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「…ルイズ」 アンリエッタが謁見の間で呟いたルイズの名は、誰にも聞かれることなく、虚空に消えていく。 玉座に座り、目を閉じて心を落ち着かせる……そんなアンリエッタを見たマザリーニは、いつになくアンリエッタが緊張しているのを見抜いていた。 百人以上入れそうな謁見の間は、見事に磨かれた石の床に、真っ赤な絨毯が敷かれている。 マザリーニはこれから来るであろう、ある人物の姿を絨毯の上に幻視した。 先代の陛下に跪き、陛下から直々にお言葉を賜っていたある人物は、トリステインの貴族達の間で知らぬ者は居ないと言われるほど誉れの高いメイジだった。 烈風カリンと呼ばれたその人物が、実はルイズの母カリーヌ・デジレだったと知られたのは、皮肉にもルイズの死を聞いたその日であった。 土くれのフーケを追って、フーケ共々魔法の失敗により爆死したと聞き、カリーヌ・デジレは唯一の目撃者ロングビルを直々に尋問したのだ。 カリーヌ・デジレは自身が隊長を務めていたマンティコア隊から、水系統に優れたメイジを一人借り受けて、魔法学院に赴いたらしい。 公式な記録には残されていないが、水系統のメイジを使って、ロングビルに洗いざらい吐かせたであろうことは想像に難くない。 誰よりも規律を重んじていた英雄が、規律を破ってまで娘の死の真実を知ろうとしたのだ。 その事実はオールド・オスマンからアンリエッタの耳にだけ届けられるよう、マザリーニが手を回した。 マザリーニは、その他の貴族に情報が漏れぬよう徹底させた。特にオールド・オスマンは烈風カリンがカリーヌ・デジレであるという噂を拡散させぬよう、ヴァリエール家の権力をちらつかせて『説得』したおかげで、魔法学院の外にその情報が漏れることは無かった。 噂の火消しに勤めたマザリーニだからこそ、ラグドリアン湖近くの国境警備隊から届けられた一通の手紙に驚いた。 この手紙を王宮に届けるよう指図したのは、カリーヌ・デジレだとしたら問題がある、いくらヴァリエール家が大貴族だとしても、国家の直轄である国境警備隊の竜騎兵を私用で使うなどあってはならない。 しかし、手紙にはマンティコア隊の紋章と、ヴァリエール家の家紋の両方が並び描かれていた、これは暗に『烈風カリン』からの手紙であると言っているようなもので、すぐさま手紙はアンリエッタの下に届けられた。 手紙の内容は、『水の精霊とルイズに関する重大な話をしたい』…という至極簡単なものだったが、アンリエッタとマザリーニの背筋を寒くさせるには十分なものだった。 「カリーヌ・デジレ様がお見えになりました」 魔法衛士がマザリーニの脇にそっと近づき、耳打ちする。 「急ぎ陛下の御前に」 「はっ」 マザリーニは答えると、魔法衛士はすぐに踵を返し、音もなく謁見の間を出て行った。 玉座から少し離れた位置で、マザリーニがアンリエッタの表情を伺うと、アンリエッタはこくりと頷いてまっすぐ扉を見据えた。 ほんの数秒にも、十分にも感じられる奇妙な緊張感の中、謁見の間の扉が静かに開かれた。 「……………」 アンリエッタの影武者がルイズだと知る二人、アンリエッタとマザリーニが謁見の間にいる頃、ルイズは鏡の前に立ち、自分の顔つきを入念に調べていた。 ほお骨やアゴの形を調整し、髪の毛を切って髪型を変え、アンリエッタと瓜二つの顔をしているが、どうしてもウェールズには気付かれてしまう。 体型の調節も完璧だ、スリーサイズだってアンリエッタと同じになっている、姉と同じで劣等感を感じていた胸の大きさも、今は自由に変えられる。 それなのに、ウェールズには気付かれてしまう。 なぜルイズとアンリエッタの区別が付くのか、そう質問してもウェールズは「何となく、かな」と、はにかみながら答えるばかりだった。 ルイズは「愛の力かしら?」と言ってからかうのだが、二人はそれを真に受けて、頬を赤く染めてしまう。 ツェルプストーとは違って、とても初々しい二人に、ルイズはほんの少しの嫉妬と、大きな癒しを感じていた。 ルイズは鏡に映るアンリエッタを見る、どこからどう見てもアンリエッタの姿、これがルイズだと解る人間は居ないはずだ。 例外があるとすれば水系統のメイジだろう、ルイズの身体を流れる『水』の流れはルイズだけのものだ。 ヴァリエール家の主治医が今のルイズを調べたら、その正体がルイズであると気付かれてしまうだろう。 だが、ウェールズは『風』『風』『風』のトライアングルだ、ルイズを一目で見破るほど水系統の力に優れているとは思えない。 冗談で言った「愛の力」だが、今のルイズにとって、それは冗談でも何でもない。 カリーヌ・デジレが火急の用で謁見を望んでいると聞いた時から、ルイズは母に見破られるのを恐れ、アンリエッタの居室に引きこもっていたのだ。 鏡の前で全裸になって、顔も、体つきも、髪の毛も、アンダーヘアも、すべてアンリエッタと同じ形になっているのを確かめていく。 それでもルイズは不安だった。 (お母様に会いたい…) (…でも、会ってどうするの?) (もう会わないと決めたのに、死を偽装してまで決別したのに、今更どうやって会おうと言うの?) (お姉様にも、お父様にも会いたい) (虚無の使い手だと言えば、それをアンが保証してくれれば、私は胸を張ってみんなに会いに行ける) (学院の皆を見返してやることもできる) (みんなが私を認めてくれる) (……吸血鬼で、なければ) 謁見の間では、アンリエッタを始め警護の任についている数名の魔法衛士までもが驚きに目を見開いていた。 カリーヌ・デジレがアンリエッタ女王陛下に献上したいと言って持ち込んできたのは、子供がすっぽりと収まるほどの革袋だった。 中には何か液体らしきものが入っているのか、重そうに揺れている。 それを運んできたのは、ついこの間シュヴァリエを賜った、シエスタとモンモランシーの二人。 革袋より一回り大きい水桶を用意させると、シエスタが水桶の上に革袋を乗せて、ゆっくりと革袋の口を開いていった。 「水の精霊から渡された、水の秘薬にございます」 カリーヌ・デジレの言葉に驚き、謁見の間は奇妙な沈黙に包まれた。 一番最初に気を取り直したのはマザリーニだった、背後に立つ魔法衛士に「…検査を」と一言呟くと、魔法衛士は水の秘薬に近づいてディティクト・マジックを唱えるなどして、本物であるかどうかを調査し始めた。 そして指先で直接水の秘薬に触れると、驚きのあまり手を震えさせて、後ずさった。 「確かに、確かにこれは水の秘薬でございます」 さすがの魔法衛士も驚きを隠しきれず、語尾が震えていた。 「このような大量の水の秘薬、目の当たりにしたことなどありませんわ、いえ、これからも目の当たりにすることができるか解りませんわ。いったいどうしてこのような量の秘薬を? 」 アンリエッタがそう質問すると、カリーヌは跪いたまま、静かに、しかしはっきりと聞こえることで呟いた。 「ルイズの姉に当たります、ヴァリエール家次女のカトレア、その病状改善のためにどうしても水の秘薬が必要だったのです」 「しかし、あの時はタルブ戦のすぐ後でしたわね…確か水の精霊を怒らせた者が居ると聞いて、ラグドリアン湖には不用意に近づかぬようおふれを出した覚えがありますが」 「はい、来るべき戦に備え、無用の混乱を避けようとする陛下のご深慮を、私はこの身勝手で蔑ろにしたも同然です。一縷の望みで、後ろに控える両名をラグドリアン湖まで連れて行ったのです」 「ミス・モンモランシーとミス・シエスタですね。顔をお上げなさい」 二人はおそるおそる顔を上げ、アンリエッタの顔を見た、その表情には怒りは見えなかったが、女王陛下という肩書きに、シエスタは無視できない畏怖を感じていた。 ぽつりと、マザリーニが呟く。 「あなた方は、ラグドリアン湖に近づくことで、水の精霊を刺激するとは思いませんでしたか」 「「…!」」 予想していた言葉だが、マザリーニの言葉には予想外の重みがあった、マザリーニの口調は静かなものだったが、そこに含まれる冷徹さが二人を貫いた。 「それについては私からの発言をお許し下さい」 「申しなさい。……面を上げて結構ですよ、カリーヌ・デジレ」 アンリエッタが発言を許すと、カリーヌは顔を上げ、まっすぐにアンリエッタを見据えた。 鋭い眼光を予想していたアンリエッタは、カリーヌの瞳からまるで慈しむような雰囲気を感じ、心の中で驚きの声を上げた。 カリーヌの瞳は、ゲルマニアに嫁ごうとする自分を案じてくれる、太后マリアンヌの瞳にそっくりだったのだ。 「カトレアの治癒に必要な水の秘薬を得るため、ミス・モンモランシーとミス・シエスタを連れて、独断でラグドリアン湖に赴きました私の、不徳の致すところでございます。 二人の協力の元、水の精霊はミス・モンモランシーと改めて盟約を結ぶことはできましたが、一歩間違えれば私は水の精霊とトリステインの間に修復不可能な亀裂を産むことになったでしょう」 「ミス・モンモランシー、新たに盟約を結んだとは…それは本当ですか?」 「はい」 「ならばそのときのことをお聞かせ願えるかしら」 「は、はい、光栄の至りですわ」 モンモランシーは緊張のあまり、声が少し上ずってしまった。 何とか緊張に耐えて、ラグドリアン湖で起こった出来事を話しだした…だが、タバサとキュルケの名前は口にはしなかった。 あくまでもモンモランシーの血と、シエスタの波紋の力で、水の精霊が自分たちを信用してくれたのだと話したのだ。 「なるほど…そのようなことがありましたのね。ではカリーヌ…いえ、トリステインの誉れたる『烈風カリン』に全幅の信頼を置き、この件は不問と致します。このように大量の水の秘薬、並びにトリステインとの信頼改善、よくぞやってくれました」 「勿体なきお言葉です」 「ミス・モンモランシー。ミス・シエスタ。お二人もまた大儀です。しばらく別室で休憩を取らせましょう…よろしいですね?」 「「はい」」 二人は、緊張のせいか、勢いよく返事をした。 王宮内、マザリーニの執務室。 ぎゅうぎゅうに押し込めば、大人が五十人は入れるであろうこの部屋に、今は四人の人間しかいない。 一人はこの部屋の主マザリーニ、もう一人は烈風カリン、そしてもう一人はアンリエッタ、最後にアンリエッタの警護を務めるアニエスであった。 アンリエッタはソファに座り、マザリーニはその斜め後ろに立っている、アニエスは扉の側で剣に手をかけてじっと黙っていた。 テーブルには紅茶も何も置かれていない、強いて言えば、対面に座るカリーヌ・デジレの姿が重厚な茶褐色のテーブルに映っているぐらいだろうか。 「…先ほどは話せなかったこと、ここでなら存分に語り合えますわ。あの手紙に書かれていたルイズに関することとは、いったい何なのですか?」 アンリエッタがそう口を開くと、カリーヌは静かに、しかし鋭い眼光でアンリエッタを見据えた。 「私の娘、ルイズが、生きているかもしれません」 「……ルイズが、生きている?」 アンリエッタは呆然とした様子を隠すことなく、呟いた。 「確証があった訳ではありません、ですが、許されるならばラグドリアン湖方面に捜索隊を派遣するつもりでした」 冷静なカリーヌの言葉に引き戻されたのか、アンリエッタは少し深く息を吸って、呼吸を整えた。 そもそもの始まりは、ラグドリアン湖に近いある貴族の別邸に、カリーヌが赴いたことにある。 ヴァリエール家とはとても比べられない小さな貴族だが、ラグドリアン湖近くに領地を構えるだけあって、この地に赴く水系統のメイジと積極的な交流をしている。 カトレアの治癒のため、その人脈から何人かのメイジを斡旋して貰ったこともあるのだ。 そのおかげでカトレアは今まで生きながらえてきた、カリーヌはその恩返しのため、時々その貴族が保有する騎士団に手ほどきをしていた。 タルブ戦が終わって間もない頃、ヴァリエール家は戦争に参加しないと決めていたので、いつものように騎士団に手ほどきをしていた。 帰り道、ガリアとの国境近くにある森林で、大きな火事が起こっていると聞いたカリーヌは、騎士団を引き連れて火事を鎮火する見本を見せようとしていた。 それはルイズ達がミノタウロスと戦った時に起こした火事であった。 カリーヌは『風』『風』『風』『風』のスクェアとしても規格外なその力で、火事の起こっている森林に巨大な渦巻き状の風を作り出した。 それはまるで、ろうそくの火を消すかのように、一瞬で燃えさかる木々を薙ぎ倒して炎を吹き消した。 呆気にとられる騎士団に指示を飛ばし、生存者の有無と原因の究明を徹底させる、これでカリーヌの仕事は終わるはずだった。 だが、カリーヌが従者として連れてきたメイジが、煤だらけになった男から、驚くべき証言を聞き出してしまった。 火事は、怪我を負い正気を失ったミノタウロスが、二人のメイジと戦った事で起こったと言う。 その上そのメイジは、ピンク色の頭髪を持ち、顔に大きな火傷のある女性で、しかももう一人のメイジらしき男から『ルイズ』と呼ばれていた……。 「火事の原因を目撃した男は、ミノタウロスに襲われる二人を目撃していたそうです。そのうち一人が顔に火傷を負った女性で…ルイズと呼ばれていたと証言しております」 「っ……ルイズが生きていると言うのですか?」 「あの爆発痕を見れば、生存が絶望的だとするのは当然です、しかし…しかし私には、ヴァリエール家はルイズを諦めることはできません」 「そうですか…。もしや、ラグドリアン湖に赴いたのは、ルイズを探すために?」 「…愚かな望みかもしれませんが、それを期待して居ないと言えば嘘になります。私は、烈風カリンでありつづけることはできませんでした、公私をはき違えた私は…私はただの愚かな母でしかありません」 マザリーニは、ううむと唸って、考え込んだ。 ルイズという少女は、ルイズが思っている以上に愛されている。魔法の才能など関係なく、いや、この様子では身を守る為に魔法を覚えさせようと、必要以上に厳しくルイズに接してきたのだと想像できる。 わざわざ手紙にマンティコア隊の刻印を用いてまで、謁見を望むなど、鋼鉄の規律とまで呼ばれた烈風カリンの伝説からは考えられない、公私混同を当然だと思う風潮はトリステインにも蔓延しているが、烈風カリンだけは違うという思いこみがあった。 だが、マザリーニは逆にそれを感心していた、カリーヌは公私混同を悔やみながらも、その手段に出た。 悔やんでいるという点が重要なのだ、悔やむことを止めてしまった人間は歯止めがきかない、歯止めがきかぬ欲で身を滅ぼしたリッシュモンという前例もある、 しかしカリーヌは失脚など恐れては居ない、罰を受けることも恐れては居ない、寂しく死んだ娘に会えるなら……と、淡い期待を抱いているに過ぎないのだ。 ちくり、と胸の奥が痛む気がした。 雲はいつの間にか太陽を遮り、窓から入り込む日差しがほんの少し柔らかくなった。 「これからもルイズを探すおつもりですか?」 マザリーニが呟く、カリーヌはそれを聞いて、こくりと頷いた。 「……ルイズのことは諦めたつもりでした。ですがミス・シエスタが魔法学院で、ルイズから貴族の振るまいをルイズから学んだと聞いた時、涙が溢れました。あの子は自慢の娘です。だから私は手段を問わず…ルイズを探し出したいのです」 「手段を問わず、とは?」 「ルイズが生きているのなら盗賊・土くれのフーケも生きているかもしれません。それを口実にヴァリエール家からメイジを各地に派遣します。ガリア・ゲルマニア・アルビオン・ロマリアにも派遣するつもりです」 マザリーニは表情には出さなかったものの、大胆なカリーヌの発言に唖然とした。 アンリエッタも同じ気持ちなのか、こちらは目を見開いて驚いている、心の中ではどうやってルイズを庇うのかを考えているに違いない。 アンリエッタはふと視線を逸らした、わざとらしく窓の外を見て、必死でルイズ達を庇う手段を考えた。 ふぅ…とため息をついてから、改めてカリーヌと向き合う。 「どのような形であれ、ルイズが生きているというのなら、友人として力を貸したいと思います…が」 アンリエッタが答えに窮していると、マザリーニが口を開いた。 「陛下、よろしいですか」 「申しなさい」 「フーケそのものではなく、フーケの足取りと、盗品売買の経路を探りましょう。土くれのフーケの件を今更掘り返すのは得策ではありません。フーケを名乗るニセモノも多数いると聞いておりますから、かえってそれらを調子づかせる事になります」 マザリーニの言葉を聞き、カリーヌが視線をマザリーニに移した。 「ヴァリエール家からメイジを派遣するにしても…ゲルマニア方面は避けた方が得策でしょうな。表向きはフーケの足取りを調査するということにすれば…」 マザリーニが言い終わると、アンリエッタはホッとした表情で、こう纏めた。 「では改めて…そうですわね。五日のうちに勅使をヴァリエール家に派遣し子細を纏めましょう。マザリーニ」 「はい、五日あれば人員の確保もできるでしょう」 マザリーニの言葉に、アンリエッタも満足げに頷いた。 アンリエッタはすっくと立ち上がると、カリーヌの前に手を差し出した。 カリーヌはその意図が分からなかったが、アンリエッタと同じように手を前に出すと、アンリエッタはその手を掴んで優しく包み込んだ。 「……烈風カリンといえば、私は子供の頃、まるでおとぎ話のように聞かされておりました。ですが今、母として私に相対した貴方は、やはり誰よりも優しく誇りに満ちていますわ…貴方がルイズの母で、良かったと、私は思います」 その言葉に、カリーヌは含みがあるのを感じていた。 ルイズが生きていると信じているような、淀みのないアンリエッタの態度。 それは王家の人間が備えている威厳なのだろうか、それともルイズの友達としてだろうか? それとも両方なのろうか? ここ数ヶ月間で、劇的に風格を備え始めているアンリエッタの姿に、カリーヌはどこか懐かしい貴族のにおいを感じていた。 夜。 既にカリーヌ・デジレはヴァリエール家に帰っている。 シエスタとモンモランシーも、今頃は久しぶりに魔法学院のベッドで寝ている頃だろう。 数日間間を置いて、改めてカトレアを治療するらしい。 アンリエッタの居室で過ごしていたルイズが、アンリエッタからそんな話を聞いていた。 窓際で椅子を並べて座り、とりとめのない話をする、アンリエッタにとってもルイズにとっても、心の安まるひとときだった。 ルイズは変装を解き、元の姿に戻っている、平民の着るような野暮ったい厚手のズボン姿が、アンリエッタとは対照的だが、月明かりに照らされた二人は、姉妹のようにも見えていた。 「ねえ、ルイズ。貴方のお母様ってとっても素晴らしい人ね」 「そうよ、だって、烈風カリンだもの、生きた伝説よ」 「違うわ、母としてよ。