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書名 陰謀と幻想の大アジア 書誌情報 出版社(叢書・シリーズ名)平凡社 発行年月日2005年9月14日 版型 造本データ ページ数四六判 上製 299ページ 定価2000円 装丁間村俊一 カヴァー・表紙・扉図版:『復刻版「FRONT」』(平凡社)より 目次 プロローグ 歴史的想像力としての陰謀 7 第一章 満州国 15「フグ計画」――満州にユダヤ人の国を 16 シベリア出兵――日本における反ユダヤ主義の出発点 21 石原莞爾の満蒙占領論から独立論への転向 26 満州にイスラエルを――極東ユダヤ人大会 30 幻想の「満州」建国に動員された「陰謀の日本史」 35 第二章 ウラル・アルタイ民族 41〈ウラル・アルタイ〉の現在 42 〈大東亜共栄圏〉に重なる「ウラル・アルタイ=ツラン民族圏 45 〈ツラン〉のベルトでつながるハンガリーと日本 48 日本主義の枠を超えるツラニズム 53 第二次大戦後、封印されたツラニズムの夢 57 中央アジアに生きつづけるツラニズム 63 第三章 日本人・日本語の起源 67不可思議な『日本語の起源』 68 「日本語系統論」四つの説 73 戦後の言語学に欠けている歴史的パースペクティヴ 77 日本語と朝鮮語の歴史的つながりに関する新たな研究 80 縄文語・高句麗語の研究と歴史的想像力の再構築 87 第四章 騎馬民族説 95主観的な思いつきによる「騎馬民族説」 96 江上波夫説への評価と反論 101 佐原真の批判『騎馬民族は来なかった』 107 戦前の満州で発想された「騎馬民族説」 110 戦後を駆け抜けた〈満州〉の亡霊の騎士(ゴースト・ライダース) 115 第五章 大アジア主義 119アジア主義・馬賊・大陸浪人 120 内田良平の「アジア連邦」構想 125 「大高句麗国」論と、出口王仁三郎の大陸への夢 130 軍部主導の「満州国」建設計画と昭和神聖会 133 孫文の「大アジア主義」 136 大亜細亜協会・東亜連盟協会・大日本興亜同盟 139 幻の和平工作「繆斌工作」 143 第六章 ユダヤと反ユダヤ 147四天王延孝の反ユダヤ主義 148 ナチズムと癒着した反ユダヤ主義 153 日本中心の「日本・ユダヤ同祖論」 155 「竹内文献」と「シオンの議定書」の不可解なアマルガム 158 三笠宮のオリエント考古学研究 165 世界紅卍字会と、出口王仁三郎の世界宗教連合会 168 第七章 回教コネクション 173大川周明・井筒俊彦のイスラム思想研究 174 近代日本とイスラムの関係 177 在日外人ムスリムからの働きかけ 181 来日したイスラム教徒の日本への期待 185 在日トルコ・イスラム界の分裂と東京モスクの落成 188 軍部と右翼に乗っ取られたイスラム運動 193 第八章 モンゴル 199西北研究所と西北事情研究所 200 日本帝国主義に守られた学術調査 204 モンゴルをめぐる日本とソ連の攻防 209 徳王が追い求めた大モンゴルの夢 212 自らの歴史に目覚めたモンゴル 218 梅棹忠夫・江上波夫のモンゴル体験 223 第九章 シルクロード 227〈シルクロード〉のロマンと陰謀 228 中央アジアの支配権をめぐる英露の戦い 230 探検家ヘディンのナチスへの傾斜 234 大谷探検隊からシルクロード工作まで 237 ドイツ・アメリカ・日本のチベット探検の狙い 242 日本のシルクロード学者に欠ける世界史的視点 249 第十章 大東亜共栄圏 253南進論への転換と〈大東亜共栄圏〉の登場 254 東亜協同体論と東亜連盟論 258 陸軍、海軍それぞれの南進論 262 転向をくり返した平野義太郎と太平洋協会 266 自らの戦時について語らない、戦後の歴史家たち 270 大東亜戦争下の南方における謀略工作 272 戦時において、人間は敵対するだけでなく、人間的な絆もできる 275 エピローグ 279 あとがき 284 参考文献 288 索引 299 あとがきより 主な初出 書き下ろし 補記
