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ET/T08 TD 生徒会長 伊勢田 結花/生徒会長 女性 パートナー 副部長 大庭 蓮實/副部長 女性 レベル 1 攻撃力 2000 防御力 4000 【今日でこの部は廃部よ】《天悶》《生徒会》 【キャンセル】【起】〔手札〕[このカードを控え室に置く] → あなたのベンチの《天悶》が2枚以上なら、あなたは相手の、【スパーク】の技か【キャンセル】の技を1つ選び、無効化する。 作品 『えびてん 公立海老栖川高校天悶部』 2012年9月26日 今日のカードで公開。 関連項目 〈生徒会長〉 《天悶》 『えびてん 公立海老栖川高校天悶部』
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第13話 SOS団結成 「普通の人間には興味ありません! 宇宙人、未来人、超能力者は私のところへ来なさい! 以上!」 そのように支給品の拡声器で叫ぶのは、女子高生の涼宮ハルヒだった。 彼女は、殺し合いなど興味はなかった。 それよりも面白い人種を集めて、一緒に遊びたいという気持ちの方が強かった。 「……呼んだかしら?」 金髪に赤いリボンをつけた未来少女、石川 銅鑼美がハルヒに呼びかける。 彼女こそは、憎い実兄である銅鑼衛門を抹殺するために、未来からタイム魔人でやってきた”未来人”であった。 「……俺はザフト第二中隊のゴトウ。一体何だというのだ、この状況は……」 宇宙コロニーに住むザフト軍のモビルスーツパイロット、”宇宙人”のヒトシ・ゴトウもまたそこにいた。 「何をやってるんだ! 死にたいのか!?」 更に、天津市聖杯戦争のマスターのひとり、”超能力者”といって差し支えのないであろう固定の魔術師、斉木清十郎もそこにた。 彼は、ハルヒの行った演説に対し説教を始める。 「普通の女の子と、地味なお兄さんと、説教好きのおじさん……何よ、全然普通じゃない。 まあいいわ。これから、あなた達はSOS団のメンバーになってもらうわ!! 拒否したら、死刑だからっ」 可愛らしくウィンクするハルヒ。 「そうか、ならば、俺が銃刑に処してやろう」 「え――?」 無情な言葉と共に、辺りに銃声が響き渡る。 銃弾は綺麗にハルヒの心臓を撃ちぬいており、周囲に緊張が走る。 「相変わらず反吐が出そうな位に薄汚い男ね……お兄様ッッ!!」 その銃声の主を射抜くような瞳で見つめ、声を荒げたのは、銅鑼美だった。 「キ、キミ!? 大丈夫か!!」 すぐさまハルヒを抱き起す斉木だったが、既に彼女が事切れているのを悟ると、そっと彼女を横たえさせる。 「銅鑼美か……次はお前が死ぬ番だ」 ハルヒ殺害の犯人――未来戦士・石川銅鑼衛門は、拳銃ブローイングハイパワーの銃口を実の妹、銅鑼美へと向けた。 「これ以上、殺させてたまるか!!」 人殺しの銅羅絵門に対して、持ち前の正義感からか怒りをあらわにする斉木。 彼は、魔術回路を発動させると、銅鑼衛門へと跳びかかっていく。 だが、彼の動きは止まった。 「な――!?」 斉木は、自らの胸から剣の切っ先が生えているのを見て驚きの声を上げる。 そして、彼は血を吐いた。 斉木を背後から、日本刀で突き刺していたのは、ゴトウだった。 「……ナチュラルめ、俺は貴様達が我が故郷へと核を撃ち込んだ……あの血のヴァレンタインの悲劇を忘れんぞ」 ゴトウの中で、かつて、ナチュラル(普通の地球人)が自分たちコーディネーターの住む農業プラントに大量の核ミサイルを撃ち込み、滅ぼした。 その時の悪夢がよみがえる。 人々は、その悪夢の事を”血のヴァレンタイン”と呼んでいた。 彼もまた血のヴァレンタインで、家族や友人、多くの知り合いを失っており、ナチュラルへの激しい憎悪が彼の動力源であったのだ。 ゴトウは、斉木から日本刀を抜くと、その切っ先を銅鑼美へと向ける。 「次は貴様の番だ。女よ」 「……チッ、仲間割れか? 何だか面倒な展開になってきたな」 ああ、シラケたなぁ。 まるでそんな様子で呟くと、銅羅絵門は、その場を後にする。 「待ちなさい! お兄様!!」 逃げ出す銅鑼衛門を追おうとする銅鑼美だったが、行く手をゴトウに塞がれて舌打ちをした。 「おい、待て女! 次はキサマの番だと――何!?」 銅鑼美に向かい斬りかかろうとするゴトウだったが、自らの動きが封じられている事に気づき驚愕の声を上げる。 死にかけの身体で、ゴトウにしがみついていたのは、斉木だった。 「ふふふ……直触りだと、ピクリともうごけないだろう? キミの身体をこの空間座標に固定した。もはや動く事は不可能。 どうかな? この僕の――斉木清十郎の”固定の魔術”の味は……げほっ」 「この……死にぞこないがぁ……!!」 歯噛みしながら、必死に斉木の戒めから逃れようとするゴトウ。 だが、身体中を鉄の鎖でぐるぐる巻きにされているかのように身動き一つできない事に戦慄を覚える。 「あなた!!」 斉木に声を掛ける銅羅美。 「行け!!」 だが、斉木はその一言で彼女の言葉を遮った。 「キミが兄を止めろ! 行けッ!!」 ゴトウと斉木を横切り、背を向けて走り去る銅羅美。 そんな彼女の後ろ姿を見送ると、斉木はポケットから黒い塊を取り出した。 「貴様!! そ、それは!!」 斉木が取り出したのは、手榴弾だった。 彼は、何のためらいもなく手榴弾のピンを口に咥えると、一気にソレを引き抜いた。 「や、やめろぉぉ!!!」 「キミは危険すぎる……ここで僕と一緒に死のう」 斉木が言い終わると同時に、辺りが爆炎に包まれた。 SOS団結成後、5分での崩壊であった。 涼宮ハルヒ @涼宮ハルヒのバトルロワイアル ヒトシ・ゴトウ @スパロワシリーズ 斉木清十郎 @仮Fate 死亡 残り35人
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前回のあらすじ キョンと妹が気まずくなっている頃、古泉は力いっぱい長机を長門のマンションまで運んでいた。 ジュースを買いに行く途中、キョンはハルヒに怒られてしまったが、嫌な気分ではなかった。変な意味じゃなくて。 図らずとも自分を抜きにした緊急家族会議を盗み聞いてしまったキョンは、失意のうちに家を飛び出した。 気づくとそこは、長門のマンションの前だった。 ~~~~~ 長門は突然の来訪者である俺を、いつものように淡々と「入って」と言って出迎えてくれた。 長机が設置されたままの部屋の中には、もうSOS団のメンバーの姿はなかった。当然か。今日の活動は終了して解散したばかりなんだ。 長門しかいない部屋の中で長机だけがぽつんと立っている。楽しかった時間が終わりを迎えてしまった事実をつきつけられたような気がして、その光景が妙に物悲しかった。 俺を招き入れた長門はテーブルの前に座ると、正面を指してどうぞ、と言った。夜分に押しかけた身で腰が低くなっていた俺は、長門に会釈して言われるがままそこへ腰を下ろした。 勢いでここまで来てしまったものだから、長門に何と言って話を切り出したものか判からない。さて何を話したものか。俺がここに来るに到った理由を最初から順を追って説明していくと言うのも、何か違う気がするし。 「決まった?」 俺の目の前に湯呑みを置き、長門はいつもの無表情でそう言った。 「何から話すべきか、整理はついた?」 湯呑みからくゆる湯気で、少し視界が曇った。長門は、どこまで知っているのだろう。 あるいは、何も知らないけれど俺があんまりみすぼらしい格好をしているものだから、大筋を察して気を遣ってくれているのだろうか。 とりあえず長門が再び急須に湯を注ぎ、自分の湯呑みにお茶を注いでいるのを眺めながら、俺は無言で何をしゃべろうかと考えていた。 第一案『家族がかくかくしかじかな話をしてたのを偶然聞いちまったから、家から飛び出てきたんだ。今夜泊めて。』 う~ん、箇条書きふうに説明すると分かりやすくて親切なのだろうが、そこまで我が家の事情を事細かに言う必要もないよな。 第二案『家族が俺の存在を持て余してるようなんだ。居づらいから今夜泊めて。』 ここまで略すと、俺が追い出されたようで長門にあらぬ心配をかけてしまいそうだ。ボツ。 第三案『無職であることが家族に申し訳なくて、とうとう家出してきたんだ。今夜泊めて。』 逆に俺がこんなこと言われた立場なら、「とっとと帰れ!」と怒鳴りつけるな。俺の心情的にはこれが最適なんだが、俺の心情を吐露しすぎていて長門に心配かけそうだ。 第四案『家が全焼して、焼け出されてしまったんだ。親子四散して行くあてもないから、今夜泊めて。』 なぜ嘘をつくんだ、俺……。 確かに何を言っても長門に心配かけてしまうだろうし、説教されても仕方の無い状況ではあるが……。いや、しかし……。だが嘘はいかんよ、嘘は……。 どれくらいそうしていただろう。長時間、湯呑みを見つめながら眉間にシワを寄せてうなっていると、「今夜はもう遅い。泊まって行って」と囁くように告げ、静かに長門が立ち上がった。 遅いって、まだ午後の7時前だぜ。あやうく口をついて、そんなことを口走りそうになった。自分のマヌケぶりを露呈してしまいかねないそのセリフを、俺はすんでのところで飲み込んだ。 「……悪い。ありがとう」 結局、長門は知っていたのだろうか。俺がここへ来た理由。そして、知っていながら、俺が自分の口からそれを切り出すのを今まで待っていてくれて……でも、とうとう待ちくたびれて…… もうずっと昔のことのようにも思えるが、俺たちがまだ高校生だった頃のこと。SOS団が発足した時から、徐々に俺は自分の意思で行動を決めることが少なくなっていった。 それもそのはず。常人離れした行動力の持ち主、涼宮ハルヒ。宇宙人の長門有希に未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹がしょっちゅう退屈する暇もない騒ぎに巻き込んでくれたんだ。 周囲に引っ張り回されているうち、次第に俺自身の行動力は、そんな連中に吸い取られるように枯渇していった。 SOS団にいつも引っ張り回されているということは、別の言い方をすれば、SOS団に行動を依存しているということ。他者に自分のすべきことを任せきり、それに頼ってしまうということ。 いつしか俺はSOS団に面倒な行動の決定権を押し付け、誰かが腕を引っ張ってくれるのに身を任せるようになっていた。 それは非常に楽なことだった。この世の中で何が面倒かって、自分で新たな目標を創造し、その実現のために行動して行くことほど疲れることはない。 だから、いつも俺はぶつくさと文句を言いながらもSOS団にもたれかかっていた。自分のすべきことを次から次へと提示してくれる彼らの便利さに慣れ、それに馴染んでいた。 なんという自堕落。一度車に乗り始めた者が自転車に乗らなくなるように、俺は心も身体も安楽な方向へと慣れ親しみ、それに癒着し、他力本願になっていた。 俺は、膝の上でぐっと握りこぶしを結び、歯を食いしばった。 働かなくとも、いつかなんとかなる。妹に嫌な思いをさせてしまっても、そのうちなんとかなる。SOS団と一緒にいれば、いつか仲間たちが俺の手を引いて何とかしてくれる。 のんびりそれを待とう。待っていれば、解決の日はやがて訪れる。 何とかなるわけないだろう! 俺は自意識の中で何度もかぶりを振った。 自分から動かなきゃ、何とかなんてなるわけがない。そんなことは分かっている。分かっているが、分からないふりをしようとしている。不自然なまでに自己正当化をしようと無理をするから、そこから苦しみが生じる。 だが『日常』に慣れすぎた俺の頭と身体は、たとえ苦しみを感じても、面倒くさいという理由でいつもそこから目を反らす! ────自分でしゃべらなくても、賢い長門なら俺の言わんとしていることを察してくれるさ。言いたくないことを無理して言う必要なんてないだろ? ────長門に頼っておけよ。 俺のそんな矮小な心根に気づいたから、長門は気を遣って今日は泊まっていけと提案してくれたんだ! ────家出しちゃったから、無難な長門のマンションに泊めてもらいたいな。長門なら断らないよな? 長く太い舌をベロリと垂らす醜いバケモノのように醜悪な俺の自我がそう言っていた! 俺はそれに気づいていながら、その甘い言葉に自分から飛び込んだ! そんなことだから……そんなことだから! 俺はいつまで経っても……! 俺は意を決して立ち上がった。のろのろと緩慢な動作だったが、俺にとってはそれが、渾身の力をふりしぼった動きだった。 「長門!」 振り向いた長門の瞳に、薄らみっともなく、だらしない自分の姿が映っているような気がした。だが、だからこそ。俺は言わねばならない。自分が他人に頼らず、他ならぬ自分自身の口で言わねばならないことを。 「俺さ、家でいろいろあって……その、家出、してきたんだ。お前のところを頼るのも悪いと思ったが……他に、行くあてもなくてさ」 肩越しにこちらを見ていた長門が、ゆっくり俺に向き直った。正面を向いた。俺も、正面から長門に向き合わねばならない。 「本当に悪いんだが、今晩、ここに泊めてくれないか?」 言った……言い切った。 わずかに。少しだけ。ほんのり、長門が微笑んだような気がした。 再び俺に背を向けて台所へ歩いて行く長門の後を追い、俺も台所へ入って行った。心の中にはあふれんばかりの、達成感が満ちていた。 「夕食作るの、手伝うよ!」 「あんた、ゆうべ有希のマンションに泊まったの!?」 これ以上ないくらいに目を丸く見開いたハルヒは、公園のブランコに急制動をかけながらそう言った。 「ん? ああ。ちょっと、やむにやまれぬ事情があってだな」 「事情って、家が全焼して焼け出されて、親子四散して行くあてもないから有希のマンションに行ったとか?」 「いや、そういう理由じゃないが……」 「じゃあどうせ、家で親に無職であることを心配されるのに耐えかねて~、とか言う理由でしょ?」 ま、まあな……。よく分かったな。 「あったり前じゃない! あんたが家出する理由なんてそれ以外考えつかないわよ! 馬っっっ鹿じゃないの!? そんなことで有希の家に押しかけるなんて!」 俺も自分のことながらバカな真似したな、とは思っているが。お前がそこまで激昂することじゃないだろう。 「有希のマンションは私たちSOS団にとって、のんびり羽を伸ばしたり将来のことを心置きなく内々に話し合ったりできる憩いの場なのよ!? そのオアシスを独占するなんて、身の程知らずにもほどがあるわ!」 ちなみにハルヒは、長門の両親は高級マンションを購入した直後にオーストラリアに出張が決まり、長期の海外赴任のため渡豪していると思い込んでいる。 長門本人がそうハルヒに説明したのだからハルヒとしても信じるしかないのだろうが、なんとも胡散臭い話だ。なんせ、長門はかれこれ5年以上あの部屋に独り暮らししてるんだもんな。 「で?」 朝比奈さんのお茶を一気に飲み干したハルヒは、やたらと不機嫌そうな目つきで俺の胸倉をとっつかんだ。 「ゆうべは有希に、変な真似してないでしょうね?」 なんだよ、変な真似って。 「有希に指一本ふれていないでしょうね、ってことよ。エロいあんたのことだから、おとなしい有希の性格につけこんで、あれやこれやそれやどれまで……」 おいコラ。