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石塚龍麿は『仮字遣奥山路』に於て、上代の文献でエキケコソトヌヒヘミメヨロの仮名が各二類に使い分けられている事実を述べたのであるが、彼はまた『古事記』に限りチ及びモの仮名も亦各二類に使い分けられていることを説いている。この中チの仮名が二類に使い分けられているということは甚だ疑わしい。チの第一類は知であり、第二類は智であるが、『古事記』中、知の用例が百十余個もあるのに対し、智の用例は僅か十三個に過ぎない。即ち、 スヒチニ神(神名) クヒザモチ神(神名、三ケ所) ククノチ神(神名) ヲロチ(大蛇、二ケ所) 赤カガチ(赤酸漿) ミチ(海驢) ホムチワケ御子(人名) タニハヒコタタスミチノウシ王(人名) 八尋白チ鳥(八尋白鵆) チヌ王(人名) 以上はすべて古訓本に拠ったのであるが、この中ミチのチは真福寺本では知になっている。然るにこれらの語彙の中で、 赤カガチ(赤酸漿)ミチノウシ王(人名)チドリ(鵆)の三つについては、また知を用いて書いた場所もあるのである。これは古訓本ばかりでなく、真福寺本や寛永本や延佳本でも同じことである(但し知が和と誤写されている場合は若干ある)。僅か十三個の用例の中で、既に三つも混用の例があるとすれば、知と智が使い分けられているという説は、果して成立し得るものであろうか。その上智の字は歌の中にあらわれた例が一つも無い。それ故、智は本来は訶(カ)などと同様に、本文専用の仮名であったとも考えられるのである。本文の中で万葉仮名書きの部分といえば、固有名詞か又は滅多に用いられない古語が多い。それ故、知が普通一般の語に用いられるのに対し、智が特殊の限られた語にのみ用いられるようになるのは自然のことである。又キヒミについては、四段活用の動詞の連用形の語尾にはその甲類(橋本先生の御命名による)を用い、上二段活用の動詞の未然形及び連用形の語尾にはその乙類を用いるというきまりがあるのであるが、チの場合には、ウチ(打)タチ(立)モチ(持)のチにも、オチ(落)のチにも、共に知が用いられている。それ故、知と智とは外見上多少は使い分けられる傾向があっても、やはり同一類の仮名と見る方が穏かであろう。 之に反して『古事記』でモの仮名に二類の使い分けがあるということ、即ち毛と母との使い分けられているという事実は、極めて確実である。『古事記』中、毛の用例は四十八個、母の用例は百五十余個に及んでいるが、両者は截然と使い分けられて一つの例外も無い。即ち、毛の用例は、 モユ(燃) マモル(守) ウモリ王(〓鵜守王) モコ(許処?如?) モモシキノ(百磯城之) モモダル(百足) モモチダル(百千足) モモヅタフ(百伝) モモナガ(股長) イモ(妹) ワギモ(吾妹) カモドク(鴨着) キモ(肝)クモ(雲) クモバナル(雲離) クモヰ(雲居) ヤクモタツ(弥雲立) シモツセ(下瀬) シモツエ(下枝) ホッモリ(紅顔を形容する擬態語?) イヅモ(国名) イヅモタケル(出雲梟師、人名) カモ大御神(神名) タヂマモリ(人名) 土グモ(種族名) モズ(地名) 山代之ククマモリヒメ (人名) 母の用例は、 モ(助詞) トモ、ドモ(雖、助詞) モユラ(真揺) モツ(持) モノ(物) モト(本) モトへ(本方) カキモト(垣下) ヒトモト (一本) ヒトモトスゲ(一本菅) ヒトモトススキ(一本薄) ミモロ(神社、又地名) オモフ(思) オモヒヅマ(思妻) カリコモノ(刈菰之) タタミコモ(畳薦) タツゴモ(立薦) コモル(籠) コモリクノ(隠国之) コモリヅノ(隠水之?) アヲカキヤマゴモル(青垣山籠) トモ(伴、共) コドモ (子等) ヲトメドモ(少女等) カルヲトメドモ(軽少女等) ヨモツシコメ(泉津醜女) モトホス(廻) モトホル(廻) トモシ(羨) シメコロモ (染衣) 天之クヒザモチ神、国之クヒザモチ神(神名) オモダル神(神名) コロモ之別(姓) タヂマモロスク(人名) フハノモヂクヌスヌ神(神名) ヤマトトモモソビメ命(人名) 但し開化天皇の条に「母泥能阿治佐波毘売」とある人名の最初の二字は誤で、真福寺本に「丹波能…」とあるのが多分原形であろうから、これは母の用例の中に加えなかった。 さてオ列の仮名の中で甲乙両類に使い分けられているものは、コソトヨロの五種であるが、橋本先生がかつてお話しになった所によると、いわゆるヌの仮名に二類の使い分けがある中で、怒努の類(後世のノに対応するもの)は実はノの甲類と見做さるべきもの、普通にノの仮名と称せられている能乃の類はその乙類と見做さるべきものであろうということである。オ列の仮名に於ける両類の区別を、『韻鏡』に照して考えると次のようになる。 (甲類)第二転一四等 第十二転一三等 第二十五転一等 第二十六転四等 第三十七転一等 (乙類) 第八転三四等 第十一転二三四等 第十三転一等 第四十二転一三等 現代支那諸方言について考えると、甲類の仮名に用いられた漢字の音は主として後舌母音を含み、乙類の仮名に用いられた漢字の音は主として中舌的又は前舌的(殊に前舌円唇的)の母音を含んでいる。 甲類のオ列音と乙類のオ列音とは、同一語根(動詞は語幹)内に共存することが決して無い。唯一つの例外は、『古事記』上巻に「宇士多加礼斗呂呂岐弖」とあるその斗呂呂岐且(斗は甲類のト、呂は乙類のロ)であるが、ここは真福寺本・伊勢本、寛永本皆「許呂呂岐弖」となっている。延佳本には斗々呂岐弖とあり、古訓本は一本に拠って斗呂呂岐弖としている。斗と許とはその草体に於て互に似て来るけれど、斗が許と見誤られる機会よりは、寧ろ許のひどく崩れた形が斗と見誤られる機会の方が多くはなかろうか。その上、真福寺本、伊勢本、寛永本のような古い本には皆許となっているのであるから、解釈上からいえば斗呂呂岐弖の方がよく分るには違いないけれど、なお許呂呂岐弖(許は乙類のコ)が原形であるという可能性もかなり大きいわけである。 次に乙類のオ列音は、ウ列音やア列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。『古事記』についていうとウ列音と乙類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、ただウシロ(後)クシロ(釧)の二つだけで、その他のスソ(裾)フト(太)ツド(ツドフ、集)ツノ(タクヅノ、栲綱)クロ(黒)ムロ (室)コムラ(腓)は皆甲類のオ列音を含んでいる。 殊にウコ(愚)クソ(糞)クロ(黒)スソ(裾)ツト(苞)ツト(ツトム、勤)ツド(ツドフ、集)ツノ(綱)フト(太)ムロ(室)ムロ(榁)のような、ウ列音とオ列音とから成る二音節語根に於ては、オ列音が二類に分れている行ならば必ず甲類のものがあらわれるということは、記紀万葉時代の言語に於て極めて著しい事実である。 又『古事記』に於てア列音と乙類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、コヤ(コヤル、臥)ソバ(〓木爪〓)トガ(答)アソ(親称)マロ(自称)ヨラシ(宜)の六つであるが、その中アソは普通にはアセオミ(吾兄臣)の約と見られて居り、又マロは真実の意のマに助辞のロがついたものであるとする説がある。之に対して、ア列音と甲類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、ソナ(ソナフ、具)ソラ(空)アソ(アソブ、遊)サト(里)ハト(鳩)マト(マトフ、惑)カド(門)カヨ(カヨフ、通)マヨ(眉)コナミ(前妻)コムラ(腓)タノシ(楽)カシコ(畏)アラソ(アラソフ、争)イサヨ(イサヨフ、猶予)タダヨ(タダヨフ、漂)の十六に及んでいる。 以上三つの音節結合の法則(法則は少し大袈裟かも知れない、寧ろ傾向という程度のものである)即ち 1、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根内に共存することが決して無い。 2、乙類のオ列音はウ列音と同一語根内に共存することが少い。 3、乙類のオ列音はア列音と同一語根内に共存することが少い。 は、『古事記』以外の文献についても同様に行われていることが看取される。試みに『仮字遣奥山路』の古呉許碁蘇曽斗度登杼怒用余漏呂諸部に対し、俗(ゾの甲類)叙(ゾの乙類)能(ノの乙類)の三部を記紀万葉の用例から補い、これらの諸部にあらわれた語根について同様の調ベを行えば次の通りになる。但し、東歌防人歌にしか用例の無いもの天平宝字三年及びそれ以前の資料に用例の無いものは之を除き、又固有名詞は一見して語原の明かなものの外すべて除外した凸、 まず第一則については、前記の斗呂呂岐弖の外、一つも例外が無い。第二則について、ウ列音が甲類のオ列音と共存する例はウコ(愚)ウゴ(ウゴク、動?) クソ(糞)クロ(黒)スソ(裾)ツト(芭)ツト(ツトム、勤)ツド(ツドフ、集) ヅノ(綱)ブト(太)ムロ(室)ムロ(榁)コムラ(腓)フクロ(袋)の十四種に及んでいるが、ウ列音が乙類のオ列音と 共存する例は、ウシロ(後)クシロ(釧)ムシロ(莚)トブサ(樹末?)オヨヅレ(妖言)ホトトギス(時鳥)の六種に過ぎない。 次に第三則について、ア列音が甲類のオ列音と共存する例は、ソナ(ソナフ、具)ソバ(ソバフ、戯)ソマ(杣)ソラ(空)トガ(栂)アソ(アソブ、遊)カソ(幽)カゾ(カゾフ、数)カヨ(カヨフ、通)カド(門)カド(角)サト(里)サド(サドフ、惑?)タド(タドル、辿)ナゴ (和)ナソ(ナソフ、准)ナヨ(柔軟)ハト(鳩)ハロ(遙)マト(マトフ、惑)マヨ(眉)マヨ(マヨフ、乱)コナミ(前妻)コムラ(腓)アソソ(灰)アロジ(主)タノシ(楽)ヒロカ (タヒロカス、飄掌)アラソ(アラソフ争)イサヨ(イサヨフ、猶予)カガヨ(カガヨフ、弦)カシコ(畏)タケソ(偶然)タダヨ(タダヨフ、漂)ハハソ (柞)の三十五種であるが、ア列音が乙類のオ列音と共存する例は、コヤ(コヤル、臥)ソバ(孤稜)トガ(各)トマ (トマル、留)ヨサ(瓠)アソ(親称) カソ(父)タノ(頼)マロ(丸)マロ(自称)トブサ(樹末?)