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※ナショナリズムは一般に以下の3段階で発展すると考えると理解し易い。 Ⅰ.解放的ナショナリズム(パトリオティズム) → Ⅱ.国民国家の成立 → Ⅲ.拡張的(排外的・侵略的)ナショナリズム(ジンゴイズム/ショーヴィニズム) 主に他国や他民族の抑圧に対して、①国家・国民形成を図りつつ、②政治的あるいは経済的自決(民族自決)を求める動き※政治的・経済的自決を求めることから、この段階のナショナリズムは自由主義と親和的である。 → 国家の要請に適った国民を育成するために、①統一的・画一的な国民教育の実施、②歴史・文化の共有化、③「伝統の創造」(※)といった公定ナショナリズムとでも言うべき諸政策が政府主導で実施される。※英歴史学者ホブズボームの用語で、正統性に問題のある新興国家の政府が行いがちな一種のご都合主義的な「伝統」価値の捏造 → 増大していく大衆の自尊感情の現れとしてのナショナリズム(大衆の自己崇拝、ナショナリズムの市民宗教化)。Ⅱの公定(=官製)ナショナリズムの結果、政府当局のコントロールが効かない状態にまで大衆の自尊感情が昂進してしまった状態。 少数エリ-トの自覚的な活動(市民型ナショナリズムcivic nationalism)として始まり、次第に参加者を拡大していく → 国民の政治参加の意欲が高まる結果、大衆デモクラシーが成立するが、次第に衆愚化していく傾向を免れない。 → 理性よりも大衆の無定見な民族感情に流され易くなり(民族型ナショナリズム ethnic nationalism)、①国内的には排外的、②対外的には侵略的傾向を強めていく結果となる。 例1 フランス革命の最初期 → フランス共和国の建設(カルノーの徴兵制etc.) → ジャコバン政権樹立以降の「革命の輸出」~ナポレオンの侵略戦争 例2 ドイツ統一運動 → ドイツ第二帝国の建設(ビスマルク時代) → ウィルヘルム2世の世界政策から第一次世界大戦へ。さらに敗戦からワイマール共和国の混迷ののちナチス政権による侵略政策の追求へ 例3 明治維新~日露戦争・不平等条約改正 → 大正デモクラシー(男子普通選挙の導入=大衆の政治参加) → 日本の場合は露骨な対外侵略の肯定という形は憚られたが、アジア諸民族と結んで白人支配を覆すという大義(=アジア主義)が利用される形で拡張的ナショナリズムが発動してしまった。 ※韓国は、Ⅱ.の行き過ぎの結果、Ⅲ.拡張的(排外的・侵略的)ナショナリズムが発動してしまった状態と解され、また中国もⅡ.を部分的ながら過激に実行した結果Ⅲ.の歯止めが利かなくなりつつある状態と見られる。
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※ナショナリズムは一般に以下の3段階で発展すると考えると理解し易い。 Ⅰ.解放的ナショナリズム(パトリオティズム) → Ⅱ.国民国家の成立 → Ⅲ.拡張的(排外的・侵略的)ナショナリズム(ジンゴイズム/ショーヴィニズム) 主に他国や他民族の抑圧に対して、①国家・国民形成を図りつつ、②政治的あるいは経済的自決(民族自決)を求める動き※政治的・経済的自決を求めることから、この段階のナショナリズムは自由主義と親和的である。 → 国家の要請に適った国民を育成するために、①統一的・画一的な国民教育の実施、②歴史・文化の共有化、③「伝統の創造」(※)といった公定ナショナリズムとでも言うべき諸政策が政府主導で実施される。※英歴史学者ホブズボームの用語で、正統性に問題のある新興国家の政府が行いがちな一種のご都合主義的な「伝統」価値の捏造 → 増大していく大衆の自尊感情の現れとしてのナショナリズム(大衆の自己崇拝、ナショナリズムの市民宗教化)。Ⅱの公定(=官製)ナショナリズムの結果、政府当局のコントロールが効かない状態にまで大衆の自尊感情が昂進してしまった状態。 少数エリ-トの自覚的な活動(市民型ナショナリズムcivic nationalism)として始まり、次第に参加者を拡大していく → 国民の政治参加の意欲が高まる結果、大衆デモクラシーが成立するが、次第に衆愚化していく傾向を免れない。 → 理性よりも大衆の無定見な民族感情に流され易くなり(民族型ナショナリズム ethnic nationalism)、①国内的には排外的、②対外的には侵略的傾向を強めていく結果となる。 例1 フランス革命の最初期 → フランス共和国の建設(カルノーの徴兵制etc.) → ジャコバン政権樹立以降の「革命の輸出」~ナポレオンの侵略戦争 例2 ドイツ統一運動 → ドイツ第二帝国の建設(ビスマルク時代) → ウィルヘルム2世の世界政策から第一次世界大戦へ。さらに敗戦からワイマール共和国の混迷ののちナチス政権による侵略政策の追求へ 例3 明治維新~日露戦争・不平等条約改正 → 大正デモクラシー(男子普通選挙の導入=大衆の政治参加) → 日本の場合は露骨な対外侵略の肯定という形は憚られたが、アジア諸民族と結んで白人支配を覆すという大義(=アジア主義)が利用される形で拡張的ナショナリズムが発動してしまった。 ※韓国は、Ⅱ.の行き過ぎの結果、Ⅲ.拡張的(排外的・侵略的)ナショナリズムが発動してしまった状態と解され、また中国もⅡ.を部分的ながら過激に実行した結果Ⅲ.の歯止めが利かなくなりつつある状態と見られる。
