約 517,081 件
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/532.html
名称 五式戦闘機 略称 五式 武装 プライマリ セカンダリ 1番席 ホ-103 12.7mm機関銃(翼内2門) ホ-5 20mm機関砲(機首2門) 概要 日本陸軍の戦闘機。機首に20mm機関砲が2門備え付けられているため弾丸を命中させやすい。また良好な機動性を誇る。 コメント 高度があがるほど機動性が極端に悪化するため高高度を飛ぶ重爆や艦爆の迎撃は至難の業 -- 名無しさん (2014-02-07 06 31 00) 強力だが末期登場かつ高高度性能の悪さから癖は強い。巴戦に持ち込んで中・低高度に誘導すると良い。 -- 名無しさん (2014-02-08 14 01 34) Ver0.621で強化されて使いやすさが向上したP-51Dぐらいの性能はあるので積極的に使っていきたい。20㎜は機首なのでしっかり狙って火力を発揮したい。 -- Shokaku (2021-04-01 21 17 23) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/746.html
九七式戦闘機 移動力 10 索敵範囲 3 燃料 54 索敵海中 1 生産資金 1200 搭載 不可 防御力 対空 30 対地 8 対艦 16 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 7.7mmマシンガン 3 40 8 15 0 0 1 10 10 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - 旧式戦闘機。 隼1型に進化可能だが、零式艦戦21型が登場したら系統ごと不要。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28735.html
登録日:2014/06/02 (月) 18 53 00 更新日:2022/08/23 Tue 08 51 03NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 九七式戦闘機 名機 大日本帝国 戦闘のできる曲芸飛行機 戦闘機 航空機 陸軍 九七式戦闘機は、大日本帝国陸軍で運用された戦闘機である。軽戦の極致と称された当時最強(と言うかレシプロ最強クラス)の格闘戦能力が最大の武器。 キ番号(試作名称)はキ27、通称は九七戦、九七式戦など。連合軍内でのコードネームは「Nate(ネイト)」。貧乳回避の第五特務とは断じて関係ない。 性能諸元 開発経緯技術的特徴 実戦での活躍 創作における九七式戦闘機 性能諸元 エンジン 空冷9気筒 中島ハ1乙(地上正規出力610馬力、地上最大出力710馬力) 最大速度 470km/h(水平3,500m) 航続距離 627km 全高 3.28m 全幅 11.31m 全長 7.53m 主翼面積 18.56㎡ 自重:1,110kg 全備重量 1,547kg(燃料満載) 上昇時間 5,000m/5 22" 実用上昇限度 12,250m 武装 胴体内7.7mm機関銃2門(携行弾数各500発) 爆弾 25kg×4 増槽 左右各133L 開発経緯 時に1935年。海軍の九試単座戦闘機(*1)の成功に嫉妬した刺激を受けた陸軍は、海軍の了解を得た上で、同機の陸上仕様を九五式戦闘機の試作審査に途中参加させた。 が、「エンジンがちょっと、ねぇ……」という理由でボツ。とりあえずで川崎のキ10が採用される。が、こいつは複葉機だった。 「(この先いくらなんでも複葉機じゃ)いかんでしょ」ということで翌年4月、陸軍用の低翼単葉戦闘機の競争試作が中島・川崎・三菱の3社に指示される。 この際の要求性能は 1.最大速度は450km/hを維持すること 2.上昇力は高度5000mまで6分以内であること 3.従来の複葉機と同等以上の運動性を有すること という、当時としてはかなり高性能な機体であった。 で、次期主力戦闘機の開発というビッグウェーブにヒャッハー(1社除く)した各社の試作機の特徴を挙げてみるとこうなる。 ○中島 キ27 陸軍の好みである格闘戦に特化した、軽量かつ水平旋回性の高い機体 ○川崎 キ28 水冷式高出力エンジンを唯一搭載した、高々度での高速性能重視型 ○三菱 キ33 九六艦戦が陸軍に受けなかったのを逆恨みしてやる気なし、同機の簡単なアップデート ここでキ33を選んでおけば楽だった(*2)のだが、「全領域で九六艦戦以上の機体じゃなきゃヤダヤダ!」という陸軍のメンツ、そしてそもそもやる気のなかったせいで三菱が早々に離脱。 水冷エンジンに不安の残るキ28を抑え、キ27が選定されることとなる。ちなみに、海軍は三菱、陸軍は中島が主体となるきっかけにもなっていたりする。 盧溝橋事件の発生もあって審査は急かされ、1937年(皇紀2597年)に九七式戦闘機として制式採用された。 技術的特徴 本機の母体となった試作機であり、九五式戦闘機の採用審査に敗れたキ11は、当時としては革新的な低翼単葉の高速機だった。 とはいえ完全なものではなく、主翼の強度保持のために固定脚のスパッツと主翼下面の間に鋼線を張っていたりと、完全な単葉機とは呼べなかった。 まあ、高速性能はともかく、陸軍が格闘戦重視だったせいで複葉機に負けたのだが 本機の特徴でもある前縁直線翼は、続く隼以降の小山悌を設計主務とする中島製単座戦闘機に採用され続けることとなった。ちなみに発案は糸川英夫。 その他にも 1.主翼を左右一体構造にし、胴体を乗せる方式(生産性向上と軽量化に寄与) 2.胴体を操縦席以降で前後分割し、ボルト留めにした(メンテナンス性と輸送性の向上) 3.