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【「組」とは何か?】 「組」とは、一人のまとめ役が100人以上の人を取りまとめるのが困難である為、登録メンバーに組に所属いただき、組長がメンバー管理を行う為のものです。 配属される組は、こちらで事前に選びます。 一番、よく話をする組長だったり、リネでも仲良い組長、ギルタス討伐に誘ってくれた人(組長)の組に配属するようにしております。 (上記以外の方は、現状は自動的にC☆B組に配属していただいております。) 組に入られる際に ※ どこの組に所属するかは、選ぶことができます。 ※ 新規で組を立ち上げることができます。(組作成時の最低メンバー数は特別もうけておりませんし、最大メンバー数も上限はありません。) 【「組長」の役割】 「組長」の役割は、まだ、固まってはいません。 現状で決まっている事は、以下になります。 ●ギルタス討伐の参加の有無の確認 ●分配の配布 ●組メンバーへのフォロー ●ギルタス討伐中の個人的な相談の対応
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早漏とは何か? 早漏(Premature Ejaculation :PE)とは、性交の際にパートナーの女性が性的に満足しないうちに男性が射精してしまうことです。 元々は、パートナーとなる女性の満足の有無や性器の刺激時間の長短にかかわらず、男性がオーガニズムに達する前に射精してしまうこと。いわゆるコントロール能力の事を指していたようですが、現在では言葉の使われ方が異なっています。 では、どれくらいの時間で達することを言うのでしょうか? 膣内に挿入後30秒間射精を我慢できない状態とも、1~2分、5分以内とも言われ定義はまちまちです。また、時間で測るのではなく、本人の意思に反して最小の性的刺激で射精してしまい(三こすり半という俗語もありますね)、これが反復ないし持続する状態、と定義される場合もあります。 時間の定義を明確にすることは難しそうですが、行為がパートナーとの間で行われることを考慮すると、やはり、女性が満足する前に射精してしまうこと、と考えるのが適当でしょう。 国により多少の違いはありますが、男性のおよそ30~50%程度がこの障害にかかっていると言われています。 EDは年齢との相関がありましたが、早漏はどうでしょうか? 年齢に応じて何らかの差が出るのでは、と考えてしまいますが、現在のところ年齢と早漏には特に因果関係は見られません。 逆に言うと、どの年代の方でも、自信の年齢に捉われることなく努力に励めば、改善することが可能ということです。 ちなみに、管理人の場合は最初は10秒と持ちませんでしたが、慣れやサプリメントの摂取でかなり長く調整できるようになりました(それでも、コンディションなどによる時間の偏差は大きいです)。当時はどうしようもないと諦めていましたが、改善される可能性があることが分かったため、皆さんにお伝えできればと思います。 早漏 レビトラ 100mg*10錠 バイアグラ 100mg*30錠 シアリス 50mg*10錠
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ADとは何か ADはギルドの名称ではなく組織の名称です 設立は去年の夏にバザガジール(【AD】バザ)の手によって設立されました 設立当初はGM風スキン、GM風機体を正式機とし、募集を行っていましたが 最近は特に制限は無く、マナーを守れる人間を入れるようにしています(現在は募集を行っていません) 活動内容は他プレイヤーへの交流です
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教育が、伝統的な「行為」による親、師匠、親方等による伝授ではなく、文字を媒介とした「学校教育」が主流となり、国民すべてが「義務」として学ぶ国民教育制度が成立すると、個別分散的に存在してきた教育や学校が、政策の対象となり、「法」が規定するものとなった。特に、国民教育制度である「近代公教育」は法によって実施されている。そして、このことが、社会現象として分析する必要があるだけではなく、それが教育の本質や目的に照らして、いかなる意味をもつのかも、合わせて考察する必要が出てきた。 現在の教育制度は、基礎として「義務教育」制度をもっている。そしてその前後に義務的ではない学校類型が配置されている。そして、それらは全て「法」によって規定されている。しかし、「法」が様々な法源によって構成されているように、国民教育制度もまた、様々なレベルで様々な法が複雑に機能していると考えられる。しかも、その機能は単純ではなく、ある面においては相互に矛盾する形で機能している場合もある。 法とは一般的に国家権力を前提として、その社会に効力をもっているルールの総称であると言える。民主主義社会では選挙制度を前提とした法制定機関が存在しているが、単にその機関の制定したルールだけではなく、様々な機関のルールが法を形成しており、また、社会の習慣なども習慣法という法の一種と考えられる場合がある。 