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武藤環〔むとう たまき〕 作品名:紅 作者名:[[]] 投稿日:2008年4月16日 画像情報:640×480px サイズ:33,656 byte ジャンル:[[]] キャラ情報 このぐぬコラについて コメント 名前 コメント 登録タグ 2008年4月16日 個別む 紅
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斎藤に関する総まとめです。(経緯や旧ブログなどの情報etc)経緯斎藤萌のブログについて\ 嵐 掲 示 板 /について嵐・噂掲示板について斎藤萌という女(コピペ)噂の元となる捏造記事関連URL
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登録日:2012/07/14(土) 15 24 00 更新日:2024/01/08 Mon 23 59 10NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 kure-nai おねえさん エロ魔人 ジャージ 下駄 最強 武藤環 真田アサミ 空手家 紅 酒豪 「真九郎君、そんなトコ触っちゃいや~」 CV 真田アサミ 五月雨荘の住人で、紅真九郎の隣室に住んでいる女性。 常に飄々としたおおらかな性格の持ち主で、間違なくナイスバディの美女なのだが、ジャージ姿で下駄がデフォな人なので色々と台無し。 そんな服装を反映するかのように日常生活もズボラで、自室は脱ぎ散らかし、食い散らかしとカオスな世界と化している。 生活力ゼロ故、御飯は常に真九郎の手作りをねだっている。 あととんでもないエロ魔神であり、R18用語を平気で紫に仕込んだりもする。もう色んな意味でダメ人間。 そんな変人な彼女も空手道場の師範代で、教え子には電波的な彼女の主要人物である円堂円らしき小学生がおり、皆から慕われている。 一見、どこにでもいそうなズボラな女性だが、初期から裏世界の事情に詳しい面があり、 真九郎を一時叩きのめした【鉄腕】ダニエル・ブランチャート相手に軽く挑みかかろうとし 亜宇商会のルーシー・メイを一目見て「あの人、カタギじゃないね」とアッサリ見抜く ……等、真九郎以上に修羅場を潜ってきたような描写がある。 作者によると特殊能力無しなら最強との事。 戦鬼の角無しでもコンクリブチ抜く夕乃さんや、最強の揉め事処理屋の紅香さんより強いってどゆこと? まぁ原作ではその腕前を披露せずに終わったのだが……。 漫画版では本領発揮。 ○ほぼ単独で1つの組を潰す(頭は真九郎が仕留めた) ○真九郎でさえてこずった空手家の痴漢の拳打を指2本で軽く止め、拳打一発で倒す 〇戦鬼ではないとはいえ、崩月でも屈指の実力者の夕乃との勝負で彼女に負傷させた ○チンピラが硫酸を教え子達に掛けようとした際、咄嗟にビート板で全て防ぎ、そのまま反撃 ○悪宇商会の刺客達との戦いでリン・チェイシンが息切れする中、息も乱さず倒す 等々、明らかに単なる空手家じゃない恐るべき強さを見せた。 結局、漫画版でも身の上話は出なかった が、真九郎が九鳳院に喧嘩を売りに行くと聞いた紅香が何故か環だけを話の輪に入れ、 尚且つ彼女の様子をうかがう姿を見せる(この時、環は許可するとでも言わんばかりの笑顔であった) ……等、武藤環は最強の揉め事処理屋にとっても重大なファクターである事が推察できる。 また真九郎や夕乃、リンが彼女のチートじみた強さを見ても特に驚きを示さないあたり、 読者に掲示されていないだけで、彼らは環がどういう存在か知っている可能性がある。 いつか彼女の正体が明かされる時は来るのだろうか? 「ねぇ~、真九郎くぅん。今日の夕飯はぁ?」 「……追記・修正のごった煮ですよ」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 原作の発刊が続いていれば身の上や正体が明らかになったかもしれないけど……まだ期待している俺は馬鹿なんだろうか -- 名無しさん (2014-07-21 23 13 40) なんで紅のキャラ項目がこの人だけあるの? -- 名無しさん (2014-08-05 17 37 24) 不戦の約定にも関わってるのかな? -- 名無しさん (2014-12-19 20 40 28) 唯一の個別項目が環とは -- 名無しさん (2015-02-15 02 07 40) 名前 コメント
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78:匿名2012 11/24 04 26 Amiは自演じゃないよ。 美月はどうだか知らないけど、Amiは紛れもなくサブ板住人の自分のコメだよ。 コメ承認される程度にチクッと嫌味を言ってやったんだけど擁護してる風に見えたかな? 小林真央の悪口言ってた過去をさらっと暴いてやったつもりだったんだけどw 何度か普通にコメしてやったから、Amiのこと信用してるみたいだけど、ここ見てるんならもうその名前は使えないねw また考えよっwww 79:匿名2012 11/24 22 57 77斎藤的に結構不利になっているとは思うけど、目的がここの人達とは違う感じだよね。 ただ嫌いだからっていうより、恨みに近い感じ? まああの性格じゃ恨みのを持っている人間が一人や二人いても不思議じゃないけどね。 事務所の話題作りにしては斎藤を貶し過ぎな気が(笑) どっちかっていうと、アリスファンか元アリスタレントからの恨みっぽいけどな。 それか現アリスタレントとか。 ありえなくもないのが斎藤萌(笑) 78斎藤が普通に認証している辺り、嫌味も気づかない程度だったのかもね。 でも逆にこれで次Amiで認証されなかったら確実にここを見てるって言っちゃってるようなものだから次もAmiで爆弾盛り込んだコメしてみたら? 斎藤がどう出るか(笑) 80:匿名2012 11/24 23 11 79 そうだねw 今からコメしてみるw コメ数少ないから、アンチっぽいコメじゃなかったら簡単に承認しそうだけどね。 ここ見て本当はアンチだってわかっててもね。 承認される程度にやんわり嫌味入れてコメしてみるね。 81:匿名2012 11/25 02 46 あらら~www ちゃんと認証されてるわ。 ここ見てないのかしらねw 82:匿名2012 11/25 09 42 横入りごめん。 Amiむしろ褒めてるだけじゃない? どこに貶しが入っているのか全く わからない。 赤が好きそうってとこ? 主役とか言ってるし あれじゃ普通に認証するでしょ。 なんかAmiも 81も斎藤な気がしてきた。 83:匿名2012 11/25 10 39 と言うか斎藤からしたら斎藤以外から見てアンチって分かるようなコメントじゃなければ承認するでしょ。 私が斎藤と同じ立場ならそうするわ。だって絶望的なほどコメント少ないんだもの。 そもそもあの程度の嫌み(?)なんか分からないに決まってる。 斎藤の神経はごん太だから。普通じゃないんだよ。 前の掲示板にも 81みたいな人いた気がするけど、同一? もし斎藤一派じゃないなら、はっきり言って無駄な行動だと思うよ。 それと 81以外で斎藤ブログにコメントしてる人がいるなら、たとえ斎藤を非難するようなコメであれ書かない方がいい。 構ってちゃんな斎藤を喜ばせることになるしね。どうしても書かなきゃいけないってこともないでしょ? 84:匿名2012 11/25 11 28 今さかのぼって見てきたけど、Amiのコメ全然アンチじゃないし、嫌味でもないのでは? むしろ擁護でしょww 85:匿名2012 11/25 12 04 今見てきたけど私も思った。 Amiは斎藤アンチじゃなくて援護じゃん。 81斎藤決定。 86:匿名2012 11/25 12 33 と言うか 81みたいな奴、間違いなく前掲示板にいたわ。下のこいつじゃない? 47 :名無しさん:2011/03/31(木) 17 59 56 19 HEROは私だよ。 斎藤の自演じゃない。 他のは知らないけど、HEROは斎藤アンチの私です。 53 :名無しさん:2011/03/31(木) 18 36 59 48 いや、マジでアンチだよ。 「カワイイ」なんて本当は微塵も思ってないw 思うわけないじゃん。 あんなごっつい女。 ファン装って、持ち上げコメして、徐々に本来の斎藤の姿を晒してやろうと思ってたの。 でも、もう無理だね。 ここ見てるんでしょ?彼女。 別の名前で作戦練り直します。 じゃあ~ヾ(○゚▽゚○)ドロン あまりにも臭すぎてレスつかなかったけどね。自演を自白したようなものだからさ。 ちなみに 19の指摘では、相変わらず可愛いみたいなコメしてたよ。 思うんだけど、定期的にアンチが離れないように問題を起こしてる工作員的な人達が居座ってんじゃない? それか、自演バレしないように嫌味と偽ってたか。 自分は二つともありえる気がするけど。 前者はあの事務所ならありえる話だし、後者も斎藤の性格ならありえる。 ただ、後者ならばあまりにも危険すぎるよね。斎藤プライド高いから、これがバレたら更に袋叩きになるの分かってるだろうし。 どちらにせよ、コメしてから認証されんの早すぎる気もするから 81は斎藤か斎藤近辺の人間だろうな。 87:匿名2012 11/25 12 33 何のためにコメしてるかわかんないもんね。 88:匿名2012 11/25 12 56 86うわ~確実に同一だね。 私は斎藤本人説の方が強いかな~ 単純に、アンチが離れて欲しくないのは事務所側だけだろうし、でも斎藤ごときにわざわざ工作員的な人が付くとは考えにくいし、しかも今はアンチも減ってるし少ないアンチの為にとは考えにくい。 あと、美月が自演だってここで話題になってからAmiが同じように登場して来た事を考えると、両方 81(つまり斎藤)の仕業じゃないかと思ってる。 美月の自演を誤魔化すために。 89:匿名2012 11/25 15 07 両方とも斉藤の仕業だと思うんだけどな わかりやすいただ 長い文章 斉藤まんまじゃん とんだけアンチに離れて欲しくないんだか コメントもらえないと仕事もらえないから必死なのか まず性格直しなよ あっ無理かW 90:匿名2012 11/25 15 24 amiは完ぺき斉藤だね 斉藤のイメージカラー赤なんって 大爆発なコメントしてくれちゃって 実演バレバレだって 91:匿名2012 11/25 17 00 いや、Amiは斎藤じゃにいよ。 本当に自分が書いてるコメ。 確かに持ち上げて、斎藤の喜びそうなこと書いてるけど、それもちゃんと自覚してるよ。 わざとそうやって書いてる。いかにもファンです的な感じで。 今回のコメは嫌味は入れれてないけど、みんな赤に反応してるでしょ? ってことは斎藤も反応してるの。 アンチがコメしてるってわかってると思う。 自分は他所から見てなんてどうでもいい。 斎藤にだけ皮肉がわかればいいと思ってる。 だからこれからもコメしていくつもり。 普段から自分を褒めて擁護してくれてる人のコメはある程度承認すると思うから。 意味ないことだと思われるだろうけど。 まぁ、Amiが斎藤じゃないってことだけは信じて。 気分害された人もいると思うので、書き込まないね。 ごめんね。 92:匿名2012 11/25 17 02 ↑もうここには書き込まないねって意味です。 何度もごめんね。 93:匿名2012 11/25 17 23 まぁ、今までの動向から自演疑われても仕方ない斎藤だからね。 かつての林檎や、「TBS近くのカフェに青いロングダウン着たニノ待ちの斎藤が居る」とかいろいろ自演してたし。 それでしか注目されない哀れな人…。 94:匿名2012 11/25 17 58 91無理があるなその言い訳は。 もし本当にAmiが斎藤じゃないとして、斎藤にだけわかればいいと言っている嫌みでさえ斎藤に通じてない。 たから斎藤も認証しているわけだし。 斎藤にしたら、「やっぱり私のイメージは赤なんだ♪」くらいにしか思ってないでしょ。 まぁ、Amiが斎藤じゃないとは考えられないけどね。 あと、本当にアンチならここの人達がAmiを斎藤だと勘違いしているなら別にそのままでいいって私なら思う。 わざわざムキになって斎藤じゃないって言ってるのもある意味援護だよね。 95:匿名2012 11/25 20 51 わざわざコメント数増やして斎藤喜ばしてやらなくてもいいのに 知らない人が見たら「女性ファンがいるんだ」と思うだけだ 96:匿名2012 11/25 20 58 91はいくら何でも言い訳として苦しすぎ、に同意だな。 斎藤本人ではなくても、周辺の人間だろう。言ってることが支離滅裂過ぎて何とかその場を繕おうとしてるの丸出しだもん。 それに仮に斎藤じゃないとして、斎藤本人と疑われたくないなら今書き込むタイミングじゃない。