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登録日:2017/02/21 Tue 02 10 21 更新日:2024/03/23 Sat 01 15 33NEW! 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 はっぴぃセブン アニヲタ悪魔シリーズ アニヲタ神様シリーズ 七福神 仏教 八仙 八福神 多国籍 宝船 民間信仰 神 神道 福の神 縁起物 道教 ■七福神 『七福神』(しちふくじん)は、日本の民間信仰の場から誕生した神道、仏教、道教……etc.に由来を持つ、一柱でも有難い福の神を七柱一組のグループとして纏めた呼び名。 宝船に乗った姿で描かれ、新年を初めとして御目出度い縁起物として定着している。 江戸時代以降に民間に定着して広まったが、最初に七福神の原型が整えられたのは室町末期の近畿地方であったと云う。 七福神として知られる七神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋だが、現在でも福禄寿と寿老人を同体として他の神仏が加えられる例があり、吉祥天や猩々などが特に有名。 尚、七神乃至は八神の神性を集めた図を縁起物として扱うと云うのは、中国由来の八仙図(*1)に準えたものとされる。 【大まかな歴史】 信仰の興りには諸説があるが、平安時代に天台宗の開祖である最澄がインドに倣って寺門の竈に大黒天を祀ったのが最初であると考えられている。 以降の経緯はあやふやなれど、これが民間にも広まり、やがては大黒天と恵比寿を共に祀るようになっていった。 室町に入ると鞍馬寺を発祥とする軍神として日本に入ってきた毘沙門天を元の福の神としても祀る信仰が民間にも広まり、大黒天と恵比寿に毘沙門天も併せて共に祀るようになったと云う。 ……何の組み合わせやねん。 と、思わないでもないが米俵に乗った大黒天は稲作、農業の神としての信仰があり、釣竿と鯛を抱えた恵比寿は大漁を祈願する漁業の神である。 これが二神を共に祀るようになった由来だと云うが、ここに財宝と勝利を司る毘沙門天が加わるとバランスが更に良くなると云うのは間違いない。 尚、当初は恵比寿の本地仏が毘沙門天とされていたそうで、そうした意味でも決して関連性の薄い尊格ではなかったとも云える。 室町中期には多くの中国文化が日本に入り尊ばれていたようで独自の発展を遂げていった(=京都の東山文化)。ここで中国仏教の伝説的神人である布袋、更に道教の南極老人に起源を持つ寿老人と福禄寿もまた日本に入って来た。 更に更に、室町の終わる頃には奈良時代には護法善神の一つとして日本に入っていた弁才天が宇賀神との習合を経て日本風味の福の神として単独でも信仰されるようになり、弁“財”天の言い換えによる福の神としての性格を確固たるものとした。 こうした流れを受けて室町末期に近畿地方で成立したのが七福神であるとされ、これが江戸時代に関東以北に持ち込まれ全国に広がっていったのだと云う。 商家でも七福神の流行以前より大黒天、弁財天、毘沙門天を共に祀ったりしていたので福の神を一箇所に纏めると云うことには特に問題も抵抗も無かったようである。 【メンバー】 ■恵比寿(えびす)(大漁祈願、商売繁盛) 右手に釣竿。左手に大きな鯛を抱えている狩衣姿の御大尽の姿をしている。 ビールのマークでもお馴染み。 七福神では唯一の日本出身の神とされるが、その由来については諸説がある。 一般的には伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の最初の子である蛭子(ヒルコ)神が流れ着いた場所で手厚く祀られることにより転じた神であるとされるが、 日本神話だけでも他に大国主神の息子である八重事代主(コトシロヌシ)神、大国主神に協力した渡来神である少彦名(スクナビコナ)神、釣りと云う共通項からか山幸彦(彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト))である、とする説がある。 日本由来の神ではあるが、海の彼方より来た渡来神であるとする共通認識はあるらしく、“ヱビス”の漢字も夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須と、様々な表記がある。 これらの漢字からも解るように、朝廷から見た地方への蔑視的な視点を含む名(戎、夷、蝦夷=えみし、えぞ)も“ヱビス”に当てられている事から、“ヱビス”とは本質的に何処か解らぬ場所へと流された神、何処からか流れてきた神=異邦神であるのだと考えられる。 この他、海洋国家である日本では海から流れ着いた日常からは逸脱した異物を吉兆の印たる“神”として祀る習俗があり、遠洋より迷い込んだ鯨等の他にも鯨や人の水死体等も“ヱビス”として祀られたとされる。 “ヱビス”の名が最初に登場するのは平安末期に広田神社の末社の“夷”社の祭神として記されたことだとされる。 前述の様に本地仏は毘沙門天であるとされていたが、後に同系列の“三郎”社の本地仏であった不動尊と入れ替わり、更に後には二社が合祀されたのが西宮神社(=ヱビス信仰の総本社)となったと云う。 現在の恵比寿からは想像がし難いが、元来は荒々しい祟り神の様な側面があったのかもしれない。 また、海より来た渡来神は由来上、五体満足の姿で顕されることは少ないが、現在の恵比寿もまた耳が悪いとする信仰がある。 ■大黒天(だいこくてん)(五穀豊穣、財産) 仏教に取り入れられたインド神話のマハーカーラが、日本神話の大国主神と習合した姿。 二神の概要は当該項目を参照。 音読みでは大黒も大国も共に“だいこく”と読めると云う事と、二神ともに袋を担いでいたと云う共通項から習合したと思われる。 右手に打出の小槌を、左手で七宝の入った袋を担いで米俵の上に立った長者の姿をしており、大地の守り神=稲作と農業の神となっていった。 ■毘沙門天(びしゃもんてん)(財宝、勝利) 詳しくは当該項目を参照。 仏教に取り入れられたヒマラヤの財宝の神で、勝利を願う戦勝の神として日本に入った事から、財産を増やす融通開運の神としての信仰を受けた。 唐風の鎧を纏った武人の姿で、右手に戟か宝棒を持ち、左手に宝塔を掲げて足下に悪鬼を踏み締めている。 ■弁財天(べんざいてん)(財宝、芸術、縁結び) 詳しくは当該項目を参照。 元はインド神話の河川と音楽と言葉の女神であったものが仏教に取り入れられた姿。 琵琶を持つ天女の姿をしているが、日本では宇賀神と習合したことから蛇や龍を化身とすると云う独自の信仰が生まれた。 共に福の神としての信仰を受け、七福神の候補ともなっていた吉祥天の名が外れたのは弁才天と同じ女神であると扱われるようになった為とも云われ、弁才天が弁財天の字を充てられた財宝の神となったのは吉祥天の性格をも獲得したのが理由であるとも言われる。 小石川七(八)福神では男弁天(宇賀神)が加わり、八神となっている。 ■福禄寿(ふくろくじゅ)(長寿、人徳、招徳) 道教の“幸福(子宝)・封禄(財産)・長寿(健康と長命)”の三種の願いを具現化した神仙で、故に福禄寿と云う。 宋時代の道士の天南星、或いは南極老人星の化身たる長寿の神仙で、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、左手に宝珠を持って長命の象徴である鶴と亀を引き連れた老人の姿をしている。 小柄な体格だが非常に頭が長いのが特徴で、長い耳朶や顎髭も持つ。 元来は三星信仰と云う福星、禄星、寿星の三つの星に三体の神の姿を当て嵌めた三体一組の信仰だったものが、その内の寿星たる南極老人星のみが日本に伝わり、更に一体で三体の功徳を持つ信仰へと変わったのだ、とも考えられている。 ■寿老人(じゅろうじん)(長寿、延命、福徳) 道教の神仙であり、伝説上では実在したとされる人物。 酒好きで頭も白鬚も長いとされるが、福禄寿との区別の為か帽子を被っている。 福禄寿と同じく南極老人星の化身たる長寿の神仙である為、両者を同一の神とみなして代わりに猩々が入れられたりしていたこともあったと云う。 この為、日本では白鬚明神の化身としても扱われる。 不死の霊薬の入った瓢箪や巻物を括り付けた杖、難を払う団扇などを持つとされる他、長寿の象徴たる桃を持ち、矢張り長寿の象徴である牡鹿を随えた老人の姿をしている。 ■布袋(ほてい)(招福、子宝、円満) 中国仏教に於ける伝説的な仏僧で、唐代末期の明州に実在したとされる。 本名を釈契此(しゃくかいし)と云うが、いつも大きな袋を持ち歩いていたので“布袋(ほてい)”と呼ばれるようになったと云う。 和尚は、常に笑顔を絶やさず人の悩みを聞いて周る乞食坊主として暮らしたが、その謎に満ちた生涯には数々の伝説的な逸話が付いて回った。 布袋和尚の作として伝えられる数々の心を説いた偈(げ)(詩)や歌が残されており、そうした事からか和尚を禅僧と見なす考えもあるが、これは後代の後付けらしい。 死の間際に残したとされる偈文の、 彌勒真彌勒 分身千百億 (弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり) 時時示時分 時人自不識 (時時に時人に示すも時人は自ら識らず) と云う詞から、布袋和尚は弥勒菩薩の化身であったとする伝説が生まれ、実際に埋葬されたにもかかわらず死後もその姿が確認されたとの逸話も伝わる。 和尚の姿は禅画の題材として広く尊ばれ、日本でも同じ経緯を経て民間にも知られるようになっていったと云う。 恰幅のいい、着物から溢れる程の太鼓腹で、大きな袋を担いだ乞食坊主の姿をしている。 持ち歩いていた大きな袋には托鉢で得た食物を生臭であっても構わずに入れていたとされるが、後には多くの宝物が入っておりそれを人々に分け与えるのだと言われるようになり、更に後には堪忍袋であるとされるようになった。 中国では以上の伝説から弥勒菩薩を布袋形で顕すようになり、日本でも沖縄には布袋形の弥勒菩薩である“ミルク神”の信仰が根付いている。 【その他】 実際に上記の七神に一柱を加える。或いは入れ替わりで信仰されている神。 ■お多福(阿亀) 清水寺八福神(京都) 鶴見八福神(静岡) 天之宇受売(アメノウズメ)命に起源を持つとされる滑稽な女面。 これに能の女面と作者を同じくする狂言の乙御前や文楽のお福人形のイメージも習合した。 “阿亀(おかめ)”の名は、面の頬が 張り出した形が瓶に似ているから、とする説の他、巫女の名前との説もある。 京都の千本釈迦堂(大報恩寺)には鎌倉時代に本堂を建てた大工の棟梁の高次の妻が夫を助けて命を落とした“おかめ”さんの話が伝わっており、京都の棟上げ式では阿亀の面が御幣に付けられるとの事。 ■吉祥天 八千代八福神(千葉) 八王子八福神(東京) くりはし八福神(埼玉) インド版アフロディーテとも呼べる美と幸運の女神で、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神妃・ラクシュミとして知られる。 仏教においては毘沙門天の妃、或いは妹とされている。 七福神の有力な候補であったが、前述のように弁才天に役割を吸収されてしまったり、吉祥天を入れると妹の真逆の属性を司り醜い姿とされる黒闇天(*2)も入れなければいけなくなるから、とする説もある。 ■達磨 瀬谷八福神(神奈川) 吉田八福神(愛知) 達磨大師は5世紀頃に実在したとされる南宋の禅宗の開祖。 南インドのパッラヴァ朝の第三王子であったと云うが、中国で出家して菩提達磨となったとされる。 嵩山少林寺での九年の座禅修行により手足を腐らせて失ってしまったとされるが、これは後年に達磨の遺した壁観を誤訳して出来た伝説であるとされる。 尤も、縁起物としての達磨は手足が無いままで伝えられたのは御存知の通りである。 ■男弁天(宇賀神) 小石川七福神(東京) 東京ドームにもある小石川七福神では宇賀弁天として男女の弁天が揃っており数では八神となっている。 宇賀神はよく由来の解らない弁才天の習合相手で、龍や蛇を本性とするとされる。 男弁天としての宇賀神は老人の姿であり、蛇身でも顕される。 この他に加えられた神仏としては、福助、稲荷、楊貴妃、鍾馗、ひょっとこ(お多福とセット)、虚空蔵菩薩、不動明王、愛染明王(不動と愛染はセット)……等の名前が見える。 追記修正は宝船に乗ってからお願い致します。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 福禄寿と寿老人はGS美神で「このご時世長生きしたって意味ないからあんたらのご利益なんかいらないっつーの!」って言われてたけど本当にその通りだと思った(贅沢) -- 名無しさん (2017-02-21 03 42 31) ???「ナナジンと名付けたか!」 -- 名無しさん (2017-02-21 07 05 21) 思っていた以上に他の国の神様も同席しているんだな(笑)キリスト教やイスラム教も日本に広まるのが早かったら、加わっていたのかな。てか神様に寛容過ぎ -- 名無しさん (2017-02-21 09 55 08) ちょいワル親父 -- 名無しさん (2017-02-21 10 05 00) 「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさまぐんだん」感ある -- 名無しさん (2017-02-21 10 34 17) 密教的な部分もあって引用だけど真言もあるんだよね。そういうマニアックな部分も民間信仰の神様に当て嵌めてる辺り、日本の基礎教養みたいなのの高さが伺えると思う。 -- 名無しさん (2017-02-21 10 38 27) 日本の宗教観における一つの到達点だよなあ -- 名無しさん (2017-02-21 11 03 37) よく知ってるなあ…すごい情報量だ -- 名無しさん (2017-02-21 12 34 08) エビス様は外来の神が日本に来て、それが蛭子のエピソードと組み合わさって誕生したと聞いたことあるな。まあ、なんにせよ、蛭子さまが救われてほんとよかった。 -- 名無しさん (2017-02-21 13 48 48) エビスじゃなくてヱビスなのはなぜ? -- 名無しさん (2017-02-21 16 23 51) 個人的に思い出したのは冥王ゴルゴナ -- 名無しさん (2017-02-21 18 25 00) 空想科学読本で「七福神を乗せた宝船の絵は反対側に宝物を詰め込まないと転覆する」とかいう考察されてた印象が強いw -- 名無しさん (2017-02-21 19 11 52) QEDでの推理がぶっ飛んでたな… -- 名無しさん (2017-02-21 23 28 45) 諸星大二郎先生の漫画だと福禄寿と寿老人が同一の存在扱いで六福神になってたな。正体は宝船と一体化した異形の者たちで、たまに七柱目を人間界から引き込んで七福神になる。危うくヒロインが取り込まれかけた -- 名無しさん (2022-11-27 04 01 40) 名前 コメント
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用語集 ――ま行―― 記号 あ か さ た な は ま や ら わ 戻る 用語集 ――ま行――前田のクラッカー またまたご冗談を 間桐桜(俺の嫁) マックスシャナ(MAXシャナ) マックスハルヒ(ハルヒマックス) マックスハルヒ予約すっぽかし事件 松岡美羽(苺ましまろ) まて ミカタン 巫女バズーカ 三峯徹(みみねとおる) ミリメセイバー 無限ポチ地獄 婿(むこ) 室伏(むろふし) ムルソー メガハウス メタモハルヒ(メタボハルヒ・1000円ハルヒ) メタボリックハルヒ メタルラック めんへら堂(めるへん堂) もえたん 萌えるゴミ 萌えないゴミ 萌えよ!アキバ人ブログ もきゅ 木工用ボンド もっこす様(邪神もっこす) 元ネタ(もとネタ) 文句はアニメを見てから言え 魔理沙P 前田のクラッカー imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 前田製菓が製造・販売するクラッカー。100円ショップなどで手に入る。安価でそれなりにお腹にたまり、また調理の幅が広い(スープにつける等)ので、金欠でおちんぽミルク目な人に好評である。なお、個人的には五穀たっぷりクラッカーを推しておく。うまいんだこれ。 かつて朝日放送・TBS系で放送された「てなもんや三度笠」という生放送時代劇において、主演の藤田まことが「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」 と叫んだギャグで有名である。同時代劇は前田製菓がスポンサーであり、当時のコマーシャルは今のように別収録ではなく(とくダネ!の番組内のコマーシャルを思い浮かべると良い)、このように役者が番組中にタイアップとしてやることも少なくなかった。 http //atarimaeda.com/ またまたご冗談を にわかには信じられないネタを提示されたときに、信じられないとは思いつつも興味があるため、軽く探りを入れるための言葉。もしそれが本当ならうれしいなという期待感も含まれることが多いため割と好意的に受け取られるフレーズである。 間桐桜(俺の嫁) 吊るされたり、ダンボールに刺さったり、剣山に寝かされたり、滝行を受けたりと、日々仏の道に精進をたゆまぬ存在。 一部に熱狂的ファンと隠れファンがいるらしい。 健気で純情で芯の強いFateで最もかわいいヒロイン。反論は受け付けない。 マックスシャナ(MAXシャナ) シャナフィギュアシリーズの最高傑作。 数あるシャナイラストの中からあえてこのイラストを選んだ原型師のセンスは流石。 美しくも凛々しい表情と、エロいヘソ。 毛先へ行くほど透明がかっていくグラデーションのかかったクリアパーツによる焔髪の表現など芸術品の域。 マックスハルヒ(ハルヒマックス) マックスファクトリーから発売された涼宮ハルヒのこと。原作の人気はもちろん、サンプルの発表から出来の良さに話題が沸騰。2006年10月の予約開始直後に瞬殺、早々に2次3次出荷が決まった。現在も人気が高いため、店頭ではほとんど手に入れることができない。 中古屋で絶大なプレ値で並んでいることがあるが、転売屋に負けてもいいのか? マックスハルヒ予約すっぽかし事件 楽天あみあみに於いて、2007年7月12日20時から数量120限定でマックスファクトリー版涼宮ハルヒフィギュアを販売すると予告され、スレ住人のうち買いそびれた者や、2個目を狙いに行く者、スレ住人にまぎれた転売厨などがwktkしていた。 しかし20時になっても一向に「売り切れ」の表示のままであり、「5秒に1回リロードしてんのにどんだけぇ~」とか「転売厨死ねよ」など、阿鼻叫喚の事態となった。 その後、あみあみから「ごめww12日って書いたけどなんかバグって動かなかったwwww13日に変更しますwwwサーセンwwwwww」というアナウンスがあり、しかも120だった限定数が200に増えており、「てめえどんだけ隠してたんだ」「MAXから80体追加で来るから発売を 延ばしたのか?」「デリヘルの客に捕まって8時までにに帰れなかったんだよ」など、様々な憶測を呼ぶ。 いずれにせよ、水銀燈ショート事件以来、あみあみの微妙な杜撰さが目立っていることは、スレ住人にとっても頭痛の種である。 松岡美羽(苺ましまろ) 俺の嫁。美羽をウザいって言うやつは非国民。ちなみに俺はロリコンじゃありません!!1 まて 発言者が暴走気味、ちょっとおかしいときにとりあえずつっこんでおくための言葉。よくわからないが直感的になんかおかしい、またはつっこみどころ満載でどこからつっこんでよいかわからないとき等に使われる。 ミカタン グッドスマイルカンパニーの社員であり、メルマガ担当。大人の女。彼女が送ってくるメルマガは非常にテンションが高く、ツンデレなどのネタも披露。どうやらギャルゲーヲタ、ジョジョヲタ、フィギュアヲタのようである。 以前は、次回案内予定のフィギュアのヒントとなるクイズがメルマガに含まれていて、それによってだいたいの予約開始日が予想できたため非常に重宝していたが、2007年3月のMAX長門祭りのいざこざ以降クイズは廃止された。 2007年7月、期間限定でミカタンブログがオープン。 巫女バズーカ 韓国天使ソーニャと並ぶ珍名ドールである。バズーカを持った巫女なので「巫女バズーカ」。非常に率直かつ判りやすい名前ではある。 三峯徹(みみねとおる) 雑誌投稿者の一。丹沢敬三の別ペンネームも持つ。 20年近くにもわたって、ほとんどすべての美少女誌(エロマンガ)の読者ページに独自のタッチのイラストを投稿している怪物。通常、イラストは長期に渡って描き続けると、画力が向上したり、タッチが変わったりするが、三峯のイラストはさおだけ屋の値段以上に20年前と変わらない「ヘタウマ」(というより下手)なイラストを描き続けている。だが、多くの美少女誌読者は巧くなった三峯の絵など求めておらず、いつまでもあのタッチを固持し続けて欲しいと願う者も少なくない。 三峯は「座敷わらし」とも呼ばれ、彼による投稿のない雑誌は早晩潰れるとも言われている。(これはむしろ、三峯にすら愛想を尽かされるような雑誌は他の読者にも読まれないということだろう。)そのためか、美少女誌の編集部は三峯の投稿を優先的に載せているとすら言われている。 三峯のイラストはAAにもなっており、驚くべき事にwikipediaに三峯徹という項目がある。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%AF%E5%BE%B9 なお、武装神姫の公式サイトには次期シリーズに起用して欲しい原画師のアンケートがあるが、間違ってもここに「三峯徹」などと書いてはいけない。 ミリメセイバー スレ的にアルターから発売の造形師倉本育馬氏 (ミリメートルモデリング)による完成品PVCのことを指す。 ミリメは美しく芸術性の高い造形と細部まで作りこまれた衣装のデザインに定評があるが、その中でもセイバーのメイド服Verの完成度は量産品として手に入るフィギュアの中でも飛びぬけており、もはや芸術品の域である。 普段はロリコンって良いよねを連呼するキモヲタですらその美しさと迫力の前に言葉を失い、他のおっぱいフィギュアにぶっかけするクズすら、ちんこを握り締めることを忘れるという。 \服を着て静かに微笑んでいるだけにもかかわらずその表情と尻だけで全裸具入りフィギュアの数万倍の妖艶さをかもし出し、さりとてBUKKAKEは憚られるのは芸術品のなせる魅力である。 これを手にした瞬間に満ち足りてこれまでのフィギュアを求めてひたすらポチりまくる日々に幕を下ろし、たった一人の嫁を愛でることを決めた者も出たという。 ミリメセイバーメイド画像うp集 無限ポチ地獄 フィギュアを1つでもポチる(ポチについては用語集参照のこと)と終わりの無いポチ作業が始まる。税金滞納者がフィギュアを差し押さえられ、競売にかけられたケースは記憶に新しい。 我々も他人事ではないのかもしれない……。 婿(むこ) 女性のフィギュアを嫁と呼ぶのに対し男性のフィギュアは婿と呼ばれる。 ちなみに「婿殿」と書くと菅井きんの顔が浮かぶ人が多いので注意。 室伏(むろふし) エグゼリカの愛称。 ムルソー imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 カミュ「異邦人」の主人公。砂浜でアラブ人と喧嘩になり、これを射殺。裁判でなぜお前は人を殺したのかと詰問され「あまりにも太陽がまぶしかったから」と答えて死刑になる。 フィギュア化はされていないし、その予定もない。 メガハウス 玩具製作会社の一で、バンダイの子会社。 ジャンプ系、ガンダムシリーズなどの有名作品を立体にすることが多い一方、クイーンズブレイドというマイナー露出ゲーム本のキャストオフフィギュアを販売し、その出来の良さから元シリーズが注目されるという逆メディア展開もあった。 造型レベルは高く安定しており、なかでも「エクセレントモデルCORE」シリーズは、その豪快な脱ぎっぷりから瞬殺の危険が多い。 http //www.megahouse.co.jp/ メタモハルヒ(メタボハルヒ・1000円ハルヒ) バンダイが出した涼宮ハルヒのバニースタイルフィギュアのこと。温度検知素材が使用されており、最初は黒いバニースーツ+パンスト姿であるが、30度以上(と公称しているがどう考えても20数度)に暖めるとバニースーツが白くなり、パンストが透明になって生足のように見える。16度以下に冷やすと元に戻る。冷蔵庫や冷凍庫で冷やすか、エアダスターを逆さまにして噴射すると良い。 あみあみのセールで1000円で売られていたため、1000円ハルヒと呼ばれることもある。メタボ-はただのタイポ。 また、スレ住人の中には俺を含めて簡易温度計として使う人もいるようだ。 メタボリックハルヒ メタモハルヒとメタボリックシンドロームをかけたオヤジギャグ。誰もが考えつくがそれゆえに誰も口にしないものの一。 メタルラック ラックの突然変異種。とても防御力が高く、通常の攻撃ではダメージは1しか与えられない。また、逃げ足が速くすぐに逃げられてしまう。だがメタルラックを見事完成させた暁には、多大な経験値(フィギュアオタの)が手に入れることができる。が、フィギュオタレベルが上がると一般職に転職できなくなるので喜ばしいかどうかは微妙である。 めんへら堂(めるへん堂) imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 岐阜県のトイショップの一。「TJ価格」を上回るぶっとんだプレミア価格設定と、「どう考えてもまともな仕入ルート持ってないだろう」とつっこみたくなる品揃えがスレ住人にインパクトを与える。 また、ショップサイトのデザインがアトリエ災よりも古くさく、商品画像の画質が「テレホーダイの香りがする」ほど汚いため、別の意味で有名なホビーショップとなってしまった。ていうか、meruhenて。ローマ字て。 それにしても、岐阜県ならこんな地図で道案内できるのだろうか。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 http //www2.bbweb-arena.com/meruhen/ もえたん ロリコンである俺のツボを見事に突いてくるシリーズ。元は「萌える英単語 もえたん」という英単語集が発端であるが今ではアニメ化されるまでになった。 第一集は「もえたん」であったにもかかわらず第二集以降は「moetan」と英語表記になったのは、「もえたん」が既に他者によって登録商標化されてていという大人の事情によるものだが、それって小錦が「Konishiki」になったのと一緒だよね、と思うと若干萎える。 主人公・虹原いんく(ぱすてるインク)のCVは般若。般若は俺の嫁…ではない。 http //www.ink-chan.com/ コトブキヤから出ているパステルいんくは、造型の出来こそ良いものの、傾きが激しく、暑い夏を乗り越えることは不可能である。同じくコトブキヤから出ているトレフィは、森川、爪塚原型による秀作。 萌えるゴミ J.D.サリンジャー著、the CATCHER in the RYE(邦語題ライ麦畑でつかまえて)の主人公が持っているものである。 萌えるゴミとは「存在しそうで実際には有り得ない」という意味のネット隠語。 萌えないゴミ 主に三次元に存在する有機生命体。蛋白質の固まり。 萌えよ!アキバ人ブログ 秋葉原を紹介するBlogの一。アキバBlogよりもフィギュア情報に特化している観があるためチェックしているフィギュアユーザーは多い。看板娘はフィーたん。トイプラからフィギュア化もされた。しかし筆者はリペたんのほうが好きですが何か? http //www.moeyo.com/ もきゅ 1)いつも新スレが立つと2getするニートの人。 2)ガチニートの人。 3)山梨県の実家に住んでる人。 木工用ボンド imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 通称白濁液。 神姫などの可動フィギュアの関節が緩くなってしまったとき、おもむろにこれを取り出しBUKKAKEる。するとヤリマンのごとくユルユルだったお股もあら不思議! 元通りなのである。 木工ボンド部ではない もっこす様(邪神もっこす) imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 元ネタ(もとネタ) (1)フィギュアの場合、そのキャラクターが登場するアニメ、ゲーム等を指す。「これの――ってエロゲ?」 (2)イラスト等から立体化されたフィギュアの場合、そのイラストを指す。「このフィギュアのポーズって――は雑誌のポスターだよね」 (3)一般的に使われる場合、パロディやオマージュの元となった作品やシーンを指す。「呂蒙の――ってどう見ても綾波」 文句はアニメを見てから言え アニメを見てもいないのに最初から文句を言う人がいるときに使う言葉。大抵は下記のようになる。 / ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / (●) (●) \. リリカルなのはとやらを2話まで見たけど全然面白くない | (__人__) | 声優は豪華だったから声オタが騒いでただけか? \ ` ⌒´ / / \ 二時間後 ↓ ____ /_ノ ヽ_\ /(≡) (≡)\ / ⌒(__人__)⌒ \ フェイトちゃんとちゅっちゅしたいよぉ~ | |r┬-| | \ `ー ´ / 720 名前:[名無し]さん(bin+cue).rar[sage] 投稿日:2006/12/19(火) 01 56 12 ID CatBGRzs0 リリカルなのはとやらを2話まで見たけど全然面白くない 声優は豪華だったから声オタが騒いでただけか? 787 名前:[名無し]さん(bin+cue).rar[sage] 投稿日:2006/12/19(火) 04 12 22 ID CatBGRzs0 フェイトちゃんとちゅっちゅしたいよぉ~ ex枠 魔理沙P フィギュアスレの歪みが生み出した悪玉であり肉を好む。 x
