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特区 / 水産特区 ◆ 2011.3.11大震災・福島原発大人災 ◆ / 東日本大震災復興 ーーー ☆ ナオミ・クライン / ショック・ドクトリン + ニュースサーチ〔復興特区〕 震災原発事故13年 被災農地の行方(中) 営農型太陽光 復興支援で参入容易 農家の新たな収入源 - 福島民報 ふくしま産業復興投資促進特区/相馬市公式ホームページ - 相馬市 岩手県宮古市 防災についての取り組み - city.miyako.iwate.jp 宮城・塩釜市が復興特区の固定資産税526万円を課税漏れ 過去8年間分 - 東日本放送 「3.11から11年」(2) 村井嘉浩・宮城県知事 - 日本記者クラブ 追跡:東日本大震災10年半 移住者に漁業権 高齢化・過疎進む水産業 - 毎日新聞 「ソフト面、息の長い支援を」宮城・村井知事に聞く被災地の現状 - 毎日新聞 提言は生かされたか:東日本大震災10年/5 経済再生 若手漁師育成、頭打ち - 毎日新聞 カキ養殖存続したが生産は伸びず 漁業権開放特区は成功だったか - 毎日新聞 基幹の「水産業」回復目指した10年、浮き彫りになる地域間格差 - 毎日新聞 仙台市がクラウド名刺管理サービス「Sansan」を導入 - PR TIMES ふくしま産業復興投資促進特区等について - 平田村 鵜匠が造った「どぶろく」名称募集 関の酒造り復興に期待:中日新聞Web - 中日新聞 渋谷にグループ本社を置くGMOインターネットが11月に宮城県仙台市にカスタマーサポート拠点を開設 - PR TIMES 宮城県・村井知事が激白、「9月入学」発言の真意とは - 日経ビジネスオンライン 「地域未来投資促進法」に基づく基本計画/八戸市 - 八戸市 森健の現代をみる:被災地の漁業の現状 今回のゲスト 濱田武士さん - 毎日新聞 松本龍復興大臣辞任劇の裏側で進む - NET-IB NEWS 松本龍復興大臣辞任劇の裏側で進む - NET-IB NEWS 【新刊書籍のご案内】企業の事業継続計画(BCP)や防災に関わる人材育成に不可欠な知識を満載。産学官の危機管理 ... - valuepress(バリュープレス) 「消費者の思いに反した」 「桃浦かき」他産地混入、背景に注文増 宮城(1/2ページ) - 産経ニュース 震災を経験したからこそ できること、やるべきことが あるんです - 自治体通信オンライン 宮城:村井嘉浩知事4選出馬に意欲 復興指揮、実績強調 - 毎日新聞 宮城の特区企業 「解禁」前にカキ出荷/県漁協の決定、無視 - しんぶん赤旗 進まない高台移転を法律で変える(後編)[弁護士が見た復興] - ハフポスト日本版 地権者は「ゴースト」 所有者不明地という日本の難題 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【震災5年 3・11】安倍首相「これからも被災地訪問したい」 塩釜では海鮮丼に舌鼓 - 産経ニュース オリックス、枚方市でOTTロジ専用の物流施設を竣工 - LOGISTICS TODAY 被災地の現状:岩手県 本格復興加速、住まい課題に - 毎日新聞 司法書士来援【岩手・大槌町から】(46) - J-CASTニュース 震災復興特区・宮城県気仙沼市に訪問リハビリステーションが開設予定|PT-OT-ST.NET - PT-OT-ST.NET 大戸屋が“桃浦かき”の味噌鍋、宮城・石巻湾の牡蠣を仙台味噌で。 - ナリナリドットコム 「TPPで沿岸の漁業権が外資に奪われる」~山田正彦元農水相が岩上安身によるインタビュー 第372回で明かす衝撃のリーク文書 - IWJ インディペンデント・ウェブ・ジャーナル 仙台コカ・コーラ/仙台物流センター竣工 物流ニュースのLNEWS - LNEWS 動き始めた石巻の水産特区 漁協の思わぬ反対を乗り越えて(1/3) - JBpress 制度、予算が大きく動く「被災地ビジネス」 - PRESIDENT Online 水産特区認定撤回へ/紙議員 宮城県漁協と懇談 - しんぶん赤旗 宮城県水産特区を認定/復興庁 漁協の声を無視 - しんぶん赤旗 日本で唯一残った避難所埼玉県旧騎西高校で暮らす139人の「今」――東北三県被災地復興支援研究会代表 富山泰庸 - ダイヤモンド・オンライン 東日本大震災被災地で単独型訪問リハビリステーション岩手県陸前高田市で誕生|PT-OT-ST.NET - PT-OT-ST.NET 国益に沿い課題乗り越える 若い世代に希望と誇りを 新春鼎談 - 千葉日報オンライン 高台や内陸への集団移転/大きすぎる負担/自治体「制度拡充を」 - しんぶん赤旗 経団連タイムス No.3056-01 - 日本経済団体連合会 経団連タイムス No.3050-06 - 日本経済団体連合会 「水産特区」で浜の秩序壊すな/全漁連が緊急全国集会/志位委員長・紙参院議員が出席 - しんぶん赤旗 経団連タイムス No.3047-01 - 日本経済団体連合会 海外の大規模災害復興対策 (2) アメリカの災害復興支援はどのように行われたか(アメリカ:2011年6月)|フォーカス|労働 ... - 労働政策研究・研修機構 被災者主役の復興へ/宮城 県民センター発足 - しんぶん赤旗 漁業復興へ希望を/宮城県の「水産特区」に異議/企業参入 「浜の絆を壊す」/県漁協、党本部を訪問 - しんぶん赤旗 ■ 【震災復興】復興特区という名のショックドクトリン[桜H23/12/16] ■ 復興特区法は被災者たちに大いなる不幸をもたらす 「qazx(2011.12.18)」より ・どうやらどさくさに紛れて、まったく新しい企画を持ち込もうとしている勢力が居るようなのだ。このどさくさに紛れてことをなすことを「危機方策ショック・ドクトリン」というのだが、これがハリケーンカトリーナで大きな被害を受けたニューオリンズで行われたことで有名だ。 ☆ 京都大学大学院教授・藤井聡:被災地を「壊死」させないために 「msn.産経ニュース(2011.12.16)」より ・そもそも、本格的復興予算といわれた第3次補正が決定されたのは、8カ月以上も時間が経過した11月だった。この8カ月間、被災地にはカネさえあればできたことが山ほどあった。それなのに、なすべきことの大半が、政府の無為によって差し止められてしまい、その結果、数多くの「ふるさと」がさながら壊死(えし)するかのように、二度と回復できない状況にたたき落とされてしまったのである。 ・読者の方々は、大災害によって破壊された土地で、大資本家が新しいビジネスを立ち上げるというタイプの資本主義が近年、世界に広がりだしているという指摘があることを、ご存じであろうか。 ・そんな観点を世に問うたのが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クライン氏であった。彼女は、自然災害に便乗する新しいタイプの資本主義という意味で「災害資本主義」という新語を造り、これらの商売の手法を、「ショック・ドクトリン」と名付けている。 ・(※ 同記事を1ページに収めてコピペ) ☆■ 震災復興特区法 過度の市場原理持ち込むな 「全国農業新聞(2011.12.16)」より ・カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインは、世界の各地で新自由主義者が天災・戦災で市民がショックにたじろいでいるすきに、民営化、規制緩和、社会支出削減の3点セットを押しつける「ショック・ドクトリン」を定義・実証している。 もとより今回の法律にそうした意図はないが、運用次第ではそのような結果を招かないよう、現場力が問われている。 .