今でもまだルイズのことを諦めてないんですもの」 「まさかミノタウロスに襲われた時、あの男に名前を聞かれているとは思わなかったわ…失敗したわね」 「失敗だとは思わないわ。だって、貴方がどれだけ家族から想われているのか解ったんですもの」 「………私、ゼロよ? 魔法の才能ゼロってずっと言われてきたのに、今更私のことを探してるなんて言われても…駄目よ、実感がわかないわ」 「ねえ、ルイズ。貴方のおかげでウェールズ様と会うこともできたし、トリステインだって貴方のおかげで助かったのよ。今度は貴方が幸せになるべきよ」 「やめてよ、アン…私に釣り合う男なんて居るわけ無いじゃない。いつか、いつか寿命が来るのよ」 「まあ! 私、殿方のことだとは言ってないわよ、やっぱりルイズにも自覚はあるのね」 「………」 「ごめんなさい、冗談よ、でも、ルイズに幸せになって欲しいのは…本当よ」 「気が向いたら考えるわよ。そろそろ行くわね。今度会う時は…そうね、クロムウェルの首をお土産にするわ」 「……無茶、しないで」 「うん、わかってるわ」 王宮から少し離れた場所に、トリステインで最も大きな練兵場がある。 そこでは、人間を軽く五人は乗せられる成体の火竜が一頭、たたずんでいた。 その傍らで手綱を握るワルドは、練兵場の塀を跳び越えて入ってきたルイズを見ると、既に火竜の背に乗っているマチルダの前に飛び乗った。 のしのしと火竜が歩き、ルイズの元へと移動する。 「ルイズ」 ワルドがそう言って手をさしのべると、火竜はそれに会わせて身体をかがめた。 さしのべられた手を握り、ルイズが火竜の背に乗ると、火竜は大きな翼を広げて力強く空気をかき分けた。 ふわりと上昇する火竜の背から、少しずつ遠ざかるトリスタニアの風景、灯の点る窓の明かりを見て、ルイズはそこに人間の息吹を感じた。 思い出すのは、アルビオンのサウスゴータ。アンドバリの指輪により自我を奪われ、奴隷となった人間の住んでいた町。 トリステインを、そんな目に遭わせるわけにはいかない。 ルイズは月を見上げた。 「ねえ、フーケの足取りを調べるんだって?」 不意に、後ろから声がかかった。 ルイズはワルドに抱きかかえられるようにして火竜に乗っているので、最後尾に座るマチルダの顔はよく見えない。 「ヴァリエール家からも派遣するそうよ、本音は私の捜索、フーケの足取りは建前らしいわね」 「愛されてるねえ」 「やめてよ、愛されていると言えば聞こえは良いけど、ちょっとタイミングが悪いわよ」 「いいじゃないか、あたしなんて怖い人しか探してくれないんだ、家族に探して貰えるなんて、羨ましいよ」 「あら、私を探そうとしているのは、ハルケギニアで一番怖いメイジよ…そう、一番ね」 アルビオンには、驚くほどすんなりと到着することができた。 ワルドとマチルダが交代でレビテーションやフライを唱え、火竜の負担を最小限に抑えたため、二度目の日の出を見る頃にはアルビオンが見えていたのだ。 心配されていた竜騎兵による哨戒だが、それもルイズが『イリュージョン』を使えば誤魔化すことができる。 そもそも現在のアルビオンは、タルブ戦で多くの竜騎兵を失っており、以前と比べてその防御網も穴だらけと言っていい。 アルビオンに到着したルイズ達は、森林地帯から潜入し、ウェストウッド村へと進むことにした。 アルビオンから降り注ぐ川の水が雲になり、ルイズ達の姿を隠してくれたが、火竜はそれを嫌がったのかあまり乗り気ではなかった。 途中、ルイズが『イリュージョン』を用いて森を作り出し、火竜をその中に隠してアルビオンに着陸した。 マチルダの案内で、三人はウェストウッド村に徒歩で移動していた、鬱蒼と茂る森の中は薄暗く、トリステインと比べて背も高い気がした。 『なあ嬢ちゃん、そっちの男にもあの娘を見せちまうのかい?』 ルイズは、背中の剣から声をかけられて、少しだけ考えた後ワルドに向き直った。 「ええ。…そういえばワルドは、会うのは初めてよね」 「ティファニアという女性のことか? ウェールズ皇太子からハーフエルフだと聞いているが…正直なところ、不安はあるな」 『不安になることなんかねえよなあ』 デルフリンガーの軽口にマチルダが答える。 「まったくだね。裏で何やってたのか知らないけど、そっちの子爵サマの方がよっぽど怖いさ。正直言って、エルフが怖いだなんて思われてるのは信じられないね」 「そうなのか?まあ、僕は軍人だからな、エルフといえば戦力として驚異だとしか教えられていない」 ルイズは歩きながら、アゴに手を当てて考え込んだ。 「……確かにあれは驚異ね」 『ありゃ確かに胸囲だなあ』 ウェストウッド村に到着したのは、日が沈みかけた頃だった。 途中、疲れたと愚痴を漏らすマチルダをルイズが背負うなどのハプニングはあったが、特に問題もなく到着することができた。 「マチルダ姉さん!」 マチルダの姿を見て走り寄ってきたのは、ティファニアであった、フードを被り耳を隠してはいるが、その驚異的な身体的特徴は服の上からでも十分に確認することができる。 「みんな無事だったかい? アルビオンがひどいことになっているって、トリステインで噂になっててさ、ここまで来る間気が気じゃなかったよ」 「大丈夫、みなさんのおかげで何とか無事に暮らしていられるわ。でも、今いろんな村で人が駆り出されてるって噂になってるとか…あ、石仮面さん!」 「お久しぶり、ティファニア。元気だった?」 「はい、おかげさまで…あれ? 石仮面さん…ですよね?」 ティファニアは、ルイズの姿をまじまじと見た、茶色く染められた上着に、ズボン姿のルイズは、以前見た時と比べて背が低いように思えたのだ。 「?」 「身長ぐらい増えたり減ったりするわよ、気にしない気にしない」 誤魔化すようにルイズが呟くと、背後からデルフリンガーが呆れたような声を出した。 『そりゃー無理があるぜ』 「うるさい」 無慈悲にもルイズは、デルフリンガーを鞘ごと投げ捨てた。 ワルドはとりあえずデルフリンガーを拾うと、ベルトを肩にかけた。 ティファニアはワルドの姿を見ると、ルイズの袖を軽く引っ張って、小声で呟いた。 「こちらの人は?」 「紹介するわ、彼はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドよ」 「はじめましてお嬢さん。僕は彼女の…石仮面の部下を務めている。以後お見知りおきを」 「はい、よろしくお願いします」 ティファニアは両手を腰の前で重ねて、お辞儀をした。 その仕草でたわわに実った果実が腕に圧迫され、驚異的な柔らかさを見せつけた。 「ルイズの言うとおり、確かにこれは胸囲だ」 『やっぱ驚異だろ?』 ワルドの側頭部にルイズの蹴りが炸裂するのは、この一瞬後である。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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愁いを帯びた顔の人は、首都から港へと街道を歩き。 甲冑や武器を背負った男達は港から首都へと歩いている。 街道の流れに取り残されるように、一組の男女が壊れた建物を見上げていた。 フードを被り顔を隠した女性は、建物の内部をのぞき込む。 そして髭面の大男は、放心したような顔のまま、こう呟いた。 「こりゃあ、どういうこった」 アルビオンの首都、ロンディニウムの大通りのはずれにある建物は、木の骨組みに石の壁という、単純で丈夫な作りのものだった。 木の骨組みに残る焦げ跡、内側に向けて崩された石の壁、この建物は明らかに何者かによって破壊されている。 大男は無言で建物の中に入る、天井を見上げると空が見えた。 二階建てだったであろうこの建物は、天井も二階も無くなっており、燦々たるありさまだった。 酒場として作られていたのか、カウンターらしきものがかろうじて原形を留めている。 髭面の男は、カウンターの後ろに回り込み、何かをごそごそと探し始めた。 もう一人の女性は周囲の様子を見る、すると、街道沿いの建物が何軒か列をなして崩れているのが見えた。 その女性は背中の大剣を少しだけ引き抜くき、剣に向かって話しかけた。 「デルフ、どう思う?」 『壊れてんのはこの酒場だけじゃない、建物の崩れ方も不自然だ、こいつは何かあるぜ』 「何かあるなんてのは分かってるわよ、この壊れ方に心当たりが無いか聞いてるの」 『…ドラゴンが力尽きて、滑空しながら墜落したとか』 「なるほど、それなら考えられるわね」 デルフリンガーの言うとおり、何かが建物の屋根を引っかけて墜落したようだ。 周囲の建物を見ると、壁はよりも屋根の損害が酷いように見えるので、おそらく想像通りだろう。 そういえば、髭面の男は壊れた建物の中で、何をしているのだろうか? 壁がある程度残っているので、外から中の様子が分からない。 「何か捜し物?」 そう言って建物の中に入ろうとすると、奥から慌てたように男が叫んだ。 「来るな! 街道沿いにもう一件酒場があるんだ、俺はちょっと捜し物をするから、先に行っててくれ!」 『ルイ…石仮面の嬢ちゃん、あんな事言ってるけど、どうすんだ?』 石仮面と呼ばれた女性…ルイズは、思案する様子もなく「先に行くわ」と呟き、王城に向かって街道を歩き始めた。 男の言った通り、街道沿いに大きな酒場があった。 酒場の中に入ってみると、傷だらけの軽装鎧や、顔や体に傷のある男達がたむろしており、お世辞にもいい雰囲気とは言えなかった。 ルイズは空いている四人がけの席に座る、すると、体格のいい給仕が注文を取りに来た。 「前払いでお願いします、ご注文は?」 「特大スペアリブ、生で」 「生?…血の滴るようなレアですね、すぐ出来ます」 ついつい生でと言ってしまったが、給仕は勝手にレアだと誤解してくれたので、少しだけほっとした。 背もたれに体を預けてしばらく待つと、給仕がテーブルに料理を措いた。 四人がけのテーブルを埋め尽くすほどの皿に、これまた巨大な肉の塊が乗っている。 壁に掛けられたメニュー表を見ると、小さな文字で『五人前です』と書かれていた。 (オークの頭ぐらいかな…) 食欲をなくすような例えだが、ある意味的確だと思えるほど大きい。 それをルイズは手づかみで食べ始めた。 テーブルに措かれたナイフとフォークは使わず、手で肉をちぎり、骨を割り、口に放り込んでいく。 山のような肉と骨の塊はみるみるうちに減っていった。 ルイズをからかってやろうと考えていた荒くれ者達は、ゴリゴリと骨が砕ける音を聞き、背筋に寒いものを感じ元の席へと戻っていく。 周囲からの奇異の視線に気づいたルイズは、フードを深く被り直した。 ルイズは心の中で呟く。 (やっぱり量が多かったかなあ…) デルフリンガーも心で呟く。 ( ( そういう問題じゃねえよ! ) ) 料理を食べ終わると、給仕がおそるおそる皿を回収しに来た。 ルイズはワインを頼むと、出てきたグラスに驚いた。 荒くれ者が集う店にしては不釣り合いなほど上等なワイン、そして、シンプルかつ上品なグラスだった。 先ほどまでルイズを遠巻きに見ていた男達は、ルイズがフードを下ろし、ワインを飲む姿を見て、先ほどとは違った驚きを感じていた。 オーガのような女性を想像したが、フードの中から出てきたのはまだ顔の幼い女性ではないか。 しかもワインを飲む姿が妙に上品で、様になっている。 もっともついこの間まで貴族としての英才教育?を受けていた身、当たり前といえば当たり前の事だが、それを知る者はここには誰もいなかった。 ギィー、と扉が開かれ、酒場に一人の男が入ってくる。 2mはある背丈と、乱雑なひげを蓄えたその男は、どすどすと足音を立ててルイズの隣へと歩いていった。 「悪ぃ、遅れちまった」 髭面の大男がルイズの隣に座ったのを見て、客達がざわめく。 時折『殺されるぞ』『食われちまうんじゃないか』とか、かなり失礼な言葉も聞こえてくる。 しかし、それ以上に驚かされたのは、ルイズとこの男が親しげに話しているという事実だった。 「もう食べちゃったわよ、あんたもワイン飲む?」 「いいのかい姉御?じゃあ俺も貰おうかな」 「ちょっと、姉御っての止めなさい、あと、グラスをそんな握り方するのは下品よ」 「そ、そうか?」 「こう持つのよ…こう」 「ややこしいナァ」 その場にいる男達は、皆揃って『美女と野獣』という何処かの国の童話を思い出した。 が、すぐにそれを撤回し『美女っぽい野獣と野獣』というタイトルが頭に浮かんだという。 しばらく他愛ない話をしていると、一人の男が近づいてきた。 「な、なあ、ブルリンじゃねえか?」 ブルリンに話しかけた男は、頬が裂けたような傷痕を持っていた。 「ジョーンズ!おお、ジョーンズじゃねえか!」 どうやらブルリンの知り合いらしい。 ジョーンズと呼ばれた男がブルリンに耳打ちすると、ブルリンはルイズに「ちょっと…」とだけ言って、店の奥にある席に移った。 奥の席は少し暗く、二人がけの席になっており、密談をするにはうってつけの形になっている。 ルイズはフードを被り直すと、聴覚に集中し始めた。 『それじゃ、ペイジも、プラントも、ボーンナムもやられたのか!』 『ブルリン、おめえ、声が大きいぞ』 『す、すまねえ…』 奥の席に座る二人の会話を聞こうとして意識を集中する。 すると、奇妙なことだが、騒がしい酒場の雑音の中から、二人の声だけが選り分けられるようにして聞こえてくる。 これも吸血鬼の能力なのだろうかと考えながら、ルイズは二人の会話を聞いた。 『ジョーンズ、マスターに会ったのはいつだ?』 『…月ぐらい前だ、ブルリン、お前は?』 『俺もそれぐらいだ…なあ、マスターの息子はどうなったか知らないか』 『一足先にラ・ロシェール近くの村に疎開してるよ、マスターの故郷らしい。ところでマスターは?』 『…カウンターの裏で、瓦礫に潰されて…』 『そうか…』 聞かなければ良かったと、ルイズは後悔した。 あの髭面の大男ブルリンは、見た目と違ってずいぶん優しい心の持ち主らしい。 ルイズを先に行かせたのも彼の気遣いだろう。皮肉なことだ。 瓦礫と化した酒場に、金目の物など残っているとは思えない。 酒場のマスターを埋葬するためにルイズを先に行かせたのに、ルイズは彼を疑ってしまった。 「金目の物でも探しているのか?」と。 よく考えてみれば、「ルイズ」はもう、死んだことになっている。 ロングビルに「私が死んで誰か悲しんだ?」と、聞いてみようと思ったが、自分の死を誰が悲しんでくれたのか、確かめるのが怖くて聞けなかった。 死を偽装するという、ある意味で最低な行為をしている自分に、嫌気がさす。 ルイズの思考が自分を責め始めた時、ジョーンズの口から、驚くべき話が飛び出してきた。 『ありゃ貴族派の自作自演なんだ』 『ジョーンズ、そりゃどういう意味なんだ』 『酒場のあたりをぶち壊したのは王党派の船だけどな、あの船には誰も乗ってなかったんだ』 『脱出用の船を使ったから、誰も乗ってなかったんじゃないのか?』 『いや、その脱出艇が問題なのさ、脱出用の船から降りた連中が、貴族派にいたんだ、それも同じ奴らが乗る船が何度も墜落している』 『どういうことだ、分かんねえよ』 『だからよ、王軍の空軍は、もう貴族派に掌握されちまってるんだよ、王軍の装備そのままにな』 『って事は、王党派の船と貴族派の船が戦って、王党派の船ばかりが町に落ちてくるのは…』 『そう、貴族派のイメージ戦略も兼ねてるって訳よ、それを調べようとしたから、ボーンナムも、ペイジも、プラントも…たまり場にしていた酒場も狙われたんだ』 『………』 『………』 しばらくして二人の会話は終わり、ブルリンはルイズの待つ席へと戻ってきた。 待たせてすまない、と、ブルリンが謝る前に、ルイズはブルリンのみに聞こえるような声で言った。 「私、王党派につくわ」 To Be Continued → 11< 目次
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「うん……ふわあぁ…」 陽光が顔に当たっているのを感じ、ルイズは身を震えさせた。 眩しさを嫌って、フードを深く被り直す。 「グルル…」 吸血馬が首を動かして日差しを遮ると、ルイズは吸血馬の首に手を回して、たてがみをそっと撫でた。 「…ありがとう、ね、夜になったら出発しましょう」 ラ・ロシェール近くの森から、アルビオンに到達するまで丸一日以上の時間がかかっている。 竜の遺骸を身に纏い、吸血馬が吸血竜となって空を飛んだが、予想以上に時間がかかってしまった。 スヴェルの月夜であればもっと早く到着できたが、アルビオンの接近を待つ余裕はなかった。 アニエスは、ラ・ロシェールから積み荷に紛れてアルビオンに行けば良いのではないかと提案したが、ルイズはそれを断った。 アルビオンがトリステインに侵攻した時のため、また、必要ならば力押しでレコン・キスタを壊滅させるために、吸血馬を連れて行きたかったのだ。 そのため、ルイズと吸血馬は、この近辺に墜落しているであろう竜の遺骸を探した。 レコン・キスタによる革命戦争で傷つき、羽ばたくことの出来なくなった竜が、この近辺に墜落しているという話は既に調べていた。 吸血馬の鼻は、吸血鬼であるルイズよりも更に強い、驚くほど簡単に竜の遺骸は発見できた。 竜の遺骸を食屍鬼にしても良かったが…それはアンリエッタやロングビルとの約束を違えることになる。 結局、吸血馬に融合させて空を飛んだのだが、意外と時間がかかってしまった。 吸血鬼の強靱な体力ならば、アルビオンまでひとっ飛びだろうと思ったが、それが甘かった。 途中で吸血馬が疲れを見せたため、ルイズは自分の血を吸血馬に与えつつ飛んできたのだ。 その上『イリュージョン』を使って敵の目を誤魔化していたので、体力と精神力を二重に消耗してしまい、長時間の休息を余儀なくされた。 ラ・ロシェールを発ってから三日目、ようやくルイズは行動を開始した。 ルイズは移動する前に、吸血馬が脱ぎ捨てた竜の身体を燃やした。 万が一吸血馬の血液が残っていたら、竜の食屍鬼になってしまう。 竜の身体から水分を気化させて乾燥させ、念入りにこれを燃やした。 それが終わると、ルイズは上空から見た景色を思い出しながら、サウスゴータの方角へと歩き出した。 途中で、背中のデルフリンガーを鞘から取り出し、話しかける。 「デルフ、人間の心ってどれくらい読める?」 『心?』 「そうよ、私を吸血鬼だと見抜いたでしょう?それを利用して、シティオブサウスゴータを調査したいのよ」 『おでれーた、おめえ俺をそんなことに使う気かよ』 「そんなこととは何よ、住民を片っ端から食屍鬼にして、洗いざらい喋って貰おうかしら」 『やる気もねえのにそんな物騒なこと言うなよ』 「あんたやっぱり心読めるんじゃない」 『けっ』 「素直じゃないわね」 『そりゃオメーだよ!』 そんな二人のやりとりを笑うかのように、吸血馬がぶるるると鼻息を出した。 