日本でいえば、国会-法律、内閣-政令、省庁-省令、地方議会-条例などが主な法であるが、裁判所の出す判決も法を形成すると考えられている。また、外国と国家間で締結する条約も国内法規を制約するから、広い意味での法を形成すると考えるべきであろう。 さて、民主主義国家においては、最も重要な法は国民に選挙で選ばれた議員が定めた法律がもっとも重要な地位を占めており、また、いくつかの重要な事柄は法律で定めなければならないことになっている。課税、刑罰などはその代表的なものである。 「教育小六法」という「教育法」を集積した書物には、たくさんの教育関連法規が並んでいる。では、もそもそ「教育法」とは何を指すのだろうか。教育に関連する法規はすべて教育法なのだろうか。あるいは、教育に関連しない法にも、教育法と言われるものがあるのだろうか。 もちろん、法律自体の中に、この「法律は教育法」であるという規定があるわけではない。教育法の概念規定そのものが、ある意味では論争的課題であるとも言える。 日本の教育法学の礎を築き、発展させる上で最も功績のあった兼子仁教授は、教育法を「教育に関連する法規」という立場はとらなかった。教育法にとって最も重要な概念として、「条理」をあげ、条理に適う法体系を教育法と構想したといえる。条理は、「慣習法」にすら存在しないとき、「正しいあり方」としての「法源」を意味するが、この場合、「教育の正しいあり方に適った法規体系」を「教育法」と考えたのである。つまり、「教育」という行為には、他とは異なるあり方が存在し、それを論理化する必要を主張したのである。もちろん、現実に存在する法律群が、教育のあり方に適っているとは限らない。それは教育法ではないということではない。「教育法」という分野が成立するための条件を兼子説は主張している。つまり、逆にいうと、教育法を解釈する場合、常に、「教育にとってどのようなあり方が適切なのか」という観点を離れてはいけないということになるだろう。 しかし、実は「教育」に対する原則、あるいは目的については、社会的に常に一致するわけではない。「教育学概論」で説明したように、教育については、個人の側から規定する考えと、社会の側から規定する考えとが、基本的に異なるものとして対立している。すると、教育法を考える上でも、このふたつの異なる立場、考え方は、教育法の創造や解釈において、対立的に現れるざるをえない。事実、日本で国民教育制度が成立して以来、教育法をめぐって社会的な対立が、全く存在しなかったことはなかったと言ってよいだろう。 ところで教育に関する法については、戦前と戦後で大きな原則の変更があった。戦前は主要な教育に関する法は、勅令(議会を通さず、枢密院などの天皇が任命する人たちが決めた天皇の命令)という形式をとっていた。これを「勅令主義」という。そして、議会の予算措置が必要な内容については、議会で決める法律の形をとっていた。(義務教育費国庫負担法など) そして、戦後は主要な教育関係の法は、国会で法律として決められるようになり、これは勅令主義から法律主義への転換と呼ばれている。 しかし、事態は決してそのように単純に割り切れるわけではない。例えば学校教育に関する最も基本的な法律である学校教育法に関しては、政令として定められている「学校教育法施行令」と文部科学省が定めた「学校教育法施行規則」が付随している。つまり、あとの二つは国会の議決を経ていないわけである。そして、ほとんどの教育関係法について、政令乃至省令が補足の法として付随しており、政令や省令に重要な内容が盛り込まれている場合も少なくない。もちろんすべての細目まで国会での論議によることがかえって不都合である場合もあるだろうが、あまりに省令や政令に重点が移っているとしたら、法律主義は事実上形骸化していると言わざるをえない。どの程度そうなっているかは、各自の判断に任せたい。 勅令主義と法律主義の対照は、教育に関する基本的法において最も顕著に現れている。戦前は教育の基本的な精神を表現したものとして「教育勅語」があった。教育勅語は重要な儀式において、校長によって重々しい雰囲気で読まれ、天皇の写真(御真影と言われた。)と一緒に学校の最も重要な部屋に恭しく飾られていた。 もちろん、教育勅語は議会での議論などは一切なく、天皇の意思として公表されたものである。勅令主義の象徴ともいうべき教育勅語については、史料として学んでおく必要があると思われる。 勅語 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホ(ぼ)シ學ヲ修メ 業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德噐ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名御璽3)教育勅語の口語文訳 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分 戦後になって、憲法を作成するときに、教育条項をどの程度盛り込むか議論になり、結局憲法には26条だけが盛り込まれ、基本的な原則をまとめた「教育基本法」が制定された。この際、教育勅語の扱いをめぐって論議なったが、結局衆参両院で廃止決議がなされ、現在では失効している。 法源論 法律・条約・政令・省令・条例・判例・慣習法・条理法 上位法と下位法 一般法と特別法