なに勝手な妄想を膨らましてるんだ。んなわけあるか。宿を提供してくれた恩人に、不義理な所業をするわけないじゃないか。俺はそこまで外道じゃないつもりだが。 「本当になにもなかったんでしょうね。何か不届きな行いに及んでみなさい。あんたのそのお粗末な物を、ガスバーナーで焼き切ってやるからね!」 鉄工所の職員かよ、お前は。 「ふんっ!」 最高にご機嫌斜めのハルヒは、そのままプリプリ怒って鶴屋さんの元へ歩いて行った。 俺が長門のマンションに泊めてもらったことが、そんなにも腹立たしいのかね。何年つきあっても、あいつのバイオメーターだけは予測できないな。 結局俺はその日も家に帰らないことになった。いや、『~ことになった』なんて他人任せな言い方はやめよう。自分自身でそう誓ったのだから。 俺はその日も家に帰らないことを決めた。心苦しくはあったが、長門にそう進言すると、案の定と言うか何と言うか「今日も泊まって構わない」と応えてくれた。 SOS団のメンバーが解散となった後、俺は長門と連れ立って夕食の買い物に出かけた。今日は、俺が一人で夕食を作るつもりでいた。一宿一飯どころか二宿二飯の世話になるんだ。いくら誠意を尽してもやりすぎるということはない。 「なあ、長門。お前は無職であることに悩んだりしないのか?」 街灯の明かりの下を歩きながら、隣の小柄な宇宙人にそう問いかけた。宇宙人に就職問題を投げかける自分が、少しおかしかった。 「別に」 予想通りの回答だ。まったくもって羨ましいよ。 「職業に就いていないことに懊悩を感じるのは、あなたがそこにコンプレックスを抱いているから」 否定しないよ。この年になれば手に職を持って働いているのが当たり前だ、みたいな考えが主流のこの国じゃ、無職であることに引け目を感じて当然だ。 「無職であること自体は悪いことではない」 無表情なまま、長門が何を言おうとしているのか。ちょっと興味があった。 「『子供』と『大人』の問題」 長門はまた、ささやくようにそう言った。 「『子供』は被保護者、つまり保護されるべき者。『大人』は保護者、つまり被保護者を保護する義務を持つ者」 俺の手にぶら下がるビニール袋が、がさりと音をたてた。 「極端な言い方をすれば、子供は働く必要のない者。大人は働かなくてはならない者。社会的な意味合いでそう例えた場合──」 長門は、不意に俺の顔を見上げた。街灯程度の光源じゃ、その瞳に何が映っているのかを判別することはできなかった。 「『子供』は『大人』に成った時、初めて就労に服さねばならない」 長門は足を止めた。靴ひもでも解けたのだろうかと俺も立ち止まり振り向くが、長門はただ、その場に立ち尽くしているだけだった。 「まず、『子供』であることを脱しなければいけない」 小首をかしげて長門の意図するところを汲み取ろうと努力してみたが、俺にはそれ以上長門の言葉の意味が理解できなかった。 長門が何を言っているのか皆目わからない俺は、結局その話題を切り上げて今夜の夕食のメニューへと議題を移すのだった。 ただ、長門の言った『子供』という言葉が、頭の片隅にずっと残っていた。 「ふむ。それはひょっとすると長門さんなりの、あなたへの叱咤激励だったのかもしれませんよ」 相変わらずブランコを独占するハルヒに背を向け、俺はベンチで古泉と昨夜の長門の話について論議していた。 「文化人類学の中に通過儀礼、イニシエーションという研究対象があります。これは、古来から人間が成長していく過程で経なければならない、文化ごとに定められた伝統儀式等の総称なのですが」 学問とか専門用語はやめてくれ。俺には難しすぎてよく分からん。 なにが嬉しいのか知らないが、古泉はいたく喜ばしい表情で、ふふっと笑ってみせた。こいつ、俺を無学だとバカにしたいのか? 「たとえば、縄文時代の古代人たちは、子供が大人へと成長する一つの転機として、歯を抜く風習があったと学校の歴史の時間に習った覚えはありませんか?」 ああ、そういえば日本史の授業で抜歯、とかいう単語があったようななかったような……。 「昔から、そして今でも、世界各地の民族の間では抜歯や刺青、バンジージャンプなど危険や苦痛を伴う行為が、子供から大人へ成長すための重要な儀式であるとして脈々と受け継がれています」 そういやテレビ番組で観た覚えがあるな。ジャングルの奥地みたいな場所に住んでいる民族は、子供が大人になる年齢に達すると密室に閉じこもって数日間断食する風習がある、とか。 「それが通過儀礼、イニシエーションと呼ばれるものです。通過儀礼は主に痛みを伴うことが多いのですが、日本においては元服や七五三など、祭典のみに留まるものが主流ですね」 ずいぶん野蛮な風習だな。歯を抜いたり、肌に針をさして刺青しないと大人として認めてもらえないなんて。 「野蛮、原始的と言い切ってしまうと、確かにその通りですが、苦痛を伴う通過儀礼とは非常に効率的なものでもあるのですよ」 こういう話をしていても、古泉の笑顔は崩れない。話題が話題だけに、ある種のサディスティック野郎かと思われるぞ。 「まず痛みを伴うことにより本人にダイレクトに、自分は大人であると認識させることができます。苦痛というファクターが、『式典』と『成人』という二つのイメージを直結させるのです」 「あなたは中学校の卒業式で、自分が義務教育から解き放たれ大人の仲間入りを果たしたと感じましたか? 成人式に出席して、自分が成人と呼ばれる人間になったのだと自覚しましたか?」 そう言われると……してないな。式典の意味は理解していたからそれなりの感慨はあったが、何かを感得したり自覚したかと言われると……していない。 「それが普通ですよ。僕もそうです。現代の日本の式というものは、たいてい形骸化した退屈なだけの物が非常に多い」 「だから我々は主観的に、自分の人生の節目を理解できない。成長の境目を感じることが難しい。いつまでも自分が子供だと、心のどこかで思ってしまう」 俺はわずかに身をふるわせた。考えてみれば「俺はまだ若いから、子供だから」と、自分のどこかにそういう思いがあり、それが就職や大人らしい振る舞いへの障害になっていたように感じられる。 「三十代や四十代のいい年した大人に幼稚な人がいたりするのは、そこら辺にも原因があると思いますよ。自分の成長の過程が客観的に理解できないから、いつまでも自分を『子供』であると思い続けてしまう」 俺は何気なく、後ろを振り返ってみた。そこでは、ご機嫌真っ盛りなハルヒがぶんぶんとすごい勢いでブランコをこいでいるところだった。 おそろしい……。あれが二十代の女というのだから……。小学生にしか見えないぞ。俺が言えた義理じゃないが……。 「通過儀礼を話の引き合いに出したのは、長門さんの語った話を元に僕が考えた、僕なりの意見です。あまり気にしないでくださいね」 今日は少々、予定がありますのでこれで失礼します。そう言って、古泉は公園を後にした。 俺の頭には古泉の話した通過儀礼の内容が、流水のようにぐるぐると回っていた。 苦痛を伴うような特別な経験をしなければ、人は『大人』にはなれない? 特別な経験を体験できない人は、いつまで経っても『子供』のまま? 古泉はそこまで極端な話はしていなかったが、詰まるところ、俺にはそう思えてならなかった。 「ねえ、キョン!」 特別な体験というものに一切心当たりがない俺は、果たして『大人』になれるのだろうか。などと考えていると、突然後ろからハルヒが呼びかけてきた。 肩越しに振り返ると、やたらと嬉しそうに手を腰にあて、さん然と笑みを浮かべる団長さまがそこに立っていた。 「私も今夜、有希の家に泊まることにしたわ!」 徐々に自分の眉間にシワが寄っていくのが、手に取るようにわかった。 つづく
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前回のあらすじ 鶴屋さんのおうちは非常に大きな旧家です。一生働かなくてもいいくらいお金持ちです。旧家ですが、鶴屋さん本人は大変に前衛的な方です。 もっともっと遊んでいたかったようですが、とうとう働かなくてはいけない時期になってしまいました。これが幸せなのか不幸せなのかは分かりかねますが。 新築の喫茶店をひとつ任されることになった鶴屋さんでしたが、それがとても面倒だったので公園へ逃げ出してしまいました。 その後、長門のマンションに連れて行かれたSOS団はハルヒによってショッキングな告白を受けてしまいます。 SOS団は解散するようです ~~~~~ ハルヒは高校時代、酒で苦い経験をして以来ノンアルコール主義を貫き通している。だから今日のように盛大なパーティーが開かれていても、テーブルの上にアルコールの類は一切構えられていない。まあそれは別にいいんだが。 盛大なパーティーといっても、どこか大きな会館を借り切って大人数ではやし立てたり、豪華絢爛に着飾った集団がマスカレードをつけて優雅に微笑んでいるわけではない。 場所は長門のマンションの居間。服装もいつも通りのラフな私服。パーティーなんて大げさな言い方じゃなくて、仲間うちのささやかな会合と言った方が適切なものだ。 しかし料理は鶴屋さんが用意してくれた豪華食材を使ってSOS団三人娘が腕によりをかけて作られた世界にひとつだけのメニューだ。どんなセレブなパーティーでもこんな食事を口にすることはできまい。 たとえここが富士の樹海の最深部であったとしても、こんな世界にひとつだけの満漢全席が豪勢に盛り付けられていれば、そこは超豪華グルメパーティー会場と化してしまうに違いない。 まあ、今回はグルメパーティーじゃなくてSOS団解散記念パーティーなわけだが。 テーブルが布巾で拭かれ、人の心をあやしくくすぐる芳香を放つ料理が次々と並べられていく。待ちくたびれたぜ。この晩飯を腹いっぱい食うために、俺は朝と昼の飯を抜いてベストコンディションを設定してきたんだ。 こみあげる唾液を飲み込みながらジューシーに揚がった狐色のから揚げに見とれていると、コップを並べていたハルヒに 「ボーっと突っ立ってちゃ邪魔でしょ!」 と怒られてしまった。 ひとりだけ熊のようにウロウロしているのも悪いので何か手伝おうかと逡巡するも、狭い室内をSOS団メンバー (俺以外) 全員が慌しく動き回っているんだ。手を貸せることは何もない。 することもないのに同じ室内にいるとハルヒから 「団長が働いてるってのに、雑用がサボるな!」 と突き上げをくらってしまいそうだったから、俺は身を縮めてこそこそと廊下へ避難した。 とりあえず宴の準備が終わるまで身を隠していよう。皆が忙しそうに動いてる横で暇そうにしてるのも気が引けるからな。 こそこそとトイレに隠れて家に電話すると、妹が受話器に出たようだ。今夜の晩ご飯は食べてくるからいらないと言う旨を両親に伝えてくれと伝言を頼むと、妙に不機嫌そうな声で妹が受話器越しにぼやいた。 『またSOS団のみんなで一緒にいるの?』 え? ああ、そうだが。それがどうかしたのか? 『キョンくん、いつもSOS団と一緒にいるじゃない。夜くらい家に帰ってきてもいいんじゃない? キョンくんはハルにゃんたちのおもちゃじゃないんだよ』 ここ数日妹がSOS団の話をする時、わずかな変化だが、不機嫌になっているような節がある。しばらく遊んでやっていないんですねてるんだろうか? まさかな。もうあいつだって立派な大人なんだ。 辺りを照らす電灯の明かりが、少し傾いだように思えた。 子供だろうが大人だろうが妹は妹であり、何歳になろうとも俺の大切な肉親に違いはない。しかしだからこそ距離をおくことだってある。俺の都合で距離を作ることだってある。たとえ家族同士であろうとも人と人との間に一定の距離は必要だと思うからな。 その距離を読み間違えた人がKYと言われたり、ストーカーなんて馬鹿げた事をしたりするのさ。距離を図るということは相手を認めるということだ。 人は他人の存在を認識しているからこそ、相手のテリトリーを侵さないよう留意していられる。もしもそのテリトリーと己のテリトリーが重なり合ってしまったら、人はそれを不快と感じ自己領域から相手を追い出そうとするだろう。 他人から煙たがれる人は、たいていこの近すぎず遠すぎずの距離が測れていないんだ。 遠慮して距離をとりすぎる人は相手に背を向けてその存在に心を許していないと受け取られがちだし、逆に近すぎると馴れ馴れしく、相手の領地を征服しようしている暗喩だと受け取られかねない。 身内同士ということで、俺と妹のテリトリーは互いに同種のものであり、特に警戒を強めることもなく開かれているけれど。それでも、何故か最近は無性に妹との距離感が気になるのだ。 「俺のことを心配してくれているのは分かるんだが、俺のことは放っておいてくれていいぞ。夜が遅くなって迷子になるような年でもないしな」 『ダメだよ。キョンくんは帰ってこないと。家族なんだから』 たまに妹と話が合わなくなるんだが、俺なりにその原因をいろいろと考えてみた。何が誘因で、俺と妹との論上にすれ違いが生じてしまったのか。 妹は言う。キョンくんのためだから、私が○○してあげるから、キョンくんは△△するべきだ、と。 朝俺をたたき起こしに来ることも、朝ごはんを作ってくれることもありがたいことに違いはないのだが、なんて言うか、こう言うと悪いが……俺にはそれがおしつけがましく感じられるのだ。 朝は私が起こしてあげる。ごはんは私が作ってあげる。キョンくんが暇そうだから遊んであげる。夜は寂しいだろうから、私がむかえてに行ってあげる。私が。なんでもしてあげる。 私が、私が、私が、私が私が私が私が─── ───だから、私が必要でしょう? だから? 俺は、妹にこう言わざるをえない。 「なあ。もうそろそろお前も、兄離れした方がいいんじゃないか?」 『えっ……』 電話の向こう側の妹の吐息が受話器越しに伝わってくる。まるで俺に何かを言い返そうとして、口外する直前にそれを思いとどまった。そんな感じの躊躇が電子音を通じて感じられた。 世話を焼きたがる人によくある傾向だ。怠惰な性質の人に世話を焼き (たとえそれが押し付けであろうとも)、自分がその人にとって必要な人間であろうと主張する。 認められたい。自分を見てもらいたい。私という個人を認知し、肯定してもらいたい。顕在したい。存在したい。でも、それを為すための具体的な方法が分からない。 そういう人は、自分で自分自身にひどく曖昧で、そこから価値が見出せないから、まるで自分の姿を鏡に映し出すように、他人に自己という姿を知らせ、それが有益なものであると思い込ませようとする。 有益ということは価値があるということだし、価値があるということは形を持ちえるということ。形を持つということは、曖昧に濁っている自分像をはっきりと目視確認できるということにつながる。 そういう人は一様に、相手のためだと言いつつも、その実、自分のことしか考えていないことが多い。俺は、大好きな自分の妹にそんな有言無実な人間になってもらいたくない。 『……でも、私がいなきゃ……キョンくんは』 だから俺は妹に言わなければならない。俺は妹の声を途中で遮り、明瞭な意思で言葉を発する。 「俺は大丈夫だ。自分のことは自分でできる」 俺にも悪い点はある。