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サイシン 列伝 水滸伝一〇八星の1人。天貴星。席次第十位。後周の皇帝・柴世宗の子孫で、資産家。「小旋風」の異名を持つ。好漢と交わることが好きで、林冲や宋江を手厚くもてなした。後に、叔父・柴皇城の仇を取った李逵をかばって死刑囚となるが、梁山泊軍に救われる。梁山泊加入後は主に諜報官をして活躍。宋江と共に東京に赴いた際は、方臘の娘婿になるほど中枢部まで潜入した。方臘征討後、朝廷から滄州黄海郡都統制に任じられるが、自ら官を捨て庶民となり、余生を過ごした。銭糧管理担当。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 50 63 84 89 93 379 113 197 順位 偏差値 成長期 普通 普通 普通 維持 維持 - - - 能力持続 短い 短い 長い 短い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C B S B C B 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 46 36 50 46 59 50 57 40 44 29 50 38 順位 偏差値 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 名声 徴兵実行時、集まる兵士五割増し マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 77 5/5 1/5 3/3 161 184 237(77歳) 冷静 冷静 丁寧 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 柴進 親愛 宋江、林冲、燕青、晁蓋 宋江、林冲、武松、李逵、燕青、晁蓋 嫌悪 高俅、童貫、蔡京、高廉 高廉 特技名声は魅力の高さもあって非常に便利。ただし多用しすぎると治安の回復が追いつかなくなるので注意。 特技はデメリットもあるものなので、変更も視野に入れよう。 -- (名無しさん) 2011-04-24 11 16 21 この人が戦場で戦う事は少ないだろうが、弩Sは便利。 知力も高いので、脳筋を副将にして射てば使い勝手が良い。 -- (名無しさん) 2017-10-17 13 36 56 名前 コメント すべてのコメントを見る
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10/20山崎本願寺が御牧城を奪って、それに呼応した朝倉・浅井が比叡山から出撃し 織田方に組した一乗寺・試楽寺・高野・松ヶ崎ら左京区に突撃して攻撃してる。 また大坂本願寺も10/22日に高屋城攻め開始。 織田弱しと見て若狭武田氏も武藤・粟谷と共に織田に対して挙兵。 信長はもはや比叡山戦線で手いっぱいになり完全に江南に手が回らなくなり、 家康に六角と四十九院の照光房が率いた一揆ら箕作城・観音寺城がいるから 瀬田から草津の間を守ってくれって懇望要請。それで石川家成ら2000を家康が派遣。 11/21伊勢長島で信興が討死。11/26堅田で坂井らが朝倉軍により全滅させられる。 これで完璧に織田軍が追い詰められてしまい、 11/28信長が浅井に土下座5ヶ条の朱印状を出して朝廷から和睦だからと 必死に講和を願うブザマさにまで失墜する。 これは三河物語が書いてる「天下は朝倉殿が取りたまえ。我は2度と望まず」が 正しいことを証明している。 一次資料的な裏づけが揃っているからね。 三河物語では延暦寺が朝倉に兵糧を補給しているので、信長のアテが外れたと書いている。 耶蘇会士日本通信でも「敵(浅井・朝倉)は上坂本および比叡の山の諸山に籠もり、 坊主等は食物および家を供して大いにこれを助け」と書いていて食料不足など書いてない 関白二条晴良が勅命が合意できなければ高野山に隠居するとまで言ってた 山門の難渋にしびれを切らした関白二条晴良は(尋憲僧正の日記) 「もし今回の和議が出来なければ、身共は高野山に上り、隠遁いたす。」 と強硬に言い張って、ついに山門も折れた。 延暦寺に対して綸旨・御内書・御下知・信長の誓詞・山門領すべて安堵(一揆国人達をすべて許す) およそ紙に書くことができる全てが延暦寺に与えても なかなか延暦寺は承諾しなかったと水藤真氏も 織田側が和睦に無茶苦茶必死だったことを書いてる。 長政にも勅宣や朝家は神国の要だからと強調した 5カ条の朱印状を信長は提出してるし 12/13に六角にも知行渡すし、浅井に2/3を与えてもよいと信長は言ってる。 織田がボロ負けしたとする大久保の記述が正しいと思われるのは それ以後もずっと朝倉が優勢な点からもわかる。
