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苦くて甘いもの ブン太が決意を表明してから10分後、和葉と切原は真田、柳、柳生を連れて戻って来た。 丁度マンションの前で会ったらしい。 「じゃあ適当にくつろいでて。これからご飯作るから」 「お手伝いします」 「ありがとう、柳生君」 「俺も手伝います!」 「ありがとう切原君」 「俺も手伝うぜよ?」 「あ、ありがとう……でも皆はさすがに入りきれないから、何かあったらお願いするからゆっくりしてて」 図体のでかい男が何人もキッチンに立っていると、邪魔で仕方ない。 和葉は苦笑いをして全員をリビングへ追い出した。 和葉の住んでいるマンションは広い。 一人暮らしにはもったいないくらいの間取りだが、和葉はリビングダイニングとそこに続く部屋のドアを取り払って随分な広さを取っていた。 よく友達が泊まりに来るかららしいが、それでもまだ別に部屋が2つほどあった。 一つは和葉の寝室で、もう一つは物置として使っているという。 おかげでテニス部のレギュラー陣が全員揃っても十分な広さがあった。 いい匂いがして来て、皆が入れ替わり立ち替わり手伝いに行った。 夕方の18時になろうとしていた頃、肇がスーツ姿で現れた。 「おっ、全員揃ってんな」 「どうも、お邪魔しています」 「おう」 真田が挨拶をすると、肇はすぐに台所へ向かった。 「和葉、これ親父から」 肇が手渡したのは実家の母親が作ってくれた漬け物だ。和葉の大好物でもある。 「んー、ありがと。漬け物とか若い子食べるかな? あ、肇これ向こうに持って行って」 「年関係なく普通に食う奴は食うだろ? あいよ」 和葉と肇のキャッチボールは言葉と動作一緒くただ。 さすがに同じ遺伝子。 次に何か言う前に肇は行動に移してくれる。 肉の焼けるいい匂いが家中に漂い始め、ブン太と切原はソファーの上で腹を鳴らし始めた。 「腹減った~!」 「お前ら育ち盛りだからなー。もうそろそろ出来上がるぞ」 肇が大きなボウルに入ったサラダを三つテーブルに並べた。 「肇さんのスーツ姿、初めて見た」 「ははは、親父の仕事の手伝いだったからなあ。似合わねーだろ?」 「似合うけど、ちょっと堅気の人に見えないかも」 「それを言ったらジャッカル君も見えねーぞ?」 「俺ですかっ?」 「おお、肇さんと二人並んだらこえーだろうな!」 和気あいあいとした時間。 ブン太はずっと緊張しっぱなしだったのだが、肇の出現で少し落ち着きを取り戻していた。 「出来たよ~」 キッチンから聞こえて来た和葉の声に、全員が反応した。 「「「待ってました!」」」 食事は楽しくて美味しかった。 さすがプロの料理人が作っただけのことはある。家で食べているとは思えないクオリティの高さで、全員がその美味さにうなりを上げた。 すっかり食べ終え、用がある人間がちらほら帰り始めた。 時計を見ると、21時を少し過ぎたところだ。 いくら大学まであるエスカレーター式の学校とはいえ、一応受験生であるブン太達は、大学進級試験を受けなければいけない。柳生はもっと頭のいい大学に行くらしいので、全国大会が終わってから本格的に勉強に力を入れ始めたようだ。 ブン太はそのまま立海大に進学する予定なので、別に焦ってはいない。 かといって勉強しなくても平気なほど頭が良い訳ではないのだが。 「それじゃあ俺はこれで、本当にご馳走さまでした」 「いいえ、またいつでも遊びに来てね」 「はい。今度はお店に妹を連れて行きます」 「ありがとう。待ってるわ」 台所で後片付けの手伝いを終えた幸村が和葉と話している。そろそろ帰るつもりらしい。 ふと気付けば残っているのはブン太と仁王だけになっていた。 「それではおやすみなさい。ブン太、仁王! あまり遅くまでお邪魔して迷惑をかけるなよ」 「へ~い」 「分かっとる」 もう少しだ。 もう少ししたら、俺は和葉さんに告白するんだーーー そう考えると、ブン太は体がカチコチになってしまった。 それに気付いた仁王が笑う。 「ブン太、お前ちいと緊張しすぎじゃ」 「う、うるせー。俺は今、一生に一度の大勝負に出る所なんだ……」 「顔と言葉が合ってないのお」 「あ? 何が大勝負なんだ?」 「あっ、肇さん」 仁王と話している所へ、キッチンから牛乳を持って戻って来た肇がブン太を見下ろす。 「……それ以上でかくなる気っすか?」 「あ? ああ、これか? もうなんつーの、俺の命の水だから仕方ねえだろ。お前ももっと飲め。そうしたらもう少し成長するかもしれないぞ」 「今更頑張っても大して伸びないからいい」 「で? 何が大勝負なんだ?」 「えっ?」 すっかり話の矛先を変えられたと思っていたのに、肇は再びブン太を見下ろして尋ねる。 「なんでもない」 「ふうん」 「なんか、ブン太の奴和葉さんに相談したいことがあるそうなんですよ」 「え? 和葉に?」 「ばっ! お前なに言ってんだよっ!?」 隣りに座っていた仁王が肇を見上げてそう言った。 慌てたブン太が仁王に掴み掛かる。 「どうしたの?」 とそこへ顔を出した和葉に、肇はああと小さく呟いてブン太を見てニヤリと笑った。 「そうかそうか。ま、そーゆー事なら仕方ねえな。仁王君、そろそろ帰るか?」 「そうですね」 立ち上がった仁王の足にしがみつき、ブン太が潤んだ目で見上げる。 そんなブン太の頭をポンポンと優しく叩くと、 「ま、頑張りんさい」 と言い残してブン太の腕をほどいた。 頑張れって、どうしよう! さっき告白するって決心したのに、俺、もうマジで胃が痛くなって来た!! チキンですか? 俺ってば天才じゃなくてチキンですかっ!? あわあわと一人で慌てるブン太を他所に、肇が和葉に声をかける。 「和葉。ブン太がお前に相談したいことがあるんだそうだ。俺達もう帰るから、真剣に相談に乗ってやれ」 「え? ブン太君が私に? 私なんかで役に立てるの?」 「いや、和葉さんにしか解決出来ない悩みなんです」 「仁王君、よく分からないんだけど……食べ物の相談?」 「まあ、とにかくちゃんと話きいてやれよ。じゃあまたな」 「ご馳走さまでした。また皆で店に行きます。おやすみなさい」 「あ、うん。肇も仁王君も気をつけて帰ってね」 適当なことを言って去って行った肇と仁王を横目に、ブン太はどうしようどうしようと頭を抱える。 そんなブン太の気持ちも知らず、和葉は緑茶を入れてブン太の前に置いて隣りに座った。 「どうしたの、ブン太君。私に相談したいことって?」 ああ、そんな優しい目で見ないで欲しい。 ブン太はゴクリと唾を呑み込み、何から切り出そうかと命一杯頭を働かせて考えた。 チラリ 和葉の首からはシルバーのチェーンだけ見えている。 まずはそこから聞くべきか。 それとも、いきなり告白してしまうべきか。 「うう……」 とうとう考えすぎてうめき声が口から漏れた。 それに和葉は目を丸くする。 「ど、どうしたの? そんなに悩んでることなの?」 心配してくれる和葉に、ブン太はもう格好つけていられないと思い切り顔を上げて和葉と向かい合った。 「和葉さんっ!」 「うん?」 沈黙 名前を読んではみたものの、和葉と視線が合ってしまってまた言葉が出なくなった。 誰もいなくなった部屋はとても静かで、クーラーの機械音だけが虚しく響いている。 ああ涼しいな。 なんて間抜けな事を考えてしまうのは、きっと現実逃避しかけているからだろう。 和葉はブン太の言葉の続きを待っている。 その様子にブン太は胸が苦しくなった。 「ーーー俺」 絞り出した声は自分でも情けなくなる位に弱々しくて、ブン太は和葉から思わず目を逸らした。 「俺……」 なかなか先を言い出せないブン太に、和葉は苦笑する。 「ブン太君、言いにくいことなら無理に言わなくていいんだよ?」 和葉の優しさに、ブン太はため息が出た。 やっぱり、好きだ。 自分の気持ちを誤摩化すなんて出来ない。 和葉に彼氏がいようと、自分の事を子どもとしか見てもらえなかろうと、何もしないで終わるのは嫌だ。 ようやく心が決まり、ブン太は和葉の手を取った。 「和葉さん。俺……あんたが好きだ」 「ーーーえ?」 驚く和葉。 ブン太は続けた。 「さっき、和葉さんがこけた時に首に指輪が付いたネックレスしてるのが見えた」 ぴくりと和葉の体が反応する。 「だから、もしかしたら彼氏がいるんじゃないかって思ったし、俺は和葉さんより10も年下だし、背も低いし全然眼中に無いって分かってるーーーでも! ……俺は、和葉さんが好きなんだ」 「……ブン太君」 和葉は眉を寄せて、ブン太を見た。 ブン太の真剣な目に、和葉はぐっと目をつぶる。 どうしよう。どうしよう。 そればかりが頭の中を行き来する。 ふっと正太郎の笑った顔が浮かんで来て、ブン太の笑顔と重なった。 あ…… 和葉はその時、初めて正太郎とブン太が似ていることに気付いた。 いつも笑っている所。 食べ物が大好きな所。 和葉が作った料理を、美味しい美味しいと言って食べる所。 優しい所。 でも、ブン太はブン太であって正太郎ではない。 そんな事は分かっている。 ブン太に惹かれていると気付いて、正太郎と似ていることに今気付いた。 もう、いいのかな? 心の中で、自分自身に問いかける。 もちろん答えなど帰って来ない。 「ブン太君……」 名前を呼んで目を開けると、ブン太は泣きそうな顔で和葉を見ていた。 「ありがとう。すごく嬉しいよ」 「ーーー本当、に?」 和葉の言葉にブン太は驚く。 「このネックレスはね、私の大事な人がくれたものなの」 そう言って和葉はネックレスを外した。 「物に執着しちゃいけないって、その人に言われたことがあった……大切なのは物や特別な記念日なんかじゃない。ここだって」 和葉は自分の胸に手を置いた。 「心?」 「そう、心……相手を思う心。大切にしたいと思う心。愛しいと思う心……心があれば、物やお金は大事じゃない。結局、何の力も発揮しないただのモノ」 正太郎に言われた言葉を思い出しながら、和葉は言った。 ブン太はじっとそれを聞いていた。 「その私の大切な人……ううん、大切だった人は、今はもういないけど、私のここにずっといる」 ズキンーーー ブン太の胸は痛かった。 でも、和葉の話を聞いていたくて、黙って和葉を見つめた。 「だけど、また新しく大切な人が出来てもいいよね?」 「えーーー?」 「今すぐに返事は出来ないけど、私もブン太君に惹かれてる」 「ーーーーーー」 「もう少しだけ、時間をくれる?」 和葉は外したネックレスをテーブルの上に置いた。 ブン太は和葉の言った言葉の意味を必死で考えていた。 「和葉さん……それってーーー?」 良く分からずに尋ねると、和葉は笑った。 「ブン太君がもう少し大人になったら、その時にきちんと返事させて?」 