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編集(管理者のみ) ルソー ルソーは啓蒙思想家である。人為的な拘束のなかった自然状態の自由が、正しい社会契約によって、市民的自由として高い次元で再現されることを目指す。 「社会契約論」の冒頭…人間は自由なものとして生まれついたが、いたるところで鉄鎖に繋がれている。 自由意志…何ものにも隷属せず、自分で自分を律する理性的な能力。理性が判断する道徳的正しさ。 社会契約…一般意志に従う契約。私人としての私が公民としての私自身と約束する面を含む。 主権者…契約の当事者からなる合議体。 一般意志…主権者の意志。一般人の合議体の意志。 特殊意志…自己利益を第一に考える私人としての意志。 自由…一般意志に従うことこそが自分自身の理性に従うという意味で真に自由になる。 カント 善意志 愚かな善人…カントでは愚かな善人が存在する。 意志…自分で自分を律する理性的な能力。善。 傾向性…情念。欲望。自然の傾向性。悪。 義務…意志。自分で自分を律する理性的な能力。善。 自由…理性の力で義務に従うこと。 反自然主義…理性の力で義務に従うこと。 反帰結主義…行為の善悪は、その行為がどういう結果を生み出したかには関係なく、行為者が何をするつもりであったかで決まる。 合法性… 道徳性… 仮言命法…傾向性や目的(実現を意図された結果)を条件節としてもつ命令文。例.人に好かれたければ、人に親切にしなさい。 定言命法…条件節をもたない命令文。例.人に親切にせよ。 普遍化…一般化。定言命法で表される。 完全義務…傾向性を利するような例外を一切認めないような義務。どんな場合でもそうしなければならない義務。 不完全義務…称賛に値する義務。場合によってはしなくていい義務。例外のある義務。 自分に対する完全義務…自殺をしない。 他人に対する完全義務…守るつもりのない約束をしない。 自分に対する不完全義務…自分の才能をのばす。 他人に対する不完全義務…困っている人を助ける。 自然の斉一性…自然はいつどこでも同じあり方をしている。 ヘーゲル アインジヒトたちの考察 ⑮ 28 最高善…道徳的に善であることと幸福であることが一致した状態。 私の考察 ① 自然本性として与えられた理性とは何なのだろう。要するに「理性」のことだろうか。 ② 「理性」と「自由」の意味をルソーはどのように使っているのか、自分の感覚とは少し違っている気がするので注意したい。 ③ ルソーは、人間が一般性の立場に立てることを前提としている。 ④ カントでは、善いことをしようとした人は善い人だということですね。私はそうは思わない。アリストテレスと同じ感覚だ。つまり「愚かであることは悪いことなのだ」という感覚の方が強い。 ⑤ カントでも「自由」の使われ方が、今日の語感とは異なるのだよね。注意したい。しかし、「内面の法廷」が無視できない問題であることは分かる。これについては後でゆっくり考えてみたい。 ⑥ 自分の行為原則が普遍的な法則になることを意志しうるように行為せよ。これは分かる。異議も挙げられそうだが。 ⑦ 内面の法廷。 編集(管理者のみ) 永井均「倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦」(ちくま学芸文庫) .
https://w.atwiki.jp/orthopaedics/pages/4.html
・接骨院とは何か 接骨院とは、柔道整復師が開設する施術所であり、整骨院、という名称を用いていることもある。 正式な名称は「柔道整復師施術所」である。 柔道整復師免許保持者が開設、管理、施術する。
https://w.atwiki.jp/nuio/pages/20.html
\[ 磁束密度・磁場・磁化電流・分極磁荷に関する正しい理解の仕方を述べる。 \\ \\ まずは以下の問題を考える。\\ \\ 問題 以下の文章について誤りを指摘せよ。\\ \\ 問1 アンペールの法則により、磁場\textbf{H}は真電流のみによって生ずる。\\ 問2 磁束保存則により、磁束密度\textbf{B}は真磁荷のみによって生ずる。\\ \\ 解1 磁場\textbf{H}は真電流のみではなく、分極磁荷によっても生ずる。\\ 解2 磁束密度\textbf{B}は真磁荷のみではなく、真電流および磁化電流によっても生ずる。\\ \\ さらに、磁場\textbf{H}は磁化電流により生ずるものではなく、\\ 磁束密度\textbf{B}は分極磁荷によって生ずるものではない事が言える。\\ \\ 上記が正しい理解である。