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渤海人ら出羽国に漂着 779年(H0779a) 宝亀10(779)年、渤海人ら359名が出羽国に漂着(渤海使ではない) 参考文献 上田正昭, 1997. 東アジアと海上の道. 明石書店.
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岱輿:たいよ 五山の一つ。 渤海の東方に聳え立つという。
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方壺:ほうこ 渤海の東方にあり、神仙が住まうといわれている山。 五山・三神山の一つ。 方丈と同意義語だと思われる。
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年表 BC320年ごろ ピュテアスがグリーンランド(アイスランド?)を探査* TB320a BC20年 瓠公、新羅に漂着* HB020a 157年 迎烏、日本の小島に漂着* H0157a 544年 粛慎の人、佐渡島に漂着* H0544a 570年 高麗の使人、越に漂着* H0570a 573年 高麗の使人B、越に漂着* H0573a 609年 百済の僧ら、肥後葦北に漂着* H0609a 620年 屋久島の人、伊豆諸島に漂着* H0620a 653年 遣唐使02* H0653a 654年 トカラ船漂着* H0654a 659年 遣唐使04A* H0659a 659年 遣唐使04B* H0659b 661年 大伴部博麻ら百済救援の役で唐の捕虜となる* R0661a 676年 麻續王、因幡に流される* O0676a 676年 筑紫太宰三位屋垣王、土佐に流される* O0676b 677年 新羅人朴刺破ら五島列島に漂着* H0677a 678年 百済の使人遭難* H0678a 685年 新羅人金物需、漂着新羅人とともに帰国* H0685a 686年 防人の遭難* H0686a 699年 役小角、伊豆に流される* O0699a 703年 漂着した新羅人を新羅使に付けて還す* H0703a 724年 流刑の制が定まる* O0724a 727年 渤海使01* H0727a 733-739年 遣唐使10* H0733a 735年 筑紫から新羅に漂流したものが帰国* H0735a 739年 渤海使02* H0739a 739年 石上乙麻呂、土佐へ流される* O0739a 743-753年 鑑真* H0743a 752-754年 遣唐使12* H0752a 756年 大伴古慈悲、池田親王 、土佐に流される* O0756a 756年 楊貴妃が山口県長門市に漂着(伝説)* H0756a 760年 渤海国迎使(遣唐使13)判官、渤海使05とともに対馬に漂着* H0760a 763年 板振鎌束の漂流* H0763a 769年 氷上志計志麻呂、土佐に流される* O0769a 772年 遣渤海使07+渤海使07、能登に漂着* H0772a 774年 大宰府に命じて新羅の漂流民を帰還させる H0774a 775年 紀伊国の漁師、大水で流される H0775a 776年 高麗の使者が越前に漂着 H0776b 776年 渤海使09 H0776a 777-778年 遣唐使16 H0777a 777年 遣渤海使08, 渤海使10 H0777b 779年 渤海人ら出羽国に漂着 H0779a 792年 安曇宿禰継成を佐渡国へ配流 O0792a 793年 四天王深草が隠岐国へ配流 O0793a 783年 呉原忌寸名妹丸、海部郡に漂着 H0783a 786年 