分からない。 やっぱり分からなかったが、今この場で振られた訳ではないということだけは分かった。 「うっそ……マジで? え? ーーー本当に? 俺が大人になってって、いつ? いつまで待ったら返事くれんの?」 その時にいい返事がもらえるかどうか分からないのだが、ブン太にとっては今振られなかったという奇跡の方が遥かに重要だったらしい。 目を輝かせて和葉に詰め寄った。 それに少し身を引いて、和葉が答える。 「そうだね、取りあえず、二十歳になったら……かな?」 「二十歳ぃ~~~!? って、あと三年近くもあるじゃん!! そしたら和葉さん三十路だぜっ!?」 「はは~ん、そういう事言う訳ね。じゃあ、さっきのは無かったことに……」 「うわわわわわっ! たんまっ! 違っ、そう言う意味じゃなくって!! 俺、頑張るっ! 絶対ぇ俺の事好きにさせてみせるからっ!」 必死に取り繕うブン太に、和葉は吹き出した。 「ははははっ! うん。分かった」 「絶対絶対俺にメロメロにさせてやるからな! 覚悟してろよぃ!」 「ーーーうん。じゃあまずコーヒーをブラックで飲めるようにならないとね」 「うぐっ……み、見てろよ」 「お~! ブン太、良かったじゃねえか~!」 「わあっ!?」 ドスンッ! 「えっ? はっ、肇さんっ!? 仁王!?」 突然部屋に入って来た肇と仁王に、ブン太は驚いてソファーから落ちた。 「あはははっ! い~いリアクションだな」 「ブン太、お前格好わるいぜよ」 「ななななな、なんで二人ともいるんだよっ!? 帰ったんじゃなかったのかっ!?」 目を白黒させるブン太と違い、和葉は平然と立ち上がる。 「二人とも心配して外で待ってたの?」 「ま、そういう事」 「お茶飲む?」 「コーヒー」 「ブラックで」 「はあい。あ、ブン太君は?」 「ななな、なんでそんな冷静なんだよ、和葉さんっ!?」 「え? 何でって……肇の考える事分かるもん」 ーーーーーああ、そうですか。 とそこで納得するブン太。 体をソファーに戻して座り直す。 隣りに座った仁王が、不適な笑みを向ける。 「良かったのう。取りあえず速攻で振られんかったき」 「うっせー。馬鹿」 「ま、これからまたショッキングな話聞いて、それでもめげなかった時は認めてやるよ」 向かいのソファーに座りながら言う肇に、ブン太と仁王が顔を見合わせる。 「ショッキングな話?」 「そ。これをあげた男の話」 これ。と言って純が指差したテーブルの上のネックレス。 さっき和葉はこれをくれた人は今はもういないと言っていた。 ということは、死んでしまった。という事。 和葉の彼氏だった人は、死んだのだ。 なんか、それだけでショッキングなんですけど…… 暗くなったブン太に、肇がため息を吐く。 「覚悟しろよ。お前より和葉は大人なんだ。その分お前が経験したこともないような経験をしている。それくらいの覚悟はあるんだろ?」 「っ……あったりまえだろ? 年上に考えも無く告白なんかするかよ……」 「ーーーそれならいい。ブン太……和葉を……解放してやってくれ」 「う? うん……」 まだ今は肇の言葉の意味も和葉が先ほど言った言葉の意味もちゃんと理解出来なかったが、それでもブン太は頷いた。 大人になるまで待てと言った和葉の気持ちを考えなくてはいけない。 ただ甘えているばかりではいけないのだ。 肇は真面目な顔からいつもの笑顔に戻った。 ブン太は肇が背中を押してくれていることが嬉しかった。 チラリと隣りに座る仁王を見ると、仁王も何だか優しげに微笑んでいた。 まあ、こいつもこいつなりに俺の事心配してくれてんだろうな。ムカつくけど。 ジャッカルにも後で電話すっか……幸村は……今度でいいや。 「はい、コーヒー入ったよ~」 キッチンからコーヒーの香りがしてきて、ブン太は立ち上がった。 「手伝うぜ」 「ありがとー」 苦くて甘いものは、何ですか? 踏み出した二人の道は前途多難かも知れないけれど、それでも進まなきゃ分からない。 辛い過去の無い人なんて一人もいないのだから。 寂しさを紛らわすなんてそんなことじゃなくて、心からの安らぎを見つけること。 愛して、愛されて。 そんな関係が一番だと思える時が、きっと本当の幸せを見つけた時。 END あとがき 終わりました…… 長々とこんな話にお付き合いくださいまして本当に本当にありがとうございました。 オリキャラ満載で申し訳ないです… こんなに長くなるなんてまったくもって予想ガイ☆ でもブン太可愛いから許す(笑) 大事な人を失う悲しみとか、それを乗り越える勇気と時間って、誰にでもやってくる事ですよね。 ブン太の純粋な気持ちが和葉さんの心を溶かせて良かったと思います。 ってか、マジで10歳も年下と付き合うなんて、楽しそう(笑) 年上には年上なりの葛藤とかがあるんですよ。10歳も年下に告られたら悩むって。マジで… え~っと、このお題は「苦くて甘いもの」でした。難しかったです! 取りあえずブン太はケーキ好きみたいなんで、ブラックコーヒーは飲めないだろうなー と勝手に思って書きました。ところでブン太ってこんな性格なの?(知らないってのが酷い…w) それでは、またお会いしましょう! See you!
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Session5 「なんでお前らがここにおんねん」 忍足は目の前で楽しそうにしている二人組を見下ろし、盛大なため息を吐いた。 ここは忍足の家の忍足の部屋。 跡部と屋上で話をしてすぐ、忍足は和葉の家へ向かったが、留守だったのでdigへ回りそこにもおらず仕方なく一度家に帰って夜にまたdigへ向かおうとしていたのだが、帰ると自分の部屋に芥川と跡部の二人がいてくつろいでいたのだ。 そんな二人に忍足は勝手にしろと部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた。と、 「和葉は今日は戻ってこないぜ」 跡部の言葉に動きを止める。 「何でや?」 「それが人にものを尋ねる態度かよ、あ~ん?」 ぐっと眉間にしわを寄せ、それでも黙って再び尋ねる。 「跡部様、和葉さんがどこにおるんか、どうぞ教えて下さい」 ものすごく心のこもっていないお願いに、跡部は小さくチッと舌打ちをすると、ベッドの上でごろごろと転がる芥川に向かって手を出した。 「ああ、はい~」 芥川は跡部の手の上に携帯を置くと、またごろごろと転がりだした。 一体なんでジローまで着いて来てんねん。このままやったら絶対こいつ俺のベッドで朝まで熟睡するで。 跡部は携帯を開いて画面を見ると、読み始めた。 「景吾君、色々と心配かけてごめんなさい。侑士君にはきちんと私からお話するから大丈夫です。今日から数日泊まりででかけるので、帰って来たらまた連絡します。それでは、また」 「それ、和葉さんからのメールか?」 「そうだ」 「今日からって、いつや?」 「昨日だ」 「なんでさっき屋上で言わんかったんや」 「お前がさっさと帰るからだろ? 話す前に話す相手がいなくなったんじゃ、どうにもできないだろ、あーん?」 「あ~、そらすまんかったな。で? 泊まりででかけるってどこや? お前は心当たりがあるんやろ?」 おそらく跡部はこのことを言う為にわざわざ忍足を追いかけて家に来たのだろう。 言動が偉そうなので忘れがちだが、跡部は意外と、いや、とても面倒見がいい。 「前に話しただろ? 和葉の兄貴の話。たぶん兄貴が自殺した場所だ」 「……どこや?」 「横浜だ」 跡部から詳しい場所を教えてもらい、忍足は家を飛び出した。 駅までがこんなに長いと感じたのは初めてだった。 信号で立ち止まる度に苛々が募る。 走り抜けるビルや人ごみの中、忍足は和葉に何を言おうかずっと考えていた。 きっと和葉は忍足を見て驚くだろう。何故知っているのかと、もしかしたら怒るかも知れない。でも、それでも今会わなければいけない気がするのだ。 なんでこんなに信号ばっかりあんねん! また赤信号に捕まり、忍足は目の前を右に左に通り過ぎる車やバイクを睨みつけた。 何も伝えられずに離れてしまうなんて我慢出来ない。 焦れば焦るほど信号を待つ時間が長く感じる。 これはもうさっきもやったで。いい加減先に進ませてくれや。 苛々がとうとうぼやきに変わった。 和葉にあの日偶然出会わなければ、きっと今ももやもやとした気持ちのまま過ごしていただろう。進学かテニスかで悩み、結局はっきりと決着をつけられずすっきりしないまま大学に進学していたに違いない。 そして信号が青に変わり、また走り出す。 駅は目の前だ。 自分の好きな道を、どんなに辛い事があっても真っすぐに進んで行く和葉。 頼りなさそうで、誰よりも強い和葉。 出会ってほんの短い時間の中で、忍足をここまで引きつけた女性は和葉が初めてだった。 まだたったの18年しか生きてはいないが、きっとこんな出会いはそうそうないと強く確信する。 飛び乗った電車の中、忍足は目をつぶって和葉の顔を思い出す。 こないに誰かを好きや思うたんは、初めてやな……宍戸に言うたら激ダサだな。とか言うんやろなあ。 ふと笑みがこぼれる。 もし、許されるなら和葉の事を思い続けさせて欲しい。例え望みがほとんどないとしても、跡部が言うように自分の事を好きになってくれなくても、それでもいいと忍足は思う。 やっぱり俺、激ダサやーーー 人は誰かを好きになると、なりふり構ってなどいられなくなるらしい。 電車を降り、跡部に教えられた場所を目指す。 そこに和葉がずっといるとは思えなかったが、取りあえず行ってみたいと思った。 駅からさほど離れていない場所にある、緑豊かな広い臨海公園の中を一人歩きながら、忍足は目的の場所へと歩を進めた。 高台になっているそこは、夕方にも関わらず閑散としていた。 ドキ…… 忍足の胸が弾む。 海からの潮風に髪をなびかせながら、その人はぼんやりとそこに一人佇んでいた。 キラキラと夕日を反射する海の色を全て吸収してしまいそうな細い体は、今にも消えてしまいそうで忍足はたまらなくなった。 ゆっくりと近づき、和葉の視線の先を辿る。 夕日を見ているのか、海を見ているのか、過去を見ているのか、その表情からはなにも汲み取る事は出来なかった。 「和葉さん……」 独特のイントネーションで名前を呼ばれ、和葉はゆっくりと振り向いた。 「ーーー侑士、君?」 驚いた顔をしている。 それはそうだろう。忍足がこの場所を知るはずがないのだから。 「どうして、ここに……?」 忍足から目を逸らさない和葉は、静かに尋ねた。 「偶然や……」 「嘘」 忍足の答えに微かに笑う。 「すまん、跡部にここやないかって教えてもろうたんや」 和葉の隣りに立ち、忍足は海を見下ろした。 