森の中を通ってサウスゴータまで進むには、さすがのルイズでも少し困難だった。 アルビオンは森林資源が豊富であり、管理されている森が少なからずあるからだ。 髪の毛をセンサー代わりにして周囲の風の動きを読み、人間の臭いを避けながら歩いていくと、予想したよりも時間がかかってしまった。 日付が四日目にさしかかるところで、ようやくサウスゴータの街が見えた。 「ここで待って…ごめんね、後で牛とか、オークを狩ってくるから、お腹がすいたのは我慢してね」 人里が近いこともあって、吸血馬は無言のまま、ルイズの頬にすり寄った。 ルイズは優しく吸血馬を撫でると、デルフリンガーを背負い、フードを深く被り直してから、サウスゴータへと足を進めた。 サウスゴータの街はひっそりと静まりかえっていた。 首都に比べると確かに小さいが、それにしても地方都市である以上、それなりに人の出入りがあって呵るべきだろう。 だが、窓から漏れる灯は極端に少ない、裏通りから表通りを見ても、まるで灯がともっていないのだ。 「…人の気配はある…」 一軒一軒、石造りの家に髪の毛を這わし、時には窓から中の様子を確認していく。 この街には確かに人間がいる、しかし、まるで生活の気配がしない。 昼間に来るべきだったか?と考えを巡らしていると、表通りを歩く足音が聞こえてきた。 裏通りの暗がりに隠れると、ほどなくして兵士が前を横切っていった。 「一応、見回りはされてるのね…」 裏通りから空を見上げると、細長い夜空が広がっている。 屋根の上から街を一望できれば…と考えたが、吸血鬼の脚力で跳躍すると、地面と屋根を破壊しかねない。 『レビテーション』でも使えれば、屋根の上に乗ることも可能だが、ルイズはレビテーションを成功させた覚えがない。 どうしたものかと考えた所で、ルイズは『アンロック』を思い出した。 『ロック』も『アンロック』も成功させたことはないが、よく考えてみれば、魔法で鍵を開ける必要はないのだ。 ルイズは手近な家の裏口に近寄ると、髪の毛をしゅるしゅると伸ばした。 扉の隙間から中に侵入して、気配を探る。 「…誰もいないわね」 空き家なのを確認すると、髪の毛を触手のように動かして、内側から鍵を開けた。 中に入り、扉を閉めると、ルイズはふぅとため息をついた。 「アンロックなんて使う必要ないじゃない、どうしていままで気づかなかったのかな、私」 少し身体を休めようと、ルイズは床に座り込み、デルフリンガーを床に置いた。 『なあ嬢ちゃん、この街の気配、静かすぎねえか?』 「ええ、静かすぎるわ…心当たりある?」 『無いと言えば無いけど、あると言えばある』 「どっちよ、いいから言ってみて」 『おめー、イリュージョンが使えるなら、別の虚無も使えるんじゃねーか?こんな時のためにブリミルは準備してあるはずだぜ』 デルフの言葉に、ルイズがうっ、とうなった。 「…あー…それなんだけど、始祖の祈祷書、トリステインに置いて来ちゃった」 『うわ、駄目だね、八方ふさがり。嬢ちゃん以外と迂闊だね』 「デルフ、折るわよ。…でも、始祖の祈祷書があっても無理よ、『エクスプロージョン』『ディスペルマジック』『イリュージョン』…ルーンが浮き出たのはそこまでだもの」 『他のはまだ見られねえのか?』 「記憶の操作らしき項目は見えたわ、でも、ルーンまでは浮きでなかった…あれが使えればもっと便利なんでしょうけど、今は無理よ」 そう言って、ルイズは顎に手を突いた。 これからどうすべきかと考えていると、扉の隙間から外に出していた髪の毛に、違和感を感じた。 ルイズは、すかさず地面に耳を当てて、音を探る。 すると、何か重い物を背負って歩くような、足音が伝わってきた。 『何やってんだ?』 「…男性、30代…筋肉質、背負っている物は…樽?おそらく水か…何かね」 足音は、ルイズの侵入した家からほど近い家に入っていった。 「北に四件先ね、デルフ、行くわよ」 『あいよ』 ルイズはデルフリンガーを背負うと、空き家を出て、足音の入っていった家に近づいた。 窓から光は漏れていない、が、他の家と違ってこの家は意図的に光を漏らしていないようだった。 窓から中を覗くと、カーテンの奥に木板がはめ込まれているのが見えるのだ。 壁に耳を当て、中の音を聞こうとしたが、おかしなことに何の音も聞こえてこない。 不自然なほどの静かさは、ルイズの脳裏に『サイレント』を思い起こさせた。 『サイレント』は空気の膜を作って、空気の振動を押さえる魔法だが、それを破る方法はすでに考えついている。 ルイズは前髪を一本つまむと、長くそれを引き延ばして、抜いた。 片方を扉の隙間に差し込み、反対側を自分の耳に差し込んで、内部の音を拾う。 『明日の分の水……』『このままでは……』『……メイジが足りな……』『…洗脳……』『…皇太子』『……亡命…』『…鉄仮面…』 。 「…当たりよ、大当たり」 ルイズは小声で呟いた。 髪の毛を引き戻して扉から離れ、家の周囲を見て回った。 見た感じでは平均的な一軒家、片方から攻め込まれたら逃げ道はなさそうだ。 ルイズは入り口の前に立つと、扉の隙間から髪の毛を差し込んで、扉の鍵を開けた。 「こんばんは」 がちゃり、と扉が開けられ、突然入り込んできた何者かに驚き、家の中にいた男達は慌てて席を立った。 すかさず何人かが武器を構えたが、この場の長らしき商人風の男がそれを制止した。 「よせ、お前ら」 「し、しかし…」 商人風の中年男性と、その配下らしき男が三名、計四名がルイズを見る。 ルイズは扉を閉めると、改めてフードを外して、挨拶をした。 「はじめまして。私は『石仮面』…あなた方を王党派を見込んで、相談があるのだけれど…」 ルイズの自己紹介に、男達が驚いた。 「…石仮面だって?…まさか、あんたが、ニューカッスルから巨馬に乗って脱出した『鉄仮面』なのか?」 商人風の男が、ルイズをまじまじと見た。 まだ幼さの残る顔立ちに、赤茶色の髪の毛、背中には長剣を背負うその姿が、まさに噂通りの姿だった。 「ええ、ここじゃ『鉄仮面』って噂されてるみたいだけど」 「証拠はあるのか?」 ルイズはフードの中に右手を入れて、胸の中に指を差し込んだ。 ウェールズから渡された『風のルビー』は、肋骨の裏側に隠してあるのだ。 風のルビーを見せると、張りつめていた雰囲気は一転した。 「おお…まさしく、それは風のルビー、では、ウェールズ様はご存命なのか!?」 商人風の男が、思わずルイズへと近寄る。 「風のルビーを知っているの?…でも貴方、メイジは見えないわね」 ルイズは疑問を口に出した。 風のルビーは王家に伝わる重大な宝物だが、風のルビーが宝物だと知っている人はそれほど多くない。 親衛隊レベルでなければ風のルビーなど気にも留めないはずだ。 「私は財務監督官の元で、執事として働いていた。宝物のことなら一通り頭に入っている。だが、今はしがない商人ですよ」 「財務監督官?」 ふと、ロングビルの話を思い出す。 確かロングビルの親は、財務監督官に仕えていたはずだ。 考えてみればマチルダ・オブ・サウスゴータという名前もこの土地の名前に一致する。 この男は、ロングビルのことを知っているのだろうか? 「さるお方からの手紙で貴方のことを知らされていた。風のルビーを持つ傭兵が現れたら、力になってくれと」 「…なんだ、じゃあフー…。マチルダから聞かされてたのね」 「私らで力になれるなら、いくらでも力を貸しましょう。…おいお前ら、周囲を確認しろ。石仮面さん、細かい話は奥でしましょう、新鮮な『水』もありますから」 そうして、若い男達は見張りにつき、ルイズと商人風の男は奥の部屋へと入っていった。 奥の部屋で席に着いたルイズは、樽からコップに汲まれた水を見て、首をかしげた。 「いくつか聞きたいのだけれど…まずこの町の静けさ、それと、さっき運んでた水の事」 商人風の男がルイズと向かい合うように席に座り、自分のコップに注がれた水を飲み干してから、静かに話し出した。 「水と、この街の静けさは無関係じゃありません、この街の地下には、サウスゴータの森から繋がる水脈があり、街の人間はその水を井戸からくみ上げて飲んでいます」 「井戸水?」 「ええ、私の後ろにある樽は、別の街に住んでいるメイジ様から、定期的に分けて貰ったものです。この町の水はとても飲めません」 「なるほど、心を奪う毒でも井戸に混入されたのかしらね」 「…おそらくそうでしょう。私らは毒が混入されたと思われる日、山奥から帰ってきたら誰もかれもが目がうつろでした。しかも皆貴族派に寝返っており…」 「…………毒の種類は?」 「かいもく、見当がつきません。水を分けて下さるメイジ様も、ディティクト・マジックで調べきれないと仰ってました」 『あ』 突然、デルフが声を出した。 商人風の男は驚き、ガタン、と机に脚をぶつけた。 「…!?だ、誰の声だ?」 「落ち着いて、今の声は、こいつよ」 ルイズはデルフリンガーを背中から外すと、テーブルの上に置いた。 『いやー思い出した思い出した、ブリミルもあれには苦戦したんだよなあ』 声に遭わせて、刀身がカタカタと揺れる。 その様子を見て商人風の男も驚いたのか、まじまじとデルフリンガーを見つめた。 「い、インテリジェンスソード?」 『おうよ、インテリジェンスソードのデルフリンガー様だ』 「いや、こいつは、また、驚きました」 男は椅子に座り直して、デルフリンガーとルイズを交互に見つめた。 「デルフ、思い出したってどういうこと?」 『ああ、心を操る先住魔法だ、『水』系統よりずっと強力な奴よ、死体だって蘇らせて、自由に操っちまうんだ。街一つぐらいの人間を操るのだって不可能じゃないぜ』 「先住魔法…!」 先住魔法と聞いて、男が驚く。 始祖ブリミルが降臨する以前から、主にエルフ達や亜人種によって使われてた魔法、それを先住魔法と呼んでいる。 貴族の用いる魔法と違い、杖を必要としない上、非常に強力だと言われているのだ。 そんなものが敵に回ったとしたら、いくらなんでも分が悪い。 だが、ルイズはそんなことを気にする様子もなく、デルフリンガーに質問した。 「エルフ?」 『いや違うね、あいつらなら回りくどい事はしねえよ、第一人間同士を争わせるなんてのは人間のやることだね』 「耳が痛いわ…水系統の秘薬、もしくはマジックアイテムの線は?」 『そこまでは判んねえ、でも、可能性はあるんじゃねーの?』 ふと、ルイズが顔を上げると、商人風の男が何かを考え込んでいた。 その様子は尋常ではない、どこか冷や汗というか、脂汗も浮かんでいた。 「………何か、心当たりでも?」 「え。い、いや…その」 男は、しばらくばつの悪そうに顔を逸らし、何かを考え込んでいたが、意を決したのかルイズに向き直った。 「…実は、一つだけ心当たりがあります。アルビオン王家にはいくつもの秘宝が伝わっていましたが、水に関する秘宝が一つだけ、あります」 「それは?」 「『アンドバリの指輪』と呼ばれるもので、先住の水の力が込められております。どんなに深い傷を負ってもたちどころに治癒してしまうとか…」 『そいつだな。強力な水の精霊の力があれば、死んだ人間だって操れらあ』 「死んだ人間だって操れる…なるほどね」 「叛徒共の首領、クロムウェルは『虚無』を操り、死者を蘇らせると聞きます。それも実はアンドバリの指輪の力だと考えれば、納得できます」 そこで会話がとぎれ、重い沈黙が、部屋を支配した。 「…これ以上は、話せない?」 ルイズの問いにも、男は答えない。 時間にして一分、しかし男にとっては一時間にも二時間にも感じられる時間。 ルイズは男の眼をじっと見つめていた、何の感情を込めるわけでもない、ただ、その行動をすべて見逃さないつもりでじっと見ていた。 言いしれぬ恐怖を感じた男は、重く閉じられていた口を、静かに開いた。 「…マチルダ様から、どの程度内情をお聞きになられましたか?」 ルイズは視線を外さずに答える。 「彼女からは、仕送りをしているとしか聞かされてないわ。ウェールズ様からは、粛正に乳母と教育係が巻き添えになったところまで聞いたけど」 「…わかりました、すべてお話ししましょう。ですがこの事は絶対に…」 「判っているわ、他言するつもりはないもの」 男は居住まいを正して、大きく息を吸い込むと、静かに語り出した。 「実は、そのアンドバリの指輪を、あるお方が所持しているのです」 「あるお方?」 「はい、大公閣下の忘れ形見、ティファニア様です」 「なるほどね…マチルダの仕送りは、その…ティファニアって人に送られてるのね?」 「今は森の奥で、小さな孤児院を開いております。私どもはマチルダ様から送られてくる金貨、物資、食料などをティファニア様に届けるため、この町に留まっているのです」 ルイズはわざとらしく考え込むような仕草をしてから、意地の悪そうに口元をゆがめ、問うた。 「その人がアンドバリの指輪を使ったとは、考えられないの?」 「そ、それは絶対にあり得ません!確かに、アンドバリの指輪を使うことはできますが、人里には降りてこられない理由があるのです」 「…どんな理由よ」 「順を追ってお話し致します。そもそもアンドバリの指輪は、国宝ではありましたが、使い道の判らぬままでした。 しかし大公閣下の奥様…公には出来ぬお方でしたが、その方が使い方をご存じだったのです。 お美しい方でした。そして、争いを好まぬお方でした…… ジェームズ一世陛下から差し向けられた衛兵の魔法に、一切抵抗することなく、魔法の凶刃に倒れたのです。 あの時、奥様の遺体にすがるティファニア様の姿は、今でも目に焼き付いております」 「どうして粛正なんかされたの?貴方の口ぶりからすると、とても国宝を横流ししたとか…そんな人には聞こえないわ」 「ジェームズ一世陛下には、国宝の横流しなどより、もっと重大な、恐るべき事として、映ったのでしょう。彼らの狙いは奥様と、一人娘のティファニア様だったのです」 「なんで一国の王様が、妾と娘を殺す必要があるのよ、王位継承権でも争ったの?」 「確かに、王位継承権の争いに巻き込まれたら、王弟であらせられる大公閣下の娘、ティファニア様の存在も白日の下に晒されてしまったでしょう」 「…わからない、判らないわ。殺してまで存在を秘匿する必要があるなんて…」 「始祖ブリミルは、ハルケギニアに降臨されましたが、エルフに聖地を奪われました。始祖ブリミルの血を色濃く継ぐ王家と、エルフとの間に子が生まれたと知られたら、一大事です」 「…………ちょっと待って。今、なんて?」 「大公閣下の奥様は…その、エルフ…でございました、つまり、大公閣下の遺児、ティファニア様は…」 「………」 「………」 『…おでれーた』 沈黙の流れる一室に、デルフリンガーの声が、小さく響いた。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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歩く。 ひたすら歩く。 馬で二日かかる距離をひたすら歩く。 夜も昼も朝も夕べも宵も、歩く。 トリスタニアの首都トリスティンを出発して四日目、港町ラ・ロシェールを眼前にして、彼女は太陽を見上げた。 太陽の角度から見て、時刻は正午を過ぎているだろう、だが最終便には間に合うはずだと考えて、彼女は歩みを再開した。 「ちょっとお腹空いたわ」 『あれだけ食っといてか…冗談じゃねえや』 革製ローブのフードを深く被り、一人で歩いているその女性は、誰かと喋っているようだった。 「何よ、人のこと大食いみたいに」 『四日のうちにオークを十匹も食う奴が何言ってやがる!だいたいテメェ人間じゃねえだろ』 「ヒトってのは、ニンゲンって意味じゃなくて、他人って意味よ」 『けっ!まあったく、厄介な奴だぜ』 「またその話?武器屋から厄介払いされちゃったのは、デルフ、あなたじゃない」 『うるせえ!だいたいなあ、俺はテメーみたいな…』 その女性は、背中に背負った大剣と会話しながら、あえて街道を避けて、森の中を歩いてきたのだ。 デルフと呼ばれた大剣は口が悪く、持ち主を罵倒し続けたが、孤独な持ち主にとっては罵倒すらも楽しかった。 『これから町に入ってよぉ、人前で「吸血鬼がいるぞー!」って叫んでやろうか!俺は別に破壊されたっていいんだぜ』 「ふーん、やってみれば? 鞘に入ったら何も出来ないくせに」 物騒なことを言われながらも、彼女はなぜか笑顔のままだった。 港町ラ・ロシェールは、白の国アルビオンへの玄関口と言われている。 アルビオンはトリスタニアより国土が小さく、しかも宙に浮いているとあって、徒歩では決してたどり着くことは出来ない。 アルビオンに行くためには、空を行く船に乗るか、ドラゴンを操って飛ばなければならないのだ。 『けっ、吸血鬼のくせに先住魔法も使えねーのか、まあ使われても困るけどよ』 「その吸血鬼っての止めてくれない? …ルイズって呼んでよ」 『ルイズ?』 「そう、呼び捨てで良いわ」 彼女…ルイズは、ラ・ロシェールにたどり着くと、街道に並ぶ商店、宿、酒場には目もくれず、船着き場へと歩いていった。 船着き場へ向かう長い階段を上ると、それなりに高さのある丘の上に出る、そこには目もくらむ程巨大な樹がある。 木の枝には豆粒のようなものがぶら下がっているようにも見えるが、近づけばそれが船だと分かるだろう、この樹は王宮か、それ以上の巨大さがあるのだ。 ルイズは、木の根本に空いた巨大な穴から中へと入っていく、樹の内部は空洞になっており、行き先を告げる看板と、その脇には枝へと続く階段が設置されていた。 その中からアルビオン行きを選び、階段を上ろうとしたところで、すれ違った船員風の男から呼び止められた。 「おい、あんた」 「…私?」 「アルビオン行きはもう輸送船しか残ってないよ」 「輸送船でも人一人ぐらい乗れるでしょう?」 輸送船と聞いても動じない女を見て、船員風の男は呆れたような顔をした。 「輸送船に乗るなんてのは傭兵か貧乏人だ、女が乗るのは止した方がいい」 「おあいにく様」 くすりと笑みを浮かべ、背中の長剣を指さす。 「腕に覚えがあるのかい?身ぐるみ剥がされて投げ捨てられないように気をつけなよ」 そう言い残して男は去っていった。 ルイズが桟橋に登っていくと、そこには一隻の船が枝からぶら下がっていた。 輸送船と言うだけあって、飾り物のたぐいは付けられていない、せいぜい船体が白く塗られている程度だ。 所々が色あせて地肌が露出しているのを見て、さすがのルイズも (途中で落ちるんじゃないでしょうね…) などと考えていた。 ルイズは船員に金を払い、輸送船へと乗り込む。 甲板の扉から船室に入ると、パイプの臭いが鼻についた。 どうやらこの船は輸送船を名乗ってはいるが、運ぶのは物資ではなく傭兵や荒くれ者らしい。 