\\ 電磁気学の教科書の書き方には煩雑なものが多く、ここまでの理解\\ に達するのが困難である事が考えられるので、以下に考え方を\\ 簡潔に述べる。\\ \\ ベースとなるのは下記マクスウェル方程式(積分形、磁気のみ)である。\\ 但し、変位電流についてはここでは述べない。\\ \\ 磁束保存則\\ \int_{S} \textbf{B}(\textbf{r},t)・d\textbf{S}=0\\ \\ アンペールの法則\\ \int_{C} \textbf{H}(\textbf{r},t)・d\textbf{r}=\textbf{I}(\textbf{r},t)\\ \\ 【問1に対して】\\ \\ 磁束保存則の表式中の\textbf{B}に\\ 構成関係式\textbf{B}=μ_{0}(\textbf{H}+\textbf{M})を代入する。\\ \textbf{M}は数式処理により分極磁荷に変換される。\\ アンペールの法則と併せて解1を得る。\\ \\ 【問2に対して】\\ \\ アンペールの法則の表式中の\textbf{H}に構成関係式\\ \textbf{H}=\frac{\textbf{B}}{μ_{0}}-\textbf{M}を代入する。\\ \textbf{M}は数式処理により磁化電流に変換される。\\ 磁束密度に関する法則と併せて解2を得る。 \]
https://w.atwiki.jp/pantagruel/pages/102.html
編集(管理者のみ) アインジヒトとM先生の対話 ① R・M・ヘア「道徳的に考えること」 私の考察 ① M先生が冒頭でいう文章の意味が分からない。 言い掛かりかもしれないが、その子どもを育てている私が、その子どもの暮らす世界と完全に切り離されているなどということがあり得るだろうか。まあ、どのみち想像上のことだが、その状態をうまく想像できない。その子と私が完全に切り離されているなら、その子がどうなろうと知ったことじゃないと思ってしまう。その子の利益だけを考えて、というのは、本書に書かれたことを一通り理解した上で私が子ども時代をもう一度生きられるとしたらどう行動するか、と同じだ。だったら、最初から子どもなんか持ちだしてこなくてもよくはないか。 が、おそらくここで云いたいのは、あなたはその子どもを毒もみのすきな署長さんやアントン・シガーのように育てますか、ということ。で、毒もみのすきな署長さんやアントン・シガーのように育てると決断すれば、私が云うところの、「育まれてしまっている良心」がその子どもには育たないとする、ということだろう。「育まれてしまっている良心」については後で述べる。 「育まれてしまっている良心」は本書ではまったく言及されない私の考察したものだが、ここでは、その子に良心が育まれるか育まれないかや、その子が真の悪人に成れるほどの悪魔的な精神を持つかも、親の完全なコントロール下にあり、本人の生まれ持った資質や性格とは何の関係もない、という前提なのだろう。 ④ 私もごく普通の道徳を教える。もし、その子が哲学に興味を持っているようなら、本書に書かれるレベルの倫理も教える。それで、どう行動するかは本人が自分で考えて勝手にすればいい。それ以外にやりようがあるのだろうか。 ⑦ スパイの話は意味が分からない。 ⑧ 根本的にやはり、私には善のべき論は意味が分からない。道徳的に善く生きることが人間の最高の幸福である、とか。そんなわけない。昼下がりに紅茶を飲むのが最高の幸せだ、という人はいる。いるに決まっている。何が幸福かは趣味の問題だろう。道徳的に善く生きることは趣味の一つにすぎない。なぜ全員にあてはめようとするのだろう。 「割に合うと判断したときには悪事を犯すべきだ」とアインジヒトは云う。これに類することは現実にいくらもある。例えば、原子力安全委員会の班目春樹委員長とかだ。しかし、これも趣味の問題じゃないか。今、ある若者の前に、原子力安全委員会の斑目春樹委員長になるか京都大学原子炉実験所の小出裕章助教になるか、人生の岐路があるとする。どちらを選ぶかは自分で考えて好きな方に決めろとしか云いようがない。 ⑨ ここで云っていることが私にはまったく意味が分からない。 ⑩ おそらく私が最も知りたかったことは、ここ以降の内容である。M先生のいうことも支持したい思いはある。 ⑪ トルストイ「イワン・イリイチの死」にも私は感動する。通俗的といわれようとも。 宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」の署長さんは、アントン・シガーである。人々か署長さんに感服したのは、私がアントン・シガーに感服したのと同じだろう。 私は両方の話に感動、感銘を受けるのです。 偽善に対する考察。偽善は必然か。 東日本大震災の後でいわれた、寄付金を世間に公表するかしないかの話を思い浮かべたりする。 ちなみに私は一円の募金もしなかったし、節電も全くしなかった。もともとほとんど電気を使っていないのもあるが。 善行は持てる者が余裕の中で行うものであって、どこまでも追求するものではないし、どこまでも強いられるものでない。 