「綺麗な所やなあ」 「侑士君は、私をいつも驚かせるんですね」 そう言って和葉も海を見下ろした。 「そうか?」 「はい……初めて会った時も、全然知らない私を助けてくれて驚かされましたし、突然家に訪ねて来て驚かされました。そして今また驚かされています」 「そんなつもりはないねんけどな」 「ふふ……少し、私の話を聞いてくれますか?」 和葉はいつものように静かに、話し始めた。 「私には、血のつながっていない兄がいました……」 忍足はじっと和葉を見つめた。 おそらく和葉は忍足が跡部から大体の話を聞いていると知ってて話しているはずだ。 「5歳年上の兄はとてもバイオリンの上手な人で、とても尊敬していました。優しくて、格好良くて、自慢の兄でした……」 ふと視線を空に移すと、横目で忍足を見た。 黙って自分を見ている忍足を確認して、また続ける。 「ずっと一緒にいたのに、私は兄の気持ちに気付いてあげられなかった。だから、あの日ーーー兄が私の友人に怪我をさせた時、私は兄に言ってあげなければいけなかったんです。あなたの事が大好きだって……それがたとえ兄と同じ感情での好きではなくても、私には兄にその言葉を伝える責任があったんです。もし、私が兄にきちんと伝えていれば、兄は……兄は、死なずにすんだかもしれないーーーー」 「それは違うで」 苦しそうに言った和葉に、忍足はきっぱりと言った。 忍足の言葉に和葉が顔をこちらへ向ける。 「それは違う。あんたの所為やない。誰の所為でもない……」 和葉はずっと苦しんでいたのだ。 誰かに好きだと言う事で、兄を裏切る事になるのではないかと恐れていたのだ。 だから、誰も好きにならないと心に誓ったのだろう。 誰も傷つけたくないから。 「私には、人を好きになる資格はありません……」 言葉を区切ると、和葉は忍足を見上げて眉をしかめた。 その顔を見て堪らなくなり、忍足はつい力を込めて声を出した。 「人を好きになるのに、資格なんていらん! そんなんいるんやったら、誰も恋愛なんて出来んやろ? あんたが言う好きになる資格って、誰も傷つけずに幸せになるっちゅー事か? そんなん人間なんやから、無理に決まっとるやん!」 また驚いたような顔をして、和葉は次はふと笑った。 「ーーー困りました」 「は?」 一体何が困ったというのか。首を傾げると、和葉が忍足に抱きついた。 っ!? 忍足はあまりの出来事に、両手を宙に浮かせた中途半端な状態のままフリーズしてしまった。 な、なんやっ!? どうしたんやっ!? 軽いパニック状態に陥っていると、和葉のくぐもった声が聞こえた。 「侑士君は、どうしてそんなに優しいんですか?」 「俺が、優しい?」 自分の肩口で和葉が頷く。 和葉の頭がすぐ目の前にあって、甘い香りが忍足の鼻をくすぐる。 「私は男の人に好きだなんて言わないって、前にいいましたよね?」 「……ああ、言うてたな」 「私、侑士君に好きだって言いませんでしたか?」 「ーーーえ?」 忍足は再び固まった。初めて会った時の和葉との会話を思い出す。 「ーーー言うてた……俺の事、弟みたいで好きやて言うた……」 見開かれた目に、体を離した和葉の顔が飛び込んで来る。 だが、忍足はそれがどういう意味かはっきりとは分からない。 「あの時は、本当に弟みたいだなって思ったんです。でも好きだって口から出てしまった事に、侑士君と別れた後に気付いて……毎日メールしたり、私が怪我した時も本当に心配してくれたり、出会ったばかりの私に親切にしてくれて、すごく嬉しかったんです……」 ドキ…… 信じられないくらい、今忍足の心臓は激しく動いている。 自分を見つめる和葉が、少し照れたように笑っている姿が幻想的で、眩しかった。 「アメリカに行くお話を頂いてて、ずっと迷っていました。別に有名になりたい訳ではないし、digが好きだから話を先延ばしにしてて……迷ってた時期に侑士君と出会って、侑士君が進路の事で悩んでる事とか聞いて、私も真剣に考えようって思ったんです。そして侑士君があの日、私がCDを出すかもしれないって言った時あんなに喜んでくれるなんて思わなくって、すごく嬉しかった……」 風でなびく髪を押さえて、和葉はまた海の方を向いた。 「ーーー嬉しかったけど、すごく寂しくもなったんです……アメリカに行ったら、今みたいにすぐ侑士君に会えなくなってしまうでしょう? そう思ったら、なんだか急に寂しくなっちゃって……ここに来て、自分の気持ちを確かめようと思ったんです」 和葉の声は、とても心地よかった。 ずっと聞いていたいと、忍足は思った。 自分に会えなくなるのを寂しいと思ってくれた事が嬉しかった。 「……それで、和葉さんの気持ち、分かったんか?」 コクリ 和葉が頷いた。 答えを聞いてもいいのだろうか? 忍足は一瞬ためらったが、すぐに言葉は口をついて出ていた。 「和葉さんの気持ち、聞かせてもろうても、ええ?」 和葉の口元がほんの少し揺らいだ。 「ーーーあなたの事を……好きになっても、いいですか?」 一瞬時が止まったのかと思った。 その場所で、和葉の声だけが忍足の耳に妙に響いて聞こえた。 ああ、なんて綺麗なんや。 海風が吹き抜ける高台で、忍足と和葉は見つめ合った。 答えなんて決まっている。 忍足は優しく微笑んだ。 「俺も、和葉さんに言わなあかんことがあんねん……俺はな、あんたの事が……大好きやーーー」 大きな瞳がぐらりと揺れると、次にその瞳から涙が一筋ぽろりと零れた。 手すりを握る和葉の手を取り、自分へと引き寄せる。 「もっと大きい男になって、絶対にあんたを追いかけるから……せやから、アメリカで待っとってくれる?」 忍足のぬくもりを感じながら、和葉は忍足の背中に回した腕に力を込めた。 小さく頷く。 「俺が、あんたを幸せにしたる。あんたの辛い思いも、悲しい過去も、全部俺が一緒に背負ったる」 再び頷く。 抱きしめる和葉の体が小刻みに震えていた。 偶然出会ったあの夜、二人は互いに引き寄せられた。 過去ではなく、未来にある幸せの為にーーー 空にはいつしか星がちらちらと輝き始め、夕日は海の向こうへと沈んで行った。 少しだけ、勇気を出してみて良かった。そう、思えた。 さあ一緒に歌おう。Moonlight Serenadeを。 END あとがき 終わったあああああああーーーーーーー!!!!!! 初テニプリ二次小説として書き始めた忍足夢。まさかこんなに長くなるとは・・・(汗) しかしテニプリのキャラってカッコいい子が多すぎて、困ってしまいます。。 一番最初に心臓ぶち抜かれたのがこの忍足だったんでちょっと真面目に書いてしまいましたが、さすがに中坊で真面目な恋愛小説ってのは(管理人の中では)無理なので高校生以上で… ヒロインにこんな暗い過去を背負わせるつもりはさらさらなかったのに、書いてるうちにこんなんなってしまった。 もっと氷帝のメンバーも出してあげたかったけど、それはまた次の機会に。という事で(笑) もっと文章上手くなりたいなあ……(切実!) それでは、最後までお付き合い下さいました皆様、ありがとうございました!! お帰りの際は、窓を閉じてくださいv 氷帝学園トップに戻る
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拝啓、近藤様 どんなにどんなに強く想っても、彼の中に自分が入る隙間は無い。報われない恋と知りながらも、和葉は恋焦がれずにはおれなかった。 あれは三月程前の事、和葉が職場から夜遅い時間に帰宅していた時だった。和葉の行く手を阻む、風体の良くない若い男四人に囲まれ困り果てていた。 許しを乞うても道を開けてはくれず、言われのない因縁を付けられ腕を掴まれた瞬間ーーー 「いてててててっ!!!」 和葉の腕を掴んだ男が突然痛みに顔を歪めて両膝を地面に落とす。 「感心しないなあ。可愛らしいお嬢さん一人を相手に、男四人掛かりで暴力を振るうとは」 驚いた和葉と男達は、声の主を仰ぎ見る。黒い独特の制服姿の男は、白い歯を見せて笑った。 「お嬢さん、大丈夫か?」 「あ……はい」 男達はその出で立ちに慌てて後ずさった。 「おいっ、真選組だ!」 「逃げろっ!」 バタバタと走り去る男達の後ろ姿に向かって、 「お前達! 顔は覚えたからな! 次ぎに何かやらかしたら覚悟しておけよっ!」 そう叫んだ。 今まで男性に助けてもらった事などなかった和葉は、目の前の男に一瞬で恋をしたのだった。 真選組局長の近藤勲という男は、あけすけで人柄の良い好人物だ。 ただ一点、志村妙という女性に対する情熱は異常としか言い様が無く、和葉が近藤の心に入り込む余地は一分たりとも見当たらなかった。 あの助けてもらった翌日、和葉は真選組屯所へお礼を持参したのだが、それ以来近藤に色々と相談をされるようになっていた。女性にまともな知り合いがいないため、是非とも相談に乗って欲しいと頼まれたのだ。 仲良くなる機会と二つ返事で引き受けたが、会って話しをする毎にひたすら自分を傷付けるだけだった。それでも今もこうして喫茶店で向かい合って座っている。 「お妙さんは非常に恥ずかしがり屋さんだと思うのだ。会いに行く度に屋敷の罠が増え、殺傷能力が高くなっている。オレに会うのがよほど恥ずかしいのだろう……。 女性はそういう時、どんな接し方をすれば恥ずかしさが軽減されるのかな?」 和葉は近藤に頼まれ、何度かお妙の事を見に出かけたことがあった。とても美人でスタイルの良い、凶暴な女性……。 「あまり頻繁に会いに行くより、間を置いて行った方がいいんじゃないでしょうか」 そうすれば屋敷の罠も少しくらい軽くなるかも知れませんよ。と思いながらも、そこは心の中で伝える。 「いやあ、しかし和葉ちゃん。オレとしては毎日でもお妙さんに会いたいし、少しでもお妙さんにオレの事を考えて欲しいんだ」 真剣な近藤。その表情に和葉の心はまた痛む。 「女性だけじゃないと思いますけど、あまり押されると倒れてしまうように、緩急を付けた方が相手も立っていられるといいますか……。よく、毎日連絡をしていた人からぱたりと連絡が来なくなると、逆に気になるなんて言うじゃないですか」 「そういうもん? ーーーあ、それじゃあ和葉ちゃんもオレがしょっちゅう相談の為に呼び出すの、迷惑じゃない? たまにくらいの方がいいの?」 どうやらお妙にしている行為が迷惑だという自覚はあるようだ。しかしそれは相手が近藤に対して不快感しか持っていないからであって、和葉に至っては近藤を好いているのだ。迷惑どころか嬉しいに決まっている。 「いいえ、私はいつでも喜んで会いに来ますよ」 それこそ近藤がお妙に対して思っているように、和葉も一日でも多く近藤に会いたいし、和葉の事を考えて欲しい。見事なまでに一方通行の図式に、和葉は思わず苦笑した。 「和葉ちゃんは優しいなぁ」 感動しているらしい近藤は、瞳をうるうるさせて和葉を見つめている。それだけでも本当に和葉の心は温かくなり震える。 「普通ですよ、これくらい」 「オレは上司にも部下にも優しい人間に恵まれていないからなあ。和葉ちゃんの優しさが骨身に沁みる!」 「あははは……」 毎日どれほど辛い目に遭っているのだろうか。 突然近藤が和葉の手をテーブル越しにぎゅっと握った。その動作に胸が踊り頬が熱くなる。 「いつもありがとう! お妙さんの事を相談して、真剣に答えてくれるのは和葉ちゃんだけだっ! これからもオレの相談相手になってくれるか!?」 大きくてがっしりとした近藤の手に、和葉は辛くて泣きそうになるのを堪えて頷いた。 「もちろんですよ。私で良ければ、いつでも」 END 2012.04.11 ※あとがき※ 近藤初SSでした。これももうずーーーーーっと眠っていた書きかけを、当時の記憶を振り絞ろうとしたけど絞れず、いい加減な感じに短くしました。 近藤さんは絶対にお妙以外の女性を好きにならないと思います。変態だから。 話しの中で“人柄の良い人物”と書きましたが、あくまでもヒロイン目線なので、恋する人間の目にはゴリラもやや人間よりに見えるようです。不気味な程の変態さもぼやけるんだと思って下さい。大丈夫です。近藤さんは変態です! ブラウザを閉じてお戻りくださいv その他二次小説トップに戻る