アドモ(アドモフ、率)オコナ(オコナフ、行)ヲロガ(ヲロガム、拝)イヤチコ(灼然)の十五種に過ぎない(語を分析するに当つては、なるべく大切り主義を採つた。従って以上のいわゆる語根の中には、なお一層細かく分析し得るものもあるかも知れない)。 この外 場所をあらわす代名詞の中で、ココ(此は乙類のコ)ソコ(其は乙類のソ)にはコ(乙類)がついているのに、イヅクにはクがつしている(イヅコは、ココやソコからの類推によつて平安初期に出来た形である)。これは上に述ベた第二則と関係があることであろう。又同系同義の格助詞ナ、ノの中で、ノは極めて自由に用いられるけれどもナの用法は限られている 即ちタナ(手之)マナ(眼之)マナ(真之)ミナ(水之)ハヤスヒナ(速吸之)ウナ(海之)ヌナ (項之)ヌナ(淳之)のように、ア列音、甲類のイ列音及びウ列音で終る語には着き得るけれど、乙類のオ列音で終る語についた例は古つも無い。これは多分上に述ベた第三則と関係のあることであろう。なお、助動詞ス、フ、ユの直前に立つ動詞の活用語尾の形としては、ア列音が優勢にはなっているものの、かつてはこの場合にも亦音節結合の法則が関係していたと思われる形跡が(殊にフの場合に)鮮かに見られる。 なおタコムラ(タクブラ、手腓)マソミ(マスミ、真澄)トガ(ツガ、栂)ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ、人名)アヨヒ(アユヒ、脚結)ハロハロ (ハルケシ、遙)のように、ウ列音と通うオ列音は、甲乙両類の使い分けのある行ならば通常甲類のものである。以上述べたようないろいろな事実を綜合して考えると、甲類のオ列音が明瞭な後舌母音を含む音節であったのに対し、乙類のオ列音が稍中舌的の母音を含む音節であったことは、想像するに難くない。 以上音節結合の法則に関する説明は、ただ研究の結論を略述したに過ぎない。詳細は稿を新にして近日発表する積りである。 さて音節結合の法則の上で、問題の毛と母とがどういう位置を占めているかというと、まずカモ(鴨)クモ(雲)モコ(許処?如?)ホツモリ(紅顔を形容する擬態語?)のようにモがア列音ウ列音又は甲類のオ列音と結合した例は皆毛の用例の中にあり、モモ(百)モモ(股)のモはいずれも二つ共毛であらわされている。之に対して、モト(本)モノ(物)モロ(神杜)コモ(菰、薦)コモ(コモル、籠)トモ(伴)ヨモ(黄泉)モトホ(モトホス、モトホル、廻)トモシ (羨)コ戸 モ(衣)のように、モが乙類のオ列音と結合した例は皆母の用例の中にある。これを以て見れば、『古事記』のモの仮名の中、毛は甲類に、母は乙類に相当するものであること明かである。なお格助詞のナは、乙類のオ列音で終る語に着く例の無いこと前述の通りであるが、ナがオ列音で終る語に着いた唯一の例は、神武紀に見える毛毛那比苔(百之人)で ある。而して『日本書紀』ではモの仮名に二類の使い分けは無いのであるが、『古事記』によればモモ(百)のモは本来二つとも甲類のものであった。即ちこの一例も亦音節結合の法則第三則に叶っているわけである。 但し字音の方から見る時は、毛(第二十五転一等)が甲類の仮名として用いられることに問題は無いが、母は第三十七転一等(甲類相当)に属しているので、何故この字が乙類の仮名として用いられ得るかが問題となる。然るに周代の分韻状態に於て、第三十七転に属する若干の文字(母又友右有尤牛富など)が、同転の大多数の文字とその類を異にし、第八転及び第十三転一等に属する多数の文字、その他若干の文字と共に一類を成すものであることは、殆ど定説になっている。而して第八転(己其期碁已里止など)及び第十三転一等(豪苔耐乃廼など)に属する文字がオ列の仮名として用いられる場合には、仮名に甲乙両類の使い分けのある行では、必ず乙類に属するものである。それ故、母が乙類の仮名として用いられているのも(必ずしも周代の音とはきめられないが)、恐らくはこの種の古韻に拠ったためであろうと思われる。『上宮聖徳法王帝説』に於けるモの仮名の唯二つの用例なるモ(助詞)とモノ(物)には、いずれも母の字が用いてある。『続日本紀』のいわゆる第一詔から第五詔(神亀元年)までに見えるモの仮名の用例三十一の中、モ(助詞)二十二、ナモ(助詞)九、ことごとく母の字であらわされている。これらはいずれも、『古事記』に於ける仮名の用法と矛盾しない。 『釈日本紀』に引かれた上宮記の逸文の中に見える母々恩己麻和加中比売は、『古事記』に百師木伊呂辨亦名弟日売真若比売とある人名に相当する。そこで大矢博士は、上宮記の母々恩己を母々思己の誤とし、『古事記』の百師木と同じ語と見て居られる。もしそうとすれば、モ又百)は『古事記』では常に毛毛と書かれている語であるから、毛と母とは既に推古天皇時代から混用されていたことになる。併しこの説には少し疑わしい点がある。即ち、己は同時代の遺文では、この人名及び他に所見の無い伊波己里和気(上宮記)という人名のほか、『仮名源流考』に引かれた十余個所ことごとくコ(乙類)の仮名として用いられて居り、奈良時代に入っても、顕宗紀に唯一個所「於己陀智」(起立)という例のある外、すべてコの仮名としてのみ用いられている。キは漢音系統の音と思われるが、奈良時代以降ならば兎も角も、推古天皇時代の仮名にこの種の音が用いられることは、あまり早過ぎはしまいか。 併しながら、『古事記』と同じ時代に於て、すべての人が毛と母とを書き分け、発音し分けていたとは思われない。『常陸風土記』や『播磨風土記』に『古事記』と合わない用例の存することは特殊の方言をあらわすものであるからともいわれようけれど、記よりも僅か八年後に出来た『日本書紀』では、両者が完全に混用されている。又『万葉集』に引かれた柿本朝臣人麻呂歌集の歌は、文字の用法に著しい特徴のある点で真淵以来の学者の注意を惹いているものであるが、同歌集の歌にも助詞のモを毛と書いたり、地名のミモロ(記に美母呂)を三毛侶と書いたりするような、記と合わない例がある。もっともこれだけならば、『万葉集』に引かれる際多少の変形を蒙った結果とも見られないことはないが、助(ノり)詞カモ、ガモ(記ではいずれにも母を用いる)に鴨(記には加毛とある)を充てるが如きは、人麻呂歌集の歌に極めて普遍的にあらわれる用字法であって、必ず原形に於てもそうであったろうと思われるのである。 『古事記』とほぼ同時代の多くの書物に於て、毛と母とがかように混用されているとすれば、たとい『古事記』で両者が使い分けられていても、それは恐らく音韻上の区別をあらわすものではあるまいという疑も起ろう。併しこの使い分けが音節結合の法則にぴったり合っているという事実から見れば、毛と母との間にはどうしてもコソトノヨロに於ける両類の区別と同様な音韻上の区別があったものと見るより外はないのである。然らば、一歩を譲って両者の間に音韻上の区別を認めるとしても、同時代の書物に於て既に多くの混用の例が存する以上は、『古事記』撰録の時代に於ける発音をそのままあらわしているものとは思われない。もし音韻上の区別とすれば、それは『古事記』の基礎になったいわゆる先代旧辞の書かれた時代の音韻状態をあらわすもので、『古事記』はただもとの文字をそのまま踏襲しただけではないか、と疑う人があるかも知れない。併し『古事記』の基礎になった先代旧辞といえば、どうしても壬申の乱以前のものでなければならず、壬申の乱といえば聖徳太子の嘉後五十一年、記の撰録当時を去ること四十年の昔に当る。それ程古い時代に書かれたものとしては『古事記』の仮名字体は全体として余りに奈良時代的である。その上その序文に「然上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心。全以音連者、.事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。即辞理巨見、以注明、意況易解更非注。亦於姓日下謂玖沙詞、於名帯字謂多羅斯、如此之類、随本不改。」と見える趣から考えると、『古事記』に於ける文字の用法は、無論大体はその当時の習慣に従うたことではあろうが、細かい点に至っては、安万侶自身が独特の方針を以て自由に選択したものと考えられる。それ故、仮名の字体や用法について多少は旧辞の影響を受けた点はあるかも知れないが、もしも安万侶自身が毛と母とを音韻上区別していなかったならば、たとい旧辞に毛と母とが使い分けられていたとしても、それを見てその使い分けられなければならなかった理由を理解することは出来ないわけであり、従って彼自身が自由に仮名を用いて古語や古歌を写すに当り、二百有余の用例の中で一つや二つ混用の例を作らない筈は無い。結局、どう考えて見ても、『古事記』に於ける毛と母との使い分けは、安万侶自身の言語に存した音韻上の区別に基くものであったと考えるより外は無いのである。安万侶は記の撰進後十一年にして残したが、その享年は明かでない。併し特に命ぜられて『古事記』の撰録に当る位の人ならば、その学識に於て一代に聞えていたことは勿論であるが、又当時既に相当の年輩の人であったことも想像するに難くない。音韻状態の変化しつつある過渡期に於て、既に一般の人々には忘れられてしまった音韻上の古い区別がただ少数の高齢者にのみ記憶されていることは有り得べきことである。 なお、『万葉集』巻五では、別に毛と母とが使い分けられているというわけではないけれど、『古事記』で毛を用いた場合には多く毛を用い、『古事記』で母を用いた場合には多く母を用いる傾向が相当に著しい。 (一) 記で毛を用いた場合(合計 毛一四 母二) モユ(燃) 母一 モモ(百) 毛六(毛毛と書いた所三個所) イモ(妹) 毛四 母一 クモ(雲) 毛四 (二)記で母を用いた場合(合計 毛一三 母一〇四 その他) モ(助詞) 母六八(六七乃至七〇) 毛八(又は七) 聞二 勿二 茂一 [イ舞]一 忘一 (裳一) トモ(雖) 母五 毛二 勿二 ドモ(雖)母五毛一 モツ(持) 物一 オモフ(思) 母一四 毛一 忘一 トモ(共)母一 ドモ(等) 母三 トモシ(羨) 母一 モト(本) 母一 毛一 モノ(物) 母六 物三 勿一 但し巻末に「右一首作者未詳。但以裁歌之体似於山上之操、載此次焉。」(一首とはあるものの、この註の直前にある短歌一首だけを指すものとは思われない。長歌一首及び短歌二首の全体にかかる註と考えるより外は無い)として附載されている恋男子名古日歌三首は、仮名の字体に於て巻中の他の部分殊に憶良の歌とは大いに異なっている。それ故、歌は或は憶良のものかも知れないが、文字は憶良の書いたままではあるまじく、その書き下された年代も明かでない故、右の表の中では勘定に入れなかった。この表は流布本によって計算した結果であるが、文字の種類及び数は本によって多少違っている。括弧の中に記したものは即ちそれである。かように『万葉集』巻五のモの仮名の用法に記と一致する場合の多いわけは、同巻が『万葉集』中で比較的古い部分であるためばかりでなく、殊に巻中の主要な作者(旅人.憶良等)がいずれも当時七十代又は六十代の高齢者であるため、古い習慣が文字の用法上に多く保存されたものと見ることが出来る。もっとも毛と母の用法上、記と一致しない例は、この両人の歌の中にも少数ながら存するのであって、彼等が果して毛と母とを実際音韻上区別していたかどうかは疑わしい。併し「法王帝説」や初期の宣命や『万葉集』巻五に於て、モの仮名の用法上『古事記』と相通ずる点の存するという事実は、かつてモの仮名が世間一般に両類に使い分けられていた時代の存在することを暗示するもののように思われる。 念のため、『古事記』にあらわれるモの仮名の用例を全部挙げておく。 一、毛 1、燃ゆ 毛由流(景行、履中) 2、守る 伊由岐麻毛良比(神武) 宇毛理王(敏達) 3、もこ(宣長は許処の義とし、守部は如の義とす) 和賀毛古遍許牟(応神) 4、百 毛毛志紀能(雄略) 毛毛陀流(雄略) 毛毛知陀流(応神) 毛毛豆多布(応神、顕宗) 5、股 毛毛那賀爾(神代) 毛毛那賀邇(神代) 6、妹 伊毛(神代ニツ、応神、仁徳、允恭二ツ)和藝毛(仁徳) 7、鴨 加毛度久斯麻(神代) 8、肝 岐毛牟加布(仁徳) 9、雲 久毛(神武ニツ) 土雲【訓雲云具毛】八十建(神武) 玖毛婆那礼(仁徳) 久毛韋(景行) 夜久毛多都(神代) 10、下 斯毛都勢(允恭) 斯毛都延(雄略) 11、ほつもり(紅顔を形容する擬態語か) 本都毛理(応神) 12、国名 伊豆毛(神代) 伊豆毛多祁流(景行) 13、地名 迦毛大御神(神代) 14、人名 多遅摩毛理(垂仁ニツ) 多遅麻毛理(垂仁、応神) 15、種族名 土雲【訓雲云具毛】八十建(重出、神武) 16、地名 毛受之耳原(仁徳) 毛受(履中)毛受野(反正) 17、人名 山代之玖玖麻毛理比売(景行) 二、母 1、も(助詞) 母(神代十七、神武ニツ、景行二ツ、仲哀二ツ、応神八ツ・仁徳十一,履中・允恭八ツ・雄略十八、顕宗四ツ) とも(雖、助詞) 登母(神代、神武、仁徳三ツ、允恭) ども(雖、助詞) 杼母(応神) 2、も(接頭辞) 母由良邇(神代) 母由良爾(神代ニツ) 3、持つ 母多勢良米(神代) 母知(神武二ッ、仁徳二ツ、雄略) 岐許志母知袁勢(応神) 母多受(仁徳) 母知て(履中) 4、物 母能(仁徳、履中、雄略ニツ) 5、本 母登(神武、応神、雄略三ツ) 母登幣(応神) 加岐母登(神武) 比登母登(神武) 比登母登須宜(仁徳ニツ) 比登母登須須岐(神代) 6、神杜(又は地名)美母呂(仁徳、雄略ニッ) 7、思ふ 意母閇杼(景行) 意母布(応神) 許許呂波母閇杼(応神ニツ)淤母比伝(応神四ツ) 阿比淤母波受阿良牟(仁徳) 阿賀母布伊毛(允恭) 阿賀母布都麻(允恭) 淤母比豆麻(允恭、雄略) 意母比豆麻(允恭) 8、菰、薦 加理許母能(允恭) 多多美許母(景行、雄略) 多都碁母(履中) 9、籠る 刺許母理坐也(神代) 許母理久能(允恭ニツ) 許母理豆能(仁徳) 阿袁加岐夜麻碁母礼流(景行) 10、伴、共 等母邇(仁徳) 登母(神武) 古杼母(応神) 袁登売杼母(神武) 加流袁登売杼母(允恭) 11、黄泉 豫母都志許売(神代) 12、廻す 本岐母登本斯(仲哀) 斯麻理母登本斯(清寧) 廻る 波比母登富呂布(神武、景行) 伊波比母登富理(神武) 13、羨し 登母志岐呂加母(雄略) 14、衣 斯米許呂母(神代) 15、神名 天之久比奢母智神(神代) 国之久比奢母智神(神代ニツ) 16、神名 淤母陀琉神(神代) 17、地名 許呂母之別(垂仁) 18、人名 多遅摩母呂須玖(応神) 19、神名 布波能母遅久奴須奴神(神代) 20、人名 夜麻登登母母曽毘売命(孝霊) 三、その他 以上のほか、 風木津別之忍男神【】(神代) 文漏邪夜能(仁徳) の木・文の如きも或はモの仮名であるかも知れないが、確実でないから除いておく。なお、 母泥能阿治佐波毘売(開化) の母泥は恐らく誤で、真福寺本に丹波とあるのが原形であろう。 最後に固有名詞のモを含む部分を、訓読すべき漢字によってあらわした例は次の通りである。これらの中には漢字本来の意味に用いられていると認められるものもあり、又借字と考えられるものもあるが、どちらか区別のつき難いものも甚だ多い。 1、豊雲野神(トヨクモノノカミ(神代) 2、黄泉国、黄泉戸喫、黄泉神、黄泉軍、黄泉比良坂(三ツ)黄泉津大神((以上皆神代) 3、思金神(神代七ツ) 4、出雲(神代八ツ、垂仁四ツ、景行) 出雲建(景行五ツ) 出雲郎女(継体) 5、御諸山(神代、崇神) 6、喪山(神代) 7、大伴(神代、神武、景行)大伴王(欽明) 8、佐比持神(神代) 9、贅持之子(ニヘモツノコ(神武) 10、土雲 (神武) 訓雲云具毛 11、宇陀水取(神武) 12、物部 (モノノベ)(神武清寧継体) 13、大物主神(オホモノヌシノカミ)(神武)大物主大神(ォホモノヌシノォネガラミミ)(崇神ニツ) 14、大倭日子銀友命(ナデテヤマトヒコスキトモノミコト)(安寧ニツ、蟄徳) 15、大吉備諸進命(ナホキどノモパスデ こノニラコト)(孝安) 16、三野国之本巣国造(開化) 17、道守臣(ラナモリノォミ)(開化) 18、鴨君(カモノキミ)(崇神) 19、三川之衣君(垂仁) 20、守君(景行) 21、御銀友耳建日子(景行) 22、大靹和気命(ナでホトモワレノノミコト)(仲哀ニツ) 23、大山守命(オホヤマモリノミコト)(応神七ツ) 24、山守部(ヤマモリベ)(応神) 25、酢鹿之諸男(スカノモロヲ)(応神) 26、百師木伊呂辮(モモシキイロベ)(応神) 27、川内恵賀之裳伏岡(カフチノヱガノモフシノヲカ)(応神) 28、日向之諸縣君牛諸(ヒムカノムラガタノキミウシモロ)(仁徳) 29、坂本臣(サカモトノォミ)(安康) 30、橘本之若子王(クチバナモトノワクゴノミコ)(欽明) 31、岡本宮(ヲカモトノミャ)(敏達) 以上の訓は大体宣長の説に拠ったのであるが、この場合はそれで大過は無さそうに思われる。 日向国之諸縣君(応神) 日向之諸縣君(仁徳) の諸縣については、『古事記伝』に、「諸縣君(ムラガタノ)は、和名抄に、日向(ノ)国諸縣(ノ)郡牟良加多(ムラガタ)とある是なり(何れの古書にも、みな諸縣と書たるを思へば、本は毛呂賀多(モロガタ)なりけむを、牟良(ムラ)とはやや後に訛れるも知(リ)がたけれど、姑(ク)和名抄に依て訓(メ)り云々)」と言っている。 さて、雲(クモ).守(モル)・鴨(カモ)・百のモは字音仮名では常に毛の字であらわされている故、以上の中1 4 10 17 18 20 23 24 26に含まれたモは甲類のものであり 黄泉(ヨモツ).思(オモフ)。伴(トモ)(友(トモ)).持(モツ).物(モノ).本(モト).衣(コロモ)のモは字音仮名では常に母の字であらわされている故、 2 3 7 8 9 12 13 14 16 19 21 29 30 31に含まれたモは乙類のものである。又地名のミモロは字訓を借りては御諸、字音を借りては美母呂という形であらわされている故、諸(モロ)のモは乙類のものであり、従って15 25 28に含まれたモも乙類のものと考えられる。併し喪(モ).水(モヒ).靹(トモ).裳(モ)については、字音仮名書きの例その他モの所属を決定するに足る証拠が見当らないため、6 11 22 27に含まれたモは甲類のものか乙類のものか不明である。 以上のうち 国名のイヅモは出雲の字を借りてあらわされて居り、大和の地名カモは鴨の字を借りてあらわされている故 これらのモは雲(クモ).鴨(カモ)のモと同じく甲類のものと思われるのであるが、字音仮名でもやはり伊豆毛・迦毛と書かれて居り まさしく甲類の仮名を用いてあるのである。 固有名詞以外の語に含まれたモの音を、漢字の訓を借りてあらわした例としては、 八十友緒(ヤソトモノヲ)(八十部長允恭) 位なものであるが、友と部とは本来同じ言葉であろうから・発音も多分同じことであったろうと思われる。 前稿に述べた音節結合の法則は、之を簡明にまとめていいあらわせば次の通りである。 第一則、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根(動詞は語幹)内に共存することが無い。 第二則、乙類のオ列音はウ列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。 第三則、乙類のオ列音はア列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。 この中確実に言い得ることは、 1、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根(動詞は語幹)内に共存することが無い。 2、ウ列音とオ列音とから成る二音節語根に於て、そのオ列音は乙類のものではあり得ない。 という二つの事実であり、その他は寧ろ傾向という程度のものである。 『国語と国文学』第九巻第一一号(昭和七年) http //www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/05.pdf