だらだらと怠惰な生活を送っていたことが、結局妹に悪影響を及ぼしてしまったと言えなくもないんだ。 負い目を持つ者、自尊心の低い者。そういう人が複数人集まり互いに自分の自己顕示欲をなすりつけ合う。そうして互いに、自分が相手にとって必要な人間であると認識し合う。共依存というやつだ。 きっとあいつは、日常の何かから逃げていたんだと思う。何に背を向けていたのかは知らないが、何かの苦難から目をそらしていた。しかしそんな自分が嫌だった。そんな自己嫌悪から逃げ出そうとしていた。その逃げ場が、畢竟俺だったのだ。 妹は俺に依存していた。俺に必要な人間であると認めてもらおうとして、世話を焼いていた。俺がもっとちゃんとしていればそんなこともなかったろうに、そのせいで妹に逃げ場を与えてしまった。 怠惰な兄の世話を焼くことに自分の存在意義を見出したあいつは、嫌なことから目を反らして生きる術を見出した。楽な道に進み、困難に向かい合って自分で自分の姿 (価値というべきか?) を目視確認しようとする努力を怠ったのだ。 はっきりしない俺の態度が、あいつの人間的成長を間接的に圧迫していた。だから、それに気づいたから、俺は妹にはっきりと明言したのだ。 もう、俺にお前の世話は必要ない。だからお前は辛い現実に身体からぶつかっていき、自分を誇って生きてくれと。 俺は通話を切られた携帯電話を閉じ、重い頭を抱えてトイレから出た。 そこで怒ったハルヒにつかまった。 「団長や他のみんなが一生懸命準備してるのに、料理もしてないあんたが何でトイレにこもってサボってるのよ!」 あぁ、いや、サボってたわけじゃないんだぜ。今夜は晩御飯いらないと家に連絡してただけなんだ。あと、妹に人生の先達として生きるという意味を哲学的な部分までにおわせつつ講義したりだな…… 「抹香臭い言い訳なんて聞きたくないわ! だいたい携帯で家に連絡なんて10秒もあれば十分でしょ。トイレにずっと立てこもっていた理由にはならないわ」 ……確かに、それはそうだな。ごもっとも。 「罰として、今夜のパーティーの司会進行役はあんたに担当してもらうわ! 意義は認めないわよ!」 マジかよ。勘弁してくれよ。そんなのはお前か古泉の役回りだろう。俺にやらせたってつまらないパーティーになるだけだぜ。 「いいのよ。SOS団内の雑用は全部あんたの専売特許でしょ。ごちゃごちゃ言わずにやるの!」 へいへい。ったく、しょうがないな。SOS団での最後の大役をまっとうさせていただきますよ。 えー、本日は大変お日柄もよく…… 「何つまんない前置き言ってるのよ。さっさと本題に入りなさい」 ええい、人に司会進行をやらせておいて。文句つけるんじゃない。 「挨拶はどうでもいいから。乾杯が済んだら一発芸をやりなさい、一発芸。思いっきりうける芸じゃなきゃ許さないわよ」 無茶苦茶言うなよ。俺にそんな才能はない。笑える芸を見たけりゃ、古泉に落語でもさせりゃいいだろ。 「はっはっは。僕もそちらの方面には詳しくないもので、ご期待に沿いかねると思いますよ。寡聞にして、申し訳ないです」 とにかくだ。俺に一発芸は無理だ。なんならハルヒが手本を見せてくれりゃいい。 「ダメよ。私は採点専門なんだから。司会やるのはあんたの役。役割分担は大事なのよ。分かってる?」 分かってる?と訊かれてもな。不条理を感じてやまないんだが。役割分担も大事だが、適材適所で司会に向いた人を配してくれよ。 「ぶつぶつ言ってる暇があれば、バック宙返りでもやりなさい」 お前は俺に何を期待してるんだ。100%成功するはずのない体術をやらせてどうしようというのか。たすけてピコ魔神……。 俺が反論したところでハルヒが聞くはずもないか。それでもやれ、いいからやれ、とやたらバック宙を推奨するハルヒに根負けして、バック宙の代わりに床の上で後転してやった。後方回転なんて小学校の授業のマット以来だぜ。 そんな程度の低いバック宙があるか!とやたらご立腹の団長殿だったが、しかたないだろう。これが俺のフルパワーなんだから。 「僕らは皆、あなたがバック宙をしようとして怖気づき許しを乞うか、それとも後頭部を床にしたたかに打ち付けるかを想像していたのですが。思ってもみなかったあなたの後方回転という切り替えしにはしてやられた思いですよ」 いつも通りの慇懃な笑顔で、褒めているのか小馬鹿にしているのか分からないセリフを口にして方を竦める古泉。しかしやはり馬鹿にされているんじゃないかと感じてしまうのは、きっと長年積み重ねてきた経験からの条件反射だろうな。 「馬鹿になんてしていませんよ。あまりにもいつも通りの、SOS団らしい展開だったのでとても微笑ましく、ハートウォーミングを感じていただけです」 ハルヒと鶴屋さんが朝比奈さんに前転を強要している現場を傍観しながら、俺と古泉はテーブルの後方席でぽつぽつと語り合っていた。別に意味があって古泉と並んで座っているわけじゃない。たまたまだ。 確かに、こうしていると何の変化も感じない。いつも通りのSOS団だ。俺がため息をつきながら、古泉が傍らで肩をすくめながら、長門が無表情に座り、ハルヒと鶴屋さんが朝比奈さんにかまう。 今日がSOS団の解散の日だなんて、面と向かって言われてもそれが本当だとはにわかに信じられない。まさに、いつも通りローテーション。気をぬけば明日も明後日も、毎日がリンクするように、変わらずSOS団は継続していくのでは、と思える。 「それにしても。あのハルヒがねえ。SOS団を解散するなんて言い始めるとは。未だに信じられないぜ」 朝比奈さんがハルヒと鶴屋さんに前倒しに転がされているのを眺めながら、古泉は小さく息を吐き出すように笑った。 「以前、僕が文化人類学の通過儀礼の話をしたことを覚えていますか?」 通過儀礼? ええと確か、バンジージャンプとか、抜歯とか、そういう痛い話だったっけ? 「そうです。人間が成長していく過程で、次の段階の期間に新しい意味を付する儀式のことです。涼宮さんはこのイニシエーションを経験したからこそ、SOS団を解散する気になったのでしょうね」 ハルヒが、そんな痛い儀式を? いつのことだ? バンジーだか刺青だか知らないが、ハルヒがそんなことをしたと聞いたことはないし、それにその程度でハルヒがSOS団を解散するとは思えないんだが。 クエッションマークが浮かぶ俺の頭を知ってか知らずか、膝をつきながら古泉は湯飲みを傾けた。 「通過儀礼は、なにも苦しみや痛みを伴わなければいけないというものではありませんよ。むしろ、苦痛を伴ったとしても、自分が人生の次の段階へ進まなければならないという意識を持っていなければ、無意味とも言えます」 そういや以前、成人式に行ったからと言って大人の仲間入りを果たしたと実感するわけじゃない、という話をお前から聞いたことがあったな。 「まあ痛みこそなかったようですが、ここしばらく涼宮さんはずいぶん苦しんでいましたよ。お忘れですか? 数日前の、世界中の時間軸が数年前まで巻き戻された事を。あれも涼宮さんの苦悩が引き起こしたイニシエーションの一環だったようです」 ……わけが分からなくなってきたぜ。またそうやって俺をからかって遊んでるんだろ? 「いえいえ。そういうつもりではないのですが。通過儀礼にたとえたのは話を進める上での便宜ですよ」 湯飲みを机上に戻し、古泉は膝を曲げたまま話し始めた。 涼宮さんはずっと悩んでいたんです。 私たちはこのままでいいのか? いつまでも無職のままでいいというわけはないけれど、だからと言ってどうすれば良いか分からない。 なんとかしなければならない。就職もしなければならない。しかしそれも思うようにいかず、ままならない。 社会に出ようとする意欲は十分あるのに、そこでは自分の価値感が通じない。世間と自分の間に温度差がある。いや、本当は温度差など気にならないほど小さな差でしかないけれど、私にはその小さな差が耐えられない。 社会に出れば思い通りにいかないことも多々あるだろうとは覚悟していたけれど、理性がそれをストレスとして認識してしまう。そして、それを耐え忍ぶよりも。それでも私にはSOS団がある。 就職先に納得がいかなくても、社会に得心がいかなくても、SOS団に行けばみんながいるんだし。無理して働きに出る必要もないわ。 でもこの年になってフラフラしてるのも嫌だし、ニートとか無職とか言われるのも癪だし。それに、SOS団にいつまでもこだわり続けるわけにもいかないし。皆も早く一人前に自立しないといけないし。 逃げていてはいけない。逃げているだけでは凝視しなければならない現実が見えなくなってしまう。ぼやけてしまう。背を向けてしまっては見えなくなることがある。そしてそんな、目線を反らして見えなくなるものこそが本当に大事なものなんだ。 SOS団は過ごしやすい我が家のようなものだけど、それが皆の視界を覆う目隠しになってしまうのは堪えられない。 当たり前のことだが、前が見えなければ前には進めない。前を見ようと思ったなら、前を向かなければならない。 前を向くということは、つまり─── 「歯を抜いたり身体に針を刺したり、分かりやすい直接的な痛みを与えるだけがイニシエーションではありません。人が自分自身を変えようとする苦しみは、どんな形であれ全てイニシエーションに通じます。それが社会に適応しかねるという懊悩であってもね」 壁に背をあずけた古泉は相変わらずの様子で、ハルヒに促されて前転する長門の動作を眺望していた。 俺は涼宮ハルヒという人間を誤解していたのかもしれない。と、ふと思った。 もう長い付き合いなのだから、あいつのことはよく知っていると思い込んでいた。それが、どうやらそもそもの間違いだったようだ。 あいつは普通であることを嫌い、平凡な日常に悩むことはあっても、それ以外のことには基本的に関心を抱いていないと思っていた。 ハルヒは、そうだった。この世界が常識を保っていられるのは、あいつが誰よりも常識人だったからに他ならないんだ。 だからハルヒは、常識的であるが故に非常識に憧憬を抱いていたんだ。ただそれだけのことに過ぎなかったのだ。 きっとハルヒは、俺たちの誰よりも現実を見据えていたに違いない。だからずっとあいつは、この惨めな無職人生に悩み、苦しんで、もがき続けていたに違いない。そう。俺たちに見えない場所で。 あんなにもハルヒは駆けずりまわっていたじゃないか。なのに俺はそれが、行動力旺盛なハルヒの日常的な姿だとハナっから思い込んでいて。 こんなにもあいつの近くいたのに。こんなにも長い間あいつの隣にいたのに。こんなにもあいつを理解していると思い込んでいたのに。 「誰でもそうですよ。自ら望み無職であるのではない限り、悩んだり苦しんだり、絶望したり息苦しさを感じたりしているものです。あなたもそうだったのではないですか?」 きっと俺は無意識のうちに、口をへの字に折り曲げていたことだろう。古泉の問いかけが的を得ていたからだ。 確かに俺は、そうだった。無職であることに無力感を感じ、怠惰な自分に嫌気をさしていた。 こんな不景気な今の時代が悪いんだ、政治家が悪いんだ、と大した主張もなく斜めぶったことを考えながらすごしてきた。 たとえるなら、それは23時59分59秒。いくら時が過ぎようと、1秒経とうと1年経とうと、この固化して変色した考え方を変えない限り、俺の中の時計の日付は変わらない。 忘れ物をしていたことに、今やっと気づいたような思いがする。 「理想と現実のギャップに苦しむことができるということは良いことですよ。苦しみに苛まれている最中にはそれを良いと感じる余裕はないでしょうが、しかしその苦しみを踏破できた時、人はさらに熟成された人間へと進化することができるのですから」 古泉の言わんとすることも分かる。たとえるならば、俺たちの持つ類の悩みとは井戸を掘る行為に似ているのだろう。 井戸を掘っている最中は疲れ、汗が噴出し、体力も消耗し、スコップを持つ手が痺れて痛むだろう。しかしそんな痛みに耐えて穴を掘り続けていれば、穴はより深くなり、穴としての体裁を整え、やがては水脈に行き当たるに違いない。 テストで高得点を取ろうと思えば必死に勉強しなけりゃいけないし、金を稼ごうと思えば額に汗して労働しなけりゃならない。 そういうことなんだろう。より立派な人間になるためには、それなりの、哲学を学ばなくてはいけないなどと言うつもりはないが、様々なことを考え、感じ、経験し、自分の中でそれらをまとめあげなければいけないのだろう。 いつだったか、谷口は俺に言った。なんの感慨もなく社会に出たって、大人らしいのが外観だけで中身が伴っていなければ、より大きな苦労を味わうだけだし、後悔に打ちのめされると。 「だから僕らは苦しむのです。悩めば悩むだけ、人が掘り下げる穴は深まります。受け入れが広く、深ければ、それだけ多くのものを内包することができるのですよ」 ハルヒの方を眺める古泉の表情は、とても穏やかだった。 「涼宮さんのイニシエーションは、おそらく終わったのでしょう。彼女は理想と現実のギャップの苦しみから、彼女にしか知りえない悟り的なものを感得し、その上でSOS団を解散するのが最良だと判断するに至ったのでしょう」 俺の方へ向き直った古泉の顔は、いつも通りのうさんくさい笑顔に戻っていた。 「俗な言い方をするならば、涼宮さんも大人になれたということですよ」 重い腰を上げて長門のマンションから出た俺は、肌寒い夜風に身震いしながらズボンのポケットに手をつっこんだ。 俺の一発芸に始まり、回ったり走ったりはしゃいだり、語ったり歌ったり転がったりしていたSOS団解散パーティーが解散パーティーっぽくなくなってきた頃合を見計らい、俺は苦笑しながら食料の買出しに国道沿いのコンビニへと出かけた。 今日は、とても意義深い日になったと、俺はこみあげる感情をおさえきれずに一人でニヤニヤと古泉のようににやけていた。 思い返すだけでおかしくなる。まったく、せっかくのSOS団の解散パーティーだと言うのに。 あれは3,40分前のこと。朝比奈さんが 「SOS団がなくなると、寂しくなりますね」 と涙ぐんでいた時のことだった。 「今度うちがさ、新しい喫茶店をオープンさせることになったんだよね。んで、その店の経営が私に一任されちゃってるんだけどさ。従業員も決まってないんだよ。みんなさえ良ければ、職場を提供するからそこで働かないかい?」 最初は鶴屋さんが何を言っているのか分からなかったが、次第にその意味が分かってきたことで、最高にご機嫌だったハルヒが大声で鶴屋さんに詰め寄っていた。 そんなに力いっぱい肩を揺すっていたら、鶴屋さんの首がとれちまうぞって言ってハルヒを取り押さえたっけ。 「従業員が5,6人いればいいな、とか思ってたけどさ。まだ竣工もしてない店だし、従業員の募集もしてなかったんだ」 「え、いいんですか、鶴屋さん?」 困惑気味の朝比奈さんの顔には 「またノリだけで言ってるんじゃないのかしら」 と書いてあるように見えた。 「もちろんさっ! SOS団の皆なら信頼できる人材ばかりだし、立派に店を盛り上げてくれるだろうって確信してるもんね! 私もみんなが一緒にいてくれたら、めがっさ楽しいお店になるって信じられるし!」 ノリだけで話を進めるのはSOS団の悪い癖だが、良い所でもあると素直に思えた。 