約 26,968 件
https://w.atwiki.jp/eos-gin/pages/62.html
歴史的事件など *1 石谷政信系 700石旗本家 *2 石谷清定系 1,100石旗本家 *3 石谷貞清系 2,500石旗本家 *4 桑原政重系 800石旗本家 *5 石谷清重系 250石尾張藩士 その他 特記事項 慶長5年9月15日 1600年 関ヶ原の戦い 慶長5年 1600年 石谷清重*5(石谷政清の5男)が徳川秀忠に仕え関ヶ原戦の戦いに従軍。後、病気のため駿河国安倍郡足久保村に移住。 慶長6年 1601年 石谷政勝*1が徳川秀忠に仕え、小姓組番士となる。 慶長6年5月2日 1601年 石谷清定(五郎太夫)*2 死没 和泉村の泉龍寺に葬られた。 慶長7年 1602年 石谷清正*2が石谷清定(五郎太夫)*2の家督相続。徳川家康に仕え小姓となる。年代不明で徒歩頭となる。 慶長8年2月12日 1603年 徳川家康が征夷大将軍になる。江戸幕府開幕。 慶長10年2月 1605年 石谷政信*1が徳川秀忠に仕える。 慶長11年 1606年 石谷政勝*1が大番番士となる。 慶長14年 1609年 石谷貞清*3が徳川秀忠に仕えて大番番士となる。 慶長19年 1614年 大阪冬の陣 慶長20年 1615年 大阪夏の陣 慶長20年 1615年 石谷貞清*3が大阪夏の陣に土岐定義指揮下での江戸守備の命令を無視し徳川秀忠に従軍。意気込みを称され金子3枚を賜る。秀忠本陣で斥候を務めた。 元和2年 1616年 石谷清亮*2 生誕(石谷清正の長男、母は尾張徳川家家臣松井石見の娘、妻は旗本中山直定の娘) 元和2年12月9日 1617年 石谷貞清*3が上総国金剛寺村と山邊郡の内に300石の領地を与えられる。腰物持となる。 元和4年5月 1618年 石谷貞清*3が相模国愛甲郡に200石の加増を受ける。 元和5年7月15日 1619年 石谷政信*1 死没 和泉村の泉龍寺に葬られた。 元和6年 1620年 石谷成勝*1 生誕 (石谷政勝の長男、母は青木高頼の娘) 元和8年4月 1622年 石谷貞清*3が徳川秀忠の日光社参に従う。宇都宮からの急の帰還に徒歩で供を務める。 元和9年4月 1623年 石谷政勝*1が徳川家光の日光社参に従う。 元和9年6月 1623年 石谷政勝*1が徳川家光の上洛、将軍宣下に従う。 元和9年12月11日 1623年 石谷清重*5 死没 寛永2年7月27日 1625年 石谷貞清*3が領地の朱印状を賜る。 寛永4年 1627年 石谷武清*3 生誕 (石谷貞清*3の長男、母は板倉重昌の養女(牧野駿河守家臣槇定繁の娘)、妻は喜多見重恒の娘) 寛永7年6月10日 1630年 石谷成勝*1が徳川家光に拝謁する。 寛永9年7月5日 1632年 石谷貞清*3が徒歩頭となる。 寛永10年2月7日 1633年 石谷政勝*1が加増により500石を知行。 寛永10年4月16日 1633年 石谷貞清*3が目付となる。 寛永10年8月5日 1633年 石谷清亮*2が小姓組番士となる。 寛永10年8月26日 1633年 石谷貞清*3が畿内の洪水被害の検分調査を行う。 寛永10年12月26日 1634年 石谷貞清*3が甲斐国の山梨・八代の2郡で1000石の加増を受け、計1500石を領する。 寛永10年12月27日 1633年 石谷清正*2が500石を賜る。 寛永11年 1634年 石谷貞清*3が徳川家光の上洛に従う。 寛永13年2月25日 1636年 石谷貞清*3が京都に赴き、東福門院和子の病気に関する使いを務める。 寛永13年6月26日 1636年 石谷貞清*3が寛永銭鋳造の任務を受けて近江坂本に行く。 寛永13年10月27日 1637年 石谷成勝*1が大番番士となる。 寛永14年10月25日 1637年 島原の乱 寛永14年11月9日 1637年 石谷貞清*3が島原の乱で派遣された幕府軍上使、板倉重昌の副使を務める。諸将は板倉・石谷が少禄であるため軽視し命令に従わなかったという。 寛永14年 1637年 石谷清宣*5(石谷清春の子)が石谷貞清*3の手勢として島原の乱に従軍する。その後、尾張藩士として召出され付家老成瀬隼人正の同心となり、200石を賜る。 寛永14年 1637年 石谷貞清*3が柳生清厳を板倉隊に付属させる。 寛永14年 1637年 石谷貞清*3が雲林院弥四郎の訪問を度々受ける。 寛永15年1月1日 1638年 石谷貞清*3が島原城に強襲。負傷して後退。従士3名戦死。総指揮官であり強襲を指示した板倉重昌も戦死。同日、石谷貞清*3は敵軍の夜襲に備えて警戒を厳重にした。幕府軍大将の指揮権は松平信綱に移った。 寛永15年1月28日 1638年 石谷貞清*3が板倉重昌の子である板倉重矩と島原城に突撃し奮戦。 寛永15年3月5日 1638年 石谷貞清*3が駿府へ凱旋。島原の乱の不手際を咎められ蟄居。 寛永15年12月31日 1638年 石谷貞清*3が蟄居処分を解かれる。 寛永16年5月13日 1639年 石谷清正*2が致仕する。以前に350石を賜っており、武蔵国多摩、上総国武射、上総国香取、甲斐国山梨に1,100石を知行していた。 寛永18年3月29日 1641年 石谷政勝*1が御裏門番頭となる。 寛永18年12月15日 1642年 石谷貞清*3が与力10騎・同心50人を預けられた。 寛永20年2月20日 1643年 石谷武清*3が徳川家光に拝謁する。 寛永20年6月9日 1643年 石谷清亮*2が進物役となる。 寛永20年6月16日 1643年 石谷武清*3が小姓組番士となる。 正保2年9月23日 1645年 石谷貞清*3が近江国水口城の守備を任される。 正保2年12月28日 1645年 石谷武清*3が廩米300俵を賜る。 正保3年 1646年 石谷清信*2 生誕(石谷清亮*2の長男、母は中山直定の娘、妻は浅野氏恒の娘) 慶安元年 1648年 石谷清長*2 生誕 (石谷清亮*2の2男、母は中山直定の娘、妻は久松定久の娘) 慶安元年4月 1648年 石谷武清*3が徳川家光の日光社参に従う。 慶安2年 1649年 石谷清成*3 生誕 (石谷武清*3の長男、母は喜多見重恒の娘、妻は榊原職信の娘、後妻は稲垣信濃守家臣稲垣重章の娘) 慶安3年閏10月10日 1650年 石谷貞清*3が近江国・伊勢国の洪水被害の巡検を行う。 慶安4年6月18日 1651年 石谷貞清*3が江戸北町奉行に就任する。 慶安4年 1651年 慶安の変(由比正雪の乱) 慶安4年 1651年 石谷貞清*3が丸橋忠弥を捕縛。 慶安4年8月16日 1651年 石谷貞清*3が従五位下左近将監に叙任される。 慶安5年9月13日 1652年 承応の変 承応元年 1652年 石谷貞清*3が別木庄左衛門を捕縛。 承応元年 1652年 石谷成勝*1が二ノ丸より水泳の台覧を受け、時服を賜った。 明暦2年10月13日 1656年 石谷清正*2 死没 明暦2年12月21日 1657年 石谷清亮*2が石谷清正*2の家督相続。 明暦3年1月18日 1657年 明暦の大火 万冶元年3月6日 1658年 石谷武清*3が御徒頭となる。 万治元年6月1日 1658年 石谷政勝*1が御裏門番頭を辞去。 万治元年7月19日 1658年 石谷成勝*1が新番番士となる。 万冶元年閏12月25日 1658年 石谷武清*3が廩米300俵を加増された。 万冶元年閏12月28日 1658年 石谷武清*3が布衣を許された。 万治2年1月28日 1659年 石谷貞清*3が職を辞す。 万治2年7月27日 1659年 石谷貞清*3が致仕。石谷貞清*3の家督は息子である石谷武清*3に与えられ、石谷武清*2の賜っていた廩米600俵は石谷貞清*3の養老料にされた。 万冶2年7月27日 1659年 石谷武清*3が父である石谷貞清*3の家督相続。 万治2年8月13日 1659年 石谷清成*3が徳川家綱に拝謁する。 万治3年12月3日 1660年 石谷清亮*2が増上寺知恩院の庵室の奉行の褒賞として時服三領と黄金二枚を賜る。 万冶3年12月29日 1660年 石谷清春*5(石谷清重*5の子) 死没。駿河国安倍郡足久保村在住浪人。 寛文3年 1663年 石谷清亮*2が進物役を解かれる。 寛文3年4月 1663年 石谷成勝*1が徳川家綱の日光社参に従う。 