ルイズはフードの中で顔をしかめ、甲板へと戻ろうと後ろを振り向いた。 「こんにゃろ!」 と、突然胸のあたりを蹴られた。 蹴られたと言うよりは部屋の中に押し込もうとした感じだが、ルイズはそれを意に介せず、少し強めに前進した。 「わっ、わったったたっ!?」 ルイズを蹴ろうとした男は、情けない声を出して背中から倒れた、どこかで見たような気がするが、よく思い出せない。 「こ、この野郎、てめぇ一度ならず二度までも、やってくれるじゃねえか!」 「どこかで会ったっけ?」 男は上半身を起こして、ルイズに啖呵を切った、特徴的な髭面に見覚えがあったが、何処で会ったのかイマイチ思い出せない。 『武器屋で追い返したじゃねーか』 デルフリンガーに言われ思い出す。 「あ、あの足の上に箱を落としてフギャーとか叫んで逃げていった奴ね」 「フギャーは余計だ!このアマ、今度こそギャフンと言わせてやらぁ!」 男が両手を胸の前で組み、ポキポキと指を鳴らし、ルイズを威嚇する。 「あまり騒がれると困るのよ、後にしてくれない?」 ルイズはまったく怖がる様子もなく、平然としている。 その様子を船室から見ていた何人かの荒くれ者が、男に向かってヤジを飛ばした。 「おいブルリン、おまえ舐められてるぞ!」 「細身のいい女じゃねえか!顔見せてみろよ!」 そう言って、船室から出てきた一人の男がルイズのフードを引っ張った。 フードの中から出てきた顔は、どう見てもまだ幼さの残る少女のもの、男達は一瞬あっけにとられたが、すぐに腹を抱えて笑い出した。 「ハッハッハッハッハ!ブルリン、おまえこんなガキに舐められてんのか!」 「舐められるならアッチの方がいいな、ガハハハハ!」 笑い声に気づいた傭兵や、荒くれ者も船室から顔を出してくる。 困ったことに、今のルイズは注目の的だった。 「うるせーぞ!てめぇらからぶっ飛ばしてやろうか!」 困惑するルイズを余所に、ブルリンと呼ばれた男が怒鳴りだした。 「女に舐められて何言ってやがる」 「お?怒ったか?ブルリンちゃ~ん、ハハハハ!」 どうやら怒りの矛先が、他の傭兵や荒くれ者達に移ったようだ。 あれよあれよという間に喧嘩は始まり、甲板の上のみならず船室の中が戦場と化す。 もっとも、男の『意地』をかけた戦いは、貴族の決闘とも違う、どこか競い合うような雰囲気にも見えた。 ルイズは欠伸をすると、船尾の一角に腰を下ろし、そのまま眠ってしまった。 『お客さんだ』 「…?」 デルフリンガーが来客を告げ、その声でルイズは目を覚ました。 既に船は出航し、雲の合間から二つの月が輝いているのが見える。 ルイズの目の前に立っていたのは、先ほど喧嘩をおっぱじめたブルリンだった。 「なあに?」 「あ、いや、すまねえ、ちと見とれちまって…」 そう言うとブルリンはルイズの隣に腰を下ろした。 ルイズは興味なさそうに月を見上げていたが、隣に座ったブルリンが自分の横顔をじっと見つめていたので、仕方なくブルリンに向き直った。 意外なことに、ほとんど怪我らしい怪我はしていない、平民にしてはかなり強いのだろうか。 「喧嘩の続き?」 「い、いや、滅相もねえ、あんたの横顔があんまりにも綺麗でさ」 『やめとけやめとけ、こいつに近づくと怪我じゃ済まねえよ』 突然聞こえてきた声に驚き、ブルリンはあたりを見回した。 「だ、誰だ?」 髭面の大男が、驚いて周囲を見渡しているのが、どことなく可笑しい。 ルイズはくすくす笑いながら背中の剣を指さした。 「喋ってるのはこいつよ、意志ある剣、インテリジェンスソード、珍しいでしょう?」 ブルリンは心底珍しいと言った感じでデルフを見た。 「噂には聞いてたが、ホントにあるなんてなあ、な、あんたもしかして名のある傭兵さんかい?」 「これから名を売る予定よ」 「これから!?はぁ、こりゃ大胆なことを言うぜぇ。 傭兵って事は、アルビオンの内乱が目当てで…?」 「まあ、ね」 ルイズはトリスティンの酒場で聞いた話を思い出した。 アルビオンは現在、旧来の統治者たる『王党派』と、『貴族派』が内乱を繰り広げているらしい。 従軍経験はおろか、魔法の戦闘利用すらマトモに出来なかったルイズは、戦い方を知らない。 アルビオンでは貴族派と王党派が傭兵を欲している、そう聞いたルイズは、傭兵の実情を知るに良い機会だと考えてアルビオンにわたる決心をした。 「それで、どっちに付くんだい」 「それを聞いてどうするの?勧誘はお断りよ」 「い、いや、そうじゃねえんだ、俺もまだ決めかねてるのさ」 「あら、傭兵は賃金の良い方に付くと相場が決まってるんじゃないの」 「…そうじゃねえんだ」 ブルリンは、静かにアルビオンでの思い出を語り始めた。 彼はアルビオンで酒場のマスターに助けられるまでの記憶を失っていた。 ブルリンというのは本名ではなくて、以前つきあっていた女からそう呼ばれていたと話して以来、傭兵仲間の間ではブルリンと呼ばれるようになったらしい。 本当の名前は『ブルート』だと記憶しているが、その記憶すら本物かどうか分からず、自分が何者なのか分からなくて思い悩んだそうだ。 今回、アルビオンに行くのは、その酒場のマスターの手助けをしたいと思っての事だとか。 そのマスターが貴族派なのか王党派なのかを聞いてから、どちらに付くのかを決めるらしい。 『へー、見上げた傭兵もいたもんだな、なーなー俺を使わねーか?』 「デルフ…あんたいい加減にしないと全力で海に向かって投げるわよ」 『ちょっ、じょ、冗談だって!』 二人?のやりとりにブルリンが笑い出す。 「ガハハ!なんだ、その剣、デルフって言うのか、妙に人間くさいじゃねえか、ところで剣の名前を聞いたんだから、あんたの名前も教えてくれよ」 『こいつはル…』 デルフが「ルイズ」と言い切る前に、僅かに刀身を見せていたデルフを鞘に押し込んだ。「私の名は、『石仮面』よ、貴方と同じあだ名みたいなものよ」 「も、もしかして、それってメイジ様の二つ名って奴かい?」 「………」 「それなら、その細身にあれだけの腕力があっても頷けるなあ、やっぱり魔法で体を強くしたり出来るんでございましょうですかい?」 突然おかしな敬語をしゃべり出したブルリンに、ルイズはまた笑ってしまった。 「プッ、もう、慣れない言葉を使うもんじゃないわ」 「い、いや、貴族様だとは知らなかったもので、つい」 「私もね…過去がないのよ、メイジだなんて自覚も、もう無いわ」 「あ…すまねえ、俺が無神経だったよ、許してくれ」 ルイズは月を見上げた。 寄り添う二つの月が、ルイズの心に寂しさを去来させる。 あの日、自分の魔法で自分が火傷したあの日、キュルケは太陽のような輝きではなく、月のように優しく私を抱きしめてくれた。 タバサも、ギーシュも、モンモランシーも、あのマリコルヌも、私を心配してくれた。 寄り添う二つの月は、重なることはあっても接触することはない。 月は夜の闇を照らしてくれている、しかし、月が私たちに明かりをもたらしていると、月は知っているだろうか? 吸血鬼が側にいると知られれば、彼女らに迷惑がかかると思って、こうやって一人で旅しようと決めたことを、知っているだろうか。 「なあ…あんた、やっぱり綺麗だな」 ブルリンの言葉が、ルイズを現実に引き戻す。 「何よ、口説いてるつもり? …あんた汗くさいんだからあっちに行きなさいよ、私は眠いの」 「ひでぇなあ、俺、これでも清潔には気を遣ってるんだぜ?」 「十年遅い」 「ちぇっ」 ブルリンが船室に入っていく、すると、後甲板には風の音しか聞こえなくなる。 見張り台の船員は夜中でも周囲を警戒していた。 ルイズはフードを被りなおして、静かに…泣いた。 To Be Continued → 9< 目次
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泥と血だらけのミス・ロングビルが、トリスティン魔法学院に帰還した。 ロングビルは衛兵に「土くれのフーケが…」と告げ、そのまま気絶。 現在は水のメイジ達による治療を受けている。 ロングビルが帰還した翌日には 『ゼロのルイズが命と引き替えに土くれのフーケを倒した』 という噂が学院中に広まっていた。 ロングビルが握りしめていた杖の破片に、ラ・ヴァリエール家の紋章が入っていたと、誰かが話してしまったのだ。 一気に噂は広がり、生徒達の耳にも入ることになった。 教師達は頭を抱えていた、なにしろ、ラ・ヴァリエール家といえばトリスティン屈指の名門だ。 責任問題となれば、魔法学院の教師が皆首を切られてしまうのではないか… そう考えて震え上がる者も少なくはない。 授業はすべてキャンセルされ、学院は生徒達のうわさ話と、教師達の不安による喧噪に包まれていた。 「それで、ミス・ヴァリエールは君の目から見てどんな生徒だったかね」 「向上心が強く、魔法の知識は優秀でしたが…」 「魔法が成功しない、とな」 「はい、原因は分かりませんが、ほとんどの魔法を『爆発』という形で失敗しております」 「ふむ、君は先ほど向上心といったが、それは違うじゃろうな。ラ・ヴァリエール家の三女が失敗ばかりしていたのなら、周囲からの風当たりも強かったじゃろうしのう」 「…おっしゃる通りです、コンプレックスから来る向上心だと考えられます、土くれのフーケを追ったのもそれが原因かと…」 「思い詰めておったかもしれんな、あの娘は…」 オールド・オスマンが水パイプを吸おうと杖を手に取るが、すぐに取りやめる。 生徒が一人死んだ。 いや、正確には元生徒が一人死んだ。 ロングビルが魔法学院に帰ってから既に三日経つ。 三日の間に、爆発の起こった場所へと教師を何名か向かわせて様子を探らせ、ラ・ヴァリエール家の居城に使者を出した。 ルイズの生存は絶望的、それがオールド・オスマンの出した結論だった。 ルイズが退学する何日か前、練金の授業で小石を爆発させ体に大火傷を負ったと聞いていた。 級友達が、水の秘薬をルイズに与えたが、回復するまでに一週間以上かったところを見ると火傷はかなり酷かったのだろう。 教師の一人、疾風のギトーによる報告では、森の奥に直径60メイル(m)にもなるクレーターが作られていた。 仮に、それがルイズの作り出した爆発であったとするならば、ルイズは跡形もなく… 「学院長!」 学院長室に飛び込んできたのは疾風のギトーだった。 「なんだね、血相を変えて」 「ラ・ヴァリエール公爵夫人、カリーヌ・デジレ様がご到着なされました!」 コルベールとオールド・オスマンは、意外な人物が、しかし考えてみれば当然の人物が現れたと知って、体を強ばらせた。 医務室では、体中に包帯を巻かれたロングビルが、ベッドから上体を起こしていた。 虚ろな目で淡々と何かを喋っており、ロングビルの頭には杖が押しつけられている。 その杖を持っているのは、トリスティンの魔法衛士隊、マンティコア隊の隊服を着た男性。 そして、もう一人別の女性が、ロングビルの言葉に耳を傾けていた。 その女性のマントにはマンティコアの刺繍が繕われている。 ロングビルはどこか惚けたような、力のない発音で言葉を続ける。 「私がフーケの作り出したゴーレムに捕らわれた所に、ミス・ヴァリエールが馬で駆けつけました。 フーケの作り出したゴーレムの腕が爆発し、私は地面に投げ出されました、地面に落ちた私を助け起こしたミス・ヴァリエールは、フーケの持ち出した箱を探せと私に指示しました。 ミス・ヴァリエールは名乗りを上げて、魔法を詠唱し、フーケのゴーレムの足を爆破し、動きを封じておりました。 その隙に私がフーケの小屋に入りました、そこで鍵の開けられた鉄箱と、一冊の本を発見し、持ち出しました。 私は、フーケの乗っていた馬を奪い、フーケを足止めしていたミス・ヴァリエールを馬に乗せて、逃げようとしました。 しかしミス・ヴァリエールは馬から飛び降りると、馬の尻を杖で叩き、私の乗る馬を走らせました。 私が手綱を引いて馬を制止しようとした瞬間、ミス・ヴァリエールは何らかの魔法を詠唱して、ゴーレムを爆破させ…気がついたときには、私は本を抱えて地面に倒れておりました」 ロングビルの上体がベッドに倒れ込む、すると、ロングビルの頭に杖を押しつけていた男が言った。 「嘘はついておりません、まだやりますか」 もう一人の女性は、「不要です」とだけ言ってから、医務室の椅子に腰掛け、深いため息をついた。 しばらくの沈黙の後、ノックの音が医務室に響く。 返事を待たずに開けられた扉から、オールド・オスマンが入ってきた。 「ミセス・カリーナ・デジレ様、こちらにおられましたか」 「…今の私はカリーナ・デジレではありません、元マンティコア隊隊長、カリンとして、土くれのフーケ襲撃の顛末を聴取します」 とりつく島もないな、と考えつつも、”烈風のカリン”による… …ルイズの母親による事情聴取が始まった。 オールド・オスマンはこの学院の全権を委任されている、いかにマンティコア隊の元隊長が相手といえど一歩も引くことはない。 それに、オスマンは内心に怒りを覚えていた、ロングビルの隣に座っているメイジは『重要参考人を水の秘薬で治療している』らしいが、それは半分嘘だろうと踏んでいた。 意識のないロングビルが何度か嘔吐を繰り返していたが、その時の吐瀉物を厳重な容器に入れ、蓋をしていたのだ。 おそらくあれは水の秘薬を用いた自白剤か何かだろう。 教師ではないが、ロングビルもトリスティン魔法学院の職員には違いない、オールド・オスマンは、微々たるものではあったが、目の前に座る”烈風のカリン”への不快感を隠さなかった。 オールド・オスマンからの聴取が終わる頃には、ロングビルの傷は回復し、意識も元通りになっていた。 それを確認したカリンは、ロングビルの隣に座っていた部下に命じて馬を手配させ、ロングビルを連行していった。 その姿を見た何人かの教師は『ロングビルはミス・ヴァリエールを死なせた責任を取らされるのか』と想像し、どうか自分にも飛び火しないようにと祈ったという。 連行されたロングビルだが、実際は連行された訳ではなかった。 土くれのフーケがどのようなルートを通ったのか、案内させられていたのだ。 馬の後ろをマンティコアが追尾してくる姿は、どことなく恐ろしい。 馬の蹄の痕が残っていた場合、『フーケ』『ロングビル』『ルイズ』の三名が後を追ったという話自体に信憑性が無くなってしまうところだったが、昨日の雨のせいで足跡はすっかり流されていた。 しばらく馬を走らせ、森の奥へとたどり着くと、そこには巨大なクレーターがあった。 クレーターには昨日の雨が溜まっており、まるで小さな池のようになっていた。 硫黄から作られた火の秘薬が、空行く戦艦や城壁を破壊することは知られている。 しかし、秘薬も無しにこれほどのクレーターが作られたという事実が、カリンとその部下の背筋を震わせた。 「…ミス・ロングビル、これは間違いなくルイズの手に依るものですか」 「え、は、はい、気絶してしまったのでハッキリとは申せませんが、ミス・ヴァリエールの魔法によって作られた物だと思います」 「そう、ですか」 カリンは馬から下り、フライの魔法を使ってクレーターの中心まで移動する。 深さは約3メイル(m)、直径約60メイル、爆風の影響で周囲の木々はなぎ倒され、クレーターの周囲はめくれあがった地面と木片が散乱している。 それを確認するとカリンは、ロングビル元へと移動した。 ロングビルは馬から下り、何かを話したそうにしていたが、カリンはそれを制止した。 「あ、あの、カリン様」 「ミス・ロングビル…ミス・ヴァリエールは短絡的な行動に走り命を無駄にした、これを肝に銘じ、トリスティン魔法学院の生徒には同じ失敗を繰り返さぬよう、よく申しつけなさい」 「えっ…そ、そんな言い方は!ミス・ヴァリエールは必死で」 「必死であったとしても、トリスティンの臣民として生まれた以上、その命は呵るべき時に散らすべき。ミス・ヴァリエールはその時を誤りました」 ロングビルは、目の前にいる女性『烈風のカリン』の言葉に衝撃を受けた。 娘の死に際してもこのような事を言えるのかと、怒りすら湧く思いだった。 …しかし、カリンの肩は、震えていた。 「私は魔法衛士として規律を守り、一切の反逆を許しませんでした」 そう言って、ロングビルに背を向ける。 「命を無駄に消費することは反逆にも等しい行為だとは思いませんか」 ロングビルは、何も答えられなかった。 しばらく黙っていると、カリンは部下に命令を下した。 「ミス・ロングビルを魔法学院に丁重にお送りしなさい、私はここで単独調査をします」 「はっ」 部下は杖を胸に掲げて返事をすると、ロングビルを馬に乗るように促し、カリンの乗ってきた馬を引き連れて、この場を離れようとした。 『ウウウウウ…』 マンティコアが鳴く、恐ろしげな姿そのままの鳴き声だったが、その声は主人の心を代弁するかの如く、どこか悲しそうだった。 その場から立ち去ろうとした時、ロングビルは確かに嗚咽を聞いた。 『鋼鉄の規律』『烈風のカリン』そう呼ばれ恐れられた女性は、池の縁に膝を落とし、肺の底から絞り出すような声で、泣いていた。 学院に戻ったロングビルは、オールド・オスマンに呼び出された。 「ミス・ロングビル、この度は大変な苦労をかけた、ミス・ヴァリエールは退学届けを受理した後に亡くなられた、学院に落ち度はない、よってお咎め無しと決まったんじゃが…何か言うことはあるかね」 「………ミセス・カリーナ様は、無駄に命を散らすことの愚を、私に説かれました」 「鉄の規律を信条とするのも辛いじゃろうな…内心では涙を流しておるじゃろうに」 「それと裏口脇に置かれていたミス・ヴァリエールの荷物は、後ほど回収に来られるそうなので、預かっていて欲しいと言われました」 「それはもうワシの耳に届いておるよ、ところで…む?」 オールド・オスマンが扉に注意を向ける、ロングビルも扉の前に立つ何者かの気配を察知したのか、杖を振って扉を開けた。 ガチャリと音がして扉が開く、するとそこには一人のメイドが立っていた。 「あっ」 「何の用ですか?」 ロングビルがメイドに問いかけた。 メイドは最初震えていたが、意を決して、ロングビルに一つの質問をした。 「あの…ミス・ヴァリエール様が…亡くなられたって…」 「あー、ミス・ロングビル、その娘をこちらに」 オールド・オスマンが、メイドを部屋に入れるように指示する。 メイドは一礼して学院長室に入る、調度品だらけの部屋に入るのは怖いのか、どこか落ち着かない。 「その服は厨房付きのメイドじゃったな、ミス・ヴァリエールの事が気になるのかのう?」 「あ、あの…」 厨房付きのメイド、シエスタは、どもりながらも話を始めた。 ルイズが厨房のメイドにも気にかけてくれていた事、包帯を支度してくれたお礼と称して足を治して貰ったこと、等々… 半月ほどの短い期間ではあるが、ルイズがとても良くしてくれたことを話し出した。 