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阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 国家と憲法の基礎理論 第五章 立憲主義の展開 p.71以下 <目次> ■第一節 近代立憲主義の特質[76] (一)近代国家は統治権力を合法的に独占する点に特徴をもつ [77] (ニ)責任政治の原則も近代国家の特徴である [78] (三)近代立憲主義は国民の積極的政治参加に警戒的であった ■第二節 近代立憲主義の人間観・国家観[79] (一)近代立憲主義は理性的な人間像を前提にしていた [80] (二)私的領域といえども国家によって設定され保護されている [81] (三)近代立憲主義は「自己統治」を制約するものについて解答を寄せなかった [82] (四)近代合理主義哲学の礎を提供してきた「理性」は再検討を迫られてくる ■第三節 「現代立憲主義」へ[83] (一)19世紀後半以降の哲学は意思中心主義に批判的である [84] (ニ)「現代立憲主義」は個々人の置かれた地位を振り返る [85] (三)「現代立憲主義」は夜警国家観を超える [86] (四)福祉国家は「隷従への道」? [87] (五)「自由」を尊重する国家は福祉国家とはならないはずである [88] (六)「現代立憲主義」国家は司法国家化によって救われるか [89] (七)夜警国家がもっともユートピアに近いとする理論もある [90] (八)自由でかつ平等な国家を構想するJ. ロールズの国家観が注目されている [91] (九)超越論的な哲学に基づいて「社会的正義」を実現する国家を模索すべきではない [92] (十)現代国家は大量殺戮兵器と癌細胞としての軍隊の統制問題を抱え込む ■ご意見、情報提供 ■第一節 近代立憲主義の特質 [76] (一)近代国家は統治権力を合法的に独占する点に特徴をもつ 近代国家は、 (ア) 統治権力を独占し、集中的な、しかも恒常的な租税体系を基礎とし、 (イ) 中央より指導される常備的軍事力をもち、 (ウ) 行政を専門的官僚の支配という形で組織し、 (エ) 統治領域以外は、社会の自動調整システムが機能するように最小限しか干渉しない、 という特徴を示してきた。 近代立憲主義は、[74]でふれた「法の支配」思想のもとで近代国家の統治権力を形式的な合法的権威に転化させるべく、一般性・抽象性・平等普遍性を満たす立法の制定と、そのもとでの行政。司法という定式を憲法典で実現した。 そうすることによって、リヴェイアサンともなりうる国家から、自由を中心とする基本権を守ろうとした。 すなわち、近代立憲主義とは、基本権保障と権力分立という内容を、正式の法文書という形式で確認する思想をいう。 それは、先に述べた「配分原理」と「組織技術」(分立技術)とを、成文憲法典で確認することと同義である([53]参照)。 [77] (ニ)責任政治の原則も近代国家の特徴である しかし、それだけではない。 近代立憲主義国家においては、統治者が法に対する責任を負うことばかりでなく、政治的にも被治者に対して責任を負うことをも、謳われなければならない。 これを「責任政治の原則」という。 責任政治の原則を具体化するものとしては、大臣責任制、そのための弾劾制度、その後に登場した内閣不信任制度(内閣の連帯責任制)がある。 また、何よりも、選挙制度が忘れられてはならない。 もっとも、これらの責任政治のための制度が、現実の統治過程で有効に機能するとは限らない。 現代立憲国家に登場してきた政党は、責任政治を実質化するために「反応よき統治」(responsive government)を目指すのである。 [78] (三)近代立憲主義は国民の積極的政治参加に警戒的であった では、近代立憲主義は国民の政治参加についてどう見ていたか。 この点に関しては、一方で、近代立憲主義は民主主義と結びついて国民の政治参加に肯定的であったとする見解(芦部『憲法講義ノートⅠ』28頁)と、他方で、近代立憲主義は積極的な国民の政治参加に好意的ではなく、自動制御装置的政治機構を望んだとする見解がある(佐藤幸治編著『憲法Ⅰ』15頁)。 そのうちのどちらが妥当であるか。 その解答はどの国を念頭に置くか、誰の理論をモデルとするかによって、当然異なってくる。 概していえば、理念上は積極的な政治参加が説かれながらも、いざそれを現実に法制化する段になると、統治者たちは慎重な態度に出た。 その理由を理解するためには、近代立憲主義の拠って立つ理念上の人間観・国家観と、現実のそれとの乖離が解明されなければならない。 ■第二節 近代立憲主義の人間観・国家観 [79] (一)近代立憲主義は理性的な人間像を前提にしていた 市民社会は、私的所有または自由意思の主体たる個人の集合体と考えられた。 個人の私的領域の総計が社会的領域と観念されたのである(この見方が、本書の冒頭の [1] でふれた「方法論的集団主義」の典型である)。 「私的領域」とは、いかなる領域をいうか。 また、それをどう評価するか、という争点は、そこに生きる人間への見方によって変動する。 近代立憲主義は、身分制の桎梏から解放された、自由で独立した合理的・理性的個人を想定した。 それは、個々人の示す事実上の違いを捨象した抽象的な人(人格)として捉えられた。 この人間観の発生には、キリスト教、なかでも改革派の説いた、内心または道徳の内面・絶対性、法の外面・形式性という考えが大きく影響している。 中世にあっては、「神の法→自然法→人間の法」という序列が「信仰→(信仰を通して発見される)理性→(理性を具現する法による)利害関心の調整」という序列に対応していたのである。 ところが、宗教改革後、信仰の内面性または多様性が承認された段階で、その対応関係は消滅し、人間社会の利害関心の調整は「(人間に自然に備わっている)理性によって発見される自然法による統制」や「自然法による人為法の統制」という、人の内面とは別個の規準に委ねられるものと再構成された。 その際の基軸は、《人は道徳的で人格的な理性的存在だ》という、人間存在の特質に求められた。 こうした歴史的展開の影響のもとで、人間の合理的で自由な意思を信奉する近代合理主義哲学を基礎として、法学は、「私的領域」を、理性的、道徳的存在としての個人の精神的集合体であると想定してきた。 自然法、自然権思想を支える人間観は、これと無縁ではない。 国家以前の自然状態における個人は、まさにこのような存在として仮定されたのであった。 例えば、ロックの社会契約論は、理性的な決定を為し得る、没社会的な神人同型の個人を前提としていた。 [80] (二)私的領域といえども国家によって設定され保護されている 近代市民法または伝統的法学は、こうした人間観に立って、「公的領域/私的領域」の峻別を説いてきた([4]参照)。 そして、私的領域について国家の不介入や「自由放任」があたかも自明であるかのように扱ってきた。 近代立憲主義国家が消極国家である、といわれてきたのは、こうした意味あいを込めてのことである。 しかしながら、消極的国家または夜警国家のもとですら、国家は、一方で、社会・個人の一定領域を保護してきたのが現実であり(その領域に関してオフ・ハンドでいたことは決してなく)、他方で、権力組織としてその領域を浸食する主体でもあった。 その意味で、個人的領域と政治的領域との分離といわれる場合でも、その分離は、国家内に存在し、国家によって維持されるのである。 その個人的領域は、法のもとでの自由の意味であって、法の欠如でもなければ、「自由放任」でもなかった([54]参照)。 また、「公的(公権力の)領域/私的(市民社会の)領域」という二分法も、社会のある部分をときに「公的」と呼び、経済市場をときに「私的」と呼ぶに至った段階で、相互の浸潤現象を否定しさることも出来ずに、次第に通用力を失っていく。 それは、人間の本性への見方の変容を反映してもいる。 [81] (三)近代立憲主義は「自己統治」を制約するものについて解答を寄せなかった 楽観的人間観に立つ近代立憲主義、なかでも大陸のそれは、国王の権力を制限するための諸理論と手段を発見したものの、人民による「自己統治」(または国民の意思から発するとされる主権)を制約する手段を見出してはいなかった。 有効な制約手段がないために、近代立憲主義は、制憲権を国民の意思の発動とみながら、理念的な国民主権([127]でふれる正当性原理としての国民主権)を説く一方で、実際の統治に当っては、民意を遮断するための諸メカニズム(例えば、代表制、二院制、間接選挙制等)を考案したのである。 さらに、オリュー、デュギーの如く、論者によっては、主権概念自体を否定するものすらみられるのも([8]参照)、主権を統制するものを解明できなかったからである。 近代立憲主義は、人間の本性に対する楽観的な信頼の上に成立していた。 [82] (四)近代合理主義哲学の礎を提供してきた「理性」は再検討を迫られてくる 近代立憲主義を支えた啓蒙思想は、政治または権力とは異なる次元に属するところの理性(またはそれを客観的に具現する正義(イウス))のもとに、政治的利害関心や抗争を従属させ、統制しようとしてきた。 当時、理性は、自然、人、社会を律する客観的な秩序を意味していた。 理性の主体である人は、秩序づけられたこの世界にスッポリと違和感なく収まりきる存在であった。 個々人は、その事実上の違いを捨象されて、普遍的に「人格」として捉えられた。 ところが、国民国家の枠組みが顕著となるにつれて、制度的支えのない普遍的人格を語ることの限界が、G. ヘーゲルによって鋭く突かれた。 人を人格として超越論的に扱うだけでは済まなくなったのである。 この時点で、近代啓蒙思想体系は、一度、打ち砕かれることとなった。 国家と市民社会のなかで生きていく人々の本質的特徴は、行動すること、他者と共同して生活すること、労働すること、消費することにある。 人格として存在することではないのである。 そうなると、法的地位、生産能力、消費量等々、個々人はそれぞれに異なっていることに気づかれてくる。 近代立憲主義の想定する人間観は通用性を失って、再検討を迫られたのである。 こうした再検討のなかで出てくるのが「現代立憲主義」である。 近代立憲主義が中世立憲主義とは異質な様相をもって登場したと同じように、現代立憲主義は近代立憲主義を否定する中で誕生したのである。 現代の憲法理論が近代啓蒙の時代に安閑と依拠してはおれない理由は、ここにある。 ■第三節 「現代立憲主義」へ [83] (一)19世紀後半以降の哲学は意思中心主義に批判的である 19世紀後半以降のマルクス主義と労働者階級の勃興は、近代合理主義哲学が説いてきた意思中心主義、個人(主体)主義への反省を迫った。 それは具体的には、 ① 個人的意思の集積の結果、実体として出現するといわれる一般意思への批判と、それを支える社会契約論への批判(これらは階級対立を隠す)、 ② 社会に存在する中間団体の見直し、 ③ 人々の身分・利害の多様性と、法の多元性との承認 という方向として表れる。 この方向は、人間存在や法の見方のみならず、国家の見方までの変更を思想家に迫らざるを得なかった。 近代国家を法的に統制しようとして出てきた近代立憲主義は、この変容を一部取り込みながらもその根幹を維持しようとするが、様々な課題・矛盾を背負い込んで、様々な変更を余儀なくされる。 [11] でふれた「現代国家」の実相に応じて変容されてきつつある立憲主義を「現代立憲主義」という。 [84] (ニ)「現代立憲主義」は個々人の置かれた地位を振り返る 「現代立憲主義」は、理性的でもあるが、同時に、私利私欲をもった経済的に合理的な人間像を反映したものとなってくる。 この時点で、客観的な秩序を意味していた理性は、目的に対する手段の適合性を判断する主観的能力を意味するものに確実に変わった。 それは、道徳的実践理性よりも、道具的理性を優先させる人間像への転換を承認することでもあった。 中でも「現代立憲主義」は、個々人の置かれた具体的な生活の状況を考慮しながら、経済的自由市場がもたらす経済上の恐怖や脅迫から市民を「自由」にすべく、国家による非干渉経済を一部断念するのである。 国家の市場介入を容認するために、「弱肉強食」という根拠のない表現が乱発された。 [85] (三)「現代立憲主義」は夜警国家観を超える 現代国家は、人間の私利私欲から発生する弊害を予防または除去し、各人の生存に配慮するために、「公共政策」の名のもとに、財・サーヴィスの供給者、規制者、創造者(企業家)、またさらには審判者として、「社会的領域」に進出し、各人が幸福となるための条件を各人に約束し始める([11]をみよ)。 それが、「社会的法治国家」、「積極国家」または「福祉国家」と通称される国家である。 それは、既にふれたフランス啓蒙思想の影響である([54]での【N. B. 9】参照)。 現代国家は、権力組織としての顔と、実質的平等・実体的正義の実現や、さらには結果の平等までをも意識して国民の生存を配慮することなどといった高次の目的にも仕える二つの顔をもつ(現代国家の特徴については、[11]でふれた)。 こうした変化は、自由権のうちでも経済的自由権を変質させて相対化し、人権論のなかでは、象徴的(スローガン風)に、「自由権から社会権へ」といわれ、国家論のなかでは、「夜警国家から社会(福祉)国家へ」といわれる中にみられる。 なかでも、その国家における行政の特徴は、生存配慮のために為される社会保障行政に表れる。 [86] (四)福祉国家は「隷従への道」? 片や権力を独占し、片や各人に幸福を約束するという二つの顔をもつ国家の統治は、余剰権力を発生させ、パターナリズムのもとで、各人の自由領域に干渉し、ほとんど全ての領域を政治領域としそうな勢いを示している。 それは、あるいは我々が既にハイエクの最も警戒する「隷従への道」を歩んでいることを示唆しているのかも知れない。 なぜなら、不平等を是正して幸福を各人にもたらすために提唱される「分配的正義」(社会保障に代表される所得再分配)は、国家が人々の置かれる位置まで決定し監視せざるを得なくさせるからである。 そのための国家権限は、我々が自由な営為のなかで獲得した地位をパターン付き社会に適合させるべく、我々の為すべきことまで決定する権限ともなろう。 こうした危機を目前にして、ハイエクは、「法の支配は、配分的正義を排除する」といい、Th. ローウィは、明確な基準を欠く所得再分配(福祉行政)は、官僚と一定集団とが癒着する利益集団自由主義を生むといい、M. フリードマンは、財産権の侵害であるといい、R. ノージックは「道徳的に正当化され得ない国家となる」という。 この病理に対処するために、全ての行政活動に法律の留保を求める「全部留保説」が唱えられるものの、それは、かえって社会領域の政治化を呼ぶばかりでなく、無数の委任立法に拠らざるを得ないこととなろう。 配分的正義を実現するために説かれてきた「現代立憲主義」国家像は、かくて、脆弱な姿を露呈することになる(その最も強力な擁護論は、すぐ後にふれるJ. ロールズの政治哲学であるが、それとても弱点がない訳ではない)。 [87] (五)「自由」を尊重する国家は福祉国家とはならないはずである 「自由」とは、強制の加えられることのない状況下で、各人が各人の望むところを各自の知識に従って追求するチャンスを与えられていることである。 知識の程度と範囲は人によって異なり、その活用の程度もまた各人の機会が異なるために、違ってこざるを得ない。 その結果、各自の生み出すもの、獲得するものに相違が出てくるのも当然である(「生産」と「分配」は対応する)。 「自由」は、「機会の平等」とは両立するものの、生産と分配との区別を前提とする「結果の平等」とは両立しない。 となれば、「自由」を尊重することは、結果の平等を志向する福祉国家理念とは、基本的に、相容れないばかりであんく、結果を予め計画して、それへの邁進を目指す共産主義とも対立する(この点については『憲法理論Ⅱ』 [135]~[137]、『憲法理論Ⅲ』 [415]~[416] をみよ)。 自由主義のもとでは、成果を発生させる過程での各人の努力は、国家によって評価されてはならないのである。 [88] (六)「現代立憲主義」国家は司法国家化によって救われるか 代表機関としての議会に信頼を寄せた近代立憲主義に対して、「現代立憲主義」は、不断に活動する執政府に頼らざるを得なくなる。 執政府は、法令の執行に携わるだけでなく、委任立法に従事し、さらには、国家の基本政策の形成・実行・検証のみならず、社会領域における自動調整システムの機能不全に対処すべく、計画・統制へと乗り出してくる。 それは、それだけの自由裁量的権限と機構とを備える「行政国家」への変質を意味する(古典的な意味での「行政国家」とは、執政権行使が司法裁判所の統制から除外される国家を指した)。 ところが、「自らが公共善とみなすものに専ら関わる効率的な専門行政官が、自由に対する最大の脅威となる」(ハイエク)。 その脅威を最小化するために、執政府活動に対する司法的統制が期待されてくる。 「司法国家」への変質の要請である。 その際、執政府の活動も通常裁判所の判断に服するという「法の支配」理念が再び強調されることになる。 また、議会が、法律で独立行政委員会を設置するのも、執政府を統制するための対応である(後述の[405]参照)。 しかしながら、肥大する執政府を前にして、議会や司法がその統制に成功しているとは思われない。 特に補助金の交付にみられる資金助成行政は、特定目的をもって、特定人(法人を含む)を対象として為される私的・個別的契約であると理論構成されるために、一般的抽象的ルールのもとに執政府を置こうとする近代立憲主義または法の支配の思想から大きく逸脱する。 近時、ノージックのように、福祉国家観に正面から反対する自由尊重主義者が夜警国家への回帰を提唱しているのは、この点を真剣に懸念しているからである。 [89] (七)夜警国家がもっともユートピアに近いとする理論もある ノージックは、各人が「獲得、移転または匡正」という経緯を通して得た物(自らが作り出した物、他人から譲渡されて得た物、そして他人からの賠償によって得た物)は各人の物であって、各人はそれに対して正当な権原(entitlement=自然権としての資格)を有し、何人もそれを侵さないことが正義である、という(権原の正義論または経緯の正義論。巻末の人名解説をみよ)。 この正義論は、正義や人権を達成されるべき国家目標とみないで、国家権力を制約する原理(横から制約する原理)と考えている点に特徴がある。 権原の正義論は、彼のいう最小限国家、つまり警察国家だけを正当とし、彼のいう拡張国家、つまり福祉国家を道徳的に正当とはしない。 なぜなら、拡張国家は、所得再配分によって個人の「権原」を侵害するからである。 以上のようなノージックの理論は、すこぶる評判が悪い。 例えば、「大きな権原」(持てる者)と「小さな権原」(持たざる者)との差は、権力関係を反映したものとなって、自発的な獲得・移転等といわれるものを歪めるのではないか、さらには、貧富の差をさらに拡大し、いわゆる「社会的正義」に反しないか、と強い批判に晒されている。 彼の理論からすれば、自由尊重主義は、必然的に、自由経済体制(資本主義)擁護のための理論となることになろうが、巨大法人(組織)によって支配されたように見える市場システムの評価の仕方によって、その理論の是非が決定されよう(「市場/組織」の二分法がどこまで通用するか疑問である)。 その是非はともかく、ノージック理論は現代国家の実態に対して痛烈な批判となっている。 [90] (八)自由でかつ平等な国家を構想するJ. ロールズの国家観が注目されている ロールズの国家観は、最近の政治哲学のうちでも、最も強い影響力を各方面に与えてきている(巻末の人名解説をみよ)。 彼の理論は、ノージックとは正反対に、自由と平等(なかでも「結果の平等」)との調整が可能であることを説きながら、国家による所得再分配を、「公正としての正義」の名のもとで、次のような思考順序で正当とする理論である。 ① 合理的に思考し、行動できる人々であれば、個々人でいるよりも社会を形成して協働による利益を増加させるほうが善いと考えるであろう。 ② しかし、誰もがフリー・ライダー(ただ乗りする人)に成りたいと考えるに違いない。すなわち、彼らの中で利害が対立するのは、社会的協働に必要な費用の分配と、社会的協働の成果である利益をどのように分配したら良いか、という点である。 ③ そこで、各自の置かれた状況についても、選択の結果についても、誰も何も知らない「無知のヴェール」のもとに万人が置かれたと仮定しよう。そのもとでは、万人は最悪の選択が最善となる(予想される損失を最小化する maximin rule のもとで)、次の原理を選ぶであろう。 《正義の第一原理》=各人は、万人のための同様の自由の体系と両立する限りで、平等な基本的自由の最も広範な全体系に対する平等な権利を有すべきである、とする原理(最大の平等な自由の原理)。 《正義の第ニ原理》=社会的および経済的不平等は、次の二条件を満たした場合にのみ許されるとする原理。第一に、不平等は地位や役職に付随したものでなければならないこと(機会の平等)、第二に、不平等は社会構成員のうち最も恵まれない人にとって最大の利益となるべきであること(格差原理)。 以上の原理には、第一に自由を、第二に機会の平等を、第三に格差原理を、という優先順位が想定されている。 [91] (九)超越論的な哲学に基づいて「社会的正義」を実現する国家を模索すべきではない このロールズの見解に対しては、「無知のヴェール」のもとで人々が二つの正義原理を選択するという保証があるか、余りに理念的な人間像を前提としていないか(「記憶喪失の哲学」と批判される理由はそこにある)、といった疑問が残る。 彼の哲学は、非経験的な知によって人間の本性を把握しようとする超越論的哲学から離れようとしながらも、その枠内にとどまっている。 政治哲学の出発点は、現実的なありのままの人間でなければならないはずである。 ありのままの人間から法や国家をみるという視点は、スコットランドの啓蒙知の伝統にみられる。 その知によれば、共に自由に生きたいという一般の人々の願望を実現するために、一般的・抽象的ルールを提供し維持することこそ、国家の存在理由なのである([28]参照)。 確かに、現代立憲国家は、近代立憲国家における「社会」がもたらしたといわれる様々な弊害を、人為的で個別的なルールによって除去し、「社会的正義」を実現しようとして登場した。 しかしながら、社会は、一般的・抽象的ルールのもとで各人が自由に行為するよう保障した結果として自生的に登場する秩序である、と考えるのが正しい。 その秩序に対して「社会が責任を持たなければならない」と主張することはナンセンスである。 「正義」なる観念は人間の行為についてのみ問われなければならない。 社会は、個々人の自由な営為の結果として生まれ出た秩序であって《主体ではない》のである。 「社会的正義」の名のもとで、巨大な官僚の監視機構を背景にして、強制的に所得再分配をしようとする国家こそ、社会的正義を破壊しているのである。 これこそが、現代立憲主義国家の病理である。 その病理は、国家が個人の私的領域に介入する「国家の社会化」に現れるだけでなく、利益の分配を巡って利益集団が政治過程へと深く侵入する「社会の国家化」によって、さらに深刻化する。 近代立憲主義を人間の意図(設計主義)によって修正し、「社会的正義」を追求し実現しようとする「現代立憲主義」には大きな期待はかけられない。 [92] (十)現代国家は大量殺戮兵器と癌細胞としての軍隊の統制問題を抱え込む 現代国家の病理はそれだけではない。 大量殺人兵器の登場、秘密事項で武装された軍隊の存在は、国内国外の平和をいかに実現するか、「開かれた政府」をいかにして貫徹するか、という問題を「現代立憲主義」に突きつけて久しい。 これに対応すべく諸国家は、侵略戦争の放棄を憲法典上で謳い、民主的統治の理念に立って情報公開制度を実現しつつある。 なかでも、「現代立憲主義」は、20世紀になって、政治と軍隊との関係(civil-military relations=軍政関係または民軍関係)について、具体的な解決策を迫られる。 というのは、政治が、軍隊という機能集団を管理する専門技術・知識・装置を修得すべしとされて以来、法制度上、専門職業的将校団を看過するとなれば、軍隊こそ典型的な暴力機構であるだけに、国民の自由やときには民主制にとって最大の危機と成り得るからである。 専門職業的将校団を、法的に有効に統制しようとする試みが、文民の優勢の体制(civilian control=一般には「文民統制」と訳出されている)である。 もっとも、文民統制なる用語も極めて多義的である。 それは広義には、非軍人を意味する文民の政治的指導によって軍隊を効果的に管理することをいう。 その広義の文民統制のもとでは、将校団は軍事面だけの専門的知識を文民たる政治家に助言するにとどまるよう、政治的中立の枠内に閉じ込められる(「政治家が戦争目的を決定し、軍隊は戦争に勝利することを目的とする」といわれる)。 狭義の文民統制とは、軍隊の最高司令官が非軍人であることを指す(これに対して、日本国憲法にいう「文民統制」は、特異な内容と狙いを持つ。通常いわれる「文民統制」は、広義であれ、狭義であれ、軍隊または将校団の存在を所与のものとして、それをいかに有効に管理するかのやり方を示した。ところが、正規軍を持たないはずの日本国憲法にあっては、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定められているため、その趣旨を巡って論争されることになる。この点は周知のように、文民とは、職業軍人の経歴を持たない者をいうとする説、職業軍人の経歴を有し、しかも強い軍国主義思想の持ち主である者以外をいうとする説の二説が対立していた。ところが、自衛隊が設置されて以降、文民とは現役軍人以外の者をいうとする説が登場するに至る)。 こうした努力にも係わらず、主権国家の独立性や平和の確保が最終的には武力によってもたらされる、という冷厳な国際政治の現実は、これまでと同様、不動のようにみえる。 この現実を前に、現代立憲主義が、「平和国家」や「開かれた政府」に向かいつつあるか否か、定かではない。 軍事秘密によって武装されて肥大する軍隊をみれば、夜警国家が最小国家である、とは必ずしも言い得ないのである。 現代国家の病理は国家機構の肥大に象徴的に現れるが、その病巣は政策遂行のために使用される手段にある。 それが、無数の、個別立法ともいうべき、無数の人為法の制定である。 現代立憲主義は、「社会的正義」を即効的にもたらそうと、ときに、所得の再分配のための立法、ときに、需給調整のための立法、ときに、「社会的弱者保護」のための立法等々、望ましい社会秩序実現のための法制定を「公益」の美名のもとで要請してきた。 そればかりでなく、無数の個別立法をきめ細かくし執行するための行政機関の肥大をもたらしてきた。 実は、「社会的正義」、「公益」なる抽象的概念に客観的判定基準はない。 また、現実の政治過程での最終決定因は、正義という理念ではなく、利得である。 そのために、利益集団が民主主義過程に食い込み、一般性・抽象性・平等普遍性という法の属性から自分だけ免除するよう求めてくるのである。 それは、自由経済体制がもたらす「市場の失敗」よりも、是正困難な「政策立案過程での失敗、立法の失敗、執行の失敗」をもたらさずには置かないのである。 【表7】「現代立憲主義」の課題 ① 実体的正義または「社会的正義」を実現すること ② 肥大化してきた執政府活動を司法的に統制したり、「開かれた政府」を実現すること ③ 軍隊に対する文民優位の体制を確立すること。 ■ご意見、情報提供 ※全体目次は阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)へ。 名前 コメント