寛文3年4月 1663年 石谷武清*3が徳川家綱の日光社参に従う。 寛文3年9月8日 1663年 石谷政勝*1 死没 寛文3年12月11日 1663年 石谷成勝*1が父である石谷政勝*1の家督相続。 寛文4年9月30日 1664年 石谷成勝*1が新番組頭となる。 寛文4年12月25日 1664年 石谷成勝*1が蔵米200俵を加増される。 寛文5年 1665年 石谷清全*4 生誕 (紀州藩士岡本作之丞の子、妻は桑原長清の娘、後妻は紀州藩士海野治部右衛門の娘、桑原長清*4の養子となる) 寛文6年 1666年 石谷清信が*2が徳川家綱に拝謁する。 寛文7年10月7日 1667年 松室桂岩居士(五郎兵衛の父) 死没 寛文7年11月21日 1667年 石谷清信が*2が書院番番士となる。 寛文8年7月1日 1668年 石谷清亮*2が京極高盛の但馬国豊岡へ転封に伴い同地に派遣される。 寛文9年 1669年 シャクシャインの戦い 寛文9年 1669年 石谷清職*2 生誕 (永井元孝の4男、母は玉虫重茂の娘、妻は石谷清信*2の娘) 寛文11年2月 1671年 石谷清亮*2が屋敷改めを務める。 寛文11年3月26日 1671年 石谷武清*3が目付となる。 寛文12年9月12日 1672年 石谷貞清*3 死没 延宝元年3月19日 1673年 石谷武清*3が禁裏附となる。近江国の内に1,000石加増され、所領の合計は2,500石となった。 延宝元年4月3日 1673年 石谷成勝*1が納戸頭となる。 延宝元年7月1日 1673年 石谷武清*3が従五位下長門守に叙任された。 延宝元年7月7日 1673年 石谷清亮*2が屋敷改めを解かれる。 延宝元年12月28日 1673年 石谷成勝*1が布衣を許される。 延宝7年12月6日 1679年 石谷武清*3が寄合に入った。 延宝8年 1680年 石谷清定(兵四郎)*1 生誕 (久松定矩の子、母は加藤吉次の娘、妻は石谷清長*1の娘) 延宝8年7月27日 1680年 來明清本大姉(五郎兵衛の妻) 死没 延宝9年 1681年 石谷榮清*3 生誕 (石谷清成*1の長男、母は稲垣信濃守家臣稲垣重章の娘、妻は松平定隆の娘) 天和元年8月7日 1681年 石谷成勝*1が納戸頭の職を辞し小普請に入る。 貞享元年11月25日 1684年 石谷清亮*2が番士を辞し小普請となる。 貞享4年4月28日 1687年 石谷成勝*1 死没 元禄元年7月12日 1688年 石谷清長*2が石谷成勝*1の末期養子として家督相続。 元禄元年11月23日 1688年 石谷清長*1が徳川綱吉に拝謁する。 元禄2年4月29日 1689年 石谷清長*1が書院番番士となる。 元禄4年4月4日 1691年 石谷武清*3が近江国の領地を下総国豊田岡田両郡に移された。 元禄2年8月5日 1689年 石谷清成*3 死没 元禄7年閏5月13日 1694年 石谷清宣*5が致仕。 元禄7年7月10日 1694年 石谷清亮*2が致仕する。 元禄7年7月10日 1694年 石谷清信*2が父である石谷清亮*2の家督相続。 元禄8年1月27日 1695年 石谷清亮*2 死没 元禄9年 1696年 石谷清胤*2 生誕 (石谷清職*2の長男、母は石谷清信*2の娘、妻は倉橋久富の娘) 元禄9年4月15日 1696年 石谷清信*2 死没 元禄9年7月9日 1696年 石谷清職*2が養父である石谷清信*2の家督相続。 元禄9年8月13日 1696年 石谷清職*2が徳川綱吉に拝謁する。 元禄10年7月26日 1697年 石谷清長*1が知行500石と蔵米200俵を、武蔵国埼玉郡で700石の知行に改められる。 元禄10年9月4日 1697年 石谷清光*5(石谷清宣の子)が召出され尾張藩五十人組に入り、俸禄を賜る。 元禄11年6月 1698年 石谷武清*3が相模国の領地を上総国武射・山邊二郡に移された。 元禄14年3月14日 1701年 元禄赤穂事件(忠臣蔵) 元禄14年7月11日 1701年 叢岩常林居士(五郎兵衛) 死没 元禄14年9月15日 1701年 石谷清定(兵四郎)*1が徳川綱吉に拝謁する。 元禄15年 1702年 石谷清夤*1 生誕 (石谷清長*1の長男、母は久松定久の娘、妻は新井白石の娘) 元禄16年3月9日 1703年 石谷清職*2が書院番番士となる。 元禄16年1月18日 1703年 石谷清光*5 死没 元禄16年7月22日 1703年 石谷武清*3が致仕。 元禄16年7月22日 1703年 石谷榮清*3が祖父の石谷武清*3の家督相続。小普請となる。 元禄16年8月12日 1703年 石谷榮清*3が徳川綱吉に拝謁する。 元禄17年1月6日 1704年 石谷清長*1 死没 宝永元年2月27日 1704年 石谷清定(兵四郎)*1が石谷清長*1の家督相続。 宝永元年10月8日 1704年 石谷清定(兵四郎)*1 死没 宝永2年 1705年 石谷清職*2が甲斐国の領地を駿河国有渡安倍二郡へ移される。 宝永2年1月27日 1705年 石谷清宣*5 死没。 宝永2年2月19日 1705年 石谷清夤*1が姉婿である石谷清定(兵四郎)*1の末期養子として家督相続。 宝永2年5月 1705年 石谷榮清*3が甲斐国の領地を遠江国榛原・城東両郡に移された。 宝永3年1月27日 1706年 石谷清職*2が元禄赤穂事件で改易され、信濃諏訪にて病死した吉良義周の検死を務める。 宝永4年 1707年 宝永大噴火 宝永5年 1708年 石谷清候*2 生誕 (石谷清職*2の2男、父は永井氏からの養子で母不明の為、石谷氏の血を引くか不明。) 宝永5年7月25日 1708年 石谷清職*2が使番となる。 宝永5年12月18日 1708年 石谷清職*2が布衣を許される。 宝永6年 1709年 新井白石等による正徳の治開始 宝永6年9月28日 1709年 石谷清胤*2が徳川家宣に拝謁する。 宝永7年1月11日 1710年 石谷清職*2が目付となる。 宝永7年3月4日 1710年 石谷武清*3 死没 正徳元年7月18日 1711年 石谷清職*2が評定所での勤務を称され端物2端を賜る。 正徳3年 1713年 石谷眞清*3 生誕 (石谷榮清*3の長男、妻は松平康納の養女) 正徳4年1月11日 1714年 石谷清職*2が二ノ丸留守居となる。 宝永15年 1715年 新井白石らによる正徳の治終了 正徳5年 1715年 石谷清昌*4(石谷清全*4の長男、母は紀州藩士海野治部右衛門の娘、妻は新見正言の娘、後妻は大奥の侍女森野の養女) 生誕 正徳6年2月8日 1716年 石谷清勝(石谷清春*5の子) 死没。 享保元年3月22日 1716年 石谷清職*2が先手鉄砲頭となる。 享保元年10月6日 1716年 桑原(石谷)清全*4が御小納戸となり下野国都賀郡に領地500石を賜った。(元紀州藩士。徳川吉宗が将軍になった際御家人として従った) 享保元年12月18日 1717年 桑原(石谷)清全*4が布衣を許される。 享保3年3月16日 1718年 石谷榮清*3が小姓組番士となる。 享保4年10月18日 1719年 石谷清夤*1が書院番番士となる。 享保5年5月11日 1720年 本然自貞大姉(源八の妹) 死没 享保6年9月23日 1721年 石谷清職*2 死没 享保6年11月28日 1721年 石谷清胤*2が父である石谷清職*2の家督相続。 享保6年12月30日 1721年 覺心了夢居士(源八) 死没 享保8年 1723年 石谷清盈*1 生誕 (石谷清夤*1の長男、母は新井白石の娘、妻は武田信郷の養女、後妻は村上正道の娘) 享保9年 1724年 石谷清馨*1 生誕 (石谷清夤*1の3男、母は新井白石の娘。妻は能勢頼以の娘、後妻は高嶋廣行の娘) 享保9年5月 1724年 石谷榮清*3が下総国岡田郡の領地を分割され、下野国河内郡に移された。 享保9年7月19日 1724年 石谷榮清*3 死没 享保9年9月29日 1724年 石谷眞清*3が父である石谷榮清の家督相続。 享保9年10月9日 1724年 石谷清胤*2が書院番番士となる。 享保10年7月28日 1725年 桑原(石谷)清全*4が先手鉄砲頭となる。 享保12年10月 1727年 石谷清夤*1が徳川吉宗の日光社参の大宿割を勤める。 享保13年4月 1728年 桑原(石谷)清全*4が徳川吉宗の日光社参に従う。 