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怪物記 第七話 OTHER SIDE 別れ谷――突入部隊 「大人数のチーム戦ってのは慣れてなかったから、これでも緊張してたんだけどね」 突入部隊のメンバーであり、龍河と並んで最前列のフロントアタッカーを努めている直は予想を遥かに下回る敵の攻勢に拍子抜けしていた。と言っても別に蜘蛛型ラルヴァが攻撃の手を抜いているわけではない。むしろ他の戦場を上回るほどの防衛戦力が投入されていた。 しかし、その大半は下級ラルヴァであった。それゆえに何もできないでいる。 「永劫機……だったっけ? お陰で随分楽できてる。楽すぎるくらい」 直が後方に立つ機械仕掛けの巨人――永劫機メフィストフェレスを見やる。城の通路は3メートルの巨人には窮屈そうではあるが、ギリギリで天井に擦ってはいない。 敵の本拠地である城を大した障害もなく進軍できている理由。その一つがこのメフィストフェレスだった。 メフィストフェレスの織り成す時間堰止結界《クオ・ヴァディス》は結界内に入った下級ラルヴァや異能者でない人間の時間を止める特殊結界だ。つまりは、敵の戦力の大半を占める下級ラルヴァは完全に無力化される。メフィストフェレスには起動するたびに使用者の時間を消費するというリスクがあるが、それも停止した数百体の下級ラルヴァを踏み潰し、その時間を吸収しながら進むことで長時間の起動を可能にしている。 3メートルのメフィストフェレスがギリギリ通れるこの通路のサイズも味方している。時間堰止結界に影響されずに攻撃できる中級上級のラルヴァがほとんど一体ずつしか出て来れない。 そうして無力化した下級ラルヴァを踏みつけつつ、散発的に現れる中級上級ラルヴァを戦闘に特化したメンバー全員で撃破しながら悠々と女王蜘蛛へ向かっているのだ。直が拍子抜けするのも無理はない。 『そこの三叉路に差し掛かったら三体の中級ラルヴァが一斉に襲ってきます』 突入部隊のメンバー全員へ突入部隊の指揮官である春奈のテレパシーが伝わる。 声と同時に、ラルヴァのデータや脅威度などを示すグラフが全員の眼に映る。対ラルヴァイージスシステムと呼ばれる『ザ・ダイアモンド』の能力の一端である。 春奈の警告通り三叉路に差し掛かった瞬間に三つの通路から三体の中級ラルヴァが突入部隊を襲撃するが、待ち構えていたはずのラルヴァは逆に待ち構えられていた。直のブラスナックルと竜化した龍河の拳、那美の握撃が中級ラルヴァを迎え撃ち、その頭部、心臓、前部を粉砕する。 突入部隊が易々と進める二つ目の理由がこの『ザ・ダイアモンド』の索敵・指示能力であった。春奈の能力下では奇襲は奇襲とならず、執るべき行動を最優先で採択することができる。知能BやAのラルヴァが少々頭を使っても彼女の指示を上回る攻撃行動を行うのは難しい。 「罠がありそうね」 先行していた直は目の前の床へ先ほど頭部を叩き潰したラルヴァの死骸を蹴り飛ばした。すると床は崩れラルヴァの死骸が串刺しになる。侵入者を殺傷せしめるためのトラップが仕掛けられていたのだ。 直は自分でこのトラップを見抜いたのではなく、自身の視界に“警告表示”が点ったので床の罠だと当たりをつけたに過ぎない。今はもう警告表示――黒い旗のマークは消えている。 黒い旗の警告表示。それが三つ目の理由だ。 それは異能『アウト・フラッグス』により伊万里が死を予兆する旗を視たとき、その視覚情報を春奈が『ザ・ダイアモンド』で受け取り、警告表示として各員の視覚情報に挿入しているのだ。 時間堰止結界、『ザ・ダイアモンド』、『アウト・フラッグス』。 これら三つの能力により敵の数・戦術・罠の全てを無効化していた。 もはやここはアウェーであってアウェーではない。 公平な戦場だった。 東――不倒山 「ハァ……ハァ……連中の半分は逝ったか?」 「……いや、七割だ。敵の残りは三百足らず、これ以上の増援も無さそうだ」 戦闘開始から数時間が経過して、不倒山には蜘蛛の死骸が散乱していた。それでも残っているのは粒子化しなかった分に過ぎない。実際に倒した数は死骸の倍はあるだろう。 この数時間で不倒山方面部隊は不倒山に展開した土蜘蛛と鬼蜘蛛の大半を駆逐することに成功していた。しかし……。 「こちらもダメージや魂源力切れの離脱者が多い。残った者も僕やお前と同じで魂源力の残量が芳しくない」 撃端数での優勢は相応の代償を伴った。 夜間になれば蜘蛛型ラルヴァが圧倒的に有利になる。その最悪の状況を避けるため日が出ているうちに決着をつけようと全力で戦闘行動を行い、そして先に余力が尽きたのは人間側であった。 戦術は間違ってはいなかったが、問題は兵数差だった。幼体まで投入してきた蜘蛛の数によって攻勢をしのがれてしまったのだ。 「でかいのもいなくなってあとは雑魚だけだってのに!」 「お陰で姫川さんのコントロール相手もいなくなった」 「ケッ! あいつの分なんざ俺とお前で埋めればいい話だろ」 「馬鹿の京介にしては正しいことを言う」 京介と宗麻は双方向から迫ってきた二匹の土蜘蛛を背中合わせに撃破する。だが、二人とも攻撃後のふらつきを抑えきれない。 「魂源力どころか体力もガス欠かよ」 「せめて、あと二分隊程度の戦力がいれば……」 だが、どこにそれだけの予備戦力があるというのか。 戦線離脱した者が半数以上、残る半数も離脱者と大差ない。もう全員が限界だった。 満身創痍の彼らに残存する無傷の土蜘蛛が群れを成して迫る。 「アメリカの映画だとこういうときは援軍が来るもんだがな」 「現実とフィクションを混ぜるな。現実はそう……都合よくはない」 「都合の良い展開は嫌いかね?」 彼らをその牙にかけようとしていた土蜘蛛は戦闘開始時の焼き直しのように十数匹がまとめて吹き飛ばされた。 土蜘蛛を屠った攻撃は不倒山方面部隊と土蜘蛛の側方、小高い崖の上より放たれた。 その攻撃を放った者たち、それは……。 「援軍はいる。我輩達だ!」 蛇蝎兇次郎率いる裏生徒会、及び蛇蝎に弱みを握られて協力を強いられる生徒たちだった。 名乗りを上げ、生徒たちも土蜘蛛もポカンと蛇蝎らを見上げている。 それを見下ろしながら蛇蝎は小声で傍らの工克巳、相島陸に話しかける。 「クックック、我ながら惚れ惚れするほどのタイミングだ。 秘密裏に作戦への参加許可を取り付けておきながら序盤中盤は巧妙に理由をつけて出陣せず、終盤の窮地で颯爽と現れる。どうだ?」 「御見事です蛇蝎さん」 「いいとこ取りで狡いよね」 「そう褒めるな」 「褒めてないよ」 「さあ往くぞ。目前のラルヴァを蹴散らし、我々の支持を獲得するのだ!」 かくして不倒山の戦いはそう遠くない決着へと動き始めた。 南――網里町 「あかんわ」 網里町……だった場所の惨状を見回してスピンドルはぼやいた。 戦場になったエリアの家屋は軒並み倒壊し、樹木は倒れ、枯れ、無事な自動車はジープが一台のみ。加えて死屍累々。 構造物の破壊、及びそこらに転がっている人間は彼自身も原因の一因であるが、倒れている者を“聖痕”の構成員に限定すればそれはもう完全に相手によるものであり、また相手の異能力者は一人として倒れていない。 より的確かつ簡潔に言ってしまえば。 “聖痕”側はスピンドル一人残して全滅していた。 「なんでこうなったんやろ? ……考えるまでもあらへんか」 彼は双葉学園の異能力者は人間同士の戦闘はともかく殺し合いには慣れてないと踏んでいたのだが、巡り合わせ悪く双葉学園の生徒の中でも特にネジの外れた面々と戦うことになり、劣勢に追い込まれた。 この任務に就いた“聖痕”構成員で最も戦闘力が高かったスピンドルは攻撃を阻む唯の結界と接近を封じる揚羽の燐粉、デンジャーの銃撃に完全に封殺され、他の構成員は久留間戦隊との戦闘及び揚羽とデンジャーの流れ弾で次々と戦闘不能に陥った。 そして気づけば壊滅である。 「黒ボンのフローリングカオスに意味ありげに小言を言われんのは嫌やなー。ただでさえこないだミスっとるし」 スピンドルが悩んでいると街の北西部からある一団が現れた。 「え? ここは……網里町?」 「おかしいですわね。私たちは別れ谷に向かっていたはずですのに」 それは蜘蛛猿部隊を撃破し、爬蔵森を突破した爬蔵森方面部隊の面々だった。 だが、彼女らにとってここを訪れたことは本意ではなく、訪れたつもりもなかった。 (……ヴェイプらはきっちり仕事こなしたゆーことかい。ほんま、俺ばっかあかんなぁ) “聖痕”は西の爬蔵森にも構成員を配していた。その内わけは空間操作、幻覚に特化した人員であり戦闘要員を固めた網里町への誘導を任務としていた。 本来ならば対人戦に不慣れな双葉学園側を対人戦に特化した“聖痕”側が早急に始末し、誘導されてきた爬蔵森方面部隊も続けて片付ける手筈であった。が、現実はご覧の有様だった。 『ちょっとスピン! これどういうこと!?』 スピンドルが耳に装着している骨振動の通信機に外部からの通信が伝わる。通信の声は少女のものだった。 『すまへんなぁ。フルボッコされてもうた』 『すまへんなぁ……じゃなくて!』 『ま、任務は失敗やな。俺は自力で帰るさかい先に帰っててくれへんかな』 『でもスピン……』 『ギーもキャスも白やんもいなくなってしもたし、馴染みの顔がこれ以上減るのもあかんわ。それにヴェイプはちょびやしなー』 『ちょび?』 『ちっこいぺちゃぱいちんまいチビっちゅう意味や』 『スピンのバカ!』 通信はまるで受話器を叩きつけるような勢いで切られた。 「そんであと可愛いゆー意味があるんやけど、ま、別にええわな。っと」 スピンドルは首を左に傾ける。直後に頭部があった場所をデンジャーの弾丸が通り過ぎていく。 今の通信や先刻の思案の間も、スピンドルとデンジャーらの戦闘は継続していた。スピンドルは防御に徹することでなんとか捌き切れているが、数の差がある今はそれも長くは続きそうにない。 「何とかするのはええけどどう何とかすればええかな」 「何ともならねー八方塞がりだわね」 気づけばスピンドルは囲まれていた。 正面にデンジャー。 右方に久留間戦隊。 左方に揚羽と唯。 後方に欠員なしの爬蔵森方面部隊。 四面楚歌。 爬蔵森の部隊はまだ状況を完全には把握できていなかったが、デンジャーらと戦っているスピンドルが敵対勢力であることはすぐさま理解し、包囲に加わっている。 「投降するなら柱に縛り付けて両足撃ち抜くだけで勘弁してやるわよ」 「それ、かなりムゴい処刑法やからね?」 両足の銃創から出血し続けていても縛られているので止血できず、頭に血が上ることもないので強制的に冷静な頭で死を待つしかないという。 「けれどもうあなたに降参以外の選択肢は残されていないんじゃないかしら? この状態から私達を全滅させられるなら話は別だけれど」 「全滅ねぇ……」 絶体絶命の窮地にありながら、 「簡単やなぁ」 スピンドルはその笑みを微塵も崩すことはなかった。 「!?」 「何で俺がこんなあっさり包囲されたと思とるねん。纏めて片付けるために決まってるやろが」 スピンドルが両手を掲げる。 デンジャーが即応し銃弾を放つが、見えない壁――高速回転する空気の壁に進路を捻じ曲げられ明後日の方向に飛んでいく。 「こうなると他の連中が全滅したのも都合がよかったのかもしれへんなぁ。この技、でかすぎて味方まで巻き込んでまうからなぁ」 スピンドルの周囲の空気が回転力と範囲を増大させていく。 砂埃がスピンドルの姿を覆い隠すほどに巻き上がる。 「まさか……竜巻!?」 「大当たりや! 纏めて空の彼方に吹っ飛ばしたるわ!!」 「チッ! 総員退避! 物陰に隠れて伏せろ!!」 生徒達がスピンドルの包囲を解き、可能な限り離れようとする。だが、果たして竜巻という自然現象、否、人工自然現象にどこまで抗えるか。 空気の回転は尚も巨大化し、遂に竜巻の領域に到達する―― ――直前で雲散霧消した。 「……?」 砂埃も収まり、空気の回転も余波の風を残すのみ。 回転の中心点にスピンドルの姿はなく……代わりに人間大の大穴が地面に空けられていた。 穴の奥からはドリルで地面を掘る音と笑い声が響いてくる。 『なはははははは! アホアホー! 竜巻なんてけったいなもん出せるわけあるかい! 専門外やー! ものの見事に騙されよったわー! わははアホやアホやー! スレンダーちょび体型やー! なははははは!』 「……おいお前ら。あいつを捕まえてあたしの前に引きずりだぜ。爪先から蜂の巣にしてやる」 そのときのデンジャーの顔は……直視するのが危険《デンジャー》なまでの般若の形相だったという。 こうして網里町の戦闘は終結した。 最南方――作戦指揮所 『東部不倒山制圧完了! 戦闘続行可能な人員を選出して別れ谷に向かう!』 『南の網里町、制圧完了。色々あって西の部隊と合流したわ。魂源力が切れかけてる面子はここに残して……なに? 自衛隊がまだ車両の中で呻いてるみたいだからレスキュー部の連中の手伝いがしたい? 勝手にやれば? 西と南の元気なのは別れ谷に、あたしと若干名は敵の追撃をやるわ……あの糞ニットぶち殺す』 「順調みたいね。あとは空と北と本拠地だけど、どうなってる?」 重換質は智佳のデスクにお茶を置いて話しかけた。質はオペレーターを務める親友の智佳と弥乃里に連れられる形でここに来ていた。と言っても前線に出ることはなく、オペレーターとしての作業も本職の邪魔になりかねないのでもっぱらお茶汲み係になっている 「ありがと質。今の状況は空だとこっちが押してる。投入できた戦闘員の数が少ないから時間がかかってるけど多分こっちが勝つ。本拠地は弥の索敵だとラルヴァの数はドンドン減ってるみたいだから、あとはボスを倒せるかどうか。 問題は北」 「グルジオラス、だっけ」 「こないだ出てきた天蓋地竜と並んで国際規模で位置情報を把握しなきゃならない超大型ラルヴァの一体。中に何万匹ってラルヴァが棲んでるいわば歩くラルヴァ牧場だね」 「やばそうね」 「それとグルジオラスに加えて不安要素がもう一つある」 智佳はモニター上で視線誘導方式のカーソルを動かして、ある一つの光点をロックする。 その光点は地図上ではゆっくりと、しかし実際には乗用車ほどの速さで南下している。 「北方からラルヴァが一体南下してきてる。それも、グルジオラスに向かって」 北――グルジオラス 鳥が舞う。獣が走る。森が這う。 さながら自然の概念そのものが牙を剥き襲い掛かってくるかのようだった。 双葉学園の生徒である彼らはこれまでに何度も鳥型、獣型、あるいは樹木型のラルヴァと戦ってきた。今の状況はそのどれとも当てはまり、絶対に当てはまらない。桁が違いすぎるのだ。 襲い掛かるビーストラルヴァを倒しても数は一向に減らず、砲撃型の異能力者が森へと攻撃を放っても幾らかの樹木を破壊しただけに留まる。それどころか、グルジオラスはそれらの死骸を踏み潰し、噛み砕き、飲み込んで前進し続ける。 弱肉強食。「人間は小さい、自然の前ではこんなにもちっぽけなのだ」と言い聞かせるような怒涛の進軍。立ち止まれば飲み込まれて潰され尽くすであろうと確信せざるを得ない圧倒的な威圧感。無数の猛獣で武装した森林。それが ワンオフ ――武装森林グルジオラス。 水分は背後に迫る巨大な気配を感じながら川に沿った未舗装の道を走っていた。彼女はある場所を見つけるために前方を注視している。 (誘導し始めてからかなりの時間が経ちました。まだ……まだ着かないんですか?) 彼女は最初からある場所を目指して北に向けて走り続けていた。だが、目的地はまだ見えない。地図上では指先程度だった距離が、あまりにも遠い。このままでは……。 「あっ」 不意に水分は足を踏み違え、膝を着いてしまう。 フルマラソンのように走り続けて数時間。水分の足はもう限界だった。彼女だけではない、他にも何人かの生徒が膝を着いている。日頃からラルヴァと戦うためにトレーニングを積んでいると言っても、身体強化系でもなければこのペースで走り続けるのは自分の身体に無理を強いていた。 そしてグルジオラスの前で立ち止まれば、飲み込まれて、潰されつくす。 「副会長!!」 水分のいた場所をグルジオラスが蹂躙する。 部隊の女子生徒が悲鳴を上げる。 だが、彼女は無事だった。彼女がグルジオラスに飲み込まれる直前に彼女を抱え上げて走り出した生徒がいたからだ。その生徒は、彼女も知っている人物だった。 「あなたは……斯波君?」 斯波涼一。隠されたもう一つの名は違法科学機関オメガサークルの改造人間、オフビート。この作戦で水分の指揮する垂芽川方面部隊の一人だった。 (斯波君が助けてくれたの、他の子達は……) 水分が抱えられたまま辺りを見ると、倒れていた女生徒たちはみな余力のある男子生徒に抱えられている。彼女は少し安心したように息をついた。 しかし、彼女を抱えているオフビートは決して安心していなかった。 (咄嗟に副会長を拾ったのはいいけど、まずいな。俺の体力や運動能力はあくまで常人よりも少し高い程度、数時間走ってからで人を一人、それも俺より背の高いのを抱えていたんじゃこのペースをそう長く維持できない) 彼の異能はあくまでも超能力系であり、それも身体機能を補佐する働きのない異能だ。身体改造を受けてはいても本職の身体強化系のように人を抱えて延々と走り続けるのは無理だった。このまま走れば遠からず二人とも追いつかれてしまうだろう。だからといって水分を置き去りにするという選択肢は無論ない。彼がそうしたくないというだけでなく、彼らが行おうとしている起死回生の作戦、唯一の勝機は彼女無しでは成立しないのだから。 思考のさなか、横合いから野犬に似た一体のビーストラルヴァが水分を抱えたオフビートへと牙を向けて跳びかかって来た。 オフビートは咄嗟に左手を振る。 そして左手を振るうと同時に、彼の異能である高周波シールドを展開する。 全てを拒絶する盾を纏った左手がビーストラルヴァの胴体に食い込み、その肉と肉を完全に解離させ、両断する。 だが、迎撃は代償を伴った。 (……! バランスが!) 両手で人を抱えて走るという慣れない状態から立ち止まらずに左手で異能を行使したためにバランスが崩れ、オフビートは水分を抱えたまま倒れる。 転倒の間、オフビートは緊張で時間の感覚がゆっくりになってゆくのを感じた。 (今ここで転べば間違いなくグルジオラスに食われる! だが、体勢を立て直すことも、転んでから起き上がる時間も……ない!?) そして二人は転倒し――地面とは違う硬さと柔らかさが混ざった感触の上に倒れこんだ。 「?」 オフビートは一瞬なにがどうなったか理解できなかった。 自分は倒れ、走っていない。それどころか足が宙に浮いている感触がある。 だというのに周囲の景色は後ろへと流れていく。まるで車に乗ったときのように。 いや、ある意味ではまさにその通りだった。 彼らは車と見紛うほどに巨大なバイク、その車体に付随したサイドカーの座席にはまるように倒れこんでいたのだ。 「間一髪だったなお二人さん」 声はこの化物のようなバイクを運転する生徒から発せられた。 そう、彼もまた双葉学園の生徒である。 名を西院茜燦。そして彼が駆るバイクの名はパラス・グラウクス。超科学の粋を集めたモンスターマシンである。 「しっかしまぁ、東が終わったんで北の怪我人回収しに来たらとんでもねえことになってるな」 茜燦はサイドミラー越しに後方のグルジオラスを見て、その巨大さに呆れたようにため息をついた。 「ゼンザ兄ちゃん! あれ ワンオフ や ワンオフ ! アタシ初めて見たわ!」 茜燦の座るシートとコンパネの間に収まって座っているオペレーター役の鵡亥未来来が興奮したように叫ぶ。 「 ワンオフ 、ロスでトライクを奪取しようとした【歯車大将】ってのと同じか!」 「ゼンザ兄ちゃんどうするん!」 「どうするっつってもこの状況じゃ……。副会長! 何か手はありますか?」 茜燦はサイドカーの上でひっくり返った状態からなんとか普通に座りなおした水分に声をかけて尋ねる。 「北に……。急いで北に向かっていただけませんか?」 「北?」 「そこに、武器があります」 「武器言うたってここらには学園や自衛隊の基地なんてあらへんし、あんなん相手じゃ戦車だってひとたまりもあらへんよ!」 現に戦車に匹敵する戦闘力を持った異能力者が攻撃を繰り返しても効果はないままだ。 「それに後ろのデカブツだけじゃなく生徒達まで置き去りになっちまうぞ」 「俺達には構うな!」 併走していた身体強化系異能力者が叫ぶ。 「いいから北に行ってくれ!」 「このまま追いかけっこしてたってこっちのジリ貧だわ。けど、副会長があそこに到達すればあたしらの勝ちってことなのよ」 「だから、副会長を頼む!」 「……わかった、任された。……副会長! ヘッドホン! 未来来! しっかり掴まってろよ! でないと振り落としちまうぞ!!」 茜燦は腹を括ってパラスのアクセルを捻った。 「この状況、どう考えたって前座だけどよ……やらなきゃならねえってんならやるしかねえよなぁ!!」 瞬間、パラスが咆哮するかの如き唸りを上げ、爆発的な推進力を解き放ち、北に向けて爆走する。 その速度はあまりにも速く、一分と経たぬ間にパラスは目的地へと辿りついた。 「なんつう危険運転だ……死ぬかと思った」 「危険なのは俺の運転じゃなくてコイツだっての。しかし、なるほどな」 茜燦は停車したパラスのハンドルに手をかけ、目の前の地形を見る。北に向かえと言われただけでどこが目的地かは聞いていなかったが、この場所が目的地であることは一目瞭然だ。 この場所は北から南に流れる垂芽川の上流にして垂芽川の水源、湖だった。 湖にたゆたう大量の水。 それは即ち、大量の武器に他ならない。 「往きます」 降車した水分が身に着けていた着物を脱ぐ。 淡い青の着物の下に着ていたのは白装束。 彼女は履物を脱いで素足で湖へと歩み、水行のように、あるいは入水のように湖へとその身を沈める。 彼女の肌を透して湖の冷気が彼女に伝わり、彼女の魂源力が湖へと拡散する。 やがて湖に変化が生じる。波紋が広がり、水面が波打つ。その動きは段々と加速し、 ――湖の水全てが巨大な津波へと変化した。 津波に飲み込まれかけた茜燦が慌ててパラスを発車しようとするが、それより早く津波の一部に穴が開き彼らをすり抜けさせるように通り過ぎた。 津波はそのまま勢いを緩めず、むしろ加速しながら南下する。 そして水分らの後を追う形で北に向かっていた垂芽川方面部隊をすり抜け――グルジオラスに激突した。津波はその巨大さをもってグルジオラスの上空を飛んでいた鳥型ラルヴァまでも飲み込み、獣型ラルヴァを押しつぶし、樹木を薙ぎ倒す。 だが、水分の攻撃は津波だけには止まらない。 激突の直前に津波から降り立った水分が両手で孤を描くと、グルジオラス全域を覆いつくす水が回転し巨大な渦潮となる。 その中で多数のビーストラルヴァがもがき、沈み、息絶えていく。 それでも水分の攻撃は止まらない。 渦潮は更に回転速度を増し、あたかもミキサーの如く内側の物体を粉砕・攪拌する。 「御仕舞いです」 その宣告は正しく、地上の渦潮はグルジオラスの全ての樹木を薙ぎ倒し、ビーストラルヴァ叩き潰し、 グルジオラスを殲滅した。 「……すげえ」 水分と津波を追って来てこの光景を目にした茜燦の口からは自然とその言葉が漏れた。というよりもそう言う以外の何を言えばいいのかわからなかった。 彼が子供の頃にテレビのドキュメンタリーで外国の町を大津波が通った後の光景を見たことがあったが、目の前の光景はそれよりも凄まじい。何よりも驚くべきはそれが一人の人間によって為されたことだ。 「会長といい副会長といい、つくづくうちの醒徒会はとんでもねえな」 「ゼンザにーちゃんには逆立ちしてもできひんな」 「うるせえ。人には向き不向きがあんだよ」 彼らがそうして話しているように周りでも垂芽川方面部隊のメンバーが晴れやかな顔で話している。それはそうだろう。彼らの目の前で ワンオフ の一体であるグルジオラスが倒されたのだから。 だが、グルジオラスを倒した当の水分は何も言わない。グルジオラスの残骸の前に立ち尽くしている。 不意に風が吹いたとき、それに押されるように彼女の身体は揺れ……そのまま仰向けに倒れこんだ。 「副会長!」 「大、丈夫……です」 慌てて生徒たちが駆け寄ると、水分は全身を湖の水と自らから流れた汗に湿らせ、荒く息をついている。 「魂源力を使い切ったらしい……無理もない」 「そりゃあれだけの大技を使ったんだ。元気溌剌とはいかないだろうさ。……それより男子、じろじろ見てないであっち行きな!」 水分の身につけていた白装束は水に塗れたことで透け、彼女の身体に張り付いている。彼女の美しさも相まって非常に艶かしい。 男子生徒たちが女子生徒から追い払われている一幕から少し離れて、オフビートはグルジオラスの残骸を調べていた。どうしても腑に落ちない点があったからだ。 (おかしい……。たしかに副会長の攻撃は強力だったが、あれで倒せるならこれまで倒せていないはずがない。戦術核でも使えば一発のはずだし、この規模のラルヴァへの核使用を躊躇わない国は中国をはじめとして幾つもある。だとすればこれはグルジオラスじゃなかったか……それともまだ) オフビートの思案の最中、グルジオラスの残骸が下から吹き飛んだ。 「!? 生き残りのラルヴァがいたか!」 残骸の下から現れたのは全長四十メートルほどの肉食恐竜に似たラルヴァだった。 カテゴリービースト中級Bノ3、【ジオ・ラプトル】。 姿同様、人間などの他の生物を捕食する肉食性の巨大ラルヴァだ。 「この図体でよくまあ森の中に隠れてられたもんだな」 「しかもあの攻撃を生き抜くだけの頑丈さもあるみたいね」 「何にしろ副会長はもう戦えない、あとは俺達で片をつけるぞ!」 「「おう!」」 垂芽川方面部隊の生徒たちがジオ・ラプトルに戦いを挑む。 一方で水分やオフビート、茜燦を含めた数人はジオ・ラプトルの異常さに気づいていた。 (傷一つない……) (まるで今出てきたばかりだ。異能を纏った水流と高速で衝突してくる残骸、その中で鱗に傷一つない? ……ありえない) (あのサイズだと伏せても結構なでかさになる。おかしいだろ、どう考えても……残骸よりも分厚いぞ。あいつは下から出てきたはずだがどうやって埋まってた? いや……どこから出てきた?) だが、彼らの思考が答えに辿りつくよりも早く、ジオ・ラプトルとの戦いが始まるより早く、事態はさらなる急転を迎える。 「な、なんだ!?」 それは地面を揺るがして現れた。 距離にしてほんの数百メートル。彼らがこの数時間で走ったのと比べればごく短い距離の先にぽっかりと穴が開いて、そこから山が生えた。否、山ではないそれは甲羅だった。ついで甲羅から伸びる六脚と、四尾、そして竜に似た双頭が姿を現した。 「こ、こいつは……!!」 先日、北海道にて大量発生した蟲型ラルヴァ討伐作戦が遂行された。双葉学園の生徒も多数参加したその作戦は成功によって幕を閉じたが、その作戦の終盤ではある大型ラルヴァが地底より出現し戦場であった山林を蹂躙し、倒されることなく地底へと帰還した。 かつて米軍と交戦した際には数々の近代兵器をものともせず、人民解放軍が交戦した際には二発の戦術核を用いても倒せなかった。 数々の戦いを潜り抜けていまだ一体たりとも倒されたことのない最強の種族固体の一種。 そのラルヴァの名は――【天蓋地竜】。 最強の種族固体ラルヴァの一種であり……この地への更なる乱入者として現れたラルヴァだった。 「こないだの……まさか北海道からここまで南下してきやがったのか!?」 「渡り鳥の越冬みたいやな」 「越冬……そうか。天蓋地竜は何らかの事情で南下中だった。それが途中でグルジオラスとその中の多数のラルヴァの気配を察知したからルートを変えてここに出てきたってことか。もしそうなら……」 それはオフビートが先刻考えていたある事実を肯定する要素となりえるものだった。 一方で、人間には目もくれず二体のラルヴァ……天蓋地竜とジオ・ラプトルは相対する。ジオ・ラプトルは天蓋地竜を睨んでいた。