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アマト・アマネンファイ Amato Amanenfai imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (DyAe5G2U8AUBFu42.jpg) アマト陛下 生年月日 シンテーア暦1771年12月9日生まれ 出生地 天嶺皇国ミョウト 出身校 シンクトレア国際語言大学(留学) 称号 天嶺皇、アマトきゅん、もう一人のケニアズ、天嶺の知恵の神 配偶者 大奥的なアレ 性癖 強いおなご、逆レ 信念 管国繁栄 協和統一 アマト・アマネンファイは天嶺皇国の皇帝(ファイ)、元革命家、政治家、作家、画家、映画監督、映画俳優、研究家。シンテーアのケニアズ、ジヒラート8世とは義兄弟の契りを結んでいる。 概要 幼年時代 もともとは天嶺皇サガクの妃の一人息子であり、貴族からの支持もなく、皇位継承権を持っていなかった。学童時代よりサガクの正当な息子たちであるラジン、ギヴァド兄弟からはいじめられて育っており、尋常でない憎しみを抱えていた。 学生時代 皇位継承権がなかったため、自由に学業に専念でき、常に最新の思想や政治学、経済学を学んでいた。このため、学者層からは一目置かれるようになった。1859年にシンテーア帝国が惑星ハイリンに訪れると、すぐさまシンテーア留学を決意。当時の天嶺皇国は尊王攘夷体制であり、惑星ハイリンから抜け出す際に暗殺されそうになるが、シンテーア人の保護により助けられる。1年間の言語学修を経て、4年制大学で管理主義を学び、惑星ハイリンに帰還する。 天嶺革命 天嶺革命で学者たちの協力をこぎつけ、開発連合を組織する。シンテーア製の武器をそのまま使わず、学者たちに分解させ、独自生産させ、また管理主義の最新思想を積極的にプロパガンダした。天嶺革命を永帝革命の追体験として定め、革命の最中でありながら、時には強権的な手法を用いて改革を推し進めた。 特に女性の社会進出に力を入れ、男尊女卑の価値観を完全に一掃しようとした。組織した女性部隊の隊長であるリマトラとタッグを組み、女性志願兵を募った。このころから強い女性に憧れるようになり始め、リマトラとはのちに結婚する。 改革核心政策 改革革新ではないため注意。かつての価値観を破壊すると宣言し、シンテーアの支援を得ながら管理主義改革を進めた。労働者を手厚く保護しながら、研究を推奨。シンテーアの技術を流入し自動化工場を大規模建造しベーシックインカム導入を目指した。 一方で多くの人民の思想段階が以前の封建制から進化しておらず、アマトの改革核心に反発したが、アマトは大粛清を行い、新思想を取り入れない人民を徹底的に弾圧するという冷酷な政策も行った。強力な教育政策でシンテーアの管理主義までの進化の過程を追体験させ、封建主義から管理主義へのワープを目指した。 また、シンテーアとの文化交流を活発に進め、ルニアス(ジヒラート8世)と義兄弟の契りを結ぶなどしてシンテーア人の心をつかみ、ルニアスの強力の下シンテーアの天嶺併合計画を撤回させ、神国同盟結成に尽力した。 その後 シンテーアの不死技術を受け、永遠の命を経たアマトは政治から身を引き、ルニアスに続き芸術方面に専念するようになる。自ら映画俳優を務めてみたり、絵の個展を開いたりなど、今までの権威主義体制ではありえないほどの人民との接近を行った。 人物 思想 ゲルニア・ルーロイと協力し、アマト主義を確立した。思想的に遅れた天嶺皇国を一時は強権的に引っ張ったが、体制確立後は自由な体制に移行させた。 逸話 かつて天嶺皇国では同性愛は禁忌であったが、管理主義の導入とともにシンテーア文化も一部導入し、男女同権の実現と同時に、同性愛への差別の撤廃も図った。自身はノンケであったが、シンテーア産の薄い本を読むなどしていって次第に慣れさせていった。 関連項目 ジエールの人物一覧
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ケナイント・ルニャ・フェオトロート Kenaint Lun a Feotloot ケナイント主席 生年月日 シンテーア暦1505年14月10日生まれ 出生地 シンテーア帝国シンクトレアレギトレインスネルク 出身校 シンクトレア陸軍大学 称号 党派・支持政党 統一管理機構 状態異常 なし 信念 ケナイント・ルニャ・フェオトロート(エミュンス語:Kenaint Lun a Feotloot)はシンテーア(ジエール)の政治家。 目次 経歴生い立ち 永帝革命 首相時代 主席時代 その後 人物思想 逸話 名言 関連項目 経歴 生い立ち シンテーア帝国の騎士の名家に生まれ、英才教育を受ける。正義心にあふれ、責任感があり、気が強い子に育ち、名家の重圧にも耐えられる強い精神力を持つようになった。