育まれてしまっている良心。それを問うのは無意味じゃないか。 立法者は一般の利益を上げるのが仕事である。 善行とは何か。善行の義務化。善行って善行というよりは、税金を何に配分するかじゃないか? 税金の配分を決めること。それって行為と呼べるのか? 私の考える善行は、目の前にいる人に手を差し伸べるようなイメージなのだが。 日本語の問題だけど、これはやらなくっちゃ、というとき、これはぜひともやるべきだ、と、これはやらざるをえない、のふたつ意味があるよね。 人はなぜ他人に親切にするのか。 人は快を目指すけど、善を目指さなくともよい。快を無償でしてくれる他人がいたときに、それを善人と呼ぶのだ。 道徳には有り体のレベルと哲学的レベルがあるのはよく分かった。 子どもの社会と大人の社会は違うと思う。考えてみれば、この本の中で、子どもの道徳についてここに至るまでまったく言及されていないのは、少し心許ない気もする。 倫理、道徳、社会規範と云ったとき、少しずつニュアンスが異なるが、道徳というと小学校の道徳の時間を連想したりもする。ルソーの「エミール」にはそうしたことが書かれているのかもしれないが、私は読んだことがないので分からない。永井均は読んでいるだろうが、この本にはまったく引用されない。なぜなのだろう。 子どもの社会では、金銭的な利益や実利的な利益はあまり重視されない。このことは重大なキーポイントだと感ぜられるのだが、これを持ち込むこんで考察することは、哲学的には間違っているのだろうか。前に少し触れた気もするが、善行と金の関係。あるいは善行と貸しの関係。見返りを求めない善行ってあり得るのか。それは、それを善行とも思わないぐらいの余裕の中でされるべき。 善行には三つあると思う。見返りを求めない善行。見返りを求める善行。義務化された善行。 誰しも子どもを経験してから大人になる。つまり、金銭的な利害関係の少ない世界で誰しも育つのだ。 お金は大人である親が稼いできてくれるものである。貧しい国の子でも、自分の生活費の全てを稼いでいる子どもはいないのではないか。また、動物の世界をみても、子どものうちは、親がエサを取ってきてくれるものである。 子どもの頃から損得勘定だけで他人を見ている人間がいるだろうか。 人はみな、子どものときに道徳を学ぶのである。友だちを通して。 友だちという概念はいつぐらいからできたのだろう。 おそらく、人類の原初の頃の、一夫多妻状態であったり父親が誰か分からないような混沌とした社会でも、というより、だからこそ、子どもたちは、違う母親の子どうしでも、同年ぐらいの子どもたちは一所に集められて、子どもどうしで遊んでいたのではなかろうか。そういう中から友だち付き合いが始まり、普通にいわれる意味での道徳も自然に獲得していったのではなかろうか。そう考えると、ニーチェの考え方などは、あまりにも穿ったものの見方をしすぎである。 仮に、道徳を躾ける親は打算を覚えさせるのを目的として躾けているとしても、その教えを受けとる子どもの方は、そんな風には受けとっていない。少なくとも子どものうちは。 子どもが誰とでもすぐに友達になれるのは何故だろう。私が思うには、それは善意がベースになっているというよりは、他人と利益を共有しやすいからだ。子どもであるので、ここでいう利益とはお金ではなく、興味や楽しみの意味が強い。他人と何かをして遊ぶのは、まさしく面白い、笑えることなのだ。 子どもの方がある部分では本能が剥き出しになっているから、実際問題として、自分勝手だったり暴力的な奴はすぐさまはぶられるのだ。 気になるのは、すべてを哲学的な思索だけで説明しようとするところ。 哲学の本だから仕方ないのかもしれないが。 生物学的な視点や、遺伝子的な視点。人が何かを作ってきたと云うよりは、さまざまな人たちの中から、そういう特質を備えた人が生き残ってきたのだ、というような視点である。性格だって遺伝すると思うのだが。 それから、異性にモテるとかいった視点。異性への対応は、単なる他人の中でも特殊なものだと思う。 これはまた、上に挙げた遺伝子的な視点とも絡む。モテなければ子孫を残せないからね。 定年後の世界。 ベーシックインカムの世界。 もしもだが、ベーシックインカムが導入された後の世界でも、他人には親切にしよう、というような今とほとんど変わらない倫理規範が残っているなら、それは、この本で語られるアインジヒトの考えは、そういう穿った考え方もできる、というだけの話になりはしないだろうか。 電車の中には損得も何もないはずなのに、誰も知らないものどうしが話し始めないのはなぜか。 次に、異性について考えたい。今風に有り体に云うところの「モテ」である。 自分の子どもが悪魔の子と気付いたら、殺すべきか。 直接の絆を結べない善の道徳は虚しくないか。それは、見返りを求めているからか。 法的善行は、見返りを期待できない。そして、直接の絆を結べない。 そう考えると、寄付金額をわざわざ公表する有名人の気持ちも多少は是認できる。 あるストーリーに感動するのは、そのストーリーを感動するような社会に生きていて、擦り込まれているからだ。