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乾2号 竜崎スミレは和葉の父親とリョーマの父親の中学時代の恩師だ。 「ここだよ」 そう言って竜崎が足を止め、教室のドアを開く。 ガラガラと開いた教室の中には、眼鏡をはめた切れ長の目の美しい顔立ちの青年と、かりあげに丸い目の優しそうな青年がいた。 2人とも青と白を基調とした清潔感のあるジャージを着ている。 「待たせたね」 「いえ」 竜崎がどんどん中へ進みながらその2人に挨拶をする。 2人の青年は立ち上がってこちらを向く。 「紹介しよう。うちのテニス部の部長と副部長だ」 「手塚です」 「大石です」 眼鏡の青年は手塚、短髪の青年は大石と名乗った。 和葉は笑顔でぺこりと頭を下げる。 「六条です」 「一応話しておいたから分かってると思うが、この和葉にはこれからうちのテニス部のトレーナーをやってもらう。男子テニス部の一応専属になるが、女子の方も手伝ってもらう事もある。それで、これからは乾に和葉のサポートを任せることにする。いいな?」 「はい。六条コーチ、よろしくお願いします」 「します!」 2人が頭を下げるのを、和葉は慌てて止めた。 「いやっ、そのコーチっていうのはやめて下さい。年もひとつしか変わらないし、どうもこそばゆいからやりにくいです。普通に名前で呼んでもらっていいですか?」 「……分かりました」 ちらりと竜崎を伺うと、ただ笑っているだけだった。 手塚と大石は顔を見合わせる。 何故、高校一年生である和葉がテニス部のコーチを勤めるようになったかと言うと、実はつい先日までプロテニスプレーヤーだったからだ。 アメリカで生まれ育った和葉は、テニスをやっていた両親の影響で物心つく前からテニスをやらされていた。 もちろんまだ幼い和葉にトーナメントやプロという概念は無かったのだが、テニスが好きだったおかげであちこちの大会に出場をしては優勝を攫って行った。 学校も早くに卒業し、飛び級で一時期大学にも在籍していた。 和葉が世界的な大会に出場するようになったのは11歳の時。 そして一昨年、13歳の時に全米オープンに出場し、準優勝した。 しかしメディア嫌いの父親とあまり良いとは言えない和葉の風体のおかげで、アメリカと日本の一部の熱狂的なテニスファン以外に知られる事はなかった。 今回青学テニス部の手伝いをするにあたり、和葉は竜崎に自分の素性をこちらからは話さないということで手伝いに同意した。 もしかしたら自分の事を知っている人物がいる可能性はあったが、それでも元プロだという過去を持ち出したくはなかったのだ。 自分はプロの世界から身を引いた……逃げたのだから。 それに一昨年から比べて背も伸びた和葉は、この2年ですっかり様相を変えていた。気付く人間は少ないはずだ。 当初新しいトレーナー、しかもまだ15歳という年齢の人物がやって来るという話しに、手塚達は難色を示した。 しかし、和葉にはこの強豪テニス部を手伝うに足る要素は多少なりともあった。 卒業まではしていないが、大学に在籍していた時にスポーツ医学を学んだことはトレーナーとしての手伝いをやる上で何かと役に立つと思われたし、勉強も引き続き継続しており、日本で高校を卒業したら再びアメリカの大学に進学してそちらの道に進む事も検討している。 それに内科的、外科的な専門知識も多少はあるし、リハビリや物理療法的な分野では自身がテニスプレーヤーとして活躍していた時のトレーナーから随分と教わったので無理な処置もせずに済む。 これを聞いて、手塚達も一応の納得はしたのだった。 「お前達はそろそろ部活の時間だからコートに行きな。和葉の紹介は部活が終わってからにするからね」 「分かりました」 竜崎がそう言うと2人とも頭を下げ、教室から出て行った。 和葉は教室の窓から外に視線を落とした。 コートではリョーマが上級生と何やらもめている。 「ああ~。またか」 困ったように呟く和葉に、竜崎が笑う。 「ふっ。お前も苦労してるんだねえ」 「はい、本当に……」 竜崎と和葉は、相も変わらず協調性の欠片も無いリョーマを見ていた。 するとそこへ大石や手塚と同じジャージを着た数名がコートに現れた。 青学テニス部のレギュラーだ。 手塚はリョーマともめていた二年生の2人を叱りつけ、グランドを走るように命じたようだった。 走り出した2人を置いて練習が始まり、和葉は選手それぞれの動きをじっと見る。 都内でも有名な学校のテニス部なだけあって、皆の動きはそれぞれ良かった。 しばらくすると、リョーマが戻って来て練習に混ざり始める。 一年生なのだからボールに触らせてもらえる事はないだろうが、竜崎はリョーマを買ってくれている。 実力はレギュラーに引けを取らないはずだから、もし、校内ランキング戦にエントリーしてもらえるならば初の一年生レギュラーが誕生することも考えられる。 持って来ていたノートパソコンを開き、和葉はいそいそとデータを入力し始めた。 部員全員のプロフィールなどは竜崎からもらっていてある程度把握している。 しかし、実際に練習している様子を見なければ詳しい分析は出来ない。 それに、出来る限り成果を上げて、手塚達に認めてもらわねばならないのだ。 まだ和葉はアウェーにいる。 ホームにするには、信頼を勝ち取らねばならない。 しばし作業に没頭していると、何やらまた外が騒がしくなった。 どうやらリョーマが2年生と練習試合をすることになったらしく、コートの上で動き回っていた。 あれ? 良く見ると様子がおかしい。 テニスラケットが、木で出来た古いものだったのだ。 何が起きたのか見ていなかった和葉には分からなかったが、打ちづらそうにしている。 古いものだから恐らくガットが伸び切ってしまっているのだろう。 打球にまるで勢いがない。 それでもリョーマは諦めなかった。 ラケットの感触をしばらく打って確かめると、体の回転を利用し、鋭いリターンを相手コートにきめはじめた。 ガラガラ…… と、そこでドアが開く音がして、手塚と大石が戻って来た。 「あ、お帰りなさい」 「お疲れ様です」 「ごめんなさい、リョーマが早速もめごと起こしてしまって」 「え? ああ、荒井のやつと試合をしてるみたいですね」 大石が苦笑する。2人のやりとりを聞きながら、手塚は腕組みをして和葉の隣りに立ってコートを見下ろす。 荒井が戦意喪失するまで一方的に試合を運ぶリョーマ。 和葉は思い切りため息を吐いた。 「はあ~~~」 そんな和葉を見て、大石がくすりと笑う。 しばらくその様子を窓から観戦した。 その後試合はリョーマが1ゲームを取り、よぼよぼのラケットでサーブを始める所だった。 「どう思う、手塚?」 「規律を乱すヤツは許さん。全員走らせておけ」 「え? レギュラー陣もか?」 「全員だ」 そう言って手塚は教室を出て行ってしまった。 「やれやれ」 「おや?」 竜崎が机に置かれた対戦表を見ると、最後の一枠にリョーマの名前が書き込まれていた。 「さあて、和葉を紹介しに行くかねえ」 「今日からテニス部のお手伝いをさせて頂く、六条和葉です。よろしくお願いします」 和葉がペコリと頭を下げ面を上げると、全員の視線が一斉に一人に向いた。 皆の視線の先には長身でツンツン頭の青年。 その顔には瞳が見えないくらいの分厚い四角眼鏡。 「乾2号だ……」 ボソリと誰かが呟いた。 それを合図にヒソヒソ声が広がる。 キラン…… そう、和葉の顔には、分厚い眼鏡がかけられていた。 この顔半分をすっかり隠してしまう眼鏡のおかげで、ビジュアル的にメディアにも向いていなかった和葉は全く人気が出なかったのだ。 実力があっても成功するのは最終的にはビジュアルが多少なりとも必要だということらしい。 「オホン! 静かにしな! ここにいる六条和葉はあたしの知り合いでね。アメリカの大学で一時期スポーツ医学の勉強をやっておったから今回お前達の技術・メンタル・フィジカルなど、全面的な強化を計るためにわたしがトレーナーを依頼した。分からない事なんかはどんどん聞きな。いいかい! 死ぬ気で強くなって、目ざすは全国制覇だよ!!」 「「「はいっっ!!!!!」」」 続く… 次へ → ランキング戦開始 お帰りの際は、窓を閉じてくださいv 青春学園トップに戻る