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唐書巻二百二十一下 列伝第一百四十六下 西域下 康 寧遠 大勃律 吐火羅 謝 識匿 箇失密 骨咄 蘇毘 師子 波斯 拂菻 大食 康国(サマルカンド)は薩末鞬とも颯秣建ともいう。北魏の時の悉万斤である。その南百五十里のところに史国(キッシュ)、西北百余里のところに西曹、東南百里のところは米国(マイムルグ)に属し、北五十里のところに中曹がある。康国は、那密水(ザラフシャン川)の南にあり、大きな城を三十、小さな砦を三百それぞれ有していた。君主の姓は温で、もともとは月氏人であった。初めは祁連山脈の北にある昭武城に住んでいたが、突厥に敗れ、次第に南に移住してパミールにより、その地に住むようになった。庶子が枝分かれし分家して、安国(ブハラ)、曹国(カブーダーン)、石国(タシュケント)、米国(マイムルグ)、何国(クシャーニーヤ)、火尋(フワーリズム)、戊地(ベティク)、史国(キッシュ)に分かれ、世の人はこれを九姓と呼ぶが、この九つの国はみな、氏は同じ昭武であった。康国の土壌は肥沃で穀物を産し、良馬を有し、兵卒は周辺諸国よりも強かった。人々は酒をたしなみ、街道で歌舞することを好んだ。王は帽氈(フェルト帽子)をかぶり、黄金や諸々の宝石で飾った。女性は低いまげをゆい、その上に黒い頭巾をかぶり、金の花をいくつもつないでいた。子供が生まれると石蜜(氷砂糖)を食べさせ、手のひらに膠を握らせる。大人になったら蜜のごとく甘言を弄し、宝を手に入れたら手放さないよう願ったと言われている。子供は旁行書(横書きの胡書)を習う。商業にたけ、利を好み、男は二十歳になると他国に出かけてゆき、利益のあるところならば、どこへでも行かぬところはなかった。十二月が年の初めで、仏教を尊び、祅神(ゾロアスター教の神々)を祀る。機織りが非常に巧みであった。十一月、鼓をうち、舞をまって乞寒をし、お互いに水をかけあって楽しんだ。 隋の時、王の屈木支は西突厥可汗の娘を娶り、突厥の臣下になった。屈木支は武徳十年(627)、初めて唐に遺して方物を献上した。貞観五年(631)、ついに臣を称したいと請願したが、太宗は「朕は虚名を取って人民を苦しめる事を憎む。もし康国が唐の臣下になれば、危急をともにせねばならぬ。康国を救うために唐の軍隊を万里も離れた遠い地に赴かせることが、朕の意志であろうか?」と返答し、康国からの申し出を拒絶した。その後また康国は遺使して獅子を献上した。太宗は遠方から獅子が来たことを珍しがり、秘書監の虞世南に命じて賦をよませた。これより康国は毎年朝貢し、金の桃、銀の桃を献上した。太宗は詔して苑内に金桃と銀桃を植林させた。 高宗の永徽年間(650-656)、康国の地を康居都督府となし、王の払呼縵(ワルフマン)を都督となした。万歳通天年間(696)、武后は国の大首領の篤娑鉢提(トゥカスパタグ)を主とした。王が亡くなると、息子の泥涅師師(ナルサス)が即位した。泥涅師師が亡くなると、国人は突昏(タルフン)を立てて王とした。開元六年(718)、鎖子の鎧、水晶の杯、瑪瑙の瓶、駝鳥の卵、越諾市、小人、胡舞を舞う舞姫を献上してきた。王の烏勒伽(グーラク)は大食(アラブ)と数戦して勝てなかったので、開元七年(719)、玄宗に援軍を要請したが、玄宗は許さなかった。これより久しくして、開元十九年(731)、烏勒伽は息子の咄曷(トゥルガル)を曹国の王に、息子の黙啜を米国の王にしたいと請願したので、玄宗は詔を下して許可した。烏勒伽が死んだ。玄宗は康国に遺使して息子の咄曷を次期王として立て、欽化王に封じ、母親の可敦を郡夫人に封じた。 安国(ブハラ)は、布豁とも捕喝ともいい、元魏(北魏)の忸蜜である。東北は東安、西南は畢(バイカンド)があり、みな百里の距離のところにある。西は烏滸河(アム・ダリヤ)の河岸に沿い、阿濫謐城において統治した。つまり、康居の小首長だった罽王の故地である。大きな城は四十、小さな砦は千あまりあった。勇敢で壮健なものを募って、柘羯(チャカル)にした。柘羯というのは、中国の戦士と同じようなものである。武徳年間(618-626)、遣使して朝貢してきた。初め方物を献上したので、太宗は安国の使節をあつく安んじ、「西突厥はすでに降伏したから行商を行なうがよい」と言ったので、胡人たちはたいそう喜んだ。安国の王もまた名馬を献上してきた。王は、安国の王位は代々一姓で継承し、自分は二十二代目になると自称していた。この年、東安国もまた入朝し、こちらは分家して姓を継承して十代目になると言った。 東安国(カルガン)は小安国とも喝汗ともいい、那密水(ザラフシャン川)の北にある。東二百里あまりのところに何国、西南四百里のところに大安国がある。治所は喝汗城であった。また、鷿斤ともいった。大きな城が二十、小さな砦が百あった。顕慶年間(656-661)、阿濫を安息州とし、王の昭武殺を刺史とした。鷿斤を木鹿(メルブ)州とし、王の昭武殺を刺史となした。顕慶十四年(726)五月、安国の王の篤薩波提(タグシャーダ)は、弟の阿悉爛(アルスラン)・達払耽発黎を派遣して来朝させ、馬と豹を献上した。これより八年前の開元七年(719)二月、王は波斯(ペルシア)産のラバを二頭、払菻(ビザンツ)産の刺繍の蹴鞠を一つ、鬱金香(サフラン)、石蜜などを献上し、妻の可敦は柘辟の大きな蹴鞠を二つ、刺繍の蹴鞠を一つ献上した。篤薩波提は自身に帯(ベルト)と鎧杖、妻の可敦に袿(うちき)と䙱(ワンピース)を賜らんことを願った。 東曹国(ストゥルーシャナ)は、率都沙那とも蘇対沙那とも劫布呾那(カプーダーン)とも蘇都識匿ともいい、およそ四つの名を持っていた。山の北にある。漢の時の弐師城の地にあった。東北二百里のところには倶戦提(ホジェンド)がある。北の石国、西の国、東北の寧遠はみな、およそ四百里のところにある。五百里のところには吐火羅がある。野叉城と言う城があるが、この城には巨大な窟があり、かんぬきと錠で厳しく守られており、年ごとにここでお祭をした。人は窟に向かって立ち、中から煙が出てくるが、この煙に先にふれたものは死ぬ。武徳七年七月、東曹国は康国とともに遺使して入朝した。東曹国の使者は、「わたしは力持ちです。聞くところによりますと秦王は武勇にすぐれていらっしゃるとか。どうか、わたしを秦王の部下にして下さい」と言ったので、高祖はたいそう喜んだ。 西曹国(イスティーカーン)は、隋の時の曹国である。南は、史国(キッシュ)および波覧に接している。治所は瑟底痕城(イスティーカーン)であった。東北にある越于底城には、得悉神の祠があり、国人はこれに仕えていた。黄金の具器があり、その左側に「漢の時、天子に賜わった」と刻まれていた。武徳年間(618-626)に入朝した。天宝元年(742)、王の哥邏僕羅は他者を派遣して方物を献上した。玄宗は詔を下して曹国の懐徳王に封じた。哥邏僕羅は上言し、「亡くなった祖父以来、わが国は天可汗を奉じ、唐の人々と同じように徴発されて、天子をお助けして征伐したいと願っていました」といった。天宝十一載(752)、東曹国の王の設阿忽と安国の王が黒衣大食を征伐したいと請願したが、玄宗は彼らを慰めたものの出兵は許可しなかった。 中曹国(カブーダーン)は西曹国の東にあり、康国の北にあった。治所は迦底真城であった。その国のものは身長が高く、大きく、戦に長じていた。 石国(タシュケント)は、柘支・柘折とも赭時ともいう。漢の時の大宛の北辺にあった。長安を去ること九千里であった。東北に西突厥、西北には波臘(フワーリズム)があり、南二百里のところは倶戦提(ホジェンド)と接し、西南五百里のところに康国があった。この国は千余里で、西の果てには素葉川(チュー河)があった。王の姓は石で、治所は柘折城であった。この城は、かつての康居の小王の窳匿城の地である。南に薬殺水(ヤクサルテス川)が流れているが、中国ではこの川を真珠川と呼んでいる。また質河ともいう。東南に大山があり、瑟瑟(ラピスラズリ)を産出する。この国の民は戦いが上手であり、この地は良馬を産した。隋の大業年間(605-618)初頭、西突厥がこの国の王を殺し、特勒の匐職に石国を支配させた。武徳(618-626)・貞観年間(627-649)に、しばしば方物を献上した。顕慶三年(658)、瞰羯城を大宛都督府とし、石国の王瞰土屯摂舎提於屈昭穆に都督を授けた。開元年間(713-741)初頭、この国の君主を莫賀咄を吐屯に封じた。その後、功績を立てたので石国王となした。開元二十八年(740)、石国王を順義王に冊立した。翌年(741)、王の伊捺吐屯屈勒が奏上し、「いま突厥はすでに天可汗に従属し、ただ大食(アラブ)だけが諸国の災いになっています。どうか大食を征伐させて下さい」と言って請したが、玄宗は許可しなかった。天宝年間(742-756)初頭、王子の那倶車鼻施を懐化王に封じ、鉄券を賜わった。これより久しくして、安西節度使の高仙芝が、石国が蕃臣の礼を欠いているといって石国を弾劾し、石国を征伐したいと玄宗に請願した。それで石国の王は降伏することを約束した。高仙芝は使者を遣わして石国王を護送させたが、開遠門まで来たところで、これは石国から献じられた捕虜だという事で門の下で斬り殺した。西域の人々はこれを見てみな恨んだ。石国の王子は怒って大食のもとに逃げて援軍を要請し、タラス城を攻撃して高仙芝の軍勢を打ち破った。これ以後、石国は大食の臣下になった。宝応年間(762-763)、石国は遺使して朝貢してきた。 砕葉(スイアーブ)は、安西(クチャ)から西北千里のところにあり、勃達嶺(ベダル峠)によって南は中国と接し、北は突騎施設の南辺と接していた。西南を二千里すすめばパミールに達する。南に流れる川は、中国を経て海(ロプノール)に入り、北に流れる川はソグドの地を経て海(アラル海)に達する。北に三日の行程を進んだ所で雪海を越える。ここは春や夏でも常に雪が降る。勃達(ベダル)嶺を越えて北に千余里行くと細葉川に達する。東の湖を熱海(イシククル)という。地は寒いが凍らない。西には碎葉城(アク・ベシム)がある。天宝七載(748)、北庭節度使の王正見が安西(のちの碎葉城)を討って碎葉城を壊した。細葉川の長さは千里で、異姓である突厥の兵士数万が住んでいる。耕作するものたちはみな甲冑を身につけ、碎葉を略奪しては住民を奴婢にした。西はタラス城に属している。石国は常に兵士を分散してこの城を安んじた。ここから西海(インド洋・地中海)に至るまでの地域は、三月から九月まで、いまだかつて雨が降ったことはなく、人々は雪解け水を使って田を灌漑した。 石国の東南千餘里には、怖捍(フェルガナ)がある。四方には山がめぐっており、土地は肥沃で馬と羊を多く産している。西千里の地に堵利瑟那があり、東には葉葉水(シルダリヤ)が隣接し、川の源流はパミールの北原にある。水は濁っており、西北より大砂漠(キジルクム)に流れていく。水・草はなく、高い山を見て、残された白骨をたどって方角を知る。五百余里のところに国がある。 米国(マイムルグ)は、弥末とも弭秣賀ともいう。北へ百里進んだところに康国がある。治所は鉢息徳城(ペンジケント)であった。永徽年間(650-656)、米国の王は大食に打ち破られてしまった。顕慶三年(658)、その地を南謐州とし、米国の王、昭武開拙を刺史とした。これ以後、朝貢は絶えなかった。開元年間(713-741)、璧・舞筵・獅子・胡旋舞の舞姫を献上した。開元十八年(730)、大首領の末野門が来朝した。天宝年間(742-756)初頭、米国の王を恭順王に封じ、母親の可敦を郡夫人となした。 何国(クシャーニーヤ)は、屈霜你迦とも貴霜匿ともいう。康居の小王、附墨城の故地である。城の左には二重の楼閣があり、その北側には歴代の中国皇帝、東側には突厥・婆羅門(バラモン)、西側には波斯(ペルシャ)・払菻(ビザンツ)などの諸王が描かれており、何国の君主は毎朝、望楼に参詣して拝み、退出した。貞観十五年(641)、遣使して入朝した。永徽年間(650-656)、上言し、「唐が出撃して西方を征伐すると聞きました。どうか唐軍に兵糧を輸送させて下さい」といった。その後、何国の地を貴霜州となし、何国の王、昭武婆達地に刺史を授けたので、何国王は使者の鉢底失を遣わして感謝した。 火尋(フワーリズム)は、貨利習弥とも過利ともいい、烏滸水(オクサス河)の北にある。東南六百里に戊地(ベティク)があり、西南は波斯(ペルシャ)と境を接し、西北は突厥の曷薩(ハザール)と境を接している。康居の小王、奥鞬城の故地である。治所は急多颶遮城であった。もろもろの胡人は車と牛しか有さず、商人はこの牛車に乗って諸国に商売に行く。天宝十載(751)、王の使者を派遣しを献上した。天宝年間(742-756)、また入朝した。 史国(キッシュ)は、佉沙とも羯霜那ともいう。独莫水の南にある康居の小王、蘇薤城の故地にあった。西百五十里のところに那色波(ナサフ)があり、北二百里のところは米国に属し、南四百里には吐火羅があった。鉄門山という山があり、その左右は高く切り立って険しく、石の色は鉄のような色をしており、関所をもうけて二つの国の境界線を限定し、鉄製の門扉で厳重に閉ざしていた。城には神祠があり、祭るたびに羊を千匹必ず犠牲として献じた。戦争等の際には、まず神祠で祈ってから戦闘を始める。その国には城が五百あった。隋の大業年間(605-616)、王の狄遮が初めて中国に通好し、このころ最も強盛を誇っていた。乞史(キシュ)城を築いたが、この城の大きさは四方数十里であった。貞観十六年(642)、王の沙瑟畢は方物を献じてきた。顕慶年間(656-661)、この地を佉沙州とし王の昭武失阿喝を刺史にした。開元十五年(727)、王の忽必多は、舞女と模様のあるヒョウを献上した。後ほどなくして史国の君主は亡くなったが、また新しい王が即位するということを、しばしば繰り返し、時たま入朝してきた。天宝三載(744)、史国の名を改めて来威国となした。 那色波(ナサフ)は、小史国ともいった。おそらく史国に従属する国であろう。吐火羅の故地に位置し、東はパミールを扼し、西は波刺斯(ペルシャ)に接し、南には雪山があった。 縛芻水(アム・ダリヤ)の北をめぐれば咀蜜(テルメズ)という国があり、自ら独立国であって、その国の周囲は東西六百里であった。また東に四種の国を通過すると鑊沙(ワクシュ)という国があり、その広さは三百里、長さは五百里で、東は骨咄(クッタル)と境界を接した。パミールと接して十八の国がある。南には掲職があり、やや大きく、その面積はおよそ千里で山岳が連なっている。菽(まめ)・麦を多く産し、気候は寒烈であった。東南に進めば雪山(ヒンドゥークシュ)の北斜面にさしかかる。六百里行くと、吐火羅(トカラ)に至る。また五種の国をこえて婆羅覩邏(シャーラトラ)に至る。北は山を越えて六百里行くと烏萇国(ウディヤーナ)という国に達する。東北に二百里行くと、河波羅水に達する。河は西南に流れ、春夏でも凍結していた。北に十二種の国を経ると婆羅吸摩補羅があった。これは最大の国であり、長く連なった地は四千里で、山がその外側をめぐっていて、土地は肥沃で、真鍮・水晶を産出した。北の大雪山(ヒマラヤ)を越えれば、東女国である。さらに十九種族を経て、摩掲陀(マガダ)に到達する。また東に四種の国を過ぎると、大河(ガンジス)を越えて、迦摩縷波(カーマルーパ)がある。みな険しい坂で、その地は西南夷に接し、その地の人々は蛮獠に似ていた。二ヶ月行くと蜀の南辺に入る。その東南の野には、野生の象が群れ暴れている。それ故、いくさに戦象を用いるのである。また南に三十二種の国を経ると、狼掲羅という国がある。その地の大きさは数千里で、その国の君主は、窣黎湿伐羅城で支配していた。西北は波刺斯(ペルシア)で、伝え聞くところによれば広さは万里で、王は蘇刺薩儻那(スラスターナ)城で統治していた。土地は蒸し暑く、水を引いて田を営んでいた。人々は豊であり、金・銀・水晶を産出した。工芸に巧みで、錦・褐・毛氈を織った。良馬と駱駝を産した。この国の人々は錦や織目の細かい毛織物を着用した。賦税は人ごとに四銀銭を徴収した。この国はまた交易を生業にしていた。西北は払菻(ビザンツ)をへだて、西南は海島と境を接して西女の種族が住んでいた。ここの住民はみな女子で、多くの珍しい宝を産し、払菻に属しているので払菻の君主は年ごとに男子を遣わして西女国の女に娶わせている。西女国では慣わしとして男を産んでも育てない。また、臂・多・勢・羅の四種の国があり、西北に大山広川を越え、小さな城をたくさん経て二千里行けば、謝颱(ザーブリスターン)に到達する。北へ五百里行ったところに弗栗恃薩儻那(ヴリジスターナ)がある。その地の大きさは横二千里、縦千里である。その君主は突厥の種で、護苾那(フビナ)城で統治した。東北の大雪山(ヒンドゥークシュ)は盛夏でも常に凍っており、氷を穿って渡る。山を降ると安咀羅縛(アンダラーバ)という国があり、その地は三千里であった。西北に進んで嶺を越えて四百里行くと闊悉多(コシュト)がある。西北三百里のところには活(クンドゥズ)という種族がいる。この地の大きさは二千里である。この三種族はみな吐火羅(トカラ)の故地に住んでおり、突厥に臣従していた。この国の君主も突厥族であった。鉄門の南の諸族の上に君臨していた。この国の生活様式は、移動して一ヶ所にすることがなかった。東にはまた七種の国があり、東南の狭い道は甚だ険しかった。およそ三百里で倶蘭(クラーン)に到達できる。東北の山を行くこと五百里で護蜜(ワハン)に達する。北は識匿(シグナーン)であった。南には商弥(チトラル)があり、その地の大きさは二千里余であった。葡萄を多く産し、雌黄(顔料)は石を穿って採取される。東北に山を越えて七百里行くと波謎羅川(パミール川)に到達する。この地は東西千里、南北百里で、春夏でも雪雨であった。南には鉢露(バルチスタン)という国があり、紫金(赤銅)を多く産した。五百里行くと朅盤陀(タシュクルガン)がある。東に八百里行くとパミールに至り、八百里で烏鍛(ヤルカンド)に達する。烏鍛の四方は千里で、白・黒・青の三種類の玉を産出した。この国の君主は代々朅盤陀に臣従していた。北に砂漠を経て進み、荒野を五百里を越えると疏勒(カシュガル)に達する。東南に五百里進んで徙多水(ヤルカンド川)を渡り、大沙嶺を越えると句迦種(カルガリク)という国がある。句迦種は沮渠ともいう。その地の大きさは千里であった。東に八百里こえると于闐(ホータン)に着く。東には摩川(ウズン・タティ)がある。砂漠を越えて二百里進むと、尼壌城(ニヤ)に達する。大きな沢の中にあり、その地は沢で温度も湿度も高く、蘆草が地に生い茂っている。その地を進むものは道をうがち、尼壌を目指し、ついで于闐に到達する。于闐は東の関門とした。また東に進んで大流砂に入ると足跡もないので、その地を往復するものは迷ってしまう。そこで、遺骸を集めて、それで道を知るのである。水や草はなく熱風は凄まじく、人も六畜も迷い斃れる。進むこと四百里で、かつての都貸邏に到達する。また六百里で、かつての折摩駄那(チャルマダナ)に着く。そこは、いにしえの且末(チェルチェン)である。また千里行くと、かつて納縛波(ミーラン)に着く。そこは昔の楼蘭(ローラン)である。 咀蜜(テルメズ)より以下の国は、中国人はみな、国の名をもって、その種族の名とした。いまだかつて唐と通好がないので伝記は雑で正しくないが、やむを得ず、考えて、その地と諸国を連続し大雑把にその名前を序列して記した。 寧遠(フェルガナ)は、もともと抜汗那で、あるいは鏺汗ともいう。北魏時代には破洛那といった。長安を去ること八千里で、治所は西鞬城(アクシカント)にあり、真珠河(シルダリヤ)の北にあった。大きな城が六つ、小さな城は百ある。住民の多くが長命である。寧遠の王は、魏晋以来、継承されて絶えなかった。元旦ごとに王と首領たちは二つのグループに別れると、各々から一人ずつ出させて甲冑を着せて戦わせた。人々が瓦石でもって戦闘に加わる。死者が出たら止め、これによって、この年の吉凶を占った。貞観年間(627-649)に王の契苾が西突厥の瞰莫賀咄によって殺され、阿瑟那鼠匿がその城を奪った。阿瑟那鼠匿が死ぬと、息子の遏波之が契苾の兄の息子・阿了参を王となし、呼悶城(ホジェンド)において統治させた。遏波之自身は、渇塞城(カーサーン)で統治した。顕慶年間(656-661)初頭、遏波之が使いを遣わして朝貢してきたので高宗はあつく慰諭した。顕慶三年(658)、高宗は渇塞城を休循州都督府となし、阿了参に刺史の位を授けたので、阿了参も毎年、朝貢するようになった。玄宗の開元二十七年(739)、王の阿悉爛達干が唐軍を助けて突騎施の吐火仙を平定したので、玄宗は褒美として阿悉爛達干を奉化王に冊立した。天宝三載(744)、国号を寧遠と改めた。玄宗が母の実家の姓(竇氏)を下賜したので、寧遠王は竇といった。また玄宗は宗室の女を封じて和義公主として寧遠王に降嫁させた。天宝十三載(754)、寧王の忠節は息子の薛裕を派遣して朝させ、宿衛となって朝廷に留まり中華の礼節を学びたいと請願したので、玄宗はこれを許可し、薛裕に左武衛将軍を授けた。寧遠が唐に仕える事は、諸国の中で最も慎み深かった。 大勃津(バルチスタンボロール)は、布露ともいった。吐蕃のすぐ西にあり、小勃律と接している。西には北天竺、烏萇(ウディヤーナ)がある。その地は鬱金香をよく産出した。吐蕃に服属している。万歳通天(697)から開元年間(713-741)まで三度使者が来朝した。そこで君主の蘇弗舎利支離泥を冊立して王となした。亡くなったので、蘇麟陀逸之を冊立して王位を継承させた。王はふたたび大首領を遣わして方物を献上させた。 小勃律(ギルギット)は、長安を去ること九千里あまり、東少南三千里に吐蕃の賛普の牙城(ラサ)があり、その東八百里は烏萇に属している。東南三百里には大勃律があり、南五百里には箇失蜜(カシミール)、北五百里には護蜜(ワハン)の娑勒城がある。王は孽多城(ギルギット)に住まい、娑夷水に臨む。その西の山の頂には大城があり迦布羅という。開元年間(713-741)初頭に王の没謹忙が来朝し、玄宗は没謹忙を息子として待遇し、小勃律の地を綏遠軍とした。小勃律国は吐蕃に近接しているために、しばしば困苦した。吐蕃は「我々は、なんじの国を謀るのではない。道を借りて安西四鎮を攻撃したいだけだ」と言った。これより久しくして、吐蕃が九城を奪い取ったので、没謹忙は北庭節度使に救援を要請した。北庭節度使の張孝崇は、そこで疏勒副使の張思礼に精兵四千を統率させて昼夜兼行で小勃律に向かわせた。没謹忙は出兵して吐蕃を大いに破り、吐蕃兵数万を殺して九城を奪還した。玄宗は詔し、没謹忙を冊立して小勃律王となした。没謹忙は、大首領の察卓那斯摩没勝を遣わして玄宗に謝した。 没謹忙が亡くなると息子の難泥が王になった。難泥が死ぬと兄の麻來兮が即位した。麻來兮が死ぬと、蘇失利之が即位したが、吐蕃が密かに誘い蘇失利之に吐蕃王の娘を娶らせた。そのため西北の二十余国がみな吐蕃に臣従してしまい、唐への貢献が入らなくなってしまった。安西都護が三度討伐を行なったが、戦功を上げる事はできなかった天宝六載(747)、玄宗は安西副都護の高仙芝に詔して小勃律を討たせた。高仙芝は先に将軍の席元慶に千騎を率いさせ、蘇失利之に会って「道を借りて大勃律に向かいたい」と言わせた。城内の大首領五~六人は、みな吐蕃の腹心であった。高仙芝は席元慶に約束して「わが軍が至れば、吐蕃と通している首領達はきっと山に逃げ込もう。おまえは彼らに勅書を見せて慰撫し、縮綵を下賜するようにせよ。首領達が戻ってきたら捕縛して私を待て」と言った。席元慶は約束どおりにした。蘇失利之は妻(吐蕃王の娘)を連れて逃げたが、行方は知れなかった。高仙芝が小勃律に乗り込むと、吐蕃に通じていたものたちを斬り、娑夷橋を断ち切った。この日の暮れ吐蕃軍が到来したが、小勃律を救えなかった。高芝芝は、王に降伏を約束させてから小勃律を平定した。これにより、払菻・大食などの諸国七十二国はみな震撼し、唐に帰順した。高仙芝は、小勃律の王とその妻を捕えて長安に帰還した。玄宗は詔を下して、国名を帰仁に改め、帰仁軍を置いて千人を募兵してここに駐屯させた。玄宗は蘇失利之を赧して誅殺せず、右威衛将軍を授け、紫の袍と黄金の帯を下賜して宿衛となした。 吐火羅(トカラ)は、土豁羅、覩貨邏ともいった。北魏の時には吐呼羅といった。パミールの西、烏滸河の南にあり、いにしえの大夏の地であった。吐火羅人と抱怛(エフタル人)が雑居していた。勝兵は十万、国土は土着であった。女は少なく男が多い。北には顔黎山があり、その南の穴の中には神馬がいて、国人はこの神馬のそばで牝馬を遊牧させて仔馬を生ませる。血のような汗を流して走る。吐火羅の王は葉護(ヤブク)と号していた。武徳年間(618-626)と貞観年間(627-649)にふたたび入朝した。 永徽元年(650)、大鳥を献じたが、その大きさは高さが七尺、色が黒く、足は駱駝に似ていた。広げて走り、一日に三百里を行き、鉄をくらい、俗に駝鳥(ダチョウ)といった。顕慶年間(656-661)の間に、阿緩城(クンドゥズ)を月氏都督府となし、小さい城を二十四の州となし、王の阿史那に都督を授けた。その後二年、子を派遣して来朝させた。また、碼磁鐙樹(瑪瑙製の燭台)を献上してきた。高さは三尺であった。神龍元年(705)、王の那都泥利仁は弟の僕羅を入朝させて宿衛として唐に留まらせた。開元・天宝年間(713-756)の間にしばしば馬・ラバ・珍しい薬、乾陀婆羅(香木)など二百の品、紅碧色の玻璩(ガラス)を献上してきた。そこで玄宗は、吐火羅の君主の骨咄禄頓達度を吐火羅葉護、挹怛王に冊立した。その後、近隣の胡人羯師(チトラル)が策謀し吐蕃を引いて吐火羅を攻めたので、葉護の失里忙伽羅は安西節度使に支援を求めてきた。玄宗は、吐火羅のために出兵して討伐した。乾元年間(758-760)初頭、西域の九国と軍隊を派遣し、安史の乱平定のため皇帝に味方して賊を討伐した。粛宗は詔を下し、吐火羅軍を朔方節度使の陣地に所属させた。 挹怛(エフタル)国は、漢の時の大月氏と同じ種族である。大月氏は烏孫によって国を奪われ、西に逃走して大宛を通過してさらに西に逃げ、大夏を撃って征服し、大夏を臣下にした。治所は藍氏城であった。大夏とは即ち吐火羅のことである。嚈噠は、王の姓である。その後裔が、その姓をもって国の名にしたのである。訛って挹怛、または挹闐という。風俗は突厥と同じである。天宝年間(742-756)に遣使し朝貢してきた。 倶蘭(クラーン)は倶羅弩とも屈浪拏ともいう。吐火羅と国境を接し、国の周囲は三千里、南に大雪山(ヒンドゥークシュ)、北に倶魯河(クラーン河)がある。この国は金精(ラピスラズリ)を産出した。石を打ち割って取り出した。貞観二十年(646)、王の忽提婆(フタイバ)が使者を遣わして献上した。文字・言語は浮屠(梵字)と似ている。 劫国(ジャムガン)はパミールの中にあり、西と南は賒弥(マストゥジ)をへだて、西北には挹怛国(エフタル)がある。長安を去ること一万二千里で、気温は常に熱く、稲・麦・粟・豆を産し、羊と馬を牧畜する。彼らの風俗によれば死者は山中に棄てる。武徳二年(619)遺使して、宝石で象嵌した帯、玻璩(ガラス)、水晶のさかずきを献上した。 越底延(ウディヤーナ)は、三千里南に行くと天竺(インド)がある。西北に千里進むと賒弥(マストゥジ)、東北に五千里行った所に瓜州がある。