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私は、「右派」「右翼」「保守」を次のように使い分けています。・右派とは伝統・慣習を尊重する人々を広くさす言葉であり、その中に保守および右翼が含まれる。・社会全体が単一の目的のために組織化される「集産主義」を正当化するために伝統や愛国心、民族主義を強調するのが右翼。・自由な社会の存立のためには伝統・慣習や(健全な)愛国心が不可欠だと考えるのが保守。同じ右派の中でも保守と右翼の亀裂はかなり深いと私は思います。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-03-02 12 46 20) 当サイトは保守右派。敵視している反日マスコミはリベラル右派。非常に親和性高い筈なのに何故か敵視されている。所謂同族嫌悪。極左(リベラル左派)は問題外。矢張り極右(保守左派)が最良なり。 -- 名無しさん (2013-07-15 16 12 02) 反日マスコミは左翼、右寄りに見てもリベラル左派だと思いますが -- 名無しさん (2014-09-08 12 25 30) 極右が最良と申された方、上の高校生(にしてはかなりレベルが高いですね・・・)のコメントを見返してみてください。もし極右がよろしいのなら、近衛内閣をかなり肯定的に見ないと矛盾する気がしますけど・・・その説明はできますよね?あと政治の知識で誤解してませんか?極右に分類されるヒトラーでさえも、極左に傾倒していた時期がありますがそれはいかがです? -- 名無しさん (2014-09-28 01 14 57) 非常に偏ってる印象です。偏っている理由は簡単本来リベラル右派、リバタリアンとの隣接政治主張であるアナキズムを無視してます。つまり本来二軸グラフ上の点で表現される筈の政治主張を無理やり円形にしている事が間違っているのです。有る意味危険主張で有るアナキズム外す事で保守左派を罵倒する意図が見えます。円形にしたら真ん中にアナキズムが来てしまいますからね。 -- 名無しさん (2016-05-03 03 50 02) 日本は1945/8/15に終了したと思っているので、もうどうでもいいんです。 -- 名無しさん (2016-09-02 13 59 10) 近代日本の右翼の原型は頭山満の玄洋社。その玄洋社が「 皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の主権を固守すべし」の理念の下で「自由民権運動」に参加した。 br()彼らは「革新右翼」とでもいうべきか。 -- 名無しさん (2016-09-03 09 34 40) こいつらよりまだマッカーサーのほうが知的だな・・・ -- 名無しさん (2018-08-24 05 18 42)
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【関連】反日主義者の精神構造 工作サイトリスト 反日工作員の正体 2ch工作の正体 当サイト隠蔽工作の正体 反日ブログリスト 当サイト隠蔽工作の正体・Yahoo!(ヤフー)の正体・ネット右翼の正体 24時間テレビ「愛は地球を救う」の正体 「「愛国詐欺」詐欺」に注意 <目次> 左翼(サヨク)の言動を動画で知る【必見!!】左翼(排外主義者を許さない人達)VS在特会福岡支部(愛国者) 左翼の演説 序文 扇動(せんどう)被害妄想 加害妄想 陰謀論 こじつけ 悪魔の証明の要求 決め付け 曖昧さ 実例扇動(被害妄想) 扇動(加害妄想) 扇動(陰謀論) こじつけ 悪魔の証明の要求 解説 弱者の種類特に問題を起こさない弱者 弱者ではないのに弱者を演じる者たち 跋文 参考ブログランキング応援クリック 左翼(サヨク)の言動を動画で知る 【必見!!】左翼(排外主義者を許さない人達)VS在特会福岡支部(愛国者) ★左翼の正体や手口がよくわかる動画です 討論参加者【左翼】 青柳信行 氏 ・綛谷智雄 氏 【在特会福岡支部 】先崎 氏・女性会員2 3 4 5 6 7 左翼の演説 http //www.nicovideo.jp/watch/sm10984714 左翼集会【社民党】在特会の外国人差別・思想差別は、戦争に繋がる 序文 | 左翼の言論方法は、実に卑怯なものばかりが目立ちます。人の心情・良心に訴えかけて論理的な正確性を煙に巻いているのです。ここにその例を挙げてゆきます。ちなみに、「卑怯を憎む」というのは武士道の教えの一つでもあります。卑怯な言論に惑わされず、あくまで正確性・信憑性を重視してください。 | 基本的に左翼の言論は三つの段階を踏んで行われます。「前提」「要求」「防衛」です。まず、「前提」を提示し、それに基づく「要求」を出し、最後に反論を封じるための「防衛」をやります。この段階が踏まれない物も含め、次に左翼の言論の型を列挙します。 扇動(せんどう) | 大衆を不安にさせて支持を得る手口です。 被害妄想 前提「私は被害者である。(あなたは加害者である。)」 要求「だから、私に謝罪・賠償をせよ。」 防衛「苦しみを乗り越えて必死に訴えている被害者を批判するとは。何て冷酷なんだ。」 加害妄想 前提「私は加害者である。(あの人は被害者である。)」 要求「だから、被害者を助けてやってください。」 防衛「加害者本人の自供なのだから間違いないじゃないか。」 陰謀論 前提「権力は何かを企んでいる、隠している。」 要求「騙されるな。」 防衛「権力を支持する者、私に反対する者は工作員である。」 こじつけ | これは「正当な政策・制裁・批判」を、「差別・弾圧」や「特定の思想・主義・宗教」等へこじつけて、相手の言論を封じこめる手口です。こじつけた後に、「扇動」の『被害妄想』へつなげるのが常套手口です。 悪魔の証明の要求 | 悪魔の証明とは、科学哲学上の概念で、「『存在しない』という事を証明するのは困難である」という考え方です。裁判の場で、普通は原告が被告へ悪魔の証明を求めない物です。原告には罪の存在を証明する責任はありますが、被告には身の潔白を証明する責任はありません。これを「挙証責任(きょしょうせきにん)」または、「証明責任」といいます。 | これは、悪魔の証明を要求し、自らの挙証責任を逃れようとする手口です。 決め付け | ネット左翼は「右翼は低学歴で肥満である」と決め付けます。全く根拠がありませんし、仮に根拠があっても、右翼の言論が否定される材料にはなりません。戦前・戦中は右翼が左翼を「売国奴」とレッテルを貼っていました。その中には根拠が無い物もあったことでしょう。しかし、戦後は左翼が右翼を「右翼」「国家主義者」「ファシスト」というようなレッテル貼りをしています。戦前・戦中を本当に反省していないのは左翼じゃありませんか。余談ですが、三島由紀夫は東京大学法学部を卒業しており、ボディービルダーもやっていました。 曖昧さ | 例えば、左翼は従軍慰安婦問題について「軍が強制連行をした」という主張をしていたのに、後に「軍が強制連行に関与した」という主張に変えています。当時、慰安婦募集の為に、女衒(ぜげん)と呼ばれる民間業者が、「軍の了解がある」と騙して強制連行した事例があり、これに頭を悩ませた軍が業者を取り締まった事を示す文書があるのですが、左翼はこの文書を根拠として「軍が強制連行に関与があった」としているのです。 | 辞書的な意味で考えれば、たしかに「関与」はしているのです。しかし、関与した「目的」は、「取り締まる為」であって、「強制連行する為」ではないのです。そもそも、売春業という物は性病等の衛生的なリスクがあるので、国家が責任を持って売春業者に関与するのは当然の事であり、国家と売春業者との間の「関与」を一切無くしてしまっては、健全な衛生状態を保つ事ができません。