内でのフェーデの制限・禁止を目的としたものであった。 12世紀末ごろまでは神聖ローマ帝国辺境の隔絶された山田舎に過ぎなかったスイスは、13世紀の初め頃に南北に貫通する街道が開通すると、一転交通の要衝となった。このことによりスイスは、近隣に支配を拡大しようとしていたハプスブルク家と戦略的価値を重視する皇帝の争奪の的となることとなった。1231年皇帝フリードリヒ2世によってドイツ統治を任されていたハインリヒはウーリ地方に証書を発給し、この地方を帝国直属の地位とした[* 161]。1239年には同じくシュヴィーツ地方も帝国直属の地位を獲得した[* 162]。14世紀初頭にはウンターヴァルデン地方も帝国直属を獲得しているのが確認される。これ以前の1291年にはすでにこれらの三者は盟約を結んでいた[* 163]。 1314年冬、放牧地を巡る争いからシュヴィーツがアインジーデルン修道院を襲撃すると、これを口実にハプスブルク家のフリードリヒ美王は1315年11月15日大軍をもって侵攻したが、モルガルテン山からの奇襲攻撃によって敗北を喫した(モルガルテンの戦い(ドイツ語版、英語版))。この直後の12月9日盟約が更新され、盟約者団はさらに結束を強化した。こののち14,15世紀を通じてハプスブルク家との戦いが続くが、近隣の邦や都市が徐々に同盟の形で参加した。1499年、皇帝マクシミリアン1世がスイス盟約者団に奪われたハプスブルク家の古領を回復しようと戦争を仕掛けたが(シュヴァーベン戦争(ドイツ語版、英語版))、盟約者団はこれを撃退し、この勝利により事実上神聖ローマ帝国から独立した[* 164]。1513年のアペンツェル同盟において13州の形となり、今日のスイスの基本的な国家枠組みの基礎となる十三邦同盟体制が確立され、この体制が1798年まで維持されることとなる[* 165]。 長期の軍事的緊張を乗り越えたスイスは、ヨーロッパ有数の軍事力を持つ国家となっていた。強力な軍事力を頼んでスイスは当時のイタリア戦争に介入し、1513年のノヴァーラの戦い(フランス語版、ドイツ語版、英語版)でフランス軍を大敗させ、ミラノを中心とするロンバルディア地方に覇権を確立したかに見えた。しかし1515年にルイ12世が没し、フランソワ1世が登位すると、同年のマリニャーノの戦い(英語版)で盟約者団はこの若き王に敗北し、南方へ向けての膨張の夢は潰えた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(1):ツヴィングリ ツヴィングリ像 チューリヒのリマト川の岸辺に立っている。右手には聖書、左手に大剣、兜を被り、説教服の下は鎧で武装している 1518年12月の末からチューリヒの教区司祭・説教者となっていたツヴィングリは、1519年初頭からマタイによる福音書の説教を開始した。これがスイスにおける福音主義的改革の幕開けとなる。ツヴィングリはエラスムスを通じて、キリスト教を原典から学ぶことの重要性を認識していた。そのためこのマタイ連続説教においてはヴルガタを使用せず、エラスムスの『校訂ギリシア語新約聖書』を使用した。やがて彼の周囲に新しい福音理解に共鳴する信奉者が集まるようになり、旧来のカトリック的信仰理解を堅持する者たちとの間に徐々に疎隔が生じていった。ドイツの広大な領邦に比べて狭小な地域共同体であるカントン[* 166]の内部での対立は、たちまち先鋭化した。 1522年3月、受難節の断食期間が訪れた際、ツヴィングリ支持者は集まって乾いたソーセージを切り分けて食し、「聖書のみ」の考えを実践した[* 167]。さらにその10日後、ツヴィングリは「食物の選択と自由」の説教をおこない、これに対しチューリヒ市参事会は支持を表明し、チューリヒはツヴィングリの福音主義の拠点となった。そして、ツヴィングリは『最初にして最終的な弁明の書』をコンスタンツ司教に宛て、明確に「聖書のみ」を規範とすべきことを表明した。ツヴィングリ派とカトリック派の対立は激化し、市内での武力衝突の危機も迫ったので、チューリヒ市参事会は最終的な決定を下すべく、1523年1月29日にカトリック側聖職者を迎えて公開討論を開催することとなった。ツヴィングリは公開討論のために自らの信仰を明らかにするため、『67カ条の提題』を公表した。この文書の中でツヴィングリは「聖書のみ」の原則を表明し、聖書に根拠がない教皇制度や祝祭日・修道制・独身制・煉獄を批判した。一方で教会の監督は信徒の集まりが行うべきであるとし、市参事会による宗教の管理を暗に正当化していた。さらに社会倫理について『神の義と人間の義』の説教をおこない、これによりこののちのチューリヒにおける改革の枠組みが定まった。すなわちチューリヒでの改革は都市共同体という政治秩序の積極的な関与の下におこなわれるのである。 1524年6月には市内全域から聖像画・聖遺物・ステンドグラスが取り除かれ、12月には修道院がすべて閉鎖されて資産はカントンに接収された。そして1525年3月の復活節を境に、ミサは完全に廃絶され、替わって福音主義の聖晩餐が導入された。また同年6月には福音主義の司祭養成のためにカロリーヌム[* 168]が開設された。こうしてスイスにおける福音主義の橋頭堡は着々と固められた。 しかしながらこの時点では、スイス内での福音主義の孤立は明らかであった。ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンなどの保守的なカントンはカトリック信仰に揺らぎはなく、福音主義に染まったチューリヒに対して旧来の信仰への復帰を求め、チューリヒを異端と断じて盟約からの追放を宣言した。しかし1528年1月に有力なベルンが福音主義に転じ、1529年2月にはバーゼルで民衆蜂起が起こり、こちらも福音主義に転じた。さらに盟約者団の外部であるが、近隣のザンクト・ガレンやコンスタンツでも福音主義が影響力を増し、福音主義のカントンと軍事同盟を結んだ。これを見てカトリック派のカントンも宿敵であったはずのハプスブルク家も巻き込んで軍事同盟を結成し、両者は同年6月、カッペルの野で対峙した(第1次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))。一触即発の危機が迫ったが、ここで両者は歩み寄り、「現状維持」を約束して和睦した(第一次カッペル和議)。すなわち、福音主義に転向したカントンはその信仰を認められるが、カトリックのカントンへの布教を許されず、その逆も然りとされたのである。ここに信仰の「属地主義」、「一つの支配あるところ、一つの宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」が認められ、スイスは他のヨーロッパ諸国に先駆けて改革派とカトリックの共存する地域となった。 第二次カッペル戦争 ツヴィングリ率いるチューリヒ市民軍は圧倒的な人数のカトリック軍を迎え撃った。この乱戦の中ツヴィングリは戦死した。1548年に描かれた図版 第一次カッペル和議はスイスに平和と安定をもたらしたかに見えたが、ツヴィングリは現状維持に不満で、福音主義の宣教を軍事的拡張によってでも実現すべきと考えるようになっていた。一方ドイツではルター派は皇帝の圧迫を受けて存亡の危機が迫っていたため、同盟者を必要としていた。ここにルターとツヴィングリの利害の一致点があり、1529年10月、ヘッセン方伯フィリップの斡旋により、マールブルク城で会談が開かれ、ルターとツヴィングリの間で軍事同盟と教義の一致が検討された。この会談において、両者の教義の多くの点で一致を見たものの、最終的には聖餐理解を巡って鋭く対立し[* 169]、物別れに終わった。 ツヴィングリはその後も強硬にカトリック諸州の軍事的制圧を主張したが、ベルンをはじめとする同盟諸邦の賛同を得られず、ベルンの提案にしたがってカトリック諸州に対し経済封鎖が実施されるに留まった。この経済封鎖によりカトリック諸州はたちまち困窮したため、軍事力に訴えざるをえなくなり、1531年10月4日カトリック諸州はカッペルに再度進軍し(第2次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版))、これに対してツヴィングリは自らチューリヒ市民軍を率いて邀撃した。このときカトリック側8000に対し、チューリヒの市民軍は数百に過ぎず、乱戦のさなかツヴィングリは戦死した。 しかしその後ベルンを核とする福音主義派は反撃し、第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議が締結され、スイスにおける宗教の属地主義が再確認された。スイスにおける福音主義は後継者ブリンガーに受け継がれ、カルヴァンの登場を待つこととなる。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] スイスの宗教改革(2):カルヴァン ジュネーヴのサン・ピエール教会 ここでカルヴァンは幾度となく説教を行った 1536年7月から8月にかけてのころ、たまたまジュネーヴに滞在していたカルヴァンは、同地で福音主義的改革を導入しようとしていたヴィルヘルム・ファレルに援助を懇請された。この年の5月、ベルンの援助を受けて福音主義に転じたジュネーヴであったが、いまだ改革の緒についたばかりで方針も定まっておらず、ファレルは当時匿名で出されていた『キリスト教綱要』の著者がカルヴァンであることを知り、援助を願ったのである。カルヴァン自身はこのときストラスブールへ向かっている途中であったが、これに協力することを決意した。 1537年1月16日にはカルヴァンら牧師団によって市参事会に対して、教会改革の具体案が提出され、ここにジュネーヴはツヴィングリ派とは異なった、新たな改革の方針に従うこととなった。ただちに新しい「信仰告白」を含むカテキズムが刊行され、市民はこの「信仰告白」に対して宣誓を求められた。こうして改革が本格的に開始されたが、カルヴァンらはこの「信仰告白」が守られているか厳しく監督したために、市民の間に改革に対する抵抗感が芽生えた。また当初から市参事会は、カルヴァンらの主張の中に教会を世俗の権力から独立させ、むしろ世俗権力を教会に従属させようとする意図があることに気づいていた[* 170]。1538年4月23日新しい市参事会が発足すると、カルヴァンとファレルはこの新しい市参事会により追放され、カルヴァンはマルティン・ブツァーの勧めにより、ストラスブールのフランス人難民教会の説教師を務めることとした。この間1539年にカルヴァンはビューレンのイデレッテと結婚した。 やがてジュネーヴで再び福音主義派が勢いを盛り返し、彼らによる再びの招聘を受けて、1541年9月13日カルヴァンはジュネーヴへと帰還した。帰任早々の9月20日カルヴァンは早速「教会規定」を立法化し、牧師・教師・長老・執事という4職[* 171]を定め、いわゆる「神権政治」を開始した。「神権政治」開始後の最初の5年間に、56件の死刑判決と78件の追放がおこなわれ、反対派はことごとく弾圧された。1553年には高名な人文学者であったミシェル・セルヴェが三位一体説を批判した廉で、異端としてカルヴァンにより火あぶりに処された。1559年には神学大学が設立され、プロテスタント系の神学大学としては、すぐにヴィッテンベルク大学に勝るほどの勢いとなり、ヨーロッパ各地に改革派の説教師や教師を送り出すようになった。 聖ニコラウス 15世紀後半盟約者団の間で対立が表面化し始めていたが、隠修士として尊敬を集めていたニコラウスの呼びかけによって、諸邦は再び結束し、シュタンス協定を結んで内部抗争の調停方法を定めた。ヴィルヘルム・テルと並んでスイスの国民的英雄である 1564年の死にいたるまでカルヴァンはカトリック根絶を強硬に主張し、さらに死後の1566年にはツヴィングリ派との間で合同がなり、スイスの改革派は統一され勢力を強めた。カルヴァン主義はやがてフランスでは組織化されてユグノー戦争を惹起し、スコットランドにおいては1560年に国教会の地位を獲得するに至った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] プロテスタント圏スイスとカトリック圏スイス 宗教改革はスイスにとって結局どのような変化をもたらしたのであろうか。それについては前述の、宗教的な動機から見た展開とは別に、政治的意味から見た別の側面も確認できることに注目する必要がある。 周辺を諸侯修道院領に囲まれた都市共同体にとって、宗教改革を導入することは、これらを解体して領域支配に組み込める可能性が生じた。同時に教会財産の没収により経済力を高めることができた。またツンフトに代表される中下層の市民にとっては、都市共同体を上層で寡頭支配している門閥や都市貴族を排除できる可能性が生じた。なぜなら彼らの多くは保守的でカトリック信仰にとどまっていたからである[* 172]。ツヴィングリ派から分離発展した再洗礼派はその信仰を守る信者のみで共同体を構成しようとし、農村部では自治運動と結びつくこともあった[* 173]。 1600年ごろには、スイスの宗教的分裂は一過性のものではなく、もはや既成事実として明らかなものとなっていた。盟約者団内部で、カトリック・プロテスタント各々のカントンのみによる分離会議が開かれていた。しかし、民衆の間で好まれた演劇などを考慮すれば、このような状況にもかかわらず、スイス人として自由と協調に基づいた国民意識が存在していたことを推測することが出来る。彼らにとって、ヴィルヘルム・テルやニコラウス・フォン・フリューエは相変わらず「古き良き盟約者団」の象徴であり、国民的英雄であった[211]。もちろん宗教的不和は厳として存在し、それはしばしば顕在化したものの、なお盟約者団への帰属意識が存在していたのである。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 宗教改革派の諸思想 ここでは、宗教改革における改革派の思想を概説する。前述したように改革派の間には当初から宗派対立が存在したが、これは改革派どうしの間でも教義および政治的立場において異なる傾向があったことに起因する。ここでは宗教改革諸派の代表的思想家を概観することで、それぞれの宗派の教義および政治的立場における特徴の背景を概説する。 ルター ルター像 ヴォルムスにある。中央のひときわ高い位置に立つのがルター像。チューリヒのツヴィングリ像が自ら剣を持ち武装していたのに対し、この像ではルター自身は剣を持たず、側に控えるフリードリヒ賢公が武装している 詳細は「マルティン・ルター」を参照 ルターの思想はアウグスティヌスに決定的な影響を受けている[* 174]。その要点を示すと、信仰における個人主義と内面の尊重、自由意志の否定、「二世界論」である。 ルターはアウグスティヌスに従って人間の原罪を重視し、人間は本質的に罪人である上に神の絶対的支配の下にあるのだから、神の意志を超えた人間の意志による善行があるとすれば、それによって救われるのではないとして自由意志を否定し、ただ神の恩寵によってのみ救われることが可能であるとした。この神の恩寵に預かるためにはひたすら神を信頼し、信仰を寄せることによって救いに至ることができる。この神と個人との間には基本的に介在するものはないという。ここから万人司祭主義、神の前での信仰における人間の平等、聖職者の特権の否定が説かれる。従来教義などの信仰の根拠が教会に求められていたのに対し、ルターはそれを聖書にあるとする。たとえ教会の教えであっても聖書に記載のないものは神の言葉ではないという。教会が独占していた聖書の解釈も万人が自由におこなってよいと述べた。以上のように、ルターは聖書解釈や信仰における教権の優位性を否定した。 政治社会との関係でいえば、重要なのは「二世界論」である。ルターは神がこの世界に二種の支配を作り出したといい、一つは霊的な教会で、目に見えないものでありかつキリスト教徒のみに許されているという。もう一つは世俗的な剣の支配で、これはキリスト教徒に限られず、世界のあらゆる民族を包含している。ルターはキリスト教に反しない限り世俗支配は積極的に受け入れるべきであると説くが、教皇もしくは皇帝が違反した場合にはこれに抵抗することができるという。しかしながら、ルターはあらゆるキリスト教徒が抵抗の主体となることを認めているわけではない。抵抗の主体となりえるのは自らの領民をキリスト教のもとに保護する責務がある諸侯のみである。しかも世俗法においては皇帝と諸侯は契約によって関係を結んでいるのだから、同等であるという。農民のような民衆は皇帝と対等ではないので、抵抗すれば反乱である。これは信仰における諸侯の絶対的権限、領邦教会制度を理論的に認めるものであった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ツヴィングリ マールブルク会談 この会談でルターとツヴィングリは教義について多くの一致点を見いだしたものの、結局は両者の思想の相違が目立つ結果となった 詳細は「フルドリッヒ・ツヴィングリ」を参照 ツヴィングリは後世にツヴィングリ派ともいうべき固有の宗派を残さなかったために、その業績はややもすると限定的に捉えられがちである。しかしながら、彼をルターやカルヴァンらと比べて二次的な地位に留めることは適切であるとは言えない[212]。ツヴィングリの思想は多くの点でルターとの一致を示すものの、ルターとは異なって人文主義やスコラ学の著しい影響が認められるのであり、彼をルターの亜流と見なす考えはこの点で明らかな誤解に基づいている[* 175]。 ツヴィングリの福音主義思想の中で、明らかにルターと異なると認められる特徴は、その実践的な性格である。ルターは個人的な深い宗教的探求によってその思想を形成しカトリックを批判したが、ツヴィングリはより実践的な考慮によって、つまり生活上の慣習や社会通念における誤った宗教的理解について攻撃を加えた。彼によれば、聖書に根拠のない聖人崇拝、修道制、独身制などは廃止されるべきで、さらに進んで生活全般が「聖書のみ」によって規定されるべきであるとし、宗教を含めた生活の監督は信徒の集まりによって、つまり教会ではない住民の自治組織によって行われるべきだとされた[* 176]。 ツヴィングリの死ぬころには、彼の信仰告白を受け入れる都市はスイスに留まらず、ドイツ南部にまで広がっていたが、彼の死後それらの多くはカルヴィニズムの中に分解されていった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] カルヴァン ジャン・カルヴァン その非妥協で厳格な性格からか、生前から毀誉褒貶が定まらない 詳細は「ジャン・カルヴァン」を参照 カルヴァンの政治思想には2つの要点がある。1つは教会を世俗権力から独立させること、もう1つは世俗権力に教会の目的への奉仕をさせることである。彼は教権と俗権という「二本の剣」は分離不可の関係ではあるが、明確に弁別されるべきであると述べた。 カルヴァンはアウグスティヌスに従って、教会を、神によって定められた独自の権威を持つものと考える。彼はこの世には見える教会と見えない教会があるという。見えない教会は正しい信徒の作る精神的な共同体で、時間と空間の制約を受けない。見える教会は信徒が集まって、儀礼や礼拝、説教が行われる場所で、この見える教会においては成員すべてが必ずしも完全な信仰を有しているわけではない。そのため見える教会は成員すべてを完全な信仰に導くために、規律を必要とし、内部に政治が必要とされるのである。そのため教会の幹部は道徳を含む世俗の問題に対しても判決を出すことが出来る。 一方世俗権力の担い手である国家は、真の宗教、正しい信仰を広めるためのものである。もちろん既存国家の中には必ずしも完全な信仰に合致していない場合もあるが、そのような国家に対して反抗することは絶対に許されない。もし抵抗を認めてしまえば、無秩序に陥る恐れがあり、またそもそも神の力によって、誤った状態は長く続くことはないと考えられるからである。 カルヴァンの思想のうち、無抵抗については彼の死後現実のユグノー弾圧への対応として、理不尽な支配に対しては抵抗してもよいというモナルコマキの政治理論が登場した。同様に彼の思想にある非寛容で妥協を許さない攻撃性も、カルヴァン主義が深刻なコンフェッショナリズムに直面するうちに失われていき、寛容へと傾いていった[* 177]。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] フランスのコンフェッショナリズムと主権理論 コンフェッショナリズムとは、政治闘争が信仰の対立と密接に結びついた、宗教改革の時期特有の政治状況である。このような形での宗教対立が最も典型におこなわれたのが16,17世紀のフランスであった。フランスの宗教改革派はカルヴァン派が主流で、ユグノーと呼ばれる[* 178][* 179]。このユグノーと王権やカトリック勢力の間の政治闘争を通じて、フランス絶対王政が形成された。 フランスの改革派、ユグノー カトリーヌ・ド・メディシス アンリ2世の妃で、メディチ家出身。夫の死後は相次いで息子を即位させ、実権を握った 詳細は「ユグノー」を参照 フランスにおいても宗教改革と通じる福音主義的思想が現れた。その最初期のものは、ルフェーブル・デタープルによるパウロの書簡の注解(1512年)やフランス語訳新約聖書(1523年)があげられる。しかしパリ大学の神学者やパリ高等法院から弾圧され、デタープルはストラスブールへ亡命するなど、改革運動に迫害が加えられた。だが改革派は急速に影響力を増大させ[* 180]、1550年代にはカルヴァンの指導の元で組織化が図られるようになった。 国王フランソワ1世は姉のマルグリットが人文主義や改革運動に好意的であったためか、当初改革派に理解を示していたが、檄文事件を境に弾圧に回り、パリ高等法院に異端審問委員会を設置した。さらに後継者アンリ2世は1547年に特設異端審問法廷を設け、弾圧を強化した。 これに対し改革派は1559年に第1回全国改革派教会会議を開催し、信仰箇条や教会の規則を定めて一応の組織化を果たした。このころからブルボン家やコンデ親王家をはじめとする貴族が改革派へ参加した。とくにブルボン家などの大貴族層は、政敵であるカトリックの大貴族ギーズ家への対抗という政治的意図から改宗を選んだと考えられる。 アンリ2世の死後は、その妃で息子たちの後見として実権を握ったカトリーヌ・ド・メディシスが政治的駆け引きに改革派とカトリック派を利用しようとし、王家と改革派・カトリック派の三分構造が際だつようになった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノー戦争 詳細は「ユグノー戦争」および「ナントの勅令」を参照 前述の状況の中、1560年の改革派によるギーズ家の影響排除を狙った「アンボワーズの陰謀」事件や、1562年に起こったカトリック派によるヴァシーでのユグノー虐殺など不穏な事件が相次ぎ、ヴァシーの虐殺を契機として最初の武力衝突が起こった(第一次宗教戦争)。以後1598年のナントの勅令公布までの間フランスは断続的な内戦状態に陥った(ユグノー戦争)。1571年には改革派のコリニー提督が宮廷で影響力を増大させ、新教国と連携してフランスを八十年戦争に介入させようとしたが、1572年ユグノーに対する虐殺事件(サン・バルテルミの虐殺)に巻き込まれて殺された。 これに対し改革派は1574年に第1回改革派政治会議を開き、改革派の優勢な地域での徴税とそれを財源とした常備軍設立を決定し、オランダの改革派と結びついて、ほとんど独立した状態となった。また1581年にブルボン家のアンリ・ド・ナヴァルを「保護者 ("Protecteur")」として推戴した。アンリは改革派の軍事指揮権と改革派支配地での司法官や財務官の任命権を得たが、一方でユグノーの顧問会議によってその権力は制限されていた。これは後述するユグノーの共和政的政治思想の影響も無視できない[213][214]。 サン・バルテルミの虐殺 ブルボン家のナヴァル王アンリと王妹マルグリットの結婚式に参列するため、パリに集まった改革派貴族を、1572年のサン・バルテルミの祝日(8月24日)にカトリック派が襲った。この事件の影響はたちまち全フランスに広がり、各地で改革派に対する襲撃が相次いだ カトリック貴族もギーズ公アンリを中心に「カトリック同盟(ラ・リーグ、"la Ligue")」を結成し、独自の軍事組織を持った。こうして王権・改革派・カトリック派の政治闘争はいよいよ本格的な武力闘争に発展した。ユグノーの背後にはオランダとイングランドが、カトリック同盟の背後にはスペインと教皇庁が存在し、内乱は国際的な宗派対立と密接に連動していた。一方でこの時期フランス王権は対ハプスブルク外交としてオスマン帝国に接近した。 この内乱に教皇は積極的にカトリック支援を意図して介入し、とくにグレゴリウス13世はサン・バルテルミの虐殺においてカトリック同盟を支持した。またグレゴリウス14世は同盟支援のために軍隊を派遣した。ハプスブルク家のフェリペ2世が1580年ころからカトリック同盟を露骨に援助するようになると、国王アンリ3世はユグノーに接近し、国王は刺客を放って1588年ギーズ公アンリを暗殺した。しかし翌年には国王も同盟側によって暗殺され、ナヴァル王アンリが王位継承者(アンリ4世)となるが、カトリック勢力は根強く反抗した。1593年にナヴァル王アンリはカトリックに改宗して翌年パリに入城することができた。 アンリ4世の改宗に改革派は危機を覚え、改革派政治会議を全国組織にし、会議は1595年から1597年の間、王権と並ぶ統治機関として機能した。この会議はオランダの改革派との合同も模索したが、これに対しアンリ4世は改革派に宗教上の保証を与えるナントの勅令を1598年に発布した。改革派はこれに満足し、王権への忠誠を誓った。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ナントの勅令廃止まで ナントの勅令の実施状況の監督に当たっては、各州改革派とカトリックから選ばれた国王親任官が各教区を巡回した。しかしパリ高等法院やカトリックの聖職者たちはともすればこの勅令を非寛容な方向に厳密に解釈して適用しようとし、種々の訴訟を起こして改革派を陰に陽に弾圧しようとした。改革派にとって最大の後ろ盾であったアンリ4世の暗殺後には、改革派内部に明確な亀裂が生じ、北部のパリやノルマンディーの改革派は王権への服従とカトリックとの妥協を目指す「穏健派」を形成し、南部のギュイエンヌやラングドックの改革派は「強硬派」を形成した。「穏健派」は徐々に王権神授説に傾いた。 アンリ4世の死後摂政となった妃のマリー・ド・メディシスは改革派に配慮を示していたが、成人したルイ13世は改革派に威圧的な態度を取った。1620年ルイ13世が、改革派が多数を占めるベアルヌ地方でカトリックを支持する裁定を下すと、改革派は反発し、その年の12月に開かれた全国会議で「強硬派」が優勢となって武装蜂起を決定した。ユグノー側の軍事的指導者となったのはロアン公アンリである。1621年から1622年にわたっておこなわれた戦いは、ほぼ王側の優勢のうちに決着したが、和平においてはルイ13世が譲歩する形でナントの勅令が再確認された(モンプリエ条約)。 ユグノーの多く居住する地域(17世紀) しかしルイ13世はモンプリエ条約の遵守に熱心でなく、改革派は不満を隠しきれなかった。1625年に再び戦闘が開始されると、宰相リシュリューは改革派の拠点ラ・ロシェルを包囲し、ロアン公アンリ率いる改革派をうち破ったが、このときリシュリューは外交方針を変更して三十年戦争でプロテスタント側を援助することも考慮していたため、1626年には講和してモンペリエ条約を再確認した(パリ条約)。だが平和は短かった。1627年にリシュリューは再びラ・ロシェルを包囲し、改革派はイングランドの援助を受けたが、イングランド艦隊は有効な支援ができず、1628年10月ラ・ロシェルは陥落した。1629年には王軍がラングドックにも侵攻して決定的な勝利を得、またロアン公アンリを国外へ追放した。6月和平がなりアラスの勅令が出され、ここでナントの勅令が再び確認されたものの、改革派は武装解除され、これは「恩恵の勅令」と言われるように、王権が改革派を決定的に従属させるものであった。 1630年から1660年にかけての30年間は、王権への臣従姿勢によって改革派が比較的安定した時期を迎えていた。例えばリシュリューの庇護のもとアカデミー・フランセーズを設立したヴァランタン・コンラールも改革派の文筆家であった。とはいえ、この時期改革派に圧迫が加えられてもいる。リシュリュー死後、実権を握ったマザランは改革派全国教会会議の開催を禁止した。 ルイ14世が親政を開始すると、改革派の権利が徐々に剥奪されていった。まず1661年にフランス全土に官吏が派遣され、改革派の礼拝について調査が行われた。そしてさまざまな条例を発布して公職から徐々に改革派を閉め出した。1679年ドラゴナードという制度が定められ、これは竜騎兵を改革派の家に宿泊させ、暴力的威嚇によって改宗を強制するものであった[* 181]。これに対して1683年に改革派の多い南部で散発的な抵抗運動が起こったが、すぐに鎮圧された。1685年にはついにナントの勅令廃止が宣言(フォンテーヌブローの勅令)され、改革派牧師の追放、改革派教会堂の破壊が命じられた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ユグノーとフランス経済史 マックス・ウェーバーが指摘するように、ユグノーは16~17世紀のフランス経済に大きな影響を及ぼした[* 182]。ここではユグノーのフランス経済に及ぼした影響、とくにコルベール主義との関連を概観し、ナントの勅令廃止(1685年)の経済史的意義についても言及する[* 183]。 ナントの勅令 ナントの勅令は信仰の自由を与えるものとはいえず、カトリックとプロテスタントに対する扱いも平等ではない。あくまでプロテスタントへの寛容を表明するにとどまっている フランスのプロテスタンティズムはその最盛期で人口200万人、当時の人口の10%ほどを占めたが、ユグノー戦争によって5%程度まで減少した[215]。その内訳は貴族・農民・手工業者・商人・金融業者など多様な社会階層に及んだ[216]。そのうち貴族層は前述したように政治的意図が濃厚であったので、その目的が達成されたユグノー戦争 後には、そのほとんどが早期に信仰を離れた。ユグノーが大きな勢力を持った南部では、農民層にもプロテスタンティズムが浸透し、彼らの貢献により、この地域は内乱の被害が著しかったにもかかわらず早期に復興を成し遂げた。しかしとりわけブルジョア層においてプロテスタンティズムは広く浸透した。 ユグノーはとくに集中マニュファクチュアの担い手として重要であり、金融・商業においても支配的であった。コルベールは重商主義政策の柱に国内の金融業・商業・工業の発展を据えていたので、当然その担い手であるユグノーを保護し、これと提携する道を選んだ。 毛織物工業では、ラングドック・プロヴァンス・ドフィネはレヴァント地方への輸出用ラシャが大量に生産されていた。シャンパーニュ地方のスダンも北ドイツへの輸出用ラシャを生産し、毛織物工業の中核でもあったが、ここではユグノーの製造業者が織機の半数を所有していた[217]。絹織物工業においては、17世紀中葉トゥール・リヨンにおける顕著な発展が知られるが、それはユグノーの貢献に拠るところが大きい。リンネル工業をフランスに導入したのもユグノーであり、リンネルはイギリスへの輸出用商品として貴重なものであった[218]。オーヴェルニュやアングモアでは製紙業が発達していたが、その主な担い手もユグノーであった。ここで製造された紙はフランス国内のみならず、イギリスやオランダでも消費された。とくにオーヴェルニュのアンベールの紙は当時ヨーロッパで最良のものとされていた。これらの工業は一般的にナントの勅令廃止後に衰退した[* 184]。 ラ・ロシェルやボルドーにおける海上交易の発展にもユグノーは多大な寄与を為していた。ボルドーにおいては主にイギリス・オランダとの交易を担い、ラ・ロシェルにおいてはナントの勅令直前まで貿易は彼らの独占状態にあるという有様であった[219]。ユグノーの銀行家としては、17世紀初めにはリシュリューの財源となったタルマン家やラムブイエ家が知られる。またユグタン家も有名である。もともとリヨンの出版業者であったが、1685年にアムステルダムに移住し、そこで17世紀最大の銀行家にまで成長した[220]。フランス革命後には多くのユグノー銀行家がフランス金融界で活躍し、現在でもユダヤ系以外はプロテスタント系によってフランス銀行業は担われている[221]。 ナントの勅令廃止によりユグノーの工業技術・資本はイギリス・オランダ・スイス・ドイツに流出し、それらの国々の工業的発展に寄与した結果、対フランス貿易における各国製品の競争力を高めた。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 政治思想(モナルコマキとポリティーク) カルヴァンは信徒に抵抗を認めなかったが、ユグノーに対する弾圧が強くなると、ユグノーたちの間に支配権力に対する抵抗理論が現れた。1572年のサン・バルテルミの虐殺によって宗教対立がいよいよ抜き差しならない段階に入ると、武力抵抗を肯定する必要が生じた。こうして武力抵抗を肯定する理論として暴君は打倒しても良いとする暴君放伐論が現れ、暴君放伐論者をモナルコマキ(英語版)という。暴君放伐論として代表的なのはテオドール・ド・ベーズの『臣民に対する為政者の権利について』(1573年)とユニウス・ブルートゥスというペンネームの著者が著した『暴君に対する自由の擁護』である。 ジャン・ボダン 国家の統一を維持すべきという観点から宗教的寛容を主張した。主権の形態としては君主制に優越性を認めていたが、それはつねに主権の行使者が一者であるということと世襲的であるということが、継続的な永続性を実現していると考えたからである ベーズは為政者が人民の同意しない権力を行使した場合は、これに抵抗することが可能であるという。ただし抵抗の主体となることができるのは個々の人民ではなく、三部会もしくは大貴族によってのみ国王を放伐することが可能であるとした。後者の著作はベーズのものより体系的な政治理論を展開しており、一連のユグノーの暴君放伐論の中では絶頂であると考えられている。まず君主が神の代理人として地上で神の法を行う義務を負うと述べ、次に旧約聖書を引用して神と、君主およびその支配下にある人民の間に契約があるという。次に君主と人民の間にも契約があり、君主がこの契約に守らない場合は、人民はこれに服従しなくてもよいとする。このように契約論を展開する一方で『暴君に対する自由の擁護』は、ベーズ同様、等族国家の原理に影響を受けた身分制的な思想を展開する。君主の契約違反に人民は服従しなくてもよいが直接抵抗することは認められない。君主に抵抗できるのは身分ある貴族だけで、身分のない人民は貴族の抵抗に荷担するか、消極的に君主の支配から逃亡するかである。最後にこの著作が示す興味深い論は、近隣の君主が暴君の支配に苦しむ国に干渉戦争をおこなうことを認めている点である。 ラ・リーグの側でも、同様の抵抗理論が展開された。ただカトリック強硬派の政治理論に特徴的なのは、従来の教権擁護の理論を継承して、国王の解任権やその不当支配に対する抵抗権の条件に教会、とくに教皇の承認を重視する点である。 一方で、カトリック穏健派はモナルコマキたちが君主への抵抗に神との契約違反を見たり、教皇の承認を重視したりする傾向に批判的であった。彼らはむしろ国家を重視し、宗教上の問題に寛容な解決をもたらすことで、政治的統一を尊重すべきと説いた。彼らを国家主義者という意味でポリティークと呼ぶ。 ポリティークの代表的論者はジャン・ボダンで、彼は一方で近代的な主権理論の祖ともいわれる。ボダンは中世的な国王大権を発展させて、主権概念をつくった。この主権とは、国家を支配-被支配の関係で捉えた際に支配者側が持つ絶対的な権限のことで、国王にのみ固有のものである。彼によれば、「国家の絶対的な権力が主権」であり、「主権による統治が国家」である。つまり主権は国家そのものと不可分である。要するに、伝統的な封建制や従来の身分制社会では、国王と末端の被支配者である人民との間に、大貴族や群小の領主のように中間権力が存在したが、ボダンは主権を設定することによって、中間権力を排除して、支配者と被支配者の二者関係で国家を定義した。これによりモナルコマキたちが主張した、貴族などが支配権の一部を分担しているという観点から抵抗権を認める暴君放伐論を否定した。この主権概念と対立するのは伝統的な普遍支配権を主張する皇帝と教皇である。まずボダンは皇帝を選挙によって選ばれるのであるから、選挙を行なう支配者たちの主権を譲渡された受益者に過ぎないとこれを主権から外す。また教皇の至上権に対しては、国家の自律性・自然性を強調し、領域国家内の政治から宗教上の争いが排除されなければいけないとして政教分離を主張した。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 低地地方と宗教改革 詳細は「オランダの歴史」を参照 メルセン条約によって東フランクと西フランクに分属することとなった低地地方[* 185]は中世後期に至るまで政治的統一とは無縁であった。しかしながら、14世紀にヴァロワ=ブルゴーニュ家の支配下にはいると、地域の政治的統一が促進されることとなった。その後、同家の断絶によりハプスブルク家がこの地を相続し、中央集権的な支配を及ぼそうとしたが、これに対して低地地方の貴族は不満を募らせ1568年に反乱し、やがて北部はオランダ共和国として独立した。オランダ共和国は改革派が多数であったわけではないが[* 186]、独立の過程においては改革派が主導的な影響を及ぼし、やがて改革派の中心国家として台頭することになった。 低地17州の歴史的経緯 ディジョンにあるブルゴーニュ公の宮殿 詳細は「ネーデルラント」および「ブルゴーニュ領ネーデルラント」を参照 12世紀までに、低地地方にはホラント伯やゲルデルン公、ブラバント公、エノー伯、ルクセンブルク伯、フランドル伯などの世俗領主、ユトレヒト司教やリエージュ司教といった教会領主が分立割拠していた。11世紀後半ごろからこの地域に対する神聖ローマ皇帝の圧力は減退していき、低地地方は徐々に英仏両国の影響を受けるようになっていった。 低地地方南部で徐々に強大な勢力を確立したフランドル伯は、フランスとの対立を深め、とくにフランドル伯支配下の都市はイングランドとの通商関係での結びつきがあったことから、イングランド王に接近した。フランドル伯ボードゥアン9世の時代には、ノルマンディをイングランド王ジョンから取り上げたフィリップ2世がフランドルを窺う情勢となった。つづくボードゥアンの娘ジャンヌの時代に、イングランド王ジョン・神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟し、フランス王権に挑戦したが、1214年ブーヴィーヌの戦いで敗北した。以降フランドルはしばらくの間フランス王権の掣肘を受けることとなる。 14世紀半ばに同地は相続を通じてブルゴーニュ家のフィリップ豪胆公の支配下に入り、この公国のもとで政治的統一が進められた。公国は財政的にも低地地方に大きく依存しており[* 187]、自然と公国の重心も低地地方へと移動した。このころすでに聖職者、貴族、有力都市民からなる身分制議会が低地地方でも開かれていたが、あらたに課税賛否権と請願権を与え、この議会は「全国議会(エタ・ジェネロー)」[* 188]へと発展した。 14世紀にルクセンブルク伯領を領していたルクセンブルク家の当主が相次いで神聖ローマ皇帝となり、同家はやがて神聖ローマ帝国の東方に広大な家領を形成した。カール4世の時代にルクセンブルク伯はルクセンブルク公へと格上げされ、同家は最盛期を迎えるが、やがて15世紀初めには同家の男系は断絶し、その支配地域の多くは相続を通じてハプスブルク家の手中に収まった。 1477年にシャルル突進公がロレーヌ・アルザス・スイス軍との戦いで戦死すると、フランス国内のブルゴーニュ公領はたちまちフランス王権に回収され、相続者マリーに残されたのは低地地方とフランシュ=コンテのみであった。マリーは同年ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と結婚し、これらの地域もまたハプスブルク家の支配に収まった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] ハプスブルク家の統治(カール5世とフェリペ2世) カール5世の「帝国」(1547年) 詳細は「ネーデルラント17州」を参照 1506年フィリップ端麗公が急死すると、その長子シャルルが公国を相続し、1515年1月に全国議会で即位した。さらにシャルルは1516年にはカスティリャ・アラゴン両王国の君主となり、1519年には対抗馬のフランソワ1世を破って神聖ローマ皇帝カール5世となった。こうして東はトランシルヴァニアから西はスペインにいたる、ヨーロッパ全体を包含するかのような「帝国」が形成された。この帝国には一体的な国家組織がなく、個別の国家がただ単にカール5世のもとに集約されているに過ぎなかったが、低地地方はその中で位置的には辺境であるにもかかわらず、対フランスの軍事的・政治的拠点であり、さらにアントウェルペンの金融は「帝国」の重要な財源であった。カールは低地地方の行政的中心をブリュッセルにおき、中央集権化を進めて政治的統一を促進させる一方、周辺地域の武力的制圧をすすめ、メルセン条約以来分断されていた低地地方を初めて統一した。低地地方が17州[* 189]と呼ばれるのは、このカール5世が帯びた、低地地方の17の称号に由来し、1548年のアウクスブルク帝国議会で正式に承認された。1549年には低地地方が「永久に不可分」な形でハプスブルク家に継承されることを定めた国事詔書(プラグマティック・サンクシオン)が発布され、全国議会で承認された。 カール5世に続いて低地地方を支配したのは長子フェリペであった。フェリペもカール5世の基本路線を継承し、法典や裁判制度の統一をはかり、低地地方を中央集権化しようと試みた。低地地方の政治の実権はグランヴェルなどの寵臣が握っており、オラニエ家などの大貴族と対立した。フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 190]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 191]。このころフランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド 「鉄の公爵」と呼ばれた。彼の設けた「騒擾評議会」は別名「血の裁判所」と呼ばれるほど苛烈で、低地地方を苦しめた 1565年フェリペが改めて低地地方での異端審問の強化を命令すると、下級貴族は反発を強め、1566年には異端審問の中止を求める訴状を執政マルハレータに提出した[* 192]。マルハレータは異端審問の一時緩和を発表したが、これにより改革派が公然と低地地方で活動を開始するに至った。 フェリペは低地地方での支配権を強化するため、低地地方での教区再編を計画し、1559年7月教皇パウルス4世から許可を得た。これにより低地地方に3つの大司教区[* 193]が新設され、これらの司教区の司教には従来王権の下で異端審問に関与していた神学者が多数登用された[* 194]。しかし、この頃フランスから多数の改革派が流入し始めていたので、宗教的な緊張が高まり、低地地方に不穏な空気が流れ始めた。 1566年、フランドルでカトリック教会や修道院を狙った暴動が発生し、その反乱は低地地方各地へと広まった。フェリペが重税などの圧政を行っていたため、まだプロテスタントが浸透していない北部にまで暴動は拡大した。この暴動は一見宗教的動機に隠されてはいるが、そのうちに深刻な経済的理由が存在していた[* 195]。この年は北欧での大規模な戦争によってバルト海方面からの穀物流入が激減し、食糧難と経済危機によって低地地方の人々は苦しんでいたのである。1567年8月、フェリペは事態の収拾を図るため、アルバ公に指揮権を与え軍隊による介入を指示し、1万ほどの軍勢とともに派遣した。アルバ公は「騒擾評議会」なる特別法廷を設置し、暴動の参加者を徹底的に弾圧した。さらに12月にはマルハレータに替わって執政になり、ネーデルラント貴族にこの暴動の責任を問うた。1568年6月5日、異端撲滅の名の下に、エフモント伯ラモラール、ホールン伯フィリップを含む大貴族20人余りがブリュッセルで処刑された。この際、大貴族の一人であったオラニエ公ウィレム1世は1567年4月すでにドイツに逃れており無事だったが、彼ら亡命貴族の財産・領地の多くが没収された。1569年には十分の一税を導入して、スペインの財政改善のために低地地方に経済的圧迫をもたらした。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 八十年戦争とオランダ共和国 詳細は「八十年戦争」を参照 ドイツに逃れていたオラニエ公ウィレムは1568年4月に軍を率いてオランダ北部と中部から一斉に進攻するが、5月23日ハイリハレーの戦いに勝利したものの、結局は失敗に終わった。ウィレムはフランスのユグノーに合流し、「海乞食(ワーテルヘーゼン)」を組織して低地地方の沿岸を無差別に略奪した。1572年4月1日海乞食はブリーレの占拠に偶然にも成功し、やがて港湾都市を少しずつ制圧していった。同年7月ホラント州は反乱側に転じ、ウィレムを州総督に迎えることとした。ホラント・ゼーラント2州に海乞食が足場を整えると、改革派が続々と流入し、徐々に主導権を握るようになった。1573年2月にはホラント州でカトリックの礼拝が禁じられた。 1576年には給料の未払いから低地地方に駐留していたスペイン軍が略奪に走ると、スペインに協力的であった南部州も反乱州との提携に転じ、ヘントの和約が結ばれた。和約は全部で25か条あるが、最初の3か条はとくにこの条約の基本性格を表していると考えられている。第1条ではスペイン王による無条件大赦を要求し、第2条では諸州の連帯と低地地方の平和維持を規定、第3条では宗教問題など諸州の問題を解決するために全国議会を開くことを決めていた。しかしながら、この和約は全く効果的な裏付けを欠いていた。そもそも約束された諸問題の解決のための全国議会は結局開かれなかったし、条約は北部と南部が互いに都合良く解釈する余地を残していた。たとえばフェリペ2世の意向を気にする高級官僚は早くも1576年11月9日づけの国王宛書簡で「和約」を容認したやむべき経緯を釈明した上で、和約の実施にあたっては修正を加えることを示唆している。同様にオラニエ公ウィレムの側でも、側近がイングランド宛の書簡で宗教問題について、ホラント・ゼーラント両州では全く妥協する気がないことを述べている。このようにヘントの和約は全くその場限りの一時的な妥協に過ぎず、永続性を欠いており、状況の推移によって簡単に崩れる脆い地盤の上にあった。 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 日本近代史における政教分離 大政奉還がなされて明治政府が誕生し、日本の近代史が始まる。ここでは近代の法制史の立場から政教分離に関連する歴史を概説する。 大政奉還の年(1867年慶応3年)神祇官が復興され、明治新政府は祭政一致の国家形成を目指す方針を出した[222]。1868年(明治元年)神仏分離令が出され、廃仏毀釈が起こる。また「五榜の掲示」にキリシタン禁制とあるのが確認される。1869年に設けられた公議所の議論で神道の国教化路線が決定され、神道に関する神祇官は太政官から独立して行政制度において独自の位置を占めた。しかし1871年には神祇省に格下げされて、1872年には神祇官が廃止され、教部省が新たに仏教・神道ともに管掌することとなった。国民を教化する職責として教導職制度が設置され、教導職の教育機関として大教院が設置された。 これに対して浄土真宗本願寺派の島地黙雷が三条教則批判建白書を提出し(1872年明治5年)、1875年1月には真宗4派が大教院離脱を内示するなど紛糾し、結局同5月に大教院は解散することとなる。 1873年1月に太陽暦が導入され、1874年には仏教・神道の中での宗派選択の自由が、1875年には信教の自由が保障された。1882年(明治15年)には官国幣社の神官が葬儀に関与することを禁じ、国家祭祀に専念させることとし、国民的な習俗として一般的な宗教とは区別されることが方向付けられた。このさい内務省通達により神社は宗教ではないとされた(神社非宗教論)[223]。 大日本帝国憲法(1889年明治22年)には第28条で「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と記載された。 昭和期に入って、日本国内で国粋主義・軍国主義が台頭すると、神道は日本固有の習俗として愛国心教育に利用され、神道以外の宗教に顕著な圧迫が加えられるようになった。神道以外の信仰を持つ生徒・学生であっても靖国神社への参拝を義務づけたため、1932年には上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否するという事件(上智大生靖国神社参拝拒否事件)が発生した。これに対してカトリック教会は1936年『祖国に対する信者のつとめ』を出し、日本政府の方針にしたがうべきことを表明した。 第二次世界大戦後の1945年、GHQにより神道指令が出され、国家神道は廃止され、現行憲法では政教分離が原則的には実現されている。 現代日本における政教分離原則に関する問題については政教分離原則・靖国神社問題・公明党を参照 [ 目次へ移動する | 概要へ移動する | 先頭へ移動する ] 関連項目 帝権と教権 叙任権闘争 皇帝 ローマ教皇 神聖ローマ帝国 フランク王国 カロリング朝 ホーエンシュタウフェン朝 ハプスブルク家 ルクセンブルク家 選帝侯 各国史 ドイツの歴史 フランスの歴史 イギリスの歴史 教会 キリスト教の歴史 ローマ教皇の一覧 東西教会の分裂 正教会 カトリック教会 教会大分裂 公会議主義 宗教改革 プロテスタント ヨーロッパ外の祭祀王権との比較 天皇 神道 皇帝祭祀 天下 参考文献 全体 森安達也 『近代国家とキリスト教』 平凡社〈平凡社ライブラリー, 446〉、2002年。ISBN 4582764460。[* 196] 歴史学研究会 編『現代歴史学の成果と課題 1980年-2000年 2 "国家像・社会像の変貌"』青木書店、2003年。 小林良彰・河野武司・山岡龍一 著『政治学入門 ( 07)』放送大学教育振興会、2007年。 江川温 著『ヨーロッパの歴史 ( 05)』放送大学教育振興会、2005年。 リュシアン・フェーヴル 『ヨーロッパとは何か 第二次大戦直後の連続講義から』 長谷川輝夫訳、刀水書房、2008年。ISBN 9784887083646。 ウィリアム・ウッドラフ 著、原剛ほか訳『概説 現代世界の歴史 1500年から現代まで』ミネルヴァ書房、2003年。 岡本明 編著『支配の文化史 -近代ヨーロッパの解読-』ミネルヴァ書房、1997年。 各国史全般 松谷健二 著『東ゴート興亡史』白水社、1994年[2003年中公文庫] 玉置さよ子 『西ゴート王国の君主と法史』 創研出版、1996年。ISBN 978-4915810084。 アズディンヌ・ベシャウシュ 著、藤崎京子 訳『カルタゴの興亡』知の再発見双書、1994年。 松谷健二 著『ヴァンダル興亡史』白水社、1995年[2007年中公文庫]。 青山吉信 『先史〜中世』1、山川出版社〈世界歴史大系, イギリス史〉、1991年。ISBN 4634460106。 今井登志喜 著『イギリス社会史』上下、東京大学出版会、1953年。 ベーダ・ヴェネラビリス 『イギリス教会史』 長友栄三郎訳、創文社、1965年。ISBN 978-4423460078。 J・R・H・ムアマン 『イギリス教会史』 八代崇ほか訳、聖公会出版、1991年。ISBN 978-4882740636。 村岡健次 ほか編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』ミネルヴァ書房、1986年。 樺山紘一 ほか編『世界歴史大系 フランス史』1〜3、山川出版社、1995年。 成瀬治、山田欣吾、木村靖二 『ドイツ史』1、山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年。ISBN 9784634461208。 森田安一 『スイスの歴史と文化』 刀水書房、1999年。ISBN 4887082355。 森田安一 『スイス・ベネルクス史』 山川出版社〈世界各国史, 14〉、1998年、新。ISBN 4634414406。 ウルリヒイム・ホーフ 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Medieval Italy during a Thousand Years A Brief Historical Narrative with Chapters on Great Episodes and Personalities and on Subjects Connected with Religion, Art and Literature. George G. Harrap. Edward Hutton (1913). Ravenna a Study. E. P. Dutton. ISBN 978-0554137117. - 名無しさん 2015-08-23 21 32 12 名前
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/33.html
波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト 無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善 万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化 量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転) *********************************** 項目6⑦:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い 森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善 【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】 ●アイヌと沖縄について アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略 アイヌ民族の文化と信仰 蝦夷の歴史 日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇 ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置 日本におけるアイヌ問題の認識状況 沖縄・琉球の歴史 琉球神道について 南西諸島の伝統歌謡に見える古層とヤマトとの交流 南洋産貝製品の古代社会における重要性 沖縄的事物と女性祭祀と海人族が示唆する、古代社会の在り方と平和の希求と大規模な変化 日本の辺縁部に残る古代の日本語と祭祀形態 沖縄・琉球の位置付けについて 辺野古と大浦湾の類稀な環境・霊場・遺跡と、日米による破壊の危機 沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧 沖縄問題への誤った対処 アイヌ・沖縄問題に見える国内外の自己優位思想と従属思考 ヤマト・アイヌ・沖縄などの和合 「アイヌ民族」は「北海道・千島列島・樺太の先住民族」、「琉球民族」は「沖縄県などの先住民族」です。民族や言語という概念に決まった定義はないですが、便宜上ここでは「琉球民族」を一民族とします。 「ヤマト民族(又は本土人)」「アイヌ民族」「琉球民族(沖縄人)」は、共に「縄文人」を祖としています。「日本の最も底部の基層」は「縄文文化」にあり、「アイヌ民族と琉球民族は、縄文人のDNA系統を色濃く残す民族集団」であり、即ち「原日本人の特色を濃く継承している」と言えます。「沖縄人」は、主に「縄文人」「10世紀から12世紀頃の南九州の農耕民の移住者」を祖とします。DNAは「本土日本人は朝鮮民族(韓民族)と近い、中国人全般とはそれよりも離れ、中国遼寧省(東北部・満州)・山東省(北京南方)の人とはやや近い」「アイヌ民族・ニブフ民族・ウィルタ民族は互いへの流入が見られる」「本土日本人の約2割は朝鮮民族固有の、2割は中国人固有の遺伝特性を持つ」「ニブフ・ウィルタ以外の日本人は、多くの民族の遺伝的要素があり、東アジアの人種の坩堝となっている」と示します。世界的にも珍しい「YハプロタイプD型」の保有者は「本土日本人:40%~50%」「アイヌ民族:90%」「沖縄本島:70%」、これは「縄文人のDNAの一つ」であり、非常に古いタイプのDNAです。他には「チベット民族」「ヤオ族(湖南省・雲南省・東南アジア北部)」に高頻度で見られ、「タイ人」は「D*(恐らくハプロDの別の単一系の分枝)」を10%の人が保有、ハプロDは「アラビア→南アジア→東南アジア→北方」と渡ったと見られます。 「日本人の起源・成立」としては、形質人類学の立場から「二重構造モデル」がよく言われます。「東南アジア起源の縄文人という基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより現代日本人が形成された」としています。しかし「二重構造モデル」は大方の支持があるものの、「基層集団の起源は北東アジア」とする説は強いです。また縄文時代はある種鎖国的で、海外からあまり人・物が流入せず、これが日本の文化・風土の独自性を形成しました。 大まかに、次のように説明される ・北方のシベリア方面の「アルタイ諸語」を話す「新モンゴロイド」、 南方の東南アジア方面の「オーストロネシア語」を話す「古モンゴロイド」が合わさり、 「原日本人・縄文人」が形成された。 ・「縄文人」多数と、「渡来人」少数の混血により、「弥生人(≠倭人)」が形成されていった。 ・後に「渡来人」が少しずつ流入、日本国内でも渡来系の子孫が増えて、「縄文系と渡来系の混血」で「ヤマト民族」が形成された。 ・縄文系の系統を色濃く残す北方南方の集団が「アイヌ民族」「琉球民族」となった。 旧石器時代の原日本人の伝播ルート ・「シベリア」→「バイカル地方」→」中国東北部」→(朝鮮半島)→「日本列島(九州や日本海側)」 ・「バイカル湖」→「東進」→「樺太」→「北海道」 ・「長江中下流域」→「九州」 ・「東南アジア」「中国広東地方」→(「台湾」)→「琉球諸島」→「九州」 主な渡来人のルート(弥生時代又は縄文時代後期以降) ・「中国中南部の長江文明を築いた南方系民族(越・呉など/長江下流域)」→「東シナ海」→「日本」「朝鮮半島」 ・「中国中北部の黄河文明を築いた北方系民族(山東省など)」→「朝鮮半島」→「対馬海峡周辺」→「日本」 ・「中国北東部の満州の北方系民族」→「朝鮮半島」→「対馬海峡周辺」→「日本」 「日本語は孤立言語」であり、基本的には非常に古い言語と見られる ・「日本語の文法」は「北アジアおよび中央アジア」の「アルタイ諸語」との類似性が高いが、「母音の強い音韻体系」は「オーストロネシア語族」との類似性が高い (ただしオーストロネシア語族では元来あった語尾の子音が脱落して開音節化した言語が多いと考えられ、いっぽう北方でも満州語などのように母音の多い言語もある)。 ・「語を重ねる複数形の表現方法」や「一部の単語」に関して「オーストロネシア起源」も指摘されている。 「日本語の起源・成立」は未だ定説はなく、諸説がある ・オーストロネシア語とツングース諸語の混合言語説。 ・日本は北方で、満州~シベリア南部に分布する「ツングース諸語圏」、 南方で、東南アジアから太平洋諸島などに分布する「オーストロネシア語圏」と接し、両方が入った。 ・オーストロネシア語族説 ・話者は、元々は「中国中南部」の「長江文明」いたが、後に「中国南部山岳地帯(雲南省など)」「東南アジア」「太平洋諸島」に進出した。 ・アルタイ語族説 ・アルタイ語族には「ツングース諸語」「朝鮮語(古代朝鮮語)」「モンゴル語」「テュルク諸語」他がある。 ・日本語・朝鮮語同系説 ・高句麗語同系説 ・タミル語起源説(インド南部のドラヴィダ語族) ・アイヌ語との系統関係 ・中国語(古典中国語)との関係 「古事記や風土記のような口伝による伝承はアイヌ語で解釈可能」だと判明しています。これは「縄文語はアイヌ語である」と示唆します。しかし「日本語とアイヌ語は、非常に異なった言語」です。「縄文語」について、言語という物の特性から、東日本の東端と西日本の西端では、非常に語彙は異なっていただろうとも推測され、現代で言えば別の言語と看做されていたかもしれません。そして弥生時代(又は縄文時代後期)以降に「オーストロネシア語族」「ツングース語族」の話者集団が日本に渡来して、「上古日本語」が形成されたとみられ、これが直接的な「日本語の祖語」です。そして「日本語はオーストロネシア語とツングース諸語の混合言語」であり、故に「日本語の起源・成立の仮説の欄の言語群と共通性が見られる」と言えます。 「日本でシャーマンの活動(祭祀)が盛んな地域」は「北海道」「南西諸島」とされます。沖縄県の「沖縄諸島」「先島諸島」「大東諸島」、鹿児島県の「奄美諸島」「トカラ列島」「大隈諸島」を総称した「薩南諸島」、これらが「南西諸島」に属します。 アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略 歴史的にアイヌ民族は「北海道のアイヌ」の他に、「千島アイヌ」「樺太アイヌ」と、「東北地方・関東地方などのアイヌ」などが存在しました。 アイヌ民族は、元々は「アイヌ語」を言語としています。アイヌ語は「孤立言語」で、アイヌ民族とヤマト民族と近接して在住しながら、しかし語彙の借用を除き、言語的な共通点はあまり見られません。「古事記や風土記のような口伝による伝承がアイヌ語で解釈可能であることから、縄文時代の日本語がアイヌ語と同系統の言語であるとする」という説があります。人口は23782人(2006年・調査に応じた人口・北海道内のみ、推計200000人で、混血も含めると実際はもっと多いと言います。 「北海道」は「律令制時代の五畿七道の東海道・南海道・西海道の呼称に倣った名称」、歴史的に「蝦夷地(えぞち)」「蝦夷が島」「日の本(北海道の太平洋側と千島列島・14世紀頃)」「東蝦夷(北海道の太平洋側と千島列島・近世)」「唐子(北海道の日本海側と樺太・14世紀頃)」「西蝦夷(北海道の日本海側と樺太・近世)」「北州」「十州島」などと呼ばれてきました。北海道は世界の島で第21位の面積で、最高峰は「大雪山 旭岳(2291m)」、道内には湖沼が沢山あり、美しい風景を有しています。西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる「道南の一部沿岸地域」を除くと、ほぼ全域が亜寒帯湿潤気候で、寒暖差が大きく、豪雪地帯です。一般的に「道南地方:渡島・檜山の2振興局管内」「道央地方:石狩・後志・空知・胆振・日高の5振興局管内」「道北地方:上川・留萌・宗谷の3振興局管内」「道東地方:オホーツク・十勝・釧路・根室の4振興局管内」に区分されます。 「樺太」は北緯50度を境に「北樺太」「南樺太」に分かれ、南の北海道とは「宗谷海峡」、西の「ユーラシア大陸」とは「間宮海峡」で隔てられ、最北端は「鵞小門岬(ガオト岬)=エリザベス岬」ています。亜寒帯モンスーン気候に属し、夏季は湿度が高く、霧が多く発生、夏と冬の寒暖差が大きいです。「からふと」の名は、一説にアイヌ語の「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ(神が河口に造った島)」に由来するとされ、「黒竜江(アムール川)」河口から見てその先に位置することからこのように呼ばれたとされます。樺太アイヌ語の西海岸方言では「カバフト」と呼ばれます。正保三年(1646)に成立した松前藩の歴史書「新羅之記録」に「唐渡之嶋」と見え、歴史的に「唐子(北海道の日本海側と樺太・14世紀頃)」「西蝦夷(北海道の日本海側と樺太・近世)」「唐渡之嶋(からとの嶋・からと嶋・からとのしま)」「からふと(からふとの島・からふと嶋・からふとふしま)」「唐ふとう嶋」「サカリイン」「北蝦夷地」と呼ばれてきました。ロシア名は「サハリン」です。 「千島列島」は、歴史的には「日の本(北海道の太平洋側と千島列島・14世紀頃)」「東蝦夷(北海道の太平洋側と千島列島・近世)」と呼ばれました。領域は「国後島(くなしり)」「択捉島(えとろふ)」で構成される「南千島」、「得撫島(うるっぷ)」「知理保以島(ちりほい)」「羅処和島(らしょわ)」「松輪島(まつわ)」「温禰古丹島(おんねこたん)」などからなる「中部千島」、「幌筵島(ぱらむしる)」「占守島(しゅむしゅ)」などからなる「北千島」で構成されます。「色丹島」「歯舞群島」は、千島列島に属さないとされます。最北端は「阿頼度島(あらいど)」、その北方は「カムチャツカ半島」です。気候は厳しく、風が強く非常に寒い冬が長く続き、短い夏には霧がしばしば発生、降雪量が多いです。ロシア名は「クリル諸島」です。 《北海道の年代・文化の区分》 旧石器時代 縄文時代 続縄文時代(ぞくじょうもんじだい) ・「恵山文化」「恵山時代」とも呼ぶ。 ・紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にあった文化。 ・本州では水田耕作がされたが、北海道では耕作できず、縄文文化が受け継がれた。 ・採集活動や若干の雑穀農耕も行っているが、多数の漁労具と解体用石器の出土と 砂丘上の集落が多いことから、漁労の割合が多くなったとされる。 擦文時代(さつもんじだい) ・7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にあった文化。 ・本州の土師器の影響を受けた「擦文式土器」を特徴とする。 ・後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いる「アイヌ文化」にとってかわられた。 オホーツク文化 ・3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化。 ・この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。 ・このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されている。 ・今日の「ニヴフ」に連なる集団によって担われたと推定されている ・海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていた。 ・ヒグマを特別視する世界観があった。 これが、今日のアイヌの重要な祭祀「イオマンテ(熊送り)」に繋がっているともいう。 ・骨や歯を素材として、動物像や、婦人像「オホーツクヴィーナス」を作った。 「常呂川河口遺跡(北海道常呂町)のラッコ像は、胸部で手を組み、腹のシワの表現がある。 ・オホーツク文化の代表的遺跡「モヨロ貝塚(北海道網走市)」は、縄文時代晩期・続縄文時代から継続された集落・貝塚の遺跡である。 多数の「骨角器・土器・石器」や「鉄刀・鉾」「大陸から持ち込まれた鈴」、土器・骨・牙で象られた「クジラ・イルカ・クマ」「婦人(オホーツクヴィーナス)」の像などが出土した。 トビニタイ文化 ・直接の源流はオホーツク文化である。 ・オホーツク文化に属する人々は以前から北海道に南下していたが、7世紀から8世紀にかけては道北・道東に広く進出していた。 ・その後、9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、道東地域のオホーツク文化圏は中心地である樺太から切り離されてしまった。 ・その後この地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、独自の文化様式に移行、トビニタイ文化が形成された。 ・その後、擦文文化に同化し、13世紀初め頃には姿を消した。 アイヌ文化 ・アイヌが、13世紀(鎌倉時代後半)ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。 ・擦文文化からアイヌ文化の生活体系に移るに伴い、「土器の製作や使用」が廃れ、 その代わりに本州から移入された「鉄器・漆器」が生活用具として定着した。 ・この点からは、アイヌ文化を生んだ契機に日本との交渉の増大があると考えられている。 ・住居がそれまでのかまどを備えた竪穴式住居から、 囲炉裏のみで、竈(かまど)が排除された掘立柱建物「チセ」へと変貌していった。 ・アイヌ文化には地域によって差異が存在していたことが知られている。 ・考古学的な意味でのアイヌ文化は、「鉄製鍋」「漆器の椀」「捧酒箸(ほうしゅばし)」 「骨角器の狩猟具」「鮭漁用の鉤銛」「伸展式の土葬」など物質文化面での特徴を目印としている。 ・農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、 それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換した。 アイヌは「魚や毛皮」を輸出品目とし、 和人の生産する道具「鉄器や漆器」や嗜好品「米、茶、酒」と交換した。 ・続縄文時代や擦文時代の北海道では、粟、稗、黍などの雑穀が小規模ながら栽培されていた。 しかしアイヌ文化の成立とともに、農耕は縮小する傾向にあった。 これは寒冷な気候ゆえに耕作を諦めたというより、 本州との交易用の毛皮や干魚を確保するため、狩猟や漁労を重視した結果らしい。 ・「樺太アイヌ」は北方のツングース系などの諸民族とも交流があり、 それを介して大陸の中華王朝とも関係を持った。 ・1264年 には樺太に侵入した「アイヌ(元朝の文献では「骨嵬」と書かれている)」と 「ニヴフ(同じく「吉烈迷」)」との間に紛争が勃発した。 この戦いにはモンゴル帝国軍が介入し、アイヌからの朝貢を取り付けた。 ・その後もアイヌは大陸との交易を続けていて、この交易は「山丹交易」と呼ばれ、 江戸時代にはアイヌが交易によって清朝などから入手した絹織物や官服が、 「蝦夷錦」と呼ばれて日本国内にも流通していった。 千島アイヌ ・千島列島には先史時代から居住者がいたが、 文字記録が残されるようになるのはロシアが東シベリアまで勢力を拡大した18世紀からである。 ・千島アイヌは千島列島を南北に移動して交易していたが、 この頃、日本の北進と東シベリアを版図に入れたロシアの南進によって、 彼らは生産・交易活動を両国に依存することが多くなっていった。 ・1799年、「エトロフ(択捉島)」までを支配下に収めた江戸幕府は、 1803年、「エトロフ-ウルップ(得撫島)間のアイヌの移動を禁止」した。 これにより「ウルップ島」以北のアイヌは日本との交易が困難になり、 ロシアの影響を強く受けるようになった。 ・1854年の「日露和親条約」によって千島列島は日露両国が南北を分断して統治することになったが、 1875年には「樺太・千島交換条約」に基づき千島列島が全て日本の領土になった。 その際居住者は日本国籍を得て残るか、ロシア国籍を得て去るか選択させられ、 大部分は日本国籍を得た。 ・1884年には若干の千島アイヌが日本領北端の「シュムシュ(占守島)」に残っており、 北の国境に民間人を置いておくよりも南の地で撫育した方が良いと考えた日本政府は、 97名を半ば強制的に色丹島へ移住させ、牧畜・農業に従事させた。 しかし先祖代々続いた漁撈を離れ、新しい土地で暮らすことに馴染めず、健康を害するものも現れた。 望郷の念を募らせる千島アイヌに対し、日本政府は1898年以降、 軍艦に彼らを乗せ北千島に向かわせ、臨時に従来の漁撈に従事させる等の措置をとった。 ・1923年には人口は半減しており、更に第二次世界大戦における日本の敗戦に乗じた ソ連による千島・北方領土の占領に伴い、千島アイヌを含んだ日本側居住者は 全て強制的に本土に移住させられ、各地に離散した。 ・1970年代に最後の一人が死去した時点で千島アイヌの文化を継承する者は消滅したと思われている。 樺太アイヌ ・樺太アイヌたちの自称は「エンヂウ(エンチウ)」。 ・神々のうちには「善神」と「悪神」とがあり,善神でもとくに重視される神と、あまり重要視されない神とがある。 ・間宮林蔵の「北夷分界余話」によると、「樺太アイヌ」は「犬橇やスキー」を使用するなど、 オホーツク文化からの影響を伺わせる文化要素を取り入れていた他、 近世に入っても「土器の製作」「竪穴式住居の使用」という、 北海道では中世アイヌ文化に限られる文化要素を保持していた。 ・「鎧の形状」も北海道アイヌとは異なり、胸甲と腰部の装甲が一体となった独特のものであった。 ・樺太アイヌは「ミイラ製作」を行うという点でも注目を集めている。 ミイラ製作はオホーツク文化圏でも北海道のアイヌ文化でも行われない。 ・樺太のアイヌも国際情勢の変化の影響を強く受けた。 ・「樺太・千島交換条約」に伴って樺太がロシア領になることから、 同条約発効に先立つ1875年10月、もともと樺太南部の「亜庭湾周辺」に居住し 日本国籍を選択した108戸841名が「宗谷」に移住させられ、翌年6月には「対雁(現江別市)」に移された。 ・生活環境の変化に加え、運の悪いことに1886年のコレラ、 さらには天然痘の流行が追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。 ・1905年の日露戦勝によって南樺太が日本領になると、 1906年、漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。 ・ところが第二次世界大戦後に樺太全域がまたもロシア(当時はソ連)の占領下となり、 同国政府によって樺太アイヌの殆どが北海道へ強制送還された。 ・しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。 「ニヴフ」民族は「樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住むモンゴロイド系少数民族」、古くは「ギリヤーク」と呼ばれました。「樺太アイヌ」「ウィルタ」と隣り合って居住、人口は約5300人ですが、この調査には未調査・未回答が多数あります。ウィルタ語やアイヌ語と系統を異にする固有の言語「ニヴフ語」を持ち、「古シベリア諸語(古アジア系)」に便宜上分類され、アムール川流域のニヴフ語と樺太のニヴフ語は大きく異なっています。宗教は「シャーマニズム」「ロシア正教」です。樺太の他の先住民と同じく、古くは「狩猟・漁猟」を行い、また近世には日本と清の貿易の仲介もしていました。「ニブフは5世紀から9世紀の北海道のオホーツク文化の担い手であった」とされ、ニブフ民族の祖先は北海道に居住していました。 日本書紀には「粛慎(みしはせ・あしはせ)」の記録が載り、大きく分けると「欽明天皇の時に佐渡島へ粛慎が来たこと」「斉明天皇の時の将軍・阿倍比羅夫(あべのひらふ)の粛慎討伐」「天武天皇・持統天皇の時の粛慎の来訪と官位を与えたこと」という内容です。この「粛慎」とは「樺太のニヴフ」だとする説があり、一般に「ツングース系民族」とされる、古代中国の文献の「粛慎(しゅくしん)」「挹婁(ゆうろう)」とは異なるとされます。アムール川下流域から樺太の「吉里迷(ギレミ・吉烈滅)」は、元王朝(モンゴル)建国の功臣「ムカリ(木華黎)」の子孫「シデ(碩徳)」の遠征により1263年に服従、1264年に吉里迷の民は、「骨嵬(クイ)」や「亦里于(イリウ)」が毎年のように侵入してくるとの訴えをクビライに対して報告しました。吉里迷は「ニヴフ」、骨嵬(苦夷・蝦夷)は「アイヌ」を指し、この訴えを受け、元朝は骨嵬を攻撃しました。これは、日本への元寇の(文永の役/至元十一年・1274年)の10年前です。「間宮林蔵」が樺太西岸のニヴフ集落を訪れたのは文化五年(1808)と文化六年(1809)、アムール川下流部に入ったの文化六年(1809)で、ニブフ・ウィルタほか少数民族の習俗を報告しています。 「ウィルタ」民族は「樺太中部・北部の、モンゴロイド系のツングース系の少数民族」、アイヌからは「オロッコ」と呼ばれました。本来の言語は「ツングース諸語」の「ウィルタ語」、人口は平成十四年(2002)調査で346人です。宗教は「シャーマニズム」「ロシア正教」です。生業は元来、「トナカイ牧畜」「狩猟」「漁労」でした。シベリアのツングース系諸族と交流をもったほか、樺太中部のニヴフ、南部のアイヌとも交易をしていたとされます。成14年)の国勢調査によると、346人がオホーツク海沿岸の樺太北部および南部のポロナイスク(旧敷香町)近郊に居住しています。南樺太の日本国籍を持っていたウィルタは、日本の敗戦後に北海道(網走市など)へ移住したりしました。昭和五十年(1975)、ウィルタ民族の人権や戦後補償の問題を解決する趣旨により「オロッコの人権と文化を守る会」が設立、翌年12月に「ウィルタ協会」が設立されました。 「千島列島」は古くからの「アイヌなどの少数民族の先住地域」でした。彼らは主に「南千島」、中部の「得撫島」「羅処和島」、北部の「幌筵島」「占守島」などに居住していました。江戸時代以前の「樺太」では、中北部に「ウィルタ」「ニヴフ」、南部に「アイヌ」の3民族が棲み分けていました。時に小さな争いはあっても、概ね平和的に交易を行っていました。間宮林蔵の住民への調査により「江戸時代のウィルタ・ニヴフはロシア民族と関わった事がない」「樺太はモンゴロイド系少数民族の先住地域である」ことが判明していて、ロシア民族は後から樺太に入植して来ました。千島列島・南樺太に居住していたアイヌ・ニブフ・ウィルタは、日本の第二次世界大戦敗戦後に北海道(網走市など)へ強制移送されたり、進んで移住しました。 アイヌ民族の文化と信仰 「アイヌ文化」という時、「現代のアイヌ文化」と「考古学的見地からの過去のアイヌ文化」の、何れかを指します。近現代の「アイヌ文化」の形成には、歴史的に「ヤマト文化」の影響を受けてきて、また道内北方の「オホーツク文化」の影響も大きく受けています。また「蝦夷」という言葉も、「北海道」「東北地方」「関東地方」というように、その対象は文によって異なります。 アイヌ文化は文字を持たない口承文化ゆえに、「同一の神話や文化」でも、地域・集団ごとに細部が大きく異なることが多く、一部のものは定説が無かったりもします。更に「千島アイヌ」「樺太アイヌ」では、大きく文化が異なります。アイヌ民族は、歴史的には生活手段は「漁労採取」を主として、「植物栽培」も行い、「和人や北方の地域との交易」を行っていました。アイヌには「自然と一体的な生活体系」があり、美しい大自然の中で暮らしてきました。 「アイヌ文学」は、「口承文芸」の中の「叙事文学」に属し、「うたわれるもの」「語られるもの」に大別できます。「アイヌ音楽」は「伝統的祭儀や土俗的信仰に直接結びつくもの」「日常の喜怒哀楽を歌う抒情歌」に大別され、前者には以下の二つがあります。 ウポポ(座り歌) ・祭りの中でや、儀式、労働の際に歌われる。 ・中央に置かれた「行器(ほかい)」の蓋を軽く叩いて拍子をとりながら歌う。 ・主に円座を組んで歌う、又は立って円陣をつくり手拍子をとりながら左回りして踊り歌う。 ・旋律を輪唱のように1拍ずつずらして歌い継いでゆく「ウコウク」という歌い方に特徴がある。 ・数が多い。 リムセ(踊り歌) ・悪魔払いの呪術的踏舞「ニウェン・ホリッパ」や「タプカル」に由来する。 ・数が多い。 ユーカラ(ユカラ) ・アイヌに口承されてきた叙事詩。 ・棒で拍子をとり、節をつけて、韻文・サケヘ(リフレイン)を用いて語られる。 ・用いる楽器は「パラライキ(バラライカ)」「トンコリ」「ウマトンコリ(馬頭琴)」「カチョー(太鼓)」「ムックリ(口琴)」など。 ・原意は「まねる」、託宣の言葉が巫謡「tusu‐sinotcha」となり、「体験を物語る」意味になり、「詞曲(アイヌの口承文芸のうちの"うたわれるもの")」」に転じた。 ・狭義には「少年ポイヤウンペの武勲・遍歴を物語る長編の英雄叙事詩」をいう。 ・広義には「自然神・人文神が来歴などを語る形式のカムイユーカラ」=「人間のユーカラ」「神々のユーカラ」を含む。 ・英雄詞曲を「ユーカラ・サコロペ・ヤイエラプ・ハウ・ハウキ」などと、「神謡」を「カムイ-ユーカラ・オイナ」などと呼んでいる。 「カムイ-ユーカラ・オイナ」は別ジャンルとも言う。 ・神の託宣が母体で、本来は「私は……私は……」というように,一人称で語られる。 ・日常語と少し違う「アトムテ・イタク(かざられた言葉)」を使い、すべて口伝えで伝承されるが、伝承者の人柄や巧拙などの影響で、筋立てと常套句以外の細かい部分は回を重ねるごとに変わっていく。 また「縄文時代・・・」の項にあるように、縄文時代の中心地は東日本の、特に「東北地方北部(青森県・秋田県・岩手県)」でした。「東北地方北部」「北海道南部」には、縄文時代の代表的な祭祀遺構「環状列石(ストーンサークル)」が多数存在します。最も高度な縄文文化「亀ヶ岡文化・亀ヶ岡式土器」は、「青森県・岩手県」で最も栄えた、際立った造形美を特徴とする文化です。これらはアイヌ民族の源流に当たる人々が築いた文化です。 アイヌ民像は「アイヌ神話」を中核とした「アイヌ信仰(アイヌ神道)」を、歴史的に信仰してきました。「神道」「アイヌ神道」「琉球神道」は共に「汎神論」で、「自然崇拝(アニミズム)」を基本としていて、原初の姿は同一の信仰形態であったと考えられます。 「神」は「カムイ」と呼ばれ、漢字で「神威・神居」とも記されます。カムイとは「自分達に恵みを与える物、害を与える物、畏怖の念を起こさせる物」、この全てを指します。カムイには「遠くにいる伝統的なカムイ」「身近で近づきやすく、頼りになるカムイ」「動物のカムイ」「補助的なカムイ」「疫病神的なカムイ」・・・など幾つかに分類されます。また、神聖とされる「東窓」の外の「幣場」に祀られるカムイも居ます。 「カムイと、日本語のカミは、共通の語源」だとする説もあり、そのニュアンスは類似していて、しかし「カムイ」は更に広い概念となっています。日本語では「カ・カム(神):万物の裏にある根源的な力」「ミ(実・身):具体的に現れる事。形になる事」「イ(居・位):そこにある事」と解釈できます。 「イナウ(木幣)」は、神道の「御幣(ごへい)」にあたる祭祀具、木を削りだして作り、「カムイへの捧げ物」「カムイの御神体」「言葉をカムイへ伝える代弁者」「守護神」「先祖と人間の間を取り持つもの」などの性質を持ちます。誰の物か分かるように印や記号が記され、カムイにより用いる木も異なります。 「アイヌ文様」は、一筆書きのように繋がった文様で、衣服に多用されています。「モレウ」は「渦巻き文様」で、そこから様々な文様が派生、「縄文」の名残ともいわれます。アイヌ文様の基本は、「モレウ」「アイウシ(棘のある文様)」「ラムラムノカ(鱗文・うろこもん)」です。また「角やモレウ中心部など、端から魔物が入らないように、必ずオホヤンケ(角突起)をする」という規則があります。アイヌ文様では「直線:心の正しさや正直さ・真心」「曲線:平和・円満・豊かさ」などの意味が含まれているとも言われています。 アイヌの信仰の特色(Wikipedia、アイヌ民族博物館HPほか) ・「動植物」「生活道具」「自然現象(津波や地震など)」「疫病」など、 人間を取り巻く全ての物が、それぞれ霊性を備えていると考えており、 これらの事物には「ラマッ(ラマット)」と呼ばれる霊が宿っていると考えた。 ・「ラマッは全てに行き渡り、死ぬ時や破壊された時に、どこかに去る。しかし決してなくならない。 このため、死者と共に葬られる武具や道具は、しばしな死者の伴をしていけるようにと壊される」という。 ・なかでも、とりわけ人間に多くの恵みをもたらしてくれるもの、 人間がかなわないような強大な力を持つもの、恐ろしいものなどを、「カムイ」として敬った。 ・世界を自らの住む現世「アイヌモシリ」と、ラマッの住む世界「カムイモシリ」に分けて理解し、 「ラマッは様々な事物に宿り、何らかの役割を持ってアイヌモシリにやって来ている」と解釈した。 ・ラマッはその役割を果たすと、再びカムイモシリに戻るとされた。 ・再びアイヌモシリに恵みを持ってきてもらう為に、 カムイを歓待して、丁重にカムイモシリへ送り返す。 ・アイヌの神々は絶対的な超越者ではなく、 カムイが不当な行いをした際にはアイヌ側から抗議を行うということもあった。 ・アイヌの神事は「カムイノミ」と呼ばれ、茅葺の伝統家屋「チセ」の中で、様々な神に対して行われる。 ・カムイノミを開始する際には必ず、火の神「アペチフカムイ(カムイフッチ)」への祈りを捧げることになっている。 アペチフカムイは最も重要で尊い神とされ、日常的に祈りが捧げられた。 ・家の守り神「チセコロカムイ」などに祈る。 ・食べ物による拝礼「ハルエオンカミ」や、酒かすを使った拝礼「シラリエオンカミ」などを行う。 ・先祖供養を意味する「シンヌラッパ」では、それぞれの先祖に果物やお菓子、飲み物などの供物をささげる。 ・カムイノミでは、白木を加工した「イナウ」と呼ばれる木幣が使用される。 ・動物神の中では、「クマ」「オオカミ」「シマフクロウ」 「シャチ」などが位の高い神として尊ばれた。 ・そのほか「水の神」「大陽の神」「月の神」「雷の神」「湖の神」などの自然神、 「鍋」「臼」「舟」などの物神など、多くの神々によって世界が構成されている。 ・カムイはカムイモシリでは、人間と同じ姿で同じような生活し、常に人間を見守っている。 アイヌモシリに下りてくる時には、それぞれの衣装を身にまとい、 クマの神はクマの姿に、キツネの神はキツネに、樹木の神は樹木に変身する。 ・神々の中には悪神や魔神も存在するとされ、それらを祓いの儀礼を行い、 穏やかに通り過ぎることを願って、祈りが捧げた。 ・このような世界観に基づき、家を新築する際の儀礼、 サケやシシャモの初漁に際しての儀礼など、数多くの儀礼が行われた。 ・日用道具が古くなったり破損したりすると、それらを捨てる前に、 感謝の言葉とともに道具の霊を神の国に送り返す儀式が行った。 これを「イワクテ」という。 ・動物を捕った場合にも、その霊を送り返す儀式を行う。 アイヌのシャーマン ・「巫術」「憑依現象」を「ツス・トゥス」と呼び、「ツスを行う人」「降霊能力者」を「トゥスクル・ツスクル・シスクル・」と呼ぶ。 男女ともにいて、「病気の治療」「精神的苦痛の癒し」「吉凶の占い」などを行う。 現存するシスクルは非常に少く、「日高地方」「樺太」に限られる。 ・樺太アイヌにおける「ツス」は、「カチョ(太鼓)」「ばち」「けずりかけ製の巫帽」「イナウ(払子や装身具として使用)」 「ヌフチャチャ(ツス中にシャマンが飲むイソツツジを入れた飲料)」「木偶(守護霊や病霊の依代)」「供犠用の犬」などが用いられる。 ツスの形式は、シスクルの「セアンス(心霊術の会)」として整っていて、「太鼓の連打による忘我状態への誘導」 「守護霊の招致」「激しい舞踏様の動きと様々な精霊のしぐさや音の模倣」「託宣」「守護霊の帰還」などの要素がある。 ・北海道のツスは、青森県の「イタコ」などの影響が見られる。 ・また、アイヌのシャーマンの治療行為は次のようにも分類される。 ウェインカラ(透視・千里眼) ・霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。 ・「空」の境地に入るといわれる。 ・ウェインカラの能力保持者を「ウェインカラクル」と呼ぶ。 トゥス ・治療師の「トレンカムイ(憑き神)」や患者の先祖などを降ろし、「トゥスクル」の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 ・いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はない。 ウェポタラ ・祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。 フッサラ ・悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの、 「ウェンカムイ(悪霊)払い」とも呼ぶ。 ・薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法) ・多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合する。 ・筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 ・カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。 テクマウ(手当て療法) ・カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応する。 人々が住む地は「アイヌモシリ」、「人間の静かなる大地、を意味する言葉」「本来、特定の地域を指すものではないが、今日では北海道を指す場合や、樺太、千島列島など古くからのアイヌ居住地を指すことがある」を意味します。「カムイコタン」は「神の住む場所:カムイ(神)+コタン(村・居住地)」を意味、北海道および周辺島嶼で見られ、「神居古潭(古丹)・神威古潭」などと漢字表記されます。地形の面や神聖な場所であるとして、人が近寄りがたい場所にしばしばこの名が付けられます。また「カムイ・ミンタラ」という「カムイ達が遊ぶ場所」を意味する言葉があり、「神よりも自然を表すような表現(人間に穢されていない場所)」を指します。「ウタリ」は「親族・同胞・仲間」の意、「アイヌの自民族の呼称」としても用いられます。「長老」を「エカシ」と呼びます。 アイヌ神話「カムイ・ユーカラ」などから ・まだ地上に人間も植物も何一つ出来上がっていなかった大昔、天上界で神々が会議を続けていた。 ・重要な神様たちが毎日のように集まって、下界に有能な神々をおくって国土を造り、そこに動物や植物なども造って、平和な大地にしようという相談をしていた。 ・そして、国造りの神「モシリ・カラ・カムイ(山・平野・川の流れなどを造る)」、お供に犬の神「レエプ・カムイ」と、 シマフクロウの神「コタン・コロ・カムイ(集落を守る神)」別名「カムイ・チカプ(神の鳥)」、 ついで造化の女神「イカッ・カラ・カムイ(木・草・花を造る)」が下界に下った。 ・「アイヌラックル」「オイナカムイ」「オキクルミ」は、同一神と看做されたり、看做されなかったりもする。 またアイヌ神話の多くの例のように、地方ごとに内容が異なり、定説は無い。 ・(同一神として、類型を基に記述) 「オキクルミ」は「地上で誕生した初めての神」「地上と人間の平和を守る神」である。 新しい国土の主として人間界に降り立ち、「魔神」を撃退して、 天上から選ばれた許婚の「白鳥姫」を、「暗黒界の魔女」から奪い返して、人間たちを平和に暮らした。 そこで持参した「稗(ひえ)」で耕作を教え、「大船の造り方」「角鮫捕りの銛」「ヤスの用法」 「狩猟の際の毒矢や仕掛弓」や、「イナウを削って神を崇めること」など「神事」を教えた。 しかし、次第に人間たちは次第に堕落、遂にオキクルミはいずこかに去った。 それ以来、地上の悪事や災害は増す一方であり、人間たちはアイヌラックルを失ったことを激しく悔やんだ。 しかしアイヌラックルは去り際に、決して人間すべてを見捨てたわけではなく、時おり雷鳴と共に人間たちを見舞うと告げていた。 それゆえに人間たちは、雷鳴が轟くと、アイヌラックルの来訪といって拝むようになった。 アイヌ文化には土地の私有という概念は無く、その代わりに「コタン(集落)」が入会権を持つ「イオル(入会地」や「漁場」が存在、イオルは「伝統的生活空間」と訳され、コタンで必要な生物資源は基本的にそのコタンの入会地から調達されていました。和人文化における入会地とは異なり、イオルは「生物資源調達の場」であると同時に、「祭祀などアイヌの精神文化とも密接に関わっている場所」である点に特色があります。しかし明治時代以降、イオルを基盤としたアイヌの生活様式や文化は破壊されました。そこで近年、問題となっているのが「イオルの再生」です。 和人ともアイヌ系とも言う「渡党(わたりとう)」によって、中世には「神社」が創建されています。これらの神社の多くは「道南の漁業拠点」に集中し、神道や密教が混淆して「山岳信仰」や「岬信仰」が主体的でした。これらの神社は「松前神楽」などに象徴される独自の文化を擁し、後の北海道開拓時代に新たに創建された神社とは一線を画します。北海道に逃れたという伝説がある「源義経」の伝承地や、祀る神社も複数存在します。・江戸時代の儒学者「新井白石」は著書『蝦夷志』で、アイヌ民族が「オキクルミを源義経であるといい伝えている」と記しています。 北海道には、元々は「アイヌの神を祀っていた祭祀場」に建てられた神社が多いと言われ、アイヌの神と神道の神が混合して祀られている様相もあります。「意冨比神社(おおひ・おおい・北海道北斗氏)」には、平安時代の康平三歳(1060)銘が入る鰐口を有し、これが創建の年だとすると北海道最古の神社になります。「北海道神宮(北海道札幌市中央区)」は、明治二年(1869年)の創建、全国一の宮会より「蝦夷国新一の宮」に認定されています。 蝦夷の歴史 縄文時代の次の時代は、本州では弥生時代ですが、北海道では「続縄文時代」で、「恵山時代」との呼称もあります。縄文時代以来、東北地方北部と北海道南部は関係が密接でした。 「遠賀川式土器(おんが)」は、福岡県遠賀川流域を発祥として、西日本に広く分布する、弥生時代前期の土器の総称です。遠賀川式土器は早期に青森県まで伝播、東北地方の日本海側の遺跡には、この系統の土器が広く分布しています。「砂沢遺跡(青森県弘前市)」は、縄文晩期終末の「砂沢式土器」の標識遺跡で、続く時代には、弥生時代前期の東北地方最古の水田跡と、遠賀川式土器が発見されています。ここから弥生文化は、かなり早期に本州のほぼ北端まで到達した事が分かります。 北海道の続縄文時代では、「土器型式」「碧玉製管玉の墓への副葬」などに共通性があります。北海道の続縄文時代の遺跡で発掘された、本州以南から持ち込まれた物・文化としては、「新潟県佐渡島産の碧玉製管玉」「南洋産貝製品(イモガイ・マクラガイ・ホタルガイなど)」「鉄製品」「弥生式土器」「土製紡錘車」などがあります。しかしこの時代以降、「東北地方と北海道の縄文人(アイヌ)」は、異なった道を歩んでゆく事になります。 アイヌ民族は嘗ては「東日本の広域」に居住していました。「アイヌ語由来の地名」は「東北地方・関東地方」に多数存在、また「中部地方・西日本」にも散見されると言われます。「蝦夷(えみし・えぞ・えびす)」は、中央政権からみた異端視の呼称ですが、これ以外にも多くの名称がアイヌに関連します。「日高見国(ひたかみのくに)」は「古代日本で、大和または蝦夷の地を美化して用いた語」「特定の地域ではない」、蝦夷の地を指す場合、「常陸國(茨城県)」「陸奥國の岩手県付近」に充てられる事が多く、神世である「常世」と見做されたりもします。また、古くからの伝承が色濃い「遠野地方(岩手県)」の説話を集めた「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」を、アイヌ民族とする説もあります。 アイヌが治める支配領域は、「ヤマト王権(中央政権)」の東進と共に北方へ徐々に移動、「和人(ヤマト民族)」との同化が進んでいきました。「4世紀末から5世紀初めの古墳時代中期」には、「おおよそ仙台市と山形市以南にあたる地域で前方後円墳が築造された」「宮城県と山形県が朝廷支配の北限」でした。最北端の古墳としては「角塚古墳(岩手県奥州市)」「鷺畑山古墳(山形県鶴岡市)」があります。 古墳時代から奈良時代、和人は「多賀城(宮城県多賀城市)」「秋田城(秋田県秋田市)」「出羽柵(山形県・秋田県)」など「城」「柵(さく)」を築き、多賀城には陸奥国に置かれた古代日本における軍政を司る役所「鎮守府(ちんじゅふ)」が置かれ、地域統治の要としたり、北への攻撃と防御としています。大和朝廷は飛鳥時代(7世紀)ごろ、蝦夷について南方から、毎年に朝貢する大人しい「熟蝦夷(にぎえびす)」、荒々しい「麁蝦夷 (あらえびす)」、その北方を「都加留(つがる)」と呼んでいました。 「阿倍比羅夫(あべのひらふ)」は、「越国(こしのくに・新潟県と富山県など)」「北陸道」に居住した「阿倍氏」一族で、7世紀中期・飛鳥時代の将軍です。日本書紀に「斉明天皇四年(658)に水軍一八〇隻を率いて蝦夷(北海道)を討ち、さらに粛慎(樺太)を平らげた」とあり、また「蝦夷や粛慎を饗応した(もてなした)」との記述が複数見られます。この「粛慎(しゅくしん)」は「中国の文献上の満州東部に住むツングース系民族」とは異なるとされ、「蝦夷以外のオホーツク文化人」「樺太中部以北に住むニヴフは粛慎の末裔」とも言われます。「新潟県・山形県・秋田県」を中心に「北陸地方・東北地方」の各地に「こしおう神社(胡四王・古四王・越王・巨四王・高志王・腰王・小四王・小姓等)」が多数分布、これは「越国を中心に北方に広がった阿倍氏の祖神と蝦夷の土着の神が同一視されたものとして、かなり古くから信仰された神」とされます。その本社「古四王神社(秋田県秋田市)」は、移転後の出羽柵近隣に鎮座、御祭神は、阿倍比羅夫の租神で、古墳時代初期の「四道将軍(よんどうしょうぐん)」として北陸道を抑えたとされる「大彦命(おおびこのみこと)」、東国鎮守の「鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)」の神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」です。 平安時代に朝廷は征夷大将軍「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」の大軍を派遣、「坂上田村麻呂が創建した・参拝した・修復した」という伝承がある社寺は、東北地方~東関東の各地に見られます。田村麻呂は「胆沢城(岩手県奥州市)」が築造、後三年の役のあたりまで約150年間、「鎮守府」が置かれました。蝦夷の指導者「阿弖流為(アテルイ)」「母礼(モレ)」は、以前から朝廷の派遣軍にに対して奮戦していましたが、延暦二十一年(802)に遂に屈しました。その後、平安時代前期(9世紀)に、朝廷は蝦夷に対する直接の征服活動を諦め、岩手県と秋田県の中部付近が北限となりました。後に徐々にヤマト王権の北限が北方へ移動、平安末期に蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する「奥州藤原氏」が、東北地方北端までを領域として、鎌倉幕府以降に引き継がれました。 平安時代前期の延長五年(927)にまとめられた律令「延喜式」の巻九・十に、当時の「官社(毎年二月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社)」であった全国の神社一覧の記載があります。この神社を「式内社」と呼び、神社の格式の「社格」の一種で、「編纂当時の地域の古社や、崇敬の篤かった神社が選ばれた」という状況がありました。式内社の北端は、太平洋側が「志賀理和気神社(岩手県紫波郡紫波町)」、日本海側が「嶽六所神社(秋田県大仙市)」です。ここから中央政権の支配領域と、ヤマト文化の領域が伺われます。 末期古墳(まっきこふん) ・「蝦夷系墳墓」や、北海道のものは「北海道式古墳」とも呼ぶ。 ・円形を基本とし、土盛りが余り高くなく、周濠を伴う墳墓。 ・「青森県」「岩手県」「秋田県」「北海道道央の石狩低地帯」に分布する。 ・7世紀初頭~10世紀前半に造られた。 ・末期古墳が古墳であるかどうかについては確定していない。 ・蝦夷と呼ばれた人々によって造られたものと推定されている。 ・律令政府と関わりのあった人が被葬者と考えられている。 ・形は基本的に「円形」で、「楕円形」「方形に近いもの」も少数見られる。 ・墳丘の周囲には周溝があるのが基本である。 ・墳丘の規模は直径5m~10mが殆どで、最大でも17m程度である。 ・現在まで墳丘が残っている例は少ないが、墳丘が良好に残っている末期古墳の例から、 墳丘の高さは1m前後、高くても2m未満であったとされる。 ・末期古墳の「主体部」は大きく分けて「土壙に木棺をじかに葬る形式」と、 古墳の横穴式石室から派生したと考えられる「石室を備えた形式」とに分けられる。 ・末期古墳の造営が始まる前、東北地方北部~北海道では「続縄文文化」に伴う墳墓が造られていた。 墳形は楕円形で、周溝のような墳墓と周囲を隔てる区画はなく、墳丘もはっきりとは確認できなく、 墓壙の規模から遺体を折り曲げて葬る屈葬であったとされる。 ある程度の規模の墳丘・周溝を伴い、遺体を曲げずに葬った末期古墳とは明白に異なる。 ・7世紀前半、「北上川中・上流域」「馬淵川流域」で末期古墳の造営が始まった。 ・8世紀~9世紀、「東北地方北部」「北海道の石狩低地帯」へと分布範囲が広がった。 北海道の末期古墳は「江別古墳群(北海道江別市)」 「茂漁古墳群(柏木東遺跡/北海道恵庭市)」などが知られる。 ・北海道では石狩低地帯で末期古墳が造られている間も、 続縄文文化の時代と変わらぬ墳墓が造られ続けていた。 ・多くの墳墓が密集して造られる群集墳のような形で造られる。 「阿光坊古墳群(青森県)」のように、多い場合で100基以上で構成されることもある。 ・同じ地域で長い期間、末期古墳が造られ続けた例がある。 「丹後平古墳群(青森県)」では、7世紀後半~9世紀後半までの約200年間造り続けられた。 「阿光坊古墳群(青森県おいらせ町)」では110基余りの墳と剣・腕輪などが出土、 7世紀前半~9世紀末まで300年近くにわたり造られ続けた物で、蝦夷の有力者の陵とされる。 ・副葬品は「刀類(直刀・蕨手刀など武器」「鉄斧・鉄鎌・銙帯・金具・馬具・帯金具」 「玉・勾玉など装飾品」「須恵器・土師器」「和銅開珎」などが多い。 副葬品の質量とも、個人が使用したと見られる範囲に留まり、大量の豪華な品の副葬はなかった。 ・墳丘の規模に比較的差が少ない点などとともに、 末期古墳を造営した集団は均質性が高く、格差が少なかったことがわかる。 ・末期古墳の副葬品は8世紀前半を境に変化が見られ、それ以前は関東地方など 東国の影響が強いとされる馬具や須恵器などの副葬品が中心であったが、 8世紀前半以降は「蕨手刀」、律令制の位階を示す「帯金具」などに変わった。 ・「丹後平古墳群」「茂漁古墳群(柏木東遺跡)」などからは和同開珎も発見された。 これらは城柵の整備などに伴い発展した交流や朝貢等の結果、齎されたとの説がある。 ・古墳時代に広まった「竈付きの隅丸方形の竪穴式住居」が、 7世紀以降の北上川流域で見られるようになり、8世紀以降、北東北全体や北海道に広がっていった。 ここから蝦夷社会がヤマト王権・ヤマト国家との交流で、社会を変化させていったことがわかる。 ・副葬品の内容からも律令国家との交流が見られ、末期古墳は蝦夷社会の独自性の現れであると共に、 ヤマト王権や律令国家と蝦夷社会の交流を示すものでもある。 ・国指定史跡の「江別古墳群(北海道)」「阿光坊古墳群(青森県)」「丹後平古墳群(青森県)」 「江釣子古墳群(岩手県)」は、7世紀~10世紀の蝦夷社会の在り方を示す遺跡となっている。 室町時代に「北海道・渡島半島南部」で、「渡党」の「蠣崎氏」が領主となっています。康正三年・長禄元年(1457)の「コシャマインの戦い」では、アイヌが蜂起するも、最終的に蝦夷管領安東氏の代官「武田信広」に平定され、後の「松前藩」形成の元になりました。 農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換しました。アイヌは「魚・毛皮」を輸出品目とし、和人の生産する道具「鉄器や漆器」や嗜好品「米・茶・酒」と交換しました。アイヌは、和人地や本州まで出かけて交易する事が多かったとされます。 江戸時代、「松前藩(北海道松前町)」を基点に、江戸幕府の支配領域が北海道で拡大していきました。藩は交易独占権を持ち、その取り締まり強化で、アイヌは苦しくなっていきました。後に場所請負制により、本土の商人などが多数進出しています。アイヌは自治権を望むも、寛文九年(1669)の「シャクシャインの戦い」、寛政元年(1789)の「クナシリ・メナシの戦い」により、幕府体制に組み込まれていきました。 樺太には、元王朝滅亡後は他地域からの干渉は無くなりました。文明十七年(1485)、「樺太アイヌの首長」が「武田信広」に銅雀台を献じ。配下となりました。安土桃山山時代と江戸時代、樺太についての各種の記述が残されています。天正二十年・文禄元年(1593)、豊臣秀吉は「松前慶広」に先住民のアイヌ保護を行うとともに、諸国から集まる人々を取り締まり、従来どおりこれらから税を取り立てる権利を認めました。慶長八年(1603)、 松前藩が「宗谷(北海道北部)」に「利尻島・礼文島・樺太」を司さどる役宅が置きました。貞享二年(1685)、 樺太は松前藩家臣の知行地として開かれた「ソウヤ場所」に含まれ、宝暦二年(1752)にソウヤ場所から「樺太場所」が分立しました。 元禄十三年(1700)、松前藩は千島列島を含む蝦夷地の地名を記した松前島郷帳を作成して幕府に提出、北海道本島からカムチャツカ半島までが記載されています。正徳五年(1715)、幕府に対し、松前藩主は「十州島(北海道)、樺太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)は松前藩領」と報告しています。享保十六年(1731)、「国後島・択捉島の首長」らが松前藩主のもとを訪れ献上品を贈りました。宝暦四年(1754)、松前藩は「国後・択捉・得撫」を版図とする国後場所を開きました。寛政十年(1798)、幕府による北方視察が大規模に実施され、「近藤重蔵」によって「択捉島」に「大日本恵登呂府」の標柱が建てられました。享和元年(1801)、「富山元十郎」「深山宇平太」を「得撫島」に派遣、日本領であることを示す「天長地久大日本属島」の標柱が建てられました。 「山丹交易(さんたんこうえき)」は、江戸時代に「山丹人(山旦・山靼)」と呼ばれた「主にウィルタ族の他、ニブヒ族、オロチョン族など沿海州の民族」と、「アイヌ」との間で、主として樺太を中継地として行われた交易です。広義には「清朝が黒竜江(アムール川)下流域に設けた役所との朝貢交易から、山丹人、さらにアイヌを介して蝦夷地の松前藩にもたらされた交易」を指します。文化五年(1808)、江戸幕府が「最上徳内」「松田伝十郎」「間宮林蔵」を相次いで派遣、松田伝十郎は樺太最西端「ラッカ岬(北緯52度)」に「大日本国国境」の国境標を建てました。文化六年(1809)、 間宮林蔵は樺太が島であることを確認、呼称を「北蝦夷地」と正式に定めました。松田伝十郎が樺太アイヌ住民の問題解決に貢献しました。山丹貿易を幕府公認とし、アイヌを事実上日本人として扱いました。 江戸時代にはロシアによる千島列島と樺太への進出が相次ぎ、これは明治維新へと影響しました。安政元年(1855)、「日露和親条約」が締結され、「択捉島以南」が日本領として画定しました。幕末頃、ロシアが樺太の領有権を主張し始めました。明治八年(1875)、「樺太・千島交換条約」によって樺太の一部と北千島が交換され、「千島列島全域」が日本領になりました。明治三十八年(1905)、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約条約」で「南樺太」が日本領となりました。第二次世界大戦後の昭和二十六年(1951、「のサンフランシスコ平和条約」で日本は「千島列島」「南樺太」を放棄、しかし条約にソ連は調印せず、「千島列島」「南樺太」はどの国にも帰属していません。 明治時代、政府はそれまでの「蝦夷」から「北海道」に、「北蝦夷地」から「樺太」に改称し、「北海道開拓使」後の「北海道庁」が置かれました。「松浦武四郎」は、弘化元年(1844)以後に蝦夷地・択捉島・樺太を探査、明治二(1869)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほか、アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定しました。 北海道・樺太・千島列島は「アイヌ民族(など)の共有地」でしたが、明治政府は「無主地」として国有地としました。土地は「屯田兵」など入植者に払い下げられ、開拓政策の大きな理由に北方への国防があります。日本政府は国策として、国防を理由に「千島アイヌ」を「色丹島」に強制移住させ、慣れない生活と風土のため、アイヌの人口は激減しました。また、樺太・千島交換条約の際には「樺太アイヌ」を北海道に移住させました。 明治三十二年(1899)に「北海道旧土人保護法」が施行され、アイヌへの日本語教育など、和人への同化政策が推進されました。学校ではアイヌ語やアイヌ文化は教えられることが無く、またアイヌ文化については否定的に表象されるなど、近世アイヌ文化の破壊は進みました。他にも幾つもの法律や、道内の慣行により、アイヌ民族は厳しい状況に晒され続けました。こういった経緯により「アイヌ民族の理不尽な境遇と、ヤマト民族・日本国の体制との間の、著しく不当な格差と」が生み出しました。 日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇 アイヌ民族は「日本の体制により、長年酷い環境に置かれ、土地を収奪され、その上で放置され続けた」という状況に置かれてきました。 「二風谷(ニブタニ・北海道平取町)」には「二風谷遺跡」があり、「中世から近世の北海道の最重要の遺跡の一つ」であり、この時代を「ニブタニ文化」と呼ぶ事も提唱されています。しかしアイヌ民族などの必死の抗議を無視して、「沙流川」に「二風谷ダム」を造成、この聖地を破壊しました。このダムは建設前から「治水効果が低い」「大量の土砂が溜まり使えなくなる」「土木利権の無駄な工事」と言われましたが、予想を超える速度で湖底に大量の土砂が溜まっています。上流の「額平川の峡谷」もアイヌの聖地ですが、ここにも「平取ダム(ビラトリ・平取町」を建設しようとしています。 アイヌ民族が伝統漁法や儀式の復活に取り組んでいる「モベツ川支流の水源地帯(北海道紋別市)」では、に、「産業廃棄物最終処分場建設」が計画されています。「モエレ沼公園(北海道札幌市)」は市民の憩いの場ですが、ここは嘗ては「市のゴミ捨て場」で、それ以前はアイヌの聖地でした。こういった件は多数あって、多くのアイヌの聖地が邪険に扱われて、破壊されてきました。 「日本本土」では「聖地たる場所」は「社寺保有・宮内庁所管・国有地など」となっていて、「無闇な開発は許されなく、重要な整地とされる多数の場所を開発しようとしてば、徹底的に弾劾・攻撃される」という状況です。「有名な○○神社・○○陵・著名な霊山・著名な遺跡」などの域内・境内・隣接地に、ダムなどの環境破壊を招く施設や、産廃処理場など汚染を招く、大規模施設が建設される事は、当然ながら決してありません。 翻って「アイヌの地」では、本来「アイヌモシリ(北海道)」は「イオル(入会地)」のような「アイヌ民族の共有地」であるにも拘らず、体制側により勝手に国有化されました。これにより「アイヌには民族の共有地・共有資産が、非常に僅かしかない」「アイヌ民族の資産保持者や、運営する大企業などが、ヤマト民族の物に比べて非常に少ない」という状況にあります。この前提上の事象として、長年にわたり「日本の体制側の施策によって、アイヌ民族は重要な聖地が多数破壊され、荒らされてきた」という、過酷な歴史に遭ってきました。これらは「アイヌ民族自身の能動的な選択の為」ではなくて、「日本政府・体制側の歴史的政策の為」であり、この点は「日本の体制側の歴史的責任の証左」以外の何物でもありません。 そもそも「どの民族の文化・重要遺産も、大切に保護しなくてはならない」「どの民族も、他民族の聖域・大事な事象を、非常に敬意を払わなくてはならない」はずですし、加えて「自己側の歴史的政策により、共有地・共有資産が僅かしかないという状況を招いたならば、その聖域や大事な事象の保護には、より重大な対処をしなくてはならない義務がある」はずです。しかしこんな当然な道義上の問題は、全く無視されてきたも同然です。 「大和民族の聖地(宮殿・陵墓・祭祀場)」ならば「絶対に有り得なく、不可能で、徹底的に弾劾される」のが、しかし「アイヌの聖地」の場合ならば「破壊され、汚され、そういう事が行われてしまい、しかも公的権力が主導、国家的に行う」のです。本来どの集団の物に対しても、特に外部(属していない)の人達は最大の敬意を払わなくてはいけないですが、然しながら「ヤマト民族の聖地だと犯罪」「アイヌの聖地だと犯罪でない」という事で、これが「日本の暗黙の掟」です。この著しい差別と不正義は何なのでしょうか。 そして「大学・研究機関等」「マスコミ」などを経由した物も含めて、、「ヤマト民族の各種文化は、公的・準公的な物により、にかなり保護されている」という状況があります。例えば「国語・歴史・伝統研究など、非常に多数の当然視される文化政策・活動」「メディア報道」も、これに含まれます。当然、多くの組織は歴史的に所在地の土地を所有しています。これは「祭祀施設(宗教団体)」「文化団体」なども含まれます。 しかしアイヌ民族は、歴史的経緯から「嘗ての接収により土地保有面積が狭い」「境遇により資本力が低い」「反対派の影響もあり各種公金支出も限定的で、公的保護は僅かしかない」という状況に置かれています。 このような経緯によって、「アイヌ語を流暢に話せる母語話者は10数人にまで減少している」「信仰や伝統文化が継承困難」という、危機的状況にあります。然しながら、今に至るまで「殆ど無視され、偏狭な民族主義・全体主義にも阻害され、権利擁護されずにいる」という状況です。アイヌの言語・伝統文化・信仰はまだどうにか廃絶は免れ、これから復興可能な状況ではありますが、現状は非常に深刻です。 「アイヌがアイヌだと公表するのには困難さが伴う」という状況があり、「自分の民族名を、しかも先住民族でありながらも、公表するのに障害がある」など、どのように考えても著しく異常です。更に「外国の○○国系の有名人は非常に多いが、アイヌ系の有名人はごく僅か」であり、これも日本の異常な社会状況を表しています。しかし、実際にこんな状況が、そして「そんな事は無い・題ない」などという強弁が罷り通るのが、現代の日本の実像です。 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」、通称「アイヌ文化振興法」は「アイヌの民族としての誇りを尊重し、アイヌ語、その音楽・舞踊・文学・工芸などの振興を図り、かつそれらについての調査研究、知識の普及を目的とする法律」です。悪名高かった「北海道旧土人保護法」が廃止され、平成九年(1997)に成立しました。平成二十年(2008)、「アイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議」が衆参両院とも全会一致で可決されました。「民族共生の象徴となる空間(北海道白老町)」は、アイヌ文化振興のナショナルセンターとして政府が整備したもので、ポロト湖畔にあります。しかしこういった動きはあるにしても、「アイヌ民族の全体の事象・問題」に比べればごく僅かである事は言うまでも無く、全体状況の改善はありません。 ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置 旧ソ連は第二次世界大戦後に、究極的に理不尽にも「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族のモンゴロイド系少数民族を含めた、多くの日本人を、先住地域の千島列島・樺太から北海道へと強制送還(追放)した」という暴挙を行いました。 1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄し対日宣戦布告して「千島列島・南樺太」「満州・北朝鮮」で開戦、第二次大戦終戦(ポツダム宣言受諾)の8月15日以降もソ連の攻撃・占領は続き、この後「全域の占領」と、日本人に対しての「戦闘での戦死など」「正当事由のない民間人への虐殺・暴行など」「拉致・捕虜とシベリア開発での抑留」「日本への追放」が行われました。この戦闘では「占守島の戦い」を始め、多くの地域で日本軍が勝利するも、玉音放送と停戦交渉により戦闘停止や武装解除をしました。しかしこの間、ソ連側の「一方的攻撃」「停戦交渉の拒否」「停戦交渉成立と停戦・武装解除後の一方的攻撃」が行われ、9月2日の日本との降伏文書調印もも無視して攻撃継続、全域を支配下に置いた9月5日に、ソ連軍は一方的戦闘を終了しました。 当時、南樺太では日本人居留民41万人(少数民族も含む)のうち約10万人が脱出、千島列島にも多くの居留民・軍人がいました。この「日本人の日本への追放の過程」で、ソ連による「樺太・千島列島からの先住民族であるアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の日本への追放」も行われました。「樺太アイヌ」は日本国籍を持ってませんでしたが、アイヌは日本人とされ、追放されました。また残っていた樺太アイヌも、「カムチャツカ半島」に強制移住させられた人達がいます。現在、千島列島は「元々はモンゴロイドのアイヌ民族が住んでいたが、強制追放されて、元々ウラル山脈以西(ヨーロッパ)にいた、ソ連・ロシアの統治階層の白人が住人の大多数を占める」という状態です。 また一般論として、主張・論述に際しての前提として「主張という物は、自分達に有利だろうが不利だろうが、高い論理的一貫性が必要である」「自分達に有利だから不利だからという基準で、主張・持論の論拠を二転三転するのは誤りであり、その論拠の無意味さを示す」という点があります。「自分の属する国・民族・集団に有利不利に関わらず、事実は事実であり、事実に基づき出来得る限り妥当な認識を持ち、誤った状況は改善すべき」です。 「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の追放」の理由には「敵国の日本に協力した民族への罰」がありました。しかし、そもそもからして「千島列島・樺太は少数民族は先住地であり、当然の権利の下に、日常生活をしていただけ」であり、彼らにはソ連・ロシアから非難される謂れは微塵もなく、他の何者も「彼らの根源的権利権利」を侵害する権利はありません。「日本人の追放」も「日ソ中立条約の破棄と戦争・占領・暴虐行為を行ったのはソ連」であって、非難されるべきはソ連であり、千島列島と樺太の少数民族と日本人を非難するこのような主張は、論理性が一切存在しません。 現在もロシアは「第二次世界大戦の戦勝国の権利として、千島列島と南樺太を領有している」「戦争の結果として合法的な領土権を保有する」と主張しています。更には国際的体制も、これを事実上追認しています。しかしこの主張は、それ自体の誤りだけでなく、その前提の認識も誤っています。そもそも「当時のソ連は、日本を断罪できるような資格のある国ではなかった」のであり、ロシア帝国・ソ連は歴史的に版図・勢力圏拡大の為に南下政策と西方への侵攻を行い、各地を戦争の脅威を晒してきました。特にスターリン政権は「覇権主義的な領土拡張政策」をとり、「カチンの森事件」などの数々の虐殺・迫害を起こし、多くの集団の強制移住とロシア人入植を行いました。ソ連時代にそういう秘密を話せば、強制収容所に送られました。「北海道の東半分」も占領するつもりで、占守島侵攻で時間を費やさなかったら北海道本島も侵略されていたとも言われます。ソ連による千島列島・南樺太の占領・領土主張と、アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の追放」は、第二次大戦中の「大西洋憲章」の「戦争による領土不拡大」「領土不変更」「民族自決」の原則、「カイロ宣言」の「戦争による領土不拡大」の原則、「ポツダム宣言」の「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく」との条項に反する物であり、何らの正当事由も存在しません。そしてロシア・ソ連は、他国・他民族との紛争に際して「自国・自民族に都合の良い二重基準」を頻繁に用いています。 (然しそれら紛争においては、その多くは相手側にも問題がある。「片方の側は誤っていて、もう片方の側がより誤っている」という事例はあっても、「片方の側が正義」というのは先ず無い。 是非は簡単に区分けはできない事柄が多い。そして背後で操る勢力もいる) 一体「戦勝国の権利」とは何なのでしょうか?「第二次大戦は領土分捕り合戦をしてよい戦争だった」「少数民族の古来の先住権は否定し、近年に政策的に入植した民族に、千島列島・樺太の根源的権利・領土権がある」「自分達の利益になるならば、何をしても良い」「中立条約破棄しても、終戦間際に開戦しても、終戦後の一方的攻撃で占領しても、勝てば良い」とでも言うのでしょうか。「戦争の結果として権利がある、現状がこうだから権利がある」というならば、「現代の世界中のあらゆる構造は、それが如何に誤った物でも肯定される」ようになります。そしてそう主張するならば、何故「近年ロシアは第二次大戦後に決まった各国の国境・領土を無視して、自国の衛星国を広げる行為を取り続ける」のでしょうか。 北方領土交渉では、ソ連・ロシアは常に「第二次大戦の結果を認めよ」と日本に言ってきました。これは「これが千島列島・南樺太の領有の最大の根拠である」からそう主張しているのであり、この論法の背景には「ソ連が属した連合国は道義的優位性を持つ」→「だから連合国とソ連には第二次大戦の戦争責任と、それを受けた領土を規定する権限がある」→「だから従え」→「従わないなら第二次大戦の戦争責任を否定した事になる」という認識があります。では「戦争責任を規定する権限」もそうですが、況してや「連合国の第二次大戦後の領土を規定する権限」などという物が、どこに存在しているのでしょう。そもそもが「本来的に帝国主義のソ連に大戦後の領土を規定する権限も、戦争責任を規定する権限も無い」のであり、前提からして「道義的優位が齎す規定の権限」などという物は一切存在しません。では「ソ連の道義的優位が一切存在しない」ならば、「何を根拠に戦争責任や領土を規定する」というのでしょう。このように、主張の根源を遡っていくほど、そこには「主張の根源的根拠」という物が存在しなく、「循環論法(詭弁)をひたすら繰り返しているのみ」「力を以って正義とする」という状況が顕わになります。 ここに「第二次大戦の戦勝国の道義的優位と、それに基づく戦後処理を規定する権利」の、一体何が存在してるのでしょう。本より「第二次大戦の戦勝国の道義的優位」などという物は、全く存在しなく、最初から「勝てば官軍」なだけでありますが。「第二次大戦の結果の直接的な肯定的意味」とは、国際関係から見ると「(中国など)植民地支配された国が戦勝した事」だけです。「連合国の戦勝」は別に正義では無く、「枢軸国が勝つより良かった」という事です。そして「ソ連の第二次大戦と戦後処理における、対日本と対少数民族などの行為は、極端な独善性と苛烈な非人道的・非正義の行為その物」です。 仮定の歴史を考えたとして、若し「ソ連が北海道を占領していた」ならば、「北海道を占領し続ける歴史的正当性はない」にも拘らず、ソ連・ロシアは日本に返還しなかったでしょう。若し立場が逆で、「日本が連合国に属してソ連に勝利して、ソ連領土を日本領としたら、ソ連・ロシアは納得した」でしょうか。する筈がなく、徹底的に返還を要求し続けるでしょうし、ここに「論理的一貫性」は全くありません。これは「ソ連の領土占領は、全く道義・道理・妥当性に基づいた物でなく、単に戦争に勝利したから」という事を示します。更には「アジア・黄色人種の何れかの国が、ウラル山脈以西(又はそのロシア領土)のコーカソイド(白人)の先住地域を占領し、自国領と主張した」「先住していた白人層を追放した」として、これをロシアやヨーロッパや国際社会が許すでしょうか。それは絶対に有り得なく、「徹底的な弾劾」「国連軍などの武力で原状回復させる」「後代まで徹底して非難され続ける」のは間違いありません。これは「第二次大戦後のソ連の占領は、歴史的正当性や権利に基く物ではなく、強大な力と格差構造の下で、不当に行使された」という事と、「ソ連の強制移住政策は白人・黄色人種など各人種民族に行われたが、この問題には人種格差構造も大きく影響している」という事を示します。 元々「千島列島」「樺太」は「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の先住地」であり、「先住民族の少数民族の下に、千島列島・樺太が国家として独立する」を選択するならば、その意向は尊重されます。しかしこれを除いて、「何れかの国の領有」という観点のみで考えた場合、以下の事が言えます。「千島列島」「樺太」を国として最初に領有したのは「室町時代~江戸時代の日本」です。当時、少数民族がロシア人と会った事があるという記録はなく、ロシアが進出したの後代です。各国間で「領土不変更」が何度も確認された第二次大戦の前、「千島列島」「南樺太」を領有していたのは日本です。拠って「千島列島・樺太は、ロシアの領有には正当な根拠はないが、日本にはある」と言えます。また、ロシアは沿海州の「ウラジオストク」が「東方を征服せよ」という意味であるように、元々「ウラル山脈以東に居住していたロシア民族(コーカソイド))」は、全くの異民族の「モンゴロイド系少数民族」の住む「シベリア」を支配して、帝国主義的に東方へ領域拡大、根本的にはここに問題があります。このように「千島列島・南樺太問題」は、その背景となる事象を様々に鑑みると、あまりに多くのことが、論拠に欠け、矛盾に満ちて、自己本位さばかりが目立ちます。 それ故に「ロシアが千島列島と樺太からアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族などを強制追放した根拠は全くない」「現在も千島列島や樺太(南樺太)の土地の根源的権利は、アイヌ・ニブフ・ウィルタなどが有する」「千島列島と南樺太を占領する権利はロシアには存在しない」「ロシアは追放して多大な悲劇を与えた少数民族に謝罪すべき」「ロシアは第二次大戦前の状況に原状回復すべき」「ロシアは千島列島や南樺太を日本に返還すべき」です。 勿論、「日本政府が樺太・千島列島のアイヌ民族に歴史的に行ってきた行為(強制移住を含む)は、人道上の苛烈な犯罪」であり、この責任から微塵も逃れる事はできません。故に「日本政府は北海道・樺太・千島列島のアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に、歴史的行為の非人道性を認めて、正式に謝罪すべき」「千島列島・樺太を、少数民族の自治区とすべき」「少数民族の権利(聖地・入会地ほか)を高度に・広範に認めて、文化復興への多大な支援を行うべき」「千島列島・南樺太に居住している全人種の人々に、自由に日本とロシアのどちらの国籍も選択でき、両国の何れかに平和のうちに居住できるようにすべき」です。 しかし、このような歴史的状況がありながらも、「北方領土問題」の報道・議論においては「日本とロシアの政府間・政治体制間の問題だとされる」「アイヌ・ニブフ・ウィルタという先住民族に関する要素・観点・歴史は先ず出ない」「千島列島と樺太の話題・議題は少ない」「北方四島や、日本の戦争とソ連の対日攻撃ばかりに焦点が当たる」という状況にあり、非常に単一な視点に終始しています。然しながらこれは完全に間違っていて「千島列島・樺太の問題は根源的には、アイヌ・ニブフ・ウィルタほか少数民族の問題である」のです。 この状況の原因は「アイヌ問題軽視と蒸し返しになるので、日本の体制側が無視している」が理由です。北方領土問題は、国家という視点のみで語られますが、「大和民族伝来の土地でない事は、問題への認識レベルを大きく下げている」のが現実です。 「先住民族であるアイヌなどが、後に来た遥か遠方の民族により、先祖伝来の土地から追放された」「これは数十年前の事件である(遠い歴史的過去ではない)」「日本もロシアもこの事実を事実上無視している」、この過去から現在の行為は「人道上の甚大な大罪」です。 しかし、過去~現在の世界的構造の要因により、この問題は国際的に完全に無視されていて、そもそもが問題の認知度自体がほぼ皆無です。「アジア地域の問題である事」「欧米‐アジアの地位格差」という要因は、これは「黄色人種が白人の先住地域で同様の行為をして、長年是認・放置される事は決して有り得ない」というをいう事と対を成していて、「世界の統治構造の犯罪性」が如実に現れています。現代世界は、常にこの構造の統治下にあります。 「第二次世界大戦や戦後処理の認識論の見直しになる」という要因について、「第二次世界大戦の戦前~戦後の事実関係は、戦後の国際社会の一般的認識と異なる部分が多い」「都合主義の恣意的認識が多くの国で見られる」という点と密接に関係しています。要するに「戦後処理と、事実関係の妥当性や正義の間には、大きな隔たりがあるが、国・民族の利益と相反するので、その見直しは行わない」という事です。これは非正義以外の何物でもないですが、当事者達は正当化したり、口を噤むのみです。 「日本の問題である事」という点について、これは「第二次世界大戦における開戦・諸地域での戦争・諸々の問題は、日本に関わる物は、その原因の大多数が日本に帰せられている(実際は原因は、日本に問題も他国の問題も、同様に多い)」「そこから日本は何事でも封殺し易い国と見做されている」というのが原因です。「第二次世界大戦の開戦や諸地域での戦争の原因と、戦後処理問題」については、「その国際的通念は、事実関係に概ね沿った物と、異なった物がない交ぜとなっている」「多くの当事者国では、自国を有利にする為の恣意的解釈の論説が飛び交っている」という状況が続いてきました。 いずれにしても「アイヌ・ニブフ・ウィルタほか少数民族は、国際的関係による完全な被害者でしかない」のであって、彼らに非は全くないのですが、強者達は穢れたパワーゲームを繰り広げるのみで、正義などどうでも良いというのが現状です。 また「米大陸・オセアニアなど、過去に先住民弾圧があった地域」では、日本より非常に過酷で、完全な異民族・異文化との点はありながらも、しかし近年は公的・民間の権利擁護が高まり、報道・政官・教育等の取り上げ量や社会的関心度も日本より高いです。 日本におけるアイヌ問題の認識状況 翻って日本では、これらの国に比べて明示的な人種格差は低い物の、しかし未だに差別と格差の構造が厳然とあります。「日本の体制側が行った歴史的経緯の修復」による活動は、ごくごく僅かな程度です。先述の先進諸国の近年の事例は、何事も「臭い物に蓋」ばかりする日本の体制側と、更に体制側の力ばかりが強いという日本の社会状況と、対比される状況です。 そして一般の認識は「ヤマト民族と基は同じ、又は非常に近い民族であるにも拘らず、あまり語られる事もなく、僅かな知識しか持たれていなく、存在や問題が無いかのような、透明人間的な状況にされている」という境遇にあります。 当然これらは「政策・教育・報道その他、社会が過去~現状のレベルであったから、この程度の全体状況になっている」のであって、「日本社会が作り上げた状況」に他なりません。こういった諸々の事態は、これは、現代の日本では当然のようになっているのでしょうが、「客観的に考えれば、非常に異常であり、真理から極端に外れた事態」です。 「アイヌ民族についての、メディア報道や学校教育の量は、ごく僅かしかない」のが現状です。メディア報道の中で、アイヌについて触れられているのは、非常に限られた物しか存在していません。例えば「新聞サイトなどの記事の検索」をしても、アイヌという語句がある記事が、月に10~20記事しか存在せず、その殆どが北海道のメディア・地方版です。これが日本国内の様々な分野の記事であれば、又は各県の記事であれば、その記事数は多数に上ります。諸外国の事象についての記事も、政治から文化まで、毎日非常に多くの記事があがってきます。そして特に、エンターテイメント関連の番組・報道では、アイヌ文化を取り上げる事は、ほぼ皆無です。 学校の教育制度での「アイヌ民族の存在・歴史・文化の教育」は、そもそもが文部科学省など政界・官界は無視に等しいので、殆ど実質的な物が存在しません。「沖縄の民族・歴史・文化の教育」を教える時間も限られていますが、更にそれよりもずっと少ない時間数です。高校では世界史は必修ですが、日本史・地理は選択授業であり、「欧米の歴史体系・文化・事物は、小学校・中学校・高校の授業自体全体で、相当の時間数が教えられているが、アイヌについては殆ど教えられていない」という逆転した状況があります。 こういった状況により「子供達は、日本の事であるのに、アイヌ・ニブフ・ウィルタなどの民族や千島列島・樺太について、殆ど知る機会を持たない、殆ど何も知らない(或いは聞いた事もない)」「特定の幾らかの国についての知識量や、有象無象の物事の知識量の豊富さに比べて、全くと言っていいほど何も知らない」という、異常な状態が常態化しています。大人達についても同様であり、アンケート結果でもそういった状況が現れています。 最近、内閣府が行った「アイヌ政策に関する世論調査」では、「重要だと思うアイヌ関連の施策(複数回答)」について、「アイヌの歴史・文化の知識を深めるための学校教育:51.3%」「アイヌの人々への理解を深めるための啓発・広報活動:43.4%」「文化継承のための人材育成:31.1%」いう回答でした。しかしこういった政策は全く行われていないに等しく、過去の流れから言えば、アンケートも単に「対策を行ったというポーズ作りのルーティンワーク」に過ぎません。 更には「どのような事象でも、アイヌの歴史的被害と、その修復が語られると、それを徹底的に攻撃したり否定する狭量な人達」というのが、ネットを中心にかなり存在します。そのような主張では、歴史的事実を認めなく、アイヌ民族はもう殆ど居ないものとして、アイヌ民族側の声や擁護する論について「取り上げるな・認めるな」「捏造」「カネのたかり・利権」などと言っています。 これらは「近現代の日本の体制が行ってきた行為による結果その物」であり、更には「体制側が徹底した不作為を重ねながら、能動的な方向・行動は殆ど示さない」「アイヌなどの間での諦めと同化を待つ」「年代経過による民族消滅を待つような未必の故意」さえも感じられます。そして、日本にしてもロシアにしても、「歴史的責任を修復する行為」を行わないのであれば、究極的には「アイヌ民族自身に、北海道、千島列島、樺太(の一部)を返還すべき」です。 アイヌとは明確に「歴史的権利と被害度の総合的度合い」に対して「最も何の保障もされてなく、無視されている民族の一つ」です。こういった「アイヌ⇔日本・体制側・大和民族・欧米・白人・支配者」の格差は著しく卑怯で、その支配者・加害者側の論説は矛盾と非正義に満ち、現在の世界が如何なる物かを、象徴的に表して現しています。 沖縄・琉球・南西諸島の歴史 「沖縄県」は、地域区分として「沖縄諸島(北部)」「先島諸島(西部)」「大東諸島(東部)」に別れ、先島諸島は東から「宮古列島」「八重山列島」に別れます。「琉球諸島」は「沖縄諸島」「先島諸島」を含み、「奄美群島」を含めたり、「大東諸島」を含めない場合があります。また奄美群島の南方に沖縄諸島があります。 「鹿児島県」の南部島嶼部は「薩南諸島」と呼ばれ、北から「大隈諸島」「トカラ列島」「奄美群島」と別れています。これら日本の南西部の島嶼部を総称して「南西諸島」「南島(なんとう)」「琉球弧」と呼びます。 「沖縄県」は、嘗ては「琉球」と呼ばれ、「琉球王国」がありました。「沖縄県」「奄美諸島」では「琉球方言(琉球語)」が言語です。「琉球民族」の定義は「旧琉球王国の領域であった沖縄県の沖縄諸島と先島諸島、鹿児島県奄美群島に住む人々の言語、生活習慣、歴史的経緯から、独自の一民族であると定義した場合、それを指していう」となっています。 「琉球方言(琉球語)」は「日本語の一方言」「独立言語」とする二説があり、「日本語と沖縄方言の起源は同一」です。琉球方言を方言とする場合、「日本語族に日本語派と琉球語派が属する」「日本語族は孤立言語」となります。「琉球方言」は、弥生時代を上限とし古墳時代までに、本土の「日本語」と分岐しました。「上古日本語」を伝える言葉が多く残っていて、言葉の語源が琉球方言から判明する事もあります。琉球方言は、その地域ごとに大きく言葉が異なります。「日本語と琉球方言の相違」は「ヨーロッパ諸語のうちの、ドイツ語とノルウェー語、イタリア語とスペイン語の相違より大きい」などとも言われます。 琉球方言を分類すると、北から「奄美方言(奄美語)」「国頭方言(国頭語・沖縄本島北部)」「沖縄方言(中央沖縄語・沖縄本島南部)」「宮古方言(宮古語)」「八重山方言(八重山語)」「与那国方言(与那国語)」に分けられ、沖縄方言以北の「北琉球方言」と、宮古方言以南の「南琉球方言」の2グループに大別できます。 沖縄では「沖縄」を「ウチナー」と呼びます。古来よりの沖縄島住民による「沖縄島」の呼称は「うるま」、八重山方言では「ろーま」です。「沖縄本島周辺の方言」を「ウチナーグチ(沖縄口)」と呼び、沖縄の言葉を「シマクトゥバ(島言葉)」と呼ぶ事も多いです。近年は純粋な方言は衰退しつつあるので、本土の言葉を併せた「ウチナーヤマトグチ」が用いられています。「八重山」は八重山方言では「やいま」、沖縄方言では「えーま」と発音されます。鹿児島県の「薩隅方言(さつぐう)」のうち、島嶼部の方言は「甑島方言」「種子島方言」「屋久島方言」「トカラ方言」です。 「沖縄・琉球・南西諸島の地理的定義」は、概念ごとに、どの諸島が属しているかが異なります。「琉球方言(琉球語)と琉球民族の定義は、琉球王国の版図内の言語・集団である」と言えます。 南西諸島の先史時代は、「北部文化圏:薩南諸島」「中部文化圏:奄美諸島・沖縄諸島」「南部文化圏:宮古列島・八重山列島」の3つの文化圏が設定されています。北部文化圏は、本土文化の強い影響下にあります。「中部文化圏」では、九州の縄文文化が縄文時代前期ごろに定着、ここから独自の発展をしました。「南部文化圏」では、少なくとも3500年前より以前に、「台湾」「フィリピン」からの渡来人が定住し、その系統が強い文化を築いたとされます。以下は主に「中部文化圏」について記述、「北部文化圏」「南部文化圏」については、後段で記述します。 《沖縄地方の時代区分》 旧石器時代 貝塚時代 ・時期的には縄文時代から平安時代までの期間を指し、「早期(~中期)」「後期」に区分する。 ・早期から中期が縄文時代、後期が弥生時代から平安時代にあたる ・本州の縄文時代や弥生時代と比較して、狩猟・採取経済が生活が中心であったことや、水田が未だ見つかっていないことなどからこの呼称が用いられた。 古琉球 ・沖縄県における農耕の痕跡のうち最古のものは紀元前8世紀頃のものだが、本格的な農耕社会が成立したのは12世紀頃だとされている。 ・農耕社会が成立してから、島津氏の侵攻(1609)までを指す。 グスク時代 ・平安時代終末の12世紀から15・16世紀にかけて ・「グスク(城)」を築き始めるのは11世紀後葉。 ・貝塚時代の後続の時代の、沖縄では初めての農耕文化。 三山時代 ・沖縄本島に君臨した3カ国「北山」「中山」「南山」があった時代。 ・1322年ごろから1429年まで。 琉球王国 ・1429年頃、南山の初代琉球国王「尚巴志」王が沖縄本島と統一、「首里城」を王都とした。 {島津氏の侵攻 ・慶長十四年(1609)、第二尚氏第七代「尚寧」の時代、薩摩の島津氏が侵攻、首里城を接収した。 ・慶長十五年(1610)、尚寧は、薩摩藩主島津忠恒と共に江戸へ向かった。 途上の駿府にて大御所徳川家康に、8月28日に江戸城にて将軍徳川秀忠に謁見した。 忠恒は、家康から琉球の支配権を承認されたほか、奄美群島を割譲させ直轄地とした。 ・慶長十六年(1611)、尚寧と三司官は「琉球は古来島津氏の附庸国である」と述べた起請文を提出した。 また、琉球の貿易権管轄などを書いた「掟十五条」を認めさせられ、琉球の貿易は薩摩藩が監督することとなった。 こうして薩摩藩は第二尚氏を存続させながら、琉球を間接支配するようになる。 ・琉球王朝は、清にも朝貢を続けていた。 琉球処分 ・明治五年(1872)から明治十二年(1879)にかけての琉球処分で、琉球王国が廃止された。 日本国の統治下に入り、「琉球藩」から「沖縄県」となった。 縄文時代、「縄文文化」が「沖縄諸島」にも影響を与えていてました。「沖縄諸島の各地に縄文遺跡があり、縄文土器が出土する」「沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島・大隈諸島で産する、南方産貝製品が日本本土で交易に用いられ、北海道でも発掘された」「縄文時代後期は、海岸砂丘上に遺跡立地が移動し、主に漁撈を中心とした生業と考えられている」「沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島に共有の土器文化があった」といった状況があります。「この時代の沖縄諸島は狩猟採集経済で、縄文土器に類似する波状口縁の土器をもつ」「これらから"縄文時代"の名称を使用する場合もあるが、縄文時代・縄文文化とするかは意見が分かれる」とされます。 縄文時代前期、「轟式土器」は「九州島」を中心として、「種子島」「屋久島」「朝鮮半島南部」にも分布しています。続いて登場した「曽畑式土器」も九州島を中心に分布、「高又遺跡(鹿児島県奄美市)」「渡具知東原遺跡(沖縄島読谷村)」「朝鮮半島釜山市」などで発見されています。縄文人が黒潮本流を越えた例は、この曽畑式土器を持った集団による縄文前期の九州島・奄美大島間の航海が最も古く、関東における三宅島・八丈島間の航海よりおよそ800年早いものであるとされています。長崎産滑石を含んだ、縄文時代前期(5500-5000年前)の「曽畑式土器」が「伊礼原C遺跡(沖縄県北谷町)」から出土、この時代には長崎との交易があったことが判明しています。 「伊波式土器」は、3500年前(縄文後期)の在地の土器で、「山形の口縁部」という縄文土器の主要な特徴が見られます。「荻堂貝塚(沖縄県北中城村)」は沖縄本島東海岸にあり、沖縄県では最古級の琉球縄文土器時代前期(本土では繩文時代後期)の貝塚です。「各種の南島産貝類」「魚骨・獣骨」「石器」「土器」「貝製品」が出土しています。土器では「先が二又になったヘラで描く平行線文・山形文・爪形文などの文様」を描いた「伊波・荻堂式土器」が出土、これらの文様は「曽畑式土器」や「興津貝塚(千葉県栄町)」の土器と類似性があります。 貝塚時代後期前半~後期前半末(弥生時代~古墳時代の6世紀前半?)の沖縄諸島の遺跡には、南島の「尖底土器」、「弥生土器」、後述の「南方製貝瀬品のストックや半製品」という類型があります。また「弥生時代の遺物」が多数発掘されますが、同時に、沖縄諸島では文化の独自色が顕在化し始めました。この時代の遺跡では「銅鏡」「銅剣」などが、他県に遜色が無いほど発掘されていて、「鉄製品」は畿内の出土量を凌駕するものがあります。しかしこの時代の編年(土器形式などによる時代区分の細分化)は、まだ進んでいません。この時代は海浜砂丘地に立地した集落が増え、貝塚を形成、狩猟採集社会でした。古墳時代前期(4世紀)までは、巻貝の「ゴホウラ」「イモガイ」「スイジガイ」を採取・交易、これは本土日本で非常に珍重され、大きな影響を本土と沖縄で与えました。そして「勾玉など玉類」や、一部は「鉄器(斧用など)」などを受け取っていたと見られます。また大陸の影響を伺わせる出土物もあり、本土の弥生中期頃頃の遺跡と同様に、「中国の古銭」の出土例も複数あります。 貝塚時代後期後半(6世紀中盤?)から10世紀頃までは、南島の「くびれ平底土器群(11世紀終わり頃まで)」、交易用の「貝札(小型化し文様は略化した上層タイプ)」と中国の「開元通宝(621年~10世紀)」という類型が多いです。この時代は螺鈿細工用の「ヤコウガイ」などが交易され、奄美で特に多く見られます。奄美では「鉄器」が輸入されましたが、沖縄では「鉄器・金属器」は殆どなく(輸入されず)、「開元通宝(13世紀の遺跡まで)」がより多く発掘されています。また「本土産須恵器」などの出土例があります。この時代は台地上に集落が移り、一部は砂丘上にもあります。農耕が徐々に始まったと見られ、畑跡が幾つかの遺跡から見つかっています。この時代も前代に続き、漁労も主だった生業と見られます。 一説に「魏志倭人伝の邪馬台国は沖縄にあった」という説があります。「倭地温暖で冬夏常に野菜有り、皆裸足」とあり、南方系・海洋民の習俗が記載されていて、場所について「文の通りに読むと、九州の南方海上に至る」「会稽・東冶(中国浙江省・福建省の地名)の東方にある」「有無する所、朱崖・儋耳(中国・海南島の地名)と同じ」という記述との符合があります。 「弥生時代・古墳時代前期において、多くの文化・言語や祭祀の面で、沖縄(沖縄諸島)と日本本土の関係性は一体的であった」と考えられ、沖縄諸島の各地では「弥生時代・古墳時代の、本土との一体性や交流を示す遺跡・出土物」が出土しています。ヤマト王権の直接の支配領域になったのは、薩南諸島が古墳時代末期、沖縄には後も直接支配は及びませんでした。 古墳時代の何れかの時期(7世紀以前)、沖縄と日本の一体的な関係性が次第に薄れていきました。奈良時代、幾つかの正史・古典には、朝廷と沖縄の関係の記事が載っています。 日本で宝亀十年(779)に成立した「西暦唐大和上東征伝」には「阿児奈波島(沖縄島)」とあり、これが「沖縄」に類する名称の初出です。この記事には「鑑真など遣唐使一行が漂着した」とあります。享保四年(1719)、「新井白石」が「平家物語」に見える「おきなは」に「沖縄」の字を宛てしました。「阿児奈波島」の読みは「あこなは」「あじなは」の二説があり、「沖縄」の語源を「おき:沖」「なは(なわ):なば:魚場・漁場」で「沖合の漁場」とする説があります。 「琉球」という名称は、中国の正史「隋書」の607年・608年の「東夷傳 流求國」の記事が初出、その後「瑠求(元書)」などと様々に表記され、「琉球」に落ち着いたのは明時代以降です。しかし「琉球」とは「沖縄」「台湾」「フィリピン」に用いられた又は自称した名称で、これにより昔から混同がありました。またこれらの内容には、時期や背景により、ほぼ正確な物tと、又聞き・誤り・脚色も多い物とがあると考えられます。 古来よりの沖縄島住民による沖縄島の呼称は「うるま」で、これは雅称であり、漢字の当て字は「宇流麻」です。意味は「ウル:珊瑚、珊瑚の海石(花石・笠石)、海石の砕けた砂礫」「マ:しま(島)」で「珊瑚で出来た島」だと言われます。現在は「沖縄県うるま市」が遺称地です。 「八重山」の名称の由来には諸説があります。享保四年(1719)の『中山伝信録』には、「八重山、一名北木山、土名彜師加紀(いしかき)、又名爺馬(やま)」との記載があります。この記載では、現在の「石垣島」と「八重山列島」とが必ずしも区別されていません。 古代日本の辺縁部には、弥生時代の渡来人流入や、古墳時代のヤマト王権の成立・拡大以後も、縄文人の系統を色濃く残す集団が存在し続けました。「薩摩・大隅(鹿児島県)」に居住した「隼人(はやと)」は、「渦巻紋」「鋸歯紋(きょしもん・ギザギザの紋様)」である「隼人紋」など、独特な呪術・祭祀・葬制の文化を持ち、「隼人語」を話し、畿内集団とは通訳を介して会話しました。類似系統とも言われる「熊襲(くまそ)」は「肥後国南部(熊本県南部)・大隈国北部(鹿児島県北部)」にいた集団で、2世紀前半の第十二代「景行天皇(けいこう)」と皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」による征討伝承が、記紀に載っています。隼人は6世紀末~7世紀末に朝廷に服従したとされます。 「日本書紀」には「推古天皇二十四年(616):掖久・夜勾・掖玖の人三十人がやってきて、日本に永住した」「舒明天皇元年(629):大和朝廷から掖玖に使が派遣された」「天武天皇六年(677):多禰島人を饗した」「天武天皇八年(679):朝廷から使を多禰島に遣わした」という記事などが見られます。7世紀末以前までは「ヤク」とは「九州以南の地域」を指す言葉として用いていたとされ、天武天皇六年の記事は「多禰島:種子島」の初見です。「天武天皇十一年(682):朝廷から多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美)それぞれに禄を賜る」という記事があり、ここで「掖玖(やく)」を初めて、特定の「屋久島」を指す言葉として用いています。 「続日本紀」には、文武天皇二年(698)に朝廷の命により「務広弐文忌寸博士が南島(なんとう・南西諸島)に派遣された」とあり、任務は「屋久島・種子島・奄美大島の朝貢関係を確認すること」です。文武天皇三年(699)に「多褹(種子島)・掖玖(屋久島)・菴美・度感(トカラ列島)から朝廷に来貢があり位階を授けた」と記載があります。大宝二年条(702)には「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり(薩摩と種子島・屋久島が服属しなったので征討した)」とあり、これは「隼人」の征討とも言われます。 「多禰国(たねのくに)」は令制国の一つで、領域は「種子島・屋久島・口永良部島」であり、種子島北部に「能満郡」、南部に「熊毛郡」、屋久島の広域と口永良部島に「馭謨郡」、屋久島の一部に「益救郡」が置かれました。大宝二年(702)から天長元年(824)まで122年間存続、「大隅国(鹿児島県東部)」に編入されました。続日本紀には「多褹国」との表記も見られ、「西海道」に位置しました。 続日本紀和銅七年(714)条に「太朝臣遠建治(おおのあそみおけじ)が奄美、信覚(しがき=いしがき)、球美(くみ=西表島か久米島?)の島人五十二人を率いて太宰府に入貢した」とあります。これが古書における「八重山列島」の初見で、後に朝廷は「久米島」「石垣島」に服属を求める使者を派遣しています。また、朝廷は「多褹国(種子島)」に国司を派遣しました。元明天皇和銅八年(715)には「南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上した」「蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けた」とあり、養老四年(720)に「南島人二百三十二人に位を授けた」、神亀四年(727)に「南島人百三十二人に位階を授けた」などの記載があります。これらのことから、九州以南の島々をこう呼んでいたとともに、南西諸島の島々が朝廷に貢献していたことを示しています。 近年、大宰府(福岡県)で8紀前半の「掩美鴫(奄美)」「伊藍鴫(伊良部島?宮古諸島)」と墨書された土器が発見され、朝廷の南島経営を表す遺物とされます。 これらを見ると、この時代の前期は「奄美諸島」までが朝廷の版図内で、「沖縄諸島」との交流は無かったと考えられます。しかし和銅七年(714)以降、「沖縄諸島」「八重山諸島」とも多少の交流の証拠が見えます。ここから「本土と沖縄諸島の関係性の変遷」は「弥生時代・古墳時代前期までは濃厚」「古墳時代中期(4世紀初頭)に途絶」「和銅七年(714)ごろから多少の交流が起きる」「後に朝廷や幕府レベルでは交流が途絶えた」「しかし一般レベルでは、幾らかの交流が続いた」と考えられます。 沖縄ではグスク時代の12世紀、日本本土や中国大陸との交流が盛んになりました。これらで力をつけた有力者は地元の農民を束ねて豪族「按司(あじ)」となり、11世紀後葉から築かれ始めた石垣で囲まれた「城(グスク)」を拠点に、周辺の集落を傘下に入れ小国家へと発展しました。初代琉球王「舜天(しゅんてぃん)」や、実在した可能性が高い「英祖王統」の初代「英祖(えいそ・1259年? - 1299年?)」といった王朝初期の王も、この頃の有力な按司だとされます。「按司」は「主(あるじ)」が原義で、強力な按司は「世の主(よのぬし)」と呼ばれました。また豪族は、「奄美群島」では「大親(うふぬし・うふや)」、宮古諸島では豊見親(とぅゆみゃ)」と呼ばれました。 この辺りの時代には、日本本土から「平仮名」が導入され、また文永二年(1265)に日本僧禅鑑が伝えたとも言われます。平仮名は表音文字として文書全般に利用され、後に「漢字ひらがな交じり文」になりました。中国や東南アジアとの交流もあり、これらが融合してその後の琉球文化の基となりました。そして近年の研究結果では、10世紀前後に九州南部から多くの人が沖縄に渡ったとされています。「カムィヤキ古窯跡群(鹿児島県伊仙町・徳之島)」で生産された「カムィヤキ(類須恵器)」は、琉球弧全体で流通しています。集落はほぼ台地上になり、穀類を中心とした農耕に移行しました。 沖縄本島では14世紀に入ると、各地でグスクを構えていた按司を束ねる強力な王が現れました。南部の糸満(いとまん)を中心とした「南山(なんざん・山南)」、中部の那覇・浦添を中心とした「中山(ちゅうざん)」、北部の今帰仁(なきじん)を中心とした「北山(ほくざん・山北)」の三国に纏まり、これを「三山」と呼び、三王統が並立する「三山時代」が約100年続きました。三山の其々の領地は、1896年の郡制施行により「国頭郡」「中頭郡」「島尻郡」の三郡となりました。郡の範囲は現在ではかなり変わりましたが、地域区分「国頭」「中頭」「島尻」として残り、「北部」「中部」「南部」の広域市町村圏も、若干の違いはあるがこれらとほぼ一致しています。また「北山王国」の領域であった「沖縄島北部・伊江島・伊是名島・伊平屋島・古宇利島・屋我地島・瀬底島・水納島」「鹿児島県与論島・沖永良部島」では、「沖永良部与論沖縄北部諸方言」が話されてます。 中山国初代国王「察度(さっと)」の時代の文中元年(1372)、明王朝初代皇帝「朱元璋」が「楊載」を招諭使として琉球に送り、それに応じ、察度は弟の泰期を朝貢の使者として送り、表を奉り臣を称し、貢物を献上しています。二代目国王「武寧(ぶねい)」の時代の応永十一年(1404)、明の「永楽帝」が冊封使を派遣し、武寧を中山王に冊封しました。このいずれかが、琉球による歴代中国王朝との初の朝貢・冊封とされ、後に「北山国」「南山国」も朝貢、後代には「琉球王国」も朝貢を続けました。 「与那覇勢頭 豊見親(よなはせど とぅゆみゃ)」は、14世紀末から15世紀に「宮古島平良」を拠点としていた豪族です。元中七年(1390)、島内統一の際の後見を期待して、宮古島の首長として中山王「察度」に初めて朝貢、宮古島の首長として任ぜられ帰島しました。与那覇勢頭豊見親は元中五年(1388)に中山国に至るも、同国の言葉を解さなかったため、足掛け3年間言葉を学んだ後、朝貢したとされます。そして「八重山列島」にも琉球へ朝貢するよう促しました。 室町幕府四代将軍「足利義持」の時代、琉球王国から3~4年に一度の割合で使節が派遣されました。嘉吉元年(1441)、第六代将軍「足利義教」は、薩摩・大隅・日向守護(鹿児島県・宮崎県)の「島津忠国」に、恩賞として「琉球国」を与えています。文正元年(1466)、琉球使節が第八代将軍「足利義政」に謁見しました。「琉球国王と室町将軍」「王将軍(琉球の重臣)と管領(将軍に次ぐ役職)」は文書を交換、幕府側は上意下達文書、琉球側は上申書の形式とされます。これらを室町幕府ではこれを朝貢と理解していたとも言います。「応仁の乱」の後の15世紀末、室町幕府は島津氏に商人の往来の統制を命じ、琉球へは交易船の派遣を要請しました。天正十年(1582)、「豊臣秀吉」は、因幡国(鳥取県)の「亀井茲矩(これのり)」の「琉球国を賜りたい」との求めに応じて、「亀井琉球守殿」と書いた扇を授けました。これらの時期は、琉球王国は「日本と中国との中継貿易」を盛んに行っています。 琉球王国は、鎖国をしていた日本の江戸幕府と、海禁政策をとっていた中国の明・清との中継貿易で、大きな役割を果たしました。東南アジアとも交易も行っていて、マレー半島の「マラッカ王国」と密な関係にありました。この時代、ポルトガル人は「琉球:レキオ」「琉球人:レキオス」と呼び、16世紀初頭の東南アジア情勢を表した「東方諸国記」にも載っています。南蛮貿易時代に東南アジアで交易していた「ゴーレス人」は「琉球人」に比定する説が多いです。 「日本・沖縄・中国・朝鮮半島の漂流民が、母国へ帰った送り届けられた」という例は、古くから史書に見えます。「沖縄⇔朝鮮半島」は、古くは長元二年(1029)にあり、15世紀中盤以降は度々史書に見えます。特に第一尚氏第七代「尚泰久王(後述)」の時代の記述は、『朝鮮世祖実録 琉球見聞録』に詳しく載っていて、正確性が高いと考えられています。享徳二年(1453)と寛正三年(1462)の漂流民は、首里城内部の様相を伝えました。成化元年(1465)、宮古島に漂着した全羅道の漂流民三人を、沖縄島から李氏朝鮮時代の母国へ送り届け、「普須古(ふすこ・うふぐすくか)」「蔡ケイ(王へん+景/さいけい)」らの使節を遣わせました。使節は、第七代李氏朝鮮王「世祖(セジョ)」に「景福宮(韓国ソウル市)」で謁見しました。「普須古」は、朝鮮側の役人「李継孫」から、誤情報ばかりの1317年編纂の中国書物『文献通考』をもとにした質問を、中国語の通訳を介して受けました。文明九年~十一年(1477~1479)、済州島の10人ほどの漂流民が、「西表島・波照間島・新城島・黒島島・多良間島・伊良部島・宮古島・沖縄島・薩摩・長崎・対馬・ソウル」を経由して帰郷しました。以下はその一部です。 与那国島について(漂流民の体験記) ・酋長はいない。 ・高齢の女性が「村の親」。 ・苧麻(チョマ)で織った布の服を着ている。 ・婦人は耳に穴を開け、青い珠を5~6センチ下げ、首には同様の珠を30センチほど垂らし、みな裸足。 ・男は髪をひもで結び、女は短くても膝までの長髪。 ・稲の収穫前になると、人々はみな謹慎して大声を出さない ・米飯を主に食べ、握って拳大の丸い形にする。 ・女性に噛ませて濁り酒をつくる(口噛み酒)。 ・田で使う牛や鶏と猫を飼うが、牛も鶏も食べずに死んだら埋葬する。 ・部屋は区切りが無く、奥座敷や格子窓などがない。 ・死人は棺に座置して崖の下などに葬る ・島民は文字を解さない。 八重山列島について(漂流民の体験記) ・相手を罵倒したり、喧嘩したりすることがない。 ・子どもをたいへんかわいがり、泣いても叩いたりせず、ほっておく。 宮古島などについて(漂流民の体験記) ・婦人は鼻の両側に穴を開け、小さな黒木をさしている(西表島)。 ・飯を炊くのに鉄製の釜に似たものを用いる。 ・米麹を使って酒を作る。 沖縄本島などについて(普須古らとの問答) ・男性は色彩豊かできらびやかな服を着ている。 ・冠は竹笠のような物、当時の朝鮮の僧の被り物に似ている。 ・女性は上下のパーツに分かれた服、当時の中国の女性服に似ている。 色彩豊かで、(着物を?)頭にかぶって垂らし、男の笠よりも大きい物を被る。 ・『文献通考』に昔の人の言葉として、「琉球の男は鳥の羽を冠、宝貝を装飾具にして、赤毛で飾っている」 「女は薄絹の綾模様の白布を帽子にして、色んな鳥の羽で服を作る」とあるが、普須古は「昔の事は知らないが、今は違う」と答えた。 ・武器・武具の形は日本のものと同じ。 ・鉄は多い(輸入物)。 ・人民は酒桶を官に納め、牛馬皮を官に納め甲(鎧)を造る。 ・婦人をして(王の)命を伝えしむ。 およそ王の挙動するに、女官剣を杖して侍衛す。 ・国に神堂有り。人、之を畏れ、近づきてこれを視るを得ず(御嶽があるが、畏れて、近付いたり見る事はできない)。 ・若し婦人有らば、則ち巫に憑り、人、神に祝る(婦人は憑依されてノロとなり、人々は神を崇める)。 ・悪人がいたら、巫が神託を受けて、神歌を歌いだし、すると悪人の家が燃えだす。 隣の家には燃え移らないが、みんな畏れている。 ・夫が暴力を振るうと、妻は神堂に逃げ込む、そこに旦那は入れない。 女性が逃げ込むようなことがあったら、国家はその旦那を死刑にしないといけない、もしくは島流し。 そうしないと大きな台風で国が滅茶苦茶になる、だから普通の男は妻を怖がっている。 ・法律は中国の法律を参考にしてる。 ・泥棒はいない(琉球諸島全域?)。 泥棒は即刻死刑なので、だから落し物を誰も拾わない。 ・一般に死を軽んじている、 進むを知って退く事を知らない、戦えば勝てない事はない。 (後年のポルトガル人の書に、アラビア人・中国人から聞いた話として 「レキオ人は正義を貫き、不正に対しては剣を抜いて立ち向かう 商品代金を踏み倒したりしたら、刀を突き立てて返済を迫る」とある) ・酒の色は黄で、味は焼酎に似て、非常にきつい。数杯かたむけると大いに酔う(輸入物)。 沖縄本島について(漂流民の体験記) ・那覇には東洋各地の舶来物を商う市がたっている。 ・通りは中国人・日本人・南蛮人が闊歩し、それぞれ壮麗な規模の商館を開き、往来が絶えなかった。 ・王城(首里城)は凡そ三重にして、外城に倉庫及び厩(うまや)有り。 中城は侍衛の軍二百余、之に居る。 ・内城に二十三の層閣有り。…其の王、吉日を択んで往来して之に居す。 ・(層閣の)上層に珍宝を蔵し、下層に酒食を置く。 ・尚泰久王の葬儀に伴う、王后と、後の第八代「尚真王」らの葬列に遭遇した。 ・母后の乗り物は四面にすだれが垂れた漆塗りの駕籠で、これをかつぐのは二十人ほど。 その後ろを長剣や弓矢をもった百人あまりの兵士が護衛し、道々、楽器を鳴らし、大砲を放ちながらやってくる。 ・漂流民が母后に拝謁すると、彼女は行列をとめ、瓶を獲りだして酒をふるまった。 ・少し遅れて、容貌の美しい少年がついてきたが、当時十二歳の「尚真王」であった。 三山の中から「中山国」の「尚氏」が勢力を増しました。応永十三年(1406)、「尚巴志」は中山王「武寧」を滅ぼして、父「尚思紹」を中山王位に即け、「第一尚氏」が始まりました。応永二十三年(1416)に「北山」、「尚巴志」の中山王即位後の永享元年(1429)に「南山」を滅ぼして琉球を統一、これにより「琉球王国」が発足しました。当時は一般的に「琉球國(るーちゅーくく)」と呼ばれ、正式な国号は「中山王国」といいます。 成化六年(1469)、第一尚氏の「尚泰久王(しょうたいきゅうおう)」の重臣「金丸」は、尚泰久王の子「尚徳王」にかわって王位に就き、「尚円王(しょうえんおう)」と名乗りました。これが「第二尚氏」の興りで、第十九代「尚泰王(しょうたいおう)」の光緒五年(1879)の、四百十年間続きました。第三代「尚真王(しょうしんおう)」の時代、地方の按司らを首里に集居させ中央集権化を図りました。国中の武器が集められ、王府で厳重jに管理され、また後の薩摩藩の政策も併せて「禁武政策」とも呼ばれます。交易も増加、五十年続いた「尚真王」の治世に、王国は隆盛を迎えました。 奄美群島について、文永三年(1266)、奄美群島から中山王「英祖王」に入貢したと『中山世鑑』などの琉球正史に記されているが、当時の群雄割拠の状況から後に創作された伝承とも考えられています。応永二十三年(1216)、第一尚氏は北山王国を滅ぼし、その領土であった「与論島」「沖永良部島」「徳之島」が中山王国の領土に組み込まれました。15世紀中盤、琉球王国は奄美群島に相次いで派兵、全域を領土に組み込みました(奄美諸島の項で詳述)。 「先島諸島」は、琉球王国による海上交易の中継地として次第にその影響圏に置かれました。明応九年(1500)、石垣島の按司「オヤケアカハチ(オヤケ赤蜂)」が反旗を翻すと、「尚真王」は征討軍を編成するが、宮古島の豪族「仲宗根 豊見親(なかそね とぅゆみゃ)」が先鋒となって石垣島に上陸し、オヤケアカハチを討ちとりました。与那国島では、女首長「サンアイイソバ(サカイイソバ)」と、「鬼虎(うにとら)」による独立状態がしばらく続いたとも、オヤケアカハチの乱後に王府が侵攻して、撃退したとも滅ぼされたとも言われ、又は実在しないとも言われます。この時代の琉球王国の先島諸島の統治は、緩やかなものでした。慶長十六年(1611)、薩摩藩が与那国島で測量を行い検地帳を作製、これで尖閣諸島を除く先島諸島全域が琉球王国の支配下に入りました。島津氏(江戸幕府)は琉球王を徴税代理人として年貢を徴収、この為に、琉球王府は先島諸島に対して、重い「人頭税」を導入しました。 第五代「尚元王(しょうげんおう)」の元亀二年(1571)、王が自ら乗り込み進軍して、奄美群島北部の「奄美王島」まで勢力下におさめ、琉球王国の最大版図を築きました。こういった版図拡大の背景には、王府のの威光を背景に勢力拡大を図る、在地豪族の意向もありました。 慶長八年(1603))に江戸幕府が開府、幕府は中国の明と通航を考えるようになり、薩摩藩主「島津忠恒」に「琉球王国」に進出して明と通じることを許可しました。慶長十四年の旧三月四日(1609年4月8日)、島津軍三千名余りを乗せた軍船が薩摩の山川港を出帆、三月八日(4月12日)に「奄美大島」へ上陸して制圧、三月二十二日(4月26日)に「徳之島」、三月二十四日(4月28日)に「沖永良部島」を攻略、三月二十六日(4月30日)には「沖縄本島北部の運天港」に上陸、「今帰仁城」を落として「首里城」へ迫りました。第七代「尚寧王(しょうねいおう)」は止む無く和睦を申し入れ開城、島津軍は四月五日(5月8日)に首里城を接収し、五月半ばには薩摩に凱旋帰国しました。以後、琉球は日本(薩摩藩)と明の二ヶ国に両属することになりました。「尚寧王」は薩摩藩によって「江戸」に連行され、征夷大将軍「徳川秀忠」に謁見、後に琉球に戻りました。 慶長十八年(1613)、「奄美群島」は薩摩藩直轄地となり分離されましたが、表面上は琉球王国の領土とされ、中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人が派遣されました。琉球王国は薩摩藩への貢納を義務付けられ、「江戸上り」で江戸幕府に使節を派遣しました。琉球王国時代、沖縄と日本本土の関係性は深まっていきました。 琉球国王の王統は、神話時代を含めて「天孫氏王統」「舜天王統(1187~1259)」「英祖王統(1260~1349)」「察度王統(中山王国:1350~1405?)」「怕尼芝王統(北山王国:1322?~1416)」「大里王統(南山王国1337?~1413)」「第一尚氏王統(琉球王国:1406~1469)」「第二尚氏王統(琉球王国:1469~1872)」です。 琉球王国の身分制度は、「御主加那志前(ウシュガナシメー)」など複数の呼称があった「国王」を頂点に、「御殿(ウドゥン)」と呼ばれた「王子」、「按司」などの「王族」、「殿内(トゥンチ)」と呼ばれた「親方(地頭)」・・・などとなっていました。「御殿」は「王族の邸宅」、「殿内」は「親方の邸宅」も指し、「御嶽」などの聖地の名にもなっています。 琉球王国は、都を「首里城(しゅりじょう・すいぐすく)」に構えました。琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王の多くは、「玉陵(たまうどぅん・玉御殿・霊御殿)」に眠っています。「浦添(うらそえ)」は琉球王朝発祥の地であり、意味は「津々浦々をおそう(諸国を支配する)」、それが「浦襲(うらおそい)」「うらしい」「浦添」と転じていったとされます。歴史は古く、13世紀ごろに登場する「英祖王統」の中心地として栄え、14世紀末に察度王統が尚巴志王に滅ぼされるまで中山王国の首都でした。琉球王国の陵墓「浦添ようどれ(英祖王陵と尚寧王陵)」や、王朝初期の重要拠点「浦添グスク」など、遺跡が多く残ります。これら遺跡は沖縄戦で大きな被害を受けました。 琉球王国の正史「中山世鑑」や、公選歌集「おもろさうし」と「鎮西琉球記」「椿説弓張月」では、平安時代末期に「源為朝(みなもとのためとも)」が琉球へ逃れ、その子が「舜天」になったとしています。源平合戦による「平家の落人」伝承として、「奄美群島」に「平資盛」「平行盛」「平有盛」、「沖縄本島今帰仁」に「平維盛」が落ち延びたと伝わり、「宮古島」「竹富島」「石垣島」にも伝承があります。 王朝は、琉球の神話や各地の伝承などを採録させ、「琉球国由来記」「球陽」などが表されました。これら古典には「記紀」「風土記」にあたる内容が含まれています。おもろさうしの著者「羽地朝秀」は「琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからである」としています。 明治維新後、「琉球処分」として知られる一連の政治過程で、沖縄は近代日本国家に組み込まれました。沖縄には、明治五年(1872)に「琉球藩」が設置されました。明治十二年(1879)には廃藩置県で「沖縄県」設置、これにより「琉球王国」が廃絶されました。これ以降は「沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧」の項で記述します。 沖縄諸島の東方の「大東諸島」は、古くは「ウフアガリの島(東の涯て)」と呼ばれ、はるか東にある無人島として古くから知られていました。明治時代に沖縄県や八丈島などの住人が、入植しています。また「ニライカナイ」伝承の一つとして、「南与那国島」「南波照間島」の伝承があります。 大東諸島を除いて、「南西諸島の全諸島・地域」にわたり、「文化・言語・祭祀の類似」が見られます。これは「地理な位置関係から、航海を通じた文化交流・交易が頻繁にあった」「日本本土からみて辺境の方に古代文化が残った」からで、「琉球王国の版図」にもよります。 琉球神道について 沖縄には「琉球神道」があり、「琉球神道と本土の神道と起源は同一」「往古の古神道の姿を色濃く残す形態」です。南西諸島においては、何れの地でも「信仰・神祀り・神事」が身近に存在しています。 琉球神道は「アニミズム」「祖霊信仰」「おなり神信仰」を基本とするものです。「ニライカナイ信仰」「御嶽信仰」とも呼ばれ、ニライカナイ信仰は「沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地における、伝統的な民間信仰の主要な要素」です。 海の彼方の「ニライカナイ」と天空の「オボツカグラ」の他界概念を想定、これらの他界に「ティダ(太陽神)」をはじめとする、多数の神がいます。神々は、時を定めて現世を訪れて豊穣をもたらし、人々を災難から守護すると考えられています。「他界」とは「人が死亡した時、その魂が行くとされる場所」、一般的に日本本土の神道や民間信仰では「海の彼方・海の底」「山の上」「地の底」などにあるとされてきました。 「ニライ・カナイ(儀来河内)」は、「ニラーハラー」などとも呼ばれ、奄美諸島では「ネルヤカナヤ」と呼ばれます。また「ニライカナイはニライの文学的表現」であって、八重山では「ニロー」、各地域で「ニレー」「ニリヤ」「ニルヤ」「ニーラ」「ニッジャ」などと呼ばれます。 「遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界の理想郷」「東方信仰と混交した」「もともとは国頭地方の信仰と考えられる」とされ、一般的に「海の彼方」とする見方が多いです。「豊穣と命の根源となる異界」であり、「神界」でもあり、「年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる」とされます。「生者の魂も、死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になる」とされ、このため祖霊を非常に敬い、死後の世界を「後生(グソー)」と称して、「非常に現世や生者と近しいもの」と捉えていて、ニライカナイとは「祖霊が守護神へと生まれ変わる場所」「祖霊神が生まれる場所」でもあります。このように複合的な観念です。 ニライカナイは、日本神話の「根の国」と同一だとも言われ、「二ライ:根の方」「カナイ:彼の方」という意味だとする説が有力です。根の国は「地下」又は「海の彼方・海の底」にあり、「黄泉の国(よみのくに)」と同一とされ、入り口は「黄泉平坂(よもつひらさか)」です。「根の国も元は葦原中国(とよあしはらのなかつくに・日本国土)と水平の位置にあったのが、高天原(たかあまはら)を天上に置いたため、根の国は地下にあるとされるようになった」とする説があります。柳田國男は根の国が「ニライカナイ」と同根で、「根の国は本来は生命や富の根源の地で、本来は明るいイメージの世界だった」としています。 (「根の国」の別名:「根之堅州國(ねのかたすくに)」「底根國(そこつねのくに)」「根国(ねのくに)」「根の国底の国(ねのくにそこのくに)」「底根の国(そこねのくに)」など} ニライカナイの類似概念に「常世(常夜・とこよ)」があり、「隠世・幽世(かくりよ)」とも呼びます。日本神話の他界観の代表的概念で、記紀・万葉集・風土記など多くの古典に見え、「永久に変わらない神域」「死後の世界」「黄泉(の国)がある場所」「海の彼方・または海中にあるとされる理想郷」「永久不変・不老不死・若返りなどと結び付けられた地」です。そして「常世を沖縄に比定する説」「琉球=龍宮とする説」があり、「常世」は「豊穣・穀物をもたらす存在」「海」と結びついています。 常世に関係する神「少彦名神(すくなびこなのかみ)」「御毛沼命(みけぬのみこと)」「田道間守(たぢまもり)」「浦嶋子(うらのしまこ・浦島太郎)」は何れも「穀物神・豊穣神」の属性があり、また海人族が奉じた海神「綿津見神(わたつみのかみ)」がいる「龍宮」も常世にあります。記紀には「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守が、不老長寿の霊薬の非時香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った(中略)非時香菓とは今の橘である」とあります。これは一般的に日本原産の柑橘類「橘(たちばな)」とされますが、沖縄と台湾が原産の「シークヮーサー」とも考えられ、「柑橘類に多いフラボノイド・ノビレチンが豊富で、老化防止・高血圧改善・美肌効果がある」「抗癌作用・新陳代謝活性化作用」などの健康効果があります。 「オボツカグラ」は「天空にある異界」です。「ニライカナイ:水平線上の庶民的な他界」「オボツカグラ:垂直にある権威的な他界」で、現在ではニライカナイへの信仰が一般的です。「東方信仰」は「日の昇る方向への信仰」であり、「東方を日本本土・ヤマトと関連付ける説」もあって、西方には「魔界がある」とされます。「太陽信仰」「東方信仰」「ニライカナイ信仰」は渾然一体としていて、ニライカナイは「常世信仰」「根の国」「黄泉の国」と共通する部分があります。 県最北端の伊平屋島の「クマヤ洞窟(籠屋洞窟・沖縄県伊平屋村)」は、入り口は狭いものの、中は広い神秘的な場所であり、全国に数多ある「天岩戸(あまのいわと)」伝承地の最南端地です。天岩戸は「天照大神が隠れた地」で、「岩戸開きとチャクラの開放」の項で詳述します。江戸時代の国学者藤井貞幹は「伊平屋島にアマミ獄という天孫降臨の洞窟がある」と聞いて現地を調査、「クマヤ洞窟は高天原である」「神武天皇は伊平屋島で生まれた」と唱えています。 沖縄では「御嶽(うたき)」「拝所(うがんじゅ・うがん)」「殿(とぅん)」「ビジュル」などの祭祀場、城を意味する「城(グスク)」、神聖視された「ガマ(洞窟)」「井(かー・がー)」などが、古来篤い信仰を受けてきました。「御嶽」は「集落祭祀の中心の場」「古代の集落の場」であり、多くは「森・杜(もり)」にあって、奥に神域の「イベ・イビ(威部)」」石があります。「城(グスク)」は丘陵上に存在しますが、「元々は御嶽であった」との説があり、「古いグスクには必ず御嶽がある」と言います。「御嶽は日本本土に見られる神社の原初的形態である、神籬(ひもろぎ)の形式を伝える」「イビは磐座(いわくら)信仰=巨岩信仰の聖域」「御嶽の嶽は山岳信仰を表す」「御嶽の森・杜は、神社の鎮守の杜と同じく、森林への信仰を表す」のであり、「御嶽とは古神道の神籬・磐座・山岳・森林の信仰を伝える聖地」です。 「拝所」は「神霊が依りつく聖域」、一般的に「森」にあって、元は「墓地」であった場所が多いです。「殿(とぅん)」は「祠」であり、「独立した祭祀場としての祠」と「御嶽の祠(社殿)」の両方の例があります。「ビジュル」は「霊石」の信仰、多くは「海に漂着した自然石」です。「井(かー・がー)」は「沖縄の伝統的な石造井泉」、聖地としての「かー」は「神泉」であり、小河川しかない沖縄では水は貴重です。隆起珊瑚礁の台地に空いた「ガマ(洞窟)」は、祭祀場となっている場が多数あります。 これら聖地を取り囲む森林域(御嶽の森)には、ヤシ科の常緑高木「クバ(日本名:ビロウ)」が、「神の依り代」として生えています。「クバの木(ビロウ)」は、古名は「阿遅摩佐・阿知末佐アヂマサ)」と言って、「古代日本で神聖視された植物」です。沖縄のこれらの聖地は「日本の祭祀場の往古の姿」を伝えます。 「斎場御嶽(せーふぁうたき・沖縄県南城市知念)」は、琉球神話の創生神「アマミキヨ」が造ったと言われ、琉球王朝時代に王国最高の御嶽とされました。古くは「おもろそうし(後述)」に「サイハノウタキ」「サハヤノウタキ」とあり、御祭神は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ(君ガ嶽主ガ嶽御イベ六御前)」です。御嶽の中には六つの「イビ」があり、中でも「大庫理(うふぐーい)」「寄満(ゆいんち)」「三庫理(さんぐーい)」は、「首里城の建物・部屋」と同じ名前です。 三庫理の地下からは「金製勾玉(3点)」「碧玉(メノウ)製勾玉(6点)」「中国製の青磁の碗・皿・盤(10点)」「寛永通宝(534点)」「金製厭勝銭(9点)ようしょうせん・祭祀用の中国私銭)」など562点が出土、国指定重要文化財となっています。勾玉は、王国最高の神女「聞得大君(きこえのおおきみ)」の祭具だったとも言われ、古銭は円状に並べられていました。更にはその下層から、福岡県を中心に分布する弥生中期の赤い土器「須玖式土器(すぐしきどき=赤椀)」と「火を炊いて神祀りをしたらしい物証」が出土、これは「斎場御嶽は弥生時代(貝塚時代後期)には磐座信仰・太陽信仰などの神祀りの場であった」と物語ると考えられます。 敷地は一万五千坪、石灰岩の巨岩が露出する岩山であり、一帯は往古からの森林に囲まれています。周囲の森林は沖縄本島南部に於けるもっとも優れた森林の一つである。本島中南部は第二次世界大戦において被害を受け、それ以前の状態を残した場所がほとんどないが、この地域は戦災を免れた。シダ植物やラン科植物などに珍しいものが多い。2000年代以降御嶽周辺が整備され、森林に荒廃の様子が見られる。 斎場御嶽東方の「久高島(くだかじま・沖縄県南城市)」は、東方信仰・太陽信仰により「島全体が聖地」「ニライカナイにつながる聖地」であり、アマミキヨは「久高島に降りてきて国づくりを始めた」とされます。北東端の「伊敷浜(イシキ)」は「ニライカナイの対岸にある」とされ、「伊敷浜に五穀の入った壷が漂着、五穀が琉球全土に広まった」と伝わります。古くは「クバ島」と呼ばれ、島最高の聖地「クボー御嶽」もクバの木に由来、島には聖域が点在しています。島では「男は海人(うみんちゅ)、女は神人(かみんちゅ)」と言われ、古くからの「女性祭司と母性原理の伝統」が息づいています。「斎場御嶽」は「久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽」「久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所」であり、神事の際には「久高島の珊瑚の白砂」で清めます。 「首里城(しゅりじょう・スイグスク・沖縄県那覇市首里)」は、グスクその物が御嶽と看做される琉球有数の聖域であり、往古からの聖地だったと考えられ、以前は城内には十か所の御嶽がありました。首里城内郭南側の大きな範囲を聖域「京の内(けおのうち)」が占め、十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所でした。「聞得大君」をはじめとする神女たちは、京の内で祭祀を行っていましたが、祭祀と京の内の詳細は不明です。正殿は「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)」と呼ばれ、琉球王朝発祥の地「浦添」に纏わる名称です。 グスクとしての首里城は、13世紀末から14世紀のグスク造営期に成立したものと考えられ、琉球王朝時代は王家の居城でした。琉球処分後は軍営や学校になりましたが、 昭和三年(1933)に正殿の改修工事が行われて国宝に指定され、県社「沖縄神社」の社殿となり、「源為朝」「歴代琉球国王」が祀られました。しかし第二次世界大戦の沖縄戦で、首里城・城下の町並みと、琉球王国の宝物・文書を含む、多くの文化財が破壊され、宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪されました。戦後、首里城跡に琉球大学が置かれたことで、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願で、構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられていました。近年、首里城の御嶽・拝所ほか各施設は徐々に再建されていて、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されています。 琉球王国の時代から、神道形式の「神社」が幾つか建てられていき、琉球処分以後には各地域に建てられるようになりました。「第一尚氏の第四代「尚金福王」と第五代「尚泰久王」の時代、それまで島だった那覇と本島を結ぶ長虹堤の建設を国相の懐機に命じまたが、懐機はこの工事が人力の及ぶところでないところを知り、東方天照大神に向かい七日のあいだ潮が退くように祈ると、霊験があり潮が落ちて海底が見えたため工事を完成することができた」「この報恩のため、満叟和尚に請うて。宝徳三年(1451)に「天照大神」を日本本土から勧請した」とされ、これが沖縄県の最初の神社「長寿宮」の創建です。現在は「浮島神社(沖縄県那覇市)」と呼ばれ、昭和六十三年に「波上宮」境内の現在地に遷座しました。 琉球には「臨済宗」と「真言宗」の仏教が伝えられ、殊に「臨済宗」が厚遇されたが、真言宗寺院にも王府から寺禄を給された八公寺が存在しました。これら八公寺には神社が併置されていたが、これらの各社は俗に「琉球八社」と称されました。 「琉球八社」は「琉球八社(官社)の制により王府から特別の扱いを受けた神社八社」で、「波上宮(なみのうえぐう・沖縄県那覇市)」「沖宮(おきのぐう・沖縄県那覇市)」「識名宮(しきなぐう・沖縄県那覇市)」「普天満宮(ふてんまぐう・沖縄県宜野湾市)」「末吉宮(すえよしぐう・沖縄県那覇市)」「安里八幡宮(あさとはちまんぐう・沖縄県那覇市)」「天久宮(あめくぐう・沖縄県那覇市)」「金武宮(きんぐう・沖縄県国頭郡金武町)」があります。このうちの「沖宮」が沖縄最古の神社だとの説もあり、記録では薩摩の寺院・一乗院からの頼重法印の来航(正平二十二年・貞治六年・1367)が最古で、沖宮は明治期から遷座を繰り返し、現在は奥武山公園内に鎮座します。 琉球八社は安里八幡宮は「八幡神(八幡信仰)」を祀り、それ以外は「熊野神(熊野権現)」を祀っています。和歌山県南部の「熊野信仰」が、琉球では多かったと言えます。これは「熊=隅(くま・すみ)・端」という原義か、又は「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ(日本書紀 神代巻上)」という記述から、「熊野‐常世‐沖縄」という連想が理由と思われます。琉球王朝時代はこれらの社寺は、貴族階級の信仰対象に留まっていました。「琉球八社」は明治維新後、国家の支援があった「波上宮」と、幾分民間の信仰があった「普天間宮」以外の六社は、荒廃していきました。 波上宮(なみのうえぐう・沖縄県那覇市) ・主祭神:「伊弉冊尊(いざなみのみこと)」「速玉男尊(はやたまをのみこと)」「事解男尊(ことさかをのみこと)」 相殿神:「竈神(火神)」「産土大神」「少彦名神(薬祖神)」 ・創建:不詳 ・嘗ての「琉球総鎮守」「官幣小社」、現在は「沖縄総鎮守」「琉球国新一の宮」「別表神社」。 ・那覇港を望む高台の景勝地に位置し、「なんみんさん」として親しまれてきた。 ・『波上宮 略記』には「遥か昔、人々が海の彼方の海神の国(ニライカナイ)の神々に豊穣や平穏を祈った聖地が、当社の鎮座する波の上の崖端で、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる」とある。 ・当地での遥拝に関して『海上の道』では、波の上の丘陵の高みにおいて、毎年、日を定めてこの付近の居留者が各々の故郷の方角に向けて香炉を置き、自身の本国に向かって遥拝する「ネグミ拝み」と言う祭りが近代まで行われていたことを紹介している。 ・『おもろさうし 第十』には「国王様よ、今日の良き輝かしい日に聞得大君を敬って、国中の人々の心を集め揃え、石鎚金槌を準備して石を積み上げ、波の上、端ぐすくを造り聖地へ参詣し給えば、神も権現も喜び給う。」と言う意味の「おもろ(歌謡)」がある。 「おもろさうし 上』はこの中に詠われる「波の上、端ぐすく」が当宮鎮座地であると解説し、『日本の神々 -神社と聖地- 13 南西諸島』では当宮創建を詠った「おもろ」ではないかと紹介している。 ・『神と村」では、グスクは古代祖先達の共同葬所(風葬所)であり、納骨洞穴が拝所になった場所は「テラ」と称される場合があると述べたうえで、上記「おもろ」に記された「なみのうへ は げらへて はなぐすく げらへて ものまいり しよわちへ てらまいり しよわちへ」の「てら」が、古代「鼻(はな)ぐすく」と呼ばれた当宮鎮座地にある「波上洞穴遺跡」を指しており、この地が祖先達の葬所を根源とする「神の居所」であることが覗われると述べている。 ・慶長十年(1605)に倭僧・袋中良定が著した『琉球神道記 巻第五』の「波上権現事」では当宮を琉球国第一大霊現と述べ、さらに以下のような当宮の創設伝承を記している。 「南風原の里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。 上記の伝承は、琉球の固有信仰として古くからあった石体信仰と熊野信仰が結合したものであろうと『古代文学講座11 霊異記・氏文・縁起』では考察している。 上記と同様の伝承が正徳三年(1713)に国王へ上覧された琉球王府編纂の地誌『琉球国由来記 巻11』にも記されている。 琉球神道の最高神は太陽神「ティダ(ティーダ・テダ)」で、「天帝」「日の大神」「日神」とも記されます。またティダは、琉球方言で「太陽・天道・晴れ」も意味します。 「琉球の創生神」は、女神「アマミキヨ」と男神「シネリキヨ」です。「アマミキヨ(アマミキョ)」は「海神」「稲作を教えた神」でもあり、「アマミコ(阿麻弥姑・奄美姑・天孫)」「アマミク(阿摩美久)」「アマミチュウ(阿摩美津)」「アマンコ」とも呼ばれます。「アマミキヨ(アマミコ)」は、元々「沖縄・奄美の巫女」を意味した(であった)と言われます。「シネリキヨ(シネリキョ)」は「シレニク(志仁礼久)」「シルミチュー」とも呼ばれます。 琉球王国時代の史書「中山世鑑」「琉球神道記」に載る「琉球開闢神話(りゅうきゅうかいびゃく)」と、「日本神話の開闢神話」は酷似している ・最高神「ティダ(日の大神)」は、琉球を「神の住むべき霊所」であると認めた。 ・「ティダ」に命じられた、琉球の創生神「アマミキヨ(アマミク)」「シネリキヨ(シレニク)」の二柱の神が、琉球の島づくり国づくりを命じた。 ・「アマミキヨ」「シネリキヨ」は天より天下り、土地を造成して、島となり、九つの聖地(若しくは七つの森)を作った。 ・聖地のうち七箇所が「琉球開闢七御嶽」になり、最も崇敬される御嶽である。 ・また「二神は琉球開闢七御嶽を作った」とも言われる。 ・しかしまだそれらの島々には人間が住んでいなかったので、「アマミキヨ」は「ティダ」に「人の種子」を乞い、 「ティダ」はこの願いを聞き入れて自らの御子の男女を降臨させ、二人から三男二女の子が生まれた。 ・長男は「天孫氏(琉球最初の王統とされる氏族)」の始祖、次男は「諸侯」の始祖、三男は「百姓」の始祖、 長女は「君々(高級神女)」の始祖、次女は「ノロ(地方神女)」の始祖となったとされる。 ・「天孫氏」は25代続き、17802年間統治、25代目のときに、「利勇」という家臣に滅ぼされた。 ・その後、「利勇」を滅ぼして国を立て直したのが、初代琉球王「舜天」といわれている。 これは日本神話の「国生み」と対比される ・男神「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と女神「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」は、 天地開闢後に最初に現れた五柱の神「別天津神(ことあまつがみ)」たちに、漂っていた大地を完成させるよう命じられた。 ・「天沼矛(あめのぬまぼこ)を用いて、天から海をかき混ぜて、「大八島国(おおやしまのくに・日本)」の島々を形成した(島生み)。 ・二神は結婚して、御子神が生まれていった ・また太陽神「天照大神(あまてらすおおかみ)」は「高天原の最高神」である。 「アマミキヨ」は、海の彼方の理想国「ギライカナイ」から「稲」を持ち込んで、二つの泉である「受水走水(うきんじゅはいんじゅ・沖縄県南城市)」の前にある「御穂田(みーふだ)」「親田(うぇーだ)」のうちの「親田」に植えて、子孫の「アマミツ」が「御穂田」に植えました。ここは「琉球の稲作発祥地」、受水走水の神「ホリスマスカキ君ガ御水御イベ」に捧げる「神饌米(しんせんまい)」を作る「斎田(せいでん)」であり、毎年「親田御願(うぇーだうがん)」という田植え祭りを斎行、前にある「御祝毛(うゆえーもー)」と呼ばれる広場で神事を行い、神祀りの古謡「天親田のクェーナ」を四七番まで合唱します。 これは「豊受大神(とようけおおかみ)」の神格・伝承に類似します。豊受大神は「ウケ(食物)の女神・稲の霊」で、「伊勢神宮外宮(いせじんぐうげくう・三重県伊勢市)」や、「元伊勢」の一「比沼麻奈為神社(ひぬまない・京都府京丹後市峰山町)」ほか、各地で祀られています。「丹後国風土記」には「往昔豊受大神天降り、伊去奈子嶽(いさなごだけ)に真奈井を堀って水を注ぎ、田畑を作り種を植えて、五穀及び桑蚕等の種を伝えた」とあり、比沼麻奈為神社近隣の「清水戸」「月の輪田」は「豊受大神が苗代の清水戸に浸した籾を月の輪田に蒔き、とれた稲種を天照大神に奉った」という史跡で、神饌米を作る田植え式の神事が行われます。 「君手摺り(きみてずり)」は「通説では海と太陽を司る琉球王国の守護神とされており、琉球王国の存亡の機に降臨する」「ニライカナイに住まう」とという神で、また「君手摩を行事として記載する資料もあり儀式名である」とする説もあります。「新しい琉球国王の即位の儀式中、聞得大君に憑依する」とされ、国王就任に際しては、「君手摺り」か「君真物」が「琉球開闢七御嶽」を巡り、「安須森御嶽」に現れ、五つの御嶽を順に巡り、最後に首里城内に嘗てあった「首里真玉森御嶽(すいまだむいうたき)」に現れるとされます。 (「君手摺り」の他の呼び方「君手」「君てっ」「君って」) 「君真物(きんまもん・ちんまむん)」は「琉球の人民守護の女神」「王権守護の神」「琉球の国土人民を守護の為に現れる神」「最高の精霊という意味」であり、「ニライカナイからやって来る」「海底を宮とし、毎月現れて託宣する」と言われます。「琉球神道の最高神」とも言われ、別名が「君手摺り」という説もあります。琉球神道記は「弁財天と同神」、柳田國男は「君は巫女、真物は正式な代表者の意で、いつのまにか神の名になった」としています。この神には陰陽があり、天より現れるのは「キライカナイノキンマモン」、海より現れるのは「オホツカケラクノキンマモン」と呼びます。彼方より時を定めてやって来る「客人神((マレビト神)」だとも言われます。 「安須森御嶽(あすもり・あしむり・あすむい)」は「アマミキヨが始めて降り立った地」であり、御祭神は「カンナカノ御イベ」です。沖縄島最北端の「辺戸岬(沖縄県国頭村)」や、カルスト地形・急崖・奇岩群からなる景勝地「金剛石林山」に近く、「ヤンバルの森」が広がる一帯には御嶽が点在します。国頭村史には「1世紀頃にアマミキヨ族が南西諸島を南下してきて宇佐浜遺跡に居を構えた」とあります。「宇佐浜遺跡」は辺戸岬近隣の国史跡で、貝塚時代中期末か後期(繩文時代末か弥生時代)の「貝塚・住居・土器・石器」が出土しています。 (「安須森御嶽(あすもり・あしむり・あすむい)」の別名「辺戸御嶽(へど)」「あふり嶽」) 沖縄には「御嶽」など聖地ごとに、様々な神様が居ます。一般に、祀られる神としては「水の神」が多く、また「聖地の名を冠した神名」が多いです。末尾に「御イベ」と名の付く神が多く、御嶽の神域「イベ・イビ(威部)」に纏わります。神名・人名・仇名の末尾に付ける敬称に「加那志(がなし・がなし)」があり、語源は「愛し」とも「神の子」とも言います。「神の子」の場合、「みこ(神子・御子・皇子)」「ひこ(日子・霊子)」「ひめ(日女・霊女)」に対応する言葉と考えられます。同じく末尾として、南島全体に「かん(神)」「かんがなし(神加那志)」が多く、奄美地方では「かみさま(神様)」「かみさまがなし(神様加那志)」、八重山地方では「かんまぬい(神の前)」「かみさままぬい(神様の前)」が多いです。 南西諸島では、家庭においても信仰が篤く、「火の神」「床の神」「祖霊」などを祀り、「方角」には注意して、「霊石」があったりするなどしています。そして家族の健康や発展などを祈念します。よく知られる「シーサー」は、建物の門・屋根・村落の高台などに据え付けられ、家・人・村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持ち、屋根の上に設置されるケースが多いとされます。これは「獅子」とされ、琉球方言の「獅子」の名です。最古の元禄二年(1689)のシーサーが、八重瀬町に現存します。 「キジムナー(キジムン)」は、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物です。「妖怪で、樹木(一般的にガジュマルの古木であることが多い)の精霊」「多くの妖怪伝承と異なり、極めて人間らしい生活スタイルを持ち、人間と共存するタイプの妖怪として伝えられることが多いのが特徴」「沖縄の大木に宿る精霊・キーヌシを擬人化したもの」などの特徴・説があります。沖縄本島でも地域によってこの類の精霊を全く別の呼称で呼ぶことも多く、八重山諸島では伝承は確認されていません。奄美群島では「ケンムン」という妖怪がいて、「キジムナー」や「河童」に共通する外観や性質が伝えられています。近年、「キジムナー」は「自然保護の象徴(神)」として扱われる事が多いと言います。沖縄や奄美群島では、「マジムン」という悪霊(の総称)が伝わります。 沖縄では、神道の「神職」に対応する存在は「神人(カミンチュ)」、「巫女」などに対応する存在は「ノロ(祝女)」「ユタ」と呼ばれます。「ノロ」は「祭司者」「神人の中の上位」、「ユタ」は「シャーマン」です。神人には他に「サス」「司(ツカサ)」「サスカサ」「アケシノ」がいて、「おもろそうし(後述)」では、ある種の神のような存在として登場します。このうち「ノロ」は「奄美諸島」にもいます。 「口寄せ巫女(霊と交感して意を伝える)」としての巫儀を展開している呪術宗教職能者として、古代の様相が残る東北地方北部の「青森県津軽地方・南部地方」「秋田県の一部」には、下北半島の霊山「恐山」などの「イタコ」がいて、「盲目の女性によるホトケ(死者)やカミの口寄せ」を行い、近年まで多数がいました。同地域の「ゴミソ」は「カミオロシ・祈祷・病気治療」などを行い、男性もいます。同様の職掌の人は、南西諸島では「ユタ・ホゾン・トキ(奄美群島・沖縄諸島)」「カンカカリャ・サス(宮古列島)」「ムヌチ・ニゲービー・カンピトゥ(八重山列島)」などと、「壱岐」では「イチジョウ」、他に「市子(イチコ)」「梓巫女(あずさみこ)」などと呼ばれています。「ノロ」「ユタ」「根神(ニーガン)」「おなり神信仰」などに見られるように、「琉球神道に女性による祭祀が多いのは、古代の神道の形態を色濃く残しているから」とされます。 日本の縄文時代の信仰は「縄文神道」とも言われ、この時代は「母系社会」でした。それを受け継ぎ「弥生時代・古墳時代の祭祀は、巫女が中心的立場」であり、「神託を基にした祭政一致体制」を行い、又は「"女性:祭祀者""男性:政治権力者"という二重体制」も多数存在していました。「邪馬台国」の「卑弥呼」「台与」も女性の巫女・シャーマンで、日本神話には多数の「女性神」「シャーマン的な女性」が登場します。 「勾玉(まがたま)」は「日本発祥の玉類」「縄文時代・弥生時代・古墳時代の、古神道の中心的な祭祀具・装飾具」で、沖縄諸島では「ガーラ」、宮古諸島では「マガーリャ(曲がっているもの)」と呼ばれます。本土においては古墳時代後期に製造が途絶、飛鳥時代はまだ用いられていたものの、奈良時代以降は、祭祀目的の使用も激減していきました。しかし沖縄では祭祀具として受け継がれていて、現在でもノロは「丁字型勾玉」を首から下げていて、これは「北部九州由来の、定形勾玉の頭部に数条の刻線をつけたもの」です。古墳時代、「前方後円墳」を頂点とした祭祀文化が一気に全国的に浸透、「勾玉など玉類・銅鏡・刀剣」ほか「多種多様の祭祀具の製造」が、「古墳の副葬品」「祭祀具」「装飾品(着装)」として非常に盛行しました。しかし奈良時代前後には「古墳文化の消滅」と共に衰退、これは「仏教」の興隆も一因ですが、沖縄では仏教は伝来の後も一般化しませんでした。 南西諸島は「巫女(シャーマン)による祭祀が多く残る地域」「母系社会の伝統が多く残る地域」「海洋信仰・東方信仰・太陽信仰が濃い地域」「海の彼方からの来訪神を祝う地域」という共通した特徴があり、これ以外にも「独自の祭祀形態」が多数存在します。「琉球神道・沖縄の祭祀形態」は「沖縄諸島」「先島諸島」だけでなく、特に「奄美諸島」を中心に、「トカラ列島」「大隈諸島」でも影響が見られ、「薩南諸島は本土文化と琉球文化の境界域」とも言えます。鹿児島県本土の西方の「甑島列島(こしきしま)」と、九州西北部の「対馬」「壱岐」「五島列島」、日本北方の「東北地方」なども同様に、「古代日本の辺縁部にあって、古代の祭祀形態・伝統・文化・言葉が多く残る地方」です。 琉球神道 ・琉球王国時代には事実上の国教として祭政一致体制に編入されていた。 ・民俗学者の折口信夫は著作「琉球の宗教」の冒頭で、 琉球の宗教を袋中以来の慣用によつて琉球神道の名で話を進めたいと断った後、 琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、 あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた。 ・鳥越憲三郎は「琉球宗教史の研究」の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは 「御嶽信仰」と「火神信仰」であるとし、やがて「火神(ヒヌカン)」は「日神(テダ)と同一視され、 按司(アジ)や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている。 ・宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、 社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、 社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。 ・その固有信仰は、「祖霊神」「祖先崇拝」「火神」「ニライ・カナイ」「おなり神」 「水のセジ」「万物有霊」などがあるが、拝む対象の日月星辰を通して 現世に益をもたらす祖霊に報本反始するものであると述べている。 ・琉球神道など、沖縄地方の独自の祭祀場には 「御嶽(うたき)」「拝所(うがんじゅ・うがん)」「殿(とぅん)」「ビジュル」がある。 他にも「井(かー)」「ガマ(洞窟)」など、聖地の場所が多い。 ・沖縄一千年史 眞境名安興 初版大正十二年 昭和四十九年五版より 「琉球神道記」に「国の風として岳岳浦浦の大石大樹皆御神に崇め奉る。 然して拝貴即験(をがみあがめばしるし)あり」とあるが如く、琉球にては之を拝所と構へ、 概ね石垣を繞らし、香炉を備へ、内部には大樹怪岩ありて殊に蒲葵、榕榔、「ガジマル」等鬱蒼たり。 此の拝所は琉球全島に亘り、到る所に存在して夫々神名を有し、例へば「クバツカサ」(蒲葵司)……など称せり。 ・琉球神道は、琉球で自然発生的に生まれたと考えられている。 いつ頃発生したかは史料が皆無であるため明確ではないが、 7世紀にはすでに原型はあったと考えられている。 「ノロ、ユタが原始的な世襲型、召命型のシャマニズムであること」 「御嶽は古代集落が原型と考えられ、御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられること」 「おなり神信仰は、古代の母系社会や女性上位社会の変化と考えられること」 これらのことから、専門家の間では、琉球神道は古代信仰の形式をとどめていると考えられている。 ・琉球の民間社会において、民衆の宗教的機能を担う職能者は、 女性司祭者の「ノロ等の神人(カミンチュ)」と、シャーマンとしての「ユタ等」の類に別れる。 ・前者が主として「御嶽」「グスク等の聖地」「御願所」「拝所」において 部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をするのに対し、 後者は部落や村落の個々の家や家族に関する私的な呪術信仰的領域に関与している。 ・桜井徳太郎は、この両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立ち、 沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言えると述べている。 ・沖縄では、祭祀集団は地縁や血縁で組織される。 また「門中(むんちゅー)」あるいは「マキョ」といわれる親族集団が重要な位置を占める。 ・琉球王国では、その王統が「伊平屋島」「伊是名島」に由来することから、 「伊平屋・伊是名の神」を「王国の守護神」として王府首里に勧請した形跡が伺える。 ・一例として、国王巡礼の守護神となっていた有名な「園比屋武御嶽」の神が、 元々は伊平屋島の神であったことがあげられる。 ・「聞得大君」の神名である「しませんこ あけしの」は、 もともと国頭地方勢理客の御嶽の神名であることがわかっている。 ・・沖縄独特の他界観念として「グソー(後生)」観があリ、「あの世」と言える。 旧暦十二月二十四日にグソーへ帰って行った祖先が再び、旧暦一月十六日にこの世に戻ってくる。 この「後生の正月」に、家族・親戚一同が食事を持って、祖先を墓前で迎え、線香をあげるなどする。 ・本島とは別の生活圏として発達した各島では、それぞれ独自の宗教も存在した。 そのいくつかは、地域が琉球王国に併合された後も排斥されることなく現在も残っており、 地域の御嶽を中心に祭りを行っている。 ・琉球学研究者・伊波普猷は「琉球の神話」の中で、 「中山世鑑の起源神話と古事記の淤能碁呂島(おのごろしま)神話」 「宮古島旧記の神婚説話と三輪山神話」などの類似を指摘している。 ・大林太良は「記紀の神話と南西諸島の伝承」において、 日本の古典神話と奄美や沖縄の島々に伝承されている民間説話について、 「流れ島、天降る始祖、死体化生、海幸彦」に関する伝承神話を比較検討し、 次のことを結論として述べている。 ・「1:記紀に記された古典神話に親縁の諸モチーフは、 わが国における現存あるいは比較的近い過去の伝承としては、ことに南西諸島に残存している」 ・「2:これら南西諸島の伝承は、その基本的なモチーフ、構造においては 記紀の神話と大幅な一致を見せるが、神名その他の細部においては一致していない。 このことは古典神話、現存の記紀の形にまとめられてから、南西諸島に二次的に伝播した可能性よりも、 むしろ、記紀にまとめられる前の共通の母胎から分れて、 南西諸島において保存された可能性が大きいことを示唆している。 ・「3:もしもこの想定が正しければ、記紀の所伝と南西諸島の伝承の比較によって、 記紀以前の日本神話の古い形を再構成する可能性がある」 ・「4:その際注目すべきことは、南西諸島の伝承は、国土創成、人類創造、農耕の起源の 3つの主要問題を、一つづきのものとして取りあつかっていることで、 構成的にも、記紀の神話よりも一貫しているのみならず、 日本神話と深い親縁関係をもつと信ぜられるポリネシアなどの神話との比較から考えても、 南西諸島の伝承がより古い形を保存している可能性を考慮すべきである」 ・「5この一連の開闢神話に含まれない若干のエピソード、 たとえばオオゲツヒメ・モチーフや海幸彦・山幸彦モチーフも南西諸島に現存している」 ・「6:古典神話と後代あるいは現存の伝承との組織的比較はまだ極めて不十分な段階にある。 上記およびその他の諸問題をより明確に答えるためにも、一層組織的な材料の収集と比較が必要である」 セジ ・古くは「スヂ」「シヂ」とも呼んだ。 ・仲原善忠「おもろ新釈」によれば、「セジ」は霊力を意味し、セジが剣につけば霊剣に、 石につけば霊石となり、門・港・舟・社・城等にもつき、人についた場合は超人となると述べている。 ・仲松弥秀「神と村」では、「おもろ新釈」の説明を受けてさらに考察し、 セジすなわち霊力とは「人間としては不可能なことを成し得る能力」を 指しているであろうと述べている。 