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L:復興作業 = { t:名称 = 復興作業(イベント) t:要点 = 作業,石碑,汗 t:周辺環境 = 藩国 t:評価 = なし t:特殊 = { *復興作業のイベントカテゴリ = 藩国イベントとして扱う。 *復興作業の効果 =300億を消費することで国は立て直され、ほぼ前の水準に戻る。200億では50%であり、100億では20%ほど復興する。 } t:→次のアイドレス = 復興景気(イベント),復興のシンボル(イベント),謙虚にして信心深い(イベント),大型空港(施設)} 取得:http //p.ag.etr.ac/cwtg.jp/bbs2/25630
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読み ひがしにほんふっこう 正式名称 別名 和了り飜 役満 牌例 解説 東・1筒・2・5を刻子にすると成立する役。 成分分析 東日本復興の40%は時間で出来ています。東日本復興の37%は汗と涙(化合物)で出来ています。東日本復興の15%はやさしさで出来ています。東日本復興の6%は電力で出来ています。東日本復興の1%は砂糖で出来ています。東日本復興の1%は運で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク
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■中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『1960 チリ地震津波』、2010年 本報告書は中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会のウェブサイトで全文閲覧可能です。)に全頁がアップされています。特に第8章、第9章が復興計画に関連する事項を扱っております。 目次 第1章 チリ地震津波とは何であったのか 第2章 チリ津波の発生から日本到達まで 第3章 日本沿岸でのチリ津波 第4章 津波開始時の人間行動 第5章 気象庁の対応 第6章 被害の実態 第7章 市町村・県・国の緊急対策 第8章 構造物主体の津波対策の確立とその後 第9章 チリ津波とその後の対策に関する教訓 チリ津波後の復興に関する論考、報告 飯沼一省「担江私語 チリ津波におもう」『新都市』、14巻6号、1960年 佐藤泰一「岩手県下のチリ地震津波災害と今後の対策」『新都市』、14巻9号、1960年 建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書-海岸地形とチリ地震津波』、1961年 関連サイト @Wikipedia 1960チリ地震 主な復興計画・事業 大船渡市の復興土地区画整理 大船渡市施行 下船渡・赤崎区画整理(昭和35年9月16日事業認可) 「大船渡市災害復興都市区画整理事業(写真)」 「下船渡・赤崎区画整理設計図」(「広沢登米夫「大船渡市チリ地震津波水害復興土地区画整理事業について」『区画整理』、pp.2-7、11巻8号、1968年8月) 志津川町(現南三陸町)の復興土地区画整理 町施行、昭和35年7月21日〜昭和44年7月15日・28.3ha:災害復興 「志津川町市街図(昭和12年復興区域、災害復興区画整理区域図示)」 出典:宮城県「志津川町の津波災害による復興土地区画整理」『新都市』16巻10号、1962年 「志津川町災害復興土地区画整理事業計画図」 出典:水川金苗「宮城県都市計画の問題点」『新都市』16巻10号、1962年 志津川町災害危険区域制定条例 雄勝町(現石巻市)の地盤嵩上げ 作成者用ガイド @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 @wikiプラグイン一覧 まとめサイト作成支援ツール