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M-Tea*5_17-校註『古事記』(九)武田祐吉 2012.11.17 第五巻 第一七号 校註『古事記』(九) 武田祐吉 古事記 下つ巻 三、允恭(いんぎょう)天皇 后妃(こうひ)と皇子女 八十伴(やそとも)の緒の氏姓 木梨の軽の太子 四、安康天皇 目弱(まよわ)の王の変 市の辺の忍歯(おしは)の王 五、雄略天皇 后妃と皇子女 若日下部の王 引田部の赤猪子(あかいこ) 吉野の宮 葛城山 春日の袁杼比売(おどひめ)と三重の采女(うねめ) imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一七号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/213319) ※ クリックするとダウンサイトへジャンプします。 (456KB) 定価:200円 p.183 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(32項目)p.124 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 石川さゆりが、まっかっか♪ 週刊ほほほーいのほーい♪ 夏草の あいねの浜の 蛎貝(かきかい)に 足踏ますな。 明(あか)してとおれ。 かれ、後にまた恋慕(しのひ)にたえかねて、追いいでまししとき、歌いたまいしく、 君が行き け長くなりぬ。 山たづの 迎えを行かん。 待つには待たじ。〈ここに山たづといえるは、今の造木なり〉 かれ追いいたりまししときに、待ち懐(おも)いて、歌いたまいしく、 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山の 大尾には 幡(はた)張(は)り立て、 さ小尾には 幡張り立て、 大尾よし ながさだめる 思い妻あわれ。 槻(つく)弓の 伏(こや)る伏(こや)りも、 梓弓 立てり立てりも、 後も取り見る 思い妻あわれ。 また歌いたまいしく、 隠国の 泊瀬の川の 上(かみ)つ瀬に 斎杙(いくい)を打ち、 下(しも)つ瀬に ま杙(くい)を打ち、 斎杙には 鏡をかけ、 ま杙には ま玉をかけ、 ま玉なす 吾(あ)が思(も)う妹、 鏡なす 吾が思ふ妻、 ありと いわばこそよ、 家にも行かめ。国をも偲(しの)わめ。 かく歌いて、すなわちともにみずから死せたまいき。かれこの二歌は読歌なり。(「三、允恭天皇」「木梨の軽の太子」より) 5_17.rm (朗読:RealMedia 形式 276KB、2 14) milk_tea_5_17.html (html ソーステキスト版 212KB) 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 新羅の国主 しらぎのこにきし 坂本の臣 さかもとのおみ 腰佩 こしはき わが畳ゆめ ながさだめる 二つの目 五処の屯倉 いつところのみやけ? 立縵 磐木縵 いわきかずら 御心したまえ 尾行きあえ 葛城の三諸 むしとりホイホイ スリーパーズ日記* 読歌(よみうた)…… 黄泉歌? 古事記の中のたたみ語 テキスト:武田祐吉校註『古事記』。 アプリ:YooEdit 1.71 検索:\(.\)\(.\)\1\2 頓首頓首《のみまを》す 諸《もろもろ》 成り成りて 生み生みて ましまして/ましましき/ましましし/ましましける まにまに 清淨《すがすが》し ほらほら すぶすぶ 鳥取《とりとり》 さわさわ 日高日子番《ひこひこほ》 (天つ日高日子番の邇邇藝の命、天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命) 御世《みよみよ》 みつみつし ほとほとに ますます たぎたぎしく なまなま すくすく しばしば さやさや 時時《よりより》 此方此方《こちごち》 検索:\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3 おのもおのも こをろこをろ とををとをを うべなうべな いしけいしけ 立てり立てり 百官《つかさつかさ》 検索:\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3\4 誠惶誠恐《かしこみかしこみ》 検索:\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3\4\5 なし 2012.11.22:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_1-校註『古事記』(一)武田祐吉 2012.7.28 第五巻 第一号 校註『古事記』(一)武田祐吉 古事記 上つ巻 序并わせたり 序文 過去の時代 『古事記』の企画 『古事記』の成立 一、伊耶那岐の命と伊耶那美の命 天地のはじめ 島々の生成 神々の生成 黄泉の国 身禊 二、天照らす大神と須佐の男の命 誓約(うけい) 天の岩戸 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=356 file=milk_tea_5_1.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (644KB) 月末最終号:無料 p.192 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(128項目)p.461 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 鼻から生まれたハナたろう! 週刊あなにやし、あまつまら* 「吾は子を生み生みて、生みの終に、三柱の貴子(うづみこ)を得たり」と詔(の)りたまいて、すなわちその御首珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神にたまいて詔りたまわく、「汝(な)が命は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さしてたまいき。かれその御首珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神という。つぎに月読の命に詔りたまわく、「汝が命は夜の食(おす)国を知らせ」と、言依さしたまいき。つぎに建速須佐(たけはやすさ)の男(お)の命に詔りたまわく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまいき。 かれ、おのもおのもよさし〔寄(よ)さす。おまかせになる〕たまえる命のまにま知らしめすうちに、速須佐の男の命、依さしたまえる国を知らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)にいたるまで、啼(な)きいさちき。その泣くさまは、青山は枯山なす泣きからし、河海はことごとに泣き乾しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音(おと)ない、狭蝿なすみな満ち、万の物のわざわいつぶさに発りき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまわく、「なにとかも汝は言依させる国を治らさずて、哭(な)きいさちる」とのりたまえば、答え白(もう)さく〔申すには〕、「僕は妣(はは)の国根の堅洲(かたす)国に罷らんとおもうがからに哭(な)く」ともうしたまいき。ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿(いか)らして詔りたまわく、「しからば汝はこの国にはな住(とど)まりそ」と詔りたまいて、すなわち神逐(かむやら)いに逐いたまいき。かれ、その伊耶那岐の大神は、淡路の多賀にまします。(「身禊」より) 5_1.rm (朗読:RealMedia 形式 368KB、2'59'') milk_tea_5_1.html (html ソーステキスト版 284KB) 稗田の阿礼 ひえだの あれ ?-? 生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。 太の安万侶 おおの やすまろ ?-723 (?-養老7.7.6) 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 稗田阿礼、太安万侶、武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 典教 杖矛 じょうぼう 大糜 おおがゆ? 軒后 → 賢后か? 賢后 けんこう (「后」は君主)賢い天皇。 周王 化熊 ばけくま? 訓仮字 よみがな? 一木 ひとつけ 殺さえたまいし 殿内 とのぬち 殿の縢戸 とのの くみど 殿の騰戸 身禊 御帯 おもほさく 取り佩ばし 営田の畔 みつくたの あ 然すれども しか すれども? 天の金山 あめのかなやま 天の日影 あめのひかげ 天の真拆 あめのまさき 麻楮 まちょ? 高千の巓 たかちのたけ 高倉 坂本 さかもと 夜の食国 よの おすくに 明日香川 香山の畝尾 かぐやまの うねお 湯津石村 ゆついわむら 天の両屋 あめのふたや スリーパーズ日記* 綿津見、わだつみ、……あわ(泡)たつ(立つ)み(水)? 