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乾2号 竜崎スミレは和葉の父親とリョーマの父親の中学時代の恩師だ。 「ここだよ」 そう言って竜崎が足を止め、教室のドアを開く。 ガラガラと開いた教室の中には、眼鏡をはめた切れ長の目の美しい顔立ちの青年と、かりあげに丸い目の優しそうな青年がいた。 二人とも青と白を基調としたジャージを着ている。 「待たせたね」 「いえ」 竜崎がどんどん中へ進みながらその二人に挨拶をする。 二人の青年は立ち上がってこちらを向く。 「紹介しよう。うちのテニス部の部長と副部長だ」 「手塚です」 「大石です」 眼鏡の青年は手塚、短髪の青年は大石と名乗った。 和葉は笑顔でぺこりと頭を下げる。 「六条です」 「一応話しておいたから分かってると思うが、この和葉にはこれからうちのテニス部のトレーナーをやってもらう。男子テニス部の一応専属になるが、女子の方も手伝ってもらう事もある。それで、これからは乾に和葉のサポートを任せることにする。いいな?」 「はい。六条コーチ、よろしくお願いします」 「します!」 二人が頭を下げるのを、和葉は慌てて止めた。 「いやっ、そのコーチっていうのはやめて下さい。年も大して変わらないし、どうもこそばゆいからやりにくいです。普通に名前で呼んでもらっていいですか?」 「……分かりました」 ちらりと竜崎を伺うと、ただ笑っているだけだった。 手塚と大石は顔を見合わせる。 何故、高校一年生である和葉がテニス部のコーチを勤めるようになったかと言うと、実はつい先日までプロテニスプレーヤーだったからだ。 アメリカで生まれ育った和葉は、テニスをやっていた両親の影響で物心つく前からテニスをやらされていた。 もちろんまだ幼い和葉にトーナメントやプロという概念は無かったのだが、テニスが好きだったおかげであちこちの大会に出場をしては優勝を攫って行った。 学校も早くに卒業し、飛び級で一時期大学にも在籍していた。 和葉が世界的な大会に出場するようになったのは11歳の時。 そして一昨年、13歳の時に全米オープンに出場し、準優勝した。 しかしメディア嫌いの父親とあまり良いとは言えない和葉の風体のおかげで、アメリカと日本の一部の熱狂的なテニスファン以外に知られる事はなかった。 今回青学テニス部の手伝いをするにあたり、和葉は竜崎に自分の素性をこちらからは話さないということで手伝いに同意した。 もしかしたら自分の事を知っている人物がいる可能性はあったが、それでも元プロだという過去を持ち出したくはなかったのだ。 自分はプロの世界から身を引いた……逃げたのだから。 それに一昨年から比べて背も伸びた和葉は、この二年ですっかり様相を変えていた。気付く人間は少ないはずだ。 当初新しいトレーナー、しかもまだ15歳という年齢の人物がやって来るという話しに、手塚達は難色を示した。 しかし、和葉にはこの強豪テニス部を手伝うに足る要素は多少なりともあった。 卒業まではしていないが、大学に在籍していた時にスポーツ医学を学んだことはトレーナーとしての手伝いをやる上で多少なりとも役に立つと思われたし、勉強も引き続き継続しており、日本で高校を卒業したら再びアメリカの大学に進学してそちらの道に進む事も検討している。 それに内科的、外科的な専門知識はもちろん本物の医者とは比べ物にならないがあるし、リハビリや物理療法的な分野では自身がテニスプレーヤーとして活躍していた時のトレーナーから随分と教わったので無理な処置もせずに済む。 これを聞いて、手塚達も一応の納得はしたのだった。 「お前達はそろそろ部活の時間だからコートに行きな。和葉の紹介は部活が終わってからにするからね」 「分かりました」 竜崎がそう言うと二人とも頭を下げ、教室から出て行った。 和葉は教室の窓から外に視線を落とした。 コートではリョーマが上級生と何やらもめている。 「ああ~。またか」 困ったように呟く和葉に、竜崎が笑う。 「ふっ。お前も苦労してるんだねえ」 「はい、本当に……」 竜崎と和葉は、相も変わらず協調性の欠片も無いリョーマを見ていた。 するとそこへ大石や手塚と同じジャージを着た数名がコートに現れた。 青学テニス部のレギュラーだ。 手塚はリョーマともめていた2年生の二人を叱りつけ、グランドを走るように命じたようだった。 走り出した二人を置いて練習が始まり、和葉は選手それぞれの動きをじっと見る。 都内でも有名な学校のテニス部なだけあって、皆の動きはそれぞれ良かった。 しばらくすると、リョーマが戻って来て練習に混ざり始める。 一年生なのだからボールに触らせてもらえる事はないだろうが、竜崎はリョーマを買ってくれている。 実力はレギュラーに引けを取らないはずだから、もし、校内ランキング戦にエントリーしてもらえるならば初の一年生レギュラーが誕生することも考えられる。 持って来ていたノートパソコンを開き、和葉はいそいそとデータを入力し始めた。 部員全員のプロフィールなどは竜崎からもらっていてある程度把握している。 しかし、実際に練習している様子を見なければ詳しい分析は出来ない。 それに、出来る限り成果を上げて、手塚達に認めてもらわねばならないのだ。 まだ和葉はアウェーにいる。 ホームにするには、信頼を勝ち取らねばならない。 しばし作業に没頭していると、何やらまた外が騒がしくなった。 どうやらリョーマが2年生と練習試合をすることになったらしく、コートの上で動き回っていた。 あれ? 良く見ると様子がおかしい。 テニスラケットが、木で出来た古いものだったのだ。 何が起きたのか見ていなかった和葉には分からなかったが、打ちづらそうにしている。 古いものだから恐らくガットが伸び切ってしまっているのだろう。 打球にまるで勢いがない。 それでもリョーマは諦めなかった。 ラケットの感触をしばらく打って確かめると、体の回転を利用し、鋭いリターンを相手コートにきめはじめた。 ガラガラ…… と、そこでドアが開く音がして、手塚と大石が戻って来た。 「あ、お帰りなさい」 「お疲れ様です」 「ごめんなさい、リョーマが早速もめごと起こしてしまって」 「え? ああ、荒井のやつと試合をしてるみたいですね」 二人のやりとりを聞きながら、手塚は腕組みをして和葉の隣りに立ってコートを見下ろす。 荒井が戦意喪失するまで一方的に試合を運ぶリョーマ。 和葉は思い切りため息を吐いた。 「はあ~~~」 そんな和葉を見て、大石がくすりと笑う。 しばらくその様子を窓から観戦した。 その後試合はリョーマが1ゲームを取り、よぼよぼのラケットでサーブを始める所だった。 「どう思う、手塚?」 「規律を乱すヤツは許さん。全員走らせておけ」 「え? レギュラー陣もか?」 「全員だ」 そう言って手塚は教室を出て行ってしまった。 「やれやれ」 「おや?」 竜崎が机に置かれた対戦表を見ると、最後の一枠にリョーマの名前が書き込まれていた。 「さあて、和葉を紹介しに行くかねえ」 「今日からテニス部のお手伝いをさせて頂く、六条和葉です。よろしくお願いします」 和葉がペコリと頭を下げ面を上げると、全員の視線が一斉に一人に向いた。 皆の視線の先には長身でツンツン頭の青年。 その顔には瞳が見えないくらいの分厚い四角眼鏡。 「乾2号だ……」 ボソリと誰かが呟いた。 それを合図にヒソヒソ声が広がる。 キラン…… そう、和葉の顔には、分厚い眼鏡がかけられていた。 この顔半分をすっかり隠してしまう眼鏡のおかげで、ビジュアル的にメディアにも向いていなかった和葉は全く人気が出なかったのだ。 実力があっても成功するのは最終的にはビジュアルが多少なりとも必要だということらしい。 「オホン! 静かにしな! ここにいる六条和葉はあたしの知り合いでね。アメリカの大学で一時期スポーツ医学の勉強をやっておったから今回お前達の技術・メンタル・フィジカルなど、全面的な強化を計るためにわたしがコーチを依頼した。分からない事なんかはどんどん聞きな。いいかい! 死ぬ気で強くなって、目ざすは全国制覇だよ!!」 「「「はいっっ!!!!!」」」 続く… いやあ、ヒロイン乾2号なんですよー。 逆ハーっぽい感じのようで、そうでもないですが、色んな所の部長に好かれます(笑) それではまた、お会い致しましょう〜 次へ ↓ No.1 3rd Game
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Two persons who came back from the United States! ゴソゴソ…… 「う~ん」 寝返りを打つと、鼻をくすぐるシャンプーの匂いとこそばゆい感覚に、 「っくしゅん!」 むず痒くなってくしゃみが出ると同時に夢から覚醒する。 またいるーーー 自分の寝床に当たり前のように何がいるかというと、黒髪に整った顔の少年だ。 まだまだ幼さを残すその少年は、この部屋の主である六条和葉(ろくじょうかずは)がやっかいになっている越前家のひとり息子、リョーマだ。 リョーマの父親と和葉の父親は先輩後輩で、訳あってその子ども達2人は幼い頃からずっと一緒に育って来た。 和葉は中学一年のリョーマより3つ年上の高校一年生。 リョーマが生まれた時から一緒にいるため、本当の弟のようにかわいがっているが、さすがに中学になったのを期に一緒に寝る事をやめさせようと努力していた。 ……のだが、リョーマはいつも勝手に布団に潜り込んで来る。 寝ぼけてトイレに行った帰りなどは、大概和葉のベッドに寝ている。 「もう、仕方ないなあ……」 しかし気持ち良さそうに寝ているその寝顔を見るとつい、許してしまう。 すやすやと眠るリョーマに、相変わらず甘いなと非情になりきれない自分に肩を落とし、ベッドから出ようと和葉はそっと立ち上がった。 グイッ わっ? 立ち上がろうとした瞬間、何かに阻まれ動きが止まる。 驚いて振り向くと、リョーマが和葉のシャツをしっかりと掴んでいた。 そして動いた和葉に気付き、ぼんやりと目を開ける。 「ん……和葉、どこ行くの?」 「走りに行くの。だから手、離して?」 「ーーーヤダ」 ふうと息を吐き、和葉はリョーマの頭を撫でる。 「困った王子様ね」 「……おはようのキスしてよ」 「はいはい」 まだ寝ぼけているリョーマのおでこにキスをする。 それを合図にしたように、リョーマは再び眠りに落ちた。 和葉は完全に眠った事を確認すると、ゆっくりとリョーマの手をシャツからはがし、立ち上がって豪快にシャツを脱いで机の上の眼鏡をはめた。 今日はいい天気になりそうだ。 広い敷地を歩く和葉は、今年入学したばかりの都内にある青春学園の、何故か中等部に来ていた。 「和葉、こっちだよ!」 キョロキョロとあたりを見回していると、校舎の玄関からピンクのジャージを着たポニーテール姿の教師が和葉を呼んだ。 「竜崎のおばさん!」 その顔に安堵感を得て駆け寄る。 「すまないねえ、無理を言って」 目の前にやって来た和葉に笑いかけながら、ここ青春学園中等部のテニス部顧問の竜崎スミレは歩き出した。 和葉はそれに付いて行きながら答える。 「全然。私なんかでお役に立てるなら。父さんと南次郎さんがお世話になってますから。それに、早速リョーマが2年生とモメてご迷惑おかけしてますし……」 「あははは! あれはおやじそっくりだね。この間のトーナメントはすまなかったねえ。うちの孫が道を間違えて教えてしまって、デフォになってさ」 「ああ、いいんです。高校生の男の子を怪我させたんでしょう? 本当に負けん気が強いというか、困った子で……」 「負けず嫌いはうちの部員全員そうだよ」 「本当は入学式が終わってすぐにこっちに来たかったんですけど、色々手続きもあって」 「仕方ないさ。同じ青学とはいえ、うちは中等部、お前は高等部なんだからね。これからは嫌ってほどうちで働いてもらうよ」 「……頑張ります」 「今ちょうどランキング戦の対戦表を作っている所さ」 「青学名物ランキング戦ですね?」 「ああ」 続く… テレビアニメシリーズ、アップしてしまいました…何年も前に書いて自己満足で終わっていたんですけど、、 もしかしたら全部アップしていくかもしれません。お暇な方はどうぞ、お付き合い下さると嬉しいです! 次へ → 乾2号 お帰りの際は、窓を閉じてくださいv 青春学園トップに戻る