事態が沈静化するのを待つべきだった。 そしてこのことには一切触れないのが最善なはず、なんだけど。 そもそも何でコメントするのか、理由を言わないのが不自然過ぎ。 斎藤に嫌味を言って何になるのか教えて欲しい。 そうじゃなきゃ 83の忠告が一番妥当でしょう。斎藤に構ってやらない、コメントしないのが一番だよ。 実際ここにいるアンチでさえも斎藤ブログにコメントまでしてるのは少数だと思うけど。 今回のコメは嫌味は入れれてないけど、みんな赤に反応してるでしょ? ってことは斎藤も反応してるの。 アンチがコメしてるってわかってると思う。 80でやんわり嫌味入れるって言ったのはどこへ? それに、斎藤=赤は最早アンチだけの認識じゃない。 前にアリスヲタや同じグループの子なんかも「めいずむと言えば赤」みたいなこと言ってたよね。まあ、元が櫻井本気愛だから斎藤が赤に固執するのは道理なんだけど。 斎藤=赤が斎藤の近辺で定着しつつある今、斎藤にとってそれは嫌味にならないはずだよ。 ここにいるアンチの大多数がそれを分かってると思うんだけど。 自分は他所から見てなんてどうでもいい。 斎藤にだけ皮肉がわかればいいと思ってる。 ここにいる誰にも全く伝わらなかった皮肉がどうして斎藤に伝わると思えるの? ↑こういうのが皮肉とか嫌味だと思うんだけど。 Amiの書いた文章にこんな要素が少しもなかったのは事実でしょう。 突っ込みたいところはちょっと突っ込ませて貰ったわ。 まあ、 91見る限り言い訳すると長文化する斎藤思い出しちゃうよね、どうしても。 97:匿名2012 11/26 08 34 他者から見てわからない皮肉なんてホント無意味。 例え斎藤にだけわかったとしても斎藤にしたら「ほめ言葉ばかりだしこの程度の嫌みも他者にはわからないだろうししコメ数増やす為に認証しとこ~」くらいにしか思わないでしょ。 斎藤にとっては願ったり叶ったりのコメントじゃん。 ま、 96の言うように言い訳が長文になる癖が誰かと一緒で出ちゃってるからね。 やっちゃったね、斎藤(笑) 98:匿名2012 11/26 10 21 96の長文には負けるけどね(笑) てか、同一人物なのかわかんないけど 96みたいにすごい長文の人 本当に読みにくいんだけど。 力説してるのは理解するけど 長すぎて疲れる。 99:匿名2012 11/26 13 03 96だけど、この程度が長文だと思うなら読まなくていいよ(笑) 前にも似たような人いた気がするけど、マジで長文だと思うなら読まなくていい。そこはあくまでも自由。 と言うか自分が穿った見方してんのかな、 98が 91の負け惜しみに見える…相当疲れてんな、自分。 100:匿名2012 11/26 15 47 いや 98は 91でしょ。 じゃなきゃわざわざ 91の援護みたいな書き込みの上 96に喧嘩売る意味がわからない。 そしてもう書き込まないって言ってたのに早速?(笑) 長文だから読みにくいとかこの程度で疲れるって単に読解力がない国語が苦手な人間か若しくは活字が苦手な面倒くさがりなだけでしょ。 普通に読めるし全然読みにくくない上、全部読むのに1分もかからないけど。 むしろ 98みたいな中途半端な場所での改行の方が読みづらい。 まぁここはアンチ同士が言い合う場ではないから。 98( 91)はどうやら斎藤アンチではないみたいだけどね。 ちなみに私は 97です。 引用元 サブ板の「斎藤萌3」
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翻訳 ●Jean-Joseph Goux, «Numismatiques» I II, Tel Quel, no.36, no.37, 1968-1969. Repris dans Freud, Marx Économie et symbolique, Éditions du Seuil, 1973.〔浅田彰訳「貨幣の考古学:金、父、ファルス、君主、言語」①②③④⑤、『現代思想』1981年5月号「特集=メタファー」、6月号、7月号、8月号、9月号〕 ●Gilles Deleuze, «Préface», Antonio Negri, L’anomalie sauvage Puissance et Pouvoir chez Spinoza, PUF, 1982〔浅田彰訳(解説含む)「『野生のアノマリー』への序文」、『現代思想』1983年12月号「特集=哲学の変貌」〕 ●解説、Terry Eagleton, «Marx’s Friends», New Left Review, ?, ?〔室井尚訳「マルクスの友人たち」、『現代思想』1983年12月号「特集=哲学の変貌」〕 ●Mary Tew Douglas, Baron C. Isherwood, The World pf goods, New York Basic Books, 1979.〔浅田彰・佐和隆光訳、『儀礼としての消費:財と消費の経済人類学』新曜社、1984→講談社学術文庫、2012〕 ●Charles Fourier, Le nouveau monde amoureux, ?, 1979.〔浅田彰・市田良彦訳、「抄訳の試み テクスト『愛の新世界』を横断する」、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、「特集=ポリ・セクシャル複数の性」〕 : 現在では福島知己訳『愛の新世界』(作品社、2006)の入手が容易 ●Gilles Deleuze, «Pierre Klossowski ou le corps-langage», Critique, no.214, pp.199-219. Repris, modifié, en appendice de Logique du sens, Paris; Editions de Minuit, 1969. 〔浅田彰・市田良彦共訳「クロソウスキーあるいは身体-言語」、『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=ポリ・セクシャル複数の性」〕 : 現在では小泉義之訳「クロソウスキー、あるいは身体-言語」、『意味の論理学』下(河出文庫、2007)の入手が容易 ●Gilles Deleuze et Félix Guattari, L Anti-Œdipe, Éditions de Minuit, 1972. 〔浅田彰・市田良彦訳「トランスセクシュアリテ 『アンチ・エディプス』からの三つの断片」、『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=ポリ・セクシャル複数の性」〕 : 現在では市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス:資本主義と分裂症』(河出書房新社、1986);宇野邦一訳『アンチ・オイディプス』(上下、河出文庫、2006)の入手が容易 ●Jean-Francois Lyotard, Economie Libidinale, Minuit, 1974. 〔浅田彰・市田良彦訳(抄訳)「『エコノミー・リビディナル』からの二章」、『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=ポリ・セクシャル複数の性」 〕 : 現在では杉山吉弘・吉谷啓次訳『リビドー経済』(法政大学出版局、1997)の入手が容易 ●Gilles Deleuze et Félix Guattari, Milles Plateaux, Éditions de Minuit, 1980.〔浅田彰・水嶋一憲訳「生成する音楽 『ミル・プラトー』からの二つの断片」、『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=ポリ・セクシャル複数の性」 〕 : 現在では宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳『千のプラトー』(河出書房新社、1994)の入手が容易 ●Dominique Fernandez, La Rose des Tudors, Julliard, 1976. 〔浅田彰・水嶋一憲訳「料理万歳! 『チューダーの薔薇』La rose des Tudors (Julliard,1976) 第一章」、『GS たのしい知識』vol.2、1984.11、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=ポリ・セクシャル複数の性」〕 ●ヴァレラ, , ?, ?. 〔浅田彰・斉藤嘉文訳、「創造の環」、『現代思想』1984年12月号「特集=免疫と自己組織化」〕 ●Glenn Gould, «Prospects of Recording», High Fidelity Magazine, April 1966. 〔浅田彰・細川周平訳、「プロスペクツ:オヴ・レコーディング」、『現代思想』vol.13-5、1985年5月号「特集=Contemporary Music:音楽はどこへいくのか」〕 ●Éric Alliez et Michel Feher, «La ville sophistiquée», Chage international, no.3, 1985. ; trans. by David Beriss and Astrid Hustvedt, «Notes on the Sophisticated City», Zone 1/2. The Contemporary City, 1986, New York; Urzone, pp.40-55. 〔浅田彰・市田良彦との共訳「ソフィスティケーテッド・シティ」、『GS たのしい知識』vol.3、1985.10、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=千のアジア」〕«Notes on the Sophisticated City» ●Férix Guattari, Paul Virilio, Alain Joxe et Giairo Daghini, «Table ronde L’Etat nucléaire», Change International, no.2, mai 1984.〔浅田彰・市田良彦・中島ひかる訳「ニュークリア・ステート」、『GS たのしい知識』第II期vol.4、1986.12、浅田彰・生井英考・武邑光裕・細川周平責任編集「特集=戦争機械」 〕 ●Jonathan Crary, «Eclipse of the Spectacle», Brian Wallis, ed., Art After Modernism Rethinking Representation, The New Museum of Contemporary Art, 1984, pp.283-294.〔浅田彰・市田良彦訳「スペクタクルの蝕」、『GS たのしい知識』第II期vol.5W、1987.4、浅田彰・武邑光裕責任編集「特集=電視進化論」 、pp.2-13〕 ●Félix Guattari, «Genet retrouvé», Revue d études palestiniennes, n°21, 1986.9. Repris dans Revue d études palestiniennes, numéro hors-série «Jean Genet et la Palestine», 1997.5. 〔浅田彰・市田良彦との共訳「再び見出されたジュネ」、浅田彰責任編集『GSたのしい知識』vol.5 1/2、1987.6、「特集=Genet Special」 ●Edmond Couchot, «Une marge étroite mais fertile (À l’interface du réel et du virtuel)», Revue virtuelle, n° 1, Centre G. Pompidou, avril 1992.→「リアルとヴァーチュアルのあいだ:ハイブリッド化の芸術」、『InterCommunication』no.1、1992年夏号「特集=トランスポーテーション:速度都市あるいは移動の文化変容」
