約 22,955 件
https://w.atwiki.jp/gienkin311/pages/32.html
TOTO 1億円+100万円 http //www.toto.co.jp/company/press/2011/03/16.htm 大日本住友製薬 一億円+医薬品の提供 http //www.ds-pharma.co.jp/pdf_view.php?id=120 ファンケルは救援物資を送ることを決定。+100万円の義援金(3/16) http //www.fancl.co.jp/corporate/news/data/2011.3.16jishinshien.pdf NEC、総額1億円を超える支援を実施、義援金やIT機器の提供(3/16) http //www.nec.co.jp/news/info/20110314.html スカパーJSAT、東北地方太平洋沖地震被災地への支援を発表(3/16) http //www.sptvjsat.com/images/jp/news_release/1531/110316_gienkinshien.pdf 明治安田生命、8000万+社員からの募金+被災者に給付金支払い等で特別対応(3/15) http //www.meijiyasuda.co.jp/profile/release/2010/pdf/20110315.pdf コナミ株式会社1億円の義援金を発表 http //www.konami.co.jp/ja/news/topics/2011/0315/ スクウェア・エニックス・グループ1億円の義援金を発表 http //www.square-enix.com/jpn/news/2011/html/8ff6e79d3ba0894f50d2189db4fa0e67.html 日本プロ野球名球会、義援金300万円を寄付 http //www.meikyukai.co.jp/ 香港の世界11位富豪、李嘉誠氏義援金8100万円を寄付 http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20110316-OYT1T00705.htm 鏡リュウジ氏、100万円の寄付を自身のブログで発表 http //kagami.nifty.com/kagamilog/2011/03/post-8c66.html 和興フィルタテクノロジー株式会社 1000万円の寄付を発表 http //www.waftec.jp/topics13.html ベイクルーズ グループ、2000万の義援金 http //www.baycrews.co.jp/information/effort/2011/001144.html オリンパス、義援金1億円ならびに工業用内視鏡と非破壊検査装置など救援機材の提供 http //www.olympus.co.jp/jp/news/2011a/nr110316tohokuj.cfm サンリオ義援金、5千万円 マスク30万枚(無地) http //www.sanrio.co.jp/corporate/release/detail/376 NHNジャパン(ハンゲー)、プロモーション参加報酬として予定されていた1000万円を寄付 http //mantan-web.jp/2011/03/14/20110314dog00m200001000c.html デル、被災地復興に100万ドルを寄付 サーバやPCの物資支援も http //plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1103/16/news087.html 東証も5000万円の義援金 http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/finance/496187/ アシックス、、ウインドブレーカーや子ども用トレーニングウエア、Tシャツ、ソックスなどのスポーツウエア類と、ウオーキングシューズや子ども用シューズなど、合計約66,000点 http //www.asics.co.jp/corp/press/pressdoc/~dE7F6AC99491FC9AF49257855002FB0F5 日本証券業協会が義援金1億円、クレディスイス証券100万ドル http //www.asahi.com/business/update/0316/TKY201103160326.html?ref=rss utm_source=dlvr.it utm_medium=twitter utm_campaign=news_bot_1 渡辺俊が義援金100万円=プロ野球・ロッテ http //www.jiji.com/jc/c?g=spo_30 k=2011031601183 ニューバランス1万足の寄贈、社員寄付とあわせ、同額の義援金 http //www.newbalance.co.jp/press/pdf/NBPR_20110316.pdf? 中日選手会、被災者へ義援金100万円 http //www.sanspo.com/baseball/news/110313/bsc1103131908000-n1.htm Jリーグ、被災地に義援金5000万円 http //www.sanspo.com/soccer/news/110315/sca1103152200012-n1.htm LG エレクトロニクス・ジャパン 1億の義援金 http //japan.internet.com/busnews/20110316/4.html?rss コーチ4億円の寄付を発表 http //japan.coach.com/online/handbags/genWCM-13001-13500-jp-/Coach_CJI/static_pgs/311 アン・ジェウク、地震の義援金1億ウォン(約720万円)の寄付を発表(2011年3/16 15 23) http //www.wowkorea.jp/news/enter/2011/0316/10081381.html コミックナタリー(株式会社ナターシャ) 200万の寄付を発表 http //natalie.mu/comic/sitenews/83 伊藤忠テクノソリューションズが震災義援金3000万円 http //itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110316/358403/ 全日空が義援金1億円 救援物資・支援人員は無償輸送。マイレージによる寄付金受付も http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110316/biz11031617210050-n1.htm ドジャース・黒田が義援金5万ドル(約400万円)を寄付(産経新聞)(2011.3.16 08 49) http //sankei.jp.msn.com/sports/news/110316/mlb11031608510004-n1.htm 東ソー、義援金1億円(産経新聞) http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110316/biz11031615590041-n1.htm 米ウォルマート、500万ドル(4億円)支援申し出(産経新聞)(2011.3.16 16 44) http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110316/biz11031616450044-n1.htm 回転寿司チェーンのくらコーポレーションも義援金1億円、社長も個人で1千万円を寄贈 田中邦彦社長も個人で1千万円を寄贈する。 http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110316/biz11031620070072-n1.htm 木下工務店グループは、義援金として1億円、5000万円相当の資材、作業員の派遣を発表 http //www.kinoshita-group.co.jp/news_all/2011/03/16_110313.html BEAMS、1000万円寄付を決定。各店舗に募金箱も設置へ。 http //www.vogue.co.jp/fashion/news/2011-03/16/beams アルファサード、Power CMS for MTのライセンス売上を全額、東日本大地震の被 災地への義援金として寄附することを発表 http //alfasado.net/contents/news/201103142321.html ゆずソフト(ゲームメーカー)100万を寄付すると発表 http //yuzu-soft.com/main.html 日東電工、義援金1億と飲料水作る逆浸透膜を被災地に提供(日経新聞) http //www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819A96E3E4E2E0E78DE3E4E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2 味の素 追加の支援として食料品と飲料を提供、義援金2億円を寄付 http //eco.nikkeibp.co.jp/article/news/20110316/106128/ 宇多田ヒカル 献血400CCをしたとつぶやく(J-CASTニュース) http //www.j-cast.com/tv/2011/03/16090627.html クリエイティブオフィスキュー 1000万の義援金を発表 http //www.office-cue.com/CPFJ/ アミューズが義援金とマスク240万枚を寄贈(オリコンニュース)(2011/3/16 18 00 ) http //www.oricon.co.jp/news/music/85779/full/?cat_id=tw サンドウィッチマンが義援金口座「東北魂」開設 所属事務所から1000万円寄付(オリコンニュース)(2011/3/16 17 40 ) http //life.oricon.co.jp/85749/ JKA 義援金3億円送る(スポニチannex)(2011/3/16 17 08 ) http //www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/03/16/kiji/K20110316000438590.html エイベックス 1億円を寄付(2011/3/16 17 50) http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000321-oric-en 中国仏教協会が犠牲者のため法会、義捐金1200万円も(サーチナ)(2011/03/16 17 26) http //news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011 d=0316 f=national_0316_194.shtml ジャニーズ、トラックを無償で貸し出しへ(サンケイスポーツ) (2011/3/16 07 52) http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000032-sanspo-ent 浜松ホトニクス、5000万の義援金(2011/3/16 18 03) http //jp.hamamatsu.com/hamamatsu/press/2011/popup_jp_110316.html ココイチ レトルトカレー6万6000食分提供(産経新聞)(2011/3/16 18 03) http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110316/biz11031618040059-n1.htm ホクレン、ジャガイモ約35トン、タマネギ約175トン、コメ約35トン、その他の農産物約95トンを提供(産経新聞)(2011/3/16 17 50) ttp //sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031617500072-n1.htm パチプロライターしのけん氏、百万円を日本赤十字社に寄付 http //ameblo.jp/shinoken-slomaga/entry-10832270635.html ダイキン、業務用空気清浄機と暖房機を被災地に提供(日本経済新聞)(2011/3/16 17 33) http //www.nikkei.com/tech/news/article/g=96958A9C9381949EE3E4E296828DE3E4E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2 ニトリ、被災地へ布団・毛布4万点と敷マット2万点(3億円相当)(2011/3/16 17 53) http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20110316-OYT1T00709.htm マルハンが義援金5億円(2011 3/16日16 05) http //www.nikkansports.com/pachinko/news/f-pp-tp0-20110316-749155.html JOC、赤十字に震災義援金1千万円(2011 3/15 21 14) http //www.asahi.com/sports/update/0315/TKY201103150368.html?ref=reca 【調査】企業170社の義援金、計約200億円に 経団連まとめ(2011/3/16 13 32) 日本経団連は16日、東日本大震災の被災者らに対して、会員企業など約170社が計約200億円の義援金の提供を表明していることを明らかにした。15日夜時点で、各社のホームページなどから集計したという。経団連では今後も、被災地への救援物資の提供などと合わせて、各企業に協力を呼びかける方針。 新日鉄、義援金5億円=食料や生活物資も〔大地震〕。(時事新報)(2011/03/16-14 19) http //www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa k=2011031600613 アイリスオーヤマ義援金3億円 平田牧場も500万円寄託(河北新報) http //www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110316t73050.htm ジャパネットたかた、5億円とエネループ1万台、3/16の売り上げすべてを寄付 http //www.japanet.co.jp/shopping/support/info17.html 震災をうけてディズニーが2億円寄付(2011年3月16日) http //japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011031631938 「今の苦痛よくわかる」韓国被爆者協会が義捐金伝達(東亜日報) http //japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011031631938 AKB義援金5億円…秋葉原劇場は休館 http //www.daily.co.jp/newsflash/2011/03/16/0003870397.shtml 1000万円寄付をグルーポンに断られたひろゆき 2011年03月15日14時45分 http //news.livedoor.com/article/detail/5416162/ マイクロソフト 200万ドルの寄付を決定 http //www.microsoft.com/japan/citizenship/disasterrelief/default.mspx}
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2011年3月開催のチャリティ大会一覧 3/19 福岡 :最後の5ドル 大会終了(結果報告) 3/19 広島 :ビバーチャ2 大会終了(結果報告) 3/19 鹿児島:アミューズメントリバティー 大会終了(結果報告) 3/20 山口 :ゲームスポットSPEED 大会終了(結果報告) 3/20 岡山 :ファンタジスタ 大会終了 3/20 兵庫 :三宮のゲームセンター 大会終了(結果報告) 3/25 広島 :アミパラキャッスル 大会終了(結果報告) 3/26 福岡 :ハンビー 大会終了 3/26 鹿児島:アミューズメントリバティー 大会終了(結果報告) 3/26 広島 :V1五日市店(旧パレプレ) (GuitarFreaksV7 DrumManiaV7も同日) 大会終了(結果報告、結果報告) 3/26 広島 :JOY呉 大会終了(結果報告) 3/26 東京 :高田馬場ゲーセンミカド 大会終了(結果報告) 3/27 岡山 :ファンタジスタ 大会終了 開催地 福岡県 開催日 3月19日(土) 種目 ストリートファイター3 3rd STRIKE 店舗 最後の5ドル福岡市東区 二又瀬 4-1092-612-8080 周辺情報 大会要項 最後の5$(旧チリング) 3rd大会シングルと3on3で大会をやります。 参加費 受付 17時まで 大会開始 18時より 主催・運営 タカミさん 状況 大会終了(結果報告) 備考 開催地 広島県 開催日 3月19日(土) 種目 ストリートファイター3 3rd STRIKE 店舗 ビバーチャ2広島県広島市中区平野町10-16082-504-7575 周辺情報 広島駅から50番の赤バスに乗り、平野町で降りる広電ボウル入って左 大会要項 ビバーチャ2 3rd大会(ランバト⇒詳細はこちら) 参加費 受付 開催時間まで? 大会開始 20時予定 主催・運営 ゴエさん 状況 大会終了(結果報告) 備考 開催地 鹿児島県 開催日 3月19日(土) 種目 メルブラ大会、3rd対戦会 店舗 アミューズメントリバティー鹿児島市千日町15-15リバティーハウス2F・3F099-219-1526 周辺情報 鹿児島市天文館G3アーケード マクドナルド上店舗裏に立体駐車場あり 大会要項 参加費 メルブラは100円、3rd対戦会は300円 受付 大会開始時間まで 大会開始 メルブラは16時開始、3rdは19時開始 主催・運営 ZON、銀はがし 状況 大会終了(結果報告) 備考 開催地 山口県 開催日 3月20日(日) 種目 KOF98UM 店舗 ゲームスポットSPEED山口県周南市大字久米3091-1 ワンダービル2階0834-36-2828 周辺情報 最寄りの駅:櫛ヶ浜駅・徳山駅最寄りのIC:徳山東無料駐車場あります 大会要項 1on1によるトーナメント制、それと初心者向け大会を考えてます(KOFほぼ触った事がない人向け、集まり次第)ルール:基本的にデュエルに同じ 参加費 500円(大会前98UMのフリプ付き)14時以降に到着される方は300円初心者大会を行う場合、初心者の方は100円(やり込み勢のセコンド付き)※参加費は東北地方太平洋沖地震への義援金として役立たせて頂きます 受付 14時30分まで 大会開始 15時より 主催・運営 †マァシ†さん 状況 大会終了(結果報告) 備考 98UM2台、ネシカ98FE1台、02UM未定ボタン配置は両UMはA落ち⇔Boxの切替式、FEはA落ち98UMフリプは上限10連勝 開催地 岡山県 開催日 3月20日(日) 種目 スーパーストリートファイター4AE 店舗 ファンタジスタ岡山県倉敷市新倉敷駅前5-194086-523-6555 周辺情報 最寄駅: 新倉敷駅から徒歩10分程度 大会要項 シングル戦 参加費 100円 受付 15時まで 大会開始 受付終了後 主催・運営 ファンタジスタ 状況 大会終了 備考 筐体を募金箱仕様にして店内中央両替機を後ろに向いた場所に常時設置してあります。1~500円の硬貨を入れる事が出来ます。