新生SOS団の結成と方向性が決まったわね、とまた勢いだけで新団体旗揚げを宣言するハルヒを止める者が誰もいなかったのは、ハルヒを止められないと諦めていたからではない。誰もがハルヒと同じ思いを持っていたからだったからだ。 一瞬のうちにあっさりと就職が決まり面食らっていた俺たちだったが、少し落ち着いて冷静になってみると、今後の身の振り方をみんなで改めて話し合う必要がありそうだと言うことになり、足りなくなったジュースやおかずをとりあえず俺が買いに行くことになったのだ。 いつもならパシリに使われることに抵抗を感じるところだが、今日はそんなものは一切感じない。ただ、自分も皆のために動いてやりたいという積極的な心地よい満足感があるだけだ。 とにかく早く買う物を買って帰って、みんなで新団体の組織構成について話し合いたいと思う。 いい機会だから団体名をSOS団から変えてみたらどうだろう。俺も雑用から格上げしてくれないか。などなど。いろいろと打診してみるつもりだ。 俺がコンビニに行ってる間に全てを決められていないことを願いつつ。 「今日はまた一段と寒いわね」 街頭のほのかな灯りの下で物思いにふけっていた俺は、背後から聞こえた聞き覚えのある声に少し驚いて振り返った。 「何がいいかしら。私は中華まんなら肉まんがいいけど、みくるちゃんは肉まんよりピザまんとかの方が好きかもね。有希は、やっぱりカレーまんが好きかしら?」 白いカーディガンを羽織ったハルヒが、早足で近づいて来て隣に並んだ。 「あんたは何がいいの? 肉まん? ピザまん? まさかあんまんじゃないわよね? 私あんまんが苦手なのよ。だから、あんたが勝手にあんまんを買ってこないかどうか見張りにきたの」 俺の腕の横にある、中華まんみたいにつやの良い頬が少し印象的だった。 「お茶買って行きましょう。ジュースばっかり飲んでたら口の中がべたべたするし胸がつかえるもんね」 いつものことではあるが、今日はよくしゃべるな。そういう衝動にでも突き動かされているのか? 「あら、ペラペラしゃべるよりも、有希みたいに無口な方が良いってこと?」 極端なんだよ、お前の感覚は。その中間がバランスよくていいんじゃないか。 「なんだか、胸がいっぱいになってるのよ。今はね。だから胸の中にあるものを全部出しちゃいたいような気分なの」 ふーん。そんなもんかね。 人通りの少ない宵の街路を、散歩をするように俺とハルヒが並び様に歩いていく。月明かりが、少し暖かく感じられた。 俺、料理免許とろうと思うんだ。ラーメン屋とか、自分の店を持ちたいとか思ってるわけじゃないけどさ。なんか、そんなんもいいかな。なんて思って。 「そう。いいんじゃない?」 暗い夜道はまっすぐに伸びている。乾いた風が前髪をなで上げるように吹いて行く。垂れ下がったカーテンのような街灯の光が、しんしんと降り積もる雪のように胸の中へしみこんでくる。 横目でちらりとハルヒの頬に視線を向ける。ハルヒは何かを考え込むような表情で、さっきまでのハイテンションが嘘のように落ち着いた様子で空を見上げていた。 塀向こうの国道から車のエンジン音が聞こえてくる。遠くの線路から列車の走行音が軽いリズムを伴って響いてくる。そんな当たり前の、違和感ない日常の出来事のひとつとして、隣をハルヒが歩いている。 ハルヒと肩を並べていることに何の感情も芽生えない。今はそれが当然、当たり前のこと、意識しなくても鼻が酸素を吸い込んでいるように至当のこと。今は。 ああ。そうか。と、俺はそこに至ってようやく気づいた。 何に気づいたかって? 野暮なことは訊くもんじゃない。くだらないことさ。 ハルヒ、これやるよ。 俺はポケットから取り出した銀のブレスレットをもったいつけもせず、ぶっきらぼうにハルヒへ投げてよこした。 「なによ、これ? ブレスレット?」 ああ。こないだ買ったんだ。何て言うか、お前への誕生日プレゼント。包装もなしで悪いが、別にいいよな? 「私の誕生日? 私の誕生日はもっと先なんだけど。あんた、古泉くんの誕生日と勘違いしてるんじゃない? それならまだ分かるわよ」 まあ、いいじゃないか。深い意味はないんだ。やるって言ってるんだから、受け取っておけよ。 手に取ったブレスレットをまじまじと観察していたハルヒは、それを無言で目線まで掲げ上げた。月の光を反射する銀の腕輪は、ハルヒの手の上できらきらと高価な宝石のように輝いていた。本当は安物なんだけどな。 「そういえば、こうして思い返してみるとあんたからまともにプレゼントもらったのって、これが始めてだわ」 活発なハルヒにならもっと派手な物が良かったかなとも思ったが、こうしてみるとシンプルで落ち着きのある物の方がこいつには似合うんじゃないかと思えてくる。 「ありがと」 小さな声で、ハルヒはぽつりとつぶやいた。傍若無人な涼宮ハルヒにはあまり似つかわしくないセリフだな。似つかわしくない言葉だったからこそ、普段とのギャップが大きくて。なんだか少し動揺してしまった。 俺とハルヒは夜風の中、言葉も無く歩いていた。これほど心穏やかになっている自分を意識するのは、本当に久しぶりのことだと思った。 マンションからコンビニまでの距離は決して近くないけれど、道中で人とすれ違うことのない静かな時間だった。 やたらとまぶしい光を正面から受けながら自動ドアへ近づくと、それまで横に並んでいたハルヒがごみ箱の前で立ち止まった。 「早くしなさいよ。皆も待ってるんだからね」 お前、入らないのか? 外は寒いぞ。 「私はいいの。いいからほら、行ってきなさいよ」 いいのか? お前が見張ってないと、あんまん買ってくるかもしれないぜ? 「あんたが好きな物買ってくればいいわ。あんまん買いたいんなら買えばいいわよ」 ハルヒはくすんだ自販機にもたれかかると、腕に巻いたブレスレットを見つめながらそう言った。まるで欲しくて欲しくてたまらなかったおもちゃを買ってもらった子供のように、しげしげと。 分かったよ。じゃあ、すぐに買ってくるからそこで待ってろ。肉まんもたくさん買ってきてやるから。 「うん。待ってるわよ」 顔を上げたハルヒは目を細めて微笑みながら、小さく手をふった。 自動ドアが低い電気音をたてて横へスライドする。コンビニ内の暖かい空気がゆるゆると肌をなでる。 あったかい。 そうだ。とそこで思い直し、俺はハルヒの冷えた手をとって引っ張った。 ハルヒは少し驚いたふうに目を開いたが、俺の手に引かれるまま店内に入ってきた。 「どうしたの?」 ハルヒの冷たくなっていた手が、次第にあたたかくなっていく。水銀灯のような明かりを含む大きな目が、俺を見つめていた。 俺だけに買い物を任せるなよ。お前も買いたい物があれば選ぶといい。店の前で待ってるだけなんて、つまらないだろ? 尻込みせずに、何にでも飛び込んでみるもんだぜ。そっちの方が楽しいし、お前らしいじゃないか。 「そうね。そうよね」 店内には誰もいない。俺たち以外の客は皆無だ。店員も陳列棚の向こう側でかがみこみ、商品の点検を行っているみたいだ。 まるでこの場には、俺とハルヒしか存在していないような錯覚さえもする。 「買いたい物があれば、一緒に選んだらいいものね。私たち、これからも一緒なんだし。ずっと、一緒がいいよね」 ハルヒは銀の腕輪を巻いた手首をなでながら、「うん」 とうなずいた。 FM放送の送る音楽が流れる中、踊るような仕草で手元の小ぶりな買い物かごを手に取ったハルヒは、押し付けるようにそれを俺に手渡した。 「んじゃ、さっさと買い物済ませて帰りましょう!」 整然と棚に並べられた化粧品の前を元気よく小走りに通り抜け、大型冷蔵庫の前でハルヒは立ち止まるのももどかしく振り返る。 「絶対に、絶対にずっと一緒なんだからね!」 髪をかきあげるハルヒの動作が、妙に懐かしい風景のように思えた。 そうだよな。それがいいよな。と。 これから先、何が待ち受けているか分からない新しいことへの挑戦だけど。仲間たちと一緒なら不安など何もない。むしろ楽しみなくらいだ。 何があろうと、大丈夫。きっとうまくいく。性根を据えるほどの覚悟はできていないが、何があっても過去を振り向いたりはしないつもりだ、という覚悟は決まってるんだ。 俺はゆっくりとした足取りでハルヒの後を追う。ハルヒも手を振って催促しながら、それを待つ。 焦ることはない。そうさ。今までだって、別に焦ることはなかったんだ。 時間は、まだまだたくさんあるのだから。 ~SOS団の無職 ・ 完~
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1.SOS団のメタボ ~1週目・炭水化物ダイエット (ローカーボダイエット) ~ 2.SOS団のメタボ ~2週目・スポーツダイエット (vs日向) ~ 3.SOS団のメタボ ~3週目・自己管理ダイエット (太めのピンクパンサー部隊) ~ 4.SOS団のメタボ ~4週目・我慢ダイエット (山篭り)~ 5.SOS団のメタボ ~1ヶ月目 ・ ガチムチパラダイス~
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前回のあらすじ キョンはついに自分の弱い心に打ち勝ちました。一言で言えてしまうほど簡単なことのようで、それはとても難しいこと。 古泉との話の中でイニシエーションについて聞かされるが、そんなの理解できません。門外漢が学術的な話についていけるわけがありません。 それでも、「自分自身を変えたいのなら、意識の根本的な部分を変える体験をしなければならないらしい」ということが何となく分かりました。 けれどその方策など皆目分かろうはずもありません。どうしていいか分からないからこそ、みんな毎日悩んでいるのです。 ~~~~~ あれほど広く、殺伐としていて、無駄な物など一切無かった長門の部屋に今はゴチャゴチャと引越し直前の家のように荷物がごった返していた。 フローリングの机の上にはハルヒのナップサックが投げ出されているし、床の上には古泉、鶴屋さんのバックが置かれている。部屋の隅にも朝比奈さんの大きな衣装バックが整えられている。 「みんな、そろったわね!」 ソファーの上で胡坐をかくハルヒは、有頂天な表情で室内をグルリと見渡し、SOS団員たちに声をかけた。 俺は「なんてこった……」と呟きながら、ハート柄のエプロンの袖に腕を通した。 俺が長門のマンションに厄介になっているとハルヒが知り、そのハルヒが自分も長門宅に泊り込む!と宣言した時から、およそこうなるであろうことは予測していた。 ……なにも、SOS団員全員で長門の家におしかけなくてもいいじゃないか……。 この世に心配事など何もないかのようにはしゃぐハルヒと鶴屋さんに背を向け、俺はキッチンへと移動した。 能天気なハルヒと同じじゃないんだ、俺は。自分という人間を見つめなおす転機として、ここに身を寄せているんだ。なのにそれを面白そうという理由で追ってくるなんて。迷惑千万だ。 「あ、キョンくん。お料理、手伝ってくれるんですか?」 ピンクのエプロンに、白いモコモコしたスリッパがよく似合う朝比奈さんが台所に立っている。その後姿はまるで新婚ホヤホヤの幼な妻を夢想させるほど輝いていて……って、何を妄想しているんだ俺は。 「ええ。本来夕食を作るのは俺の役目ですから。料理ができるかどうか怪しい古泉は別としても、ハルヒと鶴屋さんも夕食の手伝いくらいしてくれればいいですのにね」 「うふふ。いいじゃないですか。家庭の事情でここにいるキョンくんにとっては、遊び半分でお泊りに来てる私たちが無神経に映るかもしれませんが、あれでも涼宮さんたちも気を遣っているんですよ」 朝比奈さんが無神経なわけないじゃないですか。無神経なのは、突然SOS団全員に長門宅へ宿泊命令を出したハルヒただ一人ですよ。まったく、鶴屋さんなんて高級そうな菓子折りまで持参していると言うのに。 「鶴屋さんってノリが軽そうなのに、結構そういう礼儀作法的なところでは抜かりがないんですよね」 しゅるしゅると器用にじゃがいもの皮をむいていく朝比奈さんの隣で、俺はばりばりと玉ねぎの皮を剥がしにかかった。 普段は見られないエプロン姿の朝比奈さんの隣に肩を並べて立ち、一緒に料理をするというシチュエーションも悪くないな。むしろ大ありだな。 その後も、朝比奈さんの自動車学校での出来事や俺の身の上話などをぽつぽつ交わしながら、二人でカレー用の野菜を切っていく。 「そういえば、キョンくんは家出って聞いたんですけど、ご家族の方には連絡をとってないんですか? ご両親も妹さんも心配されてると思いますよ?」 俺の方をちらちらと覗き見ながら、朝比奈さんは心配気な表情で申し訳なさそうにそう言った。 「連絡はしてますよ。家を出た初日の夜に、妹に。理由は言っていませんが、しばらく家には帰らない、と」 親から連絡がこないように、ここ数日は携帯電話の電源をずっと切っている。連絡はあれ以来取り合っていないが、きっと妹なら俺がここにいると知っているに違いない。 毎日公園での顔合わせが終わり次第、SOS団は長門のマンションへ移動しているって妹は知っているからな。分かっていながらそっとしてくれている妹の心遣いに、改めて感謝の念を抱かざるをえなかった。 「キョンくんは、どれくらい長門さんのお家に居るんです?」 あ、ごめんなさい!と慌てて付け加える朝比奈さんの困った顔に苦笑しながら、俺は手元のニンジンへ目線を戻した。 「長居する気はないですよ。長門はしばらく居てもいいと言ってくれてますが、さすがにそれは気が引けますし。後何日かで帰ろうと思ってます。早ければ、明日にでも」 そう。いつまでも長門の好意に甘えているわけにもいかない。いつまでも現実から逃げているわけにはいかない。極力逃げるのはよそうと、自分で決めたばかりなのだから。 ただ、俺は家を離れて自分というものを見つめなおしてみたいと思っている。それで何かが得られそうな気がするから。 できあがったカレーの鍋を持って、俺はフロアルームに移動した。朝比奈さんが食器の準備をしている間に重い物を俺が運搬してきたのだ。朝比奈さんにカレー鍋を運ばせては、うっかり転んで落としてしまう可能性もあるしな。 「まただわ! もう、むかつくわねえ!」 居間に戻ると、ソファーにふんぞり返るハルヒが携帯電話を手にプリプリと怒っていた。スパムメールにでも悩まされているのだろうか。 「違うわよ。最近何故か、やたら非通知の電話がかかってくるのよ。それで、出たら即行で切られるか、無言電話。腹立つわ!」 どこかでいらぬ恨みでも買ったんじゃないか? で、その相手から嫌がらせを受けているという線が考えられそうだ。 「でも私、よっぽど親しい人にしか携帯番号教えてないのよ? 恨まれるような相手に電話番号を知られているわけないし。それとも、どっかの企業から個人情報が流出してるとか!?」 そんなことは知らん。そんなのは相手にしなけりゃいいだけの話だ。それより、ほら。机の上を片付けろ。朝比奈さんと俺の合作カレーが食えないぞ。 「分かってるわよ、そんなこと!」 ぶつくさと文句をたれながらも、古泉と鶴屋さんの手を借りて机の上とその周囲の荷物を脇へどけるハルヒ。 ようやくスペースの空いた机へカレー鍋を置くと、無言の長門が俺に大きな袋を差し出した。