越底延は、辛頭水(インダス川)の北にある。この国の司法によると、死刑は行なわず、罪の重いものは流刑に処され、罪の軽いものは放逐される。租税もない。この国の風俗では翦髪し、国人は錦袍を着用したが、貧しいものは白い木綿を着用した。自ら体を洗い清潔である。気候は温暖で、稲・米・石蜜を多く産出した。 謝䫻(ザーブリスターン)は、吐火羅の西南にあり、もともとは漕矩吒といった。あるいは漕矩ともいった。顕慶年間(656-661)、訶達羅支(カダラシ)といったので、則天武后がいまの国号に改めた。東は罽賓(カーブル)、東北は帆延(バーミアーン)をへだてること、みな四百里であった。南に婆羅門(インド)、西に波斯(ペルシア)、北に護時健(グーズガーン)があった。その王は鶴悉那(ガズナ)城に住んでいる。国の周囲は七千里で、王はまた阿娑你城でも統治した。鬱金・瞿草を多く産出した。田を灌漑した。国内には突厥人、罽賓人、吐火羅人など諸民族が雑居していた。罽賓は、謝䫻の子弟を動員して兵士となし、大食からの侵攻を防衛させた。景雲年間(710-711)初頭、謝は唐に朝貢し、のちには遂に罽賓に臣従した。開元八年(720)、玄宗は葛達羅支頡利発(カダラシ・イルテベル)誓屈爾を冊立して王となした。天宝年間(742-756)になって、しばしば唐に朝貢し、物を献上した。 帆庭(バーミアーン)は、あるいは望衍とも梵衍那ともいった。斯卑莫運山(ヒンドゥークシュ)のそばにあり、西北は護時健(グーズガーン)と接し、東南は罽賓(カーブル)をへだて、西南には訶達羅支(カダラシ・謝䫻)、吐火羅と国境を連ねていた。その地は寒く、住民は穴の中に住んでいた。王は羅爛城で統治し、大きな城を四、五有していた。川は北に流れて烏滸河(アム・ダリヤ)に流れ込んでいた。貞観年間(627-649)初頭、使者を派遣して入朝した。顕慶三年(658)、羅爛城を写鳳都督府とし、縛時城を悉万州となし、帆延王に蔔写鳳州都督を授けて国内の五つの州の諸軍を管轄させたので、これ以後、朝貢は絶えなかった。 石汗那(チャガニアン)は斫汗那ともいった。縛底野(バクトリア)から南に進めば雪山に入る。四百里進むと帆延(パーミアーン)に達し、東は烏滸河(アム・ダリヤ)に臨んでいた。赤い豹を多く産す。開元・天宝年間(713-756)の間に何度も朝貢してきた。 識匿(シグナーン)は、尸棄尼とも瑟匿ともいう。東南は京師長安を隔てること九千里、東は葱嶺守捉(タシュクルガン)を隔てること五百里、南三百里の地は護蜜(ワハン)に属していた。西北に五百里行けば倶蜜(クマード)に至る。初め、識匿の王は苦汗城(クルガン)を治めていた。後に住民達は山谷に散居した。識匿は大きな谷を五つ有し、酋長がそれぞれ自治を行なっていた。これを五識匿といった。その地の周囲は二千里で、五穀が稔らない。住民は略奪を喜んで行い、商人を劫略した。播蜜川(パミール河)の四つの谷は、識匿の王の命令に従わなくなった。住民は、洞穴に住んでいる。貞観二十年(646)、似没・役槃の二国の使者と共に識匿の使者も来朝した。開元十二年(724)、王の布遮波資に金吾衛大将軍を授けた。天宝六載(747)、王の跌失伽延が唐軍に従って勃律を討伐中に戦死した。玄宗は、息子を都督、左武衛将軍に抜擢し、禄を与えて藩王の地位を与えた。似没は、石国(タシュケント)の北にあり、その風俗は康国(サマルカンド)と同じである。役槃はまた康国の隣にあり、良馬を有していた。 倶蜜(クマード)は山中に治所を持つ。吐火羅の東北にあり、南に黒河(アム河上流のアビー・パンジ)を臨んでいる。その王は、突厥の薛延陀族に属していた。貞観十六年(642)、使者を遣わして入朝させた。開元年間(713-741)、胡旋舞を得意とする舞姫を献上した。その王那羅延(ナラヤーナ)は大食(アラブ)が苛酷な年貢を取り立てる事を唐に申し立てたが、玄宗皇帝はただ慰めただけであった。天宝年間(742-756)、王の伊悉爛俟斤はまた馬を献上した。 護蜜(ワハン)は、達摩悉鉄帝ともいい鑊侃ともいう。北魏時代の鉢和であり、また吐火羅の故地である。この国の東南は長安から九千里あまり、東西は千六百里、南北は狭く、わずか四、五里であった。王は塞迦審城(イシュカシム)に住んでいたが、城の北側は烏滸河(アム・ダリヤ)に臨んでいた。その地は非常に寒く小高い丘は曲がりくねっていて、しかも沙石が流れ込んで一面に蔓延していた。えんどう豆、麦があり、木果をよく産し、良馬を有していた。住民は緑色の瞳をしていた。顕慶年間(656-661)、高宗はこの地に鳥飛州を置き、王の沙鉢羅頡利発を刺史に任じた。その地は、安西四鎮が吐火羅に至る道に当たり、それゆえに吐蕃に従属した。開元八年(720)、玄宗は、その王の羅旅伊陀骨咄禄多毘勒莫賀達摩薩爾を王に冊立した。開元十六年(728)、米国(マイムルグ)の首領米忽汗とともに方物を献上した。翌年、大酋長の烏鶻達干がまた朝貢した。王が亡くなったので、玄宗はいとこの護真檀に王位を継承させた。開元二十九年(741)、王が自ら来朝したので、玄宗は内殿で宴をして歓迎し、左金吾衛将軍に拝命し、紫袍と金の帯を賜わった。天宝年間(742-756)初頭、王の息子の頡吉匐が吐蕃と絶交したいと請願したので、玄宗は鉄券を賜わった。天宝八載(749)、護真檀が来朝して宿衛になりたいと請願したので、玄宗はこれを許可した。玄宗は護真檀に右武衛将軍を授け、しばらく宿衛をさせてから帰国させた。護蜜がまた首領を遣わして朝貢した。乾元元年(758)、王の紇設伊倶鼻施が来朝したので、粛宗は護蜜王に李姓を賜わった。 箇失蜜(カシミール)は、あるいは迦湿弥邏ともいう。北は勃律(ボロール)を隔てること五百里、地をめぐること四千里、山が四方を取り囲んでいたので他国が攻め入る事は不可能であった。治所は、撥邏勿暹布邏城(プラバラプーラ)であった。西は弥悉多大河(ジェラム河)に沿っている。その地は農作物がよく稔り、雪は多いが風は吹かなかった。火珠(ルビー)・鬱金・龍種馬を産出した。土着の人々は毛褐(毛織物)を着用した。伝説によれば、この地はもともと龍池であったという。龍が他所に移り住んだので水が尽き、人々がそこに住みつくようになった。 開元年間(713-741)初頭、箇失蜜は使者を派遣して朝貢した。開元八年(720)、玄宗は王の真陀羅秘利(チャンドラピーダ)を冊立して王となした。時折、胡薬を献上した。天木(タラピーダ)が亡くなって、弟の木多筆(ムクタピーダ)が立ち、使者の物理多を派遣して来朝させた。そして言った。「国を有して以来、天可汗に臣従し、唐の微発を受けてまいりました。わが国は、戦象・騎馬・歩兵の三種類の軍隊を有しております。わたくしが自ら中天竺王とともに吐蕃の五大道を扼して、吐蕃の出入りを禁じ、戦えば勝てましょう。天可汗の兵がもしも勃律に来れば、その兵力が二十万であろうとも、わたしは兵糧を運んでお助けいたす事ができます。また、わが国には摩訶波多磨(マハーパドマ)という龍池があります。願わくば、ここに天可汗のために祠堂を建てたいと存じます」と言って、王を冊立して欲しいと請願した。鴻臚官が箇失蜜王の言葉を翻訳して奏開したので、玄宗は詔を下し、物理多を中殿に招き入れて宴を催し、十分な贈物を授け、木多筆(ムクタピーダ)を冊立して王となした。これ以来、箇失蜜は常に朝貢してきた。 箇失蜜に役属している国は五種族の国があった。いわゆる咀叉始羅(タキシラ)という国は、国土の大きさは二千里で都城を有していた。この国の東南七百里あまりのところに僧訶補羅がある。僧訶補羅の国土の周囲は三千余里で、また都城で治めていた。東南の山を五百里進むと烏刺尸という国に到達する。国土の周囲は二千里で都城を持っていた。農業をよくした。東南に山を千里へだてれば箇失蜜(カシミール)である。西南の険しい地を七百里行くと半笯蹉に至る。その国土の周囲は二千里である。また曷邏闍補羅という国がある。その大きさは四千里で都城を有し、山や畑が多く人は勇敢であった。この五種族の国はみな君長がいなかった。 骨咄(クッタル)は呵咄羅ともいう。広さと長さはみな千里であった。王は思助建城で統治した。良馬と赤豹を多く産した。四つの大きな塩山があり、山では烏塩が取れた。開元十七年(729)、王の俟斤(イルキン)が息子の骨都施を派遣して来朝させた。 開元二十一年(733)、王の頡利発が女楽を献上した。また大首領の多博勒達干を派遣して朝貢させた。天宝十載(752)、王の羅全節を冊立して葉護(ヤブク)とした。 蘇毘(スピ)はもともと西羌族であったが、吐蕃に併呑されて孫波(スンパ)と号し、諸族のうちで最大であった。東は多弥と接し、西は鶻莽硤とへだて、戸数は三万であった。天宝年間(742-756)、王の没陵賛は国をあげて唐に内附したいと願ったために、吐蕃によって殺害された。そこで息子の悉諾は首領達を率いて隴右節度使に亡命した。隴右節度使の哥舒翰が悉諾を長安城下に護送したので、玄宗は彼らをあつく礼遇した。 多弥(タミ)は西羌族で吐蕃に役属し、難磨と号していた。国土は犂牛河に沿い、その地は黄金を多く産した。貞観六年(632)、使者を派遣して朝貢してきたので、太宗は下賜品を賜わって帰国させた。 伊吾(ハミ)城は、漢代の宜都尉の治所であった。胡(ソグド商人)が雑居し、勝兵は千人おり、鉄勒に従属していた。人は勇敢で、土地は肥沃であった。隋末に内属し、隋は伊吾郡を設置した。隋末の大乱の折にはまた突厥に臣従した。貞観四年(630)、伊吾城の首領らが来朝した。東突厥の頡利可汗が滅びたので、伊吾の七城がこぞって唐に降伏した。そこで、その地を連ねて西伊州となした。 師子国(セイロン島)は西南の海中にあり、面積は二千余里で、稜伽山があり、多くの奇宝を産した。宝を波打ち際に置いておくと、商船が代金を払って宝を持っていく。後に隣国の者達が少しずつこの国に居住してきた。ライオンをよく馴らして飼育するので、師子という国名がついた。総章三年(670)、使者を派遣して来朝した。天宝年間(742-756)初頭、王の尸羅迷伽(シラーメーガ)が再び遣使して大粒の真珠、金のかんざし、宝の首飾り、象牙、白木綿を献上してきた。 波斯(ペルシア)は、達遏水(ティグリス河)の西にある。長安をへだてることおよそ五千里余りで、東は吐火羅(トカラ)、康国(サマルカンド)に接し、北は突厥の可薩部(ハザール)と隣り合い、西と南は海(インド洋)に面していた。西北はおよそ四千里余りの所に払菻(ビザンツ)があった。人口は数十万で、先祖の波斯匿王は、大月氏の後裔であった。この先祖の名・波斯匿にちなんで姓をなし、また国号となしていた。二城で国を統治していた。また、この国には大城が十あまりあった。この国では右が尊ばれ左が卑しまれており、天地日月水火が祭られていた。夕陽を祀る時には、麝香と蘇芳で顎鬚・顔・耳・鼻を湿らせた。西域の諸胡も、この法を受けて教の神々を祭っていた。礼拝する際には、必ず足を交差させた。この国の風俗では素足で歩いた。成人男子は髪を切り、衣服の襟を開かなかった。青白色の頭巾をかぶっているが、頭巾の縁は錦で縁取られていた。婦人は弁髪し、後ろに垂らしていた。国人は戦う時には象に乗り、象一頭に兵士百人が従い、負ければみな殺された。断罪する際には文書をしるさず、法廷で決裁した。反逆者はその舌を熱した鉄で焼かれ、傷が白ければ無罪、傷が黒ければ有罪という判決が下された。刑罰には、髪切り、首かせ、足きり、鼻削ぎがあった。小さな罪を犯したものは、頬鬚を剃り落とされるか、首に木牌(罪を記した首枷)をかけたまま数ヶ月間放置された。強盗は老いるまで獄に繋がれ、泥棒は銀貨を罰金として納めた。人が亡くなると遺体は山に棄てられ、喪に服する期間はひと月あまりであった。大気は常に熱気が上出し、土地は磨滅していて平らであった。人々は農業と畜業を知っていた。鷲鳥がおり、よく羊を食らった。駿犬、ラバ、大きなロバを多く産した。珊瑚を産出したが、その高さは三尺には及ばなかった。 隋末、西突厥の葉護可汗(統葉護可汗)は波斯を討滅し、波斯王の庫薩和(ホスロー二世)を殺して、その息子の施利(シェーローエー=カワード二世)を立てた。葉護可汗は部下の将軍を派遣して波斯を監督し統治させた。施利が亡くなると、波斯は西突厥への臣従を拒否した。波斯人は庫薩和の娘(ボラーン)を立てて王となしたが、西突厥がまたこの女王を殺害した。施利の息子の単羯方が払菻(ビザンツ)に逃亡していたので、国人は単羯方を迎えて王として立てた。これが伊怛支(アルダシール三世)である。伊但支が亡くなると、兄の子の伊嗣俟(ヤズダギルド三世)を立てた。 貞観十二年(638)、使者の没似半(マルズバーン)を遣わして朝貢させた。また、活褥蛇(フェレット)を献上してきた。姿は鼠に似ており、色は真っ青で体長は九寸あった。活褥蛇はよく鼠の穴に入って鼠を捕える。伊嗣俟は君主としての人望を失ったので首領達から追われた。吐火羅に亡命しようとしたが、途中まで逃げてきたところで大食に攻撃されて殺された。息子の卑路斯(ペーローズ)は吐火羅に逃げたので死を免れた。卑路斯は使者を派遣して国難を告げてきたけれども、高宗は遠いことを理由に援軍が派遣できないと断って、使者を帰国させた。たまたま大食が包囲を解いて退却したので、吐火羅は軍隊を率いて保護した。 龍朔年間(661-663)初頭、また卑路斯は、大食に侵略されていると訴えてきた。このとき高宗はまさに使者を派遣して西域に至らしめ、州県を分置しようとしていたので、疾陵城(ザランジ)を波斯都督府となし、卑路斯を都督となした。にわかに大食に滅ぼされ、国を失ってしまったけれども、咸亨年間(670-674)に入朝した。高宗は卑路斯に右武衛将軍を授けたが、卑路斯は亡くなってしまった。はじめ、卑路斯の息子の泥涅師(ナルサス)は、唐に人質として滞在していた。そこで調露元年(679)、高宗は裴行倹に詔し、兵を率いて泥涅師をしてに帰国し、泥涅師を複位させようとした。しかし、波斯までの道のりが遠いので、安西四鎮の碎葉(スイアーブ)まで来たところで裴行倹は軍を還して都に帰還した。そこで泥涅師は、客人として二十年間、吐火羅に留まったが、波斯人の部落はますます離散する一方であった。景龍年間(707-710)初頭、泥涅師がまた来朝したので左威衛将軍を授けた。泥涅師が病死したので、西部のみが存続する事になった。開元・天宝年間(713-756)に、使節を十回派遣して、瑪瑙のベッド、火毛繍舞筵を献上してきた。乾元年間(758-760)初頭、大食に従って広州を襲撃し、倉庫や廬舎を焼き、海上を船で逃げていった。大暦年間(766-779)、また来朝した。 また、陀抜斯単(タバリスタン)という国があった。あるいは陀抜薩憚ともいった。この国の三方向は山に阻まれ、北は小海(カスピ海)に面していた。この国の王は婆里(娑里)城(サーリ)に住み、代々波斯の東大将をつとめていた。波斯の滅亡後、大食にする事を拒絶した。天宝五年(746)、王の忽魯汗が遣使して入朝したので、帰信王に封じた。その八年後、息子の白会羅を派遣して来朝したので、玄宗は白会羅に右武衛員外中郎将を拝して、紫袍・金魚を下賜し、宿衛として唐に留まらせた。しかし、この国は黒衣大食(アッバース朝)によって滅ぼされてしまった。 貞観年間(627-649)ののち、遠方の小さな国々の君主が使者を派遣して朝貢してきた。役人達が所属不明とした国々を以下にまとめて記す。火辞弥という国は、波斯と接している。貞観十八年(644)、摩羅游の使者とともに朝貢した。貞観二十一年(647)、健達(ガンダーラ)王が仏土菜を献上してきた。仏土菜は、茎に五つの葉を生やし、花は赤色、花弁は紫色であった。龍朔元年(661)、多福王の難婆修彊宜説が使者を派遣してさせた。章元年(668)、末陀提王という王が使してきた。また、開元五年(717)には習阿薩般王の安殺が使者を派遣して朝貢してきた。開元七年(719)、訶毘施(カピーシー)王の捺塞が、吐火羅の大首領羅摩を代理人にして獅子と五色の鸚鵡を献上してきた。 天宝年間(742-756)に来朝したものは、倶爛那・舎摩・威遠・蘇吉利発屋蘭・蘇利悉単・建城・新城・倶位のおよそ八カ国である。 倶位は、あるいは商弥(マストゥジ)ともいった。阿賒䫻師多城で治めていた。大雪山(ヒンドゥークシュ)と勃律河の北にあった。その地は寒く、五穀・葡萄・柘榴を産し、冬は穴居した。国人は常に小勃律を助けて中国の斥候となった。 新城の国は、石国(タシュケント)の東北およそ百里のところにあった。弩室羯城があり、またの名を新城、あるいは小石国城ともいう。後に葛邏禄(カルルク)によって併呑された。 払菻(ビザンツ)は、いにしえの大秦(ローマ)である。西海(地中海)上にある。一つには、海西国ともいう。京師を去ること四万里で、苫(シリア)の西にあり、その北には突厥の可薩部(ハザール)がおり、西は海に面していた。遅運城があった。東南は波斯に接していた。その周囲は四方が一万里、勝兵が百万もいた。十里ごとに一亭とし、三亭ごとに一置(駅)を置いた。臣属する小国は数あり、有名なものは沢散(アレクサンドリア)といい、驢分(プロポントス)といった。沢散の東北は何里あるか分らなかった。払菻の東を二千里渡っていくと驢分に至る。 払菻は石を積み重ねて首都の城壁を造っていた。城壁の広さは八十里、東の門の高さは二十丈で、黄金で飾られていた。王宮には三重の門があり、すべてが珍しい宝石で飾られていた。中門の中には黄金の巨大な秤が一つあり、金人が傍に立っており、はかりの末端には十二個の珠が付いていて、一時間たつごとに球が一つずつ落ち、時を知らせた。宮殿の柱は瑟瑟(ラピスラズリ)、枕(うだつ)は水晶と琉璃、梁(はり)は香木でできていた。床面は黄金は象牙でできていた。貴臣十二人が共同で国を統治していた。王が外出する時、一人が袋を提げて王に従い、訴書があれば袋の中に投じさせ、王宮に帰ってから、王はその内容が事実か否かを設定した。国に大災害が生じた時には、すぐに王を廃し、代わりに賢者を立てた。王冠は鳥の翼に似ていて、沢山の珠が数珠繋ぎに飾られていた。王の衣装で、前には襟がなかった。王は、黄金の花で飾られた玉座に腰かけた。この王座の傍らには、緑色の毛をした鵞鳥のような鳥が待っており、王が食事をする際、食事に毒が混入していると、たちまち、この鳥が鳴いた。この国では建物の屋根にレンガはなく、代わりに白い石を砕いて屋根に塗った。白い石の屋根は堅固で、玉のように光沢があった。酷暑の折には水を屋根の上まで引き、屋根から水流を滝のように落として冷風をおこした。この国の男子は髪を切り、刺繍をした袖のない衣を着て右肩を肌ぬぎ、四面に帳のある白い屋根のついた小さい車に乗って、建物等から出入りする時には旗を建て鼓を打った。婦人は錦の頭巾をかぶった。億万の資産を有するものは上官となった。 この国の人々は酒を好み、乾餅を好んで食べた。この国には幻人(奇術師)が多く、顔から火を出し、手から大水を出し、口から小旗のふさを出し、足を上げると珠玉が落ちた。名医がおり、病人の頭を切開して虫を出し、目のかすみを癒した。この国は、黄金・銀・夜光璧・明月珠・大貝・車渠(玉石)・瑪瑙・木難珠、孔翠、虎魄(琥珀)を多く産した。水羊毛を織って布となした。これを海西布といった。海中に珊瑚の島があるので、漁師は大きな船に乗って珊瑚取りに出かけ、鉄の網を海中に投じて海底に降ろす。珊瑚は初め堅い岩の上にはえ、その白さはまるで菌のようであるが、一年たつと黄色、三年たつと赤色になり、枝が各々交差して高さは三、四尺にもなる。漁師達は鉄網で珊瑚の根をはずし、網を船上に固定して、綱を引き絞って珊瑚を海中から引き上げる。時機を逸すると美しい珊瑚は得られず、珊瑚はたちまち腐ってしまう。西海(地中海)には市があるが、貿易のさいに互いに顔を見せず、値を商品の傍らに置いた。これを鬼市といった。獣がおり、名を賛といった。大きさは犬ぐらいで、気が荒くて力持ちであった。北の町には羊がおり、土の中で生まれるので、へそが大地に繋がっていた。土の中にいる間に羊のへその緒を切断してしまうと羊は死んでしまうので、この町の人々は、馬を走らせ、太鼓を打ち鳴らす。子羊は驚いて土の中から跳び出て、臍の緒が断ち切れる。すると、羊は水と草を求めて移動できるようになる。しかし群れる事はできなかった。 貞観十七年(643)、王の波多力が遣使して、赤いガラス、緑の金精(ラピスラズリ)を献上してきたので、波多力に、お返しの賜わり物を与えるようにと、太宗は詔を下した。大食(アラブ)が次第に強くなってきて、大将軍の摩拽を派遣してを払菻を討たせた。払菻は大食と和睦する事を約束し、ついに大食に臣従した。乾封・大足年間(666-701)に払菻はまた朝貢してきた。開元七年(719)、吐火羅の大首領を経由して師子と羚羊(カモシカ)を献上してきた。 払菻の西南から砂漠をわたること二千里のところに磨鄰という国がある。老勃薩(イェルサレム)ともいった。その国の人間は黒人で精悍だった。この地には瘴癘(熱病)があるので、草木も五穀も育たず、馬を飼育するのに魚の干物を与え、人は鶻莽(ナツメヤシ)を食べた。鶻莽というのは、波斯棗である。淫乱を恥じないことは夷狄の中でも最も甚だしい。彼らは「尋」と号していた。その君臣達は七日に一日、休みをとり、休みの日には出納と交易を行なわず、夜通し酒を飲んだ。 大食(アラブ)は、もともと波斯の地であった。男性の鼻は高く、色黒で髯が多かった。女性は色白で、外出する時には顔を覆った。一日に五回、天神(アラーの神)を拝した。銀の帯をしめ、銀の刀を佩び、酒も飲まず音楽もたしなまなかった。礼拝堂(モスク)があり、数百人を収容できた。七日(金曜日)ごとに、王は高座に座って説法して言った。「敵を殺したものは天上に生まれ変われる。敵を殺せば祝福される」と。それ故、この国のものたちは戦闘で勇敢に戦うのである。この国の土壌は石ころばかりで耕作に適さないので、人々は狩をして獲物を捕え、その肉を食べる。石蜜を刻んで庵を造ったが、そのかたちは輿のようであった。この国の人々は、年ごとに貴人に瑠璃の椀や鍮石の瓶鉢等を献上した。葡萄の大きなものは鶏の卵ぐらいの大きさだった。千里を走る馬がおり、龍の種であると伝えられている。 隋の大業年間(605-618)に波斯国の人(ムハンマド)が倶紛摩地那山(クバマディナ山)で放牧していると、獣(ライオン)が現れて彼に言った。「山の西に三つの穴があり、穴の中には鋭利な武器が収まっている。穴には黒い石があり、そこに白い文字が記されている。この石を手に入れれば王になれる」と。波斯国の男が山の西に走って行って見ると、果たして獣の言葉通りであった。石の上には「まさに叛くべし」という言葉が記されていたので、男は恒曷水(ティグリス河)において大勢の亡命者を騙して集め、隊商を劫略し、西方にある里を根拠地として自ら王を称し、黒い石を山からこの地に移してこれを宝とした。波斯の国人達は男の討伐に赴いたが、みな大敗して帰還した。ここに至り、男はついに強大となり、波斯(ササン朝ペルシア)を滅ぼし、払菻(ビザンツ)を破り、初めて粟麦をたくわえることができた。南に婆羅門(インド)を侵略し、諸国を併呑して勝兵の数は四十万に至った。康国(サマルカンド)・石国(タシュケント)もみな大食に臣従した。その地の広さは万里に広がり、東は突騎施を隔て、西南は海(ペルシア湾)にまで及んだ。 海の中に撥抜力(ソマリランド)という種族があり、どこにも従属していなかった。この地では五穀が育たないので、人々は肉を食べ、牛を刺して、その血と乳を混ぜ合わせて飲んだ。この国の人々は衣服を着ず、羊の皮で体を蔽っていた。女性は明晰で美しかった。その国は象牙と阿末香(龍涎香)をたくさん産した。波斯商人は交易したい時には、必ず数千人で毛織物を納め、剣で斬って血を流し、誓いを立ててから交易を行なった。兵士は防具を多く有し、弓、矢・鎧・矛を持ち、士卒が二十万に至ったが、しばしば大食によって撃破された。高宗の永徽二年(651)、大食の王の豃密莫末賦(アミール・アルムウミニーン。第三代カリフ・ウスマーン)が初めて使者を派遣して朝貢した。王の姓は大食氏であり、国を統治すること三十四年、王位を継承して三代目であると言った。開元年間(713-741)初頭、また遣使して、馬・鈿帯(黄金の飾り付のベルト)を献上し、謁見したけれども、玄宗に拝礼をしなかった。役人がこれを咎め、まさに弾劾しようとした時に、中書令の張説が「大食は俗を殊にしながら義を慕って来ている。罪にする事はできない」と言ったので、玄宗は使者を赦した。大食の使者はまた来朝して言上した。「国人はただ天だけを拝するので、王に謁見しても拝礼しないのです」と。役人がこれを責めると大食の使者は拝礼した。開元十四年(726)、蘇黎満(スレイマン)を派遣して方物を上させたので、蘇黎満に果毅を拝し、緋袍と帯を下賜した。 この部族の中には孤列(クライシュ)という種族がおり、代々酋長をつとめ、白衣大食(ウマイヤ朝)と号していた。この部族には二つの姓があり、一つ目の部族を盆尼末換(ブニ・マルワーン)、二つ目の部族を奚深(ハーシム)といった。摩訶末(ムハンマド)というものがおり、勇気と知恵があったので、人々はこれを立てて王とした。地三千里を開拓して、夏臘城(ヒラー)に勝利した。十四世の末換(マルワーン二世)に至って、兄の伊疾(ヤズド)を殺して自ら王になったが、臣下達は末換の残忍さを憎んだ。呼羅珊(ホラサーン)の木鹿(メルブ)人の並波悉林(アブームスリム)というものがあり、まさに末換を討伐しようという時、人々にあまねく告げて言った。「わたしを助けようと思うものは、みな黒衣を身にまとえ」と。たちまち数万の群集が集まり、末換を殺して、奚深(ハーシム)の孫の阿蒲羅抜(アブー・アルアッパース)を捜し出して王となし、さらに黒衣大食(アッバース朝)と号した。阿蒲羅抜が亡くなると、弟の阿蒲恭払(アブー・ジャアファル。アッバース朝二代目カリフのマンスール)が立った。至徳年間(756-758)初頭、大食は使者を派遣して朝貢した。代宗は、大食の軍勢を率いて安慶緒の軍勢を打ち破り、長安と洛陽を奪還した。阿蒲恭払(マンスール)が亡くなると、息子の迷地(マフディー)が立った。迷地が死ぬと、(息子の牟栖(ハーディー)が立ち、死ぬと)その弟の訶論(ハールーン・アッラシード)が立った。貞元年間(785-805)、大食と吐蕃が互いに攻め合ったので、吐蕃は毎年大食と戦うために西方に軍勢を派遣した。このため、吐蕃の辺境を略奪する事が少なくなった。貞元十四年(789)、使者の含嵯・烏鶏・沙北の三人を派遣して来朝させたので、みなに中郎将を拝し、帰国させた。伝え聞くところによると、その国の西南二千里の山谷の間に木があり、人の頭のような形をした花を咲かせるという。この花と共に語ればたちまち笑い、そして落ちるという。 大食の東には、末禄(メルブ)という小国があった。城郭を統治し、木という姓が多かった。この国は五月を年の初めとなし、絵の描かれた素焼きの甕を互いに献じあっていた。尋支瓜(メロン)というものがあり、大きいものは十人がかりで食べて、ようやく食べ尽くすことができた。この国に出する野菜には、顆葱(小粒の葱)・葛藍(くずとあい)・軍達・茇薤(うぜんかずらとニラ)があった。 大食の西には、苫(シリア)という国があり、この国は独立して国をなしていた。北は突厥の可薩部(ハザール)をへだてること数千里であった。五つの節度があり、勝兵が一万人いた。土壌は穀物を多く産した。大河(ユーフラテス河)があり、東に流れて亜倶羅(アル・クーファ)に入った。大勢の人が往来し、双方の列の切れる事がなかったという。 大食から西に十五日間進むと、都盤(ダマーヴァンド)という国に達する。都盤は、西は羅利支(ラーリス)をへだてること十五日行程で、南は大食で二十五日の行程、北の勃達(バダッシュ)にはヶ月の行程で到達できた。 勃達(バダッシュ)の東は、大食をへだてること二ヶ月の行程であった。西は、岐蘭(ギーラーン)をへだてること二十日の行程であり、南の都盤(ダマーヴァンド)、北の大食には、みな一ヶ月の行程であった。 岐蘭(ギーラーン)の東南に二十日間進むと阿没(アモル)、あるいは阿味に達する。東南は、陀抜斯(タバリスタン)をへだてること十五日の行程であった。南の沙蘭(シャラムバ)には一ヶ月で到達できる。北は、海をへだてること二日の行程であった。你訶温多城に住み、馬・羊をよく産した。この国の風俗は柔軟で寛大であった。それ故、大食は常にここで遊牧した。沙蘭(シャラムバ)の東は羅利支(ラーリス)をへだて、北は恒満(ダイラマーン)をへだてていた。みな二十日の行程でたどりつけた。西は大食で、二十五日の行程で到達できた。 羅利支(ラーリス)の東は都盤(ダマーヴァンド)、北は陀抜斯(タバリスタン)をへだてること、みな十五日の行程の距離であった。西の沙蘭(シャラムバ)には二十日の行程で達し、南の大食(アラブ)には二十五日で到達できた。 怛満(ダイラマーン)は、あるいは但没ともいい、東の陀抜斯(タバリスタン)、北の大食(アラブ)には、みな一ヵ月の行程で赴けた。北の岐蘭には二十日で到達し、西は大食で一ヵ月の行程で達する。烏滸河(オクサス河)の北の平原にある河の中に住んでいた。獣は獅子が多かった。西は史国(キッシュ)と接し、鉄門をもって国境線となしていた。 天宝六載(747)、都盤(ダマーヴァンド)などの六国が、みな使者を派遣して入してきた。そこで都盤の王の謀思健摩訶延を順化王に封じ、勃達(バダッシュ)王の摩倶澀斯を守義王に封じ、阿没(アモル)王の倶那胡設を恭信王に封じ、沙蘭(シャラムバ)王の卑路斯威を順礼王に封じ、羅利支(ラーリス)王の伊思倶習を義寧王に封じ、怛満(ダイラマーン)王の謝没を奉順王に封じた。 賛じていわく。西方の夷狄は、いにしえには、いまだかつて中国に通好していなかった。漢代になって初めて烏孫諸国について記載するようになり、後には名字をもって見るものが次第に多くなってきた。唐が興ってから、次々と朝貢する国は、おそらく百あまりとなり、みな万里の道のりと危険を冒してやって来た。また、なんと勤勉なことであろうか。しかし中国には朝貢国に対して報贈の義務があり、冊立、弔問旅行日程分の食糧や駅伝の費用も、まかなう義務があった。東は高句麗、南は真臘、西は波斯、吐蕃、堅昆(キルギス)、北は突厥、契丹、靺鞨に至るまでを八蕃と呼び、それよりも外側にある諸国を絶域と呼んで、土地の遠近を見て給費を決めた。開元の盛時には、西域の商胡(ソグド商人)に課税して安西四鎮に納めさせた。北道を経由して来るものには、輪台(亀茲付近)で税を納めさせた。国土が広ければ、それに応じて要する費用も増していくものだが、これもまた盛んな時の王の手本というものであろう。