任意で募金して下さいそれぞれの大会予定についてはファンタジスタの情報ブログを参照して下さい(ブログ⇒詳細はこちら) 開催地 兵庫県 開催日 3月20日(日) 種目 スーパーストリートファイター4AE 周辺情報 三宮駅 大会要項 ランダム2on2 参加費 備考参照 受付 13時から 大会開始 16時予定 主催 cat-k@アライ 状況 大会終了(結果報告) 備考 義援金は1000円からでお願いしますm(_ _)m 場所代200円を除いた金額を全額日本赤十字社へ寄付します。よろしくお願いします。 開催地 広島県 開催日 3月25日(金) 種目 KOF02UM 店舗 アミパラキャッスル広島県福山市東深津町4-16-25084-925-8867 周辺情報 国道2号線沿い キャッスルボウル1F駐車場あり(2Fボウリング場と兼用) 大会要項 シングルトーナメント 参加費 100円 受付 19時から大会開始まで 大会開始 20時予定 主催・運営 ALF 状況 大会終了(結果報告) 備考 ※募金用に募金箱を用意しますので任意で募金してください。 開催地 福岡県 開催日 3月26日(土) 種目 02無印、02UM、98無印 店舗 ハンビー福岡県福岡市博多区月隈6-23-9092-503-4848 周辺情報 立花寺バス停より徒歩3分駐車場あり(70台) 大会要項 参加費 300+α円(朝方までフリープレー) 受付 19時受付開始 大会開始 20時開始 主催・運営 ベガさん 状況 大会終了 備考 開催地 鹿児島県 開催日 3月26日(土) 種目 3rd、スパ4AE合同大会 店舗 アミューズメントリバティー鹿児島市千日町15-15リバティーハウス2F・3F099-219-1526 周辺情報 鹿児島市天文館G3アーケード マクドナルド上店舗裏に立体駐車場あり 大会要項 参加費 300円 受付 開始時間まで 大会開始 19時開始 主催・運営 ZON、銀はがし 状況 大会終了(結果報告) 備考 4月上旬にKOF02UM大会も予定しています 開催地 広島県 開催日 3月26日(土)20時から 種目 スパ4AE 店舗 V1五日市店(旧パレプレ)広島県広島市佐伯区吉見園1-27 周辺情報 最寄駅:広電五日市駅 大会要項 未定 参加費 無料 受付 大会開始まで 大会開始 20時から 主催・運営 ドイルさん 状況 大会終了(結果報告) 備考 唐突にチャリティー大会します今月26日にV1五日市(旧パレプレ)で20時からの予定参加費は店のご好意で無料にまた募金も強制ではなく各々が会場設置の募金箱に入れて下さればよいと思います。集計額をその場で発表〜後日、証明書をwikiにアップする予定大会形式とかはその時の気分で決めます※尚、ぱよ主催で同場所・同日で音ゲーの大会も実施するようです。 開催地 広島県 開催日 3月26日(土)20時から 種目 GuitarFreaksV7 DrumManiaV7 店舗 V1五日市店(旧パレプレ)広島県広島市佐伯区吉見園1-27 周辺情報 最寄駅:広電五日市駅 大会要項 セッション大会(詳細は当日発表) 参加費 未定 受付 大会開始まで 大会開始 15時から 主催・運営 ぱよさん 状況 大会終了(結果報告) 備考 チャリティー目的なので、上手い下手関係なく楽しみたい方大歓迎です! あと、セッション大会なので、GF1 dm1かGF2 dm1になるような微調整出来るマルチな方も大歓迎です(・∀・∩) 開催地 広島県 開催日 3月26日(土) 種目 ブレイブルーCS2 店舗 JOY呉広島県呉市中通4-3-6 周辺情報 最寄駅: JR呉駅下車徒歩16分れんが通りアーケード内、パチンコ屋ニューヒカリ2F付近の道路は一方通行だらけで駐車場もなく、徒歩での来店を推奨 大会要項 未定 参加費 100円 受付 19時 大会開始 20時 主催・運営 水鶏さん 状況 大会終了(結果報告) 備考 寄付金は各自任意で募金箱へ 送金方法はJOY呉店内にある30分100円のパソコンにて皆さんの目の前で担当水鶏のヤフーIDにて寄付金額を送る。もしくは JOY呉店内にある義援金募金箱に入れるor最寄のコンビニで赤十字に振込みどれが良いかは検討中 。 開催地 東京都 開催日 3月26日(土) 種目 3rd 店舗 高田馬場ゲーセンミカド新宿区高田馬場4-5-1003-5386-0127 周辺情報 JR山手線 高田馬場駅(戸山口・南):徒歩30秒東京メトロ 高田馬場駅(1番出口):徒歩45秒西武新宿線 高田馬場駅(早稲田口):徒歩1分 大会要項 形式はシングルス 参加費 300円(諸費用を除いた約200円を寄付) 受付 シングルス受け付け12 00〜16 00まで、16 30開始 大会開始 13時 主催・運営 もちさん 状況 大会終了(結果報告) 備考 シングルス戦前にゲーセン対抗5on5イベントを企画。(参加者は既に決まっている状況です) 開催地 岡山県 開催日 3月27日(日) 種目 ブレイブルーCS2大会&GGXXAC段位認定大会ブレイブルー大会終了後にGGXX大会 店舗 ファンタジスタ岡山県倉敷市新倉敷駅前5-194086-523-6555 周辺情報 最寄駅:新倉敷駅から徒歩10分程度 大会要項 シングル戦 参加費 100円 受付 14時まで 大会開始 受付終了後 主催・運営 ファンタジスタ 状況 大会終了 備考 筐体を募金箱仕様にして店内中央両替機を後ろに向いた場所に常時設置してあります。1~500円の硬貨を入れる事が出来ます。任意で募金して下さいそれぞれの大会予定についてはファンタジスタの情報ブログを参照して下さい(ブログ⇒詳細はこちら) 以下報告 開催日 2011/3/19 開催店舗 最後の5ドル(福岡県) 大会概要 最後の5$(旧チリング) 3rd大会 募金総額 30,500円 募金先 日本赤十字社(Famiポート経由) 募金責任者 タカミさん 受領証など http //twitpic.com/4b2rwr 備考 大会の募金額 30267円に運営から233円追加して30500円となりました。 開催日 2011/3/19 開催店舗 ビバーチャ2(広島県) 大会概要 3rd大会(ランバト) 募金総額 10,000円 募金先 日本赤十字社(Famiポート経由) 募金責任者 ゴエさん 受領証など 備考 9,535円に端数を足して10000円にしました。 開催日 2011/3/19 開催店舗 アミューズメントリバティー(鹿児島県) 大会概要 メルブラ大会、3rd対戦会 募金総額 14,000円 募金先 日本赤十字社(Famiポート経由) 募金責任者 ZONさん、銀はがしさん 受領証など http //twitpic.com/4baccb 備考 3rd 参加者9名 \6,667- + メルブラ 参加者17名 \7,201- = \13,868- 運営で\132-追加して\14,000-をファミマで募金してきました! 開催日 2011/3/20 開催店舗 ゲームスポットSPEED(山口県) 大会概要 1on1によるトーナメント制、それと初心者向け大会を考えてます 募金総額 10,600円 募金先 日本赤十字社(郵便局経由) 募金責任者 †マァシ†さん 受領証など 備考 ★大会(やり込み)+フリプ【\500】×11 ★大会(初心者)+フリプ【\300】×4★大会(やり込み)のみ【\300】×2 ★大会(初心者)のみ【\100】×3 ★フリプのみ【\300】×1これに加えてさらに寄付をしてくれた人もいて、\2,700の募金がプラスされ、計\10,600が集まりました 開催日 2011/3/25 開催店舗 三宮のゲームセンター(兵庫県) 大会概要 スパ4AEのランダム2on2 募金総額 110,168円 募金先 日本赤十字社(三井住友銀行経由) 募金責任者 cat-k@アライさん 受領証など 備考 1000円からの参加費でしたが、参加者39名でさらに店長のご好意もあり、合計110,168円集まりました。 開催日 2011/3/25 開催店舗 アミパラキャッスル(広島県) 大会概要 ランダム2onのリーグ戦 募金総額 3,170円 募金先 日本赤十字社(郵便局経由) 募金責任者 ALFさん 受領証など 備考 大会参加以外の方からも募金をいただき、合計3,170円集まりました。当日の金額確認 http //twitter.com/usahash/status/51255585261355008 開催日 2011/3/26 開催店舗 アミューズメントリバティー(鹿児島県) 大会概要 3rd、スパ4AE合同大会 募金総額 34,000円 募金先 日本赤十字社(Famiポート経由) 募金責任者 ZONさん、銀はがしさん 受領証など http //twitpic.com/4dxmev 備考 26日 3rd+スパ4AE合同大会 参加者27名 25,083円 / 27日 音ゲ交流会 8,500円 合計33,583円に 運営で417円追加して34,000円をファミマで募金してきました! 開催日 2011/3/26 開催店舗 V1五日市店(旧パレプレ)(広島県) 大会概要 スパ4AE 募金総額 20,000円 募金先 日本赤十字社(郵便局経由) 募金責任者 ドイルさん 受領証など 備考 開催日 2011/3/26 開催店舗 V1五日市店(旧パレプレ)(広島県) 大会概要 GuitarFreaksV7 DrumManiaV7 セッション大会 募金総額 5,000円 募金先 日本赤十字社(Famiポート経由) 募金責任者 ぱよさん 受領証など 備考 参加費etc.4100+端数合わせの自腹900円 開催日 2011/3/26 開催店舗 JOY呉店(広島県) 大会概要 ブレイブルー1on1大会 募金総額 5,700円 募金先 日本赤十字社 募金責任者 水鶏さん 受領証など 提供待ち 備考 参加者9名 計\5,700 開催日 2011/3/26 開催店舗 高田馬場ゲーセンミカド(東京都) 大会概要 Street Fighter 3 3rd strike 東西線最強決定戦・チャリティーシングルス 募金総額 17,750円 募金先 日本赤十字社(郵便局経由) 募金責任者 もちさん 受領証など 備考 17,750円 (250円×参加者71名)
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俺は虹村垓。M県S市杜王町のぶどうが丘高校に通う高校1年生だ。 現在俺は、世界を手中に収めるために、高校のスタンド使いと交流を深めたり、世界を手に入れた後のことを考えてハーレム形成に力を尽くしたり、エロゲに血道をあげている。 まあ、充実した日々を送っている方なんだろうな。 ……充実した日々を送っている、はずなんだがよぉ…… ** 「いよいよ明日はバレンタインデーだねー、那由多ちゃん。ドイツでは女の子がチョコをあげる習慣はないから、楽しみだよ♪」 「ショコラは楽しみそうだが、私としては迷惑だぞ。『チョコくれ』コールが毎年うるさいんだ」 ある休日の商店街でのことである。荷物持ちとして、大量の品物に押しつぶされそうになっている俺の前で、姉とその友人が仲良くしゃべっている。 「ね、ね! そんなこと言ってるけど、那由多ちゃんは誰かにチョコをあげたりするの?」 ショコラちゃんはニコニコ笑いながらそんな事を言い出したが、直後笑いが劇的なまでにこわばった。 なんせ、姉の料理はとても食えたものじゃない。今の一言が原因で友チョコなんぞやられたら身がもたねェからな。 が、当の姉は妙に機嫌良く、よくぞ聞いてくれた、とのたまってやがる。……最悪だ。 「うん、なんかオリスタスレ避難所や、トラサルディーのお客にはどうも私目当てのやつらがいるらしい。 私の柄じゃないけど、そういう連中にチョコを送って、日頃のご愛顧に感謝すると同時に、それで満足させて変なことをしないようにしてもらおうと思ってる」 ふっふっふっ……、ホワイトデーのお返しが楽しみだ。姉が黒い笑いを浮かべているのをしり目に、ショコラちゃんが小走りに俺に近寄ってくる。 「た、大変だよォ……。那由多ちゃんの料理って『パール・ジャムを仕込んだばっかりにトニオさんが再起不能になった』くらいひどいのに……」 「最悪だぜ……。昔、こんなことがあったんだぜ? 姉ちゃんがまだ素直なお年頃だった時に親父にチョコをやったんだがよぉ、それを食った親父でさえ、 『た、たとえるなら、プロレスに進出した曙! 君塚良一脚本の劇場版踊る大捜査線! HFルートのないFate/stay night! ごめんな……、父さんがいくら那由多を大好きでも……、この味は無理……、グフッ!』と言って再起不能になったんだぜ? あの親バカの親父でさえそうなんだから、姉ちゃんのチョコが全国にばらまかれたら……」 顔色を青ざめる俺たちに気づこうともせず、姉は楽しげに緩んだ口で「大変だ、迷惑だ」と言い続けていた。 ** 「さてと、承太郎さんからもらった吸血鬼の骨から良い出汁も取れたことだし、次は電池やひき肉、たくあん、塩辛、ジャム、煮干、大福、セミの抜け殻とウインドーズ・レクイエムを……」 台所から不気味な臭いと黒い煙が家中に漂い、姉の激しく間違った呟きと冷蔵庫をごそごそやる音が漏れ聞こえる。 恒河沙姉ちゃんは作家さんのところに逃げたし、母さんは『チョコ』の臭いで気絶しちまった。当然親父は仕事で家にいねぇ。 どうやら、俺が世界を救うしかないらしい。ヤレヤレだぜ……。とはいえ、どうやって姉の作る『チョコ』を処分すべきか…… 物陰で隠れている俺の顔から冷や汗がダラダラ流れていた。 だってよぉ、鍋の中で『チョコ』がウネウネ動いては「WRYYYYYYYYYYYYYYY!」って叫んでるんだぜ? 俺のSAN値は一秒ごとに減少中だぜ…… その時、あけっぱなしのキッチンの窓から話し声が聞こえてきた。 「今日は、『ヨハネ・クラウザーⅡ世withキャッツ・グローブ』の初ライブでし。あねさんも来てほしいでしよ!」 「はいはい、また今度ね」 「今度じゃダメでし! ん? 電池の匂いでし……」 どうやら、オリスタの人気者ことピンクのカバが電池の匂いにひかれて、『チョコの鍋』へと近づいてくる。姉は、ごそごそやるのに夢中で気付いてない。 で、本体は『チョコ』の危険性に目ざとく気づいたか、「キャッツ、あきらめなさい!」と、スタンドの腕を引っ張るが、クラウザーコスのキャッツ・グローブは諦めずに本体を引きずって鍋へと近寄っていく。 電池を『聖杯』かなんかと勘違いしてないか? イン○ィ・ジョーンズの映画でこんな構図を見た気がするぜ。 「電池ぃぃぃぃぃいいいいい!」 あ、とうとう飛び込みやがった。で、『チョコ』にどんどん沈み込んでいきながら、腕だけ出して親指をピッと立ててやがる。○ーミネーターじゃねーぞおめーはよぉ。 流石に、そこまで来ると姉も異常に気付いたか、あわてて菜箸でピンクカバを取り出した。幸い、キャッツに尻の穴はないが、あったら失禁していたことだろう。 ただ、だからと言って無事というわけではなく、キャッツも本体も白目をむいて気絶してしまっていた。大慌ての姉は、裸足で外に出て介抱にかかっている。 (チャーンス!) 俺は、その隙を逃さなかった。大急ぎでキッチンに飛び込み、イースタン・ユースで鍋を収納し、ダッシュで自室へ駆け戻る。 しばらくして、姉が戻ってきたが、『チョコ』がないのに気付いて大慌てだ。あちこち探し回っているうちに、とうとう俺の部屋にまで来やがった。だが、大丈夫。俺にはいいわけの準備がある! 「垓、あんた私の作ってたチョコレート知らない……って、『イースタン・ユース』が握ってるのは何よ?!」 「あ、ああ、これね? 姉ちゃんがいきなり入ってきたから、急いで机の上にあったものを隠さなきゃなんなくなっちまったんだろーがよ! 姉ちゃんが、洋ピン『俺の下はスタンドだ!』と、『姉、ちゃんとしようよ』、そして知り合いが書いた『靴下は、脱がさぬことと見つけたり』を見てぇってんならしゃーねーけどよォ」 よし、これで言い訳はばっちり。これで、俺の計算が正しければ…… 「だ、だ、だ……」 「だ?」 「誰が、そんなもんをみるかぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」 ブチ切れた姉は、俺を水平線の彼方まで殴り飛ばすに決まってる! 目論見通り吹っ飛んで再起不能にされる途中、俺は世界を救った充実感を噛みしめていた。 本体名―虹村垓 スタンド名―イースタン・ユース(姉に水平線の彼方までブン殴られて再起不能。ただし、狙い通り『チョコ』を海に投棄出来たので戦略的勝利) ** 翌日のことである。 「ったく、泥棒は結局見つかんなかったぞ」 「まあ、しゃーねーよ。姉ちゃん。大体、チョコはやらない方が相手をヤキモキさせんのにいいんだぜ?」 食卓でだべっていた俺らであったが、 『ただいま、緊急ニュースが入ってまいりました。太平洋に突如現れた怪物は、チョコレートにくさやを混ぜたような臭いをばらまきながら、ハワイを襲撃し、数千人もの負傷者が出ております……』 「へー、怪物だってさ。いるんだなぁ、そんなの」 「スタンド使いや吸血鬼がいるんだから、怪物がいてもおかしくないわよ」 姉と母さんの泰平楽な会話とニュースの内容に、俺の顔がひどくこわばった。 < 前へ 一覧へ戻る 次へ > 当wiki内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用、AI学習の使用を禁止します。 [ トップページ ] [ ルールブック ] [ 削除ガイドライン ] [ よくある質問 ] [ 管理人へ連絡 ]