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レギュラー決定 ガチャリ…… 「あ」 和葉が部室のドアを開けると、そこには乾の姿があった。 ノートにペンを走らせながら、なにやら独り言を呟いている。 邪魔をしてはいけないと、和葉は部室の奥へゆっくりと足を運び、置いていたファイルを手に取る。 と、そこで パタン! 「よし、完璧だ」 乾のデータがまとまったらしい。 「おや、六条さん」 「乾君。リョーマ攻略は完璧?」 笑顔で乾を振り返る。 乾も口元を綻ばせ、それに頷く。 「はい。越前には申し訳ないですが、今日は勝たせてもらいます」 「ふふ、楽しみにしてるね」 「今日もまた上から観戦するんですか?」 「うん、そのつもりでもう準備して来たの」 「そうですか」 乾と一緒に部室を出る。 和葉は乾を見上げて、再び笑った。 乾2号と渾名を部員達に付けられた和葉。二人は見た目も趣味も似ていてなかなか気が合う。 女にしては背が高い方である和葉は、背の高い乾と並ぶと自分が普通の女の子に見えるような気がして何だか嬉しかった。 リョーマと一緒に歩いていても本当に保護者な気分だしーーー実際そのとおりなのだがーーーこうして普通に同世代の男の子と肩を並べて歩くという経験をほとんどしたことのない和葉にとって、新しい発見ばかりで毎日が楽しかった。 アメリカにいた頃はそれこそテニスと大学が忙しく恋愛などとは無縁の世界にいたし、一番身近な男の子がリョーマだったのだ。 すっかりお母さん癖の付いた和葉は、自分の事よりもまず周りの人の事を優先させてしまう。 そんな中、年の近い男の子や女の子と学園生活を送れるという経験は、とても貴重だった。 乾と別れていつもの教室へ向かう。 竜崎が言っていたように乾は和葉の手伝いをしてくれている。 データ収集が趣味である乾は、和葉の有能なブレーンなのだ。 今日のランキング戦では、この乾とリョーマが試合を行なう。和葉はそれがまた楽しみなのであった。 試合が始まると、予想以上に乾のデータがことごとくリョーマを苦しめた。 そんな様子も和葉は楽しくてたまらない。 リョーマは自分と同じで生まれた時からテニスに触れて育った。 テニスが好きだとか、プロになりたいとか、そう言った感情も特に持たないまま、とにかくテニステニスの毎日だったのだ。 南次郎と和葉に勝ちたいという思いだけで、今リョーマはテニスをやっている。 和葉はもちろんテニスが好きだ。だから、リョーマが成長してゆく姿を間近で見ているのがたまらなく楽しい。 視線を移すと別のコートでは手塚と大石の試合が行なわれていた。 こちらはギャラリーが多くて、和葉はその女の子の多さと声援の大きさに驚く。 「はあ。手塚君と大石君って、すごい人気なのね~」 今度は菊丸と桃城の試合もチェックする。 なかなか楽しい試合を展開している。 それぞれ見た範囲でデータを入力して行く。 またリョーマ達の試合に視線を戻すと、リョーマはまだ乾攻略が出来ずにいた。 私と乾君って、データ収集が好きだけど、大きく違うことがあるのよね…… 和葉はデータを集め、それを生かして自分の苦手な部分を補強する事に重きを置く。 だが、乾は相手のデータを集め、それを生かして自分が勝利することに重きを置く。 そう、和葉のテニス理論は、 ボールが来たら打ち返す。 たったそれだけ、ひどくシンプルなものなのだ。 機械相手にテニスをするわけではない。確かに人間だから癖や苦手な事はある。 だけど感情もあるのだ。 動きに感情が加われば、そこから驚くほどの結果を生み出す。 データ通りに行かないのが人間なのだ。 奇をてらった技は一見派手で凄いが、それをじっくり観察してただひたすらに来た球を追いかけて打ち返す。 その中での相手との心の駆け引きがテニスをする上で非常に重要なのだ。 リョーマは小刻みにステップを踏み始めた。 「あれをやる気ね」 くすりと笑うと、和葉はリョーマの試合に集中した。 どうやら乾のコートに打ち返す場所を宣言しながらリターンしているようだ。 スプリットステップ。 それがリョーマが見せている動作。 この動作はテニスの基本で誰でもやっている。しかしリョーマの場合、着地を両足ではなく片足で行なっていた。これは非常に難しい。もし打球が来る方向が逆なら、二の足を踏まなければいけないのでポイントを取られることに繋がる。 片足のスプリットステップと並外れた動体視力を駆使するリョーマは、どんどん乾とのゲーム差を詰めて行った。 そして最後はツイストサーブで試合を決めた。 コートから出て来るリョーマを、和葉は窓に肘をついて眺めていた。 残すはあと一試合。 これに勝てば、レギュラーは確実だ。 そしてその後問題なく勝ったリョーマは、4戦全勝であっさりレギュラーの座を射止めた。 最後の戦いは乾と海堂の、いずれもリョーマに負けた者同士の試合となった。 乾有利かと思われた試合は、なんと海堂が勝利した。 和葉は立ち上がり、まとめたデータをしっかりと保存して教室を後にした。 本格的に動くのはこれからだ。 決定したレギュラーの顔と名前を思い浮かべながら廊下を歩く。 部長の手塚国光、副部長の大石秀一郎、不二周助、河村隆、菊丸英二、桃城武、海堂薫、そして、越前リョーマ…… 面白くなりそうだ。 「あ、近くの学校の偵察にも行かないとな」 「和葉」 「あ、竜崎先生」 独り言を呟いた時、丁度職員室から出て来た竜崎と出会い、和葉は駆け寄る。 「どうだい、データは取れたかい?」 「ええ」 「どうだった、お前の所の負けず嫌いは」 「勝ちました」 「そうかい。これから和葉にはたくさん働いてもらわないといかんな」 「はい」 二人で顔を見合わせ、笑った。 忙しくなる。 和葉は期待に胸を膨らませた。 続く… 次へ ↓
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事件から1日が経ち、平次と和葉が見送りにやってくる。 蘭「見送りに来てくれてありがとう……」 和葉「お礼を言わなあかんのはこっちの方や」 コナン「そういえば、かるた部はどうなったの?」 和葉「それがな、決勝まで進んだことを学校側が認めてくれて、廃部にならんで済んだそうや。あたしは最後の最後で負けてしもうたけど……」 蘭「和葉ちゃん……」 和葉「ちょっと来て!」 和葉が蘭を引っ張り出す。 歩美「あれ?」 光彦「どうしたんでしょう?」 元太「なんだよ、内緒話かよ?」 蘭「本当に!?」 和葉「ええねん、だって、『しのぶれど』が取れたから」 蘭「やっぱその歌を得意札にしたんだね……」 和葉「ちゃうちゃう。歌だけやない、その歌を読んだ人の名前や! 平兼盛。百人一首の中で平次の『平』の字で名前が始まったんはその人だけや。もう平次の札にしか見えへんかったわ……」 蘭「ふーん……」 和葉「あとで『しのぶれど』の写真、平次に送ったんねん…… これがあたしの気持ちってな」 声「『しのぶれど』を送って自分の気持ちを伝えるん? そらルール違反とちゃいます?」 和葉に声をかけたには紅葉だった。 蘭「紅葉さん……」 和葉「今の声、聞こえてたん?」 紅葉「耳がええんはあんただけとちゃいますわ」 平次「おう、紅葉やないか。何してんねん、お前こんなとこで……」 紅葉「約束通り告白しに来たんです。もっとも、うちはもう平次くんに告白されてますけど……」 平次「はぁ? なんのこっちゃ?」 紅葉「これがその証拠写真です」 紅葉は平次と指切りした写真を見せる。 歩美「指切りしてる……」 光彦「約束してしまったんですね……」 元太「破ったら針千本飲まなきゃいけないんだぞ」 平次「ちょー待て! なんの約束したっちゅうねん?」 紅葉「『今度会うたら嫁にとるさかい待っとけや』」 蘭、和葉「ええーっ?」 コナン(こいつ、何気に恥ずかしいところ記録されるよな……) 紅葉「それとも、こんな昔話なかったことにしはりますか?」 平次「ん? ああっ、思い出したわ! あん時、こう言うたんや。『泣くなや、また今度勝負したらええやんけ。けど、今度会うたらもっと強目にとるさかい、腕磨いて待っとけや』っての」 コナン「つ……」 蘭「よめに……」 和葉「取るさかい?」 平次「うん! 相手が女の子やったし、怪我させたらあかん思て力抜いて優しゅう取ってたからのう……」 紅葉「伊織、撤収です!」 伊織「はい、お嬢様……」 伊織の車が到着。 紅葉「ほな、今日はこの辺で勘弁しといてあげますけど、うちは狙った札は誰にも取らへんちゅうこと、よう覚えてもらいましょか。和葉ちゃん……」 平次「なんや? また和葉とかるたやる気なんか?」 紅葉を乗せた車は空き缶をつなげた状態で走り去っていく。 帰りの新幹線では蘭が園子に電話をかけていた。 蘭「ごめん。寝てた? 園子って、百人一首に詳しかったよね?」 園子「うん。お正月に家族でやるから……」 蘭「新一に『めぐりあいて』の札の写真送ったら、『瀬をはやみ』って歌が返ってきたんだけど、どんな意味だっけ? 私、忘れちゃって……」 園子「(『愛しいあの人と今は別れていても、いつかはきっと再会しよう』という崇徳院が読んだラブラブな歌) ごちそうさま!」 蘭「あっ! ちょっと園子!」 コナン、新一「忘れてんじゃねぇよ……」 (終)