享保14年 1729年 石谷澄清*3 生誕(石谷眞清*3の長男、妻は坪内定堅の娘) 享保14年6月15日 1729年 石谷清紹*5(石谷清宣の子)が致仕。それ以前に石谷清宣の家督相続。尾張藩付家老成瀬氏同心であった。 享保14年6月15日 1729年 石谷清章*5(石谷清紹*5の子)が石谷清紹*5の家督相続。尾張藩付家老成瀬氏同心となる。 享保14年9月24日 1729年 石谷清胤*2 死没 享保14年12月2日 1729年 石谷清候*2が兄である石谷清胤*2の家督相続。 享保15年4月1日 1730年 石谷清候*2が徳川吉宗に拝謁する。 享保16年11月23日 1731年 石谷清昌*4が徳川吉宗に拝謁する。 享保18年9月9日 1733年 歡窓妙喜大姉(五郎兵衛の母) 死没 享保18年12月16日 1733年 石谷清昌*4が小納戸となる。 享保18年12月18日 1733年 石谷清昌*4が布衣を許される。また、年月不明ながら、徳川吉宗の鷹狩りに従った際、鳥を射落として褒美を賜ったという。 享保19年7月1日 1734年 石谷清夤*1が西城徒歩頭となる。 享保19年12月18日 1734年 石谷清夤*1が布衣を許される。 享保20年3月29日 1735年 石谷清夤*1が徳川家重の鷹狩で浅草辺に従うが、勢子への指揮の不始末を咎められ、同僚青木信裕と供に拝謁禁止処分を受ける。 享保20年4月9日 1735年 石谷眞清*3が小姓組に入る。 享保20年5月1日 1735年 石谷清夤*1が拝謁禁止処分を解かれる。 享保20年7月12日 1735年 石谷清候*2が小姓組に入る。 享保20年12月22日 1735年 石谷清馨*1が石谷清候*2の養子となり家督相続。 享保20年 1735年 石谷清候*2 死没 元文2年9月18日 1737年 石谷清盈*1が徳川吉宗に拝謁する。 元文2年9月27日 1737年 石谷清盈*1が徳川家治の山王社参拝に騎兵として従う。 元文3年 1738年 石谷清茂*1 生誕 (石谷清夤*1の5男、妻は松波正英の娘) 元文4年1月11 1739年 桑原(石谷)清全*4が西ノ丸留守居となる。 元文4年12月16日 1739年 桑原(石谷)清全*4が従五位下豊前守に叙任される。 元文4年12月16日 1739年 桑原(石谷)清全*4が妻方の先祖石谷政清に由来する石谷氏を称する。 元文5年8月18日 1740年 石谷清昌*4が小姓となる。 元文5年12月21日 1740年 石谷清昌*4が従五位下備後守に叙任された。 寛保3年12月20日 1743年 石谷清全*4が寄合に入る。 延享元年7月8日 1744年 石谷清紹*5 死没 延享元年10月28日 1744年 石谷眞清*3 死没 延享元年11月20日 1744年 石谷清全*4が致仕。養老料として廩米300俵を賜わった。 延享元年11月20日 1744年 石谷清昌*4が父である石谷清全*4の家督相続。 延享元年12月22日 1744年 石谷澄清*3が父である石谷眞清*3の家督相続。 延享2年9月1日 1745年 石谷清昌*4が西ノ丸小姓となる。 延享3年 1746年 石谷清憐*1 生誕 (石谷清夤*1の6男、妻は土岐頼常の娘) 延享3年 1746年 石谷清定 (豊前守)*4(石谷清昌の2男、母は新見正言の娘、妻は新見正則の娘、後妻は高井綽房の養女) 生誕 延享3年6月4日 1746年 石谷清全*4 死没 寛延3年9月25日 1750年 大圓觀超居士(五良兵衛) 死没 宝暦元年閏6月11日 1751年 石谷清夤*1 死没 宝暦元年7月12日 1751年 石谷清昌*4が徳川吉宗の薨去に伴い役目を解かれ寄合入った。 宝暦元年9月3日 1751年 石谷清盈*1が石谷清夤*1の家督相続。 宝暦2年5月26日 1752年 石谷清昌*4が西ノ丸小十人頭となる。 宝暦2年8月13日 1752年 石谷清馨*2が西ノ丸書院番番士となる。 宝暦2年9月10日 1752年 石谷清盈*1が書院番番士となる。 宝暦3年3月15日 1753年 石谷清昌*4が西ノ丸目付となる。 宝暦3年7月7日 1753年 一色妙道大姉(五良兵衛の妹) 死没 宝暦6年1月11日 1756年 石谷清昌*4が佐渡奉行となる。 宝暦6年3月10日 1756年 心空智性大姉(五良兵衛の娘) 死没 宝暦6年4月10日 1756年 石谷澄清*3がに小姓組に入る。 宝暦6年10月13日 1756年 石谷清馨*2が進物役になる。 宝暦8年12月12日 1758年 石谷澄清*3が中奥番士となる。 宝暦9年 1759年 石谷因清*3 生誕 (石谷澄清*3の長男、母は坪内定堅の娘、妻は石谷清昌*4の娘) 宝暦9年10月4日 1759年 石谷清昌*4が勘定奉行となる。 宝暦10年4月28日 1760年 石谷清定 (豊前守)*4が徳川家重に拝謁する。 宝暦11年6月 1761年 石谷澄清*3が遠江国の領地を分割され、上総国長柄・山邊両郡に移された。 宝暦12年6月6日 1762年 石谷清昌*4が長崎奉行を兼務する。 宝暦12年9月28日 1762年 石谷清定 (豊前守)*4が小姓組に入る。 宝暦12年12月15日 1762年 石谷清定 (豊前守)*4が西ノ丸小姓組に移る。 明和3年2月27日 1766年 石谷清定 (豊前守)*4が小納戸となる。 明和3年3月27日 1766年 石谷清定 (豊前守)*4が西ノ丸小納戸となる。 明和3年9月15日 1766年 石谷清盈*1 死没 明和3年12月3日 1766年 石谷清茂*1が兄である石谷清盈*1の家督相続。 明和3年12月19日 1766年 石谷清定 (豊前守)*4が布衣を許される。 明和3年12月21日 1766年 石谷清茂*1が徳川家治に拝謁する。 明和4年 1767年 田沼時代開始 ⇒前に戻る ⇒次へ ⇒戻る
https://w.atwiki.jp/cdtvcdtv/pages/519.html
オープニングクイズ Q.このキャラクターの名前は? 正解:ミライトワ アナグラム ある「慣用句」 ネコとライオンが庭の茨を植え ねことらいおんがにわのいばらをうえ 正解:来年の事を言えば鬼が笑う(らいねんのことをいえばおにがわらう) 共通点は何?問題 共通する「国」は何? チャンチャン遺跡 チチャモラーダ ビスカラ大統領 チューヨ マチュ・ピチュ ナスカの地上絵 正解:ペルー 読み上げ問題 大谷翔平選手がメジャーリーグの新人王に選ばれたのは「アメリカンリーグ」「ナショナルリーグ」のどちら? 正解:アメリカンリーグ 京都大学の本庶佑特別教授が受賞したノーベル賞は「ノーベル何賞」? 正解:生理学・医学賞 絵本『みずとはなんじゃ?』が最後の作品の、『だるまちゃん』などで知られる絵本作家は誰? 正解:かこさとし 2016年に活動開始した、自身で称する「世界初のバーチャルYouTuber」の名前は何? 正解:キズナアイ 伯父の借金のためにお金を盗んだ奉公人のお峰が主人公の、樋口一葉の小説は何? 正解:大つごもり ジャニーズのグループ・嵐のデビュー曲は何? 正解:A・RA・SHI 高崎だるまの顔のデザインに表現されている2つの動物は、「鶴」と何? 正解:亀 最高峰は5000mを超えるエリブルース山、黒海とカスピ海の間に連なるのは何山脈? 正解:カフカス(コーカサス)山脈 2018年の柔道世界選手権で優勝した、「一二三」と「詩」の兄妹の名字は何? 正解:阿部 武田信玄が陣中食にも取り入れた、幅広の手打ち麺を煮込んだ山梨県の郷土料理は何? 正解:ほうとう 宮本浩次がボーカルとギターを担当するロックバンドは何? 正解:エレファントカシマシ フルマラソンの距離は42.195km、ではハーフマラソンの距離は何km? 正解:21.0975km モデルの藤田ニコルが生まれた、首都をウェリントンとする国はどこ? 正解:ニュージーランド 囲碁や将棋の対局で翌日に持ち越される場合の、用紙に記入した最後の手は何? 正解:封じ手 4ヒントクイズ ある「建物」 ヒント①:「延べ床面積」5万3464k㎡ ヒント②:議員食堂 ヒント③:B百円券 ヒント④:赤いじゅうたん 正解:国会議事堂 読み上げ問題 Vネックや袖口などのストライプが特徴的な、アメリカのテニス選手が由来のセーターは何? 正解:チルデンセーター 小倉百人一首のかるた競技で、1文字目で取り札を取れる7句の頭文字を並べたものは何? 