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海舟全集第9巻 鶯谷庵独言 おれが此一両年、始て外出を止められたが、毎日毎日諸々の著述、物の本、軍談、また御当家の事実、いろ〳〵と見たが、昔より皆々、名大将、勇猛の諸士に至まで事々に天理を知らず諸士を扱ふ事、又は世を治るの術、乱世治世によらずして、或は強勇にし、或はほふ悪く、或はおごり女色におぼれし人々、一時は功を立るといへ共、久しからずして天下国家をうしなひ、又は知勇の士も聖人の大法に省く輩は始終の功を立ずして、其身の亡びし例をあげてかぞへがたし。和漢とも皆々天理にてらして君臣の礼もなく父兄の愛もなくして、とんよくきょうしゃ故に全き身命を亡し、家国をもうしなふ事、みな〳〵天の罪を受る故と、初めてさとり、おれが身を是までつゝがなくたもちしはふしぎだと思ふと、いよ〳〵天の照鏡をおそれかしこみて、なかなか人の中へも顔出しがはづかしくて出来ずと思ふは、去ながら昔年、暴悪の中よりして多くの人を金銀をもおしまず世話をしてやり、又人々の大事の場合も助けてやったから、夫故に少しは天の恵みがあった故、此様にまづあんのんにしているだらふと思ふ。息子がしつまい故に、益友をともとして、悪友につき合ず、武芸に遊んでいて、おれには孝心にしてくれて、よく兄弟をも憐み、けんそにして物を遣はず、麁服をもはぢず麁食し、おれがこまらぬよふにしてくれ娘が家内中の世話をしてくれてなきもおれ夫婦が少しも苦労のないよふにするから今は誠の楽隱居になった。おれのよふな小供が出来たらば、ながく此楽は出来まいと思ふ、是もふしぎだ。神仏には捨られぬ身と思ふ。孫や其子はよく〳〵義邦の通りにして子々孫々のさかえるよふに心がけるがいゝぜ。年は九歳からは外の事をすてて、学文して武術に昼夜身を送り諸々の著述本をみるべし。へたの学問よりははるか増だから女子は十歳にもなったらば髪月代を仕習て、おのれが髪も人手にかゝらぬよふして縫はりし、十三歳ぐらゐよりは我身を人の厄介にならぬよふして手習などもして人並に書く事をすべし。他へかしても事をかゝず一家を治むべし。おれが娘は十四歳のときから手前の身の事は人の厄介になった事はない。家内中の者が却々世話になる。男子は五体を強よくして、そしきをして武芸骨をり一芸は諸人にぬき出ていを逞ましくして旦那の為には極忠をつくし親の為には孝道を専らにして妻子にはじあいし下人には仁慈をかけてつかひ勤をばかたくして友達には信義をもって交り専らにけんやくしておごらず、そふくし益友には厚くしたひて道をきゝ師匠をとるなら業はすこし次にても道に明らかして俊ぼくの仁をゑらみて入門すべし。無益の友は交るべからず。多言を云事なかれ。目上の仁は尊敬すべし。万事内輪にして慎み祖先をまつりてけがすべからず。勤は半時早く出べし。文武を以て農事と思ふべし。少しも若き時はひまなきよふ道々を学ぶべし。ひま有時は外魔が入て身をくづす中だちの遊芸にはよる事なかれ。年寄は心して少しはすべし。過ればおのれのよふになる。庭へは諸木を植ず畑をこしらへ農事をもすべし。百姓の情をしる。世間の人情に通達して心にをさめて外へ出さず守べし。人に芸の教受せば弟子を愛して誠を尽し気に叶ぬものには猶々丹誠を尽すべし。ゑこの心を出す事なかれ。万事に厚く心を用ひする時は天理にかなひて、おのれの子孫に幸あらん。何事も勤と覚らば、うき事はなかるまじ。第一に利欲は絶つべし。夢にも見る事なかれ。おれは多欲だから今の姿になった。是は手本だ。高相応に物をたくわへて、若、友達か親類に、ふ慮の事があったならば、をしまず、ほどこしやるべし。縁者はおのれより上の人と縁組べからず。成丈にひん窮より相談すべし。おのれに勝るとおごりかって家来はびんぼう人の子を仕ふべし。年季立たらば分限の格にして片付てやるべし。女色にはふけるべからず。女には気を付べし。油断すると家を破る。世間に義理をばかくべからず。友達をば陰にて取なすべし。常住坐臥とも、にうはにして家事を治め主人のいかうをおとすことなし。せいけんの道に志て万慎みて守るときは一生安穏にして身をあやまつ事はなかるまじ。おれは是からはこの道を守心だ。なんにしろ学問を専要にして能く上代のをしへにかなふよふにするがいゝ。随分して出来ぬ事はないものだ。それになれると、しまひには、らくに出来る物だ。けっして理外の道へいることなかれ。身を立、名をあげて、家をおこす事はかんじんだ。譬へばおれを見ろよ。理外にはしりて人外の事ばかりしたから祖先より代々勤めつゞいた家だが、おれがひとり勤めないから家にきづを付た。是が何寄の手本だは。今となりて覚て、いく様も後悔をしたからとて、しかたがない。世間の者には悪輩の様にいわれて持てゐた金や道具は、かしとりにあいて夫を取にやれば隠居が悪法で拵らへた道具だから何返すに及ずといふし、金もまた其の心持で居るから、ろくに挨拶もせずによこさぬは。悟ば向ふが尤と思ふ。よい。かよふの事が出ても人をばうらむものではない。みんなこちちのわるいと思ふ心がかんじんだ。怨敵には恩を以てこたへば間違はない。おれは此度も頭よりおしこめられてから取扱のものどもをうらむだが、よく〳〵考へて見たらば、みんなおれが身より火事を出したと気がついたから、まいばんまいばん罪ほろぼしには、ほけ経をよんで陰ながら、おれにつらく当ったと、おれが心得違た仁々は、りっしんするよふに祈てやるから其せいか此ごろはおれの体も丈夫になって家内のうちに、なにもさいなんもなく親子兄弟とも一言のいさかひもなく毎日〳〵笑てくらすは誠に奇妙のものだと思ふから子々孫々も、こふしたらば、よかろふと気がつゐた故に、ひまにあかして折々出付た。善悪の報ひをよく〳〵あぢはふべし。恐多くも東照宮の御幼少の御事、数年の御なんせん故に、かくの如くに太平つづき、万事さかへるうれひ忘れ、妻子をあん楽にすごし、且は先祖の勤苦、思ひやるべし。夫より子孫はふところ手をして先祖の貰た高を取うけて昔を忘れて美服をき、美味をくらひ、ろくの御奉公をも勤めざるは不忠不義ならずや。ここをよくおもって見ろ。今の勤めは畳の上の畳事だから少もきづかひがないは万一すべってころぶ位の事だ。せめては朝は早く起き其身の勤にかゝり夜は心を安じて寝て淡白のものを食し、おごりをはぶひて諸道に心をつくし不断のきるいは破れざれば是として勤の服はあかのつかざれば是とし家居は雨もらざればよしとし畳きれざれば是として専らに、けん素にして(脱落有り)よくはすべからず。倹吝の二字を味をふてすべし。数巻の書物をよんでも心得が違ふと、やろふの本箱字引になるから、ここを間違ぬよふにすべし。武芸もそふだ。ふころの業を学ぶと支体かたまりて、やろふの刀掛になる故、其心すべし。人間になるにも其通りだ。とくよく迷ふと、うはべは人間で心は犬猫もどふよふになる。真人間になるよふにい心懸るが専一だ。文武諸芸ともみな〳〵学ぶに心を用ひざれば、不残このかたわとなる。かたわとなるならば学ばぬがましだ。よくよくこの心を間違ぬよふに守が肝要だ。子々孫々とも、かたくおれがいふことを用ゆべし。先にもいふ通り、おれは之までも、なんにも文字のむつかしい事はよめぬから、こゝにかくにも、かなのちがひも多くあるから、よく〳〵考へてよむべし。 天保十四寅年の初冬、於鶯谷庵かきつゞりぬ 左衛門太郎入道 夢酔老 気心は勤身 気はながくこゝろはひろくいろうすく つとめはかたく身をばもつべし 外に まなべたゞゆふべになろふみちのべの 露のいのちのあすきゆるとも おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有まいとおもふ故に孫やひこの為に、はなしてきかせるが、能く不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ。おれは妾の子で、はゝ親が親父の気にちがって、おふくろの内で生れた。夫をほんとふのおふくろが引取て、うばでそだてゝくれたが、がきのじぶんよりわるさ斗して、おふくろもこまったと云事だと。夫におやぢが日きんの勤め故に内には居ないから毎日〳〵わがまゝ計りいふて、強情故みんながもてあつかった、と用人の利平次と云ぢゝいがはなした。其時は深川のあぶら堀といふ所に居たが、庭に汐入の池が有て、夏は毎日〳〵池にばかりへは入てゐた。八ツにはおやぢが御役所より帰るから、其前に池より上り、しらぬ顔で遊んで居たが、いつもおやぢが池のにごりてゐるを、利平ぢゝにきかれるとあいさつに困ったそふだ。おふくろは中風と云病ひで、立居が自由にならぬ。あとはみんな女計りだから、ばかにして、いたづらのしたいだけして、日をおくった。兄きは別宅していたから、なにもしらなんだ。おれが五つの年、前町の仕事師の子の長吉といふやつと凧けんくゎをしたが、向ふは年もおれより三つばかり多きい故、おれが凧をとって破り、糸もとりおった故、むなぐらを取て、きりいしで長吉のつらをぶった故、くちびろをぶちこはして、血が大そう流れてなきおった。そのときおれが親父が、庭の垣根から見ておって、侍を迎ひによこしたから、内へかへったら、親父がおこって、人の子にきづをつけてすむかすまぬか。おのれのよふなやつはすておかれずとて、椽の柱におれをくゝして庭下駄であたまをぶちやぶられた。いまにそのきづがはげて、くぼんでゐるが、さかやきをする時は、いつにてもかみすりがひっかゝって血が出る。そのたび長吉の事を思ひ出す。 おふくろがほふほふより来たくゎしをしまっておくと、ぬすみ出して食てしまふ故、方々へかくしておくを、いつもぬすむ故、親父にはいはれず、こまった。逸體はおふくろがおれをつれて来た故、親父には、みんなおれがわるいたづらは、かくしてくれた。あとの家来はおふくろをおそれて親父におれが事は少しもいふことはならぬ故、あぼれほふだいそだった。五月あやめをふきしが、一日に五度までとって、しよ婦打をした。利平おやぢが、あんまりだといって親父にいつけたが、親父がいふには、小供はげんきでなければ医師にかゝる病人になるは。いく度もふき直し菖蒲を沢山買入れよといった故、利平も菖蒲がなくて困った、とおれが十六七才のときはなした。このおやぢも久しくつとめて兄の代には信濃国までも供して行おったが、兄きがつかった侍は、みんな中間より取立て信州五年づめの後、江戸にて不残、御家人のかふを買てやられたが、利平は隠居して、かぶの金を貰って、身よりの処へかかりて、かねを不残、其やつにとられてしまった。兄きの家へ来たが、ほふばいがじゃまにしてかあいそうだから、おれが世話をして、ぼふづにし千ケ寺にだしてやったが、まもなく又きたから谷中のかんのふ寺の堂ばんにいれておいたが、ほどなく死におったよ。おれが三十ばかりのときだ。 おれ七ツのとき、今の家へ養子にきたが、そのとき十七歳といって、げしぼふずの前がみをおとして、養家の方で小普請支配石川右近将監と組頭の小尾大七郎に、初て判元の時にあったが、其時は小吉といったが、頭が、年は幾つ。名はなんといふ、ときゝおった故、名は小吉。年は当十七歳、といったら、石川が大きな口をあいて、十七にはふけた、とてわらいおった。其時は青木甚平と云大御番、養父の兄きが取持をしたよ。 おれが名は亀松と云。養子にいって小吉となった。夫から養家には祖母がひとり、孫娘がひとり、両親は死んだ後で、不残深川へ引取り、親父が世話をしたが、おれはなんにもし知らずに遊んでばかり居た。此年にたこにて前町と大けんくゎをして、先は二三十人ばかり。おれはひとりでたゝき合、打合せしが、ついにかなはず、干かばの石の上においあげられて、ながさをでしたたかたゝかれて、ちらしがみになったが、なきながら脇差を抜て、きりちらし、諸せんかなはなく思たから、腹をきらんと思ひ、はだをぬひで右の上にすはったら、其脇に居た白子やと云米屋がとめて、内へおくって呉た。夫よりしては近所の小供が、みんなおれがてしたになったよ。おれが七つの時だ。 深川のやしきもたび〳〵のつなみ故、本所へやしき替へをおやぢがして、普請のできるまで駿河台の太田姫稲荷の向ふ若林の屋敷を当分かりて居たり。其やしきは広くって庭も大そふにて隣に五六百坪の原があったが、ばけ物やしきとみんながはなした。おれが八つ計の時に、親父が内中のものをよんで、其原に人の形をこしらへて、百ものがたりをしろといった故、夜みんながその隣の屋敷へひとりづゝいって、かのばけものゝ形の袖へ名を書たふだを結付て来るのだが、みんながこわがって、おかしかった。一ばんしまひにおれが行ばんであったが、四文銭をみがきて人の形の顔へ目にはりつけるのだが、夫がおれがばんにあたって夜の九つ半ぐらゐだと思たが、其晩はまっくらでこまったが、とふとふ目を付て来たよ。みんなにほめられた。 おれが養家のばゝどのは、若い時からいぢがわるくって、両親もいぢめられて、夫故に若死をしをったが、おれをまい日〳〵いぢめをったが、おれもいまいましいから、でほふだいに、あくたいをついたが、その時親父が聞付て、おこっておれに云には、年もゆかぬに、ばゝさまにむかって、をのれのよふな過言を云やつはない。始終が見届けない、とて脇差を抜て、おれに切付たが、清といふ妻はあやまってくれたっけ。 翌年、よふ〳〵本所のふしんが出来て、引越たが、おれがゐる所は表の方だが、はじめてばゝどのと一所になった。そふすると毎日やかましいことばかりいひをったが、おれもこまったよ。不断の食ものも、おれにはまづいもの計くはして、にくいばゝァだと思て居た。 おれは毎日〳〵そとへ計り出て遊んで、けんくゎばかりして居たが、或時亀沢町の犬が、おれのかっておゐた犬と食合て、大げんくゎになった。そのときは、おれが方は、隣の安西養次郎と云十四計のがかしらで、近所の黒部金太郎、同兼吉、篠木大次郎、青木七五三之助と高浜彦三郎におれが弟の鉄朔と云ふと八人にて、おれの門の前で町のや郎たちとたゝき合をした。亀沢町は緑町の小供を頼んで、四五十人計だが、竹槍を以て来た。こちらは六尺棒、木刀、竹刀にてまくり合しが、とふ〳〵町のやつらを追かへした。二度めには向ふにはおとながまじって、又〳〵たゝき合しが、おれが方がまけて、八人ながら隣の滝川の門の内へはいり息をついたが、町方では勝にのって門を丸太にてたゝきおる故、また〳〵八人が一生けん命になって、こんどはなまくら脇差を抜て門を開いて不残切り立しが、其のいきおひにおそれ、大勢がにげおった。こちらは勝にのって切立しも、おれが弟は七つ計だがつよかった。一番におっかけたが、前町の仕立屋のがきに弁治と云やつが引返し来て、弟の手を竹やりにてつきおった。其時おれがかけ付て、弁治のみけんを切たが、弁治めがしりもちをつき、どぶのなかへおちおった故、つゞけうちにつらを切てやった。前町より小供の親父らが出てくるやら大さわぎさ。夫から八人が勝どきを揚て引返し、滝川の内へはいり、互ひによろこんだ。そのさわぎを、親父が長屋の窓より見て居て、おこって、おれは三十日計り目通止られ、おしこめにあった。弟は蔵の中へ五六日おしこめられた。 九ツの時、養家の親類に鈴木清兵衛と云御細工所頭を勤める仁柔術の先生にて一橋殿、田安殿始、諸大名、大勢弟子を以て居る先生が横網町と云所に居る故、弟子になりにゆくべしと、親父が云故いったが、三八五十の稽古日にて、はじめて稽古場へ出て見た。始は遠慮をしたから段々いたづらを仕出し、うち弟子ににくまれ、不断ゑらきめにあった。或日稽古に行と、ばんの木馬場と云所にて、前町の小供、其おやどもが大勢あつまって、おれが通るを待って居る。一向にしらずして、其前を通りしが、それ男谷のいたづら子がきた。ぶちころせ、とのゝしりおって、竹鎗、ぼうちぎりにて、とり巻しが、直に刀を抜てふりはらひ〳〵、馬場の土手へかけ上り、御竹蔵の二間計りのぬま堀へはいり漸々にげ込しが、其時羽織はかまなどが泥だらけになりおった。夫から御竹蔵番の門番は、ふだん遊びに行故に、いろいろ世話をしてくれたが、内へかへる気がひがある故、たのんでおくって貰た。四五十人ばかりまち伏をしおった。大まなめにあった。その後は二月ばかり亀沢町はとほらなんだが、同町の縫はくやの長と云やつが、門の前を通りおったから、なまくら脇差にてたゝきちらしてやったが、内の中間が漸々とめて、辰の内へつれていって、はんの木馬場のしかへしのよしをそのや郎のおやによくいったとさ。夫よりは亀沢町にておれに無礼をするものはなくなったよ。 柔術のけいこ場で、みんながおれをにくがって、寒げいこの夜つぶしと云事をする日、師匠からゆるしがでて、出席の者が食いものをてん〳〵にもち寄てくふが、をれも重箱へまんぢうをいれていったが、夜の九ツ時分になると、稽古をやすみ、皆々持参のものを出してくふが、おれもうまいものをくってやらふと思って居ると、みんなが寄って、おれを帯にてしばって天上へくゝしあげおった。其下で不残寄おって、おれがまんぢうまでくひおる故、上よりしたゝかおれが小便をしてやったが、取ちらした食ものへ小便がはねおった故、不残捨てしまひおったが、その時はいゝきびだとおもったよ。 十の年、夏、馬の稽古をばしはじめたが、先生は深川菊川町両番を勤める一色〳〵幾次郎と云師匠だが、馬場は伊予殿橋の六千石とる神保磯三郎といふ人の屋敷で稽古をするのだ。おれは馬がすきだから、毎日〳〵門前乗をしたが、二月めに遠乗にいったら、道で先生に逢ってこまった故、横町へにげこんだ。そふすると先生が、次の稽古にいったら、こゞとをいひおった。まだくらもすわらぬくせに、以来はかたく遠乗はよせ、といひおった故、大久保勘次郎と云先生へいって、せめ馬の弟子入したが、この師匠はいゝ先生で、毎日木馬に乗れとて、よくいろ〳〵をしへて呉たよ。毎月五十くら乗をすべしとて、借馬引にそふいって、藤助・伝蔵・市五郎といふやつの馬をかり、毎日〳〵馬にばかりかゝっていたが、しまひには馬を買て、藤助にあづけておいたが、火事には不断でた。一度、馬喰町の火事の時、馬にて火事場へ乗込しが、今井帯刀と云御使番にとがめられて、いつさんににげたが、本所の津軽の前までおっかけおった。馬が足が達者故とふ〳〵にげおふせた。あとで聞ば、火事場は三町手前よりは火元へ行ものではないといふ事だよ。 壱度、すみだ川へ乗行しが、其時は伝蔵といふ借馬引の馬をかり乗たが、土手にて一さんにおひちらしたが、どこのはづみか、力皮がきれて、あぶみを片っぼ川へおとした。其まゝ、かたあぶみで帰たことがある。 十一の年、駿河台に鵜殿甚左衛門と云剣術の先生がある。御簾中様の御用人を勤む、忠也流、一刀流にて銘人とて、友達が咄しをった故、門弟になったが、木刀の形ばかりをしへをるゆへ、いゝことにおもってせいを出しいたが、左右とかいふ伝受を呉たよ。其稽古場へ、おれが頭の石川右近将監のむすこがいでしが、おれの高や何かを能しっている故、大勢の中で、おれが高はいくらだ、四十俵では小給者だとって笑ひをるが、不断のこと故、おれも頭の息子故内輪にしておいたが、いろ〳〵ばかにしおる故、或とき木刀にて思ふさまたゝきちらし、あくたいをついて、なかしてやった。師匠にひどくしかられた。今は石川太郎左衛門とて御徒頭を勤めているが、古狸にて、今になんにもならぬ。女を見たやうな馬鹿野郎だ。 十二の年、兄きが世話をして学問をはじめたが、林大学頭の所へ連れ行やったが、夫より聖堂のき宿部や保木巳之吉と佐野郡左衛門と云きもいりの所へいって、大学をしへて貰たが、学問はきらひ故、毎日〳〵さくらの馬場へ垣根をくぐりていって、馬ばかり乗ってゐた。大学五六枚も覚しや。両人より断わりし故、うれしかった。 馬にばかり乗りし故、しまいには銭がなくなってこまったから、おふくろの小遣又はたわいの金をぬすんでつかった。 兄きが御代官を勤めたが、信州へ五ケ年つめきりをしたが、三ケ年目に御機嫌窺に江戸へ出たが、そのときおれが馬にばかりかかってゐて銭金をつかふ故、馬の稽古をやめうとて、先生へ断の手紙をやった。其上にておれをひどくしかって、禁足をしろといひおった。夫から当分内に居たがこまったよ。 十三の年の秋、兄が信州へかへったから、又々諸方へ出歩行、のらくらしてゐたが、とかくおれがばゝあどのがやかましくて、おれがつらさへ見ると、こゞとをいひおる故、おれもこまって、しまひには兄よめに咄して、智恵をかりたが、兄よめも気の毒におもって、親父へはなして呉たが、そこで或る日親父がばゝあどのへいふには、小吉もだんだん年もとる故、小身者は、にたきまで自身に出来ぬと身上をばもてぬものだから、以来は小吉が食物などは当人へ自身にするやうにさっしゃるがよい」といって呉た故、猶々おれがことはかまはず、毎日〳〵自身に、にやまをしたが、醤油には水をいれておくやら、さま〴〵の事をするから、心もちがわるくってならなかった。よそよりくゎし、何にても貰へば、おれにはかくして呉ずして、おれがきものは一ツこしらへて呉ると、世間中へふひちょうして、わるく計いひちらし、きもがいれてならなかった。親父にいふと、おれ計しかるし、こんなこまったことはなかった。 十四の年、おれが思うには、男は何をしても一生くはれるから、上方あたりへかけおちをして、一生ゐやうとおもって、五月の廿八日に、もゝ引をはきて内を出たが、世間の中は一向しらず、かねも七八両ぬすみ出して、腹に巻付て、先品川まで道をきゝ〳〵して来たが、なんだか心ぼそかった。夫からむやみに歩行て、其日は藤沢へとまったが、翌日早く起きて宿を出たが、どふしたらよからふと、ふら〳〵ゆくと、町人の二人連の男が跡より來て、おれに、どこへ行と聞から、あてはないが上方へゆく、といったら、わしも上方まで行くから一所にゆけ、といひおった故、おれも力を得て、一所にいって小田原へとまった。其時、あしたは御関所だが、手形はもってゐるか、といふ故、そんな物はしらぬ、といったら、銭を二百文だせ。手形を宿で貰てやる、といふから、そいつがいふ通りにして関所も越たが、油断はしなかったが、浜松へ留った時は、二人が道によく世話をして呉たから、少し心がゆるんで、はだかで寝たが、其晩にきものも大小も腹にくゝしつけた金も、みむなとられた。朝、目がさめた故、枕元を見たらなんにもないから、きもがつぶれた。宿屋の亭主に聞たら、二人は尾張の津島祭りに間に合ないから先へゆくから後よりこひ、といって立をったといふから、おれもとほふにくれてなゐて居たら、亭主がいふには、夫は道中のごまのはいといふ物だ。わたしは江戸からの御連とおもったが、何にしろきのどくなことだ。どこを志してゆかしゃる、とて、しんじつに世話をしてくれが、いふには、どこといふあてはないが上方へゆくのだ、といったら、何にしろじゅばん計にてはしかたがない。どしたらよからう、と、十方にくれたが、亭主が飛しゃく一本くれて、是まで江戸子が、此海道にては、まゝそんなことがあるから、おまへも此ひしゃくをもって、浜松の御城下在とも一文ツゝ貰ってこい、とおしへたから、漸々思ひ直して、一日方〳〵貰って歩行たが、米や麦や五升ばかりに、銭を百二三十文貰って帰った。 亭主、いゝものにて、其ばんはとめてくれた。翌日、先伊勢へ行て、身の上を祈りてくるがよかろうといふ故、貰た米と麦とを三升計に銭五十文ほど、亭主に礼心にやって、夫から毎日〳〵こじきをして伊勢大神宮へ参ったが、夜は松原又川原或は辻堂へ寝たが、蚊にせめられてろくに寝ることも出来ず、つまらぬさまだっけ。 伊勢の相生の坂にて、同じこじきに心易くなり、そいつがいふには、龍太夫といふおしの処へいって、江戸品川宿の青物や大阪やの内よりぬけ参りに来たが、かくのしだい故、留てくれろといふがいゝ。そうすると向ふで張面をくりててとめる、とをしへて呉た故、龍太夫の内へいって、中の口にて其の通りいったら、はかま抔きたやつが出て張面を持って来てくり返し〳〵見をって、奥へ通れといふから、こは〴〵通ったら、六畳敷へおれをいれて、少し立て其男が来て、湯へはいれといふから、久しぶりにて風呂へはいった。