渤海使12、出羽に漂着 H0786a 795年 渤海使13、出羽に漂着 H0792a 795年 久米舎人望足、讃岐国へ配流 O0795a 795年 上毛野兄国女を土佐国に配流 O0795b 795年 大伴部阿弖良らの妻子・親族66人を日向国へ配流 O0795c 796年 流人が京へ戻ることを許可 O0796a 799年 天竺人が三河に漂着 H0799a 804年 遣唐使18 H0803a 805年 唐舶能登珠洲郡に漂着 H0805a 812年 新羅人清漢波ら日本に漂着 H0812a 815年 渤海使17 H0815a 818年 金剛三昧、峨眉山を経て、中天竺に達する T0818a 820年 唐人李少貞、出羽に漂着 H0820a 828年 但馬国に渤海人が漂着(渤海国使節#23) H0828a 836年 遣唐使19 H0836a 844年 一櫃、但馬に漂着 H0844a 845年 新羅人、日本人漂流民を大宰府まで送る H0845a 853年 円珍、琉球に漂着 H0853a 860年ごろ ナドッド、アイスランドに漂着 H0860a 862年 新羅人、丹後に漂着 H0862a 862年 新羅の僧ら、因幡に漂着 H0862b 862年 真如、入唐。天竺をめざす T0862a 864年 新羅人、石見に漂着 H0864a 873年 渤海国人崔宗佐門孫宰らの船2艘、薩摩甑島郡に漂着 H0873a 874年 新羅人、対馬に漂着 H0874a 866年 応天門の変にかかる遠流 O0866a 901年 菅原道真、高視親子の左遷 O0901a 920年 唐僧長秀、燈爐島に漂着 H0920a 930年 丹後に渤海人が漂着 H0930a 935年 呉越の人100人、肥前松浦郡柏島に漂着 H0935a 950年ごろ アイスランド人の漂流者がグリーンランドを見つける H0950a 982年 赤毛のエイリーク追放される O0982a 1002年 宋建州の海賈周世昌漂着 H1002b 1002年 大宰府に高麗人が漂着 H1002a 1004年 高麗芉陵島の人、因幡に漂着 H1004a 1019年 刀伊(女真人)、対馬、壱岐、筑前に来襲 R1019a 1019年 高麗耽羅島の人、日本に漂着 H1019a 1028年 高麗耽羅島の人7人、北陸に漂着 H1028a 1036年 高麗の漂流民11人、本国に送還 H1036a 1045年 清原守武の密貿易の発覚 O1045a 1049年 高麗人20名、対馬に漂着 H1049a 1060年 高麗の漂流民4人を送還 H1060a 1066年 宋人盧範漂着 H1066a 1078年 高麗耽羅島の漂流民を送還 H1078a 1079年 高麗人40人を送還 H1079a 1156年 妙音院師長、土佐へ流される O1156a 1156年 源頼朝、伊豆に流される O1159a 1160年 源希義、土佐へ流される O1160a 1171年 伊豆国奥島に太平洋諸島民(?)漂着 H1171a 1176年 邦人100余名、宋に漂着 H1176a 1183年 邦人73名、宋に漂着 H1183a 1190年 邦人、宋の泰州に漂着 H1190a 1200年 邦人、宋の平江に漂着 H1200a 1202年 邦人、宋の定海県に漂着 H1202a 1207年 法然上人、土佐に流される O1207a 1217年 日本商船、金に漂着 H1217a 1221年 後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇の遠流 O1221a 1241年 圓爾、宋から帰国時に漂流 H1241a 1243年 高麗の漂流民を送還 H1243a 1249年 行衍房嶷浄の漂流 H1249a 1258年 日本船(?)