それは天蓋地竜を敵と認識し、この場で最初に排除すべき相手だと理解したからである。 ジオ・ラプトルはジリジリと円を描くように天蓋地竜との距離を測る。対して天蓋地竜は動かない。真っ直ぐ前を……グルジオラスの残骸を見ている。 やがてジオ・ラプトルは天蓋地竜の真後ろに回りこみ――一気呵成に飛び掛る――もすぐさま天蓋地竜の四本の尾に弾き飛ばされ、百メートル以上先のグルジオラスの残骸の上に倒れこむ。 天蓋地竜は双頭の顎を開く。その奥に金星に似た色の輝きが灯り、光が吐き出された。 それは天蓋地竜の有する必殺の能力。超高圧・超高温の――金属水素弾。 数千度を優に越す金属弾は容易くジオ・ラプトルを爆砕しその身体を焼却する。 金属水素弾の超高熱はグルジオラスの残骸の周囲の水気を瞬時に蒸発させ、残骸は炎を上げて燃え上がる。 「あぶねえ!? これかなりやばいんじゃねえか!? 山火事になるぞ!」 「副会長、もっかい水操って山火事消すんは無理? ……副会長?」 水分は天蓋地竜の攻撃で燃え上がった残骸の下にあるものを凝視していた。 黒い地面。炎の熱で黒く焼け焦げたのか? そうではない、それは……。 不意に、雨が降り始めた。降り出したにわか雨は急速に勢いを増し、まるでスコールのように地面へと叩きつけられる 「わっぷ!? なんやこれ!」 「けど火もドンドン消えてくぜ。にしてもなんて都合のいい雨だ」 都合のいい、まさにその通りだった。 燃え上がった火を鎮火するだけの雨が、グルジオラスの残骸の周りにだけ降り注いでいる。 「皆さん……ここから退きます」 水分はそう言ってグルジオラスの残骸と天蓋地竜の双方から距離を取るため歩き出す、だが先刻の攻撃の疲労から回復していない体は思うように動かず、よろめいてしまう。 「おっと」 倒れかけた水分にオフビートが肩を貸す。 「副会長の言うとおりここはちょっとやばそうだ! 離れるぞ!」 部隊の一人がそう言うと部隊全員が戦場からの離脱を始めた。 「副会長! ヘッドホン! 早く乗ってくれ!」 茜燦はパラスを二人に横付けし、二人がサイドカーに乗り込むと即座に発車する。 残骸からほんの二十メートル離れると雨は降ってなかった。 「あの雨はなんだったんだ?」 「……グルジオラスの能力です」 「へ? せやかてグルジオラスは」 「天蓋地竜がグルジオラスを察知してここまで来たのなら、グルジオラスが倒されていたあの時点で地表に出てくる必要はありませんでした。それでも出てきたということは」 「グルジオラスはまだ死んでません」 水分の言葉で四人の間に緊張が走る。そして、その言葉はオフビートが推測していたことと同じだった。 「副会長が倒したのは多分上辺だけだ、本体は……地下にいた」 炎上した残骸の下にあった黒い地面は焼け焦げていたから黒いのではなかった。黒く広大な穴が開いていたのだ。 そして今、その穴から二本の巨大な白い腕が伸ばされる。 「あれがグルジオラスの本体って奴かよ!」 「ああ、あの森のグルジオラスを地下からコントロールし、あのスコールを起こした張本人だ」 「あれもグルジオラスが起こしてるってのか!? グルジオラスはビースト型ラルヴァを収納するラルヴァなんだろ? なんでそんな能力が」 「ビーストラルヴァに最適の環境を作る環境型ラルヴァ、ならスコールだって環境の一部だからどうとでもなるんだろ! ひょっとすると逆に……」 気象や天候を自在に操るラルヴァがいて、その能力の一端を使って『グルジオラス』という環境システムを作っていたのかもしれない。『グルジオラス』というラルヴァは最初から存在せず、天候を操作する本体の外装でしかなかった可能性もある。絶好の環境を棲みかとするビーストラルヴァと、ビーストラルヴァの仕留めた人間を『グルジオラス』の真下にいた本体の栄養として吸収するために。 二本の腕は大地を掴み、人がプールから上がるときのように自身の身体を引き上げた。 巨大な腕に見合ったその身体の体積は天蓋地竜を上回る巨大な人型だった。 否、巨大な人ではない、それは巨大な……神だった。 「【ギガントマキア】……!」 カテゴリーデミヒューマン上級Sノ1 ワンオフ登録番号Ⅶ――【巨神《ギガントマキア》】 延々と地の底で眠り続け、一度目覚めれば足踏みが地震を引き起こし、手を振ることで嵐を呼び、口から雷を吐く天変地異の化身とも言われ、時代の中で神と崇められたことさえある巨大ラルヴァである。 「…………流石に驚くのにも疲れたぞ」 「奇遇やねゼンザにーちゃん、アタシもや」 「そう……そういうことだったのですね」 サイドカーの中で、水分が身を起こす。 「わかってきました……『グルジオラス』の真相」 水分はこれまでの事態の推移と自分の考えを合わせて辿りついた答えを話し始めた。 「ギガントマキアは放っておけば永遠に眠り続けると言われるラルヴァです。けれど、何も食べずに眠り続けられる生物はいません。熊だって冬眠の前には食料を溜め込みますし、起きればお腹を空かして餌を探すでしょう?」 例え眠っていても生物はカロリーを消耗する。消耗しない異能や能力を持ち合わせていれば別だが、ギガントマキアはそうではなかった。 「だからギガントマキアは自分が寝ている間も栄養を得られるように環境システム『グルジオラス』を作ったのでしょう。『グルジオラス』はギガントマキアが自らのために作り出した牧場、ということです。もっとも、維持だけではなく成長のためにも栄養を必要としたようですが」 見れば、過去の資料からギガントマキアの容姿はいくらか変化している。 口はなくなり、代わりに背には翼かもしくは仏像の後光のようなものが生えて神仏に似た造詣となっている。加えて、体中に木の根のようなものが張り付き、皮膚の一部が黒く炭化していた。 「どうやら、あの根から栄養を受け取っていたようですね。それに地中で眠ったままのギガントマキアを眠らせながら運んだのもあの根でしょう。元いたアンデス山脈からこの地に現れたときの瞬間移動はギガントマキアの仕業でしょうけれど。ひょっとしたら最後に出てきたジオ・ラプトルもどこか別の場所から連れてきたのかもしれませんね」 「天蓋地竜がここに現れたことも納得だ……あんなものが地下に突然現れて動き回っていたんじゃおちおち南下もできないだろうからな」 天蓋地竜にとってギガントマキアは排除しなければならない障害だった。 「あの焦げ目はさっきの天蓋地竜の攻撃で受けたダメージか。やっこさん随分と怒ってそうだな。こりゃ一戦あるか」 「それで、どうなるん?」 「どうなるって……」 片や最強のラルヴァの一種である天蓋地竜。 片や能力の一端が ワンオフ 級のラルヴァと誤認されるほどの超級ラルヴァギガントマキア。 「……どう考えても近くにいたらやばいな」 「ていうかもう手に負えねーよ! ぜってぇ女王蜘蛛云々より話でかくなってるぞ! ウルトラマン呼べよ!」 「テンパっとるなぁゼンザにーちゃん」 「助け舟は欲しいところだけど、生憎ずっと通信不良だ。電波妨害が発生してるらしいな。副会長が通信切ったあとに部隊の誰にも通信がかかってこないからおかしいと思ったんだよ」 その電波妨害の原因はギガントマキアだった。内包するエネルギーが膨大であるために、自然と周囲の電磁波に影響を与えてしまうギガントマキアの性質ゆえの電波妨害だった。 そしてその電波妨害はより広域に、激しくなっている。 なぜならばギガントマキア自身が怒り狂っているからだ。 牧場であるグルジオラスを粉砕され、金属水素弾の熱は地中の本体にまでも伝わっていた。伝承のように周囲に天変地異を巻き起こしていても不思議ではない。 それをまだしていないのは文字通り嵐の前の静けさ。 人間か、天蓋地竜か、どちらにその怒りをぶつけるかを考えていたからである。 そして結論は出た。 ギガントマキアの体が――白く輝き始める。 「な、なんだぁ!?」 「まさか爆発するのか!!」 部隊のメンバーが驚愕とともに注視する中でギガントマキアの輝きは頂点に達し ギガントマキアと天蓋地竜、双方の姿は掻き消えた。 「……………………?」 彼らは疑問符と静寂に包まれた。 「ど、どうなったんだ?」 「恐らくですが、ギガントマキアが天蓋地竜を二体だけで戦える邪魔の入らない場所に連れて行ったのでしょう。恐らくここにはもう戻ってこないと思います」 牧場を壊した人間と自分を傷つけた天蓋地竜。ギガントマキアがより強い怒りを覚えたのは天蓋地竜だった。牧場ならこれまで人間に攻撃されたときのようにいくらでも作り直せる。しかし自らを傷つけたことは許さない。それがギガントマキアの結論だった。 そして今はどことも知れぬ世界の果てで、二体の巨大ラルヴァが戦っているのだ。 人間を置き去りにして、北での巨大な力の激突は終結した。 「…………た」 「……た」 「「助かったぁ……」」 茜燦と未来来の言葉がその場の全員の心境を代弁し、部隊のメンバーの間に安堵が満ちた。水分も安堵によって気力が尽きたのか、パラスのサイドカーの中で気を失い、静かな寝息を立て始めた。 「やれやれ、危機一髪だったな……ん? 通信が回復してる、そうかギガントマキアがいなくなったから……」 オフビートがグルジオラスからの撤退戦を開始して間もなく通信不良になっていた自分のモバイルを調べるとチェックすると二通のメッセージが届いていた。 それは彼と同様に表の顔で双葉学園に在籍しているオメガサークルの構成員アンダンテこと木津曜子と、彼の恋人である巣鴨伊万里からのメッセージだった。 その内容はどちらも同じ。 「伊万里、が……?」 巣鴨伊万里が突入部隊のメンバーに選ばれたということ。 それは取りも直さず、無数の蜘蛛型ラルヴァと女王蜘蛛の待ち受ける別れ谷の中に彼女がいることに他ならない。 「俺も別れ谷に行かないと……!」 だが、その距離はあまりに遠い。彼らが数時間走って着いたのがここなのだ。今から走って向かっても間に合わないかもしれない。 それでもオフビートは走り出した。走らなければどうやったって辿りつくことは出来ないのだから。 「待てよヘッドホン、事情はわからねえけど急いでんなら今走るのは間違いだぜ」 走り出したオフビートを制止したのは茜燦だった。 「未来来、サイドカー何分で外せるよ?」 「五分、んー、三分、やっぱり二分。大急ぎでやればそんくらいやな」 「そういうこった。後ろに乗れよヘッドホン。サイドカー外せばさっきの倍は出せるぜ?」 「乗せてってくれるのか?」 「どうも今日の俺は運送役に徹する運命みてえでな。ま、前座だがやらなきゃならないんなら仕方ねえさ」 「……頼む」 「頼まれたぜ」 オフビートがパラスのシートの後部に跨ってすぐに未来来がサイドカーを外し終わる。 「それじゃしっかり掴まってろよ、さっきの比じゃねえからな! っと、そういやまだ名前聞いてなかったな」 「斯波涼一」 「俺は西院茜燦だ」 「……前座?」 「ハッハッハ、言われると思ったぜ……しっかり掴まってろよてめえ!!」 爆音を響かせて、パラスは別れ谷への道を爆進し始めた。 かくして東西南北の戦いは終結し、事件は終着点である別れ谷へと舞台を移す。
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【「大工部」の人たち 第二話 前編】 蝉の声も煩く日差しもきつい7月25日の正午過ぎ、商店街の片隅にある空き地に佇むプレハブ小屋の前に30と少しの学生が集まっていた。 男女の数はほぼ同数で、ほとんどがよく日焼けしていてラフな格好をしている。 頭に帽子やバンダナなどを被り直射日光を遮ってはいるが、それでも暑いのだろう何人かが小屋が作る僅かな日陰に座り込んでいた。 そんな集団の前に並ぶ4人の若者。第九建築部「通称:大工部」幹部である鳶縞キリ、楠木巌、美作聖、御堂瞬だ。 キリは部員達に混じって談笑し、巌は腕を組んだまま普段どおりの仏頂面、聖は自分の学生証に目を下ろしてなにやら弄っていて、瞬はヤカンを片手に部員達に冷えた麦茶を振舞っている。 しばらくして美作聖が弄っていた学生証を畳み込むと、部員全員の学生証から情報着信完了を示す音楽が流れた。 それぞれが着信音を変えているせいで騒音にしか聞こえないその音にキリが眉をひそめる。 「ちょっと皆、着信音はちゃんとベートーベンの『第九』にしないとダメじゃない!」 「イヤですよ完全にダジャレじゃないですか」 頬を膨らませるキリを見て聖が呆れたようにため息を吐く。 それを見て手を挙げた、髪を金髪に染めた部員が一人。 「俺古い洋楽好きだからカーペンターズじゃだめっすか?」 「それじゃただの英訳じゃないの、もっと捻りなさいよ面白みが無いわねー」 やれやれ、と両手を肩まで上げてキリが首を振る。 周りから「部長にだけは言われたくねー」という旨の意見が多数上がるがキリには何処吹く風だ。 そんな光景も見慣れているのか、他の部員たちは特に気に留めずに受信された内容を確認していく。 送られてきたデータには今回の「仕事」である建築物の図面と手順、それとタイムテーブルが示されていた。 全員が学生証に目を通したのを確認すると注目を集めるためにキリが手を叩いた。 「はーい、それじゃお仕事よ。 送ったデータにあるとおり私と瞬くんは創(そう)の所へ行くから、皆は巌(がん)とせーちゃんに従ってね」 「現地への移動は徒歩、ここから10分くらいですね。 着いたらすぐに超略式の地鎮祭を行います、それから作業しますので怪我しないように頑張りましょう」 キリの後を聖が引き継ぐとそれに応えるように部員から了解の声が上がった。 何人かの部員が手を挙げて質問すると聖がそれに応える。 それが終わるとそれぞれが作業に向けて動き始めた。 「今日もあっちーなー」 「夏なんだからしょうがないべ、それに好きでやってんだろ?」 「ああ、お前もだろ?」 「あったりまえだ、汗かいた後の飯程旨いもんはねーよ」 タオルを頭に巻いた少年とスポーツ刈りの少年が笑いあう。 会話の内容が若干親父くさいのを覗けば青春の1シーンといえるだろうか。 「おーいおまえら、副部長歩きだしてんぞ」 「マジかよ! まーた黙って出発しちまったのか、合図くらいしてくんねぇかなぁ」 「今更今更、4ヶ月も付き合ってたら慣れちまったよ」 「ちげぇねぇな」 巌が黙って出発したことに気付いた別の少年が注意する。 何時ものことだが置いていかれない様に距離を開けられた男性陣が慌てて道具箱や機材を手に取り空き地を後にしていく。 「作業中はどうせ離すんだし日傘なんて差すの止めたら?」 「やーよ、私肌弱いんだから。それに私サイコキネシス班なんだから傘持ったまま作業出来るし」 「うわ、ずっるーい! 良いなぁ、あたしもそっちの能力の方が良かったな」 「消耗激しいから体動かすのよりも疲れるんだけどね、そっちは?」 「部長と同じで単純強化系なのよ、おかげでいつも副部長と一緒に力仕事なのよね……」 良く日に焼けた褐色肌の少女と夏だというのに長袖を着込んだ色白の少女が自分達の能力について語り合う。 周りにいる少女達も手に日焼け止めなどを持ち、やれどこのメーカーが良いかと話し合っているようだ。 「はいはい、雑談はそこまでにして出発するよ」 「あれ、男子達もう出ちゃったの?」 「あー! また副部長黙って出てるー! 部長注意してくださいよー!」 「そんなの無理よぅ、巌が無口なのは昔からなんだから」 キリが笑いながら手を振るのを見た少女がため息をつく。 こんなことだから部長、副部長よりも会計の聖の方が頼られているのだが……キリは特に気にしていないようだ。 置いてけぼりをくらった少女達があまり重くない残った荷物を手に男性陣を追いかけて空き地から出て行く。 「じゃぁ瞬君は私とお散歩よー」 「え、えっと部長それはちょっと」 出発していく女性人を眺め微笑みながらキリが瞬の頭をなでた。 しかし、そこはさすがに見た目はベビーフェイスの瞬も中身は一応高1の男子として矜持があるのか嫌がる素振りを見せた。 が、結局キリに丸め込まれて撫でられるがままになっているのが性格の弱さを良く分からせる。 「別に地鎮祭あるんだから急いでも仕方ないじゃない、のんびり行けば良いのよー」 「何言ってるんですか姐さん。 地鎮祭は超略式なんですから、急いで材料を輸送してもらわないと今日中に終わりませんよ」 部室に鍵を掛けていた聖がキリに鍵を渡しながら釘を刺す。 普通は責任者が最後に確認をして鍵を閉めるものだが、大工部ではしっかりしている聖が戸締り確認を行っているようだ。 気付けば部員もほとんどが空き地を後にしている。 「姐さん言うな!」 「あー、はいはいぶちょーぶちょー、これで良いですか?」 「ムギギギギギ、せぇちゃぁんちょっとお話しましょうかぁ?」 「け、喧嘩はダメですよぅ」 キリと聖のは何時もの掛け合いで、じゃれあいに近い。 しかし、そこに毎度涙目になりつつ仲裁に入る瞬の姿も何時もどおりの大工部の光景である。 巌はキリがもし暴れだした際のストッパーとしている上にほとんど喋らないので巨体に似合わず存在感は薄い。 既に出発しているのでそもそも今回はこの場にいないのだが。 「地鎮祭が始まる時に連絡入れますから、道草食わずに直行してくださいよ?」 「分かってるわよ、せーちゃんは冗談通じないわねぇ」 「冗談に聞こえないから言ってるんですよ!」 「あ、あの時間が! 急がないとダメなんじゃないんですか?」 「あーもうこんな時間じゃないですか、走らなきゃ……部長も急いでくださいよ!」 制服のスカートを翻らせながら聖が十メートル程走ってから振り返り再度キリに釘をさす。 苦笑しながら手を振るキリと時計を見て焦っている瞬を見て、聖は戻ろうかと逡巡したが自分も時間が無い事を思い出すと慌てて先ほどよりも速く走りだした。 現場ではおそらく神社の関係者が地鎮祭を行うべく待っている筈だ。 その関係者と話をするのに口下手な巌では少々身に余る。 聖は先の少女の様に自分の能力が肉体強化系でない事に不満を覚え、走りながらため息をついた。 キリと瞬はそんな聖の心情をまったく知る由も無く、その背中が曲がり角を曲がって姿が見えなくなるまで手を振りようやく歩き始めた。 向かう先は資材管理を行う五人目の大工部幹部である源創(みなもと はじめ)が倉庫兼研究所としている倉庫だ。 「部長、急がないと時間がぁ」 「だーいじょーぶよ瞬君、急いだって碌な事無いんだからのんびり歩いていきましょ」 鼻歌を歌いながらのんびりと大股で歩くキリの横をチョコチョコと瞬が追いかける。 まるで飼い主に必死に着いて行こうとするチワワのようだが、それもその筈。その身長差はなんと35cm。 当然一歩一歩の足の幅も違ってくるわけで、瞬の早足がキリののんびり大股と同じ距離を稼いでいた。 が、それに気付いたキリが速度を緩める。 「ごめんごめん、のんびりよねー」 「い、いえぇ、急ぎましょう」 速度を緩めたキリに対して速度を緩めない瞬。 結果として瞬が真剣な顔でペースメイカーの如く先行して、そんな姿を見たキリが微笑みながら追う形となった。 車通りが少ない為歩道の無い開けた道を定間隔で植えられた並木がコンクリートジャングルを彩り、蝉がその青春を謳歌すべく騒ぎ立てている。 アーケードも無いため夏の日差しに汗を流しながら、しばし無言のまま足を進める二人。 倉庫への行程の半分ほどを進んだ時点でようやく瞬が口を開いた。 「部長」 「なーに、瞬くん」 「力に、なれなくて、すいません」 「へ?」 早歩きのせいか若干息を切らしつつ唐突に謝る瞬に、キリが思わず妙な声を上げ完全に面食らったようで馬鹿丸出しに口を開けたまま足を止めて立ち尽くす。 着いてくる足音が止まったことに気付いたのだろうか、キリに背を向けたまま瞬もゆっくりと足を止めた。 「僕の能力で飛べたら、倉庫まで飛ぶことが出来たら暑い中歩かなくても良いのに。 それに物を送ることしか出来なくて作業に参加出来ないのもっ」 瞬にしては珍しくハッキリとした口調、それも大声で喋った。 御堂瞬の能力は「テレポート」である。 学園にいるほとんどのテレポーターは物質と人の両方を転移する事が出来るが、瞬にはそれが出来ない。 出来るのは「生きていないもので、かつ転移先に行った事がなければ送れない」という不便な転移だけ。 そういえば、とキリは以前読んだ瞬の活動記録を思い出した。 (ラルヴァ討伐隊に組み込まれたものの、体力不足と出動先に行った事が無い為物資の輸送もままならない。 その為に「役立たず」扱いされて自ら除隊、それを巌が見つけて連れてきたんだったっけ) 色々と調べたところ、いじめとかではなく少し厳しい戦場で体力の無さを叱咤された時に言われたそうだ。 今の唐突な発言も溜め込んでいたものが出たのだろうか、ともすれば鬱病の気があるようにも思えるが最近仲裁役を押し付ける事が多かったしストレスを溜めさせすぎたのかもしれない。 見た目どおりに精神的に大分弱い所があるんだろうなーと、キリはひとりごちる。 しかし、少し昔を思い出せば自分もその戦場で走り回って隊長として部下の尻を蹴り飛ばしていたのだ。 根性が無かったりひ弱なヤツは良く後陣の部隊へと送り返したのを思い出す。 (確かに瞬君の性格と体格じゃ、戦場はきついわねぇ) でも、と泣いているのだろうか少し震えている瞬の背中を見てキリは思う。 「瞬くーん、人には適材適所ってもんがあるのよ。 大工部は瞬君のおかげで大分楽させてもらってるのは間違いないんだし、下手すると私の方が無能じゃないの」 タイミングよくキリの両腕から熱廃棄の為の空気音が鳴る。 魂源力の大部分を精密制御の出来る義腕に回しているせいで、目下キリは相当低いレベルの肉体強化しか出来ない。 燃費を考えなければある程度までは強化は可能なのだが、もし戦場に立ったとしても今のキリでは「役立たず」に分類されるだろう。 (うちの部員は多かれ少なかれみんなそんな感じなんだけどねぇ) 部を立ち上げたときの部員の顔ぶれを思い出してキリが苦笑する。 ほとんどの部員が戦場においては「役立たず」の烙印を押されて他に何か能力を活かせる道はないかと考えていた面子だった。 それをキリと巌が呼びかけ、醒徒会と交渉して部として成り立たせ、部室を何とか用意して。 初めは小さな仕事からやりだして、僅か4ヶ月で今の大工部がある。 (そりゃ他の建築部が戦闘員としてラルヴァと戦っている時も仕事してたんだから技術も上がるわよねー) 徐々に仕事量が増えるにつれて嬉しい悲鳴が上がったが、瞬が来てくれたおかげで大工部の稼動効率は大幅に上昇した。 鋼材や木材をその都度現場まで運ぶ必要が無くなったのだから。 運転免許やそもそも車の少ない双葉区しかも部活動なので、それまでは超人系やサイコキネシス能力者に運んでもらうしか無かったのだ。 大きさの大小はあっても建物一件立てる分の材料を運ぶ為には丸一日かかることもあった。 それが下見さえ済ませておけば、ものの数分で輸送が完了する。 瞬の能力は、その「限定性」に反比例するように魂源力の燃費が非常に良かったことも助かった。 部に入ってまだ1ヶ月と少しだが大工部にとっては欠かせない「戦力」であり、何よりも殺伐とする部室のオアシスとなってくれているのがキリにはとても嬉しい。 「悩まない悩まない、そんな事言い出したら私だって超人系能力者よー? 瞬君一人担いで走っていくくらい出来ないとダメでしょ」 「いえ、僕も一応男なので女性に担がれるのはちょっと……あ、部長ちょっとだけ後ろ向いてもらえますか?」 はいはいと、キリが後ろを向くと布で何かを拭い擦る音が聞こえてきた。 瞬が少しだけ流れた涙を拭っているのがキリには分かったが、女性に涙を見せたくないという「男の見栄」なのだろうと察してしばらく黙っていることにした。 「もう良いですよ、ありがとうございます」 お互いが振り向くと少し赤くなった頬に何時もの笑顔を浮かべた瞬がそこにいた。 さて、鬱憤をぶつけてくれるのは腹の底を見せてくれるようで嬉しいのだが後に続く湿っぽい空気がキリはニガテである。 たとえ瞬が笑っているとはいえ、どことなくぎこちない雰囲気になるのが耐えられないのだ。 そこで、どうすれば良いかを考えた挙句。 「そーれ、よいしょぅ!」 「う、うぅわっ、部長やめてくださいよぅ!」 よりにもよってキリが瞬の背後に回り、股に頭を突っ込んだ。 手足をバタつかせ瞬が暴れるのも構わずにそのまま背筋と足の筋力に任せて強引に立ち上がる。 瞬の視界が普段の倍近くの高さまで上昇する、ようするに肩車状態だ。これは恥ずかしい。 さすがに瞬も嫌がる素振りを見せるが、 「ぶ、ぶちょ、本当にやめてくださいぃ」 「立ち止まっちゃって時間食っちゃったんだから、せーちゃんから怖い電話入る前に急ぐわよー」 キリが強引に地面を蹴り走りだした。 燃費が悪いのは分かっている筈なのに全身を強化して瞬の体重くらいはなんとか無視できるくらいの力を得ているのだろう。 瞬が出来るだけ怖がらないように上体を動かさずに腰から下だけを器用に動かす。 それはまるで能の舞台へと橋掛かりを進む楽士のようで、すれ違った通行人が驚きあるいは指差して笑う。 瞬が頬を赤くして俯くその下でキリが笑いながら夏の日の下を駆け抜けていった。 大工部の部室から歩いて20分、双葉区を巡回しているバスで停留所4つ分離れた場所に大きな倉庫がある。 中身を全て出せば小さな展示会が出来そうなくらいの大きさのその倉庫の道路に面した側には大きく「資材製作・販売」の文字が、その横に小さく「第九建築部倉庫」が掲げられていた。 中は大きな部屋が2つと、事務所に出来そうな小さな部屋が1つに区切られている。 大きな部屋の片方は所狭しと色んな木材や鋼材などが並べられていて、もう片方にはいくつかの小さな機械と大部分を占める大きな機械が設置されていた。 その二つの部屋を覗けるようにガラスとプレハブ素材で作られた小さな部屋にキリと瞬、そしてもう一つの人影があった。 「で、直前で強化する分の魂源力無くなったけど根性で走ってきたと……バカじゃね?」 「ぜっ、ぜひっ、バ、ぜっ、バカって、はぁっ、言う、なっ、げっほげほ」 「だから無茶だって言ったじゃないですかぁっ」 しっかりと空調の行き届いた、涼しい室内に汗だくになって頬を紅潮させてへたり込むキリとその背中をさする瞬。 そして事務机に添えられた椅子に腰を下ろしてコーヒーを啜りながら呆れ顔で二人を見据える女性。 長い髪を後頭部で無造作に纏めた髪の下、メガネの向こう側には常から目つきの悪いのをさらにジト目にしているのが見える。 機械オイルと埃で汚れた白衣を制服の上に羽織っているのが、口が悪けりゃ目つきも悪い20歳のうら若き乙女を自称する大工部の5人目の役職員である源創(みなもと はじめ)だ。 20歳という割には身長は平均よりも低く体型も正直言えば貧相だが、一人でこの材料店を営むれっきとした双葉大学2年生である。 「あーあー、汗が床に垂れるじゃないか。そこのロッカーにタオル入ってるから使いな」 「えっと……あ、これですね。部長どうぞ」 「はっ、ありがっと、けほっ、瞬君」 瞬がロッカーから取り出したタオルで上気する顔に満ちる汗を拭いながらキリが応える。 元からある程度の体力はあるため、死にそうなくらい荒れていた呼吸も随分と落ち着いてきているようだ。 「落ち着いたら喉渇いちゃったぁ、創(そう)なにか飲みもの頂戴」 「来て早々にそれか……そこの冷蔵庫に何かあるだろ」 「わーい、瞬くん何かとってー。あ、出来たらビールがいいな!」 「部長まだお仕事中ですよぉ、それにビールは無いです」 「えー、ビールないのー?」 「真昼間から酒飲もうとすんな、この飲兵衛め」 創が冷蔵庫を覗いていた瞬を退けて、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出しキリに投げつけた。 結構な速度で投げられたそれが顔を拭いている最中のキリの頭に見事に着弾してボコンと鈍い音を上げる。 「いったーい、何すんのよー!」 「やかましい、とっととそれ飲んで用件に移れ。