あがると、麁末だが御ぜんをくへ、とて、色々うまいものを出したが、これも久敷くはないから腹いつぱいやらかした。少し過て、龍太夫はかり衣にて来おった。能こそ御参詣なされた、とて、明日は御ふだを上ませう、といふ故、おれはたゞ、はい〳〵といってじぎばかりしてゐた。夫から夜具蚊やなど出して、お休みなされといふから寝たが、心もちがよかった。翌日は又々馳走をして御札を呉た。そこでおれが思ふには、とてものことに金も借てやらふと、世話人へそのことをいったが、先の取つぎをした男が出て来て、御用でござりますか」といふから、道中にてごまのはゐのことをいひ出して、路銀を二両計かして呉るやう頼むといったら、龍太夫へ申聞かすとてひっこんだ。少し間だが過て、おれにいふには、太夫方も御らんの通り大勢さまの御逗留故、なか〳〵手廻りまさぬ故、あまり軽少だが是を御持被下やうとて壱貫文呉た。夫を貰って早々にげ出した。夫から方々へ参ったが、銭はあるし、うまいものを食ひどふしだから、元のもくあみになった。 龍太夫を教へて呉た男は、江戸神田黒門町の村田と云紙屋の息子だ。夫からこゝで貰ひあそこで貰ひ、とふ〳〵空に駿河の府中迄帰った。なにをいふにも、じゅばん壱枚、帯はなわをしめ、わらじはいつにもはひたこともねへから、ざまのわるいこじきさ。府中の宿の真中ごろに、くゎんおんか何かの堂があったが、毎晩夜はその堂の椽の下へ寝た。 或日、府中の城の脇の御紋付を門のとびらにつけた寺があるが、其寺の門の脇は竹やぶ計の所だが、その脇に馬場の入口に石がたんとつんで道からそこへ一夜ねたが、翌日、朝早く侍が十四五人来て借馬のけいこをしてゐたが、どいつも〳〵へただが、むちうになって乗てをるから、おれが目を覺しておきあがったら、馬引どもが見おって、爰にこじきが寝ておった。ふてい奴だ。なぜ、かこひの内へ、へゑりおった、とてさん〴〵しかりおったが、いろ〳〵わびごとして其内へかゞんで居て、馬乗を見たが、あんまりへたがおほいから笑ったら、馬喰共が三四人でしたゝかおれをぶちのめして外へ引づり出しおった。おれがいふには、みんなへただからへただといったがわるいか、と大声でどなったらば、四十計の侍が出おって、これ、こじき、手前はどこのやつだ。子蔵のくせに、侍の馬乗をさっきからいろ〳〵といふ。国はどこだ。いへ〳〵、と云から、おれが、国は江戸だ。それに元からこじきではない、といったら、馬はすきか、といふ故、すきだといったら、ひとくらのれ、といひおる故、じゅばん壹枚で乗て見せたら、みんながいひをるには、この小蔵めは侍の子だらふ、といひおって、せんの四十計の男が、おれの内へ一所にこひ。めしをやらふ、といふから、けいこをしまひ、帰るとき、其侍の跡につひていったら、町奉行屋敷の横丁のかぶき門の屋敷へはいり、おれをよんで台所の上りだんで、したゝか飯と汁をふるまったがうまかった。 其侍も奥の方で飯をくって仕舞って又台所へ出てきて、おれの名、又親の名をきゝおるから、いゝかげんにうそをいったら、なんにしろ不便だからおれが所へいろ、とて単物を呉た。そこの女房も、おれがかみを結て呉た。行水をつかへとて湯をくんでくれるやら、いろ〳〵とかあいがった。今かんがへると与力とおもふよ。其侍は肩衣をかけて、どこかへいったか、夕方内へ帰った。夜も、おれを居間へよんでいろ〳〵身の上の事を聞たから、町人の子だ、といってかくしていたら、いまに大小と袴をこしらへてやるから爰にてしんぼうしろ、といひおる。六七日もいたが、子のやうにして呉た。 おれが腹の内で思ふには、こんな内にしんぼうしてゐてもなんにもならぬから、上方へゆきて公家の侍にもなるほふがよからふと思ひて、或ばん単物帯もたゝんで寝所におひて、じゆばんをきて其内をにげ出して、安部川の向ふの地蔵堂に其晩んは寝た。翌日、夜のあけないうちに起て、むやみに上方のほふへにげたが、銭はなし、食物はなし、三日計はひどくこまったが、夫から一文づゝ貰って、宇都宮の地蔵堂にふた晩寝たが、其夜五ツ時分に、堂の椽がわに、どんと音がする故、其音にゆめがさめたが、人がゐる様子故、せきばらひをしたら、其人が、そこに寝て居るはなんだ、といひおるから、伊勢参りだといったら、おれは此先の宿へばくちにゆくが、此銭を手前かつひでゆけ、御伊勢さまへおさいせんを上るから、といひおるゆゑ、起出て其銭をかつひでゆくと、たしかまり子の入口かとおもった、普請子屋へはいりしが、おれもつゝひて入しが、三十人計、車座になりおって、おれを見て、其こじきめはなぜ爰へ這入った、と親方らしい者がいふと、連の人がいふと、こいつは伊勢参りだからおれが連て来た、といふと、そんなら手前はめしでもくってまってろ。今に御伊勢様へ御初穂を上るから、とて飯酒を沢山ふるまった。 少し過ると、連てきた人が銭を三百文計、紙にまひてくれた。外のものも五十、百、廿四文、十二文てん〴〵に呉たが、九百計貰た。みんながいひ居るには、はやく地蔵さまへいってねろ、といふ故、礼をいふてこの子屋を出ると、ひとりがよびとめて、大きなむすびを三ツ呉た。 うれしくって又半道計の所をもどって、地蔵へさいせん上てねたが、夫よりふらふら壱文づゝ貰ひ、四日市までゆくと、先頃龍太夫ををしへた男に逢た。其時の礼をいって百文計、礼にやったらば、其男がうれしがって、久敷飯をはら一ぱいくわぬから飯をくはふ、とて、二人で飯を買て、松原にねころんで食た。 別れてより楽にいろいろのめに逢た咄しをして、其日は一所に松原に寝たり、こじきの交りは別なものだ。 夫から二人いひ合て又々伊勢へいった。其男は四国の金比羅へ参るとて、山田にて別れ、おれは伊勢に十日計ふらふらしてゐたり。段々四日市の方へ帰って来たが、白子の松原へ寝たばんに頭痛強くして、ねつが出てくるしみしが、翌日には何に事もしらずして松原に寝てゐたが、二日ばかり立て漸く人こゝろが出て、往来の人に壱文づゝ貰ひ、そこに倒れて七日ばかり水を呑で、よう〳〵に腹をこやしゐたが、其脇に半町計り引こんだ寺があったが、そこの坊主が見付て毎日〳〵麦のかゆを呉た故、やう〳〵力がついた。 二十二三日計、松原に寝てゐたが、坊主がこも弐枚呉て、壱枚は下へしき、壱枚は夜かけて寝ろ、といった故、其通にして、ぶらぶらして日を送ったが、二十三日めごろか足が立た故、大きにうれしく、竹きれを杖にして少しつゝ歩行た。 夫から三日計りして、寺へいって礼をいったら、大事にしろ、とて坊主の古いかさとわらぢを呉た故、漸く一日に一里位つゝ歩行きたが、伊勢路では火でたいた物は一向くはぬ。生米をかじりて歩行たり。病後故に腹がなをらぬから、又々気分がわるくって、處を忘れたが、或河原の土橋の下に大きな穴が横にあいて居るから、そこへはゐつて五六日寝て居た。 或晩、若い乞食が弐人来て、おれにいふには、その穴は先月まで神田の者が寝処にした所だが、どこへかゆきをった故に、おらが毎晩寝る處だ。三四日か稼ぎに出た故、手前にとられてこまる、といふゆへ、病気のよしをいったら、そんなら三人にて寝よう、とぬかして、六七日一所にゐたが、食ひ物に困り、どふしよふ、と二人へいったら、伊勢にては火の物は太神宮様が外へ出すをきらいだからくれぬ故、在郷へいって見ろ、といふから、杖にすがって、そこより十七八町の脇の村方へ這入ったら、番太郎が六尺棒を持て出て、なぜ村へ来た、其為に入口に札が立てある、このべらぼうめが、とぬかして棒でぶちをったが、病気故に気が遠くなって倒れた。そうすると足にて村の外へ飛ばしおった故、匍匐ばうようにして漸く橋の下へ帰て来たら、二人が、どふした、といふから、其しだいをいったら、手前は米はあるか、といふから、麦と米と三四合貰ひためたをだして見せたら、そんならおれがかゆこを煮てやらう、といって、徳利のかけを出して、土手のわきへ穴を堀て、徳利へ麦と米と入て水をも入れ、木の枝をもして、かゆを拵へて呉たから、少しくった後は礼に二人にふるまった。 夫よりおれも古とく利を見付て、毎日毎日貰た米麦、引わりを其徳利にて煮て食たから、こまらないやうになったが、夫迄は誠に食物にはこまった。 だん〳〵気分がよくなったから、そろ〳〵とそこを出かけて府中まで帰たが、とかく銭がなくって困るから、七月、丁度盆だから、毎夜〳〵町々を貰て歩行たが、伝馬町と云所の米屋で、ちいさい小皿に引わりを入てせぎゃうに見勢へならべて置から一つとったが、一つのさしに銭の壱文あるから、そっと又一つとった。そうすると、米をついていた男が見付おって腹を立て、二度取りをしおる、とてにぎりこぶしで、おれをしたゝかぶちおったが、病後故、道ばたに倒た。 やう〳〵気が付た故、くゎんおん堂へいって寝たが、其時は漸く二本杖であるく時故か、翌日は一日腰が痛くって、どこへも出なんだ。 夫から或日の晩がた、飯がくいたいから、二丁町へはいったが、麦や米計呉て飯をくれぬから、段々貰って行たら、まがり角の女郎やで、客が騷いで居たが、おれにいふには、手前は子蔵のくせ、なぜそんなに二本杖であるく、わずらったか、といふ。さよふでござり升、といったら、そふであろふ、よく死なゝかった、どれ飯をやろふ、とて、飯や肴やいろ〳〵のさゐを竹の皮につゝませ、銭を三百文つかんで呉た。おれは地ごくで地蔵に逢たやうだと思って、土へ手をつゐて礼をいったら、其客が、手前は江戸のやうだが、ほんのこじきでは有まい、どこか侍の子だろふ、とて女郎にいろ〳〵はなしおるが、ひぢりめんの袖口の付た白地のゆかたと、こんちりめんのふんどしを呉れが、うれしかった。 其の晩は木賃宿へ留つて畳のうえへ寝るがいゝ、といった故、厚く礼をいって、夫から伝馬町の横町の木賃宿へ夜になると留ったが、しまひには宿せんやら食物代がたまって、はらひにしかたがないから、単物を六百文のしちに入れて貰て、さう〳〵そこのうちを立て、残りの銭をもって、上方へ又志してゆくに、石部までいって、或日宿のはづれ茶やの脇にねて居たら、九州の秋月と云大名の長持が二棹きたが、其茶屋へ休んでゐると、長持の親方が二人来て、同しくせう木に腰をかけて酒を呑で居たが、おれにいふには、手前はわづらったな、どこへゆく、といふから、上方へ行、といったら、あてが有のか、といふ。あてはないが行、といったら、それはよせ、上方はいかぬ所だ、それより江戸へかへるがいゝ、おれがつひていってやるから、まづ、かみさかゆきをしろ、とて向ふの髪結所へ連ていって、させて、そのなりでは外聞がわるい、とてきれいのゆかたを呉て、三尺手拭を呉た。 何にしろ杖をつひては、らちがあかぬから、かごへ乗、とて、かごをやとひて、のせて毎日〳〵よく世話をして呉た。 江戸へいったら送ってやらふ、とて、府中まで連て来たが、其晩、親方がばくちのけんくゎで大さわぎが出来て、おれを連た親方は国へ帰るとて、呉た単物を取返して木綿の古じゅばんを呉て、直に出て行おったから、今一人の親方がいふには、手前は是迄連てきて貰たをとくにして、あしたは一人で江戸へ行がいゝ、とて、銭を五十文計呉おったが、しかたがないから、またこじきをしてぶら〳〵来て、所は忘れたが、或がけのところに其ばんは寝たが、どふいふわけか、がけより下へ落ちた。 岩のかどに、きん玉を打たが、気絶をして居たとみえて、翌日漸々人らしくなったが、きん玉がいたんであるくことがならなんだ。 二三日過ぎると、少しづゝよかったから、そろ〳〵とあるきながら貰ていったが、箱根へかゝってきん玉がはれて、うみがしたゝか出たが、がまんをして其翌日、二子山まであるいたが、日が暮れるから、そこに其晩は寝て居たが、夜の明方、飛脚が三度通りて、おれにいふには、手前ゆふべはこゝに寝たか、といふ故、あい、といったら、つよひやつだ、よく狼に食れなんだ、こんどから山へは寝るな、といって、銭を百文計呉た。 夫から三枚橋へきて茶屋の脇に寝て居たら人足が五六人来て、子蔵や、なぜ寝て居る、といひおるから、腹がへってならぬから寝て居る、といったら、飯を一ぱい呉た。 其中に四十位の男が云には、おれの所へきて奉公しやれ、飯は沢山くはれるから、と云故、一所にいったら、小田原の城下のはづれの横丁にて、獵師町にて、喜平次と云男だ。おれを内へいれて、女房や娘に、奉公につれてきたから、かあひがつてやれ、といった。女房娘もやれこれといって、飯をくへ、といふから、飯を食ったら、きらずめしだ。魚は沢山あつて呉た。 一日たつと、あすよりは海へ行て船をこげ、といふから、江戸にて海へは度々いった故、はい〳〵、といって居たら、子蔵の名はなんといふ、と聞から、亀、といったら、おはちのちさいのを渡して、是に弁当をつめて朝七つより毎日毎日ゆけ、手前は江戸子だから、二三日は海にて飯は食へまいから、もってゆくな、と喜平がいひおるから、おれは江戸にて毎日海に船を乗たから、こはくない」といったら、いや〳〵江戸の海とは違ふ、といふから、それでもきかずに弁当をもっていった。 夫から同船のやつが内へおれを連ていってたのんだから、翌日より早くこひ、と云。それから毎朝〳〵船へいったが、みんなが云には、亀があるくなりはをかしい、といひおる。そのはづだ、きん玉がはれが引ずに居て、水がぽたぽたたれて困ったが、とう〳〵かくしとふしてしまったが、困ったよ。 毎日、朝四ツ時分には沖より帰って、船をおかへ三四町引上げ、あみをほして、少しづゝ魚を貰って小田原の町へ売にいった。 夫から内へかへつて、きらづをかって来て四人の飯をたくし、近所のつかひをして二文三文づゝ貰た。内の娘は三十計だの、いゝやつで、時々、すゐくゎんなどを買てくれた。女房はやかましくつて、よくこき遣った。 喜平は人足故、内へは夜許り居たが、是はやさしいおやぢで、時にくゎしなんぞ持て来て呉た。十四五日計居ると子のやうにしおった。 おれに江戸事を聞て、おらが所の子になれ、といゝおる故、そこで考へて見たが、何にしろおれも武士だが、内を出て四ケ月になるに、こんな事をして一生居てもつまらねへから、江戸へ帰って、親父の了簡次第になるがよかろふと思ひ、娘へきげんをとり、引ときものゝつぎだらけなのを一ツ貰ひて、閏八月の二日、銭三百文、戸棚にあるをぬすんで、飯を沢山.弁当へつめて、浜へゆく、といって、夜八ツ時分起て喜平が内をにげ出して、江戸へ其日の晩の八ツ頃にきたが、あいにく空はくらし、すゝ森にて犬が出て取まひて、一生けん命大声を揚てわめくと、番人こじきが犬をおひちらして呉た故、高輪のりゃう師町のうらにはいりて、のり取船があったから、夫をひくり返して其下に寝たが、あんまり草臥たせいか、あくる日、日があがっても寝て居たから、所のものが三四人出て目付てしかりおった。 わびことをしてそこを出て、飯をくひなどして、あたご山へまで一日寝て居て、其晩は坂を下るふりをして山の木のしげみへねた。 三日計、人目を忍んで、五日めには、よる両国橋へきて、翌日ゑかふ院のはか場へかくれて居て、少しづゝ食物かって食て居たが、しまひには銭がなくなったから、毎晩〳〵かきねをむくり出て貰ていたが、夜はくれてが少ないから、ひもじい思ひをした。 ゑかふ院奥のはか場にこじきの頭が有が、おれに、仲間にはいれ、とぬかしおったから、そやつの所へいって、したゝかめしを食た。そして夫から亀沢町へ来て見たが、なんだか、しきゐが高いやうだから、引返してニツ目の向ふの材木問屋のかげへいって寝た。 三日めに朝早く起て、内へかへったが、内中、小吉が帰った、とって大さわぎをし、おれが部屋へはいって寝たが、十日ばかりは寝どふしをした。 おれが居ない内は、加持祈禱いろいろとして従弟女の恵山といふびくは上方迄尋て登たとてはなした。 夫から医者がきて、腰下に何か、しさゐがあらふ、とていろ〳〵いったが、其ときは、まだ、きん玉がくづれていたが、強情に、ない、といってかくしてしまった。三月ばかりたつと、しつができて段々大そふになった。起居もいできぬやうになつて、二年計はそとへもゆかず、内ずまひをしたよ。 夫から親父が、おれの頭、石川右近将監に、帰りし由をいって、いかにも恐入事故、小吉は隠居させ、外に養子いたすべき、といったら、石川殿が、今月かへらぬと月切れ故、家は断絶するが、まづ〳〵かへって目出たい、夫には及ばぬ、年取て改心すれば、お役にも立べし、よくよく手当して遣すべし、といはれた。夫から一同安心した、とみなが咄した。 十六の年には漸く、しつも能なったから、出勤するがいゝ、といふから、逢対をつとめたが、頭の宅で張面が出て居るに銘々名を書くのだが、おれは手前の名がかけなくつてこまった。人に頼んで書て貰た。 石川が逢対の後で、乞食をした咄しをかくさずしろ、といったから、初めからのことをいったら、能く修行した、今に御番入をさせてやるから心ぼうをしろ、といはれた。 また内ではばゝあどのが、猶々やかましくつて、おのれは勝の家をつぶそうとした、なと、いろいろいひおってこまった故、毎日〳〵内には居なんだ。 兄きの役所詰に久保島可六と云男があったが、そいつがおれをだまかして連て行きおったが、おもしろかったから、毎晩〳〵いったが、かねがなくって困て居ると、信州の御料所から御年貢の金が七千両来た。役所へ預りて改て御金蔵へ納るのだ。其時、おれに番人を兄きよりいひつけたから番をして居ると、可六が云には、かねがなくては吉原は面白くないから百両計ぬすめ、と教たが、おれも、左うだ、といって千両箱をあけて弐百両とったが、跡ががた〳〵する故こまったら、久保島が石ころを紙につゝんでいれて呉た故、しらぬ顔で居たが、二三月立と知れて兄きがおこったが、色々せんぎをしたら、おれが出したと役所の小遣めが、はく状しおった故、おれに金を出せとて兄がせめたが、しらぬ、とて強情をはり通したが、兄が親父へ其訳を咄したら、親父がいふには、手前も年の若いうちは度々そんな事は有ったけ。わづかの金で小吉をきづものにはできぬ故、なんとか了簡してみやれ、といった。そこでいよ〳〵おれが取ったに違ひない故、それぎりにしてたれもしらぬ顔でおさまった。おれは其金を吉原へもっていって、壱月半ばかりにつかってしまったが、夫から蔵宿やほうぼうを頼んで金をつかった。 或日、おれの従弟の処へいったら、其子の新太郎と忠次郎と云兄弟が有が、一日色々咄しをして居たが、そこの用人に源兵衛と云が居たが、剣術遣ひだと云ことだが、おれに云には、お前さまは色々とおあばれなさりますが、けんくゎはなさいましたことが有升か、是はきもがなくってはできません、と云から、おれは喧くゎは大好だが、小さい内から度々したが、おもしろいものだ、といった。左やうで御座升が、あさっては蔵前の八幡の祭があり升が一喧嘩やりましゃうから、一所にいらっしゃいまして一勝負なさいまし、といったから約束をして帰った。 其日になりて夕方より番場の男谷へいったら、先の兄弟も待て居て、よく来た、今、源兵衛が湯へいったから帰ったら出かけやう、と支度をして居ると、間もなく源兵へが帰った。夫より道に手はづをいひ合て八幡へいったが、みんなつまらぬやつ計で、相手がなかったが、八幡へはいると、向ふよりきいたふうのやつが二三人で鼻歌をうたって来る故、一ばんに忠次郎がそいつへ、つばを顔へしかけったが、其野郎が腹を立て、下駄でぶってかゝりおった。そふするとおれがにぎりこぶしで横つらなぐってやると、跡のやつらが惣がゝりになってかゝりおるから、目くらなぐりにしたら、みんなにげおったゆえに、八幡へいったってふらふらして居ると、廿人ばかり、ながとびを持てきおった。 なんだ、と思って居ると、壱人が、あのや郎だ、とぬかして四人を取まきおった。それから刀をぬひて、きりはらったら、源兵衛が云には、早く門の外へ出るがいゝ、門をしめると取こになる、と大声でいふから、四人が並で切立て門の外へ出たら、そいつらが加勢とみえて、又三十人計、とび口を持て出おったから、並木の入口の、すなばそばの格子を後ろにして、五十人計を相手にして、たゝき合たが、一生けん命になって、四五人ばかりきづを負したら、少し先がよはくなったゆゑ、むやみにきりちらし、とび口を十本ほどもたゝき落した。そふすると、また〳〵加勢がきたが、はしごを持て来た。其時源兵衛が云には、最早かなわぬから三人は吉原へにげろ、跡は私がきりはらひ帰るから、と、早くゆけ、といったが、三人ながら源兵衛ひとりをおくを不便におもひ、一所におひまくつて一所ににげやう、といったら、おまへさん方は、けがゝ有てはわるいから、是非〳〵早くにげろ、と、ひたすら云故、おれが源兵衛の刀がみじかいから、おれの刀を源兵衛に渡して、直に四人が大勢の中へ飛こんだら、先のやつはばらばらと少し跡へ引込だはづみに、にげだして、漸々浅草の雷門で三人一所になり、吉原へいったが、源兵衛がきづかいたから引もどして番場へいって飯をくはふと思っていったら、源兵衛は内へ先へ帰つて玄関で酒を呑で居た故、三人が安心した。 