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日本 藤原千方(ふじわらのちかた) 伊賀・伊勢のあたりで勢力を持ったとされる伝説上の豪族で、朝廷に対して叛逆を企て、滅ぼされたとされる。 『尊卑分脈』などには藤原秀郷の孫に当たる人物に同名が見えるが、説話類が示す年代(これも異同があるが)とそぐわず、また正史にも記述がない。 伝承によると、千方は四人の鬼(四鬼)を使役した。鋼のように堅固な体を持つ「金鬼(きんき)」、風を操り敵城を吹き破る「風鬼(ふうき)」、水を操り洪水を起こす「水鬼(すいき)」、姿を消し突如襲いかかる「隠形鬼(おんぎょうき)」の四人がそれである。(なお、隠形鬼については、異なる名前・能力を伝える伝承もある。) この鬼たちの猛威に官軍は大いに苦戦した。しかし紀朝雄(きのともお:伝未詳、架空人物か)が「草も木も我が大王(おおきみ)の国なれば いづくか鬼の棲(すみか)なるべき」との和歌を送ったところ、鬼たちは恐れをなして退散し、勢いを失った千方は討たれたという。 以上はおおむね『太平記』巻一六「日本朝敵事」の記事にもとづく。この『太平記』における藤原千方説話が最も有名で、これを受けた表現が謡曲「田村」や各種の御伽草子に散見される。 なお、現在知られているうちで最も古い伝承は、『古今和歌集』の注釈書、『毘沙門堂本 古今集注』(鎌倉時代中期成立)のものである。そこでは『古今和歌集』仮名序の冒頭「力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり。」の部分に対する注・例証としてあげられている。ここから、この伝説は和歌の持つ霊的な力を讃える一種の「歌徳説話」であるといえる。 在地の伝承とはあまり関わりのない、創作性の強い伝説と言えるかも知れない。 参考文献 『太平記(二)』(日本古典文学大系36/岩波書店,1977) 『毘沙門堂本古今集注』(未刊国文古註釈大系4 所収/帝国教育会出版部,1935) 「田村」(新日本古典文学大系57『謡曲百番』所収/岩波書店,1998) 慶応大学蔵『大江山酒呑童子』(室町時代物語大成3 所収/角川書店,1983)
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「神を超えさらに強くなれ。そして、創れ。望む世界を!!!」 【名前】 登美能那賀須泥毘古命 【読み方】 とみのながすねひこのみこと 【種族】 大太解体魔人・右足ノ鬼 【字名】 地震起こし跋出す足(大太の右足) 【登場巻】 第7巻~ 【人物】 国土神・右足の化身。 四肢がすべて足の形をしている仮面をつけた巨人の姿と、人間の姿の二つを持ち、こちらは便宜上人間としての姿を記述する。 頭部(主に髪型)が足を模した男性で、怪異を封印する力を持つ。 この「王」としての那賀須泥毘古は、最初は妖怪としての姿だったが勾玉を飛ばして田村・福太郎に憑依し、怪異と化したお仙のストーカーを倒した後彼女の怪異ランクをアップさせた。 その後肉体を得て福太郎と会話し、大太と中央にまつわる秘密を明かした後、クロノス=クロノスと化したバロネス・オルツィによって千足の存在が発生する原初へと時間を巻き戻されためこの姿を保つのにも限界が生じ、福太郎に別れを告げたあとバロネスに強烈な蹴りを叩き込み満足げに再封印された。 他の大太と違い、人々が意識的に大太を必要とすることはなく人間が大太の想像を超えて進歩していき、理想を築き上げていくことを望んでいる。 ちなみに笠森・仙と味野・娯楽を妖怪化させたのは彼だが、大太の自由にならぬよう自由意思を持たせてあるため大太の僕下にはならない。 怪異化させた理由は本人いわく「封印されて動けず暇だった」とのこと。 それ故に福太郎に憑依して動けるようになったのが嬉しかったらしく、「窓の開け締めさえ楽しい」ようだ。 トミノナガスネヒコノミコトは日本神話に登場する。 神武東征の場面に登場し、大和地方で東征に抵抗した豪族の長であるとされる。 何故彼が足に纏わるパーツに選ばれたのかは定かではないが、調べる限り何度も朝廷に対し抵抗し、戦い続けた人物だったようで、 天津神の末裔を名乗る神武天皇に対して直接物申すこともあったようだ。 膝をつくことを良しとせずとにかく立って戦い続けたということから足に選ばれたのだろうか。 ちなみに天の羽羽矢を使っているが、彼の所有物というわけではなく、饒速日命という長髄彦の上司というか主君が所持していたもの。