貴族生まれではあるが、貧富の格差に関心があり、特に拝金貴族の横暴には嫌悪感を抱いていた。弱き者を守るため軍人を目指すようになり、その目標を貫きシンクトレア陸軍大学に入学し軍人となる。 軍人となってからは都市の治安維持の名目で暴徒の鎮圧に取り組むようになる。国栄党政府は次第に鎮圧をエスカレートさせデモ隊の鎮圧を命じるようになったが、正義心の強い彼女は次第に間違っているのは政府であると疑問を抱くようになった。混乱期に置いて様々な思想の勢力が現れる中、彼女は軍事政府による強権的な秩序維持を実現するべきであると考えていた。 永帝革命 管理主義勢力の台頭を受け、彼女は完全なる秩序の実現には研究者をはじめとする頭脳はエリート集団の指導が必要だと考えるようになる。そこで、彼女は同志を引き連れて軍を抜け管理主義勢力の軍事的指導に当たるようになった。 その活躍と治安維持、統率の才能が評価され、管理主義シンテーアの3代目の首相に任命された。 首相時代 アオン・シオンが打ち、ヴェル・ヴェランスが研いだ刀をケナイントが振るったという例えがあるように。彼女の政策は拡大と権威の拡大を主とした。探索時代の最中、管理主義秩序の拡大と新管理主義連邦国家の建設、ウーナ主義秩序の実現を目指し彼女は調査中惑星で併合工作に力を入れた。 惑星エルナー・ゲリテーンの併合ではレーウス大国の反発を招き、レーウス協定国解散の主な原因となった。また惑星ヒェルニエの併合をめぐっては原住民との構想であるヒェルニエ戦争を招き、その中で思想的テラフォーミングと称して多くの原住民を強制収容・思想浄化したためヴァルエルクをはじめとするレーウス諸国から強い非難を受けた。 天嶺皇国の併合も画策していたものの、アマト・アマネンファイがルニアス・ジヴェジルスを頼り反併合工作を展開したことや、それに伴って人民間で天嶺ブームが発生したことにより世論の反発を受け実現しなかった。それ以来彼女は天嶺皇国の併合があの時実現していたら、帝国連邦の国力は現在のものより比類なきものとなっていただろうと度々語っている。 主席時代 その後 人物 思想 逸話 1612年シンテーア帝国調査船団がヒューブル女王国のチティヴァンダーサルーム島に降り立った際の祭典でケナイントはとても退屈に感じ、「とっとと併合の手続きを始めさせてくれないか」とボヤいてしまったが、シンテーア側のカメラに音声がバッチリ入ってしまった。 名言 関連項目 人物一覧 ジエール歴史年表
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■キャラクター名:ラーモラック=モルドレッド ■キャラの性別:男 ■国籍:イギリス ■学年:1年生 ■所持武器:ジョン・ボールの大鎌 ■攻撃力:10■防御力:1■体力:4■精神力:5■FS(フリースキル):10 ■FS名:粛清 ■特殊能力名:惨凶大革命■能力オプション:無し ■特殊能力内容 効果:遠距離通常攻撃 範囲:周囲3マス 対象:敵全員 時間:一瞬 制約 攻撃0防御0の相手にしか使えない:0.7倍 行動可能な味方3人がそのターンと次のターン行動不能:+65 国籍ボーナス:名前とか3、能力0、キャラ説4:+7 シンプル能力ボーナス:+4 1ターン目先手使用不可(GK調整) <<計算式>> 50×3.7= 185 (100-(185×0.7)+65)×2.0+7+4=82 発動率82% 成功率100% ■特殊能力説明 昨今はびこる攻撃力0、防御力0そしてFS等に高い数字を振り分け特殊能力に依存した腐った唾棄すべき風潮を叩き潰す思想的粛清の嵐。 効果範囲内の攻撃力0かつ防御力0のキャラ敵全員を対象としてフルスィングした大鎌から発生するギロチンオーラで首を刈り仕留める。 本当はステ入れ替えでギタギタに即殺したかったが、この制約だと遠距離通常の方が安いのであった。 あまりの過激な行動に味方数人がビビってガタガタ震えて動けなくなる。時間的目安は能力を使った人間が再び能力発動できるようになるくらいの時間。 味方であっても粛清にしたかったけど神が難色を示されたとか。 ■キャラクター説明 英国教会騎士団所属、最年少魔人聖騎士である。普段は学園で神父の真似事をやっている。 迷える生徒に懺悔を促すがクロムウェル、ジョン・ボールら過激思想を多数輩出したイギリスの宗教家らしく、実際はやることに見境がない。 最近の腐った風潮に肉と血の風を吹かせ一石を投じようとこの戦いに参加する。 己が思想に従わぬ存在を神の国に送る、粛清と言う名の虐殺を開始した。 ジョン・ボールの大鎌:ワット・タイラーの乱の指導者であったイギリスの僧侶、ジョン・ボールが使用していたと言う大鎌。 今回の思想革命の象徴として本国から発掘させた聖遺物である