がオアフ島に漂着 H1258a 1269年 高麗済州の漂流民を送還 H1269a 1270年 日本船(?)がマウイ島に漂着 H1270a 1293年 高麗国に漂着した日本人8人が捕らえられる H1293a 1332年 後醍醐天皇、尊良親王の遠流 O1332a 1392年 大明船、八丈島に漂着 H1392a 1397年 朝鮮蔚州の知州事李殷、倭寇に拉致される R1397a 1401年 明船、漂着する H1401a 1403年 明船、相模三崎浦に漂着 H1403a 1426年 島根県長浜に朝鮮人10人が漂着 H1426a 1455年 朝鮮人、対馬に漂着 H1455a 1457年 朝鮮人、肥前五島に漂着 H1457a 1460年 朝鮮人、豊後に漂着 H1460a 1467年 朝鮮人、筑前に漂着 H1467a 1468年 朝鮮人、周防に漂着 H1468a 1498年 ジョン・ガボット最後の航海 H1498a 1541年 明船1隻、豊後神宮浦に漂着 H1541a 1541年 ポルトガル船、豊後神宮寺浦に漂着 H1541b 1543年 鉄砲伝来 H1543a 1543年 ポルトガル船、豊後に漂着 H1543b 1553年 リチャード・チャンセラー白海に漂着 H1553a 1566年 安南船、三河渥美郡片浜浦に漂着 H1566a 1566年 明船5隻、相模三浦に漂着 H1566b 1570年 ポルトガル船1隻、肥前に漂着、長崎を視察 H1570a 1592年 山科勝成、紅村頼成、安南に漂着し殺さる H1592a 1596年 サンフェリーペ号土佐に漂着 H1596a 1600年 ウィリアム・アダムス(三浦按針)の漂着 H1600a 1601年 ポルトガルの船、上総大瀧浦に漂着 H1601a 1602年 ポルトガル船、土佐に漂着 H1602a 1605年 有馬晴信の遣い、媽港に漂着し殺される H1605a 1609年 ドン・ロドリゴ九十九里浜に漂着 H1609a 1610年 メキシコ船、東国に漂着 H1610a 1611年 ヘンリー・ハドソン、ハドソン湾に置き去りにされる H1611a 1611年 薩摩の商船、媽港に漂着 H1611b 1615年ごろ カンボジア船、筑後柳川に漂着 元和年間 H1615a 1616年 美保の漁師、朝鮮に漂着 H1616a 1617年 大屋甚吉、鬱陵島に漂着 H1617a 1634年 慶尚道の漁民の石見に漂着 H1634a 1637年 ポルトガル船、琉球に漂着 H1637b 1637年 米子の漁師、蔚山に漂着 H1637a 1643年 オランダ船、陸奥南部に漂着 H1643a 1643年 ポルトガル人、筑前大島に漂着 H1643b 1644年 越前国の廻船、韃靼に漂流 H1644a 1645年 天草耶蘇教の徒、漂流に託して朝鮮に逃れる H1644b 1645年 清国広東の船、朝鮮南桃浦に漂着 H1645a 1649年 清船、肥前五島に漂着 H1649a 1653年 対馬の漁民、朝鮮に漂着 H1653b 1653年 オランダ船、朝鮮全羅道に漂着 H1653a 1663年 肥前五島の漂流民、朝鮮から対馬に送還 H1663a 1666年 米子船、朝鮮国慶尚道に漂着 H1666a 1666年 隠岐の漁民、江原道三陟に漂着 H1666b 1667年 尾張孫左衛門船、馬丹島に漂流 H1667a 1669年 阿波国勘左衛門船、無人島に漂着 H1669a 1671年 播磨飾磨津の漁民、朝鮮巨済島に漂着 H1671a 1672年 讃岐塩飽島の漁民、朝鮮に漂着 H1672a 1673年 陸奥国相馬の船、東寧(台湾)に漂着 H1673a 