現在でも風俗業を開業する為には、風営法という法律の下に、行政機関である警察から許可をもらわないと開業できないのです。今でも警察は風俗業に「関与」しているわけですが、この制度を無くす事はできませんよね。 | 関与した事そのものに問題はなく、「どう関与したか。」「なぜ関与したのか。」というが問題なのであり、現時点で強制連行する為に国家が関与した事実はありません。「関与」という言葉で曖昧のままに軍に冤罪を押し付けようとするのが左翼の手口なのです。沖縄線集団自決軍命令問題においても同じように、「関与」の二文字を用いられています。もう騙されないでください。 実例 | 上記に挙げた手口を実際の問題に当てはめて考えてゆきましょう。 扇動(被害妄想) 前提「私は日本軍に強制連行されて慰安婦にさせられた。」 要求「だから、謝罪・賠償をしろ。」 防衛「お婆さんが泣きながら訴えているんだぞ。嘘ついてるはずがない。」 扇動(加害妄想) 前提「私は慰安婦狩りをした。」 要求「申し訳ないから、元慰安婦に賠償してやってくれ。」 防衛「強制連行の当事者である元軍人の自らの告白なのだから間違いないはずだ。」 扇動(陰謀論) 前提「日本に都合の悪い慰安婦の史料は隠されている(燃やされた・埋められた)。」 要求「『証拠は無い』と言う否定派に騙されるな。」 防衛「従軍慰安婦否定派は国の工作員である。」 こじつけ 「日本の竹島領有権主張は、日帝の植民地支配を正当化している。」 「日本の竹島領有権主張は、日本人が韓国人に持つ差別感情の表れである。」 「日本の竹島領有権主張は、軍国主義復活の兆しである。」 悪魔の証明の要求 「慰安婦を強制連行していないなら、『強制連行していない』という証拠を出してみろ。」 「『強制連行していない』という証拠が出せなければ、『強制連行した』という事になる。」 解説 | ほぼ全てに共通する点は「自分は弱者、相手は強者であると決め付ける。」という点にあります。 | 「弱者」というのは信頼されやすいです。しかし、「弱者を批判する者」は、世間から「冷血」「冷酷」等と見られてしまいます。自分が「弱者」を演じ、攻撃対象を「強者」と明確に位置づけることで、強者扱いされたものは誰に何を言っても全く信用されなくなってしまうのです。 あの三島由紀夫も、ちくま文庫『文化防衛論』(筑摩書房 刊)でこう指摘しています。※11頁より引用 三、われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきたことを洞察した。 いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。 不安、懐疑、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒き散らし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。 空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もっとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透してきたのがかれらの遣口である。 | よく「男は女の涙に弱い」なんて事を聞きます。特に日本人というのは「場の空気を読む」という事に気を使いますね。また、武士道においては「弱者には哀れみの情を持って接しよ」との教えがあります。左翼はこういう日本人の国民性をうまく突いた言論方法を使っているのです。こういうのを「狡賢い(ずるがしこい)」と言います。いくら言論の自由と言っても、卑怯な言論は排除すべきだと思います。「自由」とは「何もかもが全て好き勝手し放題」というわけではありませんから。 弱者の種類 特に問題を起こさない弱者 高齢者 障害者 傷病者 弱者ではないのに弱者を演じる者たち 女性―極端なフェミニズム主義・過剰な女性優遇政策に関する正当な批判・抗議を「女性差別」にこじつける問題など。 子供―学校において「親や教育委員会に言いつけるぞ」などと脅迫する子供の問題など。 被差別部落民―同和利権に関する正当な政策・制裁・批判を「部落差別」にこじつける問題など。 在日朝鮮人―様々な問題に関する正当な政策・制裁・批判を「民族差別」にこじつける問題など。 跋文 | どうでしょうか。左翼の言論というのは、実に卑怯だと思いませんか? こういう手口の恐ろしい所は、 人の感情に訴えかけられる。 反論を封じる事が出来る。 の二点が挙げられます。これを読んでいる皆さんは、常に心の片隅にこの事を置いておき、右翼・左翼に関わらず、卑怯な言論に惑わされない癖をつけてくださいね。 参考 左翼がサヨクにさよく時 サヨクが生まれた経緯 サヨクの心理 サヨクの分類 サヨクの自己評価 日本の社民党共産党はヨーロッパの社会民主主義諸政党とは全く異なる 外圧を呼び込むことで国内政治を動かそうとする売国病理 特定の事例のみをデフォルメ&曲解し、戦前罵倒に結び付けて悪宣伝というサヨクのやり口 左翼とサヨクの違い サヨクの主張を検証 サヨクの妄想癖 「平和憲法を守れ」にあるバレバレな嘘 話にならないサヨクとの論争 社会主義は間違っている サヨクが引き起こす凄惨な社会問題 サヨクであるという点のみをもって人間性そのものを否定するべきでない 支那の軍事パレードに参加し「パワフルで勢いのある『中国』を実感しました」と賞賛した社民党土井たか子氏 ブログランキング応援クリック 国民に反日の実態を知らせたい方は ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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1. 在野右翼の登場~アジアの革命支援(孫文の中華革命・アギナルドの比国独立・B.ボースの印度独立etc.) (1) 頭山満 (1855-1944)と玄洋社(1881結成-1946解散) 頭山は福岡藩士の子で、西郷傘下の矯志会で学んだが西南戦争中は萩の乱に連座して入獄しており死を免れた。出獄後に民権・国権伸張運動に加わり、政治結社玄洋社を結成し、東亜連帯による欧米列強の排除・アジア諸国の独立を信念として晩年まで精力的に活動した。 (2) 内田良平 (1874-1937)と黒龍会(1901結成-1931改組) 内田も福岡藩士の子で、玄洋社幹部であった叔父平岡浩太郎の影響を受けて右翼運動に加わり、大陸雄飛の為の組織として黒竜会を結成。孫文らの辛亥革命では最強の戦力となって革命に貢献したが、孫文の満州割譲の盟約の撤回にあい、満州独立論に転じた。 2. 経済恐慌と右翼思想の軍部への浸透 (1) 大川周明 (1886-1957)と5.15事件(1932.5.15) 頭山・内田は思想家である前に活動家であったが、大川周明は国家社会主義(大資本家による経済搾取の排除・政党政治の打破)とアジア主義(アジア諸民族との連携と日本の主導による有色人種の解放・西洋文明との決別)を思想として唱え、1930年前後の経済恐慌期に貧しい農村出身者の多い軍部に強い影響力を及ぼした。1932年には大川の日本改造案の実行を企てた一部の海軍将校と愛郷塾(農本的国家主義者の結社)塾生らが5.15事件(犬養毅首相を射殺したクーデター事件)を起こして、政党内閣制を崩壊させた。 (2) 北一輝 (1883-1937)と2.26事件(1936.2.26) 北一輝は佐渡の出身で初め幸徳秋水・堺利彦の社会主義運動に関心を持っていたが、大陸浪人の宮崎滔天らと知り合い、内田良平・孫文らの中華革命運動に参加。『日本改造法案大綱』を発刊(1923)してアジア主義と国家改造論を唱え、陸軍青年将校に強い影響力を及ぼした。