オールド・オスマンは優しそうな目でシエスタを見て、その話をじっと聞いていた。 一通り話が終わるとシエスタは泣き崩れてしまった。 それを見たオールド・オスマンは、ロングビルが取り返した本を取り出すと、シエスタに手招きをした。 「ミス・ロングビル、ちょっと席を外してくれんかの」 「はい」 ロングビルが部屋を出ると、オールド・オスマンはシエスタに本を見せた。 「この本はのう…宝物庫の中でももっとも厳重に保管されていたものじゃ、この本はシエスタの曾祖父母にも関係があるのじゃよ」 「えっ、ひいおじいちゃんと、ひいおばあちゃんに…ですか?」 「そうじゃ、表紙が読めるかの」 「えっと…『太陽の書』ですか?」 「そうじゃ、ところでシエスタ、おまえさんの曾祖母リサリサ殿は、何の仕事をしていたか知っておるか?」 「いえ…知りません、ひいおばあちゃんは何をしているのかよく分からない人だったって、聞いていますから」 「そうか、まあ、そうじゃろうな…この本はな、シエスタの曾祖父、ササキタケオ殿が、吸血鬼退治を生業としていたリサリサ殿の『技術』について記した本じゃ」 「きゅ、吸血鬼退治って、そんな、貴族様でもないのに吸血鬼退治なんて」 「本当のことじゃよ、ワシがこうやって生きていられるのもな、リサリサ殿とササキタケオ殿から、波紋という技術を教わったからじゃ」 シエスタは、混乱しそうになる頭を必死で押さえていた。 吸血鬼といえば、熟達したメイジが立ち向かっても勝てるとは限らない。 それほど狡猾で残忍な存在だ。 それを平民が退治していたと聞くだけでも驚きなのに、自分の曾祖父母が… 「もっとも、ワシは戦えるほどの力は持てんでな。その代わりワシが研究していた延命の魔法が、ワシに限り有効になってしもうたよ」 おかげで何度か魔法アカデミーに監禁されて解剖されそうになってのぉ~と、と笑うオールド・オスマンに、シエスタは冷や汗を流した。 「さて…この本は再度厳重に封印することになるじゃろう、何せこの本の内容は、貴族と平民の絶対的な立場を揺るがす可能性があるんじゃ」 「この本の内容が表沙汰になれば、ハルケギニアはまた大戦争に見舞われるじゃろう。それを未然に防いでくれたのじゃよ、ミス・ヴァリエールは」 「シエスタや、彼女のことを忘れないでやっておくれ、それが生きている者ができる唯一の餞(はなむけ)なんじゃよ」 「はい…私、絶対にルイズ様のことを忘れません…」 オールド・オスマンは廊下で待機していたロングビルを呼びつけ、シエスタを使用人塔まで送らせた。 ロングビルはシエスタを送り届けると、自分も部屋に戻った。 すでに時刻は夜、軽く杖を振り、ランプの明かりを灯すと、その蓋を開け、火を露出させた。 ディティクト・マジックを唱え、部屋に何も仕掛けられていないのを確認する。 そしてロングビルは髪の毛を書き上げ、生え際に出来ているでき物のようなものを指でつまみ、引きずり出した。 ずるり、と、人差し指と同じぐらいの長さが、頭から抜け出る。 太さは裁縫に使う針と変わらない。 それをランプの火の中に投げ込むと、まるでミミズがのたうち回るかのように、暴れ、そして燃え尽きた。 傷口に傷薬を軽く塗り込み、包帯を軽く巻き付ける。 そして一日の疲れを癒すためベッドに倒れ込んだ。 あの針のようなものは、ルイズの髪の毛であり、ルイズが「母が尋問に来た場合」を想定して、ロングビルに埋め込んだものだ。 頭に直接作用することで、水のメイジが調べても、ディティクト・マジックでも反応しない。 その上、自白剤の作用を肩代わりすることで、水のメイジが調合した自白剤も役立たないのだ。 フーケが宝物庫の壁をぶち破り、中から宝物を盗み出せたのはルイズのおかげだった。 ルイズが魔法の練習をした時、誤って宝物庫の壁にヒビを入れてしまった。 宝物庫は、スクエアクラスのメイジ数人がかりで固定化したという、非常に強力なもの。 それを破ったということで『土くれのフーケはスクエアクラスだった』という説が有力になっていた。 ロングビルは、何もかもルイズの思い通りになったここ三日の出来事を思い返し、笑みがこぼれた。 これから将来のことを考えると、愉快で愉快で、たまらない。 だが…ルイズの母の嗚咽だけが、ずっと耳に残っていた。 To Be Continued …… 6< 目次
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朝早くシエスタは目を覚ます。 使用人として働いていた時の癖が抜けないのか、彼女は魔法学院の生徒で一番早起きだった。 掃除洗濯をして身支度をしよう…と思ったところで、ここが魔法学院の寮ではないことに気づく。 来客用に作られた木組みのベッドは、この近くで採れる蔓草を編んで作ったクッションが敷かれており、寝心地は悪くない。 使用人の部屋にあったベッドより、ずっと柔らかく弾力もあるこの素材をこれから採取しに行くのだ。 シエスタは部屋を出ると、すでに起きていた村長の奥さんに井戸の場所を聞き、顔を洗いに外へ出た。 洗面用の桶を準備すると言ってくれたが、貴族の『立場』に慣れないシエスタは、それを断った。 森の奥にある村だけあって、早朝の空気はとてもよく澄んでおり、シエスタの故郷タルブ村とは違った心地よさを感じていた。 しばらくしてギトーも目を覚ます、どうやらあのベッドは柔らかすぎず、堅すぎず、寝心地は良いと感じたらしい。 朝食の席で村長から話を聞くと、あのベッドは珍しい蔓草の繊維を使っているらしい。 蔓草の中には綿のような繊維が入っており、それを使うとよいクッションが作れるのだとか。 ただ、現在では危険な場所に生えている蔓草を使わなくとも、別の素材が沢山あるために、使われなくなっているのだとか。 二人は朝食を済ませ、応接室で案内役を待っていた。 「あの、ミスタ・ギトー先生」 「ミス・シエスタ、昨日から気になっていたが、ミスタと先生を重ねるのはよくない、どちらか片方にしたまえ」 「は、はい。あの…ギトー先生」 まだ先生と呼ぶには抵抗があるのか、シエスタは無意識のうちに身体を縮めていた。 そのため隣に座るギトーを上目遣いで見る形となる。 正直ぐっと来ました。by疾風のギトー 「あの、先生?」 「なんだね」 わざとらしく咳払いをして、胸を張り、姿勢を正すギトー。 貴族の小生意気なガキと違って、シエスタは自分を慕ってくれる。 ギトーはシエスタに威厳を見せようとしたが、胸を張ると言うよりふんぞり返っていた。 「私はオールド・オスマンから『特異な魔法だ』って言われてます。治癒や、生命力を高めることは出来ても、空を飛ぶことは出来ないんです」 「…ふむ、何度か試したのかい」 「『フライ』や『レビテーション』も、どうしても駄目でした。こんな私でも、いつか自分で空を飛べるでしょうか…」 シエスタには、空への憧れがあった。 曾祖父は『竜の羽衣』というマジックアイテムの一種を使い、東方からやってきたと言われている。 実家から持ってきた曾祖父の日記にも、それに関することが書かれていた。 タバサの使い魔であるシルフィードに乗せて貰ったことはある、だが、空への憧れはやまない。 メイジにとっては簡単なことだが、シエスタにとって『空を飛ぶ』のは一種の憧れになっていた。 「元平民の君が、そんな簡単に魔法を扱えるとは思えんな」 「…そ、そうですね……申し訳ありませんでした…」 「だが、マジックアイテムを使ってでも、空を飛べるならそれで良かろう。オールド・オスマンは君に戦う術を教えたいようだが、君は癒し手だ、無理に不得手な分野に手を出すことはない」 「…先生…ありがとう、ございます」 シエスタの微笑みを見て、ギトーは思った。 (ああ…生徒に慕われる教師って、いいなあ…) しばらく待たされていると、ドアがノックされた。 ギトーが入室を許可すると、村長と、村長に連れられた男が応接室に入ってきた。 「彼が案内役を務めます、アレキサンドルです」 村長は連れてきた男を紹介した。 「アレキサンドルです、どうぞ、よろしく…」 男は年の頃二十代前半ほど、手足には革製の手っ甲や、すね当てが着けられており、首にも布を巻いていた。 「これから森の奥まで案内させて貰いますが、蛇などの危険があるので、革製のすね当てを着けて頂きたいんですが…」 「蛇か、蛇ぐらい風の系統があれば接近してもすぐ分かる」 「はは…」 シエスタは、ギトーを頼もしいと思う反面、ちょっと困った人だなあと思った。 すね当てを着け、三人は村長宅を出て、森の中へと入っていった。 ギトーはブツブツと、オークが出ても風なら倒せるとか、そのような事を呟いていた。 ワイバーンやマンティコア等の名前が出てこない辺り、自分の実力はしっかり理解しているらしい。 アレキサンドルの案内で森の中を歩く、歩く、ひたすら歩く。 昼が近くなった所で目的の場所に到着した。 森の中に突然出現した巨石は、30メイル以上の高さがあり、幅もかなりある。 高低差のせいか村からは見ることも出来ないが、巨石と呼ぶよりは岩山といえる大きさだった。 空を飛べるメイジなら発見も容易だと思われがちだが、この場所は霧も出やすく、木々に囲まれているせいで空からの発見も難しいのだとか。 「この岩山の上ですか?」 シエスタが質問した。 見上げると岩山の上にも木々が生えているのがわかり、その光景の神秘さにため息をつく。 「へえ、この上なんですが…今年は蔓草の伸びが悪くて、どうやら上れそうな蔓は生えていないようで」 「あの、登り口は無いんですか?」 「いやあ、この岩山は見たとおり巨大な岩でして、表面には掴むところも足場も無いんですよ」 「はぁ、はぁ、ふぅ、な、ならば、私の出番だな、レビテー、ションで、君たちを、浮かせて、ふう、あげよう」 「…ギトー先生、大丈夫ですか?」 息切れしすぎて、シエスタも心配する程顔色の悪いギトー、半日もデコボコした獣道を歩かされ、足がガクガクらしい。 「大丈夫、だいじょうぶ、これぐらい『レビテーション』が使えればどうという事はない」 そう言うとギトーは、レビテーションで自身を浮かせ、ゆっくりと上昇した。 岩山の上に到達すると、そこにある光景に驚かされ、息を呑む。 「これは…確かに来た甲斐はあるな」 岩山は中央がくぼんでおり、そこに雨水が溜まり、小さな池を作っていた。 岩山の向こう側までは40メイル程。 池の周囲の木々に生えるコケ類、腐った樹から生えるキノコ類が、魔法薬の材料として価値があることぐらい、ギトーにも理解できた。 「おっと、見とれている場合ではないな…」 ギトーは下で待機している二人を呼ぼうとして、後ろを振り向いた。 植物の種類によっては、ある程度の数を残しておかなければならない。 乱獲して絶滅の危機に瀕した植物もあるらしいので、一日に採取できる量はその土地の案内役に聞くのが、暗黙の了解となっている。 もちろん、それを破って乱獲する者達もいるが、ギトーのプライドはそれを快く思っては居ない。 「君たち!これから『レビテーション』で上に…あれっ?」 ギトーが見下ろした先に、二人はいなかった。 「…おーい、シエスタ君ー? えーと…案内役の…あ、アレキサンドルくーん?」 這い蹲って、岩山の下に声をかけるギトーの姿は、後ろから見たらけっこう間抜けだ。 「おかしいな…何処に行ってしまったんだ?」 そう言って立ち上がろうとしたが、立ち上がれない。 「!?」 いつの間にか、両手両足に周囲の草や木々の枝が絡まり、ギトーの身体の自由を奪っていた。 「くっ、何だこれは!エア・カッ…」 慌ててエアカッターを唱え、枝を断ち切ろうとしたギトーだが、呪文を詠唱しようとした瞬間、木の枝は口の中にまで侵入し、詠唱を防がれてしまう。 「…! んぐ…」 「おじさん、取引しない?」 身体を動かしてなんとか抜け出そうとするギトーに、背後から声をかける人物がいた。 いや、人間ではないのかも知れない。 「わたしね、友達が欲しいの、アレキサンドルさんはあんまり役に立たないから、もっと頼もしい友達が欲しいの」 何者かは分からなかったが、ギトーには一つだけ言えることがあった。 「ほへはわらおりらんらああい!」 (俺はまだおじさんじゃない!) 「何を言ってるのか分かんない… ま、いっか、シエスタって貴方の生徒さんなんでしょ? 教え子の血は、きっと美味しいと思うよ」 いつの間にか、岩山の上には霧が立ちこめていた。 まるで、太陽の光を遮るように… To Be Continued …… 22< 目次
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「…!………!」 シエスタは混乱していた。 突然後ろから羽交い締めにされ、口を押さえられたのだ。 先ほどまでシエスタとギトーを案内していた男、アレキサンドルが、突然シエスタを押さえつけ、岩陰へと拉致したのだ。 後ろから羽交い締めにされたため、アレキサンドルの顔は見えない。 だが、獣のような呼吸音がシエスタの恐怖を煽っているのは確かだった。 「!……!…!」 身体を動かして逃げようとしても、アレキサンドルの腕はガッチリとシエスタを捕まえており、ビクともしない。 シエスタは、しばらく身体を動かしていたが、観念したように身体の力を抜いた。 だが、アレキサンドルは何もしない。 二秒、三秒、四秒……少し待っても何もしない。 服を脱がそうとする気配もないし、脱ぐ気配もない、何かがおかしい。 気が付くと、辺りには霧が漂っており、昼頃になるのに日差しが弱い。 「(日差しが…弱い?)」 シエスタの脳裏に、ある言葉が思い出される。 曾祖母がオールド・オスマンを助けたとき、何と言っていた? 確か、『人間の皮を被った吸血鬼』とか言っていた気がする。 辛うじて動くだけ首を動かし、アレキサンドルの顔を見る。 すると、まるで火傷のように皮膚が真っ赤になり、耳を澄ますと呼吸音の他にも、シュゥシュゥと何かが焼けるような音が聞こえてきた。 「(この人、まさか、食屍鬼…!?うそ…そんな、そんな…)」 シエスタの足が震えた。 怖い、怖いのだ、平民が貴族の学生に混じるのとはまた違う、生存本能的な恐怖がシエスタを襲った。 吸血鬼は、人間を食料としか思っていない。 自分は…食われてしまうのか?そんな恐怖感だった。 だが、シエスタの思考は少しずつ変化していく。 取り押さえられた時は恐怖一色だったが、考える時間だけはあるのだと気づく。 シエスタは呼吸を整え、血液の流れを意識し、呼吸の奥底から生まれてくる力を全身に巡らせた。 辛うじて動かせる左手で、アレキサンドルの脇腹に触れる。 身体の中を振るわせ、指先から音が発射されるようなイメージを描き、呼吸を繰り返す。指先へと十分にため込まれた『波』は、シエスタの指先から勢いよく放たれた。 バチバチバチッ! と、音がして、次の瞬間アレキサンドルの手から力が抜けた、シエスタは腕を払いのけ、前に跳躍してからアレキサンドルに向き直る。 すると、突然アレキサンドルは身体を思い切り反らせて、硬直した。 びくん、びくんと身体を震わせると、その身体から、シュー、シューと音を立てて、煙が吹き出した。 シエスタはその光景を呆然と見ていたが、すぐに気を取り戻し、呟いた。 「……成功、したんだ」 目の前の人間は、いや、人間だったものは、石膏細工のように固まり、そして砕け散った。 普通の人間ならこの光景を見てどう思っただろうか、異常な事態に驚き、腰を抜かしてしまうだろうか。 少なくとも、シエスタは違った。 呼吸を整えつつ、腰のベルトに下げた小さなアクセサリーを手に取って、それの中身を見つめていた。 直径3サント(cm)程のそれは、ワインの代わりに水の秘薬を少量溶かした水が入れられており、球体の半分ほどが水で満たされている。 オールド・オスマンが他のメイジに作らせ、シエスタに持たせたその球体は、ごく少量の波紋を流すことで内部の水面に小さな波が立つ。 一つの波は、自分から、もう一つの波は、おそらくギトーのもの、では、もう一つの波は… 少なくとも、服を残して風化していくアレキサンドルのものではない。 シエスタが周囲の気配を探っていると、上から何かの音が聞こえてきた。 「大丈夫か!」 ばさばさとマントを翻しながら、ギトーが岩山の上から降りて来た。 「ギトー先生!この辺りは危険です、早く戻りましょう!」 「ああ、わかっている」 と、ギトーは杖を取り出し、シエスタに向けた。 「君は危険だ」 一瞬、呆気にとられたシエスタだったが、ギトーの首に見慣れぬものがついていたのを発見し、背筋に強烈な悪寒が走った。 二つの傷跡。 あれではまるで、吸血鬼に血を吸われたようではないか。 「あの…ミスタ・ギトー…」 シエスタがおそるおそる話しかけた時、上から声が聞こえてきた。 「不思議な魔法を使うんだね」 シエスタが上を見ると、岩山の上から何者かがシエスタを見下ろしていた、ローブに包まれているせいかその顔は見えないが、それが何者であるかは予測が付いていた。 「…まさか、吸血鬼?」 フードの奥に隠れた顔が、くすりと笑った気がした。 「そうだよ、吸血鬼」 「なんでこんな時間に…霧が出てるからって、この明るさじゃ吸血鬼は表を歩けないはず…」 「そうだよ、霧を作り出して、皮のローブを着ても、熱くて仕方ないの。でもね…人間も同じ事をするでしょ?」 「人間と、同じ?」 「そうだよ、このあたりに生える薬草だって元々はふもとの方に生えてたの、人間がそれを採りすぎるから、こんな岩山の上にしか残ってないの」 「貴方も危険を冒して食料を得る……そう言いたいの?」 シエスタの言葉に満足したのか、吸血鬼はクスリと笑って頷くと、呪文を唱え始めた。 「”枝よ。伸びし森の枝よ。彼女の腕をつかみたまえ”」 先住の魔法によって伸びた枝が、ツタが、シエスタの足を拘束した。 「きゃぁっ! なに、何、これっ」 混乱するシエスタに追い打ちをかけるが如く、吸血鬼はギトーに命令する。 「ねえ、先生、その子の魔法はちょっと怖いわ、だから始末してくれない?」 「………」 ギトーは静かに頷くと、杖を振りかざした。 「あ、ちょっと待って、霧は吹き飛ばさないでね」 その言葉が聞こえたのか、ギトーは『ウインド・ブレイク』を詠唱するのを取りやめて、『エア・ニードル』を作り出した。 ギトーの杖に魔力が集まり、渦となって青白く発光する、それを見たシエスタは驚き戸惑ったが、かえってそれが冷静な思考へと導いた。 あの魔法を食らえば、人間の胸ぐらいは簡単に穿たれてしまう。 波紋はある程度肉体を強化する、しかし『エア・ニードル』を受けて平気だとは思えない。 ならば、まず第一に考えるのは、ここから逃げる方法だ。 「くっ…は、外れないっ…」 身体を動かそうとしたものの、手足は木の枝に掴まれてびくともしない。 