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元ページ「保守主義とは何か」 どなたが編集なされたのかは存じ上げませんが、驚くほど大変よくできた解説で、円環図による思想分類には感激させられました。ありがとうございます。 -- ななし (2010-12-17 10 28 24) すばらしい!!みんなで日本を護るために『保守主義』を学習しよう -- 名無しさん (2010-12-18 15 26 59) エドマンド・バーク保守主義 - エドマンド・バーク リバイバルも参考になる。→ http //www.geocities.jp/burke_revival/ -- 名無しさん (2011-01-08 12 01 55) ↑のサイトだけではという人は 保守 - Wikipediaを参照すべき http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%AE%88 -- 名無しさん (2011-01-08 12 07 42) 「真の個人主義」と「偽の個人主義/集産主義」の、社会の原則は、「人々を平等に取り扱うこと」→「人々を同等に取り扱うこと」とすべき。 -- 名無しさん (2011-09-24 08 22 46) 「真の個人主義」に平等はないからです。 -- 名無しさん (2011-09-24 08 24 17) collectivismに産の意味はない。集団主義でいい。 -- 名無しさん (2011-09-24 08 29 28) 保守主義(conservatism)→保守主義(conservative、conservatism)とすべき。 -- 名無しさん (2011-09-24 08 32 57) 日本の保守主義に関して、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書)を作成しました。 -- 名無しさん (2011-12-16 00 28 34) 合衆国市民(The Empire State)です。ノーランチャート知ってますか?保守主義は個人的な自由権(精神的・身体的)に消極的です。その点では全体主義との親和性があります。ロールズが全体主義とは、いくらなんでも無理がありますよ。あと、dignity of every individual、この言葉の意味がわかっていますか?このサイトの作者さんは、WyomingやUtahやRural TexasやDeep Southの閉鎖性(内に閉じた世界)を知っているのですか!?Mississippiの州の旗は今でも個人の自由を否定しているとしか思えませんよ。 -- ben (2013-01-16 18 25 08) WyomingやUtahやRural TexasやDeep Southは、保守主義の理想の土地なのでしょうか?? -- ben (2013-01-16 18 27 41) 保守思想を扱った古典を幾つか読みましょう。コメントにも見られるが、愛国は保守だとかいう馬鹿が現れる。 -- 名無しさん (2013-07-19 10 27 54) 世は保守の名を借用したナショナリストが跋扈する時代 - 名無しさん 2016-08-05 00 23 31 デモクラシーという政治への自由も、資本主義も、一度進めばもう後戻りはできない、おそらくこのサイトのような美しい過去を偲ぶ“理想的”保守の言説が世のナショナリストやファシストを“啓蒙”しているのでしょうね。 - 名無しさん 2016-08-05 00 31 42 ↑ずいぶんな言い様ですね?マルクスとかいう女のヒモが書いた破綻した経済論や国家論(あらゆる政治経済学者に論破されてるが)を未だに宗教のように盲信し自分たちを認めないものは全て愚民扱いする人達の方が余程共同体にとっては害悪ですが?挙げ句の果てに科学の発展と経済のグローバル化による貧富の差で再び科学的な世界共産革命が起きるですかw(失笑)哀れな・・・実際はトランプ氏やルペン氏に見られるように反融和反平等主義に文化・人種・経済保守主義が台頭しており地球主義的革新左派には厳しい時代になってますねw(爆) - 名無しさん 2018-02-01 22 56 24
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constitutionalism ODE [mass noun] constitutional government ・adherence to a constitutional system of government (翻訳) 国制に基づく統治 ・特定の統治に関する規約体系を堅持すること ※残念ながら、 Britannica Concise Encyclopedia には constitutionalism の項目がないため、英文wikipedia(2013.8.17時点)で代用する。 ※注釈:以下の文章にある、①記述的(descriptive)とは、物事のあるがままの状態を客観的に記述すること、また、②規範的(prescriptive)とは、物事の当否を主観的に判別すること、をそれぞれ言い表わす説明の方法であり、おおむね、①記述的(descriptive)部分が概念(concept ~とは何か)の説明、②規範的(prescriptive)部分が理念ないし概念構想(conception ~はどうあるべきか)の説明に該当する。 なお、①記述的(descriptive)とは外的視点(非構成員)によって観測されるものであり、②規範的(prescriptive)とは内的視点(構成員)によって遵守されるものである(H.L.A.ハートの法体系参照)→後述するように以下の英文wikipediaの説明は、ハートやJ.L.オースティンといった日常言語学派(第二次大戦後のイギリスで隆盛した分析哲学の一派)の思考パラダイムに基づいている。 constitutionalism 英文wikipedia Constitutionalism, in its most general meaning, is "a complex of ideas, attitudes, and patterns of behavior elaborating the principle that the authority of government derives from and is limited by a body of fundamental law".A political organization is constitutional to the extent that it "contain[s] institutionalized mechanisms of power control for the protection of the interests and liberties of the citizenry, including those that may be in the minority".As described by political scientist and constitutional scholar David Fellman △ Constitutionalism is descriptive of a complicated concept, deeply imbedded in historical experience, which subjects the officials who exercise governmental powers to the limitations of a higher law.Constitutionalism proclaims the desirability of the rule of law as opposed to rule by the arbitrary judgment or mere fiat of public officials…. Throughout the literature dealing with modern public law and the foundations of statecraft the central element of the concept of constitutionalism is that in political society government officials are not free to do anything they please in any manner they choose; they are bound to observe both the limitations on power and the procedures which are set out in the supreme, constitutional law of the community.It may therefore be said that the touchstone of constitutionalism is the concept of limited government under a higher law. UsageConstitutionalism has prescriptive and descriptive uses. Law professor Gerhard Casper captured this aspect of the term in noting that "Constitutionalism has both descriptive and prescriptive connotations.Used descriptively, it refers chiefly to the historical struggle for constitutional recognition of the people s right to consent and certain other rights, freedoms, and privileges….Used prescriptively … its meaning incorporates those features of government seen as the essential elements of the … Constitution." (1) DescriptiveOne example of constitutionalism s descriptive use is law professor Bernard Schwartz s 5 volume compilation of sources seeking to trace the origins of the U.S. Bill of Rights.Beginning with English antecedents going back to the Magna Carta (1215), Schwartz explores the presence and development of ideas of individual freedoms and privileges through colonial charters and legal understandings.Then, in carrying the story forward, he identifies revolutionary declarations and constitutions, documents and judicial decisions of the Confederation period and the formation of the federal Constitution.Finally, he turns to the debates over the federal Constitution s ratification that ultimately provided mounting pressure for a federal bill of rights. While hardly presenting a "straight-line," the account illustrates the historical struggle to recognize and enshrine constitutional rights and principles in a constitutional order. (2) PrescriptiveIn contrast to describing what constitutions are, a prescriptive approach addresses what a constitution should be.As presented by Canadian philosopher Wil Waluchow, constitutionalism embodies "the idea … that government can and should be legally limited in its powers, and that its authority depends on its observing these limitations.This idea brings with it a host of vexing questions of interest not only to legal scholars, but to anyone keen to explore the legal and philosophical foundations of the state."One example of this prescriptive approach was the project of the National Municipal League to develop a model state constitution. (3) Authority of governmentWhether reflecting a descriptive or prescriptive focus, treatments of the concept of constitutionalism all deal with the legitimacy of government. One recent assessment of American constitutionalism, for example, notes that the idea of constitutionalism serves to define what it is that "grants and guides the legitimate exercise of government authority."Similarly, historian Gordon S. Wood described this American constitutionalism as "advanced thinking" on the nature of constitutions in which the constitution was conceived to be "a" set of fundamental rules by which even the supreme power of the state shall be governed. "Ultimately, American constitutionalism came to rest on the collective sovereignty of the people - the source that legitimized American governments. (4) Fundamental law empowering and limiting governmentOne of the most salient features of constitutionalism is that it describes and prescribes both the source and the limits of government power.William H. Hamilton has captured this dual aspect by noting that constitutionalism "is the name given to the trust which men repose in the power of words engrossed on parchment to keep a government in order."(omission) (翻訳) 立憲主義とは、その最も一般的な意味では、「統治の権威(ないし根拠)(the authority of government)は、特定の一まとまりの基本法(a body of fundamental law)から派生し、且つ、それによって限定される、という原則を、精一杯入念に作り上げている、諸アイディア・諸態度そして諸行動パターンの複雑な集まり」のことである。ある政治機構が、「一般市民の諸利益と諸自由を、(専ら)少数者のものであるかも知れないものをも含めて、保護するための制度化された権力制御メカニズムを備えている」といえる場合、(その政治機構は)立憲的である。政治科学者であり憲法学者であるデイヴィッド・フェルマンの説明によれば、 △ 立憲主義は、統治権力を行使する政府当局は特定の高次の法による制限に服する、という、歴史的経験が深く埋め込まれている、複雑に入り組んだ厄介な概念として記述される。立憲主義は、法の支配(the rule of law)を、政府当局による恣意的な判定や単なる勝手な命令による支配とは正反対のものであり、望ましいものである、と公然と宣明(proclaim)している。近代的な公法や治世術の基礎を取り扱うあらゆる諸文献を通して見て、立憲主義の概念の中心的要素とは、政治社会において政府当局者(government officials)は、その選択する要求を、どのような態様であれ、無制限に実行できる訳ではなく、その共同体における至上の実質憲法(=国制)(the supreme constitutional law of the community)によって予め定められている権力の諸制限および諸手続きの両方を遵守することを義務付けられている、ということである。そのため、立憲主義の試金石は、特定の高次の法の下にある制限された統治(limited government under a higher law)という概念にある、と云われている。 使用法立憲主義(という用語)には、記述的用法と規範的用法とがある(※注釈)。法学教授ガーハード・キャスパーは、この言葉のこうした側面を以下のように捉えている。「立憲主義には記述的と規範的の両方の含意がある。記述的に使用される場合、それは主に、人々の「同意」権や特定の他の諸権利・諸自由・諸特権に関する憲法的認定(constitutional recognition)についての歴史的葛藤のことを指している。規範的に使用される場合・・・その意味には、××憲法典(the ・・・ Constitution)の本質的諸要素と考えられている、統治のそうした諸特徴(those features of government)が組み込まれている。」 (1) 記述的(用法)立憲主義(という用語)の記述的使用例の一つは、法学教授バーナード・シュワルツによるアメリカ合衆国憲法の権利章典(the U. S. Bill of Rights)の諸起源を追跡した5巻の資料編著作集である。マグナ・カルタ(1215年)に遡る英国の先行事例を始まりとして、シュワルツは、個人的諸自由と諸特権のアイディアの発生と発達を、植民諸憲章および法的諸合意を通過点として探索している。そして、そうした物語を推挙するに当たって、彼は、連合期(※注釈:アメリカ独立13邦間に結ばれた連合規約により、1781-89迄存在したアメリカ国家連合の期間。アメリカ合衆国憲法の発効により消滅)の諸革命宣言・諸憲法典・諸文書・司法的諸決定、さらに連邦憲法典(※注釈:1787年起草、88年6月批准、89年3月4日施行のアメリカ合衆国憲法)の成立過程を見定めている。最後に、彼は連邦憲法典の批准に関する諸討論に注意を向けているが、そこでは最終的に連邦(憲法典)に対して権利章典(を追加すること)を要求する高いプレッシャーが懸っていた。「一直線」の説明を提示することは非常に困難ではあるが、こうした説明は、国制秩序に関する憲法的諸権利・諸原理の認知と神聖化に対する歴史的苦闘に、生き生きとした描写を与えてくれる。 (2) 規範的(用法)constitution(憲法ないし国制) とは何か、という記述(的アプローチ)とは対照的に、規範的アプローチでは、constitution はどうあるべきか、が述べられる。カナダ人哲学者ウィル・ワルチャウの提案によれば、立憲主義(という用語)は、「政府(government)は、その権力が法的に制限可能であると同時に(その権力は)制限を受けるべきであり、そして、その権威は政府がそうした諸制限を遵守することに懸っている・・・というアイディア」を表現したものである、という。この(立憲主義という)アイディアは、法学者達のみならず、国家(state)の法的また哲学的基礎の探索に強い関心を持つ全ての者に対して、その関心に対する数知れぬ苛立たしい疑問をもたらしてしまう。この規範的アプローチの一例は、あるモデル国家の憲法典を作成しようとしたナショナル自治体リーグ・プロジェクトであった。 (3) 統治の権威(ないし根拠)記述的あるいは規範的焦点をどう思案するのであれ、立憲主義の概念の取扱いは、すべて統治の正統性(the legitimacy of government)に関するものである。例えば、アメリカ立憲主義に関する最近の評価の一つは、立憲主義のアイディアは「政府当局の正統な実力行使に承認を与え且つ指針を与える」ものの定義に役立っている、ということである。同様に、歴史家ゴードン・S・ウッドは、こうしたアメリカ立憲主義を、constitutions(憲法ないし国制) の性質に関する「先進的な思想」であって、(そこでは)constitution は国家の最高権力でさえも舵取りされるべき根本的諸ルールの特定の一セットとして受胎されたものである、と説明している。最終的に、アメリカ立憲主義は、人々の集合的至高性(the collective sovereignty of the people)-アメリカ政府諸機関に正統性を付与する源-に到達して終わる。 (4) 統治機関に授権し且つそれを制限する根本法立憲主義(という用語)の最も顕著な特徴の一つは、政府権限(government power)の源であり同時に制限であるものを、①記述する(describe)とともに②規約化する(prescribe)ことである。ウィリアム・H・ハミルトンは、この二重の側面を、立憲主義とは「政府が正常に機能することを目的として、人々が羊皮紙に書かれた正式な言葉の効力に信認を置くこと、に対して与えられた名称である」と表現することで把握している(※補注)。(以下省略) ※補注:このように、英文wikipediaは、「立憲主義とは、憲法典(という公的に宣明された法文書)の効力に対して人々が信認を与える、という一種の言語行為(speech act)を意味する用語である」ことを印象的に指摘している。 げんご-こうい【言語行為】 広辞苑 J.L.オースティンが提起した言語哲学上の概念命令・約束・依頼などに見られるように、事実の描写ではなく、言葉を発することが同時に行為の遂行でもあるような言語の働きを指す。発話行為。 げんごこういろん【言語行為論】speech act theory 日本語版ブリタニカ イギリスの哲学者J.L.オースティンによって提唱され、J.R.サールらによって展開された言語論。従来の言語論が命題の真偽を主として問題にしてきたのに対し、文の発話は同時に行為の遂行となっていると指摘した。たとえば「約束する」と発話することは、すなわち「約束」という行為を行うことにほかならない。このように何かを語ることによって執行される行為を「発話内行為」という。 ★ポイント★ 立憲主義の最も顕著な特徴は、 (1) それが何等かの絶対的な真理を意味するものでもなければ、 (2) 単なる一個人の価値観の表明に過ぎないものでもなくて、 (3) 特定の共同体に所属する人々の暗黙の了解によって継続的に遂行されている、統治に関する①社会的事実の記述(description)であり、且つ、②規範(prescription)である慣行(practice)に対して付けられた名称である、ということである(この点に関して詳細な説明は、落合仁司『保守主義の社会理論』内容紹介参照)。 ⇒以下に、日本の代表的な憲法学者の立憲主義に関する論説を列挙していくが、それらが、 1 立憲主義を (1) 何らかの絶対的な真理を含意するもの(価値絶対主義→自然法論に基づく大陸法系のパラダイム)ないし として説明する段階に留まっているのか (2) 特定の価値観を表明するに過ぎないもの(価値相対主義→ケルゼン型の法実証主義パラダイム) 2 それとも (3) 英米圏で第二次大戦後に急速に発展した(言語行為論を含む)分析哲学に基づく新しい法学パラダイム(ハートの法=社会的ルール説) を踏まえたうえで「立憲主義」を論じる段階に到達しているのか の区別に留意して読み解いていくと良い。 ※結論から先にいうと、阪本昌成(リベラル右派)および長谷部恭男(リベラル左派)以外の憲法学者は全て、(1)自然法論に基づく古い大陸法系の法学パラダイムの段階に留まっている。