ファンシーな柄の布だが、見覚えのある袋だ。 「さっき、あなたの妹が着替えだと言ってもってきた。あなたが料理中だったから、代わりに受け取っておいた」 そうか、これは妹の袋か。あいつ、俺の着替え持ってきてくれたんだ。そっか……嬉しいな。 長門から受け取った着替えの重みを自分の手で感じた時。携帯を切って家族との連絡を一方的にシャットアウトしていた自分が恥ずかしくなる。妹がこれほど俺をアシストしてくれているのに、俺ってやつは。後で礼を言っておかないと。 その後、朝比奈さんが台所からお茶や食器を持ってやって来て一斉に居間がにぎやかになっても、長門はじっと俺を見ていた。無言の視線ではあるが、そこからは、何か言いたげな強い意志を感じる。 「長門、どうかしたのか? なにか俺に言いたいことがあるのか?」 家賃を払えといわれても、俺には断る権利はないな……。もし本当にそう言われたら、出世払いまで待ってもらうしかないな。 「あなたの、妹の件」 俺の妹? 妹が何か言ってたのか? さっさと帰って来い、くらいは言われてそうだな。 「あなたに伝えるべきかどうか判断がつかず、今まで黙秘していたことがある」 長門は、真剣だった。 俺と長門の背後で、ハルヒたちがワーワーと騒ぎながらカレーを食器によそい、サラダにドレッシングをかけて机の上に並べている。 あきらかに、そこに流れる明るい夕食の空気と、俺と長門の間に流れる重苦しい沈黙の雰囲気は異質だった。 「あなたが家を出てここへ来た初日から、あなたの妹がこのマンションの前に立っていた」 重い口を開き、長門がしゃべり始めた。 「それから毎夜、あなたの妹はマンションの表から、私の部屋をずっと見ていた」 俺は返答に窮する。妹が、マンションの前で毎晩? まさか妹がそこまで俺のことを心配してたなんて……いい年した兄貴をそこまで気遣うというのもどうかと思うぞ、我が妹よ。そう言って苦笑しようとした俺の笑顔を、長門の言葉が凍りつかせる。 「あなたの妹は毎夜マンションの前へ現れては、平均して20時から26時まで、マンションの前に立っていた」 一瞬、俺の思考がマヒする。長門の言った言葉の意味がよく理解できなかった。 「……なあ、長門。20時って……夜の8時だよな。26時は、ええと、深夜の2時? 6時間も、俺の妹が、夜毎……マンションの前に?」 タチの悪い冗談かと思った。しかし、そんなタチの悪い冗談ともっとも遠い位置に立っている人物が長門有希ということを、俺はよく知っている。 長門はいつも真実しか口にしない。長門が俺に嘘をつくなんてありえない。だが、妹が、毎晩毎晩深夜に6時間も……そんな話、にわかには…… 「あなたに混乱を与えるだけと思い今まで黙っていた」 わずかに悲しそうな顔をして、うつむいて、長門は、そっと俺の前から歩み去った。 な、なんだってんだ? どういうことなんだ? さっぱり分からないぞ。俺は長門から与えられた情報をいかに飲み込んだものか判じかね、手の中の着替えの入った袋をじっと見下ろしていた。 その時、背後から携帯電話の呼び出し音が聞こえてきた。昔っから一途までに変わらない音だから誰の携帯だか一発で分かる。ハルヒの携帯だ。 「あ、まただわ……!」 さっきまでの喧騒が嘘の静り返る。この静寂は、通話の邪魔にならないようにと皆が気を遣ったものではない。ハルヒにかかってきた電話が、さっき言っていた非通知のイタヅラ電話だったから誰もが言葉を失ったのだ。 あんまりしつこい非通知電話なら即座に切ってやっても良いだろうが、そうしないのが好戦的な涼宮ハルヒという人物だ。 「もしもし!? どちらさま?」 眉を吊り上げ、迷わず受信ボタンを押すハルヒ。非通知で相手が誰かも分からないのに、しょっぱなから怒りモード全開で誰何する。 「……もしもし? 黙ってたら分からないでしょ。名前くらい名乗りなさいよ」 予想通りの展開だ。電話の相手は無言を通しているらしい。その様子を見つめていると、電話を受けているハルヒ本人より、むしろ周囲にいる俺たちの方が心情的につらい。 「あんたね、毎日毎日飽きもせず、安くない携帯代を払って何で私に無言電話なんてかけてくるの? 私に何の恨みがあるって言うのよ? 何とか言いなさいよ……もしもし? もしもし!?」 直感した。電話が、切られたのだ。 ハルヒは無言で携帯を閉じ、乱暴にズボンのポケットにねじこんだ。 その後の夕食は楽しいものとなったが、それでも最初は、乾いた、どこかよそよそしい雰囲気が拭えなかった。 ~~~~~ これは私にとって日課のようなもの。涼宮ハルヒの怒声を一通り聞き流し、相手のイライラが限界に達そうという直前に、電話を切る。 そんな私の日課を見ている者は誰もいない。携帯につけてあるウサギのストラップの、うつろな瞳以外には。 私は底意地の悪い愉快な気分を腹の中にためこんでベットの上に寝転がった。 今ごろ、キョンくんは何をしているだろう。晩御飯を食べてる頃かな? あのSOS団と一緒に。 無性に、いらいらと、落ち着かない。 キョンくん、キョンくん。どうして家を出てしまったの? 私には分からないよ? 何の不満があったの? 数日前、私が朝キョンくんとゲームで遊ぼうと思い、つい心無い言葉を口走ってしまったから? きっとそうだ。そのせいで、キョンくんは出て行ってしまったんだ。 そうに違いない。そうじゃないと、他に理由が思い浮かばないもの。 私はいつも彼の理解者であろうと努めてきたし、その甲斐あってキョンくんも私には、お父さんお母さん以上に心を開いてくれていたもの。 なんて失態。つい口からまろび出てしまった舌禍とはいえ、悔やんでも悔やみきれない後悔。ああ、イライラする。落ち着かない。 昔からそうだった。ズボラな性格のキョンくんには、私がいてあげないといけないんだ。私がいてあげないと、彼は朝も満足に起きられないんだ。 私がいてあげないと。ちょっと年の離れた兄とはいえ、彼はまだ精神的に成熟していないんだ。だから私の面倒見があってようやくそれなりに大人をやっていけるんだ。 涼宮ハルヒたちSOS団なんかに、キョンくんの世話なんてできるわけない。いつもいつも兄を引っ張り回して一緒に遊んでいるけれど、SOS団にできるのは、せいぜいそこまで。身の回りの世話とは別次元の話。 なのに、自分の面倒も満足に見られない集団が、そんな彼の傍に昼夜いるなんて! 長門有希のマンションにキョンくんが泊り込んだのは、キョンくん自身の意思。それはしかたないことだから、有希ちゃんを責めるのはお門違いだと理解している。 そもそも有希ちゃんは他人に対してあまり興味を抱いていないようだから、キョンくんどころか誰の世話だって焼かないはず。兄をマンションに泊めているのも、隣家の飼い犬を一時預かる程度にしか思っていないに違いない。 朝比奈みくるは世話焼き女房のような性格だが、それは兄には関係のない話。あくまで兄に対しては友人の範疇を出ない付き合いだし、彼女は兄と一定の距離を保った関係を適切と判断している節がある。彼女も問題ない。 鶴屋さんなんかは論外だ。日々を楽しければそれでいいと思っている彼女は、キョンくんのことを友人以上の存在だなんてカケラも思っていない。まさに兄の女友達として最適な女性。 しかし涼宮ハルヒは違う。高校生時代から、兄に対して友人以上の感情を持っているようだ。だから必要以上に兄に絡むし、連れまわす。兄の気も知らないで。 そんなことを思うようになったのも比較的最近のことで、昔は彼女のことも心許せる素晴らしい友人だなんて思ってたんだけれど。子供だったとはいえ、なんて愚かな勘違い。 それにあの人の何が気に入らないかって、あの人が兄を見ている時の目が気に入らない。友人だとか友情からくる信頼だとか、そういう物を超えた、ひどく感情的な色が、たまに入り混じる時がある。 それがたまらなく嫌なのだ。あの人の「女の目」を見ていると、まるで背筋を巨大なイモムシが這い登ってくるようなおぞましさを感じる。その時、私はたいそう不愉快になる。 だから、私はあの女を認めない。たとえ兄があの女を認めたとしても、私だけは決して認めない。 私はずっと勉強に追われてきた。寝ても覚めても勉強漬けの毎日。最初のうちは何か目標があって、そこを目指して勉強していたはずだったけれど、ここ数年は違った。目標なんてない。ただ勉強するために勉強していた。 勉強のために勉強して、その勉強のためにさらに別の勉強に取り組む。そしてまたその勉強を続けるために異なる勉強を……。 ずっとループする勉学の輪の中で、次第に私には、自分が勉強のために生きているような錯覚の中で日々を送っているような感覚が芽生えてくる。すると勉強そのものが私の存在意義となり、摩り替わり、定着して、固定される。 学校では友人たちと楽しくおしゃべりしたり遊んだりしていたが、それ自体も勉強に他ならない。勉学で偏った脳をリフレッシュさせ、机上の参考書以外のことを吸収するための勉強。 言うなれば他人とのコミュニケーション。社会科の勉強っていう感じかな? 私の行動はすべからく勉強こそを第一義としたものだった。全て理にかない、計算のうちでの行動のみをとってきた。 勉強。勉学。勤勉。そう、あらゆる面において勤勉であることが私の美徳であり生き様だった。また、日本という国はそうあることを奨励する国でもある。常に学び、実直であることが私の美徳であり、この国の美徳なのだ。 だから私はずっと、胸を張って生きてきた。 しかしある時から、不意に、恐ろしい考えが私の胸に病巣のように住まい始めた。 どんなにどんなに勉学に努めようとも、学ぼうとも、それは私自身の中で全て解決がついてしまうことなのだ。つまり、勉学は、私と私の外の世界をつないではくれないわけで。 高校生の頃。私は急に不安になった。こんな広い、広大な世界の中で、私はひとりぼっちなの?と。 親の友達も、学校の先生でさえも、私に関わる人間たちはことごとく上辺だけの存在だった。誰も、どんな人も、私の心の琴線にふれてはくれない。 当たり前だ。私は勉強だけを信奉する、勉学人間なのだ。勉学とは己の内のみで解決し、解消し、消化し、昇華していくものなのだ。それはたぶん……絶対的な意味での、孤独。 それが、ちょっと悲しかった。勉強さえしていれば何の感情もわいてこなかったけれど、孤独であることは、寂しいことだなと思った。 けど、違った。私の存在を、勉強以外の面で私という人間を理解してくれる、たった一人の人がいた。 それが、兄だった。 兄はズボラな人だった。毎日朝は寝坊三昧で、休みの日ともなると私が起こしてあげないとそのまま夜まで寝ているような人だった。 私が勉強に目覚めるずっと前からつきあっていた家族だから、彼との関係にだけは勉学の影を感じなかった。親のように成績がどうこうと言ったりすることは絶対になかったし。 彼は世話を焼いてあげないといけない人。そしてそれはもっとも身近にいる私にしかできないこと。 こんな話を聞いたことがある。他人に世話を焼かれる人は、3種類の行動を執るという。反発して反抗する。現状を受け入れてなすがままにされる。そして、甘えて依存する。 兄は、3番目の人だった。つまり、私が世話を焼くことによってその状況が当然のことだと認識し、私に依存してしまう人だった。 私が兄をそんな無気力な人にしてしまったのだ。ズボラな兄に世話を焼きすぎたから。もう兄は、私の力添えなしでは日常生活を送っていけない人なのだ。 私が彼を支えてあげなきゃ。いつの日が兄も自立する日がくるかもしれないけれど、少なくともその日までは、一緒にいてあげるから。 あの人には、私がいないとダメだから。 ───あの人がいないと、私はダメだから。 ああ。兄は今頃、あの酷い涼宮ハルヒの無理難題に悩まされていないだろうか? むごい仕打ちを受けていないだろうか? ご飯は食べられたかな? 歯も磨いたかな? あったかくして寝てるかな? 今日はSOS団全員が有希ちゃんのマンションに押しかけたって聞いたけれど、騒がしすぎて眠れないんじゃないかな? ひょっとしたら、兄もそろそろ家が懐かしくなってホームシックにかかり、帰ってきたくなってるんじゃないかな。私がいないと何もできない人だもんね。 ひょっとしたら、今晩マンションを抜け出して帰って来くるかもしれない。あの騒がしい涼宮ハルヒがいたんじゃ、おちおち眠ってもいられないものね。 迎えに行ってあげよう。今晩もまた、兄がマンションから出てきて寂しい思いをしないよう、表で待っててあげよう。 だから。待っててね。キョンくん。 つづく
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生徒会長 せいとかいちょう (名)伊集院が中学の時にやっていたもの。ボルノ映画を見ていたところ同じ目的で映画館に来ていた教員に見つかり、懲戒免職となった。
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前回のあらすじ キョンと妹が気まずくなっている頃、古泉は力いっぱい長机を長門のマンションまで運んでいた。 ジュースを買いに行く途中、キョンはハルヒに怒られてしまったが、嫌な気分ではなかった。変な意味じゃなくて。 図らずとも自分を抜きにした緊急家族会議を盗み聞いてしまったキョンは、失意のうちに家を飛び出した。 気づくとそこは、長門のマンションの前だった。 ~~~~~ 長門は突然の来訪者である俺を、いつものように淡々と「入って」と言って出迎えてくれた。 長机が設置されたままの部屋の中には、もうSOS団のメンバーの姿はなかった。当然か。今日の活動は終了して解散したばかりなんだ。 長門しかいない部屋の中で長机だけがぽつんと立っている。楽しかった時間が終わりを迎えてしまった事実をつきつけられたような気がして、その光景が妙に物悲しかった。 俺を招き入れた長門はテーブルの前に座ると、正面を指してどうぞ、と言った。夜分に押しかけた身で腰が低くなっていた俺は、長門に会釈して言われるがままそこへ腰を下ろした。 勢いでここまで来てしまったものだから、長門に何と言って話を切り出したものか判からない。さて何を話したものか。俺がここに来るに到った理由を最初から順を追って説明していくと言うのも、何か違う気がするし。 「決まった?」 俺の目の前に湯呑みを置き、長門はいつもの無表情でそう言った。 「何から話すべきか、整理はついた?」 湯呑みからくゆる湯気で、少し視界が曇った。長門は、どこまで知っているのだろう。 あるいは、何も知らないけれど俺があんまりみすぼらしい格好をしているものだから、大筋を察して気を遣ってくれているのだろうか。 とりあえず長門が再び急須に湯を注ぎ、自分の湯呑みにお茶を注いでいるのを眺めながら、俺は無言で何をしゃべろうかと考えていた。 第一案『家族がかくかくしかじかな話をしてたのを偶然聞いちまったから、家から飛び出てきたんだ。今夜泊めて。』 う~ん、箇条書きふうに説明すると分かりやすくて親切なのだろうが、そこまで我が家の事情を事細かに言う必要もないよな。 第二案『家族が俺の存在を持て余してるようなんだ。居づらいから今夜泊めて。』 