1673年 清船、肥前平戸に漂着 H1673b 1676年 豊前小倉の漁民、朝鮮に漂着 H1676a 1679年 朝鮮人、薩摩甑島の内瀬に漂着 H1679a 1680年 バタン船、日向に漂着 H1680a 1681年 清国の船、天草に漂着 H1681a 1682年 清船、野間崎で破船 H1682a 1684年 朝鮮の船、対馬に漂着 H1684b 1685年 伊勢国度会郡神社村船、マカオに漂着 H1684a 1685年 清国漁船、長門に漂着 H1685a 1686年 清国泉州の商ら、対馬琴浦に漂着 H1686a 1686年 清国商船、肥後天草に漂着 H1686b 1687年 ルソン船、尾州と紀州に漂着 H1688a 1688年 薩摩の船、広東に漂着 H1688b 1688年 越前坂井郡神浦の漁船、朝鮮に漂着 H1688c 1688年 ポルトガル船、紀伊熊野に漂着 H1688d 1689年 清国商船、日向兒島郡に漂着 H1689a 1690年 朝鮮人死体が、長門阿武郡須佐浦に漂着 H1690a 1692年 薩摩の漂流民、長崎に護送される H1692a 1692年 備前岡山の漁民、朝鮮多太浦に漂着 H1692b 1693年 安龍福ら、鬱陵島で米子大谷家の船頭等に拉致される R1693a 1693年 安南国王、漂流民送還を謝す H1693a 1693年 讃岐の船、浙江定海県に漂着 H1692c 1693年 長門の船、広東陽江県に漂着 H1693b 1694年 清国船、中永良部島に漂着 H1694a 1694年 清国船、甑島に漂着 H1694b 1695年 伝兵衛、カムチャツカへ漂流 H1695a 1695年 江原道蔚珍県の漁民、出雲神門郡鷺浦に漂着 H1695b 1696年 朝鮮人、蝦夷に漂着 H1696a 1698年 寧波の商王懋功ら、肥前五島多多羅島に漂着 H1698a 1701年 ダンピア、アスンシオン島付近で難破 H1701a 1704年 アレクサンダー・セルカーク、無人島に漂着 H1704a 1708年 日本人がカムチャツカに漂着? H1708a 1708年 ローマ教皇使節シドッチ、日本に潜入 T1708a 1710年 サニマ(日本人)、カムチャツカに漂着 H1710a 1711年 久留米藩船、フィリピンに漂着 H1711a 1712年 亘理郡荒浜船、広東へ漂流 H1712a 1713年ごろ ヤコフ・マクシモフ(日本人)、カムチャツカに漂着 H1713a 1713年 キスチ(日本人?)、ポロムシリ島に漂着? H1713b 1715年 朝鮮人が宮古島に漂着 H1715a 1720年 遠州鹿丸、鳥島に漂着 H1719a 1720年 摂州大阪大津屋利三郎が八丈島へ漂着 H1720a 1727年 小笠原貞頼、小笠原渡航を目指すが帰らず H1727a 1728年 唐人が宮古島に漂着 H1728b 1728年 若潮丸、カムチャツカ半島に漂着(ゴンザ、ソウザ) H1728a 1729年 藤曲(宇部市)の船、出羽沖で難破 H1729a 1739年 江戸宮本善八船、鳥島に漂着 H1739a 1741年 ベーリング、ベーリング島へ漂着 H1741a 1744年 南部多賀丸、北千島に漂着 H1744a 1750年 唐人が宮古島に漂着 H1750a 1752年 十三夜丸、台湾に漂着 H1752b 1752年 春日丸、中国舟山に漂着 H1752c 1753年 福聚丸、フィリピンに漂着 H1752a 1756年 陸奥国津軽郡石崎村治右衛門船朝鮮に漂着 H1756a 1757年 志摩若市丸、台湾に漂着 H1757a 1764年 伊勢丸、ミンダナオ島に漂着 H1764a 1765年 トルストゥイフ、カムチャツカで暴風に遭い死亡 