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もしも我々が現に行われている思想間の大闘争において成功しようとするならば、我々は自ら信じていることを何よりもまず知らなくてはならない。…我々が本当に生き残り得るかどうかは、世界の中で十分強い部分を再び共通の理想の下に集める我々の能力に依存するであろう。 ~ F.A.ハイエク(イギリスの経済学・法哲学者、ノーベル経済学賞受賞)『自由の条件』(1960年) <目次> ■初めに ■古代ギリシャの自由◆アテネ(開かれた社会)とスパルタ(閉ざされた社会) ◆ペリクレスの追悼演説 ■近代イギリスの自由◆コモン・ローの伝統の中から生まれた「近代人の自由」◇エドワード・コーク卿のホッブズ批判 ◆「法の下における自由」◇ジョン・ロック『市民政府二論』 ◇F.A.ハイエク『自由の条件』 ◆自由とは強制のないこと ■革命フランスの自由◆引用◇H.アレント『革命について』(1963) ■自由の2つの伝統◆自由を巡る西洋思想の二つの流れ ◆アイザイア・バーリン『自由論』による解説 ◆ハイエク『自由の条件』による解説 ◆その他の思想家による解説◇J.B.ベリー(アイルランド)『進歩の観念』(1920) ◇A.de トックヴィル(フランスの歴史哲学者)『アメリカのデモクラシー』(1835-40) ◇T.E.メイン卿(イギリスの歴史法学者)『ヨーロッパのデモクラシー』(1877) ◇H.ケルゼン(ドイツの実定法学者)『デモクラシーの基礎』(1955) ■自由主義とデモクラシー(民主政治)の関係◆引用◇F.シュナーベル『19世紀ドイツ史』(1933) ◇オルテガ・イ・ガセット『無脊椎のスペイン』(1937) ■参考図書 ■ご意見、情報提供 ■初めに 「リベラル」は「自由な」、「リベラリズム」は「自由主義」という意味なのに、何で社会主義の社民党が「護憲リベラル」で、中国や北朝鮮と仲の良い河野洋平や加藤紘一が自民党内の「リベラル勢力」なのだろう?オカシイと思ったことありませんか? このページは「自由主義」と翻訳される「リベラリズム」の真実を探ります。関連⇒ハイエクと自由主義 リベラリズムの真実 ■古代ギリシャの自由 古代ギリシャ、とりわけアテネの人々が、人類の歴史で初めて、(2)閉ざされた全体主義的社会から、(1)開かれた自由な社会への扉を開いた。 この(1)開かれた自由な社会、と、(2)閉ざされた全体主義的社会を、古代ギリシャの2大ポリスである(1)アテネ、と(2)スパルタに代表させてその特徴を図示しよう。 ◆アテネ(開かれた社会)とスパルタ(閉ざされた社会) 都市国家 アテネ スパルタ 要約 開かれた社会(自由主義) 閉ざされた社会(全体主義) 個人主義(indivisualism:個人は固有で不可侵の自由な領域を持つ) 集団主義(collectivism:個人は全体に奉仕することが生の目的である) 社会 流動的社会 固定的階級社会(カースト的) 国家の性格 海上交易帝国・文化大国 自給自足社会・軍事立国 ペロポネソス戦争で民主制派諸都市のリーダーとなる ペロポネソス戦争で寡頭制派諸都市のリーダーとなる 思想哲学 批判的方法論の発見→哲学の発展 固定的法制により思想の自由なし 代表者 ソクラテス(哲学者)、ペリクレス(軍人)が代表者 レオニダス(軍人)、後にプラトン(アテネ貴族階級出身)がスパルタに憧憬 近代における評価 主にイギリスの自由主義者の理想となる デカルト、ルソー、ヘーゲルらの理想となる ◆ペリクレスの追悼演説 トゥキディディス『戦史』に描かれたペロポネソス戦争で戦死した兵士に対するペリクレスの追悼演説は、以降長きに渡って、「自由」と「デモクラシー」の精神の最も典型的な表明として、西欧知識人に親しまれ、彼らの精神を涵養し鼓舞してきたものである。 ここには、19世紀末から20世紀初めにかけて、「自由主義(liberalism)」の意味内容が、社会主義者によって汚染され、思想の雑居状態となって無意味化されてしまう前の、「自由」と「デモクラシー」の真髄がある。 「我々の政治制度は他で実施されている諸制度と争うものではない。我々は隣国の模倣はせず、むしろ模範であろうとしている。我々の行政は少数者をではなく多数者を大事にする。このために民主制と呼ばれるのである。法律は私的な争いにおいては全ての人を同様に公平に扱うが、我々は卓越性の主張を無視するものではない。ある市民が抜きん出ているならば、彼は他の者に優先して国家に奉仕するよう求められることになるが、これは特権のゆえにではなく長所への報酬としてであり、貧しさが妨げとはならない。…我々が享受する自由は日常生活にまで及ぶ。我々は互いに猜疑心を持つことなく、隣人が自分独自の道を選んだとしてもがみがみ小言を言うことはない。…だが、この自由は我々を無法にするものではない。我々は為政者と法律とを尊敬し、また害を受けた者を保護しなければならないことを忘れないように教えられている。また我々は、何が正義であるかについての普遍的な感情にのみその強制力の根拠を持つ不文律を守るようにも教えられている。」 「我々の都市は世界に対して開かれており、我々は決して外国人を追放することはない。…我々は全く自分が望むままに生きる自由を持っているが、しかも常にどんな危険にも立ち向かう覚悟を持っている。…我々は美を愛するが幻想に耽ることはなく、知性を改善しようと努めはするが、このことは意志を弱くするものではない。…自分の貧乏を認めることは我々にとって恥ではないが、それを避けるよう努力しないことは恥だと考える。アテネの市民は自分の私事に精を出すときも公事を無視しない。…我々は国家に何ら関心を持たない人を無害と見なすのではなく無用と見なす。また、政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである。我々は討論を政策実施の障害となる邪魔者とは見なさず、賢明に行動するための不可欠の準備と見なす。…我々は幸福は自由の果実であり、自由は勇気の果実であると信じ、戦争の危険をも辞さない。…要約すると、私はアテネがギリシャの学校であり、アテネの諸個人は成長するにつれて幸福な多才と非常時への覚悟と独立独行の精神を発展させるのだと主張する。」 ■近代イギリスの自由 ◆コモン・ローの伝統の中から生まれた「近代人の自由」 ◇エドワード・コーク卿のホッブズ批判 「地上における我々の時代は、しかし、古代や過去の時代に対して言えば一つの影である。法は、その中で、最も優れた人々の叡智によって、何世代にも渡って、長い連続的な経験(知識と真理の審査)によって、精製、精錬されてきた。それは、どんな人でも一人では、(時間が短いので)一世代の間に影響を与えたり、獲得できないものである。たとえ、彼が世界中の全ての人々の叡智を持っていたとしても。」 「様々な慣用を通して、経験が法律を作った。」