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編集 章なり。六卿、天官冢宰、地官司徒、春官宗伯、夏官司馬、秋官司寇、冬官司空。(説文解字) 卿の言為るや、章なり。善を章(あきら)かにし、理を明らかにするなり。(白虎通) 卿とは、天子及び諸侯に仕える臣。公・卿・大夫・士の序列の第二位の身分とされる。 周王の制度では、最高位にある公(三公)は政事の実務を執らないと説かれ、諸侯は「公」の身分自体を持たないので、卿が属官を持って執務を司る大臣に相当した。 六卿、九卿等とも称されるが、秦以降の「卿」は必ずしも特定の六人、九人のみを示す称号ではなく、高位の職官・爵位グループを示す総称となった。漢代以降の秩石にして中二千石に相当する。 周(経書における) 『尚書』周官や『周礼』は周王の卿を六卿とし、『礼記』王制などは九卿とする。『周礼注疏』は、六卿(冢宰、司徒、宗伯、司馬、司寇、司空)に三孤(三公の補佐。少師、少傅、少保)を加えて九卿と解釈する。 また、『礼記』王制は、諸侯のうち大国と次国は三卿を有し、小国は二卿を有すという。 秦 秦の爵制にも「卿」(正卿)及び客卿なる身分があり、それは二十等爵制での第十級左庶長と第九級五大夫の間に存在したという(*1)。 客卿は、その名の通り秦の高官の推薦を受けて秦に入って来た「客」であり、その身分のままで秦の軍事に参与することもあった。功績を挙げて認められれば「(正)卿」となって、相応の爵位(*2)や官位(*3)を得ることが出来た。 前漢 漢代に入ると、爵は武功に応じて与えられ、特に楚漢戦争従軍者の今後の生活と郷里及び朝廷での身分序列を保証するものとして運用された。二十等爵のうち第十八級大庶長から第十級左庶長までが「卿」に相当し、徹侯・関内候に継ぐ高爵に位置した。 高帝六年の詔には、 「諸王、通侯、將軍、羣卿、大夫はすでに朕を尊んで皇帝と為したが……」 と、漢王朝の臣のうち一つのグループを示すものとして認められている。 文帝元年には、 「もろもろの朕に従いし六人、官みな九卿に至らせよ」 と、官吏中の特定グループとしての「九卿」の名称が既に見られる。しかし、「主爵都尉と為り、九卿に列す(汲黯伝)」、「九卿に至り、右内史と為る(鄭當時伝)」に見られるように、前漢での「九卿」は必ずしも「九人の卿」を指すものではなく、秩石中二千石の官吏グループを指す総称だったことがわかる。 また、景帝後元年、吏の秩石中二千石の者に右庶長(第十一級)の爵が賜られる。これは武帝期以降、立太子の折の定例になる。「官制の卿」と「爵制の卿」との連動だが、あくまでも前漢代を通じて数度のものであり、官位と爵位は必ずしも同調するものではなかった。 後漢初 中興して建武元年、光武帝は諸侯王と官吏の印綬を再制定する。 「……諸侯王に金璽綟綬。公侯に金印紫綬。九卿、執金吾、河南尹は秩皆中二千石。大長秋、将作大匠、度遼・諸将軍、郡太守、国傅相みな秩二千石。校尉、中郎将、諸郡都尉、諸国行相、中尉、内史、中護軍、司直、秩皆(比)二千石。以上皆銀印青綬。……」 と、秩石中二千石の中でも皇帝に仕える九人の卿(太常]、光禄勲、衛尉、太僕、廷尉、大鴻臚、宗正、大司農、少府)のみが九卿として確立し、執金吾・河南尹が「卿」と称されることはなくなる(*4)。 また、白虎通は、朝廷の諸官を天命を受けた天子を頂点とする公・卿・大夫の三爵位に差別化し(内爵)、礼制に秩序の構築を強化した。 後漢以降 尚書らを用いて皇帝が下部の諸官を直属的に扱う傾向を強めると、後漢・魏晋において「九卿」の政務上の権限は低下を続ける。しかし一方で、晋武帝太康四年に至っても「九卿の礼秩を増」して「給九卿の朝す車駕を四、及び安車を各一乗を給」(*5)した記事があるように、儀礼序列に於いては三公と共にその威儀を守り続けた(*6)。 魏晋において、尚書や録尚書事、将軍、都督といった官が台頭し政事軍事の実権を握る一方で、彼らを儀礼秩序の中に位置づけ、権威を与え、引いてはその上位にある天子の権威をいや増すためにも、古官である公・卿の地位と威儀は確固としたものでなければならなかったのである。 