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にほんはんたいとう【日本反対党】[名詞] 言わずと知れた日本の左翼政党の総本山・日本○産党の愛称。 一般に言われるように「反対だけが実績」なので。 まぁそもそも共産主義という思想自体が民主主義に挑戦するような思想なので仕方がないか。 でも待てよ、共産主義的な主義主張も、最近共産党に関わる人の口から聞いたことがない気が…
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The New Order イスラム近代主義 アイコン編集 英名 Islamic Modernism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 自由保守主義 主要なイデオローグ 「私は西洋に行ってイスラム教を見たが、そこにムスリムはいなかった。私は東洋に戻ってムスリムを見たが、そこにイスラム教はなかった」 19世紀、ヨーロッパの植民地支配や帝国主義に対抗して生まれたイスラム近代主義は、イスラム教のウラマーや聖職者による思想的な発案だと考えられている。ムハンマド・アブドゥフ、ジャマールッディーン・アフガーニーからアリ・アブデル・ラジクやリファーア・ライ・アッ・タフターウィーまで、発案者たちは皆、侵入してくる欧米列強に対抗するには、イスラムのウンマを改革することが不可欠だと認識していた。 この思想は、地面に頭を突っ込んで近代化から孤立することも、西洋人が無頓着に説く習慣や信仰、伝統の完全な放棄を行うことも求めてはいない。イスラム近代主義は、西洋を繁栄に導いた啓蒙思想を伝統的なイスラムの思想、教義と合体させることによって近東を無知から脱却させ、社会・文化・経済の黄金時代へと導くことを目指している。 反植民地を掲げる若き革命家の間で顕著となっている社会主義的・世俗的な民族主義や、ナジュドのサウジ人が広める対抗的なサラフィー主義の一派とは対照的だ。近代主義者は、無神論的な世俗主義の概念と、今日の学者や聖職者の間で支配的である中世に確立されたシャーリアの解釈の双方を捨て去ろうとしているのである。代わりに、近代主義者はシャーリアの教えを近代的なレンズを通して再検討し、再解釈することに努めている。 近代主義者は、封建的組織を破壊し、近代的で市民的、民主的な国家を作り上げ、柔和な者に力を与え、恵まれない者に提供する「道徳経済」の枠組みでそれを運営することを試みている。植民地の鎖から解き放たれたイスラムのウンマが前進する唯一の方法は、性別、信仰、人種、階級に関わらず、全ての臣民に等しく尊厳を与える調和的な社会の下にそれを置くことだ。 (TNO日本語化Modより引用)
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The New Order 市場民主主義 アイコン編集 英名 Market Liberalism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 自由保守主義 主要なイデオローグ 一時期の市場自由主義は、西洋における政治思想の最大の潮流であった。イギリスの自由党、アメリカの共和党、フランスの急進自由党などは、自由な言論、自由な選挙、自由な貿易という最も有名な3つの政策のもと、西洋を支配してきたのだ。 しかし、市場自由主義は現在、その思想がもたらす人間的な犠牲に対処しようとしなかったと考えられている。それにより、右派と左派の双方が提案する代替的な思想と戦わなければならなくなっているのだ。だがその信奉者は、特にアメリカ大陸においてまだ多く存在している。経済や国民の私的空間に介入することのない政府を信奉する市場自由主義は、誰もが少しの努力と工夫で成功できる社会を作ろうとしているのだ。 具体的には、税金を下げ、貿易障壁をなくし、全員にとって「平等な競争条件」を確保することを目的としている。しかし、経済発展のため、補助金や税額控除などの経済介入を厭わないこともある。自由市場の神聖さを信じる市場自由主義者は、船が貧しいか富んでいるかに関わらず、「上げ潮は全ての船を持ち上げる」と考えているのだ。 (TNO日本語化Modより引用)