(法諺) ◆「法の下における自由」 ◇ジョン・ロック『市民政府二論』 「法の目的は、自由を廃止、あるいは制限することではなく、自由を維持、拡大することにある。 なぜかというに、法律を定める能力のある生物にとっては、どんな場合にも、法のない所に、自由はないからである。 また自由とは、制約と他人による制限と暴力から免れることであり、それは法のない所ではあり得ない。 そして普通に言われているように、それは誰でもが望んでいることをする自由なのではない(なぜかというに、あらゆる他人の気まぐれが自分を圧制するかも知れないという時に、いったい誰が自由でありえようか)。 しかし自分の服している法律の許す範囲で、自分の望むとおりに、自分の身体、行動、財産、そして自分の全所有物を処理、指示し、その点で、他人の恣意に従うのでなく、自分自身の意志に従う自由こそが自由なのである。」 (解説)上記のロックの言葉のように、法律は「自由を守るためにある(=法の下における自由)」のではなく「自由を奪うためにある」という逆の発想が登場してきたのは、18世紀末から19世紀初めのJ.ベンサムの哲学的急進派の法理論からであり、それが一般化してしまうのは、19世紀末頃(ベンサムの弟子のJ.オースティンの人定法主義が優勢になったとき)なので、明治憲法が制定された当時は、「法律の留保」は「自由の制限」ではなくて、「自由を確保」するための文言と解釈されていたはずである。 明治憲法が、自由を「法律の留保」の範囲に制限し抑圧していた、という戦後のサヨクの論は、歴史的経緯に照らして事実ではない。 ◇F.A.ハイエク『自由の条件』 「『法の下における自由』という概念の基礎になっている主張は次の通りである。」 「我々が法律に従うとき、一般的で抽象的な規則が我々に対するその適用に係わりなく規定されているという意味において、我々は他人の意志に従っているのではなく、自由なのである、ということである。」 「立法者は、その規則が適用される個々の場合を知らないし、また法を適用する裁判官は、現存の規則体系と、事件の特定の事実から生ずる結論を引き出すにあたり、何の選択もしないのだからこそ、人ではなく、法が支配する、と言えるのである。」 ◆自由とは強制のないこと 「自由の基本的な意味は、鎖からの、投獄からの、他人への隷属からの自由であり、これ以外の意味は、この意味からの拡張か、さもなければ比喩である。」 「自由になろうと努めるとは、妨害を取り除こうとすることであり、個人の自由のために戦うとは、その人の目的ならね他人の目的のために、他人に干渉され搾取され隷属させられるのを抑制しようとすることである。」(ともにI.バーリン) ■革命フランスの自由 ◆引用 ◇H.アレント『革命について』(1963) 「歴史的に言えば、アメリカ革命とフランス革命のもっとも明白で、もっとも決定的な相違は、アメリカ革命の受け継いだ歴史的遺産が「制限君主政」であったのに対して、フランス革命のそれは、明らかに…絶対主義だったということである。実際、革命は、それが打倒する統治形態によって前もって決定されるということくらい当然なことはないように見える。従って、新しい絶対者たる絶対革命を、それに先行する絶対君主政によって説明し、旧支配者が絶対的であればあるほど、それに代わる革命も絶対的となるという結論を下すことくらい真実らしく思われることはない。18世紀のフランス革命と、それをモデルにした20世紀のロシア革命は、この真実らしさの一連の表現であると考えることは容易であろう。」 ■自由の2つの伝統 一般に、?イギリス経験論と?大陸合理論の対立(解説ページ)と呼ばれますが、「自由」の概念を巡って、?主にイギリス・アメリカなど英語圏で発展した価値多元主義的な思想と、?主にドイツ・フランスなど欧州大陸で発展した価値一元主義的な思想の対立がある。 ◆自由を巡る西洋思想の二つの流れ ※矢印(→・↓など)は影響関係 価値多元論(批判的合理主義) 価値一元論(設計主義的合理主義) 古代~中世 無知の自覚・ソクラテス 中世ゲルマン法の伝統・マグナ-カルタ キリスト教的自然法論 理想国家論・プラトン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 16~17世紀 モラリストの懐疑論・パスカル コモン・ロー司法官/法律家・コーク 近代自然法論・グロチウス → 社会契約論1(君主主権)・ホッブズ ← 理性主義(一元論、決定論を含む)・デカルト・スピノザ ・モンテーニュ ・ブラックストーン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・マンデヴィル ・ペイリー → 社会契約論2(国民主権)・ロック ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・ヘイル ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 18世紀 スコットランド啓蒙派・ヒューム・A.スミス ↓ ↓ 社会契約論3(人民主権)・ルソー フランス啓蒙派・ヴォルテール・百科全書派 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ フランス革命以降 近代保守主義・バーク ↓ フェデラリスト・ハミルトン ↓ 功利主義・ベンサム ドイツ観念論・カント 空想的社会主義 無政府主義 ↓ ・マジソン ↓ ・J.S.ミル ・フィヒテ ・サン-シモン ・バクーニン 19世紀 歴史法学派 ↓ ↓ ・スペンサー ・ヘーゲル ・フーリエ ・プルードン ・トックヴィル ・サヴィニー アメリカ的保守主義 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・メイン ・マーシャル ↓ 人定法主義 フェビアン社会主義 新ヘーゲル主義(プラトン的理想主義) ヘーゲル右派(民族重視) ヘーゲル左派(唯物論重視) ↓ ↓ ・ケント ↓ ・オースチン ・S.ウエッブ ・グリーン ↓ ↓ ↓ ↓ ・ショウ マルクス主義・マルクス ・エンゲルス ・第一インター ・アクトン ↓ ・ケルゼン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 20世紀 ↓ ・シュミット リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム)・ホブハウス ↓ ナチズム・ヒトラー・ローゼンベルク マルクス-レーニン主義・レーニン 西欧マルクス主義・グラムシ 修正社会主義(社会民主主義)・ベルンシュタイン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・ケインズ ↓ ・第三インター ・ルカーチ ・第二インター 第二次大戦以降 現代保守主義・オークショット 再興自由主義・ハイエク・ポパー → リバタリアニズム(自由至上主義)・ノジック ・ベヴァリッジ → 平等論的リベラリズム・ロールズ・ドォーキン コミュニタリアニズム(共同体主義)・サンデル・ウオルツァー ・コミンフォルム ・フランクフルト学派 ・コミスコ 価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想 価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想 個人主義(individualism) 集産主義(collectivism:集団主義) 歴史・伝統重視の思想 集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想 ※個人主義(individualism)がなぜ歴史・伝統重視の思想につながるのかの説明は 「個人主義」と「集産主義」 参照 ※価値多元論(I.