夫から源兵衛と又々一所に八幡の前へいってみたらば、たこ町の自身番へ大勢人が立て居るから、そこへいって聞たら、八幡で大喧嘩が有て、小揚の者をぶったが始まりで、小あげの者が二三十人、蔵前のしごと師が三十人で、相手をとらへむとしてさはいだが、とふとふ一人もおさへず、にがした。其上にこちらは十八人計、手負が出来た。今、外科がきづを縫て居る、といふから、四人ながら内へ帰って、おれは亀沢町へ帰ったが、あんなひどい事はなかったよ。 翌年正月、番場へ遊びにいったら、新太郎が忠次郎と庭で、剣術を遣って居たが、おれにも遣へと云故、忠次と遣ったが、ひどく出合頭に胴をきられた。其時は気が遠くなった。夫より二三度遣たが、一本もぶつ事がで出来からくやしかった。 夫から忠次に聞て団野へ弟子入にいった。先の師匠からやかましくいったが、構はず置た。夫から精を出して早く上手にならふと思って、外のことはかまはず稽古をしたが、翌年より伝受も二つ貰た。夫からあんまりたゝかれぬやうになつてからは、同流の稽古場へ毎日〳〵いったが、大勢が暴ってきて、小吉〳〵といふやうになつた。他流へむやみと遣ひにいったら、其時分はまだけん術が今のやうに、はやらぬから、師匠が他流試合をやかましくいった。他流は勝負をめったにはしないから、皆へたが多く有た故、おのれが十八の年、浅草の馬道生江政左衛門と云、一刀流の師匠が居たが、或時新太郎と忠次とおれと三人でいって、試合をいひ入たが早速に承知した故、稽古場へゆって、其弟子とおれと遣ったが、初めての事故、一生けん命になって遣ったが、向ふがへたでおれが勝た。夫から段々遣って、師匠と忠次に政左衛門が体当りをされて、後の戸へつき当られて、雨戸がはづれて、あほのけに倒たが、起る処をつゞけて腹を打れた。其日は夫きりで仕舞たが、始めに師匠が高まんをぬかしたがにくひから、帰りにはおれが玄関の名前の札を抜打にして持て帰った。夫から方々へ行、あばれた。 馬喰町の山口宗馬が処へ神尾。深津、高浜、おれ四人でいって試合をいひこんだら、上へ通して宗馬が高慢をぬかした故、試合をしやう、といったら、今晩は御免被下。重てこゐ、といった故、帰りがけに入口ののれんを高浜が刀で切さゐて、奥へほふりこんで帰った。 夫から同流の下谷あたり、浅草、本所共に他流試合をする者は、みんなおれが差図を受たから、二尺九寸の刀をさして、先生づらをしていたが、だん〳〵と井上伝兵衛先生が其頃は門人多く、おもだったやつら皆おれが配下同然になり、藤川鴫八郎門人、赤石郡司兵衛が弟子、団野のはいふに及ばず、きり従ひ、諸方へ他流に行たが、運よく、みなよかった。他流は、中興、先づおれがはじめだ。 翌年夏だが、遠州掛川在の、雨の宮大明神の神主、中村斎宮の息子が、江戸へ国をにげて来て、石川瀬兵次といふ剣術遣ひの弟子になったから、諸々をたづねているから、其時おれが世話をして弟子にしてやったら、瀬平次が三州吉田へ行時、其斎宮方へきて、息子の剣術の師、何の隼太といふやつと試合をしたが、手もなく隼太が石川に負けた。その時、石川が、まん心して、隼太をもゝへ乗て、鎗のすごきをしてみせた故に、名人だとおもって、江戸へあとを追てきたといったが、田舎者は馬鹿ものだ。其頃は石川先生の中にも、へただった。斎宮の息子は帯刀といふたが、だん〳〵出精して、目録になつて国へ帰た。 十八の年、又信州へいったが、其年は兄きが、きしょくがわるくって、榊木といふ村の見所場の、けん見をおれにさせたが、出役して、一番悪処の場へ棹を入て、取並の時、もみ一升二合五勺あったから、六合五勺の取並を云付たら、一同百姓が嬉しがった。 此月、陣屋元の郡代百姓の所へ、上州の仁田万次郎が近親、桜井某とか云家来がねだりにきて、けんくゎになり、刀を抜て一人百姓をきった。 夫より、さわぎになったが、大勢出て召捕とったが、二尺八寸計りの刀を真向にかざし、郡代の門をいるやつをきりおる故、役所より手代が二三人出て下知をしたが、こわがった。只わめく計りだから、兄がおれに、いっておさへろ、といふから、一さんに飛んでいったが、門と、そやつがいる所と、四尺計りで、はゐる事ができぬから、見ていたら、ゑたがいふは、私がとり様がある、といって、六尺棒を一本ぶつけたが、其者が二ツにきった刀を上る所へつけこんで組付たが、こしたからもゝへかゝりて切れた。 其時、おれが砂をつかんで面へ打つけたが、目に入てしか、うつぶせに伏たから、先刻のゑたが、きんをとって引すへた。夫より二三人ゑたが打かさなってしばった。それから陣屋のろうへ入たあとは上州の仁田と懸合になった。 きられたゑたは榊木の者だが、七人扶持、公儀より一生貰た。片輪にはなったが、つよゐやつらだっけ。 夫から、けん見に諸々へいった。其内江戸でおふくろが死だとしらせてきたから、御用を仕まって、江戸へ来る道で、信州の追分で、夕方、五分月代の野郎が、馬方のかげにはゐいて下にいたが、兄が見付て、おれに、とれ、といふから、かごの脇から十手を抜いて、かけ出したら、其野郎は一さんに朝間の山の方へ逃げおったから、とふ〳〵おっかけて近寄たら、二尺九寸の一本脇差をそりかへして、御役人様、御見のがし被下ませ、といったから、うぬ、なに、見のがす物だ、とそばへゆくと、其刀を抜おったが、引廻しをきて居たが、其すそへ小戻が引かりて、一尺計、抜おったが、おれが直にとびこんで、柄を持て中がへりをしたら、野郎も一所にころんで、おれの上になったが、後から平賀村の喜藤次といふ取締が来て、野郎の頭をもって引くりかへした故、おれも起上りて十手にて、つゝきちらした。夫からなはを打て、追分の旅宿へ引来た。 上田、小諸より追々、代官、郡奉行が出てきて、野郎を貰にきた。いったい、こいつは小諸の牢に二百日計居たが、或晩牢ぬけをして追分宿へきて、女郎やへ金をねだり、壱両とって帰る道だといった。音吉とて、子分が百人もあるばくち打だと、役人がはなした。夫から、大名へ渡すと首がないから、中の条の陣屋へやった。其後、そいつの刀を兄が呉たが、池田鬼神丸国重と云刀だつけ。二尺九寸五分あった。おれが差料にした。 夫から、うすゐ峠で、小諸の家老の若い者等が、休足所へきて、無礼をしたから、塩沢円蔵と云手代とおれと、その野郎をとらへて、向ふの家老のかごへぶつけてやった。 上州の安中でも、所の剣術遣ひだといったが、常蔵と云中間の足を、白鞘を抜て、ふいにきりにかゝつたから、其時もおれと二人で打のめしてしぼってやった。宿役人へ引渡して聞たら、酒乱だといった。 十一月初めに江戸へ帰った。夫からまた〳〵他流へあるきさわひだが、本所の割下水に、近藤弥之助と云剣術の師匠が居たが、夫が内弟子に小林隼太と云奴があったが、大のあばれ者で、本所ではみんながこはがった。或とき、小林が智恵をかって、津軽の家中に小野兼吉と云あばれ者が、おれの所へ他流をいひこんだ。其時は内に居た故、呼入て、兼吉へ逢たが、中西忠兵衛が弟子で、其はなしをして居ると、兼めが大そうな事計ぬかし、手前の刀をみせて、長ゐのを高まんをいひをるから、聞て居たら、十万石の内にて、この位の刀をさす者がない。私計だ、といふから、刀を取て見たら、相州物にて、二尺九寸、そこでおれのさし料を見せたが、平山先生より貰た三尺二寸の刀故、兼吉めが大きにひるみをったから、つけこんで高まんをいひ返してやった。 夫から、試合をしやう、といったら、なんと思ったか、今日は御免、とぬかしをる故、日限を約束して、兼吉の所へ行つもりにして、下谷連へいってやったら、四五十人計、集た故、兼吉方へ手紙を持せてやったら、たゞ今屋敷へ来る、とて返事はよこさず、待て居たら、近藤の弟子の小林めが肩衣なんど、き居って、おれの所へ来て、色々あつかひを入て、兼吉にわびをさせるから了簡しろ、と云故、急度、念をしたら、此後、兼吉がおまへ様を、かれ是いったら、私が首を献じます、と云からゆるしてやった故、本所はたいがい、おれの字になった。 此年、芝の片山前に居る湯屋が、向ふ町へ転宅をすることにて、仲間もめがして、山内の坊主が町奉行の榊原へ頼んでやるといって、金弐十両とったが、元よりうそ故に、其湯屋がほんとうにして、右の趣を奉行所へ願書にして出したら、奉行所でいふには、湯屋は樽屋三右衛門の懸りだから差越願ひだ、とて取上ぬ故、大きにこまった。中野清次郎といふ者がおれに頼だから、幸ひおれが従弟の女が樽屋へよめにいって居るから、其親父の正阿弥といふものは心易いから頼んでやろふ、といったら悦び、其の坊主を連て来たから、おれが正阿弥の所へいって、訳をだん〳〵咄して、夫より樽やへいってやったら、樽やが承知して、奉行所より願出を下て、惣方利がいをいって聞して、其湯やが向ふへ引越したが、嬉しがった。其礼に樽やへ三十両、正阿弥へ二十両、おれに四十両、呉た。其からは酒井左衛門の用人のめかけがもって居るといひをった。湯やは向ふへ普請をすると、八十両かぶが高くなる、と清次郎がはなした。 此年、又々兄と越後蒲原郡水原の陣屋へいった。六万八千、巡見したが面白かった。越後には支配所の内には大百姓が居る故、いろ〳〵珍らしき物も見た。反物、金をも、たんと貰てかへった。夫から江戸へ帰たが、近藤弥之助の内弟子、小林隼太が、男谷のほうへ替流して、りきんだが、あばれ者故に、みんながこはがって居るから、相弟子どもを馬鹿にしをる故に、おれにも咄があった故、隼太めを目に物見せんと思て居たが、久敷、風を引て寝て居るから、夫れなりにしておいた。或日、少し気分がいいから寒稽古に出たら、小林も来ていて、勝様、一本願たい、とぬかすから、見る通り、久しく不快で、今に月代もそらず居る位だが、せっ角の事だから、一ぽん遣ひましゃう、といって遣ったが、先、二本つゞけて勝たら、小林が組付たから、腰車に掛てなげてやると、あふのけにたをれたから、腹を足にておさへて、のどをついてやった。其時、小林が起上り、面をとっておれにいひをるには、侍を土足にかけて済かすまぬか、とぬかすから、是は貴公の言葉にも似ぬいひ事かな、最初の立相に、みじゅく故、差図をして呉ろ、と御申故、侍の組打は勝とかやうの物だと仕形をして見せたのだ、いひぶんはあるまい、といったら、御尤、一言もござりませぬ、といひをった。夫から、おれをやみ打にするとて、付をったが、時々油断を見ては夜道にて、すっぱ拔をして切をったが、時々羽織なぞ、少づゞきったが、きづはつけられた事はなかった。夫からいろ〳〵しをったが、おれも気を付て居た故に、或時、暮に親類に金をかりにいった時に、道の横町より小林が酒をくらった勢ひで、おれが通ると、いきなりではなの先へ刀を抜て、つき出た。昼だから往来の人も見て居る故、其時、おれがわざと懐手をして居て、白昼になまくらを抜てどふする、といったら、小林が、此刀を買ましたが、切れるか切れぬか見て呉ろ、といふから能みて、骨位はきれるだろふ、といったら、鞘へ納めて別れた。人が大勢、立留て見て居た。古今のめっぼふけい者だ。 十八の年に、身代を持て、兄の庭の内へ普請をして引移た。其時、兄から借金三百両計の証文と家作代を家見に呉た。親父よりは家ざいの道具を一通り貰たから、無借になって嬉しかった。夫からいろ〳〵の居候者が多く来おったから、幾らもおいたから、借金が出来たよ。 十九の年、正月稽古始に男谷の稽古で、東間陳助と平川右金吉と大喧嘩をして、互に刀を持て、けいこ場へ出てさわいだが、其時も、おれが引分てやう〳〵和睦させた。 此年より、諸方の剣術遣ひを、大勢子分のやうにして、諸国へ出したが、みんな、おれが弟子だといってあるく故、名が広くなって来た。夫から、本所中のいゝ頭をしているのらくら者を不残たいじして、みんながおれが差図にしたがった故、こわゐ者はなくなったが、夫には金もいるし、つき合がはったから、たいそう借金が出来た。 又、他流試合を商売のやうにして、毎晩喧嘩にみんなを連て歩行た。或とき平山孝蔵と云先生へもいって、いつも〳〵和漢の英雄の咄しを聞ては、みんなをしこなして居た。夫から色々馬鹿計して居たから、身上がわるくなって来て、借金がふへる計。仕方がないから、出来ないそうだんに、むやみに借金をして居たが、廿一の年には一文もなくって、しやうがなかったから、さし料の刀は、終や、久米右衛門といふ道具やより買た盛光の刀、四十一両で買た故、夫を売かと思ったが、夫も、をしいからよしたが、逢対に行にも、きたまゝになつたから、気休めに吉原へ行た。親が呉た刀やら、色々質に置て、相弟子へも金をかり、色々して、漸々、三両二分計、出来たを持て、其の晩は吉原へいって、翌日、車坂の井上の稽古場へ行、剣術の道具を一組かりて、直に東海道へかけ出した。 其日はむごくに歩行て、藤沢へ泊て、朝七ツ前に立て、小田原へ行て、先年世話になって居た内の喜平次を尋ていったが、喜平もこじきが侍にばけて来たものだから、初めはふしんした。喜平の内を出た亀だといったら、漸々思ひ出して、いろ〳〵酒などふるまったが、三百文ぬすんだ事をいひ出して、金を二分二朱やった外に、酒代を二朱出して、以前、船へ一所に乗った野郎共を呼で、酒を呑して、今は剣術遣ひになったことを咄して笑ったら、みんながきもをつぶして居た。今晩はぜひとも泊れ、といったが、江戸より追手がくるだらふと思たから、早々別れて、そこを立て、箱根へかゝった。喜平次と外三人計、三枚橋まで送て来たが、そこより返して、漸々関所へかゝったが、手形がないから、関所の椽がはへいって、剣術修業に出し由申、御関所を通して被下、といったら、手形を見せろ、といふから、そこで、おれがいふには、御覧の通り、江戸を歩行通りのなり故、手形は心づかず。けいこ先より、不計、思ひつひて、上方へ修業にのぼり候。雪踏をはき候まゝ、たび支度もいたさず参りし事故、相なるべくは御通し被下候様に、といったら、番頭らしきがいふには、御大法にて手形なき者は通さず。しかし御手前の仰の如く、御修業とあれば無余儀故、御通し可申、以来は御心得可被成、といった故、かたじけない、とて、夫から関所をこして、休んで居たら、後よりきた商人がいひをるには、今、私が御関所を通りましたが、おまへさまの噂をしてござったが、今通った侍は飛脚でもないが、はん中でもなし、なんだらふとて噂をして居ました、といふから、其筈だは、おれは殿様だから、といってやった。山中で日が暮てから宿引めが、泊れ、とてぬかしたが、とふ〳〵、がまんで三島までいったら、四里が間、五月二十九日の日だから、まくらがりでなんぎした。せったをぬいで腰へはさみ、漸々夜の九ツ時分、みしまへ来て、宿へかゝって戸をたゝき、泊て呉ろ、といったら、当宿は、にら山さまから御ふれで、ひとり旅は泊ぬ、といふから、問屋場へ奇て、おこして宿をたのんだら、そいつがいひをるには、問屋が公儀の御触れはやぶられぬ、差図はできぬ、ときめるまま、そこでおれがいふには、海道筋みしま宿にては水戸のはりまの守が家来はとめぬか、おれは御用の儀が有り、遠州雨の宮へ御きがんの使に行のだが、しかたがないから、是より引返して、道中奉行へ屋敷より掛合ふ故、夫迄は御用物は問屋へ預け参から大切にしろ、とて、稽古道具を障子ごしになげこんだ。そふすると、役人共がきもをつぶし、起て出をって、土に手を付をって、はりま様とは不存、不調法恐入た、とて色々あやまるから、図に乗て、荷物はあづけるから、急度、受取りをよこせ、といったら、困りをって、外に二三人も出て、はいつくばり、いかやうにも致しますから、まづ〳〵宿屋ゑへいって少しの内、休足して呉ろ、といふ柄、漸々、案内といったら脇本陣へ上ゲをって、段々不調法の訳をわびをり、飯を出したから、猶々やかましくいったら、役人が重ねて、当宿の宿役人が不残しくじるから、何分にも勘弁しろ、と云から腹がいた故、ゆるしてやった。そふすると酒肴をだして馳走しをった。其時、書付をよこせ、といったら、夫に因って、夫も出すまいといった故、又々引くり返してやったら、金を一両弐分出して、又々あやまりをった故、金が思ひよらず取れる故、済してやった。其内に夜が明かゝったから、寝ずに三島を立たら、道中かごを出したから、先の宿迄寝て行た。其筈だ。稽古道具へ、箱根を越し、水戸と云ふ小札を書て、さして置たものだからうまくいったのだ。おれが思ふには、是からは日本国を歩行て、何ぞあったら切死をしやうと覚悟して出たからは、なにもこはいことはなかった。 夫からだん〳〵行て、大井川が、九十六文、川になったから、問屋へ寄て、水戸の急ぎの御用だから早く通せ、といったら、早々、人足が出て、大切だ、はりま様だ、とぬかして、一人前、はらって、おれは、れん台でこし、荷物は人足が越たが、水かみに四人並んで水をよけて通ふしたが、心持がよかった。 夫から遠州の掛川の宿へ行たが、昔帯刀を世話したことを思ひ出したから、問屋へ行て、雨の森の神主、中村斎宮迄、水府の御祈願の事で行からかごを出せ、といふと、直にかごを出して呉たから、乗て森の町といふ秋葉海道のしゅくへ行た。宿でかご人足に聞たら、旦那は水戸の御使で中村さまへゆかしゃると云たら、一人かけだして行きをったが、程なく中むら親子が迎ひに出てきたから、おれがかごから顔を出したら、帯刀がきもをつぶして、どふしてきた、といひをるから、「内へいってくわしく咄そふ、とて、帯刀の座敷へ通りて、斎宮へも逢たが、江戸にて帯刀が世話になつたことを厚く礼をいひ居る。夫から江戸の様子をはなして、思ひだしたから逢ひにきた、といったら、親子が悦で、まづ〴〵ゆる〳〵と逗留しろ、とて、座敷を一間明て、不自由なく世話をして呉たから、近所の剣術遣ひへ遣ひに行やら、色々すきなことして遊んで居たが、其内弟子が四五人出来て、毎日〳〵けいこをして居たが、所詮こゝに長く居てもつまらぬ故、上方へゆかふと思ったら、長州萩のはん中に城一家馬と云修行者が来たから、試合をして、家馬が諸々歩行た所を書写して居る内、家馬が不快で六七日逗留をしたいと云から、泊って居る内はたゝれず、いろいろと支度をしたら、斎宮が或晩、色々異見をいって呉て、江戸へ帰れ、といふから、最早けっして江戸へはかへられず、此度で、二度まで内を出た故、夫は忝ないが聞ぬ、といったら、そんなら今暑いさかりだから、七月末までゐろ、といふ故、世話にもなったからふりきられも出来ぬから、向ふのいふ通りにしたら、悦で猶々しんせつにして呉た。 毎日〳〵外村の若ひ者がきて、けいこをして、その後では方々へ呼れていったが、きものは出来、金も少しは出来て、日々入用のものは通ひ帳が弟子よりよこしてあるから、只買て遣ふし、こまることもなく、そこより七里脇に向坂といふ所に、さき坂浅二郎と云が居るが、江戸車坂、井上伝兵衛の門人故、江戸にてけいこもしてやったもの故、そこへ度々行て泊て居たが、所の代官故に工面もいゝから、おれがことはいろ〳〵して呉、夫故にうかうかとして七月三日迄、帯刀の内に逗留して居たが、或日、江戸より石川瀬兵衛が吉田へくる序に、今日こゝへよるといふから、座敷のそうじをして居たら、おれが甥の新太郎が迎ひに来をったから、夫からしかたなしに逢たら、おまへの迎ひに外の者をやったら、切ちらして帰るまいと、相談の上わたしが来たから、是非とも江戸へ帰るにした。 翌日、斎宮方を立て、段々帰るうち、三島の宿で甥が気絶して大さはぎをやったが、気が付て、夫から通し籠駕で江戸へ帰ったが、親父も兄もなんにもいはぬ故、少し安心して内へいった。 よく日、兄が呼によこしたからいったら、いろ〳〵馳走をした。夕方、親父が隠宅から呼にきたからいったら、親父がいふには、おのれは度々不埓が有から、先、当分は、ひっ足して、始終の身の思案をしろ、しょせん、直には了簡は付物ではないから、一両年考て見て、身のをさまりをするがいゝ。兎角、仁は学問がなくてはならぬから、よく本でも見るがいゝ、といふから内へ帰ったら、座敷へ三畳の、をりを拵て置て、おれをぶちこんだ。それから色々工夫をして一月もたゝぬ内、をりの柱を二本ぬけるやうにして置たが、能々考た所が、みんなおれがわるいから起たことだ、と気がついたから、をりの中で手習を始めて、夫から色々、軍書本も毎日みた。友達が尋て来るから、をりのそばへ呼で、世間の事を聞て頼しんで居たら、二十一の秋から二十四の冬迄、をりの中へはいって居たが、苦しかった。 其内、親父より度々、書取にしていけんをいって呉た。其時、隠居をして、息子が三ツになるから、家督をやりたい、といったら、それは悪い了簡だ、是まで種々の不埒があったから、一度は御奉公でもして、世間の人口をもふさぎ、養家へも孝養をもして、其上にて、すきにしろ、と親父がいってよこしたから、尤のことだ、と、はじめて気が付た故、出勤がしたいと兄へいったら、手前が手段で、勤道具、衣服も出来るなら勝手にしろ、おれはいかひこと手前にはいり上た故、今度は構はぬ、といった故、其時はおれが、ほふの下に、はれ物が出て居て寝て居たが、少も苦労をかけまい、と云書付を出して、をりを出で、翌日、拝領屋敷へ行て、家主へ談じて、金子二十両かり出して、色々入用のものを残らず拵て、十日めに出勤した。 