あたしはあんたと違って暇じゃないんだ」 幸い底や蓋の硬い部分じゃなかったのかそれ程の痛みは感じなかったようだ。 当たった部分を瞬に摩ってもらいながら床に座ったまま水を飲むキリを、再び定位置である椅子へと座りなおした創が見下ろす形になる。 「用件に移れも何も、せーちゃんから連絡いってるでしょ?」 「せーちゃん……? ああ、美作のことか。 あんたその変なあだ名着ける癖まだ抜けて無いのかい」 「変なとは失礼ねぇ、親愛を篭めてるのよ。瞬くんにも着けてあげたいんだけど読み方が無いのよねー」 瞬でまたたくだからたっくん? と言い始めたキリを見て、なんでこんな変人と関わっているのかと創はぬるくなったコーヒーを口に含みながら頭痛のする頭を抑えた。 「もうそれは良い、置いとけ。 美作からの連絡は聞いてるよ、丁度来てた超人系のヤツに頼んでかためてあるから運ぶといい。 あたしの聞いた用件ってのはその事じゃなくて、なんであんたがここに来たのかってことさ。 ああ、御堂はコイツの事は放っておいて仕事に移りな。構ってると日が暮れるよ」 創がガラスの向こうに一箇所にまとめてある鋼材などを指さすと、瞬はペコリと小さく一つお辞儀をして部屋から出て行った。 良い子だと創は思う。それに比べて、 「なによー、来ちゃダメなの?」 「あんた厄介ごとしか持ってこないでしょうに」 かつての級友は何でこんなに愚鈍というか変人になってしまったのだろうか、昔は真面目で一本筋の通った良いヤツだったというのに。 空のペットボトルを頭の上に載せて遊び始めたキリを見ながら、創は大きく一つため息を吐いた。 「んで、何しに来たのさ? 顔見に来たってわけでもないんだろ、腕のメンテもしばらく先の筈だ。 あ、もしかして壊したのか!?」 キリの腕のメンテは創が行っている。 とはいっても出来るのは応急処置と簡易検査だけであって、オーバーホールは別の科学部の研究所に頼まないといけないのだが。 キリはその手続きを科学部どうしの繋がりがある創に全部まる投げしていたりする。 創にとっては面倒くさいうえに、借りを作ることになるので非常に嫌なのだ。 「ふえ? 壊れてなんてないわよ、ほーら」 「キモい、止めろ」 「創(そう)はほんとにセメントねぇ。あ、このセメントっていうのは大工部をかけ」 「やかましい」 「なによー」 また頭痛がしてきた、と創はメガネを外してこめかみを抑えた。 暫く経ってから目を開けると地べたに座りこみ普通の人間では絶対に曲がらないような方向に間接を曲げたままのキリが拗ねた様な顔をしていた。 「いい、もう分かったからその妙なポーズは止めろ」 創がさらにキツクなった頭痛をなんとか堪え搾り出すように命令すると、キリはこれ以上のリアクションを求めるのは無理だと悟ったのか大人しく腕を下ろした。 「相変わらず創(そう)はノリ悪いわねぇ」 「あんたのノリにゃついていけないよ、んで結局何しに来たんだ?」 「ああ、腕付け替えに来ただけよ。 久々に参加しようかなと思って……ところで灰皿無いの?」 「あたしは禁煙中だ、吸いたいなら外で吸って来い」 白衣のポケットから禁煙パイポを見せると、クイっと顎で外に繋がる扉を示した。 キリはしばらくどうしようか悩みタバコと外の熱気を天秤に掛け、結局取り出しかけた紙箱をポケットに戻す。 物凄く不満そうな顔をしているが知ったことかと創は思う。 「というか、腕付け替えるんだろ? タバコなんて吸ってられないだろうに」 「走り疲れたから一服したかっただけなのよぅ」 ぐてーっと、キリがだらしなく床(一応創の生活スペースでもあるので掃除はしてある)に崩れこむ。 さすがに創が注意しようと椅子から腰を浮かせたのとほぼ同時に瞬が扉を開けて戻ってきた。 片手に学生証を持っているところを見ると、どうやら携帯機能を使っているようだ。 「部長、美作さんが変われって言ってます。怒ってるみたいですよぉ」 それを聞いた途端、キリがそれまでの飄々としていた表情を一転させて嫌そうな顔を浮かべた。 「えー、せーちゃん怒ると怖いから出たくないー」 「あんたが言うな、あんたが。もう面倒くさいからさっさと出てやれ」 仕事の連絡入る度に愚痴言われるこっちの身にもなってみろ、と創は思う。 その仕返しを食らったキリがその倍くらいの時間電話で愚痴ってくるのも正直止めて欲しい、とも。 目の前で学生証の向こう、見えない聖を相手に頭を下げるキリを見て創の口から今日一番のため息が漏れた。 「せーちゃん、何であんなに怒るのかしらねぇ?」 「そりゃ、だらしないからだ」 仮にも部長が何をやっているのか。 「怒られてるのあんたくらいだろ、あたしに対しては普通の女子やってるぞ」 「えー、創(そう)ずるい」 「いや、ずるいってな」 口を膨らませて、ぶーたれるキリ。 後ろで苦笑いをして頬をかいている瞬を見るに、本当に聖はキリに対してはキツイ性格をしているのだろう。 「まぁいい、んで用件は何だったんだ」 「んー、とりあえず地鎮祭は滞りなく5分で終了したってさ」 「……早すぎじゃないか?」 普通の地鎮祭は短くても30分はかかる。 それが5分で済むとはいったいどんな手抜きだ。 「良いのよ、うちの契約してるところは特別なんだからー 何てったって実際に神様呼んでの地鎮祭、面倒な準備何て無いのよ」 元より悪い目つきを更に悪くする創に向けて、キリがウィンクしながらVサインを出す。 「おい、御堂」 「大丈夫です、本当のことです」 意味不明な歌を口ずさんで陽気に笑顔を振りまくキリ。 それを見た創の、あいつ頭大丈夫か、という意味をこめたジェスチャーに対して瞬が答えた。 「そうか、双葉学園は相変わらず変人の多い所だな」 「あは、あはははははは」 「何よー、創(そう)も十分変人じゃない」 確かに白衣羽織ってオイルと機械に囲まれた生活をしている二十歳の女性はそうはいない。 「あんたにだけは言われたか無いね、二十歳の高2が。制服着てタバコ吸うな、酒飲むな」 「やーよ、両方とも今の私には欠かせないんだからぁ」 何故か胸を張ってキリが答えた。 それをジト目で見つつ、創が残ったコーヒーを喉へと流し込む。 「はいはい、もう馬鹿話はこれまでだ。美作が急かしてるんだろう、とっとと腕変えて現場行け」 「えー、久しぶりに来たんだからもっとお話しましょ?」 「黙れ馬鹿、あんたと話してるとこっちの頭痛が止まないんだよ」 創があっちへ行けと言わんばかりに右手を振った。 それを見て、口を尖らせぶーたれるキリの背中を瞬が押して居住スペースから出て行く。 倉庫スペースへと出た途端に、キリの全身を蒸し暑い空気が包み込んだ。 「……暑いわ」 「夏ですから、それに皆はもっと暑いお日様の下ですよ」 とにかく急ごうとする瞬が申し訳無さそうに背中を押し出してくる。 引っ込み思案な瞬が女性の体に触って、しかも上司を動かそうとしているのだから、相当焦っているのが良く分かった。 「もうしょうがないわねぇ、んじゃお仕事しましょうか」 「早くしないとまた美作さんにお仕置きされちゃいますよぅ?」 「だーいじょーぶよー、そんなに急いだって良い事なんて無いんだから」 微妙に涙目になった瞬の顔を肩越しに身ながらキリが薄い笑みを浮かべた。 というか、聖は既に大分怒っていたりするので今更数分遅れたところで後で怒られるのは確定していたりする。 キリはそれが分かっているので今更急ぐつもりなんてさらさらなかったのだが、 「良いからとっとと仕事いけ、うるさい」 後をついて出てきた創がキリの高い位置にある尻に綺麗な蹴りを叩き込んだ。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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流れ星を一緒に見よう ラノhttp //rano.jp/1491 この日常に漬かりきっていたせいか、僕は物事のありがたみを忘れていたようだ。 楽しいことだらけの学校に通えて、不思議なちからも使うこともできて・・・・・・。 僕は世界でいちばん幸せだったのかもしれない。 でも、そういう素直な気持ちを忘却してしまっていたのも、いかに僕が学園生活や異能のありがたみを軽んじていたかということだ。 ろくに注意も向けない都会の夜空にも、星は美しく流れていくというのにね。 ごめんね。 今の僕はそういう気持ちでいっぱいなんだ。 本当にごめんね。 ぶん殴ってやりたい大馬鹿ヤロウがいるとしたら、それは僕のこと。 どこにでもいる剣豪少女に僕は言いたい。 タイミングが過ぎてからでないと重要なことに気づけない愚かな僕を、いっそのこと斬ってしまってほしい。 どこかにいる治癒能力者に僕は会いたい。 本当に何でも治すことができるのならば、今すぐにでも僕の喪失を無かったことにしてほしい。 無くしてしまうものが大きすぎる。このままだと僕は死んでしまうよ。 今日はここに来てくれてありがとう。 みっともないだろう? 自分でもそう思う。 ボロボロになった死にかけの僕を、僕は君に見て欲しいのだろうか? いいや、もっと君に見て欲しいものが僕にはある。それは僕の本当の気持ち。 双葉山。うんと静かな夜の展望台。僕らはもう何度、ここに通ったことだろうか? それは数え切れないほどだったよね? ・・・・・・同意が欲しい。 僕は二人の関係が永遠のものだと信じて疑わなかった。 だけど君は「始まりもあれば終わりもあるの」、そう言った。 ほら、見上げてごらん。 今更説明なんてするつもりはない。何度も君に見せてあげたものだから。 でも、今夜の星空はちょっと違う。だからちゃんと見て欲しい。 今宵君に見せてあげようと思うのは、壮大な天の川でも巨大なオリオンでもない。 ――ひとつ、流れていったね。 ――またひとつ、零れていったね。 流星群。これが、今の僕の気持ちそのものだ。 「スターライトシャワー」。暗闇さえあればプラネタリウムを作ることのできる、僕の異能。 化物との戦いに何の役にも立たないけど、僕はこのちからを誇りに思っていた。 なぜなら、これは君のためにあるものだからだと思っていたから。 君を幸せにするために僕は生まれてきたのだと思っていたから。僕は「奇跡」をそういうことだと思っている。 流星群。これが、今の僕の気持ちそのものなんだよ。 本当に悪かったと思っている。僕は愚かだった。 君がいつも側にいてくれたからこそ、僕は日ごろの生活も戦いも幸せだったというのに。僕はそのことをすっかり忘れていた。 君のいない学園生活なんてありえない。 君のいない星空なんて美しくない。 だから、行かないで。 流星群。これが、今の僕の気持ちそのままだよ。僕は泣いている。 手遅れにならないと、僕は失うものの大きさに気づけないようだ。 どうして僕は君を寂しがらせてしまったのだろう。「永遠」にウソをついたのは僕のほうだった。 僕は君を深く悲しませてしまった。もう、二人の愛は元に戻らないのだろうか。 本当にこれですべてが終わってしまうのだろうか。 失うものがあまりにも大きすぎて、ひたすら涙を流すしかない。 もう二度と君を寂しがらせたりしない。 もう二度と「永遠」にウソをつかない。 だから、行かないで。 流れ星が十個ぐらい流れていった頃合だった。彼女は立ち上がった。 一緒に座っていたベンチから静かに離れていった。 「素敵なものを見せてくれてありがとう」 そう、絵に描いたような笑顔を僕に見せてくれる。 「また明日、学校でね」 彼女は僕を残して歩いていった。ベンチに座って、うなだれている僕を残して。 僕は彼女が消えていくのをどうしても見ることができない。こんな結末を認めることがどうしてもできない。両手を組んで、額を両手に付けて、深い息を吐いていた。 だけど、僕は彼女に見てほしかった。 たった今、天上をぼろぼろと流れ落ちていく、熱く閃く大粒の流星群を。 三日後。 彼女が別の男と腕を組んで歩いているのを偶然見かけた。 僕がしばらく見ることのできなかった、本物の笑顔を彼に向けていた。彼女が幸せの絶頂にいるのは、あの子と付き合っていた僕だからわかること。 ふられた僕は「終わり」も「始まり」もない暗がりのなかに取り残されている。 君のいない学園生活が、こんなにも堪えられないとは。 覚悟していた以上に致命的な、色彩の喪失。もう僕に美しい星空を作り出せる自信はない。 だからせめてもの慰めとして、君がこの僕に素敵な夜空を見せて欲しい。 とてつもない暗がりのなかに取り残された僕に、明日への「光」を――。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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らのらのhttp //rano.jp/1058 2016年の双葉学園には、誰からも愛されるアイドルがいた。 男子・女子問わず羨望の眼差しを集めるその姉妹は、非常に特徴的な異能を有していた。そしてその異能こそが個性であり、特徴であり、自慢であり、武器であった。 頭にキュートな猫耳を乗せて、毛並みのよい尻尾をふりふり動かす。 猫の血を覚醒させて、俊敏にフィールドを駆ける。高所から飛びかかる。獲物を切り裂く。 彼女らの笑顔を一目見ただけで、どんなに硬派で生真面目な男でも、母性をくすぐられ、ときめいたものだった。 その上、彼女らは戦闘能力も桁違いに高く、姉妹なしでは勝てなかったラルヴァとの戦闘も数多い。 この物語は、今や学園の伝説となった猫耳姉妹・立浪みかと立浪みきの、栄光と末路までを綴った記録である。 立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路- 第一話 魚肉ソーセージ 学園にラルヴァ襲来警報が発令される! 一般人や並みの異能者である学生は、団子になって逃げ惑った。果敢な者たちは討伐に出たものの、その異形を前にして強い躊躇を見せてしまう。 校庭に鎮座する、静かなる脅威。 物を語らない恐怖の大砲は、双葉学園の校舎をしっかり捉えて破壊の時を待っていた。 「え? どういうことさ。異能者が攻めあぐねていて戦況が動いてないって」 廊下をかけながら、高等部二年生・立浪みかは友達の異能力者にそうきいた。腰まである長い茶髪をばさばさ揺らし、緑の瞳で顔色をうかがいながら走る。友達は顔を赤らめて視線を逸らすと、とても言いにくそうにしてこう言った。 「だってぇ・・・・・・。あんなの、私の口から言えませぇん・・・・・・」 「何なんだよう! わけわかんないなー。強いの? 硬いの? でっかいの?」 「言わせないでぇみかちゃん・・・・・・」 ますます彼女は真っ赤になり、縮こまってしまった。この意味不明な反応に、みかは首を傾げてしまった。とにかく、現場へ急行してみるしかない。 上級クラスのラルヴァが出たと聞いては、この立浪みかが黙っちゃいられない! 彼女はペロリと舌なめずりを見せては、今回はどうやって華麗に撃破してみせようかをすでに考えていた。 友達が時間をかけて駆け上がっていく階段を、みかはひとっ飛びで上っていく。彼女の自慢は身軽さだ。グラウンドや校舎内を軽やかに駆け回り、飛び回る、猫のような動き。 屋上の扉を開け放ち、昼の白い日差しが彼女を出迎える――。 潮風が後ろ髪をたなびかせる。風の強い屋上から、みかはその異形を見た。 異能者たちが攻撃を躊躇するぐらいの、謎に包まれたラルヴァ。立浪みかは、ついにその全貌を目の当たりにする。 「・・・・・・こっ、これはっ!」 百戦錬磨の彼女をもってしても、そのラルヴァを前にして絶句を見せたのであった。 「あううー。私ったらまた、出遅れてしまったようです・・・・・・」 大きなバストを上下に揺らし、はあはあと苦しそうに息をしながら彼女は階段を上がっていった。 立浪みき。高等部一年生。 昼休み、いつものように木陰でお昼寝をしていたら、友達に肩を叩かれて起こされてラルヴァの襲来を知った。モバイル学生証にはすでに、姉からのメッセージが届いている。「なぁに今日ものんびりしてんのさ! 屋上にいるから、早くおいでよ」。 彼女は非常にどんくさい。猫の力で戦うくせして、おっとりしていて動きが鈍い。 趣味はお昼寝。お気に入りの白樫の木のもとで、無防備に仰向けになるのが好きなのだ。 魔が差してしまった高等部の男子が、ブラウスを膨らませている柔らかな双丘に触れようとした事件があった。警戒心の強い彼女は後一歩のところで目を覚ましてしまい、その場でぐすぐす大泣きしながら非難の目を向ける。そして、その男子の家に、怒り狂った立浪家長女がヤキを入れに襲撃してきたという悲劇があったとか、なかったとか。 みきは鉄製の扉を両手で押して、ゆっくり開く。風が強くていつもより扉が重たい。屋上にはすでに、みかが両手を手すりについて校庭を見下ろしている。 「姉さん?」 彼女はすぐに疑問を感じる。いつも自分が遅れてやってくるときには、姉はたいてい自慢のナイフを握って敵と戦闘を繰り広げていた。だが、今日は違った。 「どうかしたんですか? まだ敵と戦闘状態に入っていなかったのですか?」 「おお、来たかみき。ま、あれを見なよ。・・・・・・あはは、あんなんじゃ誰も攻撃したがらないわけだ」 みきは視線を異形に向けた。たくさんの生徒を魅了してきた黄と青の美しいオッドアイを、よく凝らして見つめた。 敵は校庭のど真ん中に鎮座している。一言で表現するなら・・・・・・ミミズ? 一本だけの触手? いや、違うなあ。・・・・・・あ、魚肉ソーセージ! 太くて食感のいい魚肉ソーセージ! 「どう思うかい? その、なんていうか、参ったなあ。困っちゃうよなあ?」 「ええと・・・・・・。おいしそうです・・・・・・」 そう言った次女を、みかは衝撃の目をして振り向いた。ピントのズレた発言も可愛いところがあるみきだが、その発言はいただけない。アウトだ。 「むしゃぶりついたらとってもおいしそうですね。口いっぱいに頬張りたいです。ふふ、私の小さなお口じゃさきっぽのほうしか無理かもしれませんね。姉さんも、お腹空いてたんですか?」 「みき。それ以上いけない」と、みかは心底申し訳なさそうに言った。「無知なのかカマトトぶってるのか、お姉ちゃんのあたしにはよくわからんけどさあ。いいかい、あれはなあ・・・・・・」 ごにょごにょと真実を耳元でささやいたとき、みきの白い猫耳がボンと飛び出した。彼女は真っ赤になった顔を両手で覆い、その場で崩れ落ちてしまった。 「何・・・・・・それえ。もう、やだあ・・・・・・」 「恥ずかしいだろー? 何であんなんが教育現場にいるんだろうな。ある意味一番招かれざる客じゃないか」 と、みかは熱っぽくため息をつきながら言った。魚肉ソーセージは、長い巨体を八本の気持ち悪い足で支えている。あんなのがきちんと意志をもってここまで自走してきたと思うと、とんでもない歩くテロ行為だなとみかは呟いた。 魚肉ソーセージの正体は、恐らく「大砲」なのだろう。まあ、当然「大砲」なのだろう・・・・・・。 実弾を出すのか、光学兵器を展開するのか、戦ってみない限りわからない。 「あーもう! あんなん、女の子が攻めあぐねるのもよくわかるよ!」 みかは大声でそう言った。やけくそな調子のなかにも、内心楽しそうな・嬉しそうな色が少しうかがえる。両腕を後ろに回して、長い髪を緑のゴムで一つに縛った。 「じゃ、そろそろ行くか、みき。誰が連れてきたんだか知らんが、早くあんなの追い出してやらないと、女の子の教育上非常に悪い」 「あうう・・・・・・」 みきはまだ、再起不能のようだ。みかはそれだけ確認して苦笑すると、手すりの上に足をかける。 「立浪みか! みんな、行っくよー!」 みかは飛び出した。青空に滑り込むように、緑の瞳をきらきら輝かせて、校舎の屋上から飛び上がった。 「立浪みかだ!」 「うおお、待ってました! どうかあんな卑猥なの、早くズタズタにしてやってください!」 「猫耳少女とアレが戦うのか? うわあ、すげえ情けない意味で見ものだなあ!」 次々とグラウンドから上がる、男子からの声援。今回、ラルヴァに襲撃を受けているのにもかかわらず、女の子の戦士は一人残らず教室に引きこもってしまったという。 太陽を背景にして、くっきりと浮かび上がる少女の黒い影に、猫耳が具現する。尻尾がしゅるっと生える。 牙を八重歯のようにちらつかせ、にっと微笑みを見せてファンサービスをしてから、猫耳少女・立浪みかは左手に武器を出現させた。彼女が自慢としている、やや大きめの短剣。 「とおりゃあああああああ!」 くすんだ緑色のグラディウスを、飛び道具のように投げ飛ばした。 地上六階の高さから放たれた短剣は、斜め四十五度の鋭角で、地面にへばりついている魚肉ソーセージの本体に直撃する。 全校生徒を大混乱に陥れた八足歩行型砲台ラルヴァ・「リンガ・ストーク」は、強烈な打撃を受けてのたうちまわった。 びたんびたんと、リンガ・ストークは白色の本体を真っ青にしながら、苦しそうにもがいている。周りを取り囲む異能者の男子たちも、思わず脂汗を額に感じていた。 「あたしゃ女の子だからよーわからんけど、相当痛がってるみたいだねえ。直接的な表現はあたしも恥ずかしいから、あたしも『魚肉ソーセージ』と呼ばせてもらうよ」 と、ニヤニヤしながらみかは言った。魚肉ソーセージは、ぶるるっとその巨体を震わせてから、ガサガサとこの上なく気持ち悪い挙動でみかに急接近する。八本足の想像以上の速さに、油断しきっていたみかは懐をとられた。 ばちんと、砲台をしならせてみかの頬をうった。みかは横に吹き飛ばされ、グラウンドを転がっていく。受身を取って立ち上がると、異形に向かってこう怒鳴った。 「いったーい! あんた、よくもそんなもんで女の子のあたしをぶったね! 許さない! 絶対に許さない!」 みかは緑の目を燃え上がらせると、弾丸のような速さで魚肉ソーセージに走りかかった。左手に再び、短剣を呼び寄せた。 すぱっと深く斬りこんでみせる。その切れ味に、異能者たちから歓声があがる。何度も近接間合いに入っては敵を斬りつけ、突き刺して、ナイフを持ち替えてはまた斬った。グリーンの美麗な残像が何度も描かれ、乱舞する。 しかし。このリンガ・ストークは系列が「M」であった。痛めつければ痛めつけるたび、彼女の見えないところで別のゲージが溜まっていった。 がきんと突然グラディウスがはじき返され、みかは仰天する。 「は? 何で? 何が起こってるの!」 刃先を叩きつけても、石のように硬化した魚肉ソーセージにまったく通用しない。みかのグラディウスは斬れないもののほうが少ないだけに、それは彼女をひどく困惑させた。 リンガ・ストークは砲台をほんのり赤く変色させ、その巨体も心なしか、一回り大きく・長くなっているように見えた。この状態変化に危険を感じたか、みかは距離を取る。 「あたしの攻撃がまったく利かなくなった。なあ、男の子ども? これはどういうことなんだい? あたしにわかりやすく教えてくれると、助かるなあ」 などと悠長なことを、みかはわざとらしくギャラリーにきいている。男子の異能者は言葉に詰まって、黙り込んでいた。そのとき、彼女にしっかり照準を向けている真っ黒な経口が、かっと輝いた。 「姉さん! 飛んでぇ!」 みきの絶叫を耳にしたみかは、とっさに跳躍した。 すると、真下をリニアのごとく白いビームが駆け抜けていったのを見た。みかが着地した瞬間、背後にものすごい音が轟いたのをきいた。 恐る恐る背後を振り返ると、山がひとつ吹き飛んでいた。 「・・・・・・怖いってぇ! 何だよこいつ! 危険すぎるじゃないかあ!」 上級ラルヴァのリンガ・ストークは、拠点強襲に特化した兵器タイプのラルヴァである。ビーストにもデミヒューマンにも属さない固有の生物は、便宜上エレメントの分類となる。(その形状から部位としてデミヒューマンに分類されるという意見も根強い) 砲台から高威力のレーザーを無尽蔵に発射できる、恐怖の兵器だ。どうして学園を襲っているのかその真意は不明だが、このまま野放しにすると学園は破壊の限りを尽くされてしまうことだろう。 積極的に敵をいたぶることでますます猛り、レーザーを乱れ撃ちにして手の着けられなくなる「S」タイプと、敵にいたぶられることでゲージをため、強力なレーザーで一撃必殺を狙う「M」タイプが存在する。今回みかが交戦しているのは、後者のほうだ。 「よっと、うわああっと、ひいいいいい?」 みかは横っ飛びにレーザーを避け続ける。彼女を追い回すよう、魚肉ソーセージはレーザーを何発も撃ち込み、よそに直撃しては甚大な被害が出た。「絶対にこっちを背にして戦わないでねみかちゃん!」と、校舎に引きこもっている女子たちは叫んだ。それに対してみかは「無茶言ってないであんたたちも戦ったらどうなんだよぅ!」と怒鳴る。 リンガ・ストークは数秒間パワーを溜めると、砲台を右回りに回転させながらより太いレーザーを射出した。もうやりたい放題だ。 それはグラウンドを白い画用紙にたとえれば、クレヨンを押し付け、扇形を描いたようであった。この想像を絶する激しい攻めたてに、みかは冷や汗を何度もかいた。 「こいつったらあたしをオカズにしてるっていうの? やあん、嬉しくないってえ! こんな早撃ちマック、こっちから願い下げだよ!」 横に飛んで着地したところを、的確に狙われてしまう。正面を向いたら、経口が自分のほうを向いていたのだ。みかは隙を突かれ、レーザーを放たれようとしていた。 みかの機動力なら、それだけ一目見てから回避するのはたやすい。しかし、彼女は背後にあるものを思い出して、くっと歯をきしませた。 (後ろには初等部の子供たちが!) うかつだった。敵の攻撃に追い回されているうち、初等部の校舎を後ろに背負ってしまったのだ。ここでみかが回避をしてしまえば、子供たちの命が危ない。 みかには九歳になるもう一人の妹がいた。その子は大のお姉ちゃんっ子で、みかもまたこの末っ子を溺愛している。ここは絶対に引き下がれない。 「ああもうわかったよ! 撃つなら撃ってこいやあ! あたしがあんたの出したモノ、全部受け止めてやるわあ!」 リンガ・ストークは憤怒の色をたたえ、今まさにレーザーを撃ち込まんとしていた。みかは腹を決めて、両目をぎゅっと瞑って耐え抜こうとした・・・・・・。 ところが、魚肉ソーセージは突然その身をロープのようなもので雁字搦めにされ、レーザーを撃つことも身動きもとることもできなくなってしまった。ばたばたともがいていた。みかはぱっと笑顔になって、もう一人の猫耳少女を見る。 「みき!」 「あうう・・・・・・」 みきは自分に付与された武器・青い鞭で、リンガ・ストークを締め上げていたのだ。縦に、横に、斜めに何重にも巻かれた硬質ロープは、本体にぐいぐい食い込み、ソーセージというよりボンレスハムを思わせた。 「みきったら、やるぅー。カゲキぃー!」 「もう! そんなつもりじゃないのにぃ、姉さんってば!」 泣き出しそうな顔で、みきはそう言う。しっかりと両手で鞭を握り、ぴんと張って異形を締め上げている。 しかし、異形はそれでもびくびく動き、ほんのりと赤みを帯びてその身を硬化させる。硬くなりすぎたあまりビンと反りあがってしまったリンガ・ストークの勇姿は、校舎で引きこもっている女子異能者たちの阿鼻叫喚を引き起こす。 「うわあ、恥ずかし・・・・・・。てか、みき! そんなんじゃダメだ! もっと強く締め上げて!」 「何言ってるの姉さん! こんなの、これ以上縛っていたくないのにぃ!」 「一通り戦ってわかったんだけど、その程度の力加減じゃ相手は悦んじゃうんだよ! ズタズタにするつもりでやって!」 「私にこんなことさせてないで、姉さんが早くとどめを刺してよ! 私、もう、恥ずかしくて、死んじゃいそうだよお!」 「よしわかった、あたしがあの自重しない魚肉ソーセージ止めてやるから、しっかり拘束プレイしてな」 みかはリンガ・ストークに接近し、その本体をよく探った。本体は非常に硬くなっているので、恐らくナイフは通用しないだろう。弱点を見つけ出すことができれば、勝てるのだ。 「これか・・・・・・!」 砲台の根元の真下に、二つの巨大なボールがあった。それはどくどくと心臓のように鼓動しており、指先でつついてみたら、本体と違ってとても柔らかかい。 「あたしたちがカワイイからって、散々ここでヌきちらかした罪は重いぞ! くたばれぇ!」 みかは自慢の短剣を振りぬいた。二つの玉を切り裂いてしまった。 束縛されている魚肉ソーセージが、一気に真っ青になってがくがく震えだした。グラウンドで猫耳姉妹の戦闘を鑑賞していた男子たちは、一目散になって逃げ出す。彼らには、これから何が起こるのかうっすらと想像がついたのだろう。 リンガ・ストークは痙攣を終えると、ばちんと弾けてしまった。 それはまるで植物の鞘が弾け、種子が乱れ飛んだかのようだった。風船が割れたような音のあと、校庭は凄惨な様相を呈する。魚肉ソーセージのばらばらになった肉塊に混じって、白い液体があちらこちらに吹き飛んだのだ。 校舎の壁にもべっとりつき、女子の悲鳴が収まらない。リンガ・ストークを束縛していたみきはまともに液体を浴びてしまい、わんわん泣いてしまった。 「ふえええん・・・・・・。やだあ、臭くてべとべとですごく気持ち悪いよー」 そして見事に強敵を撃破した立浪みかも、心底嬉しくなさそうにしてあぐらをかき、肘を太ももについていた。彼女が一番、破裂による悲しい被害が甚大であった。 「サイテーだ。あたしも戦線に出て長いけど、こんなサイテーな勝利、嬉しくもなんともないわ・・・・・・」 そのぶすっとした童顔も長い髪の毛も、自慢の猫耳も、白濁した液にまみれて糸を引いていた。 会長のロリボイスがその逸話を語り終えたときには、遠藤雅の顔はものすごい引きつりを見せていた。 「・・・・・・そ、そんな情けない事件の話が、会長の言う、知っておくべき過去の事件なんですか?」 「いいや。まだまだ話は始まったばかりだぞ遠藤雅。相変わらずのせっかちさだな。しゅくじょは理解の早くて空気の読めるしんしを好むものだぞ」 あ、そうですか、すみませんでした。余計なこと言ってすみませんでした。 そう、雅は顔を引きつらせたまま謝罪した。 「ところで遠藤雅」と、御鈴はお目目をぱちぱちさせながら彼に話しかける。 「どうしてリンガ・ストークは恥ずかしいラルヴァなのだ? 爆発したあと撒き散らした白い液体は、いったい何なのだ?」 最初に戻る 【立浪姉妹の伝説】 作品 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 最終話 登場人物 立浪みか 立浪みき 遠藤雅 立浪みく 与田光一∥藤神門御鈴 登場ラルヴァ リンガ・ストーク ガリヴァー・リリパット マイク 血塗れ仔猫 関連項目 双葉学園 LINK トップページ 作品保管庫 登場キャラクター NPCキャラクター 今まで確認されたラルヴァ