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ナオキ淫主主義土方労働者党(なおきいんしゅしゅぎどかたろうどうしゃとう)は、日本淫主主義国の性党。 - ... 日淫国の性党ナオキ淫主主義土方労働者党画像 総統 アドルFoo↑・冷エテラー 副総統 ルドルファッ!?・ヘスゥゥゥ… 幹事長 ファッ!?ルマン・ゲイリング 成立 〇〇年〇月〇日 前身性党 土方労働者党 性治的思想・立場 党史 - 党史 政策 - 政策 役職 - 役職 現在 役職 氏名 備考 総統 アドルFoo↑・冷エテラー 副総統 ルドルファッ!?・ヘスゥゥゥ… 幹事長 ファッ!?ルマン・ゲイリング 内務部長 ハ淫リヒ・ヒムラムラー 党官房長 イワマルティン・ボケェマン 外務部長 ヨガリヒム・リッベンドバーップ 国防部長 カあぁ^〜ル・糞ガ出ーニッツ 財務部長 ルートヴォエ!・イチージク 宣伝部長 Yo!ゼフ・キチゲェッベルス 突撃♂隊幕僚長 エルんにゃぴ・レイプ 淫衛隊長官 ハ淫リヒ・ヒムラムラー 歴代 歴代(党首) 代 (党首) 在任期間 初 〇〇年〇月〇日〜〇月〇日 歴代役職 (党首) (副党首) 党勢の推移 - 党勢の推移 選挙 当選/候補者 改選 定数 議席率 備考 (結党時) / /
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*ようこそ 本ページはPC版での閲覧を前提として記載されています、ご注意下さい。 閲覧者 本日 - 人総合 - +10549(旧ページ)人 目次 ソビエト共産主義共和国連邦 -国家広報部 -国名 -地理 -国民 -政治 -行政 -立法 -イデオロギー -司法裁判 -地方行政 -外交関係 -経済 -文化 -連邦革命軍 ソビエト共産主義共和国連邦(Union of Soviet Communist Republics)は、中東に位置し、メソポタミア及びレバント地域からなる社会主義連邦国家である。公式にソビエト社会主義共和国連邦の後継を宣言しており、新ソ連邦とも呼ばれる。現在の指導者は空席。新ソ連は連邦制国家であり、その領土は8の共和国と連邦の直轄域(Union direct control region)で構成される。領土の大半を広大な砂漠が占め、河川の沿岸のわずかな地域とオアシス近辺に人口の過半が居住する。また統一歴140年代に起きたレグルス戦争末期の限定核戦争とBC兵器の大量使用によって国土の大半が汚染されており、人口の殆どがDNA的に損傷を受けた結果として放射線に対する高度な抵抗力など現生人類と異なる性質を示すことで知られる。近年復興を成し遂げ経済成長を続けている。 ソビエト共産主義共和国連邦Union of Soviet Communist Republics 国旗 国章 国歌インターナショナル 国家スローガン民主平等連帯 公用語 アラビア語 首都 新バビロン 政府 救国委員会委員長 空席 中央評議会議院議長 空席 人民大統領 マクシミリアン・ヴェーラー 人口 総計 6792万 成立 アッシリア労兵ソビエト救国政府 統一歴150年 ソビエト共産主義共和国連邦 統一歴151年 国教 なし 中の人 yamato 国名 アラビア語表記の正式名称は「اتحاد الجمهوريات الشيوعية السوفيتية」。 通称はالإتحاد السوفييتي。略称はアルファベットでSCRU。 日本語表記ではソビエト共産主義共和国連邦が用いられる。通称は1922年に成立したソビエト社会主義共和国連邦と区別するため頭に新を付けた新ソビエト連邦(「ソビエト」は「蘇維埃」、「ソヴィエト」とも)。略称は新ソ連邦、新ソ連、または単にソビエトやソヴィエトともする。漢字では新蘇聯邦、新蘇聯などと表記され、蘇と略される。「ソビエト」(露 Совет)は「評議会」の意味を持つ。国名については連邦法中に「本連邦の名称は過去に存在した前衛的社会主義の実験国家の遺志の継承としてソビエト共産主義共和国連邦と定める」としている。また法令での新ソ連の呼称は正式名称である「ソビエト共産主義共和国連邦」の他、「本連邦」「我が連邦」などの表記が混在する。 ソビエト共産主義共和国連邦は、国名に固有名詞(地名)を含まない世界でも希有な例であるが、連邦を構成する各共和国の国名には「アッシリア労兵ソビエト連邦共和国」など地名が含まれている。 国際規格(ISO)では3文字略号をSOC、2文字略号をSCと規定している。 また諸外国では旧ソ連と区別するためにこの地域に以前存在したレグルス帝国の系列と捉え「赤化レグルス」や、前身である「アッシリア」と呼ばれることも多い。 レグルスという呼称 新ソ連は先に述べた通り固有名詞を含まない国名であり、固有名詞として新ソ連の領域を指す際はマシュリク、またはレグルスと呼ぶ。マシュリクは「日が昇る所」を意味する言葉である。 レグルスという呼称について説明する為には古く古代メソポタミア時代まで遡る必要がある。現在に残されている数少ない資料によればこの地域に初めて成立した統一国家が獅子の王国を冠していたと考えられている。幾度かの崩壊と再統一を経て「獅子の王国」と古代ギリシャが互いを再発見した際にギリシア人がこの国を「レグルス」と呼んだのがその初出と考えられている。しかしその後ローマ帝国の征服以後にかけて肥沃な土地を有し交通の要衝でこの地域は大国の征服に遭い続けた。ローマの征服から約2000年ほどの間レグルスの名を冠する統一国家は現れずその名は歴史的用語としての意味しか持たなかった。近代になって2度の世界大戦が勃発した頃この地域でもナショナリズムの高揚と民族運動が発生した。この時の統一国家のスローガンこそが「レグルス国家の復活」であり、その後の一連の時間を経て統一国家としてのレグルスが成立した事でレグルスはこの地域一帯を指す言葉になった。 ◯政治・経済 国内経済 良 ---■--- 不 改善傾向 国民幸福度 高 ---■--- 低 改善傾向 体制への不信感 高 ----■-- 低 低い 国防に対する意識 高 -■----- 低 特に変わらず ※2月20日現在 ◯各地域への興味・関心度 地域 関心ゲージ コメント アルプス以北欧州 高 ----■-- 低 外交関係が過度に複雑なため、関心度は低い 地中海 高 -■----- 低 歴史的な敵対国が多数存在するため関心度は高い ロシア 高 --■---- 低 友好国が多く存在するため、関心度は高い 北米 高 ----■-- 低 特に関係国が無いため、関心度は低い 南米 高 ----■-- 低 特に関係国が無いため、関心度は低い アジア 高 -----■- 低 特に動きが無いため、関心は低い オセアニア 高 -----■- 低 特に動きが無いため、関心は低い アフリカ 高 -----■- 低 特に動きが無いため、関心は低い ※2月20日現在 地理 新ソ連の領土は中東地域のアラビア半島の付け根、シリア地域とチグリス・ユーフラテス川流域とキプロス島に代表される周辺島嶼に領土を持つ。 東西南北に陸続きの国境を持つが、特に東と北の国境は広く、いずれも山岳地帯である。北にアナトリア諸侯、西にハウィクルタフ第三十二王朝、南にアラビア連合帝国、東にイラン、キプロス島で帝政シェラルド、パレスチナで十字国ととそれぞれ国境を接する。 西洋世界とアジア世界の交差点に位置し、殆どの場合アジアに分類されるが、欧州に含まれることもある。 山岳はクルディスタン地域のザグロス山脈やシリア地域のアンチレバノン山脈に代表され、最高地点はザグロス山脈のシェーハ・ダー山の3,611 mに達する。 河川としては世界でも有数の大河川である外来河川のチグリス・ユーフラテス川を有する他、バラダ川やヨルダン川などの内陸河川も持つ。これらの河川はオアシスと合わさって乾燥地帯の貴重な水資源となっている。チグリス・ユーフラテス川では水害が多発していたがダムの造成によって数・規模共に減少傾向にある。またこの二河川の下流では複数の湖沼や湿地帯が存在する。またこれらの河川は水や肥沃な土と共に塩分も多量にもたらすことで知られておりこの地域での農業の主要な妨害要因になっていたが、近年では脱塩された海水を大量に使った大規模な灌漑によってそれらの問題は過去のものになりつつある。 殆どの国境を陸で繋がれた典型的な大陸国家で、地政学的に考えられる大陸国家としての性質を強く持つ。 国土の殆どはアラビアプレート上にあるが部分的にアフリカ・ユーラシア・アナトリアプレートに属する地域もある。またプレートの境界が多い地域であり地震活動が活発である。また火山も国土の南西部と北部にかけて分布する。 ケッペンの気候区分では国土の7割が砂漠性気候(BW)に分類され、更に1割はステップ気候(BS)に分類されるなど国全体で乾燥した気候が広がっている。砂漠性気候の常として寒暖差が激しい。植生に乏しいこれらの地域は土壌の保水性が極めて低いため例外的な降雨が発生すると洪水を引き起こす。クルディスタン地域や西岸の一部が地中海気候(Cs)に分類される。この安定した気候を持つ数少ない地域では乾燥地帯では見ることのできないオークの森林や果樹の栽培風景を見る事ができる。 新ソ連の生態系については未だ調査中の事が多い。レグルス帝国時代にはこれらの調査は軽んじられていた上に、大規模な環境破壊によって大きく生態系が変わっているためである。 メソポタミアの最南端にあたる沿岸では水温が適度に高くサンゴ礁が形成される。 沿ヨルダン川に位置する死海は標高-400mの地点にあり世界で最も標高の低い場所である。 代表的な都市 新バビロン 新バビロンは新ソ連政府がネフド砂漠の北端付近に建設した人工都市。政治的中心地となるべく築かれた都市で社会主義建築の聖地とも言われる。一方で人口は決して多くなく、また戦争による破壊や省庁の分散化の方針が定められた事で相対的にその地位を失いつつある。古代の都市バビロンとはほぼ何の関係もない。 ソビエト人民宮殿 翼状に広がる新バビロンの付け根にあたる部分で建設が進む超高層ビルディング。スターリン様式を採用した大規模建築で連邦議会や複数のミュージアム、地下鉄駅を含む。ジッグラト型の基礎部分とその上に聳え立つ等間隔に配置された6本の列柱を備える円柱の層が積み重なったバベルの塔を思わせる500mに達する予定の巨大なタワー部分で構成される。 現在の建築進捗は23%で基礎部分は概ね完成し、議会場などは既に使われ始めている。 モースル モースルはクルディスタン人民ソビエト共和国の首都。チグリス川が都市を南北に縦断する。ケッペンの気候区分ではステップ気候に位置する。多様な民族を含む約150万の人口を抱える。伝統的な薄手の織物モスリンで知られるほか、古代から原油が噴出するなど石油産業でも有名。 ダマスカス ダマスカスは中東ソビエト共和国の首都。400万に迫る新ソ連西部最大のダマスカス都市圏を形成する。現存する最古の都市で古代の遺跡が多く遺る。 旧総統宮殿 レグルス帝国時代に最高指導者ギース・クロムウェルが官邸として使用した建物。世界的に見ても有数の歴史主義・新古典主義建築であり、戦争による破壊の後で再建され現在は博物館になっている。 バグダッド バグダッドはメソポタミア社会主義ソビエト共和国の首都。かつてはイスラーム世界の中心として栄え、モンゴル軍やティムールによる幾度と知れない大破壊にも関わらず再建され続け、かつては中東でも最大級を誇る500万の人口を誇り名実共に新ソ連最大の都市として君臨していた。都市はレグルス戦争による核兵器の使用に代表される150年代前半の戦争による破壊で衰退傾向にあったが、それに加えて159年に発生したバグダッド自由軍反乱で行われた秩序本部による化学兵器の無差別使用によって致命的なジェノサイドが発生し人口の80〜95%が失われた事で事実上壊滅した。現在は政府主導のバグダッド計画による復興作業が盛んに行われている。 アンマン アンマンは沿ヨルダン社会主義人民ソビエト共和国の首都。レグルス帝国時代には電子機械工学の都として栄えたが、戦争によって壊滅し今では見る影もない。 クウェート クウェートはクウェート社会主義ソビエト人民共和国の首都。ペルシア湾の真珠と呼ばれる程美しい都市として知られる。風光明媚なビーチや観光産業で著名である。 キルクーク キルクークはアッシリア労兵ソビエト共和国の首都。 レメソス レメソスはキプロスソビエト共和国の首都。軍事都市としての色が強く駐屯兵へのサービスを収入源とする市民も多い。 ベイルート かつては中東のパリとも呼ばれた美しい都市だったが150年代の戦争によって瓦礫の山と化した。現在は細々と修復作業が続いている。 アレッポ アレッポは東方ソビエト共和国の首都。人口65万程度の都市だが、緊張度の高いアナトリア国境に近く軍隊への補給ハブとして機能している。 カルバラー カルバラーは一見すると何の変哲もない地方都市である。しかし帝国時代には緊急時の臨時首都として指定された歴史がある。そしてレグルス戦争の末期の本土決戦時に実際に臨時首都として扱われこの時レグルス帝国の大量の金銀が運び込まれこの都市に封印された、と言う噂がある。連邦政府はこの噂を公式に否定している。 バスラ バスラは新ソ連東の城門とも呼べる都市。帝国時代から造船業で栄え、現在も多くの船舶を製造している。軍事都市としても知られ都市から少し離れればホルムズ海峡に向けられた長距離砲を見る事ができる。 災害 新ソ連は主に砂嵐、砂漠化、洪水、環境汚染の問題を抱えている。これらの問題に関しては主に全連邦自然保護委員会・防災省・水林省が対策に当たっている。 砂漠化 過剰な水資源の利用に代表される要因によってこの地域は世界でも有数の砂漠化が進行する地域の一つである。これに対して政府は脱塩処理された海水の使用を推奨し、砂漠緑化を推進する事で対応している。 汚染 この地域はかつてレグルス帝国と呼ばれる国家が統治していたが、その体制末期のレグルス戦争で大量のNBC兵器が使用され、現在も連邦のキプロスを除くほぼ全域が汚染されている。これによってこの地域に住む人間を含む生物は何かしらの点でこれら汚染に適応している。またこの汚染のため諸外国からの入国は各国政府によって規制されている。 加えてレグルス帝国・新ソ連共に公害対策より生産拡大を是とする国家であるため工場周辺の生態系の破壊が深刻である。 国土の変遷 最も古い記録では最盛期にあった古代レグルスはメソポタミア・アッシリア・歴史的シリア・沿ヨルダンに領土を持っていた。 近代国家としてのレグルスは冷戦期の西レグルス(レグルス共和国)がキプロス・シリア・レバノン・ヨルダンに領土を持ち、東レグルス(中東人民共和国)はイラク・クウェートを領土としていた。冷戦が終わるとこの二国は統一された。 残された記録によれば東西統一後のレグルスはイスラエルに侵攻しこれを併合しているが、その直後に発生した核戦争によって崩壊したため詳細は不明である。 レグルスはその後不明な期間(失われた世紀)を経てレグルス連合帝国としておおよそ現在の新ソ連と同じ領域で成立した。その後幾度かの植民地戦争や拡張戦争を経て一時期はレグルス植民地帝国と呼ばれるまでに拡大した。この時期のレグルス帝国はインドシナ・ソマリア・中央アジアに植民地を得た他、ハタイ・ドデカネス諸島を本土に編入した。ただしこの拡大は国力に全く見合わないものであり、殆どの海外植民地をこの後放棄することになる。 インド洋戦争ではルークリア人民共和国を下し、南アジアの大半を領土としていた同国を植民地として植民地帝国に組み込んだ。 その後レグルス戦争と呼ばれる大戦でレグルス帝国はアナトリア・バルカン半島・北アフリカ・コーカサスからモスクワまでに至るロシアを占領したものの、世界各国からの攻撃に遭いレグルス帝国は降伏と解体を余儀なくされた。 レグルス帝国の解体後のレグルス地域では軍閥が台頭し衝突と淘汰が進んでいった。最終的にメソポタミア地域から勢力を拡大したアッシリア労兵ソビエト救国政府が旧レグルス帝国の中核領域のほとんどを回収し、新ソ連の現領土に至る。 係争地 新ソ連は幾つかの地域で領土問題を抱える。 北キプロス キプロス島は古くからレグルス帝国とその地域を統治する国家と不可分の領域だった。レグルス戦争の結果キプロス島はモレラ国とシェラルド国によって南北に分割された。新ソ連の前身であるアッシリア労兵ソビエト救国政府はモレラ国の内戦に乗じて南キプロスを奪還したが、北キプロスは未だシェラルド国の統治下にある。 キプロス島は新ソ連にとって地中海への出城であり、欧州諸国にとっては新ソ連を抑える蓋となる重要な地である。新ソ連は統治下にある島の南部を要塞化し連邦革命軍第8機械化擲弾兵師団を配置するなど戦力の展開に努めている。 パレスチナ パレスチナ地域は古代メソポタミア時代からこの地域を治める国と不可分の領域だった。統一歴150年代の第十一次十字軍の結果現在この地域は欧州キリスト教国の傀儡政権が支配している。新ソ連政府は公式にはパレスチナ地域が諸国の主権下にあることを認めつつも傀儡政権の存在を認めず、領土奪還の意志を隠していない。この周辺は新ソ連で最も軍事的に緊張した地帯である。 尚新ソ連政府のこの地域の呼称は一貫して「パレスチナ」、「ヨルダン西岸」であり宗教的意味合いの強いイスラエルの語は使われない。 クウェート 話題に上がることは少ないが、クウェートは新ソ連とアラビア国の係争地帯である。 その他 シリア系住民の多いアナトリア南部ハタイ県周辺やクルド人の多いクルディスタン地域、イラン南西部メソポタミア地域、ロードス島・クレタ島に代表されるエーゲ海諸島やシナイ半島が新ソ連の潜在的に抱える係争地帯として扱われる事がある。 国民 民族 新ソ連は多民族国家である。人口の7割をアラブ人が占め、2割はクルド人、残りの1割ほどがユダヤ人である。また60万人程のアッシリア人が存在するほか、近年移民としてアルファリア帝国から移ってきた日本人が連邦各地に合わせて数十万人居住する。クルド人の大半はクルディスタン人民ソビエト共和国に居住する。ユダヤ人は国内に広く居住するが、特に沿ヨルダン地域に多い。また少数民族としてギリシア人、フランス人、トルコ人、ペルシア人が数万人存在する。人口の大半は近代人工都市新バビロンなどの例外を除いてオアシス都市か河川、海岸に住む。これは国土の大半が砂漠である事に起因している。内陸人口は同様の理由で極めて希薄になっている。 言語 新ソ連に法的な公用語は存在しない。9割超が使用するアラビア語が事実上の公用語である。クルド語やヘブライ語が少数言語として存在している。 レグルス帝国時代に言語をアラビア語に統一する政策が行われ、クルド語やヘブライ語が極少数派になる要因となった。現在、民族主義団体がこれらの復古運動を進めている。クルディスタン人民ソビエト共和国政府はこれらの運動を支援する一方で、公機関がヘブライ語運動を支援する動きは見られないなど各言語ごとに対応にばらつきがあるのが現状である。 国民性 よく言えば切り替えが早い、悪く言えば変わり身が素早い事が特徴とされる。歴史的に他民族の抑圧下か強権政府の支配下に置かれてきたため支配者に従属し易く、一方で支配者が変われば簡単に忠誠の対象を変える。また個人間の関係では陽気や温厚と言われることが多いが過激化しやすいとも言われ、過去にこの地域を支配した国家がこの国民の過激さのあまり手綱を握りきれず撤退したことがある。警戒意識が強く簡単に心を許さないため付き合いが悪いと言われることがよくあるが、これは独裁政権時代に密告が推奨されたことによって造成された他人への不信感が原因で比較的最近根付いたものである。 結婚 新ソ連では一夫一妻制夫婦同姓が原則である。ただし一部の共和国では一夫多妻制や夫婦別姓を認める動きが見られる。また新ソ連政府は人口政策の一環として多産を推奨しており、四人以上の子供を産んだ家庭は表彰される。 教育 新ソ連の教育は社会主義の原則により基本無償である。義務教育は小中高の6・3・3年体制である。新ソ連の学校には短い正月休みと長い夏休みがある。学校教育は殆どアラビア語で行われる。識字率は平均約60%、更に男性については82.6%と国民一人当たりGDPから考えると非常に高い数値を示している。これは伝統的な社会主義体制が自らの体制維持と軍備の拡大のために高い識字率を求めたことに起因している。反面近年は主に女性の識字率の低下が見られるなどの問題がある。 著名な高等教育機関 ダマスカス帝国学院 新バビロン・ソビエト大学 連邦クウェート国際大学 連邦バグダット大学 連邦ベイルート大学 連邦アンマン大学 青少年・婦人団体 新ソ連には幾つかの大きな青少年団体・婦人団体が存在する。彼らの多くは政府からの支援を得ている。 自由青少年突撃隊 自由青少年突撃隊(Free Youth Sturmabteilung, FYS)は新ソ連の若年団体で、主に6〜18歳の少年少女らが幅広く所属する。社会主義精神、つまり博愛と団結の精神を教え、社会人としての市民を育成することを目的とする。突撃隊という名称は主に少年層へのインセンティブとして命名された。FYSは年齢別に大きく二つに分かれており、6〜13歳までが所属するL-FYS(Little-FYS)と14〜18歳の所属するJ-FYS(Juvenile-FYS)が存在する。L-FYSは自然との触れ合いや様々な年代の人々との交流を通して少年少女の心を伸ばし生き生きとした人格を育成する。J-FYSはより実践的な内容を取り、応急処置や砂漠との付き合い方、戦時国際法を学ぶ。FYSへの参加は理論上は任意だが殆どの学校や親にとって加盟は当然の事である。素行不良や学問の不振で除名されることは殆どない。FYSの加盟者には赤いスカーフと軍帽に似た星のあしらわれた帽子が与えられる。加えて特定の成果を挙げた参加者は勲章バッジを受け取る事ができる。 ローザ・ルクセンブルク団 ローザ・ルクセンブルク団(Rosa Luxemburg Company,RLC)は新ソ連の女性団体。女性の社会進出や権利擁護を目的とする団体である。名称は旧ドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルクから名付けられた。名称は159年にそれまでの名称の女性社会協会(Feminine Social Association,FSA)から改名された。 連邦プロレタリア戦線 連邦プロレタリア戦線(Union Proletarierat Front,UPF)は新ソ連の労働者団体。社会主義の下で全ての労働に服する人民の真に生産的な労働の構成と万人に幸福な労働環境の提供を理念にする組織である。組織体系としては労働組合の組合といった様式で、オープンショップ制の各企業・職場ごとの組合の連携合同を指導する。加盟権は労働に従事する全てのプロレタリアを2名以上包括する組織にあり、一組織中に2つ以上のUPF加盟団体があることも珍しくない。UPFはその他の団体結社と同様に政府の後援を受けているが、一方でその組織的性質から政治主流から外れたサンディカリストやアナキストが集まりやすい体質を持っており、政府と常に深い関係にあるわけではない。UPFは労働者の生活改善や信用金庫(連邦労働金庫)の運営などを行う他、独自にレジャーへの補助を提供している。例としてUPFは工場図書館やコンサート、スイミングプール、成人教育プログラム、バラエティパフォーマンス、劇場訪問、運動イベント、オペラへの補助金チケット、クルーズに焦点を当てた補助金休暇を提供する。これらは「労働意欲は人々の胃から生まれるのではなく、精神から生まれる」というUPFの下部組織WLAのスローガンにもある通り、レジャーを通した労働効率の改善という実地的な観点から実施されている。労働環境戦線(Works Environment Front)は労働環境の改善を志向するUPFの下部組織。職場を労働者にとって魅力的な物にする、つまり清潔さの向上、衛生状態の向上、適切な作業服、更衣室、ロッカー、空気の改善、工場やその他の雇用場所の騒音の低減のためにキャンペーンの実施を行っている。労働者娯楽協会(Worker's Leisure Association)はUPFの下部組織でUPF構成員、つまり全国の労働者に格安のレジャーを供給する事を理念とした組織。主に敗戦によって失業した旧帝国時代に旅行代理店やレジャー施設を運用していた人々によって編成された。WLAはWLA-shipとよばれるサハリン・セヴェリア共和国製の旅客クルーズ船を保有し、主にインド洋の島々との旅行客の輸送をおこなっている。現在WLAは「アレクセイ・ガスチェフ」と「ヴァレリー・サブリン」の2隻を保有・運用している。 ↑セーシェル諸島へ運航する「アレクセイ・ガスチェフ」 社会保障 新ソ連は自身の社会主義イデオロギーに従って重厚な社会セーフティーネットワークを構築している。最も特徴的なのは一部の高所得者を除いた全ての個人に対して人間の最低必要支出(平均的な光熱費、水道代、食費などの総合コスト)と同額の現金を支給する部分的ベーシックインカム制にある。これは経済的な必要性などから食品などの配給制が形を変えたもので、新ソ連独自の珍しい制度と言える。加えて、新ソ連では一般社会保障、つまり医療・教育など社会にとって決して欠くことの出来ない一般的な分野について多額の支出をしている。特に一定のライン以下の収入者(ほとんどの中流・下級世帯が該当する)はほぼ無料でこれらの支援を受けることが出来る。これらの社会保障ネットワークは主に政府の一般税収で賄われており、高度な累進所得税や金融取引税、相続税などの直接税によって賄われている。またこれらのシステムはソーシャルセキュリティナンバー、全ての各個人に割り当てられる番号によって管理される収入や世帯など一連の情報が紐付けられた国民番号システムにも似た構造と強く紐付けられることで機能している。新ソ連政府は失業問題についても熱心に対応している。何故なら失業は高度に経済的な問題であり、ひいては社会主義の理念そのものに関わるからである。詳しくは経済の欄を参照。また新ソ連は社会のコミュニティの構築にも熱心である。新ソ連では都市の一ブロックや各農村ごとに町内会に類似する組織が置かれ、有事の際の協力や相互関係を通した虐待などの排除を目指している。言うまでもなくこれらのシステムはコミュニティ内の不和などのデメリットも持つが、これに対して連邦は少々荒っぽく法と警察権力の力で解決を図っている。また連邦では社会コミュニケーションは模範的な市民としての不可欠な義務であると考えられている。健康新ソ連の平均寿命は約60歳と極めて低い。主な死因は栄養失調や気管性疾患になっている。乾燥した風土で感染症のリスクはあまり高くないが、反面工業汚染による死者が年々増加傾向にあるなどの問題が見られる。また発展途上国によく見られる医療の不足も深刻な問題である。 改善に向かう経済・消費財 1.0% ・安定度 -3% ・工場生産効率 -15% ・日毎の政治力 -0.05破局的な経済崩壊は数多の努力によってついに改善に向かいつつある。 政治 現在の新ソ連ではソビエト共産党による一党独裁が敷かれている。一方で現在の政権は民主化と自由化を志向しており"再構築"と呼ばれる一連の改革を実行している。 派閥 新ソ連の民主主義は貧弱だが、他の多くの民主主義国家と同様に政治的な派閥主義は存在する。中央政府が失策を重ね影響力を失うにつれて派閥は力を付け政治に影響を及ぼしている。新ソ連の政治を掌握するに当たって彼らの支持を取り付ける事は不可欠である。 革命軍 革命軍は新ソ連最大最強の暴力装置である。軍人の多くは政治に関わる事は望んでいないが、それは軍の既得権益が政治によって侵されない場合に限っている。革命軍は政府の内情のように数多のイデオロギーが渦巻いているが、軍国主義と革命的マルクス主義への支持が失われた事はない。革命軍の英雄マクシミリアン・ヴェーラー元帥は市民・軍から共に支持される連邦で最も有名な人物である。