例えば魏明帝曹叡が征南将軍の位が高く任が重いことからその儀礼上の地位を特進に準じようとした際に高堂隆が反対して、 秩の中二千石に比す者、その朝に入り覲(まみ)えては、宜しく卿の執羔に依るべし。金紫将軍は中二千石を秋(たま)わり、卿と同じい。 と、卿及び中二千石を基準にして征南将軍が高位に昇ることを阻止した(*7)。魏晋においては言わば実務官と儀礼官の分化が進み、天下の統治と、それを行う官吏・諸侯の秩序構築を相輔する形で進めようとしたのである。 所属項目(タグ) 内爵 卿 天子 官制 爵制 王 諸侯 関連項目・人物 衛尉 廷尉 左馮翊 少府 宗正 太常 太子太傅 太僕 大鴻臚 大長秋 大司農 執金吾 右扶風 卿 光禄勲 京兆尹 九卿 中尉 参考 小林聡氏『西晋における礼制秩序の構築とその変質』(『九州大学東洋史論集』30) 楯身智志氏『秦・漢代の「卿」--二十等爵制の變遷と官吏登用制度の展開』(『東方学』116) 編集 -
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439.元諸帝多不習漢文 元起朔方,本有語無字。太祖以來,但借用畏吾字以通文檄。世祖始用西僧八思巴造蒙古字,然於漢文則未習也。元史本紀,至元二十三年,翰林承旨撒里蠻言,國史院纂修太祖、累朝實録,請先以畏吾字繙譯進讀,再付纂定。元貞二年,兀都帶等進所譯太宗、憲宗、世祖實録,是皆以國書進呈也。其散見於他傳者,世祖問徐世隆以堯、舜、禹、湯爲君之道,世隆取書傳以對,帝喜曰:「汝爲朕直解進讀。」書成,令翰林承旨安藏譯寫以進。曹元用奉旨譯唐貞觀政要爲國語。元明善奉武宗詔,節尚書經文,譯其關於政事者,乃舉文陞同譯,毎進一篇,帝必稱善。虞集在經筵,取經史中有益於治道者,用國語、漢文兩進讀,譯潤之際,務爲明白,數日乃成一篇。馬祖常亦譯皇圖大訓以進。(皆見各本傳)是凡進呈文字必皆譯以國書,可知諸帝皆不習漢文也。惟裕宗爲太子時,早從姚樞、竇默受孝經。及長,則侍經幄者,如王恂、白棟、李謙、宋道等,皆長在東宮備諮訪。中庶子伯必以其子阿八赤入見,太子諭令入學,伯必即令入蒙古學,逾年再見,問所讀何書,以蒙古書對,太子曰:「我命汝學漢人文字耳。」此可見裕宗之留心學問,然未即位薨。以後如仁宗,最能親儒重道,然有人進大學衍義者,命詹事王約等節而譯之,則其於漢文蓋亦不甚深貫。至朝廷大臣亦多用蒙古勳舊,罕有留意儒學者。世祖時,尚書留夢炎等奏,江淮行省無一人通文墨者,乃以崔彧爲江淮行省左丞。(彧傳)李元禮諫太后不當幸五臺,帝大怒,令丞相完澤、不忽木等鞫問,不忽木以國語譯而讀之,完澤曰:「吾意亦如此。」是不惟帝王不習漢文,即大臣中習漢文者亦少也。如小雲石海牙、孛朮魯翀、巙巙、薩都剌等,固當爲翹楚矣。
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『日出処の天子』あと語り 今回取り上げた「日出処の天子」という作品は、飛鳥時代の日本を舞台にした物語。 蘇我毛人(蘇我蝦夷)と厩戸王子(後の聖徳太子)を中心に、豪族と朝廷との権力闘争の中で起こる 男と男の、そして、男と女の恋の物語りを展開していた。 時代考証などに関してのツッコミどころはいろいろとある作品のようだったが、 個人的にはその辺りはあくまで「舞台設定」であって、あまり重要な役割ではないと感じた。 この作品の中心になっているのは、「親の愛を受けずに育った厩戸皇子の孤独」である。とわたしは考える。 作品の中で、厩戸王子は暗示にかける事で政敵を陥れたり、戦の時に戦いの神を呼んだり、 雨乞いを成功させたり、普通の人には見えない魑魅魍魎を見る事が出来たり、と人間離れした能力を持った存在として登場する。 厩戸王子は生まれつきその不思議な力があるが故に母親である 「穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)」からの愛を受けることが出来ずに育ってきた。 間人姫は厩戸王子の弟である「来目王子」ばかり可愛がり、厩戸王子は一緒に食卓を囲むこともできない毎日をすごしている。 厩戸王子は弟が憎んでいるわけではないのだが、自分へは向かない母の愛に対して言葉に出来ないやりきれなさに苛まれ続ける。 厩戸王子は、外面上は母の愛は諦めたものというような振る舞いをする。 しかし、その心の中の奥底で母からの愛を欲する気持ちは消えることがなく、 その反動からか、厩戸王子は権力闘争の中で実に非道な手段をとり続ける。 そんな中で厩戸王子は蘇我毛人という男と出会う。 毛人は厩戸王子の超能力を知っても尚、優しい言葉をかけてくれる。 