ここまで略すと、俺が追い出されたようで長門にあらぬ心配をかけてしまいそうだ。ボツ。 第三案『無職であることが家族に申し訳なくて、とうとう家出してきたんだ。今夜泊めて。』 逆に俺がこんなこと言われた立場なら、「とっとと帰れ!」と怒鳴りつけるな。俺の心情的にはこれが最適なんだが、俺の心情を吐露しすぎていて長門に心配かけそうだ。 第四案『家が全焼して、焼け出されてしまったんだ。親子四散して行くあてもないから、今夜泊めて。』 なぜ嘘をつくんだ、俺……。 確かに何を言っても長門に心配かけてしまうだろうし、説教されても仕方の無い状況ではあるが……。いや、しかし……。だが嘘はいかんよ、嘘は……。 どれくらいそうしていただろう。長時間、湯呑みを見つめながら眉間にシワを寄せてうなっていると、「今夜はもう遅い。泊まって行って」と囁くように告げ、静かに長門が立ち上がった。 遅いって、まだ午後の7時前だぜ。あやうく口をついて、そんなことを口走りそうになった。自分のマヌケぶりを露呈してしまいかねないそのセリフを、俺はすんでのところで飲み込んだ。 「……悪い。ありがとう」 結局、長門は知っていたのだろうか。俺がここへ来た理由。そして、知っていながら、俺が自分の口からそれを切り出すのを今まで待っていてくれて……でも、とうとう待ちくたびれて…… もうずっと昔のことのようにも思えるが、俺たちがまだ高校生だった頃のこと。SOS団が発足した時から、徐々に俺は自分の意思で行動を決めることが少なくなっていった。 それもそのはず。常人離れした行動力の持ち主、涼宮ハルヒ。宇宙人の長門有希に未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹がしょっちゅう退屈する暇もない騒ぎに巻き込んでくれたんだ。 周囲に引っ張り回されているうち、次第に俺自身の行動力は、そんな連中に吸い取られるように枯渇していった。 SOS団にいつも引っ張り回されているということは、別の言い方をすれば、SOS団に行動を依存しているということ。他者に自分のすべきことを任せきり、それに頼ってしまうということ。 いつしか俺はSOS団に面倒な行動の決定権を押し付け、誰かが腕を引っ張ってくれるのに身を任せるようになっていた。 それは非常に楽なことだった。この世の中で何が面倒かって、自分で新たな目標を創造し、その実現のために行動して行くことほど疲れることはない。 だから、いつも俺はぶつくさと文句を言いながらもSOS団にもたれかかっていた。自分のすべきことを次から次へと提示してくれる彼らの便利さに慣れ、それに馴染んでいた。 なんという自堕落。一度車に乗り始めた者が自転車に乗らなくなるように、俺は心も身体も安楽な方向へと慣れ親しみ、それに癒着し、他力本願になっていた。 俺は、膝の上でぐっと握りこぶしを結び、歯を食いしばった。 働かなくとも、いつかなんとかなる。妹に嫌な思いをさせてしまっても、そのうちなんとかなる。SOS団と一緒にいれば、いつか仲間たちが俺の手を引いて何とかしてくれる。 のんびりそれを待とう。待っていれば、解決の日はやがて訪れる。 何とかなるわけないだろう! 俺は自意識の中で何度もかぶりを振った。 自分から動かなきゃ、何とかなんてなるわけがない。そんなことは分かっている。分かっているが、分からないふりをしようとしている。不自然なまでに自己正当化をしようと無理をするから、そこから苦しみが生じる。 だが『日常』に慣れすぎた俺の頭と身体は、たとえ苦しみを感じても、面倒くさいという理由でいつもそこから目を反らす! ────自分でしゃべらなくても、賢い長門なら俺の言わんとしていることを察してくれるさ。言いたくないことを無理して言う必要なんてないだろ? ────長門に頼っておけよ。 俺のそんな矮小な心根に気づいたから、長門は気を遣って今日は泊まっていけと提案してくれたんだ! ────家出しちゃったから、無難な長門のマンションに泊めてもらいたいな。長門なら断らないよな? 長く太い舌をベロリと垂らす醜いバケモノのように醜悪な俺の自我がそう言っていた! 俺はそれに気づいていながら、その甘い言葉に自分から飛び込んだ! そんなことだから……そんなことだから! 俺はいつまで経っても……! 俺は意を決して立ち上がった。のろのろと緩慢な動作だったが、俺にとってはそれが、渾身の力をふりしぼった動きだった。 「長門!」 振り向いた長門の瞳に、薄らみっともなく、だらしない自分の姿が映っているような気がした。だが、だからこそ。俺は言わねばならない。自分が他人に頼らず、他ならぬ自分自身の口で言わねばならないことを。 「俺さ、家でいろいろあって……その、家出、してきたんだ。お前のところを頼るのも悪いと思ったが……他に、行くあてもなくてさ」 肩越しにこちらを見ていた長門が、ゆっくり俺に向き直った。正面を向いた。俺も、正面から長門に向き合わねばならない。 「本当に悪いんだが、今晩、ここに泊めてくれないか?」 言った……言い切った。 わずかに。少しだけ。ほんのり、長門が微笑んだような気がした。 再び俺に背を向けて台所へ歩いて行く長門の後を追い、俺も台所へ入って行った。心の中にはあふれんばかりの、達成感が満ちていた。 「夕食作るの、手伝うよ!」 「あんた、ゆうべ有希のマンションに泊まったの!?」 これ以上ないくらいに目を丸く見開いたハルヒは、公園のブランコに急制動をかけながらそう言った。 「ん? ああ。ちょっと、やむにやまれぬ事情があってだな」 「事情って、家が全焼して焼け出されて、親子四散して行くあてもないから有希のマンションに行ったとか?」 「いや、そういう理由じゃないが……」 「じゃあどうせ、家で親に無職であることを心配されるのに耐えかねて~、とか言う理由でしょ?」 ま、まあな……。よく分かったな。 「あったり前じゃない! あんたが家出する理由なんてそれ以外考えつかないわよ! 馬っっっ鹿じゃないの!? そんなことで有希の家に押しかけるなんて!」 俺も自分のことながらバカな真似したな、とは思っているが。お前がそこまで激昂することじゃないだろう。 「有希のマンションは私たちSOS団にとって、のんびり羽を伸ばしたり将来のことを心置きなく内々に話し合ったりできる憩いの場なのよ!? そのオアシスを独占するなんて、身の程知らずにもほどがあるわ!」 ちなみにハルヒは、長門の両親は高級マンションを購入した直後にオーストラリアに出張が決まり、長期の海外赴任のため渡豪していると思い込んでいる。 長門本人がそうハルヒに説明したのだからハルヒとしても信じるしかないのだろうが、なんとも胡散臭い話だ。なんせ、長門はかれこれ5年以上あの部屋に独り暮らししてるんだもんな。 「で?」 朝比奈さんのお茶を一気に飲み干したハルヒは、やたらと不機嫌そうな目つきで俺の胸倉をとっつかんだ。 「ゆうべは有希に、変な真似してないでしょうね?」 なんだよ、変な真似って。 「有希に指一本ふれていないでしょうね、ってことよ。エロいあんたのことだから、おとなしい有希の性格につけこんで、あれやこれやそれやどれまで……」 おいコラ。なに勝手な妄想を膨らましてるんだ。んなわけあるか。宿を提供してくれた恩人に、不義理な所業をするわけないじゃないか。俺はそこまで外道じゃないつもりだが。 「本当になにもなかったんでしょうね。何か不届きな行いに及んでみなさい。あんたのそのお粗末な物を、ガスバーナーで焼き切ってやるからね!」 鉄工所の職員かよ、お前は。 「ふんっ!」 最高にご機嫌斜めのハルヒは、そのままプリプリ怒って鶴屋さんの元へ歩いて行った。 俺が長門のマンションに泊めてもらったことが、そんなにも腹立たしいのかね。何年つきあっても、あいつのバイオメーターだけは予測できないな。 結局俺はその日も家に帰らないことになった。いや、『~ことになった』なんて他人任せな言い方はやめよう。自分自身でそう誓ったのだから。 俺はその日も家に帰らないことを決めた。心苦しくはあったが、長門にそう進言すると、案の定と言うか何と言うか「今日も泊まって構わない」と応えてくれた。 SOS団のメンバーが解散となった後、俺は長門と連れ立って夕食の買い物に出かけた。今日は、俺が一人で夕食を作るつもりでいた。一宿一飯どころか二宿二飯の世話になるんだ。いくら誠意を尽してもやりすぎるということはない。 「なあ、長門。お前は無職であることに悩んだりしないのか?」 街灯の明かりの下を歩きながら、隣の小柄な宇宙人にそう問いかけた。宇宙人に就職問題を投げかける自分が、少しおかしかった。 「別に」 予想通りの回答だ。まったくもって羨ましいよ。 「職業に就いていないことに懊悩を感じるのは、あなたがそこにコンプレックスを抱いているから」 否定しないよ。この年になれば手に職を持って働いているのが当たり前だ、みたいな考えが主流のこの国じゃ、無職であることに引け目を感じて当然だ。 「無職であること自体は悪いことではない」 無表情なまま、長門が何を言おうとしているのか。ちょっと興味があった。 「『子供』と『大人』の問題」 長門はまた、ささやくようにそう言った。 「『子供』は被保護者、つまり保護されるべき者。『大人』は保護者、つまり被保護者を保護する義務を持つ者」 俺の手にぶら下がるビニール袋が、がさりと音をたてた。 「極端な言い方をすれば、子供は働く必要のない者。大人は働かなくてはならない者。社会的な意味合いでそう例えた場合──」 長門は、不意に俺の顔を見上げた。街灯程度の光源じゃ、その瞳に何が映っているのかを判別することはできなかった。 「『子供』は『大人』に成った時、初めて就労に服さねばならない」 長門は足を止めた。靴ひもでも解けたのだろうかと俺も立ち止まり振り向くが、長門はただ、その場に立ち尽くしているだけだった。 「まず、『子供』であることを脱しなければいけない」 小首をかしげて長門の意図するところを汲み取ろうと努力してみたが、俺にはそれ以上長門の言葉の意味が理解できなかった。 長門が何を言っているのか皆目わからない俺は、結局その話題を切り上げて今夜の夕食のメニューへと議題を移すのだった。 ただ、長門の言った『子供』という言葉が、頭の片隅にずっと残っていた。 「ふむ。それはひょっとすると長門さんなりの、あなたへの叱咤激励だったのかもしれませんよ」 相変わらずブランコを独占するハルヒに背を向け、俺はベンチで古泉と昨夜の長門の話について論議していた。 「文化人類学の中に通過儀礼、イニシエーションという研究対象があります。これは、古来から人間が成長していく過程で経なければならない、文化ごとに定められた伝統儀式等の総称なのですが」 学問とか専門用語はやめてくれ。俺には難しすぎてよく分からん。 なにが嬉しいのか知らないが、古泉はいたく喜ばしい表情で、ふふっと笑ってみせた。こいつ、俺を無学だとバカにしたいのか? 「たとえば、縄文時代の古代人たちは、子供が大人へと成長する一つの転機として、歯を抜く風習があったと学校の歴史の時間に習った覚えはありませんか?」 ああ、そういえば日本史の授業で抜歯、とかいう単語があったようななかったような……。 「昔から、そして今でも、世界各地の民族の間では抜歯や刺青、バンジージャンプなど危険や苦痛を伴う行為が、子供から大人へ成長すための重要な儀式であるとして脈々と受け継がれています」 そういやテレビ番組で観た覚えがあるな。ジャングルの奥地みたいな場所に住んでいる民族は、子供が大人になる年齢に達すると密室に閉じこもって数日間断食する風習がある、とか。 「それが通過儀礼、イニシエーションと呼ばれるものです。通過儀礼は主に痛みを伴うことが多いのですが、日本においては元服や七五三など、祭典のみに留まるものが主流ですね」 ずいぶん野蛮な風習だな。歯を抜いたり、肌に針をさして刺青しないと大人として認めてもらえないなんて。 「野蛮、原始的と言い切ってしまうと、確かにその通りですが、苦痛を伴う通過儀礼とは非常に効率的なものでもあるのですよ」 こういう話をしていても、古泉の笑顔は崩れない。話題が話題だけに、ある種のサディスティック野郎かと思われるぞ。 「まず痛みを伴うことにより本人にダイレクトに、自分は大人であると認識させることができます。苦痛というファクターが、『式典』と『成人』という二つのイメージを直結させるのです」 「あなたは中学校の卒業式で、自分が義務教育から解き放たれ大人の仲間入りを果たしたと感じましたか? 成人式に出席して、自分が成人と呼ばれる人間になったのだと自覚しましたか?」 そう言われると……してないな。式典の意味は理解していたからそれなりの感慨はあったが、何かを感得したり自覚したかと言われると……していない。 「それが普通ですよ。僕もそうです。現代の日本の式というものは、たいてい形骸化した退屈なだけの物が非常に多い」 「だから我々は主観的に、自分の人生の節目を理解できない。成長の境目を感じることが難しい。いつまでも自分が子供だと、心のどこかで思ってしまう」 俺はわずかに身をふるわせた。考えてみれば「俺はまだ若いから、子供だから」と、自分のどこかにそういう思いがあり、それが就職や大人らしい振る舞いへの障害になっていたように感じられる。 「三十代や四十代のいい年した大人に幼稚な人がいたりするのは、そこら辺にも原因があると思いますよ。自分の成長の過程が客観的に理解できないから、いつまでも自分を『子供』であると思い続けてしまう」 俺は何気なく、後ろを振り返ってみた。そこでは、ご機嫌真っ盛りなハルヒがぶんぶんとすごい勢いでブランコをこいでいるところだった。 おそろしい……。あれが二十代の女というのだから……。小学生にしか見えないぞ。俺が言えた義理じゃないが……。 「通過儀礼を話の引き合いに出したのは、長門さんの語った話を元に僕が考えた、僕なりの意見です。あまり気にしないでくださいね」 今日は少々、予定がありますのでこれで失礼します。そう言って、古泉は公園を後にした。 俺の頭には古泉の話した通過儀礼の内容が、流水のようにぐるぐると回っていた。 苦痛を伴うような特別な経験をしなければ、人は『大人』にはなれない? 特別な経験を体験できない人は、いつまで経っても『子供』のまま? 古泉はそこまで極端な話はしていなかったが、詰まるところ、俺にはそう思えてならなかった。 「ねえ、キョン!」 特別な体験というものに一切心当たりがない俺は、果たして『大人』になれるのだろうか。などと考えていると、突然後ろからハルヒが呼びかけてきた。 肩越しに振り返ると、やたらと嬉しそうに手を腰にあて、さん然と笑みを浮かべる団長さまがそこに立っていた。 「私も今夜、有希の家に泊まることにしたわ!」 徐々に自分の眉間にシワが寄っていくのが、手に取るようにわかった。 つづく
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FS/S34-025 カード名:生徒会長 一成 カテゴリ:キャラ 色:黄 レベル:1 コスト:2 トリガー:0 パワー:7500 ソウル:2 特徴:《生徒会》?・《メガネ》? げ、遠坂… レアリティ:C illust.