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1988← →1990 1989 ●「共同討議 〈数学の思考〉をめぐって:自己言及的、あるいは対角線的諸問題へ」(倉田令二朗・森毅・市川浩・柄谷行人との座談会) 、『季刊思潮』no.3、1989.1→柄谷行人『シンポジウム』思潮社、1989 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(1)」、『GORO』16(1)、通巻350号、小学館、1989年1月1日号 ●「浅田彰クロストーク89⑧」(関曠野との対談)、『朝日ジャーナル』1989年1月6日 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(2)」、『GORO』16(2)、通巻351号、1989年1月9日号 ●「ナショナリズム・天皇制・リクル-ト疑惑の系譜:「イエ社会」から国際国家へ 日本の選択」(久野収との対談)、『エコノミスト』1989年1月10日号 ●「虚構の調和を維持させる母性的な構造」、『朝日ジャーナル』1989年1月25日号「総検証=天皇と日本人:天皇制のいま、そしてこれから」 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(3)」、『GORO』16(3)、通巻352号、1989年1月26日号 ●「アナ・バラッドBallard Barrado Baudrillard:アメリカン・ドリームのシミュラクラをめぐるコラージュ」、『美術手帖』1989年2月号 ●「昭和精神史を検証する」(柄谷行人との対談)、『文學界』1989年2月号→柄谷行人『ダイアローグIV 1987-1989』第三文明社、1991.12 ●「浅田彰クロストーク89⑨」(富岡多恵子との対談)、『朝日ジャーナル』1989年2月3日 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(4)」、『GORO』16(4)、通巻353号、1989年2月9日号 ●「ゴダール「右側に気をつけろ」 善悪の彼岸に“曙光”」『朝日新聞』朝刊1989年2月20日→改題「映画の始まり、映画の終わり」、『映画の世紀末』新潮社、2000 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(5)」、『GORO』16(5)、通巻354号、1989年2月23日号 ●「久和ひとみのWhat’s New経済 世紀末時代の読み方:ポストモダンの次に来るもの」(聞き手:久和ひとみ)、『経済セミナー』1989年2月号 ●「高密度集積絵画-バイルレの 日本 」、海上雅臣編『トーマス・バイルレ「高密度集積絵画」』UNAC TOKYO、1989.2 ●「「おタク」の言葉遊びは決して小説にはなりえないという残酷な事実」、『ブックレビュー01 誘う書評・闘う書評』弓立社、1989.3 :他の執筆者は鶴見俊輔・金井美恵子・関川夏央・松山巌・川本三郎など ●「浅田彰クロストーク89⑩」(中森明夫との対談)、『朝日ジャーナル』1989年3月3日 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(6)」、『GORO』16(6)、通巻355号、1989年3月9日号 ●「徹底討議 パワフル・リテラチャー:世界帝国の文学」(佐藤良明・巽孝之との座談会)、『ユリイカ』1989年2月号「特集=ピンチョン:現代アメリカ最大の問題作家」→改題「トマス・ピンチョン:世界帝国アメリカの文学」、『20世紀文化の臨界』青土社、2000 ●「メランコリーはもっとも高貴な感情である」(ヴァレリー・アファナシエフへのインタヴュー、1989.3.31.)、『Marie Claire』1989年7月号→ヴァレリー・アファナシエフ、平野篤司・明比幸生・飯沼隆一編訳『音楽と文学の間』論創社、2001 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(7)」、『GORO』16(7)、通巻356号、1989年3月23日号 ●「浅田彰クロストーク89⑪」(中井久夫との対談)、『朝日ジャーナル』1989年4月7日 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(8)」、『GORO』16(8)、通巻357号、1989年4月13日号 ●「アンゼルム・キーファー:ドイツからのマイスター」、『美術手帖』1989年4月号「特集=アンゼルム・キーファー」 ●「共同討議 〈近代の超克〉をめぐって:関係の内面化状況から浮上する〈日本〉という無根拠な自信」(廣松渉・市川浩・柄谷行人との座談会)、『季刊思潮』no.4、1989.4→柄谷行人『シンポジウム』思潮社、1989 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(9)」、『GORO』16(9)、通巻358号、1989年4月27日号 ●「浅田彰クロストーク89⑫」(Sylvère Lotringerとの対談)、『朝日ジャーナル』1989年5月5-12日号→改題「アメリカは退屈で死に、日本は虚無をぬくぬくと生きる:シルヴェール・ロトランジェとの対話」、『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(10)」、『GORO』16(10)、通巻359号、1989年5月11日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(11)」、『GORO』16(11)、通巻360号、1989年5月25日号 ●「死の天使:メイプルソープのための夜の祈り」、『美術手帖』1989年6月号「追悼 Robert Mapplethorpe:The Death of an Angel」 ●「現代建築の変容」(黒川紀章との対談)、『建築文化』1989年6月号「特集=黒川紀章:意味の生成へ」→黒川紀章『建築論II-意味の生成へ』鹿島出版会、1990 ●「」、『03 ゼロサン:TOKYO Calling』0号(創刊準備号)、1989.6 ●「浅田彰クロストーク89⑬(完)」(Ingo Guntherとの対談)、『朝日ジャーナル』1989年6月2日号→改題「芸術とは、別の手段による戦争の継続である:インゴ・ギュンターとの対話」、『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(12)」、『GORO』16(12)、通巻361号、1989年6月8日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(13)」、『GORO』16(13)、通巻362号、1989年5月25日号 ●「対談 フランス革命二百周年」(樺山紘一との対談)『読売新聞夕刊』1989.07.13 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(14)」、『GORO』16(14)、通巻363号、1989年7月13日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(15)」、『GORO』16(15)、通巻364号、1989年7月27日号 ●「共同討議 昭和批評の諸問題1925-1935」(柄谷行人・蓮實重彦・三浦雅士との座談会)、『季刊思潮』no.5、1989.7→柄谷行人編『近代日本の批評:昭和篇上』、福武書店、1990→『近代日本の批評I:昭和篇上』講談社文芸文庫、1997. ●「建築とディコンストラクション」(磯崎新・柄谷行人の対談に司会として参加)、『季刊都市』no.1、1989.7「特集=ポスト・ポストモダン都市」、河出書房新社→柄谷行人『ダイアローグIV 1987-1989』第三文明社、1991.12 ●「ポスト-ポストモダン都市への導入」、『季刊都市』no.1、1989.7「特集=ポスト・ポストモダン都市」、河出書房新社 ●「無根拠な自信に拠って責任とる発言する仕事」、ピースボート99編『なれるものなら、なってみな:就職“絶望”講座』第三書館、1989.9 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(16)」、『GORO』16(16)、通巻365号、1989年8月10日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(17)」、『GORO』16(17)、通巻366号、1989年8月24日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(18)」、『GORO』16(18)、通巻367号、1989年9月14日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(19)」、『GORO』16(19)、通巻368号、1989年9月28日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(20)」、『GORO』16(20)、通巻369号、1989年10月12日号 ●「解説」、アナ・バラッド『アナ・バラッド写真集』ペヨトル工房、1989.10 ●「共同討議 昭和批評の諸問題1935-1945」(柄谷行人・蓮實重彦・三浦雅士との座談会)、『季刊思潮』no.6、1989.10→柄谷行人編『近代日本の批評:昭和篇上』、福武書店、1990→『近代日本の批評I:昭和篇上』講談社文芸文庫、1997. ●「反資本主義ハイパーリアリズム:ハンス・ハーケの抵抗」、『美術手帖』1989年10月号「反資本主義ハイパーリアリズム:ハンス・ハーケとイアン・ハミルトン・フィンレイ」 ●「「死んだ美女」が甦える場所」(渡邊守章との対談)、『文學界』1989年10月号「特集=オペラの愉楽」 ●「認識論的革命との出合い」(津田一郎との対談)、『科学朝日』1989年10月号「特集=カオス:予測を拒絶する世界」 ●「精妙ナル死体」、『華麗なる魅惑を求めて CLASSIC』CBSソニー、1989.10.8 ●「武満徹の<歌>」、『ミュージングゾーンⅠ 武満徹作品集』フォンテック、1989.10.25 ●「原点へ戻るとき:安易な「西欧近代の普遍主義」を排して」(柄谷行人・関曠野との座談会)、『朝日ジャーナル』1989年12月25日緊急増刊号「「東欧」大爆発:「壁」以後の世界と日本」 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(21)」、『GORO』16(21)、通巻370号、1989年10月26日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(22)」、『GORO』16(22)、通巻371号、1989年11月9日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(23)」、『GORO』16(23)、通巻372号、1989年11月23日号 ●「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム(24)」、『GORO』16(24)、通巻373号、1989年12月14日号 ●「A BOLT OUT OF THE BLUE」、『RAIKA Headquarters Building Process by Tadao Ando』株式会社ライカ、1989 1988← →1990
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●「イルカの本」編集部編『浅田彰 「知」のアイドルの研究読本』プレジデント社 1984.7 目次 栗本慎一郎「命題なき練習問題:でも遊びだから許してやろう」 中上健次「スコイデスネーッ浅田クン」 小此木啓吾「「浅田彰現象」と私」 四方田犬彦「イントロデュース 浅田彰」 山口昌男「浅田君も三浦和義さんもメディアを翻弄して道化てる」 浦達也「浅田彰と同世代」 林真理子「アキラちゃんの魅力」 中島梓「教科書のような『構造と力』がなぜベストセラーなのか!?」 宮迫千鶴「近代的世代論の終焉」 笠井潔「浅田彰という装置」 高島直幸(高島直之の誤植か)「知識人の意志とその運命」 高橋洋児「金銭的相姦論:あるいはズラしのテクニック」 松浦寿夫「速度神経症批判」 征木高司「引用の〈レッド・ライオン・スクウェア十七番地製〉壁紙として」 上杉清文「惑星と無料:思想好きなあなたに」 小阪修平「『構造と力』『逃走論』を読み解く キーワード43」 ●新日本出版社編集部編『ニューアカデミズム:その虚像と実像』新日本出版社、1985.6