権力欲に乏しい毛人は、厩戸王子に対してその「美貌」や「明晰な頭脳」などに惹かれ、 謎めいた力によって幼い頃から孤独であった事などを知り、事あるごとに厩戸王子を気にかける様になる。 厩戸王子にとって毛人は、朝廷内での殺伐とした権力闘争の中で張り詰めた心を和ませてくれる存在であったのだろう。 その様にして2人は惹かれ合ってゆく。 しかし、厩戸王子は毛人への愛を叶えるためにまたも自分の超能力を使って暗躍を始めてしまう。 結果としてそのことが毛人の心を遠ざける原因になってしまうというのに… 厩戸は自分の超能力によって他者からの愛を遠ざけ、孤独から抜け出すことが出来ずに、 毛人との完全な決別の後、母親に似た知恵遅れの少女を嫁に迎え入れ世話をする様になる。という所で物語は終りを迎える。 この作品が連載されていた80年代、 その頃にちょうど青春期を迎えていたある女性に話を聞くことができた。 その世代の少女たちは、読む本がなかったのだと彼女は言う。 その当時は国産の児童文学という物がほとんどなく、幼少の頃は海外産の翻訳版絵本ばかりと読んで育ち、 その後、成長しても国産の児童文学がないので、少女たちはマンガへと流れたのだという。 少女たちは「花の24年組」と呼ばれる少女漫画家たちの作品をこぞって読んだのだと言う。 当時は小中学生のみならず高校生や大学生、男性にまで受け入れられ、 文芸評論家も高く評価するほどの勢いのある作品群がその「花の24年組」によって作られていたのだという。 今作の作者「山岸凉子」も「花の24年組」のひとりである。 わたしは、この作品が「飛鳥時代」と舞台にしていること、 そして、「愛されない事によってその反動から他人を傷つけてしまう少年」を主人公に選んでいる事に因果関係がある様に感じた。 飛鳥時代に日本の価値観(国策)の変革に大きく関わった仏教の思想と、 当時「花の24年組」が作品内でしきりに描いていた「アダルトチルドレン」というテーマが、つながりを持っている様に私には感じられた。 「生きることは苦しいことだ」「煩悩を捨てて悟りを開きなさい」という仏教の教えが、 愛されずに育った厩戸王子(アダルトチルドレン)の心を慰めようとしている様にわたしには感じられたのだ。 作中で、厩戸は 「神は祟る。そうなった時に救ってくれる存在が必要だ。それが仏だ」と言い、 その後、仏を目の前にして「仏は見ているだけで助けてくれはしない」と言っている。 悟りは自分の中から生まれるもので、仏が見えたからと言って悟りを開いたということにはならないのかもしれない。 今作に出てくるキャラクター達は、 それぞれのキャラクターがそれぞれの煩悩を抱えている。 それを捨てることが出来ずに悩み、苦しみ、心の中に無念を抱えたまま、混沌のうちに物語は終わってしまう。 それでも、作中のキャラクター達は自分の守りたいもの、叶えたい夢、野心のために活き活きと活躍していた。 作品の中で仏教の教えが直接的に描かれる事は少なかったが、 作品全体を通して人の生きる苦しみを描き、 人間が持つ普遍的な性質を突き、仏教的な教訓を感じさせる物語になっている様にわたしには読めた。 物語最後の厩戸王子は、とても穏やかな表情をしている。 知的障害の少女の無邪気ないたずらに腹を立てることなく、 優しく抱き寄せながら、自分の思いついた国策である「遣隋使」について語って聞かせる。 これから厩戸王子は己の力を日本という国のために使い、 日本を隋と肩を並べるような国にしようと政治的手腕を振るい出すのだろう。 愛して貰えなかった母の面影を持った少女を愛しながら… この時の厩戸には「悟り」の本当の意味がわかっていたのかもしれない。 力とは、自分を守るために使うのではなく、誰かを守るために使われるべきであるという事が。 誰かをほんの少しでも救おうという心が生まれた時、 人間は悟りへと近付けるのかもしれない。 そんなメッセージをわたしはこの作品から感じた。 2013/5/2 utarou