正解:むすめふさほせ 白豚のもも肉から作るスペインの生ハムは、スペイン語の「山のハム」の意味から何? 正解:ハモン・セラーノ 見方によってどちらとも解釈できる曖昧な表現は、ある昆虫から「何色」? 正解:玉虫色 初めての短編小説『拭っても、拭っても』を発表した、SKE48の元メンバーは誰? 正解:松井玲奈(まついれな) 江戸時代、新井白石らが推進した文治政治は何? 正解:正徳の知(しょうとくのち) アタックチャンス 史上初の米朝首脳会談が行われたホテルがある、シンガポールの島は何? 正解:セントーサ島 第90回アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した人は誰? 正解:辻一弘(つじかずひろ) いわゆる「人間国宝」の人数の上限は「86名」「116名」「146名」のどれ? 正解:116名 『君はロックを聴かない』『今夜このまま』などの曲があるシンガーソングライターは誰? 正解:あいみょん 摂氏温度を考案した、スウェーデンの天文学者は誰? 正解:セルシウス 収められた歌の数が最も多いのは『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』のどれ? 正解:万葉集 映像クイズ ある「城」 春と秋に城内の庭園で茶会が開かれている[?]は徳川家康の命に より築城、狩野派による鮮やかな障壁画が多数あり、今年5月には 囲碁の本因坊戦が開かれました。大政奉還が決議されるなど 日本の歴史の移り変わりを見守ってきた京都にあるお城です。 正解:二条城
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/910.html
140文字SS:フレッシュプリキュア!【16】 1.ラブせつで『手繰り寄せた糸の先』/ねぎぼう 四つ葉町中を駆け回る。 もう一度その手をとるまでは……。 夕暮れになっても見つからず途方に暮れる。 それでも見えない糸口を手繰り続けた。 ―― 行くあても帰る場所もなく途方に暮れていた。 信じていた光も遠く閉ざされていく様に感じられた。 でも本当の光は…… ――手繰り寄せた糸の先にあった光。 2.ラブせつで『愛してる、って言ったら満足?』/ねぎぼう 「愛してる、って言ったら満足?」 (この世界の人間など……) 「そうだったらあたし本当に嬉しいよ!だってせつなが大好きだもん!」 まさかラブの背中にはまだあの羽根が? 「でも、せつなにもきっと大切な人がいるから……だから、言わなくてもいいよ」 そんな『天使』に目を背けるしかなかった。 3.ラブせつで【いつもとは逆の立場で / 吐息まじりに】/ねぎぼう 「新井白石が行った政治改革は何?」 「え~っと、しょ、しょ、『聖徳太子』!?」 「よく覚えていたね。でも、正解は『正徳の治』だよ」 「あ、そうなのね……」 せつなに勉強を教えるラブ、いつもとは逆の立場の二人だった。 吐息まじりに「はあ……歴史って難しいのね」 (せつなもたまにボケるなあ……) 4.ラブせつで『隣の人』/ねぎぼう 隣の人はその肩にもたれて気持ちよさげに眠っていた。 (起こすのも可哀想だけど、このままじゃ風邪をひくわ) せつなは毛布をかき集めてラブにかけると、頭を膝枕する。 そして自分は壁にもたれ掛かった。 「眠れなかったわね」 でも、この温もりがずっと続いてくれるなら……眠れないことも悪くない。 5.ラブせつで『ご機嫌取りも楽しみのひとつ』/ねぎぼう 「今日もそのペンダントでお出掛けかい?ご機嫌取りも楽しみのひとつのようだね」 「馬鹿なことを。私はメビウス様のお役に立つことを成しとげる。ただそれだけだ」 「ほう。ならそのタートルネックの服はなんだい?」 「こ、これは……作戦のひとつだ」 部屋ではウエスターが鼻血を噴いて倒れていた。 6.ラブせつで『愛に近い執着』/ねぎぼう 「まあいい、これでいつでもあの子に近づける」 「まあいい、次はあの子の変身アイテムを奪ってやる」 「まあいい、次は……」 “イースさん、まさに愛に近い執着ってやつですか?” 「ふん、愛などと虫酸が走る。そもそもこんなものがあるからいけないのだ、こうしてやる!」 「せつな~!」 「ラブぅ」 7.ラブせつで【 特別なフリをして 】 42話のイメージで/ねぎぼう 「ニンジン代わりに食べて、お願い!」 「もう、今日だけよ」 特別なフリをして、私の皿にニンジンのソテーを移させる。 「明日はちゃんと食べなきゃね、ラブ」 「明日もニンジン?」 「いいわね、ラザニアに入れちゃいましょう!」 「お母さん!?」 そうだ、明日から私は…… 「お母さん、肩もませて」 8.ラブせつで『本当、だったり。』/ねぎぼう 「せつなの占い、ぜんぜんデタラメなんかじゃなかったよ」 (占いはデタラメ、だったり……時には本当、だったり。 時々は本当らしいことも混ぜたほうが騙すのに効果があるから) 「占いは当たるかも当たらないも本人しだいよ」 (どんなに騙しても……全部本当のことのなるのだから。羨ましいくらい) 9.ラブせつで『新婚ごっこ』/ねぎぼう 「ただいま!」 「おかえり」 帰ってきて、そこにせつながいるのはとっても幸せ。 でももう少し欲張ってもいいよね? 「『アレ』でお出迎えして欲しいなあ」 「もう、ラブったら」 そう、『新婚ごっこ』でね。 「お風呂にする?ご飯にする?それとも……わ・た・し?」 せつな、顔が紅いよ? 勿論答えは…… 10.ラブせつで『どうせ嘘なんでしょう?』/ねぎぼう 「どうせ嘘なんでしょう? ウエスター。貴方の下手な嘘はもういいわ」 「ウエスターの言っているのは……嘘じゃないんだ、イース」 「サウラーまで!?」 「キュアピーチが……解放記念公園で踊っているんだ、今!」 せつなが窓から公園の方向に目をこらすと、観衆の取り囲む中央に確かにいた。 「ラブ!」 ※崩壊したメビウスタワーの跡地が公園になっていそう、ということで。
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/948.html
ねぎぼうの140文字SS【15】 1.ラブせつで『手繰り寄せた糸の先』/ねぎぼう 四つ葉町中を駆け回る。 もう一度その手をとるまでは……。 夕暮れになっても見つからず途方に暮れる。 それでも見えない糸口を手繰り続けた。 ―― 行くあても帰る場所もなく途方に暮れていた。 信じていた光も遠く閉ざされていく様に感じられた。 でも本当の光は…… ――手繰り寄せた糸の先にあった光。 2.ラブせつで『愛してる、って言ったら満足?』/ねぎぼう 「愛してる、って言ったら満足?」 (この世界の人間など……) 「そうだったらあたし本当に嬉しいよ!だってせつなが大好きだもん!」 まさかラブの背中にはまだあの羽根が? 「でも、せつなにもきっと大切な人がいるから……だから、言わなくてもいいよ」 そんな『天使』に目を背けるしかなかった。 3.ラブせつで【いつもとは逆の立場で / 吐息まじりに】/ねぎぼう 「新井白石が行った政治改革は何?」 「え~っと、しょ、しょ、『聖徳太子』!?」 「よく覚えていたね。でも、正解は『正徳の治』だよ」 「あ、そうなのね……」 せつなに勉強を教えるラブ、いつもとは逆の立場の二人だった。 吐息まじりに「はあ……歴史って難しいのね」 (せつなもたまにボケるなあ……) 4.ラブせつで『隣の人』/ねぎぼう 隣の人はその肩にもたれて気持ちよさげに眠っていた。 (起こすのも可哀想だけど、このままじゃ風邪をひくわ) せつなは毛布をかき集めてラブにかけると、頭を膝枕する。 そして自分は壁にもたれ掛かった。 「眠れなかったわね」 でも、この温もりがずっと続いてくれるなら……眠れないことも悪くない。 5.ラブせつで『ご機嫌取りも楽しみのひとつ』/ねぎぼう 「今日もそのペンダントでお出掛けかい?ご機嫌取りも楽しみのひとつのようだね」 「馬鹿なことを。私はメビウス様のお役に立つことを成しとげる。ただそれだけだ」 「ほう。ならそのタートルネックの服はなんだい?」 「こ、これは……作戦のひとつだ」 部屋ではウエスターが鼻血を噴いて倒れていた。 6.