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ニコニコ上のシミュレーションシリーズでよく使われる用語の辞典です。 基本的に、特定作品の登場人物・専門用語などはその作品の解説を利用することをオススメ。 各作品の参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) 三國志シリーズ - Wikipedia 信長の野望シリーズ - Wikipedia 太閤立志伝シリーズ - Wikipedia 蒼き狼と白き牝鹿シリーズ - Wikipedia (チンギスハーン) 東方wiki 用語解説 ア行 ア更新 イ ウ エ オ ハ行 ハ更新 ヒ更新 フ ヘ ホ カ行 カ1カ2 キ1キ2 ク ケ コ1コ2更新 マ行 マ ミ ム メ モ サ行 サ シ1シ2 ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ更新 ツ テ ト更新 ラ行 ナ行 ナ ニ ネ ノ ワ行 チート チート一族・チート遺伝子(チートイチゾク・チートイデンシ) チートキャラ チート国家(チートコッカ) 茶(チャ) 茶会(チャカイ) 茶器(チャキ) 茶器回し(チャキマワシ) 茶人(チャジン) 茶々の唄(チャチャノウタ) チャッカマン チャレンジモード チャン・コーハン 中二病(チュウニビョウ) 厨房(チュウボウ) チュートリアル 長弓(チョウキュウ) 超人(チョウジン) チョロ松(チョロマツ) チルノゼミナール チルノ補正(チルノホセイ) 沈熊(チンクマ) チン5(チンゴ) 朕の宦官が、こんなにかわいい(チンノカンガンガコンナニカワイイ) チート [部分編集] 本来は、改造ツールなどでゲームのデータを改変する行為のこと。 たとえば、極端な例を挙げれば、武将の統率力を1000にするなどの行為。 プレイヤーに有利なようにチートをした動画は面白くないことが多く、批難の対象となることもある。 とはいえ、実験的・ネタ的な動画ではこうしたチートが行われ、ツッコミを入れられながら楽しまれることもある。 ★(おもに敵方の)データを改変する行為のこと 敵の兵力を増やしたり、敵武将の能力値を高く設定して、意図的にプレイヤー側を不利にするために使われることが多い。 そういった行為は、一部の者からは「逆チート」と呼ばれ、「 ドM 」とは密接な関係がある。 ★能力値が反則的なまでに高いキャラのこと ⇒ チートキャラ 参照 上へ チート一族・チート遺伝子(チートイチゾク・チートイデンシ) [部分編集] 怪物ばかり輩出する一族の事。 ★戦国時代の例 真田家、島津家、武田家など。 特に各世代で怪物を輩出する真田家、島津家の四兄弟。 ★三国志での例 司馬、孫家辺りが該当するか。諸葛は次の代が惜しかった(一応なかなか優れてはいるが)。 あと、SOSO様&孫家自重(息子や一族の数的な意味で)。 ニコニコ大百科: 例の一族 上へ チートキャラ [部分編集] ★ チート を行い、パラメーターを書き換えたキャラ 動画では、脚本・演出上の都合や作者の趣味などにより、もっぱら敵勢力に加えられる。 ★絶対に相手にしたくない強さのキャラ。敵への罵倒(褒め言葉)として ① パラメーターを書き換えなくとも、もともと並外れた能力を持つ者。「公式チート」とも言われる。 例:上杉謙信、武田信玄、真田昌幸、太田道灌、北条早雲、曹操、孫堅、関羽など ② 超一級の能力は持たないが、全てのパラメーターが充分優れ、欠点が全く無いキャラ。 例:最上義光、司馬懿、宇喜多直家、鍾会など ★いずれかの能力が突出してるキャラ 統率…孫堅、上杉謙信など 武力…呂布、前田利益、上泉信綱など 知略…諸葛亮、竹中半兵衛、宇佐美定満など 政治…張昭、村井貞勝など(一番目立ちませんが、縁の下の力持ちということで) ★一流といえない能力であっても相対的に優れたキャラ。低能力勢力の自虐ネタを含む褒め言葉 例としては、今川氏真(一条兼定の視点)、厳白虎・賀斉(劉禅の視点)など。 余りの救世主っぷりに、「神」と崇められる場合もある。 使用例:「なんたるチート!」 上へ チート国家(チートコッカ) [部分編集] Hearts of Ironシリーズにおけるアメリカ合衆国のこと。 世界最大の工業力(ただしプレイ開始時はマイナス補正がかかっている)と膨大な産出資源、 最初は戦争に不向きながら、歴史イベントでどんどん理想的なものになってゆく政体、 世界最高クラスの研究機関と陸海空の全てにおいて優秀な司令官、 そして新大陸という非常に攻めづらい立地から、こう呼ばれる。 一度敵に回そうものなら、凄まじい戦略爆撃で工業力を削られ、 防備の薄い沿岸があれば何度も何度も何度も何度も強襲上陸を仕掛けられ、 本土に侵攻しようとしても数十隻の空母が立ちふさがるという、気が滅入るような戦いを強いられる。 その1国で世界を相手にできる実力から、AARや動画においては、ラスボスとして設定されることが多い。 ただ、導入しているAIにもよるが、大西洋から本土上陸さえ出来れば、無力化は意外と簡単である。 日本との戦争が始まると、アメリカ陸軍は太平洋に集中する(小島に100個師団以上積み上がることも)。 本土はがら空きになるため、上陸すれば、後はこちらのものとなる。 さらに工業地帯は大西洋側に偏っているため、東側を押さえるだけで、工業力の大半を奪える。 もっとも、併合しようとすると、太平洋に点在するVP回収があるため、楽ではない。 ……ちなみに、1936年開始時だと陸軍が4個師団しかないのは言ってはいけない。 ……なお、この性能でも「史実のアメリカ」と比べれば大幅に弱く、 史実通りの性能にするとゲームにならないというのが、現実におけるアメリカの恐ろしいところである。 #どれくらいチートかと言うと、「史上最もトンデモな架空戦記」と揶揄される大本営発表の戦果が全て事実だったとしても、 なお最盛期の日本海軍の倍以上の戦力を保持している計算になるくらい。 上へ 茶 (チャ) [部分編集] チャノキ(茶の木)の葉などからつくられる加工品。加工方法により、緑茶・紅茶・烏龍茶、抹茶・煎茶などの種別がある。「信長の野望」シリーズでは、特産物の一つである。 (1)から抽出される飲み物。 戦国ものでは、おもに抹茶を指す。茶会など、コミュニケーションに用いられる。 松永久秀や宇喜多直家などが振る舞うお茶には、ときどき「ひみつ」が入っている。 (2)を淹れて振る舞うことを様式化し、芸としたもの。茶の湯。茶道。 麦茶・蕎麦茶・ハーブ茶など、茶葉以外から抽出するものも、「茶」と呼ぶことがある。 特産物の野望では、苦居茶々を指す。 上へ 茶会(チャカイ) [部分編集] 茶道における振る舞い(もてなし)の会。 「お茶会」というと、ちょっと違うものになる。紅茶とケーキが出てきそうだ。 とある軽音楽部では頻繁に行われているとか。 ★「信長の野望・武将風雲録」におけるコマンドの一つ 茶器があれば開催できる。参加した武将の教養・忠誠度、国の文化値が上昇する。 イベントで茶人が訪問してきて開けることもあるが、 茶人のレベルに応じた茶器を保有していないと恥をかき、家臣の忠誠度が下がってしまう。 ★「太閤立志伝」における、「茶をふるまう」の通称 相手武将との親密度が上昇する。「太閤立志伝」では頻出する場面。 動画での特異な例では、「浪人から始める織田信勝」の「洗脳茶会」がある。 ★謀略に定評のある一部の武将が絡むと、毒殺フラグ 動画内で松永久秀、宇喜多直家が「茶会」のことを口にすると、 「毒入り」だとか「グハッ!」などのコメがよく見られる。 上へ 茶器 (チャキ) [部分編集] 茶道で用いられる道具(茶道具)のこと。 狭義では、抹茶の容器として用いられるものを指し、 陶製の物は「茶入(茄子・肩衝など)」、木製の物は「棗(なつめ)」という。 室町時代から戦国時代にかけて、茶道が芸道として成立した結果、 名物茶器には大きな付加価値がつくようになり、恩賞にも用いられた。 滝川一益が「珠光小茄子」がもらえず上野国を貰ってがっかりした、などのエピソードで知られる。 ★信長の野望における茶器 「武将風雲録」で「文化値」や「茶会システム」とともに登場したのがはじまり。 以後の作品では「家宝」の一種とされ、政治能力値を上昇させるアイテムになっている。 「革新」では「茶道具」と呼ぶ。 ★太閤立志伝における茶器 アイテムの一つ。他の人物との交流で効果を発揮する。 茶会や技能習得等で使用したり贈り物として寄贈したり 大名から城をもらう際の代金代わりにしたり(Ⅴ) と用途は多い。 ★自爆装置 松永久秀のみ、茶器に火薬を詰めて自爆する事が出来る。 とうとう3DS版の群雄争覇モードで使用するようになり 茶器の爆弾化が公式となってしまった… 上へ 茶器回し(チャキマワシ) [部分編集] 「信長の野望・武将風雲録」におけるシステムの穴を衝いた小技。 システム上、褒美コマンドで武将に茶器を与える場合は、城主が所持している物が下賜される。 このとき、城主の忠誠度が殆ど低下しないため、 茶器を城主から一般武将に下賜→ 茶器を受け取った武将に城主交代→ 以下繰り返し、 とすることで、複数の武将の忠誠度を一気に高めることができる。 リメイク版の3DS「信長の野望」では公式で不可能と断言されているので注意。 長政「茶器を回すだけで忠誠上げ放題、などという義に反することはできませぬぞ!」 久政「(ち…)あ、当たり前ではないか」 上へ 茶人(チャジン) [部分編集] 文字通りには茶の湯の道に秀でた人々のことだが、現代の家元を想像してしまうと、史実およびゲーム中での強大な影響力がピンとこない。 「堺の商人文化から発生した社交界の名士」と表現する方がわかりやすいかもしれない。 茶々の唄(チャチャノウタ) [部分編集] 「信長の野望・革新」のBGMに、特産物の野望の苦居茶々(CV:初音ミク)が詞をつけて歌ったもの。 普通にプレイしている最中に思い出してしまう視聴者もいるらしい。 動画: 特産物の野望 ~茶々の唄~ 上へ チャッカマン [部分編集] 長い柄の付いたライター。手の届きにくいところに火をつけるのに便利。株式会社東海の登録商標。 ★おもに三國志11において、火計の着火役 主に、周瑜・陸遜・朱然の三人の武将が、こう呼ばれる。 関連項目―――― 放火魔 上へ チャレンジモード [部分編集] 信長の野望シリーズの第12作「信長の野望 革新」のネットコンテンツにあるシナリオを指す。 一定の期間で目標達成を目指すモード。セーブやロードが一切できない(PS2/Wii版では可能)ので、難易度は高く実力モードと言える。チャレンジモードとして配信されているのは以下の通りである。 「海が見たくて」 「名声をこの手に」 「人は城」 「熊野詣」 「新技術を求めて」 「数寄大名」 「上洛への道」 「四国の蓋」 「不倶戴天の敵」 「四面楚歌」 以下はパワーアップキットのみに収録されているモードである。 「信仰の力」 「我ら七本槍」 「戦国美食道」 「南蛮かぶれ」 「因果を絶つ」 「九州席巻」 「鬼と呼ばれた男」 「敵中突破」 「海賊王」 「君臣豊楽」 PS2/Wii版パワーアップキットには更に以下のチャレンジモードが収録されている。 「民政家の跡継ぎ」 「酒が飲みたくて」 「絶世の美女」 「山陰の麒麟児」 「殿を相手に」 「名所巡り」 なおチャレンジモードは指定された目的を達成するためのシナリオであり、また期間も最長で4年であるため、天下統一を目指すものでは全くない。 上へ チャン・コーハン [部分編集] SNKの格闘ゲームの彼……ではなく、 風魔小太郎 のこと。 革新の顔グラが由来。確かによく似ている。 「やめて、画面端で鉄球大回転やめて」とか、ネタコメントもたまに見る。 上へ 中二病(チュウニビョウ) [部分編集] 「厨房」と合わせて「厨二病」などとも。 ★中二な世界 いわゆるひとつの永久絶対究極氷結風斬(エターナルフォースブリザード)。…具体的に言うと、中学二年生あたりの思春期男子が抱きがちな、過剰な自意識・万能感・自己陶酔感に満ちた精神状態。 ニコ百 も参照。「自分は特別な存在」と思うがあまり、ズレた気取りをしてみたり大言壮語したり変に尊大にふるまったりする。 「病気」と呼ばれるくらいだから、この段階を通り過ぎた自称「大人」からは揶揄的に用いられることが多い。 しかし、人が自我を確立して社会と向き合い始めたとき、「中二」な世界は誰もが一度は通るもの。「一度は通るべき心の状態」と言えるかもしれない。通らなければそれはそれで大問題を窺われることも…。 ★中二なストーリー・中二なキャラ 「普通の中学生がひょんなことから世界を救うことに」といったプロットがものすごい数あるように、若者が自己と自己を取り巻く環境との葛藤の中で成長していく……というのは物語の王道である。 しかし、「中二」的と揶揄される物語はその成長の要素が乏しかったり、(最初から完全無欠の天才、最初から選ばれた存在 etc.)あるいは成長のステップが地に足のついていないものだったりする。 苦しい思いをせずにかっこよく大きな世界を救う。それはたしかに、多くの読者・視聴者の願望の反映なのだが…。 ★中二な文章 「中二病」とされる人々は文章表現において、難読漢字・意訓・カッコやダッシュ等の約物(記号)の濫用を好む。あるいは、「中二病」なキャラのセリフにわざわざそのような表現を用いたりもする。 たとえば、一般名詞である「世界」をわざわざ「『世界』」と書いたり(カッコ付き)、「セカイ」と書いたり(カタカナ化)、「世界(バトルフィールド)」(外国語による意訓)といった表現を用いたりすることで「特別な意味」「複数の意味」を持たせようとする。 あるいは「――」(ダッシュ)によって余韻を持たせ、読者に「言葉にならない感情」「真意」を読み取らせようとする。 これらはもちろん「使いどころ」を弁えるならばまっとうな表現である。 しかし―― 甘美なるコトバの「力」と「毒」に溺れ、日本語表現の「臨界点」を「突破」してしまうと、“筆者には概念を言語化する能力がない”ことが全世界の「読者」の前に露呈(アウトバースト)されてしまうのだッ! ――クッ、この私としたことが、なんたる恥辱ッ! ……と、大人が読むといろいろこそばゆいので注意が必要である。「だがそれがいい」という人もいるけどな! ★中二な実例 わざと中二な文章を試してみた実例としては 龍興記 第弐回ノ参 など。 この「龍興記」では作中の人々にもある種の「ご病気」として認知されている。ちなみにうp主の設定によれば源氏に感染するとか。 ★中二な人物、エピソード(史実) 現在の視点からすれば中二としか思えないような行動をとった・あるいはさせられた史実の人物。 冷静に考察すると各流派の名称や法号、自称した称号、誇張されたエピソード等はよく考えてみると中二レベルではないのか、と見られる用な物も少なくはない。 国を問わず今も現在も、そしていい年した大人にとっても独自の価値観の表現や自己陶酔に浸りたいことがあったのがうかがえる。 + 戦国時代 織田信長 幼少の奇抜な行動や当時日本に入ってきたばかりの鉄砲に興味を持つ等中二特有の「俺は他者とは違う」感がプンプンであった。 信長(幼少期)「フッ俺様の天才的格好に皆が目を見張っているぜ」民衆「なにあれ…ただのうつけじゃん」 そして成人後の馬揃えでも 信長「フッこの南蛮ファッションの前には他者など引き立て役よ」民衆「ポカーン」 どうやら幼少時の奇抜な行動は 天然 であった様に思える。 各人の自称、流派等 現在でこそ立派な称号のように記載されているがどう見ても中二だったに違いない。 信玄「儂は天台座主沙門じゃあ」謙信「私は毘沙門天の化身です」信長「俺は第六天魔王だ」 武蔵「天下無敵最強剣術二天一流」柳生宗矩「腹黒って言うな剣術無双と呼べ。柳生新陰流」 + 三国志 諸葛亮 学友達に「君らは州や郡の長官がお似合いさ」と皮肉を言い、お前は何になるんだと聞かれても笑うのみで自分を過去の偉人(管仲と楽毅)になぞらえる行動、友人が少なく仕官もせずに引き籠もり…と、今からしてみればどう考えても中二丸出しのニートと言わざるを得ない…が、 それでいて家柄も良く才能にあふれた嫁さんをもらえ、ご存知の通り劉備に請われて配下となり、最後はなぞらえた人物その物の生き方ができて歴史に名を刻み付けたのだから言う事なしであろう。 ただし戦場でも軍服を着用せず当時のファッションスタイルのまま指揮を執る(例えると最先端の洋服スーツのまんま戦場に出るようなもの)・一部の人間とそりが合わない等、やはり元々の性分は変わらなかった模様である。 そして演義などなどにおいてはまさに上記のような超人として書かれており、完全に典型的ラノベ主人公の如きチート参謀キャラと化している。 史実・演義共に彼程中二的要素が当てはまる偉人も珍しい。 上へ 厨房(チュウボウ) [部分編集] 料理をするところ。料理ネタを挟みつつ、紙芝居の舞台になることもある。 ★ネット上のスラングで、幼稚な発言や行動をする者を指す蔑称 もともとあった俗語「中坊」(中学生)の誤変換から。略して「~厨」。 「~厨」は「~にのめりこんでまともでないヤツ」といった意味合いも持つ。「~ヲタ」と類語。 蔑称の中でも特にニュアンスが悪いものの一つなので、 「~厨必死だな」なんて実際に使うと、間違いなく荒れる。使ったらダメ、ゼッタイ。 ★ 孫権 のこと 字が「仲謀」であるところから。 アレゲな性格設定をされていることも多い。アル中の場合は、ある種の史実寄りでもある。 上へ チュートリアル [部分編集] ゲームの操作方法の説明。武将どうしの寸劇を交え、実際の作業を行わせることもある。 「信長の野望」シリーズでは、ダメ武将と教育係というパターンが多い。 コンシューマ版の「烈風伝」では、今川義元が氏真を教育していた( 動画 )。 「嵐世記」では実際のシナリオの1年間の間指示通りの行動をとるだけの物。 「蒼天録」では若武者と姫が掛け合い方式でゲームの説明をしてくれる。 + 「天下創世」 主人公の織田信長を筆頭とした著名人達からゲームの進め方を伝授される。 史実ネタが多く意外と笑えたりニヤリとする内容である。 光秀「人を侮辱すると後が怖いですよふふふ…」 幸村「皆さんはなるべく捕まらないようにしましょうね、浪人は辛いですよ。」 信長「何?儂の舞が見たい?人生50年~って何をやらせるか」 秀吉「これぞ「猿でもわかる攻城戦の秘訣」じゃ。何?猿は儂じゃと」 がPS2版では更に内容がぶっ飛んでおり信長が 死後の世界から蘇った 織田信秀から教えを受ける。 チューターが既に故人である事からか他作品にありがちなギャグが少なめでかなりシリアスに進む。 信長も流石に死んでからも心配してくれる父親の想いを受け止め ものすごい謙虚に 教えを受け、 エピローグでは真面目になって父が託した夢に向かっていくことが語られている。 「…家臣たちの不信はこの信長も心得ております」「…で、ありますか」 「革新」では、斎藤龍興と竹中半兵衛。「革新PK」の追加機能のチュートリアルは、一条兼定と土居宗珊。 ちなみに、「革新」では課題を無視してかなり無茶なこともでき、 「変態チュートリアル」と呼ばれる。(参照:竹中半兵衛の憂鬱) + 「天道」 北条幻庵・氏政が行った。 「天道PK」では、幻庵の薫陶を受けて(この内容が無印版チュートリアル)成長した氏政が氏直を教育する。 「脱線縛り」があるらしく、不審な行動をとるとゲームオーバー。 それでも、変態チュートリアルの人(旧緑C氏)は、引き下がらなかったようだ( 動画 )。 勿論チュートリアル恒例のネタも豊富で過去作に関するメタ台詞もあり面白い。 氏政「よし、これからは各地に砦を配置しまくり…」「で、では街道沿いに櫓を配置して櫓街道に」幻庵「配置制限上できませぬぞ」 「DS2」「3DS」では、浅井久政・長政親子がチュートリアルを行う 長政(息子)が久政(父親)にコマンドなどの説明を(若干キレ気味に)行う 。久政の扱いや投げやり感がそうさせているのだが。 久政「長政がおるから儂が死んでも問題ないな」長政(満面の笑みで)「それもそうですなハハハ」 長政「父上、天下を取るために頑張って」久政「おお長政、頑張れ~」長政(キレ顔で)「…頑張りましょう、な父上」 + しかしチュートリアルクリア後の浅井家エンディングにおいては… 統一後に長政が父に教えを指南したときのことを懐かしがり、あれが父の自分に対する計らいであったと気づき。 親心に感心と反省をするセリフが追加される。 上へ 長弓 (チョウキュウ) [部分編集] 「信長の野望・革新PK」に登場する 南蛮技術 。 イギリスから3番目に貰える技術で、弓部隊の射程+3という効果を持つ。 提供国から考えて、 ロングボウ のことであるとされる。 弓の初期射程は2、国産技術の「遠矢」で+1なので、これに「長弓」まで加えると、射程は6にもなる。 これは全兵科中最長の射程で、敵の拠点に対して一方的に攻撃できたりする。 あまりに射程が長すぎるため、 OMIKATA というスラングまで登場した。詳細は、該当項目を参照のこと。 無印では、「調達をしなくてすむ」以外、鉄砲より優れた点のなかった弓兵科だが、 「長弓」と 「大弩弓」 の登場により、一気に有効性が高まった。 この二つのせいで「鉄砲なんて子供のおもちゃだぜ!時代は弓だぜウヒャヒャヒャヒャ!!」と言っている兵士を想像したプレイヤーも多いとか。 上へ 超人(チョウジン) [部分編集] 張任のことを指す。「ちょうじん」を普通に変換すると、「超人」と出ることから。 実際に能力も優秀なので、あながち間違いではなかったりする。 上へ チョロ松(チョロマツ) [部分編集] 張松 のこと。優秀な方の松。 (優秀でない方の松は、楊松(通称「 ダメ松 」) 「ちょうしょう」と読むと、張昭(呉の重臣、張飛の息子の同名2人がいる)と紛らわしいため、 区別のために、以前は「ちょうまつ」と読まれることが多かった。 しかし、アーケードのヒット作「三国志大戦」で、文字通り「ちょろちょろ」したキャラであった上に自身の計略で敵をちょろちょろと誘導しかく乱させるさまが受けたため、 「チョロ松」との呼び名が生まれ、新たに定着した。 上へ チルノゼミナール [部分編集] チルノ補正 が具体化した現象の一つ。 三国志Ⅸでは、武将が弟子を育成することで新規にオリジナルの武将が誕生する、 抜擢システム がある。 このシステムを利用してチルノが師匠になると、多くの弟子が著しい成長率を見せ、しばしばチートじみた武将となる。 この事から、いつしかチルノの抜擢育成は、チート抜擢の登竜門、『チルノゼミナール』と呼ばれるようになり、 本ゼミナールは、三国志Ⅸにおけるひとつの最高学府として誉れ高いものとなった。(※1) 師匠であるチルノについては、例の如く、武力・統率は二流、知力政治は⑨というチルノスタイルが主流。 しかし、彼女が輩出した抜擢武将の大半は、明らかに師匠の範疇を越えた能力を身につけるとされ、 一芸に秀でる者は、どの分野でも一流から準一流となり、多才に恵まれた者では、バランス型チートになる例もある。 基本的に武力や統率が非常によく伸びるとされるが、知力や政治においても、非凡な才を開花させた者がおり、 これは、師匠が重要な抜擢システムにおいて、非常に興味深い現象とみる声も大きい。(※2) さらに、チルノゼミナールの驚異は、パラメーターの高さに留まるものではない。 兵法についても異彩を放つ習得率を誇り、『上級兵法を習得する確率は150%以上』と謳われる程である。(※3) 習得する兵法にも垣根は無く、野戦兵法は勿論、謀略系兵法から幻術・治療に至るまで、幅広い。 特に、本ゼミの目玉といえる『精神論を説く』は、謀略系技能を一発でコンプさせる程度の効果があり、 その一発コンプ率は他のキャラの数倍の精度を誇る。(当然本人は一つもそんな系統は使えない) また水軍講習はチルノゼミナールでも一番人気の講義であり、多くの卒業者が彼女から水軍を学んでいる。(※4) このチルノゼミナールが輩出した門下生は、いずれも勇名を馳せている。(※5) そして、東方系三国志動画がUPされ続ける以上、今後もチルノゼミナール門下生により、 武勲は立て続けられることであろう。(※6) ※1 事実、抜擢武将集結においても、チート抜擢率の高さがよくわかる。 ※2 抜擢武将の能力は基本的に、見出した武将の能力と育てる武将の能力の両方で決まる。 見出した者の能力が高ければ高いほど、育てるものが強ければ強いほど、抜擢も強力になるのが普通である、 それゆえ、この抜擢育成システムは、元々チート能力を持ったキャラが生まれやすいシステムとされており、 また、運が良いと、初期段階からはえぬきで強力な武将を育てて使うことが出来るようになるため、 実際のプレイでは封印したり、登録された抜擢をあえて裏方のみで使用する人も多い。 ※3 「弟子が上級兵法を覚える確率が100%。チルノも同時に習得する確率が50%以上」という意味のネタである。 もちろん、チルノ自身が上級兵法を覚えていない段階では、中々習得できないことも当然あり、 彼女自身の熟練度の高くなる後半の方が、むしろ強力な武将に育ちやすい。 ※4 この水軍こそが抜擢育成においては曲者であり、水軍を学んだ抜擢は統率が非常に伸びる傾向がある。 チルノの場合、CPUが空気を読んでいるとしか思えないくらい、なぜかこの水軍と相性がよく、 その習得率はまさしく、異常、の一言につき、他の兵法と一線を画するくらいの補正が発揮される。 このため大抵の場合、彼女が水軍都督のような役割を果たすことになる。 ※5 実のところ、これが一番ありえない現象の一つであり、チルノゼミナールの真髄。根本的に落第者が少ないのである。 逃げたり途中で打ち切ったりしない限り、どんな弱いキャラが見出してきた抜擢でもそこそこの能力になり、 武力統率だけならば五虎将にも匹敵する程度の抜擢をゴロゴロ生み出すポテンシャルを持っている。 普通ならば、指導をミスったり、ミスがなかったとしても、才能を腐らせてしまったりということが良く起きるのだが、 彼女には殆どの場合それが起きない。安心して任せることが出来るのである。 ※6 中には、ステータスが極端に低いキャラのほうがチートが生まれやすいのでは?という声もあり、 事実all1のキャラがチートを輩出している例もあるにはあるため、この効果を疑問視する意見も当然ながらある。 しかし、それであったとしても、この抜擢育成の凄まじさは他に並ぶものが無い事に変わりはなく、偽りも無いのである。 ニコニコ大百科: チルノゼミナール 関連動画:三国志の英傑がチルノ補正を議論するようです 上へ チルノ補正(チルノホセイ) [部分編集] 東方キャラ「 チルノ 」に対する得体の知れない 補正 。長らく「都市伝説の一種」と思われていたが、その存在は、多くの視聴者や界隈関係者に信じられている。 驚かないで欲しい。これら以下の現象一切は虚構などではない。実在する、全てのデータだ。 公式設定のチルノは、「一般的な妖精よりズバ抜けて強いが、全体から見れば雑魚の一部」とされ、 実際、ほとんどの動画においてチルノの能力は二線級から高くて準一線級。最悪の場合、最低ランクなこともある。 具体的には、統率・武力はそこそこ(大抵50~70程度)、知力・政治は殆どが⑨、といった具合である。(※1) しかし、にもかかわらず、時に信じられない程の活躍を見せる動画が続出したため、この説が広まった。(※2) 特にコーエーが世に送り出した三国志作品全般において、この現象が顕著であるとされており、 一部の動画では、そのありえないレヴェルの働きぶりが嵩じて「カリスマ君主」「氷帝様」と呼ばれるほどである。(※3) 元が弾幕ゲームである東方のキャラであるゆえ、弓兵法の適性を高く設定される事も一つの要因であると思われるが、 その兵法発動率、スナイプ率は、「驚異的」などという言葉だけでは片付けられないものがある。(※4) また、性格に猪突を設定されることが多いせいか、一騎討ちによく参加する。 勝ち負けはもとより、その参加率、敵討ち発生率が異常な領域であり、陣の効果に関係なく発生件数が多い。 武力が二流なので負けることも多いが、勝つときはかなりの武力差をひっくり返して大物を倒すこともしばしば。(※5) さらに、開始後すぐに滅んだ場合を除き、放置しておくと例外なくSOSOに匹敵するほど巨大な勢力に成長する。 しかもニューヒーロー率も異様に高い傾向があり、そこから大逆転して一大勢力になる場合もある。(※6) そのほかにも、 初登場シーンがオープニングショットをガード 自軍登用後の初兵法がクリティカルや狙撃やあるいはフルコース 自分が覚えていない兵法をガードしそのまま習得 高知力高熟練の幻術二連発を二回とも最小限に抑える 彼軍の部隊と挟撃になる形でプレイヤー側の都市の太守を寝返らせる CPUがCPUの都市に対して降伏勧告(相手もチート)し、降伏させる 等など、普通のプレイでは滅多に起きないような様々な事を起こし、 敵の大将を狙撃する、味方に損害を与えた相手に復讐する、危険な能力を持つ敵を真っ先に無力化する、といった CPUがそこだけ空気を読んでいるとしか思えないような、きらりと光る記憶に残るような戦いをする事が非常に多い。(※7) おまけに、上記のチルノゼミナールによって名教師としての活躍も期待できる等、 視聴者にとっては「居るだけで何かをしてくれそうなキャラ」として、 うp主からは、「一体何をしでかすか判らない怖いキャラ」として認識される要因の一つとなっている。 何故こんなにも能力以上の働きをするのかは、現在でもよくわかっていない。(※8) しかしながら、補正が殆ど発動せずに埋もれていくパターンもあるにはある。 が、全能力一桁だったり、最前線で戦わせてもらえなかったり、序盤に数箇所から攻められたりと、 意図的に補正を発動させないようにしている場合や、補正をもってしても跳ね返せない場合のみである。(※9) ちなみに彼女の上位存在として、「アドベントチルノ」という二次設定が使われることもある。 これは他のキャラにおけるEX化のようなものであり、ただの逆チートである事が多い。(※10) 名前もAチルノなどに変更される場合、補正は発動しなくなるようだ。 余談であるが、逆に紅魔郷6ボスのレミリアは、高スペックにもかかわらず「 逆補正 」がかかる傾向がある。 「チルノにカリスマを吸われた」などと言われることもあり、その凋落ぶりをネタにした動画まで生まれた。 紅魔館組は、東方系ではチルノ組に次いで序盤に配置されることが多く、吸収されるのが早いのも関係しているかもしれない。 ※1 「この与えられた僅かな能力を有効活用しようとした結果、ナマクラは研ぎ澄まされ、カリスマ光る刃に至る」とされることもある。 ただし、これは兵法熟練システムを論拠としたもので、戦闘面の極僅かなケースのみに当てはまる説である。 盗用や独立勢力勃興、同盟締結や降伏勧告など、政略面を含む事例の大多数においては、チルノ補正の正体は、依然不明瞭なままである。 (参考:三国志の英傑がチルノ補正を議論するようです・政略編) ※2 最初にこの現象が有名になったのは、霊夢の旅日記であるといわれている。 初期配置は非常に不利な位置であり、初期武将は弱小 バカルテット のみだったにも関わらず、後に大陸を三分する大勢力になった。 コーエーのCPUにあるまじき正確な運営がなければこの状況を作るのは不可能である。 ※3 彼女が主役を張るチルノ放浪記での活躍が特に有名。 その他の動画でも、かつて大陸を統一した存在として崇められている、という設定にされたりすることも。 ※4 三国志の英傑がチルノ補正を議論するようですにおいても検証されているが、 誰よりも多く兵法を発動させ、誰よりも多く狙撃をし、防がれにくいというデータがある。 これは他のどの三国志Ⅸ動画でも、大なり小なり差はあれど、概ねそのとおり通用する事が確認できる。 ※5 調子が良いと武力6差や7差でもあっさり逆転する。どうやら七星宝刀と相性が良いらしい。 ※6 脇役三国志、呂布の復讐、魔理沙の幻想郷帰還誌【三国志11】などである。 中でも魔理沙の幻想郷帰還誌は、三国志動画の中でも屈指の補正発動動画である。 ※7 中には「元々の期待が低いため、期待以上に活躍するのはたやすい事で補正があるように錯覚している」という説がある。 だがこれは統計を無視した非常にナンセンスな意見であり、NPCでは考えられないありえない動きをするのは紛れもない事実である。 ※8 一説によると、「三国志の新規登録キャラには、つけた名前により、ある程度の補正がかかる」とされる。 チルノとは、偶然にも最高クラスの補正を受けられる名前だった(逆にレミリアは……)、という訳である。 普通に考えれば、どう贔屓目に聞いても眉唾物の説であり、その真偽は不明である。 ※9 コーエー作品のCPUは、基本的にプレイヤー操作には勝てないように出来ており、プレイヤー軍に滅ぼされるのは当然である。 ※10 こちらは単なる⑨ではなく、「お調子者だが、スタイリッシュで義侠心に溢れ、実力もある熱血主人公」という位置付けである。 補正によって華々しい活躍を見せたチルノは、顔グラがこのモードに変更される場合や、最初から別物として登録されていることもある。 この状態になると、他の能力値も全体的に見直されることが多く、時にスーパー級のキャラに生まれ変わることも。 ニコニコ大百科: チルノ補正 関連動画:三国志の英傑がチルノ補正を議論するようです 上へ 沈熊(チンクマ) [部分編集] 顔君主動画に登場する 抜擢武将 のこと。 相手を射抜くような鋭い目付きと硬く引き結んだ唇の顔グラ に五虎将クラス能力を持ちながら、 『チンクマ』とも読める名前のギャップで一気に有名人になった 顔君主 の弟子。 (加入時点で統率90(93)、武力97(103)、知力61、政治61(62)。数値横のカッコ内は成長、アイテム補正込みの数値) 本来は『シンユウ』と読むのだが、(うp主もたまに間違えるくらい)圧倒的にチンクマの方が通りが良い。 戦場では神さえ怯ませる殺気を持ちながら、普段は至って真面目で、 弟子 の指導にも定評のある青年。 『もう一人の主人公』とまで言われるほど、他の抜擢に比べて格段に出番も見せ場も多い。 特に一騎打ちに望む際の決め台詞「沈熊、推して参る」を皮切りに繰り広げられた幾多の名勝負に、多くの視聴者が胸を熱くさせた。 貧しい家に生まれ、父母が土豪に搾取されると言う凄惨な少年時代を過ごした背景を持つ。 一兵士から武将として見出されてからは数多くの勝利と栄光を讃えられつつも、一方では更に数多くの苦悩と挫折と敗北を味わい、それを悔やみ、怒り、迷いながらも、尚屈せず其処から立ち上がろうとするその姿に惹かれる者は多い。顔君主とはまた違った、傷だらけの英雄、武勇のヒーローとして君臨する。 『武神』をはじめ様々な異名を持つが、三国志ⅨPK界隈で彼を超える者が生まれても尚、その勇名は褪せず三国志動画界隈に響き渡っている。 そんな彼を、人は『抜擢武将界のカリスマ』と呼ぶ。 彼と同じ顔を持つ抜擢に、翡翠がんばり物語の方評や馬騰・登用禁止プレイの鄒成などが上げられる。 が、 関芝 同様に沈熊の勇名があまりにも大きいため、優秀な能力を持ちながら『量産型チンクマ』『遅すぎたチンクマ』など、名前を呼ばれないケースが多々見受けられる。(鄒成に至っては全ての面で沈熊より優れているのだが) また、最も早くニコニコ大百科に 個別記事 を作られた抜擢武将でもある。 上へ チン5(チンゴ) [部分編集] コーエーのSLG「 蒼き狼と白き牝鹿 」の新作のこと。 現在の最新版「チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿Ⅳ」が「チン4」と呼ばれることから。 待望され続けたまま、発売されること無く、10年の歳月が過ぎている。 上へ 朕の宦官が、こんなにかわいい(チンノカンガンガコンナニカワイイ) [部分編集] 歴戦ゲー、とくに「101匹阿斗ちゃん」などで「ネコミミ」などといじられているうちに、まさかの萌えキャラ化を果たした 宦官 黄皓 関連の動画や静画に付けられるタグ。 黄色い衣装に「ネコミミ」と呼ばれる冠を身に着けた、三国志Ⅸの顔グラをベースにしている。 「ついてない」「だが男だ」「国を傾ける程度の能力」などのタグが一緒に使われることもある。 「男の娘」とも「男装女子」とも違う、中性的な魅力というかなんというか…… pixivに投稿された「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のパロディイラスト 「朕の宦官がこんなに可愛いわけがない」 が このタグのネタ元になったと思われるが、いつの間にか「かわいさ」を受け入れて公言してしまってるあたり、 われわれは黄皓の媚びに呑みこまれてしまっているのかもしれない。しかたないよね。かわいいし。 関連タグ(動画): 【朕の宦官が、こんなにかわいい】 、 【黄皓】 関連タグ(静画): 【朕の宦官が、こんなにかわいい】 、 【黄皓】 上へ 用語解説 ア行 ア更新 イ ウ エ オ ハ行 ハ更新 ヒ更新 フ ヘ ホ カ行 カ1カ2 キ1キ2 ク ケ コ1コ2更新 マ行 マ ミ ム メ モ サ行 サ シ1シ2 ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ更新 ツ テ ト更新 ラ行 ナ行 ナ ニ ネ ノ ワ行 馬鹿カルテットの項、レティは確かに本気じゃないと書かれているが、求聞史紀では人間に対する危険度がルーミアやリグルと同じだったり(人間友好度、低 危険度、中)文花帖(書籍)で文に駄目だし喰らっていたり、文花帖 (ゲーム)でチルノと同じLVで出てきたりで、決して強キャラ設定はされていない -- 名無しさん (2008-02-24 20 05 43) 指摘多謝です。考えてみると元ネタ寄りの記述になっていたので、必要最小限に整理しました。 -- 名無しさん (2008-02-25 22 53 10) 異民族が力を合わせます第18話で武力差約5倍の一騎打ちでの勝利を確認 -- 名無しさん (2008-03-23 08 37 18) 魔王(なのは)も強いがその嫁も強い。 -- 名無しさん (2008-04-19 20 25 48) 孔明の罠は横山さんのとこだったっけ? -- 名無しさん (2008-06-16 20 06 41) フラグ回収に定評あるのは東方騎行録だろう -- 名無しさん (2008-06-22 22 39 43) 孔明はその二人だけを異様に強調されて人を見る目がないと言われるが、蜀の内政官をたくさん見いだしているのでこの評価は酷すぎると思う。 -- 名無しさん (2008-06-23 12 03 58) 馬鹿息子の例、本当にどうしようもなかったのは信雄ぐらいだろうに。劉禅以外もフォローしてやれよ。 -- 名無しさん (2008-06-27 18 05 00) ブートキャンプの項目、三国志9では異民族相手に行われることもあるので「直接の攻略とは関わらない敵/施設に攻撃を仕掛けて熟練度を上げること」くらいの意味に差し替えたほうがいいのでは。ex 烏丸ブートキャンプ、土塁ブートキャンプ -- 名無しさん (2008-07-05 15 20 52) 「馬鹿息子の項、プレイ動画用語解説という側面で大幅整理しました。ご了承ください。 -- 名無しさん (2008-07-13 02 30 32) (中途送信失礼)「馬鹿息子」の項、プレイ動画用語解説という側面からほぼ全面的に書き改めました。執筆者の方、ご了承ください。「馬鹿息子」とされた個々の武将の弁護をしだすとキリがありませんので、総論として後世のイメージによって不当な評価がおこなわれている可能性もあることを示すに留めました。 -- 名無しさん (2008-07-13 02 38 53) むむむの元ネタは吉川英治の三国志(横山漫画の原作)が初出だよ -- 名無しさん (2008-09-26 04 01 57) ご助言ありがとうございます。補足してみました。 -- 名無しさん (2008-09-26 11 12 19) スペルカードシステム、~ルール、~ブレイクは完全に東方専門用語だから削った方が良いと思う。 -- 名無しさん (2008-10-15 05 21 34) 概ね削りました。~ルールは、東方キャラがいつも不真面目な理由を知って欲しかったので一部削ってちょっと追記して残しました。 -- 名無しさん (2008-11-04 02 59 02) イベコンの項、「イベントコンバーター」と「神ツール」は別物なので当該部分を削りました。 -- 名無しさん (2008-10-26 01 58 46) 妖怪ババア自重w -- 名無しさん (2009-01-02 20 53 45) 誰だ!ソフトバンクなんて入れたのは!? -- 名無しさん (2009-01-26 13 23 59) 変態記並びに予備軍が大量に発生中! -- 名無しさん (2009-06-17 18 04 04) 容量限界につき、用語解説「シ」 part2 を新規作成。「シールド」~「人類筆頭」の項目を part2 に移動。さらに、移動した項目にリンクがあるページを修正 -- 名無しさん (2009-09-29 11 24 30) ※「シ」のページへのコメント インフレの項のインフレ動画にひなやぼ追加 -- 名無しさん (2010-05-23 07 41 25) 容量一杯なので「シ」にならって分割。includeとどっちがいいんだろう -- 名無しさん (2010-11-23 20 56 02) ※「カ」のページへのコメント ここにいるぞ!について吉川版では「ここにいるのを知らぬか」になっていたけど、一応ここからつながってるといえるのかな? -- 名無しさん (2010-01-25 00 17 28) フラグの語源を修正しました。flagmentなのは「デフラグ」などですね。 -- 名無しさん (2011-05-08 13 44 41) 恋姫真名の五十音順を修正しました。 -- 名無しさん (2011-09-16 09 11 19) 醤油と醤油外交で意味が全然違うのにフイタwww -- 名無しさん (2012-01-09 11 09 01) 用語解説各ページへのコメントを一か所にまとめ、includeで表示するようにしました。 -- 名無しさん (2012-04-19 16 07 05) 今号のイブニングのしばちゅうさんで阿会喃が「システム」言ってたぞw -- 名無しさん (2012-10-09 09 10 43) 名前 コメント
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新武将設定条件 評価 行軍 攻撃 防御 計略 補助 内政 収入 災害 関係 その他 コメント 新武将設定条件 分類 設定条件 ノーマル特技 最初から新武将に使用可能 レア特技 本編クリア(どれか1つのシナリオをクリア)で使用可能 最上級特技 最速(10年以内)クリア(CS)・イベントスチル回収数30以上(PC)で使用可能 CSPKなら最初からノーマル~最上級特技全て設定可能 評価 評価記号 評価内容 ☆ 非常に強力。第一線で活躍してもらいたい。 ◎ 主戦力に見込める。所持武将は是非迎え入れたい。 ◯ まずまず使用できる。所持させておきたい。 △ 場合によっては使える。が、それほど重要ではない。 × 使える場面がとても少ない。他の特技に変えたほうが良い。 行軍 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 飛将 陸上でZOC無視。武力の低い敵部隊への戦法成功時クリティカル 呂布 ☆ 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「遁走」の効果。クリティカル効果は建設物へは適用されない。自部隊が水軍・兵器でも適用されないが、輸送部隊の時は「遁走」の効果だけ適用される。 遁走 陸上でZOC無視 劉備 ◎ 「闘神」「神将」とのコンボで擬似「飛将」。敵の大軍の中をスルスル移動して、火罠設置の自爆テロや戟兵による複数部隊攻撃が有効。自部隊が水軍・兵器では適用されないが、輸送部隊では適用される。 強行 兵器・輸送部隊を除く陸上部隊の移動力+5 鄧艾、韓信、秦良玉、戴宗 ◯ 敵の撹乱や戦法の有利な位置取り、陣や軍楽台を建設するのにも便利。ただし単独で突出すると袋にされやすく、さらにZOCを無視できないため敵施設があると結局足止めされる。「遁走」「飛将」などとのコンボでは威力を発揮する。 長駆 騎兵部隊の移動力+3 夏侯覇、韓遂、徐栄、張燕、馬休 △ 本道のみを行軍する際は移動距離はUPしないので注意。(技巧『精鋭騎兵』研究後はUP)「騎神」「疾走」とのコンボが基本。 推進 水上でZOC無視 周旨、周倉、孫韶、董襲、留賛、阮小二、阮小五、阮小七 × 水上戦の機会は地理上どうしても乏しくなる。また水上は広く、ZOC効果のある建設物も建設できないので恩恵はあまり無い。 操舵 水上で移動力+4。輸送部隊も含む(PC・CS版双方PK) 蔡瑁、朱拠、呂拠、呂岱、魯淑 ◯ 「運搬」と効果が重複するので(PC・CS版双方PKで確認)、水上間を経由する輸送では「運搬」とコンボで時間をかなり短縮できる。 踏破 桟道通行の被害なし。落石・火罠の被害軽減。所属都市への火罠被害も軽減 王頎、牽弘、張嶷、陳式、馬忠(蜀)、解珍、解宝(CS) △ 技巧「難所行軍」と同じ効果を持つ。ゲーム中の説明にはないが火罠の被害も半減する(PK)。また、都市に所持武将が所属するだけで都市への火罠のダメージを軽減できる。「藤甲」の火罠対策としては「火神」よりもこちらの方が有効な時も。 運搬 輸送部隊の陸上・水上移動力+5 高翔、孫皎、董昭、杜畿、李豊(蜀) ◎ 前線への物資補給時に効果を発揮する。味方部隊への補給・鎮静、釣り役など、様々な場面で輸送部隊の移動力UPは重宝する。能力研究で習得させればザコ武将でも運送屋として活躍できる。 解毒 毒泉の被害を防ぐ 朶思大王、呂凱 × 雲南・建寧の戦闘で重要。制圧後も輸送日数の短縮になる。水軍系特技以上に効果を発揮する場面が少ないのが残念。 攻撃 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 掃討 攻撃した部隊の気力減少(-5) 祝融、張苞、凌操、凌統 × 減少量が少なく、有利をほとんど実感できない。水上に限ればそれなりに有効。地味に効く。 威風 攻撃した部隊の気力減少(-20) 甘寧、顔良、張遼、英布、史進 △ 乱射、霹靂付き投石はその攻撃すべてに適用される。だが大抵は気力が0になる前に敵兵が全滅してしまうため、有効に使うためには複数部隊の投入または「連戦」との併用で手数を増やしたい。「掃討」持ちと組ませても「威風」が優先されて「掃討」の効果は反映されない。大兵力の兵器部隊を無力化したい時は中々有用。特に敵が固い超級では通常以上の効果を発揮する。対人戦では戦法や計略を効果的に使ってくるため気力削りの効果が増す。 昂揚 敵部隊を倒すと気力回復(+10) 賀斉、関興、吾粲、張郃、張氏、杜預、高長恭、扈三娘 △ 回復量が少なく、効果は薄め。「捕縛」「精妙」「強奪」などと組ませてトドメ専門部隊を作るといいかも。撃破した部隊数だけ回復する、戟兵・弩兵・霹靂付き投石器戦法でまとめて撃破すると大幅に回復するので気力が減ったこれらの部隊では結構有効。乱射・突出し等で味方部隊を倒しても回復する。 連戦 通常攻撃が50%の確率で二回攻撃 魏延、牛金、曹洪、傅彤、鮑三娘 ◯ 「駆逐」「白馬」「神将」などの通常攻撃系特技とのコンボが秀逸。通常攻撃は反撃被害が大きいので、「急襲」とも相性がいい。効果は伏兵や一斉攻撃にも適用される。ただし後者はコマンドを実行した部隊が「連戦」所持の場合のみ発動。伏兵で効果発動時は反撃被害を受ける。 急襲 陸上攻撃時50%の確率で被害を受けない 夏侯淵、曹叡、張球、丁奉、文鴦、彭越、索超 △ 受けないのは反撃の被害。戦法は反撃被害が少なめなので恩恵はあまり無い。通常攻撃系特技、とくに「連戦」とのコンボで威力を発揮する。また、応射の被害も50%の確率で防ぐ(PCPK)。超級においては敵の反撃ダメージもバカにならないので、相対的に有用性が増す。 強襲 水上攻撃時50%の確率で被害を受けない 全琮、駱統、張横 × 「急襲」の水上版。水上戦は間接攻撃が主体なので、出番は少ない。 乱戦 森で攻撃時クリティカル 王悦、孟獲、劉辟、冷苞、解宝(PC)、田虎 ◯ 自部隊が森にいる時、敵部隊に対する通常攻撃及び戦法が全てクリティカル。攻撃側の兵科にかかわらず、相手が部隊なら適用されるため森から兵器部隊で敵部隊を攻撃してもクリティカルになる、また相手部隊がいる地形は関係ないので注意。(極端な例として森から「射程」+霹靂付き投石器で水上の部隊を攻撃してもクリティカルになる)ただしクリティカル効果は建設物へは適用されない。地形限定の「覇王」と考えれば非常に優秀といえるが、森の近くでは自軍の運動も制限されることを忘れずに。槍兵で螺旋突/乱突による混乱を狙うのが一般的だが、弩兵でもかなり有効。 攻城 拠点、施設、建設物攻撃時クリティカル 楽進、高順、胡奮 ◎ 城や関を含む建設物に対する通常攻撃及び戦法が全てクリティカル。「工神」と違い、自部隊が弩兵や水軍の場合にも適用される。 掎角 一斉攻撃時、50%の確率で混乱させる 陳宮、程昱 △ 一斉攻撃時には他の参加部隊の「捕縛」「威風」等の効果も発動する。非能力依存かつほぼ全ての兵科で活用可能な点が最大の魅力といえよう。ただし肝心の一斉攻撃の使い勝手があまり良くないのが難点である。 捕縛 敵部隊撃破時、特技「強運」や名馬の無い武将を必ず捕縛 衛瓘、馬忠(呉)、潘璋、龐娥、雷横、楊雄(CS) ☆ 拠点陥落時に発動すると、未出撃の所属全武将を捕縛できる。PKならば符節台とコンボで大量登用可に。ただしPKでは兵科問わず、敵拠点に隣接した状態で落城させないと効果が適用されない。井蘭、投石などの部隊に所持武将を編入させた時に注意。ちなみに捕縛防止系の特技などの所有者に対しては、そちらの効果が優先されて捕縛効果が発揮されない。。つまり「血路」持ちが所属する部隊、あるいは「強運」や名馬の所有者などは捕縛できない(CSPK)。 精妙 敵部隊撃破時、獲得技巧ポイント二倍 徐庶、曹真、陳泰、羊祜、陸抗、王慶 △ 部隊能力自体が向上するわけではないので、他に比べると後回しになりがちか。 強奪 敵部隊撃破時、アイテムを奪うことがある 胡車児、笮融、眭固、張闓、劉唐 × 相手部隊がアイテムを持っている確率自体が低いため、効果が発揮される確率はかなり低い。名馬持ちで何度でも襲来する五月蠅い相手を黙らせる時には有用。ただし、100%奪取ではないため複数回撃破する必要があるだろう。 心攻 敵攻撃時、兵士の一部を吸収 陳表、呂蒙、楽毅、晁蓋 ◯ 吸収量は相手側被害の15%。兵糧は奪えないので注意。直接攻撃でしか発動せず、間接攻撃では吸収出来ない。防御に秀で、複数の部隊を狙える戟兵部隊での運用が基本。他には攻撃力の高い騎兵で「連戦」+「神将」or「駆逐」のコンボなどが有効。 駆逐 自分より武力の低い部隊への通常攻撃がクリティカル 孫堅、王翦、楊志(PC) △ 「連戦」「掎角」とのコンボが有効。所有武将の関係上、出番は少なめだが。 射程 井欄、投石の射程が一マス延びる 歩隲、李典、劉曄 ◎ 範囲+1だけでかなり強力。「攻城」「工神」「昂揚」「楽奏」とのコンボも◎港関戦では攻守共に威力を発揮。闘艦の投石には効果を発揮しないので注意。 白馬 技巧「騎射」を未研究でも騎射が可能、騎射がクリティカル 公孫越、公孫瓚、公孫続、公孫範、龐徳、陳慶之、張清(CS)、瓊英(CS) ◯ 騎射研究前は非常に嬉しい特技。騎射は通常攻撃なので、戦法発動時に効果が発揮される「騎神」「疾走」とは組ませないほうが良い。「連戦」と組ませると、気力消費無し+反撃被害なし+高威力で戦法が必要無いほど優秀。 補佐 人間関係がなくても約30%の確率で支援攻撃発生(嫌い除く) 関平、呉懿、趙累、満寵、鮑信、鮑叔牙、石秀 ☆ 所持武将が主将でないと発動しない点に厳重な注意を要するが支援攻撃自体はとても優秀。発動機会を少しでも増やすため、部隊は弩兵か騎射付きの騎兵にしたい(攻城兵器不可)。「補佐」部隊は計略部隊の行動後に敵群のド真ん中に置くと支援攻撃が発生しやすい。「白馬」「射手」「強行」「遁走」などと組むと良い。 槍将 自分より武力の低い敵部隊への槍兵戦法成功時クリティカル 王基、朱桓、鄧忠、李通、劉封 ◎ 武力に左右されるため、無力化されることも。螺旋突(乱突)がクリティカルになれば相手を必ず混乱させるので、槍兵が一気に使いやすくなる。 戟将 自分より武力の低い敵部隊への戟兵戦法成功時クリティカル 鄂煥、花鬘、沈瑩、陳武、李厳 ◯ 武力に左右されるため、無力化されることも。「強行」「心攻」「遁走」とのコンボが有効。複数部隊にクリティカル効果があるので大きな損害を与えられる。戟兵は消費気力がかなり多いので「昂揚」「詩想」「楽奏」なども有効。 弓将 自分より武力の低い敵部隊への弩兵戦法成功時クリティカル 麹義、厳顔、蒋欽、孫尚香、張任、瓊英(PC) ◎ 武力に左右されるため、無力化されることも。「射手」「火神」とのコンボが有効。弩兵は消費気力が非常に多いので「昂揚」「詩想」「楽奏」なども有効。 騎将 自分より武力の低い敵部隊への騎兵戦法成功時クリティカル 夏侯惇、張繍、馬雲騄、文醜 ◯ 武力に左右されるため、無力化されることも。「疾走」「猛者」とのコンボが有効。騎兵戦法の成功率は行動前に居た地点の高度での判定になるので「遁走」「強行」「長駆」なども有効。 水将 自分より武力の低い敵部隊への水上戦法成功時クリティカル 王渾、韓当、朱然、孫翊、張承 △ 武力に左右されるため、無力化されることも。「推進」「操舵」「火神」とのコンボが有効。水上戦の機会は少ないが、火矢が確実に着火する効果は大きい。 勇将 自分より武力の低い敵部隊への全戦法成功時クリティカル 孫策、関勝 ☆ 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「水将」+「工将(?)」の効果。クリティカル効果は建設物へは適用されない。しかし水軍戦法や兵器戦法でも部隊相手ならクリティカルが適用されるのでその点で唯一「神将」「飛将」よりも勝っている。 神将 自分より武力の低い敵部隊への通常攻撃と全戦法成功時クリティカル 関羽、史文恭 ☆ 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「駆逐」の効果。クリティカル効果は建設物へは適用されない。また武力の低い敵部隊への戦法クリティカルは水軍・兵器では適用されないことに注意。通常攻撃のクリティカルは攻撃時のSEが変わる。 闘神 槍兵戦法と戟兵戦法成功時クリティカル 張飛、白起、林冲 ☆ 「槍神」+「戟神」の効果。状況にとって槍と戟を使い分けよう。 槍神 槍兵戦法成功時クリティカル 尉遅恭、董平、欒廷玉 ☆ 「猛者」とのコンボが有効。螺旋突(乱突)がクリティカルになれば相手を必ず混乱させるので、槍兵が一気に使いやすくなる。 戟神 戟兵戦法成功時クリティカル 太史慈、徐寧 ◎ 「心攻」「遁走」とのコンボで敵群の懐に入って暴れまわるのが有効。戟兵は消費気力がかなり多いので「昂揚」「詩想」「楽奏」とのコンボも良し。 弓神 弩兵戦法成功時クリティカル 黄忠、花栄 ☆ 「射手」「火神」とのコンボが有効。建設物への戦法成功時も必ずクリティカルに。さらに、乱射が味方部隊と味方軍事施設に当たらなくなる効果もある(「覇王」には無い)。「補佐」持ちと義兄弟になり「補佐」持ちの官位を上げて主将にして「弓神」を副将にすれば最強の支援攻撃部隊にもなれる。 騎神 騎兵戦法成功時クリティカル 馬超、霍去病、呼延灼 ○ 「疾走」「猛者」とのコンボが基本。騎兵戦法の成功率は行動前に居た地点の高度での判定になるので「遁走」「強行」「長駆」なども有効。 工神 兵器戦法成功時クリティカル 黄月英 ◎ 「攻城」と違って、自部隊が兵器でありさえすれば、部隊攻撃でもクリティカル。「射程」「楽奏」「昂揚」とのコンボが有効。 水神 水上戦法成功時クリティカル 周泰、鄭成功、張順 ◯ 水上戦の機会は少ないが、川沿いの施設破壊、川からの都市攻撃にも使える。「操舵」「推進」「楽想」とのコンボが有効。 覇王 全戦法成功時クリティカル 項籍 ☆ 最強の一言に尽きる。兵器・水軍にも適用され、万能な事この上ない。乱射で味方を巻き込んでしまう点で「弓神」に若干劣る。能力研究で確実に1つ手に入るため、COMが武将に特技を覚えさせるCS版ではとんだ雑魚武将が持っていることも。 疾走 自部隊よりも攻撃力の低い部隊への騎兵戦法成功時、混乱させる 関索、曹彰、呂玲綺、楊大眼、楊志(CS) ☆ 混乱成功判定は部隊攻撃力に準拠するため、主将の武力が低いと発動しない。「騎神」「騎将」とのコンボが有効。螺旋突クリティカルと違い、反撃被害は受けるので「急襲」と組み合わせても良い。混乱効果を主眼とした騎兵隊と割切り、適当な高武力武将の副将にもよい(*1)。「猛者」とのコンボも有効。「猛者」の怪我判定の方が先に処理されるので運は絡むが自分より攻撃力の高い部隊も混乱できるようになる。騎兵戦法の成功率は行動前に居た地点の高度での判定になるので「遁走」「強行」「長駆」とのコンボも有効。 射手 森に弩兵戦法可能 王桃、曹休、曹丕、呂虔、張清(PC) ◯ 「弓神」「弓将」「乱戦」とのコンボが有効。森への弩兵の火矢の成功率はかなり高いので(最高95%)「火神」も有効。森への乱射で撃ちもらしがなくなるのも大きい(CS版限定)。 猛者 戦法で敵部隊をマス移動させると、50%の確率で負傷させる 王双、華雄、沙摩柯、孫礼、傅僉、李逵 △ 知力や武力を低下させることで、相手の特技を無力化出来る可能性がある。そのため、「神算」や「虚実」などの強力な能力依存系特技所持武将が所属する部隊に対して効果を発揮。誰が怪我するかわからないのがやや難点だが混乱した部隊を狙って毎ターン引きずり回していれば敵軍を弱体化させられる。敵部隊をマス移動できない弩兵・兵器部隊には編入しないこと。 防御 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 不屈 自部隊の兵士の数が少ないとき、攻撃されても50%の確率で被害なし 霍峻、郝昭、郭淮、張悌、文聘、楊雄(PC)、童貫 △ 発動するのは兵力3000未満のとき。戦法や計略(火計など)を無効には出来ない。発動ラインの関係上自軍では使いにくいが、COM武将がこの能力を持つ場合、非常に面倒。自軍でも部隊兵力が少ない序盤ならそれなりに有効。 金剛 敵の攻撃が微弱な時、50%の確率で被害なし 于詮、王伉、許褚、向寵、諸葛誕、秦瓊、魯智深 △ 500未満のダメージが無効になる。防御の高い戟兵や、水上戦で有効。援護攻撃を無効化するのにも役立つ。ただし戦法は無効に出来ないので、戦法を使われにくい位置取りを心がけよう。 鉄壁 一斉攻撃されても通常攻撃になる 徐盛、審配、曹仁、孫桓、羅憲、武松 × 一斉攻撃を通常攻撃にするだけなので、一斉攻撃に参加した他部隊は行動済にならない。COMも弱ってくると一斉攻撃をしかけてくるので旋風の使える戟兵とは非常に相性が良い。もっとも、下手に計略や戦法を使われるよりは、一斉攻撃で他の弱っていない部隊まで行動済にしてくれる方が余程助かるだろう。 怒髪 敵部隊の戦法を受けると気力5回復 王異、諸葛尚、曹髦、孫魯班、劉諶、秦明 × 効果は非常に地味だが、火矢の応酬が多い水上戦では擬似「楽奏」となる。 藤甲 火以外の攻撃の被害は半減、火は二倍 兀突骨 ◯ 「火神」とのコンボは、火罠・火矢の火ダメージは2倍で火計・火中進軍の火ダメージは0となる(CS版PK)。火矢が怖ければ森に配置すればよいが、火罠には注意。 強運 戦死、捕縛、負傷しない 劉禅、劉邦、宋江 × 囮や自爆テロ役として使える。同部隊でも特技持ちにしか効果が無い点に注意。城近くの防衛線で兵1緊急ZOCを張る、同じく兵1で囮になる少数の兵士を引き連れて火種を設置しそのターンで爆破してもらうなどの運用が考えられる。が、どれも一般的な使い方とは言いがたいし、劇的な効果があるわけでもない。一騎討ち時の「急所」「無双」「偽退却」による負傷も防ぐ。 血路 部隊が壊滅しても同じ部隊の武将が捕虜にならない 関銀屏、曹昂、廖化 △ 主力武将の部隊に参加させると良い。劣勢の時にこそ活きる特技。特性を活かした、やられても良いorやられる事前提の戦法が熱い。少数部隊での囮や敵領内撹乱、敵の近くを通る危険な輸送も安心。計略系特技と組んで少数部隊で出撃し、やられて帰れば気力の心配せずに計略が使える。判定があるのはあくまで攻撃による「部隊壊滅時」のみであり、一騎打ちによる単独捕縛は防げないことに注意。また同様の理由で、落城時の捕縛も防げない。 護衛 同じ部隊の武将が負傷、戦死しない 典韋 △ ゲーム中の説明にはないが、火によるランダム継続ダメージを無効化する効果もある。相手の「猛者」や火による負傷対策として有効。騎兵戦法による戦死も防げる。とくに能力値依存の特技持ちを負傷から守れるのは大きい。ただし、所持武将自身は負傷もするし、戦死もするので無理は禁物。 計略 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 待伏 伏兵成功時クリティカル 王甫、蒯良、公孫康、諸葛瞻、法正 × 伏兵は地形を選ぶためほとんど使わない。クリティカルの効果も地味。うまく使えてかつクリティカルすれば敵を混乱させられるしかつ気力消費も撹乱より少ないので有効ではあるが。PKでは伏兵の仕様が強化されたが焼け石に水。騎兵・兵器・輸送は伏兵を使えないので注意。 火攻 自分より知力の低い部隊への火計が必ず成功。消火が必ず成功。 黄蓋、皇甫嵩、朱儁 △ 火計は攻撃力が低い。よって戦法で普通に攻撃していたほうがいいかもしれない。技巧「神火計」があれば間接攻撃にそこそこ使える。 言毒 自分より知力の低い部隊への偽報が必ず成功 橋瑁、周魴、張特、陳珪、楊戩 ◎ 偽報は撹乱の代用としても有用。自分より低知力部隊には必ず成功する。 機略 自分より知力の低い部隊への撹乱が必ず成功 何晏、李恢 ◎ 最も多用するであろう部隊計略である撹乱が必中になるのは大きい。自分より低知力部隊には必ず成功する。 詭計 自分より知力の低い部隊への同討が必ず成功 王允、徐氏、陳登 ◯ 同討は効果は大きいが気力消費量が少しネック。「沈着」「規律」「明鏡」の適用外なのが良い。相手のターンにやられること前提で、兵1輸送隊で計略を仕掛ける手もある。 虚実 自分より知力の低い部隊への全部隊計略が必ず成功 曹操、孫臏 ☆ 「規律」「沈着」「明鏡」「洞察」を持った武将には効かない。所持武将(曹操・知力91)の関係上特に序盤で非常に強力。 妙計 自分より知力の低い部隊への計略成功時クリティカル 袁術、李勣 ◯ 相手の知力に左右されるが、部隊計略クリティカルの効果は大変強力。「虚実」「機略」等とのコンボで用いることになるか。○将系の特技と違い、施設や地面への着火などでも確実に発動するので、火罠着火要員にすると低知力武将でも確実に活躍できる。鬼謀と組み合わせると大変便利かつ強い。 秘計 自分より知力の高い部隊への計略成功時クリティカル 桓範、張春華、張松 △ 基本は「妙計」と同質。クリティカルは魅力的だが、所有者の知力が中途半端に高く使い辛い。火球などは知力1に設定されているようなので(PCPK)、妙計のようなクリティカル着火要員には使えない。 看破 自分より知力の低い部隊からの計略を必ず見破る 夏侯氏、范増 △ 自分より知力が低い敵部隊からの計略は、最初から成功率がかなり低いのであまり有難味が無いかも。「虚実」「神算」に勝てるわけでもないので実用性は低い。 洞察 敵部隊からの計略を必ず見破る 趙雲、岳飛 〇 諸葛亮の「神算」すら無力化できる最上級の計略防御系特技。しかし編成や立ち回りに注意すればあまり計略は受けないので、自軍で使う分には武将枠の節約になる程度でやや微妙。攻撃系特技の方がいい感がある。逆に敵にいるとひたすら脅威(面倒)だが。知力の低い雑魚武将につけるというのは一見ありだが、あくまで計略にかからなくなるだけであり、知力が関わる鎮静や消火、政治が関わる建設力などはカバーできない点に注意。落雷は自身がターゲットにされた場合のみ有効であり、周囲のマスを狙われた場合の巻き込まれは防げない。 火神 低知力部隊への火計が必ず成功。消火が必ず成功。火の被害無効。敵への火のダメージ二倍 周瑜 ☆ 敵の火矢で燃えないので海戦では滅法強い。「弓将」や「水将」と組ませて火矢を撃つのも強い。火の被害無効を生かした火罠による自爆戦法も面白い。ただし火罠による死亡・混乱判定は残るので注意。 神算 自分より知力の低い部隊への計略が必ず成功し、必ずクリティカル。また自分より知力の低い部隊からの計略を必ず見破る。 諸葛亮、張良 ☆ 「虚実」+「看破」+「深謀」の効果。 百出 部隊計略の消費気力が1になる 賈充、荀攸、諸葛恪、馬謖、呉用 ☆ 「神算」「鬼門」「虚実」とのコンボが文字通りの反則級。 鬼謀 部隊計略を仕掛けられる範囲が一マス広がる 郭嘉、鍾会、陸遜、呉起 ◎ 計略の成功率は変わらないが、敵部隊に壁を二つ挟んで計略を仕掛けられる意義は大きい。単体ではそれほど決定力のある特技ではないが、他の計略成功率系特技とのコンボが効果的。 連環 部隊計略成功時、隣接1部隊にも被害 龐統 ◎ 成功時のみ効果を発揮するので、「虚実」「神算」とのコンボが望ましい。伏兵、同討では発動しない。隣接部隊に計略を掛けるというだけなので、連鎖した後成功するかどうかはまた別判定。なお、都市内部に放火すると、二連続でヒットする。 深謀 部隊計略成功時、必ずクリティカル 司馬懿 ◎ 成功時のみ効果を発揮するので、「虚実」「機略」「傾国」とのコンボが望ましい。 反計 部隊計略を見破ると同じ計略で反撃 賈詡、姜維 × 「明鏡」「洞察」とのコンボで100%効果を発揮する。反計しても必ず成功するとは限らない。諸葛亮とのコンボなら自部隊への計略をもれなく反撃成功させる部隊が完成する・・・が、敵は知力の高い部隊へはあまり計略をかけてくれないので・・・。 傾国 女性のいない部隊への計略成功率二倍 郭氏、甄氏、貂蝉、李師師 ◎ 高知力の武将がいれば、擬似「虚実」に。 妖術 妖術を使用可能 張梁、木鹿大王、高廉 △ 気力消費50は多すぎる。「百出」とのコンボは必須。 鬼門 妖術、落雷を使用可能 張角、張宝、呂尚、公孫勝 ☆ 落雷が強すぎてバランス崩壊している。「百出」とのコンボは必須にして必殺の威力。判定は部隊知力だが、「神算」「虚実」の影響を受けないので注意。成功確率は最高で75%。「反計」相手に使うとはね返されるので要注意。 注)「鬼謀」は「待伏」にも有効。自部隊が森の中に居れば水上の敵にも伏兵が発動するようになる。 補助 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 規律 偽報にかからない 于禁、袁渙、黄権、司馬師、辛憲英、石韜、朱仝 △ 「沈着」との防計コンボが有効。撹乱と偽報は片方だけ防げてもあまり意味は無いので、二つ揃えてやっと一人前という印象。 沈着 撹乱にかからない 王平、霍弋、司馬昭、徐晃、馬岱、孟建、盧俊義 △ 厄介な撹乱を確実に防げるのがよい。「規律」との防計コンボが有効。 明鏡 撹乱、偽報にかからない 夏侯令女、蒋琬、陸鬱生 ○ 能力研究で低知力高武力武将につけることも可能で、COMの思考を利用して避雷針にすることもできる。同討だけは防げない。 楽奏 毎ターン気力が5回復 小喬、鄒氏、大喬、卞氏、燕青 ◯ 長期戦になるほど有無の差が出てくる。消耗が少ない後衛、特に兵器との相性がいい。水上戦では頼りになる。なお、軍楽台と同時に発動はしないので、「詩想」とは二者択一になる。 詩想 軍楽台の気力回復が2倍 蔡琰、曹植、陳琳、劉劭 ○ 軍楽台次第とはいえ回復量の大きさは魅力的。1ターンで気力が20回復するので槍で螺旋に戟で範囲戦法や弩で乱射など強力の戦法にはもってこい。もちろん計略も投石も撃ち放題。状況が悪く戦線が動かない時ほど効果を発揮する。前線のお供に、訓練+軍楽台で補給隊の能率上昇に。なお、「楽奏」と同時に発動はしないので、二者択一になる。 築城 建設時の効率が2倍 賈逵、張紘、留平、留略、婁圭、蒙恬 ◎ 陣や弓櫓、軍楽台を一気に建設できる。防計要員などに覚えさせておくと、前線部隊の建設力が飛躍的に上がって格段に戦いやすくなる。また少ない兵で火罠を設置できるので自爆テロ時の費用節減にも使えるが、焼死にだけは注意。 屯田 港、関に駐留時兵糧消費0 韓浩、国淵、甯随、劉馥、蕭何 △超級時◯ 兵3万の毎季節兵糧消費量は、場合によっては「米道」の収入アップ量をも上回る。港関拡張があればさらにその倍。限定的な状況でしか使いにくいが、特に超級などになるとその効果は非常に大きい。ただし所持武将は皆内政能力が高く、特技を発揮しようとすると能力が死んでしまうのには注意。 内政 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 名声 徴兵実行時、集まる兵士五割増し 袁紹、夏侯玄、魏諷、張邈、程普、柴進 △ 低下する治安度も五割増しになる。中盤以降兵舎レベル3を前線で運用できるようになると、治安の回復が追いつかず、これがブレーキとなり徴兵そのものが散発的となる為、徴兵速度アップの効果は限定的になる。徴兵費用や行動力の節約にもなるため序盤の拡張期や弱小勢力では大いに有効だが、終盤では価値は低下しがち。 能吏 槍・戟・弩の生産量二倍 温恢、蒯越、鍾繇、馬良、費禕、管夷吾、李斯 ☆ 内政系では最重要の特技。槍・戟・弩の三種類に適用可能なため効果は大きい。レベルの低い施設でも十分な生産量を確保できるという点も嬉しい。計算式の関係上、3人のうちだれか1人が持っていれば最終的な効果が2倍になるため、所持者の知力が低くても、もう一人高知力者をつければきちんと性能を発揮できる。生産、ひいては内政に関する人員を大幅に節約できるため、貧乏所帯や高難易度では特に有効。逆に内政の人数が余り出すような大所帯になってくると、細かく管理して節約する必要もなくなってくるので、ややありがたみは薄れる。 繁殖 軍馬の生産量二倍 閻行、成宜、馬騰、楊氏、梁習 ◎ 軍馬にしか適用できないため、「能吏」より効果は限定的となるが、それでも生産速度倍速&実質半額はシンプルに強い。騎兵は前線で殴り合う兵科の割に防御力が低く消耗が激しい意味があるため、尚のことである。基本的な生産量は知力に依存するので、知力の高い武将に付ければより効果的。 発明 兵器生産日数半減 尹黙、関寧、郤正、裴秀、馬鈞 △ 攻城兵器は大量には要らないので、それほど大事ではない。投石部隊を大量に動員させて防衛戦を展開する際は輝く。効果自体は能力依存しないが、基本的な開発日数短縮のために知力の高い武将に付けるのがベター。 造船 艦船生産日数半減 王濬、吾彦、唐咨、呂範 △ 走舸は可能な限り使わないこと。港がある都市を持っている場合、「造船」を必ず研究しておきたい。艦船は兵器と違い出撃部隊数と同じだけ用意することになるので、「発明」より有用。効果自体は能力依存しないが、基本的な開発日数短縮のために知力の高い武将に付けるのがベター。 指導 技巧研究費用半減同部隊所属武将(特技所持武将本人を除く)の入手経験値量が2倍に 袁遺、崔州平、孫権、董允、盧植 ◯ 期間の短縮にはならないので、所持者の能力では足手まといになることも。経験値入手量2倍の効果は出陣中のみで拠点コマンドでは適用されない。また「指導」所持者本人は2倍の恩恵にはありつけられないので注意。(「指導」所持者が同部隊に2人以上いる場合、「指導」所持者の入手経験値量も2倍になる。PC・CS共にPKで確認。) 技巧習得イベント や 五虎将軍イベント などの出陣中の武将を含めた経験値UP系イベント時も反映される。これもイベント発生時に「指導」持ちと共に出陣中でないと反映されない。 眼力 未発見の在野武将を必ず発見 伊籍、顧雍、崔琰、荀彧、毛玠 × 未発見武将の出ない後期シナリオではほぼ無意味。また、未発見武将がいる都市に移動が必要な事や、直接登用に繋がるわけではないのも×。未発見武将の多い序盤シナリオではそれなりに効果だが、能力的にもったいない武将が多いので、中盤以降は育成や廟による書き換えを検討すべきだろう。政治力が低い武将ばかりなら嬉しい(S1 張角など)。 論客 外交で舌戦に持ち込みやすくなる(超級は舌戦確率20%、上級以下は100%) 闞沢、簡雍、諸葛瑾、孫乾、鄧芝、張儀、藺相如 ☆超級時△ 同盟、停戦、捕虜交換時に有効。こちらの「論客」持ち以上の知力持ちがいない勢力を自由にあしらえる。親善するより安価に済むことが多く、敗北しても特に失うものはないので、例え格上相手でも何度でも申し込める。舌戦の強さは知力はもちろん性格も大きく影響するので、武将育成で習得させるときには武将を厳選したい。 注)「能吏」や「繁殖」を高知力武将に充てたくない、またはそもそも高知力がいない、という状況は意外に多いはず。 実は関連施設をLv3にしておくと、知力50程度の武将につけても生産量は大きなものになるのである(詳しい算出式は内政参照)。 後方で暇を持て余しているような中途半端な武将につけても充分な生産量は確保できるだろう。 一例を挙げるとLv3+「特技ありを含め三人とも知力50」のラインアップで6000の生産。(特技なしだと半分になる。) 最高の条件はLv3+「特技ありを含め三人とも知力100」だが、それでも9000の生産が限界。 特技の有無は知力以上に大きいということがわかるだろう。 収入 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 富豪 所属都市の金収入五割増し 董白、張世平、糜竺、呂伯奢、魯粛、李応、穆弘、段三娘 ◎ 無条件で効果を発揮するため重要。「徴税」とのコンボでも月初めにしか効果は無い。 米道 所属都市の兵糧収入五割増し 閻圃、張魯 ◎ 無条件で効果を発揮するため重要。「徴収」とのコンボでも季節初めにしか効果は無い。 徴税 所属都市の金収入が十日毎に。一回は月当たりの五割分0.5×3=1.5 董卓、贏政、高俅 ◎ 「富豪」とのコンボは1.5×0.5+0.5+0.5=1.75。保有武将が初期にしか登場しないのが難。 徴収 所属都市の兵糧収入が月毎に。一回は季節当たりの五割分0.5×3=1.5 李儒、蔡京 ◎ 「米道」とのコンボは1.5×0.5+0.5+0.5=1.75。保有武将が初期にしか登場しないのが難。 注) 富豪が適用されるのは月初め、米道は季節初めの収入のみ。 都市が増えてきたら、市場だらけの金銭特化都市、農場だらけの兵糧特化都市を造って、各々を常駐させれば効果的だ。 注2)富豪と米道は都市の基礎生産力も含めて1.5倍にするが、徴税と徴収は関連施設の数値のみ1.5倍。 注3)同程度の収入が見込める都市が2つの場合、富豪+徴税コンボ(1.75+1)よりそれぞれの都市に分ける方が(1.5+1.5)全体としての収入は増える。 注4)月初めのみ徴税を隣の都市にでも移動させて呼び戻せば、コンボで1.5+0.5+0.5=2.5。 もちろん隣の都市は収入が半分になるし、何より面倒だが、特化都市なら効果は大きい。 災害 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 親烏 所属都市に烏丸の根城が発生しない 袁煕、閻柔、牽招、田予、劉虞 × 襄平、北平、薊でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親羌 所属都市に羌の根城が発生しない 韓徳、徐邈、成公英、張既、馬鉄 × 武威、安定、天水でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親越 所属都市に山越族の根城が発生しない 厳輿、厳白虎、朱治、鍾離牧、孫瑜 × 柴桑、呉、会稽でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親蛮 所属都市に南蛮の根城が発生しない 帯来洞主、張翼、董和、孟優、雍闓 × 雲南、建寧、江州でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 威圧 所属都市に賊や異民族が発生しにくくなる 王匡、臧覇、孫観、張曼成、波才、李俊 × 親○系と違って、100%防止できるわけではない。検証によれば、賊の発生率そのものに関与するのではなく、「所属都市に賊が発生しない最低の治安の値を80から60に下げる」効果とのこと。治安低下の防止効果などもないので、この特技に頼るより素直に巡察した方が効率的。 仁政 所属都市が同じ武将の忠誠度が自然低下しない 王昶、呉国太、司馬攸、曹沖、孫登、孔丘 ☆ 武将数が多くなってくると、季節ごとの褒美の行動力消費が洒落にならないので非常に有効。出陣中の味方部隊寝返りによる損害は非常に大きいため、武将の多い最前線都市に配属させたい。低難易度では行動力の節約or保険程度の効果だが、引き抜き工作が激しくなる超級では劇的に価値が上がる。ただし防げるのはあくまで自然低下のみで、流言による低下は防げないので過信は禁物。 風水 所属都市でいなご、疫病が発生しない 虞翻、周昕、石苞、田疇、陸績 ◯ いなご、疫病のダメージはかなり深刻なので、大軍を駐留させた前線都市に配属させたい。あくまで予防するだけであり、発生済み都市に派遣しても鎮静化はできない。侵攻部隊と共に最前線都市を転々としていく都合上、防計軍師などに覚えさせるのも効果的。一見地味な特技ではあるが、疫病、特に超級でのそれは非常に手痛いダメージになるため、主力が駐留する都市にはなるべく置いておくと安心。 祈願 所属都市で豊作がおきやすくなる 鍾毓、孫氏、楼玄 △ 豊作率上昇はそれなりに体感できるが地味。米収入が多い都市で「米道」などとのコンボが有効。 注)「親○」系の防止効果は100%だが、防げるのはあくまで対象の異民族だけであり、賊の発生まで防げるわけではない。 賊の発生を防ぐためには治安を維持するしかなく、治安が高ければ当然異民族もわかないわけで、極めて実用性は低い。 1都市あたり1人さえ置けないほど頭数が切迫しているのならともかく、普通のプレイならもっと有効な特技に変更したいところ。 勿論、後方で巡察するしか使い道がないような低性能武将についている場合はこの限りではないが。 関係 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 内助 結婚すると配偶者双方の全能力プラス1 杜氏、樊氏、糜氏 △ 武力・統率が1違うだけでもだいぶ有利。発動が能力値に依存する戦争・計略系の特技を持つ武将と婚姻すると尚よし。軍師と婚姻させ助言の正確性を高めるのももちろんよし。 その他 [部分編集] 論客 は、上級以下と超級で使い勝手が激変する。 効果の発動確率が100%と20%なのであるから当然である。 初心者プレイヤーは舌戦に勝利しにくいので実感しづらいが、ある程度慣れれば非常に有用な特技。 特に中盤までの群雄割拠時、親善する金が無い場合に重宝する。 もっとも超級でも事情は同じで、貧乏所帯であれば確率20%といえども、中盤までの論客はそれなりに使える。 問題は中盤までに論客持ち武将を確保できるかどうかにある。 捕縛 は使い方次第で☆5つつけてもいいくらいのバランスブレイカーな特技。 まず捕縛持ち武将を義兄弟にして忠誠度が落ちないようにする。 次に戟か槍で出陣し最優先で補給を受けながら敵部隊を撃破し続けるとかたっぱしから敵を捕虜に出来る。 捕虜は出陣中の部隊から絶対に逃げることが出来ないので敵城からの再出陣を阻止でき、忠誠度が落ち次第登用していける。 これをやると敵勢力の武将があっという間に枯渇する。 城に戻ると捕虜が城に移ってしまい逃亡の可能性が出てくるのと、全滅してしまうとやはり逃げてしまうので注意すること。 コメント 踏破と難所行軍は微妙に違うよね。 踏破のみだと間道や浅瀬に侵入することができなかった・・・ -- (名無しさん) 2020-03-17 12 11 28 10年以上前のゲーム さらにソシャゲやオンラインでもないのに評価論争とはなかなか熱い… -- (名無しさん) 2020-04-20 21 10 37 あの糞藝爪覧とまで自虐されたゴミが今や名作扱いとか胸熱 妖術って所有者が微妙すぎるせいもあるんだろうけど、 複数部隊が戦闘不能になるのに△は不憫な気がする -- (名無しさん) 2020-04-29 21 45 16 妖術は気力消費量がネックだから 「※1」付けて「百出ある時のみ、評価を上げても良い」とか補足説明欄を欄外に作ったらどうだろうか? -- (名無しさん) 2020-06-29 11 36 44 飛将の最後、輸送部隊には適用されるってどういう意味なんだ?クリティカルの話してたよな?施設だの水軍だの兵器だのって。輸送部隊にクリティカルなんてあるのか?遁走の効果だけだろう?どういう意味なんだ? -- (名無しさん) 2020-07-07 21 43 38 神将と覇王はどっちが強いですか? -- (名無しさん) 2020-08-06 09 25 05 覇王だね。神将は部隊の気力尽きても通常攻撃や援護攻撃が威力上がるから戦闘力が低下しにくいかな。 -- (名無しさん) 2020-08-10 01 04 00 火神は誰につけたら効果的とかありますか -- (名無しさん) 2020-09-17 19 10 48 火神は知力依存ありだが、真価は火罠の着火、火矢なので弩適正高めの文官 -- (名無しさん) 2020-09-21 14 48 49 集結シナリオや寿命を長寿ないし仮想にしてるなら蒯良がオススメ。 弩Sに知力88かつ特技がぱっとしない待伏だから書き換えてしまえば副将に最適。 -- (名無しさん) 2020-09-21 22 31 53 遁走って兵器に適用されないの?してた記憶あるんだが勘違いかな。 -- (名無しさん) 2021-04-05 21 52 19 覇王が最強というが率いれる部隊は1種類だけなんで全戦法クリティカルってあんまパっとしない。せめて通常攻撃もクリティカルくらいはないと他のクリティカル特技と比べてもあまり恩恵は感じない。ついでに遁走と推進でもついてれば最強だった -- (名無しさん) 2021-04-15 00 39 15 覇王は所持武将の能力に依存しないのも利点 じゃあ何が最強なのか教えてほしいぐらい もちろん率いれる部隊が増える並のメリットある特技でお願いします -- (名無しさん) 2021-04-16 15 18 02 あ -- (名無しさん) 2021-07-22 11 47 38 PC版で論客の舌戦確立が20%ということだが、 Steam版では外交でほとんど舌戦に持ち込めない。 体感だと5%といった感じ。 50回程度停戦を試したが舌戦は2回だけだった。 -- (名無しさん) 2021-11-16 02 56 16 「長駆」単独だと恩恵を感じにくいが、技巧の良馬産出(精鋭騎兵)と組み合わせると目に見えて恩恵を感じるようになる。 都市間の輸送をあえて騎馬隊にするという使い方があるのだが、港からの出航時(出陣時)に限り騎馬隊の移動力を元に計算されるようで 長駆(強行)と良馬産出(精鋭騎兵)の組み合わせで港から港へ10日で行けるようになるところもある。 このギミックを利用すると、港に待機させておけば船(騎兵1)での河上からの開発地襲撃が素早くできる。 -- (名無しさん) 2021-12-12 12 01 59 特技「眼力」ですが所持武将が探索して発見につながらなかったら、未発見武将の存在がもう居ないことを明確にしてくれるので それなりに有用。また、空白都市の関や港から発見するだけで、在野武将として別都市からの登用可能となるため、空白都市を緩衝地帯とするため占拠しない場合も そこそこ使える。 (例:董卓が洛陽から長安に撤収した直後で虎牢関からその特技所持者で発見をし、別の都市から登用をかける場合とか、 空白都市の占拠に寡兵の輸送隊を使っており、既にそこに向かって別のCOM勢力が占拠に向かっており、鉢合わせになる可能性が大いにあるときは相手が都市を占拠する前に 隣接する港や関から発見してしまえば、COM勢力が占拠する前の僅差のタイミングのみで登用ができるようになる。 なお、登用の成否判定はコマンド実行時にされているようで、登用にするにあたりそこへ到達するまでの日数に対象の空白都市が占拠されCOM勢力の物となってもゲーム内部で コマンド実行時で登用判定が成功していれば、登用できる。) さらに、高魅力の所持者に持たせると舌戦を発生させ、さらに舌戦勝利という方法でCOMが支配している都市の所属する港や関から未発見武将を登用することができる。 (例:長安や洛陽、晋陽、柴桑など放置されている港を抑えてそこから対象都市の在野武将を引き抜くことができる。) -- (名無しさん) 2022-09-15 16 00 15 火攻と火神は消火の成功率が100%になるらしい。覚えておくと多少便利かも。 -- (名無しさん) 2023-06-29 14 10 40 もしかして連戦って支援攻撃には発生しないんですか? 補佐持ちとずっと組ませてたんですが、クリアまで一回も発動しませんでした -- (名無しさん) 2023-11-01 20 29 47 Steam版の論客持ちによる 舌戦確率が5%程度というのは本当だと思う。 ただ、序盤は20%位ある感じだが ゲーム中盤以降は目って似舌戦に持ち込めない。 PS2版にも同傾向があった気がするが Steam版の方がより顕著 -- (名無しさん) 2023-11-06 16 31 09 名前 コメント すべてのコメントを見る 過去ログ 特技一覧/コメントログ1 特技一覧/コメントログ2
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1 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 43 46 ID sOfSQEo90 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2006/11/14(火) 13 26 14 ID cwVjzMAO0 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 前々スレ 【みんなで】 中国名将百選 【決めよう】 http //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163478374/ 前スレ 【中々】 中国名将百選 其ノ弐 【決まらんね】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167560946/ 2 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 44 28 ID sOfSQEo90 時代区分 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間) 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間) 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) 三国~両晋(220年~439年 219年間) 南北朝(439年~589年 150年間) 隋・唐(589年~907年 318年間) 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) 明(1368年~1644年 276年間) 清(1636年~1912年 276年間) 3 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 45 31 ID sOfSQEo90 これまでのまとめ 春秋戦国 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 【確定組】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 【確定組】 劉秀、馮異、耿エン、呉漢、班超、段ケイ、曹操、皇甫嵩 【候補】 岑彭、樊崇、馬賢、周瑜 三国~両晋 【確定組】 鄧艾、石勒、祖逖、王猛 【内定組】 劉曜、慕容垂 【論争中】 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄 劉淵、劉聡、冉閔 南北朝 【確定組】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、 拓跋珪、高歓、宇文泰 【候補】 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達 赫連勃勃、拓跋燾、侯景(宇宙代将軍) 蕭道成、斛律光、陳覇先 隋・唐 【確定組】 楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用 【候補】 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥 李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬 4 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 46 36 ID sOfSQEo90 まとめつづき 漢字が?になっている奴は誰か補完頼む 五代~北宋・遼 【確定組】 朱温、李存勗、郭威、柴栄、趙匡胤、曹彬、楊業、狄青 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、 任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 【論争中】 耶律休哥 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、 拡廓帖木児(ココテムル)、 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道 張俊、呉?、呉リン、劉錡、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥 明 【確定組】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥 【候補】 朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁 呉三桂、李自成、鄭成功、馮国勝、張輔、張士徳、馬芳 清 奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン) 康熙帝・玄燁、岳鐘琪、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン)、宋景詩 、関天培、 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福 5 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 48 06 ID sOfSQEo90 前々スレより、考慮する武将について 7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18 47 07 ID 1kk6Cs2h0 5 いい加減その電波をはねかえせよ。 いつまで引っかかってんだ。 それはともかくとして… 中国というものの範囲だけど、土地的なもので言えば「中華本土」と呼ばれる範囲とするが、 中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権、とすればよくはないか? 南詔とか西夏はどうなるんだろ… 詳しい人がいれば入ってもよさそうだけどね。 その規範でいけば、チンギス・ハーンの蒙古は除外するけど、中国風の国号となったフビライ・ハーンの「元」は含む。 また、女真は含まないが、「金」は含む。 あるいはキタイはだめでも「遼」はいい、と。 でないと、北魏はおろか隋や唐まで含まないなんてことになりそうだから。 漢民族だけが中国人ではない! で、国籍は出身国というより所属国で判断すればよろしいかと。 高仙之や李光弼は「中国の名将」としてランキングされるが、郭侃などは紹介はされてもランキング除外、とか。 そんなところでどうかな? 田中ヨッシが先鞭をつけているだけに、そうそう違う武将が出てくるとも思えないけど、どういう判断で紹介するのか興味深い。 6 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 49 05 ID sOfSQEo90 8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18 57 59 ID yxgR08jb0 とりあえずみんなで何人かづつランクイン入りすると思われる人物の名前を上げていくか? いきなり100人づつ上げていくわけんもいかんしw 9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 00 31 ID jchs3O4hO 中原指向を持つかどうかで分けた方がよい 渤海や遼、西夏などは広義における中国文化圏と言えるけど 支那の地に入って中華帝国になろうとしなかったから中国じゃない 金や清は歴とした中華王朝 要は支那兵を率いれば中国の武将扱いでいいだろ 契丹人やモンゴル人を率いた武将が中国武将とはいえん 逆に異民族出身でも漢人を率いてれば中国の武将だ 10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 12 30 ID 1kk6Cs2h0 9 でもなぁ、遼は間違いなく中国兵を率いているぞ? 趙延寿や楊袞(名将とは言えにくいが)などは燕雲十六州に鎮した将だし、遼はキタイと漢人とを住み分けしてもいたし。 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10 50 03 ID sOfSQEo90 11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 28 22 ID 2mD79BmXO 9 でもさ、中華戦線のモンゴル軍の中には漢人も多いんじゃなかったか? (モンゴルは現地の兵をよく使うし) 12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 35 28 ID yxgR08jb0 10 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 それも一理あるが、やはり遼や金を中国にいれるのは抵抗あるなあ 13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 37 28 ID 1kk6Cs2h0 12 名前に抵抗あるわなw 耶律とか述律とか完顔とか… それはわかるが、それだと漢人マンセーな田中ヨッシ風味満載になって、おれは構わないが、アンチが沸きまくると思うけどな… 14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 43 36 ID yxgR08jb0 13 ただ抗金というジャンルがあるからね。 他の時代なら異民族の王朝だってほとんど違和感ないんだけど。 先入観かな? とりあえず境界は曖昧にして名前を上げつつ論じていった方がいいんじゃないか? 15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 20 31 35 ID jchs3O4hO 中国戦線における元の将はもちろん中国武将ですよ でも漢人でも西域で西域の兵で戦ったら、その戦績を中国武将としてカウントするのはアウト 郭侃は中国戦線の功績だけ評価 16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 21 39 04 ID yQpFrdGM0 所属国家というか王朝で判定するという手もある。 まず基本二十六史の大部分はそのまま認める。 で、遼とか金とか元とかは部分的に認める。中原進出を果たして以降を認める、 とか(これだと遼は除外だな)。 さすがに南詔とか西夏は外国でしょ。 8 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 12 13 36 ID K6Fq4ny8O 前スレで◆RQdk7scN8sが周瑜を無理に入れようとしてないのなら別にそれには文句は言わないよ。 なんかバランス重視を理由に周瑜を無理矢理ねじ込もうとしてる様に、 個人的に感じたから、意見を述べただけだ。 9 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 12 38 48 ID Q6XBSgl40 1 乙 10 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 12 54 20 ID 1WdYJG3r0 1 乙 宇宙代将軍ワロタw 11 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13 24 13 ID 3XMnymf40 1 乙っす このシリーズは盛り上がりますねえ、もう3スレ目ですか。 12 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13 49 16 ID 4IdRe7Ru0 このスレって最終的に100人決めたら終了? それとも100人決めてからが本番でそっから入れ替え議論していくの? 13 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13 55 06 ID Q6XBSgl40 過疎化したら終了でいいんじゃね? 入れ替えしないと枠多すぎ少なすぎな年代もあるだろうし。 14 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 14 13 47 ID R2QbPteI0 1スレ立て、乙 新・後漢 【確定組】 劉秀、馮異、耿エン、呉漢、班超、段ケイ、曹操、皇甫嵩 【候補】 岑彭、樊崇、馬賢、周瑜 となっていますが大軍を率いていたなどの異議が出ている皇甫嵩を落し、 岑彭、馬賢を確定入りとすべきかと思います。 樊崇は無理に外す理由が無いので確定入りでいいと思いますが、 諸兄いかがですかね? 15 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 14 33 48 ID TF77q+PQ0 一つ提案がある。 戦史において重要な会戦から逆算して名将を選出するのはどうだろう? 確かに決戦を回避して数と勢いで押しまくるのが最善ではあるが、誰もが万全の条件で戦える訳ではない。 一戦一勝でも賭けられた覇権次第で百戦百勝に匹敵すると考える。 「一発屋」を無条件に軽視する傾向があるようだが、一発で片付けられない実力だから連戦をする羽目になる面も考えた方がいい。 前漢については、灌嬰。 劉邦配下の部将で最も優秀なのは否定しないけど、彼の仕事は周勃や曹参で替えが利いてしまう。 戦略的には劉邦、項羽、韓信の三人以外に楚漢戦争では百選入りの候補はいないだろう。 何故馬上で天下を取った将の将、劉邦が候補止まりなのか? 負けが多いといっても相手は項羽で立ち直りは怪物じみてる。 劉邦の本隊が正面対決で膠着状態にまで持ち込んだことをもっと評価するべき。 もちろん単に韓信の兵を奪っただけとも言える。そんな無茶が出来ること自体凄い。 そして、そんな舐めたことをやられても勝ち続ける韓信は神としか言いようが無い。 後漢については、新末後漢初に多すぎと言われるが、実際何の面白みも無いほど異常に厚い層で圧勝した陣営なのだからそれも已む無し。 周瑜は赤壁を何度も行われる南北戦争の先駆けとして重視するなら入れるべきだろう。 皇甫嵩は確定でいい。黄巾の乱は後漢に事実上のトドメを刺した戦役。 後漢末は序盤の序盤を皇甫嵩、序盤から終盤まで曹操、終盤の終盤を周瑜で。 16 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 15 31 15 ID DSPHlkDY0 戦略的に考えたら彭越の替えはいないけどな 劉邦の怪物じみた立ち直りは韓信の精兵を大量にかっぱらったから 17 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 15 42 11 ID 3XMnymf40 12 まあ、百人を決めること自体より、こうやって議論して盛り上がるために、 やっているようなものですから。 とりあえず百人が決まったとして、まだ議論の需要があるなら、 続ければいいかと。 18 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 15 46 49 ID jhdIx4wjO 百選を決めた後は、その中からさらに十選を選抜したり、最強を決めたりと議論出来ることは色々あると思うよ 19 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/07(水) 16 54 53 ID Ou6gNASC0 1 乙です。 8 特に文句を言われたとは捉えてないよ。 まぁ、軍事勝利はそのときの状況でいくらでもかわるので、勝利の多い人間は追い風に乗っているなんて、そういう捉え方も一方でできたりする。 そのへんの判断はかなり難しいし、政治思想から立地条件、経済状況、政治的背景にその勢力の団結力相互協力など、いろいろな要素が絡んでくる。 そこまでつっこんで考えると気が狂いそうになるから、大体の時代から選出すれば、「時代に則した名将」というのが選ばれるかな? というのが、持論みたいなもん。 楚漢の時代に活躍したからといって、じゃあそれが隋唐期にも活躍できるか? と言えば、ここの人なら、それは一概に言えないという程度の識見は持ち合わせているはずだから…(最強スレではそれでもできると言ったお方がいらっしゃいましたが) できたら区分時代ごとに選出するのがベターであると思うわけです(光武陣営贔屓にしていたくせによく言うよな)。 20 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 19 35 56 ID maUver7h0 春秋に小白入れるのは駄目か? 21 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 19 49 29 ID 6H+B1Mzh0 前回散々に議論していながら最後が曖昧に流されてしまった「中国の武将」の定義。 ①清滅亡(1912)以前の武将であること (いわゆる制式軍隊の軍人は不可) ②現中華人民共和国の領域内に都を置き、 支那風の国号を持つ王朝に所属して、活躍した経歴であること (王朝の樹立に貢献した場合は可、先行政権治下のみの活躍は不可) ③実際に軍隊を率い、軍略に優れ、多くの戦功があること (配下の兵卒に慕われていればなお望ましい) 個人的には、この②から「中華人民共和国」の範囲を変えてくれれば問題なく 大賛成なんだが。 22 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 21 00 50 ID PJ9fL7Jm0 19 ◆RQdk7scN8s さんは適度に改行してくれないかな 前スレから見づらくて仕方ない 23 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 21 42 05 ID sKd+eUbE0 20 なら、とうに晋文が入ってる 24 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 22 52 18 ID K6Fq4ny8O 15 >劉邦配下の部将で最も優秀なのは否定しないけど、 灌嬰の仕事は周勃や曹参で替えが利いてしまう。 そうかな?じゃあなぜ途中参加の灌嬰を重用したんだ? 灌嬰は元は商人であったが軍事的才能があり、別働隊となったり、 秦以来の騎馬隊を任されたり、匈奴も打ち破っている。 また、一人で多くの山賊を討ち取ったという話もあり、洛川の灌嬰と呼ばれたていたんだぜ。 曹参はどちらかと言えば猛将タイプだし、周勃は実直型だしな、 灌嬰とは明らかにレベルが違うじゃないか。 それに周瑜の替えには魯粛がいるじゃないか。 劉邦は人を使いこなすのは超一流だが武将としては凡将だろうな。 劉秀・李世民・趙匡胤 みたいに自身が戦も上手なら話もわかるけど、 膠着状態にまで持ち込んだと言っても、 韓信、彭越の活躍が有ればこその話だろ、違うかな? 農民から皇帝に上り詰めた偉人としては高く評価するけどな。 「一発屋」についてだが俺はここでそう扱いを受けてる武将って一発屋とは思わない。 実力が有るから抜擢され、きちんと結果をだしたんだし、 その功績により高い地位に就いた為、 戦線に復帰出来ない、もしくは早死にしたりした人物が多くないか? むしろ過少評価されてる気がする。 一発屋って実力が無いのにマグレ当りした奴を言うんだろ。 でも周瑜の確定入りには反対。 25 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 22 59 27 ID CCE2+zas0 24 一発屋は一度や二度の勝利以外は、 大して戦歴の振るわない武将のことだと思う。 26 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 23 12 00 ID K6Fq4ny8O 大して戦歴の振るわないのでは無く早死になどの諸事情では振るうに振るえないと思うが・・・ 第一、実力の無い武将を抜擢するのもおかしな話だし。 27 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 23 17 19 ID C7omL+dn0 灌嬰が重用された理由は、絹商人時代に西域へ騎行した経験が あり、そのため騎馬部隊の将として起用されたのが契機ではな いかと推測されるな。 それとは別に、周勃や曹参より長く前線の将を務めたのは、こ の両名が灌嬰より戦功を挙げすぎていたために、前線で戦闘に 従事することが無くなっていたことと、灌嬰は前線指揮官に留 めておく程度の戦功と評価されていたとの見方も出来る。 26 実力の無い武将を抜擢して大失敗してるケースは割と多いじゃ ないですか。 28 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 23 22 40 ID PidaTmUO0 ここでいう「一発屋」の多くは、天下の趨勢をひっくり返しているにもかかわらず なぜか過小評価されているんだよねえ(周亜夫、周瑜、謝玄、于謙、王守仁等々) 何度も言っているが彼らが存在したからこそ、討呉戦役や北宋滅亡、永楽帝による簒奪のような一方的な事態を 防ぐことができているのに、曰く「実績が足りない」と その実績を、スマッシュヒットかミリオンヒットか見間違えていないかい? 周瑜を擁護させてもらえれば、 六朝時代に、華北政権によって荊州(長江上流)を押さえられていた建康政府が、南征されたケースで唯一 華北政権の天下統一を頓挫させている武将なんだがな (ほかのケースは、杜預による討呉戦役、江陵陥落を受けての北周~隋の平陳の役) 実は謝玄(東晋)あたりは荊州をある程度抑えていたから、華北政権に牽制が効いたが 周瑜以下のケースでは、選択肢が絶望的に限定されている 曹操の拙速も、杜預のケースを考えれば下策とは言えまい これをひっくり返した周瑜は六朝屈指の名将と言っても過言ではないんだが 29 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 23 28 50 ID 6lZjpVDb0 岑彭、樊崇、馬賢、皇甫嵩、周瑜から三人を選べということだね。 論点は①時代ごとのバランス ②実績、功績 ③卓越した指揮力、戦術 ④果たした歴史的意義 の大きく分けて4つだ。こうなれば満たしている数で比べるのもよい 岑彭②③ 樊崇②③④ 馬賢①② 皇甫嵩①② 周瑜①④ この選定にも、異論はあるだろうが、やはり樊崇は確定に戻すべきだと思う。 また、馬賢は③④もかなり満たしている。馬賢を推すことにしたい 岑彭、皇甫嵩、周瑜の残り一人は難しいが、史書の評価から(歴史者の評価などあてにならない というむきもあるだろうが当時の人々が直接、その人物に接して感じたことを反映していること が多いので無視はできない)絶賛されている岑彭を推す。(逆に皇甫嵩はそれほど誉められていない ので落とす) 結論 劉秀、馮異、耿エン、呉漢、岑彭、樊崇、班超、馬賢、段ケイ、曹操 でどうだ?周瑜は張遼、劉備、孫策、呂蒙などと比べられ、少し見劣りがすると思う 歴史的意義は認めるが、曹操が赤壁に勝ったからと言って、統一政権を長期間に渡り 維持できたとは限らず、光武帝と並ぶ名声を得たかといえばかなり疑問。 (さらにいえば、赤壁に勝てたとしても、孫権軍閥や劉備軍閥が城塞や地形を利用し、 少しずつ押していきながらも、何回も撃退されるという南北朝状態になったことも否定できない) また、不利な水戦を挑んだのは曹操の減点で周瑜の加点にはなるかは微妙 歴史的意義をいったら、劉備などは蜀地方に独立政権をつくる先駆者ともいえるし、きりがない 面もあると思う。確かに惜しいし、バランスも悪いが以上の点で周瑜を外したい 30 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 23 33 32 ID jhdIx4wjO 赤壁の勝利は、曹操軍の間で疫病が流行ったという一因もあるし、 曹操軍の損害はそれほど大きなものでも無かったらしい。 まあそれでも周瑜は充分名将だとは思う。 31 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 23 48 03 ID tHcWFBrg0 西晋vs呉や隋vs陳ほどの絶望的な国力差は曹操vs孫権のときにはまだなかったろう 32 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 00 01 30 ID VZb5pAHF0 29 公孫述のことを少しでもいいから、思い出してあげてください…… 蜀地方独立政権 まあ、岑彭は公孫述に対しては、終始圧倒していたけどさ(暗殺される直前までは) 31 当主暗殺されるわ、未だ異民族問題を抱えて揚州すら押さえてないわ 当時の孫呉は末期や陳と比べてそんなに良い状態とはいえない 曹操は華北をほぼ制圧して、荊州を無傷で(劉備と言う小骨が喉に引っかかっていたが)奪取し どう考えても「詰み」の状態 勢いを考慮すると、統一前夜を絵で書いたような状態 これに決戦をふっかけて、一気に三国鼎立に持っていった(頓挫した)手腕は紛れも無く名将 公孫述が光武帝政権に正面決戦挑んで、涼・益・関隴を確保して 東西並立する体制に持っていくようなもんなんだがね 結果を知っている後世の人間から見れば、荒唐無稽なif歴史でしかないけれど 33 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 00 14 04 ID jKfMQl0l0 華北の生産力自体が、曹操のときと鼎立を経てある程度安定した 晋や隋とでは大違いじゃないかな といっても周瑜が名将というのに異を唱えるわけではないんだが 34 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 00 20 07 ID IOy77Z+U0 そもそも周瑜の戦法自体が先に地の利、戦機を制して戦略戦術的に詰みに入った後に力押しで勝つ っていうパターンで、赤壁でも江陵でもこの軍事運用で勝ってる 戦だけ見たら確かにパッとしないあたりはここら辺に起因すると思う 35 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 00 35 07 ID 39XMAbZw0 33 江南は開発が始まったばかりで相対的に見て、江南の方が悪かったのかもしれない 別に周瑜を擁護しているわけではないが。 36 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 00 50 15 ID wgMBPAB90 35 荒れる中原を避けて(気候変動説も聞いたことある)南部に流入してる時期だから、それ以前に比べると相対的に上、 まだまだ南部開発の走りの時期だから、後年に比べると下って感じかな?…改めて言うまでもないことならスマン。 37 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 01 32 49 ID IOy77Z+U0 流入っていってもどれほどのもんか怪しい気がするが 淮南は袁術に荒らされ、その後は曹操に獲られてるし 人口激減つったって、戸籍調査出来なくなっただけな面が強いし 華北の動員実数が激減したわけじゃない 38 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 02 41 36 ID r95naShF0 曹操陣営が、赤壁で崩壊してれば 周瑜の評価ももっと上がってたのかな? 赤壁の敗戦でも、多大な被害をださなかった 曹操が凄いのだろうけど 赤壁が曹操の勝利で終わっていれば 曹操の代で天下統一されただろうし 歴史を変えた周瑜は10選に入ると思うけど 39 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 02 55 09 ID GPHfUq1S0 37 戸籍調査が出来なければ動員はできない。人口統計ってなんのためにするか判ってる? 38 謝玄のヒ水の戦いのように、その勝利(敗北)によって政権崩壊のきっかけを与えたって ほどでもないしねえ。 40 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 03 25 23 ID IOy77Z+U0 戸籍調査で居なくなった人はどこへ行ったか? 豪族の私物になったに決まってるじゃん で、軍隊って豪族の私兵の集まりだよな?後漢末 41 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 06 16 52 ID f972XC3qO 29の言ってるのが一番妥当な答えかと・・・ 俺も周瑜を外し岑彭、樊崇、馬賢を確定入りでいいと思う。 確かに周瑜は赤壁で勝ったが別に曹操が衰退、滅亡させるほどでもなかったし、 逆に曹操が衰退、滅亡していれば文句無く確定入りに出来るのにな。 29の言ってるのが一番妥当な答えかと・・・ 俺も周瑜を外し岑彭、樊崇、馬賢を確定入りでいいと思う。 確かに周瑜は赤壁で勝ったが別に曹操が衰退、滅亡させるほどでもなかったし、 逆に曹操が衰退、滅亡してれば確定入りに出来るのにな。 昨日言ったが赤壁で功績を周瑜だけに還元し過ぎな感もするし・・・ 42 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 06 19 35 ID f972XC3qO ↑スマン変な書き込みになってるな・・・orz 43 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 13 49 55 ID wgMBPAB90 周瑜は「実績・功績が不足し、卓越した指揮・戦術力があるとは言えない」レベルなのか… 44 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 16 07 15 ID HUKYyGrD0 43 他の候補と比べれば、明らかに見劣りする。 45 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/08(木) 16 43 01 ID 5R+sEqky0 41 「相手を衰退、滅亡させるほどでもなかった」って、それ防衛戦で活躍した連中の大半が落ちそうだな。 春秋戦国や南北朝期、五代などの分裂期の特徴である勝ったり負けたりは、あんまり評価できないということかな? 