七月一四日(土)県立博物館。講演会、小林達雄「縄文人の祈りと土偶」。聴衆一〇〇名超。若い女性が多い。縄文の女神。よしよし。以下、敬称略。 縄文時代に定住がはじまったという説には同意。大きくて壊れやすい土器をかついで移動したとは考えられないし、墓をつくって親しい人を埋葬した形跡があるということは、置き去りにして移住するのにしのびない。 小林はさらに「縄文時代にコトバを獲得した」「縄文人は農耕に見向きもしなかった」という持論を展開する。この二点に関しては疑問。狩猟時代、コトバなくして集団で狩りをすることが可能だったろうかといえば、そうは思いにくい。「農耕とは、少ない品種に時間と労力を費やすこと」と小林は定義するが、彼の論敵である佐々木高明がいうように、それでは基礎的な畑作農耕が存在しないまま、弥生時代に突然、高度な技術を要する水田稲作農耕が列島に普及したことになってしまう。(佐々木高明『稲作以前』) 土偶について。カオナシや抽象的な表情にとどまるのは、具体的なヒト(=自分たち)を表現することが目的ではなかったせいで、ヒトにあらざるもの、目に見えない何か、気配、精霊、スピリットだったからだと推理する。この小林のスピリット説、かなりいい線いってると思う。 土偶については星野之宣も『宗像教授シリーズ』で独特な説を展開しているが、ぼくはひそかに「まれびと」の可能性を考えている。スピリットとまでは飛躍しないものの、自分たちとコトバや習俗が異なる、めったに遭遇することのないヒトたち。たとえば自分が雪山で遭難したとする。疲労困憊で動けなくなりあきらめかけていたところへ、変なサングラスをかけて、獣皮で体をすっぽりおおった、ズングリムックリの異形の者(たち)が、干し肉と飲み水をあたえ、帰り道を案内してくれたとする。 自分を助けてくれた異形の者たちのことを家族や仲間に伝え、命の恩人でありかつ、家族にとっても救い主だった者たちのことを語り伝えたい、ときっと思ったにちがいないと。 2012.7.31:公開 玲瓏迷人。 得意技、カミカゼ・アッタク、後家みさご。 むくげの花。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_3-校註『古事記』(三)武田祐吉 2012.8.11 第五巻 第三号 校註『古事記』(三)武田祐吉 古事記 上つ巻 五、天照らす大御神と大国主の神 天若日子(あめわかひこ) 国譲り 六、邇邇芸(ににぎ)の命 天降(あも)り 猿女の君 木の花の佐久夜毘売 七、日子穂穂出見(ひこほほでみ)の命 海幸と山幸 豊玉毘売の命 八、鵜葺草葺合(うがやふきあ)えずの命 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第三号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/203648) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (552KB) 定価:200円 p.158 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(72項目)p.296 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. にんにきにきにきっ! 週刊にぎにぎっ* ここに天つ日高日子番の邇邇芸の命、笠紗(かささ)の御前に、麗(かおよ)き美人に遇いたまいき。ここに、「誰が女ぞ」と問いたまえば、答え白(もう)さく、「大山津見の神の女、名は神阿多都比売。またの名は木の花の佐久夜毘売ともうす」ともうしたまいき。また「汝が兄弟ありや」と問いたまえば答え白さく、「わが姉石長比売あり」ともうしたまいき。ここに詔りたまわく、「吾、汝に目合(まぐわい)せんと思うはいかに」とのりたまえば答え白さく、「僕はえ白さじ。僕が父大山津見の神ぞ白さん」ともうしたまいき。かれその父大山津見の神に乞いに遣わししときに、いたくよろこびて、その姉石長比売をそえて、百取の机代の物を持たしめてたてまつり出しき。かれここにその姉は、いと醜きによりて、見かしこみて、返し送りたまいて、ただその弟木の花の佐久夜毘売をとどめて、一宿(ひとよ)婚(みとあた)わしつ。(略) かれ後に木の花の佐久夜毘売、まい出て白さく、「妾は妊みて、今産(こう)むときになりぬ。こは天つ神の御子、ひそかに産みまつるべきにあらず。かれ請す」ともうしたまいき。ここに詔りたまわく、「佐久夜毘売、一宿にや妊める。こはわが子にあらじ。かならず国つ神の子にあらん」とのりたまいき。ここに答え白さく、「わが妊める子、もし国つ神の子ならば、産むとき幸くあらじ。もし天つ神の御子にまさば、幸くあらん」ともうして、すなわち戸なし八尋殿を作りて、その殿内に入りて、土もちて塗りふたぎて、産むときにあたりて、その殿に火をつけて産みたまいき。かれその火の盛りに燃ゆるときに、生れませる子の名は、火照の命〈こは隼人、阿多の君の祖なり。〉つぎに生れませる子の名は火須勢理の命、つぎに生れませる子の御名は火遠理の命、またの名は天つ日高日子穂穂出見の命。(「木の花の佐久夜毘売」より) 火照の命 ほでりのみこと 海幸彦。 火遠理の命 ほおりのみこと 山幸彦。彦火火出見尊。神武天皇の祖父。 笠紗の御前 かささの みさき → 笠狭崎か 笠狭崎 かささの みさき 記紀神話で瓊瓊杵尊が降臨後とどまった所。伝承地は鹿児島県南さつま市笠沙町の野間崎。 5_3.rm (朗読:RealMedia 形式 568KB、4'37'') milk_tea_5_3.html (html ソーステキスト版 252KB) 稗田の阿礼 ひえだの あれ ?-? 生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。 太の安万侶 おおの やすまろ ?-723 (?-養老7.7.6) 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 稗田阿礼、太安万侶、武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 伊耶佐の小浜 いざさの おはま 伊那佐の小浜。出雲市付近の海岸。 五十田狭之小渚 いたさのおばま 多芸志の小浜 たぎしの おばま 出雲市の海岸。 河鴈 鳥の遊漁 あそびすなどり 支ち加え あかちくわえ ま来通り 浮渚 あまい 幸幸 五百鉤 いおはり 一千鉤 ちはり たま 将ちきて もちきて まい出きつ 逃げ退き にげそき むしとりホイホイ 埴《はこ》 → 埴《はに》 【に?】 淤煩鉤《おばち》 → 淤煩鉤《おぼち》 【ぼ?】 以上2件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 級数と行間を変更した後なりゆきにまかせると、ページの最終行が大きく開いてしまうことがある。悩んだすえに、その前後だけ手心を加えることにした。 安彦良和『ナムジ』第一巻(徳間書店、1997)読了。大胆ながらも、もっともリアリティのある仮説を提供しているんじゃないだろうか。 ところで、魑魅魍魎、百鬼夜行のオンパレードのような『古事記』(『校註 古事記』武田祐吉)には、「雷神」や「醜女」は登場するが、「鬼」の文字は出てこない。「魏」もなし。 韓の神、韓国、韓鍛、韓人、韓袋、韓比売……以上「韓」の字は七か所。「唐」は皆無。秦の造、秦人……以上「秦」は二か所。「中つ国」は十五か所。いずれも「葦原の中つ国」。夷振、蝦夷……以上「夷」は四か所。「新羅」が七か所。「百済」が四か所。「高麗」「高句麗/高勾麗」は皆無。「任那」「伽耶」もなし。「八島」は八か所。 ちなみに「醜」は、黄泉国で三か所、石長比売で一か所、比婆須比売で二か所、合計六か所の登場。 イラン、M6.4, M6.3。 ペルセウス座流星群、金星食、雷雨。 2012.8.15:公開 玲瓏迷人。 さるすべりとひまわりがようやく。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*3_30-現代語訳『古事記』(一)武田祐吉 2011.2.19 第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』(一) 序・上巻(前編) 武田祐吉(訳) 古事記 上の巻 序文 過去の時代(序文の第一段) 『古事記』の企画(序文の第二段) 『古事記』の成立(序文の第三段) 『古事記』の成立(序文の第三段) 一、イザナギの命とイザナミの命 天地のはじめ 島々の生成 神々の生成 黄泉の国 身禊 二、アマテラス大神とスサノオの命 誓約 天の岩戸 三、スサノオの命 穀物の種 八俣の大蛇 系譜 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第三〇号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/123670) ※ クリックすると購入サイトへジャンプします。 (640KB) 定価:200円 p.163 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(127項目)p.423 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. ひきこもれ! 週刊ミルクティー* スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。 かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、「わたくしはこの国の神のオオヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか?」