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ランキング戦開始 「和葉」 「あ、はい」 テニスコートから少し離れた芝生の上で、眉間にしわを寄せてノートパソコンを睨んでいた和葉に竜崎が声を掛けた。 顔を上げて竜崎を仰ぎ見る。 「今日はランキング戦だよ。行かないのかい?」 「あ、行きますけど、離れた所から見ようと思って」 「はあ? 離れた所から?」 「はい。なのでこの間の教室使ってもいいですか?」 「そりゃあ空いていれば構わんが、何で近くで見ないんだい?」 変な事を言う和葉に、竜崎は首を傾げる。 ノートパソコンを閉じて立ち上がると、和葉が笑った。 「まだ皆私の事に慣れてないと思うんで、変に緊張させたらいけないと思って」 「あははは、そんな事気にしてるのかい? レギュラーの奴らなら平気だろうから、間近で見てみな」 「いいえ、レギュラーはまだいいんです。私が見たいのはレギュラー以外の2年生ですから」 「なるほど、本格的に弱点を探すって訳かい」 「そういうことです。それに全体が見えた方が同時にやっている試合もまんべんなく見れますし」 そこで和葉はコートの方を伺った。 リョーマの姿が見えたのだ。相変わらず澄ました顔で歩いている。 「まあ、お前に任せるよ。あ、そうそう、さっき月刊プロテニスの記者が来てね。新しいトレーナーに取材を申し込みたいって言っておったぞ?」 竜崎の言葉に和葉はすぐさま反応する。 「うわ、パスですパス! 私がそういうの苦手だって、知ってるでしょ?」 「相変わらずだねえ。まあ嫌なら無理に受けなくていいさ。それに取材を受けたら元プロだってのもバレるかもしれないしねえ」 「父さんが向こうでの名前でエントリーしてたんで、六条和葉じゃ分かる人はほとんどいないと思いますけど、さすがにテニス雑誌の記者さんとなると知っている可能性は高いですよね……ですから静かに、目立たないように。あくまで私は青学の影ですから。あ、教室の使用状況は教務課で聞けばいいですか?」 慌てて首を振る和葉に苦笑すると、竜崎は頷いた。 「ああ」 「それじゃあ失礼します」 眼鏡を光らせて走って行く和葉を見送り、竜崎はコートの方へ視線を送った。 ボールがラケットにぶつかる音、部員達のかけ声、これから始まる子ども達の戦いを思うと、胸が躍った。 和葉はだらしない口元を、なかなか元に戻せずにいた。 今、眼下のテニスコートではリョーマ対海堂の試合が行なわれようとしている。 和葉とそう身長の変わらない海堂だが、随分と手が長い。 それを生かしたバギーホイップショットを打つというデータを手元のノートパソコンで見ながら、試合が始まるのを今かと待っているのだ。 実際に和葉は海堂と打ち合った事がなかったので、自分が良く知るリョーマと試合をするというのは海堂がどの程度の実力かを見るにはもってこいだった。 「さて、どうなりますか……」 ぼそりと和葉は呟いた。 リョーマのサービスで始まったゲームは、初っぱなから面白い物となった。 15-0とリョーマがポイントを先取すると、海堂の顔つきが変わった。 うまく逆を付いたと思われたリョーマのリターンを、海堂が一瞬にして追いかけ、長い腕を利用してショットを放つ。 ラケットから離れたボールはリョーマの目の前で急激にカーブし、コートの手前にクロスして突き刺さる。 お、出た。 胸が躍る和葉。とても中学生とは思えない良い変化をする。 そこでリョーマは右手に持っていたラケットを左手に持ち替えた。 海堂は得意のスネイクショットを使い、リョーマを左右に何度も走らせていた。 体力を削る作戦のようだ。 それに対しリョーマは必死に海堂の球を追いかけて、ただただ返すだけ。 日差しの強い今日、相当の体力が消耗されているはずだ。 ふと、海堂の動きが鈍った。 あらら、先にへばったね。うちのリョーマは、ちょっとやそっとじゃスタミナ切れなんてしないよ。海堂君。 リョーマは海堂のボールをコートのライン深くに低く返し続けていた。 深い位置からのリターンは両膝に負担がかかる。 常に中腰でつま先立ちに近い構えを取り続けるテニスにおいて、それをさらに低い位置で重心を保ち続けるということは思った以上に体力を削られる。 でも…… 「リョーマはフィジカル練習を増やさないとね」 体格の差はいなめない。 両者一進一退の試合が続く。 もしリョーマが海堂と同じくらいの身長と体力を持っていたら、勝負はもっと早くに付いていただろう。 勝負がついた。 勝ったリョーマとそれを喜ぶ同じ一年生部員。 しかし海堂は違った。 負けた己の不甲斐なさにラケットで自分の膝を殴打し始めたのだ。 「いけないっ」 和葉は急いで教室を飛び出した。 誰もいない水場で、海堂は頭から水を被っていた。 「海堂君」 突然声をかけられ、驚いて顔を上げる。 怒ったような顔で立っている和葉に、海堂は辺りを見回した。 「さっき殴っていた膝、見せて」 「ーーーあ」 どうやら自分に話しかけている事に間違いがないと確認すると、近づいて来る和葉の姿に一瞬怯む。 まだ動けないでいる海堂の前に素早くかがみ膝の様子を見ると、青紫色にうっ血し切れて血も出ていた。 「そこに座って」 「はい……」 言われるまま水場の淵に腰をかけると、和葉は持っていた救急箱を開いて慣れた手つきで手当を始めた。 「負けたから悔しいのは分かるけど、自分の不甲斐なさを自傷行為に向けるのはプレーヤーとして褒められた行動じゃないわよ」 「ーーーすんません」 「でも、よく走り込んでるわね」 そう言って微笑みながら海堂のふくらはぎや太ももの筋肉を確かめる。 しっかりと筋肉の付いた下腿三頭筋や大腿四頭筋。まだ中学2年生という年齢を考えれば、無理をせずじっくりと育ててやりたいと思う。 これだけスタミナを付ける努力をしているのだ、そのスタミナ勝負でたかだか一年坊主に負けたのはさぞ悔しかっただろう。 「えっと、練習メニューは乾君が組み立ててくれてるんだっけ?」 「はい……」 初めてまともに話した和葉に、人見知りの激しい海堂は戸惑っていた。 怖い顔と乱暴な物言いで自分に話しかけて来る女子は少ない。そんなことなどまるで気にしない和葉は、年齢よりも随分と年上に感じられた。 大人だな、と海堂は思った。 「メニュー以上の事を急にやりすぎないようにね。よし、これで終わり」 「あ……ありがとうございます」 ぼそりとそれだけ言うと、海堂は頭を下げて和葉の前から去って行った。 照れているらしいその顔に、つい頬が緩む。 和葉は楽しかった。 こんなにテニスに必死になる少年達がいるということが。 そしてリョーマが、もっとテニスを好きになってくれるといいと、そう思った。 続く… 次へ → 地区予選開始 お帰りの際は、窓を閉じてくださいv 青春学園トップに戻る
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Session4 あれから毎日、今までと同じように忍足は和葉にメールを送っていた。電話もたまにした。それがもう日課になっていて、和葉の事をもっと身近に感じられるようで楽しかった。 料理が好きだという事や、動物が好きだという事、子どもの頃に少しだけテニスをしていた事や今はヨーロッパに戻ってしまった両親の事。 たくさん和葉の事を知った。 しかし、当たり前だが跡部に聞いた兄の話は出なかった。 忍足はいつか和葉の口から直接聞ける日が来るのだろうかと思った。そうなってくれたら、例えどんな状況だろうと和葉を受け止めたいと心から思った。 そして今日、久しぶりに忍足はdigへとやって来た。 「いらっしゃい、侑士君」 もうすっかり怪我も治り、笑顔で迎えてくれた和葉に笑顔を返す。 「こんばんは」 カウンターのピアノがよく見える位置に腰を下ろすと、忍足はテーブル席に座る男に目を留めた。 !? そこにいたのは、あの日、和葉を殴ったあの男。 驚いて体を強ばらせた忍足に気付いた和葉とマスターは、大丈夫と目で訴える。 「でも……」 「大丈夫です。侑士君、今日はコーヒーでいいですか?」 二人が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのかもしれないが、それでもやはり心配だ。 「ああ……」 気付けば店内には客が溢れていて、狭いながらに大変盛況だった。 「じゃあ、そろそろ」 「はい」 和葉が一段落した所でカウンターから出て新しく据えられたピアノへと向かう。大きな拍手がわき起こり、忍足は心なし緊張した。 いつもはこんなに客が多いんやなあ。 ポロン…… と、ピアノの音色が和葉の指から紡ぎ出される。 なんだか不思議な曲だ。 「Here Come De Honey Man?……珍しい曲を弾くなーーー」 小さく、本当に独り言として呟いたマスターに、忍足は首を傾げる。 切ないような、何かを訴えるようなそのメロディーに、店内の客の誰もがうっとりと聞き入っていた。 ジャズというのは、基本的なメロディーとコード進行以外は奏者達のソロだと思って良いと教えてもらった。忍足にはどこがソロパートなのかは分からないのだが、客が曲の途中で拍手を送ることがあるので、恐らくその前に弾いていたのがソロなのだろう。 しかし、ソロというのは楽譜に乗っていない、演奏者が自由に弾くパートなのだが、和葉のそれは思いつきで演奏しているとは思えないほど上手だと思う。 もしかしたらジャズだけでなく、音楽をする人たちに取っては当たり前の事なのかも知れない。 そう考えると、次から何か曲を聞く時はメロディーとソロの違いを真面目に聞き分けてみるのも面白いと思えた。 30分ほどの一回目の演奏が終わると、ピアノの前に座っていた例の男が立ち上がり、大きな花束を和葉に手渡した。 少し驚いて、それでも和葉はその花束を受け取ると笑顔で何か言った。 拍手で二人の会話は聞こえなかったが、その姿を見て本当にもう終わったのだと、忍足はほっとした。 「今日はハンコックばっかり弾くの?」 戻って来た和葉に、忍足の隣りに座っていた40代くらいの男性が尋ねた。 「いえ、そういう訳では……次はもう少し違った曲を弾こうと思っています」 はんこっく? 不思議そうな顔をしていたのだろう。マスターがくすりと笑って忍足に教えてくれた。 「ハンコックっていうのは、ピアニストの名前だよ。Herbie Hancokって言うんだ。和葉ちゃんが好きなアーティストなんだ」 「へえ」 「さっきは全部ハンコックの曲だったから、今日はハンコックだけしか弾かないのかと思ったんだよ」 隣りの男性が言った。 「なるほど」 「何か意味でもあるの? 一番最初にHere Come De Honey Manだったっけ? あれ弾いてたけど」 「だから本当に特に意味はないんですよ。私が弾いたらおかしいですか?」 少し困ったような恥ずかしいようなそんな複雑な顔をして、和葉が隣りの男性に言っている。 「いいや、全然。今までにないパターンだったから、面白かったよ。ところで、あの話はちゃんと考えてくれた?」 あの話? すっかり会話に置いてきぼりだった忍足の耳に、気になる単語が届いた。 「あ……その話は、今はーーー」 「え? 何かまずかった?」 「すみませ~ん、注文いいですか~?」 「はい!」 男性の質問に和葉がばつの悪そうな顔をしていると、向こうから客が手を振った。それに答えて慌てて和葉はカウンターから出て行った。 いまいち和葉の反応の意味が分からなかったが、話したくなさそうな雰囲気を見ると、あまり楽しい内容ではないのかもしれない。 