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前回のあらすじ 鶴屋さんのおうちは非常に大きな旧家です。一生働かなくてもいいくらいお金持ちです。旧家ですが、鶴屋さん本人は大変に前衛的な方です。 もっともっと遊んでいたかったようですが、とうとう働かなくてはいけない時期になってしまいました。これが幸せなのか不幸せなのかは分かりかねますが。 新築の喫茶店をひとつ任されることになった鶴屋さんでしたが、それがとても面倒だったので公園へ逃げ出してしまいました。 その後、長門のマンションに連れて行かれたSOS団はハルヒによってショッキングな告白を受けてしまいます。 SOS団は解散するようです ~~~~~ ハルヒは高校時代、酒で苦い経験をして以来ノンアルコール主義を貫き通している。だから今日のように盛大なパーティーが開かれていても、テーブルの上にアルコールの類は一切構えられていない。まあそれは別にいいんだが。 盛大なパーティーといっても、どこか大きな会館を借り切って大人数ではやし立てたり、豪華絢爛に着飾った集団がマスカレードをつけて優雅に微笑んでいるわけではない。 場所は長門のマンションの居間。服装もいつも通りのラフな私服。パーティーなんて大げさな言い方じゃなくて、仲間うちのささやかな会合と言った方が適切なものだ。 しかし料理は鶴屋さんが用意してくれた豪華食材を使ってSOS団三人娘が腕によりをかけて作られた世界にひとつだけのメニューだ。どんなセレブなパーティーでもこんな食事を口にすることはできまい。 たとえここが富士の樹海の最深部であったとしても、こんな世界にひとつだけの満漢全席が豪勢に盛り付けられていれば、そこは超豪華グルメパーティー会場と化してしまうに違いない。 まあ、今回はグルメパーティーじゃなくてSOS団解散記念パーティーなわけだが。 テーブルが布巾で拭かれ、人の心をあやしくくすぐる芳香を放つ料理が次々と並べられていく。待ちくたびれたぜ。この晩飯を腹いっぱい食うために、俺は朝と昼の飯を抜いてベストコンディションを設定してきたんだ。 こみあげる唾液を飲み込みながらジューシーに揚がった狐色のから揚げに見とれていると、コップを並べていたハルヒに 「ボーっと突っ立ってちゃ邪魔でしょ!」 と怒られてしまった。 ひとりだけ熊のようにウロウロしているのも悪いので何か手伝おうかと逡巡するも、狭い室内をSOS団メンバー (俺以外) 全員が慌しく動き回っているんだ。手を貸せることは何もない。 することもないのに同じ室内にいるとハルヒから 「団長が働いてるってのに、雑用がサボるな!」 と突き上げをくらってしまいそうだったから、俺は身を縮めてこそこそと廊下へ避難した。 とりあえず宴の準備が終わるまで身を隠していよう。皆が忙しそうに動いてる横で暇そうにしてるのも気が引けるからな。 こそこそとトイレに隠れて家に電話すると、妹が受話器に出たようだ。今夜の晩ご飯は食べてくるからいらないと言う旨を両親に伝えてくれと伝言を頼むと、妙に不機嫌そうな声で妹が受話器越しにぼやいた。 『またSOS団のみんなで一緒にいるの?』 え? ああ、そうだが。それがどうかしたのか? 『キョンくん、いつもSOS団と一緒にいるじゃない。夜くらい家に帰ってきてもいいんじゃない? キョンくんはハルにゃんたちのおもちゃじゃないんだよ』 ここ数日妹がSOS団の話をする時、わずかな変化だが、不機嫌になっているような節がある。しばらく遊んでやっていないんですねてるんだろうか? まさかな。もうあいつだって立派な大人なんだ。 辺りを照らす電灯の明かりが、少し傾いだように思えた。 子供だろうが大人だろうが妹は妹であり、何歳になろうとも俺の大切な肉親に違いはない。しかしだからこそ距離をおくことだってある。俺の都合で距離を作ることだってある。たとえ家族同士であろうとも人と人との間に一定の距離は必要だと思うからな。 その距離を読み間違えた人がKYと言われたり、ストーカーなんて馬鹿げた事をしたりするのさ。距離を図るということは相手を認めるということだ。 人は他人の存在を認識しているからこそ、相手のテリトリーを侵さないよう留意していられる。もしもそのテリトリーと己のテリトリーが重なり合ってしまったら、人はそれを不快と感じ自己領域から相手を追い出そうとするだろう。 他人から煙たがれる人は、たいていこの近すぎず遠すぎずの距離が測れていないんだ。 遠慮して距離をとりすぎる人は相手に背を向けてその存在に心を許していないと受け取られがちだし、逆に近すぎると馴れ馴れしく、相手の領地を征服しようしている暗喩だと受け取られかねない。 身内同士ということで、俺と妹のテリトリーは互いに同種のものであり、特に警戒を強めることもなく開かれているけれど。それでも、何故か最近は無性に妹との距離感が気になるのだ。 「俺のことを心配してくれているのは分かるんだが、俺のことは放っておいてくれていいぞ。夜が遅くなって迷子になるような年でもないしな」 『ダメだよ。キョンくんは帰ってこないと。家族なんだから』 たまに妹と話が合わなくなるんだが、俺なりにその原因をいろいろと考えてみた。何が誘因で、俺と妹との論上にすれ違いが生じてしまったのか。 妹は言う。キョンくんのためだから、私が○○してあげるから、キョンくんは△△するべきだ、と。 朝俺をたたき起こしに来ることも、朝ごはんを作ってくれることもありがたいことに違いはないのだが、なんて言うか、こう言うと悪いが……俺にはそれがおしつけがましく感じられるのだ。 朝は私が起こしてあげる。ごはんは私が作ってあげる。キョンくんが暇そうだから遊んであげる。夜は寂しいだろうから、私がむかえてに行ってあげる。私が。なんでもしてあげる。 私が、私が、私が、私が私が私が私が─── ───だから、私が必要でしょう? だから? 俺は、妹にこう言わざるをえない。 「なあ。もうそろそろお前も、兄離れした方がいいんじゃないか?」 『えっ……』 電話の向こう側の妹の吐息が受話器越しに伝わってくる。まるで俺に何かを言い返そうとして、口外する直前にそれを思いとどまった。そんな感じの躊躇が電子音を通じて感じられた。 世話を焼きたがる人によくある傾向だ。怠惰な性質の人に世話を焼き (たとえそれが押し付けであろうとも)、自分がその人にとって必要な人間であろうと主張する。 認められたい。自分を見てもらいたい。私という個人を認知し、肯定してもらいたい。顕在したい。存在したい。でも、それを為すための具体的な方法が分からない。 そういう人は、自分で自分自身にひどく曖昧で、そこから価値が見出せないから、まるで自分の姿を鏡に映し出すように、他人に自己という姿を知らせ、それが有益なものであると思い込ませようとする。 有益ということは価値があるということだし、価値があるということは形を持ちえるということ。形を持つということは、曖昧に濁っている自分像をはっきりと目視確認できるということにつながる。 そういう人は一様に、相手のためだと言いつつも、その実、自分のことしか考えていないことが多い。俺は、大好きな自分の妹にそんな有言無実な人間になってもらいたくない。 『……でも、私がいなきゃ……キョンくんは』 だから俺は妹に言わなければならない。俺は妹の声を途中で遮り、明瞭な意思で言葉を発する。 「俺は大丈夫だ。自分のことは自分でできる」 俺にも悪い点はある。だらだらと怠惰な生活を送っていたことが、結局妹に悪影響を及ぼしてしまったと言えなくもないんだ。 負い目を持つ者、自尊心の低い者。そういう人が複数人集まり互いに自分の自己顕示欲をなすりつけ合う。そうして互いに、自分が相手にとって必要な人間であると認識し合う。共依存というやつだ。 きっとあいつは、日常の何かから逃げていたんだと思う。何に背を向けていたのかは知らないが、何かの苦難から目をそらしていた。しかしそんな自分が嫌だった。そんな自己嫌悪から逃げ出そうとしていた。その逃げ場が、畢竟俺だったのだ。 妹は俺に依存していた。俺に必要な人間であると認めてもらおうとして、世話を焼いていた。俺がもっとちゃんとしていればそんなこともなかったろうに、そのせいで妹に逃げ場を与えてしまった。 怠惰な兄の世話を焼くことに自分の存在意義を見出したあいつは、嫌なことから目を反らして生きる術を見出した。楽な道に進み、困難に向かい合って自分で自分の姿 (価値というべきか?) を目視確認しようとする努力を怠ったのだ。 はっきりしない俺の態度が、あいつの人間的成長を間接的に圧迫していた。だから、それに気づいたから、俺は妹にはっきりと明言したのだ。 もう、俺にお前の世話は必要ない。だからお前は辛い現実に身体からぶつかっていき、自分を誇って生きてくれと。 俺は通話を切られた携帯電話を閉じ、重い頭を抱えてトイレから出た。 そこで怒ったハルヒにつかまった。 「団長や他のみんなが一生懸命準備してるのに、料理もしてないあんたが何でトイレにこもってサボってるのよ!」 あぁ、いや、サボってたわけじゃないんだぜ。今夜は晩御飯いらないと家に連絡してただけなんだ。あと、妹に人生の先達として生きるという意味を哲学的な部分までにおわせつつ講義したりだな…… 「抹香臭い言い訳なんて聞きたくないわ! だいたい携帯で家に連絡なんて10秒もあれば十分でしょ。トイレにずっと立てこもっていた理由にはならないわ」 ……確かに、それはそうだな。ごもっとも。 「罰として、今夜のパーティーの司会進行役はあんたに担当してもらうわ! 意義は認めないわよ!」 マジかよ。勘弁してくれよ。そんなのはお前か古泉の役回りだろう。俺にやらせたってつまらないパーティーになるだけだぜ。 「いいのよ。SOS団内の雑用は全部あんたの専売特許でしょ。ごちゃごちゃ言わずにやるの!」 へいへい。ったく、しょうがないな。SOS団での最後の大役をまっとうさせていただきますよ。 えー、本日は大変お日柄もよく…… 「何つまんない前置き言ってるのよ。さっさと本題に入りなさい」 ええい、人に司会進行をやらせておいて。文句つけるんじゃない。 「挨拶はどうでもいいから。乾杯が済んだら一発芸をやりなさい、一発芸。思いっきりうける芸じゃなきゃ許さないわよ」 無茶苦茶言うなよ。俺にそんな才能はない。笑える芸を見たけりゃ、古泉に落語でもさせりゃいいだろ。 「はっはっは。僕もそちらの方面には詳しくないもので、ご期待に沿いかねると思いますよ。寡聞にして、申し訳ないです」 とにかくだ。俺に一発芸は無理だ。なんならハルヒが手本を見せてくれりゃいい。 「ダメよ。私は採点専門なんだから。司会やるのはあんたの役。役割分担は大事なのよ。分かってる?」 分かってる?と訊かれてもな。不条理を感じてやまないんだが。役割分担も大事だが、適材適所で司会に向いた人を配してくれよ。 「ぶつぶつ言ってる暇があれば、バック宙返りでもやりなさい」 お前は俺に何を期待してるんだ。100%成功するはずのない体術をやらせてどうしようというのか。たすけてピコ魔神……。 俺が反論したところでハルヒが聞くはずもないか。それでもやれ、いいからやれ、とやたらバック宙を推奨するハルヒに根負けして、バック宙の代わりに床の上で後転してやった。後方回転なんて小学校の授業のマット以来だぜ。 そんな程度の低いバック宙があるか!とやたらご立腹の団長殿だったが、しかたないだろう。これが俺のフルパワーなんだから。 「僕らは皆、あなたがバック宙をしようとして怖気づき許しを乞うか、それとも後頭部を床にしたたかに打ち付けるかを想像していたのですが。思ってもみなかったあなたの後方回転という切り替えしにはしてやられた思いですよ」 いつも通りの慇懃な笑顔で、褒めているのか小馬鹿にしているのか分からないセリフを口にして方を竦める古泉。しかしやはり馬鹿にされているんじゃないかと感じてしまうのは、きっと長年積み重ねてきた経験からの条件反射だろうな。 「馬鹿になんてしていませんよ。あまりにもいつも通りの、SOS団らしい展開だったのでとても微笑ましく、ハートウォーミングを感じていただけです」 ハルヒと鶴屋さんが朝比奈さんに前転を強要している現場を傍観しながら、俺と古泉はテーブルの後方席でぽつぽつと語り合っていた。別に意味があって古泉と並んで座っているわけじゃない。たまたまだ。 確かに、こうしていると何の変化も感じない。いつも通りのSOS団だ。俺がため息をつきながら、古泉が傍らで肩をすくめながら、長門が無表情に座り、ハルヒと鶴屋さんが朝比奈さんにかまう。 今日がSOS団の解散の日だなんて、面と向かって言われてもそれが本当だとはにわかに信じられない。まさに、いつも通りローテーション。気をぬけば明日も明後日も、毎日がリンクするように、変わらずSOS団は継続していくのでは、と思える。 「それにしても。あのハルヒがねえ。SOS団を解散するなんて言い始めるとは。未だに信じられないぜ」 朝比奈さんがハルヒと鶴屋さんに前倒しに転がされているのを眺めながら、古泉は小さく息を吐き出すように笑った。 「以前、僕が文化人類学の通過儀礼の話をしたことを覚えていますか?」 通過儀礼? ええと確か、バンジージャンプとか、抜歯とか、そういう痛い話だったっけ? 「そうです。人間が成長していく過程で、次の段階の期間に新しい意味を付する儀式のことです。涼宮さんはこのイニシエーションを経験したからこそ、SOS団を解散する気になったのでしょうね」 ハルヒが、そんな痛い儀式を? いつのことだ? バンジーだか刺青だか知らないが、ハルヒがそんなことをしたと聞いたことはないし、それにその程度でハルヒがSOS団を解散するとは思えないんだが。 クエッションマークが浮かぶ俺の頭を知ってか知らずか、膝をつきながら古泉は湯飲みを傾けた。 「通過儀礼は、なにも苦しみや痛みを伴わなければいけないというものではありませんよ。むしろ、苦痛を伴ったとしても、自分が人生の次の段階へ進まなければならないという意識を持っていなければ、無意味とも言えます」 そういや以前、成人式に行ったからと言って大人の仲間入りを果たしたと実感するわけじゃない、という話をお前から聞いたことがあったな。 「まあ痛みこそなかったようですが、ここしばらく涼宮さんはずいぶん苦しんでいましたよ。お忘れですか? 数日前の、世界中の時間軸が数年前まで巻き戻された事を。あれも涼宮さんの苦悩が引き起こしたイニシエーションの一環だったようです」 ……わけが分からなくなってきたぜ。またそうやって俺をからかって遊んでるんだろ? 「いえいえ。そういうつもりではないのですが。通過儀礼にたとえたのは話を進める上での便宜ですよ」 湯飲みを机上に戻し、古泉は膝を曲げたまま話し始めた。 涼宮さんはずっと悩んでいたんです。 私たちはこのままでいいのか? いつまでも無職のままでいいというわけはないけれど、だからと言ってどうすれば良いか分からない。 なんとかしなければならない。就職もしなければならない。しかしそれも思うようにいかず、ままならない。 社会に出ようとする意欲は十分あるのに、そこでは自分の価値感が通じない。世間と自分の間に温度差がある。いや、本当は温度差など気にならないほど小さな差でしかないけれど、私にはその小さな差が耐えられない。 社会に出れば思い通りにいかないことも多々あるだろうとは覚悟していたけれど、理性がそれをストレスとして認識してしまう。そして、それを耐え忍ぶよりも。それでも私にはSOS団がある。 