不整地離着陸を考慮した固定脚の採用(既に引き込み脚は実用化されている) 4.操縦席後部の胴体内燃料タンクをオミット、陸軍単座機初の増槽装備 (*3) というのが大きな特徴といえるだろう。特に1と2は後の帝国軍機(川崎製除く)の標準技法となっている。 機体外面に開口部がないが、これはエンジンのシリンダーの隙間に銃身を配置し、カウリング中央の開口部から発射するため。 性能面での特徴は、複葉機さえ上回るほどに高められた運動性能(特に水平旋回性)と安定性、そして操縦性だろう。 帝国陸軍の単葉単座戦闘機の基礎となったがゆえに、後に一線を退いてからも、高等練習機として長く運用されたほどだ。 漢口でしばしば行われた陸海共同の模擬戦では、普段陸軍をナメきっている海軍のパイロットが「陸軍の分際であんないい機体を、グギギ……」と悔しがるほどだったという。 ちなみに、本機と同時期に欧州ではスピットファイアやハリケーン、Bf109が完成していたりする。 ……あれ? 実戦での活躍 1938年より九五式の後続・代替機として日中戦争に投入される。 本機が名を挙げたのは39年のノモンハン事件で、ソ連軍機をフルボッコにしソ連進軍と帝国軍の戦線崩壊を抑止。 複葉機すら一方的にボコれるほどの運動性と「空の狙撃兵」とまで称されるほどの射撃安定性が生んだ成果だった。 この時後の帝国陸軍最強格のエースを多数輩出している。 が、ノモンハン後期ともなると、ソ連軍機が一撃離脱戦法に切り替え、さらにスペイン内戦を経験してきたベテランを投入したこともあり被害が拡大。 ついでに本機にまともな防弾装甲がないのも相まって、最終損耗率60%というヤバいレベルにまで到達してしまっていた。当然、ベテランもものすごい勢いで死にまくった。 この戦訓から、陸軍は技術的(*4)・戦術的(*5)な収穫以上に、航空機( パイロット)の有効性と消耗度の高さを痛感する。 しかし、緒戦の大勝利に酔うパイロットはお約束のようにこれを見過ごしたまま、格闘戦至上主義(*6)につま先までドップリと浸かってしまう。 上層部の方はまだその点では見る目があり、戦訓から「もうちょい重装甲 大火力じゃないと死ねるな……」とは思っていたのだが、肝心のパイロットがご覧の有様だったため、 キ43(後の隼)以降の主力戦闘機の選定・量産計画にまで悪影響を与えてしまうこととなった。 というか、一式戦の選定が遅れたために後発機の開発が遅れ、最終的にご覧の有様になってしまったことを鑑みるに、ある意味本機こそが諸悪の根源である。 無論、本機が絶対悪だったわけではない。比類なき格闘性能は歴代レシプロ機の中でも最上位、というか最強候補筆頭だし。 本機が諸悪の根源化した最大の要因は、やはり当時から脳筋思考停止と根性論至上主義に定評のあったパイロット達だったとしか言い様がない。 結局、彼らの格闘戦至上主義は、連合軍の重装甲・重武装機に一撃離脱戦法で一方的にフルボッコされるまで根強く残ることとなった。 尤も、旋回半径が小さくても複翼の九五式戦闘機では一撃離脱戦法を仕掛けるソ連のI-16を追撃出来なかったのに対し、本機は速度と加速性能でマシだったので対応し易かったことも事実であり、複翼戦闘機重視論者が沈黙し、格闘戦性能重視と言っても速度や加減速性能を活かした格闘戦にシフトしたのも事実である。 太平洋戦争開戦時には既に旧式機と化しており、42年以降は後続の一式戦にその座を譲った。 その後は練習機や連絡機として用いられていたが、ドゥーリットル空襲の際にはB-25迎撃に一部の機体が参加している。 末期には当然のように特攻機としても運用されたが、250kg爆弾を運用するには非力すぎたため、離陸から飛行まで常にエンジンを全開にしておく必要があった。 で、そんなことをすると潤滑油が焼けつくわエンスト起こすわで出撃不能・中途帰投機が頻発。 唯一の現存機である大刀洗平和記念館の展示機からして、過積載→エンジン不調→博多湾に不時着水して96年に引き揚げられたというしまらない経歴の持ち主だったりする。 創作における九七式戦闘機 とりあえずIl-2 1946では操縦可能。ウォーシミュレーションでも初期に開発可能な旧式機扱いがほとんど。 仮想戦記では、子竜螢氏の「陸軍空母戦記 ミッドウェー陥落せり!!」で陸軍空母あきつ丸に搭載されてミッドウェー戦に参加。『赤城』と『飛龍』を救っている。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] つま先までドップリと浸かってしまう ぜんぜん浸かってないじゃない、ちゃんと肩まで浸かりなさい -- 名無しさん (2014-06-03 16 35 03) 現場で命を張るパイロットが触れた事の無い新技術より従来の保守的な技術を志向するのは仕方が無いんですけどネ -- 名無しさん (2014-08-31 18 34 24) 囲んで叩こうにも無線機がなぁ・・・。 -- 名無しさん (2016-10-16 21 14 43) ↑2穴拭智子少尉が最初そんな感じだったな -- 名無しさん (2018-03-30 14 09 53) ↑4 逆立ちしてるんだよきっと。当時の戦闘機乗りは腕力の鍛錬や宙返りの遠心力による胃下垂改善のために逆立ちが推奨されてたそうだし。 -- 名無しさん (2020-04-24 11 29 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28801.html