そうであるなら「人間としては不可能なことを成し得る能力」は 機能的に際限無く分類できるため、その能力を持つもの、 即ち「神」は琉球において八百万も居るということになるであろうと述べている。 ・琉球神道では、「魂」を「マブイ」と呼ぶ。 「マブイ込み(グミ)」は「魂振り(たまふり)」と類似の概念だと見られる。 ・神道では「フツ(経津主神に纏わる」「スヂ」「ケ(気)」「イツ(稜威・厳)」の概念にあたる。 ・これらは太平洋島嶼でみられる「マナ」の概念と同じである。 マナは「魔法や超能力といった、尋常ならざる特別な力の源・神秘的な力の源」である。 琉球の神 ・仲松弥秀「神と村」では、全知全能のセジの具備者なる存在を 古代琉球人が考えていたか否かについては研究不十分であるが、 種々の機能を各々分担したセジの保持者は想定していたと考えられると述べ、 人間は自己の欲するものを顕現してくれるセジを期待するのが至極当然であろうから、 琉球における神とは「人間に善をもたらすセジの顕現者」と言う観念に 傾斜していくことになるだろうと述べている。 ・琉球の神は主に「来訪神」と「守護神」に分類でき、 守護神や来訪神のいる異界・他界の「ニライカナイ」「オボツカグラ」に豊穣を祈り、 特に「ティダ(太陽神)」を最高神として崇める多神信仰である。 ・来訪神は異界の神であり、平時には人々の集落に存在しないか、御嶽にのみいると考えられる。 しかし祭りの時になると異界から集落や集落の御嶽に訪れると考えられており、 来訪神と人間の関係は極めて近しい。 ・特に著名な神は、「琉球の創造神」である「アマミキヨ(アマミク)」と「シネリキヨ」や、 「ニライカナイの最高神」である「東方大主(あがりかたうふぬし)」、 「国王就任の際に現れる」という「君手摩(キミテズリ)」などであるが、 この他にも多数の神がいると考えられている。 ・来訪する神は世界的に島嶼民族に共通して見られ、 一般に海を神聖視するが、これは琉球においても同様である。 これに関連して、折口信夫は「まれびと論」を展開した。 「まれびと(客人・稀人)」は「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在」。 ・一方、守護神はもともと地域集落の死者の魂=祖霊であり、 ニライカナイで神となって集落に戻ってくるとされ、 この神は平時に拝所や御嶽にいると考えられている。 ・過去の偉大な功績を残したノロが神とされ、墓地が御嶽となる例が確認される。 ヲナリ神(ヲナリガミ) ・「ウナイ神(ウナイガミ)」とも呼ぶ。 ・沖縄(宮古島以外)と奄美群島に存在する。 ・琉球の女性一般は全て「巫女的ないし神的素質を生得的・本有的に持つもの」と信じられているが、 その好例がヲナリ神信仰である。 ・「ヲナリ」とは琉球語で「姉妹」を意味し、 「姉妹(ヲナリ・オナリ・ウナイ)」は「兄弟(エケリ・又はイキガ・)」の守護神であると信じられている。 ・中でも特に、「妹」が「兄」を霊的に守護すると考え、妹の霊力を信仰する。 ・従って琉球の全女性は兄弟を持つ限りにおいてヲナリ神となるわけである。 ・おなり神信仰において、兄と妹の関係性は別格とされる。 既婚者の男性を霊的に守るのも伴侶である妻ではなく妹と考えられており、 近世までは既婚者に大事があった場合でも、その妹が呼び出されて祈念を行うことがよくあったという。 ・男が漁にいくときは、妹からもらったものをお守りとした習俗もあった。 ・伊波普猷はこのことから、この概念は男女間のすべての関係性を内包するものと指摘した。 つまり、「をなり」「えけり」には、肉親としての男女、恋人としての男女、夫婦としての男女の関係が多層的に想念され、 その世界において、兄=男が世界を支配し、妹=女は男を守護し、神に仕える神女と位置づけられるのである。 ・この観念は、俗世を支配する男性を、神に仕える女性が男と社会を霊的に守護するという観念に転化された。 政治を男が行い、その男を守護する女が神事を司り、神託を得て霊的に指導するという祭政一致体制の基盤となった。 ・この原則は集落レベルから国王にまで一貫されている。 集落のもっとも古い宗家の主人は「根人(ニーッチュ)」と呼ばれ、その妹は集落の祭事を司る「根神(ニーガン)」となる。 さらに領地を統治する「按司(アジ)」の妹は、その領地の祭事の司祭である「ノロ」となる。 そして「国王」とノロの最高位の「聞得大君」もまた、完結した宇宙であるえけりとをなりの強固な関係で結ばれていた。 これは、をなり神の持つ霊的守護力の概念が、王国において兄から家族、家族から集落、 集落から地域、地域から王国へと拡張し、拡大解釈されていったということでもある。 ・国王「尚宣威」が高級神女により罷免され、尚円王の子「尚真王」が王位を継承したという伝承もあり、 一時期は王のおなり神であるノロの方が国王より強大な権力を持っていたと考えられている。 しかし「尚真王」の時代に「聞得大君」職が設置され、この権力構造は国王優位に改められることとなった。 ・その後、薩摩の侵入を受けて以後、近代化を進める「羽地朝秀」「祭温」らの改革によって、 おなり神信仰を核とする古代的な神権政治の色彩は段階的に弱体化され、解体されていった。 ・ヲナリ神の信仰は琉球宗教の基本概念の1つとなっており、 「おもろさうし」の中にも「ヲナリ神」を詠ったおもろが数多く見られる。 ・琉球においては、政治的実権者とその姉妹から選ばれた巫女による 祭政一致の政教二重主権が見られるが、これは「ヲナリ神」の信仰に基礎付けられたものである。 ・ヲナリ神信仰は他の民族では既に見られなくなったが、 古くは何れの民族もかかる信仰を持っていたのではなかろうか、と鳥越憲三郎は述べている。 ユタ ・沖縄県と鹿児島県奄美群島の民間霊媒師(シャーマン)であり、 霊的問題のアドバイス、解決を生業とする。 ・殆どが女性で、男性も若干存在する。 ・「ノロ」「ニーガン」「神人」は、主として「御嶽」「グスク」等の聖地や 「御願所」「拝所」において「部落や村落の公的祭祀」や「共同体の祈願行事の司祭」をするのに対し、 「ユタ」などは「部落や村落の個々の家や家族に関する運勢(ウンチ)」 「吉凶の判断(ハンジ)」「禍厄の除災(ハレー)」「病気の平癒祈願(ウグヮン)」など 「私的な呪術信仰的領域」に関与しているという役割を持つ。 ・「神人」が聖地の司祭をするにあたり「死穢や婦人の血の忌み、出産の不浄を忌避する」のに対して、 「ユタ」は全く反対に「死者儀礼や死霊供養に密着」して、 その性格、生態、機能など多くの点で際立った対比を示しているが、 両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立ち、 沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言える、と桜井徳太郎は述べている。 ・ユタは弾圧の歴史により、その身分を隠して自身ではユタと言う称号を用いず、 また他人からそう呼ばれることに対し反感を抱く。 このため「神人(カミンチュ)」「御願者(ウグヮンサー)」「御願を捧げる人(ウグヮンウサギヤー)」 「判断(ハンジ)」など神に仕えることを表す名称を好み、 また「祭祀・巫儀・卜占」の区別が曖昧になってきている状況を受け、 侮蔑的語感を伴うユタと言う名称より易者を意味する「三人相(サンジンゾー)」や 風水を判断する「風水師(フンシー)」などの称号を用いる者もいる。 ・琉球史辞典では「ユタ」の語源を「おしゃべり(ユンタ)」あるいは 神がかりのときに体が「ユタめく(揺れる)」ことから名付けられたのではないかと述べている。 ・ユタと言う職業はどの様に成立したのか、諸説あり断定されていないが、 「神人(カミンチュ)から分化した」という考えが多いようである。 ・伊波普猷は、神託を宣伝するべき神人の中に、その様な力を持っていない名義ばかりの者がおり、 これらにかわって神託を宣伝する者が民間に出て、とうとう職業とするようになったのが 「トキ」または「ユタ」と称するものであると述べ、「ユタが神人から分化した」との考えを示した。 また、「ユタ」という語と「ユンタ(しゃべる)」という語との間には 内容上の関係があるかもしれないとも述べている。 ・桜井徳太郎は、部落共同体のシャーマンであった「祝女」や「根神」が 中央集権的琉球王府の官僚的祭司体制に編入される際に、 公共祭祀以外の宗教的機能を担った呪術的宗教者が現れたとし、 そうしたアウトローの呪術的宗教者は地域社会の民間信仰といっそう密着しながら、 在地性を発揮して民衆の要望に応えることになった。 そして終に官僚化した司祭者「祝女」と袂を分かったのだと述べている。 ・佐々木宏幹によると、沖縄本島においては、「シマ」あるいは「マキヨ」と呼ばれる村ごとに 総本家となる「根所(ニイドゥクル)」があり、その主人は「根人(ニンチュ・ニーッチュ)」、 姉妹は「根神(ニーガン)」と言われ、神がかりして村落の人々に生活指針を与えた。 やがて、8~9世紀になると「按司(アンジ)」が村々を併合し、 郡程度の領域を統治するようになったが、彼の姉妹や妻は「祝女(ノロ)」と呼ばれ、 やはり神がかりして領域内の人々に生活指針を与えた。 これらシャーマニックな女性の活動なくしては根人や按司の統治も完全足りえなかったが、 後代になると国家統一と中央集権化に伴って「根神」や「祝女」はシャーマン的性格を失って司祭化し、 シャーマン的機能は「ユタ」に移っていた、のだという。 ・ユタは、入巫や成巫の過程で創出した特殊な神を奉じ、 それが生涯にわたる守護神として信仰の対象となる。 ・ユタはこの神霊の名において精霊の世界の1分野に即応する巫儀の執行者となる。 言い換えればユタごとに、それぞれ管掌する専門領域が限定され、 先祖の系統を捜すのが得意なユタ、死んで間もない人についての判断(ハンジ)が得意なユタなど、 その専門分野が分かれている。 ・ユタは神の存在と力能を強調するが、その構成内容は神道の神であったり、 十二支の神であったり、祖霊、死霊、精霊であったりする。 ・ユタは自らに憑依する霊的存在が祖霊・死霊・精霊のいずれであるかは重視しないと言う 超自然観を持つが、神観念の曖昧性がその影響度を低下させることもないようである。 ・戒律はなく教義もないため、婚姻の有無や処女性なども問われない。 ユタは公的な祭事は行わないが神に仕えており、御嶽を巡って神と交信し、霊障や病気、 冠婚葬祭などの問題を中心に助言を行い、加えて公徳心や道徳心を説くことが多い。 ・本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。 具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、 逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。 ノロ(祝女) ・「ヌール」「ヌル」とも発音される。 ・沖縄県と鹿児島県奄美群島の琉球の信仰における女司祭、神官、巫(かんなぎ)、神女。 ・御嶽などにおいて部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭を行い、 地域の祭祀をとりしきり、御嶽を管理する。 ・民間の巫女である「ユタ」とは異なる。 ・琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王尚真王時代に制定された神職。 ・宗教概念上、ノロは海の彼方の「ニライカナイ」と 天空の「オボツカグラ」に住む琉球の神々と、交信することのできる存在であある。 ・祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされている。 ・ノロは、しばしば「巫女」と訳されるが、現在の本土の神道の巫女の職掌と異なり、 「司祭」そのものである(本土の巫女も元々はノロと同様の存在であったと考えられている)。 ・民俗学では「祝女」の当て字がされるが、 これは男の巫を意味する「祝(はふり)」の女という表意になる。 ・これはノロの性格が本土でいう巫女よりも男性神職に近いためであろう。 ・神と交信し、神を憑依させることができるのは女性に限定されているため、 神官であるノロはすべて女性である。 ・現在、ノロのほとんどすべてが年配の女性もしくは老女であるが、 王国時代にはノロの婚礼といった記録もある。 ・ノロは原則として世襲制で、「ノロ殿地(どぅんち)」と呼ばれる家系から出る。 これらの多くは、琉球王国時代に王府より任命されたもので、 元々は各地域の有力「按司(あじ)」の肉親(姉、妹、妻など)と考えられている。 これは、琉球の信仰の背景にある「おなり神信仰」に由来すると考えられる。 ・新たなノロの就任に当たっては、それぞれの地域で認証儀礼が設けられているケースが確認できる。 「久高島」の「イザイホー」に代表され、12年に一度行われる就任儀礼である。 久高島で生まれ育った三十歳以上の既婚女性は神女となり、基本的にその要件を満たす全ての女性がこの儀礼を通過する。 「ニルヤカナヤ(ニライカナイ)」からの「来訪神」を迎え、新しい神女をその神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送る。 史料に記録される限り八百年以上の歴史を持ち、「来訪神信仰の儀礼」として日本の祭祀の原型を留めているとされる。 ・ユタのように、「カンダーリィ(神垂れ)」と呼ばれる原因不明の体調不良といった 巫病、夢の啓示などにより、ノロに選ばれる例もみられる。 ・王国時代には、ノロの任命継承が不予などにより順当に行われなかった場合に、 そうした形で近親者から後継者が選ばれた例がある。 ・現在の「久高島」では、こうした霊感の強い人物「サーダカ・サーダカウマリ」を 断絶したノロの後継者として選ぶということが行われている。 ・ノロは原則として終生職であるが、現在の「久高島」では、 久高ノロと外間ノロ以外の神人には引退儀礼がある(08年現在、両ノロは存在しない)。 ・三代後(祖母から孫娘)に霊格である「霊威(セジ)」が引き継がれると考えられている。 ・ノロは豊穣を願い、災厄を払い、祖先を迎え、豊穣を祝うといった時期ごとにある 数多くの祭祀を行うことと、その祭祀において神を憑依させる依代となることが存在意義である。 これといった戒律や教典はなく、大衆に啓蒙すべき神の教えといったものもない。 ・偶像崇拝はしない。 ・ノロに決まった服装はないが、「琉装もしくは和装の着流しの白装束」であることが多い。 ・また「草の冠(神カムリ)などの草装」も見られ、 そうした異形の装束は神が憑依していることを意味している。 これは世界の各地のアニミズムで共通してみられる特徴である。 ・装身具として「勾玉」を身に着けることも多く、霊力を持つとされる。 ・特に処女性は問われないが、既婚か独身か、年齢要件などは現在も確認される。 ・王国最高位のノロである「聞得大君」の2代目までが生涯独身であったことや、 聞得大君以前からの由緒あるノロである阿応理屋恵職が生涯独身だったという記録もあり、 原始的には処女性が要求されたと考える説もある。 ・琉球では、村落は守護神となる氏祖が祀られた御嶽を中心に形成されたが、 その最も近き血縁者にして神の代弁者である家が「根所(ニードゥクル)」と呼ばれ、 村を支配指導する実権を掌握した。 ・根所は御嶽の神の代弁者として実権を代行する機関となったため、 神託を受ける者と、その神託によって村を治める者が必要になった。 ・この時、神託を受けたのは根所の女子から選ばれた「根神(ニーガン)」で、 神託をもとに政治的実権を行使したのは 根神の兄弟であり根所の戸主である「根人(ニーチュ)」であった。 ここに「妹・姉」の神託をもとに「兄・弟」が治める政教二重主権が生まれた。 この政教二重主権はヲナリ神信仰を基定として成立したと考えられる。 ・やがて村々を併合した「按司」と呼ばれる地方的実権者が現れるようになるが、 按司もまた彼の姉妹から宗教的実権者たる巫女を選出、これが「ノロ」である。 あるいは尊称を付して「ノロクモイ」と呼ばれた。 ・さらに時代が進むと地方実権者の1つである「中山国」により琉球統一がおこなわれ、 その中央集権化政策によって、ノロは「聞得大君」を頂点とした 官僚的神官組織に組み込まれることとなる。 ・琉球王国は、第一尚氏王統のときにすでに、首里の「佐司笠・差笠(さすかさ)」という祭司と、 国頭地方由来の「阿応理屋恵(煽りやへ・オーレー)」という祭司を最高位とする 祭政一致を行ってはいたが、当時はまだ各地域の神女体制は階層化されていなかったとされる。 ・第二尚氏王朝の尚真王の治世に、全国の神女体制を整理し、 琉球の信仰と統治機構を一体化した全国的な祭政一致体制を確立した。 ・「ノロ」という呼称はそのときに神職の正式名称として制定されたものだが、 祭祀制度そのものはそのとき初めて制定されたものではなく、 以前から各地域に女司祭がおり、各地域の祭祀を司っていたと考えられている。 ・尚真王はすでにあったこれらを整備し、中央集権的に階層化したのである。 ・ノロにあたる女司祭を、八重山では「ツカサ(司・神と同義)」と呼称する。 ・これら神職者は総称として便宜上「神女」と通称される。 ・「聞得大君(きこえおおぎみ・きこえのおおきみ・チフィジン)」は、琉球神道における最高神女(ノロ)である。 尚真王代に「高級神女三十三君」と「全国のノロ」の頂点として制定され、ノロへの命令権限を持った。 ・「聞得」は大君の美称辞で、「君」は「カミ」の意で、従って「大君」は「君の最高者」という意味であるという説がある。 琉球方言で「聞得大君加那志(チフィウフジンガナシ)」と称し、「とよむせだかこ(名高き霊力溢れる君)」の異名を持つ。 宗教上の固有名詞となる神名は「しませんこ あけしの」「てだしろ(太陽の依代)」である。 ・聞得大君は 主に「王家の女性(先代王の妻であることが多かった)」から選ばれ、原則として生涯職である。 琉球国王を守護する国王の「おなり神」であり、国王と王国全土を霊的に守護し、豊穣をもたらす神とされた。 初代の聞得大君は尚真王の妹である。 ・それまで、国王に仕える神女の権威は国王を上回るようになっており、尚真王の即位についても、 母オギヤカが高級神女と結託して謀略を巡らしただめだったという逸話も残っている。 ・国王と神官の権力関係は尚真王の時代に改められ、聞得大君職は権力として国王の下位に置かれている。 ・聞得大君は、王族の邸宅「御殿(うどぅん・おどん)」の神体である「御スジノ御前」「御火鉢ノ御前」 「金之美御スジノ御前」に仕え、「国家安泰」「海路安全」「五穀豊穣」などを祈願した。 ・首里には「聞得大君御殿(きこえおおきみうどぅん・沖縄県那覇市首里汀志良次町)」 「首里殿内(しゅりどぅんち)」「真壁殿内(まかべどぅんち)」「儀保殿内(ぎぼどぅんち)」の一本社三末社があった。 聞得大君御殿は、琉球各地にある「祝女殿内(ぬんどぅんち)」と呼ばれる末社を支配した。 ・聞得大君は 首里城内の十箇所の御嶽と斎場御嶽を掌管し、儀式を司った。 全国のノロたちを支配していたが、ノロへの任命辞令は国王から発せられていた。 これは制度的にはあくまで国王が神女組織を支配していたことを示すものと考えられている。 ・聞得大君の就任儀式は、斎場御嶽において「御新下り」が行われ、 この本質は「琉球の創造神との契りである聖婚(神婚)儀礼」と考えられている。 宗教観念上は、この聖婚により君手摩神の加護を得て、聞得大君としての霊力を身に宿すのである。 ・聞得大君の神名「しませんこ あけしの」は、国頭地方勢理客の御嶽の神名で、既存の祝女職と同じであることが判明している。 聞得大君職の元になった宗教概念が以前から存在したと考えられるが、その詳細については不明な点がある。 また「てだしろ」はそれまで「馬天祝女の神名」であったが、聞得大君職の制定とともに馬天祝女から剥奪された。 ・それまでの琉球王国における祝女の最高位は、「佐司笠(差笠・さすかさ)」職と、 国頭地方由来の「阿応理屋恵(あおりやへ/ 又は"煽りやへ・オーレー)」職であり、 これらは聞得大君職制定のあと、全祝女の中で聞得大君に継ぐ第二位の格付けと降格されている。 ・聞得大君の下には、「阿応理屋恵」「佐司笠」などの「君」や、 首里の「三間切(三平等・みふぃら)」をそれぞれ掌管する、三人の「大阿母志良礼(おおあもしられ)」がいた。 その下に各地方を統括する「大阿母」たち、 更にその下に各地域の祭祀を管轄する「祝女」を配するヒエラルキーを形成していた。 ・高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んでいた (三十三君については、三十三人ではなく「三十三」は「百」のように「大勢」ほどの意味とする説が有力)。 そのほとんどは首里に在住し、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられている。 ・当時のノロは領地を認められた一種の地方大名だった。 また、犯罪などの問題があった場合に、一種の神聖裁判を行った記録もあり、 信仰を背景に地域自治にも大きな権能を有していたことが推察される。 ・琉球王国は戦闘の際に神女を派遣して、呪詛を行わせた。 これには「航海安全」「必勝祈願」「戦闘前に呪詛で敵方の戦意をくじく」という目的があった。 沖縄には「女は戦いの先駆け(イナグヤ イクサヌ サチバイ)」という言葉がある。 明応九年(1500)の石垣島での「オヤケアカハチの乱」では、各島から神女を集め兵隊と共に派遣した。 オヤケアカハチ側にも神女は多数いて、王府の船団を前にして木の枝などを振り回して呪詛した。 ・この神女体制は17世紀中ごろ形骸化し、ほとんどの高級神女職は1600年間に廃職された ちなみに、この時期に残った三十三君は今帰仁の阿応理屋恵(一度廃職後18世紀に復活。現在廃職)、 伊平屋の大阿母(昭和6年廃職)、久米島の君南風の三職のみで、 いずれも首里に上がらない地方在住のノロである。 ・後も各地域のノロ職は存続を続け、多くが現在まで各地域に残っている。 ・聞得大君職は王国滅亡後も長く存続し、太平洋戦争中の1944年に就任した 第18代・思戸金翁主を最後に、大戦後に廃職となっている。 ・現在、三十三君にあたる高級神女では、久米島の「君南風(チンペー)」職が 久米島最高位の祝女として存続している。 ・嘗て日本本土に「呪師(ノロンジ)」と呼ばれる職能の人々がいて、 社寺に帰属、祀りや芸能に携わり、「猿楽」「田楽」の起源に関わっているという。 一説に、ノロとノロンジは類似の起源だという。 御嶽(うたき) ・琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称で、 それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。 ・「うたき」の呼称は、主に沖縄本島とその周辺の島々で発声される。 沖縄諸島では「御嶽(うたき・うがん)」「腰当森(くさてむい)」「拝み山」「城(ぐすく)」、 宮古地方では「御嶽(うたき・おたけ・すく)」、 八重山地方では「御嶽(おん・おたき)」「山(やま)」「嶽(たき)」「杜(むる)」、 奄美地方では「拝み山」と呼称するが、近年では「うたき」への傾倒がみられる。 ・御嶽は「琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所」、また「祖先神を祀る場」でもある。 ・「地域の祭祀においては中心となる施設」であり、「聖林」となっていて、 琉球の村落に必ず存在、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。 ・琉球王国時代の古い集落については、おおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよい。 当時から現在にわたって存在する集落の場合は、御嶽もまた残っていると考えられる。 ・「腰当森」の意は「腰当のように、孫を抱いている場」だという。 ・御嶽に祀られる御祭神は、「村落の祖霊神」「英雄神」「ニライカナイの神」「竜宮神」などであったりする。 ・御祭神が「村落の構成員と血縁関係を持つ氏祖」の場合、 村落構成員に対し絶対的守護の義務を負っている。 ・琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、琉球王国時代は完全に男子禁制だった。 現在でも、その多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。 氏子にあたる「山人数(やまにんじゅ)」という祭祀集団は中に入れるが、 「イベ・イビ(威部)」までには入れない。 ・多くの御嶽は、古代において「集団墓地」であったとする有力説がある。 御嶽には「葬所」がある場所が多く、祖霊を祀る場である事が多いことによる。 沖縄の葬法は、遺体を腐らせて骨にして、骨を納骨器に入れて墓に納める「二重葬」が一般的で、 「遺体を骨化させる風葬所」「骨を納める墓」の双方を「葬所」と呼ぶ。 ・御嶽の多くは「森の空間」や「泉」や「川」などで、「島そのもの」であることもある。 ・御嶽は「山(嶽・嶺)の頂上」「丘陵の頂上」にある事も多い。 ・本来、御嶽には「社(やしろ)」などの人工物はなく、「自然物(岩石・植物など」を礼拝していた。 ・御嶽の域内で枯れ木を採ったりするのはタブーの場所もあるという。 ・御嶽の構造は、次のようになっている。 ・神域は森に囲まれていて、「御嶽林」とも呼ぶ。 ・「神の依り代」である「クバ」や、 「天からの梯子」と言われるヤシ科の「マーニ・マニン(クロツグ)」などの木が生い茂っている。 ・入り口に「鳥居」がある御嶽と、無い御嶽がある。 ・その先に、神を迎え入れ祭祀を行う「殿(とぅん)」や、 奉納芸能を行う広場「神あしゃぎ」がある。 ・大きな御嶽では「神あしゃぎ(神あさぎ・神あしあげ・神軒)」や「神庭(みやあ)」と呼ばれる 「前庭や建物」といった空間が設けられていることがある。 ・これは「御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間」「神が一休みする場」である。 ・八重山では「バンク」と呼ばれる、神あしゃぎの一角にしつらえられた桟敷がある。 ・旧暦八月十日前後の「豊年祭」で、「村芝居」と「八月遊び」などを行う。 元は木造茅葺だったが、現在は殆どが木造鉄板葺やコンクリートブロック造りである。 ・その奥に「御嶽家(おんやー)」、又は「拝殿」と呼ばれる「拝殿」がある。 ここからは裏側へ抜けられるようになっている。 ・裏側には小さな庭があり、その奥に「威部の前(いびまぬい・いぶぬめー)」と呼ばれる門がある。 ・一番奥に、「石碑」「石祠」「石組みの構造物」などの形状の 「イベ・イビ・ウブ(威部)」石がある所があり、 又はその神域の空間を「イベ・イビ・ウブ(威部)」と呼ぶ。 ・周囲は「岩盤」「塚状の場所」となっている所もある。 ・神が降臨する「依代」であり、厳密な意味での「御神体」ではないが、 「御神体」として扱われている所も多い。 ・イベには「自然物」、大抵「自然石」「大木(クロツグやクバ)」が置かれていて、 「古墓」があったりして、根本か手前に「香炉」が置かれている。 ・ここは、特にイビの入り口の「いびぬまい」から先は、 祭祀を行う中心となる神人以外立ち入り禁止となっている。 ・「イベ」は、一般に「イベ(石)」「イビ(石)」と呼ばれる。 「琉球国由来記」などの表記では「イベ」、沖縄では「イビ」、八重山では「ウブ」と呼ぶ村が多い。 宮古では「イビ」が通例で、「イビシ」の例もある。 沖縄本島で「イビガナシ」と呼ばれる例もあり、「奄美群島」でも類似の物が「イビガナシ(イビガナス)」と呼ばれる。 ・「イビ」の語源について仲原善忠は「忌み避ける場所」の意と解釈している。 ・沖縄本島の「五月ウマチー(稲の初穂祭り)」には、「イビヌメーから御嶽の裾まわりに帯綱を張り巡らす」例がある。 ・宮古では「御嶽の一角に立てられた神石」や「屋敷神を祀る石」を、「イビ(イビシ)」という。 ・奄美群島の徳之島には、「寄り石」と伝えられている石を 「イビガナシ(イビガナス)」として祀っている例がある。 ・奄美群島の瀬戸内町(加計呂麻島・与路島・請島)には、 「イビガナシ」と呼ばれる「神石」を祀る例がある。 ・「神あしゃぎ(神あさぎ・神あしあげ」は、奄美諸島・トカラ列島では「あしゃげ」と呼ぶ。 ・沖縄本島南部では、民家に「アシャギ」があり、客人をもてなす所である。 ・語源は、「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」や、 折口信夫や伊波普猷は、古事記に見える 「足一騰宮(一柱騰宮・あしひとつあがりのみや)」としている。 ・「足一騰宮」は、初代「神武天皇(じんむ)」が天皇即位前の 「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと」という名のの時代に、 日向(宮崎県)の「高千穂」から東征へ向かう経路において、最初に寄った場所である。 ・舟軍を率いて筑紫(福岡県)へ向かい、 豊国の宇沙(うさ・大分県宇佐市)に着くと、 「菟狭国造(うさくにのみやつこ)」の祖 「宇沙都比古(うさつひこ)」「宇沙都比賣(うさつひめ)」が 「行宮(あんぐう・仮宮)」の「足一騰宮」を作って、 「大御饗(おおみあえ・大宴会)」でもてなした。 ・「宇佐」は「海人族の重要拠点」であり、 「宇佐神宮(大分県宇佐市)」は「八幡信仰の総本宮」として、 古代に朝廷から最も崇敬された神社の一社である。 ・宮古・八重山地方にも、宗家に「神あしゃげ」があったという。 類似した物に、「アサイ」という前の屋、 神祝い(カンヨイ)という神事に造られる「苫屋(トウマヤー)」がある。 ・宮古や八重山地方では「過去に実在したノロの墓」を御嶽とし、 そのノロ「を地域の守護神」として祭っていることが多く見られる。 ・御嶽は、日本本土に見られる「神社の原初的形態」である 「神籬(ひもろぎ)」の形式を伝えるものである。 ・折口信夫は「御嶽は元々、天の遥拝所であり、後に神の降誕地という姿をとるようになった」としている。 ・鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、これは明治維新から 琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではない。 ・沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、 宮古や八重山地方の御嶽の多くには戦後もそのまま鳥居が残されている。 ・御嶽はもともと「古代社会において集落があった場所」 「御嶽を中心に集落が形成された」と考える説が有力である。 その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。 これは「祖先崇拝であること」に強く関係していると考えられる。 ・「多くの川や泉」が「御嶽もしくはそれと同格の扱い」をされているが、 これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、 古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。 ・鳥越憲三郎は、琉球の村落成立の重要な因子として、 生活資料が確保できるかの経済的条件、気候や住環境の良し悪しの自然的条件、 御嶽を創立する場所が選定できるか否かの宗教的条件の3つをあげ、 村落成立にはこの3つが満たされる必要があったと述べている。 ・仲松弥秀は、御嶽の神と村人の関係は、祖霊神とその後裔の血縁関係であり、 御嶽の神が村人を守る形で村落が形成されているとする「オソイ(愛護)とクサティ(腰当)」の理論を展開した。 ・琉球では偶像崇拝はせず、集落ごとに祖霊神や来訪神が訪れる自然の聖域である 御嶽を拝所として設け、神の来訪を祝う神事としての祭りを行い、安全や豊作を祈願したり感謝する。 ・「城(しろ)」を意味する「城(グスク・グシク)」は、三山時代に築かれ、「王や按司の居城」となっていた。 ・グスクには「御嶽・拝所が存在するもの」も多く、「古いグスクには必ず御嶽がある」と言い、 「首里城」「玉城城」など、グスクそのものが御嶽とみなされていたグスクもある。 政治的な意味合いが強く、軍事目的に利用されなかったグスクもある。 ・このことから「グスクは、御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化した」というのが有力説である。 ・グスクは丘陵頂上に築かれたが、頂上の岩を「イベ・イビ(威部)」としていたり、 頂上部が聖域として、御嶽となっている物が多い。 ここから「御嶽は元々、山岳信仰・磐座祭祀・自然信仰の場であった」とする見方がある。 ・著名な「斎場御嶽」「園比屋武御嶽」のように観光資源化している御嶽もあるが、 それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、 現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって管理されている。 ・御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、 「東御廻り(あがりうまーい)」や「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」などの巡礼地として崇められているものもある。 ・「東御廻り(あがりうまーい)」は、琉球民族の祖「アマミキヨ族が渡来し、住みついたと伝えられる 「知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事」で、後に「琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事」となり、これを今に伝える。 「首里城」を中心に、「大里・佐敷・知念・玉城の各間切」を「東四間切」または「東方(あがりか)」ということから、 「知念・玉城の拝所巡礼」を「〈東廻り」と称した ・戦争、米軍による土地接収、発掘調査や開発にともない、立入が禁止または制限されたり、破壊された御嶽もある。 ・一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、 かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、 同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。 拝所(うがんじゅ・うがん・をがん) ・「御願所(ウガンジュ・ウグヮンジョ)」ともいう。 ・「ウガミ(沖縄北部)」「ウガミヤマ(拝み山・奄美)」より転化した語。 ・八重山では「オガミ」が「オン(ワン・ワー)」ともなる。 ・民間では「ウガン」「森(ムイ)」「ヤマ」が普通使われる。 ・沖縄地方で「神霊が依りつく聖域」で、その前で人は拝む。 ・御嶽より小さく、拝む人の範囲も限られる。 ・拝む場所で種々の場合がある。 一般的には「森」などにあり、「高い樹木の下」の場合や 「石(サンゴなどの)」が置かれている場合も、「コンクリートの構造物」を作っている場合もある。 ・「神がたどり着いたとされる岬」なども指す。 ・元は「墓地」であった場所が多く、「ガマ(洞窟)や崖の古墓」が拝所である事例が多い。 ・神聖な場所で、神社も拝所にはいる。 ・共同で拝む場所として、色々な施設、小学校や中学校、高校にも拝所がある場合があるが、 文科省では、それを宗教施設とは考えていない。 ・宮古島では個人の神様即ち、個人の守護神の場合がある。 「まうがん」といい、拝所も一人一人異なる。 ビジュル信仰 ・ビジュルは「主に沖縄本島でみられる霊石・石神信仰」である。 ・「豊年祈願・五穀豊穣」「豊漁祈願」「雨乞い」「子宝祈願・子孫繁栄」「子供の成長」 「健康祈願」「航海安全」「天災回避」「夫婦円満・家内安全」「商売繁盛」「良縁成就」など、 各種の祈願がされる。 ・十六羅漢の一つの賓頭盧(びんずる)がなまった言い方。 「ビジュル」のほかに、古語としての「ビンジル」はじめ、 「ビンジリ」「ビジリ」「ビンジュル」「ビジュン」とも呼称されている。 ・多くは「人の形(ダルマ形)をした自然石」で、 大きさはさまざまで15センチほどのものから、1メートルくらいである。 ・「ティラ」と呼ばれる「洞穴・石祠・神殿」などで祀られている。 ・しかし近年は、集落はずれの林にポツンと残されたビジュルもある。 ・ビジュル信仰は各地にあって、確認されているだけでも120個体は下らないとされている。 ・ビジュルの由来憚は、場所により多少の差はあるが、大抵は漂着に由来する。 「海岸に漂着した石に神が乗り移っている」として祀られるようになったという伝説が多く、 ニライカナイ信仰とも結びついている。 土の上から出現したとする伝承もある。 ビロウ(沖縄名:クバ) ・漢字表記は「枇榔」「檳榔」、別名「蒲葵(ホキ)」、 沖縄名は「クバ」で、「コバ」「クボウ」「フボウ」「コボウ」などとも呼ぶ。 古名は「阿遅摩佐・阿知末佐(アヂマサ)」。 ・ビロウの名は「ビンロウ(檳榔)」と混同されたものと思われるが、ビンロウとは別種である。 ・ヤシ科の常緑高木。 ・幹は通常が高さ3~10m、高いもので15mほどに成長、「シュロ」よりも太く直立する。 ・葉は掌状に広がり、2mほどにもなり、丈夫である。 ワシントンヤシにも似るが、葉先が細かく裂けて垂れ下がるのが特徴である。 ・沖縄などでの用途 ・庭木・街路樹 ・葉や幹は工芸品や民具などに使用されることが多い。 葉は扇や笠、柄杓、屋根に葺くなど、嘗ては「サバニ(舟)」の帆に使われた。 幹は床材になる。 ・若芽を食用にする、クバ餅など。 ・沖縄市の市の木である。 ・東アジアの亜熱帯の「南西諸島」「九州と四国南部」「小笠原諸島」 「中国南部」「台湾」の海岸付近に自生し、北限は「沖ノ島(福岡県宗像市)」。 ・ビロウにちなむ地名として、「枇榔島(びろうじま・宮崎県門川町・鹿児島県志布志市・南大隅町)」 「蒲葵島(びろうじま・高知県大月町)」、「大築島(熊本県八代市)」の別名「檳榔島(ビロウジマ・ビンロウジマ)」などがある。 ・青島神社(宮崎県宮崎市) ・全島が境内地の「青島」を霊域と崇める、海洋信仰の神社。 ・青島には熱帯・亜熱帯植物や、北半球最北のヤシ科植物の群生地が広がり、ビロウの木が生い茂る。 島周囲の海岸に名勝「鬼の洗濯板」が広がる。 ・御祭神は「天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)」、 妃神「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」、「塩筒大神(しおづつのおおかみ)」。 ・社伝によれば、「山幸海幸」神話で、「彦火火出見命(山幸彦)」が「海神宮(わたつみのみや)」から 帰還した際に、青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記二柱の神を祀ったと伝わる。 ・近隣の「松添貝塚」は、縄文時代後期から晩期にかけての貝塚で。 「加工されたクジラの骨」「多種の魚骨・貝殻」などが出土、「装飾を施した骨針」は海の信仰を伺わせる。 ・日向国(宮崎県)は「山幸海幸」神話が濃厚に伝わる(後述)。 ・日本神話で、第十一代「垂仁天皇(すいにん)」の皇子「本牟智和気命(ほむちわけのみこと)」は、 唖を治す為に出雲に行き「檳榔長穂宮(出雲にゆき「檳榔長穂宮(あぢまさながほのみや)」に住んだ。 その地は、出雲国二宮「佐太神社(さだ・島根県松江市)」とも、「富能加神社(ほのか・島根県出雲市)」とも言う。 ・「淡島 自凝(おのごろ)島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さき)つ島も見ゆ(古事記・仁徳天皇御製)」 ・古代天皇制においては松竹梅よりも、何よりも神聖視された植物で、 公卿(上級貴族)に許された「檳榔毛(びろうげ)の車(=牛車)」の屋根材にも用いられた。 「檳榔毛の車」は、平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。 移動のための機能性よりも、使用者の権威を示すことが求められ、重厚な造りや華やかな装飾性が優先された。 金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害のために、寛平六年(894に、一時乗車が禁止されたこともある。 ・天皇の代替わり式の性質を持つ「大嘗祭」においては、 現在でも天皇が行う「百子帳(ひゃくしちょう・禊祓の為に籠る仮屋)」の屋根材として用いられている。 「百子帳」は「ビロウの別名」とも言い、また「蒲葵の葉」が用いられも下。 ・「笠」にもビロウが使われ、また「弓・矢」に用いる事もあった。 ・平安時代の宮廷ではビロウの葉で作られた「扇」が珍重され、また、祭りの時にビロウの「扇」が用いられた。 ・後に、本土ではクバの木や葉の入手が困難なため、 模造として「桧扇」が作られ、「紙扇」となって、祭具などに用いた。 ・「修験道(神道と仏教が習合した山岳信仰)」の「修験者」が、峰入りの際に蛇や災厄よけとして腰にさし、 護摩焚きの際に用いる「簠簋扇(ほきせん)」も、原型は「蒲葵扇(ほきせん)」だったと考えられている。 ・民俗学の折口信夫はビロウに「扇の原型」を見ており、その文化的意味は大きい。 扇は風に関する「呪具」であったからである。 折口は、クバを念頭に置きながら、琉球諸島を巡っている。 ・九州に多い「コバ(古場・古庭・木場・木庭・木葉・小場)」という地名と関連付ける見方がある。 ・沖縄では「クバの木」は「神の依り代」であり、「御嶽などの聖地」を取り囲む森林域に生えている。 その理由は、クバの木は樹高が高いので、神が「あふり(天降り・降り立つ)」するのだと言う。 ・沖縄では「世の始まり」を「クバヌファユー(クバの葉世)」と言って、 そこでは男も女もクバの葉で作った衣を腰にまとっていたと伝わる。 ・御嶽・拝所の御祭神として、「クバツカサ(蒲葵司)」という神名があったりする。 ・「琉球開闢七御嶽」のうちの、久高島の最高の聖地「クボー御嶽(フボー御嶽・沖縄県南城市知念)」と 「クボウ御嶽(沖縄県今帰仁村今帰仁グスク内)」は、「クバの木に由来する名称」である。 ・「久高島」は、嘗ては「クバ島」と呼ばれ、「神がクバの木を伝って降りてくる」という伝承があった。 ・「浜比嘉島(はまひがじま・沖縄県うるま市)」には「クバ島」と呼ばれる属島の小島があり、クバの木が生い茂る。 クバ島には貝塚時代後期末の祭祀遺跡とも言われる「比嘉クバ島遺跡」があり、土器や石器が出土した。 浜比嘉島には次のような伝承が伝わる。 ・「久高島」に降り立った「アマミチュー(アマミキヨ)」は、洞穴がなかったので「津堅島(つけんじま・沖縄県うるま市)」に渡った。 ・津堅島には水がなかった。 ・両方を求めて探してたら「浜比嘉島」の「シルミチュー(シネリキヨ)」に水と洞穴のある場所見つけた。 ・そこに住んだ「シルミチュー」は、近くの「クバ島」で「ウミチルー」という女の子を生んだ。 ・「ウミチルー」は十歳の頃、クバ島から海に投げ捨てられた(日本神話の「蛭子神(ひるこのかみ)」の伝承に類似)。 ・浜比嘉島には「アマミチュー・シルミチューが居住した洞窟・墓」と伝わる聖域がある。 ・「久場島(くばじま・沖縄県座間味村)」は、古書に「こはしま」「古場島」とある。 無人島だが、島内最高峰の「久場島の岳」には、古来「航海を司る神を祀る御嶽」があり、 現在でも「阿嘉島(あかじま・沖縄県座間味村)」の住民は久場島に度々訪れる。 ・「宮古島」には「クバの葉がイキイキと育っていれば島は安泰」という伝承がある。 沖縄・奄美群島の墓葬制 ・沖縄・奄美群島の墓葬制として、嘗ては「風葬」の特徴があった。 嘗ての本土日本では、一般民衆は墓を設けずに遺体は遺棄されたが(はふる)、これと共通するとも言う。 ・「琉球地方の風葬」には大きく分けて二通りの方法があった。 「特定の洞窟・山林に遺体を安置してそのまま共同の墓所とする方法(グソーに通じる)」 「亀甲墓や破風墓の中に棺を一定期間安置し、風化して白骨化した後に親族が洗骨を行い、改めて厨子甕に納める方法」である。 ・沖縄県では埋葬がなく本土の墓制との議論は難しい。 現在でも沖縄県の一部では、墓はただの納骨所として、祭祀の対象としていないところも存在する。 ・沖縄では、古来天然の「ガマ(洞窟)」や「岩陰」に遺体を運んで「風葬」にする習慣があった。 ・「掘込墓(ほりこみばか)」や「フィンチャー」と呼ばれる墓が、後に現れた。 斜面や岩盤に人工的に横穴を掘り、その入口を石積みや漆喰で塞ぐ形式の墓である。 これを古代「隼人」の墓とも言われる、宮崎県・鹿児島県の「地下式横穴墓」に由来するとの説がある。 ・「地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)」は、地面に竪穴を掘り、そこから更に横穴を掘って地中に墓壙(玄室)をつくり、その中に被葬者を葬る墳墓である。 地上には何らの標示物もなく、田畑耕作や農地改良の際の偶然の発見が多かったが、最近では地中レーダー探査で発見されることもある。 日本最大級の古墳群「西都原古墳群(さいとばる・宮崎県西都市)」の十二基を北限に、一ツ瀬川、大淀川、川内川の各流域地帯や、 宮崎県中央内陸部から霧島山麓の諸県盆地にかけて分布しており、「宮崎県」側に約六百基、「鹿児島県」側で約百基が確認されている。 特に、県最西端の市「宮崎県えびの市」地域において、三百基以上が確認されている。 副葬品として、武具類が主に出土するが、ここから「地下式横穴墓=隼人の墓」というイメージが形成されたと思われる。 しかし、「地下式横穴墓の築造時期(5世紀前半後葉 - 7世紀初頭)」と「隼人の出現時期(7世紀末)」は一致せず、 現在では地下式横穴墓と隼人とは関係ないとする考え方が一般的である。 ・「破風墓(はふばか)」は沖縄特有の墓の形式の一種で、家屋同様の屋根があるもののうち、屋根が破風形のもの。 16世紀に現れ、「掘込墓」の正面を切石で装飾していて、通常三角形の屋根を持つ。 沖縄で最初の破風墓は「玉陵」である。 琉球王国時代を通じて王室以外の造成は許されなかった墓の形式だが、明治十二年(1879)以降に解禁され、一般に普及した。 家屋状墓のうち、破風墓でないものは「屋形墓」という。 ・「亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか・カーミナクーバカ)」は、墓室の屋根が亀甲形をした沖縄県に多く見られる墓様式。 「掘込墓」の正面屋根を亀甲型に装飾した墓のことで、破風墓と外観は異なるが構造的にはよく似ている。 亀甲墓はこの墓の前部に祭祀を行うための「墓庭」を設けてその周りを「石牆(石垣)」で囲み、 墓庭の正面奥には複数の「蔵骨器(厨子甕)」を収めることができる墓室を設ける。 琉球王国時代は破風墓とともに士族のみに許された墓であったが、廃藩置県以後は庶民の間でも急速に普及した。 起源は中国南部から伝わった「唐墓(とうばか)」であると言われ、福建省や台湾には、亀甲形をした、亀甲墓によく似た形式の墓がある。 中国のそれは個人墓が主流である。 亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、一説には「母の胎内」、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味していると言われる。 中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬とし、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、 白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。 これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、 北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。 ・宮古島・石垣島には「崖下墓」があり、宮古島市島尻には3つの郭がある 石組み、グスクで囲った大きな墓(長墓)があり多数の骨があるが、祭祀が行われたかは不明である。 ・宮古島地方では、沖縄本島から伝わる以前から「巨石墓(ミャーカ)」があり、風葬の代表的な例とされている。 屋根のない石囲いの中に遺体を葬るものであったが、後世風葬を嫌う考えが起こって屋根をかぶせるようになった。 「仲宗根豊見親」の墓のように、本島の横穴墓形式との折衷も見られる。 沖縄本島島尻地区、大神島にも風葬があり、昭和時代には洞窟などから遺骨が多数発見されたことがある。 ・久高島の「グソー(後生)」観は、墓地の入口を「新後生(ミーグソー)」と称して、そこを「生界と死界との境界」とする。 嘗て行われていた風葬では、風葬の行われる場所を「ティラバンタ(葬所)」といい、 「ティラ」は「ティダ」と同義で「太陽」の事、「バンタ」は「断崖絶壁」という意味である。 7年後の洗骨が終わると、死者は真の後生へ赴いて神へ昇化すると久しく観念していた。 ・「新後生」においては、死者は生前と同じ生活様式をとると考えられているため、 新後生の墓廓は現世の家屋と同じ形態を備えている。 ・沖縄では伝統的に個人墓はまれで、「門中墓」「家族墓」が主流である。 ・戦後は火葬の普及とともに、より小型の「家形墓」に人気が移っている。 沖縄では、本土にあるような「塔式墓(四角柱形の石の墓)」はあまり見られない。 先島諸島の祭祀 ・先島諸島は「オーストロネシア文化圏の北端にある」という解釈もされる。 「土着文化」「沖縄文化(琉球文化)」「本土日本文化」「オーストロネシア文化」「中国文化」の混在が見られる。 ・少なくとも4200年前より以前に、「台湾」「フィリピン」からの渡来人が定住したとされる。 しかしこの年代以降は、両地域の人種的な移動の形跡は見られない。 ・先史時代の「先島諸島(南部文化圏)」では、「石斧」「貝器」「土器」など、 「台湾」「フィリピン」との共通点が指摘される遺物が多く見つかっている。 ・「縄文文化」「弥生文化」の影響は殆ど見られない。 「日本本土」や「中国」との交易による物が出土しているが、それらの文化圏の影響は基本的になかったとされる。 ・先島諸島の先史時代は、「前期(~BC800)」「後期(BC800~AC1000)」に分かれる。 この間の年代には数百年の空白があり、後に「ポリネシア系」の人々がわたってきたとの説もある。 ・集落は、前期後期を通して、殆どが海岸に近い台地か海浜砂丘地にある。 ・前期は「下田原式土器(しもたばる)」が少量出土し、「半磨製石斧」が盛んに用いられた。 ・後期は、「土器」を用いず、「半磨製石斧」がやや大型化する。 「シャコガイ製貝斧」が使われ、これは太平洋諸島で見られる。 ・前期・後期ともに、「スイジガイの突起部の加工品」「サメの歯の骨角器」が共通する。 ・料理には、同様に無土器文化を持つ「ポリネシア」と同じく、石焼を多く用いたと考えられている。 ・「後期文化は別の文化集団が新たに渡来して展開した」「同一系統の集団によるもの」という二説がある。 ・記録としては、「続日本紀 和銅七年条(714)」に「信覚」「球美」などの人々が来朝したと記されており、 「信覚:石垣島」「球美:西表島か久米島?」とされる。 ・12~13世紀から集落が大規模化、「農耕」「鉄器」を基盤として、沖縄本島さらには北方との関係がみられるようになる。 「カムイヤキ(類須恵器)」「鍋形土器」「外耳の付いた深鍋形や壺形の土器」 「鉄鍋」「中国陶磁器」が出土する「集落やグスク」が、台地や丘の上に展開された。 ・この時代は、基本的に平和だったと見られている。 ・14世紀から15世紀に沖縄本島に興った琉球王国による海上交易の中継地として、次第にその影響圏に置かれた。 ・明応九年(1500)、石垣島の按司「オヤケアカハチ(オヤケ赤蜂)」が反旗を翻すと、 「尚真王」は征討軍を編成するが、宮古島の豪族「仲宗根豊見親」が先鋒となって 石垣島に上陸し、オヤケアカハチを討ち取った。 ・これによって先島のほぼ全域が琉球王国の支配下に入ったが、 与那国島では女首長「サンアイイソバ(サカイイソバ)」による独立状態がしばらく続いた。 ・この時代の琉球王国の先島諸島の統治は、緩やかなものであった。 ・慶長十四年(1609)、徳川幕府の了解を得た薩摩藩の島津氏による琉球王国に侵攻し、 服属した琉球王を徴税代理人として年貢を徴収した。 この為に、琉球王府は先島諸島に対して、重い「人頭税」を導入した。 ・琉球王国は「先島諸島」を勢力下に収めるたびに、この信仰をその地に広め、 現地に「ノロ」や「司(つかさ・八重山のノロ職名)」を置いている。 しかし基本的に間接統治であったため、現地の信仰の多くもそのままに残され、 御嶽のような形式がその地域の信仰に取り込まれていくこととなった。 ・ただし、王国と敵対した「オヤケアカハチ」が信仰していた 八重山地方の「イリキヤアマリ神信仰」のように、滅ぼされた信仰も存在する。 ・18世紀初頭、宮古の伝説をまとめた「御嶽由来記」において、下記が記された。 これは本土の日本神話と共通する物がある。 「宮古島」が島の形もなしていない太古、「天帝(あめのてだ)」が「天岩戸柱」の端を折り、 「弥久美神(やぐみのかみ)」に授け、「下界の風よからんところに島を造りなせ」と命じ、 「天の夜虹橋(あめのゆのづはず)」から下界の大海原に岩柱を投げさせ、固まったのが今の宮古島となった。 天帝は次いで赤土を下し、「古意角(こいつの)」神に「下界に降りて人の世を建てて守護神となれ」と命じたが、 古意角が「我に足らざる片つからだを賜え」、天帝「汝六根五躰を備う、また何の不足かあらん」、 古意角「すべて陽あれば陰あり、陰あれば必ず陽あり」との問答を経て、天帝はようやく古意角の願いを入れ、 女神の「姑依玉(こいたま)」の共を認めた。 古意角・姑依玉の両神は、豪勇の「盛加神(もりかのかみ)」を始めとした「八十神百神(やそかむももかむ)を連れて 天の夜虹橋を渡り、彼らは「漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)」に宮居を定め、 「宗達(むにだる)」「嘉玉(かだま)」の男女児が生まれた。 また、島は赤土ばかりであったので、天帝が再度黒土を下し、宮古島は五穀が実るようになった。 十幾年かが過ぎ、宗達・嘉玉が大きくなった頃、天帝は葉を身にまとった「木装神(きそうのかみ)」という男神、 青草を身にまとった「草装神(ふさそうのかみ)なる女神を下した(後略)。 (「漲水天久崎」は岬だが、埋め立てられている。 西側に、琉球王国以前から信仰を集める「漲水御嶽(ぴゃるみず・沖縄県宮古島市平良)」が鎮座する) ・先島諸島における主な祭りとしては、 「大神御嶽(宮古島大神島)」を中心に行われる「祖神祭(ウヤガン)」、 「宮古島平良島尻」の「「パーントゥ・プナハ」と「宮古島上野野原」の「パーントゥ」、 「八重山全域」でみられる「アカマタ・クロマタ」、 「八重山地方」の「アンガマ」「ミルク(弥勒)」「フサマラー」 「石垣島群星御嶽(沖縄県石垣市川平)」で行われる「マユンガナシ」などがあげられる。 ・いずれも秘祭として部外者禁制を敷いているものが多い。 ・特に「ウヤガン」をのぞく祭りは、いずれも「異形の来訪神を迎える祭り」であり、 祭事には「来訪神に扮した(あるいは来訪神そのものとして)仮装で、集落を徘徊する」というような儀式がみられる。 ・これら異形の神々も、「ニライカナイと同じ概念の異界」から訪れるものと考えられている。 ・類似した祭礼は、「南西諸島」「東北地方北部」に多い。 「ナマハゲ(秋田)」「アマメハギ(能登)」「ナモミ(三陸)」「ヒガタタクリ(三陸)」「トシドン(鹿児島県甑島)」「ボセ(トカラ列島悪石島)」 ・宮古島狩俣(かりまた)の「ウヤガン」では、神女の「ツカサ」が、集落の中庭で何時間も神歌を歌う。 木の葉で作った冠をかぶり、白い麻の着物を着て、足元は裸足、祭りの前に何度も山篭りをする。 歌われる内容は「狩俣の地がどう造られたか」という創世神話である。 ・「マユンガナシ」は「精霊」で、旧暦九月の「節祭(せちえ)」に登場する。 クバの蓑を着て、手ぬぐいでほうかむりし、笠を被り、大きな杖を持ち、夜中中、村の家を回っていく。 「ムトゥ(本神)」と「トウム(供神)」が、「カンフツ(神口)」という神の言葉・祝言を唱え、繁栄・健康を祝福、家人は接待をする。 「マユ:豊かな真の世」「ガナシ:敬称」で、「真世の神様」というような意になる。 石垣島ではマユンガナシの登場を境にして「節」が改まるとされ、これを「初正月」と呼び、本土の研究者は「南島正月」と呼ぶ。 これは「古代日本の一年の区切りに合致する」という。 ・「アカマタ・クロマタ」や「収穫祭」にして秘祭で、「厄落とし」であるという。 仮面を付け、草木で体を覆い、「ナマハゲ」「トシドン(鹿児島県甑島)の年神」に似た扮装をする。 これは「中国の広西の融水の苗族」の「マンガオ」に類似、「貴州省」の少数民族には「大歳神のような来訪神の祭礼」が見られる。 ・「パーントゥ(島尻と上野野原)」は、仮面をつけ、草をまとった異形の神が登場、漂着した仮面に由来するという。 「パーントゥ・サトゥプナハ」は「里願い」とも呼ばれ、「ンマリガー(産まれ泉)」の泥を全身に塗る。 5人の女性神役「ミズマイ」に「ウパッタヌシバラ(拝所)」で祈願をしてから、村落内を巡り歩いて災厄払いをする。 厄払いは誰彼かまわず人や新築家屋に泥を塗りつけて回るというもので、泥を塗ると悪霊を連れ去るとされている。 ・八重山諸島では雨乞いの儀式の時、水を入れた瓶を神人が取り囲んで、 「クロツグ(マーニ・マニン)」」の葉先に水を浸し、周囲に水を撒き謡いながら祈る。 奄美諸島の祭祀 ・鹿児島県の「奄美大島」「喜界島」「加計呂麻島」 「与路島」「請島」「徳之島」「沖永良部島」「与論島」などが含まれる。 ・奄美群島の文化・言語・祭祀は、鹿児島県の大隅諸島以北に比べると、沖縄県に近く、「琉球文化圏」にも属している。 「奄美大島」から「与論島」に、南下するに従って琉球文化の色彩が濃くなっていく。 ただし、奄美群島に伝わる風習の中には、沖縄県とも本土とも異なる奄美独自のものや 沖縄県より本土に近いものも少なからずあり、方言にも昔の大和言葉の発音などが残っている。 ・奄美群島での人の痕跡は、約3万年前のものと推定される徳之島の「アマングスク遺跡(鹿児島県伊仙町)」で、 南西諸島最古級の遺跡と言われている。 ・日本本土や沖縄諸島地方とは、縄文時代・弥生時代・古墳時代などを通じて活発な交流が行われていた。 北方と南方の文化が混在し、それらの影響を受けたもの、さらに独自に発展した。 ・「宇宿貝塚(鹿児島県笠利町・奄美大島)」は、縄文時代中期から中世の複合遺跡である。 縄文後期~弥生後期の在地系の「宇宿上層式土器」「宇宿下層式土器」「嘉徳式土器」 「面縄式土器」に加え、九州本土の縄文後期の「市来式土器」が一緒に発見された。 遺構としては集石遺構、縄文時代晩期の石組み住居跡、宇宿上層式土器時代の土坑などが確認され、 土坑の中には推定年齢20~25歳の女性骨1体と嬰児骨1体が検出され、母子合葬であったことがわかる。 土坑からは「礫(れき)」「小型磨製石器」「ガラス玉」「骨製管玉」が出土した。 ・「市来貝塚(鹿児島県いちき串木野市)」からは、地元の「市来式土器」と共に、 「奄美大島の嘉徳II式によく似た土器」と「オオツタノハガイ製貝輪」が出土しており、薩摩半島への伝播も確認されている。 ・「宇宿貝塚」「住吉貝塚(鹿児島県知名町・沖永良部島)」などの住居跡は方形状に並べたもので、九州とは形態が異なる。 ・4-5世紀には地元産の「スセン當式土器(沖永良部島)」が、6世紀には「兼久式土器が出現した。 同時に「金属製品」も出土しているため、この年代に「鉄器の製造」が開始されていた可能性が指摘されている。 ・「ヤコウガイ」などは「螺鈿」や「杯」の原料として、重要な交易品であった。 ・奄美大島の「マツノト遺跡(鹿児島県笠利町)」「小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)」など螺鈿原料の加工跡が確認される。 「開元通宝」は奄美群島から八重山列島まで出土、商人の広範な活動の証拠とされている。 ・初めて文献上に現れた「日本書紀 斉明天皇三年条(657)」に、「海見嶋」とある。 ・682年に「阿麻弥人」、714年には『続日本紀』に「奄美」との表記がある。 ・天平五年(733)の第十回遣唐使は、奄美を経由して唐へ向かっている。 天平七年(735)に朝廷は、遣唐使の往来上の利便のため碑を南島に建てた。 『延喜式』雑式には規定が書かれており、島名のほか停泊所や給水所が書き込まれ、 奄美群島の各島々にこの牌が建てられたとしているが、未だ発見はされていない。 遣唐使の中に、奄美語の通訳を置くことも記されている。 ・長徳三年(997)、大宰府管内へ「奄美島」の者が武装して乱入、放火や掠奪をしたという(『小右記』)。 翌年、大宰府からの追捕命令が「貴駕島」に発せられている(『日本紀略』)。 貴駕島は「喜界島」とされ、「城久遺跡」が発見されたことにもより、これが大宰府の出先機関と推定されている。 ただし、同時期に「新羅の入寇」も起こっており、新羅と取違えたのではないかという指摘もある。 ・この時代までを「奄美世(あまんゆ)」とも呼ぶ。 ・この時代の奄美群島は遺跡や伝承、そして群島外の歴史書によって様子をうかがうことはできる。 『漂到琉球国記』や『元亨釈書』などにより、奄美は「貴海国」とされ域内であり、「琉球国」は異域とみなされていた。 『平家物語』によっても、奄美地域と沖縄地域は違うと捉えられていた。 ・奄美群島では、「按司」や「グスク」という名称自体が史料上確認されていないが、支配層を語る上で便宜上用いられる。 便宜上「グスク」と呼ばれる遺跡の多くが、「ヒラ」「ハラ」「モリ」などグスクとは違う地名が付いている。 ・11世紀頃、グスクの構築が始まる。 奄美群島のグスクは集落ごとに複数築かれたが、規模はそれほど広くなく住民の共有の施設でもあった。 浜を見下ろす立地も多いが、集落背後の山の中腹や山頂などにも築かれ、複数(3〜4個)のグスクで有機的な防衛網を構築していた。 交易の利便性と、海からの襲撃に対応するためである。 ・その後、「グスク」は「按司」により采配されるようになり、そこに拠って互いに抗争していた。 また海賊や島外勢力の襲撃に対して、住民を率い戦い、英雄と讃えられるものも出現した。 ・「カムィヤキ古窯跡群(鹿児島県伊仙町・徳之島)」で生産された「カムィヤキ(類須恵器)」は琉球弧全体に 流通の広がりを見せており、それを生産販売する勢力の存在が考えられるが、判明していない。 ・12世紀には中尊寺金色堂で奄美産の蝶細がみられるなど、本土との交易も盛んであった。 ・「倉木崎海底遺跡(鹿児島県宇検村・奄美大島)」などで12世紀後半 - 13世紀頃の 中国産陶磁器が大量に引き揚げられており、中国などとの交易を行ったことも確認されている。 ・鎌倉時代に入り「北条得宗領」とされ、得宗被官「千竈氏」の采配地となった。 『千竈時家処分状』(千竈文書)によって明らかにされており、また 『金沢文庫』中の日本地図に「雨見嶋、私領郡」と記載されている。 『六波羅御教書』では海上運輸と流通の権益を握り、在地勢力と主従関係を構築して支配していたものと考えられている。 北方の得宗被官「安東氏」の動向との比較検討が行われている。 ・琉球王国の成立した15世紀半ば以降、奄美地域をめぐって琉球勢と本土勢とが何回も合戦した。 奄美群島は両者の交易などの往来が盛んになる一方、利害がぶつかる土地となり、軍事衝突も多数発生したものと考えられる。 島津氏の記録には当時の様子が余り語られていないが、鎌倉幕府滅亡時、 薩摩に残留した千竈氏一族を家臣団に組み込んでおり、交易の利益と相まって興味は十分持っていたと考えられている。 ・按司が登場してからを「按司世(あじんゆ)」とも呼ぶこともあるが、この時代までを「奄美世(あまんゆ)」と呼ぶこともある。 ・文永三年(1266)、奄美群島から中山王「英祖王」に入貢したと『中山世鑑』などの琉球正史に記されているが、 当時の群雄割拠の状況から後に創作された伝承とも考えられる。 宗主国の明に倣った、琉球版冊封体制であったとも考えられている。 ・琉球王国成立前後の状況は、沖縄本島からの距離もあって各島々で異なっている。 ・応永二十三年(1216)、第一尚氏は北山王国を滅ぼし、その領土であった「与論島」と「沖永良部島」に服従を打診。 「沖永良部島」では「島之主一族」とその重臣が侵攻と誤認して自刃、応永二十三年(1429)、王国の領土に組み込まれた。 「徳之島」も服属し、「島之主西世之主恩太良金」が「徳之島大親」に任命されている。 ・奄美群島の地元領主階級は、琉球王国側の記録によれば「大親」と呼称されることが多い。 ・文安四年(1447)、「尚思達王」が「奄美大島」を従わせた。 ・宝徳二年(1450)から寛正三年(1462)まで、「喜界島」を攻略するためほぼ毎年攻撃を仕掛けていた(『李朝実録』)。 ・文正元年(1466)、「尚徳王」が三千の兵をもって「喜界島」を制圧した。 ・天文六年(1537)、「尚清王」が「奄美大島」の「与湾大親」に反抗の気配ありとの報告を受けこれを討つが、 後に讒言であると判明したためその子孫を採り立てている。 ・元亀二年(1571)、「尚元王」が再び反抗を始めた「奄美大島」の大親達を制圧している。 「与湾大親」の子孫は、1571年(宝徳2年)の戦いには琉球王国側として参加して武勲を挙げ、 のちに首里に移り、「琉球王国五大姓」の一つである「馬氏」となり繁栄した。 ・琉球王国の領土となった「奄美群島」では、文正元年(1466)に「泊地頭」が置かれ、 群島各地から年貢の納付が強要され、そのための蔵を「天久寺(那覇市)」に設け「大島御蔵」と呼んだ。 ・首里在勤として「奥渡より上の捌理」と言う役職も置かれた。 ・元亀三年(1572)には「蘇憲宜」を「大島奉行」に任じ、統治に努めさせている。 ・16世紀後半、本格的な琉球王国の地方行政制度が敷かれ、「間切」の名称が文書に見え始める。 間切ごとに「首里大屋子」が置かれ、その下に集落名を冠した大屋子を、さらに「与人」「目差」「掟」「里主」などを置いた。 ・祭政一致政策(琉球神道)の一環として「ノロ」も置かれた。 役人やノロの所領はそれまでの世襲を廃止して、一定期間ごとに転出するよう制度が改められ、在地住民との関係切り離しが行われている。 ・現在ノロ制度は、「与湾大親」の根拠地であった「奄美大島西部」に多く残っている。 ・室町幕府以降15世紀に入ると、本土の統治機関における奄美群島への関心は徐々に失われていった。 ・その中でも薩摩と大隅の守護「島津氏」だけが、交易などを通じて奄美への関心を持ち続けた。 16世紀半ば、島津氏は交易の利益独占のため本土から琉球へ渡る船を統制しようとし、「嘉吉付庸説」「為朝始祖説」を持出し琉球を従わせようとした。 ・天正十五年(1587)、「豊臣秀吉」に降った「島津氏」は、課された琉球軍役を肩代りすることで琉球への圧力を更に強めていった。 秀吉は当初、島津氏を滅ぼし琉球への侵攻も計画していた[要出典]。 ・琉球王国の統治時代を「那覇世(なはんゆ)」とも呼ぶ。 ・琉球王国への薩摩藩の支配後、奄美群島が薩摩藩の直轄地となった。 慶長十八年(1613)、多数の代官所や奉行所を設置された。 中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人も派遣させていた。 この頃の奄美群島は、薩摩からは「道之島」と呼ばれた。 ・13世紀頃に琉球に国が誕生するまでの古代~中世初期は、 南西諸島全体が「阿摩弥」と呼ばれていた。 ・名称の由来については、今なお不明な点が多い。 ・伝承では琉球王国の創世神話に登場する「アマミキヨ(アマミコ・阿麻弥姑)」神に由来するとされる。 アマミキヨは最初に奄美大島の「アマンデー(奄美嶽・海見嶽・鹿児島県笠利町)」に降り立ち、 奄美の島々を創造、後に沖縄諸島を造ったと古書に記されている。 アマンデーの山上には史跡があり、また「湯湾岳」にも降臨神話がある。 ・ただし琉球王国の神話や、「アマミキヨ」の起源は、文献上10世紀から13世紀の間までしか遡れず、 7世紀には日本列島の中央政権にその名称と存在が知られていたこととは時間的な開きが生じている。 ・また「アマミキヨ」の名称使用自体、 奄美群島では「テルクミ」の名称で伝わっている(沖縄本島に隣接する与論島では「アマミキヨ」)。 ・これらの事を含めて「アマミキヨ」とは奄美そのものを指し、 「琉球王国の成立には奄美勢力の南下、 又は奄美を経由した本土勢力が深く関わっていたのではないか」と指摘する研究者もいる[誰?]。 ・「テルコ・ナルコ」は、はるか海の彼方にあってこの世に豊じょうをもたらす理想郷のこと。 祭祀の来訪神はそこからやってくる。 沖縄の「ニライ・カナイ」信仰とほぼ一致する観念で、奄美の各地にその信仰を示す伝承がある。 ・地域により「ネリヤ・カナヤ」「テルコ・ナルコ」与路島では「ニッリャテルコ」と呼ぶ。 ・「テルクミ・ナルクミ」という名前の「奄美諸島の創生神」ともされる。 ・「おもろそうし」には、ニライ・カナイのことを「にるや・かなや」と記されている。 ・奄美大島では、毎年二月に「ナルコ」「テルコ」という神を迎えて、 四月に御送り申す厳粛なお祭りがある。 同地では、「集落の三方を山に囲まれ目の前に広がる海に対して、 海は豊かさをもたらすと信じられていた」というのが信仰の淵源だとも言う。 ・「奄美群島」では琉球王国時代に「ノロ」制度が導入され、現在でも「ノロ」「ユタ」が僅かに残る。 ノロを中心に、ニライカナイからの来訪神を迎える豊穣祈願などが行われている。 ・奄美大島では、ノロ祭祀組織は「神人衆(カミニンジュウ)」と呼ばれる。 「親ノロ」を頂点として、成員はそれぞれ神役として名を持っている。 必ずしも全てのシマ(集落)に共通しているわけではないが、「イガミ」「スドゥガミ」といった名となっている。 全て女性で構成され、唯一、男性で参加する役を「グジ(宮司か郡司が原義)」と呼ぶ。 ・有名な祭礼に、龍郷町秋名の「平瀬マンカイ」「ショチョガマ」がある。 「稲霊(いなだま)」を招いて五穀豊穣に感謝、来年の豊作を祈願する祭りで、 「ショチョガマ」は「夜明けと共に片屋根を揺り倒して豊作を祈る」、 「平瀬マンカイ」は「ノロ神様と呼ばれる祭司五人と宮司七人により、 神(カミ)ヒラセと女童(メラベ)ヒラセと呼ぶ二つの岩で、山の神と海の神に豊作を祈る」。 ・祖霊を迎える三八月(ミハチガツ)と呼ばれる旧暦八月中旬の三日間のお盆祭りでも、 ノロが祭祀を取り仕切る地域がいくつもみられる。 ・奄美大島では各集落ごとに複数の神社が見られる。 ただし神社のほとんどは、江戸時代(薩摩藩政時代)頃に土着の信仰から移行し設立された比較的新しいものである。 最も古い伝承を神社は、「平家の落人」伝承を持つ一群である。 ・奄美大島では、現在の多くの墓形式は本土と同じであり、沖縄県の亀甲墓は見られない。 ただし「城間トフル墓群」に代表される「トフルやムヤ」と呼ばれる 亀甲墓の前時代形式の墓所が存在し、「南西諸島の墓制の北限」と言われる。 これは隆起サンゴ礁が形成する崖に横穴を掘り、風葬したり厨子甕などに遺骨を入れて保管するものである。 隆起した砂丘に十数基の横穴墓があり、400年以上前に構築されて以来そのすべてがほぼ完全な形で残り、うち九基が現役の墓として使われている。 ・奄美諸島には「御嶽」は確認されない。 しかし「アマミキヨ」降臨の地とされる「アマンデー(奄美嶽・海見嶽)」も、 その立地条件や、奄美群島北部には希少な「御嶽的存在」であり、 それらが琉球王国の聖地とされる「斎場御嶽」と酷似しているため 琉球領時代に持ち込まれた伝承とも言われている。 ・奄美の「シマ(集落)」の多くは、山を背に海に面している。 シマの背後には、神聖な「カミヤマ(神山)」と呼ばれる山があり、 ここにシマを守る神「テルコの神(山幸の神)」「ナルコの神(海幸の神)」が降り立つ。 生活道路以外に、断片的にも「カミミチ(神道)」があったりする。 はるか彼方の海には、神が住む豊穣の国「ネリヤカナヤ」があり、 目の前の海には、このネリヤカナヤから神が渡ってくる小さな島「立神」がある。 ・奄美大島には、「シマ」の中心部に「ミャー(宮)」と呼ばれる、聖地性を持った空き地がある。 ミャーには「カミミチ(神道)」が続いていることが多く、「カミヤマ(神山)」と海とを結ぶ線上にある。 ・「ミャー」には、祭祀芸能を奉納する「あしゃげ」や、祠の「トネヤ」が建っていることがある。 そこには「ガジュマル」「アホギ(アコウ)」などの御神木が立っている。 「トネヤ」は「刀禰屋=村長・シマの宗家の屋敷」で、嘗てはノロが神事をしていた。 「ミャー」や「トネヤ」では、中世の青磁片・類須恵器片が見つかることが多い。 ・奄美諸島の他の聖地として、下記の物以外に、「立神」と呼ばれるものがある。 「森とも山ともつかぬ地方的な聖地聖地」として「拝み山(ウガミヤマ)」 「モリヤマ(森山)」「カミヤマ(神山)」「テラヤマ(ティラ山)」がある。 イビガナシ ・奄美大島で村の聖地に立てられた自然石。 ・一般には無名の場合が多い。 ・ミャーにあるアシャゲの傍らの御神木の根元に、数基の自然石「イビガナシ」が建っている。 ・常時集落にいて、集落を守ってくれる神様で、在住神と呼ぶ。 ・イビガナシは、村を開拓した遠祖の墓ともいう。 ・同種の聖地の別名に、「シマタテガナシ」「グジ墓」「ウジガミ」がある。 グンギン(権現)について ・奄美諸島にある祠である。 ・「グンギン」は「権現」の奄美方言である。 ・森の中腹など、高く険しい位置にある。 ・入り口に「鳥居」がある事が多く、「神社」のような役割を担っている。 ・奄美では、ほとんど「自然石」をご神体とする。 加計呂麻島では「ソテツ」をご神体としている例もある。 ・「イビガナシ」が集落の中の平地にあってシマを見守るのに対し、 グンギンは集落の外の高台にあって、航海安全や火伏せ(防火)などを祈願する場合が多い。 ・旧暦9月9日に祭りがある。 オボツヤマ(オボツ山)とカクラ山 ・奄美大島中南部や加計路麻島には「オボツ山」「カクラ山」という聖地がある。 オボツ山は山上にある物と、平野の森にある物に二分される。 ・山上に「オボツ」と呼ばれる石積みがあったりして、嘗てはノロが集まった。 ・琉球神道における「天空にある異界」である「オボツカグラ」に由来するとされる。 ・琉球王国の歌謡集「おもろそうし」の歌に、 「オボツの山に神が降りたまう」という一説がある。 トカラ列島(吐噶喇列島)の祭祀 ・鹿児島県の「中之島」「口之島」「小宝島」「諏訪之瀬島」「平島」「宝島」「悪石島」などから成る。 ・悪石島とその南西の小宝島の間には「渡瀬線」または「トカラ構造海峡」とよばれる、生物の分布境界がある。 悪石島は本州・四国・九州の動物相の南限となっている。 ・地名の由来については諸説あるものの、「沖の海原」を指す「トハラ」から転訛したという説が有力。 ・「続日本紀 文武天皇三年七月辛未条(699)」に、 「多褹(種子島)、夜久(屋久島)、菴美(奄美大島)、度感(トカラ列島)の人が物を貢いだ」とある。 同書によればこれが「度感」が日本と通じた始まりで、また「度感」は「徳之島」だとの説もある。 ・「宝島」では、多くの土器が出土しており、下層部からは縄文後期の頃のものとみられる「宇宿下層式土器」や「八重山式土器」、 上層部からは弥生中期の頃と見られる「須玖式土器」が出土している。 ・トカラ列島には、独特な風習や伝統文化が多く、ノロによる祭祀が残る。 ・トカラ列島には「ネーシ(内侍)」とよばれる、巫女による祭祀が残る。 宝島では「ヌーシ」と呼び、これは「内侍(ないし)」と関係があるとさる。 内侍は「古代~中世、天皇や特定神社の斎宮・斎王の近侍を勤めた女官」などの名称である。 ・トカラ列島周辺には、「異形の来訪神=客神(まれび)」を祀る伝統が多い。 悪石島の「ボゼ」や、甑島列島の下甑島の「トシドン」、 大隈諸島近辺の硫黄島の「メンドン」などが代表的である(先述)。 ・「ボゼ」は、「ヒチゲー」と呼ばれる冬の節替りの夜に登場する「異形な仮面を付けた来訪神」で、 トカラの各島に現れたとされており、その名残が悪石島にのみ残ったとされる。 現在は悪石島の伝統行事として旧暦7月16日のお盆最終日翌日に登場する。 ・「悪石島」には、いたるところに聖地があり、ボゼのみならず、 一年間を通じて、小さな祭祀や儀礼が非常に多い島である。 ・「悪石島」にある「鳥居の笠木に刻まれた三角の紋様」は、 タイやラオスの「アカ族」の習俗と重なる。 ・トカラ列島全体で以前使われていた「シタミ」と呼ばれる「背負い籠」は、 東南アジア大陸部のタイ族系の人々が使用するものと共通しているという。 ・「森とも山ともつかぬ地方的な聖地」として、「根神山」などの名称の山がある。 「根神山」の名称が多く、悪石島では「根神山(ネガミヤマ)」、宝島では「女神山」、 中之島では「エガミダケ」、小宝島では「ウネガミ」と呼ぶ。 「山」をそのように呼び、また「石碑」と「石積み」があり、森林に覆われた「神域」が存在する。 宝島では、女神がいるとされ、「女神権現跡」と記された石碑が建つ。 大隅諸島の祭祀 ・鹿児島県の「種子島」「屋久島」「口永良部島」「馬毛島」などから成る。 「黒島」「硫黄島」「竹島」の上三島については、 大隅諸島に含まれるとする説と含まれないとする説がある。 ・「種子島」で最古の遺跡は、「横峯遺跡(鹿児島県南種子町)」「立切遺跡(鹿児島県中種子町)」 「大津保畑遺跡(鹿児島県中種子町)」で、約3万5千年前の遺跡、鹿児島県最古の遺跡でもある。 ・「銭亀遺跡(鹿児島県南種子町)」は、旧石器時代の「細石器文化」が確認された日本列島最南端の遺跡である。 ・縄文時代の「種子島」では、九州島南部の縄文文化とほぼ同一の土器様式が確認されている。 ・弥生時代後期から7世紀にかけての「種子島」では、独自の貝文化が展開した。 代表遺跡として「広田遺跡(鹿児島県南種子町)」が著名、貝製品など出土品は、国の重要文化財に指定されている。 ・「隋書」 大業三年(607)煬帝の代の「夷邪久国」は「屋久島」と推定される、これが「屋久島」の初見とされる。 ・「日本書紀」には「推古天皇二十四年(616):掖久・夜勾・掖玖の人三十人がやってきて、日本に永住した」 「舒明天皇元年(629):大和朝廷から掖玖に使が派遣された」「天武天皇六年(677):多禰島人を饗した」 「天武天皇八年(679):朝廷から使を多禰島に遣わした」という記事などが見られる。 ・7世紀末以前までは「ヤク」とは「九州以南の地域」を指す言葉として用いていたとされ、 天武天皇六年の記事は「多禰島:種子島」の初見である。 ・「天武天皇十一年(682):朝廷から多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美)それぞれに禄を賜る」という記事があり、 ここで「掖玖(やく)」を初めて、特定の「屋久島」を指す言葉として用いている。 ・「続日本紀」には、文武天皇二年(698)に朝廷の命により「務広弐文忌寸博士が南島(なんとう・南西諸島)に派遣された」とあり、 任務は「屋久島・種子島・奄美大島の朝貢関係を確認すること」である。 ・文武天皇三年(699)に「多褹(種子島)・掖玖(屋久島)・菴美・度感(トカラ列島)から朝廷に来貢があり位階を授けた」とある。 ・大宝二年条(702)には「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり (薩摩と種子島・屋久島が服属しなったので征討した)」とあり、これは「隼人」の征討とも言われる。 ・「多禰国(たねのくに)」は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。 大宝二年(702)から天長元年(824)まで122年間存続、続日本紀には「多褹国」との表記も見られる。 「西海道」に位置、領域は「種子島・屋久島・口永良部島」、種子島北部に「能満郡」、 南部に「熊毛郡」、屋久島の広域と口永良部島に「馭謨郡」、屋久島の一部に「益救郡」が置かれた。 ・『続日本紀』大宝二年(702)八月一日条に「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、 戸を校して吏を置けり」という記事があり、これが多禰の征服と多禰国建置を示すと考えられている。 実際に多禰国の公印が与えられたのは和銅七年(714)とされている。 ・多禰の場合、国のかわりに島(嶋)の字を用いて、多禰国を多禰島、その国司を島司と表すこともあった。 国を島とも呼ぶのは、対馬・壱岐と共通する。 ・国の格付けは、「南島(奄美・沖縄方面)」との交流や「遣唐使」の派遣、「隼人」対策などの点から重要視されて中国とされていた。 天平勝宝五年(753)、「鑑真」「大伴古麻呂」「吉備真備」らを乗せた遣唐使船第二船、第三船が「屋久島」に寄港している。 しかし実際には小国をはるかに下回る規模の税収しかなく、行政的な運営経費の不足分は「大宰府」が他の国から補填していた。 ・しかし隼人の対策が一段落し、遣唐使の派遣経路が変わると多禰島の重要性は薄れてきた。 大宰府管内の飢饉に対処するために、多禰島の運営経費に当てていた税収が減少することになったため、 財政の見直しの観点から天長元年(824)十月一日に多禰島司を廃止し、四郡を「熊毛郡」「馭謨郡」の二郡に再編して「大隅国」に編入した。 ・「種子島」は、鎌倉時代には「見和氏」「肥後氏」が支配した。 鎌倉時代の建仁三年(1203)年以降は「種子島氏」が支配、応永十五年(1408)以降は「屋久島」も支配した。 両島は16世紀末に「島津氏」の支配に移った。 ・多禰国一宮は「益救神社(やくじんじゃ・鹿児島県熊毛郡屋久島町)」である。 式内社の南端として鎮座している。 元々は屋久島中央部の屋久島三岳「宮之浦岳」「永田岳」「栗生岳」の神を祀ったものと考えられ、 かつては島内各地に三岳の遥拝所があった。 明治維新までは、旧村18ヶ所に村落名を冠した益救神社があったが、現在は二社のみである。 ・「宮之浦岳(1936m)」は九州地方最高峰、「永田岳」「栗生岳」ほか 屋久島中央部の標高1800m以上の高峰は「奥岳」と呼ばれ、「永田岳」を除き海岸部の人里から望むことはできない。 『三國名勝図會』の記す栗生嶽は位置的に現在の「黒味岳」に相当するとする説もある。 海岸部から間近に聳え、沿岸村落から見上げられる山々は「前岳」と呼ばれ、「本富岳」「国割岳」「愛子岳」などがある。 ・屋久島には「岳参り」という風習がある。 春秋の彼岸になると、村落ごとに若者を中心とした一団が御岳に登山し、 シャクナゲの枝を土産として里に持って帰る。 村落ごとに登る山は違うが、いずれにせよ「奥岳」へ行くには2~3日を要するため、代表者が山へ登った。 留守の者達は「前岳」まで登って代表者たちを出迎えるか、「詣所(もいしょ)」という「揺拝所(ようはいしょ)」に出迎え、 そこで神霊ののったシャクナゲの枝を貰い、各家の床の間に飾った。 しかし昭和も終わり頃になると、自然保護の観点からシャクナゲを持ち帰ることは廃れていった。 ・「森とも山ともつかぬ地方的な聖地」として、 種子島に「ガローヤマ(ガロー・ガロー山)」があり、「伽藍(がらん)山」の転訛だという。 これは「樹木が生い茂った森」で、みだりに入ると祟られるという。 「ガロー」は「水の神、山の神、田の神、池の神、荒神などの総称」である。 「ガロー田」という神田を持つ所もあり、不浄を避けて、神饌米が作られる。 全島内に百五十箇所はあり、東海岸に特に多く、西海岸には無く、南部の南種子町に多い。 当サイトの項目 項目1:波動原理と放射能除染の概略 (メニュー1) 項目2:波動器具・一部農法・一部機器等による除染法 (メニュー2) 項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 (メニュー3) 項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 (メニュー4) 項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 (メニュー5) 項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次(メニュー6) 項目6①:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー7) 項目6②:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー8) 項目6③:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー9) 項目6④:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー10) 項目6⑤:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー11) 項目6⑥:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー12) 項目6⑦:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー13) 項目6⑧:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー14) 項目6⑨:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 (メニュー15) 項目6⑩:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー16) 項目6⑪:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー17) 項目6⑫:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー18) 項目6⑬:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー19) 項目6⑭:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー20) 項目6⑮:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー21) 項目6⑯:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」(メニュー22)
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カスマ、ホストが誰をいじったかと所属クランを出撃前から表示するようにして欲しいんだけどな。なんでそこ隠すんだろ。 - 名無しさん (2021-01-15 16 45 13) この時間帯、地上レートでコストにマッチする機体がないせいで宇宙レートがついに地上レートを追い越したぞ!DP下さい!あともっとマップのチョイスはコストをバラけさせて!! - 名無しさん (2021-01-15 00 54 44) カスパはともかくメイン装備は絆程度には見せてほしい 射撃メイン装備複数ある機体が並んでるとどうするか悩む - 名無しさん (2021-01-15 00 36 14) フリーな状況下だと可能だけど、目の前の敵と戦いながらマップを見るのはどうしてもキツい。高レート帯ほどよそ見は命取りだし、見れたとしてもちょうど良くマップに映るとは限らない。 - 名無しさん (2021-01-15 00 30 27) とあるやり取りがきっかけでフレになった元野良。汎マシ、強襲マシ(BD1乗った場合)、レートはC~Dを行ったり来たり。どうにも向上欲がないようなので、そっと切り捨ててもいいっすか? - 名無しさん (2021-01-14 20 05 02) 別にリアルの知り合いとかじゃなければいいんじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 20 05 56) リアフレでもないので、近い内に切り捨てます。なんで俺らのカスマに呼ばれないか自覚してるんだろうか・・・? - 名無しさん (2021-01-14 20 06 56) 相手もそんな木の集まりに執着していないと思うぞ。お互いにどうでもいいと思っているならさっさと切ればいいじゃない。 - 名無しさん (2021-01-14 20 13 24) うむ、そうする。 - 名無しさん (2021-01-14 20 16 50) 初心者ではなくてか - 名無しさん (2021-01-14 20 06 13) 2周年の頃から始めたんだって。クラメンにも似た境遇の人おるけど、そっちは十分Bクラスと渡り合えれる位の実力持ってる。そう比べると、ねえ? - 名無しさん (2021-01-14 20 08 31) 2周年からならただこういうゲームが余り上手くないだけかもしれんからなぁ… まぁリアフレでもないなら別に切ってもいいだろう - 名無しさん (2021-01-14 20 14 05) ライトユーザーが嫌なら切っても良いんじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 20 13 44) 強い機体乗った物勝ち - 名無しさん (2021-01-14 20 04 03) 過ぎて最近つまらなくなってきたな - 名無しさん (2021-01-14 20 04 29) せやな…だが放置マンとかも大体は強機体に乗ってない? - 名無しさん (2021-01-14 20 05 22) 港湾のグフフが楽しいんですが解ってくれる人おりゅ? - 名無しさん (2021-01-14 20 01 09) 開けてるから相手汎用が押し込まれがちだと射線が自分に向きやすくてちょっと辛い感、C地点奪い合ってる時は支援が前だろうと後ろだろうとちょっかいかけれて楽しい - 名無しさん (2021-01-14 20 07 19) ウッキー!!!!今年は申年ぃぃぃ!!!!(なおのるのはマツザク) - キンカニというよりキンザクと化し始めてきてるキンカニ (2021-01-14 20 00 17) 持ってない武器が当たってGガンダム用ビームライフルが出て、一瞬誰の武器だか分からなくて困惑した。Gガンダムって見るとゴッドガンダムしか浮かばなくてガンナーと分からなかった - 名無しさん (2021-01-14 19 59 45) 捕まえたで思いつくMSは - 名無しさん (2021-01-14 19 59 39) Zガンダム。なんか序盤から終盤までジェリドやヤザン大尉に捕まってたイメージが強い - 名無しさん (2021-01-14 20 05 44) ズゴックに両腕挟まれて上で息を吐きかけられるガンキャノン - 名無しさん (2021-01-14 20 18 27) 650でも射撃戦マップなら強襲欲しくない?近接マップならジオにおまかせするんだけども - 名無しさん (2021-01-14 19 58 50) 射撃戦するならそれこそ強襲じゃ脆いし、絶対接近戦もするからなぁ… どの道つらそう。 - 名無しさん (2021-01-14 20 02 27) 射撃戦の中で強襲が支援倒すのつらくなーい? - 名無しさん (2021-01-14 20 04 10) 射撃戦MAPならむしろ042編成すらありなんじゃないか?正直広いMAPで強襲乗るの辛いよ。 - 名無しさん (2021-01-14 20 05 22) 042はありだね。問題は野良でそれができるかか…。個人的には強襲出さなくて支援に暴れられて負けるのが嫌いなのよね - 木主 (2021-01-14 20 10 50) バイアランかぁ……案の定出なかったけど、キャラの濃い機体が来るとワクワクするね - 雑に描くマン (2021-01-14 19 58 18) 腋のブースタ部分を女の子の腕にすればいいんじゃない?ヒュッケバインボクサーみたいな感じで - 名無しさん (2021-01-14 20 04 07) 言いたいことはよく伝わったが、ソイツを例えに出してくるとは……OG新作はよ - 雑に描くマン (2021-01-14 20 06 11) おじいさん新作は2016年に出たばかりでしょ! - 名無しさん (2021-01-14 20 10 40) バイアラン、なんで脇なんだろう - 名無しさん (2021-01-14 19 56 50) FANZAの猥褻ゲーより韓国産のアプリゲーの方がキャラクターえっちっちだと思うんだけどなんでFANZAにはああいう絵柄のゲームないんじゃろうか… - 名無しさん (2021-01-14 19 54 58) 多分木主が少数派だからじゃない?多数がそういう絵柄を好むならたくさん出てるはずだから - 名無しさん (2021-01-14 19 58 59) そっかぁ…悲しいね…… - 名無しさん (2021-01-14 20 01 00) オッサン同士が盛り合う映像を出し続ける業界があるということはホモは多数派だった…? - 名無しさん (2021-01-14 20 05 53) DLsiteの方も漁れ - 名無しさん (2021-01-14 20 13 09) DLsiteの方ってにじよめだっけ?あっちのがぶっちゃけ絵柄はマイルドだよな - 名無しさん (2021-01-14 20 16 57) ガルスJ - 名無しさん (2021-01-14 19 51 52) リゲルグ「バイアランおめぇ~肩すげぇ~な~、おらわくわくしてきたぞ」 - 名無しさん (2021-01-14 19 50 45) 肩というよりは鎖骨な希ガス・・・ - キンカニ (2021-01-14 19 55 29) バイアランのここ、空いてますよ?(脇を指しながら) - 名無しさん (2021-01-14 19 55 30) キュベレイ「くっくっく。バイアランは我々横がながぁーい四天王の中でも最弱。」 - 名無しさん (2021-01-14 19 59 21) でも君たちと違ってバイアラン君サーベルのリーチが長くなるって利点もあるんやで? - 名無しさん (2021-01-14 20 03 03) 教えてくれ五飛。俺たちはあと何回PS5の抽選申し込みをすればいい? - 名無しさん (2021-01-14 19 48 24) 2回 - 名無しさん (2021-01-14 19 49 45) 何事3回と言われておるじゃろ - 名無しさん (2021-01-14 19 53 13) swichよりも値崩れ早いし普通に買えるようになるのもそんな先じゃない印象 - 名無しさん (2021-01-14 19 55 39) ウケ狙いや冗談はともかく真面目な話に対して見当違いの回答してるここの一部のバカどもがバトオペやってるんだと思うと笑えてくるな - 名無しさん (2021-01-14 19 47 13) 雑談板に暴言書き込むやつがいるくらいだもんなぁ。 - 名無しさん (2021-01-14 19 49 38) 上手い - 名無しさん (2021-01-14 19 52 17) ミルクでも飲んで落ち着けよ、砂糖入れるか? - 名無しさん (2021-01-14 19 50 29) ガムシロップでお願いします - 名無しさん (2021-01-14 19 51 46) 被っちゃった結婚 - 下の緑 (2021-01-14 19 52 45) ガムシロップで - 名無しさん (2021-01-14 19 51 48) なんかのネタ? - 名無しさん (2021-01-14 19 53 55) ミルクにはガムシロップが一番似合うってだけだぞ - 上の緑枝 (2021-01-14 19 56 11) メープルシロップも合うぞ(横からー) - 名無しさん (2021-01-14 20 03 59) お茶でも飲んで…話でもしようや…… - 名無しさん (2021-01-14 19 53 25) ジョボジョボジョボ - 名無しさん (2021-01-14 20 01 59) アバ茶...!!! - 名無しさん (2021-01-14 20 03 51) あの花にお茶全部すわせるのは無理があると思った(小並) - 名無しさん (2021-01-14 20 05 54) そのまま飲めば良かったよね、作者はアホだと思う - 名無しさん (2021-01-14 20 08 52) 第5部、完! - 名無しさん (2021-01-14 20 09 49) スゴ味で無理矢理納得させるのがジョジョ - 名無しさん (2021-01-14 20 14 30) 100%吸える素材だとして、カップ一杯分の水分が口の中に残っているってことだもんな。あれ絶対吸わせたって体で飲みたかっただけだぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 20 09 35) 場が場とはいえ唇つけるのも相当嫌よな - 名無しさん (2021-01-14 20 11 20) 毒とかならあの対応でもいいけど、結局、口つけて口の中に流れ込んで~だしね - 名無しさん (2021-01-14 20 14 34) 笑えてええんじゃよ - 名無しさん (2021-01-14 19 56 03) 叩かれてるけどちょっとわかる。ネタ木とか愚痴じゃないのにふざけた枝付けてくるのは普通に寒い - 名無しさん (2021-01-14 19 57 21) 前に何の問題も無い一人の意見に理解のない人達が鬼の首獲ったみたいに叩いての思いだすわ。煽れると見たら煽るヤツがここ見てると思うと怖いね - 名無しさん (2021-01-14 20 03 20) 勘違い百回見直せマンのやつか。叩ける餌を常に探してる匿名掲示板の闇が見えたね - 名無しさん (2021-01-14 20 04 48) まずそれは「何の問題も無い一人の意見」が怪しいと思うの - 名無しさん (2021-01-14 20 05 29) 伝わってた人もしっかり居たよ、でも伝わってない人は伝わってないでネチネチ煽るとかいう始末。 - 名無しさん (2021-01-14 20 09 47) 付け入る隙があったら完膚なきまで叩く 誰かを叩くと言う所業は棚に上げて 人間だねぇ - 名無しさん (2021-01-14 20 06 51) 面白そうなおもちゃ見つけたらちょっと触って突っついてみたくなっちゃうのは仕方が無いと思うの - 名無しさん (2021-01-14 20 13 48) おもちゃにも心はあるのよ...誹謗中傷で自殺に追い込んだ人達も他人の心情を自分の裁量で測るからああなる - 名無しさん (2021-01-14 20 23 05) おまけに死んだら死んだで祝杯やら動画上げたりな…やべぇわ - 名無しさん (2021-01-14 20 26 17) まぁネットする上で気を付けなくちゃいけないのは、傷付けるのであれば傷付けられる覚悟が無いならやめとけってこったな、他人を傷付けておきながらいざ自身が傷付けられたら被害者面するとかそういう奴多いしな。その辺のネットリテラシー覚えてからネットに書き込むべきよね(木を見ながら - 名無しさん (2021-01-14 20 38 19) 傷付けられる覚悟があるから傷付るってのは違うと思う、そも何もしてないのに誹謗中傷される事もあるんだし、淫夢とかいう気色悪いコンテンツとかまさにその典型 - 名無しさん (2021-01-14 20 44 52) ドム:私のチクビームでも受けて落ち着けよ - 名無しさん (2021-01-14 19 58 01) いい雑談で終わらせたければ、俺達に協力しろ。OK?(コマンドー感) - 名無しさん (2021-01-14 20 00 23) 木主みたいなのがバトオペやってるくらいだしな - 名無しさん (2021-01-14 20 00 29) 特大ブーメランで首掻っ切られてるけど大丈夫か? - 名無しさん (2021-01-14 20 17 03) この木みたいな高圧的な言葉遣いだとまともに - 名無しさん (2021-01-14 20 23 54) 失敬。まともに会話する気があると思えんからネタで返すこともあるな。経験上、そういう木にまともに返答しても非を認めないわ煽りだすわで結局まともな会話にならんかったことが多い。 - 名無しさん (2021-01-14 20 26 10) 密林で支援と汎用一機が突出してオイオイオイ負けたわ…って思ったけど5000差で勝ったわ…大したものですね - 名無しさん (2021-01-14 19 44 25) 他ゲーの掲示板で運用議論したいのにソシャゲはおりゅ煽りとかでマトモに話にならんなあ。このゲームもソシャゲシステムなのにあんまおりゅ煽りはないね(機体板がマトモとは思わんけど) - 名無しさん (2021-01-14 19 44 08) だってこのゲームって該当機がなくても他の人がそれ出したり、機体ごとに出来ることが違うから所持煽りとか意味ないですもの… - 名無しさん (2021-01-14 19 50 58) それだけマトモな出来ってことよ。総数が多いだけで使えるキャラが全体で5%以下ってゲームも普通にあるからね - 名無しさん (2021-01-14 19 55 14) 支援乗ってる時のキュベレイ、照準合わせるまで割とヒヤヒヤ - 名無しさん (2021-01-14 19 42 55) 相手開幕1人切断したのにダブルスコア付けられて負けるうちのチーム… - 名無しさん (2021-01-14 19 39 52) 案ずるな、敵がニュータイプだっだけの事 一般兵には名が重かろうよ - 名無しさん (2021-01-14 19 43 48) シン・エヴァ再延期か - 名無しさん (2021-01-14 19 37 56) 仕方あるまいある程度コロナ落ち着かないと - 名無しさん (2021-01-14 19 40 31) 実は濃厚接触(意味深)シーンがやたら多いから自粛って理由な可能性があるのもエヴァ - 名無しさん (2021-01-14 19 52 33) 楽しみにしてたのに最悪すぎる。うちの地域は宣言出てないし出るほどでもないからこっちでやってくれ。 - 名無しさん (2021-01-14 19 51 13) は?地方だけ上映かよしゃあねえ遠出するか - 東京民 (2021-01-14 19 53 51) 多分俺が見に行くの1回だけだし問題ないな - 名無しさん (2021-01-14 19 57 25) …とまぁこうなるから一部地域だけ上映ってわけにもいかない - 名無しさん (2021-01-14 20 34 03) 製作費溝に捨てるようなものだな - 名無しさん (2021-01-14 20 03 12) ダブルスコア差もあるのに強襲エースになっちまったぁぁぁぁ!しかも相手エースは支援!?諦めたら試合終了だから諦めんが、この絶望は心臓に悪かった。 - 名無しさん (2021-01-14 19 35 16) 港湾 高台長距離射程支援 狩れない たすけて - 名無しさん (2021-01-14 19 35 15) コストによるが、そもそも射線の通らない自陣側に引き付けて戦う(前線を下げようを打つなりして)だけで幾分かマシになるぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 19 36 33) ただ全員でそのムーブをするのがなかなか難しいんよね、たいてい2期くらいはわざわざ出ていく - 名無しさん (2021-01-14 19 38 28) まぁ野良だからね。 - 名無しさん (2021-01-14 19 44 37) そうか……相手ガンナーだったもんでなかなか鬱陶しかったから助かる - 名無しさん (2021-01-14 19 40 29) やっぱアッガイなんだよなぁ - 名無しさん (2021-01-14 19 35 12) 私を忘れるとムチでお仕置きよ~ - アッグガイ (2021-01-14 19 37 24) それでもやっぱアッガイなんだよなぁ - 名無しさん (2021-01-14 19 40 55) 今週はトークンを貯金期間だな! - 名無しさん (2021-01-14 19 34 54) キュベ2の三叉下がFAZZに5桁ダメ出すの見ると、こいつだけ規格外だなって再認識する。 - 名無しさん (2021-01-14 19 33 53) 「部屋が満員です」で受付嬢まで戻されるのってもう直らないのかね - 名無しさん (2021-01-14 19 33 26) クソメガネ「お疲れさまでしたw」 - 名無しさん (2021-01-14 20 04 57) バイカス色にして「EFF」貼ったけど…ちょっとデザイン違ってた - 名無しさん (2021-01-14 19 33 20) バイアランは面白そうだけど、難しそうですね〜 - 名無しさん (2021-01-14 19 33 03) 動画でバイアラン見たら後ろ姿すげぇかっこ悪かったから追わないことにした - 名無しさん (2021-01-14 19 36 08) バイアランって地上より宇宙の方が強いのかな…? - 名無しさん (2021-01-14 19 24 56) 強制噴射が無いけど旋回速度とスピードは優秀だからアリかも。 - 名無しさん (2021-01-14 19 27 53) AMBACがある分、フライトは落とされやすく強制噴射が無い地上よりは動きやすいかな? - 名無しさん (2021-01-14 19 28 31) タッチパット覧が寂しい…宇宙でもなんかつけてくれや - 名無しさん (2021-01-14 19 36 48) 地上ホバーの機体は宇宙で評価が変わることもままある。 - 名無しさん (2021-01-14 19 55 59) 戦闘不参加と煽りチャット2つにチェック入れて通報したのは初めてだよ… - 名無しさん (2021-01-14 19 11 12) 前に居たわぁ、そういうラビキャ。序盤に堕とされまくって拠点籠りと煽り。今だったら通報案件だったなぁ - 名無しさん (2021-01-14 19 15 11) そいつは全く敵と戦ってないから今思えばそっちよりまだマシなのかも、と思えてきた - 木主 (2021-01-14 19 17 56) あれ同時に挿入れられたんだ。てか故意FF太郎を通報したいときの項目がないんだよな。 - 名無しさん (2021-01-14 19 16 02) いけるかなーって思ってやったらいけたわ、故意かどうかの判断は運営側がなかなか難しいからじゃない? - 木主 (2021-01-14 19 18 41) 戦闘放棄や不参加の方になるんじゃないかな?強いて言えば。 - 名無しさん (2021-01-14 19 20 09) 追記:ってかFFはそれ専用のペナがあったはずだが?それは消えたの? - 名無しさん (2021-01-14 19 21 32) FF強制離脱のことかい?アレなら抜け穴あるんだよねぇ - 名無しさん (2021-01-14 19 23 15) よろしくないから詳細は書いて欲しくないが、もし敵ごと切ってるならそれは措置対象外と思うよ。故意で執拗にそれをしていても。 - 名無しさん (2021-01-14 19 25 03) 一発だけなら誤射かもしれないで一発だけFF入れる奴、敵が近くに居ればFF検知されないからそれを利用して何回もFFする奴とかFF業界の技術も高度になっているからな - 名無しさん (2021-01-14 19 23 40) 極上ペナルティってか(FFだけに) - 名無しさん (2021-01-14 19 25 27) 自分は非協力的な行動って事で戦闘不参加で報告してるよ - 名無しさん (2021-01-14 19 22 56) 強い弱いで語られないバイアランはやはり愛されてる。何よりパイロットのジェリドが愛されてる - カクリコン・カクーラー (2021-01-14 19 07 41) ア、アッシマー派ァ… - 名無しさん (2021-01-14 19 10 08) ストカス「汎用機を頼む」←わかる ケンプ、バイアラン「汎用機を頼む」←?ってなる。君ら汎用… - 名無しさん (2021-01-14 19 00 20) 自分という汎用機を助けてくれという遠回しな救援要請かもしれない - 名無しさん (2021-01-14 19 01 35) 好意的に受けとればそうとれるな、援護頼むで良いとは思うけど…… - 横から (2021-01-14 19 05 31) 海外のテキストだとどうなってるんだろ? - 名無しさん (2021-01-14 19 08 11) 見方支援機仕事しろって事。転じて「お前支援機へたくそ」という意味も持つ。尚、味方支援は敵強襲にボコられてる模様。【強襲機を頼む!】 - 名無しさん (2021-01-14 19 06 13) 支援機がアシ、与ダメトップだったから支援機が働いて無いって事はなかったような…まぁ忘れよう!気の迷いで汎用機を頼むを連呼したんだろう…きっと木主 - 名無しさん (2021-01-14 19 25 16) 「支援機よちゃんと汎用を狙え」かもしれんぞ - 名無しさん (2021-01-14 19 06 46) 下手くそが喚いてるだけたから気にするな - 名無しさん (2021-01-14 19 08 14) 「強襲機を頼む」連呼するケンプよりマシでしょうよ。そして支援機に乗ってた自分がFFされるっていう…もう訳が分からなかった。 - 黒餡飯 (2021-01-14 19 19 35) 陸ゲルVDで与ダメ3万台はヤバいゾ…ちょっとドム系乗ってた間に感覚忘れたか……? - 名無しさん (2021-01-14 18 58 39) バッ、バイアラン中スロ5ってお前・・・キャクブガー防止装置を付けたらもうほぼカスパ盛れるの無いやん!助けてジェリドォ!! - 名無しさん (2021-01-14 18 57 59) ぶっちゃけ折れたら飛べば良い話だから脚部要らないかも。 - タマゴッグ (2021-01-14 18 59 45) 足折られてフライトできたっけ? - 名無しさん (2021-01-14 19 03 40) 空飛ぶのに脚はいらんからね、飛べるよ - 名無しさん (2021-01-14 19 07 50) そうだったのか…グフフで足折られた時に焦って飛べるの気づかなかった…損した - 名無しさん (2021-01-14 19 12 13) グフフもそうだけど足折れてフライト中にスラ噴いて即座に格闘しようとするとバランサー消えてるのだけは要注意やで - 名無しさん (2021-01-14 19 23 10) 耐格4と噴射盛り盛りやろがぁ〜 - 名無しさん (2021-01-14 19 00 24) アシハヤクナールは積まないのですか?自分は詰んでる - 苦行のフレンズ (2021-01-14 19 03 59) スラスピアガールがあれば…アシハヤもあったら良いかもしれないけどやっぱスラスターには替えられないぜ - 名無しさん (2021-01-14 19 05 51) フライトONして高度取らなければ見分けつかないから大丈夫。ブーストきれても骨折着地にならないしな。 - 名無しさん (2021-01-14 19 04 12) 分かったぜジェリドォ! - 名無しさん (2021-01-14 19 09 53) バイアラン!さてはてめぇ射撃機に見せかけた(?)格闘機だな! 画面の左側が見えネェ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 18 56 57) バイアランをけものフレンズのコウテイペンギン風にペイントしてみたが…割といけるなぁ(ハイレグは良いぞ) - 苦行のフレンズ (2021-01-14 18 56 54) 熱、喉、鼻に、バイアラン。 - 名無しさん (2021-01-14 18 55 33) バイアランの半分は優しさでできています - 名無しさん (2021-01-14 19 02 07) バイアラン好きだからいつもは配信者の配信見てから引いてたけどその前に速攻引いたら久々に沼ったよ(80連) - 名無しさん (2021-01-14 18 49 59) 半額でバイアラン来たァ!Lv2だけど観賞用とするからなんら問題はない! - 名無しさん (2021-01-14 18 47 19) そいつを寄越せぇぇえ!!(全レベコンプ廚) - 名無しさん (2021-01-14 18 49 32) 脆いのは気になるかもだが割と普通に戦えるから安心してええで、前述の脆いの含めてちょっと難しいけど - 名無しさん (2021-01-14 18 50 47) Lv2の一番デカいところは箱部屋の点数が850から1000になることだ - 名無しさん (2021-01-14 18 54 56) バイアラン宇宙行けるんだって声が結構あって驚き…宇宙飛んでたのに… - 名無しさん (2021-01-14 18 42 49) バイアランのイメージって言ったらキリマンジャロでサイコ撃墜したイメージが強すぎて他に思い出せないくらいだなぁ。 - 名無しさん (2021-01-14 18 45 30) なんであ!どこからでもこい!近づく奴は皆灰にしてやる!もかっこよかったdろ!! - 名無しさん (2021-01-14 18 47 31) アポリー墜としたのもグワダン攻撃したのも宇宙の話なんだけどね…なんなら宇宙の方が出番ある - 名無しさん (2021-01-14 18 47 48) アポリー「ほら!俺落とされたやつ!」 - 名無しさん (2021-01-14 18 48 14) というかアニメでフライトっぽいシーンの方がないよな。短時間ジャンプしてるのなんて作画カロリー削減のためどの機体でもやってるし。飛行できるって情報得てからZ本編みたからバイアラン大して飛んでなくてアレ?ってなった記憶 - 名無しさん (2021-01-14 18 47 00) バイアランの設定知るまでMSは地上でも自由に飛べると思ってたなぁ。(だから何でベースジャバーに乗っかるんだろうとか散々考えてた) - 名無しさん (2021-01-14 18 52 21) バイアランといえば大気圏内での自由な飛行で圧倒しているイメージしかないな(多分バイカス) - 名無しさん (2021-01-14 18 48 42) Ζ追い詰めてた時の印象が強い - 名無しさん (2021-01-14 18 51 39) それな。個人的にはもぐら叩き作戦での名有りパイロット(エンドロール的な意味で)の撃墜で結構印象的だった。 - 名無しさん (2021-01-14 18 54 28) シャトルの飛行機雲にぶつかって転がり落ちる最中にアムロから無情な追撃食らうシーンが一番印象に残っている私ってやっぱり異端者か・・・・・・。 - 名無しさん (2021-01-14 18 55 42) ジェリドのやられシーンは全体通して印象深いですしおすし。松葉杖状態でカミーユに崖に投げ落とされたのが一番好き - 名無しさん (2021-01-14 18 58 33) アムロからの追撃を受けて機体共々無事って割とすごいと思うわ - 名無しさん (2021-01-14 19 07 26) 今の家族(嫁、息子)とは仲良いと思う。実父とは最悪だった。 - 名無しさん (2021-01-14 18 42 37) 初代見たことある人でも4割はガイア、オルテガ、マッシュのどれがどれだか分からない説 - 名無しさん (2021-01-14 18 41 30) ガイア=ひげもじゃ、オルテガ=顔長、マッシュ=片目に傷だな - 名無しさん (2021-01-14 18 43 53) さすがにガイアぐらいは……でも自信ないな…… - 名無しさん (2021-01-14 18 43 57) 途中送信。素顔あんまり見せてなかった気がするし。 - 枝 (2021-01-14 18 44 41) 百合に男混ざる同人売って勇次郎にボコられるヤツがガイア - 名無しさん (2021-01-14 18 46 01) よく知らんけどガンダム無双で「た、隊長…!イ゛ェ゛ア゛ア゛!!」って言ってる顔が縦長のヤツがマッシュだ - 名無しさん (2021-01-14 18 44 24) 3人の顔一致とか1%以下だと思うの - 名無しさん (2021-01-14 18 46 26) オスカーとマーカーを見分けるよりは簡単 - 名無しさん (2021-01-14 19 01 04) 家族と仲良い? - 名無しさん (2021-01-14 18 37 37) 凄く仲良いぞ!この左手にはめてるウサギさんなんだけど… - 名無しさん (2021-01-14 18 39 44) 周りがドン引きするぐらい悪い - 名無しさん (2021-01-14 18 55 46) 今は離れて暮らしているけど、実家とは仲いいぞ。ただ妹曰く「いないと寂しいが、いると壊れたラジオがあるみたいでうるさい。」と言われているけどね。 - 名無しさん (2021-01-14 19 06 59) ギャァ!敵の赤い散バズバーザムがめちゃ強くてトラウマになったわ…ネタじゃ無いんだな - 名無しさん (2021-01-14 18 36 30) 一応ネタではないが改悪されて使い辛くなった散弾バズ使ってる時点でネタ扱いされそうではある - 名無しさん (2021-01-14 18 39 20) 当てやすくはなったが改悪なんてされたか? - 名無しさん (2021-01-14 19 35 35) ふふ(^ω^)wifi切れてペナルティ貰ったぜ(^◇^)さっきやっと治ったo(^▽^)o通報されてるんやろなぁ..._ (´ཀ`」 ∠) - 名無しさん (2021-01-14 18 35 24) 第一weve完勝した後の第二weve始まったタイミングで切れたからワンチャン事故かなって思ってくれた人居るだろうか... - 名無しさん (2021-01-14 18 37 10) weveて...waveだった - 名無しさん (2021-01-14 18 38 40) 有線にするとこういうこと無くなるよ! - 名無しさん (2021-01-14 18 47 06) したい...でも回線4本あるから踏み切れない...ゲームの為だけになっちゃうし - 名無しさん (2021-01-14 18 52 18) 対人ゲーで無線は相当白い目で見られるぞとだけ - 名無しさん (2021-01-14 19 40 31) ルーターから有線引けば行けるはず - 名無しさん (2021-01-14 19 25 31) バイアランLv2を引き当てたけど中距離スロが少なすぎてカスパが意外に悩む…とりあえず、噴射Lv3と強フレLv5で埋めた後に耐ビーLv3とか耐格Lv4積んだりしてバランス良いカスパ組んだけど…体力低いなぁ… - タマゴッグ (2021-01-14 18 32 13) 装甲剥いで体力に振るのはいかが? - 名無しさん (2021-01-14 18 42 23) なんか昨日よりも今日の方がみなおかマンや頼りになるなマンとかエースになって残り1分ぐらいまで歩兵の旅するマン(敵側)とか遭遇頻度が一気に増した気がする...公式で垢停止報告まであったのにいったい何が彼らをあそこまで駆り立てるんだ...!? - 名無しさん (2021-01-14 18 19 35) 多分彼らなりに安全圏のラインを引いたんじゃないかな…ここまでならアウトにならないという - 名無しさん (2021-01-14 18 21 39) 垢BANチキンレースだよ - 名無しさん (2021-01-14 18 22 04) むしろ停止されなかったから喜んでやってそう - 名無しさん (2021-01-14 18 23 06) あ、それかあ!でも複数からまた通報されたら今度こそ垢停止くらうって考えはないんだろうか...? - 名無しさん (2021-01-14 18 25 41) 緊急性の高い(エグイ)順にプレイ停止措置してると思うから、いずれネガチャットマンは措置くらうんだが、何か勘違いしてるみたいやね。いいんじゃない?ある日突然そいつら一斉に停止くらってデイリーのトークンも稼げなくなると思えば。 - 名無しさん (2021-01-14 19 07 04) なまじ今まで我慢してた分の反動があったりするんだろうか…… - 名無しさん (2021-01-14 18 27 44) 結局蓄積してるんだから今回はセーフでもあとちょっとでも通報されればアウトかも知れないのによくやるよな…居なくなって欲しいから通報出来てありがたいが - 名無しさん (2021-01-14 18 25 00) 生の感情むき出しのまま戦ってる地球の重力に魂を捕われた古い地球人なんだよ - 名無しさん (2021-01-14 18 28 37) 違反者がBANされた=BANされなかった俺達は合法 多分ここにも「連呼が対象だから1回ならセーフっていってたけどやっぱりそうだったな」とか自慢しに来るのがでそう - 名無しさん (2021-01-14 18 29 04) BANされなかったマンはもう沸いてたぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 31 24) 彼は繊細なピュアボーイかもしれないから… - 名無しさん (2021-01-14 18 32 50) その手の連中ってなんで公式から今はまだ見逃してもらえているだけっていう事実を理解できないんだろうなあ。現実で言うなら警察が相手しないレベルのチンピラ、ただの雑魚だと思われてるだけなのに - 名無しさん (2021-01-14 18 33 54) ヤツはban垢四天王でも最弱、第二第三のban垢が現れるだろう…複垢は個別banなんじゃろうか? - 名無しさん (2021-01-14 18 38 10) ゲーム側としてはただの個別のIDとしか分からないんじゃないかね。SONY側も本体に紐付くアカウントたちの関係とか渡す必要ないものは開示しないだろうし。 - 名無しさん (2021-01-14 18 41 03) 「やったぁ!俺はセーフだぁ!」と意気揚々と迷惑行為すりゃ次はそいつが垢停止喰らうんだけどねぇ、まぁ我々は粛々と通報していこう - 名無しさん (2021-01-14 18 41 00) それ言ってた奴ついさっき居たよ。これで終わりだとでも思ってるんだろうか... - 名無しさん (2021-01-14 18 45 18) 中国のコロナワクチン副作用73種って多いのかわからんぞい?予防接種博識兄貴教えて! - 名無しさん (2021-01-14 18 17 50) 致命的な副作用があるかどうかは知らないけど副作用の数自体は大差ないと思う - 名無しさん (2021-01-14 18 20 37) 市販の風邪薬だって結構副作用書いてあるよな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 18 23 47) バイアラン乗ってて楽しい!バイアラン乗ってて楽しい!(素振り) - 名無しさん (2021-01-14 18 16 09) なんだかいいのが来そうな予感~wwww ギャプランLv3 どない? - 名無しさん (2021-01-14 18 15 38) キュベmk2以外の強襲に存在価値ないです… というか650で強襲が存在する価値もないです… - 名無しさん (2021-01-14 18 19 07) キュベ2以外人権無いよマジで。Mk5も「キュベ2無いの?」って思われるレベルだし。 - 名無しさん (2021-01-14 18 20 41) 人権とか言うの止めた方がいいよ、普段から使ってるとふとした時に出てやべー奴だと思われる - 名無しさん (2021-01-14 18 42 00) 強化きて火力上がったしクイマで使うぶんには楽しいぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 20 59) NEWならまだいいじゃあないか、こちとら4連続銀からのオールリサチケだ。星2だもの当たるよね✕4を思ってしまったのが恥ずかしい - 名無しさん (2021-01-14 18 21 46) ワイはBBのLV3よ…ダメコンでも増えないと何もできんよ… - 名無しさん (2021-01-14 18 25 13) 今乗ってたぞ。カチカチカスパで遠距離から火力を出すだけで支援機がうろうろするのを見るのが楽しい。まあ正直レートには出せない。 - 名無しさん (2021-01-14 18 29 15) トリスタンlv1出たんだが、カスパ何積めば良い? - 名無しさん (2021-01-14 18 14 40) まだ持ってないけど宇宙で味方のバイアランがめちゃくちゃスコア稼いでたな。宇宙で有利なスキルなんてないのに何が強いんだと思ってたけど、ギャプランに近い火力・拘束力があるのかもしれないと考えた。 - 名無しさん (2021-01-14 18 10 50) ギャプランもなんでそれなりに戦えるのかよくわからんけど使えるからな - 名無しさん (2021-01-14 18 13 43) サブの連射ビーが相手からすると圧があるらしく、大したダメージ出てないのに勝手に回避吐いたりしてくれるんだよな - 名無しさん (2021-01-14 18 20 28) ビームが連続で当たると回避行動に移りたくなるのはまぁわかるなぁ - 名無しさん (2021-01-14 18 29 58) メガネクイッの人、バイアランの評価お願いします - 名無しさん (2021-01-14 18 07 41) フッ....私のデータにはありませんね(メガネクイッ) - 名無しさん (2021-01-14 18 14 07) いいでしょう。バトオペ始まって以来の最強機体ですね。私のデータに狂いはありません。バイアランを出せば必ず勝てます - 名無しさん (2021-01-14 18 16 49) こ、こんなのデータにないぞっ!!(爆散) - 名無しさん (2021-01-14 18 21 13) 僕のデータにないぞ!? - 名無しさん (2021-01-14 18 40 09) 僕の手持ちにないぞっ!? - 名無しさん (2021-01-14 19 32 03) 半額10連の結果にムカついてドミナンス用のトークン全部使っちゃった🤗🤗 - さっき窓Lv4とペドワ引いた木 (2021-01-14 18 07 38) ドミナンス出るの? - 名無しさん (2021-01-14 18 21 11) ドーナンスかね… - 名無しさん (2021-01-14 18 25 49) それ以上 いけない - 名無しさん (2021-01-14 18 26 47) 除雪した雪を田んぼに捨ててるうちに島が形成されたので、せっかくだからここでお湯沸かして金ちゃんヌードル食べたぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 04 41) ジオングは完成度80%なのがよくネタにされてるけど、ヅダの土星エンジンの欠点が残ったままな方がよほどヤバイよな - 名無しさん (2021-01-14 18 03 26) 脚なんて飾りですよ! - 名無しさん (2021-01-14 18 04 18) そういや乙武ガンダムって強いの? 口先だけは立派そうな あ、 - 名無しさん (2021-01-14 18 04 58) 性欲モンスターやで そりゃ強いだろ(意味深 - 名無しさん (2021-01-14 18 40 12) 脚がない…あれで正解なんだ - 名無しさん (2021-01-14 18 07 20) 知名度の差と、どうあがいても未完成or欠陥を残したまま完成させてしまった、で事の性質が違うからなあ - 名無しさん (2021-01-14 18 09 39) 土星エンジンそのものは欠陥品じゃないぞ。ドムに載せてんのもヅダのと同じもんで欠陥なのは土星エンジンでの加速に耐えきれず熱くなって緊急脱出出来なくなるヅダのフレーム設計だぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 11 32) ママチャリにリッターエンジン搭載させてしまった感 - 名無しさん (2021-01-14 18 15 00) レッドゾーンから戻ってこないのは十分致命的欠陥では…。 - 名無しさん (2021-01-14 18 27 04) あの演出はヅダが空中分解する理由と合ってないんだよな… - 名無しさん (2021-01-14 18 28 55) エンジンと本体の2重欠陥だったんだな。 - 名無しさん (2021-01-14 18 34 43) サイコの頭にバイアランの空中下格闘して決めたいけどそもそもサイコMk2になってるから無理だった - 名無しさん (2021-01-14 18 02 23) 必死になってプレイしても負ける、 捨てゲー一歩手前の適当にプレイしても勝つ。 このゲームって人生? - 名無しさん (2021-01-14 18 01 56) バイアランはダメコン無しか、俺の指揮Mマシンガンが火を吹くぜ! - 名無しさん (2021-01-14 18 00 29) 俺のガッシャハンマーガンも当ててやるぜ! - 名無しさん (2021-01-14 18 01 10) 500~550でガッシャとな - 名無しさん (2021-01-14 18 05 18) ワイのメタスがフルチャをぶっぱなすぜ! - 名無しさん (2021-01-14 18 05 21) 指揮Mのはライフルだぞ(めんどくさい設定厨並感) - 名無しさん (2021-01-14 18 09 17) は?MMPマシンガン持てるんやが? - 名無しさん (2021-01-14 18 13 06) 予想不可能な猛者だった… - 赤枝枝 (2021-01-14 18 17 17) 草 - 名無しさん (2021-01-14 18 17 51) 地雷武装やめてもろて - 名無しさん (2021-01-14 18 23 34) 切れのあるウンコ - 名無しさん (2021-01-14 18 24 31) 10連でSE-RのLv1ディジェLv2とLv3が来る謎のディジェ押しだった・・・650ディジェはいけるんかな? - 名無しさん (2021-01-14 17 57 32) 控え目に言って無理です - 名無しさん (2021-01-14 18 49 59) すぐ返信ほしいのでここで聞きます。500地上リゲルグってどう?魔窟ディアスと戦える? - 名無しさん (2021-01-14 17 51 55) 単に魔窟対策なら間合いとって接近挑まなければいいだけなので、中距離なら射撃武器が豊富なリゲルグの方が有利。リゲルグは強制噴射あるけどMAが無いので即ヨロケをもらい易い。緊急Lv2のためにスラスターは温存しておいた方が良いかも。(魔窟とタイマンならね) - 名無しさん (2021-01-14 17 59 43) ディアスは相性悪すぎる。緊急回避吐かせて寝かせたら尻尾巻いて逃げる。 - 名無しさん (2021-01-14 18 09 15) 良かった~♪アカBANされないで!ログインするまで冷や冷やだわ… - 名無しさん (2021-01-14 17 50 14) おや心当たりでも? - 名無しさん (2021-01-14 17 55 15) 知らず知らずに地雷プレーで通報されてる可能性がゼロじゃないからさ… - 木主 (2021-01-14 18 04 20) 地雷プレーだろうが煽りや戦闘放棄ではない限りは大丈夫だぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 07 06) 何度も言われてるけど通報されたところで違反行為してなければ無問題だぞ - 名無しさん (2021-01-14 18 08 30) なぜか公式情報見ないで「でも…心配だよぉ…」する人か - 名無しさん (2021-01-14 18 17 14) 通報しました - 名無しさん (2021-01-14 17 56 11) これからはヒヤ汗かかないよう善良なプレイを心がけましょう - 名無しさん (2021-01-14 17 59 46) トランプのツイッター永久停止みたいなもんか - 名無しさん (2021-01-14 18 06 43) 保留・・・・・・!保留するが・・・・・・!今回はまだその違反報告数の規定までは達していない そのことをどうか木主も心に留めていただきたい つまり・・・・運営がその気になればアカのプレイ停止措置は10日20日後ということも可能だろう・・・ということ・・・・! - 名無しさん (2021-01-14 18 12 16) 敵のヒルドルブが突撃せずにずーっと芋ってて何がしたいんだろうってずっと考えてしまった……。 - 名無しさん (2021-01-14 17 48 21) 無限軌道にザクの腕が絡まったのかもしれない - 名無しさん (2021-01-14 17 50 29) 納得した - きぬし (2021-01-14 17 52 55) 木の言う芋が高台運用なら別にアリだぞ、芋は攻撃出来なくなっても移動しない奴の事だから滅多にいない - 名無しさん (2021-01-14 18 35 34) マスゴミども まともな報道しろ - 名無しさん (2021-01-14 17 48 02) それをここで書き込んでどうしたいんや...? - 名無しさん (2021-01-14 17 51 00) NHKをぶっ壊す - 名無しさん (2021-01-14 18 02 32) あぁなるほど、バイアランって本来腕がある位置にバーニアが増設されてるから肩の先端に腕が取り付けられているのか、てかこれだと腕下げてる時にバーニア吹かすと腕がアチチチ!ってなっちゃいそうだなw - 名無しさん (2021-01-14 17 47 14) しかもワキガでして... - 名無しさん (2021-01-14 17 57 48) なんというか2人羽織みたいに見える…あのアンバランス感は好みが分かれるとこだろうな - 名無しさん (2021-01-14 18 12 16) レッドライダーが実装されたら絶対に5vs5を5色に塗ったレッドライダーだけで出撃するやつ出そう - 名無しさん (2021-01-14 17 46 57) 強化ジェリドごっこ - あれはマークトゥー?カミーユか!こっちにもマークトゥー!カミーユだな! (2021-01-14 17 43 48) 逆やんけ。恥ずかしい - 名無しさん (2021-01-14 17 44 29) 強化し過ぎたか… - 名無しさん (2021-01-14 17 46 28) バイアランくん地上でも宇宙戦みたいな挙動が出来る感じなんやね - 名無しさん (2021-01-14 17 41 01) バイアランの強化リストに緊急出撃あるのぴったりでいいな。改修してまで取る優位性があるかはさておき。 - 名無しさん (2021-01-14 17 39 35) あー未塗装で借りパクしたジェリドの再現なのか。しかし強化セキュリティ… - 名無しさん (2021-01-14 17 41 30) ガンダムサンドロック「フン!フン!フンフン!」 - 名無しさん (2021-01-14 17 37 50) ダメコン持ち新機体「マニュ欲しいなー」、マニュ持ち新機体「ダメコン欲しいなー」 - 名無しさん (2021-01-14 17 33 56) 何も持たざるもの「隣の芝生はあおいってヤツだな。 - 名無しさん (2021-01-14 17 37 31) ダメコン・MA無し既存機体「どっちでもいいから欲しいなー」 - 名無しさん (2021-01-14 17 37 36) ソゴ&高ドム&ドライセン「「「関係ねぇ、ブン殴るまでよ!」」」 - 名無しさん (2021-01-14 17 38 13) 当たらないなら当たるまで回せば良い...こんな簡単な事に気付かなかったなんて...俺やっと目が覚めたよ - 名無しさん (2021-01-14 17 33 29) 貴公… - 名無しさん (2021-01-14 17 34 41) ねーねー。なんでおじさんはそんなにごった目をしてるの~? - 名無しさん (2021-01-14 17 34 51) それはな~おじさんがマダオだからなんだよ~ - 名無しさん (2021-01-14 17 37 06) 月末あたりに利用明細来たらもっと重要なことに気付きそうだな - 名無しさん (2021-01-14 17 38 33) 穴≡ドヒャア!!! ドヒャア!!!≡穴 穴(バイアラン)<スラスターから光がギャァァァァアアア!!! - 名無しさん (2021-01-14 17 32 46) ワキが熱そう - 名無しさん (2021-01-14 17 33 22) 駅伝大会を横切った車が書類送検されたそうだけど、いくら市や町でも住民全員の同意も得ずに勝手に開催して道路封鎖してんじゃねえよ!って思うわ。 - 名無しさん (2021-01-14 17 32 14) 「この先工事の為通行禁止」って看板があるのに無視して侵入して工事の邪魔をしても同じことを言いそう。 - 名無しさん (2021-01-14 17 34 36) アナーキーな人って国や自治体に文句言いながらその恩恵はしっかり享受してるよな - 名無しさん (2021-01-14 17 39 49) 神羅に文句は言っても神羅の技術は使うバレット的な - 名無しさん (2021-01-14 17 44 06) まぁアイツ嫁の仇討ちたいだけで星とか全部後付けだしな - 名無しさん (2021-01-14 17 51 33) 最終的にはそこらへん折り合いつくキャラだからまあ - 名無しさん (2021-01-14 17 56 57) 道路は国土交通省の管轄だから国の所有物扱いなんだよなぁ。それはともかく警察の制止を振り切って突っ込んだらアウトでしょ、常識的に。 - 名無しさん (2021-01-14 17 34 51) 告知見てない奴が間抜け。 - 名無しさん (2021-01-14 17 39 20) いやなんで警察がくっついてんのか考えなよ。 - 名無しさん (2021-01-14 17 41 37) そんな頭があったらこんな無関係なとこで喚かないよ - 名無しさん (2021-01-14 17 55 34) 素人判断はすべきではないという事が分かって爺さんも良かったんじゃね?警察官の指示に従わなかったって時点で知りませんでしたは通用しないし - 名無しさん (2021-01-14 17 56 23) 半額10連で窓Lv4ペドワlv5と大量のゼフィライフル出た。ピックアップとカタリナ相変わらず仕事しねぇなぁ - 名無しさん (2021-01-14 17 31 17) 俺は散バズに☆2枠取られまくったわ。許せねぇ。 - 名無しさん (2021-01-14 17 33 52) ピックアップの確率もうちょい高くするかピックアップ確定演出か何かほしいよね。沼過ぎる - 名無しさん (2021-01-14 17 37 21) 当たり3%って天井無いにしても並のソシャゲより良く見える… - 名無しさん (2021-01-14 17 39 14) バイアランか…ガチャを回したいのだが、膝に矢を受けてしまってな… - 名無しさん (2021-01-14 17 28 42) ワシもトーリスという愛人に手を出したゆえ、嫁のバイアランはLv1しか来なんだ - 名無しさん (2021-01-14 17 31 02) Lv1引けてる時点でアタリじゃねえか! - 名無しさん (2021-01-14 17 31 32) どちらも引かねば…無作法というもの… - 名無しさん (2021-01-14 17 32 49) 整備兵「脚なんて飾りです」 - 名無しさん (2021-01-14 17 37 54) ガチャ回すのに足は使わないよ。ほら引きな? - 名無しさん (2021-01-14 18 02 06) スラガン盛りのバイアランが凄く快適過ぎて楽しい - 名無しさん (2021-01-14 17 26 34) 噴射があればもっと楽しいのにな! - 名無しさん (2021-01-14 17 27 41) それはぶっ壊れだな感じたな(木主) - 名無しさん (2021-01-14 17 44 03) しかしこの体格でダメコンも無いんですぜ旦那!良い塩梅と思いやせんか? - 名無しさん (2021-01-14 17 45 39) 電車で二席使いながら大声で電話とはな...スーツで恥ずかしいやつ... - 名無しさん (2021-01-14 17 19 18) 体型がジオなんですかな? - 名無しさん (2021-01-14 17 23 33) ハイゴかもしれない - 名無しさん (2021-01-14 17 24 32) バイアラン並の肩幅かもな - 名無しさん (2021-01-14 17 25 12) ハイゴックって人としてみたら結構な異形ですぜww - 名無しさん (2021-01-14 17 25 34) ハイゴッグ「むー…!」 - 名無しさん (2021-01-14 17 26 28) しかも脳波コントロールできる! - 名無しさん (2021-01-14 17 24 43) ザメルじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 17 26 08) まんま宇宙の挙動だが一瞬でスラ尽きるから向こうの技術は活かせなさそう - 名無しさん (2021-01-14 17 18 10) その一瞬で格闘頭上から差し込んで来るニュータイプも居るからやってやれないわけではないけど難易度は高いよな - 名無しさん (2021-01-14 17 19 45) そこは空中制御LV3を活かそうぜ! - 名無しさん (2021-01-14 17 23 09) バイアグラン「おげんきですかー」 - 名無しさん (2021-01-14 17 14 22) カミーユ!貴様は俺の/// - 名無しさん (2021-01-14 17 16 43) そのセリフはバウンドドックの時に取っておきなさい - 名無しさん (2021-01-14 17 18 16) 一休さんかな - 名無しさん (2021-01-14 17 30 44) 俺の所にも来たぜ、500コストの新機体…バーザムさんが! - 名無しさん (2021-01-14 17 14 19) 裏山 MK2バズ揃ってるんでウチにも来て欲しい - 名無しさん (2021-01-14 17 24 38) …500だとmk2で良いんじゃないかい?450だとmk2BRとバズ持てるから中々強いけど - 名無しさん (2021-01-14 17 27 05) バーザムって実際にどうなんスか!? - 名無しさん (2021-01-14 17 26 33) かっこいい、色の塗り分けが妙にマッチしてて肩と胴体を縁取りした様にペイント出来てグッド - 名無しさん (2021-01-14 17 29 51) 拡散BZが糞化したけどそれ以外の武装(初期BR含む)の性能が割と良いってのと高性能バルカン(よろけと言うよりも火力と弾数)持ちってのが本体のステ振りと噛み合っててlv1は射撃汎用としてそれなりに強い。カスパは脚部は必須だけどそれ以外は好みの範疇。 - 名無しさん (2021-01-14 17 38 35) 拡散はどうすれば救われるのか… - 名無しさん (2021-01-14 18 01 02) Lv1の450なら魔窟の盾無し版として結構強い。500だと周りが化け物だらけになるから正直キビシイ - 名無しさん (2021-01-14 17 38 50) 「追撃しろ!(肩が)ぶつかってもだ!」 - 名無しさん (2021-01-14 17 10 24) 港湾C中継の建物に入れません! - ガーカス乗りの啓蒙2551 (2021-01-14 17 15 25) 500のバイアラン対策にフルカスタムが割と良さそうだな。ビームキャノンなのに蓄積が40%×2だからフライト補正かけると一発で落ちるぞ - 名無しさん (2021-01-14 17 05 35) 逆にバイアラン涙目の環境にフライトを既存性能のまんまで出したからよほど上手い奴じゃないとフルカス相手からすればボーナスバルーンだろうな - 名無しさん (2021-01-14 17 07 36) わざわざ対策するまでもない機体だと思うけどね。 - 名無しさん (2021-01-14 17 10 01) 兵科の補正で蓄積も上がるのか、初めて知った - 名無しさん (2021-01-14 17 15 44) 兵科補正じゃなくてフライト中は蓄積値1,3倍なんだよ - 名無しさん (2021-01-14 17 18 03) フライトスキルの効果やで。フライトスキルが強すぎたので蓄積値が増加するデメリット付けられたんや - 名無しさん (2021-01-14 17 18 27) そうなんですね、お二人共ありがとうございます - 名無しさん (2021-01-14 17 29 06) 680mm教の者です。今こそザメルの出番です。AP弾の難度から敬遠していた方々も、新機体実装のブームで的が出てきている今こそチャンスです。この機会に是非当て勘を養い、膝をついた敵を味方に献上する喜びを味わってください。ありがとうございました。 - 名無しさん (2021-01-14 17 26 34) ΖプラスA1乗ろうとしたら出完前に「産廃出して足引っ張んなカス - 名無しさん (2021-01-14 17 04 20) 途中送信失礼。「産廃出して足引っ張んなカス」とファンメが来た。ΖプラスA1て産廃とは思えんのだがなあ - 木主 (2021-01-14 17 06 57) 普通に弱いと思うが今の環境じゃいろいろ足りて無さ過ぎる - 名無しさん (2021-01-14 17 07 52) メール受信拒否で口を封じとけば気にすることもないさ。 - 名無しさん (2021-01-14 17 08 13) ΖプラスA1が産廃って言われたんだが産廃か?で良いと思った定期 - 名無しさん (2021-01-14 17 08 21) すまない。今後は書き方に気を付けるよ - 木主 (2021-01-14 17 12 03) 産廃に下半身浸かってるくらいには産廃だぞ - 名無しさん (2021-01-14 17 17 09) 全身浸かったらどうなるのかちょっと興味が湧いた - 名無しさん (2021-01-14 17 20 37) タイトル画面を飾れる - 名無しさん (2021-01-14 17 21 51) ZZ「よせよ、照れるじゃねぇか」 - 名無しさん (2021-01-14 17 26 00) FAZZが出てくるコスト帯でろくに蓄積取れないって時点でかなり厳しい ハンブラビに勝ってる点が少なすぎてな - 名無しさん (2021-01-14 17 20 31) 600だとバウが居るし、650ならキュベⅡが居るし、メインとN格のリーチに悲しみ背負ってるけど、ホバーじゃないからキュベⅡより乗り易かったり、変形して逃げたり高台に居るC1追いかけられるし、BRからキャノンか格闘でやる事はシンプルだから乗り易いという利点はある。ただし火力面で辛いのはあるけど頑張れば与ダメ12万とかでチームトップにはなれる事もある。ただやっぱりバウやキュベⅡみたいに簡単には火力出せないからそこの面で弱いと評価される悲しいところがある。動かし易くて好きなんだけどね - 名無しさん (2021-01-14 17 26 42) バイアランの為に貯めてたトークン全ツッパしたけどLv2が当たらなかった。例え微妙でも好きな機体は全レベル揃えたかったな - 名無しさん (2021-01-14 17 04 08) ツッパるから 男の勲章らしいけど不良は駄目よ - 名無しさん (2021-01-14 17 06 56) ガチャ産リサチケは男の勲章 - 名無しさん (2021-01-14 17 14 10) ちなみにトークン幾つ使った? - 名無しさん (2021-01-14 17 13 08) 210個 まあ当たんなくてもしゃあないくらいではあるからショックというほどでもない - 名無しさん (2021-01-14 17 18 07) バイアランの上限解放、緊急出撃と強化セキュリティとか地味すぎる!しかし愛してるから解放しちゃう - 名無しさん (2021-01-14 17 02 41) ばばんが ばいあーらん。 - 名無しさん (2021-01-14 17 02 26) ザクⅢと改はいつ追加して貰えるんだろう… - 名無しさん (2021-01-14 16 56 15) フルさんすかー?w - 名無しさん (2021-01-14 17 30 53) バイアラン悪くはないけどリゲルグ並みに横長いから550は相手の零式がマークしてたらほぼ完封されかねないね・・・。スラスターも中スロが少ない癖に容量足りないし空中戦等のアドを削り過ぎじゃないか? - 名無しさん (2021-01-14 16 54 58) マーク3にも叩き落されまくったぜ… - 名無しさん (2021-01-14 16 57 12) ビームだと意外と股抜け脇抜けしそうじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 16 57 47) 横は長いけど身長はヒルドルブと同じサイズダウンになってるから股抜けはあっても脇抜けは滅多に起きない - 名無しさん (2021-01-14 16 59 30) グフ彦から何も学んでないと言われるよりましでは? - 名無しさん (2021-01-14 16 58 38) グフ彦に関しては何で無駄に強化した?だったからこれに関しては運営が現場を知らなかったエアプで間違いないけど高コスト機はメタスだったりミサイサだったり蓄積よろけを主軸にしてる機体もいるんだからせめてフライトは別レベルで搭載して設定しなおせばよかったのに結局ひよって抑え気味の性能にしてるのがなんだかなぁ・・・零式という後期ザク以上のメタ機がいる中であの性能じゃ可変機で突撃した方がマシって言われるぐらいには物足りないね - 名無しさん (2021-01-14 17 02 29) いや、今メタになってる機体がメタにならないならただの壊れが誕生するだけだぞ?ちょっとくらい使い方自分で模索しろよ。お手軽強機体でないと僕使えませんって主張してるようにしか聞こえん - 名無しさん (2021-01-14 17 10 31) グフフは完全にメタ機が元からいた環境で弱体化されて消えたあたりフライト機で格闘戦主体にさせるなら突破力欲しかった - 名無しさん (2021-01-14 17 12 03) 「追撃しろ!ぶつかってもだ!」って誰がどういう状況で言ったセリフ? - 名無しさん (2021-01-14 16 53 37) ジェリドがアウドムラ追撃の時に言ってたような - 名無しさん (2021-01-14 17 18 12) 穴<バイアランです - 名無しさん (2021-01-14 16 50 24) MS(モビルスーツ)から、光が逆流する! - 名無しさん (2021-01-14 16 56 03) 吊こっちじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 17 03 14) バイカンフー「バイアランです」 - 名無しさん (2021-01-14 17 10 39) パイアラン - 名無しさん (2021-01-14 16 44 11) サムスかな? - 名無しさん (2021-01-14 16 45 33) パイスラン - 名無しさん (2021-01-14 16 48 26) パイ○リアン - 名無しさん (2021-01-14 16 51 05) 海外では煽りって挨拶感覚のもんなのかね?だからといってどうというわけじゃ無いけど。 - 名無しさん (2021-01-14 16 44 10) なんでそう思ったのか興味がある - 名無しさん (2021-01-14 16 46 18) なんていうの?ダクソとかフォートナイトとかAPEXってちらほら海外勢が煽るとかって見聞きして気になっただけ。もちろん国内でも煽る人はいるけどさ。 - 名無しさん (2021-01-14 16 53 12) みなおかで繋がる世界の輪 - 名無しさん (2021-01-14 16 47 03) 俺がやってる海外ゲーが民度悪いからかもしれんけど煽りは多いよ。少なくともチャット使う文化は海外のがあると思う - 名無しさん (2021-01-14 16 48 25) うーんバイアランもmkvに似たものを感じる、別段弱い!ってこともなさそうで使いこなせれば結構強い方だと思うけど...もう一声何か欲しいってそんな感じ - 名無しさん (2021-01-14 16 41 19) でもほんとはそれ位が丁度いいんじゃない?そのもう一声あったやつらが壊れとかバランスブレーカーになってるんだと思うし - 名無しさん (2021-01-14 16 45 42) 確かに、もう一声をやった結果がグフ彦辺りと考えるとこれぐらいの塩梅がいいのかもね - 木主 (2021-01-14 16 48 50) そうね3-4ヶ月おきに環境を書き換える機体がでるのは大人の事情として理解はできるけどそれが毎週となるとついていけない。その間はいろんなタイプのMSだして戦場にバラエティ感を出してくれるぐらいがいいと思うわ。 - 名無しさん (2021-01-14 16 48 54) 強いて言うならダメコンが欲しかった、すぐ撃ち落されちゃうんで飛ぶより地上で格闘振ってた方が強い - 名無しさん (2021-01-14 16 48 39) 気持ちはわかるがダメコンついたら絶対壊れる。零式やメタスがいなかったら永遠飛ばれるとか悪夢やぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 16 55 43) いたらいたでアッサリ落とされる…もっと良い感じにならんかなぁ - 名無しさん (2021-01-14 16 59 03) 延々と飛ばれると言いたかったのか? - 名無しさん (2021-01-14 17 03 35) 降りられなくなって慌てるバイアランとかちょっとかわいい - 名無しさん (2021-01-14 17 06 33) 原子力でなんかこう…無限の推進力を… - 名無しさん (2021-01-14 17 18 57) 耐久とスラが低くヒットボックスが広いからそう簡単に壊れないと思うけどなぁ - 名無しさん (2021-01-14 17 04 57) グフフフフ…バイアランの奴にはミサイサのバルカンがよく効くのぅ - 名無しさん (2021-01-14 16 34 12) ってグフが空を見上げて言うてると思うとなんかシュール - 名無しさん (2021-01-14 16 38 35) ミサイサのコスト帯に出てくるグフとか地雷ってレベルじゃねぇ!! - 名無しさん (2021-01-14 16 39 43) ワシはカスタム機じゃけぇ何の問題もありゃせんわい!! - 名無しさん (2021-01-14 16 41 03) グフカスLv5!?って正気を疑ったが立ち回り上手いし与ダメアシストトップで笑った - 名無しさん (2021-01-14 16 47 01) カタリナ「さ~ ドンドン逝ってみましょー!」 ステップ打ち止め+10連1回でようやくバイアランLv2来たわ(吐血) - 名無しさん (2021-01-14 16 32 11) しっかりしろ!傷は致命傷だぞ! - 名無しさん (2021-01-14 16 36 01) ステップってそこまでいくと星3に1枠取られるからバイアラン狙いなら2回目までで止めた方が良さそう - 名無しさん (2021-01-14 16 36 55) ああ、打ち止めって書いてるから止めてるか…申し訳ない! - 名無しさん (2021-01-14 16 38 19) ああ、4回引いて止めたさ(錯乱) - 名無しさん (2021-01-14 16 45 42) 4回?この中の中で?アカンこれじゃ1枠死ぬぅ! - 名無しさん (2021-01-14 16 48 31) おっ、御神体がリサチケに鎮座しておられる。前に交換したと思ったらセーブし忘れてたんだよな…そろそろDP落ちしそうだし悩むぞ… - 名無しさん (2021-01-14 16 31 55) フライト中ってタックルできないから、地上スレスレにいても一旦解除しないといけないのね。降下してカウンターで味方助けようとしたら、棒立ちでただ眺めてるだけみたいになっちゃった - 名無しさん (2021-01-14 16 30 36) ナズェミデルンディス! - 名無しさん (2021-01-14 16 40 22) オンドゥルルラギッタンディスカー! - 名無しさん (2021-01-14 16 42 00) しかし500かZとやりあってたし550か600だと思ってたんだけど、550でテストしてたらテトラにはたき落されまくったとかなのかな - 名無しさん (2021-01-14 16 28 14) 確かに地上ではZを押し込んでたから600、低くても550と思ったわ。コスト的にMK2と同じで百式より下って言われると違和感あるね。 - 名無しさん (2021-01-14 16 35 09) テトラではたき落としてミサイサとかFAZZに献上するやつやりたかったぜ - 名無しさん (2021-01-14 16 39 34) バイアラン使ってて楽しいんだけどやわらけー - 名無しさん (2021-01-14 16 27 33) 通報機能があるってのに捨てゲー煽りチャット連呼マンまだいたぁぁ!! - 名無しさん (2021-01-14 16 25 15) ここにもたまにいるくらいだからな俺のは正当な物言いって思い込んでるマジ基地が - 名無しさん (2021-01-14 16 26 25) 単発のみなおか・お疲れマンは時々見かける。けど、こいつ連呼したいのを堪えてるんだろうなって思うとほっこりする - 名無しさん (2021-01-14 16 29 25) 連呼してなくても終了後の煽りはアウトなんかねー?そこら辺の判断が難しい気がする - 名無しさん (2021-01-14 16 41 03) 謝罪に使えるチャットがあるんだからそれを使ってないならアウトでいいと思うわ。 - 名無しさん (2021-01-14 16 49 42) それもそうか!安心して通報できる! - 名無しさん (2021-01-14 16 52 49) とか書いてたら2戦連続でいたよ...なんてかわいそうなやつらなんだ... - 名無しさん (2021-01-14 16 36 32) 可哀想だが、 直撃させる!(通報) - 名無しさん (2021-01-14 16 38 42) ちくせう!昨夜帰ったら屋根に乗ってた雪が全部落ちてやがった!朝まで待つと雪が凍るからと夕飯の後に雨の中2時間かけて雪かき終わらせたが、したら今日は腰が痛くて仕方ねえ!もう怒った!トークン涸れるまで抽選回すぞオラァン!! - 名無しさん (2021-01-14 16 20 48) 今起きたのか?おそよう - 名無しさん (2021-01-14 16 24 14) おそよう。今日は休日でね。昨夜は雪かきの後風呂入ってからエイリアン1~4一気見したんだ - 木主 (2021-01-14 16 44 41) そのおかげかな?腕がちょっとエイリアンっぽい機体が来たね - 名無しさん (2021-01-14 16 55 13) 気温の落差が凄い。一昨日まで極寒だったのに今日は防寒着なしでも外出れる - 名無しさん (2021-01-14 16 24 18) 道路にシャーベット状の雪がこんもりと乗っててハンドル取られる取られる。幸いにして路肩から転げ落ちた車は見なかった。今日はな - 木主 (2021-01-14 16 48 30) 停止措置した事を伝える趣旨の公式のTwitterに早速停止させられたっぽい外国人が暴言で噛み付いてるのを見るとちゃんとやってくれたんだなって。暴言で噛み付くとかゲームの中でも同じことしてたの容易に想像できる。通報は大事。 - 名無しさん (2021-01-14 16 20 15) あの手の連中頭がヤバすぎて自分に記憶改変かましてちょっと言っただけ(実際のログでは10連打くらいしてる)みたいなのザラだからな。仮にも金取れるかもしれない相手を排除するんだからそんなんでごまかせるほど軽いわけがない - 名無しさん (2021-01-14 16 22 10) なんにせよちゃんと動いてくれてて安心した - 名無しさん (2021-01-14 16 25 19) 通報者に結果報告すべきとか言ってる人もいて、そんなめんどくさいヤツもまとめて停止してほしいと思ってしまった - 名無しさん (2021-01-14 16 28 24) 神戸さんのツイートにゲームする権利取り上げるのはおかしいのどうこう言ってるやつ居るな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 16 37 00) バトオペ2の通報が機能しだしたみたいだが、これって一方的過ぎやしないかね? アカウントbanされた人も嫌な気持ちにはなるよね? 目には目を歯には歯を!かね? 海外勢絡んでるから、裁判沙汰になりそうwww - 名無しさん (2021-01-14 16 37 47) Twitter開いて一瞬で理解した - 名無しさん (2021-01-14 16 45 02) 他人を不快にする権利を侵害されたって騒いでるってことだな! - 名無しさん (2021-01-14 16 45 10) 中国人喚いてて草、いい歳してゲームだけではなく公式でも騒いでんのな - 名無しさん (2021-01-14 16 37 21) 中国の条例だか何だか持ち出してるな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 16 42 00) リアルタイムで必死になって色々書き込んでるぞwそもそも通報機能付いたよって告知されんだから煽んなっつーの - 名無しさん (2021-01-14 16 49 57) 今回の停止対象で外人の割合が知りたい…知りたくない? - 名無しさん (2021-01-14 16 42 22) 事前告知の上、告知後7日間の猶予が与えられるはずだ、そのルールが守れないならわが国でゲーム販売するな!って喚いてるな - 名無しさん (2021-01-14 16 53 57) 基本無料だからこのゲームは販売してないので問題なさそうw - 名無しさん (2021-01-14 16 59 19) まぁ普通に楽しんでる人には悪いけどこんな法律(?)があるなら台湾での配信停止及びサービス停止をせざるを得ないんじゃないかな - 名無しさん (2021-01-14 17 06 09) 寧ろ配信止めてもらった方が平和になりそう(小並感) - 名無しさん (2021-01-14 17 04 06) 欲を言えば宇宙バイアランはフライトが腐る分、代わりの能力欲しかった感 - 名無しさん (2021-01-14 16 19 47) ブースト消費し続ける代わりに機動力上がって衝撃吸収得るとか何か一芸欲しかったな… - 名無しさん (2021-01-14 16 22 40) 汎用にMAやらダメコンやらを安売りしてんだし、一部の高コスト支援にも回避かMAください - 名無しさん (2021-01-14 16 18 48) 強襲相手に何もできなくてもいいんだけども汎用相手に一方的に殴られて一気にHP持ってかれるの辛いわ - 名無しさん (2021-01-14 16 21 09) しかしこう見るとメタスがあの体系でダメコンレベル2と変形適正持ってるのってやっぱやべーわ - 名無しさん (2021-01-14 16 17 23) あの謎の優遇措置はなんだったんだろうな。 どうせメタスなんてと思ってるだろ~っていう逆張りだったんだろうか。 - 名無しさん (2021-01-14 16 40 46) ドライセンの斧モーション地上でだけ高ドムモーションにならないかしら... - 名無しさん (2021-01-14 16 12 23) 700コスト支援機でクインマンサ出ないかな。 - 名無しさん (2021-01-14 16 11 59) バウンドかメッサーラ出したらもしかして…ないわ - 名無しさん (2021-01-14 16 14 00) 閉所も通れるスキルを - 名無しさん (2021-01-14 16 15 45) クシャトリアなら強引に出す可能性も考えられるけどクインマンサはサイズ大きすぎてダメだな - 名無しさん (2021-01-14 16 16 19) ガンオンみたくサイズ縮小すればいけるわ(」 - 名無しさん (2021-01-14 16 17 44) クインマンサとかクシャトリアとか出たらバインダーやらファンネルの数が多いからPS4は完全に死亡してしまうんじゃ… - 名無しさん (2021-01-14 16 19 05) VSシリーズ並にクオリティを落とそう - 名無しさん (2021-01-14 16 22 31) クインマンサはサイコとほぼ同じ大きさ。つまりそういう事 - 名無しさん (2021-01-14 16 34 04) ぐう、ざんねん。ヒルドルブと同じ縮尺でデフォルメしたらいけないかなーと思ったんだけどダメかー。サイコガンダムのかわりにでないかな! - 名無しさん (2021-01-14 17 42 26) ドムに挑む - 名無しさん (2021-01-14 16 11 55) HAHAHA!カタリナさーん木主のトークン3枚持ってってー! - 名無しさん (2021-01-14 16 13 20) this is not competitive it is quickmatch and before u act like u don'tunderstand English it amut language and every one knows itっとどういう意味?敵から来たんだけど。多分ボコボコにしたやつからだと思う。クイックマッチで本気出すなよ的ななんかかね? - 名無しさん (2021-01-14 16 07 14) 「クイマでガチってんじゃねーよ、てか英語分からないとかウケるんですけどーww」 - 名無しさん (2021-01-14 16 09 10) 負け惜しみかwしかも英語分からんって自分で煽ってる相手に英語で負け惜しみなのね… - 名無しさん (2021-01-14 16 10 45) クイマでなにガチ機体乗っとんねん、英語分からんとか言い訳すんなよ、世界共通言語ぞ? - 名無しさん (2021-01-14 16 10 11) アジア圏以外は英語表記なんかな?にしてもおっおぅって感じだなw - 名無しさん (2021-01-14 16 13 39) ないすとぅーみーとぅーとか返事しとけ - 名無しさん (2021-01-14 16 12 14) クイックマッチでムキにならないで。常識ぞ?って返そうと思う。 - 名無しさん (2021-01-14 16 15 18) こういうの送ってくる輩が居るのこそ世界共通なんだね。ふむふむ - 名無しさん (2021-01-14 16 14 17) -)これでも送っとけ - 名無しさん (2021-01-14 16 16 13) 意訳考えてた時、返しは「今のはガチ(メラゾーマ)じゃない、遊び(メラ)だ」かなと思ってしまった。いや実際返しちゃだめよ。 - 名無しさん (2021-01-14 16 17 31) こう返してやって、I' m satisfied your skill, shall we play again and please let me kill you a lot. English? Aha it is a common language, right? it is fanny that you just only undastand about English. - 名無しさん (2021-01-14 16 22 32) 枝みたいに長文送り返すのが一番愚かに見える。無視か通報が一番だよ - 名無しさん (2021-01-14 16 38 18) インターネットにおいてアホに絡まれた程度でわざわざ相手する意味ないやろ… - 名無しさん (2021-01-14 16 45 04) スペルもぐちゃぐちゃだし、恥かくだけだぞ。変なアドバイスすんな。 - 名無しさん (2021-01-14 16 46 12) ですよね。ごめんなさい。 - 名無しさん (2021-01-14 17 26 54) 負け惜しみかあ。ジオンのあの人たちを思い起こさせる・・・。あ、比べちゃだめねw - 名無しさん (2021-01-14 16 50 41) バイアランむず過ぎて強いか弱いかもわからねぇ... - 名無しさん (2021-01-14 16 05 12) つよわい - 名無しさん (2021-01-14 16 07 52) バイアランがかわいいって? - 木主 (2021-01-14 16 10 30) 当たり前だよなぁ?得に尻の部分 - 赤枝 (2021-01-14 16 11 25) 美味しそ…もとい可愛いのはパイモンだろ? - 名無しさん (2021-01-14 16 16 46) ディオナも好きだぞ! - 名無しさん (2021-01-14 16 17 51) でも・・・甘雨ちゃんの方がもっと好きです - 名無しさん (2021-01-14 16 20 28) うおおお空中からビームダッシュ下ァ!解除追撃二刀下ァ下ァ! 浮き時がわかんなすぎる - 名無しさん (2021-01-14 16 11 38) なんだかんだ高台の移動にはフライトあると楽だな。一々踏ん張りジャンプはかったるい。 - 名無しさん (2021-01-14 16 03 44) 諸君らの愛してくれたZZは死んだ!何故だ!!! - 名無しさん (2021-01-14 16 02 41) 親に愛されない子が生きていけるわけねーだろ! - 名無しさん (2021-01-14 16 03 49) どちらかと親バカすぎて過大評価なのでは・・・ - 名無しさん (2021-01-14 16 10 24) 親(運営)だから忌み子の方がしっくりくる気がする。親バカはトーリスかな(寵愛的な意味で) - 名無しさん (2021-01-14 16 11 38) うちの子なのに冷遇されてるハンサム… - 名無しさん (2021-01-14 16 15 13) 君前作で良い方だったよね? - 名無しさん (2021-01-14 16 33 05) 嘘こけぇ、偽装のせいでいまの今まで回避貰えないんだべ? - 名無しさん (2021-01-14 16 40 23) あ、バイアラン君宇宙出られるのね...いやそれフライト腐ってない? - 名無しさん (2021-01-14 16 01 34) バイアランは可変機と同じ操作感でフライト中の操作できるってことですかね - 名無しさん (2021-01-14 16 01 16) あーまた投稿ダブってるやんけ - 名無しさん (2021-01-14 16 01 52) グフフと違って改定後の宇宙みたいにレティクルの上下角度で上下動するんじゃないの? - 名無しさん (2021-01-14 16 05 37) バイアランこれ飛ぶの必要最低限にして地上で即よろけと格闘2種ブンブンしてれば強いような気もする - 名無しさん (2021-01-14 16 00 36) バイアランは可変機体と同じ操作感でフライト中の操作が可能って事かね - 名無しさん (2021-01-14 15 59 43) 宇宙AMBACと同じ操作ってことじゃないか - 名無しさん (2021-01-14 16 00 36) そういうことか、まだログインしてないし宇宙あんまりやらないから気づかなかったありがとう - 名無しさん (2021-01-14 16 04 25) やっぱバイアランはカスタムの方が印象深い - 名無しさん (2021-01-14 15 52 03) ア、アパラタスぅ… - 名無しさん (2021-01-14 15 58 14) てか今回の絵もUCのシーンみたい - 名無しさん (2021-01-14 15 59 35) ミッシングリンクってPS3版のサイドストーリーズに収録されてるゲーム? - 名無しさん (2021-01-14 15 51 40) そうです - 名無しさん (2021-01-14 15 52 53) なるほど当時買って、ペイルのコード入れてすぐ売ったから遊んでなかった。ブックオフで買い直すか。 - 名無しさん (2021-01-14 15 53 33) ペイルの引き換えコードも懐かしい。バトオペやってない友人から貰ったわ - 名無しさん (2021-01-14 15 57 14) 正直ゲームの出来はイマイチだからミッシングリンクのストーリーだけ楽しみたいなら漫画版の方がいいかも。キャバルリーもデュラハンも漫画にしか出てこないし - 横から (2021-01-14 15 58 03) そうともいえるし そうでないともいえる - 名無しさん (2021-01-14 15 52 59) ZZ「よしっ今回は俺、関係無いぞ‼︎」 - 名無しさん (2021-01-14 15 48 21) バイアランの方が強そう(適当) - 名無しさん (2021-01-14 15 50 12) 君が強くなれるように今日もレートでデータ送ってるよ() - 名無しさん (2021-01-14 15 50 13) バイアランはデブだけど独自色がある、強さも個性も無いZZが可哀想 - 名無しさん (2021-01-14 15 51 25) 出た当初はあったべ 後発に呑まれていっただけで バイアランもそのうち……とはならないなかもな個性的すぎるし - 名無しさん (2021-01-14 15 53 22) 別に個々の要素の組み合わせって意味では別にZZは今でも無個性というわけではない。何もかもが噛み合ってないだけ - 名無しさん (2021-01-14 15 55 56) ハイメガ(死んでる)・高火力ミサイル(カカシ相手でしか通用しない)・ヒート率の低いDBR(ノンチャじゃよろけ取れずフルチャはヒート80%でゴミ)と個性はあるじゃないか! - 名無しさん (2021-01-14 15 58 33) 変形、マニューバ持ち、長くて振りの早いサーベルと3連続で死体蹴り食らってるからなぁ - 名無しさん (2021-01-14 15 52 36) バイアランもしかして普通に地上でスラスター吹かすより空中でスラスター吹かしたほうが消費少ない? 強制噴射も出来るようになるしこれ地上でフライトシステム使えってことでは(錯乱) - 名無しさん (2021-01-14 15 47 29) タックル出せないのでダメです - 名無しさん (2021-01-14 16 48 03) バイアラン狙いでガチャ回してたらひょっこり単砲ドムキャ手に入ったから見てみたら何なんだこのキャノンの射程... - 名無しさん (2021-01-14 15 47 25) まあぶっちゃけ複砲より射程が長いからなんだって話なんだけどね。どうせバズが当たる距離で戦わなきゃ火力出せないから。 - 名無しさん (2021-01-14 15 48 33) 対岸とか遠距離にいる敵支援機へのちょっかいがかけやすいのは利点よね - 名無しさん (2021-01-14 15 50 35) スナII「射程は長ければ長いほどいい」 - 名無しさん (2021-01-14 16 05 46) レベ1バイアランをフルハンして、アーマー20500まであげたら中々硬くなっていい感じになったよ - 名無しさん (2021-01-14 15 44 41) 愛を感じる - 名無しさん (2021-01-14 15 46 07) フルハン出来るほどチケットあるのが凄いわ。 - 名無しさん (2021-01-14 15 47 34) 銀チケットあるのうらやますぃ - 名無しさん (2021-01-14 15 54 00) スロット解放すると新フレ2、3と強フレ4、5と付けられるのね。これはバイアラン使いたい人はさっさとスロット解放までは強化するべきかも? - 名無しさん (2021-01-14 16 06 13) ハンマの機雷が地上でふよふよ浮いて飛んでいく理由を教えてエロい博識兄貴! - 名無しさん (2021-01-14 15 42 12) ギャンのハイドボンブとかも合わせて教えて! - 名無しさん (2021-01-14 15 42 55) 脳波コントロールしてるんだよ - 名無しさん (2021-01-14 15 43 23) ミノフスキー粒子は全てを解決する - 名無しさん (2021-01-14 15 43 21) プラフスキー粒子も協力してるにちがいない - 名無しさん (2021-01-14 15 45 22) ギャン「先にやった壺の人に聞いてもらえませんか?」 - 名無しさん (2021-01-14 15 43 26) 壺の人が使っのはコローニーの上空で重力が弱いところだから・・・ - 名無しさん (2021-01-14 16 05 49) ギャン「なんかこうダダダッ!ってやって、良い感じの所でグッ!ってしたらいける」 - 名無しさん (2021-01-14 15 44 02) ギャンのハイドボンブが地上でふよふよするのと同じ理由だよ - 名無しさん (2021-01-14 15 44 08) すべてシミュレーターだからだよ - 名無しさん (2021-01-14 15 44 11) ナノサイズ妖精が運んでます。 - 名無しさん (2021-01-14 15 57 43) せこせことネズミ捕りでたむろってる警察がいたから、ぶつからんように大回り気味に自転車漕いでたら反対車線通行で止められたわ。 点数稼ぎのためにくだらねぇことしてないで、国家権力名乗ってんなら堂々と姿晒して見張ってる方がよっぽど抑止力なんじゃないんですかねぇ。 - 名無しさん (2021-01-14 15 41 57) 壁に耳あり障子に目ありって言葉もあるからな - 名無しさん (2021-01-14 15 44 06) 反対車線通行してたならくだらない訳ないでしょ - 名無しさん (2021-01-14 15 44 08) 警察見てる所じゃやらないっすwって奴がいるからね。てか君こそ匿名掲示板じゃなくてその警察に堂々と言えばよかったんじゃないですかね… - 名無しさん (2021-01-14 15 45 27) 人の目が無い時こそ素が出やすいんだからバレないように見ておくのもおかしいことじゃないしな。反対車線まで出なきゃ避けられないのもよく分からんし - 名無しさん (2021-01-14 16 41 40) 反対車線通行はマジで邪魔だからやめろ - 名無しさん (2021-01-14 15 45 28) 歩道もなく反対車線側通らないといけないほど細い道で、警察車両避けて反対車線通行で止められたんなら理不尽だけど、もしそうじゃないなら木主が悪い - 名無しさん (2021-01-14 15 49 47) まさにそうだね。木主さんにもう少し状況説明求む。 - 名無しさん (2021-01-14 15 52 53) 自転車も罰金対象「改正道路交通法」で危険運転を厳罰化2020年6月施行、有益な情報だな。 - 知らなかった (2021-01-14 16 13 53) 記憶が曖昧だけど、バイアランってジェリドが搭乗したMSでカミーユに撃墜されなかった数少ない機体の一つだよね - 名無しさん (2021-01-14 15 41 33) ジェリドが乗った機体で一番活躍したまである - 名無しさん (2021-01-14 15 42 46) カミーユに寝返りそうだったフォウを偶然撃破、アポリー撃破、ガザC一閃、ハマーンの乗ったグワダンをあと一歩まで追い詰める、ってバウンド・ドックの時と比べたら凄い - 名無しさん (2021-01-14 15 45 57) そしてカツに負けるオチ - 名無しさん (2021-01-14 15 55 59) にしてもホバー機増えたな。射撃は当てやすいが - 名無しさん (2021-01-14 15 38 02) ドム系列「やめて」 - 名無しさん (2021-01-14 15 39 45) 普段はイツメンでカスマしてるけどたまーにレート行くとホバーに慣れてない奴とか追撃格闘外す人結構多くて困惑している - 名無しさん (2021-01-14 15 42 19) でもまあ明らかにホバーと噛み合ってない格闘モーションとかあるよね - 名無しさん (2021-01-14 15 45 48) 650にゲルキャとか正気じゃねぇぞ... - 名無しさん (2021-01-14 15 37 45) しかもレートしかも即決っていうのをみて4度見くらいした後部屋を出た - 名無しさん (2021-01-14 15 38 43) ピクシーLv5よりマシ…マシか?まぁ幸い激強かったけど。 - 名無しさん (2021-01-14 15 42 59) ゲルキャをギャルゲに空目した…俺疲れてるのかな… - 名無しさん (2021-01-14 15 40 26) まあ650円のギャルゲは正気じゃないかもな(中身が) - 名無しさん (2021-01-14 16 43 20) 火力だけでいえばまだまだ通用しそうではあるんだがなぁ……(ミックスアップ周回部屋で与ダメTOPを何度も取れた感) - 名無しさん (2021-01-14 15 42 15) ミックスアップで??? - 名無しさん (2021-01-14 15 45 54) ゲルキャって火力面は出た当初から下のほうでしょ。耐久面は強みだが。 - 名無しさん (2021-01-14 15 50 00) そうなの?コスト500でだけどかなり与ダメが稼げてたから典型的なはまると高火力だが足回りと図体のせいで性能が活かしにくい機体だと思ってた。 - 枝主 (2021-01-14 15 52 58) 兵装の使い勝手の問題もあったか。 - 名無しさん (2021-01-14 16 27 43) 実戦じゃなくて箱部屋の数字かよ。かかし相手に火力出たから「ZZは高火力」って言ってる運営と同じじゃねえか。 - 名無しさん (2021-01-14 15 53 42) だから火力だけって但し書きを付けたんだが……分かりにくい書き方ですまんな - 名無しさん (2021-01-14 15 56 05) 650に普通に高ゲルで即決するのもまれによく見るしねぇ…。どんなに使いこなしててもキツかろう。 - 名無しさん (2021-01-14 15 43 28) 高ゲル板を見る限りではいけるらしい - 名無しさん (2021-01-14 15 45 31) 待望のバイアラン。コレジャナイ感 - 名無しさん (2021-01-14 15 37 16) 確かに何か違うような…いややっぱカッコイイ - 名無しさん (2021-01-14 15 39 31) ぶっちゃけこいつの正解ってどうしたらいいの…ってなると思うわ - 名無しさん (2021-01-14 15 39 32) フライトには前科あるし対人ゲーだし、理想は求めらんないね - 名無しさん (2021-01-14 15 40 59) 射撃をカスにして、代わりに落ちにくくする。射撃で完結できるのに落とせないのが糞だったけど、格闘振りに来ないといけないなら大丈夫じゃないかね。 - 名無しさん (2021-01-14 15 48 53) たぶんUCの方の映像の影響もあると思う - 名無しさん (2021-01-14 15 40 37) なんか上腕が細い? - 名無しさん (2021-01-14 15 43 40) 尻がきもいです - 名無しさん (2021-01-14 16 14 01) 脇にあるスラスターって胴部側にはカバー付いてるけど、腕の方は焼けそう - 名無しさん (2021-01-14 15 32 36) 自由にZZを愛して愛して私はこんなに傷付いた - 名無しさん (2021-01-14 15 31 36) たとえば(Ex-S)と二人で命をたてば微笑みさえも消える - 名無しさん (2021-01-14 15 35 51) ALICE ALICE ALICE ALICE ALICE ALICE - 名無しさん (2021-01-14 15 37 11) クロですよ真っ黒。ALICEには正真正銘のウィルスが仕掛けてあったんです。バックアップメモリはもちろんあらゆるところに名前をかえて潜伏し、アクセスした対象に片っ端から侵入する。ALICEおよびALICEに接触したことのあるコンピュータはすべて汚染されているとみて間違いありませんね。 - 名無しさん (2021-01-14 16 07 31) どっちも持ってるけどEx-SはΖΖはど弱くないぞ。なんかΖΖの話題が出るとすぐ引き合いに出す人いるけど - 名無しさん (2021-01-14 15 39 21) フリーダムZZガンダムラヴファントムを作るって? - 名無しさん (2021-01-14 15 38 07) エスマで試合終了間際敵エースがFFかましてた。大敗してるからってイライラすんなよ…って思って見てたけどリザルトでFFされてたやつのIDが赤かったのでいろいろ察したわ。それでもFFは我慢しろと思うが - 名無しさん (2021-01-14 15 31 05) 敵同士のいざこざが一番哀しい - 名無しさん (2021-01-14 15 37 18) カタリナさんの悪口言いながら引いてたら、バイアラン出てしまった。なんか申し訳なくなった - 名無しさん (2021-01-14 15 30 49) なんと…よく見たら噴射が付いてないだと!愛しのバイアランに噴射が無いとは! - 名無しさん (2021-01-14 15 29 14) マ?つまりグフフの瞬間曲芸みたいな芸当はできないのか - 名無しさん (2021-01-14 15 31 21) まあ当たり前のようにMA付いてるし - 名無しさん (2021-01-14 15 31 59) 500以上で噴射ないのは結構ストレス感じそう - 名無しさん (2021-01-14 15 38 25) 「いいのが来そうな予感」で久しぶりに黒ミデア見た - 名無しさん (2021-01-14 15 28 03) バイアランじゃなさそうで喜んでいいのか・・・・って感じだな - 名無しさん (2021-01-14 15 30 38) 俺は最近の機体全部ノーマルミデアでセリフなしの銀と銅で出てるから最後までチョコたっぷりだぞ! - 名無しさん (2021-01-14 15 31 25) 昨日ここでバイアランの話題を三つ四つ見かけて、まさか本当にバイアランが出てくるとは思わなかったなぁ - 名無しさん (2021-01-14 15 25 32) 運営に忘れられてるとか言ってたやつもおったけどな。 - 名無しさん (2021-01-14 15 28 49) そりゃプレイ人口が万人いるんだからどんな発言だろうがあるでしょ - 名無しさん (2021-01-14 15 32 06) だとしても「それはねーわ」って思った。 - 名無しさん (2021-01-14 15 36 30) 少なくともTV登場MSを忘れてるはないやろな・・・同人ソフトかよw - 名無しさん (2021-01-14 15 38 21) ジオメッサーラバウンドドックバイアランあたりのTV版の長いこと出なかったり出てない機体はどう見ても図体と性能調整難儀してるんだろうからな - 名無しさん (2021-01-14 15 40 21) バイアランの下格を見ると球審のセーフを思い出す… - 名無しさん (2021-01-14 15 20 51) 斜め後ろで巻き込まれた僕「アウトォー!」 - 名無しさん (2021-01-14 15 24 25) 傍から見ている俺「ヨヨイノヨイ!」 - 名無しさん (2021-01-14 15 31 31) バイアラン中スロ足りな過ぎてカスパ組めない・・・ - 名無しさん (2021-01-14 15 20 01) この図体で耐久面伸ばしづらいのつらつら - 名無しさん (2021-01-14 15 22 06) 耐格4と噴射盛れる近スロの代償か - 名無しさん (2021-01-14 15 27 28) 近スロに振りすぎだよ… - 名無しさん (2021-01-14 15 28 01) 格闘武器が2こあるからって近スロ振りすぎだよなぁ。中スロと近スロが均等ならよかったのに - 名無しさん (2021-01-14 15 32 49) 空は飛べないけど 夢のツバサがある だから POTA POTA 汗水流して PAKU PAKU 大きく育って - 苦行のフレンズ(バイアランをペンギンカラーにしたい) (2021-01-14 15 18 28) 皇帝ペンギン(CV 津田健次郎) - 名無しさん (2021-01-14 15 19 43) ペンギン帝王(CV 堀秀行) - 名無しさん (2021-01-14 15 26 57) メタス「いつか大空を制すのだ」フルチャ - 名無しさん (2021-01-14 15 23 21) これいつかカスタムの方が強襲とかで来たらめっちゃ辛そう - 名無しさん (2021-01-14 15 16 38) ぶっちゃけカスタムが汎用、カスタム2号機が支援程度に思ってたから意外 - 名無しさん (2021-01-14 15 19 04) バイカス2号機ググってみたけど可変機扱いになりそう - 横から (2021-01-14 15 27 57) アクアジム出てから確実に200連以上回してるのに出ないって...☆1でも沼るとすげぇな...ちなみに武器は今日コンプしたよ - 名無しさん (2021-01-14 15 13 12) むしろ星1だから沼るんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 15 13 45) ピックアップ>星1>星2>ピックアップ外の星3 だと思うが - 名無しさん (2021-01-14 15 26 12) 各レアリティのアイテム数含めてもそれなん? - 名無しさん (2021-01-14 15 32 53) ☆①の数を数えてごらん - 名無しさん (2021-01-14 15 33 18) 単発だけならそうかもしれんが、SU含んだら一番出しづらいの1だと思う - 名無しさん (2021-01-14 15 33 53) ☆1を出すのは簡単。狙いの☆1を出すのは至難 - 名無しさん (2021-01-14 15 37 54) ミサイサのレベル3来たんだがやれるのかこれ… - 名無しさん (2021-01-14 15 10 03) 今はもうキツイと思うが頑張ればギリ行けるくらいかな。味方が乗るのを許してくれればだけど - 名無しさん (2021-01-14 15 16 10) 蓄積祭りで盾あっても捕まりやすいからなあ、ファンネル系武装は盾で受けにくいのも問題。後単純に足 - 名無しさん (2021-01-14 15 17 34) 支援機がいないならいいかって感じだね、インコム等で今は簡単によろけ出るから650はキツイね - 名無しさん (2021-01-14 15 22 09) フライトで位置取りとか逃げとか言ってる奴いるけど、フライトで逃げるなんて到底無理だぞ…変形と同じように考えない方がいい。 - 名無しさん (2021-01-14 15 09 39) グフ系の当たり判定ですら四苦八苦しながら避けれるかどうかだもんな… - 名無しさん (2021-01-14 15 20 11) これバイアランのフライトは可変機の変形コンボ的使い方が良いのかもしれん。飛び続けるグフ達とは違う使い方が要る - 名無しさん (2021-01-14 15 09 17) 数戦乗ってみたけど飛ぶのはヘイト集めて囮になる時、高台に居る何かに妨害かけに行く時とかで通常は飛ばないで戦ってる方が強いのかも…?とは思った - 名無しさん (2021-01-14 15 18 09) メタスですら落ちやすい現環境…さて - 名無しさん (2021-01-14 15 07 40) 飛ばなきゃ良いねん - 名無しさん (2021-01-14 15 09 15) 飛ばなかったらこいつの存在意義ねーじゃん - 名無しさん (2021-01-14 15 10 39) 500〜550の2種格闘持ち汎用って事で良いんじゃないすか - 名無しさん (2021-01-14 15 18 00) 2種格闘目当てならR・ジャジャ使うわ - 名無しさん (2021-01-14 15 21 47) 強襲じゃん(強襲じゃん) - 名無しさん (2021-01-14 15 22 48) バイアランとR・ジャジャの使い方は同じだろう?バイアランに壁汎用を求めるわけでもあるまい? - 名無しさん (2021-01-14 15 26 28) ええ…どっちも持ってなさそう - 名無しさん (2021-01-14 15 32 25) 暴論ってやつだな…この手の人はああ言えばこう言うタイプ - 名無しさん (2021-01-14 15 34 08) カテゴリの差が理解できてないあたりエアプまである - 名無しさん (2021-01-14 15 34 24) カテゴリじゃなくて、2種格闘の話しをしてるんだろうに・・・。納得いかないならF・R装備のマラサイでもいいんだけど? - 名無しさん (2021-01-14 15 42 32) 「【500〜550】の【2種格闘持ち】【汎用】って事で良いんじゃないすか」が元の話ね、それに対して「2種格闘目当てならR・ジャジャ使うわ」と言っている - 名無しさん (2021-01-14 15 45 43) うん、だから、カテゴリの違いに納得いかないなら、マラサイでもガルスJでいいね? - 名無しさん (2021-01-14 15 53 40) 「そもそも二種格闘の話をしていた」みたいに言っていたから、違うぞと指摘しているだけだぞ - 名無しさん (2021-01-14 15 56 04) うん、だから、R・ジャジャヤが強襲なことに文句言ってるのはわかったから、こっちはそっちが納得する機体をあげてるんだけど? - 名無しさん (2021-01-14 16 00 46) 絶対〇〇だけど?みたいな言い方するの口喧嘩弱い小学生みたいでかわいい - 名無しさん (2021-01-14 16 04 06) 気持ち悪いやつだな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 16 07 14) よしよしヾ(・ω・`) - 名無しさん (2021-01-14 16 13 11) マラサイはコスト違うし即よろけない。ガルJの2種格闘は強よろけ付与で運用違う。うん、バイアラン使うわ - 名無しさん (2021-01-14 16 06 17) その考え方がもはやエアプなんだよなぁ……カテゴリ、スキル、兵装、機体の大きさ、あらゆる要素で使い勝手がまるで変わるのに一部だけ切り取って一括りにしてるとかバトオペをプレイしたことがあるとは思えん。 - 名無しさん (2021-01-14 16 14 59) 好きな機体だから飛ばないバイアラン何て…って言われても2種格闘持ち汎用って事で使うわ。って流れだろうに…。ホントに上で言われてる通り、ああ言えばこう言うやつだったな - 名無しさん (2021-01-14 15 57 06) 何言ってんの??バイアランは好きな機体だから~なんて話じゃないぞ?こっちの主張を取り下げてそっちに譲歩してるのに、何を不満そうにしてるの? - 名無しさん (2021-01-14 16 20 25) 全然通じてなくて草 - 名無しさん (2021-01-14 15 47 30) カテゴリだったりスキルだったり副兵装だったりで使い勝手がまるで変わることを理解できてないあたりやっぱエアプなだけじゃないですかねえ…… - 名無しさん (2021-01-14 15 47 49) エアプかどうかじゃなくて話が食い違ってることを理解できてないあたり、日本語エアプじゃないですかねえ…… - 名無しさん (2021-01-14 15 56 57) バイアランに親殺されたんやろうなぁ… - 名無しさん (2021-01-14 16 00 11) 全くだな、飛ぶというバイアランの存在意義を否定するようなことを言うのか - 名無しさん (2021-01-14 16 03 32) この属性違う機体を引き合いに出す人はなんなん? - 名無しさん (2021-01-14 15 23 01) そうまでしてバイアランにケチつけたいんやろ - 名無しさん (2021-01-14 15 25 03) せめてガルJでは? - 名無しさん (2021-01-14 15 24 43) 射撃面も即よろけと蓄積持ちだし、比べるならこっちだよなぁ - 名無しさん (2021-01-14 15 33 59) ガルスでも良くね? - 名無しさん (2021-01-14 15 25 26) マラサイ「ウミヘビは2種格闘に入りますか?」 - 名無しさん (2021-01-14 15 28 59) 450からだけど、F・R装備のマラサイがいるやん - 名無しさん (2021-01-14 15 30 46) ガルJ「俺のこの手が光って唸る!」 - 名無しさん (2021-01-14 15 39 25) 500な上に汎用かよおお前!? - 名無しさん (2021-01-14 15 06 33) z系の機体当たるとすぐ鹵獲カラーにしちゃうこの癖を治したい - 名無しさん (2021-01-14 15 03 39) エウティタ民かな? - 名無しさん (2021-01-14 15 04 00) Yes! そのせいでバイアランは真っ赤なイメージがあった - 名無しさん (2021-01-14 15 04 45) 赤白ギャプランの黒スパガンはかっこよかった。基本的に連ジよりもエウティタの方が鹵獲カラーがかっこいいんよな。 - 名無しさん (2021-01-14 15 08 56) 連ジの鹵獲カラーは連邦はとりあえずトリコロール、ジオンはとりあえずザクカラーの単調な感じだったからね - 名無しさん (2021-01-14 15 10 28) ガンキャノンはジオン鹵獲カラーの緑色にしてるわ、エウティタだとギャプランのエゥーゴカラーが格好良くて好きだった - 名無しさん (2021-01-14 15 16 23) ZとZZはティターンズカラーにしてるわ、ギャプランもエゥーゴカラー。百式もティターンズカラーにしたかったけど目立たない色にしないと宇宙でもきつかったよ… - 名無しさん (2021-01-14 15 13 58) 皆が思うレア度詐欺の武器、機体ってなんですか?個人的にはノーマルのドムサーベルです。 - 名無しさん (2021-01-14 15 01 25) 詐欺ってほどのものはないと思うけど、強いて言えばナイトシーカーかなぁ - 名無しさん (2021-01-14 15 02 21) あ、あとジムコマ!ありゃ出た当初星1の性能じゃなかった - 名無しさん (2021-01-14 15 24 04) 今はアクアジムが☆1詐欺だと思う - 名無しさん (2021-01-14 15 49 29) アクアジムと水中ザクは星2機体だよなぁ - 名無しさん (2021-01-14 16 09 46) 素のヨルシカ - 名無しさん (2021-01-14 15 02 43) ジムスナとジム改 - 名無しさん (2021-01-14 15 03 16) ザメルの主兵装ミサポ - 名無しさん (2021-01-14 15 05 16) ドムバラッジ - 名無しさん (2021-01-14 15 06 16) 星3武器は全て詐欺だと思うし、機体はナイトシーカー、プロガン、ガンナー辺りかな - 名無しさん (2021-01-14 15 07 54) 全盛期を考えたらプロガンとガンナーは相応じゃね? - 名無しさん (2021-01-14 15 10 13) 全盛期知らない側だから外れのイメージしかないのよ - 名無しさん (2021-01-14 15 12 07) プロガンは出た当初1コンで確定で支援機落とせた+機体によっては汎用ですら1回の追撃で落とせた。ガンナーは足が速くて強襲から逃げ切れるほどだったし、遠距離射撃だけで火力も出せた - 名無しさん (2021-01-14 15 18 19) 素の夜鹿(☆3) - 名無しさん (2021-01-14 15 08 26) ガルβ ジャジャ - 名無しさん (2021-01-14 15 16 19) 伏せてるところに大よろけあたったらダウンにならないかなぁ - 名無しさん (2021-01-14 15 00 45) 今思うと新スキルの内容って結局操作性関連のリミッターを外すだけで新機軸感を感じないのはどうなの?そんなにネタがないの? - 名無しさん (2021-01-14 15 00 01) フライトで殴りに行くとすぐ落とされるだろうけど、空中で解除してマニューバで殴るA1的なムーブはできるんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 15 00 00) フライト中に火力が下がるのなんで?ってよりよっぽどグフ彦がやりすぎたのが響いてるんだなぁと、酷かったからね全盛期のグフ彦の言われよう - 名無しさん (2021-01-14 14 59 37) バイアラン空中からだと下下下入りやすいんだね...尚地上は入るには入るけどうーん...姿勢制御ってホント有能スキルなのを実感するよ最近(格闘2種機体乗りながら - 名無しさん (2021-01-14 14 59 24) 視点で上下するのがなんか違和感マシマシで難しー!宇宙だと気にするほどじゃなかったのに…ヒットボックスや落ちやすさ考えると飛んで撃ち合うこと自体が間違いで格闘しろってことかこれは。 - 名無しさん (2021-01-14 14 55 06) フライトは高台に素早く乗るためのものでしょう? - 名無しさん (2021-01-14 14 56 44) グフフかなんかのデモでもそんな使い方で見せてたよね。フライトのこと - 名無しさん (2021-01-14 15 01 31) 地上で宇宙の練習をするためなんだよ! - 名無しさん (2021-01-14 15 01 56) 通報が行われており、複数の戦闘で迷惑行為を確認できたアカウントに対し、2021年1月14日(木)にゲームプレイの停止措置を行いました。 今後も運営側が迷惑行為であると判断したアカウントに関しましては、ゲームプレイを停止させていただく場合がございます。予めご了承ください。 - 公式ツイッタより (2021-01-14 14 52 35) どした? - 名無しさん (2021-01-14 14 54 34) アホみたいな枝 - 名無しさん (2021-01-14 14 55 58) それを言ったら阿保みたいな木になってしまう気がするが・・・ - 横から (2021-01-14 14 57 44) いやかれこれ一時間前くらいの事をコピペしてまでうえたのかなとおもってさw - 名無しさん (2021-01-14 14 59 15) それもただ単にコピペしただけという……何考えてたらこんな木立てようと思えるのか理解に苦しむ…… - 名無しさん (2021-01-14 15 01 49) 停止されたんじゃね?w - 名無しさん (2021-01-14 15 35 11) 今回は一時停止処置となっていますが、再び繰り返される場合は永久停止処置をしなければなりません。 また、今回停止処置になっていない事例に対しても、確認とれ次第、予告なく停止処置を行います。 誰かを不快にさせようという悪意ある行動は無くしていきたいです。ご協力御願い致します #バトオペ2 - 神戸氏ツイッタ (2021-01-14 15 03 18) いたって普通のことだね。正常な措置。停止くらう方が悪い、以上。 - 名無しさん (2021-01-14 15 48 03) バイアランの格闘を活かそうと思ったらMk2とかドライセンとやりあわなきゃならんのか……… - 名無しさん (2021-01-14 14 52 04) バイアランこれ550だと零式のノンチャ2発でおちるのか。 - 名無しさん (2021-01-14 14 49 44) えぇ…。環境的に一機居る可能性高いし飛んだら的じゃないか - 名無しさん (2021-01-14 14 50 59) フライト無理に活かさずに地に足付けた方が戦いやすいかな。 - 名無しさん (2021-01-14 14 53 34) 一部の機体の変形みたいに素早くポジション変えたり逃げたりするのに使うぐらいがよさそうね - 名無しさん (2021-01-14 14 54 05) 大きさ変わんないから他の可変機に比べるとレアリティ相応なんだなって思う - 名無しさん (2021-01-14 15 08 54) リサチケ画面の互いに銃身向け合ってるガンダム4号機と5号機でニヤけた - 名無しさん (2021-01-14 14 48 28) 片方持ってたら勝った方になってそう(小並感) - 名無しさん (2021-01-14 14 50 51) 半額でバイアラン来たわw - 名無しさん (2021-01-14 14 47 23) 俺も来たよ。最後はガーナーlv2がきてちょっとがっかりだったけどね… - 名無しさん (2021-01-14 14 51 10) 真っ黒に塗ってフラジールごっこ。