46 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 17 22 09 ID t57X4TwOO 曹操じたいが弱いイメージがあるなあ 47 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 17 23 23 ID JH64p7KFO 46 どこまで話を戻す気だよw 48 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 17 26 26 ID t57X4TwOO 47 スマンねw いや抗金名将の金や元と比べるとって意味ですた 説明短かすぎたね 49 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 17 32 11 ID IOy77Z+U0 その理屈だと賊征伐とかの武将や内乱征伐なんかの武将は 軒並み自軍の方が質の良い武装、練兵をしてる訳で評価出来ないと言えないか? 50 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 17 39 28 ID t57X4TwOO そんなつもりはないよ 天下とった人だって昔は賊からや内乱から、反乱軍からのしあがったりするし 質のよい武装や錬兵をいくら頑張っても率いる武将がだめなら意味ないし 51 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 18 26 35 ID f972XC3qO ◆RQdk7scN8sさん 38の曹操陣営が、赤壁で崩壊してれば 周瑜の評価ももっと上がってたのかな? 及び 39の意見が俺の考えと被る訳で、周瑜の功績自体はちゃんと認めているし、 春秋戦国や南北朝期、五代などの分裂期の特徴である勝ったり負けたりは、 あんまり評価できないとは、別に言ってない。 つ 俺の拙い日本語に過剰反応しないでくれると助かる。 52 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 18 39 42 ID wgMBPAB90 周瑜の活躍は如何せん範囲が狭くて期間が短いのがネックだよなぁ… あれで蜀占領まで成功させてたら文句は出ないだろうけど、あそこで死んだ以上落とされて已む無しかと。 53 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 18 51 31 ID GPHfUq1S0 ただ、死んだのは負けて戦死とかではないから、そうそうマイナス材料とするのも酷では? 活動期間が短いといっても、孫策挙兵以来の十年以上の実績はあります。 一発屋という評価もあるが、それは有名な戦いが少ないからで、少なくとも若くして司令官 を任じられるだけのそれまでの功績があってのことでしょう。 54 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 18 58 17 ID lPV6jmJG0 赤壁で曹操を撃退して、その後1年かけて曹仁守る要地江陵を攻略し孫権の勢力下に置いたことは評価してもいいと思うけどね。 正確には外交の問題から劉備に貸与してはいるが。 55 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/08(木) 19 12 26 ID 5R+sEqky0 51 いやぁ、過剰反応したつもりはないから、きつく言ったように聞こえたらすまなかった。 ただ、どうも政治背景を無視というか軽視して、表面上顕れた戦績だけで語ってるような気がしてね。 ま、前からも言ってるように周瑜は候補待機でいいとして、そろそろ次に行きましょうか。 三国以降を待ちかねている人もいるだろうし。 56 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 19 45 27 ID f972XC3qO 55 別に政治背景を無視というか軽視して、表面上顕れた戦績だけでなんかで語っていませんが。 俺は俺なりに総合的に分析をした上で語っているつもりだけど・・・ まあ拙い日本語で語っているんで上手く伝わらないのかもしれないな・・・orz 57 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 19 49 00 ID IOy77Z+U0 拙い拙い煩いなぁ…… 本当にそう思うならもうカキコしなければいいじゃん 58 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 20 01 49 ID GPHfUq1S0 29 少なくとも周瑜には②と③もあるとおもうが? 赤壁までの実績・功績があったからこそ若年の周瑜が総司令官となることに先代からの 旧臣たちも認めたのだろう。③については人によって評価はかわるだろうが、曹操軍の 弱点を正確に認識して対応したのは戦術眼のなせるところでしょう。 で、現状は 【確定】 劉秀、馮異、耿弇、呉漢、樊崇、班超、段熲、曹操 【候補・議論中】 岑彭、馬賢、皇甫嵩、周瑜 でいいのかね? 個人的な推薦は、功績で岑彭と周瑜、バランスを考えたら馬賢と周瑜かなあ。 59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 20 17 53 ID wgMBPAB90 53 「落とす」は評価を下げろっていう意味じゃ無くて、百人から落ちるってことね。紛らわしくてすまない。 その10年の実績、全部丹念に洗っても、 孫策の部下として6年、一応この転戦の最中、地位からして軍中の主力だったと思われる。 孫策死後になり、指揮官として砦二つ落として一万人捕虜、後に黄祖の部下を迎撃して生け捕り。 黄祖討伐について前部大督だった周瑜が実質的な指揮を取った可能性もないわけじゃない。 そして赤壁で曹操、江陵で曹仁・徐晃らから勝利。 これで精一杯なんだよね。この前半だけでも孫策死後当時の呉将では司令官に選ばれるのには十分だし。 44に言われたように、歴代の名将と比べてみるとどうしても見劣りするのは否めないかなと。 せめて最初の六年間にも周瑜の采配の冴が見れれば大分印象も違ってくるんだろうけど、残念ながら見当たらない。 60 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 20 34 20 ID HeLRo5Eo0 とりあえず、新末~後漢はこれでひと段落つけてもいいでしょ まだ、春秋戦国、秦漢も確定したわけじゃないし 個人的には、 58と同意見 明確かつ画期的な功績を残している馬賢、周瑜を推す と言うか、岑彭って堅実な用兵と大胆な奇略を併せ持った良将ではあるが 決定打が無いんだよね、秦豊を討伐したぐらいか(隗囂・公孫述戦では結局勝負ついてないしね) 劉邦でもできそうじゃねえ?と思うよ、実際 活躍期間の短さも、周瑜とどっこいどっこいなのは誰も突っ込まねえし(正味十年ぐらいか) あと、一軍の将としては軽率すぎる 兵の人気取りも重要だが、やっぱ暗殺される伏線は彼自身に起因していたとしか思えない (結局、公孫述討伐を遂げられなかったんだからマイナス評価にしないとアンフェア) 61 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 20 35 05 ID DBIxn+vG0 赤壁の戦いって、曹操軍は、疫病や兵糧不足に悩まされたことも あり許都に引き返した。 曹操配下の武将の戦死・戦傷が皆無で、その後の曹操が莫大な 費用のかかる銅雀台を建設をしいることから、実は大きな損害を受 けていないとも言われるのは、どこまで信憑性があるんだろ。 取り方によっては、曹操の自爆にも見えるのだがな。 62 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 20 51 34 ID /kTa3KNXO 61 疫病に悩まされたという時点で十分被害は受けているわけだからそれは妄言でしかないがな 曹操は赤壁後軍事的には丸一年以上動いておらず、孫権・劉備が荊州を切り取るのを放置している 後の事を考えたら、赤壁で大した被害も無かったのに孫・劉を放置したのだとしたら赤壁以上の戦略的な大失策 動きたくても簡単には動けないくらい打撃を受けたと見るべきだろう 63 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 21 09 47 ID DBIxn+vG0 62 その書き方だと、曹操軍にで損害を与えたのが周瑜なわけでは ないし、赤壁後に曹操軍にが病の影響から脱するために1年以 上かかったとし読みとれます。 あくまで、周瑜が挙げた戦果が問題なのだと思いますよ。 64 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/08(木) 21 19 15 ID 5R+sEqky0 62 戦勝というと、とかく誰それを撃破したとか、何万人大破したとかにとらわれがちだけど 思うに、その戦いで後に相手に軍事侵略を許さず、外に対しては強固な構え、内に対しては結束の強化など そういった、戦術だけでなく戦略、政略で大きな効果をもたらした戦い、そのときの将帥というのが、名将の解釈のひとつでもあると思う。 もちろん、鬼のような戦績を残している、陳慶之や岳飛のようなのも、また違ったかたちの名将でもある。 曹操が仮に打撃をいうほど受けていないにしても、容易に南征できない印象は与えたはず。 そのとき、孫権軍閥を代表した将帥はというと… となるかな、とは思う。 あと 60 岑彭も戦歴は短いとはいうけど、光武陣営は総じて短いし、もっと短いのがカオスな分裂期には多い。 分裂抗争のときは、味方陣営での足の引っ張りあいが多いから、戦功たててもすぐ讒言受けたりするし。 65 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 21 35 56 ID HUKYyGrD0 60 前線に出て戦死したというわけでもなし、 暗殺されたというのは、将才や武勲とは関係ないと思う。 66 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 21 59 58 ID 39XMAbZw0 65 岑彭応援派の自分でもそれは違うと思う。事故ではなく、公孫述の計略として暗殺が 計られたのであって、やはり暗殺されたのはマイナスだと思う。 (前任者も暗殺されているし、無防備すぎる) 暗殺により、せっかくの任務を果たせずにいるし、部隊を全滅の危機においやった。 これは減点になると思う。 ところで、馬賢は確定、皇甫嵩は落選でいいかね とすると現状は 【確定】 劉秀、馮異、耿弇、呉漢、樊崇、班超、馬賢、段熲、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 かな? 十人目を空席にして、この二人の論議をおいて、先に進んでいいかも知れない 67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 22 00 02 ID U8QfliXG0 暗殺は相当マイナスでしょ。戦死よりはましだけど。 68 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 22 05 29 ID wgMBPAB90 61 63 じゃあ何で曹操は疫病に悩まされるハメになったのか?といえば真冬に湿地帯で大軍が身動き取れなくなったからで、 じゃあなんで身動きとれなくなった?といえば渡るより先に対岸を押さえられ、 先鋒を送り込んだら水上戦でボコボコにされたため。大軍は危なくて動かせない(致命的な大敗に繋がる) 周瑜は戦前から「真冬に湿地帯に長く布陣するようになれば、絶対病気が流行る」と予想した上での行動だった。 赤壁に関してはまさしく「周瑜にハメられた」と言って良いと思う。 ちなみに「じゃあなんでそれでも曹操は留まったのか?」というと、 実は呉は重臣が軒並み降伏派だったり、司令官の周瑜と程普が不和だったりと、かなり不安定な状態。 大軍で圧力をかけ続ければ内部から崩壊するんじゃないか?っと思ったんじゃないかと推測。 黄蓋の偽装投降はそういう意味で「待ってました」だったのかもしれない。 60 単純な長さというより具体的な量の差じゃないかな?周瑜はそれがイマイチ。 転戦の経緯が細かく判れば評価しやすいし、規模や範囲が大きければ客観的な目安・良いアピールになる。 69 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 22 07 50 ID HeLRo5Eo0 65 岑彭が敵を降すために、単身説得とかしようとした故事や 兵隊達からの信頼が非常に厚かった話を考慮すれば その大胆さ、下々に対する大らかさは名将候補の中でも屈指のもの しかしながら、暗殺の前科がある?(来歙の件ね)公孫述攻略に際して あの脇の甘さは致命的(大胆さと大らかさが、ともに仇になっている) 「万が一」を考えれなくて、公孫述を延命させてしまったのは武将として致命的ミス 友達にはなりたいし、上司として仰ぎたい人物ではあるが、将軍・軍司令官として評価すれば 「無駄死に」「犬死」だと思う 70 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 22 43 48 ID kCQcGJGzO 暗殺されるまでは快進撃を続けていただけに、あっさり命を奪われたのは惜しいね。 公孫述も岑彭を生かしておけば、呉漢から一族皆殺しにされずに済んでただろうに。 71 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 22 46 08 ID grX51/GL0 新・後漢 【確定組】 劉秀、馮異、樊崇、耿エン、呉漢、班超、段ケイ、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 で取り敢えずいいですか? 三国~両晋に移るということいいですかね。 72 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 22 47 31 ID grX51/GL0 取り敢えず貼っときます。 三国~両晋 【確定組】 艾、石勒、祖逖、王猛 【内定組】 劉曜、慕容垂 【論争中】 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄 劉淵、劉聡、冉閔 73 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 01 08 ID HUKYyGrD0 67 それを言うなら、確定の馬賢だって戦死してるじゃないか。 最期をまっとうできなかったからといって、 生前の将才や実績を否定するのは良くない。 69 それは個人の性格の問題であり、 将としての実績とは関係ないと思う。 71 まだ次に移るのは早いんじゃないのか? 後腐れないように、今のうちに後漢は議論を詰めておいたほうがいいと思う。 74 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 23 04 45 ID /kTa3KNXO … 75 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 09 44 ID /kTa3KNXO 73 横からだけど、暗殺されたこと自体が問題なんじゃなく、 ・来歙も殺られてたのだからより配慮すべき ・暗殺によってその後の漢の軍事行動に悪影響が出たんだから、暗殺にはもっと慎重であるべきだった といった点を、時に臆病なほど慎重であるべき将としてはマイナスだと言ってるんじゃないかな 76 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 11 13 ID /kTa3KNXO 74は間違えて送信した ごめん 77 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 18 22 ID HeLRo5Eo0 73 多分後腐れるだけだと思うよ うん、性格の問題といった理由で作戦行動の頓挫をスルーされたら、議論にならないからね で、やっと三国~両晋か 曹操がいなくなった今となっては、石勒の一強になってしまった観がある 候補勢の再議論必要だな 78 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 22 44 ID f/F+9QoJ0 司馬懿は候補に入ってないの? 79 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 29 49 ID U8QfliXG0 75 そのとおりです。 80 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/08(木) 23 32 25 ID L+cjmUG30 ぶっちゃけ、正史の知識は全く無いけど、陸遜はだめなん? 81 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 00 17 00 ID cAm3cVvu0 鄧艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪の七名はそのまま確定でいい気がするな>三国両晋 つか慕容垂が未だ内定で慕容恪が論争にしか居ないのはどうかと思った ただ、燕から二人って言うのがバランス悪く感じるのも判らなくはない 82 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 00 21 13 ID bSJ7SzSmO 桓温も確定でいいんじゃないかな? 83 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 00 31 10 ID Pq+tYknw0 皇甫嵩はあまり本人の議論をなされないうちに確定組に入り、そして落選した感があるな。 擁護したいんだが、俺のごときはマンセーな後漢書の伝をネット上でよんだことがあるだけだしな・・・ 84 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 01 53 58 ID cAm3cVvu0 劉曜←石勒←祖逖←石虎←慕容恪→冉閔 桓温←慕容垂→拓跋珪 ↓ 姚萇←慕容泓 慕容兄弟は十六国の食物連鎖の頂点に居るw 粗探しをしても粗がないのは慕容兄弟と王猛かな?この3人は不動 劉曜、石勒、劉曜、石勒、祖逖、石虎、冉閔、桓温、姚萇はそれぞれ負けてる相手がいる 鄧艾は国力差、陶侃は北伐成績が無い、謝艾は相手がヘタレ麻秋、謝玄は一発屋(北伐が失敗) 李雄は将軍というより政治家(というか成漢って宗教色強いし、一慨に戦強さで成立した国じゃないので比較しづらい) 劉親子はどこまでを本人達の軍功に当てるか この辺りが各人のスネになるだろう 85 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/02/09(金) 04 37 12 ID lZUOEAd20 80 密かに軍歴は長いけど前半が山越討伐で 後半は対魏戦で目立った戦績が無いので大々的に名将扱いするには抵抗がある。 86 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 07 47 01 ID 0s53FtN50 81 慕容恪も慕容垂に劣らず優れた将だよね。 知勇兼備で政治力に優れた名宰相でもあるし。 78 あのさー何度も指摘されてるけど推薦文なり戦績なり挙げればいいじゃん。 入る、入らないはまずそれからだ。 87 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 11 22 11 ID OSleyQaN0 >仲達 孟達、公孫淵といった凡夫には異常に強いけど、 孔明や陸遜のような半名将には大した手出しが出来ないというのが何とも… 彼が凄いのは局地戦で勝ちきれないと見るや、兵站を整備して戦略の次元で自軍が負ける要素をゼロにした点。 まあ、大軍になるほどキレが鈍る曹操とは正反対のタイプだろう。 追撃が下手なのもなw 88 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 14 22 58 ID igvrdi3iQ 周瑜一票 彼がいなければ三国志が無かった 89 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 14 58 17 ID 1uiJCajv0 林彪一票。 90 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 18 46 19 ID ZgSZDhZVO 88 魯粛が十分代わりを果たすと思うけど。 91 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 19 03 02 ID eCqI0NxI0 90 魯粛は将軍としては呂岱あたりにも劣る感じですが… 92 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 19 05 21 ID hywcihSb0 中国兵法ってサイトは既出? 自選の武将百選もあるみたいだけど。 93 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 19 14 36 ID NQChl9IG0 92 アレは自選じゃなくて『中国古代百将図説』っていう本を訳したもの 図もそのまんま使ってる 94 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 19 36 37 ID Cycs++gc0 周瑜がはいらないのなら 謝安も入らないのかな 95 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 21 10 40 ID 0s53FtN50 劉曜、慕容垂、慕容恪の確定入りに俺は賛成。 それと桓温も確定でいいじゃないって意見も出てる。。 論争中の慕容恪、桓温を確定入りさせる事にみんなは異論はないのかな? 96 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/09(金) 22 14 29 ID Epk7T0gJ0 俺は慕容垂、慕容恪、陶侃、謝玄を推したいな。 劉曜は功績すごいけど、死んですぐに前趙が滅びたからなぁ。。。 97 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 00 09 05 ID ZDGrm4b1O 謝玄はヒ水の戦い以外になんか具体的な戦功ってあるの? 98 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 02 15 56 ID d1AL/BOVO 91 別に将軍として劣っていても周瑜の代わりを果たす分には問題無いと思うけどね。 他の才能はピカ一なんだし。 謝玄はヒ水の戦いしか思い浮かばないね 99 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 09 21 31 ID dqBV37+RO 将軍としての才能なんかなくたって魯粛に赤壁その他の指揮が同様に出来たと言いたいのか、 それとも影響力その他将としての資質以外を含めた名将スレと関係なさげな話しなのかは知らないが、 どっちにしても代わりは無理だろう。 100 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 09 56 11 ID JW+7VL+i0 周瑜は、新・後漢で議論中なのに、三国~両晋でも 議論するのか? どちらかの時代に絞ってから議論した方がよくないか。 101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 12 14 47 ID nSGVJ4+m0 99 建安20年の荊州侵攻の時も実際に攻め入ったのは呂蒙で魯粛は関羽とにらみ合って外交してたしね。 102 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 13 03 42 ID ZDGrm4b1O どうやらこのスレでは周瑜は新~後漢末に区分されるらしいので 三国~両晋の対象にはならないだろう 103 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 14 11 14 ID hZlRKqDj0 そろそろ周瑜ヲタうざい 104 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 15 05 36 ID 0DolzXKO0 慕容垂・慕容恪・桓温の確定入りに賛成 ところで、劉裕即位以降が南北朝ということは拓跋珪はこの時代になるのか? 105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 15 17 29 ID R+5ku6yt0 拓跋珪は南北朝の確定組に入ってるんだけどな一応 106 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 15 22 12 ID ZDGrm4b1O あれ?南北朝時代って北魏の統一からじゃなかったっけ? 107 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 19 48 41 ID gAvCiJ4B0 84 慕容恪はジリ貧の冉閔に何度も撃退されていたわけだが 冉閔を推す声が強いのも、滅亡寸前にもかかわらず慕容部を寄せ付けなかったところが評価されてじゃない? (でも、名将百選には入るほどではないか) 108 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/10(土) 22 58 15 ID M2mR8P9+O 十一戦十敗一勝だな>恪と閔の対戦成績 最後にキッカリトドメ刺してる以上、慕容恪の戦略勝ちだと思うのは贔屓倒しかね? 109 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 00 03 15 ID zimrvkQk0 しかし慕容部最高の傑物だしな慕容恪は 俺は強力に後押ししたいぞ慕容恪 110 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 00 08 57 ID t6cka/Jg0 慕容兄弟と石勒・虎・閔の血で血を洗う継承者達は俺も推したい だが、これをすると10名中5名が燕と趙になってしまうという諸刃の剣 素人にはお勧めで(ry 111 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 00 20 44 ID zxHX4yrr0 108 いや、慕容恪の十傑入りは確定だと思っている上で、 84の認識の誤りを正しただけ 慕容恪>冉閔って評価は動かないと思うけど、そこまで力量に差がついているわけでもあるまい 慕容垂は苻丕相手に、ひたすら手こずっていたイメージのせいで、評価落ちるんだよね (しかも、苻丕を滅ぼしたのは西燕の攻撃と東晋のトドメによるもの) 燕の領土拡大への貢献度も含めれば、慕容恪>慕容垂な感じになるかな? 【確定】 鄧艾、石勒、祖逖、劉曜、慕容恪、桓温、慕容垂、王猛 これに加えるとしたら、やっぱ陶侃、謝玄を推したいな 特に謝玄はヒ水以前から徐州方面で前秦の侵攻を撃退していたし 劉牢之による北伐は失敗だったとは言え、黄河以南の地域を少し回復しているし 一発屋って評価は当てはまらない人物だと思うんだが 112 84 sage 2007/02/11(日) 00 43 12 ID t6cka/Jg0 元々ネタにソコまで突っ込まれても困るし、慕容恪と冉閔の戦いを知らないと言うことも無い 慕容垂が符丕とやり合ってるとき、東晋から劉牢之が援軍に来て他と思うが? 劉牢之と言えば東晋きっての猛将だし、そんなにマイナス査定かねぇ? 個人的には 石勒、祖逖、石虎、冉閔、慕容恪、桓温、慕容垂、王猛 が確定ライン、劉曜もまずOKで鄧艾と陶侃どっちにしようかな?って気分 113 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 01 14 20 ID VT1qa0zoO 苻堅はやっぱ入んないかな… 114 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 01 39 43 ID tbOoreXg0 五胡十六国って実に狂った時代だな。 115 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/11(日) 06 21 38 ID GsUzwaR6O 113 ココに挙がってる連中と張り合うのはかなりきついな…… 116 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 14 55 14 ID /fuPV5TF0 陶侃は五十年にわたって地方長官、軍司令官などを務めた東晋の柱石 石虎は傍若無人な殺戮マシーン(あくまで個人的なイメージなんだけどね) 戦の上手さは石勒に引けを取らないと思う 謝玄は有能なのだがヒ水の功績をどう評価するかが焦点 劉曜、桓温は確定入りでいいと思う 個人的には陶侃、石虎に各一票ずつ入れたい 117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 21 56 09 ID m9FT3T8S0 ところで王猛の具体的な戦功ってなんだ? 名宰相・名軍師なのは分かるが、名将と言われてもピンとこない。 誰か具体的に教えてくれないか。 118 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/11(日) 22 32 48 ID t6cka/Jg0 慕容垂が抜けた後の前燕を滅ぼした 119 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 00 09 21 ID XLJvockR0 118 それだけじゃ、時代を代表する十人に入れるには、 実績不足じゃないか? 慕容垂のいる前燕を滅ぼしたならともかく。 120 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 00 15 10 ID VSgQqZ36O 118が示したのは功績の一例だろ 121 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 00 19 19 ID 410mDf1L0 蜀征伐とか、転戦してた筈 122 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/12(月) 14 59 49 ID Vsejoll10 林則徐は入るだろ。 123 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/12(月) 20 55 17 ID Kez+90Og0 【確定は】 中国名将百選 其ノ参 【誰だ!?】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170812626/ 【みんなで】 戦国名将百選 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1166806707/ 【ヨーロッパ】西洋名将百選【西洋】 http //academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1168117287/ 【みんなで】日本名将百選【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1169589425/ 【みんなで】 世界名将百選 【決めよう】 http //etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1171011992/ 【みんなで】 中国猛将百選 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167189069/ 【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167909324/ 【みんなで】中国愚将百選【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1165592836/ 124 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 21 08 22 ID 410mDf1L0 マルチうざいよ 125 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 21 10 38 ID T7SiANKl0 122 半年ログれ 126 120 sage 2007/02/12(月) 22 52 09 ID VSgQqZ36O 符柳が挙兵した際、王猛はこれを鎮圧している。 陝城を落し、符[庚]を捕えて長安に送り内乱を平定。 前涼が前秦に侵攻した際、姚萇と共に涼軍を撃退。 李儼が救援を符堅に請うた際、王猛は各地に兵を派遣して守備を固めさせた上で 楊安と共に枹罕救援に向かい、 迎撃してきた前涼の張天錫を大いに破り、 前涼軍に、戦死者・降伏した兵を合わせて一万七千の打撃を受えた。 これにより絶縁していた前涼は再び前秦に藩属した。 これで少しは王猛の名誉回復できたはず。 127 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/12(月) 23 02 36 ID 410mDf1L0 そっか蜀じゃなくて涼だったな ただ姚萇だって頑張ったんだよと、ヤツは面白い生き方してるんだよなぁ 百選入りは厳しいと思うが 128 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 21 16 35 ID bHog/2AB0 前秦の怒涛の征服を指揮していた将軍って誰? 王猛?苻融?それとも苻堅? 129 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/13(火) 22 46 55 ID Rx2jG3G0O 王猛あっての前秦だね 130 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 22 56 02 ID ihkBeGfrO 129 同意 符堅は王猛の死後は冴えなよな。 王猛の遺言を守らず東晋を攻めてヒ水で惨敗してるし… 131 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 22 58 19 ID bHog/2AB0 いや、だから前秦の征服戦争を指揮した将軍を教えて欲しいんだが。 132 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 23 22 02 ID ihkBeGfrO 131 王猛、楊安、符融、符丕 符丕は王猛の後釜的存在 で関東を鎮めている。 まあ符堅も親征してることはしてるけどな。 つ これで満足した? 133 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 23 32 14 ID ihkBeGfrO スマン 王猛の後釜的存在は符丕じゃなく符融だった。 134 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 23 36 01 ID bHog/2AB0 132 サンクス。質問ばかりで申し訳ないが、 その中で武勲が最大といえるのは誰? 135 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 23 45 20 ID ihkBeGfrO 王猛 前秦の政策、戦略など殆どが彼の力により、 前秦が勢力を拡大出来たのは彼がいたからと言っても過言ではないはず。 符堅の信頼が厚く、劉備にとっての諸葛亮の様な存在と評された。 つ これで十分に満足した? 136 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/13(火) 23 54 52 ID bHog/2AB0 135 いや、それ軍師や宰相としての功績じゃん。 純粋に戦場での武勲が最も多い前秦の将軍を知りたいんだが。 137 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/14(水) 00 31 54 ID SIXMw3/l0 王猛だろ 前燕を滅ぼしてるんだし 138 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/14(水) 01 33 40 ID rMwASHSNO つ まず最初王猛とに答えてる。 >前秦の政策、戦略など殆どが彼の力により と補足入れただけだけど何かおかしいか? 139 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/14(水) 15 47 38 ID c87tDxIqO じゃあ王猛は文句なく確定ということでいいかな? 140 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/14(水) 21 55 36 ID hfbVFxXy0 >じゃあ王猛は文句なく確定ということでいいかな? あれ?王猛っていつ確定から外れたの? 119 が早とちりした以外は別に異論が出てないなかったよね? まあ王猛の確定入りに問題無いと思うよ 141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/14(水) 22 08 01 ID 3K5sckN+0 前秦から王猛ひとりなのは仕方ないかもしれないけど、 国としては3人ぐらい入ってもいい実績だと思う。 142 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/14(水) 22 38 00 ID rMwASHSNO 141 符堅、符融、符丕と候補が無いことも無いが 他の面々と張り合うのはかなり厳しいだろうな 143 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/15(木) 20 37 44 ID gxItVOPf0 確定 慕容垂 慕容恪 王猛 桓温 石勒 祖逖 候補 石虎 冉閔 陶侃 謝艾 謝玄 姚萇 拓跋珪 こんなところでいいかな? さあ、議論を続けよう。 144 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 06 31 ID z9vhyC8R0 いいんじゃない? じゃ次は隋唐時代か。 やはり李世民は外せないな。 145 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 09 26 ID RmTPz1FG0 南北朝は? 146 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 10 53 ID wouTLgWt0 鄧艾、劉曜がいつ確定から外れたんだ? 147 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 27 54 ID YE3VGJ3DO 確かに 艾、劉曜が外れてる それと拓跋珪は南北朝で確定入りしてるけど 拓跋珪はこっちに入れるのか? それにまだ残り枠決めてないけど次の時代に移るのか? 148 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 45 30 ID gxItVOPf0 146 劉曜・鄧艾を入れ忘れてた。スマソ 147 拓跋珪の没年はこのスレの時代区分では、 三国・両晋に入るんだよ。 149 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 52 19 ID OTyjqmfq0 隋には名将っていないの? 150 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 21 53 26 ID RmTPz1FG0 拓跋珪、確定じゃないの? 納得いかない 151 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 22 02 00 ID Y11ZyAOl0 拓跋珪をこっちに入れるとなると 鄧艾 劉曜 慕容垂 慕容恪 王猛 桓温 石勒 祖逖 拓跋珪 で九人になるけどここから確定落ちになる人はいるかな 149 楊素、韓擒虎、賀若弼、史万歳あたりがいるが 152 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/15(木) 22 29 05 ID yqZEfS88O 謝玄はやっぱ落選か… 153 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 22 37 23 ID YE3VGJ3DO 148 拓跋珪は三国・両晋じゃないの?と前々から疑問に思ってたんだけど それについて誰も言わないし、 南北朝に入れるのかと思っていたから一応聞いてみただけ… 151 この九人は確定でいいんじゃない そうなると残り一枠を誰にするか迷うよな 154 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 22 43 06 ID wouTLgWt0 あと一人、難しいね。 候補にあげるなら、戦術の巧みさなら冉閔か謝艾、果した功績の大きさなら陶侃か謝玄。 155 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/15(木) 22 45 41 ID gxItVOPf0 153 陶侃を推す。他の名将と対戦してないのが痛いが、 戦歴は豊富だし、陶侃がいなければ、 おそらく東晋は地盤を固められずに短期政権で終わっただろうから。 156 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 23 21 24 ID 20phuMvF0 155 俺も陶侃に一票 陶侃は五十年にわたって地方長官、軍司令官などを務めた東晋の柱石だしな。 平時でも戦に備えて瓦を庭に出し入れして、 体を鍛えたというエピソードが残っているぐらいの根っからの武人だしね。 個人的には殺戮マシーン石虎も推したいのだが・・・ 157 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 23 35 07 ID dEMkXELF0 負けた祖逖が入ってて 勝った石虎が脱落ってのもなぁ・・・ 陶侃も捨てがたいし、この時代は迷うな 158 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/15(木) 23 54 21 ID YE3VGJ3DO 157 そうだよな。 石虎の暴れっぷりは評価したいし、 確かに陶侃も捨てがたいね。 今回も残りの一枠は持ち越しになるのかな? 159 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 15 00 18 ID M0NJi0+u0 157 石虎は天王になってからの戦績が振るわないのが減点材料かと。 160 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/16(金) 17 15 53 ID 9kljjt400 思ったんだけどさー なんで田単が候補にすら入ってないの? 161 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/16(金) 17 16 27 ID 9kljjt400 楽毅入るなら田単も入るだろ 162 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 21 10 50 ID bVTmxrvn0 理由がわからん。別に田単は樂毅に戦場で勝ったわけではないしなあ。 まあ城を落せなかったのと諜報戦でしてやられたってのはあるが。 田単が候補に挙げられないのは、おそらく究極の一発屋だったからだろう。 城の防衛の指揮を任されるようになる前は一介の市場の役人で、勝った後は 栄達はしたがこれという功績もない。 即墨戦の後の軍事的行動というと狄を討とうとして失敗したこと(後に成功) と趙の兵を率いて燕の城を落としたことくらいしかない。 163 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 21 19 49 ID f/WwVciP0 スレの流れ これ読める? 164 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 21 27 45 ID yYY6neoF0 とりあえず151に異論がなければ南北朝に進んでもいいと思うがどうか 165 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 22 31 53 ID bVTmxrvn0 いいんじゃないですかね。 残り一枠の候補には冉閔と陶侃を推薦しておきます。 166 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 22 50 41 ID TLQAXSzqO 159 劉曜も後年、石虎と石生に惨敗してし、 石虎も天王になってから破れた相手って慕容恪だろ。 減点するには厳し過ぎないかと言ったら贔屓し過ぎかな? 167 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 22 53 32 ID f/WwVciP0 冉閔だって慕容恪に十勝してるし この時代、アホみたいに戦争しまくってるので、単純には決めづらいだろう 168 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/16(金) 23 29 54 ID bVTmxrvn0 いまさらだが、戦術の巧みさだけで推薦するのなら八王の乱時の司馬乂とかも 凄いんだよな。圧倒的劣勢下で、戦場では不敗だった。 さすがに十傑入りは無理だろうけど。そう考えると、やはり冉閔も外れるかなあ。 169 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 19 14 06 ID Ynh5F5kWO 現在の状況はこんな感じか? 三国~両晋 【確定組】 艾、石勒、祖逖、王猛劉曜 慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 陶侃が一歩リードってとこかな。 どうするまだ論議を続ける? それとも南北朝に移る? 170 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 20 25 05 ID rMl3f1A40 いいかんじに次にいってもいいかな 171 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 20 29 09 ID hHgYTn5T0 まぁ、これまでも十人確定を出してきたわけでもないんだし、 また、改めて議論もするだろうから、取り敢えず次に移ってもいいんじゃない? 172 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 20 35 12 ID oHGca7Iw0 じゃあ南北朝時代に行く? 【確定組】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、 高歓、宇文泰 【候補】 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達 赫連勃勃、拓跋燾、侯景(宇宙代将軍) 蕭道成、斛律光、陳覇先 173 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 20 45 22 ID Ynh5F5kWO じゃあ南北朝へと移りますか。 俺は韋叡の好敵手である楊大眼を推しとくよ。 174 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 21 25 43 ID pClLuuW80 宇宙大将軍を推したい 175 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 21 32 53 ID 2AFKOlEu0 斛律光は確定でいいと思う あとネタ枠として宇宙大将軍を推したい 俺達の永遠のヒーローだろw 176 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 21 38 44 ID y65Q0nPv0 侯景は君らの胸の中にしまっておけ 177 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/17(土) 21 55 26 ID h95p/GHrO 素人でいつもロムってる俺に宇宙大将軍について教えてくれ 何がネタなのか 178 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 22 15 42 ID Ynh5F5kWO 177 侯景 宇宙大将軍でググってみなよ ちなみに宇宙大将軍は2ちゃんの偉大なるヒーローさw 179 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/17(土) 22 42 52 ID h95p/GHrO 178 ごめん、ググってみたけどどのへんが2ちゃん的なのかよくわからない 180 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 22 47 36 ID cj4xFKaH0 wikiからの引用だけど、この辺のことでしょ。 武帝の没後、侯景は簡文帝を立て、相国・宇宙大将軍・都督六合諸軍事を 自称した。 181 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/17(土) 22 53 30 ID hHgYTn5T0 ぶっちゃけると、宇宙大将軍って自称が面白いだけ。 182 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 23 05 02 ID 2AFKOlEu0 高歓の元で転戦する軍団長 ↓ 高歓が死にそうになると 「HEYHEY!おいらは高歓のアニキにはついてくが、そのガキの事まではしらねぇぜwwww」 と公言する ↓ 高澄(高歓の息子)、政権を引く継ぐと真っ先に不穏分子である侯景を謀殺しようと、高歓の名で招集の手紙を出す ↓ その手紙を見て 「アニキは俺に書状出すときは穴を開けてた筈……こいつはヤベェ!!(←自業自得)」 ↓ 梁と組んで独立する ↓ 高澄、高歓の遺訓に従い慕容紹宗を起用する ↓ 「慕容紹宗?あの青二才に何が出来るってんだよ!俺は百戦錬磨の侯景サマだぜ!!」 ↓ ボコボコにされる ↓ 「何で援軍よこさねぇんだよ!」と八つ当たり気味に建康に進軍 ↓ 梁の一軍団長になる。その性格その他から危険視される。ついでに梁と東魏の国交が回復し始める ↓ やられる前にやったると建康進軍、権勢を誇った朱イをヌッコロス!と進軍したはいいが、すでに朱イが病死してた ↓ 出した刃は引っ込められず、建康で梁武帝を人質に面白籠城劇を繰り広げる ↓ 軟禁されてる梁武帝を前に気圧されて汗を流す(自分が軟禁してるのに) ↓ 相国・宇宙大将軍・都督六合諸軍事という喜劇的な将軍位を開発、名乗る ↓ 和睦、梁武帝の娘を娶る。この公主に溺れる ↓ 結局拗れて皇帝を名乗るも、陳覇先と王荘辯に破れシボンヌ 一時代の梟雄にして、ネタに溢れ、強勢を誇った梁を一人でぶっ壊したという そのお人柄とネーミングセンスが今尚愛されてるのです 183 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 23 07 46 ID m3yniq2v0 まあ百人には入らないだろ 184 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 23 55 46 ID rMl3f1A40 楊大眼よりは元英の方がいいと思う。あとは韋叔裕、斛律光、爾朱栄あたりか。 しかし北に偏ったな。 そういや候補に蔚遅ケイがいないな。まあいても候補どまりな気はするが。 185 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/17(土) 23 57 12 ID 96WZcXqg0 宇宙大将軍こと侯景には負けるが南北朝には個性派ぞろいだな 三十六の戦術を持つ、逃げの檀道済 馬に乗るのが下手なとぼけた天才、陳慶之 虚弱体質の名将、韋叡 文盲で愛妻家(戦場でもラブラブ)泣く子も黙る、楊大眼 仮面の貴公子、高長恭(しかもオリジナルミュージック付き) など全く真面目なんだか不真面目なんだかw 186 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/18(日) 00 12 34 ID uwADlhPn0 哭泣した重臣のヅラがとれて、葬儀中大笑いしたのは、南朝の太子だっけ? 187 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 00 21 08 ID E0w974GCO 186 東昏侯こと蕭宝巻 188 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/18(日) 00 32 11 ID uwADlhPn0 187 それそれ。 ヅラじゃなくて頭巾だったかな。 そうか、あの東昏侯だったか。 斉梁革命期近辺だと、義陽で元英との名勝負を謳われる蔡道恭や鍾離を堅守した昌義之とか 防衛線で手腕を発揮したのもいるなぁ。 189 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 01 09 43 ID E0w974GCO 184 【名前】元英 【時代】南北朝 (北魏) 【推薦理由】中山王こと元英は北魏でも屈指の教養人として知られ、玉笛の名手でもあった。 南斉・梁と戦っただけではなく、北方の騎馬民族とも戦っている。 また漢中ではたった三千の兵で二万もの南斉軍を破るなどの武功を重ね、この時代北魏随一の用兵家であった。 楊大眼は副将だし、やっぱ元英の方が上だよな・・・ あと斛律光が確定なら、仮面の貴公子、蘭陵王こと高長恭も確定でいいんじゃないか? 188 頭巾だよ。 ちなみに太中大夫の羊闡はみごとな禿頭だったw 190 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 02 27 03 ID iJs60l6O0 182 おいおい、どこから突っ込んだらいいんだw 我らが宇宙大将軍は、他の武将が来たときは強気だったのに、慕容紹宗が来ると聞いてビビったはずだぞ 侯景は高歓の下の時の功績だけなら確定に入れてもいいんだが 高長恭あたりが候補に入ってるのに、高敖曹、賀抜兄弟とかが入ってないのが不思議だ 尉遅ケイも入ってもいいんじゃないか。隋文帝の最後のライバルだし 191 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 07 21 40 ID dY9oFs7C0 宇文泰が戦闘の才能を絶賛した高洋は候補に入ってないね。 あと尉遅ケイについて誰か詳しく教えてくれませんか? 192 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/02/18(日) 07 49 47 ID XjmOOEaw0 数週間ぶりの登場です。ようやく南北朝ですか。 ログなど見て思ったのですが、確定を決めずに先に行くのですか? 春秋戦国であれだけ話し合って確定を決めたのに 確定を決定させず候補を残したまま議論されてるのは少し残念です。 話を戻すようなことを言ってすまんね。 193 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 09 21 27 ID LNILSB950 192 春秋戦国 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 ご覧の通り、春秋戦国は散々話し合っても十人確定までは至らなかったし、 ど~せ、一通り各時代を語り尽くしたら、また最初から議論しなおすんだから、 別に、そう確定にこだわらなくてもいいと思うよ。 194 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 09 48 18 ID OPjVxuI80 ○○は候補に入っていないね?という人は、○○の人を 推薦するなり、候補に入って無くてもいいけどとか意思表 示してくださいな。 195 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/18(日) 10 51 13 ID uwADlhPn0 192 春秋戦国のときみたいに嵐のような討論が少なくなったから、妥協で進んでいるような気もするかもしれないが 恒例的に最後の一枠は空席にするやり方になってる。 現時点ではそれがベターだと思うな。 (それぞれの時代で、特に詳しい人がここにどれだけいるか、調査してみるのも面白そう) 196 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/18(日) 12 04 21 ID E0w974GCO 納得するまで討論はしたいよ、みんなも思ってるはずだ。 でも最後の一枠って決めるのってかなり難しいんだよね。 195の言う様に最後の一枠は空席にするやり方が現時点ではベターだと俺も思う。 納得するまで討論はしたいよ、みんなも思ってるはずだ。 でも最後の一枠って決めるのってかなり難しいんだよね。 195の言う様に最後の一枠は空席にするやり方が現時点ではベターだと俺も思う。 197 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/18(日) 13 15 34 ID ShNq57gT0 「必ず最後は一枠を残しておかなければならない」ってもんでもないけどね。 すんなり決まるのなら十人決めてもいいのだろうけど。 あと、確定から高歓はずして高洋を入れるべきだと思う。君主としては文句なし に親父だが、個人の将としての才はこちらが上だと思う。 198 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/19(月) 14 48 23 ID jEimL0780 神武・文襄・文宣の三王に仕え、 二十歳頃から戦に出て数々の功績を挙げた段韶を俺は推したい。 戦績としては西魏の宇文泰と高歡が芒山で戦ったとき、高歡の命が危ういところを救い、 高帰彦の乱を婁叡とともに鎮圧、突厥と北周が晋陽を攻めてくるとこれを撃った。 侯景の乱の際には晋陽を守るなど功績を挙げ、 また陳覇先が攻めてきた際には水上戦ながらこれを撃退し、 北周軍に包囲された洛陽をなかなか救出出来ずにいた斛律光と高長恭のもとへ駆けつけ、 彼らと共にに芒山で北周軍を撃ち破り、洛陽を救い、 国境の定陽郡周辺をめぐっての北周との攻防戦では、病をおして出陣し、定陽城を落としている。 199 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 00 29 44 ID RVq+iqA20 172の候補者の詳しい解説などみたかったのだが…とまっちゃってるなあ 200 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/21(水) 04 09 12 ID Typ7OUhy0 とりあえず南朝からももうひとりぐらい、ってことで。 蘭欽(らんきん。?~西魏の初めあたりまで)《梁書》33巻 字は休明。剛毅果断にして超人的敏捷性を備える。 大通元年(527)、魏の蕭城を攻めてこれを抜く。さらに彭城の別将郊仲を破り、擬山城まで進行、 大都督・劉属率いる20万の魏軍を寡兵で潰滅させ、返す刀で籠城を陥とす。 また魏の大将・柴集および襄城太守・高宣、さらにその別将范思年、鄭承宗らの連合軍を撃破する。 彭城の主将・楊目がその子楊孝邕を派遣して蘭欽を攻めると逆撃してこれを破る。 また譙州刺史・劉海游を破り、その帰途で厥固城を抜いた。 楊目は都督・范思年と別将・曹龍牙に数万の兵を与えて援軍としたが、 蘭欽の巧緻な作戦の前に魏軍は潰滅、蘭欽は曹龍牙を斬って京師に戻った。 假節を与えられ、都督衡州三郡兵を拝して桂陽、陽山、始興の異民族 叛乱をたちまち平定。また天漆に盤踞する蛮族の首領・晩時得を攻め破った。 衡州刺史・元慶和が桂陽の厳容に包囲されるとこれの救援に向かい、 羅渓で厳容を打ち破った。ついで密勅により襄陽に急行、北魏の正将・托跋勝の進行を撃退。 持節を拝し、督南梁、南秦、北秦、沙四州諸軍事、光烈将軍、平西校尉、梁、南秦二州刺史を授かる。 通生行台・元子礼を破り、大将・薛儁、張菩薩を捕らえ、梁州刺史・元羅を投降させて 梁、漢中を平定した。昇進して智武将軍とされた。 まもなく改めて持節を授かり、都督衡・桂二州諸軍事、衡州刺史に任命される。 直後、魏が都督の董紹、張献を遣わして南鄭を囲むと、梁州刺史・杜懐瑶の救援要請により駆けつけ、 高橋城の戦いで魏の二将を大破、斬首3000を数える。追撃に移り斜谷に入って董紹らを追い立てるも、 西魏の相・宇文黒泰より軍馬2000を送られて追撃を中止、互いに友好を結ぶ。 帰国した蘭欽は詔により散騎常侍を加増され、仁威将軍に昇進した。 広州を治めていたとき俚の陳文達兄弟が叛いたので、これを攻めて二人をともにとらえた。 功績により平南将軍とされ、改めて曲江県公に封ぜられた。為政者としても有能で仁政を敷き、 民衆は石碑を建てて彼の功徳を称えた。散騎常侍、左衛将軍から改めて散騎常侍、平南将軍、 広州刺史とされるも、前任刺史の南安候に妬まれて毒殺される。 陳慶之とともに廉頗、李牧、衛青、霍去病らに匹敵する名将と称えられるが、 併伝の陳にインパクトがありすぎるため漢中取りの大功を立てているにもかかわらず影が薄い。 ・・・先日バカは黙れと言われて以来ROMっとった者ですが、これを手土産ってことで 戻ってきちゃいかんでしょうか。 201 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 05 06 02 ID d/gc4DIi0 200 >・・・先日バカは黙れ >これを手土産ってことで戻ってきちゃいかんでしょうか。 だからそんな事は気にするな、2ちゃんなら日常茶飯事だw 出来れば功績をもう少し簡潔に纏めてもらえるといいのだが・・・ 202 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 11 09 39 ID kkS6C0xQ0 何か最近過疎ってるよな。 他のスレなら過疎っても別に問題ないんだけど、 このスレの場合は後がつかえているんだから、 出きるだけ盛況に話し合って、 出きるだけ速く結果を出してもらいたい。 とにかく頑張ってくれ!南北朝時代に詳しい住人の方々!! 203 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/21(水) 13 37 31 ID uVbiGNaW0 やったら復帰した俺がリストに挙げ忘れた北周の于謹を。 俺の紹介文は正史からの直訳をまんま載せて 毎度やたらと長くなる癖があるけんが、今回はアジ歴から抜粋。 【名前】于謹 【時代】西魏~北周 【功績というか紹介文】 493-568。字は思敬。鮮卑系貴族の名門の出。六鎮の乱のとき大行台・ 元纂の鎧曹参軍に召され、爾朱天光が高歓に破られると宇文泰の麾下に 投じた。沙苑・河橋・邙山の戦いに高歓の大軍を防いで功があり、尚書 左僕射から司空となった。梁の岳陽王・蕭詧を補佐して江陵の元帝を滅 ぼし、西魏の官制改革(この改革制度は隋から唐まで受け継がれた)で 大司寇となり、丞相・宇文泰が死ぬと宇文護とともに宇文氏政権を守り、 西魏から宇文覚への禅譲を実現させた。功績により燕国公、太傳、大宗 伯にのぼり、三老の礼を受けた。 孫子の兵法に通じ将軍として正攻法・奇策ともに優れ、政治家として も国家の官制制度を一新させるほどの才覚を見せるオールラウンダー。 梁を滅ぼしたときも民に危害を加えることなく、劉宋以来の珍宝を私せ ずすべて宇文泰に献上した清廉の人。梁討滅から凱旋した彼の家に宇文 泰が家までおしかけ、宴を開いて談笑したという君主と臣下を越えた間 柄。軍事に戦略の韋叔裕に対して軍事に政略の于謹。双璧、ということで一票。 204 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/21(水) 14 26 00 ID uVbiGNaW0 200から余分な要素を削ってみました。 【名前】蘭欽(梁書33巻陳慶之蘭欽伝) 【時代】?~候景の乱以前 【紹介文】 字は休明。剛毅果断にして敏捷。 大通元年(527)、北伐して擬山城 まで進行、大都督・劉属率いる20万の兵を潰滅させた。同年、魏の太 守・ 柴集らの連合軍を破る。彭城城主・楊目がその子楊孝邕を派遣、 蘭欽を攻めると逆撃してこれを破った。ついでに譙州刺史・劉海游を破 り、その帰途で厥固城を抜いた。楊目が派遣した数万の援軍も蘭欽はた やすく破り、別将・曹龍牙を斬って京師に凱旋した。桂陽、陽山、始興 の異民族叛乱もたちまち平定、天漆に盤踞する蛮族の首領・晩時得を攻 め破り、衡州刺史・元慶和が叛将厳容に包囲されるとこれの救援に向か い、羅渓で厳容を打ち破った。ついで密勅により襄陽に急行、北魏の正 将・托跋勝の侵攻を撃退する。假節を授かり光烈将軍を拝し、通生行台・ 元子礼を破る。魏の大将・薛儁らと交戦、勝利して彼らを擒らえ、梁、 漢中を平定。智武将軍とされた。改めて持節を授かる。魏の都督・董紹、 張献が南鄭を囲むと梁州刺史・杜懐瑶の救援要請に応じ、高橋城の戦い で魏の二将を大破、斬首3000を数える。追撃に移り斜谷に入って董 紹らを追い立てるも、西魏の相、 宇文黒泰より軍馬2000を送られ て追撃を中止、互いに友好を結ぶ。凱旋して仁威将軍に昇進した。広州・ 俚の陳文達兄弟が叛いたので、これを攻めて二人を共に擒らえた。功績 により平南将軍、曲江県公。為政者としても有能で仁政を敷き、民衆は 石碑を建てて彼の功徳を称えた。散騎常侍、平南将軍、広州刺史とされ るも、前任刺史の南安候に妬まれて毒殺された。 陳慶之とともに廉頗、李牧、衛青、霍去病らに匹敵する名将と称えら れるが、併伝の陳にインパクトがありすぎるため漢中取りの大功を立て ているにもかかわらず影が薄い。とりあえず梁には韋叡と陳慶之の他に もこんな人もおるよ、ということで一票。 ・・・これでちっとは読みやすくなったかいな? 205 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 15 50 11 ID cxroJRbA0 ぱっぱと100人決めちゃって 後から入れ替え議論したほうがいいと思うんだけど 206 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/21(水) 16 52 09 ID F0BoUhF+0 その百人がな… 特定の時代に詳しい人とそうでない人の、人口比率が違いすぎる。 今の過疎っぷりは、そういうことだろうと予想するのだが… 自分は南北朝はわからないので、候補決定にまで参与できない。 すると、候補説明のところにツッコミいれるくらいしか策がないなw 204 于謹というのは征梁戦のときの総大将? このスレ的には(今までの流れから)、より戦功が顕著な蘭欽のほうがランクインしそうだ。 重鎮とか戦略家とかいうのは、歓迎されていないように思う、残念ながら。 207 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 17 24 45 ID 4pXxYmxa0 何せ南北朝(特に北朝)は日本語で手軽に読める史料が皆無な上に メジャーな人物も少ない(と言うか皆無に近い)からな。 原語の正史でも読めないと人名が出て来ない。 208 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 17 26 21 ID d/gc4DIi0 では少しでも過疎化打破する為に投下。 ◆RQdk7scN8sさんお手柔らかに頼みますよw 【名前】拓跋トオ (太武帝) 【時代】南北朝(北魏) 【推薦理由】明元帝(拓跋嗣)の長男。十六歳のとき、父が崩じて即位。 はじめは宋と修交し、華北の統一に意を注いだ。 北方の柔然がしばしば侵犯したので迎撃してこれを破る。 また親征して高車族三十余万を帰服させた。夏・北燕・北涼を滅ぼして華北を統一した。 劉宋を討つために百万と称した大軍を率いて親征、劉宋を散々に打ち破った。 戦死者は万単位に上ったと伝えられる。 なおこの南征のときに行われた殺戮はすさまじく、北魏軍の通過した郡県は荒涼を極めた。 北魏軍は瓜歩まで進軍したが、結局、長江を渡ることはなく都の平城に凱旋し、 捕虜となった宋民5万余戸は、畿内に分配した。 東西両方面への八面六臂の活躍により、華北の統一に成功し、 五胡十六国時代の終焉させた拓跋トオを強く推したい。 209 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 17 27 28 ID d/gc4DIi0 ◆oOLAqFKRBさん別にダメ出ししたわけではないんだよ・・・ 余計なお世話かも知れんが字とか為政者としてとか、尚書、左僕射から司空となったとか 生い立ちや戦績以外の武将として余り関係ないような部分を省くのがよかでなかとですか。 210 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 19 04 56 ID EBujPzTb0 自分も拓跋燾を推すよ 小競り合いレベルの戦は省略して戦歴を書き出すと 423年 帝位に即位 424年秋 雲中に侵入した柔然を討つ (資治通鑑では拓跋燾が自ら率いて討ったと書かれているが 魏書では配下の手柄 いずれにしても親征) 424年冬 柔然戦(柔然北遁 諸軍追之 大獲而還) 425年冬 柔然戦(柔然北走) 426年冬 夏戦(夏主出戦而敗 退走入城) 長安占拠(赫連乙升棄城西走) 427年夏 夏戦 赫連昌に逃げられるが統万城占拠 430年冬 夏戦 平涼陥落 439年秋 北涼戦、北涼降伏 446年春 蓋呉の乱、平定 449年春 柔然戦、大勝 (蠕蠕渠帥綿他拔等率其部落千餘家來降 蠕蠕吐賀真恐懼遠遁) 450年春 北伐 450年冬~451年春 南征 452年3月 逝去 上記の戦は全部親征(主語が魏書では「車駕」資治通鑑では「魏主」) 426年夏戦、439年北涼戦では少数意見を選び勝利している 親征ではない戦に 428年春 夏戦 奚斤の指揮下にある丘堆が敗戦 監軍侍御史の安頡が夏主・赫連昌を捕らえた (拓跋燾は平城に帰還していた、敗戦を聞いて激怒) 448年 亀茲戦、亀茲撃破 損害が大きくなりそうだと思えばあっさり引き返す 叩くべき時には諸将の反対を押し切っても叩く(結果的に正しい) 効率が良く判断ミスがないのが売り 211 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/21(水) 19 28 21 ID F0BoUhF+0 208 いや、前言撤回w。 知らない時代なんで、ツッコミも無理です。。 拓跋燾といえば、テュルク語でいうところの「狼」を意味した名前の人ですね。 ちょうど崔浩の補佐を得て、勇躍した時代でしたっけね。 しかも、柴栄を含む「三武一宗の法難」の先駆け。名将ということ以上に興味ある人物です。 以上、チラ裏。 212 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 21 36 04 ID ukcPhd3tO 207 >メジャーな人物も少ない(と言うか皆無に近い)からな。 宇宙大将軍こと侯景は別として、 南朝には劉裕、蕭道成(この人は君主としての方が有名だな) 檀道済、韋叡、楊大眼、陳慶之、陳覇先が 北朝なら高長恭、斛律光、、慕容紹宗、爾朱栄、尉遅迥や 高歓、高洋、宇文泰、宇文護(この四人も君主としての方が有名だな) とかはメジャーじゃないの? それとも上記の人物以外の話してるのか? 213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 21 46 13 ID RLcmIEVH0 宇文ユウも君主として有名だと思う ただ、部下の功績か皇帝の功績かの線引きの関係で残れないケド 214 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/21(水) 22 14 52 ID PPUrb9Aa0 【名前】韋孝寛 【時代】北周 【推薦理由】高歓に包囲されたが、五十日の篭城戦の末にこれを撃退。 淮南を経略。尉遅迴の反乱を鎮圧。 そのほかの軍功は数え切れず。 斛律光に敗れているが、その武勲が損なわれることはないだろう。 215 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 22 15 56 ID CkUyX/4Z0 楊大眼が南朝に間違えられてしまうほどだからやっぱりメジャーじゃないんだろう 216 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 22 29 05 ID ukcPhd3tO スマン 楊大眼は北朝だったな 217 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 22 42 01 ID PPUrb9Aa0 189 決して名将とは言えない陳顕達に敗れているのが痛いな。 鐘離でも敗れているし、時代を代表する名将というには足りないかも。 218 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 23 12 57 ID RLcmIEVH0 良く北斉の将軍として 斛律光と蘭陵王は並び称されるが 王猛と張賓ぐらい差があるというのが実態 219 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/21(水) 23 16 13 ID 4u8xHEFA0 推薦で分けてみましたよ 宇宙大将軍はネタなんでしょ? 【候補1】 蘭欽、斛律光、慕容紹宗、高長恭、爾朱栄、拓跋燾、段韶、于謹 【候補2】 柳元景、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、韋孝寛、宇文護、韋叔裕、李弼、 王勇、沈慶之、陳顕達、赫連勃勃、蕭道成、陳覇先 220 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 00 21 30 ID dV2RuS5z0 いや、宇宙大将軍だってそれなりに優秀なんだが 221 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 01 10 05 ID 1FYEvWnU0 高長恭は 218のいうとおり。候補にあがるほどの戦功もない 219 韋孝寛と韋叔裕は同一人物。前者のほうが通称なので、前者を残しておけばいいと思う 韋孝寛は 214に追加して、噂を流布させて斛律光を死に至らしめたこと、 北斉の平定の際に武帝に建策したことも挙げられる 尉遅迴の反乱の鎮圧は楊堅が隋を立てる障害を取り除いた点でも大きい 222 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 01 26 50 ID 4aTkK6Dm0 220 優秀だが名将と呼ぶにはネタ臭が強すぎると思うのですよ。 223 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 01 50 23 ID dV2RuS5z0 梁に降った後が奮わないんだけど 梁は相当弱兵だったからなぁ・・・ 224 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 02 40 20 ID 56tfdA8U0 叔裕が名で孝寛が字だよな確か 見た限りでは逆な感じがするけど 225 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 02 49 35 ID UKmb0iwJ0 それではこれで 【候補1】 蘭欽、斛律光、慕容紹宗、爾朱栄、拓跋燾、段韶、于謹 【候補2】 柳元景、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、宇文護、韋叔裕、李弼、 王勇、沈慶之、陳顕達、赫連勃勃、蕭道成、陳覇先、高長恭、 宇宙大将軍(侯景) 226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 05 04 18 ID dV2RuS5z0 本名の方が括弧かよw 227 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 07 44 57 ID lL5Covtv0 211 ID変わってるだろうけど210です そうです。崔浩の補佐が大きいです。 ただ、崔浩が献策する策はほとんど崔浩一人説で 他のめぼしい将(長孫嵩、長孫翰、奚斤ら)は皆反対 読んでいて「またか」と 拓跋燾の字「佛釐」がテュルク語の「狼」だったはず 228 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 12 50 50 ID VwslXJjYO 拓跋 と蘭欽、韋叔裕は確定でいいんじゃないかな あと斛律光か段韶のどちらかを確定にしてもいいと思けど。 斛律光は敵の策略で死を賜った悲運の名将。 段韶の場合は病死だしこの人も悲運の名将と思う。 229 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/22(木) 17 34 23 ID oPmrojV20 228 >斛律光は敵の策略で死を賜った悲運の名将。 違うぞ斛律光は後主に粛正されたんだぞ 230 国 sage 2007/02/22(木) 19 34 03 ID 4ql0L8Sq0 【名前】昭奚恤 【時代】戦国 【推薦理由】楚の宣王の下で大軍を率い、 北方諸国ににらみを利かせた。 「虎の威を借る狐」の元祖。 231 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/23(金) 16 16 22 ID Xt8IyYYe0 アジ歴からの引用だけやと落とされそうやし、 えらい過疎状態で書き込んでも邪魔やなかろうし。やっぱ正史からも。 【名前】于謹 【時代】北魏末・西魏~北周初期 【推薦というか紹介文】 ものしずかで冷静、見識・度量があり、読書を好み孫子の兵法に通じた。六鎮の乱を避けて隠棲していたが 太宰の元穆から「彼こそ王佐の才である」と見込まれて仕官する。 辺塞で破六汗抜陵が造反し柔然と手を組むとわずか2000人で鎮圧にあたり、寡兵と侮った柔然と郁対原で17戦、 ことごとく勝利を得た。正光4年、破六汗抜陵との対陣においても敵の動きを読み、伏兵をもって大勝、その才を帝に嘉された。 魏の孝昌2年、梁の曹義宗が国境を侵すと行台尚書・辛纂とともに出陣、数十戦を経るも決着はつかずに終わる。孝荘帝が 即位すると鎮遠将軍とされた。太宰・元天穆に従って葛榮を討ち、刑杲を平定。征虜将軍を拝し爾朱天光について万俟丑奴を 打ち敗った。普泰元年、征北大将軍を拝す。再び爾朱天光に従って勤明達を平定し、夏州の賊・賀遂有伐らを討つも、韓陵山 の戦いで爾朱天光が敗死すると宇文泰に投じた。 宇文泰に帝位につけと勧めるもこれは実現せず、ただし大統元年に于謹が驃騎大将軍、開府儀同三司に任命されたのは宇文泰 の野心の表れとも見える。同年、東魏に出征、先鋒を務めて盤豆で東魏の将軍・高叔礼を破り、俘虜一千を獲る。さらに弘農に 攻め入って陝州刺史・李徽伯を捕らえた。沙苑で高歓の本軍と戦い、諸将らとともに奮戦してこれを破る。 また河橋の戦いでは丞相府長史兼大行台尚書として作戦に参与、自らは出陣せず後方を固める。夏州刺史劉平が叛くとこれを 平定した。大統9年、再び宇文泰の東征に従軍、邙山の戦いで西魏軍は大敗を喫すも、部下に偽装投降させてその隙に背後から 攻撃を仕掛けるという于禁の策により東魏軍を混乱に陥とし、結果敗戦ながら大軍を失うことを免れた。 候景が西魏に従属を求めるとこれを受け入れようとする宇文泰を諌め、候景はともに大事をなす相手ではないと説いたが、宇 文泰は聞き入れず、李弼に兵を与えて候景につけた。まもなく兵を率いて潼関に鎮守した。この年三回昇進して司空となる。 大統15年には柱国大将軍を拝した。 梁の元帝が候景を倒して即位すると秘密裏に岳陽王・蕭詧を支援、元帝が蕭詧の兄を殺すよう仕向け、蕭詧が西魏に援軍を求め ると中山公・宇文護、大将軍・楊忠らとともに出撃、長江を渡り、16日の篭城戦を経て京師を陥落させた。梁の皇族は悉く殺した ものの民衆を害することなく、10余万の俘虜と劉宋以来の珍宝を得て、蕭詧を仮の梁主につけた上で部隊を整頓、凱旋した。珍宝 は私せずすべて宇文泰に献上した。宇文泰は自ら親しく于謹の家まで出迎え、ともに盃を交わし談笑した。 六官制度を制定、大司徒となる。 世を去るに当たって世子の幼いことを心配した宇文泰から、宇文護とともに後事を托された。宇文泰死後宇文護とともに野心的な 王侯・大臣らを抑え、宇文氏の政権を揺るがせにしなかった。禅譲により孝閔帝が即位すると燕国公とされ、食邑10000戸を下 賜された。李弼、侯漠陳崇らとともに朝政に参与、賀蘭祥が吐谷渾討伐にてこずると自ら兵を率いて出陣、策略を授けて勝利に導いた。 周の保定2年、于謹は老齢を理由に致仕を願い出たが、晋国公宇文護、楚国公豆廬寧も現役で国に尽くしているのに于謹だけを引退 させることは出来ない、という理由で却下された。晋国公宇文護の東伐にあたって、病床の于謹は若輩の士卒たちに兵略を教示し、そ のおかげで周軍は勝利を得た。天和3年没。享年76歳。 ・・・かなり削ったんやけど、それでも長い。推薦理由は 203の下半分。 そーいえば豆廬寧とかもおったね。宇文護とあわせて“三老”といわれたの美形のお人。この人も名将やし、訳そうかいな。 232 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/23(金) 16 25 36 ID aI1KYwKR0 女はバカって決め付ける男って最低だと思う。 女だって読書するし、知性と感性は男とは比べ物にならないぐらい輝いてる。 今の愛読書は吉川英治の三国志、あと月刊同心クオリティ。 三国志は関羽が麦城で籠城して最後死んじゃう所が切なくて泣けちゃう。 つい三国時代の英雄と自分の心情とを重ねちゃうんだよね。 こうして様々な英雄が散っていったと思うとすごく悲しくなる。 やっぱりEIJIは天才だよね。 233 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/23(金) 17 00 08 ID DPdQ5A5i0 231 もう、ほんっっっと、しょうもない指摘で悪いですが 「豆廬寧」の廬は「盧」だと思います! 淮南廬州の廬と、見た目ほとんど一緒なんで間違いやすいですが… 苻堅の苻もよく、符に間違えられるし、暗黙の了解でなんとでもなるけどね。 (…少し前まで自分が廬と盧を間違えていて、最近気がついたからだと言うのは内緒にしておこう) 234 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/23(金) 18 14 22 ID tS6v123eO 231 于謹は戦上手けど、どちらか言えば策士、政治家としての色合いが濃くないですかね? それに韋叔裕はともかく段韶、斛律光の戦績の方が上だと思う。 235 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/23(金) 20 15 24 ID i2hUONey0 【名前】豆盧寧(233氏ありがとう。10年来ずっと間違えとったよ) 【時代】北魏末~西魏・周 【功績と推薦理由】 字は永安。本姓は慕容氏。前燕の傍流の末裔。若くして勇猛果敢、志と気節があり、身の丈8尺、 容姿は端麗で、騎射をよくした。永安年間、爾朱天光とともに入関し、万俟丑奴を討つのに功績が あった。弓技に長け、100歩離れた所で落ちる木の葉に向けて一瞬で7本の矢を射掛け、5本を 命中させるという神業をこなす。爾朱天光敗死後は李弼らとともに宇文泰についた。 北魏の孝武帝が西遷するとこれをむかえて功があり、伯爵に。大統元年、宇文泰の下で竇泰を捕 らえ、弘農を回復し、沙苑で東魏軍を大破して車騎大将軍とされた。七年には于謹に従い稽胡の総 帥・劉平伏を上郡で打ち破る。友人の梁仚定が叛くと平定を命じられ、内心はともあれ非情に徹し て友を撃つ。大統九年、邙山の戦いに参加、西魏大敗の中ひとり気を吐き、局地的ながら勝利を得 て、戦後左衛将軍、范陽郡公に昇進する。十六年、大将軍となり、羌族の主帥・傍乞鉄忽と鄭五醜 らの叛乱を平定。恭帝の二年、梁の王琳が候方児、潘純陁らを派遣して江陵を侵すと蔡祐、鄭永ら を率いてこれを撃破。三年、武興・固道の氐族らが叛乱を起こすと征討、平定する。孝閔帝が即位 すると柱国大将軍を拝し、武成元年、同州の稽胡、郝阿保、劉桑徳らの反乱を伐ってこれを平定す る。凱旋すると楚国公に封ぜられ、食邑10000戸を下賜される。保定四年、宇文護らの東伐に 病を押して従軍するも、行軍中に没した。 推薦理由は・・・とりあえず顔、やろーか(笑)。同じ美男将軍でも高長恭よりこっちのほうが 長生きしたぶん武勲多そうやし。宇文護、于謹とあわせて“三老”と呼ばれるからには《周書》に 記載されとー以上の功績がありそうやが、そのへんの記述はないけんよーわからん。 236 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/23(金) 20 37 44 ID i2hUONey0 于謹の武功の半分くらいは豆盧寧の手柄かもしれん。 参加した戦争がやたら被るし于謹に従っての戦いが多いし。 とすると于謹は帷幕の謀臣・作戦立案者で、 現場で実戦を経験するのは豆盧寧やったりするんやろーか。 となるとこのスレ的には豆盧寧の株が上がって、于謹の株がダウン? 237 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/23(金) 23 06 25 ID B/R6vXIV0 236 江陵攻略の総督していた時、長孫倹も于謹に策略を尋ねたてたりするし、 宇文護と楊忠へ精騎を与えて江津を占領させて、 東からの援軍を遮断させたたりしているし、 推測だけど例えたら、于謹は孫呉の周瑜みたいな立場じゃないのかな。 238 237 sage 2007/02/24(土) 22 18 39 ID gRAaQU8u0 豆盧寧の功績は宇文泰や于謹の指揮下での戦績や反乱を鎮圧したのが多いよね、 于謹と同様に各地を展戦し功績を挙げている李弼が 有力候補にすら入ってないのを見ると、于謹、豆盧寧の十傑入りは厳しいんじゃないかな。 206が言うように重鎮とか戦略家、あと〇〇の指揮下や反乱鎮圧で功績を挙げた武将も このスレでは歓迎されていないように思う。 于謹、豆盧寧より数人が名前を挙げてる高洋の方が良いような気がするけど如何ですかね。 よかったら高洋の推薦文書こうか?(これ以上北朝の武将を増やすのは躊躇いがあるが) 今日も進展ないんだろうな・・・ 239 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/24(土) 22 39 53 ID lZI7/8Cw0 とりあえず 【確定組】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、 高歓、宇文泰 【候補】 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達 赫連勃勃、拓跋燾、侯景(宇宙代将軍) 蕭道成、斛律光、陳覇先 ・・・というのが現状。暫定の高歓を高洋に代えて、 同じく暫定の宇文泰を拓跋燾に代えてみてはどーやろ。 あと斛律光、韋叔裕、蘭欽(←個人的嗜好が多分に混ざってます)を推す。 豆盧寧は顔と“三老”の一人って肩書きに惹かれてとりあえず訳しただけやから無視してOK。 于謹はどーやろ? まぁ意地でも執着するってつもりもないし候補落ちでも問題ないです。 ・・・本当に、なんでこう過疎なんやろね。 240 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/24(土) 22 40 30 ID L9vFa+ZB0 お願いします。 私はこの時代は手を出せないので、詳しい人頼みですよ。 無知な私を啓蒙するようなマンセーをお願いしますよ。 241 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/24(土) 22 56 51 ID Q2fDkW120 239 ほんと、ゴメン。 唐、五代過ぎたらまた黙りますけどw 242 237 sage 2007/02/24(土) 23 19 51 ID gRAaQU8u0 239 于謹は先程意見を述べさせて貰ったのが漏れの見解です。 韋叔裕、蘭欽、拓跋 の三名は確定入りでいいと思いますし、 残り枠は斛律光、段韶、高洋から選べばいいかなと思っています。 高歓と宇文泰も無理に外さなくてもいいと思いますよ。 高歓と宇文泰は因縁のライバルだし功績は高洋に決して負けて無いと思いますけど。 (宇文泰は高洋に打ち負かされているけどね) 如何ですかね? ここ数日の間、殆ど◆oOLAqFKRBさんと◆RQdk7scN8sさんと漏れだけで語り合ってるような希ガス(ry 過疎化なのはやっぱ南北朝がマイナーな時代だからなのかな・・・ 243 237 sage 2007/02/24(土) 23 28 06 ID gRAaQU8u0 追伸 ◆RQdk7scN8sさんの客観的な意見またはツッコミをぜひお願いしますよ。 つーか大歓迎しますよw 244 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/24(土) 23 53 56 ID D6caCvtpO 242 おいおい俺も結構話に参加してるんだけど…( `Д´) 245 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 00 09 20 ID sMWZRMju0 自分もーときどきね 拓跋燾が入ってればいいよ と言うか宇文泰が確定で拓跋燾が確定じゃなかったんだ どうしてなのか…理解できない 246 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/25(日) 00 29 56 ID oP5k2IGQ0 245 叩きの時点で「あ、この人功績凄いけど宦官に殺されとるんやが。除外」 って意識が働いたもんで外したんです。すんません。 そのくせ部下に殺された拓跋珪は入れたという・・・我ながら変な選考基準やね。 247 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 02 44 14 ID KdE3R6CP0 北朝でまだ推したい人がいるんだが、偏ってしまうので書きにくい 誰か南朝プリーズ 248 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 03 50 51 ID VB/ku5FD0 李靖 戰神、昆沙門天の下世 249 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 07 54 52 ID YcJrJNnrO 曾国藩は如何です?元は文官だけど。 250 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 08 30 12 ID VB/ku5FD0 曾国藩 李秀成 251 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 10 22 22 ID uTBiPFEPO 247 南朝は厳しいっしょ!? 陳覇先は王僧弁の遺臣に悩まされてるから候補どまりだと思う。 王琳は時代や王朝が違えば変わると思うが、やはり厳しいし、 その王琳を破った呉明徹も候補に入れるのは躊躇する。 陳朝の章昭達は、こうやって名前が出るだけで充分だし。 簫摩か(漢字が出ない)にしても名将かと言われれば否だし。 252 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 10 49 24 ID m7lRrmYZO 247 南朝プリーズって言われても推薦したいのいないんだよなぁ~ 取り敢えず挙げるなら曹景宗、王茂、呉明徹ら辺りだな。 でも 251の言う通り呉明徹は推薦するほどではないし、曹景宗、王茂も俺は推薦しない。 それと北朝に偏るから俺は高洋を推薦するのに躊躇があるな。 これ以上候補者を増やすのはどうなんだろうね。 つーか一応名前挙げてみなよ。 253 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 13 27 32 ID EPr/dfx90 陳覇先は敵だった人物をどんどん配下に入れていく度量は好きなんだけど この時代十選に入る名将かと言われると微妙なところだ 蕭摩訶は隋の誰かが言ったように「一夫の用のみ」だしな しかし南朝の人物は確定に四人もいるから別に無理して搾り出さなくてもいいんじゃないか 254 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 14 25 23 ID v6A3yq7p0 251 呉明徹 秦郡・寿春を陥落させ、王琳を滅ぼし、淮南を獲得。 北周に攻め入るも王軌の計略に填まり大敗。 捕われて長安に連行され、そこで病死。 蕭摩訶 呉明徹の下で北伐に従い、その後も呉明徹の下で転戦し、 明毅将軍、武毅将軍・右衛将軍へ累進しているが 呉明徹の死後たびたび北伐を起すも功績を挙げてないし、 隋の南下に抵抗するも隋の賀若弼に捕われている。 晩年は楊諒の謀反に従い処刑されている。 章昭達 陳の文帝から四帝に仕えた。侍中、車騎大将軍となり、さらには司空までなった。 義勇兵を募って建康にはいり、侯景軍を相手に奮戦。 王僧弁の残党、杜龕との呉興を巡る戦いでは第一等の武功を上げ、 陳のみならず陳覇先の信任も得る。 陳の即位後は、皇帝の股肱として重用され、これに応えるように次々に武功を上げてゆく。 王琳を北斉に駆逐した柵口の戦いでは、蕪湖での水戦で王琳軍を大破、勲第一とされた。 周迪の反乱では呉明徹に代わり討伐軍を指揮。 陳宝応が周迪を保護し一挙に叛乱すると、討伐軍の司令官として周迪、陳宝応を相次いで撃破。 ビン中を平定して陳宝応、留異を捕らえる。 これらの武功をもって鎮前将軍、開府儀同三司に任じられている。 しかし安蜀城を攻めた際、李遷哲と陸騰に撃退されてる。 江陵を水攻めにしようとするも、陸騰が出てきて戦うが章昭達は分が悪くなり、退却している。 王琳 湘東王に属して侯景討伐に功を挙げるなど軍功によって累進。 滅梁の後は湖南に大勢力をなし、斉と結んで陳と対立し、文帝のとき滅ぼされた。 以上いろんな所から抜粋。 253の意見に漏れも同意。 まあどっちみち候補入りは厳しいだろう・・・ 255 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 16 36 27 ID sMWZRMju0 246 謝られるとかえって恐縮です うるさいこと言って本当にごめん(北魏好きなので) 拓跋珪を殺したのは拓跋紹(拓跋珪の次子、当時16歳) 札付き少年で、怒った拓跋珪が井戸に逆さ吊りにしたこともある 彼が拓跋珪を殺したのは、拓跋珪に殺されそうになった生母(賀夫人)を助ける為 247 書かないことには始まらないよ 256 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 17 45 29 ID uTBiPFEPO 253 おそらく、南朝の劉宋、梁と出てるから、 陳からも候補を出したかったんじゃないのかな? 陳覇先、呉明徹、簫摩訶、章昭達に絞られると思うんだけど、 仮に北朝側に使えても高名を得られるのは、陳覇先のみかな? もはや名前を出す段階じゃなくて、あとは決めるだけでしょ。 257 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 18 32 16 ID v6A3yq7p0 265 いや多分、北朝に偏り過ぎるのを考慮して南朝側からも 候補者を挙げて欲しかったんだろうな。きっと。 漏れもバランスを取る為に南朝側から誰か推薦しようかと思ったが諦めたぐらいだし。 まあ 247が推したい武将がいるみたいだし、挙げてもらうぐらいはいいんじゃない。 258 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 18 36 09 ID v6A3yq7p0 256とアンカー打ち間違えた。スマン 259 247 sage 2007/02/25(日) 19 46 20 ID KdE3R6CP0 257の言うとおり、北朝、それも後期に偏るので南朝に詳しい人にもっと出して欲しかった もう決める段階ということなので、名前だけ投下して消える 宇文憲(斉王憲)、王琳、賀抜勝、高敖曹 260 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/25(日) 21 27 43 ID pqSt5D8y0 【劉宋】 臧貭、魯宗之、沈攸之、柳元景、薛安都(?)、沈慶之、劉誕、劉秀之、 宗越、譚金、呉喜、王宜興、殷孝祖、沈文秀、杜彗度、陳憲。 【南斉】 柳世隆、垣崇祖、張敬児、陳顕達、王玄載、呂安国、周山図、周盤龍、 王広之、載僧静、焦度、曹虎、蕭景先、王融、張沖、裴叔業、王洪範。 ・・・南朝初期の名将・・・というには不足かもしれんがまぁそんな感じの 人たち。梁、陳はあらかた既出なので調べません。つーか余力ないです。まぁ どいつもこいつも10選に入る器とは違うやろーけど、一応名前だけ紹介。 261 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 22 36 00 ID v6A3yq7p0 260 そうなんだよね。 漏れが南朝側から誰か推薦しようかと思ったが諦めた理由は 既に候補に挙がっている人物以外は名将と呼べる程の人物がいないからなんだよな。 それよりもう確定の残り枠を決めていこうか。 262 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/25(日) 23 00 38 ID v6A3yq7p0 【名前】高洋 【時代】南北朝 【推薦理由】侯景の乱に乗じて梁に出兵し、淮南を奪い、郢州で勝利した。 また西魏と争って江陵を奪った。北伐して、契丹・突厥・柔然など諸民族を破り、宇文泰を撃退してるし、その宇文泰に戦闘の才を褒めそやされた位の人物 また楊[小音]ら学者を任用するなど内外に対して国制を整えた。 酒を好んで奇行が多く淫虐を好み、 非常に才能のある人で、戦闘に強く、落ち着き払って大度ある君主で 『資治通鑑』には、高洋のころ周人つねに斉兵の西出を恐れて冬に河を守って氷を砕いたが、 高湛のとき却って斉人氷を砕いて周兵に備うる」と記される。 高洋の推薦文を挙げてなかったので念のため挙げておくよ。 263 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/26(月) 18 53 15 ID PsqbDDaI0 蘭欽、拓跋 、韋叔裕は確定でいいんじゃないかな 俺は高洋と段ショウに一票 264 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/26(月) 23 29 15 ID ABU0aJ6b0 259 宇文憲(斉王憲) 564年北周の尉遅迥と共に洛陽に迫ったが、斛律光に打ち破られている。 570年宇文憲の軍は斛律光に潰滅させられている。 賀抜勝 懐朔鎮を守り、葛栄討伐や北海王元 の平定に従い、 また都督三荊二郢南襄南雍七州諸軍事として梁軍を破っているが 高歓が爾朱氏討伐した時に爾朱仲遠に従って参戦するも高歓に敗れているし 北魏の孝武帝が関中に逃れた際、高歓に対抗しようとして侯景に敗れているし、 後に北還の兵を挙げるも侯景に迎撃され敗退している。 高敖曹 高歓に帰順して爾朱兆を滅ぼした時と 侯景と共に荊州を攻撃、独弧信を敗走させた以外戦績がイマイチ 538年に北周の達奚武に討ち取られているし。 王琳を含め十傑入りは厳しいと思う。 265 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/27(火) 22 05 58 ID q1p5m1xyO 263 韋叔裕は斛律光が確定でないなら、候補以下だろ。 266 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/27(火) 23 01 44 ID bMMRctAy0 265 斛律光は確定でいいんじゃないのか? 韋叔裕を破っているし。 267 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/27(火) 23 03 30 ID M+mKbIQiO 劉裕、 檀道済 韋叡 陳慶之 拓跋 高歓 宇文泰 蘭欽 段韶 高洋 個人的にはこんなかんじかな 段韶を斛律光に代えてもいいけど 268 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/27(火) 23 12 43 ID q21jvMQF0 それを言ったら高歓は韋孝寛に勝てていないし 韋孝寛は策謀で斛律光を殺させている 269 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 02 23 59 ID 04g/9RR60 268 >策謀で斛律光を殺させている これは戦績にカウントするの? 270 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 02 25 09 ID fKtxzfX60 普通はされない 斛律光が外れる要因もさっぱり判らない 彼こそ南北朝時代の代表的名将なのに 271 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 02 56 06 ID 04g/9RR60 策謀により殺されたのがノーカウントなら 斛律光の確定入りには問題無く決定ということで まあ 270の指摘どうり外される要因も見当たらない訳だし 劉裕 檀道済 韋叡 陳慶之 拓跋 高歓 宇文泰 蘭欽 斛律光 高洋 確定は以上の十人でいいかな? 272 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 15 01 21 ID +3uepBVG0 271 高歓の代わりに韋孝寛を入れたらどうか。 高歓、結構負け多いし。 韋孝寛にも負けてる。 273 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/28(水) 20 26 30 ID 3fcOmC6GO 俺も高歓は外したいと思う。 ただ、この時代を象徴する――ということを考えたら入るのかな?とは思った。 274 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 21 13 12 ID 01zQ5ORz0 象徴するというのは、その意味によっては宇宙大償軍が欠かせなくなるので、 深く気にしない方がよいのではないでしょうか。 275 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 22 25 01 ID KzlNdH0r0 これは冗談で言うのだが、いっそ選外というか番外で宇宙大将軍枠というのを作って そこに侯景を入れてしまいましょう。 真面目な話しをすると、 271だったら高歓と宇文泰は外しません?この二人、君主と してはともかく将帥としては配下の方が上のヤツらが揃っているでしょう。 推薦は、宇文泰の代わりに韋叔裕、高歓の代わりに慕容紹宗か段韶で。 ところで、拓跋って拓跋燾のことでいいのよね? 276 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 22 40 27 ID xbugPRMBO 275 じゃあ高歓と宇文泰を外し空いた枠は韋叔裕と段韶がいいと思う 慕容紹宗は韋叔裕、段韶より戦績が劣ると思うし あと俺の場合拓跋 のトウの漢字が変換できないんだ 277 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 23 43 32 ID 04g/9RR60 275 では宇文泰の代わりに韋叔裕、高歓の代わりに段韶で 漏れも慕容紹宗より段韶の方がいいかと思いますし >ところで、拓跋って拓跋籌のことでいいのよね? その通りで漏れはさっき調べるまで字が分からなかったのでそのままコピペしましたw その上変換も出来ませんでした だから当て字でご勘弁を・・・ 278 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/28(水) 23 56 43 ID KzlNdH0r0 276 277 えー、別に責めたりしてるわけでなく単に確認のつもりでした。 御気に触ったらすいません。 では現状で 【確定】 劉裕 檀道済 韋叡 陳慶之 拓跋燾 蘭欽 斛律光 高洋 で候補というか確定入りの案として 「高歓・宇文泰」か「韋叔裕・段韶」のどちらか。現在後者が一歩リード ということでよろし? 279 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/01(木) 00 21 52 ID QUoF+NEA0 拓跋燾→燾。 &を半角 にしてコピペ。 280 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/01(木) 00 26 16 ID gn/agLaYO 宇文泰よりか息子の宇文ヨウの方が名将じゃない? 281 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/01(木) 15 26 31 ID dw40jr3C0 太武帝でいいじゃないか 282 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/01(木) 16 52 12 ID pAyLpTYCO 281 そりゃそうなんだけどそんなこと言うんだったら 劉裕、高歓、宇文泰、高洋も帝号で書いてないじゃん 拓跋燾も名前で書いてあげてもいいだろ? まあ別に識別付くならどっちでもいいけど 283 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/01(木) 21 30 14 ID f45QL7ME0 278さん逆に気を使わせて仕舞い恐縮です ◆RQdk7scN8sさん親切にお教えていただきありがとう 280 宇文泰と宇文ヨウの置かれた状況が違うので どちらが将として優っているかは安易に判断出来ないと思う 284 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 22 46 26 ID 6uCi8qQb0 また動きが停まった? だいたい二日たって反論異論がほぼ無いということは、 278で 【確定】 劉裕 檀道済 韋叡 陳慶之 拓跋燾 蘭欽 斛律光 高洋 韋叔裕 段韶 でよろしいということで、次の時代へいってよしということでしょうか? 285 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 08 00 ID 4DSUpOV5O 284 俺は異論ないよ たぶん明日まで待ってても反論異論はないと思うし、次の時代に移ってもいいんと思うよ 286 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/02(金) 23 18 23 ID scz/XHN9O 難民板の百選スレでも結構中国史の人物について語られてるね 287 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 20 20 ID 4PzOFmBl0 284 いいよ 288 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/02(金) 23 20 46 ID burmEGiJ0 とうとう唐ですか。 あ、しょうもないこと言ったw とりあえず今日は寝るです。おやすみ。 289 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 24 37 ID 24u7bz1/0 南北朝は珍しく十人決まったな 隋・唐 【確定組】 楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用 【候補】 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥 李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬 ここは大体決まってて、あと二人 290 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/02(金) 23 27 49 ID Db5pa5BL0 玄奘を推すぞ。 孫悟空等、人外の妖怪どもを見事に束ねる統率力は相当なものw 291 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 34 54 ID wQSlDchu0 李孝恭が二人いる件 292 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 48 04 ID 4DSUpOV5O 唐の時代を二分割にするのはどうだと今更言ったらやっぱ怒られる? 例えば安禄山の乱までを前半、安禄山の乱以後を後半とかこの案ってどうだろ 290とっとと消えな 293 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/02(金) 23 58 08 ID 24u7bz1/0 291 貼ったあとで気づいた 薛仁貴も二人いるな 294 290 sage 2007/03/03(土) 00 02 38 ID Q30jS8ho0 292 290は軽い冗談。 これぐらいのネタが容認できんようじゃ2ch向きじゃないよ。 それと、君の提案は受け入れられないと思うよ。 今更時代区分を話し合おうとか言うのは、荒らし扱いを受けるだけだろうし。 それと、隋唐は318年間と確かに他に比べて期間は長めではあるけど、 これを2分割するとなると、他に比べて極端に短い期間になるし、 その分のツケが他の時代に回ってくるから、今のままが無難だね。 295 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 00 20 07 ID FZddzMuM0 しかしつまらん冗談だ 296 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 00 29 17 ID wXoh3GKrO 294 冗談なら別にいいんだけどw いやー南北朝があまりに過疎ってたから思わずキツイ言い方になっちゃった 気を悪くしたらゴメンね 俺の提案は別に却下されてもいいんだけどね ちょっと聞いてみただけだし 297 nekoman 2007/03/03(土) 00 30 27 ID aXgCKWnA0 裏情報アリ http //www.geocities.jp/ijyuuin3/ 298 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 04 04 13 ID QqeTWAqp0 279 そういう文字をまとめて辞書に入れられるファイルってどこかにありますか? 299 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/03(土) 15 52 07 ID Fcn9qi5g0 あれ? すると李孝恭は確定、候補どっちなんだろう… 彼の軍歴は今更言うまでもないと思うけど、簡略にまとめてみようか。 唐国公李淵が長安で即位してより、第一線を二子李世民に政治中枢である中原(河南~河北)の平定を委ねた。 その一方で、甥である李孝恭を山南道招慰大使として山南道(おおまかに言って蜀の地方)平定に向かわせた。 李孝恭は巴蜀30余州を平定し、次は江陵に拠った南朝梁の末裔を名乗る蕭銑の討伐を上奏し容れられると 趙郡王として水陸12軍を統率してこれを討滅した。 輔公祐の乱が起きると、李靖、李勣らを指揮下に置き討伐に向かった。 後、揚州大都督となり貞観年間に入って礼部尚書、河間王に封じられた。 禁欲的な従兄弟である李世民に比べ、豪奢で派手好み、性格は磊落、女好きで屋敷には100人ほどの歌姫を囲ったとか。 それでいて功績を誇らず、李世民に深く信頼された。 つまり、李世民が北で暴れていた頃、南の経略に走っていたという感じ。 300 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 17 18 57 ID 82O9Tjv20 江南の蕭銑平定は実質李靖がやったようなもんじゃないのかな 李靖のいうこと聞かずに大敗したりしてるし 隋が陳平定したとき楊広が総司令官だったような感じとは違うの?