バーリンの用語)は、批判的合理主義(critical rationalism:K.R.ポパーの用語)に重なる。 ※価値一元論(I.バーリンの用語)は、設計主義的合理主義(constructivist rationalism:F.A.ハイエクの用語)に重なる。 ◆アイザイア・バーリン『自由論』による解説 消極的自由(negative freedom) 積極的自由(positive freedom) 要約 強制のないこと 自律(自己決定)…「自由」とは実は別概念 定義 主体が他者から干渉を受けずに放任されている、という意味の自由「~からの自由(freedom from …)」 単に強制・拘束を受けない、というだけでなく、主体が自己を能動的に律する(自律)という意味での自由「~への自由(freedom to …) 代表者 ルソー(「自由への強制」)、カント 価値多元論 価値一元論 アインシュタイン的世界観(相対論) ニュートン的世界観(決定論) 真正自由主義 全体主義へ至る危険性 ◆ハイエク『自由の条件』による解説 自由のイギリス的伝統 自由のフランス的伝統 経験的、非体系的(イギリス経験論) 思弁的、合理主義的(大陸合理論) 自生的に成長してきたが不完全にしか理解されなかった伝統と制度の解釈を基礎としている ユートピアの建設を目指すものであり、しばしば実験されてきたが、未だかって成功していない。それにも拘らず次第に影響力を増してきた。 正確さと明晰さの足りないイギリス的自由の伝統は衰退してきている。 人間の理性の無限の力について自惚れた想定に立つフランス的伝統の合理的で、もっともらしい、そして外見上論理の通る議論。 一方は自発性と強制のないことに自由の本質を見出し 他方は、ある絶対的な集合的目的の追求と達成においてのみ自由が実現されると信じている。 一方は有機的で緩慢な半意識的な成長を支持し 他方は教条的な目的意識性に味方する。 一方は試行錯誤の手続きを支持し 他方はもっぱら唯一妥当な型の強制を支持する。 アテネ的、ソクラテス的 スパルタ的、プラトン的 消極的自由「~からの自由」 積極的自由「~への自由」 「二つの伝統が最終的に混同されたのは、それらが19世紀の自由主義運動に融合したときであった。」(ハイエク) ◆その他の思想家による解説 ◇J.B.ベリー(アイルランド)『進歩の観念』(1920) 「こうして進歩の理論は、二つの異なったタイプに分化し、根本的に対立する二つの政治理論に対応し、そして、ふたつの敵対する気質に訴える。」 「一つのタイプは、設計主義的理想主義者や社会主義者のそれで、彼らが直ぐ近くにあると想像する『黄金の町』のすべての通りや塔に名前をつけることが出来ると彼らは考える。人間の発展は閉鎖システムであり、その限界は既知であり、到達し得る範囲にある、と考える。」 「他のタイプは、人間の漸進的向上を調べ、人間をこれまで導いてきた書力の相互作用によって、また、人間が戦い、勝ち取ってきた自由の一層の発展によって、人間は調和と幸福を増大させる状態へと徐々に向かっている、と信じ込んでいる人々のタイプである。ここでは、発展は無限で、その限界は未知であり、はるかに遠い未来にある。個人的自由が、その原動力であって、そして、それに対応する政治理論は自由主義である。」 ◇A.de トックヴィル(フランスの歴史哲学者)『アメリカのデモクラシー』(1835-40) 「18世紀以来、また革命以来、二つの流れが現れた。」 「第一の流れは、人々を自由の制度に導いたが、これに対し、第二の流れは、人々を絶対権力に導いた。」 ◇T.E.メイン卿(イギリスの歴史法学者)『ヨーロッパのデモクラシー』(1877) 「現代におけるフランス史は、デモクラシーの歴史であって、自由の歴史ではない。」 「これに対して、イギリス史は、自由の歴史であって、デモクラシーの歴史ではない。」 ◇H.ケルゼン(ドイツの実定法学者)『デモクラシーの基礎』(1955) 「タルモンが、自由主義的デモクラシーと全体主義的デモクラシーの緊張として描く対立は、実を言えば、自由主義と社会主義の対立であって、2種類のデモクラシーの対立ではない。」 ■自由主義とデモクラシー(民主政治)の関係 ◆引用 ◇F.シュナーベル『19世紀ドイツ史』(1933) 「自由主義とデモクラシーは、また互いに排除しあう対立物ではなく、二つの異なった事柄を扱うのである。」 「すなわち、自由主義は、国家活動の範囲について、そしてデモクラシーは、国家主権の保持者について、それぞれ語るのである。」 ◇オルテガ・イ・ガセット『無脊椎のスペイン』(1937) 「自由主義とデモクラシーは、たまたま最初は互いに何の関係もない二つのものであり、様々な傾向に関する限り、最後には、互いに対立する意味を持ったものとなっている。」 「デモクラシーと自由主義は、全く異なった二つの問題に対する二つの解答である。」 「デモクラシーは次の問題に対する解答である。すなわち『誰が公権力を行使すべきなのか』という問題に対して」 「そして、それが与える解答は、その公権力は集団としての市民に属す、というものである。」 「しかし、この問題は、公権力の範囲はどうあるべきか、について何も触れていない。デモクラシーが提案しているのは、我々全てが統治者である、すなわち、我々は、全ての社会的行為において主権者である、ということである。」 「他方、自由主義は、次のような別の問題に対する解答である。」 「すなわち『誰が公権力を行使するかに拘らず、その限界はどうあるべきか』という問題に対してである。」 「それが与える解答は、『公権力が独裁者あるいは人民によって行使されても、公権力は絶対的なものではありえない。すなわち個人は、国家を超えた、また、国家のいかなる介入をも超越した権利を持っている』というものである。」 ■参考図書 『自由の条件』(全3巻)F.A.ハイエク著(1960) 第一部:自由の価値第二部:自由と法第三部:福祉国家における自由 『開かれた社会とその敵』(全2巻)K.R.