いわゆるネタカラーですね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 46 11) ピンクに塗ってティエレンタオツーごっこ? - 名無しさん (2021-01-14 14 48 12) 負けても逆流しないように気をつけろよ - 名無しさん (2021-01-14 14 50 48) 撃墜されたら光が逆流するのか - 名無しさん (2021-01-14 14 54 11) あ、そうだ忘れんうちにコックローチバイアランカラーにしなきゃ(謎の使命感 - 名無しさん (2021-01-14 14 55 48) ソブレロの腕をライールに変更するとバイアランっぽくね? - 名無しさん (2021-01-14 14 56 45) 太さ的には確かにそっちかなー - 名無しさん (2021-01-14 15 02 08) 次世代機だからってのもあるけどグフフに付けて欲しかったな新スキル - 名無しさん (2021-01-14 14 46 07) あの起動を地上でやられたらヤバいと思うんだが…蓄積云々いってるまに詰められて切られるんだけどねw - 名無しさん (2021-01-14 14 48 15) 軌道かw失礼 - 名無しさん (2021-01-14 14 49 57) 機動じゃね? - 名無しさん (2021-01-14 14 50 46) 重ね重ね面目ないw - 名無しさん (2021-01-14 14 52 32) そんなん付けたらグフフばっかりになるだろクソゲーしたいの? - 名無しさん (2021-01-14 14 49 49) できらぁ! - 名無しさん (2021-01-14 14 50 56) フライト機が強すぎるとクソゲーになるからナーフされたの覚えてないんすか? - 名無しさん (2021-01-14 14 52 02) 強すぎない程度に強くするのさ - 名無しさん (2021-01-14 14 54 34) 最近始めたのかもしれない - 名無しさん (2021-01-14 14 54 54) グフフ君が糞だったのは浮いてガトシ射ってりゃそれで勝てる機体だったからだろ、今のグフフ弱いから使い心地とか格闘火力上げて欲しいよ…グフ飛行は未だに糞だけどな - 名無しさん (2021-01-14 14 57 20) 今のグフフは、運営「ガトバリバリしてないで殴れ」って射撃戦ゴミにされたのにそもそも格闘出来る機体じゃないっていう悲しみを背負ってるからな - 名無しさん (2021-01-14 15 03 08) 強襲の射撃としては射程も削りも破格だぞ。射撃一本じゃダメだが、射撃がゴミってのは無い。 - 名無しさん (2021-01-14 15 23 42) 飛ばないほうが強いなバイアラン マニュと範囲いかしてぶった切ってったほうが良いのかも - 名無しさん (2021-01-14 14 46 07) ガンタンク←解る ガンキャノン←ギリ解る ガンダム←ダムって何だよ ってのが書いてある漫画を思い出した・・・ - 名無しさん (2021-01-14 14 45 12) フリーダムファイターガンボーイ! - 名無しさん (2021-01-14 14 46 20) ガンボイ - 名無しさん (2021-01-14 14 51 09) あれだぞ、ふくらはぎのふくらみだぞ - 名無しさん (2021-01-14 14 48 02) トニーたけざき懐かしいなぁ - 名無しさん (2021-01-14 14 50 18) 腰に付いてる黄色ぽっちは弁当箱(縦置き) - 名無しさん (2021-01-14 14 52 50) フリーダムとガンボーイを合わせてガンダムらしいね。ということはフリーダムガンダムってフリーダムガンボーイフリーダムか? - 名無しさん (2021-01-14 14 48 25) ダムはふくらはぎ部分のことだろうがよ! - 名無しさん (2021-01-14 14 49 59) まさか今夜はあのズサで落ちろ蚊トンボ祭りができるんですか?! - 名無しさん (2021-01-14 14 45 04) APEXの煽りはムカつかないのにバトオペの煽りはマジでイラつくんだがなんでだろうな - 名無しさん (2021-01-14 14 44 55) ガンダムとかスターウォーズのファンはオタクは熱くなりやすくてすぐ相手に対してマウント取りたがる人が多いてのを前にニュースかなんかで読んだぞ。愛故にじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 14 50 59) なんかiOS14あたりのアプデしてからユーザー辞書ツールが開かなくなったんだけどおま環?反転読めなかったり変換めんどい単語も登録できなくてすごい不便だわ - 名無しさん (2021-01-14 14 43 59) やっぱメタスってクソだわ(気持ちよく飛んでるバイアラン君の感想) - 名無しさん (2021-01-14 14 37 35) メタス「バイアランくん大きいから凄い当てやすくてしゅきぃ…」(チュンチュンチュン - 名無しさん (2021-01-14 14 42 14) 人口少ない宇宙で頑張って機体入手してるクランだからもっと頻度あってもいいのになって思う - 名無しさん (2021-01-14 14 47 16) 枝ミス…すまぬ - 名無しさん (2021-01-14 14 48 40) バイアラン君、飛ばない方が正しい使い方になりそうな気がする - 名無しさん (2021-01-14 14 44 05) 使ってみた感想? - 名無しさん (2021-01-14 14 44 50) なんかリサチケにゴミ機体が追加されてません?ちゃんとした機体をお願いします。 - 名無しさん (2021-01-14 14 37 18) 無課金者様のために運営様が置いてるんやで - 名無しさん (2021-01-14 14 39 56) つまり無課金はゴミってこと? - 名無しさん (2021-01-14 14 41 03) 課金者には事前にプレボで配布している・・・つまり課金者もg ん?何だ?宅急便か?・・・ - 名無しさん (2021-01-14 14 47 29) 完全に早すぎる実装の被害者だよね。ここ最近の機体だったらホバーで元気に地上を駆け回ってた - 名無しさん (2021-01-14 14 41 48) そりゃアタリ週もあればハズレ週もあるやろ - 名無しさん (2021-01-14 14 42 11) 何度か歩兵で中継取るだけしてたけど、得点取ってるし放置ではないからセーフなのかな。これからもやる気のない味方の時はこれでいいな。 - 名無しさん (2021-01-14 14 36 42) それって戦闘不参加って考えられても仕方ない行為では?拠点取るのは確かに大事で放置ではないけど戦闘そのものには出てないし - 名無しさん (2021-01-14 14 40 54) 別のとこでも書いたけど通報案件かどうかで迷って通報されてないだけかもよ。今後もそれで行けるとは思わんことだ - 名無しさん (2021-01-14 14 43 22) 初回だから特に目立ったひとだけ処分した可能性もあるよね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 51 37) まぁ、イエローカードぐらいは立ってそうよね - 名無しさん (2021-01-14 14 54 39) 明確に通報案件だろ。あと、一番やる気無いのお前だからな。 - 名無しさん (2021-01-14 15 52 44) バイアランは、不満コメが少ない気がする。なぜなら、見た目からしてネタ機だから - 名無しさん (2021-01-14 14 35 36) 気がするだけで存在するか定かでない事象に対して理由付けしてんのすごくモヤる…… - 名無しさん (2021-01-14 14 37 16) 飛ばなきゃ使える、飛んだら産廃とかになるかもね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 37 28) それいいことだ! - 名無しさん (2021-01-14 14 37 38) まだ30分だしどんな評価になるかは今夜、明日、三週間後くらいまではっきりとわからんさ - 名無しさん (2021-01-14 14 38 58) ここのエリートパイロット様は実装10分で評価してくるで。 - 名無しさん (2021-01-14 14 48 48) 40秒で評価しな - 名無しさん (2021-01-14 14 52 27) 40秒毎に手のひらクルーしそうw - 名無しさん (2021-01-14 14 59 21) 40秒で(カスタマイズして)支度しな! - 名無しさん (2021-01-14 15 01 22) バイアランで盛り上がっているなか、DPでジムキャⅡが買えるようになったことがちょっと驚いているワイ。まあLv1だけだし400だったら強い方になるから問題はそうないだろう、と楽観視 - 名無しさん (2021-01-14 14 34 20) 絶対またフルオートしかしない人が増えるのがなぁ。知らない分はしょうがないけどそれなりのレートなら機体の使い方ぐらい把握してから乗って...とは思う - 名無しさん (2021-01-14 14 37 37) あぁ、それはあるなぁ。ジムライフルは3点バーストでやらないと接近戦ならともかくちょっと離れるだけでもロクに当たらないもんね。バースト射撃ぐらいは確かに覚えてほしいね - 名無しさん (2021-01-14 14 39 01) ギードムもDP落ちで400宇宙人口の呼び水に多少なりともなってくれると嬉しいな - 名無しさん (2021-01-14 14 39 57) 400宇宙はネモが使いやすくて使いやすくて。キャノン当ててからサーベル行けるのがほんとでかい。でもギードムに突っ込まれてやられることもかなりあるからギードムも使ってみようかな?なんて思う今日この頃 - 名無しさん (2021-01-14 14 42 02) ネモで思い出したんだけどさ、武器20万DPってどうかしてるよな。キャノン使ってみたいけど買えねぇわ。 - 名無しさん (2021-01-14 14 44 25) 確かにお高いね。あのキャノンも値段に見合うって個人的には思ってるけど人によっては高い割にイマイチという人もいるだろうから難しいね。ネモのユニーク武器と性能面があって高いのかもしれない - 名無しさん (2021-01-14 14 45 45) Lv2が高いだけなら「Lv1の使用感で買うか決めてくれ」で良いと思うんだけど、そもそものLv1が買えないと使用感も何もないのよね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 49 51) 考え方はわかるけど、キャノンの性能が上がってから芋するネモも増えたから安易に手に入っても困るなぁ、って思う自分もいたりするから難しい - 名無しさん (2021-01-14 14 52 31) それは中の人問題だからね…武器の入手難易度が高いから減るってわけじゃなくて他の機体で芋るだけだろうし。 - 名無しさん (2021-01-14 15 00 18) というか今日追加の500ギードムってどうなんやろなぁ - 名無しさん (2021-01-14 14 42 06) どうなんだろう?熊さんとかジャジャとかに割って入ってくることになるけどコロニーとか要塞なら輝けるか? - 名無しさん (2021-01-14 14 51 12) デュラハンいなかったらジムキャ2で安パイなんだけどねぇ - 名無しさん (2021-01-14 14 41 13) あぁ、デュラハンは天敵ですわぁ。あのでかいシールドさえなければ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 14 42 51) ジムキャⅡって新規向けに配付されてなかったっけ?いまさら買うやつおる? - 名無しさん (2021-01-14 14 41 26) その時にもらって無かったり、最近始めた人もいるだろうからいいんじゃない?今後始める人向けという需要もあるし - 名無しさん (2021-01-14 14 44 24) バンされた奴って実際どれくらいいるんだろ?ここ見てるやつでバンされた人いる? - 名無しさん (2021-01-14 14 34 02) セルフBANなら - 名無しさん (2021-01-14 14 45 57) 高性能フライトの説明に攻撃力低下するってあるけどシステム系以外でデメリットありのスキルって初? - 名無しさん (2021-01-14 14 33 53) タックルできなくなる変形 - 名無しさん (2021-01-14 14 35 17) 回復時間3倍になるオーバーブーストとか - 名無しさん (2021-01-14 14 38 24) バイアラン君サイコガンダムが無印のままなら格闘一発で落とせるか検証出来たのに… - 名無しさん (2021-01-14 14 33 50) バイアランくんサーベルクソ長いな モーション的に巻き込み事故多発しそうだ - 名無しさん (2021-01-14 14 29 12) サベ1本の下格が突きになってるのはその辺考慮してなんだろうか - 名無しさん (2021-01-14 14 32 36) サイコガンダムにトドメを刺した突きの再現じゃない? - 名無しさん (2021-01-14 14 37 33) 2本の方がニムバス系のクロス切りだから左右の範囲やばい - 名無しさん (2021-01-14 14 38 31) バイアラン当てるのに95連かかった、素直に喜べない... - 名無しさん (2021-01-14 14 28 43) 副産物次第では? - 名無しさん (2021-01-14 14 29 37) 強い、弱いは別として楽しそうだから、引きたい - 名無しさん (2021-01-14 14 29 54) 楽しいよ - 名無しさん (2021-01-14 14 31 56) バイアラン射撃装甲紙で2種格闘だから浮かずに殴る機体になりそう。500以上なら大多数の機体が苦労せず叩き落とせるだろうし - 名無しさん (2021-01-14 14 23 45) 連撃バランサーマニューバもあるし無理に浮かなくても結構いけそうね。強制噴射ないのちょっとつらいけど - 名無しさん (2021-01-14 14 33 40) バイアラン、通称は倍?バイ(両性愛者)? - 名無しさん (2021-01-14 14 22 45) バイじゃ通じ無さそうだし略さずバイアランで良くね? - 名無しさん (2021-01-14 14 24 14) そんな長い名前でもないしいちいち略するまでもなかろう。 - 名無しさん (2021-01-14 14 25 43) 下手に略したり愛称つけようとしても蔑称扱いで廃れるだけぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 14 25 53) なんでも略したり通称にしたりする兄貴好きじゃないし嫌いだよ - 名無しさん (2021-01-14 14 25 57) アランだな - 名無しさん (2021-01-14 14 26 18) バランだとお弁当の仕切りになっちゃうからアウトな!約束だぞ!! - 名無しさん (2021-01-14 14 28 07) バイアランです - 名無しさん (2021-01-14 14 28 38) 無理に略すのやめない?バイアランなんて特に長い名前でもないし。 - 名無しさん (2021-01-14 14 35 17) ガンダムシリーズが好きでプレイしているからこそ、長いわけじゃない限りそのままの名前で呼びたいわ。 - 名無しさん (2021-01-14 14 39 22) 個人的にバイアランがガブスレイよりもコスト低いのはなんかモニャるわ・・・。デカイ図体で活躍させるなら500だったんだろうけど。 - 名無しさん (2021-01-14 14 22 36) 単純に機体の完成度を見ての判断でしょ、バイアランって高性能だけどフライトシステム含めて完成品とは言えないし - 名無しさん (2021-01-14 14 23 43) ジェリド乗り込む時整備士にまだ完全じゃないみたいなニュアンスで言われてたからな - 名無しさん (2021-01-14 14 32 37) どうせバイカスがしばらくしたら強襲650で出るんだろうな - 名無しさん (2021-01-14 14 24 45) 俺もガブスレイと同格だと思ってたわ。Ζと同等かちょっと劣るくらいのイメージ - 名無しさん (2021-01-14 14 27 58) 2レベルでもコスト割れしている機体でカミーユを追い詰められるジェリド強いなって話ですよ - 名無しさん (2021-01-14 14 33 58) バイアラン来たは良いけどLv2だと変態ドライセン使いにトライブレードで落とされそう…… - 名無しさん (2021-01-14 14 19 07) 段差乗り上げからの格闘の振り上げで擦りに来る変態ドライセンも居そう - 名無しさん (2021-01-14 14 20 44) トライブレードは蓄積10%じゃね? - 名無しさん (2021-01-14 14 28 09) ドライセンの高弾速バズが一番壊そう - 名無しさん (2021-01-14 14 29 52) さて、バイアランどうやって落ちろカトンボするか - 名無しさん (2021-01-14 14 17 40) ドワ改「任せろ」 - 名無しさん (2021-01-14 14 19 11) ジャジャのビーライ連射するか、ガルスのミサポ2種で突き落とすか、ズサのナパームで叩き落とすか - 名無しさん (2021-01-14 14 19 47) ディアス、メタスがいるからそれほど意識しなくても落とせそう。350~450は汎用の蓄積力が低いから暴れてたわけだしね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 20 07) ディアスのショットガンって結構近くないとあんまし効果ないんじゃなかったっけ? - 名無しさん (2021-01-14 14 23 30) しまったディジェだこれ - 名無しさん (2021-01-14 14 23 50) ディアスの散弾は300mで起爆するから別に困りはしないと思うぞ - 名無しさん (2021-01-14 14 24 50) lv4ハイゴッグ「餌が増えたな」 - 名無しさん (2021-01-14 14 22 54) メタスが大活躍しそうだな - 名無しさん (2021-01-14 14 23 55) バイアランはバイアランで落とすのが一番楽な気がする - 名無しさん (2021-01-14 14 24 48) てかダメコンなしだから普通にバズ一発で落ちるままか。これはフワフワしてれば安全!ってのじゃなくて、三次元MAとしてフライトAMBACで襲い掛かるときに使う機体になるのかな。 - 名無しさん (2021-01-14 14 26 33) 飛んだらゼクに射程距離外からで墜ちろ蚊トンボ!だろな、飛んでなくても蛆虫ー!でハチの巣になりそうだけど - 名無しさん (2021-01-14 14 30 09) 累積で落ちるならテトラも行けるんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 14 31 02) 出撃したら地雷ってことになりそうだなこの機体、廃墟や密林では強そうだけど - 名無しさん (2021-01-14 14 34 09) 500になるとメタスいるからフライトきつそう - 名無しさん (2021-01-14 14 17 11) 追撃しろ!ぶつかってもた! - 名無しさん (2021-01-14 14 16 51) ポケットピカチュウの修理完了、接点復活材のすばらしさを実感中。リモコンも直すか・・・ - 名無しさん (2021-01-14 14 16 47) 可愛いな - 名無しさん (2021-01-14 14 45 00) 前回の宇宙クランマッチが第39回で次が第45回か……結構空いたな - 名無しさん (2021-01-14 14 16 31) うちのクラン、いつも人口少ない宇宙で機体手に入れてるからもっと頻度多くていいのに…あと100位以内の時が良かった… - 名無しさん (2021-01-14 14 53 39) 垢BANだ!ざまぁないぜ!! - 名無しさん (2021-01-14 14 15 52) バイアランかでも550コストはゼクアイン汎用のマシで溶けそうなんだがどうなんだろう? - 名無しさん (2021-01-14 14 15 13) え?ティエレン…あ、バイアランってかいてあるわ - 公式twitter見た時の反応 (2021-01-14 14 11 39) バイアラン、地上でも宇宙みたいな機動ができるなこいつ。斜め下に向かって移動や攻撃が出来る。 - 名無しさん (2021-01-14 14 11 19) でもダメコンどころかフライトで蓄積に弱くなってるからメタスに撃ち落とされそう - 名無しさん (2021-01-14 14 14 33) ここ最近では久しぶりの地上適性持ちかな?因みに連射ビームの蓄積はどのくらい? - 名無しさん (2021-01-14 14 16 44) 4発で蓄積よろけ、8発連射でオバヒ - 名無しさん (2021-01-14 14 19 31) 普通の機体に4発 ダメコン2(キュベ)には7発よろけ確認 - 名無しさん (2021-01-14 14 20 15) 拙者ずっと本物のバトオペ侍でござる。実は今日バイアランが来るのが予測できていたでござる。でもみんなバーザムとジムキャⅡとマークV当てたら文句言われたので仕方なくネロと予言したのでござる。だから実質当たりでござ・・・・・・・ - 名無しさん (2021-01-14 14 11 07) 言い訳せずに切腹してどうぞ - 名無しさん (2021-01-14 14 12 01) 切り捨て御免! - 名無しさん (2021-01-14 14 12 05) さあ、お逝きなさい - 名無しさん (2021-01-14 14 14 36) 今宵の不死切りは血に飢えておる… - 名無しさん (2021-01-14 14 18 58) 介錯はご入用で? - 名無しさん (2021-01-14 14 19 17) ご注文は介錯ですか? - 名無しさん (2021-01-14 14 23 58) 介錯しもす!! - 名無しさん (2021-01-14 14 38 44) この方は何度でも甦る。冥人様よ! - 名無しさん (2021-01-14 14 47 42) 星3より沼津だから欲しい奴は頑張るしかないな - 名無しさん (2021-01-14 14 09 53) アルトバイエルンの意志はここにある!皆、バイアランの元に集え! - バイアラー (2021-01-14 14 06 15) 垢BAN報告きた~~~ - 名無しさん (2021-01-14 14 03 21) 戦闘終了後に煽りチャット結構入れてたけどそれぐらいじゃペナルティなしなのね。 - 名無しさん (2021-01-14 14 13 06) 害悪アピールこっわ - 名無しさん (2021-01-14 14 16 13) 触れちゃアカンぞいずれ消える - 名無しさん (2021-01-14 14 21 12) 特定した - 名無しさん (2021-01-14 14 20 07) 単に試合終了後だから通報対象になるかどうか判断できかねるから通報されてないだけじゃないかね?運営からそこも通報していいよってアナウンスされたらさよならできるよ! - 名無しさん (2021-01-14 14 22 43) 意外と皆さん通報しないほど優しい人なのでは?自分は試合中、試合後関係なく煽りチャットマンは通報してるから煽りマンは安心して垢BANされるの待っててね - 名無しさん (2021-01-14 14 25 33) 俺も検証がてらサブ垢でしばらく連呼マンやってみたが今回BANされてなかった これでお咎めなしとなると相当のヤバさが必要だぞ… - 名無しさん (2021-01-14 14 31 03) 星2バイアラン - 名無しさん (2021-01-14 14 00 41) 下格の巻き込み範囲広そうでFF巻き込みしてしまいそうなのが怖いなw - 名無しさん (2021-01-14 14 11 50) アプデの木 - 名無しさん (2021-01-14 13 59 02) バイアラン来たァァァァァァ!!! - 名無しさん (2021-01-14 14 01 31) べーアラン飛ぶ? - 名無しさん (2021-01-14 14 03 37) フライトシステムLv2にフライトをサポートするスキル追加されてるっぽい。あと格闘2種 - 名無しさん (2021-01-14 14 07 51) 2種格なの?PV見る限りでは腕ビーが2種のようだけど… - 名無しさん (2021-01-14 14 12 17) ビーム片手打ちと両手打ちで2種、サーベルが1本と二刀流で2種だぞ - 名無しさん (2021-01-14 14 13 34) 500汎用 バイアラン来たぜ! - 名無しさん (2021-01-14 14 01 37) バイアランきた - 名無しさん (2021-01-14 14 02 04) グフ彦の再来となるか - 名無しさん (2021-01-14 14 02 30) 500だとメタスおるしどうだろう - 名無しさん (2021-01-14 14 12 26) 一時だが通報者のBAN来たな - 名無しさん (2021-01-14 14 03 02) 1枚目のレッドカードなんだろうね。2回3回と停止措置くらって蓄積していって、最後は永久停止と思う。 - 名無しさん (2021-01-14 14 16 08) また叩かれそうな機体が来たなぁw - 名無しさん (2021-01-14 14 03 23) フライトシステム持ってるのはヘイト高いのはしょうが無いわなぁ - 名無しさん (2021-01-14 14 04 26) PV見る限りビーム連射と下格範囲が広そうで面白そうだね - 名無しさん (2021-01-14 14 10 00) 通報により一時的なゲームプレイの停止措置をしたってよ、やりますねぇ - 名無しさん (2021-01-14 14 03 41) 個人的には思ってたよりずっと早い措置断行で(良い意味で)ビックリ。 - 名無しさん (2021-01-14 14 05 27) 五月蝿いのも減るし処分も早いしでいやマジでありがたいねw - 名無しさん (2021-01-14 14 08 06) 今回は一時停止だけど繰り返したら永久停止になったりするんだろうか? - 名無しさん (2021-01-14 14 10 54) 一時停止つっても期間が書いてないからなぁ・・・どのくらいなんやろ - 名無しさん (2021-01-14 14 12 28) そういえばFF退場実装直後もちゃんとBANしたよってアナウンスしてたな。脅しじゃないよって宣言してくれるのはいいことだわ - 名無しさん (2021-01-14 14 14 14) FF退場でBAN?すまないが初めて聞いたんだが? - 名無しさん (2021-01-14 14 17 47) FFしまくると強制退場で、ペナルティも付くんじゃなかったか?BANは言い過ぎたけどちゃんと適応してるよ!ってアピールはその時もしてたぞ - 名無しさん (2021-01-14 14 27 52) それはペナであってBANじゃないよね。あまりに違った表現されると、今のタイミングは誤解を生む。 - 名無しさん (2021-01-14 14 38 02) 垢停止措置したってさぁ - 名無しさん (2021-01-14 14 04 08) バイアランか。で、味は? - 名無しさん (2021-01-14 14 04 45) 良かった...バイカスより先にバイアラン実装で本当にヨカッタ... - 名無しさん (2021-01-14 14 05 39) 600コストにフルカス追加か…さすがにムリだろw - 名無しさん (2021-01-14 14 07 45) そういえば宇宙だとフライトシステムどうなるんだろう - 名無しさん (2021-01-14 14 15 33) ???「ソルダー!レジストォ!!」 - 名無しさん (2021-01-14 13 57 31) ガンダムMk2もスパガン以外に出せそうなバリエーションがいくつか有るんだなと思ったけど、大体Mk2とやることは同じで高性能って感じに収まりそうな印象だぁ - 名無しさん (2021-01-14 13 53 37) ヴァースキ専用はまじでほしい - 名無しさん (2021-01-14 13 54 41) あいつは出てもFAMK2やで多分... - 名無しさん (2021-01-14 13 57 55) FAパージしようぜ! - 名無しさん (2021-01-14 13 58 42) FAガンダムmk2「実在の怪しい機体もいるし出てもいいよね?」 - 名無しさん (2021-01-14 14 00 35) お前はたぶん出れるやろやぁ - 名無しさん (2021-01-14 14 30 35) 今日はデルタジムがだってさ - 名無しさん (2021-01-14 13 51 18) 何?デジタルジム? - 名無しさん (2021-01-14 13 51 50) えっ?ネルネルネルネ? - 名無しさん (2021-01-14 13 53 31) 今週の新機体はヘイズルおじさん「今週の新機体はヘイズル」 - 名無しさん (2021-01-14 13 50 07) 今日の機体はフルアーマーヘイズル - おじさん (2021-01-14 13 58 30) トリスたんの存在見てるとやっぱF90とか小型MSが逆シャア時代のMSとコスト同一でかち合うと、ヒットボックスでかなり有利なのかもなぁ。(F90以降出るかわかんないけど) - 名無しさん (2021-01-14 13 46 20) 技術者「小さいMSにすれば被弾減るんじゃね?」 - 名無しさん (2021-01-14 13 52 34) 軍縮会議「艦のサイズもでっかくしなくていいんじゃね?燃費も上がるし、整備工数も減るよな!」 - 名無しさん (2021-01-14 13 54 21) AE「当たったところでどうということはないってくらい大きくすれば問題ないんじゃね?」 - 名無しさん (2021-01-14 13 56 33) その結果コンペで負け産業スパイを放ってシルエットフォーミュラー(まんまですやんw)なんてつくる恥も外聞もない死の商人。 - 名無しさん (2021-01-14 13 58 43) そして闇に葬られた高性能機RX-99ネオガンダム…見た目だけなら一番好きなガンダムです。 - 名無しさん (2021-01-14 13 59 28) クロスボーン側にもヴェスバー技術漏洩してるし、アナハイムというよりサナリィのセキュリティがザルなだけな気もする。後に光の翼もパクられてるし... - 名無しさん (2021-01-14 14 09 23) ゲーム的にはヒットボックス小さい方が有利よね。夢のない話をするとF91、Vガン以降の小型化はプラモ(おもちゃ販売)の都合だそうな - 名無しさん (2021-01-14 13 54 24) そうなるだろうね。 ゲームデザイン的にどう落としどころを持ってくるかはわかんないけどF-91になると自由飛行かつビームシールド、もちろん火力が高いと走攻守全てにおいて他を圧倒するもんね。それにくわえ的も小さいとなると相当コスト差つけないと吊りあわないと思うわ。。 - 名無しさん (2021-01-14 13 57 05) 今日はシスクードの日 - 名無しさん (2021-01-14 13 46 09) とっとこ ハム太郎 駆けるよ〜 - 倒置法 (2021-01-14 13 43 49) あんま違和感ないな - 名無しさん (2021-01-14 13 45 09) とっとこ ハム太郎 賭けるよ〜 - 賭ケグルイ法 (2021-01-14 13 46 58) ふと思ったんだがタマゴックさんを温めたら何か生まれるのかな? - 名無しさん (2021-01-14 13 31 31) 反応無いからってわざわざ木にするなよ - 名無しさん (2021-01-14 13 32 43) 臭い汁が生まれるんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 13 46 21) 無が生まれる - 名無しさん (2021-01-14 13 47 44) 玉藻とゴッグが由来らしいから卵関係ないんじゃね - 名無しさん (2021-01-14 13 48 41) 何度も聞くとかストーカーみたいだな - 名無しさん (2021-01-14 13 58 18) クイマのシリーズ戦初めて行ってみたけど数戦でもう飽きた…最初は普段乗らない寒ジムでぴゃおー(^p^)ってノリで脳味噌溶かして楽しんでたけど機体が少ねえ - 名無しさん (2021-01-14 13 29 59) 結構やったな、俺は1戦で飽きた - 名無しさん (2021-01-14 13 39 28) 普段乗らないMSを使って欲しいって言う意図はわかるけど結果的にレギュラーMSが変っただけ(例えば08シリーズならゴック)で使われないMSはやっぱり使われないんだもんね。 - 名無しさん (2021-01-14 13 53 00) 何故すべての中継近くにワッパとか置いてないのだろう… - 名無しさん (2021-01-14 13 22 47) じゃあ61置いてあげるわ!復帰の度に踏みつけられて強よろけ地雷の出来上がり! - 名無しさん (2021-01-14 13 28 08) 残念だったな、61式は引っ掛かりはするけど爆発にリアクションはなくなったんだよ。 - 名無しさん (2021-01-14 14 17 16) 61がいるマップなんかここ半年くらいでてないから忘れてたわ - 名無しさん (2021-01-14 14 28 53) 間違って乗り込んじゃう事あるからむしろ中継と違う場所においてほしい - 名無しさん (2021-01-14 13 28 24) 何故ワッパとかは近いのにMS呼んだらあんな遠くに落とすんです? - 名無しさん (2021-01-14 13 31 49) 前廃墟で遭遇した味方のEX-Sブラザーズにまた会いたいな…狭めのマップでその機体大丈夫かよ?って思ってたけど誰かが敵を寝かせると二機分の高火力射撃で速攻で相手のHP無くなるんだもの - 名無しさん (2021-01-14 13 19 30) やっぱ戦いは数だよ、戦車とフライマンタを量産すればジオン軍なんてボコボコよ - 名無しさん (2021-01-14 13 17 12) 乗りたくねぇ... - 名無しさん (2021-01-14 13 19 49) 一年戦争前は軍部の花形だっただろうに一転棺桶扱いされた戦車航空機乗りはどんな気分だったんやろうねぇ… - 名無しさん (2021-01-14 13 30 10) それらに乗ってたパイロットがMS部隊に再配置されてるんじゃない?年齢やキャリア的に一年戦争時点でベテランパイロット設定的なキャラたちがわんさといるし - 名無しさん (2021-01-14 13 45 55) デプロック・セイバーフィッシュ「おいおい、俺らを忘れちゃ困るぜ」 - 名無しさん (2021-01-14 13 24 09) 初代Gジェネじゃ最序盤はマジでセイバーフィッシュが主戦力だったからな…しかもミサイル搭載で火力だけならザクよりつえーの - 名無しさん (2021-01-14 13 30 12) ザクは背中が紙装甲だから囲まれると脆いのよね… - 名無しさん (2021-01-14 13 24 35) MSなんて後ろから撃てば一撃だからな(ジオニックフロント感) - 名無しさん (2021-01-14 13 29 48) ザクマシンガンとか生身の人間でも避けられるしな(08小隊感) - 名無しさん (2021-01-14 13 32 16) MSなんて素手で破壊できるしな(GF感) - 名無しさん (2021-01-14 13 33 34) ギレンの野望だとフライマンタ→デプロッグ大量生産が強かった - 名無しさん (2021-01-14 13 32 57) 対空性能が低いMSなんて怖くないよね。航空部隊の高い移動性能からの陽動、索敵、ミノ撒き、補給路踏み、取り囲んで行動制限、仕上げは集中爆撃 - 名無しさん (2021-01-14 13 50 31) もしかしてだけど、トリスタンって650でも強い? - 名無しさん (2021-01-14 13 15 12) ダメコンのないジオ・トーリス・キュベ2等が多くなってきているので、キュベオンリーだったころと比べると結構やれますね。耐久の低さは機体サイズと盾でいなしていくことになりますが…N格闘の使いづらさだけが私はネックです - グフ乗り (2021-01-14 13 17 37) なんか最近になってよく見かけるようになった…気がする - 名無しさん (2021-01-14 13 20 22) 敵で遭遇したときはガトリングが痛いしよろけるしでかなり厄介だった - 名無しさん (2021-01-14 13 20 23) ノンチャビームライフルを仮にシールドで吸っても、バルカンですぐよろける計算なんやね…なかなかだなぁ。 - 名無しさん (2021-01-14 13 23 10) Lv2持ってないけどジO乗ってるとアホみたいにカットされるから相当鬱陶しい - 名無しさん (2021-01-14 13 25 52) 巨体揃いかつ射撃戦に偏ってる650であの小ささはかなりのメリットだよ。トーリスと並ぶと頭1個以上小さいからね - 名無しさん (2021-01-14 13 40 04) 何故か「キケロガ」が急に頭の中に浮かんだけど・・・まさかな。今日は650支援が来るはずだしな。 - 名無しさん (2021-01-14 13 14 45) あれって非公式じゃないの? - 名無しさん (2021-01-14 13 22 37) プロトジオングっぽいGジェネ版キケロガなら支援機ワンチャン。まぁGジェネの壁を越えられてもジオングより高コストはありえんけど - 名無しさん (2021-01-14 13 37 03) 最後の最後でジオ引けたらなと10連したら黄色い可変する別のMSが出てきた…そういえばお前いなかったんだな… - 名無しさん (2021-01-14 13 13 37) アッシマーが!! - 名無しさん (2021-01-14 13 14 59) かぼちゃじゃないんだよなぁ…(ビームガン乱射しながら) - 名無しさん (2021-01-14 13 15 33) ハイゴッグも緩衝材てんこ盛りなんだからバラッジにも積んでほしい、ロングスカート部分を緩衝材にしてくれないかな - 名無しさん (2021-01-14 13 13 24) 言うほどてんこ盛りじゃなかったわ、でもバラッジは足より先に守るところがある - 名無しさん (2021-01-14 13 15 24) 予言する。スリムで早いザメルの武装を持つ機体が出る。 - 名無しさん (2021-01-14 13 10 29) 旧ザクがザメルの残骸から”現場の判断”で武装を持ち出したというアレですね! - 名無しさん (2021-01-14 13 12 59) はい腹切1人追加 - 名無しさん (2021-01-14 13 13 30) ザメルってセンチネルのゼクツヴァイっぽさあるよね - 名無しさん (2021-01-14 13 14 29) 今日の出来事 バトオペ掲示板にて妖怪「桁足りない」が発見される - 名無しさん (2021-01-14 13 05 52) 今日はネロでござるバトオペ侍でござるサラバ - 名無しさん (2021-01-14 13 01 35) 随分とあっさりしてるけど、このお侍さんは本物なのかなぁ…おいらの知ってるお侍さんは…もっとこう… - 名無しさん (2021-01-14 13 05 24) 前はメンテのせいで首切られたのが金曜だったからな。まだ首が繋がりきってないんだろう - 名無しさん (2021-01-14 13 07 58) そうかぁ まだ再生が不十分だったのね。納得…ホラーじゃねかw - 名無しさん (2021-01-14 13 09 33) 成仏してくれ… - 名無しさん (2021-01-14 13 11 02) 前回MGのMkV予約したからって言って当ててたじゃない - 名無しさん (2021-01-14 13 20 06) このあいだ予想を当ててしまうという芸人(?)さんとしては一番やってはいけないことをしてしまったしな...ハッ!?まさかあのときから既に入れ替わって...!? - 名無しさん (2021-01-14 13 11 34) 何度も切られても生きてるから蟲憑きなのかもしれない。 - タマゴッグ (2021-01-14 13 15 54) ギンコ呼ばなきゃ - 名無しさん (2021-01-14 13 20 13) 不死斬りが必要ですな、v - 名無しさん (2021-01-14 13 25 15) ふと思ったんだがタマゴックさんを温めたら何か生まれるのかな? - 名無しさん (2021-01-14 13 27 59) よく名前で勘違いされるけど、タマゴ+ゴッグじゃないからね!タマモ+ゴッグだからね! - タマゴッグ (2021-01-14 13 46 06) ちゃんと取扱説明書に書いといてよね - 名無しさん (2021-01-14 13 48 33) お白州にござ敷いときますね - 名無しさん (2021-01-14 13 20 20) また大原部長現れそう - 名無しさん (2021-01-14 13 31 53) 港湾のcの所って、引っ掛かるどころかそもそも入れないのね…ドーベン… - 名無しさん (2021-01-14 12 59 04) 最近の大型機体はもう軒並み入れないんじゃなかったっけ? - 名無しさん (2021-01-14 13 01 05) トーリスは入れるけど引っ掛かってピクピクピクーってなる - 名無しさん (2021-01-14 13 02 39) 大丈夫?ピクシー混ざってない? - 名無しさん (2021-01-14 13 03 28) 混ざってないw - 名無しさん (2021-01-14 13 06 09) ピークピクピクピクー!これはお笑い種ピクー!!(ワンピ的笑い声) - 名無しさん (2021-01-14 13 06 22) 最高級ジムってジムⅢで打ち止めなのかな。夜鹿Vはワンオフなので除外するとして。 - 名無しさん (2021-01-14 12 57 27) ジムIII・パワード - 名無しさん (2021-01-14 12 59 54) ジムIII・パワードFAのガチムチっぷりがたまらない(^p^) - 名無しさん (2021-01-14 13 33 30) センチネルだったかにヌーベルジムとかいうのいた気がする - 名無しさん (2021-01-14 13 01 08) ヌーディストビーチジムですって?(全然違う) - 名無しさん (2021-01-14 13 01 41) あれは一応ジムIIIだな - 名無しさん (2021-01-14 13 02 37) あれジムⅢだったのか、なぜかネロとジムⅢの良いところどりみたいな感じで記憶してた - 名無しさん (2021-01-14 13 11 09) バトオペに実装されているジムIIIはジムIIをアップデートしたもの、ヌーベルジムIIIは完全新造したジムIII - 名無しさん (2021-01-14 13 12 59) ややこしいけど、ジムIIを改造したジムIIIと新規生産によるジムIII(ヌーベルジムIII)というのがある - 名無しさん (2021-01-14 13 14 45) そこからネモ・ネロと融合するのでそうやね - 名無しさん (2021-01-14 13 01 23) 出る可能性高そうなのはセンチネルのネロかな?運営がCCAまでやる気あればジェガンだろうけど - 名無しさん (2021-01-14 13 03 08) ネロはアナハイム製のネモ系統の機体なので、連邦軍製のジム系とは別種 - 名無しさん (2021-01-14 13 05 36) アナハイム製や連邦製やらややこしくてジムやガンダムの系統やら分かりにくすぎる… - 名無しさん (2021-01-14 13 16 55) じゃあ、ジェガンも除外だな。ジムとネロの間の子とはいえ、アナハイム製だし - 名無しさん (2021-01-14 13 22 21) 連邦軍製のガンダムは1~7号の初代ガンダム系、NT-1、Mk-II、Mk-V、サイコガンダム系ってとこか - 名無しさん (2021-01-14 13 28 02) 無人のジオきっつこれ - 名無しさん (2021-01-14 12 57 07) 気のせいかもしれないけど、マッチングにかかる時間が前よりも長くなったような。プレイ人数が減ってるわけでなければよいが…(A帯、夜9時くらいの所感) - 名無しさん (2021-01-14 12 56 26) 650の汎用をしばける支援機とかもうやばそう。ジオトーリスはぶっちゃけ650の範疇超えてるから700相当のスペックになりそう。 - 名無しさん (2021-01-14 12 54 33) アトミックサイサ「自分以外は死ぬ」 - 名無しさん (2021-01-14 12 56 54) あんたも腕やられちゃってたじゃないですか… - 名無しさん (2021-01-14 12 58 23) 片腕で済んでるじゃないですかやだー - 名無しさん (2021-01-14 13 00 22) 強襲が狩れない支援機って事はないよね… - 名無しさん (2021-01-14 12 57 42) 難しいですね。格闘補正下げるだけなら、今の汎用でも止められますし…。650支援は汎用に2倍強いけど強襲にも2倍弱い、とかじゃないと…? - グフ乗り (2021-01-14 13 07 07) 前作にあったカスパの特化プログラムをスキルで持ってくればいけそう? - 名無しさん (2021-01-14 13 17 36) 昨日GHで対面して思ったけどハンマーガンダムってサブにサーベルあったら相当強いんじゃね?格闘主兵装じゃなくて別機体として分ければよかったのに……射撃主兵装もガッシャみたいなハンマーになりそうだけど、強襲ならええやろ! - 名無しさん (2021-01-14 12 48 44) 肉体的な疲労と精神的な疲労が同時に来て眠たい。午前中で力使い果たした - 名無しさん (2021-01-14 12 44 43) 寝ろ - 名無しさん (2021-01-14 12 45 30) 頑張れ頑張れ出来る出来るもっとやれるって気持ちの問題だ頑張れ頑張れ - 名無しさん (2021-01-14 12 51 40) 精神論はイヤーキツいっす - 名無しさん (2021-01-14 13 35 17) シュークリームとリポD飲め。んで家帰ったら滋養のあるもん喰って温い風呂入って暖かくして寝ろ - 名無しさん (2021-01-14 13 40 17) Z強化してほしい - 名無しさん (2021-01-14 12 36 57) 600では今でもそれなりに活躍できると思う - 名無しさん (2021-01-14 12 40 58) まず強化型光子力エンジンを積みます - 名無しさん (2021-01-14 12 43 01) それよりガブスレイ強化してほしい - 名無しさん (2021-01-14 12 43 16) それよりハイメガランチャーを頼む。 マジでそろそろ頼む。。。 - 名無しさん (2021-01-14 14 10 00) ここでは量キュベが650スタート支援機の予想ばっかりされてるけど、このゲーム量産型って付くやつはだいたいコスト下げられてるから600スタート支援機になるんじゃないかと思っている... - 名無しさん (2021-01-14 12 35 21) 量キュベはガンダムシリーズでは貴重な「原型機よりも(一部)スペックが向上」って設定がある機体だからどうなんだろうね - 名無しさん (2021-01-14 12 41 53) それもなんか最近素キュベは「ハマーン用の高度なサイコミュが詰まれていて」とか「プルシリーズの性能に合わせてファンネルや本体の性能はデチューンされてて」みたいな相対的に性能落とそうとしてる話をよく聞くようになった気がする。ガンダム公式設定論争はあんましたくは無いけど。 - 名無しさん (2021-01-14 12 45 06) 設定論争は現状でも矛盾出まくりなんで設定よりこのゲームの流れで判断したほうが無難 - 名無しさん (2021-01-14 12 48 17) その手の量産機ってあとはM1アストレイとかか - 名無しさん (2021-01-14 12 49 37) いちおうGNXもⅠとⅣは特化した性能は無いだけで素の性能は同世代のガンダムとほぼ互角って話よね。 - 名無しさん (2021-01-14 12 53 26) 一部スペックで言えばジムはガンダムよりセンサー範囲と重量比推力が優ってる。(ほぼ誤差だけど) - 名無しさん (2021-01-14 13 07 51) 加えて現状のファンネルの厄介さを考えたら同コストぐらいがまあ妥当に思う。 - 名無しさん (2021-01-14 14 18 44) 先行量産型ゲルググ「解せぬ」 - 名無しさん (2021-01-14 12 53 33) ネモ「聞こえんなぁ」 - 名無しさん (2021-01-14 12 56 42) 量産型って言ってもハマーン落としの切り札としてプルシリーズの為に作らせた機体だから数は居るだけで特注の機体であると思うよ - 名無しさん (2021-01-14 13 41 29) 今日のお昼は筑前煮、金平、つけもの、湯葉、ハイボール。こ、米を炊いてなかったからしかたなく… - 名無しさん (2021-01-14 12 35 16) 餅を食すがよい - 名無しさん (2021-01-14 12 51 39) 今日の新機体が支援なら量産型キュベレイかフルアーマー百式改、ゲーマルク。汎用ならバイアラン、量産型キュベレイ、ネロ、ヌーベルジムIII。強襲は....' - 名無しさん (2021-01-14 12 29 03) ゲーマルクか、ザクさんに来て欲しい - 名無しさん (2021-01-14 12 31 49) 量産型キュベレイってなんで支援機扱いなん?支援機っぽい武装でもあるのか? - 名無しさん (2021-01-14 12 32 35) キュベレイ→汎用。キュベレイMK-2→強襲。量産型キュベレイ→支援かも?ってことでしょ - 名無しさん (2021-01-14 12 35 02) ビームキャノンがついてるのと、強襲か汎用だとキュベ&Mk2のマイナーチェンジにしかならないからじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 12 35 48) ビムキャが付いてるよ - 名無しさん (2021-01-14 12 36 02) もうキツイから650の支援機来て環境を一新してくりゃれ - 名無しさん (2021-01-14 12 35 51) わっちも650の汎用をひいひい言わせてるところをみたいのう - 名無しさん (2021-01-14 12 48 07) 汎用ネロ出番なしで支援でEWACネロって声も多いな - 名無しさん (2021-01-14 12 42 30) ゼク・アインみたいに2機同時追加じゃないか?流石にネロはノーマルのやつも欲しい - 名無しさん (2021-01-14 13 20 09) ブルーシンフォニー1号機 KINTETSUシステム、スタンバイ - 名無しさん (2021-01-14 12 28 57) フェダマラ、近接で立ち回るには旋回上げるとかなり便利なんだけど旋回上げると脚部積めなくなったり火力が大幅に落ちるんだよね…悩むわ…。 - 名無しさん (2021-01-14 12 24 48) 650のFAZZつよいなあ!?特に無人は - 名無しさん (2021-01-14 12 19 11) 味方のほとんどが裏道に行かなければ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 12 33 11) ホントもう出し惜しまず今日650支援を実装して貰いたい - 名無しさん (2021-01-14 12 15 04) キュベレイ量産型か、百式改FA、ゲーマルク辺りかな? - 名無しさん (2021-01-14 12 23 59) 650支援でゲーマルク…と見せ掛けてナラティブB装備が出るよ、紙装甲だけど支援で初の時限強化持ちで強襲を置いていく速度で逃げ回るよ - 名無しさん (2021-01-14 12 26 34) ガンナー「前それでナーフされたんですが…」 - 名無しさん (2021-01-14 13 05 14) 新コストから半年間だからな - 名無しさん (2021-01-14 12 28 01) 今頃デイズゴーン始めたけどバグ遭遇率酷いなw - 名無しさん (2021-01-14 12 10 32) 発売前の盛り上がりの割に発売後が無だな……と思ってたんだけど、あれバグゲーだったのか - 名無しさん (2021-01-14 12 33 39) 最近甥っ子とメジャーセカンド観てるけどエr…面白いね! - 名無しさん (2021-01-14 12 09 48) なんでゴローの尻ばかり見てるんですか?あっ() - 名無しさん (2021-01-14 12 14 26) クイマ350がポケ戦なんだけどもしかして強襲枠無し? - 名無しさん (2021-01-14 12 04 20) 蟹「泣いていいですか?」 - 名無しさん (2021-01-14 12 05 16) 甘えるなカスが!ビームの威力2000まで上げてこい! - 名無しさん (2021-01-14 12 08 54) 蟹「いっその事、かめはめ波の如く両手合わせて同時発射させて欲しい」 - 名無しさん (2021-01-14 12 18 33) あ、君が居たのか…普通に見落としてたっていうか俺持ってなかったわ - 名無しさん (2021-01-14 12 14 14) 350で強襲無しという意味ではあってるぞ - 名無しさん (2021-01-14 12 18 29) ズゴックEしか強襲いないしな。こんなんだからマップにもよるけどポケ戦は支援機並べる編成が強いんだよね - 名無しさん (2021-01-14 12 11 33) ポケ戦400のマッチで敵全員ジムスナ2だった時は泣きそうになったゾ…(長射程の高速ライフル弾が連続で飛んでくる恐怖とダメの痛さ) - 名無しさん (2021-01-14 12 16 42) 自分は450ポケ戦でジムスナ2が2機、ゲルJ3機で組んで相手のバランス編成をボコボコにしたぞ。火力低めのアレックスと柔らかケンプだから本当にボコボコにできるんだよな - 名無しさん (2021-01-14 12 18 24) ホントな、ゲルjでフルチャをケンプとかに当てるだけで6000弱と脚部消し飛ぶからな。ジムスナ2のライフルも局部補正高いし単発3000オーバーで2発もありゃトコトコ歩きよ - 名無しさん (2021-01-14 12 21 07) もうこうなったらポケ戦の劇場版作って新たに出演MS増やすしかないよなぁ - 名無しさん (2021-01-14 12 23 42) 結局サイクロップス隊は全滅するんですね分かりました - 名無しさん (2021-01-14 12 43 09) 最終決戦しようか? - 名無しさん (2021-01-14 12 00 32) 今日実装されるのは超合金ガンダム受注決定に合わせて初代ガンダムです! - 名無しさん (2021-01-14 11 55 57) 最終決戦しようか? - 名無しさん (2021-01-14 11 57 38) 最終決戦しようか? - 名無しさん (2021-01-14 11 57 45) あにめガンダムオリジンのエンディングにでてくる本当の試作ガンダム1号です - 名無しさん (2021-01-14 12 00 22) F00のことではないのか? - 名無しさん (2021-01-14 13 28 30) なんだろう 倦怠感感がいつもより強んだが コロナかな 君たちにうつして確認したいんだが - 名無しさん (2021-01-14 11 44 08) そして逆にうつされる。そして鬱になる。と。 - 名無しさん (2021-01-14 11 45 15) 病院行け、ネタにもならん - 名無しさん (2021-01-14 11 45 20) PCR検査した方がいい - 名無しさん (2021-01-14 11 46 23) 倦怠感感だから確かに強そう・・・ゴクリ - 名無しさん (2021-01-14 11 51 37) 頭痛が痛い的なものをかんじr - 名無しさん (2021-01-14 11 56 18) いつもよりってことは常に倦怠感があるって別な問題じゃね? - 名無しさん (2021-01-14 12 04 22) おじさんなんだよ…多分… - 名無しさん (2021-01-14 12 08 11) アレルギーの出始めかもよ - 名無しさん (2021-01-14 12 25 31) 寒暖差アレルギーの可能性もあるな - 名無しさん (2021-01-14 12 41 58) ヒートホークペーパーナイフに続いてヒートソードペーパーナイフか - 名無しさん (2021-01-14 11 43 48) グフのやつ良いよね! - 名無しさん (2021-01-14 11 50 22) 次はドムのヒートサーベルペーパーナイフ…切れなさそう… - 名無しさん (2021-01-14 12 26 28) うふふ 明日にはねんがんのブロックバスターVFが届くんだ・・・普通に組んであそんだ後でバラしてバルクアームの武装にするんだ・・・たのしみ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 11 37 20) 新機体は楽しみだがその時間には俺は仕事だから、俺の代わりに皆ガチャ回してくれよな! - 名無しさん (2021-01-14 11 16 38) あぁ!任せろ!代わりにお前のトークンをフル回転させてやるよ! - 名無しさん (2021-01-14 11 18 03) フリーザ様「私のトークンはゼロです - 名無しさん (2021-01-14 11 28 06) ああ、ですが課金するつもりはありませんのでご心配なく - 名無しさん (2021-01-14 11 39 18) カードの番号教えてくれれば課金しといてやるよ - 名無しさん (2021-01-14 11 41 05) ネタとはいえガチンコの犯罪を示唆してるからそろそろやめんしゃい。話題逸らしていってんだから - 名無しさん (2021-01-14 11 42 56) 代わりに回しといてあげるから早くPSIDとパスワード教えなさい! - 名無しさん (2021-01-14 11 19 42) 新機体と言えば、見てるタイミングが悪いんだろうけどマークVの話題見ないな、メンテでガチャしなかったのかな - 名無しさん (2021-01-14 11 51 52) 金曜は出てたぞ ただキュベ2で良いやってなるから・・・ - 名無しさん (2021-01-14 11 54 41) レンジを伸ばしたら差別化は図れるのではないかな? - 名無しさん (2021-01-14 12 02 47) 戦い方被ってんのか… - 名無しさん (2021-01-14 12 15 26) 戦い方被るって言うかキュベ2持ってる人が被せて来て暗に出すなって言われるやん?って事ね - 名無しさん (2021-01-14 12 56 06) ジ・Oが来てサイズ感的にバウンドドックが来ても大丈夫みたいだな。って話聞いてたんだけどもし北極とかで変形→発射台基部に突入→変形解除ってしたらどんな挙動するかすっごい気になってる - 名無しさん (2021-01-14 11 03 24) ジオやらMK-Vやら出たおかげでサイズ的に無理だろといわれてたメッサーラもいけるんだよなぁ…。ただ地上運用の設定が不明だから今更宇宙専用機で出すのもどうかと思うけど - 名無しさん (2021-01-14 11 07 23) スパロボGジェネで素で地上運用可能なら地上運用可能でええやろもうって正直思う - 名無しさん (2021-01-14 11 10 11) スーパーガンダムの悲しみの連鎖が止まらない - 名無しさん (2021-01-14 11 26 56) スーパーガンダム君は単純に重力下ではGディフェンサーがデッドウェイトすぎて地上で使うなら外してMk-2に戻してしまう方が良いみたいな機体バランスの問題だぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 12 03 13) 別に適性無いだけで地球程度の大気圏1G環境なら問題無く稼働するはずだぞ。さすがに大気圏離脱とまでは行かないにしろ木星の高重力から離脱出来る機動力してるらしいし - 名無しさん (2021-01-14 11 20 49) ギャンの機雷が地上で浮いてる世界なんでむしろ何でもアリやろね。逆になぜスパガンが地上に降りられないのか。 - 名無しさん (2021-01-14 11 32 43) 地上に下ろすこともできただろうけど、逆に「宇宙用です」と言うことも出来る設定だったから。まだ宇宙推しを積極的にしたい時期だし、宇宙専用機を増やしたかったんじゃないかね。 - 名無しさん (2021-01-14 11 56 49) Gディフェンサーが宇宙用だからやで - 名無しさん (2021-01-14 11 58 49) 港湾パイプ下は緊急回避で突入すると引っかかって動けなくなるらしいし、多分同じかなぁ - 名無しさん (2021-01-14 11 08 37) 正直バトオペがハヴォックエンジンじゃなくて良かったと変な安堵してるこの頃(神の怒りに触れてはいけない) - 名無しさん (2021-01-14 11 10 01) なんかの拍子にドーベンがパイプに引っかかってプルプルしてるのはちょっと笑った - 名無しさん (2021-01-14 11 14 04) 地形への当たり判定見直してほしいよなぁ。角とかの装飾を除いた頭頂部まででいいじゃんっておもちゃう。頭頂部含めて背が高いのはどうしようもないけど - 名無しさん (2021-01-14 11 19 12) 地形の当たり判定で思い出したけど水ガンダムってメインにミサポ持つと伏せで干渉するから伏せ自体不可能になってるって話 - 名無しさん (2021-01-14 11 22 42) ジオは頭部のとんがり込で25mだけどバウンドドックは頭部が28m付近だからジ・Oの目線が胸くらいに来るレベルやぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 11 27 49) バウンド・ドック「どこ見てんのよ!」 - 名無しさん (2021-01-14 12 06 13) マックとマクド、マックの方が良いだろ、異論は却下しない。 - 名無しさん (2021-01-14 10 52 31) センセーそれではMacintoshと同じ略称じゃないですか~? - 名無しさん (2021-01-14 10 56 01) でもビックマクドって言わないじゃろ? - 名無しさん (2021-01-14 10 56 57) 店名の略称と商品名比べられても・・・ - 名無しさん (2021-01-14 10 58 45) 比べるも何も普通揃えるところじゃね。むしろ揃ってなかったらマックってそれこそなんなのいマッキントッシュ?ってなる - 名無しさん (2021-01-14 11 04 36) そういやマッキントッシュもマックだな。一般の人にマッキントッシュは馴染み薄いから除外されるけど - 名無しさん (2021-01-14 11 07 35) 正式名称はビックマクドナルドじゃったかのう、、、? ビックマックはそれが製品名じゃから略称とはまたちょっと話が違うような気がするのぅ、、、 - 名無しさん (2021-01-14 11 02 14) そ、そうか。商品名はだめじゃったか。それはすまんのぅ。じゃがMacdonaldじゃからMac(マック)がやはりしっくりくるのぅ - 名無しさん (2021-01-14 11 05 12) それならマクでいいじゃん - 名無しさん (2021-01-14 11 12 04) マッキントッシュにも同じこと言えるし堂々巡りなんじゃ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 11 15 19) そっちは末期でいいんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 11 15 52) 漢字にしちゃダメでしょwっていうかそもそもMacdonaldじゃなくてMcDonald'sっていう - 名無しさん (2021-01-14 11 23 30) この枝にキヌシが参加してるのか知らんけど「異論は却下しない」って最初にあるのに頑なに拒み続けるマック派、ついにはMacintoshのほうに略称かえろとまで言い出す始末。 - 名無しさん (2021-01-14 11 40 10) PCの名前と飲食店名を同じ感覚で使うことないしいいんじゃないの - 名無しさん (2021-01-14 11 02 21) そろそろ昼だしマック(PC)行こうぜ~とか言うじゃろ?言わないな - 名無しさん (2021-01-14 11 04 01) 昨日某まとめサイトで見たけどマクドナルド公式もMacintoshとか他にもマックの略称被るところあるからマクドを使うこともあるらしい - 名無しさん (2021-01-14 11 11 10) 親の論争より見た論争...ッどこから来たんだよ!? - 名無しさん (2021-01-14 10 58 36) ちょっと下の木からでしょ - 名無しさん (2021-01-14 10 59 07) 木村拓哉もマックみっけって言ってるしな - 名無しさん (2021-01-14 10 59 46) そう聞くと急にダサク感じる不思議。 - 名無しさん (2021-01-14 11 25 12) マクドの方がダサくない? - 名無しさん (2021-01-14 11 28 04) 個人的には連れに半分冗談で「マクドナ」って言う、それに対して連れが「え?マクダニエル?」って返してくるまでが鉄板。 ちなみにマクダニエルの元ネタは言うまでもないよな。 - 名無しさん (2021-01-14 11 37 56) 米人の友人にマクド行こか?って言うと顔をしかめるw - 名無しさん (2021-01-14 11 44 34) 言うてるやんw - 名無しさん (2021-01-14 11 46 42) 顔をしかめるのが見たいからわざとな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 11 52 30) 本田圭佑はマクド以外認めんと言ってたけど - 名無しさん (2021-01-14 11 40 20) 関西はマクドやね。関西風のイントネーションと合致してるのとオシャレ感を避ける風潮があるように思う。関西在住。 - 名無しさん (2021-01-14 11 44 27) マック + マクド で マックド で よろしいがな - 名無しさん (2021-01-14 11 45 13) 通じればどうでもいい - 名無しさん (2021-01-14 12 05 29) 通じれば別にどっちでもいいかな、きのこたけのこよりもどうでもいい - 名無しさん (2021-01-14 12 12 15) 1月19日までジョーシン等の一部店舗で買ったPSストアカードのバーコードで原神内でアイテムが貰えるキャンペーンやってるから甘雨ガチャに追課金する人はそちらを利用する事をお勧めするぜ! https //vdpro.jp/pss.genshin1/ - 名無しさん (2021-01-14 10 41 51) 1桁足りない・・・と言うと強欲っぽいが1桁足りないと敢えて言う - 名無しさん (2021-01-14 10 44 57) でもまぁ貰えないよりは良いんじゃない? - 名無しさん (2021-01-14 10 49 53) 課金するついでに貰えるモンだしね。でも2桁増やして(強欲) - 名無しさん (2021-01-14 10 51 04) 冗談抜きで2桁足りないと思う…てか結晶交換で買えるパックの奴よりひでぇや… - 名無しさん (2021-01-14 10 53 01) これ見ると先行で新機体もらえるパトオペ優良すぎる - 名無しさん (2021-01-14 11 10 54) しかも1万円の豪華特典じゃなくて3千円も5千円もだもんね - 名無しさん (2021-01-14 11 31 52) 迷惑系ユーチューバーへずま某が引退とのこと「今後は〇〇【本名】として真面目に生きていくので更生の邪魔はしないでください。私は社会の為に頑張ります。迷惑系という活動に限界を感じました。~以下略」とのこと。これまでは自分が人に迷惑書けることを飯のタネにしてたのに立場が変ると「更生の邪魔はしないでください」に違和感を感じる。またホントに更生したのか疑わしくも思う。 その一方で地元の高校生がバイトしてる彼を探して盗撮する悪ふざけが流行ってるとか聞くとそれもどうかと思う。なんか現代の童話みたいな感じだなぁ。 - 名無しさん (2021-01-14 10 30 40) 活動に限界を感じました、って言い方がなんかアレだなー。金・名声にならないんでみたいな意味合いに見えてしまう。だいたい迷惑系って言い方も大概だよなただのクズじゃん - 名無しさん (2021-01-14 10 35 48) 好き放題やって相手に迷惑かけまくってやることなくなってきたから「限界を感じました」というのはほんと都合がよすぎる。メンタルがボロボロになったらしいけど迷惑かけた相手はもっとやられてるんだよ、って言いたい - 名無しさん (2021-01-14 10 58 37) やることないって言うより国家権力に目をつけられてやりたいことやれなくなったところに逆に迷惑行為をやられて初めて気がついたんだろうね。 まぁ身から出た錆び、同情されなくても当然か。 - 名無しさん (2021-01-14 11 27 38) 迷惑かけて本人が望んで得た悪名による自業自得。しばらくは子供のおもちゃになって迷惑かけた人達の気持ちを味わえばよい - 名無しさん (2021-01-14 10 36 47) 野々村とかと違って自分からおもちゃになりにいったしね...悪名で有名になったぞ、喜べよ(豹変) - 名無しさん (2021-01-14 10 44 58) 悪名は無名に勝るとかいうけど、知名度を換金する道を突き進んだヘズマが転んでくれて社会的には良かったと思う。今後はこんなアホが出てこないことを祈ります - 名無しさん (2021-01-14 10 59 40) 因果応報・自業自得。これに尽きる。 - 名無しさん (2021-01-14 10 37 01) 迷惑系ユーチューバーに迷惑掛ける系ユーチューバーが生まれるな - 名無しさん (2021-01-14 10 39 11) やっぱり素直にへずまを応援しようって気持ちはわかないよね。記事によると「窃盗、威力業務妨害、信用棄損などで逮捕、起訴され、現在は保釈」の状態らしい。怨恨や当事者間でトラブルがあったわけではなくただ動画をバズらせたかったって自分本位な理由での犯行なんで同情の余地はないよね。(怨恨ならトラブル起こしても構わないって意味じゃないく) - キヌシ (2021-01-14 10 48 47) おまけにこいつコロナに罹っているのをわかっていてバラマキに行っていたからね。まさに自業自得 - 名無しさん (2021-01-14 10 50 45) そういやどこかの警察内でクラスター引き起こしてたね。 マジメニ生きますこれまでのことは水に流してください。は確かにムシが良すぎるね。 - 名無しさん (2021-01-14 10 58 42) 警察どころかその前からあちこちでばらまいていたね。確かホテルでコロナの症状出ているような感じの配信して、その状態で下関か小倉かに電車で移動していたからこれだけでもかなりの広範囲にばらまいたことになるんだよね。さすがに水には流せないわ - 名無しさん (2021-01-14 11 03 58) 情状酌量の余地がないってやつだな - 名無しさん (2021-01-14 10 51 17) バイトしてるんだ・・・よく雇ってくれたな。 - 名無しさん (2021-01-14 10 56 47) 店主お爺ちゃんとかインターネットに疎そうなとこで前歴伏せてとかだろうか - 名無しさん (2021-01-14 10 59 45) 警察とかから依頼されて雇ってるんじゃない?何かあった時は国が保証してとかなんとかで - 名無しさん (2021-01-14 11 00 20) んなこと警察がするわけない、事情知らないか親のツテとかでしょ - 名無しさん (2021-01-14 11 33 11) まだ裁判の途中だからなこいつ全部終わったら絶対復活するわ、周りも再生数稼げるしほっとくわけがない - 名無しさん (2021-01-14 11 14 49) 引退しようと思いましたが...やめました(リンボ感 - 名無しさん (2021-01-14 11 23 00) じゃあいまのうちに徹底的に迷惑かけて心へし折っといたほうが世のためなのかな。 - 名無しさん (2021-01-14 11 42 39) 迷惑系?犯罪者系の間違いでしょ - 名無しさん (2021-01-14 11 24 49) このジオレイ、見くびってもらっては困る! - 名無しさん (2021-01-14 10 24 51) ???「どちら様?」 - 名無しさん (2021-01-14 10 36 18) ジオに乗ったアムロ・レイでしょ - 名無しさん (2021-01-14 10 37 34) 「蓄積よろけ三銃士を連れてきたよ」 - あとよろしく (2021-01-14 10 15 41) グフカスタム「レッド!」 ザクマリン「ブルー!」 ガンキャノンSML「イエロー!」 俺「・・・なんか頼りねぇな」 - 名無しさん (2021-01-14 10 35 53) モハメド・7号機「このFA7号機を差し置いて三銃士を名乗るなんて10年は早いんじゃあないかな? - 名無しさん (2021-01-14 10 54 32) ジオン系ショットガン、拡散ビーム砲、ナパーム(ズサ)「ダラダラ弾垂れ流して蓄積三銃士を名乗るとは片腹痛いわ!(腹部損壊!)」 - 名無しさん (2021-01-14 10 58 13) 寒ジム、ハイザックマシンガン、GP02 - 名無しさん (2021-01-14 10 53 18) ソシャゲなんかは手当たり次第にコラボしてるけど、このゲームはそういうの無いだけ多少マシだよな。鬼滅コラボとかされたら世界観ぶち壊しだし。 - 名無しさん (2021-01-14 10 13 52) 巨大ロボットメインで等身とかも誤魔化せないし、そもそもガンダムってコンテンツ自体がコラボとか要らんくらい強いからなあ - 名無しさん (2021-01-14 10 16 16) マジンガーZ出して… - 名無しさん (2021-01-14 10 17 01) ナラティブとコラボしたじゃん - 名無しさん (2021-01-14 10 17 57) ツッコミ待ちかな?(絶対突っ込まない構え - 名無しさん (2021-01-14 10 21 57) 武者頑駄無とナイトガンダムはコラボしてもいいかな絶対カッコイイw - 名無しさん (2021-01-14 10 19 49) 武者は種子島あるからいいけどナイトは射撃無いのをどうするか…無かったよね? - 名無しさん (2021-01-14 10 22 28) ランスの先っちょ飛んでくんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 10 24 04) まあそれしかないわなぁ - 名無しさん (2021-01-14 10 27 16) 機動戦士ガンダム エクストリームバーサス2では何か弓使ってる? - 名無しさん (2021-01-14 10 30 51) エクバ2だと槍から真空波、地面叩いて衝撃波、弓で落雷、盾からビーム。と射撃もいろいろある - 名無しさん (2021-01-14 10 37 09) 雷とばしたりするんじゃね 知らんけど - 名無しさん (2021-01-14 10 32 22) ガリアンソードでも持たそう - 名無しさん (2021-01-14 10 26 38) じゃあガリアンでいいじゃん。 ってかそれアッグガイみたいなモンで射撃とは違うくね? - 名無しさん (2021-01-14 10 33 10) まぁファンタジーだからナイトはランスかシールドからビーム出る仕様でいいとは思う - 名無しさん (2021-01-14 10 32 06) 連邦サーベルの次元斬が通常射撃として実装されるんですね? - 名無しさん (2021-01-14 10 34 26) ナイトは魔法があるじゃないか。ムービルフィラをランスの先から発射したらいいんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 10 37 38) あとパームの魔法で単発バズみたいなのもできそう。つまりsn付きビームライフル、、、 - 名無しさん (2021-01-14 11 51 43) 単なる興味本位だけどマクロスのヴァルキリーでMSと戦ってみたい - 名無しさん (2021-01-14 10 26 53) ACEをプレイするんだ! - 名無しさん (2021-01-14 10 27 45) サイズ差ヤバいことになるけどバルキリーは使ってみたいな - 名無しさん (2021-01-14 10 35 33) 今やってるソシャ音ゲーがモンハンとコラボしててモンハンと!?ってなったけど曲良いから音ゲー的には全然有りなのよな。ガンダム曲も多いからみんなもD4DJで遊んでみてくれよな! - 名無しさん (2021-01-14 10 31 57) メタルギアもモンハンとコラボしたなぁ・・・w - 名無しさん (2021-01-14 10 34 00) なつかしいなー。まさかスネークでモンスターと戦うなんて思ってなかった - 名無しさん (2021-01-14 10 36 20) コラボオリジナルのギアレックスとか作っちゃってめっちゃ気合入ってたなあれ… - 名無しさん (2021-01-14 10 37 09) モンハンでギアレックスと戦いたかったなぁ - 名無しさん (2021-01-14 11 12 48) モンハンでアレックスと戦いたいだって? - 名無しさん (2021-01-14 11 21 46) バンドリやってます - 名無しさん (2021-01-14 10 36 55) 3までのアーマード・コアぐらいならまだバランス取れるかもしれん 4は死ぬな - 名無しさん (2021-01-14 10 33 28) 無印のころはデカールでアイマスコラボ出せとか言ってる勢力がいた気がする - 名無しさん (2021-01-14 10 34 47) コラボはいらんけど、エイプリルフールネタで、いつものイラストと一緒にナイトガンダム追加の嘘予告ぐらいは欲しいかな。 - 名無しさん (2021-01-14 10 55 08) 極論言うけど、ぶっちゃけこのゲームコラボしかなくない?色んな作品のMS出してるけど、バトオペオリジナル機体ってザクタンクぐらいしかいないもの - 名無しさん (2021-01-14 11 12 00) トーリスリッターとジオが強襲、MkVが汎用くらいでちょうどええと思うんですよね。強襲支援がとんがり性能、汎用は凡庸ってのがバランス取れそうだけど、全体に逆の印象。 - 名無しさん (2021-01-14 10 12 40) MK-Vもあいつ属性が邪魔して微妙になってるけど汎用になったら大概やぞ。 - 名無しさん (2021-01-14 10 17 08) 強襲として戦うために結構盛られてるからね。もっともその程度の盛りではどうにもできないほど汎用が強いってのがなぁ… - 名無しさん (2021-01-14 10 30 11) RG 汎用ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン初号機(夜間戦闘仕様) ・・・色違いなだけか・・・パスだな - 名無しさん (2021-01-14 10 10 41) 紅白カラーのジオ縁起がいいですね - 名無しさん (2021-01-14 10 05 17) 今日は400強襲の瓶ゲルだな。すべてを過去にする転倒射撃を引っさげて前線の汎用を転倒させて後方の支援機に向かえばもはや敵無し。 - 名無しさん (2021-01-14 09 56 58) いかれたメンバーを紹介するぜ!前進連呼マンrジャジャ!そいつが突っ込んで消し炭になる毎に頼りになるな - 名無しさん (2021-01-14 09 49 49) 途中で切れたぜ魔窟!芋で孤立のディテクター!終了後に急にみなおかのガルベー!そしてそんな集まりで戦績最下位の俺! - 名無しさん (2021-01-14 09 53 25) わかった!5vs5だな!! - 名無しさん (2021-01-14 09 55 39) そうだ!北極基地だぜ! - 名無しさん (2021-01-14 10 00 19) ガトリングスキーだからバラッジ乗ったけど、主に使うのはミサイルとビームでした - 名無しさん (2021-01-14 09 44 55) ガトは牽制用だからねメインはミサよ - 名無しさん (2021-01-14 10 07 17) 甘雨引けたー。ディルックがすり抜けてきたときは文句言えないと思ったけどそこから20連で来てくれたわ。2連続ですり抜けが発生しない原神の仕様はこういうとき安心だ - 名無しさん (2021-01-14 09 33 42) 旦那無凸でクソ強いけど凸も全部強いからなー。凸効果全部ゴミなどっかのキョンシーも見習ってくれ - 名無しさん (2021-01-14 09 35 10) 何故最後に貶さなければいけないのかそれがワカラナイ - 名無しさん (2021-01-14 09 36 12) 恒常は今後ずっと被る可能性がある以上凸が弱いのはけっこう痛いのよね。最初の一人はうれしいんだけど。気を悪くしたらすまんな - 名無しさん (2021-01-14 09 40 29) 逆に凸らなくても回復と探索補助って役目は十二分に果たせるからまあ…(担当地域は崖っぷちにあるものとかもあって平面マップだと探しにくいけど) - 名無しさん (2021-01-14 09 43 39) ???「・・・ココナッツヒツジを探して?」 - 名無しさん (2021-01-14 09 44 53) 普通に凸効果強いけどな。さては持ってないか特に扱えてないのに文字だけみて判断したな? - 名無しさん (2021-01-14 11 54 53) 1凸したら更に火力が上がりますぜ旦那ぁ! - 世界ランクたったの5のゴミ主 (2021-01-14 09 37 36) ランク5レベル70秘境とランク6レベル80秘境だと目に見えて聖遺物の泥が違うからなるたけ速く上げてしまったほうがいいぞ - 名無しさん (2021-01-14 09 45 07) 上げる様に頑張ってはいるのだが中々上がらぬ! それもこれも出張のせいだ!! - 界ランクたったの5のゴミ主 (2021-01-14 09 53 17) 原神は相変わらず勢いあるな - 名無しさん (2021-01-14 09 44 58) 前回のガチャはプロ野球の男ガチャに負けたって笑い話になってたけど今回はどうだったんだろうなw - 名無しさん (2021-01-14 09 46 20) 前回は属性がとっつきにくめな岩で男だったからその前も岩・男で被ってたのもあって振るわなかったんだろうけど、今回は最高レアのアタッカーいなかった氷キャラの女だからだいぶ違うんじゃないかと思う - 名無しさん (2021-01-14 09 48 55) 鍾離先生はイケメンだから引く人も多かったけどアルベドは・・・ まぁ鍾離先生ガチャッたけどジン代理団長が来たわけなんですが・・・ - 名無しさん (2021-01-14 09 52 04) タルタルみたく後実装のストーリーで魅力出すのかと思ったらなんかよくわからんままイベント終わったしな… - 名無しさん (2021-01-14 09 53 22) 今回の甘雨ガチャで出せるだけの本気出した結果 甘雨×2 ディルック様 モナ アモス弓を引き当て申した! ※育成素材が色々と足りない模様 - 名無しさん (2021-01-14 10 21 20) 天空の刃忘れてた - 名無しさん (2021-01-14 10 23 10) 画面奥で溜めてるやつ居るの見えてるのに不用意に射線入ってゲロビ食らってる人がたまにいるけど、TV小さくて見えてないとか? - 名無しさん (2021-01-14 09 28 42) 見てる方向が違うんだろ - 名無しさん (2021-01-14 09 30 57) 溜めきる前によろけさせてやる!→無理でしたーじゃね?まあそれやるにしても真正面から挑むなよとは思うが - 名無しさん (2021-01-14 09 40 09) 今週はゲーマルクおじさん「今週は650支援ゲーマルクだよ」 - 名無しさん (2021-01-14 08 37 48) お母さんファンネルどうするんだろう - 名無しさん (2021-01-14 08 43 21) 武器を分けて演出違いか射程を他サイコミュより長くするとか如何かな - 名無しさん (2021-01-14 08 46 45) ファンネルの射程2倍とかですかねぇ - 名無しさん (2021-01-14 09 00 18) 射程5~600はやばすぎじゃね?そこそこ長射程の即よろけとか持ってたら遠距離からのコンボでえげつないことになるぞ。でも今の汎用1強体制を崩すにはそれくらいいるか… - 名無しさん (2021-01-14 09 13 51) 長距離射撃だけだと息切れするとかでなんとかなるんじゃね - 名無しさん (2021-01-14 09 19 58) 650の汎用だらけを1回ぶち壊してほしいとは正直思う - 名無しさん (2021-01-14 09 27 44) トーリスに撃ち負けない支援がほしい、、 - 名無しさん (2021-01-14 10 00 01) 支援に射撃戦で勝てるのはヤバイ - 名無しさん (2021-01-14 10 03 37) 長射程ファンネル(400~) - 名無しさん (2021-01-14 09 16 38) 途中送信すまん。長射程でよろけ低めの三回攻撃で、別の副兵装で子ファンネル単体が並みの射程でよろけ高い1発OHとか? - 名無しさん (2021-01-14 09 19 34) 2Pコントローラーで操作可能です。この機会に彼女と協力プレイしてみてはいかがでしょうか?とかならんかな - 名無しさん (2021-01-14 09 24 38) 武器多すぎてショトカに入りきらんよな絶対。どれか削るんだろうけど武器の多さがゲーマルクだしなぁ - 名無しさん (2021-01-14 09 56 10) ZZ「こいよ・・・!こっち来いよ!」 - 名無しさん (2021-01-14 10 05 52) 刹那 - 名無しさん (2021-01-14 08 13 29) 前線を下げよう! - 名無しさん (2021-01-14 08 14 36) 了解、 - 名無しさん (2021-01-14 08 16 15) 回線を抜きます!! - 名無しさん (2021-01-14 08 29 12) 了解!トランザム!(瞬間移動不可視化クソガバ判定歩行しながら飛行) - 名無しさん (2021-01-14 08 41 47) トランザムって回線を0にするとできるんですね やってみたい - 名無しさん (2021-01-14 08 54 48) お前がガンダムだ! - 名無しさん (2021-01-14 08 14 49) 肉喰いてぇ! - 名無しさん (2021-01-14 08 16 11) 「お前らはゾンビだがガンダムじゃない」 - 名無しさん (2021-01-14 09 04 52) おはようの木! - 名無しさん (2021-01-14 08 06 38) はいおはよぉ - 薄色のジャベリン使い (2021-01-14 08 23 12) zzz… - ガーカス乗りの啓蒙1984 (2021-01-14 08 24 48) おやすみ(ジャベ下) - 名無しさん (2021-01-14 08 30 44) 朝マクド行ってくる 庶民の朝食 - 名無しさん (2021-01-14 08 29 51) 朝マクベに見えた - 名無しさん (2021-01-14 08 54 00) つまりギャンで敵支援を美味しく頂く・・・と - 名無しさん (2021-01-14 09 05 37) マックだろ! - 名無しさん (2021-01-14 09 40 18) 関西と関東で言い方が違うのだよ!! - 名無しさん (2021-01-14 09 54 47) 力こそパワー!!つまりこうじゃ!!(射プロ格プロガン積み) - 名無しさん (2021-01-14 08 06 34) テヘペロチンチン☆(ゝω・)vキャピって普通に顔文字として可愛らしいから使いたくなるテヘペロチンチン☆(ゝω・)vキャピ - 名無しさん (2021-01-14 08 03 57) 大丈夫か? - 名無しさん (2021-01-14 08 04 42) ˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚ - 名無しさん (2021-01-14 08 08 22) 日笠陽子が芸名だと最近判明した - 名無しさん (2021-01-14 08 15 57) 気になる人は用語集へGO! - 名無しさん (2021-01-14 08 52 55) (ી(΄◞ิ౪◟ิ‵)ʃ) - 名無しさん (2021-01-14 09 14 35) 勝率54%ライバル勝率60%を維持しつつもレート2650付近を延々とウロウロ…早くカンストまで戻りたい… - 名無しさん (2021-01-14 07 38 08) 300も落としたんか? - 名無しさん (2021-01-14 07 48 16) 落としました…運が悪かったと思って修行中 - 名無しさん (2021-01-14 07 56 11) そんなあなたにこの曲を https //youtu.be/ecalDRGlbP4 - 名無しさん (2021-01-14 08 01 07) ズバッと(支援を強襲でぶった切る音) - 名無しさん (2021-01-14 08 15 56) おかしい…ワシが子供の頃に飲んでいたトロピカーナオレンジ500mlが330mlに減っておる…価格はさほど変わらぬと言うのに… - 名無しさん (2021-01-14 07 20 59) おいしくなって新登場!! - 名無しさん (2021-01-14 07 24 42) お客さまのお声に応えて新登場! - 名無しさん (2021-01-14 08 08 33) お客様の健康を考え糖分を取り過ぎない適量にしました(嘘 - 名無しさん (2021-01-14 09 01 51) これが企業の搾取ということですね - 名無しさん (2021-01-14 08 02 08) 企業「嫌なら買うな。飲まなきゃ死ぬようなもんでも無かろう。」 - 名無しさん (2021-01-14 08 39 33) ほなドールとミニッツメイドにさせていただきましたんで - 名無しさん (2021-01-14 09 20 43) 搾取反対!搾取反対! - オレンジ (2021-01-14 08 47 56) ポテチとかも量減ってんじゃん? - 名無しさん (2021-01-14 09 06 47) ???「オレンジアームズ 花道 オンステージ」 - 名無しさん (2021-01-14 09 43 05) 65で強襲が要らない環境辛いから今週はカッチカチの支援機出して欲しい、ジオで殴ってもピンピンしてる位の支援機。 - 名無しさん (2021-01-14 07 13 35) 最近の支援は射撃耐性モリモリで格闘耐性ペラッペラだからなぁ。 - 名無しさん (2021-01-14 07 17 12) 仮に今の65支援を耐格50まで盛れたとしてそれでジオの格闘痛くねえぜ!ってくらいになるんだろうか。緩衝材もないときついかな? - 名無しさん (2021-01-14 08 17 53) カンストまで盛って支援のダメージ補正で実質装甲値80でジ・Oのダメージがどれくらい通るかだね - 名無しさん (2021-01-14 09 22 30) 前に味方がいる時にレレレの動きがピッタリ合うと射線が通らないもどかしさよりも面白さが勝る - 名無しさん (2021-01-14 07 09 19) 試合に没頭してついレレレの幅が狭くなってて、相手からしたら「こいつシャゲダンしてるわ」ということになってなければいいんだけども - 名無しさん (2021-01-14 08 04 00) 人のふり見ての精神で追撃中のレレレが一番気を遣ってるかもしれない - 名無しさん (2021-01-14 08 39 54) ARIA前売り券購入特典のクリアファイルいいなこれ… - 輸血液の在庫が切れた啓蒙99 (2021-01-14 06 58 48) サ終してから発売されたコトブキ飛行隊のゲーム版キャラソン集、やっぱ曲とシナリオはよかったのになぁってなるわ……。 二重人格キャラが歌いながら途中でキャラチェンジしたりとかめっちゃ工夫されてる。 - 名無しさん (2021-01-14 06 10 40) クソが!油屋のでけー風呂でハク様としっぽりしてる夢見てたのにあの小娘が追加の薬湯注ぐでかいパイプ壁から出してきて頭強打して首折られて目が覚めた!!おのれ千尋おおおおおおおおお - 名無しさん (2021-01-14 05 53 43) レートの550廃墟で、夜鹿V使ってたら連戦明けの半壊状態で敵の新品バウとリスポン鉢合わせてタイマンになったんだが、コッチ脚壊れてる状態で海蛇当てて大よろけしてる所に、ダガー抜いてのそのそ歩いて近付いて横下ぶち込んで半壊させてやったんだけどあれ相手怖かっただろうな……w - 名無しさん (2021-01-14 05 36 03) 大概な三流がいたもんだな - 名無しさん (2021-01-14 05 51 10) soreyon - 名無しさん (2021-01-14 05 54 17) それよな……。リスポンでステルスと鉢合わせしたとはいえ、半壊の相手に死に際に自分も半壊にさせられるなんてね……。 しかもバウでA帯ときたもんだ。 色がデフォルトのままだったから、もしかしたら朝の抽選で出て初乗りだった……? - 名無しさん (2021-01-14 05 55 31) A帯は降格率もう少し高くても良い。エンジョイ勢なのかゲムマシやらアクトマシやら湧くしリスポーンすら合わせられないで単騎で降下して溶けるか足並み合わせないで溶ける奴とか多すぎる。 - 名無しさん (2021-01-14 06 20 46) Aなんてそんなもんでしょ - 名無しさん (2021-01-14 06 31 10) ガチでSに行きたい人が沼るんのだよ。そういう人たちはBあたりで遊んでもらいたいものだ。 - 名無しさん (2021-01-14 06 39 13) s行ける人、目指す人はA+になってるだろうしAは関係なくね?ここで言うA帯がA -〜+だったらすまそ - 名無しさん (2021-01-14 07 24 39) おそらくA+の時にAとマッチングして足ひっぱられると言っているのだと推測される。 - 横 (2021-01-14 07 30 07) ま?自分より低い階級の人とマッチするのs -だけかと思ってたわ、確かにそりゃキツそうだ - 名無しさん (2021-01-14 07 34 52) 下のレートに混ざると無双しちゃうけどね。結局は自分次第よ - 名無しさん (2021-01-14 07 36 30) マッチングするはず。 - 名無しさん (2021-01-14 07 38 56) って事はほぼ毎回混合試合か...人口大丈夫なんだろうか - 名無しさん (2021-01-14 07 44 59) 日本全国の坂道は上り坂と下り坂、どっちが多いでしょうみたいな話だな - 名無しさん (2021-01-14 08 00 48) S行ける人はそういうの超える腕があるからsに上がって維持出来てる訳で他人云々いうようじゃぁ無理やな。皆同じ条件でsに上がってるんだからな自分だけ楽に上がろうみたいな発想ではしれてる - 名無しさん (2021-01-14 07 34 38) そういう話をしたんじゃなくて、自分と同程度の意識で同レベルの戦闘が出来るならランク自体どうでもいいし自分の実力だと納得できるだろって話。仮にSランクもその程度の奴がなれたら不満に思わないか? - 名無しさん (2021-01-14 07 51 21) まぁそれは分かるけど、低レートなんてそんなもんでしょとしか。 - 名無しさん (2021-01-14 07 52 45) だからリスポーンも合わせる意識も無いエンジョイ勢はBあたりで止まるくらいの調整してほしいって話なんだけどねぇ。 - 名無しさん (2021-01-14 07 58 30) Aもエンジョイ勢という認識だなぁ。A+後半くらいからまともになっていく印象だわ。正直下位レートは乗ってる機体次第なだけでそんな大差ないんじゃないのか?現状のAとか詳しく分らんけどA+ですら変なのいるんだし - 名無しさん (2021-01-14 08 02 59) だからそのエンジョイ勢がA帯に来れないくらいに上がりにくくしてほしいって話をしてるんだが・・・ - 名無しさん (2021-01-14 08 10 30) ん?だからそのエンジョイ勢が居るレート付近に居続ける程度なのが問題なだけで、厳しくしても同程度の人は一緒に下がってくから貴方も同じように下がるだけでは?そのレートに今いるんでしょ?マッチする範囲を狭めて欲しいという話ならまだ分かるんだが - 名無しさん (2021-01-14 08 14 05) 要するに腕がちゃんとあるならちゃんとレートは上がって行く、今いるレートがその人の適正レートであって、他人に文句言ってもそれはそのまま自分に返ってくる。同じレートに居るという事は同程度という事だからね - 名無しさん (2021-01-14 08 16 09) 操作やPS以前にリスポーンを合わせるという基本中の基本すら出来ていない奴がA帯ってとのがおかしいって思ってるんだけど、低ランクって馬鹿にしてるやつには理解できないんだね。不毛だからもう良いわ。 - 名無しさん (2021-01-14 08 17 37) 貴方がちゃんと上手くなればそういう人とは当たらなくなるレートに上がれるんだから自身を磨くべき、他人をどうこうは出来ないのだから - 名無しさん (2021-01-14 08 20 10) 支援にカウンター取られるようなマヌケな強襲もいるし、Aなんてそんなもんだろ。 - 名無しさん (2021-01-14 07 07 22) 横からだけど、うまくなればレートは上がるのはわかるが、味方の単リスもそれで返してるの見るとさすがに会話する気ないんだろうなって思う。S-に回線抜き多い印象。自分ガバプレイでも味方のおかげで勝つこともあれば逆もある。やはり自分がうまくなればレートが上がりやすくなるのはわかるけどそんな無双できるようなゲームじゃないし、返しがうまくなれば以下略だけだと脳死か、ラグ使い・回線抜き・編成厳選を疑うレベル - 名無しさん (2021-01-14 10 39 26) 夕方レート400暗礁でなんか韓国垢が巫山戯た機体(ギガンレベル4)選択したせいで他も遊び始めて汎用が全部ガザCで出たら勝てて笑ったそんでライバルのバラッジにライバル勝ちした上に与ダメで圧勝して更に笑った - 名無しさん (2021-01-14 05 24 49) 何気にギガンもAMBAC持ちだしデメリットの初期スラ消費の大きさも宇宙だとかなり緩和されるからな... - 名無しさん (2021-01-14 05 59 48) 似たような編成になったことあるけど、ガザCは群れると強い。瞬間高火力・低耐久の機体へのヘイトが分散するとかなりまずい状況になるんだと思う。 - 名無しさん (2021-01-14 11 43 02) 久し振りにケンコウな生活開いてみたらFLASHゲームがDL可能になってる…久し振りにやると面白いですね… - 名無しさん (2021-01-14 05 18 31) 今朝の抽選:G-3のLv4……いらねぇ……。 - 名無しさん (2021-01-14 05 15 54) ガウ金箱で期待したらコレだよ! - 名無しさん (2021-01-14 05 17 03) 寝ぼけててR-4ライフル装備してたのにバズもってると勘違いしてバズーカ系で出撃するとかチャット打って出撃してしまった…。本当に申し訳ない… - 名無しさん (2021-01-14 04 53 48) そもそもバズで勝てるような相手ならR4で負ける訳無いしそのケースなら割とどうでもいい、逆だったらお前マジか..ってなるけど - 名無しさん (2021-01-14 05 36 16) 武器の優劣は置いといて、R4持つと言ってバズで出るのとバズ持つと言ってR4で出てしまった時のダメージは後者の方がデカいからなぁ・・ - 名無しさん (2021-01-14 08 56 49) ヅダ「地球がダメになるかどうかなんだ、やってみる価値ありますぜ!!」 - 名無しさん (2021-01-14 03 47 34) エンジン出力で自爆するだけだぞぉ! - 名無しさん (2021-01-14 04 21 21) その自爆でアクシズ解体。地球は守られたのであった... - 名無しさん (2021-01-14 09 01 53) アズレンとアルペジオコラボしねぇかなあ……。 艦これは中期の頃にアルペジオコラボしてたけど、世界観(主に技術レベル)が違いすぎて期間限定加入で終わったけど、アズレンは普通に敵がビーム兵器使ってくる世界だからアルペジオ勢常駐でも問題無さそうだし……。 - 名無しさん (2021-01-14 03 05 17) 特殊弾幕だけど、うたわれコラボのフミルィルがビーム発射する。 - 名無しさん (2021-01-14 03 26 10) そうそう。すでに味方にもビーム持ち居るから問題ないよね。 - 名無しさん (2021-01-14 03 26 47) 安いコントローラーだと650密林ジオキッツいなあ、ホバーと段差で全然細かいエイムできない。やはり純正コントローラーは純正に限る!! - 名無しさん (2021-01-14 02 59 21) 頭痛が痛いみたいな文章だな……。 - 名無しさん (2021-01-14 03 00 49) やはり純正、と、コントローラーは純正に限る!!に句読点入れ忘れたんや見逃してくれ - 木主 (2021-01-14 03 02 22) スパイダーマン買おうか悩んでたけど ちゃんとdlcも全部入ってるやつなのか なら買っちゃお そもそも1500円っておとくだし - 名無しさん (2021-01-14 02 54 43) dlc入ってるのはマジでお得かなり遊べる(間違えた付いてない方を買って後悔した男) - 名無しさん (2021-01-14 05 15 37) ジャイアンとバズーカ。(ボソッ - 名無しさん (2021-01-14 02 49 14) トゥンヌスってマグロのラテン語だったのか!(気になってググッた男 - 名無しさん (2021-01-14 02 26 12) もうそろそろ来るアニバーサリーのイベもカズマサみたいなキャラ来るのかね - 名無しさん (2021-01-14 02 40 23) ついに騎士くん実装ですか? - 名無しさん (2021-01-14 02 45 10) ナイフ舐め朗参戦! - 名無しさん (2021-01-14 02 48 37) ヒャッハーモブ今回イケメン過ぎて草はえますよ。 - 名無しさん (2021-01-14 04 30 34) イベント参戦した時のカットインがスマブラ風でクソ笑った。 - 名無しさん (2021-01-14 02 47 14) あのカットインの汎用性の素晴らしさよ - 名無しさん (2021-01-14 02 52 21) 逆にコラ素材にされすぎて本家が微妙に変化つけてきてるの草。 - 名無しさん (2021-01-14 03 01 17) 水凸「俺のハープンガンならグレートトゥンヌスだってぶち抜いte」 - 名無しさん (2021-01-14 04 13 12) 直接の上司が一昨日有給で休みだったけどその日はいままでが嘘のように在庫がたまってくれておかげで仕事が捗る。細かく切り替えない事で生産効率が上がったからとは助っ人の人の言。 - 名無しさん (2021-01-14 02 22 41) ガルバルディαの外見でガルバルディβの性能なら好んで使うんだけどなぁ、戦後改修の結果なんかゲルググの出来損ないみたいな外見になっちゃったのどうして… - 名無しさん (2021-01-14 02 22 11) バトオペのモデリングはなかなかどうして様になる見た目にブラッシュアップしてくれたと思うよ。マッシブでかっこいい。 - 名無しさん (2021-01-14 02 43 09) モデリングに関しては本当にガンダムゲー随一だよバトオペは - 名無しさん (2021-01-14 05 49 29) モデリングが優秀、マイナー機種も使える……。 バトオペはMS版WoTやWTだな! - 名無しさん (2021-01-14 06 07 41) ガチャゲーだから高コストは毎週木曜ごとにヤバイ事になってるかもしれないけど、低中コストは安定して遊べるから良ゲーだろ・・・ - 個人の感想 (2021-01-14 06 26 38) 連邦「ギャン味いらんな」 - 名無しさん (2021-01-14 07 12 10) テンダの秘密の花園を覗ける位置で腹筋しているのが居たらそれが私達だ。 - 名無しさん (2021-01-14 02 16 14) シャアも判っているはずだ…この流れなら今週はイフリート・シュナイドで来週はハイメガZだって!! - 名無しさん (2021-01-14 02 13 57) ええい、何が言いたいのかわからん、私にはNTの素養はないということか - 名無しさん (2021-01-14 02 42 13) 量タンと元旦で撃ち合いしたら、耐性の関係で量タンのほうが勝つんかな?と思ったけどキャノンの威力は本家のほうが上だから相殺か? - 名無しさん (2021-01-14 02 04 25) 射程もあるぞ - 名無しさん (2021-01-14 02 33 13) 量タンのほうが射程は50m勝ってるね。 その微妙な差で先手取れば威力分は勝ち抜けるか。 - 名無しさん (2021-01-14 02 41 05) 韓国、ポケモンを無許可でアプリゲーム化とか、よりにもよって日本で手を出しちゃいけない会社上位にケンカ売ったな……w - 名無しさん (2021-01-14 01 58 54) 世界で有名なネズミの黄色い方に手を出したか... - 名無しさん (2021-01-14 02 37 47) 日本が相手なら問題ねーだろという慢心やな。 - 名無しさん (2021-01-14 02 42 15) クオリティ高すぎて本家と間違われてるの草 - 名無しさん (2021-01-14 02 47 14) 赤ハロさんがVtuberに戦い方教えてる動画見たらこれくらいの時期がバトオペ楽しい時期なんだろうなーと羨ましくなっちゃう。きゃきゃきゃウフフ的な声が聞こえる気がする - 名無しさん (2021-01-14 01 56 48) よっしゃ! 強キャラと名高い正月キャル手に入ったぜ!! これで円盤特典の大量のメモピも使える……! - 名無しさん (2021-01-14 01 46 21) おめでとう! - 頭空っぽでまわしてたら石が無いZE! (2021-01-14 01 52 39) 10連3回目で出たのでダメージは少ないぜ! - 名無しさん (2021-01-14 01 55 11) 地上でも強い宇宙でも強いドライセンほんとバケモノだな - 名無しさん (2021-01-14 01 42 40) あの超性能バズがなかったら宇宙あそこまで強くはなれんかったな - 名無しさん (2021-01-14 01 46 59) ビーガンがトラブレの誘導マーカー代わりになるの最近気が付いたですわ - 名無しさん (2021-01-14 01 49 40) え、何それ?詳しく聞きたい - 名無しさん (2021-01-14 02 16 51) ビームガンを撃ち込む=レティクルを合わせてる=トライブレードがそこに飛んでく ってことやろ。 - 名無しさん (2021-01-14 03 21 29) 汎用ネロ強襲ネロトレーナー支援EWACネロで来ないかなぁ - 名無しさん (2021-01-14 01 36 04) アイザック楽しいから他コス・連邦版って事でEWACネロ良いと思うけど同コスステルスが軒並み死ぬのよね - 名無しさん (2021-01-14 01 43 54) ネロビーは使いやすい即よろけカートリッジ式にしてほしいなぁ。んでEWACネロはアイザックと違って即よろけBRを主体にする感じになってほしい。 - 名無しさん (2021-01-14 02 16 04) 魔肖ネロが来るさ - 名無しさん (2021-01-14 01 47 09) 進化したらネロ魔身っすか - 名無しさん (2021-01-14 02 11 49) ついでにネロ「バインダーカノン装備型」も支援機で追加で。 - 名無しさん (2021-01-14 02 21 35) 下の盗作ラノベの話で思い出したけど(直接の関係ある話題ではないので別木で失礼)。 「薬屋のひとりごと」っていう小説原作のコミックが何故か二種類あって最初パチモノか番外編かと思ったら、同じ原作を別々の会社が漫画化したものっていう。めちゃくちゃ紛らわしくて何度か新刊と間違えて別会社のバージョン危うく買うところだった……。 - 名無しさん (2021-01-14 01 34 06) ガチ信者なら両方読んで比較とかするんかな。 - 名無しさん (2021-01-14 01 46 56) 最初ガンガンの方が絵がきれいだから読んでたけどサンデーの方が漫画が上手かった。まぁ好みだとは思うが。 - 名無しさん (2021-01-14 01 51 33) 話をしてたらガチで比較してる勢が居たとは……。 - 名無しさん (2021-01-14 02 00 50) 信者じゃなくてもマンガ好きなら両方読む機会はあるだろう。あとガンガンは他社と同時に同じ作品をコミカライズすることが割と多いかなとおもう。 - 名無しさん (2021-01-14 02 08 48) 寒ジムとかバラッジが嫌われているという事実に衝撃を隠せないのだが するってえと俺のザク改やRドムⅡがMMPマシンガン[GN]を持ってバリバリしているのも相当嫌われているのだろうな… - 名無しさん (2021-01-14 01 30 41) 逆にカットがクッソ難しそうなそれでなぜ嫌われないと思ったのか・・・今一度なぜバリバリが嫌われているか思い出すんだ! - 名無しさん (2021-01-14 01 33 14) こいつらシュツルムとか胸ビームとかマウントグレネードで普通によろけ取れるんだけどなぁ・・・よろけとってからのMMPマシや格闘でDPS的には負けてないと思うが - 名無しさん (2021-01-14 01 38 12) 武装が弱いってよりマシ担いでくる奴にそれを回す経験が無いヤツが多いってのが問題なのよな・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 51 20) 続き 垂れ流すやつにゃ格闘振る奴も少ないしな! - 名無しさん (2021-01-14 01 53 30) 嫌われてるだろうな - 名無しさん (2021-01-14 01 33 35) 格闘も振るならまったく問題無いと思うで - 名無しさん (2021-01-14 01 33 59) 自分もリックⅡは(クイロ3積みで)マシ装備してるな。といってもグレ・シュツ・胸ビーからのか - 名無しさん (2021-01-14 01 40 34) ミス。 そっからの格闘かカット回しメインで、マシは威力の高いバルカンくらいの認識。 - 名無しさん (2021-01-14 01 41 14) バラッジ使えば使うほど「よくこんな低威力ガトばら撒くだけで戦った気になれるよな」って思ってしまう、バラッジ使うならミサイルの火力知ってから使ってほしいよな - 名無しさん (2021-01-14 01 25 07) 当たらんとはいえミサイル三発でよろけとれるとか色々重要なこととかあるんだけどそこは意識してないとわからんしな - 名無しさん (2021-01-14 01 29 10) 後ろからガトバリバリしてるだけの人の距離じゃそりゃ当たらんよって使えば思うパート2 - 名無しさん (2021-01-14 01 30 06) バランサーあれば化けるんだけど難しいよなー爆発反応と交換してくれないかなー - 名無しさん (2021-01-14 01 31 49) あと脚部緩衝材じゃなくて腰部緩衝材が欲しい - 名無しさん (2021-01-14 01 56 14) そのガトと大して変わらないメイン武装を持った550スタートの汎用機体がいるらしいぞ、誰とは言わんが - 名無しさん (2021-01-14 01 36 18) ゼクさんもバラッジさんも距離さえ間違えなければ普通に使えるんや・・・味方のすぐ後ろで活動するのが正しい運用なんや・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 39 56) バズーカのCTと棍棒のダメージが低そうだが誰だっけな - 名無しさん (2021-01-14 01 43 42) ゼク3って武装が控えめな分を本体性能に盛ってる機体では - 名無しさん (2021-01-14 01 45 31) 盛られた所で武装が弱ければただの案山子ですな、 - 名無しさん (2021-01-14 01 50 38) 生存性が高い事の良さはイマイチ理解されづらいな。マラサイとかも同じ感じ - 名無しさん (2021-01-14 01 53 03) ただあちらには普通に固いドライセンがいるからねぇ…マラサイは生存能力あっても火力がないからなぁ… - 名無しさん (2021-01-14 04 01 23) 考えてみたらバズの方も副兵装にしては悪くないんだよな。主兵装がアレなだけで - 名無しさん (2021-01-14 01 54 27) 主兵装がクレイバズーカで優秀なバルカンが副兵装じゃろ? 優秀な本体性能のお陰でクイックリロードガン積みできるしな - 名無しさん (2021-01-14 02 05 48) CT8秒は取り回しとして最悪なレベルでは… - 名無しさん (2021-01-14 04 02 22) 人には誤射注意とかしつこく言ってるのに自分は平気でFFする奴おるよな、あれ通報していいんかね - 名無しさん (2021-01-14 01 16 59) 敵と一緒に殴り倒して黙らせればいいんやで - 名無しさん (2021-01-14 01 18 41) 誤射注意自体に批判するネガティブな意があるし、繰り返し連投ならそいつがFFしてるかにかかわらず通報しても問題ないと思う - 名無しさん (2021-01-14 01 19 42) おるよなw半分ギャグ - 名無しさん (2021-01-14 01 21 49) 俺は君に「疫病神には関わるな」と言いたい - 名無しさん (2021-01-14 01 23 05) 誤射誤射うるさいやつはそもそも誤射されない射線を意識した動きもしてほしいですね 常に後ろにいる味方の壁になるような位置取りで突っ込むやつとか・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 23 48) そういう奴はもう助けないし援護もしないしこちらが先に手つけてても引いて他の敵狙うようにして敵に捧げてる。 - 名無しさん (2021-01-14 01 33 03) 通報したかったらしてみればいいんじゃない?運営がどこからどこまでを迷惑行為として対応するのか分からないからなぁ。個人的には木主の案件は通報しても微妙な気がする - 名無しさん (2021-01-14 01 48 32) 夜勤やってると曜日感覚ズレて来るわ。もう木曜日? - 名無しさん (2021-01-14 01 14 10) ザクレロ実装!ザクレロ実装!(素振り) - 名無しさん (2021-01-14 01 13 10) エースマッチラスト30秒で味方全滅するもポイント差は明白でこのままなら勝てる・・・ てときに最後の最後に単騎出撃して敵全員にボコられてエースに落とされてポイント逆転されてるお前~!!お前だぞ~~~!! - 名無しさん (2021-01-14 01 12 35) ポイント勝ってるのにラスト付近で突っ込むやつとか敵が全滅しているんだから全員で拠点まで引けばいいのに中継付近でうろうろした挙句フルヘルスのリスポンにやられて逆転されるとか よくある - 名無しさん (2021-01-14 01 18 50) このとき明日がネモ[デフェンダー装備]だとはだれも予測していなかった。 - 名無しさん (2021-01-14 01 09 27) そんなネモ葉もない話しに踊らされるか! - 名無しさん (2021-01-14 01 14 51) ディフェンサー、やろうに。 - 名無しさん (2021-01-14 01 16 44) あれだろ?防御が10上がる大剣装備してんだろ? - 名無しさん (2021-01-14 01 47 52) ハーフザクにドワス改に支援のデザートザクと、入手方法が限定的だから、見かける確率が使用頻度が低いビームガン並みにするのはどうかと思うな - 名無しさん (2021-01-14 01 06 49) クランマッチに参加して報酬を手に入れられるクランなんて交流が盛んだからみんなでカスマやってるからレートクイックに出撃しない奴も多いのでは?(自分がそう) ハーフは性能がキツいねん - 名無しさん (2021-01-14 01 12 48) ハーフ君はどうして産まれてしまったのかと悲しくなってしまう… - 名無しさん (2021-01-14 01 15 05) ハーフめっちゃ良いと思ったんだけどキツいか。強いて言うならスキル面がちょっと物足りないかとは思ったけど - 名無しさん (2021-01-14 01 17 04) 正直今だとデザクDAの方が対面したとき数段辛い - 名無しさん (2021-01-14 01 28 35) ハーフ乗ってる方としてもアンステ+観測持ちのDAは羨ましい - 名無しさん (2021-01-14 01 31 20) 強よろけ+即よろけor即蓄積+腕ミサ(蓄積)+ジャミグレの至れり尽くせりだぞ - 名無しさん (2021-01-14 02 37 59) 味方、敵と噛み合うと一方的に蓄積とダメージ撒けていいけど野良だとキッツいわぁ - 名無しさん (2021-01-14 01 33 03) それに加えてマップ適正もあるね。キャノン系とは撃ち合えないから比較的交戦距離が近い方が良いけど、近すぎても火力支援してる暇が無くなる。総じて密林で活きる。が、アンステが欲しい - 名無しさん (2021-01-14 01 35 54) 宇宙レートで強襲被せた挙句、ザク1に変えたやつは明らかに迷惑プレイヤーだよな!? - 名無しさん (2021-01-14 01 03 11) IGLOO2のガンタンクの回でもそうなってたけど、ドムや窓みたいなホバー系ってコケやすそうで怖いよな。 ドム系はまだホバー用のデザインになってるから他より安定してそうだけど、スラスターの推力で無理やり浮いてるっぽい窓や装甲ジムはちょっとミスったらコケそう。(それゆえの高バラなんだろうけど - 名無しさん (2021-01-14 01 01 48) そもそも2足歩行がこけやすそうなんでセーフ! - 名無しさん (2021-01-14 01 07 18) スナⅡ、寒ジム、バラッジなど、悪評の多い機体をちゃんと扱って汚名返上することに燃えてる自分がいる - 名無しさん (2021-01-14 01 01 35) 覆せるかはともかくそういう乗り手見ると嬉しくなるから頑張って - 名無しさん (2021-01-14 01 03 30) ありがとう、頑張る - 木主 (2021-01-14 01 07 53) 稀に超強いバラッジと出る事が有るが出撃前は比較的、お通夜ですよ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 04 41) わかる…バラッジ使ってるとすごく抜けられてる気がする - 名無しさん (2021-01-14 01 09 01) 編成抜けの連続でそもそも試合が始まらないことも多い... - 名無しさん (2021-01-14 01 10 54) 編成時に「前線でサポートをします」を打っておくと抜けられにくい、気がする - 名無しさん (2021-01-14 01 20 29) 寒ジムやらバラッジやらのバリバリ機体、2体とかいるとやべーけど単騎だったら普通にいけるけどな 一応ある即よろけ武装でよろけやカットができないわけではないし - 名無しさん (2021-01-14 01 16 16) 一定数のバラッジは前線に観測を届けん事で嫌われているのであった - 名無しさん (2021-01-14 01 18 46) 遠くからバリバリはダメだな・・・支援機に随伴支援というタイプがいることをわかってない奴けっこういる - 名無しさん (2021-01-14 01 20 13) 低コスではよく寒ジム使うし多分全機体で一番使用回数多いんだけど、味方に寒ジムがいたらどうしても使いたい時じゃない限り譲ってるわ、バラッジはまだ被ったことがない(笑) - 名無しさん (2021-01-14 01 21 40) 一緒にジュアッグ極めようぜ!!! この間ジュアッグで全戦績TOPになって味方から称賛の嵐と脳汁でまくる快感を得たぞ - 名無しさん (2021-01-14 01 22 32) ジュアッグさんは‥その…見た目がお断りで…すみません… - 木主 (2021-01-14 01 23 45) 墜落跡地にいこうぜ・・・久々に・・・キレちまったよ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 25 23) 丁度よく - 名無しさん (2021-01-14 01 29 46) 上位レベルのアウターシェルバレル強化型が手に入ったよ、使う? - 名無しさん (2021-01-14 01 30 15) 油断して接近してきた格闘機体にバックダッシュからの腹部メガ粒子砲!!アウターシェルバレルブン殴り!!とどめのしゃがみロケットランチャー全弾ブチ込みを喰らえッ!! - 名無しさん (2021-01-14 01 32 54) 開幕から伏せドンドコしてくるジュアッグに出会うと「今回、まけたな」って思ってしまう。汎用乗って支援機に削りあい強要される汎用機の気持ち、考えた事ある? - 名無しさん (2021-01-14 01 45 04) くそっ……うっかり忘れてて悪名高きセブンイレブンの容量詐欺に引っかかっちまった……。 スナック菓子、袋開けたら袋を気体でパンパンに膨らませてるだけで中身半分も入ってなかったわ - 名無しさん (2021-01-14 00 53 06) おれはセブン不買してるわ。どうせ売上下がらないと改悪止めないだろうし - 名無しさん (2021-01-14 00 54 42) 菓子は重量書いてあるだろ - 名無しさん (2021-01-14 00 56 16) 見落としてたわ。 セブン側も多分「容量見ないほうが悪い」でゴリ推してるんだろうな見た目詐欺パッケージ。 - 名無しさん (2021-01-14 00 57 42) スナック菓子はセブン限らず窒素で膨らましてるからガッカリな事多いよね - 名無しさん (2021-01-14 00 59 05) それでもセブンのは少なすぎだと思う。 ファミマは逆に結構しっかり入ってるイメージ。 - 名無しさん (2021-01-14 01 04 14) スナック菓子は気体を詰めてパンパンにして緩衝材にしておかないと輸送中に崩れちゃうからしょうがないんだよ・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 13 50) 「袋開けたらバキバキだった!」っていちゃもん付けられるからな。 - 名無しさん (2021-01-14 01 37 49) まぁ食べるときはバキバキに砕いて流し込むんだけどな - 名無しさん (2021-01-14 02 17 23) 皆バイアランのこと忘れてないか? - 名無しさん (2021-01-14 00 50 44) 下で話題に上がる程度にはみんな待ってるよ。運営が忘れてるかもしれないけどね。 - 名無しさん (2021-01-14 00 52 27) 巨体にフライトで調整難しいの分かるからまぁねぇ - 名無しさん (2021-01-14 00 54 02) グフフのコストまでならまだアレだけど、それ以上となると可変機が飛んできてフライトのアドバンテージ薄れるしな - 名無しさん (2021-01-14 00 55 32) ファンネルやらジオの速射やらで速攻落ちそうだしな - 名無しさん (2021-01-14 00 57 17) 可変機との違いは格闘が振れること……だけど可変機にはラムアタックあるもんねえ。 アレを原作でやってたZ系とかガブみたいなクロー持ちの専用スキルにしておけばよかったのに。 - 名無しさん (2021-01-14 00 59 02) 650では無いだろうし、Lv追加はあるかもだけど。600ならワンチャン…? - 名無しさん (2021-01-14 00 59 23) 「Lv2当りました!」 - 名無しさん (2021-01-14 01 01 39) 武器少ない回転率悪いの飛行をほとんど活かせない仕様で550あたりに来たりしててなw - 名無しさん (2021-01-14 01 02 41) お、下見たら上がってた…よかった( ´ ω ` ) 巨体にフライトで武装が少ないから後回しにしてそうだ… - 名無しさん (2021-01-14 00 56 50) 俺知ってるよ、バイカス先に出して素バイアランの方は数年待たされるんだろ - 名無しさん (2021-01-14 01 01 07) バイカスでもUC出演の1号機は武装少ないんだよね。漫画に出た2号機なら増えてるけども - 名無しさん (2021-01-14 01 05 44) マジでアニメにしちゃったのか回復術士のやり直し どこまで描写してくれるかだけは楽しみではある。 - 名無しさん (2021-01-14 00 44 55) 作者が常にエゴサしてるアレか? - 名無しさん (2021-01-14 00 49 19) そんなことしてんのかwww - 名無しさん (2021-01-14 00 50 56) 盗作(ヒール)でエゴサ(ヒール)で工作(ヒール)のアレだろ?中身も外野もひでえ作品なのにアニメ化とかどんな力が働いたんだか - 名無しさん (2021-01-14 01 04 27) それでさらにニコニコ動画で公開っていう神経の図太さよ……w コレはコメント付きで見るのが楽しみですわw - 名無しさん (2021-01-14 01 05 42) アニメ化決まった時から大百科賑わってるなw - 名無しさん (2021-01-14 01 11 46) 元ネタに断られたから代用とかじゃね?w - 名無しさん (2021-01-14 01 39 02) あれアニメ化していいやつなのかな… 陵辱物としては抜けるけど、面白いかと言われると…って感じだしなあ - 名無しさん (2021-01-14 00 59 02) それな。 完全にわからせ系陵辱モノだし成年誌でそっちガン振りでやってろって感じのヤツだしな……。 - 名無しさん (2021-01-14 00 59 50) しかしどこ切っても疑いがあるって逆にスゲーよな・・・コピペで論文書いたら落第だろうに商品をパクッても大丈夫って・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 27 33) 元ネタに断られたから偽者を商品化したとかだったら悪い意味で面白いな……w 盗作してまで書こうとする図太い野郎なら商品化の話持ち込んだら喜んで飛びつきそうだし。 - 名無しさん (2021-01-14 01 29 29) 中身一切知らんけど、なろうイキリ俺TUEEEはもういいや。 - 名無しさん (2021-01-14 01 45 03) 業界の闇しかなくて面白いかどうかに焦点がいかないからなあ - 名無しさん (2021-01-14 01 48 33) さらっと読んできたがダメだなこれ。主人公はクズだしステータスだのスキルがどうだのまたやってるし話はつまんねーしエロは中途半端だし。どこからなにを盗作して作ったのか分からんがパクってつまんなくなってるんじゃあ世話ないな - 名無しさん (2021-01-14 05 47 09) 何故か無性に組みたくなってしまったHGUCガンタンク……。 http //bo2.mmoloda.com/image/731.jpg バトオペでは鈍足だけど一度砲台化が安定すればマニュ抜きできるの便利よな。 - 名無しさん (2021-01-14 00 41 17) ちょっと色を変えてみたけど、どうだろうか? - 名無しさん (2021-01-14 01 06 03) 明日はEWACアッシマー! - 名無しさん (2021-01-14 00 41 02) あのレドームMS形態時にバックパックと干渉しそうだけどどうしてるんだろうか - 名無しさん (2021-01-14 01 01 59) ここは恋と欲望が交差する街 - 名無しさん (2021-01-14 00 39 45) ウドの街? - 名無しさん (2021-01-14 00 45 21) ログ更新中 - canard (2021-01-14 00 35 56) 完了 - canard (2021-01-14 00 37 05) お疲れさまです! - 名無しさん (2021-01-14 00 39 36) おつかれさまです! - 名無しさん (2021-01-14 00 40 02) お疲れ様です! - 名無しさん (2021-01-14 00 41 51) 次のアップデート調整に一番欲しいのは「クイックマッチにシリーズ戦のために1枠潰さないでくれ」これしかない。 - 名無しさん (2021-01-14 00 29 50) それも含めて「クイマ3枠目常設」を望むわ - 名無しさん (2021-01-14 00 31 49) それ、マジでそれ。 - 名無しさん (2021-01-14 00 32 24) シリーズ戦だけの枠作ってもらいたいよね - 名無しさん (2021-01-14 00 45 24) 前作みたいにシチュエーションバトルに変更してくれないかな?普段乗らない機体に乗せられて試行錯誤しながら戦うのが秘かな楽しみだったけどね。 - 名無しさん (2021-01-14 01 05 11) もしかしてシロッコがオーラ力を全開してたらジオは金縛り状態にならずに済んだのでは?まぁ本人はオカルトパワー信じてなかったっぽいけど - 名無しさん (2021-01-14 00 26 36) あの人プレッシャープレッシャー言ってたしニュータイプの力信じてたでしょ。自分の力に絶対の自信があったから、自分を上回る力を持った人が現れて乗っ取られる可能性を考えられなかったんだと思ってる - 名無しさん (2021-01-14 00 30 07) ストカス難しい…というか妖刀の切りどころがわからない - 名無しさん (2021-01-14 00 19 17) 支援見つけて残スラ量が問題無ければ発動してる。あとは味方汎用の動き次第かな、上手く敵汎用のタゲ取ってくれる味方ならそのまま敵支援落としに行く、王道パターンはこんな感じ、他のパターンはその状況次第かな - 名無しさん (2021-01-14 00 38 04) 見つけたらそのまま切っちゃっていいのか。体力がある内は切らないで攻めてたから直す - 名無しさん (2021-01-14 00 46 19) 激強支援機実装でジオトーリスは鉄塊になるだろう… - 名無しさん (2021-01-14 00 16 05) ジオ・トーリスを鉄塊に出来る支援機だと現状の強襲では・・・・ - 名無しさん (2021-01-14 00 19 13) 超短射程かつ蓄積100%の単発武器を持ってて他武器で蓄積取るのが困難とかならダメコン持ちとMA2持ちは死なないんじゃないか? - 名無しさん (2021-01-14 00 35 22) つまり変形可能かつスラ撃ちできる強よろけをばらまく悪夢のような支援機・・・?! - 名無しさん (2021-01-14 00 46 40) ジオ・トーリスをただの鉄塊に変える火力と機動力を持つ支援機なんだぜ? - 名無しさん (2021-01-14 00 56 03) これだけ汎用を強くしちゃうと支援も相当盛らないとやっていけなさそうだし調整難しそう - 名無しさん (2021-01-14 01 08 25) ハイゴとズゴEって水中実装と同時に強化されすぎた感ない?ないか - 名無しさん (2021-01-14 00 14 19) 俺はゾゴの限界突破した感が強い。 - 名無しさん (2021-01-14 00 41 23) あぁ、そうだゾゴックもだ…、やっぱり汎用が強くなるな - 名無しさん (2021-01-14 00 44 00) たまにはズゴック君のことも思い出してあげてください・・・ - 名無しさん (2021-01-14 00 47 30) ???「ズゴック?(ある程度は)強いよね。近距離・中距離・外見、隙が無いと思うよ。でもおいら負けないよ?」 - 名無しさん (2021-01-14 00 51 39) ジオン水泳部の中では一番好きだけど強化されすぎた感は一切感じないもの… - 名無しさん (2021-01-14 00 52 08) ジムスト君と同じ運命を辿るのだろうか・・・ - 名無しさん (2021-01-14 01 20 46) 俺はゾック・ゴックの無敵兄弟が好き - 名無しさん (2021-01-14 00 58 48) ゴッグ「弟よ!ソイツは偽物だ!」 - 名無しさん (2021-01-14 01 05 28) クイックのエスマでグループ出撃に巻き込まれた。そこでエースになっちゃったんだけど、お膳立てが凄った。ほぼ全ての敵がミリ残りっていう。普段からそうしているのか?恐ろしいわ。 - 名無しさん (2021-01-14 00 10 25) エースになりたくないからトドメを刺さないクズどもって印象しかない... - 名無しさん (2021-01-14 00 20 23) どうした、何か嫌なことでもあったんか? - 名無しさん (2021-01-14 00 21 45) 実際にチャットなんかで連携とれてればそれぐらいやるだろうな・・・ハイエナ得意なバラマキ機体をエースにしてな・・・やりたいよな・・・ポイント一気にすごいことになりそう - 名無しさん (2021-01-14 01 27 45) 夢みたバトオペで、タックルに対してカウンターが決められるスキルが実装されてた - 名無しさん (2021-01-14 00 08 48) 明日の新機体は何かなと思った後にくるどうせ当たらないというネガティブ思考・・・まあある種の自分への言い訳だろうなw後は物欲センサー対策 - 名無しさん (2021-01-14 00 01 51) 高コストだと自分に合わないんだよなぁと思いつつ何やかんやで引いちゃう - 名無しさん (2021-01-14 00 07 08) もしも08小隊が護衛していた量タンにハヤトのガンタンクが混ざっていたら? - 名無しさん (2021-01-14 00 01 30) ガンタンクの硬さなら、直接斬られるか、頭を攻撃されない限りはグフカスでは落とせなさそう - 名無しさん (2021-01-14 00 05 27) 頭砕かれてもコアファイター側に乗ってて平気でしょう。 - 名無しさん (2021-01-14 00 19 00) あのあたりのハヤトなら護衛無しでもグフカスに落とされることはなさそう - 名無しさん (2021-01-14 00 21 37) ゲームの仕様上だけどビームサーベルのビームにはダメージ判定ないんだよねさっき中継占拠中に敵機の空振りしたビームサーベルのビームが近くにあったけど何もなくてワロタ。ビームの出力や距離によってはもうジュッていくよねw - 名無しさん (2021-01-13 23 54 21) バラッジだとカウンターがよく決まるのはやっぱり皆なめて格闘狙ってくるからなのかな - 名無しさん (2021-01-13 23 49 16) ブーキャン終わりが分かりにくいからとか?そもそもブーストしてるのかしてないのかも分かりにくいとか?バラッジ見る事ないから分らんが - 名無しさん (2021-01-13 23 52 31) まあ乳首ーム以外即よろけが無いからね。 - 名無しさん (2021-01-13 23 53 39) 北極、廃墟とかのジ・Oが戦いやすいマップでもジ・Oは複数いない方がいい?俺はダブったら譲るようにしてるんだけど - 名無しさん (2021-01-13 23 40 44) 2機くらいなら問題ないんじゃない? - 名無しさん (2021-01-13 23 56 37) 二機までならいけるかな - 名無しさん (2021-01-13 23 57 53) 明日の新機体予想…1番:ザクⅢ改 2番:百式改(FA含む) 大穴:ガゾウム - 名無しさん (2021-01-13 23 39 01) 本命:ゲーマルク 対抗:バウンドドック 大穴:FA-ZZ - 名無しさん (2021-01-13 23 40 01) そろそろバイアラン来てほしい - 名無しさん (2021-01-13 23 46 14) あの巨体で手ビームとサーベルしかないのキツそうじゃね?まぁ撃ち方を変えた奴を別武器にっていうやり方もあるか - 名無しさん (2021-01-13 23 49 26) ギャプジオあたりと同じでメインBR(即よろけ)サブBR(連射・蓄積)になりそう。ただフライト持ちで射撃強すぎだとヤバそうだからそこは抑えめになりそう。 - 名無しさん (2021-01-13 23 53 14) あの投影面積でバズ一発で落ちるのはキツいだろうけど、落とし難くしたらしたでグフフの再来だ!とか騒がれそう。 - 名無しさん (2021-01-13 23 57 48) ダメコンLv1くらいは許されそう - 名無しさん (2021-01-14 00 01 22) ダメコン合っても実質100%だしいいんじゃね? - 名無しさん (2021-01-14 00 07 03) フライトがやばかったのはバズ格ムーブが基本で射撃単体でダメージ取れる機体が少ない350~450ってのが一番の原因だな。汎用でも複数射撃持ちが多いコスト帯ならそれほど暴れなさそう - 名無しさん (2021-01-14 00 11 49) 最近マラフェダを練習してるんだけど難しいぜ。エイムが冴えてる時は良いんだけど、駄目なときは全く駄目で戦果の落差が激しい。 - 名無しさん (2021-01-13 23 38 10) あれはどっちかというと近接戦仕掛けていく機体ではなかろうか - 名無しさん (2021-01-13 23 52 02) フェダー生当てしたりとかしないと手数的にあんまりダメージ稼げないしな - 名無しさん (2021-01-13 23 56 09) スナカスR4で凸砂してみたら? 個人的にこの二機はやる事や性質が似てる気がする。犬砂も似てるけどヒート率が優秀過ぎて練習するには緊張感に欠ける。 - 名無しさん (2021-01-13 23 52 35) …って思ったけどヒート率はフェダーのが優秀なのか…犬砂は即よろけ入っちゃうからかな… - 名無しさん (2021-01-13 23 55 29) 出撃前に「前線でサポートをします」を打つバラッジだったらどう思う? - 名無しさん (2021-01-13 23 35 59) https //download1.getuploader.com/g/battle_operation/477/C9000307-850D-441B-B909-D49DF82F06B3.jpeg カード整理してたら出てきたんだけどイラスト良いから置いておこう、やっぱ懐かしい - 名無しさん (2021-01-13 23 26 41) ネモのシールドの描写いいなと思ったけど一方でビームライフルの形が変という - 名無しさん (2021-01-13 23 32 21) ライフルは斜め奥を向いてるんじゃねこれ - 名無しさん (2021-01-13 23 33 27) だとしても穴の部分の形がなんか三角になってて違和感がある…… - 名無しさん (2021-01-13 23 40 35) 四角い穴も角度によっては三角になるんだぜ - 名無しさん (2021-01-13 23 51 40) 角度で遠近法はいってるからでしょ。 - 名無しさん (2021-01-13 23 39 52) 遠近法だとしても下のライフル本体部分とほぼ平行な筈だろうし、あれだけ歪んでるとそういう形に見えるな。 - 横から (2021-01-13 23 51 27) 演出上のデフォルメとして許容できるかどうかってところだな - 名無しさん (2021-01-13 23 52 38) ジム頭のマシのマガジンもなかなか突っ込み所のある大きさだしなw - 名無しさん (2021-01-13 23 54 51) 陸ガンの絵が二機とも何か見てて不安になる絵だな。 - 名無しさん (2021-01-14 00 02 43) 先ゲル君の下格もイラストのシャゲを見習って薙刀グルグル回しての超火力にならないかなあ。 - 名無しさん (2021-01-13 23 34 03) ズゴE強ない? - 名無しさん (2021-01-13 23 22 31) ああ!最強だぞ! - 名無しさん (2021-01-13 23 23 34) 強い。同コスの首無しのせいで影薄いけど - 名無しさん (2021-01-13 23 23 53) 殴れるなら強い - 名無しさん (2021-01-13 23 24 52) 爪の射程まで近付かせてもらえれば最強まである! - 名無しさん (2021-01-13 23 39 49) ビグロ来ねえのかよ。ザクレロもアッザムも俺は待ってるんだぞ - 名無しさん (2021-01-13 23 18 15) あした 14じ ZZが かわる - 名無しさん (2021-01-13 23 16 28) そもそも3週目だから調整は来ないんじゃないかな - 名無しさん (2021-01-13 23 19 40) ZZ以下の産廃が来る可能性 - 名無しさん (2021-01-13 23 35 41) 流石に1ヶ月で4回も650汎用こないやろ。650出すならいい加減支援を出してほしいし。 - 名無しさん (2021-01-13 23 37 39) 野心と欲望、尚早と苛立ちとコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここは新機体追加後の配給場、次回、爆死 木曜日でも木主と地獄を見てもらう - 苦行のフレンズ (2021-01-13 23 24 34) あれ、、、ワイのZZがFAZZに… - 名無しさん (2021-01-13 23 30 26) グフ彦君乗り始めて楽しいなぁって思ってんだけど中々扱いが難しい - 名無しさん (2021-01-13 23 05 38) 昔はバズ凡忘れて天に昇るような新時代に胸を馳せたもんさ - 名無しさん (2021-01-13 23 13 49) シックスパックが綺麗に割れてる女の子はお好きですか?自分は好き。 - 苦行のフレンズ (2021-01-13 23 03 24) 最近ケツよりもパイオツよりも先に綺麗に筋が出た腹筋と腰のラインにエレクトするんだ… - 名無しさん (2021-01-13 23 09 06) 好きだー! - 名無しさん (2021-01-13 23 09 50) 好きだけど描くの難しいから嫌い!(自己矛盾) - 雑に描くマン (2021-01-13 23 14 20) ミリ敵追っかけるのは2機くらいでお願いします… - 名無しさん (2021-01-13 23 01 39) 2機でも倒せない場合もたまにあるから怖い…やはり俺が行って倒すべきだったとか思うことない? - 苦行のフレンズ (2021-01-13 23 05 12) 新しい新品を殴りたいからほっとく - 名無しさん (2021-01-13 23 09 26) さっき残り12秒で敵エースがミリなのにこっちの半壊エース墜として逆転されて5機で追いました - 名無しさん (2021-01-13 23 11 53) 多くのプレイヤーは強機体や強武器を選択するとに抵抗がないって本当ですか?(驚愕) - 名無しさん (2021-01-13 22 52 05) むしろなぜ抵抗があるのかの方が気になる - 名無しさん (2021-01-13 22 56 03) 強機体や強武器に頼りすぎると元の体にはもう戻れない…自分はジ・Oを650で愛用してる - 苦行のフレンズ (2021-01-13 22 57 56) 趣味はカスマでね🖤 - 名無しさん (2021-01-13 22 59 42) 俺は生きる!生きてガンオンと添い遂げる! - 名無しさん (2021-01-13 22 48 03) 俺は生きる!生きて寝る!! - 名無しさん (2021-01-13 22 49 07) 俺はイキる!イキて!シャゲダンで煽る! - 名無しさん (2021-01-13 23 18 25) やっべぇ職場の先輩の女装アカウント見つけてしまった…まさかマスクみんなするから1発でわかってしまうとは - 名無しさん (2021-01-13 22 47 55) 木主「わいと添い遂げて…」 - 名無しさん (2021-01-13 22 51 26) 先輩「女装垢皆にバラすって脅して酷いことするんでしょ!?エロ同人みたいに!」 - 名無しさん (2021-01-13 22 55 55) やら、やらねぇよ!? - 名無しさん (2021-01-13 22 57 15) 見てみたいwwwまぁ晒し上げは良くないからな!趣味も人それぞれだしなッ! - 名無しさん (2021-01-13 22 56 47) まぁ素の顔も乗せてるし気にしてなかったのかも。明日で定年退職だし何も言わぬよ - 木主 (2021-01-13 23 01 38) 定年!?てっきり20代~30代の話かと思ってた。これが叙述トリックか… - 名無しさん (2021-01-13 23 02 54) 早期退職制度使ったから、おそらく枝氏が想像してるよりちょいとばかし若いよ。まぁ女装はそれなりにいけるレベルだったよ、もともと顔整ってるし - 木主 (2021-01-13 23 05 05) 余計興味湧いてきた - 名無しさん (2021-01-13 23 09 22) 前作にあった、歩兵で味方MSはの肩に掴まって運んでもらうシステムって何だったんやろな。自分のMS乗ろうとしたら近くを通り抜けた味方MSに掴まっちゃって乗り降り暗転中にスゲー遠くまで運ばれるのがただただウザかった記憶 - 名無しさん (2021-01-13 22 47 33) 自分は戦場感があって結構好きだった……事情があって歩兵になっちゃった味方運搬したりとか - 名無しさん (2021-01-13 23 43 15) ソープ嬢から営業ではないLINEがメチャくるんだけど…惚れていい? - 名無しさん (2021-01-13 22 41 59) ダ メ で す - 名無しさん (2021-01-13 22 42 40) えー!すんごい話が合って笑いの絶えないせくーすで帰りに「よかったらLINE教えてくれ下さい!」って言われてもダメ? - 名無しさん (2021-01-13 22 45 55) それも込みで営業だからダメです。 - 名無しさん (2021-01-13 22 47 40) まぁ…木主さんに最終判断は任せる…(ツボとか買わせられないようにな) - 苦行のフレンズ (2021-01-13 22 48 36) 100回通ってから行きなさいね。通わない人と一緒になることは100%ないよ。 - 名無しさん (2021-01-13 22 50 53) 好きに生きろ。失敗しようが成功しうようが自分の裁量において好きに生きる。それこそが幸福で他人に自分の進む道に了解を求めるなそれは不幸の入り口だ - 名無しさん (2021-01-13 22 51 18) 失敗したら人生そんな時もあるさとカラカラと笑って流せ。笑えば傷も魅力に変わる時が来る - 名無しさん (2021-01-13 22 52 54) 性病「よろしくニキーwww」 - 名無しさん (2021-01-13 22 54 25) 命はもっと、粗末に扱うべきなのだっ…! - 名無しさん (2021-01-13 22 56 52) お前が女ならソープに来るような一見さんの男と仲良くなりたいって思うか? - 名無しさん (2021-01-13 22 52 21) でもソープで働いているような女だしね、色々と感覚狂ってそう - 名無しさん (2021-01-13 22 59 26) ソープ単体では儲からないから別の商売してるところも多いぞ。お前さんがその子以外を笑わせれてる実績があるならまだしも、多分ないだろ。地雷だやめておけ - 名無しさん (2021-01-13 22 49 19) コロナで客来ないから本業ではない営業だよねー ソープ来てって言っても来ないだろうし - 名無しさん (2021-01-13 23 22 56) 乱美迫ぐらいゴリゴリ前進できるようなイケメン強襲機はまだですか? - 名無しさん (2021-01-13 22 40 27) ザクレロ「呼んだ?」 - 名無しさん (2021-01-13 22 41 42) なんかしっくりくるな - 名無しさん (2021-01-13 22 44 37) 宇宙はとにかくやりにくくて面白くないな、なんか直感で操作できないというか、ボタンが足りないというか・・・ - 名無しさん (2021-01-13 22 39 28) 背面アタッチメントを使ってみたら?宇宙を初期設定で遊んでるなら必須と言って良い程使いやすいと思うよ? - 名無しさん (2021-01-13 22 42 52) 別にガーカスのE2を前作の性能に戻して副兵装にバズーカを持たせても構わんのだろう? - 地上でガーカス乗り回してる啓蒙99 (2021-01-13 22 31 51) 戦場の絆で持ってるからいけそうですけどね、バズーカ。というか何故か絆のガーカスは悪役面+腕に着けるタイプのサーベルなんですよね…… でもこれ以上強くなられると啓蒙さんが本格的に手が付けられなくなる……() - 蒼雷の射手 (2021-01-13 22 35 36) 各装甲+10、E2前作の性能、副兵装にバズーカ、盾ガトの移動撃ち、肩バル弾数増加くらい欲しいです…いくら実用クラスの蓄積取り能力あるとはいえ周りが即よろけ持ってる中持ってないのはなぁ… - 地上でガーカス乗り回してる啓蒙99 (2021-01-13 22 43 28) やめろぉ!ストカスとゴッグを殺す気かぁ!() - タマゴッグ (2021-01-13 22 40 12) (ストカス→ジムスト) - タマゴッグ (2021-01-13 22 40 32) ガーカス使ってる人なんて宇宙はともかく地上は自分以外ほぼ見かけないんでセーフ。ゴッグとかダメコン持ちはできれば相手したくないんですよ… - 地上でガーカス乗り回してる啓蒙99 (2021-01-13 22 46 37) イケメン評論家… - 名無しさん (2021-01-13 22 30 05) 下半身が上半身に対して貧弱そう - 名無しさん (2021-01-13 22 30 37) クイロガン積み、機動力重視、耐久重視、ドム・トローペンで組むならどれがおすすめ? - 名無しさん (2021-01-13 22 28 12) 全部おすすめしない、火力重視の格プロ34射プロ3対格3にしなさい😉 - 名無しさん (2021-01-13 22 43 08) 実家で昔やってたカードゲーム整理してるんだけど懐かしいの一言に尽きる(デュエマ、遊戯王等) - 名無しさん (2021-01-13 22 27 56) わかるぅ ギャザリングとかね! - 名無しさん (2021-01-13 22 31 21) 実家で輪ゴムで束ねて保管してあったポケモンカードの輪ゴムが溶けてベトベターになってた😂悲しみ - 名無しさん (2021-01-13 22 31 40) よく来てくれた 残念だが、金コンテナなどもとよりない 騙して悪いが仕事なんでな、死んでもらおう - 名無しさん (2021-01-13 22 27 23) 最近夢見が悪い…今日の朝にゴッグに乗る夢を見たんだけど、乗り込んで操作間違ったら即死したり、味方死んだだけで即死したり、挙げ句の果てに乗っただけで即死したりと、段ボールで出来たガンダムのゲームのように何度も即死のループを味わう夢を見たんだけど…正夢じゃない事を祈ろう() - 夢を見ると大抵ゴッグがいる事が多いタマゴッグ (2021-01-13 22 26 53) 自分はヅダに乗って「俺だって…!俺だって…!」する夢を最近見ましたね… - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 28 53) 最近夢を見なくなったな…記憶にあるバトオペの夢は緑が生えた軍事基地で相手ジム2機とガーカスで戦ってたな。どんなシチュエーションか全くわからんが - ガーカス乗りの啓蒙2551 (2021-01-13 22 34 30) こちらは百式に乗ったつもりが…百式カラーのジ・Oに乗っていた夢だったよ…夢の中とはいえキュベレイを相手に圧倒したのは凄かった - 苦行のフレンズ (2021-01-13 22 35 14) ザクでシャトルの発射を護衛するかっこいい夢見た。発射秒読みの時点で敵のジムを羽交い絞めにしてシャトルの発射の爆炎の中に消えていきました。 - 名無しさん (2021-01-13 22 42 51) 夢の中で人型のスーモに煽られる夢見て、起きて気分転換に動画見たらSUUMOの広告ってあったな - 名無しさん (2021-01-13 23 16 42) ストカス最近きつくないすか?なんというか支援機にすごーく近づき辛いことが増えた。 - 名無しさん (2021-01-13 22 26 29) ザクⅢ改が実装されたらセリフはやっぱり「ハマーン様、万歳!」になるのかな - 名無しさん (2021-01-13 22 23 36) ネモ3とかジ・Oみたいにガチャ絵で死に際のパターンで「何の光ィ!?」も有り得る - 名無しさん (2021-01-13 22 26 12) その台詞はザクIIIよりかはドーベンのような - 名無しさん (2021-01-13 22 29 05) 通常時からZZはバイオセンサー発動してても文句なさそう。 - 名無しさん (2021-01-13 22 21 28) いっそNTDみたいにレーダー内の敵機がシステム機動したらリアクティブにバイオセンサー起動させてしまって良いんじゃね? - 名無しさん (2021-01-13 22 27 59) 定期的に見たくなるバトオペの嘘字幕動画 http //shinchan.biz/player.html?video_id=sm36867083 - 名無しさん (2021-01-13 22 17 24) ハラガー - 名無しさん (2021-01-13 22 14 36) ミミガー - 名無しさん (2021-01-13 22 15 23) キャクブガー - 名無しさん (2021-01-13 22 20 57) トウブガー - ガーカス乗りの啓蒙2551 (2021-01-13 22 25 39) フクブガー - タマゴッグ (2021-01-13 22 27 35) ズサの爆風設置ミサイル今までに無い使い心地で面白いな。シュパ…ドンドコドンドコドンドコ( 'ᾥ' ) - 名無しさん (2021-01-13 22 13 29) ┏( ^o^)┓ドコドコドコドコ┗( ^o^)┛ドコドコドコドコ - 名無しさん (2021-01-13 22 14 06) 7カ月ぶり?ぐらいにPSO2にログインしてみた。まず何をしたら良いんや… - 名無しさん (2021-01-13 22 10 57) レベル上げとレベル上げとレベル上げですね。レベルを上げる傍ら、装備を整えましょう! 木主さんがNGSをやるのかはわかりませんが、今はSG貯めたりコスチューム買ったりとNGSに備える期間ってかんじです。 - 名無しさん (2021-01-13 22 15 39) セイシントメセタガゼンブキエル… - 木主 (2021-01-13 22 18 34) 相手にしてみて三色ドラッツェ編成の怖さが身に沁みた。パッと見どれが強襲でどれが支援でどれが汎用なのか全然わからん! 味方もそうだったのか強襲ドラッツェにドフリーで殴られまくって禿げてしまった…… - 名無しさん (2021-01-13 22 07 49) 全部豆腐だから全部殴ればおk(脳筋) - 名無しさん (2021-01-13 22 09 11) ドラッツェ(強襲)からすればドラッツェ改も重装備型もめちゃくちゃ柔らかいよな - 名無しさん (2021-01-13 22 11 04) 強襲ドフリーはいつもの事でしょ - 名無しさん (2021-01-13 22 10 33) お、俺は何回死ぬんだ?次はどこから?俺に近寄るなぁ〜木曜‼︎」レクイエム発動中ZZさん - 名無しさん (2021-01-13 21 58 29) いいぞぉ、その調子だ。どんどん近づけ木曜日の新機体よ。 う〜〜ふっwふぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜〜wwふぁあ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁwwわ〜はは〜は〜は〜wwwwう〜〜は〜はww - 名無しさん (2021-01-13 22 03 05) 俺 明日テストね 乙乙 - 名無しさん (2021-01-13 22 04 58) ガンダムTR-6ウーンドウォートって凄い形してるのね……んぅ?何か…可愛くないか……? - 蒼雷の射手 (2021-01-13 21 50 31) これが君の新たな目覚め…なんだよ… - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 00 53) ヅダ「元ヅダ乗りさん、今は何に乗ってるの?」 - 名無しさん (2021-01-13 22 02 24) Exs…と今日引いたmk5……たまにヅダF - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 06 12) ヅダ「返答次第では対艦ライフルで撃つよ?。」 - 名無しさん (2021-01-13 22 06 34) お前誰だよ! - 上枝のヅダ (2021-01-13 22 08 02) Exs…と今日引いたmk5……たまにヅダF… - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 06 35) 連投になっちゃった…ごめんね… - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 07 07) ヅダ「ほぉ。」 - 名無しさん (2021-01-13 22 07 08) まぁヅダFには乗ってるしセーフだな?(適当) - 蒼雷の射手 (2021-01-13 22 14 49) ヅダ「カチャッ(シールドピック展開)」 - 名無しさん (2021-01-13 22 18 21) 今回はどうやら自分がブルデュエルになっちまうらしい… - 元ヅダ乗り (2021-01-13 22 25 44) じょ、冗談じゃ…… - 蒼雷の射手 (2021-01-13 22 25 55) MSに……恋………? たくましい下半身とは裏腹に腕が全体的に華奢になっており指先まで流線的になっているそのフォルムは設定画での指の反りも相まって女性らしさを強く感じさせるがやはり特筆すべきはヘッド部分で全体的に丸みを帯びておりガンダムの顔が隠れたその形はまるで前髪で目が隠れた女の子のような雰囲気を感じさせ(割愛 - 蒼雷の射手 (2021-01-13 22 12 14) 言うならば脚の膨らみはスカートやカボチャパンツ、それらと全体的に華奢な外見も相まって女性的な括れになっている。さらに胴体部に対して頭部が大きいため、子供のような頭身になっているのも可愛さに磨きがかかってますよね。 - 名無しさん (2021-01-13 22 19 57) わ か る ( 天 下 無 双 ) 個人的可愛さランキングで1、2を争う……… - 蒼雷の射手 (2021-01-13 22 24 20) やっぱ可愛いですよねウーンドウォート。自分の初恋MSだものなぁ… ガンブレで猫耳っぽくパーツ着けてたの懐かしい… - 名無しさん (2021-01-13 22 33 37) 君達が通った箇所はバーチャロンプレイヤーが20年前に通った場所だ。 - 名無しさん (2021-01-13 22 41 05) 前作の強タックルって今作の強タックルlv1の2倍の威力で装甲補正3すくみ無視の固定ダメージだったからそりゃ使われるよね、というか今作初期の強タックルlv1の強化値5%だったけど運営はタックルコン嫌いだったのかな - 名無しさん (2021-01-13 21 43 47) というかですね、タックルにも優劣付けて欲しいのですよ。強襲機と支援機がタックルしてすれ違うのは許せないんです。 - 名無しさん (2021-01-13 21 46 06) なんならタックルにもモーションのバリエーション増やしていいと思う。ラムズゴックの衝角展開みたいにヅダのピックも展開して欲しいし - 横から (2021-01-13 21 49 45) してるぞ、旋回遅いからちょっと見にくいけどシールドの方にカメラ回してみるといい - 名無しさん (2021-01-13 21 54 58) 展開するだけじゃなくしっかり構えてカウンターモーションに取り入れて欲しい - 名無しさん (2021-01-13 21 57 19) タイミング悪いだけやんw - 名無しさん (2021-01-13 21 50 32) タイミング悪いも何もこのゲームにタックルかち合いなんて仕様無いでしょ。タイミング良ければタックルかち合わせられるのか? - 名無しさん (2021-01-13 21 52 12) 結構タックル同士で当たりながらすれ違うことはあるけどなぁ。どっちも近接装備して間合いを図っているときに「来る!」って予感で両方ともタックル繰り出すとか - 名無しさん (2021-01-13 21 55 29) すれ違ってるやんけ!枝の内容はタックルにも判定つけて同時に使ったら強い方が勝つってことだと思うんだが。 - 名無しさん (2021-01-13 21 57 14) それはゲーム崩壊しかねない要素だぞ、例え有利不利な機体間でも同一に取れる奥の手がタックル(カウンター)って位置付けなんだから - 名無しさん (2021-01-13 21 59 03) テコ入れというか直すべきところはカウンターの強弱だろうか。特殊モーションはともかく無敵時間は流石になぁ - 名無しさん (2021-01-13 22 08 01) うん、今はタックル出すと無敵になるから当たってもすれ違っちゃうんだよね。ただそれまで判定で止められるというのはどういう挙動になるのか、というかバランスが崩れそうな気もしなくもない - 名無しさん (2021-01-13 22 06 52) スキル白鵬とか増えるかもしれんね! - 名無しさん (2021-01-13 22 02 01) 支援からタックルまで抜けとか笑うわ - 名無しさん (2021-01-13 22 13 39) まぁ最近の支援機は自衛力オカシイのいるけどね。 - 名無しさん (2021-01-13 22 17 19) クヒャーッハッハッハッ!出来るかね!?貴様にそんな真似が! 汎用機たちの英雄である貴様が!支援を守る正義の味方が!支援を守るためにこのワシを… 守るべき支援機であるこのワシを倒そうというのか! - 苦行のフレンズ (2021-01-13 21 42 50) ピッポッパッ…「支援砲撃が開始されます。」 - 名無しさん (2021-01-13 21 44 23) デゲル(いきなり真後ろから)「やぁ!」(アームドバスターずどん) - 名無しさん (2021-01-13 21 45 40) デゲルって何?って一瞬混乱したけどアームドバスターで「あっデザートゲルググか」ってなったわ。何その略し方(困惑ミゲルの親戚ですか) - 名無しさん (2021-01-13 21 47 19) デザートジムをデジムって略する延長でデザートゲルググをデゲルって略したんだと思う。 - 名無しさん (2021-01-13 21 51 12) あれ?デゲルって言わない?言わないのか・・・ - 名無しさん (2021-01-13 21 53 26) デザートゲルググというかゲルググ系の略は「〇〇ゲル(〇〇)」の方が分かりやすいと思う(高ゲル、シマゲル、ゲルJ、ユマゲル、ゲルM、ゲルキャ、デザゲル、etc) - 名無しさん (2021-01-13 21 54 27) なるほど、じゃあ今後はデザゲルって使うようにしてみますわ - 名無しさん (2021-01-13 21 56 23) (実はデザートジムをデジムって呼ぶの初めて聞いたのは内緒、デザジムって呼んでました…) - 名無しさん (2021-01-13 22 00 37) デジム・パジム・デザクは割とよく見る印象がある - 名無しさん (2021-01-13 22 28 29) 普通にデジム、デゲルと呼んでたなぁ… - 名無しさん (2021-01-13 23 03 06) ゼロ「おれが、ガンダムだ!」 - 名無しさん (2021-01-13 21 47 51) 支援機狩るのに汎用邪魔だなぁ…汎用狩ってから支援狩るか - ガーカス乗りの啓蒙2551 (2021-01-13 22 28 30) ドーベンウルフにZZのカラー塗ると意外とわからんな。ホバーだからすぐバレるけど… - 名無しさん (2021-01-13 21 41 53) ZZカラーのウルフに乗ったZZ「俺はZZ…俺はZZ…」 - 名無しさん (2021-01-13 21 45 00) 最近デカブツ機体多いから小型高機動高火力のF91がでて欲しいけどそこまでバトオペやってるかわからない… - 名無しさん (2021-01-13 21 40 55) 多分というか確実に実装は無いと思う…バトオペ2は宇宙世紀が主役でユニコーンガンダムが出るあたりでサ終→新規バトオペ作品になるだろうし - 名無しさん (2021-01-13 21 43 20) 問題はユニコーンの時代過ぎてからはビックリドッキリメカみたいなMSとかゲテモノばかりになることである... - 名無しさん (2021-01-13 21 46 19) まぁUC以降でバトオペ3とかなったらバトオペ2のグラと操作感でバトオペNEXTやる感じになるのかね? - 名無しさん (2021-01-13 21 51 15) ザンネックとかどーすんのよ、という - 名無しさん (2021-01-13 21 52 43) モリグチ「歌います。水の星へ愛おぼえていますか♪ヤックデカルチャー♪」 - 名無しさん (2021-01-13 21 38 36) カーン(鐘1つ) - 名無しさん (2021-01-13 21 38 51) やっぱり廃墟都市は良い、程よく狭くて囲まれさえしなければたくさんの遮蔽物を使ってすぐに自分の有利を取り戻せる… - 名無しさん (2021-01-13 21 37 32) かつて700万年前にアフリカに現れた最初の人類は先ゲルとエーオースで故意FFで無敵付与して開幕突撃して生活していました。人類はそのころ、主に耐衝撃装甲を盛り、殴り合いから身を守っていました。 - 名無しさん (2021-01-13 21 36 09) パワーレベリングじゃとカスマでしばらく上位ランクに混じって巣(Aフラ)に戻ったら、味方がどう動きたいのか全然分からなくて、どう戦ってたんだっけ?どう戦ったら良いのか分からなくなってた。 - 名無しさん (2021-01-13 21 34 25) うーん、故意FF一回でも通報していいんだろうか(爆弾解除を邪魔されながら) - 名無しさん (2021-01-13 21 31 15) その程度だと敵歩兵と間違えられた可能性考えられるし、相手に罰は入らんやろ。ブロックくらいにしとき。 - 名無しさん (2021-01-13 21 34 14) それは厳しいかもなぁ。爆弾解除の場合は敵歩兵と勘違いで攻撃する人多いから…例え敵歩兵排除ってログ出てもそれに気づかないパターン、狭所過ぎて味方ネームがよく見えなかったパターンとか - 名無しさん (2021-01-13 21 36 16) 排除したチャットまで打ったんだけどなぁ、謝罪も無かったし泣き寝入りかね - 木主 (2021-01-13 21 45 10) その程度で泣き寝入りとかメンタル弱すぎて草。一戦ごとにすげーストレス貯めてそう - 名無しさん (2021-01-13 22 05 24) 人間皆聖人君子ではない、仮面ライダーに出演した俳優にいつまでも当時のスクショを添えてリプライをするオタク、控えよ。 - 名無しさん (2021-01-13 21 31 08) 敵のMSを発見! - 名無しさん (2021-01-13 21 27 37) 了解! - 名無しさん (2021-01-13 21 36 38) Youtubeで毎回数万再生されてるような芸人、うまみがあるからなんだろうけどドンドン動画も見やすくなって。視聴者からの需要も取り入れてくれて、マジでテレビいらなくなるな・・・。 - 名無しさん (2021-01-13 21 26 00) もう一年近く地上波見てないけど全く不便じゃないぞ。天気予報やニュースもネットで仕入れられるしエンタメも飽和するくらいあるからな。 - 名無しさん (2021-01-13 21 30 35) 天気予報なんて正直自分の住んでる地域にピンポイントで情報欲しかったらネット一択だしな、自分も正直最近テレビ見なくなって、Twitterで好きな芸人が番組告知してたらTverで見るくらいだ。 - 木主 (2021-01-13 21 33 11) Mk- - 名無しさん (2021-01-13 21 25 01) Ⅵ - 名無しさん (2021-01-13 21 25 44) Mk-lVが気になって調べてきたけどカッコいいな。SDガンダムだけなのはもったいない、というわけで明日実装しようか - 名無しさん (2021-01-13 21 26 23) あの頭の形状ダサくない? - 名無しさん (2021-01-13 21 33 14) 残念ながら明日の新機体はメッサーラ君です - 名無しさん (2021-01-13 21 33 17) いやぁ違うねェ、バイアランだよぉ - 名無しさん (2021-01-13 21 34 19) ゲーマルクだぞ - 名無しさん (2021-01-13 21 39 03) え、バウンドドッグって聞いてたんすけど - 名無しさん (2021-01-13 21 39 24) バ ウ ン ド ・ ド ッ ク だ 二度と間違えるn…いや、ここで償えぃぃ!!!(抜刀) - 名無しさん (2021-01-13 21 41 17) アアアア - 名無しさん (2021-01-13 21 46 49) クイックベーシックでしばらく遊んでたんだけどやっぱライバル判定ガバガバだよな。3戦連続で敵に同レート、同機体が居たのに上か下かのレートの他属性機体とライバル組まされてたわ…基本同レート同属性と組まされるようになってるとは聞くけどそれはそれでおかしいんだけどさ(もし強襲同士でライバルなら敵に支援居るかいないかでとてつもなく不利になるし) - 名無しさん (2021-01-13 21 23 50) バウってめっちゃ強いけど、レベル解放されて650になったとしても、あの環境に入れるほどの性能ではないよな。キュベツーを抑えて採用されるとは思えない。 - 名無しさん (2021-01-13 21 20 03) 狙われなきゃ連続ハメ攻撃で倒せるし、ワンチャンあると思う - 名無しさん (2021-01-13 21 24 18) 希望的観測で戦うのは辞めるんだ!(人は過ちを繰り返す) - 名無しさん (2021-01-13 21 25 45) どの機体もlv3以降で活躍できるのはごく一部だろう - 名無しさん (2021-01-13 21 26 52) ほんとこれ - 名無しさん (2021-01-13 21 32 38) そういえばまだ650戦場でZZ見かけたことないなって思った矢先ZZと敵一回味方一回で二連続で遭遇できた、運がいい…のか? - 名無しさん (2021-01-13 21 12 23) ラッキーボーイだぜ - 名無しさん (2021-01-13 21 13 28) ZZ「キュベレイ!トーリス!ジオ!やられ千葉ァ!!」 - 名無しさん (2021-01-13 21 21 45) 良いことあった気がしたけど嫌なことで上書きされた - 名無しさん (2021-01-13 21 11 16) 650は周りがクソデカ機体ばかりだからか、上昇(下降)慣性N下がキメやすいな。スカッたか?と思っても先っちょが当たってる事が多いな。 - メンタルケンプ (2021-01-13 20 57 16) 上下からジオが下格振りながら吹っ飛んできて張っ倒されることが稀によくある - 名無しさん (2021-01-13 21 08 55) 600のLv1機体何も持ってないのつらみ……高レベル機体も軒並み弱いか使えないのが多くてつらみ…… - 名無しさん (2021-01-13 20 55 36) これから毎日高ゲルに乗ろうぜ - 名無しさん (2021-01-13 21 07 07) 今なら白金章でディジェLv2が貰えるぞ!まだ持ってなかったら - 名無しさん (2021-01-13 21 11 01) 明日の新機体はパーフェクトジオングだよ!間違ったらZZのハイメガキャノンの射程を半分にしてもらって構わないよ! - 名無しさん (2021-01-13 20 54 58) Amazonで買った、保護フィルムの使い勝手が悪いし説明書が違うから返品したら全額返金してくれた・・・ - 名無しさん (2021-01-13 20 53 17) アマゾンは中華企業のごり押しもあって偽物とか多くて苦情も多かったせいか、最近は返金や商品の交換は一応対応してくれるようにはなった。ただし馬鹿みたいに安い商品出品して発送もせず注文した人の情報だけ抜き取るあれは対応してるのかどうか…注意した方がいいかも。 - 名無しさん (2021-01-13 21 01 54) PCのファンコンで中華製で中華から来たけど、性能も日本製のと変わらんし、送料含めて安かったな。まぁ品物によるんだろうけど - 名無しさん (2021-01-13 21 22 20) 私は・・・・○○○だ・・・ - 名無しさん (2021-01-13 20 50 37) 私は・・・・神だ・・・・ - 名無しさん (2021-01-13 20 51 04) 私は・・・Lです・・・ - 名無しさん (2021-01-13 20 51 47) お前だったのか...のネタもそろそろ通じなくなってきてるかなと思う今日この頃 - 名無しさん (2021-01-13 20 53 24) また騙されたな - 名無しさん (2021-01-13 20 56 52) apexに帰るんだ! - 名無しさん (2021-01-13 21 12 08) ごん、お前だったのか!なら - 名無しさん (2021-01-13 20 58 18) ハンター×ハンターは何時になったら完結するんだ? - 名無しさん (2021-01-13 23 24 39) 暇を持て余した神々の遊び - 名無しさん (2021-01-13 21 15 28) そうか...気を落とすなよ、その内良い事もあるさ - 名無しさん (2021-01-13 20 51 27) 遊戯王でベアッガイ3みたいなカードが - 名無しさん (2021-01-13 20 44 38) 尚レベル1シンクロモンスターとかいうトンデモ仕様の模様 - 名無しさん (2021-01-13 20 58 55) ルーカスフィルム、独自のゲーム会社立ち上げたのか。 バトルフロントの新作来るかな? - 名無しさん (2021-01-13 20 43 52) うーん、あのメンテからログボ受け取ったりミッション達成すると通信エラー吐く。これがセーブエラーなのか? - 名無しさん (2021-01-13 20 42 35) 墜落でスナカス乗る時バズ担ぐかR4担ぐかで迷う。基本バズで戦えるけど地味に交戦距離遠くてR4欲しい時も結構あったり。 - 名無しさん (2021-01-13 20 42 15)
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ひと言でいえば、権力の行使を憲法で縛る、コントロールすること、権力行使の主体は、国家ですから、つまり、立憲主義とは、国家権力を憲法で縛るシステムのことであります。 で、日本国憲法は、「立憲主義」をとっていますと。 ここまでの考え方はよろしいのです。 よろしいのですが、一部リベラルな人たちがこの「立憲主義」なる四文字に、例によって「全能感」「万能感」を持たせちゃって、教条主義的にまたドグマチズムに陥っているのですから恐ろしいのです。 なにが恐ろしいって、その論理が破たんしていることもさることながら、自分たちが愚かな教条主義に陥っていることにまったく気づいていないことです。 教条主義者のリベラル派でも、いくらなんでも「立憲主義」を振り回して日本のあるいは世界の外交政策全般を語るなどのでたらめな愚論を振り回す輩(やから)はいないだろう?ですって? それが、あなたいるのです。 ここに今年の1月1日元旦の朝日新聞の社説があります。 【[[マスコミ】 ■ 皇紀二千六百七十七年の年初にあたり 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2017.1.1)」より (※....前半よび後半のNHK関連記事略) / 朝日新聞の世論調査担当部長なる人物が、 なぜ安倍政権の支持率が下がらないのかと嘆く社説を書いていました。 野党がクソすぎて話にならないことは民主党政権で実証されました。 今までだったらなんの根拠も無かろうと 与党の誹謗中傷さえしていれば与党の支持率が下がって票が野党に流れたし、 それで政権を取らせることもできたので同じ事をやっています。 いや、むしろ今までと同じにやっても通用しないから、 より偏向度合い捏造頻度を高めているのが現状でしょう。 マスゴミは自分達の力を過信しすぎました。 いや、過信しすぎたというよりも無能がより無能を子分として引き立てる 贔屓人事がサヨクの中で続けられてきたことによって バカがよりバカしか選ばないという負のスパイラルによって 人材の劣化が進んできてしまった事により己を把握できない連中だけになった。 という方がただしいのかもしれません。 ジャーナリストの山口敬之氏が言うには 今安倍内閣と一番近く、一番情報を取れる記者の1人は朝日新聞にいるのだそうです。 ところが朝日新聞としてはこの記者を親安倍とみなしてなのか、 日曜のコラムを書くくらいしかさせてもらえていないとのこと。 以前、世論調査の結果の記事を執筆中の30代の記者に対して、 40代の朝日新聞の記者が記事の内容の偏向を強要し暴行を加え、 身の危険を感じた記者が警察を呼ぼうと携帯を取り出したところ、 その携帯を奪ってたたき折ってなおも暴行を加えて事件になったことがありました。 自由な議論は朝日新聞の社内には存在しない ということを見せつけた例だと言えると思います。 (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) 【通名報道】 ■ 朝日新聞がまた在日韓国人犯罪を日本人報道。 「共産死ね」 「朝日死ね」もOKだよね! 「なでしこりん(2016.3.11)」より / 日本国民の合言葉は「日本人に罪をなすりつける朝日は死ね」 朝日新聞が警察発表を変えてまで通名報道するのは在日犯罪隠し! ...なでしこりんです。最近は誰が書いたかも分からない「日本死ね」が国会で取り上げられ政治宣伝される世の中になりました。常識的に考えて「日本死ね」を日常的に使っているのは、共産主義者、在日韓国朝鮮人、中国人あたりでしょう。そんなデタラメな資料を平気で使う民主、共産、社民の議員にはすでに社会常識はないのでしょう。「民主党死ね」「共産党死ね」「社民党死ね」も当然OKなんですか? 日本共産党は人殺しはお得意そうですが! (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) ...危険ドラッグ「ラッシュ」密輸容疑 米国から1.6キロ ...「ラッシュ」と呼ばれる危険ドラッグ約1・6キロ(相場価格約100万円)を米国から密輸したとして、警視庁は、東京都新宿区新宿5丁目、飲食店経営南健一容疑者(48)を、医薬品医療機器法違反(輸入)などの疑いで逮捕し、 10日発表した。ラッシュに含まれる成分が指定薬物とされた2007年以降、最大の摘発量という。 ...組織犯罪対策5課によると、南容疑者の逮捕容疑は1月23日、知人の男=同容疑で逮捕=と共謀し、米国からスーツケースに入れた液体のラッシュ約1・6キロを密輸入したというもの。 羽田空港で手荷物検査をした東京税関の職員が発見した。南容疑者の自宅や経営する店からは、他にも約1・3キロのラッシュが見つかった。同課は、販売するためだったとみて調べている。 (朝日新聞) http //www.asahi.com/sp/articles/ASJ3B3C3DJ3BUTIL008.html ...... .朝日新聞 の犯罪性を確認するために「産経新聞」と比較してみましょう。 ...過去最大量の「ラッシュ」密輸 容疑の韓国籍の男逮捕 ...「ラッシュ」と呼ばれる危険ドラッグの液体が入った瓶をスーツケースに入れて国内に持ち込んだとして、 警視庁と東京税関は、医薬品医療機器法違反と関税法違反容疑で、韓国籍で東京都新宿区新宿の飲食店経営、 金和権容疑者(48)を逮捕した。警視庁組織犯罪対策5課によると、スーツケースには小瓶200本 (計約1600グラム)が入っており、ラッシュの密輸では国内最大量。(産経新聞) http //www.sankei.com/affairs/news/160310/afr1603100014-n1.html (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日、不祥事&捏造!社員「おかしいのはお前だ」「私が暴行するはずない」・国歌斉唱ない→恥かしい 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2016.3.6)」より / http //www.sankei.com/affairs/news/160305/afr1603050024-n1.html 「おかしいのはお前だ」注意され激高 女性に暴行容疑で朝日新聞社員を逮捕 2016.3.5 18 20更新、産経新聞 「おかしいのはお前だ」注意され激高 女性に暴行容疑で朝日新聞社員を逮捕 東急大井町線尾山台駅で、口論になった女性会社員(29)の頭をたたくなどの暴行を加えたとして、警視庁玉川署は、暴行容疑で、東京都世田谷区中町、朝日新聞デジタル本部データベース事業部の社員、宇野彰一容疑者(53)を逮捕した。「私が暴行をするはずがない」と容疑を否認しているという。 逮捕容疑は、4日午前0時40分ごろ、尾山台駅に停車した電車の入り口付近で、女性会社員を突き飛ばした上、車内で女性の頭をたたいたとされる。 同署によると、酒に酔った宇野容疑者が電車の入り口付近をふらついていて、乗り降りの妨げになっていたため、女性が「迷惑じゃないですか」と注意したところ、宇野容疑者が「おかしいのはお前だ」などと言って暴行に及んだという。 (※mono.--中略) / 不祥事は、朝日新聞の社員だけではなく、朝日新聞配達員によっても頻繁に起こされている。 朝日新聞の販売店の配達員は、去年10月から先月まで10回ほど路上で患者を搬送中の救急車のフロントガラスにつばを吐きかけて停車させ、搬送を妨げていた! この朝日新聞配達員は、調べに対して「何ひとつしゃべりたくありません」と供述している。 朝日新聞配達員(61)が救急車につば吐き、搬送を妨げ逮捕 http //www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/2023455761.html 朝日新聞配達員が救急車につば 03月05日 22時56分、NHK兵庫県 (※mono.--ニュース引用記事略、詳細はブログ記事で) (※mono.--中略) / そして、またまた朝日新聞に捏造疑惑が浮上している。 http //www.asahi.com/articles/ASJ2T4HYWJ2TUTIL01Q.html 国歌歌わないのは「恥ずかしい」? 大臣発言の背景は 2016年3月4日11時56分、朝日新聞 (※mono.--ニュース引用記事略、詳細はブログ記事で) http //www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150318/dms1503181140003-n1.htm K・ギルバート 日本の学校で量産している「国歌を歌えない国民」は恥 K・ギルバート氏 2015.03.18、zakzak 東京五輪の開会式で、日の丸を先頭に行進する日本選手団=1964年10月10日、国立競技場 「東京マラソン2015」(2月22日開催)で、私が所属する六本木男声合唱団倶楽部(六男)は、毎年恒例の「君が代斉唱」を行った。 ときどき、「米国人なのに君が代を歌えるんですか?」と聞かれるが、トータルで37年も日本に住んでいたら、歌えて当然だと思う。各種イベントの国歌斉唱で、自分だけ歌えなかったら恥ずかしいではないか。 (中略) 日本の学校は、世界の常識から見たらまったく恥ずべき「国歌を歌えない国民」を意図的に量産している。この問題を政府や自治体は放置すべきではない。 / つまり、馳浩文部科学相は、【国家斉唱をしないことが恥ずかしい】と批判したのではなく、【当時の下村博文・文科相の要請は大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもないにもかかわらず、あえてわざわざ岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌を斉唱しない方針を示したことについて「ちょっと恥ずかしい」】と批判した可能性が高い。 それなのに、3月4日になって朝日新聞は、【国歌歌わないのは「恥ずかしい」?】【馳浩文部科学相が「国立大学としてちょっと恥ずかしい」と批判した。歌わないのは、そんなに恥ずかしいことなのか。】と、馳浩文部科学相が【国家斉唱をしないことが恥ずかしい】と批判したと決めつけて報道している。 朝日新聞は、馳浩文部科学相の発言を捏造している可能性が高い。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 【宮崎哲弥】止まるところを知らない朝日新聞の異常性! ザ・ボイス そこまで言うか! 2016年3月2日 / 2016/03/02 に公開 ニュース・ピックアップセブン 07 20 1.スーパーチューズデー クリントン氏とトランプ氏が指名に向け前進 11 34 2.認知症判決 監督義務に対して初めての判断 19 55 3.2016年度予算案 衆院通過 年度内に成立へ 35 36 4.中東から欧州に渡った難民 2ヶ月で13万人超え 39 15 5.韓国の教科書から"慰安婦"表現を削除 44 49 6.ギャンブル依存症問題研究会 今日、発足 45 59 7.葛飾区 全国初の行政代執行による空き家解体へ ザ・フォーカス 26 06 アメリカ大統領選 評論家の宮崎哲弥さんが、いつものように「築地の新聞社」(笑)に怒っています。それもむべなるかな、株価が下がったことを受け、社内で拍手が出ていたというのです。宮崎さんが名指ししている原真人(はら・まこと)氏は朝日新聞の編集委員で、スタート時から「反アベノミクス」の旗幟を鮮明にしており、その姿勢「だけ」は一貫していますが、完全に結論ありきで、担当しているはずの経済問題に関する主張はほぼ全てが誤りというものすごい人です。 宮崎さんの指摘通り、株価を基準として経済政策を評価すること自体、明確な「誤り」であり、アベノミクスの最大の問題点は、機動的な財政出動という「第二の矢」をきちんと放たないことなのです。結果として、「第一の矢」である金融政策への過度な依存が生まれてしまい、「手詰まり感」が出てきているのが現実です。 宮崎さんは、政府内で「消費増税の再延期か凍結」又は「大規模な財政出動」という動きが出てきているとしていますが、二者択一ではなく、両者ともに必要です。ここで正しい方針転換ができることに一縷の望みを持つしかありません。 世界的に、「反緊縮」のコンセンサスができつつある中で、民主党の大統領選候補・サンダース氏の「公共投資1兆ドル」という主張すらまともに報道していない日本のマスコミの異常性には暗澹たる思いにさせられますが、スーパー・チューズデーを制し、優勢となったヒラリー氏が、宮崎さんの指摘通り、経済政策に関してサンダース氏の影響を強く受けていて欲しいものです。 最後に宮崎さんが「4月からこの番組毎週やろうかな~」と話していますが、是非実現してもらいたいですね。 ■ 朝日新聞、株価下落に拍手!日本の新聞ではない・山梨県での夕刊を3月で終了・朝刊も終了させよう 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2016.3.4)」より / 朝日新聞では、日本の株価が下落すると拍手が沸き起こる! とどまるところを知らない反日朝日新聞に天誅を! (※mono.--中略) / そんな朝日新聞だが、山梨県では夕刊を終了することとなった。 http //www.sankei.com/entertainments/news/160301/ent1603010013-n1.html 朝日新聞、山梨県での夕刊を3月で終了 全国で3県目、4月から統合版を発行 2016.3.2 07 10、産経新聞 (※mono.--以下引用略) http //www.buzznews.jp/?p=2052711 朝日新聞が山梨県内での夕刊発行終了でネットから一様に歓迎の声「朝刊も終了でいいのに」 2016/3/2 09 00、BuzzNews 朝日新聞が山梨県における夕刊発行を3月いっぱいで打ち切ることがわかり、影響力の低下にネットから歓迎の声が聞かれています。 朝日新聞東京本社が3月31日付けで山梨県における夕刊発行を終了すると報じられ注目を集めています。朝日新聞が夕刊の発行を終了するのは佐賀、大分に次いで今回が3県目だということですが、ネットからは朝日新聞の影響力低下を歓迎する声が強いようです。 このニュースを伝えたYahoo!ニュースのコメント欄には共感の高い意見の上位にこんな声が並んでいます。 「終わりの始まり」 「全国の朝夕刊を終了で良い」 「朝日新聞そのものを終了すればいい」 「全国で終了して下さい」 「日本を毀損した新聞は消えて欲しい」 「朝刊もなくなっていいよ」 「朝日が無くなっても困る人は少ない」 こうした傾向はTwitterやネット掲示板でも同様で、「ざまぁ」「メシウマ」といった辛辣な言葉も聞かれているほどです。 (※mono.--以下引用略) (※mono.--中ほど略) / 渡邉哲也 もしも、公正取引委員会が本格調査に踏み切り、新聞社の押し紙(詐欺)の実態を暴けば、押し紙は新聞社の「不法利得」となり、過去10年にさかのぼって法定金利6%を上乗せして広告主たちは損害賠償請求でき、広告料が返還されることになる。 サラ金の過払い訴訟と同じことになる。 例えば朝日新聞なら紙面広告で、2割水増し(押し紙)していたとしたら、年間1500億円と言われる広告料の2割なので【1500億円×20%×10年+年利6%分】=【3000億円+10年間の金利6%】となる。 朝日新聞の純資産は約3000億円なので、朝日新聞の純資産が全部ぶっ飛ぶ! さらに、押し紙部分をその後の発行部数から減らさないとならないので、その後急激に財務状況が悪化する。 さらに、もし押し紙が2割を超えていた場合、第三種郵便物の承認が取り消しになり、公職選挙法によって選挙報道ができなくなる。 これまでは何故か揉み消されてきたが、今回日本記者クラブで公正取引委員会の委員長が明言したので、現実味を帯びてきた。 産経新聞と読売新聞は既に対策済みとされているが、朝日新聞と毎日新聞はまだ相当の押し紙をしていると言われている。 古紙として回収されている部数を調査すれば、ある程度の実態を把握できるはずだ。 ★ 「だまってトイレをつまらせろ」 あなたならどうする 「朝日新聞(2016.2.28)」より / ■政治断簡 政治部次長・高橋純子 「だまってトイレをつまらせろ」 このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。 ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。 ①代表団を結成し、会社側と交渉する。 ②闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。 まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。 ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。 ログイン前の続き③新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。 チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。 船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。 生かされるな、生きろ。 私たちは自由だ。 ◇ 念のため断っておくが、別にトイレをつまらせることを奨励しているわけではない。お尻痛いし。掃除大変だし。 ただ、おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う。 他者を従わせたいと欲望する人は、あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる。うかうかしていると「さあご一緒に!」と笑顔で促される。古今東西、そのやり口に変わりはない。 気がつけば、ああ合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタとワタシ。ある種の秩序は保たれる。だけども「生」は切り詰められる。 ◇ 「ほかに選択肢はありませんよ――」 メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。 「この道しかない」 固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。 近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう? はい、もう一回。 だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。 ◆ 【これは酷い】朝日新聞系のニュースサイトが言論弾圧を実施 都合悪いコメントを一方的に削除する隠蔽工作で大炎上!!! 「News U.S.(2016.2.22)」より / 1 : ときめきメモリアル(東京都)@\(^o^)/:2016/02/21(日) 13 11 02.22 ID hEgIxtqF0.net 朝日と毎日、過去に「オバマは奴隷の子孫」発言!系列サイトで事実を隠蔽 2016.02.21 自民党議員の丸山和也氏の「奴隷」発言が物議を醸したことを発端に、朝日新聞や毎日新聞に批判の矛先が向かう事態となっている。 発言内容の全貌が明らかになると、マスコミ各社の印象操作ではないかという異論が相次いだ。 例えば2016年2月19日の朝日新聞は、「『米大統領は黒人。奴隷ですよ』などと発言」と紹介。毎日新聞も同日の記事で「『今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ』という発言だ」と記した。ところが、両紙が過去に、オバマ氏ならびにミシェル夫人は奴隷の子孫であると報じていたことが発覚した。 朝日は2012年8月に、「オバマ大統領の祖先『米国最初の奴隷』 家系図調査」という記事を掲載。「オバマ氏の白人の母親から12代さかのぼると、ジョン・パンチ氏というアフリカ系男性にいき当たる。米独立前のバージニアで年季契約召使の身分から逃亡しようとして失敗、罰として1640年に終身奴隷とされた男性で、記録に残る最古の例という」。 http //tanteiwatch.com/wp-content/uploads/2016/02/015.jpg (※mono.--中略) / ライターの梶井彩子氏は、「アゴラ」の2月20日の記事で、マスコミ各紙が同様の表現を繰り返していたことを紹介。過去の様々な事例を具体的に挙げて、一連の報道姿勢を批判した。すると、この記事のコメント欄に、朝日新聞系列の「ハフィントンポスト」が読者の言論を統制して、不都合な事実を隠蔽しているという趣旨の暴露情報が投稿された。 先述の朝日の2012年の記事に言及して、ハフィントンポストへ以下のように書き込んだという。「朝日新聞と同じことを言ったら、なぜ辞任しなくちゃいけないんですか?」。すると、そのコメントが削除されたというのだ。この人物のFacebookを見ると、ハフィントンポストへの投稿記録が残っており、暴露情報が事実であることが分かる。 http //tanteiwatch.com/wp-content/uploads/2016/02/035.jpg (※mono.--中略) / Facebookから投稿された内容の場合、サイト側がそれをコメント欄から削除しても、投稿者の側には投稿記録が残ったままとなる。 http //tanteiwatch.com/46599 ■ 「恬(てん)として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ 「夏炉冬扇(2016.2.20)」より / 昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。 私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。 外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。 私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。 しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。 第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。 「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。 {(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) } ■ 朝日新聞「給料カット」「早期退職」のジレンマ!優秀な人材ほどやめていく・実売数は190万部に! 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2016.1.26)」より / 朝日新聞「給料カット」「早期退職」のジレンマ!優秀な人材ほどやめていく http //www.j-cast.com/tv/2016/01/22256362.html?p=4 朝日新聞「給料カット」「早期退職」のジレンマ!優秀な人材ほどやめていく 2016/1/22 16 07、j-cast 週刊新潮が朝日新聞の給与削減と早期退職制度について報じている。地方支局にいる40代の中堅社員は社員専用のホームページを開いてビックリしたという。来年の給与改革で給与水準の抑制をするというのだ。「平均年収は、16年度対比で約160万円減少する見込みです」。月に10万円以上減るというのだから相当ドラスティックなものである。 また、40歳以上で早期退職を募ると組合の機関紙にあったそうだ。件の社員のように40代だとだいたい5000万円ぐらいもらえるらしいので、それを老後にとっておいて仕事を探すのも悪くないかなと週刊新潮に話している。2010年にも早期退職を募集したが、案の定、できる人間が辞めてしまうのだ。 それにしても朝日新聞の窮状は相当なもののようだ。<「この3年間で100万部落ち、昨年11月時点で660万部まで減りました。売り上げはこの10年で1000億円以上減少し、広告費も半分以下に減っています」(件の社員)> この頃の朝日新聞の紙面に活気がないのは、こうしたことが原因か、心配である。 <>地方支局にいる40代の中堅社員は社員専用のホームページを開いてビックリしたという。来年の給与改革で給与水準の抑制をするというのだ。「平均年収は、16年度対比で約160万円減少する見込みです」。月に10万円以上減るというのだから相当ドラスティックなものである。 いや、それほど大したことではない。 朝日新聞の社員の平均年収は、約1300万円だ! ▼ソース▼ (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 平成26年(2014年)に朝日新聞が「従軍慰安婦強制連行」が捏造報道だったと白状した以前、既に朝日新聞はその前の5年間に、実売部数を平成21年(2009年)の527万部から平成26年(2014年)前半の280万部まで激減させていた。 その間、平成21年(2009年)からの平成25年(2013年)の5年間で、東京都内から朝日新聞の販売店が100店もなくなっていた!(ソース:アサ芸プラス)(関連記事) 平成21年(2009年)の朝日新聞は、押し紙を含めた公称部数803万部に対して、実売部数は527万部だった。 以後5年間で東京都内の販売店が100店もなくなるほど朝日新聞の実売部数が激減しており、平成26年(2014年)前半時点では公称部数760万部に対して、実売部数は280万部だったという。 さらに、平成26年(2014年)に朝日新聞が「従軍慰安婦強制連行」に係る捏造報道について自白をして大騒ぎになった後には、販売部数の減少が加速した! 翌平成27年(2015年)夏には、 前年平成26年(2014年)の【公称部数760万部➡実売部数は280万部】から、【公称680万部➡実売数190万部】になった! (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 平成26年(2014年)の8月以降、朝日新聞の実売部数と販売店は、さらに激減している。 ―――――――――― ▼朝日新聞の押し紙(詐欺)▼ 2009年 公称部数は803万部 しかし、 実売部数は527万部 ↓ ↓ ↓ 2014年(前半) 公称部数は760万部 しかし 実売部数は280万部 ↓ ↓ ↓ 2015年(夏) 公称部数は680万部 しかし 実売部数は190万部 ↓ ↓ ↓ 2015年11月 公称部数は660万部 しかし 実売部数は1●0万部 ―――――――――― (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日の行動で韓国の思惑がわかるのでは? 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2016.1.5)」より / アサヒる朝日新聞というのは一時期流行った言われ方ですが、 常に隙あらば過去を書き換えようというのはいつも通りです。 いつまでも過去に拘泥し、 過去を自分達に都合良く書き換えて今度はそれを根拠にまた新たな捏造を行う。 それが朝日新聞がやってきた事です。 今回も朝日新聞お得意の捏造癖が見事に発揮されている記事が出ました。 【天皇へ謝罪要求の背景は 李明博前大統領の側近が回顧録】 (※mono.--引用記事略、詳細はブログ記事で) / 李明博が言ったのは 「天皇は手足を縛って跪いて謝罪しろ」 であって 「心から謝るのがいい」 なんてかわいい表現じゃありません。 李明博の天皇謝罪要求発言で 今まで我慢されていたであろう日本の嫌韓感情が一気に表に出たと言っていいでしょう。 また、野田佳彦は韓国の下僕意識があるため、 公式にきちんとした抗議をせずに親書という形で郵送しました。 これを韓国政府側が返送したのではなく受け取り拒否したので戻ってきただけです。 無礼の上に無礼を重ねたのが韓国でした。 ですので朝日新聞としてはそこをすり替える記事を書く事。 今更これで日本人の嫌韓のターニングポイントとなった事件を書き換える という方向に出たのだと言っていいかと思います。 朝日新聞は韓国が困れば韓国が日本に難癖を付けるように出来るための材料を捏造し、 そのたびに日本は経済協力として多額の援助をして誤魔化してきました。 先の産経の加藤記者の裁判に際しては 韓国政府や韓国検察が裏取引として産経側が謝罪して幕引きを図るように 安倍内閣にまで接触を図っていた事を加藤記者自らが記事にして暴露しています。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ また朝日かよ。 「余命三年時事日記(2015.12.25)」より / 本日から新規官邸メール投稿を受け付ける。できるだけ 396 新規官邸メール受付ファイルへ集中させるので参考にされたい。 