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ラノで読む 「Hey、Boss。そろそろ起きないとチコクするヨ」 「うぅん、あと五分」 黒いスーツを着込みサングラスをかけ、褐色の肌をした大男が、寝坊癖のある少年と母親のような会話をしている。 「Boss……マネーはイチ秒でウゴクといつも言うヨ」 「分かった、今起きる。五分で行くから外で待ってろ」 少年はベッドから出て男に指示を出した。 「OKヘリで待ってるヨ」 男が出て行った部屋で、少年は身支度を始めた。 少年の名は成宮金太郎、彼を起こした大男は個人的に雇っている秘書のアダムスという。 金太郎は普段双葉学園の中を出ないため、外での活動を一切任せている有能な男だ。 その人間の総資産と金運が↑↓-の三種類でわかる金太郎が見て、いつも上向きの金運を保っているのが何とも頼もしい。 今朝は男子寮に入ってきていたが、それは一重に金太郎が学園にしている莫大な寄付に物を言わせた特別措置である。 「ジャスト五分さすがBossネ」 「いつも言ってるだろ、金は一秒で動くって」 これも特別に着陸させたヘリに乗りながら金太郎が言った。 今学園は夏休み中である。 とは言っても学園の生徒の夏休みはとても短い。 授業は無くても、ラルヴァ出現のための待機があるからだ。 金太郎は出動のメンバーには入っていないが、結局学園に残る事になり、学園を離れられるのは十日程であった。 「Boss今日は楽しそうネ、やはりファミリーに会うの楽しみカ?」 「べ、別に関係ねーだろ」 「HAHAHA、そういうところBossもまだ子供ネ。私そういうの好きよ」 照れ隠しに金太郎は操縦席を蹴りつける。 「NO、アブないよ。オちるから大人しくするヨ、OK?」 「けっ」 金太郎はふて腐れて窓の外を見ている。こんな風に金太郎が年相応の反応を見せるのは、今ではアダムスの前だけであった。 程なくしてヘリが目的地に降り立つ。 今回の休みに合わせて開発した別荘地だ。 ヘリから出た金太郎を迎えるため、現地の人々は盛大なパレードを催していた。 「何だこれは」 「みんなBossにお礼言いたいヨ。それじゃバカンス楽しむネ」 立てた親指を突き出し、アダムスがヘリを離陸させていった。 金太郎が周りのテンションの高さに困惑していると、華やかな歓迎の輪から二人の壮年の男が金太郎に近づいてきていた。 「この度は本当にありがとうございました。ウチの建材を発注してくれたおかげで、私共社員一同路頭に迷わずに済みました」 男の一人が涙を浮かべて金太郎に頭を下げる。 助けてくれと泣きついてきた時はひどいマイナスだった総資産もプラスになり、金運も上を向いているようだ。 「べ、別に、どうせ作るなら良い物を使いたかっただけだし……」 どっか行けとしっしと振り出した金太郎の手を掴み、男が泣き崩れる。 「私共も、別荘地として整備してくれたおかげで、最低限の開発で仕事が増えました。成宮様にはなんとお礼を言ったら良いものか想像もできません」 もう一人の男が穏やかな笑顔で話しかけてくる。 「あーもう、とにかくあんたらのためにやった事じゃねーから、蓮次郎が虫捕りがしたいっていうから場所探してただけだし。なあ、そういう訳だからもう行っていいかな」 「それはすみませんでした。ただ本当に村一同感謝の気持ちを伝えたいと思ってやったことです。どうぞ許してやってください」 笑ってはいるが金運はまだ-で、こちらはまだまだこれからといったところか。 「怒ってる訳じゃねぇよ」 ただ学校の朝礼をはじめ、このてのイベントはダルいのである。 「あー、兄ちゃんもう来てる!」 パレードの後方から声が聞こえた。 麦わら帽子に、肩から提げた虫かご、体と同じくらいの長さの虫捕り網を持って完全な虫捕り少年となった弟の蓮次郎だ。 「兄ちゃんスゲーよ、ここ。めちゃくちゃデケぇクワガタがいるよ」 嬉しそうに虫かごを見せてくる。 「うわ、凄いな蓮次郎お前が捕ったのか」 「うん」 満面の笑みで答える蓮次郎とそれを暖かく見守る金太郎。 「よーし、どっちが強いの捕まえれるか勝負だ」 「うん」 駆けていく二人。生まれてすぐ父を亡くした蓮次郎にとって、金太郎は兄であると同時に半分父親のような存在だった。 「ああそうだ、あんたら年賀状とか送ってくるなよな、めちゃめちゃ来るから、ハガキも景品も置くとこ無いんだよ」 途中で金太郎が振り返り挨拶に来た大人二人に言った。 「兄ちゃーん、早く、早くー」 少し先で蓮次郎が手を振って待っている。 「わかった、今行くから」 その日の夜アダムスから連絡があった。 「ああオレだ。今回の面会希望者は何人だ? そんなにか、わかった。どっか一カ所に集めておけ。それと全員分の資料も作っておけよ。明日から一週間完全にオフにするけど、明けたらすぐ見るから」 ちなみに今回金太郎が作った別荘地は、日本の伝統建築がすぐ近くで見られると話題になり、海外でバカ売れしたという。 その売り上げと、今後の観光収入で二、三年後には黒字に転換するだろう。 こうして世界経済を動かすビジネスマン、成宮金太郎の夏休みは終わっていく。 感想・コメントフォーム 名前 キャラ紹介へ トップに戻る 作品投稿場所に戻る
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ラノで読む 双葉区、双葉学園、あるいは双葉島と呼ばれる人工島。 喫茶アミーガはその外れ、あまり交通の便が良いとは言えない外周の道沿いに存在する。 しかしそこは、不思議と客足が途絶える事なくいつも決まったメンバーで賑わっていた。 今店に入ってきた胴着姿の男もその一人である。二メートル近い巨体に、整ってはいるが彫りが深くて暑苦しい顔立ち、名前は二階堂《にかいどう》……誰だ? 彼ら二階堂兄妹はこの店の常連で、特に五つ子は一人を除いて見た目だけでの判別が難しい。 「エスプレッソ一つ」 ここでようやく判別したので改めて紹介しよう。彼の名前は二階堂叉武郎《さぶろう》、二階堂兄弟の三男である。 他の兄弟の例に漏れず普段から胴着姿をしているが、これは叉武郎の競技とは関係無い。 貴婦人とのロマンスに憧れ騎士道に傾倒し、将来を期待されていた剣道を捨てフェンシングに転向したのである。 今では立派にフェンシング・サーブル競技部の部長を務めている。 ちなみに胴着にしている黒帯は、柔道で取ったものである。 兄弟の中でブレンド以外を頼むのは、見た目で判別できる次男と彼しかいない。 「俺は、ドリップ式の方が得意なんだけどなんだけどなぁ」 注文を受けるこの店の主、おやっさんは面白くなさそうにエスプレッソマシンを回す。 「はいよ」 何だかんだ言いながら、熟練した動きでカウンターに座った叉武郎に差し出されたエスプレッソは、上質な香りをたたえていた。 受け取った叉武郎はさっと一口含んで、そのコクを楽しむ。おやっさんはドリップにこだわりがあるようだが、エスプレッソそれに劣らずとても味わい深い。 「うん、旨い。小猫ちゃんが運んでくれれば言う事無いんだけどな」 叉武郎は店の奥でテーブルを拭いているウェイトレスの春部《はるべ》里衣《りい》へウインクを投げかける。 一八〇センチ近い長身の里衣を小猫ちゃん呼ばわりするのは、 島内広しと言えど叉武郎しか存在しない。 「ったく、アンタ達兄弟はどうして私達にちょっかいかけて来んのよ」 私達とは、里衣と彼女いわくフィアンセである有葉《あるは》千乃《ちの》の事である。 美しい顔立ちとスラリとした長身にスタイルの良さを兼ね備えた里衣自身はもちろん、普段女装している千乃も一部男子の間でファンクラブが結成されるほど人気がある。叉武郎の弟である志郎と悟郎も、そのメンバーとして活動しているのだ。 「弟のことは俺には無関係だよ。俺はあくまで全ての女性の従僕さ」 「あっそう。アンタ等四人は見分けるのも面倒だし、私にとっては全部一緒だわ」 芝居がかった動作で訴える叉武郎に対し、里衣の反応はにべもなかった。 「連れないなぁ小猫ちゃん」 しかし叉武郎は懲りもせずに、わざとらしく肩をすくめて見せてからカップを口に運んだ。 ここまで自然な動作がいちいち空回りしているのも珍しい。 いつもならこれから叉武郎が延々と、コーヒー一杯でいつまで粘るつもりだと怒られるまで里衣を口説き続けるのだが、今日はそうならなかった。 バイクのエンジン音が近付いて来て止まる、新たな客がやってきたのだ。 「……おやっさん、俺はサスの調整しか頼んでいないはずだが」 入ってきたのは、先ほどから何度か話題になっていた叉武郎の兄弟、その中で唯一すぐに見分けられる次男の侍郎だった。 二メートル近い巨体は変わらないが、細身の体に写真家として芸術を愛する心と唯一バイクの免許を持つ、兄弟の中では比較的に無害な男である。 バイクのメンテナンスはおやっさんに任せているので、こうしてたまにおやっさんのありがた迷惑な改造に文句を言いにやって来る。 「……ハンドルに見慣れないボタンが増えていたが」 普段無口な侍郎もバイクの事となると、口数が多くなる。 侍郎の人格に大きな影響を与えている叔父から譲り受けたバイクなので、それだけこだわりがあるのだ。 「高震動発生装置だ。衝撃に強くなるぞ」 しかしそんな事を一切知らないおやっさんは、得意そうな笑顔を浮かべサムズアップで言う。 「……俺はサスの調整しか頼んでいないはずだが」 侍郎は再び要求を繰り返す。 「わかったよ。ガレージに回してくれ。コーヒー一杯飲んでる間に外してやる、コーヒーもおごりだ」 侍郎の静かな怒りを感じ取ったおやっさんが、しぶしぶといった様子でひとまずコーヒーを入れるため引っ込んでいった。 「……グアテマラを」 「あいよ。いつものな」 侍郎が好んで飲むコーヒーの銘柄も、叔父から影響を受けたものだ。 そのとき、ピピピとアラームのような音が響き渡る。 「おっと、失礼」 発信源は叉武郎の学生用モバイル端末だった。 「叉武郎です。ああ、麻里奈さん」 麻里奈さんは、叉武郎が住む寮の寮母を務める女性である。 「……ええ、もちろんですとも。……はい、それでは」 自分のことをきちんと名前で呼ぶ叉武郎を気に入っており、食事の量など優遇する代わりに、雨戸の修理などちょっとした用事で頼る事も多い。 叉武郎は女性のため、それも普段お世話になっている麻里奈さんのためならどんなことでも喜んで引き受ける。 「すまないが兄さん、寮まで送ってくれないか? 急に呼び出されてしまって」 お願いという形をとっているが、叉武郎の中ではもう決定事項である。 強引なのも、二階堂兄弟に共通した特徴であった。 「ヘルメットが無い」 しかしハヤブサが唯一の友達だと言い張る侍郎が、予備のヘルメットなど用意しているはずもない。 「そんなの変身すれば済む話だろう」 きっぱりと言い切る叉武郎であったが、実際は変身する異能者に合わせた法律など存在しないので違法である事に変わりは無い。 「それともこの俺に女性を待たせるつもりか?」 叉武郎の眼光が鋭さを増す。 反論に口を開くのも面倒という事で、結局侍郎は叉武郎を送っていく事となった。 「決まりだな」 叉武郎は机の下からアタッシュケースを取り出した。 愛犬を両親に取られた梧郎や、昆虫の世話をするつもりが無い志郎以外の兄弟は、自分と合体できる動物を連れている。 叉武郎のこのアタッシュケースも、魚類と合体する彼に合わせて水槽になっていた。照明やエア用の電源に学園の超科学の技術をふんだんに盛り込んだ特別製である。開閉時に九十度傾いてしまう事を除けば、魚にとって理想的な環境を保つことができる。 叉武郎は蓋を外し中に指を入れた。 するとお腹をすかせたピラニアがすかさずそれに噛み付く。 傷が大きくなる前に叉武郎も慌てて変身する。 「合体変身!」 辺りが光に包まれる。 「どうした、何かあったのか?」 突然の光に驚いたおやっさんが、手の中にしっかりとコーヒーを持って現れる。 「すまないな、おやっさん。バイクは今度だ。侍郎兄さんに急用ができた」 「急用って……お前が作ったんだろ、あんまり便利に何でもさせるなよ」 変身した叉武郎の姿については一切触れず、おやっさんは普通に会話を進める。 変身系の異能を持った学生が集うこの喫茶店ならではの光景だった。いろいろと怒られそうな外見やそれなのに胴着姿のままなのも、ここでは最早日常化し過ぎて誰もツッコむことさえしない。 「……バイクは、今度直してもらう」 侍郎はとりあえずおやっさんからコーヒーを受け取ると、一口で飲み干す。そしてきっちりと、一杯分の金額をテーブルに置いて出て行った。 バイクを直さないのであれば普通の客だという、何とも律儀な侍郎である。 ヘルメットについては、銃で撃たれても平気な状態であれば問題無いだろう。 二人が走り出すと、巨大な影が近づいて来た。いや影ではない。それは光を吸い込む闇であった。二本のタイヤと空気を轟かせるエンジンの爆音から、それがバイクだという事がわかる。 そのバイクは限界ギリギリまでスピードを上げてタイヤを振り回し、ほとんどスピードも落とさずにコーナーへ突っ込んでいく。 常人では決して操る事のできない正真正銘のモンスターマシン、あんなモノを造ってしまう技術を持った人間はこの島には数人いるが、一般車の改造で造ってしまうのは一人しかいない。 あれは間違いなく、おやっさんのバイクだ。 それはかなり後方にいたはずなのに気が付けば、すぐ近くまで迫ってきていた。 「……来る!」 謎のバイクが車体を傾け、二人の乗ったバイクへ体当たりを仕掛ける。元の性能に劣る上に二人乗りの侍郎のバイクでは、避ける術は無い。 侍郎と叉武郎が乗ったバイクは、謎のバイクに押しのけられ道路の外へ転がっていった。 「おやっさんに感謝しないとな」 下が砂浜だった事もあり、変身していた叉武郎はもちろん、侍郎も比較的軽傷であった。 何がどう作用したかはさておき、高震動発生装置も役に立ったらしい。 謎のバイクに乗っていた人影は、悠然と二人を見下ろしている。 「憎い……るさない、恨んでやる」 闇色に揺らめくその背中からは、様々な怨嗟の声が聞こえてくる。 人に近い形をしながらも明らかに人間ではないその異形は、ほんの少しだけ変身した二階堂兄弟を思わせる。 異能者かラルヴァか、どちらにしても友好的な相手ではないのは間違いない。 黒尽くめの何者かは右手を上げ何も無い空間から剣を作り出すと、ゆっくりと砂浜へ降りてきた。 いつの間にか近くに停めてあったバイクが消えている。 「式神!」 異形はまた何も無い空間から札のようなものを取り出し、地面にばら撒いた。 札が落ちた所から、人の形をしたモノが浮き上がってくる。 明らかにラルヴァの仕業だった。人間であるというには、一人につき一系統という絶対的なルールから明らかに逸脱し過ぎている。 「シュン」 侍郎は立ち上がって、唯一の友の名前を叫んだ。 どこからともなく一羽の隼が現れ、侍郎の腕にとまる。 「合体変身!」 光の中から翼をイメージさせる変身後の侍郎が現れる。 「貴様等も命を取り込むのか、面白い」 影が声を発する。背中に背負う怨嗟の声よりもなお、暗く禍々しい響きであった。 侍郎と叉武郎は背中合わせに身構える。 「そういえば、こうして共闘するのは初めてじゃないか?」 「……守備範囲が違う」 「確かにな」 鳥類と合体する侍郎と魚類と合体する叉武郎は、それぞれ得意とする戦場に対応できる能力者が少ないため、同じ作戦に投入される場面は少ない。 「行くぞ!」 雄叫びを上げ、叉武郎は人形《ひとがた》の群れへ突っ込んでいった。 だが十数年の時を一緒に過ごした兄弟同士、お互いのコンビネーションに不安は無い。と思っていたのは叉武郎だけだったようだ。 「……任せた」 侍郎は戦う叉武郎の背中を蹴って、人形の群れを抜け影の前へ飛び出した。 「あ、この!」 仕方なく叉武郎は人形の相手をする。 拳の一発で簡単に崩れ去る。 数は多いが、大した脅威ではない。 「……タァッ!」 隼の狩りと同じく、落下のスピードを利用して蹴りを放つ。 「無駄だ」 しかしそれは虚しく、影を突き抜け派手な砂煙を上げた。 「……エレメントか」 (だが、それならそれでやりようがある) 侍郎は砂煙に乗じて距離を取った。 「フェザーエッジ!」 振りかざした侍郎の腕から黒い影に向かって、鳥の羽の形をした魂源力《アツィルト》の刃が殺到する。 「翻れ鏡界門」 呪文らしきものを口にして、人影が手に持った剣で地面に線を引くと、抉られた地面から漆黒に光る障壁が立ち上った。 それに触れた瞬間刃の羽が反転し、侍郎に襲いかかる。 「……ちぃ」 侍郎はそれを飛び上がってかわす。 しかしそこには、既にラルヴァの黒い影が待ち構えていた。 「……な?」 その手に持った凶刃が侍郎を刺し貫く。 「……ぐぅ」 短い声をあげ、侍郎が地面へ落下していった。 「侍郎兄さん!」 砂浜に叉武郎の声が虚しく響く。 「くそぅ!」 叉武郎は浜辺に転がっているアタッシュケースへ駆け寄った。 さすが学園の技術の粋を集めただけあって傷一つ無い。中を明けて水槽の無事も確認すると、先程と別の水槽に入っている切札へ手を伸ばした。 「移行変身《スライド・フォーム》!」 バチバチと周囲に微弱な電気を放ちながら現れるその姿は、電気ウナギと合体したものだ。 「一〇〇万ボルトの電撃《ミリオン・スパーク》!」 叉武郎は地面に手を叩きつけ電撃を流す。 電気ウナギの電気は、筋肉細胞を変化させた発電板によって作られ、その最高電圧はおよそ八〇〇ボルトにまで達する。 叉武郎の場合、日々の鍛錬と変身によって強化された筋肉から放たれる電撃は百万ボルトにまで達する。 人形は核となる札が焼かれて、砂の塊に戻っていく。 「ちょっと、どうなってるの?」 「小猫ちゃん!? おやっさんも」 上の道からおやっさんと里衣がそれぞれスクーターとバイクでやって来ていた。 「凄い音だったが、大丈夫だったか?」 「すまない二人共、侍郎兄さんを頼む」 叉武郎は倒れている侍郎を指し示した。 「ウソ、アンタ達がやられるなんて……」 人格はともかく、その戦闘力には定評のある二階堂兄弟が倒されている。 その事実に里衣が驚愕する。 「救急車を」 懐を探るおやっさんを、里衣の声が制した。 「私が運んだ方が速いわ」 里衣が倒れている侍郎を抱え上げる。 「させん!」 影が里衣の前に立ちはだかる。 「春人、春人なのか!?」 その姿を見たおやっさんは誰かの名前を呼んだ。 影は応えず、剣を振り上げる。 「そう何人も目の前でやらせるか!」 叉武郎は二人の前に飛び出した。 空中で腕を交差させ、そこにあらん限りの魂源力を電気に変換して流し込む。 「サンダー・クロス!」 百万ボトルに達する電撃を両腕に宿し、相手を×の字に切り裂く、叉武郎の必殺技である。 しかし異形の影は左腕に雷《いかずち》をまとい、叉武郎の放った“電撃を殴り返す”。 「雷神の鎚《ムジョルニア》!」 すさまじい閃光と衝撃が広がり、里衣の口から「きゃ」と短い悲鳴が上がる。 気の毒な事にスカートが捲くれてしまったらしい。 それを見て影が突然苦しみだす。 「ぬぅ、ううぅん……クソ、覚えていろ」 それだけ言うと、霧のように薄れて消えてしまった。 「コラ! 小猫ちゃんのを見て苦しむとは何事だ! イヤなら代われ」 「……最っ低」 里衣が小さく呟いた。 店に戻った後も、重苦しい雰囲気が続いていた。 おやっさんは黙々と豆をひいている。 それを破ったのは、里衣からの電話だった。 「……そうか、ありがとう。小猫ちゃん」 「侍郎は心配無いそうです」 電話は病院まで侍郎を運んでくれた里衣からだった。 あの時変身したままでいられたのが良かったらしい。 侍郎が気を失っても、合体していられたのはシュンの意思であるはずだった。叉武郎は侍郎の小さな親友に感謝した。 おやっさんは「そうか」と短く応え、コーヒーグラインダーを回す。 店内にはガリガリと豆が砕ける音だけが響く。 「おやっさん、さっきのヤツについて何か知っているんだろう?」 耐え切れなくなった叉武郎は、ついにその一言をおやっさんに投げかけた。 おやっさんは豆を挽くてを止め、店の奥から一枚の写真を持って来た。 この店で女の子の誕生会を開いたときのもののようで、主役らしい女の子を今より少し若いおやっさんやその仲間達が囲んでいる。 どの顔も今は見かけないものばかりだ。 レトロなおやっさんの趣味らしくアナログのフィルムで撮られているそれには、二〇〇九年、十年前の日付が入っていた。 「その写真の右上に写ってるのがそうだ」 そこに写っているのは、写真で見てもわかる程軽薄そうな顔をした少年が写っている。 「真裂《まさき》春人《はると》、またの名を超刃《ちょうじん》ブレイダー。俺のバイクを初めて乗りこなした男だ」 懐かしそうにおやっさんが遠くを見つめる。 「ソイツは今どこへ?」 問いただす叉武郎の語調は自然ときつい物になる。 命に別状はないとはいえ、兄弟を倒された恨みは簡単には消えはしない。 「あの化け物はあいつじゃない! あいつのはずはないんだ……」 一度叫んだあとおやっさんは、力なくつぶやいた。 「何故そう言い切れるんです?」 「ブレイダーは……、真崎春人は、死んだからです」 その質問に答えたのはおやっさんとは、別の声だった。 扉の所に美しい黒髪を腰まで伸ばした、静謐な雰囲気を持つ美人が立っていた。着ているのが高等部の制服でなければ、成人しているといわれても疑わないほど大人びた女性である。 「あなたは?」 「ユリカちゃん……、なのか?」 ほぼ同時に二人の声が重なった。 「はい、ご無沙汰してます。マスター」 「マスターじゃない、おやっさんだ」 二人の間に独特の和やかな雰囲気が流れる。 それだけで、この人もかつてアミーガだった事がうかがい知れた。 「あなたも関係者なんですか?」 「私は天道ユリカ。その写真で誕生日を祝ってもらっているのが私です」 ユリカはカウンターに近付き、写真と自分を順に指差す。 「しかしユリカちゃん、大きくなったな」 おやっさんは写真――というより自分の記憶と目の前のユリカを比べ、感慨深げにつぶやく。 「ええ十年ぶりですから」 「そうか、もうそんなになるのか……、しかしどうして急に」 「彼が……、現れたと聞いて」 答えるユリカの声が重苦しく響く。 「私の能力は少し変わっていて、魔法のアイテムを能力を持っていない人に融合契約させるというモノです」 「融合契約?」 聞きなれない単語に叉武郎が聞き返す。 「丁度おまえさん達兄弟の合体変身みたいなもんだ」 そのおやっさんんの言葉で、叉武郎はあの怪物が変身した兄弟達の基本形に似ていた事を思い出した。 「アイテムと一体化する事によって、疑似的にアイテムの能力を使えるようになるんです」 ユリカは静かに語りだす。 「彼は私の力を狙って襲ってきた敵から、私を庇って斬られてしまっって、助けるには私の力を使うしかなかったんです……」 (そんな重い宿命を背負ってまで、この少年は軽薄な笑みを絶やさなかったのか) 叉武郎はある意味この少年を尊敬した。 「その後も勝手に巻き込んでしまった私を、彼は必死に守ってくれた……」 「そして、ヤツ等のボスと差し違えて死んじまった。だからヤツが春人だっていう事はありえないんだ」 感極まって涙を流すユリカの言葉をおやっさんが継いだ。 「ブレイダーに、突然消えたり、電撃を使うような特殊能力は?」 話を聞く限りあの影のような存在が、真崎春人であるとは考えづらい。あの異能者にしてはデタラメな能力も、ラルヴァであれば説明が付く。 「そんなのは無かった。あいつはいつも、剣一本で戦ってたんだ」 「ブレイダーの元になった剣にも、そんな力はありませんでした」 しかし必ず何か関係があるはずだ。 それを探るためにも、もう一度あれと戦う必要があるのは間違いない。 「おやっさん、どうやら俺はもっと強くならないといけないらしいな」 一〇〇万ボルトの電撃《ミリオン・スパーク》を破られた今、手持ちの技ではあの怪人を打ち倒す術は無い。 だからといって侍郎を倒したあの怪物を、そのままにさせておくつもりは、叉武郎にはもとより無かった。 「……付いて来い」 おやっさんはカウンターを開け、ゆっくりと出入り口へと向かっていく。 「まさか、あそこに?」 何も語らずおやっさんは、店の看板を裏返した。 「ここは?」 叉武郎が連れて来られたのは、人工の埋立地である双葉島に何故か存在する山、その名も双葉山だった。 最近ではプラネタリウムが作られたりして大分整備されてきたが、こちらはそのコースとは裏側で土砂や礎石置き場だった名残を色濃く残している。 「昔ブレイダーの最後の戦いでできた崖です」 「雨が降ったりした日には滝ができて危ないので、水門を作って管理している。今日はその水門を開くぞ」 おやっさんとユリカは崖の上に登っていった。 しばらくして崖の上から水が流れ始め、かなり勢いの強い滝になった。 「よし、そこから登って来い!」 ご丁寧に拡声器を用意していたおやっさんが叫ぶ。 (滝登り――魚で特訓と言えばやっぱりこれしか無いよな) やはりおやっさんは色々とわかっていた。 叉武郎は目の前の滝に飛び込んでいった。 水の流れが巨大な質量となって叉武郎を襲う。 