ポパー著(1945) 第一部:プラトンの呪文第二部:ヘーゲル、マルクスとその余波 『革命について』ハンナ・アレント(1963) 自由な立憲政体を建設したアメリカ独立革命と、暴虐のテロと全体主義に沈んだフランス革命・ロシア革命を鮮烈に対比した名著。 【関連】 リベラリズムの真実 デモクラシーの真実 ハイエクと自由主義 世界政府・地球市民の正体 日本国憲法の是非 明治憲法の真実 ■ご意見、情報提供 ロックの自由観が間違ってるような気がしますね -- あ (2010-07-26 07 43 35) 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) 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{学力の定義} 学力をつけようと、教師と生徒、そして親は日々努力をしている。しかし、そもそも学力とは何か、これまで何度も学力論争が起きたことでわかるように、きちんと意味を明確にしようとすると、かなり曖昧な概念である。よく指摘されることだが、日本語の「学力」に相当する英語はないという。試しに、和英辞典と英和辞典を用意して確認してみよう。ジーニアス和英辞典で「学力」を引くと、achievement と scholastic ability そして academic ability の3つの訳語がでている。あとの2つは「単語」ではないし、日本語の学力とはニュアンスが異なっているので、achievement を今度は英和辞典で引くと「学業成績」と出る。ところで、「学業成績」と「学力」は同じ意味だろうか。たぶん多くの人は、異なる内容を考えるだろう。このように、「学力」とはかなり独特の意味であると考えられる。 小学館の日本語大辞典によると、学力は次のような意味をもつ。 1 学習によって得た能力 2 学問に必要な能力 3 学校の授業によって得た能力 この場合、1は achievement に近く、2は academic ablity に近いといえるだろう。しかし、3の意味に近い英語はあまりないようだ。このことは、逆に、学校で獲得する能力を重視する意識が日本には形成されていたということになる。 さて、「能力」から「学力」になるとき、能力一般の内、「学」に関わる能力が「学力」だと言えるが、「学」について、「学問」と「学校」というふたつの理解があるように思われる。 「学校」で教え、身につけさせる能力が「学力」であるとする考え。そして、体力や感性ではなく、「学問」に関わる能力が「学力」であるとする考えのふたつである。こうした常識は、少し丁寧に検討すると、更にいくつかの前提的認識がある。 第一に、学校では、「教える」という行為を基本にするので、「伝えられる」能力が学力となるのであって、伝えられない直感的能力のようなものは、学力とは考えないということ。天才的数学者の頭脳の中に浮かんだアイデアのようなものは、能力を表すものではあっても、学力ではなく、そのアイデアが文字として書かれ、他人に理解され、かつそれを教えることができるように整理されたとき、それが「学力」の内容を構成するとということである。中内敏夫は「学力は、モノゴトを処する能力のうちだれにでも分かち伝えうる部分である」という学力の定義を与えた。\footnote{中内敏夫『増補学力と評価の理論』国土社 1977 p54} 第二に、教育実践は常に評価を伴うから、どの程度理解できているか、あるいはわかったのか、まだわかっていないのか等「計測」することができなければならない。インスピレーションは計測できないが、教える内容が形成され、それが試験として計測できるように構成され、試験でよい成績を納めれば、「学力が向上した」「十分な学力がある」と意識される。勝田守一は学力を、「計測できるように構成された教授内容の体系」と定義した。 {戦後改革期の学力論争} ここで注意しなければならないことは、学力が単独に問題になることは少なく、あくまでも「テスト」や「カリキュラム」との関連において問題になるという点である。 戦前は、教育内容は政府によって決められ、教科書も文部省によって全国同一の国定教科書であったから、あまり学力論争が起きる余地はなかった。学力論争が活発に行なわれるようになったのは戦後である。 戦後改革はアメリカの主導の下に行なわれ、大きく学校制度が変わったが、教育方法もアメリカ進歩主義教育の「経験主義」が導入され、それに基づいた教育計画や学校づくりがさかんに行なわれた。しかし、やがて、とりわけ入学試験の結果を憂えた人々が、経験主義によって教育された子どもたちは、基礎学力が低下していると批判し、経験主義から知識重視の教育への転換を主張した。しかし、経験主義を積極的に評価する人たちから、そもそも育てるべき学力は何かを問題とし、「基礎学力論争」と呼ばれる論争が起きたのである。そして、実態を明らかにするために、様々な団体が学力テストを試みた。この時期には以後文部省が学力テストを行い、日教組が批判するという構図はなく、むしろ日教組や関係団体が積極的に学力テストを実施していていた。 その一例を紹介しよう。 当時の報道によって、その雰囲気を知ってもらおう。 朝日新聞昭和25年2月20日の記事によると、東京の小学校31校6年生1500名、中学校9校3年生900名、新制高校5校250名の日教組による検査で、 ・読み書きは小学生が63.7、中学生が87.5、高校98.4点で、小学生が「先生」を欠けなかったり、「医師」という言葉を知らなかったという結果がでた。 ・算数では、2ケタの割り算ができないのが、高校で16%、中学で40%、小学校で58%であるという。 そして、この問題を戦前行なえば、小学校でも読み書き問題は80点くらいとれていたと結論し、学力低下が裏付けられたという日教組の主張を紹介している。日教組は、学力低下の原因を二部授業、教員の素質低下、社会環境が影響しているとして、その改善を求めているというのが、記事の趣旨だ。教員の学歴レベルが子どもの成績に影響し、また、地域の産業基盤も影響していると解説している。 学力低下したと主張する人たちは、基本的に戦後改革の経験主義的教育に批判的であり、中学入試や高校入試に現れた学力の低下、特に「基礎学力」と漠然と考えられていた読書算の低下を問題にしていた。そこで、「基礎学力」とは何か、そもそも学力とは何かという大論争が起きたのである。 生活カリキュラムを支持する馬場四郎は、入学試験の学力から判断すること自体を批判した上で、必要な知識は現実生活と結びついたものであり、従来の「暗記科目」とされる教科の中で「棒暗記」を強いられてきたような知識は無意味であると批判する。そして、生活の中で学ばれた知識は、正しい方法で学べばやがて、科学的系統性も獲得するという「原則」から、戦後の生活単元学習・経験主義的学習を擁護した。この議論は形を変えて21世紀に入り、PISAの学力テストにおいて復活することになった。PISAの学力イメージは後述するが、この時期の「読書算」中心の基礎学力論よりは、ずっと生活カリキュラム論の問題解決的能力に近いからである。