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===== 恩那堤の上 ===== 本丸、森の木々、一部のやぐらを残して水没した桜が丘城を見つめる晶達。 菖「これで勝負ありだね」イシシ 幸「(どうして……どうして降らなかったの……)」 晶「さぁ、どうする?桜が丘のつわものども!」フフン ~~~~~~~~~~~~~~ その頃、恩那堤の別の土手では、堤を築いた人夫達の一部が、水没した桜が丘城下を眺めていた。 純「そんな……村が…………」 人夫「まさか堤がこんなことに使われるなんてなぁ。嬢ちゃん、あんたの田も水の底かい?」 純「……侍が悪いのよ。こんな戦を起こした侍が悪いのよ!!」 ============= その夜――桜が丘城本丸居館 ============= 部屋という部屋のふすまが取り外され、兵や百姓達がぎっちり詰まっている。 皆一様に沈んでおり、特に百姓は、澪達が廊下を通るたびに恨めしげに見つめてくる。 『いつまでこうしてなきゃならないの……』 『やっぱり降っていれば良かったんだよ……』 『ふわふわは、所詮ふわふわか……』 あちこちで、不平の声が聞こえていた。 ~~~~~~~~~~~~~~ 唯や重臣達は狭い書院に集まり、今後の行動を考えることにした。 澪「まずい状況になったな……」 律「ああ。緒戦で勝ったことを忘れて、たった半日で兵も百姓も士気を失っちまった」 澪「無理もないな……こんな戦を目の当たりにしたんじゃ」 梓「やっぱり田んぼですよ。田んぼをダメにされた怒りが、私達に向いているんですよ」 澪「水かさは今も増しているらしいな。このままじゃ、明日にはここも危ないかもしれない……」 律「ちくしょう……水攻めなんてやられたんじゃ、手も足も出ねーよ……」 澪「唯……もはや降るしかないんじゃないか?」 唯「ううん。水攻めは破れるよ!だから私は降らないもん!」 澪「いったいどう破るんだよ!!」 ガラッ アキヨ「申し上げます!本丸門前に、死骸が流れ着いています!」 梓「し、死骸!?」 唯「…………」 澪「おい、唯どうしたんだ」! 唯「……今行くっ!」ダダッ 澪「お、おい何がどうなってんだ!?みんな、唯を追え!」ダダダッ ===== 本丸・門前 ===== 水の際に小舟が流れ着いている。 そこには若い百姓の男と女、そして年端もいかない赤子の死骸が、まるで捨ててあるかのように乗せられている。どれも刀で斬られたり刺されたりした痕があった。 唯「…………」 梓「こ、こんなの酷い……」 律「逃げて、敵兵に斬られたんだな……」 澪「おい、男の人は脇差を持ってるぞ!なんであんな立派なのを……」 唯「あれ……私のだよ」 澪「何だって!?」 唯「あの人たち、降るって私に言ってきたんだ。赤ちゃんのために、逃げて生き延びたいって……だから私が、護身用に上げたんだ……」 澪「唯!戦ではこういうことなんてザラだぞ!なのに、みすみす城外へ逃がしたのか!?」 唯「……私が甘かったんだ……」グスッ 唯は赤ん坊の死骸を愛おしそうに抱きかかえた。 唯「ごめんなさい……ごめん……なさい……」ポロポロ 律「上方の奴ら、降った百姓を斬りやがるのか!城にいる者は皆殺しとでも言いてーのか!!」ガスッ 唯「澪ちゃん、りっちゃん、あずにゃん……私は水攻めを破るよ」 唯は涙を流しきると、かがり火に照らされた恩那堤を、まっすぐな目で見据えた。 唯「私……悪い子になる!!」 ===== 一刻後―― ===== 澪「唯、どうしたんだこれは!」 書院には、三味線、太鼓、琴といった楽器が揃えられている。 唯「さっき用意してもらったんだ」 律「おい!本丸の門前に小舟が並んでるぞ!」 唯「それも用意してもらったんだよ」 梓「それで唯殿……なんですか、その格好は」 唯「さわちゃんが作ったんだよ!」フワフワ 唯が着ていたのは、浴衣の裾を短くし、フワフワした飾り付けをした、何とも奇妙な衣服であった。 律「唯……それは無いわ」 梓「御屋形様に、そんな趣味があったなんて……」 澪「で、これだけのものを揃えて、何をする気なんだ?」 唯「田楽だよ!」 律「はぁ?何言ってるんだ?」 唯「今夜、舟の上で田楽を披露するんだよ!」 梓「な、何を考えてるんですか!」 澪「……もしかして、兵の士気を上げるためか?」 唯「ん~、そんなとこかな」 梓「しかし、田楽をするのに、ここにある楽器では……笛も無いですよ」 唯「私の考えた、軽い田楽をやるんだよ。その名も軽田楽!略して、けいでん!」 澪「そうか、いい考えかもしれないが……(それだけじゃ堤は破れないぞ)」 唯「みんなも一緒にやるんだよ!これに着替えてね!」フワフワ 澪律梓「ええええええええぇっ!?」 澪「そ、そんな格好で人前出るのは……恥ずかしい……///」 律「私達は武士だぞー!そんなひらひらふわふわした服なんか着れるかー!」 梓「わ、私もそういうのはちょっと……(初陣が、どんどんおかしな方向に……)」 唯「そう?でも……」 紬「しゃらんら、しゃらんら~」フワフワ 唯「ムギちゃんは喜んで着てるよ?」 澪律梓「だああああぁ!」ズコー 律「何ノリノリなんだ、姫様!」 紬「私、みんなと一緒に何かをやることが夢だったの~」キラキラ 澪「そ、そうなんだ……」 梓「(あぁ姫様、いつもよりさらに見目麗しい……私はそんな人と接吻を……)」ポー 唯「さぁ、ムギちゃんもやるって言うんだから、みんなもやるよね?」 梓「もちろん、やってやるです!」ツヤツヤ 唯「そうだ、あずにゃんはこの猫耳をつけてね」スチャッ 梓「ちょっ、何でですか!?///」 律「ん~……分かったよ。姫様も楽しそうだもんな」ヤレヤレ 澪「私はやっぱりこういうのは……目立ちたくないし……」 律「よ~し!じゃあまた澪は仲間外れってことで」 澪「わ、分かったよ!やるよやるよ!やればいいんだろ!?」 唯「そうと決まれば、城のみんなにも伝えなきゃ!今夜田楽をやるよって」ダダッ 唯はフワフワ衣装のまま、書院を飛び出していった。 澪「(……唯のやつ、本当に士気を上げるのだけが目的なのか?一体何を企んでるんだ?)」 ====== 丸墓山の頂上 ====== 幸と合力の武将達が登ってくる。そこには、城の方をじっと見つめている晶がいた。 幸「どうしたの晶?急に呼ぶなんて」 晶「……あれを見てみろ!」 本丸の城塀付近に、三艘の小舟が浮かんでいる。 真ん中の小舟には三味線を持った唯が、左の小舟には三味線を持った澪と太鼓を持った律が、右の小舟には三味線を持った梓と琴を持った紬が、それぞれ乗っている。 そして全員が、裾の短い浴衣のようなふわふわ衣装に身を包んでいた。 幸「何が始まるのかな……?」 晶「つーか、あいつらの格好は一体なんだ?窮地に陥っているっつーのに……戦をナメてんのか?」 =========== 桜が丘城本丸・城塀付近 =========== 唯「それでは、いざ丸墓山へ!みんな行くよ!」 『うおおおおーっ!』 『ふわふわ様ー!かーわいいーっ!!』 『上方の野郎に目に物言わせてくださーい!』 城塀に集まった兵や百姓達の喝采の中、それぞれの小舟が進み出す。唯の小舟のみ船頭が漕ぎ、他はそれぞれ律と梓が漕いでいく。 梓「こんな時に田楽だなんて……そんな軍略聞いたことないです」ギーコギーコ 紬「まぁまぁまぁ、まぁまぁまぁ……きっと唯ちゃんに考えがあるのよ」 律「しっかし……田楽で味方の士気を上げようなんざ、唯らしいぜ」ギーコギーコ 澪「あ、ああ」 律「しっかし……よく似合ってますなぁ、澪殿」プププ 澪「う、うるさいっ!」ゴチンッ 律「あいった!やっぱりお前は漆黒の魔人だよ……」 唯「舟を止めて!」 律「え?」 梓「はい?」 唯「みんなはここにいてね。私はもう少し前に行くから――澪ちゃん」 澪「なんだ?」 唯「――後は頼むね」 澪「えっ?」 唯はそれだけ言い残し、船頭に指示を出して、前方の丸墓山に接近していく。 律「頼むって……何をだよ?」 澪「…………」 紬「…………?」 ===== 丸墓山頂上 ===== 晶「おいおい、真ん中の舟だけこっちに近づいてくるぞ」 幸「晶、気をつけて」 やがて堤の上の兵達も、湖の上の様子に興味を持ち始めた。 『何だ何だ、あの舟は?』 『変な格好の女達が乗ってるぞ!』 『楽器を持ってる……楽師か何かか?』 『後ろの方のやつ、何で猫耳つけてんだ?』 そして、唯の舟が止まる―― 唯「上方の皆さーん!これから歌うのは、五穀豊穣を祈願する田楽でーす!!存分に楽しんでくださーいっ!!」 そう叫ぶと、唯は後ろの小舟に乗る四人の方を振り返った。 唯「……じゃ、行くよ!」 唯の呼びかけに、澪が頷く。 紬が頷く。 梓が頷く。 そして律が頷き、撥を高く掲げる―― 律「一、二、三、四!」 テケテケテケテ♪テーケテケテケテ♪ テケテケテケテ♪テーケテケテ♪ 晶「な、何だこりゃ!?」 幸「こんな音、聞いたことない……」 『おおおおおおおぉ!!』 紬の琴の旋律に合わせ、律が太鼓で拍子を取る。 さらに澪の三味線が流れるように低音を奏で、唯と梓のかき鳴らす三味線が、高音を奏で出す。 それは田楽の常識を根底から覆す演奏であった。 唯「♪ごーはんは、すーごいーよ なんでも合ーうよ、ほかほか~」ジャカジャカ 晶「なんだよこのひどい詞は……」 唯「♪らあめん、うどんに、お好み焼き、これこれ~」ジャカジャカ 幸「(……おもしろい)」 唯「……船頭さん、もっと前」ボソボソ 唯が歌の合間に船頭につぶやきかける。 船頭が櫂を漕ぎ、小舟は丸墓山へとさらに近づいてくる。 晶「おいおい、さらに近づいて来たぞ。なんて大胆な……」 菖「なになに?何だか賑やかだね~」テクテク 晶「あれを見てみろよ。二万の敵の前で田楽をやるなんて、たいしたヤツだろ?きっと名のある武将だ。誰か近くの百姓でも捕まえて、あいつの名前を聞き出す!」 唯「♪ごはんはすごいよ、無いとこーまるよ むしろごはんがおかずだよー」ジャカジャカ 菖「いや……その必要はないよ」 晶「は?」 唯「♪上方人ならやーっぱり、お好み焼きとごは~ん~」ジャカジャカ 菖「名のある武将どころか……成田軍総大将、成田唯親その人だよ!」 晶「何ぃっ!?」 唯「♪でもわたしー、上方人じゃないんです~」 澪律梓紬「「「「どないやねん!」」」」 『あーはっはっはっは!!』 ~~~~~~~~~~~~~~ 堤の上で見物しているのは、上方兵だけではなかった―― 人夫「はっはっは、こいつぁいいや!」 純「…………ふわふわ様だ」 唯「♪一、二、三、四、ご・は・ん!」グー! 人夫「ふわふわ様?それって嬢ちゃんとこの総大将だろ?」 純「………………なにやってんのよ、あの人は…………ハハ、アハハハ……」 唯「♪一、二、三、四」 純「♪ご・は・ん!おー!!」 ~~~~~~~~~~~~~~ 晶「おいおい、冗談もたいがいにしろよな」 菖「ホントだって!私会ってきたんだし!」 敵兵「申し上げます!関白殿下のご使者が参りまして、こんな書状を……」サッ 晶「ん、なになに……げっ!」バサッ 菖「どうしたの、晶?」 晶「……殿下がここに来る」 菖「ウソっ!?」 晶「これを見ろ!水攻め見物に行くって書いてあるんだ!」バサッ 菖「……ホントだ」ペラ 幸「(そんなことしなくていいのに……)」 晶「まずい……こんなの見てる場合じゃねー!殿下が来る前に、とっとと開城させねーと!おい、確か雑賀衆の狙撃兵がいたよな?そいつを連れてこい!」 敵兵「はっ!」サササッ 幸「……ハッ!晶、それはダメ!!」 ~~~~~~~~~~~~~~ 唯「♪ごーはんはすごいーよ、なんでも合ーうよ」 『ほかほかーっ!!』 梓「まったく、あきれちゃいます……敵も味方も一つにまとめちゃうなんて」ジャカジャカ 紬「唯ちゃん…………もしかして、死ぬ気じゃ……」テケテケテケテン 梓「えっ?」 澪「そうだ!あいつ、弔い合戦に持ち込む気だ!だからさっき、後は頼むって……」 梓「えぇっ!?」 澪「自分が撃たれて死ぬことで、兵達の士気を取り戻そうとしてるんだ!」 律「総大将が討たれたら、みんな開城したがるんじゃないのか?」 澪「百姓を徴発しに行った時を思い出せ!唯の名前を聞いたら、みんな笑い出しただろ!喜んで加勢を決めただろ!みんな、みんな唯のことが大好きなんだ!そんなやつが討たれれば、一体どう出ると思う!」 律「……ふ、復讐の鬼に?」 梓「命も省みず、敵軍に突入……?」サーッ 唯「♪ごはんはすごいよ無いと困るよ、やっぱりごはんは主食だね~」ジャカジャカ 澪「……あいつ、それを分かっててこんな策に出たんだ!領民の命を何だと思ってるんだ!みんな、あいつを止めに行くぞ!!」 唯「りっちゃーん!せりふせりふー!」 律「お、おう!『ごはんはおかずじゃないのかよっ!』」 唯「あ、忘れてた~」 律梓紬「「「こらー!」」」 澪「って、こらー!つられるなー!」 律梓紬「はっ!///」 ~~~~~~~~~~~~~~ 幸「晶!あの子を撃ったら、敵はどんな手に出るか……」 晶「うるせー!」 敵兵「雑賀衆の者を連れてきました!」 (※雑賀衆:戦国時代、各地の戦で暗躍した傭兵鉄砲集団。この戦の数年前に、豊臣家に降っている。) 晶「よしお前、あいつを撃ち取れ」 いちご「え……やだ」 晶「は?」 いちご「……嘘。御意」 狙撃兵のいちごはそう言うと、砲身へ弾込めを始める。 幸「晶、今のままでも十分勝てるよ!どうか思い直して!」 菖「総大将を討てば、戦は終わりじゃない?」 幸「そうじゃないよ!兵達を見て!敵も味方もみんなあの子に魅せられてるわ!」 唯「♪一、二、三、四!」 『ご・は・ん!!』オー! 唯「♪一、二、三、四!」 『ご・は・ん!!』オー! 幸「明らかに将器よ!ヘタに手を出したら、追い込まれるのは私たちだよ!」 晶「おい、まだか!」 いちご「……されば」カチャッ 幸「晶!あの城の者達は、昔から血で血を洗う無数の戦場で生き残った坂東武者の末裔なんだよ!親が討たれても子はその屍を越えて戦い続ける坂東武者の血が、兵から百姓の隅々にまで流れているのよ!!」 菖「(おぉ……幸がこんなにしゃべるなんて!)」 9
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413: 635 :2020/09/18(金) 07 52 44 HOST 119-171-231-231.rev.home.ne.jp 銀河連合日本×神崎島 ネタ 鳥海は狐っ娘として拝まれるようです 山形県酒田市 今日の酒田の街は賑わっていた。 街には幾つもののぼりや旭日旗が上がり、マスコットキャラなのか稲穂と狐柄の着物を着た赤目に長い黒髪の狐っ娘の描かれたポスターやのぼりも存在した。 それもその筈酒田港に神崎島の重巡洋艦鳥海が来航し一般公開が行われるからだ。 東北地方では見ることの少ない大型軍用艦艇に街は沸き立た。 近隣の自治体からも大勢の人々が訪れていたが何か違うようだ。 鳥海の停泊する埠頭には長蛇の列が出来ていたがどういう訳だか子供連れが多い、親子連れや孫を連れた祖父母やリアカーを引く人が多数いる。 また、重巡鳥海の脇には大量の米俵や野菜、酒樽が山程積まれている。 一張羅を着た農家や商家と思しき人々が米俵や野菜、酒樽を載せたリヤカーを引きながら列に加わっているのだ。 重巡鳥海のタラップの前には人々を迎える艦娘の鳥海がいるのだが来る人来る人が鳥海を拝み、子供連れならば子供の頭を撫でてもらい、 農家や商家は米や酒を鳥海に奉納、もとい渡していく。 なんか鳥海の目は航空戦艦日向、いやチベットスナギツネの様に何処か遠い所を見るような目をしている。 「どうしてこうなったのかしら…。」 夜になっても酒田の街の繁華街に人が途切れることはなかった。 一人の男が居酒屋へ吸い込まれていく。 重巡鳥海の一般公開と聞いて首都圏から遠征して来た鳥海嫁の所謂機動力のある提督の一人だ。 居酒屋には仲間内だろう老人達と奥の席には四人の女性が座っている他大勢の人々がいる。 女性達は黒髪にショートボブ、金髪碧眼のセミロング、茶髪のショートヘアに黒髪のロングのなかなか美人揃いだ。 男は席に座りビールを注文すると店員と話をし出したた。 「いやあ凄い人出だね。いつもこうなのかい?」 「いや今日は特別ですよ。軍艦鳥海と艦娘の鳥海さんが来ていますからね。」 店員は朗らかに笑いながら言う。 やはり艦娘が来ると違うのかと思いながらもふと疑問に思ったことを口にする。 「そういえば街中に狐耳した眼鏡してない艦娘の鳥海らしきキャラが描かれたの幾つもあったけどアレ何だい?」 「あああの方ですか?」 「あの方?」 店員が言うにはあのキャラクターは最近ある村に降臨した鳥海山の神の姿を模したものであるという。 その村では子供が神隠しに遭ったが神がその子供を助け親元へと返したとこの周辺の集落や町で大きな話になったそうだ。 「おう兄ちゃん、御山の女神さまの話を聞きたいのかい?」 「おい徳さんやめとけって。」 店員とそんな話をしていたら老人の酔っぱらいが話しかけて来た。 老人は仲間に止めらるが気にした様子はなく、鳥海山の神が現れたのは自分の近くの集落だと自慢した。 その時、奥の席の女性四人組の一人、長い黒髪に眼鏡の女性がズッコケた気がするが気のせいだろう。 老人は話始めた。 415: 635 :2020/09/18(金) 07 53 34 HOST 119-171-231-231.rev.home.ne.jp 鳥海の御山を望む小さな漁村での話だ。 その漁村を出て都会で暮らしてた男がまだ雪が残る春の彼岸に嫁と子供達を連れて久々に実家に帰省したそうだ。 男の両親は大層喜んだが、同時にこんな時期に幼子を連れて帰って来なくてもと顔を曇らせた。 この地方では春秋の彼岸と盆の夕日が沈む頃にはあの世との境が薄くなり一人でいる幼子が神隠しに合うという言い伝えがあった。 戦後すぐ辺りまではこの時期の黄昏時には幼子を家からに出さないようにとされていた。 平成になってからはもう信じる者もいなくなり迷信や怪談の一つとして扱われるようになっていたが。 しかしながら日本の南に神崎島が出現してからはこの言い伝えを本当のことと考える村人が増えてきた。 実際に怪談と思われる現象が各地で確認され、死んだはずの人間が妖精などという不可思議な存在になって帰って来たりしているからだ。 男の両親の近所でもそんな人物がいたりしたから尚更であった。 だがこの男はその様なことが実際にあっても幽霊や妖怪などと言うものは信じない人間であった。 男はそんなの迷信であると笑ったが嫁は顔を曇らせ、両親の言葉に従った方が良いと言った。 男は嫁にそんな古臭い迷信を信じるのかと顔を赤くして怒り出し、両親や嫁の言葉を無視して雪を見て遊びに行きたがる子供らを外に出させた。 日が暮れかける頃、遊んでいた子供らが帰ってきたが一番下の子が一人足りなかった。 子らに一人はどうしたのかと聞けば雪で遊んでいるといつの間にかいなくなっていたそうで、先に帰っていると思っていたそうだ。 その言葉に男夫婦と男の両親は血相を変えて子供を探し始めた。村の者たちも参加し探したが日が暮れ、月が昇ってきても子供は見つからなかった。 そこで男の両親は神隠しに遭ったのではと村社の神官の家の村一番の年寄りの老婆に相談した。 老婆は村の伝承や神事をよく知っており都会の学者も話を聞きに来る程であった。 相談を受けた老婆は呟いた神隠しなんて何十年振りかと。 昭和の初め、老婆がまだ子供だった頃には言い伝えを破った子供が何人も神隠しに合ったそうだ。 そして神隠しが人によるものか神崎島で起きるような超常的な自然現象なのかはたまた祟り神なのかそれすらも分からず、 いなくなった子供が戻ってきたことなど今まで一度もないそうだ。 ただ子供が神隠しに遭わない為の方法しか存在しないという。 月が天頂に差し掛かっても子供が見つからず、両親より老婆の話を伝えられた男は意気消沈していた。 こんなことなら両親や嫁の言葉を素直に聞いていれば良かったと後悔していた。 男は子供を探す中でふと村社の鳥居が目に入り、ふらっと誘われるように鳥居を潜り階段を上った。 階段を上りきると青い青い月明かりに照らされ雪に覆われた社が目に入る。 この村社には御山の神社より勧請された神が祀られていた。 その神は水神とも稲穂の神ともされている。 藁にもすがる思いでその神に願った。自分はどうなっても良い、子供を返して欲しいと。 すると雲が夜空を覆い月明かりを隠した。 暗闇に包まれ一瞬強い風が吹いて雪が舞い上がり男は目を瞑る。 目を開ければ月に青く照らされた先ほどと変わらぬ境内が広がっていた。 「もし…。」 男は背後より声が聞こえた気がし目を開け階段の方を振り返ったが誰もいない。 「もし…。」 今度こそしっかりとした女の声が聞こえ社の方を見れば稲穂の間で遊ぶ狐をあしらった着物を着た一人の娘が立っていた。 そしてその背に子供でも背負っているのか肩にはおんぶ紐らしき紐も見えた。 流れる濡鴉のような黒髪をした娘であったがその瞳は宝石の紅玉の如く紅く男はこの娘はこの世の者ではないと感じ取った。 そして何よりその頭には狐の耳が存在し、背後にはゆらゆらと揺れる尾が見て取れ、テレビで見た艦娘の鳥海にも似ている気がした。 だが不思議と怖さは感じなかった 「誰かを探しておいでですか?」 娘は男に問いかけた。 娘の問に男は里の禁を破り彼岸の夕暮れに子供を家から出し神隠しに遭わせてしまったことを吐露した。 何故見も知らずの人外と思しき娘にこんなことを言えるのか不思議であった。 男の言葉に娘は背負っていた子を手に抱き男に見せた。 何かと思い娘の腕の中の子を見れば、すやすやと穏やかに眠るのは神隠しあった筈の我が子であった。 男はこれは夢か幻かと思い我が子に恐る恐る手を伸ばし触れ、娘は腕の中の子を男に渡した。 渡された男は我が子の確かな重みを感じ泣き出し、泣き出した男を娘は優しげに見つめていた。 416: 635 :2020/09/18(金) 07 54 10 HOST 119-171-231-231.rev.home.ne.jp しばしして男は泣き止むと娘に我が子を連れていたのは何故かと尋ねようとした。 すると再び雲が月を覆い隠し、一陣の風が吹き雪が巻き上げられる。 男は地吹雪に目を腕で覆いながら娘を見る。 白い雪風に濡鴉の様な黒髪が舞い、娘の紅い瞳には優しげな光が浮かぶ。 『もう我が子を離すことなきように…。』 そう言い終えると娘は微笑みを浮かべながら白い雪に消えていった。 男は子供を抱えて子供を探すために人々が集まっていた集会所へと戻った。 男と子供の無事な姿を見つけると男の家族は涙を流して喜び、里の者達は大丈夫であったかと心配の声を掛けた。 子供を妻に預けると男は老婆の元へと行きことの次第を話した。 神社で子供の無事を願ったこと、 雪が吹き突然着物を着た艦娘の鳥海に似た狐の耳と尾を持つ娘が現れたこと、 その娘から子供を返して貰ったこと、 そして再び雪が吹くと幻のように娘が消えてしまったこと、 「もしかしたらその子を助けて下さったその娘っ子は鳥海山の神様かもしれねえなあ。」 男の言葉を聞いた老婆はそう零した。 村社に祀られている鳥海山の神は女神であり、五穀豊穣を司る稲穂の神や狐を使いとする神とも同一視されるという。 神はその昔この地方で人攫いや船を沈め多くの人々を喰らっていた妖怪の被害を受ける人々を哀れに思い退治したという慈悲深い神だそうだ。 神隠しされた男の幼子を哀れに思い、御山の名を戴く艦娘鳥海の姿を借りて子を男の元へ返したのではないかと老婆は言う。 「艦娘さは神様の依り代でもあるそうじゃ。神様がその姿を借りて出てきても不思議じゃねえ。」 そして何よりもと老婆は言う。 「艦娘の鳥海さはいつも眼鏡付けてるでねえか。眼鏡付けとらんのが艦娘さの訳ねえべ。」 一同は老婆の言葉にそれもそうかと納得し大いに笑った。 その後男は家族親族全員と共に村社と鳥海山を詣で子供を無事返してくれたことに感謝した。 そして家族と共にあの狐の耳をした御山の神様の見守る郷里で生きていくことを決め都会より戻り家業を継ぎ日々神様への感謝を忘れず過ごしている。 この騒ぎがあってから鳥海山周辺では山への信仰がさらに盛んとなり子供の守り神、行方不明者を返す神としても厚く信仰を集めることとなる。 また男が見た姿から狐の耳と尾を持つ稲穂と狐柄の和服を着た黒髪紅眼の女性として描かれることが多くなり像や絵馬に描かれ奉納され、 その姿が描かれた絵が魔除けとして家や商店などに飾られることとなる。 ついでに鳥海山の神にそっくりで依り代とされてしまった艦娘鳥海はこの地を訪れる度に拝まれたり、米や野菜を奉納されるなどして愛されていくこととなる。 なお艦娘鳥海に子供の頭を撫でてもらうと健やかに成長するという話も広がってたりする。 老人の独演会な話しがが終わると居酒屋の中ではやんややんやの大喝采であった。 やはり艦娘は巫女さんであったかだのやはり米俵奉納したの正しかっただのリアル狐っ娘キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!だの鳥海は俺の嫁だのと大騒ぎである。 この地方どこもかしこも山の神の話しとなるとこんな風なのでこの地方は順調に狐色に染まっていたりする。 なお居酒屋の隅で黒髪ロングな眼鏡っ子が追い打ちを掛けられたようにグッタリしているのはどうでも良い話しである。 さらに狐っ娘な姿の鳥海が神崎提督に褒められて対抗してケモミミ装備の艦娘による提督襲撃が激増するのは全くの余談である。 417: 635 :2020/09/18(金) 07 54 49 HOST 119-171-231-231.rev.home.ne.jp 更にどうでも良い余談 「艦こ○」開発/運営 ▼書き下ろし鳥海改二お狐様mode、期間限定実装 秋晴れの元の揺れる稲穂、お米がおいしい季節ですね。 本日、高雄型重巡洋艦【鳥海改二】にお狐様mode、鳥海改二狐を期間限定実装です! 頭を垂れる程実った稲穂を守る彼女をお願い致します。あぁ、こら、摩耶!つまみ食い禁止! 運営からの電文 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: 速報【鳥海に狐耳が生える】 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: えええ… 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: アリだと思います! 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: 嫁の可愛さが加速してワイの体力がマッハなんだが 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: ア○レンでもないのに何故ケモミミを生やした? 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: 鳥海山の神様が狐ミミ鳥海の容姿なので仕方なし 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: まじで? 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: マジでちなみに眼鏡はねえぞ 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: 眼鏡ないのか…じゃあその神様は鳥海じゃねえな 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: 鳥海と神様の違いはメガネの有無なんか 名前:名無しの神崎島提督[sage] 投稿日: なお神様の依り代と思われて拝まれてる模様 とある掲示板で 「摩耶、あんな体勢(orz)で鳥海はどうしたの?」 「ん?ああ高雄の姉貴か。少し前にリフレッシュで鳥海と一緒に提督連れて旅行で鳥海山の方まで行ったんだけどよ。」 「けど?」 「鳥海のやつ迷子になってた子供見つけて騒ぎにならないようそっと親元に返したらその子供の集落で鳥海山の大物忌神と間違われたらしい。」 「マジで……?(汗)」 「ああ、愛宕の姉貴その通り。だって子供渡したのが鳥海山から分祀された神社でオフだからって稲穂と狐柄の和服着てたうえに夜だぜ?」 「ついでに遊びの罰ゲームと提督へのアピールでキグルミシステムで狐の耳と尾つけて極めつけに眼鏡してなかったからなあ。」 「摩耶、私の判断基準眼鏡なの…?」 「(確か鳥海山の大物忌神はは豊作の神の宇迦之御魂神やお狐様、稲荷神と同一視されてたわね(汗))」 「(ちょっと高雄、キグルミシステムの狐耳と尻尾って本物と見分けつかないんじゃ?(汗)」 鳥海神様に間違われ事件への発展を後で知った高雄姉妹 418: 635 :2020/09/18(金) 07 56 11 HOST 119-171-231-231.rev.home.ne.jp 以上になります。転載はご自由にどうぞ。