普遍的に感動するストーリーなどはない? 子ども社会と大人社会は異なる。これは後で書きたい。確か第七章かな。 私は、自分の趣味を他人に押しつけるのはよくないと思っているのだが、この考えを他人に押しつけるのはよくないのだろうか、という問い。 誰が三権を分離したのか。それは善行か。 私は功利主義なのではないかと、功利主義を正確に理解できてはいないが、漠然と思っている。 私は、この私はどのように生きるのが善いか、には関心があるのだが、 人々はどのように生きるのが最善か、に関心が無い。 それは各々が勝手にすれば好いと思っている。 ただし、そこには法的な制約があるべきで、その法律はどのような基準で作られるのが最善か、には関心が向く。 それは、立法府の人間を監視し、批判する基準でもある。 これが、私にとっての一般化の問題なのかもしれない。 この本に書かれていることを一通り理解したとして、それであなたはどうするのか、という問題もある。 子どもを育てる話とも関連するが、 社会問題を語ることには何の意味もない、という結論が導き出されると思うのだが、それで私はどうしよう。 権力の分断。と弱者への配慮。最高権利と最低人権。 村八分制度は何故有効だったのか。 昔の日本には村八分制度があったらしいが、村八分にされた者は、一度それにされてしまったら、もはやルールを守る必要がなくなる。つまりアントン・シガー状態になるわけだ。そう考えると、村人たちにとっては、より脅威となる人間を生み出すことになるわけだが、そうはならず、村八分制度が有効な制度として取り入れられていたのは何故なのだろう。そしてどうして廃止されたのだろう。 いじめ。いじめのひとつの形態に しかと がある。クラスでしかとされている子どもがいるとする。この子どもは言わば透明人間だ。存在を認められていないのだから。ギュゲスの指輪だ。透明人間は何をしても感づかれない。だから自分をしかとする者たちに、復讐の意味があろうがなかろうが、犯罪的行為に打って出ても良さそうなものだ。だが実際にそうする子どもはいない。なぜだろう。 酒鬼薔薇聖斗は自身を透明な存在といった。酒鬼薔薇聖斗の学力がどの程度だったのか、謎だ。文章だけからすればとても頭の良い人間だとわたしには思えるのだが、学力は低かったとする説もある。 編集(管理者のみ) 永井均「倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦」(ちくま学芸文庫) .
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「世間」とは何か 講談社現代新書 阿部 謹也著 680円 「世間」とは何か? この問いかけの意味することはなんだろうか?。それを意識したり対象化したりした経験のある者であれば、思う「ところ」もあるのではないか。社会人であることと、世間にもまれることが、ほぼ同様に語られていることを考えてみても。言葉の厳密な定義はよく分からないが、「社会」と「世間」の差と言われれば、それをになう共同体の大きさや、関わり合いの大きさの違いなどが浮かぶ。 けれど「世間」という言葉には嫌悪感に近いなにかをも感じる。それは僕にとって、否定的な意味での大人社会である。よく言われるような、「合意を前提に置いた馴れ合いの議論」などの談合的な態度から、欧米との比較を批判的に扱ったものへのそれではない。むしろ日常に置いて、人を道徳的判断とか、常識的判断とかで排他的な扱いをする態度などへ嫌悪を感じることが多い。それは、小さな閉じた「和」からはみ出した存在を、あっさりと否定する態度だ。そういった日常的な差別意識というか排他的な態度というのは、結構見かけられる。そこにはこの本で言及されているような「世間」の力が働いているのだろう。それを対象化出来ないほど、我々がどっぷりと浸かっている構造的な力だ。こうした批判自体にも実は「世間」の力が働いているのかも知れない。僕はそれを対象化出来ている自信もないし、そもそもそんな曖昧さ自体が「世間」の本質だとも思う。 こうして考えてみると、「社会」という言葉の使われ方は、いわば「世間」のそんな曖昧さを隠蔽するためにあるようにも思える。なぜならば、「世間の為に」といえば個人的な利害を意識した嫌らしさが露呈するが、「社会の為に」といえば、不特定な透明感が入り込む。それは特定の利害を射程に置いたものではなく、より広範囲を視野へ入れた清潔さを差し込めたように感じる。すくなくとも「たてまえ」としての手続きがとりやすいのだ。と、こんな風にどちらへも懐疑的イメージが浮かぶ。それは僕が「社会」にも「世間」にたいしても貧困な解釈しか持ち合わせていないことを示しているのだろう。 この本を読んで、「世間」への解釈が少し広がったような気がする。ただこの本の刺激的な部分は残念ながら「序章」にしか感じられなかった。冒頭の宣言的な発言は、その後に潜む著者の試みの深さを感じさせるが、実際には文学などを通しての「世間の系譜」がメインとなっている。むしろ個人的には、もっと分析された「世間」を見たかったのだが。