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1990← →1992 1991 ●「喧嘩し合うカルチャーが欲しいわれらが日本:現状容認からの脱却が急務」(山口二郎との対談)、『エコノミスト』1991年1月8日号 ●「共同討議 明治批評の諸問題1868-1910 国民国家の形成の「文学」という制度」(柄谷行人・蓮實重彦・野口武彦・三浦雅士との座談会、1991.1.17.)、『批評空間』no.1、1991.4→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992→『近代日本の批評III:明治・大正篇』講談社文芸文庫、1997 ●「ルイジ・ノーノの〈墓〉に思う」、『朝日新聞夕刊』1991年4月01日 ●「ダイアローグ 〈ライブチャンネル〉」(蓮實重彦との対談。1991.3.1)、浅田彰・伊藤俊治・彦坂裕企画、『インターコミュニケーション 91:電話網の中の見えないミュージアム』NTT出版、1992.3→改題「野蛮さについて 深夜のダイアローグ」、蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994.4 ●「新日本論の視座」(安藤忠雄との対談)、『週刊ポスト』1991年3月15日号 ●「新日本論の視座」(柿沢弘治との対談)、『週刊ポスト』1991年3月29日号 ●「現代批評史ノート」(単行本化のための書き下ろし)、柄谷行人編『近代日本の批評:昭和篇下』福武書店、1991→『近代日本の批評II:昭和篇下』講談社文芸文庫、1997 ●「編集後記」、『批評空間』no.1、1991.4 ●「共同討議 大正批評の諸問題 1910-1923:差異=他者の不在と「普遍的観念論」」(柄谷行人・蓮實重彦・野口武彦・三浦雅士との座談会、1991.3.20.)、『批評空間』no.2、1991.7→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992→『近代日本の批評III:明治・大正篇』講談社文芸文庫、1997 ●「メディア・ランドスケープの地質学:J.G.バラードとの対話」、『03 ゼロサン:TOKYO Calling』18号、1991.5、「特集=革命的ファッションの逆襲:世界でひとつの自分だけのスタイルを求めて」→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999 ●「デミウルゴスとしてのANYONEの肖像:討議のためのメモランダム」(磯崎新との共著)、『批評空間』no.2、1991.7→「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」、浅田彰・磯崎新監訳『批評空間臨時増刊号 Anyone』福武書店、1992→増補改訂版、浅田彰・磯崎新監訳『Anyone:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7 ●「編集後記」、『批評空間』no.2、1991.7 ●「A…討議…1」(Jeffrey Kipnis・磯崎新・Jacques Derrida・Mark C. Taylorとの座談会、1991.6.後藤和彦訳、浅田彰監訳)、浅田彰・磯崎新監訳『批評空間臨時増刊号 Anyone』福武書店、1992→増補改訂版、浅田彰・磯崎新監訳『Anyone:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7 ●「A…討議…2」(Mark C. Taylor・Anthony Vidler・Peter Eisenman・シルヴィア・レイヴィン・アン・バーグレ・Jacques Derridaとの座談会、1991.6.矢口裕子訳、浅田彰監訳)、浅田彰・磯崎新監訳『批評空間臨時増刊号 Anyone』福武書店、1992→増補改訂版、浅田彰・磯崎新監訳『Anyone:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7 ●「共同討議 「近代日本の批評」再考 第三項の崩壊と母系制への回帰」(柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士との座談会、1991.7.26.)、『批評空間』no.3、1991.10.→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992→『近代日本の批評III:明治・大正篇』講談社(講談社文芸文庫)、1998 ●「ベンヤミン、越境の果ての死」、『03 ゼロサン:TOKYO Calling』19号、1991.6、「特集=緊急指令065257号 越境せよ!:OUT OF BORDER」 ●「ゲイ・ムーブメントのために」(アカーのイヴェントにて)、『インパクション』vol.71、1991.8、アカー(動くゲイとレズビアンの会)責任編集「特集=ゲイ・リベレーション」 ●「共同討議 湾岸戦争以後 帝国主義の第三段階とポストモダニズム」(Frederic Jameson・柄谷行人との座談会、1991.8.9.)、『批評空間』no.4、1992.1.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997 ●「Human Architecture Holon:21世紀の人間・建築・都市」(聞き手:鈴木隆之・大林組本店設計部員)、『建築と社会』1991年10月号「特集=大林組創業100年記念」 ●「編集後記」、『批評空間』no.3、1991.10. ●Slavoj Zizek「共同インタビュー スラヴォイ・ジジェク氏に聞く:スターリンからラカンヘ」(聞き手:浅田彰・岩井克人・柄谷行人、田崎英明訳、1991.11.5.)、『批評空間』no.6、1992.7.「特集=スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性」→柄谷行人編『シンポジウムIII』太田出版、1998.6 ●「編集後記」、『批評空間』no.4、1992.1 ●ピーター・グリーナウェイ「FRAGMENTS フラグメンンツ」(聞き手・訳:浅田彰)、『WAVE』no.29、1991、「特集=グリーナウェイ+ナイマン」 1990← →1992
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目次作成は薔薇十字制作室:はてな出張所とMIL BOOKSを参考にした。 GS 1984.6-1988.9 日経イメージ気象観測 1987.7-1994.3 季刊思潮 1989.1-1990.4 季刊都市 1989.7-11 vol.1-3← →日経イメージ気象観測 →季刊思潮 →季刊都市 GS・たのしい知識、vol.4-7 1986.12-1988.9 第II期vol.4、1986.12「特集=戦争機械」 第II期vol.5W、1987.4「特集=電視進化論」 第II期vol.5 1/2、1987.6「特集=ジュネ・スペシャル」 第II期vol.6、1987.11、「特集=トランス・アメリカ/トランス・アトランティック」 第II期vol.7、1988.9、「特集=神国・日本」 第II期vol.4、1986.12「特集=戦争機械」 浅田彰・生井英考・武邑光裕・細川周平責任編集 発行所:UPU、表紙・目次デザイン・本文レイアウト:戸田ツトム 本号より浅田彰・生井英考・武邑光裕・細川周平の責任編集となって、第二期スタート。 田中敏彦「戦争機械と国家装置:ドゥルーズの方法について」 小沢秋広「遊牧民論:戦争機械:その内在的側面から」 Férix Guattari・Paul Virilio・Alain Joxe・Giairo Daghini「ニュークリア・ステート」(*1)(浅田彰・市田良彦・中島ひかる訳) Paul Virilio・Sylvere Lotoringer「純粋戦争」(*2)(細川周平訳) 〔→『純粋戦争』UPU(GS叢書)、1987.12〕 Paul Virilio「彼岸の戦略」 Paul Virilio「根源的アクシデント」 Paul Virilio「戦争における非物質的なもの」 Paul Virilio「映画館『フェルン・アンドラ』」 Paul Virilio「未来主義とファシズム」 浅田彰「ジーバーベルクを見るドゥルーズ」 ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク「『ヒトラー』をめぐる最後の旅」 四方田犬彦「ジーバーベルクの余白に」 ジャン=ズィータ・グローヴァ「アイロニーのカレイドスコープ」 市田良彦編「《地図》 「テロリズム」のリビドー経済学」 市田良彦「戦争と平和、あるいは、ジュネがマオに接吻する」 アレクサンドル・コジューヴ「戦争の完了についての二つのノート」 丹生谷貴志「歴史の完了と戦争」 樫村晴香「彼岸の強者と此岸の死者:法と自然0」 花村誠一「師・金属・分裂病:もう一つのカタトニア論」 宇野邦一「ロレンスの戦い」 山名哲史「「合理的戦争人」の誕生:戦うクラウセヴィッツから恋するヒトラーへ」 丸山浩行「ハルマゲドン・シンドローム:黙示録的終末観による知への抑圧」 彦坂裕「死の幾何学:俯瞰マニアと錯乱のグラフィズム」 三宅理一「ヴォーバン」 J. G. Ballard「二十世紀の神話創造者」 William S. Burroughs「『ザ・ワイルド・ボーイズ』」(*3) William S. Burroughs「マインド・ウォー」 William S. Burroughs「国家の安全保障のために」 William S. Burroughs「新しき蛙よ、目覚めよ!」(聞き手:Daniel Odier)(*4)(藤原えりみ訳) William S. Burroughs「皆殺し作戦」(聞き手:Sylvere Lotoringer) ジェラール=ジョルジュ・ロメール「異形態の戦い/疫病/ノヴァ」 William S. Burrough「『残虐行為展覧会』への序文」 J. G. Ballard「インタビュー 真実を見出すこと、あるいは精神の戦場」(聞き手:ジュノ&ヴェイル) Jonathan Crary「J=G・バラード 散乱する形態」(*5)(?訳) 志賀隆生「P=K・ディックと戦争機械」 文:三上晴子、写真:英隆「BADART FOR BAD PEOPLE」 ゾーイ・ソファ「絶滅の装置としての胎児 妊娠中絶・軍縮および地球外主義の性ー記号論」 大原まり子「人工身体 イメージの器」 藤井雅実「脱臼と共振:美術・機械の乱流」 ジェネシス=P・オーリッジ「VIDEO WAR」 菅村雅信「ZTT 音波のコカコーラ・ボトラーズ」 ポール・テイラー「ミックス・マスターズ」 フランク・オーウェン+キャロライン・フランク「ポスト・モダニズム AからZまで」 ノーマン=O・ブラウン「炎之巻」 中村忠男「ガンダルヴァの風系 森には入ってゆくいくつかの方法について a Minotauros et Kentauros」 クロード=レヴィ・ストロース「南アメリカのインディアンおける戦争と交易」 ピエール・クラストル「暴力の考古学」パラメーターを正しく指定してください。 柄谷行人「「方法序説」への註釈」 狂言回廊 御輿振り その中世的表象 山本ひろ子 佐藤良明「英語基本動詞研究4 スターティング・オーバー編」 第II期vol.5W、1987.4「特集=電視進化論」 浅田彰・武邑光裕責任編集 発行所:UPU、編集スタッフ:萩原富雄・窪田由美・田村洋子・横田紀子 ※ 付記や備考のように文章コラージュや短文が破格のスタイルで挿入されており、また翻訳選択が誰によるものなのかが明確になっているので、通常は邦訳解説として明記しない短文等も含め、本号の目次は緻密に辿ることにした。タイトルのない短文は「無題」と表記し、書き出し文章をカッコ内に提示した。一部は書き出しのしばらく後の箇所だが(無題(「わたしのお気に入りヴィデオ」で・・・))、それは目次の表記にしたがっている。 