https://w.atwiki.jp/chinatiku/pages/30.html
751 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 18 14 26 ID uwNwZgHT0 施琅は台湾攻略が評価されてそこにいるの? 752 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 18 22 05 ID Np6lZIxi0 751 過去スレによると、これが理由と思われる。 96 名無しさん@お腹いっぱい。 New! 2007/01/06(土) 21 25 52 ID nClBpJ/Y0 とりあえず清朝の候補として、施琅を挙げとく。 清朝初期の制海権はこの人が一手に引き受けてたようなもんだし。 753 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 19 46 59 ID Tr46Rhjx0 なんで過去スレで既に清が語られてるんだ? 順番じゃないだろう? 754 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 19 49 31 ID DbJF6KTX0 今二順目だよ 755 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 20 53 50 ID vILZhSHj0 749 オナニー全開で笑える もうチラシの裏にでも書いとけよ 756 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 21 08 08 ID Np6lZIxi0 755 笑ってもらってもよいから、せめて誰か推薦するなり駄目なところ指摘するなりしてくれ・・・ 757 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 21 31 56 ID TsChKRkP0 755みたいなのはスルーすればいいじゃん。 他でも同じような輩がたまに湧くけど相手にしないのが一番。 まともな主義、主張なんて持ち合わせてないんだから。 758 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 21 49 39 ID vILZhSHj0 オナニーの主義主張はありませんからw 759 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 23 33 35 ID XFnoHVh20 出版するなどして主義主張を公のルートに乗せなかったら、どんな著作物もオナニーだろ。 自分の考えをシコシコまとめて一人悦にいってるだけって、 公開オナニーしてるヤツよりも余程きめぇつうか暗ぇえええwwww 760 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/17(日) 23 43 09 ID pihe4Syk0 759 それで自分は明るくてキモくないとでも思っているとしたら、とことん目が開いていないな。 自分も同じ穴の狢と自覚して、参加していればいいよ。 反論や否定されたからって、罵倒で返すのはみっともないと思うがなぁ。 761 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 00 22 20 ID gBU9Q/iR0 760 同じ穴の狢と自覚した上で下卑た返しを行ったんだが、ウケなかったなら、退散するよ。 ただ、俺は「自分が該当しない」とは一文字も書いていない。 また、 758が後段落のような人物であるとも書いていない。 オナニーとはどのような物であるかを指摘し、オナニーすらしない事を批判しただけだ。 個人を攻撃するものではないからこそ、アンカーを貼っていない。 君は自分の脳内で作り上げた仮定に対し、自ら返答を述べる形で相手を非難してる訳だ。 その辺りから、 755、 758はオナニーと述べたと思われ、 そこについて俺も 759で「公開オナニーして居る奴等」という文面で指摘している。 否定に対して否定で、しかも相手を確証なく下種と見下す形で返している。 これら事は、自らも自覚した方が良い。 ここのコテハンらしいが、スレの現状は、君ら古参が作ったものだろう。 嘆くより前に自ら改めるべきではないか? 762 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 01 01 55 ID q7D9Pqrz0 761 煽りにわざわざ煽りで返して何がしたかったのかと・・・ すまんが全く面白くないし、面白かったとしてだから何?って感じ スレを荒れる方向に持って行く意図があるとしか思えなかった 763 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 01 52 22 ID gBU9Q/iR0 762 批判に対して自分達の主張を行い、スレの意義を改めて問う事をしない。 単に行為の正当性を問い、場を収束する方向に持っていくから、内輪スレに留まる。 何か他にやる事が有るんじゃないのか。 764 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 02 08 06 ID q7D9Pqrz0 763 もう清が終われば一通り選定作業終わるし、意見・主張する人もすっかりいなくなったし、 このスレの存在意義もほとんどなくなったから、終わらせる方向でまとめに入っているのだけど・・・ 店じまいで収束させる以外にいまさら何をしろと? まともに機能している状態なら空き枠や確定の入替議論の 3周目行くべきなのかもしれないのだが、正直疲れたしその需要も既にないだろう あなたが現行スレの過去レスすらろくに読んでない状態で発言してるのは 761の発言で明らかだからあまり多くを期待しないが、 建設的な議論したいなら少なくとも 759みたいなレスはやめるべきでしょ 理屈屋っぽく曖昧な問いかけするよりは、「何か他にやる事」を具体的に率先して挙げるべきだし 765 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 02 32 15 ID gBU9Q/iR0 ゲリラ否定論者が出てきて、良くも悪くも一度は活性化したのに、ここに来て店仕舞い宣言か。 それは、総意なのだろうか。 ROM専としてはかなり前から居り、時々レスも付けたが、割と楽しく読ませてもらってたよ。 特に両晋~南北朝は非常に好きなので、石勒のエピソードは非常に面白かった。 蒸し返しだの過去を知らないというが、問題というのは衆目に晒されてこそ人の関心を誘う物で、 そもそも専ブラだの何だの特定者しか読めない、このスレ以前の経緯を知るのは困難だ。 終わりよければ全て良しともいう。 最後の清代英雄決めるのにこそ、一番人を集めるべきだ…とは思わないのね。 決める事だけが目的なら、そもそもスレを立てる必要もなかっただろうに。 何をすれば良いかって、好きな人物の事を語れば良かろうに。 定義だの長文ウゼェだの言い始めて、そもそも語る事にすら制限を加えるから、レスが減る。 766 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 02 47 42 ID jfpyfhlV0 765 100人決めてそこで終了ではなくて そこから入れ替え議論や50人に絞ったりとかが 始まるかと思ってたんだが違うのか? 767 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 03 03 54 ID gBU9Q/iR0 766 どうなんだろうなぁ。 確かに、入れ替え議論になってからが、信者とアンチで一番盛り上がるはずなんだよな。 「清代イラネ」の一言から罵倒合戦が始まるなら、それもまた良しだとする器量が欲しい所だ。 人気の有る時代と無い時代があるのは、 著作物の量、各時代の時代背景、現在の社会情勢を考えれば当然だ。 それらを鑑みれば、「俺達の戦いはこれからだ」ではなく、むしろ「始まったな」位のモンなんだが。 繰り返し説明するのは嫌だと言っている人も居るが、 何度でも説明すりゃ、それで同好の士が少なからず増えるのにな。 768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 04 50 42 ID QxRYgpUT0 767 >「清代イラネ」の一言から罵倒合戦が始まるなら、それもまた良しだとする器量が欲しい所だ。 罵倒合戦なんて始まったらスレが荒れて荒れて白けるのがオチじゃねーの? 建設的な論議なら話はわかるがそうはならないでしょ? >繰り返し説明するのは嫌だと言っている人も居るが、 >何度でも説明すりゃ、それで同好の士が少なからず増えるのにな。 そりゃあ説明はするが、自分で調べたのかをどうか一応言うぐらいしてくれれは話はわかるが しかもそれすらせず「なんで〇〇なんだよ」みたいに頭ごなしに言われたら 説明する方も嫌気がさすのつーの… ちなみに俺は3順目に移行するものだと思って頑張ってるし、 店じまいなんてする気はないんだがだからこそ清は専門じゃないが ずーとテコ入れしてたわけだが、 それとゲリラ否定論も出てきて活性化みたいなこと言ってますが 反論されたら場を荒らしてただけにしか見えなかったが違うのかい? あんなのいくら良し悪いと言っても活性化とは言わないよ。 769 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 06 04 09 ID gBU9Q/iR0 768 レスが増えれば荒らしも増える。 スレが荒れれば、義憤を感じる人が出て、他方、荒れたスレに嫌気が差して離れる人間が出る。 しかし、既に人が減った後だろう。 今更、古参が愚痴をこぼしたり、秩序の護持を理由に締め付けを図る事に意味が有るのだろうか。 自演は論外だが、本来的にレスが付かければ誰も見なくなり、やがてスレッドは落ちる物だ。 また、 反論されたら場を荒らしただけ~というが。 このスレッドでの俺のIDは、右の二つだ。ID gBU9Q/iR0 ID XFnoHVh20 ここでは基本ROM専の俺は、積極的に発言をしてはいないし、ゲリラ戦アンチでも無い。 そちらの発言で、俺一人に原因が有るかのような言われ方をされても、事実はそうではない。 そもそも、君がどの発言をした人なのかすらも分からないので、最良の答弁もまた出来ない。 また、俺の一連の発言が荒らし行為だと言っているが、それも間違っている。 荒らしというのは、暴言を吐いたら去り、逃げる事もなくこうして議論に応じたりはしない。 770 ◆RQdk7scN8s 2007/06/18(月) 10 16 53 ID m1H8hnc60 これまでのランキングまとめ(上) 春秋戦国 (其ノ弐 623) 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 (其ノ弐 831) 【確定】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定) 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 (其ノ参 71) 【確定】 劉秀、馮異、樊崇、耿エン、呉漢、班超、段ケイ、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜、皇甫嵩 三国~両晋 (其ノ参 169) 【確定】 鄧艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔、姚萇 南北朝 (其ノ参 278、284) 【確定】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋トウ、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 【候補】 柳元景、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、慕容紹宗、宇文護、李弼 、長恭、爾朱栄、王勇、 沈慶之、陳顕達 、赫連勃勃、侯景(宇宙大将軍) 、蕭道成、陳覇先 隋・唐 (其ノ参 468、475) 【確定】 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 【候補・議論中】 李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替) 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥 、李孝恭、高仙芝、顔真卿、 張巡、王式、黄巣、高駢 、李存孝、安録山、劉方、蘇烈、劉仁軌 771 ◆RQdk7scN8s 2007/06/18(月) 10 18 10 ID m1H8hnc60 これまでのランキングまとめ(下) 五代~北宋・遼 (其ノ参 786) 【確定】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆(チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、劉ジン、康延孝、任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、 張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、 史建トウ、王景、康壊貞、朱温(朱晃)、郭威、曹彬、 南宋・金~元 (其ノ四 278) 【確定組】 9名 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、伯顔(バヤン)、トゥルイ、阿朮(アジュ)、速不台(スブタイ)、 察罕帖木児(チャガン・テムル)、 【候補】 海山(カイシャン)、張弘範、郭侃、阿里海牙(アリハイヤ)、李庭芝、忽必烈(フビライ) 、 完顔宗弼(ウジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、張俊、呉カイ、呉リン、劉錡、虞允文、 李顕忠、楊存中、僕散忠義、徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥 明 (其ノ四 544) 【確定組】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳 【候補】 陳友諒、方国珍、湯和、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁、拡廓、呉三桂、李自成、 鄭成功、馮国勝、張輔、邵栄、秦良玉、胡深 【資格あり?】 拡廓帖木児(ココテムル) 清 (其ノ四 749) 【確定】 洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン)、楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、左宗棠、石達開、劉永福 【候補】 ・岳鐘キ、阿桂、兆恵、明亮、宋景詩 772 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 12 06 28 ID 3QX46SOdO 10の時代に分かれてるんだからさ、1つの時代を3日 1ヶ月で1周できるようにしないか? スケジュール決めといたら自分の好きな時代にも参加しやすいだろうし。 773 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 12 58 05 ID yyp9DpD50 劉永福は日本軍に蹴散らされたショボいイメージしかないな。 中国では英雄扱いなのかもしれんが所詮清末の武将。ショボ杉。 時代が違うとはいえ韓信や項羽などと同列で並べるのはどうなのかね。 774 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 14 11 14 ID QxRYgpUT0 773 いや、こう考えるんだ。 一位の名将もいれば百位の名将もいる。 世の中全員が、韓信、項羽クラスの武将ばかりではあるまい。 それに韓信、項羽と同格扱いしてる訳じゃないんだし。 775 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/18(月) 14 58 45 ID PWJ4X8BVO 伍員とかハンレイとか呉越闘争の名将が候補にすらなっていないのが残念。 司馬法書いた司馬ジョウショとかも名将でしょう。 他の時代は結構候補がいるのに、春秋戦国は不足気味では? 項燕とかモーテンとかもありでは? 携帯からなもんでカタカナが多いのはご容赦を。 776 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/18(月) 15 03 26 ID PWJ4X8BVO あと李広とかも資格ありでは? 三国時代も少なすぎ。 馬鹿にしすぎ。見事な戦績を挙げた奴はちゃんといるよ。 777 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 16 23 12 ID O6a6OUnw0 775 呉越闘争の名将は孫武が入っています。 伍員や范蠡は名将じゃなくて、名参謀だからこのスレとは関係ないね。 司馬穣苴は戦功はあるけど、戦国春秋の確定組と比べると戦績不足。 兵法書を書いたかどうかということと、軍事的功績は関係ない。 項燕は本気を出した秦軍相手にあっさり敗れています。 蒙恬は冒頓が出る前の匈奴を破ったのと、落日の斉を討ったぐらいで戦功不足。 楚軍に敗れているし。 李広は匈奴戦華やかなりし武帝時代、まったく戦果を挙げていないが痛い。 疑問は解けたかな? 778 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 16 29 15 ID O6a6OUnw0 776 そうそう、書き忘れた。 三国時代は一発屋は多いけど、総指揮官として安定して戦功を立て続けた将軍が少ないんだよね。 文句なしに戦功が多いといえるのが、曹操と鄧艾ぐらい。 たとえば、陸抗は西陵の戦いは神だけど、その他の戦いではそれほど戦功が無い。 「見事な戦績を挙げた奴はちゃんといる」と言うなら、名前を挙げて欲しい。 779 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 16 54 04 ID 1wQHS7wN0 769 ツマンネ 780 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 17 21 15 ID QxRYgpUT0 ◆RQdk7scN8sさん 770の南北朝、隋・唐 771の五代~北宋・遼、南宋・金~元、明に選考から落ちた武将がなぜ復活してるの? 話合いの中で選外となったはずでは? 776 >三国時代も少なすぎ。 >馬鹿にしすぎ。見事な戦績を挙げた奴はちゃんといるよ。 確かに見事な戦績いるとは思うけどこのスレの趣旨では 役不足になっちゃうんじゃないんですか? それにバカになんてしてませんよ。 778さんの言うように貴方の一押しの武将を挙げてみてよ。 781 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 19 41 31 ID QxRYgpUT0 769 なにも貴方を荒らしとは言ってませんよ。 でも 759のレスはどうなんだろう。 せっかくID Np6lZIxi0氏が纏めてくれようとしてるのに 755みたいなのが現われたら流れが止まっちゃうから 俺が 757で 755みたいなのはスルーすればいいじゃん。 って言ってるのにわざわざ変なレス投下してますよね? とても 739と同一人物とは思えない発言に見えませんが・・・ ゲリラの話はID ga0wl5HR0とID 6fMdNO6/0のことを言ってるんですがよ。 自分の考えを否定されたからってあの態度はどうかと思うのだが・・・ >今更、古参が愚痴をこぼしたり、秩序の護持を理由に締め付けを図る事に意味が有るのだろうか。 古参が愚痴って例えばどれ? 秩序の護持を理由に締め付けって例えばどれ? 782 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 19 43 55 ID QxRYgpUT0 前100ぐらいからの俺のレスは 685 690 692 695 696 697 704 717 783 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 19 45 13 ID QxRYgpUT0 782の続き 719 722 728 730 738 743 748 750 757 784 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 20 05 14 ID MQrsBO8lO 名前があがっても候補落ちした奴もいるから 「○○がいない!」と言う前に過去スレ読んでと 785 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/18(月) 20 32 45 ID m1H8hnc60 780 すまん。自分のメモ帖には入ったまんまだった。 人物名見てニヤニヤするたちなもんで、消すのがもったいないと。 もう一回過去スレ洗ってみるよ。 786 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 20 45 26 ID jzCPYjxOO 785 俺が今スレで清の選定に入る前に確定及び候補・論議中の一覧表を挙げてるよ。 787 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/18(月) 21 00 44 ID m1H8hnc60 786 533ね。 候補のない時代もあって、それなら、ということで付け足したんだけど、余計だった。 それにしても改めて見ると、定期的な煽りレスが随所にあって あれはあれでレスを伸ばそうとしてくれてるのだろうか、とか思ってしまう。 788 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/18(月) 21 05 55 ID OLLRdhBr0 今回の選定が終わったら、次は絞込み作業に入るの? それとも残りの確定作業続行? 789 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 21 07 27 ID gBU9Q/iR0 781 自ら変と言っている発言を蒸し返す暇があったら、今の流れに乗ったらどうなんだ 790 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 21 48 32 ID QxRYgpUT0 みんなには悪いが 789にこれだけは言いたい。 >自ら変と言っている発言を蒸し返す暇があったら云々・・・ はあ?変なのは貴方の 759での発言だよ。 貴方は読解力ないのか? 768のレスに対して 769で貴方があれこれ言ってるからそれに対して答える為に 781を投下したんだけどなんで俺が文句いわれなきゃならないのさ。 そもそも事の発端は 759での発言じゃないか。 何度も言うけど俺はずっとにテコ入れしてたし、 流れに乗れなんて偉そうに指示される覚えはない。 791 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 21 55 23 ID QxRYgpUT0 788 今回の選定が終わったら、次の作業は各時代の候補・論議中なってる、 確定の残り枠を決めるのがいいじゃないかな? 792 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 21 59 23 ID q7D9Pqrz0 なんか、急に流れ早くなったなぁ しかし清の確定案に対する意見がほとんどないのは・・・?(苦笑 ◆RQdk7scN8sさんが 749そのまま貼ってくれてるのは特に異論なしってことですかね。 773でyyp9DpD50さんが劉永福に疑問投げかけてますが、 774で納得できます? もし入れ替えの候補推薦してくれるならその議論進めて、清に決着つけてしまいましょう。 793 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 22 14 56 ID q7D9Pqrz0 790 好意的に解釈して推測すると、おそらく 761で自分の 759の発言が変だと言ってるっぽいのでは? 正直、独善的な発言ばかりでとても自分の非を認めてるようには感じられないがね・・・ 自分は以下の点でgBU9Q/iR0の思想・発言に耐え切れないので、これ以降は相手にしない ・現状に対する否定、不満を発言するだけで具体的な改善案は何も出さない ・スレが悪い方向にいったと考えていた割りに、自分ではなんら行動を起こさなかったが、 それが罪という認識はない、むしろROMであったことを免罪符にして自分に責任はないと考えてる ・自分の非は認めないし、周りを完全に見下してる ・このスレの流れはROMして理解してるはずであるのに、推薦文投下してきてくれた功労者に対する最低限の礼儀すら払わない 794 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 22 28 24 ID q7D9Pqrz0 連投ごめん 775 777に、若干補足します 伍員は、最終段階の直前まで有力候補で残ってましたよ 孫武と伍員は功績的には似通ってるのでどっちにするかで結構揉めたし、 孫武/伍員は切っても切れない関係だから特例で2人で1枠にできないかという案もあった 最終的には、孫武の方が功績が明確になってると理由で選出された感じでした 776 三国は、後漢の光武帝陣営/両晋の五胡連中に 凄い顔ぶれが揃ってるので、入る余地なしって印象でしたな 時代が違えば、司馬懿、陸遜あたりは可能性があったように思うけど 795 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 03 12 ID gBU9Q/iR0 790 とりあえず、今の流れはそう悪くなく思える。 だからこそ 790のタイミングでの発言は「自身が正しい」という事を証明する以外に全く意味が無い。 こちらはこの後はROMをする事も無く、このスレを去る。 しかし以後も、そういった姿勢を改めない限りには、初心者は寄り付かず、能力の低い者はROMに留まるだろう。 何故なら、君の癇に障った人間は、常に相手の論破のみを目的とした論陣を相手にしなければならなくなるからだ。 793の言葉は全く正論だ。 そもそもROM専がレス投下した時点で、ROM専のルールを自ら侵している。 その時点で、既にこちらには何ら正当性が無い。 スレが死のうが黙っているのが、本来のROM専に求められる姿である訳でね。 功労者に対する最低限の礼儀というのは、レスに対する最大限の礼儀は、それを見て楽しむ事だ。 それを単純に楽しむ事の出来なくなった時点で、ただ去る事を選択しなかった事は謝罪する。 796 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 04 06 ID QxRYgpUT0 793 ID q7D9Pqrz0さんもちろん好意的な発言したつもりですし、額面通り受けとめて下さい。 俺もgBU9Q/iR0には失望しました。 誤解を与えたようなので遅くはなったが返答したのにあの様な言われ方されるとは 残念でなりません。 あと孫武に関してですが仰る様に決め手となる推薦文が投下されて 孫武は確定入りとなりました。 つーか必死にいろいろな史書から孫武の功績を拾い集め推薦文を投下したのは 実は俺なんです。 (手前味噌でスマソ) 797 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 15 58 ID f7a4+dFc0 ぶっちゃけ、劉永福より司馬懿、陸遜の方が実績もスケールも大きい 時代ごとに満遍なくって言いながら結果的に偏りすぎだね 798 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 19 48 ID R/hOl1kB0 よくしらんけど、劉永福は西洋列強の近代的軍隊に始めて東亜の軍隊が勝利したってことで大フィーバー、ってことじゃないの? 799 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 21 56 ID QxRYgpUT0 769を投下する前に確認せずスレを投下してしまった・・・スマソ 768 別に癇に触ったとかじゃなく、怒られる理由が俺にはないんだが・・・ そんなに俺の主張が変か? まあ本人がスレを去るって言ってるからこれ以上は何も言わないが。 800 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 37 25 ID QxRYgpUT0 797 774でも言ったが一位の名将もいれば百位の名将もいる訳で。 それと劉永福がゲリラ戦で功績挙げたからと低い評価をしないでほしい。 (貴方が評価の基準をどこに置いてるのかはわかならいけど) こんなこと言ったらまた屁理屈言ってるとか叩かれるのかな? 801 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 43 20 ID BSlM3hXGO 797 スケールがでかいけど外されたモンゴル西征組みたいなのもいるぞ それに取り合えず一周回して候補リスト作らないと時代ごとのすりあわせも出来ないでしょ 802 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/18(月) 23 47 32 ID f7a4+dFc0 いやいや、別に劉永福が凡将といってるわけでなくて それよりは功績やスケールのでかいであろう司馬懿、陸遜あたりが選に漏れてるのが気になったので突っ込んだまで まあ今回の劉永福は例えにすぎず、他の武将にも当てはまるのではないか、と 803 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 13 08 ID t79tg82eO 795 ROM専がレスを投下したらダメかね? 興味のある話題なら己の知識の範囲内で発言してもいいはず。 おまいの俺ルールを他人にも押し付ける様なことするなよ。 ホント無責任な奴だな。 804 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 19 28 ID KzfiNlue0 802 司馬懿、陸遜が劉永福に明らかに勝ってるのは、 三国志の登場人物であるという点においての知名度のみだと思うがね 実績・スケールで明らかに上というまでは、具体的に実績挙げて比較しないと判断できない ぶっちゃけ司馬懿、陸遜は両晋の候補にすら残ってないし、 入選する可能性があるとしたら、前漢か清の枠くらいしかないと思うよ (・・・たまたま名前が挙がったから例になっただけってのは理解した上での個人的感想です) 時代による濃淡はどうしてもついちゃうから、どうしても納得できないところは 801にあるように一通り終わってから全体のバランス見ながら枠の調整するしかないと思う 805 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 22 02 ID KzfiNlue0 803 本来、発言が増えるのは活性化のためにも大歓迎なんだよね 彼の人のような、投げっぱなしの不満・感想のみで、発言に責任持たない類はご遠慮願いたい 806 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 32 39 ID Bb9KrLEZ0 >中国を称揚しすぎているという意見 >田中は熱烈な中国ファンで知られるが、贔屓が高じるあまりにダブルスタンタードな見解を示すことも多いという批判が存在する。 >たとえば『創竜伝』の中で、日本海海戦は局地戦なのだから教科書で東郷平八郎を取り上げることは不当だ(4巻P168)と書いているのに、 >自身の著書の中では、局地戦の猛将でしか過ぎない劉永福を大々的に称揚している(9巻P210)のは、中国びいきなだけなのではないかという意見もある。 807 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 45 30 ID KutuDoZp0 803 805 伍子胥みたいな事はやめときな… 799の潔さを見習うべき 808 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 51 16 ID my7Zr1/N0 劉永福はお得意のゲリラ戦でさえ台湾で最終的に日本軍に撃破されて命からがら数人で本国に逃亡している。 やり方と結果を見ても名将ではないな。小粒すぎ。 支持してるやつは持ち上げすぎじゃないのか? 概して、清末の軍人はスケールが小さい。圧倒的に。 809 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 57 09 ID Z4xpg/y60 スケールが小さいとまでは言わないが どちらかというと政争と混乱の時代だからな>清末 810 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 00 57 13 ID JH0SgApO0 アンチゲリラ厨のおまえが反論すればするほど、意地でも確定から外せないなw 811 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 01 01 17 ID UsvKDz5d0 軍事的に劣っているのと政争と混乱は関係ない 812 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 01 14 44 ID KzfiNlue0 今回はまだ400kBいってないし容量制限にはひっかからないっぽいから、次スレの目安は900くらいかな? 劉永福sage主張に対して徹底抗戦するつもりは全くないが、代わりに誰をageるか推薦よろしく 813 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 01 25 39 ID KzfiNlue0 807 ごもっともです。反省。 788 791 現行定義に対する疑義がさんざん上がってましたが、途中で定義変えるのは混乱をきたすので、 とりあえず2周目終わるまでは現行のまま進め、終わったら根本的に見直ししようってことにしてました 3周目入る前にまずはその議論からですが、何かしら対案が出てこなけりゃスルーするしかないですな 814 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 02 07 44 ID Z4xpg/y60 811 あるよ 左宗棠、彭玉麟、李鴻章、曾国藩、みな清朝におけるマトモな軍隊の持ち主だったけど 誰一人として 純軍人ではなく、政治家、軍政家だ。末期症状を起こした清のせいなんだけど 軍隊という財産で政治活動を行っていたし、彼らも自分を軍人ではなく、清朝を改革・延命しようと思う政治家だったじゃないか 結局、清末においては洋務運動や変法などの机上の人材に有為の者が流れていって、軍人は一部の有能な人間が兼任してる 815 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 02 31 00 ID t79tg82eO 807 ゴメン・・・あまりにふざけたこと言ってたんで黙ってられなかったわけで・・・ 816 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 03 07 26 ID 0moJD7+i0 814 経緯はどうであれ軍事的に劣っている現状には違いないだろう スケールの小ささだな 817 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 11 07 58 ID POU1jIqT0 常勝軍を率いたゴードンはこのスレ的にはアリ? 818 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 12 03 21 ID t79tg82eO スマン、ゴードンって誰?詳細キボンヌ 819 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 15 47 36 ID 7tqD89i1O ゴードンさんはイギリスの軍人さん 英国の利益のために戦ったのであって清のためではないでしょ 820 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 17 07 12 ID YgxERm+3O 日本の幕末も実にスケール小さいな。清末同様に。 821 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 17 34 28 ID 07VRNFB70 江戸時代の名将10人挙げろって言われても難しいが、清はそれに近いものがあるな。 822 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 18 01 56 ID 5RAlVPQV0 建国は範囲外扱い&降伏した武将が多くて 全盛期は国力自体が強力だったからこれという人が少なくて 末期は外国にやられてばっかりだから なかなか難しいのはわかる 823 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 21 18 28 ID 6yY0ptuP0 左宗棠は確定でいいんじゃないの? 功績を実戦に限定しても、十分に戦功が大きい。 824 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 21 57 08 ID KzfiNlue0 823 現状案 749で既に確定に入ってます 劉永福以外は異論なしかな? 825 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 22 25 12 ID 8xrUu5860 劉永福が外れるなら残りは2枠か。俺はやはり岳鐘[王其]と明亮を推す。 阿桂は大金山土司の叛乱平定に参加。 ジュンガル・ビルマ・大金川の討伐回族の叛乱平定も参加としか記載ないし、 これじゃどう活躍したのかが不明。 黄河治水、甘粛回民の鎮圧などを行ない、イリに鎮して屯田を行う。 台湾の林爽文の叛乱を鎮圧するために献策した。 甘粛回民の鎮圧以外は戦績の内に含まれないだろ? 阿桂の具体的な功績を誰か示してくるれば話は変わってくるんだろうけど・・・ あと戦う豆腐屋宋景詩は推しても劉永福と同様、異論でそうだしな。 826 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 22 43 02 ID KzfiNlue0 825 一回りした後の枠数の調整、あるいは定義の見直しでアバタイ・ホンタイジあたりの復活を考慮して、 劉永福除いた8名で打ち切るという選択肢もありかも・・・ほとんど推薦上がって来ないし 827 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/19(火) 22 53 42 ID 8xrUu5860 826 そうですね。それも有りかと。 取り敢えずはみんなの意見を待つということでいかがですかね? 動きが無けれ8名を確定として次に進むということで。 828 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 00 17 27 ID RyhawRww0 俺も劉外して岳鐘と明亮 後漢も結構時代偏ってるし、アリじゃないかと 829 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 01 17 25 ID 3Scoan0O0 弱い清に10人も枠はいらない説に1票 830 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 10 23 23 ID 3aj3Fni10 それやったらあいた分は○○いれろという 人が増えて 例外ひとつ作ると更なるカオスにならないかな 板違いですまんが近代装備のイタリア軍といい勝負をした 20世紀のエチオピアの将軍って名前知らんけど有名なの いるのかな考えてみるとすごい実績な気が(負けたけど) 831 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 10 44 11 ID FGlgmJ140 板違いの質問で更なるカオスに巻き込まないでくれ 832 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 13 53 43 ID XdEnCRs80 830 世界史に関する質問はこちらへどうぞ ↓ 世界史なんでも質問スレッド42 ttp //academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181956393/ 833 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 19 47 18 ID XdEnCRs80 スマンちょっと確認しときたいんだが 826での提案って通例通りに残り枠を保留にするって意味? それとも弱い清に10人も枠はいらないって意味? 前者の意味だと思ったから 827で賛同したんだけど どっちの意味になるのかな? 後者の意味なら 830の言う様に後々遺恨を残すことになるから反対なのだが。 834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 20 24 39 ID Lc2xpM+F0 833 前者の意味だろ。清は中期まではまぎれもない軍事大国だったし、 候補として名前が挙がる武将も、前期・中期なら少なくない。 候補自体が挙がらない前漢とは違う。 835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 20 50 33 ID XdEnCRs80 834 だから スマンちょっと確認しときたいんだがと言ってるのだが・・・ なんか珍説に一票投じてる人かいるから一応、確認したんだよ。おK? 836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/20(水) 23 01 15 ID xVGkrbu20 宋景詩はどうも戦功自体が上げ底っぽい気もするのだが・・・ ゲリラ戦云々以前にそこがどうもね。 派手な奴が少ない清代において貴重なキャラだから勿体無いんだけど。 837 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 01 58 03 ID yl3MyPDI0 ゲリラ厨は死ねばいいよ 838 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 02 00 55 ID vVYG2DD80 837 自分自身がこのスレでゲリラ的活動をしているという自覚は無いのかw 839 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 02 16 05 ID zoDCGOVN0 つーか 837はゲリラの意味分かってねーんじゃないの?w アンチなんかほっといて残り2枠をどうするのかについての 意見を聞かせてほしいのだが・・・ 岳鐘[王其]と明亮を確定にしてもいいかい? 840 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 02 23 26 ID xiR439oO0 今後、ゲリラを肯定するやつはテロリストな 841 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 06 15 45 ID YVY/JrrN0 >>追加 太公望 周公旦 召公セキ 田単 趙奢 孫臏 司馬穰苴 蒙恬 李広 馬援 司馬懿 陸遜 呂光 尉遅敬徳 高仙芝 高長恭 鄭和 劉永福 朱徳 彭徳懐 林彪 ラーメンマン 842 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 12 47 56 ID uNYKGxaQ0 李広とか馬援とか高仙芝とか色んな書物で伝統的に名将とされてる人物でも 戦績少ないだの一度大敗したからだの、つまらん言いがかりつけて外すとかアホなスレだなw 変に凝り固まりすぎで住人のスケールが小さく見える いっそのこと、枠なんて取っ払ったらどうだ?ん? 843 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/21(木) 13 27 56 ID Mp7qMsEZ0 まあ、惰性でやってるくらいならもうやめたほうがいいと思う。 確証の無い答えをぐだぐだ出し合ってるだけで、所詮コテを中心とした自己満のオナニースレ。 そんなもの長々と見せつけられてもキモイだけ。 844 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 13 38 54 ID g2QgHYyd0 841 過去スレ読んで、尚追加したいのですか? 845 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 02 05 ID zoDCGOVN0 841は今スレすらろくに読んでないだろ。 あとチラシ裏の批判は他で汁。はっきり言って迷惑だ。 846 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 16 48 ID sj9Wq8SE0 ラーメンマンって書いてる時点でネタじゃんか いちいちレスするおまえらも律儀だなw 847 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 20 31 ID +92Kd+6r0 チラシの裏に批判して何が悪いんだ?ん? 848 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 24 43 ID wIi2I+A30 844-845 過去スレなど読む価値は無い オナニースレなんだから自分の好きな名将挙げて自己完結 それ以上でもそれ以下でもない 849 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 26 42 ID VszOgKX50 オナニースレだと思うなら、オナニーじゃないとお前が思うルールを作って新スレを立てればよかろう。 850 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 30 39 ID wIi2I+A30 皆の者!否が応でもここで我々の公開オナニーを見せ付けてやろうぞ! 851 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 14 52 51 ID d5AZXq3D0 格ゲーヲタは消えろwwww 852 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/21(木) 20 22 32 ID i4Vg/AeV0 コテ中心つっても、自分はすでに中心じゃない。 もうやめてもいいんだよね。もとは五代の武将挙げのとき ひどい自演と言われたから、岩城氏と区別できるようトリつけただけだから。 つうわけだから、トリははずすが、オナニーはそう簡単にやめるわけにはいかんなぁ。 つか、過去スレに価値がないと断じておりながら、なんでここ見てるのさ? 853 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 20 43 43 ID F5JrAubUO 848 100人オナニーは辛いぞ~ しかも守備範囲外が平気で混ざってるのは 854 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 21 52 36 ID zoDCGOVN0 そもそもその人物がトリを付けた理由も、岩城氏がどれだけテコ入れしてたかも恐らく知らないくせに、 定期的にオナニーだなんだって煽ってるアホはただ構ってほしいだけじゃねーの。 でちょっと反論されたり主張が食い違ったらしたら、 罵声を浴びせて去っていくだけしか能がないし、 かと言って自らはなんの行動も起こさない。 どっちの方がオナニーかな?よく考えて見ろよ。 こっちはなんとか清を終わらせ様としてるのに邪魔してんじゃねーよ。 このスレがそんなに気に入らないなら来なけりゃいいし見なけりゃいいだろ。 俺は贔屓の趙奢や馬援、高長恭がこのスレで落されてても別に腹も立たないし、 このスレでの評価がどうあれ、自分が名将だと思ってればいいだけの話だしな。 ここへ不満をぶちまける神経がわからん。 やるならそれ専用のスレに逝けよ。 855 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 22 19 47 ID OrPWDAK6O 長文乙w 856 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/21(木) 23 29 02 ID 5uGElpJC0 そろそろ話を戻すけど、岳鐘[王其]と明亮は確定でいいのかね? 自分は確定でも構わないと思うんだけど。 次の作業に進まない? 857 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 02 36 07 ID obTKUbMU0 856 賛成。次の作業へ進もう。 858 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 04 45 20 ID Up16OKfZO 次の作業に進むのは賛成。 その二人を確定にするのは反対。 859 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 06 42 14 ID obTKUbMU0 858 岳鐘[王其]と明亮を確定に反対する理由を示さなきゃスルーされちゃうよ。 860 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 07 16 06 ID Up16OKfZO 賛成してる人だって明確な理由なんてないだろう 749を参考にするが、劉永福が候補に落ちて、明亮、岳鐘キ、兆恵、宋景詩、阿桂の六人から二人 岳鐘キと明亮が抜けてると思えんのだが 8人確定、候補たくさん。決定はまた今度。でいいじゃん 861 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 14 48 00 ID CwcZh83h0 おまえらオナニーじゃなくてチンポの舐め合いだなw 862 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 21 56 36 ID obTKUbMU0 せっかくID Up16OKfZO氏と真面目な話をしようと思ってたのに 861の糞レス見たら正直やる気が失せた・・・ 863 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 22 12 14 ID /xig0UAC0 まぁ 861はスレの趣旨に合わないスカトロ野郎だからなぁ 864 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/22(金) 22 39 32 ID 9GTUf5eQ0 856 岳鐘キと明亮を確定にする理由を教えてくれ。 865 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/22(金) 23 59 00 ID obTKUbMU0 864 本人じゃないし、さっきはやる気が失せてたが気を取り直したから 俺が答えてていい?。 過去スレでも岳鐘[王其]は推す声があったし、これといった反対もなかったな。 >岳鐘キ=清朝唯一の漢人大将軍。漢人ながらその統率力と人望は満州人からも崇拝された。 戦績的には策稜(ツェリン)よりやや下だな。 てなレスも投下されてるし岳鐘[王其]と明亮は一巡目での最終候補にも残ってた。 明亮はナルサスのモデルだからって推した訳でもないし、 阿桂とか額森特とかの方が武勲の規模は大きいと思う。 っていう意見もあったが具体的な戦績が示されてないね。 宋景詩は支持が受けれないだろうし、現に反対意見も多いから推すのを諦めた。 兆恵(ジョーホイ)は今スレでも支持すらされてない。 俺は阿桂より明亮の戦績が勝ってると思ったからずっと推してたし、 二名だが賛同も一応得てるし確定入りしてもいいんじゃないか?と思うがいかがですかね? あと 860で>劉永福が候補に落ちて、明亮、岳鐘キ、兆恵、宋景詩、阿桂の六人から二人 >岳鐘キと明亮が抜けてると思えんのだが >8人確定、候補たくさん。決定はまた今度。でいいじゃん って言ってるが既に一巡目で候補は絞られてるし、話合いもしてた。 544に貼ってるのが一巡目の最終候補な訳だし。 (結局同じ様な面々が残ってる様に見えますが) 866 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 03 31 02 ID wYm976sZ0 馴れ合いどもの糞人選が萎えるから 新スレ立てて新メンバー新ルールで一新したいものだがなあ いつまで続くんだこのスレ まじ勘弁 867 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 04 17 24 ID oscK9KCG0 866 そんな事わざわざここで言う必要全くない。草案を推敲してさっさと立ち上げたらどうだ。 868 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 04 27 58 ID RYVWwXtT0 構ってほしいだけで行動に起こすつもりなど毛頭ないんだろ。 866みたいな糞がスレ立てたところで誰も来ないだろうがな。 前に初代支那なんちゃらって名将百選みたいなスレあったが知らぬ間に落ちてたし。 869 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 04 30 55 ID wYm976sZ0 だって重複スレって言われるだろ このスレが落ちるのを待っているのさ☆ 870 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 04 58 44 ID JN+Bd39Z0 例えると長い王朝時代に宦官や外戚が蔓延って自分好みの法律を作って専横してる感じか>馴れ合いのオナニー スレ立て直して新参同士でフレッシュな気持ちでやり直したい気分はあるな 871 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 07 16 07 ID UrKoFLeR0 じゃあ、このスレで終わりな。 最期に清の欠番2名を周の太公望と中華人民共和国の林彪に割り当てようか。 例外?遺恨? あたまの固い連中の考えることだな。 さっさと決めてさっさと終わろうぜ。 872 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 07 27 42 ID 2Z9PY6lu0 じゃま、新スレとやらでがんばってくれ。 873 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 07 36 51 ID h3VK+fWz0 長年お付き合いいただきありがとうございました。また合える日まで。 874 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 08 50 14 ID dSlJQZq5O 重複だろうがなんと言われようがスレ立ててそっちで勝手にやってくれ。 (カスどもが寄せ集まっても無理か) こっちは3順目へと突入するし次スレも立てるからからな、もう邪魔しに来るなよ。 林彪はわかるが太公望はどう見ても明らかに軍師だろうが 871はアホだろwww このスレ立って一年未満なのに長年って・・・ 873もかなりのアホだなwww 875 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 09 28 46 ID dSlJQZq5O 支那名将初代スレっていうのがあったが6レスで落ちてるし・・・ まあカス共、せいぜい新スレ立てて頑張れやwww つかマジウザイから誰か立ててやってくれ。 携帯じゃスレ立てられねえんだ。 876 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 09 38 43 ID dM46OwCaO 煽り、煽られが2chの醍醐味。ガキじゃないんだから、そう目くじらたてんなよ。 877 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 16 40 08 ID fHX+QdmHO よっぽど自分の推した武将が選ばれなかったのが悔しかったのかな?マス掻き君は 878 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 16 48 04 ID 0ki/U3050 もし次のスレ立てるんだったら百選から三十選ぐらいに絞ってみる? 879 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 17 06 09 ID m2G4f/Kg0 マス掻き君の為にスレ立てたぞ。 【討議】中国名将列伝【選抜】【討議】中国名将列伝【選抜】 ttp //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182584982/2n- 880 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 17 08 30 ID m2G4f/Kg0 間違えたからもう一回貼り直し・・・ 【討議】中国名将列伝【選抜】 ttp //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182584982/2n- 881 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 18 28 45 ID fHX+QdmHO まだ百人決まったわけじゃないのに三十選もなにもあるか 882 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 21 03 49 ID cEXTyB1r0 何が三十選だw オナニー厨は死ねよwwww 883 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 21 34 03 ID eX8DX9/O0 874 漫画の読みすぎか?もう少し勉強しろよ… 884 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 21 51 06 ID dSlJQZq5O おまえらクズの為のスレ立ったんだしそっちへ逝けよ 885 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 22 09 04 ID eX8DX9/O0 荒らしが立てたスレなどスルーだな 新しく立てるにしても冷却期間がいるだろうよ 886 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 22 17 32 ID RYVWwXtT0 清 【確定】 洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン)、楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、 左宗棠、石達開、岳鐘キ、明亮 が以上の10名が確定でもういいだろ? いい加減次の段階へ進もうよ。 887 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 22 23 10 ID Xkr+qaXE0 >洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン)、楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、 >左宗棠、石達開、岳鐘キ、明亮 >が以上の10名が確定でもういいだろ? >いい加減次の段階へ進もうよ。 勝手に人選して賛同者もなしに、なんだそのいいざまは! だからオナニースレだと言われるんだよ!おまえがしっかりしろ! 888 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 22 40 17 ID RYVWwXtT0 887 怒りを露にする元気があるならどうしたいのかなぜ意見を述べない? ずっと伺い立ててただろ?最終的に反対意見述べてくれたのは 858だけだろうが。 じゃあどうしたいんだオマイは? 任せるから代わりに仕切ってくれ。 889 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 22 56 53 ID RYVWwXtT0 おい 887よオマイは 865のレスにもなんの反応も示してないくせに偉そうな口きいてんじゃねーよ。 自分はなにも行動起こさないくせに文句だけは言うんだな。ホント腹立つな。 890 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 23 01 32 ID YhLBtpJs0 このままだとループしそうだから無理に全員確定させないで、 8人確定のまま三週目に突入でもいいような気がする 891 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/23(土) 23 47 11 ID 42qKEoYr0 886 いいよとは思うけど、まあ取り敢えず8人までにして現状を確認 【現在の確定武将】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 (春秋戦国より9名) 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰 (秦・前漢より9名) 劉秀、馮異、樊崇、耿弇(エン)、呉漢、班超、段熲(ケイ)、馬賢、曹操 (新・後漢より9名) 鄧艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 (三国・両晋十六国より9名) 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋燾(トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 (南北朝より10名) 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 (隋唐より10名) 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆(チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 (五代十国・北宋・遼より10名) 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、伯顔(バヤン)、トゥルイ、 阿朮(アジュ)、速不台(スブタイ)、察罕帖木児(チャガン・テムル) (南宋・金・元より9名) 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳 (明より9名) 洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン) 楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、左宗棠、石達開 (清より8名) ☆現在確定武将の総数は92名 【候補武将】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 岑彭、周瑜 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 李晟、李愬 海山(カイシャン)、張弘範 、郭侃、阿里海牙(アリハイヤ)、張俊 拡廓帖木児(ココテムル) 李自成、邵栄、秦良玉、胡深 劉永福、明亮、岳鐘キ、兆恵、宋景詩、阿桂、李秀成、彭玉麟 892 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 00 16 25 ID /RgDy0Uw0 891 乙 洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン) 楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、左宗棠、石達開 以上の8名を確定として劉永福、明亮、岳鐘キ、兆恵、宋景詩、阿桂、李秀成、彭玉麟 の8名を候補・論議中と言うことにしてもう次に行くかい? 俺が足引っ張ってるみたいだし、このままだといつまでも限りないし・・・ 893 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 00 38 06 ID XGIUwVOZ0 というかもう、候補の中から8人選んだ方が良いと思う あと李継遷はどーなんだろう……さり気なく確定入りしちゃてるけど 前の流れだと外すコトになってなかったか? 894 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 00 38 25 ID HX7fITWRO 真面目に決めてくんなら人呼び込まないといかんのではと思って 772を提案したんだがスルーされちゃったし次の周もダラダラ行くのかい? あと定義ももうちっと緩やかにしようや。 スブタイやトゥルイが入って阿骨打やヌルハチ、ドルゴンあたりが入らんってなんか釈然としないわ 895 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 04 19 49 ID C6WSiI3X0 なんか次スレ立てそうな勢いだな… 俺は疲れたから一旦ROMに戻るわ 残りの連中で頑張って 896 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 04 32 30 ID +5R4ZQ8O0 894 同意。ガチガチに固めると新参が自由に発言しづらいスレになる。 895のように人が減ってゆき、まさに馴れ合い同士だけのオナニースレに・・・ 897 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 05 13 25 ID 43RaiRJo0 >例えると長い王朝時代に宦官や外戚が蔓延って自分好みの法律を作って専横してる感じか>馴れ合いのオナニー 言い得て妙だなw 残ってる連中に限って妙な使命感に燃えて我が強いから手に負えないw 自分の作ったシステムを傘にして傲慢だしw 一般的に意見をまとめる議長役は律儀で大人しい人間が最適なんだが ID RYVWwXtT0みたいに感情を顕わにするタイプだから尚更スレが荒れやすいw 898 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 06 07 18 ID p44p+ctE0 でもオナニーって気持ちいいよね~ ときに宦官ってちんぽないのにどうやってオナニーしたのかな? ピュッピュできないよ?アナニー? あと宦官の名将っている?ピュッ ピュッ? 899 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 06 23 08 ID n/BT8MrCO オナニーだ宦官がどうたらと朝早よから精がでますな。 毎回毎回同じことばかりご苦労なこったwww いい加減そのネタ聞き飽きたし、もうちょい違うこと言えんのかね(ry 無理かw 900 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 06 32 56 ID p44p+ctE0 899 ねえねえ教えてよ 宦官のオナニーってどうなの?ピュッ? 901 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 09 00 57 ID AveYPOKfO 894 阿骨打あたりが入るなら、誘導次第ではティムールとか 中国史に関係ない奴まで推薦できそうだから賛成!! 時代によっては、中国の歴史とは関係ない人物で席が埋まったりできるしね。 その方がダイナミックで良いじゃん。 902 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 09 25 59 ID sCfBeS8N0 だらだらスレが長引くとだんだん融通が利かなくなるし空気も澱んでくる。 俺はこのスレで終わらせた方がいいと思うが。 903 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 10 27 54 ID xnZW2YNu0 899 891の人選見たら、オナニーといわれても仕方ないと思うが。 傍から見て、圧倒的に何か欠けてるんだよな。 904 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 10 56 03 ID kkWPV1Qf0 92名決まれば十分だろう。残りの枠はそれぞれ自分の思う武将を当てはめればいい。 100名ガッチリ決めるとなると各人で譲れない武将が出てきて絶対揉めるに決まっている。 100人目を強引に決めても満足するのは決定した本人だけ。 融通利かせるのは大事だよ。 905 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 11 17 02 ID ix5o3/rd0 いいねそれ じゃあ足りないと思った8名それぞれ最後に挙げてみないか? 候補には入らなかったけどこれだけは入れたかった 定義には外れるかもしれないがこれは好きなので 等含め 古参や新参、ゲリラ肯定派や否定派、オナニー厨 いろんな奴らの話でスレを締めたい 906 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 13 08 22 ID f5PJRMTd0 最期に皆でザーメンのぶちまけあいか オナニースレの最期にはふさわしかもなw よかろう。俺も8人考えておくよ 907 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 13 21 58 ID oU/wTdjD0 8人所か今までの全部無視で100人出してきたらWら得る 908 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 19 12 42 ID /vGpETdJ0 しかし、こんな程度の軋轢でいちいち荒らし化してたら、ふつうに集団行動できんのと違う? 自分だってかつては言いたいこといろいろあったし、言ったが、その都度折り合いつけていったんだがなぁ。 まぁそうでなければ、周瑜とか李孝恭なんか普通にノミネートするだろうに。 それがしないところに、ここの話し合いの凄みがあると思ってるのだが。 909 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 20 21 00 ID 3JkR4XaqO このスレで終わりでも良いけどまとめサイトほしくね? これだけ議論したのを残さずにおくなんてもったいないよ 910 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 20 46 04 ID n/BT8MrCO 908 気に入らないからって毎日、毎日オナニーだやれ馴れ合いだしか言わないしな。 その上、積極的に行動は起こさないけど文句だけは一人前。 やはり人間性の問題か・・・ (文句を言うなとは言わないがあまりにも程度が低い) 歴史版にしか2ちゃんに参加してない人って免疫ついてないてのはあるんじゃない? 漫画版なんかとかじゃ、ちょっと意見が合わないぐらいで荒らし化してたら 2ちゃんなんかやってられないと思うが。 911 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/24(日) 21 57 00 ID dNEZ0/o10 910 まぁ、他の板だと、そもそも馬鹿は徹底スルーだよな。 感情的になったり過剰に反応したりする事を、釣ってると想ってる連中は一番望んでるわけで。 908も、連中が通常生活と2chでの行動パターンが違う事を理解し、 徹底スルーまたは専ブラ利用して「オナニー」「馴れ合い」をNGワード指定してするのが吉かと。 912 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 01 20 58 ID +gyhvxhF0 グチグチ女々しいよおまえら 終わるなら気持ちよく終わらそうや で、8人挙げるの? 913 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 01 23 28 ID OAv15pUE0 8人挙げて、100人決めて、また当確の中と候補の中で入れ替え可能なら変えて……そんな作業だな オレは 902の意見は反対。多少の反対や譲れない者を乗り越えて今の92名が居るんだ。残り8名だけで妥協はしたくない 914 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 01 40 54 ID +gyhvxhF0 905 完顔阿骨打 ヌルハチ ドルゴン 周瑜 高仙芝 楊大眼 趙奢 尉遅恭 李孝恭 8人絞るの難しいな… 915 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 02 40 19 ID +gyhvxhF0 913 いかにもここまで俺が育ててきた的発言ですな 916 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 02 45 42 ID CCX0qZZa0 次スレ立てたら立てたで続くのかも知れんけど、だらだら感は否めないな。 ここは一旦切って、冷却期間置いてから立て直すのとかどう。 その間、皆が苦手な清時代を勉強する、と・・・ まあ個人的には 904の意見に賛成なのだが。 917 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 03 07 19 ID CCX0qZZa0 ずっと腹が立っていたので言う まとめ人の我が強すぎる 推薦してる人いるのに候補に書かなかったり勝手に追加したり削ったりするし 自分好みと言われても仕方ないやり方と傲慢さ 例えば、一人でも誰か推薦したら何も考えずにとりあえず一旦は候補に入れるべき まとめ書くときは自分の意見は添えて書かない それだけでも大分違ってくる 918 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 03 11 02 ID iXFQjqeb0 きみがまとめ人になればいい。 「文句言うだけの役立たずが、自分でやれよ」とどこぞの馬鹿みたいに煽る訳ではない。 俺もそいつ嫌いなんでな。 919 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 11 24 47 ID 33EHq6h10 いや、もう潔くこのスレで終わろうよ。 ちょうど清末まで行ってスレ残りわずかだしちょうどいい。 立てるならまた違う定義でやりたい。 920 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 15 24 55 ID OAv15pUE0 名前出た奴は一周目の段階では全員入ってた筈 二周目の段階で候補の連中も削られたんだが 921 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 17 02 32 ID klwxXFbfO このスレは空中分解してるから、なに言っても無駄だよ。 922 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 19 48 51 ID DA35GHmDO マス男が去るまで凍結するか 923 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 21 53 25 ID A9oWlR/z0 CATVのIPがBBQ串リスト入って一週間近く書き込み出来なかった・・・その間gdgdですな 遅レスだが 833への返答 とりあえずは保留の意味 ただ、一周したところで定義見直し議論するはずだったから、 826のように資格なしだった清初期の名将の復活がありえたし、 次のサイクル入る前に全体のバランス見ながら枠の調整するのは悪くないと思ってました 924 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 22 00 52 ID A9oWlR/z0 917 一応初期からスレを見てきたけど、そこまで理不尽な例は思いつかないのだが、 具体的に例えば誰がそういう外され方をしてましたかね? 名前だけ推薦してて功績や理由がなくて入らなかったとかだったらそれは当たり前と思うけど、 もしも具体的な功績挙がってて議論もなしに削られてたのだったとしたら見直しすべきですな あと仕切り役をやってた主力コテ面子は、誰も仕切らなくて進まないから、 性格的に適してないのは解っていても仕切らざるをえなかったって面があると思うな・・・ 925 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 22 04 33 ID A9oWlR/z0 もう収集つかなそうだけども、一応個人的な提案 旧来の流れを継続するスレと、新しく一から選定始めるスレと、 それぞれ希望する人たちで住み分けした方がよくないかな? ここみたいな過疎板でも似たような趣旨だと重複とか文句つけられるのかな・・・ 926 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 22 35 11 ID klwxXFbfO 925 ↓このスレ使えば良くないの? 【討議】中国名将列伝【選抜】 ttp //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182584982/ 927 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/25(月) 22 44 17 ID A9oWlR/z0 926 旧来の流れを気に入らない人はそこを使ってくれればいいと思う 結論まとめるのが難しそうな趣旨+序盤になってるけど、まとめ役買って出る人の力量次第かな? 928 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 05 58 35 ID lRWKrSpD0 住み分けしたらますます過疎化しそうだな・・・ そしてますます馴れ合いのオ○ニーと叩かれそうだw 929 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 06 22 31 ID qsst//5z0 別にここでやめる必要は無いと思うが冷却期間は必要じゃないか? すぐ立てても荒らしがまたやってくるだけだろうし、我々の勉強期間も設ける意味で。 そして、3ヵ月後~くらいに立て直す。 ただ、完全に忘れてしまわないようにまとめサイトは欲しいところ。 930 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 06 46 01 ID vn3MvBMU0 荒らし、煽り、釣りの類は放置、スルーするのが一番なんだけどね。 反応示さなきゃ奴らは消えるよ。 931 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 07 29 34 ID X6VI+Zw30 自分の意見が反映されなかった不満組が荒らしに変化している スレが長く続けば続くほどどんどん増えていくぞこりゃ 932 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 08 56 06 ID vn3MvBMU0 じゃあオナニーだ馴れ合いだ言われても住み分けするしかないでしょ? 話合っても意見が合わないんじゃ平行線辿るだけだし。 別スレで不満のあるもの同士で自分たちの納得いく定義なりなんなり 決めるしかないと思うが・・・ 933 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 09 23 47 ID X6VI+Zw30 その意見には反対 934 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 09 43 37 ID dj4qubJa0 住み分けって決め付けるのは構わんが、荒らしがここに住み着く限り意味がないな。 それよりもう少し定義を緩めて広く受け入れる(=荒らし化を防ぐ)べきだ。 現状に不満な住人多いんだから。 935 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 11 08 38 ID vn3MvBMU0 3順目で定義を見なおそうと提案されてるけどそれじゃ駄目なのか? オナニーだなんだ横槍入るから中断されてるけど 取り敢えず清の確定案を検討するのはダブーですか? このままじゃいつまでも先に進まない気がする。 あと荒らし、煽りは無視、放置するのが一番。 936 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 11 34 02 ID T3H33CglO 清は8人確定、他は候補に。で決まったのかと思ってた 名前だけあがって詳しいこと分からん人も何人かいるし 937 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 14 25 58 ID s9mzYB5PO てか意見が割れまくって何について話合うべきなのかが見えて来ないんだけど… で今後どの方向へ進んでいく訳?誰か教えてくれないか? 一つ聞きたいんだけど戦国板の名将スレもコテ湧いてたり、ちょい荒れ気味なんだけど ここもそれと同じ状況だと思って参加してる人はいないよね? あっちみたいに程度が低いのはオナニー厨だけだと思うのだが… (間違ってたらゴメン) 938 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 21 50 18 ID vn3MvBMU0 936 892で示された案に対して賛否の意見も無く、そのまま次に話が進んでいたので 確認のつもりでレスしたのだが・・・ 892の案でいいのなら別に異論はないんだけどね。 推薦文については額森特以外の挙げてるつもりだけど(トドは違う人だが) 道光帝、鮑超、彭玉麟は俺が勝手に紹介文を挙げただけで本人は推すのかが不明。 ちなみに額森特は推薦文が挙がってません。 名前が挙がっても推薦文や紹介文が挙がらないと選外にされても仕方ないかと。 (目障りならこのレスはスルーしてくれたらいいよ。) 939 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 22 06 12 ID 1Y78hIlY0 938 ん、単に打ち間違いかと思ったから前は指摘しなかったけど、 これは勘違いっぽい?ドド(多鐸)ですよ 940 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 22 19 17 ID 1Y78hIlY0 934 定義を緩めるってのは、異民族武将をもっと入れるって意味? もしそうなら、今の定義はむしろ異民族武将がほとんど入らない流れを なんとかして修正するために産み出されたものなんだけどね・・・ 938 定義が変わる可能性も高いので清の武将枠を無理に埋めるのは反対、 892のとおり、現状の8名でひとまず区切りにして、 次のサイクルに入る準備として定義見直し議論に入るのを推します。 具体的な議論は次スレになりそうな雰囲気ではあるが・・・ 941 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 22 20 31 ID vn3MvBMU0 969 いやー申し訳ない。トドだと思いこんでる場合がたまにあるんだよね。 (ちょい頭ボケてるからご勘弁を) 942 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 22 45 15 ID vn3MvBMU0 940 たびたび申し訳ない。再読み込みしないで投下してしまった。 (マジで頭ボケてるなorz) いいんですよ。無理に残り枠決めるつもりはないですから。 つーか次スレあるのかな? 定義に関しては同意見です。 元々モンゴル武将に資格を与える為に揉めに揉めて決めたんですからね。 たぶんそれでも選外になる武将を差してるのでは? 例えば完顔阿骨打、ヌルハチや入関前の後金武将、北元のティムールやエセンとか・・・ 943 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 22 45 49 ID /A+2LpZl0 新定義って正史に伝のある人物。でいいじゃん それだったら遼・金・後金の将も話できるだろうし ざっと見たけど今のままでも伝もないような人は候補・確定に入ってないっしょ 944 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 23 00 57 ID 1Y78hIlY0 943 おいらは元々その意見に近かったので、異論はないです そもそも現定義の草案を出してくれた◆oOLAqFKRB.さんも正史に基づくのに賛成だったはず 当時は異民族武将入れるのに猛反対する勢力が強かったのですよ ことあるごとにエセンとかティムールとか極端な出してきてどう反論します?という人とか 現状と違ってちゃんと議論になってたし、顰蹙買いながらも激論交わしてたのがなつかしいな・・・ 945 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/26(火) 23 06 06 ID vn3MvBMU0 943 それはそうなんだけどね。 前に定義作るときにあれこれ異論がでた訳。 (正史案ももちろん挙がったよ) 今の定義に落ち着くまで散々揉めたんだし、 すんなり決まるかどうかは話合ってみないことには何とも言えないな・・・ 944氏が先にレスしてますが一応投下してみた。 946 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 23 08 25 ID 019QgXvk0 そういえば◆oOLAqFKRB.さんは何してるのかな、最近全然見かけないけど。 私も 943さんの案に賛成です。非常に分かりやすい定義だから後々揉める事も少ないと思う。 947 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 23 50 55 ID p0TgwHZy0 ばかやろう!このスレで終わるってどういうことだ! ここで終わったらオナニー厨の思う壺ではないか! 一旦やり始めたオナニーなんだから途中で止めれるわけが無いだろう! こうなったらとことん最後の一滴まで射精し尽くそうぜおまえら! それこそオナニー厨にぶっかけるくらいの勢いでな!ガハハハハハハ 948 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 00 27 06 ID 1aiNq0rM0 結局古参が全てを決めちゃうんだよな 新参が来ないわけだ 949 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 00 40 16 ID Bj8CKiHP0 948 古参=よくこのスレを見ていて、発言してる人 新参=たまにしか見ないか、見ててもあまり発言しない人 という傾向にあるんじゃないのかね? 何か案でたら、古参が発言するとシャイな新参は意見できなくなるから黙ってろとでも? そもそもあなた自身が 943に賛成なり、反対なり意見出さないのは何故? 950 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/27(水) 00 46 01 ID FYkB+HT50 結局2、3人の常連が選定してるだけのスレだろう。 まあ、ロムってる分には暇つぶしにはなるし面白いよ。 951 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 00 52 50 ID Bj8CKiHP0 950 明以降はまともに進行しようとしてるのが数人+α程度なのは事実そのとおり それで結論出すのはあんまりだから、意見出てくるの待って結論出さずに引っ張ってるのが現状だったわけだが・・・ 952 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/27(水) 00 57 36 ID FYkB+HT50 宣伝しても来ないんだから実際新規は入りづらいんだろうよ 953 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 01 36 51 ID qZ4eFEBv0 結局○○が入って○○が入ってないのはなぜとか ここをこうすればいいんじゃないとか そういった疑問や意見が過去に散々議論してあるから 過去レス読めですんじゃうからな 954 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 01 42 33 ID i6QUIxCZ0 943 伝がある人物ってのには反対だな。 史書編纂当時から史料が少なくて立伝されなかったけど実は凄い人、ってのもいるだろうし。 955 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 01 50 33 ID Bj8CKiHP0 953 まとめサイト作って過去スレを見られるようにしないと、新規参入も難しいかもしれないね 954 しかしそういう人物は、実は凄いんだという功績の立証も出来ないから、 確定入りのさせようがないんではないかな? 956 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 01 50 42 ID ZUAUqAqq0 今ウダウダ言ってるのは 過去スレも読まないような程度の低い新参なのか 自分の推薦した武将が選ばれなくて粘着してる古参なのか どっちですか? 957 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 02 18 10 ID rDf8mdhwO 正史読んだことないけど太平天国の将みたいな反体制側の将って立伝されてるの? されてるんなら 943に賛成。でもモンゴル帝国の将の取捨選択は揉めそうだね。 958 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 04 40 47 ID TG2hau5F0 951 そうだね。そのつもりであれこれテコ入れしてるつもりなんだが。 別に一人よがりのつもりなど更々ないし・・・ 956 古参ですが粘着なんてしてませんよ。 意見がサパーリ出ないんで「こんなんでどう?」とは聞くけど。 あとあまりにもあれな意見なら過去スレ嫁って言われても仕方ないとは思う。 でもわからないなら教えますと何度も言ってるのたが・・・ あと古参、古参と拘ってるのはなぜ? 別に古参だからとか新参とかどうでもいいんじゃない。 勝手に変な壁を作ってる様に見えるが。 959 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/27(水) 08 31 19 ID PYL5KJbt0 新規が入りづらいっていうけど、じゃあその新規が明や清についてどれだけ知識があるのかと。 これが春秋戦国、秦末、三国なら、わりに入ってこれると思うけど? 実際その時代の論争は沸いたものだった。 960 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 11 11 02 ID mnzpJuuG0 955 本紀なり他の列伝みるなり、他史料あたるなりいろいろあるでしょ 961 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 11 19 04 ID Ya1Q48mZ0 オナニー丸出しの選定だから新規が見て萎えてるんだよきっと 962 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 11 24 16 ID Ya1Q48mZ0 いや、俺は別にオナニーとは思ってないけどな 過去ログ見たら経緯はわかるし。パっと見の話ね ただ探しづらいし、皆が過去ログ読めるわけでもない 確かにまとめサイトは欲しいわな 963 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 11 55 50 ID ISqLSyU50 住み分けさせたり新規を排除してたらますます閉鎖的なスレになるな。 もう自サイト作ってそっちに引き篭もってろよ。 964 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 12 28 46 ID EnIgZ4fQ0 文句言ってる奴は、みんなで話し合って決めるこのスレのようなスタイルだと 参加者全員が選出結果に100%満足するのはまず不可能、って基本をよく理解した方がいい。 全員が7割位の満足度で、「俺ならこいつの代わりにこいつだな、その理由は・・・」とか言うための 叩き台に出来れば大成功だろ。 ここで選出されたからって何かの権威がある訳じゃないんだから。 965 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/27(水) 13 04 23 ID PYL5KJbt0 推薦理由を自分の言葉で文章にできるやつが少ないね。 新規が入りにくいというのは、そういう専門チックな部分もあるからでない? 名前だけ書いて、はいおしまい、という性格のスレでないのは確かだし。 あと、意見に対立が生じたとき、歩み寄る姿勢にかけるのも問題がある。 妥協というものは、いかにもなぁなぁな感じだが、異なる個性たちに折り合いつけるには、必要なことでもある。 しょっちゅう妥協しまくってたら、話し合いの意味がなくなる。 それは対立を避けているだけなので、気をつけなければならないところだが… と、いうわけで新スレいくなら立てるが、タイトルとテンプレをどうする? 確定はとりあえず、清8名のそこまででいいと思うのだが。 966 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 13 29 50 ID TG2hau5F0 仮に推薦文を挙げるのが無理だとしても推薦文を読んで何かしらの意見を 述べてくれるだけでも参加の意義はあると思うし、むしろ有り難いんだけどね。 変に構えないでほしいとお願いしたい。 スレのタイトルは其の五でいいんじゃない? テンプレはお任せいたします。 967 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 14 05 43 ID Z0oyuX2b0 965 同意。 サブタイトルは【推薦】 中国名将百選 其ノ五 【選考】こんな感じ? 966 しかし、その意見が的外れだと、相手が居なくなるまで食って掛かるのも居る訳で… 968 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 14 41 18 ID cX8P4rQ10 次スレ立てるのは暫らく時間を置いてからじゃないの? 969 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 14 44 31 ID aWGeMHHH0 967 的外れでなくても違う意見言ったりするとえらい勢いで食って掛かるやつもいたな それも反論された当人だけでなく仲良しさんたちが一緒になって 970 (´c_,` ) sage 2007/06/27(水) 14 52 38 ID aWGeMHHH0 IDがゲームの王様だw 968 誰が立てるか、何時立てるか決められないだろ。 自然消滅を避けるためにも1000行く前に立てたほうがいいと思いまつ。 荒らしは放置。を徹底させるしかないんだぜ。 971 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 15 42 29 ID HKdhSdBD0 俺は時間置いてから立てるのに賛成かな 自然消滅が怖いのなら俺が責任もって立てるよ とりあえずテンプレだけ決めておくのは先決 972 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 15 54 42 ID TG2hau5F0 967 サブタイトルはそれでいいと思うよ。 あと的外れだとしても意見を一応出せる環境にしとかないと、 やれ封殺だ、やれ古参のみが跋扈だの言われるよ。 あまりしつこく食って掛かる様なのはスルーということで。 968 自然消滅を避けるためと 荒らしは放置。を徹底させる俺はその意見に同意。 でも流れに任せます。 973 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 16 26 55 ID RYfumZ9/0 荒らしの冷却期間もそうだけど、 明清苦手な人多いから勉強期間設けるという意味で時間置く方に賛成。 さっそくオレもいくつか書物買ってきたw で、立てるは時期は、上でも誰か言ってたけど3ヵ月後がまあ適当かな、と。 具体的には10月1日。 971に立ててもらって、万が一立たないことがあれば 代理が立てる。第2候補はオレが請け負います。 これでどうですか。反対なら潔く従います。 974 (´c_,` ) sage 2007/06/27(水) 16 45 55 ID aWGeMHHH0 3ヶ月も放置か。長すぎるな。 戦国あたりは明清と違って人も集まるだろうし、 スルーしてたら荒らしもその他大勢に埋もれるさ これで集まらんかったらこのスレ用無しってことだろ。 975 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 17 01 15 ID 0CgcAdLhO 確かに3ヶ月はも長すぎる。 974の言うように春秋戦国なら人は集まると思うけどな。 『荒らし、煽りは相手にしない。』これを徹底すればいいんだし。 他の板(例えば漫画板)なんかでも相手にしなけりゃ荒らしは消えるし。 中英板の某スレで厨房が暴れてたが相手にしないようにしてから姿が消えたしな。 976 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 17 32 52 ID +GDeIREI0 やっぱりまとめサイトが欲しいなあ… 977 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 17 35 25 ID v9YCOmTi0 夏・盆休みに立ててはどうですか 978 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 18 13 36 ID YCG9Q1pq0 スレは間を置かず、継続して立てた方が良いと思うけどな。 間を空けたら、ただでさえ少ないスレ住民が離散してしまう。 これまでの4スレ分の議論の蓄積を無駄にするようなことはしてほしくない。 979 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 19 08 53 ID 0CgcAdLhO ・中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、 特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・なお推挙する武将は名前だけ挙げても推薦文や紹介文が挙げないと選外となります。 ・個人の出来る範囲内で良いので推薦文を挙げて下さい ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 ・荒らし、煽りはスルーして下さい。 ・意見、主張がぶつかることもありますが、お互い熱くなり過ぎず冷静に話合って下さい。 ・過去の話合いの内容についての質問には答えてあげて下さい。 ・質問する側も紳士的な態度をお願いします。 以上の点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 テンプレ案はこんな感じでどう? 不都合な箇所は修正してもらえれば有り難いんだけどね。 980 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 19 39 35 ID EnIgZ4fQ0 ・次スレはすぐ立てる ・まとめサイトで選出・落選・候補入り時それぞれの議論の流れが判るようにする 981 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 21 33 59 ID rDf8mdhwO 10月は遅すぎる、8月の新スレ立ては新定義決めなんかで ヒートしそうなところを夏厨流入で収拾つかなくなりそう 継続して立てて夏厨来る前に新定義決めて人が増えそうな時代に入っておきたいな 982 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 22 46 13 ID PYL5KJbt0 テンプレにこれを追加してみるのはどうか? ttp //www.hoolulu.com/zh/ 繁体字と簡体字でのインターネットで見れる正史です。 ただ、目録ないのが調べにくい。 「漢籍電子文献」もリンク貼ってみる? ttp //www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3 983 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/27(水) 22 52 15 ID g8HrCOGu0 982 それは後者だけあればいいんじゃないかなぁ あと加えるなら ttp //www.angelibrary.com/oldies/zztj/039.htm は如何? 984 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 11 02 58 ID 2DiPEItH0 なんで通鑑の巻39だけなんだw 985 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 16 11 27 ID C+2ZYes90 《正史二十五史》 ttp //www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3 (サイト名 「漢籍電子文献」) 《資治通鑑》 ttp //www.angelibrary.com/oldies/zztj/index.htm (サイト名 「熾天使書城」) あとついでに、ユニコード変換サイト ttp //code.cside.com/3rdpage/jp/unicode/converter.html と、いうのもある。 こんな感じかね? つうか、今頃こんなの出すなよなってねw 正史にしろツガンにしろ、結構需要があることがよくわかった。 そうでなければ、ここでの紹介文が書けないという。 ただ学者じゃないんで、これ以外の史料にまで目を通すとなると不可能。趣味の範囲を超えてしまう。 比較的手に入りやすいものや、すでに所持している人がそれをもとに書くのはいいとして、 通常、基準は正史にしておくのがよいと思われます。 986 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 16 46 46 ID 8eQZ6teR0 985 そうだね。世界史なんかでもある特定の時代や王朝のマニアとかいるけど、 その人たちみたいに深く掘り下げなくてもいいと思う。 専門的なのは特定のスレで語り合ってもらうというのがいいかと。 推薦文ってもあくまで武将をアピールもしくは審査基準にする為のものだし。 987 ◆oOLAqFKRB. 2007/06/28(木) 20 54 21 ID 4HEHJCr80 お久しぶりです岩城っす。 途中退場者の俺ですが(明清は面白くないからさっさと流そうぜ、的な書き込みにちょいと絶望したのです) それでもみんな清朝の名将たちにきっちり向き合ってて、早期退場した自分が恥ずかしくもあり。 今更ながら帰ってきてもいいんでしょうか? まぁ今から清史稿読んでも間に合わんなとは思うけど、次の周回で挙げる余地があったら挙げたい。 ジョーホイとかフカンガとか、ツェリン以外にも康熙帝から乾隆帝にかけての時期には名将多いし。 (特にジョーホイに関してはツェリン死後ジュンガルに最も恐れられた男やし、紹介なしは寂しい) ただ、中期以降の清朝が爛熟と退廃の中でどんどん弱体化して行ったのは同意。 ゆえに後期の名将は探すのが困難を極めるのも同じく。いっそ清将は中期(1840)までで打ち切るってのも手かもね。 それ以降は女性用便器かかえてイギリス軍に突っ込むヘンな戦術(楊芳さん)が真面目に実行される混迷期やし。 あと、これは書き込む必要ないかしれんけど、久々にきて見るとオナニースレとか誹謗中傷的な書き込みが多いやんね。 前はこんなじゃなかったと思うんやが、現在荒廃中? 清朝資料の難しさに真摯な人たちがスレ離れした(明清時代を改めて勉強とか)のが多くて停滞、結果こんな感じになっとるんやろか。 とりあえず次スレがあるならまた参加させて欲しいなーの岩城でした。 988 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 21 41 04 ID 2DiPEItH0 985 熾天使書城の通鑑の底本なに? そこってあちこちの電子書籍を無断で転載してるところだよね そういうのは利用しない方がいいとおもうよ 989 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 22 05 42 ID 8eQZ6teR0 987 清は専門外だがテコ入れしたり、推薦文投下や叩かれながらも 纏めてみたりなんとか力になろうと努力はした。 このスレも一度は滅んだかに見えたがみんなの力で再興出来たし。 ジョーホイ、フカンガについては知識が皆無、サイン=ノヤンことツェリンは ジュンガルのツェリンと紛らわしいがなんとか資料を発掘してきた。 俺にはそれ位しか出来なかった。 これは書き込む必要ないと思うならオナニースレとか誹謗中傷的な書き込みについては 穿り返さないでほしい。 荒らしが消えて漸く落ち着いているのだから。 参加や退場するのは個人の自由、なにも断り入れる必要などないと思うが。 990 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 22 34 23 ID l4RvAQeZ0 タイトル:【確定は】 中国名将百選 其ノ四 【誰だ!?】 【糞スレランク:A+】 直接的な誹謗中傷:90/989 (9.10%) 間接的な誹謗中傷:6/989 (0.61%) 卑猥な表現:76/989 (7.68%) 差別的表現:9/989 (0.91%) 無駄な改行:3/989 (0.30%) 巨大なAAなど:27/989 (2.73%) 同一文章の反復:0/989 (0.00%) by 糞スレチェッカー Ver0.91 http //kabu.tm.land.to/kuso/kuso.cgi?ver=91 これはヒドイですねwwwwwwwww 991 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/28(木) 23 17 11 ID J9qKa0n60 次スレ立てようと思ったら弾かれた。 誰か、あとを頼む。なるべく早い次スレ立てを望む。 992 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 17 33 23 ID WCcNNLVa0 新スレ立ててきたよ。 テンプレなど足りない部分は補足お願いします。 993 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 17 42 05 ID WCcNNLVa0 【推薦】 中国名将百選 其ノ五 【選考】 ttp //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1183105131/ 994 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 22 00 37 ID GD2SEWTc0 992 ごくろうさまでした。 988 そうか、それは思い至らなかった。 ツガンはあまり参考にしないかな…? 特にテンプレにいれる必要もないかな。 二十五史はテンプレにしてたほうがいいと思うので、追加しときます。 995 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 22 55 43 ID WCcNNLVa0 新スレあんな感じでよかった? いよいよ5スレ目に突入ですな。 あとはまとめサイトを誰か作ってくれれば・・・ (俺にはそんな技術ないしな・・・) 996 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 23 03 01 ID 9QPdjGy70 確定の面子だけでも書いといたほうが 997 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/29(金) 23 48 33 ID CsAov2Lf0 995 スレ立て乙です 996 とりあえず、ここまで使ってきてた定義と 891の確定・候補リストを追加しときました 998 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/30(土) 02 34 22 ID mXj63XXq0 994 『資治通鑑』jは入れたほうがいいと思うぞ 999 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/30(土) 09 48 45 ID 4SNCN8Ok0 998 その意見はありがたく拝聴する。 アドレスさらしてくれ。 そして、梅 1000 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 10 33 24 ID M/sbHO3aO 1000ならお前らが今の苦悩から解放される 1001 1001 Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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501 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/19(土) 18 55 33 ID XvdfT6pW0 まあ徐達は敵に単騎で突っ込んでいったりはしないだろうなw 502 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/19(土) 22 05 33 ID hj44a9pU0 485 >明末の女将軍。女なのにすごいのである。 なにが凄いのかあまりにも漠然としてるので代わりに紹介しとく。 つーか推薦するのかしないのかはっきりしろw 秦良玉 四川省忠州の人。馬千乗の妻で騎射を得意とし、文章に通じ、常に男装していた。 万暦二十七年夫とともに播州の乱を討って功績を挙げる。 馬千乗が事件に連座して獄死すると、その職を継ぎ、石[石主]宣撫使に任ぜられた。 その部衆は白杆兵と称し、勇敢なことで知られた。 天啓元年、援遼の戦に出兵、後金軍と戦う。また奢崇明の乱の平定でも活躍。 その功により都督僉事に任ぜられ、総兵官となった。 崇禎年間には農民反乱の討伐の為、各地を転戦。 その功により太子太保・都督となる。 十七年には張献忠の侵入を阻止したが病死している 張献忠は李自成と朋輩で湖南・江西から四川に入って独立勢力を樹立。 のちに成都に拠って称帝を称し、大西国を建てた人物。 ちなみに張献忠の養子で南明と結んで清に抵抗した。李定国ていう奴もいる。 503 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 01 24 58 ID DiRdFEqc0 朱元璋政権がある程度大きくなる前に散っていった武将ってあんまいないな~・・・ こんなんおるけどどう? 胡大海 比較的初期の段階から朱元璋軍に参加した武将で、 明史はその人物を長身鉄面、智力過人と評している。 朱元璋軍が太平を陥れるぐらいまでは突出した活躍は見せないが、 朱元璋軍が徽州を攻略し、間も無く苗族の元将であり、 張士誠の宿敵でもあった楊完者が十万の兵を率いて攻め込んでくると、 胡大海は兵を率いて見事にこれを撃退するという戦功を挙げる。 そして、これより彼の華々しい戦跡が刻まれていく。 鄧愈・李文忠とともに元の将軍の守る建徳を破り、再び楊完者を撃破して三万人の捕虜を得、 次に元将石抹厚孫の守る婺州を、石抹宜孫の派遣した胡深率いる二万の援軍を破りつつ占領。 更に、張士誠領の諸曁を攻略し、その勢いで紹興(お酒で有名)まで侵攻。 しかし、張士誠も黙ってはいない、呂珍(私見では張士徳亡き後の張士誠軍随一の名将)を派遣して諸曁の地の奪回を図る。 胡大海は急ぎ救援に向かい、堰を決壊させて水攻めを行おうとしていた呂珍から堰を奪い取り、 逆に呂珍軍営を水浸しにして、呂珍を捕え、これを釈放した。 ついで元将石抹宜孫の守る処州を攻撃、武将の胡深を降伏させ、 更に石抹宜孫と浙東の四先生と称される章溢や葉琛率いる処州軍を破り処州を占領する。 んでもって、陳友諒配下の将である李明道(犬好きで有名)が信州に侵攻してきた際には、 これを迎撃して、李明道を降伏させている(後に叛旗を翻し再び陳友諒に寝返るのだが・・・)。 これより先、胡大海が建徳を攻略した後、楊完者の配下の将であった蒋英等が投降してきた。 主である楊完者が張士誠(当時は元に降伏していた)と同僚であったはずの 元将達識帖木児の手によって謀殺され、拠るべき所を失っていたのである。 胡大海は蒋英らの勇猛さに惚れ込み、すぐさまこれを自己の配下に組み入れた。 (これからは少し推測が入る) 楊完者の軍は漢民族から見れば野蛮な苗族の軍団であり、 軍の綱紀は緩みっぱなしで、略奪、淫行、殺傷等は是とされていた。 しかし、朱元璋軍は綱紀が非常に厳しく胡大海自身も平時から 殺人と淫行と放火だけは絶対にやってはならんと兵に厳命していた。 蒋英等は次第にそんな窮屈な軍団に嫌気がさし、そして、彼らは遂に行動を起こす。 胡大海の守護する婺州にて、反乱の狼煙を上げ、胡大海を殺害してしまったのだ。 蒋英らはその後胡大海の首を持って方国珍に降ろうとしたが、 朱元璋の怒りをかう事を恐れた方国珍は兄の方国璋に境界線を守らせた。 これに怒った蒋英は方国璋を殺害して、結局は張士誠に降った。 その後、李文忠が杭州を攻略した際、蒋英は捕えられ、 朱元璋によって処刑され、その血をもって胡大海を祀ったとされている。 長文スマソ 504 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 01 44 46 ID /nNiDMhI0 胡大海好きなんだけど十選はきついだろうなぁ その時代には徐達常遇春をはじめとして六王に、馮勝や傅友徳、 ちょっと下がって藍玉と錚々たるメンツがいるし 個人的には徐達・常遇春と並んで朱元璋が最も信頼してた将軍だったけど クーデター企てて処刑されて正史に伝も立ててもらえなかったっていう邵栄が気になる 505 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 02 01 38 ID giuFVJcO0 明はよくわからんので明の名将でぐぐってみた 于謙 袁崇煥 戚継光 兪大猷 李如松 シラネ 506 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 02 04 34 ID DiRdFEqc0 もいっちょ 胡深 父は元朝の官僚であり、由緒正しい処州の学者先生であったが、元末の兵乱が激化し、 郷里の周囲でも群盗が猛威を振るうようになると、胡深は郷里の子弟を集め義兵を組織し賊に対抗した。 そして、処州の元将 石抹宜孫に見出され、参軍事として彼の帷幕に加わる。 その後は、数千の兵を集めて山賊を駆逐し、温州の韓虎を破るなど多くの戦功を挙げる。 この間、同じく石抹宜孫に助力していた劉基や章溢(以前からの学友でもある)、葉琛などの著名な学者達と親交を深める。 至正十八年(1358)、朱元璋の軍が婺州に迫ると胡深は救援軍の司令官に抜擢され、 数万の民兵と百両の戦車を率いて婺州へと向かった。 しかし、婺州への道中、朱元璋軍に遭遇して敗れ、撤退。 救援の望みを絶たれた婺州は朱元璋に降伏した。 至正十九年(1359)、朱元璋の処州攻撃が始まると、 胡深は処州の龍泉、慶元、松陽、遂昌の四県を以って抵抗したが、 降伏派に傾いていた四県の士民の説得を受け、遂に降伏。 以前から胡深の名を聞き知っていた朱元璋は、 早速胡深を応天に招待し、日々天下のことを論じ合ったという。 後、胡深は命を受けて処州へと向かい、もともと率いていた兵士たちを招集し、江西征伐に参加。 至正二十二年(1362)、処州の苗族の兵士達が反乱を起こし守将の耿再成を殺すと、平章の邵榮に従い討伐に従事。 この功を以って浙東行省左右司郎中の官を授けられ、処州の軍民を総制した。 