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7月30日名古屋版朝刊 7月30日 北九州版(福岡県)朝刊 7月30日 高知版 朝刊 7月30日 大阪版(京都)朝刊 7月30日東京版朝刊(縮刷版) 関連ページ 7月30日名古屋版朝刊 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事166 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1247101656/674 1面題字下:白十字 途中:YKKap(カラー) GAORA 厚生労働省 下:パワー社 悠書館 批評社 展望社 彩流社 たま出版 旭屋出版 主婦の友社(3段) 2面下:藤原書店 柏書房 (5段) 3面下:幻冬舎(5段) 4面下:週刊新潮 週刊文春(5段) 5面下:オリックス生命保険(株)(5段) 6面下:山田養蜂場 純選堂(株)(渋谷区) ダイト薬品(株) (株)メディエイター(5段) 7面途中:外為どっとコム 10面下:(社)日本新聞協会(5段) 11面下:名大社 内藤一水社 アド大広名古屋 近鉄タクシー(株)(2段) 途中:毎日新聞社 大和証券グループ 12面下:幸福の科学出版 キャッスルプラザ(5段) 途中:毎日検定バンク 13面下:(株)加美乃素本舗(2段) 16面下:「暑中お見舞い申し上げます」 (株)ナゴヤキャッスル・スポーツニッポン新聞社・(株)毎日ビルディング・毎日文化センター・毎日新聞名古屋開発(株)・(株)毎日新聞名古屋センター(5段) 17面:日本直販(全) 20面下:マルティナショナルブラスアンサンブル 名古屋ブラームス・リング・シンフォニカ 「わが青春の母校」名古屋大学(5段) 途中:安藤建設 21面下:チャネラー☆KEIKO(一宮市) (特)ラマモンソレイユ(熱田区) 「瑞穂区民まつり」幸福の科学 お菓子工房オランダ 後藤塾 ファッションやまね サークルK妙音通店 小西雅司ダンススタジオ 鍼灸マッサージ院ぴっぱら (有)東洋自動車商会 松尾フーズ 樽本工業 (有)野村殖産 九十自動車(株) 金龍寺 愛知時計電機(株) (学)瀬木学園 (5段) 途中:ぴあ中部版 22面下:宝くじ 興和(株)(5段) 23面下:八ッ目製薬 (株)グランドギャラリー 毎日小学生新聞 毎日新聞中部社会事業団 (財)日本アレルギー協会(3段) 24面途中:Bridal Collection SPOSA DI MATSUEDA 下:積水ハウス(株)(3段) 7月30日 北九州版(福岡県)朝刊 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事167 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1248953104/14-17 一面:白十字”題字下”,CSスポーツチャンネル GAORA”記事中”, 政府広報 厚生労働省”記事中”,YKKap”天気予報中, 偕成社,実務教育出版社,日東書院,ブックマン社,発行:牧歌舎 発売:星雲社, 栄光出版社,遊子館,日本経済評論社“下3分の1” 二面:幻冬舎“下3分の1” 三面:文芸社“下3分の1” 四面:(株)日本フローラルアート,幸福の科学出版“下3分の1” 五面:サンデー毎日 毎日新聞社“下3分の1” 六面:オリックス生命保険株式会社“下3分の1” 七面:週刊英語学習紙 毎日ウィークリー(毎日新聞社)”記事中”, 日本直販 株式会社総通“下3分の1” 八面:毎日育英会(毎日新聞社関係)”記事中”, 第68期名人戦 主催:毎日新聞社・朝日新聞社 協賛:大和証券グループ”将棋記事”, 第64期本因坊戦 主催:毎日新聞社・日本棋院・関西棋院協賛:大和証券グループ”将棋記事” 九面:外為どっとコム”記事中” 十面:一番食品株式会社 ttp //ichiban-foods.jp/ ”全面白黒” 十一面:コルチトーン補聴器(福岡市博多区祇園町)”記事中”, トラピックス 阪急交通社(国内:沖縄・旭山動物園・富良野・小樽)“下3分の1” 十二面:[毎日通販 夏の特選ギフト2009] 毎日通販 毎日福岡会館6F 毎日アドセンター通販事業部(毎日新聞社の関連会社)“全面白黒” 十三面:公営レースガイド”中15分の1”,月刊NEWSがわかる 毎日新聞社”下15分の1” 十四面:[暑中お見舞い申し上げます] 大倉工業グループ 株式会社九州オークラ,安井化学工業株式会社,積水フィルム九州株式会社, 中央タイヤ工業株式会社,毎日西部運送株式会社,株式会社毎日新聞大阪センター, 米村税理士事務所,株式会社シンコウ,株式会社新出光,九州日野自動車株式会社, 週刊 税のしるべ,ニチロ工業株式会社, コダック グラフィック コミュニケーションズ株式会社,DIC株式会社,東洋インキ九州株式会社, 第一工業株式会社,コニカミノルタ グラフィック イメージング株式会社, 株式会社野原商会,富士フイルム グラフィック システムズ株式会社 九州支店, 明和ゴム工業株式会社,日本ボールドウィン株式会社,ザ・インデック株式会社, 岡本化学工業株式会社,株式会社,東京機械製作所,椿本西日本株式会社, 日本新聞インキ株式会社 九州支店,中央タクシー,有限会社サキ自動車, シーエルシータカハシ(株),株式会社坪井商店,日本資源流通株式会社,門司印刷株式会社, 株式会社三晃空調 九州支店,株式会社アペックス,泉菊印刷株式会社,文化印刷株式会社, 鈴元詔子写真事務所,(株)映像BOX,(株)フロム・ワン,太宰府天満宮,千如寺大悲王院, MRT宮崎放送,株式会社ヤクルト本社 九州支店,福岡トヨタ自動車株式会社, ヤマトロジスティクス株式会社,株式会社ファビルス,福交運輸事業協同組合,桃源運輸事業協同組合, 毎日新聞福岡即売株式会社,(株)ブレーン・アイ,(株)西日本新聞テクノ・クリエイト,有限会社加嶋企画事務所, 福博綜合印刷株式会社,凸版印刷株式会社,株式会社LC池田事務所,株式会社マクロス・デザイン,有限会社アルモニ, 富士フイルムイメージテック株式会社 福岡営業所,富士ゼロックス福岡株式会社, サカタラボステーション株式会社 福岡支店,泰平印刷株式会社,株式会社ゼンリンプリンテックス, 株式会社毎日メディアサービス,KPC,有限会社コムズ,株式会社三京広告社,(株)ワン・モア,アサヒコム株式会社, トータルテック株式会社,第一高等学院,南王子さくら館,九州電気設備工事株式会社,大洋装備株式会社, 株式会社シティライントラベル,山口県毎日折込広告株式会社,日新火災海上保険株式会社, (株)フューチャーオフィス福岡,冨士高圧フレキシブルホース株式会社”全面白黒” 十五面:住宅型有料老人ホーム みのりの里 星ヶ丘,あかひげ薬局“下5分の1” 十六面:医療法人 樹啓会 シティデンタルクリニック ttp //www.city-dc.jp/ ”全面白黒” 十八面:不二製油株式会社 ソヤファームクラブ”全面カラー” 二十面:サンマリエ株式会社,大川温泉貴肌美人緑の湯,司法書士法人 麿(まろ)法務事務所“中8分の1”, 宝ヘルスケア株式会社”下3分の1” 二十一面:古恵良質店”記事中”,TVQ 株式会社ティー・ヴィー・キュー九州放送”記事中”, り・ほうむ工房 有限会社くるまや工房,ゴムの倉庫 越岡調帯,歌声喫茶 花のメルヘン, 株式会社ダイケン住宅,開星学園 ttp //www.kaisei-kirara.ne.jp/ ”下3分の1” 二十二面:あい司法書士法人,ウェルハートピア雲仙小浜(長崎県)“下8分の1” 二十三面:日本直販 株式会社総通“下3分の1” 二十四面:サマージャンボ 宝くじ”中15分の1”, ニューハートピア(佐賀県),財団法人日本アレルギー協会,株式会社加美乃素本舗”下4分の1” 二十五面:弁護士法人リーガルセンター,あさひ司法書士事務所,八ッ目製薬, 株式会社グランドギャラリー,亀の井ホテル 北九州小倉店“下4分の1” 二十六面:大ナポレオン展 山口県立美術館”テレビ欄中”, ベンチャーズ ジャパン・ツアー2009 主催:MIN-ON 共催:毎日新聞社”記事中”, ハウス食品株式会社“下5分の1カラー” 7月30日 高知版 朝刊 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事167 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1248953104/92 一面:白十字、YKKap、スポーツチャンネルGAORA、政府広報・厚生労働省 日本経済評論社、遊子館、栄光出版社、牧歌舎、ブックマン社、日東書院、実務教育出版社、偕成社 二面:幻冬舎 “3分の1” 三面:文芸社 “3分の1” 四面:文藝春秋 “6分の1”、新潮社 “6分の1” 五面:オリックス生命 “3分の1” 六面:MAINICHI WEEKLY、AC 公共広告機構 九面:外為どっとコム 十面:メディカルヘアー (株)VITA “6分の1”、近畿大学文芸学部 “6分の1” 十二面:大和証券グループ(協賛)第68期名人戦 第64期本因坊戦、毎日新聞大阪開発 十三面:日本サプリメント 十四面:エイジングコート プレサンスコーポレーション・大阪ガス “2分の1” 十五面:幸福の科学出版 “6分の1”、株式会社博多まるきた “6分の1” 十六面:株式会社ユーコー “全面” 十七面:ロート製薬 十八面:日本直販 “3分の1” 二十面:『讃岐の古刹めぐり 真言宗・寺院編』企画・制作/四国毎日広告社 “2分の1カラー” 四国別格二十霊場第十七番札所 五穀山 神野寺、四国別格二十霊場第十六番札所 巨鼇山 地蔵院 萩原寺 BAKE SHOP カレンズ www.currants.co.jp 、釜揚げうどん 長田in香の香、豊原念珠堂 株式会社木谷仏壇、鮮魚・仕出し 和田 二十一面:Hayabusa、不二食品株式会社、史蹟天然記念物 龍河洞(財)龍河洞保存会、高知八幡宮 奈良パークホテル、THC吉本建築事務所、医療法人 仁泉会 朝倉病院 二十二面:スポニチ 二十三面:まいまいクラブ、宝ヘルスケア株式会社 二十四面:サマージャンボ、株式会社アンターク本舗、日東メディカル株式会社 “3分の1” 二十五面:財団法人日本アレルギー協会、グランドギャラリー、毎日新聞大阪社会事業団 二十六面:オーバルホール、毎日フォトバンク、家研販売株式会社 興和株式会社・興和新薬株式会社 7月30日 大阪版(京都)朝刊 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事167 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1248953104/152-154 一面:白十字 YKKap ”2色カラー” GAORA 厚生労働省 日本経済評論社 遊子館 栄光出版社 牧歌舎 ブックマン社 日東書院 実務教育出版 偕成社 二面:幻冬舎 ”下3分の1” 三面:文芸社 ”下3分の1” 四面:新潮社 ”6分の1” 文藝春秋 ”6分の1” 五面:オリックス生命 ”下3分の1” 六面:AC 七面:SHARP ”全面カラー”☆★☆★☆★☆★☆★ 九面:目の勉強会 後援・(社)大阪府眼科医師会、毎日新聞社 十面:外為どっとコム 十一面:日本直販 ”下3分の1” 十二面:新日本製薬 ”全面”★ 十三面:加茂繊維株式会社 十四面:プレサンスグループ 大阪ガス ”下半分” 十五面:中納言 www.chunagon.com ”6分の1”★★★ 幸福の科学出版 ”6分の1” 十六面:株式会社アセット (神戸市)、株式会社フォーユウ・サプライ (兵庫県) オリックス・リビング株式会社、京都壬生苑 (中京区) 十八面:大和証券グループ協賛 囲碁のコーナー 毎日新聞大阪開発 × 十九面:日本サプリメント ★ 二十面:通販のユーコー ”全面”★ 二十一面:<関西外国語大学、関西外国語大学短期大学部、堂島地下街株式会社、 関西日立株式会社、スポーツニッポン新聞社 ×、三菱重工業株式会社、 有限会社ケイツーエス工房、富士通ネットワークソリューションズ株式会社、 株式会社キンコー、協和テクノロジィズ株式会社、株式会社ヤマシタ、富士フィルグラフィックシステムズ株式会社、 テクノ・テクノス株式会社、コカ・コーラウエスト株式会社、株式会社尼崎工務店、原口建設工業株式会社、 株式会社三晃空調> 「広告」企画制作・毎日新聞社広告局 二十二面:≪こっから映画館上映情報です→≫南座 、労演、祇園会館、東方公楽、TOHOシネマズ二条、 新京極シネラリーベⅠ・Ⅱ、 イオンシネマ久御山、京都みなみ会館 、京都シネマ 1・2・3 、MOVIX京都 、 千本日活(☆獣のあえぎ☆絶倫ハーレム三人の妻☆熟女過激レズ舌絡み 入場料500円税込み) 翠雲苑、山本園、株式会社嵯峨藤本畳店、はり清、株式会社イージーウェアズ、公益社 (株)都屋、ホリデイ・イン京都、丸栄ガクブチ、大原の里、きんなべ、(株)石寅 二十四面:スポニチ × 二十五面:まいまいクラブ × MAINICHIすてきにきれいセミナー × 宝ヘルスケア株式会社~TaKaRaグループです~”下3分の1”★★★ 二十六面:宝くじ ”2色カラー” アンターク本舗 日東メディカル株式会社 ”下3分の1” 二十七面:司法書士法人ゆう法務事務所 あさひ司法書士事務所 みまや法律事務所 毎日新聞大阪社会事業団 × グランドギャラリー 財団法人日本アレルギー協会 二十八面:オーバルホール × 毎日フォトバンク × 家研販売株式会社 (東大阪市)☆ <梅田芸術劇場、エス・ピー・エース、(財)奈良市文化振興センター、ytvバレエ公演事務局、 サンケイホールブリーゼ、株式会社デカナル>コンサート特集 ×→自社広告 ☆→新規企業 ★→広告復活企業 (記憶違いならごめんなさい) 7月30日東京版朝刊(縮刷版) 【記事は変態】毎日新聞抗議活動2ch本部268【川柳も変態】 http //yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1251757298/146-147 1面題字下:白十字 途中:YKKap GAORA 厚生労働省 下:パワー社 悠書館 批評社 展望社 彩流社 たま出版 旭屋出版 主婦の友社(3段) 2面下:藤原書店 柏書房(5段) 3面下:幻冬舎(5段) 4面下:週刊新潮 週刊文春(5段) 5面下:オリックス生命保険(株)(5段) 6面下:幸福の科学出版 クラブツーリズム(株)(5段) 7面下:(社)日本広告業協会(1段) 途中:毎日文化センター 大和証券グループ 毎日ウィークリー 10面途中:外為どっとコム 11面下:(株)オーレック(八女郡) 新日本製薬(株)(福岡市)(7段) 途中:毎日新聞社 12面下:興和(株)(7段) 13面下:日本製紙(株)(7段) 14面下:サンハーツコーポレーション(株)(さいたま市) エリシオン沼津・開智(7段) 16面途中:PASTA MANIA 17面:TORAY(全) 18面:(株)サンフロント(墨田区)(全) 19面下:森下仁丹(株)(5段) 22面下:PASTA MANIA リライアンス 赤羽法務事務所(3段) 23面下:(株)オリハラ(墨田区) (株)ニチリョク(愛彩花倶楽部) (株)あおば葬祭(目黒区) 葬祭館スペースアデュー(台東区) (株)細谷本店(墨田区) (株)ディープロ・ケイ(5段) 途中:翠雲堂 24面下:小林製薬(株)(5段) 25面下:ピアノパワーセンター (株)ミル総本社(7段) 26面下:宝くじ 大学院特集 女子美術大学 中央大学大学院 早稲田大学大学院 松蔭大学大学院 千葉工業大学大学院 明治学院大学大学院 実践女子大学大学院 玉川大学大学院 法政大学大学院 駒澤大学大学院 拓殖大学大学大学院 文教大学大学院 国際医療福祉大学大学院 大東文化大学大学院 白鴎大学大学院(栃木県) 國學院大學大学院 専修大学大学院 常磐大学大学院 神奈川大学大学院 聖徳大学大学院 東京福祉大学大学院(6段) 27面下:(株)グランドギャラリー 毎日文化センター (株)結婚情報センター (財)日本アレルギー協会(2段) 途中:天ぷらつな八 文明堂 28面途中:天ぷらつな八 ビックカメラ 白十字 家庭教師のトライ 下:山田養蜂場(3段) 関連ページ 2009年7月- 12月 毎日新聞に広告を出していた企業 コカ・コーラウエスト 家研販売 日本アレルギー協会 柏書房
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T17政策 T17政策田んぼの神様とカエルさんへのお礼 賢者さんの喜寿のお祝い 敬老の日のお祝い 復興共通案の賛同・支持表明 魔法熱治療への食料支援について 他国からの魔法熱重篤患者の受け入れのおしらせ 魔法熱についてのお知らせ 治安の回復に向けた動きについて 売春防止法について 農地等の売買の制限に関するお知らせ 星鋼京からの軍事支援についてのお知らせ ブルルの増産および貸し出し継続のお知らせ 地下の生活空間拡張工事への支援のお知らせ フシミ藩王夫妻への贈り物 T17聯合についてのお知らせ 土木作業機器の配備について 星鋼京に対する流言について 巡回ロボット配備継続のお知らせ 田んぼの神様とカエルさんへのお礼 神聖巫連盟へお邪魔した際に、田んぼの神様からお許しをいただき、 カエルさんにほねっこまでお越しいただきました。 農作物の収穫の時期を迎え、 改めて五穀豊穣の加護を与えてくださった田んぼの神様とカエルさんに感謝いたします。 カエルさんがほねっこの地に馴染んでいただけることを願っております。 /*/ 受付(技術)を使用します。 r:国民と一緒に「農地の横にカエルさんの小さな祠を建てます」(20字) #受付(技術)の根拠:購入記事(http //cwtg.jp/syousyo/nisetre.cgi?no=4352) /*/ 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 111223発表 賢者さんの喜寿のお祝い 本日は迷宮の賢者さんのお誕生日です。 日頃の感謝とこれからの健康を願ってみんなでお祝いしましょう! 賢者さん、77歳のお誕生日おめでとうございます! これからもよろしくお願いします! /*/ 受付(技術)を使用します。 r:国民と一緒に「賢者さんの喜寿のお祝いをします」(15字) #受付(技術)の根拠:購入記事(http //cwtg.jp/syousyo/nisetre.cgi?no=4352) /*/ 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 他藩国一同 111124発表 敬老の日のお祝い 少し遅れましたが、敬老の日です。 日頃からお世話になっているおじいちゃん、おばあちゃんに感謝して、 みんなで楽しく過ごしましょう。 また、後ほねっこ男爵領摂政として、 建国当初より藩国を支えてきてくれたみなさんにお礼を言わせてください。 今のほねっこがあるのは、みなさんが我々と共に歩み、新たな世代を育んでくれたからです。 本当にありがとうございます。 盛大な催しなどは用意できていませんが、 ご家族、ご近所のみなさんと一緒に楽しく過ごしてください。 /*/ 受付(技術)を使用します。 r:国民と一緒に「郷土料理を作り、お年寄りに振る舞います」(19字) #受付(技術)の根拠:購入記事(http //cwtg.jp/syousyo/nisetre.cgi?no=4352) /*/ 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110920発表 復興共通案の賛同・支持表明 この度のNW全域における甚大な被害からの復興に向け、各藩国共通の復興案が作成されました。 後ほねっこ男爵領も、この復興共通案の内容に賛同し、これを支持します。 今後の復興は共通案に則り、各所との連携の上で進めていきます。 これにより一日、一刻も早く復興がなされることを願い、その実現のために力を尽くしていきます。 /*/ 復興共通案22501102: http //www19.atwiki.jp/orionresident/pages/68.html /*/ 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110524発表 魔法熱治療への食料支援について 現在、全国規模で取り組んでいた魔法熱対策の成果もあり、魔法熱の発症は徐々に落ち着き始めています。 しかしながら現在治療中の患者さん、特に各国から移送されてきた重篤患者のみなさんは、 魔法熱の症状が治まってもこれまでの身体への負担が大きく、今後の体力の回復が重要と思われます。 そこで、栄養のある食事を摂っていただくために国庫より食料の支援を行うことにしました。 また、症状の重い方の場合、固形食の摂取が困難な場合もあると思いますので流動食に使用できる食材を多めに支援する予定です。 一日も早くみなさんが回復されますように。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110515発表 ・質疑掲示板根拠URL:独自判断での資産消費となります ・14:食料-3万t 他国からの魔法熱重篤患者の受け入れのおしらせ 調査により、後ほねっこ男爵領が魔法熱による重篤患者の転地療法に有効な土地であることが判明しました。 現在、藩国では国民の多くに発熱症状があるものの、医療関係者の努力により藩国全土での症状は小康状態を保っています。 そのため後ほねっこ男爵領では、より多くの人命を守るため全国から30~40万人を限度に魔法熱の重篤患者の受け入れを行います。 聯合国のみならず全国から重篤患者を受け入れるため、星鋼京さんが患者の移送に協力してくださっています。 また、護民官事務所からもご協力をいただき、各国の護民官が窓口を開き移送に尽力しています。 他国の民もまた皇帝陛下の民であり、それを守ることこそ皇帝陛下の御心に適うものです。 国を別にしていても、私たちは同じ帝國の民です。このような大変なときだからこそ、助け合いましょう。 藩国の皆様、自身も大変なときであることは承知しています。 それでもどうか、ご理解とご協力をお願い申し上げます。 また、医療関係者にも自身が罹患して苦しい方もいらっしゃると思います。 それでもみなさんの働きで多くの人が救われています。どうか一緒にがんばっていきましょう。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110513発表 魔法熱についてのお知らせ ほねっこ政庁より、世界的に蔓延している風邪に似た症状についてお知らせします。 現在蔓延しているこの症状の多くは、魔法熱という病気であることが判明しています。 魔法熱とは、魔法が体内にたまり過ぎアレルギーや風邪のように咳や熱が出たりする病気です。 通常は体内にたまった魔法は自然と放出されますが、放出されるよりもたまるほうが多い状況で発症すると考えられます。 魔法熱の治療については今も世界的に対応が進められています。 軽症の場合はアンチマジックベリー(ヘビイチゴ)を適量摂取することで魔法が発散され治癒されます。 アンチマジックベリーの手配については各所動いております。 重症の患者については、魔法が少ない土地に一時的に避難することで症状が改善されます。 治療法と合わせ、避難計画についても検討が進められていますので、徒に不安がらず落ち着いて対処してください。 また、魔法熱は咳や熱により体力を奪われることが直接的なダメージになります。 通常の風邪でも魔法熱でも、体力を温存することが大切です。 体調が良くないと思ったら無理せず安静に。魔法熱が疑われるようなら病院あるいは政庁へ連絡をしてください。 また、病院関係者は魔法熱が疑われる症状については政庁へ報告をお願いします。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110513発表 治安の回復に向けた動きについて 近頃、後ほねっこ男爵領の、とりわけ地上部において治安の悪化が目立っています。 国民のみなさまに不安と心配を感じさせていることにつき大変申し訳なく思っています。 現在、藩国の治安回復に向けて、交番等の増設および違法行為の取り締まり強化を進めています。 今回のことは我が国で活動している外国人による影響が強いことは確かです。 しかし、私はほねっこの民に、外国人だから、あるいは○○国人だから…、といった目は持たないで欲しいと思っています。 そのためにも、犯罪者、違反者に対しては断固たる措置をとり、 真っ当に生きている人々に偏見の目が向けられることのないよう尽力していきます。 必要に応じて、聯合国への協力要請なども行い、一日も早く国内の治安の回復・正常化を目指します。 国民のみなさまにも、どうかご協力いただけますようお願いいたします。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110501発表 売春防止法について #以下は主に地上部に滞在する外国の方に向けた内容となります。 #可能であれば、これらの方々に届くような方法での布告をお願いします。 後ほねっこ男爵領では、帝國法に基づき売春防止法が施行されています。 売春防止法は、売春、買春、勧誘、斡旋、対価の収受、資金や場所の提供など、 売春に関係するあらゆる行為について罰則が設けられています。 我が国は交番の増設、警察官の増員の上、取り締まりを強化しています。 もし売春に関わっているのであれば、自ら出頭していただきたいと願っています。 それが叶わないとしても、直ちに関わることを止めていただきたいのです。 売春防止法はそれを業とするものに対して特に重い罰則を規定しています。 それは不法な目的で他人を利用し、その人としての尊厳や性道徳を害し、利益を得ようとする行為に、 特に強い違法性と責任を認めるからです。 皆が安易に売春を行い、あるいはそれに加担しているとは思いません。 しかしその状況を続けることは決して自身のためにならないはずです。 どうか、みなさんの力でこの状況を変えて欲しいと思います。 我々が強硬手段に出ることなく、事態が解決することを切に願っています。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110501発表 農地等の売買の制限に関するお知らせ 宝飾産業の発展に伴い、藩国内の経済活動が活性化しています。 そのことは国民の生活の向上にとって喜ばしいことですが、 一方で急激な発展に伴う諸々の弊害も起こりつつあるのが現状です。 