他の著作も沢山あるようなので、もう少し探ってみたい人と内容でした。 ところで、「世間」というキーワードから思い浮かぶのは、先の参院選で勝利した自民党ではないか。それは党の旧システムを破壊しようとする小泉さんの人気で、自民党自身が大勝するという、やや倒錯した選挙の結果がそのまま現代の縮図にもなっているということだ。 いくつもの小さな「世間」という利害関係を調整してきた日本の政治システムを、世間という概念すら持ち合わせていないアメリカ流の社会への賛美と追従から「構造改革」というスローガンを掲げるに至る道のりは、世間にいまだ取り囲まれ、それでも「こじん」を支援するコミュニケーションツールの氾濫によって、世間が元々持っていた排他的な性質が助長し、若者の他を省みない行動に繋がっていくさまと、どこかパラレルではないだろうか。 2001.08.11k.m コメントなど 名前 コメント カテゴリー-新書、 関連リンク
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第2回「OSとは何か」 【前回の補足】 パソコンの性能は、基本的にはCPUのクロック周波数で決まる。 CPU=中央処理装置=PCの頭脳 CPUはクロック周波数を単位として動作している。 1Hz(Helts:ヘルツ)=1秒間に1周期 数える単位:K(キロ:kiro)、M(メガ:mega)、G(ギガ:giga)、T(テラ:tera) 1K=1000 1M=1000=100万 1G=1000M=10億 1T=1000G=1兆 (注)情報量の場合には、1K==1024、を単位として数える習慣がある。 ハードディスクなどを購入する場合に、実際に保存できる容量が多少狂うのは、これが原因である。 一般に通信量でもビット情報を扱う場合には、1024を用いる。(bpsなど) ソフトウェアの分類(p.35) 基本ソフト(OS=Operating System:オペレーティングシステム) パソコンの基本機能を制御する。 PC本体と周辺装置との間で、データの受け渡しを制御する。 アプリケーションソフト(Application:応用ソフト) 比較的大規模なソフトに使われる名称。 ツール(Tool) 比較的小規模なソフトのこと。 ユーティリティ(Utility) パソコンの使い勝手を良くしたり、環境整備をするために使う ドライバ(Driver) 周辺機器やPC内蔵の部品を制御する。プリンタを動くようにする=プリンタドライバ OS(オペレーティング・システム:Operating System) ソフトはそれぞれのOSの下で動作するので、使用するOSに対応しないと動かない。 Windows … Microsoft の開発したOS MacOS … Apple Computer の開発したOS Linux … UNIX(1970年ころ米国のベル研究所で開発され、ミニコンで主に使用されたマルチタスクのOS)とほぼ同じ機能を持つ。 フィンランドのヘルシンキ大学学生のLinus Tovalidsが開発したOS。 無償配布され、GNUにより管理されている。 無償配布の代わりに改良を加えた場合のは無償で公開することを義務とした。 この結果、現在ではWIndowsと同じ機能をほぼ有する優れたOSに成長している。 RedHat、Turbo、などいろいろな種類の製品がディストリビュートとして提供された。 現在は、Ubuntu(ウブンツ)という名称で、DVDやUSBメモリで起動できるLinuxが主流である。 基本ソフト=PCと周辺装置をつなぐ OS(Operating System) DOS(Disc Operating System)=フロッピーなどにシステムを収録し、そこから起動する。 モニタ(機械語を使うことができる) これからのOS(スマートフォン、タブレットPCで採用されているOS) Android ・・・ Googleが開発。現在の主流。 iOS ・・・ Apple Computerが開発。iPhoneやiPadで採用。 Windows8 ・・・ Microsoftが開発。よりスマホに向けた仕様のOS。 次回は、OSの続き。 今日の話題に感想を述べてください。(名前欄に学生番号を記入すること) 必要に応じて、回答します。 もう少し大きな字で書いてほしいです。 -- 12122652 (2013-04-25 11 40 41) どの社のOSも競いあって、より円滑なOSに今後発展していけばいいと思いました。 -- 12101371 (2013-04-25 11 44 54) 板書の文字が少し小さくてみえにくかったです。 -- 12123638 (2013-04-25 11 47 02) 板書がみにくかったです -- 12121121 (2013-04-25 11 48 51) コンピュータが1秒間に25億回もの処理をしているのに驚きました。また、OSがいくつか存在する中で私はLinukは知りませんでした。無償で使用できるOSなので1度使ってみたいと思いました。次回の授業でも知識を身につけていきたいです。 -- 12120333 (2013-04-25 11 58 15) 板書の字が少し小さくて見えにくかったです。あと、後ろの方が少し騒がしかったのが気になりました。授業は、いろいろなOSの話が聞けてとても面白かったです。 -- 12131140 (2013-04-25 12 05 03) Androidの話は驚きでした!てっきりスマートフォンだけかと… -- 12130669 (2013-04-25 12 28 13) 少し文字が見えにくかったです -- 12120567 (2013-04-25 12 45 18) 今までWindowsしか使ったことがないので他のOSについてもっと詳しく知りたいと思いました。 -- 12113522 (2013-04-25 12 48 41) もう少し字を大きく書いてください! -- 12121997 (2013-04-25 13 11 12) 文字が小さいことは心配していました。次回の改善項目にしますね。また文字が小さかったら、「見えない」とか叫んでね。 -- 小西 (2013-04-25 13 12 45) 他のOSについても知りたいと思いました。 -- 12121199 (2013-04-25 13 19 26) 先生のお話はおもしろくて、わかりやすいです。板書の字が小さいので見えにくかったです。 -- 12122432 (2013-04-25 13 25 12) 以下では、文字の大きさ以外のことでお願いします。 -- 小西 (2013-04-25 13 33 39) 今日の授業も楽しかったです。Linuxのお話がとても印象的でした。 -- 12123660 (2013-04-25 13 57 03) Windows8のお話がチラッと出ましたが、良い話をあまり聞きません。対応ソフトも少ない様なのと、操作にも慣れていない点で、個人的にも、あまり良い印象がありません。先生はWindows8については、どの様にお考えですか。 -- 12123660 (2013-04-25 13 57 25) 板書の字が見えにくい感じがしました -- 14130762 (2013-04-25 14 04 48) OSはWindowsし使ったことがないので、他のも機会があったら使えたらいいなと思いました。パソコンとかは今は日常的に使っているけれど、自分が必要な機能しか使わないから、仕組みなど知らないことを知れるのはいいなと思いました。 -- 12120246 (2013-04-25 16 43 01) 携帯ゲームでカードゲームをよくするのですが、やはりコンピューター(AI?)では同じようなことしかして来ません。将来人間と同じような考え方ができるコンピューターが生まれたら凄いなと思いました。 -- 14130813 (2013-04-25 17 16 51) OSの生い立ちを聞き、実際に使った時にそれぞれどのような違いがあるのか興味を持ちました。個人的にブラウザの話がもっとあれば個人的に嬉しかったです。余談ですが私はスレイプニルが好きです。なんとなく聞いたことはあるけど詳しくはない、講義も楽しみにしています。 -- 12120232 (2013-04-25 19 48 06) なんとなく聞いたことはあるけど詳しく知らないまま放置していた内容が理解できるので、講義を楽しみにしています。 -- 12120232 途中送信すみません (2013-04-25 19 53 42) 板書の文字が見えにくかったです。 -- 14131069 (2013-04-25 21 42 42) スマートフォンでよくAndroidと聞いていたけれど実際それが何か分かっていなかったので、分かってよかった。 -- 12113839 (2013-04-26 01 04 45) OSについてもっと詳しく知りたくなりました。 -- 12114122 (2013-04-26 10 14 15) 板書がみにくかったです。OSはwindowsしか使ったことがなかったので、 -- 12121828 (2013-04-26 22 07 37) OSはwindowsしか使ったことがなかったので、ほかのOSが興味深かったです。 -- 12121828 (2013-04-26 22 10 56) OSはwindowsしか使ったことがなかったので、ほかのOSが興味深かったです。 -- 12121828 (2013-04-26 22 12 54) もっと教科書を使ってほしいです -- 12122161 (2013-04-27 16 21 40) 文字が見えにくかったです。 -- 12132699 (2013-04-28 13 24 22) OSを気にして使ったことなかったのでとても興味深かったです -- 12132960 (2013-04-28 22 39 50) OSはほとんどIEしか使わないのでほかのOSについても詳しく知ることができて勉強になりました。 -- 12121070 (2013-04-29 00 13 08) IEはOSではなく、ブラウザです! -- 小西 (2013-05-01 08 11 09)