夫から毎日〳〵上下をきて、諸々のけんかを頼んであるいたが、其時、頭が大久保上野介といひしが、赤坂喰違外だが、毎日毎日行て御番入をせめた。それから以前よりいろ〳〵わるいことをした事を、不残、書取て、只今は改心したから見出して呉ろ、といったら、取扱が来て、御支配よりおんみつをもって世間を聞糺から、其心得にていろ、といふから、待て居たら、頭が或ときいふには、配下の者は何事もかくすが、御自分は不残行路を申聞た故、所々、聞合た所が、いわれたよりは事大きい、しかし改心して満足だ、是非見立やるべし、精勤しろ、といふから、出精して、あいにはけいこをして居たが、度々書上にもなったが、兔角、心願ができぬからくやしかった。 此年、親父や兄へいひ立て、外宅をして、割下水、天野右京といった人の地面をかりて、今迄の家を引たが、其時居所に困たから、天野の二階をかりて居た内に、俄に右京が大病にて死んだ故、色々と世話をしたが、其内に普請も出来、新宅へ移り居ると、右京方にては跡取りが二歳故、本家の天野岩蔵といふ仁が、久来の意趣にて、家督願ひの時、六ツかしくいひ出して、右京の家をつぶさんとしたから、いろ〳〵もめて片付ず、其時おれが本家とは心あひから色々なだめ、とふ〳〵家督にさせた故、天野の親類が悦で、猶々跡のことを頼みをったから、世話をして居る内、右京のおふくろが不行跡で、やたらに男ぐるひをして、ふだん、そうどふして困るから、折角、普請をしたが、其家を売て外へこそふと思って、右京の子、金次郎が頭向へいひ出したら、その取扱がいふには、今おまへにゆかれると跡は乱みゃくになるから、一両年居て呉ろ、といふから居たが、人のことはおさめても、おれが内がをさまらぬから困って居たら、或老人がをしへて呉たが、世の中は恩を怨で返すが世間人の習ひだが、おまへは是から怨を恩で返して見ろ、といったからだ。其通りにしたら、追々、内も治て、やかましいばゝア殿も段々おれを能して呉るし、世間の人も用ひて呉るから、夫から人の出来ぬ六かしい相談事、かけ合、其外、何事に限らず、手前の事のやうに思てしたが、しまひには、おれに、はむかった奴らが、段々したがって来て、はい〳〵、といひ居る。是も、かの老人がたまものとうれしく、同流の剣術遣いが、ふらち、又は遣込して、とほふにくれて居る者は、夫々、少づゝ金を持せて、諸方へ遣し、身の安全をしてやったら、幾人か数もしれず、其後おれが諸国へいった時、いかひ事、とくになった事がある。歩行た所で、おれが名をしって居て、世話をしたっけ。 天野のが地面に居る内も、とかく地主のごけが事でむづかしいこと計がいって、こまったから、三年めに同町の出口鉄五郎が地面へ家作が有から引越たが、此鉄五郎が惣領は、元より心易かったが、いろ〳〵内をかぶつた時に、世話をやいてやった故、其ばゝア様が、是非地面へこひ、といふから行た。此年、勤の外には諸道具の売買をして内職にしたが、始は、そんばかりして居る内、段々なれて来て、金をとった。始は一月半ばかりの内に五六十両損をしたが、毎晩〳〵道具やの市に出たから、随分、徳が付た。なにしろ早く御勤入をしやうと思った故、方々かせいであるひて居た内に、男谷の親父がしんだから、がっかりとして、なにもいやになった。 しかも、そっ中風とかで、一日の内、死だから、其時はおれは真崎いなりへ、出稽古をしてやりに行て居たから、内の子侍が迎ひにきたから、一さんにかけて親父の所へいったが、最早ことが切た。それからいろ〳〵世話をして、翌日帰へった。毎日、其事にかゝって居た。息子が五ツの時だ。夫から忌命があいたからまた〳〵かせいだ。 此年十月、本所猿江に、摩利支天の神主に吉田兵庫と云者があったが、友達が大勢、此弟子になって神道をした。おれにも弟子になれといふから、行て心易くなったら、兵庫がいふには、勝様は世間を広くなさるから、私の社へ亥の日講といふを拵て被下ませ、とて頼だから、一ケ月三文三合の加入をする人を拵たが、剣術遣ひはいふに及ず、町人百姓迄いれたら、二三ケ月の中に百五六十人計、出来たから、名前を持て兵庫にやったら、悦で受取た。夫から一年半かゝったら五六百人になった。全くおれが御陰だから、当年は十月亥の日に神前にて十二座并跡でおどりを催して、神いさめをしたい、とて頼むから、先づ構中の世話人を三十八人拵へた。諸々へ触て、当日参詣をして呉ろ、といってやり、其日には、皆々、見聞のためだから世話人は不残御紋服を来て呉ろ、といふから、其通りにしてやったら、兵庫はしゃうそくをきて居た。段々、参詣も多く、初めてこのやうなにぎやかな事はないとて、前町へはいろ〳〵商人が出て居た。夫から講中が、段々、来ると、酒肴で跡で膳を出して振まってゐると、兵庫めがいつか酒に酔てゐるをって、西の久保で百万石ももったつもをしをり、おれが友達の宮川鉄次郎と云に太平楽をぬかして、こき遣ふ故、おれがおこってやかましくいったら、不法の挨拶をしをるゆゑ、中途でおれが友達をみんな連て帰った。そうすると外の者があつかひをいってあやまるから、おれがいふには、ひつきょうは此構中はおれが骨折故出来たを、難有もおもはなひとみえて、太平楽をぬかすは、ものをしらぬやつだから、構中をばぬけるからそふいって呉ろ、といったら、大頭伊兵衛、橋本庄兵衛、最上幾五郎と云友達が、尤だが、折角出来たのに、おまへが断ると皆々断るゆえ、兵庫、今更、後悔してあやまるから、ゆるしてやれ、と種々いふから、そんなら以来は御旗本様へ対し慮外致すまいと云書付を出せ、といったら、どの様にもさせるから、と云故、宮川、并深津金次郎といふ者と一所に兵庫の所へいった。そうすると大頭伊兵衛が道迄、迎にきていふにには、おまへがお入には兵庫は、かり衣をきて門まで御迎に出る。それから座敷へ出て、昨日の不調法をわびさせるから、挨拶をしてやれ、といふから、聞届た、といへ、たゞ、それからは講中が不残出て、馳走するから、跡では決して右の咄しはして呉るな、といふから、おれがいふには、不残、承知したが、外の者へよくよく口留をしなさい、若しも、昨日の咄しをしたやつが有、其時は世話人がうそつきになるから、片はしより切て仕舞つもりで来たから、よくいひきかして置なさるがいい、とていじょうをこめて帰した。間もなく兵庫が宅へいったら、同人が迎に出るし、世話人も不残、玄関迄、でたから、座敷の正面へ通ったら、刀かけに、おれが刀をかけて、皆々、座に付た。 兵庫も出て、おれに、昨日は酒興上、不礼の段々恐入たり。以来つゝしみ可申由、平伏していひをるから、おれがいふには、足下は裏だな神主なる故、何事もしらぬと見える。御籏本へ対して不礼、言語同断故、咎めしなり。講中、漸々広くならんとする時に、最早心におごりを生じた故、右の如く不礼有り。随分慎て取続く様に、とて、夫から一同がおれにいろ〳〵機げんを取てもてなしたが、酒がきらひ故に、人々酔てさはぐを見てゐたら、兵庫の甥に大竹源太郎と云仁が有が、おれが裏だな神主だといったを聞をって腹を立て、きのふのしまつを、宮川をだまして聞をり、小吉はいらぬ世話をやく、宮川のことで、伯父に大勢の中で、はぢをかゝしをった、是からはおれが相手だ、さあ小吉でろ、といって、其身、御紋服をきながら、はち巻をして、片はだぬぎて、座敷へ来る故に、しらぬ顔して居たら、直におれが向へ立て、じたばたしをるから、おれがいふには、大竹は気が違ふたそふだ、雑人の喧嘩を見たやうに、はち巻とはなんのことだ。武士はぶしらしくするがいゝ、此方は侍だから中間小者のやうなことはきらいだ、といったら、ふとひやつだ、とて、吸物ぜんを打付たから、おれがそばの刀を取て立上り、契約を違へて、たわごとをぬかすは、兵庫が行届ざるからだ。甥が手向ふからは云合たにちがひないから、のぞみ通り相手になってやらふ、とていったら、大竹が、くそを食へ、とぬかしたから、大竹より先へつきはなして呉やうと思ひ、おっかけたら、みんなが、にげ出した。 夫から兵庫が勝手の方、大竹もにげたから、おひ行くと、折わるく兵庫が、なん戸へおれがはいったから、大勢にて杉戸を入て、おさへて居から、出ることが出きぬ。大竹は恐て丸腰で、うぬが屋敷の伊予殿橋まで帰った。夫から大勢が杉戸口へ来て色々といふから許してやったら、大竹と和じゅくして呉、といひをるから、大竹が不礼の事をとがめたし、色々あつかひがはいって、特には大竹がおふくろがないてわびたから、伊よ橋へ呼にやって、源太郎が来たから、段々、酒酔の上、恐入たとて、殊更相支配ゆゑに、何卒、御支配へは、はなしおして呉るな、とて和ぼくをした。 それから酒がまた出て、大竹が云ふには、一ばい呑め、といふから、酒は一向、呑ぬ、といったら、夫はまだ打とけぬからだ、とぬかす故、盃をやう〳〵取たら、汲物わんで呑、とみんなが云。かんしゃくにさはったから、汲物わんで、一杯、呑だら、大勢よって、今一ぱい、とぬかす。夫からつゞけて、十三杯、呑だ。後のやつらは酔ていろ〳〵不作法をしたから、おれは其席では少しも間違たことはしなかった。 兵庫が籠駕を出したから乗て、橋本庄右衛門が林町の内迄来たが、それからは何もしらなかった。内へ帰っても三日ほどはのどがはれて、飯がくへなかった。翌日みんなが尋て来て、兵庫が内の様子をいろ〳〵はなした。其時、橋本と深津は後へ残て居て、以来は親類同様にしてくれ、といふから、両人が起証文を壱通づゝよこした。夫から猶々、本所中がしたがったよ。兵庫が、むねがわるいから講中も断てやった。其時おれが加入した分は、不残、断た故、段々すくなくなってつぶれたとよ。 (つづく)
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おことわり 鉄道だけに限っても「完全に復旧した」と言えるのは当分先になると予想されるため特別ページを作成しました。※鉄道関連の情報は順次他のページに移しています。 - ↑アクセスカウンタ 発生 2011年3月11日 14時46分 震源 牡鹿半島の東南東約130km(三陸沖)深さ約24km 地震の規模 最初の速報ではマグニチュード7.9とされていたが、8.3→8.4→8.8。8.8は阪神・淡路大震災の7.3、関東大震災をはるかに上回り、国内観測史上最大級。江戸時代の1707年10月におきた、宝永大地震(マグニチュード8.6)をも越える。その後さらに9.0に修正。これはエネルギーで速報値(7.9)の約45倍、直前の推定値8.8の約2倍。阪神大震災の約360倍。3つの大地震が連続して起きた模様。蛇足)8.8は阪神大震災の約180倍というニュースと9.0はそのさらに約2倍という話をくっつけたが、もう少し正確な計算をすると355倍。10の2.55乗≒3.55X10の2乗=355。あるサイトに「私の感覚だと約350倍ですが」という記述あり。 震度 宮城県栗原で7、仙台・宇都宮で6強、水戸6弱、秋田・盛岡・東京都区内・千葉・横浜で5強、山形・青森5弱、新潟・函館、名古屋などで4、札幌・室蘭、岐阜、富山、金沢などで3。関西でも揺れ。岡山や広島でも1。都道府県単位で、ゆれを感じなかった(震度ゼロ)のは宮崎、沖縄のみ。 地震発生直後から青森、岩手、秋田の3県に設置されている地震観測計全てと通信できなくなり、緊急地震速報が出せなくなった。機器の破損、停電、専用回線切断などが原因。 機器が破壊されるなどしたため記録がないが、最高15mの津波が到達した可能性のあることがシュミレーションなどで判明。 海岸から5km以上離れた場所でも、津波が押し寄せたケースがある。仙台市若葉区の海岸付近で200~300人の遺体を発見。さらに東松島市野蒜で約200人、牡鹿半島で約1000人の遺体を発見。 女川原発1~3号機、福島第1原発1~3号機、福島第2原発1~4号機、日本原子力発電東海第2の計11原子炉が自動停止。が、福島第1原発の原子炉の1つが冷却できなくなり、政府は原子力災害特別処置法に基づき、原子力緊急事態宣言を出した。放射能漏れは確認されていないが、半径3km以内の住民に避難指示(「避難勧告」の上。避難命令というのはない)。3km以上10km以内の住民には屋内待機を指示。女川原発1号機のタービン建屋で火災。鎮圧。 青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場で貯蔵プールの水がこぼれた。 仙台市宮城野区のJX日鉱日石エネルギーの液化石油ガス(LPG)タンク付近で爆発。 多賀城市のガス関連工場で火災。翌日以降も萌え続け、15日14時30分頃鎮圧。 茨城県東海村の火力発電所で作業中の4人が転落死。 17時13分、千葉県市原市のコンビナートにあるコスモ石油千葉製油所で爆発炎上。これについて所有者は爆発したタンクの中身はLPガスだと発表。※「有害物質が雨と一緒に降る。付近に住んでいる人は自宅待機が望ましい」などのデマが出回っていた。 東京ディズニーランド(ディズニーシーなども含む)は10日程度臨時休園。18日、当分の間休園を続けると発表。再開は未定。※電力供給や交通機関の状況を考慮。液状化など、大きな被害はなかったという。追記:4月上旬以降の再開を見込む。停電のない日だけの営業、夜間営業自粛などを検討。3月は営業していれば1日10万人の来園が見込まれ、200億円規模の減収要因。 東京都は上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族館、井の頭自然文化園を17日から当分の間休園にする。22日に予定されていたジャイアントパンダ2頭の一般公開も延期。 キッザニア東京(子供向け就業体験施設)は19日から再開するが、10時~16時のみ。売り上げの1割を被災地の復興支援に充てる。 サンリオピューロランド(東京都多摩市)は25日営業再開。客足は例年の半分。停電の1時間前に退園を促し、電力の回復後に再び入園させる。 東京サマーランド(東京都あきる野市)は4月2日から再開するが、営業は土日のみ。平日は休園とする。 としまえん(東京都練馬区)は19日から再開。計画停電の対象エリア外だが、大型アトラクションの一部を休止。 ナムコ・ナンジャタウン(東京都豊島区)は19日から再開。計画停電の影響は受けないが、夜間営業を自粛。 横浜・八景島シーパラダイスは19日から再開。夜間営業は自粛。 よみうりランドは大型コースターなどの稼動を見送る。19日から営業時間を9時30分~17時として再開。入場料を500円(通常1200円)、1日券は3000円(通常3900円)に下げているが、入園者数は例年の1/4。計画停電の実施地域のため、遊具が停止する可能性も。 富士急ハイランドは大型遊具の一部を休止。19日から営業時間を9時~17時として再開。 大阪のUFJは通常営業しているが、19~21日のライブイベントは中止。 スポーツ プロ野球 オープン戦の横浜vsヤクルト戦(横浜スタジアム)は6回終了時点で強い横揺れがあり、中断。15時過ぎに打ち切りを決定。記録はコールド試合となる。ロッテvs楽天戦(明石)は8回表で打ち切り。地震の影響はなかったが、選手らの家族・関係者安否確認を優先。 12日のオープン戦6試合は全て中止。最終的に東日本大震災影響で中止になったオープン戦は35試合。 センバツは被災地からの出場が危ぶまれたが、予定通り開催。ただし原発の状況によっては中断もありえる。※中止となれば戦時(1942~46年)以来の事態だった。「阪神大震災のあった、1995年も(出場校を減らしたり、不戦勝・不戦敗にしたりすることなく)開催されたじゃないか」と思われるかもしれないが、このときは被災から開幕までほぼ2ヶ月あり、単純に比較できない。入場行進を行わず、開会式を簡素化。ナイターを極力避けるため、試合前の練習時間を短縮するなど。また、アルプススタンドでの「鳴り物」を使った応援は一切禁止。 鳴り物禁止について:太鼓、ブラスバンドなどは禁止。チアリーダーは認めるが、「ボンボン」は認めない。リーダーが笛を吹くことも不可。メガホン、人文字を使った応援は認める。 NHKはテレビ、ラジオで全試合を生中継する方向で検討。ただし、被災地向けの情報や停電情報を放送する必要があれば、内容変更(録画中継、ダイジェストなど)の可能性がある。 楽天は暫定的に神戸を本拠地とする。 比較的早く試合再開。「”被災地を支援するため”という趣旨は賛同できるが、この状況下(電力不足)でナイターをするか?」という批判も。 パ・リーグは開幕日を4月12日に変更。仙台での試合開催は4月29日からを目指す。4月中はナイターを自粛。3時間半経過したら、新しいイニングに入らないとした。この時点ではセ・リーグは予定通り25日開幕としていた。 セ・リーグも29日に開幕を遅らせることに。ナイターを極力へらす(4月3日までは自粛、それ以降は節電で対応)、レギュラーシーズンは9回で終了、延長戦は行わないことなどを決定。選手会は「不満はあるが、試合のボイコットなどはしない」とコメント。※ナイターの自粛などは東北電力、東京電力管内。 文部科学相のダメ出しなどにより再検討。セ・リーグも4月12日開幕とし、少なくとも4月中は東北電力、東京電力管内でナイターをせず、デーゲームでも証明を必要とするドーム球場の使用を避ける。延長戦は3時間半を超えて新しいイニングに入らない。セの「延長戦なし」は適用されない。東北電力、東京電力管内に本拠地を置く6球団は停電対策、観客の安全対策を作る。 4月2日、3日に慈善試合計12試合。パは当初から予定しており、セも同調。入場は無料とし、ファンの募金を被災地に寄付。 公式戦の試合数144は変えず、日本シリーズ開幕を2週間遅らせ11月12日からとする。クライマックスシリーズは10月29日頃からとなる。 社会人野球 統括組織の日本野球連盟は3月25日、臨時理事会で8月26日に東京ドームで開幕予定だった都市対抗大会を秋に延期し、10月29日開幕の日本選手権を中止すると決定。日本選手権が中止になるのは初。都市対抗優勝チームを選手権優勝とみなす。 節電対策で、都市対抗の会場を東北・関東以外にする。 バレー Vリーグは男子、女子ともプレミアリーグ(レギュラーリーグ、上位4チームによる決勝ラウンド)、チャレンジリーグとも今季の残り30試合全てを中止。シーズン途中で打ち切りになるのは日本リーグ時代にもなかった事態。プレミアリーグとチャレンジリーグの入れ替え戦も行わない。 バスケットボール 女子Wリーグは今季を打ち切る。1試合だけ行われたプレーオフ決勝(3戦先勝方式)は不成立とし、レギュラーシーズンの成績がそのまま最終順位に。 男子の日本リーグは今季の優勝チームはないものとする。シーズン打ち切りでレギュラーリーグの24試合を消化できなかった。アイシンとパナソニックが26勝10敗で並んだが、直接対決の得失点でアイシンが1位。ただし、アイシンの優勝回数は増えない。 bj仙台が今季の活動を休止。全選手、コーチとの契約を解除。24日、代表が記者会見して明らかにした。シーズン打ち切りで入場料収入がなくなったのがイタい。来季は未定。参加の意向ではあるが、理事会で認められなければ終わり。 サッカー Jリーグは12,13日に予定されていた試合(J1、J2とも第2節)全てを中止。1つの節の全試合が中止になるのは1993年のJリーグ開始以来初。最も大きな被害を受けたのが仙台(J1)、ついで鹿島(J1)、水戸(J2)。翌週は開催予定だったが、14日に3月中の試合(リーグ戦、ナビスコ杯とも)全ての中止が決定。さらに4月2,3日の試合開催もあやぶまれる。注)結局4月中旬まで中止。4月23日再開と決定。今季のリーグ最終節は12月3日、J1=34節、J2=38節の試合数は変えないとしており、南米選手権のため中断する予定だった7月に試合を行うことを検討。状況によってはナビスコカップの大会方式が変更される可能性もある。※南米選手権には出場し、代表選手不在の状態で試合をする予定だったが、クラブから「代表不在で試合はできない」との声があり、結局辞退した。 ナビスコカップは通常、一次リーグとトーナメントの組み合わせだが、リーグ戦(総当り)を中止。全試合トーナメント(ホーム&アウエー)とする。 放射能の影響を受ける可能性があるとして、鹿島が活動休止。大きな被害を受けた仙台も同様。 ※プロ野球はたいてい3連戦だが、サッカーはあるチームが1つの節にする試合は1つ(ホーム&アウエーという言葉があるが、2試合で1節ではない)。 このため、第489回のtoto(BIGなども含む)は販売打ち切り(公式サイトの表現は「全てのチャネルで販売を中止」)。全額返金される。第490回、第491回も同じ。第492~497回は最初から販売されない。サッカーは少々の悪天候や「グラウンドコンディション不良」程度で試合が中止になることはなく、1試合だけの中止なら「全員的中したものとみなす」と規定。これまでに「全額返金」になったのは2007年の第291回mini toto-AとtotoGOAL3のみ。Club totoではClub totoポイントを義援金にすることができ(1ポイント=1円)、3月18日の受付開始から3月末日までに寄せられた3530万4821円を、4月1日付で日本赤十字社に寄付した。 29日に大阪・長居陸上競技場でニュージーランドとの慈善試合が予定されていたが、辞退の申し出があり変更。日本代表vsJリーグ選抜で行う。 ※試合結果は2-1(前半2-0、後半0-1)で日本代表の勝利。観客4万613人。 節電対策で4月、5月は東北電力、東京電力管内の開催試合はナイターで行わず、日中試合とする。 選手がゴールを決めた時に履いていたシューズなどが楽天オークションに出品される。全額義援金になる。 女子のプレナスなでしこリーグ(全10チーム)は4月3日の第1節から24日の第4節までを延期。29日からとする。カップ戦を中止し、その日程で第1~4節を行う。活動休止中の東京電力が開幕に間に合わない場合、残る9チームで開催する。 チャレンジリーグ(2部相当)は予定通り4月10日に開幕するが、東地区の2チームは本拠地が被災地域にある。ホーム開催は難しく、会場、日程を調整する。 フィギュアスケート 世界選手権(東京、21日~27日)開催を断念。当初は「予定通り開催する」としていた。会場に問題はないが、原発事故の影響を考慮。延期して開催するか、中止するかは事態の推移次第。フィギュアの世界選手権では1961年、開催地プラハに向かっていた航空機が墜落し、米国代表チーム全員が死亡。大会は中止になり、翌年プラハで開催された例がある。追記:エキシビジョンも含め、チケット約5万5000枚が完売していたが、全て払い戻す。※秋(9、10月)に開催することも検討したが21日までに断念。4月末~5月に代替地で開催予定。 モスクワで4月24日~5月1日に開催することが決定。代替地として名乗りを上げた6ヶ国(ロシア、フィンランド、オーストリア、カナダ、クロアチア、アメリカ)から国際スケート連盟が選んだ。 フィギュア団体戦の世界国別対抗戦(4月、横浜アリーナを予定)は来年4月まで1年延期して日本で開催。 チャリティオークション開催。 競馬 中央競馬は中山、阪神、小倉で開催予定だった12,13日のレース全てを中止。阪神、小倉は19日から再開。中山は中止。 再開後もしばらく発売を制限。電話(ケータイサイトも含む)での投票はできない。 期間中の入場料は無料。相当額をJRAが拠出し、復興支援に充てる。 岡山・香川県内では競輪、競艇について、3月末日まで開催及び場外発売の全てを中止。※広島県には福山競馬があるが、両県下に競馬場はない。 ゴルフ スタジオアリス女子オープン(4月8日~、花屋敷GCよかわ=兵庫県三木市)の中止を決定。国内女子ツアーの中止は4大会連続。大会スポンサーのスタジオアリスは賞金総額6000万円を義援金として被災地に送る。 タイガー・ウッズは来日を中止。4月15日似予定されていた、千葉県内のゴルフ場でジュニア選手を指導するイベントなどが中止になったため。 ボクシング 4月8日に東京の両国国技館でWBC=世界ボクシング評議会=トリプル世界タイトルマッチ(王者は3人とも日本人)が予定されていたが、神戸ワールド記念ホールに変更する。観客や選手らの安全面を優先。 ※大相撲の3月(大阪)場所中止は以前から決まっていたこと。この地震とは無関係。 福島第1原発 沸騰水型軽水炉 1~4号機は大熊町、5号機、6号機は双葉町。※加圧水型軽水炉というのもある。黒鉛減速炉、重水炉は日本国内にはない。 1号機(46万kW) 地震後冷却機能喪失。 炉心溶融。 12日15時36分、水素爆発。建屋を損傷。注)核爆発とは異なる。 炉心を冷やすために廃炉覚悟で海水注入を実施。 25日、海水注入をやめ、近くのダムからタンクにtめた真水に変更。海水の塩分で冷却効率が下がったり、腐食したりする恐れがあるため。 29日朝、原子炉圧力容器の温度が一時設計の上限値(302℃)を超える323℃に。冷却水を増量し午後には299℃まで下がった。 2号機(78.4万kW) 14日、冷却機能喪失。 一時、「空だき」状態に。爆発で建屋に穴が開き、放射性物質が拡散。 燃料全露出。 15日6時10分頃、原子炉格納容器内の圧力抑制プール付近で爆発音。プールが損傷。 メルトダウンの恐れが最も高い。 21日19時前、原子炉の屋根から白煙。原因は不明。 26日、海水注入をやめ、真水に変更。 3号機(78.4万kW) 13日、冷却機能喪失。 炉心溶融。 14日11時01分、水素爆発。 炉心に海水を注入。 16日8時すぎ、白煙(水蒸気?)が噴出。 21日16時頃、原子炉建屋の屋上南東側の使用済み燃料プール付近から灰色がかった煙が出た。作業員らが一時退避。 25日、海水注入をやめ、真水に変更。 4号機(78.4万kW) 地震前から定期検査のため運転停止中。原子炉内に核燃料はなし。 15日6時15分頃、爆発音とともに火災が発生。建屋の一部に穴が開く。高濃度の放射能が漏れた可能性。 水位を確認できていない。 16日5時45分頃にも火災。 5号機(78.4万kW)、6号機(110万kW) 地震前から定期検査のため運転停止中。 15日、首相を本部長、東電社長と経済産業相を副本部長とする統合連絡本部を設置。 東京電力福島第1原発の原子炉で炉心溶融。海水を注入(通常は真水を使う)したため、再開は不可能とされ廃炉が必至。※炉心溶融はメルトダウン(炉心崩壊)ではない。 燃料棒が冷却水の外に出ると、1200℃を超える燃料を包むジルコニウム製の金属被覆管が水蒸気と反応して水素が発生。これが爆発につながる。2700℃を超えると炉心溶融に発展する。水が超高温で一気に蒸発し、水蒸気爆発を起こす危険性がある。 避難指示エリアが福島第1原発を中心とする半径10kmから20km圏内に、福島第2原発を中心とする半径3kmから10km圏内にそれぞれ拡大。後者はほぼ前者と重複する。 放射線の量が100ミリシーベルト以下なら健康被害は出ないとされるが、一度に浴びた場合、500ミリシーベルトで血中のリンパ球が減少、1000ミリシーベルトで悪心、嘔吐、4000ミリシーベルトでは30日以内に半数が死亡、7000~10000ミリシーベルト(=7~10シーベルト)で1~2週間でほとんどの人が死亡。70~90シーベルトで死亡率99%、100シーベルトでは即死。 15日、福島第1原発を中心とする半径20km~30km圏内の住民に屋内退避を指示。 16日、ヘリで空から水を投下することを検討したが、上空の放射線量が高く、接近が困難として当日は見送る。 17日、自衛隊の大型ヘリを使い、3号機に空から放水。1回7500l。2機で計4回。上空で静止(ホバリング)しての作業はできず。 陸上自衛隊の放水車からも放水。5台で約30分間に計30t。18日にも約50tを放水。 機動隊の高圧放水車到着。最大12気圧。※「放水すること」に特化した車両のため、他の警察車両と比べ鉄板が薄く、放射能からの防御面では劣る。44tまいて撤退。 18日、ヘリ4機態勢で上空から水を投下する準備をしたが、実施せず。 19日、東京消防庁から緊急消防援助隊所属の「屈折放水塔車」が到着。ハイパー放水車とも呼ばれ、最大22mの高さから毎分3.8tの放水ができる。通常の放水車では連続して放水できるのは1,2分だが、スーパーポンパー(送水車)と組んで理論上無制限に連続放水が可能。また、無人操縦が可能で、隊員などを常時貼り付けておく必要がなく、被曝防止面でも有利。毎分3tの連続放水で1800tを放水。※高いところから放水するには、40mはしご車もあるが、現地は風が強く、霧のようになって十分な効果が得られないとされた。 21日、陸上自衛隊の74式戦車2台、生コン圧送車到着。戦車は排土板を取り付け、ブルドーザーのようにしてがれきの除去作業に使用する。装甲の厚さが放射能からの防御に有効。主砲は後ろなどに向ける。生コン圧送車のアームは最大58mまで伸びる。 大阪市消防局なども参上。 作業員がベータ熱傷。※アルファ線(ヘリウム4原子核)はかんたんに遮断でき、ガンマ線(電磁波)は透過力は強いが。ベータ線(電子または陽電子)が一番影響が大きい。 作業員の被曝量は2~6シーベルト。これは全身で浴びたら死者が出るレベルだが、局所的だったため命に別状はなく、通常のやけどの処置でよいとされた。 原子炉か燃料プールから漏れたと思われる、超高レベル汚染水(1立方センチあたり約390万ベクレル、通常は数百ベクレルでおよそ1万倍)を確認。 毎時1000ミリシーベルト超。あまりに高いため測定を中止。無防備な状態で浴び続けた場合、30分でリンパ球が減少、4時間で半数が30日以内に死亡するレベル。 ※ 1秒間に1個の原子が崩壊するとき1ベクレルという。放射能の量や強さの単位である。記号はBq。キュリーという単位もあったが、国際的にベクレルに統一された。1キュリーは370億ベクレル。シーベルトは人間が放射能を浴びたときの影響を表す単位。 1~4号機は廃炉が確定。5、6号機は未定だが、廃炉の可能性大。 敷地内の土壌からプルトニウムを検出。微量とはいえ、毒性が強く、半減期も数万年と長い。自然界にはほとんど存在しないとされ、過去の核実験などで放出されたものもあるが、その3~4倍。 29日、30日、原発近辺の海水から濃度限度の数千倍のヨウ素131を検出。最高値は1立方センチあたり180ベクレル(1リットル換算で18万ベクレル) 3月11日 常磐線 駅構内で津波により電車(2連2本の4両編成)が横転。駅舎は基礎だけが残る。跨線橋は損傷を受けながらも残る。 一時、仙石線野蒜駅付近を走行中だった列車など4本と連絡が取れず、最悪「津波にのまれた」などの事態も想定されたが、12日までに乗客乗員全員の無事を確認。 津波で貨物列車の貨車と積荷は流されたが、機関車は流されず運転士は無事。 飯山線は栄村で土砂崩落。レールが宙に浮いた状態。 JR北海道は太平洋岸の各線(根室線の帯広~根室間など)で運転見合せ。津波警報の影響で、名鉄蒲郡線蒲郡~吉良吉田間は16時頃から運転見合わせ。近鉄鳥羽線・志摩線(五十鈴川~賢島間)も運転見合わせ。 JR四国でも16時30分頃から予土線、予讃線八幡浜~宇和島間運転見合わせ。17時18分再開。土讃線後免~窪川間(18時30分頃から土讃線高知~伊野間の普通列車は運転再開)、牟岐線全線(徳島~海部間)は最終まで運転見合わせ。 この日限りで廃止される、485系雷鳥の引退セレモニーが予定されていたが中止。 11日発の北斗星、サンライズ瀬戸・出雲など夜行列車は全て運休(12日以降も同様)。 JR貨物はJR北海道・東日本管内、JR東海の一部を発着・通過する列車について、全て運休とする。発送(出荷)の自粛を要請。 更新直後の機関車が被災。 仙台駅にいた試運転中のE5系が脱線したとされ、「一度も営業運転に使われないまま廃車になった旅客用新幹線電車」になる可能性。 空は22時現在、国内・国際計903便が欠航。施設全体が冠水した仙台空港のほか、羽田、成田空港も滑走路の点検のため離着陸を一時停止。JALとANAの2社だけで8万人以上に影響。 警察庁がまとめた、23時30分現在の人的被害状況:死者110人、行方不明350人、負傷者544人。 ※連絡が取れなくなっていた列車は以下の4本。 仙石線…運転士と車掌が乗客約50人とともに近くの小学校に避難。 大船渡線…運転士と乗客15人が中学校に避難。乗客5人は別行動。 大船渡線…乗客は自力で避難。運転士なども無事。 気仙沼線…乗客は自力で避難。運転士なども無事。 静態保存機、C58 16も被災。津波。 3月12日 九州新幹博多~新八代間は予定通り開業。「みずほ」などは定刻どおり発着。ただし、ダイヤ改正に伴う、出発式などのイベントは全て中止。 東北地方・首都圏のJR東日本線は全面ストップ。 東海道・山陽・九州新幹線は平常運転。 上越・長野新幹線は運転再開。東北・秋田・山形新幹線は現時点で見込みなし。被害の少なかった区間だけでも部分的に再開できないか検討中。 警察庁がまとめた、22時現在の人的被害状況:死者685人(23時現在の各警察本部発表の合計は687人)、行方不明641人。 長野で震度6強の地震。マグニチュードは6.7。 秋田沖を震源とする地震。マグニチュードは6.4。 3月13日 JR貨物は東北地方を発着または経由するものは運送引受け不可。北海道内だけで発着するものは可能。関東でも不可のケースあり。 警察庁がまとめた、21時30分現在の人的被害状況:死者1353人、行方不明1085人。安否不明者は数万人。宮城県警本部長は同県内だけで死者が1万人を超えるとの見方を示した。 3月14日 電力不足のため、本日から4月末日(予定)まで「計画(輪番)停電」がある。ピーク時(18~19時)4100万kWの需要が想定されるが、供給力は3100万kWしか確保できず、1000万kWの電力不足が予想される。この条件で無理に給電すると、周波数が乱れ、大規模な停電がおきる恐れがある。戦時中~戦後の混乱期には計画的に停電させる、「電休日」があったというが、東京電力が実施するのは1951年の同社設立以来初。東電管内(1都8県)をいくつかのグループ(今回は5つ)に分け、6時20分~22時の間、各3時間程度。深夜~早朝は行わない。ただし、都心部(23区内)では原則として行わず、1日に2回、または複数のグループで同時に停電することもありえる。朝から予定されていたが、供給に余裕があったため、午前中は実施されず。が、夕方以降需要が伸び、供給が追いつかなくなる恐れが出てきたため、第5グループの一部、約11万世帯のみ17時頃から約1時間半停電実施。参考)自宅待機を指示したり、臨時休業した企業も多かった。 参考:西日本の60Hzに対し、東日本は50Hzと周波数が異なるため、西日本側に余力があっても、そのままでは供給できない。電力融通のための周波数変換装置が3ヶ所にあるが、能力は合計100万kW程度。上限いっぱい活用しても、不足する電力との比較では焼け石に水。 JRは自前の発電所を持っており、影響は限られる見通しとされていたが、実際は総武快速線などが全面運休。新宿などでは一時改札内入場規制。 計画停電の詳細が13日夜まで公表されなかったため、首都圏のJR各線で運転されたのは山手線、中央快速線など、ごく一部だけ。他は終日運転見合わせ。東北・上越新幹線も一部運休。 小田急は特急ロマンスカーを当分の間全面運休とし、他の列車も間引く。停電区間の運転見合わせを決めている会社もある。14日の日中は新宿~経堂間のみ運転。夜までに順次運行区間を拡大。 京王は京王線、井の頭線とも半分程度の運行。停電が想定された時間帯は調布以西運休。 西武は14日未明までは3路線で停電地域を除く運行を計画。停電は見送られ運行できたが、一部または終日運休の路線や区間も。新宿線と池袋線の一部区間を10分ごとに運転。他の区間と支線区は運休。15日はさらに運行区間を縮小。 東京メトロは通常の5割程度、都営地下鉄は7割程度の運行。 東武は伊勢崎線などは終日運行。 東急は全列車各駅停車で一部の路線を運転。 警察庁がまとめた、22時現在の人的被害状況:死者1886人、行方不明2369人、負傷者1885人。※負傷者は重傷者と軽傷者の合計。 3月15日 計画停電のグループ分けを昨日とは変更(5グループなのは同じだが、地域が異なる)。今後も見直す可能性。6時20分から開始。供給力は3300万kW、ピーク時(18~19時)需要量3700万kWを想定。五井火力4号機などが復旧。 15日は5つのグループすべてで一部の地域が停電。対象は約500万世帯。状況によっては「1日2回停電する地域」が発生する可能性もあったが、2回目は実施されず。 原発周辺の避難指示が福島第1原発を中心とする半径20km圏内に、屋内待機は20km以上30km以内。 東北新幹線東京~那須塩原間運転再開。ただし1時間に1本程度。上越・長野新幹線は運転。東北新幹線那須塩原以北、山形・秋田新幹線は運転再開の見込みなし。 東京付近のJR在来線は70~20%程度。成田線は100%としているが、成田~成田空港間は1時間に1本程度。停電の影響を受ける区間は運休。 東北地方のJR各線について:羽越本線酒田~秋田間、奥羽本線秋田~青森間、大曲~秋田間、男鹿線追分~男鹿間は運休する列車もあるが運転。これ以外の路線は運休。 東海道新幹線は終日、平常通り運行される予定。が、首都圏では乗務員の出勤が難しいため、東京~新大阪間の「のぞみ」上下各6本(全列車N700系)が運休する。 下り:のぞみ209号、215号、217号、221号、223号、225号。 上り:のぞみ234号、242号、246号、248号、250号、252号。 かいじ103号、105号、106号、112号、113号、114号、115号、121号、122号、124号は新宿駅発着に変更。 15日発の急行きたぐに号は運転。これ以外の夜行列車は全て運休。 東京メトロは通常の50%程度の運行。 東北電力は16日から計画停電を実施すると発表。被災地は対象から外し、4県の全域または一部が対象。対象地域は秋田県の全域、山形県のほぼ全域、新潟県の大半、青森県が津軽・下北な県内のほぼ半分。原則として土日祝日は行わない。期間は1ヶ月程度を見込む。1日最大3時間。9時~12時、17~20時。※実際には16~18日は実施されず、19~27日も実施しない見通し。 店によっては朝、短時間営業しただけで閉店。※停電中一時閉店し、再開しようとしても手間ばかりかかるためとか。 警察庁がまとめた、22時現在の人的被害状況:死者3373人、行方不明7558人、負傷者1990人。 静岡で震度6強の地震。マグニチュードは6.4。 3月16日 東京メトロは通常運転の路線と、停電の影響で80%程度の運行の路線がある。いずれも急行・快速運転、他社との直通運転は中止。 JR貨物は日本海側経由で北海道~関西間も輸送可能。秋田貨物~向浜などは運転見合わせ。東北地方の太平洋側と関東地方は運送の引受けを見合わせる。新前橋~水上間、熱海~静岡貨物間は計画停電の影響を受ける。 同日夜現在、東北線は宇都宮まで。日本海側(日本海縦貫線という)は全線開通。計画停電のため、上越線大宮~長岡間は運休。 16日は全てのグループで停電実施。実際に停電したのは合計約1090万世帯。前日夜の地震を受け、静岡県東部を対象から外す。 警察庁がまとめた、22時現在の人的被害状況:死者4277人、行方不明8194人、負傷者2282人。 3月17日 サンライズ出雲・瀬戸号は本日発から上下とも運転再開。日本海、トワイライトエクスプレスなどは引き続き運休。臨時夜行急行能登も運転中止。 JR貨物は宇都宮~東青森間、常磐線(支線や福島、仙台、八戸の臨海鉄道も含む)、倉賀野~南長岡間、千葉~鹿島~奥野谷浜間などについて、運送の引き受けを見合わせる。夕方から高崎~長岡間でも貨物列車の運転再開。 JR貨物と全国通運連盟は鉄道で輸送する被災地向け救援物資について、本日から当分の間無料にする。5t以内の貨物が積めるコンテナ1個を1口とする。送り主が物資の輸送を各県に連絡して承諾を得た企業などが対象。無料になるのは、全国のJR貨物のコンテナ取り扱い駅から被災地の最寄り駅までの運賃、集荷場所から最寄りの貨物出発駅までと、到着駅から被災地までのトラックの輸送料。 暖房需要が増え、電力需要が一時逼迫。最大供給力3350万kWに対し、需要(速報値)は9~10時に3330万kWを記録。大規模な停電が起きる恐れがあるとして経済産業相が節電を強く要請。鉄道が運行本数の削減、百貨店が閉店時間を早めるなどしたため、17時は2900万kW前後に。不測の停電は回避された。鉄道の詳細は別ページに記載。 17日は全てのグループの全世帯が少なくとも1回は停電。