もがいているうちに、ギトーが目の前にまで迫り、その杖の先端がシエスタの胸元に向けられた。 『波紋には、弾く波紋と吸い寄せる波紋の二つがある』 「!」 不意にシエスタの脳裏に、日記の一部が思い出された。 ギトーの杖がシエスタの胸に突き刺さろうとしたその瞬間、シエスタは自分の身体に『弾く波紋』を流した。 バチッ、と音がして手足を拘束していた木の枝が剥がれる。 すかさず身をかがめて、ギトーの腕を掴んだ。 「えーい!」 シエスタは後ろに転びながらギトーの腹に足を当て、ギトーを投げ飛ばす。 シエスタの曾祖父が見れば『巴投げ』と称したであろう動きは、まったく偶然の動きだった。 すかさすシエスタは体勢を立て直す。 だが一瞬早くギトーが身体を起こし、その杖をシエスタに向けていた。 「『エア・カッター』」 「きゃあっ!」 咄嗟に木の陰に転がったが、風の刃はシエスタの左肩をざっくりと切り裂いた。 「あうっ!痛っ…」 痛みのためその場にうずくまろうとしたが、そんな余裕は与えてくれなかった。 一瞬、視界に青白い光が見えたので、それが魔法による光だと気づいたシエスタは肩を押さえながら後ろへ転がった。 めきめきめき、と音を立てて、盾にしていた木が右横に倒れたのだ。 ギトーが『エア・ニードル』で、木ごとシエスタを切り裂こうとしたのだろう。 このままでは殺されると思ったが、シエスタの目にある物が映り、その考えは吹き飛んだ。 倒れた木の枝には、あるものが寄生していた。 特徴的な細かい葉に、曾祖父の日記に書いてあった通りの太さ、探し求めていた蔓草だ。 ずざっ、ずざっと足音を立てて近づいてくるギトーを見つめながら、シエスタは右の手で蔓草を握りしめる。 そしてありったけの『くっつく』波紋を流し込んだ。 シエスタの身体が一瞬だけ輝き、蔓草がまるで別の生き物のように手に巻き付いた。 ふっ、と短く呼吸をして波紋を練り、今度はギトーに向けて蔓草を向け、『弾く』波紋を流す。 ビシビシビシッ、と音を立てて蔓草がまっすぐに伸び、ギトーの顔の右脇をかすめた。 すかさず『くっつく』波紋を流すと、今度は蔓草が縮み、ギトーの身体を一瞬で拘束した。 慌てて『エア・カッター』の呪文を詠唱しようとしたが、それよりも早くシエスタが駆け、ギトーの頬めがけて握り拳をブチ当てる。 「サンライトイエロー・オーバードライブ!」(山吹色波紋疾走) 瞬間、ギトーの身体に電流のようなものが流れ、バチバチバチという連続的な破裂音が鳴り響いた。 そして、ギトーの身体は力を失い、どさりと地面に倒れ込んだ。 「はぁっ、はぁっ……」 シエスタは呼吸を整えつつ、木に寄生していたもう一本の蔓草を手に取った。 それを見下ろしていた吸血鬼は、驚き戸惑いながらも、シエスタを拘束すべく呪文を唱える。 「…何なの?その力は精霊魔法でもない」 「はぁっ……よくも、よくもギトー先生を!」 シエスタの形相が変わる、興奮によって怒りの感情をあらわにしたシエスタは、吸血鬼を睨み付け、歯ぎしりの音が鳴るほどに身体に力を入れていた。 「あなたの相手なんかしてられないわ、”枝よ。伸びし森の枝よ。彼女の腕をつかみたまえ”」 シエスタの身体に向けて木々の枝が伸びる。 枝がシエスタの身体に絡みついた所で、シエスタは『弾く』波紋を流した。 バチン!と音が鳴って木々の枝がシエスタを離れ、元の位置へと戻っていく。 「そんな…!?」 それを見た吸血鬼は驚いた、目の前にいるメイジは杖を持っていないのに、精霊魔法に干渉してしまうのだから。 「アレキサンドルさんの、かたきっ!」 驚く吸血鬼めがけて、波紋によって硬直した蔓草を投げる。 風を切る音を鳴らして、まるで吸い寄せられるように、槍のように硬直化した蔓草が吸血鬼の胸に突き刺さった。 「がっ! ……そんな、どうして、人間は、こう……」 岩山の上から逃げようとした吸血鬼は、まるで人形のように落下して、どすんと音を立て地面に衝突した。 吸血鬼の着ているローブがめくれ、その素顔が見えると、シエスタは驚いた。 「あなただったのね…まさか、吸血鬼だとは思わなかったわ。」 そこに居たのは昨晩村長の家で見かけた、幼い少女。 魔法の効果が切れたのか、次第に霧が晴れていき、太陽光が吸血鬼の素顔を照らす。 するとみるみるうちに顔が焼けこげていった。 「どう、して どうして、にんげんは、わたし を、きらうの」 吸血鬼が辛うじて絞り出したであろう言葉は、シエスタに不快感を与えた。 オールド・オスマンの言葉が脳裏をよぎる。 『吸血鬼を野放しにしておけば、タルブ村も一晩で全滅してしまうぞ』 そうやって何度も何度も、吸血鬼の恐ろしさを教え続けられたシエスタの言葉は、いつものシエスタからは想像も出来ないほど冷たく、そして自信に満ちていた。 「吸血鬼は人間の敵よ」 「………」 吸血鬼は何かを言おうとしていたが、太陽光に焼かれて骨を露出させた吸血鬼には、もはや語ることは出来なかった。 「う…」 吸血鬼が燃え尽きると、何処からかうめき声が聞こえた。 シエスタが声のした方を振り向くと、ギトーが苦しそうなうめき声を上げて、首をガクン、ガクンと揺らしていた。 「ギトー先生!? おかしいわ…太陽に焼けてない、もしかして、食屍鬼になっていないの?」 シエスタがギトーに駆け寄る、ギトーは蔓草に絡められたまま苦しそうにうめいていた。 ギトーの首筋に手を当てて、波紋を流す、左手で吸血痕に『くっつく』波紋を流し、右手で反対側から『弾く』波紋を流す。 すると、首筋の吸血痕から、ぴゅっ、ぴゅっと、血に混じってどろりとした別の液体が噴出された。 その液体は波紋を流しているシエスタの手に触れると、ジュウジュウと音を立てて蒸発していく、おそらく吸血鬼の『エキス』だろう。 シエスタは念のためにギトーを拘束したまま背負い、回収できる限りの蔓草を腰に巻き付けて、その場を後にした。 そして夜中、やっとの事で村に帰った二人が吸血鬼を退治したと告げると、村は蜂の巣を突っついたような大騒ぎになった。 ギトーをベッドの上で休ませ、念のため何度か波紋を流し、吸血鬼のエキスが残っていないのを確認する。 自身の傷も、途中で摘んだ薬草と波紋のおかげで出血は止まっている。 シエスタは興奮していた。 幼子の姿をした吸血鬼を殺した罪悪感もあったが、それを上回る興奮がシエスタの心を覆っていた。 メイジでも手こずると言われる吸血鬼を、まだ幼い吸血鬼だったとしても、それを打ち倒したのだ。 その上食屍鬼になりかけたギトーを殺さずに、生かすことが出来た。 シエスタは、メイジの使う魔法ほどの利便性はないが、吸血鬼退治に特化した『波紋』に言い様のない喜びを感じているのだ。 「『高いところにいる敵は自分を有利だと思っている』『相手が勝ち誇ったときそいつは既に敗北している』……日記に書いてあった通りね」 シエスタは晴れ晴れしい気分でベッドに身体を預けると、目を閉じた。 村人への細かい説明は明日にしよう、そう考えながら、シエスタの意識は闇に落ちていった。 To Be Continued → 23< 目次
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「 う 」 痛みに目を覚ます。 突き刺すような痛みが手と足と、右半身を襲う。 アニエスの目に入ってきたのは、何の変哲もない宿舎の天井だった。 まるで永い眠りから覚めたようだな、と思って目を閉じた。 眠っている間、何か不思議な夢を見ていた気がする、たしかそう、地下通路でリッシュモンの胸に深々と剣を突き刺したところで……… アニエスが目を見開き、勢いよく体を起こした。 ばさっ、と音を立てて布団が床に落ちると、ほぼ同時にアニエスは体の痛みに耐えかねて声にならない悲鳴を口から漏らした。 「…………っ」 「気がつかれましたか? 外傷は治癒されましたが、まだ痛みは残りますので、安静に…」 そう言いながらアニエスの体を支えようとしたのは、アニエスの世話を仰せつかったのであろう、アンリエッタの侍女だった。 たかがシュヴァリエに過ぎないアニエスに、わざわざ侍女を使わせるという事自体、かなり破格の待遇なのだが、アニエスにはそんなことを気にしている余裕は無かった。 「今は、今日は何日だ、時間は!?」 アニエスは差し出された侍女の手をきつく握りしめ、声を荒げた。 今はいつだろうか、私はどれぐらい眠っていた? 隊員達は報告をすませたのだろうか、ルイズ達はあの後どうなったのか、リッシュモンの屋敷から虐殺にかんする資料は出てこなかっただろうか… と、アニエスの脳裏にさまざまな思いが浮かび上がる。 こうなるとアニエスは寝ていられない、ベッドから飛び起きたアニエスを見て、侍女は『まだ怪我が完治していない』と渋ったが、アニエスは頑固に『もう治った』と言って聞かなかった。 アニエスは詰め所に残った隊員達に、自分が気絶してからのことを事細かに聞いてから、アンリエッタに謁見すべく衣服を整えて王宮の中枢部へと向かった。 王宮の裏手に、ひっそりと建てられている宿舎から外に出ると、空にはさんさんと太陽が輝いていた。 薄暗い宿舎で寝かされていたアニエスにとって、丸二日ぶりの太陽だった。 一方、魅惑の妖精亭では、ルイズとワルドの二人が、最後の仕事をしていた。 「寂しくなるわねー、またいつでも遊びに来て良いのよ」 手を左の頬に当てつつ、からだをくねらせるスカロンに、ワルドは笑いながら答えていた。 「機会があれば客として来させて貰うさ」 そう答えながらも、ワルドは慣れた手つきでモップを扱い、床を掃除していく。 薄茶色のシャツに黒いズボン姿のワルドは、誰が見ても魔法衛士隊の元隊長だと思わないだろう。 ワルドが床に向けていた顔を上げると、ルイズとジェシカが楽しそうに話をしながら、今晩の仕込みをしているのが見えた。 「それにしても驚いたわ、まさかロイズ(ルイズ)とロイド(ワルド)さんが、女王陛下の密命でこの店に潜入してたなんて」 大きな鍋の中身を、これまた大きなおたまでかき回しつつジェシカが喋る。 ルイズは野菜を刻みつつ、苦笑した。 「もう、その話絶対に他の人に言っちゃだめよ」 「解ってるわよ、貴方たちは駆け落ちして家を出奔した元貴族で、追っ手が来たから逃げ出した…これでOKよね」 「うん。あと、女王陛下の評判とかも、時々アニエスが聞きに来るから、変な遠慮はしないでちゃんと伝えてね」 ジェシカはおたまを鍋のふちに引っかけると、腕をまくり力こぶを作るような仕草をした。 「任せて! チュレンヌみたいな悪徳貴族が減るなら、幾らでも手伝っちゃうわよ」 「ふふ…でも、無理はしないでね、貴方ってすぐ人の事情を知りたがるんだもの」 「えへへ。 ……ロイズこそ無理はしないでね。貴方のこと、けっこう好きだもの」 「やめてよ、はずかしいわ」 「またお化粧教えてあげる、だからまた遊びに来てね」 「……機会があったら、遊びに来るわ。いつになるか解らないけど」 ほんの少しだけ寂しそうに見えたが、ルイズはそのとき、ハッキリとジェシカに笑みを返していた。 仕込みと掃除を終えた二人は、謝礼とばかりに金貨を置いていこうとした。 袋に詰められた金貨は少なく見積もっても100枚はある、これだけあれば大通りの一等地にお店を出せるかもしれない。 だがスカロンは袋の中から金貨を一枚取り出すと、残りをルイズに返した。 それでは困る、と食い下がるルイズに、ジェシカがこう説明した。 「急に金回りが良くなったら、うちの店で何かがあったって怪しまれるでしょ? お金は欲しいけど、私達はそんなつもりで二人を匿った訳じゃないもの。これは二人分の食事代として貰っておくわ」 ワルドが苦笑して、半分呆れたように呟いた。 「ずいぶんとお人好しだな」 「まったくね。欲がないのはいいけど…」 ルイズもため息をつきつつ呟いたが、ルイズはジェシカとスカロンの瞳に、商売人としてのプライドを見た。 伊達や酔狂で、金を受け取らない訳ではないのだ、スカロンもジェシカも、そこらの貴族に負けないぐらい商売に誇りを持っているのだろう。 「じゃ、さよなら」 「うん、またね」 ルイズの”さよなら”に、ジェシカが”またね”と返す。 そんな小さな心遣いが嬉しくて、ルイズはフードの中で顔を綻ばせた。 二人は、ジェシカとスカロンに見送りを断ると、『魅惑の妖精亭』裏口から外へ出た。 辺りに気を配りながら裏通りを歩いていく、その途中、ワルドが小声でルイズに問いかけた。 「記憶を消さないで良かったのかい」 ワルドの言葉に、ルイズの表情が曇った。 「わたしって、詰めが甘いと思う?」 ルイズが聞き返すと、ワルドは申し訳なさそうに呟いた。 「いや、そういう訳じゃないんだ。理由を聞きたかった」 ルイズは名残惜しそうに自分の顔を撫でた。 数日の間、ロイズとして過ごしていた時間。 それはとても名残惜しく、そして寂しかった。 「…わたし、あの店で働いて、すごく楽しかった。。ジェシカや、みんなが私に世話を焼いてくれた、働けば働いただけ給金がもらえて、みんなに認められるのが嬉しかった。 でも、そのせいで…魔法学院の級友と、もっと仲良くしておけばよかった、もっと友達がいたらよかった……そんな思いが私の奥底から吹き出してきたのよ…」 「ルイズ…」 ワルドは、そっとルイズの肩に手を回した。 「覚えて居て欲しかったの…わたしを」 そこにいるのは、レコン・キスタを恐怖させた『騎士』でもなければ、ワルドを脅かした『石仮面』でもなかった。 そこにいたのは、虚勢の仮面が剥がれ、涙で顔をくしゃくしゃにした、ただのルイズだった。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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「そんなに堅くならなくてもいいわよ」 「はっ、はい!」 シエスタは、エレオノールの気遣いに緊張して、かえって体を強ばらせていた。 モンモランシーはシエスタの隣に座り、馬車の窓から外を眺めている。 シエスタとモンモランシーの二人は、エレオノールの乗ってきた馬車に乗り込み、ラ・ヴァリエール領へと移動している最中だった。 シエスタとモンモランシーは魔法学院の制服姿、手持ちの小道具を入れた小さなバッグを脇に置いている。 エレオノールは飾り気のない白を基調とした服を着ており、魔法アカデミーの紋章が胸に刺繍されていた。 エレオノールは波紋についてシエスタに質問するが、緊張しているシエスタはうまく説明できず、そのたびにモンモランシーが説明を補足する。 だが、魔法学院では習わないような専門用語が出てくる度に、モンモランシーも狼狽えてしまう。 「オールド・オスマンの論文では、波紋はメイジも平民も等しく持つモノだとされているわね。体内を循環する血液に波紋は本来備わっていて、副次的作用として覚醒作用と浄化作用が……」 水系統を基にした、人体構造の研究にも目を通しているエレオノール。 彼女の知識はモンモランシーとは比較にならない程深かった。 「は、はい、たぶんそんな感じだと思います」 モンモランシーは冷や汗をかきつつ、曖昧な受け答えで誤魔化すことしかできなかった。 しばらく馬車がすすみ、外の景色が移っていくと、シエスタもようやく馬車の雰囲気に慣れてきた。 強ばっていた肩から力が抜け、どこか懐かしむように外の景色を見つめる。 「シエスタ?」 モンモランシーがシエスタ側の窓から外を見ると、外には草原が広がっており、その遙か先には森林が見えていた。 そよ風に吹かれた草花が柔らかい太陽の日差しを受けて輝いている、シエスタは故郷を思い出していた。 「あ、はい」 「あんまりきょろきょろしちゃ駄目よ」 「すいません、あの、草原が綺麗だったもので…」 エレオノールも外を見る、そして、少し目を細めてから、座席に座り直した。 「ルイズは、変わった子だったわ。あの子ったら子供の頃、カトレアのためにこの草原まで花を取りに来たのよ」 「ルイズ様が、ですか?」 ルイズと聞いて、シエスタが反射的に聞き返した。 「ええ。ヴァリエール家の中庭に、小さな花の種が風に乗って飛んできたの。 カトレアが『どんな花を咲かしているのでしょうね』なんて言うから、ルイズったら馬で遠乗りした時に、泥だらけになるまで花を探してたのよ。 この草原はルイズが花を探した場所なの」 「…そうですか」 「ねえ、魔法学院ではルイズがいろんな人に迷惑をかけたのでしょう?あの子、どんな事してたのか、教えて欲しいわ。それと貴方ルイズのこと知っているみたいだし、貴方のこと教えてくれないかしら」 モンモランシーはツバを飲み込んだ。その時の音が、やけに大きく聞こえたので、自分が緊張しているのだと理解できた。 魔法学院でルイズが何をしでかしたか、どれだけ被害を被ったか、馬鹿正直に話すわけにはいかない。 その上、シエスタはシュヴァリエを賜ったとはいえ元平民、貴族の上下関係厳しいトリステインで、田舎出身の平民がラ・ヴァリエール家の人間を診察するなど考えられない。 しかしシエスタは、隣で頭を悩ませているモンモランシーの思惑など知ったことではない、馬鹿正直に話をしてしまった。 「私がオールド・オスマンに『波紋使い』だと告げられる前は、魔法学院のメイドとして過ごしていました」 「……メイド?」 「はい、オールド・オスマンは、私の曾祖母『リサリサ』に恩を返すつもりで私を雇って下さったそうです」 隣に座るモンモランシーは『やっちゃった』と言わんばかりの視線でシエスタを見ていた。 ラ・ヴァリエール家の長女に『私は元平民です』などと言おうものなら、その場で馬車から放り出されてもおかしくない。 いや、怒り狂って自分も一緒にうち捨てられてしまうかもしれない、そんな物騒な未来予想図がモンモランシーの頭をよぎった。 「そうだったの。オールド・オスマンは貴方を保護していたとしか言っていなかったわ」 「保護ですか?」 「ええ。きっと、貴方が怪しまれるのを防ぐためじゃないかしら」 モンモランシーの予想に反して、エレオノールはシエスタが元平民である事実を受け止めていた、それどころか、あらかじめ知っていたかのような反応だった。 エレオノールは、リサリサと出会った後のオスマンが、どんな苦境に立たされていたのかを話し始めた。 当時、人間と亜人はまったく別の系統で発生した生物だとする学説と、人間と亜人は一つの根源から枝分かれしていったとする学説が対立状態にあった。 そんな時にオールド・オスマンは、『波紋』という未知の説を打ち出したのだ。 あらゆる生命体が持つ力であるが故に、系統魔法や先住魔法の力を底上げするという『波紋』は、すべての生物は根源が一つだと証明するものでもあった。 そのため、対立する学者達から命を狙われたのだ。 