この時、処州の治安はあまり良いと言える状態ではなく、各地で賊が出没していた。 その為、胡深は数万の兵を募って賊の一斉討伐にかかり、その首領たちを捕えることに成功する。 至正二十三年(1363)、諸曁の守将 謝再興が朱元璋に叛旗を翻し、 張士誠の軍とともに東陽を攻めると、胡深は李文忠の先鋒として活躍し、遂に謝再興は敗走。 謝再興を破った後、胡深は諸曁を張士誠軍に対する防衛の鼎にしようと進言して聞き入れられ、五指山に新城を建設した。 後、張士誠の将 李伯昇が大軍を以って攻め入った際、この新城をどうしても抜くことが出来ず、敗走。 胡深は、新城建設を建言した功により、朱元璋より名馬を賜ったという。 至正二十四年(1364)、胡深は継続して処州を守り、方国珍の従子 方明善を破るなどの戦功を挙げる。 後、陳友定の軍が処州の境を侵したので、胡深はこれを破り、更にこれを追って捕城を攻略。 胡深は戦勝の勢いに乗って進撃を続け松渓の守将 張子玉を捕える。 そして、朱元璋が派遣した朱亮祖・王溥の軍と合流し、進撃を再開。 しかし、これまでの進撃があまりに性急過ぎたことから、軍に乱れが出始めていた。 胡深はこれに気付き、少し進撃の速度を緩めようとするが、 朱亮祖の反対にあい、結局そのままの調子で陳友定の本拠である延平に向かった。 そして、胡深たちが錦江を行軍していると、陳友定の将 阮徳柔の奇襲にあい、 胡深は何とか撤退しようと柵を二つ破るが、陳友定自らが率いる精鋭の攻撃を受け、遂に捕えられてしまう。 捕えられた胡深は礼をつくして迎えられ、陳友定から自分の部下にならないかと誘われたが、 胡深は頑としてこの要求を受け付けなかった。 陳友定は殺すのは惜しいと思いつつも、元朝の使者がいる目の前で賊軍の将を生かしておくことは出来なかった為、 ここに到って胡深は遂に処刑されてしまった。 後に、朱元璋は陳友定を捕えると「貴様は我が参軍を害した」と痛罵し、 これをその子もろとも殺したという記述が明実録に載っており、 また、陳友定の屍肉を胡深の墓に祀ったという話も伝わっている。 胡深の死後、宋濂と朱元璋は胡深の人物を論じ合い、宋濂は「文武の才」と評し、 朱元璋は宋濂の評価を認めたうえで「浙東の一障であり、私はこれに頼っていた」と語り、その才を賞賛したという。 文武両道に通じていたという、当時としては珍しいタイプの将軍さんです。 相変わらず長文になってしまいました。 507 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 02 26 49 ID IMB/AYN20 朱元璋政権がある程度大きくなる前に散っていった武将 真っ先に花雲が思い浮かんだ コイツの最後の言葉を読んだ後に、洪武帝の粛正を見ると虚しい…… 508 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 03 04 49 ID 3W7CTJwJ0 504 朱元璋が最も信頼していた三人の一人になんでしょ?>邵栄 505 袁崇煥、戚継光は一応紹介文を挙げてるよ。 于謙は宣宗に従って漢王・朱高煦の乱の鎮圧したり、 オイラートから北京を死守したりしてる。 あまりに堅固な守りにエセンも攻め切れなかった。 兪大猷 嘉靖期の対倭寇戦で戚継光と共に活躍し、 海賊の討伐などに功績を挙げ、広東の防衛に抜擢され総督・欧陽必進に重く用いられ、 対ベトナム戦では数々の功績を挙げている。 李如松はボバイの乱の鎮圧で功績を挙げ、秀吉の朝鮮出兵の際には援軍の総督として活躍している。 うーん明末とか詳しい人いないんのかな? 話題が洪武帝陣営に偏ってますなぁ。 509 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 03 28 07 ID aY64Pf2/0 鬼石曼子ちゃんの猛勇っぷりには明の名将もタジタジだよ 510 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 10 47 02 ID YjfsUI+3O 509 碧蹄館に島津居たっけ? あれの日本軍主力は小早川、宇喜多、立花あたりでしよ 511 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 11 29 43 ID 3W7CTJwJ0 510 碧蹄館に島津は参加してないよね。 島津が主に活躍したのは慶長の役。 鬼石曼子(おにしまづ)と恐れられたのは泗川の戦いだし。 512 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 12 28 56 ID DiRdFEqc0 邵栄は伝がないからきついな~・・・ 取り敢えず史料から適当に記述を拾って組み合わせてみるか。 邵栄の取り敢えずハッキリしている戦績 対張士誠戦 至正十八年(1358)、徐達とともに張士誠領の宜興を攻略 至正十九年(1359)、餘杭において張士誠軍を破る。 張士誠領の湖州を攻撃するが失敗し、一時撤退、 勢いに乗じて張士誠配下の将李伯昇が攻め寄せてくるも、 事前にこれを察知していた邵栄は兵を伏せてこれを迎え撃ち大いに破った。 杭州を攻めるが張士誠は達識帖木児と共同戦線を張りこれに対抗、 ちなみに張士誠の書記である陳基の残した記録には、 この時邵栄の軍は四方を略奪し、民家を焼き、墓を暴くなどの蛮行を働いたと記されている。 至正二十年(1360)、杭州の包囲は三ヶ月に及んだが結局攻めきれず撤退。 至正二十二年(1362)、蒋英の反乱に乗じて張士誠は兵を上げ、弟の張士信に兵を預けて諸曁を大軍を持って攻撃、 諸曁の守将謝再興はこのままではこらえ切れないと援軍を要請、 邵栄は徐達とともに援軍に赴き、張士信はこの援軍を見て殆ど戦わずして逃亡した。 その他 至正二十年、陳友諒が応天府に向けて軍を発したので、諸将とともにこれを迎え撃ち、 陳友諒の弟陳友仁を拒むなどして戦功を挙げる。(史上名高い江東橋の計) 至正二十二年、婺州の苗将蒋英が反乱を起こしたことを知った、 お隣処州の苗将李祐之は蒋英に続けとばかりに反乱を起こし守将の耿再成を殺害、 邵栄は胡深らとともにこれを平らげる。 513 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 13 09 20 ID 3W7CTJwJ0 512 邵栄の事って他の奴の伝とかにちらほら記載されてる程度なんだろ? 514 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 13 33 30 ID DiRdFEqc0 513 確かに明史の太祖本紀では確かに反乱を起こしたことしか書いていません。 しかし、実録とかの記述を丁寧に見ていけば結構見つかります。 まぁ、俺が参考にしたのは国初群雄事略の引用文だけどね。 515 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 13 39 01 ID /nNiDMhI0 明史なんて実録の索引くらいにしか役に立たないなんていう人もいるくらいだし 516 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 16 35 21 ID 3W7CTJwJ0 514 朱元璋って邵栄の指揮能力を高く評価していたんでしょ? 国初群雄事略ですかいいなー。 てっきり、あちこちから記述を探してきたんだろうな、 乙だなぁーと思ってたからね。 それと貴重な推薦文職人が居てくれるのは大変有り難いことです。 515 なるほど。 いろいろな話が聞けるのがここスレの良いところだよな。 517 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 18 17 19 ID XkY4aN8NO 489 韓世忠の嫁さんの梁夫人なんかも結構女傑として有名だよな。 女傑と云えば戚継光夫人の王氏なんかも、自ら軍勢を率いて倭寇と戦ったりしてるんだって。 やっぱ似たもの同士は引かれ合うのかな? 518 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 18 33 54 ID Ooz8jJqI0 いや、戚さんはMだし・・・ 519 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 20 47 33 ID OxJaL/s+0 517 戚継光は有名な恐妻家だぞ。 ジョークのネタにもなってる。 520 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 22 19 05 ID 3W7CTJwJ0 王守仁 余姚(浙江)出身。字は伯安、号は陽明。王陽明として知られている。 文臣としては明代を通じて武功第一と称される。 当時の江西省の南籟地方、福建省の汀州、澄押や広東省の治安維持を命ぜられ、 約一年半の間にこれらの地方の険難なところに要塞を作り、賊の討伐に当たった。 この地方には過去にも多くの武将が賊討伐を命ぜられ遠征したが、 ことごとく敗退し、いまだ平定されていない危険な土地として知られていた。 王守仁は既にあらゆる兵法に通じ、向かうところ敵なしの圧倒的な強さを誇った。 王守仁は寧王の乱を14日で鎮圧し、南京兵部尚書・新建伯に封じられ、 広西瑤族を平定するが帰途に江西省南安で没している。 寧王の乱について 寧王、諱は宸濠。 太祖の第17子の寧献王権の曾孫の康王覲鈞の長子。 弘治十二年に寧王を継ぎ南昌に居した。 寧王は軽佻かつ貪欲でしかも兵事を好み、劉瑾への贈賄で護衛兵数の回復を画策、 都指揮使殺害・知府幽閉・群盗との結託するなど非道であり、 広東からは仏郎機銃などの武器を調達し、同時に私造を行ない、 正徳十四年6月に至って討伐令が発せられた。 初めの内は官軍をたびたび撃退して武宗を南京まで親征させるも、 まもなく巡撫の王守仁に鎮圧された。 武宗期の地方叛乱では最大規模とされ、 しかも首謀者が宗室で計画的である点でも重視されている。 十傑入りは無理だろうが王守仁は一発屋と扱うのは過少評価し過ぎだと思う。 取り敢えず紹介文をあげただけどね。結構この人好きだしw 521 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 23 10 21 ID S8yY944J0 鄭和ってよくわからんな 名将っていえるのか 522 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/20(日) 23 29 45 ID Rbu/mWV3O 普通は呼ばないな。 523 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/21(月) 22 59 15 ID rlTC2dHe0 519 戚継光が部下の兵士たちに女房を恐れない男こそ真の勇者だと言ったあと 女房が怖い奴は俺の側に来いと命令したら一人だけ来なかった奴がいて その訳を聞いたら女房に話が聞こえない時は、その場でじっとして動くな って言われてるんですと答えたんだろ? 524 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/24(木) 00 11 18 ID WAVCnusI0 田中某氏「中国武将列伝」 ttp //www1.ocn.ne.jp/~matsuo3/books/chugokubusho.htm 525 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/24(木) 09 18 19 ID X82UmEN7O この人の名将百選は頭に『小説のネタになりそうな』ってのがつくよね 526 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/27(日) 03 21 57 ID WinA/SEIO 李自成に滅ぼされた明と同様、このスレも完全に滅んだな… 527 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 09 34 56 ID Ypeu+frZ0 526 語り尽くされた感じだからね 俺は楽しかった一睡夢 528 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 09 49 48 ID bbIxGFfk0 ぶっちゃけ明以降面白くないんだよね~ 529 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/27(日) 12 58 42 ID TMRvy98P0 せっかく今まで議論を尽くしてきたんでどなたかこれまでに決定した百選リストをまとめてもらえないでしょうか? 530 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 13 56 57 ID WinA/SEIO 春秋戦国 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 【確定】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定) 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 【確定】 劉秀、馮異、樊崇、耿 (エン)、呉漢、班超、段 (ケイ)、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 三国~両晋 【確定】 トウ艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 南北朝 【確定】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋 (トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 隋・唐 【確定】 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 【候補・議論中】 李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替) 五代~北宋・遼 【確定】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、 (チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 【確定】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、伯顔(バヤン)、トゥルイ、阿朮(アジュ)、速不台(スブタイ)、察罕帖木児(チャガン・テムル)、 【候補・議論中】 海山(カイシャン)、張弘範 、郭侃、阿里海牙(アリハイヤ)、張俊 拡廓帖木児(ココテムル) 明 【確定】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥 、朱元璋、張士徳、李文忠、李自成 【候補・議論中?】 李自成、邵栄、秦良玉、胡深 議論保留中の武将もいるので 529さんこんなんでいいっすか? 531 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 14 04 30 ID WinA/SEIO スマソ 530を訂正 明 【確定】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥 、朱元璋、張士徳、李文忠 【候補・議論中?】 李自成、邵栄、秦良玉、胡深 532 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 14 24 17 ID TMRvy98P0 530-531 レスサンクスです こうやって改めて眺めてみるとなかなかいい人選ですね 某作家の百選よりもだいぶ良いものが出来たんじゃないでしょうか 533 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 14 29 15 ID WinA/SEIO 何度もスマソ 改めて貼り直して置くよ 532さんさっきのは忘れてw 春秋戦国 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 【確定】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定) 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 【確定】 劉秀、馮異、樊崇、耿 (エン)、呉漢、班超、段 (ケイ)、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 三国~両晋 【確定】 トウ艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 南北朝 【確定】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋 (トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 隋・唐 【確定】 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 【候補・議論中】 李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替) 五代~北宋・遼 【確定】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、 (チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 【確定】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、伯顔(バヤン)、トゥルイ、阿朮(アジュ)、速不台(スブタイ)、察罕帖木児(チャガン・テムル)、 【候補・議論中】 海山(カイシャン)、張弘範、郭侃、阿里海牙(アリハイヤ)、張俊 拡廓帖木児(ココテムル) 明 【確定】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳 【候補・議論中?】 李自成、邵栄、秦良玉、胡深 534 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 15 15 22 ID TMRvy98P0 533さん度々ありがとうございます 後漢の確定に樊崇が入ってますけど、候補になっている岑彭、周瑜を上回る功績があるんですかね? 樊崇外して岑彭、周瑜の二人を確定に繰上げで良いような気もするんですが… 535 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 16 17 51 ID WinA/SEIO 534 岑彭、周瑜については散々話合いましたが決着はついていません。 故に【候補・議論中】となっております。 また光武帝陣営に偏らないようバランスを配慮して話合いましたし、 樊崇は一応天下を取ってるなども配慮に入れて確定入りとなった訳で。 なお当時樊崇の確定入りに強い反対意見はなかった様な… 【王莽】新~後漢初【光武帝】のスレとはいろいろと事情が異なりますし。 そちらでも同じ様な話してますね、 あちらには前スレよりのレスも投下されてますし。 まあ後漢王朝が立ち直れなかった様にここも立ち直れず滅んだわけで… 536 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 17 05 48 ID jTP/VHA/O つーか、明代は9人確定してんだし、次に進まない? 議論してるわけじゃないし、誰か特別に推薦したい人物もいないみたいだし。 537 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 17 48 06 ID WinA/SEIO 536 つーか、明代は9人確定してんだし、次に進まない? あれが確定かどうかは知らないけど あくまで要請に答え俺が勝手に投下してみた訳であり (確定の9人は今までのレスを読んで勝手に判断しただけ) あとで俺のせいにされたくないからこれが9人が確定確定だとは断言できない。 そんなに次の時代に行きたければ言い出しっぺの貴方が仕切ればいいじゃん。 ただそれだけの話… 538 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 09 52 16 ID ca8WQ46h0 536 次に進まない?と言うだけで結局は自分は何もしないんだな・・・ 539 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 12 24 01 ID x11xoASi0 清 ヌルハチ ホンタイジ 540 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 18 58 56 ID qtfZRqEt0 538 それはちょっとひどい言い草だと思うぞ。 まとめしてくれてるんだよ、その人。 541 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 19 56 47 ID 56ZmtU4M0 曽国藩 李鴻章 542 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 20 21 15 ID IBQjnampO 540 537だけど明の確定9人は俺の勝手な判断だって言ってんじゃん。 だったらこれでいいかい?って提案するなり清の候補貼り付けるなり なにかしら行動起こしたらいいんじゃないか? 結局、何もしないんじゃ言うだけかとか他力本願に見られても仕方ないと思うぞ。 543 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 22 07 59 ID qtfZRqEt0 542 そりゃすまん。 最近ROM専なもんで、とやかく言えた義理ではないわな。 544 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/28(月) 22 55 51 ID IBQjnampO 543 いやいや別に貴方のこと責めた訳でないよ。 俺自身何度か仕切ったこと経験があるから意見を述べただけなんだよ。 言うだけじゃなんだから例として一応貼って置くよ 明 【確定】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳 【候補・議論中?】 李自成、邵栄、秦良玉、胡深 以上9名が確定でいいかな? 既に清に移ってます異論がなければよ続行でよろしいですかね? てな感じで投下したらいいんじゃない? ついでに清の候補も貼って置くよ。 清 【候補】 奴児哈赤(ヌルハチ) 、ホンタイジ、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン) 康熙帝・玄? 、岳鐘 、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン)、宋景詩 、関天培、 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、 劉永福、曽国藩、李鴻章 545 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/29(火) 20 01 43 ID pzG7H9OR0 オナニースレ 546 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/30(水) 22 18 42 ID 2aGO/LBC0 ドルゴンや康熙帝って、名将って言うより名宰相の範疇のような・・ 皇帝を「名宰相」っていうのもヘンだが。 547 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 17 50 57 ID v5UBkifv0 鄭成功は名将ではないのかな。 あと、施ロウとか。 548 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/31(木) 19 06 07 ID 7H/ReGAz0 張煌言が居てこその鄭成功だからなぁ。 最後に別動隊任せなかったらとも思うが、張煌言以外には任せられんかったしな。 549 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/31(木) 19 44 17 ID 7H/ReGAz0 別に上司と配下といった関係でもないが。 550 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 22 07 05 ID m/4VvuWu0 わからん 551 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 22 56 25 ID YOe+66RB0 戦場を選ばなかった呉三桂はどうか 552 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 22 59 38 ID uowr7EiP0 呉三桂は前スレだと明のほうの候補に挙がってたな 推す人がいなかったからかいつの間にか消えてるけど 553 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 23 33 06 ID WxfhWzwA0 過去ログ見れないのか 蒙恬や馬援、高仙芝、尉遅敬徳、高長恭とか 知名度高いのが入ってないと寂しいな 純粋な戦績だけで判断してるのかね? 人格や名声、感化力・影響力は関係ナッシング? 554 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/31(木) 23 37 03 ID XSFT4IIP0 553 ある程度まとまった大軍を指揮して、あげた戦績のみで評価している。 人格や名声、感化力・影響力は評価の範囲外。 555 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 00 52 36 ID PixSUAiD0 まあここの住人の気質だと心理的にそんな選び方になるのも仕方あるまい 大輪の華より小粒でもいぶし銀ってか 556 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 01 19 32 ID ZUetwaSG0 アンチ田中ってのもあるっぽいしなw 557 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 17 21 54 ID 5MIIGfx60 確かに英雄が抜けてると地味で小粒に見えるな… 558 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 18 47 32 ID Ngu8f8gr0 今ランクインしてる奴だって 蒙恬や馬援、高仙芝、尉遅敬徳、高長恭とかに劣らない程の知名度だと思うが 559 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 18 50 05 ID 8W74ryDg0 今度は軍事面に限定せずに、総合的な能力で百選でも決めてみる? 560 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 21 08 13 ID bH0h+rEOO 薛仁貴とか人気面から入った人もいるけど? 561 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/01(金) 21 14 23 ID wJmrVkd40 なんだか、自分好みな話題になりつつあるな。 合理的な能力、実績主義だけじゃなく、人格や人気、あるいは民衆受けする名将というのも、おいおい語りたいものだ。 高仙芝、尉遅敬徳 は一刀に乱麻を断たれていたように記憶する。 高仙芝は歴史的敗戦、尉遅恭は猛将色がより濃いから、だっけ… 562 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 21 23 15 ID GTGWB+la0 いいんじゃない 所詮おまえらのオナニーなんだし 563 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 22 07 24 ID VII9dHmAO 562 じゃあ来るな!! 564 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 23 35 56 ID glnEbLVX0 551 今スレでは呉三桂の推薦文も推す声もなかった。 553 蒙恬 オルドスを撃ってたりするが実績不足。推す声はあったが結局落選。 馬援 推薦文も後押しもしたが二度の反乱鎮圧程度じゃ駄目なんだって。 高仙芝 一人躍起になって推す人が居たが タリム河での敗北が大きなマイナスポイントとして指摘されやはり落選。 尉遅敬徳 >尉遅恭・秦瓊の「門神コンビ」も絶対に外せないところですね。 これ以外記憶に残ってない… 高長恭 推したが名将とは言い難いと却下された。 558 同意 そんなに知名度ない連中ばかりとは思えないし。 565 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/01(金) 23 36 57 ID glnEbLVX0 連投スマソ 561 ◆RQdk7scN8sさん久しぶりの登場だね。(この間はどうもでした) ◆oOLAqFKRB.さんはもう参加しないつもりなのかな? ところで皆さん取り敢えず清を片付けないの? 前スレで清は奴児哈赤(ヌルハチ)、阿巴泰(アハタイ)、施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン)が確定 あとは洪承疇と宋景詩を推してる人がいたんで、 とりあえずこの2人は暫定的に確定にしてたね。 候補は楊遇春、李長庚、明亮、兆恵、阿桂。 あと林則徐も推す声があったな。 566 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 09 10 ID r9LAgQ5N0 知名度っていうより、押しのけて選ばれてる割に華がない面子が多いんだよな ドライっていえばドライな人選なんだろうが ただの戦争の達人100選って感じ 人格や名声も大事な要素だと思った 567 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 18 25 ID hsxZFuK80 まあ4スレ消費した現在、今更方針変えても仕方ないし、 名声や人望含めたら田中某氏のと変わりなくなっちゃうから これはこれでいいんじゃね? 568 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 27 14 ID rhDYg+KE0 蒙恬や馬援、高仙芝、尉遅敬徳、高長恭って華があるのか? 後ろ二人はまぁ、そう言えるかも知れないが 高長恭は同時期に斛律光が居て、彼の方が明らかに功績が大きいという理由だ 569 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 30 45 ID I6O/iX3A0 まあ話合いの中で選定基準が自然と決まっていったからね。 華がないとは例えば誰? 570 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 39 57 ID dVrWM6S90 一人で選ぶなら人格とかイメージとか含めてもいいけど 多人数でやるならなるべく選考基準を単純にしないと紛糾してしょうがない 571 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 40 40 ID d7qBIgsm0 566 ROMるなりしてたらこのスレの趣旨や傾向性がわかるよ。 そろそろ清の名将について語ろうか。 ↓ 572 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 46 08 ID gOKN0tFJ0 568 ああ、蒙恬や馬援とか言ってるのは俺じゃない。普段はただのROMだ 横槍すまんかった 通常通り続けてくれ 573 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 50 13 ID dVrWM6S90 565 林則徐の軍事的功績って何があったっけ? 574 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 54 13 ID uRbrcXKD0 人格やエピソードの面白味などを基準にすると、どうしたって個人の差異が現われてくる。 570氏がおっしゃられているが、一人が選別するのならそれでいいし、個人の趣味嗜好をとやかく 言う事ではないが、複数人でやるのならそれは単なる雑談で百選にはならないだろう。 少なくとも、選別してふるいにかける基準にはならない。 575 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 00 56 49 ID QjYrM3Dh0 林則徐はアヘン奪って焼き払ったイメージしかないな・・・ それに彼は政治家だろ? 576 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 01 15 48 ID B3NM3b5m0 そりゃエピソードの面白みを語るだけじゃ個人の趣味嗜好に偏りますわな。 むしろ人格そのものっていうより、それにともなう後世への影響力の方が大事。 名声が高い人は死後各地に祀られたりしてるし、十分客観的な判断になる。 かといって関羽を百選に推すわけではないので悪しからず。 しかし、例えば清だと袁世凱の実績は素晴らしくても名将に上げる人間はいないと思うが、 やはり何かしら人格を加味して見ているからだろう。 結局イメージなんだよね。 577 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 01 21 46 ID rhDYg+KE0 洪承疇は軍閥じゃないから安心して清に使われたみたいだけど 逆に言えば、私兵じゃないのにしっかり活躍してるのは彼の指揮能力じゃないか 578 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 03 18 12 ID I6O/iX3A0 573 575 林則徐はアヘン戦争での指揮を執ってるらしい。 576 エピや人格も全面に押し出して語っていたら荒れた事もあったのさ。 さっきもいったが話合いの中で決まっていったんだよ。選定基準が。 はっきり言って人格は無視されてるし。 初代、二代目のスレが途中までだかキャッシュに残ってるから 特に 576は読んだ方がいい。このスレのことがよく分かるはず。 579 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 07 21 08 ID I6O/iX3A0 前スレより 195 ナナシ 2007/01/08(月) 00 35 43 ID LKoNrYsf0 左宗棠入れるなら林則徐のほうがよくないか? ただ硬骨なだけの政治家という勿れ、 保守的な清朝にあってポルトガル砲や洋式銃を輸入して 西欧列国に対抗しようとした戦略眼は並々ならぬものがある。 第一次アヘン戦争では見事イギリス軍を撃退したし。 二度目はなかったけどな、さすがに。 580 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 09 33 49 ID llfI/jNi0 人気の岑彭、周瑜を外して、樊崇を入れているところにこのスレの誇りや凄みをむしろ感じる。 自分は渋い人選だと思っているよ。(司馬懿や陸遜まで落選させているし) 華や知名度、人格の後世への影響力を加味する人選なら、田中某がすでにしているし、 もはや必要ないと思われる。 また、三国志のスレですら、それを考慮して関羽・趙雲の話になったら、荒れることが多い。 やめた方が無難。 581 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 10 17 02 ID ubomuLi+O 華や知名度、人格の後世への影響力とかの話はもういいから清の武将の話、選定をしようぜ。 確定から外れてる自分の贔屓の武将はその人自身が名将だと認知してればいいじゃん。 ここはここのやり方で今まで選定して来たんだからそれはそれで納得しとけ。 582 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 10 40 50 ID rhDYg+KE0 579 しかしそれでも軍事的功績・能力なら左宗棠ジャマイカ 583 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 12 06 58 ID y1a+m0DA0 林則徐は中国の民族的英雄には選出できるだろうけどね。 このスレの趣旨に従うなら、両者を比べた場合どちらかと問われればやはり左宗棠だろうな。 584 勝手にテコ入れしてる人 sage 2007/06/02(土) 12 32 51 ID I6O/iX3A0 582-583 前スレで挙げた本人でも無理に推すつもりはないし、 あくまでテコ入れのつもりで前スレよりコピペしただけなので、 このスレ的にも将としても左宗棠>林則徐なら左宗棠に代えてもいいと思うよ。 580 >このスレの誇りや凄みをむしろ感じる。 >自分は渋い人選だと思っているよ。 春秋・戦国から明まで選考に関わり数多くの推薦文を挙げてきた内の一人としては、 そう言ってもらえると嬉しい限りだよ。 585 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 13 09 10 ID ohsItivw0 費揚古(フィヤング)って入って無いの? ジュンガル遠征でガルダン・ハーンを破ったらしいが… 586 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 13 34 09 ID dVrWM6S90 579 >保守的な清朝にあってポルトガル砲や洋式銃を輸入して >西欧列国に対抗しようとした戦略眼は並々ならぬものがある。 これはこのスレでは評価外だな >第一次アヘン戦争では見事イギリス軍を撃退したし。 これはなんのことだろ? 587 勝手にテコ入れしてる人 sage 2007/06/02(土) 14 34 48 ID I6O/iX3A0 585 またまた前スレよりコピペ >費揚古(フィヤング)は名将というにはちょっと不足の気が。 >オヤジのコネで軍隊司令官になったわけで、個々の戦場でも >目だった戦績(寡兵で大軍を破るとか)があるわけでもなし。 >岡田英弘『康熙帝の手紙』読む限り、ジュンガル戦の功績も >「勝つべくして勝った戦」のような気がする。 >それを言ったら乾隆年間の征服戦も圧倒的兵力で突き進んだわけで、 >個々の武将の力量というのもあまり影響していない。 とのこと。 自分の推したい武将がいる人は 2にも書いてるし、 今まで散々言ってきたんだけど推薦文を投下したらいいんじゃない。 あと 578にも書いたけど初代、二代目のスレは、 ある程度のところまでレスが残ってるから読んでみれば。 588 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 18 16 20 ID wcsLY3N10 やっぱおまえらとは趣味が合わんわ 一生世間から隠れて論評してろや じゃあな 589 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 18 36 00 ID CG7RHPO40 安易に名将って銘打つから紛らわしいんだよきっと。初めての人が文句言うのもわからんでもない。 名将100選じゃなくて戦争の達人100選、 もしくは、私のオナニー100選なら皆が納得すると思うよ。 590 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 18 53 12 ID 02lqZA9u0 林は軍隊指揮してないだろ?戦争始まったらすぐ総督解任されてるし。 アヘンの名将を挙げるなら関天培や陳化成かと。 591 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 19 32 09 ID 8H41AyIe0 関天培も陳化成も一矢も報いることが出来ずに敗死してるから、 名将とは言いがたいかと。 592 勝手にテコ入れしてる人 sage 2007/06/02(土) 19 58 48 ID I6O/iX3A0 林則徐については勉強不足なのに思い込みで書いた部分があった・・・スマソ 関天培や陳化成は駄目みたいたが(どっちかと言えば英雄だね) 太平天国の乱から名前が挙がってる曽国藩・李鴻章はどうなの? 593 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/02(土) 19 58 57 ID 02lqZA9u0 そうかと? 確かに名将というより英雄かと。 594 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 00 00 23 ID y2eKuzIw0 曽国藩は「本人が前線に出たら負ける」なんて評判があったとか。 政治家、オルガナイザー、戦争指導者としては評価できるが、このスレで求められる 前線指揮官としてはちょっと。 595 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 00 53 15 ID bWEglzWQ0 南北戦争のマクレランみたいなもんかな 596 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 02 01 31 ID t5J2vuuj0 マクレランはアンティータムで勝ってるじゃん。 597 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 11 08 12 ID hUFR8iaAO 五代・宋・元あたりまでいたコテ連中の行為は正にオナニー 自分達だけ気持よくなって出すもん出したらティッシュ丸めてポイ、あとは知らん顔だもんな 598 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 11 36 29 ID U8cdgx6E0 日清戦争は日本が強すぎたのか清側に目立った名将がいないな。 しかし、もう既に戦艦や大砲で戦う近代兵器の時代なんだな。 >・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 清仏戦争もNGか? 599 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 12 02 44 ID jsWq8mMR0 1912年の清滅亡までならいいんじゃないの? 544に貼ってる清の候補(?)には清仏戦争や日清戦争後に日本軍に抵抗した、 劉永福みたいな人物も一応入ってるし。 前スレでは馬上で指揮を執ってたらいいんじゃないって書いてた希ガス… 600 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/03(日) 15 53 18 ID 5GhkhSOV0 597 ほんとうに、それ以降の歴史を知らんから、言い返せない。 暖かく見守っているつもりではあるが。 それに、専門以外のところで不用意なアホ発言すると、結構な恥をかくので滅多なことは言えないなぁ。 ま、あの長文は自分でも度が過ぎたと思っているんだ、そう何度もほじくり返さないでおくれ。 601 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 17 06 58 ID jsWq8mMR0 600 ◆RQdk7scN8sさん 気にしなさんな。 荒らしてるアホな奴が出没してますがスルーでヨロ 出来れば南北朝の時みたいに何かしら意見を言ってもらうだけでも嬉しいのですが… (ちなみに貴殿のよく知ってる自分は細々とテコ入れなどして参加しております。) 602 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 17 49 35 ID ZW+HtchEO 馴れ合いや自己紹介のレスを入れる暇あったら 何かしら建設的な意見だすべきだろーけど 近代戦争に片足突っ込んだ清末は難しい その上、清末は清の負ける時代だし 一応、太平天国が区切りという話もある 李秀成とか候補だし 603 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 18 11 17 ID jsWq8mMR0 602 >何かしら建設的な意見だすべきだろーけど 頻繁に意見を述べ、あくまで勝手にだがテコ入れもしてるから そこまでとやかく言われる筋合いはないと思うが。 >太平天国が区切りという話がある 599にも書いたが清仏戦争や日清戦争後に日本軍に抵抗した、 劉永福みたいな人物も一応入ってる。 別に馴れ合ってなどないけどなまあどうにでもとればいいさ。 604 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 18 12 11 ID U8cdgx6E0 清末はなあ・・・ 日本の軍人より明らかに劣ってるし、スケールが小さすぎるんだよな・・・ 605 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 18 52 56 ID jsWq8mMR0 清の末期は時代に取り残されてるというか、西大后みたいな奴が居たりするし、 はっきりいって終ってるよな… 挙げ句の果てには列強に侵食されまくってるし。 でどの辺りまで活躍した武将をセーフにする? 太平天国の乱までにする?それとも1912年まで含める? 太平天国以降は劉永福ぐらいだしな… 606 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 19 32 08 ID AZCG1L9V0 明清は既に二流国家に落ちぶれてる 清末に井の中の蛙が露呈しただけ 列強に火器で劣ってる時点で名采配も糞もない 607 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 19 49 02 ID jsWq8mMR0 明は鄭和が世界に先駆けてアフリカ辺りまで航海してたり、 清はロシアとネルチンスク条約を結んだりしてたりして一応は頑張ってたんだけどな。 まあ清末には井の中の蛙が露呈したというか時代の流れについて行けなかったというか そんな感じはあるよな。 608 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 21 07 15 ID rXkO9HOW0 いくら知恵と勇気と腕力があっても、 機関銃の敵に対して竹槍兵与えられたら采配も糞もないだろうことを考えると 名将の定義って何なんだろうなって思うことはある。 例えば丁汝昌の北洋艦隊だって海軍予算が大幅に削減されてなければどうなっていたかわからんしな。 それまではそれなりに名将だったんだから。 逆もまた然り。 609 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 21 08 43 ID M3rqG10d0 あくまで“清末”はってトコだが 明清は中国の生産力が爆発した時代だろうし まあ科学面や軍事面では爆発したとは言えないんだろうけど 610 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 22 18 13 ID y2eKuzIw0 ターニングポイントはアヘン戦争だろうな。 611 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 22 34 13 ID jsWq8mMR0 二流というか結局トップしだいじゃないのかな? 康熙帝なんかはロシアに勝利したけど通商を結びたかったからネルチンスク条約を締結させたりしてんだよな。 日本だと徳川慶喜なんかは結構先進的な人物で いち早く合議制を取り入れ様としてたり考えてたんだよな。 (思惑は別のところにあるみたいたが) 小栗上野介みたいに時代の先を読んでた幕臣もいたりするし。 名将についてはそりゃー大軍を統率して連勝を重ねたり、名声や後世への影響力は当然の事だが、 ある程度装備が劣っていたり、兵力差あってもそれを覆す様な事を やった人物だってれっきとした名将と言えるじゃないたろうか。 むしろ後者の方を名将と呼ぶに相応しくないか? 612 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 22 54 10 ID jsWq8mMR0 連投スマソ ここに挙がってる武将って名将じゃなくそれは戦争の達人とか言ってる奴がいるけど じゃあ将ってなんだよってならないか? 軍事の専門家を言うじゃねーの? 中には将と相を兼ね備えた人物もいるけどそんな奴は中々にいないだろ? じゃあ韓信とか岳飛はどうなるんだよと言いたいが… 613 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 23 51 00 ID k9Xh+Zvm0 60万の兵と優秀な参謀をひとり付けてくれたら その日から俺も名将の仲間入りだな 614 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 23 53 21 ID k9Xh+Zvm0 ああ、あと高い官位も必要だな 615 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/03(日) 23 57 14 ID 5GhkhSOV0 613 その60万をびっちり統率できれば、名将だな。 ただ制度的に自分の部下、というのでは名将とはいえない。 将は率いる、だからこのスレは戦争の達人選抜という観もなくはない。 616 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/03(日) 23 59 35 ID k9Xh+Zvm0 おまえは参謀には向いてないなw 617 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 00 23 32 ID WYUZLwnS0 611 そりゃ寡兵で大軍を破った人間こそ名将といっても差し支えないだろう。 むしろ衛青や霍去病みたいに大軍与えられて、勝つべくして勝ってるのは果たして名将なのか と言ってるんではないか? 618 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 00 45 06 ID bGodukXv0 アヘン以降の清は無様すぎる とりあえず劉永福、曽国藩、李鴻章は外してもいいんじゃないか 李鴻章は太平天国の乱鎮圧に貢献したのかもしれんが その後の政治家としてのイメージが濃すぎる 619 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 00 55 17 ID AjIB7eES0 617 万以上の単位の集団をそつなく統率するのであればそれは名将だろ 勝つべくして勝つという能力は貴重だよ 620 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 01 31 23 ID pZzelEPC0 618 後者二人は軍人というよりは政治家だな 私兵を背景に政治するって中国じゃ珍しい型だが、それも清末という時代の特殊性かしらね 劉永福は所詮ゲリラ屋だし、国外だし、候補止まりだと思う 621 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 01 57 57 ID iqHNfqMu0 候補にある明亮がググっても出てこないんだがどういう人? 622 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 03 06 38 ID UzuXMx4G0 617 どちらの場合も名将とは思うが、己の価値観にそぐわないからって アホな事言ってるのはどうなんだと言いたいのだが。 619の意見は最もだと思う。 それに60万の兵と優秀な参謀を与えられたぐらいで誰でも名将になれれば苦労はしない。 618 李鴻章はその後の政治家としてのイメージが濃すぎても 将としての実績が評価出来るのならそれはそれでいいんじゃないのかな? 623 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 10 29 21 ID 1ja2dAyP0 622 将として評価できる部分で考察すると、候補どまりだと思う。 曽国藩も李鴻章も前線指揮は部下(曽国藩は弟に任せたそうだが)にやらせている。 特に李鴻章は、清仏戦争も日清戦争も当人は北京で戦地にも赴いていない。 このスレの評価対象からは外れるんじゃない? 624 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 10 51 21 ID +Rv6kacb0 617 このスレでは少なくとも万単位の人を率いて戦いに勝たないことには名将扱いされないようで 完顔陳和尚なんかは400じゃ少なすぎると言うことで確定入りできなかった まあ最後に負けたってのも入らない理由のひとつではあったけどね 625 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 15 10 06 ID UzuXMx4G0 623 自身が戦場で直接指揮、采配を振ってないのなら 曽国藩も李鴻章は候補止まりになりますね。 どの様な身分でも直接指揮を執っているのが評価の対象ですし。 624 陳和尚が落選したのは対スプタイ戦以外の戦績がはっきりと証明できなかったからで 率いた兵が万未満だから落選したのとはちょっと違うかと。 626 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 18 02 15 ID kMBAjNQl0 624 曽国藩も李鴻章も前線で直接指揮を執ってるよ。 曽国藩は負けまくってるけど。 627 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 19 22 05 ID UuWf6eu90 清スレから住人連れてきてくれよ 素人ばっかりじゃ話にならん 628 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 19 32 16 ID UuWf6eu90 622 えー、俺60万の兵がいれば名将になれる自信あるんだどなー 629 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 20 31 19 ID pZzelEPC0 無理だよ 俺が60万の兵でお前をボコボコにするから 630 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 20 40 32 ID gVZatzkd0 ボコボコで済むのか 生易しい戦争だなw 631 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 20 48 38 ID pZzelEPC0 だって俺は名将じゃないから 精々、ID UuWf6eu90を打ち負かして ID UuWf6eu90が糞尿漏らしながら逃げ回るのを観察するぐらいしか出来ないよ 632 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 20 56 18 ID gVZatzkd0 引っ張るほどのネタじゃねえよ つまらん 633 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 20 59 53 ID LxWyKIkZ0 626 それは彼が前線に立つと皆が功をはやって命令を聞かずに 功をたてようとしたせいじゃないのか? それが理由で彼は戦争では前面には立たないと日記だか家書に 書いている 李鴻章に関しては政治家というイメージが強い気がする。 蘇州の税金徴収とかを淮軍なり湘軍なりの軍費にあてたりしてるの みると、政治的実務にたけてないとそこまでしない気もするし、 所詮、軍人というより科挙受けて受かったことに自分のプライドの スタンスにしてるあたり、文人将軍なんじゃないだろか。 というか清末あたりの(武科挙でなく)科挙合格者で 戦場に出てる李鴻章、曽国藩、左宗棠とかは逆に将軍という判断を してもらいたくない人たちだった気もする。 李鴻章も曽国藩も、結構な年齢になってから、自分の人生で唯一の悔いは、 戦場に行き過ぎてて科挙の試験官になれなかったことだとか言ってるし。 まあ、じゃあ、僧格林沁とかが旗人系がすごいのかと言われるとまた 謎だが。 634 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 21 04 06 ID pZzelEPC0 左宗棠は違うと思う 635 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 21 43 22 ID u4Lg8KA9O ID UuWf6eu90よ偉そうなこと言ってるが君は清が得意分野なのか? 一応あちこちに頼んどいたがまず自分が行動起こせよ!! まあ 633氏は詳しいみたいだな。 あとID UuWf6eu90はSLGのやり過ぎみたいだし、もういいからROMってろ!! 636 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 21 43 35 ID uClfV08Q0 スレ停滞してるしちゃっちゃと決めて入れ替え議論に移行しようぜ そのうち寝台に詳しい人出てくるだろ 637 ◆RQdk7scN8s sage 2007/06/04(月) 22 06 59 ID +eEVxaxn0 とりあえず、上に戻るのがめんどくさい人用に、 544からコピペしておきます。 清 【候補】 奴児哈赤(ヌルハチ) 、ホンタイジ、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン) 康熙帝・玄? 、岳鐘 、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン)、宋景詩 、関天培、 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、 劉永福、曽国藩、李鴻章 清て時代は意外にマイナーなのか? 専門スレもあるにはあるが、進んでないみたいだし。 声かけてくれている人、ご苦労様です。 638 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 22 23 45 ID LxWyKIkZ0 635 個人的に道光とかの軍人皇帝とか(自分の着ていた服のボタンを銃に入れて 戦ったりしたとことかwww)、水師作った彭玉麟とか、 文盲だったが曽国藩との意志連携が完璧だった鮑超とかの方が 名将というカテゴリに配属される気はするが。 候補の中では個人的に石達開と僧格林沁が名将ではないかと思う。 635氏 全然詳しくなくて、勉強したくてこのスレ来たwww 639 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 22 42 50 ID UzuXMx4G0 637が貼ってくれてますが一応、現在までの経過 清 【確定】 奴児哈赤(ヌルハチ)、阿巴泰(アハタイ)、施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン) 【候補】 楊遇春、李長庚、明亮、兆恵、阿桂、左宗棠、 皇太極(ホンタイジ)石達開、李秀成、関天培 費英東(フィヤントン)、劉永福、曽国藩、李鴻章 は 支持されてないみたいなので外してもいいかな? 道光、彭玉麟、鮑超も一応候補に入れとく? 出来れば推薦文挙げたてくれると有り難いのだが。 あとスレ停滞してるしみたいなので 出来れば 636がちゃっちゃと決めてくれると助かるが… 640 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 22 55 48 ID 1ja2dAyP0 ヌルハチは反対かなあ。この人は明らかに外国人扱いでしょ。 641 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 23 03 11 ID u4Lg8KA9O 637 ID UuWf6eu90が口先はがりで行動を起こさないみたいだから代わりに動いたまでの話さ。 638 ID LxWyKIkZ0氏謙遜なさるな。さっきのレス非常に助かったよ。 僧格林沁(サンゴリンチン)は元々確定入りしてるのでそのまま確定でいいんじゃないかな。 ホンタイジは寧錦で袁崇煥に負けてるがそうマイナスポイントにならないと思うので 個人的にはホンタイジのことを推す。 642 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 23 13 59 ID UzuXMx4G0 640 ヌルハチは 7に示されてる定義の >征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 >そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 のいずれかに適合するから問題ないと思うんだけど。 643 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/04(月) 23 58 25 ID ilmHMaM20 642 長城すら越えてないから、話にならないと思うが・・・ 644 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 00 12 22 ID ZJ3Dv51O0 正直、gdgdになったからあまりこだわる必要はないかもしれないけども、 現状の定義に従えばヌルハチはもちろん、ホンタイジとアハタイも権利なしじゃないかと思う。 645 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 00 39 23 ID vMEZfICR0 クソッ!おまえら、俺の背後にいる60万の兵見たらそんな偉そうな口も聞けなくなるぞ! 仕方ない、ここは名将である俺の秘策、 三 十 六 計 逃 げ る に し か ず だ ! さ ら ば っ (ダッ 646 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 02 37 24 ID 0JEnddP80 三十六計言いたいだけやん 647 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 02 44 11 ID CoeAGwrH0 李広利なんてみたら、軍隊を統率して、脱走者を出さずに戦場まで 連れて行くという能力だけでも大したもんだと思わざるを得ないなw 648 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 05 23 40 ID T/c/pjXb0 621 明亮 ttp //ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu088.html 649 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/05(火) 09 52 19 ID EJe9/uf0O 李元コウや阿骨打と同類でないかね?ヌルハチは。 650 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/06(水) 21 45 48 ID 8oizCetpO ほしゅ 651 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/06(水) 22 34 54 ID PFVroa650 644 ヌルハチはわかるがホンタイジは資格有りそうだと思うけどな。 清は実質、彼の代から始まる訳だろ? アハタイはよくわからない。 あと岳鐘・兆恵・楊遇春と明亮に一票入れとく。 652 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/06(水) 22 36 10 ID mCLCFpV20 中国は文明の実験場 653 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/06(水) 22 46 11 ID uIzwvkDw0 651 ドルゴンが呉三桂の手引きを受けて山海関超えるまで、 防備の薄いところで長城を超えて略奪するくらいで、 長城内の領土を獲れていないんだから、 7の定義に当てはめれば対象外でしょ。 アハタイ(アバタイ?)も活躍したほとんどが長城越える前だから対象外。 654 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/06(水) 23 40 07 ID NBaIvmIg0 中華の人をビビラせていたら有資格なんじゃないの? 655 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/06(水) 23 46 57 ID uIzwvkDw0 654 これまでその項目が適用されたことはない。 そして判断基準が曖昧すぎだから適用しようもない。 656 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/07(木) 00 51 08 ID 1YxDJzYQ0 漢民族を多数支配下に収めた時点で中華王朝な 覚えておこうぜ 657 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/07(木) 01 26 52 ID Rdy8Harn0 もう一度貼り直しとく。 清 【確定】 施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン)、洪承疇、宋景詩 【候補】 楊遇春、李長庚、明亮、兆恵、阿桂、左宗棠、 石達開、李秀成、関天培 、康熙帝・ 玄ヨウ、岳鐘、道光、彭玉麟、鮑超 奴児哈赤(ヌルハチ)、阿巴泰(アハタイ)皇太極(ホンタイジ)は資格なしということで。 洪承疇、宋景詩と康熙帝・玄ヨウ、岳鐘を入れ忘れてたので追加。 で洪承疇は一応は確定入りにしてるがこいつは清の武将として扱っても問題ないのか? 呉三柱と同様に明の武将として扱った方がいいような。 656に任すから決めてくれ。 658 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/07(木) 01 48 09 ID Rdy8Harn0 657に多爾袞(ドルゴン)も入れ忘れてたので候補に追加。 659 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 00 08 17 ID zDQ99AIg0 WEBより抜粋 洪承疇 延綏巡撫・陜西三辺総督に累進し、陜西の農民叛乱を鎮圧。 河南・山西・陜西・湖広の軍務を統轄し、高迎祥や李自成の軍を破った。 清に降った後、湖広・広東・広西・雲南・貴州を経略し、 経略大学士の印を賜り、南明永暦政権への進攻にかかる軍務をつかさどった。 岳鐘 都統法喇に従ってチベットに入り、ジュンガル兵を駆逐。 青海のロブザンダンジンの乱の平定に参加して、功を挙げる 兆恵 ジュンガルのアムルサナ(阿睦爾撤納)の乱と大小ホージャ(和卓)の乱の平定 明亮 イリに鎮して、回部の乱ビルマに遠征僧格桑の乱、平定貴州・湖南の苗族の乱、湖北の白蓮教の乱のを鎮圧 内乱平定や外征に将軍としてたびたび用いられた。 660 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 00 15 42 ID zDQ99AIg0 連投スマソ 康熙帝・玄ヨウ 廟号は聖祖。在位1661~1722。 順治帝(福臨)の三男。順治十八年(1661)、八歳で即位。 翌年には南明最後の永暦帝を昆明で処刑し、康煕三年(1664)には大順軍(李自成)の残党も一掃した。 八年(1669)、後見者のオーバイ(鰲拜)を罷免して親政をはじめた。 十二年(1673)に三藩の乱が起こると、これを九年がかりで鎮圧した。 海上では鄭氏海軍を破り、台湾を占領。 二十八年(1689)、北方のロシアとネルチンスク条約を結んで、和平した。 三度にわたって西北に親征して、ジュンガル部のガルダンを逐った。 李秀成 洪秀全の金田村の蜂起に参加し、各地を転戦して功績を重ねた。 八年(1858)、江南大営の包囲から天京を救い 十年(1860)には再び江南大営を破り、翌年には安慶の囲みを解いた。 石達開 洪秀全の金田村の蜂起に参加した。永安で太平天国が成立すると、翼王を称し、 五王のひとりとなった。各地で転戦して、曾国藩はじめ清軍を苦しめた。 661 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 00 18 36 ID zDQ99AIg0 またまた連投スマソ 左宗棠 曽国藩の部下で大臣。捻軍や回族の乱を平定する。 清仏戦争では総司令官として戦うが 大損害を受けて やがて病死する。 彭玉麟 曽国藩の元で水師となり太平天国の乱平定に貢献する。 1883年、兵部尚書に任命され 広西、雲南 各地で兵を募集して黒旗軍を 支援し 清仏戦争で活躍する。 道光帝・旻寧 紫禁城に乱入した天理教徒を掃討した。 662 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 06 15 14 ID yMqDKoSh0 武功が反乱平定だけってどうなんだ 王朝末期でもなきゃ負けること無いだろ普通 それこそ60万の兵与えられれば誰にでも、って感じ 堂々と会戦で蹴散らしてこそ真の名将 663 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 06 16 48 ID yMqDKoSh0 いや、でも・・・ ま、いいや。上の書き込み無視して。 664 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 12 04 10 ID zDQ99AIg0 662 >武功が反乱平定だけってどうなんだ 少数派の満州人が大多数の漢人などを押さえ付けてる政権だからね。 その政権の性質上、武功が内乱平定や他民族の制圧に偏るのは仕方ないかと… それに康熙・雍正帝の頃が清の絶頂期で乾隆帝以降は勢力が落ちていったしな。 >王朝末期でもなきゃ負けること無いだろ普通 乾隆帝の頃の満州族の軍勢は江戸時代末期の旗本の様に軟弱に成り下がってた様で、 天地会の反乱では満州族による軍団は惨敗し反乱、鎮圧に手を焼いたみたい、 そこで仕方なく漢民族で構成された軍団に任せる羽目に。 あとはお約束通り(?)文官が足を引っ張ることに… (清が専門じゃないからあまり偉そうなこと言えないけど) 665 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 12 05 42 ID zDQ99AIg0 鮑超 湘軍水師(湘軍の水上部隊)に参加し、楊岳斌のもとで哨官となり、 「長龍」型軍船一隻を指揮して、湘軍が太平軍を討伐に参加。 曽国藩(湘軍の最高司令官)は、曽国藩は鮑超の才能を認め、とても重用し、 鮑超は、守備、営官、都司、遊撃、副将の職を歴任。 1860年、曽国藩が祁門で包囲されたとき、鮑超は百里以上の距離を急いで救援に向かい、 祁門の包囲を解くも、 解雇されその後は何度か起用しようとされたが、 ついに功績を挙げることなく晩年を過ごしたそうだ。 666 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 19 58 20 ID gyeA/lao0 662 すると例えば、唐代に反乱平定で活躍したことで選出された名将たち、 李晟、李愬、郭子儀、李光弼などは軒並み資格なしということで? 667 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 22 02 49 ID KXGXwUrQO スルーしてくれと言ってるのに喰いつく粘着さん達w 668 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 22 23 50 ID joUeIna50 そんだけスレが停滞してるということかもね 669 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/09(土) 23 55 31 ID +gFBf4sj0 清は名将いないよ 戦争弱すぎ 670 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 10 00 33 ID OtrIQ7TGO 666 > すると例えば、唐代に反乱平定で活躍したことで選出された名将たち、 > 李晟、李愬、郭子儀、李光弼などは軒並み資格なしということで? シッタカせずに、せめて名前をあげた人物の活躍ぐらい調べろよw そのレベルの知識でツッコむなよw 671 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 10 10 54 ID pbeKjx/iO 670 自分が真のシッタカということに気付かない罠 672 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 10 41 22 ID bQFwTtexO 釣人のいない餌に食い付いた小魚に更に食い付くお魚さん 食物連鎖の勉強もできる良スレですね 673 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 11 00 25 ID Q9cJoTVf0 669 確かに英仏などの列強諸国に負けてるけど、 康煕帝期の清は積極的な西欧近代化政策を推進したロマノフ王朝のピョートル1世の時代の ロシアに勝ってネルチンスク条約を締結してんじゃん。 あと乾隆帝期には苦戦もあり失敗もあれど、 ジュンガル、金川、グルカに各二回ずつ、回部、台湾、ビルマ、安南は一回ずつ 計十回の遠征を成功した件は無視ですか・・・ 僧格林沁(サンゴリンチン)や戦う豆腐屋、宋景詩の存在は無視ですか。ああっそうですか・・・ 674 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 17 38 50 ID 4rIS75qb0 それだけ清を語れるならさっさと候補絞ってくれ 675 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 18 20 22 ID Q9cJoTVf0 674 絞ってやるけどさ、この前から紹介文投下したり、個人的に武将を推したりしてんだし、 偉そうに指示するなら少しは 657-658の中の武将を推すなり、反対するなりぐらいしろよ。 それすらできないのか? 676 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 18 38 52 ID 4rIS75qb0 675 669 677 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 21 15 13 ID Q9cJoTVf0 清 【確定】 施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン)、宋景詩、康熙帝、楊遇春 【候補】 岳鐘、兆恵、明亮、李秀成、石達開、彭玉麟、左宗棠 康熙帝、楊遇春は確定でいいと思う。 あと李秀成と石達開、彭玉麟と左宗棠は共に似たり寄ったりな印象があるな。 まあ好みでどちらかに選べばいいんじゃないか? 洪承疇は呉三柱と同様に明代に入れたほうがいいと思うし、 多爾袞(ドルゴン)は山海関を越え、李自成軍を追い払い、北京に入城してはいるけど 摂政王として政治家の側面の方が強いので外した。 ID 4rIS75qb0よこれで満足か? 678 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/10(日) 22 12 19 ID 3e65yVd+0 康煕帝、別に陣頭指揮とった訳じゃないだろう 679 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 10 33 03 ID Yk6jLNPG0 同意。 康熙帝と多爾袞は名将というより政治家。 680 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 10 57 21 ID xTFM0f0u0 政治家とはいえドルゴンの実績が 677のとおりで他の候補より勝ってるのならば 普通に確定に入れていいんじゃないか? 過去の時代で確定に入ってる奴でもそんなのいくらでもいるし 康熙帝に関しては前線に出てないんだったら 678、 679に同意。 実際指揮した将に登場してもらって本人はこのスレからの退場願うしかないだろな 681 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 12 34 01 ID e2BonjR50 李鴻章が外された理由と同じなら排除だな>康熙帝 682 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 16 11 58 ID qc6Jmzba0 康熙帝を入れるなら明珠を入れるべきかと。 ・・・良将とは思うが名将とは思わないので推薦しないが。 (個人的意見だが。) 683 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 17 41 15 ID u5SmbWhzO この時代詳しくない俺が言うのもなんだが なんか薄いな。人名見て素直にうなずけるのがいねぇw 明まではそんなことなかったんだけど 684 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 17 54 23 ID S8ljlQla0 669 685 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 18 24 47 ID +IS8P3OS0 684 そんなの踏まえた上で敢えて選出してんだよ。 清をさっさと終わらせたいんだろ?おまいも少しは協力しろよ。 686 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 08 40 ID mNjAKuwJ0 岳鐘って岳鐘琪のこと?ググっても出てこないんだけど 687 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 30 36 ID +IS8P3OS0 686 つ 659 688 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 37 35 ID mNjAKuwJ0 それ同一人物なの? あとツェリンってジュンガル部のガルダン・ツェリンのこと? 689 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 44 15 ID TCKNgTE00 686 岳鐘琪だろう 岳鐘って人物は少なくとも清史稿には出てこないはず 687 答えになってないんじゃ? 同じか違うか答えないと 690 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 56 12 ID +IS8P3OS0 688 岳鐘○ 字は東美 Ttp //ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu087.html スマソ俺のボロPCでは〇のとこが表示されてないから岳鐘だと思ってた… ガルダン・ツェリンではないと思う。確かもう一人居たような… 689 スマソ上にも書いたが表示されないんだ。 で岳鐘〇の三文字目はなんてなっての? 691 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 19 59 54 ID TCKNgTE00 690 なるほど、それはしょうがない 三文字目は「棋」の木へんが王へんになったやつ 692 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 20 24 27 ID +IS8P3OS0 691 混乱させて誠に申し訳ない。 なにせそんなに得意じゃ時代だがなんとかテコ入れしようと頑張っているのだが 至らぬ箇所が多々あると思うのでその辺りを了承してくれると助かるのだか… 693 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 20 46 24 ID 8xtcpyEU0 なんかもうぐたぐたやん 確定してる武将だけでもきちんと紹介してくれ あと、清は無理に10人あげなくてもいいだろう なぜなら 669 694 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 22 08 37 ID K3qXEdTZ0 ドルゴンの弟のドドってどうかね? WEBから丸写しですまんが、入関後の業績。 順治元年(1644)、入関して、李自成軍を破り、定国大将軍に任ぜられた。 軍を率いて揚州を落とし、江南に下って南明の福王を捕らえた。和碩徳豫親王に進んだ。 三年(1646)、揚威大将軍となり、モンゴルのスニト部を平定した。 翌年、輔政叔徳豫親王に進んだ。のち病没した。 695 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 22 39 47 ID +IS8P3OS0 693 こちらもwEBから丸写しで申し訳ないが… 施琅 福建省晋江の人。はじめ鄭芝竜の部下として左沖鋒をつとめた。 清に降ってのち、同安副将・同安総兵・福建水師提督を歴任し、 内大臣に任ぜられ、漢軍 黄旗に属した。 康熙三年(1664)、靖海将軍となった。二十年(1681)、福建水師提督に再任した。 二十二年(1683)、軍を率いて澎湖を攻めて勝ち、台湾を討って鄭克爽を降伏させた。 功により靖海侯に封ぜられた。 センゲリンチン(僧格林沁) 博爾済吉特氏。モンゴルのコルチン部左翼の出身。 道光五年(1825)、科爾沁郡王の爵位を継いだ。十四年(1834)、御前大臣・侍衛内大臣・都統に任ぜられた。 咸豊三年(1853)、参賛大臣となり、太平天国の北伐軍に対して、兵を率いて防戦した。 七年(1857)、英仏軍が天津海口を犯すと、欽差大臣となって軍務を統括した。 九年(1859)、英仏軍が大沽を攻めると、軍を率いて防御にあたり、敵船十数隻を沈めた。 翌年、英仏軍が北塘より上陸し、大沽砲台を占拠すると、軍を通州に退いたが、八里橋で敗れた。 このため爵位と役職を奪われた。北京条約締結後、郡王の爵位を回復した。 長槍会の乱、白蓮教徒の乱、劉徳培の乱、文賢教の乱などの鎮圧に奔走した。 同治元年(1862)、魯豫の軍務を統括するよう命じられた。 四年(1865)、捻党討伐で戦死した。 宋景詩 山東省堂色の人。塩商人の子。 咸豊十年(1860)、郷里の抗糧紛争に参加した。 翌年、魯西の白蓮教の叛乱に参加し、部衆を黒旗軍と称して河北・山東を転戦した。 のちに清の欽差大臣勝保の招撫を受けて、捻軍や回民の叛乱鎮圧にあたった。 勝保が処刑されると、かれも排斥を受けたため、 同治二年(1863)に清軍を離脱して山東に帰り、再び反清の旗を掲げた。 まもなくセンゲリンチンの軍に敗れて、その終わるところは知られない。 一説に四年(1865)、センゲリンチンを戦場でたおしたという。 また一説に十年(1871)、安徽巡撫英翰に捕らえられて、殺されたという。 策稜(ツェリン)は ガルタン・ツェレンが雍正九年(1731)には和通泊で傅爾丹率いる清軍を破ったが、 翌年にツェレン親王率いる清軍に大敗し敗走した。 ぐらいしかWEBには載ってないな。 WEBの清史稿から抜粋したいが漢文苦手だし… 696 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 22 41 49 ID +IS8P3OS0 もう一回投下 楊遇春 福康安に従って苗族の乱鎮圧にあたった。功により副将に上った。 嘉慶年間、白蓮教徒の乱を鎮圧。総兵・提督となった。 十八年(1813)、李文成の乱を平定。道光五年(1825)、陝甘総督となった。 翌年、新疆の叛乱平定にあたり、カシュガル・ヤルカンド・ホータンを回復した。 黒旗を標にして、生涯に大小数百回の戦いに参加したが、 一度も手傷を負わず、楊家軍の総帥として恐れられた。 697 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/11(月) 23 00 39 ID +IS8P3OS0 もう一回投下 多爾袞(ドルゴン)は総司令官ぽいし、北京に入城は呉三柱の活躍が大きいみたいだし、 694氏がドド(多鐸)を紹介しているので山海関を越えた後に活躍した他の武将をの功績を紹介。 アジゲ(阿済格) 順治元年(1644)、入関して、李自成軍を破った。 和碩英親王に封ぜられ、靖遠大将軍に任ぜられて、 陝西におもむき、李自成を追った。 孔有徳 字は瑞図。遼寧省蓋州衛の人。 入関後、陝西の李自成軍を攻め、ついで江南に攻め下った。 順治三年(1646)、平南大将軍となり、湖広・広東の制圧にあたった。 六年(1649)、定南王に改封され、広西に入った。 九年(1652)、桂林で李定国の軍に囲まれ、自殺した。 尚可喜 順治元年(1644)、ドルゴンに従って入関し、農民叛乱軍と各地の反清軍の鎮圧にあたった。 六年(1649)、平南王に改封された。 南明政権に対して攻勢をかけ、広東に鎮し、清初の三藩のひとつとなった。 オマケ 明珠 康熙帝が三藩の乱を平定するのを助け、康熙帝のジュンガル遠征に従った。 698 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 00 18 29 ID ZwtdXQMy0 697 アジゲは名将というより単なる猪武者だからなあ。 張飛が名将でないように。 699 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 01 35 42 ID Any/iQ8G0 693 じゃあ、人民解放軍とかから出してみる? 700 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 04 02 43 ID B3GS2f150 しかし清の顔ぶれは地味すぎだろ… 個々の武勇が目立たない時代なのかねぇ 701 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 07 29 48 ID cguC+I+20 700 率直に言ってそういう事 名将はいるんだろうけど、他の時代と違って少数で大軍を・・・とか派手な(講談的な)武功が少ない分、判りづらくなっている 695 >策稜(ツェリン) 「超勇」なんて呼ばれたエピソードが無かったっけか この人には少数で大軍に突っ込んだエピソードがあった気がする うろ覚えなので無かったらスマヌ 702 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 10 26 03 ID wpDzSkG30 大苦戦したあげくに物量でようやく、っていうイメージが強いんですよね清将って。 田中氏の百選だと誰がランクインしていましたっけ? 703 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 10 36 02 ID I+pKaNt50 ドルゴン、明亮、楊遇春、李長庚、関天培、僧格林沁、李秀成、石達開、劉永福 ですな。 704 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 13 35 32 ID O2lvZiKT0 701 策稜(ツェリン)のエピについて サイン=ノヤン本名は策稜(ツェリン) トシェト汗家の出身。康熙帝の第十皇女を娶って多羅郡王とされた。 1725年に雍正帝の北辺防禦策の一環として近族とともにトシェト汗家から独立し、 サイン=ノヤンの称号を得て副将軍としてアルタイ方面の清軍を指揮した。 1731年、靖辺大将軍フルダン軍を全滅させたジュンガルのツェリン=ドンドブを撃退して最高位の和硯親王とされ、 同年再びツェリン=ドンドブ軍をハンガイ山のエルデニ=ジョーで大破し、超勇の号を受けた。 701氏の仰る様に超勇は策稜(ツェリン)エピですね。 705 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 15 41 07 ID HLL9Aa1i0 ツェリンがツェリンを征伐したのか ややこしいなマイナー同士のくせして 706 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 17 51 24 ID PbpsCTYt0 ドルゴンだのツェリンだの 元以降、明らかに中国人じゃない面子ばかりで萎える 707 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 19 33 37 ID TYNOKJAhO 706 漢人なら話はわかるが。元以前にも中国人なんていないけどw 708 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 21 54 24 ID 1Rta0D100 706 五胡の進入以降は、民族ごった煮状態で中国人なんて定義できませんが? 709 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 22 20 29 ID TYNOKJAhO 突き詰めていけば秦、楚、呉越も元は中華外だったんだよね。 710 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 22 53 44 ID PXAtnD4VO 突き詰めが甘いな 711 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 23 23 11 ID CaEzgAT50 707-708 ドルゴンだのツェリンだの 元以降、明らかに漢人じゃない面子ばかりで萎える 712 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 23 24 25 ID CaEzgAT50 708 漢人風の名前なら五胡でもOKかな 713 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 23 45 00 ID BhN43V7c0 712 おまえの趣味など知るかよ 714 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/12(火) 23 47 09 ID 1Rta0D100 712 まーそれなら漢人限定の選出する別スレ立ててやってればいいんじゃないか? チラシの裏の愚痴は、停滞気味のスレがさらに白けるから真面目に止めてほしい 715 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/14(木) 19 41 43 ID FuWrveaB0 話を戻してスマンが、南宋の余玠(王へんに介 字・義夫)は誰も推薦してはくれなかったんだね。 モンゴルの陰にかくれちゃったのかな~と。 716 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/14(木) 21 07 12 ID lJQOaw+yO お引き取り下さい 次に宋時代の話ができるまでこのスレがあること願っててくださいね^^ 717 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/14(木) 21 54 42 ID IkKLXU0f0 715 つーか話題にすらなってない。 716 白けることばかり言う輩がいなくなれば存続の可能性はあるかと… そこそこ話合ってたのにその輩が原因で流れが止まっちゃった罠。 718 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/14(木) 22 06 08 ID BDoY1dZ30 697 ドドとアジゲで比較したらドドかな・・・と。アジゲってドルゴンの兄とはとても思えんw 孔有徳と尚可喜は、洪承疇や呉三桂が清でなく明の扱いなら同じにすべきじゃないかな。 自分としては、追い詰められたとはいえ反乱した呉三桂と違って、 降伏した後は清に忠誠をつくした洪承疇は清の扱いでいいんじゃないかと思うのだが、どうでしょ? 703 ドルゴンは、ホンタイジの下で武将やってた頃の実績でいえば十分なのだろうけど、 入関後はあんまり自ら指揮してないような感じだから選外かもね・・・ (あまり正確な知識じゃないから間違ってたら指摘お願いします) 719 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/14(木) 22 48 06 ID IkKLXU0f0 718 ドルゴン、劉永福は名将として扱うことに反対意見が挙がってるので外してもいいと思う。 洪承疇は清の扱いでいいとは思ったんだけど一応聞いてみた。 ここは合議で決めるスレだし。 さして反対が無ければ清将として扱ってもいいんじゃない? ドルゴンはやはり総司令官って感じがする。 実際に現場で活躍してたのはトドやアジゲ、孔有徳、尚可喜だしね。 北京を陥落させたのも呉三柱の力が大きいし。 それにこのスレでは重鎮・司令官は選外としてるし。 720 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/15(金) 00 17 37 ID Kztqq/0B0 宋景詩って確定にするほど実績十分なのか? 劉永福がゲリラ屋って理由で除外されるなら宋景詩もそうなんじゃないの? 僧格林沁破ったのだって一説にはって但し書き付きで確定情報じゃないし、 共産体制化で毛沢東に持ち上げられただけって気がするのだが・・・ 721 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 16 42 34 ID Pikg6C9Q0 ここらで話題に上がった内容をいったん整理 間違ってたら指摘お願い 【確定で特に異論なし】 施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン)、楊遇春 【確定有力か?】 洪承疇・・・清の枠に入るなら確定? 左宗棠/彭玉麟・・・どちらか一人? 石達開/李秀成・・・どちらか一人? 【確定に異議あり?】 宋景詩・・・実績十分なのか? 【候補】 阿済格(アジゲ)、多鐸(ドド)、孔有徳、尚可喜 岳鐘琪、阿桂、兆恵、李長庚、明亮、 鮑超、道光帝、関天培 【落選確実?】 劉永福・・・ゲリラ屋、国外? 康熙帝・・・政治家・総司令官タイプ、前線実績ない? 多爾袞(ドルゴン)・・・政治家・総司令官タイプ、入関後は実績ない? 722 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 17 56 52 ID Ag0/lemg0 721 乙 洪承疇は清の扱いでいいんじゃないかな。然したる反対もないし。 宋景詩は人物自体がマイナーらしくあまり功績が知られてないんだとさ… 720が言うように毛沢東が持ち上げたのはあるけどそれは宣伝戦略として 宋景詩を利用したみたいだけどね。 まあ前スレで取り敢えず確定にしとくか程度の扱いなんで外してもいいけど。 左宗棠/彭玉麟と石達開/李秀成はホント好みでいいかと。 もしくは左宗棠or彭玉麟、石達開or李秀成として有力候補にしとく? 阿済格(アジゲ)、鮑超、道光帝、、阿桂、関天培は外してもいいんじゃないかな。 あと康熙帝、多爾袞(ドルゴン)も 劉永福のゲリラをどう評価するかが問題。ゲリラを過小評価してる様なキガス。 723 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 19 37 43 ID e8BsmYCi0 入関以降の清の統一戦の功労者として 漢人武将の代表として、呉三桂 満族武将の代表として、多鐸(ドド) この二人を推す。特に呉三桂はこの後の反乱も含めて、清に入れていい人物かと。 本当はこれに抗清側の代表も出したかったんだけど、該当者がみあたらなかった。 強いてあげれば名声、知名度からいって代表は鄭成功になるのだろうけど、この人 戦術面では失策が多いしねえ。 724 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 19 49 06 ID CiWG7QKV0 やっぱり施琅と比べると鄭成功の方がワンランク下がる感じ 725 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 19 58 25 ID Pikg6C9Q0 722 自分も洪承疇確定入りは賛成です。 宋景詩はとりあえず保留にしといて、枠埋まりそうになければ入れるくらいか? 似たもの同士は多数決で決めるしかないか・・・ 個人的な印象度でいくと左宗棠と石達開推し。 候補外れる面々はしばらく様子見でいろんないなら落としましょう。 あと劉永福は、西洋が装備的に圧倒してる状況で、フランスを度々撃退したのは、 ゲリラとか関係なく入れても遜色ないと思うのだがなあ・・・ 723 漢人代表は洪承疇でいいのでは?という気もしますな。 多鐸(ドド)確定入りは賛成。 抗清側・・・強いてあげるなら鄭成功よりは史可法とか? 726 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 20 44 09 ID ga0wl5HR0 ある程度の大軍を率いるのが最低条件らしいからゲリラなら除外じゃない? 727 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 20 50 55 ID Pikg6C9Q0 726 そんな定義はこれまで一切なかったと思うよ? むしろ寡兵・弱兵で大軍・強兵を破る方がこのスレの歴史的にはポイント高い 728 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 20 59 13 ID Ag0/lemg0 呉三桂は李自成の乱の時、清と手を組んで北京を陥落させ、 その功績により平西王に封ぜられたり また李自成軍を討ち破り、四川・雲南・貴州を平定し、南明の永暦政権を滅ぼして 三鎮の一人となったが清将として扱うのはどうなんだろ? 明を話合ってる時に呉三桂は清じゃねーの?って思ってたけど 誰も異を唱えなかったしなぁ。 あと清の為に忠節を尽くした洪承疇は清でいいが、呉三桂は明の方がいいんじゃって 誰かいってなかったっけ? 鄭成功も明に入ってるし。 洪承疇と多鐸(ドド)はもう確定でいいんじゃない? どう? あと戦う豆腐屋こと宋景詩はとりあえず保留というこで。 劉永福は 725の意見に同意。 劣勢な状況で成果をあげているのは評価してもいいはずだし、 さっきも言ったがゲリラを過小評価してる人っているよな。 ( 725は違うと思うが) 個人的には岳鐘[王其]と兆恵、楊遇春、明亮を推すよ。 726 勝手に自分の価値観でいってた人がいただけでそんな最低条件などないよ。 たぶん陳和尚の率いた兵がが400では少なすぎと言ってたことだろ? それは落選の理由じゃないし… 729 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 21 06 38 ID ga0wl5HR0 書き込んでる人が少ないからそんな劉永福を推されるとそうなのかと思ってしまう まあ俺はどっちでもいいから好きにすればいいさ 730 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 21 43 46 ID Ag0/lemg0 729 確かにカキコしてる人数は少ない罠。 俺はゲリラだからってなんか戦術的にショボいって思うのは ちょっと違うぞと思う。 ゲリラはあくまで手段の一つにすぎないんだし。 あと主張が通らないからって投げ遣りになるなよ。 731 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 21 52 00 ID Pikg6C9Q0 推薦上がってる将をざくっと時代別に配分してみるとこんな感じ? ○は確定、△は有力候補 明掃討戦 : ○洪承疇(呉三桂を推す声も)、△多鐸(ドド) 康熙~乾隆: ○施琅、○策稜(ツェリン)、△岳鐘琪、△兆恵 嘉慶~道光: ○楊遇春、△明亮 阿片後の清: ○僧格林沁、○左宗棠か彭玉麟、△宋景詩 太平天国 : ○石達開か李秀成 清末期 : △劉永福 洪承疇確定でよいとすると現時点で○が7で残り3枠 バランス的に劉永福は入れておきたい あとは多鐸(ドド)と明亮で10枠でどうかな? 岳鐘琪か兆恵を上3人のどれかと入れ替えでもよいかも 732 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 21 55 56 ID Pikg6C9Q0 729 730 確かに人少ないけど、ここ最近の中では人多い方じゃないかな・・・? せっかく久々に動きが出たので、ある程度方針をまとめておいた方がよいように思う 案を出して様子見ておいて、異論が出るようならまた見直せばよいし 733 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 22 09 02 ID ga0wl5HR0 730 投槍っていうか萎えたよ ゲリラを評価するならすればいいさ 俺は好きじゃない 734 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 22 28 24 ID K6flS/CaO 733 つ 713 735 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 22 31 44 ID ga0wl5HR0 734 ゲリラ戦術を肯定する人間は糞 死ねばいいよ 736 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 22 53 53 ID HtKiM4cU0 んなこといったら戦争を肯定(ry 737 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 23 10 49 ID ga0wl5HR0 736 そういう問題じゃない 近代戦をもっと勉強しろ無能 738 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/16(土) 23 23 43 ID Ag0/lemg0 737 ミサイルとかといいたいんだろ? じゃあ毛沢東やベトナム、アフガン、キューバとかはどうなる。 孫武は孫子の中でマキャベリは戦術論でゲリラの有効性を説いてるぞ。 739 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 00 17 49 ID XFnoHVh20 ID ga0wl5HR0は彭越を評価しなかった項羽と同じ末路を迎える事だろう。 740 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 00 29 34 ID 1unkIMyY0 ナルサスのモデルというだけで明亮を推すのはどうだろう。 阿桂とか額森特とかの方が武勲の規模は大きいと思う。 741 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 00 41 23 ID Pdx77GOOO そんな理由で明亮推してる奴いるか? 742 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 01 01 43 ID Np6lZIxi0 740 如何せん明以降、史料を元に情報提供してくれる方がほとんどいなくて、 日本語サイトの限られた情報の中で無理やり選別してるような状況です・・・ もしも可能なら正確な情報提供してくださいませんか? 今までの流れだと阿桂は兆恵との比較で落とされてる感じかと。 ちなみに明亮は「田中ヨッシーがナルサスのモデルで推してる」という話題が かなり昔に出てたくらいで、このスレで推される理由にはなってないはずです。 743 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 07 28 28 ID TsChKRkP0 742 阿桂 乾隆十三年(1748)、大金山土司の叛乱平定に参加。 ジュンガル・ビルマ・大金川の討伐に従軍し、また回族の叛乱平定にも参加。 黄河治水、甘粛回民の鎮圧などを行ない、イリに鎮して屯田を行う。 五十一年(1786)、台湾の林爽文の叛乱を鎮圧するために献策した。 それは悪かった。最初の方で誰も推薦文を挙げたり、功績を紹介したり はたまた候補を整理してくれないんで 清は専門じゃないがいろいろと調べたりしてずっとテコ入れしてたわけで、 正確な情報提供してないようなら下りるが・・・ ちなみにナルサス知らんし。知っててもそんな理由なんかで推さないし。 744 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 09 30 14 ID 6fMdNO6/0 738 ちげーよバカ おまえらぜんいんしねっ!(たむらけんじ) 745 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 09 45 21 ID XQKdaf3BO 744 おまいこそ軍事のなんなるかをわかってないな。 迷惑だから二度とこないでね。 がっかりだよ!! (にしおかすみこ) 746 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 09 46 22 ID HZyy8qeo0 追加 【確定】 施琅、策稜(ツェリン)、僧格林沁(サンゴリンチン)、楊遇春 劉永福 747 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 10 39 19 ID frnHvkvT0 「サンゴリンチン」って、なんか馴染みのある響きだなーと思ったら 「うんこちんちん」だったよ・・・ 748 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 10 48 41 ID TsChKRkP0 746 洪承疇、多鐸(ドド)は確定じゃダメか? 推す声もあるし、逆にこの二人には反対意見がないように見えるけど。 あと岳鐘[王其]を推してるのだがどうなんだろう?賛否の意見すらが出てないようなキガス… それと左宗棠と石達開を 725で推してるな。 左宗棠/彭玉麟と石達開/李秀成はホント好みでいいから特に反対なければ、 左宗棠と石達開に絞ってもいいと思う。 749 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 15 54 08 ID Np6lZIxi0 それじゃあ 【確定】9名 洪承疇、多鐸(ドド)、施琅、策稜(ツェリン)、楊遇春、僧格林沁(サンゴリンチン)、左宗棠、石達開、劉永福 って感じか 残り1枠は ・岳鐘琪( 651 728 748) ・阿桂( 740) ・兆恵( 651 728) ・明亮( 651 728) ・宋景詩(評価保留) この中では岳鐘琪を推す人が多そうかな? (・・・といっても推す声自体が少なくて被りまくりだが) 750 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/06/17(日) 16 21 37 ID TsChKRkP0 749 個人的には確定の9名は異論ないのだがいいのか? (つーかさっき伺い立てた面子が入っただけなんだが・・・) 岳鐘[王其]・兆恵・明亮を推してるのは俺一人だな。 ( 651 728は俺のレスだし・・・) 宋景詩は元々暫定で確定入りしてただけだしどうなんだろ? (一応弁護はしたけど・・・) みんなが賛否のレス投下してくれなきゃ実質二人で決めちゃってるキガス。