1937年に2.26事件(国家改造を目指す皇道派将校が1500人余りの部隊を率いて首相官邸などを襲撃、斉藤実内相・高橋是清蔵相などを射殺したクーデター事件)が発生すると反乱将校達の理論的首謀者として検挙され刑死した。 3. 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召 (日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学 (日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語を『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智 (浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、 欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され 、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 4. 思想統制の開始~マルクス主義への対抗イデオロギーとして (1) 天皇機関説事件 (1935)と国体明徴運動 上杉慎吉博士の天皇主権説に対抗して、美濃部達吉博士が唱えた天皇機関説は1920年前後の大正デモクラシー期には学界の通説となっていたが、1930年代の経済恐慌期に国家主義的な右翼思想が勢力を増すと、右翼団体の過激派が天皇機関説を「不敬」として美濃部博士を襲撃し重傷を負わせる事件が発生(天皇機関説テロ事件)。国会でも美濃部博士の説を攻撃する議員が現れ、さらに政府に対して「国体明徴」(統治権の主体は天皇にあることを明示すること)を要求する動きが発生し、政府はこれを呑んで美濃部博士の天皇機関説は破棄され、博士は貴族院議員を辞職、天皇機関説を述べた著書3冊は発禁処分とされた。 (2) 『国体の本義』刊行(1937) 1930年前後に上に述べたような右翼思想が提唱され伸張した背景には、①経済恐慌の進行、という要因の他に、その経済恐慌による貧困を解決する思想としてマルクス主義思想が急速に知識人・学生層に拡散しており、②それに対抗するイデオロギーとして(頭に天皇を頂くだけで、中身は実は殆ど同じの)国家社会主義的な思想が必要だった、という現実からの要因があった。そうしたマルクス主義思想への対抗イデオロギーとしての日本国家の公定の国家観を示すガイドラインとして、1937年には『国体の本義』が刊行された。 5. 支那事変と国家総動員体制~全体主義化の進行 (1) 近衛文麿内閣 (1937-38,1940-41)と新体制運動 1936年の2.26事件のあと、広田弘毅・林銑十郎内閣と続いたが、いずれも陸軍・海軍・財界・政党人の意見調整に失敗し内閣崩壊。元老・西園寺の推薦の下に、各界の期待を担って近衛文麿内閣が発足し、難局に当たることになった。(第一次近衛内閣)近衛内閣は発足してまもなく後に支那事変の勃発に見舞われ、戦線不拡大方針を声明しながらも、ズルズルと大陸内部への戦争に引きずり込まれ、1938.12の汪兆銘(中国国民党左派で蒋介石のライバル)の重慶脱出を契機に総辞職した平沼騏一郎・阿部信行・米内光政各々の短期内閣が続く期間に、近衛は、陸相・海相・外相候補を私邸に招いて方針を調整し(荻窪会談)、1940年7月第二次近衛内閣を組閣。政治・経済の全体主義化を進めて非常時乗り切りを図ったが、支那事変の解決の目処は立てられず、米英蘭の経済封鎖を招いて日米破局に至った。 (2) 国家総動員法成立・東亜新秩序声明(1938) 1937年から38年にかけて支那事変が始まると、近衛内閣は国家総動員法を成立させて国内の経済統制に着手せざるを得なくなった(経済の全体主義化)。近衛内閣は更に欧米列強のブロック経済圏に対抗して、日満支3国による東亜ブロック(東亜新秩序)建設を声明した。 (3) 大政翼賛会 結成(1940) 政党政治は1932年の5.15事件を経て、36年の2.26事件を持って機能をほぼ停止し形骸化していたが、国家総動員体制の非常時において、更に一国一党の翼賛政治が望ましいとする近衛首相の提言に従い、各党は解散して大政翼賛会に集結した(政治の全体主義化)。 (4) 企画院 ・ 昭和研究会 ~ 革新官僚 の暗躍 近衛内閣の新体制運動を具体的に企画するブレインとして尾崎秀実・蝋山政道・三木清・風見章・和田博雄・勝間田清一ら昭和研究会に集った革新官僚が台頭し、企画院を拠点として総合的な国策企画に当たったが、その実態は尾崎・蝋山・和田・勝間田に代表される国家主義者に偽装した左翼社会主義者の暗躍であった。1941年4月には企画院に対して財界・右翼から赤化思想を疑う声が挙がり、翌年1-4月に和田・勝間田など17名が検挙されるに至った(企画院事件)なお近衛のブレインの尾崎秀実はソ連のスパイ・ゾルゲと通じた工作員であり、尾崎に近い西園寺公一(元老・西園寺公望の孫)も工作員の可能性が高く、近衛の日支和平工作・日米交渉妥結を妨害したとみられる。 6. 敗戦と右翼運動の壊滅~現在まで (1) 赤尾敏 (1899-1990)と 大日本愛国党 (1951-) 赤尾は愛知県出身で先ず社会主義に目覚めて東京の左翼運動に参加したが、仲間の裏切りに遭い検挙され、釈放後に右翼国家主義者に転向した。1942年の翼賛選挙で衆議院に当選。戦後に公職追放され、その解除後に大日本愛国党を結党(1951)し、東京銀座で一貫して反共反ソを訴える街頭演説を行って戦後の右翼活動家の代表的存在となった。 (2) エセ右翼団体 の暗躍 GHQの命令により、頭山満系の玄洋社・内田良平の黒竜会の流れを引く大日本生産党などの伝統的な在野右翼結社は解散させられ、右翼運動は壊滅した。そうした状況の中で、朝鮮右翼・同和系右翼が進出(右翼運動を乗っ取り)、愛国者のイメージ・ダウンを狙いとする下品な街宣活動を常態化させ一般国民に「右翼=基地外」という認識を刷り込んでいる(現状では、 右翼団体構成員の約3割が朝鮮系、約6割が同和系 (左メニュー上部の動画参照))。本来の右翼は国粋主義にも係わらず、明治神宮や靖国神社、果ては皇室行事まで妨害するエセ右翼、中国や北朝鮮・朝鮮総連がピンチになると自作自演の異常な抗議活動を行い「日本人=加害者」というイメージを刷り込む御用右翼まで登場している。 (3) 維新政党新風 と「行動する保守」運動の登場(2007-) 上に述べたように戦前/戦後を通じて伝統的な右翼は「アジア主義(アジア諸民族との連携による排欧米主義)」を色濃く打ち出しており、それが戦後の朝鮮系による右翼乗っ取りにも繋がったのだが、近年 「アジア主義との決別」を宣言する新しい右翼運動 が登場、中共のチベット弾圧に対する抗議活動や朝日新聞など反日メディアに対する糾弾、外国人参政権問題・不法滞在外国人問題の告発・一般国民への啓蒙活動などに大きな役割を果たしており、今後の動向が注目される。 人物やキーワード紹介として主にwikipediaをリンクしていますが、一般にwikipediaの内容は歴史問題の説明に関しては教科書的な自虐史観に偏っていることにご注意下さい。(関係する事件の発生日時や人物名などについては正確であり、また参考となる膨大な情報が詰まっているので、研究用として敢えてリンクしています) 参考リンク: 日本の右翼