H1765a 1765年 常陸姫宮丸、安南(ベトナム)に漂着 H1765b 1765年ごろ 陸奥住吉丸漂流 H1765c 1768年 ベニョフスキー、カムチャツカに流刑(のち脱走) O1768a 1770年 朝鮮人駿河興津に漂着する H1770a 1773年 薩摩藩士ら舟山諸島に漂着する H1773a 1783年 伊勢神昌丸、アムチトカ島に漂着 H1783a 1786年 サポジニコフ、アムチトカ島で座礁 H1786a 1788年 ペルーズ、バニコロ島に漂着 H1788a 1790年 ラジシチェフ、シベリアに流刑 O1790a 1794年 陸奥若宮丸アリューシャン諸島に漂着 H1793a 1804年 陸奥慶祥丸、北千島に漂着 H1804a 1807年 文化魯寇 R1807a 1808年 通州の船頭ら薩摩防津に漂着 H1808a 1810年 摂津歓喜丸、カムチャツカに漂着 H1810a 1812年 高田屋嘉兵衛、ロシア兵に拉致される R1812a 1832年 宝順丸遭難。3名がアメリカへ漂着 H1831a 1841年 中浜万次郎(ジョン万次郎)、鳥島へ漂着 H1841a 2005年 津軽海峡で外国人6人漂流 H2005c 2005年 NZで漂流の邦人女性救助 ダイビング中にはぐれる H2005d 2005年 香港を出発した船沈没し乗員2名、ベトナム沖で救助される H2005e What s New 取得中です。
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勝利条件 12ターン以内に渤海、北平を占領する 攻略 ○○ ○○ 前←→次 呉の台頭
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キツシヒウ(乞四比羽) 中国の隋唐時代に存在した靺鞨の人物。 渤海の建国を主導した。
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トップページ>韓国>韓国古代史研究 『韓国古代史研究』20、2000.12 権五栄「古代韓国喪葬儀礼」 신광철「儒教の受容と世界観の変容:倫理・社会徳目の具現を中心に」 徐永大「百済の五帝信仰とその意味」 김영미「仏教の受容と新羅人の死観の変化」 羅喜羅「古代韓国のシャーマニズム的世界観と仏教的理想世界」 趙仁成「古代韓国人の疾病観と医療」 「総合討論」 孔錫亀「高句麗の南進と壁画古墳」 権熹耕「第3期高句麗古墳壁画に現れた仙人・仙女像及び奏楽天に関する研究」 鄭善如「高句麗僧侶義淵の活動と思想」 鄭載潤「東城王の即位と政局運営」 李在碩「いわゆる倭系百済官僚と大和王権」 박민경「武王・義慈王代政局運営の研究」 金在庚「新羅仏教史の大勢と土着信仰」 林相先「「渤海人」李光玄と彼の道教書の検討」 『韓国古代史研究』19、2000.9 朴鍾益「咸安城山山城発掘調査と木簡」 朱甫暾「咸安城山山城出土木簡の基礎的検討」 李成市、李鎔賢(訳)「韓国木簡検討の現況と咸安城山山城出土の木簡」 平川南、李鎔賢(訳)「日本古代木簡研究の現状と新視点」 謝桂華、尹在碩(訳)「中国で出土した魏晋代以後の漢文簡紙文書と城山山城出土木簡」 朴相珍「出土木簡の材質分析:咸安城山山城出土木簡を中心に」 문안식「「南北国時代」論の虚像について:新羅と渤海の天下秩序に起因する相互認識を中心に」 権英五「新羅下代王位継承紛争と閔哀王」 『韓国古代史研究』18、2000.6 李炯基「大加耶の連盟構造についての試論」 李鎔賢「加羅(大加耶)をめぐる国際的環境とその対外交渉」 권주현「于勒を通じて見た大加耶の文化」 