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トップページ>紀年論叢>宋俊浩教授停年紀年論叢 『宋俊浩教授停年紀年論叢』宋俊浩教授停年紀年論叢刊行委員会、1987年 尹徳香「南原笠岩里出土遺物」 崔炳云「新羅の昔氏王代(185-356 A.D.)の拓境活動」 鄭求福「武寧王誌石解釈についての一考」 柳浩錫「高麗時代の制科応試とその性格」 杜婷娜(Martina Deuchler)「朝鮮初期における妾子の儀礼的役割」 崔玉煥「朝鮮初期の文科の試験方式に関する論議:「講経製述是非論議」を中心に」 鄭杜煕「朝鮮成宗代臺諫の風聞弾劾に関する政治的論争」 李煕煥「老・少論の対立と粛宗」 鄭会善「景宗朝辛壬士禍の発生原因についての再検討」 全炅穆「朝鮮後期校生の身分に関する再検討:「頉校生所志」を中心に」 崔允榛「高敞郷校東・西斎儒生案についての検討」 李在云「茶山丁若鏞の農業論:『牧民心書』勧農条を中心に」 姜吉遠「日本農地会社の小作契約慣行:いわゆる農村振興運動期の全羅北道地域を中心に」 楊萬鼎「淳昌地方の両班家門についての考察」 李康五「全北地方の新興宗教」 柳在泳「「東海頌」訳注及びそれについての一考」 南成勲「司馬遷と知識人の苦悩」 張南植「北宋臺官の推鞫業務:太祖・太宗代を中心に」 宋正洙「明末清初賦役徴収と保甲制」 李洪吉「胡適の実験主義」 呉炳武「宋代性理哲学の成立過程」 金恵子「Thetesの市民権獲得の背景」 張俊哲「教皇権思想の成立過程に関する小考」 李景求「Friedrich I Barbarossaの皇帝権思想」 金平中「Thomas MoreのUtopiaに現れた宗教思想」 朴光宣「Hugh Knoxの教役活動とキリスト教教理観」 宋三燮「Philadelphia制憲会議代表達の性格に関する一考察」 李揆河「Hitler思想に関する研究(1)」 尹源鎬「ロシア及び中国の社会主義化に関する小考:生産様式関係と結びつけて」 趙新光「[資料紹介]ペリクレスの追悼演説」
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【種別】 不明 【初出】 三巻 「超能力の先にあるモノ」という概念としては一巻 【解説】 学園都市における超能力開発の究極の目的。レベル5の先に在るモノ。 世界の真理という『神様の領域』は人間には辿り着けない。 だから、「人間を超える」ことでそこへ到達した者を指す……と思われる。 科学者である木原幻生やテレスティーナの発言によれば、 絶対能力者(レベル6)と同一視されているようだ。 幻生やテレスティーナは、能力体結晶の完成により道を開こうとしていた。 また、別方面では一方通行を利用した絶対能力進化(レベル6シフト)実験などが計画されている。 ただし解説書によれば、「レベル6の創造すらも、SYSTEMへと至る第一歩に過ぎない」らしく、 アレイスターも「レベル6の先にあるもの」を目指しているという旨の発言をしている。 思想としては一部の魔術的な思想と似通った部分があり、 月詠小萌から説明を受けたインデックスと姫神秋沙は、 セフィロトの樹の『アインソフオウル、アインソフ、アイン(000 00 0)』や、 『アルス=マグナ』を目指す錬金術(グノーシズム)思想を連想している。 『神の右席』が目指す『神上』と関連があるのかもしれない。
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石田梅岩は、貞享2年9月15日(1685年10月12日)~延享元年9月24日(1744年10月29日)は江戸の思想家、倫理学者。 石門心学の開祖(倫理学の一派)。庶民の教化として、代表的な人物。 名は興長。通称、勘平。 丹波国桑田郡東懸村に、百姓の次男として生まれる。 1695年(元禄8)年に京都も商家へ丁稚奉公に行き、商人としての実践活動を通して、生涯にわたって商人の生きていく道について思索している。 当初は、神道の求道者になることを志していたために、神道に対する教養に加えて、仏教や儒教にも学問の輪を広げ、独創的で実践的な町人哲学をあみだしている。 45歳の時に借家の自宅で無料講座を開き、石門心学と呼ばれる思想を説いた。心学とも呼ばれる。 そして、1739(元文4)年に『都鄙問答』において、梅岩は士農工商儒医にはそれぞれの道のあることを説いている。 石門心学と呼ばれる思想の根底にあったのは、宋学の流れを汲む天命論である。同様の思想で石田に先行する鈴木正三の職分説が士農工商のうち商人の職分を巧く説明できなかったのに対し、石田は長年の商家勤めから商業の本質を熟知しており、「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という立場を打ち立てて、商人の支持を集めた。 「都鄙問答」「斉家論」「石田梅岩先生語録」等の著書がある。 まゆみ
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概要 かつては天皇や自民党を批判する、正しい思想を持っていたが、現在はミソジニーをこじらせ、ネトウヨに連帯、Colabo関係者の方や、女性への誹謗中傷、リベラルな人々を揶揄し、ウヨ堕ちしたそうだ。元々、アニメ・漫画好きであったため、そのような思想に堕ちた事が想像可能。 活動場所一覧 ツイッター https //twitter.com/nalltama 記載量少なww^^