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【関連】反日主義者の精神構造 工作サイトリスト? 反日工作員の正体 2ch工作の正体 当サイト隠蔽工作の正体 反日ブログリスト? 当サイト隠蔽工作の正体・Yahoo!(ヤフー)の正体・ネット右翼の正体 24時間テレビ「愛は地球を救う」の正体 「「愛国詐欺」詐欺」に注意 <目次> 左翼(サヨク)の言動を動画で知る【必見!!】左翼(排外主義者を許さない人達)VS在特会福岡支部(愛国者) 左翼の演説 序文 扇動(せんどう)被害妄想 加害妄想 陰謀論 こじつけ 悪魔の証明の要求 決め付け 曖昧さ 実例扇動(被害妄想) 扇動(加害妄想) 扇動(陰謀論) こじつけ 悪魔の証明の要求 解説 弱者の種類特に問題を起こさない弱者 弱者ではないのに弱者を演じる者たち 跋文 参考ブログランキング応援クリック 左翼(サヨク)の言動を動画で知る 【必見!!】左翼(排外主義者を許さない人達)VS在特会福岡支部(愛国者) ★左翼の正体や手口がよくわかる動画です 討論参加者【左翼】 青柳信行 氏 ・綛谷智雄 氏 【 在特会福岡支部 】先崎 氏・女性会員 2 3 4 5 6 7 左翼の演説 http //www.nicovideo.jp/watch/sm10984714 左翼集会【社民党】在特会の外国人差別・思想差別は、戦争に繋がる 序文 | 左翼の言論方法は、実に卑怯なものばかりが目立ちます。人の心情・良心に訴えかけて論理的な正確性を煙に巻いているのです。ここにその例を挙げてゆきます。ちなみに、「卑怯を憎む」というのは武士道の教えの一つでもあります。卑怯な言論に惑わされず、あくまで正確性・信憑性を重視してください。 | 基本的に左翼の言論は三つの段階を踏んで行われます。「前提」「要求」「防衛」です。まず、「前提」を提示し、それに基づく「要求」を出し、最後に反論を封じるための「防衛」をやります。この段階が踏まれない物も含め、次に左翼の言論の型を列挙します。 扇動(せんどう) | 大衆を不安にさせて支持を得る手口です。 被害妄想 前提「私は被害者である。(あなたは加害者である。)」 要求「だから、私に謝罪・賠償をせよ。」 防衛「苦しみを乗り越えて必死に訴えている被害者を批判するとは。何て冷酷なんだ。」 加害妄想 前提「私は加害者である。(あの人は被害者である。)」 要求「だから、被害者を助けてやってください。」 防衛「加害者本人の自供なのだから間違いないじゃないか。」 陰謀論 前提「権力は何かを企んでいる、隠している。」 要求「騙されるな。」 防衛「権力を支持する者、私に反対する者は工作員である。」 こじつけ | これは「正当な政策・制裁・批判」を、「差別・弾圧」や「特定の思想・主義・宗教」等へこじつけて、相手の言論を封じこめる手口です。こじつけた後に、「扇動」の『被害妄想』へつなげるのが常套手口です。 悪魔の証明の要求 | 悪魔の証明とは、科学哲学上の概念で、「『存在しない』という事を証明するのは困難である」という考え方です。裁判の場で、普通は原告が被告へ悪魔の証明を求めない物です。原告には罪の存在を証明する責任はありますが、被告には身の潔白を証明する責任はありません。これを「挙証責任(きょしょうせきにん)」または、「証明責任」といいます。 | これは、悪魔の証明を要求し、自らの挙証責任を逃れようとする手口です。 決め付け | ネット左翼は「右翼は低学歴で肥満である」と決め付けます。全く根拠がありませんし、仮に根拠があっても、右翼の言論が否定される材料にはなりません。戦前・戦中は右翼が左翼を「売国奴」とレッテルを貼っていました。その中には根拠が無い物もあったことでしょう。しかし、戦後は左翼が右翼を「右翼」「国家主義者」「ファシスト」というようなレッテル貼りをしています。戦前・戦中を本当に反省していないのは左翼じゃありませんか。余談ですが、三島由紀夫は東京大学法学部を卒業しており、ボディービルダーもやっていました。 曖昧さ | 例えば、左翼は従軍慰安婦問題について「軍が強制連行をした」という主張をしていたのに、後に「軍が強制連行に関与した」という主張に変えています。当時、慰安婦募集の為に、女衒(ぜげん)と呼ばれる民間業者が、「軍の了解がある」と騙して強制連行した事例があり、これに頭を悩ませた軍が業者を取り締まった事を示す文書があるのですが、左翼はこの文書を根拠として「軍が強制連行に関与があった」としているのです。 | 辞書的な意味で考えれば、たしかに「関与」はしているのです。しかし、関与した「目的」は、「取り締まる為」であって、「強制連行する為」ではないのです。そもそも、売春業という物は性病等の衛生的なリスクがあるので、国家が責任を持って売春業者に関与するのは当然の事であり、国家と売春業者との間の「関与」を一切無くしてしまっては、健全な衛生状態を保つ事ができません。現在でも風俗業を開業する為には、風営法という法律の下に、行政機関である警察から許可をもらわないと開業できないのです。今でも警察は風俗業に「関与」しているわけですが、この制度を無くす事はできませんよね。 | 関与した事そのものに問題はなく、「どう関与したか。」「なぜ関与したのか。」というが問題なのであり、現時点で強制連行する為に国家が関与した事実はありません。「関与」という言葉で曖昧のままに軍に冤罪を押し付けようとするのが左翼の手口なのです。沖縄線集団自決軍命令問題においても同じように、「関与」の二文字を用いられています。もう騙されないでください。 実例 | 上記に挙げた手口を実際の問題に当てはめて考えてゆきましょう。 扇動(被害妄想) 前提「私は日本軍に強制連行されて慰安婦にさせられた。」 要求「だから、謝罪・賠償をしろ。」 防衛「お婆さんが泣きながら訴えているんだぞ。嘘ついてるはずがない。」 扇動(加害妄想) 前提「私は慰安婦狩りをした。」 要求「申し訳ないから、元慰安婦に賠償してやってくれ。」 防衛「強制連行の当事者である元軍人の自らの告白なのだから間違いないはずだ。」 扇動(陰謀論) 前提「日本に都合の悪い慰安婦の史料は隠されている(燃やされた・埋められた)。」 要求「『証拠は無い』と言う否定派に騙されるな。」 防衛「従軍慰安婦否定派は国の工作員である。」 こじつけ 「日本の竹島領有権主張は、日帝の植民地支配を正当化している。」 「日本の竹島領有権主張は、日本人が韓国人に持つ差別感情の表れである。」 「日本の竹島領有権主張は、軍国主義復活の兆しである。」 悪魔の証明の要求 「慰安婦を強制連行していないなら、『強制連行していない』という証拠を出してみろ。」 「『強制連行していない』という証拠が出せなければ、『強制連行した』という事になる。」 解説 | ほぼ全てに共通する点は「自分は弱者、相手は強者であると決め付ける。」という点にあります。 | 「弱者」というのは信頼されやすいです。しかし、「弱者を批判する者」は、世間から「冷血」「冷酷」等と見られてしまいます。自分が「弱者」を演じ、攻撃対象を「強者」と明確に位置づけることで、強者扱いされたものは誰に何を言っても全く信用されなくなってしまうのです。 あの三島由紀夫も、ちくま文庫『文化防衛論』(筑摩書房 刊)でこう指摘しています。※11頁より引用 三、われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきたことを洞察した。 いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。 不安、懐疑、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒き散らし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。 空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もっとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透してきたのがかれらの遣口である。 | よく「男は女の涙に弱い」なんて事を聞きます。特に日本人というのは「場の空気を読む」という事に気を使いますね。また、武士道においては「弱者には哀れみの情を持って接しよ」との教えがあります。左翼はこういう日本人の国民性をうまく突いた言論方法を使っているのです。こういうのを「狡賢い(ずるがしこい)」と言います。いくら言論の自由と言っても、卑怯な言論は排除すべきだと思います。「自由」とは「何もかもが全て好き勝手し放題」というわけではありませんから。 弱者の種類 特に問題を起こさない弱者 高齢者 障害者 傷病者 弱者ではないのに弱者を演じる者たち 女性―極端なフェミニズム主義・過剰な女性優遇政策に関する正当な批判・抗議を「女性差別」にこじつける問題など。 子供―学校において「親や教育委員会に言いつけるぞ」などと脅迫する子供の問題など。 被差別部落民―同和利権に関する正当な政策・制裁・批判を「部落差別」にこじつける問題など。 在日朝鮮人―様々な問題に関する正当な政策・制裁・批判を「民族差別」にこじつける問題など。 跋文 | どうでしょうか。左翼の言論というのは、実に卑怯だと思いませんか? こういう手口の恐ろしい所は、 人の感情に訴えかけられる。 反論を封じる事が出来る。 の二点が挙げられます。これを読んでいる皆さんは、常に心の片隅にこの事を置いておき、右翼・左翼に関わらず、卑怯な言論に惑わされない癖をつけてくださいね。 参考 左翼がサヨクにさよく時 サヨクが生まれた経緯 サヨクの心理 サヨクの分類 サヨクの自己評価 日本の社民党共産党はヨーロッパの社会民主主義諸政党とは全く異なる 外圧を呼び込むことで国内政治を動かそうとする売国病理 特定の事例のみをデフォルメ&曲解し、戦前罵倒に結び付けて悪宣伝というサヨクのやり口 左翼とサヨクの違い サヨクの主張を検証 サヨクの妄想癖 「平和憲法を守れ」にあるバレバレな嘘 話にならないサヨクとの論争 社会主義は間違っている サヨクが引き起こす凄惨な社会問題 サヨクであるという点のみをもって人間性そのものを否定するべきでない 支那の軍事パレードに参加し「パワフルで勢いのある『中国』を実感しました」と賞賛した社民党土井たか子氏 ブログランキング応援クリック 国民に反日の実態を知らせたい方は ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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1. 在野右翼の登場~アジアの革命支援(孫文の中華革命・アギナルドの比国独立・B.ボースの印度独立etc.) (1) 頭山満(1855-1944)と玄洋社(1881結成-1946解散) 頭山は福岡藩士の子で、西郷傘下の矯志会で学んだが西南戦争中は萩の乱に連座して入獄しており死を免れた。出獄後に民権・国権伸張運動に加わり、政治結社玄洋社を結成し、東亜連帯による欧米列強の排除・アジア諸国の独立を信念として晩年まで精力的に活動した。 (2) 内田良平(1874-1937)と黒龍会(1901結成-1931改組) 内田も福岡藩士の子で、玄洋社幹部であった叔父平岡浩太郎の影響を受けて右翼運動に加わり、大陸雄飛の為の組織として黒竜会を結成。孫文らの辛亥革命では最強の戦力となって革命に貢献したが、孫文の満州割譲の盟約の撤回にあい、満州独立論に転じた。 2. 経済恐慌と右翼思想の軍部への浸透 (1) 大川周明(1886-1957)と5.15事件(1932.5.15) 頭山・内田は思想家である前に活動家であったが、大川周明は国家社会主義(大資本家による経済搾取の排除・政党政治の打破)とアジア主義(アジア諸民族との連携と日本の主導による有色人種の解放・西洋文明との決別)を思想として唱え、1930年前後の経済恐慌期に貧しい農村出身者の多い軍部に強い影響力を及ぼした。1932年には大川の日本改造案の実行を企てた一部の海軍将校と愛郷塾(農本的国家主義者の結社)塾生らが5.15事件(犬養毅首相を射殺したクーデター事件)を起こして、政党内閣制を崩壊させた。 (2) 北一輝(1883-1937)と2.26事件(1936.2.26) 北一輝は佐渡の出身で初め幸徳秋水・堺利彦の社会主義運動に関心を持っていたが、大陸浪人の宮崎滔天らと知り合い、内田良平・孫文らの中華革命運動に参加。『日本改造法案大綱』を発刊(1923)してアジア主義と国家改造論を唱え、陸軍青年将校に強い影響力を及ぼした。1937年に2.26事件(国家改造を目指す皇道派将校が1500人余りの部隊を率いて首相官邸などを襲撃、斉藤実内相・高橋是清蔵相などを射殺したクーデター事件)が発生すると反乱将校達の理論的首謀者として検挙され刑死した。 3. 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語を『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 4. 思想統制の開始~マルクス主義への対抗イデオロギーとして (1) 天皇機関説事件(1935)と国体明徴運動 上杉慎吉博士の天皇主権説に対抗して、美濃部達吉博士が唱えた天皇機関説は1920年前後の大正デモクラシー期には学界の通説となっていたが、1930年代の経済恐慌期に国家主義的な右翼思想が勢力を増すと、右翼団体の過激派が天皇機関説を「不敬」として美濃部博士を襲撃し重傷を負わせる事件が発生(天皇機関説テロ事件)。国会でも美濃部博士の説を攻撃する議員が現れ、さらに政府に対して「国体明徴」(統治権の主体は天皇にあることを明示すること)を要求する動きが発生し、政府はこれを呑んで美濃部博士の天皇機関説は破棄され、博士は貴族院議員を辞職、天皇機関説を述べた著書3冊は発禁処分とされた。 (2) 『国体の本義』刊行(1937) 1930年前後に上に述べたような右翼思想が提唱され伸張した背景には、①経済恐慌の進行、という要因の他に、その経済恐慌による貧困を解決する思想としてマルクス主義思想が急速に知識人・学生層に拡散しており、②それに対抗するイデオロギーとして(頭に天皇を頂くだけで、中身は実は殆ど同じの)国家社会主義的な思想が必要だった、という現実からの要因があった。そうしたマルクス主義思想への対抗イデオロギーとしての日本国家の公定の国家観を示すガイドラインとして、1937年には『国体の本義』が刊行された。 5. 支那事変と国家総動員体制~全体主義化の進行 (1) 近衛文麿内閣(1937-38,1940-41)と新体制運動 1936年の2.26事件のあと、広田弘毅・林銑十郎内閣と続いたが、いずれも陸軍・海軍・財界・政党人の意見調整に失敗し内閣崩壊。元老・西園寺の推薦の下に、各界の期待を担って近衛文麿内閣が発足し、難局に当たることになった。(第一次近衛内閣)近衛内閣は発足してまもなく後に支那事変の勃発に見舞われ、戦線不拡大方針を声明しながらも、ズルズルと大陸内部への戦争に引きずり込まれ、1938.12の汪兆銘(中国国民党左派で蒋介石のライバル)の重慶脱出を契機に総辞職した平沼騏一郎・阿部信行・米内光政各々の短期内閣が続く期間に、近衛は、陸相・海相・外相候補を私邸に招いて方針を調整し(荻窪会談)、1940年7月第二次近衛内閣を組閣。政治・経済の全体主義化を進めて非常時乗り切りを図ったが、支那事変の解決の目処は立てられず、米英蘭の経済封鎖を招いて日米破局に至った。 (2) 国家総動員法成立・東亜新秩序声明(1938) 1937年から38年にかけて支那事変が始まると、近衛内閣は国家総動員法を成立させて国内の経済統制に着手せざるを得なくなった(経済の全体主義化)。近衛内閣は更に欧米列強のブロック経済圏に対抗して、日満支3国による東亜ブロック(東亜新秩序)建設を声明した。 (3) 大政翼賛会結成(1940) 政党政治は1932年の5.15事件を経て、36年の2.26事件を持って機能をほぼ停止し形骸化していたが、国家総動員体制の非常時において、更に一国一党の翼賛政治が望ましいとする近衛首相の提言に従い、各党は解散して大政翼賛会に集結した(政治の全体主義化)。 (4) 企画院・昭和研究会~革新官僚の暗躍 近衛内閣の新体制運動を具体的に企画するブレインとして尾崎秀実・蝋山政道・三木清・風見章・和田博雄・勝間田清一ら昭和研究会に集った革新官僚が台頭し、企画院を拠点として総合的な国策企画に当たったが、その実態は尾崎・蝋山・和田・勝間田に代表される国家主義者に偽装した左翼社会主義者の暗躍であった。1941年4月には企画院に対して財界・右翼から赤化思想を疑う声が挙がり、翌年1-4月に和田・勝間田など17名が検挙されるに至った(企画院事件)なお近衛のブレインの尾崎秀実はソ連のスパイ・ゾルゲと通じた工作員であり、尾崎に近い西園寺公一(元老・西園寺公望の孫)も工作員の可能性が高く、近衛の日支和平工作・日米交渉妥結を妨害したとみられる。 6. 敗戦と右翼運動の壊滅~現在まで (1) 赤尾敏(1899-1990)と大日本愛国党(1951-) 赤尾は愛知県出身で先ず社会主義に目覚めて東京の左翼運動に参加したが、仲間の裏切りに遭い検挙され、釈放後に右翼国家主義者に転向した。1942年の翼賛選挙で衆議院に当選。戦後に公職追放され、その解除後に大日本愛国党を結党(1951)し、東京銀座で一貫して反共反ソを訴える街頭演説を行って戦後の右翼活動家の代表的存在となった。 (2) エセ右翼団体の暗躍 GHQの命令により、頭山満系の玄洋社・内田良平の黒竜会の流れを引く大日本生産党などの伝統的な在野右翼結社は解散させられ、右翼運動は壊滅した。そうした状況の中で、朝鮮右翼・同和系右翼が進出(右翼運動を乗っ取り)、愛国者のイメージ・ダウンを狙いとする下品な街宣活動を常態化させ一般国民に「右翼=基地外」という認識を刷り込んでいる(現状では、右翼団体構成員の約3割が朝鮮系、約6割が同和系(左メニュー上部の動画参照))。本来の右翼は国粋主義にも係わらず、明治神宮や靖国神社、果ては皇室行事まで妨害するエセ右翼、中国や北朝鮮・朝鮮総連がピンチになると自作自演の異常な抗議活動を行い「日本人=加害者」というイメージを刷り込む御用右翼まで登場している。 (3) 維新政党新風と「行動する保守」運動の登場(2007-) 上に述べたように戦前/戦後を通じて伝統的な右翼は「アジア主義(アジア諸民族との連携による排欧米主義)」を色濃く打ち出しており、それが戦後の朝鮮系による右翼乗っ取りにも繋がったのだが、近年「アジア主義との決別」を宣言する新しい右翼運動が登場、中共のチベット弾圧に対する抗議活動や朝日新聞など反日メディアに対する糾弾、外国人参政権問題・不法滞在外国人問題の告発・一般国民への啓蒙活動などに大きな役割を果たしており、今後の動向が注目される。 人物やキーワード紹介として主にwikipediaをリンクしていますが、一般にwikipediaの内容は歴史問題の説明に関しては教科書的な自虐史観に偏っていることにご注意下さい。(関係する事件の発生日時や人物名などについては正確であり、また参考となる膨大な情報が詰まっているので、研究用として敢えてリンクしています) 参考リンク:日本の右翼
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/869.html
1. 在野右翼の登場~アジアの革命支援(孫文の中華革命・アギナルドの比国独立・B.ボースの印度独立etc.) (1) 頭山満 (1855-1944)と玄洋社(1881結成-1946解散) 頭山は福岡藩士の子で、西郷傘下の矯志会で学んだが西南戦争中は萩の乱に連座して入獄しており死を免れた。出獄後に民権・国権伸張運動に加わり、政治結社玄洋社を結成し、東亜連帯による欧米列強の排除・アジア諸国の独立を信念として晩年まで精力的に活動した。 (2) 内田良平 (1874-1937)と黒龍会(1901結成-1931改組) 内田も福岡藩士の子で、玄洋社幹部であった叔父平岡浩太郎の影響を受けて右翼運動に加わり、大陸雄飛の為の組織として黒竜会を結成。孫文らの辛亥革命では最強の戦力となって革命に貢献したが、孫文の満州割譲の盟約の撤回にあい、満州独立論に転じた。 2. 経済恐慌と右翼思想の軍部への浸透 (1) 大川周明 (1886-1957)と5.15事件(1932.5.15) 頭山・内田は思想家である前に活動家であったが、大川周明は国家社会主義(大資本家による経済搾取の排除・政党政治の打破)とアジア主義(アジア諸民族との連携と日本の主導による有色人種の解放・西洋文明との決別)を思想として唱え、1930年前後の経済恐慌期に貧しい農村出身者の多い軍部に強い影響力を及ぼした。1932年には大川の日本改造案の実行を企てた一部の海軍将校と愛郷塾(農本的国家主義者の結社)塾生らが5.15事件(犬養毅首相を射殺したクーデター事件)を起こして、政党内閣制を崩壊させた。 (2) 北一輝 (1883-1937)と2.26事件(1936.2.26) 北一輝は佐渡の出身で初め幸徳秋水・堺利彦の社会主義運動に関心を持っていたが、大陸浪人の宮崎滔天らと知り合い、内田良平・孫文らの中華革命運動に参加。『日本改造法案大綱』を発刊(1923)してアジア主義と国家改造論を唱え、陸軍青年将校に強い影響力を及ぼした。1937年に2.26事件(国家改造を目指す皇道派将校が1500人余りの部隊を率いて首相官邸などを襲撃、斉藤実内相・高橋是清蔵相などを射殺したクーデター事件)が発生すると反乱将校達の理論的首謀者として検挙され刑死した。 3. 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召 (日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学 (日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語を『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智 (浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され 、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 4. 思想統制の開始~マルクス主義への対抗イデオロギーとして (1) 天皇機関説事件 (1935)と国体明徴運動 上杉慎吉博士の天皇主権説に対抗して、美濃部達吉博士が唱えた天皇機関説は1920年前後の大正デモクラシー期には学界の通説となっていたが、1930年代の経済恐慌期に国家主義的な右翼思想が勢力を増すと、右翼団体の過激派が天皇機関説を「不敬」として美濃部博士を襲撃し重傷を負わせる事件が発生(天皇機関説テロ事件)。国会でも美濃部博士の説を攻撃する議員が現れ、さらに政府に対して「国体明徴」(統治権の主体は天皇にあることを明示すること)を要求する動きが発生し、政府はこれを呑んで美濃部博士の天皇機関説は破棄され、博士は貴族院議員を辞職、天皇機関説を述べた著書3冊は発禁処分とされた。 (2) 『国体の本義』刊行(1937) 1930年前後に上に述べたような右翼思想が提唱され伸張した背景には、①経済恐慌の進行、という要因の他に、その経済恐慌による貧困を解決する思想としてマルクス主義思想が急速に知識人・学生層に拡散しており、②それに対抗するイデオロギーとして(頭に天皇を頂くだけで、中身は実は殆ど同じの)国家社会主義的な思想が必要だった、という現実からの要因があった。