登録日:2014/06/10 (火) 18 14 00 更新日:2024/03/16 Sat 21 43 26NEW! 所要時間:約 ? 分で読めます ▽タグ一覧 エンジン以外は大正義 中島の集大成 例によってgdgdなエンジン周り 四式戦闘機 大日本帝国 大東亜決戦機 戦闘機 日本最良の戦闘機 疾風 航空機 陸軍 四式戦闘機は、大日本帝国陸軍が運用した単座戦闘機である。愛称は疾風、連合軍のコードネームは「Frank(フランク)」。 コードネームの由来は鹵獲機の飛行試験とコードネーム付与に関わっていたフランク・マッコイ陸軍大佐に由来するそうな。 中島製戦闘機の集大成とも言える高性能な戦闘機である。例によってエンジンは残念だったわけだが 性能諸元(一型甲) 開発経緯 機体の特徴 戦歴 バリエーション アニヲタ視点の四式戦闘機 性能諸元(一型甲) 試作名称 キ84-Ⅰ甲 全長 9.92m 全高 3.38m 全幅 11.24m 翼面積 21.00㎡ 自重 2,698kg 最大重量 3,890kg 最高速度 624km/h(高度6,000m) 上昇限度 12,400m 航続距離 2,500~2,920km 発動機 中島四式(ハ45)空冷複列星形18気筒 公称1,800馬力1基 総生産機数 約3,000機 武装 機首12.7mm機関砲2門、翼内20mm機関砲2門 爆装 最大250kg爆弾×2 開発経緯 1941年12月29日。キ44(後の鐘馗)の発展型を開発するよう中島に指示が出される。その内容はというと、 最高速度680km/h以上、20mm機関砲2門、12.7mm機関砲2門を装備、隼級の航続距離、あらゆる任務に柔軟に対応可能な高性能万能戦闘機 というダイナミック無茶ぶりだった。と言うかお前ら、まだ20mm機関砲開発の目処すら立ってなかっただろ…… まあともかく、キ44-Ⅲの設計をベースに翼面積と燃料搭載量を増やした性能向上型として開発がスタートする。 が、当初から太平洋戦線での運用が決まっていたため「もっと航続距離を伸ばして、オナシャス!」ということになり、 翼面荷重を計画値に収めると同時に燃料搭載量の増大を図った結果、重量増→翼面積増→重量増という悪循環に陥る。 さらに前線の「もっと火力と装甲の強い機体を作って」という要求まで届いてキレた小山悌以下開発チームは、いっそ吹っ切れてしまった。 紆余曲折の結果、計画重量を大幅にブッチする重装戦闘機として43年3月に試作初号機が完成する。 飛行試験では陸軍機最速級の624km/hを叩き出し、立ち会った陸軍将校が「よくぞこんな素晴らしい機体を……中島マジ天使」と感涙にむせんだという。 しかしエンジンが性能はともかく稼働安定性と信頼性に欠ける誉さんだったため、エンジントラブルには最後まで悩まされることとなった。 というか、試験期間中に解決できなかったので量産しながら改善することになった。 エンジンに問題はあるがとにかく高性能ということで、荒蒔義次陸軍少佐の提言により、増加試作機を大量生産して 運用試験しながらコンバット・プローヴンという方式を取ることになり、翌44年3月に四式戦闘機として制式採用の運びとなる。 「大東亜決戦機」として陸軍の新たな主力たるを期待されての事だった。機体全体の総生産機数は約3,500機。 機体の特徴 端的に言うと小さい。と言っても2,000馬力級の重戦闘機としては、というだけであって、サイズ的には飛燕とトントンといったところ。 機体の設計自体は隼や鍾馗を踏襲した保守的と言ってもいいものだが、同時に生産性も高く、 結果的に火力・機動力・防御力がハイレベルで大量生産できるという超大正義な戦闘機となった。あれ、陣営違くね? ただしエンジンは信頼性が死亡宣告スレスレ。 急旋回に頼りすぎる古参パイロットの要求を飲むと機体強度と重量増に出力が追いつかなくなるため、多少強度を抑えても軽量化を図り、 かわりに操縦系統を意図的に重くして対応している。 これはベテランには不評だったが、さすがは腐っても帝国軍機、設計と技術の進歩で重いが格闘性能も維持はしており、 実際に運用したパイロットからは「格闘戦もできる重戦って素敵だろ?」「一式と二式のいいとこ取り」という評価を受けている。 陸軍の単発単座戦闘機としては初めて計画段階から20mm機関砲の装備を要求された機体であり、飛燕と並ぶ大火力機だった。 が、さすがに各国の趨勢からしてみると軽武装(*1)だったので、開発の初期段階から武装強化型の開発が始まっている。 防御能力は12.7mm対応で、防弾ガラスと防弾板でコクピットを丁寧に鎧っている。 戦歴 疾風の初陣に臨んだのは菊水紋を部隊章にいただく飛行第22戦隊。戦隊長はキ84のテストパイロットであり ノモンハン以来のエース・岩橋譲三陸軍少佐で、麾下のパイロットも航空審査部から抽出された精鋭揃い。 整備隊長には同じくキ84の整備班長として疾風に精通した中村考大尉が任命された。疾風運用への陸軍の意気込みがうかがえる。 同隊は当初フィリピン戦線へ投入される予定だったが、現地部隊の嘆願もあって米軍新鋭機の参戦で苦戦を強いられていた中国戦線へ期限付きで投入される。 その後入れ替わりで参陣した第25戦隊と85戦隊が本機を運用してP-51を相手に善戦し、一時的とはいえ中国上空の制空権回復に寄与する。 フィリピン戦の前哨戦たる台湾沖航空戦においては、日本側航空基地を空襲する米海軍機を迎撃したが、ほぼ奇襲に近い不利な状況下で連携も満足にとれず苦戦を強いられている。 この時対戦した主敵はグラマンF6Fヘルキャットであり、 日本側パイロット達の評価としては、「四式戦はグラマンF6Fより速度は優るが旋回性能で劣り、全般的に苦手な相手」といったもの。性能以前に不利な空戦を強いられたことが厳しい評価に繋がってしまったともいえる。 本機の主戦場となったフィリピン戦では絶対的数的劣勢からタコ殴りにされることもあったが、一時的にレイテ湾上空の制空権を確保して多号作戦における第1師団上陸成功に貢献するなどの戦果を挙げ、 米軍も戦闘データから「高速で運動性も高く、被弾にも強い。要注意すべし」と評価している。 