「どうした? お前の決意はそんなもんか?」 まともな足場さえ無い岩肌で流されそうになりながら、それでも叉武郎は登っていく。 水の流れの力強さを感じながら、それ以上の力を身体の奥底、魂の中から振り絞っていく。 その間もずっとおやっさんの檄が飛んでくる。 「皆殺しだ……許さない……憎い……」 突然おやっさんの声が途切れ、代わりにさっきあの影が背負っていた怨嗟の声が聞こえてきた。 「おやっさん!」 叉武郎が見上げた先には、おやっさんとあの謎の人影が対峙していた。 「春人! 春人は、春人はどうした?」 おやっさんは現れた影につかみかかろうとして、反対側へすり抜けた。 頭では無関係だと思いつつも、やはりその姿を見て動揺を隠しきれないのだろう、春人本人に呼びかけるのと敵対する相手に対する呼びかけが混在していた。 「……真崎春人でも、ブレイダーでもない。私の名は大死霊《だいしりょう》。学園に強制された戦いの犠牲者の集合体だ」 影――大死霊がおやっさんを殴り飛ばす。 (急がなければ!) 叉武郎はこれまで以上に魂源力《ちから》を燃やし、一気に這い上がった。 「待て!」 「現れたな、命を取り込む者」 現われるを待っていたかのように、大死霊は叉武郎へと向き直った。 「貴様等を取り込み、学園の生物全てを生きたまま取り込んでやる! フハハハハハ!」 高笑いして叉武郎に斬りかかる大死霊。 「見える!」 叉武郎はそれを紙一重でかわす。 確かに悟郎の力を手に入れれば、本当に島中の人間を生きたまま取り込む事も可能かもしれない。 (だがそんな事が起こる事は絶対にあり得ない) 叉武郎は確信する。 (今なら出来る、逆流を撥ね退けて身体も魂も登りつめた今なら) おやっさんに預けてあったアタッシュケースを開き、その中の水槽に手を入れる。 泳いでいるのは、何の変哲も無い鯉だった。 「合体変身!」 光を抜けて現れた叉武郎も、ピラニアの牙も電気ウナギの放電能力も無いただ体力を強化した姿である。 「この前のビリビリの方がまだ魂源力《ちから》を感じたぞ? 諦めたのならさっさと死ね!」 大死霊は周囲の空気中の水分を凍らせて矢を放つと同時に、自身も飛び掛る。 「さっきのように逃げ場は無いぞ!」 本体はもちろん氷の矢も、十分致命傷となりうる凶悪な攻撃だ。どちらか一方を迎撃すれば、もう一方にやられてしまう。 “どちらか一方”がダメなら両方防いでしまえば良い。 叉武郎は前に手を翳した。 「登竜門《ドラゴンズ・ゲート》」 叉武郎の前に光の壁が現れ、大死霊が放った氷の矢を粉砕し大死霊を弾き飛ばす。 「大した力だ。だがそんな防御なんぞ、いくらでもすり抜けて攻撃できるぞ」 「防御? 違うな、登竜門ってのは潜り抜けるモノだ!」 叉武郎は、光へと突っ込んで行った。 激しい抵抗が叉武郎を襲う。 「ぐぅ、うあぁぁぁあぁぁ!」 叉武郎は身体中の魂源力を高めさせ、力ずくで押し進む。 そして壁をくぐり抜けた叉武郎の身体が、再び光り輝いた。 鯉の鱗の緋色だった身体が鮮やかな青色になり、頭部には牙をあしらった意匠が、腕には爪をあしらった手甲が追加されている。 その姿はまるで―― 「龍化形態《ドラゴニック・フォーム》」 そう龍《ドラゴン》であった。 「そんな虚仮威し《こけおどし》が!」 叉武郎の手が大死霊の剣を受け止める。 力任せに押し進めようとするその刃をそらし、実体が無いはずの大死霊の身体を蹴り上げた。 「馬鹿な」 龍化形態とは、鯉が登竜門をくぐって龍と成ったように、特殊な力場をくぐって自らを半魂源力《アツィルト》エネルギー体と化す大技である。 つまりその拳の一つ一つ、蹴りの一つ一つが魂源力《アツィルト》を直接ぶつけるのに等しい。 「ええい、ならこれでどうだ」 大死霊は四方八方から風の刃を飛ばす。 やがてそれは気流を乱し、竜巻となって吹き荒れる。 「お兄ちゃん!」 水門の上から現れたユリカのスカートを捲り上げた。 大人びた印象と裏腹に、淡いエメラルドグリーンの可愛らしいショーツだった。 だがまたしても叉武郎の位置からは見えない。 「ぐ、っぐわぁあぁぁ!」 大死霊は苦しみだし、やがて二つの人影に分かれた。 一方は先程まで背中で揺らめいていた怨嗟の声の塊が人の形をしたモノ、もう一方は黒一色だった身体が赤と青そして銀の三色で彩られた先程までの姿、超刃《ちょうじん》ブレイダーだ。 「お兄ちゃん」 うずくまって苦しむブレイダーにユリカが駆け寄った。 「いつの間にか、そんなに大人っぽい下着を付けるようになったんだな」 ユリカが差し出した手を掴み、立ち上がっての第一声がそれだった。 「もう十年だもん。私、あのときのお兄ちゃんと同い年なんだよ」 十年の月日は、キャラクターがプリントされたパンツを履いていた子供を、レースをあしらったショーツを履く女性に成長させていた。 「そうか、やっぱり綺麗になったな」 「エッチなところは変わらないね、お兄ちゃんよく女子更衣室覗いて停学になってたもの」 涙を浮かべるユリカの頭をブレイダーはそっと撫でる。 「……ねえ、お兄ちゃんはもう死んじゃってるんだよね?」 「ああ……」 「じゃあ、またどこかに行っちゃうの?」 ブレイダーは不安そうに見上げるユリカの髪をグシャグシャにかき乱し、叉武郎に向き直る。 「アイツを倒してからな。サブローっていったか? 剣の心得は?」 「任せておけ、剣道でもフェンシングでも俺は東洋の騎士《オリエンタル・ナイト》と呼ばれた男だ」 叉武郎は胸を張って答える。 東洋の騎士《オリエンタル・ナイト》の二つ名はもちろん自称で叉武郎以外使う人間はいないが、剣の実力は本物だ。 「それは頼もしい」 ブレイダーの姿が光りに包まれる。 それは形を変えていき、光が収束すると剣となっていた。 「……フロッティじゃない?」 「オレの魂が篭った新たな聖剣ブレイダーだ。さあ行くぜドラゴン、オレを使え!!」 「おう!」 聖剣ブレイダーを手にし、叉武郎は未だもがき苦しむ大死霊に向かっていった。 「物理的な強さを失ったとはいえ、まだ取り込んだ魂の能力がある」 膝を突いた体勢のまま、大死霊は氷の矢を放つ。 それは先程の竜巻に飲まれ、勢いを増した上で予測不可能のタイミングで叉武郎に殺到する。 だがそんな小細工など、剣を持った叉武郎の前には全く通用しない。 「ストレートスラッシュ!」 名前の通り、ただまっすぐにブレイダーを振り下ろす。 刀身から放たれた魂源力が氷の矢を両断し、竜巻を切り裂き、大死霊の身体にまで達する。 「が、学園の関係者は皆殺しにしてやる」 大死霊は、周囲へ闇雲にさまざまな能力を撒き散らす。 「俺達がいる限り」 「女性を泣かせるような事はさせないさ」 目の前に迫る闇色の炎を、漆黒の雷を切り伏せ、叉武郎は大死霊に駆け寄って一刀を浴びせる。 「ぐあぁぁ……お、覚えておけ、学園がラルヴァ狩りをし続ける限り……、私のような存在は、け、決して無くなりはしないぞ……ハハハハハハ」 不気味な高笑いと共に、大死霊は消滅した。 「行っちゃうの? お兄ちゃん……」 戦いが終わり、それぞれ変身をといた姿になった叉武郎と春人の元にユリカが声をかける。 「ああ。だが消えやしないさ。オレはコイツと一緒に戦い続ける」 春人は写真と同じ、しまりの無い軽薄そうな笑顔で答えた。 「ユリカを頼むぜ、サブロー」 そして叉武郎に向かって手を差し出す。 「任せておけ」 「じゃあな」 春人は、叉武郎握り返した叉武郎の手に吸い込まれるように消えていった。 戦いの後、叉武郎は滝の上を更に登ったところにある丘に案内された。 小さく土を盛った場所に一振りの剣が立ててある。 「ここに春人さんが……?」 「ええ、形だけ……見つかったのは、これだけだったんです」 ユリカは初めアミーガに訪れたときのどこか陰のある雰囲気ではなく、芯に強さを秘めた柔らかい表情をしていた。 「魂が共になった今ならわかる。春人さんはとても立派な戦士だった」 胸に手を当てて叉武郎が言う。 「でも一つだけ許せない事がある。それは貴女を泣かせた事だ。ユリカさん、俺にこれからも貴女の笑顔を守らせてほしい」 「ごめんなさい」 割と遠回しな告白だったにも関わらず、ユリカは間髪いれずに答えを出した。 「そうですよね、貴女の様な素敵な女《ひと》なら恋人がいても……」 「いえ、そう相手はいないんですけど」 更に続けようとした叉武郎の言葉にかぶせて、ユリカは否定する。 だが叉武郎は動じない、なぜなら兄貴分だった春人に頼まれたのだから。 「じゃあずっと春人さんの事を?」 「いいえ、あの人は本当の兄のような気持ちで」 「ならどうして?」 そっとユリカの肩に手を置き、目と目を合わせる。 「すみません。私、筋肉でゴツい人苦手なんです」 ユリカはその叉武郎の手を払い、逃げるようにその場から駆け出した。 「本当にごめんなさい」 途中で振り返り追い討ちとばかりにもう一度謝ると、今度は本当に去って行った。 「あれ? おかしいな。今日の夕日はやけに目に染みやがる」 目頭を押さえる手が濡れていた。 全ての女性のために戦う男二階堂叉武郎・一八歳。 彼女いない歴イコール年齢の明日はどっちだ。 二階堂シリーズ トップに戻る 作品保管庫に戻る
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『遠藤雅さんへ 今度の想定演習に、治療班として同行してください』 その通知を天に掲げ、僕はぶるぶる震える。 「やったよみく! 久しぶりの仕事だよ!」 「よかったね! 本当によかったねマサ!」 僕らは抱き合い、その場で三回転はした。 来週、中等部の生徒たちが大規模な対ラルヴァ戦の想定演習を行う。各自がそれぞれの力を使って戦闘するわけだが、軽いけが人が出る恐れがあるので僕の出番がやってきた。 最近の僕は力を使う機会に恵まれず、双葉学園での存在感は無いに等しかった。せっかく鳴り物入りで入学したのだから少しは活躍したいのが本音である。 「でも気をつけてね? 無理しちゃやだよ?」 「治療班だから大丈夫だよ」 心配そうに上目遣いをしてきたみく。その小さな頭を、僕は妹をあやすように優しく撫でてあげた。 活躍できる機会が訪れるのは嬉しいことだ。しっかり活躍をして、ヒーラー遠藤雅として自分を売り込んでいきたい。ロリコンではなく。 今週末、僕は用事があって外出していた。 「待ち合わせはここかな」 通知書に一緒に添えられていた、地図を見ながら呟く。 今回のミッションに先立ち、「ある人物」が僕に力を貸してくれるという。その人からちょっとしたスキルを伝授してもらわなければ、仕事に参加できないそうなのだ。 「こんにちはっ」 と、後ろから呼ばれる。 とっても小さくてお目目くりくりの、キュートな女の子がいたのだ。ちょっぴり好み。 「遠藤雅さんですね?」 「はい、そうですけど」 「よかった!」彼女はにぱっと笑う。「私が遠藤さんにお手伝いをします、『有葉千乃』といいますっ」 「千乃ちゃんだね。うん、よろしく!」 にっこり手を伸ばす。だが、その左手に何かが噛み付いてきた。 見ると、学園の制服を着たスタイルのいい美少女が、僕の手に噛み付きながらジト目で睨んできているではないか。 「ふがふが」 「い た い」 そう抗議をすると、吊り目の女の子は噛み付くのを止めてくれた。曲げた体を真っ直ぐさせると、僕よりも高い身長でデンと見下ろしながら、威圧してこう言う。 「あんたねえ、初対面なのに『千乃』って馴れ馴れしくない?」 「初対面なのに噛むのもどうなのかな!」 泣きながら言い返す。左手には赤い歯形が残ってしまった。 「ダメですよ、春ちゃん」 千乃ちゃんがそう諭す。どうやらお友達らしい。 「ま、いいわ。私は『春部里衣』。千乃のフィアンセよ」 ……お友達以上の関係ときた。僕は度肝を抜かれる。 この高等部の女の子二人が、今回僕に何か力を貸してくれる人である。訓練の日までに会い、彼女たちからあるワザを授かるのが必須事項だった。 「そういうことで遠藤さん、これからお部屋に行きましょう」 「うん、よろしくね」 「千乃に変なことしたらぶっとばすから」 と、春部さんは今にも飛び掛ってきそうな剣幕で凄みを利かせる。相当、僕が千乃ちゃんと会話をするのが気に入らないようだ 「ところで、今日はどういうことを教えてくれるの?」 「着いてからのお楽しみですっ」 人差し指を頬につけ、首を傾けてウィンクしてくれた千乃ちゃん。 何て可愛い女の子なんだろう、抱っこしてお持ち帰りしてぎゅーしたい。 それから数日後、中等部生徒たちの、大演習のときがやってきた。 なるべく安全な訓練を心がけるそうだが、どうしても無茶をしてしまう生徒がおり、救護室に担ぎこまれる子が絶えないのだとか。だからヒールの使える僕のような存在は、非常にありがたいものだということである。 さて、僕は言われたとおり救護室で待機である。 それも『女子専用の』救護室で、である。 「あなたが今回来てくれたヒーラーちゃんね。よろしくね!」 「はい、よろしくお願いします……」 「けっこう可愛いい子でびっくりよ。名前はなんていうの?」 「遠藤ミヤビです……」 もう心が折れて今にも涙が出そうだった。 僕は今「女装」をさせられている。胸パッドを仕込まれた体にぴっちりした学園のブレザーを着込み、スカートも短い。中を見られたら恥ずかしくて死んじゃう。足のムダ毛もこれを機に処理する破目となり、つるつるの太ももが非常に目立つ。 長くてボリュームのあるゆるふわカールカツラを着用し、カチューシャがチャームポイントとなっていた。着け眉まで利用しているという徹底振りである。 今回、僕は女の子専門のヒーラーとして抜擢されたのだ。女装をしなければならなかったのは、当日都合の合う女性ヒーラーがいなかったためらしい。 自分ひとりで化粧などをできるようにするため、千乃ちゃんが女装スキルを伝授してくれたのだ。保険医らしきこのおばちゃんが言うには「可愛い」との事なので、上出来であったと喜んでおこう。男として間違っている気もするけど。 「てか、千乃ちゃんが男の娘だったなんて」 まずそっちのほうがショックだ。でもあんな可愛い千乃ちゃんに手取り足取りべったり指導されていたらどうでも良くなってきた。男の娘ばんざい。 (自分もそんな目で見られるのかな?) そんなことを感じ出したとたん、わけのわからない変な気分になる自分が最高に嫌である。 そして大規模演習が始まり、ど派手な轟音が聞えてくる。思っていた以上に中等部生たちは元気に暴れているようだ。 それに比例してどんどんけが人も運び込まれてくる。誰かと衝突したとか、高い場所から転落したとか、そういった女の子たちに僕はヒールをかけていく。 「腕、擦りむいちゃったのね」 そう我ながら気持ち悪い声で、黒髪ロングの女の子に言った。真っ黒な帽子とマントを着けて救護室に入ってきたので、最初びっくりした。 治療が終わったころ、彼女は僕の目を見てこんなことを言いだした。 「ねえ、あなたヒールが使えるの?」 「ええ、そうよ?」 「なら、これも診てほしいの」 次の瞬間僕は仰天する。目の前の女の子が胸を丸出しにしたからだ。 「ちょっとしたことがあって、痛みが取れないのよ」 彼女は憎憎しげに話す。何でも自分のおっぱいを背後からわしづかみにされてしまったらしい。しばらく痛みが引かずに、どうしたものか悩んでいたとか。 と、こういうことが起こりえるため、女子には女子のヒーラーが必要とされていた。そんなことより目の前のおっぱいである。中学生とは思えない爆乳だ。 「ほら、ここ。ここよ」 触ってみて、とばかりに指を差す。 僕のヒールは対象に直接触れることで、効果が最大限に到達する。ここは彼女の言われるままにするのも一つの道だ。 でも、僕はふうっとため息を着いてから、 「見たところ異常は無いわ。怪我も治ったから、ほら、早く戻ろうね」 と優しく言ってあげた。 「そうね、変なこと言い出してごめんなさい」 服を来た彼女が部屋から去っていったのを確認し、僕は思う。 (あの子の体は、触ってはいけない。僕が触っちゃダメなんだ) そう、バストサイズ92のおっぱいに手を伸ばさなかった情けなき自分に言い聞かせる。きっと彼女には、触れるにふさわしい特定の男性がいるはず。僕ごときではだめなんだ。 さめざめと涙を流しながらそんなことを思っていた。 「うう、私としたことが情けないですわ……」 次にやってきた女の子は、すっきりとした顔立ちの、将来は美人になりそうな子である。 爆発で飛んできた物質が、太ももの裏に直撃したらしい。シャツにハーフパンツという軽装なのでそれは痛そうだと思った。 「このあたりですわね」 と、彼女はベッドに乗っかり、膝を抱えて左のももを上げるポーズを取った。僕はどきっとしてしまう。 患部はほとんどお尻に近い部分で、確かに紫色のアザが痛々しい。しかし足を持ち上げたことでハーフパンツに大きな隙間ができ、股間がちらちら覗いているのがたまらなく目に悪い。何より無防備な女の子と、白いベッドのシーツとの組み合わせが個人的に困る。 「ねえ、早く治してくださります?」 「ああ、ごめんなさい」 僕はアザに手をかざす。指の半分以上がハーフパンツの中に潜ってしまい、ほぼ彼女にセクハラをかましている状況だ。一生懸命素数を数えながらヒールを発動する。 「あん。あったかいですわ……」 色っぽい声質の発言。頭の中の素数が洗いざらい吹っ飛んだ。 ヒールをかけてあげたあと、彼女がどんな異能を使って戦いを繰り広げるのか、軽く会話をすることができた。「レコンキスタ」という能力だそうだ。引力と斥力を交互に切り替えて使うという。 「そのカチューシャも外せますわよ?」 微笑みつつ、彼女は人差し指を立てて引力を発動させた。 と、そのとき僕の頭が「ずるり」という感触を覚える。なんだろうと思ったときには、目の前に大きな茶色い毛の固まりがあるではないか。 それが僕の着用していたかつらであることを理解したとき、僕は石像と化する。彼女はカチューシャどころか、かつらまで引っ張り出してしまったのだ。 僕の正体を目の当たりにし、見る見るうちに顔が紅潮していく女の子。やがて両耳まで真っ赤になり、口元がゆがみ、涙を浮かべながらぷるぷる怒りに震えだしたのを確認する。 すぐさまとんでもない音の大きさのビンタが炸裂したのであった。 一仕事を終えた僕は、学園からアパートまでの道を歩いていた。 僕がぶたれた女の子は、幸いにも理解のあるいい人だった。女性ヒーラーの手配が間に合わなくて、仕方なく女装をやらされていることをきちんと説明したところ、「まあそういうことでしたら、仕方ありませんわね」と言ってくれた。てっきり正体を中等部の女子に明かされて、異能持ちから惨たらしく成敗されるものかと思っていたから本当に良かった。 そんな那由多由良さんからはねぎらいの言葉もいただけたので、今の僕は上機嫌である。なんと言っても数の少ないヒーラー事情なのだから、僕がこうして女装しなければならないことは仕方の無いことなのだ。むしろ身を犠牲にすることで双葉学園の役に立てていることを、僕は誇りに思わなければならない。 「もっと女装、頑張ろう!」 あの沈み行く夕日に僕は誓った。 すると湿った上昇気流が僕の髪とスカートを浮かせ、僕は慌ててお尻を押さえる。背後では学校帰りの高等部の男子たちが視線を送っていた。 「きっ」 そう睨み返してやると、彼らはそそくさと視線を逸らす。 本当、男の人がこんなにエッチだなんて思わない。女の子になってみて初めてわかる、客観的な事実である。 やがて僕は帰宅し、女性ものの革靴を脱いで部屋に上がった。 「おかえり、マサ!」 部屋では僕の居候兼ホームヘルパーである女児が、嬉々として夕飯を作っていたところだ。とことこと歩いて顔を出してくる。 「どうだった? お仕事ちゃんとでき――」 みくの発言は、そこで停止する。 「大成功! すっごくやりがいがあったよ!」 「あんた……その格好……何……?」 「何って、女装だよ? ちゃんと可愛いでしょ?」 こっちからきらきら上目遣いをしてそう言った瞬間、みくの黄色い瞳が、ぶわっと涙で満たされる。 「うわぁああん」 泣いてしまった。ぺたんと座って泣き出した。 「え、どうしたの? 何で泣くの?」 「マサが、マサがへんたいさんになっちゃったぁ~~~」 その後、一時間以上はわんわん泣き続けたみくだった。 僕はというと、せっかくヒーラーである職務を全うし、こんなにも有意義な仕事をやり遂げたというのに、どうしてみくがそんなに悲しいのかがさっぱりわからない。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 前編へ戻る ※ ※ ※ 瀬賀は病院が嫌いだった。 彼は病院の待合室で白衣を脱ぎ、学園の教員とは思えぬ派手な柄のシャツのまま、ぼんやりとソファーにごろりと寝ころんでいた。他に患者はおらず、一人でそのソファーを占領している。顔が青く、酷く疲れているようだった。瀬賀はごろりと狭いソファーで寝がえりをうち、白い天井を見上げる。 (なんつーか、この白い空間も変に清潔な臭いも嫌なんだよな。糞親父を思い出すんだよ……) 瀬賀家はもともと医者の家系で、彼の父も、祖父も、そのまた祖父もみな医者であった。 父親は大学病院の教授をしており、瀬賀自身にも医者になるように幼いころから言い続けてきた。しかし瀬賀はそれに反発し、裕福な家を飛び出て、悪友のつてでサンフランシスコに飛んだのであった。 遠い異国の地で異能を目覚めさせた瀬賀は、それを生きる糧にしていたのだがそれは闇医者と呼ばれる仕事で、結局自分はどこまで堕ちてもこの瀬賀の血から逃れることはできないのだと悟る。 サンフランシスコの裏社会の住人達は、彼が死人すらも肉体を繋ぎ合わせ、蘇らせてしまうのではないかと恐れを抱いている。そうして瀬賀についたあだ名は“|ツギハギ博士《ドクター・フランケンシュタイン》”などという滑稽なものだった。もっとも、独学で医術を学んでいた彼がそこまでの実力を伴っているのは異能のおかげであることを瀬賀は理解しているようである。 (しかしこんな双葉学園なんつー意味のわかんねーとこで保健医やることになるとはな……。人生わかんねーもんだぜ) 物思いにふけりながら瀬賀は火をつけていない煙草をくわえていた。重度のヘビースモーカーである彼にとって禁煙であるこの病院の待合室は苦痛でしかないようだ。 今彼がいるこの病院は双葉区で一番大きな総合病院だ。学園都市の事情上怪我人が多いので、この病院にはいつも多くのけが人や病人が運ばれてくる。そしてあの例の少女もまた、救急車でここまで運ばれてきたのであった。 瀬賀も付き添いで一緒に病院まで来たのだが、医者ではない彼に出来ることはもうなく、こうして手術が終わるのを待っているのだった。 瀬賀がぼんやりとしていると、突然視界に缶ジュースが入ってきた。しかしそのパッケージには『おしるこジュース。モチ入り!』と書かれていて、甘い物が苦手な瀬賀はその名前だけで胸やけがした。 「瀬賀先生、大丈夫ですか? これどうぞ。糖分取ったほうがいいですよ」 そのおしるこジュースを差し出したのは練井だった。泣きはらしたように目が赤く、酷く疲れている顔をしていた。きっと自分もそんな顔をしているのだろうと瀬賀は苦笑する。 「ああ、ありがとうございます……。でも俺は甘い物――」 「このおしるこおいしいんですよ。今日寒いですからきっと温まります。疲れた時は甘い物飲むのが一番ですよ」 「いや、俺そっちの缶コーヒーのが――」 「どうぞ遠慮なさらずに。おしるこジュース二百円円もするんですけど、瀬賀先生のために奮発したんですよ。でも他は百二十円なのにぼったくりですよね。でもおいしいんですよ。あれ、迷惑でしたか。もしかして私また空気読めてませんでした? 私みたいなおばさんが買ってきたジュースなんて飲めないですよね。ごめんなさい……ううっ」 突然またも練井は泣きだし、瀬賀は慌てて「あ、ありがとうございます。いただきます」と言って彼女の手からおしるこジュースを受け取り、一気に飲み干した。どろどろとした液体が口に侵入し、地獄のような甘さが染み込んでくる。 (うげぇ……) 口の中がぐちゃぐちゃと甘ったるい。それでも瀬賀は底に溜まっているモチも食べて、練井に笑いかけた。 「い、いやあーとてもおいしかったですよ」 すると練井もぱあっと笑顔になり、 「ほんとですか。よかった気にいってくれて。いっぱい買ってきたんですよ。ほら」 自販機で買ってきたであろう何本ものおしるこジュースを瀬賀に渡していた。 (な、なんだこの苦行は……! 神が俺に試練を与えているのか!!) うんざりしながらも期待の眼差しで見つめてくる練井につっ返すわけにもいかず「あ、あとで飲みますよ……」と、一先ずは誤魔化した。 暴力的で口の悪い瀬賀も、なぜか練井には頭が上がらず、すぐに泣きだして愚痴を言い始める彼女に気を使っている。 (なんとなくママンに似てるからかな……。まあどうでもいいけど) 普段尖っている瀬賀が、彼女の前では丸くなっていることに自分自身は気付いていないようだった。 「そういえば練井先生。有葉と春部はどうしました」 目の前のおしるこジュースから話題を変えるために瀬賀は練井にそう尋ねる。あの後瀬賀はあの少女と救急車に乗ってきたから二人がどうしたかは知らない。練井はその後歩いて病院まで来たようだが。 「二人ともちゃんと帰しましたよ。春部さんは自分もついて行くってずっと言ってたんで説得するのに時間かかりましたよ。いつも春部さんってば私の言うこと聞いてくれないんですよ。やっぱり私教師に向いてないんですかね……。私なんかいつもこうで、私のクラスのカストロビッチくんもいつも私に迷惑かけるし、自信失くしちゃう……ううっ」 またもほろほろと泣き始め、瀬賀は慌ててフォローに入った。 「いやあ、あいつらをまとめられる教師なんてあんまりいないですよ。それになんだかんだいって練井先生はH組の生徒たちから慕われてると思いますよ。俺なんか今日も生徒に金属バットで襲われたんですから。まあこの間はナイフ、その前は火炎瓶で襲われましたからまだマシですけど」 瀬賀はそう大きくため息をつく。すると練井はくすりと笑い、泣くのをやめていた。 「瀬賀先生も大変なんですね」 「まあ俺は受け持ちのクラスが無いからまだ楽ですけね。保健室にサボりにくる生徒を追いだすのも疲れますよ」 瀬賀は練井と談笑しながらふっと時計に視線を向ける。あれから一時間経つ。窓の外を見るともう空が金色に染まっている。あれほどの大怪我だ、もしかしたら夜まで手術は続くのかもしれない。 瀬賀がそう思っていると、廊下から緑の手術着を着ている医者が歩いてくるのが見えた。その人物に瀬賀は見覚えがあり、ややっと手を上げた。 「よお針村《はりむら》。やけに早いじゃないか。お前が担当したのか、御苦労なこった」 針村と呼ばれたその医者は、帽子を脱ぎ、ポケットから棒付きキャンディを取り出し、子供のように舐め始めた。 「ふん。僕はお前と違ってちゃんとした医者だからな。毎日手術で慣れてるからどうってことないよ」 神経質そうな顔立ちで、銀縁のメガネをかけている。その棒付きキャンディを舐めている彼は針村《はりむら》邦人《ほうど》。この総合病院の医師である。瀬賀のように異能者ではないごく普通の医師であるが、その腕前はこの病院でも一、二を争うものである。異能を抜いた純粋な医療技術ならば瀬賀よりも針村の方が上だろう。 「しかし瀬賀。またお前は女性をたぶらかしているのか。病院でナンパを始めるとは不謹慎な奴だ」 「ちげーよ。この人は双葉学園の練井先生だよ。例のあの子を発見したのも彼女だ」 「はじめまして。練井です……。実際に最初に発見したのは中庭でお昼食べてたうちの生徒ですけど……。瀬賀先生、お医者さんとお知合いなんですか?」 「まぁ同業のよしみですよ。何度か倒れた生徒を付き添ってこの病院に来たことありますからね」 「お前の雑な応急手当を引き継ぐ僕たちの身にもなってもらいたいね」 「ふざけんな。