就職先に納得がいかなくても、社会に得心がいかなくても、SOS団に行けばみんながいるんだし。無理して働きに出る必要もないわ。 でもこの年になってフラフラしてるのも嫌だし、ニートとか無職とか言われるのも癪だし。それに、SOS団にいつまでもこだわり続けるわけにもいかないし。皆も早く一人前に自立しないといけないし。 逃げていてはいけない。逃げているだけでは凝視しなければならない現実が見えなくなってしまう。ぼやけてしまう。背を向けてしまっては見えなくなることがある。そしてそんな、目線を反らして見えなくなるものこそが本当に大事なものなんだ。 SOS団は過ごしやすい我が家のようなものだけど、それが皆の視界を覆う目隠しになってしまうのは堪えられない。 当たり前のことだが、前が見えなければ前には進めない。前を見ようと思ったなら、前を向かなければならない。 前を向くということは、つまり─── 「歯を抜いたり身体に針を刺したり、分かりやすい直接的な痛みを与えるだけがイニシエーションではありません。人が自分自身を変えようとする苦しみは、どんな形であれ全てイニシエーションに通じます。それが社会に適応しかねるという懊悩であってもね」 壁に背をあずけた古泉は相変わらずの様子で、ハルヒに促されて前転する長門の動作を眺望していた。 俺は涼宮ハルヒという人間を誤解していたのかもしれない。と、ふと思った。 もう長い付き合いなのだから、あいつのことはよく知っていると思い込んでいた。それが、どうやらそもそもの間違いだったようだ。 あいつは普通であることを嫌い、平凡な日常に悩むことはあっても、それ以外のことには基本的に関心を抱いていないと思っていた。 ハルヒは、そうだった。この世界が常識を保っていられるのは、あいつが誰よりも常識人だったからに他ならないんだ。 だからハルヒは、常識的であるが故に非常識に憧憬を抱いていたんだ。ただそれだけのことに過ぎなかったのだ。 きっとハルヒは、俺たちの誰よりも現実を見据えていたに違いない。だからずっとあいつは、この惨めな無職人生に悩み、苦しんで、もがき続けていたに違いない。そう。俺たちに見えない場所で。 あんなにもハルヒは駆けずりまわっていたじゃないか。なのに俺はそれが、行動力旺盛なハルヒの日常的な姿だとハナっから思い込んでいて。 こんなにもあいつの近くいたのに。こんなにも長い間あいつの隣にいたのに。こんなにもあいつを理解していると思い込んでいたのに。 「誰でもそうですよ。自ら望み無職であるのではない限り、悩んだり苦しんだり、絶望したり息苦しさを感じたりしているものです。あなたもそうだったのではないですか?」 きっと俺は無意識のうちに、口をへの字に折り曲げていたことだろう。古泉の問いかけが的を得ていたからだ。 確かに俺は、そうだった。無職であることに無力感を感じ、怠惰な自分に嫌気をさしていた。 こんな不景気な今の時代が悪いんだ、政治家が悪いんだ、と大した主張もなく斜めぶったことを考えながらすごしてきた。 たとえるなら、それは23時59分59秒。いくら時が過ぎようと、1秒経とうと1年経とうと、この固化して変色した考え方を変えない限り、俺の中の時計の日付は変わらない。 忘れ物をしていたことに、今やっと気づいたような思いがする。 「理想と現実のギャップに苦しむことができるということは良いことですよ。苦しみに苛まれている最中にはそれを良いと感じる余裕はないでしょうが、しかしその苦しみを踏破できた時、人はさらに熟成された人間へと進化することができるのですから」 古泉の言わんとすることも分かる。たとえるならば、俺たちの持つ類の悩みとは井戸を掘る行為に似ているのだろう。 井戸を掘っている最中は疲れ、汗が噴出し、体力も消耗し、スコップを持つ手が痺れて痛むだろう。しかしそんな痛みに耐えて穴を掘り続けていれば、穴はより深くなり、穴としての体裁を整え、やがては水脈に行き当たるに違いない。 テストで高得点を取ろうと思えば必死に勉強しなけりゃいけないし、金を稼ごうと思えば額に汗して労働しなけりゃならない。 そういうことなんだろう。より立派な人間になるためには、それなりの、哲学を学ばなくてはいけないなどと言うつもりはないが、様々なことを考え、感じ、経験し、自分の中でそれらをまとめあげなければいけないのだろう。 いつだったか、谷口は俺に言った。なんの感慨もなく社会に出たって、大人らしいのが外観だけで中身が伴っていなければ、より大きな苦労を味わうだけだし、後悔に打ちのめされると。 「だから僕らは苦しむのです。悩めば悩むだけ、人が掘り下げる穴は深まります。受け入れが広く、深ければ、それだけ多くのものを内包することができるのですよ」 ハルヒの方を眺める古泉の表情は、とても穏やかだった。 「涼宮さんのイニシエーションは、おそらく終わったのでしょう。彼女は理想と現実のギャップの苦しみから、彼女にしか知りえない悟り的なものを感得し、その上でSOS団を解散するのが最良だと判断するに至ったのでしょう」 俺の方へ向き直った古泉の顔は、いつも通りのうさんくさい笑顔に戻っていた。 「俗な言い方をするならば、涼宮さんも大人になれたということですよ」 重い腰を上げて長門のマンションから出た俺は、肌寒い夜風に身震いしながらズボンのポケットに手をつっこんだ。 俺の一発芸に始まり、回ったり走ったりはしゃいだり、語ったり歌ったり転がったりしていたSOS団解散パーティーが解散パーティーっぽくなくなってきた頃合を見計らい、俺は苦笑しながら食料の買出しに国道沿いのコンビニへと出かけた。 今日は、とても意義深い日になったと、俺はこみあげる感情をおさえきれずに一人でニヤニヤと古泉のようににやけていた。 思い返すだけでおかしくなる。まったく、せっかくのSOS団の解散パーティーだと言うのに。 あれは3,40分前のこと。朝比奈さんが 「SOS団がなくなると、寂しくなりますね」 と涙ぐんでいた時のことだった。 「今度うちがさ、新しい喫茶店をオープンさせることになったんだよね。んで、その店の経営が私に一任されちゃってるんだけどさ。従業員も決まってないんだよ。みんなさえ良ければ、職場を提供するからそこで働かないかい?」 最初は鶴屋さんが何を言っているのか分からなかったが、次第にその意味が分かってきたことで、最高にご機嫌だったハルヒが大声で鶴屋さんに詰め寄っていた。 そんなに力いっぱい肩を揺すっていたら、鶴屋さんの首がとれちまうぞって言ってハルヒを取り押さえたっけ。 「従業員が5,6人いればいいな、とか思ってたけどさ。まだ竣工もしてない店だし、従業員の募集もしてなかったんだ」 「え、いいんですか、鶴屋さん?」 困惑気味の朝比奈さんの顔には 「またノリだけで言ってるんじゃないのかしら」 と書いてあるように見えた。 「もちろんさっ! SOS団の皆なら信頼できる人材ばかりだし、立派に店を盛り上げてくれるだろうって確信してるもんね! 私もみんなが一緒にいてくれたら、めがっさ楽しいお店になるって信じられるし!」 ノリだけで話を進めるのはSOS団の悪い癖だが、良い所でもあると素直に思えた。 新生SOS団の結成と方向性が決まったわね、とまた勢いだけで新団体旗揚げを宣言するハルヒを止める者が誰もいなかったのは、ハルヒを止められないと諦めていたからではない。誰もがハルヒと同じ思いを持っていたからだったからだ。 一瞬のうちにあっさりと就職が決まり面食らっていた俺たちだったが、少し落ち着いて冷静になってみると、今後の身の振り方をみんなで改めて話し合う必要がありそうだと言うことになり、足りなくなったジュースやおかずをとりあえず俺が買いに行くことになったのだ。 いつもならパシリに使われることに抵抗を感じるところだが、今日はそんなものは一切感じない。ただ、自分も皆のために動いてやりたいという積極的な心地よい満足感があるだけだ。 とにかく早く買う物を買って帰って、みんなで新団体の組織構成について話し合いたいと思う。 いい機会だから団体名をSOS団から変えてみたらどうだろう。俺も雑用から格上げしてくれないか。などなど。いろいろと打診してみるつもりだ。 俺がコンビニに行ってる間に全てを決められていないことを願いつつ。 「今日はまた一段と寒いわね」 街頭のほのかな灯りの下で物思いにふけっていた俺は、背後から聞こえた聞き覚えのある声に少し驚いて振り返った。 「何がいいかしら。私は中華まんなら肉まんがいいけど、みくるちゃんは肉まんよりピザまんとかの方が好きかもね。有希は、やっぱりカレーまんが好きかしら?」 白いカーディガンを羽織ったハルヒが、早足で近づいて来て隣に並んだ。 「あんたは何がいいの? 肉まん? ピザまん? まさかあんまんじゃないわよね? 私あんまんが苦手なのよ。だから、あんたが勝手にあんまんを買ってこないかどうか見張りにきたの」 俺の腕の横にある、中華まんみたいにつやの良い頬が少し印象的だった。 「お茶買って行きましょう。ジュースばっかり飲んでたら口の中がべたべたするし胸がつかえるもんね」 いつものことではあるが、今日はよくしゃべるな。そういう衝動にでも突き動かされているのか? 「あら、ペラペラしゃべるよりも、有希みたいに無口な方が良いってこと?」 極端なんだよ、お前の感覚は。その中間がバランスよくていいんじゃないか。 「なんだか、胸がいっぱいになってるのよ。今はね。だから胸の中にあるものを全部出しちゃいたいような気分なの」 ふーん。そんなもんかね。 人通りの少ない宵の街路を、散歩をするように俺とハルヒが並び様に歩いていく。月明かりが、少し暖かく感じられた。 俺、料理免許とろうと思うんだ。ラーメン屋とか、自分の店を持ちたいとか思ってるわけじゃないけどさ。なんか、そんなんもいいかな。なんて思って。 「そう。いいんじゃない?」 暗い夜道はまっすぐに伸びている。乾いた風が前髪をなで上げるように吹いて行く。垂れ下がったカーテンのような街灯の光が、しんしんと降り積もる雪のように胸の中へしみこんでくる。 横目でちらりとハルヒの頬に視線を向ける。ハルヒは何かを考え込むような表情で、さっきまでのハイテンションが嘘のように落ち着いた様子で空を見上げていた。 塀向こうの国道から車のエンジン音が聞こえてくる。遠くの線路から列車の走行音が軽いリズムを伴って響いてくる。そんな当たり前の、違和感ない日常の出来事のひとつとして、隣をハルヒが歩いている。 ハルヒと肩を並べていることに何の感情も芽生えない。今はそれが当然、当たり前のこと、意識しなくても鼻が酸素を吸い込んでいるように至当のこと。今は。 ああ。そうか。と、俺はそこに至ってようやく気づいた。 何に気づいたかって? 野暮なことは訊くもんじゃない。くだらないことさ。 ハルヒ、これやるよ。 俺はポケットから取り出した銀のブレスレットをもったいつけもせず、ぶっきらぼうにハルヒへ投げてよこした。 「なによ、これ? ブレスレット?」 ああ。こないだ買ったんだ。何て言うか、お前への誕生日プレゼント。包装もなしで悪いが、別にいいよな? 「私の誕生日? 私の誕生日はもっと先なんだけど。あんた、古泉くんの誕生日と勘違いしてるんじゃない? それならまだ分かるわよ」 まあ、いいじゃないか。深い意味はないんだ。やるって言ってるんだから、受け取っておけよ。 手に取ったブレスレットをまじまじと観察していたハルヒは、それを無言で目線まで掲げ上げた。月の光を反射する銀の腕輪は、ハルヒの手の上できらきらと高価な宝石のように輝いていた。本当は安物なんだけどな。 「そういえば、こうして思い返してみるとあんたからまともにプレゼントもらったのって、これが始めてだわ」 活発なハルヒにならもっと派手な物が良かったかなとも思ったが、こうしてみるとシンプルで落ち着きのある物の方がこいつには似合うんじゃないかと思えてくる。 「ありがと」 小さな声で、ハルヒはぽつりとつぶやいた。傍若無人な涼宮ハルヒにはあまり似つかわしくないセリフだな。似つかわしくない言葉だったからこそ、普段とのギャップが大きくて。なんだか少し動揺してしまった。 俺とハルヒは夜風の中、言葉も無く歩いていた。これほど心穏やかになっている自分を意識するのは、本当に久しぶりのことだと思った。 マンションからコンビニまでの距離は決して近くないけれど、道中で人とすれ違うことのない静かな時間だった。 やたらとまぶしい光を正面から受けながら自動ドアへ近づくと、それまで横に並んでいたハルヒがごみ箱の前で立ち止まった。 「早くしなさいよ。皆も待ってるんだからね」 お前、入らないのか? 外は寒いぞ。 「私はいいの。いいからほら、行ってきなさいよ」 いいのか? お前が見張ってないと、あんまん買ってくるかもしれないぜ? 「あんたが好きな物買ってくればいいわ。あんまん買いたいんなら買えばいいわよ」 ハルヒはくすんだ自販機にもたれかかると、腕に巻いたブレスレットを見つめながらそう言った。まるで欲しくて欲しくてたまらなかったおもちゃを買ってもらった子供のように、しげしげと。 分かったよ。じゃあ、すぐに買ってくるからそこで待ってろ。肉まんもたくさん買ってきてやるから。 「うん。待ってるわよ」 顔を上げたハルヒは目を細めて微笑みながら、小さく手をふった。 自動ドアが低い電気音をたてて横へスライドする。コンビニ内の暖かい空気がゆるゆると肌をなでる。 あったかい。 そうだ。とそこで思い直し、俺はハルヒの冷えた手をとって引っ張った。 ハルヒは少し驚いたふうに目を開いたが、俺の手に引かれるまま店内に入ってきた。 「どうしたの?」 ハルヒの冷たくなっていた手が、次第にあたたかくなっていく。水銀灯のような明かりを含む大きな目が、俺を見つめていた。 俺だけに買い物を任せるなよ。お前も買いたい物があれば選ぶといい。店の前で待ってるだけなんて、つまらないだろ? 尻込みせずに、何にでも飛び込んでみるもんだぜ。そっちの方が楽しいし、お前らしいじゃないか。 「そうね。そうよね」 店内には誰もいない。俺たち以外の客は皆無だ。店員も陳列棚の向こう側でかがみこみ、商品の点検を行っているみたいだ。 まるでこの場には、俺とハルヒしか存在していないような錯覚さえもする。 「買いたい物があれば、一緒に選んだらいいものね。私たち、これからも一緒なんだし。ずっと、一緒がいいよね」 ハルヒは銀の腕輪を巻いた手首をなでながら、「うん」 とうなずいた。 FM放送の送る音楽が流れる中、踊るような仕草で手元の小ぶりな買い物かごを手に取ったハルヒは、押し付けるようにそれを俺に手渡した。 「んじゃ、さっさと買い物済ませて帰りましょう!」 整然と棚に並べられた化粧品の前を元気よく小走りに通り抜け、大型冷蔵庫の前でハルヒは立ち止まるのももどかしく振り返る。 「絶対に、絶対にずっと一緒なんだからね!」 髪をかきあげるハルヒの動作が、妙に懐かしい風景のように思えた。 そうだよな。それがいいよな。と。 これから先、何が待ち受けているか分からない新しいことへの挑戦だけど。仲間たちと一緒なら不安など何もない。むしろ楽しみなくらいだ。 何があろうと、大丈夫。きっとうまくいく。性根を据えるほどの覚悟はできていないが、何があっても過去を振り向いたりはしないつもりだ、という覚悟は決まってるんだ。 俺はゆっくりとした足取りでハルヒの後を追う。ハルヒも手を振って催促しながら、それを待つ。 焦ることはない。そうさ。今までだって、別に焦ることはなかったんだ。 時間は、まだまだたくさんあるのだから。 ~SOS団の無職 ・ 完~