エンジンの稼働安定性の低さや低下していく部品の質が足を引っ張ってはいたが、第47戦隊では整備隊長刈谷正意大尉の指揮のもと、 指揮小隊による整備状況と飛行時間の一括掌握と徹底的かつ適切な整備で稼働率を後送機抜きで常時100%に保つという驚異的な結果を出している。 とはいえこれは欧米では当たり前の整備方式であり、エンジンがどうこう言うより帝国軍全体がこういった後方要員の教育や 補給の立ち遅れをどうにかできなかったことのほうが大きい。 45年5月20日のデータによると、本土で運用されていた本機の稼働率は大体42%前後だったという。 その後も絶望的な状況下で本土防空戦や沖縄戦に投入されたが、多くのベテランを失い、さらに戦局も秒読み段階となった 末期にはろくな戦果を挙げることはできなかった。 鹵獲機を用いた戦後の飛行試験では火器を除去して徹底した整備とハイオクガソリン、高品質な点火プラグを装備したところ 高度20,000フィートでMAX687km/hを叩き出し、米軍調査団を唸らせる。 この数値は同高度でのP-51やP-47を上回るものであり、機体の火力・防御力・運動性とあわせて「The best Japanese fighter(日本最良の戦闘機)」と賞賛された。 現在はフィリピン戦で鹵獲された飛行第11戦隊所属機が、世界唯一の現存機として知覧の特攻平和会館に展示されている。 戦後に民間放出されてレストアによる性能維持がされていた機体を元海軍パイロットの実業家が購入したもので、 73年の里帰り当時は華麗な飛行でファンの目を楽しませた。 陸自の宇都宮飛行場で富士重工業の整備を受けながら保管されていたが、オーナーの死後に売却先の嵐山美術館で劣悪な管理と マニアの風上にも置けないアホどもの部品盗難のせいで飛行不能となり、最終的に特攻平和会館で屋内展示されている。 本機を日本へ譲渡した当時のオーナーのライキンス氏は、嵐山での顛末を聞いて返還を深く悔いたという。 バリエーション ○一型甲(キ84-Ⅰ甲) 制空戦闘重視の基本タイプ。生産された機体の大半がこの形式。 ○一型乙(キ84-Ⅰ乙) 機首の12.7mm機関砲を20mmに強化した対爆撃機邀撃タイプ。生産機数不明。 ○キ84-Ⅰ丙 一型乙からさらに翼内砲を30mm機関砲に換装した重装強化型。試作機のみ。 ○キ84-Ⅰ丁 一型乙の操縦席後方に20mm機関砲1門を斜銃として追加装備した夜間戦闘型。試作のみ。 ○キ84-Ⅱ 金属資源消費削減のために機体の一部を木製部品に置換した計画機。 ○キ84-Ⅲ 排気タービンを追加装備した高々度性能強化型。計画のみ。 ○キ84-Ⅳ エンジンを高々度性能に優れた強化型に換装した計画機。 ○キ84サ号 水エタノール噴射を酸素噴射に変更した高々度性能強化実験機。テスト中に終戦。 ○キ106、キ113 アルミ合金不足を鑑み、機体を木製(キ106)ないし鋼製化(キ113)したもの。 強度不足や量産性の悪化などから計画中止した失敗作。 ○キ116 満州飛行機で五式戦と同じエンジンに換装した転換生産試験機。最高速は低下したが信頼性向上と重量軽減に成功。 詳細な飛行試験を迎える前に満州にソ連が侵攻したため、機体・設計図ともに処分された。 ○キ117 エンジン出力を強化した性能向上型。設計中に終戦。 アニヲタ視点の四式戦闘機 帝国陸軍の登場するウォーシミュレーションにはおおむね参戦していると見て間違いはないだろう。出さない理由もないし。 とりあえず飛ばしたかったらIl-2をやればいい。Ⅰ丙が帝国陸軍機を代表して強機体の一角に食い込んでいる。 シューター向けには「ストライカーズ1945Ⅱ」で自機として使用可能。高性能で初心者向けといった位置づけとなっている。 ゲームアーカイブスから落とせるのでPSPでやってみるのも一興か。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] これ項目名間違ってない? 飛燕じゃなくて疾風でしょ -- 名無しさん (2014-06-10 19 21 09) 大日本帝国陸軍の戦闘機の中で最も好き。海軍では紫電改だな。 -- 名無しさん (2014-11-30 20 32 40) 二式単戦もいじってやってくだしゃい -- wara_b (2017-07-04 16 28 03) 子供の頃は4枚羽根のプロペラを見て「なるほど、だから『四式』なのか」と間違った理解をしてたw -- 名無しさん (2018-05-31 11 42 59) 部品を盗んだクズどもは地獄に落ちろ -- 名無しさん (2020-09-17 01 05 36) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku2/pages/197.html
九七式戦闘機 移動力 10 索敵範囲 3 燃料 54 索敵海中 1 生産資金 1200 搭載 不可 防御力 対空 30 対地 8 対艦 16 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 7.7mmマシンガン 3 40 8 15 0 0 1 10 10 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - 旧式戦闘機。 隼1型に進化可能だが、零式艦戦21型が登場したら系統ごと不要。 史実ではI-16よりも性能が最大速度以外上回っていたのだが鋼鉄で支障はないもののこの性能の低さはなぜなのだろうか? 余談だがドーリットル空爆の迎撃を行ったとされる。当然その時には旧式機であり、高度が足りず空爆を許してしまった。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28736.html