(馬場四郎「教育現実と新しいカリキュラム」昭和24年執筆『日本教育論争史緑』第一法規 p312) しかし、戦後改革を支持する立場からも、学力概念を吟味する必要が主張される。 {1960年代の全国学力テスト問題} 1960年代になると、学力を巡る様相は一片した。最大の原因は「学習指導要領」が法的拘束力をもつとされたことである。1958年の改訂で、それまで「試案」であり、あくまでも「参考」であるとされた学習指導要領が、守らなければならない法的なものであり、教科書も学習指導要領の範囲でのみ検定を合格するとされたこと、そして、「道徳」の時間が設けられ、教育課程を構成する一部となったことである。学習指導要領の法的拘束性は当初から、教育界全体を巻き込む論争となり、文部省への批判も強かった。この点については、長く裁判でも争われることにもなった。 文部省は学習指導要領の現場における徹底を図るために、全国学力テストを悉皆調査として行い、これもまた大きな争いになり、60年代の内に中止され、最近になるまで文部省は「学力テスト」を行なうことができなかったのである。 この学力テスト問題は、「学力問題」に新たな局面を付加したといえる。それは、学力内容は誰が決めるのか、学力の状況を誰が評価するのか、学力の内容を教師や国民に強制できるのかという問題である。これは学力から見れば、外側の問題であるが、外部が内部を規定することは少なくないから、学力の内容に間接的に関わる問題である。これは「国民の教育権」「国家の教育権」という教育権理論をめぐる論争でもあり、当初「国家教育権」の立場にたっていた政府・文部省は、次第に国民の立場を論理的に取り入れ、当初は粗雑だったが、次第に次のような論となった。 日本は民主主義の国家であり、政治の内容や方向は国民が選挙で判断する。従って、選挙で選ばれた政府が決めた内容は、国民の意思が反映されたものであり、政府は当然教育内容を決める権限があるし、また、その実態を把握するために国民に対して試験をする権限がある。 それに対して、政治の担当を決めることを国民は政府に委託したとしても、それは教育の内容まで委託したわけではない。そもそも、教育は政治によって左右されるべきではなく、真理に基づいて行なわれるべきものである。従って、政府が教育内容を詳細にまで定めたり、理解度を調査することを強制すべきではない。 不幸なことに、相互に政治的な色彩をもち、政治の対立が教育に持ち込まれた側面が否定できなかった。この問題については「現代学校教育論」で詳細に論じるので、ここでは、学力の内容について、国家という政治機関がどのように関わるべきなのか、逆に関わってはいけないのかという問題があることだけ指摘しておきたい。 PISAの学力像 PISAは従来の学力テストと内容がかなり異なると言われている。PISAは、OECD(経済協力開発機構)が実施する国際学力テストであるが、それまでのほとんどの国際学力テストが、教育界における学力テスト運営組織が行なっていたのに対して、経済界の組織が行なった点が全く異なっており、その目的も新しい経済社会において必要な能力・学力を姿を明らかにし、かつその学力の実態を調査するものである。しかも、その学力観は、従来の日本の学力観、特に受験勉強で形成されている学力観とは非常に異なるものであった。日本の成績が低下したと考えれらるのも、こうした学力観の相違に起因する部分もあるだろう。では、PISAの学力観とは何か。 まず問題を見てもらおう。国語の問題は次のようなものであった。 国語の問題は、落書きに対する賛成意見と反対意見を提示し、文意を確認するだけではなく、自分の意見を書く問題となっている。意見問題について、採点がどのように行なわれたのかは、わからないが、少なくとも、通常日本の国語の問題として、出題されるのは、文意を確認する2番までであろう。数学の問題も、グラフを読み取る問題はあっても、かなりパターン化した「直線」グラフであって、この問題のように、曲線が材料になることはあまりないだろう。 いずれの問題も、材料が出されて、それを合理的に解釈し、説明する、更に考察する力が求められている。これは、従来の日本の学力観、特に基礎学力と考えられてきた内容とは大幅に異なっている。日本の子どもがこれまで国際学力テストで好成績を納めてきたのに、PISAで少し低い評価になったのは、そのためであるとも考えられる。 サドベリバレイ校の学力観 サドベリバレイ校は決まった時間割による授業を行なわない。つまり、義務的に学ぶことは一切ないわけである。学ぶときにだけ学ぶ、あるいは、生活全体の中で常に学んでいるという考え方をとっている。それでも、サドベリバレイ校の教育は、どのような能力を形成しようとしているのだろうか。もちろん、能力や学力の形成を無視しているのではなく、むしろ明確にその必要性を認識しているのである。 学力の社会的機能 東井義雄の『村を育てる学力』という名著があった。これは、実際の学校の学力が、「村を捨てる学力」を育てているという批判意識の下に、村を育てる学力とは何か、それをどう育てるかを模索した本である。つまり、戦前からずっと続く立身出世主義の教育では、学力が優秀であると、結局都会に出て、そこで出世を目指し、自分が育った村を出て行く構図がある。もちろん、東京に出て成功した人が、故郷のために働いてくれるという期待もあったが、やはり、学力のもつ「社会的機能」として、教育の歪んだ姿を示しているといえる。 学力の剥落 大田堯は、戦前の壮丁学力テストの結果を詳細に調べることによって、どのような学力が大人になるまで残っていたかを明らかにした。壮丁学力テストというのは、徴兵制の下で、徴兵される青年が学力テストは体力テストを受けたのであるが、そのテストをいう。学力テストは、義務教育で教えた内容の理解度を試験したのだが、大田の指摘では、天皇への忠誠心を学ぶ内容が、最も正解率が高かったという。(大田堯『学力とは何か』)つまり、知的な内容ではなく、道徳的な教え込まれた内容が、長く残っていたのである。こうした学んだことを忘れてしまうことを「学力の剥落」ということがあるが、近年の日本での学力論争も、この剥落現象がきっかけとなった。 東大生が簡単な分数計算ができなかったということが、ひとつの学力低下論争のきっかけだったが、日常的に使う知識であれば、通常は剥落することはない。分数計算は、日常生活の中で実際に使われることはほとんどないから、剥落することは不思議ではないし、たとえ東大生であろうと、できなくなる可能性はあるだろう。もちろん、以前は正確にできた学生たちだろうから、復習をすれば、すぐに再びできるようになるたとは明らかだから、これをもって、学力低下と決めつけることの妥当性は議論の余地があるが、むしろ、このことで明らかになるのは、普段使わない知識が剥落することは明らかだから、学校教育の中で、生活の中で使われない知識が、初等教育の中で教えられているという事実にこそ、目を向ける必要がある。 戦前の義務教育の内容が、ほぼ剥落するような内容だったことということになろう。