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506 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11 15 38 「夢幻会VS大友の姫巫女」2 西暦1551年(天文20年)尾張の国 織田信秀隠居所にて 「兄上は問題無く織田家当主を務められています。今川との戦いに不安材料となるものは周りには見受けられません。」 「それは重畳じゃ。数年前から織田家当主代行を任せていたから家督を継承してもやる事は今までと変わらんからな。」 ある親子の会話であるが親は織田家先代当主である織田信秀、子は織田信行いずれも転生者である。 織田信行は史実では2度も織田信長に反逆したがこの世界では武田信繁、豊臣秀長の様に補佐役として信長を支えることが期待されていた。 「信長にすべてを任せたし、夢幻会の運営も世代交代で若い者に任せているし。もっとも若手といっても前世そのまた前世の経験を含めれば何十年もの人生経験をもっているし。隠居してから暇だから前世でアマニチュア歴史家だった経歴を生かして戦国時代を詳しく記録して後世に残そうと思っているのだ。」 「それはいいことですね。そういえれば父上は確認された中で最初の転生者だとか」 織田信行が言うように織田信秀は転生者の中で一番早く転生した人物である。家督を譲られる前の1525年ごろに転生していた。それ以後、林秀貞・平手政秀ら転生者をまとめて夢幻会を作り上げ尾張の国の統一と富国強兵に邁進していた あのころは大変だったなあ。と当時を思い出して遠い目をする織田信秀。 「転生者の数は増加傾向にあり確か現在の転生者の数は夢幻会が把握しているだけで千名に届くかの数だったはずです。そのうちの八割が織田領内で活躍しています。残りの二割が他国に広く薄く転生していますね。」 「まて、八割は夢幻会によって発展する尾張の噂を聞いて転生者仲間を求めて尾張に来た転生者を含めての数字だ。それでも織田家領域に転生する数が多く集中しているが。」 尾張に出来た夢幻会は他国にも転生者がいないか調査して、他国の転生者と接触して夢幻会支部を作り上げていた。大量の転生者を抱える尾張夢幻会が本部として機能して、織田信長による早期の天下統一に協力することが決定していた。 転生者は皇族・公家・大名・国人・商人・職人・僧など幅広く存在しており、他国の夢幻会支部の協力による情報ネットワークが作られていた。 「転生者の中で変わり者といえば小田天庵が転生者だったとは驚きだったな。」 「織田家への亡命を勧めたが小田家当主としての責任があるとして断ったそうです。」 夢幻会としては戦国が終わるまでに無事に生き延びることを願うだけだった。 「青田買いといえば領地を追われた真田一族を織田に迎え入れることに成功したことは幸運だったな。」 当時の夢幻会で真田をゲットだー。チート一族きたー。これで勝つるなど狂喜乱舞の騒ぎだったのは記憶に新しいところだった。織田家の天下布武に真田の持つ武勇をもって貢献してくれるはずだ。 「これまでの今川の戦いを振り返ると今川に三河を確保されたとはいえ、竹千代を確保できたし今川水軍を壊滅させることに成功したのだから、そう悪いものではないな。」 今川との三河をめぐる争いは尾張の内政に集中していたこともあって今川家優位で進んでいた。 後に徳川家康となる松平竹千代は夢幻会が入念に対策をとった事もあって人質交換という事態になることも無く、尾張で夢幻会の教育を受けて成長していた。織田を支える将としての活躍が期待されていた。また豊臣秀吉となる日吉についても同様で転生者の商人に連れられて他国を巡って見聞を広げて成長して夢幻会の推挙によって織田家に仕官していた。 父である信秀同様に転生者である織田信広は織田水軍の将として南蛮船を巧みに運用して今川水軍を壊滅して東海道の制海権を織田家の手中に納めることに成功していた。 「史実どおり美濃とは織田信長と濃姫との政略結婚で同盟を結んでいますから後顧の憂いはありません。全力で今川をなぐれますよ。」 507 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11 16 16 「それにしても守護や守護代の排除は大変だった。史実の信長のようにうまく排除しなければならなかったからな。慎重に謀略を用いたとはいえ権威に胡坐をかき、見たいものしか見えなかったからこそ守護や守護代が自滅する形で我が織田に汚名がかからないようにうまく排除することが出来た。」 「朝廷や幕府の内部にいる転生者の運動や朝廷や幕府へのこれまでの献金による貢献によって正当性を手に入れてこうして尾張を統治していますからね。」 夢幻会は権威というものの重要性を誰よりも知っているからこそ朝廷や幕府をうまく活用するつもりだった。(もっとも幕府は将来の将軍追放によって終わらせるつもりだった。 「三河の一向一揆については大坂の本願寺と共同して阻止するが万一蜂起した場合は鎮圧もやむなしとの黙認する言質をもらった。出来れば蜂起する時間を稼いでパンとサーカスを実感させて一向一揆衆を分断したい。」 