登録日:2014/06/02 (月) 19 14 00 更新日:2023/02/08 Wed 22 44 29NEW! 所要時間:約 11 分で読めます ▽タグ一覧 まるでダメな火力 ベテラン御用達 一式戦闘機 名機 大日本帝国 実は意外に高防御 戦闘機 期待されすぎた機体 航空機 陸軍 隼 一式戦闘機Ⅲ型甲 知覧特攻平和会館野外展示(*1) 一式戦闘機は、第二次大戦期に大日本帝国陸軍で運用された戦闘機である。愛称は隼、連合軍のコードネームは「Oscar(オスカー)」。 帝国陸軍が運用した戦闘機としては最大の総生産機数を誇ると同時に、帝国全軍の戦闘機総生産機数第二位でもある帝国陸軍の『顔』。 性能諸元(二型) 開発経緯 戦歴敵からの評価 自国の評価 バリエーション 戦後の一式戦 創作における一式戦 性能諸元(二型) 試作名称 キ43-Ⅱ 全長 8.92m 全幅 10.84m 全高 3.085m 翼面積 22m2 翼面荷重 117.7kg/m2 自重 1,975kg 正規全備重量 2,590kg 発動機 ハ115(離昇1,150馬力) プロペラ 住友ハミルトン可変ピッチ3翅 直径2.80m 最高速度 初期型515km/h/6,000m、前期型536km/h/6,000m、後期型548km/h/6,000m 上昇力 高度5,000mまで4分48秒 降下制限速度 600km/h 航続距離 3,000km(落下タンク有)/1,620km(正規) 武装 機首12.7mm機関砲2門(携行弾数各270発) ※帝国陸軍では11mm以上の機銃を機関砲と呼んでいた。なんか切ない。 爆装 翼下30kg~250kg爆弾2発 開発経緯 1937年に制式採用された九七式戦闘機だったが、ノモンハン事件で軽量格闘戦特化機の限界や、帝国陸軍の防弾装備等への見積もりの甘さが露呈する。 九七戦に限界を感じた陸軍は12月、中島飛行機にキ43の試作を内示。39年末の実用化を目指し開発が始まった。 軍の性能要求によると、 1.最大速度は500km/h以上であること 2.上昇性能は5,000mまで5分以内であること 3.固定兵装として機関銃2門を装備すること 4.運動性はキ27(九七戦)以上であること 5.行動半径は300kmを基準とし飛行猶予時間を30分以上取ること 要は九七戦の完璧なアッパーバージョン作ってちょ、ということだった。 中島では九七戦の開発指揮を執った小山悌を設計主務に据えて設計課を編成。研究科空力班からのサポート要員として、後に国産ロケット開発のパイオニアとなる糸川英夫が参加した。 設計陣の一人によると、軍の要求を「運動性で勝ることであって近接格闘性じゃないんだな?よし、じゃあ重量増やしてでも性能向上させようか」と解釈していたという。 引込脚以外は九七戦の踏襲で時間短縮したために開発は順調に進み、翌38年12月には試作壱号機の試験飛行にこぎつける。 原型が既に完成していたとはいえ、わずか1年で試験飛行にまでこぎ着けられる開発課の力量は正直パない。 さすが大日本帝国、工業力は列強最弱級でも技術力は伊達じゃなかった。……まあ列強最強の鬼畜チートと半身限定とはいえ殴り合えるくらいだし。 ……が、試験飛行の結果、航続距離の延伸こそ目覚ましかったものの、最高速度の向上値が僅かな上に旋回性で九七戦に劣ることが判明。 そもそも機動力と防御力、火力は並立できても、運動性はどうしても他3つを犠牲にしなければ不可能なわけで。 つまり強力なエンジンさえあれば防弾装備も大口径機銃も積み放題だし最大速度も稼げる(例 サンダーボルト)が、そんな機体に旋回性求められるか?ということ。 で、九七戦は格闘性能と引き換えに防御力と火力をほぼ完全に捨ててたわけで。 そしてキ43に求められていたのはつまる所「防御力と機動性を上げつつ運動性も強化な?」というガチの無茶ぶりだったわけで。 だいたい全領域で九七戦に勝る戦闘機作れって、帝国の立地(資源的な意味で)と工業力じゃまず不可能なんだがなぁ……主にエンジンとかターボチャージャーとか そんなわけで軽戦闘機推進派、ノモンハン戦訓対応推進派の双方から「半端はポイーで」され、リベンジとして強化型のキ43-Ⅱへの改良が決定される。 改良が進む間にも欧米諸国との関係悪化は進行し、ついに開戦やむなし……となったところで米軍の新型機に対抗可能なキ44(鐘馗)の配備が間に合わないと判明。 また、南方作戦に必須の航続距離長大な戦闘機の素体として有用と再評価され、急遽ではあるがほぼ試作機そのままでの制式採用と量産体制への移行が決定。 41年(皇紀2601年)に一式戦闘機として制式採用されることとなった。 帝国陸軍航空部隊の顔とも言える隼だが、その歩みは必ずしも順風満帆じゃなかったのだ。 戦前の日本では軍内部やマスg……失礼、マスメディア上で鷲や鷹などといった勇ましい鳥の名を呼び名として用いており、一式戦も国民への宣伝の一環として「隼」と命名され、 太平洋戦争開戦間もない42年3月8日には「新鋭陸鷲、隼現わる」の見出しが各新聞に踊った。 戦歴 1941年6月から8月にかけての漢口-重慶間長距離侵攻(飛行第59戦隊所属機9機参加)が初陣となる。この時は迎撃機が上がってこなかったので初実戦とはいかなかった。 また、8月末から機種転換を開始した第64戦隊は12月3日に広東-仏印フーコック島ズォンドン間を長駆、1機の落伍もなしに進出する。 4日後に山下泰文中将麾下の第25軍輸送船団の上空援護(夜間かつ荒天という超悪条件)を完遂する。 この第64戦隊を率いていたのが、後に軍神に列せられる加藤建夫中佐。加藤隼戦闘隊の名で知られる、エース揃いの精鋭集団である。 以後、各方面で終戦まで運用され、大いに戦果を挙げた。 海軍機と異なり初期からある程度の防弾能力を有していたこと(*2)もあり生存性が比較的まともだったこと、九七戦譲りの射撃安定性や良好な運動性能も相まって格闘戦にはめっぽう強かった。 