不法滞在の通報、前年比3倍超 ネット上のデマ影響か 2015年12月23日20時29分 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 以上の12記事だけでは朝日は黙っていればとりあえず実害はなく逃げられた。ところがブログではまさに「外患罪と戦時国内法」の記述は一過性であったが、書籍化された余命本では、どまんなかの外患罪項目の先頭に朝日新聞が堂々と鎮座している。 朝日新聞集団訴訟では、たとえ負けても25000人×10000で二億円の話である。ところが外患罪となると会社もとより社員まで売国奴となる。さすがに慌てたのだろう。 (※mono.--後略、詳細はブログ記事で) ■ やはり朝日は売国奴 間違いなくスパイだわ 「日々のストレス溜まりまくり(2015.12.13)」より / 「総理外遊予定」をゴミ箱にポイ! 「朝日新聞」それでいいのか?〈週刊新潮〉 「書を捨てよ、町へ出よう」そう言ったのは劇作家の寺山修司だが、喫茶店のゴミ箱に大量の資料を捨てて雑踏に消えて行ったのは、朝日新聞の記者だったのか。問題は、そこに書かれていた内容である。 *** 本誌(「週刊新潮」)にその資料が送り付けられたのは、晩秋のとある日のこと。提供者いわく、喫茶店の客が捨てたものだという。 「11月18日の夜、都内の喫茶店にいたら大量の資料をテーブルに広げている男性がいたんです。チラッと見たら、安倍総理のスケジュールみたいなことが書いてある。“政府の人か新聞記者かな”と思っていたら、紙束をバサッとゴミ箱に突っ込んで出て行ったのです」 男性は、40代ぐらい。ジャケット姿でサラリーマン風だったという。 「男性が店にいたのは20分ぐらい。まるで、資料を捨てるために来たような感じでした。破いたり、クシャクシャにせず、丸のまま捨てたことにビックリ。お店の人に声をかけてから拾ってみたのです」(同) そんな経緯で持ちこまれた資料だが、一読して驚いた。 (※mono.--以下引用記事略) / 朝日新聞記者の「ポイ捨て」 2015.12.12 14 40 産経ニュース 新聞では小さな扱いでしたが、朝日新聞記者が安倍晋三首相の外遊日程の資料を都内のコーヒーショップで廃棄したとの記事は衝撃でした。私たちもパソコンや取材資料を持ち歩きます。特に忘年会シーズンで置き忘れということもあるので、すぐに部員に注意喚起しました。 それにしても、置き忘れとコーヒーショップのゴミ箱に重要資料を捨てるのでは次元が違います。最初に報じた週刊新潮を読んだ霞が関の官僚は「誰かに情報を渡そうとしたのではないか」と勘繰っていました。 特定秘密保護法の施行から1年になりました。この法律ができたからといって私たちの報道が萎縮することはまったくありません。ただ、今回の「ポイ捨て」は、同法をはじめ情報の扱いについて議論する以前の問題であることは明白です。(編集局次長兼政治部長 有元隆志) http //ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1449711766/ (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 今回はエビデンスばっちり 「あるウソつきのブログ(2015.12.3)」より / まて。みんな逸るな。 まだ、逮捕されてないから! 今回の記事、新聞各社は今、どう伝えているだろうか。 今回は俺、ちゃんとエビデンスをとるよ!ああ。俺今日会社病欠でらっきーだったかも。 まずは東京新聞だ。「靖国」で検索し、右下を見てもらえばわかるが、PCの時計が入るようにしてある。 同じ要領で、各社の検索結果をキャプチャしていく。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / よっしゃ!朝日ヒットせず! トップでヒットした記事に注目。「紙面掲載記事」とあるやろ?これは、「靖国」で検索できる記事の中で直近の記事が、紙面掲載だって事なんだよ。つまりネット先行配信の記事に、靖国関連記事がないのだ。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ーーーーーー ■ 朝日は過去を平気で書き換える? 「あるウソつきのブログ(2015.11.13)」より (※mono.--ブログ記事を) ◆ 【これは酷い】朝日新聞が と ん で も な い 方法で読者を欺いていたことが発覚 !!!【拡散】 「News U.S.(2015.10.22)」より / 960 :名無しさん@おーぷん:2015/10/21(水)22 13 00 ID jpT 竜田一人 @TatsutaKazuto 原発事故後の被曝、初の労災認定 白血病の元作業員男性:朝日新聞デジタル http //www.asahi.com/articles/ASHBJ7DNSHBJULBJ014.html "「年5ミリの被曝で白血病になると科学的に証明しているのではない」"という説明はログインしないと読めない部分にあるんですね。 https //twitter.com/TatsutaKazuto/status/656435265112674305 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 露骨なレイプ津田擁護 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2015.9.24)」より (※mono.--前後略) / 朝日でも他社が報道しているのでスルーしない件がこちら。 【警察官蹴った疑いで韓国籍男逮捕 米軍基地前で移設抗議】 沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前で、普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設計画への抗議活動中に警察官を蹴ったとして、県警は22日、住所職業不詳、韓国籍の男(29)を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕し、発表した。「妊娠している妻が警官に押されたので腹が立って蹴った」と容疑を認めているという。 名護署によると、男は22日午前7時すぎ、シュワブ前の路上で、警備活動を指揮していた警察官(48)の太ももを背後から蹴り、職務を妨害した疑いがある。 (2015/9/23 朝日新聞) この韓国人の言い分はお得意のでっちあげでしょう。 この人物は他紙を見ると韓国から辺野古反対運動のために来ていたとのこと。 マクリーン事件に則ってこの人物を国外退去させるべきでしょう。 いかにも韓国人らしく「背後から蹴った」卑怯さも悪質です。 そもそも作業の妨害をするために集まっており しょっちゅう機動隊によって排除されています。 そんな場所にもし本当に妊婦を連れて来ていたのならこの韓国人が非常識極まりないというだけの話です。 妊婦を盾にしようと考えていたのであれば「いかにも韓国人らしい卑怯さだ」となり もっと酷い評価をせざるをえませんが・・・。 犯罪外国人をとっとと国外退去できるようにしていかないとなりません。 民主党政権で運用がガバガバにされてしまって なにかしら理由をつければ入管の審査が3年近く発生して、 その間は日本に滞在できてしまう現状では治安は守れません。 あと、韓国から動員という時点で、 辺野古の反基地活動の後ろにいる連中がどういうものなのか透けて見えます。 【在日韓国人の犯罪】 ■ 朝日新聞よ、いい加減にして!朝日新聞はなぜ在日韓国人犯罪を隠すのか! 「なでしこりん(2015.9.23)」より / 韓国人の金のくせに「伊集院」なんて名乗らないでください! 在日にとっては「通名報道での逮捕」なんて何の罰にもならない! なでしこりんです。先ほどNHKのニュースを見ていますと、「金・元社長を逮捕」などとアナウンサーが言っていました。事件は国交省の係長にワイロを贈った在日韓国人が逮捕されたというものです。早速ネットで確認しましたところ、朝日新聞がまた「デマカセ記事」を流していました。それがこれっ! 羽田空港にある格納庫の使用許可に絡み、便宜を図った見返りに業者から現金を授受したとして、警視庁は23日、国土交通省航空局運航安全課の係長川村竜也容疑者(39)=千葉市稲毛区小仲台5丁目=を収賄容疑で、航空機整備会社元役員の伊集院実容疑者(61)=金沢市高尾=を贈賄容疑で逮捕した、と発表した。ともに容疑をおおむね認めているという。(朝日新聞)http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000033-asahi-soci (※mono.--中略) / ここまで やって初めて「韓国籍の伊集院実ことは金 澤星」と判明しましたが・・・普通、こんなことしませんよね。 しかしこの事件、贈賄をおこなったのは「韓国籍の伊集院実こと、金 澤星(キム ・テクソン)」という在日韓国人なんです。朝日はなぜ、警察発表を捻じ曲げてまで在日韓国人の犯罪を隠すのでしょうか? 朝日新聞はメディア失格のみならず、犯罪者隠蔽という犯罪をも犯していることにはならないのでしょうか? By なでしこりん 【世論調査】 ■ 朝日新聞の世論調査(世論操作)は韓国人と中国人も勘定に入れてるんだよね! 「なでしこりん(2015.9.14)」より (※mono.--前略) / 安保法案の今国会成立「必要ない」68% 朝日世論調査 2015年9月14日 (※mono.--中略) 集団的自衛権、行使容認反対63%に増 朝日新聞調査 2014年4月6日 調査は日本と中国で2~3月、韓国で2月に行い、中国調査は主要5都市で実施した。 有効回答は日本2045件、中国1000人、韓国1009人。http //www.asahi.com/articles/ASG3L72L6G3LUZPS007.html (※mono.--中ほど少々略) すでにお気づきになられたとは思いますが、「朝日新聞の母集団設定」は異常ですよね。「有効回答は日本2045件、中国1000人、韓国1009人」って!ww こんな母集団のアンケートなんてありえません。朝日新聞の記者は頭がおかしいんじゃないでしょうか? (※mono.--以下略) ■ 【魚拓】朝日新聞編集委員が安倍支援デモとしてナチス旗を掲げる無関係な画像を添えTwitterで海外発信→炎上 togetterにまとめないでと懇願 「はやぶさⅡの万華鏡(2015.8.4)」より / http //hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/morningcoffee/1438530313/ 1 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 45 13.24 0.net http //pbs.twimg.com/media/CLZ7tMQUEAAyEk4.jpg 冨永 格 @tanutinn 先ほどのヘイトデモの写真と英仏両語でのツイートにたくさんの返信をいただきました。 審議中の安保法案と結びつけて語る方も多く、誤解を招いてしまったようです。 本意ではありませんので関連ツイートとともに削除しました。お騒がせしました。 @tanutinn @a_nightbreed @jpn1_rok0 @kry_nng @punyomi 熟慮のうえ元ツイートを削除しておりますので、togetter はやめてください。 http //togetter.com/li/855689 2 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 46 14.11 0.net これ超えちゃいけないライン超えてると思うんだけど 3 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 46 26.98 0.net 元ツイートを張れよ 4 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 46 56.43 0.net <>本意ではありませんので 嘘 つ け よ w 5 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 47 43.22 0.net しっかりまとめられててワロタ 6 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2015/08/03(月) 00 49 32.24 0.net 刷り込み失敗か これでアホ左翼共はナチ被害者達も自分ら信条のためには道具扱いする内実がバレるといいな (※mono.--以下略) ■ 朝日新聞は自衛隊違憲説を唱えよ 「私的憂国の書(2015.7.23)」より / 左派メディアが「1万5千人の賛同者!」と持て囃した「安全保障関連法案に反対する学者の会」。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京大名誉教授が呼びかけ人になったことでも話題となり、その会のメンバー約150人が20日(月)に開いた記者会見については、メディアが嬉々として詳報している。 しかし、ふたを開けてみると、国際政治学など安保問題に関わっている可能性がある人はごく一部で、非常勤講師や大学院生、在野研究者といった所属や肩書の人、中には、障害者支援、合唱指導者、建築設計事務所といった人も含まれるそうだ。所属や肩書のない人や氏名非公表の人もいるらしい。会のウエブサイトでも賛同した学者・研究者の数を1万2千人弱と公表しており、なかんずく組織名が「学者の会」としているから、ほぼすべてが学者と思いきや、とんだ看板倒れだ。このの触れ込みは誇大広告である。JAROへ通報した方が良いかもしれない。 こういう都合の悪い事実を報じないのは、偏向マスコミの常套手段だ。以下は、朝日新聞が報じない自由を実施した、朝日にとって極めて都合の悪い調査結果についての指摘だ。 (※mono.--中略) / つまり、自衛隊が違憲の存在であると考える憲法学者が大多数であるにもかかわらず、自衛隊という存在は解釈によって成立し、国民の多くが認めてきたのだ。こういう事実を鑑みれば、自衛隊には解釈を経た存在を事実上許し、集団的自衛権の行使(しかも限定)のみにおいて憲法学者の見解を絶対視する報道の仕方は、筋が通らない。今回、自衛隊に関する憲法学者のアンケート結果を朝日新聞が紙面で掲載しなかったのは、結果が朝日の社論に都合が悪いからであり、報道姿勢の辻褄が合わなくなるからだ。これをご都合主義と言わずして、何と言おうか。 集団的自衛権の行使容認について、憲法学者の言い分を偏重し、違憲!と叫ぶのなら、朝日は自衛隊についても同様に違憲説を、堂々と唱えるべきである。 ■ 朝日『アシアナ事故は金属部品が要因』 「璧を完うす(2015.4.18)」より / 車輪の軸付近に金属部品、制御困難に? アシアナ機事故 朝日新聞 広島空港で起きたアシアナ航空機の事故で、事故機の左の車輪の軸付近に赤い棒状の金属部品が絡みつくなどし、正常に回転しなくなっていたことが国土交通省の調べでわかった。接地後は滑走路左側にそれ、左に反転して停止しており、機体の制御は極めて困難な状態だったとみられる。 国の運輸安全委員会の航空事故調査官は、この金属部品が、滑走路の手前東側で損傷していた計器着陸装置(ILS)のアンテナの一部と推定。「かなりの低空で進入し、主脚が引っかけた」と分析している。 以下略 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 応事実は書いているんですよ。 この金属部品が、滑走路の手前東側で損傷していた計器着陸装置(ILS)のアンテナの一部と推定。「かなりの低空で進入し、主脚が引っかけた」 着陸前にひっかけた部品だってね。 でも、この事実を記事の後に持ってくるから、読んだ人も勘違いを起こしやすい。 事故は金属部品が原因、みたいな。 最初に「着陸時に引っかけた金属部品が絡まって車輪が正常に動かなかった」と書けばそれで済む話なのに、なぜ倒置した書き方をするのか? ほんと朝日はうまい、うそを書かずに誤認させる腕は一級品。 【国旗・国歌・国家意識・愛国心】 ■ 朝日よ、そんなに日の丸・君が代が憎いのか 「私的憂国の書(2015.4.11)」より / 先だっての教科書検定の結果は、安倍政権による教育改革の勝利だと言えるだろう。朝日は、竹島における「南鮮の主張」、北方領土における「ロシアの主張」を、日本のそれと同じレベルで教科書に記載せよと主張したが、8日のエントリーで書いた通り、これは教科書の無国籍化を求めるものだ。朝日は、国家という存在を、可能な限り希薄にしたいのである。 そういう朝日の姿勢は、今日の社説でも繰り返し語られている。彼等は今度は、国立大学の入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱について、安倍総理が参院予算委員会で「正しく実施されるべきではないか」と述べたことに噛みついた。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【木村伊量】 ■ 朝日新聞グループで何が起こっているのか 「池田信夫 blog(2015.4.6)」より / いまだに古賀茂明氏の妄想があちこちで取り沙汰されているが、官邸が圧力をかけたという証拠は何一つ出てこない。当たり前だ。官房長官がそんな稚拙な形で圧力をかけるはずがないし、そんな必要もない。むしろメディアの側から、政権にすり寄ってくるのが普通だ。 朝日新聞は紙面では派手に安倍批判をやっているが、経営陣は政権と手を打とうとしていた。その証拠が、昨年8月の慰安婦特集だ。あれはもともと社内で極秘に進めていた調査の結果を、木村伊量元社長が記事にすると決めたものだ。この経緯は第三者委員会の報告書にもこう書かれている。 ....................................................................................... 政府において河野談話の出された経緯を検証するとの方針が発表されており、当該検証の際に吉田証言も俎上に上る可能性があったため、朝日新聞としては、特に吉田証言を中心に検証することとし、政府の検証結果をみながら遅くとも2014年中には記事にするという方向となった。[…]この検証は、日常扱う記事とは異なり、多分に危機管理に属する案件であるとし、経営幹部がその内容に関与することとした。 ....................................................................................... 慰安婦は、朝日の経営問題だったのだ。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【ネット右翼】 ■ 朝日の考えたネット右翼 「あるウソつきのブログ(2015.3.28)」より / 先日、朝日新聞にネット右翼論考が載ったそうな。J-CASTの記事で初めて知った。 【J-CAST】慶大小熊教授の「ネット右翼」論考が話題 「ネット上全体ではごくわずかな数」に異論も http //www.j-cast.com/2015/03/26231471.html?p=all とりあえず最初に思ったのが、『あ。このネット右翼の定義、面白い』であった。 引用しようと思う。 a)「韓国」「中国」いずれに対しても、「あまり」「まったく」親しみを感じないと回答 b)「首相や大臣の靖国神社への公式参拝」「憲法9条1項(戦争放棄)の改正」「憲法9条2項(軍隊・戦力の不保持)の改正」「小中学校の式典での国旗掲揚・国歌斉唱」「小中学校での愛国心教育」という5項目すべてに「賛成」「やや賛成」と回答 c) この1年の間に、政治や社会の問題について「自分のホームページに、意見や考えを書きこんだ」「他の人のブログに、自分の意見や考えをコメントした」「電子掲示板やメーリングリスト等で議論に参加した」という3項目いずれかに、したことが「ある」と回答 調査はマクロミルにて行われたそうな。 うむ。これは的を射た定義だと思う。しかしこの定義は「ネット右翼」ではなかろう。これは「日本の保守」の定義ではないかと思う。 まずは、ネット上で左翼がひたすら攻撃するような、ネット右翼像を考えてみた。俺はこれがいわゆる「ネット右翼」だと定義する。 a)日本で凶悪犯罪が発生したら例え犯人の名前が日本的なものであろうと朝鮮人が犯人だと書き込まずにはおれない。 b)「チョン」とか「チャン」とかの差別用語が中韓人に対してのみ平気。使っている人を見ても引かない。 c)自民党と維新の党以外の政党がやっている事はほぼ無条件で悪い事だと思っている。 d)書き込む時は短文で連投。 e)匿名でないと絶対に書き込まない。 朝日新聞をはじめとする、日本の売国左翼の大きな問題点として、上記保守とネット右翼をあえて混同してくるところがあると思う。 そして、そこを「ごく少数」と自分勝手に定義しているところが本当にキモい。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【従軍慰安婦問題】 ★ 「プロパガンダで国際社会に『強制連行あった』の事実誤認を拡散」 外部の独立検証委が報告書 「産経ニュース(2015.2.19)」より / 朝日新聞の慰安婦報道に関し、外部の立場から検証を進めてきた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」が19日、東京都千代田区で記者会見し、報告書を公表した。報告書では、平成3年から4年1月にかけての朝日新聞の慰安婦報道を「プロパガンダ(宣伝)」とし、プロパガンダによって国際社会に「強制連行があった」などの事実誤認が拡散し、日本の名誉を傷つけ続けていると結論づけた。 +続き 同紙の慰安婦報道をめぐっては、朝日新聞社から依頼を受けた第三者委員会が昨年12月に報告書を公表。朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について、「慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持った」「影響は限定的だった」などとする委員による検証結果を提示したが、独立検証委は「朝日の責任を回避する議論に終始した」と指摘した。 第三者委の報告書が、朝日新聞に「強制性」をめぐる議論のすりかえがあったことを指摘したことについては、「核心に触れる批判をした」と肯定的に評価。一方で、第三者委の報告を受けた朝日新聞社の対応については、「朝日はその批判を『重く受け止める』というのみで、受け入れていない」と批判した。 そのうえで、朝日新聞社に対し、「『プロパガンダ』と『議論のすりかえ』がどの様なプロセスで作られていったのか、記者、デスク、担当部長、社長らの責任を、実名を挙げて明らかにすることを求める」と提言。政府には専門部署と民間の専門家による有識者会議の設置を求めた。 独立検証委の委員長を務める京都大学の中西輝政名誉教授は会見で、「1992(平成4)年1月に『強制連行プロパガンダ』が集中的に行われた。ここに朝日新聞の慰安婦問題の影響があらわれている」と述べた。 【植村隆】 ■ 植村隆氏への回答 「池田信夫 blog(2015.2.13)」より / 元朝日新聞の植村隆氏が、あちこちに訴訟を起こしている。今週は櫻井よしこ氏とWiLLを相手に起こし、他にも多くの内容証明を送っているようだ。私には来ていないが、彼が『世界』2月号で私の『朝日新聞 世紀の大誤報』に反論しているので、お答えしておく。 彼が事実誤認だと指摘しているのは、1992年1月の「慰安所 軍関与示す資料」の記事を植村氏のものと私が書いた点だが、これは昨年12月22日に発表された朝日新聞の第三者委員会の報告書で次のように事実関係が明らかにされた。 吉見氏は1991年の年末に資料の存在について東京社会部の記者であった辰濃哲郎に連絡をしたと言い、上記朝刊1面記事を中心となって執筆した辰濃は、1991年の年末に吉見氏から連絡を受けて過去の政府答弁などを調べ、当該資料の存在にはニュース性があると判断して記事化を考えた。 これは辰濃氏自身も『朝日新聞 日本型組織の崩壊』で認めており、事実だと考えられる。私の本が出た段階(昨年10月31日)では判明していなかった事実だが、結果として私の記述は誤りだった。私は朝日新聞と一緒にされたくないので、ここで訂正し、植村氏に謝罪する。 ただし大筋の事実関係は、その後の記事で書いたことと変わらない。すなわちこの問題の主人公は植村氏ではなく、彼はデスクに命じられて2本の署名記事を書いたに過ぎない。このキャンペーンの責任者は、当時の大阪本社論説委員、北畠清泰と、大阪社会部デスクの鈴木規雄である(ともに故人)。この点は、植村氏も現代ビジネスで、青木理氏のインタビューにこう答えている。 (※mono.--中略、および文中リンクも略、詳細はブログ記事で) / つまり慰安婦問題は、植村氏個人の誤報ではなく、朝日新聞の幹部が企画し、社を挙げて実行したキャンペーンなのだ。それがこの問題が嘘とわかってから、20年以上も隠蔽された原因である。第三者委員会も、こうした構造的な問題を解明できていない。現在の渡辺雅隆社長は元大阪社会部長であり、解明は不可能だ。 朝日新聞が隠蔽を続けるかぎり、この問題はどこまでも続く。植村氏がまだジャーナリストなら、裁判ではなく取材によって事実関係を明らかにすべきだ。 ■ 【朝日の反転攻勢に反撃】朝日新聞の一連の問題は第三者委員会の報告ですべて済んだわけではない。被害者面して、西岡力氏ら筆者、掲載誌を次々と訴えるという植村隆元記者。言論には言論で戦うのが筋だろう。 「iRONNA」より / 朝日“従軍慰安婦”問題の元凶とも言うべき植村隆元記者が、いつの間にやら被害者面して、言論弾圧されたヒーローのようになっている。 文藝春秋と西岡力氏(東京基督教大学教授)を名誉を毀損されたと訴え、1650万円の賠償を請求。なんと170人もの弁護士がついているというから驚く。 もっともついているのは宇都宮健児氏、海渡雄一氏(あの福島みずほサンの夫)、野田内閣で法務大臣をつとめた平岡秀夫氏らでこの件をきっかけとして、これまで植村元記者を批判したメディアを次々と訴えていくのだという。 植村元記者、9日には外国人記者クラブで記者会見。冒頭で『シャルリー・エブド』のテロ事件や、小尻知博記者が殺された赤報隊による朝日新聞阪神支局銃撃事件などを引き合いに出して、「改めてそのことを思い出して、衝撃をもって受け止めています。同じジャーナリストとしてこうした暴力には絶対に屈してはいけないと思いました。私が非常勤講師として勤めております北星学園大学にも昨日、また脅迫状が送られてきました。こうした卑劣な行為は絶対に許すことができない――」。自分も『シャルリー・エブド』の被害者たちと同じだと言いたいらしい。 冗談ではない。あちらは表現の自由対テロの問題、こちらは歪曲、大誤報問題、全く性質が違う。まず『文藝春秋』に手記を掲載(植村元記者の持ち込みだという)、その後、訴えるという手口も小ズルイ。だいたい言論の自由云々と言うなら、自ら言論で戦え。 今回、訴えた『週刊文春』の記事作成の時、『週刊文春』は植村元記者を札幌でつかまえたが、脱兎のごとく逃げ去ったというではないか。 その後も日本のメディアが取材を申し込むと、「朝日新聞の広報を通してくれ」。だいたいその時点ではもう朝日の記者でもないのに、なぜ朝日の広報を通さねばならないのか。 今回も『週刊新潮』が取材を申し込むと、「弁護士を通すことになっているので弁護団に言って下さい」。それでもジャーナリストかと言いたい。自分のケツくらい自分で拭け。自らの大誤報(これは第三者委員会も認めている)で、日本を「性奴隷国家」とまでおとしめる原因をつくりながら、手記でも会見でも、植村元記者、一度たりとも謝罪していない。 とにかく、被害者面するのはやめてくれ。 ■ 読者質問「危険地域での取材を止めさせる方法はないのか?」に答える! 「蘭月のせいじけーざい研究室(2015.2.4)」より / 先日のエントリで、危険地域での取材をまだ続けている、困った新聞社のことを紹介しました。 朝日新聞なんですけどね。 / いかに取材とはいえ、現地へは近付くべきでない ということは、確実に言えるワケです。 だからこそ、外務省は2011年から継続している退避勧告(危険情報としてはMAXのもの)を出し続けています。 また今月21日には、報道各社に対し、改めて 「いかなる理由があっても渡航を見合わせてほしい」 と要請までしていたのです。しつこいくらいに。 しかし、朝日新聞は公然と乗り込んだ上に、かつて天声人語を担当した記者がこんなツイートまで。 「朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国」という読売の記事。日本国の要請に逆らって危険地帯に立ち入るとはけしからん、ウチは我慢してるのにというフラストレーションがありあり(笑)。政府広報じゃないんだから、もっとジャーナリズムしませんか。もちろんリスクを慎重に吟味した上でね。 — 冨永 格 (@tanutinn) 2015, 1月 31 と。 「読売も産経も妬んでんじゃねーよ。政府の要請がーとか言って逃げてないで、悔しかったらお前らも行けよwww」 みたいなことを言って(あくまでも私の解釈です)、悪びれるどころか他社を挑発し、扇動までしています。 まー本当にとんでもない新聞社です。迷惑にも程がある。 (※mono.--後略、詳細はブログ記事で) 【イスラム国殺害脅迫事件(2015年1月)】 ■ 避難勧告のシリアに入った朝日新聞記者が負いきれない「自己責任」 「私的憂国の書(2015.2.1)」より / 昨日から書きかけていたエントリーを仕上げようとしていたら、後藤健二さんがISILによって殺害されたという訃報に触れた。後藤さんのご冥福をお祈りします。 数行の文章で簡単に片づけてはいけない事件ではあるが、今回の非道、残忍な行いについては、すべてISILに責任がある。日本政府はよく耐えたと思う。安倍総理は記者団に対し、テロリストを強く非難すると同時に、「日本に対して強い連帯を表明し、協力していただいた世界の指導者、日本の友人たちに心から感謝したい」と語り、特にヨルダンに対しては、「アブドラ国王には惜しみない支援をいただいた。国民を代表して御礼を申し上げる」と語った。この発言は世界に発信されることになるが、私はこの発言に花マルをつけたい。メディアの視点に欠けるのは、今回の事件で日本が、ヨルダンに相当な迷惑をかけたという点だ。総理はきっちりけじめをつけたのである。 (※mono.--中略) / そんな状況で、朝日新聞のイスタンブール支局長をはじめとする複数の記者が、外務省が「退避」を勧告しているシリア国内に入ったという。外務省は、1月21日の時点で、報道各社にシリアへの渡航について「いかなる理由であっても」見合わせるよう求めている。「記者も当事者意識を持ってほしい。非常に危険で、いつ拘束されてもおかしくない」というのが外務省幹部のコメントだが、朝日の広報部は「イスタンブール支局長はシリア政府のビザを取得したうえで、取材のために入っている。記者は当初の予定・計画に従って行動・取材をしている」と回答した。お上の言いなりにはならぬとでも言いたいのか。呆れたものだ。 / この記者連中がテロリストに囚われたとしても、一応は「自己責任」である。しかし、事態は既に「自己責任」のレベルを超え、囚われた者は人質ビジネスの材料として、そして中東諸国と日本の分断に利用されることになる。政治は新たな課題を負い、膨大なエネルギーを費やすことになる。また、今回の件で言えば、ヨルダンのような国との連帯にも支障をきたす火種を生む。もし、後藤さんや湯川さんと類似の事案が発生したなら、もはや「自己責任」では済まされないのだ。 紙面で政権批判を繰り返しながら、テロリストに人質を献上し、政権に迷惑をかけるという事態が起これば、朝日新聞にとっては悪夢となるだろう。朝日記者は、シリアから即刻撤退すべきだ。 ■ 悪意を込めた「素粒子」に、反省なき朝日新聞の本質を見る 「私的憂国の書(2014.12.28)」より / 2014年は、産経新聞の元旦一面の「河野談話 日韓で「合作」 - 原案段階からすり合わせ」というスクープから始まり、長きに渡って日本の国益を棄損してきた慰安婦問題が大きく動く年となった。解決には程遠い。日本側からの反論に対し、南朝鮮は、彼等にとっての「雑音」を消すために、より大きな雑音を立て、ひとつでも多くの少女像建立に勤しむ。諸外国においてなかば固定化してしまった、「日本=朝鮮人女性を性奴隷化した野蛮国会」というレッテルは、戦後体制下でしっかり根を降ろしており、そう簡単にはがれるものではない。 しかしながら、朝日新聞が8月の慰安婦報道特集記事で、吉田証言を引いた記事を取り消し、一連の自社報道の根拠を自ら否定し、その結果謝罪に至ったことは、国内において大きな転換点になったことは間違いない。多くの国民は、日本および日本国民が不当な評価を受けてきたことに、怒りと憤りを感じている。その諸悪の根源は、朝日報道にある。当然ながら、朝日には歴史的責任があるはずなのだが、どう見ても反省が表明されたとは言い難い。 一週間前の22日、慰安婦報道を検証する朝日新聞の第三者委員会の報告書が出たが、朝日は社論を述べる社説で、その報告書を受けた見解をいまだに示していない。慰安婦問題における朝日の一連の捏造、歪曲記事は、反省だけで相殺されるものではあり得ないが、先ずは、読者を欺いてきたこと、日本および日本人に対する評価を貶めてきたことについて、会社の姿勢を示すべきだろう。そんな姿勢を見せるどころか、朝日には開き直りすら散見される。 「素粒子」―12月27日 (朝日新聞) 1年前は首相の靖国参拝と前沖縄県知事の辺野古容認で騒然。片や延命し片や座を失う。民意とはを考える暮れ。 今年よく聞くようになった言葉。歴史修正主義、反知性主義。曲がり角の道しるべを見のがさなかっただろうか。 「凩(こがらし)」という和製の漢字を見つめる。葉を落とした木が寒風に耐える姿が浮かぶ。来年がよい年でありますよう。 詩人にでもなったつもりで悦に入りこむ文章だ。今年、反知性主義ということばを聞くようになった覚えはないのだが、首相の靖國参拝を巧みに用いながら、戦後民主主義派の常套句である「歴史修正主義」を織り交ぜる小賢しさ。「葉を落とした木が寒風に耐える姿」とは、「国際社会で孤立化する日本」という比喩は、朝日の願望を表わしたものだろう。風刺コラムとはいえ、悪意が文面に溢れている。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 慰安婦報道に関する朝日新聞「第三者委員会」の報告書を読む 「私的憂国の書(2014.12.24)」より / 朝日新聞の慰安婦報道を信じて、日本が悪いことをしたと思い込み、自腹でアジア女性基金に寄付を行った人々は、朝日の吉田証言関連記事記事取り消しを聴き、どう思ったのだろう。東京都の尖閣諸島買い取り宣言を受け、「石原さんが言ってるんだから」と寄付したら、その寄付金の預かり人がいつの間にか舛添要一に変わっていた現実に、私はいまだに納得できないでいるが、とはいっても尖閣は現実であり、慰安婦報道は捏造だ。朝日の捏造に憤慨している寄付者の心情はいかばかりかと思う。 22日、朝日新聞の慰安婦報道を検証する第三者委員会の報告書が公表された。詳報を追おうと思って、23日夜に朝日新聞デジタルのトップページを開いたが、それらしきリンクが見当たらない。しょうがなく「慰安婦」「第三者」でワード検索をしたら、「ソーシャルランキング」で発見されただけ。つまり、報告書を受けたにもかかわらず、その報道は極めて目立たなくされていた。23日の社説では当然、報告をを受けての反省と今後についてを書くと思ったのだが、23日も本日24日も肩すかしを喰らった。 まだ読み込んでいないという前提を付けさせていただくが、報告書は、部分的に合点がいかないところもあるけれども、慰安婦報道における朝日新聞の歴史を詳細に検証した、非常に読み応えがあるものだ。報道に関する事実関係については、他の新聞や文献で徹底的に検証されてきたが、この報告書はその状況下における朝日新聞社内の動向について書かれている点で、一線を画すものだ。 非常に興味深い点がいくつかある。ひとつは、この30年以上に渡る慰安婦報道の過程で、吉田という詐欺師の証言の信憑性がかなり早い段階で覆された後、この証言を用いた記事を訂正・撤回し、軌道修正を図る機会が朝日新聞には数多あったことだ。社内からも数多くの声が上がっていたことを、報告書は明確に書いている。それでもなお、朝日は記事撤回と謝罪から逃げ、逃げ場がなくなった今年8月、遂に観念した。言うまでもなく、朝日が訂正と謝罪を拒み続けてきたことで、海外の日本に対する評価は比例して堕ちて行き、多くの対日批判記事が世界に発信された。 吉田証言に関する記事については、事実確認が全くなされておらず、吉田証言の信憑性が薄らいだ時、訂正せずフェードアウトさせるという手段を講じたことについて、報告書は朝日を痛烈に非難している。 秦氏の研究結果発表の後、吉田証言は真偽不明であるとの心証が社内の関係部署に共有されるに至ったものとみられるが、それにもかかわらず、その後も安易に吉田氏の記事を掲載し、済州島へ取材に赴くなどの対応を講じることもないまま、吉田証言の取扱いを減らしていくという消極的な対応に終始した。これは新聞というメディアに対する読者の信頼を裏切るものであり、ジャーナリズムのあり方として非難されるべきである。(報告書 83頁) / (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞の断末魔 ~ 投票日当日の社説に仕込む政権への憎悪 「私的憂国の書(2014.12.14)」より / 昨日の秋葉原は大盛況だったようだ。選挙投票日前日の締めくくりとしては定番となった秋葉原での街宣。安倍総理、麻生副総理という二大巨頭の揃い踏みで、沿道には日の丸の小旗が溢れ、両首脳の訴えに大きな歓声が沸く。しかも、聴衆は若い世代が中心である。ひと昔前、こんな光景を想像した者はいなかっただろう。 その中で、自然発生的に、「マスコミ帰れ」の大合唱があったそうだ。選挙戦突入を前に、自民党がマスメディアに対し、「公正中立な報道」を要請したが、マスメディアはそれを逆手に、さも「巨大与党の強権発動」であるかのように煽り、世論に対する印象操作を行った。マスメディアによる今までの捏造、歪曲、世論誘導を見透かした聴衆にとっては、敵意の対象となるのは至極当然のことだ。もっとも、その「マスメディアという十把一絡げなくくり」に含まれてしまう産経新聞が気の毒ではあるが。 本日は総選挙投票日である。この日は、公職選挙法で最も神経を使うべき日であり、一般のブロガーも大手メディアも、論調は比較的静かだ。選挙戦に入る前から昨日に至るまでの朝日や毎日の社説は、中立公正など無視する如き安倍政権批判に埋め尽くされてきた。そういう状況をつぶさに見てきた、国を想う有権者にとって、マスメディアに批判の矛先が向かうのはごく自然な成り行きなのだ。選挙投票日という細心の注意を払うべき日に、朝日新聞は社説の文中に「この道しかない?」と、自民党のスローガンを疑問視する一節を挿入している。この新聞が、安倍政権、保守政党および政治家に対する憎悪で成り立っていることを証明する一節だ。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【青木大和】 ■ 朝日新聞記者と話題の大学生のあわい関係 「木走日記(2014.11.25)」より (※mono.--前中後略、詳細はブログ記事で) / そうですか、「高校生の頃からずっとお世話になっている朱美さん」ですか、ファーストネームの呼称であります。 ここで評論家の常見陽平氏のツイートが入って原田朱美記者は大喜びします。 「大和君は超オススメです!」ですか、こちらもファーストネームであります。 うむ、ここまでがプロローグであります。 ・・・ さて、それから一月、原田朱美記者の記事で取り上げた青木大和さんは、ネット上で”why-kaisan.com”というサイトを公開、「安倍さんはどうして700億円も使って解散するんですか」と安倍首相を批判するわけなのですが、小学4年生の中村君をよそおい、政治家や新聞記者や著名人に疑問をツイートしまくります。 もちろん旧知の原田朱美記者にも小学生の中村君(本当は青木さん)の疑問が届きます。 ★ 木村社長が引責辞任 後任に渡辺取締役 朝日新聞社 「msnニュース[朝日新聞](2014.11.14)」より / 朝日新聞社は14日、臨時取締役会を開き、東京電力福島第一原子力発電所事故に関する「吉田調書」報道をめぐって今年5月20日付朝刊の記事を取り消した問題などを受け、木村伊量(ただかず)社長が辞任し、後任の社長に渡辺雅隆取締役(管理・労務・WLB・コンプライアンス担当)が就任する人事などを内定した。新たに代表権のある会長に飯田真也上席執行役員(東京本社代表、消費税対策統括・教育事業担当)が就く。役員人事は12月5日の臨時株主総会と臨時取締役会で正式に決まる。 木村社長は9月11日、「吉田調書」の記事取り消しをめぐって開いた記者会見で、慰安婦報道の検証が遅きに失したことなどを謝罪するとともに、池上彰氏のコラム掲載を一時見合わせたことについても「責任を痛感している」と語り、信頼回復のための改革と再生に道筋をつけた上で進退を決める考えを示していた。 木村社長は取締役も辞任し、特別顧問になる。さらに経営陣として責任を明確にするため、危機管理の統括役を務めてきた持田周三常務取締役、吉田調書問題ですでに編集担当の職を解かれた杉浦信之取締役がそれぞれ取締役を辞任し、慰安婦特集掲載や池上氏のコラムなどで危機管理の任にあった福地献一取締役は取締役を辞任して執行役員に降格、喜園尚史執行役員は執行役員を辞任する。 【安倍晋三】 ■ 「朝日新聞」対「日本国民」 「私的憂国の書(2014.11.2)」より / 昨日も書いたように、最近の安倍首相の発言はかなり先鋭的である。核マル枝野にカウンターを浴びせた後、次に同じく「捏造発言」を質問した民主党の渡辺周を返り討ち。首相のFacebookには、枝野と核マル派の関係を再び批判した上で、核マルの画像まで掲載した。(厳密に言えば秘書の投稿) 捏造新聞よばわりされた当の朝日新聞は、1日、火病ともいえる社説「首相の発言 「捏造」は看過できない」を掲載し、慰安婦や吉田証言の記事の一部を取り消し、それらの経緯を検証中であり、その捏造(朝日は誤報と主張)と政権に対する報道姿勢とは別の話だと、極めて感情的に反論している。 私は、安倍首相の発言に正当性があることは認めるが、首相の発言がより先鋭化することは、ある種の危険をはらむと考える。首相は今朝のFacebookで、門田隆将氏の著書「狼の牙を折れ」を、「朝日新聞の吉田調書報道が捏造であると最初に告発し、勇気を持って巨大組織に論戦を挑んだ門田隆将氏渾身の作品」と修飾しつつ、推薦している。今まで朝日の独善的報道によって中傷されてきたことへの反撃だと思われるが、朝日新聞対安倍晋三個人という図式と見做されるのはあまり好ましいことではない。つとめて、朝日新聞対日本国民という図式を鮮明にすべきだと考える。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞の「凋落」と「反撃」の意味するもの 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.10.27)」より / 東京で言論考える集会開催 朝日新聞たたきは「社会の病」 共同通信 2014年10月15日 朝日新聞作成の教材 日本軍の残虐性強調 指導要領逸脱の指摘も 産経 2014.10.26 (※mono.--上記報道記事の引用とコメントは略) / 一見堅牢に見える朝日新聞の財務 実は砂上の楼閣なんですね。約3300億の単体売り上げの内 紙面広告が半分以上と言われている。紙面広告は完全な時価 広告の需要と単価は連鎖しますので、広告主が半分になり、単価が半分になれば、1000億程度が一気に消滅 800億程度の赤字が出る計算 当ブログでも、8月5日の「慰安婦記事取り消し」以前の段階で、「朝日新聞の危機と苦悩」と言う記事を掲載しましたが、その中で、マスコミ業界の内部事情に精通しておられる方からの「衝撃発言」を頂いていました。一部再掲いたします。 朝日新聞社は経営難です。本体の朝日新聞社はもとより、テレビ朝日も同様です。莫大な人件費に苦しんでいます。巨大化した本社組織を縮小すべきとの声もありますが、働く職員の権利主張が強く思うように改善策が取れずにいます。日頃から大手企業を批判するなどして、労働者の権利を守る論調を繰り広げているので、内部矛盾が生じているようです。 この赤字新聞社を支えているものは、朝日に弱みを握られている銀行と、中国からの資金のようです。しかし、それもそう長くは続きません。累積赤字970億円、年間90億円、一日に換算すると2500万円の赤字を垂れ流しているからです。これが、嘘と捏造で利敵行為をする朝日新聞社の「隠蔽しなければならない実態」です。 聖教新聞と印刷業務で提携している毎日新聞社も似たような財政状況です。かつては良識の府とまで言われた朝日新聞社ですが、毎年5件ほど職員による軽犯罪も発生しているようです。朝日新聞社は倫理観も大きく変化してきているようです。低劣化している倫理観に基づいた昨今の記事がどのようなものかは、説明の必要はないと思います。(2014-07-06掲載) あの時点では、なかなか信じがたいお話だったと思いますが、現状から振り返ってみますと、情報筋の発言は鋭く本質に迫っていたことがわかります。 また、本年(2014年)1月13日の時点でも「読売600万部(新聞社発表1000万部)、朝日280万部(新聞社発表760万部)」という衝撃の数字も情報筋から頂いておりましたので、朝日新聞は思いのほか経営基盤が軟弱であるということは当ブログも承知しておりました。つまり、朝日新聞は見せかけの巨像にすぎなかったということなのです。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【反日】 ■ 「プロパガンダ新聞」朝日を崩壊させよう!あと一歩だ 「依存症の独り言(2014.10.5)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / ところで、朝日新聞は、もうだめでしょうね。 事情を知らない人たちは、朝日新聞は日本を代表するquality paperだと思っていました、間違いなく。 私が某二部上場の会社にいた時、20年以上前ですかね。 ある国立大を卒業した役員から「日経新聞を読め、一般紙なら朝日だな」とアドバイスを受けました。 そのころは、一般紙の中では朝日新聞が一等上だと思われていたことを示すエピソードです。 海外も同様で、朝日新聞の発信する記事なら「本物だろう」と信じられていた。 こういう誤解を生んだのは、日本の教育界や法曹界、メディアなどで朝日新聞的価値観が蔓延っていたからです。 日本の知識人が読む新聞は朝日、これが定番でしたから、国内だけではなく国際的にも朝日新聞の発信する情報が説得力をもって受け入れられてきたのです。 しかし、朝日新聞の本質はプロパガンダ新聞であって、内実は日本国内に巣食う反日変態左翼の代弁者にすぎませんでした。 つまり、知識人≒反日変態左翼≒朝日新聞という連鎖ですね。 私が学生のころ、経済学者の8割はマル経が専門でしたから当然と言えば当然かも。 朝日新聞は反日変態左翼のプロパガンダ新聞ですから、当然のことながら「ある政治的意図」をもって記事を書きます。 「ある政治的意図」とは反体制であり、もっと具体的に言うと反天皇であり反自民であり、反米国です。 その根底にあるのは、日本は「戦犯国家」であるという歴史認識です。 戦前の日本は侵略国家であり、戦争犯罪を犯した国、にもかかわらず戦後の支配層はその歴史を反省していない。 そして米国と言う覇権国家の手先に成り果てている...これがああ日新聞の戦後一貫した歴史的、政治的認識です。 【香港】 ■ 「香港の抗議行動」報道から見える朝日新聞の本音!! 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.10.8)」より (※ 前半大幅に略、詳細はブログ記事で) / さて、ここで、朝日新聞の内情に精通する方からのご意見を伺います。 朝日新聞は、市民の人権を無視し、力で押さえつける中国のやり方を批判するどころか、「民主派デモ側で内部分裂が生じている」「市民がデモを嫌がっている」など根拠のないでっち上げ記事を書いています。 ジャーナリストの本来の使命の一つに、「人々の自由や人権を奪うような体制に対し、言論で正していくこと」であるはずなのですが、朝日新聞はその基本姿勢さえ、放棄しているようです。 記事の内容や文言は多少カモフラージュされているももの、中国共産党寄りの記事であることには変わりありません。 朝日新聞社は慰安婦ねつ造記事の謝罪会見後、その報道姿勢を改めるどころか、朝日の本当の目的である、「中国による日本属国化」の流れに特化し始めています。 中国政府は自分たちの支配権限を守るために、人権を無視し、人間の尊厳を傷つける政策を平気で実行します。 これは、世界が向かおうとしている流れに逆行している、極めて原始的で野蛮な政府と言えます。 ■ 身内は第3者ではない 「あるウソつきのブログ(2014.10.3)」より / 今朝、産経新聞の記事で、朝日の慰安婦記事検証委員会のメンバーが確定したというニュースが出ていた。 【産経】朝日新聞、第三者委に田原総一朗さんら7人決定 慰安婦報道で http //www.sankei.com/affairs/news/141002/afr1410020039-n1.html コレがらみのツイッターを見ていたが、「左翼ばっかりやんけ!」という意見が実に目立っていたように思う。 だけど…。そりゃまあ委員長の田原総一朗を見ればそう言いたいのはわかるんだけど、計7人の全メンバーを見渡すと、そこそこ思想面ではバランスの取れたメンバーだと思うよ?俺は。左翼ばっかりって程ではないよ。 …そりゃね、東大大学院教授の林香里とか、田原総一朗ご本人とかの9条教メンバーとか、もちろん怪しげな連中は存在しているが、少なくとも北岡伸一氏のような「完全なる朝日の天敵」が含まれているのである。恐らく政治志向のバランス面においては、常識的な範囲の検証が行われるのではないかと思う。 問題は、思想ではなく朝日新聞との利害関係の方だと思う。 田原総一朗と言えば、無論バリバリの朝日新聞の身内である。朝日の慰安婦徹底検証記事が出た後も、「朝日がんばれ」とか「これ以上朝日を責めてはいけない」とか言ってた人だ。そんな彼が座長。 で、保阪正康は朝日関連出版社の御用作家だし、岡本行夫も、田原総一朗と共に朝日新聞社から出版している。波多野澄雄もそうだ。秦郁彦は、先日朝日本紙において、慰安婦の記事が掲載されていた。 要するに、なんと北岡伸一氏を除けば、他全員が朝日新聞になんらかの利害関係を持っている人々なのである。これはあかんよ朝日。 そりゃあ、田母神氏とか青山繁晴氏とかを入れるのはどうかと俺も思う。朝日の自殺になっちゃうからな。 だから、7人だったなら、例えば産経とか読売の、慰安婦に詳しい記者…産経だったら阿比留瑠比氏や黒田勝弘氏みたいな記者3名と、東京とか変態の記者3名と、座長の田原総一朗で検証すればいいんだよ。これなら利害関係はほとんど考えなくて済む。 しかし、こうなってくるとどんな結論が出るか見ものだね。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞に物言う権利は無いって事だよ・・・イワセンナ(*^Д^*)ハズカシイ 「日々のストレス溜まりまくり(2014.10.2)」より (※ 前半の大学への脅迫―暴力は、許さない 「朝日新聞2014.10.2」の記事引用は略。) / 暴力的な言動や 恐喝・脅迫行為は明白な犯罪行為 そんなもんは何処かの屑がやってる事だろ それに比べ朝日新聞はどうなんだ?? 社会の公器を公言しつつ この国の国民を愚弄し続けてきた罪は許されるとでも思ってるのか?? 取材と称した 恫喝もやってるだろ ーーーーー 【朝日の大罪】朝日新聞は報道機関ではないのではないか 元空将・軍事評論家佐藤守氏 私が空幕広報室長時代(当時・一佐)、庁内を闊歩(かっぽ)する朝日の記者が、 公務中の私の机上の文書に勝手に手を伸ばすので注意した。 すると、記者は「一佐なんか飛ばしてやる!」と暴言を吐いた。 われわれは、彼らをジャーナリストとして扱わざるを得なかったが、 その正体は「インテリやくざ」に他ならなかった。 朝日の慰安婦や「吉田調書」報道の“恩恵”にあずかってきたのは、世界各国で日本を貶める 活動を続けている韓国や中国だろう。その大誤報について、朝日の木村伊量(ただかず)社長は 先週11日夜、やっと記者会見を開き、謝罪したが、他国の誤解を解くための真剣な努力を しているようには見えない。 これでは、真実を伝える報道機関ではなく、他国のために動く「工作機関」といわれても仕方がない のではないか。 ーーーーー 「声」担当からの酷い電話 私はよく新聞に投稿していて朝日が自虐的な記事を出した場合 批判してきたが当然掲載されない。以前私に「声」欄担当者から電話があった。 「あんたねー各紙へ投稿しているようだがこれと同じものを他紙に出してないだろうなぁー」 まるでヤクザ口調だった。朝日の凋落にはこんな社員がいることにも一因があるのではないか。 (千葉県・75才) 週刊文春9/18号 「読者より」 ーーーーー / こう言った直接的な物に限らず 自社の記事や方針に反するようなものに対して 法的に訴えるなどと言った言動も 恫喝と同じ行為なんじゃないのかね?? この件の大学に対する脅迫行為は 間違いなく責められるもしくは法的に処分されるべき問題だが 肝心の朝日の行った事は その隙間を狙った卑怯極まりない愚劣な行為でしかないだろ それを差し置いて他人の非ばかりを責めるってのは 最低の奴のやる事だわ ま・流石朝日新聞としか言い様が無いが こいつ等は何時まで経っても反省なんかしないんだろうなぁ ■ 9月27日は朝日新聞が人民日報になった記念日??? 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.9.28)」より / 昨日(9月27日)の朝日新聞朝刊1面トップは「米の大学、群抜く中国の存在感 習主席の娘も今春卒業」となっています。昨日から正式に、朝日新聞は中国共産党機関紙人民日報になったのかもしれません。 米の大学、群抜く中国の存在感 習主席の娘も今春卒業 ボストン=機動特派員・峯村健司、北京=林望2014年9月27日 その日は朝早くから、街全体が祝賀ムードに包まれた。家々の軒先には色とりどりのテープやバルーンが飾られ、表通りには横断幕やのぼりが掲げられた。【中略】 その1人が、正方形の帽子の下から胸元までこぼれ落ちた黒髪をなびかせながら、壇上にのぼった。習明沢(シーミンツォー)さん。1992年に中国の習近平(シーチンピン)国家主席と国民的歌手の彭麗媛(ポンリーユワン)氏の間に生まれた一人娘だ。学内では偽名を使い、その境遇はほとんど知られていない。進路や学習の相談を受けていた大学関係者によると、心理学を学んだ明沢さんは、卒業後に帰国した。【以下略】 (※ 中略) / このような朝日新聞の報道姿勢は、中国に完全に隷属したことを明らかにしたのだと思います。 朝日新聞は中国共産党機関紙人民日報機関紙として再スタート宣言をしたということなのではないでしょうか。 2014年9月27日は、朝日新聞にとって「記念すべき日」となったようです。 ここで、朝日新聞の全てを知る情報筋からのお話を頂きます。 朝日新聞1面記事の情報は人民日報からのものです。 慰安婦ねつ造問題は単にしくじったと思っているだけです。 次からはもっとうまくやればよいと思っています。 本当の目的は、「日本転覆」、「中国の属国化」にあるので、朝日としては当然の記事でした。 今回は、人民日報からの圧力もあり、あからさまな中国称賛、習主席称賛記事を作りました。 編集スタッフの中には、「そこまでやるか」と顔をしかめた人もいたようです。 ねつ造問題の第三者委員会の設置などは形だけのものです。 朝日新聞は開き直った形で、反日姿勢を打ち出し始めました。 朝日新聞のトップは「中国称賛のどこが悪いんだ」「安倍政権を倒すのは当たり前だ」と言っているようです。 【左翼】 ■ サヨク同士で庇い合い?法曹界から朝日擁護の声が。 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.9.28)」より / 【吉田調書めぐる報道「誤報でない、処分見送りを」 弁護士ら朝日新聞に申し入れ】 産経 朝日新聞社が「吉田調書」報道の誤りを認め、記事を取り消した問題で、狭山事件で再審請求を求めている中山武敏弁護士ら有志が26日、「報道は誤報ではない」として、現場の記者らを不当に処分しないよう求める申し入れ書を、同社東京本社(中央区)に提出した。 申し入れ後に記者会見した中山弁護士は「記事の内容と外形的事実は大枠で一致しており、記事全体を取り消さなければならない誤りはなかった」と主張。 いやいやいや。 あの「己の非を何が何でも認めない主義」の典型例みたいな朝日が、自ら認めたことですよ? そもそも、朝日が認める認めない以前に、これを「捏造はおろか誤報ですらない!」というのは、いくらなんでも無理筋でしょう。 公開された吉田調書を読む限り、これは悪質な捏造であった可能性が高い。 百歩譲っても、あれを「誤報だ」と言うことは、全く妥当です。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞「3度の転機」と生き残りへの「道」 「夏炉冬扇(2014.9.26)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / 日本人にとって非常に不思議な存在である「朝日新聞」への非難が収まらない。中国と韓国の主張と一体化し、ひたすら日本人を貶めて来た同紙に、国民の怒りが一気に噴出しているように思える。 現在、世界から「性奴隷(sex slaves)を弄んだ民族」として日本が糾弾されているのが、朝日新聞の報道によるものであることは、これまで再三再四、書いてきた通りだ。 それが朝日新聞による「強制連行」報道に端を発しており、しかも、その「強制連行」が歴史上の「真実ではない」のだから、事情を知る日本人には、悔しく、情けなく、本当にやるせない思いだろう。今日は、少し違った視点でこの問題を書いてみたい。 / 9月11日におこなわれた朝日新聞の木村伊量社長の記者会見は、世のビジネスマンたちにとって「非常に興味深いものだった」という。それは、企業体としての朝日新聞社が「いかに危機管理能力が決定的に欠如していたか」を明確に表わすものだったからだそうだ。 メーカーに勤めているビジネスマンたちによって、特に関心が注がれたようだ。それは、その会社の「商品」に対する企業トップの認識という点である。 メーカーに勤務するビジネスマンたちは、まず第一に自社が売る商品を徹底的に自分なりに「分析」し、頭の中にすべてを「叩き込むこと」から始める。商品を売り込む場合でも、またクレームが来た場合でも、どんな時でも「商品」それ自体のありようが最も重要なものだからだ。 では、新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのだろうか。言うまでもないが、新聞社が消費者(購読者)に売っているのは新聞という名の「紙」である。だが、何も書いていない白い紙を売ろうとしても、誰も買ってはくれない。 / つまり、新聞社にとって、消費者に売る「商品の根幹」であるスクープ記事に「クレームが飛んで来た」のである。これは、普通の企業にとっては、大変な事態だと思う。例えば、自動車メーカーに、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、専門家から突きつけられたとしたらどうだろうか。 まともな自動車メーカーなら、大急ぎで対応にあたり、必死で検証し、事態の収拾をはかろうとするだろう。しかし、朝日新聞は違った。私が、ブログのあと、週刊ポストに「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」と書くと、これに「言論」で反論するのではなく、「法的措置を検討する」という信じがたい抗議書を送りつけてきた。 / さて、今回の問題での朝日の粛清人事は凄まじいものだった。木村社長が「道筋がついた後の辞任」を示唆し、編集担当の杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するというのである。 これほどの更迭をおこなった限りは、朝日新聞が「生まれ変わることができるのかどうか」がポイントになる。しかし、私は、それは望み薄だと思う。ただ、今回の出来事は、朝日新聞が創刊以来、「3度目の危機」であることは間違いないだろう。 / 朝日新聞の最初の危機は、1918(大正8)年に起こった「白虹(はっこう)事件」である。 / そして、朝日はその後、どの社よりも極端な軍国主義礼賛の新聞社として変貌を遂げていく。戦時中はもちろんだが、すでに敗戦の情報をキャッチしていたはずの昭和20年8月14日の社説でさえ、中身は凄まじい。 「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」。 これほどの煽動的な記事を書いていた朝日新聞が、それまでの路線を一気に転換するのは、同年10月24日のことだ。「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と1面で宣言し、村山長挙社長以下、取締役が総退陣し、社説で「自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と言ってのけたのである。 / 私は、創刊以来「3度目」の危機に朝日新聞がどう対処するかに注目している。このまま、「中国と韓国」の主張との“一体化”をつづけ、徐々に部数を減らしていくのか。それとも、新たな路線に転換するのか。 私は、いずれも茨(いばら)の道であろうと思う。生き残れるかどうかは、年内で「部数」激減に歯止めがかかるかどうか、である。すべては、朝日新聞を長年購読してきた読者の動向にかかっている。彼らの朝日離れが続くなら、朝日新聞は「3度目の危機」によって、ついに消え去ることになる。 ■ 右翼からの指弾に恐縮するばかりの「朝日新聞」に呆れる 「きまぐれな日々(2014.9.22)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 「吉田調書」の朝日新聞報道については、京都弁護士会所属の渡辺輝人弁護士のブログ記事「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」が素晴らしく、『kojitakenの日記』で賛辞を呈した。これにつけ加えるものは何もないのだが、世間一般では相変わらず「吉田昌郎氏の意に反した従業員の撤退があったか」という、朝日新聞記者が誤って設定した論点の議論ばかりが行われている。以下に、渡辺弁護士の記事の核心部を再掲し、この件の議論はそれに基づいて行われるべきだと、改めて指摘したい。 吉田調書が開示されたことで判明した重要なことは、命令下だろうが命令違反だろうが、最悪の事態に向けて対処すべき職員らが、最悪の事態を前に、混乱して指示すら行き渡らない状況で、退避しなければならない、という原子力発電所の性質が再確認されたことでしょう。 (中略)自衛隊員ではあるまいに、東京電力の職員には死に至る可能性がある業務命令を拒否する権利があります。2011年3月15日朝の段階で職員らが退避したことは、命令があろうがなかろうが正しい判断なのであり、残った作業員の奮闘に感謝こそすれ、安易な「名誉」とか美談にしてはいけません。それは「名誉の戦死」を賛美しながら強制することにも繋がる危険な風潮です。 (渡辺輝人「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」(2014年9月12日)より) 以上の論点の前では、「東電従業員の『命令違反』はあったかなかったか」という議論は意味をなさない。現在までに行われてきた議論を戯画化すれば、「原発事故を目前に吉田所長の『業務命令』に違反して逃げだそうとした東電職員は怪しからん」という朝日新聞の「右翼」的主張と「いや、愛国的な東電職員たちは『命令違反』などしていない」という読売や産経の「極右」的主張とのバトルに、「極右」が勝ったという図式になる。「命令違反」があったかどうかという議題設定自体がナンセンスであって、そんな土俵に乗るなと言いたいのである。 ■ 【投稿】水間さんより 「二階堂ドットコム(2014.9.18)」より / 10年くらい前かな。「朝日新聞はやがて崩れます。自衛隊の有志がもぐりこんでインチキの洗い出しをやっています」という投稿がうちにあった。何者かはわからない。そのときは「そんなことあるのかいな?朝日が反省する日なんて来ないだろう」と思っていたのだが、見事に来た。それが今回の事態になったのかどうか、俺には分からないが、見事工作成功なのだとすれば、長期間にわたる工作、ご苦労さまでした、と言ってあげたい。 朝日新聞はおなじ「吉田」で、「原発のほうの吉田」で幕引きしたいようだが、ねつ造やでっち上げの類でいえば、何十年も国民をだましてきた従軍慰安婦から始まる自虐ネタの数々のほうが罪が重い。本当は「従軍慰安婦のでっち上げの吉田記事」のほうがよほどでかいのだが、どうにか東電の方で決着したいような気持がミエミエだ。誰もそんなごまかしに引っかからないだろうけど。 いやはや、水間さんがやたら元気だ。しつこくやってると、こうやって当たる日が来る。「石の上にも三年」っていうけど、水間さんはすごいよ。俺とてもじゃないけどこんなものずっと追えないもの。途中で女の子のほうむいちゃうから(笑) というわけで、以下は水間さんからのメール。 (※ 以下略、当サイト内ページ南京大虐殺も参照してください。) ■ 【言論アリーナ】朝日新聞誤報事件、本当の黒幕は他にいる!? 池田信夫×石井孝明 「gooブログはじめました!(2014.9.15)」より / ■ “情報ビッグバン”に敗れた朝日新聞 「夏炉冬扇の記(2014.9.13)」より / 朝日新聞は、“情報ビッグバン”に敗れた。私は、そう思っている。朝日新聞の木村伊量社長の記者会見、そして「吉田調書」誤報の検証記事を見ながら、私には、いくつもの感慨が湧き起こった。 朝日新聞の「9・11」は、日本のジャーナリズムにとって「歴史的な日」であり、「時代の転換点」として長く記憶されることになるだろう。 おそらく従軍慰安婦報道の一部撤回につづく今回の吉田調書の誤報事件は、朝日の致命傷になると私は思う。それは、朝日新聞はジャーナリズムとしても、そして企業体としても「生き残れない」という意味である。 それは、朝日新聞が今、糾弾されているのは、単に吉田調書に対する誤報ではなく、意図的に事実を捻じ曲げて報道するという“朝日的手法”にほかならないからだ。それが報道機関にとってあってはならないことであり、その正体が白日の下に晒された以上、すなわち、国民がそのことに気づいた以上、それは朝日新聞にとって「致命傷」である、ということだ。 自らのイデオロギーや主張に基づいて、それに都合のいい事実をピックアップし、真実とはかけ離れたものをあたかも真実であるかのように報道する――朝日新聞がこれまでつづけてきた、その「手法」と「姿勢」そのものが糾弾されているのである。 私は、すでに“朝日的手法”が通用しない時代が来ていることを、なぜ朝日新聞は気がつかなかったのか、と思う。情報を独占し、自らの主張、イデオロギーによってそれを加工し、大衆に下げ渡していくという手法が、もはや通じなくなっていることに、である。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 緊急拡散希望《朝日新聞が国際的に責任をとれる簡単な方法!》 「水間条項(2014.9.12)」より / ■昨日の朝日新聞の記者会見は、会社存亡のためのものであり、国際社会へ「東電社員は福島第1原発から吉田所長の命令を無視して逃げていた」と「慰安婦の奴隷狩り」の捏造報道は、日本人名誉を貶め、悪意のある海外メディアは訂正しないでしょうから、朝日新聞の記事を転載した海外メディアに訂正謝罪広告を出さなければ、最低限の日本人の名誉回復もままならないでしょう。 士族である村山家が創業した朝日新聞であるならば、国際的に責任のとりかたとして、分かりやすく全世界のマスメディアにも衝撃を与え、日本国と朝日新聞の名誉回復を木村伊量社長の覚悟ひとつで同時にできることがあります。 それは今回、編集責任者を首になった杉浦信之取締役の面構えでは、あり得ないことだが、木村社長には出来る面構えをしていますので、可能性があるようにも思えます。 それは朝日新聞東京本社々長室で責任をとって「腹を切る」ことです。これが実際に行われれば、三島由紀夫以来の大ニュースとして、全世界に配信されることでしょう。 朝日新聞が、この数十年間やってきたことは、それぐらいのことをしなければ、国際社会の一般国民に浸透した「日本の不名誉」を払拭できないのです。 ※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http //mizumajyoukou.blog57.fc2.com/ ■ 拉致問題の解決を望まない朝日新聞の闇 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.9.12)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 赤峰 では、反日に全力を投じている朝日新聞の報道状況を少し振り返ってみたいと思います。 まず、朝日新聞報道が「揣摩臆測(しまおくそく=根拠もないのに、自分だけで勝手に推測すること)」で書いているものがありましたので最初に取り上げてみます。 5月29日「拉致再調査に多くの難問 急接近、外交不信を招く危険も」、「家族 『期待したのに』 拉致再調査、日朝合意せず 局長級協議」 これは、「ストックホルムで開いていた外務省局長級協議が継続となった」として、批判を展開した記事です。安倍政権批判へもっていこうとしていました。また、横田ご夫妻までも持ち出して、政府の対応が悪いと政権批判をしています。 ところが、この日の夕方、安倍総理は記者会見で次のように述べました。 「北朝鮮側は拉致被害者および拉致の疑いが排除されない行方不明の方々を含め、全ての日本人の包括的全面調査を行うことを日本側に約束をしました。」 朝日新聞の報道が真っ向から否定されました。翌日の朝日新聞は一瞬ですがトーンを変えます。 5月30日「(社説)拉致再調査 今度こそ真の救済を」と、いかにも拉致問題を重要視しているかのような姿勢を示しています。 しかし、すぐに、「拉致問題」を解決したくない朝日新聞の報道が復活します。 5月30日 「核・ミサイル、対応懸念 韓国『北朝鮮、揺さぶり』 拉致再調査、日朝合意」 6月04日 「米韓6者協議代表、日本を牽制 日朝の動き『透明性を』」 6月11日 「『拉致』再調査、北朝鮮は何を狙っているのか?」 6月23日 「特定失踪者、帰り待ちわびる家族 『あまりに時過ぎた』」 7月04日 「拉致再調査、予断許さず 日朝交渉、進展・停滞の歴史」 7月04日 「米高官、日本の制裁解除に苦言 北朝鮮めぐる結束に懸念」 7月05日 「日米韓の連携、米は重視 北朝鮮制裁一部解除に懸念」 7月26日 「安倍外交、米の憂い 対ロシア・対北朝鮮」 藤原 いかにも朝日新聞らしい報道ですね。まず、第一に指摘できることは朝日新聞が拉致問題の解決を望んでいないことがよくわかります。言葉の端々にそれがにじみ出ています。また、朝日新聞と密接な関係にある韓国が同様に、拉致問題解決を望んでいないこともわかります。 さらに、朝日新聞がアメリカの意向をもちだしていますね。これは、朝日新聞が日本政府を攻撃する場合の常套手段です。アメリカが懸念を表明するという図式を示して、安倍政権がアメリカからも見放されていると見せかけようとしているのです。 ■ 【朝日会見】吉田調書記事の過ち、特に看過できない部分。 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.9.13)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 前回のエントリの続きです。今回はツッコミのターン(笑)。 個人的に見逃せないなと思ったところを挙げていきます。 Q. 朝日は何故、「命令違反で撤退」という誤報(捏造?)に至ったのか? A. 吉田所長が「第1原発の、線量の低いところに残るように」と話した記録が、吉田調書のほかに朝日新聞が独自に入手した資料にあったため。 というような質疑がありました。 しかしこれ、おかしな話なんですよ。 何故なら、 吉田調書では「線量の低いところがなければ、第2原発に行きなさい」という指示も書かれている とのことです。 であれば、第2原発へ行った職員を「命令違反」とすることは、どう考えてもあり得ません。 だってそうでしょう、「第2原発へ避難する」という選択肢も、吉田所長の指示に含まれていますから。 朝日が「吉田調書を入手し、それを基に記事にした」と言う以上、これは捏造です。 吉田調書を正しく読めば、この間違いは起こりようがない。 そんな起こりようのない間違いをやったため、記者からはしきりに「わざとでは?」と指摘されていました(笑)。 まぁ勿論、朝日としては「そうですわざとです」とは言えないでしょうから、「意図したものではない」の一点張りでしたが。 そして、更にふざけてるのがこれ。 ■ 朝日新聞社長の謝罪文~朝日新聞デジタル 「Annex to a house(2014.9.12)」より (※ 前後長文を略、詳細はブログ記事で) / <> 「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。 ん?何か、あたかも使った表現が拙かったから誤解を与えた、みたいな言い訳になっているが、これ、間違い無く東電を、吉田氏を、日本を貶める為に狙って使ったんだよね? そして、予定通りの効果が得られた訳だから、「表現」の問題では無いよな。 <> 読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。 謝罪会見になかった「みなさま」が追加されているね。 「読者」が一番最初に来て、「東電福島第一原発で働いていた所員の方々」と相変わらず東電呼ばわりである。文章にしたときくらい、東京電力と書いたらどうかね? そして、最後に「みなさま」と来たが、誰を指すのかな?「その他大勢」なんだろうか?謝罪する相手を限定しない謝り方は、最低だと思うんだが。 結局、微修正しても、肝心なところが何も改善していないところが凄い。 ■ 朝日新聞は何故19時半に会見をセットしたのか 「私的憂国の書(2014.9.12)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 朝日が昨日の記者会見の開始時間を19時半に設定した理由は、視聴率の高いニュース7で採り上げられることを避ける意味があったのだろう。ゴールデンタイムという、各局が会見をリアルタイムでは伝えづらい時間帯でもある。折しも、この会見が外電として伝わるであろう米国は、忌まわしい9.11の報道で一色の様相だろう。偶然とはとても思えない会見の日付と時間 ―― 逃げる朝日の、露出を極小化するための策である。 加えて、この会見の中心に据えられていたのが吉田証言の撤回と謝罪であり、慰安婦虚報問題が添え物のように据えられていたことにも、朝日の意思が働いている。吉田証言の誤報は今年5月であり、一方の慰安婦虚報の歴史は32年だ。朝日にとって、慰安婦問題の歴史は、自社の四半世紀以上の報道に対する否定となる。慰安婦虚報問題と比較すれば歴史が浅い吉田証言を撤回と謝罪の中心に据えることは、即ち、保身への道の確保だろう。 ★ 【速報】朝日新聞 「吉田調書」報道を訂正へ 社長辞任へ 「Yahoo!ニュース[DAILY NOBORDER](2014.9.11)」より / +記事 朝日新聞が福島第一原発事故をめぐる政府による吉田所長(当時)への聞き取り調査の結果をまとめた、いわゆる「吉田調書」の自社報道について、訂正する方針を固めた。 これは朝日新聞が今年5月20日付けの朝刊で「吉田調書を入手した」とスクープ記事として掲載していたもので、そこでは「福島第一原発から職員の9割が所長命令に反して撤退した」などと報じていた。 これをソースとして、海外メディアからは「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じられるなど影響は国外にも波及していた。 一方で、産経新聞が8月18日に吉田調書を入手したとして報じた内容は、朝日新聞の報道とは異なり職員は吉田所長の指示どおりに動いていたとし、朝日新聞の報道は誤っていると批判していたが、朝日新聞が紙面で明確な反論をすることはなかった。 このような情報の錯綜を受けて、政府は吉田調書を9月中にも公開する方針を発表しており、朝日新聞社内では事実関係が明らかになる前に、記事の撤回をすべきだとする声があがっていた。 こうした中、明日11日には、政府が吉田調書に関して何らかの発表を行うとの情報もあり、社内で吉田調書報道の訂正を決定し、12日の朝刊に掲載することを決めた模様だ。 朝日新聞は8月には従軍慰安婦問題の一部報道を撤回し、その後も週刊新潮や週刊文春の広告掲載拒否などで社会的な信頼を失墜しており、報道機関としての見識が厳しく問われている。 また、朝日新聞内部の匿名の関係者によると、すでに社内では、木村伊量社長の辞任もやむを得ないとの声も上がっており、11日中の社長記者会見がアレンジされた。朝日新聞は創刊以来最大の危機を迎える。 DAILY NOBORDER編集部 ■ 「吉田調書」めぐる報道で朝日新聞が記者会見 「Youtube〔THE PAGE(ザ・ページ)〕」より +動画 ■ 朝日新聞社・社長は辞任へ?:謝罪と辞任どころか廃刊の危機 「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2014.9.12)」より (※ 前半の報道引用記事略、朝日新聞社長の記者会見の書き起こし記事略、詳細はブログ記事で。) / 東京電力は朝日新聞をデタラメ記事の名誉毀損で告訴すべきだ。 この記者会見で果たしてどれだけの国民が納得したというのでしょう。確かにマスメディアには取材源の秘匿が認められてはいます。しかし、ありもしないことをあったように報道するなど絶対に許されることではない。 今回の朝日の報道は極めて悪質なものです。福島第一原子力発電所の事故の際に、東京電力の社員の9割もの社員が我先に逃げ出してしまった・・・と虚偽の報道をしたのです。 この事について、社内のチェック体制が甘かったとか、編集のミスであったなどとの言い訳が通ると思っているのだろうか?これは最初からありもしない事を捏造した嘘の報道です。 では、何故このような嘘の報道を行ったのか?それは東京電力という会社を貶めるために行われたことは明らかであり、その全責任は東京電力が負わなければならない。 東京電力には多額の国民の税金が投入されて、その結果つぶれてはいないが、実質的には国有化されてもおかしくないほどに経営は危機に瀕している。 であるならば、ここは天文学的な損害賠償を朝日新聞社に求めて提訴すべきである。もう、朝日新聞社が払えなくなって破産に追い込まれるくらいの巨額な損害賠償を求めるべきであり、朝日の全資産がなくなる程の巨額なものにすべきだ。 (※ 以下略) ■ 朝日新聞の木村伊量社長の辞任もやむを得ないとの声も上がっており、今日中にも社長記者会見 「株式日記と経済展望(2014.9.11)」より (※ 前半の引用記事は略、詳細はブログ記事で。) / 朝日新聞がいよいよ相次ぐ誤報問題で追い詰められて来たようですが、テレビでは何の報道も無い。11日の今日にも朝日新聞が記者会見を行って社長が辞任するという事ですが、販売や広告が悲鳴を上げているらしい。朝日新聞の経営幹部にはこの悲鳴が聞こえないようだ。とりあえずは朝日の社長にはもっと頑張ってもらって部数減少に貢献してほしいものだ。(※ 太字はmonosepia) 新聞やテレビには、中国や韓国・北朝鮮の工作員が入り込んでいる事は何度も書いてきましたが、もちろん正解にも中国や韓国の工作員が入り込んでいる。金丸信も北朝鮮から金塊をもらって1兆円の援助を約束してきましたが、わずか数千万円で1兆円の日本政府からの援助が引き出せればこれほど効率的な投資は無い。 安倍総理もバングラデッシュに6000億円ばら撒くそうですが、日本の政治家は外国に金をばら撒くのが大好きだ。財政赤字だ大変だと騒いでいるのは消費税の増税の為であり、1000兆円の財政赤字も1000兆円を造幣局が万札を印刷すればそれで済む。国債を紙幣に変えるだけであり財政赤字は何の問題も無い。 日本がジンバブエになると騒いでいるバカがいますが、ジンバブエには何の産業も無い。日本も終戦直後には工場が焼けてジンバブエと同じでしたが、今の日本は生産過剰に悩み、それに伴う通貨の発行が行われないからデフレになる。だからバングラデッシュへのばら撒きも北朝鮮へのばら撒きも万札を印刷して渡すだけであり、我々の税金から支払う必要は無い。 (※ 後略) ■★ 解約、批難殺到! 朝日新聞社長、辞任不可避か? 「PRESIDENT Online(2014.9.10)」より / 朝日新聞の解約が止まらない。一説には「サンゴ記事ねつ造事件」(1989年)の時を上回るペースで部数が減っているという。有力な販売店主からも社長が経営責任をとれという声が出ているようで、社内関係者からは「社長辞任もありうる展開」との声も出始めた。 慰安婦報道の誤りと池上彰氏コラム不掲載問題で、現場記者など社内から多数の憤りの声が寄せられている、との情報を得て、朝日新聞労働組合に取材を申し込んだが、「他メディアには情報を出せない」。そこで別ルートから、社内の様子がわかるリーク情報(社員自身による文書)を入手した。そこからみえてくるのは、朝日新聞の上層部が何らかのけじめをつけよとの叫びだが、こうした声が上層部に届いていない可能性もある。 社内の声は例えば、このような内容だ。(文末に、こちらで手を加えていない社員の生の声も添付) (※ 以下略、詳細はサイト記事で) ■ 笑止!!自社の従軍慰安婦捏造報道を批判する文春広告を”捏造”する朝日新聞 「木走日記(2014.9.11)」より (※ 前後略、写真略、詳細はブログ記事で) / この広告は産経新聞など他紙にも掲載されているわけですが、なんと朝日新聞の広告だけ、五箇所も朝日新聞が勝手に文字を改竄(かいざん)、”捏造”しているのです。 ”捏造”箇所はここ。 (※ 以下略) 【日中関係】 ■ 朝日新聞の長年の努力が水泡に帰す ~ 日本人の対支那印象、最悪に 「私的憂国の書(2014.9.10)」より / 中国の印象「良くない」日本人93%…過去最多 (読売) 日中両国民の相互意識を探る「第10回日中共同世論調査」(実施=言論NPO、中国日報社)の結果が9日、発表された。 日本人の中国への印象で「良くない」(「どちらかと言えば良くない」を含む)は93%(昨年90・1%)に上り、2005年の調査開始以来、最多となった。中国側は86・8%(同92・8%)と6ポイント改善した。 良くない印象を持つ理由(複数回答可)で、日本側は「国際的なルールと異なる行動をする」(55・1%)が「尖閣諸島をめぐる対立」(50・4%)を上回り、最多となった。日本の対中認識悪化は、東シナ海に加え、南シナ海など周辺地域における、中国の力を背景とした行動への懸念が反映されたとみられる。中国側は「日本が領土紛争を引き起こし強硬な態度をとっている」(64%)が最多だった。 (※ 中略、詳細はブログ記事で) / 朝日新聞による戦後のたゆまぬ努力、即ち、日本人の支那に対する好印象を醸成するという試みは、まるで機能していなかったことになる。戦後、朝日が礼賛していたソ連は崩壊し、地上の楽園と呼んだ北朝鮮の正体もばれてしまい、朝日の拠り所は支那(および南鮮)しか残らなかった。だからその後、朝日は余計に支那への肩入れを強化する。 朝日の支那に対する思想の傾斜は、常識を超えていた。文化大革命の当時、朝日社内で、毛沢東のマンガを載せてはいけないというお触れが出たことがある。それどころか、蒋介石の写真を使ってはいけないというお触れが出たことさえある。中共に対する忠誠と、その対極にあった蒋介石と国民党に対する無視 ―― ここまで行けば、朝日は立派な人民日報日本語版だ。朝日新聞に、北京にはハエ一匹飛んでいないと平然と書いていた時代もあったそうで、その時代にブログを書いていたらと思うとゾッとする。 とかく熱しやすく冷めやすいと言われた日本人が、実は、支那に対する根強い反感、悪印象をずっと持ち続けている。その印象・感情が、今年の世論調査で最低レベルまで到達したのだ。修復が可能だとすれば、それは日本側の変化ではなく、共産党体制が崩壊するようなパラダイムの大転換が必要条件となる。例えそんな大転換が可能だとしても、反日教育を受けた支那人は今後数十年、支那の世論の中心に存在するわけで、感情の対立は変わらない。朝日新聞は、日本人に対する対支好感度アップ作戦の旗を、そろそろ下ろすべきである。 ■ 【朝日英語版】関東大震災の有名な与太話を、朝日が英字版で「のみ」出してる? 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.9.9)」より / これ、ハッキリとウラ取れてないので、あくまでも未確定の話として。 朝日新聞が英語版でアップしている、関東大震災に関する記事。 まぁ、9月1日が関東大震災の日だったためでしょうが。 【Fears abound at memorial for Koreans, Chinese slain after 1923 earthquake】 The Asahi Shinbun 私は英語苦手なんで、翻訳機に頼りましたが(笑)。 特に気になるところは、この辺り。 As a result, many Koreans and Chinese were massacred by vigilante groups, which consisted of residents, as well as the military and the police. 多くの韓国人や中国人が、軍や警察や自警団によって虐殺された 「massacred」、虐殺ですよね。 多くのKoreanとがChineseがmassacredされた、と書いてある。 しかし、これは客観的字事実とは言い難い。 というのも、 「不逞鮮人による放火、暴徒化があった」 という実態は、当時の報道に沢山出ています。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 池上さんには謝る朝日新聞の歪んだ「エリートジャーナリズム」意識 「木走日記(2014.9.4)」より (※ 前半は大幅に略、詳細はブログ記事で) / ・・・ 今回は池上さんというネームバリューあるジャーナリスト相手だからこそ、朝日は「おわび」をしただけであって、彼らの本質である偏向報道を正当化する勘違い甚だしい誤った「エリートジャーナリズム」意識は何も変わっていないのだと、当ブログは判断しています。 ■ 【朝日】朝日の「販売店向け釈明」がだいぶムカつく件 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.9.7)」より / ここ最近の朝日のグダグダっぷりで、解約する人も後を絶たないとか。 でもまぁ、仕方ありませんよねー。朝日に同情の余地はない。 ただ、ほんの僅かばかり哀れな存在を見出すとすれば、末端の販売店でしょうかね。 これまでも、上からは散々締め上げられ、表向きの部数を水増しするために、必要数以上の部数を押し付けられて泣き寝入りきたのに(いわゆる「押し紙」)。 この騒動で解約ラッシュ、顧客には怒鳴られまくりでしょう。 本当に辛い思いをされておいでだと思います。可哀想にねー(棒)。 で、そんな販売店(ASA)に、本社から昨今のゴタゴタについて、説明文のようなものが届いていたようです。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ★ “極秘”の社内メールまでバレた朝日新聞社長 「産経ニュース(2014.9.6)」より / 朝日新聞は完全に戦略を誤った。 「従軍慰安婦」大誤報に関して誤りは認めたが、謝罪はしない、誰も責任を取らない、そんなことで世間が納得するとでも思っていたのか。 今週も『週刊文春』『週刊新潮』(ともに9月11日号)『週刊ポスト』(9・12)が十字砲火を浴びせている。 『文春』がまたまたスクープ。木村伊量社長の今春以降の社内向けメールを全文入手したというのだ。 このメール、〈他メディアに内容が漏れないよう、「閲覧する際には、個々人のパスワードを打ち込まなければならず、誰が印刷したかまで、会社側が把握できる」〉ものだという。 それを全文入手したというのだからさすが『文春』。 で、その内容だが--。 〈多くの方から「今回の記事は朝日新聞への信頼をさらに高めた」「理不尽な圧力に絶対に負けるな。とことん応援します」といった激励をいただいています〉 〈「慰安婦問題を世界に広げた諸悪の根源は朝日新聞」といった誤った情報をまき散らし、反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力には断じて屈するわけにはいきません〉〈私の決意はみじんも揺らぎません。絶対にぶれません〉 全くの「裸の王様」状態。大丈夫か?木村社長。 先週は『文春』『新潮』の広告を拒否した朝日だが、今週は一部●●でつぶしてあるものの掲載。その基準がわからない。 朝日は今、週刊誌などの取材申し込みに対してはもっぱら「抗議中なので回答しない」と答えている。 これに対して『ポスト』が「報道機関としての自殺行為」と断罪。 〈全く無関係の記事に対して「抗議をしているから取材は受けない」というロジックが通るなら、今後は朝日に追及された政治家や企業が朝日に抗議をすれば、取材拒否しても朝日は文句を言えなくなる〉 ちなみに、朝日の『ポスト』への抗議は第一原発吉田調書歪曲(わいきょく)を批判した記事に対して。 (『WiLL』編集長) ★ 「訂正、遅きに失した」池上氏のコラム一転掲載 朝日、おわびコメント添付も見合わせ理由なし 「産経ニュース(2014.9.4)」より / 朝日新聞は4日付朝刊で、同紙の慰安婦報道の検証に関して批判したジャーナリスト、池上彰氏のコラムを掲載した。いったん掲載を見合わせた判断の誤りを認めて池上氏と読者におわびするコメントを付けた。 コラムは「池上彰の新聞ななめ読み」。「訂正、遅きに失したのでは」と題し、「過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」などと指摘している。 同紙は紙面で「本社はいったん、このコラムの掲載を見合わせましたが、適切ではありませんでした」「社内での検討や池上さんとのやりとりの結果、掲載することが適切だと判断しました」と説明した。 また、池上氏のコメントも「朝日新聞が判断の誤りを認め、あらためて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました」と掲載した。 ただ、なぜ見合わせたのかの説明はなかった。 ■ 朝日新聞の「記者の反乱」 「BLOGOS[池田信夫](2014.9.3)」より / 日本はあと20年は変わらないと思っていたが、意外な「ブラックスワン」が現れた。Togetterにまとめられているように、池上彰氏の原稿を朝日新聞が掲載拒否した件で、朝日新聞の記者が公然と「反乱」を起こしているのだ。口火を切ったのは、テヘラン支局長だった。 神田大介 ✔ @kanda_daisuke このツイートは社の見解とは関係ございませんので。しかしですね…大げさなようですが、人様の心の中に土足で入り込むこの仕事の存在が許されるとすれば、理由はたった二つしかないといつも思っています。一つは人の命を救うこと。もう一つは表現の自由を守ることです。そいつが私のレッドラインです。 2014年9月3日 00 20 / これは同感だ。マスコミの仕事は、一種の暴力である。朝日新聞もNHKも、取材対象の人生を破滅させる力がある(NHKが誤報でつぶした会社もある)。それをあえてやるとき、支えになるのは「これが社会のためになる」という一点だ。それがなくなったら、ジャーナリストなんて何の価値もない。とても正直だったのがこれだ。 武田 肇 / Hajimu Takeda @hajimaru2 私は組織に忠実な企業内記者の一人ですが、夕方、このニュースを聞いて、はらわたが煮えくりかえる思いでした。極めて残念です(査定に響きませんように…) /池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ(週刊文春) - Y!ニュース http //zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140902-00004316-sbunshun-soci … 2014年9月3日 00 08 / 逆にいうと、サラリーマンがこういう反乱を起こすのは、自分の長期的な利益を守る上でも、会社に変わってもらわないと困るということだろう。今のままでは、朝日新聞は団塊老人メディアとして先細りだ。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) ■ 朝日新聞は、あしたから、自社がオピニオンメディアであるということを認め、紙面は自社のオピニオンだと明確に脚注をつけるべきだ。 「株式日記と経済展望(2014.9.4)」より / ◆自らを報道機関だと偽装しつづける朝日新聞と、国民のメディア・リテラシー 9月3日 大石哲之 朝日新聞の最大の罪は、誤報や虚報ではなく、みずからを報道機関だと偽装しているところにある。 彼らがやっていることは、「報道」ではなく、イデオロギーにもとづく「活動」だ。 しかし、国民の多くが、朝日新聞を報道機関だと勘違いしてしまっている。 同様に、報道ステーションは、夜にやっているワイドショーにすぎないのに、報道と名前をつけており、多くの国民がニュース番組だと勘違いを起こす。 つまり、本質的に、オピニオンメディアや、ワイドショーであるのにもかかわらず、「報道」というラベルをつけて、あたかも事実や中立的な報道をしているものと、国民を欺いた。 つまり、朝日新聞の最大の罪は、この報道機関だと名乗る「偽装」にある。 世の中にはとんでもない意見を発信する電波メディアはたくさんある。東スポだってそうだし、チャネル桜だって、宗教系のアレだってそうだ。 しかし、それらは、自社のことと報道機関だとは思っていないし、称してもいないだろう。 朝日新聞は、あしたから、自社がオピニオンメディアであるということを認め、紙面は自社のオピニオンだと明確に脚注をつけるべきだ。 「記事は公正な取材や事実にもとづくものではなく、当社が考える正義を主張するものであります」 と全てのページの下にかいておけば、これは免責事項になろう。そうしたら、いまの朝日新聞のままでいい。さらに堂々と、慰安婦について主張されればいい。 記者は、いますぐ名刺の「記者」の部分を塗りつぶして、「コラムニスト」や「ライター」に書き換えてほしい。その名刺で活動する分には、わたしも文句は言わない。 (※ 引用含む中略、詳細はブログ記事で) / 朝日新聞が相変わらず暴走していますが、悪あがきをすればするほど朝日新聞に対する批判が高まって信用を失い、報道機関としての信用を失って行くだろう。ただし「報道」とオピニオンとは似ているようで大きく違う。同じ新聞でも報道新聞とオピニオン新聞があるが、大手の新聞は報道機関としての役割を担っているが、聖教新聞や赤旗などはオピニオン新聞であることはすぐにわかる。 しかし大手新聞が、オピニオン紙として党派性をはっきりと示す事は聖教新聞や赤旗と同じ事になる。そうなれば発行部数が1000万部も出るわけがなく、朝日新聞は左翼の機関紙としてオピニオン紙だと名乗るべきだ。それならば従軍慰安婦の記事も従来どうりに書いて行けばいいだろう。 日本の大手新聞は、報道機関としての役割とオピニオンの役割が明確でなく、社説部分はオピニオンだとわかるが、報道部分が公正な記事なのかどうかの見分けが読者には難しい。しかし公正を期すならば問題に対して賛否両論を載せるのも必要だし、当事者にインタビューして確かめる事も必要だ。しかし朝日新聞はそれをしておらず、一方的な主張を記事として掲載している。 私などは朝日や毎日などは左翼の機関紙として見ていますが、多くの大衆は朝日が書いているから事実だと思い込んでしまう。海外メディアも同じであり朝日が報じたとなればそのままの記事が世界中に配信されてしまう。ニューヨークタイムズにしても朝日新聞と同類であり公正な新聞とは言えずCIAのプロパガンダ紙と見るべきだろう。東京特派員の記事など読むに堪えない。 (※ 以下略) ■ 朝日新聞の大誤算 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.9.3)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / 藤原 もし、集団訴訟が国民規模での訴訟になったらどれくらいの金額になりそうですか? 赤峰 専門家の方に試算していただきました。 朝日新聞が、名誉棄損で日本国民に支払う金額は、国民一人当たり安く見積もって300万円。総額380兆円支払わなければなりません。 人々を間違った考えに導いた罪、社会を不安に陥れた罪は非常に重いので、社長などの役員は当然、懲役刑に服すことになります。刑務所から出ても社会から隔離しなければならないかもしれません。 慰安婦の弁護士をした福島瑞穂氏などは当然、弁護士懲戒の対象になり、弁護士資格はく奪になりますね。 横井 刑事事件としても立件される雰囲気もあるのでしょうか? 確かに朝日新聞が国家転覆を意図しているのでしたら「内乱罪」になりますし、外国から武力の行使に加担するなどの意図があった場合は「外患罪」になりますが・・・。 少なくとも、内乱幇助罪に問われかねない犯罪行為をしていましたからね。朝日新聞は、「そんなことはありえない」と思っていたでしょうが、「従軍慰安婦」の捏造と、その背後にある「国家転覆の意思」が証明されたら内乱幇助罪が適用されます。 この種の裁判は、高等裁判所が一審ですから、地裁判決で稀にある不思議な判決はありえません。 / これは、アメリカ人の弁護士で、テレビで顔をみたことがあると思いますが、ケント・シドニー・ギルバート氏がブログで語っているものです。《一部引用》 ........................................................................................ ところで私も「従軍慰安婦問題はあったのだ!」と先日まで信じ込んでいましたから、朝日新聞に完全に騙された人間の一人です。だから朝日新聞は私にも謝罪して欲しいです。(中略) 慰安婦像の製作費用とか、アメリカの上院議員や市長など政治家をこの問題に巻き込むために使ってきたロビー活動の費用とか、国連人権委員会があるジュネーブまでの出張費用とか、韓国人は地道な先行投資を相当額してきたんですよ! お陰様でいい感じで効果が表れてきて、米国内の数か所に慰安婦銅像を設置することにも成功し、「これでもうすぐ日本政府から多額の賠償金が取れるはずだ!」と皮算用していたのに、もう計画がぶち壊しですよ! どうしてくれるんですか! 韓国人の真剣な商売の邪魔をしないで下さい!それに、世界各国に向けて「日本はひどい国でしょ?」と告げ口外交をしてきた朴槿惠大統領についても、なんて恥ずかしい思いをさせてくれたんですか! 日本人は優しくて、潔く謝ると大体のことはすぐに許しちゃうお人よしだから、購読者数が毎日確実に減っていくことさえ気にしなければ、別に謝罪は後回しにしてもいいと思うけれど、朝日新聞は一日も早く、韓国と韓国人に謝罪して、もちろん賠償金も支払わないと、このままじゃ1000年恨まれますよ! ........................................................................................ 藤原 読んでいて「なるほど」と唸る内容ですね。 / 最後に、朝日新聞社の内情に詳しい情報筋からのお話が寄せられていますのでご報告します。 朝日新聞社内では、ほかのマスコミ各社が報道している内容のチェックに入っています。 他のマスコミが、何を問題にして記事にしているのかを詳細に整理しています。 それを項目別にリストにし、それぞれの項目に対応する、反論や弁解の文章を作成しています。 スタッフが一度作り上げた項目別反論文を見て「これじゃ内容が不十分だ」「中身の詰めが甘い」など、社内でも意見が割れて、まだまとまった形では完成していません。 そもそも役員間でも「徹底抗戦派」と「謝罪会見容認派」と意見が大きく分かれていますので、まとまりようがありません。 はっきり言って社員の多くは、朝日を取り巻く外圧で強いストレスを感じています。 編集スタッフの中には「病気にでもなって休みたい」とつぶやく者もいます。 このつぶやきが朝日の苦悩を表しているようです。 ■ 「日本を貶める朝日新聞」は生き残れない 「夏炉冬扇(2014.8.31)」より / いよいよ読売新聞も共同通信も“参戦”してきた。私は昨日の読売新聞、そして共同通信の配信記事を掲載した本日の地方紙の各紙を見て、いったい朝日新聞はどんな対応をとるのだろうか、と思った。 読売新聞も共同通信も、産経新聞につづいて「吉田調書(聴取結果書)」を入手し、「吉田調書の全容が明らかになった」として、大展開したのである。特に、読売新聞の報道量は凄まじいものだった。各面で、朝日新聞の「吉田調書報道」が誤報であることを繰り返して伝える紙面となっていたからだ。 1面トップでは、〈福島第一 吉田調書 「全面撤退」強く否定 「第二原発へ退避正しい」〉、2面で〈朝日報道 吉田調書と食い違い〉、3面では〈退避 命令違反なし〉、社会面トップの39面では、〈「命賭けて作業した」 吉田調書「逃亡報道悔しい」第一原発所員語る〉という記事を掲げたのだ。 つまり、産経新聞と同じく読売新聞も、吉田調書の“現物”を読んだ上で、朝日新聞の「吉田調書報道」を全面否定し、糾弾したのである。産経新聞につづき、これほどライバル社が同業他社の記事を“全否定”する事例は珍しい。