幸いにもオールド・オスマンの唱えた『波紋』は、ごくごく微々たる力でしかなかった、そのため彼自身の老化を遅らせることはできたが、他人にそれを分け与えることはできず、『波紋』はアカデミーから忘れられていった。 だが、それはオスマンの策でもあった。 『波紋』をメイジ同士の争いに利用されぬために、波紋使いである『リサリサ』の存在を隠すために、あえて『波紋』を役立たずであると印象づけたのだ。 シエスタを魔法学院で雇っていたのは、リサリサの血を引く一族へのせめてもの恩返しであった。 シエスタが『波紋使い』の素質があると知ってからは、シエスタを保護するために雇っていたのだと対外的に説明している。 そのためエレオノールは「オールド・オスマンは、シエスタを保護するために魔法学院で雇った」と思いこんでいるのだ。 「オールド・オスマンの研究は確かに素晴らしかったわ。でも、改めて読んでみると不思議な点がいくつかあるわね。たとえば貴方のような『波紋使い』の存在を隠すために、わざと不完全に書かれているみたい」 「そ、そうなんですか」 オールド・オスマンという人物の底知れなさに、シエスタは少しだけ驚いた。 モンモランシーも驚いている、スケベ爺が実は凄い人だった、そんな風に考えているに違いない。 「もし、その当時貴方のような『波紋使い』が世に出ていたら、きっと『先住魔法を使うエルフの間者だ』と誤解されて解剖されていたでしょうね。オールド・オスマンの先見性には驚かされるわ」 エレオノールがシエスタの瞳を見つめる。 「さ、この話はもういいでしょう。ルイズの話を聞かせてくれないかしら」 「はい。私がルイズ様からお声をかけて頂いたのは……」 エレオノールは、シエスタとモンモランシーの話を寂しそうに聞いていた。 モンモランシーが、ルイズの勝ち気さに愚痴を言うと、『あの子はそういう子だから』と言って笑った。 シエスタが、ルイズは魔法学院で働いている平民達にも気を配っていた、メイド仲間からも尊敬されていたと語ると、エレオノールは『あの子も成長したものね』と言って、ほんの少しの間だけ…声を殺して泣いた。 「…ごめんなさい、ちょっと、取り乱しちゃったわね」 エレオノールはそう言いながら、涙で濡れた目元を拭った。 「父が倒れたの。ルイズが死んだって聞かされて、相当こたえたんでしょうね。私も父も、魔法の出来ないルイズを叱ってばかりだったわ」 顔を上げると、シエスタとモンモランシーの顔を交互に見つめて、エレオノールは笑う。 「魔法が使えなかったら、貴族は貴族として認められないの。だから私も父も厳しく接してきたわ。でも、一度もルイズを褒めてあげられなかった……きっと、私と、父様を、ルイズは恨んでいたでしょうね」 「そんなことはありません。絶対に、そんなことはありません!」 シエスタの口調が強くなり、エレオノールが少し驚いた。 「ルイズ様は、土くれのフーケに立ち向かったんです。『立場における責任を果たす』と私に仰って下さったのは、他ならぬルイズ様です!そんなルイズ様が家族を恨んでいるだなんて……絶対に、絶対にありえません!」 「ちょ、ちょっとシエスタ、無礼よ!」 モンモランシーがシエスタの肩を押さえる、はっとして、シエスタの興奮は一瞬で冷めた。 「あ……す、すみません、あの、興奮してしまって」 急におどおどしだすシエスタを見て、エレオノールは、静かに微笑んだ。 「いいのよ。気にしないで…ね。到着したら妹にも、父にも、母にも、その話を聞かせてくれないかしら」 「…はい」 ごめんなさい、と、シエスタが心の中で謝った。 ルイズは生きている。 それも、吸血鬼として。 でも今は、シエスタが知る『尊敬するルイズ様』の姿をエレオノールに語るべきだと思った。 シエスタはもう一度、心の中で謝った。 もしルイズが心まで吸血鬼になっていたら、自分はルイズを殺さなければならないのだから。 エレオノールは、少しだけ救われた気がした。 自分の気の強さは、ルイズを厳しく教育するために養われたのかもしれないと思った。 ルイズが死んで以来、覇気が抜けてしまったのは自分だけではない、父も母も、口には出さないが心が疲れ切っている。 ルイズを溺愛していた、ルイズは誰よりも愛されていた! でもそれをルイズに語ることはできない、ルイズが貴族として、メイジとして一人前にならなければ、自分たちが死んだ後残されたルイズが苦労する。 だからルイズに厳しく接してきた。 そして、厳しく接し続けたままルイズは死んでしまった。 いや、ルイズを『貴族らしさ』という言葉で死に追いやったのは自分達だ。 本音を言えば、どんなに無様でも、ルイズには生きていて欲しかった。 けれども、シエスタの言葉を聞いて、自分たちがいつまでも悲しんではいられないのだと気付かされた。 父の教えが、母の教えが、自分の教えがルイズに伝わり、ルイズの言葉が、シエスタに受け継がれている。 ルイズは本当に立派になったのだ、そして死んだ。 だから自分たちもラ・ヴァリエール家の人間として、役目を果たさなければならない。 魔法アカデミーで一番刺々しい茨だったエレオノール、彼女の棘は、ルイズの死と共に落ちたのだ。 エレオノール、モンモランシー、シエスタ。 三人を乗せた馬車がラ・ヴァリエールの居城に到着する頃には、漆黒の空に二つの月が浮かんでいた。 「いらっしゃいませー」 その日も『魅惑の妖精亭』は繁盛していた。 ルイズは扉を開けて入ってきた客に屈託のない笑顔を向け、空席へと案内する。 フードを被った客は、席に案内されるとルイズを見上げて小声で呟いた。 「何をしてるんだこんな所で」 「え?……やだ、何言ってるのよ、貴方が教えてくれたんでしょ?」 フードの影から覗く瞳と金髪には見覚えがある、まごうことなき銃士隊のアニエス、その人だった。 「潜伏には魅惑の妖精亭がいいって言ったの、貴方じゃない」 「それはそうなんだが…」 「無駄話をしに来た訳じゃないんでしょ?ご注文は?」 「とりあえずコレとこれを貰おうかな」 「はい、ワインとシーザーサラダね、承りました」 トレー片手に厨房へと入っていくルイズを見て、アニエスは小さく呟いた。 「冗談のつもりだったんだが……」 ルイズとワルドが潜伏先に選んだのは、城下町ではそれなりに人気の酒場『魅惑の妖精亭』だった。 アニエスの部下がこの店で働き、情報収集を務めていたことがある。 そのため『情報収集を兼ねるなら魅惑の妖精亭がいい』と言ってしまったのだが。 アニエスとしては、アニエスの息がかかった秘薬屋や、郊外の隠れ家に潜伏して欲しかったが、すでに働き始めている以上取りやめろとは言えない。 露出度の高いキャミソール姿で給仕をするルイズ、それを見て、アニエスは再度ため息をついた。 今のルイズはルイズであってルイズではない。 『ロイズ』という偽名を名乗っているだけではなく、姿形も大きく違う。 まず、背が高い。アンリエッタより10サントは高い。 その上胸が大きい、中に何を詰めているのか知らないが、とにかく膨らんでいるのは確かだ。 そして髪の毛は茶色の染料で染められ、王宮を出る前に『固定化』をかけられている。 顔立ちも違う、鼻はほんの少し高く、いつものルイズよりほんの少し面長になっており、しかも口元には黒子までついている。 ごくごく親しい人間でも、一目で彼女をルイズだと見抜くのは難しいだろう。 「反則的だな…あの能力は」 アニエスは、変身前のルイズを思い出し、静かに呟いた。 厨房に注文を届けたルイズは、この店の店主であるスカロンと二~三言言葉を交わして、再度表に出て行く。 皿を洗いながらそれを見ていたのは、精悍な顔立ちの男性、ワルドだった。 店主のスカロンは、ワルドがルイズを見ていたのに気付くと、ワルドに近づいて肩を叩く。 「ロイズちゃん頑張ってるわねー!ロイドちゃんはお兄さんとして気になるかしら!」 「ええ、まあ」 髭を蓄えた中年の男性が、くねくねと体を揺らしながらオネエ言葉で喋るのはちょっと不気味だ、しかしミノタウロスを相手にするより遙かに気楽だ。 ワルドは照れくさそうに笑いつつ、皿洗いを続けていた。 この店でワルドは『ロイド』ルイズは『ロイズ』と名乗っている。 二人は訳ありの没落貴族という設定で、身分を問わずに雇ってくれる『魅惑の妖精亭』にやってきた… そういう設定なのだ。 ワルドは人間の腕と見まがう程精巧な義手を巧みに操り、皿洗いを続ける。 水をくむのが面倒なので、義手に仕込んだ杖から、魔法で水を継ぎ足しつつ、延々と皿を洗っていった。 ふと、手を休めて、給仕口から店内を見渡す。 料理を運んでいるルイズと目があって、ウインクを返された。 「訳ありの没落貴族か…駆け落ちみたいで悪くないな」 トリステインの貴族らしくない、奇妙な満足感に包まれて、ワルドは笑った。 ルイズはこの店で、ブルリンと旅をした数日間のことを思い出していた。 注意深く周囲を観察し、人々の会話に耳を傾ける。 ただそれだけのことなのに、ルイズの耳には刺激的な話がどんどん入ってくるのだ。 あの時ブルリンと会わなければ、五感をフルに使うことも無かったろうし、情報収集の大切さも気付いていなかったかもしれない。 商売のために高等法院の許可貰うに、どんな抜け道を使うとか。 脱税スレスレの節税方法とか、北側の衛兵のいい加減さとか… アニエスの部下が、情報収集のためこの店に赴いたこともあるそうだが、その理由が分かる気がした。 特に気になるのは、アンリエッタに関する噂だった。 アンリエッタは聖女といわれ讃えられているが、すべての平民がアンリエッタを讃えているわけではない。 そもそもの原因となったウェールズ皇太子との恋愛話は平民達の噂の的だった。 アンリエッタとウェールズが以前から恋仲だったと、まことしやかに噂されているが、ラブレターのことまでは噂されていなかった。 二人を称えるもの、けなす者、酒場には多種多様な客が来る。 ルイズは、この不思議な空間を気に入っていた。 「ねえちゃんワイン注いでくれよ!」 そう言いながら、酔った客の一人がルイズの尻を撫でる。 ルイズはすぐに振り向いて、テーブルに置かれているワインの瓶を手に取った。 「お触りはいけませんよ」 そう言って笑顔でワインを注ぐ。 ワインをつぎ終わり瓶をテーブルに置くと、その客はルイズの腕を掴んで、酒臭い息を隠そうともせずルイズに顔を近づけた。 「なあ仕事の後どうだい?俺とさぁ…あ、あれ~?」 ルイズは男の腕を払い、逆に握り返す。 「お客様、飲み過ぎですわよ」 掌から少しずつ、少しずつ血を吸っていく。 「あ~…飲み過ぎたか…なあ~………」 みるみるいうちに顔色が青くなり、男は眠るようにテーブルに突っ伏した。 「あら大変!」 それを見た他の店員がルイズに近づく、青ざめた客を見て、どうやら酒に悪酔いしたと思ったらしい。 「ロイズちゃんは注文を取りに行ってくれない?この人よく酔っぱらって寝ちゃうのよ」 「解ったわ、ありがとう、ジェシカさん」 そう言ってルイズはテーブルを離れる。 心なしか、ルイズの胸は先ほどより少し膨らんでいる気がした。 夜も遅くなり、客が少なくなった頃、黒髪の少女ジェシカがルイズを呼んだ。 「ね、ちょっとこれ手伝ってくれる?」 ジェシカの前には木箱が置かれており、そこには沢山の食材が入っている。 「わかったわ」 ルイズは短く返事をすると、重そうな木箱を軽々と片手で持ち上げた。 「どこに持って行けばいいのかしら」 「え……えーと、ついてきてくれる?」 ジェシカは、少し狼狽えながら倉庫へとルイズを案内した。 倉庫の中で木箱を開け、中身を棚に並べていく。 すると、不意にジェシカがルイズに耳打ちした。 「ねえねえ、あったしー、わかっちゃった」 「え?」 「訳ありって言ってたけど…身分違いの恋とか、駆け落ち?」 ルイズは唇を手に当て、少し考える仕草をすると、首を横に振った。 「私とロイドは兄妹よ」 だが、ジェシカは不敵な笑みを漏らすと、人差し指を立てて顔の前で左右に振る。 「あたしはね、パパにお店の女の子の管理も任されてるのよ。女の子を見る目は人一倍だわ。ねえねえ、どんな訳があるのよ。ただの駆け落ちじゃないでしょ?誰にも言わないから、ね?教えてよ」 ルイズが黙っているのを見て、ジェシカは微笑む。 「もしかしてぇ…貴族のロイドさんが、メイドの貴方に恋しちゃった…とか?」 内心では『あたしは公爵令嬢よ』と思っていたが、そんなことは口には出せない。 ルイズはジェシカの顔を見つめて、一つ、質問してみることにした。 「どうしてそう思ったの?」 「だって、あの人プライド高そうだもの。貴方はお尻を触られても飄々としてるじゃない、こういう仕事慣れてるでしょ」 ルイズは心の中で、少しだけ苦笑いをしていた。 自分はいつの間にか、平民が板に付いていたようだ。 「私が貴族で、あの人は従者だったの」 「まさかぁ!」 ジェシカが口を手で覆いつつ、笑う。 つられてルイズも笑い出した。 「本当よ」 「本当に?」 「じゃあ嘘でいいわ」 「何よ、ずるーい!」 ころころと笑うジェシカを見て、ルイズはふと何かを思い出した。 『そうだ、この笑顔…シエスタに似てる』 その頃、洗い物を終えたワルドは、ルイズよりも一足早く部屋に戻っていた。 ルイズとワルドに与えられた部屋は、ベッドが二つ並んでいるだけの小さな部屋で、余計なものは一切置かれていない。 ベッドの下に置かれていたデルフリンガーを取りだすと、鞘から少しだけ引き抜いてベッドの上に置く。 『ずいぶん繁盛してんなあ、この店。どーだい皿洗いは?』 「意外と疲れるものだな」 『そりゃそーだろ、ところで、嬢ちゃんは』 「ルイズなら倉庫だ、女性同士の内緒話だろう」 デルフリンガーと話をしつつ、ワルドは先ほどルイズから渡された紙切れをポケットから取り出す。 アニエスから渡された紙切れには、リッシュモン追跡の様子が簡潔に書かれていた。 「…………商人、か」 『ん?』 「メイジが商人に化けているようだ、そいつがリッシュモンの手先らしいな」 『そいつをどーするんだい』 「捕まえるさ、聞くまでもなかろう?」 『その後だ、殺すのか?』 ワルドは顎に手を当てて、しばらく考えこんだ。 「……衛兵に引き渡すさ」 『おでれーたな、おめえ、あのギラギラした殺気がサッパリ消えてやがる』 「ルイズのおかげだよ」 そう言いながら、ワルドはデルフリンガーをベッド脇に立てかけた。 「彼女の苦悩に比べたら、僕なんてちっぽけなものさ」 デルフリンガーも同じ事を考えていた。 彼女は、自分の幸せを犠牲にした分だけ、その周囲にいる人を助けている気がする。 『あー…考えてもしょうがねえなあ』 「ん?」 『なんでもねえ。おめえが嘘を言ってないのは解った。嬢ちゃんを悲しませんなよ』 「そのつもりさ」 ルイズは、フーケに、ワルドに、ティファニアに、アンリエッタに、ウェールズに、アニエスに『頼られている』 だが、彼女が『頼れる』人は居ない。 彼女が本来頼るべき母は、シエスタとモンモランシーの二人の到着を、笑顔で迎えていた。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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ラ・ロシェール付近の森の中、うっそうとした木々の生い茂る一角で、アニエスから渡された甲冑をルイズが装着していた。 アニエスが、ルイズの隣でぽかーんと口を開けて、呆けたように何かを見上げている。 その様子がおかしかったので、ルイズはクスリと笑みをこぼした。 「そんなに驚くことないじゃない」 アニエスは今まで見上げていたモノから目を離し、ルイズに顔を向ける。 「あ…。 いや、でも、これは、驚くさ」 冷や汗を垂らしながらアニエスが呟くと、アニエスの見上げていた吸血竜が、べろんとアニエスの頬を舐めた。 「 !! 」 「大丈夫よ、食べようなんて思ってないわ。お友達への挨拶よ」 「そ、それならいいんだが、心臓に悪い」 アニエスが見上げていたのは、十匹以上の竜を食べ、巨大化した吸血竜の姿だった。 『結局、一晩眠っちまったなあ。開戦になっても目を覚まさなかったらどうしようか、ヒヤヒヤしたぜ』 「居眠りして戦争に遅れました、なんて格好悪いまねしないわよ」 デルフリンガーの言うとおり、ルイズは精神的な疲労のため丸一日近く眠っていた。 昨日、大規模な『イリュージョン』を使ったせいで、ルイズの精神力が限界を迎えていたのだ。 タルブ村を覆うように『森』の幻影を造り、森の中には『タルブ村と草原』の幻影を作る。 これによって、アルビオンの軍勢に一時的な混乱を招き、タルブ村の住民が避難するまでの時間稼ぎをしたのだ。 「アニエス、アルビオン艦隊はラ・ロシェールに近づいきてる?」 「ああ、少しずつだがこちらに接近しているようだ。地上部隊の行進に合わせて移動しているのだろう」 「厄介ね。あの大砲はトリステインの所有するものより性能がいいそうよ。射程距離だって1.2倍…いや、1.4倍は見積もらないと危険ね」 「そこまで高性能な大砲だとは思いたくないな。仮に1.4倍の射程距離があるとすれば、あと一時間でラ・ロシェールが射程距離に入る」 「その前にあいつらを混乱させるわよ」 ルイズが全身を包み込む甲冑を着込み終わると、デルフリンガーを鞘から抜き放ち、その鞘をアニエスに渡した。 「これは?」 「甲冑を着けてると鞘を背負えないのよ、預かってて」 「わかった」 鞘を受け取ったアニエスが、ルイズに敬礼する。 ルイズは目礼でそれに応じてから、吸血竜に飛び乗った。 今のルイズは、ニューカッスルの城から巨馬に乗って脱出したという、銀色の甲冑に身を包んだ騎士の姿そのもの。 「あ、そうだ。ねえアニエス、その……ヴァリエール家は参戦していないの?」 アニエスはすかさず答える。 「ゲルマニアは援軍を二週間後によこすと言ってきたそうだ。遅すぎると思わないか?」 それを聞いて、ルイズはなるほどと頷いた。 「ゲルマニアが裏切る可能性があるから、国境警備を兼ねてるヴァリエール家はここに来られないって訳ね」 「そうらしいな」 「…よかった」 「?」 「何でもないわ、じゃ、早速行ってくるわね」 ルイズは、吸血竜の背から伸びた骨を掴む。 吸血竜はそれを合図にして、力強く翼をはためかせた。 「…頼む」 アニエスは飛び立った吸血竜を見上げながら、まるで祈るように呟いた。 『なあ、嬢ちゃん』 「なに?」 『ヴァリエール家っておめえの生まれた所だろ』 「そうだけど、急に何の話よ」 『おめえ、自分が生きてるってバレるのが怖いだけじゃねえ、何か別の物も怖がってねえか?』 「…わかる?」 『少しは』 「そうねえ……例えばね。『レキシントン』と同じぐらいの戦力を持ったメイジがいるとしたら、どう思う?」 『そりゃ驚きだ、何だ、もしかしてヴァリエール家にはそんな実力を持った騎士団が居るのかい』 「騎士団じゃないわ、個人よ」 『へっ?』 