この時期の織田と本願寺と友好的な関係を結んでおり、大坂の本願寺は「王法為本」という「現在の王(統治者)に従い、政治と秩序を助けることが仏法の道である」 という考えから織田家に東海道経略に成功した場合は統治に協力する姿勢を見せていた。 問題は、総本山の統制に三河の本願寺勢力が従うかであった。「王法為本」の堅持する総本山の本願寺は地方の一向一揆の動きを抑えようとしていたが抑えきれていなかったのだった。 夢幻会の農業専門家による戦国時代の気候に適応した稲の品種改良やサツマイモの栽培などの農業チートなどの努力による食物の確保や民衆に対する娯楽の提供やプロパガンダなど未来の宣伝技術の応用などで一向一揆の脅威を減らすつもりだった。腹を満たし娯楽を提供する『パンとサーカス』政策ならばよほどの信仰狂いでない限り、織田家に従うほうが得だと考えてくれるだろうというのが夢幻会の読みだった。 夢幻会としては政教分離を達成するためにも将来の比叡山や本願寺など宗教勢力との全面戦争は必然とはいえ、今は対決するべき時ではないことを理解していたのだ。 「順調に堺や博多などに織田の影響力が増しているようだな。」 「未来知識によって転生者の商人が利益を上げて影響力を増していますからね。自分だけ儲けるのではなく非転生者の商人にも儲け話に参加させることで転生者を中心とした有力派閥を形成されています。おまけに慈善事業をやっていますので民衆の受けはいいみたいですね。」 堺や博多など商業都市にも夢幻会の手は伸びており、その地にいる夢幻会転生者の商人や親織田の非転生者の商人と手を組んで互いにwin-winとなるような関係を結んでいた。商人の利を求める本能から織田家の繋がりを求める商人の数は増えるばかりだった。 508 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11 16 48 「物語ならば主役体質の嶋田さんや辻さん達が夢幻会中枢で運営するだろうが実際は物語ならばモブキャラ扱いの我々が夢幻会を運営しているのは皮肉以外の何者ではない。」 前世で夢幻会の中間管理職とも言うべき位置にいた織田信秀はそう感じていた。 「そういえば、嶋田さんや辻さんはたしか大内家に転生していましたね。家督相続頃ならともかく月山富田城の戦いの敗北後に転生したせいで難易度があがっていますからね。」 嶋田は大内義隆に辻は相良武任に転生していた。大内義隆の家督相続ころに転生してくれば歴史が変わっただろうが未来知識を使って大内家を立て直すという嶋田・辻コンビの苦闘は実を結んでいなかった。改革を進めようとすれば武断派の反発を呼び、配慮すれば改革は停滞するという歴史上の勢力が衰退するパターンにはまっていた。滅んだ最後の皇帝や王が味わった徒労を嶋田・辻コンビは味わっていた。 織田家は大内家が博多を領有している事、大内家を延命させることで毛利元就の躍進を防ぐなどの目論見から大内義隆を支援していた。 当初は武断派の陶隆房・内藤興盛に先手を撃って誅殺する計画が組まれていたが改革によって直轄の軍事力を手にしたとはいえ長年にわたって軍事の中核を担ってきた武断派が消滅すれば軍事力の弱体化による混乱に見舞われかねなかった。 そのため、博多を通じて経済で関係を深めつつあった織田の仲介によって大内義隆は隠居して大内義尊が継ぐこと、陶隆房が後見となること、大内義隆・相良武任は織田家に亡命する事が決められた。 「大内義隆について表向きは進まぬ改革が嫌になって家督を息子に投げ出して、国外に逃げたという形になるだろう。それによって大内義隆を支持する派閥は失望して新政権への支持を表明して当面の混乱は避けられるはずだ。」 「ついでに勘合貿易も存続できますし、いずれ滅びるにせよ改革が無駄だったわけではなく最低でも史実より数年間の時間を稼ぐことが出来るでしょう。」 「大内義隆は尾張での隠居を望んでいるが夢幻会はこれを認めるつもりだ。相良武任については大友の姫巫女の担当を任せようと思う。」 「それがいいですね。夢幻会にはすでに河尻秀隆という有能な経済・財政担当の責任者がいますし、一応は大内義隆の家臣扱いですから他家の家臣を織田の経済運営に参加させるのは問題ありますしね。姫巫女の交渉役なら博多や大友にも繋がりを保有していますし高い交渉能力いかせます。」 かくして夢幻会の大友の姫巫女の交渉担当に相良武任(中身は辻)が任せられることになった。