とおたずねになったので「わたくしの女(むすめ)はもとは八人ありました。それを高志(コシ)の八俣の大蛇(おろち)が毎年きて食べてしまいます。今また、それの来る時期ですから泣いています」と申しました。 肥の川 ひのかわ 斐伊川(ひいかわ)。 鳥髪 とりかみ 鳥上。現、船通山。島根県横田町と鳥取県日野郡日南町との県境にまたがる山で標高1142.5m。古代から出雲・伯耆の国境をなす。(歴史地名) 高志 こし 越の国。北陸道の古称。 3_30.rm (朗読:RealMedia 形式 428KB、3'28'') milk_tea_3_30.html (html ソーステキスト版 236KB) 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究—帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。 底本 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教/神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html スリーパーズ日記 川崎利夫『出羽の遺跡を歩く』(高志書院、2001.2)読了。こちらは旧石器捏造事件発覚後の著述。安田喜憲、阿部正己、喜田貞吉らの名前も出てくる。本書によれば、西日本にみられる青銅の銅鐸や銅剣や銅鉾が県内で発掘された例はないらしい。ところが、鳳凰の頭を柄にもつ鉄製の環頭太刀(かんとうたち)、十八振の蕨手刀(わらびてとう)、そして羽黒山鏡ヶ池から六〇〇面近い銅鏡が出土している。 『ず・ぼん』16号(ポット出版、2011.1)読了。シジュウカラの初鳴き。 2011.2.20:公開 2011.2.22:更新 コシの八俣のオロチョン。 目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 『古事記』は NDC 分類の 913(日本文学)だろうかとも思いましたが、今回は 164(宗教/神話.神話学)に分類してみました。リンク先がエラーになるのは、登録作品がいまのところ青空本体にないためです。 -- しだ (2011-02-25 03 03 34) 名前 コメント
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M-Tea*5_9-校註『古事記』(六)武田祐吉 2012.9.22 第五巻 第九号 校註『古事記』(六) 武田祐吉 古事記 中つ巻 五、景行天皇・成務天皇 后妃と皇子女 倭建(やまとたける)の命の西征 出雲建(いずもたける) 倭建の命の東征 思国歌(くにしのひうた) 白鳥の陵(みはか) 倭建の命の系譜 成務天皇 六、仲哀天皇 后妃と皇子女 神功皇后 鎮懐石と釣り魚 香坂の王と忍熊の王 気比(けひ)の大神 酒楽(さかくら)の歌曲 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第九号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/207408) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (544KB) 定価:200円 p.215 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(46項目)p.222 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 瓦礫の下には村上龍が埋まっている。週刊なまなま* その太后(おおきさき)息長帯日売の命〔神功皇后〕は、当時(そのかみ)神帰(かみよ)せしたまいき。かれ天皇〔仲哀天皇〕、筑紫の訶志比(かしひ)の宮にましまして熊曽の国を撃たんとしたまうときに、天皇御琴(みこと)を控(ひ)かして、建内の宿祢の大臣沙庭にいて、神の命を請いまつりき。ここに太后、神帰せして、言教え覚し詔りたまいつらくは、「西の方に国あり。金銀をはじめて、目耀(まかがや)く種々の珍宝その国に多(さわ)なるを、吾今その国を帰(よ)せたまわん」と詔りたまいつ。ここに天皇、答え白したまわく、「高き地(ところ)に登りて西の方を見れば、国は見えず、ただ大海のみあり」と白して、いつわりせす神と思おして、御琴を押し退けて、控きたまわず、黙(もだ)いましき。ここにその神いたく忿(いか)りて詔りたまわく、「およそこの天の下は、汝(いまし)の知らすべき国にあらず、汝は一道(ひとみち)〔一説に、死出の道。冥土〕に向かいたまえ」と詔りたまいき。ここに建内の宿祢の大臣白さく、「恐(かしこ)し、わが天皇。なおその大御琴あそばせ」ともうす。ここにややにその御琴を取りよせて、なまなまに控きいます。かれ、幾時もあらずて、御琴の音聞こえずなりぬ。すなわち火をあげて見まつれば、すでに崩(かむあが)りたまいつ。 5_9.rm (朗読:RealMedia 形式 312KB、2 30) milk_tea_5_9.html (html ソーステキスト版 296KB) 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 惚《たしな》め 珍宝 うづたから いつわりせす神 言教え 知らまくほし 鎮懐石 ちんかいせき 幣 みやじり 酒楽の歌 さかくらのうた 倭根子の命 やまとねこのみこと 三野の宇泥須和気 倭の屯家 やまとの みやけ 息長田別の王 おきながたわけのみこ 難波の吉師部 なにわのきしべ 沙沙那美 ささなみ 篠波。滋賀県か。 恵賀の長江 えがのながえ 恵賀は現、大阪府羽曳野市恵我之荘か。 小河 佐賀県。 勝門比売 磯の名。佐賀県。 むしとりホイホイ 北魚澤郡 → 北魚沼郡 【沼か】 矜《くび》 → 衿《くび》 【衿か】 「えりくび」の意。 以上2件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。 たけ 「建」……112件。 「健」……1件。「男健《をたけび》」 「武」……2件。「相武《さがむ》の國」「金波鎭漢紀武《こみはちにかにきむ》」 「竹」……19件。 禾の部 「稻」……28件。 「米」……28件。 「麥」……1件。「陰《ほと》に麥生り」 「穗」……41件。 「穀」……なし。 「穢」……6件。 「稗」……2件。いずれも序「稗田の阿禮」 「稔」……なし。 「稙」……なし。 「種」……18件。 「稚」……2件。「國|稚《わか》く」「八|稚女《をとめ》」 「秦」……2件。「秦《はた》の造《みやつこ》の祖」「秦《はた》人」 「秋」……16件。 直前に読んでいた本の中に、二十八宿に関する記述があった。古代日本と陰陽道の関係を示唆するものとして説明づけている。(碓井洸『三角縁神獣鏡と邪馬台国――古代国家成立と陰陽道』友月書房、2006.6) 二十八宿とは古代中国の星座(星宿)のことで、黄道の東西南北の四神をさらに七分ずつしたもの。高松塚古墳の壁画に二十八宿図が描かれてある。「28という数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である27.32日に由来すると考えられ」る。(Wikipedia) 三角縁神獣鏡や古代天皇名称の漢字画数などに、マジックナンバー「28」がしばしば出現する……というのだけれど、ざんねんながら博引旁証・牽強付会のきらいがって、信用に足るのか判断つかない。 ところが、なにげにかぞえた『古事記』の中の「稻」と「米」の出現数が、両方とも28。いまのところ確認できたのはこの2つだけなので何ともいえないが、偶然にしてはできすぎているようで、ちょっと。。。 2012.9.25:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しらひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_2-校註『古事記』(二)武田祐吉 2012.8.4 第五巻 第二号 校註『古事記』(二)武田祐吉 古事記 上つ巻 三、須佐の男の命 穀物の種 八俣の大蛇 系譜 四、大国主の神 兎とワニ 貝比売と蛤貝比売 根の堅州国 八千矛の神の歌物語 系譜 少名毘古那の神 御諸(みもろ)の山の神 大年(おおとし)の神の系譜 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第二号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/203641) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (512KB) 定価:200円 p.158 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(54項目)p.212 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 内はほらほら、外(と)はすぶすぶ! 週刊すぶすぶ* ここに速須佐の男の命、その童女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)にとらして、御髻(みみずら)に刺さして、その足名椎・手名椎の神に告(の)りたまわく、「汝たち、八塩折(やしおおり)の酒を醸(か)み、また垣を作り廻(もとお)し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの仮(さずき)を結い、その仮ごとに酒船を置きて、船ごとにその八塩折の酒を盛りて待たさね〔してほしい〕」とのりたまいき。