「ある一人のメイジがこの戦場にいれば、戦況は大きくトリステイン側に傾いてたことでしょうね」 ルイズはどこか楽しそうに、そして懐かしそうに笑った。 「なに、竜が?」 『レキシントン』の後甲板で、トリステイン侵攻軍総司令官であるサー・ジョンストンが伝令からの報告を受けていた。 「はっ、未確認の竜が一騎、ラ・ロシェール付近の森から飛び立ち、レキシントンへとまっすぐ向かっております」 ジョンストンはふむ、と自分の顎を撫でた。 「トリステインの竜か、一騎で来るとは妙な奴だ。もしや我等の仲間か、はたまた亡命目的か……まあよい、落としてしまえ」 「既に小隊長命令で竜騎兵が向かっております」 「ふむ、我が部隊は実に優秀だ」 ジョンストンは満足そうに笑みを浮かべた。 「伝令!」 だが、別の伝令が血相を変えて後甲板に足を踏み入れたのを見て、ジョンストンと艦長のボーウッドは顔をしかめた。 「わ、我が軍の竜騎兵二十騎中、五騎が未確認の竜に落とされました!」 「何だと!」 ボーウッドが血相を変えて叫ぶ、アルビオンの竜騎兵は天下無双と唄われるほど訓練されており、航空戦力の要でもあった。 一騎の竜に五騎も落とされるなど、絶対にあってはならないのだ。 「竜は七枚の翼と、異常に長く伸びた尾を使って竜騎兵を絡め取っております!成体に満たぬ風竜のような大きさですが、鱗や角や翼など、誰も見たことのない異様な姿をしており……」 ジョンストンは頭に被った帽子を握りしめ、伝令に向けて叫んだ。 「ワルドはどうした! 竜騎士隊を預けたワルドは! あのトリステイン人はおののいて逃げたか!」 「子爵殿の風竜は、姿が見えぬとか……」 「裏切りおったな! ええい、何としてもその竜を落とせ! ワルドは見つけ次第処刑してもかまわ…」 顔を真っ赤にして怒るジョンストンの前に、ボーウッドがすっと手を出した。 「兵の前で取り乱しては、士気にかかわりますぞ」 ジョンストンは、ボーウッドにもバカにされているのかと思いこみ、怒りの矛先をボーウッドに向けた。 「何を! 貴様の稚拙な指揮が貴重な竜騎士隊に損害を与えたのだぞ!」 叫ぶようにわめきながら、ボーウッドの胸ぐらを掴もうとジョンストンが手を伸ばす。 ボーウッドは杖を握りしめてこぶしを造り、でジョンストンの腹を殴った。 うっ、とうめき声を上げ、ジョンストンは倒れた。 白目をむいたジョンストンを、傍らで待機していた従兵が乱暴に抱きかかえ、艦長室へと放り込む。 ジョンストンは総司令官という立場を与えられてはいるが、戦争の経験に乏しかった。 軍人としての優秀さで今の立場を掴んだボーウッドとは対照的で、落ち着きに欠けているのだ。 ボーウッドは将兵に向かって、落ち着き払った声で言った。 「本艦『レキシントン』号を筆頭に、艦隊は未だ無傷。そしてワルド子爵には何か策があるのだろう。諸君らは安心して、勤務に励むがよい」 将兵達の表情に少しの安堵が戻る。 何も問題はない、何も心配はないと思わせるような威厳こそが、ボーウッドが長年積み重ねてきた研鑽の成果なのだ。 「艦隊全速前進。左砲戦準備」 ボーウッドは艦隊に指令を下す、このまま進めば、ラ・ロシェールに陣を敷くトリステイン軍を射程に入れるまで五分もかからない。 ラ・ロシェールは周りを岩山で囲まれた天然の要塞だ。 だが、制空権を奪ったアルビオン艦隊にとって、トリステイン軍はアリ地獄の底に押し込められたアリのようなものに見えた。 しばらくすると、トリステイン軍の陣容がはっきりと見えて来る、ボーウッドはそれを確認し、指示を飛ばした。。 「艦隊微速。面舵」 レキシントンをはじめとするアルビオン艦隊が、トリステイン軍を左下に眺めるかたちで回頭する。 「上方、下方、右砲戦準備。弾種散弾を込めよ。左砲戦開始。以後は別命あるまで射撃を続けよ」 空高くから、重力の助けを借りて弾丸が飛ぶ。 一発一発の威力は凄まじく、風のスクエアでも対処に苦労するその勢いに、ボーウッドは勝利を確信していた。 だが、まだ何かイレギュラーがあるかもしれないと考えていると、そこに伝令が駆け込んできた。 「竜騎兵、全滅!」 それとは別の伝令も、後甲板へ報告を伝える。 「地上部隊、ニューカッスル城から脱出したと思われる『騎士』と交戦中!」 ボーウッドは眉をひそめた。 ニューカッスル城から脱出した『騎士』と『鉄仮面』。 旧アルビオン王家にとってはまさしく『英雄』であろう。 たった一人の英雄が戦局を変えられるなどとは思っていない、だが、そこに付き従う兵がいたとすれば、それが大きなうねりとなって戦局を覆す恐れがある。 油断はできないからこそ、彼は躊躇いなくどのような作戦をも指示できるのだ。 「”例の船”を準備をしておけ」 ボーウッドの呟きを聞いた一人の従兵が、敬礼をした。 閃光が走る。 アルビオン艦隊からの艦砲射撃がトリステイン軍を襲った。 雨のように降り注ぐ砲弾が、ラ・ロシェールごとトリステイン軍を破壊するような勢いで襲いかかってくる。 「所定の位置につけ!後退しつつ砲弾を反らす!」 ウェールズがアンリエッタの前に立ち、魔法衛士隊をはじめとするメイジ達へと檄を飛ばす。 いくつもの弾が、大地を抉り、岩も人も馬もすべてを吹き飛ばし、舞い上げた。 爆音がトリステイン軍を包んでいるが、トリステイン軍は壊滅的な打撃を受けることなく、砲弾を逸らすことに成功していた。 マザリーニは近くの将軍たちと打ち合わせをしていたが、砲弾を防ぐウェールズの手腕に目を見張った。 トリステインは小国だが、始祖ブリミルから続く歴史と由緒のある国であった。 アルビオン、ゲルマニア、ガリアなどと比べれば国力は弱いと思われがちだが、戦力となるメイジの数は各国の中で最も多いぐらいなのだ。 ウェールズはこの短期間でトリステインの戦力を把握し、ラ・ロシェールの地形を考慮した上で最適の陣を考案した。 風の魔法で作られた空気の壁も、アルビオンの戦力をよく知るウェールズだからこそ効率よく配置できるのだ。 マザリーニは思わず、ううむ、とうなっていた。 しかし、何割かの砲弾は逸らしきれずに飛び込んでくる。 いくつかの砕けた岩と血が舞うのを見て マザリーニは呟いた。 「この砲撃が終わり次第、敵は一斉に突撃してくるでしょう」 それを聞いたウェールズがマザリーニに答えた。 「砲撃に勢いがない! こちらが後退戦を仕掛けているのを見抜かれている!」 続けて、アンリエッタもユニコーンの上に乗ったまま、周囲の轟音にかき消されぬようにと大声で言った。 「『石仮面』からの連絡がありしだい『ヘクサゴン・スペル』を使います!」 「御意に」 ドオン、と地震のような地響きが伝う。 敵は空からの絶大な支援を受けた三千、トリステインは、砲撃で崩壊しつつある二千。 マザリーニは、勝ち目がないこの戦をどう覆すのかと、『石仮面』に問いただしたい気持ちだった。 「すごいじゃないの! 天下無双と謳われたわれたアルビオンの竜騎士が、全滅よ!」 白銀の甲冑を着込んだルイズが、アルビオンの地上部隊のまっただ中で叫んだ。 吸血竜が竜騎兵の炎にも、魔法にもひるまずに戦っているのが見えたのだ。 二十騎もいた竜騎兵は、九枚の翼と大蛇のような躰を器用に動かして空を飛ぶ吸血馬に、跡形もなく食われ、吸収されていった。 戦場の雄叫びに包まれ、ルイズの声はデルフリンガーしか聞こえていない。 『五時の方向に指揮官が居るぞ!』 「見えてるわ!」 デルフリンガーはルイズの無駄口には答えず、淡々と敵の指揮官の位置を図っていた。 「オオオオオオオオオオオッ!!」 両手を開き、居並ぶ兵士に向けて猛烈なタックルをぶつける。 その一撃で30人ほどの兵士が浮き足立つ、ルイズはその隙間に入り込んで敵兵を盾にしつつ、指揮官へと接近する。 右手に持ったデルフリンガーで邪魔者を吹き飛ばし、指揮官へと指先を向けた。 甲冑の隙間から伸びた髪の毛が、腕を伝って、指先から勢いよく押し出される。 それはまるで吹き矢のように指揮官の躰へと突き刺さった。 髪の毛は指揮官の身体の中へと潜り込み、脳へと突き刺さる。 「これで20人!」 ルイズは地面にデルフリンガーを突き刺し、勢いよく跳ね上げた。 地面から跳ね上げられた土しぶきと石のつぶてが、勢いよく兵士達に突き刺さっていく。 弓矢と魔法を受けてボロボロになった鎧が、血に染まって赤くきらめいた。 「WRYYYYYYYYYYY!!」 ルイズが叫ぶ、空高くを飛ぶ竜に向けて、叫ぶ。 「GOAAAAAAAAAAA!!」 叫び声を受けた吸血竜が雄叫びを上げ、ルイズを迎えるため地上へと首を向けた。 羽を縮め、鷹が空気抵抗を殺して落下するのと同じように、勢いよく高度を下げる吸血竜。 地上すれすれで大きく翼を開くと、その異様さがどれほど際だっているのかよく解った。 「うああああああああああああああ!」 吸血竜に踏みつぶされ、誰かが叫ぶ。 ルイズはかまわず飛び乗ると、たてがみを握りしめた。 風竜よりも大きな翼をはためかせると、風圧で兵士達が何人も吹き飛ばされる。 長く伸びた尾を無造作に振り回しただけで、兵士達はまるで箒に掃かれる枯れ葉のように宙を舞った。 竜騎士隊を全滅させた吸血竜と、地上で戦っていたルイズは、草原の遙か上空に浮かぶ『レキシントン』へと向かった。 船の下には、ブルリンと再会するきっかけとなった、ラ・ロシェールの港町がある。 デルフリンガーが周囲を確認して呟く。 『嬢ちゃん、雑魚をいくらやっても、親玉をやっつけなきゃどうしょもねえ』 「わかってるわよ」 『策はあるのかい』 ルイズはデルフリンガーを左手に持ち直すと、自分の力を確かめるようにデルフリンガーを強く握りしめた。 右手を高く掲げ、腕の中に仕込んだ杖を少しだけ掌から露出させる。 「風石の効果を少しの間だけ止めるわ、少しでもあの戦艦を地上に近づける。そうすれば勝機はあるはずよ」 『死ぬ気かよ』 ルイズは、答えなかった。 ラ・ロシェールに向けて放たれる艦砲射撃は凄まじい。 見上げた先にある『レキシントン』からは、いくつもの砲門がトリステイン軍勢に向けられている。 その砲撃の中で、一つだけ違和感を感じる発光が見えた。 「!」 ルイズの躰が硬直したのを感じて、吸血竜は勢いよく身を180度翻した。 次の瞬間、吸血竜の躰に無数の鉛玉がぶち当たり、翼や尾の一部を砕いた。 「きゃあっ!?」 『散弾だ! 射線から離れろ!』 デルフリンガーが叫ぶと、吸血竜はうめき声を上げながら翼を翻した、それによって二撃目を避けることはできたが、吸血竜の躰には明らかなダメージが与えられていた。 『嬢ちゃんしっかりしろ!おい!』 「だ だいじょうぶよ!」 デルフリンガーはルイズの心の変化を敏感に感じ取れる。 ルイズの心には、戦争に対する恐怖があった。 吸血鬼となったルイズは、自分が死ぬことなど怖いと思えなくなっていた。 しかしアンリエッタや、ウェールズ達を思い出すと、ルイズの心に恐れが浮かんでくるのだ。 吸血鬼となった自分を、お友達だと言ってくれたアンリエッタ、ウェールズ。 彼らを勝利に導けるのは自分しかいない、いま自分が死んだら戦争に負け、二人は処刑されてしまうだろう。 それを考えると、ルイズの心にも恐怖が浮かぶ。 死にたくないという思いが、ルイズの心を『吸血鬼』から『年相応の少女』へと引き戻すのだ。 『嬢ちゃん、落ち着け!』 デルフリンガーの声が聞こえたのか、ルイズはハッと目を見開いた。 そして、震える躰を押さえようと、強く、強くデルフリンガーを握りしめる。 「わ、わたしは、わたしは、敵に後ろなんか見せられないのよ!」 体勢を立て直した吸血竜の上で、右手を高く、レキシントンへと向けた。 「敵に後ろを見せぬ者をっ… 貴 族 と 呼 ぶ の よ !」 相変わらずルイズの体は恐怖に震えている、だが、その心は信念に支えられ、力強く肉体を動かした。 『嬢ちゃん』 「デルフ! 最期までつきあって貰うわよ」 『俺は武器だぜ、最初からそのつもりよ。それよりなんとかして船の真上に行くんだ、そこに大砲を向けられねえ死角がある』 「死角…敵もバカじゃないわ、その死角をカバーする手を持ってるでしょうね。けど……」 ルイズは吸血竜のたてがみを右手で握りしめ、足を踏ん張った。 「行くわよ!死ぬ気で飛びなさい!」 「GURUOOOOOOOOO!!」 吸血竜がそれに呼応し、人間にはとても耐えられぬ勢いで体をくねらせ、翼を動かす。 雲に突入し、高く、ひたすら高く空へと昇っていくと、ルイズの視界が急ににじんだ。 仮面の中で流す涙を拭うこともできず、ルイズはそのまま杖を構え尚した。 「………」 ルイズは強靱な握力で吸血竜の背にしがみつきながら、ルーンを詠唱していた。 吸血竜が雲を突き破り、レキシントンよりも高く舞い上がったのを確認すると、ルイズは吸血竜が、レキシントンを見下ろした。 雲の中から飛び出たルイズは、眼下に広がる草原に杖を向け、『イリュージョン』を放った。 「おお!あれは……アルビオンの国旗ではないか!」 草原の上に描かれたのは、巨大な旧アルビオンの国旗だった。 それを合図にして、ゆっくりと後退していたトリステインの軍勢が敵の地上部隊へと進軍を開始した。 アルビオンの地上部隊では、混乱が起こっていた。 突如空中に現れた国旗に刺激されたのか、20人ほどの指揮官が地上部隊の司令官へと杖を向けたのだ。 「なんだ!?何が起こっている!」 地上部隊の司令官は、突然の反乱に困惑を隠せなかった。 『従順な』はずの部隊長達が、一斉にアルビオン軍に杖を向けたのだ。 それに従う者、逆らう者、かまわずトリステインへと突撃しようとする者が入りみだれ、アルビオン軍の地上部隊は戦列を崩し、烏合の衆になっていった。 ルイズが最初にアルビオンの地上部隊に切り込んだのは、忠誠心を呼び覚ます仕掛けのためだった。 ルイズの髪の毛は肉腫となって人間の脳に寄生し、ルイズへの忠誠心を植え付けることができる。 今回はそれを利用して、『旧アルビオンの国旗』への忠誠心を呼び覚ますトリガーを作ったのだ。 それは、アンドバリの指輪によって指揮官が操られている場合でも変わらない。 何よりも優先して『旧アルビオンの国旗』への忠誠心を呼び起こされた指揮官達は、レコン・キスタへ反旗を翻したのだ。 「『石仮面』からの合図だ!」 「ええ。行きましょう、ウェールズ様」 トリステインの陣では、突如空中に現れた国旗を見て、アンリエッタとウェールズを中心とする即席の部隊が移動を開始した。 「アンリエッタ」 「ウェールズ様」 ウェールズはユニコーンに近づき、ユニコーンに乗るアンリエッタを抱き上げた。 自身の乗るグリフォンへ乗せると、魔法衛士隊が円陣を造り二人を囲む。 そしてアンリエッタとウェールズは杖を掲げて、詠唱を開始した。 「…」 『嬢ちゃん!おい!嬢ちゃん!』 「! あ、デルフ、私、何秒気絶してた?」 『五秒ぐらいだ、それより後ろを見ろ、ワルドが来てるぜ!』 ルイズは頭を振って、今の状態を確認した。 レキシントンよりも高い位置で旋回していた吸血竜が、距離を取ろうと翼をはためかせているが、後ろから接近してくるワルドの風竜はそれよりも早い。 ワルドは風竜の上でルイズを睨んだ。 彼はこのときをずっと待っていたのだ、『レキシントン』号の上空の雲に隠れ、静かに時を待っていた。 アルビオンの竜騎兵を撃墜した謎の竜、ワルドの乗る風竜でまともにぶつかっても勝ち目は薄い。 勝つためには虚を突くしかない、そう考えて上空に隠れていたのだが、竜の背に乗る騎士の姿を見てワルドの心は怒りに震えた。 「石仮面…!」 仮面で顔は隠されているが、あのような戦い方ができる人間など他には居ない。 それどころかあの竜は、他の竜を食べて吸収し、大きくなっているのだ、それに気づいたワルドはニューカッスルの城で切断した腕を思い出していた。 義手がギシギシときしむ音が、まるで歯ぎしりのように耳に付く。 「そこにいるのは『石仮面』、貴様だろう…なぜ貴様はその顔をしているのだ……! 消えろ亡霊ーーーッ!」 ワルドは風竜の手綱を、強く握りしめた。 ルイズは焦った、ワルドが乗る風竜は、吸血竜よりも遙かに早い。 瞬く間に追いつかれたと思ったら、次の瞬間には『エア・スピアー』が吸血竜の体を抉ったのだ。 「まずい……レキシントンをなんとかしなきゃいけないのにっ」 ルイズの焦りを感じ取ったのか、吸血竜が心配そうに鳴き声を上げた。 「グルルルルル……」 『おい、俺に構うなって言ってるぜ』 「嘘じゃないでしょうね」 『こんな時に嘘を言うかよ!』 「ワルドは強敵よ!ニューカッスルで遍在をいくつも使われたでしょ、九人分のメイジが命を省みず特攻してくるのと同じよ!」 「グアアアアアアアアアアアアアアアッ!」 「きゃっ」 突如、ルイズの体に何かが巻き付いた、吸血竜が長く伸びた尾でルイズを掴んだのだ。 吸血竜は、レキシントンの後甲板に向けて、ルイズをぽいっと投げた。 『俺を信用しないのかって怒ってるみてーだ』 「ちょっ、うわっ…」 ルイズの体は宙を舞い、レキシントンの甲板へと落下する。 だが甲板では幾人かのメイジがルイズに向けて杖を向けていた。 「まずいっ、魔法で壁を作られたら…」 『俺をあいつらに向けて構えろ!』 「!」 ルイズはとっさにデルフに従い、空中でくるりと回転して体勢を立て直し、デルフリンガーを甲板に向けた。 そして、デルフリンガーの刀身が輝いた。 「っ!」 ルイズの体に衝撃が走る、空気で作られた壁にぶつかったのだが、その壁は霧散して消えてしまった。 他にも風の刃や、炎の固まりがルイズに向けて放たれたが、デルフリンガーがそれを吸収してしまう。 「馬鹿なッ!魔法が通じ…」 甲板でルイズに杖を向けていたメイジが、何かを言いかけたところで、ドオンと大きな音を立ててレキシントンに振動が走った。 「…あんた、意外とやるじゃない」 『へへっ、これが俺のホントの姿よ、魔法ならいくらでも俺が吸い取ってやるさ』 「頼もしいわね!」 ルイズは、折れたままの足で甲板を蹴り、に渾身の力を込めて、竜騎兵を搭載するほど丈夫な甲板を踏み抜いた。 「サー!『騎士』が甲板に降り立ちました!甲板の中から船内に侵入した模様です!」 「…馬鹿な!」 ボーウッドは珍しく語尾を強めた。 異形の竜といい、『騎士』といい、すべてが規格外だ。 「まさか、烈風カリンではあるまいな」 ボーウッドの背に冷や汗が流れるのを感じた。 「何としてでも殺せ!」 いつも冷静なボーウッドが声を荒げたので、幾人かの兵が身震いをした。 ボーウッドは敵の戦力を侮っていたと、今更ながら考えていた、ふとある事を思いついたが、恐怖を煽ってはならないと考えて、決して口には出さなかった。 (あの騎士は、まさかエルフではないだろうな…) To Be Continued→ 戻る 目次へ