挟み込まれた紙:浅田彰「〈電視進化論〉附記」 電視進化論 武邑光裕「無題(ニューヨークのパブリックTV局であるWNETの建物は……)」、p.1 Jonathan Crary「スペクタクルの蝕」(*6)(浅田彰・市田良彦訳)、pp.2-13 浅田彰「無題(気鋭の美術史家・評論家であり、ZONEの編集委員でもあるジョナサン・クレーリーについては……)」、p.12 Paul Virilio「潜在的イメージ」(*7)(菅啓次郎訳)、pp.14-16 Paul Virilio・Jean-Paul Fargier「スピード=映画(シネマ)」(*8)(菅啓次郎訳)、pp.16-21 Jean-Paul Fargier・Don Foresta「ヴィデオは決して偶然を廃棄しないだろう」(*9)(千葉茂隆訳)、pp.22-25. pdf 四方田犬彦「ファルジエの余白(マルジュ)に」、p.24 Marc Guillaume「われわれを身体から解放せよ」(*10)(牧田弥訳)、pp.25-29 浅田彰「無題(1940年に南仏で生まれ、パリで経済学を学んだマルク・ギヨームは……)」、pp.26-28 Umberto Eco「TV:失われた透明性」(*11)(山本敦子訳)、pp.29-39. «TV la transparence perdue» 細川周平「無題(ウンベルト・エーコ(1932-)は、『記号論』をはじめ……)」、pp.35-38 Raymond Bellour「ヴィデオ・ユートピア:その前衛的存在あるいは非存在」(*12)(加川順治訳)、pp.39-45. cf. Bill Viola Bibliography 浅田彰「無題(マスメディアとしてのTVに対抗して自らを規定し……)」、pp.44-45 山崎浩一「白いブラウン管から恋人の瞳を射る日」、pp.46-47 手塚眞「もっとも過激な映像としてのTV」、pp.47-49 鈴木布美子「TVの映画的不幸をめぐる幸福な物語」、p.49 浅田彰「新しい画像技術、新たなネットワーク」、pp.50-51 Edmond Couchot「画像のデジタル合成」(*13)(菅啓次郎訳)、pp.52-57. html Edmond Couchot「ハイブリッド化」(*14))(菅啓次郎訳)、pp.57-61 Edmond Couchot「リアル・タイムを求めて」(*15)(菅啓次郎訳)、pp.61-66. cf. Edmond Couchot Bibliography 浅田彰「無題(エドモン・クーショはデジタル技術の視覚芸術への応用を追求する研究者であり……)」、pp.65-66 浅田彰「スクリーンから電脳都市へ:ドゥルーズ『映画』を読む」、pp.67-71 Christine Tamblyn「リン・ハーシュマンの物語的反物語」(*16)(幾島幸子訳)、pp.72-77 Luca Muscarà「インターラクティヴ・パソロジー」(*17)(山田和子訳)、pp.76-80 四方田犬彦「無題(Jean-Luc says, Cinema and video are just as Cain and Abel.....)」、p.81 四方田犬彦「はじめてヴィデオ・カメラを手にした年少の友人によせる手紙」、pp.82-83 三浦明彦「長い人生の伴侶にTVゲームをどうぞ」pp.84-89、 浅田彰「無題(先日ロバート・エイブルと会ったとき、彼が語っていたアイディアの一つは…・・・)」、pp.87-89 武邑光裕「マックス・ヘッドルーム」、pp.90-91 浅田彰「無題(マックス・ヘッドルームが日本のTVにチラリとお目見えしたのは……)」p.91 Dorothée Lalanne「チャンネル4:制約なきチャンネル」(*18)(千葉茂隆訳)、pp.92-93 Kathleen Hulster「主張をもったテレヴィジョン:イギリスのチャンネル4」パラメーターを正しく指定してください。(山田和子訳)、pp.94-97 Kathleen Sturken「TVラブWNET」(*19)(山田和子訳)、pp.97-100 Susan Dowling「WGBH/ニュテレヴィジョン・ワークショップ」(*20)(山田和子訳)、pp.101-103. html, pdf Joanne Kelly「ナショナルセンター・フォー・エクスペリメンツ・イン・テレヴィジョン」(*21)(山田和子訳)、pp.103-104 武邑光裕「パブリック・アクセス・アーキテクチャー:マンハッタン・ケーブルTVとメディア・フロンティア」、pp.105-113 武邑光裕「無題(アメリカにおける大都市のフランチャイズ(放送権公的認可)を求める動きは……)」 武邑光裕「サテライト・ネットワーク」、pp.114-115 浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」、pp.115-117 「日本側は三宅一生氏や横尾忠則氏も」「ナムジュン・パイクの「瞬間地球芸術」がおもしろい!」(『東京新聞』1986年9月17日号、『週刊ポスト』1986年11月7日号から抜粋)、pp.115-117 Hal Foster「TV:その二つの部分」(*22)(藤原えりみ訳)、pp.118-119 Gretchen Bender「政治的娯楽」(*23)(藤原えりみ訳)、pp.119-120 川崎徹「TVについて」、pp.121-122 いとうせいこう「「わたしに躓かぬものはさいわいである」とファミコンは言った」、pp.122-123 宮沢章夫「壷の鑑賞」、pp.124-125 James M. Welsh「TVにおける核の意識」(*24)(山田和子訳)、pp.126-133. cf. Rose Bene, «Book Review. Transmission, edited by Peter D’Agostino and {Using Computers Human Factors in Information Systems by Raymond S. Nickerson», Canadian Journal of Educational Communication, vol.16-no.3, Summer 1987, pp.271-275. 浅田彰「無題(『ザ・ウォー・ゲーム』についてはすでに羽仁進が……)」、pp.132-133 Peter C. Rollins「テレヴィジョンのヴェトナム」(*25)(岡本直也による抄訳)、pp.134-140. cf. Pay-to-Download site Jean-Paul Fargier「はめ込まれた人間」(*26)(千葉茂隆訳)、pp.140-142 John Wyver「TVとポスト・モダニズム」(*27)(尾河直哉訳)、pp.142-145 Jefferson Humphries「官能的(セクシー)な雑種性」(*28)(小沼純一訳)、pp.146-149 浅田彰「無題(ミュージック・ヴィデオがヴィデオ・アート自体にもたらした……)」、p.147 浅田彰「無題(前作『スレイヴ・トゥ・ザ・リズム』でトレヴァー・ホーンとともに〝はやい資本主義″と″きらめくテクノロジー″の頂点を極めた感のあるグレーズ・ジョーンズだが……)」、p.148 浅田彰「無題(ミュージック・ヴィデオの中から出てきたもっとも興味深い成果は……)」、p.149 浅田彰「ここまできたTVシミュレーション」、pp.149-151 桑原茂一「確かに恐ろしかった。だけど、それじゃ僕たちはいったいどうすればいいんだ。」、pp.151-152 浅田彰「無題(「わたしのお気に入りヴィデオ」でベスト5のひとつに『グレン・グールド:ピアノ演奏の秘密』を挙げた僕……)」、pp.152-152 浅田彰「無題(同じく音楽を扱っても、フランスのヴィデオ・アーティスト、ロベール・カーンの手法は……)」、p.153 生井秀考「暗殺」、pp.154-156 「無題(それらの光のひとつひとつは交互に……)」(クロード・シモン『盲いたるオリオン』〔平岡篤頼訳、新潮社、1976〕からの抜粋)、pp.155-156 「TVカメラの前で短銃自殺」(『朝日新聞』1987年1月23日号から抜粋)、p.156 浅田彰「TVアクシデントの時代に絵画はいかにして可能か」、p.156 浅田彰「無題(いくつかの顔を重ね合わせて、新しい顔を合成する。……)」、pp.157-159 William A. Ewing「ナンシー・バーソン」(*29)(尾河直哉訳)、p.158 「無言の政見放送始まる」(『朝日新聞』1986年6月24日号からの抜粋)、p.159 大竹伸朗「奥村チヨはモノクロTVにナイロビの光を見たか:炭坑編」、pp.160-161 野阿梓「「テレビくん」の記憶」、pp.161-163 大原まり子「テレヴィジョン」、pp.163-164 香山リカ「分裂病者の時代は終わった」、pp.165-167 Martha Gever「ミート・ザ・プレス:「ペーパー・タイガー・テレヴィジョン」についての覚書き」(*30)(旦敬介訳)、pp.168-176 「マーナ・ベインが『エボニー』を読む」、pp.172-176 高橋周平「TV風化の時代」、pp.177-179 浅田彰「ヴァズルカ:映像の政治学」、p.180 三上晴子「[写真] 核戦争ノ前ニ精神病ニナッタTV貝塚」 (見開き頁内、頁数記載なし) 武邑光裕「CGアスペクト:SIGGRAPH ‘86」 (見開き頁内、頁数記載なし) 宮島達男・Koen Theys「作品」 (見開き頁内、頁数記載なし) 浅田彰「無題(クリス・デルコンに今もっとも注目するベルギーのヴィデオ作家はと尋ねたら……)」 (見開き頁内、頁数記載なし) TV進化論 TV EVOLUTION vol.5Wとあるように、本号は雑誌『W-Notation』(UPU)と同じく表表紙から始まる縦組文章と、裏表紙から始まる横組文章を合わせた造本になっており、前者が「電視進化論」、後者が「TV EVOLUTION」となっている。 浅田彰「無題(去年の12月11日、パリのポンピドゥー・センターで……)」、p.1 浅田彰「TVEV MANIFEST」、pp.2-3 構成:浅田彰・義江邦夫「TVEV LIVE TV WAR ADELIC PENGUINS」、pp.4-5 原田大三郎「TVEV BROADCAST」 「COMPUTER EVOLUTION」(ナレーター:浅田彰、製作:SEDIC)、pp.8-33 制作ノート ?(EY)「ディジタル・ポートレート制作の手引き」、p.12 ※目次欄では「制作ノート」の執筆者として他に小高忠男、泉秀樹が上がっているがイニシャルが一致しない。 石原恒和(TI)「レクチャーパートのヴィデオ表現について」、p.12 石原恒和(TI)「マルチウィンドウ形式のヴィデオ表現について」、p.14 倉繁宏輔(KK)「天然知能と周辺機器」、p.16 神谷良一(RK)「ディスプレイ上に青白く輝くあの頭部データはどうも半生命状態にあるらしい」、p.18 石原恒和(TI)「浅田彰氏の声のベクトルスコープ」、p.20 石原恒和(TI)「CTスキャナー撮影裏話」、p.24 桝山寛(HM)「虫歯と副鼻腔」、p.26 三浦明彦(AM)「ライフゲームに愛を込めて」、p.28 桝山寛(HM)「AA アズ マテリアル」、p.30 毛利嘉考(YM)「編集というのは不思議な作業です」、p.32 「浅田彰頭部三次元データ再構成の実際」、pp.34-35 「TECHNO EVOLUTION」 『われわれ人間はなぜかくもテクノロジーを愛するか』(鈴木圭介・浅田彰訳、翻訳協力:三宅晶子・細川周平)、pp.36-57 浅田彰「無題(このタイトルは、正確に言うと……)」、p.38 浅田彰「無題(下の図、ヤン・ファン・アイクの……)」、p.40 浅田彰「無題(こうして収穫された夥しいキス・シーンは……)」、p.40 武邑光裕「Why We Men Love Technology So Much制作の背景」、p.42, p.44 Stefaan Decostere・Chris Dercon「Catastrophe the new Museum制作ノート」(武邑光裕訳)、p.44 注 近年のデルコンについては、cf. Chris Dercon, «The Meseum Concept is not Infinitely Expandable?», 金沢21世紀美術館研究紀要『R』no.1、2002、pp.22-27[鷲田めるろ訳「美術館の概念は無限に拡張可能ではない?」、同書、pp.16-21] 浅田彰「無題(『カイエ・デュ・シネマ』の別冊「ヴィデオはどこへ行くのか?」の編集にあたったジャン=ポール・ファルジエは……)」、p.46 Paul Virilio「ヴィリリオはヴィデオがお好き」(*31)(聞き手:Jean-Paul Fargier)(加川順治による抄訳)、p.46, p.48 浅田彰「クラウス・フォン・ブルッフ・ヴィデオグラフィー」、p.48, p.50, p.52 浅田彰「メーヘレンについて」、p.52 浅田彰「クリス・デルコン」、p.52, p.54 浅田彰「無題(壮大な夜の天空の絵で有名なジャック・ゴールドスタインが……)」、p.54 Douglas Crimp「ジャック・ゴールドスタイン」(*32)(山田和子による抄訳)、p.54, p.56 「BAROQUE EVOLUTION」 ヴィデオ映像「柄谷行人「鏡・ヴィデオ」」、pp.61-62 ヴィデオ映像「磯崎新「電子の迷宮」」、pp.63-65 ヴィデオ映像「現代の地獄 『HELL』」、pp.66-67 ヴィデオ映像「F. ガタリ「ポスト・メディア」」(ホームヴィデオによる撮影:Joséphine Guattari、川竹英克訳)、pp.68-73 田口賢司「Making of TVEV」、p.72, p.74, p.76 ヴィデオ映像「柄谷行人「デカルトと精神」」、pp.75-76 「スタッフ一覧」、p.78 注 ジョゼフィーヌ・ガタリ Joséphineはしばしば文献によりジョセフィーヌあるいはジョゼフィーヌと記され、表記が安定していない。