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偉人を追加してみよう 将軍 表紙に戻る 偉人を追加してみよう 将軍 [#vbe7322b] 中原とその周辺の武将、軍師、覇王 [#k0ccdebe] 中原周辺の武将、軍師、覇王 [#k0ccdebe] イスラム圏の将軍、英君 [#k0ccdebe] 東中欧及びその周辺の将軍、英君 [#k0ccdebe] 西欧及びその周辺の将軍、英君 [#k0ccdebe] 南北アメリカ及びカリブの将軍、指導者 [#k0ccdebe] 追加したい方がいればここにどうぞ [#k0ccdebe] このページは、 中国名将録 中国名将百選 燃えるイスラム史 西洋名将百選 以上を大いに参考にしている。 中原とその周辺の武将、軍師、覇王 ここからしばらく中華のターン! Jiang Ziya 呂尚(生没年不詳。BC11世紀頃)いわゆる太公望。周の軍師であり、後に春秋五覇となる斉の建国者。殷王朝に引導を渡したとされる。『六韜』に仮託された人物でもある。「私が釣りをしているのは、君子の楽しみに似ておる故です」『六韜』-Yue Yi 楽毅(生没年不詳、BC3世紀頃)燕の将軍。弱国の燕に仕えてこれを大いに盛り立て、当時の二大強国であった斉を再起不能にまで追い込んだ。劉邦や諸葛亮に深く尊敬されていたとされる。「古の君子は友との交わりを絶ってもその悪語を口にせず、忠臣は祖国を捨てても見苦しい言い訳をしなかった、これが私の聞くところです」『燕の恵王に報ずるの書』-Bai Qi 白起(BC?-BC257)秦の将軍。始皇帝の曽祖父にあたる昭襄王に仕え、趙・魏・楚等を打ち破って秦の興隆に大いに貢献した。当時は珍しくなかったのだが、原則捕虜は取らず降兵は鏖殺している。「武安君、秦のために戦いて勝ち、攻めてとるところのもの七十余城。南はエン・郢・漢中を定め、北は趙括の軍を禽にす。周・召・呂望の功といえどもこれよりも益さず」『史記』より、武安君白起について-Han Xin 韓信(BC?-BC196)前漢創設期の武将。中原を代表する英雄の一人である。劉邦による大抜擢に応えて諸国を次々に降し、遂には垓下で項籍を打ち破って漢の覇権を決定的なものとした。「韓信は国士無双であり、他の雑多な将軍とは違う」漢の名臣蕭何による評-Xiang Yu 項籍(BC232-BC202)秦末期の武将、王侯。項羽とも。人徳も戦略も無しに己の武勇と戦術的勝利のみで楚の「覇王」にまでのしあがった。最終的に敗れはしたものの、その名は中原における武の象徴となっている。「天が私を滅ぼす、用兵の罪ではない」『史記』より、末期の言葉-Wei Qing 衛青(BC?-BC106)漢の将軍。遊牧民族張りの機動力で匈奴を散々に追い回し、これをオルドスにまで追いやる事に成功した。中原史上初めて長城の向こう側に遠征した将軍でもある。「臣下としては法律を遵奉し、職務に忠実であるだけでよい」『史記』-Huo Qubing 霍去病(BC140-BC117)漢の将軍。18歳で初陣を飾り24歳で夭折するまで匈奴との戦いで華々しい戦功を挙げ続けた。傲慢な性格であったが、何故か兵には慕われていたらしい。(*1)「まだ匈奴が滅びてもいないのに、家を貰ってなどいられません」『史記』より、武帝への返答-Deng Yu トウ禹(2-58)後漢創始期の武将。劉秀の旗揚げから付き随い、漢中を平定する等各地で軍功を立て、後漢の成立に大いに貢献。「雲台二十八将」の筆頭に数えられている。「明公が威徳を天下に広め、私はわずかの功を立てて史書に名を残そうと願うだけです」『史記』-Ban Chao 班超(32-102)後漢の将軍。匈奴制圧軍として西域に赴き、以後31年に渡って匈奴の侵略を食い止め続けた。部下の甘英をローマ帝国に派遣しようとした事でも有名。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」『史記』-Zhou Yu 周瑜(175-210)後の呉となる孫家に仕えた軍師。「小覇王」孫策の盟友として、また呉の初代大都督として孫家の軍政を一身に担い、赤壁で曹操を破る等の成果を上げて呉の成立を決定付けた。「先ずは私が孫瑜殿と共に蜀を陥とし、張魯を呑んで漢中に孫瑜殿を置き、馬超と盟を結びます。その後呉に戻った私と殿が襄陽を攻め落とせば、曹操を追い詰める事が出来るでしょう」『呉書』「周瑜伝」、いわゆる「天下二分の計」-Li Jing 李靖(571-649)隋唐時代の将軍、宰相。唐の太宗となる李世民の幕僚として縦横無尽の働きを見せ、唐が成った後は突厥や吐谷渾を征服する等、中原史上でも有数の名将に数えられている。「兵は神速を貴ぶ、機を失うべからず」『旧唐書』「李靖伝」、『孫子』からの引用-Guo Ziyi 郭子儀(697-781)唐の将軍。4代の皇帝に仕え、安史の乱を始めとする三度の国難を鎮め、既に斜陽を迎えつつあった唐を支え続けた。当時にしては珍しく、終生皇帝と民に篤く信頼された人物である。「権は天下を傾けるも朝廷は忌まず。功は一代を蓋いたるも主は疑わず。奢侈は人欲を窮めたるも君子之を罪とせず」『旧唐書』-Yue Fei 岳飛(1103-1141)南宗の将軍。元は義勇軍の一兵卒だったが、やがて頭角を現し軍閥の中心人物となる。戦場においては幾度も金を破るものの、秦檜を中心とする和平派の謀略にかかり非業の死を遂げる。「運用の妙は一心に存す」『十八史略』-Meng Gong 孟キョウ(1195-1246) ※ 英語版記事無し。代わりに中国語記事を記す。南宗の将軍。金、そして当時最強の戦闘国家であったモンゴルから南宗を守り通し、オゴタイに南征を諦めさせた守勢の雄。彼と彼の構築した防衛網があったからこそ、死後30年に渡って南宗が存続できたと言われる。「臣は所詮武辺の士、戦を望み和議を望まず」-Guo Kan 郭侃(?-1277)元の漢人将軍。郭子儀の子孫。特に攻城戦を得意とし、イスラム帝国や十字軍を蹴散らしペルシア、シリア、小アジアを飲み込んだ「極西の神人」。彼らによるバクダートの破壊は、イスラム諸国を大いに動揺させた。「モンゴル軍は鳩の飛行を攻撃する飢えたハヤブサのように都市を貫き、荒れ狂う狼が羊を襲うように市民を襲った」「敵を欺くものは滅び、軍機には偽り多し。若し彼の計に当らずば、大恥をかかざる事なし」-Xu Da 徐達(1332-1385)明創始期の将軍。朱元璋と共に紅巾軍に参加し、以後各地を歴戦。南では軍閥や山越を討って明の成立に貢献し、北ではココ・テムルやトゴン・テムルを破ってモンゴル勢力を中原から叩き出した。「元都を攻め落とし、ハーンも北へ逃げた以上、窮した敵を追うべきでありましょうか」-Qin Liangyu 秦良玉(1574-1648)明の将軍。少数民族出身で、その上女性であるにも関わらず、「白杆兵」と恐れられた兵を率いて清の猛勢に抵抗し続けた。正史に列伝のある女性武将は彼女一人である。(*2)「私の兄弟二人はみな王事に死し、私は一夫人といえど国家の厚恩を被ること二十年、今不幸にして此処にいたり、しかし敢えて逆賊に余年を生かされることを望まない!」-Yuan Chonghuan 袁崇煥(1584-1630)明の将軍。既に並ぶ者のない強勢となっていた後金と戦い、ヌルハチに生涯唯一の敗北を喫させホンタイジをも退けた。中原史上初の砲術家でもある。「昨日お前を斬ったのは、朝廷の尊い法によるもので、今お前を祭るのは、僚友としての私情である」毛文龍を斬った後、その祭礼にて-Zhang Zizhong 張自忠(1891-1940)中華民国の将軍、行政官。日本からも勇将の誉れ高かった人物で、大陸に侵入してきた日本軍を散々に苦しめるも壮絶な戦死を遂げる。「豊台は中国の領土である」 Zhu De 朱徳(1886-1976)中華人民共和国の将軍、政治家。盟友の毛沢東と共にゲリラ戦の基本戦略を確立した事で知られる。日本軍が「点と線しか支配できなかった」のは彼の働きによるところが大きい。「敵が進めば我は退き、敵が休めば我は撹乱し、敵が疲れたら我は打ち、敵が退けば我は進む」計20人…これでも幾人かの例外を除いて絶対に外せない名将中の名将に限定しているつもりである。更に将軍としても優秀だった皇帝(劉秀とか李世民とか朱棣とか)も除外している。(*3)何という戦闘民族。これは是非とも帝国主義志向の指導者が欲しくなるところだ。武帝なんてどうだろう。**中原周辺の武将、軍師、覇王 [#k0ccdebe] Modu Chanyu 冒頓単于(BC?-BC174)匈奴の単于、即ち王。父王をクーデターで殺した直後から周辺への侵略を開始し、最終的には漢王朝をも圧迫するほどの遊牧国家を作り上げた。「天立つる所の匈奴大単于、慎みて皇帝に問う、恙なきや」-Eulji Mundeok 乙支文徳(生没年不詳。6-7世紀の人)高句麗の将軍、大臣。当時の超大国であった隋軍を国土の奥まで引きずり込み、補給線が伸びきった所でこれを殲滅。圧倒的な国力の差をひっくり返すと同時に隋滅亡の遠因を作った。「貴軍の優れた謀は天の理を究め、知略は地の理をも窮めるほどである。戦勝の功績は既に甚だしく、十分なものである事を鑑み、ここで戦いを止められてはどうか?」隋軍への信書。この直後、騙し討ちで隋軍を打ち破る。-Kim Yushin 金ユ信(595-673)新羅の将軍。唐の支援を受けつつ百済と高句麗を滅ぼし、その後唐を半島から叩き出す事で朝鮮半島に初の統一をもたらした。「この国を開いた、忠義に燃えし壮烈なる武を興した者よ」陵墓より-Wanyan Aguda アグダ(1068-1123)女真族の族長であり、金の初代皇帝。完顔阿骨打とも。完顔による女真族の統一に貢献し、その後完顔の頭領となると金を建国。更に遼を事実上壊滅させるに至る。「財を理由に人を殺してはならない。財は人の致す物なのだから」-Yelu Dashi 耶律大石(1087-1143)遼の皇族であり、西遼/カラ・キタイの創始者。遼の滅亡に際し西に逃れ、トルキスタンで西遼を建国。その後シルクロードを支配しセルジューク朝等を破って版図を拡大したが、本願であった東征は果たせなかった。「耶律大石がサンジャルを打ち破った事で、イスラム最大の勢力であるセルジューク朝は瓦解するに至る。その雄姿は西に伝わり、いつの間にか、プレスター・ジョンの伝説となった」-Batu バトゥ(1207-1256)ジョチの息子であり、キプチャク・ハン国の創始者。キプチャク草原からハンガリーに至る地域を一代で征服し、東欧を「タタールのくびき」にかけた張本人である。「わたしどもが旅行の途中にその土地を通ったさい、死者の頭蓋骨と骨とが数え切れぬほど地面に散らばっているのに出くわしました。キーエフは以前は非常に大きく人口過密な町だったのですが、いまではほとんど無に帰してしまいました」-Bayan バヤン(1236-1294)モンゴル帝国の将軍。南宗を滅ぼして元の覇権を決定的なものとし、モンゴル高原の反乱を鎮圧して元に復させる等、終生フビライの腹心としてその命を果たし続けた。「百の眼の怪物が南宋を滅ぼした」『東方見聞録』、「バヤン」は漢字で「百眼」となる-Tran Hung Dao チャン・フン・ダオ(1228-1300)大越の王族、武将。陳興道とも。チャンパ軍と共に巧みなゲリラ戦で元軍を翻弄し、最終的にはこれを追撃して殲滅する事に成功。見事に大越の独立を守り抜いた。「もし降伏するのであれば、まずはじめに私の首を斬ってください。私がいる限り、わが国は絶対に滅びはしません」-Nurhaci ヌルハチ(1559-1626)後金の創始者であり、後に清の初代皇帝とされる。女真族を統一して後金を建国し、更に明を攻撃。寧遠城に敗れるまで連戦連勝を続けた。「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」その倭兵に散々苦戦した李如梅の言-Vo Nguyen Giap ヴォー・グエン・ザップ(1911-)ベトナムの軍人、政治家。正規の軍事訓練は受けていなかったが、フランス軍を叩き出して独立への道を作り、更に超大国アメリカを泥沼に引きずり込んで消耗させ、ベトナム統一をもたらした。「ゲリラ戦を維持し、発展させていくためには、必然的に機動戦に行き着かねばならない」『人民の戦争・人民の軍隊』-Paik Sun-yup 白善燁(1920-)大韓民国の軍人、外交官、政治家。ロクな訓練を受けていなかった民兵を率いて北朝鮮の正規軍を相手に奮戦、諸々の機を見切って38°線を確保する事に成功する。「2日間も補給が絶えたのに、よく頑張ってくれた、感謝の言葉もない。だがもう我々には下がる所はない。大韓民国を滅ぼしてはならない気持ちは皆同じである。今から突撃に行こう。私が先頭だ。もし私が気後れを見せたら躊躇せず撃て。支援射撃の最終弾と供に突撃だ。私に続け」計10人**イスラム圏の将軍、英君 [#k0ccdebe] Abu Muslim アブー・ムスリム(700?-755)アッバース革命の指導者。通称「ホラーサーンの猛虎」。ダーイー、即ち秘密教宣員として挙兵の準備を整え、いざ挙兵してからは瞬く間にアッバース革命を成立させた。本人は前線には出なかった事でも知られる。「自分を生かしておけばあなたの敵を倒すだろう」「お前以上の敵がどこにいるものか」マンスールに誅殺される寸前の問答-Togrul トゥグリル・ベク(993-1063)セルジューク朝の開祖。遊牧集団を率いてガズナ朝と戦い、ニーシャプールを皮切りにアフガニスタン、ホラーサーンを併呑。史上初めて公式に認められたスルタンとなった。「最大のスルターンにして、最も栄光あるシャー・ハン・シャー」即位記念通貨の銘-Zengi ザンギー(1087?-1146)ザンギー朝の開祖。十字軍と組織的、継続的に戦った最初の武将で、特にエデッサ伯領を攻め落とした事でジハードの口火を切ったと称えられている。「彼が去ると敵は立ち上がった 生きているときは怖くて抜けなかった剣を掴み」-Nur ad-Din ヌールッディーン(1118-1174)ザンギー朝第二代君主。父の戦争を引き継いで十字軍との抗争を続け、更にシリア周辺の諸王を討ち彼の地における体制を固める。「アッラーよ!私よりもイスラームに勝利を与えたまえ!この犬めが勝利に相応しいとは!」-Baibars バイバルス(?-1277)マムルーク朝第5代君主。モンゴルを撃退してその侵略をシリアで食い止め、更に十字軍の都市をも陥落させその橋頭堡を奪った。政治にも功績を残し、今なお名君と称えられている。「歴史に耳を傾けることは体験に勝るものだ」-Barbaros Hayreddin バルバロス・ハイレディン(1475-1546)元は「赤髭」と恐れられた海賊で、後にオスマン帝国の提督となる。プレヴェザでヴェネチア、教皇軍、スペイン海軍の連合軍を敗走させる事で地中海におけるオスマンと海賊の覇権を決定的にした。(*4)「船列に帰って、俺がやるようにやれ」プレヴェザの海戦に際し-Aurangzeb アウラングゼーブ(1618-1707)ムガール帝国第六代皇帝。狂信という皇帝としては致命的な問題を抱えていたが軍人としては優秀で、ムガール帝国における最大版図を築いたのは彼である。(*5)「…だが老皇帝一人だけは、なおかなりの威厳を持ち純白の衣裳で前線を回る。多くの兵が皇帝を見ようと群れる。だが皇帝は彼らのほうを見ずただ手中の本のみに目をこらす。その本はコーランだった」あるイギリスの外交官-Nader Shah ナーディル・シャー(1688-1747)アフシャール朝の創始者、あるいは簒奪者。武威に依って王朝を建て、オスマン帝国とムガール帝国を破ってアナトリアからインドに渡るまでの地域を領有するに至る。そして最期は凶刃に倒れるのだった。(*6)「それではどこに楽しみを見出せるのか」天国には戦争は無い、と聞いて-Kemal Ataturk ケマル・アタチュルク(1881-1938)オスマン帝国の軍人を経て、トルコ共和国の初代大頭領となる。軍人時代にはガリポリで英軍の前進を食い止め、革命政府の首魁となってからは希軍を撃退するなど将軍としても優秀であった。「全軍へ告ぐ。諸君の最初の目標は地中海だ、前進せよ」-Ahmad Shah Massoud アフマド・シャー・マスード(1953-2001)アフガニスタンの政治家、軍事指導者。アフガン戦争において万単位で侵入してくるソ連軍を何度も何度も追い返した局地戦の泰斗であり、「パンジシールの獅子」の異名を持つ。「私達が戦いを止めればテロリズムは世界に広がっていくだろう」計10人**東中欧及びその周辺の将軍、英君 [#k0ccdebe] Attila アッティラ(406?-453)フン族の王。中央アジアから東西ローマ帝国をに至る地域において、思うまま、望むままに侵略、略奪、殺戮の限りを尽くし、「神の災い」「神の鞭」と恐れられた。「トラキアにいる野蛮なフン族はとても強大になり、数百の都市が奪われ、コンスタンティノープルも危険になり多くの人々が逃げ出した…そしてたくさんの人々が殺され血が流されて、死者の数を数えることもできない」 カリニコス、『聖ヒュパティオスの生涯』-Alexander Nevsky アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263)ノブゴロド公であり、後にウラジーミル大公。ドイツ騎士団とスウェーデンの侵攻を跳ね返してロシアと正教を守った事で、英雄、聖人として称えられている。モンゴルへの臣従を貫く等時世を読む力もあった。「…彼の背は誰よりも高く、声はラッパのようによく響き、顔は古のファラオが自らの後継者に据えんと欲したあのヨセフのようであった」『第二プスコフ年代記』-Dmitry Donskoy ドミトリイ・ドンスコイ(1350-1389)第四代モスクワ大公。クリコヴォでママイを破り、タタールのくびきに傷を付けた事でモスクワの武名と覇権を揺るぎないものとした。こちらもロシア史有数の英雄とみなされている。「大公ドミトリイはロシアの大地とハリストスへの信仰を守る為に、その勇気と軍を以てタタールの悪魔共を打ち破った。今やタタールの弓はロシアの剣に切り裂かれ、そのラッパも声も遠くに失せた。ママイは軍を見捨て、老いた狼のように遠吠え、カッファに逃げ去っていったのだ」『ザドンシチナ』-Jan Zizka ヤン・ジシュカ(1374-1424)ボヘミア出身の傭兵で、フス派の総大将。馬車防壁と鉄砲斉射を組み合わせた新戦術を農民達に叩き込み、貴族によって構成される重騎兵団を木っ端微塵に粉砕。戦争の様式そのものを根本的に変えてしまった不世出の天才である。「フス派は神か、あるいは悪魔の力を得ているに違いない。人間が勝てる相手ではない。彼らは無敵なのだから」-Vlad III ヴラド・ツェペシュ(1431-1476)ルーマニアのワラキア公。オスマン帝国からの独立を宣言し、その侵略軍を幾度となく退けている。内外を問わず敵の尽くを串刺しにした事、そしてドラキュラのモデルとなった事で有名。「輝く地平線を目指す時は今。これを目指して、全ての敵を辱めるのだ。全ての敵を辱めるのだ」ルーマニア国歌より-Yermak イェルマーク(1532-1585)コサックの頭領、探検家。ストロガノフ家の命を受け、シベリア植民の尖兵としてシビル・ハン国と対決。その首都を占拠するものの残党の手にかかって戦死した。「征服…征服…何という言葉だろう! 同じ略奪でも、命令を受け氏名を帯びてやれば、そして大々的にやれば、征服というんだ」バルトス・ヘップナーの小説『コサック軍シベリアをゆく』-Albrecht von Wallenstein アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(1583-1634)ボヘミア生まれの傭兵。神聖ローマ皇帝の私兵として各地を駆け巡り、プロテスタント諸国に連戦連勝を重ねる。リュッツェンでは敗北しながらもグスタフ・アドルフを討ち取ってみせた。「あの人は軍人の国を作ろうとしたのだ。そして世界に火をつけ、世界を燃やして、あらゆることを大胆にやろうとした」シラー著『ヴァレンシュタイン』より-Stanislaw Koniecpolski スタニスワフ・コニェツポルスキ(1590?-1646)※ 日本語記事は無し。代わりにスウェーデン・ポーランドの項を記す。ポーランド=リトアニア連合の軍人。グスタフ・アドルフが戦略の人ならこちらは戦術の人で、彼の王との多くの戦いにおいて勝利を収めている。(*7)「偉大なるグスタフ・アドルフを見よ! 18ヶ月のうちに、彼は最初の戦いに勝利し、2度目に敗北、そして3度目に命を落とした。彼はなんと安価に名声を手に入れただろう! 」 ナポレオンによる言-Bohdan Khmelnytsky ボフダン・フメリヌィーツィクィイ(1595-1657)ウクライナ・コサックの頭領。ポーランドに反旗を翻し、討伐軍を破ってウクライナをコサック国家として独立させる事に成功する。と同時に、彼に手を焼いた事がきっかけでポーランドの没落が始まるのである。「いざ自由がため 臆せず身を奉げよ 汝がコサックが末裔ならば」ウクライナ国歌-Stefan Czarniecki ステファン・チャルニエフスキ(1599-1665) ※ 日本語記事は無し。代わりに大洪水時代の項を記す。ポーランド=リトアニア連合の軍人。内憂外患によってズタズタにされたポーランド軍を草の根から立て直し、スウェーデン軍を追い出してポーランドの王権を復活させた。「チャルニィエツキがポズナンに行ったように スウェーデンとの戦いの後 国を救うため 海を渡って戻ってきた」ポーランド国歌より-Alexander Suvorov アレクサンドル・スヴォーロフ(1729-1800)ロシア帝国軍人、貴族。機動力を活かした速攻を得意とし、ポーランド分割、露土戦争、フランス革命戦争等で功績を上げる。世界史上でも稀な文字通りの「不敗」将軍でもある。「戦争において金銭は尊い。人命はより尊い。それよりもなお時間は尊い」-Tadeusz Kosciuszko タデウシュ・コシチュシュコ(1746-1817)ベラルーシ系のポーランド貴族、軍人。ジョージ・ワシントンの副官としてアメリカ独立戦争に参戦し、その後第二次ポーランド分割に抗い叛乱を起こす。「ポーランド人よ! お前は、このヨーロッパで不運にも自分が耐えしのんでいる苦痛は、明らかに、告訴に値するものであるとみなしているはずである」『民族解放と国家再建によせて』-Jozef Pilsudski ユゼフ・ピウスツキ(1867-1935)ポーランド軍元帥、首相。ポーランド独立、軍創設、そしてかのトゥハチェフスキー率いるソ連軍に対する勝利をもたらしたポーランドの英雄である。ヒトラーの危険性も見抜いていたという。「この2つの条約がある状態というのは、ポーランドが2つの椅子に両脚を乗せているようなものである。こんな状態は長くは続かないだろう。いまやどちらの椅子からひっくり返るか、そしてそれはいつなのか、ということだ」-Carl Gustaf Mannerheim カール・グスタフ・マンネルヘイム(1867-1951)フィンランド陸軍元帥、軍最高司令官、後に大統領。横暴なるソ連の侵略に対して果敢に抵抗し、フィンランドの独立を守り抜く事に成功する。ちなみに探検家としても成果を残していたりする。「自国すら守れない民族を他国が助けてくれるはずがない」-Mikhail Tukhachevsky ミハイル・トゥハチェフスキー(1893-1937)ソビエト連邦軍人、元帥。内乱に乗じて攻め込んできた東欧諸国の軍を撃退し、ソ連の成立を確固たるものとした。また烏合の衆だった赤軍を10年で機械化し、縦深戦術理論を構築する等軍政家としての功も大きい。「我々の銃剣で勤労人類に幸福と平和をもたらす。西欧へ」 計12人 西欧及びその周辺の将軍、英君 David ダビデ(BC1040-970)古代エルサレム第二代君主。周辺の民族を打ち倒してエルサレム王権を確立したとされる。旧約聖書を聖典とした文化圏における武力の象徴でもある。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。あなたが私とともにおられますから」詩編、23篇-Themistocles テミストクレス(BC524?-459?)アテナイの政治家、軍人。アテナイ海軍の創始者であり、またサラミスにおいてペルシアを破ったギリシャの英雄。更に政略にも秀でていた。「たとえ国土を喪っても、ここに祖国のために戦う二百隻の艦隊があるかぎり、未だアテナイは滅びてはいない」-Epaminondas エパメイノンダス(BC420?-362)テーバイの政治家、軍人。斜線陣を叩き込んだ神聖隊(*8)を率い、当時最強を謳われたスパルタ軍を破ってテーバイに覇権をもたらした。ピリッポス2世の師でもある。「エパメイノンダスは、味方が勝ったと知らされて、いっそう喜んで死んでいった」モンテーニュによる評-Pyrrhus ピュロス(BC319-BC272)エペイロスの王。マケドニアを征服し、また共和制時代のローマと幾度も剣戈を合わせた戦術の天才。ハンニバル曰く、「一にアレクサンドロス、二にピュロス、そして三に自分だ」との事。「私は商売に来たのではない。戦場で決着をつけよう」-Philippos II フィリッポスⅡ世(BC383-336)古代マケドニアの王。マケドニア・ファランクスを創始しスパルタを除くギリシア全土に覇を唱えた。この戦法を更に改良して前代未聞の大遠征を敢行したのが息子アレクサンドロスである。「ヨーロッパは未だかつてこのような人物を生み出したことはなかった」-Marcus Agrippa マルクス・アグリッパ(BC63-BC12)古代ローマの軍人、政治家。軍才のなかったアウグストゥスに代わって彼の軍を率い、ほぼ全ての戦で決定的な役割を演じた。アウグストゥスの業績は彼がいなければ成立し得なかっただろう。「オクタヴィアヌスの後見人にアグリッパを指名する」 ユリウス・カエサル-Vespasianus ウェスパシアヌス(9-79)古代ローマの軍人、後に皇帝としてフラウィウス朝を創始。一年半に渡って続いたローマ帝国の内乱を集束させ、「ウェスパシアヌスによる平和」を成立させた。「皇帝は立って死なねばならない!」-Afonso I アフォンソⅠ世(1109-1185)今なお「国父」と称えられるポルトガルの建国者。オーリッケの戦いでムラービト朝に大勝して建国。更にリスボン攻防戦に参加し、第二回十字軍唯一の勝利を上げてここを首都とした。「騎士だった父よ 今日は、われらが祝日の前夜だ 与えたまえ、全ての戒めと あなたの全ての力を! 与えよ 新たな異教徒が勝りし、誤りの時に対して 剣のような祝福を 祝福のような剣を!」 フェルナンド・ペソアの詩-Richard I リチャードⅠ世(1109-1185)獅子心王と呼ばれたイングランド王。その生涯の殆どを闘争に費やし、第三回十字軍で武名を上げたと思えばノルマンディーでは失地の大多数を回復してみせた。「プランタジネット家の人々は悪魔の子であり、その獰猛性と喧嘩好きは生まれ持っての性癖である」-William Wallace ウィリアム・ウォレス(1272?-1305)スコットランドの勇者。スターリング・ブリッジの戦いでイングランド軍を破り、スコットランド人の勇気を大いに高める。彼自身は処刑されるものの、その志はロバートⅠ世率いるスコットランド人に受け継がれた。「スコットランド、我々のもっとも大きな誇り、それは決して倒れないことではない。倒れるたびに立ち上がる、それが誇りだ」──スコットランドの詩-Robert I ロバートⅠ世(1274-1329)ブルース朝を創始したスコットランド国王。一度は領土の全てを失うものの粘り強いゲリラ戦を展開し、遂にはバノックバーンで三倍の敵を打ち破り、イングランドの野望を挫いた。「我々が戦うのは、栄光や名誉のためでも、富のためでもなく、ただ自由のためなのだ。この独立のために、高潔な我々は決してあきらめず、そしていかなる犠牲をも怖れない」「アーブローズ宣言」-Edward,the Black Prince エドワード黒太子(1330-1376)イングランド王子。当時最新の兵科であった長弓兵を率い、数に勝っていた筈のフランス軍を一方的に蹂躙。特にポワティエではフランス国王ジャンⅡ世らを捕虜にし、その身代金でフランスの財政をも吹き飛ばした(*9)。「自分の好きな時に大軍を率いて出頭する」-Bertrand du Guesclin ベルトラン・デュ・ゲクラン(1320-1380)フランスの軍人。賢明王シャルルⅤ世に見出され、後の傭兵団を彷彿とさせる合理的戦術によって百年戦争で活躍。イギリスに奪われたフランス領の大半を奪い返した。「デュ・ゲクランの地図の彼方に、王太子シャルルは無限の空間をみつけていた。-これはルネサンス(再生)だ」 佐藤賢一著、『双頭の鷲』より-Gonzalo de Cordoba ゴンサロ・デ・コルドバ(1453-1515)「エル・グラン・カピターン」の異名を持つスペインの将軍。後にテルシオとなるコロネリアを組織し、更に塹壕戦を開発する等徹底的な軍政改革を行い、遂には火力を以てフランス重装騎兵を殲滅するに至る。「良い知らせだ。これこそ勝利の光である」-Francis Drake フランシス・ドレーク(1543-1596)イギリスの海賊兼海軍提督。イングランドの歳入を上回る額の財宝を略奪するだけに飽き足らず、アルマダを海に沈めさえしてしまった、スペインにとっての「エル・ドラコ」である。「海と空気は万人が共同に使うべきもの。いかなる君主も、広い大洋を自由に航行するを妨害できない」エリザベス1世-Maurice of Nassau マウリッツ(1567-1625)オラニエ公ウィレムⅠ世の次男、オランダ総督。軍隊の徹底的な合理化、マニュアル化を進め、更に三兵戦術の基礎を確立する等、ヨーロッパにおける「軍事革命」を起こした人物。「2プラス2は4である」-Vicomte de Turenne テュレンヌ子爵(1611-1675)フランスの軍人。ルイ14世の配下として三十年戦争とネーデルランド継承戦争に参戦し、その緻密な戦略を以てフランスに勝利をもたらしている。また、皮肉な事に↓の人物の師ともなった。「2、3の包囲戦と多くの戦闘」-John Churchill ジョン・チャーチル(1650-1722)イギリスのジェントリ、軍人。尋常ではない程の機動力を自慢とし、スペイン継承戦争においてフランス軍を何度も打ち破ってルイの覇権を突き崩した。ちなみにウィンストン・チャーチルのご先祖様でもある。「早期かつ優れた諜報活動無しに戦争を遂行する事は出来ない」-Louis-Nicolas Davout ルイ=ニコラ・ダヴー(1770-1823)フランスの軍人、元帥。「不敗のダヴー」と渾名され、特にアウステルリッツやアウエルシュタットでは決定的な役割を果たしてドイツ戦役の趨勢を決定づけてみせた。「かの元帥は不滅の武勇の、確固たる意志の、そして第一級の戦士たることの何たるかを体現してみせた」ナポレオン、彼の活躍を嘉して-Arthur Wellesley ウェリントン公アーサー・ウェルズリー(1769-1852)イギリスの将軍、政治家。「鉄の公爵」の異名を持つ。ナポレオンによるイベリア半島への侵入を食い止め、遂にはワーテルローでナポレオンの野望を完全に打ち砕いた。「恐れを知って、しかもそれを恐れざる者こそ、真の大勇者である」-Giuseppe Garibaldi ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)ニース生まれの軍事家。赤シャツ隊を率いて両シチリア王国を滅ぼし、これをサルディーニャに献上する事でイタリア統一に大きく貢献した。また祖国同様に自由も愛する人物で、南米や第三共和制下のフランスでも活躍している。「我々が何処に退こうとも、戦う限りローマは存続する」-Helmuth von Moltke ヘルムート・フォン・モルトケ(1800-1891)プロイセンの貴族、軍人、軍事学者。その卓越した戦略を以て普丁、普墺、普仏戦争に勝利し、ドイツ統一の原動力となった。鉄道と電信の活用によって軍の機動と命令伝達を迅速化し、中央集権組織の原型を構築した人物でもある。「計画することがすべてだ、計画書は無意味だ」-Philippe Ptain フィリップ・ペタン(1856-1951)フランスの軍人、政治家。軍人としては第一次世界大戦において活躍しており、特にヴェルダンにおけるドイツ軍の攻勢を頓挫させた事で「ヴェルダンの英雄」と呼ばれていた。「私の信頼するものは愛と歩兵だ」-Hugh Dowding ヒュー・ダウディング(1882-1970) ※ 日本語記事無し。代わりにバトルオブブリテンの項を記すイギリス空軍大将。史上初めてレーダー防衛網を確立する等イギリスにおける防空体制の確立に務め、質量共に勝るルフトヴァッフェからイギリスを守り抜いた「バトル・オブ・ブリテン」の功労者である。「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」 チャーチルの言-Erich von Manstein エーリッヒ・フォン・マンシュタイン(1887-1973)ドイツ陸軍元帥。「マンシュタイン計画」によってフランスを蹴散らした事で国際的な名声を勝ち取り、以後も「バックハンドブロウ」で赤軍を黙らせる等東部戦線で活躍した。「敵地における機甲部隊の安全は、移動することにある」計24人**南北アメリカ及びカリブの将軍、指導者 [#k0ccdebe] John Paul Jones ジョン・ポール・ジョーンズ(軍人)(1747-1792)アメリカ海軍提督。かのロイヤル・ネイビーを相手に大立ち回りを演じ、イギリスの通商と兵站を破壊。大西洋を跨いで遠征していたイギリス軍の力を削いでアメリカ独立に貢献した。「こっちはまだ戦いを始めてもいないんだ!」-Tecumseh テカムセ(1768?-1813)ショーニー族の酋長。その強烈なカリスマで西部の諸民族を糾合し、米英戦争においてデトロイトを攻略する等の戦果を上げる。彼以降、インディアンが大連合を組む事は遂になかった。「土地というものは、かつて分割されたことなどなかったのだ。それは我々インディアンたち全員のものだ」-Simon Bolivar シモン・ボリバル(1783-1830)ベネズエラ生まれの革命家、政治家、思想家。ベネズエラ・コロンビア・パナマ・エクアドル・チリ・ペルー・ボリビアを独立させた、ラテンアメリカの「解放者」である。「歴史上最大の馬鹿者三人は、イエス・キリストとドン・キホーテと私だ」-Ulysses S.Grant ユリシーズ・グラント(1822-1885)アメリカの将軍、後に第18代大統領(*10)。南軍に勝る北軍の物量を正しく活かし、リー率いる南軍を消耗戦に引きずり込んで壊滅させた。「私はかつて、平和の手段としての方法以外に戦争を主張したことがない」-Thasunke Witko タシュンケ・ウィトコ(1840-1877)クレイジーホースとも呼ばれたオグララ族の戦士。本名は「タ・シュンカワカン・ウィトコ(彼の奇妙な馬)(*11)」。その名の通り騎馬の駿足を生かした機動力を持ち味とし、特にリトルビッグホーン(*12)では合衆国軍を一方的に撃滅している。「常に弱きものを助け、分け与えよ」-Chester W.Nimitz チェスター・ニミッツ(1885-1966)アメリカ海軍提督。癖のある部下達を上手く使いこなして、太平洋戦線、特にミッドウェーにおける勝利を引き出した。無制限潜水艦作戦で日本軍の兵站を引き裂き、継戦を困難にしたのも彼である。「海軍に関する限り、良き戦争だった」-William Halsey ウィリアム・ハルゼー(1882-1959)アメリカ海軍提督。「猛牛」と呼ばれる程の勇猛な指揮に定評があり、いくつかのポカもやらかしたがそれ以上の戦果を上げて太平洋戦線の趨勢を決めた。「海軍は理想的な軍隊だ 船に乗って撃ち合っている限り、市民に迷惑をかけることがない」-Raymond A.Spruance レイモンド・スプルーアンス(1886-1969)アメリカ海軍提督。合理的且つ冷静な指揮で知られる。ハルゼーの代役としてミッドウェー海戦の指揮を取り、日本軍に対して決定的な勝利を収めた。以後もニミッツの参謀長となり、多くの戦果を上げている。「諸君、私は諸君の一人ひとりについて、いささかの不安の念も持っていないということを、先ずはっきりさせておきたい。もし一人でもそうでない人物がいたら、ビル・ハルゼーが君達をこのままにしておくはずがないからだ」-Henry H.Arnold ヘンリー・アーノルド(1886-1950)アメリカ陸軍、空軍元帥。第二次大戦への参戦に備えて航空隊の増強に力を注ぎ、後の空軍創設に大きく貢献した。なお米空軍元帥に叙されたのは現在に至るまで彼一人のみである。「今日では、ある国が他の国を打ち負かすことはできない。そうした考え方は、広島とともに死滅した」-Che Guevara チェ・ゲバラ(1928-1967)アルゼンチン生まれの革命家。並ぶ者無きカリスマとして反乱軍の精神的支柱となり、遂にはキューバ革命を現実のものとした。その姿は世界一「格好いい」(*13)共産主義者として、今なお尊敬を集めている。「ここにいるのは英雄ではない。ただ一人の男だ。撃て!臆病者め!」計10人合計86人…こうなるから自重したんだろうなぁ、制作者は。元々居る44人や指導者の十数人、更に君主やら予言者やらなので上げなかった方々を含めれば140近くになってしまう。でもまだ忘れている人もいるかもしれない。**追加したい方がいればここにどうぞ [#k0ccdebe] Chanakya カウティリヤ(BC350-283)マウリヤ朝マガダ国の宰相であり軍師。チャンドラグプタの側近として冷酷なまでの辣腕を揮い、マウリヤ朝建設の礎となる。今日では「インドのマキャベッリ(*14)」と呼ばれ、『アルタ・シャーストラ(実利論)』の作者ともされる。「臣民を法により守る王が自己の義務を遂行することは、彼を天国に導く。王が守護せず不正な刑罰を科する場合は、逆の結果となる。何となれば、王が息子にも敵にも罪に応じて公平に刑罰を科すれば、かかる刑罰のみこの世と他の世とをよく守るから」 『アルタ・シャーストラ』-Stilicho スティリコ(365-408)西ローマ帝国の軍人。テオドシウスの元で頭角を現した半蛮族の将軍であり、暗君ホノリウスによって処刑されるまで崩壊寸前のローマを支え続けた。塩野七生女史曰く「最後のローマ人」との事。「あなたが示した崇高さは、太陽が完全に消え去ることはないのと同じように、人間の心から消え去ることはないだろう。あなたが人々に与えた贈物は、陽光があまねく照らすのと同じに、ローマ世界のすみずみにまで届いたのだ」 ルティリウス・ナマティアヌス 『帰郷』より-Heraclius ヘラクレイオス(575?-641)ヘラクレイオス朝初代皇帝。疲弊の極みにあった東ローマ帝国を立て直してササン朝を討ち、帝国東方と「聖なる十字架」を奪還。が、直後イスラムに敗北し東方を失う。その後は小アジアに防衛線を構築し、帝国防衛の基礎を作った。「陛下、我々のために貧困に甘んじ苦難を受けられた救主が、謙遜に己れが肩に負われた十字架は、華やかで美しい衣を着て負うものではありません」 エルサレム総主教ザハリヤ-Amr ibn al-As アムル・イブン・アル=アース(583-664)イスラーム草莽期の将軍、政治家。パレスチナとエジプトの征服者であり、特にエジプトではたった四千騎で万単位の東ローマ帝国軍を打ち破っている。今日のカイロとなるフスタートの生みの親でもある。「汝にエジプトから引き返すように命令する書簡が、エジプトのどこかに侵入する前にとどいたときは引き返せ。しかし汝が余の書簡を受け取る前にその地に踏み込んでいたときは、前進してアッラーの援けを乞え」 ウマル・イブン・ハッターブ-Muhammad Ibn Abi Aamir ムハンマド・イブン・アビー・アーミル(938-1002) ※ 日本語記事無し。代わりに「レコンキスタ」を記載後ウマイヤ朝の宰相、侍従、将軍。幼年の王を擁立して国政を掌握した上で、ベルベル人の私兵を編成して北方に侵攻。キリスト教勢力の尽くを臣従させ「アル・マンスール(勝利者)」と称えられ、また恐れられた(*15)。「しかし遂に、神の慈悲は瓦礫の上に示され、キリスト教徒に頭を上げる事を許された。それから十二年後にマンスールは偉大なる都市メディナの手にかかり、彼の地に居座る悪魔によって地獄に引きずり込まれた」 当時は怖くて語れなかった『沈黙の歴史』-Basileios II バシレイオス2世(958-1025)マケドニア朝第九代皇帝。ブルガリア王国を滅ぼし「ブルガロクトノス(*16)」と呼ばれた軍人皇帝であり、周辺の敵を尽く平らげ、更に民に対しては善政を敷き、東ローマ帝国の最盛期を現出させた。「もしあなたがふつうに皇帝と会ったとしたら、別に他の人と何も変わらないように思うことだろう。しかし馬上の彼の姿は、まったく比べようのないものである。他の騎兵と並んで馬上にある彼の姿は、まるで偉大な彫刻家の手によって造られた彫像のようであった」 ミカエル・プセルロス『年代記』-Cnut the Great クヌーズ1世(995-1035)デンマーク王スヴェン1世の子。戦死した父王の跡を継いでイングランドで勢力を拡大し、1016年にその王となる。その後デンマーク王を継承し、更にノルウェーやスウェーデンにも侵攻して北海に覇を唱えた。「毎朝のように、上機嫌な戦女神がテムズの崖に転がる血塗れの武具を嘉している。オーディンの眼たるカラスは、戦に餓えしデーン人の王が、その勇猛なる剣でイングランド人の鎧を滅多打ちにする様を愉しむ事だろう」 『クニートリング・サガ』-Baldwin IV ボードゥアン4世(1161-1185)第四代エルサレム国王。重度の皮膚病に侵されているとは思えぬ勇猛果敢な戦を持ち味とし、あのサラディンが率いる軍とも互角に渡り合った。理想としての十字軍を体現していた希有な人物の一人。「弱者のうちに力を現す神が、病気持ちの王を鼓舞したもうた。王は馬から降り、大地に跪き、十字架の前にひれ伏して、涙ながらに祈りあげた。そのさまを見て、すべての将兵は感きわまり、この期におよんでは、一歩も引かぬこと、馬首をめぐらすものは、だれでも裏切り者と見なすことを誓った。将兵は馬にまたがり、突撃に出た」-Osman I オスマン1世(1258-1326)オスマン帝国初代皇帝。ルーム・セルジューク王朝からの独立を果たし、小アジアにオスマン朝を打ち立てる。その後も東ローマ帝国等と戦い領土を広げ、大帝国の基盤を作り上げた。「息子よ! 他のあらゆる義務を遂行する前に、神の問題を解決するのだ。神の教訓は強固な国を造り上げる。…学者、高潔な者、芸術家、文学者は国家創立の原動力となる。厚意と名誉を以て彼らをもてなせ。…そなたの民を敵の侵略と非道から守るのだ。誰に対しても不公平で道理の通らぬ真似をしてはならぬ。民を満足させ、彼らの望み全てを助けよ」息子オルハンへの教訓より-Yi Seong-gye 李成桂(1335-1408)高麗の武官であり、李氏朝鮮王朝の創設者。紅巾軍や元の将である納哈出を撃退する事で武名を上げ、最終的には落ち目の高麗と元を見限り武力で李氏王朝を樹立した。「平壌城では火が燃えさかり、安州城の外では煙が立ちこめている。平壌と安州の間を往復する李将軍よ、願わくは蒼生を救いたまえ」 李成桂の開京入城を称える歌 Skanderbeg スカンデルベグ(1405年5月6日~1468年1月17日)本名、ジェルジ・カストリオティ(Gjergj Kastrioti)。スカンデルベグはトルコ語のアレクサンダーを意味するイスカンダル・ベイにちなむ。幼少からオスマン帝国の元に人質として出され、ムスリムに改宗するが、父の死後、領土の相続を認められ、ムラト2世の元でオスマン軍の一員として戦う。しかし1443年にオスマン帝国に反旗を翻しキリスト教に再改宗する。強力なカリスマ性で豪族が群雄割拠するアルバニア北部をまとめ上げ、ムラト2世、そしての子のメフメト2世、そして休戦中はヴェネツィア共和国やアルバニアの小豪族などを相手に戦い続け、25年にわたりアルバニアの独立を維持した。1万人~2万程度の手勢で常に倍以上のオスマン帝国と戦い勝利し続けたアルバニアの民族的英雄である「私が自由をもたらしたのではない。自由は元々貴方達の中にあって、私はそれを見出したのだ。」 1443年クルヤにて蜂起する時に Hunyadi Janos フニャディ・ヤーノシュ(1409-1456)トランシルヴァニア総督。ポーランドやヴェネツィアと同盟を結び、東ローマ帝国を滅ぼし勢いに乗るオスマン帝国の侵攻を阻止。ハンガリー王国中興の基礎を確立した。「護り抜いてくれ、友よ、キリスト教の世界とハンガリーの王国を、あらゆる敵から…。互いに争いあってはならぬ。諸君らが内乱で力を失えば、我らの国を納める墓穴を掘るだけではなく、諸君ら自身の運命を閉ざす事になるのだから」 ベオグラードでの遺言-Lapu-Lapu ラプ=ラプ(1491-1542)マクタン島の領主。他の部族長がマゼランに屈する中で頑としてその要求を撥ね除け、更に激怒して上陸してきた侵略者達を返り討ちにする。(*17)「私はどの王にも頭をさげる気はない。私が忠誠を誓う相手は、私の村の人間だけだ」 彼の記念祭で上演される野外劇より-Giovanni dalle Bande Nere 黒隊長ジョヴァンニ(1498-1526)イタリアの傭兵隊長。メディチ家の傍流であり、教皇レオ10世の元で軍人としての教育を受け、弱冠20歳にして教皇軍の指揮官となる。その疾風迅雷のような戦いぶりから「大魔王」とも呼ばれていた。「おまえは戦争についてえらそうな本を書いているが、ひとつ実践してみてはどうだ」 マキャヴェッリへの言-Yi Sun-sin 李舜臣(1545-1598)朝鮮王朝の将軍。質量共に劣り士気すらも無い朝鮮水軍を率い、焦土戦術を含むありとあらゆる戦術を尽くして果敢に日本軍に抵抗。最終的には戦死するものの今日において英雄と称えられている。「死を覚悟して闘えば生きるだろう、生きるために闘えば死ぬだろう」 -Granny Nanny グラニー・ナニー(?-1733)ジャマイカの反乱指導者。第1次マルーン戦争において逃亡奴隷の町「ナニータウン」を組織し、イギリス軍の度重なる攻撃を全て撥ね除ける。この奮闘が、マルーン達に土地と自由をもたらす事になった(*18)。「丘を見下ろす者は 紫のローブをまとい 敵の歯を腕輪にして 足首に纏うは 象牙色の骨の輪」グレース・ニコルズの詩-Toussaint Louverture トゥーサン・ルーヴェルチュール(1740?-1803)ハイチの独立指導者。イギリス軍の将校としてフランス軍を叩く事で奴隷解放宣言を引き出し、その後はフランスの力を利用しつつイギリス、スペインを追い出しイスパニョーラ島の奴隷を全て解放した。「兄弟と友よ、私はトゥーサン・ルヴェルチュールである。名前は恐らく君たちのお陰で知られるようになった。私は我が人種への復讐を果たそう。私はサン=ドマングに自由と平等に拠る統治を望む。私はこれを実現させよう。兄弟たち、私と共に闘う者たちよ、集まれ。奴隷制の木を根刮ぎにしよう」-Gerhard von Scharnhorst ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト(1755-1813)プロイセンの軍人。史上初めて参謀本部を創設し、平民に士官学校の門を開くなどプロイセン軍の刷新に貢献。諸国民解放戦争において戦死するが、彼の作戦がナポレオンを打ち破っている。「我が軍の士官は指揮のなんたるかを知らなかった。なんらかの働きをしたものはあまりにも少なかった。多数の要塞は理由もなく降伏して高級将校たちの恥ずべき実態をさらけ出した」 イエナ・アウエルシュタットへの述懐-Carl von Clausewitz カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831)プロイセンの軍人、軍事学者。軍人としての功績には目立つものは無いが『戦争論』によって軍事科学史に不滅の名声を築いた。なおシャルンホルストの弟子であり大モルトケの師でもある。「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」 『戦争論』-Rani Lakshmibai ラクシュミー・バーイー(1835?-1858)インドの小王国ジャーンスィーの王妃。23歳で戦死するまでイギリス軍に頑強に抵抗し続けた、インド大反乱の象徴とも言える「インドのジャンヌ・ダルク」である。「我がジャーンスィーは決して放棄しない」 -Pancho Villa パンチョ・ビリャ(1878-1923)メキシコの革命家、義賊。元は山賊だったがアブラハム・ゴンサレスの薫陶を受け改心。以後は義勇軍を率いて、混乱するメキシコで民衆の為に戦い続けた(*19)。「ビリャはチワワ州の軍政官を名乗り、30万人のための新政権を、知力をかたむけて創設するという途方もない実験―なぜなら彼はそんなことに何の知識もなかったのだから―を開始した」 ジョン・リード-Leon Trotsky レフ・トロツキー(1879-1940)ウクライナ出身の革命家、思想家。単なる一揆でしかなかった赤軍を厳しい規律でまとめ上げ、内外の障害を排除してロシア革命を成立せしめた。悪名高い政治将校の生みの親でもある。「最もすぐれた兵士とは、赤軍においては断じて、最も従順で不平を言わない兵士のことを指すのではない。逆に、最もすぐれた兵士とは、何事においても、他の兵士よりも鋭く、注意深く、批判的な兵士だろう」-Karl Donitz カール・デーニッツ(1891-1980)ドイツ海軍元帥。群狼作戦を編み出した潜水艦戦術のスペシャリストであり、一時は実質Uボートだけで大西洋を制圧してみせた。ヒトラー死後は降伏交渉の総責任者も務めている。「海戦はUボートの戦いだ。あらゆるものが、この主目的に従属する」-Josip Broz Tito ヨシップ・ブロズ・チトー(1892-1980)ユーゴスラビアのパルチザン指導者、後に大統領。ネレトバ等で示された巧みなゲリラ戦術によって独力でユーゴ解放を成し遂げる。政治家としての能力も傑出したものであった。「私の治める国には2種類の文字3種類の言語4つの宗教があり6つの共和国の中に5つの国籍と8つの少数民族が存在する。さらに我が国は7カ国と国境を接している」-Kim Suk-won 金錫源(1893-1978)大韓民国、及び大日本帝国軍人。自ら前線に立つ勇猛果敢な猛将であり、日中戦争では抜群の働きで民族の誇りを見せつけ、朝鮮戦争でも他国籍軍による反撃を引き寄せ韓国を護った。「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。よろしい。日本軍が味方にまわればどれほどたのもしいか、存分にみせつけてやりましょう」 マッカーサーの司令官着任に際し-Bai Chongxi 白崇禧(1893-1966)中華民国の将軍であり、広西軍閥の長。北伐においては北京への一番乗りを果たし、抗日戦線では総力戦を指揮して日本軍を撃退、更に国共内戦で唯一の勝利を上げる等、「小諸葛亮」の渾名に恥じぬ名将である。「敵を撃退し中国から追い出す、これが徹底抗戦の意味です」 -Fidel Castro フィデル・カストロ(1926-)キューバの革命家、軍人、後に国家元首。蜂起時の仲間は十数人しかいなかったにも関わらず、わずか二年で市民の意思を掌握。バティスタを追放してキューバ革命を現実のものとした。「私を断罪せよ!それは罪ではない。歴史は私に無罪を宣告するであろう」 [name 名前(生没年)寸評。「逸話、名言、後世の評価、史書の記述等々」 五十六さん・・・ -- ↑ 既にいるぞ。いや、もしかしたら『いた』か? -- 呂布・張遼はいたっけ -- シャルンホルスト、クラウゼヴィッツ、ラクシュミ追加。原則戦場で功を立てていない人物は外しているのですが、クラウゼヴィッツは特例に値する人物だと判断しました。- 光武帝配下なら鄧禹より呉漢・耿弇・馮異・岑彭・馬援・来歙辺りを優先するべきだと思うけどね。そもそも光武帝政権の軍事のトップは呉漢だし、赤眉に大敗して以降鄧禹は将として重用されていない -- スイスの英雄ウィリアム・テル とマゼランを殺してスペイン人を追い払ったフィリピンのラプラプ王 -- ロバート・グールド・ショー …(士官を除いて)完全な黒人部隊としてはアメリカ陸軍最初の正式な部隊の一つマサチューセッツ第54連隊を率いた。彼の最後の言葉は「第54連隊前進!」。映画「Glory」の主人公。 -- グスマン・エル・ブエノ エル・シドに次いで有名な13世紀スペインのレコンキスタの英雄 でも実はモロッコ人 -- ヨシップ・ブロズ・チトー パルチザン後にユーゴスラビアの大統領 大戦中はソ連の援助もなしに粘り強くドイツ軍と戦った あまりにもカリスマ性があったが故に、死去した後に一気にユーゴスラビア紛争が起こった 金 錫源 日本名:金山 錫源 第二次世界大戦中は日本軍将校で戦後は日本軍や満州国軍から現在の韓国軍の基礎を作った 朝鮮戦争でも英雄だった -- スティリコ、ヘラクレイオス、アル=アース、アーミル、バシレイオス、ボードゥアン、オスマン、ヤーノシュ、ラプラプ、ナニー、トゥーサン、パンチョ、トロツキー、デーニッツ、チトー、金錫源追加。なお、テル→軍勢を率いてない、ショー→実質初陣で失敗した上戦死している人物を「偉大な将軍」と言うのは…、ブエノ→象徴枠にしても既にエル・シドが、といった理由でこの三人は今回は見送ってます。後漢の将に関しては…もう一人となると、誰がいいかまだ絞りきれてません。もう少しお待ちを -- このページの作者 名前
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新聞書評(2022.1-) (朝日新聞)2022.2.26 (ひもとく)なぜウクライナか 下斗米伸夫 『ポスト社会主義の政治』 ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制 松里 ちくま新書 7FS312.3マ 大学1559 『文明の衝突』 ハンチントン 民族自決と民族団結 朝倉 (売れてる本)『古代中国の24時間』 秦漢時代の衣食住から性愛まで 柿沼(小川) 中公新書 県立 7FS222.0カ 市立222カ 大学2669 『新しい国境 新しい地政学』 ドッズ(柄谷) 利権争奪 県立 8F312.9ト 大学サン312.9D81a 『ジョン・ロールズ』 社会正義の探究者 斎藤(犬塚) 7FS311.1サ 大学2674 公 『アメリカ音楽の新しい地図』 大和田(生井) 県立 市立767オ 大学767.8O93a 愛国とボイコット 古澤(阿古) 『もういちど、あなたと食べたい』 筒井(押切) 県立 7Fツツ 市立 『ゾウが教えてくれたこと』 ゾウオロジーのすすめ 入江(横尾) 県立 市立489イ 六489イ 『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?』 新しい博物学への招待 池内(須藤) 県立 青森 大学404I35s (著者)ミチクサ先生 伊集院 けあし (毎日新聞)202.2.26 愛蔵版 お楽しみはこれからだ 和田(若島) 岡野弘彦全歌集 (持田) (なつかしい1冊)長いお別れ チャンドラー(今野) 倭国の古代史 坂(藻谷) あしだこ 生まれつき翻訳 ウォルコウィッツ(○巣) だ 『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる 須黒(渡辺) 県立 8F460ス 大学460.7Su49z (著者)シングルマザー、その後 黒川 あ (話題の本)『プロレス社会学のススメ』 斎藤(和田) 市立788サ 『GAFA next stage』 ガーファネクストステージ 四騎士+Xの次なる支配戦略 ギャロウェイ(橋爪) 8F007.3キ 市立007ギ (読売新聞)2022.2.27 (梅田明日佳の読書ノート)No.11 あわいゆくころ 瀬尾 『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』 野矢茂樹 県立 大学134.97N97w ☆意味を問う哲学の難問は意味があるのか?ということかな。 (前著) ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む け 『アセンブリ』 新たな民主主義の編成 ネグリ&ハート 大学311.7N62a p.vi 「指導者なき運動」は、高度に組織化されたものである。 <読む>という冒険 イギリス児童文学の森へ けあだ (著者)母の待つ里 浅田次郎 けあし いつか死ぬ、それまで生きる 伊藤(梅内) あ 『ゆっくりの美学』 太田省吾の劇宇宙 西堂(苅部) 県立 横浜中華街 山下(牧野) けだ 「神」と「わたし」の哲学 八木(森本) だ 教養としてのアメリカ短篇小説 都甲(宮部) こ930.29||To34 怖い家 ランディス編(宮部) けあし ハムネット オファーレル(南沢) けあし 『物価とは何か』 渡辺(佐藤) 8FN337.8ワ 市立337ワ 大学337.81W46b 六337ワ ミス・サンシャイン 吉田(川添) あしろ シャーマン ボー(中島) し (記者) メルケル 世界一の宰相 マートン けあし (日経新聞)2022.2.26 (あとがき)菊池寛が落語になる日 春風亭 け 江戸 斎藤(松山) 中公新書 初期江戸 S213.6サ 『ビデオランド』 ハーバート(鈴木) 県立 大学778.09H53v (半歩遅れの読書術)上野誠 歴史は現代文学である ジャブロンカ 緑の天幕 ウリツカヤ(奈倉) あしろ 六義園・柳沢家の雛祭 是澤(大塚) け (この1冊)『NOISE』 組織はなぜ判断を誤るのか? カーネマン(岡崎) 判断の誤差(バイアス+ノイズ) 県立 8F141.5カ 市立141ノ 六141ノ 手持ち情報の範囲内で直感的予測に方向修正する 『空と宇宙の食事の歴史物語』 気球、旅客機からスペースシャトルまで リチャード・フォス 8F687.2フ 市立687フ 『ゴーイング・ダーク』 12の過激主義組織潜入ルポ エブナー 県立 8F361.6エ 大学361.65E15g 『あいつゲイだって』 アウティングはなぜ問題なのか? 松岡 県立 8F367.9マ 市立 大学367.9Ma86a (短評) 『ルポ コロナ禍の移民たち』 室橋 県立 市立334ム インパクト投資 コーエン (新書・文庫) 検証 安倍政権 イニシアティブ け 読書とは何か 三中 河出新書 備忘メモ・読書ノート 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』 トイッチャー 市立801ド (広告) 『新しい世界の資源地図』 エネルギー・気候変動・国家の衝突 ヤーギン 8F501.8ヤ 市立501ヤ 六501ヤ ・炭素回収、水素(グリーン水素:新エネ、イエロー水素・ピンク水素:原子力で生産)、バッテリーと電力貯蔵・ロシアとウクライナは歴史上の対立、天然ガスをめぐる対立がある。 『新しい国境 新しい地政学』 ドッズ 県立 8F312.9ト 大学サン312.9D81a ブランディングが9割 乙 (ケーススタディ編 け) これからの集客はYouTubeが9割 けあ 銀行は、社長のどこを見ているのか? 藤原 『上流思考』 「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法 ヒース 県立 8F301ヒ 『物流の世界史』 グローバル化の主役は、どのように「モノ」から「情報」になったのか? レヴィンソン 市立333レ (前著)『コンテナ物語』、『例外時代』 レヴィンソン 県立 8F333.6レ 市立333レ 大学332.06L57r 公 現在の低成長が「平常」経済であり、第二次世界大戦後の高度成長期こそが「例外」 (朝日新聞)2022.2.19 (ひもとく)外岡秀俊の志 久間十義 北帰行 外岡 傍観者からの手紙 外岡 け ドラゴン・オプション 中原 あし (売れてる本)月夜の森の梟 小池(若松) あしろ 『戦争の文化』 パールハーバー・ヒロシマ・9.11.イラク ダワー(生井) 県立 8F253.0タ 市立253ダ 六253ダ 生き直す 高峰(戸部) け 政治家失言 クロニクル (温) ヘルシンキ 生活の練習 朴(江南) あだ ブラックボックス 砂川(トミヤマユキコ) けあしだこ かくして彼女は宴で語る 宮内(大矢) けあし JK、インドで常識ぶっ壊される 熊谷(須藤) けあし 選挙活動、ビラ配りからやってみた。 和田(宮地) けあ (著者)人間は哀れである 東海林 あ (みる)測量|山 吉田 (ビジネス)『さばの缶づめ、宇宙へいく』 鯖街道を宇宙へつなげた高校生たち 小坂 8F667.9コ 市立667コ 六667コ (古典百名山plus 大澤)No.118 失われた時を求めて プルースト (毎日新聞)2022.2.19 『未来の科学者たちへ』 大隅良典 永田和宏(村上) 県立 6FY240オ 市立 大学404O79m 研究のおもしろさ 民主主義が科学を必要とする理由 コリンズ(内田) けだ (なつかしい1冊)八百万の死にざま ブロック(橘玲) あ 続・物語で学ぶ経済学入門 根井 あ 『mRNAワクチンの衝撃』 コロナ制圧と医療の未来 ミラー(中村) 県立 8F493.8ミ 市立493エ 六493エ 『物価とは何か』 渡辺(大竹) 8FN337.8ワ 市立337ワ 大学337.81W46b 六337ワ フランク史1 佐藤(鹿島) だ (著者)地方メディアの逆襲 松本 けあだ (話題の本)古典を読んだら、悩みが消えた。 安田(手塚) けあし (読売新聞)2022.2.20 (始まりの1冊)逢坂剛 裏切りの日々 (名著60文庫×世界文学)No.60 アンネの日記 文春文庫(小川) あし (文庫新書) そして陰謀が教授を潰した 早瀬 ☆(単行本)『老いぼれ記者魂』 青山学院春木教授事件四十五年目の結末 早瀬 市立326ハ 大学326.22H47o 結局は中途半端だな。 まほり 高田 言語学に裏付けられた力作 あしろ 「やりがい搾取」の農業論 野口 あ (著者)セーラー服の誕生 刑部 あ 冤罪をほどく 中日新聞(堀川) 福澤諭吉と丸山眞男 平石 北海道大学出版会(橋本) だ 『サステナブル・フード革命』 食の未来を変えるイノベーション リトル(小川) 8F610.1リ 市立610リ 公 帝国とヨーロッパのあいだで 谷(井上) だ 『生命知能と人工知能』 高橋(西成) 意識の有無 公491.371Ta33 太宰治論 安藤(金子) あし 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』 マルサル(中島) 県立 8F331マ 市立331マ 大学330.4Ma51a 公 ぜんぶ 愛。 安藤(鵜飼) あし 『世界を一枚の紙の上に』 歴史を変えたダイアグラムと主題地図の誕生 大田(柴崎) 市立002オ 六002オ (日経新聞)2022.2.19 (あとがき)『教養としてのラーメン』 ジャンル、お店の系譜、進化、ビジネス 50の麺論 青木 県立 7FP596.3ア 『ノブレス・オブリージュ』 イギリスの上流階級 新井(森山) 市立361.8ア 公361.81A62(関連)ダウントン・アビー(前著)『執事とメイドの裏表』 イギリス文化における使用人のイメージ 県立 市立366ア 大学366.8A62、<英国紳士>の生態学 だ(著者は英国女子パブリック・スクール出身) 『疫病の世界史』 黒死病・ナポレオン戦争・顕微鏡 消耗病・植民地・グローバリゼーション スノーデン(山下) 繰り返されるパターン 県立 市立493ス 大学(医)493.8SNe 公 (参考)疫病と世界史 だ (半歩遅れの読書術)上野誠 鈴木大拙全集読破(コロナで) 新装改訂版 鈴木大拙の原風景 西村 『東京ブギウギと鈴木大拙』 山田 大拙の息子鈴木アラン勝の評伝 県立 青森 養子 (晩年の講演の音源が残っている) 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 ウィアー(藤井) 県立 7F933ウ 市立933ウ(前作)火星の人 あ、映画「オデッセイ」の原作 冬牧場 李(小長谷) (リーダーの本棚)アサヒグループホールディングス会長 小路明善 解決策を自分なりに考え抜くことで悩みの半分は解決(社長で孤独を感じたことはあまりない。本が良きパートナーであり、コーチでもある。) 気づきを得る。自分だったらどうするか、対比しながら読むことが多い。 (座右の書) 人を動かす カーネギー あこ 道は開ける カーネギー し (その他) 稲盛と永守 名和 未来志向 こ 企業価値経営 伊藤 経営トップの必読書。 こ336.83||I89 資本生産性とサステナビリティは掛け算であり、両方で成果を出す必要がある。 江戸文化いろはにほへと 越後 駒形どぜうの6代目 あ ホトトギス新歳時記 第三版、稲畑 あ 岸田ビジョン 岸田 あし 生きている会社、死んでいる会社 遠藤 あ 『ポストコロナの経済学』 8つの構造変化のなかで日本人はどう生きるべきか? 熊谷 県立 8F332.1ク 大学332.1Ku33p (この1冊)『アクティブ・メジャーズ』 情報戦争の百年秘史 リッド(中西) 情報機関による他国への情報拡散工作。偽情報(ディスインフォメーション) 県立 8F391.6リ 市立931リ 真実の中に偽情報を入れて敵国を混乱させる。 時代小説の戦後史 縄田 あろ 『物価とは何か』 渡辺 デフレは値上げを許さない日本人の意識による 8FN337.8ワ 市立337ワ 大学337.81W46b 六337ワ アフター・メルケル 唐鎌 ドイツから学ぶべき点 け (短評) 集まる場所が必要だ クリ年バーグ 図書館、市民農園 あ 虚構の森 田中 SDGsなど け (新書・文庫) 『焼酎の科学』 発酵、蒸留に秘められた日本人の知恵と技 鮫島 7FS588.5サ 市立588サ ブルーバックス 商業美術家の逆襲 山下 田中一光は20世紀の琳派 (広告) Money サイコロジー・オブ・マネー ハウセル あ 週刊ダイヤモンド 2/19 伝わる文章術 こんな会社で働きたい 健康経営企業編 『独学の ススメ』 頑張らない! 「定年後」の学び方10か条 若宮正子 青森 市立159ワ 死という最後の未来 石原・曽野 けあし ビジネス書の著者になっていきなり年収を3倍にする方法 松尾 経済ってなんだ? 山本 橘玲絶賛 あこ 図解資料作成術! 森川 パワポ資料作成術 け 発見!武蔵の極意 物理学の天才 なぜ、いま思考力が必要なのか? 池上 あ タテ社会と現代日本 中根 あだこ(前著)タテ社会の人間関係 日本は資格より場を重視 あだこ スタッフ30名以下の介護事業の「防災BCP(事業継続計画)」 山口 岩波新書 『土地は誰のものか』 人口減少時代の所有と利用』 五十嵐敬喜 7FS334.6イ 公 ☆マンションは築40年が目安。管理組合の委託は採算合わないとして撤退。 『東京大空襲の戦後史』 栗原 岩波新書 県立 7FS369.3ク 大学1916 公 一夜にして10万人もの民間人が殺害 『政治責任』 民主主義とのつき合い方 鵜飼 県立 7FS311.7ウ 大学1913 公 岩波新書 中公新書 『人類の起源』 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 篠田 中公新書 7FS469.2シ 大学2683 土壌からDNA抽出も。 ブラックホール 二間瀬 あだ 中国哲学史 中島 けあだ 科学と芸術 酒井監修 け ブラック・ムーン 逢坂剛 土方歳三 ろ 幸せの追求 ルノワール 楠木正成 北方謙三 北方南北朝3部作最終章 日本語の技術 清水幾太郎 論文の書き方 あだこ 姉妹編 三木清 戦間期時事論集 激動 日本左翼史 池上 佐藤 あ 真説 日本左翼史 池上 佐藤 あ 『ブルシット・ジョブの謎』 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか 酒井隆史 7FS366サ 『時間の終わりまで』 物質、生命、心と進化する宇宙 グリーン 県立 8F443.9ク 市立443グ 大学443.9G82j 六443グ 『アマゾンの最強の働き方』 Working Backwards コリン・ブライアー ビル・カー 8FN673.3フ ☆長時間、一生懸命、賢く働くことが求められる。シングルスレッド・リーダーシップ:片手間では失敗する。 書く瞑想 古川 1日15分 書き出す、片づける、習慣化するの3ステップ あだ (朝日新聞)2022.2.12 (ひもとく)スノーボードの魅力 田嶋リサ ちゃれんじ? 東野 あし 『スノーボードを生んだ男』 ジェイク・バートンの一生 福原 県立 7FX784.3カ 市立784フ total snowboarding 日本スノーボード教程 全日本スキー連盟 (売れてる本)『東京の生活史』 岸編(辻山) 県立 8F361.7ト 市立361.7ト 大学361.78To46 公 150人の聞き手を公募 昭和天皇拝謁記 拝謁記1 田島(保阪) けだ 『韓国「建国」の起源を探る』 三・一独立運動とナショナリズムの変遷 小野(藤原) 県立 市立221オ 消えた球団 塩田(石飛) 『物価とは何か』 渡辺(坂井) 8FN337.8ワ 市立337ワ 大学337.81W46b 六337ワ 日刊イ・スラ (金原) ある特別な患者 フィッサー(行方) けあし ダンテ論 原(犬塚) だ (著者)アスベストス 佐伯 けあしだ (毎日新聞)2022.2.12 『銀座で逢ったひと』 関(渡辺) 県立 8F770.4セ 市立770セ 『菌類が世界を救う』 キノコ・カビ・酵母たちの驚異の能力 シュルドレイク(中屋敷) 県立 8F474.7シ 市立474シ 六474シ (なつかしい1冊)『ちいさいおうち』 バートン(近田) 県立 7FJYEハト 市立 キリスト教教義学 近藤(佐藤) 『東海道五十三次いまむかし歩き旅』 高橋(川本) 市立 故旧忘れ得べき 高み(荒川) け (著者)母の待つ里 浅田 けあしろ (話題の本)大蛇に嫁いだ娘 (壇蜜) (読売新聞)2022.2.13 (空想書店)口福のレシピ 原田(庄司) あしろ (名著60文庫×世界文学)No.59 歩道橋の魔術師 呉(東山) あし (文庫新書) 『母さん、ごめん。』 松浦 県立 7F916マ 市立916マ 大学598.4Ma89k 私が進化生物学者になった理由 長谷川 だ ぼくたちは習慣で、できている。増補版 佐々木 (著者)詩とは何か 吉増 あ 『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる 須黒(川添) 県立 8F460ス 大学460.7Su49z なぜ私たちは友だちをつくるのか ダンバー(西成) け イタリア・ルネサンスの世界 ブラウン(苅部) けだ 『「欲しい!」はこうしてつくられる』 脳科学者とマーケターが教える「買い物」の心理 ジョンソン(佐藤) 県立 市立675ジ 大学675J64h 公 デカメロン・プロジェクト ニューヨーク・タイムズ・マガジン(辛島) あ 最後のライオニ キョヨプ(辛島) 『ジョン・レノン 最後の3日間』 パタースン(森本) 県立 8F764.7レ 『戦争の文化』 パールハーバー・ヒロシマ・9.11.イラク ダワー(国分) 県立 8F253.0タ 市立253ダ 六253ダ 『ろうと手話』 やさしい日本語がひらく未来吉開(梅内) 県立 8F378.2ヨ 市立378ヨ 大学378.2Y89r 医者がすすめるクッキングリハビリ 丸田(宮部) あし (日経新聞)2022.2.12 (あとがき)『博物館の少女 怪異研究事始め』 富安 市立J913.6ト 六913ト 『仏師から見た日本仏像史』 一刀三礼、仏のかたち 江里(澤田) 県立 8F718.0エ 市立718エ 大学718.02E67b 『生涯弁護人』 1,2 弘中惇一郎(武田) 県立 市立327ヒ 大学327.6H71s (半歩遅れの読書術)上野誠 経済学に何ができるか 猪木 中公新書 あだこ 経済社会の学び方 同 あだこ 赤い十字 フィリペンコ(秋草) あし 柔術狂時代 藪(澤宮) けだ (活字の海で)田舎出版社のヒット 進化思考 太刀川 (出版社は編集経験がなく、英治出版に編集・販売業務を委託) あ141.5タ新着 『養老先生のさかさま人間学』 都会と田舎を行き来する参勤交代を提唱 県立 7Fヨウ 市立914ヨ 六914ヨ (今を読み解く)人生100年時代学びの力 中原淳 『LIFE SHIFT』 スコット、『LIFE SHIFT 2』 100年時代の行動戦略 県立 8F159ク2 市立159グ2 大学159L62.2 金より健康。長寿になれば複利効果が効いてくる。(☆成長のイメージか) 会社人生を後悔しない 40代からの仕事術 石山 プロボノ 嵯峨 『「副業」の研究』 多様性がもたらす影響と可能性 川上 県立 大学366.29Ka94 六366カ わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために 渡邊、ドミニク・チェン監修 (関連)未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために けだ (この1冊)『ウイグル大虐殺からの生還』 再教育収容所 地獄の2年間 ハイティワジ(水谷) 県立 8F316.8ハ 市立 候孝賢の映画講義 候 良心の囚人 ティーダ グローバリゼーション 伊豫谷 ちくま新書 こ (短評) ソ連を崩壊させた男、エリツィン 下斗米 け 国際交流と日本 小倉 (新書・文庫) この30年の小説、ぜんぶ 高橋・斎藤 あ ☆ロボットと人間 石黒 あだこ 『介護のうしろから「がん」が来た!』 篠田 県立 7F916シ 市立918シ 六918シ (ランキング 新書)1/30-2/5 『ユダヤ大富豪に伝わる最高の家庭教育』 天堤 県立 7FS3379.9ア 『ヒトの壁』 養老 7FS304ヨ 市立304ヨ 六304ヨ となりの億り人 お終え あし 激動 日本左翼史 池上 あし (関連)真説 日本左翼史 けあ 『おっさんの掟』 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」 谷口 小学館新書 7FS783.4タ 市立783タ スマホ脳 ハンセン 『古代中国の24時間』 秦漢時代の衣食住から性愛まで 柿沼 中公新書 県立 7FS222.0カ 市立222カ 大学2669 頼朝と義時 呉座 あ 日本語の大疑問 国立国語研究所編 あ 国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶 加谷 (広告) 『こども統計学』 なぜ統計学が必要なのかがわかる本 渡辺監修 県立 市立J417コ 『寝る脳は風邪をひかない』 池谷裕二(南沢) 県立 8F491.3イ 市立491イ 大学491.37I33n 公 p.16 脳の基本設計は、「いかに時間をかけずに少ない情報から即断できるか」 p.40 集中力が落ちてきたら、難しい問題を。集中力が上がってきたら問題の難易度を下げるというトレーニングをすると、集中力を保つのが上手になる。 p.188 新規論文の意見・批判を交換するTwitter上のジャーナルクラブがある。研究者の実質的研究活動の一部。 (前著)『脳には妙なクセがある』 県立 8F491.3イ 市立 大学491.37I33 オードリー・タンが語るデジタル民主主義 インタビュー編 けあ 『<叱る依存>がとまらない』 村中 8F141.6ム 市立141ム 大学141.6Mu51s☆誰かを罰することで、脳の報酬系回路は活性化する 災害報道とリアリティ 情報学の新たな地平 近藤 関西大学出版部 『ウーバー戦記』 いかにして台頭し席巻し社会から憎まれたか アイザック 県立 8F685.5ア 市立685ア 「現代」と「その後」の社会 東道 「夢を手に入れる」人がやっている時間術 (前著)「一緒に働きたい」と言われる人のしごと術 読む力 最新スキル大全 佐々木俊尚 あ 『腎臓が寿命を決める』 老化加速物質リンを最速で排出する 黒尾 7FS491.3ク 市立491ク リンを減らす(加工食品、赤身肉、マグロ肉、ハム、ベーコンを避ける)、1日の座位時間が長い人は寿命が短い、 『エリートと教養』 ポストコロナの日本考 リーダー不在、インテリ不信の時代 7FS002ム 大学002Mu43e 裏切り者は顔に出る 清水 『メタ認知』 あなたの頭はもっとよくなる 三宮 知的パフォーマンスを高める 県立 『ニューヨーク・タイムズ』のドナルド・キーン けだ PRESIDENT バックナンバー 忘れない勉強法 2/18号 世界の「頭のいい人」がやっていることを1冊にまとめてみた 検索タグ記憶法、だれかのために、笑顔で相手を操縦、やらないことリスト、脳の準備スイッチをオン、あし トヨタ流 仕事の「見える化」大全 松井 け お金のきほん 池上 あし 世界史の分岐点 佐藤・橋爪 けあし 『アンラーン Unlearn』 人生100年時代の新しい「学び」柳川 為末 8F159ヤ 公159Y51 思考の固まりをほぐす。 脳メンテナンス大全 ウィルミア データドリブン思考 河本 歯を疑え! 丸橋 若返り革命 了徳 あ 自分史年表 『ディズニーキャストざわざわ日記』 〝夢の国″にも☓☓☓☓ご指示のとおり掃除します 笠原一郎(花田) 県立 8F689.5カ 市立689カ 『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた』げに恐ろしき、出版界の裏事情を綴る真摯な暴露本 県立 8F801.7ミ 市立801ミ 大学801.7Mi88s 六801ミ 自分を変えるノート術 安田 あ移動 若さを保つ栄養メソッド あ移動 50代からは3年単位で生きなさい 諸富 イベルメクチン 大村 あ ビジネスプロデューサーの仕事 中野 け プロフェッショナル広報の仕事術 高場 新しい事業報告・計算書類 経団連ひな形を参考に 全訂第2版 2022.1 地域データ分析入門 EBPM実践ガイドブック こ318.6||H48 2021.12 プレジデント 2/18号 勉強法 子どもの発達障害 本田 あ (朝日新聞)2022.2.5 (ひもとく)男が男を省みる 杉田俊介 決定版 感じない男 森岡 「非モテ」からはじめる男性学 西井 あ だまされ屋さん 星野 けあしだ (売れてる本)『解きたくなる数学』 佐藤(野矢) 県立 8F410サ 市立410ト 大学410Sa85t 映像が動き出すとき がニング(生井) だ X線と映画 カートライト(生井) だ 『地球外生命』 小林(須藤) 7FS440コ コンパクトにまとまっている 『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』』 自分、そして世界との和解 近藤 青森 市立289オ コロナ禍のアメリカを行く マハリッジ(宮地) けだ 黛家の兄弟 砂原(大矢) けし 中野重治と朝鮮問題 廣瀬(戸部) 『風刺画が描いたJAPAN』 世界が見た近代日本 若林(保阪) 県立 8F210.6ワ 市立210.6ワ 大学210.W17f (著者)ヨーロッパ史入門 池上俊一 けあ (みる)日常の絶景 八馬 け (ビジネス)決算書ナゾトキトレーニング 村上(是枝) (古典百名山plus 平田)No.117 俘虜記 大岡 (毎日新聞)2022.2.5 『帝国の計画とファシズム』 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家 ミムラ(加藤) 県立 大学210.7Mi34t 『老子探究』 生きつづける思想 蜂屋(橋爪) 県立 8F124.2ロ 大学124.22R72H (なつかしい1冊)チーム・バチスタの栄光 (町田) 『戦争の文化』 パールハーバー・ヒロシマ・9.11.イラク ダワー(飯島) 県立 8F253.0タ 市立253ダ 六253ダ 我が愛する詩人の伝記 室井(堀江) 猫に学ぶ グレイ(三浦) けあしだ (著者)菊池寛が落語になる日 春風亭小朝 け (話題の本)まじめな会社員 冬野(清田) (読売新聞)2022.2.6 (コロナの時代を読む)No.18 良心の自由 ヌスバウム 寛容(森本あんり) (名著60文庫×世界文学)No.58 紙の動物園 ケン・リュウ(立原) (著者)教育 遠野 あろ ブラックボックス 砂川(鵜飼) あし 『ウーバー戦記』 いかにして台頭し席巻し社会から憎まれたか アイザック(小川) 県立 8F685.5ア 市立685ア 『古代中国の24時間』 秦漢時代の衣食住から性愛まで 柿沼(中島) 中公新書 県立 7FS222.0カ 市立222カ 大学2669 生活の豊かさをどう捉えるか セン(牧野) だこ 『ヌマヌマ』 はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選 シーシキンほか 沼野訳(柴崎) 現代ロシア小説 県立 市立983ヌ 大学サン983N99 西南戦争のリアル 田原坂 中原(堀川) だ ペイント イ・ヒヨン(南沢) あしろ 海坂藩に吹く風 湯川(金子) 藤沢周平 あしろ キッチンからはじめる!日本一カンタンな家庭菜園の入門本 おうち野菜づくり おうち野菜づくり 宮崎(小川) あし (日経新聞)2022.2.5 (あとがき)台湾対抗文化紀行 神田 け 『フェルメールとそのライバルたち』 絵画市場と画家の戦略 小林(中野) 県立 8F723.3フ 市立723コ 大学723.35Ko12f 『戦争の文化』 パールハーバー・ヒロシマ・9.11.イラク ダワー(成田) 県立 8F253.0タ 市立253ダ 六253ダ ハムレット オファーレル(冬木) あし 食卓の上の韓国史 周(阿古) し (リーダーの本棚)法政大学総長 広瀬克也 (座右の書)シビル・ミニマムの思想 松下 こ (その他) 現代政治の思想と行動 丸山 あ、 自治・分権再考 西尾 こ JIS漢字字典 芝野 あしだ(館内) 遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄 全14巻 萩原 あ 神聖喜劇 大西 横道世之介 吉田 あしろ 研究や業務関連は紙、小説・新聞・雑誌はiPad 読書は、触るだけ、めくるだけ、斜め読み、じっくり読むの4段階ある。自分なりの「読書地図」ができればいい。 (この1冊)日本半導体 復権への道 牧本(小関) ロボティックス産業を提言 だ 『スノーボードを生んだ男』 ジェイク・バートンの一生 福原 県立 7FX784.3カ 市立784フ 『がんは裏切る細胞である』 進化生物学から治療戦略へ アクティビス 8F491.6ア 市立491ア がんは進化的自殺。 『サステナブル・フード革命』 食の未来を変えるイノベーション リトル 8F610.1リ 市立610リ 公 (短評) 『Invent Wander』 ジェフ・ベゾス Collected Writings ジェフ・ベソス 青森 市立335ベ 六335ベ 『脱炭素経営入門』 気候変動時代の競争力 松尾 公 (新書・文庫) モチベーションの心理学 鹿毛 だ 『いつもの言葉を哲学する』 古田 市立810フ 『きのこの自然誌』 小川 県立 8F474.8オ (広告) 『経済の起原』 大澤真幸 公331O74 クリティーク社会学7冊 貨幣とは負債である。コミュニズムは論理上可能である。 年数回週末の午後岩波書店の会議室に集合。1時間半から2時間、その時の研究について報告し、全員で討論し、議論が完全に尽くされるまで会は続いた。 連帯のための実験社会科学 亀田 ソーシャル・サイエンス シリーズ 変貌するギリシア哲学 内山 『僕とアリスの夏物語』 人工知能の,その先へ 谷口 AIとの共存 岩波科学ライブラリー 6FY73タ 市立007タ 大学007.13Ta87b 六007タ 『LIFE SHIFT』 スコット、『LIFE SHIFT 2』 100年時代の行動戦略 県立 8F159ク2 市立159グ2 大学159L62.2 金より健康。長寿になれば複利効果が効いてくる。(☆成長のイメージか) エキスパートたちのGo言語 上田 HTML CSSとWebデザインが1冊できちんと身につく本 こー 547.48||H44 データサイエンス数学ストラテジスト[中級] 公式問題集 Rを使った〈全自動〉統計データ分析ガイド フリーソフトjs-STAR_XRの手引き (朝日新聞)2022.1.29 (ひもとく)感情に歴史あり 伊東剛史 感情史の始まり ブランパー だ 感情の歴史 コル版 けだ 怒りの人類史 ローゼンワイン けあし (売れてる本)真説 日本左翼史 池上(栗原) けあ 『ネット社会と民主主義』 辻(犬塚) 県立 市立312ネ 大学312.1N66 皆のあらばしり 乗代(江南) けあしだろ 挑戦 山中(横尾) あしだ まだまだという言葉 ヨソン(金原) け らんたん 柚木(押切) けあしろ 台湾文学カフェ1 女性作家集(温) け 台湾女性文学の黎明 豊田(温) 『アジアン・コモンズ』 いま考える集住のつながりとデザイン 篠原(阿古) 県立 市立518シ 大学527.8Sh67a 視覚化する味覚 久野(藤原) けあだこ (著者)はじめての西洋ジェンダー史 弓削 けだ (毎日新聞)2022.1.29 公立学校の外国籍教員 中島(岩間) けだ 哲学する漱石 長谷川(中島) だ (なつかしい1冊)氷点 三浦(若狭) アウシュヴィッツ生還者からあなたへ セグレ けあだ 方長老上京日史・飲冰行記 田代(磯田) だ 戦後日本の中国観 小野寺(張) だ (著者)広田弘毅 井上 け (話題の本)永江 『解きたくなる数学』 佐藤雅彦ほか 六410ト (読売新聞)2022.1.30 (名著60文庫×世界文学)No.57 ゴドーをまちながら ベケット(田尻) (著者)おおあんごう 加賀 夜の声 ミルハウザー(辛島) あしろ (前著)ホーム・ラン 柴田元幸訳 あしろ モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか 田中(西成) 最後の参謀総長 梅津美治郎 岩井(井上) ギリシア悲劇入門 丹下(佐藤) け 高丘親王航海記 1-4 漫画:近藤ようこ(苅部) 月夜の森の梟 小池(堀川) ストレスの大きさ研究 あしろ 『ビルマ 危機の本質』 タンミンウー(国分) 民族問題と経済的貧困 県立 8F312.2タ 市立312ウ 六312ウ みゃーこ湯のトタンくん スケラッコ(南沢) 『日本の婚礼衣裳』 寿ぎのきもの 長崎(梅内) 県立 8F385.4ナ 市立385ナ (記者が選ぶ) 『破綻の戦略』 私のアフガニスタン現代史 髙橋 外交官 立 8F227.1タ 市立227タ 六227タ 会社法は誰のためにあるのか 上村 人間が主役の会社法理に転換すべき こ (日経新聞)2022.1.29 (あとがき)ヘルシンキ 生活の練習 朴 あ移動(前著)『家の歴史を書く』 済州島から大阪へ 県立 8F334.4ハ 市立334パ、外国人をつくりだす (半歩遅れの読書術)桐野夏生 贖罪 吉田 あ 戦争と児童文学 繁内(いしい) し バタフライ・エフェクト ムーア(大和田) ラッパーの自伝 だ アスベストス 佐伯(平田) あし 『私は男でフェミニストです』 スンボム(すんみ) 県立 8F367.2チ 市立367.2チ 大学367.22C37w (活字の海で)聞く力 行列のできるインタビュアーの聞く技術 宮本 話をしたくなる環境、事前の準備や事後のフォロー あし その「ひと言」でチームが変わる最高のフィードバック 國武 部屋の温度や空気の流れなど、自分と相手を取り巻く360度の全方位に意識を集中 LISTEN マーフィ 無意識の意見を探りあて消費者を理解するにはインタービューによる聞く力 あだ (この1冊)ネイビーシールズ マクレイヴン(塚本) 元シールズの一員。生死を分ける高度な判断が必要な任務は、特殊な訓練を受けた生身の人間にしか委ねられない。 黄金旅程 馳 あしろ(前著)少年と犬 ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義 ケイヴ ポーリングは妻が末期がんになったことで不老不死のビタミン療法を唱えるようになった。 ロシアトヨタ戦記 西谷 あ (短評) 『ナワリヌイ』 プーチンがもっとも恐れる男の真実 ドルバウム 県立 8F312.3ナ 市立 新消費 藤井 (新書・文庫) 『うつりゆく日本語をよむ』 ことばが壊れる前に 今野 岩波新書 県立 7FS810.4コ 大学1907 公 『火星の歩き方』 臼井 大学445.3U95k ☆生き物の死にざま 稲垣 あしだろ? (広告) 腎臓が寿命を決める 黒尾 あ 量子で読み解く生命・宇宙・時間 吉田 (朝日新聞)2022.1.22 (ひもとく)なぜ国語に文学 安藤宏 国語教育は文学をどう扱ってきたのか 幸田 けだ 国語教育 混迷する改革 紅野 あだ 国語をめぐる冒険 渡部 けあ (売れてる本)六人の嘘つきな大学生 朝倉(池上) けあしだろこ 時間の終わりまで グリーン(須藤) ろ 『Invent Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』ベゾス(坂井) 青森 市立335ベ 六335ベ 最後の角川春樹 伊藤(石飛) あし 『ローリング・ストーン』の時代 ヘイガン(生井) け 自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと 清田(トミヤマユキコ) けあしこ 共振する帝国 フジタニ(戸部) けだ 少女たちの戦争 中央公論社(宮地) けあしだろ 戦争論 マクミラン(保阪) け (著者)『僕は失くした恋しか歌えない』 小佐野彈 県立 6FY91オサ 市立913.6オサ 大学913.6O74b、歌集 銀河一族 小佐野 (毎日新聞)2022.1.22 桃花源の幻 格(中島) 『絡まり合う生命』 人間を超えた人類学 奥野(伊藤) 市立389オ (なつかしい1冊)生誕の災厄 シオラン(上野千鶴子) け ソ連を崩壊させた男、エリツィン 下斗米 け パラコンシステント・ワールド 澤田 『火星の歩き方』 臼井(池澤) 大学445.3U95k 「切り札」山下泰裕は日本柔道界を変革できるか 木村(松原) 芭蕉の風景 小澤(小島) あ7F911.3マ (著者)詩とは何か 吉増 あだ (話題の書)和田靜香 沼の中で不惑を迎えます。 竹下 三省堂国語辞典 第8版 『だれでもデザイン 未来をつくる教室』 山中 県立 6FY25ヤ 市立501ヤ 大学501.83Y34d (読売新聞)2022.1.23 (始まりの1冊)密室の鍵貸します 東川 あし (読書ノート)No.10 なぜ、脱成長なのか カリス しこ、絵本 かぼちゃ人類学入門 あしと同じテーマ。 (著者)辛酸なめ子の独断! 流行大全 孤独の宰相 菅 柳沢(橋本) あ 私のいない部屋 ソルニット(柴崎) け 東シナ海 佐々木(堀川) 時間をめぐる哲学の冒険 バードン(中島) あ ジャガー自伝 (川添) あし J・M・クッツェーの真実 くぼたのぞみ(小川) け J・M・クッツェー 少年時代の写真 クッツェー(小川) け 21世紀の道徳 クリッツァー(森本) けあしだ 『ドードーをめぐる堂々めぐり』 正保四年に消えた絶滅鳥を追って 川端(牧野) 県立 市立488カ 六488カ ☆江戸時代日本にも来ていた。だから? 『北海道の縄文文化』 こころと暮らし 三浦監修 県立 8F211ホ 市立211ホ ☆読書蘭ネットでは5日後に公表 (日経新聞)2022.1.22 (あとがき)フェイドアウト 東 『時間の終わりまで』 物質、生命、心と進化する宇宙 グリーン(独立研究者 森田) 県立 8F443.9ク 市立443グ 大学443.9G82j 六443グ 『男子という闇』 少年をいかに性暴力から守るか ブラウン(田中) 県立 8F368.6フ 市立368ブ 大学368.64B77d (半歩遅れの読書術)桐野夏生 浮雲 林芙美子 天に焦がれて ジョルダーノ(関口) あし 『ドードーをめぐる堂々めぐり』 正保四年に消えた絶滅鳥を追って 川端(高橋) 県立 市立488カ 六488カ ☆江戸時代日本にも来ていた。だから? (リーダーの本棚)日本国際問題研究所理事長 佐々江賢一郎 (愛読書など) 鬼平犯科帳 春秋の檻 藤沢 あし全集 楽毅 宮城谷 あ全集、あ 日露戦争史 半藤 陸奥宗光 岡崎 あし 北京交渉 萩原 サトウ日記 わたしを離さないで 『最後の波の音』 山本 県立 青森 市立 気まぐれ美術館 洲之内 こ 愛されている者の生活 ナーウェン (この1冊)西太平洋連合のすすめ 北岡(武田) け 『人と数学のあいだ』 加藤文元ほか 県立 レゴ 蝦谷 し 肉食の終わり リース け (短評) 『ワクチンの噂』 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか ラーソン 背景に反ワクチン運動 県立 8F493.8ラ 市立493ラ 『人口戦略法案』 人口減少を止める方策はあるのか 山崎 県立 市立334ヤ 大学334.31Y43j (新書・文庫) 『南極の氷に何が起きているか』 気候変動と氷床の科学 杉山 7FS452.9ス 大学2672 中公新書 インパクト投資入門 須藤 魂の秘境から 石牟礼道子 あし (ランキング 新書)1.9-1.15 日本人の宿題 半藤 あ 日本のタブー3.0 望月 あ 『人新世の「資本論」』 斎藤幸平 7FS331.6サ 市立331サ 大学331.6Sa25h 六331サ・うーん。あまりおもしろくない。人新世の話と資本論は関係ない。 今を生きるあなたへ 瀬戸内 あし 日本語の大疑問 国立国語 あ 『生物はなぜ死ぬのか』 小林 7FS460コ 市立460コ 大学460Ko12s 『デジタル・ファシズム』 堤 7FS007.3ツ 市立007ツ 『ヒトの壁』 養老 7FS304ヨ 市立304ヨ 六304ヨ 『老人支配国家 日本の危機』 エマニュエル・トッド 文春新書 7FS304ト 市立304ト 公新書304To17 (広告) クリティーク社会学 岩波書店 全7巻 『経済の起原』 大澤真幸 公331O74 クリティーク社会学7冊 貨幣とは負債である。コミュニズムは論理上可能である。 年数回週末の午後岩波書店の会議室に集合。1時間半から2時間、その時の研究について報告し、全員で討論し、議論が完全に尽くされるまで会は続いた。 精神と自然 ベイトソン 岩波文庫 だ ナグ・ハマディ文書抄 岩波文庫 グノーシスの思想を伝える だBC12096854 だ5104 『脱炭素経営入門』 気候変動時代の競争力 松尾 公 『資本主義の方程式』 経済停滞と格差拡大の謎を解く 小野 7FS331オ 大学2679 中公新書 『ジョン・ロールズ』 社会正義の探究者 斎藤 7FS311.1サ 大学2674 公 中公新書 北条義時 岩田 中公新書S289.1ホ はたらく内蔵 坂井監修 『犬の報酬』 堂場瞬一 県立 7Fトウ 市立913.6ドウ 六913ド マネーの魔術師 榎本 あ 『アマゾン・メカニズム』 Amazon mechanism ノベーション量産の方程式 谷 大学336.1Ta87a 社長の会計学 小形 歯を疑え! 丸橋 図解資料作成術 森川 け 教養としての金融危機 宮崎S338.9ミ 平安京の下級官人 倉本S210.3ク オートファジー 吉森S463.6ヨ 『地球の中身』 何があるのか、何が起きているのか 広瀬 県立 7FS450ヒ 市立450ヒ 『焼酎の科学』 発酵、蒸留に秘められた日本人の知恵と技 鮫島 7FS588.5サ 市立588サ ブルーバックス 探花 今野敏 隠蔽捜査9 あし 「やりがい搾取」の農業論 野口S612.1ノ 日本の近代建築ベスト50 小川 『イントゥ・ザ・プラネット』 ハイナース 水中洞窟 県立 青森 市立785ハ 六785ハ 『AI監獄 ウイグル』 ケイン 米中テック企業の実験 8F316.8ケ 市立316ケ 公 非上場株式を高価売却する方法 喜多 Python実践レシピ 鈴木 Pythonエンジニア育成推進協会監修 技術評論社 脅威インテリジェンスの教科書 石川 『就活のための「四季報」活用法』 田宮 市立 シン・サラリーマン サラタメ 出世より3つの武器(リーマン力、副業力、マネー力) あ 『絶対に休めない医師がやっている最強の体調管理』 コロナ対応版 大谷義夫 7FB498.3オ 市立 東大生の本棚 西岡 文庫化 『図説人新世』 環境破壊と気候変動の人類史 パルソン 県立 市立519ギ 『地球博物学大図鑑』 県立 8F460.3テ 市立460テ 大学460.38C44 『OCEAN LIFE 図鑑 海の生物』 市立468オ 大阪城 北川 新潮新書S210.4キ 『秘闘』 私の「コロナ戦争」全記録 岡田 8F498.6オ 六498オ ・大事な人物との会話ややり取り、電話の内容は常にメモを取り、記録している。 勝間式 金持ちになる読書法 移動 あ (朝日新聞)2022.1.15 (ひもとく)北条義時の実像 川合康 北条義時 安田 しだ 北条義時 岡田 けあ 図説 鎌倉幕府 田中 けあ (売れてる本)『認知症世界の歩き方』 筧(恩蔵) 県立 8F493.7カ 市立493ハ 大学493.75Ka24n 公 帝国のヴェール 荒木(温) けだ 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』 マルサル(藤原) 県立 8F331マ 市立331マ 大学330.4Ma51a 公 『ワクチンの噂』 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか ラーソン(行方) 県立 8F493.8ラ 市立493ラ 毛沢東の強国化戦略 山口(阿古) だ 現代生活独習ノート 津村(金原) けあしろ 残月記 小田(大矢) けあしだろ 病んだ言葉 阿部(江南) あ (著者)『日本の絵本』 100年100人100冊 広松 県立 市立726ヒ (ビジネス)『一万円選書』 北国の小さな本屋が起こした奇跡の物語 岩田(宮本) 県立 7FS024.0イ 市立024イ (古典百名山plus 大澤)社会システム理論の視座 ルーマン 導入。コミュニケーション。社会システム理論 だ、社会の社会 けだ (毎日新聞)2022.1.15 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(○巣) マルサル 県立 8F331マ 市立331マ 大学330.4Ma51a 公 『ヒトの壁』 養老(藻谷) 7FS304ヨ 市立304ヨ 六304ヨ (なつかしい1冊)ホモ・ルーデンス ホイジンガ(為末) ハイジャック犯をたずねて 和田 野呂邦暢 古本屋写真集 岡崎(湯川) け 『問題の女 本荘幽蘭伝』 平山(若島) 県立 市立289ホ 大学289.1H85H アスベストス 佐伯(持田) けあしだ (著者)『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』 鈴木忠平 県立 7FX783.7オ 市立783ス (話題の本)僕は失くした恋しか歌えない 小佐野(手塚) けあし 『東京の古本屋』 橋本(加藤) 県立 市立 大学024.8H38t 『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』 マーク・ボイル(中村) 県立 7F933ホ 市立936ボ (読売新聞)2022.1.16 (空想書店)遠藤秀紀 文学部唯野教授 筒井 (著作)東大夢教授、人体 失敗の進化史 (名著60文庫×世界文学)No.56 ナルニア国物語 ルイス(小谷) (著者)『くらしのアナキズム』 松村 県立 8F309.7マ 大学309.7Ma82k 公 芭蕉の風景 小澤(梅内) あ 庭仕事の真髄 スミス(中島) あ 頭山満 嵯峨(国分) だ 『人口戦略法案』 人口減少を止める方策はあるのか 山崎(佐藤) 県立 市立334ヤ 大学334.31Y43j 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 ウィアー(小山) 県立 7F933ウ 市立933ウ (前著)火星の人 東京ゴースト・シティ ユアグロー(南沢) あし 『ゴーストランド』 幽霊のいるアメリカ史 ディッキー(森本) 8F388.5テ 市立388デ 室町社会史論 清水(苅部) だ 『文豪と印影』 西川(鵜飼) 7F910.2ニ 市立910.26ニ (日経新聞)2022.1.15 (あとがき)日本移民日記 JOON 移動 『人、イヌと暮らす』 長谷川(菅) 県立 8F645.6ハ 市立 『進化の技法』 転用と盗用と争いの40億年 シュービン(更科) 県立 8F467.5シ 市立467シ (半歩遅れの読書術)桐野夏生 戦禍のアフガニスタンを犬と歩く スチュワート あし 言の葉の森 スユン(東) 『親孝行の日本史』 道徳と政治の1400年 勝又(井上) 中公新書 県立 7FS152.6カ 大学2671 (ベストセラーの裏側) 批評の教室 北村 シェアがSNS時代にマッチ あだ 批評理論入門 廣野 ロングセラー あしだ (今を読み解く)新しい資本主義を考える 東京大学教授 松井彰彦 『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』 公正な社会への資本主義と民主主義改革 ポズナー 市場急進主義。所有権の部分共有もありうる 県立 第三の支柱 ラジャン コミュニティと市場の連携の重要性 だこ 福祉国家 ガーランド 3つの福祉(弱者救済、社会保険(経済の分析が集中)、市場や雇用に政府の役割強調) こ かっこいい福祉 村木 福祉と市場の接続 あし (この1冊)『ビルマ 危機の本質』 タンミンウー 県立 8F312.2タ 市立312ウ 六312ウ 『田辺聖子 十八歳の日の記録』 田辺 県立 7F915.6タ 市立 大学(小説・文芸)915.6Ta83t 『大人のいじめ』 坂倉 講談社現代新書 県立 7FS366.3サ 市立366サ 大学366.3Sa31o 『GAFA next stage』 ガーファネクストステージ 四騎士+Xの次なる支配戦略 ギャロウェイ 8F007.3キ 市立007ギ (短評) ポストコロナの政策構想 小林 こ 「日米台連携メカニズム」の構築 け (新書・文庫) 村上春樹と魯迅そして中国 藤井 <問い>からはじめるアート思考 吉井 あ 旅の絵日記 和田 あB293.0ワ (広告) 『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』 8F141.5オ 市立141オ 『ゴーイング・ダーク』 12の過激主義組織潜入ルポ エブナー 県立 8F361.6エ 大学361.65E15g 無くならないミスの無くし方 地域 「毎日音読」で人生を変える あ7FK809.4テ 「経済学」にだまされるな! ポルシェ け 『ブルシット・ジョブの謎』 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか 酒井隆史 7FS366サ 裏道を行け 橘玲 あこーナー304||Ta13 講談社現代新書 『物価とは何か』 渡辺 8FN337.8ワ 市立337ワ 大学337.81W46b 六337ワ 方法序説 講談社学術文庫 あだ 永遠の平和のために カント 講談社学術文庫 あだ (関連)デカルト『方法序説』を読む だ デカルトの旅 デカルトの夢―『方法序説』を読む しだ、『方法序説』を読む―若きデカルトの生と思想 あこ (朝日新聞)2022.1.8 (ひもとく)生き物の絶滅 渡辺政隆 『ドードーをめぐる堂々めぐり』 正保四年に消えた絶滅鳥を追って 川端 県立 市立488カ 六488カ ☆江戸時代日本にも来ていた。だから? 『絶滅魚クニマスの発見』 私たちは「この種」から何を学ぶか 中坊 市立487ナ 六487ナ 『マンモスを再生せよ』 メズリック 県立 7F933メ 市立936メ (売れてる本)『三千円の使いかた』 原田(藤田) 県立 7Fハラ 市立913.6ハラ 賃労働の系譜学 今野(戸部) け 賃金破壊 竹信(戸部) 労働運動 け 鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義 高橋(保阪) トクヴィルと明治思想史 柳(犬塚) だ 『世界を一枚の紙の上に』 歴史を変えたダイアグラムと主題地図の誕生 大田(生井) 市立002オ 六002オ 『ヤングケアラー』 介護する子どもたち 毎日新聞取材班(藤原) 8F369ヤ 市立369ヤ 六369ヤ 公 『私は男でフェミニストです』 スンボム(トミヤマユキコ) 県立 8F367.2チ 市立367.2チ 大学367.22C37w 『あなたに安全な人』 木村(金原) 県立 7Fキム 市立 (著者)『その農地、私が買います』 高橋さん家の次女の乱 高橋 8F610.4タ (毎日新聞)2022.1.8 『がんは裏切る細胞である』 進化生物学から治療戦略へ アクティビス(中村) 8F491.6ア 市立491ア がんは進化的自殺。 「ひきこもり」から考える 石川(渡辺) こ (なつかしい1冊)『ともだちは海のにおい』 工藤直子 長新太(井上) 9F 市立 六913ク 『データサイエンスが解く邪馬台国』 北部九州説はゆるがない 安本美典 九州説 朝日新書 市立210.2ヤ 『南極の氷に何が起きているか』 気候変動と氷床の科学 杉山(村上) 7FS452.9ス 大学2672 中公新書 吉井勇の旅鞄 細川(川本) 政治学と因果推論 松林(大竹) こ (著者)教育 遠野 ろ (話題の本)女性の死に方 あらいぴろよ(壇蜜) 『税金の世界史』 フリスビー 県立 8FN345.2フ 市立345フ 大学(サン)345.2F47z 公 (読売新聞)2022.1.9 (コロナの時代を読む)No.17 マルクス・ガブリエル危機の時代を語る 丸山俊一 (名著60文庫×世界文学)No.55 見えない都市 カルヴィーノ(和田) (著者)『枯れてこそ美しく』 戸田 村瀬 県立 8F289.1ト 市立289ト アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険 宮田(川添) あし 『ドイツ・ナショナリズム』 「普遍」対「固有」の二千年史 今野(苅部) 7FS234コ 大学2666 「歴史の黄昏」の彼方へ 野田(苅部) だ 『ディープフェイク』 福田(宮部) 7Fフク 市立フク 六913フ 国家をもたぬよう社会は努めてきた クラストル(小川) けだ 剛心 木内(堀川) あしろ スピッツ論 伏見(金子) 『帝国の計画とファシズム』 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家 ミムラ(井上) 県立 大学210.7Mi34t アスベストス 佐伯(鵜飼) あし フィリア 今道子(柴崎) (日経新聞)2022.1.8 (あとがき)観音像とは何か 君島 け トクヴィルと明治思想史 柳(中沢) 生きていること インゴルド(三中) け (半歩遅れの読書術)桐野夏生 パセリ通りの古い家 ベナリイ=イスベルト 岩波少年文庫 『ヌマヌマ』 はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選 シーシキンほか 沼野訳(古谷田) 県立 市立983ヌ 大学サン983N99 猫に学ぶ グレイ(町田) けあ (リーダーの本棚)山本能楽堂代表理事 山本章弘 (座右の書) 恐山 南 あしこ (その他) 自分を見つめる禅問答 南 役に立つ古典 安田 三流のすすめ 安田 お経で読む仏教 釈 キャッツアイころがった 黒川 あし 勧世流歌謡曲百番集、同続百番集 勧世左近 (この1冊)産業革命史 郭(徳田) だこ 『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』 マーク・ボイル 県立 7F933ホ 市立936ボ 生を祝う 李 あしろ くじ引き民主主義 吉田 (著作)アフター・リベラル けあ (短評) カーボンニュートラルの経済学 小林 け 戦後日本の中国観 小野寺 だ (新書・文庫) サウジアラビア 高尾 中公新書 あだS302.2タ 視覚化する味覚 久野 あだこS588.0ヒ だから殺せなかった 一本木 あし (広告) 勝間式 金持ちになる読書法 あ移動 行動経済学 阿部 新星出版 あだ331ア 『サクッとわかるビジネス教養 地政学』 奥山 県立 8F312.9オ 市立312チ 公 AI防災革命 村上 デジタル変革と学習する組織 山口 『数学的に話す技術書く技術』 文系の人も使える! 曽布川 県立 戦略質問 金巻 け 現代語訳 暗黒日記 清水 あ210.7キ。 エンベデッド・ファイナンスの衝撃 城田 けあ 朝日新聞記者の200字文章術 真田 み 神秘思想 光と闇の全史 冨増 『転職が僕らを助けてくれる』 新卒で入れなかったあの会社に入社する方法 山下 8F366.2ヤ 市立366ヤ 普段から転職を考えて仕事をする(スキルを身につける) 株トレ 窪田 『新・国債の真実』 高橋洋一 県立 8FN347.2タ 市立347タ 会社法は誰のためにあるのか 上村 こ325.2||U42 老子探究 蜂屋 124.2ロ 308 『クオリアはどこからくるのか? 』 統合情報理論のその先へ 土谷尚嗣 県立 市立141ツ 大学491.37Ts32k p.130 構造と構造の間の関係性を明らかにするツールとして、圏論が有用だろうと考えている。 正しいお金の増やし方 篠田 け 「すぐやる人」×「やれない人」の習慣 塚本 マンガ あし、 図解 あ 続けるほど、毎日が面白くなる。もっともっとマイノート emi 159エ 『わたしらしさを知る マイノートのつくりかた』 Emi 7F児159エ 市立159エ 長い長い殺人 宮部みゆき あし 『70歳が老化の分かれ道』 若さを持続する人、一気に衰える人の違 和田秀樹 7FS159.7ワ 市立159ワ 『日本の鬼図鑑』 八木監修 県立 8F388.1ヤ 市立 人類5000年史 4 出口 あ 世界出来事年表 ケンブリッジ世界近現代史事典 こ(館内) 世界歴史地名大事典 け(館内) メソポタミア文明事典 け マヤ・アステカ文化事典 け(館内)
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クラス 真名 体系 属性 出典/出身 代理AA セイバー ヴィヴィアン 神話・伝説 中立・中庸 アーサー王伝説 レイチェル・アルカード(BLAZBLUE) セイバー 吉備津彦命(桃太郎) 神話・伝説 中立・善 日本神話 椿定光(破壊魔定光) セイバー 大和武尊 神話・伝説 秩序・中庸 日本神話 渡良瀬準(はぴねす!) セイバー ディルムッド・オディナ(剣) 神話・伝説 秩序・中庸 ケルト神話 ディルムッド・オディナ(fate/zero) セイバー ベイリン 神話・伝説 混沌・善 アーサー王伝説 キリト(ソードアート・オンライン) セイバー ディートリッヒ・フォン・ベルン 神話・伝説 秩序・中庸 『ニーベルンゲンの歌』 カミナ(天元突破グレンラガン) セイバー 松本備前守紀政元 史実 中立・中庸 日本(戦国時代) 岩本虎眼(シグルイ) セイバー 大月源 史実 秩序・中庸 日本(江戸時代) 焔(閃乱カグラ) セイバー 源義経 史実 中立・善 日本(平安時代) 桜崎刹那(魔法先生ネギま!) セイバー 東郷重位 史実 秩序・中庸 日本(戦国時代) 斉藤一(るろうに剣心) セイバー 甲斐姫 史実 中立・善 日本(戦国時代) 木曾(艦隊これくしょん) セイバー 屠竜之技 神話・伝説 中立・中庸 『荘子』 宇練銀閣(刀物語) セイバー エリザベス一世 史実 中立・悪 イギリス(テューダー朝) 潮田渚(暗殺教室) セイバー ヨハン・ライヒハート 史実 秩序・善 ドイツ連邦共和国 ロールシャッハ(Watchmen) セイバー ムーラン(花木蘭) 神話・伝説 中立・善 中国(民間伝承) 雪村千鶴(薄桜鬼 ~新選組奇譚~) セイバー ベオウルフ 神話・伝説 秩序・善 『ベオウルフ』 主人公(DRAGON QUEST Ⅴ) セイバー ジュリアス・シーザー 史実 中立・善 ローマ(共和政) ロロノア・ゾロ(ONE PIECE) セイバー ヴィテゲ 神話・伝説 秩序・中庸 『シズレクのサガ』 リオン・マグナス(テイルズオブデスティニー) セイバー 松永久秀(剣) 史実 中立・中庸 日本(戦国時代) アンデルセン(HELLSING) セイバー ハドリアヌス(TS) 史実 秩序・中庸 ローマ帝国(ネルウァ=アントニヌス朝) 翠星石(ローゼンメイデン) セイバー 日本武尊 神話・伝説 秩序・中庸 日本神話 犬夜叉(犬夜叉) セイバー 最上義光 史実 秩序・悪 日本(戦国時代) フェイスレス(からくりサーカス) セイバー ギヨティーヌ 神話・伝説 秩序・善 フランス(革命期) ノーラ・アレント(狼と香辛料) セイバー スパルタクス 史実 混沌・善 ローマ(共和政) カズマ(スクライド) セイバー ドラガシス・パレオロゴス(TS) 史実 秩序・善 東ローマ帝国(パレオロゴス王朝) オリヴィエ・ゼーゲブレヒト(魔法少女リリカルなのは) セイバー フランツ・ナーダジュディ 史実 混沌・悪 欧州(ハンガリー) バッシュ・ザ・ブラックナイト(ファイブスターストーリーズ) セイバー ヤマトタケルノミコト(Apocalypse) 神話・伝説 秩序・中庸 日本神話 桂ヒナギク(ハヤテのごとく!) セイバー 聖徳太子(剣) 史実 秩序・善 日本(飛鳥時代) ハクメン(BLAZBLUE) セイバー ヤマタノオロチ 神話・伝説 混沌・悪 日本神話 アッシュ(ファントム・ブレイブ) セイバー ダゴネット 神話・伝説 秩序・悪 アーサー王伝説 榊遊矢(遊戯王ARC-V) セイバー 足利義輝(天下分目前哨) 史実 中立・中庸 日本(戦国時代) 三日月宗近(刀剣乱舞) セイバー アコロン 神話・伝説 中立・善 アーサー王伝説 アルトリウス(DARK SOULS) セイバー アルティン・アリーグ 神話・伝説 混沌・善 シベリア伝承 カルラ(うたわれるもの) セイバー ルイ14世 史実 秩序・善 フランス(ブルボン朝) 太陽の騎士ソラール(DARK SOULS) セイバー シャルル=アンリ・サンソン(剣) 史実 秩序・中庸 フランス(革命期) レックス(サモンナイト3) セイバー 夏侯惇 史実 秩序・中庸 中国(三国時代) The M(漆黒のシャルノス) セイバー アイヌラックル 神話・伝説 秩序・善 アイヌ神話 孫悟空(ドラゴンボール) セイバー エドワード3世 史実 秩序・中庸 イングランド(百年戦争) ヴァイオレット・エヴァーガーデン(ヴァイオレット・エヴァーガーデン) セイバー 足利義輝 史実 秩序・善 日本(戦国時代) 足利義輝(戦国妖狐) セイバー ティラノサウルス・レックス・スー 史実 秩序・中庸 アメリカ(ジュラ紀) ジェノブレイカー(ZOIDS) セイバー バトラズ 神話・伝説 混沌・悪 『ナルト叙事詩』 志々雄真実(るろうに剣心) セイバー 勾践 史実 中立・中庸 中国(春秋時代) シャナ(灼眼のシャナ) セイバー フェンリル 神話・伝説 混沌・悪 北欧神話 ミルヒオーレ・F・ビスコッティ(DOG DAYS) セイバー ローラン 神話・伝説 中立・善 シャルルマーニュ伝説 武藤カズキ(武装錬金) セイバー 典韋 史実 秩序・悪 中国(三国時代) ベイン(DCコミック) セイバー プトレマイオス十五世 史実 中立・善 エジプト(プトレマイオス朝) 苗木誠(ダンガンロンパ) セイバー ルネ・デカルト(剣) 史実 秩序・善 フランス(ブルボン朝) 佐山・御言(川上稔作品/終わりのクロニク) セイバー マルクス・フリウス・カミルス 史実 秩序・善 ローマ(共和政) リヴァイ(進撃の巨人) セイバー 高梨 黒姫 神話・伝説 秩序・善 日本(信濃奇勝録等) 胡蝶しのぶ(鬼滅の刃) セイバー エードワッド(円卓再臨) 史実 混沌・中庸 イングランド(百年戦争) 天龍(艦隊これくしょん 軽巡洋艦) セイバー 伊達政宗&竜吉公主[サンタ] 神話・伝説 秩序・善 日本(江戸時代)、『封神演義』 坂本美緒(ストライクウィッチーズ)、黒神めだか(めだかボックス) セイバー 天津麻羅(アマツマラ) 神話・伝説 秩序・中庸 日本神話 竈門炭治郎(鬼滅の刃) セイバー ヘルヴォール 神話・伝説 混沌・善 『ヘルヴォルとヘイドレクのサガ』 アナスタシア・ルン・ヴァレリア(WILD ARMS) セイバー アンクル・サム 神話・伝説 中立・善 アメリカ合衆国 ファニー・ヴァレンタイン大統領(ジョジョの奇妙な冒険) セイバー 山金造波文蛭巻大太刀 史実 秩序・善 日本 イザナギ(ペルソナ4) セイバー アンブロシウス 神話・伝説 中立・善 アーサー王伝説 赤髪のシャンクス(ワンピース) セイバー 鄧艾士載 史実 秩序・善 中国(三国時代) 白雪千夜(アイドルマスターシンデレラガールズ) セイバー 秦の昭王 史実 混沌・悪 中国(春秋戦国時代) 鬼舞辻無惨(鬼滅の刃) セイバー 曹操孟徳 史実 秩序・中庸 中国(三国時代) ターニャ・デグレチャフ(幼女戦記) セイバー 上杉景勝 史実 秩序・善 日本(戦国時代) 軍服の姫君/アルタイル(Re CREATORS) セイバー 越王勾践 史実 混沌・善 中国(春秋・戦国時代) 宇随天元(鬼滅の刃) セイバー ストイシャ 神話・伝説 秩序・悪 セルビア民話 羽咲 綾乃(はねバド!) セイバー 藤原利仁 神話・伝説 秩序・善 『藤原利仁伝説』 煉獄杏寿郎(鬼滅の刃) セイバー バトラズ(2) 神話・伝説 混沌・善 ナルト叙事詩 ナイトブレイザー(WILD ARMS ナイトブレイザー ナイトブレイザー) セイバー チェーザレ・ボルジア(剣) 史実 秩序・悪 イタリア(ルネサンス期) トレーズ・クリシュナーダ(新機動戦記ガンダムW) セイバー コリネウス 神話・伝説 中立・悪 アルビオン(ブリテン島) 仮面ライダーバスター(特撮/令和ライダ/ー仮面ライダーセイバー) セイバー ホーン 神話・伝説 中立・善 『ホーン王物語』 アナスタシア(アイドルマスター シンデレラガールズ) セイバー アイアンサイド・オルタ 神話・伝説 中立・悪 アーサー王伝説 デビルアーマー(ドラゴンクエスト) セイバー ランツクネヒト 史実 混沌・善 スイス ラグナ・ザ・ブラッドエッジ(BLAZBLUE) セイバー 四狗クビライ 史実 混沌・悪 モンゴル帝国 王騎(キングダム) セイバー コンホヴァル・マック・ネサ 神話・伝説 秩序・悪 ケルト神話 ギム・ギンガナム(∀ガンダム) セイバー 戸次鑑連 史実 秩序・善 日本 エドワード・エルリック(鋼の錬金術師) ランサー 林冲 神話・伝説 中立・善 『水滸伝』 奴良リクオ(ぬらりひょんの孫) ランサー パーシヴァル 神話・伝説 中立・善 アーサー王伝説 佐倉杏子(魔法少女まどか☆マギカ) ランサー 橋姫 神話・伝説 混沌・中庸 『古今和歌集』 龍田(艦隊これくしょん~艦これ~) ランサー オセ 神話・伝説 混沌・善 『ゴエティア』 レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ(DOG DAYS) ランサー ドゥクパ・キンレイ 史実 秩序・狂 ブータン マーラ(女神転生/男型悪魔) ランサー プロクリス 神話・伝説 中立・善 ギリシャ神話 渋谷凛(アイドルマスターシンデレラガールズ) ランサー メイヴ 神話・伝説 混沌・悪 ケルト神話 風見幽香(東方Project) ランサー ロームルス 神話・伝説 秩序・中庸 ローマ建国神話 グラハム・スペクター(Baccano) ランサー 張飛益徳 史実 混沌・善 中国(三国時代) 高坂桐乃(俺の妹がこんなに可愛いわけがない) ランサー 藤原景清 史実 秩序・中庸 日本(平安時代) ガッツ(ベルセルク) ランサー 森長可 史実 秩序・中庸 日本(戦国時代) 蛮骨(犬夜叉) ランサー ペトルス・バルトロメオ 史実 混沌・善 フランス(カペー朝) 平和島静雄(デュラララ!!) ランサー アンナ・イヴァノヴナ 史実 混沌・悪 ロシア(ロマノフ朝) 川嶋亜美(とらドラ!) ランサー 秦良玉 史実 秩序・善 中国(明) 杉浦碧(舞-Hi ME) ランサー 豊臣秀吉(槍) 史実 秩序・悪 日本(安土・桃山時代) ルパン3世(ルパン3世) ランサー 可児才蔵 史実 混沌・中庸 日本(戦国時代) 不動遊星(遊戯王5D's) ランサー アイアンメイデン 神話・伝説 秩序・悪 ヨーロッパ(中世) アイアンメイデン・ジャンヌ(シャーマンキング) ランサー 無名(アノニマス) 神話・伝説 混沌・善 現代 ルナティック(TIGER BUNNY) ランサー ピサール 神話・伝説 混沌・悪 ケルト神話 ラインハルト・ハイドリヒ(Dies irae.) ランサー クルースニク 神話・伝説 秩序・悪 スラヴ(民間伝承) ニコラス・D・ウルフウッド(トライガン) ランサー ヒルデブラント 神話・伝説 秩序・悪 『ヒルデブラントの挽歌』 F2エルヴァーン♂(ブロントさん)(FINAL FANTASY 11) ランサー トラヤヌス 史実 中立・善 ローマ帝国(ネルウァ=アントニヌス朝) ヴェルゴ(ONE PIECE) ランサー ミケランジェロ 史実 混沌・悪 イタリア(ルネサンス期) 仮面ライダーフォーゼ(仮面ライダーフォーゼ) ランサー 聖ウリエル 神話・伝説 秩序・善 『旧約聖書』 立華奏(Angel Beats!) ランサー パラス・アテーナー 神話・伝説 中立・中庸 ギリシア神話 佐倉千代(月刊少女野崎くん) ランサー バラバ 神話・伝説 混沌・悪 『新約聖書』 長谷川泰三(銀魂) ランサー 岳飛(槍) 史実 秩序・善 中国(宋代) 蛮骨(犬夜叉/七人隊) ランサー 猪八戒 神話・伝説 秩序・善 『西遊記』 やる夫(2ch) ランサー フニャディ・マーチャーシュ 史実 秩序・善 ハンガリー クロア・バーテル(アルトネリコ2) ランサー 聖徳太子(槍) 史実 秩序・中庸 日本(飛鳥時代) 渚カヲル(新世紀エヴァンゲリオン) ランサー フィン・マックール 神話・伝説 秩序・悪 ケルト神話 赤木しげる(天 ~天和通りの快男児~) ランサー エクター・ド・マリス 神話・伝説 秩序・善 アーサー王伝説 ユーノ・スクライア(魔法少女リリカルなのは) ランサー レプロブス 史実 秩序・善 ローマ帝国(軍人皇帝時代) 蟇郡苛(キルラキル) ランサー マシュー・ホプキンス 史実 中立・悪 イギリス(ステュアート朝) 佐倉杏子(魔法少女まどか☆マギア) ランサー ベイリン(槍) 神話・伝説 秩序・中庸 アーサー王伝説 渚カオル(新世紀エヴァンゲリオン) ランサー カメハメハ一世 史実 秩序・善 ハワイ王朝 プリンセス・カメハメ(キン肉マン) ランサー 張遼文遠 史実 中立・善 中国(三国時代) 張遼(蒼天航路) ランサー リュキアのキマイラ 神話・伝説 混沌・中庸 ギリシャ神話 コーティカルテ・アパ・ラグランジェス(神曲奏界ポリフォニカ) ランサー ヴァン・ヘルシング 神話・伝説 混沌・善 『ドラキュラ』 VZ/ヴィゼータ(おりがみ・林トモアキ作品) ランサー ハトシェプスト 史実 秩序・善 エジプト新王朝 水無灯里(ARIA) ランサー 楽毅 史実 秩序・善 中国(戦国時代) アリーシャ・ディフダ(テイルズオブゼスティリア) ランサー 白い手のイゾルデ 神話・伝説 混沌・中庸 アーサー王伝説 レヴェリー=メザーランス(エレメンタルジェレイド) ランサー アレクサンドル・スヴォーロフ 史実 混沌・善 ロシア(ロマノフ朝) 仮面ライダーギャレン(仮面ライダー剣) ランサー ウィリアム・マーシャル 史実 秩序・中庸 イギリス(プランタジネット朝) 騎士(ARMS) ランサー スカサハ 神話・伝説 中立・中庸 ケルト神話 戦闘教官アレイン(クイーンズブレイド) ランサー ディオメデス 神話・伝説 中立・善 『イーリアス』 同志《C》(英雄伝説シリーズ) ランサー メレアグロス 史実 混沌・中庸 ギリシャ神話 ラインハルト・ハイドリヒ(Dies irae) ランサー クライトーン 神話・伝説 中立・善 タイ伝説 岩崎 月光(月光条例) ランサー テイレシアス 神話・伝説 中立・・善 ギリシャ神話 マイ=ナツメ(BLAZBLUE) ランサー 紅孩児 神話・伝説 混沌・中庸 『西遊記』 ガウル・ガレット・デ・ロワ(DOD DAYS) ランサー 聖エクスペダイト 神話・伝説 中立・善 キリスト教 仮面ライダージオウ(仮面ライダージオウ) ランサー ポンティオ・ピラト 史実 秩序・悪 ローマ帝国(ユリウス=クラウディウス朝) エンリコ・プッチ(ジョジョの奇妙な冒険) ランサー クロイソス 史実 中立・中庸 リュディア(トルコ) ヴァンプ将軍(天体戦士サンレッド) ランサー ヒッポリュテ 神話・伝説 混沌・善 ギリシャ神話 鋼鉄姫ユーミル(クイーンズブレイド) ランサー ジャラールッディーン・メングベルディー 史実 混沌・善 ホラズム朝 王賁(キングダム) ランサー 方相氏 神話・伝説 秩序・中庸 中国神話 鬼灯(鬼灯の冷徹) ランサー オイフェ 神話・伝説 混沌・善 ケルト神話 真希波・マリ・イラストリアス(新世紀エヴァンゲリオン) ランサー ティリー伯ヨハン・セルクラエス 史実 秩序・善 神聖ローマ帝国(三十年戦争) ラスタル・エリオン(機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ) ランサー 呉王夫差 史実 混沌・中庸 中国(春秋時代) ライナー・ブラウン(進撃の巨人) ランサー ファフニール 神話・伝説 混沌・善 北欧神話 ウォーグレイモン(デジタルモンスター) ランサー 服部半蔵 史実 秩序・中庸 日本(戦国時代) 本多・二代(川上稔作品/境界線上のホライゾン) ランサー ネフシュタン 神話・伝説 混沌・中庸 『旧約聖書』 封獣ぬえ(東方project) ランサー フェリドゥーン 神話・伝説 秩序・善 イラン神話『シャー・ナーメ』 五河琴里(デート・ア・ライブ) ランサー カリアッハベーラ 神話・伝説 中立・悪 スコットランド エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル(魔法先生ネギま!) ランサー 斎藤道三 史実 混沌・悪 日本(戦国時代) 秋葉流(うしおととら) ランサー クアウテモック 史実 秩序・善 アステカ帝国 ソロモン(メギド72) ランサー 神功皇后 神話・伝説 秩序・中庸 日本(古代) 鹿角(境界線上のホライゾン) ランサー 厳詠春 史実 中立・悪 中国(清代) エステル・ブライト(英雄伝説シリーズ) ランサー ヘラクレイオス 史実 中立・善 東ローマ帝国(ヘラクレイオス朝) 岸辺(チェンソーマン) ランサー 趙雲子龍 史実 秩序・中庸 中国(蜀) シャーロット・カタクリ(ONE PIECE) ランサー カドモス(二槍) 神話・伝説 中立・中庸 ギリシャ神話 テッカマンブレード(宇宙の騎士テッカマンブレード) アーチャー 香香背男(カガセオ) 神話・伝説 混沌・善 日本神話 クシャトリヤ(機動戦士ガンダムUC) アーチャー ヘラクレス 神話・伝説 混沌・善 ギリシャ神話 阿部高和(くそみそテクニック/ヤマジュン作品) アーチャー 温羅 神話・伝説 混沌・中庸 日本神話 パイロン(ヴァンパイアシリーズ) アーチャー イリヤー・ムーロメツ 神話・伝説 中立・善 ロシア(ブィリーナ) アレックス・ルイ・アームストロング(鋼の錬金術師) アーチャー 豊臣秀吉 史実 中立・善 日本(安土・桃山時代) 黄猿(ONE PIECE) アーチャー ニコラ・テスラ 史実 混沌・中庸 セルビア ニコラ・テスラ(黄雷のガクトゥーン) アーチャー ナポレオン・ボナパルト 史実 中立・悪 フランス帝国 ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン~獅子の時代~) アーチャー ゼノビア 史実 秩序・中庸 パルミラ王国 上野錐霞(C3) アーチャー 源頼朝 史実 秩序・中庸 日本(鎌倉時代) キラ・ヤマト(機動戦士ガンダムSEED) アーチャー シモ・ハユハ 史実 中立・中庸 フィンランド共和国 ヒイロ・ユイ(機動戦士ガンダムW) アーチャー 明智光秀 史実 秩序・中庸 日本(戦国時代) 相良宗介(フルメタル・パニック) アーチャー ジェベ 史実 混沌・中庸 モンゴル帝国 那須与一(ドリフターズ) アーチャー ビリー ・ ザ ・ キッド 史実 混沌・悪 アメリカ合衆国 夕立(艦隊これくしょん) アーチャー ジュリアン 史実 混沌・中庸 ベルギー王国 野原しんのすけ(クレヨンしんちゃん) アーチャー ニルス・オーラヴ 史実 中立・中庸 ノルウェー王国 プリニー(魔界戦記ディスガイア) アーチャー 鎮西八郎為朝 史実 中立・悪 日本(平安時代) ライディーン(勇者ライディーン) アーチャー 舩坂弘 史実 秩序・善 日本(昭和時代) 新城直衛(皇国の守護者) アーチャー バルバトス 神話・伝説 中立・悪 『ゴエティア』 ゼロ(コードギアス/反逆のルルーシュ) アーチャー ロビン・フッド(結界) 神話・伝説 中立・善 イングランド(民間伝承) 暁美ほむら(魔法少女まどか☆マギカ) アーチャー ナポレオン・ボナパルト(2) 史実 秩序・悪 フランス帝国 ツナシ・タクト(STAR DRIVER 輝きのタクト) アーチャー 養由基(B) 史実 秩序・中庸 中国(春秋時代) リアルのび太(ドラえもん) アーチャー いたいのいたいのとんでけ 概念 混沌・善 世界各地(民間伝承) 霧雨魔理沙(東方project) アーチャー バヤズィト1世 史実 秩序・悪 オスマン帝国 ナムリス(風の谷のナウシカ) アーチャー ヴァレンシュタイン 史実 中立・善 ドイツ(神聖ローマ帝国) 阿紫花英良(からくりサーカス) アーチャー エミリア・プラテル 史実 秩序・中庸 ポーランド・リトアニア共和国 Ruby Rose(RWBY) アーチャー 高長恭 史実 秩序・善 中国(北斉) タウバーン(STAR DRIVER 輝きのタクト) アーチャー テミストクレス 史実 混沌・悪 ギリシャ(共和政) フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト(銀河英雄伝説) アーチャー スレナス 史実 秩序・悪 イラン(パルティア) ヤン・ウェンリー(銀河英雄伝説) アーチャー 源為朝 史実 混沌・中庸 日本(平安時代) 空条承太郎(ジョジョの奇妙な冒険・第三部) アーチャー アン・ボニー 史実 混沌・中庸 カリブ海 加藤茉莉香(ミニスカ宇宙海賊) アーチャー レッドライダー 概念 秩序・悪 『新約聖書』、あるいは世界各地 ナインボール・セラフ(ARMORED CORE) アーチャー エルナン・コルテス(弓) 史実 混沌・中庸 スペイン(カスティーリャ王国) 次元大介(ルパン三世) アーチャー 文醜 史実 中立・悪 中国(三国時代) ナッパ(ドラゴンボール) アーチャー ジャック・チャーチル(弓) 史実 中立・善 イギリス オールド・スネーク(メタルギアシリーズ) アーチャー コンモドゥス(弓) 史実 混沌・悪 ローマ帝国 No.54 反骨の闘士ライオンハート(遊戯王ZEXAL) アーチャー タロス 神話・伝説 混沌・善 ギリシャ神話 ウルトラマンゼロ アーチャー グノウェー 神話・伝説 秩序・善 オーストラリア(アボリジニ神話) 北条國子(シャングリ・ラ) アーチャー 聖徳太子(弓) 史実 秩序・悪 日本(飛鳥時代) 赤城(艦隊これくしょん) アーチャー 雑賀孫市 史実 混沌・中庸 日本(戦国時代) 尾形百之助(ゴールデンカムイ) アーチャー ベイリン(弓) 神話・伝説 混沌・中庸 アーサー王伝説 GGOキリト(ソードアート・オンライン) アーチャー エドワード黒太子 史実 秩序・悪 イングランド(百年戦争) ラインハルト・フォン・ローエングラム(銀河英雄伝説)) アーチャー 養由基 神話・伝説 秩序・中庸 中国(春秋時代) 那須与一(ドリフターズ) アーチャー 姜維伯約 史実 秩序・中庸 中国(三国時代) ホライゾン・アリアダスト(境界線上のホライゾン) アーチャー 紀昌(甘蠅) 史実 中立・善 中国(名人伝) 加賀(艦隊これくしょん) アーチャー 逢蒙(弓) 神話・伝説 中立・悪 中国神話 垣根提督(とある魔術の禁書目録) アーチャー ハンニバル・バルカ(弓) 史実 中立・善 カルタゴ ジョセフ・ジョースター(ジョジョの奇妙な冒険) アーチャー 雑賀孫市/鈴木重兼 史実 中立・中庸 日本(戦国時代) ロックオン・ストラトス(機動戦士ガンダム00) アーチャー テュポーン 神話・伝説 混沌・善 ギリシャ神話 雷刃の襲撃者(レヴィ・ザ・スラッシャー)(魔法少女リリカルなのは) アーチャー アレクサンドロス(P) 神話・伝説 中立・中庸 『イーリアス』 ベジータ(ドラゴンボール) アーチャー オーリーオーン 神話・伝説 混沌・善 ギリシャ神話 トリコ(トリコ) アーチャー ジャン・シャステル 史実 秩序・悪 フランス(ブルボン朝) 狩人(Bloodborne) アーチャー パラシュラーマ 神話・伝説 混沌・善 インド神話 ゴクウブラック(DRAGON BALL) アーチャー 羿(Apocalypse) 神話・伝説 秩序・善 中国神話 那須与一(ドリフターズ) アーチャー ニムロド(弓) 神話・伝説 中立・善 『旧約聖書』 クリストファー・ヴェルゼライド(シルヴァリオシリーズ) アーチャー 天探女 神話・伝説 秩序・中庸 日本神話 呉織あぎり(キルミーベイベー) アーチャー フリードリヒ大王 史実 秩序・善 プロイセン 西住まほ(ガールズ パンツァー) アーチャー サラ・パーディ・ウィンチェスター 史実 中立・悪 アメリカ合衆国 巴マミ(魔法少女まどか☆マギカ) アーチャー 源頼政 史実 秩序・中庸 日本(平安時代) 葦名弦一郎(SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE) アーチャー シャンゴ 神話・伝説 混沌・善 ナイジェリア(ヨバ王国) 台場カノン(GOD EATER2) アーチャー バジル・ザハロフ 史実 混沌・中庸 不明(近代) 喪黒福蔵(笑ゥせぇるすまん) アーチャー ポンパドゥール夫人(弓) 史実 中立・悪 フランス(ブルボン朝) エルフェルト=ヴァレンタイン(GUILTY GEAR ギルティギア) アーチャー ギーノ・ディ・タッコ 史実 中立・善 イタリア ティグルヴルムド=ヴォルン(魔弾の王と戦姫) アーチャー 藤原 成通 史実 秩序・中庸 日本(平安時代) マントちゃん(イナズマイレブンGO) アーチャー 四狗ジェルメ 史実 混沌・悪 モンゴル帝国 不死川実弥(鬼滅の刃) アーチャー オルヴァル・オッドル 神話・伝説 秩序・悪 北欧神話 白井黒子(とある魔術の禁書目録) アーチャー ベリサリウス 史実 秩序・中庸 東ローマ帝国 ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア(テイルズオブジアビス) アーチャー インドラジット 神話・伝説 混沌・中庸 『ラーマーヤナ』 ミュウツー(ポケットモンスター) アーチャー バインナウン 史実 秩序・善 インドシナ(タウングー朝) 脹相(呪術廻戦) アーチャー カラカラ(弓) 史実 混沌・悪 ローマ帝国(セウェルス朝) ホル・ホース(ジョジョの奇妙な冒険 3部 スターダストクルセイダース) アーチャー 吉備津彦命 神話・伝説 秩序・善 日本神話 シグナム(魔法少女リリカルなのは) アーチャー タイパン 神話・伝説 中立・善 オーストラリア(アボリジニ神話) パーサーナックス擬人化(skyrim) アーチャー フレデリック・アバーライン 史実 中立・善 イギリス(ハノーヴァー朝) 錦木千束(リコリス・リコイル) アーチャー ワイアット・アープ 史実 混沌・善 アメリカ合衆国 サンダウン・キッド(ライブ・ア・ライブ) アーチャー ヨセフ 神話・伝説 秩序・善 新約聖書(アーサー王伝説) レイシア(BEATLESS) アーチャー カスパール&ザミエル 神話・伝説 混沌・悪 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1 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 29 06 ID tiw+OcvT0 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2006/11/14(火) 13 26 14 ID cwVjzMAO0 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 前スレ 【みんなで】 中国名将百選 【決めよう】 http //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163478374/ 2 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 31 24 ID tiw+OcvT0 時代区分 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間) 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間) 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) 三国~両晋(220年~439年 219年間) 南北朝(439年~589年 150年間) 隋・唐(589年~907年 318年間) 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) 明(1368年~1644年 276年間) 清(1636年~1912年 276年間) 3 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 32 08 ID tiw+OcvT0 これまでのまとめ 春秋戦国 【確定組】 楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦 【候補】 墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、夫概、趙奢、士会、 趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾 統一秦~前漢 【確定組】 韓信、霍去病、衛青、灌嬰 【候補】 項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦 新・後漢 劉秀、耿エン、馮異、岑彭、呉漢、廉范、班超、張奐、虞[言羽]、賈復または馬援 三国~両晋 【確定組】 曹操、鄧艾、石勒、祖逖、王猛 【内定組】 周瑜、劉曜、慕容垂 【論争中】 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄、皇甫真 劉淵、劉聡、冉閔 南北朝 【確定組】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、 拓跋珪、高歓、宇文泰 【候補】 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達 赫連勃勃、拓跋燾、侯景(宇宙代将軍) 蕭道成、斛律光、陳覇先 隋・唐 【確定組】 楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用 【候補】 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、徐勣 李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬00 4 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 34 15 ID tiw+OcvT0 まとめつづき 五代~北宋・遼 【確定組】 朱温、李存勗、郭威、柴栄、趙匡胤、曹彬、楊業、狄青 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、 任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 【論争中】 耶律休哥 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、ココ・テムル 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道 張俊、呉?