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#blognavi インダス文明の痕跡は広範囲にわたっている。現に発掘された遺跡間の距離をとってもその範域が推測できるだろう。同一文化を持っていたハラッパー註1とモヘンジョ・ダロとは約650キロ離れている。今ではそのほかに100以上の遺跡の存在が知られるようになり、その分布地域はインド西海岸沿いに南に広がり、東にタール砂漠を越えてガンジス川流域にまで及んでいるのではないかと言われている。1921年にインドの学者がハラッパーの遺跡を発見する。そのあと1922年にインド人考古学者註2がモヘンジョ=ダロの遺跡を発見する。イギリス人の考古学者ジョン・マーシャル註3は1925年からモヘンジョ=ダロ(「死者の丘」の意味)の大規模な発掘作業を開始した。これが通称言われるところのインダス文明の発見である。そして言いようが悪いが、そこからはインダス文明を築いた人間と破壊した人間がいたことが分かっている。そういう意味では特異な遺跡であると言わなければならない。モヘンジョ=ダロが何故に「死者の丘」という意を含めて名付けられたのかはその遺跡内にある屋内跡や街路跡におびただしい老若男女の遺骨が大量に散乱していた事から来ている。そしてそれぞれの遺骨には歴然とした武器による傷痕が刻まれていた。これは外敵による侵入があり大量虐殺があった事を物語っている。殺戮者はアーリア人であったのではないかといわれている。 実はインダス文明(Indus Valley civilization)と呼ばれているものについてはまだよく分かっていない。またこの文明の中心者であるドラヴィダ人(Dravidian)は地中海周辺に起源を持ちメソポタミアのイラク高原から北部インドに紀元前3500年ほど前に移住して来ていることが判っている。文明としては紀元前2600年から紀元前1900年の間栄えたと言えるだろう。その文明の遺跡は現在以下に影を止めている。 ハラッパー、カーリバンガン(パンジャブ地方) モヘンジョダロ(パキスタン南部、シンド地方) ロータル、ドーラビーラ(北西インドのグジャラート) いずれも小さな都市国家ではなかったかと言われている。またこの文明は「文字」を持っていたことも最近判っている。象形文字であるインダス文字註4は現在約400文字が発見されているが文字の解読は現在も進行形である。 都市部の周辺で農耕や牧畜を行っていた「青銅器文明」でもあった。また当時のメソポタミア文明との商交易を行っていたことも判っている。その中でも特筆すべきことも最近明らかになってきている。商業活動に使った銅製分銅や秤から分銅のセットを軽い方から重い方へ並べて順番に秤量してゆくと、「二進数」を使っていたのではないか推測する指摘もある。二進数は今ではコンピューターで用いられ、その二進数を彼らがその商業活動に用いていたのでは、とある。また祭祀については「火の祭祀」を、埋葬は地面に穴を掘って遺体を埋葬する土坑墓を用い遺体は、頭を「北」にして仰向けに身体を伸ばした、いわゆる仰臥伸展葬が主体であった。足を曲げた形で遺体が葬られているものもあるが、その場合も頭は「北」に置かれた。先住民族としての「ムンダ人(オーストロアジア系)」はドラビダ人とともにインダス文明の担い手ではなかったといわれている。またムンダ人の「起源神話」は卵生型神話である。その後アーリア人(Aryan)の侵入に伴いドラヴィダ人はインドを南下し以下の地方で部族形成を行っていった。インド西部のオリッサ、ベンガル、インド中部のマディヤ・プラテーシュ、インド南部のデカン高原などである。 アーリア人(Aryan)註5の発祥については色々な説があるが手がかりは彼らの使った言語から推察したものが今のところ一番有力ではないかと思う。