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最強とは何か 最強には時間軸が存在する なぜなら、最強には変動性がある 「どの時点で どの場所で 誰が最も強いのか」 一見すると矛盾しているかに思える"最強を超える"という表現は決して間違いではない 最強は一定ではない、最強を証明しようとすれば一生掛けなければならない なぜなら死ぬまで最強であり続けなければいけないからだ つまり現時点で何も証明すらされていない最強はメルヘンどころかメンヘラ思考である "現時点において最強"を名乗るなら"自らを最強であるべき"と言わずして最強ではない 最強が似合う者達 蝶 ◆Ny8weMFDds レス力、煽り、判断力、ネタレス 見るもの全てを魅了するオーラを備えているカリスマ 目標であり心の師である 縁があって同組織を支持頂いている(オランダ領アンティルより) ・君の組織に足らないものは今二つあるあると思う。 それを見つけることが出来るか、手に入れることが出来るか・・・ 楽しみにしとる(@wぷ← 蝶 ◆Ny8weMFDds :2011/06/30(木) 論破王 ◆CCuqv53IR6
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幸せとは私が求めるものである。 皆、幸せに成りたいと望んでいる。 恐らくそれは間違いの無いことだろうと思う。 しかし、そもそも「幸せ」とは何であるのか。 辞書を引くと以下のようである。 「幸せ」は、物事が望ましい方向に運んで、満足できる状態にあり、 それをやや主観的にいうのに用いられることが多い。 RuigoReikaiThesaurusDictionary,Shogakukan1994/類語例解辞典小学館1994. 自身の望みどおりになること+満足できること、の二つなのか。 「幸せに成りたいと望んでいる。」というとトートロジーであるように感じられる。 私が求めるものが幸せであり、 幸せの意味が求めるものが叶うことであるならば、 私はどう生きるべきか。 時間における幸せ 「求める」とは未来へ向かう気持ちである。 そのため、将来叶うとも、求める事柄は現在には現れることは無い。 過去求めたものは現在において現れうる。 過去の行いが現在に表れることはあるのかもしれない。 しかし、過去の望みと現在の望みは異なっていることは多い。 そもそも未来や過去とは何であるか。 それは自分自身においては現在の予想(不安)や思い出(後悔)の中に顕れる。 自分の進んできた道やこれから進む道は、 今立っているところへ不完全な形で内包されている。 幸せについて考えるのは人生においてほんの一瞬の「現在」である。 その瞬間において幸せだと感じられることが重要なのだと思う。 名前 コメント
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この講義は大学で行われているものであり、受講している人たちは学校に所属する学生である。学生はこれまで12年間の学校教育を受けた後、大学に入学してきた。つまり、これまでの人生の大部分を学校に通うことが、最も大きな、そして一日の重要な時間帯を占めてきた。従って、「学校とは何か」を学生は熟知しているだろう。しかし、日本だけで見ても学校は多様であるし、また世界的に見れば、我々が通常思っているような「学校」とはまったく違う学校も少なくない。 {学校以前の教育手法} 学校という教育システムは、5000年の歴史をもっているが、近年までは一部の特権階級の子弟のみが、学校に通って学んでいた。ほとんどの人々は、実生活の中で、つまり、自分が生まれた家族が行なっている労働形態を継ぐ形で、その労働を手伝いながら、口頭による説明や実施の技術訓練を受けることで、一人前の大人に育って行った。もちろん、そこで受ける教育は、技術訓練だけではなく、その労働集団に求められる規範を学ぶことも、同時に行なわれてきた。もちろん、すべてが親の労働を引き継ぐわけではなく、一部は農民から職人に転換するような形で、別の労働集団に属して学ぶ人々もいた。これら、労働集団に属して、職業上の技術や生活上の規範や倫理を学んでいくシステムを、広い意味での「徒弟制」という。現在学校教育に期待されている社会への準備教育は、多くが徒弟制の中で果たされてきたのであり、決して、「学校教育」ではなかった。そして、今でも「徒弟制」は滅びたわけではなく、職業訓練のひとつの形態として残っている。日本ではさすがにかなり珍しくなったが、例えば「落語家」に弟子入りして、内弟子として師匠の家に住み込む場合、徒弟制の中で訓練される形と言ってよい。また、伝統工芸などを学ぶ場合も、徒弟制は残っている。もっとも、伝統工芸を学ぶ学科を設置している高校や大学もあるので、現在は徒弟制から学校への移行が、伝統工芸にすら生じているともいえる。\footnote{伝統的工芸品産業の振興に関する法律が、昭和49年に制定され、伝統工芸が保護されるようになっていたが、後継者難が長い間続いてきた。しかし、近年インターネットの普及による、伝統工芸の情報が広く地域を超えて普及したこと、生きがい探しの風潮に伝統工芸がフィットしている面があることなどから、伝統工芸を学ぶ若者が増え、また伝統工芸の側も学びの場を提供している。これが、「学びの形態」に影響を与えていると考えられるが、教育学がこの面に十分に着目できているとは言い難い。興味のある人はぜひ研究してみるといいだろう。} では徒弟制と学校との違いは何だろうか。第一に、親方が少数の弟子をとり、通常家に住み込みで無給の修行をさせ、職住一体の中で技術指導をしていく、第二に一定の技術を修得したと認定すると、資格を与えて独立していく、というスタイルが徒弟制といえるが(名称はさまざまであるが)、これらは、近代的工業興隆の中で、大量の技術指導が必要となり、知識を媒介として学ぶスタイルが一般化し、資格も国家や大きな団体が与えるようになること、そして、大量訓練である以上、職住一体は不可能となり、訓練所に通うスタイルが一般化する。それが当初は「技術学校」(戦前日本に、「徒弟学校」という学校の種類が一時的に成立していた時期があった。)となり、職業教育を行なう一般的な学校に変化していくのである。 つまり、学校は、大勢の生徒に、専門に教え-学ぶ場が設定された形で訓練を行なう場である。近代大工場制の中で、徒弟的訓練は学校の教育に吸収されていくのである。 {近代的学校の誕生} このように、近代的工場制の発生が、徒弟制による技術伝達ではなく、学校という大量に教育できるシステムを要請したわけであるが、更に、工場制の発展は、別の側面で学校を普及させた。それは、商品経済の発展が要請したものである。封建制度が、自給自足経済の土台に成立していたが、次第に商品経済が発展し、物や人の流動性が高まると、特に商人を初めとして、「文字」を扱う必要がでてきたわけである。