、呉リン、劉錡、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、拡廓帖木児(ココテムル)、呂文煥 明 【確定組】 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥 【候補】 朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁 呉三桂、李自成、鄭成功、馮勝、張輔、張士徳、馬芳 清 奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン) 康熙帝・玄燁、岳鐘琪、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン) 、宋景詩 、関天培、 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福 5 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 38 03 ID tiw+OcvT0 前スレより、考慮する武将について 7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18 47 07 ID 1kk6Cs2h0 5 いい加減その電波をはねかえせよ。 いつまで引っかかってんだ。 それはともかくとして… 中国というものの範囲だけど、土地的なもので言えば「中華本土」と呼ばれる範囲とするが、中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権、とすればよくはないか? 南詔とか西夏はどうなるんだろ… 詳しい人がいれば入ってもよさそうだけどね。 その規範でいけば、チンギス・ハーンの蒙古は除外するけど、中国風の国号となったフビライ・ハーンの「元」は含む。 また、女真は含まないが、「金」は含む。 あるいはキタイはだめでも「遼」はいい、と。 でないと、北魏はおろか隋や唐まで含まないなんてことになりそうだから。 漢民族だけが中国人ではない! で、国籍は出身国というより所属国で判断すればよろしいかと。 高仙之や李光弼は「中国の名将」としてランキングされるが、郭侃などは紹介はされてもランキング除外、とか。 そんなところでどうかな? 田中ヨッシが先鞭をつけているだけに、そうそう違う武将が出てくるとも思えないけど、どういう判断で紹介するのか興味深い。 8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18 57 59 ID yxgR08jb0 とりあえずみんなで何人かづつランクイン入りすると思われる人物の名前を上げていくか? いきなり100人づつ上げていくわけんもいかんしw 9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 00 31 ID jchs3O4hO 中原指向を持つかどうかで分けた方がよい 渤海や遼、西夏などは広義における中国文化圏と言えるけど 支那の地に入って中華帝国になろうとしなかったから中国じゃない 金や清は歴とした中華王朝 要は支那兵を率いれば中国の武将扱いでいいだろ 契丹人やモンゴル人を率いた武将が中国武将とはいえん 逆に異民族出身でも漢人を率いてれば中国の武将だ 10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 12 30 ID 1kk6Cs2h0 9 でもなぁ、遼は間違いなく中国兵を率いているぞ? 趙延寿や楊袞(名将とは言えにくいが)などは燕雲十六州に鎮した将だし、遼はキタイと漢人とを住み分けしてもいたし。 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 6 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/31(日) 19 38 34 ID tiw+OcvT0 11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 28 22 ID 2mD79BmXO 9 でもさ、中華戦線のモンゴル軍の中には漢人も多いんじゃなかったか? (モンゴルは現地の兵をよく使うし) 12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 35 28 ID yxgR08jb0 10 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 それも一理あるが、やはり遼や金を中国にいれるのは抵抗あるなあ 13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 37 28 ID 1kk6Cs2h0 12 名前に抵抗あるわなw 耶律とか述律とか完顔とか… それはわかるが、それだと漢人マンセーな田中ヨッシ風味満載になって、おれは構わないが、アンチが沸きまくると思うけどな… 14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19 43 36 ID yxgR08jb0 13 ただ抗金というジャンルがあるからね。 他の時代なら異民族の王朝だってほとんど違和感ないんだけど。 先入観かな? とりあえず境界は曖昧にして名前を上げつつ論じていった方がいいんじゃないか? 15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 20 31 35 ID jchs3O4hO 中国戦線における元の将はもちろん中国武将ですよ でも漢人でも西域で西域の兵で戦ったら、その戦績を中国武将としてカウントするのはアウト 郭侃は中国戦線の功績だけ評価 16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 21 39 04 ID yQpFrdGM0 所属国家というか王朝で判定するという手もある。 まず基本二十六史の大部分はそのまま認める。 で、遼とか金とか元とかは部分的に認める。中原進出を果たして以降を認める、 とか(これだと遼は除外だな)。 さすがに南詔とか西夏は外国でしょ。 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/01(月) 17 35 37 ID 3WnQHvm2O なかなか決まらんねとはいうが まがりなりにも清代まで1スレでいけば上々じゃないか 8 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/01(月) 18 44 41 ID F5OTQss+O あっさり決まってたらスレたてる意味ねーだろ 9 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/01(月) 20 31 18 ID XMB1xeLJ0 特定の時代を突出させることなく候補をそろえたのは大したものだ。 10 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/01(月) 20 33 50 ID 9S+FoeEn0 仕切り屋さんのおかげだな。 かの人は全時代に通じているわけでしょ。 おれなんか、限られた時代だけだもんな。 普通にすごいと思うぞ。 11 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/01(月) 23 31 01 ID H6cVVAJW0 時代区分は若干の変更があったんじゃなかったっけ? 12 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/02(火) 15 00 37 ID jqm9xRH00 元の脱脱って、ちょい微妙じゃないか? 元史の脱脱伝を一通り見てみたんだけど、 彼が兵を率いたのって 1若い頃に答里、刺刺の反乱軍に勝利。 (とは言っても、率いたのは元朝正規軍の精鋭部隊) 2芝麻里(李二)等の徐州紅巾軍打倒。 3大軍を以って張士誠を敗北寸前まで追い詰める。 の三回だけだろ、 しかも軍団の規模や兵の質は元朝の精鋭軍を率いている 脱脱側の方が賊軍よりもはるかに上だろうし・・・ 確かに百万を号する大軍を見事に率いた手腕は買っていいとは思うけど、 百傑に入るほどでもないと思う。 13 12 sage 2007/01/02(火) 15 02 38 ID jqm9xRH00 芝麻里は芝麻李の間違いね 14 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/02(火) 20 17 08 ID G1mKyYgN0 清は費英東の代わりに揚古礼のほうがいいんではないか。 あと、乾隆期の兆恵がいないのは疑問だ。 15 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/02(火) 21 28 26 ID fV/vyN6i0 ちょっとまってくれ。今はどの時期の話をするんだ? 16 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/02(火) 22 42 11 ID Xoojh3Au0 清代の候補が確定させるのが先決 4でOKなら、100人に絞る作業に移るってことだね。 その前に、時代区分の確定と候補者が重複や抜けが 無いかのチェックが必要 春秋戦国の候補で、呉起が抜けてるし。 17 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/02(火) 23 10 04 ID lSXc3gJ90 清の時代にはあまり詳しくないので、 阿巴泰、費英東、策稜、明亮、楊遇春、李長庚に どんな武功があったのか教えて欲しい。 18 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 02 38 01 ID isoS44jK0 阿巴泰~李長庚、遅くなったが紹介します。 阿巴泰(アハタイ) ヌルハチの第七子。崇徳元年、アジケらとともに明伐戦に参戦、五十六戦して全勝、10城を落とし俘虜10数万を獲る。 5年十月、再び明伐。88城を抜き6城を降し36万人の俘虜を得た。順治元年、饒餘郡王に進められる。康熙十年、敏と謚された。 費英東(フィヤントン) 清初の5大臣の一。天命三年、撫順の堅城を攻めたとき、敗戦ムードの諸将を叱咤して遂にこれを破り、太祖から「万人の敵なり」と賞賛された。 太祖の下で転戦し、「戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る」といわれた。「佐命第一の功臣」としてその功績は諸将の上に冠した。 策稜(ツェリン) モンゴル貴族。12歳のとき康熙帝に目通りし、その娘を娶る。 1715年、オイラートのツェワン・アラプタン侵入を撃退、ついで二十年、オイラートの大軍を破る。 同年扎薩克(官名。意味はよく知らん)となり、23年には多羅郡王に進む。 三十一年、オイラートが大挙して南侵、コブドに駐留する清軍を破り、清朝を脅かしたがこれを撃退した。超勇の号を賜る。 翌年、オイラートが性懲りもなく攻め入り、策稜の二人の息子を攫ったが、策稜は兵2万を率いて追撃、エルデニ・ジョーの会戦でオイラートを撃滅した。 1750年、没。祖廟に陪葬された。モンゴル人で祖廟に合祀されたのはのちの僧格林沁のみ。 明亮(ミンリャン) 1765年、伊犂領隊大臣として将軍・明瑞らに従い、回部・烏什の乱を平定。 69年、ビルマへ遠征して功があった。 71年、僧格桑が乱を起こすと将軍阿桂(アグイ)に従って奮戦、5年をかけて乱を平定、功により一等襄勇伯に任ぜられた。 79年、改めて四川提督を授けられ、伊犂将軍、鑲紅旗蒙古都統、刑部尚書、黒竜江将軍を経て正紅旗漢軍都統となる。 96年、ミャオ族の反乱平定に参加、同年末ミャオ族の首領石柳鄧を捕らえた。その後も各地の叛乱鎮定に奔走する。 1821年、老齢により致仕し翌年没した。奔放不羈な性格で軍を動かすのにも独断専行が多く、 しばしば罷免されたがそのつど許されてはただちに軍に復帰したことは、彼の軍略が当時の清朝になくてはならないものだったことを現している。 楊遇春 1784年、総督福康安(フカンガ)に従って甘粛のイスラム教徒の叛乱、88年、台湾の林爽文の乱、96年、ミャオ族の乱などに奮戦した。 フカンガ死後も白蓮教の乱平定に従って功があり、累功により一等男爵となる。 1828年、陝甘総督、伊犂将軍となってイリ、カシュガルを治めたが、三十五年、老齢と病気をもって致仕した。 結髪以来大小数百戦を経験し、かすり傷一つ負わず、人々から「福将」と賞賛された。 また毎戦かならず黒旗を持ち、楊家軍として恐れられた。 李長庚 海の名将。進士ながら内乱平定に功績があった。その残党が倭寇と一緒になって内海を脅かしたので海軍を率いてその討滅に力を尽くした。 1797年、福建海壇総兵となり、最終的には福建水師提督に昇進、海賊・蔡牽をしばしば破って勇名を馳せた。 官軍の水軍が頼りにならない中、孤軍よく戦って蔡牽を阻み、嘉慶帝の絶大な信任を得た。 しかし1807年、浙江提督としてまた蔡牽を追い、広東潮海の海上において交戦、敵勢力を追い詰めたが、流れ矢(鉄砲)に当たって戦死した。 ・・・アハタイとフィヤントン以外は正史読むのメンドイから自前の記憶と「アジア歴史事典」に拠った。もしかしたら抜けてる部分があるかも知れんが勘弁。 19 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 02 59 38 ID isoS44jK0 岳鐘琪と策稜は個人的に大好きなんだが、 康熙帝の武将って事で外してもいいかもわからんね。 曹操入れて張遼をはじくみたいな感覚で。 20 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/03(水) 04 14 49 ID LJBWto2n0 明亮が入るなら阿桂と兆恵も候補には入ると思う。 明亮はナルサスのモデルということでガイエが肩入れしてるだけで、 こいつ以上の武功を立てた同時代人はいっぱいいる。 19 策稜は清朝随一の名将だと思うので外すのはちょっとためらいがあるなあ。 21 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 14 34 53 ID icNFhde00 選考段階で「それ誰?」とかないように、アゲイとジョーホイの略歴も置いとく。 阿桂(アゲイ) 1717-1797。字は広庭。姓は章佳。最初満州正藍旗、1763年以降は武功により満州正白旗に属す。38年(乾隆三年)の進士。48年、兵部尚書班弟に従って金川を討った。 55年ジュンガル征伐に参与、ウリヤスタイに赴き兵站の事務を司った。翌年父の死により北京に帰ったが再び軍務に戻った。参賛大臣としてコブドに駐屯し、 さらに回部の平定に従い、イリ地方の屯田の事務を管理して功績を挙げた。63年、北京に帰り軍機大臣を授かり太子太保を加えられた。65年回部ウシの平定に赴き、 67年伊犂将軍となった。翌年経略使傳恒のもと副将軍としてビルマに出征、しかし戦果は上がらず、71年転職させられた。この年から 副将軍温福とともに金川征伐に乗り出し、定辺将軍を拝して73年にまず小金川を、76年には大金川を平定した。 この大功をもって誠謀英雄公に封ぜられ、再び軍機大臣に返り咲いた。 その後黄河の治水などに尽くすとともに、81年の蘭州、84年の石峰堡でイスラム教徒の反乱を平定して軽車都尉の世襲を許された。 さらに台湾の林爽文の乱やグルカ族の平定にも参加した乾隆期の名将。1797年没。文成公と謚された。 兆恵(ジョーホイ) 1708-1764。満州正黄旗の人。姓は呉雅。1737年、兵部中郎となる。その後内閣侍読学士、内閣学士、盛京刑部侍郎兼摂兵部事、正黄旗満州副都統、 鑲紅旗護軍統領などを歴任するも、48年事件に連座して免職留任に処された。同年六月復権、戸部侍郎となり、8月から翌年にかけて金川の軍糧を督辦した。 50年、正黄旗護軍統領嚮道統領を授かる。53年、チベットに赴きジュンガル部防衛の任に当たった。54年、ジュンガル部のアムルサナが降伏して ジュンガル攻略の策を献じたので、乾隆帝は大軍を派遣した。ジョーホイはこの征伐戦に従い、北路の軍務を協理し、糧秣、兵站を統括した。 55年3月、ジュンガル部を降して功があり、十月には北路の兵站を総括した。ここでアムルサナが叛いたので乾隆帝はジョーホイを総大将とした大軍を編成、 56年3月、アムルサナを討ち、ふたたびイリを征服し、ブルハン・ウッディーンとホージャ・ジハーン兄弟を追ってパダフシャンで殺し、ジュンガル地方を完全に 平定した。この結果アフガニスタン、コーカンド、タシケントなどが相次いで朝貢国となった。功により領侍衛内大臣戸部尚書兼鑲白旗漢軍都統を授けられ、 60年には御前大臣となった。その後江南、直隷などの水利事業を監督し、64年北京で没した。謚は文襄。 22 20 sage 2007/01/03(水) 15 28 18 ID LJBWto2n0 21 すげー、アジア歴史事典持ってるのか。裏山。 フォロー感謝です。 23 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/03(水) 15 53 23 ID YPFWvRn10 自分が気にいった時計がアゲイ 24 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/03(水) 21 30 44 ID hzmG0o490 18 21 サンクス。 この中で決定は阿巴泰、策稜。 候補は楊遇春、李長庚、明亮、兆恵、阿桂。 選外は業績不詳の費英東かな。 25 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 21 58 37 ID KkDIyuIb0 24 ヌルハチとドルゴンがいるでしょ。 まぁドルゴンは戦術的才能より政略・戦略の才能に長けるタイプだから外れても仕方ない気はするが。 あと、康熙帝と岳鐘琪もね。 康熙帝もドルゴンと同じで政戦略に長けるタイプだから、岳鐘琪を残したほうがいいんかな。 岳鐘琪=清朝唯一の漢人大将軍。漢人ながらその統率力と人望は満州人からも崇拝された。 26 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 22 00 00 ID KkDIyuIb0 あ、18と21で名前挙げた中での選抜か。ならそれでいいや。ごめん。 27 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/03(水) 22 36 06 ID 2CuDKY29O 25 ヌルハチ入れちゃったら既に資格無しと弾かれた征服王朝の征服前武将のヲタが怒り狂うだろ 28 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/03(水) 22 50 44 ID KkDIyuIb0 清朝は後金含むじゃなかったか? と思って読み返してみると、後金含むとはどこにも書いてないなぁ。 ヌルハチ、哀れにも失格か。 29 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 00 22 56 ID Y2s3c1T8O 28 参加資格は ・中華本土に領地を持つ ・中華風の元号・国号を使う この二つを満たしている時期の政権に所属していた武将という事だったはず ヌルハチが前者の条件を満たしていると言うのは厳しいのでは? 同じ女真の完顔阿骨打も駄目って言われているし 30 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 00 30 33 ID fy6tV2150 だったら費英東も失格だな。 31 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 00 40 16 ID hp8B4y9B0 西夏も中国本土に食い込んでたりするが。。。。 32 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 00 57 23 ID X/dCpkK30 残念だけど、西夏は単体の歴史書が二十六史に入っていないから、今回このスレ的にはアウト。 遼も燕雲十六州得て以降に限定するだろうし。 33 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 02 19 55 ID Y2s3c1T8O 32 専門外だからよく知らないんだけど、五胡十六国って二十四史から漏れてたりしない? 34 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 09 29 31 ID oXDBTh0w0 五胡十六国は入ってないね 35 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 09 33 46 ID oXDBTh0w0 33 二十四史に限定したら清も入らないんだけどね 36 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 11 20 43 ID eulKXP3p0 29 その条件は、個人的には「中華本土に本拠を置いた政権」にするべきだと思う。 でないと、遼を入れて西夏を外す理由にならない。 この条件だと、清は入関以降、元はフビライ以降(もともと国号・元号の点からして そうなるが)となるが、ただ問題は金で、海陵王以降になってしまう。 37 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 12 00 03 ID p+rBjct70 仮に西夏を入れるとしたら名将って誰がいるの? 李元昊くらいしか知らないんだが 38 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 12 00 54 ID X/dCpkK30 33 晋書に伝があるからいいんでないの? それ言ったら、五代十国の十国さえも入らなくなってしまうし。 五胡流入のとき活動した地域は、京兆畿内を中心としてるわけだし、西夏などおよびもつかないでしょ。 39 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 12 10 06 ID p+rBjct70 五胡十六国でまとめられちゃうけど、よく考えれば 前秦やら前燕やらは入るけど北涼や西涼はアウトということになるのでは 40 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 12 48 55 ID Y2s3c1T8O 36 遼の本拠地は中華の外じゃなかったか? いまだと内モンゴルになる 41 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 14 46 21 ID X/dCpkK30 40 だけど、清朝期に公認された「正史二十四史」の中に「遼史」は入っている。 中国王朝が遼を中国王朝と認めているわけだから、とやかく言うことはないとは思うが、それでも違和感あるので、陰山以南で活躍した人物だけあげようとしている。 ちなみに、清朝を入れるために「二十六史」をもって中国王朝の枠組みの基本とすればいいと思う。 でも、上記のようにできるだけ中華本土での活躍に絞りたい。 西夏も入れてもいいんだろうけど、遼と違って京師を陥落させ、一国を滅亡させるほど攻め込んでないし… 吐蕃も長安陥としているけど、すぐ取り戻されてるしな。入れるには抵抗ありすぎだから。 42 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 16 31 46 ID d6ZjjZTC0 劉邦は候補に入るほどの人かな もちろん凄い人だけど軍事に入れるのとは違うような 司馬イが入らないのは意外 候補に入れていいと思います 43 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 17 21 47 ID uRnUt6Zl0 42 とりあえず前スレを読んでくれ、としか言えんな。 44 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 18 00 52 ID ApxA3iCi0 西夏は正史(のような物)が無いので名前の挙げ様が無い。 精々、 37の言うように李元昊くらいしか出てこない。 45 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 29 34 ID NMt0QMNpO 中華内で戦ったに限定すると衛青や高仙芝はアウトにならない? 46 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 37 37 ID 5FfnHFZm0 高仙之は国内で安録山と戦ってるよ。 47 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 39 22 ID oXDBTh0w0 これの宰相(政治家)バージョンも作ろうぜ 48 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 39 30 ID ApxA3iCi0 対遊牧国家で活躍した武将を外すのは厳しい。 高仙芝は元の郭侃と同レベルに考えるとアウトかな? でも最後の戦歴は中華内での安史の乱だからな~ 49 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 43 48 ID ApxA3iCi0 47 明の李善長みたいな文官タイプか? 50 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 46 03 ID CXfziSWK0 西域で戦った武将も外したくないな。 51 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 19 58 26 ID iCF4IRjb0 宰相バージョンほしい ただ、宰相の場合100人も選ぶと微妙なのも入るかもよ 白眉は一時代に2,3人じゃない? 52 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 20 08 07 ID ApxA3iCi0 確かに名宰相となると一王朝で十人は無いな。 春秋戦国だと管仲・子産・商鞅・李斯と多いが 明や清になると 51の言うように2、3人くらいしか出て来ない。 53 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 20 09 14 ID oXDBTh0w0 49 朱元璋乙 51 もちろん皇帝からも選ぶ 54 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/04(木) 20 17 31 ID CXfziSWK0 47 51-53 立てたぞ。 【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】 http //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167909324/l50 55 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 20 57 01 ID NMt0QMNpO 高仙芝の国内の戦績じゃやっぱりアウトだな 56 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/04(木) 22 02 50 ID E57e1IaHO 42 劉邦は統一後、自ら親征して反乱を鎮圧している。 (候補に入れても問題は無いだろう) 司馬懿はどちらかと言えば陰謀家で文官か軍師が司令官として戦場で采配を振るったのに近くないか? 用兵能力の凄さは認めるが名将の部類に入るとは思えない。 57 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/04(木) 23 38 08 ID Y2s3c1T8O 48 そもそも郭侃が入ってないのは時代的な問題が大きいのでは? モンゴル帝国の国号が元になった後も活躍していないとは言わないが、やはり世代が一つ前だろう 58 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 00 47 47 ID NsywhEyk0 56 ムリムリ。 たかが、一地方の反乱に帝国の全力で当ったのに、その親征で矢傷を負ってるし、 当たり所が悪けりゃ死んでるww 後は、対項羽・対冒頓単于とか負戦が多い。 候補入りは厳しくないか? 59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 01 13 26 ID qGtnEJwf0 質問ですが 白村江の戦、文禄慶長の役で戦った中国の将は誰一人として入らない? 語れるべき人がいないのかな 60 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 09 42 34 ID dElCpDPa0 59 仕事前にいっちょ書き込み。白村江の戦いで日本軍を覆滅したのは劉仁軌。 戦勝したあと前任の劉仁願いに代わって百済鎮撫の任につき、 668年、李勣の副将となって高句麗平定。674年、新羅を攻めて大勝した。 功績により文昌左相同固閣鸞台三品となり、685年没した。 ・・・この人を入れたいという有志は結構いたが、人数制限で泣く泣く削るはめに。 次、文禄・慶長の役。 秀吉の朝鮮出兵に対し4万の兵を率いて朝鮮入りしたのは李如松。 1593年、平壌で小西行長の軍を撃破、しかし連勝に驕り、 碧蹄館で小早川隆景の軍に大敗して命からがら逃げ墜ちた。 その後和議を主張して事態を収拾、同年末帰国した。 1597年遼東総兵官に任ぜられ、翌年土蛮の侵攻を迎撃、長躯その本拠を突いたが、伏兵に遇って戦死した。 ・・・この人は候補にも挙がってないけど、明朝廷の一流将帥って訳でもないから仕方ないか。 61 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 10 50 29 ID cx2UuNYZ0 60 李如松の父親の李成梁は候補に挙げられてたけどね(なぜか選考漏れに) やっぱり、実績が伴わないとこのスレでは不利 逆に一発屋も不利なんだよね 名将百選でなくていいから、各時代に一名「一発屋」枠が欲しいな 瞬間最大風速を記録するようなバカがどの時代にも何人かいるじゃん こうすれば宇宙大将軍もこのスレに名前を残せ(ry 62 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 12 24 59 ID ne0XULCqO 59 李如松以外の参戦主要武将 文禄の役 祖丞訓・栄応昌・李如伯・李如梅・李寧・大受・楊元・張世爵・沈?敬 慶長の役 麻貴・楊鍠・劉テイ・董一元・陳リン・高策・李芳春 詳しくは 60に任せます。 63 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 18 46 09 ID PWrAjd9/0 帰ってきたらいきなり任された。 それはともかく、伝なしの人はムズいんだよ。 アジア歴史事典にも東洋歴史大辞典にも載ってない人はいっぱいいるわけでね。 改めて《明史》を読み返さにゃならんし。 読み返しても一行だけで済まされてる人もいるし。 まぁとりあえず史書と格闘するんで、1、2時間ください。 あと、謝罪。 自分、前スレ905で「元末群雄はアクの強い魅力がないから擁護する気にならん」などとのたまった大バカですが、 全然そんなことないね。江南三大勢力の虚虚実実の駆け引きとか、勇将謀将の活躍とか、隋末唐初の群雄たちに まったく劣らないということをつい先日理解しました。知らなかったとはいえご無礼の程、平にご容赦していただきたい。 ところで帰り道に本屋で「巨商 沈万三」を勝ってきて、まだちょこっと(一話だけ)しか読んでないんだけど、 虚構と真実、どれくらいの比率で読んだらいいんかな? 64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 19 07 23 ID 7jfsM0F70 63 沈万三読んだけど、これは殆ど虚構。 身も蓋もないこというけど、そもそも沈万三はこの時代既に亡くなっています。(生きていたとしてもかなり高齢) 元末当時活躍していたのは、沈万三の息子世代だそうです。 65 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 19 22 08 ID PWrAjd9/0 64 情報感謝。 ほとんど虚構か。 まぁ、エンタテインメントとして楽しむ方向ならOKだわな。 少なくとも塚本作品よりは面白いだろうと。 何故か職場近くの紀伊国屋は中国史コーナーに塚本氏の本ばっか置くから困る。 66 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 20 13 39 ID 0PrrZ7jxO 前スレでは各時代煮詰めきれないまま先に進んじゃったから 前スレの評価を叩き台にして、もう一回最初の春秋戦国から議論していかない? 67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 20 30 47 ID leqmxDSA0 それより先に時代の区分と中国の武将を明確に定義しないと 後から揉める。 68 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 20 35 30 ID bkAe1TwC0 劉綎(テイ)って、「抗清名将」の一人ですよね?「劉大刀」の綽名を持ち、 清軍と戦って戦死した…。でも、この人は猛将に分類した方がいいのでは。 父親の劉顕も一緒に。 というか、劉顕は江南で活躍したけれど、戚継光・愈大猷と同時期なのが ネックですかね。賊軍の数十人を素手で格殺したりとか、印象的な エピソードには事欠かないんですが。 あと、王崇古は文官で扱った方がいいですか? アルタンと丁々発止を繰り広げた人ですけど…。 横レスごめんね 66 69 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 20 38 16 ID PWrAjd9/0 翻訳完了・・・精度低いけど。 文禄の役の将帥 祖丞訓 字、号、生没年全て不詳。萬暦年間中遊東副総兵となり、対北虜戦に活躍。 同20年(1591)、朝鮮の役が起こると騎兵三千を率いて平壌に入った。しかし 城内は隘路が多く、騎兵隊の機動力が殺され、城壁に上った日本軍の鉄砲掃射を浴びて 殺傷されるもの多数。生き残りの兵とともに退却し、遼東に帰還した。 日本軍と最初に交戦した将軍。 栄応昌 萬歴20年、祖丞訓の失敗を踏まえて対日本戦の戦略を建議した。現地でも活躍するが 糧秣問題に苦しめられる。李如松とともに召し還された。 李如伯 李如松の弟。この人も父に従って北虜討伐で活躍していた。薊州副総兵、寧夏総兵官、 右都督などを歴官。朝鮮の役において日本軍を思う存分ぶちのめした。 のち病を得て帰国、20年ほどひきこもったのち、遼東総管の任を授かってしばしば清軍を蹴散らした。 李如梅 李成梁の第三子、李如松の弟。遼東副総兵、代総兵官、左府倹書などを歴任、兄に従って日本軍と戦い、 功があった。兄が戦死するとその職を継ぎ、兄を上回る用兵手腕で日本軍を恐怖させたが、宮中で弾劾されて 罷免された。成梁の子の中では如松が最も勇敢で父の風があり、如海はそれに次ぐといわれた。 李寧 克力蓋が河套の日本軍を攻めたとき、逃げ去る日本軍を追撃、殺戮戦を繰り広げた。さらに日本軍と連携して 邪魔をする倭寇を撃破。査大受とともに精兵三千を率いて東江の小道に潜伏、小道を通る日本兵を襲撃して360人を殺した。 祖丞訓とともに開城に屯した。 査大受 命を受け、決死隊を率いて日本軍の兵糧を焼き毀した。活躍シーンはそんだけ。 楊元 李如松の副将。命を受けて小西門の城壁を登り、大西門を登った李如松と連合で火器を一斉掃射、日本軍を殲滅した。のち、日本軍に身を投じようとした沈惟敬を捕らえてぶっ殺した。 張世爵 不明。まったく分からん。 沈惟敬 奸臣。兵部尚書石星を篭絡して朝鮮入り、敗戦ムードが色濃くなると 日本軍の先鋒小西行長と会見を開いて和議を結び、翌年、自ら名護屋に 赴いて盟約を結ぼうとするも上手くいかず、しまいには朝廷から国賊扱いされて 楊元に捕らわれ、斬首のうえ棄市された。 ・・・結構苦労して調べたんだが、張世爵はなにしたのやらさっぱりわからん。 慶長の役 英雄善戦、の四文字が頼もしい勇将、麻貴は万歴十九年、寧夏で叛乱を起こしたホバイを討伐。 25年、対日本防備の総兵官となり、朝鮮に赴く。兵を三路に分かち、左路を李如松が、右路を李芳春と解生が、 中路を高策がそれぞれ指揮して進軍したが、加藤清正、小西行長の前に敗れる。万歴二十七年(?)将兵を九路に 分かち、進軍したが小西行長の軍に大敗し、楊鍠などは日本軍の旗を見るだけで恐懼した。怒った朝廷は楊鍠の官職(経理) を奪い、贖罪として麻貴に戦功を求めた。麻貴は劉綖、陳璘、董一元とともに出陣、軍を4路に分かち、東軍は麻貴、 中路は董一元、西路は劉綖、水軍を陳璘に任せて総勢14万2千人の大軍で日本軍に対した。 しかし戦況は芳しくなく、劉綖は小西行長に敗れ、麻貴も蔚山を抜こうとして果たせず、董一元は島津義弘のために破られた。 秀吉の死により日本軍は撤退し、明王朝はかろうじて面目を守ったが、官軍の弱体化は覆うべくもなかった。 ・・・長文で一個にまとめてみた。一応麻貴、楊鍠、劉綖、董一元、陳璘、高策、李芳春の7名カバー。 翻訳下手だからなー。間違ってる部分もあるかもしれん。そんときはご勘弁。 70 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 21 36 21 ID PWrAjd9/0 時期的には蒙古と元、後金と清はできれば一緒がいいな。 これなら現行の時代区分にそれほど手を加えることなく変更できる。 あと、中国地付きの人で西域遠征した人は認める(衛青とか)。 最初から中国国外に生まれ育った人は除外(郭侃とか)。 で、26史に入ってる国家の将は基本オッケー(耶律休哥とか)。 個人的な意見はこんなとこ。 71 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/05(金) 22 49 06 ID ToYMpIv00 70 郭侃は華州鄧県の人。思いっきり中国地付きなわけだが。 72 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 22 54 11 ID PWrAjd9/0 71 あれ、西域でばっか活躍してるから向こうの生まれだと思ってた。 でもあそこまで西域で戦って中国に戻ってちまちま戦っても、なんか違うなぁ。 73 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 22 58 57 ID ne0XULCqO 69 お手数掛けまして申し訳ないです。 張世爵について 1593年の碧蹄館の戦いで李如松を大将とする明軍で 副総兵として右軍を率いたぐらいの情報しか見当たらない。 自分も今日、図書で世界人名辞典を見てきたが余りの分厚さにビックリした… 貴殿はアジア歴史辞典を所蔵とは凄いですな!! でも古本で値段が10万前後とは…orz 74 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 22 59 32 ID PWrAjd9/0 それでもフラグ汗の遠征前にはスブタイに従って汴京陥としたりしてるのか。 中国でもそこそこ頑張ってたんだな、郭侃。 75 59 sage 2007/01/05(金) 23 06 28 ID qGtnEJwf0 お答えしてくれてありがとうございます 白村江も文禄慶長もネットで調べても余りありませんね 劉仁軌はなかなかの良将みたいですね、他の将は分かりますか? 李如松は猪突猛進型みたいですね 76 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 23 38 13 ID PWrAjd9/0 75 さすがにネタ切れ。ご期待に沿えず申し訳ないです。 77 59 sage 2007/01/05(金) 23 51 23 ID qGtnEJwf0 76 いえいえ、沢山の情報をありがとうございます 78 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 23 54 54 ID PWrAjd9/0 70 自分で書き込んどいてなんだが、中華国外で生まれ育った人はアウト、はいかんな。 遼、金、モンゴル、元、後金、清の武将を否定することになるもんな。 まぁアレだ。俺はこーいう調整役には向いてないってことがわかった。得意な人に託すよ。 79 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 01 07 43 ID rd3NDjjq0 「中国に領土をもち中華王朝の体裁を整えた国の武将」という条件で選んでいたので 衛青や五胡はセーフだが郭侃はアウトになったんじゃなかったっけ? あと、遼・金は曖昧だから中国内部で戦った武将のみに限定していたはず 80 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 01 16 10 ID aSdIOMOo0 79 うん、 70にいらんこと書いただけ。お気になさらず。 81 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 12 13 58 ID ZzP7/Zjf0 時代区分と中国名将の定義。 難しいな、今まで散々議論してきたのに不安定なままだというどけはある。 とりあえず南宋・金・元時代にトゥルイとスブタイ入れたいなぁ。 一応中原国家の金に侵攻して最終的には金を滅ぼしたんだから、可能性はゼロじゃないと思うが。 82 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 12 25 47 ID NC+j6Ai60 とりあえずカタカナの連中はちょっとな 83 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 12 34 29 ID LaAcgcRh0 連投。 「中華王朝の体裁を整えた王朝」の武将ってことだと完璧にはじかれるんだよな、モンゴル武将は。 でも中国の支配権は漢人だけに与えられたものじゃないし、なんとかならんかな。大元王朝の母体としてってことで。 84 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 13 16 02 ID LaAcgcRh0 また連投。モンゴル武将オッケーでの南宋~清まで30人(ほとんど前に出した叩き台とかわらんが) 【南宋・金・元】 宗沢 完顔宗望(オリブ) 岳飛 完顔宗弼(ウジュ) 拖雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ) 孟珙 忽必烈(フビライ) 伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 【明】 拡廓帖木児 張士徳 徐達 常遇春 馮勝 朱棣 馬芳 戚継光 兪大猷 袁崇煥 【清】 阿巴泰(アハタイ) 多爾袞(ドルゴン) 康熙帝・玄燁 岳鐘琪 策稜(ツェリン) 楊遇春 僧格林沁(サンゴリンチン) 宋景詩 李長庚 関天培 うん、ほぼ前回どおり。南宋・金・元でやたらモンゴル人優遇措置をとってるが、これでこそ抗元大将孟珙の真価が発揮されるというもの。 ま、勝手な30選だからスルーは覚悟。でも一考ぐらいはしてほしいな。 85 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 16 55 38 ID toCE7Jzc0 多爾袞は政治家であって馬上の将軍ではないと思うが・・・ 実際に軍隊を率いているのは確かだが、名目上の総司令官。 同様に康熙帝もモンゴル親征してはいるが、結構接戦だったし、 実際の前線は配下の将軍が指揮していた。 86 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 19 22 39 ID Xk2IkBWV0 84 王保保は元の武将なんだからどう考えても元だろ。 87 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 19 44 15 ID nClBpJ/Y0 86 拡廓帖木児を元に入れるとしたら、外すのはやっぱ忽必烈かな。武将というより大政治家。 ともあれ、蒙古の二人は外したくないんよ。 金軍精兵100万を覆滅したトゥルイに、汴京を陥として完顔陳和尚を殺したスブタイ。 でもこの二人のどっちか外せっつったらスブタイかな。戦功が中国史より世界史により多い。 ま、あくまでモンゴル武将OKという仮定の話だけどね。 明、清はまだ煮詰める必要ありそうだな。多爾袞、康熙帝を外したら他に誰を入れるかとか。 88 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 20 12 54 ID sl6cnp3K0 84 朱元璋は前スレから議論が激しかったが、やはり入れるべきだと思う 1356年 集慶路攻略 1360年 応天府での陳友諒撃退 1363年 ハ陽湖の戦い→陳友諒勢力撃滅 一連の戦績を追っていけば、配下の将たちの活躍も当然あるが、 やはり勝利を収めることができたのは、総司令官としての朱元璋の 戦術、指揮能力が優れていたからに他ならない 戦略的失敗を指摘する声が、前スレではあったが それを戦術的勝利で挽回できたことこそ、朱元璋が将軍として優秀であった ことの証左と言えないだろうか? 馬芳って馬林の父親だよね? 詳しい功績あんまり知らないんだが、やっぱ李文忠外すくらい名将? 89 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 20 41 54 ID nClBpJ/Y0 88 馬芳と李文忠比べたら正直李文忠のほうが上かも知れんが、6王からのエントリーが多すぎるとなんなので避けた。 あと、戚継光、兪大猷ら海の名将(戚は北虜とも戦ってるが)に対して陸の名将代表ってことで。 膳房堡、朔州、登鷹巣、鴿子堂、龍門、万全右衛、東嶺、孤山、土木、乾荘、岔道、張家堡、大沙灘ほか各地を転戦して生涯負けなし、 兵卒から大帥にまで成り上がり、「未だかつて大勝せざるはなし」とか「斬首無数、威名辺境に轟く」とか賛嘆されてるのは十分名将の名に値するかと。 ただ、知名度と歴史に与えた意義は少ないよな。前スレでも言ったけど、歴史を決めたのはやっぱり呉三桂。 だから呉三桂と変えてもいいんだけど、まぁ好みで。 90 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 21 05 49 ID nClBpJ/Y0 89つづき 土蛮が叛乱を起こしたとき、兜を外して見せたら「げぇ、馬芳!?」で土蛮が一斉に逃げたとか、それを追撃して殲滅したとか、 宣府太守のとき山西に北虜がちょっかいを出すと軍を率いて一日に500里を踏破、一気に戦闘に持ち込んで7戦7勝したとか、 辛愛率いる10万の衆を一戦にして壊滅させたとか、特に顕著な武功はそんくらい。 北虜も馬芳の軍を前にすると恐懼して逃げ去ったほど。 知略にすぐれ、かつ勇敢。間諜を使って敵の内情をよく探り、戦陣にあっては士卒に先駆けて突撃した。 ・・・うん、李文忠に負けてないかも。 91 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 09 21 ID L8Z3YMRa0 ぶっちゃけ現時点で他時代も【確定】【内定】【候補】に別れてるんだから そんなに頑張って10人に限定しなくてもいいと思うが 92 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 09 34 ID DPNbxxO50 荒れそうな話題ですまないが・・・ 中国と韓国が争ってる互いに自国の歴史と主張している高句麗の扱いはどうしようか・・・? 一応今の中国の領内ではなるが・・・・。 五胡の時代にはかなりの漢人が亡命してるし 前燕にボコボコにされたり、 隋唐と死闘を繰り広げたり、関わりが深い。 荒れそうだったらスルーでいいが 93 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 21 15 34 ID nClBpJ/Y0 91 特に10人確定、にこだわってはないよ。 とりあえず10人出して、確定数名を選出、残った分は入れ替え候補として待機、というのが基本スタンス。 みんなそれぞれ思い入れのある武将がいるだろうし、そういう声は逐一取り上げてスレに反映させるべきだと思う。 なにせ【みんなで作る】【名将100選】なんだから。 94 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 17 35 ID sl6cnp3K0 89-90 サンクス、前スレで連戦連勝みたいに言われてたので戦績が分かって納得 タイプ的に、唐代の裴行倹、蘇定方みたいなポジションか 一兵卒からってのがポイント高いなあ ここまでの【確定】の連中はこれでいいのか? それとも春秋戦国から吟味しなおすか? 95 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 20 09 ID VpdbGzYD0 とりあえず、清代は暫定候補を決める。 その他の時代は、このスレになって出てきた候補を まとめる。 その後、名将と時代区分を明確にするってやらな いと、元代あたりは、特に決まらないぞ。 96 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 21 25 52 ID nClBpJ/Y0 とりあえず清朝の候補として、施琅を挙げとく。 清朝初期の制海権はこの人が一手に引き受けてたようなもんだし。 97 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 27 42 ID /kqhpNxH0 92 二十五史に入ってないので除外で問題なし。 98 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 36 40 ID X6hnm7wKO 92 マンチュリアを中華地帯なんていうのは中共くらいだし、高句麗は駄目でしょうね 99 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 42 41 ID eJs9ob1k0 ・五胡十六国のうち僻地の国 ・遼 ・西夏 ・金 ・モンゴル ・後金 あたりのどっからどこまで含めるかが問題だな 100 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 21 46 47 ID nClBpJ/Y0 モンゴル頼む!! オゴタイ時代以降の金伐戦以降でいいから。 101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 21 48 20 ID VpdbGzYD0 100 まず、自分から案を出すべきっす。 102 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 22 01 58 ID pq9LO3/Q0 明代の候補に秦良玉は入らないかのう? 103 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 22 05 54 ID nClBpJ/Y0 101 了解。やってみる。 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間) 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間) 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) 三国~両晋(220年~439年 219年間) 南北朝(439年~589年 150年間) 隋・唐(589年~907年 318年間) 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) 明(1368年~1644年 276年間) 清(1636年~1912年 276年間) まずこれが現在の時代区分だろ。 こっからオゴタイ以降のモンゴルと後金を入れるなら・・・。 清(後金含む)で天命元年(1616~1912)とするだろ。 で・・・モンゴルは難しいな。時代的には問題ないわけで、拖雷たちをどう中国武将と位置づけるかだからな。 とりあえず、先にも言ったように中原国家の金に進出=中華志向、といえれば楽なんだけど、 モンゴルの場合ひたすら貪欲な征服欲に突き動かされて戦いまくるだけだからな。 最初の頃は漢民族を皆殺しにして中原で遊牧しようとか言ってたし。 それでもモンゴルの台頭自体が中華王朝・金にとっての脅威であって、 中原を脅かして最終的に征服王朝・元を打ち立てた最初の一歩、布石が拖雷、速不台の金伐にあるとすれば、モンゴルを入れてもいいのでは? さすがに苦しいかもしれんが、拖雷も速不台もちゃんと26史に載ってるわけだし、戦功も赫々たるものがあるし、あっさり切り捨てるのはどうかと。 104 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 22 19 46 ID VpdbGzYD0 103 変な言い方だが、元の中国にあたる地域=明の支配地域で 良いんじゃないかと。 大雑把に言って、クビライ家の世襲領のうち、モンゴル高原と朝 鮮を除いた地域って感じかな。 105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 22 23 37 ID MjGsMEJj0 103 隋と南北朝はあわせることにしたんじゃなかったっけ?あれは提案だけだったか? 106 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 22 30 23 ID nClBpJ/Y0 105 多分提案だけだったはず。 南北朝は150年と短いながら多士済々だから、隋まで一緒にするととんでもなく絞る必要が出てくる。 107 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 22 34 22 ID nClBpJ/Y0 102 入らないか? じゃなくて候補に挙げるよ、って宣言していいと思うよ。 秦良玉は確かに名将だし、候補が多けりゃ時代ごとに10選するときあぁこの人どうするかなぁ、って悩む楽しみも出てくるし。 108 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 22 58 38 ID nClBpJ/Y0 104 ごめん、何度か読み返したがよくわからん。多分俺がバカタレなんだろうけど、明代の話か? 僭越ながらバカにも分かる説明お願いします。 109 104 sage 2007/01/06(土) 23 04 22 ID VpdbGzYD0 108 ごめん、俺の日本語が不自由なだけなんだ。 元の支配地域というか、元代の武将が活躍した範囲の つもり。意味不明ならスルーして 110 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 23 13 40 ID nClBpJ/Y0 109 OK了解、把握した。 ところで現時点でモンゴル人武将を入れてもいいと考えてる諸兄、どのくらいいるのだろうか? 今板にいる人たちのご意見を聞きたい。 111 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/06(土) 23 18 34 ID MjGsMEJj0 個人的には中国の武将じゃあないだろうと思う。 112 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 00 05 13 ID PFqy+Fj90 アレで、耶律休哥とかと同じ感覚で許可してくれないかなぁ。 しかし向こうは漢化された文明をもってたけど、 モンゴルは野蛮人集団でろくに文明をもたなかったのが痛いか。 それでも拖雷、速不台は惜しすぎると思うんだが。特に拖雷が金の精鋭100万人を 潰滅させなかったら金王朝はもうしばらく命脈を保ったと思うんだが、それでも駄目? 113 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 00 11 56 ID bX4fkhOy0 モンゴル系は元朝期に活躍したやつだけで充分。 清も入関以後。 遼も要らんな、正史があるじゃないかとか言っている奴がいるが、 編纂したのが中国史上でも異質な元朝だということを考えて言っているのか? 漢民族王朝が編纂すれば、金はどうなったか知らんが、 遼はほぼ確実に周辺諸国扱いになったろう。 114 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 00 15 45 ID 0+8myHFo0 清が入関以後なら、確実に多爾袞は外れるなあ・・ すでに政治家で、実戦なんてやらなくなってるし。 115 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 00 21 42 ID sk35tW3T0 112 「中国で活躍した名将」を挙げるスレだったら問題ないよ。でもここでは中国王朝に 籍をおいた人物って定義がなされているのだから、元以降はともかくそれ以前の 人たちは無理があるでしょ。おなじ理由で、入関以前の清(後金)も無理でしょ。 たとえば日本史の名将を挙げるときに、江戸以前の琉球の武将を「日本の武将」だって 入れられますか?仮の話ですが、琉球の武将が侵略してきて九州を占領したとしても、 それは「琉球の名将」であって「日本の名将」とはいえないと思うのです。 琉球が日本に編入されて以降なら、問題なく沖縄出身の日本軍人でいいと思いますが。 116 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 00 31 38 ID 4nWwK0O60 余計なことだったらスルーして欲しいんだけど。 中国での軍功って3つに分類できると思う。 1 騎馬民族または大国などの強大な勢力に対抗した。 例 李牧 廉頗など 2 中国(中華思想の影響圏内ってことで)で、国内の 統一・平定に尽力した。 例 白起 王翦 など 3 非中華圏や騎馬民族で中華圏を征服することに活躍 した。 例 楊遇春( 18) とか元の武将 これらの分類を格付けするか、単に戦果の大きさだけで 名将とするかで、定義が出来ないと元の将の取捨などが 出来ないと思う。 117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 01 25 14 ID E1bI6h3TO 116 モンゴルにとって中華世界は征服対象の一つに過ぎないだろうしな 実際金を滅ぼした後南宋が粘ったこともあって、南宋滅亡までにもかなり領土を拡大してるし (まあ元代になるとモンゴル帝国西方の独立傾向が強くなるんで、中華を基盤にするようになったが) ただ漢民族系でも膨張傾向が強い王朝だと諸外国に積極的に侵略戦争しかけてるし、それはどうなるのかって疑問はある 118 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 01 33 34 ID j01KSXPs0 トゥルイ・スブタイは外れても仕方ないとは思うが 張柔・史天沢のような漢人で中国でしか戦っていない武将はどうなるかな 115の真似をさせてもらうと、「琉球」に仕えて九州で戦った 日本人の武将、ということになるんだが う~ん、微妙だ・・・。 119 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 01 40 26 ID ZR/OuL5J0 日本の名将を列挙していく時にアイヌのコシャマインやシャクシャインを入れるかどうか?と 似た問題やね ましてやモンゴルや女真は最終的に中原を征服して王朝を樹立してるしな。 120 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 01 59 19 ID sk35tW3T0 118 その例だと、日本出身の琉球武将ってことになるかなあ。 とにかく、どこに籍をおいているかだと思う。中国でも高仙芝や安禄山、李克用 など明らかに非漢人でも唐朝に仕えたということで中国武将扱いされているし。 121 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 02 31 04 ID 0+8myHFo0 中国≠支那(いわゆるチャイナ)ということで、 広い意味での「中国武将」として選べばいいのでは。 122 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 02 32 52 ID KFYtGt2+0 皆々様のご意見の数々、骨にしみました。 モンゴル武将を入れる企ては断念します、つーか諦めざるを得ないレスの数々だから、 これ以上固執するのは漢ではあるまいと。 となると 宗沢、岳飛、宗望、宗弼、孟珙、忽必烈、伯顔、阿朮、拡廓帖木児、 ・・・一人枠が空くな。元末群雄の張士徳を明からこっちにもってくるか。 まぁなんにせよ、孟珙が外れることはまずないだろうからそれだけは安心。 諸兄にはご意見ありがとうございました。感謝の気持ちとして粗品はないですが。 そんではもう一眠りします。それではまた。 123 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 04 30 53 ID E1bI6h3TO 122 もうモンゴルは 【異民族】 中国好敵手百選 【周辺国家】 て感じのスレたててそっちに移住するかね キタイ・女真・モンゴル好き辺りは変なストレス溜まってそうだし 124 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 06 07 50 ID U3mstPVL0 周瑜はあまり記録がなくてよく分からないんじゃないか ここに入れるには物足りないような気が 125 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 08 29 58 ID G6cc/SYd0 123 拖雷、速不台を強烈に推した俺ですが、 さすがに異民族だけで百選は難があるだろ。 中華武将たちを彩るスパイスとして数名から十数名選出するのがほどよいと思うのだが。 126 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 12 56 46 ID Gq1Va5NW0 西夏もNGかな? となると十六国のうち、西夏と同じ地域の前涼後涼、 北涼西涼南涼なんかもだめになるわけか。 候補に挙がってる謝艾は前涼だから自動的に落選と。 127 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 13 17 15 ID wZbPE9qNO 西夏と前涼などの五胡十六国の場合は地域が同じでも条件が異なると思うが・・・ 128 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 13 40 32 ID wOXlQQqO0 五胡十六国(の一部)・遼・金・モンゴル・後金を外すと田中●樹の名将百選とかぶって面白みにかけるんじゃないか? 別に田中氏に恨みはないというかむしろファンだが、ここは独自路線を提唱したい。 121の言うように 「中国≠支那(いわゆるチャイナ)ということで、 広い意味での「中国武将」として選ぶ」のがいいと思うのだが。 129 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 14 05 38 ID ZR/OuL5J0 周辺異民族の流入・侵入、それに伴う文化風俗の変化、、それによる王朝の交代、 乱立や南北対峙の中にこそ中国史が持つダイナミズムが存在するんだろう 異民族除外なんて、どんだけ中国史知らないんだよと笑われるだけだと思うが。 異民族武将や周辺の異民族王朝に関しては、これまで決まってた条件に従って 判断するんじゃダメなのか。 西夏にせよモンゴルにせよ、条件にかなってる奴がいれば候補に入れればいいし 駄目なら外せばいいだろう。 130 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 14 22 49 ID bt3urDdg0 129 大賛成。前スレから続く「耶律休哥は中国の武将か否か?」に対する明確な答えだよな。 国家・領土に関係なく才能による推薦、候補入り。これが一番正当な意見だと思う。 おれはここまで理路整然と語れんから、 129の語る理論は一種の憧れ。正直に凄いなと言わせていただく。 131 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 15 03 39 ID E1bI6h3TO 125 モンゴル(モンゴル帝国、カイドゥ・ウルス、北元)だけで10人はいけるから十分かなと思った 132 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 08 22 ID wZbPE9qNO 129の仰る通りです。 異民族の中華に置ける立場や歴史的推移を排除するなら 秦や楚そして呉越なんか元々中原国家から蛮夷って呼ばれていた訳で、 そうなるとその国々も対象から外さなければならなくなる。 133 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 31 38 ID bt3urDdg0 支援書き込み 最初に決められたルールは ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 の三点。前スレ7で 「中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権」 という項が加えられたが、これは絶対的な条件ではないと思う。 とりあえず最初の三項目と延々議論されてきた時代区分にさえ抵触しなければ問題ないのでは? 異民族王朝や征服王朝を完全に無視したら、極論すると隋唐帝国でさえはじかれかねんし。 134 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 40 18 ID bt3urDdg0 133続き 異民族王朝について熱く語りたいのは山々だが 現在は一応清朝ね。とりあえず候補の中から5人ぐらいは確定を出そう。 135 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 15 42 56 ID 4nWwK0O60 異民族とかは関係無しで、中国から他国への遠征または、 中国への侵攻をしてきた将も功績があれば名将で良いのか? 個人的には、他国への侵略行為っていうのは、平治に乱を 起こすってことで、賞賛に値する行為では無いと思うんだけど。 136 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 47 54 ID bt3urDdg0 確かにそういう場合は「涜武の人」といわれて人間的に悪く見られがちだが、 それはさておき十分な軍事的成果をあげた人物は名将でいいと思う。 人格と才覚が正比例するわけではないのだから。 137 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 48 54 ID 0+8myHFo0 途中参加で過去ログ読めないんだけど、 このスレの「名将」の定義教えて。 「実際に軍隊を率いて、軍略に富み、多くの戦で勝利した」人物かな? 135 みたいに専守防衛の軍人しか駄目だとなると、清の大半の将軍は 失格ということになるんだけど。 138 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 15 57 34 ID 0+8myHFo0 奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン) 康熙帝・玄燁、岳鐘琪、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン) 、宋景詩 、関天培、 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福 揚古礼(ヤングリ)、兆恵(ジョーフイ)、阿桂(アゲイ) 一応清代では上の人たちの名前が挙がっているけど・・・・ 139 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 16 01 24 ID j01KSXPs0 135 侵略行為といっても全部を十把一絡げにはできない 全く無用なものもあれば必要だったものもある それに他国を攻撃した人物を外すと大半の人間が落選になってしまう 140 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 03 44 ID bt3urDdg0 137 おおかた貴兄の提言した定義で合ってると思う。 まあ、たまに生涯一度の大戦で勝って名将の名を博した人物もいるけど、 そういう人は一発屋呼ばわりでこのスレ的にはあまり歓迎されない。 貴兄の提言に「部下に慕われた」という一項目を追加すればほぼ完璧かと。 138 前回の選考で阿巴泰と策稜は確定組になったんだよね。多爾袞と康熙帝は政治家、戦略家としての側面が大きいから除外するとして、 後金オッケーなら文句なしでヌルハチ、あと「戦う豆腐屋」宋景詩も推したい。 あと施琅を推薦しといたんだけど挙がってないね。改めて推薦。 141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 16 09 19 ID E1bI6h3TO 135 それだとまず班超あたりを外さなきゃならなくなると思うが…… 142 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 11 15 ID 0+8myHFo0 奴児哈赤:ほとんど徒手空拳から連戦に次ぐ連戦で後金を建国 ただ、後にハンとなったので外すべきか? 多爾袞 :しばしば総司令官として軍隊を指揮するが、あくまで 名目上の大将であり、彼の本領はむしろ政治家。 呉三桂とともに入関の立役者であはあるが・・・ 康熙帝 :モンゴル親征をしたが、最前線には立たず。あくまで 武威発揚のための出馬であり、実戦指揮は執っていない 143 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 11 18 ID bt3urDdg0 136続き 人格と才覚が正比例するわけではないと書いたがもう一つ。 人格者であっても職業軍人である以上、上の命令に背くことはできないってことがある。 それに、戦略的にどうしても戦わなければならない場合もあるだろうし。 144 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 16 13 11 ID D2f7n0Wp0 平地に乱を起こそうがなんだろうが戦術の能力があれば名将でいいだろう 長期的な戦略や道徳的なものさしは、考慮したとしても優先順位は低くした ほうが軸がぶれなくていいと思う 145 135 sage 2007/01/07(日) 16 20 25 ID 4nWwK0O60 そうすると、異民族王朝や征服王朝であっても、 133のルール (もう少し明確化した方が良いとは思うけど)で、選定してくのね。 それで名将の定義は 「実際に軍隊を率いて、軍略に富み、多くの戦で勝利し、部下 に慕われた」人物ってことでいいかな。 146 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 20 30 ID 0+8myHFo0 140 名将定義補足、多謝。 後に君主となった人物もオッケーであれば、努爾哈斉に異論なし。 少年時代から戦場に出て、努爾哈斉の娘婿となって「武勲王」「超等公」の 称号を得た楊古礼も個人的には捨てがたいが、あまり入関前に偏るのもなあ。 清前期のモンゴル代表として策稜(ツェリン)、漢族代表として岳鐘琪・施琅 というところか。ただ岳鐘琪は、例の事件に絡んで雍正帝が過剰に持ち上げて それが列伝の高評価につながってるような気がする。 「岳飛の末裔」(未確定)と言う点もあるし・・・ 147 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 37 43 ID bt3urDdg0 146 あの事件っつーと 曾静「漢民族の誇りを忘れたのですか、自立しなさい!!」 岳鐘琪「だが断る」 ってアレ? 確かにあれで雍正帝の心を掴んだよな。 でもちょっと地味。一応戦功はそれなりだし、清朝唯一の漢人大将軍として確定にしたいところなんだけど・・・ 西域防備に回されたのに西域から来たツェワン・アラプタンの侵入を許してるし。 「衛(青)、霍(去病)、郭(子儀)、李(光弼)に伍す、って書かれてるけど、「超勇公」策稜に比べるとやや落ちるか。 148 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 16 47 46 ID bt3urDdg0 145 一応名将の定義はあれでいいと思うけど、 ときどきとんでもないDQNで慕われるどころじゃないけど、用兵家としては間違いなく天才、ってのもいるからなぁ。 特に五代十国。 でもまぁ基本はあれでいいと思うよ。拓跋珪、拓跋燾、石虎あたりはその限りでない感じだが。 149 148 2007/01/07(日) 16 49 00 ID bt3urDdg0 間違えた。五代十国じゃなくて五胡十六国だわ、すまん。 150 146 2007/01/07(日) 17 18 55 ID 0+8myHFo0 147 そう、それw 個人的には、 努爾哈斉・阿巴泰(努爾哈斉の子)・施琅(漢人)・策稜(蒙古)あたりは 確定でもいいかなと思う。 でも満洲旗人で一人くらいほしいかな(費英東/楊古礼?)。 康熙雍正年間の将軍では、西北方面の遠征軍を率いた富寧阿(フニンガ)もいる。 乾隆年間の将軍では、新疆征服の功績で兆恵(ジョーフイ)有利かな。 151 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 17 31 26 ID 4nWwK0O60 それで、現在は次のどの段階? 1 清朝の候補者決定 2 時代と中国の範囲の定義を確定 3 前スレの候補者の見直し 4 それ以外 152 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 18 06 34 ID bt3urDdg0 今は1番、清朝候補者決定だろうね。 次が2番、中国の定義確定 最後に3の候補者見直し→全時代の10選確定。 100選が決まったらその中から10傑を選ぶとかやりたいな。個人的には孟珙に一票。 153 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 18 20 16 ID bt3urDdg0 おせっかいだが清朝の候補なんてもう忘れた、って人に。 18、阿巴泰、費英東、策稜、明亮、楊遇春、李長庚の略歴 21、阿桂、兆恵の略歴 どーぞ。 154 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 18 28 34 ID ydEXK/n+0 全時代の十選はいるか? 取り敢えず各時代から10人くらいだして A時代確定のαとB時代の候補のβを比べてβ>αの場合、チェンジする という為の10人なんだから、細かく決めるより確定武将の割り出しと 残り枠を候補・内定武将から選出していって100選が確定って流れだろう 155 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 18 34 21 ID bt3urDdg0 それもそうか。あんまり厳密にすると自由度下がるよな。 でも総合ベスト10はやりたい。ベスト5とかベスト3とかでもいいけど。 156 清朝候補その一 2007/01/07(日) 19 58 25 ID bt3urDdg0 費揚古(フィヤング) 1645-1701。棟鄂(ドンゴ)氏。盛清の名将で内大臣三等伯オショの子。1658(順治15年)、14歳で父の爵を襲い、74年には安親王岳楽に従って呉三桂ら三藩の乱平定に当たった。 その功労により79年には領侍衛内大臣兼火器営総官に起用され、議政大臣に加えられた。その後ハルハ左翼トシエト・ハン(土謝図汗)とジャサクトゥ・ハン(扎薩克図汗)との 間に紛争が起こると、89年命を受けてトシエト・ハンのもとに使いし、紛争の調停に当たった。ところがジュンガル部長ガルダンがこの紛争に乗じて被いにハルハを侵害すること になったので、翌年彼はホルチン(科爾沁)に行って兵を整え、清の本軍とともにガルダンをウラン・プトゥン(烏蘭布通)に破った。ついで93年、安北将軍に任ぜられて帰化城に 駐し、バヤン・ウラン(巴顔烏蘭)に拠っていたガルダンの防衛と折衝の任に当たり、95年には撫遠大将軍を授けられた。翌年康熙帝が自ら大軍を率いてガルダンを討つと彼は その先鋒となり、ガルダンをジョー・モド(昭莫多)に追い詰めて大いにこれを破り、ガルダンを敗死させた。97年病により京師に帰り、領侍衛内大臣一等公に封ぜられたが、 まもなく同地において病卒した。 海蘭察(ハイランチャ) ?-1793。乾隆20年(1755)、兆恵のアムルサナ征伐に従い、タルバガイでバヤルを生け捕りにした功によりエルケ・バトゥル(称号。バトゥルは多分勇者の意だとして、 エルケはわからん)の号を授けられ、一等侍衛に進められた。32年(1767)傳恒らのビルマ遠征に従い大金沙江沿岸の老官屯で戦功を立て、34年(1769)鑲藍旗蒙古副都統を 授けられた。36年、金川のミャオ族が叛乱を起こしたので、翌年雲南から鎮圧に赴き、将軍温福や阿桂の下で戦功を立て、参賛大臣を授けられた。38年、部下の守っていた 美諾が敵の手に落ちたので降格された。翌年戦功により再び参賛大臣に復し、40(1776)年、金川の乱を完全平定した功績により一等超勇候に封ぜられた。45(1781)年、 甘粛のイスラム教徒蘇四十三が叛乱を起こして蘭州を侵したのでこれを平定、49(1785)年、再度イスラム教徒が叛いたので参賛大臣として尚書・福安康とともにこれを鎮圧、 張文慶を捕らえた。翌年台湾の林爽文らが叛き彰化、嘉義を陥としたので、翌年7月、参賛大臣として将軍・福安康を率い、台湾に渡ってこの乱を平定した。55(1791)年 西チベットに侵入したグルカを討ち、福安康らを率いてこれを討ち、グルカ兵を撃破、追撃してグルカ族の国都カトマンドゥまで逼った。グルカが和議を求めると 藩兵1000、蒙古兵3000をチベットにとどめて凱旋した。戦功により侯爵から公爵に進められる。乾隆57年没。 157 清朝候補その二 2007/01/07(日) 20 01 37 ID bt3urDdg0 徳楞泰(デレンタイ) 1745-1809。盛清の将軍。蒙古正藍旗の人。字は惇堂。チャハル(察喀爾)部の伍弥特(ウミト)氏に属する。1773(乾隆38)年、定西将軍アグイを助けて 金川の乱平定に活躍したのを始め、84年には甘粛のイスラム教徒の反乱鎮定に従い、87~88年にかけての台湾の叛乱鎮定にも活躍して功績により参領となり、 継勇巴図魯の称号を受けた。91年には名将ハイランチャに従ってチベットに出征し、グルカ族平定に功を立てて副都統護軍統領となった。ついで95年にはフカンガを 助けて湖南方面に出征し、湖南・貴州方面で威を振るっていたミャオ族の叛乱鎮定に活躍した。のち97年にはミンリャンらとともに四川方面における白蓮教徒の乱の平定を命じられて出征し、 数年にわたる反乱鎮圧に大いに活躍し、非常な功を立てた。この遠征の間、99年には参賛大臣となり、翌年には成都将軍に任ぜられ、1804年には欽差大臣を授けられた。 乱平定後の05年に侍衛内大臣となり、翌年には西安大将軍となるなど、多くの功績をあげたが、まもなく病没した。謚は壮果。 羅思挙(らしきょ) 清中期における郷勇の代表格。貧困の家に生まれ、家業につとめず、盗賊稼業で生計を立てた。不法行為はなはだしく、人々はたいそう彼を恐れた。嘉慶初年、 白蓮教の乱が各地に激しさを加え、羅思挙の郷土でも教主・王三槐らが乱を起こし威勢を振るうに及んで、それまでの生活を恥じ、郷里に帰って郷勇に加わり、乱徒平定に尽力した。 ことに教匪征伐のためデレンタイ、ミンリャンらが入川するにいたってこれに協力し、いわゆる随征郷勇として各地を転戦した。その戦闘における巧妙な作戦と勇猛ぶりは 当時弱体化の一途をたどっていた清朝官軍と対照的なものがあり、彼の存在は郷勇の存在意義を高めた。道光元年(1821)、累進して貴州提督となり、 さらに四川・雲南提督を経て湖北提督となった。その後も趙金竜らの乱平定などに功績を挙げたが、1840年病死した。謚は壮勇。著書に「羅壮勇公年譜」がある。 158 清朝候補その三 2007/01/07(日) 20 04 24 ID bt3urDdg0 陳・化成(ちんかせい) 1776-1842。字は蓮峯。嘉慶7年金門右営把総に任ぜられ、累進して同18年銅山営参将となり、20年烽火門参将に抜擢された。道光元年彭湖水師副将、同3年台湾水師副将 を経て同年碣石鎮総兵となる。同10年には福建水師提督となり、12年イギリス船が福建・浙江・江蘇・山東などの海面に来航するや、不慮に備えるため督師巡邏を命ぜられた。 19年イギリスの軍艦が福建省を侵すと海林洋に戦い、同年江南提督に任ぜられた。江南水師はもとより怯懦であったが陳は鋭意教練し、士気ようやく奮うに至った。彼はまた 呉淞の防備を堅固にし、砲台を修築し、沿海に26堡を築造した。道光22年、アヘン戦争が起こると彼は呉淞西砲台にあって防御に努め、奮戦してイギリス艦3艘を破壊したが、 敵弾に当たって戦死した。宣宗は特詔を下して銀一千両を賜い騎都尉兼一雲騎尉與職を追贈し、忠愍と謚し、殉難地に祠を建てて英霊を祀った。 僧格林沁(サンゴリンチン) ?-1865。モンゴル、ボルチギット族の貴族。1834年御前大臣となり、正白旗領侍衛内大臣、正藍旗蒙古都統などをへて、36年鑲白旗満州都統を授けられ、帝の深い恩顧を受けた。 1853年、太平天国の北伐軍が直隷に進出したとき、参賛大臣に任じられ、同年10月以来蒙古騎兵を率いて転戦、太平天国軍をさきざきで敗退させ、1855年3月、主将・林鳳祥を連鎮で、 また同年5月・李開芳を高唐州で捕らえて北京に送り、太平軍の北伐を水泡に帰せしめた。この功により威名は天下に轟き、その後鑲藍旗満州都統、正黄旗領侍衛内大臣、 署鑲紅旗漢軍都統などを歴任した。1858年、アロー号戦争で英仏連合軍が天津の海口に侵攻したとき、欽佐大臣に任ぜられて軍務を任され、英仏軍退去後大沽および双港において 砲台修築や海防施設の強化に当たり、翌年6月には蒙古旗兵を率いて大沽砲台を守り、連合軍の進撃を撃退して諸々の恩賞にあずかった。しかし60年には連合軍の猛攻の前に大敗し、 通州に退いた。そのため職を奪われ、いろいろあって降格され欽佐大臣とされた。北京条約成立後、山東の捻軍をはじめとする華北各地の農民反乱を平定するため、 郡王の位に復され反乱平定に従事するようになった。各地で民軍を破り御前大臣、正紅旗漢軍都統を復され、1863年には世襲親王に進んだ。 64年、貝勒となるも多年にわたる軍事活動の中で部下の蒙古将兵の多くを失い、1865年、曹州で宋景詩率いる民軍に破れ、包囲されて戦死した。 159 清朝候補その四 2007/01/07(日) 20 07 02 ID bt3urDdg0 唐・炯(とうけい) 1829-1909。清末の官吏。字は鄂生。1849年の進士。62年太平天国の石達開が四川に侵入してきたとき、これを破って捕らえ、棄市に処した。67年には四川総督崇実の命を受けて貴州地方の民乱を平定、偏刀、水上、太平、黄瓢、白堡をたちまちに破り、 寇賊王超凡、劉儀順を斬り、潘人傑、唐天佑らを降した。また平越、甕安、黄平、清平、麻哈を抜いて大いに成績を上げ、法克精阿巴図魯の称号を賜って蜀に還った。78年からさらに四川総督丁宝楨の命を受けて塩茶の専売制の整備に当たり、 手腕を発揮した。82年張之洞の推荐によって雲南布政使となり、フランス人のベトナム侵略を防衛したが、誤聞を議して勝手に任地に帰り、光緒帝の怒りに触れて免職となった。その後雲南の鉱務を監辦していたが、1905年退職した。 著書に 成山老人自撰年譜 6巻がある。 塔斉布(タチプ) 1817-1855。晩清の将軍。姓は陶佳。字は智亭。はじめ三等侍衛から、咸豊元年(1851)都司として湖南に赴任、撫標に所属、参将に進んだ。1853、当時長沙で湘軍の練兵に当たっていた曽国藩に起用され、副将として湘軍を率い、 以来、太平天国との戦いにその勇猛さをもって頭角を現した。特に1854年、配下千人をもって成功した湘譚県城占領は湘軍最初の勝利といわれ、おりから靖港での敗戦で総帥曽国藩が自殺を図ったほど意気阻喪していた湘軍を 奮起させる重要な意義を持った。これによって湘南提督に任命されるという異例の抜擢を受け、さらに岳州、田家鎮などでの戦功で騎都尉の世職を与えられたが、1855年、九江攻防戦中に軍営で病死した。謚は忠武。 160 清朝候補その五 2007/01/07(日) 20 14 06 ID bt3urDdg0 宋・景詩(そうけいし) 生没年不明。清末の農民暴動の指導者。山東の人。従来ほとんど知れなかったが、1951年映画「武訓伝」批判運動の中で行われた武訓歴史調査団によって知られるようになって以来、武訓と同時代、同じ地方で武訓の保護者であった地主勢力と生涯闘い続けた 真の英雄として武訓と対照的に顕彰されるようになった。彼は貧しい豆腐売りであったが、当時山東各県に広がっていた白蓮教系の秘密結社に加わり、1961年はじめ、農民所有地への増税反対を契機に18人の村の仲間たちと蜂起した。山東の白蓮教、 五旗約一万の一翼として黒旗軍と呼ばれた。同年秋形勢不利と見て勝保の軍営に投じ、安徽・河南の捻党の回乱鎮圧に差し向けられた。勝保の推挙により参将に任ぜられたが、機会を見て再度脱走したため免職された。62年末、部下千余を率いて故郷に脱走して 以後、表面は帰順を誓って清軍内に留まりつつ、山東白蓮教軍の鎮圧に差し向けられるや、逆にこれと呼応して敗軍を収容し、あるいは太平天国軍の残存部隊を収容して隊伍を拡大、各地で地主の武装勢力を撃破した。なお武訓のたてた崇賢義塾の後援者である 揚樹坊一族は、最大の民団として宋景詩軍と最も激しく対立した柳林鎮民団の中心であった。清朝側は山東・河南の暴動に牽制されて武力鎮圧に出ることが出来なかったが、63年4月、その鎮圧と同時にサンゴリンチンの洋槍隊など大部隊を動員、 9月直隷省で宋景詩軍を撃破した。こののち、宋は安徽の捻党苗沛霖軍、のち湖北の太平天国張宗禹軍に加わり、65年曹州でサンゴリンチン軍を掃滅したと伝わる。その後の消息は明らかではないが、清朝の記録では71年毫州で改名して符水治病をしていた 宋景詩を捕らえ、安徽省城で処刑して晒し首にしたとある。しかし現地調査の農民の話ではそれは別人で、1900年彼は故郷に姿を現したという。 劉・永福(りゅうえいふく) 1837-1917。清末・民国初期の軍人。淵亭と号す。欽州の貧農の家に生まれ、幼少の頃父母とともに流民となって広西の上思州、ついで遷隆州に移った。 農耕や船頭生活のかたわら父から武技を授けられたが、17歳で両親と死別し、21歳のとき天地会の一派に身を投じた。太平天国の乱後馮子材の追撃を受け、 1865年首領の呉亜終に従ってトンキンに逃れ、阮朝のトゥドゥックに帰順した。その後一度トゥドゥックに叛いたが、呉亜終から離れて67年六安州で黒旗軍を編成し、 ソンコイ川流域とくに勝保を中心に強固な地盤を樹立した。68年以来、ときには阮朝官軍や清朝派遣の馮子材と協力して匪賊討伐に当たり、その功によって トゥドゥックから物資的援助を受けたほか、領兵官、三宣軍務副提督(ともに1874)、太原布政使(1879)などの官を授けられた。しかし彼の阮朝に対する態度は一貫せず、 黒旗軍は土匪的性格を持ち続けたので、ベトナム人から嫌悪されることが多かった。しかし、フランス人がソンコイ川北上を狙ってトンキンに進出してきたのに対し、 黒旗軍はしだいに組織化されて抵抗し、73年ハノイ占領中のフランス軍司令官ガルニエを戦死させた。また81年、ソンコイ川をさかのぼってきたフランス商人を撃退し、 翌年フランス軍が再びハノイを占領すると、83年、フランス軍排斥の檄文を発し、これを攻撃して司令官リヴィエールを敗死させた。こうして彼は清朝はもとより阮朝や 一般ベトナム人から利用されたが、信頼を受けるにいたり、83年トゥドゥックから三宣提督を授けられた。またこの間、1876年にフランスを憚る阮朝の要請をいれて 墓参を理由に一時帰国したが、清朝からは英雄視して迎えられ、阮朝からはただちに呼び戻されている。しかしフランス人に対する彼の抵抗はあまりに激しかったため、 83年トゥドゥックの死後、阮朝がフランスに屈服するとふたたびベトナム人から疎遠された。清仏戦争には清朝派遣の唐景崧軍や阮朝の一部役人とともに各地で戦ったが、 清朝とも折り合わなくなり、85年両広総督張之洞の要請に従って帰国した。86年広東南澳鎮総兵となった。94年日清戦争が起こると台湾防衛に派遣され、 翌年下関条約締結後、台湾民国総統に推されたが辞退し、また日本の樺山資紀の投降勧告をはねつけ、日本軍に抵抗を続けた。義和団事変には湖広へ進んで排外運動につくした。 1911年辛亥革命にあたり広東都督胡漢民の要請により広東民団総長となったがまもなく解散した。15年、日本が突きつけた21ヶ条要求に激怒し、義和軍を組織して 抗日戦を計画したが、実行に移る寸前で排外運動に終始した生涯を閉じた。 候補は多い方がいいと思って、とりあえず清朝のメジャーどころを並べてみた。清朝の場合、他にも名将はごろごろいるが。 161 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 21 03 01 ID bt3urDdg0 なんか6時半頃から過疎ってるが、空気を読まず新ルールを開陳させていただく。 まずは 121の「中国≠支那で、広い範囲の『中国武将』を選ぶ」を前提に置き、「中国王朝に籍をおいた人物」ではなく おもに中国国内で活躍した武将、の中から選出する。五胡十六国、金、蒙古、後金、清の異民族武将たちも、中国国内、 あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物はすべて候補入りの可能性ありとする。 選考基準はまず才能ありき。遼の耶律休哥のような境界が不鮮明な武将でも、国境付近で宋軍と戦った実績があり、 実際大勝している実績がある人物は10選入りを認める。 当時の宗主国と国境が直接つながっていない国に関しても、その国の人物が中国本土において十分な戦功を挙げた(トゥルイの金軍100万人覆滅など) のであれば10選入りを認める(この場合当時の宗主国は南宋より金であろうから、普通に認める)。 こんなもんでどうか? 一人で勝手に決めた事だから、どんどん口出し、手直ししていただきたい。 162 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 21 08 38 ID 4nWwK0O60 161 その話は、取りあえず、清代の候補者を確定させてからで良いだろ。 俺は清代詳しくないから候補者を決めるのは、他の方に任せた。 163 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 21 17 57 ID bt3urDdg0 とりあえず現状で確定してんのは 奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜の四人か。 あと一人二人ほしいところだな。とはいえ俺は晩清をほとんど知らん。 とりあえず豆腐屋の英雄宋景詩と言ってみるか。 164 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 21 45 28 ID 0+8myHFo0 156-160 候補選定乙。 >・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 普通「近代」といった場合1840年のアヘン戦争以降を指すのだが、 このスレの場合はとくにそれにこだわらず、「馬上の指揮官」であれば 1840年以降でもいいんだよね? 165 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 21 51 48 ID bt3urDdg0 個人的には一応清の滅亡までを考えてるけどどーなんだろ。 劉永福とか僧格林沁とか豆腐屋のお兄さんとか、 アヘン戦争以降にも名将と呼べる人物はいるからいいと思うが。 というかあの時代(アヘン戦争後)こそ中華政権の意地の見せ所だったともいえるしね。 ・・・惨敗だったけど。 166 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 02 40 ID 0+8myHFo0 156 の費揚古は名将というにはちょっと不足の気が。 オヤジのコネで軍隊司令官になったわけで、個々の戦場でも 目だった戦績(寡兵で大軍を破るとか)があるわけでもなし。 岡田英弘『康熙帝の手紙』読む限り、ジュンガル戦の功績も 「勝つべくして勝った戦」のような気がする。 それを言ったら乾隆年間の征服戦も圧倒的兵力で突き進んだわけで、 個々の武将の力量というのもあまり影響していない。 167 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 03 42 ID 0+8myHFo0 156 の費揚古は名将というにはちょっと不足の気が。 オヤジのコネで軍隊司令官になったわけで、個々の戦場でも 目だった戦績(寡兵で大軍を破るとか)があるわけでもなし。 岡田英弘『康熙帝の手紙』読む限り、ジュンガル戦の功績も 「勝つべくして勝った戦」のような気がする。 それを言ったら乾隆年間の征服戦も圧倒的兵力で突き進んだわけで、 個々の武将の力量というのもあまり影響していない。 168 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 08 07 ID 0+8myHFo0 うわ、間抜けなことに・・・ゴメン orz 清滅亡を下限とするなら、サンゴリンチンは当確と思う。 169 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 22 17 06 ID 4nWwK0O60 現行ルールの時代区分だと1912年までですな。 ただ、英国や仏蘭西の近代軍人と戦った人物を 将とするか軍人とするかは明確にしないといかんの ではないでしょうか。 170 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 22 20 58 ID asB6HySG0 169 >英国や仏蘭西の近代軍人と戦った人物 将でいいんでない? 近代軍人と戦った人物が皆近代軍を率いていたわけでもあるまい。 171 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 25 58 ID bt3urDdg0 奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜に僧格林沁入れて5名。 時間枠の改編を忘れてたから奴児哈赤が(つーか後金)入るかどうか微妙だが、 王朝発足時から選んで良し、とすれば奴児哈赤OK。 確定組五人が揃ったところであとは春秋戦国に戻っての確定決めだが、 その前に新ルール(というか改変ルール)について議論する、ということで諸兄、了解? 172 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 22 31 16 ID asB6HySG0 洪承疇が候補に入ってないのは納得いかないなあ。 173 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 36 02 ID bt3urDdg0 172 略歴紹介して候補入りを宣言すればいいんでない? とりあえず基本ルールに、 「推挙する武将については、その理由を述べること」ってあるし。 174 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 38 53 ID 0+8myHFo0 172 そうだそうだ、なんで洪承疇忘れてたんだろ? てか、結局満洲旗人はゼロになりそうですな。 175 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 22 54 58 ID bt3urDdg0 う~ん、俺が書いていいんかな? 洪承疇 明末清初の将軍。呉三桂の前任。早くから清に降り清朝のためにつくしたが 報われたとはいいがたく、その人生は概して不遇であった。 ・・・こんなもん? 176 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 04 51 ID 0+8myHFo0 洪承疇(1593~1665) 福建安南の生まれで万暦年間の進士。各地の巡撫・総督を歴任し、 陝西の流賊反乱軍を鎮圧し、李自成らを退けた。 崇禎年間に大軍を率いて清軍と対峙するも敗れて清に降伏。 順治年間に大学士となり、華南の征服戦に多大なる貢献を果たす。 南明政権を追い詰めるが、順治18年に致仕。 よく考えたら清に大敗してるんだな。これは大きなマイナスだな。 177 175 2007/01/07(日) 23 08 17 ID bt3urDdg0 やっぱ俺が出しゃばる必要なかったな。余計な真似してゴメン。 178 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 12 50 ID 0+8myHFo0 177 いえいえ、こっちもリロードせず書き込んでしまった。 洪承疇は面白い人物だけど、名将っていうか、政治家っぽい 側面(進士だし)ももちあわせてるんだよね。 それはいいとしても、清に一度負けていることが気になるなあ。 179 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 15 29 ID 0+8myHFo0 175 ところで参考までに聞きたいんだけど、 156-160 は列伝みてまとめているの? 180 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 22 37 ID bt3urDdg0 もしそうだったら漢文自由自在で大助かりなんだけどね。 一応正史列伝も読むけど斜め読み程度。 あとはアジア歴史事典と東洋歴史大辞典から引っ張ってきてる。 列伝2割 自前の記憶2割 辞典からの引用6割ってとこ。 洪承疇の2行は自前の記憶から引っ張ってきた。概要ぐらいはまぁ憶えてるし。 181 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 23 29 29 ID ydEXK/n+0 負けてるっていったら岳鐘琪とかも負けてなかったっけ? 三国~晋の確定組の曹操なんて赤壁とかやらかしてる訳だし 隋唐の李世民も負けてるぞ(部下のせいにしたけど) 182 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/07(日) 23 31 31 ID m3HHxjG40 大功あげて不敗のやつなんかめったにいないだろうしな 183 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 36 48 ID bt3urDdg0 雍正帝のときにジュンガル軍と戦って負けてるね、岳鐘琪。 乾隆帝期に復権、大金川の叛乱を平定して以前の負けを取り戻してるけど。 なにより不思議なのは厳格苛烈な雍正帝がミスした岳鐘琪を殺さなかったこと。 年羹堯とかはあっさり自殺させられてるんだが。 184 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 36 53 ID 0+8myHFo0 180 レスどうも。アジア歴史事典持ってるうらやましい・・・ 自分は北京旅行したときに買ってきた人物事典くらいしかない。 ところで各時代の「確定」って何人までオッケーなの? 余裕があればだけど、 明清で大学士になって北と南で活躍した洪承疇は入れてもいいかも。 185 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 41 11 ID bt3urDdg0 10人以内なら何人でも、と言いたいが基本的にあとで入れ替えがあるから、 まぁ最初の段階では一時代に5、6人じゃない? 一気に10人決めるとあとが苦しくなるし。 186 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 57 48 ID 0+8myHFo0 171 奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜、僧格林沁 では清代の候補はこれ+1ぐらいかな。 誰か候補いませんか?(洪承疇?) ところで阿巴泰が確定になった理由を教えて。 187 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23 59 28 ID asB6HySG0 176 僧格林沁も反乱軍に敗死してるんだから、 一度くらいの敗戦は大目に見ようや。 188 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 00 00 17 ID k9cHV6vm0 豆腐屋の英雄宋景詩 これも+1候補ですね。 189 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 00 14 35 ID LKoNrYsf0 186 阿巴泰を確定にした理由。 崇徳元年、アジケらとともに明伐戦に参戦、五十六戦して全勝、10城を落とし俘虜10数万を獲る。 ついで5年十月、再び明伐。88城を抜き6城を降し36万人の俘虜を得た。順治元年、饒餘郡王に進められる。康熙十年、敏と謚された。 ・・・いくら弱体した南明相手とはいえ、生涯に五十六戦全勝、しかも96城を陥として50万人近い俘虜を得たんだから、 これはもう破格の名将といって差し支えないと思う。 特に欠点らしい欠点もないし、多爾袞が大本営指揮官、阿巴泰が実戦担当と考えるとちょうどいいのでは? 190 186 2007/01/08(月) 00 16 51 ID k9cHV6vm0 189 こりゃすごい戦績ですね。 納得しました。 191 186 2007/01/08(月) 00 24 08 ID k9cHV6vm0 奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜、僧格林沁 が確定として、あとは洪承疇と宋景詩を推してる人がいるんで、 とりあえずこの7人を清の名将として暫定的ですが決定しますか? あくまで暫定ということで、この先より説得力・熱意のある推薦者が 現れれば話し合うということで。いかがでしょう? 192 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 00 29 23 ID LKoNrYsf0 いいのでは? って俺一人が納得してもなぁ。 息を潜めて趨勢を見守ってる方々、ここは決断のしどころですぞ? 193 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 00 30 28 ID Gyi43SFP0 左宗棠はどうだろう? 誰も名前を挙げていないのが不思議なんだが。 194 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 00 35 21 ID k9cHV6vm0 最初は「近代(1840)以降に活躍したからかな」と思っていたが・・・ どうやら清末に特に思い入れがある人がいないからっぽいw 195 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 00 35 43 ID LKoNrYsf0 左宗棠入れるなら林則徐のほうがよくないか? ただ硬骨なだけの政治家という勿れ、 保守的な清朝にあってポルトガル砲や洋式銃を輸入して 西欧列国に対抗しようとした戦略眼は並々ならぬものがある。 第一次アヘン戦争では見事イギリス軍を撃退したし。 二度目はなかったけどな、さすがに。 196 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 00 38 20 ID k9cHV6vm0 清末は詳しくないんで、みなさんのご意見に従います。 議論をどうぞ。 197 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 00 49 00 ID LKoNrYsf0 196 つーことは、 それはつまり現状の7人確定で清朝の暫定候補決定、 新規(というか追加)ルールの議論に入って良し、ということかな? 前スレ1のルール三条に、新規(追加)ルールを上書きということで。 ちなみに追加ルールは 161ね。 もうひとつ付け加えるなら、 異民族国家や征服王朝の武将はその時代の最初から選抜して良し、という時間枠を設定したい。 198 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 00 53 06 ID k9cHV6vm0 よろしいのではないでしょうか。 そのうち清末により詳しい方も参加されると思いますし。 199 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 00 58 01 ID ccC5uxEZ0 異民族国家といっても、ある意味春秋戦国時代からして 該当する気がしないでもない。 200 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 01 04 16 ID LKoNrYsf0 では皆さん 161を読んで吟味していただきたい。 一人で勝手に作り上げたルールだから無意識的に好きな時代を贔屓してるってこともあるだろうし、 そこんとこを指摘してもらってルールを改定、 五胡十六国、遼、蒙古、後金などの異民族国家、征服王朝の武将がすんなり受け入れられる完成版にしていきましょう。 199 確かに。だから本来中原国家に「異民族」なんて括りはいらんはず。 まぁ匈奴とか柔然とかは別問題として。 そこんとこを煮詰めていきましょう。ぜひとも。 201 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 14 30 ID ccC5uxEZ0 中華思想の国を以て中国と為すの? 中国での異民族ってのは、人種ではなく 未開人・蛮族って意味であって、そのため 騎馬民族が異民族とされるんだよね。 それでなければ単純に支配地域で中国 としますか? 202 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 15 11 ID k9cHV6vm0 後金、清の異民族武将たちも、中国国内、 あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物は すべて候補入りの可能性ありとする。 この場合の「中国の武将」というのは、漢族ではなく異民族も含むんだよね。 たとえば後金の費英東なんかは、同族の女真族(満洲族)との 戦闘で主に武勲を挙げた人物なんだけど。 203 200 2007/01/08(月) 01 16 55 ID LKoNrYsf0 異民族なんて括る必要はない、というのは例えば呉王闔慮。 中原からは遥かに遠く、蛮族どもの国と蔑まれながらも、 春秋五覇の一人にまでなった男。 才能と実力でのしあがった人物の代表みたいなもんです。 後世の異民族がそれを模倣して何が悪い? いや、悪くない(反語)というのが俺の持論。 さぁ、議論しましょう。・・・ちょっと眠いけど明日も休みだ、大丈夫。 204 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 01 26 11 ID LKoNrYsf0 202 もちろん異民族同士の抗争で名を上げた将帥も含まれるはず。 