その一つとして、急激な外貨の流入と、外資による土地の買い上げがあります。 これに対し後ほねっこ男爵領は、子々孫々へと伝えるべき伝統的な国土の有り様を守るため、 農地および森林の売買について以下の制限を設けることとしました。 1.農地の売買には事前に政庁への申請、審査の後に許可を得ることを必要とする。 2.申請には、売買の当事者および土地の情報、土地の取得・使用目的を明示しなければならない。 3.不許可の場合、要望があれば取引相手の紹介または土地売却の場合は国が買い上げることもできる。 4.売買後に取得・使用目的と異なる実態がある場合、国はこれを是正するよう求めることができる。 前項の是正に従わない場合、国は土地の利用の禁止、売買の解除をすることができる。 5.土地の状況について確認する必要がある場合、権限を与えられた政庁職員による調査ができる。 6.違反者に対しては行政罰を科す。違反が犯罪に該当する場合であっても免れない。 7.土地の取得および利用が犯罪の目的である又は犯罪の用に供される場合は、 刑事法上の手続きに則り当該土地を没収する。 上記の規制により手続き上の不便が生じることとはなりますが、 先に述べた目的のため、みなさまのご理解とご協力を願います。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110501発表 星鋼京からの軍事支援についてのお知らせ このターン、宇宙怪獣と称される宇宙からの外敵に対して、 NWの各藩国が協力・連携してこれと戦うことが求められています。 我々、後ほねっこ男爵領も宇宙での戦いに備えていますが、 この度、星鋼京からフライト・ユニットおよび増加燃料装備の提供、 さらにはその指導・監督にあたる教導パイロットの派遣をいただくことになりました。 これにより後ほねっこ男爵領の戦力は大きく向上するでしょう。 星鋼京のフシミ藩王ならびに関係者のみなさまに深く感謝いたします。 なお、フライト・ユニットの運用データを星鋼京の技術者の方々へ提供させていただきます。 今後の研究・開発のお役に立てば幸いです。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110501発表 ブルルの増産および貸し出し継続のお知らせ 国民のみなさん、とりわけ農家のみなさんへのお知らせです。 今回新たに農業機械ブルルを7台生産しました。 したがって、以前より貸し出しを行っている13台と合わせて、 計20台のブルルを農家のみなさんに引き続き貸し出しいたします。 貸し出しのための手続きは従前のものに倣うこととします。 詳しくは政庁の担当窓口にてお尋ねください。 みなさんの協力のもと、ほねっこも経済的な発展に向かっていますが、 ほねっこの礎は農業であることは変わらないと、私は考えています。 これが農家のみなさんの助けとなりまうよう。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110225発表 地下の生活空間拡張工事への支援のお知らせ 後ほねっこ男爵領の地下の生活空間拡張工事について、 すでに土木作業機器の配備を行っていますが、 さらに国庫より資金5億の支援を行います。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110201発表 #質疑掲示板根拠URL:http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=14046 #14:資金-5 フシミ藩王夫妻への贈り物 後ほねっこ男爵領と星鋼京とが引き続き聯合を結びました。 フシミ藩王夫妻には、じょり丸様のお披露目の席へとお越しいただきましたこと、 さらにはこのターン、藩国間のさらなる協力が必要とされるであろうことから、 これまでの感謝とこれからの協力の、そしてなにより親愛の証として、 『特製ペアブローチ』を贈らせていただきます。 また、じょり丸様のお友達である星鋼京王犬ヌル・ツー様にも、 じょり丸様とお揃いの骨型おもちゃを贈らせていただきます。 今後とも両国が共に栄え、さらには帝國全体の繁栄につながることを願って。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110129発表 ・フシミ藩王夫妻に贈るブローチの詳細 ブラックオニキスを中心に、それをホワイトゴールドで包むように留め、 周りを囲むようにキキョウの意匠を配したペアブローチ。 ブローチの他にスカーフ留めやストール留めとしても使えるようになっている。 オーバルカボッションのカットを施したブラックオニキスはクロ王妃を。 それを包むように留めるホワイトゴールドはフシミ王を表している。 周囲に配したキキョウの意匠は、その花言葉『変わらぬ愛』を意味しており、 フシミ夫妻の関係を祝うものとなっている。 T17聯合についてのお知らせ 後ほねっこ男爵領は、このターン、 ○宰相府藩国 ○越前藩国 ○詩歌藩国 ○星鋼京 以上の4藩国と聯合を締結させていただきました。 昨今のNWの情勢は目まぐるしく変容しており、 現在または将来の問題への対処には各国の連携・協力がより重要です。 今回の聯合がそのための備えとなり、助けとなることでしょう。 また、越前藩国、詩歌藩国様には聯合費用の一部を負担していただくという、 格別の配慮をいただきましたことをこの場にて改めて感謝いたします。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110129発表 土木作業機器の配備について 後ほねっこ男爵領では、近年の人口増加を受けて、地下の生活空間の拡張が課題となっています。 これについてはすでに拡張工事が始まっていますが、 藩国として工事支援のために土木作業機器150個を配備します。 工事に携わるみなさんの負担が軽減され、安全に作業が行えるようになれば幸いです。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 110107発表 #アイテム設置申請記事:http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=14046 星鋼京に対する流言について 最近、星鋼京国内にて悪意ある噂を流布しているものがいるようです。 それらの噂は事実無根であり、国内外に不和を起こそうとの目的によるものです。 我ら後ほねっこ男爵領の民はもちろんのこと、 良識ある帝國臣民がこのようなくだらない策略に踊らされるようなことはないでしょうが、 後ほねっこ男爵領は、友邦国である星鋼京のため、 先の悪意ある噂についてそれが全くの虚偽の内容であることを明確に示します。 同時に、このような卑劣かつ品位のない手段をもって平和を乱そうとする者たちを厳しく非難します。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ 101219発表 巡回ロボット配備継続のお知らせ T15より導入された巡回ロボットですが、 引き続きT17においても配備を継続しています。 激務となっている警備任務の一助となると願っています。 後ほねっこ男爵領摂政 ユーラ #T17のメンテナンス費用として燃料1万tを消費します。
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こ ごあいさつのしようもちがってくるというもので(ご挨拶の仕様も違って来ると言うもので) こあくとう(小悪党) こあくとうのそうくつ(小悪党の巣窟) こいしこいしがしゃくとなり(恋し恋しが癪となり)……もどかしい想い。 こいつはどうやらほんものらしいぜ(こいつはどうやら本物らしいぜ) こいわずらい(恋患い) こうおもいねぇ(こう思いねぇ) ごうかい(業界) ごうかいのねんりょ(業界の念慮) われにごうかいのねんりょあり(我れに業界の念慮あり) こうぎ(公儀)……政府・幕府。《ご公儀》 こうぎおんみつ(公儀隠密) こうぎじきさん(公儀直参) こうぎのせいさく(公儀の政策) ごうけつぞろい(豪傑揃い) こうこうこういうわけで……かくかくしかじか。 こうこうもの(孝行者) こうさつ(高札)……お触れの書かれた木の札。 こうさつば(高札場) こうじょう(降出)……この世に生まれ落ちること。 ごうじょうっぱり(強情っ張り) ごうじょうなやつだ(強情な奴だ) ごうせい(豪勢) ごうせいなことだ(豪勢な事だ) ごうせいなりょうり(豪勢な料理) こうせん(香煎)……麦こがし。砂糖などを混ぜて食べる。 こうせんゆ(香煎湯) おいらはちゃだちだからこうせんゆをひとつください(おいらは茶断ちだから香煎湯を一つ下さい) ごうつくばり こうとう(勾当)……盲人の位のひとつ。 こうのもの(香の物)……漬け物。 こうもと(講元)……《講元さん》 こうやく(膏薬) こうやくだい(膏薬代)……くすり代。 これはさしょうながらこうやくだいに(これは些少ながら膏薬代に) こうやくばこ(膏薬箱) ごうりきをする(合力をする)……協力しあう・助け合う。 こえがたかい(声が高い)……しーっ、もっと静かにしゃべりやがれ。 ごおんがありやすんで(ご恩がありやすんで) ごおんのこといっしょうぼうきゃくつかまつりませぬ(御恩のこと一生忘却仕りませぬ) こがしら(小頭) ごかちゅう(御家中) こがねづくり(黄金造) こぎてんのきいた(小気転の利いた) ごきんせいのしな(ご禁制の品) ごきんせいひんのたぐい(ご禁制品の類) ごきんぞうやぶり(御金蔵破り) こくげん(刻限) こくげんどおりにとどけること(刻限通りに届けること) こくげんにおくれるんじゃないぜ(刻限に遅れるんじゃないぜ) ごくこうぶつでございます(極好物でございます) こくないではてにはいらぬこうきなしなだ(国内では手に入らぬ高貴な品だ)……抜け荷らしい。 ごくもんくび(獄門首)……さらし首。 ごくもんだいにあがる(獄門台に上がる)……斬首になる。 ごくらくおうじょうへのせきしょてがただ(極楽往生への関所手形だ)……とっととらくになりな。 ごくらくとんぼ(極楽蜻蛉) ごくらくのくものうえにいる(極楽の雲の上にいる)……浮き浮きした気分。 ごくらくのはすのうえにいる(極楽の蓮の上にいる) ごくろうであった(ご苦労であった) ごけさんぐらし(後家さん暮らし) ごけんさつのほどを(ご賢察の程を) ごこうぎ(ご公儀)……幕府。 ごこうぎへのとどけで(ご公儀への届出) ごこくゆたかに(五穀豊かに)……豊年満作。 ここはじごくのいっちょうめといってにちょうめのねぇところだ(ここは地獄の一丁目と言って二丁目の無ぇ所だ) ここまでうちあけたからにはちからになってもらうぞ(ここまで打ち明けたからには力になってもらうぞ) ここもまたかわらぬゆきのぎんせかい(ここもまた変わらぬ雪の銀世界)……あたり一面雪が降り積もってまっしろ。 こころあたり(心当たり) こころあたりがないわけじゃねぇ(心当たりがないわけじゃねぇ) こころえ(心得)……心構え、教え。 こころえましてございまする(心得ましてございまする) こころえをうけたまわりたいとぞんじまして(心得を承りたいと存じまして) こころえがたきごほんしん(心得難き御本心) こころえたまかせておけ(心得た任せておけ) こころえましてございます(心得ましてございます) こころざまいやしいもの(心ざま卑しい者) こころね(心根) こころばかりのおれいいのしなてでございます(心ばかりのお礼の品でございます) こころばかりのこと(心ばかりのこと) こころばえのやさしい(心ばえの優しい) こころをくだいていた(心を砕いていた) こころをさわやかにするくすり(心を爽やかにする薬) ここんところうわさをきかないとおもったら(ここんところ噂を聞かないと思ったら) ごさいれい(ご祭礼) こざむらい(小士)……武家に勤めてる家来。 こしいれ(輿入れ)……お嫁入り、縁組。 こしかけちゃや(腰掛茶屋)……葭簀張りで床几などを並べてあるだけの軽い茶店。 ごじせい(ご時勢) ごじせいがかわる(ご時勢が変わる) ごじつのためよってくだんのごとし(為後日仍如件)……契約書や証文など書類の末尾の決まり文句。「よってくだんのごとし」 こしぬけ(腰抜け) こしぬけぶしとはぞうごんかごん(腰抜け武士とは雑言過言) こしゃくなやつだ(小癪な奴だ) ごしゃめん(ご赦免)……罪をゆるされて放免されること。 ごしゃめんをむだにして(ご赦免を無駄にして) ごしゃめんぶね(ご赦免船) ごしゅはけっこうでございます(御酒は結構でございます) ごしょうだから(後生だから)……やめておくれ。 ごしょうをとむらう(後生を弔う) ごじょうほうどおり(ご定法通り) ごじょうほうによればしざいですな(ご定法によれば死罪ですな) こじんのもうすごとく(古人の申す如く) ごせいどう(ご政道)……政治。 ごせいどうがいたらぬせいだ(ご政道が至らぬせいだ) こせがれ(小伜) ごぜをとむらうぼだいのひとつ(後世を弔う菩提の一つ)……頓生菩提南無阿弥陀仏。 ごぜん(御前)……お殿様。高僧なども。 ごぜんであるぞ(御前であるぞ) ごぜんしるこ(御前汁粉) ごぞうたちまちもゆるがごとく(五臓たちまち燃ゆるがごとく)……高熱にさいなまれる。 こそどろ(こそ泥) ごぞんぶんに(ご存分に) ごたいがすくむ(五体が竦む) ごたいくるしめのうらんし(五体苦しめ悩乱し) ごたくならべてねぇで(御託並べてねぇで) ごたんりょをおつつししみなさいますように(ご短慮をお慎みなさいますように) ごちそう(ご馳走)……美味しい料理、まごころのこもった料理。 かえってごちそうになっちまった(却ってご馳走になっちまった) ごちそうにあずかろうかね(ご馳走に与ろうかね) ごちゃくそん(御嫡孫)……お孫さま。 こづかいとり(小遣い取り) こづつのとびどうぐ(小筒の飛道具)……小型の鉄砲。 こってりしたはなしあい(こってりした話し合い) こっぱずかしい(小っ恥ずかしい) こつぶ(小粒)……通貨のひとつ。 ことがおもてざたになればおいえにきずがつく(事が表沙汰になれば御家に疵がつく) こときれる(絶命る) ああこときれちまった(ああ絶命ちまった)……死んでしまいおった。 こととしだいによっては(事と次第によっては) ことのついでに(ことの序でに) ことはおおやけになってしまっております(ことは公けになってしまっております) ことばがすぎるぞ(言葉が過ぎるぞ)……言い過ぎ。 ことはじんめいにかんしますこと(事は人命に関しますこと)……慎重にご配慮ください。 ことばをつつしめ(言葉を慎め) ことはそれだけにかぎらず(事はそれだけに限らず) こともあろうに こどものじぶん(子供の時分)……小さい頃。 ことわりなしに(断りなしに)……無断で。 ごないほうかたじけのうございまする(御内報忝うございまする)……事前のご通知ありがとうございまする。 こなみじんになる(粉微塵になる)……こなごな。 こなれる(消化る) こなれのよいたべもの(消化れのよい食べ物) こなれやすきもの(消化れ易きもの) ごねんにはおよびませんよ(御念には及びませんよ) このありさまで(この有様で) このいちじょうをもってして(この一条を以てして) このおとこにかぎってそんなことをしでかすとはおもえません(この男に限ってそんなことをしでかすとは思えません) このおやふこうものめが(この親不孝者めが) このかぎょうがいやになったんじゃあるめぇな(この稼業が厭になったんじゃあるめぇな)……まさか抜けようったってそうはいかねぇ。 このくすりにがいばかりでさっぱりきかん(この薬苦いばかりでさっぱり効かん) このごにおよんで(この期に及んで) このせめをどうるのじゃ(この責めをどう取るのじゃ)……どう責任を取る気だ。 このだんもうしいれそろ(此段申し入れ候) このどろぼうねこ(この泥棒猫)……悪いやつだ。 このぬすっとやろう(この盗人野郎)……待ちやがれっ。 このはのごとくほんろうされる(木の葉の如く翻弄される)……嵐のなかの船。 このはをきたりこのみをくったり(木の葉を着たり木の実を食ったり)……深山での暮らし。 このばをみかねてたちいでました(この場を見かねて立ち出でました) このへんでけっこうでございます(この辺で結構でございます)……道案内などのお礼。 このままおっぱなしておくわけにもいかねぇな(このままおっ放しておくわけにもいかねぇな) このままではいたずらにときがたつばかりじゃ(このままでは徒に時が経つばかりじゃ) このめでしかとみとどけもうした(この目で確と見届け申した) このやろう(この野郎) このやろうときたひにゃ(この野郎と来た日にゃ) このやろうひとのきもしらねぇで(この野郎ひとの気も知らねぇで) このようなさわぎをおこしまして(このような騒ぎを起こしまして) このよをきよめる(この世を清める) こはかすがい(子は鎹) こばん(小判)……金貨。 こばんがざっくざく(小判がざっくざく)……大量の小判。 こはんとき(小半時)……「小半時も前」 ごふきょうをこうむる(御不興を蒙る)……ご機嫌を損ねた。 ごぶれいいたしました(ご無礼致しました) こぶん(乾分・子分)……手下たち。 ごほう(御法)……法令。 ごほうにふれるとしりながら(御法に触れると知りながら) ごほうはひとのためにある(御法は人の為にある) ごほうをおかす(御法を犯す) ごほうびをたまわる(ご褒美を賜る) こまちむすめ(小町娘)……有名な美人。「小町番付」なども存在した。 こまづかい(小間使い) こまったときはおたがいさまだよ(困ったときはお互い様だよ) ごまのはい(護摩の灰)……道中の旅人を狙うスリ・詐欺師。 こまをまわしてくれ(駒をまわしてくれ)……丁半博奕の駒。 ごみぶん(ご身分) ごみぶんをおわきまえください(ご身分をお弁え下さい) ごみぶんがちがいます(ご身分が違います) ごみぶんにさわる(ご身分に障る) こむそう(虚無僧)……普化宗の僧侶。特徴的な天蓋をかぶっており尺八を奏でる。隠密や浪人の変装にも多く用いられる。 こめくうむし(米喰う虫)……家族、同居人、食い扶持。 こめくうむしがごひきもいる(米喰う虫が五匹もいる) ごめんこうむります(御免蒙ります) ごめんなすって ごめんよ……家に入るときのあいさつ。 こもの(小者)……配下の小者。 こもののことゆえよくはぞんじませぬ(小者のことゆえよくは存じませぬ)……使用人のしていることなどはよく把握してない。 ごよう(御用)……捕方の掛け声。 ごようごようっ(御用御用っ)……捕方の掛け声。 ごようだごようだっ(御用だ御用だっ)……捕方の掛け声。 ごようちょうちん(御用提灯) ごようでやってるこったい(御用でやってるこったい) ごようのさいちゅう(御用の最中) ごようのすじだ(御用の筋だ)……取り調べの向きだ。 ごようのすじでひっぱるところでさぁ(御用の筋で引っぱるところでさぁ) ごようやくにん(御用役人) ごようがくしゃ(御用学者) ごようしょうにん(御用商人) ごようしょうにんのかんさつをちょうだいする(御用商人の鑑札を頂戴する) ごようたし(御用達) ごようはんたのおり(御用繁多の折り) ごようべや(御用部屋)……執務室。 おぶぎょうならごようべやにおられます(お奉行なら御用部屋におられます) こらえてくれ(堪えてくれ)……がまんしてくれ。 こらえしょうがない(堪え性が無い)……しんぼうが足りない。 ごらくいん(御落胤)……お殿様の隠し子。 ごりっぷく(ご立腹) ごりっぷくかぜんぞぬが(ご立腹か存ぜぬが) ごりやく(御利益) ごりやくでもさずかるようにおがむべぃ(御利益でも授かるように拝むべぃ) こりゃほうっちゃおけませんぜ(こりゃ放っちゃおけないですぜ)……見逃しておくわけにはいかない。 ごりょうない(ご領内) こりょうりや(小料理屋) こりょうりやでもはじめようぜ(小料理屋でも始めようぜ) これいじょうのぎんみはむようだ(これ以上の吟味は無用だ) これがこうせいなごせいどうともうせますでしょうか(これが公正なご政道と申せますでしょうか) これからのみのふりかた(これからの身の振り方)……どうやって生きてゆくか。 これでえんりょします(これで遠慮します) これでもうおもいのこすことはないよ(これでもう思い残す事はないよ) これでもしらをきるきかい(これでもしらを切る気かい)……証拠を示す。 これっぱかし……これぐらい。 これにそういないな(これに相違ないな) これはいかなこと(これは如何なこと) これはおやぶんさん(これは親分さん)……何か起こったんですかぃ。 これはごあいさつな(これはご挨拶な) これはごぶれいを(これは御無礼を)……どうかおゆるしくださいませ。 これはさしょうだがとっておけ(これは些少だが取っておけ) これはもうしおくれました(これは申し遅れました) これをばつかわそう(これをば遣わそう)……これをやろう。 これをみなけりゃえどっこにうまれたかいのないってもんだ(これを見なけりゃ江戸っ子に生まれた甲斐のないってもんだ)……評判評判みていってくださいな。 ころがりこんできた(転がり込んで来た)……住まってる。 ころしかぎょう(殺し稼業) ころすにはおしゅうござんすねぇ(殺すには惜しゅうござんすねぇ) ころんでもただおきぬあきんど(転んでもただ起きぬ商人) こわいとおもえばたてかけてあるほうきでもおそろしくみえるものだ(怖いと思えば立て掛けてある箒でも恐ろしく見えるものだ) こわくてくちがきけんのか(怖くて口が利けんのか) こわくもおそろしくもない(怖くも恐ろしくもない) ごんげんさま(権現さま)……東照宮さま。徳川家康。 ごんじょうにおよぶ(言上に及ぶ) せっぷくをもうしつけるとごんじょうにおよぶ(切腹を申し付けると言上に及ぶ) こんだんのしだいあってまかりこした(懇談の次第あって罷り越した) こんどうまれてくるときはまにんげんでうまれてこい(今度生まれてくる時は真人間で生まれてこい) こんなおとっつぁんをゆるしてくれ(こんなお父っつぁんを許してくれ) こんなかぎょうにみをおとしちまったんだもの(こんな稼業に身を落としちまったんだもの)……苦界に身を沈める。 こんなことはめったにない(こんな事は滅多にない) こんなことまでしていただいて(こんな事までしていただいて)……かたじけない。 こんなときにおんがえししなきゃ(こんな時に恩返ししなきゃ) こんなにあぶらあせをかいて(こんなに脂汗をかいて) こんなにがいものをのませやがって(こんな苦い物を飲ませやがって)……投薬されたときのせりふ。ぺっぺっ。 こんなみせたたきこわすのはあさめしまえなんだよ(こんな店叩き壊すのは朝飯前なんだよ) こんなものくっていたらちからがなくなっちまいますよ(こんなもの食っていたら力が無くなっちまいますよ) 門前
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概要 [#l8002b2f] 希少石 [#nbc6bd7b] 収穫物 [#u0baba17] 鉱石 [#ra1d31e4] 木材 [#oc297d64] 魚介類 [#e22dbe59] 皮骨素材 [#eb79ca95] 食材 [#ma0ed77c] 鍛錬石 [#h58e24c8] 折れた愛刀 [#m5655553] 護符 [#wd291d64]攻ノ護符 [#d182cf16] 守ノ護符 [#i42756a3] 援ノ護符 [#e9a57f98] その他 [#l553b356] Wiki編集が苦手な方はこちら [#y61a9b92] 概要 [#l8002b2f] 主に合成でよく用いられるアイテム。ここでは一次生産に使用する純粋な素材のみを記載。 価格はNPC販売のものであり天豊市場の相場ではない。カッコ内は売却価格。 希少石 [#nbc6bd7b] ※主に敵からのドロップで手に入る。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 紅純石の欠片 (200) 重金鍛冶 武器 br;(守護,重撃) 岩ネズミ,狼牙一派,影追い狼,群れ赤犬,迷い魂,生臭神主 勘吉 br;美玖道場 門下生,日比呉,藤皮鹿 br;キタキタ,穴掘りイノシシ,流浪罪人 attachref; 小さい紅純石 (300) 重金鍛冶 武器 br;(守護,重撃) 藤狩,深黒,波毛狼,地魂,守城の怨念 br;砂吹き蟹,鉄殻カニ,見回り浪人 attachref; 紅純石 (400) 重金鍛冶 武器 br;(守護,重撃) 玄固郎,岩爪クモ,霞蛇,灰頭馬,橋場の浪士 br;大林枝角,怖亥,百合の灯火,紫カニ,大盾カニ,流浪罪人 br;白妖骨,枯れ甲羅,豆山神,荒れ野槌,神山サル attachref; 丸い紅純石 (500) 重金鍛冶 武器 br;(守護,重撃) 地走り,厳虎,海淵マムシ,八重虎,山蛇一派,武盗派木こり衆,桃源郷信者,盗賊稼業 おとき br;奇死鉈姫(BC通信より) attachref; 四角い紅純石 (600) 重金鍛冶 武器 br;(守護,重撃) 霧灯,落武者怨念,信者の怨念,武芸者 藤丸,温泉泥棒 五郎 attachref; 尖った紅純石 (700) 重金鍛冶 武器素材 br;(紅凝輝石) 夜蝶連合先代総長 あや姉,開祖 天厳,湯本自警団(重),上垣カラス,霧雨怨念,火泉霊,泉出鴉,悪食人 attachref; 蒼純石の欠片 (200) 軽金鍛冶 武器 br;(巧迅,念術) はぐれ馬,暮六,赤小梅,のうま,影駆け,美玖牝牛,蓑むしり br;川眺め,飛び暗幕,畑あらし鹿,北無,瓦礫クモ attachref; 小さい蒼純石 (300) 軽金鍛冶 武器 br;(巧迅,念術) 里守衆,憑依犬,沢ノ狼,藤場亀,死忘れ骸骨,由奈漁師 attachref; 蒼純石 (400) 軽金鍛冶 武器 br;(巧迅,念術) 茂狼,香車牙,しんがり狼,阿多鷹,砂亀,陸亀,水神 br;松波盗賊,忠言鷹,崖岩狛,浜小判,愚連ガニ,浜守亀 br;地獄ノ遣い attachref; 丸い蒼純石 (500) 軽金鍛冶 武器 br;(巧迅,念術) ごろつき百姓(百合野門),ごろつき百姓(樋越村),雨乞い蟹 attachref; 四角い蒼純石 (600) 軽金鍛冶 武器 br;(巧迅,念術) 龍亀,黒狼 attachref; 尖った蒼純石 (700) 軽金鍛冶,重金鍛冶 武器素材 br;(蒼凝輝石,紫凝輝石) 腐狼,温泉鼠・自警団(重),鬼石鼠,高池守,頂蜥蜴 attachref; 翠純石の欠片 (200) 木工 武器(壮術) 水草玉,小春見,草玉,枯れ草玉,耕地馬,朽葉踏 br;明くる酉,眠りフクロウ,血ノ色狛,毛有毛,吸血コウモリ、妖草玉 br;沢ノ牝鹿,妖草玉 attachref; 小さい翠純石 (300) 木工 武器(壮術) 水草玉,黒駿馬,古賀浪人,草玉(殊参道),珊瑚角 attachref; 翠純石 (400) 木工 武器(壮術) 壁牛,洞穴逆吊,奥洞隠れ,梢牛,浜大判,群子狼 br;草玉(速巳),長矛カニ attachref; 丸い翠純石 (500) 木工 武器(壮術) ごろつき百姓,暴君ガニ,枯れ沼の大岩 br;夜蝶連合,闇鳥,森守瓜坊,湯浴み猿 attachref; 四角い翠純石 (600) 木工 武器(壮術) 血泥蜘蛛?,枯れ草玉(34段),刀蛇,赤磐均 attachref; 尖った翠純石 (700) 木工,軽金鍛冶 武器素材 br;(翠凝輝石,橙凝輝石) 大鉄爪,怨妖草玉,自警団(守),華獅子,岩流猪 収穫物 [#u0baba17] ※入手経路には採取以外の方法を掲載。詳しくは収穫のページにて。