それまで文字は支配層の独占物であったが、生活の中で商取引が盛んになると、文字は誰もでも必要なものとなり、そこで、安定した社会であった江戸時代では、多くの人たちが、何らかの形で「学校」やそれに近い教育施設に通って、読書算を学んだのである。特に、日本は江戸時代にこうした学校文化が発展し、当時世界で最も識字率の高い人々であったと言われている。 しかし、これらは、近代的な学校制度ではなかった。近代的な学校制度は、もうひとつの要因、市民革命を伴う市民社会の到来が必要だったのである。フランス革命を契機として成立した「国民国家」である。 フランス革命は、人権宣言を行い、教育権もその中に含めたが、そうした革命思想と、フランス革命を契機として起こった「国民戦争」の中で、主に軍事的な必要から、まず義務教育制度をいくつかの国が設置したのである。また、それは「愛国心」の涵養とも結びついていた。\footnote{有名なフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』はその典型的な例である。} しかし、こうした義務教育制度は、実はそれほど普及しなかった。日本も明治維新後、直ちに教育の普及を目指して義務教育を施行したが、当初の義務教育が授業料を徴集したために、就学率は伸びず、義務教育に反対する暴動なども起きたことは、よく知られている。日本で義務教育が実質的なものになり、ほぼ100%に近い就学率を達成するのは、日露戦争後である。同様に、欧米でも各国が実質的な義務教育制度を成立させ、ほとんどの学齢児童が就学するようになるのは、19世紀末のことだった。それは何を契機としていたのか。 その最大の要因は、産業革命後、児童労働が広まり、子どもの健康問題や犯罪・非行問題が深刻化し、それが社会不安となることを恐れた人々、また子どもを守る立場の人々が、「工場法」を成立させ、その中で、児童労働を制限し、児童を雇用するためには、学校に通学させる義務を課したことだった。そうした工場法を成立させるために、大きな貢献をし、また、自分の経営する工場の労働者の子弟に自ら学校を設置して、教育を受けさせ、結果として、大きな労働生産性をあげたのが、イギリスのロバート・オーウェンである。 こうした動向は、市民社会が「職業選択の自由」のような基本的人権を認める社会であることから、子どもは自動的に親の職業を継ぐわけではなく、自分の個性や能力に合わせて、職業を選択していく社会に転換したこととマッチしていた。これは、単に個々人にとっての有用性だけではなく、社会や国家にとっても、幅広い層から人材を選抜していく方が狭い身分的な範囲から人材を補充していくより、ずっと社会の安定性を増すという理由もある。実際に、工業社会になるとはるかに職業の種類は多様になり、また、機械を扱う職業などに典型的なように、口伝えによる教育よりは、知識を媒介とした教育の方がより有効かつ必要な職業が増加してきたことも、徒弟制から学校教育への移行を促進したと考えられる。 19世紀の後半になると、先進工業国は植民地をもつようになり、また、植民地争奪のための戦争を頻繁に引き起こすようになる。その中で、フランス革命期の「愛国心」は、すべての植民地国家の課題となり、国民の統合のために、学校制度が利用されるようになったのである。 そして、「学校」が近代社会の主要な教育システムの要素となったのである。 {法律上の学校} かくして、「学校」は国家の事項となり、国家が学校について詳細に決めるようになる。現在の日本では、国家制度における正規の学校とは、学校教育一条に規定されている学校のことである。 学校教育法 第一条 この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。 これ以外の学校は、通称であったり、あるいは社会的通年上の学校であっても、制度的な学校ではない。しかも、日本では、学校を設立することができるのは、以下に定められているているように、国と地方公共団体と学校法人のみである。 学校教育法 第二条 学校は、国(国立大学法人法 (平成十五年法律第百十二号)第二条第一項 に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項 に規定する公立大学法人を含む。次項において同じ。)及び私立学校法第三条 に規定する学校法人(以下学校法人と称する。)のみが、これを設置することができる。 ○2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。 そして、日本では、学校に対して法令で「必要なもの」を定めている。 学校教育法 第三条 学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。 教師はもちろんのこと、校舎、体育施設、図書館等々の様々な設備が必要であるとされている。これらの規定は決して、国際的に同質のものではなく、国によっては、学校に必要とするものをもっと限定している場合もある。 {学校に必要な要素は何か} こうした法律的規定とはまた別の次元で、社会的に認められた「学校」があるし、また、それぞれ学校に必要な要素に対する通年がある。 通常「学校」には、「教えるべき内容(カリキュラム)」と、教える人(教師)、そして、学ぶ人(生徒・学生)、そして校舎がある。しかし、そうした常識が通用しない学校が世の中はたくさんある。国連大学は「大学」であるが、学生もいないし入学試験もない。教師もいない。行っていることは「研究」であるが、「大学」と名称が付けられている。度々とりあげるサドベリ・バレイ学校は、カリキュラムも授業もなく、通常の意味での教師もいない。通信教育を行っている学校はたくさんあるが、これも普通の校舎は存在しない。逆に放送大学は正規の大学であり、正規の学生や教授がいるが、その授業を実質的に受けている人たち(それを学生と呼ぶなら)は、無数に存在している。 教師と生徒・学生は画然と分かれているのが普通だが、古代ギリシャの学校や中世の大学はあまり判然とした区別は存在しなかった。 フリースクールやインターネットスクールの中には、常識的な意味での学校のイメージと相当異なる形態をとった学校が少なくない。 これは日本の法律でいう「学校」に近い存在であるが、「学校」という言葉を学ぶところという抽象的に使うこともある。「労働組合は民主主義の学校」とか、「刑務所は犯罪の学校」などと言われる。また多くの人が通ったと思われる「塾」は学校ではないが、学校に近い教育機関であり、学校よりも塾、あるいは予備校で学校よりもたくさんのことを学んだという人たちも多いのではないだろうか。このように考えてみると、「学校」とは何か、法律的な意味ではなく、何かを学ぶ場所というゆるやかな意味から、また、制度的な学校も含めて、本当に必要なの要素何かを少し吟味してみる必要があるといえる。 Q 「学校」に不可欠と思われる「要素」を列挙してみよう。そして、それは本当に必要なのなのか考えてみよう。