ラブせつで『愛に近い執着』/ねぎぼう 「まあいい、これでいつでもあの子に近づける」 「まあいい、次はあの子の変身アイテムを奪ってやる」 「まあいい、次は……」 “イースさん、まさに愛に近い執着ってやつですか?” 「ふん、愛などと虫酸が走る。そもそもこんなものがあるからいけないのだ、こうしてやる!」 「せつな~!」 「ラブぅ」 7.ラブせつで【 特別なフリをして 】 42話のイメージで/ねぎぼう 「ニンジン代わりに食べて、お願い!」 「もう、今日だけよ」 特別なフリをして、私の皿にニンジンのソテーを移させる。 「明日はちゃんと食べなきゃね、ラブ」 「明日もニンジン?」 「いいわね、ラザニアに入れちゃいましょう!」 「お母さん!?」 そうだ、明日から私は…… 「お母さん、肩もませて」 8.ラブせつで『本当、だったり。』/ねぎぼう 「せつなの占い、ぜんぜんデタラメなんかじゃなかったよ」 (占いはデタラメ、だったり……時には本当、だったり。 時々は本当らしいことも混ぜたほうが騙すのに効果があるから) 「占いは当たるかも当たらないも本人しだいよ」 (どんなに騙しても……全部本当のことのなるのだから。羨ましいくらい) 9.ラブせつで『新婚ごっこ』/ねぎぼう 「ただいま!」 「おかえり」 帰ってきて、そこにせつながいるのはとっても幸せ。 でももう少し欲張ってもいいよね? 「『アレ』でお出迎えして欲しいなあ」 「もう、ラブったら」 そう、『新婚ごっこ』でね。 「お風呂にする?ご飯にする?それとも……わ・た・し?」 せつな、顔が紅いよ? 勿論答えは…… 10.ラブせつで『どうせ嘘なんでしょう?』/ねぎぼう 「どうせ嘘なんでしょう? ウエスター。貴方の下手な嘘はもういいわ」 「ウエスターの言っているのは……嘘じゃないんだ、イース」 「サウラーまで!?」 「キュアピーチが……解放記念公園で踊っているんだ、今!」 せつなが窓から公園の方向に目をこらすと、観衆の取り囲む中央に確かにいた。 「ラブ!」 ※崩壊したメビウスタワーの跡地が公園になっていそう、ということで。
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/43.html
推薦図書リスト (凡例) 2012.09.30現在 ◎ 読書済 ☆ 読書済、推薦図書 ○ 今後予定 △ 未読(読了できず又は当面予定なし) (無印) 県内図書館に見あたらず ●思想・哲学・心理 1 『ソクラテスの弁明』 プラトン 2 『論語』 孔子 3 『新約聖書』 4 『自省録』 マルクス・アウレーリウス 5 『自助論』 サミュエル・スマイルズ 6 『幸福論』 カ-ル・ヒルティ 7 『文明論之概略』 福沢諭吉 ◎ 8 『代表的日本人』 内村鑑三 9 『武士道』 新渡戸稲造 10 『人生論ノート』 三木清 11 『鎖国』 和辻哲郎 12 『禅と日本文化』 鈴木大拙 13 『甘えの構造』 土居健郎 14 『隠喩としての病いエイズとその隠喩』 ス-ザン・ソンタグ 15 『術語集』 中村雄二郎 16 『人生の目的』 五木寛之 17 『自分・この不思議な存在』 鷲田清一 18 『寝ながら学べる構造主義』 内田樹 ●社会科学 19 『折たく柴の記』 新井白石 20 『一外交官の見た明治維新』 アーネスト・サトウ 21 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 マックス・ウェーバー 22 『第二の性』 シモ-ヌ・ド・ボ-ヴォワ-ル 23 『きけわだつみのこえ』 わだつみ会(編) 24 『海上の道』 柳田国男 25 『沈黙の春』 レイチェル・カーソン 26 『羊の歌』 加藤周一 27 『苦海浄土』 石牟礼道子 ☆ 28 『忘れられた日本人』 宮本常一 29 『成長の限界』 ドネラ・メドウズ 30 『なぜ世界の半分は飢えるのか』 スーザン・ジョージ 31 『法とは何か』 渡辺洋三 32 『ヨーロッパ「近代」の終焉』 山本雅男 33 『ローマ人の物語』 塩野七生 34 『「明治」という国家』 司馬遼太郎 35 『世間とは何か』 阿部謹也 ●自然科学 ☆ 36 『フランクリン自伝』 ベンジャミン・フランクリン 37 『物理学はいかに創られたか』 アインシュタイン/インフェルト 38 『数の体系』 弥永昌吉 39 『数学をつくった人びと』 エリック・テンプル・ベル 40 『宇宙創成はじめの三分間』 スティ-ヴン・ワインバ-グ 41 『微生物の狩人』 ポ-ル・ド・クライフ 42 『ソロモンの指環』 コンラ-ト・ローレンツ 43 『ご冗談でしょうファインマンさん』 リチャ-ド・フィリップス・ファインマン 44 『オイラーの贈物』 吉田武 45 『科学の考え方・学び方』 池内了 市立081イ272 46 『脳を究める』 立花隆 47 『フェルマーの最終定理-ピタゴラスに始まり、ワイルブが証明するまで』 サイモン・シン 48 『生命40億年全史』 リチャード・フォーティ ●芸術・言語 49 『風姿花伝』 世阿弥 50 『歌舞伎への招待』 戸板康二 51 『観世寿夫世阿弥を読む』 観世寿夫 52 『ことばと文化』 鈴木孝夫 53 『リヒテルは語る』 ユーリー・ボリソフ ●評論・記録文学 54 『病牀六尺』 正岡子規 55 『現代日本の開化』 夏目漱石 56 『無常という事』 小林秀雄 57 『堕落論』 坂口安吾 58 『二十世紀』 橋本治 59 『若き数学者のアメリカ』 藤原正彦 ●日本文学 60 『源氏物語の世界』 日向一雅 61 『平家物語』 杉本圭三郎 62 『破戒』 島崎藤村 63 『こころ』 夏目漱石 64 『高瀬舟』 森鴎外 65 『カインの末裔』 有島武郎 66 『暗夜行路』 志賀直哉 67 『歯車』 芥川龍之介 68 『蟹工船』 小林多喜二 69 『雪国』 川端康成 70 『細雪』 谷崎潤一郎 71 『人間失格』 太宰治 72 『砂の女』 安部公房 73 『若い詩人の肖像』 伊藤整 74 『俘虜記』 大岡昇平 75 『金閣寺』 三島由紀夫 76 『飼育』 大江健三郎 77 『天平の甍』 井上靖 78 『黒い雨』 井伏鱒二 79 『沈黙』 遠藤周作 80 『白夜を旅する人々』 三浦哲郎 ●外国文学 81 『オイディプス王』 ソポクレス 82 『マクベス』 ウイリアム・シェイクスピア 83 『ファウスト』 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 84 『エフゲニイ・オネーギン』 アレクサンドル・セルゲ-エヴィチ・プーシキン 85 『黒猫・黄金虫』 エドガー・アラン・ポー 86 『風と共に去りぬ』 マーガレット・ミッチェル 87 『白鯨』 ハーマン・メルヴィル 88 『罪と罰』 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 89 『変身』 フランツ・カフカ 90 『チボー家の人々』 ロジェ・マルタン・デュ・ガール 91 『魔の山』 トーマス・マン 92 『西部戦線異状なし』 エーリッヒ・マリーア・レマルク 93 『大地』 パール・バック 94 『嘔吐』 ジャン・ポール・サルトル 95 『異邦人』 アルベール・カミュ 96 『夜と霧』 ヴィクトル・エミール・フランクル 97 『白バラは散らず』 インゲ・ショル 98 『百年の孤独』 ガブリエル・ガルシア・マルケス 99 『キャッチャー・イン・ザ・ライ 』 ジェローム・デーヴィド・サリンジャー 100 『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』 キングスレイ・ウォード
https://w.atwiki.jp/nihonsi56/pages/21.html