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復興小学校 ふっこうしょうがっこう 関東大震災後に復興事業の一環として建築された小学校の総称。 経緯 1923年に発生した関東大震災により、東京市立小学校は大きな被害を受けた。 全195校の約2/3が倒壊・焼失し、無傷だったのは2校にすぎなかった。 復興事業にあたり、東京市は不燃化のため鉄筋コンクリート造を採用した。 また、52の学校では、公園を併設するなどの試みも行われている。これは都市計画の中に小学校を位置づけて災害時の避難所としても使えるようにしたものである。 設計規格は東京市臨時建設局が作成した統一規格によるが、外観デザインはそれぞれに独自のものとされており、町の顔として時代の意匠をまとった凝ったものが多い。 復興小学校として全部で117校が建築された。建設時期は1924年から1935年にかけてで、1928年頃までに竣工したものが多い。 なお、同時期に建設された鉄筋コンクリート造の学校建築の中にも、厳密には復興小学校ではないものが含まれている。 改築小学校 校舎の被害はさほど大きくなかったが、ついでなので鉄筋コンクリート建築によって建て直したもの。 更にそれ以外 震災前には小学校として存在していなかったが、震災後に鉄筋コンクリート建築の校舎を新築して開校したもの。 関連項目 タグ 「ふ」 建築用語
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復興任務 基地内の各建物をアップグレードしていると勝手にクリアしているので意識してあげることは稀だと思う。 復興任務をクリアすることでポイントを入手することができ、一定のポイントに達すると報酬がもらえる。その際石や木材が多くもらえるので普段は貯めておいて基地のアップグレードなどの大量に資材を消費するときに使うようにすると良い。
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■内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』、1934年 本報告書は津浪デジタルライブラリィ(津波ディジタルライブラリィ作成委員会)に全頁がアップされています。 アドレス http //tsunami.media.gunma-u.ac.jp/xml_tsunami/xmlindex.php?info=19 reportmetatab reportsectab ※上記、reportmetatab reportsectabまで含めてコピーした上で、直接ブラウザーにペーストして移動して下さい) 東京市政調査会の市政専門図書館デジタルアーカイブスに『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』の全文のPDFがアップされました。個人で利用する範囲であれば自由にダウンロードしてよいとのことです。→市政専門図書館デジタルアーカイブス(5)津波に関する資料 I.總説 頁1 II.被害の概要 14 III.波高、浸水面積、家屋の流失倒壞區域面積 24 IV.明治二十九年三陸津浪被害に對する復興事業概要 31 V.津浪被害對策 39 VI.都市計畫及復興事業 42 VII.復興事業執行の方法 51 写真・図表・飛行写真・計画図 I.寓眞 II.圖表 III.飛行寫眞測量圖並計畫圖 内務省は、下記の復興計画の方針に基づいて、岩手県で20町村43集落、宮城県で15町村60集落において、復興計画を立てた 計画方針 都市らしき形態を備ふる大聚落と漁業農業を生活中心とする小聚落との間には、其の防浪對策又は部落移轉計畫等につき自ら相異なる方針を採る可きである。 I.都市的聚落地 茲に都市的聚落地と稱するは釜石、山田、大槌、大船渡等の如く都市的機構を有する市街地を指す。之等の都市的聚落地は沿岸地方に於ける交通、經濟、教育等社會生活の中樞をなす地方的中心市街地たるものである。 1.敷地 之等の市街地は、その位置が現在並に將來の繁榮に對して、絶對に必要なる要素たる場合が多い。