『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば「インド・ヨーロッパ語族」としての範疇の民族を「アーリア人」としている。属する言語として、サンスクリット語、ペルシア語、トカラ語、ギリシア語、ラテン語、英語、バルト語、ロシア語、アルメニア語、アルバニア語などが挙げられる。つまり、ヨーロッパ北大西洋沿岸から現在の中国「新疆ウイグル自治区」に該当する地域までの広範な版図が入っている。またトカラ語のように滅びていった言語も多数有るようである。歴史学的にはカスピ海、黒海沿岸からコーカサス地域に居た遊牧民族が北上しバルト海沿岸へ、また西方へはギリシャや今のトルコがある小アジアへ、そして南下は今のイラン(イランとはアーリア人の国という意)、インドへ到達したようである。つまりは、中央アジアからヨーロッパ全域にわたっている。 アナトリア高原で建国したアーリア人はヒッタイト王国を築き先住民族から鉄の精製を得た。「旧約聖書」ではヘテ人と呼ばれメソポタミアの古バビロニア帝国を滅ぼし、ラムセス2世の率いる古代エジプトと戦いその軍を破りシリアまで版図とした。またギリシャまで至った部族は「ミュケナイ文書」を、イランへ侵入したアーリア人はゾロアスター教の最高教典「アヴェスター」を、インドへ到達したアーリア人は「ヴェーダ聖典」を残したのである。 民族という概念については宮崎市定氏の引用がわかりやすいかと思える。 民族なるものはけっして先天的にあたえられたものではない。いいかえれば血統によって自然に定まってしまうものではなく、もっと大きな歴史的環境によって定められるものである。民族の決定には、もちろん血脈が重要な要素となるが、その他には政治あるいは文化、文化の中にもとくに言語・宗教・風習などが大きな発言権をもっている。純粋な民族とは、医学的に均質な骨格体質をもっていることよりも、むしろ思想信念において統一された歴史的民族を意味する方が多い。 -【民族と歴史】「アジア史概説」宮崎市定より引用- さて、インドへ侵入したアーリア人は先住のドラヴィダ人(Dravidian)や他の少数民族への支配と融合を目指したと思われる。世に流布されているアーリア人によってドラヴィダ人文化が滅ぼされたという書きようがあるが、それは間違いで、むしろインダス文明に基づく文化が時間をかけて変容したと考えるべきである。また逆に言えばドラヴィダ人がアーリア人によって長く支配される時代を迎えたのであると云えばよいだろう。そしてその民族支配の名残の大きなものは現在もある『カースト制度』だと思われる。 註 註1:ハラッパー遺跡:1921年パキスタン北東部,パンジャーブ地方サヒワルの西20kmのラヴィ川の左岸鉄道敷設工事の中で発見される。1922年インド考古局のサハニの最初の調査以来,ヴァッツによる大規模な発掘とイギリスのウィーラーの部分的確認調査が行われ城塞下には、西方のパルチスターン高原(イラン、パキスタンとの国境沿い、イラン高原の一部)の文化と関連をもつ先ハラッパー文化が確認されている。城塞は東西200m,南北400m。 註2:インドの考古学者バネルジーが、パキスタンのシンド州ラールカーナのモヘン・ジョダロと呼ばれる荒れ果てた丘にある、二世紀頃に立てられたと思える仏塔(ストウーパ)を発掘していて象形文字の刻まれている印章を発見する 註3:マーシャル・マッケー:インド考古学局長、発掘報告書「モヘンジョ・ダロとインダス文明」全三巻を発表し紀元前三千年を中心にし前後五百年にわたってインダス川流域に栄えていた事を実証した。 註4:インダス文字:この文字は、ほぼ同時代とされている前期エラム文字、初期シュメール文字、ミノア文字(ミュケナイ文字)、エジプト文字などと同じく象形文字である。インダス文字は象形であっても相当高度の標準化が行われて変化している為今も解読がされていない。文字は右から左に書かれているが、時には第二行目で左から右に進行している例もある。そのあたりがインダス文明の体系的な解明のネックとなっている。 註5:インド文化の中心的役割を果たしているインド・アーリア人は古くは中央アジアに居住し牧畜を営んでいた民族のひとつであると考えられている。背が高く、色は白く、鼻は真っ直ぐに長く、容姿が整っていた。使われていた言語は現代ヨーロッパ諸民族の古語と同一系である。アーリアとは高貴なものと云う意味である。 カテゴリ [truth] - trackback- 2007年03月27日 11 04 18 名前 コメント #blognavi