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 野麻 (6) 裁縫,軽金鍛冶 野麻布,野麻糸,銅鋼糸 attachref; 亜麻 (8) 裁縫,軽金鍛冶 亜麻布,青銅糸 attachref; 苧麻 (10) 裁縫,軽金鍛冶 苧麻布,黒鋼糸 ごろつき百姓 attachref; 洋麻 (12) 裁縫 洋麻布 attachref; 芭蕉麻 (14) 裁縫 芭蕉麻布 attachref; 野綿花 (6) 裁縫 野綿布,野綿糸 attachref; 和綿花 (8) 裁縫 和綿布 attachref; 峰綿花 (10) 裁縫 峰綿糸,峰綿布 attachref; 島綿花 (12) 裁縫,軽金鍛冶 島綿布,真鍮鋼糸 attachref; 洋綿花 (14) 裁縫,軽金鍛冶 洋綿糸,洋綿布,黄鋼糸 attachref; 麗綿花 (16) 裁縫,軽金鍛冶 麗綿布,磁鋼糸 attachref; 芳綿花 (18) 裁縫,軽金鍛冶 芳綿布,妖剛毛布,白鋼糸 attachref; 地陸綿花 (20) 裁縫 地陸綿布 attachref; 野蚕繭 (12) 裁縫 野絹糸,野絹織 attachref; 栗蚕繭 (14) 裁縫 栗絹織 attachref; 桑蚕繭 (16) 裁縫 桑絹糸,桑絹織 attachref; 樫蚕繭 (18) 裁縫 樫絹織,魔妖樹織 attachref; 椿蚕繭 (20) 裁縫,軽金鍛冶 椿絹織,椿絹糸,珪鋼糸 attachref; 藍の葉 (6) 裁縫 藍色の染料 奥ノ狼 attachref; 紅花 (8) 裁縫 紅色の染料 attachref; 茜の根 (10) 裁縫 茜色の染料 attachref); 紫根 (16) 裁縫 紫の染料 attachref; 平凡なわら (6) 木工 平凡なわら紐 attachref; 大きなわら (8) 木工 大きなわら紐 妖草玉(筑紫葉) attachref; 丈夫なわら (10) 木工 丈夫なわら紐 attachref; 滑らかなわら (12) 木工 滑らかなわら紐 attachref; 奇妙なわら (14) 木工 奇妙なわら紐 attachref; 綺麗なわら (16) 木工 綺麗なわら紐 attachref; 頑丈なわら (18) 木工 頑丈なわら紐 attachref; 光沢のわら (20) 木工 光沢のわら紐 鉱石 [#ra1d31e4] ※入手経路には採取以外の方法を掲載。詳しくは採掘のページにて。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 銅鉱石 (6) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 br;鍛錬 銅鋼糸,銅玉鋼 初めての合成にて購入 br;※10個200文 attachref; 錫鉱石 (8) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 br;鍛錬 青銅糸,瑠璃色の顔料,青銅鋼 attachref; 鉛鉱石 (10) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 br;鍛錬 黒鋼糸,鉄黒の顔料,黒玉鋼 attachref; 亜鉛鉱石 (12) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 br;鍛錬 真鍮鋼糸,瑠璃色の顔料,真鍮玉鋼 attachref; 硫黄石 (14) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 黄鋼糸,中黄の顔料,黄玉鋼 attachref; 磁鉄鉱石 (16) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 磁鋼糸,磁鉄玉鋼 attachref; アルマイト鉱石 (18) 重金鍛冶 br;軽金鍛冶 白玉鋼,白鋼糸,白磁の顔料 attachref; 珪石 (20) 軽金鍛冶 br;重金鍛冶 珪鋼糸,珪玉鋼 attachref; 油色の粘土 (7) 錬金 古賀焼の土壺 attachref; 青丹色の粘土 (9) 錬金 br;重金鍛冶 薬研,花絵付飾瓶 br;練成の粉塵 attachref; 墨色の粘土 (11) 軽金鍛冶,重金鍛冶,錬金 各ホダ木 attachref; 瑠璃色の粘土 (13) attachref; 蝋色の粘土 (15) attachref; 油色の粘土(大) (17) 錬金 紺藍化粧花瓶,花絵付飾瓶 attachref; 青丹の粘土(大) (19) attachref.jpg,nolink); 墨色の粘土(大) (21) attachref; 砂鉄 (6) 重金鍛冶 br;鍛錬 銅玉鋼,錫玉鋼 浜大判 br;初めての合成にて購入 br;※5個80文 attachref; 赤目砂鉄 (12) 重金鍛冶 br;鍛錬 練成の粉塵,黒玉鋼,真鍮玉鋼 attachref; 真砂砂鉄 (18) 重金鍛冶 黄玉鋼,磁鉄玉鋼,白玉鋼,珪玉鋼 attachref; 低純度砂金 (160) 錬金 友愛の指輪 attachref; 低純度砂銀 (120) 錬金 縁の指輪 attachref; 砂銀 (240) 軽金鍛冶,錬金 如意銀糸,白狐の首飾,絆鎖の首飾,契の指輪 attachref; 砂金 (280) 重金鍛冶,皮骨細工,裁縫,木工,錬金 遮那天鋼,太閤金革,弁天金布,封如来,錦苺の耳飾 attachref; 高純度砂銀 (320) attachref; 藍玉の原石 (140) 錬金 智慮の耳飾 attachref; 翠玉の原石 (260) 重金鍛冶 遮那天鋼 木材 [#oc297d64] ※入手経路には採取以外の方法を掲載。詳しくは伐採のページにて。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; ヤナギの原木 (6) 木工 ヤナギ木材 attachref; イチョウの原木 (8) 木工 イチョウ木材,千代和紙 attachref; ブナの原木 (10) 木工 ブナ木材 attachref; クワの原木 (12) 木工 クワ木材 attachref; カエデの原木 (14) 木工 カエデ木材 attachref; ツバキの原木 (16) 木工 ツバキ木材 attachref; ケヤキの原木 (18) 木工 ケヤキ木材,魔妖木材,皮錬妖木 attachref; クスの原木 (20) 木工 クス木材 attachref; イチョウの樹皮 (8) 木工 若草の樹染料,千代和紙,撫和紙 attachref; クワの樹皮 (12) 木工 萌黄の樹染料 attachref; カエデの樹皮 (14) 木工 栗色の樹染料 attachref; ツバキの樹皮 (16) 木工 朱色の樹染料 attachref; 応仁の神木 (120) 銀のつづら attachref; 宝亀の神木 (200) 錬金 祈願の指輪 銀のつづら attachref; 養老の神木 (360) 木工,錬金 霊峰神木,誓願の指輪 魚介類 [#e22dbe59] ※入手経路には採取以外の方法を掲載。詳しくは漁獲のページにて。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; ワカメ (5) 調理 味噌汁 由奈漁師 attachref; コンブ (5) 調理 和風だし 由奈漁師 attachref; ザリガニ (5) 錬金 鱗の肩鎧 荒くれ百姓 attachref; メダカ (6) 錬金 鱗の肩鎧 attachref; カラスガイ (7) 錬金 鱗の肩鎧 attachref; コイ (8) 調理 鯉こく attachref; キンギョ (9) 錬金 鱗の肩鎧 attachref; イワナ (10) 調理 イワナの塩焼き attachref; アジ (10) 調理 切り身餌 由奈漁師 attachref; モツゴ (10) attachref; イカ (12) 調理 いか焼き attachref; ウシガエル (12) 錬金 磯辺の角肩鎧 ごろつき百姓 attachref; ムツゴロウ (16) 錬金 磯辺の角肩鎧 attachref; タコ (18) 調理 たこ焼き attachref; ヒトデ (20) 錬金 磯辺の角肩鎧 attachref; トビウオ (20) 錬金 棘鱗の角肩鎧 attachref; サワガニ (20) 調理 蟹玉 attachref; オニオコゼ 錬金 棘鱗の角肩鎧 attachref; 紅真珠 (360) 錬金 桃珠の耳飾 皮骨素材 [#eb79ca95] 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 平凡な皮 (5) 皮骨細工 平凡な革,平凡な革紐 はぐれ馬,白毛鞠,穴ネズミ,五穀牛,耕地馬 br;美玖ノ黒馬,群れ牡鹿 br;柔毛羊,朽葉踏,土はみ,のうま br;影駆け,藤皮鹿,野獣系 attachref; 大きな皮 (8) 皮骨細工 大きな革 原守り鹿・浜牛・壁牛・志水鹿など attachref; 丈夫な皮 (10) 皮骨細工 丈夫な革,丈夫な革紐 br;丈夫な毛皮 珊瑚角・浜里馬・鈴鳴牛など attachref; 滑らかな皮 (12) 皮骨細工 滑らかな革,滑らかな革紐 十石馬・銅玉鼠など attachref; 奇妙な皮 (14) 皮骨細工 奇妙な革 荒れ野槌・温泉鼠など attachref; 綺麗な皮 (16) 皮骨細工 綺麗な革,綺麗な毛皮 温泉鼠など attachref; 頑丈な皮 (18) 皮骨細工 頑丈な革,頑丈な毛皮 華獅子など attachref; 光沢の皮 (20) 皮骨細工 光沢の革 attachref; 平凡な角 (5) 土はみ attachref; 大きな角 (8) 未実装 attachref; 丈夫な角 (10) 未実装 attachref; 滑らかな角 (12) 狂双鹿 奇or狂双鹿 乱 attachref; 妖物の大牙 (100) 未実装 志水瓜坊・美玖の黒狼・火コウモリ・泥蜘蛛 attachref; 妖物の白牙 (120) 岩流猪 食材 [#ma0ed77c] 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 水 10(1) 調理 ご飯,和風だし,お茶 br;豆腐,蕎麦,赤飯 飯屋 attachref; みりん 15 調理 いか焼き 飯屋(勢力町) attachref; 酢 15 調理 いなり寿司 飯屋(八千矛) attachref; 醤油 15(1) 調理 蕎麦,きんぴらごぼう,いか焼き 飯屋 attachref; 酒 15(1) 調理 鯉こく 飯屋 attachref; 塩 10(1) 調理 串焼き肉,漬物,イワナの塩焼き br;切り身餌 飯屋,収穫 attachref; 砂糖 10(1) 調理 鯉こく,きんぴらごぼう 飯屋,収穫 attachref; 味噌 15(1) 調理 味噌汁,鯉こく 飯屋,蟹系 attachref; 米 (5) 調理 ご飯,虫団子 収穫 attachref; もち米 調理 赤飯 収穫 attachref; 小麦 (9) 調理 うどん,たこ焼き 収穫 attachref; 蕎麦の実 (9) 調理 蕎麦 収穫 attachref; あずき 調理 赤飯 収穫 attachref; 大豆 (5) 調理 豆腐 収穫 attachref; 油揚げ 20 調理 いなり寿司 飯屋(勢力町) attachref; 大根 (7) 調理 漬物,大根の煮物 br;だし巻き玉子 収穫 attachref; きのこ 調理 蟹玉 収穫 attachref; 白菜 (7) 調理 漬物 収穫 attachref; ごぼう (11) 調理 きんぴらごぼう 収穫 attachref; 人参 (11) 調理 きんぴらごぼう 収穫 attachref; 葱 (9) 調理 うどん,蕎麦 収穫 attachref; 玉葱 調理 肉のたたき 収穫 attachref; 梅 (5) 調理? 収穫 attachref; 茶葉 (5) 調理 お茶 収穫 attachref; コンニャク 20 調理 大根の煮物 飯屋(勢力町) attachref; のり 10(1) ? 飯屋 attachref; 玉子 20(1) 調理 だし巻き玉子,たこ焼き,蟹玉 飯屋(勢力町),暮告げ鷹,百合白馬, br;鳥・亀系 attachref; くず肉 (5) 錬金 br;調理 湿った丹薬,串焼き肉 騒音鼠,白毛鞠,縞鷹,桜鶏 br;朱鶏,群れ赤犬,暮告げ鷹,五穀牛,耕地馬 br;梅香瓜坊,赤小梅 br;百合野瓜坊,柔毛羊,百合白馬 br;血ノ色狛,眠りフクロウ br;犬,牛,馬etc attachref; 硬い肉 (8) 皮骨細工 br;錬金 br;調理 闘気の証,丹薬,肉のたたき 砂岩犬,浜呑み蛇 attachref; 脂身肉 (10) 錬金 br;調理 澄んだ丹薬 br;肉じゃが,野菜炒め,土手焼き 十石馬 attachref; 新鮮生肉 (12) 錬金 attachref; 特上肉 錬金 華獅子 attachref; 霜降り肉 錬金 鍛錬石 [#h58e24c8] 刀の鍛錬に使用することで、それぞれの属性を与える事が出来る。詳しい入手経路は鍛錬のページを参照。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 火晶石 (5) 鍛錬(火属性) - 敵全般からドロップ attachref; 火霊石 (10) - attachref; 火精石 (50) - attachref; 水晶石 (5) 鍛錬(水属性) - attachref; 水霊石 (10) - attachref; 水精石 (50) - attachref; 風晶石 (5) 鍛錬(風属性) - attachref; 風霊石 (10) - attachref; 風精石 (50) - attachref; 雷晶石 (5) 鍛錬(雷属性) - attachref; 雷霊石 (10) - attachref; 雷精石 (50) - 折れた愛刀 [#m5655553] ※これらの武器は六命町の愛刀家に渡すことで有料により修理可能。 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 折れた天厳の愛刀 愛刀家(修理費3000文) 幾松 開祖 天厳 attachref; 折れた天厳の秘蔵刀 愛刀家(修理費5000文) 此糸 開祖 天厳 attachref; 折れた菊の介の愛刀 愛刀家(修理費3000文) 更々 用心棒 菊の介 attachref; 折れた菊の介の秘蔵刀 愛刀家(修理費5000文) 真妻 用心棒 菊の介 attachref; 折れたあや姉の愛刀 愛刀家(修理費3000文) 孟宗 夜蝶連合先代総長 あや姉 attachref; 折れたあや姉の秘蔵刀 愛刀家(修理費5000文) 銀竹 夜蝶連合先代総長 あや姉 attachref; 折れた怨翁の愛刀 愛刀家(修理費3000文) 蛙柳 愛刀家 怨翁 attachref; 折れた怨翁の秘蔵刀 愛刀家(修理費5000文) 太極 愛刀家 怨翁 attachref; 折れた氷迅の愛刀 愛刀家(修理費3000文) 瓜子 山蛇一派 氷迅 attachref; 折れた氷迅の秘蔵刀 愛刀家(修理費5000文) 灰姫 山蛇一派 氷迅 護符 [#wd291d64] 攻ノ護符 [#d182cf16] 画像 名称 段位 加護 br;可能型 霊格 潜在数 主加護 準加護 入手経路 attachref; 攻ノ護符 攻壱-撃- 1~ 全 武 1 1 攻+5~20 岩ネズミ attachref; 攻ノ護符 攻弐-割- 10~ 全 武 2 1~2 攻+5~20 体+1~10 br;上斬り+5~15 br;下斬り+5~15 br;反応[会心極致] 木工5 attachref; 攻ノ護符 攻参-烈- 20~ 全 武 3 1~2 攻+15~35 体+1~10 br;上斬り+5~15 br;下斬り+5~15 br;反応[会心極致] 木工15 br;香車牙 br;崖岩狛 attachref; 攻ノ護符 攻四-震- 30~ 全 武 4 1~2 攻+25~55 体+1~10 br;上斬り+5~15 br;下斬り+5~15 br;反応[会心極致] 木工23 attachref; 攻ノ護符 攻伍-破- 全 武 攻+ 木工35 attachref; 攻ノ護符 体壱-生- 1~ 全 武 1 1 体+10~50 瓜掻 attachref; 攻ノ護符 体弐-活- 10~ 全 武 2 1~2 体+10~50 攻+1~10 br;右斬り+5~15 br;左斬り+5~15 br;反応[体力吸収] 瓦礫クモ attachref; 攻ノ護符 体参-肢- 20~ 全 武 3 1~2 体+20~70 攻+1~10 br;右斬り+5~15 br;左斬り+5~15 br;反応[体力吸収] attachref; 攻ノ護符 体四-耐- 30~ 全 武 4 1~2 体+35~100 攻+1~10 br;右斬り+5~15 br;左斬り+5~15 br;反応[体力吸収] attachref; 攻ノ護符 極壱-閃- 20~ 全 武 4 1 会心+1~3 木工16 attachref; 攻ノ護符 極弐-空- 30~ 全 武 5 1~2 会心+1~5 攻+1~10 br;右斬り+5~15 br;左斬り+5~15 木工26 attachref; 攻ノ護符 属壱-火- 10~ 全 武 2 1~2 火+10~35 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 波毛狼 attachref; 攻ノ護符 属弐-炎- 20~ 全 武 3 1~2 火+20~50 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 重金鍛冶14 attachref; 攻ノ護符 属参-灯- 重金鍛冶24 attachref; 攻ノ護符 属四-燃- 重金鍛冶33 attachref; 攻ノ護符 属壱-水- 10~ 全 武 2 1~2 水+10~35 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 硬岩狛 attachref; 攻ノ護符 属弐-雨- 20~ 全 武 3 1~2 水+20~50 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 重金鍛冶15 br;山野瓜坊 attachref; 攻ノ護符 属参-蒸- 30~ 全 武 4 1~2 水+30~80 攻+1~10 br;体+3~15 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 重金鍛冶25 br;三羽カラス attachref; 攻ノ護符 属四-滴- 重金鍛冶34 attachref; 攻ノ護符 属壱-風- 10~ 全 武 2 1~2 風+10~35 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 たかり猿 br;陸蟹 attachref; 攻ノ護符 属弐-凪- 20~ 全 武 3 1~2 風+20~50 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 重金鍛冶16 br;おとろし attachref; 攻ノ護符 属参-旋- 重金鍛冶26 attachref; 攻ノ護符 属四-疾- 重金鍛冶35 attachref; 攻ノ護符 属壱-雷- 10~ 全 武 2 1~2 雷+10~35 攻+1~10 br;体+1~10 br;心力増加-1~3 br;技力増加+1~3 凍魂 attachref; 攻ノ護符 属弐-電- 重金鍛冶17 attachref; 攻ノ護符 属参-光- 重金鍛冶27 attachref; 攻ノ護符 属四-照- 重金鍛冶36 attachref; 攻ノ護符 奇壱-賭- 1~ 全 武 3 1 ??? 業物扱い? attachref; 攻ノ護符 奇弐-運- 1~ 全 武 3 1~2 ??? 業物扱い? 守ノ護符 [#i42756a3] 画像 名称 段位 加護 br;可能型 霊格 潜在数 主加護 準加護 入手経路 attachref; 守ノ護符 防壱-盾- 1~ 全 胴脚 1 1 防+5~20 影追い狼 attachref; 守ノ護符 防弐-固- 10~ 全 胴脚 2 1~2 防+5~20 心+1~10 br;耐風+5~10 br;耐雷+5~10 br;反応[心眼-護-] br;反応[猛毒斬り] 錬金5 br;沢ノ狼 attachref; 守ノ護符 防参-硬- 20~ 全 胴脚 3 1~2 防+15~35 心+1~10 br;耐風+8~15 br;耐雷+8~15 br;反応[心眼-護-] br;反応[猛毒斬り] 錬金15 attachref; 守ノ護符 防四-壁- 全 胴脚 防+ attachref; 守ノ護符 防伍-堅- 全 胴脚 防+ 錬金35 attachref; 守ノ護符 心壱-心- 1~ 全 胴脚 1 1 心+1~10 群れ赤犬 attachref; 守ノ護符 心弐-気- 10~ 全 胴脚 2 1~2 心+1~10 防+1~10 br;耐火+5~10 br;耐水+5~10 br;反応[防御-護-] br;反応[猛毒斬り] 天守嚇 attachref; 守ノ護符 心参-理- 20~ 全 胴脚 3 1~2 心+5~20 防+1~10 br;耐火+8~15 br;耐水+8~15 br;反応[防御-護-] br;反応[猛毒斬り] attachref; 守ノ護符 心四-?- attachref; 守ノ護符 属壱-火- 1~ 全 胴脚 1 1 耐火+10~30 群れ牝鹿,群れ牡鹿 attachref; 守ノ護符 属弐-炎- 10~ 全 胴脚 2 1~2 耐火+10~30 心+1~10 br;防+2~10 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 水珠 attachref; 守ノ護符 属参-灯- 20~ 全 胴脚 3 1~2 耐火+15~50 心+1~10 br;防+5~13 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 軽金鍛冶14 attachref; 守ノ護符 属四-燃- 30~ 全 胴脚 4 1~2 耐火+25~70 心+1~10 br;防+8~15 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 軽金鍛冶24 br;筍うりぼぅ attachref; 守ノ護符 属伍-焔- 全 胴脚 耐火+ 軽金鍛冶33 attachref; 守ノ護符 属壱-水- 1~ 全 胴脚 1 1 耐水+10~30 赤妖犬 attachref; 守ノ護符 属弐-雨- 10~ 全 胴脚 2 1~2 耐水+10~30 心+1~10 br;防+2~10 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 砂吹き蟹 attachref; 守ノ護符 属参-燕- 20~ 全 胴脚 3 1~2 耐水+ 軽金鍛冶15 attachref; 守ノ護符 属四-滴- 30~ 全 胴脚 4 1~2 耐水+ 軽金鍛冶25 attachref; 守ノ護符 属伍-露- 全 胴脚 耐水+ 軽金鍛冶34 attachref; 守ノ護符 属壱-風- 1~ 全 胴脚 1 1 耐風+10~30 明くる酉 attachref; 守ノ護符 属弐-凪- 10~ 全 胴脚 2 1~2 耐風+10~30 心+1~10 br;防+2~10 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 塩鼠 br;白石歯 attachref; 守ノ護符 属参-旋- 20~ 全 胴脚 3 1~2 耐風+15~50 心+1~10 br;防+5~13 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 軽金鍛冶16 attachref; 守ノ護符 属四-疾- 30~ 全 胴脚 4 1~2 耐風+ 軽金鍛冶26 attachref; 守ノ護符 属伍-巻- 全 胴脚 耐風+ 軽金鍛冶35 attachref; 守ノ護符 属壱-雷- 1~ 全 胴脚 1 1 耐雷+10~30 黒牙 attachref; 守ノ護符 属弐-電- 10~ 全 胴脚 2 1~2 耐雷+10~30 心+1~10 br;防+2~10 br;心力維持-1~3 br;反応[治癒-護-] 雑兵カニ attachref; 守ノ護符 属参-光- 20~ 全 胴脚 3 1~2 耐雷+ 軽金鍛冶17 attachref; 守ノ護符 属四-照- 30~ 全 胴脚 4 1~2 耐雷+ 軽金鍛冶27 attachref; 守ノ護符 属伍-輝- 全 胴脚 耐雷+ 軽金鍛冶36 attachref; 守ノ護符 避壱-逃- 1~ 全 脚 1 1 回避+1~3 錬金3 attachref; 守ノ護符 避弐-避- 10~ 全 脚 2 1~2 回避+1~3 防+1~10 br;心+1~10 br;反応[防御-護-] br;反応[深手斬り] 錬金6 attachref; 守ノ護符 避参-敏- 20~ 全 脚 3 1~2 回避+1~4 防+1~10 br;心+1~10 br;反応[防御-護-] br;反応[深手斬り] 錬金16 attachref; 守ノ護符 避四-瞬- 30~ 全 脚 4 1~2 回避+1~5 防+1~10 br;心+1~10 br;反応[防御-護-] br;反応[深手斬り] 錬金26 attachref; 守ノ護符 避伍-躱- 全 脚 回避+ 錬金36 attachref; 守ノ護符 奇壱‐賭‐ 1~ 全 胴脚 3 1 業物? 援ノ護符 [#e9a57f98] 画像 名称 段位 加護 br;可能型 霊格 潜在数 主加護 準加護 入手経路 attachref; 援ノ護符 技壱-能- 1~ 全 頭足 1 1 技+1~10 里南鼠 attachref; 援ノ護符 技弐-芸- 10~ 全 頭足 2 1~2 技+1~10 防+1~10 br;耐猛毒+1~10 br;反応[練気-護-] br;反応[龍穴-護-] 裁縫5 br;しんがり狼 attachref; 援ノ護符 技参-術- 20~ 全 頭足 3 1~2 技+5~20 防+1~10 br;耐猛毒+1~10 br;反応[錬気-護-] br;反応[龍穴-護-] 裁縫15 br;地枯らし狼 attachref; 援ノ護符 技四-宴- 全 頭足 技+ 裁縫25 attachref; 援ノ護符 技伍-雅- 全 頭足 技+ 裁縫35 attachref; 援ノ護符 耐壱-毒- 1~ 全 頭足 1 1 耐猛毒+1~10 飛び暗幕 attachref; 援ノ護符 耐弐-蜂- 10~ 全 頭足 2 1~2 耐猛毒+1~10 防+1~10 br;技+1~10 br;反応[練気-護-] br;反応[龍穴-護-] 群子狼 br;枯枝角 attachref; 援ノ護符 耐参-蛇- 20~ 全 頭足 3 1~2 耐猛毒+5~20 防+1~10 br;技+1~10 br;反応[練気-護-] br;反応[龍穴-護-] attachref; 援ノ護符 命壱-精- 1~ 全 頭 1 1 命中+1~3 裁縫3 attachref; 援ノ護符 命弐-鋭- 10~ 全 頭 2 1~2 命中+1~3 防+1~10 br;技+1~10 br;技力維持+5~20 br;反応[練気-護-] 裁縫6 attachref; 援ノ護符 命参-凜- 1~ 全 頭 3 1~2 命中+1~5 防+1~10 br;技+1~10 br;技力維持+5~20 br;反応[練気-護-] 裁縫16 attachref; 援ノ護符 命四-越- 1~ 全 頭 4 1~2 命中+1~7 防+1~10 br;技+1~10 br;技力維持+5~20 br;反応[練気-護-] 裁縫26 attachref; 援ノ護符 命伍-眞- 40~ 全 頭 5 1~2 命中+1~10 防+1~10 br;技+1~10 br;技力維持+5~20 br;反応[練気-護-] 裁縫36 br;剛群猿 attachref; 援ノ護符 奇壱‐賭‐ 1~ 全 頭足 3 1 業物? その他 [#l553b356] 画像 名称 価格 用途 加工品 入手経路 attachref; 萎びた油草 (5) 錬金 濁った刀油,湿った丹薬 br;湿った妙薬 小石ネズミ,岩ネズミ,蓑むしり,妖草玉、吸血コウモリ br;人,こうもり系 attachref; 油草 (8) 錬金 刀油,丹薬,妙薬 草玉系など attachref; 上等油草 (10) 怨草玉 attachref; 古びた空壷 (5) 錬金 濁った刀油 狼牙一派,美玖道場 門下生 br;サル・人間系 attachref; 平凡な空壷 (8) 錬金 刀油 人間系 attachref; 平凡な肝 (5) 錬金 湿った妙薬 御桜陸亀,影追い狼,逆毛狼,亀系 attachref; 大きな肝 (8) 錬金 妙薬 赤銅甲,野鶏,茸猪 attachref; 奇妙な肝 (10) 錬金 attachref; 不思議な肝 (16) 錬金 attachref; 魅惑の肝 (14) 錬金 attachref; ミミズ 5(1) 漁獲 なし(釣り餌) 収穫,万屋 attachref; 硬蟲 (5) 調理 虫団子 伐採 attachref; 雉鳩の羽根 (120) 雉鳩の耳飾(装飾素材) 鎧鷹 attachref; 霊符「臨」 (100) 裁縫 臨のお守り 岸涯骸骨,城主の亡霊,死人,浜髑髏 attachref; 霊符「兵」 (120) 裁縫 兵のお守り コロボックル,鮫吉一味,隼蜘蛛 attachref; 霊符「闘」 裁縫 闘のお守り 頑迷寺 修行僧,皇国軍三刀衆 塔吉 br;皇国軍三刀衆 狂介 attachref; 霊符「者」 裁縫 者のお守り 水神,盗賊稼業 ポン作 attachref; 霊符「皆」 (180) 皆のお守り? ごろつき百姓長者 豊作,武芸者 平次 attachref; 霊符「陣」 (200) 裁縫 陣のお守り 盗賊稼業 おとき,怨妖草玉,落武者怨念,湯本自警団 attachref; 霊符「列」 (220) 裁縫 列のお守り Wiki編集が苦手な方はこちら [#y61a9b92] 名前