李漢祥「大加耶圏装身具の編年と分布」 郭長根「小白山脈以西地域の石槨墓変遷過程とその性格」 강경구「高句麗東明王廟の成立過程」 李喜寛「百済熊津遷都初期の政治的変動についての再検討」 서영교「九誓幢完成背景についての新考察:羅唐戦争の余震」 趙法鍾「インターネットを利用した韓国古代史関連史料の検索と活用:中国の二十五史を中心に」 『韓国古代史研究』17、2000.3 盧泰敦「初期古代国家の国家構造と政治運営:部体制論を中心に」 李鍾旭「韓国古代の部とその性格:いわゆる部体制説批判を中心に」 金瑛河「韓国古代国家の政治体制発展論:「部体制」論争についての所見に代えて」 宋鎬晸「古朝鮮・夫餘の国家構造と政治運営:部及び部体制論と関連して」 姜鍾薫「三国初期の政治構造と「部体制」」 余昊奎「高句麗初期政治体制の性格と成立基盤」 양기석「百済初期の部」 김영심「百済史における部と部体制」 전미희「冷水碑・風坪碑に見える新羅六部の性格:単位政治体説についての検討を中心に」 全徳在「6世紀初盤新羅六部の性格と支配構造」 金泰植「加耶連盟体の部体制成立与否についての小論」 백승충「加耶の政治構造:「部体制」議論と関連して」 編集部「総合討論」 『韓国古代史研究』16、1999.11 李永植「古代の戦争と国家形成」 李南珪「韓半島古代国家形成期鉄製武器の流入と普及:中国との比較的視角から」 金瑛河「新羅の百済統合戦争と体制変化:7世紀東アジアの国際戦と社会変動の一環」 金基興「三国時期戦争と租税制の変化」 李文基「7世紀後半新羅の軍制改編とその性格についての一試論」 「総合討論」 事京淑「高句麗前期の戦争と王権強化」 金炳坤「新羅初期王の性格再考」 権珠賢「加耶人の生活文化:食文化を中心に」 土井邦彦「三国時代の善知識と智識の基礎的検討」 李昌勲「7世紀新羅民の再編過程」 李南奭「百済の横穴式石室墳受容様相について」 『韓国古代史研究』15、1999.5 朱甫暾「『日本書紀』の編纂背景と任那日本府説の成立」 金相鉉「百済威徳王の父王のための追福と夢殿観音」 全徳在「百済農業技術研究」 張忠植「金泉弥勒庵柴将軍碑の調査」 梁正錫「新羅公式令の王命文書様式考察」 盧重国「新羅時代姓氏の分枝化と食邑制の実施:薛瑤墓誌銘を中心に」 朴真淑「渤海大彛震代の対日本外交」 金寿泰「全州遷都期甄萱政権の変化」 『韓国古代史研究』14、1998.11 金泰植「『日本書紀』に現れた韓国古代史像」 李炳魯「『続日本紀』に現れた韓国古代史像:新羅・渤海を中心に」 尹龍九「3世紀以前中国史書に現れた韓国古代史像」 林起煥「4-6世紀中国史書に現れた韓国古代史像」 李康来「7世紀以後中国史書に現れた韓国古代史像:統一期新羅を中心に」 「総合討論」 朴京哲「「高句麗社会」の発展と政治的統合努力:国家形成期高句麗史理解のための前提」 姜鍾薫「新羅「三姓族団体制」の成立と展開」 韓圭哲「渤海の西京鴨緑府研究」 朴真淑「渤海宣王代の対日本外交」 曺凡煥「朗慧無染と聖住寺創建」 李鍾文「『三国遺事』「信忠掛冠」条の「前三国史」について」 趙法鍾「青山別曲に現れた鳥と鹿の韓国古代宗教文化的伝統」 『韓国古代史研究』13、1998.5 盧泰天「韓国古代青銅器に含まれる亜鉛成分について」 余昊奎「高句麗初期の諸加会議と国相」 金起燮「弥鄒忽の位置について」 李鍾泰「百済始祖仇台廟の成立と継承」 文安植「『三国史記』羅・済本紀の靺鞨史料について:靺鞨勢力の地域的分布及び種族構成上の違いと変化を中心に」 蔡美夏「『三国史記』祭祀志新羅条の分析:新羅国家祭祀体系の再検討と関連して」 尹善泰「新羅の力禄と職田:禄邑研究の進展のための提言」 