かれ告りたまえるまにまにして、かく設(ま)け備えて待つときに、その八俣の大蛇、まことに言いしがごと来つ。すなわち船ごとに己が頭を乗り入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔いて留まり伏し寝たり。ここに速須佐の男の命、その御佩(みはかし)の十拳の剣をぬきて、その蛇を切り散(ほふ)りたまいしかば、肥の河血になりて流れき。かれその中の尾を切りたまうときに、御刀の刃毀(か)けき。ここに怪しと思おして、御刀の前もちて刺し割きて見そなわししかば、都牟羽(つむは)の大刀あり。かれこの大刀を取らして、異しき物ぞと思おして、天照らす大御神に白(もう)しあげたまいき。こは草薙の大刀なり。 かれここをもちてその速須佐の男の命、宮造るべき地(ところ)を出雲の国に求(ま)ぎたまいき。ここに須賀の地にいたりまして詔りたまわく、「吾、ここに来て、我が御心清浄(すがすが)し」と詔りたまいて、そこに宮作りてましましき。かれ、そこをば今に須賀という。この大神、はじめ須賀の宮作らししときに、そこより雲立ちのぼりき。ここに御歌よみしたまいき。その歌、 や雲立つ 出雲八重垣。 妻隠(つまご)みに 八重垣作る。 その八重垣を。 ここにその足名椎の神を喚(め)して告りたまわく、「汝をばわが宮の首(おびと)に任(ま)けん」と告りたまい、また名を稲田の宮主須賀の八耳の神と負(おお)せたまいき。(「八俣の大蛇」より) 5_2.rm (朗読:RealMedia 形式 480KB、3'58'') milk_tea_5_2.html (html ソーステキスト版 228KB) 稗田の阿礼 ひえだの あれ ?-? 生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。 太の安万侶 おおの やすまろ ?-723 (?-養老7.7.6) 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 稗田阿礼、太安万侶、武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 殺さえましし 河ゆ 檜榲 ひすぎ 蒲の黄 かまのはな 白して言(もう)さく こをば な恋いきこし 上がりまさん 此しよろし こしよろし 寝おしなせ いおしなせ 日子ぢの神 ひこぢのかみ むしとりホイホイ 酸醤 → 酸漿 【漿か】 ほおずき 八鹽折《やしほり》 → 八塩折《やしおおり》 【お?】 以上2件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 地図は因幡、伯耆、出雲の部分のみ。海岸線はおおむね現代地図から借用したが、出雲の部分のみ坂本勝『図説 風土記』(青春出版社、2008.3 p.43, 45)と『別冊太陽 出雲』(平凡社、2003.11 p.12)を参考にして当時の海岸線と河川路・郡域を記した。他に『楽学ブックス 出雲大社』(JTB パブリッシング、2012)、梅原猛『葬られた王朝』(新潮社、2010.4)を参照。 八稚女(やおとめ) 八俣の大蛇 八塩折(やしおおり)の酒 八重垣 八耳(やつみみ)の神 (=足名椎) 八島士奴美(やしまじぬみ)の神 八千矛(やちほこ)の神 (=大国主神) 八十(やそ)神 (=大国主神の兄弟) 八上(やかみ)比売 手間(てま)の山本 大屋毘古(おおやびこ)の神 八田間(やたま)の大室 八島国 八島牟遅(やしまむじ)の神 八河江比売(やがはえひめ) (=葦那陀迦の神) 八束水臣津野(やつかみずおみつの)の命 (『出雲国風土記』国引き神話) 山田(やまだ)の曽富騰(そおど) (=久延毘古、かかし) 倭(やまと) (=山門、やまと) 高志の八俣の大蛇 高志の国の沼河比売(ぬなかわひめ) (大)おおくにぬし←→(小)すくなびこな (=陽と陰) やまたのおろち、やまとのおろち、やまたいのおろち。 2012.8.3:公開 玲瓏迷人。 さるすべりとひまわりがようやく。 しまぶくろ、♪サンデーモーニング。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_10-校註『古事記』(七)武田祐吉 2012.9.29 第五巻 第一〇号 校註『古事記』(七) 武田祐吉 古事記 中つ巻 七、応神天皇 后妃(こうひ)と皇子女 大山守の命と大雀(おおさざき)の命 葛野(かづの)の歌 蟹(かに)の歌 髪長比売 国主歌(くずうた) 文化の渡来 大山守の命と宇遅の和紀郎子 天の日矛 秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫 系譜 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一〇号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=366 file=milk_tea_5_10.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (468KB) 月末最終号:無料 p.142 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(28項目)p.125 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 時忠にあらずんば、もりたごー。週刊かむろふぉん5* また昔、新羅の国主(こにきし)の子、名は天の日矛というあり。この人まい渡り来つ。まい渡り来つる故は、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼(あぐぬま)という。この沼のほとりに、ある賤(しづ)の女昼寝したり。ここに日の耀(ひかり)虹のごと、その陰上にさしたるを、またある賤の男、そのさまを異しと思いて、つねにその女人のおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときより妊みて赤玉を生みぬ。ここにそのうかがえる賤の男、その玉を乞い取りて、つねに裹(つつ)みて腰につけたり。この人、山谷(たに)の間に田を作りければ、耕人(たひと)どもの飲食(おしもの)を牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子天の日矛に遇いき。ここにその人に問いていわく、「何ぞ汝(いまし)飲食を牛に負せて山谷の中に入る。汝かならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人を捕らえて、獄内(ひとや)に入れんとしければ、その人答えていわく、「吾(あれ)、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その国主の子に幣(まい)しつ。かれその賤の夫をゆるして、その玉を持ち来て、床の辺に置きしかば、すなわち顔美(よ)き嬢子になりぬ。よりて婚(まぐわい)して嫡妻(むかいめ)とす。ここにその嬢子、つねに種々の珍つ味を設けて、つねにその夫に食わしめき。かれその国主の子心おごりて、妻を詈(の)りしかば、その女人の言わく、「およそ吾は、汝の妻になるべき女にあらず。わが祖の国に行かん」といいて、すなわち窃(しの)びて小船に乗りて、逃れ渡り来て、難波に留まりぬ。〈こは難波の比売碁曽(ひめこそ)の社にます阿加流比売(あかるひめ)という神なり。〉 ここに天の日矛、その妻の遁れしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、その渡りの神塞(さ)えて入れざりき。かれさらに還りて、多遅摩の国に泊てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾が女、名は前津見に娶(あ)いて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子〈三柱〉。この清日子、当摩の※斐(めひ)に娶いて生める子、酢鹿の諸男、つぎに妹菅竃由良度美、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶いて生める子、葛城の高額比売の命。〈こは息長帯比売の命の御祖なり。〉 かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といいて、珠二貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種なり。〈こは伊豆志の八前の大神なり。〉 5_10.rm (朗読:RealMedia 形式 620KB、5 01) milk_tea_5_10.html (html ソーステキスト版 216KB) 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 阿部の郎女 あべのいらつめ 桜井の田部の連 さくらいのたべのむらじ 柿本氏 かきのもとうじ 阿直の史 あちのふひと 文の首 多遅摩の前津見 たじまのまえつみ 多遅摩の俣尾の女。 多遅摩清日子 たじま きよひこ 多遅摩比那良岐の子。 伊和島の王 いわじまのみこ 堤の池 百済の池 くだらのいけ 訶和羅の前 かわらのさき 伊知遅島 いちじのしま 美島 みしま 阿具沼 あぐぬま 新羅。 大御酒盞 おおみきうき? 小楯ろかも おだてろかも 丸邇坂の土 わにさのに かもがと/かくもがと 古波陀嬢子 こはだおとめ 末ふゆ すえふゆ 吉野の白梼の生 えしのの かしのふ 無酒咲酒 なぐしえぐし いらなけく 玉つ宝 たまつたから 奥つ鏡 おきつかがみ 辺つ鏡 へつかがみ 神習う かみならう? むしとりホイホイ 品陀の天皇。