お前たちの救急車がくるのおせーから、俺がいなきゃ何人も死んでるぜ」 瀬賀と針村はお互いに砕けた調子で喋っていた。三つ四つほど針村のほうが年上のようだが、友達というよりは口悪くも仲のいい兄弟のような雰囲気である。 「それで針村。あの女の子の様子はどうなんだ」 瀬賀が真剣な顔つきでそう尋ねると、針村は棒付きキャンディを舐めるのを止め、しばらく間を置いて答えた。 「怪我のことなら心配は無い。命に別条は無いだろう」 「そうか。やっぱり俺のおかげだろ」 瀬賀は得意そうに鼻を鳴らしたが、針村はなんだか釈然としないと言った顔をしている。 「なんだよ。俺の処置に文句あるのか?」 「いや、確かにお前の止血は完璧だった。だが彼女が生きているのはそれだけが理由じゃない……」 「はぁ? どういうことだ」 「傷がな、無いんだよ。まるで最初から怪我なんてしていないかのように完全に傷が消えている。僕はお前が塗った糸を抜いただけだ」 「なんだって……?」 瀬賀は一体針村が何を言っているのか理解できなかった。練井もぽかんとした表情で彼を見つめている。 「そんな顔するなよ。僕だって混乱してるんだ。でも確かに救急車に乗っている時には怪我をしていた。だが手術台に上げられた頃にはもう、完全に傷は癒えてたんだ」 「……そんなことあるものなのか? 他の医師が治癒《ヒーリング》の異能を使ったとかは?」 「いや、救急隊員にあそこまでの傷をわずか数分で完治させる能力を持つ者はいない。治癒能力者は希少だ。お前みたいな大人の異能者はさらに希少だ。この病院にも数人しか治癒能力者はいないさ」 「じゃあなぜ?」 瀬賀の問いに、困り切った針村はため息交じりに椅子に腰を下ろし、ゆっくりと言葉を紡いだ。 「あの子は……人間じゃないかもしれない」 「!」 人間ではない。 それはつまり―― 「あの女の子が|人外の存在《ラルヴァ》ってことか?」 ラルヴァ。人類の敵。 ひとえにラルヴァといってもその種類は様々だ、中には生徒として学園に通っているものや、無害なものは人間と共存している種もいる。 特に知能があり、人型をしているラルヴァは、いったい人間とどこが違うと言うのだろう。瀬賀はそれに日々疑問を感じていた。 「わからない。だが輸血しようと血液検査をしたが、人間の血液のどの型にも当てはまらないものだったんだよ。だから輸血は出来なかった……」 瀬賀はばっと顔を上げる。あの状態で輸血ができないということはかなり危険な状態だ。いつ死んでもおかしくない。 「そう睨むなよ瀬賀。輸血は出来なかった。だが安定はしている。油断は出来ないが危険な状態は脱しているようだ」 「それはどういうことだ?」 「恐らくだが、あの女の子は生命力が異常に高いんだ。人間なんかとは比べ物にならないほどにね。そう、人間でたとえるなら今彼女は、せいぜい貧血《・・》程度と言ったところだろう。命にかかわるほど容体が悪いわけではないようだ」 「フムン。なるほど。脅威の生命力か……。確かにあの傷なら、普通の人間なら即死ものだろう。俺も少しおかしいと思ったんだ。たとえ即死を免れても長時間あのままで倒れていたなら普通は死んでいただろうな」 「瀬賀、お前の能力は人体構造を把握できるんだろう。彼女の治療をしている時に何か気付かなかったのか」 「さあな。だが人体構造自体は人間とまったく同じだったはずだ。なんてことはない。ごく普通の女の子だ」 「……だとすると、異常なのは血液か」 ふっと瀬賀は彼女の人体構造を思い出していた。何か人と違うところがなかっただろうか。 「……そういえば、犬歯が異様に伸びていたな」 「犬歯?」 「そうだ、多分、関係ないとは思うが、普通の人より若干犬歯が尖っていた。だからなんだと言われると困るが」 瀬賀と針村は険しい顔をしていた。そんな二人の会話についていけなかった練井は、なんとか会話に混ざろうと思いつきをおずおずと口にする。 「も、もしかしてあの女の子、“吸血鬼《バンパイヤ》”……とか?」 その練井の言葉に、はっと二人は顔を見合わせる。場を和まそうとそう言っただけなのだが、なにかまずいことを言ってしまったのかと練井は不安になってしまい、涙目になる。 「いや、えへへ。そ、そんなわけないですよね。ごめんなさい私……バカで……ううっ。ちょっと話に混ざりたかっただけなんです……。忘れてください……。どうせ私なんか――」 そう俯く練井の手を、瀬賀はばっと掴んだ。突然のことに練井は驚いてしまう。 「だ、駄目ですよ瀬賀先生、こ、こんなところで――」 「その通りかもしれません練井先生。おい針村、語来《かたらい》の奴に電話して吸血鬼の資料を送ってもらえ」 「ああ、わかった。ちょっと待ってろ」 瀬賀はそう急かし、針村はそのまま事務室へと向かっていった。 「……なるほど、吸血鬼か。ありえるな」 ぽかんとする練井をよそに、瀬賀は自分の世界に入り込むようにぶつぶつと呟いていた。 「あの大怪我で生きていた理由も、止血したことにより傷口が再生した理由も、おおよそそれで説明がつく。それにあの容姿……。ならあの子に必要なのは単純な輸血じゃなくて、吸血鬼としての“食事”か――」 「あのぉ、瀬賀先生?」 ただの冗談のつもりで言っただけなのに、瀬賀は真に受けた様子で練井は困ってしまった。だが、早歩きで戻ってきた針村によって、それがやはり正しいことが証明されることになった。 針村はファックスの紙を二人に見せ、瀬賀はやはり、と言った風に顔をしかめた。 「語来くんに頼んだらすぐ資料を送ってきてくれたよ。間違いない、彼女の血液はこの吸血鬼の研究データと一致する。あの女の子は人間じゃない、正真正銘の吸血鬼だ」 「完全に一致ってやつか。ブラボーだ」 それから針村は学園上層部へと連絡し、ラルヴァ研究者や警察が大勢来てあわただしかったのだが、ようやく落ち着いたようだった。 それまで瀬賀も練井も帰らず、もう時刻は十二時を過ぎようとしていた。 「練井先生。もう遅いですし帰った方がいいですよ。俺はただの興味本位であの子に会いたかっただけですから、練井先生が義務に感じることは無いですよ」 待合室でうっつらうっつらと舟を漕いでいる練井に瀬賀はそう話しかけた。眠そうな目をこすりながら、練井は首を横に振る。 「いいえ、私も彼女に会ってみたいです。なんというか、ここまで来たなら折角ですし見たいじゃないですか。吸血鬼なんて滅多に会えないですよ。それとも私の肌荒れを気にして? 確かに寝不足はお肌の大敵ですけど、瀬賀先生に気にされるほど私の肌って荒れてますか? そんな、折角通販で新しい化粧水買ったのに……」 「いやいや、練井先生は十分綺麗ですって。いや、そうじゃなくて明日も学校ありますし、辛いでしょう」 「大丈夫です。むしろこのままじゃ眠れませんから」 「いや、今すごく寝むそうでしたよ……。まあいいや、ともかく一段落ついたみたいですね」 瀬賀は帰っていく研究者や警察関係者、学園上層部の人間を見送り、疲れたように戻ってきた針村に同情した。 「御苦労なこった。お偉いさんの相手は疲れるだろ」 「まあな。どうも僕もお前と同じであの手の人たちが苦手なんだよ」 針村は白衣に着替えなおしており、胸ポケットからまたもや棒付きキャンディを取り出して舐め始めている。禁煙中の彼にとってそれがストレスの発散法なのだろう。 「それで、俺たちも“彼女”に会っていいのか?」 「ああ、一応お前たちも関係者だからな。数分ならと、学園側から面会の許可を貰ったよ。こんな時間に子供の患者と会わせるのは本来なら論外なんだが、彼女は吸血鬼だ。夜の方が元気だろうよ」 そうして瀬賀と練井は針村に連れられ、三人は例の少女が寝ている病室の前に立った。 「開けてもいいかい?」 針村は数回ノックしてそう聞いたが、返事は無かった。困った様子で彼は瀬賀たちのほうを振り向く。 「ずっとこの調子なんだ。学園の連中が何を聞いても一言も喋らないんだよ。完全に無視を決め込んでる。体力が落ちてるから長時間の取り調べは遠慮してもらったけどね。もっとも、日本語がわかるのかどうかもそもそも不明なんだがな」 「そうか、俺たちが来ても無駄かもな」 「どうかね。顔ぐらい見ていったほうがお前も練井先生も安心できるだろう。とにかく入ろう」 針村はゆっくりと扉を開いた。 病室はごく普通の個室だ。そのベッドの中で、少女は上半身を起こして、虚ろな瞳で天井を見上げている。 「…………」 その少女を改めて見た瀬賀は思わずほうっと息をこぼしてしまう。 灯りがついていない真っ暗な部屋の中、その少女の姿は月明かりに照らされ、その美しい輪郭を浮き出させている。 幼くも儚いその横顔は、長い年月を生きてきたかのようなほどに憂いに満ちている。蝋のように白い肌、金色の髪、宝石のような青い瞳がこの世ならざる美しさを体現している。 吸血鬼。 人の生き血を吸う、不死の存在。 七,八歳ほどに見えるが、もしこの少女が吸血鬼なのだとしたら、恐らく容姿で彼女の人格や実年齢を判断することは無意味だろうと瀬賀は考えた。 彼らが入ってきたことにより、その少女はふっと横目で瀬賀たちを見つめた。血が失われているためか、生気がなく、なんだかぼーっとしている。ラルヴァと言えど特に害がなさそうならば拘束はしていないようだ。 「よお、お嬢ちゃん。調子はどうだい」 瀬賀は勤めておどけた様に手を振る。 すると、その少女の瞳は少しだけ大きく開いた。そうして、ゆっくりとその小さな口を開き始める。血のように赤い唇を動かし、その口の隙間から鋭い犬歯が覗いているのを瀬賀は見逃さなかった。 「お主……お主がわたしの命を救った者のようじゃの。あの時わたしは意識を失っていたようじゃが、お主の気配は覚えておるぞ」 彼女が日本語を流暢に話しているのにも驚いたが、その年寄りのような喋り方が見た目とのギャップを覚え、瀬賀は苦笑し、肩をすくめる。 「それは光栄だねお嬢ちゃん。それで身体の調子は――」 「余計なことをしおったな馬鹿者め。わしは人間の手なんて借りたくはなかったんじゃ!」 少女はシーツを力強く握りしめ、吐き捨てるようにそう言った。その瞳には屈辱が浮かんでおり、嫌悪の表情を瀬賀に向けている。命を救った少女にそんな目で見られることになるとは予想もしておらず、瀬賀の顔には少なからず動揺の色が見えた。 「助けない方が、よかったってか?」 「そうじゃ。こんな風に人間の病院で、人間に身体をいじられ、不様に保護を受けてベッドで眠るなんて耐えられない恥辱じゃ。誇り高きロックベルト一族の歴史に泥を塗ってしまったではないか! あの程度の傷、わしならばどうにか出来たはずじゃ」 怒りをぶちまけるように幼い容姿のまま喰ってかかる彼女を、瀬賀はどうしたものかと頭を掻き、なんとか言葉を紡ぐ。 「お言葉だがなお嬢ちゃん。あのまま俺が止血しなかったら手遅れだったぜ。理由は知らんがお前の吸血鬼としての再生能力が低下してたからあのままじゃずっと傷は塞がらないままだったはずだ。俺が傷を縫い合わせたおかげで失血が抑えられて、再生能力が戻っていったと俺は思ってる」 瀬賀は落ちついた様子でそう諭した。少女はふんっと鼻を鳴らし、そっぽを向いてしまった。練井もかける言葉が見つからず、あうあうと唸っていた。 「じゃあ何か。助けなきゃよかったのかよ」 「そうじゃ、人間なんかに助けられるくらいなら死んだ方がましじゃ!」 少女がそう叫んだ瞬間、 ごちん。 という軽快な音が部屋に響いた。 「せ、瀬賀!」 針村は思わずそう叫ぶ。それも無理は無い、瀬賀はその少女の頭を、拳でごつんと叩いたのであった。 一瞬何が起きたのか解らずに、少女はぽかんとしていたが、すぐに瞳に涙を浮かべて、ぼろぼろと大泣ききを始めた。 「う、うわ~ん。ぶった! ぶったな人間の分際で! なにをするんじゃ~!!」 頭をさすりながら真珠のような涙をシーツの上に垂らしていく。針村は瀬賀を押さえつけ、「お前何してんだよ。落ちつけ」と言い聞かせる。だが瀬賀はキッと少女を睨み、怒ったような口調になっている。 「二度とそんなこと言うんじゃねえ! 死にたいだとか、死んだ方がましだなんて言葉二度と使うな!」 少女は怒鳴る瀬賀に驚き、容姿通りに子供らしい表情をしていた。 「な、何じゃと! お主に何がわかる! わしらの一族は人間なんかに借りを作ってはならんのじゃ! それが気高きわしらの――」 「お前が何者かなんて知ったことか! 俺は視界に入る奴らは全員救う。例え殺人鬼だろうが、化物だろうが、吸血鬼だろうが、俺の目の前に死にそうな奴がいたら全員無理矢理生かしてやる! おこがましい? ファック。俺はそのためにいる。命より重いものなんてねーんだよ! 死ななきゃいけない誇りなんてドブに捨てちまえよクソガキ!!」 「く、クソガキじゃと! このショコラーデ・ロコ・ロックベルトをクソガキじゃと! たかだか二十年そこらしか生きていない小僧が百年生きているわしをクソガキ扱いか! 片腹痛いわ!」 「うるせえ! 二十五年しか生きてない俺でも命の重さは解る。それだけ長く生きてるならもっと命について考えろバカ!」 針村が押さえているのを振り払い、瀬賀と少女はまるで子供同士の喧嘩のようにとっくみあっていた。少女も元気を取り戻したのか、その爪で彼の顔を何度も引っ掻いたりしていた。 やがて二人とも疲れ切ったのか、ぜいぜいと肩を揺らして、にらみ合ったままベッドに腰をぺたりと落とす。 「せ、瀬賀先生……何してるんですか……」 「このバカ。患者となにしてんだよ……」 練井と針村は呆れかえっている。瀬賀もバツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いていた。少女も瞳に涙を浮かべながら、いまさら恥じるように俯いている。 「悪かったよ……。でも、まあ、お前の名前を聞けてよかったけどな」 ふんっと瀬賀得意そうに少女見た。少女はしまったとばかりに顔を背けた。 「あー、なんだっけ。チョコラータだっけ? 角砂糖食べる?」 「違う! ショコラーデ・ロコ・ロックベルトじゃ!」 「長いからショコラでいいだろ。いいか、二度と死んだ方がましなんて言うな。俺はお前が何度死にそうになろうが何度でも助けてやる。百回でも、千回でも、一万回でも、一億回でも助けてやるよ。地獄の底に落ちようとも引き上げてやる」 そう瀬賀は言うが、少女――ショコラはむうっと眉を寄せ、瀬賀に背を向けて膝を抱えてしまった。それを見て瀬賀も、練井も針村も苦笑交じりの溜息をついた。だがその表情はどこか和やかである。 「瀬賀、そろそろ時間だ。彼女はまだ貧血状態だからあまり長い時間起こしていても身体に障る。出よう」 「ああ、わかったよ」 瀬賀はベッドから腰を上げ、背を向けているショコラに「じゃあな、大人しく療養しろよ」と言って部屋の扉へ向かって歩いていく。ショコラは黙ったままだ。 扉を閉め、練井と針村と一緒に廊下へ出る。 「ロックベルト――か。聞いたことあるか針村。ショコラの言い分じゃそこそこ名の知れた一族みたいだけど」 瀬賀に言われ、針村は語来から送られてきた資料を取り出した。 「まったくたいしたもんだよお前は。学園上層部や警察が尋ねても一言も口を開かなかったあの子が名前まで聞き出すなんてな。ロックベルト、ロックベルト――あった」 針村は吸血鬼の血族の一覧が乗っている紙を瀬賀に渡す。練井もそれを覗き込んで見ていた。 「なんですかこれ、吸血鬼ってこんなに種類がいるんですか?」 大量に名前が書かれているその資料を見て練井は驚いたようにそう尋ねる。 「俺もそれほど詳しいわけじゃないですけど、種類というよりは“家系”ですね。吸血鬼は家系によって特色がかなり違うようです」 瀬賀は『ロックベルト』と書かれている項目の詳細に眼を通す。 「『ロックベルト――。八百年前から続く吸血鬼の中でも有数の生命力を持つ吸血鬼の貴族。戦闘能力はほとんど無いが、その反面他の吸血鬼よりも弱点が少なく、日光は苦手程度で、銀以外ではロックベルトの吸血鬼を死に至らしめることは不可能。ロックベルトの吸血鬼の心臓を食べることで永遠の命が手に入るという説があるが、未だ真偽は不明である』――だってよ」 針村はそれを聞いて顎に手を置き考えた。 「その資料の通りなら、血を好むことと生命力以外はほとんど人間と変わらないということか。ならあのまま特に拘束したりする必要はないようだな。学園側もラルヴァの“人権”について考えているだろうし、何より彼女はあの傷を見る限り被害者《・・・》なんだろう。僕たちは彼女を保護する義務がある」 その話を聞いていた練井は不安そうに顔を曇らせる。 「被害者……。そうですよ、あの子が怪我してたってことは……その、誰かに襲われたってことですよね……?」 「そうでしょう。しかも傷が塞がって無かったってことは弱点である銀の武器で攻撃されたってこと。つまりショコラを襲ったのはあいつを吸血鬼だと知っている奴ってことになりますね」 瀬賀は真剣な表情でそう言った。ショコラを襲った人間が誰なのか、それはまだ聞き出すことは出来ていない。 人間の手を借りることを拒む彼女は、やはり保護を受けることに不満を持っているようである。そんなショコラを不憫に思っているのか、練井はまた泣き顔になっている。そんな練井を安心させるために、針村はキャンディを舐めながら言った。 「大丈夫ですよ。ある意味この双葉区はラルヴァにとっても安全地域ですからね。ほら、警備の連中が来ました。多分数日の間はあの子には護衛がつくでしょうし大丈夫でしょう。近くには戦闘系異能者だって多くいるし、怪しい奴が入ってきても返り討ちにあうだけでしょう」 「そうですよね。きっと大丈夫ですよね……」 屈強な警備員がショコラの部屋の前に立ち、瀬賀もそれを見届けて「そろそろ帰りましょう」と練井を促し、帰る支度を始めた。 「針村。お前はまだ帰れないのか?」 「僕は今日夜勤なんだよ。ここでお別れだ」 「そうか、そりゃご苦労なこった」 「いいな公務員は。僕はここ最近まともに寝てないぞ」 針村は大げさに肩を揺らし、出口へと向かう瀬賀と練井を見送った。キャンディを舐めるその顔からは疲れが見える。 階段を降り、瀬賀たちは正面玄関に向かって歩いていく。そろそろ瀬賀も眠くなってきて、大きく欠伸をしていた。 「今日はなんだか大変な一日でしたね」 寝むそうな瀬賀に気を使ってか、練井はそう話しかけた。だが練井のほうがよっぽど寝むそうじゃないか、と瀬賀は苦笑する。 「まあ俺は保健室で寝れますけどね。寝込み襲われるかもしれないから鍵掛けておかないと駄目ですけど」 「もう、そんなのバレたら理事に怒られちゃいますよ」 「それは困りますね。医師免許も教員免許もないのに働けるところはここぐらいしかないですから。でもH組は毎日が大変じゃないですか。変な生徒ばっかだし。毎日春部みたいなやつと顔合わせてたらうんざりするでしょう」 「そうですね。私も疲れちゃいます……。親戚のおばさんは教師なんてやめて結婚して家庭に入るのが女の幸せだ――なんて言うんですよ」 「そりゃまた古い考えですね」 「でしょう? でも言ってることはわかるんですけど、やっぱり、なんだかんだ言って私はこの仕事が好きなんですよ。何度も向いてない、辞めようって思ったことはありますけど……」 そう言う練井は恥ずかしそうにしながらも微笑んでいた。寮の手の指を合わせもじもじとしている。普段泣いてばかりいても、彼女も教師なのだと瀬賀は実感する。 そうこう話しているうちに瀬賀と練井はロビーにつき、そのまままっすぐ正面玄関に向かっていく。 だが、二人が扉に手をかけた瞬間、突然静まり返った夜中の院内に激しい破壊音が響いた。 それはガラスが割れた音だ。 その音を聞いた瀬賀と練井ははっと後ろを振り返る。 「瀬賀先生、今のは――」 「わかりません、だけどどうやら上の階から聞こえてきたようですね」 不安そうに二人は顔を見合わせる。きっとなんでもないことだろう、そう思いたかったが、続いて怒声と悲鳴が聞こえ、耳をつんざく金属の回転音が響き渡った。その総てが異常事態を知らせている。 「――――ファック。これ以上まだややこしいことが起きるのかよ!」 ※ ※ ※ “|少女地獄《ステーシーズ》”。 それがセーラー服姿の彼女、フラニー・ステーシーが所属する傭兵チームの名だ。 |少女地獄《ステーシーズ》は十二人の姉妹と“お兄様”と呼ばれるリーダーによって構成されている。彼女たちはその“兄様”から受けた任務を淡々とこなす暗殺者であり兵隊である。 異能を持ち“お兄様”によって殺人技能を極限まで高められた彼女たちは、裏の世界でも有名な存在として恐れられていた。 その末妹であるフラニーは、“お兄様”の命令で双葉学園に逃げ込んだ彼女《・・》を追いかけてきていた。 「見つけたですぅ。こんなところに逃げ込んでたんですの。糞ったれ吸血鬼のショコラーデ・ロコ・ロックベルト。今度こそ、その心臓《・・》をいただくですの。“お兄様”のために……」 彼女は夜の空に浮かぶ月を背景に、ビルの屋上から目の前にそびえたつ総合病院を睨みつけた。 「しかし不様なものですの。不老不死が売りのロックベルト一族の末裔が人間の病院で世話になるなんて」 フラニーはその病院の窓から、ベッドで横になっているショコラを見つけ、嘲笑っていた。ひとしきりその不様な姿を笑い終わると、ふっと表情を固め、幼い少女の顔から、冷徹な殺し屋の顔に変わった。 「さあ、いくですの」 フラニーは少しだけ後ろに下がり、そのまま助走をつけてビルの屋上を全速力で走り始め、彼女は淵のあたりで大きく跳躍した。そのままフラニーは落ちていく――のではなく、その勢いのまま向かいの病院のショコラのいる部屋の窓に飛び込もうとしていた。 だが窓は強化ガラスで、このままでは窓にぶつかり間抜けに地面へと落ちていくだけだろう。 「変形《トランス》――モデル、ビッグハンマー」 しかし、フラニーが右手を前に突き出しそう呟くと不思議なことが起きた。突然彼女の肘から指の先までが光り輝き始めたのだ。そしてその光は一度分解され、まるで蛍のように空中に舞う。 だがその光の粒子は再び彼女の腕に収束されていく。だが再構成された彼女の右腕は人間のものではなくなっている。 彼女の右腕は巨大なハンマーと化していた。黒々と輝き、まるで最初から腕から生えていくかのように違和感が無い。 フラニーはそのハンマーを窓のガラスに向かって思い切り叩きつけた。 ガラスは粉々に砕け、ガラスの割れた音が病院中に響く。フラニーはそれを気にも留めず自分の身体を部屋の中へと侵入させることに成功した。 飛び込んだ勢いのまま着地してごろごろと床を転がり、さっと顔を上げそのベッドから身体を跳ね起きさせているショコラを睨んだ。 暗闇の病室で、少女の姿をした吸血鬼と殺し屋が睨みあっている。それはとても奇妙な光景であった。 「お、お主。わしを襲ったあの時の――」 ショコラは白い顔を青くさせ、フラニーを睨む。その顔は驚きと恐怖の色に染まっているようだった。当然だろう。不死の存在であるショコラを瀕死に追いやったのは彼女であったからだ。 「襲ったなんて失礼ですぅ。あなたがオメガサークルの連中に拉致されているのを助けてやっただけですの。だからちょっとお礼にあなたの心臓をいただきに参りましたのよ」 ふふっとフラニーは左手の人差し指を自分の唇に当て不敵に笑った。 「じょ、冗談じゃないのじゃ。誰がお主に心臓など渡すものか!」 「没落貴族のロックベルト。哀れなロックベルト。もうあなた以外は全員死んでしまったですの。あなたも、もうその無意味な生を終わらせる時が来たですの。寿命と思って諦めた方がいいですぅ」 「い、嫌じゃ……。高貴なるロックベルトの血を、ここで絶やすわけにはいかんのじゃ」 ショコラの小さな身体を押し潰すほどの殺意が向けられているにも関わらず、ショコラは必死にフラニーにのまれまいと彼女を睨み続ける。 そんなショコラの思いすらもフラニーにとっては滑稽でしかなかった。彼女はハンマーの腕を頭上に掲げ、 「変形《トランス》――モデル、チェーンソー」 再びそう呟いた。 するとまたもフラニーの右腕は光り輝き、粒子となり分解され、今度はチェーンソーの形へと再構成されていく。 これがフラニーの異能である。右手をいかなる武器に変化させることができ、彼女はこの能力を“右腕兵器《ライダーマン》”と呼んでいる。 容赦なく鋭利な刃が回転し、闇を切り裂くような音が辺りに響く。ショコラはその音を聞いてがたがたと震え始めた。 無理もない。そのチェーンソーこそが、ショコラに瀕死の重傷を負わせた凶器だからである。そのチェーンソーの刃は銀で出来ており、それはショコラたちロックベルト一族の唯一の弱点であった。 「さあ、切り刻んでバラバラにして心臓を取り出してやるですの」 フラニーがショコラの元へ駆け寄ろうとした瞬間、突然その病室の扉ががらりと開かれた。 「何かあったのか!」 入ってきたのはショコラの警備をしている警備員たちであった。彼らは割れたガラスと、チェーンソーを轟かせているフラニーを見て唖然とする。 「な、何をしているお前!」 警備員たちは警棒を取り出し、身構える。だがフラニーはこれも予想の範囲だと言わんばかりにニヤニヤと笑っている。 「き、きみ。こっちに来なさい!」 警備員がショコラに手招きをし、はっと我に返った彼女は彼らのもとへ駆けていった。それを追いかけようとフラニーも身をひるがえし扉の方へ向かうが、警備員たちはショコラを部屋の外に出し、フラニーの前へと立ちふさがる。 「ちっ、邪魔なんだよおっさんども――ですの!」 双葉学園の警備員たちは護衛のプロだ。 だが、彼らは本物の殺し屋と対峙したことはなかった。容赦のかけらもない研ぎ澄まされた殺意が彼らに向けられる。 フラニーはチェーンソーを彼らに向かって振り下ろした。高速で回転する刃が彼らの肉をえぐり、切り裂いていく。 警備員たちは悲鳴と共に鮮血を飛び散らし、倒れ、静かだった病室が惨状へと変わっていく。だが警備員たちはやはりプロだった。即死を免れるようにギリギリで避け、重傷を負っているものの息はしているようだった。 「うぐっ――」 倒れながら呻いている警備員を見てフラニーは彼らがまだ生きていることに気付いたが、止めを刺している余裕は無かった。 扉を出て廊下を覗き込むと、ショコラが小さな足を動かして必死に逃げている。 「逃がすわけにはいかないですぅ!」 フラニーはチェーンソーをけたたましく轟かせながら彼女を追いかけ始めた。だがこの騒ぎを聞きつけて出てきた病院内の患者や、看護士たちが次々とフラニーの視界に入り込んでくる。 彼らは血塗れでチェーンソーを振り回すフラニーに狂気を感じ、悲鳴を上げて逃げ出し始めた。 「邪魔、邪魔、邪魔!!」 フラニーは自分の進路を塞ぐ人間全員に斬りかかった。誰も彼も血を噴き出し、ばたばたと倒れていく。 やがて当然のごとく警報が鳴り響き、病院内がパニックに陥った。恐らく五分以内に機動隊が到着するだろうとフラニーは踏んだ。 「五分もあればじゅーぶんですの」 ここにいるのは無力な医師や看護士に患者たち。五分もあればショコラを追い詰め、目的を達成し、逃走を図る事は容易い。フラニーは振り向きもせず、ただひたすら逃げ去るショコラを追いかけていく。 「や、やめろ!」 フラニーが逃げ出す人々を切り裂いて走っていると、彼女の前に白衣の男が立ちふさがった。どうやらここの医者のようだ。 「みんな、今のうちに逃げろ。あいつは僕が引きつける!」 「で、でも針村先生!」 針村と呼ばれた医者に逃げろと促された看護士たちは悲痛な叫びを上げている。その医者はフラニーの意識を自分に向け、同僚たちを逃がしているようだ。 だが、フラニーはその医者にも容赦なく斬りかかる。 後編へすすむ トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む それゆけ委員長! 完全版 そのいち 前時代的な巨大な木製の扉の前に男がふたり、立っていた。黒いスーツにサングラス、ネクタイも黒なら、磨きこまれた革靴も黒光りしている。