幕政の安定 経済の発展 元禄文化 [部分編集] 幕政の安定 平和と秩序の確立 池田光政 岡の池に熊が!!花畑に沈めろ!!⇒【岡山藩 池田光政 熊沢蕃山 花畑教場 閑谷学校】 保科正之 ヤマザキのあんぱん欲しいな~。相槌打って承諾⇒【山崎闇斎 保科正之 会津藩 朱子学】 元禄時代 柳沢吉保 綱吉、柳沢吉保 吉繋がり。 吉宗は側用人置いてないから間違えないはず。 木下順庵 木下に蚊が!‥前だ!シュ~!!(虫除けスプレー)⇒【木下順庵 加賀藩 前田綱紀 朱子学者(順庵)】 正徳の政治 [部分編集] 経済の発展 農業生産の進展 農書 ①広大な能美 (公益国産考=大蔵永常)(農業全書=宮崎) ②大蔵永常『農具便利論』と宮崎安貞『農業全書』は、 農具をしまってあるのは蔵、というので覚えるのがイメージしやすい。 諸産業の発達 手工業の多様化 交通の整備 五街道 品川倒壊 新居もはかねえ なかさん ウキウキ こいつ ほっとけ にっこり 奥方 来る橋は 聞くし方角 西だという 品川(出発点) 東海―新居、箱根 中山―碓氷、木曽福島 甲州―小仏 日光&奥州―栗橋(関所) き 京都 く 草津 し 下諏訪 方 角 に 日光 し 白河(終点) ※天変地異が置き、品川の仕事場で「新居もはかないだろうな」と案ずる。 同僚のなかさんはなぜかウキウキしていてムカつく。 嫁から電話がきて「今歩いてあんたのほうへ向かってるのよ」と言われる。 「ハァ?どっから?」「コンパスによると西からよ。橋をわたるわね」 というはなし(長いうえ意味わかんなくてすいません) 河村瑞賢 ①回り道はいけん! (東&西廻り航路=河村瑞賢) ②河村瑞賢の航路とと角倉了以の河川交通事業は、 「河なのに海かよ!」って3回つぶやけばオッケイさ。 ③河村瑞賢が安治川を整備 川なのに海の味(安治)がする。。。さては 商業の展開 十組問屋と二十四組問屋 ①十組問屋─江戸 二十四組問屋─大阪 これは絶対間違えない!なぜなら「江戸」と言う字は総画10画なのだ!! ②予備校で聞いたものを… 東(とう=10):江戸:十組問屋 西(にし=24):大坂:二十四組問屋 ③江戸と大阪 博多と大阪で比べてあるときは数が多いほうが大阪。 問屋もそうだけど、年行司と会合衆の数もそうだったと思う。 違ったらスマソ 貨幣と金融 小判の鋳造年 1601年 慶長小判「慶応生(慶長)は、ヒーロー多い(1601)」 1695年 元禄小判「ゲロ吐く(元禄)イチロー救護(1695)する」 1710年 宝永小判「お宝(宝永)もらった、いいな父(1710)さん」 1714年 正徳小判「聖徳(正徳)太子はどこにもいないよ(1714)」 1716年 享保小判「今日(享保)の虹はいい七色(1716)」 1736年 元文小判「現文が得意なのは(元文)は自由な3浪(1736)」 1819年 文政小判「文学部の生徒(文政)は良い俳句(1819)を詠む」 1837年 天保小判「店舗(天保)でやろう、こよい闇鍋(1837)」 1859年 安政小判「安静(安政)にしてるのは18歳の悟空(1859)」 1860年 万延小判「一万円(万延)でいい?ハムレ(1860)ットを見るには」 三都の発達 [部分編集] 元禄文化 元禄時代 元禄期の文学 儒学の興隆 陽明学 揚子江に熊 (陽明学、中江藤樹、熊沢バンザン) 山鹿素行 ヤンママ聖子の性教育 山鹿素行 聖学 聖教要録 古学派 ①伊藤じいさんのアコギちょうだい 伊藤仁斎 古義堂 東涯(仁斎の息子) ②へこきじーさんとウガイしよう 古義学 (伊藤)仁斎・東涯 古文辞学 古文の時間のお経はださい 古文辞学 荻生徂徠 太宰春台 ・・ ・・ 諸学問の発達 新井白石の著作 折たく柴の記、古史通、藩翰譜、読史余論 「折れた腰には新しい白いハンカチと櫛」 江戸時代の著作物 農書 農業全書(宮崎安貞) 広益国産考・農具便利論(大蔵常永) 大和本草(貝原益軒) 庶物類纂(稲生若水) 「農業やるなら安い国産の農具が蔵にあるよ。山の草刈りは海原雄山、庶民は稲に水をやってね」 その他の著作物 貞享暦(渋川春水) 発微算方(関孝和) 塵却記(吉田光由) 「上司の発明は(和)光る塵取り」 本草学 くさった大きな貝と稲を処分 (本草学、大和本草=貝原益軒、稲生若水=庶物類纂) 渋川春海 渋谷に上京して3年です→『渋川春海 貞享暦 (別名)安井算哲 天文方』 北村希吟 歌うキキキリン→『歌学方 北村希吟』 元禄美術
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/38.html
推薦図書リスト (履歴:初アップ 2008.12.7、最終微修正2009.01.23) 新井白石 『折たく柴の記』 市川学園(高校)第19番 インフェルト 『ガロアの生涯』 市川学園(中学)第15番、富山県(高校)第58番 ウァイツゼッカー 『荒れ野の40年 ウァイツゼッカー大統領演説全文1985年5月8日』 市川学園(中学)第9番、椙山高第42番 ヴィーゼ 『夢を掘りあてた人』(シュリーマンの伝記) 富山県(中学)第94番 植村直己 『青春を山に賭けて』 大手前高第105番 江藤淳 『夏目漱石』 城の内高第40番 大仁田厚 『高校生日記』 光村図書(中学)第81番 岡崎ひでたか 『天と地を測った男 伊能忠敬』 椙山中第11番 小沢征爾 『ボクの音楽武者修行』 高知県(高校05)第54番、安積高第64番、大手前高第106番 小和田哲男 『石田三成』 大手前高第64番 小手鞠るい 『科学者 レイチェル・カーソン』 椙山中第14番 勝海舟 『氷川清話』 大手前高第74番 加藤周一 『羊の歌』 市川学園(高校)第26番 木村俊一 『天才数学者はこう解いた、こう生きた』 市川学園(中学)第27番 鎌田慧 『ぼくが世の中に学んだこと』 椙山高第8番 キュリー 『キュリー夫人伝』 椙山高第31番 黒柳徹子 『窓際のトットちゃん』 椙山中第66番、富山県(中学)第69番 黒柳徹子 『トットちゃんとトットちゃんたち』 光村図書(中学)第90番、岩国市(中学)第33番 グレイ 『マザー・テレサ』 岩国市(中学)第22番 近藤康子 『コルチャック先生』 市川学園(中学)第18番 ゴーギャン 『ノアノア』 市川学園(中学)第16番 小森陽一 『小森陽一、ニホン語に出会う』 椙山高第73番 ゴッホ 『ゴッホの手紙』 市原学園(中学)第17番 佐江衆一 『田中正造』 椙山中第18番 『さ・え・ら伝記ライブラリー』 安積高第29番 早乙女勝元 『柳寛順の青い空 韓国で歴史をふりかえる (母と子でみる)』 椙山中第7番 佐渡裕 『僕はいかにして指揮者になったのか』 富山県(高校)第87番 サトウ 『一外交官の見た明治維新』 市川学園(高校)第20番 シュリーマン 『古代への情熱』 市川学園(中学)第8番、安積高第32番 杉原幸子ほか 『杉原千畝物語』 岩国市(中学)第26番 チャップリン 『チャップリン自伝』 市川学園(中学)第19番 辻内鏡人ほか 『キング牧師』 市川学園(中学)第21番 鶴見俊輔 『ひとが生まれる 五人の日本人の肖像』 岩国市(中学)第23番 どーリー 『ベートーヴェン』 岩国市(中学)第21番 畑正憲 『ムツゴロウの青春期』 光村図書(中学)第98番 バーチ 『キュリー夫人』 椙山中第15番 ビートたけし 『たけしくん、ハイ!』 光村図書(中学)第87番 ひの・まどか 『ベートーベン 運命は扉をたたく』 富山県(中学)第61番、岩国市(中学)第20番 福沢諭吉 『福翁自伝』 大手前高第75番 ファインマン 『ご冗談でしょファインマンさん』 光村図書(中学)第82番、市川学園(高校)第43番 藤沢友一 『永遠の肖像 レオナルド・ダ・ヴィンチ』 岩国市(中学)第25番 藤原てい 『流れる星は生きている』 市川学園(中学)第34番、富山県(中学)第91番、高知県(高校07,05)第93番 藤原正彦 『若き数学者のアメリカ』 富山県(高校)第56番、市川学園(高校)第59番 フランクリン 『フランクリン自伝』 市川学園(高校)第36番 ヘイデン 『シーラという子』 椙山高第11番 ヘギ 『アシュリー』 埼玉県(高校)第3番 ヘレン・ケラー 『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』 安積高第5番 堀尾青史 『銀河の旅人 宮沢賢治』 水木しげる 『ほんまにオレはあほやろか』 安積高第8番 実川元子 『ファッションデザイナー ココ・シャネル』 椙山中第16番 毛利衛 『宇宙からの贈りもの』 大手前高第9番 李相琴 『半分のふるさと』 岩国市(中学)第17番 山口百恵 『蒼い時』 三省堂(中学)第82番 山根銀二 『ベートヴェンの生涯』 椙山中第46番 湯川秀樹 『旅人』 市川学園(中学)第20番、富山県(高校)第36番、茨城県(高校)第77番 吉野原三郎 『エイブ・リンカーン』 椙山中第2番 ローゼン 『それでも地球はまわる:ガリレオ』 椙山中第12番 ローランド 『ペニシリンの戦士<フレミング>』 椙山中第13番 ロラン 『ベートヴェンの生涯』 市川学園(中学)第14番 渡辺淳一 『花埋み』(日本初の女医 荻野吟子) 大手前高第99番、椙山高第64番 ワトソン 『二重らせん』 市川学園(中学)第23番、大手前高第12番 【中学高校等・推薦図書体系】 へ