2回停電したところもあり、のべ約1820万世帯。18日から静岡県東部を対象に戻す。 警察庁がまとめた、18時現在の人的被害状況:死者5457人、行方不明9508人、負傷者2409人。22時現在では、死者5692人、行方不明9522人、負傷者2409人。 3月18日 JR東日本は東北新幹線盛岡~新青森間について、23日から運転再開すると発表。大きな余震が起きないことが条件。盛岡以北では線路がゆがんだのは1ヶ所だけ、電柱も傾いただけで、被害が比較的軽かった。 18日現在の東北新幹線那須塩原~盛岡間の復旧作業に進捗率は20%程度にとどまる。被害が約1100ヶ所と、多数かつ広範囲におよぶため。高架橋の倒壊やトンネルの崩落はなかった。 ※ 参考)阪神大震災で高架橋が落下するなどした山陽新幹線は全線復旧まで82日、新潟県中越地震でレールがゆがむなどした上越新幹線は67日かかった。 秋田新幹線「こまち」運転再開。秋田~盛岡(在来線ホーム)間の運行で、1日4往復(317号、320号、324号、325号、328号、331号、335号、336号)。グリーン車を除き全車自由席。※グリーン車には乗車できない。計画停電の影響で運転を中止することがある。 長野新幹線の「あさま577号」は運休。 夜、横浜市の根岸駅からガソリンや軽油を積んだ列車(18両編成)が発車。19日夜盛岡(タ)に着く。当面1日1本運行する。石油用タンク貨車は1両でタンクローリー車約3台に相当する約62klを輸送可能。 18日は全てのグループで計画停電実施。計約1370万世帯が各3時間程度停電。2回停電したところはない。 東電は、19日からの3連休は計画停電を実施しないと発表した。ただし、電力需要状況によっては実施される可能性がある。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者6911人、行方不明1万754人、負傷者2356人。死者数は阪神大震災(6434人)を超えた。 3月19日 JR貨物は宇都宮~盛岡間、常磐線(支線や福島、仙台、八戸の臨海鉄道も含む)、千葉~鹿島~奥野谷浜間などについて、運送の引き受けを見合わせる。※青森~盛岡間と上越線の引き受け再開。八戸貨物~北沼間は見合わせが続く。 本日発の寝台特急カシオペア、トワイライトエクスプレス、北斗星、あけぼの、急行能登、快速ムーンライトえちごは運休。白馬行き快速ムーンライト信州81号は停電の影響で運休。※カシオペア、トワイライトエクスプレス、北斗星については、24日発まで全区間運休が決定。以降は未定。追記:トワイライトエクスプレスは3月31日発まで、カシオペア、北斗星は4月14日発まで運休決定。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者7508人、行方不明1万1680人、負傷者2583人。 3月20日 東北本線は黒磯~一ノ関間が不通になっていたが、北上~一ノ関間で運転を再開。奥羽本線米沢~山形間も運転再開。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者8450人、行方不明1万2931人、負傷者2701人。 3月21日 東電は、22日は最初に停電する予定の第5グループは実施せず、第1~4グループは実施すると発表した。 秋田新幹線「こまち」344号運転開始。本日のこまち344号のグリーン券は発売されない。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者8805人、行方不明1万2654人、負傷者2722人。 3月22日 東北新幹線盛岡~新青森間運転再開。当初予定より1日早い。 秋田新幹線「こまち」311号運転開始。これで1日5往復に。全列車グリーン車を除き全車自由席で、特定特急券が必要。グリーン券も発売。 飯山線十日町~越後川口間運転再開。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者9099人、行方不明1万3786人、負傷者2628人。 3月23日 JR西日本は4月2日から日中を中心に減便すると発表。臨時列車の運転中止、編成の短縮も。どの列車が運休するかといった詳細は25日に発表。直流モーターの部品(直流電動機ブラシ)を製造している、日立グループの会社が被災し、部品が調達できないため。この状況が長期間続くと、ラッシュ時も減便せざるをえない。他社からの調達も検討しているが、見通しは立っていない。「影響なし」と言い切れるのは全車VVVFになっているサンダーバード、マリンライナーなどと、JR東西線などごく一部。路線によっては半数が運休になる。参考)VVVFインバータ制御でない電車はほとんどが直流モーターと思われる。同社のウエートは全体の5割とされるが、影響は鉄道会社によって異なる。 JR四国でカーボンブラシを使用しているのは8000系特急電車が48両、普通電車が50両(113系12両、121系38両)の合計98両。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者9487人、行方不明1万5617人、負傷者2755人。 3月24日 北の偉大なる将軍様は在日朝鮮人に見舞金として50万ドル(約4000万円)を送金された。朝鮮赤十字会も日本赤十字社に10万ドルを送る。阪神大震災の際にも総書記から100万ドル、赤十字会から20万ドルが送られている。(朝鮮中央通信) 川崎市の東扇島火力1号機(100万kW)が復旧し、運転再開。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者9811人、行方不明1万7541人、負傷者2779人。 3月25日 JR西日本は4月2日からの運転計画の詳細を明らかにした。詳細は4月に記載。 東電は計画停電のグループ分けを細分化し、28日から適用する。あるグループの一部だけ停電したり、予定時刻になっても停電せず、しばらくしてから停電するなどの事態が多々あるため。1つのグループを5つに分け、全部で25にする。夏場は最大25%不足するとされ、23区でも停電が避けられない見通し。中心部3区は最優先で電気を供給。政府関係が集中しており、ここも停電となると政府機関がマヒする恐れ。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者1万102人、行方不明1万7053人、負傷者 人。死者は1万人を超えた。 3月26日 磐越西線郡山~津川間運転再開。これで同線は全線復旧。 山田線は盛岡~上米内間で運転していたが、宮古まで再開。東北本線から東に分岐する路線が三陸沿岸まで再開するのは初。 JR貨物:不通区間内に10日、11日発の貨物列車計6本が停車中。東北本線宇都宮(タ)~盛岡(タ)間はトラック代行により運送引受けが可能。仙台(タ)=改正前の宮城野貨物駅=でも取り扱い可能。ただし、被災によりコンテナの取り扱いができない駅がある。常磐線は不可。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者1万489人、行方不明1万6621人、負傷者2777人。 3月27日 奥羽本線新庄~院内間運転再開。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者1万804人、行方不明1万6244人、負傷者2776人。宮城県内の死者だけで阪神大震災を超える。 3月28日 JR北海道は函館運輸所及び函館駅構内が津波で冠水。車両及び設備の点検・復旧に時間を要しているほか、JR東日本側の復旧作業等の影響もあって、4月5日まで函館本線函館~七飯間、江差線函館~上磯間で普通列車各1往復が運休。新青森~函館間では特急白鳥2往復が4月14日まで運休。以後は未定。 JR東日本は31日から常磐線土浦~勝田間の運転を再開する。東北新幹線、山形新幹線も4月中に全線で運転を再開できる見通し。ただし、常磐線の一部区間は原発の避難指示・屋内退避(自主避難)エリアに入るため、この区間は見込みなし。 JR貨物:土浦~水戸~日立間でもトラック代行輸送が可能に。運送引き受けができないか、制限している貨物駅は北から北浜、石巻港、仙台港、仙台西港、名取、岩沼、小名浜、奥野谷浜。 東京電力の供給力3850万kW、前日の予想需要3750万kW。気温が高めに推移し、暖房需要が想定を下回ったため、停電は第2のA、B、Cグループのみ実施。 3月29日 JR貨物:千葉~鹿島サッカースタジアム~神栖間でもトラック代行輸送開始。奥野谷浜は取り扱い見合わせ。 東京電力の供給力3850万kW、前日の予想需要3600万kWに対し、ピーク時需要3400万kW。計画停電は行わなかった。平日に行わなかったのは大震災発生後初。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者1万1168人、行方不明1万8407人。福島県の死者も1000人を超えた。 3月30日 東京電力の供給力3850万kW、前日の予想需要3500万kW。 3月31日 上越新幹線のMaxたにがわ80号は運休。 18時15分頃、宮城県沖(深さ約40km)を震源とする地震。岩手県花巻市で震度5弱。マグニチュードは6.0と推測され、東日本大震災の余震とみられる。 警察庁がまとめた、21時現在の人的被害状況:死者1万1532人、行方不明1万6441人。
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171: ホワイトベアー :2020/05/14(木) 22 00 37 HOST 36-2-32-252.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 日本連合ネタSSーー「太平洋合同大演習 序章」 20XX年 日本国 横須賀基地 かつて大日本帝国海軍の鎮守府として整備され、戦後はアメリカ合衆国と日本国海上自衛隊が共同で使用する世界有数の軍港である横須賀に一隻の巨大な戦闘艦が停泊していた。 その戦闘艦は史上最大クラスの主砲である56cm見るものを圧倒させる3基の巨大な主砲とハリネズミの様に膨大な対空火器を有し、史実世界ではすでに過去の産物となっていた《戦艦》である事が軍事に詳しくないものでも一目でわかた。 そして、まさに海に浮かべる鋼鉄の城とも呼べる姿を威風堂々と晒していたその戦艦のマストには日本の象徴であるライジングサンと、日本国を占領した日本連合に加盟する日米枢軸世界を意味するヤタガラスと鷲が描かれた旗が掲げられており、少し事情を知っているモノなら枢軸日本の運用する大和型戦艦、その2番艦である戦艦《武蔵》(※1)であることも把握できるであろう。 「ああ、せっかくEUや英連の目がない異世界に来たと言うのに、上層部の連中がこっちの列強の視線を気にしすぎているせいでまともな戦闘訓練もできやしない。しかも、この世界には大和級を超える戦艦すら存在しているのにその戦艦との戦闘訓練すらできないとは。退屈だ、非常に退屈だ」 そんな史上最大クラスの戦闘艦の艦橋で、派遣されている艦隊の司令も兼ねている水上打撃部隊の司令がそうボヤいた。 日本連合の結成によって派遣された彼の部隊であるが、あくまでその意味は日本国内外に対する抑止力兼他の大日本帝国に対抗するためであり、派遣されてからの日々は海軍屈指の戦艦狂愛者で、自由に砲撃訓練を行えると期待していた彼に多大なるストレスを与えていた。 「上層部の判断は仕方ないことだと思います。何しろ、私は我が国の持てる技術の粋を集めた最新鋭艦ですので。そして、その判断に子供みたいに反対しまくるのはどうかと思います。ーー以上」 そんな、提督(文字通りの意味)に彼の横にいた黒の長髪を後ろで纏め、メイド服を着ている巨乳の成人女性、この戦艦《武蔵》の艦長としての権限を持つ自動人形 武蔵が抑制の効いた声で声を返してくる。 「相変わらず武蔵ちゃんは辛辣だねぇ。まあ、わかってはいるが・・・。私はしつこくて諦めの悪い人間なのだよ」 「かっこよく言っているようですが、ようは周りから嫌われるタイプなのですね。それでよくここまで出世できましたね。ーー以上」 「辛辣すぎない!? と、話を戻すが武蔵ちゃん、何か面白い話でもない?」 「露骨に話を反らされた気がしますが、それに乗りましょう。面白い話と言えばアメリカ合衆国が記念艦にしているアイオワ級の再就役を完了したとか。ーー以上」 「ああ、アメリカで建造が決まった新戦艦が就役するまでの繋ぎとして就役したあれか。いくらなんでも80年近く前に就役した戦艦を再就役するわけないと思っていたが、まさか本当に実施するとはな」 172: ホワイトベアー :2020/05/14(木) 22 04 08 HOST 36-2-32-252.tokyo.fdn.vectant.ne.jp アメリカ合衆国は日本連合の保有する戦艦群のスペックを知らされるや否や航空機による攻撃が自殺行為である事を把握、これらの戦艦群を大きな驚異と考え、こうした戦艦群を撃破するために新規に戦艦を建造する事を決断した。 しかし、戦艦の建造に関するノウハウなど完全に喪失していた事もあって、短期間での戦艦の建造などは不可能であり、まずはこれらのノウハウを再取得することが重要とされる。 そして、その手段の一環兼新造艦完成までの繋ぎを欲しった海軍の要望で行われたのが保存されていたアイオワ級戦艦2隻(アイオワ・ウォスコンシン)の近代化改修と再就役であり、日本連合によって日本国が占領されるや否や実行されたそれがようやく完了したのだ。 「現実は小説より奇なりと言う言葉を改めて思い知らされたよ。それで、それだけではないのだろう」 「はい。アメリカは今年開くリムパックで改装したアイオワ級を大々的に御披露目するらしく、我々、日本連合の戦艦群の参加も希望しているようです。推測ですがーー以上」 「・・・ほう。もしそれが本当ならアメリカらしからぬ嫌らしい手だな。だが、わたしが退屈することはなさそうだ」 「?。ーー以上」 「それにも以上をつけるんだ」 武蔵が?マークが浮かんだような表情をしたあとにつけた語尾に提督は突っ込みを入れるが、武蔵はそれを無視して話を続ける。 「何故リムパックへの参加打診が嫌らし手なのですか。むしろ盛大な自爆に思えますがーー以上」 「なに簡単なことさ。アメリカはこの演習を通じて新造戦艦の建造を議会に認めさせ、さらに我々の戦艦の情報をより詳細に集める気なのさ」 「なら断ればよいのでは。ーー以上」 「いや、それだと我々の事を軽く見る勢力が出てきかねないし、大陸情勢の悪化がなければそれでも良かっんだけど、現状だと上の連中は逆に全力を見せてやれと言うと思うな」 「・・・なるほど、実力差をはっきりさせることで改めてアメリカや大陸の心を折るということですか。ーー以上」 「そこまではいかないだろうが。少なくとも時間は稼げるし、我々日本連合と軍事的に敵対する事の無利益さをアメリカ国民に理解させる事はできるんじゃないかな」 そんなたわいもない会話をしながら彼らは今日も横須賀で国内外の様々な勢力に睨みを効かせていく。 なお、実際に彼らの会話は当たっており、この何気ない雑談が行われていた日から暫く経った後にアメリカ合衆国は両国の有効の為と称して正式に日本連合にリムパックへの参加と戦艦部隊の派遣を打診。この提案に対して日本連合も承諾を発表。日蘭のリュシュリーほではないが全面的な改修を施し、アメリカが蘇らせた古の巨竜、アイオワ級と並列世界の日本が産み出し、日本に送り込んでいた巨竜達(敷島型と大和型)がハワイ沖にて一同に会する事となる。 (※1) 日本海軍の運用している大和型戦艦の2番艦。自動人形による運用を前提とした改装を受けており、艦長以下主要な操艦要員としては人間ではなく自動人形がついている。 ちなみに武蔵と大和の艦長である自動人形 武蔵の外見や性格についてだが、当初は「艦これ」閥の圧力もあり、艦娘の武蔵と大和にすることが決まりかけていた。しかし、衣装をどうするかでノーマル武蔵派と改二武蔵派を中心に「艦これ」閥全体を巻き込んだ内ゲバが勃発、そこをついて密かに暗躍していた海軍の傍流である境界■上のホライゾン(都市世界)」閥が巻き返しを図り、結果として艦長タイプの自動人形は「境界線■のホライゾン」の《大和》と《武蔵》の外見や性格が採用された。 173: ホワイトベアー :2020/05/14(木) 22 12 11 HOST 36-2-32-252.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 以上になります。 以下あとがきと言う名の言いわけタイム リアルがゴタゴタしている+久しぶりに書いたのでリハビリもかねているので短めになってしまい日米枢軸以外を描写できませんでした。しかし、次回には他の日本連合加盟国やアメリカなども登場させれるはずです。
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今までに発行されたポポロの同人誌リスト。 主要なサークルさんをまとめただけなので実際出てる本はまだまだたくさんあると思います。 ここに載っていない本を持っている方は補完にご協力お願いします。 ロマーナ国立図書館第一分館 「Good Luck!」 オフ.28P.B5(2004/3/21) 「Celestial Breeze」 オフ.28P.A5(2004/3/21) 「げんきのもと」 オフ.20P.A5(2004/3/21) 「星に願いを」 オフ.44P.A5(2004/8/13) 「おでかけポポロ」 オフ.28P.A5 「ささら・さらら」 オフ.36P.B5 「思ひ出ぽぽろ」オフ.44P.A5(2006/08/11) 「混沌の王子の冒険」 オフ.56P.A5(2006/12/29) わん・つう・どん! 「小さな王子と森の魔女」 オフ.28P.B5(1999/5/5) 「ある王子のお話」 オフ.28P.B5(1999/8/13) 「月の見る星の夢」 オフ.32P.B5(1999/12/24) 「やさしい魔法」 オフ.32P.B5(2000/7/20) 「かなしいきおく」 オフ.40P.B5(2000/12/29) 「いっしょに歩こう!」 オフ.92P.A5(2001/5/13) 「緑の森」 オフ.32P.B5(2001/8/10) 「トコハルポポロ」 オフ.44P.B5(2001/12/29) 「虹と空とキミ」 オフ.32P.B5(2002/8/10) 「ふしぎのかたち」 オフ.32P.B5(2002/12/29) 「リトルパニック」 オフ.32P.B5(2003/8/15) 「ココカラ…。」 オフ.28P.A5(2003/12/28) 「勇気の鍵」 オフ.28P.B5(2004/8/13) 「タキネン村一揆」 オフ.16P.B5(2004/12/29) 「しおさいのきずな」 オフ.28P.B5(2005/8/12) 「ココロイロ」 12P.A5(2006/8/11) 「ポポロクロイスカーニバル」 オフ.124P.A5(2005/12/29) 夢のほとり 「カエルの呪いの冒険」 オフ.68P(2004/12/29) 「竜の木の実の冒険」 オフ.76P(2005/08/12) 「魔王の誘惑の冒険」 オフ.52P(2006/01/08) 「迷子の子豚の冒険」 オフ.52P(2006/08/11) 泰平楽 「POPOLO SIDE STORY」 オフ.27P.B5(2000/4/1) 「POPOLO SIDE STORY 2」 オフ.B5(2000/8/12) 「SKY DRAGON」 オフ.B5 「Smile Color」 オフ.A5 「Popolo Box」 オフ.56P.B5
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戻る 携帯向け 注: このリストは3月12日頃のもので、現在は移動されている方も多いようです。 注: 自宅待機の方は名簿には含まれていません。ここに載っていなくても悲観しちゃいけません。【重要!】 中島避難所 名簿1(拡大) 「中島公民館」? 中島避難所 名簿1(全体) 中島避難所 名簿2 「茂師公民館→3/12愛山へ」 中島避難所 名簿3 「小成」 中島避難所 名簿4 「大牛内分校」 中島避難所 名簿5 名簿4の右に付け足してあるリスト。