そうしたマルクス主義思想への対抗イデオロギーとしての日本国家の公定の国家観を示すガイドラインとして、1937年には『国体の本義』が刊行された。 5. 支那事変と国家総動員体制~全体主義化の進行 (1) 近衛文麿内閣 (1937-38,1940-41)と新体制運動 1936年の2.26事件のあと、広田弘毅・林銑十郎内閣と続いたが、いずれも陸軍・海軍・財界・政党人の意見調整に失敗し内閣崩壊。元老・西園寺の推薦の下に、各界の期待を担って近衛文麿内閣が発足し、難局に当たることになった。(第一次近衛内閣)近衛内閣は発足してまもなく後に支那事変の勃発に見舞われ、戦線不拡大方針を声明しながらも、ズルズルと大陸内部への戦争に引きずり込まれ、1938.12の汪兆銘(中国国民党左派で蒋介石のライバル)の重慶脱出を契機に総辞職した平沼騏一郎・阿部信行・米内光政各々の短期内閣が続く期間に、近衛は、陸相・海相・外相候補を私邸に招いて方針を調整し(荻窪会談)、1940年7月第二次近衛内閣を組閣。政治・経済の全体主義化を進めて非常時乗り切りを図ったが、支那事変の解決の目処は立てられず、米英蘭の経済封鎖を招いて日米破局に至った。 (2) 国家総動員法成立・東亜新秩序声明(1938) 1937年から38年にかけて支那事変が始まると、近衛内閣は国家総動員法を成立させて国内の経済統制に着手せざるを得なくなった(経済の全体主義化)。近衛内閣は更に欧米列強のブロック経済圏に対抗して、日満支3国による東亜ブロック(東亜新秩序)建設を声明した。 (3) 大政翼賛会 結成(1940) 政党政治は1932年の5.15事件を経て、36年の2.26事件を持って機能をほぼ停止し形骸化していたが、国家総動員体制の非常時において、更に一国一党の翼賛政治が望ましいとする近衛首相の提言に従い、各党は解散して大政翼賛会に集結した(政治の全体主義化)。 (4) 企画院 ・昭和研究会 ~革新官僚 の暗躍 近衛内閣の新体制運動を具体的に企画するブレインとして尾崎秀実・蝋山政道・三木清・風見章・和田博雄・勝間田清一ら昭和研究会に集った革新官僚が台頭し、企画院を拠点として総合的な国策企画に当たったが、その実態は尾崎・蝋山・和田・勝間田に代表される国家主義者に偽装した左翼社会主義者の暗躍であった。1941年4月には企画院に対して財界・右翼から赤化思想を疑う声が挙がり、翌年1-4月に和田・勝間田など17名が検挙されるに至った(企画院事件)なお近衛のブレインの尾崎秀実はソ連のスパイ・ゾルゲと通じた工作員であり、尾崎に近い西園寺公一(元老・西園寺公望の孫)も工作員の可能性が高く、近衛の日支和平工作・日米交渉妥結を妨害したとみられる。 6. 敗戦と右翼運動の壊滅~現在まで (1) 赤尾敏 (1899-1990)と大日本愛国党 (1951-) 赤尾は愛知県出身で先ず社会主義に目覚めて東京の左翼運動に参加したが、仲間の裏切りに遭い検挙され、釈放後に右翼国家主義者に転向した。1942年の翼賛選挙で衆議院に当選。戦後に公職追放され、その解除後に大日本愛国党を結党(1951)し、東京銀座で一貫して反共反ソを訴える街頭演説を行って戦後の右翼活動家の代表的存在となった。 (2) エセ右翼団体 の暗躍 GHQの命令により、頭山満系の玄洋社・内田良平の黒竜会の流れを引く大日本生産党などの伝統的な在野右翼結社は解散させられ、右翼運動は壊滅した。そうした状況の中で、朝鮮右翼・同和系右翼が進出(右翼運動を乗っ取り)、愛国者のイメージ・ダウンを狙いとする下品な街宣活動を常態化させ一般国民に「右翼=基地外」という認識を刷り込んでいる(現状では、右翼団体構成員の約3割が朝鮮系、約6割が同和系 (左メニュー上部の動画参照))。本来の右翼は国粋主義にも係わらず、明治神宮や靖国神社、果ては皇室行事まで妨害するエセ右翼、中国や北朝鮮・朝鮮総連がピンチになると自作自演の異常な抗議活動を行い「日本人=加害者」というイメージを刷り込む御用右翼まで登場している。 (3) 維新政党新風 と「行動する保守」運動の登場(2007-) 上に述べたように戦前/戦後を通じて伝統的な右翼は「アジア主義(アジア諸民族との連携による排欧米主義)」を色濃く打ち出しており、それが戦後の朝鮮系による右翼乗っ取りにも繋がったのだが、近年「アジア主義との決別」を宣言する新しい右翼運動 が登場、中共のチベット弾圧に対する抗議活動や朝日新聞など反日メディアに対する糾弾、外国人参政権問題・不法滞在外国人問題の告発・一般国民への啓蒙活動などに大きな役割を果たしており、今後の動向が注目される。 人物やキーワード紹介として主にwikipediaをリンクしていますが、一般にwikipediaの内容は歴史問題の説明に関しては教科書的な自虐史観に偏っていることにご注意下さい。(関係する事件の発生日時や人物名などについては正確であり、また参考となる膨大な情報が詰まっているので、研究用として敢えてリンクしています) 参考リンク:日本の右翼
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序文 | 左翼は「戦前の日本は軍国主義だった。」と糾弾します。しかし、大日本帝国の政策と現代の左翼の政策は、非常に似ていると思います。実例を挙げましょう。 大日本帝国と現代の左翼 ●大日本帝国の政策 ●現代の左翼の政策 大東亜共栄圏 東アジア共同体 五族協和 多文化共生社会 八紘一宇 地球市民 日鮮一体 日韓友好 創氏改名 通名制度 治安維持法 人権擁護法案表現規制問題 なんでこんなに大日本帝国と現代の左翼の政策が似てしまうのか、その詳しい説明が 右翼・左翼の歴史 にあります。 大日本帝国と左翼の言論 | 昔は、言論統制(治安維持法成立後)が敷かれ、大日本帝国を非難できませんでした。現代では大日本帝国を擁護する発言をした政治家(例えば江藤隆美)が、左翼の猛烈な抗議によって失脚させられます。 ※ただし、治安維持法は戦前の左翼(共産主義者)の過激な行動(テロ活動・暴動・銀行強盗・敵国のスパイ・クーデター)を抑止するためのものであり最高刑は死刑ながら執行されず獄死者のみであったという側面もあると注意されたい。また、同様の目的を果たすための特高警察や憲兵隊も左翼の主張するような一般人に危害を加える暴虐は行っていない。実際は合意の上での金銀の徴収などを行った。 | このような日本の移り変わりを小林よしのりは著書『戦争論』の21頁でこういっています。「『鬼畜米英』が『反戦平和』になっただけで何も変わらない」と。 軍国主義 中華人民共和国 文化大革命 ソビエト社会主義連邦共和国 大粛清 ドイツ国(ナチス・ドイツ) ホロコースト | 社会主義を掲げる国家の軍国主義は枚挙にいとまがありません。 1931年3月 全日本愛国者共同闘争協議会 一、議会政治を廃し、天皇親政を行う。 二、資本主義に基づく私有財産制を制限し、国有化を図る。 三、階級対立(貧富の差)を無くす。 | 戦前の愛国者、軍国主義者は極端な社会主義を掲げていた事が分かります。さらに保守派に転向した左翼(共産主義者)=国家社会主義者と呼ばれる右翼もその中には含まれます。 跋文 | このように、左翼というのは、軍国主義を反戦平和に変えただけで何も変わっていない事が分かります。軍国主義も反戦平和も度が過ぎれば害になります。左翼というのは、軍国主義と反戦平和の間の丁度良い地点が見えていないのでしょう。少なくとも、「日本国憲法を改正して軍隊を持つ。」という事は、近代国家として当たり前のことであり、軍国主義でもなんでもないのです。 | つまり、左翼は戦前の反省すべきところを全く反省していない事になります。そのくせ、従軍慰安婦や南京大虐殺などを捏造し、反省しなくて良い事を反省しているのです。最もタチが悪いですね。日本を滅ぼす最短・最適の方法は「左翼に政治をまかせる事」でしょう。 【関連】 反日主義者の精神構造 右翼・左翼の歴史 政治の基礎知識 外交の基礎知識