https://w.atwiki.jp/nisiogikubo2010/pages/36.html
A i108 1 岩崎 宗治 英文学の意識 研究社 1971.02.25 初 1,200 A i109 1 出 隆 出隆著作集 第7巻 出隆自伝 勁草書房 1963.11.20 2刷 1,200 A i110 1 一龍斎 貞鳳 話の味覚 桃源社 1962.10.25 初 1,500 A i111 1 石橋 正二郎 我が人生の回想 1989.02.01 初 1,400 美本 A i112 1 伊奈 かっぺい 落書き集苦楽符 路上社 1984.01.03 4刷 1,000 A i113 1 伊藤 正雄 忘れ得ぬ国文学者たち 右文書院 1973.11.30 初 2,000 古書サイトなし A i113 2 伊藤 正雄 ごまめの歯ぎしり 初音書房 1972.07.01 初 1,500 古書サイトなし A i113 3 伊藤 正雄 引かれ者の小唄 春秋社 1979.07.20 1刷 1,200 函付 A i114 1 泉 幸吉 歌集 雲光 非売品 1935.10.15 初 2,500 A i115 1 石田 憲次 英文学風土記 研究社 1972.02.28 初 1,500 A i115 2 石田 憲次 英文学のよろこび 研究社 1965.03.30 初 1,500 A i116 1 石牟礼 道子 十六夜橋 径書房 1992.05.30 初 2,000 美本 A i117 1 入江 相政 味のぐるり 日本経済新聞社 1976.11.22 初 1,200 A i117 2 入江 相政 濠端随筆 文藝春秋新社 1970.02.25 初 1,000 函付 A i118 1 生松 敬三 森鴎外 近代日本の思想家 東京大学出版会 1958.09.15 3刷 1,200 中身美品 A i119 1 伊藤 桂一 溯り鮒 新潮社 1964.11.25 初 1,200 函付 帯付 A i119 2 伊藤 桂一 峠を歩く 日本交通公社 1979.03.10 初 1,200 A i119 3 伊藤 桂一 峠を歩く 日本交通公社 1979.03.10 初 1,200 函付 A i119 4 伊藤 桂一 伊藤桂一詩集 土曜美術社 1983.06.20 初 1,500 サイン、落款有 A i120 1 井上 恒也 井上恒也鳥類画集 ビッグ社 1981.05.10 初 15,000 定価38000- A i121 1 井手 則雄 美術のみかた 酒井書店 1978.08.30 改訂 1,000 A i122 1 伊藤 源之助 吉野秀雄 愛育出版 1980.01.10 初 2,000 A i123 1 猪野 謙二 日本文学の近代と現代 未来社 文批 1958.11.15 1刷 1,200 中野好夫宛のサインあり A i123 2 猪野 謙二 増補 近代日本文学史研究 未来社 文批 1964.12.25 1刷 2,500 中野好夫宛のサインあり A i123 3 猪野 謙二 日本文学の遠近Ⅰ 未来社 文批 1977.07.15 1刷 1,800 中野好夫宛のサインあり A i123 4 猪野 謙二 日本文学の遠近Ⅱ 未来社 文批 1977.09.05 1刷 2,000 中身:美品 A i124 1 石井 柏亭 日本絵画三代志 創元社 絵画 1942.07.03 3刷 800 A i125 1 伊藤 礼 伊藤整氏奮闘の生涯 講談社 文批 1985.09.20 1刷 1,200 A i126 1 石山 脩平 師道と教養 賢文館 1939.11.05 初 2,000 A i127 1 岩田 久仁雄 自然観察者の手記 研究社 1944.03.25 初 1,000 A i128 1 石田 英一郎 日本文化論 筑摩書房 1969.05.23 3刷 1,000 A i129 1 板垣 直子 事変下の文学 第一書房 文批 1941.05.10 初 3,000 帯付 所蔵印有 A i129 2 板垣 直子 漱石・鴎外・藤村 巖松堂 文批 1946.07.20 初 1,000 A i129 3 板垣 直子 欧洲文藝思潮史 巌松堂書店 文批 1950.06.25 初 2,000 A i130 1 今西 錦司 私の自然観 筑摩書房 1966.06.20 1刷 700 A i130 2 今西 錦司 そこに山がある 日本経済新聞社 1973.07.19 再 1,000 A i131 1 色部 嘉明 中国私記 福武書店 1984.03.10 初 800 A i132 1 石崎一正 石崎一正戯曲集 テアトロ 演劇 1979.12.20 1刷 1,200 A i133 1 飯田 美稲 湯とうふ 八木書店 1958.11.10 初 1,500 A i134 1 井上 百合子 夏目漱石試論 近代文学ノート 河出書房新社 文批 1990.04.20 初 2,000 美本 A i135 1 稲原 勝治 英国を中心として 金尾文淵堂 T10.5.1 初 1,500 函なし A i136 1 池上 金男 限りなき一つの道 祥伝社 1979.09.30 初 1,200 美本 A i137 1 岩田 専太郎 溺女伝 読売新聞社 1964.08.20 初 1,500 A i138 1 稲本 正 ソローと漱石の森 NHK出版 1999.06.30 初 1,200 A i139 1 入江 隆則 新井白石闘いの肖像 新潮社 1979.08.25 初 1,500 函、帯付 A i140 1 巌谷 国士 ヨーロッパの不思議な町 筑摩書房 1990.08.30 初 1,200 A i140 2 巌谷 国士 充ち足りた死者たち 薔薇十字社 1972.08.30 初 1,500 函無 ジョイス・マンスール訳 A i141 1 石川 宏作 巣 東都書房 1962.04.20 1刷 1,800 序文:坪田譲治 A i142 1 石坂 昌三 小津安二郎と茅ヶ崎館 新潮社 1995.06.20 初 1,200 帯有 A i143 1 飯沢 耕太郎 写真とグロテスク リプロポート 写真 1996.08.25 初 2,500 A i144 1 井上 友一郎 片道切符 大日本雄弁会講談社 1954.08.15 初 1,200 ヤケ
https://w.atwiki.jp/kobun/pages/106.html
吾人は既に彼れの世界を読むの眼光を見たり、乞ふ吾人をして、更に彼れの読書と読書力とを察せしめよ。 過去を現在にするは高等なる読書力なり、外国の事を内国に適用するは高等なる読書力なり、|形式≪シンボル≫の異なる所に於て|本質≪エスセンス≫、に同じき所なるを見出すは高等なる読書力なり。漢の事は自ら漢にして、倭の事は自ら倭なり、|古≪いにし≫へは自ら古にして、今は自ら今なりとなし、|截然≪せつぜん≫として古今内外の区別を立て、時と空とに通じて、同一の潮流が貫通しつゝあるを認識せざる者は善く書を読む者にあらざるなり。斯の如きの読書家は即ち学んで当世に用なきものなり、何となれば彼等は其書中に於て自己の経験と合すべきものを見出さゞれば。 徂徠及び其門弟等が、現時の事を序し、若しくは自己の所感を|言顕≪いひあら≫はす時に於て大抵|六≪むつ≫かしき擬古文を用ひしを以て、直ちに彼等は唯古を知つて今を知らざるものなりとなす者あらん乎。少なくとも彼等の擬古文を作るは即ち彼等が古を尊び漢を尊んで、今を|賤≪いや≫しみ、倭を賤しむの徴候なりとなす者あらん乎。斯の如く思ふ者は記憶せよ、若し真に擬古文にて現在の境遇と感情とを言顕はし得べき学者ありとせば彼等は高等なる読書力を有する者なり、何となれば若し古今に通じて同一なる者あるを見得て徹するに非んば、|奚≪いづくん≫ぞ能く今の事を序するに古の文を以てして遺憾なきを得んや。吾人は徂徠の擬古文を読み彼れが善く古き熟字を新しき事実に適用するを見る毎に、|倍≪ますます≫彼れの古今を一にし東西を同うするの識力を歎ずるのみ。 