且又從來港灣其他の設備の爲に多大の資本が投下されて居るが故に、假に斯の如き市街地が津浪或は其の地の災害に依り全滅に頻せる場合ありとするも、其の敷地が危險區域に在るの故を以て、直に附近安全地帶に市街地を移轉するは、不可能である。以上の理由に依り都市的聚落地はその原敷地に復興するを本則とし、その敷地内に就き土地の利用を工夫し、海邊に直接するを絶對的要件とする運送業、倉庫、その他の建築物を除き、住宅は後方安全なる高地に敷地を造成し移轉せしむ。 2.道路 市街地を中心とし、隣接市街地、附近聚落地との連絡を緊密ならしむ司き路線を選定し、此等幹線道路を基準として、市街地並に市街地たる可き土地に就き道路組織を整備す。其幅員は非常時に於て避難或は防火の用に備へ得る最小限を保たせる必要がある。後方高地に於ける集團移轉敷地と市街地、並に海岸とは移轉者が日常の往復に不便を感ぜざる程度の連絡道路を設ける必要がある。 高臺の安全地帶に部落移轉を行ひ得ざる場合は現在部落より後方高臺に逹する避難道路を設くる必要がある。 3.防浪施設 波高大ならず、家屋の流失倒壞區域廣大ならざる場合には、津浪の浸水を逃れ得る程度に市街地の地上げを行ふ。之の場合、盛土法面は練石積とし尚盛土天端に防浪壁を設くるを可とす。臨港區域に於て、直接水面を利用する必要ある場合には、護岸の嵩上、補強を行ひ、遠淺の海面は之を埋立て後方地帶に於ける波高並に衝撃力の減殺に資す。更に港灣に直接する建築物は耐震、耐浪の構造たらしめ、後續木造建築物の保護に備ふ。港灣施設として堅固なる防波堤を築造するの要あるは勿論なり。 II.漁農聚落 沿岸部落は生業漁を主とし、農を副とするもの、又は漁業のみに依るものあり。之等を茲に漁農聚落と總稱す。三陸沿岸地方に於ける部落の大部分は之の形式のものなり。 1.敷地 漁農聚落に於ては住民の生業は主として漁業である。然しながら、必ずしも海岸に密接して居住するを必要とせず。日常の作業に不便を感ぜざる程度の距離にして、相當の施設を有するに於ては、安住の地に敷地を設くるは極めて望ましき事である。殊に三陸沿岸地方に於ける漁農聚落の如く、環境高峻なる山崖に圍まれたる支谷部に位置するものは、津浪の災害最も悲慘なる部類に屬するを以て、部落敷地を附近高地に移轉するは、他の如何なる防浪對策より勝れるものなり。 部落敷地の選定要項下の如し。 海濱に近きこと、 既住の津浪に於ける最高浸水線以上に位すること、 海を望み見得ること、 南面の高地なること、 飮料水の取得容易なること、 2.部落の構成 全部落高地移轉をなすものに在りては、部落構成の中心を造成敷地に移し、町村役場、警察署、學校、社寺等公共的施設は之を造成敷地の最高所に位置せしめ敷地の中心には部落民交歡の用に供す可き小廣場を設け、之に接して集會所、共同浴場等を設く。部落の一部移轉をなすものに在りては、部落の構成は移轉戸數の多少に依り自ら異なる可きも、移轉敷地は舊部落殘存戸數をも收容し得る面積を有する敷地を選定し、殘存戸數の漸次高地移轉を可能ならしむる用意を須ひたり。 家屋の流失倒壞區域にして海濱に接する區域は、部落の共同作業場として之を利用し又は倉庫、納屋、工場、事務所其の他の非住家屋の建築地並に網干場、船曳場等として之を利用するの途を講じたり。 3.道路 移轉部落敷地と共同作業場、海濱との連絡は部落生活に必要缺く可からざる重要の施設なるを以て、充分の施設を行ふを要す。交通幹線(縣道、重要町村道)と新敷地との連絡道路亦必要にして、縣道、町村道等の新設又は改修さるるものは可成新部落敷地を連結せしむる樣路線の選定を行ふ。重要道路は之を津浪の災害を被らざる高地に配置する必要あり。何となれば、再び津浪に襲はれたる場合、救捐その他後方連絡途絶し、部落民の糧道を絶つが如き事態を惹起することなからしむる必要あるのみならず、かかる公共工作物が屡々破壞さるる損失を繰り返ヘすが如きは賢明なる策に非さればなり。 4.防浪施設 部落の高地移轉を行ふを得ざるものにありては、防浪堤、護岸の築造、防潮林の植栽、避難道路の新設等を行ふ。 以上の外、鐵道の敷設せらるるものある場合には安全なる高地を利用す可きは勿論にして、特に鐵道驛の如きは新部落敷地に接する等の考慮を必要とす。 ■震災予防評議会「津波災害予防に関する注意書」、1933年 「津波災害予防に関する注意書」都市公論、16巻7号、1933年7月 ■岩手県編『岩手県昭和震災誌』、1934年 ●[追緝] 復興事業 本書は津浪デジタルライブラリィ(津波ディジタルライブラリィ作成委員会)に全頁がアップされています。 アドレス http //tsunami.media.gunma-u.ac.jp/xml_tsunami/xmlindex.php?info=36 reportmetatab reportsectab ※上記、reportmetatab reportsectabまで含めてコピーした上で、直接ブラウザーにペーストして移動して下さい) Googleブックスで全文公開されています。→『岩手県昭和震災誌』 ■岩手県土木課編『震浪災害土木誌』、1936年 ※ファイル容量の関係で4分割しております。 一、知事告論及訓示 二、過去に於ける地震及津浪 三、観測 四、被害 以上、ファイル1 五、復旧工事 以上、ファイル2 六、規程其ノ他 七、津浪予防対策 以上、ファイル3 八、雑録 以上、ファイル4 ■宮城県編『宮城県昭和震嘯誌』、1935年 ●巻頭地図・図面・統計図等 ●本文目次 第四編 復旧・復興 第六章 復旧事業の進捗(第七節 土木事業 ~ 第九節 宅地造成及住宅復旧) 第七章 防潮林計画 本書は津浪デジタルライブラリィ(津波ディジタルライブラリィ作成委員会)に全頁がアップされています。 アドレス http //tsunami.media.gunma-u.ac.jp/xml_tsunami/xmlindex.php?info=35 reportmetatab reportsectab ※上記、reportmetatab reportsectabまで含めてコピーした上で、直接ブラウザーにペーストして移動して下さい) ■三陸津浪からの復興計画に関する書籍・報告・論文 山口彌一郎、『津浪と村』、恒春閣書房、1943 前半「序に代えて 三陸の旅」「第一篇 津浪と村の調査記録」 後半「第二篇 村々の復興」「第三篇 家の再興」 島崎武雄・山本滋・首藤信夫「昭和8年三陸大津波後の復興事業とその今日的意義」第3回日本土木史研究発表会論文集、1983年 住宅地造成・集落移転に関する報告・論文 飯沼一省、「三陸地方に於ける住宅適地造成事業」、自治研究、9巻12号、pp.27-40、1933年12月 笹間一夫、「防浪漁村計畫 (三陸津浪の被害を論據として)」、建築雑誌、 47(572), pp.809-831, 1933年6月、日本建築学会 濱田稔・桑田貞一郎・森徹、「三陸津浪に於ける家屋被害について」、建築雑誌 、47(572), pp.833-860, 1933年6月、日本建築学会 田中舘秀三・山口弥一郎、「三陸地方に於ける津浪に依る聚落移動」、地理と経済、1巻3号、pp.302-311、1936年 『建築雑誌』収録の論考は、CiNiiで検索して頂くと、オンラインで全文閲覧可能です。ただし、計画停電の影響でCiNii自体のサービスが中止されている時間帯があります(2011.3.23) 北原糸子「昭和8年津波と住宅移転 -岩手県下閉郡山田町船越・田ノ浜地区の事例-」、津波工学研究報告、15、pp.51-76、1998年 ■都市計画遺産研究会「三陸大津波からの復興 -1933-2011→」(日本建築学会まちづくり支援建築会議「まちづくり展」展示パネル(2011年4月12日―22日)) パネル1 パネル2 パネル3 パネル4 パネル5 パネル6 パネル7 パネル8 関連サイト @Wikipedia 昭和三陸地震 作成者用ガイド @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 @wikiプラグイン一覧 まとめサイト作成支援ツール
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/1162.html
文芸復興
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/4681.html
日本国政府 □ 復興庁 .