緒戦では物知らずな連合軍機を誘い込んでは散々に喰い散らかしているが、さすがに手の内が読まれてくると一撃離脱に徹され、また物資供給の停滞や彼我の物量差などから苦戦を強いられた。 また主翼の構造上、翼内機関砲の搭載が事実上不可能であり、絶望的な火力の低さは最後までどうにもならなかった。 まあ、ベテランに言わせると「装甲化された胴体ではなく翼を狙えば楽よ?」らしいが……さらっと無茶仰らんでください カタログスペック的に戦争後期には完全に旧式化していたが、終戦までそんな機体を生産・運用し続けたことに対しては後世からの批判が割とよくある。 しかし、後続の鍾馗は重戦闘機志向で、運動性重視の機体に慣れたベテランや適性の低いパイロットには不向きだった。 三式戦闘機(飛燕)、四式戦闘機(疾風)は格闘戦も一撃離脱もこなせるがエンジン信頼性が死亡宣告で、信頼性を維持していた本機は貴重だったのだ。 また、九七戦が母体だけあって操縦性が良好で、新人にとっても扱いやすかった(練習機と操縦特性があまり変わらない)のも一因だった。 陸軍機という性質上、ドロップタンクと爆装の選択が容易で、また最大爆装も250kg爆弾2発とそこそこのものだった。 大戦中期以降は戦闘爆撃機としても積極運用されており、45年2月11日には爆装機2機がイギリスの2,200t級駆逐艦「パスファインダー」に急降下爆撃を敢行、大破させている。 そして例によって例のごとく、特攻機としても爆装能力は存分に利用された。 敵からの評価 鹵獲機をテストしてみた英国紳士曰く、「技術的には全然目新しくないよ。火力は本当に最低限だし。ただ、この操縦性と運動性の高さは素晴らしいね。こっちが叩き落とされるわけだ」 とのことで、テストパイロット全員一致での高評価を受けている。なんでも、上等なズボンの履き心地のようだったとか。さすが紳士、評価も洒脱だった。 高速時にも安定した機動が行えることもあって、零戦にも勝る部分を多々見出していたという。 一方の米軍では、「こんなんと低高度格闘戦で勝てるわきゃないだろ、いい加減にしろ!」と、これまた対峙した側ならではの高評価だった。 もともと米軍機が対独戦の影響で重戦闘機志向だったこともあって、格闘戦は大半の機体にとって死亡フラグだったからだ。 しかも隼の方は改修で12.7mm機銃対応の防弾性能を有し、機体強化である程度は一撃離脱に対応可能。零戦と違って完全なカモではなかったのだ。 小型軽量でプロペラも小さな本機は加速性能も高く、隼を攻撃しようとして急降下したP-38やP-47を引き離して逃げて行った…なんて話も。 そのせいか、質と量が素敵に無敵な米軍の新鋭機でもしばしば返り討ちに合った。 上記のように防弾設備がそれなりのものでパイロットの損耗率が海軍に比べて低く、高速度域での安定性の高さは高速格闘戦での強さの源となり、 火力の低さはともかくとしても、隼そのものは連合軍からしても終戦まで油断ならぬ脅威だったようだ。 実際、九七戦に劣ると文句をつけられた運動性にしたって、連合軍からしてみれば「おいばかやめろ、なんだってこんなに食らいつけるんだうわヤバい振りきれないアッー!」 な鬼畜性能として映っていたわけで、単に帝国陸軍が突き抜けすぎてただけとも思える。 自国の評価 試験当初こそ半端者扱いされていたが、運用開始後は評価が一変。上昇性能や運動性の高さ、高い稼働率と整備性、故障しにくさが高く評価されることとなる。 その結果、鍾馗配備満了までの代替機から陸軍の主力戦闘機にのし上がった。 当初は7.7mm対応だった防弾装備も12.7mm対応に強化され、それでもなお軽快に振り回せるとあってパイロットに愛されていたようだ。 上記の通り、連合軍機からしても当てやすい12.7mmだと大量に撃ち込まないと落とせない隼はかなり厄介であった。 反面、火力の低さには最後まで泣かされ続けた。一型の7.7mm機銃は言わずもがな、「いくらなんでも火力低すぎんだろいい加減にしろ!」とツッコミ多数。 12.7mm2門に強化されたがそれでも最低限程度でしかなく、対戦闘機に特化しすぎたツケは最後までのしかかった。 (これは隼設計当時の戦闘機は世界中を見てもそこまで防弾性が高くなかったこともある) 胴体部機銃を20mmに強化した試験機も作られたが、ただでさえ弾薬搭載量に限りがあるところに大口径機銃をブチ込んだせいで経戦能力が死亡宣告。 試験機の域を出ることはなかった。 敵国からは高く評価されている操縦性だが、こっちは九七式という偉大すぎる先達のせいであまり評価されていない。 戦闘もできる曲芸飛行機と比較するのはどうかと思うんだが…… また、零戦が有名すぎること、比較すると火力面で劣ってることなども相まって「所詮零戦の下位互換だろワロス」扱いされることまである始末。 あっちはワンショットライターだし海軍の無線がお察し性能だったり、火力面以外はむしろ隼のほうが優れてるんだがなぁ…… まあ、あっちは隼と違って重装甲の爆撃機迎撃も重要な任務だったか一概に比較は出来ない。隼と零戦は似ているようでだいぶ異なる性格の機体なのだし。 ともかく、第二次大戦期の帝国軍機を代表する機体であり、名機だったことについては疑いの余地はない。 バリエーション ○一型(キ43-Ⅰ) 試作機に最低限の改修を施した最初期生産型。増加試作機や極初期生産機では火砲が7.7mm機銃2門というザ・豆鉄砲オンリーだったのでツッコミ続出。 12.7mmとの混載に切り替えられた後、順次12.7mm2門に換装されていった。この時点での防弾装備は7.7mm弾対応で、防御に手を入れただけ有情というレベル。 生産開始は41年4月、部隊配備は同年6月から。1943年以内に二型に置き換えられて第一線を退き、以降は標的曳航機や訓練機として運用された。 