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687 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/07/02(水) 19 07 38 ID ??? 時期外れだが新人が入るって事でさっきまで緊急召集に応じてた。 みんなブツクサ言ってたが、結構かわいい女の子だと分った途端に 手の平返し喜色満面で笑ったw で、菓子つまみながら親睦を深めてたんだが、好きな物とかの流れで 彼女が雨宮とか言う右翼の女が好きで、新しい神様が面白いって話に。 それから彼女のPCに入ってる新しい神様を見るはめに・・・・ 何人かの野郎が突然ウヨク的な発言しだして笑ったw お前等一度だってそんな事言わなかっただろ。 693 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/07/02(水) 19 12 20 ID ??? 続き 以前からいた女子がそれに対し政治的な攻撃しだした。 色々揉めてたが殆ど全員が新人の味方をしたせいか 一緒に遊びたくないと泣き出した。 仲裁に入ったりして結局週末のセッションでは卓を分ける事になった。 ただもう一人のGMのなり手がいなかったので、俺がやる事に。 しかし、みんな新人と卓かこみたがってる風なので集まるか心配だ。 最悪、マンツーマンとかなるかも。困った。 スレ187
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序文 | 左翼は「戦前の日本は軍国主義だった。」と糾弾します。しかし、大日本帝国の政策と現代の左翼の政策は、非常に似ていると思います。実例を挙げましょう。 大日本帝国と現代の左翼 ●大日本帝国の政策 ●現代の左翼の政策 大東亜共栄圏 東アジア共同体 五族協和 多文化共生社会 八紘一宇 地球市民 日鮮一体 日韓友好 創氏改名 通名制度 治安維持法 人権擁護法案表現規制問題 なんでこんなに大日本帝国と現代の左翼の政策が似てしまうのか、その詳しい説明が 右翼・左翼の歴史 にあります。 大日本帝国と左翼の言論 | 昔は、言論統制(治安維持法成立後)が敷かれ、大日本帝国を非難できませんでした。現代では大日本帝国を擁護する発言をした政治家(例えば江藤隆美)が、左翼の猛烈な抗議によって失脚させられます。 ※ただし、治安維持法は戦前の左翼(共産主義者)の過激な行動(テロ活動・暴動・銀行強盗・敵国のスパイ・クーデター)を抑止するためのものであり最高刑は死刑ながら執行されず獄死者のみであったという側面もあると注意されたい。また、同様の目的を果たすための特高警察や憲兵隊も左翼の主張するような一般人に危害を加える暴虐は行っていない。実際は合意の上での金銀の徴収などを行った。 | このような日本の移り変わりを小林よしのりは著書『戦争論』の21頁でこういっています。「『鬼畜米英』が『反戦平和』になっただけで何も変わらない」と。 軍国主義 中華人民共和国 文化大革命 ソビエト社会主義連邦共和国 大粛清 ドイツ国(ナチス・ドイツ) ホロコースト | 社会主義を掲げる国家の軍国主義は枚挙にいとまがありません。 1931年3月 全日本愛国者共同闘争協議会 一、議会政治を廃し、天皇親政を行う。 二、資本主義に基づく私有財産制を制限し、国有化を図る。 三、階級対立(貧富の差)を無くす。 | 戦前の愛国者、軍国主義者は極端な社会主義を掲げていた事が分かります。さらに保守派に転向した左翼(共産主義者)=国家社会主義者と呼ばれる右翼もその中には含まれます。 跋文 | このように、左翼というのは、軍国主義を反戦平和に変えただけで何も変わっていない事が分かります。軍国主義も反戦平和も度が過ぎれば害になります。左翼というのは、軍国主義と反戦平和の間の丁度良い地点が見えていないのでしょう。少なくとも、「日本国憲法を改正して軍隊を持つ。」という事は、近代国家として当たり前のことであり、軍国主義でもなんでもないのです。 | つまり、左翼は戦前の反省すべきところを全く反省していない事になります。そのくせ、従軍慰安婦や南京大虐殺などを捏造し、反省しなくて良い事を反省しているのです。最もタチが悪いですね。日本を滅ぼす最短・最適の方法は「左翼に政治をまかせる事」でしょう。 【関連】 右翼・左翼の歴史 政治の基礎知識 外交の基礎知識
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選ぶ(ころんだ)~イ・ナムギョの日本語源流散歩5(機械翻訳) タルマサンガ選ぶ(達摩さんがころんだ)- 選ぶ とは 歩いたみな が変わった話。 私たちが幼かったときに ムクゲ花が咲きました という鬼ごっこ遊びをした思い出がある。 この遊びは鬼が木に期待目を隠して注文を覚えた後見て回って動く子供をつかみ出すゲームだ。 注文を覚える間にだけこわごわ鬼に近付いて一番最後に鬼に捕えられた同僚を救出して逃げるこの遊びは絶対に動く姿を鬼が発見できないようにすることが特徴だ。 もし歩いていく姿を鬼に見つけられれば捕えられることになって,捕えられた手の連結の輪を他の友人が切って逃げられるようにしてくれる時を待って,笑って楽しんだ月夜の下のその時期が今でも鮮やかに目に浮かぶ。 夢のようだった幼い時期のその遊びを日本の子供たちが同じようにするとは。 ところで子供たちが覚える注文は私たちと違ったが,内容は タルマサンガ選ぶ (たるまさんがころんだ)で,意は 達磨様が回っていく だ。 今日の日本語で 選ぶ (ころんだ)は 回っていく が合うが,古代にこの遊びが初めて始まった時は明確に 回っていく が違って 歩いていく すなわち 歩いたみな という話であっただろう。 古代韓国で渡っていったこの 歩いたみな という話は永い歳月を経て伝えられる間に声語は遊びでそのまま引き継いできたが,意は完全に忘れられて今はそのまま音がし次第解釈して 回っていく という意味で知っている。 だが実際遊びを見て分かるようにこの 選ぶ という転がるのではなく見つけられないで歩いていく遊び期のために 歩いたみな が合う。 達磨は中国禅宗の始祖(詩)としてインドの王子に生まれて般若多羅から教えを受けて,中国に渡っていって禅宗を伝えた人物. 中国小林寺で9年間壁だけ眺めて法を悟ったといって 壁面9年 (壁面9年)の固辞(考査,告辞,枯死)で有名だ。 それで現在でも達磨は 開運の象徴 で,何の願いをする時片方の目を書き込んでその願いが達成されれば他の片方も描いて入れて成功を祝う不倒翁の象徴だ。 だから国会議員選挙などで勝てば達磨の目(雪)を書き込む姿を日本ではたびたび見られる。 昔には韓国や日本や寺が学校役割をしたし,僧侶が教師であった。 僧侶らは達磨のように何でも我慢して努力しなくてはいけないという意味で 達磨9年 を説法する。 しかし,結局子供たちはその話をそのまま受け入れないで, 達磨様も人々が見ない時は食べたり寝たりもしたのだ といいながらいたずらをしたことが順次楽しい遊びに変わって今日に至ったのだ。 [2009/02/04] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-5]選ぶ(ころんだ) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=5207 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。