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産業復興用 ☆ とある共働き夫婦の「嫁日記」より 蒸し風呂行って来たよー( *´▽`) ☆○ 月○日(晴れ) 戦渦によって大打撃を受けた観光地復興の一環で、新しく国営で建設された「蒸し風呂」を、お仕事帰りに旦那さんと体験してきましたー。 新しく、と言っても実は新しくは無いのがこのお風呂。昔からあった伝統的な様式だったのだけど、個室のお風呂が増えた事によって現在ではすっかり無くなってしまっていたものなんだって。 (同僚の人が古い資料を出して来て、みんなに教えてくれた。) そもそもお風呂の話が出たのは、務め先で行った戦後復興会議での事。 壊滅した観光地・大観光地を復興する際に、新しく何かを新設するならお風呂が良いのではないか、という提案が出た事からだった。 レンジャー連邦は各家庭にお風呂がかなり普及していて、みんな結構なお風呂好き。 もちろん私もお風呂が大好きで、香りの良い入浴剤とか、体に良い薬用入浴剤を楽しみながら、のんびりするのが日課だった。 しかし、今現在そうやってゆっくり湯舟に漬かる事や、たっぷりのお湯でシャワーを浴びる事は難しい。 戦争での破壊によって受けた被害は大きく、ライフラインを司る施設からみんなの家まで…ずいぶんと失ってしまった…。 orz はっ、今凹んでも仕方ないよね! とにもかくにも、私と旦那さんは復興支援で日夜かけずり回り、少しでも早くみんなが安心して暮せる様に、って頑張ってました。>< で、話を戻す。 その会議の中で出て来たお風呂の中でも、同僚の一人(資料とか見せてくれた人!)が提案してくれた「蒸し風呂」は観光資源としてだけでなく、今の私達や国民さん達の為に良いのではないか、って事になった。 体を洗って綺麗にする事は衛生面や健康にも良く、共同浴場ともなれば、なんだかんだと交流が生まれ、人々の間に活気が戻るかもしれない…。 基本お風呂って、あがった後には心も体もさっぱりすっきりするし、水分取って潤えば、レンジャー連邦の乾いた風も気持ち良く感じたりするものだ。 そう、お風呂は砂漠の国の癒しと娯楽の殿堂だと思う。 (´□`)< お風呂万歳! お風呂最高! そういう事で、まずは国営で共同浴場「蒸し風呂」を復活させ、観光の新たな目玉とする前に、まずは国の皆に使ってもらおう!となったのでした。 前置きが長いって? 事情が分からない人の為の補足ですよー。 さて、お風呂は何ケ所かあるのだけど、私達が行ったのは記念すべき1号店。 建物はいたってシンプル。外側から見ると縦に長い大きな箱形で、小窓がちょこちょこと。 (看板は大きいよ、おかげで凄く見つけやすかった!) 出入口が小さめなのも昔ながらの作り。その代わり中に入るとすぐに広いホールになっていた。 高い天井には大きな天窓がついてて、思ったより開放的だー。 「風が降りて来て空気が籠らず、中が明るいな」とは旦那さんの感想。 左手にはテーブルやベンチがあるスペース。 そこには恰幅の良いおばちゃんがいるカウンターがあり、無料で飲める冷たい普通の水とレモン水。そして有料になるけど、ジュースやコーヒー、ミントティーなどのお茶類を楽しむ事ができる。 (ここより大きいお風呂屋さんでは、蒸気を利用した調理法の軽食も出したりしてるんだよ。蒸し鶏とか、蒸し野菜のサラダとか食べてみたいなあ。) 右手には靴を抜いて軽く横になれる、小上がりコーナーがしつらえてありました。 寝てる人はおじいちゃんやおばあちゃんが多かったかな。 荷物はどうしてるのかなと思ったら、受付で預かってくれるって壁に利用方法と一緒に書いてあった。 (この時キョロキョロしすぎて旦那さんに笑われる。