彼自身は軍に留まる事を望んでいるが、状況が望まないならば政治へと身を投じる覚悟も持ち合わせている。同様にペーター・フランク・ジャック空軍中将も革命軍の中で最も著名な人物の1人である。ヴェーラー元帥の右腕として良く知られる彼は上官ほど政治に距離を置いていない。彼の信念は鋼の暴力と決意による革命の遂行に焦点を当てており、伴う出血を許容する事ができる。 官僚派 この国で官僚は常に行政の実質的な代理人だった。政府や軍と違って誰からも顧みられる事無く、静かにその力を振るっている。セクショナリズムと組織的ナルシズムによって構成された巨大な官僚機構は機械仕掛けのヒュドラであり一度動き出せば何者も止める事はできない。官僚機構は常に指導者を抱いている訳ではないが、少なくとも近年暫くはポニーファーツ・エッケハルト連邦銀行総裁がその立場にあると言える。エッケハルトは黒縁の眼鏡の下で冷徹な思考を巡らせる典型的な官僚で、知性と合理性が困難に対する最大の武器であると信じて疑わないテクノクラート達にとって最良の人物である。 改革派 どんな権威主義体制であっても常に改革派は存在する。エルヴィン・アンドレ郵政省内務長官はその不遇なキャリアにも関わらず祖国の改革を志向する人物であり、漸進的社会主義を信奉する。改革派は安定した支持基盤を持たないが、一方で市民、軍、官僚から一定の支持を得ている。ハインツ・シューメーカー財務次官やエルリッヒ・シュパイデル中将などの人物はそれら多様な支持基盤の中でも傑出した支持者である。 秘密警察 政治派閥としての秘密警察はその目的からして曖昧であり、一説には反革命の撲滅という手段が目的と転倒しているとさえ言われる。加えて彼らは他の全ての派閥から嫌悪され常に一定の力を持ちながらも決して主流派になることが無い。ローレン・ヴェルケルはメッケルニッヒ保安本部長官が政治を掌握した後の保安本部長官としての職務を代行している人物である。彼自身は政治的野心からは程遠いが、職務と上官命令に忠実で警察組織の半分を握る人物を無視して行動することは何者にも出来ない。オズワルド・ヴェーベルスベルク秩序本部長官は新ソ連の中で最も狂信的な秩序と全体主義の徒であり、熱烈な反欧州主義・共産主義者である。彼の反欧州主義が何処から来たものなのかは定かではないが、ともかく動機がどうあれ反革命と国内の第五列を殲滅する事業にあたっては彼以上に適切な人物はいないというのが一般の評価である。アル・ザルツマン第七局長官は凡庸な公務員に過ぎないが、彼の持つ唯一の才である人を信用させるセンスは特筆に値する。 市民派 民主主義で無くても、寧ろ民主主義でないからこそ市民の支持は政権の安定性に直結する。ユーリ・トレスコウ率いる市民派は新ソ連の派閥の中で最も民衆に近い派閥であり、彼らの持つ唯一の信念は専ら自身のスローガンに表れている─「市民にパンを、祖国に平和を!」 女性政策新ソ連では女性の社会進出が積極的に行われている。これは社会主義の原則によるものであると同時に、労働人口の不足を補う意味がある。 人口 新ソ連の人口ピラミッドはピラミッド型と釣鐘型の中間の形状から30〜40代の男性人口が欠け落ちた歪な形状をしている。この欠損の主な原因はレグルス戦争と一連による災害があり、失われた世代の多くはこの時兵士として従軍した人々である。言うまでもなくこの様な人口の歪みは経済にも悪影響を及ぼしており、新ソ連の経済低迷の理由の一つになっている。加えて失われた世代は兵士として適齢期であったと同時に次世代の生産年齢としての適齢期でもあったため人口増加の見込みも低下した。このような状況を受け新ソ連ではチャウシェスク時代のルーマニアで見られたような様々な過激で強硬な人口政策がとられている。まず新ソ連では原則的に医学的・法学的な例外を除き離婚と避妊、堕胎が禁じられている。更に結婚、あるいは一定期間以上同棲関係にある男女で子供がいない人々へ課税が行われている。これらの財源は「人民の家」と呼ばれる孤児院や人口キャンペーンの予算に充てられる。またこれらの政策の結果予期される様々な不正や不法に対処するため政府は秩序本部の権限と予算規模を大幅に拡大した。 テロリズムの脅威 新ソ連で語らざるを得ない事項の一つに絶えないテロの脅威がある。新ソ連の治安機能は経済と政治の混乱のために酷く限定的でありテロリストが跳梁跋扈する温床となっている。特にアクシオンデルタ・ファランヘと黒衛軍の二つは新ソ連の中で活動する武装組織の中でも一際力を持った組織である。 アクシオンデルタ・ファランヘ アクシオンデルタ・ファランヘを参照 黒衛軍 + ... 黒衛軍(Black Guard)は新ソ連内、特にクルディスタン地域で活動する無政府主義テロ組織。著名な無政府主義指導者アンソン・レームを中心にしつつも各支部が独自に行動を起こす点で特徴的な組織である。 行政 一般 新ソ連は旧ソ連に類似する高度に縦割り化され強大化した行政・官僚組織を保持しており、この傾向の点では旧レグルス帝国と類似する。言うまでもなくその他の官僚国家と同様の長所・短所を持っており、優れた機械の様な技術卓越性と行政上の硬直が大きな特徴である。背景には社会主義国家としての必要性から大きな政府が求められた結果としての官僚制という現実性からの視点と、国民性としての理性崇拝の気風の結果としての文化的な側面からの視点の二つで説明することができる。 財政 新ソ連の財政は政府の超積極支出によって定義づけられており莫大な赤字を引き起こしている。分不相応な貧困救済政策と経済成長プログラムは健全な財政の建設を不可能にしており、多くの場合前者を犠牲にする事で成立している。 省 新ソ連の省は諸外国と同様行政組織の最大単位。他国に比べ細分化・多極化しているが、それにも関わらず内務省など一部の省は広範囲に渡って影響力を保持している。2022/02/02現在新ソ連には30の省がある。庁庁は新ソ連の行政単位の一つ。主に省の下に置かれる。部・局と一部の委員会は庁とほぼ同様の役割を持っている弁務官当局弁務官当局は新ソ連行政の例外的な単位。大統領が何らかの問題に対し対応する必要があると考えられる場合に議会の支持を得た上で設置される一時的な機関。弁務官当局には弁務官当局・高等弁務官当局・総合弁務官当局の三種類が存在し右に行くにつれ権限が強大になる反面、設置に必要な議会の賛成が1/2、2/3、4/5と大きくなる。また最小の権限しか持たない弁務官当局でさえ当該の問題については大幅な権限が認められ、高等弁務官当局では一般省庁をある程度無視した行動が可能で、総合弁務官当局になると総合弁務官は大統領に匹敵する権限を保有する事になる。 省庁一覧 + ... 人民大統領┗国家秩序本部大統領府┗バグダッド再建高等弁務官当局┗内務省 ┗連邦親衛部 ┗内務省特別調査委員部 ┗人事局 ┗共和国庁 ┗連邦直轄区行政庁 ┗住宅庁 ┗企業庁 ┗民間企業監査局 ┗国家企業局 ┗宗教庁 ┗イスラム課 ┗C教課 ┗ユダヤ課 ┗諸宗教課 ┗戸籍庁 ┗廃棄物処理庁 ┗浄水庁 ┗地下水局 ┗河川局 ┗海水局 ┗氷河局┗連邦国家安全保障省 ┗警務庁 ┗密輸取締局 ┗密航取締局 ┗薬物取締局 ┗刑務庁 ┗沿岸護衛隊 ┗難民対策庁 ┗国家保安部┗郵政省 ┗郵便庁 ┗郵便貯金庁 ┗保険庁┗財務省 ┗税務庁┗法務省┗経済省┗革命省 ┗経済改革委員会 ┗規制改革委員会┗石油省 ┗石油採掘庁 ┗ペルシア湾局 ┗メソポタミア局 ┗アッシリア局 ┗シリア局 ┗石油保管庁 ┗石油加工庁┗燃料省 ┗石油庁 ┗重油局 ┗軽油局 ┗ガソリン局 ┗天然ガス庁 ┗石炭庁 ┗合成燃料庁 ┗バイオ燃料庁 ┗アルコール庁 ┗水素庁┗重工業省 ┗自動車庁 ┗工作機械庁 ┗造船庁 ┗電子機械庁 ┗通信機械庁 ┗重機械庁 ┗鉄鋼庁 ┗工業規定庁 ┗非鉄鋼金属庁 ┗レアメタル庁 ┗化学産業庁 ┗薬品局 ┗石油工業局 ┗石炭工業局 ┗天然ガス工業局 ┗合成燃料局 ┗高分子工業局 ┗油脂工業局 ┗精密有機工業局 ┗ソーダ工業局 ┗アンモニア工業局 ┗精密無機化学局┗軽工業省 ┗食品庁 ┗繊維庁 ┗木工庁 ┗窯業庁┗電気省 ┗電化庁 ┗発電庁 ┗火力局 ┗石油課 ┗天然ガス課 ┗石炭課 ┗バイオ燃料課 ┗水力局 ┗太陽光局 ┗原子力局 ┗潮力局 ┗風力局 ┗電池庁┗商業省┗貿易省 ┗関税庁 ┗輸入庁 ┗輸出庁┗外務省 ┗極東庁 ┗インド洋庁 ┗インド庁 ┗オセアニア庁 ┗太平洋庁 ┗東南アジア庁 ┗中華庁 ┗シベリア庁 ┗北米庁 ┗中米庁 ┗南米庁 ┗アフリカ庁 ┗地中海庁 ┗欧州庁 ┗中東庁 ┗ロシア庁┗防災省 ┗地震庁 ┗火災庁 ┗干魃庁 ┗砂塵庁 ┗汚染庁 ┗気候庁 ┗竜巻課 ┗豪雨課 ┗豪雪課 ┗遭難庁 ┗戦災庁┗賭博省 ┗競馬庁 ┗競艇局 ┗競輪局 ┗カジノ庁┗水林省 ┗林業庁 ┗水産庁 ┗漁獲量管理局 ┗養殖局 ┗遠洋局 ┗沿岸局 ┗淡水局┗農業省 ┗牧畜庁 ┗ラクダ課 ┗狩猟庁 ┗穀物庁 ┗菜果庁 ┗農地開拓庁┗建設省 ┗インフラ庁 ┗住居庁 ┗ビル庁┗文化省 ┗芸術庁 ┗文学庁 ┗音楽庁 ┗映画庁┗厚生省 ┗衛生庁 ┗放射線課 ┗福祉庁 ┗労働庁 ┗体育・スポーツ庁┗教育省 ┗乳幼教育庁 ┗初等教育庁 ┗中等教育庁 ┗高等教育庁 ┗大学庁┗情報省 ┗印刷庁 ┗新聞局 ┗書籍局 ┗電波庁 ┗ラジオ局 ┗テレビ局 ┗報道庁 ┗国家広報部┗技術省 ┗特許庁 ┗原子力庁 ┗電子庁 ┗宇宙庁 ┗黎明委員会┗鉄道省 ┗弾丸鉄道計画委員会┗航空省┗運輸省 ┗自動車庁 ┗高速道路委員会 ┗軽車両庁 ┗道路庁┗船舶省 ┗海運庁 ┗河運庁 ┗港湾庁 ┗運河庁┗資源省 ┗緊急備蓄庁 ┗鉱産資源庁┗統計省 ┗メートル法推進委員会 ┗単位系統一局┗連邦革命軍 ┗革命陸軍 ┗ソビエト海洋軍 ┗赤色航空軍┗五ヶ年計画省┗全連邦自然保護委員会 国家秩序本部 国家秩序本部(SH,State order Headquarter)は新ソ連直轄地と構成共和国のテロル鎮圧と反乱分子の諜報・摘発・制圧を行う秩序維持機関。従来の治安警察組織が機能不全を起こし十分な治安活動ができていないと判断したカールハインツ・メッケルニッヒ国家保安本部長官によって創設された。 第一局 国家秩序本部第一局は秩序本部の人事及び編制を所轄する。 第二局 国家秩序本部第二局は秩序本部の総務を所轄する。 + ... + ... 秩序本部諸書類キャビネット 要求書 2022/03/07 + ... 以下の物品をバグダッドSH臨時本部まで搬送 ・S弾…2t分 ・15cm砲…20門 以上 第三局 国家秩序本部第三局は連邦内のテロルの研究及び殲滅を実施する。 第四局 国家秩序本部第四局は連邦内の一般犯罪の撲滅を実施する。 第五局 国家秩序本部第五局は連邦内の諜報活動を所轄する。 第六局 国家秩序本部第六局は連邦外の諜報活動を所轄する。 第七局 国家秩序本部第七局は連邦内の一般破壊活動の阻止及び殲滅を実施する。 第八局 国家秩序本部第八局は軍事力を用いた治安維持を行う。 + ... 第1SH武装警察師団 人員 9600名 第1警察連隊 第2警察連隊 ・第1警察大隊 ・第3警察大隊 ・第2警察大隊 ・第4警察大隊 第1砲兵連隊 ・第1軽砲兵大隊 第1オートバイ偵察大隊 第1通信大隊 第1警察装甲大隊 師団司令部 ・第1輸送航空団 沿革 第1SH武装警察師団は国家秩序本部第八局に属する師団。158年末から159年にかけて発生したバグダッド自由軍反乱で革命軍が出動を拒否したため急遽設立された経緯を持つ。所属から分かる通り警察官で編成される師団で通常の軍の師団に比べても軽装備で実力は高くない。唯一の実践経験であるバグダッド攻防戦でも都市攻撃とは言え民兵相手に大損害を負っている。 第九局 国家秩序本部第九局は国家秩序本部の財政を統括する。 強制収容所 + ... 新ソ連の強制収容所は主にメッケルニッヒ政権の後半建造・整備が進められた。政権や国家秩序本部によって反政府分子・テロリストと判断された人々や重罪人が収監された。また殆どの新ソ連内のヨーロッパ系人種は強制収容の対象になった。多くの場合囚人の刑期は無期限であり、無制限かつ無償の労働力として利用される。強制収容所では他の同一の施設で見られるように恐怖、疲労、猜疑心によって支配され従順な労働力として使用される。強制収容所は最終的なあらゆる形態の犯罪者の"根絶"を目的としている。法的に犯罪者を収容する施設と不穏分子等政治犯を収容する施設は異なるが、実態としてはどちらも大差なく運用される。 歴史 新ソ連の指導者であったカールハインツ・メッケルニッヒはその政権の中頃に多くの暗殺危機を受けパラノイアを発症した。結果としてそれは病的なまでの「不穏分子」の摘発運動に繋がり、摘発された人々を収容する施設の必要性に迫られた。結果として新ソ連の各地に強制収容所が建設された。 メッケルニッヒの死後、新ソ連では自由化と民主化が進んでいるが、国家の中で独自の地位を持つ国家秩序本部の管轄である強制収容所はブラックボックス化され光が当てられているとは言い難い。 実態 多くの強制収容所は一般に想起されるほど過酷な環境ではない。殆どの強制収容所は国家秩序本部の方針に従いその囚人の労働力を最大限に引き出す事を目標としている。過度な残虐行為はその有用性を確認できなかったため制限された。 強制収容所では報酬と囚人ヒエラルキーなどの形でそのシステムを維持している。 強制収容所で行われる労働は多くの場合単純な重労働で、鉱山労働や砂漠の緑化作業などが行われる。また新ソ連で生産される麻薬の大半は強制収容所で生産されたものである。 代表的な強制収容所 新ソ連の強制収容所の中で最も有名なのがラウダンツ強制収容所とパルミラ強制収容所である。前者は山岳に位置する犯罪者の収容所であり、後者はシリア砂漠の中央に位置する政治犯収容所である。どちらもその規模で有名である。 ラウダンツ強制収容所は新ソ連北東、クルディスタンPSRの中央ユーラシア国境付近の山岳地帯に位置する。収容所の施設は山岳に穴を開ける形で造られており、殆どの収容房は日が差し込まない。その構造から要塞と呼ばれる事がある。ここでは大規模なケシの栽培とウラン鉱山の採掘が行われている。ケシは強制収容所内部でアヘンへの精製が行われ、一部が囚人の報酬として解放され残りは密輸出に回される。ウランの採掘では放射線防御が甘くレグルス人を持ってしても危険性が高く5年以内の致死率は9割を超える。政争に敗れ監禁されていたヴェーヴェルスベルク元国家秩序本部長官がこの強制収容所の所長に左遷されたと言われる未確認情報がある。 パルミラ強制収容所は砂漠の中央に位置し、最寄のオアシスから70km離れた場所にある。ここには最も危険な政治犯が収容され、代表的な人物に無政府主義テロリズムの指導者ヨーゼフ・ドレスラーがある。この施設はかつてレグルス時代に収容所として用いられていたものを再利用したもので、レグルス戦争で破壊され放棄されていた物を修復して使用している。施設の4割はレグルス時代の物をそのまま用いている。 内務省 内務省は新ソ連最大の予算・人員規模を持つ省。宗教・地方自治・上下水道・戸籍・人事に至るまでの広大な領域について担当する。 国家安全保障省 国家安全保障省は非軍事的な領域における安全保障について担当する。警察・コーストガードに加えて難民対応が主要な役割である。また国家保安部と呼ばれる準軍事組織を保有する。単純人員では国家保安部を含むため内務省に匹敵する職員数を誇る。 国家保安部 + ... 国家保安部は国家保安本部とも呼称される連邦国家安全保障省に所属する準軍事組織であり、連邦第二の軍と呼ばれる事がある。一部の国家に見られる国家憲兵と類似する組織ではあるが、犯罪捜査に従事することはなく純軍事的な活動を行う。憲法により活動は連邦内に制限されており、治安維持や重要施設の警備、構成共和国軍の指導などに従事する。加えて国家保安部の重要な役割として連邦革命軍が何らかの理由により活動できない際の予備軍としての側面があり、特にクーデター発生時のカウンターフォースとして期待されていた。しかしその期待と反対に国家保安本部は統一歴157年末、第十一回十字軍終結直後に蜂起し政権を奪取した。 + ... シンボル治安装甲車 + ... 郵政省 郵政省は郵便・郵便貯金・簡易生命保険の三事業を中心に行う省。郵便物搬送のための専用の船舶・列車を保有する。 財務省 財務省は新ソ連の財政・徴税を担当する省庁である。高級官僚の数が内務省に次いで多い省で、良くも悪くも保守的な組織になっている。 法務省 法務省は基本法制の維持管理及び法秩序の維持を遂行する。 革命省 革命省は世界的に他に例を見ない極めて珍しい省庁。国家が成立するという革命の一段階を過ぎた為に革命が停滞する事を抑止する事を目的とした組織で、経済や規制などの現状についての改革を計画する。 石油省 石油省は新ソ連の最大の産出資源である石油を管理するための省。油田の管理などを行なっている他独自に石油の生産保管を行う。 燃料省 燃料省は国家の重要な原動力である燃料を管理する省。燃料の範囲は多岐に渡り、燃焼する物の大半について取り扱う。 重工業省 重工業省は新ソ連国内の重工業の管理と発展を司る省庁。 軽工業省 軽工業省は新ソ連国内の軽工業の管理と発展を司る省庁。 電気省 電気省は新ソ連の電力系統の管理を行う省庁。スローガンは「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」。 商業省 商業省は新ソ連国内の通商・配給を担当する省。 貿易省 貿易省は新ソ連と外国との貿易取引を管理する省。 外務省 外務省は新ソ連の外務を司る省庁。 防災省 防災省は火災・震災・水害他全ての天然災害と人災に対応する新ソ連の省。 賭博省 賭博省は競馬を始めとする国内の全ての合法的な賭博の管理と運営を行う。 水林省 水林省は新ソ連の水産業と林業の管理を行う省。水産・森林資源の保護も行う。 農業省 農業省は農業・酪農・畜産を担当し、農民を支援する省。 建設省 建設省は新ソ連の公共事業の建設部門を担当するほか、建設基準などを整備する省庁。 文化省 文化省は新ソ連の文化芸術の促進・継承・発展を担う省。特に未来主義・前衛主義芸術を推進する。 厚生省 厚生省は新ソ連の労働者の保護を行う省庁。職場の健康診断や労働時間の管理はここが行う。 教育省 教育省は新ソ連の教育の大半を実施する省。警察・軍学校などの一部の例外を除き全ての学校はここの傘下にある。 情報省 情報省は新ソ連国内の情報管制を行う省庁。 技術省 技術省は新ソ連の科学技術の発展と進歩を第一の目的とする省。 黎明委員会 + ... ERROR 鉄道省 鉄道省は新ソ連国内の鉄道の管理を行う省。 航空省 航空省は新ソ連の非軍事航空の管理の他航空機の開発を行う省。 運輸省 運輸省は新ソ連の運送、特に陸運を担当する省。 船舶省 船舶省は新ソ連の水運を管理する省庁。通常船舶に加えて、港湾・運河の管理も行う。 資源省 資源省は新ソ連の省庁の一つ。埋蔵資源の管理や有事に備えた戦略資源の備蓄を管轄する。 統計省 統計省は新ソ連のあらゆる情報の統計を管理する省。 連邦革命軍 連邦革命軍を参照 五ヶ年計画省 五カ年計画省は新ソ連の省の一つ。五カ年計画の実施を担当する。 全連邦自然保護委員会 全連邦自然保護委員会は連邦の行政管区における動植物及び自然環境の保全を担う行政組織。 治安維持 新ソ連、ひいてはレグルス帝国に至るまでこの地域を統治する国家は伝統的に警察国家であると言われる事が多い程警察組織が多く、その権限が強い。連邦国家安全保障省の下にある一般警察である警務庁やコーストガードの沿岸護衛隊、半軍事組織の国家保安部に加えて大統領直属の強大な権限と巨大な組織規模を誇る国家秩序本部など多種にわたる。 また市民の個人の武装率が極めて高い事が新ソ連の特徴である。政府は銃規制を強めようとしているが、治安の悪さやテロリストの脅威のために力ずくでの取り締まりも困難で新ソ連の抱える一つの問題となっている。刑務所は連邦国家安全保障省刑務庁が維持運営を行う。 立法 新ソ連は建国以来あらゆる左派イデオロギーのるつぼであり、過半を占めるマルクス・レーニン主義者以外にもテクノ・コミュニズム(技術発展による社会主義を目指す政治思想)やアナルコサンディカリスト(労働組合による経済を主張する無政府主義の一派閥)など多様な政治主張があった。しかし敗戦とカールハインツ・メッケルニッヒの一時的な独裁を経て多くの過激分子は勢力を後退させるか掃討され、現在は進歩的社会主義者が政治の中央を支配している。 法制 ソビエト共産主義共和国連邦憲法を最高法規としこの下に中央ソビエトの制定する中央法、各共和国ソビエトの制定する共和国法、軍の指令する軍事命令など各種法令が定められる。憲法上一般裁判所は、全ての法令や行政行為などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する違憲法令審査権を有し、全ソビエト司法最高裁判所を終審裁判所とするが、有名無実と化している。 憲法 現行の憲法はソビエト共産主義共和国連邦憲法であり国家形態及び統治組織・作用を定義する。統一歴152年7月に制定された。軟性憲法に分類されるが今まで改正されたことはない。 ソビエト共産主義共和国連邦憲法の根底には前文にある通り「社会主義の万人の権利と平等」の意識がある。 義務 現在の新ソ連の最高法規であるソビエト共産主義共和国連邦憲章によれば新ソ連の人民には3つの義務が存在する。 1つは過去に対する義務、つまり過去の先人達が多くの血と汗と共に成し遂げた新ソ連そのものや社会主義を維持するための最大限の努力、徴兵義務である。新ソ連では良心的兵役拒否が認められていなかったが、自由化政策の一環として161年に良心的兵役拒否が認められた。兵役拒否者は代償としての労働に従事することを義務付けられる。 2つ目の義務は現在に対する義務としての今日の社会を維持増進する為の労働と納税の義務が該当する。 3つ目は未来に対する義務、抜粋によれば「将来の恒久的かつ永続的な共産主義の理想への前進」の為の義務である。これは前二つに比べるとより抽象的な表現だが、連邦政府はこれを教育の義務と解釈している。 権利 ソビエト共産主義共和国連邦憲章には多くの人民の権利についての記載がある。 「全ての人民が最低限度の文明的で文化的な生活を享受」する権利は憲章内で最も重視されている権利である。 元首 新ソ連の国家元首は一般に公選によって選ばれる連邦大統領であるとされる。稀に中央ソビエト上院議長が国家元首として扱われる事がある。また緊急事態下で一時的に設置される役職である救国委員会委員長はそれが設置されている場合において殆どの場合国家元首として扱われる。 中央ソビエト 上院 議会 下院 63名 定員 255名 63名 ソビエト共産党 250名 0名 その他 5名 ソビエト共産党-SCP(Soviet Communist Party) 進歩社会主義 党首 レオン・ピルサドツキ 新ソ連与党にして上下院共に議席を独占するヘゲモニー政党。その支配力は強力で、構成共和国、自治体でも殆どの場合与党はソビエト共産党である。強固な支配の一方で近年は内部対立が先鋭化しており、「最大綱領派」と呼ばれる教条主義者の台頭や、党の穏健化による加速主義者の離反などの問題を抱える。また現在の新ソ連は非政治家であるはずの軍人マクシミリアン・ヴェーラーが政権を握っているため党が政治に与える影響は思われるほど強くはない。 社会民主主義労働者党-SDP(Social Democratic worker's Party) 社会民主主義 党首 イワン・セヤニエフ 解放政策の一環で行われた結社自由化の中で最も早くに誕生した政党の一つ。官僚主義的な硬直化を起こした共産党を嫌った人々によって作られた。社会民主主義者やサンディカリストを支持層に含む。 急進進歩党-RPP(Radical Progress Party) 左派加速主義義 党首 シルヴ・レ・ロ 新ソ連共産党から離脱した加速主義者の政党。 自由社会主義行動-FSA(Free Socialism Action) トロツキズム 指導者 フリードリヒ・アーサー 主に学生や急進主義者を支持母体とする政党。 農民と兵士、連帯する同胞団-FS-BIS(Farmers and Soldiers, Brotherhood in Solidarity) マオイズム 党首 ユーリ・トレスコウ 農民や元兵士、貧困層に支持を受ける政治結社。 新秩序党-PNO(Party of New Order) 国家社会主義 党首 アル・ムハンマド 旧レグルス時代の泡沫政党バファス党が再結成した組織。正式名称はアラブ社会主義人民革命運動。汎アラブ主義的な全体社会主義政党であり、非常に国家主義的。カリフ制度の復活や構成共和国でのイスラームの公式化の合法化を訴える他、非公式ながら構成員の一部又は大多数は非アラブ系・非ムスリムのアラビアからの追放を公然と支持する。 仮にも社会主義政党なため即時の党の非合法化は受けなかったが、国家保安本部の監視対象に指定された。 + ... 中央ソビエト ┗上院 ┗下院 ┗両院協議会 ┗弾劾裁判委員部 イデオロギー 進歩主義 新ソ連では進歩主義が広く支持されている。現状を決して良しとせず永続的な改革を求める姿勢はその源流をトロツキズムに求めることができる。また新ソ連では保守的、懐古的なあり方が強く否定される傾向にあり、国民的な反君主主義とも関係するが、「伝統的権威」に強い敵意を感じる市民が多い。 ラディカルな進歩主義者は加速主義と呼ばれるイデオロギーを信奉しており、科学技術の発展によってのみ人類の幸福は獲得し得ると主張している。 司法裁判 構成国家ごとに独自の立法司法権限があるため連邦の司法組織の規模は国家の大きさに比べると小さい。司法最高機関は全ソビエト司法最高裁判所。 連邦政府を含む構成国行政監視を行う独自の司法警察機関「コーディアフカーク(CODIAFCAC)」、正式名称全連邦汚職及び弾圧等不法行政摘発に関する委員会(英 Committee on the detection of illegal administration such as all-federal corruption and crackdown)が存在する。この組織はあらゆる行政・立法から独立し、監査行為に関する強力な権限を持つ。 司法組織 + ... 全ソビエト司法最高裁判所 ┗共和国司法統括裁判所 ┗共和国州裁判所 ┗共和国初等裁判所 ┗連邦高等裁判所 ┗連邦州裁判所 ┗連邦初等裁判所 ┗連邦行政裁判所 ┗CODIAFCAC ┗軍事裁判所 地方行政 一般 新ソ連は名目上各構成共和国による連邦制を掲げ連邦直轄地を除いて共和国による行政が行われていることになっているが、事実上強い中央集権体制下にある。例外的に司法裁判のみ各共和国に強い決定権がある。各共和国は建前上は民主的な選挙によって選ばれた議員によって運営される共和国ソビエトを中心に運営される。しかしその建前に反して中央の意向を強く受けた与党共産党員が当選することが殆どである。ただし近年は中央政府の混乱によってこの様な建前上の民主主義を政府がコントロールできなくなり、建前上の民主主義が真性の民主主義に移り変わりつつあるという研究もある。 クルディスタンPSR クルディスタン人民ソビエト共和国はクルディスタン地域に設置された構成共和国。 東方SPR 東方ソビエト人民共和国はシリア・レバノンに設置された構成共和国。国名の東方はオリエントの事を指している。