朝日の手法に対して、同業者として、そして同じジャーナリストとして、“怒り”が抑えられなかったのだろう、と思う。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ◆ 【緊急拡散】朝日新聞がシャープの【 株価を操作 】していた!!! と ん で も な い 【 インサイダー疑惑 】 が 浮 上 !!! その手口が悪質すぎると話題に!!! これガチなら完全に広域犯罪組織だわ!!! 「NEWS U.S.(2014.8.30)」より (※ 詳細はブログ記事で) / 733 :山師さん@トレード中:2014/07/04(金) 16 09 20.21 ID vpn/U4qC0.net チャートを見るとおもしろい。4/13の朝日の増資デマ記事からちょうど1ヶ月間が底値形成となっている。ちょうどこのスレで朝日の記事と呼応して「セルインメイ!」を繰り返す工作員が現れていたなww / それまでシャープよりの記事を書いていた朝日のデマ記事に呼応してネットで売り煽りを担当する工作部隊がいたし今もいるってことだww 奴らの工作に引っかかって売っていたら大損ぶっこいていたことになるねww ■ 【掲載拒否】自らドツボへ飛び込む朝日新聞。 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.8.30)」より (※ 前後略) / 朝日は、 「朝日にとって都合が悪い文字や見出しを消せ」と要求。 それを新潮が断ったので掲載拒否と。 で、文春も新潮もこの朝日の対応に激おこ。 文春 「新聞読者が当該記事のみならず、他の記事の広告まで知る機会を一方的に奪うのは、社会の公器としてあるまじき行為だ」 新潮 「批判されたから広告を拒否するとは言語道断。来週号で今回の問題を検証したい」 ■ 売国のDNAは朝日新聞の特定秘密 ~ 読売も朝日包囲網に本腰を入れる 「私的憂国の書(2014.8.29)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / 朝日新聞は、この32年間、読者と国民を騙し続けてきたのだ。朝日は故意ではないと主張しているが、「挺身隊と慰安婦を混同してしまった」という明らかな嘘をついた時点でアウトである。だから朝日は、その代償として、批判を浴びる立場にあるのだ。言論機関が言論によって批判されるなら、言論によって反論するのが基本だ。だが朝日新聞は、その批判を封殺しようとしている。既に広く知れ渡っている、週刊文春、新潮の広告掲載拒否の件だ。 / 文春の抗議文にあるように、この新聞はもう、「言論の自由を標榜する社会の公器」とは言えない。心ある日本企業は、アパグループに倣い、この新聞への広告掲載を停止すべきだ。 読売新聞が28日から、「検証 朝日『慰安婦』報道」という連載を開始した。噂によると、長期の連載になるようだ。発行部数約987万部の新聞も、朝日包囲網の形成に本腰を入れたということである。良識派が切望する朝日新聞の葬式は、案外早くやってくるかもしれない。勿論、その日が来るまで、批判と追及の手を緩めてはいけない。 ■ 朝日の落日 「余命3年時事日記(2014.8.27)」より (※注意 この枠内のリンクは同窓で開きます。なお、記事は全文コピペです。) / 朝日新聞が自爆しました。8月5日、6日の朝日新聞慰安婦記事訂正は衝撃でした。各方面で詳細に報道されていますので、今回、この件については余命放談会のAさんとEさんに簡単な検証をお願いしました。 余命.... 突然のことで、何で今?という感があるのですが、よろしくお願いします。 A.... 朝日が自主的に今がタイミングと判断したのか、何らかの圧力で今、こうせざるを得なかったのかはわからないね。 まず、「今が記事訂正のタイミング」と判断したのなら、明らかに大きなミスだろう。今年になって嫌韓ムードが異様なスピードで増大してきた。4月には大きな潮目をこえたような気がするが、こう感じるのは私だけではないだろう。もしこの時点で訂正記事が掲載されたら、反日メディアは恐らく総スルーの可能性があった。ところが、韓国の執拗な慰安婦賠償攻勢に、ついに日本人がきれてしまった。河野談話の検証や産経新聞の問題提起等で、反韓、嫌韓ムードが急激にエスカレートしてきたタイミングでの記事訂正は火に油を注いでしまった。 記事の訂正だけで、朝日新聞としての謝罪がないことから、経営陣が全社あげて検証して出稿したとは思えない。結構収拾を軽く考えていたようだね。ところが記事が掲載されたとたんTV朝日と毎日新聞以外は驚くべき反応。意外や意外、四面楚歌となってしまった。これには朝日も驚いただろう。現状は韓国メディアが朝日新聞の応援団だ。 もうひとつの何らかの圧力という見方だが、朝日、毎日、フジTV等が目標としてネットであげられてはいても、少なくとも現状では明らかに被害妄想だろう。確かに自衛隊がテロ対策や有事に備えて深夜に機動戦闘車等を出して小隊規模で頻繁に訓練しているが、別に朝日新聞を狙い撃ちしているわけではないだろう。 この関係は朝日新聞のデマ詳細解説動画がおもしろい。 https //www.youtube.com/watch?v=jELH5Am-QJ4 E....私もAさんと全く同意見ですね。対外的圧力は現時点では弱すぎます。はるか昔の捏造記事が憎悪のパンドラの箱をあけたということにやっと気がついたのでしょう。余命さんは1年前はひとつの嫌韓記事のアップにも神経を使い、嫌韓情報の閲覧にも大変な思いをしたそうです。それが今や無制限にあふれかえっています。それも韓国や北朝鮮が必死に隠蔽してきた蛮行が次々に暴露されている状況です。 朝日の捏造記事は慰安婦像、米軍慰安婦、韓国慰安婦、ベトナム残虐行為へと大化けしてしまいました。このままでは民主党、共産党、社民党、公明党への大きな影響は避けられないでしょう。そういう意味ではやむを得ないタイミングだったのかなとは思います。 以下、資料をあげておきます。興味のある方はどうぞ。 Field of Honor (1986) Comfort Women during the Korean War(朝鮮戦争慰安婦) https //www.youtube.com/watch?v=FcCjb6Ultw0 The Women Outside Korean Comfort Women and the U.S. Military (1995) https //www.youtube.com/watch?v=KM8WxGpfQj0 https //www.youtube.com/watch?v=RyIrZFqJ8eA https //www.youtube.com/watch?v=chVlbr1Y98M https //www.youtube.com/watch?v=QBo0keFO3q4 ベトナムタイビン村にあるモザイク壁画。 http //ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2013/0907/IE001619908_STD.jpg ベトナム戦争当時、韓国軍が良民を虐殺して女たちを輪姦した後燃やして殺した姿 http //ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2013/0907/IE001619909_STD.jpg 韓国軍に強姦後、両胸をえぐり取られ銃撃を加えられ瀕死の21歳ベトナム女性 http //upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f7/Phong_Nhi_massacre_3.jpg 韓国軍から至近距離で撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名のベトナム人妊婦 http //upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/Phong_Nhi_massacre_4.jpg 韓国軍に大量殺害されたベトナム人の子供の遺体 http //upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Phong_Nhi_massacre_2.jpg 韓国軍に焼かれた住民 強姦後は焼かれたり井戸に落とされ圧死させられた http //upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/67/Phong_Nhi_massacre_7.jpg/300px-Phong_Nhi_massacre_7.jpg 米軍慰安婦 https //www.youtube.com/watch?v=V1Z4Esya5lk https //www.youtube.com/watch?v=6OXWKZwFFZs https //www.youtube.com/watch?v=SikM-iXxXgU https //www.youtube.com/watch?v=NoScFvWct5k http //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1404492192/ https //www.youtube.com/watch?v=FdPTbcBt9Go https //www.youtube.com/watch?v=qrpPyQZiLbg 【従軍慰安婦問題】 ■ ドイツも騙された慰安婦報道の虚偽 「JB PRESS(2014.8.27)」より / 8月20日付の古森義久氏の「朝日新聞の慰安婦虚報は日本にどれだけの実害を与えたのか」は、涙が出るほど素晴らしい、まさに玉稿だった。 朝日新聞のしてきたことや、その姿勢について、私が今、ここで繰り返すことはしない。それは、すでに多くの人が熟知していることであろうし、もし、自分の知識が足りないので、もっとちゃんと知りたいと思う人は、氏のこの稿を読めばよい。 米国で真実を訴えるも多勢に無勢 私は、米国内で慰安婦問題の実態を、米側の関係者や一般国民に告げる作業にも関わってきた。その代表的な実例が、2007年4月の米国公共テレビPBSへの出演である。ニューズウィーク誌編集長などを務めた著名なジャーナリストのファリード・ザカリア氏のニュースインタビュー番組に出演して質問に答え、十数分間にわたり慰安婦問題の真実を語った。 私がそのとき主張したのは、「日本の軍(官憲)が組織的に女性を強制連行して売春をさせた事実はない」という一点だった。私が「慰安婦たちは売春のたびに代金が支払われていた」と述べると、ザカリア氏が一瞬「信じられない」というびっくりした表情を見せたのをいまも覚えている。彼も「性的奴隷」は代金を受け取っていたはずがないと思い込んでいたのだ。 それ以外にも、私は米国でのセミナーやシンポジウムに招かれて登壇するたびに、「軍による強制連行はなかった」と強調してきた。私に限らず日本側の他の関係者たちも、この慰安婦問題の真実を米国など諸外国に向けて発信してきた。 だが、米国はその真実よりも朝日新聞主導の虚構を信じ、日本への非難を続けてきた。その結果、日本の名誉は徹底して不当に貶められたのである。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) 【従軍慰安婦問題】 ★ 韓国紙が「朝日助ける方法あるはず」とまで擁護するのはなぜか 「産経ニュース(2014.8.25)」より / 朝日新聞が今月5、6両日に掲載した慰安婦問題の特集記事について、6日付の主要韓国紙は「朝日新聞、安倍に反撃…“慰安婦問題直視を”」(朝鮮日報)「朝日、右翼に反撃」(中央日報)との見出しを掲げ、「自由を奪われた強制性あった」という朝日の主張を全面的に支持した。 ◆保守勢力に警告 旧日本軍が慰安婦を「強制連行」したという誤解を韓国側に植え付けるきっかけの一つとなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治の証言を朝日が「虚偽」と認め、記事を取り消したことを、韓国メディアは問題視していない。むしろ「自己反省した」(朝鮮日報)「潔い反省」(中央日報)と評価している。 なかでも朝鮮日報は、吉田証言を、記事中で「証拠が裏付けされていない証言」といった曖昧な表現にとどめ、朝日の誤報には直接触れていない。それどころか「安倍首相と産経新聞など極右メディアは朝日新聞を標的にし、『慰安婦=朝日新聞の捏造(ねつぞう)説』まで公然と流布させている」と、朝日の慰安婦報道を追及してきた側を非難している。 +続き さらに「(朝日は)慰安婦の強制動員を証明する資料が多い点も強調した」とし、「朝日の今回の記事は『慰安婦の強制動員はなかった』という考えを持つ安倍首相への直撃弾でもある」とまで言い切った。 この記事を書いた同紙の東京特派員は後日、別の記事中でも「極右から『反日的』と攻撃されながらも数十年にわたって旧日本軍の慰安婦問題の真実を伝え『日本の良心』と評される朝日新聞の根気と執念」と手放しでたたえた。 中央日報も同様で、次のように解説した。 「慰安婦関連報道の先駆者の役割を果たしてきた朝日は『慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質』とし、日本国内の保守勢力の『責任否定論』に対し警告した」 東亜日報も「朝日は、極右が否定している強制連行について『本人の意に反して慰安婦にされる強制性があった』と指摘した」と報じた。いずれも、「強制性」を主張する元慰安婦たちの証言があるため、朝日の記事取り消しは韓国側の主張を覆すものではないとの認識が根底にある。 ◆「強制性」を死守 韓国メディアの一方的な報道について、静岡県立大准教授、奥薗秀樹はこう解説する。 「慰安婦問題には2つの側面がある。1つは日韓間の戦後補償問題であり、もう1つは女性の人権蹂躙(じゅうりん)という普遍的な国際問題という側面だ。後者の側面から見ると、韓国としては慰安婦問題を国際問題化することに成功した今となっては、吉田証言が虚偽であったとしても、そのことに大した意味はない」 朝日の慰安婦報道が韓国政府や韓国メディアに少なからぬ影響を与え、日韓関係悪化の発端になったことは完全に度外視されている。逆に朝日擁護の姿勢を強めている。 朝日の検証に対し、日本国内で非難が高まると、「日本の保守勢力、“朝日の慰安婦報道”総攻勢」(京郷新聞電子版、6日)「日本の右翼が朝日の慰安婦報道総攻撃」(東亜日報、7日付)と、その動きを批判した。 朝鮮日報国際部長(元東京特派員)は「朝日新聞の孤立」と題するコラム(9日付)でこう主張した。 「旧日本軍慰安婦をめぐる朝日新聞の闘いは20年以上になる。加害者の国の新聞が常に被害者側で闘ってきたのだから、孤立し疲れが見えてきた。知恵を絞って助ける方法が韓国政府にはあるはずだ」 ここまでして韓国メディアが、朝日を必死に守ろうとするのはなぜか。韓国メディア関係者が語る。 「韓国は安倍政権が『検証するが見直しはしない』と言いながら河野談話を骨抜きにしようという底意を持っていると真剣に疑っている。安倍への強い不信感があるので、安倍政権に厳しい姿勢を見せる朝日を守るのは当然だ」 しかも「強制性」の部分は、韓国にとっても慰安婦問題で死守しなければならない要ともいえるため、朝日に同調する論調に終始しているというわけだ。 韓国の報道姿勢について、同国のメディア事情に詳しい専門家はこう断じるのだった。 「誤報には目をつぶり、自分たちの都合の良い部分ばかりに焦点を当てるのは韓国の対日姿勢を象徴している」(敬称略)=第5部おわり ◇ この企画は有元隆志、阿比留瑠比、大竹直樹、田北真樹子、原川貴郎、水沼啓子が担当しました。 ■ 朝日新聞の姑息を表わす慰安婦報道英語版の掲載 「私的憂国の書(2014.8.24)」より / 責任者 おい、5日と6日の慰安婦記事の英訳文、用意しとけ。英訳文も発信しろって苦情が多いからな。 担当者 はい、わかりました。 (後日) 担当者 英訳記事、できました。 責任者 よし、じゃあ載せとけ。 担当者 わかりました。じゃあAJW(Asia Japan Watch)に載せときます。 責任者 バカヤロー。そっちに載せたら、海外の人に読まれちゃうじゃねーか。 担当者 はっ? 責任者 だから、読まれちゃうじゃねーかって言ってんだよ。 担当者 でも・・・ 責任者 日本語サイトでいいんだよ。英訳記事を載せろって苦情が来てんだから、「英訳記事載せました」でいいじゃねぇか。 担当者 ・・・ 責任者 AJWからリンク張っとけや。アリバイにはなるだろ。但し、目立たないようにな。 なんだか、朝日新聞社内でこのようなやり取りがあったのではなかと、勘繰ってしまう。朝日新聞が、5日、6日に掲載した慰安婦報道検証の記事が、朝日新聞デジタルに掲載された、しかし、英語版サイトであるAJWへの記事転載はない。AJWで「comfort women」と検索語句を入れて出てくるのは、南鮮の新しい大使の記事、ローマ法王の訪南記事などであり、自社の検証記事は引っかからないようになっている。おざなりのリンクバナーは、素人が作ったような劣化が激しい手抜きJPG画像で、視覚的な注目を集めないように腐心している様が見てとれる。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日「購読者の解約が後を絶たない。企業も広告出稿を控える事態に」・「吉田証言」と「吉田調書」 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2014.8.22)」より / http //news.livedoor.com/article/detail/9167414/ 慰安婦報道に続きWパンチ…福島原発「撤退誤認」リーク元は政府か 2014年08月21日07時15分、東スポWeb 過去の従軍慰安婦報道について事実誤認を認めた朝日新聞が、さらなる窮地に陥った。18日付の産経新聞で、先に朝日新聞が報じた「吉田調書」の内容について明確に否定する内容が報じられたのだ。 吉田調書とは、2011年3月11日の東日本大震災で東京電力福島第1原発が危機的状況に陥った際の、吉田昌郎所長(享年58)と政府のやりとりを記した極秘文書だ。 朝日新聞は5月20日付の紙面で「所長命令に違反 原発撤退」というタイトルで、震災直後の3月15日に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が、吉田所長の待機命令に背いて10キロ南の福島第2原発に撤退したと報じた。 これに産経新聞は調書の一部を独占入手した上で、吉田所長の命令に違反し所員が勝手に現場を離れたことはないと断定。吉田所長から「退避」は指示されたものの、朝日新聞の言う「撤退」はなかったと強調した。 8月19日の朝日新聞デジタルは、朝日新聞社が8月18日付で朝日新聞社の名誉と信用を傷つけたとして、産経新聞の東京編集局長と産経新聞に記事を書いたジャーナリストに抗議書を送ったと報じた。 朝日新聞といえば、従軍慰安婦の存在を広めながら、最近になって「確認できなかった」と一部の記事が事実誤認であることを認めたばかり。 その矢先に吉田調書でも大失態を演じたことから、ネット上では「また朝日か」「いい加減にしろ」と大ブーイングが飛び交っている。 事実、慰安婦の事実誤認以降、年間購読している一般購読者の解約が後を絶たないという。 同紙関係者は「一般読者だけでなく、企業も『慰安婦の誤報は許せない』と広告出稿を控える事態になっている。社内でも深刻な問題として捉えている」と話す。 しかも、今回の産経新聞の記事は、政府がお膳立てしなければ成立しない内容。別の関係者によると「吉田調書は安倍政権下のトップシークレット。それが漏れるということは政府が産経に橋渡ししたとしか思えない。政府が朝日新聞を潰そうとしているのでは」と推測する。 慰安婦報道に続き、吉田調書でダブルパンチを食らった朝日に明日はあるのか――。 ■ 日本人にとって「朝日新聞」とは 「ブログ「夏炉冬扇」(2014.8.20)」より / もうここまで来ると「日本人にとって朝日新聞とは?」ということを真剣に考えなければならないのではないだろうか、と思う。一昨日から産経新聞が報じている「吉田調書」(聴取結果書)の真実は、多くの国民に衝撃を与えたのではないだろうか。 私は、産経新聞にコメントを求められ、吉田調書の全文を読んだ。そして、「朝日はなぜ事実を曲げてまで日本人を貶めたいのか」という文章を産経新聞に寄稿した。すると、朝日新聞から「名誉と信用を傷つけられた」として、抗議を受けている。 私は正直、そのことにも、呆れている。朝日新聞は5月20日付紙面で、「吉田調書入手」と銘打ち、「福島第一原発から職員の9割が所長命令に違反して撤退した」と、大キャンペーンを始めた。 その記事によって、世界のメディアが「日本人も原発の現場から所長命令に背いて逃げていた」「これは“第二のセウォル号事件”だ」と報じ、現場で命をかけて事故と闘った人々の名誉と信用は傷つけられた。 朝日新聞が報道機関として本当に「名誉と信用を傷つけられた」というのなら、紙面で堂々と反論すればいい。そして、命をかけた現場の人々の名誉と信用を自分たちが「傷つけていないこと」を、きちんと論評すればいいのである。 これまで何度も書いているので詳細は省くが、朝日が報じる2011年3月15日の朝、福島第一原発(1F)の免震重要棟には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も含む700名ほどの職員がいた。その中には、女性職員も少なくなかった。事態が悪化する中で、彼ら彼女らをどう1Fから退避させるか――吉田昌郎所長はそのことに頭を悩ませた。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) 【吉田調書】 ■ 朝日新聞購読者の皆さん、これでも朝日を読み続けますか? 「私的憂国の書(2014.8.19)」より / 朝日新聞がスクープとして掲載した、吉田昌郎所長が福島原発事故について語った、いわゆる「吉田調書」についての記事は、掲載直後から大きな疑義を指摘されていた。吉田調書とは、政府事故調の聴取に対し、吉田所長が28時間に渡って答えたことの記録だが、一般には公開されていないため、読者や一般国民が朝日の記事の信憑性を判断することは不可能だ。そんなときに、朝日の報道内容を「嘘だ」と断言したのが、吉田所長をはじめとする東電関係者のみならず、菅直人、班目春樹・原子力安全委員会委員長など100名近くに実名で語ってもらい、それを「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」として上梓した、門田隆将氏だ。 「ああ、またか」。失礼ながら、それが正直な感想である。今週、私は取材先の台湾からやっと帰ってきた。私が日本を留守にしている間、朝日新聞が「吉田調書」なるものを“加工”し、「福島第一原発(1F)の現場の人間の9割が所長命令に違反して撤退した」という記事を掲げ、そのキャンペーンが今も続いている。 「ああ、またか」というのは、ほかでもない。ある「一定の目的」のために、事実を捻じ曲げて報道する、かの「従軍慰安婦報道」とまったく同じことがまたおこなわれている、という意味である。 門田氏は、5月31日のブログ「お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事」を、このような書き出しで始める。そして、この朝日新聞の報道姿勢を、慰安婦捏造報道と根が同じという指摘をしている。 (※ 中ほどは大幅に略、詳細はブログ記事で) / 門田隆将氏が産経のインタビューで語っているように、事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、朝日の吉田調書報道は、先に朝日が懺悔した慰安婦虚偽報道と同質である。このような嘘ばかり読まされて、それでも朝日を購読し続ける読者の心情を、私は到底理解することができない。そういう人たちは、特定の宗教をカルトと知りながら信じつづける人と同じだ。朝日への怒りは、私のように朝日を敵とする人物より、まず読者が露わにすべきものだ。怒りの具体的行動は、購読停止である。こんな新聞、まったく必要がないどころか、害悪である。 (※ 太字・赤字はmonosepia) 【吉田調書】 ■ 朝日新聞捏造暴露・第2弾 「あるウソつきのブログ(2014.8.18)」より / 先日、朝日が従軍慰安婦の捏造を自ら検証し、自爆した。 産経新聞は大喜びでこの朝日の捏造肯定に飛びついたわけだが。 どうやら産経新聞が、「過去の朝日新聞叩き」第2弾を画策したように思う。 フクイチ原発事故の事故調査記録、所謂「吉田調書」の曲解暴露である。 【産経】吉田所長、「全面撤退」明確に否定 福島第1原発事故 http //sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081805000001-n1.htm 東電の吉田所長については様々な主張があり、功罪ある人だという事は百も承知だが、事故直後からお亡くなりになるまでの期間だけに限定してみれば、彼は明らかに英雄である。少なくとも俺の目から見た限り、疑う余地はない。 当時、特に酷かった報道が、「福島原発から全員撤退しようとしたフシがある」というやつと、「菅直人の無理矢理な引き止め策が、現場作業員の撤退を防いだ」というやつである。 今回の記事では、吉田調書より「全員撤退なんぞ言ったことはない」というコメントと、「菅直人は邪魔だっただけ」という怒りに満ちたコメントが紹介されている。 つまり、前述の「朝日に代表される特に酷かった報道」が、慰安婦と同じく全面的に誤報であった事を暴露する記事なのである。 まあ、今回の産経の記事の方が誤報というケースもありえるかもしれないが、まず産経の方が本当であろう。産経にも誤報が多いのは否定せんが…。 しかし、時既に遅し。海外メディアはこの日本の反日メディアの報道をうけ、 「日本の原発技術者は、原発事故を見て一目散に逃げ出した」 と報道されてしまった後なわけであった。 ■ [従軍慰安婦捏造問題] 【朝日の大罪】誤報放置は「犯罪的行為」 英国人ジャーナリスト・ストークス氏 「memo(2014.8.18)」より / ★ 【朝日の大罪】誤報放置は「犯罪的行為」 病の完治を 英国人ジャーナリスト・ストークス氏 「zakzak(2014.8.14)」より / 今回の件は、単なる誤報ではない。英国人ジャーナリストとして、一連の経過を観察してきた私としては、朝日新聞の慰安婦をめぐる恣意的報道は極めて問題である。その背景を検証する必要がある。 朝日が慰安婦報道の誤りを認め、記事削除を決定したことは、世界的にも異例の事態だ。吉田清治氏の証言については、当時から疑義が指摘されてきた。真実を伝えるべき報道機関が、それを30年以上も放置し、結果として日本と日本人の名誉を貶めた責任は重大で、「犯罪的行為」と言ってもいい。 +続き 木村伊量(ただかず)社長以下、朝日の関係者を国会に招致して、徹底究明すべきである。「報道の自由に抵触する」との意見もあるが、一連の報道が国家に与えた損害は甚大で、当然、その責任が追及されなければならない。記事を削除すれば済む次元の問題ではない。 朝日の慰安婦報道は「河野洋平官房長官談話」の素地ともなった。河野談話の欺瞞(ぎまん)性とともに、背景と真相を明らかにすることが重要だ。河野談話は、日本政府と韓国政府がすり合わせて作成された。これは慰安婦問題ではなく、政治問題であり、国家主権の問題でもある。 そして、どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大メディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない。 慰安婦問題だけではない。いわゆる「南京大虐殺」も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ「南京大虐殺」という表現が、刷り込みのように報道で使われるのか。南京大虐殺という表現を、報道で使うべきではない。 すべての元凶は、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥が主導した「東京裁判」(極東国際軍事裁判、1946年5月~48年11月)と、それに先駆けてNHKがラジオ放送した「真相はこうだ」(45年12月~46年2月)にあると、私は考えている。 GHQ主導の下、NHKはまったく事実ではない「南京大虐殺」など、日本軍の残虐行為に関する虚構を、国民に向けて報道したのである。こちらも朝日の慰安婦報道に加えて、しっかりと検証することが必要だ。 8月15日も近い。敗戦と占領の呪縛を知り、失われた独立主権国家としての気概を、日本が取り戻すべき時が来ている。 (取材・構成 藤田裕行) ■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)など。 (※ 以下掲示板からのコピペは略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞への抗議に笑いながら見下ろす朝日新聞本社社員たち 「memo(2014.8.17)」より / / 203 : 閃光妖術(新潟県)@転載は禁止 [] :2014/08/10(日) 17 13 08.55 ID 2lmTQ1h90 (2/2) [PC] 131 まだ状況を理解してないようだな 250 : シャイニングウィザード(catv?)@転載は禁止 [sage] :2014/08/10(日) 17 55 32.49 ID UnP99Hh50 [PC] 131 見ている自分も見られているってのはよくあること 気を付けた方がよい ■ 放談(95) 朝日新聞の社風は「捏造」 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.8.16)」より / 藤原 ところで、朝日新聞はかなり早い段階で吉田証言が嘘だと知っていたのでしょう? 赤峰 そうです。朝日新聞は1997年3月31日に吉田証言について「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したのですが、訂正記事は出していません。知らんふりをしています。 藤原 1996年2月の国際連合人権委員会にクマラスワミ報告書の一年後じゃないですか。このときにきっちり訂正して、国際社会に発信しておけば、日本がこれほどまでに貶められなくてすんだものを。朝日新聞は、外に向かっては「責任を取れ」と激しく迫るのに、自分には極めて甘いのですね。 赤峰 「新報道2001」の番組の中で、萩生田首相補佐官が辛らつに朝日新聞を批判していました。 「食品会社が32年も産地偽装したり不適切な添加物入れてたのが発覚したら社長が出てきて記者会見するでしょ。会社の存亡に関わる大事件になるでしょ。 マスコミなら自分の新聞に小さく『記事を取り消します』で済ませるのがおかしい」 また、橋下氏もこう述べています。 「最悪ですよ。ぼくが記者会見で同じことをしたら、朝日の記者は何と言うか。ちゃんと朝日の社長が出てきて、国民に説明責任を果たすべきだ」、(ベネッセコーポレーションが顧客情報漏洩問題の対策費に260億円を見込んでいることを引き合いに)「赤字覚悟で国際版を刷って、1千億円や2千億円くらい使って国際社会に『間違ってました』としっかりやってもらい」 横井 まさにこの通りですね。それと、吉田証言の片棒を担いだ日本共産党も赤旗で吉田証言を取り消さねばならないでしょうね。 藤原 ところで、8月5日、6日の報道以降、朝日新聞は声を潜めています。これだけ世間が激しく朝日新聞の不実を糾弾しているのにおし黙ったままというのは納得がいきませんね。このまま黙り続けるなら、当然、朝日新聞社の社長以下のメンバーに国会での証人喚問がありますよ。 横井 そうです。この問題は「報道の自由」の問題ではありません。嘘をついて、それを32年間も訂正しなかったことを「報道の自由」で片付けるなど、悪質すぎます。もし、この問題から逃げるようでは、朝日新聞社は世に「正義を問う」ことはできません (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 超拡散希望《8月5日は新たな国民の祝日「朝日新聞消滅の日」として祝いましょう》 「水間条項(2014.8.13)」より / ■8月5日は、これから毎年「朝日新聞消滅の日」として、夏恒例の行事になることが現実味をおびてきました。 官僚臭のする朝日新聞は、取材対象の官僚にも気後れしなくてすむように一般の株式会社にない、「報道局長」などとはったり臭いポストがありますが、それを我が国のマスメディアも踏襲していますので、真の言論機関が育たない遠因になっています。 今回の朝日新聞検証記事は、危機管理としては素人集団だったことを露呈しています。 それは、言い訳のオンパレードで謝罪はなく、朝日新聞の記者に延焼することを必至に抵抗し、SAPIO→FLASH→週刊文春に抗議したことを自社の紙面で報道したことで、逆に大延焼するはめになっています。 社会の「木鐸」を自認する朝日新聞が、自社の紙面に自社の抗議文を掲載する行為は恣意的であり、言論機関というよりは「宣伝工作機関」が実態だったことを、自ら発表したと捉えられる朝日新聞検証記事になっているのです。 朝日新聞を「宣伝工作機関」と認定すれば、国会証人喚問の障害はなくなります。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 歴代首相の靖国神社参拝を妨害した朝日新聞 加藤千洋元記者 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.8.14)」より (※ あちこち大幅に略、詳細はブログ記事で) / 朝日は緊急会議の末、編集部体制の人数を増やし、謝罪せずに違う論点を持ち出して「慰安婦問題」を正当化しようと計画しています。違う部署からの編集スタッフも集め、多角的にキャンペーンを張ろうと必死になっています。 韓国や中国のメディアともさらに連携を深め、総合的な論陣を張ろうとしています。朝日関係のすべてのメディアを総動員し、さらに関連の文化事業関係団体にも協力を呼び掛けている模様です。 もともと朝日本社の社長や役員が、関連団体の理事を兼務するケースも多いので、考えられる限りの総力戦を展開するつもりのようです。 / 結局、社長はじめ幹部たちは、実は小心者が多く、国会招致などされたら恐怖でまともに口もきけない人ばかりなのです。その恐怖を味わいたくなくて、組織や社員を総動員して逃れようとしているのです。 / 赤峰 事実経過を申し上げます。 1985年8月7日、中曽根氏の靖国神社参拝直前に、加藤千洋記者が「中国、日本的愛国心を問題視」という記事を書いて、中曽根首相の靖国参拝批判をしました。それでも8月15日、中曽根首相は参拝し、閣僚も17人が参拝。公費から供花料を支出しました。 そのとき、再度、朝日は批判記事を書きました。しかし、依然、中国は何も言いませんでした。 ところが、その11日後の8月26日、社会党の田邊誠氏ら訪中団が中国を訪れ、「何で中国は怒らないんだ」と朝日新聞の記事で炊きつけました。それで、翌日、姚依林(よういりん)副首相が靖国参拝を批判して、日中間の大問題にしてしまった というのが靖国問題の経緯です。 【日本共産党】 ■ 朝日新聞への不信感が日増しに高まっている 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.8.12)」より (※ 詳細略、ブログ記事参照) / 赤峰 それでは、朝日新聞の「訂正」記事を出した日以降の朝日新聞内部のお話に絞って述べます。 1)朝日新聞社の今回の報道は、実は経営トップなどの幹部への事前の連絡のないまま記事になったようです。 そのため、現場の編集責任者と経営陣の間で、大きな騒ぎになっています。 2)しかし、すでに記事としての間違いを認めてしまったわけですから、いらだちを抱えながら今後の対応を検討しています。 3)結局は「当時の記者の裏付け調査がちゃんとしていなかったから」ということで記事を書いた記者のせいにすることを考えているようです。 4)経営幹部は怒鳴り散らす者もいて、社内は険悪なムードが立ち込めています。どこの部署でもささやかれる話題は「慰安婦捏造記事」ばかりです。 5)朝日新聞社では、連日、夜遅くまで会議をしています。かなり激しいやり取りもあった模様です。 6)他のマスコミ関係者への内部告発者も出ているようで、疑心暗鬼の様相を呈しています。 7)8月10日朝の「新報道2001」を朝日新聞社では社内に設置してあるテレビを多くの社員が見ていました。 8)番組の中の「朝日の社長が記者会見せよ」の発言に対し、社員の多くは「会見開かなければ収まらないだろう」とつぶやく者もいました。 9)幹部も休日出勤して、朝から会議室に集まっていたようです。社員の一人は「会議室ではテレビ番組を見て今後を検討しているようだ」と語っていました。 / 赤峰 さて、ここで、識者からのコメントを紹介いたします。 朝日新聞社と共産党の「赤旗」は非常に親密な関係にあります。 当然水面下では連絡を取り合っています。 慰安婦問題の「吉田証言」では両社とも困った状況にあり、その意味では悩みを共有しています。 何しろ、吉田清治氏は、共産党員として日本共産党から立候補していました。 「経歴を嘘で塗り固めている吉田氏が、党員として立候補できる共産党とはどのような見識の党なのか?」改めて共産党自体の検証も必要かもしれません。 同じように「薄っぺらな吉田証言を記事として掲載した朝日新聞社の見識とは何なのか?」が問われる重要な事件です。 両者は一卵性双生児のように、非常によく似た体質を持っています。 実は、この二つが、「日本を壊滅に導こう」と画策している大もとであることを見抜かなくてはなりません。 【第二次安倍政権】 ■ 国民との全面対決を宣言した朝日新聞が、安倍政権を支えることになる 「私的憂国の書(2014.8.12)」より / FNN・産経とNHKで、連続して世論調査の結果が発表されたが、安倍内閣の支持率は、今月に入って持ち直す傾向を指名している。FNN・産経では、前月から6.2ポイント挙げて51.8%、NHKでは前月から4ポイント上げて51%。いずれも50%台に回復した。これだけ思いきった政策をスピード感をもって実現している政権への評価としてはまだまだ低いと思うのだが、下げ出したら止まらない政権がほとんどである現実を考えれば、政権の足腰はまだまだ強いということだろう。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で。太字はmonosepia) 【従軍慰安婦問題】 ■ 朝日新聞社長が慰安婦問題の捏造記事に関して謝罪拒否との報道 「東京kittyアンテナ(2014.8.11)」より / 参考1のライブドアニュースによると、 「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で 政治評論家の加藤清隆氏が 従軍慰安婦問題に関する朝日新聞の記事が 虚偽であることを理由に16本取り消されたことに関して 朝日新聞社長と話したが、 同社長は謝罪を拒否したことを明らかにした(@w荒 参考1 これが本当ならば不味い対応だとをもう(@w荒 不祥事があればトップが早めに謝罪するのが 日本での正しい対応だとをもっている(@w荒 最近ではマクドナルドやベネッセの対応が 問題とされたが、 不祥事の際に経営者が居丈高な態度を取るのは 鏃(やじり)が鎧(よろい)に カンと刎ね(はね)辷る(すべる)様な感を 時人(じじん)に深くさせるので あまし良く無いんぢゃないかな(@wぷ ヲレの後輩の東京大学の卒業生たちが 今年は全く朝日新聞に 入社しなかったと聞く(@w荒 流石に時流に聡い(さとい)ものだと をもった(@wぷ 【集団的自衛権】 ■ 「偏向」していることをもはや隠さなくなった朝日新聞 「木走日記(2014.7.15)」より / 日本のマスメディアはクロスオーナーシップの弊害で、新聞はTVを、TVは新聞を批判しません、できません。 マスメディア自身の自己批判もタブーですのでメディア批判の論説をメディアで見ることはほとんど絶望的です。 例えば悪名高い日本の新聞の「押し紙」問題をTVが取り上げることは皆無ですし、逆に免許制にあぐらをかいたTV電波利権の大問題を新聞が積極的に取り上げることもありません。 これらメディア批判はTVに出演する、あるいは新聞に論説を載せる、コメンテーターや評論家にとってもタブーとなります。 『木走日記』としての一つのテーマがマスメディア評論です。 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞、当ブログでは系列テレビ局も含めてマスメディアは全て批判対象としてきました。 ネット上の個人ブログでマスメディア批評をする理由は、個人的に当ブログはマスメディアと利害関係が全くないので遠慮なくタブー無しで批判的に対峙できることからです。 / 人気のある有名人たちに連日「集団的自衛権の行使容認に反対」をそれぞれの言葉で語らせる朝日新聞の狙いはただひとつです。 この偏向記事シリーズで、読者にこれだけ多くの有名人が一人の例外もなく「集団的自衛権の行使容認に反対」していることを連日読ませ、「反対」が国民の多数派であることを読者の脳に印象操作しているのです。 メディア論でいえば、いわゆる刷り込み(Imprinting)という手法であります。 ここでさらに踏み込んで分析すれば、朝日新聞にメディアとしての編集幅の余裕がなくなって来ているとも評価できそうです。 どんな主張を展開してもマスメディアでは主要な政治テーマでは賛成・反対の両論併記の体裁(ていさい)をとるのが一般的です。 マスメディアとして公正な客観的報道のポーズを取るためです。 テーマに対して賛否両論を、政治評論家や大学教授などの専門家に語らせるのです。 ところがこの朝日の(集団的自衛権を問う)シリーズでは、作家やタレント、15才のアイドルの女の子にまで、全員に「集団的自衛権の行使容認に反対」させています、賛成の意見は一人もありません。 政治素人を大量に活用している朝日の「偏向」手法はメディアとして正攻法ではなくたいへん嫌らしい報道姿勢で決して褒められたものではありませんが、ここまで露骨な「偏向」インタビューシリーズはとても珍しいです。 朝日新聞は「偏向」していることをもはや隠さなくなった、編集幅の余裕がなくなって賛成・反対の両論併記の体裁(ていさい)をとることを捨ててしまったのだと思われます。 朝日新聞が開き直ったとすれば、大変興味深いことです。 (※ 大変な長文です。全文転記したいところですが、是非ブログ記事を。) 【吉田調書】 ■ 日本のメディア“偽善”と“すり替え”の罪 「夏炉冬扇(2014.7.10)」より / 昨日7月9日は、福島第一原発(1F)の元所長、吉田昌郎氏が亡くなって丸1年、すなわち「一周忌」だった。ちょうどこの日、『週刊朝日』の元編集長で、朝日新聞元編集委員でもある川村二郎さんと私との対談記事が『Voice』に掲載され、発売になった。 対談の中身は、例の「吉田調書」である。政府事故調によって28時間にわたって聴取され、記録されたという「吉田調書」なるものを朝日新聞が報道して、1か月半が経った。 それによって朝日新聞は「福島第一原発の所員の9割が所長命令に“背いて”福島第二に撤退した」という、事実とは真逆のことを書いた。私がこれに異を唱えて朝日との間で問題になっているのは当ブログでも書いてきた通りである。 この問題について、『Voice』誌に依頼され、私にとっては雑誌業界の大先輩である川村さんとの対談をさせてもらったのだ。題して、「吉田調書を公開せよ」。つまり、それは、「朝日新聞は責任をもって『吉田調書』の全文を公開せよ」という内容の対談となった。 +続き 私は、吉田さんや汚染された原子炉建屋に突入を繰り返した1Fのプラントエンジニアたち、あるいは当時の菅直人総理や班目春樹・原子力安全委員会委員長ら、100名近くの当事者を取材し、その実名証言をもとに『死の淵を見た男』を上梓した。2012年11月のことである。 私が描かせてもらった1Fのプラントエンジニアたちは、多くが地元・福島の浜通りの出身だった。つまり、地元の高校、工業高校、そして高専などの出身者である。 地震から5日目の3月15日、2号機の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、総務、人事、広報など、女性社員を含む多くの事務系職員たちを中心に、600名以上が吉田所長の命令によって福島第二原発(2F)に一時退避する。 この時、1Fには、彼らのような多くの“非戦闘員”たちが残っていたのである。フクシマ・フィフティ(実際には「69人」)を残したこの600人以上の退避を、朝日新聞は、所長命令に「背いて」、「9割」の人間が「撤退した」というのである。朝日の報道を受けて、外国メディアが、「日本人もあの現場から逃げ去っていた」と大々的に報じたのは、周知の通りだ。 私は、朝日新聞には、本当に『吉田調書』を公開して欲しい、と思う。菅直人政権下の政府事故調によって非公開とされた『吉田調書』。しかし、これほど真実とかけ離れたかたちで調書が朝日新聞に利用され、極限の現場で奮闘した吉田氏と部下たちが貶められた以上、このままであってはならないと思う。 朝日新聞の報道によって、現場の必死の闘いは、外国から「あざ笑われるようなもの」となった。貶められた1Fの現場の人間たちも、是非、朝日には「吉田調書」を公開してもらいたいだろう。何をもって自分たちが「所長命令に背いて逃げた」と言われなければならないのか。その根拠とは何なのか。そして朝日が伝えたい“現場の真実”とは一体、どんなものなのか。そのことを確かめたいに違いない。 実際に、私のもとにはそういう現場の声が多数、寄せられている。朝日新聞には「吉田調書」の全文公開をなんとしてもお願いしたいと思う。そして、いかに事実とは真逆のことを朝日が書いたのか、多方面のジャーナリズムの検証を受けて欲しいと思う。 発売になった同じ『Voice』誌には、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が〈『朝日』と中国から日本を守れ〉という記事を書いていた。私はこの記事に目を吸い寄せられた。 それは、櫻井氏が、日本がそこから守らなければならない「相手」として、「中国」だけでなく「朝日」も俎上に上げていたからだ。〈『朝日』と中国から日本を守れ〉――それは、実に強烈なタイトルだった。 櫻井氏はこう書いている。〈『朝日新聞』の特徴は、中国の特徴と似ています。多くの事例から『朝日』は「嘘をもって旨とする」メディアといわれても仕方がないでしょう〉、さらに〈歴史の事実を目の前に突き付けられても反省する気配のない『朝日新聞』の報道姿勢を見ると、「この人たちには名誉というものの価値がわからないのではないか」と疑わざるをえません〉。 厳しい論評だが、私もまったく同感である。櫻井氏も指摘する1991年8月の朝日新聞による報道に端を発した「従軍慰安婦問題」などは、その典型だろう。櫻井氏は、中国が嘘を連ねる背景を孫子の「兵は詭道(きどう)なり」の言葉を引いて説明している。 残念なことに、日本にはこの隣国の掌(てのひら)で踊るメディアは少なくない。日本のメディアが、なぜここまで日本を貶め、真実とは程遠い隣国の主張を代弁しつづけるのか、確かにそのあたりから説き起こすべきかもしれない。 私は最近の一部のメディアを見ていて、感じることがある。それは、「公平」や「中立」、あるいは「客観報道」というものから、完全にかけ離れた存在になっている、ということだ。 それは、あたかも「“活動家”が記事を書く」、すなわち真実はそっちのけで、自分の主張に都合のいいファクトを引っ張って来て、一定の活動家勢力の機関紙かのような内容になっている点である。「こんな新聞を毎朝読んでいたら、知らず知らずに洗脳されていくだろうなあ」と思わずにはいられないのである。 宗教的な事件が起こるたびに“マインドコントロール”という言葉がよく出てくるが、まさにそんなあからさまな紙面が毎朝、「当たり前」になっているのである。新聞メディアの部数低下の大きな原因は、読者の“愛想尽かし”にあるのではないかと、私は思う。 櫻井氏が指摘するように、「慰安婦問題」の検証は重要だと思う。この問題がもたらしたものは一体、何だろうか。朝日新聞の報道をきっかけに始まったこの問題で大騒ぎした人々は、今、満足しているのだろうか、と思う。日韓両国の間に残ったのは、根深い憎悪と怨念だけである。しかも、もはやそれは、修復不能かもしれない。 あの貧困の時代にさまざまな理由で春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるを得なかった薄幸な女性たち。喜んで色街(いろまち)で働く女性は当時とてなく、あの不幸な時代に“身売り”していった女性たちの気持ちを思うと胸がしめつけられる。 しかし、これは、その薄幸な女性たちが、「日本軍、もしくは日本の官憲によって戦場に強制連行されていった」という“虚偽”によって問題化され、そして国際化されていったものである。その中心にいたのは、あくまで「日本人」だったのだ。 日本と日本人を貶めたい彼(か)の国の人々と連携し、自分たち日本人を必死で貶めようとする「日本人の存在」が、この問題を大きくし、複雑化し、そして国際化させていったことを私たちは忘れるべきではないだろう。 あの時代の薄幸な女性たちの存在を私たちは、永遠に忘れてはいけない。しかし、その存在を「事実を捻じ曲げて」、日本の「強制連行問題」に巧妙にすり替えた「人々」とその「手法」もまた、私たちは絶対に忘れてはならない、と思う。 それは、日本の一部のメディアが得意とする“偽善”と“すり替え”によるものである。以前、当ブログでも書かせてもらった「マスコミ55年症候群」がそれだ。 私たち日本人は、「日本」と「日本人」を貶めようとする記者たちの巧妙な手法に、いつまでも騙されていてはならないだろう。櫻井氏のレポートを読みながら、私は、日本を救った男の一人・吉田昌郎さんの「一周忌」に、そんなことを考えていた。 ■ 朝日の吉田調書"スクープ"でサンゴ事件を思い出した。 「Yahoo news[花田紀凱 | 『WiLL』編集長、元『週刊文春』編集長](2014.6.16)」より / 5月20日、朝日一面トップ記事を読んで違和感を禁じ得なかった。 福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏(故人)の政府事故調査委員会による聞き取り調書、非公開のそれを朝日が入手したというのだ。これは、ま、スクープであろう。 で、1面の見出しにはこうある。 「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一所員の9割」。2面では「葬られた命令違反」とも。 要するに「フクシマ・フィフティ」と世界で絶賛された第一原発の所員たちのうち650人が吉田所長の命令に反して、第一原発を撤退、第二原発に行ってしまったというのだ。 ニューヨークタイムズは早速、「パニックに陥った作業員たちは福島原発から逃げた」と書き、アホな韓国のメディアは「福島は日本版セウォル号だった」などと書き立てた。 冗談ではない。 朝日がスクープしたという吉田調書をどう読んでも、「命令に反して逃げ出した」などとは読めないのだ。 問題の部分、調書ではこうなっている(朝日の記事による)。 「本当は、私2F(福島第二)に行けと言ってないんですよ。福島第一の近所で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」 朝日デジタル版ではこう続いている。 +続き 「2Fに行ってしまいましたというんで、しょうがないなと」 「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」 この吉田証言のどこをどう読めば、「命令違反」という大見出しがつけられるのか。だいたい吉田所長がハッキリと「命令した」とは書いていない。 15日の撤退時点で、第一原発敷地内で放射能を、いちばんシャットアウトできるとされた免震重要棟には700人近い所員や協力企業の人たちが避難していた。現場の作業員だけでなく総務、人事、広報などの社員もおり、女性たちも少なくなかった。 食糧もなく、排泄もままならない。彼らを早く安全な場所に脱出させなければならない。大混乱の現場で、吉田所長は決断を下さねばならなかったし、所長の意図が正確に伝わらなかったことは十分考えられる。それぞれの現場責任者が判断を下さねば大惨事につながる恐れもあったのだ。 だからこそ、吉田所長は調書でも後に、 「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と言っているではないか。 担当の木村英昭という記者は「吉田調書の教訓は過酷事故では電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起りうる」と書いているが、しかし、福島第1では吉田所長以下69人は最後まで第1の現場に命を賭して残っていたではないか。だからこそ後に世界から「フクシマ・フィフティ」と賞賛されたのだ。 朝日の今日の“スクープ”は吉田発言を故意にねじ曲げている。あるいは朝日の意図に合う部分のみを抽出している。 それにしても朝日はなぜ、今、こんな意図的なねじ曲げ報道をしたのか。 23日の朝日、吉田調書の後追い記事にその答えが載っている。“自白”しているのだ。 〈柏崎刈羽7基、大飯4基、玄海4基……。切迫した場面でひとりの責任者が複数の原子炉について正しい決断を下せるのか。人間の能力の限界を踏まえた対応策が用意できないなら、原発再稼働への不安はぬぐえない〉 要は規制委員長の交代など原発再稼動に向けて着々と手を打っている安倍政権に対し、吉田氏ほどの人物をもってしても「対応に限界がある」、だから原発再稼動は考え直せ、このことを言いたいがための20日の記事だったのだ。 事実をねじ曲げてでも、自分の主張を通そうとする。サンゴ事件を思い出した。 1989年、朝日のカメラマンが自ら沖縄の海に潜りサンゴにK・Yと大きな傷をつけて、カラー写真付きでサンゴが傷つけられているという記事を書いた。 タイトルは「サンゴ汚したK・Yって誰だ?」 ところが、これが写真部員の自作自演(つまり自分で傷をつけ写真を撮った)と判明。本人は懲戒解雇、編集局長、写真部長が更迭された。 今回の吉田調書ねじ曲げは第二のサンゴ事件と言われても仕方なかろう。 最後に朝日に言いたいのは、20日の“スクープ”以降、さかんに事故調査委員会の調書の公開をキャンペーンしているが、ならばまず最初に、朝日が入手したという吉田調書を自らの責任で全面公開するのが筋だろう。 ■ 朝日新聞「吉田調書暴露」への反発 「粗忽な夕べの想い(2014.6.11)」より / 朝日新聞が5月20日に報じたいわゆる吉田調書の暴露記事に最近批判が高まっている。。吉田調書は、政府事故調査委員会が東京電力福島第一原発所長吉田昌郎氏に事故の詳細を聴取した調書で、一般非公開のものであった。しかし、朝日がこの調書を「極秘裏」に入手して、そこでの問題部分を暴露するキャンペーンを続けている。 これに対してノンフィクション作家の門田隆将氏が「私はこの報じ方は本当に恐ろしい、と思う。一定の目的をもって、事実を『逆』に報じるからである。」と彼のブログで朝日新聞を批判している。門田氏は吉田所長を始め事故の関係者を実名取材し克明に書き留めた著書を出しておりこの方面の専門家である。 (※ 中略、詳細はブログ記事で) / 原発事故と韓国旅客船沈没事故を関連づけて東電社員を中傷するなど全く酷い話である。これは朝日が慰安婦問題で捏造記事を出して、結果的に世界に拡散したころを想起せずにはいられない。今回、朝日新聞はこの二つの週刊誌の報道に直ぐさま厳重抗議をしている(週刊ポスト、フラッシュ)。どうも朝日の「捏造」批判に敏感に反応している感じだ。慰安婦問題では沈黙しているが、これまでの鬱憤を晴らすような反応だ。 この際、朝日と両週刊誌で徹底的にこの問題で激論を交わして欲しいと思う、どうにも自分には今回も朝日の意図的な決めつけに疑念を抱かずにはいられない。ただ残念なのはすでに吉田所長自身が故人であることだ。吉田所長は今回の騒ぎを草葉の陰でどう見ているだろうか。 ■ 朝日の吉田調書報道「なぜここまで日本人貶めるのか」と作家 「Social News Network(2014.6.9)」より / 海外メディアは朝日新聞について、「日本のクオリティ・ペーパー」といった形容をよく用いる。しかし、その“高級紙”が、国家国民の尊厳や矜恃を毀損しかねない「虚報」を重ねているとしたら、日本人にとって“悪い冗談”では済まされないだろう。 2011年3月15日、福島第一原発。吉田昌郎所長と所員たちは、日本の運命を左右する“際”にいた。その彼らについて、朝日は「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一 所員の9割」と書いた。生前の吉田所長に唯一インタビューしたジャーナリスト・門田隆将氏は、週刊ポスト誌上で朝日報道を子細に検証した。その冒頭部分を紹介する。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) ■ 吉田調書は朝日新聞の不毛なリークか 「BLOGOS(2014.5.24)」より / 同記事の本人サイト記事 「誇りはどこにある(2014.5.24)」 / 朝日新聞が独占スクープとして特集している「吉田調書」について、内閣官房から吉田氏本人の上申書が公開されました。 この上申書に、政府が吉田調書を秘匿した理由が書いてあります。 リンク先のPDFを見るとわかると思いますが、この上申書では前後関係がつかみにくい。私も3回読み直してようやく大意を得ました。 上申書の内容をかいつまんで整理すると、 政府事故調による吉田氏へのヒアリングで吉田調書は作成された。書類は政府事故調が保管している。 国会事故調が吉田氏にヒアリングしたかったが、氏は入院中で出来なかった。 国会事故調はヒアリングの代わりに吉田調書を使わせてもらうことにした。 吉田氏は国会事故調が検証する目的でこれを許可した。 ただし、吉田調書を国会事故調から外部へ漏らさないことを条件とし、それには政府事故調も国会事故調も同意している。 / ということになると思います。 つまり、この調書を扱ったのは政府事故調と国会事故調だけであり、両委員会はそれを第三者に漏らさない約束を吉田氏と交わしていたことになる。 両委員会のいずれかに、この約束違反をして朝日新聞の記者に漏らした人がいる。 朝日新聞の記者は、そういう性質の調書と知ってか知らずか、これを自社だけのスクープとして特集を組んだ。 ーーというのが、吉田調書をめぐる事実関係ということになります。 (※ 中略) / マスコミはすぐに「隠蔽体質」などと騒ぐので、調書を秘匿するのは悪いことだと思われるかもしれませんが、決してそんなことはない。 原発事故に限らず、不祥事の検証を行なう際に当事者の聞き取りは必須ですが、事が事だけに、必ず自分か仲間の失敗をありのままに語ってもらわなければなりません。そのためには、聞き取り対象者をその内容によって処分しないことと、聞き取り内容を秘密にすることを約束しておかなければいけません。そうでなければ、検証は上手く進まないのです。 秘密を守ることによって事実を洗いざらいにする。一見矛盾するようですが、完全な検証に近づくには避けて通れない道でしょう。 公開されることを前提にした暴露話など、真面目な人ならするわけがないからです。 (※ 中略) / そもそも吉田調書を取り上げた1面に朝日新聞が「原発所員、命令違反し撤退」というセンセーショナルな見出しをつけていますが、これは特集記事の該当部分を読めばミスリードだとすぐわかるのです。 なぜそんなことをするのか? 吉田調書に驚愕の内容などないことを朝日新聞自身がいちばん知っているから、賞味期限が切れないうちに派手な見出しをぶち上げた、と考えると合点がいきます。 だとすると、今回の朝日新聞の暴露はスクープといえるような代物ではなく、不毛なリークにすぎないのではないでしょうか。 / 正直いって、故人の遺志を踏みにじる、それもあの吉田所長の遺志を踏みにじって「死人に口なし」とばかりにその名誉を傷つけることを平気ですること自体に、私はかなり憤っています。 (※ 赤字はmonosepia) ■ 朝日新聞世論調査の見事な誘導テクニック 「木走日記(2014.7.8)」より (※ 前略) / さて7月5日に実施された集団的自衛権に関する朝日新聞の世論調査の質問と解答が載っています。 (※ 引用記事略) / 全部で11の質問が列挙されています。 (※ 引用記事略) / 説明は要りますまい。 うーむ、相変わらずの朝日新聞の見事な誘導テクニックです。 メディアリテラシーの教科書に載せたいです。 特に「安倍首相は、国会の議論や国民の賛成を経て、憲法を改正するのではなく、内閣の判断で、政府の憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにしました。こうした安倍首相の進め方は適切だと思いますか。適切ではないと思いますか。」って設問、「国会の議論や国民の賛成を経て、憲法を改正するのではなく、内閣の判断で、政府の憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにしました」って前振りはいかがでしょうか? 読んでいるこちらがなんか恥ずかしいぐらいの威風堂々さを感じますですね。 なんだかなあ。 ふう。 (※ ブログ主さんは、朝日新聞オピニオン編集長の星浩氏と対談されたようです。詳細はブログ記事で。) ■ 読者質問「朝日の印象操作がエスカレートし過ぎていて怖い。何かあったの?」に答える! 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.7.8)」より / 集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。憲法9条を「変えない方がよい」も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている。 だそうです。 まぁ、このブログでも再三申している通り、 マスコミの世論調査は、およそアテにならない。 参考程度、或いはマスコミ各社の「立ち位置」を測るために見るのが良い。 というものなのですが。 それにしても、今回の朝日の「操作」は、お粗末にも程があるなぁと。 最もそのお粗末さが分かるところ、記事の最後の一文を読んでみましょう。 調査は日本と中国で2~3月、韓国で2月に行い、中国調査は主要5都市で実施した。有効回答は日本2045件、中国1千人、韓国1009人。 ( ゚д゚)ポカーン 有効回答の4分の1ずつを、中国と韓国が占めている? 有効回答の約半分が、反日国家の人達の回答ですと? まぁ、本文中で「中国と韓国でも世論調査を実施した」と明確にされているのは、 日本の集団的自衛権について「行使できない立場を維持する方が良いか否か」 という設問に関してだけなので。 「他の設問に関しては純粋に、日本国民だけの回答である」という可能性も、ゼロじゃありませんが(笑)。 何にせよ、 {数字自体もある程度はいじってしまえる(実際いじっていると言われている)世論調査なのに。 その調査の分母の半分が反日国家の連中だというのは、どういうことなのか。} 信憑性ゼロどころか、マイナスにめり込んでいるレベルです。 しかも悪質なのは、 この記事は当初、会員登録した人しか全文が読めない設定となっていたようです。 となると当然、最後の一文(有効回答の約半分が中韓のものである、という記述)も読めません。 未登録で読める部分や、記事タイトルなど、どこにもこの世論調査の「ウラ」が明かされていなかったと。 (※ 後略、詳細はブログ記事で) ■ 死んでも治らない朝日新聞の思想的偏向 「私的憂国の書(2014.7.6)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / この書きっぷりが朝日らしい。支那や南鮮の蛮行をまるで棚に上げ、両国との首脳会談が実現していないことについて、野田政権における尖閣国有化と、安倍首相の靖國参拝が理由だと言い張っている。これでは全く、支那と南鮮の代弁だ。 冗談も休み休みに言えと、朝日新聞に言いたい。物事には順序がある。尖閣の歴史は様々あれど、尖閣を発火点とする日本と支那の攻防のきっかけを作ったのは、明らかに、海保の船に体当たりした支那人船長である。朝日とてそれを忘れているわけはない。そのことを棚に上げ、事態を悪化させたのは一方的に安倍首相だと断言する偏向は、事実を伝える、もしくは客観報道に徹するメディアの資格すら放棄した姿勢だ。 南鮮との対立は、様々な反日言動で日本人に鬱積していた憤懣が、李明博の竹島不法上陸と天皇陛下に対する侮辱発言で一気に噴火したのがトリガーだ。朝日が指摘する「きっかけ」は、時系列と相手の挑発を全く無視した暴論である。 【日本の防衛】 ■ [メディア]集団的自衛権「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」(朝日社説)~中国の脅威に具体的対論も示せず能天気な政府批判をしている朝日社説が何を言う 「木走日記(2014.6.30)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / 当ブログでは3月に「突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない」と近年の中国の軍事大国化のペースが尋常ではないことに対して警鐘を鳴らし、合わせて「日本のメディアの分析は甘い」とメディア批判を展開いたしました。 2014-03-07 突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない 編集 ■[中国]突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない~日本のメディアの分析は甘い http //d.hatena.ne.jp/kibashiri/20140307 このエントリーはネット上で注目をいただき少なからずの議論がありました。 検証内容を振り返ります。 / 中国の急激なペースによる軍拡に日本一国で対抗する必要はなく(国家財政上対抗する能力も日本は残念ながらないでしょう)、集団的自衛権の行使容認とフィリピンやベトナム、インドなどあらゆる外交努力を含めた対応を、早急にとらなければなりません。 / さてです。 この最近の一連の動きに対して、28日付け朝日新聞社説は「ごまかしが過ぎる」とのタイトルを用いて、政権大批判を掲げています。 / 社説は、現状を「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」と一刀両断し、「あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信」であると結んでいます。 日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた。 あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信である。 理解不能。身勝手な正当化だ そんな都合のいいことは通らない その場しのぎのごまかしだ。 理屈にならない理屈 国民を理解できない状況に置き去り リアルな議論はどこかに消えた 平和主義を根こそぎにされた日本国憲法 うむ、冒頭から結びまで、猛烈な形容の批判の言葉で、政府の憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする閣議決定の動きを痛罵する朝日社説なのであります。 「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」ですか? そのままこの言葉は朝日新聞論説室にお返ししたいです。 集団的自衛権容認なしで、いったいここ10年急速に巨大化しつつある中国の軍事的脅威と日本はどう向き合うべきなのか、朝日新聞のこの社説のどこに「日本の安全を守るためのリアルな議論」が示されているというのか? 批判のための批判ではなく、たしかに現実的な脅威に対する「日本の安全を守るためのリアルな議論」が今こそ必要でしょう。 「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」、その言葉はそのまま、具体的対論も示せず能天気な政府批判をしている朝日社説に当てはまるのではありませんか? ■ 朝日新聞の正体 「中韓を知りすぎた男(2014.6.24)」より / 朝日新聞の「自衛権の行使は戦争」という見出しや、「集団的自衛権の行使は、 戦争準備」のことだとの説明には明らかに中国の意を汲んだ工作を感じます。 このようなデタラメな朝日の洗脳を受けていると思われる著名人がテレビの 中で「安倍首相は危険な集団的自衛権を容認する前に中国とよく話し合うこ とが重要だ、首相就任以来一度も習近平国家主席と首脳会談をしていないの は問題である」との無知発言には只々呆れて、開いた口がふさがりません。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) 【ニューヨークタイムズ】 / 【反日】 ■ NHK:反日メディアの社説をわざわざ拡散。 「スロウ忍ブログ(2014.5.9)」より / 米紙ニューヨーク・タイムズが8日(2014年5月8日)の社説で、日本の安倍首相が「憲法9条を無効にしようとしている」と批判した、とNHKが報じているようである。 (※ 報道記事略) / 同紙の反捕鯨の姿勢からも分かる通り、もはやリベラルというよりも“似非リベラル”、タダの反日メディアである。 参考: 2014年4月1日火曜日 シーシェパード:反日のための捕鯨反対。 http //surouninja.blogspot.jp/2014/04/whaling-opposite-for-the-anti-japanese.html わざわざこのような二流反日メディアの社説を取り上げる、準国営放送NHKの報道姿勢もまた、NYT同様に相当偏っていると云わざるを得まい。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) 【日本国憲法】 ■ 朝日新聞社説にみる「護憲派」の詭弁論法 「木走日記(2014.5.1)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 当ブログとしてしかし今回は、いわゆる「改憲反対派」=「護憲派」の識者の論ずる詭弁法の典型がこの朝日社説にも見られるので、その一点について掘り下げたいです。 朝日社説は憲法99条を示し、「憲法擁護義務を負う公務員が、憲法を守ろうという趣旨の集会の後援を拒否する。なんとも不可解な現象」であると、あたかも「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は、将来に渡り憲法改正に反対し、改憲論議を否定しなければならないような論を展開致します。 .............................................................................................................................. 憲法99条はこう規定している。「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」 憲法擁護義務を負う公務員が、憲法を守ろうという趣旨の集会の後援を拒否する。なんとも不可解な現象である。 .............................................................................................................................. 公務員が憲法擁護義務を負うのは当然です。 しかし憲法擁護義務は、現在の憲法の規定を実効あらしめるよう公務員に義務を課すものであって、将来の憲法改正を否定するものではありません。 朝日社説は、将来の憲法改正反対を「護憲」と言い換え、それがあたかも憲法擁護義務そのものであるかのように論理をすり替えているのです。 憲法96条には、明確に国会がこれを発議し国民に提案してその承認を経れば憲法改正は認められると、明文化されています。 ■ 「中韓国民感情を煽る朝日の世論調査」:『週刊新潮』 2014年4月17日号 日本ルネッサンス 第603回 「櫻井よし子 オフィシャルサイト(2014.4.17)」より / 「読んでびっくり朝日新聞の世論調査」─思わず私は呟いた。4月7日の1面、「行使容認反対63%」「集団的自衛権 昨年より増加」の見出しが目立つ記事の、そのとんでもなさにびっくりしたのである。 集団的自衛権行使を容認するか否かは日本が決めればよいことだ。しかし、朝日は中国と韓国にまで出かけて行って、正確には現地の調査会社を通じて、中国人と韓国人に面接方式で尋ねたのである。 集団的自衛権の行使容認を日本が急ぐのは、中国の軍事的脅威の高まりゆえだ。北朝鮮有事に際しても、集団的自衛権が行使できなければ、日本の安全に深く関わる韓国への支援も十分にはできない。中国の北朝鮮支援も、日本が急ぐ背景にある。 にも拘わらず、朝日は選りに選って中国の意見を聞きに行った。朝日の質問は49項目、安倍内閣への支持や日中・日韓関係、靖国参拝、慰安婦、憲法改正などと共に、集団的自衛権について問うている。 日米安保体制を機能させるのに集団的自衛権の行使容認は不可欠で、安保体制の最大の対象が中国である今、歴史観や相互に対する国民感情を尋ねるのはまだしも、その中国に集団的自衛権行使についてお伺いを立てるとはどういう魂胆か。 加えて、朝日の質問は顕著に偏っている。たとえば次の問いだ。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 朝日新聞には、河野談話・慰安婦問題について語る“義務”がある 「私的憂国の書(2014.4.9)」より / 「あのTBSでも、たまにはいいことするな」と思わせたのが、昨夜の「ナイナイのお見合い大作戦!」という番組。19時から22時48分の約4時間枠すべてが、陸海空に所属する自衛官のお見合いである。昨夜の帰宅が遅かったのと、同じ時間帯で安倍首相がBSフジの番組に出ていたため、私はチラ見程度でしか確認していない。ただ、例えバラエティとはいえ、自衛隊員の素顔が4時間ぶっ通しで放送される意義は大きい。 戦後のサヨクメディアは、自衛隊に善人がいるかいないか以前に、自衛隊は平和の敵であるという報道の仕方をしてきたのだ。雫石、なだしお、多賀城と聞いてピンと来る人は、自衛隊に関する過去のメディアの不当な扱い方を多少なりともご存知の方だと思うが(ご存じない方はここを参照)、そういう現実をご存知の方がこの「自衛官お見合い特番」を見たら、隔世の感を覚えるはずだ。TBSがこのような放送をするという“異常事態”を目の前にすれば、少し潮目が変わりつつあるのかもしれない。 青山繁晴氏は、テレビ出演や講演会などで、「どんな組織にも良心派はいる」と力説する。実際、氏がごくたまに出演するテレビ朝日のTVタックルのディレクターを指し、「よく勉強している」と褒めていたこともあった。だが、どうしても良心派が存在するとは思えぬメディアもある。他でもない、朝日新聞だ。 / 産経新聞が昨年10月に、河野談話の欺瞞性に関する大スクープを報じて以来、朝日は沈黙したままだ。マスメディアの中で、慰安婦問題や河野談話を今まで最も“熱心”に扱ってきた朝日新聞は、社論を曲げないのであれば、報道機関の責任として語る義務がある。それをしないのであれば、朝日新聞の記者は全員筆を折り、経営者は会社を畳むべきである。何も語らないのは、ただただ卑怯である。 (※ 以下略、太字はmonosepia) 【日米韓関係】 ■ 日米韓首脳会談の社説検証 「反日勢力を斬る(2014.3.27)」より (※ 前半略) / やはり朝日新聞の社説は異様である。 「安倍首相が強調したように『未来志向の日韓関係に発展させていく第一歩』にできるかどうかだ」と牽制し、首相は河野談話の見直しをしないと言ったのに、「『自民党総裁特別補佐』の肩書を持つ萩生田光一衆院議員が」新しい談話を示唆して「一部の強い批判が起きた」「首相の本心は違うと受け取られても仕方がない」と批判。 批判は朝日新聞などの「一部」に過ぎないではないか。 「首相の本心は違う」のは当たり前。 安倍首相が韓国語で朴大統領に呼びかけたことについて、「気遣いもいいが、『未来志向』というならば、まずは首相自身がその中身を示していかねばならない」と、まず安倍首相に注文をつけた。 その後、付け足しのように、朴大統領がドイツ紙のインタビューで歴史問題での安倍政権の姿勢を批判したが、「外に向かって言うよりも、互いの目を見て語り合え」と少女趣味的な表現で誤魔化している。 慰安婦問題に火を付けたのは朝日新聞ではないか。 それを恥知らずに、謝罪も訂正もせずによくも言えたものだ。 諸悪の根源である朝日新聞をこの世から消滅させなければ、日本はいつまでも偽りの過去から逃れられることはできない。 【従軍慰安婦問題】 ■ 勝谷誠彦メルマガより一部引用:慰安婦の話は朝日新聞の嘘だった! 「二階堂ドットコム(2014.3.6)」より / 今朝の朝日新聞の広告が面白い。今日は木曜日なので『週刊文春』と『週刊新潮』の全5段の広告が載っているのだが、どちらにも伏せ字が。「軍靴の響が聞こえてくる」がお決まりポーズの『築地をどり』としては「あの暗い時代」の「検閲」こそがもっとも憎むべきものだったはずだが。 『週刊新潮』の右柱の見出しは<ご無体な隣人「韓国」への返礼>だ。その中の一本に<〇〇記事を書いた「朝日新聞」記者の韓国人義母「詐欺裁判」>。伏せ字である。『築地をどり』観劇記者の私としては「ははあん「自称」従軍慰安婦を最初にデッチあげたあいつの話か、とすぐわかるが。 ほうほう、と笑いながら紙面をひとつめくって吹き出した。次のページには『週刊文春』の広告だ。こちらは左柱。<「慰安婦問題」A級戦犯〇〇新聞を断罪する>。サブ見出しは<「火付け役」記者の韓国人義母は詐欺罪で起訴されていた!>。どうも『週刊新潮』と同じネタですね。すみません、今朝はコンビニまで買いに走れませんでした。 仕方がないのでウェブでそれぞれの「本物」の見出しを見ておこう。『週刊新潮』。 https //www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/newest/ <捏造記事を書いた「朝日新聞」記者の韓国人義母「詐欺裁判」> でした。『週刊文春』。 http //shukan.bunshun.jp/articles/-/3733 <「慰安婦問題」A級戦犯朝日新聞を断罪する> ですね。なんで、子供でもわかるこんなものを伏せ字にするかね。ましてや自分の社名を隠すなんて、恥ずかしくないのか。 実は、朝日は必ずしもオノレのことを書かれた時に社名を隠したりはしない。文藝春秋史上、もっとも朝日について書いた私が言うのだから間違いない。面白いのは「内容」によって時に激烈な反応をするのである。そのわかりやすさったらない。 朝日の「論調」についてはどんなに揶揄をしても鷹揚なものである。築地の本社の役員フロアに行くエレベーターの中で、広報担当役員がニコニコしながら「たまにはヨミさん(読売新聞)についても書いてよ」などとジャレてくるような感じだった。しかしその同じ役員が、あのサンゴ事件の時には、記者会見の最前列に陣取った私を見るや指さして近くの側近に何やらわめいていた。「ホントにやらかしたこと」には弱いのである。 だから詐欺的商法を繰り広げる販売店問題について、現役店主の証言をひっさげて私が踏み込んだ時には『週刊文春』の広告掲載拒否という暴挙に出た。伏せ字どころではない。広告そのものを載せないというのである。週刊誌にとっては死活問題だった。 今回の「伏せ字」が示しているのは、従軍慰安婦記事が、いかに朝日にとってのアキレス腱かということだ。事実、誤報というよりも悪質な捏造だったんだから。それも書いた記者の親族が朝鮮人で、しかもそういう運動に関わっている人間だった。その係累が今回、詐欺で訴えられたというのだから、本当は広告の掲載拒否をしたかったほどだろう。しかしそれもできずにみっともない伏せ字。 —————————— _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ (c)2014 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved. 問合せ:info@katsuyamasahiko.jp 情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp 購読解除:http //katsuyamasahiko.jp/procedure/dissolve 発行:株式会社 世論社 【靖国神社】 ■ 【monosepiaの表題】首相の靖国参拝で朝日新聞の「米政権は失望している」という記事はでっち上げか? 「大鑑巨砲主義(2013.12.26)」より / 2013年12月26日15時08分 朝日新聞 http //www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312260172.html +朝日新聞の記事 【ワシントン=大島隆】米オバマ政権は26日、安倍晋三首相が靖国神社に参拝したことについて、在日米国大使館を通じて「日本は大切な同盟国であり友好国だが、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」との声明を発表した。 米政府はこれまで、小泉首相を含めた日本の首相の靖国神社参拝に公式に反対したことはなく、今回声明を出して批判したのは極めて異例の対応だ。 16:名無しさん@13周年:2013/12/26(木) 18 15 19.83 ID FYnYYADX0 石平太郎 @liyonyon 10分 「失望している」とする米国の声明は、「日本の近隣諸国との緊張を悪化させる行動を 取ったこと」にたいする米国の「失望」であっても、靖国参拝そのものにたいする批判に 当たらないことは重要だ。米国の声明を材料にして参拝批判を行う国内勢力はこの違いを 混同させているので警戒すべきである。 ............................................ 161:名無しさん@13周年:2013/12/26(木) 18 22 38.23 ID zHtnKSCV0 大使館サイトの三番目の最後のパラグラフ。なんか日本語訳おかしいな。 http //japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html 原文 http //japan.usembassy.gov/e/p/tp-20131226-01.html 原文が・・・・ We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan s commitment to peace. という構造になるだろ。 であれば・・・ 我々(米国)は注目する。 総理大臣が表現した過去の反省 ならびに 彼が再確認した日本の平和への関与 というような感じの理解になるのでは? つまり。「過去の反省の表現」と「平和への関与の再確認」の二つについて注目した意味になる。 しかし。大使館の日本語訳は 「過去の反省と平和への関与の両方」を「まとめて再確認」した事に注目したという意味になる。 変じゃね? 264:名無しさん@13周年:2013/12/26(木) 18 26 04.00 ID zHtnKSCV0 161の続き 大使館サイトの原文を読む限り 米国大使館が注目したのは安陪総理の「表現」と「再確認」だ。 「表現」というのは「過去の反省」であり 「再確認」とは「日本の平和への関与」だ。 つまり。 安陪総理の過去の反省の表現の仕方について注目し 安陪総理の日本が平和に関与し続ける意思を再確認したことについて注目している。 しかし大使館サイトの日本語訳だと「過去の反省を再確認」し「平和への関与を再確認」した という意味合いになる。 原文の趣旨とは違う誤解を呼ぶ不適切で曖昧な日本語訳になってはいないか? 微妙な問題だからこそ 短い文書に凝縮した声明だからこそ もっと気合を入れて正確に翻訳するべきではないだろうか? このような日本語訳では日米友好を阻害する事になりはしないか? 829:名無しさん@13周年:2013/12/26(木) 18 44 12.95 ID zHtnKSCV0 264の続き 「注目する」と訳された原文は take note of だ。 ちなみに take note は 注意する。気付く。という意味であり take note of で 注目する。気付く。メモにとる。受け止める。留意する。心に受け止める。などの意味になる。 全体的に警戒して注意するというよりも興味を持って心に留めておく。重要だからマーカー引いておくというような感じだ。 したがって 米国大使館は安陪総理の過去の反省についての表現が重要であり 日本が再度平和への関与を強く誓った点が重要であると指摘している事になる。 ちなみに安倍総理は下記のように声明を出している。 (全録)安倍首相、靖国神社参拝を終え会見(2013/12/26) ■ まるで呪詛(じゅそ)のような醜悪な朝日新聞社説 「木走日記(2013.12.27)」より (※ 前後詳細はブログ記事で) / 予想通り、朝日新聞をはじめとする靖国参拝に反対するマスメディアが総出でメディアスクラム、安倍首相大批判を展開している状態であります、異様な光景と申せましょう。 で彼らは何を主張しているのか、社により論説の色合いは若干異なりますが、代表して普段は2本の社説を1本に絞って力説している朝日新聞の社説を読み解いてみましょう。 社説は冒頭から「内向きな、あまりに内向きな振る舞いの無責任さに、驚くほかはない」という強烈な形容を使っての安倍批判で始まります。 ☆ 南スーダン駐留韓国軍への弾薬提供 【従軍慰安婦問題】 / 【橋下徹】 ■ 嘘に嘘を重ねるような悪意ある朝日新聞の捏造報道 「qazx(2013.6.2)」より / 橋下大阪市長の従軍慰安婦についての発言について、 遠藤健太郎氏は、彼が「事実確定されていない(いまだ慰安婦の「従軍強制」の証拠はない)「従軍慰安婦」をあたかも存在していたかのように述べた点」を不審に思い、 「旧太陽の党(日本維新の会)の中山成彬元文部科学相が衆議院予算委員会で、朝鮮人慰安婦が従軍の組織になかったことを当時の資料を示しながら証明してからまだ日の浅いうちに、彼はなぜこのような著しい誤解を招く発言に及んだのでしょうか」と書いている。http //endokentaro.shinhoshu.com/japan/post2881/ 小生は、橋下発言が、朝日新聞作演出、橋下徹主演のやらせ劇だと考えれば、つじつまが合うのではないかと考えている。 それで「朝日新聞が仕掛けたサル芝居?」という題でブログを書いた。http //qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2013/05/post-7a9f.html その際朝日新聞作演出を示唆する、朝日新聞報道の手際の良さについて紹介していたのが、「木走日記」だったのである。 その「木走日記」が6月1日付けで、「自ら放った火が国際的に大炎上、それを社説で嘆いてみせる朝日新聞」を書いている。http //d.hatena.ne.jp/kibashiri/20130601 ーーー以下「木走り日記」より、抜粋編集qazx (※ 以下ブログ本文で。) ■ 朝日新聞よ、変わらないで! 「ステージ風発(2013.3.16)」より / 朝日新聞が核兵器の効用を認めました! 日本の防衛にとってアメリカによる核抑止が必要だというのです。 アメリカの日本にとっての核抑止というのは、万が一、日本が核兵器での攻撃を受けたら、あるいは核兵器攻撃の威嚇を受けたら、アメリカがその相手に対し、核攻撃をかける、あるいは核威嚇をかける、という誓約です。 もちろんその誓約は実行を伴うという保証がなければなりません。 いずれにしても、日本の防衛のために核兵器の効用を認めてのことです。日本の国家としての防衛にはすでに長年、「アメリカの核抑止」政策が組み込まれています。 ただし反核の旗を掲げる朝日新聞はこの核抑止を正面からは決して認めてこなかったはずです。とにかく核兵器は絶対悪だから廃絶しかない、という主張なのですから。 それなのに朝日新聞の3月15日のコラム記事は核抑止を認めるどころか、日本はアメリカからもっと積極的に「核抑止」のコミットメントを引き出し、確実にしておくべきだ、と主張するのです。これまでの朝日新聞の反核の軌跡を知る側には、びっくり仰天の出来事です。 (※ 中略) / 非常にうがった見方を一つ、追記しておきます。 日本がアメリカの核抑止依存を続けることは中国が喜ぶという見方です。 この点はごく最近のアメリカ上院の公聴会で指摘されました。 日本がアメリカの核兵器に依存する限り、日本が独自に核武装することはない、というのが中国の認識だというのです。だから中国はいまの状況を歓迎するとのことです。そうなると、このコラムの主張も中国の立場に合致するという見方もできるわけですが、倉重記者はまさかそこまで回り回っての論調を展開したわけではないでしょう。 【パチンコ】 ■ 【 無責任マスゴミ】朝日「ナマポのパチンコ浪費は唯一の楽しみ」-それ娯楽じゃなくて依存症だろ 「世の中を生暖かく見守るブログ(2013.3.6)」より / 使えるお金が限られている、そのカネの出所は税金、とわかっているのだから普通の人なら理性が働いてギャンブルには使わない。 理性が働かないからパチンコに通うのであって、それはもう依存症になっているってことだ。 「覚醒剤しか楽しみがない、だからナマポでクスリ買わせて」って言ってるようなもんだ。 そんなに生活保護者をパチンコ中毒しておきたければ朝日がナマポリアンのパチ代出してやればいい。 朝日のナマポパチンコ基金とかつくればいい。 マラソンとかハイキングとか金のかからない趣味ならいくらでもあるだろ。 (※ 以下ブログ本文で。太字はmonosepia) ■ ダイジェスト「メディアが報じないパチンコ業界の闇」1-2 +動画 ◆ 【アルジェリア人質事件】朝日新聞記者がアルジェリア被害者遺族にグロ動画を送る メールヘッダ情報の画像あり 「2ch(2013.2.11)」より / スレ保存 ◆ 【アルジェリア人質事件】朝日新聞記者がアルジェリア被害者遺族にグロ動画を送る メールヘッダ情報の画像あり★2 「2ch(2013.2.11)」より / スレ保存 ■★ 日本防衛相が「中国機に信号弾を撃つ」と発言?!朝日新聞中国語版の誤訳が噴飯ものの件について 「KINBRICKS NOW(2013.1.17)」より / 朝日新聞中国語版の記事がひどすぎた件について。 16日公開の記事「日本防衛相が中国機への発砲を許可?!中国マスコミ騒然の朝日新聞による“誤報”について」で予告したとおり、年初以来、中国メディアが日中関係の緊張を報じている点についてまとめていたら、朝日新聞中国語版のひどい記事を発見したのでご報告。 (※ 以下詳細は記事本文を。) ■ 朝日新聞は本当は中国と戦争して儲けたい 「二階堂ドットコム(2013.1.18)」より / 例の朝日の尖閣諸島発砲許可誤報ですが、こっそり書き換えて訂正のお詫びも出してないっぽいです。 http //kinbricksnow.com/archives/51838148.html 訂正のお詫びを出しているのか、聞いてみたいですね。 日中米政府を思いっきり慌てさせて戦争の危機を煽ったのですから。 ーーーーーーーーーーーーーーー ■ また朝日新聞・支那工作員記者のバカ捏造記事炸裂 「qazx(2013.1.18)」より / 以下のミトロヒン文書の概要を頭に入れてから、その下にお示しした朝日の記事を読むと、何が朝日記者によって行われているのかがよく分かる。 以下「衝撃のミトロヒン文書」より引用http //qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2013/01/post-5c0d.html (※ 中略) / 《注意報2》 2013/1/16 朝日新聞は1月16日付朝刊4面で、「『領空侵犯続くなら信号射撃』 手順示し中国牽制」という見出しをつけ、小野寺五典防衛大臣が記者会見で、「尖閣諸島周辺の領空で中国機が無線などによる警告を無視して領空侵犯を続けた場合、警告のため曳光弾で信号射撃をする方針を表明した」と報じました。しかし、小野田大臣は「警告」「曳光弾」「信号射撃」といった言葉を一切使っていません。 (※ 中略) / 朝日の記事は1月15日午後から中国の主要サイトでトップ扱いで報じられています。たとえば、『環球時報』は、朝日の記事を引用する形で、小野寺大臣が香港メディアの記者の質問に対し「もし中国機が釣魚島の”日本領空”に侵入した場合は、警告に従わなければ、日本が中国機に対し曳光弾を発射して”警告射撃”を実施する」と回答したと報じています。 これに対し、小野寺大臣に質問した香港メディアの記者は、中国版ツイッター(微博)で「日本の防衛大臣は『曳光弾を発射して警告射撃する』とは答えてないし、『信号弾』や『警告射撃』といった言葉も使っていない」と指摘し、「環球の情報源は朝日であり、朝日の報道が間違っている」と書きこんでいます。 ■ 捏造朝日新聞 「豪、河野談話見直し望まず」- 豪「そんなことは言ってない」 「韓流研究室(2013.1.15)」より / いやはや、なんつーかものすごいミスリード。 捏造朝日の真骨頂ですわwww あたかも、豪州外相が戦時売春婦問題に高い関心と 懸念を持っているかの如く書いていますが、 他国の外交問題でどちらか一方に肩入れするような発言をするほど、豪州外相もバカじゃないんですわ。 まあ、オーストコリアと言われてしまうような、アホ国家ではありますがね。 第三国が、他国の争いに口出ししてもなんの利益もないことぐらいは理解しているんですよ。 それでは、現地の報道を見てみましょう。 (※ 以下略) ■ 12/25朝日新聞社説『アベノミクス―「危ないミックス」は困る』がコミンテルンの指令文書になっている件 「REAL-JAPAN(2012.12.25)」より / 本日、朝日新聞という日本の新聞の社説に偽装したコミンテルンの作戦資料書が発布されました。タイトルは、『アベノミクス―「危ないミックス」は困る』です。この指令書は暗号を使って書かれており、一般の人が読んでも全く意味が分からない不思議な内容になっています。 おそらく、本国で5年以上の研修を積んだ上級工作員なら瞬時にその意味が分かるのでしょうw 逆に、最近、twitter上で出没するような偽装転向コミンテルンのレベルではおそらく理解不能だと思います。 そこで、今日は偽装転向コミンテルンのみなさんに、普段から情報提供いただいていることに感謝の気持ちを込めて、この暗号文書の解説を掲載します。私からのクリスマスプレゼントです。ぜひ受け取ってくださいw (※ 暗号文書解説はブログ記事にて。) / まとめ 一見すると全く内容がない文章なのですが、このように深読みすると彼らの恐ろしい指令が透けて見える訳です。読めば読むほど日銀法改正だけを絶対阻止しようとする本部の並々ならぬ意気込みが伝わってきます。やはり、日本を取り戻す作戦の最重点攻撃目標は日銀なんですね。7月の参院選までは敵の弱点を集中攻撃でいいわけです。 偽装転向コミンテルンが靖国、尖閣、TPPと大騒ぎを画策しているのは、我々の攻撃が日銀に集中することを避けるためです。愛国者ヅラしてますが、こういう連中が一番アブないので気をつけましょう。上記文書もこういう連中への指令だったりもします。 ということで、クリスマスプレゼントとか言いつつ、秘密指令の内容を完全暴露となってしまいましたw 日本を滅ぼす陰謀の全容はこちらの書籍に詳しく書きました。 ご関心ある方はぜひお読みください。 『歴史から考える 日本の危機管理は、ここが甘い 「まさか」というシナリオ (光文社新書)』 http //books.rakuten.co.jp/rb/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E7%AE%A1%E7%90%86%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%93%E3%81%8C%E7%94%98%E3%81%84-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E4%B8%8A%E5%BF%B5%E5%8F%B8-9784334037154/item/12085428/?scid=af_pc_etc scid=af_pc_twitter01 sc2id=210305598 ■ 週刊朝日「無断で病院に多額の広告料要求」←謝ってすむ問題ですか?広告会社に責任転嫁して済む問題ですか?っていうか、「わざとじゃないの?」 「荒んでいく世界(2012.12.22)」より / 「週刊朝日」が日本肝胆膵(かんたんすい)外科学会(宮崎勝理事長)の名前を無断使用し、病院施設に多額の広告料を要求していたことが判明したとして、同学会が週刊朝日側に抗議文を送付していたことが20日、分かった。 学会によると、週刊朝日は平成25年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院2013」に掲載する広告企画で、「取材協力」として学会と理事長名を無断で表記。多くの病院に広告料として100万円以上を要求していたとされる。 学会は約3500人の会員医師に対し、「学会と宮崎理事長個人は週刊朝日の企画に対し、一切関わりを持っていない」として注意を呼びかけている。 抗議を受けた同誌発行元の朝日新聞出版によると、同社は15年から「週刊朝日ムック」として、「手術数でわかる-」をシリーズ化。広告掲載は12~130万円だが、2013年版の広告募集は始めたばかりで、まだ申し込みはないという。 ■ 目覚めよ!さらば、天佑われん1:ナチズムとしての『朝日新聞』とその黒幕 「蓬莱の島通信ブログ別館(2012.10.26)」より 最近、『朝日新聞』の様子がおかしい。20世紀前半、コミンテルンの指導で「大日本帝国」を世界戦争に引きずり込んだ『朝日新聞』は、今また謀略の主体になろうとしているかのようだ。 一部の特権階級のために大多数の市民が奴隷状態に置かれているナチス中国経済は輸出にほぼ全面的に依存した完全な19世紀型の資本主義で、海外との取り引きができなくなると、たちまち資金繰りができなくなってしまう。 以上の記事のように、「反日尖閣」産業が前回と同じように巨額の利益が出ると見込んで行った2012年の「反日尖閣」パフォーマンスの結果、日本側の反応が非常に真摯であったため、中国側の売り上げに大きなマイナスが出る結果になった。 日本の『朝日新聞』やNHKなど親中派白痴メディアは「日本だけが困る」と執拗に宣伝したが、客観的データは中国への悪影響を示している。 貿易の基本道理から考えれば、互いに売買取り引きをしなくなったのだから、双方の売買取り引きに大きな影響が出るのは、小学生でも分かる当然の現象だろう。 ナチス中国の「反日尖閣」産業集団は、中国が一方的買い手、日本は一方的売り手という、おそらく部下の完全なおべんちゃらを本当の情報だと思い、間違った図式で最近の両国関係を見ていたため、完全な見込み違いをしていたのである。 最近の日本の「犬」『朝日新聞』が出した「反日尖閣」産業集団の「犬」抹殺のニュースの背後には、これ以上、市場が縮小してはというナチス中国側の危機的構造があると言えよう。 ここに来て、中国大陸側からも苦境を訴えるニュースが世界に流れ出し始めた。 ■ 小沢を攻撃しなきゃCIAに暗殺されると告白すればどうだ 朝日新聞。 「超高層マンション スカイヲーカー」より ・朝日新聞はもはやCIAお得意の自作自演の自爆テロ集団と化したといってもいい状態だと私は思う。もはや、日本国民にとって朝日新聞は危険な言論テロ集団なのだ。 ・(前の文章を略しています。本文をお読みください。 - monosepia)まあ、こんな調子で朝日新聞は危険に晒され米国を支配する国際金融資本の傘下でコントロールされ、そのシナリオに従って社説、コラムを書かざるを得ないのだ。 2010.12.17 ★ 朝日新聞主筆、退任 「読売新聞(2010年12月15日)」より ● 朝日新聞社は15日、船橋洋一主筆(66)が、同日付で退任したことを明らかにした。 ------------ ☆ 船橋洋一「日本@世界」 「asahi.com コラム」より ● (monosepia注 - 経歴・受賞歴・学位・著作等が掲載されている。) ☆ 船橋洋一【アンサイクロペディア】 ● CIAの工作員。副業は、ジャーナリストであり、朝日新聞社の主筆。 ☆ 船橋洋一【Wikipedia】 ● 日本のジャーナリスト、コラムニストである。朝日新聞社主筆。朝日賞選考委員。 ☆ 船橋洋一【google リアルタイム検索】 ■ 朝日新聞主筆船橋洋一氏の「退社」は「対米従属派」の全面敗北の開始を意味している! 「杉並からの情報発信です」より ● 新聞記事では「退任」と書かれていますが朝日新聞社に彼の居場所はなく「石もて追われる」形で「退社」したのだと私は思います。 ● 天木直人氏は船橋洋一氏の次期駐米大使への起用の可能性を言及されていましたがそれはないと思います。 ---------- ■ 「船橋洋一朝日新聞主筆の退任と駐米大使人事の行方」 「本音言いまっせー!」より ● (「天木直人氏」のメルマガより転載)船橋洋一氏の朝日新聞主筆退任の記事は、いやがおうでも次期駐米大使人事と関連して読まざるを得ないのである。 ■ 船橋洋一氏の朝日退任が意味するものは、 「いかりや爆氏の毒独日記」より ● 筆者は船橋氏の次期駐米大使への起用は充分あり得るとみます。船橋洋一氏の退社(退任)は喜ばしい事象ではありますが、”メディアにおける「対米従属派」の全面敗北の開始を意味している”と即断するのは早すぎる。 ■ 【民主翼賛】朝日主筆・船橋洋一の「ジャーナリスト放棄宣言」【フィクサー気取り】 「マスコミ不信日記(2009.9.14)」より ● 一言で言って「何様のつもりだよ!」。ナベツネにかわってフィクサー気取りかと。こいつが志向するのはもはや「権力監視」をお題目とするジャーナリストの立場を放棄した、監視すべき権力者そのものではないのでしょうか。 .