本号ではジョゼフィーヌと表記されている。なお、同時期のガタリに関連した映像として、「La Borde Clinic Residents with Felix GUATTARI TANAKA Min(ラボルド・クリニックの一日:住人のみなさんとF・ガタリ&田中泯)」(produced by Joséphine Guattari, edited by Francois Pain, 1987)があり、2008.3.29.-30.にはヴィデオ所有者である田中泯の提供によって、日本初公開が実現した(東京藝術大学にて、「ネグリさんとデングリ対話」主催)。ジョゼフィーヌ・ガタリについては、粉川哲夫・杉村昌昭「対談 思想の発生現場」(粉川哲夫編訳『政治から記号まで:思想の発生現場から』インパクト出版会、2000.5、pp.101-150)で多少触れられている。cf. 攝津正による抜粋 また、配布解説文の抜粋だろうか、ネグリによる言及文章がある。イルコモンズ▼「ラボルド・クリニックの一日」 3月29日(土)17 00-、30日(日)17 00- 第II期vol.5 1/2、1987.6「特集=ジュネ・スペシャル」 浅田彰責任編集 発行所:UPU、本文タイトル・目次写植印字:駒井靖夫、編集スタッフ:荻原冨雄・窪田由美・田村洋子・横田紀子 語るジュネ Jean Genet「レンプラントの秘密」(松浦寿夫訳) Jean Genet「シャルトルの大聖堂〈透視俯瞰〉」(鵜飼哲訳) Jean Genet「インタビュー1964」(諏訪部仁訳) Jean Genet+フーベルト・フィヒテ「インタビュー1975」(増田成子訳) Jean Genet+ライラ・シャヒト+リュディガー・ヴィッシェンバルト「インタビュー1983」(梅木達郎訳) Jean Genet+セルジュ・ソブツィンスキー「インタビュー1985(坂原真理訳) 舞台上のジュネ 浅田彰・渡邊守章「舞台の上の政治学 1986年11月24四日京都大学」 渡邊守章「演劇と祝祭~「バルコン~革命夜話幻想館」公開稽古における解説 1983年3月4日スタジオ200」 クロード・モーリヤック「もうひとつのまなざし ジャン・ジュネの映画作品に加えられた24年間の上映禁止」(尾形邦雄訳) ポール・テイラー+エイドリアン・マーティン「愛は何処に」(三尾徹訳) パレスチナのジュネ Jean Genet「ジュベル・フセインの女たち」(澤田直之訳) Félix Guattari「再び見出されたジュネ」(*33)(浅田彰・市田良彦訳) ルネ・ド・セカッティ「知恵の七剣」(川竹英克訳) Michell Deguy「ジャン・ジュネの”ピエタ” ミクロレクチュールの試み」(森田秀二訳) 四方田犬彦「母性と幻滅 ジュネの遺作『恋の囚人』をめぐって」 鵜飼哲「鏡のなかの神々 『恋の捕囚』の余白に」 市田良彦「象嵌術」 〔→改題、第2部「防御の唯物論とテロルの観念論」第5章「薔薇を象嵌するゲリラたち」、『闘争の思考』人文書院、1993.6〕 Gilles Deleuze「ヤセル・アラファトの偉大」(丹生谷貴志訳) アブデルケビル・ハティッヒ「反ユダヤ主義とシオニズムを超えて」(澤田直之訳) マフムード・ダルウィッシュ「パレスチナ人であるという狂気」(生方淳子訳) クロード・モーリヤック「パリ、1972年12月15日金曜」(尾形邦雄訳) タハール・ベン・ジェルーン(Tahar Ben Jelloun)「ジュネとパレスチナ人」(澤田直之訳) Tahar Ben Jelloun「単独者の声」(澤田直之訳) Tahar Ben Jelloun「ジュネ沖へ逃げる」(澤田直之訳) 澤田直之「あらゆる言語の予期せざる客 タハール・ベン・ジェルーン」 ジュネを読み直す 宇野邦一「ジュネと非暴力」→?『ジャン・ジュネ:身振りと内在平面』以文社(以文叢書)、2004.3 梅木達郎「逃げ去るテクスト~サルトル/デリダ 二つのジュネ論をめぐって」 Jacques Derrida「造花の埋葬 『弔鐘(グラ)』から」(市田良彦編訳) 「1910~1986 Jean Genet CHRONOLOGIE」 砂の回廊 島田雅彦「愛のメエルシェトレエム」 朝吹亮二「密室論(縫)いあわす羊歯」 北川建次「ジャン・ジュネ頌」 石井辰彦「男の舌」 夏石番矢「薔薇色ノ霊歌」 松浦理英子「POP NAVEL POPPIN’ 優しい去勢のために3」 小沼純一「砂の反覆 ジャベスへの一アプローチ」 第II期vol.6、1987.11、「特集=トランス・アメリカ/トランス・アトランティック」 責任編集:生井英考・伊藤俊治・武邑光裕・石井康史・今福龍太・管啓次郎・旦敬介 発行所:UPU 第II期vol.7、1988.9、「特集=神国・日本」 責任編集:赤坂憲雄・武邑光裕・四方田犬彦 発行所:UPU vol.1-3←
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日経イメージ気象観測 1987.7-1994.3 季刊思潮 1989.1-1990.4 季刊都市 1989.7-11 批評空間 第1期 1991.4-1994.1 批評空間 第2期 1994.4-2000.4 日経イメージ気象観測 季刊思潮 季刊都市 →批評空間 第2期 目次作成は柄谷行人書誌情報 ■KARATANI-B■を参考にした。 『批評空間』第1期, 1991.4-1994.1 『季刊思潮』(1988-1990 思潮社)の後続季刊誌。 編集委員:浅田彰、柄谷行人、編集顧問:Paul Anderer(ポール・アンドラ)、Harry Harootunian(ハリー・ハルトゥーニアン)、市川浩、磯崎新、岩井克人、Frederic Jameson、Masao Miyoshi(マサオ・ミヨシ)、Edward Said、鈴木忠志 編集人:山村武善、発行人:福武總一郎、発行所:株式会社福武書店 no.1, 1991.4「特集=近代日本の批評」 no.2, 1991.7「特集=近代日本の批評」 no.3, 1991.10「特集=近代日本の批評 カント(再)発見」 no.4, 1992.1「特集=湾岸戦争以後 小説の論理あるいはフェミニティとモダニティ」 no.5, 1992.4「特集=江戸思想史への視点 ヘルダーリンとドイツ・ロマン派」 1992.6, 「臨時増刊号Anyone」 no.6, 1992.7「特集=スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性」 no.7, 1992.10「共同討議 植民地主義と近代日本」 no.8, 1993.1「共同討議 夏目漱石をめぐって」 no.9, 1993.4「特集=ネーションとナレーション」 no.10, 1993.7「特集=芸術の理念と〈日本〉」 no.11, 1993.10「特集=音声と文字/日本のグラマトロジー」 no.12, 1994.1「特集=中上健次をめぐって」 no.1, 1991.4「特集=近代日本の批評」 特集 近代日本の批評 ●浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 明治批評の諸問題1868-1910 国民国家の形成の「文学」という制度」(1991.1.17.) 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕 ●野口武彦「近代日本文学と「批評」の発見」 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕 ●柄谷行人「『日本近代文学の起源』再考」 ●小森陽一「近代批評の出発」 ●Paul de Man「時間性の修辞学 1:アレゴリーとシンボル」(*1) (保坂嘉恵美訳) ●Frederic Jameson「理論の政治学:ポストモダニズム論争におけるイデオロギー的立場」(*2)(鈴木聡訳) 〔第7章、鈴木聡・後藤和彦・篠崎実訳『のちに生まれる者へ:ポストモダニズム批判への途 1971‐1986』紀伊國屋書店、1993.5〕 ●子安宣邦「宣長・自己のイマーゴ:「宣長問題」の序章」 〔→第2章、改題「宣長・自己のイマーゴ」、『「宣長問題」とは何か』青土社、1995.11→ちくま学芸文庫、2000.12〕 ●山田広昭「ヨーロッパ精神と日本精神:「虚ろな合唱」をめぐる覚書」〔→『三点確保:ロマン主義とナショナリズム』新曜社、2001〕 ●村井紀「富永仲基:江戸のマイノリティ」 ●菊地誠「建築/シミュレーション/パースペクティブ」 ●井口時男「悪文の初志:椎名麟三論」〔→第3章、改題「貧しさの臨界:椎名麟三論」、『悪文の初志』講談社、1993.11〕 ●市川浩「根源からの呼びかけ:予兆を求めて1」 連載 ●岩井克人「貨幣論」1 〔→『貨幣論』筑摩書房、1993→ちくま学芸文庫、1998.3 ※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●松浦寿輝「虚空への上昇:エッフェル塔試論1」〔→『エッフェル塔試論』筑摩書房、1995→ちくま学芸文庫、2000.2 ※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●水村美苗「見合いか恋愛か:夏目漱石『行人』論1」 ●八束はじめ「スターリンの建築」1 〔→『ロシア・アヴァンギャルド建築』INAX出版(INAX叢書)、1993.11 ※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」1(鈴木晶訳) (Slavoj Žižek, The Sublime Object of Ideology, Verso, 1989. 〔鈴木晶訳『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社、2000〕) ●柄谷行人「編集後記」(1991.2.14.記)/ 浅田彰「編集後記」 no.2, 1991.7「特集=近代日本の批評」 特集 近代日本の批評 ●浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 大正批評の諸問題 1910-1923:差異=他者の不在と「普遍的観念論」」(1991.3.20.) 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕 ●蓮實重彦「「大正的」言説と批評」 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕 ●柄谷行人「「日本近代文学の起源」再考」 ●磯崎新・浅田彰「デミウルゴスとしてのANYONEの肖像:討議のためのメモランダム」 ●Jean-Luc Nancy「有限な歴史」(*3)(田尻芳樹訳) ●小林康夫「オルフェウス的投影:オペラの光学の誕生」〔→『表象の光学』未來社、2003〕 ●丹生谷貴志「「よく食べること」を巡るエスキース」〔→改題「よく食べること」、『ドゥルーズ・映画・フーコー』青土社、1996、増補新版、2007〕 ●野家啓一「物語行為と歴史叙述」 ●高橋悠治「共振・暦」2 完 ●水村美苗「見合いか恋愛か 夏目漱石『行人』論」2 完 ●市川浩「掌の中の宇宙:予兆を求めて2」 ●Paul de Man「時間性の修辞学2 アイロニー」完(保坂嘉恵美訳) 連載 ●岩井克人「貨幣論」2 ●松浦寿輝「技師と曲線:エッフェル塔試論2」 ●八束はじめ「スターリンの建築」2 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」2(鈴木晶訳) ●Thierry de Duve「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」1(*4)(松浦寿夫訳)〔→松浦寿夫・松岡慎一郎訳『芸術の名において:デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント』青土社、2001〕 ●柄谷行人「編集後記」/ 浅田彰「編集後記」 no.3, 1991.10「特集=近代日本の批評 カント(再)発見」 特集 近代日本の批評 ●浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 「近代日本の批評」再考 第三項の崩壊と母系制への回帰」(1991.7.26.) 