敢えてシリアという名称を採用していないのはレバノン地域の住人の反感を避ける事に加えて、アッシリアWSSRとの差別化を図る意味合いがある。 アッシリアWSSR アッシリア労兵ソビエト共和国は中部メソポタミアに設置された構成共和国。構成共和国の中では自主性が強いと評される。 中東PSR 中東人民ソビエト共和国はダマスカス都市圏を中心に構成される共和国。 キプロスSR キプロス・ソビエト共和国は南キプロスに位置する構成共和国。法律上は北キプロスも領土に含むが実効支配はしていない。 メソポタミアSSR メソポタミア社会主義ソビエト共和国はチグリス・ユーフラテス南部流域に設置された構成共和国。経済的に最も豊かな共和国である反面、反政府運動が最も強い地域でもある。 クウェートSSPR クウェート社会主義ソビエト人民共和国はクウェート地域に設置された構成共和国。 沿ヨルダンSPSR 沿ヨルダン社会主義人民ソビエト共和国はヨルダン川東岸に設置された構成共和国。かつてはヨルダン川西岸のパレスチナ地域も含んだ多民族地区だったが、150年代の十字軍でパレスチナを喪失したため現在はヨルダン民族のみで構成されている。 外交関係 反君主主義 新ソ連は国家綱領の一つとしてあらゆる世襲制権威主義の最終的な破壊と全被抑圧階級の解放を掲げている。この地域は歴史的に君主帝国主義国家によって占領抑圧され続けてきた場所で、近年でもシェラルド国を筆頭とする諸国による第十回十字軍に代表される多くの戦争行為によって被害を受け続けてきた。結果として国家的に反君主主義・共和主義であり、中でも国家に甚大な被害をもたらしてきた血統主義の西欧君主主義を忌み嫌っている。新ソ連はそのテーゼの中で君主体制を前近代の遺物と断定しており、数十年にわたる国内プロパガンダによって連邦内の君主主義者は事実上壊滅状態に追いやられている。 対自由主義協調 上記の欧州を始めとする君主制国家との対立に伴い、新ソ連は新大陸を根拠地とする自由主義陣営、所謂CELTOとの協調路線を強くしている。新ソ連外務省によれば、自由主義と社会主義はある次元では確かに対立する概念ではあるが、民主主義と基本的人権の尊重という近代国家としての基本的な価値観を共有するという点で自由主義国家は旧時代の君主制に固執する国家群と相対するにあたって協同するに値する。また新ソ連は経済的にも新大陸との結びつきを強めており、特にイットリカン民主主義国のODAを始めとする支援は新ソ連経済を語るにあたって外せないファクターである。 友好国 新ソ連は社会主義圏及び民主共和制の国家と友好的である。 敵対国 新ソ連は君主制国家と極めて敵対的である他、モレラ共和国とは長きに渡る敵対関係がある。 経済 経済状況 経済は最悪を脱し上向き傾向にある。いまだ往年の規模には及ばないが都市も復興を遂げつつあり雇用、・需要・供給の正のスパイラルが生じている。 バグダッド計画 バグダッド計画は新ソ連邦のテクノクラートによって計画された大規模な開発計画。元は戦災で破壊されたバグダッドの復旧が原型だったが、官僚の手を渡る間にバグダッド周辺地域の大規模開発計画に変貌した。 3つのプラント 3つのプラントとはそれぞれ Power Plant(発電所),Water Plant(水施設), Plantation(大農場)を指すバグダッド計画のタームである。 第一のプラント、発電所は大量に埋蔵された石油を利用する火力発電所と砂漠に降り注ぐ太陽光線を利用した太陽光発電の複合である。新ソ連の技術水準では火力発電の方が施設コストは安価ではあるが、ギガソーラーと呼ばれる巨大太陽光発電プラントと諸外国からのパネル輸入による投資誘致も計画されている。 第二のプラントである水施設は無尽蔵の海水を大量の電力で淡水化する施設である。お世辞にもコストパフォーマンスは良いとは言えないが、エネルギーあたりのコストが低く水コストの高い新ソ連では許容範囲内であると考えられている。 第三のプラント、プランテーションはバグダッド計画の最初の大目標である。水施設から供給される淡水をパイプラインで供給し砂漠の大規模な灌漑を推し進めメソポタミアを有史以来の大農地に変革させる野心的なプログラムである。この農場では都市圏、ひいては連邦全体を支える穀物や野菜を生産できるばかりか、外貨獲得に繋がる商品作物の生産や農業機械・肥料工業の刺激という副次効果も期待できるとされている。 都市計画 バグダッド計画でバグダッドの旧市街の残骸は完全に取り除かれ、長方形型のグリッドデザインが施された人工都市に再建されることになっている。マスタープランは著名な建築家{ホラーツ・エイジンガー]が作成した。 計画ではチグリス川東岸にほぼ沿う形で南東から北西へ100m幅のメインストリートが都市を縦断し、2kmおきに60m幅のサブストリートが3本直交し主要幹線道を形成する。サブストリートとチグリス川の交差は高度の高い橋で結ばれ後述の河川交通を阻害しない作りになっている。 バグダッド計画ではバグダッドをチグリス川周辺と北東南西に三分割し、南西を宅地、チグリスを工業地帯、北東を高密度政治経済地域と定義している。 公共交通機関として南西部・北東部は路面電車を運用し、チグリス川周辺では深深度複合格子地下鉄を運用する事で交通渋滞を抑止するだけでなく自動車を前提としない交通を目指している。加えてチグリス周辺の工業地帯で生産された製品の輸送には後述の鉄道だけでなくチグリス川の河川交通を使用することが提案されている。 都市北東には国際空港を建設することが提案された。 飛行場と反対側にあたる都市南西には新ソ連東部の鉄道ハブとなるバグダッド・セントラル駅が建設され、将来的には弾丸鉄道も通るものとされている。同駅はバグダッド計画で予定されている農場生産物の輸送拠点としても機能するほか、ロシアの友好国と接続する計画が提案されている。 バグダッド計画内で計画されているものの一つに自動車高速道路がある。これはメインストリートととほぼ並行に南西に1kmと少し並行移動した、チグリス川を挟んだ対岸ともいえる箇所に建設される。主として地下道路であり、工業地帯と都市外を繋ぐトラック類が使用することを目的としている。 バグダッドのエネルギー需要を満たす発電所には近郊のイスカンダリアに建設される大型石油火力発電によって賄われることになっている。イスカンダリアはバグダッド計画のバグダッドを中心に北西から伸びる流線形の開発範囲の外縁ギリギリに位置する都市で、この発電所が計画範囲の大半の電力需要を満たすことが期待されている。ここで利用される石油はバグダッド近郊の油田の原油をバグダッドで精製した物を使用する予定で、パイプラインによって供給される。 またイスカンダリアの発電所の他に予備電力として十字軍で破壊されたダムをより北に移設し再建される大型ダムの水力が利用される事になっている。 バグダッド市街の宅地にはコンクリートを主要建材とし、ガラス繊維を耐熱材に使用した安価な集合住宅の大規模な建築が行われる。外壁が熱を反射する白色に塗装されている事以外、特にプレハブ建築などの点で旧ソ連のフルシチョフカによく似通ったものである。例外的にフルシチョフカの極めて地震に脆弱な構造は取り除かれている。(ユーフラテス以北のイラクは地震多発地域) バグダッド計画では市街の緑化も焦点の一つになっている。これは建築からの反射光や道路の放射熱が強くただでさえ暑い気候が極度のヒートアイランドによって更に加熱されるという事態を避けるための目標であり、市街の中に市民向けの緑化公園を設置したり路面電車の軌道面を芝生化するなどの試みが行われる。 主要施設 バグダッドの開発計画には幾つかの巨大なプロジェクトが付属している。 第二の館と呼称される計画はイスラーム時代の知恵の館に匹敵する知の集積地を形成する事を目的とした巨大な図書館の計画である。 白磁の屋根とガラスで構築されるモダニズム様式の外観が大きな特徴だが、内部は外観と全く異なる。 第二の館にはモンゴル帝国による破壊とティムールによるバグダッドの破壊、核攻撃などの歴史を鑑みあらゆる危機から知識を保護する為の措置が施される。内部は軍事施設に匹敵するコンクリートによって造られ、通常の砲爆撃に加え熱核攻撃にすら耐えられる構造が施される。内部には独立した発電機が導入され常に一定の温度・湿度を保つ設計が施されている。洪水に対応するため館の外周には堤防が築かれている。特に重要な資料は地下深くの資料室に安置される。 経済体制 新ソ連はユーゴスラビア連邦で見られた自主管理社会主義とソビエトスタイルの古典的な計画経済の複合型経済を採っている。 自主管理社会主義では各企業で逆ピラミッド型の構造が作られる。まず各職場ごとに直接民主制によって運営される「労働基礎組織」が設置される。労働基礎組織では職場の運営の他に代表の選出が行われる。ここで選ばれた代表は各部門(工場・支部)ごとに労働基礎組織からの代表によって構成される「労働組織」の委員として活動する。労働組織では労働基礎組織と同様にセクターの運営と代表の選出が行われる。労働組織の代表は労働基礎組織の場合と同様に各代表によって構成される「連合労働組織」の委員として活動する。連合労働組織は企業(自主管理主義では労働管理企業)ごとに設置される。尚このピラミッドの中間である労働組織は労働管理企業の大きさによってはさらに複数のピラミッドを内包する場合がある。この構造で特筆するべきなのはピラミッドの下方、つまり基礎労働組織が最も強い決定権を持っているということである。つまり上部の組織はより下の組織の意向を理解・尊重し、その実現に努めなければならない。この点こそがトップダウン式の一般的な企業との差であり、明白な相違点と言える。また基礎組織では必要に応じて委員会を設置することが一般的に行われる。尚これらのプロセスの中で選出される代表は選出後も常に選出母体の意志に沿う事を義務付けられている。 また企業の運営に当たって経営者の存在は不可欠であり、労働管理企業であっても例外ではない。経営には他組織との折衝や独自の技術のために専門の人物が必要とされる。その為に労働管理企業は専門家としての経営者を常に応募している。経営者は連合労働組織によって採用され雇用された。経営は常に連合労働組織・労働組織・基礎労働組織・労働組合によって監視され、必要に応じて様々な要求やリコールを受ける。新ソ連の法制下では経営者は例外的に多くの労働者としての権利を受けることができない。但し労働組合を編成することは可能であり、UPFなどのバックアップを受けることで連合労働組織などと渡り合っている。 自主管理社会主義では労働者は従業員ではなく組織の運営の不可分なメンバーであり、組織の利益を自身の報酬と直接結びつけることができるために在来の中央集権的企業より効率的である。一方でこれら労働管理企業はその性質のために既存メンバーの利益の為に保守的になりがちであり、加えて参加メンバーの加入に批判的である。その為に旧来のソビエトスタイルの社会主義経済が機能する。 新ソ連の国家経済の半分を構成する公共労働産業は産業によって価値を創出する事と同時に労働雇用そのものを生み出す事を目的とした組織である。公共労働産業の分野は幅広く展開されているが、一般に雇用環境は社会平均よりやや悪く労働内容も過酷な肉体労働であることが多い。そのため通常は労働管理企業に労働者が流れることが多い。公共労働産業の真の役割は労働管理企業の負の側面が露出した場合に果たされる。労働管理企業がその性質のために多大な失業や産業の停滞を生み出した場合、労働者の供給や商品需要は産業法人の生み出した生産物に集中する事になる。これは公共労働産業が政府の支援を常に受けるため半ば無際限の雇用を実現可能であり、さらに倒産の危険を犯す事なく様々なイノベーションに挑むことが出来るという点から生み出されるものである。更に公共労働産業は政府、つまる所UPFとの深い関わりのために多くの労働者=一般消費者の感覚、ニーズを吸い上げることが出来るためこの点でも有利に立つ。このように労働管理企業に対して公共労働産業が有利に立ったとき、労働管理企業は自らの再建のために改革を強いられ、また新たな労働管理企業が創立されるなどの活動が行われる事で経済が再び構築されるというプロセスを通る。なお一般公務員は連合労働組織と公共労働産業のどちらにも含まれない。 天然資源 新ソ連の天然資源は一部の資源に極めて偏った分布をしている。新ソ連にはイラク・クウェートに代表される世界最大規模の石油埋蔵地が存在し、世界第三位の埋蔵量を誇る。更に天然ガスでも第10位の埋蔵量を誇り、非固体化石燃料の産出では世界トップクラスに立つ。またヨルダンとシリアで世界のリン鉱石の生産量の5%を占める。またヨルダンはカリウムの生産でも世界4%を占めるほか、ウラン鉱石の埋蔵が指摘されている。この様に石油・天然ガス・リン鉱石等一部の資源の生産では世界有数の生産・埋蔵量があるが、一方でそれ以外の天然資源の産出が殆どない。この極端な資源の産出は新ソ連の経済にとって極度に複雑な効果を与えている。 工業 新ソ連の工業は中央政府主導の計画経済で発展した。四ヶ年・五ヶ年計画で諸外国の支援のもとで油田、製鉄所、製油所、発電所など基礎的な工業インフラが整備されたが、同時にこれは計画経済の必然として幾らかの非効率性を生み出している。また新ソ連は産油国であることから極めて電気代が安価であることを活かして、近年ではアルミニウム工業の発展が著しい。原料であるボーキサイトは主にアジアから輸入されている。 消費財 経済が好調に転ずるにつれて、世界最悪と評された新ソ連の市民生活にも改善が見られつつある。自家用車は未だ都市圏でも少数だが、トイレットペーパーやペンなどの生活必需品の致命的な不足は解消され、自転車やタイプライターなどの簡単な工業製品の需要もそれに応じた企業群によって満たされ始めている。製品水準は世界標準には程遠く道のりは半ばだが、新ソ連の市民生活が世界の下層レベルから脱出する日も近いと考えられている。 貿易 わずかな国々と関係を持っている。瑞州合衆国連邦とは通商条約を締結しており主に石油を輸出し、機械類・非鉄金属鉱を輸入している。サハリン・セヴェリア共和国は造船産業の著しい減衰を経験した新ソ連の主要な船舶輸入先である。通商条約を締結しており、アルミニウムの輸出、工業製品の輸入を行なっている。ラティアンス・レフタニア技巧連合は新ソ連のボーキサイトの主要な輸入先である他、リン鉱石の輸出先である。蒼星連邦国は新ソ連のアルミニウムの主要な輸出先である。 エネルギー 新ソ連の主要なエネルギー源は世界最高クラスの埋蔵量を誇る石油・天然ガスである。特にイラク南部の油田地帯で採掘される石油は水より安価ですらあり、新ソ連のエネルギー需要が先進主要国ほど高くない事も相まって極めて安定してエネルギー資源を供給している。これらの化石燃料はパイプラインで各地の発電所に運ばれて電力となる。特にクウェートの周辺ではイットリカン民主主義国の支援によって建てられた大規模な発電施設が建築されており、都市の灯りとして、そして海水を淡水化する事で貴重な水資源の源として機能している。 ただし大規模な発電施設から各都市への送電網が破壊工作を受ける事は日常茶飯事であるため、一定規模以上の都市は資源省の指導によって一定程度の石油備蓄と自都市へ最低限の電力供給ができる発電施設の確保が義務付けられている。また火力発電以外にもチグリス川・ユーフラテス川を始めとした大河のダムを利用した水力発電や、クルディスタンの山岳での風力発電などもある。設置コストが膨大なため計画段階に過ぎないが、常時ほぼ晴天の砂漠気候を生かして巨大なソーラー発電施設を作る計画もある。また珍しい発電方法に旧レグルス時代の原子炉を使い続けている地方自治体も存在する。ただしこれらの原子炉の多くは多かれ少なかれ損傷しており安全性の問題が指摘されている。 企業 MWH MWH(Mesopotamia Workers Holdings)は新ソ連邦最大の企業連合。バグダッドに本拠地を構える。CEOはアイザック・クロムウェル。 MWH傘下のグループ企業 ピースシューター社 銃火器製造を行う。 ホライズンスカイウェイズ 航空運輸・旅客を行う。 エンドオブラインレイルウェイズ 鉄道輸送・旅客を行う。 オービットインダストリアル 宇宙開発を行う。 ゼネラル・ニュークリアス・インターナショナル 原子力関連技術の研究開発と原子力プラントの建造を行う。 ディフェンドハウステック社 シェルターの建造を行う。 テクノロジクス・エンタープライズ・インターナショナル社 ジュピターズロケットモーター 航空機、自動車、鉄道問わない内燃機関の開発製造を行う。 ガルフセキュリティカンパニー 要人や施設保護の為のリソースを供給する民間軍事会社。 ソニックトランスポーター 砂漠都市間のキャラバン輸送に由来を持つトラック輸送を手掛ける企業。 テスラ世界研究所 MWHグループ最大の研究機関。 農業 メソポタミアやシリアはかつて肥沃な土地で知られていたが、レグルス帝国時代の農業軽視や戦火によって統一歴150年の時点で農業は壊滅的状況に陥っていた。これに対し連邦政府は「あらゆる手段」を以て状況を改善することを指示した。第一次五カ年計画では農業が主要注力産業に指定された。連邦政府は汚染された地域でも育成しうる作物の種苗の提供、戦車工場のトラクター工場への転換、東アフリカ沿岸から貰って(或いは奪って)きた土の散布や開拓集団農場の組織を行った。 150年8月に施行された開拓集団農場法は農地開拓と農業機械、また生活資本の購入に補助金を与え、キブツと呼ばれるコミューンを組織する事が定めていたが158年7月に廃止され新たに農地収容法及び連邦農地再編法が布告されこれに取って代わった。 農地収容法及び連邦農地再編法は「人民と土(Volk and Soil)」ドクトリンによって支持されている。人民と土ドクトリンはウェルキッシュ・シーラッハ教授によって提唱された農業ロマンチズムと社会主義イデオロギーの複合による農業戦略であると定義される。ドクトリンは最古の職業である農民と最古の生産手段である農地の関係について最も純粋な形の労働形態であると称賛し、社会にとっての最も基礎的な生産単位としての農村を主張している。加えてシーラッハは古来の農村価値の再評価と都市から農村へのアプローチの増大を求めている。 実装では農地収容法によって全ての農地は政府の適切な判断のもと分割され農民に再分配された。加えて再編成された農業地域では農業コミューンが設置され農民の生活単位として機能している。農業コミューンには通常の農村施設に加えて政府の農業を含む指導施設や学校が含まれる。農民は一定の条件下の元で大幅に値引きされた肥料や農業機械を購入することができる一方で、政府からの農業命令を実施する必要がある。農業コミューンはすべからく市場となる都市への良好な交通インフラが確保され、生活インフラが整備されると計画されている。 これらの資源の私有とコミューンの統合という形式は前世紀の中華人民公社やコルホーズの非生産性と、それにも関わらず国家そして社会は農民に対して常に手を差し伸べるべきであるという社会主義思想のハイブリッドの結果であり、歴史が浅いためにその評価は未だ定まっていない。 食糧危機下の時限措置として新ソ連で生産された作物は全て適切なレートで買収され、市民に安価で販売されている。 ハイデル・キッシンガーを盟主とするソビエト農業同盟(SAA)は農民と行政の仲立ちをする半政府機関であり、「社会主義と農業の最良の在り方を模索し、生産的でかつ文化的な農民コミュニティの構築」を理念に掲げる組織である。SAAは全ての農業コミュニティに少なくとも1人は専門のスタッフが駐在させている。SAAは営農指導や生活指導を行う他に、流通機関、信用金庫としての役割や相互扶助組織としての役割を持つ。SAAには中央の運営を行う全連邦SAA事務局のメンバーに加え、連邦に存在する全ての農業従事者がSAAの会員として加入することが出来る他、農学者や農作物の流通に関わる者も参加できる。SAAは各地に支部を持ち支部は各農業コミュニティの民主制によって運営と保全が行われている。SAAの運営は会員の収入ごとに編制された年会費の他に政府からの補助金が与えられている。またSAAは、特にその支部において極めて土地密着型の組織であり、都市層に偏らざるを得ない地元自治体に代わって農村からの支持を得ている。またSAAの存在によって往々にして破綻しがちである集団農場的な農業コミューンが維持されている。 市民へのカロリーの供給を第一とする政府の政策により作付面積の多くを穀物や芋が占め、中でも乾燥高温に強いデュラム小麦が生産の主流になっている。主食以外では西岸の地中海沿岸ではオレンジなどの柑橘類が、また東部ではナツメヤシなどが栽培される。また全土で外貨獲得のための輸出品として綿花の栽培が行われる。クルディスタンの高地やメソポタミアの河岸近くでごく僅かにチャノキの栽培が行われる。 乾燥した新ソ連の気候では農業が困難なため全域で海水を淡水化したり、地下水を汲み上げるなどの方法で水を得て灌漑農業が行われている。 必要とする大量の飼料の関係で酪農、畜産の規模は小さい。南東部の湖畔で水牛が飼育される他全土で駱駝が飼育される。 シリア地域で肥料の原料であるリン酸塩が豊富に産出することは新ソ連の農業にとっての福音となった。多量の肥料と旧型軍用車輌を流用した農業機械の複合農法は新ソ連農業の主要な潮流である。 151年11月に連邦生化学研究所は放射線の影響で肥大化した植物の農業作物転換に成功したと報告した。 + ... ロータリー パワーハロー ディスクティラー 畝成形機 大型畝成形機 グレンドリル 真空プランター ジャイロレーキ 航空輸送 需要の少なさを最大の原因として航空網は極めて貧弱になっている。国際線は存在せず限られた国内線が運行されている。 航空機製造は部分的に軍用機の生産が行われるのみで民間機の生産は殆ど行われていない。 フラッグキャリアは官営のオリエントアエロフロート、匹敵する航空企業にホライズンスカイウェイズが存在する。 + ... Si-7 バグ Rn-1405 メーヴェ 鉄道 平らな砂漠地形が多く鉄道運行に適している。荒涼とした砂漠地域を走る鉄道のほとんどがディーゼル車であり電化区間は都市部のごくわずかな区間に限られる。軌間はほとんど標準軌を採用しているが、ごく一部の古いローカル線では旧植民地時代を思い起こさせる狭軌鉄道が見られ、また特にかつて東側だったイラク地方では広軌を採用する路線も見られる。全国民的にモータリゼーションを推し進める事ができない新ソ連では市民の長距離の足といえば鉄道である。尤も、貧困の広がる新ソ連では鉄道に乗れる市民すら珍しいもので旅客輸送は非常に限られた規模でしかない。 この地域に最初に開通した鉄道はオスマン帝国統治時代にビザンティウムからバグダッドを繋いだもので、所謂3B政策の一環として建設が行われたが、これはドイツによる大陸支配の道具としての側面が強いものだった。その後オスマン帝国は崩壊し支配者は英仏に代わったが、僅かに植民地用の軽便鉄道が敷設されたのみだった。加えてそれらも沿岸や都市を繋ぐ程度のものでしかなく、広大な砂漠のほとんどは未開の地のままだった。このような状況が改善されたのは第二次世界大戦後、俄にこの地域が東西衝突の最前線に浮上した事がきっかけだった。柔らかい脇腹である中東を守りたいソ連は多くのリソースを投資し、その一環で鉄道網の建設を行った。この時期に敷設されたの代表的な鉄道はバグダッド=バクー間を繋ぐ物で、冷戦期には地中海のボトルネックであるスエズ運河を狙える位置に展開する赤軍を物資面支えた。尚西側もこの動きに対抗して西部に投資攻勢を強めていたが、モータリゼーションの進む米国は寧ろ道路と港湾の建設を重視したため現在でも連邦の東西で主要インフラに対する市民の意識が異なっている。冷戦期が終わると晴れて真の独立国となったレグルス国は当然インフラ開発に取り組んだが、世界的なモータリゼーションは辺境たるこの地にも到来しており鉄道が顧みられることはなかった。鉄道開発が再開するのは幾度もの戦乱が過ぎレグルス帝国が建国されるまで待たなければならない。典型的な中央集権独裁国家だったレグルス帝国は首都であるダマスカスを中心に鉄道に力を注いだ。これには国力面でモータリゼーションを推し進める事ができないという事情も後押ししていた。帝国時代の開発の影響は現在も残っており今も多くの路線が帝国時代の路線を補修し流用したものである。特に大都市部の地下鉄は地下100m以上に建設されたシェルターとしての役割を持っていたためレグルス戦争末期の核爆発にも耐え車両含めて未だ現役で使われている。 黒点→都市 紅点→新バビロン 黄線→山岳線 青線→地中海線 赤線→シリア線 橙線→首都線 紫色→メソポタミア線 + ... プロドヴィガット機関列車 車両陸運 自動車は左側通行である。 自動車向け交通インフラも整っているとは言えず、アスファルトで整備された近代道路は都市部でしか見ることはできない。多くの場合車道を走るのは軍用を転用したトラックや大型サスペンションが特徴の乗合バスである。 自動車は社会の殆どを占める貧しい市民にとって手の届かない高級品であり、ごく僅かな赤い貴族が世帯で自家用車を所有している。 新ソ連政府の、特に右派に当たる重工業化推進勢力は積極的なモータリゼーションを訴えているが国力的に絵に描いた餅以上の物にはなっていない。例外的に自動車の利用が進んでいるのは連邦革命軍で、自動車化率は国力に比べるとかなり高い方になっている。 自動車庁の高速道路委員会は全国に高速道路を張り巡らせることを目的に活動している。 ラクダ 砂漠地方に適応し長期間の移動にも耐えるラクダは多くの貧しい新ソ連地方市民・農民にとっての中・長距離の足である。ラクダは砂漠の過酷な環境や砂塵の土地に耐え、ロバや馬匹には及ばないが重量物を運ぶ事が出来るため駄獣として使われる。また牝に限られるが乳は高い栄養価を持ち食品が手に入りづらい新ソ連では貴重な栄養源である。また駱駝の肉は駱駝が何らかの理由で死んだ時にのみ出回る貴重な食品ではあるが、食用に供される。 競馬 建国直後、国内に溜まった不満をそらすことを目的として整備された。この事業は時の権力者アインス・オルフェーベルの目に止まり多大な政府の支援を与えられた。競技水準はとても世界基準には及ばないが、貧しい市民にとっては数少ない娯楽として機能している。 ※重賞…重要なレースの事。G3→G2→G1と格式が上がりよりハイレベルなレースになる。 著名な競走馬 インヴィジブルフラッシュ・・156年度青銅杯・黒銀杯優勝。黒く大型な馬体で知られ、新ソ連初の二冠馬になった。 著名なレース メモリアルズ・・・ニューイヤーズメモリアル,オクトーバーメモリアルの二レースの事。 夏三冠 ・・・革命記念,人民大賞,10月革命杯の三レースのこと。 冬三冠 ・・・青銅杯,晴風杯,黒銀杯の三レースのこと。 + ... レース名 距離 コース面 開催日 G1レース ニューイヤーズメモリアル 3200m 芝 1月第1日曜日 オリエントカップ 1900m ダート 2月第2日曜日 革命記念 2000m 芝 6月第4日曜日 人民大賞 2200m 芝 7月7日 バグダッドダートダービー 2400m ダート 7月第3日曜日 サンダーボルトカップ 1200m 芝 9月第3日曜日 オクトーバメモリアル 2800m 芝 10月第2日曜日 10月革命杯 2400m 芝 11月7日 青銅杯 1800m 芝 11月第1日曜日 晴風杯 2000m 芝 11月第3日曜日 黒銀杯 1600m 芝 12月第3日曜日 ドリーマーズステークス 2400m 芝 12月第4日曜日 麻薬 新ソ連国内において、適切な管理下での医療目的を除く麻薬の使用及び生産は非合法である。