誰と戦ったか、ではなくどれほどの将才があったか、が問題なわけだから。 201 ちょいと乱暴ながら中原に乗り込んだ異民族はその時点ですでに中国武将と称していいかと。 そうでないと五胡十六国の一部の国なんかは中国国内に版図を持ちつつも中華国家ではないとされてしまうので。 とにかく中原国家と対決姿勢をとった時点でその国も中国の一部、と断ずるぐらいの切り口でいいのではないかと主張します。 205 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 30 58 ID k9cHV6vm0 現代の中華人民共和国の版図内に過去に都を置き 支那風の国号をもつ王朝、 およびその王朝に直接に結びつく先行政権において、 優れた軍略の才をもち、実際に軍隊を率いて、多くの功績を挙げた人物。 (配下の兵士に慕われればなお良し) という定義はどうだろう。 206 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 35 45 ID k9cHV6vm0 205の定義だと、遼も金も西夏も入るし、 元の先行政権ということでそれ以前のモンゴル帝国も含むことができる。 清の先行政権の後金も入るし、 一方で高句麗とかベトナム、新疆のイスラム政権は対象外。 207 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 01 38 48 ID LKoNrYsf0 205 いいですね、その定義。 それなら蒙古→元、 後金→清と繋げることにほぼ問題はなくなる。 (創業期の国家には将才と人望を兼ね備えた人物が多く排出するし) ただ、燕雲十六州の契丹はどうするべきか。 俺が定義した「国境地帯で中華国家と戦い勝利した人物」でいけるかな? 208 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 44 49 ID k9cHV6vm0 契丹=遼では駄目なんだっけ? 燕雲十六州って、現代だと中華人民共和国ではない? 209 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 01 45 54 ID LKoNrYsf0 あ、現在の中国の版図だと遼も入るのか。 グレイト。申し分ないですな。これを新規ルールとすることで問題ない? 結構短期決戦で議論終息しましたな。 あとは春秋戦国に戻って、時代ごと10人に増やす、削るの作業だけか。 210 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 01 49 21 ID k9cHV6vm0 えっ、205の定義でいいのかな? まあ、明日以降に他の人にもチェックしてもらいましょうか。 今日は落ちますね。おやすみなさい・・・ 211 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 01 57 39 ID LKoNrYsf0 205の定義が完全であるかどうか他の有志たちにも諮ってもらうとして、 俺も寝ますかね。連休だからといって延々起きてるのも体に悪いし。 212 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 02 00 59 ID ccC5uxEZ0 205の定義だと、古い時代の方に無理が出るような。 好きなこと書いて、俺も落ちるけど。 213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 02 01 48 ID I2J5S0VT0 そこまでいくと、もう中国の武将じゃあねえよなあと思ってしまう。 遼もモンゴルも後金も、当時の中原王朝からは明確に外国扱いされているんだがなあ。 ここまでの流れは「この人物を入れたいから定義をここまで拡大しよう」みたいに見受けられる。 そのあたりを語りたいのなら「中国で活躍した外国人武将」スレでも立てたらと思う。 214 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 02 23 19 ID AAsiG5VE0 129を書いたものなんだが。 129で書いたとおり異民族武将とか異民族政権だからどうこうと言うのは無いし、 除外はやりすぎだとは思ったが、戻ってきてみると意外な方向に話が進んでて驚いた。 先行政権までとは、ちと無秩序に拡大しすぎなんじゃないか? 129で俺が言いたかったのは、基準が存在するのだから、まずそちらに照らし合わせ、 それに従って粛々と選考を進めようと言う事なのだが・・・。 また、新規ルールを作るにしても数時間で決定では議論の時間が短すぎると思う。 用事や仕事がある人も多いンのだから、最低でも一日位は置いた方がいいんじゃないか。 215 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 02 45 58 ID vXfaXOHi0 現在の確定武将 楽毅 (燕) 魏無忌 (魏) ※信陵君 白起 (秦) 李牧 (趙) 王翦 (秦) 韓信 (前漢) 霍去病 (前漢) 衛青 (前漢) 灌嬰 (前漢) 曹操 (後漢) 鄧艾 (曹魏) 石勒 (後趙) 祖逖 (東晋) 王猛 (前秦) 劉裕 (劉宋) 檀道済 (劉宋) 韋叡 (梁) 陳慶之 (梁) 拓跋珪 (北魏) 高歓 (北魏) 宇文泰 (北魏) 楊素 (隋) 李世民 (唐) 李孝恭 (唐) 李靖 (唐) 李勣 (唐) ※徐世勣 裴行倹 (唐) 郭子儀 (唐) 李克用 (唐) 朱温 (後梁) 李存勗 (後唐) 郭威 (後周) 柴栄 (後周) 趙匡胤 (北宋) 曹彬 (北宋) 楊業 (北宋) 狄青 (北宋) 宗沢 (南宋) 岳飛 (南宋) 完顔宗望 (金) ※斡魯補(オリブ) 孟[王共] (南宋) 拡廓帖木児 (元) ※ココ・テムル 徐達 (明) 常遇春 (明) 朱棣 (明) ※永楽帝 戚継光 (明) 袁崇煥 (明) 奴児哈赤 (後金) ※ヌルハチ 阿巴泰 (清) ※アバタイ 施琅 (清) 策稜 (清) ※ツェリン 僧格林沁 (清) ※センゲリンチン 計52名 後漢建国連中が確定してない? ヌルハチは定義によっては外れる? 216 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 06 51 47 ID lvEcNuyCO 205 つまり吐蕃もアリ? 217 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 06 52 18 ID NAKHXe030 どうも文禄慶長の役の明側はそれほど優れた将はいないみたいですね 日本はほぼオールスターな感じなのに 218 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 08 37 48 ID 4IbGAhxk0 203 そもそも当時漢民族というくくりが存在してないし 呉楚越の姓名も中原と変わらないから それを持ち出して蒙古や女真と同じように扱うのはおかしすぎると思うな 日本語と中国語並に根っこから異なる言語を話す人種なんだし 219 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 09 03 35 ID /mQ1WrzGO 217 日本側は秀吉がマジで明を攻め滅ぼし大名にその領土を与えようとしてたから。 明側は朝貢の見返りに金・絹などを与えたり、 領土を侵されたらそれを救護しる義務があるから。 日本は戦時態勢にあったが、明は平和ボケしてたので有能な武将が少なかったのでは? 自国も乱れていたことだし。 220 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 10 10 58 ID iaqH3bh50 遼は微妙かもしれんがモンゴルは明らかに中国じゃないな 後金は・・・遼東はやはり中国の外と認識されていたのか? 221 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 10 24 14 ID wRHn2Luk0 先行政権・・・別段無理はないと思うが。 中国国内で活躍した武将=中国の武将、基本的にこれで問題ないのでは? 確かに清末あたりの西洋から中国にやってきて活躍した武将はスレ的におかしいだろうけど。 あとは春秋戦国時代などの分裂期における新ルールの定義を決めたいと思うが、どうか? 222 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 10 48 18 ID wRHn2Luk0 連投。 モンゴルはないってことはないだろ。 元のフビライからして元来モンゴルの皇族なわけだし、途中で王朝の流れが止まったわけでもない。 中国で活躍した外国人武将スレ、を作らずに外国人武将をこのスレ内に組み込むのが新ルールの眼目であって、 独立した別スレを立てるのは本末転倒。実際異民族武将だけでは数に限りがある。 モンゴルに話を戻すとチンギス時代まで遡ると確かに齟齬が出るかも知れんが、 オゴタイ期以降、金との対決姿勢を明らかにした後なら問題ないのでは? 金に取って代わって中原に王朝を立てようとしたのだから。 214 確かに、煮詰めることなく数時間で新ルール確定、なんて言ったのはまずかったな。 やはりある程度長い時間をかけて、侃侃諤諤の議論にかけることは必須条件だった。批判も含めて。 さて、分裂紀におけるルール・・・どう手をつけるべきか。 223 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 11 16 55 ID wRHn2Luk0 さらに連投。 蒙古と南宋が組んだ蔡州の役が太宗オゴタイの6(1234)年、この時期には ある程度モンゴル帝国の体裁も整ってた。 で、トゥルイの活躍はオゴタイの4(1232)年。伐金戦のたった2年前。 スブタイにいたっては定宗3(1248)年まで生きてる。 正式な元の成立は1260年からだが、その空白期間はわずか2、30年でしかない。 それをモンゴル=斬り捨てとするのはあんまりじゃないか? 言語が違うというならのちの元の名将、阿朮もモンゴル語以外は話せなかったわけだし。 224 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 12 26 16 ID wRHn2Luk0 四連投。いい加減にしろとか苦情が来そうだが・・・ 俺が出てきた時点でみんな退避したのか? 誰もレスしないってことは。 とりあえず、分裂期における名将の定義 将兵を慈しんで慕われ、敵からも尊敬を受けた 成否に関わらず、分裂国家の統一に奔走した 純軍事的に領土を拡大した。あるいは敵から国土を守りぬいた ・・・なんか普通に名将の条件だな、これじゃ。 他に分裂期だけに適用される名将の条件があったらよろしく。 225 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 13 21 58 ID lvEcNuyCO 222-223 元を特別扱いしすぎでしょ フビライは歴としたモンゴル帝国の五代目のハーンだし、元はモンゴル帝国の国号なんだし それに1260年は元の成立じゃなくてフビライの即位だよ 元の成立は1271年(まあ1260年とする場合もあるけど) 226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 13 29 51 ID WP+RBqbD0 216 吐蕃はシナ風の国号を持っていなかったのでアウトだろ 227 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 13 56 21 ID I2J5S0VT0 221 その新ルール自体に反対しているのだが。 だからそういうことを語りたいのなら新スレを立てればいい。 221で中国国内で活躍した武将といっておきながら理由もなく西洋人は除外と かってに決めたり。はっきりいって、君個人がモンゴルを加えたいためだけに 新ルールを持ち出したとしか思えない。 228 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 14 04 19 ID HPYsMVEr0 227 西洋人除外、はあくまでアジア圏内にとどめたかったから。 西洋人入れると世界史スレになりそうだし。 実際モンゴル入れたくて新ルールを利用してるのは確かだから返す言葉もないのは確かだけどね。 でも新ルールのほうが柔軟性に富むと思うのもまた事実。 前スレでさんざん議論された耶律休哥もこのルールを適用すれば確実に入るし。 229 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 14 21 33 ID HPYsMVEr0 225 元はモンゴル帝国の国号=モンゴルと元をあえて区別する必要はないってこと? だったら嬉しいが、俺の勘違いだったらすまん。 230 121=205 sage 2007/01/08(月) 14 48 35 ID k9cHV6vm0 勝手に定義を提案したものです。 自分としては「中国史」といった場合、モンゴルもキタイもマンジュも 全部含めてイメージしてしまうので、そこの武将を「中国武将」と認識 するのに違和感はないのですが、「中国史」を「支那史」に限定して イメージする人が多いのにも納得できます。 ただ「支那史」に限定すると、じゃあ鮮卑系の北朝隋唐はどうなんだ、とか そもそも「中原」の概念すら時代によって伸縮しますので、ここはおおらかに 205 を提案した次第です。 231 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 15 13 20 ID I2J5S0VT0 230 中国国内に立てられた政権だから問題ないよ>北朝隋唐 民族を問題にしているのではないよ。所属した国籍(これも近代的な概念だがあえて他の言葉が みつからないので)が問題だと言っています。 中国王朝に仕えたモンゴル人もキタイ人もマンジュ人も中国武将でいいと思いますよ。 でも中国政権ではない明らかな外国扱いの国に仕えた武将を中国の武将扱いには出来ない でしょう、と言っているんです。 山田長政は、シャムに仕えた「シャムの日本人武将」ですが、日本の武将だと言えますか? 逆に日本に帰化して幕府に使えたイギリス人三浦安針を、日本の政治家ではなくイギリス の政治家だなんて言えますか? 232 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 15 13 55 ID lvEcNuyCO 229 区別するもなにも基本的には同じものじゃん モンゴルが弾かれるのは、中華王朝の定義の範囲の都合でしょ そりゃ征服王朝かつ世界帝国なんだから定義の仕方によっては中華王朝じゃなくなる 233 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 15 15 22 ID 7I247Mkx0 新ルール完全版を作ってくれた大恩人の登場だ。ひれ伏さねば。 俺一人だったら本当にただモンゴルから数名入れたいだけの案にしかできなかっただろうし、 230氏には感謝してもしきれないものがある。 こっから本格的に議論しましょう。大哥。 234 121=205 sage 2007/01/08(月) 15 19 58 ID k9cHV6vm0 231 後半部分はまったく異論ありませんが、 すいません、「中国国内」「中国王朝」っていうのは、 どこら辺を想定していますか? たとえばチンギス期のモンゴル人武将や、ヌルハチ・ホンタイジ期の マンジュ・モンゴル武将はアウトとお考えですか? 235 121=205 sage 2007/01/08(月) 15 23 13 ID k9cHV6vm0 233 えーっと、賛同してくれるのはありがたいのですが、 自分でも粗い定義(清末の西洋人武将のことはすっぽり抜けてたし) だと思いますんで、あまりとらわれずに議論してください・・・ 236 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 15 40 30 ID 7I247Mkx0 161で新規ルールの荒い版を出したのは俺なわけだが、 まずそれをここに挙げさせていただく。 まずは 121の「中国≠支那で、広い範囲の『中国武将』を選ぶ」を前提に置き、 「中国王朝に籍をおいた人物」ではなく おもに中国国内で活躍した武将、 の中から選出する。五胡十六国、金、蒙古、後金、清の異民族武将たちも、中国国内、 あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物はすべて候補入りの可能性ありとする。 選考基準はまず才能ありき。遼の耶律休哥のような境界が不鮮明な武将でも、 国境付近で宋軍と戦った実績があり、実際大勝している実績がある人物は10選入りを認める。 当時の宗主国と国境が直接つながっていない国に関しても、その国の人物が中国本土において 十分な戦功を挙げた(トゥルイの金軍100万人覆滅など)のであれば10選入りを認める (この場合当時の宗主国は南宋より金であろうから、普通に認める)。 …というのが当時の俺が考えた定義。これに追加して 武将はあくまでアジアに限定、基本的に現在の中国領に準拠した土地の武将のみから選出し、 清末の西洋人武将は含めないこととする。 すべての時代からまんべんなく武将を選出する、という基本ルールに則り、遼、モンゴル、後金 など現在の中国領土で活躍した武将たちからも平等に選考する。 これに205氏の定義を重ねればおおかた平等な選考が可能だと思うが、どうか? 237 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 15 44 25 ID 7I247Mkx0 ちょいと訂正。 現在の中国領の武将からのみ ↓ 中国領及び、中華国家に軍事的・文明的影響を及ぼした周辺国家の武将から に変更。 238 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 15 49 15 ID AAsiG5VE0 う~ん・・・ チンギス期のモンゴル人武将に思い入れのある人の気持ちも理解できんでは無いんだが。 じゃあ、マッカーサーや、沖縄戦司令官のバックナー中将は日本軍人かね? もしも警察予備隊や自衛隊に所属したアメリカ人がいたとすれば、彼らは日本軍人かどうかの 検討に値すると思うが。 俺は 231に賛成。 民族によって除外は大反対だが、例えば「中華政権成立以降」といような区切りを設けた方が良い。 「無制限に先行政権まで認める」のは反対。 中華政権成立以降といっても、その時実績のある武将まで含めるか、在籍・存命まで含めるかといった 細かい区切りをどこにするかの話合いには賛成。 その結果、スブタイやトゥルイも入れてよし、となれば候補に入れるべきだと思う。 239 231 sage 2007/01/08(月) 15 53 19 ID I2J5S0VT0 234 あくまで個人的な考えですが。 中国国内>いわゆる秦および漢(西域やベトナムの辺りを除く)の領域かな。もちろん 時代によって変化、拡大しているものですが。チベットやモンゴルは現在は中共の 領土内ですが、だからって過去にさかのぼって中国扱いはできないと思います。 (政治的にはまた別の話) 日本にとっての沖縄や北海道みたいなものですか。 中国王朝>基本はこの範囲に拠点を置いて(首都)支配した王朝、ですか。 ただ侵略王朝は難しい。おおざっぱな考えですが、国号・元号など中華王朝の体裁を 整え、かつ中原を支配できれば中国王朝扱いでもいいかなあと思う。江南の亡命 政権(六朝、南宋)は別ね。 五胡は中国内(長城以南)で国を建てているからOK。遼はアウト。金は少なくとも精康 の変以後(首都を問題にすると海陵王以降になってしまうな)。清は入関以降、後金は アウト。モンゴルはフビライの即位ないし元朝成立以降、フビライの支配下に入った人達。 それ以前のモンゴルはやはり外国扱いかと。 240 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 15 59 30 ID iaqH3bh50 236 宗主国云々の意味がよく分からんのだが チンギス期のモンゴルや後金を入れるということは冒頓やエセンなんかも 入れてもいいってことか? 241 231 sage 2007/01/08(月) 16 02 05 ID I2J5S0VT0 追加。 征服王朝の樹立に貢献した武将は、入れてもいいんじゃないかと思ってます。 例えば精康の変で活躍して中原を征服した金の武将たち。入関以降、李自成を 撃破して中国を征服していった清朝初期の武将たち。あくまで中国征服に貢献 した武将だから、モンゴルだったら金を征服したトゥルイやスブタイは入るが ロシアや中東で活躍したバトゥたちは入らない。 242 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 16 05 29 ID 7I247Mkx0 240 その当時中原を支配していて他国から歳貢を受けていた国。 だから当時は南宋から歳貢を受けていた金が宗主国と考えているが。 243 242 2007/01/08(月) 16 10 27 ID 7I247Mkx0 240つづき チンギス期のモンゴルを入れるとは言ってないよ。 というかモンゴルが国家としての体裁を整えたのはオゴタイ以降で、 それ以前はひたすら征服欲に突き動かされて膨張を続けていた 国家というには少し語弊がある存在だったので。 244 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 16 11 24 ID q3aW16fg0 現在の中華人民共和国の範囲内で活躍した武将。 吐藩・西夏・遼・金も範疇に入れる。 元は、現在の中国国内で活躍した武将。 (ここら辺は知識不足のため、なんともいえませんが・・・) という簡単な定義でいいと思うのですが、駄目なんでしょうか? 元は中国の外から来た王朝ですが、現在の中国が しっかりと組み込まれています。 それで考えれば中国出身か、現在の中国の範囲内で活躍した人 とすればいいのではと愚考するしだいですが? 245 231 sage 2007/01/08(月) 16 22 19 ID I2J5S0VT0 244 その理屈だと、チベット方面で活動したロシアやイギリスの軍人たち、同じく 日清・日露で活動した日本とロシアの軍人たちも中国武将として扱うと? ティムールは拠点こそ離れているが間違いなく現中国領で活躍しているので彼 も中国武将扱いすると?そういやアレクサンドロスもチベット方面まで進出して きていたな。あれは手前で引き返したのだったか?とにかく現中国領で活動して いたら彼も中国武将扱いか? 246 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 16 34 58 ID 7I247Mkx0 せっかく議論が白熱してきたところに水を差して悪いが・・・。 エセンは10傑候補に入れてもいいと思う。相手が放蕩バカ皇帝だったとはいえ、 統率力、戦闘力ともに十分だろ。 ただまぁ、エセン入れるとどうしても于謙を入れる必要が出て、 明の10人枠にそんな余りはないからせいぜい候補どまりだろうが。 247 244 2007/01/08(月) 16 39 50 ID q3aW16fg0 245 1さんが清末など近代以降の軍人は入れないと言ってるから それは暗黙の了解だと思っていたが、すでに白紙の状態? 248 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 16 46 04 ID 7I247Mkx0 1 の基本ルール3条は健在のはず。 俺たちはその上で新ルールを模索しているわけで。 249 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/08(月) 16 50 41 ID ccC5uxEZ0 247 春秋戦国~漢代あたりの騎馬民族も中国武将扱いするって いうことでもあるんですけど。 250 121=205 sage 2007/01/08(月) 16 50 53 ID k9cHV6vm0 239 レスありがとうございます。 100人というくくりがあるので、やっぱりチンギス期やヌルハチ・ホンタイジ期の 武将は100傑からは外して、「参考武将」にとどめておいたほうがいいかも しれませんね。 246 「支那風の国号をもつ王朝に仕えて」という条件を入れたらどうでしょう? 247 このスレで言う「近代以降」は「1840年以降」ではなく、 清滅亡(1912)までを指すらしいですが・・・?
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https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/84 十八史略 光武皇帝 2011-04-23 11 11 17 | 十八史略 気佳なる哉、鬱々葱々然たり 世祖光武皇帝名秀、字文叔、長沙定王發之後也。景帝生發。發生舂陵節侯買。侯再三世。徙封以南陽白水郷爲舂陵、宗族往家焉。買少子外。外生囘。囘生南頓令欽。欽生秀於南頓。有嘉禾一莖九穂之瑞。故名。先是有望氣者。望舂陵曰、氣佳哉。鬱鬱葱葱然。王莽改貨曰貨泉。人以其字爲白水眞人。秀竟從白水起。隆準日角。受尚書通大義。嘗過蔡少公。少公學圖讖。言、劉秀當爲天子。或曰、國師公劉秀乎。秀戲曰、何由知非僕邪。 世祖光武皇帝名は秀、字(あざな)は文叔、長沙の定王發の後(のち)なり。景帝發を生む。發、舂陵(しょうりょう)の節侯(せつこう)買を生む。侯たること再三世なり。封を徙(うつ)し南陽の白水郷を以って舂陵と為し、宗族往(ゆ)いて家す。買の少子を外という。外、回を生む。回、南頓の令欽を生む。欽、秀を南頓に生む。嘉禾一莖(かかいっけい)九穂(すい)の瑞(ずい)有り。故に名づく。是より先、気を望む者有り。舂陵を望んで曰く、気佳なるかな。鬱鬱葱葱(そうそう)然たり。王莽、貨を改め貨泉という。人、その字を以って白水真人となす。秀竟(つい)に白水より起こる。隆準(りゅうせつ)にして日角(にっかく)あり。尚書を受けて、大義に通ず。嘗て蔡少公に過(よぎ)る。少公、図讖(としん)を学ぶ。言う、劉秀当(まさ)に天子と為るべし、と。或る人曰く、国師公劉秀か、と。秀戯れて曰く、何に由(よ)って僕に非ざるを知るか、と。 世祖光武皇帝、名は秀で字は文叔という。長沙の定王發の子孫である。景帝(在位前156年~前141年)が発を生み、発が舂陵の節侯の買を生んだ。買の後、その地に侯として二、三代続いたが、その後南陽の白水郷に移り、その地を同じく舂陵と名づけ、一族をあげて定住した。買の末子を外といい、外は回を生み、回は欽を生み、欽は河南省南頓県の県令になり、秀が生まれた。その時、稲の一茎から九房の穂が出るという瑞兆があった。それで禾(いね)が乃(のびる)の意をとって秀と名づけた。これより先よく気を占う者が舂陵を望んで「なんとすばらしい。鬱々葱々と雲気の立ち昇ることよ」と言った。また王莽が貨幣を変えて貨泉を造ったとき、ある人がその文字は白水真人と分解できると言ったことがあるが、はたして白水から劉秀というまことの道を体得した人が現れた訳である。鼻が高く額が尖って天子の相があった。師について尚書を学んだが、たちまち大意を悟った。嘗て蔡少公の邸に立ち寄った。少公は図讖の学を学んでいたので、「劉秀という者が将来天子になるであろう」と言った。すると居合わせた客が「国師公の劉秀(別人)だろうか」と言うと、劉秀は冗談めかして「私も劉秀だが、あなたはどうして私でないと思うのだろうか」と言った。 鬱々葱々 気がさかんに昇るさま。 隆準 鼻梁が高い。 日角 額の上部が隆起している相。 図讖 未来の吉凶を予言した書。 国師公劉秀 七略を著した劉歆(きん)のこと、国師となり秀と名乗った。後に王莽を殺そうと図って自殺した。 十八史略 劉縯・劉秀立つ 2011-04-26 11 19 44 | 十八史略 及新市・平林兵起、南陽騒動。宛人李通、迎秀起兵。秀兄縯、字伯升、慷慨有大節。常憤憤欲復社稷。平居不事家人生業。傾身破産、交結天下雄俊。至是分遣親客、發諸縣兵。縯自發舂陵子弟。皆恐懼亡匿。曰、伯升殺我。及見秀絳衣・大冠、驚曰、謹厚者亦復爲之。乃自安。部署賓客、招説諸帥。新市・平林・下江兵、皆來會。兵多無所統一。欲立劉氏從人望。下江將王常欲立縯。新市・平林將帥、憚其威明、遂立更始、以縯爲大司徒、秀爲將軍。 新市・平林の兵起るに及んで、南陽騒動す。宛人李通(えんひと、りとう)、秀を迎えて兵を起こす。秀の兄縯、字(あざな)は伯升、慷慨(こうがい)にして大節あり。常に憤憤として社稷(しゃしょく)を復せんと欲す。平居家人の生業を事とせず。身を傾け産を破り、天下の雄俊と交結す。是(ここ)に至って親客を分遣(ぶんけん)し、諸県の兵を発す。縯自ら舂陵の子弟を発す。皆恐懼(きょうく)して亡(に)げ匿(かく)る。曰く、伯升、我を殺す、と。秀が絳衣(こうい)・大冠するを見るに及んで、驚いて曰く、勤厚なる者も亦復(また)これを為すか、と。乃ち自ら安んず。賓客を部署し、諸帥を招説(しょうぜい)す。新市・平林・下江の兵、皆来たり会す。兵多くして統一する所無し。劉氏を立てて、人望に従わんと欲す。下江の将王常、縯を立てんと欲す。新市・平林の将帥、其の威明(いめい)を憚り、遂に更始を立て、縯を以って大司徒と為し、秀を将軍と為す。 新市・平林の兵起ると、南陽も騒然としだした。宛の人李通という者が、劉秀を迎えて兵を起こした。秀の兄縯は、字を伯升と言い、不義・不正を嘆く熱情と、志を変えない強い意志をもっていた。常に時勢を憤り、漢室の再興を期していた。平素から生計家業に目もくれず、身を賭し財産を散じて、天下の英傑俊才と交りを結んだ。ここに至って身内や客分の者たちを遣い、諸県の兵を募った。劉縯自ら舂陵の若者を徴発したが、皆恐れて逃げ隠れて、口ぐちに「伯升に従ったら、我われは敗れて殺されてしまうぞ」と言いあった。ところが劉秀が赤い軍衣に大冠をつけて現れたのを見て、「あの謹しみ深く温厚な人さえ立ったのか」と驚き、はじめて得心した。劉縯は客分の者をそれぞれの部署に配置し、諸将を招き説いた。新市・平林・下江の兵も、皆来て加わった。兵があまりに多く統制が困難となったので、諸将が相談して漢室に続く劉氏を推し立ててその人望に依ろうと思った。下江の将王常は、縯を立てようとしたが、新市と平林の将軍たちは、劉縯の威光と人望や英明をかえって邪魔に思い、御し易い更始将軍の劉玄を立てて、縯を大司徒とし、秀を将軍とした。 劉縯(りゅういん、あるいはりゅうえん) 社稷 土地の神と五穀の神、建国のとき祭壇を設けて祀ったことから、国家朝廷。 絳衣 絳は赤い絹、将軍が用いる軍服。 更始 劉氏一族の玄 十八史略 今大敵を見て勇む。甚だ怪しむ可し 2011-04-28 13 56 08 | 十八史略 秀徇昆陽・定陵・郾皆下之。莽遣王邑・王尋、大發兵平山東。以長人巨無覇爲壘尉、驅虎豹犀象之屬、以助兵勢。號百餘萬。旌旗千里不絶。諸將見兵盛、皆走入昆陽、欲散去。秀至郾・定陵、悉發諸營兵、自將歩騎千餘爲前鋒。尋・邑遣兵數千合戰。秀奔之、斬首數十級。諸將曰、劉將軍、平生見小敵怯。今見大敵勇。甚可怪也。 秀、昆陽・定陵・郾(えん)を徇(とな)えて、皆之を下す。莽、王邑・王尋を遣わし、大いに兵を発して山東を平らげしむ。長人巨無覇(きょむは)を以って塁尉(るいい)と為し、虎豹犀象の属を駆り、以って兵勢を助く。百余万と号す。旌旗(せいき)千里絶えず。諸将、兵の盛んなるを見て、皆走って昆陽に入り、散じ去らんと欲す。秀、郾・定陵に至り、悉(ことごと)く諸営の兵を発し、自ら歩騎千余に将として前鋒と為る。尋・邑兵数千を遣わして合戦せしむ。秀、之を奔(はし)らしめ、首を斬ること数十級なり。諸将曰く、劉将軍、平生小敵を見るも怯る。今大敵を見て勇む。甚だ怪しむ可し、と。 劉秀は昆陽・定陵・郾の三県に迫って之を降した。王莽は王邑・王尋に大軍を率いて山東を平定させた。大男の巨無覇という者をいくさ目付けにして、虎や豹の猛獣や犀、象の巨獣を駆り立てて軍勢に加えた、その数百万余と号し、軍旗は千里に連なった。王莽軍の優勢なるを見て、諸将は昆陽に逃げ込み、ちりぢりになろうとしていた。このとき劉秀は郾や定陵に急行して各陣営の兵を残らず動員させ、自ら歩兵と騎兵あわせて千余の将として先鋒になった。王邑と王尋は数千の兵を繰り出して応戦させた。劉秀はこれを敗走させて数十に上る首級をあげた。諸将は驚いて、「劉将軍はいつもは少数の敵にも尻込みするほどであるのに、いま大敵にあたって勇敢に戦われた。まことに不思議である」と。 徇(とな)え 命令して回る、告知する、国を攻め取る。 巨無覇 漢書には、巨毋覇として天鳳の終わりに韓博というものが上奏して、身の丈一丈、身のまわり十囲の巨人で胡虜を撃滅したいとして王莽に推挙しているが、巨(王莽のあざな)覇たること毋(な)しと読めることから博を処刑した、とある。 十八史略 関中震恐す 2011-04-30 10 47 51 | 十八史略 尋・邑兵卻。諸部共乗之。連勝遂前。無不一當百。秀與敢死者三千人、衝其中堅。尋・邑陣亂。漢兵乗鋭崩之、遂殺尋昆陽。城中守者、亦鼓譟出、中外合勢、呼聲動天地。莽兵大潰、走者相踐、伏尸百餘里。會大雷風。屋瓦皆飛、雨下如注。虎豹皆股戰、溺死滍川者萬數。關中聞之震恐。海内豪傑響應、皆殺莽牧守、自稱將軍、用漢年號。旬月徧天下。 尋・邑の兵卻(しりぞ)く。諸部供に之に乗ず。連(しきり)に勝って遂に前(すす)む。一、百に当らざる無し。秀、敢死(かんし)の者三千人と、其の中堅を衝く。尋・邑の陣乱る。漢兵、鋭に乗じて之を崩し、遂に尋を昆陽にころす。城中の守る者、亦鼓譟(こそう)して出で、中外、勢を合わせ、呼声、天地を動かす。莽の兵大いに潰(つい)え、走る者相践(ふ)み、伏尸(ふくし)百余里。会々(たまたま)大雷風有り。屋瓦(おくが)皆飛び、雨の下(ふ)ること注(そそぐ)が如し。虎豹皆股戦(こせん)し、滍川(ちせん)に溺死する者万数なり。関中之を聞いて震恐(しんきょう)す。海内(かいだい)の豪傑饗応し、皆莽の牧守(ぼくしゅ)を殺し、自ら将軍と称し、漢の年号を用う。旬月(じゅんげつ)にして天下に徧(あまね)し。 王尋・王邑の軍勢が退却した。漢の各部隊はこれに乗じて、連勝を重ねて進撃した。一騎が敵兵百人当たる奮戦を繰りひろげた。劉秀は決死の兵三千人と供に、敵軍の中核を衝いた。王邑と王尋の陣は乱れ、漢の兵は勢いに乗じて敵を切り崩し、遂に王尋を昆陽で殺した。城中で守備についていた者も太鼓を打ち声を挙げて撃って出た。内と外と勢いを合わせ、その喊声は天地を揺るがすばかりであった。王莽の軍は総崩れとなり、潰走する兵は践(ふ)みつ践まれつ、たおれた屍骸は百里余りも続いた。折りしも雷と暴風が起こり、屋根瓦は吹き飛び豪雨は滝のようであった。そのため敵の猛獣どもは、震えおののき、滍川に溺死する者万を数えた。関中一帯がこの敗報を聞き震えあがった。天下の豪傑はこれに呼応して立ち、王莽の任命した地方長官を次々に襲って殺し、自ら将軍と称して、漢の年号を用いるようになった。わずか一箇月で漢の威令が天下にあまねく行き渡った。 股戰 戦はおののく、足が震える。 十八史略 惟枕席に涕泣する処あるのみ 2011-05-03 16 50 48 | 十八史略 縯兄弟威名日盛。更始殺縯。秀不敢服喪、飮食言笑。惟枕席有涕泣處。更始慙、拜秀大將軍、封武信侯。未幾以秀行大司馬事、遣徇河北。所過除莽苛政。南陽禹、杖策追秀、及於鄴。秀曰、我得專封拜。生遠來、寧欲仕乎。禹曰、不願也。但願明公威加於四海、禹得效其尺寸、垂功名於竹帛耳。更始常才、帝王大業、非所任。明公莫如延攬英雄、務悦民心。立高祖之業、救萬民之命、天下不足定也。秀大悦、令禹常宿止於中、與定計議。 縯兄弟の威名日に盛んなり。更始縯を殺す。秀敢えて喪に服せず、飲食言笑す。惟枕席(ちんせき)に涕泣(ていきゅう)する処有るのみ。更始慙(は)じて、秀を大将軍に拝し、武信侯に封ず。未だ幾(いくばく)ならずして、秀を以って大司馬の事を行わしめ、河北を徇(とな)えしむ。過ぐる所莽の苛政を除く。南陽の禹、策を杖つき秀を追い、鄴(ぎょう)に及ぶ。秀曰く、我封拝を専(もっぱ)らにするを得たり。生(せい)遠く来るは、寧ろ仕えんと欲するか、と。禹曰く、願わざるなり。但(た)だ願わくは明公の威徳四海に加わり、禹其の尺寸を效(いた)すを得て、功名を竹帛(ちくはく)に垂(た)れんのみ。更始は常才、帝王は大業、任ずる所に非ず。明公、英雄を延攬(えんらん)し、務めて民心を悦ばしむるに如(し)くは莫(な)し。高祖の業を立てて、万民の命を救わば、天下は定むるに足らざるなり、と。秀、大いに悦び、禹をして常に中(うち)に宿止(しゅくし)せしめ、与(とも)に計議を定む。 劉縯・劉秀兄弟の声望は日増しに高まっていった。危機感を抱いた更始帝と側近たちに劉縯は殺されてしまった。劉秀はあえて喪に服さず、普段どおり飲食し、談笑していた。ただ夜床に就いた時に涙するばかりであった。これを聞いた更始帝は心中恥じて、劉秀を大将軍に任じ、武信侯に封じた。さらに程なくして大司馬の任務を行わせ、河北を説き巡らせた。劉秀は行く先々で王莽の悪政の弊害を除いていった。 南陽の禹は、馬の鞭を杖にして秀の後を追って鄴までやって来た。秀は「私は封侯の事や将を拝する専権を得ている、あなたが遠く尋ねて来たのは、私に仕えたいと思ってのことか」と聞いた。禹は「そうではありません、ただ私の願いは、あなた様の威光や徳が天下にあまねく布かれ、わたくしめがほんの僅かでもご助力でき、功名を後の世に残したいのでございます。更始帝は凡庸、帝王は大事業でありますから、とてもつとまりはしません。あなた様には宜しく天下の英雄を糾合し、つとめて民心をよろこばせることが肝要かと存じます。高祖皇帝のような大業を立て、万民の命を救うことだできれば、天下の平定はさして難くはございますまい」と申し上げた。劉秀はたいそう喜び、禹を引き止め、幕中に宿泊させてともに策を練った 十八史略 馮異、豆粥を上る。 2011-05-05 15 11 28 | 十八史略 邯鄲卜者王郎、詐稱成帝子子輿、入邯鄲稱帝。徇下幽冀、州郡響應。秀北徇薊。上谷大守耿況子弇、馳至盧奴上謁。秀曰、是我北道主人也。薊城反應王郎。秀趣出城、晨夜南馳、至蕪蔞亭。馮異上豆粥。至饒陽乏食。至下曲陽。聞王郎兵在後。至滹沱河。候吏還白、河水流澌、無船不可濟。秀使王覇視之。覇恐驚衆、還即詭曰、冰堅可渡。遂前至河。冰亦合。乃渡。未畢數騎而冰解。 邯鄲の卜者王郎、詐って成帝の子子輿と称し、邯鄲に入り帝と称す。幽冀(ゆうき)を徇下(じゅんか)し、州郡饗応す。秀北のかた薊(けい)を徇(とな)う。上谷の太守耿況(こうきょう)の子弇(かん)、馳せて盧奴(ろど)に至って上謁す。秀曰く、是れ我が北道の主人なり、と。薊城反して王郎に応ず。秀、趣(すみや)かに城を出で、晨夜(しんや)南に馳せ、蕪蔞亭(ぶろうてい)に至る。馮異(ふうい)、豆粥(とうじゅく)を上(たてまつ)る。饒陽(じょうよう)に至り食に乏し。下曲陽に至る。王郎の兵後に在りと聞く。滹沱河(こだか)に至る。候吏(こうり)還って白(もう)す、河水流澌(りゅうし)す。船無くば済(わた)る可からず、と。秀、王覇をして之を視しむ。覇、衆を驚かさんことを恐れ、還って即ち詭(いつわ)って曰く、冰(こおり)堅くして渡る可し、と。遂に前(すす)んで河に至る。冰も亦合う。乃(すなわ)ち渡る。未だ数騎を畢(おわ)らずして冰解く。 占い師の王郎という者が先の成帝の子の子輿と偽って、邯鄲に入って皇帝と称し幽州・冀州を説き降し、近隣の州や郡が呼応した。劉秀は北方の薊城(けいじょう)を説いてまわっていたが上谷郡の太守耿況の子耿弇が、馬を駆って盧奴県(ろどけん)にかけつけて目通りした。劉秀は「そなたこそ北方の良き案内者だ」と喜んだ。ところが一旦降った薊が寝返って王郎についたので、劉秀は支度もそこそこに薊城を抜け出した。昼夜を分かたず南に逃げ蕪蔞亭に至ってはじめて馮異が豆粥をさしあげた饒陽県に来たころには食糧が底をついた。下曲陽に来ると、王郎の軍がすぐ後ろに迫っていると伝わってきた。さらに滹沱河にさしかかると、斥候が引き返して、「氷が解けだしてきて船がなければ渡れません」と報告した。劉秀はさらに王覇を遣って確かめさせた。覇は全軍の兵が不安に陥ることを恐れて、引き返すと「氷は堅く張っていて渡ることができます」と偽って報告した。そこで進軍して川べりまで来てみると、運よく氷が張りつめていた。ほとんど渡り終わる頃、ついに氷が割れた。 候吏 もの見、斥候の兵。 流澌 氷が解けること。 白 もうす、独白、告白の白。 合 かたまる 十八史略 徳の厚薄に在り、大小に在らざるなり。 2011-05-07 11 26 33 | 十八史略 至南宮遇大風雨、入道傍空舎。馮異抱薪、禹爇火。秀對竈燎衣。異復進麥。至下博城西。惶惑不知所之。有白衣老人。指曰、努力、信都爲長安城守。去此処八十里。秀即馳赴之。時郡縣皆已降王郎。獨信都太守任光・和戎太守邳彤不肯。光出聞秀至、大喜。彤亦來會。發旁縣、得精兵、移檄討王郎。郡縣還復饗應。秀引兵抜廣阿。披輿地圖、指示禹曰、天下郡縣如是。今始得其一。子前言不足定何也。禹曰、方今海内殽亂、人思明君、猶赤子慕慈母。古之興者、在厚薄、不在大小也。 南宮に至り大風雨に遇い、道傍の空舎に入る。馮異(ふうい)薪を抱き、禹(とうう)火を爇(た)く。秀、竈(かまど)に対して衣を燎(あぶ)る。異、復麦飯(ばくはん)を進む。下博城の西に至る。惶惑(こうわく)して之(ゆ)く所を知らず。白衣の老人有り。指さして曰く、努力せよ、信都は長安の為に城守(じょうしゅ)す。此(ここ)を去ること八十里、と。秀即ち馳せて之に赴く。時に郡県皆已(すで)に王郎に降る。独り信都の太守任光・和戎の太守邳彤(ひゆう)肯(がえ)んぜず。光出でて秀来ると聞き、大いに喜ぶ。彤も亦来たり会す。旁県(ぼうけん)を発して、精兵を得、檄(げき)を移して王郎を討つ。郡県還復(またまた)饗応す。秀、兵を引いて広阿を抜く。輿地図を披(ひら)き、禹に指示して曰く、天下の郡県是の如し。今始めて其の一を得たり。子(し)前に定むるに足らずと言いしは何ぞや、と。禹曰く、方今(ほうこん)海内(かいだい)殽乱(こうらん)して人びと明君を思うこと、猶お赤子(せきし)の慈母を慕うがごとし。古(いにしえ)の興りし者は、徳の厚薄に在って、大小に在らざるなり、と。 こうしてやっと信都郡の南宮に来たが、暴風雨に遇い、道ばたの空き家に入って雨宿りした。馮異が薪をかかえ運び、禹が火を燃やし、秀がかまどに向って衣服を乾かすというありさまであった。馮異がまた麦飯を炊いてすすめた。下博城の西方まで落ちのびたが、一行は逃げ惑い、どちらに向えばよいのかわからなくなった。その時、白衣の老人が現れて、行く手を指さしながら言った。「しっかりせよ、信都郡は長安の更始帝に付いて城を守っている。ここから八十里だ」と。劉秀は直ちに馬を走らせて信都に向った。当時このあたりの郡県は皆すでに王郎に降っていたが、信都郡の太守任光と和戎の太守邳彤だけは降服を拒んでいた。そこに劉秀が来たと聞いて任光は大いに喜んで出迎え、邳彤もやって来て加わった。そこで近隣の諸県を徴発して精兵を集め、檄文を廻して、王郎を反撃した。今まで王郎に降っていた郡県は、皆翻って饗応し、劉秀に従った。劉秀は兵をひきいて広阿県を攻め落とした。ある日、地図を広げて禹に指し示して、「天下の郡県はこのように多い、今やっとその一つを手に入れることが出来たばかりだ。そなた、以前に、天下の平定はさして難くはない、自然に定まります。と言った。あれは気休めか」と愚痴を言った。禹は「ただ今天下は乱れに乱れております。人びとは英明な君主の出現を待ち望むこと赤子の慈母を慕うのと同じであります。かのいにしえの大業を興した人を見るに、徳の厚薄によって成し遂げたのであり、領地の大小によってでは、決してありません」と言った。 惶惑 恐れまどうこと。 信都は長安の為に・・長安(更始帝が長安に居たから) 更始帝の為に。 旁県 近隣の傍とおなじ。 輿地図 輿地は輿(こし)のように万物を乗せる大地の意、すなわち地図のこと。 海内 天下。 殽乱 殽もみだれる。 十八史略 赤心を推して、人の腹中に置く 2011-05-10 13 01 36 | 十八史略 耿弇以上谷・漁陽兵、行定郡縣。會秀於廣阿、進抜邯鄲、斬王郎。得吏民與郎交書數千章。秀會諸將燒之曰、令反側子自安。秀部分吏卒、皆言、願屬大樹將軍。謂馮異也。爲人謙退不伐。諸將毎論功、異常獨屏樹下。故有此號。更始遣使、立秀爲蕭王、令罷兵。耿弇説王、辭以河北未平、不就徴。王撃銅馬諸賊、悉破降之。諸將未信降者。降者亦不自安。王敕各歸營勒兵。自乘輕騎、案行諸部。降者相語曰、蕭王推赤心、置人腹中。安得不效死乎。悉以分配諸將、南徇河内。 耿弇(こうかん)、上谷・漁陽の兵を以って、行く行く郡県を定む。秀に広阿に会し、進んで邯鄲を抜いて、王郎を斬る。吏民の郎と交わるの書数千章を得たり。秀、諸将を会し、之を焼いて曰く、反側子をして自ら安んぜしめん、と。秀、吏卒を部分するに、皆言う、願わくは大樹将軍に属せん、と。馮異(ふうい)を謂(い)うなり。人となり謙退にして伐(ほこ)らず。諸将功を論ずる毎に、異、独り樹下に屏(しりぞ)く。故に此の号有り。 更始使いを遣(つか)わし、秀を立てて蕭王(しょうおう)と為し、兵を罷(や)めしむ。耿弇、王に説き、辞するに河北未だ平らがざるを以ってし、徴(め)しに就かざらしむ。王、銅馬の諸賊を撃ち、悉く破って之を降す。諸将未だ降者を信ぜず。降者も亦自ら安んぜず。王、敕(ちょく)して各々営に帰って兵を勒(ろく)せしむ。自ら軽騎に乗り、諸部を案行す。降将相語って曰く、蕭王、赤心を推して、人の腹中に置く。安(いづ)くんぞ死を效(いた)さざるを得んや、と。悉く以って諸将に分配し、南のかた河内(かだい)を徇(とな)う。 劉秀と別れていた耿弇は、上谷・漁陽の兵を率いて行くさきざきで多くの郡県を平定した。広阿で劉秀と会し、さらに進んで邯鄲を攻略して王郎を斬り殺した。官吏や民で王郎と誼(よしみ)を通じていたことを明かす、書簡数千通を手に入れた。劉秀は諸将を集め、その一つを焼き捨てて言った「王郎についていた者もこれで安心して眠ることができよう」と。その後劉秀が吏卒を編成すると、皆が「願わくは大樹将軍に属したい」という。大樹将軍とは馮異のことである。その人となりが謙虚で、功名を誇らず、諸将が軍功を論争しているとき、いつも一人大樹の下に退いていた。それでこう呼ばれるようになった。 更始帝は使者をおくり、劉秀を蕭王に立て、戦をやめて来朝するよう命じた。耿弇は、蕭王劉秀に説いて、河北が未だ平定されていないとして、召還に応じさせなかった。そして銅馬の諸賊を伐ち、ことごとく破って降服させた。だが将軍たちは、降伏した者達を信用できず、降者もまた自ら安心することができないでいた。蕭王劉秀は詔勅を下して、降将たちをもとの陣営に帰らせて、部下を統括させた。そして自身は兵装なしの身軽な出で立ちで、馬を駆って各部隊を巡察した。そこで投降した者たちは口々に「蕭王はご自身の誠実な心が、人の身にも移され宿っていると信じて疑わない。どうしてこのお方に命を投げ出さないでいられようか」と語り合った。蕭王はこれらの兵たちを諸将の下に配置し、南のかた河内地方を説き従えた。 伐る 誇る、手柄 屏く 退く、かくれる。 勒せしむ 統率させる。 案行 調べてまわる、巡察。 赤心を推して、人の腹中に置く 真心を以って人に接し少しもへだてをおかないこと、人を信じて疑わないこと。 十八史略 蕭王劉秀帝位に即く 2011-05-12 09 54 24 | 十八史略 赤眉西攻長安。王遣將軍禹等兵入關。禹薦寇恂。文武備具、有牧民御衆之才。使守河内。王自引兵徇燕・趙、撃尤來・大槍等諸賊、盡破之。王還至中山。諸將上尊號。不許。至南平棘、固請。又不許。耿純曰、士大夫捐親戚、棄土壌、從大王於矢石之間。固望攀龍鱗、附鳳翼、以成其所志耳。今留時逆衆。恐望絶計窮、則有去歸之思。大衆一散、難可復合。馮異亦言、宜從衆議。會儒生強華、自關中奉赤伏符來。曰、劉秀發兵捕不道。四夷雲集、龍鬭野。四七之際、火爲主。羣臣因復請。乃即皇帝位于鄗南、改元建武。 赤眉西のかた長安を攻む。王、将軍禹等の兵をして関に入らしむ。禹、寇恂(こうじゅん)を薦(すす)む。文武備具し、民を牧し、衆を御するの才有りと。河内(かだい)を守らしむ。王自ら兵を引いて燕・趙を徇え、尤來(ゆうらい)・大槍等の諸賊を撃ち盡く之を破る。王還って中山に至る。諸将、尊号を上(たてまつ)る。許さず。南平棘(なんぺいきょく)に至り、固く請う。又許さず。耿純(こうじゅん)曰く、士大夫、親戚を捐(す)て、土壌を棄てて、大王に矢石(しせき)の間に従う。固(もと)より龍鱗を攀(よ)じ、鳳翼に附き、以って其の志す所を成さんと望むのみ。今、時を留め衆に逆らう。恐らくは望み絶え計窮まらば、則ち去帰の思い有らん。大衆一たび散ぜば、復た合(がっ)す可きこと難からん、と。馮異も亦言う、宜しく衆議に従うべし、と。会々(たまたま)儒生強華、関中より赤伏符(せきふくふ)を奉じて来る。曰く、劉秀、兵を発して不道を捕(とら)う。四夷(しい)雲集し、龍、野(や)に闘う。四七の際、火を主と為す、と。群臣因(よ)って復請う。乃(すなわ)ち皇帝の位に鄗南(こうなん)に即(つ)き、建武と改元す。 赤眉が西方更始帝の長安を攻めた。蕭王劉秀は、将軍禹らの兵を、函谷関から長安の救援に向わせた。禹は出陣にあたって、文武兼ね備え民を教導し衆を統治する才があるとして、寇恂を推薦した。蕭王は寇恂に河内の留守を任せ、自ら兵を率いて燕や趙の平定に向かい、尤來・大槍らの諸賊を攻め、撃ち平らげた。蕭王が凱旋して中山郡に着いたとき諸将が皇帝の尊号を上ったが、ゆるさなかった。常山郡の南平棘に至ったとき将軍たちが再び強く願い出たが、これも却下した。 耿純が王に説いた。「しかるべき家柄の者たちが、親兄弟に別れ、土地を離れて矢玉をくぐり、大王に従っているのは、あたかも龍の鱗に取り付いたり、鳳凰の翼にすがったりするように、王によって、おのおの志を遂げようとしているのに外なりません。今この好期を逃し、将士の期待に背かれましたら、おそらく意気消沈し、先行き不安になって、故郷に帰る者も出てきましょう。この大勢の者たちが一旦散じてしまえば、再び集めることはもはや適いますまい」と。馮異も「どうか皆の意見にお従いください」と言った。ちょうどその折、儒生の強華という者が、関中から赤伏符なる予言書を携えやって来た。それには「劉秀が兵を起こして無道の輩を捕える。天下のつわものどもが雲の湧き出るごとく立ち上がり、龍が野に戦う如くであるが、四七の数にあたって、火の徳にあたる者が天下の主となる」とあった。群臣はこの予言書によって再び天子の位に即くことを願ったので、劉秀は鄗県の南で即位し、建武(西暦25年)と改元した。 民を牧し 牧は導くこと。 捐て 捨てると同義、義捐金は義のためになげうつ金の意。 矢石 弓矢と弩の弾。 龍鱗鳳翼 龍も鳳も天子の象徴。 赤伏符 符は予言書、赤は漢の象徴の火徳をあらわす。 四七二十八、劉秀が二十八歳で兵を起こしたから。鄗県 常山郡(今の河北省)にあった。 建武(けんぶ) 後醍醐天皇が光武帝に倣って建武(けんむ)を用いた(1334年) https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/83 十八史略 光武帝、洛陽に都す。 2011-05-14 20 40 35 | 十八史略 赤眉樊崇等、立宗室劉盆子爲帝。年十五。時在軍中主牧羊。被髪徒跣、敝衣赭汗、見衆拝、恐畏欲啼。 賊入長安。更始走。帝下詔、封爲淮陽王。 宛人卓茂、嘗爲密令。教化大行。道不拾遺。上即位、先訪求茂、以爲太傅、封褒侯。 車駕入洛陽。遂都之。 關中未定。禹引衆而西。號百萬。所至停車駐節、勞來百姓。垂髫戴白滿車下。名震關西。至□邑。久不進兵。赤眉大掠而出。禹乃入長安。赤眉復入。禹戰不利走。徴還京師。遣馮異入關。禹慚無功、要異共攻赤眉。大戰於囘溪、敗績。収散卒堅壁。已而大破赤眉於崤底。璽書勞異曰、始雖垂翅囘溪、終能奮翼澠池。可謂失之東隅、収之桑楡。 赤眉の樊崇(はんすう)等、宗室劉盆子を立てて帝と為す。年十五なり。時に軍中に在って、牧羊を主(つかさど)る。被髪徒跣(ひはつとせん)し、敝衣赭汗(へいいしゃかん)、衆の拝するを見れば、恐畏(きょうい)して啼かんと欲す。 賊、長安に入る。更始走る。帝、詔を下して、封じて淮陽(わいよう)王と為す。 宛人(えんひと)卓茂(たくも)、嘗て蜜の令と為る。教化大いに行わる。道遺ちたるを拾わず。上、位に即くや、先ず茂を訪求し、以って太傅(たいふ)と為して、褒侯に封ず。 車駕(しゃが)洛陽に入る。遂に之を都(みやこ)す。 関中未だ定まらず。禹、衆を引いて西す。百万と号す。至る所車を停め節を駐(とど)めて、百姓(ひゃくせい)を労来(ろうらい)す。垂髫戴白(すいちょうたいはく)車下に満つ。名、関西(かんせい)に震う。じゅん邑(木偏に旬)に至る。久しく兵を進めず。赤眉大いに掠(かす)めて出づ。禹乃(すなわ)ち長安に入る。赤眉も復た入る。禹、戦い利あらずして走る。徴(め)されて京師に還る。馮異を遣わして関に入らしむ。禹、功無きを慚(は)ぢ、異を要して共に赤眉を攻む。大いに回渓に戦い、敗績す。散卒(さんそつ)を収めて壁を堅うす。已にして大いに赤眉を崤底(こうてい)に破る。璽書(じしょ)して異を労して曰く、始め翅(つばさ)を回渓に垂ると雖も、終りに能く翼を澠池(べんち)に奮う。之を東隅に失い、之を桑楡(そうゆ)に収むと謂う可し、と。 赤眉の樊崇らも、漢室の血を引く劉盆子を皇帝に立てた。年は十五歳、当時軍中で羊の世話をしていた。ざんばら髪で裸足、破れた衣服をまとい、日焼け顔に汗を滴らせて、群臣が自分を拝するのを見ると、恐れてほとんど泣き出さんばかりであった。 赤眉の賊軍が長安に攻め入り、更始は逃げた。光武帝(劉秀)は詔を下して、更始を淮陽王に封じた。 宛の人卓茂は以前密県の令であったが、教化が行きとどいて、道に落ちている物を誰も拾おうとしないほどであった。光武帝は即位するや、まず卓茂を探し出し、太傅に迎え褒侯に封じた。 光武帝の車駕が洛陽に入りここを都と定めた。 一方、赤眉が長安にいるので関中はまだ平定していなかった。禹が大軍を率いて西にむかった。その数百万と称していた。行く先々で車を停め、旗印を立てて人々を労わった。垂れ髪の子供から白髪の老人まで、車の周りに群がり迎えた。禹の名は関西中にひびきわたった。じゅん邑県に至ったとき、進軍を止め、赤眉の動静をうかがった。やがて赤眉は掠奪をしながら、長安を出た隙に禹は長安に入城した。すると今度は赤眉がとって返した。禹は戦いに敗れて逃げた。光武帝は禹を洛陽に呼び戻し、代わりに馮異を遣わした。禹は敗戦を恥じ入り、馮異を待って共に力を合わせて赤眉を攻めた。回渓で激戦となり、再び大敗した。そこで散り散りになった兵卒を集めて、今度は堅く守った。やがて好機がめぐり、崤山の麓で大いに破った。光武帝は勅書をおくって馮異をねぎらい、「始め回渓で翅を垂れてしまったが、澠池で羽ばたくことができた、日の出る朝に失い、日の沈む夕べに取り返したというべきか」といった。 太傅 天子の指南役。 節を駐め 将軍の旗印を立て。 要 出迎える、まちぶせる。 東隅 日の出る処、朝。 桑楡 西方の日歿するところ、夕暮れ、六朝の王融の詩序にも見える。 十八史略 遼東の豕(いのこ) 2011-05-17 09 17 42 | 十八史略 赤眉餘衆、東向宜陽。上勒軍待之。樊崇以劉盆子・丞相徐宣等、肉袒降。上陳軍馬、令盆子君臣觀之。謂曰、得無悔降乎。宣叩頭曰、去虎口歸慈母。誠歡誠喜無限。上曰、卿所謂鐵中錚錚、庸中佼佼者也。各賜田宅。 雎陽人斬劉永降。劉永在更始時、立爲梁王。更始亡、永稱帝。至是敗。 漁陽太守彭寵奴、斬寵以降。初上討王郎、寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高、不能滿。幽州牧朱浮、與書曰、遼東有豕。生子。白頭。將獻之。道遇羣意豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。 上徴寵。寵自疑遂反。至是敗。 赤眉の余衆、東の方宜陽(ぎよう)に向かう。上、軍を勒(ろく)して之を待つ。樊崇は劉盆子や丞相の徐宣等を以(ひき)いて、肉袒して降る。上、軍馬を陳(ちん)し、盆子の君臣をして之を観しむ。謂って曰く、「降を悔ゆること無きを得んや」と。宣、叩頭して曰く、「虎口を去って慈母に帰す。誠歓誠喜限り無し」と。上、曰く、「卿は所謂(いわゆる)鉄中の錚錚(そうそう)、庸中(ようちゅう)の佼佼(こうこう)たる者なり」と。各々田宅を賜う。 雎陽(すいよう)の人劉永を斬って降る。劉永は更始の時に在って、立って梁王となる。更始亡ぶや、永、帝と称す。是(ここ)に至って敗る。 漁陽の太守彭寵(ほうちょう)の奴(ど)、寵を斬って以って降る。初め上、王郎を討つや寵、突騎を発し、糧を転じて絶えざらしむ。自らその功を負(たの)み、意望(いぼう)甚だ高く、満つること能わず。幽州の牧朱浮、書を与えて曰く、「遼東に豕(いのこ)有り、子を生む。白頭なり。将(まさ)に之を献ぜんとす。道に群豕(ぐんし)に遇う。皆白し。子の功を以って、朝廷に論ぜば、遼東の豕也」と。上、寵を徴(め)す。寵、自ら疑いて遂に反す。是に至って敗る。 赤眉の残党が東に帰ろうと宜陽まで来た。光武帝は陣容を整えて、待ち構えていた。樊崇は劉盆子や丞相の徐宣(じょせん)等を引き連れ、片肌を脱いで降伏してきた。光武帝は軍馬を整列させて、劉盆子の君臣に見せつけて、こう言った。「降伏したことを後悔することは無いかな」徐宣が頭を地につけて「虎口から脱して慈母のふところに帰った心地にて、誠にこの上なき喜びでございます」と。光武帝は、「そなたは、いわば鉄の中でもまあ良い響きのする部類、凡人の中でも少しはましな方である」と言って、各々田宅を与えた。 雎陽の人が劉永を斬って降伏した。劉永は更始が帝であった頃、自ら立って梁王となり、更始が亡ぶと、皇帝と称していたが、ここに至って滅びたのである。 漁陽の太守彭寵の召使いが主人の彭寵を斬って降った。嘗て光武帝が王郎戦ったとき、彭寵が精鋭の騎兵を出し、食糧を運んで絶やさないようにした。その功績を自ら多とし、恩賞の望みが高すぎて、常に不満をくすぶらせていた。幽州の長官の朱浮という者が書を送り諌めて言った。「遼東に豕がいて、子を生んだら頭が白いので、これは珍しいと喜び早速献上して恩賞に預かろうと出かけたところ、途中で豚の群れに出会ったらどれもまっ白だったという。君の功績も、朝廷で論じたならば遼東の豕と同じだよ」と。その後、帝が彭寵を召し出したところ、寵は誅されるかと疑って、遂に謀反を起こしたが、ここで敗れたのであった。 肉袒 謝罪の意をあらわすため肌脱ぎして鞭うたれる覚悟を示した。 錚錚 よく鍛えた金属の響き。衆にすぐれたもの。 庸中の佼佼 庸は凡庸、佼佼は人格や才能のすぐれたさま。 突騎 敵軍に突き入る騎兵。 遼東の豕 世間ではありふれたことを知らずに自分一人で得意になること。ひとりよがり。 十八史略 志ある者は事竟(つい)に成る 2011-05-19 10 26 53 | 十八史略 劉永所立齊王張歩降。上初以歩爲東萊太守。已而受永命王齊。將軍耿弇、屢戰大破之、抜祝阿・齊南・臨菑勞軍。謂弇曰、將軍前在南陽建大策。嘗以爲落落難合。有志者事竟成也。歩敗、齊地悉平。 將軍呉漢等、撃斬劉永所立海西王董憲、及叛將寵萌等。江淮山東悉平。時惟隗囂・公孫述未平。上積苦兵間。謂諸將曰、且當置此兩子於度外耳。 劉永の立つ所の齊王張歩(ちょうほ)降る。上、初め歩を以って東萊(とうらい)の太守と為す。已にして永の命を受けて齊に王たり。将軍耿弇(こうかん)、屡しば戦って大いに之を破り、祝阿・斉南・臨菑を抜く。車駕、臨菑に至って軍を労す。弇に謂って曰く、将軍前(さき)に南陽に在って大策を建つ。嘗て以為(おも)えらく、落落として合い難しと。志ある者は事竟(つい)に成る、と。歩敗れ、斉の地悉(ことごと)く平(たいら)ぐ。 将軍呉漢等、撃って劉永が立つる所の海西王董憲(とうけん)及び叛将寵萌(ほうほう)等を斬る。江淮(こうわい)山東悉く平ぐ。時にただ隗囂(かいごう)・公孫述(こうそんじゅつ)未だ平らがず。上、苦を兵間に積む。諸将に謂って曰く、且(しばら)く当(まさ)に此の両子を度外に置くべきのみ、と。 劉永が立てた斉王の張歩という者が投降した。光武帝は初め張歩を東萊郡の太守にした。ところがその後、劉永に封ぜらて斉の王になったのである。漢の将軍の耿弇が度たび張歩と戦って大いにこれを破り、祝阿・斉南・臨菑を攻め取った。光武帝は臨菑に行って、漢軍を労い、弇に向かって「将軍は以前南陽にいて、斉攻略の策を建ててくれたがあまりに壮大で、現実に合わないと思っていたが、なんと志さえ堅ければ何事も、成し得るものであるな」と称賛した。張歩は敗れ、斉の地はことごとく平定した。 将軍呉漢たちが、おなじく劉永が立てた海西王の董憲と、光武帝に叛いた寵萌らを討伐して斬った。これによって江淮、山東の地もすべて平定した。このとき、ただ隗囂と公孫述だけがまだ服さないでいた。帝は数しば、戦場で苦杯を舐めさせられていたので将軍たちに「あの二人は、しばらく度外に置くことにしよう」と言った。 落落 志の広く大きいさま、おおまかなさま。 度外 考慮に入れない、度外視。 十八史略 願わくは寇君を借ること一年せん 2011-05-21 09 28 31 | 十八史略 馮異自長安入朝。上謂公卿曰、是我起兵時主簿也。爲吾披荊棘、定關中。詔勞異曰、倉卒蕪蔞亭豆粥、滹沱河麥飯。厚意久不報。 建武八年、上自將征隗囂。潁川盗起。上還、謂執金吾寇恂曰、潁川迫近京師。獨卿能平之耳。從九卿復出可也。恂勸上親征。賊悉降。恂竟不拝郡。百姓遮道曰、願借寇君一年。乃留恂鎭撫。大軍不戰而還。 馮異(ふうい)長安より入朝す。上、公卿(こうけい)に謂って曰く、是、我が兵を起こしし時の主簿なり。吾が為に荊棘(けいきょく)を披(ひら)き、関中を定む、と。詔(みことのり)して異を労して曰く、倉卒(そうそつ)蕪蔞亭(ぶろうてい)の豆粥(とうじゅく)、滹沱河(こだか)の麥飯(ばくはん)、厚意久しく報ぜず、と。 建武八年、上、自ら将として隗囂(かいごう)を征す。潁川(えいせん)、盗起こる。上還って執金吾寇恂(しっきんご、こうじゅん)に謂って曰く、潁川は京師(けいし)に迫近す。独り卿(けい)能く之を平らげんのみ。九卿より復(また)出でて可ならんか、と。恂、上に勧めて親征せしむ。賊悉(ことごと)く降る。恂竟(つい)に郡を拝せず。百姓(ひゃくせい)、道を遮って曰く、願わくは寇君を借ること一年せん、と。乃ち恂を留めて鎮撫(ちんぶ)せしむ。大軍戦わずして還る。 馮異が長安から朝廷に参内した。帝は大臣たちに「馮異は自分が始めて兵を挙げた時の秘書官で、私のためにいばらを切り開いて、関中を平定してくれたのだ」さらにねぎらいの詔を下したが「あわただしい逃避行の最中に蕪蔞亭で工面してくれた豆粥や滹沱河での麦飯、あの折の厚意に未だ礼を言っていなかった。」と謝した。 建武八年(32年)、光武帝は自ら軍を率いて隗囂の討伐に向った。だが潁川郡に賊が起こった。帝は洛陽に引き返して、執金吾の寇恂に「潁川は洛陽に隣接した重要な地である。そなたでなければ平定できない。九卿の執金吾からひとつ潁川郡の長官に出向してくれまいか」しかし寇恂は親征を勧めたので、帝自ら討伐することになった。すると賊はすべて降伏した。結局寇恂は長官を拝命せず帝に随って還ろうとしたところ、沿道の人びとが道を遮って、「どうか寇恂さまを一年だけ私どもにお貸し与えください」と嘆願した。そこで寇恂をこの地に留めて治めさせることにした。かくて討伐の大軍は戦わずして還った。 主簿 庶務を統括する官。 荊棘を披き 争乱を鎮めることに譬えた。倉卒 あわてるさま。 執金吾 皇室警護の官。 十八史略 井底の蛙 2011-05-24 09 23 59 | 十八史略 建武九年、隗囂死。囂自更始初年起兵、至建武初、據天水、自稱西州上將軍。後嘗遣馬援往成都、觀公孫述。援與述舊。謂當握手歡如平生。時述已稱帝四年矣。援既至。盛陳陛衞以延援。援謂其屬曰、天下雌雄未定。公孫不吐哺迎國士。反修飾邊幅、如偶人形。此何足久稽天下士乎。因辭歸。謂囂曰、子陽井底蛙耳。而妄自尊大。不如專意東方。 建武九年、隗囂(かいごう)死す。囂は更始初年より兵を起こし、建武の初めに至るまで、天水に拠(よ)り、自ら西州の上将軍と称す。後嘗て馬援を遣わし成都に往き、公孫述を観(み)しむ。援、述と旧あり。謂(おも)えらく当(まさ)に手を握って歓ぶこと平生の如くなるべしと。時に述已に帝と称すること四年なり。援既に至る。盛んに陛衛(へいえい)を陳(ちん)し以って援を延(ひ)く。援其の属に謂って曰く、天下雌雄未だ定まらず。公孫、哺(ほ)を吐いて国士を迎えず、反って辺幅を修飾すること、偶人(ぐうじん)の形の如し。此れ何ぞ久しく天下の士を稽(とど)むるに足らんやと。因(よ)って辞して帰る。囂に謂って曰く、子陽は井底(せいてい)の蛙(あ)のみ。而(しか)して妄(みだ)りに自ら尊大にす。意を東方に専(もっぱ)らにするに如(し)かず、と。 建武九年に隗囂が死んだ。隗囂は更始帝の初年から挙兵し、建武の初めに至るまで、天水(甘粛省)に割拠して自ら西州の上将軍と称していた。その後馬援を蜀の成都に遣わして、公孫述の人物を観察させた。馬援は公孫述とは旧知であったので、会ったら互いに手を握り歓んでくれると思っていた。ところがこの時公孫述は、帝と称してすでに四年経っていた。馬援が行っても、これ見よがしに衛兵を整列させて馬援を引き入れた。援は随行した属官にもらした。「天下未だ定まらず、多くの人材が欲しい今、食事を中断して、口中のものを吐き出してでも引見すべき時だというに、身の周りばかり飾り立て、ただの人形のようだ。これでは天下の国士を抱えることなど出来はしまい」と。 早々に辞去して帰り、隗囂に告げた「子陽(公孫述のあざな)は井の中の蛙にすぎません。やたらと尊大に振舞っているだけの木偶(でく)の坊です。専ら東の光武帝に向けるのがよろしいでしょう」と。 陛衛 陛はきざはし、宮殿の階段にいる儀衛兵。 延 引き入れる。 哺(ほ)を吐いて 周公旦が来客があると、食べかけた物を吐き、洗いかけた髪を握って出迎えた故事「吐哺握髪」による。 辺幅 うわべ、布の縁から。 十八史略 ただ君の臣を択ぶのみに非ず、臣も亦君を択ぶ 2011-05-26 10 22 19 | 十八史略 囂乃使援奉書雒陽。初到、良久即引入。上自殿廡下、岸幘迎、笑曰、卿遨遊二帝間。今見卿、使人大慚。援頓首曰、當今非但君擇臣、臣亦擇君。臣與公孫述同縣。少相善。臣前至蜀。述陛戟而後進臣。臣今遠來。陛下何知非刺客姦人、而簡易若是。帝笑曰、卿非刺客。顧説客耳。援曰、天下反覆、盜名字者不可勝數。今見陛下、恢廓大度、同符高祖。乃知、帝王自有眞也。 囂乃ち援をして書を雒陽(らくよう)に奉ぜしむ。初め至るや、良(やや)久しうして即ち引き入れる。上、殿廡(でんぶ)の下より、岸幘(がんさく)して迎え、笑って曰く、卿(けい)、二帝の間に遨遊(ごうゆう)す。今卿を見るに、人をして大いに慚(は)じしむ、と。援、頓首して曰く、当今は但(ただ)君の臣を択ぶのみに非ず、臣も亦君を択ぶ。臣と公孫述とは同県なり。少(わか)くして相善し。臣前(さき)に蜀に至る。述、陛戟(へいげき)して後に臣を進む。臣今遠く来る。陛下何ぞ刺客(せきかく)姦人に非ざるを知って、簡易なること是(かく)の如きか、と。帝、笑って曰く、卿は刺客に非ず。顧(おも)うに説客(ぜいかく)のみ、と。援曰く、天下反覆(はんぷく)、名字(めいじ)を盗む者数うるに勝(た)う可からず。今陛下を見るに恢廓大度(かいかくたいど)、符を高祖に同じうす。乃ち知る、帝王自ら真有ることを、と。 隗囂はそこでまた馬援に光武帝への親書を託した。到着すると大分待たされてから宮廷に呼び入れられた。光武帝は宮殿の回廊の下から、頭巾も着けないで迎えて入れて笑いかけた。「卿は二人の皇帝の間を気ままに行き来する身のわけだが、なるほど私も恥じ入るほどの器量を備えておられる」。馬援は頭を地につけて言った「当今は君主が臣下を択ぶだけでなく、臣下も君主を択ぶ時勢です。私と公孫述とは同県で、若い頃から親しい間柄でした。ところが先ごろ蜀にまいりますと、述は階下に戟を持った衛兵をつらねて私を迎え入れました。ところが今、陛下とは一面識もない遠来の訪問者でありますのに、どうして刺客でも姦人でもないと見抜かれて、このように気さくにお会い下さるのですか」と。帝はさらに笑って、「卿は刺客などではない、強いて言えば説客(ぜいかく)というところかな」と。援はさらに、「今、天下は変転極まりなく、皇帝の名を騙る者も数え切れぬほどおります。今、陛下を拝しますに、心広く度量が大きく、かの高祖皇帝と符節を合わせたようにお見受けいたしました。帝王となるお方は真の徳を備えておられることをつくずく知らされてございます」と。 雒陽 洛陽に同じ。 殿廡 回廊。 岸幘 岸は額を現わすこと、幘は頭巾、親しみ慣れた様子。 遨遊 遨も遊ぶの意、 反覆 くつがえす。 名字 帝王の称号。 恢廓大度 恢も廓も大きいこと。度量が大きいこと。 十八史略 2011-05-28 11 42 07 | 十八史略 高帝無可無不可 援歸。囂問東方事。援曰、上才明勇略、敵也。且開心見誠、無所隱伏、闊達多大節、略與高祖同。經學博覧政治文辯、前世無比。囂曰、卿謂何如高帝。援曰、不如也。高帝無可無不可。今上好吏事、動如法度。又不喜飮酒。囂不懌曰、如卿言反復勝乎。遣子入侍。 援帰る。囂、東方の事を問う。援曰く、上、才明勇略、人の敵に非ざるなり。且つ心を開き誠を見(あら)わし、隠伏する所無く、闊達にして大節多きこと、略(ほぼ)高祖と同じ、経学博覧、政治文弁、前世比無し。囂曰く、卿、高帝に何如と謂(おも)う、と。援曰く、如(し)かざるなり。高帝は可もなく不可も無し。今、上、吏事を好み、動くこと法度(ほうど)の如くす。又飲酒を喜(この)まず、と。囂懌(よろこ)ばずして曰く、卿の言の如くんば反(かえ)って復(また)勝れるか、と。子をして入(い)って侍(じ)せしむ。 馬援が帰ると、隗囂が洛陽での様子を尋ねた。援は答えて「光武帝は、才明らかに、勇にして機略に富む。敵う人はありますまい。その上、心をさらけ出して誠意をあらわにし、少しも隠すところがありません。度量が広く、信念を堅く守って道義をはずさないことは、かの高祖に似ており、経学にひろく通じ、政治に詳しく、文章、弁舌さわやかです。今までに比べられる人はおりません」と。囂は「高祖とはどちらか」と聞くと、「それは及びません。高帝は可も不可も無い、是非善悪の埒(らち)外におられます。光武帝は役人の実務にも目を向け、行動も礼に外れることなく、酒も好まれません」と答えた。隗囂は不機嫌になって言った「貴公の話だとむしろ光武帝が勝っているようにきこえるぞ」と。そして子の恂を人質に遣って光武帝に仕えさせた。 可も無く不可も無い 孔子が自らを評した言葉、 恂 隗囂には恂と純の子がいたが、どちらが兄か不明。 十八史略 隗囂、病餓恚憤して卒す 2011-05-31 10 07 25 | 十八史略 未幾反。復嘗問班彪以戰國從横之事。彪作王命論諷之。囂不聽。馬援詣行在。上復使游説。仍自賜囂書。囂竟臣於公孫述。述立囂爲朔寧王。上征囂。馬援在上前、聚米爲山谷、指畫形勢、開示軍所從徑道。上曰、虜在吾目中矣。遂進軍。囂奔西城、病餓恚憤而卒。子純降。隴右悉平。 未だ幾(いくばく)ならずして反す。復(また)嘗て班彪(はんぴょう)に問うに戦国縦横の事を以ってす。彪、王命論を作って之を諷(ふう)す。囂聴かず。馬援行在(あんざい)に詣(いた)る。上、復遊説せしむ。仍(よ)って自ら囂に書を賜う。囂竟に公孫述に臣たり。述、囂を立てて朔寧王と為す。上、囂を征す。馬援、上の前に在り、米を聚(あつ)めて山谷(さんこく)を為(つく)り、形勢を指画(しかく)し、軍の従(よ)る所の、径道を開示す。上曰く、虜(りょ)は吾が目中に在り、と。遂に軍を進む。囂、西城に奔(はし)り、病餓恚憤(びょうがいふん)して卒(しゅっ)す。子純降(くだ)る。隴右(ろうゆう)悉く平らぐ。 それから幾ばくもなく隗囂が叛いた。ある時、班彪という学者に戦国時代の合従連衡の策について尋ねたことがあった。班彪は「王命論」を著して、利の無いことを暗にほのめかしたが、囂は耳を貸さなかった。馬援は囂が叛くと、光武帝の宿舎に馳せ参じた。そこで帝は、囂への親書を書いて帰順を説いたが、それでも囂は聴かず、蜀の公孫述の臣となった。述は隗囂を立てて朔寧王にした。光武帝は隗囂征伐を決意した。そのとき馬援は帝の前に居て、米で山や谷をつくり、天水の地形を指で画いて説明し、軍隊が進むべき道を示した。帝は「慮はすべてわが眼中に入った」と喜び、軍を進めた。隗囂は西域に逃れ、病と餓えに苛まれたのちに憤死した。囂の子純も降服して、隴右(甘粛省の東)の地はすべて平定された。 班彪 漢書の著者班固の父。 虜 隗囂のこと。 西城 パミール以西の地域。 恚憤 いかり、いきどおる 十八史略 隴を得て復た蜀を望む 2011-06-02 09 07 36 | 十八史略 十二年、公孫述亡。述茂陵人、自更始時、據蜀稱帝、國號成。上既平隴右曰、人苦不自足。既得隴復望蜀。遣大司馬呉漢等將兵、會征南大將軍岑彭伐蜀。彭在荊門裝戰船。漢欲罷之。彭不可。上報彭曰、大司馬習用歩騎、不暁水戰。荊門之事、一惟征南公爲重而已。彭戰船竝進。所向無前。述使盜刺殺彭。呉漢繼進。至成都撃殺述蜀地悉平。 十二年、公孫述亡ぶ。述は茂陵(もりょう)の人、更始の時より、蜀に拠って帝と称し、国を成と号す。上、既に隴右を平らげて曰く、人自ら足れりとせざるを苦しむ。既に隴を得て復た蜀を望む、と。大司馬呉漢等を遣わし、兵に将として、征南大将軍岑彭(しんほう)に会して蜀を伐たしむ。彭、荊門に在って戦船を装(よそお)う。漢之を罷(や)めしめんと欲す。彭可(き)かず。上、彭に報じて曰く、大司馬歩騎を用うるに習って、水戦を暁(さと)らず。荊門の事は、一(いつ)に惟(ただ) 征南公を重しと為すのみ、と。彭の戦船並び進む。向う所前無し。述、盗をして彭を刺し殺さしむ。呉漢継いで進む。成都に至って撃って述を殺す。蜀の地悉く平らぐ。 建武十二年(36年)に公孫述が亡んだ。述は茂陵の人で、更始帝の時より、蜀を拠点としてみずから帝と称して、国を成と号していた。光武帝は既に隴右を平定すると、「人というものは、満ち足りることができず、自らこうして苦しむ。隴を手に入れた今、次は蜀も欲しくなった」と言って、大司馬の呉漢らを派遣し、兵を率いて征南大将軍岑彭と合流して、蜀を伐たせた。当時岑彭は荊門にあって軍船を準備中であった。呉漢はそれを止めさせようとしたが、岑彭は頑なに拒んだ。呉漢は帝に上書して裁定を仰いだ。帝は岑彭に、「大司馬は歩兵や騎兵の戦は得意だが、水戦には慣れておらぬ、荊門での作戦は征南公岑彭が主導するがよい」と書き送った。岑彭は軍船を連ねて戦い進んだが、向うところ敵なしであった。尋常では勝てないとみて公孫述は刺客を送って、彭を刺し殺してしまった。しかし呉漢が陸路から続々進軍し、蜀の成都に攻入り、公孫述を討ち殺した。こうして蜀の地もすべて平定された。 茂陵 陜西省興平県の地。 荊門 湖北省にある。 盗 刺客。 隴を得て・・・望みを遂げて、さらにその上を望むこと、望蜀。 十八史略 明、万里の外を見る 2011-06-04 09 33 20 | 十八史略 涼州牧竇融、率河西武威・張掖・酒泉・燉煌・金城五郡太守入朝。融自建武初據河西。後遣使奉書。上以爲牧。賜璽書曰、議者必有任囂教尉佗、制七郡之計。書至。河西皆驚、以爲天子、明見萬里之外。上征隗囂。融率五郡兵、與大軍會。蜀平。奉詔歸朝。拝冀州牧。 涼州の牧、竇融(とうゆう)、河西(かせい)の武威・張掖(ちょうえき)・酒泉・燉煌(とんこう)・金城五郡の太守を率いて入朝す。融、建武の初めより、河西に拠る。後、使を遣わして書を奉ぜしむ。上、以って牧と為す。璽書(じしょ)を賜いて曰く、議者、必ず任囂(にんごう)が尉佗(いた)を教えて、七郡を制するの計有らん、と。書至る。河西皆驚き、以為(おも)えらく、天子、明、万里の外を見る、と。上、隗囂を征す。融、五郡の兵を率いて、大軍と会す。蜀平らぐ。詔を奉じて朝(ちょう)に帰る。冀州の牧に拝せらる。 涼州の長官の竇融が河西の武威・張掖・酒泉・燉煌・金城の五郡の太守を率いて入朝してきた。竇融は建武の初めから河西を本拠にしていた。後に使いを派遣して光武帝に書簡を奉った。帝は融を涼州の長官に任命し、御璽をおした書を賜った。その文面に「かつて任囂が南越王の尉佗に、南海七郡を制圧するようにそそのかしたことがあったが、同様の計をそなたに勧める者があろう」とあった。かねてより隗囂から計略を持ちかけられていたので、帝の書が届くと河西の人々は驚き、天子は万里の外までお見通しだと思いおそれた。それで光武帝が隗囂を討伐すると、融は五郡の兵を率いて、漢軍に合流して戦った。 蜀が平定されると、詔に応じて朝廷に帰順し、冀州の長官に任命された。 牧 地方長官。 河西 黄河上流の西にあるから、甘粛省に属す。 冀州 河南、河北、山西地方。 十八史略 匈奴和を請う 2011-06-07 10 31 44 | 十八史略 十八年、代王盧芳死於匈奴。芳安定人。詐稱武帝曾孫劉文伯。自建武初據安定。匈奴迎之、立爲漢帝。數爲邊郡寇患。後來降。王于代。復反奔匈奴。以病死。 二十二年、匈奴求和親。上遣使許之。自呼韓邪單于死于成帝時、其後累世皆仕漢。平帝時、王莽頒條於匈奴、謂中國無二名、諷單于改名。莽簒漢、易漢所賜單于璽曰章。單于怨恨、數寇邊。建武以來、匈奴助盧芳寇 漢。後又數與烏桓・鮮卑、連兵入寇。至是初請和。 十八年、代王盧芳(ろほう) 匈奴に死す。芳は安定の人なり。詐(いつわ)って武帝の曾孫劉文伯と称す。建武の初めより安定に拠る。匈奴之を迎え、立てて漢帝と為す。数しば辺郡の寇患(こうかん)を為す。後来たり降る。代に王たり。復(また)反し、匈奴に奔(はし)る。病を以って死す。 二十二年、匈奴、和親を求む。上、使を遣わして之を許す。呼韓邪単于(こかんやぜんう)が成帝の時に死せしより、其の後累世皆漢に仕う。平帝の時、王莽、條を匈奴に頒(わか)ち、中国に二名無しと謂い、単于に諷して名を改めしむ。莽漢を簒(うば)い、漢の賜う所の単于の璽を易えて章と曰う。単于怨恨して、数しば辺に寇(あだ)す。建武以来、匈奴、盧芳を助けて漢に寇す。後又数しば烏桓(うがん)・鮮卑(せんぴ)と、兵を連ねて入寇(にゅうこう)す。是(ここ)に至り初めて和を請う。 建武十八年(42年) 代王の盧芳が匈奴の地で世を去った。盧芳は安定(陝西省延安県)の人である。武帝の曾孫の劉文伯と詐称して、安定を根じろにしていた。匈奴は盧芳を迎え、立てて漢の皇帝とした。そしてしばしば周辺の郡を侵略した。のちに光武帝に降った。代王に封ぜられたが、再び叛いて匈奴にはしり、その地で病死した。 二十二年に、匈奴が和親を求めて来たので、光武帝は使いを遣わしてこれを許した。匈奴は呼韓邪単于が成帝の世に没してから代々漢に臣従してきた。ところが平帝のとき、王莽が条例を匈奴に施行し、中国に二字の名はないといって、単于に一字名に改めさせた。後に王莽は漢の帝位を奪い、単于が漢帝から賜った、帝王の格である璽から、諸侯と同格の章に改めた。単于は怨んで、しばしば辺境を侵した。 建武になってから、匈奴は盧芳を助けて漢土を侵した。盧芳の死後もしばしば烏桓や鮮卑と連合して侵寇したが、この年になって初めて講和を求めてきた。 諷單于改名 諷はほのめかすこと、改名 嚢知牙斯(のうちがし)を知の一字に変えさせた。烏桓 遼西北方の東胡の後裔。 鮮卑 遼東の北方で同じく東胡の後裔。 十八史略 匈奴分裂す 2011-06-09 08 52 26 | 十八史略 西域請都護。不許。遂附匈奴。先是莎車王賢・鄯善王安、皆遣使奉獻。賢使再至。上賜賢都護印綬。邊郡守上言。不可假以大權。詔収還、更賜大將軍印。賢恨。猶詐稱大都護。諸國悉服屬賢。賢驕横、欲兼并西域。諸國懼。凡十八國、遣子入侍、願得漢都護。上厚賜遣還其侍子。至是復請。上復卻之。 二十四年、匈奴南邊八部、立日逐王比、爲南單于、欵漢塞内附。於是分爲南北匈奴。 二十五年、貊人・鮮卑・烏桓竝入朝。 二十六年、立南單于庭、置使匈奴中郎將、以領之、徙南單于、居西河美稷。 二十七年、北匈奴亦遣使求和親。明年又請。許之。 西域、都護を請う。許さず。遂に匈奴に附す。 是より先、莎車王(さしゃおう)賢・鄯善王(ぜんぜんおう)安、皆使いを遣わして奉献す。賢の使再び至る。上、賢に都護の印綬を賜う。辺郡の守上言(じょうげん)す。仮(か)すに大権を以ってす可からず、と。詔(みことのり)して収め還(かえ)し、更に大将軍の印を賜う。賢恨む。猶詐(いつわ)って大都護と称す。諸国悉く賢に服属す。賢驕横(きょうおう)にして、西域を兼并(けんぺい)せんと欲す。諸国懼(おそ)る。凡て十八国、子を遣(つか)わして入り侍(じ)せしめ、漢の都護を得ん、と願う。上、厚く賜うて其の侍子(じし)を還らしむ。是に至って復た請う。上、復た之を卻(しりぞ)く。 二十四年、匈奴の南辺八部、日逐王(にっちくおう)比を立てて、南単于と為し、漢塞(さい)を欵(たた)いて内附(ないふ)す。是に於いて分かれて南北匈奴と為る。 二十五年、貊人(はくじん)・鮮卑・烏桓(うがん)竝(なら)びに入朝す。 二十六年、南単于の庭(てい)を立て、使匈奴中郎将を置き、以って之を領せしめ、南単于を徙(うつ)して、西河の美稷(びしょく)に居(お)らしむ。 二十七年、北匈奴も亦使を遣わして和親を求む。明年又請う。之を許す。 西域の諸国が漢の都護職を置いてくれるように願い出たが、許されなかったので、遂に匈奴側についた。 以前、莎車王の賢と鄯善王の安がともに使者を派遣してみつぎものを献じてきた。特に賢の使いは二度におよんだので、光武帝は賢に都護の印綬を与えた。ところが国境の太守たちが「このような重大な権限を外人に与えるべきではありません」と帝に言上した。そこで帝は詔勅を下して印綬を取り戻し、かわりに大将軍の印を与えた。賢はこれを不服に思い、その後も大都護と詐り称したので、西域諸国はこれを信じて賢に服従した。だが賢は驕慢で横暴になり、西域を併呑しようとしたので、諸国は恐れて、十八国の王がその子を漢に人質におくって、漢の都護を派遣するよう願い出た。帝は厚くねぎらってその人質たちを還らせた。そこで困り果てた西域の諸王はふたたび請願したが、これも却下した。それで、匈奴についたのである。 建武二十四年(西暦48年)に、匈奴の南部八地方が日逐王の比を立てて、匈奴の南単于として、漢の辺塞の門をたたいて誼(よしみ)を通じてきた。そこで匈奴は南北に分裂した。 二十五年に貊人・鮮卑・烏桓がいずれも漢に入朝した。 二十六年、南単于に王庭を立てさせ、使匈奴中郎将の役を置いてこの地方を治めさせ、南単于を西河の美稷に移り住まわせた。 二十七年に、北匈奴もまた使者を派遣して和親をもとめた。翌年また願い出たので、これを許した。 仮す 貸すに同じ。 都護 周辺諸族の支配のために辺境に置かれた官庁。 印綬 綬は紐、紫綬褒章は紫の紐をつけた勲章。 貊人 中国北方の異民族。 庭 王庭、国王の宮廷。 使匈奴中郎将 単于の宮殿を警備することをつかさどった官 十八史略 天下を理むるに柔道をもってす。 2011-06-11 13 14 31 | 十八史略 中元二年、上崩。上起兵時、年二十八、即位年三十一。第五倫毎讀詔書嘆曰、此聖主也。一見決矣。手書賜方國。一札十行、細書成文。明愼政體、總攬權綱。量時度力、擧無過事。嘗幸南陽、置酒會宗室。諸母相與語曰、文叔平日與人不款曲、惟直柔耳。乃能如此。上聞之笑曰、吾理天下、亦欲以柔道行之。 中元二年、上崩ず。上、兵を起こしし時、年二十八、位に即くの年三十一なり。第五倫(ていごりん)、詔書を読む毎に嘆じて曰く、此れ聖主なり。一たび見(まみ)えば決せん、と。 手書(しゅしょ)して方国に賜う。一札十行、細書、文を成す。政体を明慎(めいしん)し、権綱(けんこう)を総攬(そうらん)す。時を量(はか)り、力を度(はか)り、挙(きょ)として過事(かじ)無し。嘗て南陽に幸(みゆき)し、置酒(ちしゅ)して宗室を会す。諸母相与(とも)に語って曰く、文叔、平日人と款曲(かんきょく)せず、惟(ただ)直柔なるのみ。乃(すなわ)ち能く此(かく)の如し、と。上之を聞いて笑って曰く、吾天下を理(おさむ)るに、亦柔道を以って之を行わんと欲す、と。 中元二年(57年)、光武帝は崩じた。帝が挙兵したのは二十八歳、位に即いたのが三十一歳であった。第五倫という者が、帝の詔書を読むごとに感嘆して「このお方は聖明の天子であられる。お目見えすることさえできれば、きっとお取立てくださるだろうに」といった。 帝は四方の国に手ずから書をしたためて賜った。竹簡一札に十行ほど細かく書いて、きちんとした文章になっていた。政治のしくみを明らかにしてあやまちを無くし、大権を一手におさめて、時の趨勢と力量を見極めたので、何事によらず過ちが無かった。ある時、故郷南陽に行幸して酒宴を開いて一族のものを集めたことがあった。席上おばたちが口々に 「文叔さんは、普段は人と打ちとける風でもなく、ただ素直でおとなしい人だったけど、今じゃ天子様だものねえ」と言った。帝はこれを聞いて笑って「私は天下を治めるにも、おとなしいやり方でいこうと思う」と言った。 明慎 慎は間違いをおかさないこと。 権綱 政権のおおもと。 総攬 政権を一手におさめること。 置酒 酒宴を開くこと。 諸母 伯母、叔母。 款曲 うちとけて交わる。 柔道 柔らかな態度を重んじる主義。 十八史略 柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ。 2011-06-14 09 42 19 | 十八史略 上在兵間久厭武事。蜀平後、非警急未嘗言軍旅。北匈奴衰困。臧宮・馬武、上書請攻滅之。鳴劍抵掌、馳志於伊吾之北矣。上報書、告以黄石公包桑記。曰、柔能勝剛、弱能勝強。自是諸將莫敢言兵。閉玉門關、謝絶西域。保全功臣、不復任以兵事。皆以列侯就第。以吏事責三公、亦不以功臣任吏事。諸將皆以功名自終。 上、兵間に在ること久しくして武事を厭(いと)う。蜀平(たいら)いで後は警急(けいきゅう)に非ざれば未だ嘗て軍旅を言わず。北匈奴衰困す。臧宮(ぞうきゅう)・馬武、上書して攻めて之を滅ぼさんことを請う。剣を鳴らし掌を抵(う)ち、志を伊吾(いご)の北に馳す。上、書を報じて、告ぐるに黄石公の包桑記を以ってす。曰く、柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ、と。是より諸将敢えて兵を言うもの莫(な)し。玉門関を閉じ、西域を謝絶す。功臣を保全し、復任ずるに兵事を以ってせず。皆列侯を以って第(てい)に就かしむ。吏事を以って三公を責め、亦功臣を以って吏事に任ぜず。諸将皆功名を以って自ら終う。 帝は久しく戦場に在ったので、戦いを嫌うようになった。蜀を平定してからは、危急の事変でない限り、戦争のことは言わなかった。北匈奴が衰えたとき、臧宮と馬武が上書して攻め滅ぼしたいと願い出た。剣を鳴らし手を打って、勢い込み、気持ちは早くも匈奴の伊吾城の北にまで飛んでいた。しかし光武帝の返書には、黄石公の包桑記(ほうそうき)を引用して、「柔よく剛に勝ち、弱よく強に勝つ」と諭した。これより後は諸侯で戦いの事を言う者は居なくなった。帝は玉門関を閉じて、西域との交わりを断った。創業の功臣を守り、軍事に従わせず、列侯に取り立てて邸宅に住まわせた。官吏の仕事は三公の職責とし、功臣には官吏の仕事には就かせなかったので、将軍たちは功臣の誉れを全うして一生を終えたのであった。 黄石公 漢の張良に兵書を与えた老人。包桑記 その兵法書。 第 邸。 三公 大尉・司徒・司空。 十八史略 群臣を撫(ぶ)すること毎(つね)に此の如し 2011-06-16 09 11 46 | 十八史略 祭遵先死。上念之不已。來歙・岑彭、死鋒鏑。卹之甚厚。呉漢・賈復終於帝世。漢在軍、或戰不利、意氣自若。上歎曰、呉公差強人意。隱若一敵國矣。毎出師、朝受詔夕就道。及卒、上臨問所欲言。漢曰、臣愚願陛下愼無赦而已。復自起兵時爲督。上曰、賈督有折衝千里之威。嘗戰被傷。上驚曰、吾嘗戒其輕敵。果然。失吾名將。聞其婦有孕。生子邪、我女嫁之。生女邪、我子娶之。其撫羣臣毎如此。 祭遵(さいじゅん)先に死す。上、之を念(おも)うて已(や)まず。來歙(らいきゅう)・岑彭(しんほう)、鋒鏑(ほうてき)に死す。之を卹(あわれ)むこと甚だ厚し。呉漢・賈復(かふく)、帝の世に終う。漢軍に在るや、或いは戦い利あらざるも、意気自若たり。上歎じて曰く、呉公、差(やや)人意を強うす。隠として一敵国の若(ごと)し、と。師を出だす毎に、朝(あした)に詔を受けて夕(ゆうべ)に道に就く。卒(しゅつ)するに及び、上臨んで言わんと欲する所を問う。漢曰く、臣愚願わくは陛下慎んで赦(ゆる)すこと無きのみ、と。復、兵を起こしし時より督たり。上曰く、賈督、衝(しょう)を千里に折(くじ)くの威有り、と。嘗て戦って傷を被る。上驚いて曰く、吾嘗て其の敵を軽んずるを戒む。果たして然り。吾が名将を失う。其の婦孕む有りと聞く。子(し)を生まんか、我が女(じょ)を之に嫁(か)せしめん、女を生まんか、我が子(し)に之を娶らん、と。其の群臣を撫(ぶ)すること毎(つね)に此の如し。 功臣の中で祭遵が先ず死んだ。光武帝は追悼してやまなかった。來歙・岑彭はいくさの中で命を落とした。帝はこの二人を手厚く弔った。呉漢・賈復は帝の治世の間に世を去った。呉漢は戦場にあって、時に味方が不利でも、平然としていた。帝は感嘆して言った「呉公はよく人の意気を引き立ててくれる。泰然として敵の一国ほどの重みがある」と。出陣するときはいつも朝に命令を受けると、夕べには出発するという風であった。死に臨んで帝が言い残すことは無いかと尋ねると、呉漢は「臣愚願わくは、どうか陛下にはむやみに人を赦さぬよう、ただそれだけでございます」と言い残した。 賈復は、帝が挙兵した時から、軍を統率監督する官であった。帝は「賈督軍は敵の矛先を挫いて千里の外まで追い払うほどの威をそなえている」とほめていた。彼が戦場で傷を負ったとき、帝は驚いて「敵を甘く見ないよう言っておいたのに、心配どおりのことが起こってしまった。名将一人を失うとは無念だ。聞けば彼の妻は身ごもっているそうだが、もし男子を生んだら、私の娘を嫁がせよう。女の児だったら、息子に娶(めと)らせよう」と。帝が群臣を慈しむことはいつもこのようであった。 鋒鏑 矛先と鏃。 卹(じゅつ)=恤、あわれむ。 隠 おもおもしい。 臣愚 自分をへりくだった言い方。 督 督軍、監督官 衝 突き破る、折衝は敵の攻撃をくじき防ぐこと。 十八史略 大丈夫まさに馬革を以って屍を裹(つつ)むべし 2011-06-18 08 28 14 | 十八史略 惟馬援死之日、恩意頗不終焉。援嘗曰、大丈夫當以馬革裹屍。安能死兒女手。交阯反。援以伏波將軍、討平之。武陵蠻反。援又請行。帝愍其老。援被甲上馬、據鞍顧眄、以示可用。上笑曰、矍鑠哉是翁。乃遣之。先是、上壻梁松、嘗候援拝牀下。援自以父友不答。松不平。 惟だ馬援死するの日、恩意頗る終(お)えず。援嘗て曰く、「大丈夫当(まさ)に馬革(ばかく)を以って屍を裹(つつ)むべし。安(いづく)んぞ能(よ)く児女の手に死せんや」と。交阯(こうち、こうし)反す。援、伏波将軍を以って、討って之を平らぐ。武陵の蠻(ばん)反す。援又行かんと請う。帝其の老いたるを愍(あわれ)む。援、甲(こう)を被(こうむ)り、馬に上り、鞍に拠(よ)って顧眄(こべん)し、以って用う可きを示す。上笑って曰く、矍鑠(かくしゃく)たるかな是(こ)の翁や、と。乃ち之を遣わす。是より先、上の婿梁松、嘗て援を候(こう)して牀下に拝す。援自ら父の友なるを以って答えず。松、平かならず。 ただ馬援が死んだ時だけは、恩遇の意が十分ではなかった。援は嘗て「大丈夫たる者、屍を馬革に包まれて凱旋することこそ本望、女子供に看取られて死ぬのは御免こうむりたい」と言っていた。 交阯が反(そむ)いた。援は伏波将軍としてこれを討伐して平定した。武陵の蛮族が反いた時、援は討伐に名乗りを上げたが帝は援の老齢を憐れんで許さなかった。すると馬援は甲冑を身にまとい、馬に乗り鞍に身をあずけて四方をねめつけて、まだまだお役に立ちますぞと訴えた。帝は笑いながら「いやはや元気なものだこのご老人は」と言って許した。 これより以前、帝の女婿の梁松が援を訪れて寝台の下で拝礼をしたが、梁松の父と援が友人同士であったことから、答礼をしなかった。それで梁松は援に含むところがあった。 頗る終えず やや十分ではなかった。 裹 つつむこと、裹屍(かし) 戦死者の死体を馬の革につつんで故郷に還ること。 交阯 ベトナム北部。 武陵 湖南省。 顧眄 ふりかえって見る、周りを見る。矍鑠 老いて元気なこと。 候 きげんを問う。 十八史略 虎を画いて狗に類する。 2011-06-21 13 37 12 | 十八史略 援在交阯。嘗遣書戒其兄子曰、吾欲汝曹聞人過、如聞父母名。耳可聞、口不可言。好議論人長短、是非政法、不願子孫有此行也。龍伯高敦厚周愼、謙約節儉。吾愛之重之。願汝曹效之。杜季良豪俠好義、憂人之憂、樂人之樂。父喪致客、數郡畢至。吾愛之重之。不願汝曹效之也。效伯高不得、猶爲謹敕之士。所謂刻鵠不成、尚類鶩也。效季良不得、陥爲天下輕薄子。所謂畫虎不成、反類狗也。 援、交阯に在り。嘗て書を遣わし其の兄の子を戒めて曰く、吾、汝が曹(そう)の人の過を聞くこと、父母の名を聞くが如くせんことを欲す。耳には聞く可きも、口には言う可からず。好んで人の長短を議論し、政法を是非するは、子孫に此の行い有るを願わざるなり。龍伯高は敦厚周慎(とんこうしゅうしん)にして、謙約節倹(けんやくせっけん)なり。吾、之を愛し、之を重んず。汝が曹の之に效(なら)わんことを願う。杜季良(ときりょう)は豪侠(ごうきょう)にして義を好み、人の憂いを憂え、人の楽しみを楽しむ。父の喪に客を致し、数郡畢(ことごと)く至る。吾、之を愛し之を重んず。汝が曹の之に效うを願わざるなり。伯高に效うて得ざるも、猶謹敕(きんちょく)の士と為らん。所謂鵠(こく)を刻んで成らざるも、尚鶩(ぼく)に類するなり。季良に效うて得ずんば、陥(おちい)って天下の軽薄子と為らん。所謂虎を画いて成らずんば、反って狗(いぬ)に類するなり、と。 馬援が交阯に出征していた時、書簡を送って兄の子を戒めて言うことには「そなたたちには、人の過失を聞くには、父母の本名を聞くときのようにして欲しい。聞くことはあっても決して口に出してはならない。好んで他人の長短をあげつらい政治の良し悪しを批判することは我が馬家の子孫にはやって欲しくない。龍伯高どのは人情が厚く、慎みふかく、控えめで質素な方である。私は彼を敬愛している。そなたたちは彼を見習って欲しい。また杜季良どのは、豪快で義を好み、人の憂いをわが憂いとし、人の楽しみをわが楽しみとする。彼の父の葬儀には招いたあちこちの郡から残らず参列した。私は彼を好きであり、重んじてもいる。だがそなた達が見習って欲しくない。伯高どのを見習って失敗しても、謹直な人物にはなる。いわゆる白鳥を彫りそこなっても家鴨には見える。という訳だ。ところが季良どのを見習って失敗したら、天下の笑いものになってしまう。いわゆる虎を画いて失敗すれば、犬に見られてしまう。という訳だ」と。 曹 なかま、ともがら。 敦厚 人情に厚いこと。 周慎 こまやかで慎みふかいこと。 謹敕 言行をつつしみ戒める。 鵠 白鳥。 鶩 あひる。 父母の名 両親や天子を特に死後は本名で呼ぶことは避けたまたその文字を使わせなかった。忌み名(諱)である。ついでに姓名字の関係を掲げた。姓、一族の家名。 名、個人の本名。 字 男子が成人後につける呼び名。 諡 死後にその人の徳を称えて贈る名、諱とも。 姓 名 字 号 諡(おくりな) 劉 秀 文叔 光武帝 項 籍 羽 白 居易 楽天 香山居士 韓 愈 退之 昌黎 文公 蘇 軾 子瞻 東坡 文忠公 十八史略 贓罪(ぞうざい)に於いて貸(ゆる)す所無し 2011-06-23 10 30 58 | 十八史略 季良者杜保。保仇人上書告保、以援書爲證。保坐免官。松坐與保游幾得罪。愈恨援。至是援軍至壺頭。不利、卒軍中。松構陷之。収新息侯印綬。援前在交阯。常餌薏苡、以輕身勝瘴氣。軍還載之一車。後有追譖之者。以爲明珠文犀。上怒。得朱勃上書訟其冤、乃稍解。上於贓罪無所貸。大司徒歐陽歙嘗犯贓、歙所授尚書弟子千餘人、守闕求哀。竟不免、死於獄。 季良は杜保(とほ)なり保の仇人(きゅうじん)上書して保を告ぐるに、援の書を以って證と為す。保、坐して官を免ぜらる。松、保と游(あそ)ぶに坐して、幾(ほと)んど罪を得んとす。愈々援を恨む。是(ここ)に至って、援の軍,壺頭に至る。利あらずして、軍中に卒す。松、之を構陷(こうかん)す。新息侯の印綬を収む。援、前(さき)に交阯に在り。常に薏苡(よくい)を餌(じ)し、以って身を軽うし、瘴気(しょうき)に勝つ。軍還るとき之を一車に載す。後之を追譖(ついしん)する者有り。以って明珠文犀と為す。上、益々怒る。朱勃、書を上(たてまつ)り、其の冤(えん)を訟(うった)うるを得て、すなわち稍(やや)解く。上、贓罪(ぞうざい)に於いて貸(ゆる)す所無し。大司徒歐陽歙(おうようきゅう)嘗て贓を犯す。歙が授くる所の尚書の弟子(ていし)千余人、哀(あい)を求む。竟(つい)に免(まぬか)れずして、獄に死す。 この杜季良とは杜保のことである。杜保に恨みを持つ者が書をたてまつって保を訴え、馬援の甥への手紙を証拠とした。保は罪に問われて官職を追われた。梁松は杜保と交遊があったので、危うく連坐するところであった。そのため松はいよいよ援を恨んだ。こうしたとき、馬援の軍が壺頭山に来たが、戦いに利あらずして援は軍中に死んだ。梁松はこれに乗じて無実の罪をきせたので、帝は新息侯の印綬を取り上げてしまったのである。また援は交阯にいたとき、いつも薏苡の実を煎じて薬として飲み、身体を軽快にして南方の風土病を防いでいた。馬援は交阯から、薏苡を車一杯積んで帰ったが、死後讒言するものがいて、持ち帰ったのは透明な珠や、美しい模様の犀角であったと訴え出た。帝はますます怒った。朱勃が上書して、冤罪であると訴えたので次第に和らいだ。 光武帝は賄賂で私腹を肥やす者に対しては容赦しなかった。大司徒の歐陽歙が収賄の罪を犯したときは、嘗て歐陽歙に尚書を学んだ者たち千人余りが宮門につめかけて嘆願したが、許されず刑死したのであった。 構陷 讒言して人を罪に陥れること。 薏苡 薬草、数珠玉。 瘴気 中国南方の熱病。 追譖 死後に罪をきせる。 贓罪 不正な手段で金品を得た罪、贈収賄。 闕 宮門。 十八史略 糟糠の妻は堂より下さず 2011-06-28 10 06 04 | 十八史略 所用羣臣、如宋弘等、皆重厚正直。上姉湖陽公主嘗寡居。意在弘。弘入見。主坐屏後。上曰、諺言、富易交、貴易妻。人情乎。弘曰、貧賤之交不可忘。糟糠之妻不下堂。上顧主曰、事不諧。 主有蒼頭。殺人匿主家。吏不能得。洛陽令董宣、候主出行、奴驂乘、叱下車、挌殺之。主入訴。上大怒、召宣欲捶殺之。宣曰、縱奴殺人、何以治天下。臣不須捶、請自殺。即以頭叩楹、流血被面。上令小黄門持之、使叩頭謝主。宣兩手據地、終不肯。上敕、強項令出。賜錢三十萬。 用いる所の群臣、宋弘等が如き、皆重厚正直(せいちょく)なり。 上の姉湖陽公主、嘗て寡居(かきょ)す。意、弘に在り。弘入って見(まみ)ゆ。主、屏後(へいご)に坐す。上曰く、諺に言う、富んでは交わりを易(か)え、貴(たっと)くしては妻を易うと。人情か、と。弘曰く、貧賤の交わりは忘る可からず。糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず、と。上、主を顧みて曰く、事諧(ととの)わず、と。 主に蒼頭有り。人を殺して主の家に匿(かく)る。吏得る能(あた)わず。洛陽の令董宣(とうせん)、主の出行し、奴、驂乗するを候(うかが)い、叱(しっ)して車より下(くだ)し、之を挌殺(かくさつ)す。主入って訴う。上大いに怒り、宣を召して之を捶殺(すいさつ)せんと欲す。宣曰く、奴の人を殺すを縦(ゆる)さば、何を以って天下を治めん。臣捶を須(ま)たず、請う自殺せん、と。即ち頭を以って楹(えい)を叩き、流血面に被(こうむ)る。上、小黄門をして之を持せしめ、叩頭して主に謝せしむ。宣、両手地に拠り、終に肯(がえ)んぜず。上、敕(ちょく)す、強項令出でよ、と。銭三十万を賜う。 帝が重用した臣、宋弘をはじめ皆重厚で剛直な者ばかりであった。光武帝の姉の湖陽公主がひとり身になっていて、宋弘に好意をもった。ある日、弘が謁見すると、帝は公主を屏風の後ろにかくしてこう言った「諺に金持ちになったら、貧時の友をかえ、偉くなったら妻をかえると言うが、これは人情というものであろうか」すると宋弘は「貧賎のときの友は忘れてはなりませんし、糟(かす)や糠(ぬか)を食べ合った妻は追い出すわけにはまいりませぬ」と言い放った。帝は公主を振り返り、「うまくいかなかったようです」と言った。 その公主に下僕がいて人を殺して公主の庇護のもとにいたが、役人たちは手をこまねくばかりであった。洛陽の長官の董宣が、公主が外出し、下僕が同乗するその時に叱咤して車から降ろし、打ち殺した。公主は直ちに宮中に駆けつけて、帝に訴えた。帝は大いに怒って董宣を召し出し、鞭で打ち殺そうとした。宣は昂然として「下僕が人を殺すのをみ過ごしていて、いったい天下を治めることができるでしょうか。陛下の鞭を待つまでもありません。今ここで命を絶ってみせましょう」と言いもおわらず、傍らの柱におのが頭を打ち付けた。吹き出す血で顔面を朱に染めた宣を帝は小黄門に命じて押さえつけさせ、叩頭して公主に謝罪させようとしたが、宣は両手を突っ張って謝らなかった。帝は「この強情張りの長官め下がれ」と命じて銭三十万を下賜したのであった。 蒼頭 召使い。 驂乗 そえ乗り。 挌殺 殴り殺す。 捶 むち。楹 太い柱。 小黄門 侍従。 強項令 項(うなじ)の強張った(強情な)長官。 十八史略 周黨・嚴光処士 2011-07-02 08 44 16 | 十八史略 尤重高節。徴處士周黨。至不屈、伏而不謁。或奏詆之。上曰、自古明王聖主、必有不賓之士。賜帛罷之。處士嚴光、與上嘗同游學。物色得之齊國。披羊裘釣澤中。徴至。亦不屈。上與光同臥。以足加帝腹。明日太史奏、客星犯御座甚急。上曰、朕與故人嚴子陵共臥耳。拝諫議大夫、不肯受。去畊釣、隱富春山中終。 尤も高節を重んず。処士周党を徴(め)す。至るも屈せず、伏するも謁せず。或るひと奏して之を詆(そし)る。上曰く、古(いにしえ)自(よ)り明王聖主は、必ず不賓(ふひん)の士有り、と。帛(はく)を賜いて之を罷(や)む。 処士厳光、上と嘗て同じく游学す。物色して之を斉国に得たり。羊裘(ようきゅう)を披(き)て沢中に釣る。徴して至る。亦屈せず。上、光と同臥(どうが)す。足を以って帝の腹に加う。明日(めいじつ) 太史奏す、客星、御座を犯すこと甚だ急なり、と。上曰く、朕、故人厳子陵と共に臥するのみ、と。諫議大夫(かんぎたいふ)を拝するも、肯(あ)えて受けず。去って畊釣(こうちょう)し、富春山中に隠れて終る。 光武帝はとりわけ節操の高い士を重んじた。無官の士周党を登用しようと呼び出したところ、参内はしたものの、士官には応ぜず、平伏したものの、謁見の礼はしなかった。或るひとがそれを非難したが、「昔から明王聖主のもとには必ず従わない者が出てくるものだ」と言って絹を賜って、登用を取り止めた。 同じく厳光は嘗て光武帝と共に学んだ者であった。さまざまに手を尽くして各地を探していたが斉国で見つけ出した。羊の毛皮を着て釣りをしていたところを召したが、厳光も士官を承諾しなかった。その夜、帝が寝所を共にすると、厳光の足が帝の腹の上に乗った。翌朝、天文官が奏上した「昨夜、彗星が北極星をたびたび横切りました、ただ事ではございません」と。帝は「いや、わしが旧友の厳子陵と一緒に寝ただけだよ」といった。厳光に諫議大夫を拝命させようとしたが、同意せず、帰って耕作と釣りで世を送り、富春山中に隠れて死んだ。 処士 官途につかず民間にいる人。 不賓 従わないこと。 太史 天文、暦算と国の歴史をつかさどった。 客星 流星。 主座 天子の星座、北極星。 諫議大夫 天子の過失を諌める官。 十八史略 禹湯の明有れど、黄老養性の道を失う 2011-07-05 16 29 00 | 十八史略 漢世多清節士自此始。方天下未平、上已有志文治。首起太學、稽式古典、修明禮樂。晩歳起明堂・靈臺・辟雍。粲然文物可述。毎旦視朝、日昃乃罷。引公卿郎將、講論經理、夜分乃寐。皇太子乘諌曰、陛下有禹湯之明、而失黄老養性之道。上曰、我自樂此。不爲疲也。在位三十三年、身致太平。改元者二、曰建武・中元。壽六十二。太子立。是爲顯宗明皇帝。 漢の世清節の士多きこと、此れより始まる。天下未だ平かならざるに方(あた)って、上、すでに文治に志あり。首として太学を起こし、古典を稽式(けいしき)し、礼楽を修明す。晩歳に明堂・霊台・辟雍(へきよう)を起こす。粲然(さんぜん)たる文物述(の)ぶ可し。毎旦(まいたん)朝(ちょう)を視、日昃(かたむ)いて乃(すなわ)ち罷(や)む。公卿(こうけい)郎将を引いて、経理を講論し、夜分に乃ち寐(い)ぬ。皇太子、(かん)に乗じて諌めて曰く、陛下、禹湯の明(めい)有れども、黄老(こうろう)養性(ようせい)の道を失う、と。上曰く、我自ら此れを楽しむ。疲(つか)ると為さざるなり、と。在位三十三年、身太平を致す。改元する者(こと)二、建武・中元と曰う。寿六十二なり。太子立つ。是を顕宗明皇帝と為す。 漢の時代に節操を守って枉(ま)げない士が多いというのも、これらの人々に始まるのである。天下がまだ平定されないうちから、光武帝は学問によって世を治めようと考えていた。まず最初に太学を設けて、古の典礼や儀式を研究し、それを手本に礼や楽を整え明らかにした。晩年には帝が政治、祭祀を執り行う明堂・天文を観る霊台・学問どころの辟雍を建てた。それらの輝かしい文化の所産は、後世に述べ伝えるに値いするものであった。帝は毎日早くから朝廷に臨み、日が沈んでから止めた。また三公・九卿・五中郎将などを呼び、経書(けいしょ)の理を解き明かして述べ、夜半になってから寝んだ。皇太子が折をみて「陛下はいにしえの禹王や湯王のような聡明さはお持ちですが、黄帝、老子のように身を養い保つ道に欠けておられます」と諌めたが、「自分で楽しんでいるのだ、疲れることはないのだよ」と答えるばかりであった。 光武帝の在位は三十三年、自身で太平の世を招来した。改元すること二回、建武・中元がそれである。年は六十二歳であった。皇太子が即位した。これが顕宗明皇帝である。 太学 大学、官吏養成の学舎。 経書 四書五経の類。 稽式 稽は考える、式は手本。 十八史略 郭伋・杜詩・張堪・劉昆 2011-07-05 16 38 32 | 十八史略 お詫び「糟糠の妻は堂より下さず」の次にこの文を挿入してください。 當時州牧・郡守・縣令、皆良吏。郭伋守潁川。近帝城。上勞之曰、河潤九里京師蒙福。杜詩守南陽。郡人爲之語曰、前有召父、後有杜母。張堪守漁陽。人爲之語曰、桑無附枝、麥穂兩岐。張堪爲政。樂不可支。劉昆爲令江陵。有火。叩頭向之、反風滅火。後守弘農。虎北渡河。上問、行何政而至是。昆曰、偶然耳。上曰、長者之言也。命書之策。 当時の州牧・郡守・県令、皆良吏なり。郭伋(かくきゅう)潁川(えいせん)に守たり。帝城に近し。上、之を労して曰く、河九里を潤し、京師福を蒙(こうむ)る、と。杜詩、南陽に守たり。郡人之が為に語して曰く、前に召父(しょうふ)有り、後に杜母有り、と。張堪(ちょうかん)、漁陽に守たり。人之が為に語して曰く、桑(そう)に附枝(ふし)無く、麦穂(ばくすい)両岐(りょうき)あり。張堪政(まつりごと)を為す。楽しみ支(はか)る可からず、と。劉昆、江陵に令たり。火有り。頭を叩いて之に向かえば、風を反し火を滅す。後に弘農に守たり。虎、北して河を渡る。上問う、何の徳政を行うて是(ここ)に至れる、と。昆曰く、偶然のみ、と。上曰く、長者の言なり、と。命じて之を策に書せしむ。 当時の州の長官や郡の太守、県の令は皆すぐれた役人であった。 郭伋は潁川の太守になった。潁川は洛陽に近かったので、帝は「黄河が九里を潤すように、そなたがよく治めてくれているので、都の人々も恩恵を受けている」と労った。 杜詩は南陽郡の太守になった。人々は、「昔召太守という慈父が居られたというが、今は杜詩さまが慈母のようにしてくださる」と喜んだ。 張堪は漁陽郡の太守となった。人びとはその善政をたたえて「桑には宿り木が付かないし、麦の穂は両つに分かれて実をつけている、これも張堪さまが治めてくださるおかげ、計り知れない楽しみよ」と。 劉昆が江陵県の令になった。ある日、領内に火事が起きた。昆がおのが不徳を謝して火に向って、ぬかづくと風向きが変わって火が消えた。其の後、昆が弘農郡の太守となった。すると領内の虎が黄河を渡って北へ去った。帝がそれを聞いて訳を尋ねると、昆は「たまたまでございます」と答えるばかりであった。帝は「これこそ徳有る者の言である」と、朝廷の簡策に書き留めさせた。 召父 召信臣、前漢宣帝の時代に、南陽郡の太守となり徳政をおこなった。 十八史略 明帝 2011-07-09 12 41 19 | 十八史略 幼にして穎悟 孝明皇帝初名陽、母陰氏。光武微時、嘗曰、仕宦當作執金吾。娶妻當得陰麗華。後竟得之。生陽。幼穎悟。光武詔州郡、檢覈墾田戸口。諸郡各遣人奏事。見陳留吏牘、上有書。視之云、潁川・弘農可問。河南・南陽不可問。光武詰吏由。祇言、於街上得之。光武怒。陽年十二、在幄後。曰、吏受郡敕。欲以懇田相方耳。河南帝城、多近臣。南陽帝郷、多近親。田宅踰制。不可爲準。以詰吏。首服。光武大奇之。郭皇后廢、陰貴人立爲后。陽爲皇太子、改名莊。至是即位。 孝明皇帝、初めの名は陽、母は陰氏。光武微(び)なりし時、嘗て曰く、仕宦(しかん)せば当(まさ)に執金吾と作(な)るべし。妻を娶らば当に陰麗華を得べし、と。後、竟(つい)に之を得たり。陽を生む。幼にして穎悟(えいご)。光武、州郡に詔(みことのり)して、墾田戸口(こんでんここう)を検覈(けんかく)せしむ。諸郡、各々人を遣わして事を奏す。陳留の吏の牘(とく)を見るに、上に書有り。之を視るに云わく、潁川(えいせん)・弘農(こうのう)は問う可し、河南・南陽は問う可からず、と。光武、吏に由(よし)を詰(なじ)る。祇(ただ)言う、街上に於いて之を得たり、と。光武怒る。陽年十二、幄後(あくご)に在り。曰く、吏、郡敕(ぐんちょく)を受け、懇田を以って相い方(くら)べんと欲するのみ。河南は帝城、近臣多し。南陽は帝郷、近親多し。田宅、制に踰(こ)ゆ。準と為す可からず、と。以って吏を詰る。首服(しゅふく)す。光武大いに之を奇とす。郭皇后廃せられ、陰貴人立って后と為る。陽、皇太子と為り、名を荘と改む。是(ここ)に至って位に即く。 孝明皇帝、初めの名は陽で、母は陰氏である。 光武帝がまだ身分が低かった頃、人に言うには「仕官するなら執金吾、妻を娶るなら陰麗華」と。後年望みどおりに手にいれて、陽を生んだ。陽は幼い頃からすぐれて聡明であった。光武帝が州郡に詔を下して、開墾した田地や戸数、人口を調べさせたとき、諸郡は役人を派遣して、結果を奏上させた。陳留郡の役人の報告書を見ると、その上書きになにか書いたものがあった。よく視ると「潁川・弘農は調べられる、河南・南陽は調べられない」とあった。光武帝は役人にその理由を詰問しても「街なかで耳にしたことを書きとめただけです」と答えるばかりであった。陽はそのとき十二歳であったが、とばりの後ろにいて、「この役人は郡守の命令を受けてきただけで、他の郡の開墾地と較べて著しい不公平の無いようにしたいだけです。河南郡は帝城の地で近臣の領地も多く、南陽郡は帝の郷里で、近親者の領地が沢山あります。田宅が規制をこえて広大で、他郡と同じ基準にはならないという意味でしょう」と言った。帝はその役人を問い詰めると、「まったくそのとおりでございます」と白状し、その罪に服した。光武帝は陽の才能に感じ入った。やがて郭皇后が廃せられて陰貴人が皇后となり、陽は皇太子となって、名を荘とあらためた。そしてここに至って帝位に即いたのであった。 仕宦 仕官に同じ。 執金吾 執はとる金は武器吾は禦(ふせぐ)。 穎悟 穀物の穂先が鋭いことから、聡いこと。 検覈 覈も調べ明らかにする。 牘 木札。 郡敕 太守の命令。 首服 首は自首と同じ、白状して罪に服すること。 十八史略 雲台二十八将 2011-07-12 09 15 40 | 十八史略 永平二年臨辟雍、行養老禮。以李躬爲三老、桓榮爲五更。三老東面、五更南面。上親袒割牲、執醤而饋、執爵而酳。禮畢、引榮及弟子升堂。諸儒執經問難。冠帶搢紳之人、圜橋門、而觀聽者億萬計。 三年、圖畫中興功臣、二十八將於南宮雲臺、應二十八宿。禹爲首、次馬成・呉漢・王梁・賈復・陳俊・耿弇・杜茂・寇恂・傅俊・岑彭・堅鐔・馮異・王覇・朱祐・任光・祭遵・李忠・景丹・萬脩・蓋延・邳彤・銚期・劉植・耿純・臧宮・馬武・劉隆。惟馬援以皇后之父不與焉。 十一年、東平王蒼來朝。蒼自上即位初、爲驃騎將軍、五年而歸國。至是入朝。上問、處家何以爲樂。蒼曰、爲善最樂。 永平二年辟雍(へきよう)に臨み、養老の礼を行う。李躬(りきゅう)を以って三老と為し、桓榮を五更と為す。三老は東面し、五更は南面す。上(しょう)親(みずか)ら袒(たん)して牲(せい)を割き、醤を執って饋(き)し、爵を執って酳(いん)す。礼畢(おわ)って、榮及び弟子(ていし)を引いて堂に升(のぼ)らしむ。諸儒、経を執って問難す。冠帯搢紳(かんたいしんしん)の人、橋門を圜(めぐ)って、観聴する者、億萬を計(かぞ)う。 三年、中興の功臣、二十八将を南宮の雲台に図画(ずが)し、二十八宿に応ず。禹(とうう)を首(はじめ)と為し、次は馬成(ばせい)呉漢(ごかん)王梁(おうりょう)賈復(かふく)陳俊(ちんしゅん)耿弇(こうかん)杜茂(とも)寇恂(こうじゅん)傅俊(ふしゅん)岑彭(しんほう)堅鐔(けんじん)馮異(ふうい)王覇(おうは)朱祐(しゅゆう)任光(じんこう)祭遵(さいじゅん)李忠(りちゅう)景丹(けいたん)萬脩(ばんしゅう)蓋延(こうえん)邳彤(ひゆう)銚期(ちょうき)劉植(りゅうしょく)耿純(こうじゅん)臧宮(ぞうきゅう)馬武(ばぶ)劉隆(りゅうりゅう)なり。惟(ただ)馬援のみは、皇后の父なるを以って与(あずか)らず。 十一年、東平王蒼、来朝す。蒼、上の即位の初めより、驃騎将軍となり、五年にして国に帰る。是(ここ)に至って入朝す。上問う、家に処(お)って何を以ってか楽しみと為す、と。蒼曰く、善を為す、最も楽し、と。 永平二年(59年)、辟雍に臨幸して養老の礼を行った。李躬を三老とし、桓栄を五更とした。三老は東面し、五更は南面して座についた。明帝はみずから片肌を脱いで、生け贄を割き、醤(ひしお)をとって二人に勧め、盃をとって酒で口をすすがせた。饗応の礼がおわると、桓栄とその弟子たちを堂に登らせ、儒者たちが経書の難解な点を問いただした。衣冠を正した人々で、辟雍の橋門を取り囲んで養老の儀式を見聴きする者が数えきれないほどであった。 永平三年、光武帝の漢室中興を援けた功臣二十八将の肖像を南宮の雲台に画いて、天の二十八宿に対応させた。それは禹をはじめとして、次に馬成・呉漢・王梁・賈復・陳俊・耿弇・杜茂・寇恂・傅俊・岑彭・堅鐔・馮異・王覇・朱祐・任光・祭遵・李忠・景丹・萬脩・蓋延・邳彤・銚期・劉植・耿純・臧宮・馬武・劉隆の順である。ただ馬援だけは、皇后の父であるという理由で、この中に加えられなかった。 十一年、東平王の蒼が来朝した。蒼は明帝の即位した初めより、驃騎将軍となって、五年後に帰り、この年になって上京してきたのである。帝が「故郷では何を楽しみにしているのか」と尋ねると、蒼は「善いことをするのが一番の楽しみです」と答えた。 三老 三公中の最高齢者。 五更 九卿中の最高齢者。 袒 片脱ぎする。 饋 長老にすすめること。 爵 盃。 酳す 酒で口をすすぐこと。 搢紳 搢は笏を帯に挟むことから、紳士。 東平王蒼 明帝の弟。 ※三十二将 二十八将に李通(りつう)、竇融(とうゆう)、王常(おうじょう)、卓茂(たくも)を加えて雲台三十二将とする。 十八史略 虎穴に入らずんば虎子を得ず。 2011-07-14 09 58 51 | 十八史略 十七年、復置西域都護・戊己校尉。初耿秉請伐匈奴。謂、宜如武帝通西域、斷匈奴右臂。上從之、以秉與竇固爲都尉、屯涼州。固使假司馬班超使西域。超至鄯善。其王禮之甚備。匈奴使來。頓疎懈。超會吏士三十六人、曰、不入虎穴、不得虎子。奔虜榮斬其使及從士三十餘級。鄯善一國震怖。超告以威、使勿復與虜通。超復使于。其王亦斬虜使以降。於是諸國皆遣子入侍。西域復通。至是竇固等撃車師而還、以陳睦爲都護、及以耿恭爲戊校尉、關龕爲己校尉、分屯西域。 十七年、復(また)西域都護・戊己校尉(ぼきこうい)を置く。初め、耿秉(こうへい)、匈奴を伐たんと請う。謂(おも)えらく、宜しく武帝の西域に通じて、匈奴の右臂(ゆうひ)を断ちしが如くなるべし、と。上、之に従い、秉(へい)と竇固(とうこ)とを以って都尉と為し、涼州に屯(とん)せしむ。固、仮司馬(かしば)班超をして西域に使いせしむ。超、鄯善(ぜんぜん)に至る。其の王之を礼すること甚だ備わる。匈奴の使い来る。頓(とみ)に疎懈(そかい)なり。超、吏士三十六人を会(かい)して曰く、虎穴に入らずんば、虎子を得ず、と。虜営(りょえい)に奔(はし)って其の使い及び従士三十余級を斬る。鄯善の一国震怖(しんふ)す。超、告ぐるに威徳を以ってし、復(また)虜(りょ)と通ずる勿(な)からしむ。超、復于(うてん)に使いす。其の王も亦虜使を斬って以って降る。是(ここ)に於いて諸国皆子を遣わして入り侍(じ)せしむ。西域復通ず。是に至って竇固等、車師を撃って還り、珍睦(ちんぼく)を以って都護と為し、及び耿恭(こうきょう)を以って戊校尉(ぼこうい)と為し、関龕(かんがん)を己校尉(きこうい)と為し、分(わか)って西域に屯せしむ。 永平十七年(74年)、再び西域都護と戊己校尉を置くことになった。発端は耿秉が匈奴討伐を願い出て、「昔武帝がなされたように、西域諸国とよしみを通じて、匈奴の右ひじを断ち切ったようにするのが宜しいでしょう」と言った。帝はこれに従って耿秉と竇固を都尉に任命して涼州に駐屯させた。竇固は仮司馬班超を使いとして西域に派遣した。超はまず鄯善国に赴いた。鄯善の王は丁重にもてなした。そこに匈奴から使者が来ると、急に扱いが粗略になった。超は同行して来た部下三十六人を集めて言った。諺に「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という、危険を冒してこそ得るものが大きい、今が好機ぞ、と匈奴の宿営を襲って、使者と随員三十余人の首を斬った。鄯善国は恐れおののいた。班超は漢の威徳を鄯善王に語り聞かせ、匈奴との交わりを断たせた。次いで于国に赴くと、国王はみずから匈奴の使者を斬って、漢に帰服した。こうして西域諸国はみな王子を朝廷に遣わして仕えさせたので、西域との交わりが復活した。 この年、竇固たちは車師を討って還り、陳睦を都護とし、耿恭を戊校尉とし、関龕を己校尉に任じて、西域に分屯させた。 西域都護 西域諸民族の支配のために置かれた官庁の長。 戊己校尉 戊己は五行(木、火、土、金、水)に兄(え)弟(と)を配して甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干とした、つちのえ、つちのと。木は方位東、色は青、季節は春。火は南、赤、夏。土は中央、黄色。金は西、白、秋。水は北、黒、冬をあらわした。つまり西域の中央に置いた鎮西武官。 仮司馬 司馬の副官。 鄯善、于、車師 ともに西域の国名。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/78 十八史略 匈奴囲みを解いて去る。 2011-07-16 08 25 58 | 十八史略 十八年、北匈奴攻戊校尉耿恭。初上即位之明年、南單于比死。弟莫立。上遣使授璽綬。北匈奴寇邊。南單于撃卻之。漢與北匈奴交使。南單于怨欲畔、密使人與交通。漢置度遼將軍於五原、以防之。已而漢伐北匈奴、北匈奴亦寇邊。至是攻恭於金蒲城。恭以毒藥傅矢、語匈奴曰、漢家箭神、中者有異。虜視創皆沸。大驚。恭乘暴風雨撃之。殺傷甚衆。匈奴震怖曰、漢兵神、眞可畏也。乃解去。 十八年、北匈奴(ほくきょうど)、戊校尉(ぼこうい)耿恭(こうきょう)を攻む。初め上(しょう)即位の明年、南単于の比死す。弟莫(ばく)立つ。上、使いを遣わして璽綬(じじゅ)を授く。北匈奴、辺に寇(こう)す。南単于撃って之を卻(しりぞ)く。漢、北匈奴と交使す。南単于怨んで畔(そむ)かんと欲し、密かに人をして与(とも)に交通せしむ。漢、度遼将軍(どりょうしょうぐん)を五原に置いて、以って之を防ぐ。已にして漢、北匈奴を伐つ。北匈奴も亦、辺に寇す。是に至って恭を金蒲城に攻む。恭、毒薬を以って矢に傅(つ)けて、匈奴に語(つ)げて曰く、漢家の箭(や)は神なり、中(あた)る者は異あり、と。虜、創(きず)を視れば皆沸く。大いに驚く。恭、暴風雨に乗じて之を撃つ。殺傷甚だ衆(おお)し。匈奴、震怖(しんふ)して曰く、漢の兵は神なり、真に畏るべきなり、と。乃(すなわ)ち、解き去る。 永平十八年(75年)に北匈奴が戊校尉の耿恭を攻めた。遡って明帝が即位した翌永平二年に南単于の比が死んで弟の莫が立った。帝は使者を遣わして印綬を授けた。その三年後に北匈奴が漢の辺境を侵略すると、南単于は兵を出してこれを撃退した。ところが漢は翌々年北匈奴と外交をはじめたので、南単于はこれを怨んで漢に叛こうとして、密かに使者を北匈奴にやって、共に通じ合って漢と絶交しようとした。