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管理人プロフィール 名前はトマス・ラモス・ロペス。 貝澤くんと名乗ることもあります。 3ページ目。1ページ目はこちら。2ページ目はこちら。 ウィキ・リヒト管理人の独り言 管理人の独り言の内容が稚拙すぎるので、3ページ目は本気でいきます(笑)。というか酒酔い記事はやめます(笑) 犯罪率よりバランス重視で http //www.asahi.com/housing/world/TKY201204250471.html]] 一般的な指標からすれば、リマは決して住みやすい街とは言えないだろう。 ひったくりや泥棒などの犯罪発生率も残念ながら低くはないし、 市内の交通渋滞と運転マナーの悪さと言ったらそれはもうひどい有り様だ。 青空を拝めるのは夏の間だけ。 海霧の影響で1年の半分近くは曇天となるこの街では、湿度も高く衣類や靴をカビから守るのに苦心惨憺(さんたん)する日々が続く。 ではなぜリマに暮らしているのか。それは私にとってここが「バランスのよい街」だからだ。 以上asahi.comより。 ぺルーでの生活が書かれていますね。 自分も地元に住んでいるペルー人を見ていて感じることがあります。 日本人から見れば奇異に見えることでも、彼らにとっては快適なことなのかも知れないと。 文化の違いで面白いとも思う。 だが、ここは日本である。日本のルールというものがある。 特にひとに迷惑をかける行為はやはり問題あると感じる。 「日本は文化の違いを受け入れようとしない」と言う人もいる。 島国というのもあるだろうし、閉鎖的といわれればそうかもしれないが、犯罪行為だけは違うと思う。 “文化の違い”と犯罪は違う。それらは擁護するのではなくて、報道しないとかでなくて、マスコミのひとも理解してほしいなと感じる。 本来はバランスよりも犯罪率のほうが重要であるはずである。 2012/5/6 コミュニティーのほうでネット右翼じゃない人(あくまで自己申告で)に質問しました。 人の出入りを制限しているので、回答者は限られていますが。 調査 2012/9/22(朝)~2012/9/29(朝)まで。 在日韓国人の多く住んでる地域、もしくはそうした地域に住んでいた事のある人に質問です。 日本人と違うと感じた形質はなんですか?見た目でよいのでお願いします。複数回答可能です。 と、聞いたところ、 日本人よりも 色が黒い。赤いと表現する人も。 体格が良い。 顔が角張っている。 目が細い。目が小さい。 唇の色が独特。紫などという人も。 髭がツルツル。もみあげが無い。 声がハスキー。 瞳の色が薄い。 などとなりました。 自分はなんとなく納得なのだが、皆様いかがでしょう。 尖閣は大和民族と漢民族の対決ですね。 琉球民族も絡んできてますね。沖縄ですから。 まさか日中の軍事力が拮抗してきてるときにこのような事態になるとは。 自分もここで軍事語っちゃおうかな^^ 国と国とと言っても、日本は97%以上が大和民族ですし中国も漢民族だらけな国ですからね。 これは民族対立でもありますね。 それと民族や国家は隣同士だと仲が悪いというのが一般的ですよね。 ギリシャとトルコ フランスとドイツ アメリカとメキシコ イタリアとギリシャ ところが、これらの国は強力な軍隊を持っているので、戦争・紛争をすると破壊的な事態になってしまうのでやらない。 ところが相手が圧倒的に弱い戦力な場合や、小規模な軍隊などしか持たない場合は、戦争・紛争が起きることがある。 フォークランド紛争は戦力差が相当にあった。 アルゼンチンは厳しい戦いに挑み負けた。 ほかにも、 イングランドとアイルランドも。 アメリカとアフガニスタンも。 アメリカとイラクも。 イスラエルとパレスチナも。 だが、今の日中は軍事力が拮抗している。 まだ大丈夫。だと思う。 ただ、日本の戦力増強はやはり必要だと感じます。というか自分らの仲間の総意です^^ 2012年11月5日