一方で連邦北部、特にクルディスタン地域では政府主導のケシ栽培とアヘンの製造が行われている。栽培される種は大きく扁球形、もしくは卵形の果実を持つ小アジア種(ボスニア種とも)。この地域で製造されたアヘンは連邦政府の厳重な管理の元で主にイラン国境かクウェート港に運ばれ、民間企業の手によって海外に出荷される。輸出の大半が密輸であり、国際的にも非難されるべき行いであることには間違いないが阻止手段が存在しないのが現状である。これらが行われるようになった背景にはテロ組織がこれらで莫大な利益を上げる前に市場を制圧してしまうという目的と、簡単に莫大な利益を上げられる点が外貨の不足する連邦政府の意向に適していたことが挙げられる。 文化 祝日 新ソ連の祝日は連邦法ではなく地方自治体によって定められている。そのため地方によって祝日は異なるが、共通する祝日も多い。 新年は1月の1日から3日までを祝日と定めている。1月15日は女性革命家ローザ・ルクセンブルクを讃え女性の日と定められている。プロレタリア記念日は3月26日のパリコミューン成立を祝う日である。7月7日は宇宙の日であり市民の宇宙学への啓蒙を行う日と定められている。ロシアの日は10月革命を祝う日である。 建築 この地域の伝統的な建材は砂を固めて作られたレンガである。この材料は極めて風化しやすく、古代の遺跡があまり残らない原因の一つになっている。 近現代に入ってからは国家の指針でコンクリート建築が隆盛し無機質な建築物が建ち並ぶ独特の都市景観を形作った。 宗教 旧帝国時代、全ての宗教は弾圧されていた。特にパレスチナ地域での弾圧は徹底しており多くの歴史的宗教的価値を持つ建造物が爆破され、戦火と相まってこれらは完全に破壊された。新ソ連は望ましいものではないとしながらも宗教を黙認する方針を取ったが、数十年にわたる苛烈な弾圧と国家社会主義プロパガンダによって市民の中で宗教は政府の想定より遥かに遠いものとなっていた。現在、イスラーム教を中心として細々と再建運動が行われているがこれらの運動は連邦のメインストリームにはなっていない。 芸術 旧帝国時代、殆どの芸術分野は迫害され一方でプロパガンダの手段としての芸術は伸長した。連邦政府はこれらの検閲は行なっていないが、特に振興策を採っている訳ではない。またプロパガンダ芸術は連邦広報部などに広く受け継がれている。加えて近年では映画によるプロパガンダに注力しており、文化省に映画庁が新設されるなどの動きが見られる。 オリエンタル・アヴァンギャルド、或いは東方未来主義は新ソ連で勃興している芸術の風潮。近代の無機質な工業化と「スピード」を信奉する。 音楽 放送 新ソ連では電波による公共への放送は政府による専権事項であり、一切の民間の放送局は存在しない。実際の放送は情報省のラジオ局・テレビ局が連邦ラジオ放送局(Commonwealth Radio Broadcasting Station)と連邦テレビジョン放送局(Commonwealth Television Broadcasting Station)をそれぞれ運営し活動している。 ラジオ放送は新ソ連では比較的最近一般化したメディア媒体であり、多くの都市市民は安価なUPFの供給するラジオを使用している。UPFの供給するラジオは所謂"国民ラジオ"であり、安価である一方で政治的な要請からローカル局の受信にのみ対応し国外からの放送を受信できない(ただし国内の海賊放送は受信できてしまう為このシステムは完璧ではない)。一方地方では浸透度合いには著しい差があり党本部にその村落唯一のラジオがあるという例も少なくない。放送では主にニュースや音楽が流される他、言うまでもなくプロパガンダ放送も行われている。 テレビは都市部にごく僅かに普及している放送手段で、その普及度はラジオに比べると著しく低い。これはテレビの高額さなどの問題に加えて、受信が一部の都市でしかできない事や政府が普及に熱心でないなど様々な制約によるものである。放送内容はラジオと大差ないものである。 連邦少年少女アニメーションセンターは全連邦の小同志たちに娯楽と教育を届けるためアニメーションを制作する非営利アニメ制作法人。連邦政府の多大な支援を受け昼夜を分かたらざる作画によって今日も連邦でアニメが放映されている。小同志だけでなく大きな同志の為のアニメの制作にも定評がある。代表作は同志マオの憂鬱、それ行けトウモロコシマン、ぽる☆ぽとなど。 食 新ソ連の一人当たり一日平均摂取カロリーは2,763kcal。 主食としてホブス(平たいパン)が食べられる他、主要なエネルギー源としてデブス(ナツメヤシから作る蜜)やゲーマル(水牛の乳から作る生クリーム)がある。 この地域最古の食文化は古く古代メソポタミア文明に遡る。高度に洗練された文明を持つ彼らは多くの料理の技法が生まれた。古代メソポタミア以降は文化の十字路に位置する地理から多くの文化が融合した独特の文化育まれた。食文化においても例外ではなく、アラブ料理・イラン料理・トルコ料理などにルーツを持つ独自の料理が生まれた。レグルス時代では食文化は取るに足らないものと当局から冷遇され市民は貧相な食事を強いられたが、その中でも文化は形を変え受け継がれた。 特筆すべき点として、茶が嗜好品として広く普及していることが挙げられる。その起源は帝国時代にイランやアナトリアから密輸され闇市から広がったものとされ、政府当局もある程度なら黙認した事がきっかけとなった。現在では国民一人あたり約三年間に2kg消費し、これは世界でも有数である。 反対に酒の消費量は少ない。旧帝国時代は労働の疲労を癒すものとして広く飲まれたが、アルコール中毒患者の発生や戦後の供給途絶、低品質の密造酒が出回り健康被害が続出した事で大きく衰退した。151年に密造酒パーティーでメチルアルコールを摂取した105人が死亡した事件が大きく取り上げられると、この機に乗じた政府が密造酒撲滅運動を煽ったことで飲酒文化は壊滅した。実際には政府に飲酒まで潰すつもりは無かったのだが、先鋭化した反アルコール主義者によって飲酒が社会的悪と断定された事でこのような事態になった。現在新ソ連で酒類を飲むことは何ら違法ではないが、販売自体がごく限られ社会的にも嫌われる傾向にあるため殆ど行われない。 連邦革命軍 + ... + ... + ... 高度国防計画(Advanced National Defence protocol, AND protocol)はメッケルニッヒ政権下の新ソ連で計画された大量破壊兵器による総力戦を想定した戦争計画の総称。最も効率的な大量破壊と絶対的な国家国民の存続という攻防の二点に焦点を置いている。ANDプロトコルは核戦略と説明される事があるが、より正確にはNBC兵器を用いた総力戦の遂行に関する国家戦略というのが正しい。 背景 150年代の新ソ連は常に外敵の脅威に晒されてた。前身であるレグルス帝国に引き続き欧州での対立が生じ、実際に156年の第十一回十字軍でパレスチナ領土が奪われていた。加えて政治イデオロギー的にOFCとも対立する事が明らかであり、事実上全方位を敵性国家に囲まれていた。 この状況を踏まえ新ソ連上層部は157年テーゼ(或いは採択された157年9月を取って9月綱領)と呼ばれるドクトリンを採用した。この綱領は政府首脳部でのみ秘密裏に共有され明るみにされる事は無かった。 157年テーゼでは新ソ連の国体を保つ為には平和と総力戦という二つの状態しか取り得ず、中間は存在しないという極めて極端な国家指導指針が示された。これは新ソ連という国家が生まれて間もなく政治的に不安定であること、そして経済的にも極めて脆弱であると言うことが影響していた。この様な不安定な国家には中程度の戦争状態が継続的に続くことが致命的な影響を与えると考えられていた。そのため、新ソ連は一度行動すると決めたなら断固たる決意を持って意志を貫徹する必要があったのである。 この様に策定された157年テーゼだったが、この時の新ソ連の軍事力は極めて脆弱で総力戦を取ったとしても紛争を一挙に解決することができるかどうかには強い疑問が残った。そこで新ソ連政府は紛争に対して確実に有効な手段、つまり大量破壊兵器の運用とその戦略を決定したのである。 テンションステージ テンションステージ(Tension Stage)はANDプロトコル中の紛争脅威の階層区分。0から始まり数字が大きくなるにつれ緊張度が上がり5で最高になる。 以下に凡例を示す(カッコ内はおおよその指標) テンション0(平時) テンションステージシステムのデフォルトの状態。テンションステージの上昇は大統領、または連邦中央参謀本部が実施する。 テンション1(外交緊張) 情報収集の強化と警戒体制の上昇を意味する。新ソ連では殆どの場合このレベル。 テンション2(低強度紛争) 9月綱領体制で辛うじて許容できる規模の武力衝突の場合に発動される。全ての軍事通信が機密暗号化される。 テンション3(通常総力戦) 武力衝突が許容限界を超えた場合に布告されるレベル。9月綱領下では殆どテンション4クラス以上の総力戦を想定していたため事実上テンション2から4への移行期間になる。 テンション4(NBC総力戦) 最高度の国防体制を意味する。超戦略クラスの物を除いた全てのNBC兵器を投じ敵性勢力の可及的速やかな破壊を目指す。 テンション5(最終戦争) テンションステージシステム中の最大値。国家維持に支障をきたす、或いはきたす可能性がある(つまり敵性国家からの大規模な戦略攻撃)に発動される。テンション5では国家維持の為のあらゆる行動が承認され、全ての攻撃オプションが実施される。 157年綱領下で制定されたテンションステージシステムには当然ながら従来の低強度紛争以上総力戦未満の制限戦争に該当するステージが無く新ソ連の特異な姿勢を見ることが出来る。 最も効率的な大量破壊 最も効率的な大量破壊(MEMD)はANDプロトコルの槍に当たる領域。テンション4~5での使用を考慮した戦力群の運用整備が計画された。 MEMDは元は"全領域下の"という接頭辞が付いており、何らかの不明な理由で実装時には外されていたが、ここから分かるようにあらゆる状況での大量破壊兵器の運用について検討されていた。 戦術級MEMD 個々の通常兵器の延長として使用される戦術クラスNBC兵器の研究はANDプロトコル下の様々なMEMDのアプローチの中で最も興隆した分野だった。新ソ連革命陸海軍は仮想敵に対し数的不利を抱え、空軍は戦略空軍に傾倒していたため戦術面での不足が目立っていた為である。 戦術級MEMDの研究開発では以下のアイデアが提案され、内一部が実装された 核砲弾、ガス砲弾(主に即効性)、核地雷、核魚雷、核爆雷 戦域級MEMD 戦域級MEMDは作戦上のチョークポイント(橋梁、兵站終結点、峠)に対して使用される可能性がある核兵器を主に含む概念。 戦術級・戦略級に比べて該当種が少なく無視されることも多い。 戦略級MEMD 主に敵国家そのものに対する攻撃に用いられる兵器群。いずれも文字通りの大量破壊をもたらす兵器であるがテンション4での平常使用が想定されている。ただし、敵国家機能を消滅させかねない弾道弾搭載型核弾頭を除く。 例は以下の通り 弾道弾及び化学弾頭 遅行型化学弾(敵領土の汚染を想定した物) 潜水艦と工作員による敵地への侵入とテロリズム的B兵器散布活動 B兵器の輸送手段としての風船爆弾 クリミア・コンゴ出血熱及びエボラ出血熱ウィルス(前者は感染力、後者は致死性に優れ併用による混乱の拡大を狙った物) 超戦略級MEMD 一般的に戦略核兵器と呼ばれるもの。本来交渉するべき敵国家機能を破壊しかねない為特例で扱われる。テンション5、またはテンション3以上で大統領命令によって使用される。 絶対的な国家国民の存続 言うまでもなくANDプロトコル下においても戦争は国益に適うもので無ければならず、如何にNBC攻撃を戦略の基本にしていたとしても政府機能と国民の保護無しにそれらを行う事はできない。国家国民の絶対的継続性(Absolute Continuity of Nation and Volks, ACNV)はANDプロトコルのMEMDと双璧を成す敵性大量破壊兵器に対する防護概念である。ACNVは3つのフェイズに分割され構築される。 未然に防ぐ(Prevent) 当然ながら最も基本的な保護は敵からの攻撃をそもそも発生させない事である。第一のフェーズでは敵に攻撃の意志を生じさせない事を目的としている。 この段階では主に抑止力のプロパガンダやソフトパワーの展開、外交的アプローチによって達成される。しかしこれらの手段は未知の領域に賭ける所も多く軽視されがちな分野でもあった。 被害を局限する(Mitigate) このフェーズでは敵の攻撃開始から被害の発生までを包括する。この段階では敵の攻撃に対する能動的なアプローチと受動的なアプローチが考えられる。 能動的なアプローチとはつまり敵の攻撃を迎撃する事である。これは防空システムやカウンターフォースによる敵攻撃ユニットの沈黙の事を指す。このアプローチではMEMDと重複する部分があり、例として対空核迎撃弾や対潜水艦核弾頭などはその代表である。 受動的なアプローチは攻撃の対象を如何に保護するかに焦点が当たる。スムーズで秩序だった避難や政府システムの迅速な対応、更には予めシェルター建設やガスマスクの配布などの被害防護策を講じるなどの手段が挙げられる。これらのアプローチはいずれも平時からの準備、訓練が欠かせないため国民全体への意識の啓発も重要な課題になる。 復旧(Revival) このフェーズでは攻撃後の速やかな再建を取り扱う。この過程では攻撃後に如何に政府機能を再開し秩序を取り戻すかが鍵になる。何故ならACNVの目標は国民と国家を同時に保全する事でありどちらかが欠けてもそれはACNVの失敗だからである。 しかしながら、このフェーズを事前に想定する事は極めて困難である。何故ならNBC全面戦争は誰しもにとって未曾有であり完璧な想定が不可能だからである。その点、新ソ連はレグルス戦争で部分的とはいえこの過程を経験した事で辛うじて他国より優位に立っていた。(この点で、いざ戦争になっても自分達は再建が可能であると言う自信が9月テーゼやANDプロトコルの制定に繋がったとする意見がある。) 復旧では被害の極限と同様事前の準備が不可欠である。 総評 ANDプロトコルと一連の新ソ連政府の戦略・政策は世界的に例を見ない本格的NBC戦争への想定である。特に一度重度のNBC戦を経験した国家でこの様なプランが計画された事は極めて興味深い現象である。 しかしながら、これらの実装には困難が付き纏っている。新ソ連の国家規模からしてANDプロトコルの要求を完全に満たす事は不可能であり、部分的なものでさえ法外なコストを要求するものである。これらの殆どは費用、技術、政治など考えられる多くの面で荒唐無稽と言わざるを得ない。 ただこれ程の計画の無謀さが明らかになっても計画は続行されている。これは新ソ連内部の軍事派閥・秘密警察組織の影響力と、何よりメッケルニッヒ新ソ連長官のパラノイアが強く影響していると考えられる。 計画は2022/02/25現在続行中でありどう決着するのかは明らかでない。 革命陸軍 沿革 編成 第1装甲師団 オリエント 人員 18000名 第1装甲連隊 第1機械化擲弾兵連隊 ・第1戦車大隊 ・第1機械化擲弾兵大隊 ・第2戦車大隊 ・第2機械化擲弾兵大隊 ・第1自走砲大隊 ・第1オートバイ歩兵大隊 ・第1突撃砲大隊 第1自走砲兵連隊 ・第2自走砲大隊 ・第1観測中隊 第1装甲防空大隊 第1装甲偵察大隊 第1自走ロケット砲兵大隊 第1装甲対戦車猟兵大隊 第1工兵大隊 第1通信大隊 師団司令部 ・第1輸送航空団 沿革 第1装甲師団は革命軍の中でも最も古く精鋭の師団である。アッシリア救国政府以前から存在し、多くの革命・戦争に参加した。幾度もの攻撃と損害を受けているがその度に増強され新ソ連最大規模の師団となった。 第2装甲師団 ギルガメシュ 人員 18000名 第2装甲連隊 第2機械化擲弾兵連隊 ・第3戦車大隊 ・第3機械化擲弾兵大隊 ・第4戦車大隊 ・第4機械化擲弾兵大隊 ・第3自走砲大隊 ・第2オートバイ歩兵大隊 ・第2突撃砲大隊 第2自走砲兵連隊 ・第4自走砲大隊 ・第2観測中隊 第2装甲防空大隊 第2装甲偵察大隊 第2自走ロケット砲兵大隊 第2装甲対戦車猟兵大隊 第2工兵大隊 第2通信大隊 師団司令部 沿革 第2装甲師団は第1装甲師団とほぼ同時期に設立された師団で、第1師団と共に新ソ連の最先鋒を務める師団である。 第3装甲師団 マシュリク 人員 15000名 第3装甲連隊 第4機械化擲弾兵連隊 ・第5戦車大隊 ・第7機械化擲弾兵大隊 ・第8機械化擲弾兵大隊 第3機械化擲弾兵連隊 ・第3突撃砲大隊 ・第5機械化擲弾兵大隊 ・第6機械化擲弾兵大隊 ・第3突撃砲大隊 第3装甲偵察大隊 第5自走砲兵大隊 第3自走ロケット砲兵大隊 第3工兵大隊 第3装甲対戦車猟兵大隊 第3通信大隊 師団司令部 沿革 第3装甲師団は連邦革命軍の中で比較的若い師団である。第3装甲擲弾兵師団が改編され装甲師団となり現在はパレスチナ地域に配置されている。 第4装甲師団 サリュート 人員 15000名 第4装甲連隊 第5機械化擲弾兵連隊 ・第1重戦車大隊 ・第9機械化擲弾兵大隊 ・第2重戦車大隊 ・第10機械化擲弾兵大隊 第3自走砲兵連隊 ・第4突撃砲大隊 ・第6自走砲兵大隊 ・第3観測中隊 第4装甲偵察大隊 第4通信大隊 第4自走ロケット砲兵大隊 第4工兵大隊 第4装甲対戦車猟兵大隊 師団司令部 沿革 第四装甲師団 サリュートは連邦革命軍の保有する装甲師団。第1,2,3装甲師団が機動攻勢に重点を置いた編成であるのに対し第4装甲師団は重戦車などを配備したより防御的な師団として編成されている。 第5機械化擲弾兵師団 アッシリア 人員 12000名 第6機械化擲弾兵連隊 第7機械化擲弾兵連隊 ・第1機械化擲弾兵大隊 ・第9機械化擲弾兵大隊 ・第2機械化擲弾兵大隊 ・第10機械化擲弾兵大隊 ・第5突撃砲大隊 ・第6突撃砲大隊 第4自走砲兵連隊 ・第7自走砲兵大隊 ・第8自走砲兵大隊 ・第4観測中隊 第1銀輪偵察大隊 第5通信大隊 第5自走ロケット砲兵大隊 第5工兵大隊 第1対戦車猟兵大隊 師団司令部 第6機械化擲弾兵師団 メソポタミア 人員 12000名 第8機械化擲弾兵連隊 第9機械化擲弾兵連隊 ・第11機械化擲弾兵大隊 ・第13機械化擲弾兵大隊 ・第12機械化擲弾兵大隊 ・第14機械化擲弾兵大隊 ・第7突撃砲大隊 ・第8突撃砲大隊 第5自走砲兵連隊 ・第9自走砲兵大隊 ・第10自走砲兵大隊 ・第5観測中隊 第2銀輪偵察大隊 第6通信大隊 第6自走ロケット砲兵大隊 第6工兵大隊 第2対戦車猟兵大隊 師団司令部 第7機械化擲弾兵師団 シリア 人員 12000名 第10機械化擲弾兵連隊 第11機械化擲弾兵連隊 ・第15機械化擲弾兵大隊 ・第17機械化擲弾兵大隊 ・第16機械化擲弾兵大隊 ・第18機械化擲弾兵大隊 ・第9突撃砲大隊 ・第10突撃砲大隊 第6自走砲兵連隊 ・第11自走砲兵大隊 ・第12自走砲兵大隊 ・第6観測中隊 第3銀輪偵察大隊 第7通信大隊 第7自走ロケット砲兵大隊 第7工兵大隊 第3対戦車猟兵大隊 師団司令部 第8機械化擲弾兵師団 ヨルダン 人員 12000名 第12機械化擲弾兵連隊 第7自走砲兵連隊 ・第19機械化擲弾兵大隊 ・第13自走砲兵大隊 ・第20機械化擲弾兵大隊 ・第14自走砲兵大隊 ・第11突撃砲大隊 ・第7観測中隊 第1ヘリコプター偵察大隊 第8通信大隊 第15自走自走砲兵大隊 第6工兵大隊 第2対戦車猟兵大隊 第1重砲兵大隊 師団司令部 ・キプロス島要塞 ・任務部隊"サイクロプス" 沿革 第8機械化擲弾兵師団 ヨルダンは南キプロスに配置されている機械化歩兵師団。配置から分かるように北キプロスに存在するシェラルド帝国軍と相対しこれを撃破する事を最大の目的として編成されている。重砲兵大隊は連邦革命軍の師団の中で唯一この師団のみが保有する大隊で、21cm以上の重砲が多数配備され敵要塞を常に狙っている。また任務部隊"サイクロプス"は師団司令部直属の師団で敵後方への侵入を行うコマンド部隊である。 第9空中騎兵師団 ベドウィン 人員 15000名 第13機械化擲弾兵連隊 第14機械化擲弾兵連隊 ・第21機械化擲弾兵大隊 ・第23機械化擲弾兵大隊 ・第22機械化擲弾兵大隊 ・第24機械化擲弾兵大隊 ・第7工兵大隊 ・第8工兵大隊 ・第1攻撃ヘリコプター中隊 ・第2攻撃ヘリコプター中隊 第1空中騎兵連隊 ・第1空中騎兵大隊 ・第2空中騎兵大隊 ・第1空中砲兵大隊 ・第2空中砲兵大隊 第2ヘリコプター偵察大隊 第15自走砲兵大隊 第9工兵大隊 第1航空観測中隊 第3ヘリコプター対戦車猟兵大隊 第9通信大隊 師団司令部 沿革 第9空中騎兵師団は連邦革命軍の唯一保有するヘリコプター師団である。名称に騎兵が含まれているが、連邦革命軍では空中騎兵がヘリコプター部隊を指すため純然たる騎兵は存在しない。 第43空挺師団 スパルタクス 人員 15000名 第1降下猟兵連隊 第2降下猟兵連隊 ・第1降下猟兵大隊 ・第3降下猟兵大隊 ・第2降下猟兵大隊 ・第4降下猟兵大隊 ・第3対戦車猟兵大隊 ・第4対戦車猟兵大隊 ・第1攻撃ヘリコプター中隊 ・第2攻撃ヘリコプター中隊 第2空中騎兵連隊 ・第3空中騎兵大隊 ・第3空中砲兵大隊 第3ヘリコプター偵察大隊 第4銀輪偵察大隊 第5対戦車猟兵大隊 第1機関銃大隊 第1重迫撃砲大隊 第10通信大隊 第10工兵大隊 師団司令部 第2航空輸送団 沿革 第43空挺師団は連邦革命軍の唯一保有する空挺師団である。ヘリコプターと地上部隊による連携を重視しており第9空中騎兵師団に次いでヘリコプターの運用数が多い。 装備 銃器 + ... SvStg-145 + ... Sv61半自動小銃 (サハリン・セヴェリア国より輸入) + ... ピースシューター15 ソリフュガーエ機関拳銃 + ... ヴィルクレヒト重機関銃 + ... 主力戦車 + ... T-17 サイサリス + ... 豆戦車 + ... T-65 + ... T-21 + ... T-51 クローバー + ... 軽戦車 + ... 武装トラクター1型 + ... マルコ軽戦車 + ... 中戦車 + ... T-42 ゾネンブルーメ + ... T-32 レーヴェンツァーン + ... T-25 ジギタリス + ... 重戦車 + ... T-41 ヴィオレーテ + ... 武装トラクター2型 + ... T-32 アメリア・コミュニス + ... 超重戦車 + ... T-193 ラフレシア + ... T-333 アゲイヴ + ... 対空戦車 + ... フーゴー戦車 + ... 自走砲 + ... ラルフ軽自走砲 + ... エーミール長12cm自走砲 + ... マンクス8.8cm自走砲 + ... 7.5cm機動砲 + ... 3.7cm自走対空機関砲 + ... ニムロッド105mm自走砲 + ... ヘルムート85mm自走砲 + ... ハルバード105mm自走砲 + ... ロンディニウム15cm自走砲 + ... フリードリヒ18cm重自走砲 + ... カッセル長15cm自走砲 + ... 対空自走砲 + ... ヘルツ対空自走砲 + ... ティモ対空自走砲 + ... ペーター対空自走砲 + ... 対戦車戦闘車両 + ... マルダー駆逐戦車 + ... ヨルク軽駆逐戦車 + ... ステファン重突撃/駆逐砲 + ... マルク軽駆逐戦車 + ... ヘルベルト駆逐戦車 + ... ラディスラウス重駆逐戦車 + ... ヘニッヒ対戦車自走砲 + ... ツァハリアス駆逐戦車 + ... 装甲戦闘車両 + ... マヌエル装甲輸送車 + ... 戦闘仕様 オイゲン装甲戦闘車 + ... ブルクハルト装甲戦闘車 + ... グラップル戦闘車 + ... ヴァルチャーネスト装甲車 + ... ロケット自走砲 + ... Bera 41 カチューシャ + ... アルマイト・カチューシャ + ... T-53 リリー・カチューシャ + ... 歩兵戦闘車 + ... ヘレン装甲ハーフトラック + ... ロケット砲搭載型 アーケロン歩兵戦闘車 + ... ヨスト装甲兵員輸送車 + ... グントラム + ... 非装甲車両 + ... AWD + ... Bera 41 + ... ネームレス + ... クロウラー + ... 鉄道兵器 + ... フィリップ28cm列車砲 + ... デュポン600mm重列車砲 + ... 回転翼機 + ... Fa-21 セイウン + ... Fa-34 リョテイ + ... Fa-47 リーペンタイムス + ... Fa-194 ヘイロー + ... 輸送機 + ... Si-4 ロンドン双発輸送機 + ... 艦艇 + ... メソポタミア級重打撃支援艦 + ... ハンマール級護衛艦 + ... E兵器 + ... 閲覧規制 Please Input Password . . . . . . . . + ... ・ ・・ ・・・ 承認しました。ようこそ ##UsernameError##さん 歩兵兵器 + ... LNC(Lightweight Nuclear Cannon) + ... 核投射爆弾 + ... 自走車両 + ... ブルゲントラント核自走砲 + ... 砲台 + ... 28cm原子砲 + ... 報復兵器 V-A + ... ソビエト海洋軍 艦船接頭辞…SMF(Soviet Marine Force) 総鑑艇数 287隻 航空母艦 5隻 + ... ヴァーロウ級航空母艦 一番艦 ヴァーロウ 二番艦 オブドゥレート 三番艦 スペクタクル + ... フォーティチュード級航空母艦 一番艦 フォーティチュード 二番艦 ハーディフッド + ... 戦艦 14隻 + ... レフ・トロツキー級戦艦 一番艦 レフ・トロツキー 二番艦 アブラハム・レオン 三番艦 レフ・カーメネフ 四番艦 レオポルド・トレッペル + ... フリードリヒ・エンゲルス級高速戦艦 一番艦 フリードリヒ・エンゲルス 二番艦 チェ・ゲバラ 三番艦 ミヤモト・ケンジ 四番艦 セルゲイ・ゴルシコフ + ... ホルスト・ジンダーマン級戦艦 一番艦 ホルスト・ジンダーマン 二番艦 ミハイル・バクーニン 三番艦 ナジ・イムレ 四番艦 ラミズ・アリア + ... カール・リープクネヒト級戦艦 一番艦 カール・リープクネヒト 二番艦 ローザ・ルクセンブルク + ... 巡洋戦艦 3隻 + ... ユニオン級巡洋戦艦 一番艦 ユニオン 二番艦 ユナイト 三番艦 アニンテレプト(喪失) 四番艦 アンレッシュ + ... 巡航海防艦 5隻 + ... アルビール級巡航海防艦 + ... 駆逐艦 65隻 + ... パレスチナ級駆逐艦 同型艦 15隻 + ... ソロモン級駆逐艦 同型艦 14隻(喪失1) + ... マエストラーレ級駆逐艦 同型艦 11隻(喪失4) + ... スターリングラード級駆逐艦 同型艦 10隻(喪失5) + ... フォルゴーレ級駆逐艦 同型艦 15隻 + ... 潜水艦 200隻 + ... ⅩⅣ型潜水艦 同型艦10隻 + ... ⅩⅢ型潜水艦 同型艦 15隻 + ... Ⅻ型潜水艦 同型艦 15隻 + ... Ⅺ型潜水艦 同型艦 12隻(喪失2) + ... Ⅹ型潜水艦 同型艦 12隻(喪失2) + ... Ⅸ型潜水艦 同型艦 14隻(喪失1) + ... Ⅷ型機雷潜水艦 同型艦 15隻 + ... Ⅶ型潜水艦 同型艦 14隻(喪失1) + ... Ⅵ型潜水艦 同型艦 11隻(喪失4) + ... Ⅴ型潜水艦 同型艦 15隻 + ... Ⅳ型潜水艦 同型艦 10隻(喪失5) + ... Ⅲ型潜水艦 同型艦 10隻(喪失5) + ... Ⅱ型潜水艦 同型艦15隻 + ... Ⅰ型潜水艦 同型艦15隻 + ... ゼーヴォルフ級防空潜水艦 同型艦 15隻 + ... 沿岸砲 + ... 38cm沿岸砲 配備数 15門 サハリン・セヴェリア国より輸入 + ... 艦載機 + ... 名称 配備数 kr-35 アステロイド艦上戦闘機 440機 + ... Rn-98 シーシューター艦上攻撃機 290機 + ... To-345 カタクラフト艦上攻撃機 360機 + ... 水上機 + ... 名称 配備数 Si-7 バグ-モスキート 203機 + ... To-1205 水上爆撃機 85機 + ... 陸上機 + ... 名称 配備数 Rn-1405 メーヴェ四発長距離哨戒爆撃機 490機 + ... 戦車 + ... ツェーザリ・クニコフ超重戦車 + ... スタニスラフ・ポプラフスキー軽戦車 + ... 海兵戦闘車 + ... インゴ + ... 赤色航空軍 22,963機 名称 配備数 戦闘機 8550機 + ... To-344 フレーヴェ 1250機 + ... kr-105 85機 + ... Rn-54 エスコート 1570機 + ... kr-180 ストルク 2450機 + ... kr-182 ツインストルーク 340機 + ... To-69 戦闘爆撃機 125機 + ... To-88 フラグメント 1890機 + ... He-74 スローヴェ 840機 + ... 邀撃機 140機 + ... kr-245 グラスホッパーロケット迎撃機 140機 + ... 爆撃機 12778機 + ... RTk-33 ヘヴンズオーソリティ 300機 + ... To-449 メルダース戦略爆撃機 200機 + ... バビロン超重爆 560機 + ... To-343 ドラゴン 560機 + ... Rn-500戦略爆撃機 171機 + ... kr-33 戦術爆撃・夜間戦闘機 1105機 + ... kr-21 ヴァンパイア襲撃機 240機 + ... To-57クーレン戦術爆撃機 650機 + ... Rn-38 コンドル戦略爆撃機 180機 + ... Rn-100 戦術爆撃機 830機 + ... To-3 重襲撃機 1360機 + ... To-25 戦術爆撃機 50機 + ... Kr-415 高速爆撃機 440機 + ... Rn-9 軽爆撃機 1020機 + ... Si-7 バグ-ホーネット 570機 + ... To-4 軽対地攻撃機 4320機 + ... To-241 ヘルハウンド 3機 + ... To-521 ストレンジ 210機 + ... 雷撃機 1285機 + ... Rn-417 陸上攻撃機 330機 + ... To-41 陸上攻撃機 780機 + ... kr-41 レヒフェルト 175機 + ... 偵察機 210機 + ... kr-106 オイレ 210機 + ... 誘導弾 + ... パラジット + ... Si-7 バグ-メイフライ + ... パイソン誘導爆弾 + ... Z-1 戦略水平誘導弾 + ... 魚雷艇 + ... Rn-19 フローレンツ + ... 戦車 + ... L-4 クローメ軽戦車 + ... L-9 重戦車 + ... #endregionこのページの地図はmapchart様とcraftmap様の地図を利用しています