漢は五原郡に度遼将軍を置いて対抗した。永平十三年に 漢は北匈奴を伐った。北匈奴も再び辺境を侵略する。このようなことが繰り返されて、この年(十八年)に耿恭を金蒲城に攻めたのである。耿恭は毒薬を矢に塗って、匈奴に向かって言った。「漢の矢には神が憑いている。あたれば必ず異変がおこるぞ」と。匈奴が傷口を見ると、ふつふつと沸いているので大いに驚いた。恭はまた暴風雨に乗じて匈奴を攻め、手ひどい打撃をあたえた。匈奴は恐れおののいて、漢の兵には神が宿っている、恐ろしい限りだと、囲みを解いて去った。 交使 使者を遣わして交わりを結ぶこと。 畔 叛に同じ。 度遼将軍 度は渡るに同じ、遼水を渡河して匈奴を征伐する意。 十八史略 苟しくも其の人に非ざれば、民そのわざわいを受く。 2011-07-19 10 07 03 | 十八史略 上崩。在位十八年、改元者一、曰永平。壽四十八。上性惼察、好以耳目隱發爲明。公卿大臣數被詆毀、近臣尚書以下、至見提曳。嘗怒郎藥、以杖撞之。走入床下。上怒甚。疾言曰、郎出、郎出。曰、天子穆穆、諸侯皇皇。未聞人君自起撞郎。乃赦之。上遵奉建武制度、無更變。 后妃家不得封侯預政。館陶公主、爲子求郎。上曰、郎官上應列宿、出宰百里。苟非其人、民受其殃。不許。當時吏得其人、民樂其業。遠近畏服、戸口滋殖焉。太子立。是爲肅宗孝章皇帝。 上(しょう)崩ず。在位十八年、改元する者(こと)一、永平と曰う。寿四十八。上、性惼察(へんさつ)にして、好んで耳目を以って隠発(いんぱつ)して明と為す。公卿(こうけい)大臣数しば詆毀(ていき)せられ、近臣尚書以下、提曳(ていえい)せらるるに至る。嘗て、郎藥(やくすう)を怒り、杖を以って之を撞(つ)く、走って床下(しょうか)に入る。上怒ること甚だし。疾(と)く言って曰く、郎出でよ、郎出でよ、と。曰く、天子は穆穆(ぼくぼく)たり、諸侯は皇皇(こうこう)たり。未だ人君の自ら起って郎を撞くを聞かず、と。乃ち之を赦す。上、建武の制度を遵奉(じゅんぽう)して更変するところ無し。后妃(こうひ)の家は侯に封ぜられ政に預かるを得ず。館陶公主、子の為に郎を求む。上曰く、郎官は上(かみ)列宿に応じ、出でては百里に宰(さい)たり。苟(いやし)くも其の人に非ざれば、民その殃(わざわい)を受く、と。許さず。当時の吏、其の人を得て、民其の業を楽しむ。遠近畏服(いふく)し、戸口(ここう) 滋殖(じしょく)す。 太子立つ。是を肅宗孝章皇帝と為す。 明帝が崩じた。在位十八年、改元すること一度、永平という。年は四十八歳であった。帝は性格が偏狭で疑い深く、好んで密偵を使って臣下の隠し事を摘発して、それを自分が暗愚でないことと思っていた。公卿大臣でもしばしばそしり、はずかしめを受け、近臣尚書以下、引き廻されたりした。あるとき、郎官の薬(やくすう)が明帝の怒りにふれて杖で突かれた。薬は走って床下に逃げ込んだ。帝は激怒して、「郎、出てこい。郎、出てこい」と怒鳴った。は「天子はうるわしく、諸侯は慎み深くとありますが、人君たるお方が自ら起って郎を突くなど聞いたためしがありません」と言うと、帝も怒りを鎮めを赦した。明帝は光武帝の定めた制度をひたすら守り、少しも変えることがなかった。それで皇后の一門は諸侯にもなれず、政治に参与することもできなかった。明帝の姉の館陶公主が、子に郎官の職を求めたが、「郎官の職は、天上の星宿に象ったものであり、地方に出ては百里四方の長となるものである。ふさわしい人物でなければ、民が災いをうける」といって、許さなかった。ことほどさように当時の官吏はふさわしい人を得て民は家業に励み、外国や近隣諸国は畏れ服し、戸数、人口はますます増えたのであった。 皇太子が即位した。是が肅宗孝章皇帝である。 惼察 偏狭で詮索好き。 詆毀 誹謗する。 提曳 引き廻される。 天子は穆穆たり、諸侯は・・ 礼記曲礼篇にある 十八史略 章帝 2011-07-21 11 10 47 | 十八史略 孝章皇帝名烜、母賈氏、馬皇后養之。立爲太子。至是即位。 西域攻没都護。北匈奴圍己校尉、又圍耿恭。詔遺兵。罷都護及戊己校尉官。惟班超上疏請兵、欲遂平西域。上知功可成從之。 北匈奴五十八部來降。時北匈奴衰耗、黨衆離畔。南部攻其前、丁零寇其後、鮮卑撃其左、西域攻其右。不復自立。乃遠引而去。鮮卑撃斬北單于。故部衆有來降者。 孝章皇帝、名は烜(けん)、母は賈氏(かし)、馬皇后之を養う。立てて太子と為す。是(ここ)に至って位に即く。 西域、都護を攻没(こうぼつ)す。北匈奴(ほくきょうど)、己校尉(きこうい)を囲み、又耿恭を囲む。詔(みことのり)して兵を遣わす。都護及び戊己校尉(ぼきこうい)の官を罷(や)む。惟(ひと)り班超上疏(じょうそ)して兵を請い、遂に西域を平らげんと欲す。上、功の成る可きを知って之に従う。 北匈奴の五十八部来降す。時に北匈奴衰耗(すいこう)し、党衆離畔(りはん)す。南部其の前を攻め、丁零(ていれい)其の後に寇(あだ)し、鮮卑(せんぴ)其の左を撃ち、西域其の右を攻む。復自立せず。乃(すなわ)ち遠く引いて去る。鮮卑撃って北単于を斬る。故に部衆来降する者有り。 孝章皇帝、名は烜、母は賈氏である。馬皇后が養育した。皇太子に立てられていて、ここに至って即位した。 西域の車師が叛いて漢の都護を攻めて殺した。北匈奴は己校尉を包囲し、又戊校尉の耿恭をもとり囲んだ。帝は詔勅を下して軍隊を派遣し、これを救って都尉及び戊己校尉の官を廃止した。ただ班超だけは書をたてまつって、派兵を願い出でて西域を平定しようとした。帝は成功の見込みをつけると、要求を取り上げた。 北匈奴の五十八部が降参して来た。その頃北匈奴は衰退して、部族間で離反していた。この機に乗じて南匈奴が前から攻め、丁零国が後ろを脅かし、鮮卑が左から撃って、西域が右を攻めた。北匈奴はもはや自立できずに兵を引いて去った。そこを鮮卑が追撃して北匈奴の単于を斬り殺した。それで多くの部族たちが漢に来り降ったのである。 烜 後漢書には火へんに旦とある。 馬皇后 明帝の后、馬援の娘。 丁零 北トルコ系遊牧民の一。 鮮卑 モンゴル系遊牧民族。 十八史略 章帝の治 2011-07-23 10 04 07 | 十八史略 上崩。在位十三年、改元者三、曰建初・元和・章和。壽三十一。上繼明帝察察之後、知人厭苛切、事從寛厚、文之以禮樂。嘗議貢擧法。韋彪議曰、國以簡賢爲務。賢以孝行爲首。求忠臣、必於孝子之門。上然之。廬江毛義、以行義稱。張奉候之。府檄適至、以義守安陽令。義捧檄入、喜動顔色。奉心賤之。後義母死。徴辟皆不至。奉乃歎曰、往日之喜、爲親屈也。上下詔褒寵之。州郡得人。如廉范在蜀郡、弛禁以便民。民歌之曰、廉叔度來何暮。不禁火、民安作。昔無襦、今五袴。當時皆以平徭簡賦。忠恕長者爲政、終上之世、民頼其慶。太子立。是爲孝和皇帝。 上(しょう)崩ず。在位十三年、改元する者(こと)三、建初・元和・章和と曰う。寿三十一。上、明帝察々の後を継ぎ、人の苛切(かせつ)を厭(いと)うを知り、事寛厚に従い、之を文(かざ)るに礼楽を以ってす。嘗て貢挙(こうきょ)の法を議す。韋彪(いひょう)議して曰く、国は賢を簡(えら)ぶを以って務めと為す。賢は、孝行を以って首(はじめ)と為す。忠臣を求むるは、必ず孝子(こうし)の門に於いてす、と。上、之を然りとす。廬江の毛義、行いの義なるを以って称せらる。張奉(ちょうほう)之を候(こう)す。府檄(ふげき)適々(たまたま)至り、義を以って安陽の令に守(しゅ)たらしむ。義、檄を捧げて入り、喜び、顔色に動く。奉、心に之を賤(いや)しむ。後に義の母死す。徴辟(ちょうへき)に皆至らず。奉乃(すなわ)ち歎じて曰く、往日の喜は、親の為に屈するなり、と。上、詔を下して之を褒寵(ほうちょう)す。州郡人を得たり。廉范(れんばん)の蜀郡に在るが如き、禁を弛めて以って民に便す。民之を歌うて曰く、廉叔度来る何ぞ暮(おそ)きや。火を禁ぜず、民安作(あんさく)す。昔は襦(じゅ)無く、今は五袴、と。当時、皆以って徭(よう)を平(へい)にし、賦を簡にす。忠恕(ちゅうじょ)の長者政(まつりごと)を為し、上の世を終るまで、民其の慶に頼(よ)る。太子立つ、是を孝和皇帝と為す。 章帝が崩じた(88年)。在位十三年、改元すること三回。建初・元和・章和である。歳は三十一であった。章帝は明帝の些細な過失をあげつらった治世の後を承け、人々が苛酷な政治を嫌っていることを知り、何事も寛大温厚にして、礼楽で完成させようとした。あるとき官吏推挙の方法について議論があったとき、韋彪が「国は賢者を登用することが務めであります。賢者を選ぶには第一に親孝行でなくてはなりません。忠臣を得るためには、必ず孝子の中から選ぶべきであります」と申しあげた。章帝はこれをよしとした。 廬江の毛義は行いが義にかなっていると評判であった。張奉という者が毛義を訪れたところ、ちょうど役所から安陽の県令に任命するという通達が届いた。毛義はその通達をおしいただいて、喜色満面であった。張奉は内心これをさげすんだ。後に毛義の母が死ぬと、もうどのような召喚にも応じなかった。張奉はそこではっと気づいた。あの時の喜びようは母親の為にした心ならずのものだったのか、と。これを伝え聞いた章帝は褒賞の詔勅を下した。 州や郡の官吏にはすぐれた人が多かった。廉范が蜀郡の太守であったときなどは、禁令を弛めて人々の便宜をはかったので、こんな歌が歌われた。 廉叔度さま、もっと早くに来てほしかった。 あなたが灯のおゆるしあって、おかげでわしらは夜なべにはげむ。 肌着一枚ない日もあった、今じゃもんぺも五六枚。 当時はみな労役は公平で、租税も軽かった。誠実で思いやりのある長者が政を行ったので、章帝の世が終るまで民はその余慶にあずかった。皇太子が位に即いた。これが孝和皇帝である。 貢挙 地方から人材を推挙する。 候 たずねる。 府檄 役所からの通達。 徴辟 徴は朝廷から召されること、辟は州県から召されること。 褒寵 褒めてめぐむ。廉叔度 廉范のあざな、洛県の慶鴻と刎頸の交わりをむすぶ。「前に管鮑ありて後に慶廉がある」と謳われた。 徭 労役。 賦 年貢。 忠恕 忠実で同情心が厚いこと。 十八史略 和帝 2011-07-26 09 58 05 | 十八史略 孝和皇帝名肇、母梁氏。竇皇后子之。年十歳即位。竇后臨朝。竇憲以外戚侍中。用事。有罪。求出撃北匈奴以自贖。后從之。大破匈奴、登燕然山、刻石勒功而還。入爲大將軍。四年、父子兄弟、竝爲卿校、充滿朝廷。有逆謀。上知之、遂與宦者鄭衆定議、勒兵収憲印綬、迫令自殺。以衆爲大長秋、常與議政。宦官用權自此始。 先是漢兵撃北單于。走死。漢立其弟。後叛。追斬滅之。鮮卑徙據北匈奴地。自此漸盛。 孝和皇帝名は肇(ちょう)、母は梁氏。竇皇后(とうこうごう)之を子とす。年十歳にして位に即く。竇后朝(ちょう)に臨む。竇憲(とうけん)外戚を以って侍中たり。事を用う。罪有り。出でて北匈奴を撃って以って自ら購(あがな)わんことを求む。后之に従う。大いに匈奴を破り、燕然山に登り、石に刻み功を勒(ろく)して還る。入って大将軍と為る。四年、父子兄弟並びに卿校(けいこう)と為り、朝廷に充満す。逆謀(ぎゃくぼう)有り。上(しょう)之を知り、遂に宦者鄭衆(ていしゅう)と議を定め、兵を勒(ろく)して憲が印綬を収め、迫って自殺せしむ。衆を以って大長秋と為し、常に予(とも)に政を議す。宦官の権を用うる、此れより始まる。 是より先漢兵北単于を撃つ。走って死す。漢其の弟を立つ。後に叛(そむ)く。追うて斬って之を滅す。鮮卑徒(うつ)って北匈奴の地に拠(よ)り、此れより漸く盛んなり。 孝和皇帝は名を肇といい、母は梁氏、竇皇后が自分の子として育てた。年十歳で帝位に即いたので、竇太后が朝廷に出て政治を執った。太后の兄の竇憲は外戚ということで侍中となり、政権を専らにした。たまたま竇憲が罪を犯して太后から誅せられるところを、北匈奴の討伐を申し出ることによって罪をあがないたいと願い出たので、竇太后はこれを許した。この討伐は大勝利をおさめた。燕然山に登って、石に自らの功績を刻んで凱旋し、大将軍となった。 永平四年(92年)には竇憲の親兄弟がそろって九卿や校尉となり、朝廷に満ちあふれた。やがて竇憲は謀叛を企てるに至った。和帝はこれを察知して、宦官の鄭衆と相談して兵をととのえ、憲の印綬を取り上げてさらに迫って自殺させた。 帝は鄭衆を大長秋に任じて以後政治の相談をした。宦官が権勢を振るうのはこれより始まった。 これより以前、漢の兵が北単于を攻め、敗走させて死に至らしめた。漢は弟を単于に立てたが、後に叛いたので追って斬り殺した。鮮卑族が移って北匈奴の地を拠点にして次第に強大になっていった。 竇皇后 章帝の后。 事を用う 竇太后の寵臣を暗殺したこと。 勒 おもがい、くつわ、おさえる、統率する、彫る、刻む等の意味をもつ。前者は石に彫る 勒銘、後者は 統率する 勒兵。 大長秋 皇后宮の卿。 十八史略 水清ければ大魚無し、宜しく蕩佚簡易なるべし 2011-07-28 09 31 08 | 十八史略 徴班超還京師。卒。超起自書生、投筆有封侯萬里外之志。有相者。謂曰、生燕頷虎頭、飛而食肉、萬里侯相也。自假司馬入西域、章帝時、爲西域將兵長史。至上、以超爲西域都護騎都尉、平定諸國。在西域三十年、以功封定遠侯。至是以年老乞歸。願生入玉門關。上許之。任尚代爲都護、請教。超曰、君性嚴急。水清無大魚。宜蕩佚簡易。尚私謂人曰、我以、班君當有奇策。今所言平平耳。尚後果失邊和。如超言。 上在位十八年崩。改元者二、曰永元・元興。太子立。是爲孝殤皇帝。 孝殤皇帝名隆、生百餘日即位。改元延平。在位八閲月而崩。時皇太后氏臨朝、與騭定策立嗣。是爲孝安皇帝。 班超を徴(め)して京師に還らしむ。卒す。超、書生より起こり、筆を投じて万里の外に封侯たるの志有り。相者有り。謂いて曰く、生は燕頷虎頭(えんがんことう)、遠くまで飛んで肉を食(くら)う。万里侯の相なり、と。仮司馬より西域に入り、章帝の時、西域の将兵の長史と為る。上(しょう)に至って、超を以って西域の都護騎都尉と為し、諸国を平定せしむ。西域に在ること三十年、功を以って定遠侯に封ぜらる。是(ここ)に至って年老いたるを以って帰らんことを乞う。願わくは生きて玉門関に入らん、と。上、之を許す。任尚(じんしょう)代って都護と為り、教えを請う。超曰く、君が性厳急なり。水清ければ大魚無し。宜しく蕩佚(とうてつ)簡易なるべし、と。尚私(ひそか)に謂って曰く、我以(おも)えらく、班君当(まさ)に奇策有るべしと。今言う所は平平たるのみ、と。尚、後果たして辺和を失す。超の言の如し。 上、位に在ること十八年にして崩ず。改元する者(こと)二、永元・元興と曰う。太子立つ。是を孝殤皇帝と為す。 孝殤皇帝(こうしょうこうてい)名は隆、生まれて百余日にして位に即く。元を延平と改む。位に在ること八閲月(えつげつ)にして崩ず。時に皇太后氏朝に臨み、騭(とうしつ)と策を定めて嗣(し)を立つ。是を孝安皇帝と為す。 班超を召し出して、洛陽に帰らせたが、間もなく死んだ。班超ははじめ学問で身を立てようとしたが、紙筆をなげうち武人となって万里の辺境で武功を立て、封侯になろうと志を立てた。ある人相見に「あなたは燕のような顎と虎の頭を持っている。飛んで肉のくらう、万里侯の相です」と言われた。後に仮司馬となって西域に入り、章帝の時に西域の将兵のとなったが、和帝の時になって、班超を西域の都護騎都尉に任じ西域諸国を平定させた。辺境に在ること三十年、功によって定遠侯に封ぜられた。そこで高齢を理由に「できれば生きて玉門関に入りとうございます」と願い出て、帝は超の希望を受け入れた。任尚が代って都護となり、超に教えを請うた。超は「君は厳格で性急すぎる。水がきれいすぎると大魚は棲めない。だからのんびりと大まかにするがよろしい」と答えた。任尚はひそかに人に語って「私は班君には何か奇策があると思って聞いてみたが実にありきたりの話だったよ」ともらした。ところがその後任尚は辺境の平和を保つことができず、班超の言葉どおりになってしまった。 和帝は位に在ること十八年で崩じた。改元すること二回、永元・元興がそれである。皇太子が位に即いた。これが孝殤皇帝である。 孝殤皇帝の名は隆である。生まれて百余日で帝位に即き、年号を延平と変えた。在位わずか八か月で崩じた。時に皇太后の氏が朝廷に臨んで政治を執っていたが、兄の騭と図って後嗣を立てた。これが孝安皇帝である。 相者 人相見。 燕頷虎頭 燕のおとがいと虎の頭。 長史 州の監察官刺史の補佐官。 蕩佚 寛大でゆるやか。(とういつ)と読むとしまりがないさま。 八閲月 閲は経過する、八ヶ月。 十八史略 安帝 2011-07-30 08 27 30 | 十八史略 盤根錯節に遇わずんば、以って利器を別つ無し。 孝安皇帝、名祜、清河王慶之子、章帝孫也。未冠迎即位。后仍臨朝、騭爲大將軍。時邊軍多事。騭欲棄涼州并力北邊。郎中虞詡以爲不可曰、關西出將、關東出相。烈士武夫、多出涼州。衆皆從詡議。騭惡詡欲陥之。會朝歌賊攻殺、州郡不能禁。以詡爲朝歌長。故舊皆弔之。詡曰、不遇盤根錯節、無以別利器。及到官募壯士。攻劫者爲上、傷人偸盜者次之。収得百餘人、使入賊中、誘令劫掠、伏兵殺數百人。又潛遣貧人能縫者、傭作賊衣、以綵線縫其裾、有出市里者、輒禽之。賊駭散、縣境皆平。太后知詡有將帥之略、以爲武都太守。 孝安皇帝、名は祜(こ)、清河王慶の子にして、章帝の孫なり。未だ冠せずして迎えられて位に即く。后、仍(なお)朝に臨み、騭(とうしつ)、大将軍と為る。時に辺軍多事なり。騭、涼州を棄てて力を北辺に併せんと欲す。郎中虞詡(ぐく)以って不可と為して曰く、関西は将を出だし、関東は相を出だす。烈士武夫(ぶふ)は、多く涼州より出ず、と。衆皆詡の議に従う。騭、詡を悪(にく)んで、之を陥れんと欲す。会(たま)ゝ朝歌(ちょうか)の賊、(ちょうり)を攻め殺して、州郡禁ずる能(あた)わず。詡を以って朝歌の長と為す。故旧皆之を弔(ちょう)す。詡曰く、盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇わずんば、以って利器を別(わか)つ無し、と。官に到るに及んで、壮士を募る。攻劫(こうこう)する者を上と為し、人を傷つけ偸盜(とうとう)する者之に次ぐ。百余人を収め得て、賊中に入らしめ、誘(いざの)うて劫掠(こうりゃく)せしめ、兵を伏(ふく)して数百人を殺す。又潜(ひそか)に貧人の能(よ)く縫う者を遣わして、賊衣を傭作(ようさく)せしめ、綵線(さいせん)を以って其の裾を縫い、市里に出づる者有れば、輒(すなわ)ち之を禽(とりこ)にす。賊駭(おどろ)き散じて、県境皆平らぐ。太后、詡が将帥(しょうすい)の略有るを知り、以って武都の太守と為す。 孝安皇帝、名は祜である。清河王の慶の子で章帝の孫にあたる。未だ冠礼を済まさないうちに迎えられて帝位に即いた。太后が引き続き朝廷に出て政治を執りおこない、騭が大将軍になった。このころ辺境の情勢は多事にわたった。騭は、涼州の地を放棄して匈奴に委ね、力を北の辺境に集中させようとした。郎中の虞詡が反対して意見を述べた。「古来、函谷関より西の地は将軍を輩出し、東は大臣を出している。烈士武勇のもののふは多く涼州の出身であります」と。虞詡の意見に賛成する者が多かったので騭はこれを憎み、陥れようとした。たまたま朝歌の賊が県のを攻め、これを殺したが、州も郡も手が出せない状態であった。騭はそこで虞詡を朝歌県の長官に任命した。旧知の人たちは同情して慰めに来たが、詡は笑って、「盤根錯節があって刃物の切れ味はわかるものさ」と答えた。着任するとすぐさま屈強のならず者を集めた。まず強盗を第一に、人を傷つけ盗みを働く者をその次にした。百人余りがあつまると賊の中にもぐりこませて、そそのかして掠奪に向わせ、あらかじめ兵を伏せて、数百人を殺した。またこっそり貧民の裁縫のできる者を送り込んで、賊の衣服の繕いをさせ、色のついた糸で裾を縫って、賊が町中に出てくるのを捕えた。賊はわけがわからず散りぢりになり、すっかり静かになった。太后は虞詡が大将の器であることを見抜き、武都郡の太守に任命した。 涼州 甘粛省中部の州。 侍中 天子の側仕え。 朝歌 河南省の地名。 禄高六百石(せき)以上の者。 故旧 以前からの馴染み。 盤根錯節 絡まり合った根と入り組んだ節、転じて解決し難い事柄、試練。 攻劫 強盗。 偸盜 偸も盜もぬすむ。 劫掠 おどしとる。 傭作 やとわれて物をつくる。 綵線 色糸。 武都 甘粛省南部の郡。 十八史略 虞詡(ぐく)その一 2011-08-02 08 40 01 | 十八史略 叛姜數千遮詡。詡停不進。宣言請兵須到乃發。姜聞之分鈔傍縣。詡因其散、日夜進道、令軍士各作兩竈、日倍之。或曰、孫臏減竈、而君之。兵法日行不過三十里。而今日且二百里何也。詡曰、虜衆多吾兵少。徐行易爲所及。速進則彼不測。虜見吾竈日、謂郡兵來迎。衆多行速、必憚追我。孫臏見弱、吾今示強。勢不同也。 叛姜(きょう)数千、詡(く)を遮(さえぎ)る。詡停(とど)まって進まず。兵を請い到るを須(ま)って、乃(すなわ)ち発せんと宣言す。姜之を聞いて傍県(ぼうけん)を分鈔(ぶんしょう)す。詡、その散ずるに因(よ)って、日夜道を進み、軍士をして、各々両竈(りょうそう)を作らしめ、日に之を増倍す。或ひと曰く、孫臏(そんびん)は竈を減ず。而(しか)るに君は之を増す。兵法は日に行く三十里に過ぎずと。而るにいま日に且(まさ)に二百里ならんとするは何ぞや、と。詡曰く、虜(りょ)の衆は多く、吾が兵は少なし。徐(おもむろ)に行かば、及ぶ所と為り易(やす)し。速(すみやか)に進まば、則ち彼測(はか)らず。虜(りょ)吾が竈の日に増すを見ば、郡兵来たり迎うと謂(おも)わん。衆多くして行くこと速かならば必ず我を追うを憚らん。孫臏は、弱を見(しめ)し、吾は今強を示す。勢い同じからざるなり、と。 叛いた姜族数千人が虞詡の赴任の途中を遮った。詡はとどまって進まず、救援の兵を要請して到着するのを待って出発すると触れを出した。姜はそれを聞くと分散して近くの県に掠奪に出かけた。詡はそれを見すまして、夜を日についで急行した。また兵士に命じてそれぞれかまどを二つ作らせ、それを日に倍増していった。あるひとが「孫臏は毎日かまどを減らしていった。なのにあなたは増やしている。兵法では日に三十里を越えずとなっているのに、二百里にもなろうとしている。これは一体どういうことでしょう」と聞くと、詡は答えた「姜の数は多く吾が兵は寡ない、ゆっくり行けば追いつかれやすく、早く行けば敵に予測されにくい。敵はわれわれのかまどが毎日増えているのを見れば、援軍が来たと思い、数が多くなり行軍も速やかであれば、追うのを躊躇するものだ。孫臏は弱いとみせかけ、吾は強いとみせかけた。それは状況が違うからだよ」 分鈔 手分けして掠奪すること、鈔は掠める。 孫臏 斉の兵法家。2009年1月7日、10日参照。 十八史略 虞■(ぐく)その二 2011-08-04 08 36 22 | 十八史略 虞詡(ぐく)その二 既到。郡兵三千而姜萬餘。攻圍赤亭數十日。詡命強弩勿發、潛發小弩、姜謂力弱不能至、并兵急攻。於是使二十強弩共射。一人發無不中。姜大驚。詡因出城奮撃。明日悉陳其兵、令從東郭門出、北郭門入、貿易衣服囘轉數周。姜不知其數。相恐動。詡潛於淺水設伏、候其走路。姜果大奔。因掩撃大破之。賊由是敗散。 既に到る。郡兵三千にして姜は万余。赤亭を攻囲すること数十日。詡(く)命じて、強弩(きょうど)発する勿れ。潜(ひそ)かに小弩を発せよ、と。姜、力弱くして至る能(あた)わずと謂(おも)い、兵を并(あわ)せて急に攻む。是(ここ)に於いて二十の強弩をして共に射(い)しむ。一人発すれば中(あた)らざる無し。姜、大いに驚く。詡因(よ)って城を出て奮撃す。明日(めいじつ)悉(ことごと)く其の兵を陳(ちん)し、東郭門より出でて北郭門に入らしめ、衣服を貿易して回転すること数周、姜其の数を知らず。相恐動(きょうどう)す。詡、潜かに浅水に於いて伏(ふく)を設けて、其の走路を候(うかが)う。姜果たして大いに奔(はし)る。因って掩撃(えんげき)して大いに之を破る。賊、是に由(よ)って敗散す。 やがて任地の赤亭城に到着した。郡の兵は三千、対する姜は万余の族が城を囲んで攻めること数十日。詡は兵士に「強いいしゆみは射るな、小さい弓をほどほどに射よ」と命じた。姜は弩が弱くて届かないとみて、兵をそろえて一気に攻め寄せてきた。詡は強弩二十張りを一斉に射かけさせると、一人として当らぬ者は無く、姜の軍に動揺が起こった。詡はここぞとばかり門を開いて撃って出ると存分に戦った。その翌日、兵士を残らず整列させると東郭門から出て北郭門に入らせ、その都度服を取り替えさせて、城を廻らせること数周、姜は数えることが出来なくなって浮き足だってきた。詡は浅瀬に兵を伏せて姜の退路を窺うと果たしてどっと逃げ出した。そこに伏兵が襲いかかって存分にこれを破った。姜の賊は敗れてちりぢりになった。 弩(いしゆみ)ばね仕掛けで矢や石をとばす強力な弓。 陳し 陳列、ならべる。 貿易 貿も易も取り替えること。 掩撃 不意うち、掩は隠す、おおう。 十八史略 黄憲 2011-08-06 08 57 29 | 十八史略 太后崩。騭罷自殺。 汝南太守王龔、好才愛士。以袁閬爲功曹、引進黄憲・陳蕃等。憲父爲牛醫。憲年十四、潁川荀淑、遇於逆旅。竦然異之曰、子吾之師表也。見閬曰、子國有顔子。閬曰、見吾叔度邪。戴良才高。毎見憲歸、惘然若自失。其母曰、汝復從牛醫兒來邪。陳蕃等相謂曰、時月之、不見黄生、鄙吝之萌、復存乎心矣。太原郭泰、過閬不宿。從憲累日。曰、奉高之器、譬之濫。雖清而易挹。叔度汪汪、若千頃陂。澄之不清、撓之不濁、不可量也。憲初孝廉、又辟公府。人勸其仕。暫到京師、即還。年四十八而終。 太后崩ず。騭(とうしつ)罷(や)めさせられて自殺す。 汝南の太守王龔(おうきょう)、才を好み士を愛す。袁閬(えんろう)を以って、功曹(こうそう)と為し、黄憲(こうけん)・陳蕃(ちんばん)等を引進(いんしん)す。憲の父は牛医たり。憲年十四、潁川(えいせん)の荀淑(じゅんしゅく)、逆旅(げきりょ)に遇(あ)う。竦然(しょうぜん)として、之を異として曰く、子は吾の師表(しひょう)なり、と。閬を見て曰く、子が国に顔子あり、と。閬曰く、吾が叔度を見たるか、と。 戴良(たいりょう)才高し。憲を見て帰る毎に、惘然(ぼうぜん)として自失するが若(ごと)し。其の母曰く、汝復た牛医の児に従って来るか、と。陳蕃等相謂いて曰く、時月の間も、黄生を見ざれば、鄙吝(ひりん)の萌(きざし)、復た心に存す、と。 太原の郭泰(かくたい)、閬に過(よぎ)れども宿せず。憲に従って日を累(かさ)ぬ。曰く、奉高の器は、これを濫(きらん)に譬(たと)う。清むと雖も挹(く)み易し。叔度は汪汪として、千頃(せんけい)の陂(は)の若し。之を澄ませども清(すま)ず、之を撓(みだ)せども濁らず、量(はか)る可からざるなり、と。憲初め孝廉に挙げられ、又公府に辟(め)さる。人其の仕を勧む。暫く京師に到って、即ち還る。年四十八にして終わる。 太后が亡くなった。騭が罷免されて自殺した。 汝南郡の太守王龔は、才子を好み高潔のひとを愛した。袁閬を功曹に任じて、人物を求めた。そして黄憲・陳蕃が推挙されたのである。黄憲の父は牛の医者であった。憲が十四歳のとき潁川郡の荀淑がたまたま宿で出遇い、畏敬の念をおぼえ「あなたは私が手本と仰ぐべきお方です」といった。その後荀淑が袁閬に会って「あなたの国には顔回のような方がおられますね」と言うと、閬は「叔度に会われたのですね」と答えた。 その頃戴良もまた才子の名が高かった。黄憲と会って帰ると必ず気が抜けたようにぼんやりしていた。母親がすぐに気づいて「おまえはまた牛医の子と会ってきたね」と言った。陳蕃たちも「二、三か月も黄君に会わないと、いやしい気持ちが起こってしまう」と言い合っていた。 太原の郭泰も、袁閬を訪れたときは一泊もしなかったが、黄憲の所だと何日も居続けた。あるひとに「袁奉高は言ってみれば小さな泉だ、清らかだが汲みつくすことができる。それに比べて黄叔度は深く広い湖のようで、澄ませようとしても澄むものでなく、かきまわしてみても濁らない、はかりしれない深みを持っている」と言っていた。 黄憲は初め孝廉の科に挙げられて、郡からも召し出された。人が仕官を勧めたが、暫く洛陽に居たがすぐに郷里に帰り、四十八歳で死んだ。 功曹 郡の書記官。 引進 推薦する。 逆旅 逆は迎える、旅籠。 竦然 竦はすくむ、つつしみおそれる。 師表 手本。 顔子 孔子の弟子顔回。 叔度 黄憲のあざな。 惘然 呆然に同じ。 鄙吝 いやしくけちなこと。 奉高 袁閬のあざな。 濫 湧き水。 汪汪 水の深く広いさま、度量の広いさま。千頃の陂 頃は面積の単位百畝(ほ)、陂はつつみ。 孝廉科 孝行で廉潔なこと、人材登用の法、郡が推挙した。 十八史略 楊震曰く、天知る。地知る。子知る。我知る。 2011-08-09 10 53 26 | 十八史略 太尉楊震自殺。震關西人。時人稱之曰、關西孔子楊伯起。教授生徒。堂下得三鱣。都講以爲、有三公之象。取以進曰、先生自此升矣。後嘗爲郡守。屬邑令、有懐金遣之者。曰、暮夜無知者。震曰、天知。地知。子知。我知。何謂無知。令慚而退。及爲三公、時宦者及上乳母王聖用事。皆有請託。震不從。又數以近習爲言、共構之。策収印綬。遂死。葬之日、名士皆來會。有大鳥、高丈餘、至墓前俯仰、流涕而去。 太尉の楊震自殺す。震は関西の人なり。時人(じじん)之を称して曰く、関西の孔子は楊伯起、と。生徒に教授す。堂下に三鱣(さんせん)を得たり。都講以爲(おも)えらく、三公の象(しょう)有りと。取って以って進めて曰く、先生此れより升(のぼ)らん、と。後嘗て郡守と為る。属邑の令、金を懐にして之を遣(おく)る者有り。曰く、暮夜(ぼや)知る者無し、と。震曰く、天知る。地知る。子知る。我知る。何ぞ知る者無しと謂うや、と。令慚(は)じて退く。三公と為るに及んで、時に宦者及び上の乳母(にゅうぼ) 王聖、事を用う。皆請託有り。震従わず。又数しば近習を以って言を為し、共に之を構(かま)う。策して印綬を収む。遂に死す。葬るの日、名士皆来り会す。大鳥有り、高さ丈余、墓前に至って俯仰(ふぎょう)し、流涕して去る。 太尉の楊震が自殺した。楊震は関西の人である。当時の人は震のことを「関西の孔子楊伯起」と呼んでいた。学問を教授していたが、ある日講堂の下にこうのとりが三匹のかわへびをくわえてきた。都講は、これは楊震が三公になる瑞兆に違いないと思い、それを捕まえて楊震にすすめて言った「先生はこれから出世なさるでしょう」と。その後果たして郡の太守になった。ある夜、県令の一人が金を懐にやって来て、賄賂としてさし出して「深夜でだれも知る者はいません、どうぞお受け取りください」と言うと、楊震は「天知る。地知る。子知る。我知る。どうして知る者無しなどと謂えるのか」県令は恥じ入って去った。やがて楊震は太尉になった。そのころは宦官や安帝の乳母の王聖が権力をふるっていて、身内の引き立てを頼んできたが、震はことごとくはねつけた。そのうえしばしば側近の宦官たちを退けるように進言したので、宦官たちは結束して無実の罪に陥れた。安帝は免官の書を下して三公の印綬を取り上げた。そして震は死を選んだのであった。葬儀の日、名士はすべて会葬に訪れた。そのとき一丈余の大鳥が舞い降り天を仰ぎ、地に伏して涙を流して飛び去って行った。 太尉 三公の一、軍事の長官。 楊伯起 伯起はあざな。 三鱣 川蛇。こうのとりが三匹のかわへびをくわえて講堂に集まったという故事によって鱣堂(講堂)、鱣序(教室)の語ができた。 都講 塾頭。 十八史略 安帝崩ず 2011-08-11 09 30 21 | 十八史略 上少號聰明。既即位多失。在位十九年崩。改元者五、曰永初・元初・永寧・建光・延光。太子先爲近習所譖、坐廢爲濟陰王。閻皇后臨朝、與閻顯迎章帝孫北郷侯懿嗣位。宦者孫程等、誅顯遷閻后、迎立濟陰王。是爲孝順皇帝。 上(しょう)、少にして聡明と号す。既に位に即いて失徳多し。位に在ること、十九年にして崩ず。改元する者(こと)五、永初・元初・永寧・建光・延光と曰(い)う。太子先に近習の譖(しん)する所と為り、坐して廃せられて濟陰王と為る。閻(えん)皇后朝に臨み、閻顯(えんけん)と章帝の孫、北郷侯懿(い)を迎えて位を嗣(つ)がしむ。宦者孫程ら、顯を誅し、閻后を遷(うつ)し、濟陰王を迎え立つ。是を孝順皇帝と為す。 安帝は幼少のころは聡明だといわれていたが、位に即いてからは徳を失うことが多かった。在位十九年で崩じた(125年)。改元すること永初・元初・永寧・建光・延光の五回である。 皇太子が近臣の讒言に遇い、連坐して廃せられ、済陰王とされていた。閻皇后が朝廷にでて政治を執り、兄の閻顕と謀って章帝の孫で北郷侯の懿を迎えて即位させた(少帝という)。ところがこの年のうちに崩じた。宦官の孫程らが閻顕を誅殺し、閻皇后を離宮に追って、先の皇太子の済陰王を迎えて立てた。これが孝順皇帝である。 十八史略 孝順皇帝 2011-08-13 12 52 18 | 十八史略 尚書令左雄 孝順皇帝名保爲孫程等所立。宦官以功封侯者十九人。 尚書令左雄、奏令郡國與孝廉。限年四十以上、諸生通章句、文吏能牋奏、乃得應選。其有茂材異等、若顔淵・子奇、不拘年歯。雄公直精明、能審覈眞僞、決志行之。有擧少年至者。雄詰之曰、顔囘聞一知十。孝廉聞一知幾邪。頃之、中外坐謬擧謬黜免者十餘人。惟汝南陳蕃・潁川李膺・下邳陳球等、三十餘人、得拝郎中。 孝順皇帝名は保。孫程等の立つ所たり。宦官、功を以って侯に封ぜらるる者十九人。 尚書令左雄(さゆう)、奏して郡国に令して孝廉を挙げしむ。年(とし)四十以上を限り、諸生の章句に通じ、文吏の牋奏(せんそう)を能くするものは、乃(すなわ)ち選に応ずるを得(う)。其の茂材異等(もさいいとう)、顔淵・子奇の若(ごと)きもの有れば、年歯に拘わらず、と。雄、公直精明にして、能く真偽を審覈(しんかく)し、志を決して之を行う。少年を挙げて至る者あり。雄、之を詰(なじ)って曰く、顔回は一を聞いて十を知る。孝廉は一を聞いて幾ばくを知るか、と。頃之(しばらく)して、中外謬挙(びゅうきょ)に坐して、黜免(ちゅつめん)せらるる者十余人。惟だ汝南(じょなん)の陳蕃(ちんばん)・潁川(えいせん)の李膺(りよう)・下邳(かひ)の陳球ら、三十余人、郎中に拝せらるるを得たり。 孝順皇帝名は保という。宦官の孫程らが擁立した皇帝である。その功で列侯に封ぜられた者が十九人もあった。 尚書令の左雄が奏上して、郡国に指令して孝廉の者を推挙するよう布令した。「年齢は四十歳以上、学生で経書の解釈に通じ、文官で上奏文を書く能力にすぐれた者は選抜に応ずることができる、秀才で人に抜きんでて、顔淵や子奇のような人物であれば、年齢を問わない」というものであった。左雄は公正廉直で仕事に精通し、よく人物の真偽を見抜き、事に臨んで決断力があった。ある時、まだ年若い者が孝廉に推挙されてきた。左雄は「顔回は一を聞いて十を知ったというが、そなたは一を聞いていくつ知るか」と詰めよった。やがて不適正な推挙をしたかどで罷免となった官吏が十人余りにのぼった。ただ汝南の陳蕃、潁川の李膺、下邳の陳球等三十余人は、これによって郎中に任ぜられた。 牋奏 牋は箋、上奏文。 茂材異等 茂材は秀才、光武帝の秀を避けた。異等は等しくない、抜群。 子奇 春秋時代の斉の賢人で十八歳で県の宰となり、善政を布いた。父は尹吉甫。 審覈 審も覈も調べること。 謬挙 誤った推挙。 黜免 黜はしりぞける、罷免。 十八史略 張綱 豺狼道に当る、安んぞ狐狸を問わん 2011-08-16 14 25 33 | 十八史略 以皇后父梁商爲大將軍。商死。以其子冀爲大將軍、不疑爲河南尹。遺使者八人、分行州郡。張綱獨埋其車輪於洛陽都亭曰、豺狼當道。安問狐狸。劾奏冀・不疑無君之心十五事。上知綱言直、而不能用。冀欲中傷之。廣陵賊張嬰。寇亂揚徐十餘年。乃以綱爲廣陵太守。綱單車徑詣嬰壘門、請與相見譬暁之。嬰等萬餘人降。綱入壘宴、散遣任所之。南州晏然。在郡卒。嬰等爲之制服行喪。 皇后の父梁商を以って大将軍と為す。商死す。其の子冀(き) を以って大将軍と為し、不疑(ふぎ)を河南の尹(いん)と為す。使者八人を遣わして、州郡を分行せしむ。張綱、独り其の車輪を洛陽の都亭(とてい)に埋めて曰く、豺狼(さいろう)道に当る。安(いず)くんぞ狐狸(こり)を問わん、と。冀・不疑が君を無(な)みするの心十五事を劾奏(がいそう)す。上、綱の言の直なるを知れども、而(しか)も用いる能(あた)わず。冀、之を中傷せんと欲す。広陵の賊張嬰(ちょうえい)、揚徐の間に寇乱(こうらん)すること十余年。乃ち綱を以って広陵の太守と為す。綱、単車径(ただち)に嬰の塁門に詣(いた)り、請うて与(とも)に相見て之を譬暁(ひぎょう)す。嬰等万余人降る。綱、塁に入って宴し、散じ遣(や)って之(ゆ)く所に任す。南州晏然(あんぜん)たり。郡に在って卒(しゅっ)す。嬰等之が為に服を制して喪を行う。 皇后の父梁商が大将軍に任じられた。商が死ぬとその子の冀が大将軍に、冀の弟の不疑が河南の長官になった。ある時、使者八人を派遣して州郡を視察させた。その中で張綱だけが、洛陽の宿場で馬車の車輪を土中に埋めて、「山犬や狼が中央を跋扈(ばっこ)しているのに、なんで地方の狐や狸を調べて歩けようか」と言い、冀や不疑が帝をないがしろにしている点十五箇条を奏上した。順帝はその言い分の正しいことは承知しながら、どうすることもできないでいた。梁冀はこれを怨み張綱を貶めようと機会を窺っていた。 広陵の賊張嬰は十年にもわたって揚州・徐州の一帯を荒らし廻っていた。そこで張綱を広陵の太守に任命した。張綱は単身車で嬰の砦の門に赴き会見を申し出て、とくと諭したので張嬰以下一万人あまりが降った。張綱は砦に入って共に酒宴を催した後全員にそれぞれ行きたい所に行かせた。これによって南部の州郡は平穏になった、張綱は広陵に在任中に死んだが、嬰等はこれを悲しみ喪服をつくって喪にふくした。 尹 長官。 劾奏 官吏の罪を挙げて君主に奏上すること。 寇乱 寇はあだする。 譬暁 譬も暁もさとすこと。 晏然 やすらかなさま、落ち着いたさま。 十八史略 蘇章 2011-08-18 10 43 21 | 十八史略 人皆一天有り。我独り二天有り 時二千石、有能政者。冀州刺史蘇章、有故人爲清河太守。章行部。爲設酒甚歡。守喜曰、人皆有一天。我獨有二天。章曰、今日蘇孺文、與故人飮者私恩也。明日冀州刺史案事者公法也。遂擧正其姦贓之罪。 上在位二十年崩。改元者五、曰永建・陽嘉・永和・漢安・建康。太子立。是爲孝沖皇帝。 時に二千石の(ちょうり)、政を能(よ)くする者有り。冀州(きしゅう)の刺史(しし)の蘇章、故人の清河の太守と為るもの有り。章、部を行(めぐ)る。為に酒を設けて甚だ歓ぶ。守喜んで曰く、人皆一天有り。我独り二天有り、と。章曰く、今日蘇孺文(じゅぶん)、故人と飲むは私恩なり。明日冀州の刺史として事を案ずるは公法なり、と。遂にその姦贓(かんぞう)の罪を挙正す。 上(しょう)、位に在ること二十年にして崩ず。改元する者(こと)五、永建・陽嘉・永和・漢安・建康と曰う。太子立つ。是を孝沖皇帝と為す。 このころ二千石(せき)取りの地方長官には、能吏が多かった。冀州の刺史の蘇章の旧知で清河郡の太守になっているものがあった。蘇章がかつて担当地域の巡察で清河郡に行ったとき、太守が酒宴を設けて歓待した。太守は喜色を浮かべて「人には皆天が一つあるが、私にだけはもう一つ、あなたという天がある」と言うと、蘇章は色をなして「今日私蘇孺文が旧知のあなたとこうして飲んでいるのは個人的な付き合いです。明日刺史として検察にあたるのは公の仕事です」と言い、この太守の収賄の罪をあばいて正した。 順帝は位に在ること二十年で崩御した(144年)。改元すること五回、永建・陽嘉・永和・漢安・建康という。皇太子が即位した。これが孝沖皇帝である。 冀州 河北、河南、山西省の地域。 刺史 地方監察官。 清河郡 河北省南部。 部を行る 担当地域を廻る。 故人 旧友、蘇孺文 蘇章のあざな。 姦贓 姦はわたくしする、贓はかくす、賄賂を受ける。 十八史略 跋扈将軍 2011-08-20 09 03 49 | 十八史略 孝沖皇帝名炳、年二歳即位。三閲月而崩。改元者一、曰永嘉。梁太后迎立渤海孝王之子。是爲孝質皇帝。 孝質皇帝名纘、章帝曾孫也。年八歳即位。少而聰慧。嘗因朝會、目梁冀曰、此跋扈將軍也。冀深惡之、使左右於餠中進毒。遂崩。在位一年有半。改元者一、曰本初。冀迎立蠡吾侯。是爲孝桓皇帝。 孝桓皇帝名志、章帝曾孫也。年十五即位。梁冀以定策功益封。又封其子弟皆侯。李固・杜喬欲立清河王蒜。至是蒜貶爲侯自殺。固・喬下獄死。 孝沖皇帝名は炳(へい)、年二歳にして位に即く。三閲月にして崩ず。改元すること一、永嘉と曰う。梁太后、渤海の孝王の子を迎立す。是を孝質皇帝と為す。 孝質皇帝名纘(さん)、章帝の曾孫なり。年八歳にして位に即く。少(わか)くして聡慧(そうけい)なり。嘗て朝会に因(よ)って梁冀を目(もく)して曰く、此れ跋扈(ばっこ)将軍なり、と。冀深く之を悪(にく)み、左右をして餅中(へいちゅう)に於いて毒を進めしむ。遂に崩ず。位に在ること一年有半。改元する者(こと)一、本初と曰う。冀、蠡吾侯(れいごこう)を迎立す。是を孝桓皇帝と為す。 孝桓皇帝名は志、章帝の曾孫也。年十五にして位に即く。梁冀、定策の功を以って封を益す。又其の子弟を封じて皆侯とす。李固・杜喬(ときょう)、清河王蒜(さん)を立てんと欲す。是に至り蒜貶(へん)せられて侯と為り自殺す。固・喬獄に下り死す。 孝沖皇帝は名を炳といい、年二歳で即位し、わずか三ヶ月で亡くなった。改元すること一回、永嘉という。梁太后が渤海の孝王の子を迎えて位に立てたこれが孝質皇帝である。 孝質皇帝は名を纘といい、章帝の曾孫である。八歳で即位した。幼少にして聡明であった。嘗て朝廷で群臣が集まるなかで、梁冀に目をとめて「これは横柄で気ままな跋扈将軍だ」といった。冀は深く根にもって、側近の者に命じて毒餅を帝にすすめた。質帝はそれで崩じた(147年)。位に在ること一年半、年号を改めること一回で本初という。冀は蠡吾侯を迎えて位に立てた。これを孝桓皇帝という。 孝桓皇帝は名を志といい、章帝の曾孫である。十五歳で位に即かれた。梁冀は新帝を定めた功績によって加増され、その子弟も諸侯に取り立てられた。初め李固と杜喬は、清河王の蒜を立てようとしたが桓帝が即位したので蒜は貶(おと)されて一諸侯となってとうとう自殺し、李固と杜喬は投獄されて牢死した。 三閲月 閲はかぞえる、三ヶ月が経つ。 跋扈 跋はおどりこえる、扈は竹やな、大魚が跳ねて自由にふるまう、帝を無視して権勢を自由にすること。 定策 天子を擁立すること。 十八史略 2011-08-23 09 04 08 | 十八史略 荀淑・陳寔 徳星あらわる。 前朗陵侯相潁川荀淑、少博學有高行。李固・李膺等、皆師宗之。相朗陵。治稱神君、子八人、時人稱爲八龍。其六曰爽。字慈明。人言、荀氏八龍、慈明無雙。縣令命其里、曰高陽里。爽嘗謁李膺。因爲之御。既還喜曰、今日乃得御李君矣。同郡陳寔與淑齊名。嘗詣淑。長子紀字元方、御車、次子字季方驂乗、孫羣字長文、尚幼。抱車中、至淑家。八龍更迭侍左右。淑孫字文若、尚幼。抱置膝上。太史奏、星見。五百里内有賢人聚。 寔嘗爲大丘長、修清浄。吏民追思之。紀・之子、問其父優劣於其祖。寔曰、元方難爲兄、季方難爲弟。 前(さき)の朗陵侯の相(しょう)潁川(えいせん)の荀淑(じゅんしゅく)、少(わか)くして博学、高行(こうこう)有り。李固・李膺(りよう)等、皆之を師宗(しそう)とす。朗陵に相たり。治、神君と称す。子八人、時人(じじん)称して八龍と為す。其の六を爽と曰(い)う。字(あざな)は慈明。人言(いわ)く、荀氏八龍、慈明無双なり、と。県令其の里に命じて、高陽里と曰(い)う。爽嘗て李膺に謁す。因って之が為に御す。既に還り、喜んで曰く、今日(こんにち)乃ち李君に御するを得たり、と。 同郡の陳寔(ちんしょく)、淑と名を斉(ひと)しうす。嘗て淑に詣(いた)る。長子紀、字は元方、車を御し、次子(しん)、字は季方、驂乗し、孫群、字は長文、尚幼なり。車中に抱かれて、淑が家に至る。八龍更(こも)ごも迭(たが)意に左右に侍す。淑の孫(いく)、字は文若、尚幼なり。膝上(しつじょう)に放置す。 太史奏す、徳星見(あら)わる。五百里の内、賢人の聚(あつ)まる有らん、と。 寔嘗て大丘の長と為り、徳を修めて清浄なり。吏民之を追思(ついし)す。紀・の子、其の父の優劣を其の祖に問う。寔曰く、元方は兄(けい)たり難く、季方は弟たり難し、と。 前の朗陵侯の宰相で潁川の荀淑は、若いころから博学で高潔であった。李固や李膺たちは皆荀淑を師と仰いでいた。朗陵の宰相となると、その施政により神君と讃えれていた。荀淑には八人の男子がいて、八龍と呼んでいた。その六番目を爽といい、字を慈明といったが、人はまた八龍の中で並ぶ者なしと見做していた。県令はその里をいにしえの高陽氏にあやかって、高陽里と呼ぶように布令した。爽はあるとき李膺を訪ね、その折、李膺の御者をさせてもらったことがあり、喜んで家に還って「きょうは李君を御すことができた」と言った。 同じ郡の陳寔も荀淑と並んで名声が高かった。あるとき陳寔が荀淑を訪れた。長男の紀、字は元方が車を御し、次男の、字は季方が陪乗し、幼い孫の群、字は長文は、車の中で抱かれて荀淑の家に着いた。淑の家では八龍たちがかわるがわる出てきてもてなした。まだ幼い孫の、字は文若は、膝の上に抱かれていた。 この日、天文官が帝に奏上した「徳星があらわれました。五百里内に賢人が集まっているのでありましょう」と。 陳寔は嘗て大丘いうまちの長となってよく徳を修めて清廉であった。そのため部下も民も、後になつかしみ慕った。ある時、長男紀の子と次男の子が互いの父の優劣を祖父の寔に聞くと、「元方も季方もどちらが兄、どちらが弟とも言いかねるな」と答えた。 八龍 荀倹・荀緄・荀靖・荀壽・荀詵・荀爽・荀粛・荀剪 高陽里 伝説上の帝王顓頊(せんぎょく)、高陽氏に八人の賢人、八(がい)がいたことによる。 太史 天文、暦算をつかさどり、あわせて国史を記録する官。 十八史略 荀淑・陳寔 2011-08-23 09 26 23 | 十八史略 徳星あらわる。 前朗陵侯相潁川荀淑、少博學有高行。李固・李膺等、皆師宗之。相朗陵。治稱神君、子八人、時人稱爲八龍。其六曰爽。字慈明。人言、荀氏八龍、慈明無雙。縣令命其里、曰高陽里。爽嘗謁李膺。因爲之御。既還喜曰、今日乃得御李君矣。同郡陳寔與淑齊名。嘗詣淑。長子紀字元方、御車、次子字季方驂乗、孫羣字長文、尚幼。抱車中、至淑家。八龍更迭侍左右。淑孫字文若、尚幼。抱置膝上。太史奏、星見。五百里内有賢人聚。 寔嘗爲大丘長、修清浄。吏民追思之。紀・之子、問其父優劣於其祖。寔曰、元方難爲兄、季方難爲弟。 前(さき)の朗陵侯の相(しょう)潁川(えいせん)の荀淑(じゅんしゅく)、少(わか)くして博学、高行(こうこう)有り。李固・李膺(りよう)等、皆之を師宗(しそう)とす。朗陵に相たり。治、神君と称す。子八人、時人(じじん)称して八龍と為す。其の六を爽と曰(い)う。字(あざな)は慈明。人言(いわ)く、荀氏八龍、慈明無双なり、と。県令其の里に命じて、高陽里と曰(い)う。爽嘗て李膺に謁す。因って之が為に御す。既に還り、喜んで曰く、今日(こんにち)乃ち李君に御するを得たり、と。 同郡の陳寔(ちんしょく)、淑と名を斉(ひと)しうす。嘗て淑に詣(いた)る。長子紀、字は元方、車を御し、次子(しん)、字は季方、驂乗し、孫群、字は長文、尚幼なり。車中に抱かれて、淑が家に至る。八龍更(こも)ごも迭(たが)意に左右に侍す。淑の孫(いく)、字は文若、尚幼なり。膝上(しつじょう)に放置す。 太史奏す、徳星見(あら)わる。五百里の内、賢人の聚(あつ)まる有らん、と。 寔嘗て大丘の長と為り、徳を修めて清浄なり。吏民之を追思(ついし)す。紀・の子、其の父の優劣を其の祖に問う。寔曰く、元方は兄(けい)たり難く、季方は弟たり難し、と。 前の朗陵侯の宰相で潁川の荀淑は、若いころから博学で高潔であった。李固や李膺たちは皆荀淑を師と仰いでいた。朗陵の宰相となると、その施政により神君と讃えれていた。荀淑には八人の男子がいて、八龍と呼んでいた。その六番目を爽といい、字を慈明といったが、人はまた八龍の中で並ぶ者なしと見做していた。県令はその里をいにしえの高陽氏にあやかって、高陽里と呼ぶように布令した。爽はあるとき李膺を訪ね、その折、李膺の御者をさせてもらったことがあり、喜んで家に還って「きょうは李君を御すことができた」と言った。 同じ郡の陳寔も荀淑と並んで名声が高かった。あるとき陳寔が荀淑を訪れた。長男の紀、字は元方が車を御し、次男の、字は季方が陪乗し、幼い孫の群、字は長文は、車の中で抱かれて荀淑の家に着いた。淑の家では八龍たちがかわるがわる出てきてもてなした。まだ幼い孫の、字は文若は、膝の上に抱かれていた。 この日、天文官が帝に奏上した「徳星があらわれました。五百里内に賢人が集まっているのでありましょう」と。 陳寔は嘗て大丘いうまちの長となってよく徳を修めて清廉であった。そのため部下も民も、後になつかしみ慕った。ある時、長男紀の子と次男の子が互いの父の優劣を祖父の寔に聞くと、「元方も季方もどちらが兄、どちらが弟とも言いかねるな」と答えた。 八龍 荀倹・荀緄・荀靖・荀壽・荀詵・荀爽・荀粛・荀剪。 高陽里 伝説上の帝王顓頊(せんぎょく)高陽氏に八人の賢人、八(がい)がいたことによる。 太史 天文、暦算をつかさどり、あわせて国史を記録する官。 十八史略 崔寔の政論 2011-08-25 13 06 18 | 十八史略 詔擧獨行之士。涿郡崔寔至公車。不對策、退而著政論。略曰、聖人能與世推移、俗士苦不知變。以爲、結繩之約、可復治亂秦之緒、干之舞、可以解平城之圍。夫刑罰者、治亂之藥石也。教者、興平之粱肉也。以教除殘、是以粱肉治疾也。以刑罰治平、是以藥石供養也。自數世以來、政多恩貸。馭委其轡、馬駘其銜、四牡横犇、皇路險傾。方將拑勒鞬輈、以救之。豈暇鳴和鑾清節奏哉。昔文帝雖除肉刑、當斬右趾棄市、笞者往往至死。是文帝以嚴致平、非以寛致平也。仲長統見其書曰、凡爲人主、宜寫一通置之坐側。 詔(みことのり)して独行の士を挙げしむ。涿郡(たくぐん)の崔寔(さいしょく)公車に至る。対策せずして、退いて政論を著わす。略に曰く、聖人は能く世と推移し、俗士は変を知らざるに苦しむ。以為(おも)えらく、結縄(けつじょう)の約は復た乱秦の緒を治む可く、干(かんう)の舞は、以って平城の囲みを解く可し、と。夫れ刑罰は乱を治むるの薬石なり。徳教は、平を興すの粱肉なり。徳教を以って残を除くは、是れ粱肉を以って疾を治むるなり。刑罰を以って平を治むるは、是れ薬石を以って養に供うるなり。数世より以来、政(まつりごと)恩貸(おんたい)多し。馭(ぎょ)はその轡(たずな)を委(す)て、馬はその銜(くつわ)を駘(ぬ)ぎ、四牡(しぼ)横に犇(はし)り、皇路険傾(けんけい)す。方(まさ)に将(まさ)に勒(ろく)を拑(けん)し、輈(ちゅう)を鞬(けん)して、以って之を救わんとす。豈和鑾(からん)を鳴らし、節奏を清うするに暇(いとま)あらんや。昔、文帝、肉刑を除くと雖も、右趾(ゆうし)を斬るに当るは棄市(きし)し、笞者(ちしゃ)は往往死に至る。是れ文帝厳を以って平を致し、寛を以って平を致すに非ざるなり、と。仲長統(ちゅうちょうとう)其の書を見て曰く、凡そ人主(じんしゅ)たるものは、宜しく一通を写して之を坐側(ざそく)に置くべし、と。 独行の士 人におもねることなく、正義を行う人。 公車 役所の名。 対策 答案を書くこと。 結縄 文字の無かった時代、縄を結んで約束とした。 干 干は盾、舞の小道具、禹王が舞い蛮族が服従したという。 平城の囲みを解く 前漢の武帝が匈奴に包囲された際、陳平の奇計によって難を逃れた事。粱肉 よい穀物とうまい肉。 残を除く 賊を退ける。 恩貸 めぐみ、恩を限られた人に与えること。 四牡 四頭の牡馬。 皇路 皇帝の馬車。 勒を拑し おもがいを握る。 輈を鞬して ながえを繋いで。 和鑾 馬に付ける鈴。 節奏 調子をとる。 右趾 右足。 棄市 死者を市にさらす刑。 笞者 鞭打ちの刑に処された者。 人主 人の上に立つ者。 桓帝は詔勅を下して、独行の士を推薦させた。河北の涿郡から崔寔が役所まで来たが、試験には応じずに帰り、政論一編を著した。大略はこうである。 聖人はよく時勢に順応できるが、俗人は変化を知らないから苦しむのである。思うに、上古、縄を結んで約束の印としたそのやり方で、乱れた秦の政治を変革する糸口となり、また禹王が蛮族を帰服させた舞をもって、高祖が匈奴の囲みを解く事ができたと考えているのである。 そもそも刑罰というものは乱世を治める薬であり、徳教は太平を興す美食である。徳教によって賊を除こうとするのは、美食によって病気を治そうとするものであり、刑罰によって太平を招来するのは、薬を栄養にしようとするものです。この数世より、政治にはただ寛容さばかりが多く、例えて言えば、馭者は手綱を放し、馬はくつばみを外し、四頭立ての馬車は横ざまに走り、天子の御車は覆えらんばかりであります。今こそまさにおもがいを引きしめ、ながえを繋ぎ、これを救わなければなりません。どうして鈴を鳴らして、調子をとってなど言っている暇があるでしょうか。昔、文帝は身体を傷つける刑は廃止したというが、右足を切る刑に相当するも罪人を獄門にかけてさらし、鞭打ちの刑をもしばしば死に至らしめた。これは文帝が厳格さによって太平を招来したのであって、寛大さで招かれたのではない。 仲長統がこの書を見て「すべて人に君たる者は、この書一通を写して座右に置くべきであろう」と言った。 十八史略 朱穆 2011-08-27 09 32 30 | 十八史略 朱穆爲冀州刺史。令長望風、解印去者數十人。及到奏劾貪汚。有宦者歸葬父用玉匣。穆案驗、剖其棺出之。上聞大怒、徴穆詣廷尉。太學生劉陶等數千人、上書訟穆。謂中官竊持國柄、手握王爵、口銜天憲。穆獨亢然不顧。竭心懐憂、爲上深計。臣願代穆罪。上赦之。陶又上疏、乞以穆及李膺輔王室。書奏不省。 梁冀凶恣日積。以外戚用事者二十年。威行内外、天子拱手而已。上與宦者單超等謀、勒兵収冀印綬。冀自殺。梁氏無少長皆棄市。超等五人皆侯。自冀誅、天下想望異政。黄璚首爲太尉。 朱穆(しゅぼく)、冀州(きしゅう)の刺史と為る。令長(れいちょう)、風(ふう)を望み、印を解いて去る者数十人。到るに及んで貪汚(たんお)を奏劾(そうがい)す。宦者父を帰葬(きそう)するに玉匣(ぎょっこう)を用うるもの有り。穆、案験(あんけん)して、その棺を剖(ひら)いて之を出す。上(しょう)聞いて大いに怒り、穆を徴(め)して廷尉に詣(いた)らしむ。太学生劉陶等数千人、上書して穆を訟(うった)う。謂(いわ)く中官国柄(こくへい)を竊持(せつじ)し、手に王爵を握り、口に天憲を銜(ふく)む。穆独り亢然として顧みず。心を竭(つく)し憂いを懐き、上の為に深く計る。臣、願わくは穆が罪に代らん、と。上之を赦す。陶、又上疏(じょうそ)して、穆及び李膺(りよう)を以って王室を輔(たす)けんと乞う。書、奏すれども省せず。 梁冀、凶恣(きょうし)日に積む。外戚を以って事を用うる者(こと)二十年。威内外に行われ、天子手を拱(きょう)するのみ。上、宦者單超(ぜんちょう)等と謀り、兵を勒(ろく)して冀が印綬を収む。冀自殺す。梁氏少長と無く皆棄市せらる。超等五人皆侯たり。冀の誅より天下、異政を想望す。黄璚(こうけい)首として太尉と為る。 令長 県令、邑長。 望風 評判を知る。 貪汚 欲深くきたないこと。 奏劾 罪状を奏上すること。 玉匣 玉片を綴り合わせて遺体を覆う葬服、王侯のみに許されたもの。 案験 取り調べ、吟味。 中官 宮中の宦官。 国柄 国家統治の権。 竊持 ぬすみ持つ。天憲 天子の法令。 亢然 昂然に同じ、意気さかんなさま。 上疏 事情を記して奉ること、上書。 省せず つまびらかにしない。 凶恣 凶悪な行いをほしいままにすること。 拱手 腕組みをする、何もしないこと。 勒 勒兵、軍隊を統御すること。 太尉 三公の一、軍事長官。 朱穆が冀州の刺史となった。それを聞くと県令や邑長で自ら辞めて逃げ去る者が数十人に及んだ。着任して直ちに汚職まみれの官吏どもを弾劾する上奏文を奉った。ある宦官が、その父を郷里に埋葬する際、天子の礼である、玉をちりばめた葬服を用いた者があった。朱穆はこれを取り調べ、墓をあばいて取り出させた。帝はそれを聞いて大いに怒り、朱穆を呼び戻して廷尉に引き渡した。太学生の劉陶等数千人が、帝に上書して穆の無実を訴えて「宦官が国家の権力を盗み取り、手には爵位与奪の権を握り、口には天子の法令を銜えている。朱穆だけは昂然としてわが身を顧みず、心底これを憂い、陛下の為に深く考えているのです。どうか私を代りに罰してください」と嘆願した。桓帝はそれで朱穆を赦した。劉陶はまた上書して朱穆と李膺の二人を王室の補佐役にされたいと願い出たが、何の音沙汰もなかった。 梁冀の凶悪専横は日ごとに増してきた。外戚であることを利用して政権を専らにすること二十年におよび、威は朝廷の内外に行われたが、桓帝はただ手をこまねいているだけであったが、たまりかねて宦官の單超と謀り、急遽兵を整えて、冀の大将軍の印綬を取り上げた。そこで冀は自殺し、梁一門は老若を問わず、すべて獄門にさらされた。單超ら五人が諸侯となった。冀が誅せられてから、人々は新しい政治を待望した、まず最初に黄璚が太尉となった。 十八史略 愚及ぶ可からざる也 2011-08-30 10 09 02 | 十八史略 陳蕃薦處士徐穉・姜肱等。穉字孺子、豫章人。陳蕃爲守時、特設一榻以待穉去則縣之。穉不應諸公之辟。然聞其死、輒負笈赴弔。豫炙一鷄、以酒漬綿、暴乾裹之、到冢隧外、以水漬綿、白茆藉飯、以鷄置前。祭畢留謁、不見喪主而行。肱彭城人、與二弟仲海・季江倶孝友。常共被。嘗遇盗。兄弟爭死。盗兩釋之。穉・肱被徴。皆不至。黄璚卒、四方名士、會葬者七千人、穉至。進爵哀哭、置生芻墓前而去。諸名士曰、此必南州高士徐孺子也。使陳留茆容追之。問國事。不答、太原郭泰曰、孺子不答國事、是其愚不可及也。泰初游洛陽。李膺與爲友。膺嘗歸郷里。送車數千兩。膺惟與泰同舟而濟。衆賓望之者、如神仙焉。 容年四十餘、畊於野。遇雨避樹下。衆皆箕踞。容獨危坐愈恭。泰見而異之遂勸令學。 陳蕃(ちんばん)処士徐穉(じょち)・姜肱(きょうこう)らを薦(すす)む。穉、字は孺子(じゅし)、予章の人なり。陳蕃守たりし時、特に一榻(いっとう)を設けて穉を待つ。去れば則ち之を懸(か)く。穉、緒公の辟(めし)に応ぜず。然れども其の死を聞けば、輒(すなわ)ち笈(きゅう)を負うて赴き弔す。予(あらかじ)め一鶏を炙り、酒を以って綿に漬(ひた)し、暴乾(ばくかん)して之を裹(つつ)み、冢隧(ちょうすい)の外(ほとり)に到り、水を以って綿に漬し、白茆(はくぼう)を飯に藉(し)き、鶏を以って前に置く。祭り畢(おわ)って謁(えつ)を留め、喪主を見ずして行(さ)る。 肱(こう)は彭城(ほうじょう)の人なり。二弟仲海・季江倶(とも)に孝友なり。常に被(ひ)を共にす。嘗て盗に遇う。兄弟(けいてい)死を争う。盗両(ふた)りながら之を釈(ゆる)す。 穉・肱徴(め)さる。皆至らず。黄璚(こうけい)卒す。四方の名士、葬に会する者七千人。穉至る。爵を進めて哀哭(あいこく)し、生芻(せいすう)を墓前に置いて去る。諸名士曰く、此れ必ず南州の高士徐孺子ならん、と。陳留の茆容(ぼうよう)をして之を追わしむ。国事を問う。答えず。太原の郭泰(かくたい)曰く、孺子国事を答えざるは、是れ其の愚及ぶ可からざるなり。泰初め洛陽に游ぶ。李膺与(とも)に友たり。膺嘗て郷里に帰る。送車数千両。膺惟(ひと)り泰と舟を同じうして済(わた)る。衆賓之を望む者、神仙の如しという。 容、年四十余、野に畊(たがや)す。雨に遇うて樹下に避く。衆皆箕踞(ききょ)す。容、独り危坐して愈々恭(うやうや)し。泰、見て之を異とし、遂に勧めて学ばしむ。 処士 仕官していない人。 榻 しじ、腰掛けと寝台を兼ねたもの。 辟 招聘。 笈 背負い箱。 暴乾 日にさらす。 裹 つつむ。 冢隧 冢は墓、隧は墓の通路。 白茆 ちがや。 藉 敷く。 謁 名札、名刺。 孝友 親孝行で仲が良い。 被 ふとん。 進爵 盃を進める。 生芻 刈りたてのまぐさ。 愚及ぶ可からざるなり 孔子の言った言葉、別掲。 箕踞 あぐら。 陳蕃は在野の士、徐穉や姜肱らを推挙した。徐穉はあざなを孺子といい、予章の人である。陳蕃が太守であった時、特に腰かけを徐穉のために用意して迎え、帰ると壁に懸けて他人には座らせなかった。徐穉は諸侯からの招きに応じなかった。しかし、その人たちが死んだことを聞くと、笈を背に、駆けつけて弔った。まず鶏を一羽炙り、酒にひたして乾かした綿でそれを包み、墓穴のそばに来て、水で綿をひたして酒をもどし、茅(ちがや)を飯の下に敷き、鶏をその前に供えて弔った。まつり終わると、名札を置いて、喪主には会わずに立ち去った。 姜肱は彭城の人で、二人の弟、仲海と季江と共に親孝行で兄弟仲がよく、いつも一つ布団に寝ていた。あるとき盗賊に出会ったが、互いに自分を先に殺せと庇ったので、盗賊は見逃して立ち去ったことがあった。徐穉と姜肱は共に朝廷から召されたが、応じなかった。 黄璚が世を去った。各地の名士で会葬する者七千人に及んだ。徐穉も杯を進めて哀しみ哭し、刈りたてのまぐさを墓前に置いて立ち去った。名士たちは口々に「南州の高士徐孺子に違いない」と言って、陳留の茆容に後を追わせて国事について聞かせたが、何も答えなかった。太原の郭泰がこれを聞いて「孺子が何も語らなかったのは、孔子が言うところの及ぶ可からざる愚ということだ」と評した。泰は初めて洛陽に遊学したとき、李膺は郭泰を友として遇した。ある時、李膺が故郷に帰るとき、見送りの車が数千輌にのぼったが、李膺は郭泰だけを舟に伴って黄河を渡って行った。見送る人たちはこれを見て「まるで神仙のようだ」と感嘆した。 茆容は四十余りのころ、畑を耕していて雨に遇い、樹の下に避けていた。そのとき皆はあぐらをかいていたが、容だけは行儀よく正坐していた。郭泰はそれを見て、見込があると思い、勧めて学問をさせたのである。 武子(ねいぶし) 2011-08-30 10 33 58 | 十八史略 論語公冶長篇にある。紀元前七世紀、衛の名宰相武子が、道が行われているときは自分の考えを述べるが、道の行われていないときは、とぼけて愚を装ったという。孔子は「私は知者ぶりは真似ができるが、愚者ぶりは真似ができない」と語った。 子曰、武子、邦有道則知。邦無道則愚。其知可及也、其愚不可及也。 子曰く、武子、邦に道あるときは則ち知。邦に道無きときは則ち愚。その知は及ぶ可きなり、その愚は及ぶべからざるなり 十八史略 枳棘は鸞鳳の栖む所に非ず 2011-09-01 13 16 19 | 十八史略 鉅鹿孟敏、荷甑墜地。不顧而去。泰見問之。曰、甑已破焉。視之何。泰亦勸令學。自餘因泰奨進、成名者甚衆。泰與有道不就。曰、吾夜觀乾象、晝察人事。天之所廢、不可支也。陳留仇香、名覽、年四十、爲蒲亭長、民有陳元。母告元不幸。香親到其家、爲陳人倫。感悟、卒爲孝子。考城令王奐、署香爲主簿。謂曰、陳元不罰而化之。得無少鷹鸇之志邪。香曰、以爲鷹鸇不若鸞鳳。奐曰、枳棘非鸞鳳所栖。百里非大賢之路。乃資香入太學。常自守。泰就房見之。起拝牀下曰、君泰之師也。不應徴辟而卒。 鉅鹿(きょろく)の孟敏、甑(そう)を荷(にな)うて地に墜(おと)す。顧(かえり)みずして去る。泰見て之を問う。曰く、甑已(すで)に破る。之を視るも何の益あらん、と。泰亦勧めて学ばしむ。自余泰の奨進に因って、名を成す者甚だ衆(おお)し。泰、有道に挙げられしも就かず。曰く、吾、夜は乾象(けんしょう)を観、昼は人事を察す。天の廃する所は、支う可からざるなり、と。 陳留の仇香(きゅうこう)名は覧、年四十にして、蒲亭(ほてい)の長と為る。民に陳元というもの有り。母、元が不孝を告ぐ。香、親(みずか)ら其の家に到り、為に人倫を陳(の)ぶ。感悟して卒(つい)に孝子と為る。 考城の令王奐(おうかん)、香を署して主簿と為す。謂って曰く、陳元、罰せずして之を化(か)す。鷹鸇(ようせん)の志を少(か)く無きを得んや、と。香曰く、以為(おも)えらく、鷹鸇は鸞鳳(らんぽう)に若(し)かず、と。奐曰く、枳棘は鸞鳳の栖(す)む所に非ず。百里は大賢の路に非ず、と。乃ち香に資して太学に入らしむ。常に自ら守る。泰、房に就いて之を見る。起って床下に拝して曰く、君は泰の師なり、と。徴辟(ちょうへき)に応ぜずして卒(しゅっ)す。 甑 瓦製の蒸し器。 自余 このほか。 有道 科挙の科目。 乾象 天体現象、乾坤は天地のこと。鷹鸇 鷹や隼。 鸞鳳 ともに想像上の鳥、鸞は鶏に似て羽は五色、声は宮・商・角・徴・羽の五音に合うという。 徴辟 朝廷に召されること。 また鉅鹿の孟敏は、あるとき背負っていたこしきを落としたが、振り返りもせず立ち去った。郭泰がそれを見て訳を聞くと、「割れてしまったものを見ても何の足しにもならないでしょう」と答えた。それでこれも勧めて学ばせた。このほか郭泰が引き立てて名をなした者は非常に多かった。泰は嘗て有道の科に推挙されたが官には就かず、その訳を「私は夜は天文を観、昼は人を視ているが、天が見放したものは、人の力ではどうにもならないものだ」と言った。 陳留の仇香は、名を覧といい、四十のとき、蒲亭の邑長となった。そこに陳元という者がいた。その母が元の親不孝を訴えてきた。仇香はその家に赴き、元に、人の道を説いて聞かせたので、はっと悟って孝子となった。考城の県令王奐はそれを聞いて仇香を、主簿に取り立てたたが、「陳元を罰せず説いて化したのは、鷹や隼のような峻厳さには欠けるといえるかな」と評すると、仇香は「鷹や隼の勇猛さは、仁鳥の鸞や鳳には及ぶところではございません」と答えた。王奐は感服して、「からたちの枝は鸞や鳳の棲むところではないと聞く、百里四方のこの県は君のような大賢がいる場所ではない」と言って香に学資を出して太学に入れた。常に身を堅く守って慎み深かった。ある日郭泰が宿舎を訪れて会い、坐を起って香の床下にひざまずいて言った「貴公は私の師です」と。香もまた招聘には応ぜず世を去った。 十八史略 登竜門 2011-09-03 09 14 07 | 十八史略 自黄璚以來、三公如楊秉・劉寵、皆人望。寵嘗守會稽。郡大治。被徴。有五六老叟。自山谷出、人賷百錢送之曰、明府下車以來、狗不夜吠。民不見吏。今聞、當見棄去。故自扶奉送。寵曰、吾政何能及公言邪。勤苦父老。爲人選一大錢受之。後入司空。秉立朝正直。爲河南尹。時嘗以仵宦官得罪。後爲太尉、以卒。陳蕃繼秉爲太尉。數言李膺、以爲司隷校尉。宦官畏之。皆鞠躬屏氣不敢出宮省。時朝廷綱紀頽弛。膺獨持風裁、以聲名自尚。士有被其容接者、名爲登龍門云。 黄璚(こうけい)より以来、三公楊秉(ようへい)・劉寵(りゅうちょう)の如き、皆人望有り。寵、嘗て会稽に守(しゅ)たり。郡大いに治まる。徴(め)さる。五六の老叟(ろうそう)有り。山谷(さんこく)の間より出で、人ごとに百銭を賷(もたら)して之を送って曰く、明府(めいふ)車を下(くだ)って以来、狗、夜吠えず。民、吏を見ず。今聞く、当(まさ)に棄て去らるべし、と。故に自ら扶(たす)けて奉送す、と。寵曰く、吾が政何ぞ能く公の言に及ばんや、父老に勤苦す、と。為に人ごとに一大銭を選んで之を受く。後入って司空と為る。秉、朝(ちょう)に立って正直(せいちょく)なり。河南の尹(いん)と為る。時に嘗て宦官に仵(さか)らうを以って罪を得たり。後、太尉と為り、以って卒(しゅっ)す。陳蕃(ちんばん)、秉に継いで太尉と為る。数しば李膺(りよう)を言い、以って司隷校尉と為す。宦官之を畏(おそ)る。皆鞠躬(きくきゅう)気を屏(しりぞ)けて、敢えて宮省を出でず。時に朝廷綱紀頽弛(たいし)す。膺独り風裁を持し、声名を以って自ら尚(とうと)ぶ。士其の容接(ようせつ)を被る者有れば、名づけて登竜門と為すと云う。 三公 太尉、司徒、司空。 明府 太守。 賷 贈る、齎に同じ。 自ら扶けて 杖を突いて。 正直 厳正剛直。 鞠躬 身をひそめ、つつしむ。 風裁 教化や法律で人々を正しく導くこと。風は教え裁はさばき。 容接 近づきになる。 登竜門 竜門と名づけられた急流を登りきった魚は竜になれるとされ、そこから栄達する入り口にたとえられた。 黄璚が太尉になって以来、三公に任じられた楊秉(ようへい)・劉寵(りゅうちょう)といった人たちは、皆人望があった。劉寵は、嘗て会稽の太守であったが、郡内がよく治まった。朝廷に召されたとき、五六人の老人が山の谷間から出てきて、それぞれ百銭を餞別として贈って言った「名君のあなたさまが着任されてから、夜に犬が吠えかかることがなくなり、取り立ての役人の姿を民が見かけることもなくなりました。今度あなたさまがこの地をあとにして都に帰られると聞き、こうして杖をついて見送りにやって来ました」劉寵は「私の政治があなたがたの言われるような立派なものではない。ご老人たち、わざわざご苦労をおかけした、かたじけない」と言い、せっかくだからと大銭一枚づつを受け取った。そして朝廷に入り司空となったのである。 楊秉は朝廷にあって厳正剛直で知られた。河南の長官になったとき、宦官に逆らったとして罪を得たことがあったが後に太尉となって世を去った。陳蕃がその後をうけて太尉となった。ことあるごとに李膺を推挙して、司隷校尉とした。宦官たちは李膺を恐れ、頭を低くし、息をひそめて、宮中から外へ出ようとしなかった。当時朝廷の規律はゆるみきっていたが、李膺だけは教導、さばきを厳にし、名誉を重んじて自らを高く持していた。士人たちは李膺の知遇を得た者がいると登竜門を為した。と言った。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/73 十八史略 党人の議 2011-09-06 08 37 16 | 十八史略 以劉寛爲尚書令。寛嘗歴典三郡、多仁恕。吏民有過、以蒲鞭罰之。 初上爲侯時、受學於甘陵周福。及即位、擢爲尚書。時同郡房植有名。郷人謡曰、天下規矩房伯武、因師獲印周仲進。二家賓客、互相譏揣成隙。由是有甘陵南北部。黨人之議始此。汝南太守宗資、以范滂爲功曹、南陽太守成瑨、以岑晊爲功曹。皆襃善糾違。滂尤剛勁、疾惡如讎。二郡謡曰、如南太守范猛博。南陽宗資主畫諾。南陽太守岑公孝。弘農成瑨但坐嘯。太學諸生三萬餘人、郭泰・賈彪爲之冠。與陳蕃・李膺更相推重。學中語曰、天下模楷李元禮、不畏強禦陳仲擧。於是中外承風、競以臧否相尚。 劉寛を以って尚書令と為す。寛嘗て三郡を歴典(れきてん)し、仁如(じんじょ)多し。吏民過ち有れば、蒲鞭(ほべん)を以ってこれを罰す。 初め上(しょう)、侯たりし時、学を甘陵の周福に受く。位に即くに及んで、擢(ぬき)んでて尚書と為す。時に同郡の房植(ぼうしょく)名有り。郷人謡って曰く、 天下の規矩(きく)は房伯武、師たるに因って印を獲(え)しは周仲進。 二家の賓客、互いに相譏揣(きし)して隙(げき)を成す。是に由って甘陵の南北部有り。党人の議此(ここ)に始まる。汝南の太守宗資、范滂(はんぼう)を以って功曹(こうそう)と為し、南陽の太守成瑨(せいしん)、岑晊(しんしつ)を以って功曹と為す。皆善を襃(ほう)して緯を糾す。滂尤(もっと)も剛勁(ごうけい)、悪を疾(にく)むこと讎(あだ)の如し、二郡謡って曰く、 汝南の太守は范猛博。南陽の宗資(そうし)は画諾(かくだく)を主(つかさど)る。南陽 の太守は 岑公孝。弘農の成瑨(せいしん)は但(た)だ坐嘯(ざしょう)す。 太学の諸生三万余人、郭泰(かくたい)・賈彪(かひょう)之が冠たり。陳蕃(ちんばん)・李膺(りよう)と更(たがい)に相推重(すいちょう)す。学中語って曰く、 「天下の模楷(ぼかい)は李元礼、強禦(きょうぎょ)を畏(おそ)れざるは陳仲挙」と。 是(ここ)に於いて中外風(ふう)を承け、競って臧否(ぞうひ)を以って相尚(とうと)ぶ。 歴典 歴任、典はつかさどる。 仁如 思いやりがある。 蒲鞭 がまの鞭、形だけの罰。 規矩 模範。 房伯武 房植のあざな。 周仲進 周福のあざな。 譏揣 譏はそしる、揣は計り、長短をくらべて誹謗する。 党人 政治上の派で仲間を組むひと。 功曹 郡の属吏。 剛勁 ともに強い。 范猛博 范滂。 画諾 諾と画くこと、めくら判。 岑公孝 岑晊。 弘農 弘農郡。 坐嘯 何もしないで、詩歌をくちずさむこと。 推重 尊び重んじること。 模楷 模範。 李元礼 李膺。 強禦 手ごわい悪人。 陳仲挙 陳蕃。 臧否 善悪。 次回につづく。 十八史略 党人の議 2011-09-08 09 24 32 | 十八史略 前回注釈で仁恕を仁如と書いてしまいました、恕はゆるすの意です訂正いたします。 劉寛を尚書令に任命した(165年)。寛は嘗て三郡の地方官を歴任し思いやりに篤い政治を行った。吏民に過ちがあると蒲の鞭で叩いて罰した。 桓帝が蠡吾侯(れいごこう)であった時、甘陵郡の周福から学問を受けたので、帝位に即くと周福を抜擢して尚書とした。そのころ同じ郡の房植は名望があったが、官職には就けなかった。それで甘陵ではこんな謡がはやった。 「天下の模範は房伯武、天子を教えた周仲進、天より印綬がころがり込んだ。」 房と周二家の食客たちは、互いの長短を言いつのって、不和になった。そのため甘陵は南北で対峙するようになり、いわゆる党人の争いはここから始まるのである。汝南郡の太守宗資は范滂を功曹の官につけ、南陽郡の太守成瑨は岑晊を功曹とした。滂も晊も善行を誉め、非緯を糾弾した。特に范滂は剛直で、悪を憎むこと仇敵のようであった。二つの郡の民が謡っていうには、 「汝南の太守は范猛博、南陽生まれの宗資はただめくら判。南陽の太守は岑公孝、弘農生まれの成瑨は詩をうなるだけ」 当時の太学の学生は三万余人。郭泰と賈彪の二人が主導して陳蕃と李膺とは互いに尊びあっていた。そこで太学の中では「天下の模範は李元礼(李膺)、凶悪人を恐れないのは陳仲挙(陳蕃)」と言いあった。そこで朝廷の内外ともに、この風潮がひろがり、人の善悪を評価することが重んじられるようになった。 十八史略 党錮の獄 2011-09-13 10 22 59 | 十八史略 たまたま成瑨と、太原郡の太守の劉しつが、赦免となった宦官の党派を取り調べて殺してしまった。桓帝は二人を召して投獄し、処刑して市にさらそうとした。また山陽郡の太守の翟超は張倹を督郵に登用して、宦官の規制を超えた墓や屋敷を取り壊した。東海王の宰相黄浮も、法を犯した宦官の家族を捕えて死刑に処した。宦官たちは冤罪であると訴え、翟超・張倹・黄浮は処罰された。太尉の陳蕃は再三帝を諌めて反対したが聞き入れなかった。宦官たちはさらに人を使って李膺を誣告する書をたてまつった。「李膺は太学の遊学の士を取り込んで、党派をつくり、朝廷を誹謗して風俗を惑乱しています」と。桓帝は激怒して、郡国に詔勅をくだして、党人を逮捕しようとした。その書類が三公の府に回付されたが、陳蕃は署名を拒否した。そのため帝はいよいよ怒って李膺たちを北寺の獄に投じた。告訴状には杜密・陳寔・范滂等二百人の名があがっており、使者が四方に追補に向かった。陳蕃は再び口を極めて諫言したので、帝は蕃を罷免してしまった。これで朝廷の百官はふるえあがり、それ以上党人のために弁護する者が居なくなった。潁川の賈彪がこれを聞き、「私が西に出向いて斡旋しなければこの大難は解決しまいよ」と言って洛陽に行き、皇后の父、竇武に説いて罪を赦すよう上疏させた。一方、取り調べでの供述には宦官の子弟の名も出たので、宦官たちはこれを懼れて、帝に奏上して党人二百余人を赦して故郷に帰らせ、その名を三公の府に書き留めて終身仕官の道をふさいだ。 在位二十一年、改元すること七回すなわち、建和・和平・元嘉・永興・永壽・延熹・永康である。桓帝は崩じた(167年)。竇皇后は、解瀆亭侯を迎えて帝位に即けた。これを孝霊皇帝という 十八史略 霊帝 2011-09-15 14 09 53 | 十八史略 宦官逆襲す 孝靈皇帝名宏、章帝玄孫也。年十二即位。竇太后臨朝。竇武爲大將軍、陳蕃爲太傅。徴天下名賢。李膺・杜密等、皆列于朝。天下想望太平。蕃・武共議、以宦官操弄國柄、濁亂海内、奏誅曹節・王甫等。謀泄。宦者夜召所親、歃血共盟、請帝御前殿、作詔板、拝王甫黄門令、使其黨持節収武等、誣以大逆。先執陳蕃殺之。武自殺。梟首都亭。遷太后於南宮。 孝霊皇帝名は宏、章帝の玄孫也。年十二にして位に即く。竇太后(とうたいこう)、朝に臨む。竇武を大将軍と為し、陳蕃を太傅(たいふ)と為す。天下の名賢を徴(め)す。李膺(りよう)・杜密等、皆朝に列す。天下太平を想望す。蕃・武共に議して、宦官国柄(こくへい)を操弄し、海内(かいだい)を濁乱するを以って、奏して曹節・王甫等を誅せんとす。謀(はかりごと)泄(も)る。宦者、夜親(しん)を召し、血を歃(すす)って共に盟(ちか)い、帝に請うて前殿に御せしめ、詔板(しょうはん)を作って、王甫を黄門令に拝し、其の党をして節を持して武等を収めしめ、誣(し)うるに大逆を以ってす。先ず陳蕃を執(とら)えて之を殺す。武自殺す。首を都亭に梟(きょう)す。太后を南宮に遷(うつ)す。 太傅 天子の師。 国柄 一国の政権。 親 仲間。 詔板 詔書と同じ。 節 君命を受けた使者が帯びるしるし。 誣 罪におとす。 梟す 木にかけてさらす、さらし首。 孝霊皇帝の名は宏、章帝の玄孫である。年十二歳で即位した。竇太后が朝廷に出て政治を執り、父の竇武を大将軍とし、陳蕃を太傅にして、天下の名高い賢者を招いた。李膺・杜密等も朝廷に出仕するようになり、人々はこれで天下太平を招来すると想い望んだ。陳蕃と竇武は協議して、宦官たちが国権をほしいままにし、天下を混乱させたとして、曹節・王甫等を誅殺するよう奏上する手はずを整えた。ところがこの謀が漏れて宦官たちが急遽仲間をあつめ、血をすすって盟い合った。そして霊帝に要請して前殿に出御させ、王甫を黄門令に任命する詔勅を作り、一味に天子の節を持たせて竇武らを捕えさせ、大逆罪の罪を負わせた。まず陳蕃を捕えて殺し、竇武は自殺した。そして首を洛陽の物見台にさらした。太后は南宮に移された。 十八史略 三君、八俊 2011-09-17 12 06 55 | 十八史略 李膺初雖廢錮、士大夫皆高其道、而汚穢朝廷、更相標榜。爲稱號、以竇武・陳蕃・劉淑、爲三君。言一世之所宗也。李膺・荀・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱㝢爲八俊。言人英也。郭泰・范滂・尹勳・巴肅・宗慈・夏馥・蔡衍・羊陟爲八顧、言能以行引人也。張儉・翟超・岑晊・菀康・劉表・陳翔・孔・檀敷爲八及。言能導人追宗也。度尚・張邈・王孝・劉儒・胡毋班・秦周・蕃嚮・王章爲八廚。言能以利救人也。及陳蕃・竇武用事、復擧抜膺等。陳・竇死、膺等復廢錮。 李膺初め廃錮(はいこ)せらると雖も、士大夫皆其の道を高しとし、而して朝廷を汚穢(おわい)として、更々(こもごも)相標榜す。称号を為(つく)り、竇武・陳蕃・劉淑を以って三君と為す。言うは、一世の宗とする所なり。李膺・荀(じゅんいく)・杜密・王暢(おうちょう)・劉祐・魏朗・趙典・朱ウ(しゅう)を八俊と為す。言うは人英なり。郭泰・范滂(はんぼう)・尹勳(いんくん)・巴肅(はしゅく)・宗慈・夏馥(かふく)・蔡衍(さいえん)・羊陟(ようちょく)を八顧(はっこ)と為す。言うは能く徳行を以って人を引くなり。張儉・翟超(てきちょう)・岑晊(しんしつ)・菀康(えんこう)・劉表・陳翔・孔(こういく)・檀敷(だんふ)を八及と為す。言うは能く人を導いて追宗(ついそう)せらる。度尚(たくしょう)・張邈(ちょうばく)・王孝・劉儒・胡毋班(こぶはん)・秦周(しんしゅう)・蕃嚮(ひきょう)・王章を八廚(はっちゅう)と為す。言うは能く利を以って人を救うなり。 陳蕃・竇武事を用うるに及んで、復た膺等を挙抜(きょばつ)す。陳・竇死して、膺等復た廃錮せらる。 相標 誉めはやす。 朱ウ ウかんむりに禹。 蕃嚮 蕃、姓の場合は「ひ」、名の場合は「ばん」 李膺は初め官職を廃され仕官の道を閉ざされたが、士大夫たちは皆その高潔さをほめ、かえって朝廷こそ汚濁に満ちているとして、さまざまな称号をつくって誉めたたえた。竇武・陳蕃・劉淑を三君と呼んだ。それは、この三人を世の宗師とするというのである。李膺・荀・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱ウを八俊と呼んだ。それは人の中の英傑であるとの意である。郭泰・范滂・尹勳・巴肅・宗慈・夏馥・蔡衍・羊陟を八顧と呼んだ。それは徳をもってよく人を引き立てるというのである。張儉・翟超・岑晊・菀康・劉表・陳翔・孔・檀敷を八及と呼んだ。よく人を導いて崇拝されるというのである。度尚・張邈・王孝・劉儒・胡毋班・秦周・蕃嚮・王章を八廚と呼んだ。よく人の難儀を救うというのである。 陳蕃と竇武が政権の座に就いてから李膺等を抜擢したが、陳竇二人が死ぬと再び李膺たちは官職から追放された。 十八史略 李・杜と名を斉しうするを得 2011-09-20 12 00 14 | 十八史略 曹節諷有司、奏諸鈎黨。膺詣詔獄孝死。滂就捕。母與訣曰、汝今得與李杜齊名。死亦何憾。滂跪受教、再拝而辭。顧其子曰、使汝爲惡、惡不可爲。使汝爲善、我不爲惡。聞者爲之流涕。黨人死者百人、其死徙廢錮者、又六七百人。郭泰私痛曰、詩云、人之云亡、邦國殄瘁。漢室滅矣。但未知瞻烏爰止、于誰之屋耳。泰雖好臧否、而不爲危言覈論。故處濁世、而禍不及焉。 曹節、有司(ゆうし)に諷して、諸鈎党(こうとう)を奏せしむ。膺(よう)、詔獄(しょうごく)に詣(いた)って孝死(こうし)す。滂(ぼう)、捕に就(つ)く。母与(とも)に訣(けっ)して曰く、「汝、今李・杜と名を斉(ひと)しうするを得(う)。死するも亦何ぞ憾(うら)みん」と。滂、跪(ひざまづ)いて教えを受け、再拝して辞す。其の子を顧みて曰く、「汝をして悪を為さしめんとするも、悪は為す可からず。汝をして善を為さしめんとすれば、我悪を為さず」と。聞く者之が為に流涕す。党人死する者百人、其の死徙(しし)廃錮(はいこ)せらるる者、又六七百人なり。郭泰私(ひそ)かに痛んで曰く、詩に云(い)う、人の云(ここ)に亡ぶる、邦国殄瘁(てんすい)すと。漢室滅びん。但(ただ)未だ烏(からす)を瞻(み)るに爰(ここ)に止まる、誰(た)が屋(おく)に于(お)いてするかを知らざるのみ」と。泰好んで臧否(ぞうひ)すと雖も、而(しか)も危言覈論(かくろん)を為さず。故に濁世に処して、而も禍い及ばず。 有司 役人。 諷して ほのめかして。 鈎党 たがいに繋がり合った党。 詔獄 天子の詔によって開かれた裁判。 詣 いたる。 孝死 拷問による死。 訣 別れ。 李・杜 李膺・杜密。 死徙 獄死と流刑、徒は別字。 廃錮 官職追放。 殄瘁 殄(た)え瘁(やむ)、疲弊する。 瞻烏 烏は覇権、瞻は仰ぎ見る。 臧否 是非善悪。 危言 穏やかな言葉を選ぶこと。 覈論 評論。 宦官の曹節は役人にほのめかして、党人同士の繋がりを奏上させた。李膺は投獄され拷問のすえ殺された。范滂も捕えられた。母は別れに臨んで「これでお前は李膺さま・杜密さまと同じ名誉を受けることができたのですから恨みません」と言った。范滂は跪いて教えを受け、再拝して別れを告げると、我が子に向って「お前をこのような目に遭わせぬために正義を棄てさせようとも思ったが、悪事はやはりしてはならぬことだ。お前を善にとどまらせるためにも、私は悪と決別した」と言うと、聞く者は皆、涙を流した。このとき、党人で殺された者は百人に及び、死んだり流されたり、官職を追われた者が六七百人に達した。 郭泰はひそかに悲しみ嘆き、「詩経にこうある(人のここに滅ぶ、邦国つかれる殄え瘁む)と。漢室は滅亡するであろう、ただ、(烏をみるにここに止まる。誰が屋においてするか)と。それがまだわからないだけだ」郭泰は事の善悪を批評したが、言葉を慎重に選んで過激な発言をしなかったので、乱世に身を置きながら禍いを被ることがなかった。 十八史略 銅臭を嫌うのみ 2011-09-22 08 59 09 | 十八史略 詔諸儒正五經文字。命蔡邕爲古文・篆・隷三體、書之刻石、立太學門外。 上好文學、引諸生能文賦者、竝待制鴻都門下。置立太學。諸生皆斗筲小人、君子恥之。 開西邸賣官。各有賈。崔烈以五百萬得司徒。問其子以外議何如。子曰、人嫌其銅臭耳。 諸儒に詔(みことのり)して五経の文字を正さしむ。蔡邕(さいよう)に命じて 古文・篆(てん)・隷(れい)三体を為(つく)らしめ、之を書して石に刻し、太學の門外に立つ。 上(しょう)文学を好み、諸生の文賦(ぶんふ)を能くする者を引いて、並びに鴻都(こうと)門下に待制(たいせい)せしむ。太学を置立(ちりつ)す。諸生皆斗筲(とそう)の小人にして、君子之を恥づ。 西邸を開いて官を売る。各々賈(あたい)有り。崔烈(さいれつ)五百萬を以って司徒を得たり。其の子に問うに外議(がいぎ)如何を以ってす。子(こ)曰く、人其の銅臭を嫌うのみと。 五経 易・書・詩・礼・春秋。 古文 蝌蚪(かと)文字、竹簡に漆で書いたので、おたまじゃくし(蝌蚪)に似ていたから。 篆・隷 書体。 鴻都門 洛陽の門の名、中に太学があった。 待制 みことのりが下るのを待つ、唐代には官名になった。 斗筲 穀物をはかる枡、筲は一斗二升、器量の小さいひと。あるいは枡で計ってばかりいる収奪に熱心なこと。 外議 世評。 銅臭 財貨を貴び財貨によって立身する者を卑しむ言葉。 霊帝は儒者たちに詔勅を下して五経を校訂させ、蔡邕に命じて、古文・篆書・隷書の三種の字体で書かせて石に刻み、太学の門内に立てた。 帝は学問を好み学生のなかで文章や詩賦に秀でた者を呼び、鴻都門の中で召し出しを待たせることにし、そこに太学を設置した。しかし呼ばれた学生は皆器量の小さい者ばかりで、高徳の士は同列にみられるのを恥じた。 霊帝は西園に邸を設けて官爵を売った。それぞれの官位に値がつけられていた。崔烈は五百万銭で司徒の官を買った。そしてその子に世間の評判を聞くと、子は「みな銭くさいと嫌っているだけですよ」と答えた。 十八史略 董卓少帝を廃す 2011-09-27 08 31 38 | 十八史略 上崩。在位二十二年、改元者四、曰建寧・熹平・光和・中平、子辨立。何太后臨朝。后兄大將軍何進、録尚書事。袁紹勸進誅宦官。太后未肯。紹等畫策、召四方猛將、引兵向京、以脅太后、遂召將軍董卓之兵。卓未至。進爲宦官所殺。紹勒兵捕諸宦官、無少長皆殺之。凡二千餘人。有無鬚而誤死者。卓至問亂由。辨年十四、語不可了。陳留王答無遺。卓欲廢立。紹不可。卓怒。紹出奔。卓遂廢辨。陳留王立。是爲孝獻皇帝。 上(しょう)崩ず。在位二十二年、改元する者(こと)四、建寧(けんねい)・熹平(きへい)・光和・中平と曰う。子の弁立つ。何太后朝に臨む。后の兄大将軍何進(かしん)、録尚書事となる。袁紹(えんしょう)、進に宦官を誅せよと勧む。太后未だ肯(がえ)んぜず。紹等画策し、四方の猛将を召し、兵を引いて京(けい)に向かい、以って太后を脅かし、遂に将軍董卓(とうたく)の兵を召す。卓未だ至らず。進、宦官の殺す所と為る。紹、兵を勒(ろく)して諸々の宦官を捕え、少長と無く皆之を殺す。凡そ二千余人なり。鬚(ひげ)無くして誤って死する者有り。卓至って乱の由(よし)を問う。弁年十四、語了す可からず。陳留王、答えて遺(のこ)す無し。卓、廃立せんと欲す。紹、可(き)かず。卓怒る。紹出奔す。卓遂に弁を廃す。陳留王立つ。是を孝献皇帝と為す。 録尚書事 尚書の事を録す、文書の事をつかさどる尚書を総監する。高官が兼任した。 霊帝が崩じた(189年)。在位二十二年で改元すること四回、建寧・熹平・光和・中平という。子の弁が位に即いた。何太后が朝に臨んで、政治を執り、太后の兄の大将軍何進が録尚書事になった。司隷校尉の袁紹が宦官を誅殺すべし、と何進に勧めたが、太后が承知しなかった。そこで袁紹たちは画策して、各地の勇猛な将を招集し、兵を率いて洛陽に向わせて太后を脅かした。そしてついに将軍董卓の軍を呼び寄せた。だが董卓の軍が洛陽に到着する前に、何進が宦官に謀殺された。袁紹は兵を指揮して宦官を捕え、老若を問わずことごとく殺してしまった。その数二千人余り、中には鬚がないため誤って殺された者もあった。やがて董卓が到着して、動乱の訳を尋ねたが、弁は年が十四であったが、要領を得なかった。弟の陳留王が逐一答えて遺漏がなかった。董卓は帝を廃位にして陳留王を立てようとしたが袁紹が承知しなかった。董卓は怒り、袁紹は洛陽を去った。董卓は遂に弁を廃位し、陳留王を即位させた。これが孝献皇帝である。 十八史略 袁紹・孫堅・袁術挙兵す 2011-09-29 10 14 48 | 十八史略 孝獻皇帝名協、九歳爲董卓所立。關東州郡、起兵討卓、推袁紹爲盟主。卓焼洛陽宮廟、遷都長安。長沙太守富春孫堅、起兵討卓。至南陽。衆數萬、與袁術合兵。術與紹同祖。皆故太尉袁安之玄孫也。袁氏四世五公、富貴異於佗公族。紹壯健有威容、愛士。士輻湊。術亦俠氣。至是皆起。堅撃敗卓兵。術遺堅圖荊州。爲劉表將黄祖歩兵所射死。 孝献皇帝、名は協、九歳にして董卓の立つ所と為る。関東の州郡、兵を起こして卓を討ち、袁紹(えんしょう)を推(お)して盟主と為す。卓、洛陽の宮廟(きゅうびょう)を焼き、都を長安に遷(うつ)す。長沙の太守富春の孫堅(そんけん)、兵を起こして卓を討つ。南陽に至る。衆(しゅう)数万、袁術(えんじゅつ)と兵を合(がっ)す。術は紹と同祖なり。皆、故(もと)の太尉袁安の玄孫なり。袁氏、四世五公、富貴、佗(た)の公族に異なり。紹、壮健にして威容あり、士を愛す。士輻湊(ふくそう)す。術も亦侠気あり。是(ここ)に至って皆起こる。堅撃って卓の兵を敗る。術、堅をして荊州を図らしむ。劉表の将黄祖(こうそ)の歩兵の射る所と為って死す。 盟主 同盟の主宰者。 四世五公 四代で五人も三公を輩出した。 佗 他に同じ。 輻湊 八方から集まること。輻は車輪のスポーク、や。湊は集まる。 孝献皇帝は名を協といい、九歳で董卓に立てられて帝位に即いた。董卓の暴虐を憎み、函谷関から東の州郡が兵を起こして董卓を攻めた。袁紹を主宰に推し立てた。董卓は洛陽の宮殿や宗廟を焼き払い、長安に遷都した。 長沙の太守で富春の孫堅も董卓討伐の兵を挙げ、南陽に着いた。兵力は数万、袁術の軍と連合した。袁術と袁紹は先祖が同じでかつての太尉袁安の曾孫である。袁氏は四代の間に五人も三公の位にあり、その富貴なことは、他の三公の家を凌いでいた。袁紹は身体が壮健で威厳があり、部下を重んじたので、天下の士が皆袁紹のもとに集まって来た。袁術も侠気に富んでいたので、このときとばかりに一斉に兵を起こした。孫堅が先ず董卓の軍を破った。袁術は孫堅に荊州を攻略させたが、劉表の将で黄祖の歩兵に射られて孫堅は死んだ。 十八史略 劉備と孫策。 2011-10-04 10 36 06 | 十八史略 涿郡劉備、字玄、其先出於景帝。中山靖王勝之後也。有大志。少語言、喜怒不形於色。河東關羽、涿郡張飛、與備相善。備起。二人從之。 孫堅之子策、與弟權留富春。遷于舒。堅死、策年十七。往見袁術。得其父餘兵。策十餘歳時、已交結知名。舒人周瑜、與策同年。亦英達夙成。至是從策起。策東渡江轉鬭、所向無敢當其鋒者。百姓聞孫郎至、皆失魂魄。所至一無所犯。民皆大悦。 涿郡(たくぐん)の劉備、字は玄、其の先(せん)は景帝より出ず。中山靖王(ちゅうざんせいおう)勝の後(のち)なり。大志有り。語言(ごげん)少なく、喜怒、色に形(あら)わさず。河東の関羽、涿郡の張飛、備と相善(よ)し。備起こる。二人(ににん)之に従う。 孫堅の子策、弟権と富春に留まる。舒(じょ)に遷(うつ)る。堅死するとき、策年十七。往(ゆ)いて袁術に見(まみ)ゆ。其の父の余兵を得たり。策十余歳の時、すでに交結(こうけつ)して名を知らる。舒人(じょひと)周瑜(しゅうゆ)、策と同年なり。亦英達(えいたつ)夙成(しゅくせい)なり。是(ここ)に至って策に従って起こる。策、東のかた江を渡って転闘し、向う所敢えて其の鋒(ほこ)に当る者無し。百姓(ひゃくせい)、孫郎至ると聞き、皆魂魄を失う。至る所一も犯す所無し。民皆大いに悦(よろこ)ぶ。 交結 まじわる。 夙成 若くして学業などができあがっていること、早熟。 涿郡(河北省)の劉備、字は玄徳、先祖は景帝の第六子の中山靖王勝の後裔である。かねてから大志を抱き、寡黙にして感情を顔にださなかった。 河東(山西省南部)の関羽、涿郡の張飛が劉備と親交があり、兵を挙げると二人はこれに加わった。 孫堅の子孫策は弟の孫権と富春県(浙江省)に留まり、後に舒州(山東省)に移った。孫堅が死んだとき孫策は十七歳であったが、袁術に会って父の残兵を受け継いだ。十歳余りの時にすでに豪傑たちと交わりを結び、名を知られていた。 舒州の人周瑜も孫策と同年でやはり早くから英才を謳われていたが、ここに至って孫策のもとに馳せ参じた。東を目指し揚子江を渡って転戦したが、鋒の前に立ち向かう者はなかった。人びとは孫策が来ると聞くと、みな震え上がったが、いよいよ来てみると掠奪も一切無かったので、大いに喜んだ。 十八史略 曹操呂布を殺す。 2011-10-06 08 23 45 | 十八史略 初曹操自討卓時、戰于滎陽、還屯河内。尋領東郡太守、治東武陽。已而入兗州據之。自領刺史。遣使上書、以爲兗州牧。上還洛陽。操入朝、遷上於許。 操撃殺呂布。初布自關中出奔袁術。又歸袁紹。已而又去。爲操所攻、走歸劉備。尋又襲備。據下邳。備走歸操。操遣備屯沛。布使陳登見操、求爲徐州牧。不得。登還謂布曰、登見曹公言、養將軍如養虎。當飽其肉。不飽則噬人。公曰、不然。譬如養鷹。饑則附人、飽則颺去。布復攻備。備走復歸操。操撃布、至下邳。布屢戰皆敗。困迫降。操縛之曰、縛虎不得不急。卒縊殺之。備從操還許。 初め曹操、卓を討つ時より、滎陽(けいよう)に戦い、還って河内(かだい)に屯(とん)す。尋(つ)いで東郡の太守を領し、東武陽を治む。已にして兗州(えんしゅう)に入って之に拠(よ)る。自ら刺史(しし)を領す。使いを遣わして上書し、以って兗州の牧と為る。上(しょう)、洛陽に還る。操、入朝し、上を許に遷(うつ)す。 操、撃って呂布を殺す。初め布、関中より袁術に出奔す。又袁紹に帰す。已(すで)にして又去る。操の攻むる所と為って、走って劉備に帰す。尋(つ)いで又備を襲う。下邳(かひ)に拠(よ)る。備走って操に帰す。操、備をして沛(はい)に屯せしむ。布、陳登(ちんとう)をして操に見(まみ)えしめ、徐州の牧と為らんことを求む。得ず。登還って布に謂って曰く、登、曹公に見えて言う、「将軍を養うは虎を養うが如し。当に其の肉に飽かしむべし。飽かずんば則ち人を噬(か)まん」と。公曰く、「然らず。譬(たと)えば鷹を養うが如し。饑うれば則ち人に附き、飽けば則ち颺(あが)り去る」と。布復た備を攻む。備走って復操に帰す。操、布を撃って、下邳に至る。布屡しば戦って皆敗る。困迫して降る。操之を縛(ばく)して曰く、「虎を縛するは急ならざるを得ず」と。卒(つい)に之を縊殺(いさつ)す。備、操に従って許に還る。 滎陽 河南省の地名。 河内 河南の黄河の北。 尋 両手を広げた長さ、たずねる、なみ、等の意味があるが、間もなく。 東武陽 山東省の一地方。 兗州 山東省西部。 刺史 監察官。 牧 長官。 許 河南省許昌県。 下邳 江蘇省邳県。 沛 江蘇省にある、漢の高祖の生地。 初め曹操は董卓を討つ時から、滎陽で戦いに参加し、引きあげて河内に駐屯した。ついで東郡の太守となり、東武陽を治めていた。やがて兗州に入り、ここを根城として、自ら兗州の監察官となった。そして使いを立てて上書し正式に兗州の長官となった。献帝が長安から洛陽に帰ると、曹操は入朝して、帝を許に遷した。 曹操が呂布を討って殺した。これより先、呂布は董卓を殺したあと、関中から袁術のもとへと逃げたが次いで袁紹を頼って行った。やがてまたそこを去り、曹操に攻められて、劉備のもとに身を寄せた。次には劉備の不意をついて下邳に立てこもったので、劉備は逃れて曹操を頼って行き、曹操は劉備を沛に駐屯させた。呂布は陳登を曹操のもとへ遣って、徐州の長官の地位を求めたが、出来なかった。陳登は還って呂布に言った。「私が曹操どのと会見した折、将軍は 例えて言えば、虎を飼うようなもので喰い飽きるほど餌を与えるべきです。喰い足りないと人に噛みつきましょう。と申しましたら、曹操どのはそれは違う、鷹を飼うようなもので、飢えているあいだは懐くが餌に飽きると飛び去ってしまうものだ。と申されました」と。 呂布は再び劉備を攻め、備は追われて再び曹操を頼った。曹操は呂布を討伐すべく下邳に進軍した。すべての戦いに敗れた呂布は進退窮まって降伏した。曹操は呂布を縛り上げ、「虎を捕えたからには急がねばならぬ」と言って、くびり殺した。劉備は曹操に従って許に還った。 十八史略 孫策、袁紹、袁術死す 2011-10-08 14 41 24 | 十八史略 袁術初據南陽。已而據壽春。以讖言代漢者當塗高、自云、名字應之。遂稱帝。淫侈甚。既而資實空虛。不能自立。欲奔袁紹。操遣劉備邀之。術走還、歐血死。 孫策既定江東、欲襲許。未發。故所殺呉郡守許貢之奴、因其出獵、伏而射之。創甚。呼弟權代領其衆曰、擧江東之衆、決機於兩陣之、與天下爭衡、卿不如我。任賢使能、各盡其心以保江東、我不如卿。卒。年二十六。 袁紹據冀州。簡精兵十萬、騎一萬、欲攻許。沮授諌曰、曹操奉天子以令天下。今擧兵南向、於義則違。竊爲公懼之。紹不聽。操與紹相拒於官渡。襲破紹輜重。紹軍大潰。慚憤歐血死。 袁術初め南陽に拠(よ)る。已にして寿春に拠る。讖(しん)に、[漢に代る者は塗(みち)に当って高し]と言う以って、自ら、名字之に応ずを云い、遂に帝と称す。淫侈(いんし)甚だし。既にして資実空虚なり。自立する能わず。袁紹に奔(はし)らんと欲す。操、劉備をして之を邀(むか)えしむ。術走り還り、血を欧(は)いて死す。 孫策既に江東を定め、許を襲わんと欲す未だ発せず。故(もと)殺す所の呉郡の太守許貢(きょこう)の奴(ど)、其の出でて猟するに因(よ)って、伏して之を射る。創(きず)甚(はなは)だし。弟権を呼んで、代わってその衆を領せしめて曰く、「江東の衆を挙げて、機を両陣の間に決し、天下と衡(こう)を争うは、卿(けい)我に如かず。賢に任じ能を使い、各々其の心を尽くさしめて、以って江東を保つは、我、卿に如かず」と。卒す。年二十六なり。 袁紹、冀州(きしゅう)に拠る。精兵十万、騎一万を簡(えら)び、許を攻めんと欲す。沮授(そじゅ)諌めて曰く、「曹操、天子を奉じて以って天下に令す。今兵を挙げて南に向かわば、義に於いて則ち違わん。窃(ひそ)かに公の為に之を懼る」と。紹聴かず。操、紹と官渡に相拒(ふせ)ぐ。襲うて紹の輜重を破る。紹の軍大いに潰(つい)ゆ。慚憤(ざんぷん)して血を欧いて死す。 讖 予言書。 塗(みち) 路。 名字之に応ず 名の術には道路の意味があり、あざなが公路であったから。 淫侈 淫楽と奢侈。 機 勝機。 衡 均衡。 輜重 輸送、補給部隊。 袁術は初め南陽郡に拠っていたが、後に寿春を本拠とした。予言書に、「漢に代わる者は途(みち)に当って高し」とあるのを、我が名に符合するとして、遂に帝と自ら称した。淫楽と奢侈(しゃし)にふけり、財政が窮乏して自立することができなくなって、袁紹のもとを頼ろうとしたが、曹操は劉備に途中を遮らせたので、袁術は再び寿春に逃げもどり、悲憤のあまり血を吐いて死んだ。 孫策は江東を平定し、曹操の拠っている許を攻めようとした。まだ出発しない うちに、嘗て殺害した呉郡の太守許貢の家僕が、孫策が猟に出たのを待ち構えて矢を射た。その傷が恢復しないと見極めた孫策は、弟の孫権を呼んで、軍の統率を引き継がせたうえで「江東の軍勢を引きつれて敵味方の間で勝機をつかみ、天下に雌雄を争うのは、お前は私に及ばない。しかし、賢者や能力の優れた者を取り立て、使いこなし、忠誠を尽くさせて、江東を維持してゆくのは、私はお前に及ばない」と言い残して死んだ。二十六歳の若さであった。 袁紹は冀州に拠っていた。精兵十万、騎兵一万を選りすぐって曹操の許を攻めようとした。すると沮授が、「曹操は天子を奉じて号令しています。今兵を挙げて南の許に向かうのは、大義にもとります。私はひそかにあなた様のためにならないかと心配です」といさめたが、袁紹は耳を貸さなかった。曹操は官渡で迎え撃ち、袁紹の輸送部隊を急襲してこれを破り、軍は潰滅した。袁紹は愧じと憤りのあまり血を吐いて死んだ。 十八史略 髀肉の歎 2011-10-11 10 36 32 | 十八史略 老のまさに至らんとするに、功業建たず 車騎將軍董承、稱受密詔、與劉備誅曹操。操一日從容謂備曰、今天下英雄、唯使君與操耳。備方食。失匕筯。値雷震詭曰、聖人云、迅雷風烈必變。良有以也。備既被遣邀袁術。因之徐州。起兵討操。操撃之。備先奔冀州。領兵至汝南。自汝南奔荊州。歸劉表。嘗於表坐。起至厠。還慨然流涕。表怪問之。備曰、常時身不離鞍。髀肉皆消。今不復騎。髀裏肉生。日月如流、老將至、功業不建。是以悲耳。 車騎将軍董承(とうしょう)、密詔を受くと称し、劉備と曹操を誅せんとす。操一日従容として備に謂って曰く、「今天下の英雄は唯使君(しくん)と操とのみ」と。備方(まさ)に食す。匕筯(ひちょ)を失っす。雷震に値(あ)って詭(いつわ)って曰く、「聖人云う、迅雷風烈には必ず変ず、と。良(まこと)に以(ゆえ)有り」と。 備既に遣(つか)わされて袁術を邀(むか)う。因(よ)って徐州に之(ゆ)き、兵を起こして操を討つ。操之を撃(う)つ。備先づ冀州(きしゅう)に奔(はし)る。兵を領して汝南に至る。汝南より荊州(けいしゅう)に奔り、劉表に帰す。嘗て表の坐に於いて、起って厠に至る。還って慨然として涕(なみだ)を流す。表怪しみて之を問う。備曰く「常時身鞍を離れず、髀肉(ひにく)皆消す。今復た騎(の)らず。髀肉生ず。日月流るるが如く、老の将(まさ)に至らんとするに、功業建たず。是を以って悲しむのみ」と。 使君 州の長官である刺史あるいは郡の長官の太守の尊称。 匕筯 匙と箸。値 あう、遭に同じ。 聖人 孔子。 迅雷風烈には・・論語郷党篇にある。 良 まことに。 髀肉 ももの肉。 車騎将軍の董承が、献帝から内密の詔を受けたとして、劉備と謀って曹操を討とうとした。ある日曹操は悠揚として劉備に語りかけた「さしあたって今、英雄といえるのは貴君とこの操だけであろうな」と。ちょうど食事中の劉備ははっとして箸を取り落とした。そのとき雷鳴が轟いたので、「あの孔子さまでさえ雷や烈しい風には顔色を変えたと言われますが、まことにもっともであります」ととりつくろった。 やがて劉備は袁術を迎え撃つために派遣されることになった。それを機に徐州に行き、そこで曹操討伐の兵を挙げた。曹操はこれを撃ち破り、劉備はまず冀州に逃れ、兵をまとめて汝南郡に行き、汝南から荊州に逃げ、劉表のもとに身を寄せた。ある日、劉表と同坐していたとき、厠に立ったが、帰ってくると嘆き悲しみ、涙を流したので、劉表はいぶかって訳を聞くと、劉備が答えた。「これまでは戦場に在って鞍から身を離すことがなく腿の肉はそげ落ちていましたが、このところ馬に乗る機会が無くなって、腿に肉が付いてきました。月日の経つのは早いもので、老いが迫っているというのに未だ功業が立ちません。それが悲しいのです」と。 十八史略 三顧の礼。水魚の交わり。 2011-10-13 09 43 35 | 十八史略 瑯琊諸葛亮、寓居襄陽隆中。毎自比管仲・樂毅。備訪士於司馬徽。徽曰、識時務者在俊傑。此自有伏龍・鳳雛。諸葛孔明・龐士元也。徐庶亦謂備曰、諸葛孔明臥龍也。備三往乃得見亮、問策。亮曰、操擁百萬之衆。挾天子令諸侯。此誠不可與爭鋒。孫權據有江東、國險而民附。可與爲援、而不可圖。荊州用武之國、州險塞、沃野千里。天府之土。若跨有荊・、保其巖阻、天下有變、荊州之軍向宛・洛、州之衆出秦川、孰不箪食壺漿、以迎將軍乎。備曰、善。與亮情好日密。曰、孤之有孔明、猶魚之有水也。士元名統、龐公從子也。公素有重名。亮毎至其家、獨拝床下。 瑯琊(ろうや)の諸葛亮(しょかつりょう)、襄陽の隆中に寓居(ぐうきょ)す。毎(つね)に自ら管仲・楽毅に比す。備、士を司馬徽(しばき)に訪(と)う。徽曰く、「時務(じむ)を識る者は俊傑に在り。此の間自ら伏龍(ふくりょう)・鳳雛(ほうすう)有り。諸葛孔明・龐士元(ほうしげん)なり」と。徐庶(じょしょ)も亦備に謂って曰く、「諸葛孔明は臥龍なり」と。備、三たび往いて乃ち亮を見るを得、策を問う。亮曰く、「操、百万の衆を擁し、天子を挟(さしはさ)んで諸侯に令す。此れ誠に与(とも)に鋒(ほこ)を争う可からず。孫権、江東に拠有(きょゆう)し、国険にして民附く。与に援(えん)と為す可くして、図る可からず。荊州は武を用うるの国、益州は険塞(けんそく)、沃野千里。天府(てんぷ)の土なり。若し荊・益を跨有(こゆう)し、其の巌阻(がんそ)を保ち、天下変有らば、荊州の軍は宛(えん)・洛に向かい、益州の衆は秦川(しんせん)に出でば、孰(たれ)か箪食壺漿(たんしこしょう)して、以って将軍を迎えざらんや」と。備曰く、「善し」と。亮と情好(じょうこう)日に密なり。曰く、「孤(こ)の孔明あるは、猶魚の水有るがごとし」と。 士元、名は統、龐徳公(ほうとくこう)の従子なり。徳公素(もと)より重名(じゅうめい)有り。亮其の家に至る毎に、独り床下に拝す。 瑯琊 山東省南部の地名。 襄陽の隆中 湖北省襄陽県の隆中山。 管仲 春秋時代斉の宰相。楽毅 戦国時代の燕の将軍。 時務 当世の急務。 三たび往いて 三顧の礼。 図る 画策する。 天府 天然の庫、豊かな土地。 跨有 領有。 箪食壺漿 飲食物、箪食は竹の器に入れた飯、壺漿は壺に入れた飲み物。 魚の水あるが如し 水魚の交わり。 従子 甥。 瑯琊の人諸葛亮は襄陽の隆中山に寓居し、つねづね管仲、楽毅になぞらえていた。ある時、劉備は司馬徽に当代の傑物を尋ねた。すると「時局の急務を認識している者は俊傑といえるだろうが、中でも伏龍、鳳雛と言われる大人物がいる。それが諸葛孔明と龐士元だよ」と答えた。徐庶からも「諸葛亮は臥龍なり」と聞かされていた。そこで劉備は三度亮を訪ねてやっと会うことができた。劉備が天下経略の策を問うと、「曹操は百万の兵を擁し、天子を奉じて諸侯に号令しています。決して兵を交えてはいけません。孫権は江東を根城にして、その地は険阻で人民もよくなついています。共に援けあうべきであって、策略を用いて事をかまえるべきではありません。この荊州は武略を用いるのに適した国であり、益州は険阻な要害に恵まれ、そのうえ肥沃の野が続くまさに天恵の宝ともいうべき地であります。この二州を領有し、嶮しい地勢に守られつつ、天下の大事にあたって荊州の軍は宛から洛陽に向け、益州の軍隊は、秦川に撃って出れば、誰もが食物と飲み物を用意して将軍を迎えるに違いありません」と答えた。劉備はこれは良いと喜び、以後日増しに親密になってゆき、「自分にとって孔明はなお魚に水があるようなものだ」と言うようになった。 龐士元は名を統といい、龐徳公の甥である。公は平素から評判の高い人物であった。諸葛亮がその家に行くたびに、自分だけは床下から拝礼した。 十八史略 将軍と呉に会猟せん 2011-10-15 11 02 09 | 十八史略 曹操撃劉表。表卒。子擧荊州降操。劉備奔江陵。操追之。備走夏口。操進軍江陵、遂東下。亮謂備曰、請求救於孫將軍。亮見權説之。權大悦。操遣權書曰、今治水軍八十萬衆、與將軍會獵於呉。權以示羣下。莫不失色。張昭請迎之。魯肅以爲不可、勸權召周瑜。瑜至。曰、請得數萬精兵、進往夏口、保爲將軍破之。權抜刀斫前奏案曰、諸將吏敢言迎操者、與此案同。遂以瑜督三萬人、與備并力逆操、進遇於赤壁。 曹操、劉表を撃つ。表卒す。子(そう)、荊州を挙げて操に降る。劉備江陵に奔(はし)る。操之を追う。備、夏口に走る。操、軍を江陵に進め、遂に東に下る。亮、備に謂って曰く、「請う救いを孫将軍に求めん」と。亮、権に見(まみ)えて之に説く。権大いに悦ぶ。操、権に書を遣(おく)って曰く、「今水軍八十万衆を治め、将軍と呉に会猟(かいりょう)せん」と。権、以って群下に示す、色を失わざるもの莫(な)し。張昭之を迎えんと請う。魯肅以って不可と為し、権に勧めて周瑜を召さしむ。瑜至る。曰く、「請う数万の精兵を得て、進んで夏口に往き、保(ほ)して将軍の為に之を破らん」と。権、刀を抜いて前の奏案を斫(き)って曰く、「諸将吏敢えて操を迎えんと言う者は、此の案と同じからん」と。遂に瑜を以って三万人を督(とく)せしめ、備と力を併せて操を逆(むか)え、進んで赤壁に遇う。 江陵 湖北省江陵県。 夏口 湖北省武昌城の西。 治め 統率する。 会猟共に狩をすることだが、暗に決戦を挑むこと。 保 請合う。 奏案 上奏文を読む机。 曹操が劉表を攻撃した。前後して劉表が死に、子のが荊州をすべて献じて曹操に降った。劉備は江陵に逃れたが、曹操が追撃してきたので、さらに夏口に逃れた。曹操は軍を江陵に進め、さらに揚子江を下って東に向かった。諸葛亮は劉備に呉の孫権に救援を求めるよう勧め、自ら孫権のもとに赴いて同盟を説くと、孫権は大いに喜んだ。ところが曹操から「わが水軍八十万を率いて呉の地に赴き、孫将軍と狩りをしたいと思うが、いかがであろうか」と恫喝にもとれる書が届いた。孫権はこれを諸将に見せると皆畏れて顔色を変えた。張昭がまず曹操を迎えて降るよう説いたが魯粛がひとり反対を称え、周瑜を召して意見を聞くよう勧めた。周瑜は伺候すると「私に数万の精兵をお貸しください。夏口まで出陣して必ずや曹操を打ち破ってごらんにいれます」と請け合った。孫権は刀を抜いて机ごと断ち切って「今後曹操を迎えて降ろうなどと言う者がいたらこの机と同じになると思え」と言った。かくて周瑜に三万の兵を統率させ、劉備とともに曹操を迎え撃たせた。両軍は進んで赤壁の地で曹操の軍とあいまみえた。 十八史略 赤壁の戦い 2011-10-18 10 04 02 | 十八史略 子を生まばまさに孫仲謀の如くなるべし 瑜部將黄蓋曰、操軍方連船艦、首尾相接、可燒而走也。乃取蒙衝・鬭艦十艘、載燥荻枯柴、灌油其中、裹帷幔、上建旌旗、豫備走舸、繋於其尾。先以書遣操、詐欲降。時東南風急。蓋以十艘最著前、中江擧帆、餘船以次倶進。操軍皆指言、蓋降。去二里餘、同時發火。火烈風猛、船往如箭。燒盡北船、烟焰漲天。人馬溺燒、死者甚衆。瑜等率輕鋭、靁鼔大進。北軍大壊、操走還。後屢加兵於權、不得志。操歎息曰、生子當如孫仲謀。向者劉景昇兒子、豚犬耳。 瑜の部将黄蓋曰く、「操軍方(まさ)に船艦を連ね、首尾相接す、焼いて走らす可し」と。乃ち蒙衝(もうしょう)闘艦十艘を取り、燥荻枯柴(そうてきこさい)を載せて、油を其の中に潅(そそ)ぎ、帷幔(いまん)に裹(つつ)んで、上に旌旗(せいき)を建て、予め走舸(そうか)を備えて、其の尾に繋ぐ。先づ書を以って操に遣り、詐(いつわ)って降らんと欲すと為す。時に東南の風急なり。蓋、十艘を以って最も前に著(つ)け、中江(ちゅうこう)に帆を挙げ、余船、次(じ)を以って倶(とも)に進む。操の軍皆指さして言う、蓋降ると。去ること二里余、同時に火を発す。火烈しく風猛(たけ)く、船の往くこと箭(や)の如し。北船を焼き尽くし、烟焰(えんえん)天に漲る。人馬溺焼(できしょう)し、死する者甚だ衆(おお)し。瑜等軽鋭(けいえい)を率いて、靁鼔(らいこ)して大いに進む。北軍大いに壊(やぶ)れ、操走り還る。後屢しば兵を権に加うれども、志を得ず。操嘆息して曰く、「子を生まば当(まさ)に孫仲謀(そんちゅうぼう)の如くなるべし。向者(さき)の劉景昇の児子は、豚犬のみ」と。 首尾 舳艫(じくろ)、へさき、とも(舳も艫もともに船首船尾)。 蒙衝(艨艟) 敵船に衝突して突き破る軍船。 帷幔 幕、とばり。 走舸 はや舟。 靁鼔 靁は雷の古字、鼔 鼓を打つこと、鼔と鼓は別字。 豚犬のみ 自分の子を謙遜して豚児というのはここから。 孫仲謀 孫権の字。 劉景昇 劉表の字。 周瑜の部将黄蓋が言うには「曹操の軍は船首に船尾が接するほどの大船団であります。火攻めにして潰走させるべきでしょう」と。そこで突破船と戦闘艦十艘を選び枯草や柴を積み込み、油をそそぎ、幕で包んで上に旗を立てた。そして予め船尾に速舟を繋いだ。それから曹操に書を送り、偽って降伏を申し出ておいた。折から東南の風が激しくなった。黄蓋は十艘を先頭に揚子江の中流に帆をあげ、他の船も並んで後に続いた。曹操の軍はそれを指さして「黄蓋が降参してきた」と言い合っていた。操軍との間が二里ほどに迫ったころ、一斉に火を放った。火は激しく風強く、火船は矢の如く進み曹操軍の船団に突入し、焼き尽くした。焔と煙が天をおおうばかり、人馬はあるいは焼け死に、あるいは溺れ死に、さらに周瑜の率いる軽装の精鋭が鼓をとどろかせて、追い打ちをかけた。曹操軍は大敗し、散りぢりになって逃げ帰った。その後、しばしば戦いを仕かけたがことごとく失敗した。曹操は歎息してこう言った「子を持つなら孫権のような子が欲しい、さきに降伏した劉表の子などは豚か犬のようなものだ」 十八史略 別れて三日ならば即ち当に刮目して相待つべし 2011-10-20 10 27 42 | 十八史略 劉備徇荊州・江南諸郡。周瑜上疏於權曰、備有梟雄之姿。而有關羽・張飛、熊虎之將。聚此三人在疆埸。恐蛟龍得雲雨、終非池中物也。宜徙備置呉。權不從。瑜方議圖北方。會病卒。魯肅代領其兵。肅勸以荊州借劉備。權從之。權將呂蒙、初不學。權勸蒙讀書。魯肅後與蒙論議。大驚曰、卿非復呉下阿蒙。蒙曰、士別三日、即當刮目相待。 劉備、荊州・江南諸郡を徇(とな)う。周瑜、権に上疏(じょうそ)して曰く「備は梟雄の姿(し)有り。而して関羽・張飛、熊虎(ゆうこ)の将有り。此の三人を聚(あつ)めて疆埸(きょうえき)に在らしむ。恐らくは蛟龍の雲雨を得ば、終に池中の物に非ず。宜しく備を徙(うつ)して呉に置くべし」と。権従わず。瑜方(まさ)に北方を図(はか)らんことを議す。会(たまた)ま病(や)んで卒す。魯肅(ろしゅく)代って其の兵を領す。肅、権に勧めて荊州を以って劉備に借(か)さしむ。権之に従う。 権の将呂蒙(りょもう)、初め学ばず。権、蒙勧めて書を読ましむ。魯肅後に蒙と論議す。大いに驚いて曰く「卿は復(ま)た呉下の阿蒙に非ず」と。蒙曰く「士別れて三日ならば、即ち当(まさ)に刮目して相待つべし」と。 徇(とな)う 従える。 梟雄 勇猛な英雄。 疆埸 疆も埸(えき)も国ざかい。 蛟龍 みずち。 借 貸す意味もある。 阿蒙 阿は愛称。 刮目 目をこすってよく見る。 劉備は、荊州から江南の緒郡を説いて、帰服させていった。周瑜は孫権に「劉備は梟雄の相をしており、そのうえ関羽・張飛の猛将がおります。いまこの三人があつまって国境に集結しております。龍がひとたび雲雨を得たならば、池の中にじっとしている訳がありません、劉備だけをどうにかして呉の地に置くのがよろしいでしょう」と上書した。しかし孫権はこれに従わなかった。周瑜は一方で北の曹操を討つ策を図っていたが、病気で世を去ってしまった。魯肅が後を承けてその軍を率いることとなった。魯肅は荊州をしばらく劉備に貸すよう進言し、孫権はそれを聞き入れた。 孫権の将の呂蒙は無学であったが孫権が勧めて学問をさせた。しばらくして魯肅が呂蒙と議論したところ、大変驚いて「貴公はもはや私の知る呉下の蒙君ではない、まるで別人だ」と言うと、呂蒙は「士たるもの別れて三日も経ったら、よく目をこすって見なければなりませんな」と切り返した。 十八史略 関羽斬らる 2011-10-22 10 56 43 | 十八史略 驥足(きそく)を展(の)ぶるを得ん 劉備初用龐統、爲耒陽令。不治。魯肅遣備書曰、士元非百里才。使爲治中別駕、乃得展其驥足耳。備用之。勸取州。備留關羽守荊州、引兵泝流、自巴入蜀、襲劉璋、入成都。備既得州。孫權使人從備求荊州。備不肯還。遂爭之。已而分荊州。備自蜀取漢中、自立爲漢中王。漢中將關羽、自江陵出、攻燓城取襄陽。自許以南、往往遙應羽。威震華夏。曹操至議徙許都以避其鋒。司馬懿曰、備權外親内疎。關羽得志、權必不願也。可遣人勸權躡其後。許割江南以封權。操從之。時魯肅已死、呂蒙代之。亦勸權亦圖羽。操師救燓。權將陸遜、又襲羽後。羽狼狽走還。權軍獲羽斬之。遂定荊州。 劉備初め龐統(ほうとう)を用いて、耒陽(らいよう)の令と為す。治まらず。魯肅、備に書を遣(おく)って曰く、「士元(しげん)は百里の才に非ず。治中別駕(ちちゅうべつが)たらしめば、乃ち其の驥足(きそく)を展(の)ぶるを得んのみ」と。備之を用う。益州を取らんことを勧む。備、関羽を留めて荊州を守らしめ、兵を引いて流れを泝(さかのぼ)り、巴(は)より蜀に入り、劉璋(りゅうしょう)を襲って、成都に入る。備既に益州を得たり。孫権、人をして備従(よ)り荊州を求めしむ。備肯(あえ)て還さず。遂に之を争う。已にして荊州を分(わか)つ。備、蜀より漢中を取り、自立して漢中王と為る。漢中の将関羽、江陵より出でて、燓城(はんじょう)を攻めて襄陽(じょうよう)を取る。許(きょ)より以南、往々遥かに羽に応ず。威、華夏に震(ふる)う。曹操、許の都を徙(うつ)して以って其の鋒(ほこ)を避けんと議するに至る。司馬懿(しばい)曰く、「備と権とは外親にして内疎(そ)なり、関羽志を得(え)ば、権必ず願わざるなり。人をして権に勧めて其の後ろを躡(ふ)ましむ可し。江南を割いて以って権を封ぜんことを許せ」と。操之に従う。時に魯肅、已に死し、呂蒙之に代わる。亦権に勧めて羽を図(はか)らしむ。操の師、燓を救う。権の将陸遜、又羽が後ろを襲う。羽狼狽して走り還る。権の軍、羽を獲(え)て之を斬る。遂に荊州を定む。 士元 龐統の字。 治中別駕 刺史の副官。 驥 一日千里を走るといわれる駿馬。 往々 あちこち。 華夏 華は文華、夏は大きい。文化のひらけた大きい国。 躡(ふ)む 後を追うこと。 師 軍隊。 劉備は初め龐統を用いて耒陽の県令にしたが、少しも成果が現れなかった。そこに魯肅から「士元(龐統)はわずか百里四方の県を治める才ではありません。治中別駕に取り立てれば、その才能を存分に発揮できるでしょう」という書が届き、劉備は従った。すると龐統は益州を取ることを進言した。劉備は関羽に荊州の留守を任せ、兵を率いて揚子江をさかのぼり、巴郡から蜀郡へ進み、益州の牧の劉璋を襲って成都を占領した。すると孫権が使いをよこして、荊州の返還を求めた。劉備がはねつけて争いになったが、和睦して荊州を二分した。その後、劉備は蜀から漢中に進出して、自ら漢中王となった。 漢中王の将関羽は江陵県から進出して燓城を攻め、襄陽県を攻め取った。許から南の地方にも、はるか遠く関羽に呼応しようという動きがあって、その勢威は広大な地域に響きわたった。曹操のもとでは許の都を移してその矛先を避ける議論まで出るに至った。司馬懿が反対して、「劉備と孫権とはうわべは親しそうにしていますが、内心は反目しあっています。関羽が勢いをのばすことは孫権にとって願わしくないことでありましょう。そこで、人をやって、関羽を背後から脅かすよう孫権を説得すべきです。そのために江南の地を割いて王に封ずることを許すのです」曹操はこの意見を容れた。 このとき魯肅はすでに死に、呂蒙がこれに代っていたが、やはり関羽を攻めることを勧めていた。曹操の軍が燓城を救援に向かうと、孫権の部将の陸遜が関羽の背後を襲った。関羽はうろたえて荊州に逃げ帰るところを孫権の軍が捕えて斬り殺し、荊州は平定された。 十八史略 禪譲―漢の献帝から魏の曹丕へ 2011-10-25 09 05 28 | 十八史略 初曹操自兗州牧、入爲丞相。領冀州牧。封魏公。作銅雀臺於鄴。已而進爵爲王。用天子車服。出入警蹕。以子丕爲王太子。操卒。丕立。自爲丞相・冀州牧。魏羣臣言、魏當代漢。丕遂迫帝禪位、以帝爲山陽公。帝在位改元者三、曰初平・興平・建安。元年至二十五年、則皆曹操爲政時也。共三十一年。禪位又十四年而卒。漢自高祖元年爲王、五年爲帝、至是二十四世、四百二十六年。 初め曹操、兗州(えんしゅう)の牧より、入って丞相と為る。冀州(きしゅう)の牧を領す。魏公に封ぜらる。銅雀台を鄴(ぎょう)に作る。已にして爵を進めて王と為り、天子の車服を用い、出入(しゅつにゅう)に警蹕(けいひつ)す。子丕(ひ)を以って王太子と為す。操卒す。丕立つ。自ら丞相・冀州の牧と為る。魏の群臣、魏は当(まさ)に漢に代わるべしと言う。丕遂に帝に迫り位を禅(ゆず)らしめ、帝を以って山陽公と為す。帝位に在り改元する者(こと)三、初平・興平・建安と曰う。元年より二十五年に至るまでは、則ち皆曹操の政を為しし時なり。共に三十一年なり。位を禅って又十四年にして卒す。漢、高祖元年に王と為り、五年に帝と為りしより、是(ここ)に至って二十四世、四百二十六年なり。 兗州 山東、河南の地。 冀州 河北、山西の二省と河南の一部。 鄴 曹操が都を置いた河南省の地。 警蹕 天子行幸の折、人払いすること。警は出るとき、蹕は帰るとき。 禅る 禅譲。 曹操は初め兗州の長官から、朝廷に入って丞相になり、冀州の長官を兼任した。その後、魏公に封ぜられ銅雀台を鄴に造った。やがて公から王になり、車馬から衣服まで天子に倣い、出入の際には露払いして通行止めにした。子の曹丕を王太子と称した。曹操が死んで、曹丕が立ち、自ら丞相と冀州の長官になった。魏の群臣は口々に魏が漢にとって代わるべきだと言い、曹丕はついに献帝に迫って譲位させ、帝を山陽公とした。(220年) 献帝は位に在って改元すること三回、初平・興平・建安という。建安元年から二十五年までは曹操が政治を執り行った。献帝の在位は三十一年間、位を譲ってから十四年で没した。漢は高祖劉邦が元年に王となり、五年に帝となってからここに至るまで二十四世、四百二十六年であった。 十八史略 三国序 2011-10-27 09 13 13 | 十八史略 按曾氏云、天下非一統者、本可各自一國編集。又恐初學讀者、迷其時代之先後。今但以一國源流相接者爲提頭、而附同時之國於其。而曾氏而仍陳壽之舊、以魏稱帝、而附漢・呉。剡既遵朱子綱目義例、而改正少微通鑑矣。今復正此書、以漢接統云。 按(あん)ずるに曽氏の云(いわ)く、「天下一統に非ざる者は、本(もと)各自一国に編集すべし。又、初学の読者、その時代の先後に迷わんことを恐る。今但だ一国源流相接する者を以って提頭となして、同時の国をその間に附す」と。而して曽氏は陳寿の旧に仍(よ)り、魏を以って帝と称して、漢と呉を附せり。剡(えん)既に朱子の綱目の義例に遵(したが)って、少微通鑑(しょうびつがん)を改正せり。今復た此の書を正し、漢を以って統を接がしむと云う。 曽氏 曹先之、十八史略の編者。 提頭 先頭にかかげる。 陳寿 西晋の史家「三国志」を撰す。 剡 劉剡 この序文の著者。 綱目 通鑑綱目、司馬光の資治通鑑を宋の朱子が撰した書。 義例 体裁。 少微通鑑 宋の江贄の通鑑節要。 思うに、曹先之は「天下が統一されていないときは、それぞれの国ごとに編集するのが本来ではあるが、一方初学の読者がその時代の前後関係に迷うことになりかねない。そこでここでは一国の本源とつながっているものをまず先に掲げ、同時代の国を間に付け加えることとした」と述べている。そして曹先之は陳寿の旧例に倣って、魏を正統と見做し漢と呉をとを付け加えている。 すでに、私劉剡は朱子の通鑑綱目の体裁に従って、少微通鑑を改めたことがあるが、今またこの曹先之の旧本を正して、蜀漢が正統を継ぐものとすることとした。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/69