怪しいという形容詞が似合う格好というのは、これ以上ないだろう。 その怪しげな二人組みの内のひとりが、木戸にある叩き金でノックをする。暫く待ってみたが、中からの返事は無い。もう一度ノックする。先ほどよりも叩く力が幾分大きい。 男がもう一度ノックしようとした時、鍵を外すような音が中から聞こえる。蝶番が軋む音を立てながらゆっくりと扉が開いていく。 「遅れて申し訳ございません。何分、イタズラが多いものですから……。それで、どちら様でしょうか?」 扉の隙間から怪訝な表情で二人の男を見つめる少女がいた。おそらく、この屋敷の使用人のひとりなのだろう、黒を基調とした飾り気のない服にエプロンを付けていた。歳の頃は十六、七といったところか。 「ええ、ご主人に用があって参りました。探偵社の者、と言えば分かって頂けますでしょう」 「探偵社さん? ですか?」 「ええ、ピンカートン探偵社のものです。ご主人に“大事な用”がありまして」 「まあ、それは大変! それではどうぞ中へ。客間でお待ちいただけますか? 旦那様は私がお呼びしますので……」 「いえ、結構ですよ」 その言葉が終わる間もなく、男は、彼女の胸にナイフを突き刺していた。彼女は、力を失ったように男の方へ倒れこんでいく。 だが、それを受け止めようともせず、男達は屋敷の中へ躊躇無く踏み込んでいく。 ドサリと使用人の身体が床に倒れこむ。 「ヤツを探すぞ。お前は一階を探せ。俺は上を探す」 「はい」 「あ、あの……、忘れ物ですけど」 『――っ!?』 男たちの後ろから声がする。ふたりが同時に振り返ると、そこには、先ほどまで自分の胸に刺さっていたナイフを手に持った少女が、何事も無かったように佇んでいた。 「ですから、このナイフをお忘れになってますよ。それとも、旦那様にお会いになるということで、私にお預けになったのですか? まあ、なんてことかしら、私としたことが。そんなお気遣いは必要ありませんのに。あら? あのその胸から出された拳銃も預けて頂けるということかしら?」 男たちは、躊躇無くトリガーを引く。そして、その弾丸は、彼女の身体、特に致命的な部分を何箇所も打ち抜いていた。心臓はもちろん、眉間までも。だが……。 「そういったものを持ち出されるのは、さすがに私としましても困るのですけれど……」 何事も無かったようにツカツカと玄関近くの傘立てへと歩いていく。 「こいつ化物か?」 「おい、おい、能力者がいるなんて聞いてないぞっ!?」 黒づくめの男たちが急に緊張をあらわにする。当然だ。常人の人間が、能力者に勝てるはずがないからだ。まして、目の前の女は、9ミリパラベラム弾もものともしない化物。どうやっても太刀打ちできるはずもない。 一方、彼女は、男たちの緊張感とは裏腹に、のんびりまったり、傘立ての中から、几帳面に巻いてある傘を一本取り出していた。 「失礼ですね、私は化物でも、能力者でもありません。こう見えても、ただのハウスメイドです」 彼女が、傘の柄の部分をゆっくりと引っ張り上げると、そこには鈍い輝きをした刀身が現れていた。 「ただし、旦那様に害成す者には容赦はいたしません。よろしいですか?」 後ろ手で、大きな扉をバタンと閉める。 男たちは、自分達が追い込む側から追い込まれる側へに移っていることに気が付き、この屋敷にわずか二人で侵入したとこを心底後悔していた。 双葉学園高等部二年C組は、転校生がやってくるという話題で、賑わっていた。 「やっぱり、女の子で、おっぱいが大きい子がいいなあ」 「友達になれるといいなー」 「クラスの風紀を乱さなければ問題ないわ」 「もう、俺が面倒な目に合わなければそれでいいよ……」 「どんな能力なのか、調べてみたいよねー」 様々な思惑が錯綜する中、いよいよ、始業のチャイムが鳴る。 僅かの隙もなく、扉が開き、担任である字元数正《あざもとかずまさ》が教室に入ってきた。ひとりの女生徒を連れて……。 その女生徒の姿に教室がざわめく。それはそうだ。彼女は、双葉学園の制服ではなく、黒尽くめの地味なメイド服に、何故か晴天の中、傘を一本持っていたからだ。 「な、な、な、なんで、そんな格好をしてるんですっ!? 先生、なんで、その子は制服を着ていないんですか?」 人一倍規則にうるさい、クラス委員長の笹島輝亥羽《ささじまきいは》が声を荒げる。 「というわけで、彼女が転校生の……あとは自分で紹介できるな?」 「ご紹介が遅れまして申し訳ありません。私、瑠杜賀羽宇《るとがはう》と申します。本日から、この学び舎で、皆様と一緒に勉学を共にすることに相成りました。よろしくお願い致します」 ペコリと頭下げる瑠杜賀。 「そーいう問題じゃないでしょ!? 先生、どうしてこの子、いや、瑠杜賀さんは制服を着てないんですかっ?」 うろたえる笹島に困ったような表情で応える字元。 「そういう仕様だからだ」 「はぁ!? それじゃ意味が分からないでしょ、先生」 「そう言われましても、私、この服しか持っていませんし、着れませんので……」 教室中の誰もが、ブチッと血管の切れる音を聞く。 「今すぐにとは言いません。24時間以内に何とかしなさいっ! 瑠杜賀さん!! 制服に関しては私が上と掛け合って何とかしますからっ」 担任の字元さえ圧倒する迫力で、笹島が叫ぶ。 「本当ですか? 有難う御座いますー!!」 笹島のテンションとは真逆に、おき楽に小躍りして喜ぶ瑠杜賀がそこにいた。 そんな喜ぶメイドさんを目の前にし、笹島は、また厄介なクラスメイトが増えたことに、自分がこのクラスの委員長になったことを絶望的なまでに後悔していた。 そして昼休み。笹島の強引かつ大胆な交渉のお陰で、無償で瑠杜賀の制服が提供されることになっていた。その制服を持ち、彼女の前に立つ。 「これが貴方の制服よ。さっさとこれに着替えてらっしゃい」 そう言って、笹島は双葉学園指定の制服を瑠杜賀の机の上に置く。 だが、それを摘んだり、引っ張ったりするだけで、一向に更衣室へと向かおうともせず、不思議な表情をするだけの瑠杜賀。 「だから、これに着替えなさいって言ってるでしょ?」 その当を得ない仕草と表情にイラっとする笹島。 「着替える? ですか?」 「そう」 その言葉に、まるで、宇宙誕生の謎を解明した科学者のような完璧な笑みを浮かべ、ポンと手を打つと、そそくさと、そこで着替えを始めようとする。 「うおーっ!!」 男性陣のどよめきで教室が満たされる。 「な、な、なにやってるのよーっ!!」 「いえ、ですから着替えですけど」 「そんなのは更衣室でしなさい。もう、こっちよ」 そう言って、彼女を教室から連れ出していく。 (くそ、もう少しで、見れたものを、あの堅物委員長め) そう心で舌打ちをしながら、多くの男子生徒は目の前で繰り広げられるはずだったメイドさんの着替えシーンを妄想で膨らまそうと躍起になっていた。 「さあ、ここなら大丈夫よ。存分に着替えなさい。というか、貴方には羞恥心ってものがないのかしら?」 「羞恥心、ですか? それは難しいですねえ」 無造作に服を脱ぎなら、笹島の質問の意図が分からない様子で、質問を質問で返す。 「いや、いいのよ。この学園には色々とおかしな人たちがいるわけだし。特《・》に《・》うちのクラスにはね。多少の常識が欠如している人だって、いてもおかしくないわね……。あら、何か落ちたわよ?」 そう言って、親切心から手に取るのだが……。 「あ、ゴメンなさい。それ、私の“腕”です」 ポロリと落とす。 「い、え、あ、お、はあ……? なっ、なにこれっ!? いっっっや―――っ!!」 その瞬間、高等部どころか、学園中に笹島の悲鳴がこだました。 「え、えーと……どーいうことなのかしら?」 「こう見えましても、私、人ではないのです」 「その腕見れば分かるわよ。ロボットとかアンドロイドの類なの?」 「いいえ、そのようなものではありません。私は旦那様に作られた自動人形《オートマトン》です」 「何がどう違うのよ?」 「さあ? 旦那様がそう言われましたので」 「何よそれ?」 そんな微妙にかみ合っていない会話の間にも、瑠杜賀《るとが》はなんとか着替えようと四苦八苦していた。ただ、その度に、手や足がポロポロと外れ落ちていくため、着替えは一向に進まない。 「いや、もう着替えなくてもいいわ」 「よろしいのですか?」 「ええ。結局、あなたはその格好以外、できないってことでしょ?」 「そうですね。私はこの身体とこの服をもって一つとなっていますので、脱ぐと、どうしても私のバランスが崩れてしまいます」 「なら、なんで最初からそう言わなかったのよ?」 「それは、説明する必要がなかったからです」 「どういうこと?」 「私は、ある人物を探すため、この学園にやってきただけですので。それが私の使命だからです」 「それってどういうこと?」 はっと口を手で塞ぎ、自分がうっかり質問してしまったことに笹島は後悔する。事と次第によっては、自厄介ごとに巻き込まれるかもしれないからだった。だが、後悔とは後に悔やむこと。笹島は後に存分に悔やむことになる。 「だからって、ここで話すことはないと思うんだがなぁ……」 そう愚痴りながら、召屋正行《めしやまさゆき》は不満そうに本日の夕食になるのであろうナポリタンを商店街にある、寂れた喫茶店のカウンターで、ムシャムシャと平らげていた。 「うるさいわね、ここが一番静かに話せるのよ」 「あらあら、今日は先客万来ねえ。それでお二人は何にするのかしら?」 にこやかにウェイトレスが微笑む。 「赤ワインを一本頂けますでしょうか?」 「あらあら? そちらの子は、結構いけるくちなの?」 お猪口でお酒を飲む仕草をするウェイトレス。 「いりません。コーヒーを二つ、アメリカンで」 「そうは言いますが笹島様。私は、ワイン以外のものを口にするのは……」 「未成年なんだから、コーヒーでいいのよ!」 「私に未成年という概念は存在しないのですが」 「いいから、コーヒーにしなさい!」 「いえ、ですが、私、赤ワインが燃料源でして」 「はぁ? しまいには、私の血液はワインでできてるとか言い出しそうね。あんた、転校してくる前はお笑い漫画道場にでも通っていたのかしら?」 「あの、言っている意味が良く分からないのですけど」 「で、お二人さん、注文はどうするの?」 やさしい口調ではあったが、笹島には、ウェイトレスの笑顔が少々引きつってきてたように見えていた。 「赤ワ……」 「コーヒー二つっっ、それ以外はいりませんっっ!!」 「笹島様、貴女は横暴です」 「何ですって?」 笹島の後ろからまっ黒なオーラが浮かび上がる。 「お・う・ぼ・う? この私が?」 「ええ。横暴過ぎます。相手の意見を尊重しないなんて、横暴以外の何物でもないですよ。旦那様も言っておりました。人間、協調性が大事だ…と……あれ? どうしました?」 「いい、良く聞きなさい、私は貴方やそこでのうのうとパスタを食ってるボンクラのクラスメイトで委員長なの、分かる? そこのボンクラ以外にも禄でもない連中ばっかり揃っている二年C組のね、毎日毎日、毎度毎度、厄介ごとばかり起こす上に、その尻拭いは全部私に回ってくるのよ、何度風紀委員に呼ばれたか知ってる? どれだけ醒徒会に嫌味を言われたか分かってる? 何時間も担任の字元先生から小言をネチネチ言われ続けるのがどれだけ苦痛だと思う? それよりも、他のクラスからC組が何て呼ばれているか知っているの? えーえー、そうよ『変態クラス』よ、全くどうして逸材ぞろいの一年B組の爪の垢を煎じてクラスメイト全員に飲ませたいものね、まあ、そんなことを本当にしたらしたで、それこそ『変態クラス』のレッテルがさらに揺るぎないものになってしまうでしょうけどね、しかも、しかも私は、その『変態クラス』の委員長なの、これってどういうことかというと、私は変態さんたちのリーダー、親分、隊長になるわけよ? つまり変態長ってわけね、いやー凄いわねー、何この仕打ちは!? そんな称号これっぽちも欲しくもないわっ、これだけの苦労をしてクラス委員長をしている私が、その責任感と親切心で貴方の相談にのっている私が、なけなしの小遣い叩いて奢ってやろうって言ってるのに、貴方にワインじゃなくて、コーヒーを勧めるくらい何の問題もないわよね、違う?」 「まあ、それは大変ですね! ですので、私には赤ワインを一本」 「そう……し…なさい」 ふらふらとカウンターの方へと歩いていくと、カゴに収まっていた食器をわしと掴む。 「し・に・な・さ・い……。もう、貴方なんか死んじゃえばいーの!! そして、貴方を殺して私も死んでやる。こんな救いのない世界なんてもう要らないわ。滅びてしまえばいいのよ、そうよ! 誰かストームブリンガーを持って来て!! いいえ、ルルイエ神殿を浮上させて頂戴、今すぐそこに殴りこんで、蛸型の神様をぶん殴っておこしてやるわっっ!!」 召屋とウェイトレスに羽交い絞めにされがら、ナイフを振り回し、ワケの分からないことをわめき散らす。 で、十分後。 ようやく落ちつた様子の委員長は、目の前にあるたっぷりミルクと砂糖が入ったコーヒーを熱そうに啜る。 「あじ!」 「あの、ところで、何で俺まで?」 大きな身体を精一杯小さくし、窮屈そうな様子で、ちょこんと笹島の横に召屋が座っていた。 「こちらの方はどなたですか?」 まるで、物珍しいものを見上げるように、瑠杜賀はマジマジと召屋を見つめ、笹島に質問する。 「役立たずのボンクラよ」 「そうですか。では、ヤクタタズノ様は何故、ご同席なさっているのですか?」 「役立たずじゃねーっ」 「思いのほか、ヤクタタズノ様はフレンドリーな方ですのね。苗字ではなく、名前で呼んで欲しいなんて。申し訳ありません、言い直します。ボンクラ様は何故、ご同席なさっているのですか?」 「ボンクラでもねえーよっ、俺にはめし……」 それを遮るように笹島が喋りだす。 「うっさい! 役立たずのボンクラでも数にはなるでしょ。で、探している人物ってのは誰なの」 「だから、俺にはめ……」 「私の旦那様です。それそれは聡明で、思慮深く、自愛に溢れる方です。是非、笹島様もお会いになると宜しいかと」 「へえ、その旦那様を探しにこの人工島まで来たってわけね? あと、写真とかはないの?」 「あの、だから俺のなま……」 「残念ながら。旦那様は写真がお嫌いな方でして……」 「いや、だから俺……」 「なによそれ、昭和何年生まれよ? それとも大正、明治? 何にせよ困ったわねえ。手がかりとか、情報はないの?」 「……うん、ゴメンもういいや」 自分の会話が完全に無視されていることにようやく気が付く。すっかりイジけた召屋とは関係なしに女性陣ふたりの話は続く。 「手がかり、ですか。そうですね、私は知っている情報は、旦那様が今、この人工島にいるということ。それともう一つ、ピンカートン探偵社という方たちが連れて行ったということです」 『連れ去ったぁっ!?』 笹島と召屋、ふたり同時に声を上げ、やはり同時こう思う。 (あ、これはやっぱり、面倒なことになりそうだ……) だが、瑠杜賀は、ふたりの反応に驚きもせず、淡々と話を続ける。 「はい、それ以前にもピンカートン探偵社と名乗る方々からの襲撃を何度か受けていたのですけれど、ある日、私がお屋敷を留守にしている隙に……」 笹島は、その言葉に何か符に落ちないものを感じる。何かがおかしい。 「それって、ちょっとおかしくない? まあ、探偵社が誘拐したってのは状況証拠としても、それじゃあ、この島に貴方の旦那様ってのがいるってことにはならないわ」 「そうでしょうか?」 きょとんとした顔で笹島を見つめる。まるで、自分が言ってることに全く間違いがなく、何故そんな質問をするのか分からないようだった。 「だって、おかしいでしょ!? 何故、貴方がいない間に誘拐されたのに、その誘拐した犯人も拘束先も分かるっていうの?」 「ああっ!! そういうことですか! それはですね、手紙があったからです。これなんですけどね」 クシャクシャになった紙を一生懸命テーブルの上に伸ばそうとする。だがボロボロの紙には、ロールシャッハテストに出てきそうな染みがあるだけだった。 「何、これ」 「ええ、それが置手紙ですけど」 首を右に15度の角度きっちに傾げる。 「なんで、大事な手紙がこうなるのかって訊いてるのよっ!!」 「まあ、委員長。落ち着いてな」 「あぁんっ!?」 嗜めようとする召屋に、見る者の白髪が一気に十本は増えそうな一瞥をくれると、瑠杜賀に視線を戻し、もう一度やさしく問いただす。 「どうして、大切な手紙がシワシワで、インク滲みだらけになったのかしら~?」 「申し訳ありません。あまりにも急いでいたものでして。それと、インクが滲んでしまったのは東京湾を泳いで渡ったからかもしれませんね」 笹島の両手が瑠杜賀の両肩をがっちり掴む。そして、顔を精一杯近づけて、子供を諭すような口調で語りかける。ただし、眉間には深い皺、右の眉毛の端はピクピクと痙攣していた。肩を掴む手には血管が浮いていた。 「ちょっと待ってね、瑠杜賀さん。ちょっと私の理解を超えているようね。えー、貴方は自分のお屋敷からこの島まで、インフラもしっかり整備されている、この島まで、自力で泳いできた。そう言っているのかしら?」 「ええ、地図を見ると直線距離にして一番近かったので。まあ、ちょっと骨が折れましたけど。あ、私人形だから、骨なんてないんですけどね」 「えっ? 人形ってどういうことだ、っておい、委員長!」 思いっきり召屋の顔面に右ストレートをお見舞いした後、笹島は席を立つと出口へ向かって歩いていく。 「あ、あの笹島様。私何か怒らせるようなことを……」 「委員長、手っ前ー、俺にこんな面倒なことを押し付けるんじゃねえ。つーか殴るな!」 「ダメよ」 取っ手を掴んで外へ出ようとした時、出口を塞ぐように、ウェイトレスの生足が伸びてくる。女性であっても思わずドキリとしてしまうほどの曲線美だった。 「どうして?」 敵意をあらわに睨み付ける。 「だって、お会計がまだだものね」 (ちっ! バレたか。召屋君に払わせようと思ったのに) 中々どうして、何気に腹黒い委員長だった。 「それに――探偵社のことなら、よーく知っているわよ。わ・た・し」 『嘘っ!!』 その場にいる全員の視線がウェイトレスに集まる。それに対し、ウェイトレスは茶目っ気のある顔でウインクをすると、人差し指を目の前にいる笹島の唇に軽くあてがう。 「でも、他の人には内緒だぞ!」 性別問わず、思わず蕩けそうなその笑顔と仕草に喫茶店内の人物は皆頬を紅く軽く染めていた。いや、ひとりだけ例外がいた。それは、他に目もくれず、寡黙にスポーツ新聞を読んでいるマスターだった。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む ――午前10時20分 渋谷 渋谷駅構内には平日の昼間だというのに、学生の姿が目立った。双葉学園のように休みになってしまっている者は除くと、制服を着崩したり、年齢に不相応な格好をしていたりと極めてだらしない風体が目立つ。先程の電車の学生もそうだが、最近は規律が甘くなったのだろうか簡単に学校を抜け出せて、それを厳しく咎め立てしない風潮が成り立ってしまっている。 このように無駄且つ不必要に子どもを甘やかすから、悪意の有るラルヴァが跋扈し、それを命懸けで排除する同年代の学生達の横で、何も世の中が分っていないあのような学生達が幅を利かすようになる。全く以てろくな世の中ではない。 「さて、絵理ちゃんに一観ちゃん。何処行くかねぇ」 真琴達男1人女4人は改札を抜けると、出入り口に向かって駅構内を歩きながら、千鶴は絵理と一観にこう言う。 「はい、最初に洋服を見に行きたいと思います。色々なお店を回ってみたいと思うんですよ」 「結構調べたもんね、かわいらしい服とか見たいよね」 絵理と一観は顔を合わせながらこんな風に言って千鶴に答えた。 「真琴ちゃんはどうする?」 2人の答えを聞くと、千鶴は真琴にも話を振る。真琴だけは特に目的も無く、半ば強引に千鶴に連れ出されたこともあるので、千鶴は一応聞いてみることにした。 「そうだなぁ……折角渋谷に来たんだし、絵理ちゃん達と洋服とか着るものを見てみたいと思う」 真琴の返答に千鶴は意外な表情を浮かべた。 「おおお、じゃあ真琴ちゃんは絵理ちゃんや一観ちゃんと洋服見て来なよ。私と三浦は駅近くのカフェで珈琲でも飲んでいるからさ」 「千鶴は来ないの?」 千鶴の言葉に真琴は当然のように聞き返すのだが、 「うーん、何か私は可愛い服を着るのが柄じゃないしさ。スタイルも良くないしね」 真琴の質問に彼女は即答でこう返した。千鶴は確かにスレンダーなのだが、顔の造詣は美人の域に入る。明るく取っつきやすいために男女問わず友達が多いが、着飾って黙っていれば確実に男なら声の掛けづらい部類だろう。 「真琴ちゃんも行かないと言ったら、私が付いて行こうと思ったけど、真琴ちゃんが見に行きたいなら見守りついでに楽しんできなよ」 にっこりと微笑みながら千鶴はこう言うと、真琴は彼女に背中を押されて千鶴に手を振られる。何処となく、孫の世話を押し付けられた祖父母のようなそんな気持ちと共に。 千鶴が真琴の肩をポンと置きながら、絵理と一観にこう言い置いた。 「絵理ちゃんに一観ちゃんは真琴ちゃんに付いて行って、迷子にならないように楽しんできなよ?」 「分りました!」 「はいっ♪」 あれよあれよと目的が決まってしまった真琴は釈然としない気持ちで一杯だったが、取り敢えず微笑んだ顔で絵理と一観を見据える。 「……まぁ、私も行きたいところが出来たので、ついでに私の買い物も付き合ってね?」 「了解しました」 絵理と一観にニコニコと微笑まれながらお辞儀までされると、流石に真琴も嫌な思いはしない。だが、流されそうになった真琴も寸前で踏みとどまった。 「ちょっと待て、そう言えば三浦君と千鶴はその間何しているの?」 「今日暑いし、私と三浦は絵理ちゃん達の買い物が終わるまで、駅の近くのカフェでアイス珈琲でも飲んでリラックスしているよ」 ああ、アレだ。行動が既に決まっているって事は、三浦に千鶴は買い物の付き合いは声に出さないが本気で面倒臭ぇんだな。真琴は心底そう思いながらも、決して声にも表情にも出さず軽く溜息だけ付いた。 「じゃあ真琴ちゃん、買い物終わったらカフェで合流しましょ?」 「わかったよ。じゃあ絵理ちゃんに一観ちゃん、行こうか?」 千鶴と真琴は手を振って二手に分かれ、それぞれ別方向に歩みを進めていった。 「ごめんなさい真琴先輩、私達のお買い物に付き合わせてしまって」 二手に分かれて歩き出した時分、絵理は申し訳なさそうに真琴にこんな事を言う。 「ん? いや、私も洋服とか見たくなったからだよ。気にする事はないよ」 真琴は微笑みながら絵理の言葉に返答して、付け加えるようにこう言い置いた。 「でね、ちょっと私も見たいところがあるから、付いてきてくれると嬉しいかな」 「何処に行くんですか?」 絵理の問い掛けに真琴は一言、明確で簡潔な返答を彼女にする。 「ランジェリーショップ」 「ら…ランジェ……!」 真琴の極々普通で当然のように言う真琴の言葉に、絵理は頬を一気に真っ赤に染めた。 「え…絵理ちゃん、何で恥ずかしがっているのよ……そう恥ずかしがられると、私まで恥ずかしくなる……!」 「え、絵理っ! 女性用下着じゃないっ! わ…私達も、もう少し大きくなったら着けるんだし……」 思いもよらない絵理の赤面に真琴も一観も少々動揺したが、苦笑いを浮かべて絵理は慌てながらも平静を取り戻そうとしていた。 「……ほええぇ……」 渋谷駅を出て通りを歩いていると、真琴を中心にして何度も声を掛けられた。 「お姉さん、今から俺達と遊びに行かないかい?」 「お呼びじゃないわ」 真琴が鉄扇を広げて箒で掃く仕草をしながら、男の声掛けを駆逐しつつ通りを歩くのだが、真琴の容姿が目立つのか声掛けは執拗なものだった。 「お姉さんかわいいねぇ。俺達暇だからさ、遊ぼうよ」 「貴方達がジャニーズレベルの顔の造詣なら考えるよ?」 声掛けする男達も執拗なものだが、それを掴んでは投げるようにいなして躱す姿に、絵理と一観は驚きと共に見つめていた。 「お姉さん美人でスタイル良いよねぇ、超好み! 暇なら今から遊ばない?」 「ごめんなさい、生憎私は好みじゃないし、暇じゃないんだ?」 鉄扇を優雅に仰ぎながら、声を掛けてくる男達を掃いて捨てるように駆逐していく。平日とは言え今日の渋谷の通りには、軽薄な男が余りにも多かった。 「お嬢ちゃんかわいいねぇ、おじさんと遊びに行こうか」 「絵理に触るなっ!!」 「帰れロリコン!」 中には立派な身なりをした壮年サラリーマンが、絵理にこう声を掛けて真琴と一観に引っぱたかれて駆逐されたりする一幕もあったが、総じて言える事は真面目に仕事を勤しんでいる店員やサラリーマンにOL、普通に買い物や遊びに来ている者達を除けば、老若男女ろくな者が居ない事だろう。 (ああ、うぜぇ!! クズしか居やしねぇ!! 拍手がオッパイ眺めている方がよっぽどかわいいわ!) 心底でイライラし始めた真琴だが、絵理と一観の手前顔に出すことは我慢している。今日の主役は絵理と一観で、彼女達が楽しむのを見守るのが仕事なのだから。折角楽しみにしていたショッピングで、嫌な思いはさせたくないからだ。 だが、それでもイライラし始めたのも否めない事実であるため、挙動不審に成らないように目だけで周囲の風景を見渡し、ある閃きが浮かぶとそこに向かって絵理と一観を連れて行く。 「ねぇお姉さん、一緒に遊ぼうぜ?」 「フフフ……貴方、私達とこの店に入ってくるつもりなの?」 後ろを見返りつつ緊急避難と言わんばかりに、さっと見つけたランジェリーショップに入った。 「え……うっ……」 流石にランジェリーショップに入られると、彼氏か余程の厚顔でもない限り退散せざるを得ない。先客の女性客達の冷たい視線が効いたのか、最後にしつこく声を掛けた男は渋々その場を退いた。 軽薄な男を駆逐した真琴は、ランジェリーショップに入って一つ大きく深呼吸、苦笑いを浮かべつつ絵理と一観にこう断りを入れた。 「やれやれ……これでちょっとは落ち着くか。ゴメン絵理ちゃんに一観ちゃん、予定変更して先にこの店を見て良いかな? ちょっと落ち着いてからにしたいんだけど」 「気にしないで下さい」 「大丈夫ですよ」 笑顔で真琴のお願いに答えた彼女達に、真琴は「ありがとう」と笑顔で答え、店の奥の方に歩みを進めた。 店舗の広さはそれ程大きくはなかったが、女性下着専門店の名に恥じずショーツにブラジャー、ガーターベルトストッキングの三点セットは勿論のこと、ビスチェにベビードール、ロング・ミニのスリップ、下着としてのキャミソール、ペティコートと恐らく大まかなランジェリーの種類は全て揃っていた。また色も各種多種多様の物が揃っており、この様に品揃えが良い事もあって来店する女性客も多く、真琴達が店に入った時も客の数は多かった。 真琴は絵理や一観に断わった後、展示されている商品を手触りで確かめつつ、店内を2周ほど見て回った。 「真琴さん楽しそうだね」 「そうだね」 だが、絵理と一観の表情は直ぐに変った。 「!……え…絵理、見てみこの値段」 一観は目に入った値札を見て驚き、絵理の服を引っ張って話しかける。当然物にもよるのだが、ブラジャーにショーツ、ガーターストッキングのワンセットで5000円というのはザラだった。中には一万円を越える物もあり、絵理と一観の想像の域を遙かに凌駕したのだろう。 「高っ! 高いよっ!!」 「……多分、私達が買おうとしている洋服が2・3着買えるよ、きっと」 驚きつつ一観は真琴の姿を目で追う。彼女は商品を見て気に入ったのか、ハンガーに綺麗に収まっている黒のレースの三点セット(ショーツ・ブラジャー・ガーターベルトストッキング)と、黒のミニ・ペティコートを手に取り、そのまま会計カウンターに持っていった。 「……黒い下着……」 「幾らするんだろ」 真琴が会計を済ますまで、絵理と一観は唖然としながら見つめているだけしかできなかった。 ――渋谷、同時刻のカフェ 「私はアイス珈琲のLにミルフィーユ」 「俺は…アイス珈琲のLとチーズトースト」 真琴達と別行動を取った三浦と千鶴は、当初の予定通りにフランチャイズのセルフサービス型のカフェに入って早速注文をする。千鶴も美人の域に入る顔の造詣だが、三浦の持つ絶大な威圧感と存在感が真琴の様に軽薄な声掛けに頭を痛める事無く、真っ直ぐに目的の場所まで来ることが出来た。 注文した物が準備時間の余り要らない千鶴は、自分の注文した物を受け取るとカフェの二階フロアに上り、フロアの空調が良く効く隅のソファーのある席に陣取る。平日の午前中と言う事もあり、渋谷ではあるものの二階フロアには客は疎らなのだが、居ると言えば外回りの営業のサボりだろうか、サラリーマン数人が千鶴の居る席の、真逆で外の風景が眺めることの出来るカウンターに座っているだけで、彼女の周りには人は居なかった。 暫くすると三浦も注文した物をトレイに載せて持って来て、千鶴の座っている位置の対の場所に腰を掛けた。 「絵理の買い物を真琴さんに押し付けちまったようで、何か悪い気がするなぁ」 「あはは、仕方ないさ。真琴ちゃんには悪い気はするけど、三浦がピッタリとくっついて行く訳にもいかないし、私はオシャレなんて柄じゃないしねぇ」 三浦が席に腰を掛けると、千鶴はアイス珈琲にガムシロップとミルクを入れながらこんな事を言うのだが、三浦はさり気なくこんな事を言ってみる。 「勿体ないなぁ、如月は性格良いし美人なのに。男を選り取り見取り出来るレベルじゃんか」 「あれぇー?」 いつもの女の尻を追い掛けるような、嫌らしさの滲み出る言葉とは真逆の三浦の言葉に、千鶴でも目を見開き口もポカンと間抜けに開きながら彼の言葉を聞いていた。 「おいおい、そう言う褒め言葉は真琴ちゃんに言えよ」 だが直ぐに表情を戻し、三浦を窘めるように一言言い置く。 「私が居るからって、真琴ちゃんに暑苦しく付きまとうだけじゃダメだぞ。それに真琴ちゃんからサングラス貰ってるんだろ? 十分脈有りじゃねぇか」 「いや……真琴さんにそんな事言ったら、何か嫌われそうでなぁ」 三浦の聞き慣れない、あまりに純情地味た発言に一気に千鶴の表情が崩れ、本人も我慢出来なかったのかニヤケてしまう。 「はははは……でも、真琴ちゃんの三浦の第一印象は悪かったからねぇ。そうじゃなきゃ、『強制退場』させられる事なんて無いもんね……何処に飛ばされたよ?」 「それを言うなって如月……女子更衣室だよ」 くすくすと笑いながら、千鶴は話を続けるように言葉を付け加える。 「ふふふふふふ……大体気に入らない者は、男女問わずプールに叩き落とされるんだけど、よっぽどイラッと来たか、咄嗟に飛ばされたかのどっちかだねぇ。私の知っている中では、今まで多く飛ばされているのは大学部の討状先輩とC組の拍手かな?」 そして千鶴は思い出し笑いでもしたのか、含み笑いをしながらこんな事を言う。 「くくく……でね、前に拍手が私の70㎝台のぺったんこな胸を見て溜息付いたんだよ、もの凄く哀れみの目でね。イラッときて氷漬けにでもしてやろうかって思ったけど、流石にそうはいかないから、真琴ちゃんにプールに飛ばして貰った事もあったなぁ」 楽しそうに話す千鶴の言葉に、流石の三浦も苦笑いしかできなかった。下手すれば自分も拍手のような事をされかねないからだ。幸い、今まで一度もプールに落とされた事は無いのだが、同じ様なことは受けた事はあるから笑い話では済ませられない。そんな三浦にストローでアイス珈琲を啜りながら、からかうような口調で千鶴は追撃する。 「で、三浦はオッパイ触っちゃったんだ?」 「触らねぇよ!!」 流石の三浦も千鶴の追撃に耐えかねたか、少し声を出して全力で否定する。 「ははは……ごめんごめん、ちょっとからかいすぎたな」 「流石に俺はそこまでしない……まぁ、触りたいけど」 三浦も珈琲を口に含んで飲み込むと、軽く溜息を付いてもう一度話に戻る。 「でも何だ、私は彼氏居ないし、興味もないよ?」 「不思議なのはさ、美人で誰とでも気さくに接する如月が、彼氏が居ないって言うのも不思議なんだよなぁ」 不意と出た三浦の言葉に、千鶴は表情を変えずに即答した。 「ああ、私は当分彼氏作る気無いからね。付き合ったこともないよ」 千鶴の返答に三浦は意外そうな表情を浮かべて彼女の顔を見つめた。誰とでも気さくに接することが出来、男女問わず友達の多い千鶴には彼氏が居てもおかしくなかったからだ。 三浦からしてみれば、このような容姿的にも良好で社交的な人間なら、容易に自分好みの異性と交際できるのではないかと思えるからだ。 「あ、『意外』って思った?」 「思う、最早釈然としないレベルで。如月はいろんな奴と、それも性別関係無しに気さくで社交的なイメージが強いからな。俺の中では」 心底不思議がる三浦のストレートな言葉に、千鶴は思惑を持ち合わす笑みと共に低い口調で言い放つ。 「私ね、昔義理の父親に悪戯されそうになって、男に興味もてないの」 「え?」 千鶴の行き成りの爆弾発言は、三浦を完全に動揺させるだけの破壊力があった。だが、当の千鶴は表情を微塵も崩さずに言葉を続ける。 「それでね、私の『魔力』の潜在能力で、氷漬けにして殺しちゃった」 「お…お前……如月何言って……」 周囲に人が居らず、店内のBGMが比較的大きいとは言え、千鶴の発した言葉の意味は、場に相応しくない程の余りにも重いものだった。 三浦は千鶴の言葉に、まともな反応が出来ずに呆然としているが、当の千鶴は構わずに話を続ける。 「言葉通りよ。忘れもしない小学一年の時、あのクソ野郎は私を散歩に連れ出すと橋の下で私の服を破り、ショーツを引きちぎって陰部に手を掛けたの」 次々と出る千鶴の言葉に、最早三浦は眼を見開き絶句して、何も言葉を発することが出来なかった。 「気が付いたら無意識に印を結んでいて、あのロリコンクソ野郎は漫画のように氷像になっていたわ」 絶句している三浦を他所に、千鶴は笑いながらこんな風に言い切った。 「あの『母』と呼べる女は、私のボロボロの服装を見て目が醒めたらしいわ、再婚は失敗したってね」 千鶴は一切表情を崩さず、含み笑いを浮かべたまま三浦を見つめている。時折珈琲を啜りミルフィーユを口に含みながら、Tシャツの胸元を幾度か引っ張るようにして涼し気にする仕草をしている横で、複雑で青ざめている三浦はゆっくりと珈琲を啜り無言でチーズトーストを囓っている。 店内に流れる本来はアップテンポのJ-POPの、穏やかでスローペースに流れるインストゥメタルが、とても場違いではないかと思える程呑気に聞こえてくる。 「……如月、どうしてそんな、お前に取っちゃあ黒歴史やトラウマな事を俺に言うんだ……?」 沈黙に耐えかねた三浦はチーズトーストを飲み込み口を拭うと、息を整えて至極もっともな質問をぶつけてみた。 「私は単に、三浦の疑問に答えただけだよ」 しかしながら千鶴の返答は三浦の期待していたものとは程遠い、極めて簡潔なものだった。三浦は口を半開きに開けたまま、千鶴の表情を眺めているだけしかできない。当の千鶴は表情を崩さずにそのまま話を続けた。 「世間では『謎の凍死』って言われて警察もお手上げだったらしいわ。だって凍死だもの、真夏にさ。で、それに双葉学園が目を付けて、初等部から双学に入学して現在に至るわけ」 千鶴はこれだけ言うと、締め括りとしてこんな事を言い置いた。 「男が嫌いな訳じゃないけど、今の内は自分から彼氏を作る気はないわね。男の子から好きだって言ってきてくれるのなら別だけど」 三浦を置いてけぼりにしたまま、千鶴は話を言い終えてもう一度珈琲を口に含んだ。 「じゃあよ如月、お前のお袋さんはどうしてるんだ?」 「ああ、あれは埼玉で暮らしてるんじゃないかしらねぇ? 月にいっぺん金と洋服持ってくるから、生きてるんだろうけど?」 あっけらかんとした千鶴の返答に三浦は言葉が詰まるものの、辛うじて言葉を紡いでいく。 「お袋さんの事、嫌いなのか?」 「好きな訳無いだろ。実の父親が交通事故死した翌年に新しいお父さんよって、男作るような女だよ? しかも、その男に犯されそうになったんだしね!」 ミルフィーユを口に含み、一口アイス珈琲を口にして喉を潤すと、千鶴は一度息を吸って三浦と目線を合わす。 「でも私が真に言いたいのはね、別に私の過去を聞いて貰ってお涙頂戴って訳じゃないんだ」 三浦の顔に千鶴は顔を寄せて、声を潜めた。 「あの学校の生徒は一部を除けば、ほぼ全員異能者と考えて良い。やっぱこう言う能力を持っている奴には、バックグラウンドが私以上に仄暗い事が多いんだよな」 含み笑いの表情とは打って変わった真剣な表情で三浦を見つめながら、千鶴は小声ながらもしっかりと言葉を紡いでいく。 「お前が懲りずに女の尻を追っかけるのは勝手さ。でもな、三浦が『尻を追い掛ける女子』や、『一目惚れした真琴ちゃん』がそんな過去を持っていても、何ら不思議じゃないって言ってるんだよ」 ここに来て千鶴の言葉にようやく三浦も表情を変えた。 「真琴さんも、やっぱ酷い過去を持っているのか?」 そんな三浦の疑問に、千鶴はこう言って返す。 「さぁ? まぁ電車事故は酷い過去なのかも知れないけどね。だけどそれはお前が真琴ちゃんの信頼を得て、本人が打ち明けるような空気を作るしか、聞くチャンスはないと思うぞ」 千鶴のあっけらかんとした自分の過去話の衝撃との影響がまだあるのか、三浦はこう指摘されると「ぐぬぬ」と口を真一文字に閉じたまま唸るものの、肝心の言葉が出ない。 「もしかしたら、真琴ちゃんはお前が他の女の子にデレてるのを見て不快に思ってるかもしれんよ? その内背後からプスーッとか?」 そう言って千鶴は刃を突き刺すような仕草を三浦に見せつけると、三浦は少し身震いする。戦闘の場数が多く三浦に隙が無くても、テレポーテーションを持ちうる真琴が相手なら、本当にやられかねないからだ。 『私としてはさ、無闇に他の女の子のお尻を追いかけるのは、もう止めてほしいんだよね』 三浦はサングラスを貰った時の真琴の言葉を思い出した。流石に千鶴にここまで言われると、何を言わんとしているかを嫌と言うほど理解できる。 「信頼を得るには、もう他の女にデレデレしない事が必要最低限と思うがね」 「わーってる! 分っているぜ如月」 チーズトーストをガツガツと頬張りながら、千鶴の言葉に反論するように答える。 「本当かぁ? 三浦が前にクラスメイトの風鈴ちゃんに声かけて、あの娘が脱兎の如く電動車椅子で逃げたのはっきりと覚えているよ?」 「大丈夫だって如月、俺真琴さんに『他の女子の尻を追い掛けるな』って言われたし、真琴さんに一目惚れしてからそう言うの興味なくなったし」 懸念するように言う千鶴の言葉を意に介さない三浦はこう言い置くが、彼の発言に千鶴は驚いた。 「……お…お前よ、その言葉の意味を理解しているか?」 「ん? 真琴さんの苦情じゃないのか?」 だめだ、コイツ早く何とかしないと……千鶴はアイス珈琲を啜りながら眉を顰めて三浦を顔を覗くと、珈琲を飲み終えたのと同時に深く溜息を付き、彼女は静かに席を立つ。 「如月? 何処行くん?」 「……おかわりのアイス珈琲を買ってくるのよ……」 それだけ言い置くと、千鶴はそのまま階段をおりていった。 (あのアホは女の尻を良く追い掛ける割に、鈍いんだな。真琴ちゃんは少なからず好意を持っているというのに) ――正午 渋谷 真琴と絵理・一観の買い物チーム。 「ランジェリーショップからは、落ち着いて買い物できたね」 「そうですね」 ランジェリーショップで真琴が買い物をした後、ウィンドウショッピングも含めて色々な店を回って買い物を楽しむ。ランジェリーショップを出てからは軽薄な男達の声掛けも無く、自分の欲しかった洋服が手に入り、ゆっくりとショッピング出来た事で絵理と一観は満足気だった。 3人は買った洋服をバックに入れ、円を囲むように立ち止まって会話している。 「絵理ちゃんに一観ちゃん、もう買い物は終わりなのかな?」 「はい」 「そうですね。おかげで行こうと思ったお店には、全部行けましたよ」 真琴の言葉に絵理と一観は嬉しそうに答え、笑顔で顔を見合わせた。取り敢えずの一段落が付いた真琴は、喜んでいる絵理と一観を見ながら軽く溜息を付く。 「そう言えば真琴さん、ちょっと良いですか?」 「なんだい?」 軽く溜息を付き、軽く息を吸っている真琴に、思い出したように絵理は尋ねる。 「まだ、遊べる時間……ありますか?」 一歩引いて真琴の表情を覗きながら申し訳なさそうに聞く絵理だが、真琴はにっこりと微笑みながら彼女に答える。 「大丈夫。携帯電話からの呼び出しもないし、今日一日はお休みだからね」 真琴の答えにもう一度絵理と一観は顔を見合わせ、嬉しそうに声を上げた。 「一度行きたい所があるんですけど、大丈夫ですか?」 そして一観がこんな事を言う。絵理は兎も角として、一観の人となりはある程度知っている真琴は、いかがわしい所ではないだろうと思うからだ。 「あんまり変なところじゃなければ大丈夫だよ、一観ちゃん」 取り敢えず釘を刺す意味で真琴がこう言うと、 「秋葉原にも行きたいなって思ってたんです」 一観は一言、真琴にこう返答してみた。秋葉原か。見た目は大規模な電気街だが、その実は未だ世界一のオタク経済中心地の魔都であり観光地……瞬時に真琴の脳内で思考が整理される。家電量販店の横でそびえるアニメ専門店や同人誌専門店の店舗ビルディングは昔の場末的な妖しい雰囲気よりも、興味が無くても脚を踏み込みたくなる空気を漂わせている。 またメイド喫茶などの『コスプレ飲食店』も隆盛しており、秋葉原の歩道には客引きのメイドの恰好をした女の子が立っている。 真琴が一瞬、秋葉原に行くのを躊躇ったような素振りを見せたのは、あくまで週二回だがメイド喫茶にアルバイトに行っているからであるのと、姉の美沙と共に『趣味』としてよく立ち寄るからだ。街中あちこちに張り出されている男女問わずの二次元キャラクターのポスターは、千鶴は秋葉原によく立ち寄るので理解しているが、何も知らずに行くには少し『引く』位の雰囲気は否めない。 ただし、元々の市場の名残から有る数々の飲食店や、パーソナルコンピュータの周辺機器や高性能の部品、記憶媒体に加え、ソフトウェアの品揃えを見るに近年目覚ましい発展を遂げる池袋の電気街化に比べても、未だその地位は不動である。 「じゃあ、行ってみるかい? ちょっと趣味が合わないかも知れないけど」 「大丈夫ですよ。本とかの品揃えが凄いらしいですし……その、同人誌って言うのにも興味有りますし」 真琴の言葉に答えるように絵理は一言言い置く。真琴は何となく分った、多分美沙が少なからず自分の趣味を絵理や一観に見せていたんだなと。 「だけど、一度お兄さんが居る所に行くよ? そこで少し涼んでから、お昼ご飯食べて出発だ」 絵理と一観は『はい』と答えると、三浦と千鶴が待っている喫茶店に向かうことにした。 待ち合わせ場所である喫茶店に入ると、外気の気温と鑑みると些か寒いくらいに冷えている。暑い渋谷の屋外を歩き回った彼女達には、涼しいよりも寒い感覚だった。 「一観ちゃん、絵理ちゃん、真琴ちゃんお帰り~♪」 真琴が2人の居る喫茶店に入り、2階席に向かうと千鶴は真琴達の名前を呼び手招きをする。昼頃にもなると千鶴達が入店した時のがら空きな店内とは打って変わり、主だった席の殆どは埋まっていた。真琴達3人が座れる程席も空いて無く、とても休めそうにはなかった。 「どうだった? 買い物は」 「目的の物は買えたんだけど、何というかナンパが多かったね」 千鶴は『きゃはは』と笑いながら真琴の言葉を聞く。 「真琴ちゃんなら、かわいいしオッパイ大きいから、ナンパも多そうだしね」 千鶴の茶化す言葉に真琴はカッと顔が紅潮し、三浦はムッとする表情を浮かべる。流石に絵理は苦笑いを浮かべる事しかできなかった。 「さてと、流石にここじゃ全員が居れないから、何処かに行こうかねぇ?」 「コホンッ……千鶴、今から秋葉原に行こうと思うんだけど、大丈夫?」 一つ咳払いをして、気を取り直して真琴は絵理と一観に希望されたことを言って見ると、千鶴は楽しそうな笑顔を浮かべる。 「アキバかぁ、皆で遊びに行くのも良いねぇ」 千鶴はこう答えると、座ってムッとしている三浦に視線を送りながらこう言い放つ。 「私は大丈夫だよ、三浦はどう?」 「……ん? あ…ああ、俺も大丈夫だ」 心此処に非ずな三浦だったが、千鶴の問い掛けに答えた彼は少々戸惑いつつも、彼女の誘いに同意する。それと同時に千鶴は三浦を見ながらニヤニヤしながら彼を見る。あからさまな真琴への一方的な嫉妬だったのが面白いのだろう。 「大丈夫だね。一観ちゃんと絵理ちゃんはどう?」 「あ……それが、私達が行きたかったので、真琴先輩に言ったんですよ」 絵理の言葉に千鶴は一瞬口をあんぐりと開けたが、直ぐに戻して真琴の表情を覗く。 「……絵理ちゃんと一観ちゃんがヲタ化……」 「馬鹿な事言ってないで行くよ、千鶴っ! こんな所で屯っても邪魔なだけだし!」 真琴はこう言い放つと、千鶴と三浦のトレイなどをさっと片付けて喫茶店を後にした。 ――12時半 神田明神。 喫茶店を出た面々は、なるべく人目の付かない裏道に入ると、真琴が全員の身体に触れて自らの『自己転移』と『他者転移』で一気にテレポートをする。双葉区ではありふれた能力発動だが、双葉区以外では極力人目に晒さないようにする為にする方策である。 テレポートする場所として神田明神は秋葉原に程近く、また明神のど真ん中でもない限りそれ程人目に付く事もない。普段真琴は秋葉原にバイトで来る時は、大体が神田明神を拠点にして移動する事が多く、帰りは公衆トイレなど人目の付かない場所から双葉学園に戻る。 「今更だけど、真琴さんのテレポートは凄いよなぁ」 テレポートで神田明神に移動した後、真琴を見ながら思わずこんな事を口にする。だが当の真琴は少しだけ息が荒く、少々顔が紅潮していた。 「だ…大丈夫? 真琴さん」 「大丈夫だよ三浦君…んんっ…ちょっとだけ疲れただけだから」 三浦は真琴の能力の動力源を知らない。暑い中外を歩き回り、休憩しないで自分を含めた5人を転移させた事で少しばかり疲労が重なり、疲れてしまって息が上がったのだ。 「少しだけでも休めば良かったんだけどね、私は体力無いから」 掌を三浦に向ける仕草をして『大丈夫』と意思表示をすると、真琴は一回背伸びをする。 「体力付けるために、学園のトレーニングルームで器械運動やスクワットで鍛えてはいるんだけどね……腹筋が締まるだけで体力が付いた実感がしない」 こう真琴が洩らすと、微笑み混じりに三浦にこういう。 「さて折角の休みなのに時間が勿体ない、早速遊びに行こう」 「そ…そうですね」 場の空気に重きを置いたのか、真琴はこれだけ言い置くと神田明神の境内を歩いていく。だが真琴の体力切れは此処にいる面子の誰の目にも明らかだった。 「三浦君、態々私に付き合わなくても良いんだぞ。遊んできても」 「いや、俺も付き合いますよ」 真琴の体力切れを見切った千鶴によって、取り敢えずゲームセンターに涼みに行くついでに遊びへ行く運びとなった。だが、当の真琴はゲームセンターの場末にあるソファー型のベンチに座らされていた。一行は千鶴の『冷気』で真琴の周囲を涼しくし、絵理に軽くヒーリングをされた上でベンチに座らせて彼女を休ませることにしたのだ。 秋葉原は電化製品やソフトウェア、二次元・三次元の所謂『萌え』の数々ばかりではなく、ゲームセンターも数多くある。新作が出ればそのロケテストが行われたり、いち早く導入される。また池袋等の万人向けなレジャースポット化は成されていない為、ナンパ目的などいかがわしい目的の者も少なく、比較的落ち着いてゲームが出来る。 千鶴は真琴に能力を使った後は格闘ゲームの対戦台に座ってゲームに興じ、一観と絵理は所謂『体感ゲーム』に興じている。それだけなら良いのだが、『真琴がナンパされた』と言う事が気になったのか三浦が彼女の近くにいた。 「真琴さん、取り敢えずミルクティーで良かったんですよね」 「……ありがとう」 三浦は真琴に缶のミルクティーを渡すと、彼は少しだけ距離を置いて真琴の横に座った。 「俺は最近のゲームは付いていけないんですよ。如月や絵理はそうでもないようなんですが」 三浦の言葉を聞いた真琴は、苦笑いを浮かべている。 「いや……それにしても申し訳ないです。絵理の買い物に付き合わせちまって」 「ううん、絵理ちゃんにも言ったけど、私もついでに見に行っただけだから気にしないで」 三浦の初対面時の馴れ馴れしさがない静かで、それも緊張感と共に出る言葉は、当初あった真琴のあからさまな嫌悪感丸出しの対応とは違う、ある種の自然な会話を成立させていた。 プルタブを折り曲げて缶を開封した真琴は一口二口とミルクティーを口に含みながら、背もたれに深く寄りかかり、三浦の方に顔を向けた。 「それにしてもさ、やっぱりサングラス似合っているじゃない」 「え? あ、ありがとうございます」 急に話を振られた三浦は、単純にこんな事しか返答できなかった。 「三浦君を見ていると思うんだけど、千鶴って社交的な人間だなって思うよね」 「そうですね……多種多様、男女問わずに気さくで、俺も不思議だなって思うんです」 口から出た一つ一つを言葉として出すのだが、三浦は緊張しているのか真琴の言葉に答える、もしくは三浦の言葉に真琴が答えると、そのまま会話が途切れてしまう。 「俺、真琴さんをカフェテラスで初めて見た時、どうにもこうにも気になっちゃって、如月に教えて貰ったんですよ」 そんな中での三浦の思いがけない言葉に、真琴は言葉を返すことが出来なかった。 「まさか隣のクラスの人だって聞いたときは嬉しかったけど、直ぐに声は掛けられなかった。やっぱ、色んな女子の尻を追い掛けたのが、ここに来てツケで回ってきたんだなーって」 真っ直ぐに言う言葉だったが、自嘲と苦笑いと共に言う三浦の言葉に、真琴も言葉が見つからなかった。 「入り口越しから見てみたいって教室に行ったら、笹島が俺を見て『消えろドスケベ野郎、死ね!』って追い掛け回されたこともあったんですよ。あの時は参りました」 苦笑いと共に紡がれる三浦の言葉を聞くと、思わず真琴は吹き出してしまう。2-Cの委員長である笹島輝亥羽ならやりかねないなと。普段はそこまで酷くはないのだが、その時はたまたま虫の居所が悪かったのだろう。 「ははははは、委員長ならやりかねないな。あの娘大人しくしていると、ルックス的にかわいいんだけどねぇ」 「あの時は、本当に恐ろしかった。普段は悪くない顔の造詣なんだろうけど、あれは最早般若! 般若の形相で追っかけ回されたときは死ぬかと思いましたよ」 少々オーバーアクション気味に説明する三浦の言葉に、真琴は腹を抱えて笑い出す。笹島の場合はただの言い掛かりの時もあるのだが、大体が的を得ている事が多い。笹島の眼には三浦は真琴に限らず、2-Cの女子を物色しているように見えたのだろう。 「で、その後で如月に言われましたよ。『ああ、笹島には気をつけろ』って。あれはある種の『当たり屋』だからって……」 流石の真琴も笑いを堪えることが出来なかった。笹島も笹島だが、思いの外酷い千鶴の笹島に対する形容詞に。 「まぁでも、絵理は最近俺を見て『最近変ったね』って言ってくるんですよ。他の女の子に興味沸かなくなったし、やっぱり変ってきてるんですかねぇ? 俺」 女子にデレデレしていた時のような軽い雰囲気が皆無の、真面目で真剣に言い置く三浦の言葉に、真琴は茶化す言葉や皮肉は自然と思いつかなかった。 「絵理ちゃんが言ってるんだから、変りつつあるんでしょうよ」 真面目に言い置く三浦への真琴の返答は、シンプルでストレートな物だった。 「ま! 私としてはデレデレしない三浦君は嫌いじゃないよ」 「あはは……褒められてるんだか、けなされてるんだか分らないや」 互いに顔を見合わすと、思わず2人とも笑ってしまう。 「バカだね、褒めてるんだよ」 真琴はそれだけ言うと、貰ったミルクティーにもう一度口を付けた。 「三浦君、何しているの?」 十分くらい経った頃だろうか、三浦はソファーから立ち上がると小銭入れを取り出して自動販売機の前に立つ。 「ああ、俺ちょっと小腹が空いちゃって」 見れば最近はあまり見掛けないインスタントラーメンの自動販売機だった。 「カップラーメン食べるのかよ」 一瞬真琴は眉をしかめて、嫌味を込めて言ってみる。個人の自由と言ってしまえばそれまでだが、食べ方によって相当だらしのない画になりかねないのが嫌なのだ。 現在のゲームセンターの立ち位置はレジャースポットであり、『脱衣麻雀』等のアダルトな部分をある程度排除して、女性も入りやすい明るい雰囲気を重視している事が多い。だが、今と昔も変らない部分と言えばこういったカップラーメンの自動販売機や、ハンバーガーやフライドポテトの自動販売機と言った所だろう。それでも自動販売機などはオシャレな物に成ってはいるのだが。 「ガッツリいく気分じゃないんですが、何か腹に入れようと思って。『肉』なら尚良いんだけど」 だからと言って、女の子達と遊びに来てそれはないんじゃねーか? しかも、横で食べられても画的にきついんだよ。真琴はそう思いつつ、硬貨投入口にコインを入れようとした三浦に声を掛ける。 「待って買わないで! ならさ、丁度良い『肉』の『アキバ名物』がある。行くかい?」 今にもカップラーメンを買いそうだった三浦を止めて、真琴はこんな風な提案をする。 「そんな物が有るんですか。行きますよ、美味い肉関連は好きなんですよ」 「じゃあ決まりだね、早速行こうか」 乗り気な三浦の返答を聞いた真琴は立ち上がって一度背伸びをする。 「おお、初めてかも。真琴さんと2人で行動するの」 「みんなで遊びに来て、横でカップラーメン食われるよりは断然良いさ。それに、食べることは疲労回復に繋がるしね」 それだけ言うと、真琴は片手で鉄扇を開きながら微笑んだ表情と共に三浦に手招きして、『早く』と催促するように彼を誘導した。 店内を闊歩する、引き締まった筋肉質の男と、小柄で華奢な巨乳の女の子が並んで歩く画は嫌でも目立っていた。特に三浦と真琴の顔と胸には、己が自覚できる程に視線が突き刺さっている。 「見てみ? 三浦君すっごい目立っているよ」 「……真琴さんもね」 鉄扇をパタパタと扇ぎながら茶化す気満々の真琴に、落ち着いて突っ込む三浦。真琴は思いの外真面目な三浦を見て、口元に扇子をかざして声に出して笑ってみせる。 だが、一頻り笑ったところで真琴は鉄扇で口元を隠したまま、顔を少しだけ傾けて鋭い瞳で三浦を見つめた。 (三浦君、気付いたか?) (ああ) 至極小声で三浦に声を掛け、彼も真琴に相づちをする。好奇または性的で眺める視線とは明らかに異質な、名状しがたい気配と共に自分達を見据える視線を感じた。 気持ちの悪いくらい背中にはっきりと感じる、自分達を捉えて放さない後方から感じる視線はある種の恐怖感さえ漂わしてくる。真琴と三浦は雑談をする素振りをしつつ、目立たないように店内を見渡してみた。 店内に居る人は多かったが、自分達を好奇や性的な目で見る面々や、他人が行なっているゲームのプレイを覗いている者に紛れて、異様なまでに鋭い視線を送っている者が居ることを確認できた。 (真琴さんの知り合い?) (まさか。あんな気持ちの悪い知り合いなんて居るものか) 扇子で扇ぎながら真琴は三浦と二・三言葉を交わす。いくら双葉学園の異能者であっても、気持ち悪いものは気持ち悪い。だが、実際にこの様なストーキングじみた気持ちの悪い事をされても、真琴や三浦に出来る事は殆ど無いと言って良く、気にするだけ無駄なのだから。堂々とテレポートする訳にもいかず、また例え言い寄ったとしても『身に覚えがない』、『自意識過剰』と言われてしまえばそれまでであり、無視する事が得策と結論づけた。 (俺達を狙っているのか?) (バカ言わないで、私達は『テレポート』で移動したんだ。しかも、予定を変更した秋葉原にだぞ!?) 2人はそうと決めると何事もなかったかの如く、階段を下りてゲームセンターから早急に且つ落ち着いて外に出ることにした。 3-5に続く トップに戻る 作品保管庫に戻る