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こちらでは09年の平和主義国衆院選のニュース特集を掲載しています。 情報発信元 PN総合通信社 村上内閣誕生へ(09年8月) 新党民主会議の村上代表は未来栄光党、社民連合党、無所属クラブ、スポーツ新党の代表者らと党本部で会合を開き連立内閣樹立で合意した。党のポストは今後協議する。 未来栄光党、連立から離脱。新党民主会議との連立政権を模索へ(09年7月) 未来栄光党は平和自由党との連立を解消し新党民主会議との連立を模索することを発表した。未来栄光党は平和自由党とポストを巡り対立が起きており連立離脱がささやかれてきた。 改革推進党・水田改革党が新党民主会議に合流へ(09年7月) 新党民主会議、改革推進党、水田改革党3党の党代表が府内で会見し改革推進・水田改革の2党が民主会議に合流することを発表した。3党は民主労働党が解党して結成され、再合流を水面下で検討していた。事務処理等の問題から合流した後も党名は新党民主会議を利用する。 平和自由党総裁に岸本氏就任へ(09年8月) 平和自由党総裁選挙が行われ、岸本氏が山崎氏等を破り総裁に就任することが決まった。岸本氏は宇多・岸本派会長を務め、国際派として知られる。また、選挙対策委員長を岸本氏が兼任し、幹事長には岡平氏、幹事長代理に温厚なことで知られる河原氏を起用した他、国対委員長に当選3回の若手議員の猪野氏を起用した。 加藤首相、辞任へ(09年8月) 加藤首相は平和自由党の総裁を辞任すると発表した。衆院選敗北後も留任する声が強かったが最終的に辞任することを決めた。在任中は野党とも積極的に協力して景気対策に取り組むなどして、高い支持率を誇り衆院選敗北後も62%の支持率を得ていた。ただ公共事業削減や高速道路公団改革などを盛り込んだ行財政改革刷新計画が原因で地方組織と対立したことで、支持母体の反感を買った。 民主改革党、党本部売却へ(09年7月) 民主改革党は、党本部を売却すると発表した。同党の党本部は10階建てで65年に建築され耐震強度の不足や老朽化が深刻化していた。同党は衆院選敗北で本部職員の4割に当たる48人を解雇するなど財政難が深刻化している。同党は党本部の売却で10億円の売却益を見込んでいる。今後、党本部は付近のオフィスビルに移転することで調整している。 新時代創造党、知名度不足否定できず・・・(09年7月) 新時代創造党は、2議席減の1議席という結果に終わった。防衛体制の強化や愛国心教育の充実など独自色を出したが、知名度不足で埋没する結果となった。最高顧問に経済通商大臣等を歴任した三田氏を起用し知名度アップを図ったが、選挙資金の不足が影響し候補者の擁立にも苦戦した。 民主改革党、大敗。党首も落選・・・(09年7月) 民主改革党は公示前議席数の29から4議席と大敗する結果となった。当初は民主労働党基盤の地方組織を継承し今回の選挙では優位に立つのではないのかと予想されていたが、民主労働党の最大支持基盤であった平労連が民主改革党を一切支援しないことを発表し状況は変わった。党の幹部によると、その発表以来、地方組織の離反が相次いだという。とある県連では、所属する地方議員・党員の9割が離党し民主会議や水田改革党等の支持に回った。県連幹部によると「もともと民主労働党の解党を招いた民主改革党に対する不満は大きく、平労連の発表をきっかけに党への怒りが爆発した」と話している。今回の選挙により同党は党首、副幹事長、国対委員長が落選し壊滅的ダメージを受けたが、今後再生に向かうのは大変そうだ。 本田代表、代表辞任へ。後任に村上氏(09年7月) 民主会議の本田代表は代表辞任を表明した。本田代表は、民主会議の大勝で首相に就任することが有力視されていたが、選挙直前に体調を崩し入院していた。後任は村上幹事長で党内の調整が進んでいる。 衆院選、平和自由党など与党が過半数割れ(09年7月) 平和自由党、未来栄光党の与党の議席数は233と過半数の250に届かず過半数割れとなった。一方、新党民主会議は132と大躍進となったが、旧民主労働党の支持層の分散で目標としていた単独過半数獲得には届かなかった。また、民主労働党解党の原因となった民主改革党は4議席と大惨敗し、改革推進党、社民連合党、共産新党、無所属クラブは議席数を若干増やし、水田改革党は公示前議席を維持、保守の声と新時代創造党は議席減、スポーツ新党は選挙区で前職の平和自由党候補を破り党首の川野氏が返り咲いた。今後は、政権獲得に向け多数派工作が加速しそうだ
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中川八洋公式掲示板に3/24付けで記事あり。言葉づかいは相変わらず激しくてちょっとどうかとは思うが、論旨明快で参考になる。「立憲主義」を振り回す“反・立憲主義”の朝日新聞 ──「集団的自衛権」への第九条解釈変更こそ“立憲主義”http //nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/24/131147 -- 名無しさん (2014-04-03 02 23 43) 松尾光太郎氏blog記事。一記事に内容が詰め込まれすぎていて(思想の累多)とてもではないが全部理解するには行かない、という珍しい(そして貴重な)タイプ br()立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞 br()http //blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/archive/2014/02/08 -- 名無しさん (2014-04-05 03 28 05)
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更に思ふ。我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生まれ出で、生ひ立ち来った。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来った力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である。同時に、日本の歴史は、我等日本の歴史より生れ出て、日本の歴史を相嗣せる日本人によって初めて成立する。・・・求むれば即ち之を得、捨つれば即ち之を失ふ。信ずれば影向し、疑へば消散する。日本の歴史を求め、信じ、復活せしむるものは即ち我等日本人でなければならない。 平泉澄(文学博士)『國史学の骨髄』(1927年(昭和2年)8月) 戦前の我が国で、マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想の役割を担った「日本主義」解説ページ <目次> ■1.初めに ■2.日本主義とは何か◆1.辞書による説明1:「日本主義」 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 ◆8.まとめ ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ■3.近代日本の思想状況◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.初めに 明治以降~戦前の日本は「天皇制ファシズム」と呼ばれる異常な専制国家であり、特に戦前は暗黒の軍部独裁国家だったとする自虐史観は、GHQの占領期に実施されたW.G.I.P.(War Guilt Information Program,戦争贖罪洗脳計画)によって日本人に刷り込まれたものであると多くのサイトが指摘しています。 実際にW.G.I.P.という名称のプログラムが存在したか否かは別として、公職追放やGHQ焚書を通して米国の都合による一方的な情報工作が行われたことは事実でしょう。 しかし、GHQの占領期間終了から現在に至るまで、ジャーナリズム・思想・史学・法学を初めとする各分野でかくも強く自虐的論説が大勢を占め続けているという状況から、 ① 自虐的論説が蔓延している原因を、単にGHQの占領政策にだけ求めるのではなく、 ② 戦前期日本の思想状況の中にそれを受け入れる要因が内在していたのではないか、 と一度考えてみる必要があります。 このページでは「日本主義」という隠蔽されてきたキーワードを中心に戦前期日本の思想状況を概括し、 (1) GHQの占領政策・洗脳工作に呼応して戦後長く日本の言論界・思想界を汚染し続けているものの正体へと更に一歩深く迫ると共に (2) 日本型保守主義とナショナリズムの関係について考察します。 ■2.日本主義とは何か ◆1.辞書による説明1:「日本主義」 現時点で、wikipedia・広辞苑・デジタル大辞泉では「日本主義」の定義は以下の通り。 wikipedia 日本主義(にほんしゅぎ) 1.日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという主義。明治時代以降に急激に押し寄せてきた西洋化に対抗する事を目的として高山樗牛や井上哲次郎らによって主張された。2.白陽社から出版されている雑誌。 広辞苑(岩波書店) にほんしゅぎ【日本主義】 国粋主義思想の流れの一。日清戦争後、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱。高山が個人主義に転じて以降、衰退。 デジタル大辞泉(小学館) 日本主義【ニホンシュギ】 明治中期、政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義思想。高山樗牛(たかやまちょぎゅう)・井上哲次郎らが雑誌「日本主義」を刊行、日本古来の伝統的精神を重視しようとしたもの。 ブリタニカ国際百科事典(ブリタニカ・ジャパン社)には、もう少しまともな説明があります。 ブリタニカ国際百科事典 にほんしゅぎ【日本主義】 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) つまり日本主義には歴史的に見て以下の二段階があるが、広辞苑などメジャーな辞書は①だけを記述している(意図的に②を隠蔽している)。 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 ※「保守」と「右翼」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 以下ブリタニカ国際百科事典より「明治期の日本主義」に関連する人名等の説明を引用します。 【高山樗牛】たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、丸山幹治、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※要約すると「明治期の日本主義」には更に次の二系列があり、両者は余り関係がないと思われる。 (1) 高山樗牛・井上哲次郎らの刊行した文芸雑誌『日本主義』(1897年創刊) 広辞苑・大辞泉・wikipediaは、こちらの「日本主義」のみ記載している。 (2) 陸羯南が創刊し、三宅雪嶺・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治らが執筆した政論新聞『日本』(1889-1906)→三宅が創刊した『日本人』を改題し、池辺・長谷川・丸山などが執筆した総合雑誌『日本及日本人』(1907-23)→更に、池辺・長谷川・丸山は白虹事件で退社するまで『大阪朝日新聞』に政論を執筆(1908-18) 近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判 ※戦後民主主義の代表的論者・丸山眞男は丸山幹治の二男であり、長谷川如是閑を叔父同様に慕い、また戦後に陸羯南について次のような評価を書いていることに注目。 羯南の日本主義は上述のように、ナショナリズムとデモクラシーの総合を意図した。それがいかに不徹底なものであったとはいえ、これは日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見通しである。国際的な立遅れのために植民地ないし半植民地化の危機に曝されている民族の活路はいつもこの方向以外にない。不幸にして日本は過去においてその総合に失敗した。福沢諭吉から陸羯南へと連なる国民主義の最初からにひ弱い動向は、やがて国家主義の強力な支配の裡に吸いこまれていった。そのために下からの運動はむしろ国際主義いな世界市民的色彩をすら帯びざるをえなかった。長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない。それは羯南の課題を継承しつつ、その中道にして止まった不徹底を排除することにほかならぬ。新聞『日本』は明治憲法発布の日に誕生した。…日本国民は羯南の警告にもかかわらず明治憲法に与えられた程度の貧弱な自由すら現実にまもり抜くことができなかった。改正憲法の公布にあたり、われわれは、国民に与えられた諸権利を現実に働くものたらしめ、進んでヨリ高度の自由を獲得するために、よほどの覚悟をもって、これまでに数倍する険峻をのりこえて進まなければならぬであろう。まさしく憲法祭に酔っているときではないのである。 丸山眞男「陸羯南-人と思想」(1947年) ⇒つまり戦後左翼の代表的思想家丸山眞男は、実は政府の欧化主義に抗して近代ナショナリズムを唱えた「明治期の日本主義」の直系の継承者である。 その丸山が、戦後に「ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義…後述の「革新右翼」)」と勝手に同一視して糾弾したのが下記の「昭和の日本主義」であり、そのために広辞苑・大辞泉・wikipediaなどでは無視されたままになっていると考えられる。 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ブリタニカ国際百科事典より関連する項目の説明を引用します。 【安岡正篤】やすおか・まさひろ(1898-1983) 陽明学者。思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え、早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め、31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を設立する。第二次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問を務めたが終戦の詔勅の起草者の一人でもあった。49年全国師友協会を設立。指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人、文化人が師と仰ぎ、安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂・佐藤栄作・池田隼人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが、自らは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学、東洋思想、人生論に関する多数の著書がある。 【紀平正美】きひら・ただよし(1874-1947) 哲学者。帝国大学文化大学卒業。国学院大学・東洋大学講師を経て、1919年学習院大学教授。37年精神文化研究所の設立とともに所員となったが、研究所が43年教学錬成所に併合されたのちまもなく退職した。哲学思想としては、初めドイツ観念論を中心とした西欧哲学、特にヘーゲルの影響が強かったが、のち仏教思想を入れ、国民精神文化研究所時代は国家主義思想に傾斜していった。主著『行の哲学』(1931)、『知と行』(38)、『なるほどの哲学』(41)、『なるほどの論理学』(42)。 【国民精神文化研究所】こくみんせいしんぶんか・けんきゅうじょ(1932年設置-1943年改組) 1932年「国民精神文化ニ関スル研究、指導及普及ヲ掌ル」(同官制1条)目的のもとに設置された文部大臣の直轄機関。前年に設けられた学生思想問題調査会の「我が国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を発揚し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系の建設を目的とする有力な研究機関」設置を求める答申を受けて設けられた。研究部、事業部、編集部、調査部、庶務部から成り、33年品川区上大崎に庁舎を新築した。『国民精神文化』(隔月刊)『国民精神文化研究』(半年刊)『国民精神文化月報』などの刊行、各種講習会・講演会などの開催を通じて国民思想政策の推進に寄与した。43年国民錬成所(1942設置)と統合して教学錬成所に改組された。 【国体の本義】こくたいのほんぎ(1937年刊) 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 ※広辞苑・大辞泉などよりマシとはいえ、ブリタニカ百科事典でも「昭和期の日本主義」に関しては未だに肝心なこと(例として原理日本社、蓑田胸喜、平泉澄など)が記載されていません。 ※なお東欧民主化・ソ連邦解体(冷戦終結)後、既に20年が経過した現在では、戦後に左翼言論人によって激しく糾弾され、もしくは無視された蓑田胸喜など原理日本社同人や平泉澄など「昭和期の日本主義者」のマルクス主義批判・左翼容共思想批判は、論理的には、実に的を射た批判であったことが判明しています。 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ※西暦2000年代に入って漸く、戦後長く無視されてきた「昭和期の日本主義」に関する実証的な研究が本格化しました。 日本主義的教養の時代―大学批判の古層竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊内容(「BOOK」データベースより)戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。目次第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜井上 義和 (著) 2008.6刊内容(「BOOK」データベースより)国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。目次第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義植村 和秀 (著) 2004.10刊内容(「MARC」データベースより)理性の民主派=丸山と、東大国史の歴史神学者=平泉。ともにマイネッケに感銘を受け、危機の時代に対峙した両者の思惟様式に論理的な共通性を見出し、戦前・戦後を貫通する日本ナショナリズムを再定位する。目次第1章 政論記者丸山眞男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山眞男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山眞男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義★昭和期日本主義を代表する歴史神学者・平泉澄と戦後民主主義の旗手・丸山眞男、昭和史を貫く両者の思想対立を鋭く分析した名著。 「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社植村 和秀 (著) 2007.12刊内容(「BOOK」データベースより)日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。目次第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」、国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高、近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念、偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求、「コトノハノミチ」という論理 ほか)第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求、自己の責務 ほか)★東西文明の総合(止揚)としての「近代の超克」を説く西田幾多郎ら京都学派と、それを押しとどめ、あくまで日本の独自性に拘る蓑田胸喜ら原理日本社を対比して戦前・戦中期日本のもう一つの思想的可能性を描く。上3冊を読んだあとの+αとして。 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) 上記の日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜によれば、左翼が一掃された昭和10年代の日本には、①革新右翼と②観念右翼の二大勢力があり、国内・国外の政策を巡って激しく対立したとされます。 ※ブリタニカ国際百科事典には「観念右翼」のみ項目があり、その中に「(国家社会主義者(組織右翼)」の説明があります(革新右翼を組織右翼とも呼んだ)。 【観念右翼】かんねん・うよく 特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 ※革新右翼と観念右翼の理念型(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ①革新右翼 ②観念右翼 国家改造 国体明徴 高度国防国家 国民精神総動員 解釈改憲 護憲(不磨の大典) 指導者原理 臣道実践 統制経済 資本制擁護 親ソ・親独 反共・反独裁 世界史的な使命 日本史的な道統 陸軍統制派 陸軍皇道派 革新官僚 財界 無産政党 既成政党(現状維持派) 国家社会主義者 自由主義者 結論から言うと、この①革新右翼(国家社会主義+アジア主義)が日本を支那事変~大東亜戦争へと誘い込んだのであり、②観念右翼(伝統保守=昭和期の日本主義者)はそれに激しく抵抗したのだが、丸山眞男を始めとする所謂「戦後民主主義者(戦後市民派)」は、①・②を故意に同一視して「超国家主義者」「右翼」として貶め続けてきた(さらに言えば、橘孝三郎の一族の立花隆に典型的に見られるように①革新右翼が敗戦後たちまち「戦後市民派」に転向して②観念右翼を糾弾する側に回っている例が多々ある)。 ※以上の経緯は 右翼・左翼の歴史 を参照。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者の項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 【北一輝】きた・いっき(1893-1937) 国家社会主義運動の理論的指導者。