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ゆかりの寺社(御朱印視点) 引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。 【おススメ度 ☆☆☆☆☆】御朱印帳があります。(売切御免) 都道府県 寺社名 所在地 備考 千葉県 橘樹神社 茂原市本納738 墓所 神奈川県 走水神社 横須賀市走水2-12-5 入水 【おススメ度 ☆☆☆☆★】ゆかりの御朱印が頂けます。 都道府県 寺社名 所在地 備考 【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。 都道府県 寺社名 所在地 備考 千葉県 蘇我比咩神社 千葉市中央区蘇我2-2-7 侍女 千葉県 姉崎神社 市原市姉崎2278-1 その他 千葉県 玉崎神社 旭市飯岡2126-1 その他 千葉県 島穴神社 市原市島野1129・1130 その他 千葉県 人見神社 君津市人見892 その他 東京都 妻恋神社 文京区湯島3-2-6 その他 東京都 浅間神社 江東区亀戸9-15 漂着 東京都 寄木神社 品川区東品川1-35-6 漂着【荏原神社にて拝受】 神奈川県 吾妻神社 中郡二宮町山西1117 漂着 静岡県 焼津神社 焼津市焼津2-7-2 野火の難 愛知県 入海神社 知多郡東浦町緒川屋敷壱区48 漂着 滋賀県 奥石神社 近江八幡市安土町東老蘇1615 その他 三重県 忍山神社 亀山市野村4-4-65 生誕 【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。 都道府県 寺社名 所在地 備考 茨城県 橘郷造神社 行方市羽生 漂着 千葉県 吾妻神社 木更津市吾妻2-7-55 漂着 東京都 吾嬬神社 墨田区立花1-1-15 漂着 神奈川県 小野神社 厚木市小野428 野火の難 神奈川県 大沼神社 相模原市南区東大沼2-10-5 野火の難 神奈川県 深見神社 大和市深見3367 野火の難 静岡県 草薙神社 静岡市清水区草薙349 野火の難 生誕 忍山神社 醍醐天皇延喜5年(905)勅命により撰修された「延喜式」神名帳に登録された式内社である。明治41年村社能牟良神社他近隣の20社を合祀。崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって伊香我色雄命に猿田彦命を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿祢の子孫80代相継いで神主となり明治に至る。垂仁天皇御代に皇女倭姫命がご案内役となって天照皇大神の鎮座の地を求めて大和の国から忍山に御遷幸になり半年御鎮座されたその跡をかしこんで大神を奉祀した。景行天皇御代に王子日本武尊は東征に際し忍山神社に立ち寄られ神主忍山宿祢の長女弟橘媛を妃とされ媛は東征に従われ相模の海が海神の怒りで荒れたため入水してその怒りを鎮められたと伝承されている。大正天皇6年10月鎮座2000年祭が斎行された。毎年10月の例祭には荒魂をなぐさめる為傘鉾が町内巡行される。昭和27年亀山市指定文化財(無形民俗文化財)に指定。 三重県神社庁 野火の難 小野神社 この神社は、延長五年(九二七)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。現在の拝殿は、嘉永元年(一、八四八)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板葺に替えられました。本殿は拝殿よりも一メートルほど高い地面に神明造りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閑香明神社、村の鎮守なり。延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一にて祭神下春命という」とあります。明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊も加えられました。それは日本武尊が東国の賊の征伐に向かった際、野火の焼きうちの苦難にあうという「古事記」の記述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののようです。この神社は、建久五年(一、一九四)愛甲三郎によって再興されたとも言われています。愛甲氏の本家の横山氏は、小野妹子の子孫と伝えられ、愛甲氏の家系の信仰は厚く、特に江戸時代には、愛甲姓の武将の参詣が記録されています。 小野神社御由緒 大沼神社 第十二代・景行天皇の皇子であらせられる日本武尊が御東征の時、大沼にて災難に遭われ、この時、鎮の神として日本武尊により勧請されたと伝えられている。又、建武元年(一三三四)南朝の忠臣・小山田小太郎の敬神の念篤く、「相模国大沼弁財天」を守護神として出陣の折、欅製の木版を作製したものが起元であるとも伝えられている。 『神奈川県神社誌』 ※境内石碑に「大沼は遠く日本武尊東征の砌り火難に相遇されし地」とあるとされるが未確認。 深見神社 人皇第二十一代・雄略天皇二十二年三月の創祀と伝えられる。延喜式内社に列し相模国十三座の一に数えられる。深見は『和名抄』所載の布加美であって、古は深水と書き相模原の東辺、境川流域一帯に亘る地を総称した。太古、この付近一帯は相模湾が深く湾入し、舟筏を以て交通し、今ここを古深見入江と仮称している。当社の縁起によると武甕槌神は東国鎮撫のために常陸国・鹿島にあらせられた時、舟師を率いてここに進軍され、伊弉諾神の御子・倉稲魂命、暗龗神二神をして深海を治めさせられた。両神は深海を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた。即ち深見の名の起こった所以である。今境内にある御倉稲荷社は両神を祀る所であり、里人は農業の神と敬っている。景行天皇の御代、皇子・日本武尊が御東征の時に、足柄峠を越え古相模湾の岸を経てここに軍を駐められ、この入江から舟師を出されたと言う。今郷内にある薙原、石楯尾、御難塚の地名は尊の御遭難の地と伝承されている。当社に対する尊崇は篤く、渋谷庄司重国、佐々木源三秀義の昔から、更に降つては山田伊賀守経光を深見四万坂に討滅した太田道灌は、その出陣に際して社前に戦勝を祈願し、坂本小左衛門重安は、徳川家康の大阪の陣に従軍するに当って武運長久を祈願して田を寄進、(鹿島田と言って今に残る)徳川幕府の寺社奉行・坂本内記重治はしばしば参詣して社殿を造営し、「相模国十三座の一深見神社」なる社号標を建立した。明治六年十二月に太政官布告によって郷社に列せられ、明治四十三年には、村内諏訪の森に鎮座の諏訪神社を合併し、我国建国史上御縁り深き二神は御同列に奉斎され、深見神社として御神徳益々赫かしく参詣者の数も多い。 『神奈川県神社名鑑』 焼津神社 焼津で敵の火攻めにあった時、日本武尊は妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)を守りながら戦いました。戦いの後、さらに東に進み走水(現在の横須賀市)までやってくると、海が荒れて船で進むことができませんでした。弟橘姫が「私が海の神を鎮めましょう」といって「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも(燃えさかる炎の中で 私の名を呼んで気遣ってくれた あなたよ)」の歌を残し海に身を投げると海は静まり日本武尊は無事対岸に渡ることができました。焼津では妻を守り、走水では夫を守り、互いを想いあう夫婦の愛の物語が古事記には描かれています。弟橘姫が海に身を投げてから数日後、海岸に弟橘姫の櫛が流れ着いたという言い伝えがあり、今でも8月のお祭りでは「北の御旅所」という所で櫛の形に作った餅がお供えされています。 焼津神社 草薙神社 景行天皇第二皇子の日本武尊が東国の蝦夷が叛いたので、之を平定するため吾嬬国に行く途中、この地で逆賊が起り尊を殺そうとして原野に火を放った。尊は佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ火を逆賊の方へなびかせ尊は無事に難をのがれた地を草薙という。その後佩用されていた天叢雲の剣を草薙の剣と名稱を変更になり草薙神社に神剣として奉られる。今より一八六〇余年前である。 草薙神社御由緒 入水 走水神社 走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊にその鎮定を命じました。勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を授けられ、東国に東征の軍を起こされました。途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっております。日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り走水の地に到着されました。ここに、御所(御座所)を建てました。(現在の御所が崎といわれています)走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。 走水神社 墓所 橘樹神社 当社は延喜式神名帳に上總國五座 長柄郡一座小 橘神社と記され、国幣小社に列し、畏くも景行天皇勅願の官社なり。人皇第十二代景行天皇四十年冬十月、日本武尊勅を奉じて東夷御征討の際、妃弟橘比賣命海上より夫尊に代わって忠死せるを哀しみ、海辺に漂着したる媛の御遺物たる御櫛を以て御墓を作らせ納め置き、御手づから墓標の代わりに橘の樹二株を植ゑ、祠宇を創立し給ひしが、其の後 天皇東幸の節、日本武尊と忍山宿禰とを相殿神として合祭せしめ給う。故に当社の御祭神は已に由緒に記載せし如く、皇室の御系に拘らせ給ふを以て、殊に崇祀して尊厳と威徳とを欠かさらむ事を務め、社殿の修繕・境内の風致一つとして注意を怠る如き事なし。然れども維新後時勢の変遷と共に自然古来の典式行はれざる所あり。今縁起其の他の古文書等を按ずるに、往昔大社にして豊禮の盛んなる事明瞭なり。明治六年五月三十日縣社に列せられ、後に縣令自ら官幣を奉り、祭典を執行せられたりき。後三年を経て、則ち明治九年六月二十八日、弟橘比賣命の御墓は古来の遺蹟に付、煙減せざる様保存すべき事、内務省達の御主意、千葉縣令柴原和より伝達せらる。 橘樹神社御由緒 漂着 橘郷造神社 倭武尊(やまとたけるのみこと)が、東国征伐に船で相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)に渡るときでした。海が荒れ狂い、今にも船が沈みそうになりました。女の人が船に乗っているため、海の神の怒りによるものと、弟橘姫は自らいけにえとなって、あらしの海に飛び込みました。すると、荒れ狂っていた海が静かになり、倭武尊たちは無事たどりつくことができました。それから何日かのち、弟橘姫の髪にさしていた笄(こうがい)が、霞ヶ浦に流され岸辺に打ち上げられました。流れついた笄を守るかのように鳥が群がっていたり、その笄は羽を生やして飛んだともいわれています。笄の飛んでいったところを笄崎と名付け、神社を建てて笄を納め、弟橘姫の霊を祀ったということです。羽生や立花(橘)という地名は、こうして生まれたと言われています。 弟橘媛立像の解説 吾妻神社:木更津市 吾妻神社は、「通称・吾妻様」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。祭神は、弟橘姫命を祀っています。敷地775坪の境内には本殿(銅板葺神明造)、幣殿(銅板葺)、拝殿(銅板葺)が建ち並びます。社伝によれば、日本武尊が東征の折、相模から上総に渡るときに荒れる海を見て、妃弟橘姫命が風波をしずめるために海中に身を投じられました。数日後妃の御袖がこの海汀に漂着され、これを収めて祠を建立して姫を祀られたといいつたえられています。毎年7月の第2土曜日に行われる祭礼に多くの人が訪れます。 千葉県観光物産協会 浅間神社 その昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷ご征討の折、相模から上総へ船で向うとき「こんな小さな海なら、駆けて跳び上がってでも渡れる」と大言壮語し、海を渡りました。ところが海の中程までくると突然暴風が起こり、日本武尊の船は漂って渡ることが出来なくなってしまいました。その時、日本武尊に従っていた弟橘媛(オトタチバナヒメ)という媛が「これは、日本武尊のお言葉に怒った海神の仕業だ」と言い、日本武尊の身代わりに自らの身を海に投じました。すると暴風はたちどころに止み、船は無事、岸に着くことができました。後に、弟橘姫の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着しました。そのうち、笄がこの辺り高貝(こうがい)洲(す)と呼ばれていた現在の亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したと言われています。これをお聞きになった十二代景行天皇は大層愁いて、ここに笄を埋め、祠を立てて祀りました。当時の諸将が苦難の折に、この祠に参り祈願すると何事も必ず聞き届けられたとも伝えられています。大永七年、後奈良天王・室町時代(1527年)富士信仰の尤も盛んな時代に、里人たちは甘露寺元長に勧請し、霊峰富士山の御守護神・木花咲耶比売を戴き、この笄塚の上に浅間社として創立し、ご遷座を成したとされています。現在の社殿は、昭和二十年の東京大空襲にもその難を免れ、七十数年を経て現在に至っております。近年鉄骨の神社の多い中で、稀少な木造建築ともなっています。 亀戸浅間神社 寄木神社 日本武尊東夷御征伐の砌、相模国の海中にて、南風烈しく吹き、御座船覆らんとする時、弟橘姫命、御船を救わんと海神の怒りを鎮めようと御入水さられた後日、船木等当浦に流れ寄り、此處に神靈を観請したと言ふ。兜島伝説、源義家奥州征伐の折、此處に馬を止め、当寄木神社の由来を漁人にお聞きになり、自ら神を祭り軍の勝利を祈願しました。奥州平定の帰路に再び当社に詣でられて兜を奉納した。以後この地は兜島と言われた。亀の甲社のいわれ。明治の末、品川浦に大海亀が迷い込み漁師大勢で捕へたが、不幸にも独り繋ぎ綱を首に巻き付けて死んだ。この甲を当時の小学生音楽隊を先頭にして上野博物館に寄贈し、此處に祠を建て靈を祭った。 寄木神社御由緒 吾嬬神社 抑当社御神木楠は昔時日本武命東夷征伐の御時、相模の國に御進向上の國に到り給はんと、御船に召されたる海中にて暴風しきりに起り来て、御船危ふかしりて御后橘姫命、海神の心を知りて、御身を海底に沈め給ひしかば忽、海上おだやかに成りぬれ共、御船を着くべき方も見えざれば尊甚だ愁わせ給ひしに不思儀にも西の方に一つの嶋、忽然と現到る。御船をば浮洲に着けさせ、嶋にあがらせ給ひて、あ~吾妻戀しと宣ひしに、俄に東風吹来りて橘姫命の御召物、海上に浮び、磯辺にただ寄らせ給ひしかば、尊、大きに喜ばせ給ひ、橘姫命の御召物を則此浮洲に納め、築山をきづき瑞離を結び御廟となし此時浮洲吾嬬大権現と崇め給ふ。海上船中の守護神たり。尊神ここに食し給ひし楠の御箸を以て、末代天下太平ならんには此箸二本ともに栄ふべしと宣ひて、御手自ら御廟の東の方にささせ給ひしに、此御箸忽ち根枝を生じし処、葉茂り相生の男木女木となれり。神代より今に至りて梢えの色変わらぬ萬代おさめし事、宛然神業なり。其後民家の人々疫にあたり死する者多かりしに、時の宮僧此御神木の葉を与えしに、病苦を払ひ平癒せしより、諸人挙って尊び敬ひぬ。今こそ此御神木楠の葉を以って護符となして裁服するに、如何なる難病にても奇瑞現れぬと云ふ事なし。凡二千有余年の星霜おし移ると云へ共、神徳の変らざる事を伝ふべし。共猶諸人の助けとならんと、略してしるす也。 吾嬬神社御由緒 吾妻神社:二宮町 吾妻神社は梅沢の氏神でその創建は第十二代景行天皇の朝に始まると云う。主神は弟橘媛命とし日本武尊を配祀する。日本武尊は景行天皇の第三皇子である。天皇にそむく蕃族を征伐するため東北におもむく途中三浦半島走水から海路上総に渡る時、暴風突如に起り、そこで妻の命は夫にかわり海神の怒りを静め夫の武運を祈り海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。其の七日後に命の御櫛が海辺に流れつき、埋めて御稜を造る。この前下一体を埋沢といい梅沢と同音である。又命の小袖が磯辺に漂いこれを取りて山頂に祭ったと云う。その海岸を袖ヶ浦と云う。日本武尊は東北戦が終り帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ(ああ吾が妻)と嘆かれたと云う。弟橘媛命の御神体は木彫の千手観音で既に数千年星霜を経て現在藤巻寺に安置してある。源頼朝幕府を鎌倉に創設するや、妻政子本社を崇敬すること浅からず。吾妻山全山と山麓田畑並に霜見塩田を寄附する。右大臣源實頼(實朝?)も祈願の為建保六年に雄剣を奉納する。 吾妻神社御由緒 入海神社 祭神は弟橘媛命、応神天皇。日本武尊が東征する時に、紅葉川から船に乗って出発し、相模の海で嵐にあった時に、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が入海して、海が静まり、その媛の櫛が紅葉川に流れついたといわれる。(社宝の正宗の短刀と長船の太刀は町指定文化財) 東浦町観光協会 侍女 蘇我比咩神社 千五百年前に遡る歴史当社は、今から千五百年前から建てられていたといわれています。古記によりますと、第十二代景行天皇の皇子であらせられた日本武尊命が東国地方を統一すべく勅命を受け弟橘姫を始め多数の家来を引きつれ軍船に乗りて、 千葉沖に差しかかったとき、風雨が強くなり船は進まず沈没の危険にあいました。 このとき弟橘姫は「龍神の怒りに触れた」とこれを静め和げんと同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じました。 そして日本武尊命は無事航海をつづけられたそうです。蘇我大臣の娘身を投じた五人の姫の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この方がこの下の海岸に打ち上げられました。 里人等の手厚い看護で蘇生することが出来、無事に都に帰りました。 又里人達は日本武尊命が日嗣の皇子でありながら東征の途中にて崩せられ皇位を継承するに及ばなかった事を聞き及び、その霊をなぐさめんと社を建て神として祭りました。 この里人等の行為に深く感激した第十五代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣し政治をおこなわせました。 蘇我一族は、代々「春日神社」「比咩神社」を守護神としており、両神社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立しました。 「延喜式巻九神祇神名帳千葉群記載。」その徳は山より高く海より深く「春日様」「下總の国香取神明様」と下總の国の守護神として人々に敬神されました。江戸時代以降江戸時代には、徳川家康も敬神され10石を献上しました。 この所は江戸又上総、香取への街道の要所にもあたり参勤する大名また人々の集まる宿場町であつたため参詣する賑わいをみせました。 明治五年社格郷社となり皇室、国家の守護となり皇族の尊宗をうけ参拝もあり、御手植の松もありましたが、明治の大火事で神社も社宝、古文書、御手植の松すベて焼災してしまいましたが 今もって海難防止、民政安定、家運繁栄、五穀豊穣、諸病消除、延命息災など神威をこよなくあらたかな神として近隣の人々に敬拝されています。 蘇我比咩神社 その他 姉崎神社 景行天皇40年(110)日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の時、走水(はしりみず)の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)の犠牲によって無事上総の地に着かれた。この宮山台において、お妃を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命(しなとべのみこと)を祀ったのが創始と伝えられる。その後父である景行天皇がこの地を訪れられて日本武尊命の霊を祀られ、さらにこの地を支配していた上海上の国造(かみつうなかみくにのみやっこ)が天児屋根命、塞三柱神(さえのみはしらのかみ)、大雀命(おおさざきのみこと)(16代仁徳天皇)を合祀されたといわれる。御祭神のご神徳は姉埼神社への尊崇を高め、元慶(がんぎょう)元年(877)五月神階は正五位下勲五等、同年八七月正五位上を授けられる。延長5年(927)に纏(まと)められた延喜式神名帳にも上総国五社の一社として記載せられいわゆる式内社として有名になった。【後略】 姉崎神社 玉崎神社 玉﨑神社は、景行天皇十二年の御創祀と伝えられている。天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命(オキサキオトタチバナヒメノミコト)が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。 玉崎神社 島穴神社 当宮は「延喜式」所載の上総五社の内の一社であり、古くからこの地方の格式ある名社として崇められてまいりました。今からおよそ千八百年あまり前の景行天皇の四十年(西暦一一四年)日本武尊が東征のみぎり相模国走水より上総国へ航行中にわかに暴風に遇われあやうく船が覆りそうになった時同乗されていた、妃君の弟橘姫命が大和の大和国の風鎮の神龍田大社を遥かに拝み、安全に上総国まで航行させてくれるならば必ずその地に風鎮めの神を祭り報恩感謝の誠を尽しますと祈りながら海中に身を投ぜられました。するとたちまち暴風は止み、ぶじ上総国へ着くことができたので日本武尊は弟橘姫命のご遺志の通りこの地に志那都比古尊を祭る当宮を創祀されたのであります。のち景行天皇が当地へ行幸(一二七年)の折日本武尊、倭比売尊を合祀されました。また陽成天皇八年(八八四)には朝廷より正五位上の神階を授けられ、明治十二年(一八七九)には千葉県の県社に列格されたのであります。 島穴神社御由緒 人見神社 人見神社は小糸川の河口、東京湾をのぞむ獅子山(人見山)の頂に鎮まり、古来より二総六妙見(上総の人見神社・久留里神社・横田神社、下総の千葉神社・印西妙見宮・飯高妙見宮)の一社として人々の篤い崇敬を受けてきました。古く、日本武尊が相模から房総へむかう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘姫命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたといいます。無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったといわれています。当社は奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国より勧請されました(別当・青蓮寺の「妙見縁起」)。あるいは昔、近郷の大堀の地にわずか二戸しかなかった頃、うち太右衛門が草刈をしていて妙見尊像を見つけ、もう一人の市右衛門と相談して獅子山に祀ったという「妙見隠し」の伝承も残されています。また、天慶三年(940)、平忠常が上総介として赴任した折に、武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請しその中の代表的な一社が当神社です。忠常の祖父、平良文(千葉氏の祖)は高望王の子で、東国へ下って妙見菩薩を祀るなど、代々、妙見信仰の念が篤かったのです。源頼朝も治承四年(1180)、相模石橋山の合戦に敗れ、再起を期して内房の礒根伝いを舟で進軍の折、小糸川河口に着岸し、当社に武運長久の祈願文を捧げたと伝えられています。天正19年(1591)には徳川家康より良田五石の朱印の寄贈があり、元禄4年(1691)には当地方の領主、小笠原彦太夫より大刀の献納がありました。小笠原氏は以来、例祭に奉幣参拝を欠かしませんでした。そして寛政9年(1797)、小笠原兵庫と氏子らが浄財をもって春日造の社殿を造営しました。明治に入ると神仏分離の国策を受けて人見神社と称し郷社に列せられ、妙見菩薩は観音堂に祀ることになります。高度経済成長期には、ふもとの湾岸に大規模な製鉄所が建設されるなど、周囲の景観は変貌しましたが、人見の杜は近郷近在の人々をこれからも見守り続けることでしょう。 人見神社 妻恋神社 日本武尊は、「古事記」や「日本書紀」に登場。父王である景行天皇より命ぜられ、体格もよく武力に優れていた日本武尊は、日本(まだ日本とは呼んでいなかったが)の全国統一を目指して、西や東を平定していった。東方十二道の荒ぶる神や賊の平定のため東へと旅だち、東京湾を走水の渡り(現横須賀市)から千葉に向けて船で渡る時、途中暴風雨に遭い、船はもてあそばれ沈みそうになった。同行の妃・弟橘媛命が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と言って、「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」(焼津で自分を守ってくれた尊への思いが込められている)と歌を詠んで海に身を投じた。海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。帰路、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶・・・・・」と恋い慕いたもうたとの意を取って「妻恋明神」と号した。当神社はその時の行宮(野営陣地)の跡と言われてる。「あづまはや」から関東のことを「あづま・あずま」というようになったとも。また、「ユシマ」は「聖なる水際の地」という意味があるともいわれ、この地は早くから開かれ、低地では稲作が行われており、そこで、五穀の神の稲荷が祭られ、妻恋稲荷となった。倉稲魂命は別名は御食津神で三狐神に通じキツネに結びつく。戦災で失われていた鈴も昭和52年に戻り、また江戸時代に使われていた縁起物の版木も偶然に見つかり、頒布が一時期再開された。平成23年東日本大震災に伴う本殿屋根崩壊では多大なる奉賛により修復を完了、復興祈願の気運により平成25年に奉納された日本画を元に授与品「吉夢(よいゆめ)」頒布の運びとなった。 妻恋神社 奥石神社 観音寺山(繖山(きぬがさやま)432.7m)の南、国道8号線と東海道新幹線が立体交差する地点にある老蘇(おいそ)の森の中にあります。祭神は、藤原氏の祖である天津児室根命(あまつこやねのみこと)です。創祀については明らかではありません。もともと、この神社は繖山山頂の磐座を遠拝する祭祀場として営まれたものであるといわれています。伝説では、日本武尊(やまとたけるのみこと)を危機から救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が身代わりになって荒海に身を投げましたが、そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると言い残したといわれています。この話から奥石神社は安産の神といわれて、広く信仰されています。老樹の茂る参道が続き、本殿は三間社流造で重要文化財です。また、境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長の歌碑も立っています。〈重文〉奥石神社本殿 びわこビジターズビューロー