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パシュトゥン人(パシュトゥーン人) アフガニスタンを中心に住む民族である。 総人口は約5000万人(2011年調べ) パキスタンにも少数派ながら住む。ただし人口は2888万人とアフガニスタンの1253万人よりも多い(2011年調べ)。 ペルシャ系民族である。 パシュトゥン人の特徴。 コーカソイドである。 乾燥に強い形質である。 手足は長く指も長い。顔は小さい。 栄養状態を考えれば身長は高い。 髪は天然パーマ、色は子どもの頃は金髪が黒髪に混じって出ることも多い。 髭は濃い。体毛も濃い。髭の生え始めが早く15才くらいで濃い髭が生え始めるとも言われる。 二重で大きな切れ長の目をしている。まつげが長い。 瞳の色は緑や茶色、黄土色、一部、青など様々である。 非常に彫の深い顔をしている。 コーカソイドの中でも特に目元が窪んでおり、栄養状態に関係しているともいわれる。 唇はコーカソイドとしては厚い。薄い者も多い。 口は大きい。 筋肉が発達しているが、細身が多い。 鼻は乾燥に適応して非常に高く長い。 肌は日焼けしなければ白い。 血液型はA型43%、O型34%、B型17%、AB型6%。 頭は長頭。(頭の前後が長い) 厳格にイスラムを信仰しているイメージがあるが歴史を見ると比較的柔軟な民族である。 また、非常に勇敢な民族である。また、素朴な民族でもある。 民族的な習慣を大事にしているようである。 すいません。血液型で正しい情報を載せてしまいました(笑)。 紛争地帯の血液型をO型とかB型にしたい人達がいます。 これは捏造であり差別であります。 この情報を何かの参考にして頂ければ幸いです。 血液型占いが好きな人の為にリンク。 ↓ここにアフガニスタンの人の性格が載っています。 http //www.tamurano.com/westasia/column5.htm 心やさしく、慎み深く礼儀正しい民族のようです。 パシュトゥン人 http //www.ne.jp/asahi/eden/kanata/pakistan/note/07.html パシュトゥン人のことが書かれています。友達になれるとしたら~の部分がいいですね。 パシュトゥン人の誠実さが伝わってきますね。 余談 パシュトゥン人の顔。 パシュトゥン人の顔は?と聞かれて、すぐに思い出せるあの顔立ち。 え?、パシュトゥン人てなに人と聞かれても、アフガニスタン人だよ。「タリバン」だよ。 といえば「あぁ、あの平井堅みたいな顔」と納得するのではないでしょうか。 そうなんです。顔が皆似通っていて形質がよく似ている為に、ある特定のイメージが皆様の中に根付いているように思います。 ところがどうでしょう。カルザイ大統領の顔。アフガン人の顔と違うくありません?。 ほんとにパシュトゥン人?。不思議です。この話、ただそれだけ言いたかっただけです(笑) パシュトゥン人の写真 Pashtun children http //www.flickr.com/photo_zoom.gne?id=308661738 size=o author:Goosemountains http //www.flickr.com/people/28357398@N00 パシュトゥン人の子ども達 Pashtun girl http //en.wikipedia.org/wiki/Image Pashtun_girl.jpg author:LloydHawk http //en.wikipedia.org/wiki/User LloydHawk パシュトゥン人の女の子 パシュトゥン人の老人。 Afghan girls in Khost http //www.flickr.com/photos/29456680@N06/4203221168 author:Staff Sgt. Stephen J. Otero (U.S. armed forces) パシュトゥン人の少女達 パシュトゥン人の男性。 ハザラ人? パシュトゥン人の男性達。1869年に撮られた写真。
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FFXIから受け継がれた形の5種族達。この形になった経緯は開発者のFFXIユーザーがFFXIVに移行しやすくしたかったというのが大きな理由である。多少の部位の変化・頭身の変化は見られるものの、慣れ親しんだ種族であることは間違いない。 FFXIではキャラクターにモーションキャプチャーを使用していなかったが、今回のXIVでは使用しているため、非常に滑らかなモーションが期待される。また、ゲームプレイ中もキャラクターの表情は変わるため、リアル感が大幅にアップされている。 キャラクターエモーションの動画を見る ヒューラン/Hyuran ― 多様なる民 ― エオルゼアで最も人口が多く、過去3度にわたる大移動で近隣の大陸や島々から流入してきた民族。