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕 ●野口武彦「煩悶、高揚、そして悲哀:近代日本の「批評」の発見」 〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992〕 ●絓秀実「俗語革命と「詩(ポエジー)」:小説的モダニティの構造・序説」 〔→第1章、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4〕 ●小森陽一「近代批評の文体:北村透谷と斎藤緑雨」 ●川村湊「「植民地文学」と「大陸文学」:昭和批評の一側面」 ●小特集 カント(再)発見 ●Paul de Man「カントにおける現象性と物質性」(*5)(吉岡洋訳) ●Rodolphe Gasché(ロドルフ・ガシェ)「単なる視覚について」(吉岡洋訳) ●Gilles Deleuze「カント哲学を要約しうる四つの詩的表現について」(*6)(田中敏彦訳) ●子安宣邦「『古事記伝』・自己同一性の言説:美しき「口誦のエクリチュール」復元の幻想」 〔→第3章、改題「美しき「口誦のエクリチュール」:『古事記伝』への道3」、『本居宣長』岩波書店(岩波新書)、1992.5→岩波現代文庫、2001.7〕 ●村井紀「「遠野物語」の発生」 〔→第1部第3章「「遠野物語」の発生」、『南島イデオロギーの発生』〕 ●丸山洋志「「われわれ建築家」の「伝統」:ピーター・アイゼンマンの建築について」 連載 ●松浦寿輝「イメージ帝国主義の黎明:エッフェル塔試論3」 ●八束はじめ「スターリンの建築」3 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」3(鈴木晶訳) ●岩井克人「貨幣論」3 ●Thierry de Duve「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」2(松浦寿夫訳) ●柄谷行人「編集後記」(1991.8.10.記) / 浅田彰「編集後記」 no.4, 1992.1「特集=湾岸戦争以後 小説の論理あるいはフェミニティとモダニティ」 ●Frederic Jameson・浅田彰・柄谷行人「共同討議 湾岸戦争以後 帝国主義の第三段階とポストモダニズム」(1991.8.9.)〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●Paul de Man「ヘーゲルの崇高論」(*7)(吉岡洋訳) ●Edward Said「ジャン・ジュネの後期作品について」(*8)(鵜飼哲訳) ●Mark C. Taylor「死線:アナーキテクチュア(へ)の接近」(田尻芳樹訳) ●Rosalind Krauss「主の寝室」(*9)(篠原資明・小俣出美訳) 小特集 小説の論理あるいはフェミニティとモダニティ ●水田宗子「女性の自己語りと物語」 〔→第1章、改題「物語と反物語の風景:女性の自己語りと物語の行方」、『物語と反物語の風景:文学と女性の想像力』田畑書店、1993.12〕 ●小谷野敦「夏目漱石におけるファミリー・ロマンス」 〔→第1章、『男であることの困難:恋愛・日本・ジェンダー』新曜社、1997.10〕 ●千葉一幹「堕落そして天国への道:梶井基次郎における散文の成立」 〔→第2章、『クリニック・クリティック:私批評宣言』ミネルヴァ書房(ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉)、2004.6〕 ●岡崎乾二郎「信仰のアレゴリー:マニエリスム論序説」 〔→加筆、『ルネサンス:経験の条件』筑摩書房、2001〕 ●内野儀「〈いま・ここ〉に降り立つ:「絶対演劇」をめぐるノート」 ●竹沢尚一郎「日本神話とレヴィ=ストロース」 連載 ●八束はじめ「スターリンの建築」4 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」4(鈴木晶訳) ●岩井克人「貨幣論」4 ●柄谷行人「日本精神分析」1 ●絓秀実「現前性への模索 小説的モダニティの構造1」 〔→第2章、改題「「没理想論」のコンテクスト」、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4〕 ●柄谷行人「編集後記」(1991.11.12.記) / 浅田彰「編集後記」 no.5, 1992.4「特集=江戸思想史への視点 ヘルダーリンとドイツ・ロマン派」 ●柄谷行人・Harry Harootunian+Tetsuo Najita・酒井直樹・子安宣邦「共同討議 江戸思想史への視点 奇人と差異あるいは儒者のネットワーク」(1991.8.24.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●子安宣邦「「鬼神」のディスクール:儒家的知の位相」 ●宮川康子「《譬喩(トロープ)》の言語学:富永仲基「三物五類」の説」 ●浅田彰・渡辺守章・松岡心平「討議 世阿弥と連歌的想像力:『宴の身体』を出発点に」 小特集 ヘルダーリンとドイツ・ロマン派 ●Paul de Man「ハイデガーによるヘルダーリン釈義」(*10)(芳川泰久訳) ●Theodor W. Adorno「パラタクシス:ヘルダーリンの後期賛歌に寄せて」(高木昌史訳) ●Philippe Lacoue-Labarthe「ヘルダーリンをめぐる対話 フィリップ・ラクー=ラバルトに聞く」(聞き手・訳:守中高明) ●Philippe Lacoue-Labarthe「思弁的なるものの休止」(*11)(守中高明訳) ●Karl Heinz Bohrer(カール・ハインツ・ボーラー)「親離れする美学」(石光泰夫訳) ●矢代梓「ロマン主義と美的モデルネの可能性:カール・ハインツ・ボーラーの思索について 」〔→第2章、『ドイツ精神の近代』未來社、2000.3〕 連載 ●松浦寿輝「「怪物的なヤンキー」対「けちなギリシア人」:エッフェル塔試論4」 ●八束はじめ「スターリンの建築」5 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」5(鈴木晶訳) ●岩井克人「貨幣論」5 ●柄谷行人時「日本精神分析」2 ●野口武彦「三人称の発見まで」1 〔→『三人称の発見まで』筑摩書房、1994.6 ※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●絓秀実「国民的想像力のなかの「女」:小説的モダニティの構造2」 〔→第3章、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4 ※当連載記事の単行本化は以下略〕〕 ●渡部直己「差別とエクリチュール1 「破戒」への道」〔→第1章、『日本近代文学と〈差別〉』太田出版(批評空間叢書)、1994.6 1998.9※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●入澤康夫「わが詩法覚え書」1 ●柄谷行人「編集後記」(1992.1.21.記) / 浅田彰「編集後記」 1992.6, 「臨時増刊号Anyone」 第1回Any会議の記録。第2回からは、NTT出版からAnyシリーズとして出版される。本書の増補改訂版も後に増補版がNTT出版より出された。 ●磯崎新「Anyoneへの招待」 ●〈Anyone〉会議スケジュール/参加者略歴/謝辞 ●Cynthia Davidson「Anyイヴェントにおいて(=いずれにせよ)」(内野儀訳、浅田彰監訳) ●Jeffrey Kipnis「〈Anyone〉の三つの問題」(内野儀訳) ●Jeffrey Kipnis・柄谷行人・Jacques Derrida・Roberto Mangabeira Unger「哲学者のパネル」(内野儀訳) ●柄谷行人「個体の地位」(内野儀訳) ●Roberto Mangabeira Unger「建築の未来」(内野儀訳) ●Jacques Derrida「即興によるレクチャーの要約」(内野儀訳、浅田彰監訳) ●Fredric Jameson「匿名者たちのデモグラフィ」(後藤和彦訳) ●磯崎新・浅田彰「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」 ●Jeffrey Kipnis・磯崎新・浅田彰・Jacques Derrida・Mark C. Taylor「A…討議…1」(後藤和彦訳、浅田彰監訳) ●Daniel Libeskind「ANYONE? 腹話術師のためのテクスト」(後藤和彦訳、浅田彰監訳) ●John Rajchman「任意の存在でないことについて」(後藤和彦訳、浅田彰監訳) ●Francesco Dal Co「時間を考える」(後藤和彦訳) ●Rafael Moneo「クァルキエラ」(竹本憲昭訳) ●R.E. Somol「消失の主体」(竹本憲昭訳、浅田彰監訳) ●アン・バーグレン、John Rajchman・Peter Eisenman・Francesco Dal Co・Rafael Moneo・R.E. Somol・Ignasi de Solà-Morales「B…討議…1」(竹本憲昭訳) ●Mark C. Taylor「建築の主体」(竹本憲昭訳、浅田彰監訳) ●Rem Koolhaas「不安定な総体」(竹本憲昭訳) ●William Gibson「テクスト(ヴォ)イド」(上岡伸雄訳) ●Anthony Vidler・William Gibson・Mark C. Taylor・Rem Koolhaas・Jacques Derrida「A…討議…2」(上岡伸雄訳) ●Ignasi de Solà-Morales ルビオー「自律から無時間性へ」(末廣幹訳) ●Frank O. Gehry「フック、ライン、シグニチャー」(上岡伸雄訳) ●Maria Nordman「無限の開放性」(宮川雅訳) ●Peter Eisenman「作者の情動:情熱そして建築の時」(丸山洋志訳) ●Rosalind Krauss「格子(グリッド)の主題をめぐる六つの覚え書き」(矢口裕子訳、浅田彰監訳) ●Anthony Vidler「透明性」(宮川雅訳、浅田彰監訳) ●David「スタイル、イメージ、恣意性」(宮川雅訳、浅田彰監訳) ●Mark C. Taylor・Anthony Vidler・Peter Eisenman・シルヴィア・レイヴィン、アン・バーグレン、浅田彰・Jacques Derrida「A…討議…3」(矢口裕子訳、浅田彰監訳) ●手紙/追補 no.6, 1992.7「特集=スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性」 特集 スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性 ●浅田彰「導入にかえて:いまなぜジジェクか」 ●「共同インタビュー スラヴォイ・ジジェク氏に聞く:スターリンからラカンヘ」(聞き手:浅田彰・岩井克人・柄谷行人、田崎英明訳、1991.11.5.)〔→柄谷行人編『シンポジウムIII』太田出版、1998.6〕 ●Slavoj Žižek「精神分析に横断される哲学」(*12)(鈴木真理子訳) ●新宮一成「分裂病と他者の欲望」〔→第4章、『無意識の組曲:精神分析的夢幻論』岩波書店、1997.11〕 ●Paul de Man「ルードヴィヒ・ビンスワンガーと自己の昇華」(石田英敬訳) ●Jacques Derrida「ピーター・アイゼンマンへの手紙」(*13)(小林康夫訳) 〔→『Anyone 増補改訂版:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7、pp.248-259〕 ●Peter Eisenman「Post/El Cards:ジャック・デリダへの返答」(*14)(丸山洋志訳) 〔→『Anyone 増補改訂版:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7、pp.248-259〕 ●John Rajchman「錯綜:ピーター・アイゼンマンの建築」(*15)(上野俊哉訳) ●與謝野文子「機械の涙:和泉式部/イニゴ・デ・ロヲラ」 ●水村美苗「「男と男」と「男と女」:藤尾の死 夏目漱石「虞美人草」をめぐって」 ●山下悦子「明治文学と養子制度 夏目漱石をめぐって」 ●芳川泰久「熱力学的ディスクール 漱石的小説風景の変換のために」〔→第2章、『漱石論:鏡あるいは夢の書法』河出書房新社、1994.5〕 連載 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第2部=他者の欠如」6(鈴木晶訳) ●絓秀実「「父」の審級:小説的モダニティの構造3」 ●野口武彦「三人称の発見まで」2 ●松浦寿輝「〈鉄〉から〈空気〉へ:エッフェル塔試論5」 ●八束はじめ「スターリンの建築」6 完 ●岩井克人「貨幣論」6 ●市川浩「音の宇宙をさまよう:予兆を求めて3」 ●入澤康夫「わが詩法覚え書」2 完 ●柄谷行人「編集後記」 / 浅田彰「編集後記」 no.7, 1992.10「共同討議 植民地主義と近代日本」 ●山口昌男・柄谷行人・村井紀・川村湊「共同討議 植民地主義と近代日本:「南島イデオロギーの発生」を出発点に」(1992.7.9.