彼れが異中の同を知れる識力は唯に今の事を序するに古の文を以てするに於て見るべきのみならず、古の事を序するに今の言語を以てするに於ても亦之を見るべし、何となれば過去を現在にするを解する者は即ち又現在を過去にするを解する者なればなり。請ふ政談、及び彼れの国字の書を取つて、彼れが如何ばかり善く、擬古文中に於て書き著はせしと同じ趣意を殆んど、言文一致に近き文躰に於て言顕はし得るかを見よ。彼れは古文辞を作るときも、国字の書を作るときも、同一の主義、同一の思想を彼此共に障碍なく一様に言顕はし得るなり、彼に取つては古文字も今の言語も共に同一の本質を顕はすべき異なりたる形式のみ。人唯彼れの文字の六ケ敷に就て言ふ。而も趣意に至つては即ち極めて明快、極めて透徹、少しの陰なく、少しの暗き処なし、吾人は其中に躍如たる彼れの精神を看取し得て余ある也。彼れは知らずして語る者の|類≪たぐひ≫に非る也。 吾人は彼れの書を読む毎に恰も古の波斯王が国と言語と風俗とを異にする各種の人民、各種の種族を拳げて、|彭然≪はうぜん≫たる一大軍団となし希臘に攻入るを見るが如き心地す。彼れは其博くして大なる智識を使用して、悉く自己の材料となし得るなり。彼れは其驚くべき記憶に伴ひて、驚くべき消化、適用の才を有せり。彼れの材料を用ゐんとするや、万《すべ》ての智識、尽く一の中心に集り来つて用を為す。彼れが嘗て水滸伝を引きて墓〓の制を論じたるが如き、奚ぞ終生屹々書を読んで而して何の工夫なき者の夢想し能ふ所ならんや。 彼れが読書の方法は即ち此の如し、読書の分量に至つては即ち如何。 吾人は此に於て彼れの精力と該博とに驚かざるを得ず、彼れは「社会字彙」なるが如く「百科字彙」なり。|凡≪およ≫そ当時の学問にして、彼れの窮知せざる者は殆んど稀れなり、|蠧≪しみ≫食ひたる国乗より最も新しき舶来の唐本に至るまで、彼れが目の触れざる者なしと云も可也。将軍吉宗は彼れの「|鈐録≪けんろく≫」を見て、漢土の事は格別和国の事是程に歴覧せる事不大形儀なりと感ぜりと曰ふ。彼れが善く我国乗に通じ、法律、政治、兵賦、文学、の沿革に委はしきは人をして驚歎せしむるに足れり。彼れは安積澹泊の如く、新井白石の如く、若しくは後代の頼山陽の如く自ら史学を以て任ぜざりしかども、凡そ神武以来日本に起りたる重要なる政治社交文学上の変化は悉く彼れの脳中に存在せり。彼れは其脳中に書かざる日本歴史を有したるなり。頼襄が|畢生≪ひつせい≫の心血をしぼりたる通議二十八篇の如き、其多くは彼れの既に鈐録、政談に於て喝破せし所なりき。況んや漢籍の如きは是れ彼れが専門の業、其精通固より言ふまでもなきこと也。 余をして一言せしめよ、余は彼れの巨脳に驚かざるを得ず。 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/781181/52 昭和52年 東京工業大学
https://w.atwiki.jp/sotto_project/pages/141.html
目次 山内昌之『歴史学の名著30』 (ちくま新書)目次 読書感想記事 山内昌之『歴史学の名著30』 (ちくま新書) 歴史学の名著30 (ちくま新書) 著者:山内 昌之 学生に限らない。私たち社会人にとっても、時として本は「最高の話し相手」なのである。『歴史学の名著30』は、歴史好きの社会人の方々にも楽しんでいただければという気持ちで書き上げた。 山内昌之『歴史学の名著30』 (ちくま新書) 、p261~262 目次 はじめにトルストイの歴史家嫌い 現代の若者と歴史書を読む楽しみ 歴史書を読む、他者への寛容と自己への自信のために 選書、三つの基準 朝鮮史の一冊、『朝鮮王朝実録』 コンドルセと橘曙覧の教え 1 歴史への問いかけヘロドトス『歴史』──脱線の名人叙事詩の伝統を受けつぐ円環構造 学としての歴史の嚆矢 俗信は荒唐無稽か トゥキディデス『戦史』──冷静無比の予言者二十世紀の国際政治のモデル 人間心理の鋭い観察 人心の荒廃とエリートの変身を冷静に描く 司馬遷『史記』──「激励の書」天道、是か非か倫理的批判の書 天道への懐疑 史記執筆の動機 班固『漢書』──班馬の優劣はいかに「世界史」史記と「一国史」漢書 儒教的な世界観による歴史理解 原勝郎『日本中世史』──日本史の美意識、西洋史の方法日本史に初めて「中世」の概念を導入 ルネサンスと東山時代 繊細なセンスと美意識 2 叙述の魅力ギボン『ローマ帝国衰亡史』──ペシミズムと諸行無常の物語文学と歴史の双方で傑出 ギボンのペシミズム 公平なメフメト二世の描写 頼山陽『日本外史』──叙事詩の人気文章力も「殊に雅健なり」 只一道の光輝 ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』──倫理的遠近法の歴史家「一般人」の教養を涵養する イタリアは「終始一つの例外」 ビザンツ人やムスリムとの接触を評価 ホイジンガ『中世の秋』──美しい歴史の世界を求めて過去のなかに意味の把握を解釈する 騎士道の理想を虚構として利用 中世末期からルネサンスへの移行 ブローデル『地中海』──隠された「ヨーロッパ愛国心」三層構造を総合的に扱う全体史 「出来事」の重要性は否定せず レパントの海戦の意味 (付録)ロレンス『知恵の七柱』──人間観察の芸術品歴史と歴史学に対する挑戦の書 観察の鋭さ 3 歴史を見る眼慈円『愚管抄』──深夜に語られる道理独白の形態をとった特異性 変化していく道理 北畠親房『神皇正統記』──日本国とは何か正直・慈悲・決断 政治の成功に必要なこと 新井白石『読史余論』──九変五変論、機勢の変転厳格な学問方法と歴史主義 公平な史眼 「機勢の変転」の機微を十分に理解 伊達千広『大勢三転考』──玄人好みの時代区分論「骨」の時代、「職」の時代、「名」の時代 「上からの改革」と「下からの革命」による変動 幕府体制の衰亡を予言? ランケ『世界史の流れ』──十九世紀西洋君主の「亀鑑」として簡便なヨーロッパ史 現代の歴史の豊かな流れ着く 君主論を意識 内藤湖南『東洋文化史』──別種の中華意識の発露か「応仁の乱」以前と以後 世界史と日本史 文化中心移動説 4 歴史家の使命感『春秋左史伝』──記録者の意地説話は「伝文」として付す 「直筆」が権力者のアキレス腱 劉知幾『史通』──近代歴史学につながるエスプリ史館に勤めた劉知幾 「異辞疑事」はよく考えて採用すべき イブン・アッティクタカー『アルファフリー』──イスラーム帝王学王者にとって望ましい知識とは 王者に望ましい徳目 イブン・ハルドゥーン『歴史序説』──経世済民の歴史家史料批判の眼 歴史家に必要な資料と条件 トインビー『歴史の研究』──「変わらない東方」の迷妄から文明相対主義の世界史へ古代史の研究から現代史の分析へ 二十一の文明社会の比較文明相対主義の嚆矢 5 大変動のなかでカエサル『ガリア戦記』──歴史家から執筆意欲を奪った書覚書執筆の動機 並外れた文章力 潘佩珠(ファンボイチャウ)『ヴェトナム亡国史 他』──南海遺民の革命史梁啓超と潘佩珠の出会い フランスによる重税支配 日本への憧憬 トロツキー『ロシア革命史』──昂揚と挫折の黙示録歴史叙述の本質をとらえる 人物描写の的確さ 昂揚と挫折チャーチル『第二次世界大戦』──戦争には決断、平和には善意大戦を許したのは誰か 未来洞察の書(付録2)石原莞爾『最終戦争論』──永久平和論と世界最終戦の異種交配決戦戦争と持久戦争の交替 核兵器の登場をも予言 6 現代への視座ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』──「歴史の名著」、社会科学と歴史学の間素朴な問いからの出発 「禁欲」と「拝金主義」 宮崎市定『科挙』──形を変えた選挙の効能官吏を研究しなければ中国はわからず 郷試は人生の縮図シヴィリアン・コントロールの土台 バーリン『父と子』──非歴史学的な歴史家、自由主義者の苦悩失われた思想や哲学の発掘混乱状態のなかで中庸を説く勇気と大胆さ フーコー『監獄の誕生』──毒か、それとも劇薬か公権力による支配のしかけ 自明の前提に再考をせまる 網野善彦『無縁・公界・楽』──知の「浪漫的煽動者」歴史の周縁に生きた人びと カリスマ性と存在感 おわりに 文献目録 読書感想記事