本名輝次郎。1919年に執筆した『日本改造法案大綱』は陸軍青年将校の革命のバイブルとされた。1937年刑死。その他の著作『支那革命外史』(1915) 【大川周明】おおかわ・しゅうめい(1886-1957) 日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後、満鉄入社。のち軍中央部と手を握り1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件、同年6月の満州事変を推進した。32年の五・一五事件に連座。第二次世界大戦後、極東国際裁判で連合軍によってA級戦犯として起訴されたが精神錯乱のため釈放された。 【橘孝三郎】たちばな・こうさぶろう(1893-1974) 農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け、大地主義、兄弟主義、勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また長兄、次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり、兄弟村農場として世間の注目を集めた。1929年愛郷会を創設、31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め、血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的・暴力的傾向を強めた。32年の五・一五事件では、愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加、橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。40年に出獄後、第二次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し、橘は再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。 【井上日召】いのうえ・にっしょう(1886-1967) 国家主義者。本名昭。血盟団を組織。一人一殺のテロを指導。血盟団事件により、1934年無期懲役確定。1940年恩赦で出獄。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者と親和的な「アジア主義」の関連項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 【大アジア主義】だい・アジア・しゅぎPan-Asianism 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◆8.まとめ 運動の性格 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム) 右翼思想 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義) 保守思想 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 ③ アジア主義 アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義)(拡張的ナショナリズム) 極右思想 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 ※「保守」「右翼」「極右」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ※1:左右等価気分説…右傾化も左傾化も既成勢力に対する反抗という意味で基本的に同じ心情に基づくものであり、状況が変化すれば左・右転換は容易とする説。 ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ※この他に、④として大東亜戦争開始後に「近代の超克」を唱えた西田幾多郎門下の「京都学派」があるのでブリタニカ百科事典から簡単に引用する。 【京都学派】きょうと・がくは 西田幾多郎および田辺元の哲学探究の伝統を引継いだ京都大学哲学科出身の哲学者たちのグループの総称。1919年田辺が西田によって京大に招聘されて以来両者はともに自己の哲学を創造し、「固体存在の論理」としての西田哲学に対し「社会存在の論理」としての田辺哲学は決定的に対立するようになるが、その真摯な相互批判を通して京大哲学科には活気に満ちた独自の学風が形成され三木清・戸坂潤らをはじめとする多くの哲学徒が参集した。三木・戸坂らはやがてマルクス主義に傾斜しこの学派から離れるが、次いで高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らのグループが現れ、第二次世界大戦期において世界新秩序論としての「世界史の哲学」を提唱し同戦争の合理化を行いこの学派の旗幟を鮮明にした。普通この高坂・西谷・高山・鈴木らのグループを指して狭義の京都学派と呼ぶことが多い。 【近代の超克】きんだいの・ちょうこく 太平洋戦争勃発直後の1942年、雑誌『中央公論』および『文学界』において論じられたテーマ。川上徹太郎、亀井勝一郎、小林秀雄、林房雄、吉満義彦らの文芸評論家が欧米文化の克服を論じたものである。西欧近代からのアジアの解放を標榜した大東亜戦争を肯定的に受け止めようとする知識人がそこに根拠を求めようとした。思想的には深められないまま終わったが、第二次世界大戦後竹内好がその意義をあらためて主張した。またソ連を頂点とした共産圏崩壊後、新しい国際関係が模索されるなかで、再びその意味を問う声もある。 ※以上で、「日本主義」および関連する「アジア主義」「近代の超克」など諸用語の辞書的な説明を終わります。 ※以下より、戦前日本の思想状況、特に左翼・右翼の両翼の思想運動についてまとめます。 ■3.近代日本の思想状況 ◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) 和暦 西暦 出来事 藤島利郎による区分 丸山眞男による区分 右翼学生運動 左翼学生運動 日本ファシズム運動 明治元~ 1868~ 明治維新 第1期:萌芽期 大正7 1918~ 第一次世界大戦終結 第2期:台頭期(後半) 台頭期(前半)~全盛期(後半) 第1期:準備期 昭和5 1930 ロンドン海軍軍縮条約 第3期(第1小期):勃興期 潜行期 (民間における右翼運動の時代) 昭和6 1931 満州事変 第3期(第2小期):興隆期 凋落期 第2期:成熟期 昭和7 1932 五・一五事件 ↓ ↓ (急進ファシズムの全盛時代) 昭和8 1933 京大滝川事件 ↓ ↓ ↓ 昭和9 1934 ↓ ↓ ↓ 昭和10 1935 天皇機関説事件 ↓ ↓ ↓ 昭和11 1936 ニ・ニ六事件 ↓ ↓ 第3期:完成期 昭和12 1937 支那事変 第3期(第3小期):全盛期 準壊滅期 (日本ファシズムの完成時代) 昭和13 1938 ↓ ↓ ↓ 昭和14 1939 ↓ ↓ ↓ ¦ ↓ ↓ ↓ 昭和20 1945 第二次世界大戦終結 右翼学生団体創立ブーム 左翼学生運動台頭~全盛期 ※つまり戦前期の実証的な学生思想運動の研究によれば、大正期から昭和初期にかけて(1910年代の終わりから1920年代)の日本の大学は非常に自由な知的環境にあり、上の図の赤塗部分の通り左翼学生運動が隆盛していた(ロシア革命の影響→後期は経済恐慌の影響)。それが当局により問題視され弾圧を受け始めるのは1928年の三・一五事件以降である。 ※満州事変が勃発する1930年代になると今度は、右翼学生運動が盛んになり、天皇機関説事件からニ・ニ六事件の頃に、一時的に下火になるものの支那事変勃発でブームが再開した(その後、第二次近衛内閣の新体制運動による統制の強化により、学生右翼運動も下火になる)。 嘗て左翼学生運動の華やかなりし時代或人は謂った。学生には四種ある、①最も頭脳明晰な学生は社会科学を研究して結局左翼運動に奔り、②次に位する者は専心に学校の過程を勉強し、③次に位する者は映画演劇麻雀撞球等の享楽に奔り、④最も下級に在る者のみが右翼運動に参加するに至ると、然し是は今日の右翼運動に関する限りは当を得て居ない。 藤嶋利郎(司法官僚)『最近に於ける右翼学生運動について』(1940年(昭和15年)司法省刑事局刊) ※上は、大正期に大学時代を過ごした元左翼学生の司法官僚の昭和15年の回想である。これはまるで最近の団塊世代の言いそうな感想であり、戦前の日本が思想的に暗黒時代だった、という戦後左翼の刷り込みは全く根拠がないことが、これだけでも分かると思う。 ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) 区分 時期 内容 (1) 復古主義vs.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義vs.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ※上図について詳しくは丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証参照。 ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 歴史学 (ヒューマニティーズ)佐藤 卓己 (著) 2009.5刊内容(「BOOK」データベースより)情報化、グローバル化が加速するメディア社会。公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。★評価著者は日本主義的教養の時代―大学批判の古層の中心的編集者で良くも悪くも現在の歴史学の水準を体現している人物。ヒューマニティ・シリーズの一冊として、敢えて従来の「(ゴリゴリの)自虐史観」からは距離を置くこのような著者の本が、あの(戦後一貫して自虐史観で真っ黒だった)岩波書店から出版されたこと(出版せざるを得なくなったこと?)は非常に意義深いことである。但し現在の歴史学の限界をも露呈する一冊とも読める。果たして次の世代は、この限界をどれだけ乗り越えられるのかに注目したい。 日本の思想丸山眞男 (著) 1961.11刊内容(「BOOK」データベースより)現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。★評価その思想の偏り、事実関係の歪曲・捏造ぶりが散々に指摘される丸山眞男の代表的著作。よく読むと丸山と同時代人である蓑田胸喜や平泉博士や京都学派の高山岩男といった今では世間一般では忘れられた思想家、さらには「日本主義」「近代の超克」からエドマンド・バークやカール・ポパーにまで言及している箇所があり、そうした意味でも興味深い。 現代政治の思想と行動 増補版丸山眞男 (著) 1964刊 1974増補出版社 / 著者からの内容紹介戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)にならぶ主著。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」(道場親信)と評され、「丸山学派」とよばれる多くの学者に影響を与えた。三部に分けられ20本の論文が収録されている。各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体でつづられており大変読みやすく、また著者自身による詳細な「追記および補註」も読者の理解を助けてくれる。第一部には「日本ファシズム」をめぐる論考がおさめられている。特に「超国家主義の論理と心理」の与えたインパクトは大きく、その後の天皇制分析の出発点となった。「軍国支配者の精神形態」では「無責任の体系」というキーワードで日本の支配機構を分析、戦争責任問題の分析への道をひらいた。第二部にはファシズムと同時に共産主義の問題も論じている。第三部では政治学の基本的な概念を整理した文章がならんでおり、著者自身の時代状況への対応も見ることができる。「現代における人間と政治」では、『独裁者』などチャップリンの映画からときおこし、知識人の役割についての考察を深めている。半世紀たった今も、全く色あせるどころかますます輝きをます政治学的考察の宝庫。★評価中共と毛沢東を激賞しスターリンの「功績」をも懸命に擁護して、日本とアメリカの「ファシズム化」に警鐘を鳴らし続けて「本物の知識人」たちを“啓蒙”した丸山眞男の主要論文集。怪番組NHK JAPANデビュー第二回:天皇と憲法の思想的な源流もここにある! 丸山眞男の時代竹内 洋 (著) 2005.11刊内容(「BOOK」データベースより)戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。★評価『日本主義的教養の時代―大学批判の古層』のもう一人の中心的編集者。1942年生まれの著者はまさしく学生時代に丸山眞男の強い影響を受けた世代だが、それだけに鋭く丸山氏の矛盾点・問題点を突いている。戦前から続く丸山と蓑田胸喜の浅からぬ因縁、戦後の学生運動への共産党の干渉、1960年の安保闘争、その後の全共闘など「丸山眞男の時代」を簡潔に描き出しており、読み易い。 自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 谷沢永一 (著) 2005/06 内容もう中国・韓国に謝るな! いかにも禍々しい日本罪悪論をはじめて言い出した発頭人は誰なのか。日本の世論をミスリードしてきた「進歩的文化人」、日本罪悪論の火元12人を徹底批判。 <目次> こんな国家に誰がした ― 今も続く、スターリンの呪縛 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 ― 戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ― 日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 国民を冷酷に二分する差別意識の権化 ― 戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状 栄達のため、法の精神を蹂躙した男 ― 反日的日本人の第一号・横田喜三郎への告発状 金日成に無条件降伏の似非出版人 ― 進歩的文化人の差配人・安江良介への告発状 恫喝が得意な権力意識の化身 ― 「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収への告発状 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯” ― 進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人 ― 日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 最も無責任な左翼・教条主義者 ― マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎への告発状 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 ― 現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状 国家間の原理を弁えない謝罪補償論者 ― ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状 近代日本を全否定した国賊 ― 進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状 ★評価書誌学者 故・谷沢永一氏による好著。青年時代に一時共産党員だった経歴を持つ著者だけに12人の国賊文化人たちへの批判が実に的確。目次だけでも読む価値あり。 日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く仲正 昌樹 (著) 2006.7刊出版社/著者からの内容紹介「戦後思想」があるとすれば、「戦前思想」もあっておかしくないような気がするが、あまり聞かない。しかし「日本とドイツ」に限って言えば、一八七〇年前後から、第二次大戦が本格化する一九四〇年前後までの約七十年間を取ると、結構、意味のある比較をすることができる。何故かというと、両国とも一八七〇年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、(英国やフランスに比べて)遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクトに乗り出し、最終的に「(西欧)近代の超克」を目指して全体主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。(「プロローグ」より) ★評価戦前日本の思想状況について通史的な図書が他に見当たらないため内容にはかなり問題があるもののこの本を薦めざるを得ない。著者は元統一教会信者であり、皇室に対する本質的敬意に欠け、かつ安倍元首相に対する敵意を剥き出しにする人物だが、これが現在の思想界の水準(および限界)と考えてよいと思う。次の世代がこれをどれだけ乗り越えられるか。 『昭和の思想』植村和秀(著) 2011.11刊・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 以下は最新コメント表示 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/regulussov/pages/16.html
ここではソビエト共産主義共和国連邦の主要な政治イデオロギーについて記載する。 正統派マルクスレーニン主義 マルクス・レーニン主義は文字通りマルクス・レーニンの主義主張を継承する社会主義勢力である。国際的にはマルクス・レーニン主義はスターリニズムとイコールであると考えられているが、新ソ連ではその限りではない。新ソ連のマルクス・レーニン主義者は主に永続革命と二段階革命論を党是としており、スターリン主義というよりトロツキズムに親和性を持つ。また古典的封建主義国家を敵視しているが、これがあくまで国家的な復讐主義に過ぎないと反対派は主張している。 労働組合主義(サンディカリズム) 加速共産主義 ルクセンブルク主義 ルクセンブルク主義は評議会社会主義とも呼ばれる社会主義の一派で、ローザ・ルクセンブルクとその著作にイデオロギーの源流を有する。ルクセンブルク主義者はマルクス・レーニン主義者の言うところの民主集中制を強く批判し、党を基盤としつつも開かれた議会で言論闘争を行う事を原則に定めている。ルクセンブルク主義はアナーキズムとスターリン主義、トロツキズムにそれぞれ類似する性質を持ちつつも完全に一致しない完全に独自のイデオロギーであり、新ソ連でも有力な主義主張の一つである。 無政府主義 民主社会主義 アラブ社会主義 イスラム社会主義 国家社会主義 新ソ連の国家社会主義は国際主義に立脚する新ソ連では異端と言える思想で、「結束主義国家」レグルス帝国への共感とレグルス民族主義に基づいている。新ソ連では国家主義運動は公式に禁止されているが、アナキストの脅威が蔓延する中で極めて小さなコミュニティしか持たない国家社会主義運動は許容されている。 新ソ連の国家社会主義を主導しているのはミハイル・ロジンスキーの民族労働社会主義党である。ロジンスキーはマルクス主義の反民族性を非人間性と捉え批判し、国民国家の復活を掲げている。また反モレラ国を党の公約に掲げており、エーゲ海の奪還を公式に求めている。党の規模は現在全国で百数十人程度と考えられている。 復讐共産主義 復讐共産主義は国家秩序本部長官オズワルド・ヴェーヴェルスベルクの掲げるイデオロギーである。ヴェーヴェルスベルクは帝国主義と資本主義を人々を搾取する最も悪きイデオロギーと糾弾し、その背景にあるキリスト教とローマ世界に源流を持つ欧州法制を強く批判した。ヴェーヴェルスベルクの史観によればローマ人とキリスト教徒はその傲慢さと過去の罪のために報復を受ける義務があり、全ての非欧州人種は報復をする権利と義務があると述べている。ヴェーヴェルスベルクはまたマルクス主義とレーニン主義、ナチズムが欧州中央(つまりローマ世界の中央)から遠いドイツ、ロシアで興隆したことに着目しこれらを欧州世界の旧秩序に対する自発的な抵抗であると考えた。一方で過去のソ連、ナチスドイツの失敗を旧来の帝国主義へ傾倒したためと批判する。
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第十回日本淫主主義国選挙(だいじゅっかいにほんいんしゅしゅぎこくせんきょ)は、日本淫主主義国で行われた国政選挙である。 - ... 第十回日本淫主主義国選挙◀前回選挙(5月) 次回選挙(未定)▶ 内閣 みくほる内閣 解散日 2022年8月15日 通称 〇〇解散 投票日 2022年8月16日-24日 選挙制度 小選挙区比例代表並立制 改選数 61人(ー) 小選挙区35人(ー) 比例代表26人(ー) 議席内訳 有権者 淫民 各党別勢力 党順 第1党 第2党 第3党 画像 党名 自由淫進党 ナオキ淫主主義土方労働者党 立犬淫主党 党首 瑞浪槭 アドルFoo↑・冷エテラー 多田野幸男 就任 2022年8月 2021年5月 2022年8月 前回選挙 24 4 10 選挙前議席 23 4 10 獲得議席 16 13 10 増減 ▼7 ▲9 ー0 得票(小) 数 951 624 819 率 24.4% 16.0% 21.0% 増減 (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% 得票(比) 数 率 % % 増減 (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% 党順 第4党 第5党 第6党 画像 党名 淫夢ファッ!?シスト党 レスリング新日暮里 新党むねかけ 党首 ペニス・ムッツリーニ 遠野いなり男 鳩山イキ夫 就任 2021年5月 2022年3月 2021年7月 前回選挙 2 6 5 選挙前議席 2 6 5 獲得議席 5 4 4 増減 ▲3 ▼2 ▼1 得票(小) 数 180 105 235 率 4.6% 2.7% 6.0% 増減 (▲・▼・ー)% ▲・▼・ー)% ▲・▼・ー)% 得票(比) 数 率 % % % 増減 (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% ▲・▼・ー)% 党順 第7党 第8党 第9党 画像 党名 淫理党 大性欲賛会 邪会淫主党 党首 イク原彰晃 東條ひで QVC福島瑞豊 就任 2021年5月 2021年10月 2021年8月 前回選挙 4 2 1 選挙前議席 4 2 1 獲得議席 4 2 1 増減 ー0 ー0 ー0 得票(小) 数 282 164 103 率 7.2% 4.2% 2.6% 増減 (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% 得票(比) 数 率 % % 増減 (▲・▼・ー)% (▲・▼・ー)% 党順 第10党 画像 党名 日淫改革党 党首 足勃康史 就任 2021年5月 前回選挙 3 選挙前議席 3 獲得議席 1 増減 ▼2 得票(小) 数 65 率 1.7% 増減 得票(比) 数 4 率 増減 概要 - 概要 選挙データ - 選挙データ 内閣 選挙前 みくほる内閣(第9代) 内閣総理大臣 みくほる 与党 自由淫進党・淫理党・新党むねかけ・大性欲賛会 選挙後 第3次アドルFoo↑・冷エテラー内閣(第10代) 内閣総理大臣 アドルFoo↑・冷エテラー 与党 淫夢ケッ束同盟(ナオキ淫主主義土方労働者党・立犬淫主党・淫夢ファッ!?シスト党・邪会淫主党)・自由淫進党・淫理党・新党むねかけ・大性欲賛会・レスリング新日暮里 解散通称 選挙区 皇都選挙区(1~6区) 下北選挙区(1~4区) 新日暮里選挙区(1~4区) 多田野選挙区(1~3区) 岡山北選挙区(1・2区) 芸備選挙区(1・2区) 貝塚選挙区(0~2区) 生杉選挙区 軍畑選挙区 中野選挙区 久本選挙区(1・2区) 稲荷選挙区 ペニスルベニア選挙区 穂元垣選挙区 岩倉選挙区(1・2区) 井伊予選挙区 改選数 前回 61 今回 61 選挙結果 - 選挙結果 党派別獲得議席 党派 獲得議席 増減 小選挙区 比例代表 選挙前/ 会派 党名 議席 得票数 得票率 議席 得票数 得票率 与党 淫夢ケッ束同盟 ナオキ淫主主義土方労働者党 13 ▲9 8 624 16.0% 5 58 50.0% 4 立犬淫主党 10 ー0 5 819 21.0% 5 10 淫夢ファッ!?シスト党 5 ▲3 2 180 4.6% 3 2 邪会淫主党 1 ー0 0 103 2.6% 1 1 自淫系連立 自由淫進党 16 ▼7 7 951 24.4% 8 46 39.7% 23 新党むねかけ 4 ▼1 3 235 6.0% 1 5 淫理党 4 ー0 3 282 7.2% 1 4 大性欲賛会 2 ー0 2 164 4.2% 0 2 レスリング新日暮里 4 ▼2 3 105 2.7% 1 8 6.9% 6 野党 日淫改革党 1 ▼2 1 65 1.7% 0 4 3.4% 3 東オォン!会 0 ー0 0 20 0.5% - - - 0 肛福実現党 0 ー0 0 25 0.6% - - - 0 淫党改革 0 ー0 0 8 0.2% - - - 0 無所属 1 ▲1 1 228 5.8% - - - 0 欠員 0 ー0 - - - - - - 0 総計 61 ー0 35 3904 100% 26 116 100% 61 党派別当選者内訳 党順 性党 計 内訳 小選挙区 比例代表 現 元 新 計 現 元 新 計 単独 重複 1 自由淫進党 16 13 0 3 7 6 0 1 9 1 8 2 ナオキ淫主主義土方労働者党 13 4 1 8 8 3 1 4 5 4 1 3 立犬淫主党 10 8 0 2 5 5 0 0 5 0 5 4 淫夢ファッ!?シスト党 5 2 0 3 2 2 0 0 3 2 1 5 レスリング新日暮里 4 4 0 0 3 3 0 0 1 0 1 6 新党むねかけ 4 3 0 1 3 3 0 0 1 0 1 7 淫理党 4 4 0 0 3 3 0 0 1 0 1 8 大性欲賛会 2 2 0 0 2 2 0 0 0 0 0 9 邪会淫主党 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 1 10 日淫改革党 1 1 0 0 1 1 0 0 0 0 0 / 無所属 1 1 0 0 1 1 0 0 - - - 合計 61 43 1 17 35 29 1 5 26 7 19