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●Jacques Derrida「法の力:"権威の神秘的基礎"第2部」(*16)(丹生谷貴志訳) ●Paul de Man「内向の世代」(*17)(保坂嘉恵美訳) ●初見基「政治神学と歴史神学:ベンヤミンの一断面」 ●吉岡洋「複製技術の再解釈:あるいは、ポストモダン分析の認識論的基礎づけ」 ●浅田彰「ラカン/ジジェクの余白に」 連載 ●渡部直己「差別とエクリチュール2 水平社運動前後」 ●絓秀実「鏡のなかの「女流」:小説的モダニティの構造4」 ●野口武彦「三人称の発見まで」3 ●松浦寿輝「模型とその設計図:エッフェル塔試論6」 ●Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第2部=他者の欠如」7(鈴木晶訳) ●岩井克人「貨幣論」7 ●柄谷行人「日本精神分析」3 ●Philippe Lacoue-Labarthe・Jean-Luc Nancy「ナチ神話」1(*18)(守中高明訳)〔→『ナチ神話』松籟社、2002〕 ●水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」1 〔→『私小説from left to right』新潮社、1995→新潮文庫、1998.9 ※当連載記事の単行本化は以下略〕 ●柄谷行人「編集後記」(1992.8.18.記) / 浅田彰「編集後記」 no.8, 1993.1「共同討議 夏目漱石をめぐって」 ●蓮實重彦・柄谷行人・芳川泰久・小森陽一・石原千秋・浅田彰「共同討議 夏目漱石をめぐって その豊かさと貧しさ」(1992.10.20.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●Jean-François Lyotard「生き延びた者」(*19)(高木繁光訳) ●水田宗子「女性表現と身体の変容」 〔→第4章、改題「女性表現と身体の変容:〈異界〉への越境」、『物語と反物語の風景:文学と女性の想像力』田畑書店、1993.12] ●石光泰夫「フロイトとベンヤミン:死のディスクール・ディスクールの死」 ●水沢勉「饐えたる器:退廃美術展現在」 ●Jacques Derrida・磯崎新・浅田彰「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」 〔→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994〕 ●Paul de Man「盲目性の修辞学:デリダのルソー論」(*20)(吉岡洋訳) ●山田広昭「岬、資本、捕らわれのものCap,Capital,Captif:危機の言説について」 〔→『三点確保:ロマン主義とナショナリズム』新曜社、2001〕 ●大澤真幸「〈身体=精神〉のパースペクティブ:眼の近代的編成1」 ●野口武彦「三人称の発見まで」4 ●岩井克人「貨幣論」8 完 ●柄谷行人「日本精神分析」4 ●市川浩「音の中間領域について:予兆をもとめて4」 ●Philippe Lacoue-Labarthe・Jean-Luc Nancy「ナチ神話」2 完(守中高明訳) ●水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」2 ●柄谷行人「編集後記」(1992.11.17記) / 浅田彰「編集後記」 no.9, 1993.4「特集=ネーションとナレーション」 ●浅田彰・岩井克人・柄谷行人「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(1993.1.18)〔→岩井克人『資本主義を語る』講談社、1994.10→ちくま学芸文庫、1997.2〕 小特集 ネーションとナレーション ●Ernest Renan「国民(ナシオン)とは何か?」(*21)(鵜飼哲訳)〔→エルネスト・ルナン、J.G.フィヒテ、J.ロマン、E.バリバール、鵜飼哲・大西雅一郎・細見和之・上野成利訳『国民とは何か』インスクリプト、1997.10〕 ●Homi K. Bhabha「国民の散種:時間、語り、そして近代国家の周縁」(*22)(大野真訳) ●Rob Wilson「テクノ-ユーフォーリアとアメリカの崇高性の言説」(*23)(上岡伸雄訳) ●Sol Yurick「オークション」(*24)(上野俊哉訳) ●東浩紀「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」〔→『郵便的不安たち』朝日新聞社、1999→『郵便的不安たち#』朝日文庫、2002.5〕 ●千葉一幹「暗い夜を越えて:非小説「或る朝」から非私小説「暗夜行路」へ」〔→第3章、『クリニック・クリティック:私批評宣言』ミネルヴァ書房(ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉)、2004.6〕 ●中山昭彦「沈黙の力学圏:理論=反理論としての『文学論』」〔→第2章、改題「「女性の遊戯」とその消滅:夏目漱石『行人』をめぐって」、『男であることの困難:恋愛・日本・ジェンダー』新曜社、1997.10〕 ●小谷野敦「「女の遊戯」とその消滅:夏目漱石『行人』をめぐって」 ●大澤真幸「〈精神=身体〉のパースペクティブ:眼の近代的編成2」 ●松浦寿輝「不在の記号屹立:エッフェル塔試論7」(完) ●野口武彦「三人称の発見まで」5 ●渡部直己「差別とエクリチュール1 戦後党員作家の「部落」」 ●柄谷行人「日本精神分析」5 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」3 ●柄谷行人「編集後記」(1993.2.11.記) / 浅田彰「編集後記」 no.10, 1993.7「特集=芸術の理念と〈日本〉」 ●浅田彰・磯崎新・岡崎乾二郎・柄谷行人「共同討議 芸術の理念と〈日本〉」(1993.4.6.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●浅田彰「忘却の淵を超えて:上田高弘氏に答える」 ●Andreas Huyssen「アンゼルム・キーファー:歴史の恐怖、神話の誘惑」(*25)(水沢勉訳) ●Frederic Jameson「「破壊的要素に身を委ねよ!」:ハンス-ユルゲン・ジーバーベルクと文化革命」(*26)(末廣幹訳) ●Rainer Nägele(ライナー・ネーゲレ)「人形芝居と哀悼劇(Trauerspiel)」(*27)(内野儀訳) ●多和田葉子「身体・声・仮面:ハイナー・ミュラーの演劇と能の間の呼応」 ●ダルコ・スーヴィン「死ぬことの使用価値:偽禅竹とブレヒトの「教育劇」における魔術的/認知的ユートピア願望(ウェイリーをゼロオプションとして)」(田尻芳樹訳) ●ハイディ・ギルピン「静止と不在の力学:ピナ・バウシュ、ヤン・ファーブル、ウィリアム・フォーサイスの舞踏パフォーマンス」(由井哲哉訳) ●「放射:ウィリアム・フォーサイスとハイディ・ギルピンの対話」(由井哲哉訳) ●田中純「終わりの時代の建築家:ダニエル・リベスキンドの署名」 〔→第8章、『残像のなかの建築:モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995.7〕 ●松浦寿輝「美術館のなかのひとつの場所」 ●ジャン-マリー・シェフェール「思弁的芸術理論と「モダニズム」」(大浦康介訳) ●大澤真幸「〈精神=身体〉のパースペクティブ:眼の近代的編成3」(完) ●市川浩「海へ……/そして海から:「海の博物館」について 予兆をもとめて5」 ●野口武彦「三人称の発見まで」6 ●絓秀実「詩の先行、詩の後行:小説的モダニティの構造5」 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」4 ●柄谷行人「編集後記」(1993.5.16.記) / 浅田彰「編集後記」(1993.5.18.記) no.11, 1993.10「特集=音声と文字/日本のグラマトロジー」 ●子安宣邦・酒井直樹・柄谷行人「共同討議 音声と文字/日本のグラマトロジー:18世紀日本の言説空間」(1993.7.19.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕 ●酒井直樹「翻訳の問題」(*28)(?訳) ●子安宣邦「宣長再論:「やまとことば」成立の語り」 ●前田英樹「『くず花』をめぐる考察」 〔→第5章、『海を渡った日本語:植民地の「国語」の時間』青土社、1995、新装版、2004.4〕 ●山城むつみ「漢文訓読について」 ●百川敬仁「中世的なものから近世へ」 ●川村湊「「日本語」の時代:福田恆存の日本語・時枝誠記の国語」 〔→第10章、『在るものの魅惑』現代思潮社(エートル叢書)、2000.1〕 ●加川恭子「近代国語学批判の批判」 ●村井紀「起源と征服1 伊波普猷について」 〔→第2部第3章「起源と征服:伊波普猷について」、『南島イデオロギーの発生』〕 ●安宇植「ハングルと〈女〉と」 ●赤間啓之「声と文字のキマイラ/フランス精神分析のファルス」 〔 →『ユートピアのラカン』青土社、1994〕 ●柄谷行人「なぜ『共産主義者宣言』か」 〔→改題「刊行によせて」カール・マルクス、金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版、1993.10〕 ●野口武彦「三人称の発見まで」7 完 ●絓秀実「写生における「長さ」と「難解」:小説的モダニティの構造6」 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」5 ●柄谷行人「編集後記」(1993.8.15.記) / 浅田彰「編集後記」(1993.5.18.記) no.12, 1994.1「特集=中上健次をめぐって」 ●蓮實重彦・渡部直己・浅田彰・柄谷行人「共同討議 中上健次をめぐって 双系性とエクリチュール」(1993.10.6.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕 ●浅田彰「中上健次を再導入する」 ●柄谷行人「被差別部落の「起源」:「日本精神分析」補遺」 〔→『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9〕 ●酒井直樹「表音表記と歴史」(*29)(宮崎かすみ訳) ●Antoine Berman(アントワーヌ・ベルマン)「翻訳の思弁的理論」(*30)(大西雅一郎・久保哲司訳) ●野口武彦「史伝と情念 森鴎外の「夜思」をめぐって」〔→第5章、『近代日本の詩と史実』中央公論新社(中公叢書)、2002.10〕 ●高木繁光「言葉が声となる道」 ●上田高弘「モダニズムとその公衆(パブリック)」〔『モダニストの物言い:現代美術をめぐる確信と抵抗1990-2005』美学出版、2006.4〕 ●松浦寿輝「美術館のなかのひとつの場所」 ●新田滋「市場が貨幣をつくる:岩井克人『貨幣論』批判」 〔→第8章、『恐慌と秩序:マルクス資本論と現代思想』情況出版、2001.9〕 ●渡部直己「差別とエクリチュール3 秋幸と「路地」」(完) ●松本小四郎「なぜ「リアリズムへの回帰」なのか:劇作家の死と演劇の現在2」 ●村井紀「起源と征服2 伊波普猷について」 〔→第2部第3章「起源と征服:伊波普猷について」、『南島イデオロギーの発生』〕 ●水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」6 ●柄谷行人「編集後記」(1993.11.15.記) / 浅田彰「編集後記」