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次の江戸時代の国学者を生まれたのが早い順に選びなさい 1 契沖 2 塙保己一 3 平田篤胤 4 矢野玄道 次の江戸時代の朱子学者を早く生まれた順に選びなさい 1 藤原惺窩 2 木下順庵 3 室鳩巣 次の幕末の戊辰戦争における戦いを起こった順に選びなさい 1 鳥羽・伏見の戦い 2 宇都宮城の戦い 3 東北戦争 4 箱館戦争 次の江戸時代後期の出来事を起こったのが早い順に選びなさい 1 ペリー来航 2 桜田門外の変 3 禁門の変 次の江戸時代の出来事を起きたのが早い順に選びなさい 1 武家諸法度を制定 2 慶安の御触書 3 海舶互市新例を制定 4 フェートン号事件 次の幕末の出来事を起きたのが早い順に選びなさい 1 日米和親条約締結 2 日米修好通商条約締結 3 坂下門外の変 4 戊辰戦争 江戸時代の鎖国に関する次の出来事を古い順に選びなさい 1 スペイン船の来航を禁止 2 日本人の海外渡航禁止 3 ポルトガル船の来航を禁止 4 オランダ商館を出島に 次の江戸時代に発行された小判を時代が古い順に選びなさい 1 慶長小判 2 享保小判 3 天保小判 4 万延小判 次の江戸時代の将軍を将軍位に就いたのが早い順に選びなさい 1 徳川家康 2 徳川家綱 3 徳川家斉 次の江戸時代に使われた船を規模が大きい順に選びなさい 1 屋形船 2 屋根船 3 猪牙船 江戸時代に発行された次の貨幣を、貨幣価値が大きい順に選びなさい 1 慶長大判 2 慶長小判 3 慶長一分金 4 元禄二朱金 次の文字列を順に選んで1615年に江戸幕府が制定した朝廷に対する法令の名前にしなさい 1 禁中 2 並公 3 家諸 4 法度 次の人物を江戸時代に老中の上に置かれた臨時職「大老」に就いたのが古い順に選びなさい 1 堀田正俊 2 井伊直該 3 井伊直幸 4 井伊直亮 5 井伊直弼 6 酒井忠績 次の江戸時代の吉原における遊女の種類を位が高い順に選びなさい 1 太夫 2 格子 3 散茶 次の江戸時代の女性を五十音順に選びなさい 1 笠森お仙 2 八百屋お七 3 夜嵐お絹 次の江戸時代の私塾を東にあったものから順に選びなさい 1 芝蘭堂 2 適塾 3 松下村塾 4 鳴滝塾
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作品名:瑠璃色にボケた日常 使用者:鴫原翠 瑠璃色にボケた日常に登場する術技。 【負統合の儀】のように正の情念で守護霊達を統合する霊能。 術技についての詳細融合 欠点 鵺について形容 戦闘能力 元ネタ 関連項目 関連タグ リンク 術技についての詳細 融合 「守護」という意思下に守護霊達を統合する【負統合の儀】と同じ現象。 ということは、瑠璃の《怨団化製作》と同じ現象か。幽鬼が「怨念」の意思の下に六黒 となるように、二匹は「守護」の意思の下、一体の獣霊になったということか。 欠点 発動までに時間がかかる発動までに誰かに守ってもらう必要がある。 持続時間も短い。 「見ての通り、発動にかなり時間がかかるの。鵺にしていられるのも、一分が限界よ」 鵺について 形容 禽踊、牙穿、鱗冴のキメラ陸水空の生物の特徴を持つ。 長い犬歯を突き出した狼の頭部。肩口に生えた鷹の光翼。獣毛と羽毛が混在した胴体か ら、炎と光を同時に放っている。地面を掴む四肢は、前足が狼、後ろ足が鷹の鉤爪……二 匹の鳥獣がそれぞれの特徴を主張するように奇怪に一体化した姿だった。 (中略) 怪物の尻尾が、巨大な真鯉の尾ビレに変わる。狼の顔から一対の長い髭が伸び、背中に 鋭利な背ビレが現れる。陸水空の動物がミックスされたその姿は、もはや何の獣霊なのか 識別不可能だった。 戦闘能力 最上位の幽鬼を圧倒する凄まじい硬度を誇る朽縄の鱗を切り刻む。最後は隕石のように空中から落下し、クレーターを作って消滅させた。 突然、鵺が無音の咆哮を発した。声が生んだ鎌鼬のごとき霊気の刃が、動きかけた朽縄 の全身を無数に切り刻む。 元ネタ 鵺 日本の妖怪。表記は鵺、鵼、恠鳥、夜鳥、奴延鳥など。 平安後期には鵺と名づけられたが古事記の時代から「夜に鳴く不吉な鳥」の伝承は存在し、またその姿は資料によって異なる。 『平家物語』では源頼光の子孫である源頼政が猪早太を随えて鵺を討ち取り朝廷から獅子王という名刀を下賜された。 討たれた鵺の後もまた良馬「木下」に転生したり、葬られたりと諸説ある。 関連項目 禽踊 牙穿 鱗冴 融合した守護霊。 関連タグ 存在 瑠璃色にボケた日常 融合 融合体 術技 リンク Wikipedia 鵺