(-з-)← ) 入口の正面には、お風呂に入る為の受付、小銭で入れる入浴料なのが庶民的で嬉しい。 (復興期間中は無料になってるよ、沢山の人が利用してくれてるって、受付のお兄さんが言ってました。) 靴を下駄箱に入れたら、女湯と男湯に別れるので、私と旦那さんの分の巻き布をそこで貰ったら、それぞれ薄布がかかった脱衣所への出入口を潜ります。 ( *´▽`)ノシ ちなみに追加料金を払うと、浴室で手練のおばちゃん&ごついおじちゃんによるマッサージや垢すり、別部屋ではお風呂の後にアロマオイルマッサージをしてもらえる。もちろんアロマオイルだけも買えるよ。私は「オレンジの花の香り」を買ってみました! 脱衣所は鍵付きロッカーが並んでいて、床は湿気や汚れに強い素材のマット敷き。 ちゃんと大きな鏡のついた化粧台とか、髪を乾かすドライヤーもあったよ、浴室は昔のままの様式だけど、他の設備は新しいのでご安心をとの事。 では、ぱぱっと脱いで、受付でもらった可愛い柄の薄い巻き布を体にきゅっと巻けば、蒸し風呂の入浴スタイル。 自前の桶にシャンプーや洗面用具を持ったら、いざ浴場へー。 浴室は、ガラス戸を開けて入った一つ目の大きな部屋はつややかな総石作り。 真ん中に八角形の大きな台あって、周りには洗い場が並んでますよ。そして扉のある部屋が奥に2つ。 浴槽は無し、温めた蒸気を使った古典式蒸し風呂ですから。 水の少ない土地ならではのお風呂なんですよねー。 先に入っていた人達が台に横になってて、すごく気持ち良さそう。>< でも、ますは奥にあるサウナ部屋に行くのがルール。 2つあるのは温度が高いのと低いのがあるから、垢すり係のおばちゃんが教えてくれました。 そこでたっぷり蒸気で蒸され、体にたまった老廃物を汗ごと出したら、垢すりする人は台へ直行、そうで無い人は洗い場でごしごし自分で汚れを落とします。 そうしたら程よい熱さの台の上に転がる。 マッサージだけの人も同じ、ただ、横になる場所が決まっていて、そこに寝ればおばちゃんが来てもんでくれるのです。 あったかいなーと思いながら上を見上げると、青空と太陽が描かれたタイル画の高い天井の一部が窓になっていて本物の青空が見えた。 (´Д`) あー…極楽極楽 程良くほぐれたところで、最後にもう一度洗い場でお湯か水をかぶり入浴終了ー。 巻布は脱衣所にある大きな籠に返して、タオルで水分を取ったら、受付で買ったアロマオイルを塗り塗り、これはお肌すべすべになっていい香りですよ! そして着替えをしたら、ホールに戻って旦那さんと合流しました。 旦那さんは先に上がっていて、機嫌良く水出しコーヒーをベンチに座って飲んでました。 ホント男の人はお風呂早いデスネ。 「これでも長く入っていた方だ」とは言っていたから、蒸し風呂を満喫してきた様ですが…w 私はお水を貰って一息、お風呂上がりのお水ってなんでこんなに美味しいんだろう!と思いながら、一緒にベンチに座って話しながらのんびり。 その間知り合いや、職場の仲間とも遭遇して話に華が咲いたりも…。 (会話の内容がどうしても重たいのが切ないけれど、いつかこの「蒸し風呂」で交わされるおしゃべりが、明るく楽しいものに変わって行くと良いな、と思う。><) 昔の人はそんな感じで2時間位、お風呂と休憩を楽しむのが普通だったというのを思い出した。共同浴場は社交の場でもあったんだねえ…。 (あ、私達もなんだかんだとその位いた気が!) そうそう、最後に。 お風呂からの帰り、旦那さんと手を繋いでお散歩しながら家まで歩いたのですが、その時に「また来ようね」って約束してきましたー。 アロマオイルの香りも、気に入ってくれたみたいなので、今度は旦那さんの分も選んでみたいと思います(*ノノ) と言う事で、「蒸し風呂」体験記でしたっ。 皆さんにもお薦めするので、一度行ってみて下さいねー。><ノ