彼らが外の世界から持ち込んだ技や術、思想は、エオルゼア文明を飛躍的に高める原動力となった。出身地に起因する多種多様な言語・文化体系を強みとするが、そのぶん民族意識は低く、自由を是とする気風。低地に移住したミッドランダーと、高地に移住したハイランダーの2部族に大別される。 FF11でのヒューマンタイプを模している。 エレゼン/Elezen ― 崇高なる民 ― かつてエオルゼアで支配的地位を占めていた先住民で、神々に選ばれた民としての矜持を持つ遊牧民族。広大な原野に適応し、痩身長躯にして四肢長大。発達した耳は1リーグ先の野ネズミのくしゃみを聴き取れるほど。侵入者であるヒューランの民とは、死闘を繰り広げてきた過去を持つが、現在は辺境の民シェーダーなど一部の部族を除き、彼らと共存共栄の道を歩んでいる。 FF11でのエルヴァーンタイプを模している。 ララフェル/Lalafell ― 機敏なる民 ― 元々は南洋の島々で暮らす農耕民族だったが、交易を通じてエオルゼアに進出。現在では定住し、主要構成民のひとつに数えられる(ただし、寒い地方は少なめ)。ずんぐりした小柄な身体からは想像しがたいが、健脚ですばしっこく、また機知に富んでいる者が多い。血族関係を大切にする傾向が強いが、決して排他的ではなく、どの民族ともそれなりに良好な関係を築いている。 FF11でのタルタルタイプを模している。 ミコッテ/Miqo'te ― 孤高なる民 ― 大氷雪時代に獲物を追って氷結した海を渡ってきた狩猟民族の末裔。昼行性の部族サンシーカーと、夜行性の部族ムーンキーパーに大別されるが、いずれも鋭い嗅覚や恵まれた脚力など、ハンターとしての天賦の資質を備えている。エオルゼアではマイノリティであるうえ、同族間における縄張り意識が強いため、都市民でも単身で暮らしている者が多い。 FF11でのミスラタイプを模している。ミコッテはミスラよりもよりネコらしくなっている。 ルガディン/Roegadyn ― 剛胆なる民 ― 北洋を主な拠点とする海洋民族。大柄で筋骨たくましく,豪放磊落で,蛮勇を競い合う風習もある。 海の都リムサ・ロミンサにおいては,ルガディンを数多く目にする。その大半がゼーヴォルフ族の船乗りだが,それ以外にも傭兵や用心棒,あるいは海賊としてエオルゼアに定住しているルガディンもいる。また,砂の都のウルダハでは,山岳部族のローエンガルデ族の姿も稀に見られるようだ。FF11でのガルカタイプを模している。尚、尻尾は無い。 新たな種族 プレイヤーとしての種族の追加は不明(否定はせず濁している)。公式発表では敵の存在として「蛮族」が発表されているが、代表的な敵種であったオーク、ヤグード、クゥダフはもしかすると新しい形で発表されるかもしれない。また、開発者インタビューによると男性のミコッテ及び女性のルガディンはデザインが完成しているが、実装するかどうかは未定ということである。
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二次創作物が豊かな国。自我が強い国民が多い。 国民 自我が強い国民性ゆえに自治厨が蔓延。 細分類 ピクシビアの民族割合倍以下のとおり。 ピクツール 全体の20%いる。生産農家で創作物を作っている。 コメンター 全体の80%いる。自称評論家の民族。
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目次 目次 概要 国名 地理 歴史 地域・行政区画 代表的な都市 政治 軍事 外交 経済 交通 民族 言語 宗教 文化 外部リンク 概要 国旗 国の標語 国歌 公用語 首都 最大都市 国家元首 政府 面積 総人口 GDP(自国通貨表示) GDP(MER) 建国 通貨 国名 地理 歴史 関連する歴史項目 地域・行政区画 代表的な都市 政治 軍事 外交 所属組織・締結条約 経済 交通 民族 言語 宗教 文化 外部リンク
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中の国 Center 基本情報 人口 Alhigh全体の35% 民族 理系 気候 温暖で乾いた気候 地形 世界樹、川に挟まれた草原 植生 低木、広葉樹林 建材 木材、石、レンガ、セメント 国民性 プライドが高い 【生活】 【食物】 【社会性・民族性】 意見・疑問・考察等 コメント すべてのコメントを見る