趙仁成「金大問の歴史叙述:思想的背景を中心に」 林相先「渤海有姓人の品階と社会的位相」 『韓国古代史研究』12、1997.10 李弘鍾「韓国古代の生業と食生活」 権五栄「韓国古代の聚落と住居」 全虎兌「韓国古代の女性」 趙法鍾「韓国古代社会の身分と負担」 徐永大「韓国古代の宗教職能者」 「総合討論」 鄭善如「新羅中代末・下代初北宗禅の受容:「丹城断俗寺神行禅師碑文」を中心に」 李煕真「『三国史記』の新羅偏向的性向と記事叙述:百済-新羅関連記事を中心に」 呉江原「西遼河上流域青銅短剣とその文化に関する研究:銅剣の系統と使用集団問題を中心に」 文昌魯「三韓時代邑落の渠師とその政治的成長」 河日植「昌寧観龍寺の石仏台座銘と「観龍寺事蹟碑」」 『韓国古代史研究』11、1997.2 金賢淑「高句麗中・後期中央集権的地方統治体制の発展過程」 金英心「6-7世紀百済の地方統治体制:地方官を中心に」 朱甫暾「6世紀新羅地方統治体制の整備過程」 白承玉「固城古自国の形成と変遷」 姜鳳龍「新羅下代浿江鎮の設置と運営:州郡県体制の拡大と関連して」 宋基豪「渤海の地方統治とその実相」 編集部「合同討論会」 윤성용「高句麗貴族会議の成立過程とその性格」 全虎兌「高句麗龕神塚壁画の西王母」 李道学「『日本書紀』の百済義慈王代政変記事の検討」 朴海鉉「新羅景徳王代の外戚勢力」 『韓国古代史研究』10、1996.11 이필영「檀君神話認識の諸問題:学史を中心に」 이형구「渤海沿岸大凌河流域箕子朝鮮の遺蹟・遺物」 서영수「衛満朝鮮の形成過程と国家的性格」 박경철「扶餘国家の支配構造考察のための一試論」 문동석「4-5世紀百済政治体制の変動」 金貞淑「高句麗古墳壁画素材変化についての一考察:墓主の肖像画を中心に」 鄭孝雲「『日本書紀』批判序説Ⅱ:6・7世紀の東アジア情勢と「任那の調」」 『韓国古代史研究』9、1995.7 権五栄「三韓社会「国」の構成についての考察」 宋華燮「三韓社会の宗教儀礼」 林永珍「馬韓の形成と変遷についての考古学的考察」 姜鍾薫「『三国史記』初期記録に見える「楽浪」の実体:辰韓聯盟体の空間的範囲と関連して」 白承忠「弁韓の成立と発展:弁辰狗邪国の性格と関連して」 延敏洙「広開土王碑文に見える対外関係:高句麗の南方経営と国際関係論」 李煕真「広開土王碑文に現れた任那加羅征伐背景と影響」 『韓国古代史研究』8、1995.2 이태진「社会史的に見た韓国中世の始まり」 金瑛河「韓国古代社会の政治構造」 盧明鎬「羅末麗初の社会変動と親族制度」 金基興「韓国史の古・中世時代区分:社会経済史中心から総体的視角へ」 許興植「仏教思想史から見た古代の起点と終点」 崔光植「韓国古代国家の支配イデオロギー」 徐永大「高句麗貴族家門の族祖伝承」 趙法鍾「広開土王碑文に現れた守墓制研究:守墓人の編制と性格を中心に」 徐毅植「9世紀末新羅の「得難」とその成立過程」 書評 朱甫暾「金基興『새롭게 쓴 한국고대사』歴史批評社、1993年」 『韓国古代史研究』7、1994.4 趙仁成「新羅末農民反乱の背景についての一試論:農民の世界観と関連して」 추만호「新羅末思想界の動向」 全基雄「新羅末期政治社会の動揺と六頭品知識人」 申虎澈「豪族勢力の成長と後三国の鼎立:後三国建国勢力と在地豪族勢力との関係を中心に」 金甲童「新羅・高麗の王朝交替と郡県制の変化」 「総合討論」 宋華燮「馬韓蘇塗の成立と歴史的意義」 李永植「加耶諸国の外交形式」 宣石悦「『三国史記』「新羅本紀」上代百済関係記事の検討とその紀年」 『韓国古代史研究』6、1993.4 金基興「8・9世紀統一新羅の経済」 金福順「8・9世紀新羅瑜伽系仏教」 