チラリと時計を見ると、10時になろうとしていた。 「あ、マスター、俺そろそろ帰ります」 忍足が立ち上がると、丁度注文を取った和葉が戻って来た。 「侑士君、帰るんですか?」 「ああ、お子様は早よう帰って進級試験勉強せんとな」 そう言って笑ってみせた忍足に、和葉は微笑んだ。 「マスター、おあいそしてください」 「いいんですよ。また来て下さい」 「いや、そう言う訳にはいかん」 財布を取り出した忍足の手をぐいと押し戻す和葉に、強い口調で言った。 「駄目です!」 負けじと和葉も強く言い返す。 じっと見上げる和葉の顔に、忍足はため息を吐いた。 「かなんなあ……ほんまに頑固な人や」 「子どもは大人に甘えたらいいんですよ」 そして二人で店の外へと出た。 「さっき、隣りの人が言うとった、あの話っては、俺が聞いたらあかん話?」 店の前で忍足はつい尋ねてしまった。和葉はちょっと驚いたが、すぐに笑った。 「いえ、いけないという事は無いんですけど……さっき侑士君の隣りに座っていた方、大手会社の音楽プロデューサーなんです」 「へえ」 「それで、私がインディーズで出してるアルバムを聞いて気に入って下さって……」 「すごいやん。ほんならメジャーデビューの話かいな?」 忍足が心底嬉しそうに言うのを見て、和葉は何故か悲しそうに笑った。 「ーーーええ。メジャーでアルバムを作らないかって誘って下さって」 「ほんまかいな! なんや俺まで緊張して来たわ」 「まだきちんと返事はしていないんですけど」 「なんでや。速攻返事したらええやん! そんなええ話、滅多にないんとちゃうか? アルバム発売する時は絶対に教えてや? 俺、たくさん買って配るし」 満面の笑顔の忍足を見ていると、和葉も嬉しくなって来た。こんなにも自分の事で喜んでくれている。 「ふふ。気が早いですけど、もしそうなったら侑士君には私がプレゼントします」 「またそうやって俺を子ども扱いしよる。CD買うくらいの小遣いはもっとるから心配せんでもええって。おっと、その小遣いくれる親が待っとる家に帰らないかんかった。ほんなら、またな」 「ふふ。はい、おやすみなさい」 手を振って長い足で颯爽と歩いて行く忍足の後ろ姿を見つめながら、和葉は小さくため息を吐いた。 「大人の私がしっかりしないで、どうするの」 忍足の中で、進路はもう決まりつつあった。本腰入れて勉強すればぎりぎり医学部の試験にも合格するだろう。 先月まで悩んでいたのが馬鹿らしく思えて来る。 実際大学に進むという方向へはなんとなく決めていた。ただ、誰かに背中を押して欲しかったのだ。 テニスはもちろん続けたい。だが、プロはそんなに甘い世界じゃないことも十分分かっていた。上には上がいる。もちろんそれに追いつく為の努力をする覚悟だってなくはない。這いずり回ろうがかっこわるかろうが、努力することには意味があるのだから。 だが、ただ親が医者だというだけで自分も医者になるというのが、自分の意志が無いみたいで嫌だったのだ。 別に医者になるのが嫌な訳ではない。親を尊敬しているし、医者という職業も素晴らしいと思う。 和葉に会って、忍足は力になりたいと思った。側にいて、心の支えになりたいと思った。 いつ何があっても駆けつけてやれるぐらいの甲斐性を持った男になりたいと。 怪我をしている和葉を見た時は、心の底から何も出来ない自分に歯がゆさを感じた。怪我をすぐにでも治してやりたいと本気で思った。 そう、自分の手で守ってやりたかった。 どうして出会って間もない和葉にこんなに入れ込んでしまっているのかは分からない。 綺麗な顔だからと言われたら、奇麗な顔をした女性ならいくらでもいるし、もっと性格が会う女友達もいる。恋愛は理屈じゃないのかもしれない。 それにどちらかといえば忍足は和葉よりもう少し明るく元気な女の子がタイプだ。 だがメールのやりとりや電話での会話で、藤森和葉という人物を知れば知る程惹かれて行った。だから、大学に行って医者になって、和葉そのものを内側と外側の両方から守りたいと強く思うようになったのだ。 「忍足。お前何急に勉強に力入れてんだよ」 「やかましいわ、俺は決めたんや。医学部に行って医者になるんや」 図書室で勉強をしているのは忍足と同じテニス部の仲間で同級生の宍戸亮だ。 ここ最近忍足の勉強の仕方は半端ではなかった。別に普段からいい成績を取っているのだから、そんなに必死にやらなくても大学までエスカレーター式に行ける氷帝では余裕で試験は合格するはずだ。 だが、どうやら本気で医者を目指すつもりらしい目の前の胡散臭い伊達眼鏡男に、宍戸は思ったままをぶつけてやる。 「お前みたいな変態に診察される女の患者は可哀想だな。俺が旦那や彼氏だったら絶対にお前には看てもらわんように、別の病院を選ぶ」 「お前ほんまに失礼なやっちゃな。俺みたいなイケメンドクターがおったら、病院は繁盛する事間違いなしやろ」 「良く自分で自分の事をイケメンだなんて言えるな。図々しいーーー問題起こしても絶対に俺の所には頼って来るなよ」 「起こすか、アホ。医療ミスせんようにするためにしっかり勉強するんやないか」 「誰が医療ミスっつったよ? 看護士や患者に手出しまくって病院を修羅場にするって事だろうが」 忍足は少し赤らんだ顔でそう言い切った友人に、全身の力が抜けて行くのが分かった。 恥ずかしいのなら言わなければいいのに。 「俺、そんなに女たらしに見えるんか?」 「たらしてんじゃねえか」 「いつたらしたんや」 「お前のファンの女、ほとんど全員が忍足の手つきって聞いたぜ?」 どこのどいつや、そんなホラをさも当然のように広めた奴は…… 「しかもなんでお前俺やなくて他人の噂を信じてんねん。ありえへん」 「あれ? 違うのか?」 意外だとでも言わんばかりの宍戸の顔面に、思い切り握っているシャープペンをぶつけてやりたくなった。が、我慢する。 「ファンの子に手なんかつけるか、アホ! そんなん手だしまくってとっかえひっかえしてるんは跡部だけや」 「俺様が何だって? あ~ん?」 ものすごいタイミングで現れた俺様……もとい、跡部に、忍足は大げさにため息を吐いた。 こらこら、何顔を赤くしとんねん、宍戸! 目の前の宍戸は忍足の言った事を信じたのか、頬を染めて跡部から視線をそらしている。純情な男だ。 「俺はお前と違うて、ファンの子に手は出さんって話や」 「はっ! 俺様を下賤な奴らと一緒にするな。俺様は俺様に似合う高貴な女以外に興味はねえ」 「あ~はいはい、コウキね。もうええから用がないんやったらさっさと向こうに行ってくれ。勉強の邪魔や」 「何の用もないのに俺がお前を探しにわざわざ来るとでも思ってるのか? そんな暇じゃないぜ」 「せやったら早う用件を言え」 偉そうにふんぞり返る年中脳内春男に、忍足はイライラをどこまで我慢出来るか自分と戦ってみる事にした。 「そうだな。まあ話してやってもいいが、ここで話してもいいのか?」 「はあ?」 一体何がしたいんや、この男は。あかん、さっき我慢しようと思ったのに既に切れそうや。俺って我慢出来ひん男やったんやな。 「お前が良いってんなら、別に俺は構わないぜ」 「もったいつけとらんでさっさと話せや」 ほんまに切れそうや。 そうかと呟いて、跡部は手前の椅子に座ると、偉そうに座った。 「和葉の事だがーーー」 「ちょっと待ったーーーー!!!!!」 「うおっ!?」 忍足が突然大声を出したので、宍戸は驚いて椅子から落ちそうになった。 跡部も驚いてる。 「静かにして下さい!」 当たり前だが図書委員に怒られた。 「あ、すんません……」 頭を下げて、忍足は跡部の後ろに回って腕を掴んだ。 「こんな所で話しなや。場所変えるで」 「何だよ、それなら最初からそう言えばいいじゃねえか。面倒くさい奴だな」 どっちがや! 最初に和葉さんの話や言うてくれたら図書委員にも怒られずに済んだんやないか! このアホ! 誰の所為やっちゅーねん! と思ったが、言うとまた話がややこしくなるのでぐっと堪えた。 やっぱり俺、偉いわーーー 忍足の涙ぐましい努力のおかげで、妙に楽しそうな跡部は黙って着いて来た。 宍戸一人、訳が分からないまま図書室に取り残されていた。 「で? 和葉さんの事ってなんや?」 二人がやって来たのは屋上だった。秋の風が校舎の上を吹き抜ける温度が丁度良い。 「お前、和葉がメジャーデビューするって話、知ってるか?」 「ああ、聞いたで」 「じゃあ、アメリカに行くってのは?」 「は? レコーディングってアメリカでするんかいな」 「まあ、そうだが、そうじゃなくて……」 どっちやねん。 相変わらず高圧的な態度なくせに言い淀む跡部に、忍足は再びイライラが爆発しそうになる。 「本当に知らないんだな?」 「だから何がや?」 「アメリカでメジャーデビューするから、今月末には日本を発つ。それからは向こうを拠点にして活動するんだそうだ」 「は……?」 跡部の言っていることが良く分からない。 アメリカでメジャーデビューするから、アメリカに行く。 ーーーーーーアメリカを拠点に活動する? それって、もしかして…… 漸く気付いたらしい忍足に、跡部がふっと不適な笑みを寄越した。 「和葉はアメリカに住むってことだ」 「な、なんやてっ!? 嘘や、この間はそんな事一言も……っ!?」 この間店の外で話した時、デビューの話かと尋ねたら、和葉は一瞬悲しそうな顔をした。もしかしたらそれはアメリカに住む事を指していたのではないか。 「この話は実は結構前からあったんだ。だが、和葉がまだ日本にいたいからって断ってた。ところがアメリカのレコード会社の上の方から、今年中にアルバム制作に取りかかりたいとせっつかれて、ここ数日でやっと決心したらしい」 もしかしたら和葉がアメリカに行く事を決心したのは、忍足がdigに行った日なのではないかと思った。 「アメリカ……」 ちょっと会いに行くという距離ではない。忍足は跡部を睨んだ。 「だから言っただろ? 和葉はやめておけって」 結構前からあった話というなら、和葉の家に行ったあの時にはもう既にこの話を跡部は知っていたのだろう。 友人としての跡部なりの配慮だったのかも知れないが、もう時既に遅しである。 「無理やーーー」 「あ~ん?」 「和葉さんの事、諦めるやなんて俺には出来ん」 「お前……」 「本気で好きになってしもうたんや。あの人は、俺が守るって決めたんや」 自分自身に言い聞かせるようにつぶやく忍足に、跡部は一瞬目を見開く。そしてすぐに呆れたように首を振ると、ため息まじりに言った。 「勝手にしろ。和葉がお前に惚れるなんて、まずないだろうがな」 「今の言葉、忘れんなや」 再び風が吹いて、忍足は無意識のうちに走り出していた。 続く… 次へ → .5 お帰りの際は、窓を閉じてくださいv 氷帝学園トップに戻る