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第1章 流通における小売業の基本的役割 第1節 小売業とは何か 1‐1 小売業の定義 1‐2 小売業が扱う商品 1‐3 小売業の流通段階における役割 おすすめ教材 スポンサー広告
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書籍ライブラリ 人間とは何か 生物としての人間 身体の構造と動き 精神科学・メンタルヘルス 生物としての人間 進化論・分子生物学1騒々しい人たち 「 ドーキンス VS グールド 」キム・ステルレルニー 「 カンブリア紀の怪物たち 」サイモン・コンウェイ モリス 「 自由は進化する 」ダニエル・C・デネット 「 ワンダフル・ライフ 」スティーヴン・ジェイ グールド 「 フルハウス 生命の全容─四割打者の絶滅と進化の逆説 」スティーヴン・ジェイ グールド 進化論・分子生物学2落ち着いた人たち 「 利己的な遺伝子 」リチャード・ドーキンス 「 浮気人類進化論—きびしい社会といいかげんな社会 」竹内久美子 「 自己創出する生命—普遍と個の物語 」中村桂子 「 自然の造形と社会の秩序 」Hermann Haken (著), 高木 隆司 金沢城のヒキガエル競争なき社会に生きる 微生物、細菌、バクテリア 「 人体常在菌のはなし─美人は菌でつくられる 」 「 微生物生態学入門─地球環境を支えるミクロの生物圏 」 「 カビの常識 人間の非常識 」井上 真由美 免疫 「 免疫の意味論 」多田 富雄 「 免疫と腸内細菌 」 生化学 中級バイオ技術認定試験テキストシリーズ 「 生化学 」 「 新・微生物学 」 「 遺伝子工学 」 「 生物学 」 ほか 生命と金属 落合栄一郎「 生命と金属 」 「 錯体のはなし 」 「 鉄理論=地球と生命の奇跡 」 (準備中)「 図説 量子化学 分子軌道への視覚的アプローチ 」 身体の構造と動き バイオメカニクス 「 究極の身体 」高岡 英夫 「 古武術 for SPORTS 」古高橋 佳三 「 身体から革命を起こす 」甲野善紀, 田中聡 「 鍛練の理論 」高岡英夫 (準備中)「 スポーツ選手なら知っておきたい「 からだ 」のこと 」 認知科学 「 MIND HACKS 」実験で知る脳と心のシステム 精神科学・メンタルヘルス 精神科学・メンタルヘルス 木村敏 『時間と自己』『自己・あいだ・時間』『木村敏著作集全8巻』 中井久夫 『看護のための精神医学』 『治療文化論』 『最終講義分裂病私見』 『徴候・記憶・外傷』 『こんなとき私はどうしてきたか』 メンタルヘルスと食生活 世界の精神科医がすすめるメンタルサプリ うつは食べて治す 心の病は食事で治す 実は栄養欠損だった 鬱への対処 こうすればうつから抜け出せる 家族をうつからすくう本 他 病んだ家族、散乱した室内 アダルト・チルドレン 癒しのワークブック デイヴィッド クンツ急がない!ひとりの時間を持ちなさい
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編集(管理者のみ) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ あとがき 私の考察 こういう本が出版され、どこの本屋にもは売っていないにしても、比較的大型の書店に行けばたやすく買えるのは、私にとっては救済である。安心である。息苦しさからの解放である。永井均さんには心から感謝する。 おそらく、私は永井さんがいなければ、永井さんの著作と出逢わなければ、この世を生きる寄る辺なさに絶望して死を選んでいただろう。 私には、この世には生きる価値が何処にもないことを論理的に断言してくれる人が必要であった。自分の内で考えただけの論理で納得することは容易にできることではない。自分の考えは間違っているのではないか、自分は狂っているのではないかという疑いや惑いに常に取り憑かれるからだ。 他者からの意見も合わせ、この世は生きる価値がないと論理的な確信を得ることによって、そこから生への僅かな望みが生まれてくることはあり得る。現に私がそうだからだ。絶望を確信することで絶望から逃れられるのだ。いや、もう少し正確に云うならば、私は、自分の思いを正確にまとめられない寄る辺なさに絶望していたのであって、この世に生きる価値がないことそのものに絶望していたわけではない。 この世には生きる価値がないのではないかと漠たる思いの中に何年も漂い続けることの方が、精神を回復不能なまでに疲弊させてゆく。おそらく、夏目漱石の「行人」はこの心理をお兄さんに投影して書いたものだろう。 編集(管理者のみ) 永井均「倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦」(ちくま学芸文庫) .
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とりあえず、レポートの解答をアップします 1/28 10,11,12mの試験問題をいただきました。 今日中にはupできると思います(解答は期待しないで下さい…) 採点要領について 一番の問題については、物質中、真空中十分に区別すること。 D(電束密度)の説明もした方がよい。D=をいれた方が良い 二番は必ずレポートor教科書からの出題。 再試について 例年数人引っかかる模様(多いと13人ぐらいだったらしい)。 質問に行くと丁寧に教えてくださる先生です。わからなければ質問に行きましょう。 レポートの再提出可能(木曜日まで) ってことで、upしました。 補足プリント4枚はしっかり目を通しておいてください(補足プリ①、②は12Mの問題1の(6)の答えとみてよいでしょう。) この程度の記述が必要とされる、ことがわかります(樋口先生の解答です)。 なお12Mの問題4に関しては、”豆電球、モーター”とかで調べたら答えが出てくるそうです(小学生の実験らしい)。 12Mの問題5は完答した生徒が十人ちょっとだった、でも僕はあれだけ授業中注意した問題なのに!、と先生はおっしゃっていました(アンペール・マクスウェルの変位電流が磁場を作るやつです)。 あと一日しかありませんが、頑張りましょう。
https://w.atwiki.jp/tamekomi/pages/20.html
未完成! 占いの原理については先の章で説明した。その中で、占いとは何かについてもある程度述べた。しかし、もう少し別な観点を述べることが出来なかったのでここで述べさせて頂く。 以下、占いを生業としている方にとっては、余り気分の良いものでは無いかもしれません 占い自体は、発達したオカルト的技法の「基礎」を学び、技法による効果を得る補助をするものだと私は考える。象徴を学ぶことで、そのオカルト的宗派の思想体系を学び、さらに占術を行うことでこの思想体系の世界観を学び、象徴を配置することでイメージを形成して