宋基豪「渤海文王代の改革と社会変動」 李泳鎬「新羅貴族会議と上大等」 李仁哲「8・9世紀新羅の支配体制」 「総合討論」 兪元載「中国正史の百済観」 金賢淑「高句麗の靺鞨支配に関する試論的考察」 『韓国古代史研究』5、1992.1 林起煥「6・7世紀高句麗政治勢力の動向」 金寿泰「百済義慈王代の政治変動」 李宇泰「新羅三国統一の一要因:対地方民政策を中心に」 韓圭哲「渤海建国と南北国の形成」 「総合討論」 李康来「旧三国史論に対する諸問題:特に『三国史記』と関連して」 盧瑾錫「新羅中古期の軍事組織と指揮体制」 『韓国古代史研究』4、1990.11 李貞姫「6・7世紀日本史における律命受容の過程と意味」 金相鉉「新羅中古期業説の受容と意義」 趙仁成「4・5世紀高句麗王室の世系認識変化」 梁起錫「百済聖王代の政治改革とその性格:専制王権の成立問題と関連して」 金瑛河「新羅の発展段階と戦争」 崔秉鉉「新羅の成長と新羅古墳文化の展開」 『韓国古代史研究』3、1990.8 編集部「[写真]迎日冷水里新羅碑」 李炯佑「迎日地方の歴史・地理的考察」 鄭求福「迎日冷水里新羅碑の金石学的考察」 金永満「迎日冷水里新羅碑の語文学的考察」 金昌鎬「迎日冷水里新羅碑の建立年代」 安秉佑「迎日冷水里新羅碑と5-6世紀新羅の社会経済相」 文暻鉉「迎日冷水里新羅碑に見える部の性格と政治運営問題」 宣石悦「迎日冷水里新羅碑に見える官等・官職問題」 「総合討論」 『韓国古代史研究』2、1989.5 編集部「[写真]碑面写真 他」 趙由典「蔚珍鳳坪新羅碑の位置確認発掘調査」 李明植「蔚珍地方の歴史・地理的環境と鳳坪新羅碑」 南豊鉉「蔚珍鳳坪新羅碑についての語学的考察」 임세권「蔚珍鳳坪新羅碑の金石学的考察」 崔光植「蔚珍鳳坪新羅碑の釈文と内容」 朱甫暾「蔚珍鳳坪新羅碑と法興王代の律命」 李文基「蔚珍鳳坪新羅碑と中古期の六部問題」 盧泰敦「蔚珍鳳坪新羅碑と新羅の官等制」 李宇泰「蔚珍鳳坪新羅碑を通じて見た新羅の地方統治体制」 「総合討論」 『韓国古代史研究』1、1988.7 李炯佑「伊西国考:初期新羅の西南方進出と関連して」 朱甫暾「新羅中古期の郡司と村司」 李明植「新羅統一期の軍事組織」 盧重国「統一期新羅の百済故地支配:『三国史記』職官志・祭祀志・地理志の百済関係記事分析を中心に」 李賢恵「4世紀加耶社会の交易体系の変遷」 金泰植「6世紀前半加耶南部諸国の消滅過程考察」 金鍾撤「北部地域加耶文化の考古学的考察:高霊・星州・大邱を中心に」 書評 李宇泰「浜中昇『朝鮮古代の経済と社会:村落・土地制度史研究』法政大学出版局、1986年」 1-20 21-40 41-60 61-80
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1.地誌 1-1.東アジア (1)中国 黄河…ゴビ砂漠⇒ウェイ川⇒渤海 長江…上海(河口のデルタ地帯) アムール川、ウスリー川…ロシアとの自然国境 ホワイ川…稲作・畑作の境界
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2012.08.15 対フ水関 2012.08.15 華容道(対魏) 2013.01.02 汝南(対蜀 防衛戦) 2013.01.02 渤海(対蜀 進攻戦)
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陳琳 野望:勝利得点 ◆仕官している勢力が渤海を支配:その勢力の得点×1.5 ◆袁紹が地図上にある:+2 ◆曹操が地図上にない:+2 特技 ★駒を3つ動員 備考 OPTION d 歴史背景 陳琳について 名前 コメント