御年 → 品陀の天皇、御年 【、か】 以上1件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 宮脇昭『木を植えよ!』(新潮選書、2006.11)読了。吉野裕子『蛇――日本の蛇信仰』(講談社学術文庫、1999.5)は途中まで。水は火に剋(か)ち、水は木を生じる。金は水を生じ、土は水に剋(か)つ。 木は火を生じ、金は木に剋(か)つ。木、水、蛇。 24日『山形新聞』より。新潟県、がれき受け入れ懸念表明。全都道府県知事のなかで、受け入れ拒否の態度をはっきり表明したのは泉田さんが最初のような気がする。さすがだ。原発保有県であり、かつ中越地震・中越沖地震の経験がある新潟県。ひさしぶりに知事の記者会見を読まねば。 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。 ふじ/ふし/ふち 「藤」……2件。「藤の花」「藤原の琴節の郎女」 「不二」……なし。 「富士」……なし。 「不死」……なし。 「臥」……2件。「病《や》み臥《こや》せり」「沈み臥せ」 「節」……2件。「藤原の琴節の郎女」「八節結り」 「伏」……39件。「伏《ふし》」「伏《こや》せる」「伏《まつろ》はぬ」「伏《な》ぎて」 「附」……2件。「靫を附け」「玉依毘賣に附けて」 「付」……2件。「阿知吉師に付けて」「この人に付けて」(両方とも「文化の渡來」) 「縁」……1件。「養《ひた》しまつる縁《よし》」 「淵」……4件。「深淵の水夜禮花の神」「山代の大國の淵」(2件)「峻《ふか》き淵に墮ちて」 「渕」……なし。 たけ 「猛」……1件。「猛士烟のごとく」 ふじのやま。不二の山、不死の山という語源説をよく聞くが、「藤の山」だった可能性はないだろうかということを考えている。藤の山、つまり「ふじわらの山」の暗示。 669年、鎌足、死の直前に天智天皇から「藤原」の姓を賜わる。 698年、文武天皇の代、不比等(鎌足の子)の子孫のみが藤原姓を名乗る事を許される。 710年、藤原京より平城京に遷都。左大臣石上麻呂を藤原京の管理者として残す。右大臣藤原不比等が事実上の最高権力者になる。 712年、古事記、献上。出羽国を新たに設置。 (以上、Wikipedia より) 『古事記』の本文中、「藤」の文字は2件しかないのに、音の通じる「伏」の文字が別の訓みも含めて39件もある。藤原の「フヂ」と「伏(フシ)」を結びつける説はいままで見たことも聞いたこともない。 むしろ、「伏(フシ)」は「武士(ぶし)」に通じ、「もののふ」「もののへ」、謎の豪族、物部氏を暗示させる説をよく聞く。 藤原氏(ふじわらし)、物部氏(もののべし)……、『古事記』に現われる「伏」の文字。ふし、こやす、まつろう、なぐ。人偏にイヌ。主人に仕える番犬。勝者と敗者の転倒? 恋愛はジャーニーだ。byたかはしゆう。 2012.10.2:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_16-校註『古事記』(八)武田祐吉 2012.11.10 第五巻 第一六号 校註『古事記』(八) 武田祐吉 古事記 下つ巻 一、仁徳天皇 后妃(こうひ)と皇子女 聖(ひじり)の御世(みよ) 吉備の黒日売 皇后石(いわ)の比売の命 八田の若郎女 速総別の王と女鳥の王 雁(かり)の卵(こ) 枯野(からの)という船 二、履中天皇・反正天皇 履中天皇と墨江の中つ王 反正(はんぜい)天皇 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一六号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/213317) ※ クリックするとダウンサイトへジャンプします。 (456KB) 定価:200円 p.148 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(29項目)p.110 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. れ~ろ~め~じん400ねん。週刊、屁のつっぱりはいかんぜよ♪ 子(みこ)伊耶本和気(いざほわけ)の王〔履中天皇〕、伊波礼の若桜の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古(そつびこ)の子、葦田の宿祢が女、名は黒比売の命に娶(あ)いて生みませる御子、市の辺の忍歯(おしは)の王、つぎに御馬の王、つぎに妹青海(あおみ)の郎女、またの名は飯豊(いいとよ)の郎女〈三柱〉。 もと難波の宮にましましし時に、大嘗にいまして、豊の明(あかり)したまうときに、大御酒にうらげて、大御寝ましき。ここにその弟墨江の中つ王、天皇を取りまつらんとして、大殿に火をつけたり。ここに倭の漢(あや)の直の祖、阿知(あち)の直、ぬすみ出でて、御馬に乗せまつりて、倭にいでまさしめき。かれ多遅比野(たじひの)にいたりて寤(さ)めまして詔りたまわく、「ここは何処(いづく)ぞ」と詔りたまいき。ここに阿知の直白(もう)さく、「墨江の中つ王、大殿に火をつけたまえり。かれ率(い)まつりて、倭に逃るるなり」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、 丹比野に 寝んと知りせば、 防壁(たつごも)も 持ちて来ましもの。 寝んと知りせば。 波邇賦(はにふ)坂にいたりまして、難波の宮を見放(さ)けたまいしかば、その火なお炳(も)えたり。ここにまた歌よみしたまいしく、 波邇布坂 吾(あ)が立ち見れば、 かぎろいの 燃ゆる家群(むら)、 妻が家のあたり。 かれ大坂の山口にいたりまししときに、女人(おみな)遇えり。その女人の白さく、「兵(つわもの)を持てる人ども、多(さわ)にこの山を塞えたれば、当岐麻道(たぎまじ)よりめぐりて、越え幸(い)でますべし」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、 大坂に 遇うや嬢子(おとめ)を。 道問えば ただには告(の)らず、 当岐麻路を告る。 かれのぼり幸でまして、石(いそ)の上の宮にましましき。(「二、履中天皇・反正天皇」「履中天皇と墨江の中つ王」より) 5_16.rm (朗読:RealMedia 形式 404KB、3 16) milk_tea_5_16.html (html ソーステキスト版 212KB) 武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29) 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。 ◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:「古事記」角川文庫、角川書店 1956(昭和31)年5月20日初版発行 1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 葛城の三諸 檳榔の島 あじまさのしま 所在不明。アジマサは、檳榔樹。 佐気都島 さけつしま 所在不明。 八田部 やたべ 山部の大楯の連 やまべのおおたてのむらじ 伊波礼部 いわれべ 課役 みつきえだち 入りまさず いしけ いしき遇《あ》わん 強き おずき みおすいがね 岩かきかねて 大御酒の栢 おおみきのかしわ 炳え もえ 語らわじ むしとりホイホイ スリーパーズ日記* 一〇日(土)天童市民会館、震災復興祈念講演、谷川浩司「これから私たちにできること」。聴衆200名ぐらい。10~60代ぐらいまでの世代がまんべんなく。女性は一割ぐらい。 十七年前の一月十七日、谷川さん(当時32才、将棋歴18年)は神戸、六甲アイランドの16階建マンションで阪神淡路大震災にみまわれる。建物の被害はほとんどなし。当時、ケータイはなく情報源はラジオのみ。大阪や京都の震度は伝えられるが、神戸の情報がなかなか入らない。震源に近いことを確信。当日中に市内在住の両親と連絡がつく。軽いけがですむ。 十八日、島を徒歩で出る。途中、LPG タンク近くを通る。「ガスもれか?」との声を聞く。おにぎり1個、ペットボトル飲料1本。十九日、神戸から大阪へ。車で30km弱のところを朝から夕方まで一日がかり。二十日、大阪にて米長邦雄氏と対局。「自分は将棋をやるしかない」「将棋をすることができる幸せ」。初心。 五月のはじめあたりまで、生活が張りつめて将棋によい傾向が見られた。連帯感、高揚感。その後、現実が見えてくる。被災者のそれぞれの差が見えてくる。被害の差。「答えが出ない問題を考え込む」→「答えが出ない問題は考えないようにする」。 復興祈念扇子の揮毫は「ガンバリすぎないでください」(羽生さんは「少しずつ前に進む」)。 一一日(日)曇天。雪の月山見える。将棋の日。NHK-BS 収録。将棋文化検定 in 天童。永世名人トークショー。次の一手名人戦、森内俊之 vs. 羽生善治。 えーせーめーじん、へーせーめーじん、 れろれろめーじん。 めーじん3兄弟、そろいぶみ。 らーめんひとすじ400年、 たにぐくめーじん、もりぐくめーじん、はぶ軍団。 さかたさんしち、てんどー一家。 さんしちでんでんゆめのなか。 一二三しち、あきらくん。 やけのかんぱち、うにいくら。 はうす、えすびー、ぼんくれーず。 われ、はぶれたり。 わたし、はぶりましたわ。 へろへろめーじん、やすみつくん。 あやや~ はぶりはぶられ、さらまんだー。 2012.11.11:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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