格闘戦至上主義のアホどもがせっついたせいで軽量化しすぎたため、機体強度に難があった。 ○二型(キ43-Ⅱ) 一型の欠陥を改善し、防弾設備やエンジンの強化を行った正規生産仕様。43年6月以降の生産機からは操縦席背面に12.7mm対応の防弾鋼板が追加装備された。 量産開始は42年11月、実戦配備は43年1月から。一式戦の各仕様の中でも最多生産数を誇る。 後期生産型からは推力式集合排気管が装備されて機動性が向上したほか、三型への現地改修キットを転用して推力式単排気管を採用した末期生産型もある。 隼といえばだいたいこいつ。 ○三型(キ43-Ⅲ) エンジンを水メタノール噴射装置付きの改修モデルに換装した最終生産仕様。武装や防御性能は二型に準ずる。 機動性・運動性ともに後発機にも劣らぬ良好なものに仕上がっている。仕上がりが遅い?言うな。 中島は疾風の生産にかかりきりになっていたので試作のみで、量産は全て立川が担当した。量産開始は44年7月から。 水メタノール噴射装置の不具合や整備兵の不慣れが重なり、配備当初は稼働率が一時下がった。 ここまで来ると(二型後期も含む)当初の「遠距離型軽戦」のイメージはだいぶ薄れており、かなり無理が利く機体になっていた。 火力強化試作機のベースとなったのも本機。 元陸軍エースパイロットの上坊良太郎氏(*3)に取材をしたところ、もし乗るならばどの機体がいいかという問いに対しこの三型がいいと回答している。 これは従来の隼より無理が効くことを理由に挙げているが、それ以外にも終戦まで隼が活躍できた稼働率の高さも理由の一つとされている。 尤も、当人の愛機は二式戦闘機乙型(*4)だったが。 戦後の一式戦 戦後は外地で終戦を迎えた機体はインドネシアでは独立派に接収され、志願残留した元日本兵ともども各地で独立戦争に大きな役割を果たす。 フランス軍も接収しておりこれはインドシナ紛争で対ゲリラ用に投入されている。 ちなみに日本でもあの占守島の戦いで第54戦隊の隼が活躍している。 現存機としては限りなくオリジナルに近い機体が1機、フライング・ヘリテッジ・コレクションに収蔵されている。 他にも合計で10機弱が現存するが、そのうち飛行可能なものはほとんどない。 国内には三型甲がモデルのレプリカが1機、知覧特攻平和会館に展示されている。 創作における一式戦 第二次大戦期の帝国陸軍が登場するウォーシミュレーションやフライトシムにはおおむね参戦していると見ていい。 とりあえず操縦したかったらIl-2 1946をプレイして、どうぞ(モロマ 松本零士の戦場まんがシリーズにも登場しているほか、映画だと『加藤隼戦闘隊』あたりが有名か。 最近だと『俺は、君のためにこそ死ににいく』もあるが。 なお冒頭の隼はこの映画のために制作された原寸大のレプリカで撮影後知覧特攻平和会館に寄贈された。 ちなみに架空戦記では割と不遇だったりする。 海軍機の零戦と違って登場する機会が少ない上に、航空機の陸海軍共通化という名目でキ-43が不採用に終わる作品すらあるからである。 まあ大東亜決戦機と称された疾風ですら烈風より出番が少ない有様なので、陸軍機自体が割りを食ってるわけだが…… 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 翼狙いは別に難しくない。考えれば分かるが遥かに面積のデカイ主翼の方が当たりやすいからな ワンショットライターは戦後の自虐で実際はそうでもない。零戦も一式陸攻も防弾装備はちゃんとある 急降下制限速度も中後期には改善されてる 操縦や離着陸がしやすいのが日本戦闘機の特徴。欧米機は重戦化が激しいのと足が弱いせいで操縦や離着陸がかなり難しい。 「戦闘よりも事故での損失の方が上」で有名なBf109や「写っている写真の大半は事故」と言われるシーファイアとか有るくらい -- 名無しさん (2014-06-02 22 13 55) 末期のパイロットに言わせると疾風より航空性能があった。隼3型 -- 名無しさん (2014-06-03 21 16 46) 去年大往生したうちのじいちゃんが疾風と(確かあと数種)あわせて乗ってたとか言ってた。操縦桿しっかり握ってバババババババ…って機関銃撃ちまくるんだってさ -- 名無しさん (2014-06-08 02 24 36) ↑3 -- 名無しさん (2014-11-26 10 16 54) ミスった↑3その防弾装備を現場でパイロットが引っぺがしてたりしてるから結局意味なかったという -- 名無しさん (2014-11-26 10 18 21) 某戦術SLG -- 名無しさん (2014-11-27 00 41 57) 投稿ミス某戦術SLGの攻略本に書かれた日本軍シナリオの攻略法 「航空機は隼1型をメインに配備しよう。」(ジャワ・スマトラ島侵攻) 「ツラギ島のアメリカ軍指令部に対しては、隼1型を複数派遣して攻撃する。」(ポートモレスビー攻略戦) 「アリューシャン方面は隼1型を数機送れば、問題なく攻略できる。」(ミッドウェー攻略作戦) 「やはり、隼1型を武装変更してタンクを積み、複数飛ばすしかない。」(ハワイ攻略作戦) 「隼1型を隼2型に進化させるのは、リベレーターを攻撃してからでも遅くはない。」(第二次ソロモン海戦) 「最初に配置するのは、通常どおり隼2型だ。」(マタニカウ川の攻勢) 「優先して配置するのは隼1型。」「余裕がなければ隼2型に指令部攻略を任せたい。」(インド侵攻作戦) 「いつもの戦いと同じように隼2型を配置すると、離陸するまえに全滅させられるだろう。」(アメリカ西海岸上陸作戦) 「隼2型は余裕があれば配備(3型へは改良しない)。」(マリアナ沖海戦) なおこのゲームでの隼は値段以外ゼロ戦以下で使う意味がほぼないためこの本は隼本と言われている。 -- 名無しさん (2014-11-27 00 47 29) なんで陸軍機は知名度低くて人気無いのか。優秀な機体も多いのに -- 名無しさん (2014-11-27 00 51 24) 五式「私の項目建てていいのよ?(チラッチラッ)」 -- 名無しさん (2014-11-27 12 57 21) ↑×2 確証はないけど陸軍悪玉論の影響とか。「日本を敗戦と荒廃に導いた陸軍を称えるようなことは一切許さない」って狭窄思考の自称戦史研究家の単細胞はアチコチに居るし。 -- 名無しさん (2014-11-29 08 04 58) ↑2あなたミリオタ内でも知名度低すぎるのよ… 旧式の隼ばかり生産していた陸軍は無能なんて言われるが、末期ではカモ同然だった零戦を作り続けた海軍を無能といわないのはなぜなのか -- 名無しさん (2014-11-29 15 28 13) 日本を敗戦と荒廃に追い込んだ対米戦をメインで行ってボロ負けした軍はどこでしたかね(すっとぼけ) -- 名無しさん (2014-12-13 20 19 41) ↑2零戦はまだ後継機が開発遅れて「それしか手がなかった」わけだし、陸軍は後継機があったのに生産し続けたわけで「もっと性能のいい後継機という選択肢があったのになんで?」ってところが目に付いちゃったんじゃ無いかな?とくに疾風なんて有名な奴も居たわけで余計隼が槍玉に・・・ -- 名無しさん (2015-03-15 03 48 46) というか未だに隼の過小評価はミリオタ内でも酷い、逆にゼロは過大評価大杉内、実際は用途全然違って比較するのもおかしいのにな -- 名無しさん (2015-07-28 11 53 57) ただ隼の超低火力はなんとも・・・火力ショボいってレベルじゃないからなぁ -- 名無しさん (2015-08-10 02 34 26) なお、防弾装備も12.7mm対応に強化と言われているけど米軍の鹵獲機によるテストでは防弾装備は「12.7㎜に対しては無力」という評価だったとか。まあ無いよりはほんのわずかにマシ。ていどだったみたい -- 名無しさん (2015-09-21 07 39 45) 「空戦に全ステ振り」、F-15の遠い祖先とみなすこともできなくはない…かも -- 名無しさん (2015-12-18 17 08 03) 零戦に勝る部分としては、「視界」も挙げられるな。零戦は風防を空気抵抗の少ない形にしたかったのか格子が多くてこれが意外と邪魔になる(格子の陰に隠れた敵機を見落とすことも)けど、隼の風防は視界を遮る格子が少なくて周囲がとてもよく見える。 -- 名無しさん (2019-03-13 17 58 10) 陸軍機好きなのに海軍機に対して人気も知名度も低いよなぁ… -- 名無しさん (2019-03-27 23 27 16) ↑戦中は陸軍が広報に熱心だったこともあって、隼の方が人気も知名度も上(というか零戦は戦争末期まで名前すら隠されていた)だったらしいけどね。映画まで作られてたし。 -- 名無しさん (2019-06-13 19 01 17) アカギの最大の敵だった鷲巣の腹心・鈴木が元・隼乗りの特攻隊員、さらにスピンオフのワシズではほぼ常時「隼」呼びだったな -- 名無しさん (2019-06-13 19 16 25) ↑5 格闘戦に秀でた軽戦闘機として開発されたが、改良によってどんどん重装備になっていったという点ではF-16に近いかも。どっちも隼だし。 -- 名無しさん (2023-02-01 05 59 43) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aircraftdatabase/pages/15.html
九七式戦闘機 用途:戦闘機 MOD:FHT,FHSW 運用者:日本(陸軍) 概要 登場マップ タイプ 評価 概要 登場マップ マップ一覧 FHT ホンコン FHSW ホンコン 満州 タイプ 甲型(キ27甲) 7.7mm機関銃×2(1000発) 評価 FHSW 旋回、運動性は優れているが、武装が7,7ミリ機銃2挺と心許ない 速度 ★☆☆☆☆ 攻撃力 ★☆☆☆☆ 防御力 ★☆☆☆☆ 運動 ★★★★★ 旋回 ★★★★★ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/siberia_specialforce/pages/502.html
一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしきせんとうき)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。試作名称(機体計画番号。キ番号)はキ43。愛称は隼、 総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零戦に次いで二番目に多く、陸軍機としては第一位。 スペック 用途:戦闘機 分類:軽戦 設計者:小山悌 製造者:中島飛行機 運用者:日本(陸軍)、満州国(飛行隊)、タイ王国(空軍)、フランス(空軍)、インドネシア(空軍)など、数カ国 初飛行:1938年12月 生産数:5751機 運用開始:1941年12月 当機は皇紀2601年(1941年、昭和16年)に制式採用されたため、下二桁をとって「一式戦闘機」と命名された。 以前より陸軍内部や、その活躍を報道する新聞紙上やニュース映画等においては、航空部隊や戦闘機の比喩表現として「荒鷲」「陸鷲」「隼」といった猛禽類の呼び名を用いており[4]、後に一般国民に対する宣伝の為、一式戦闘機には愛称として「隼」が採用された。太平洋戦争中には各マスメディアによる報道や、1942年(昭和17年)10月公開の映画「翼の凱歌」、1944年(昭和19年)3月公開の映画「加藤隼戦闘隊」といった両ヒット作を通じ、「隼」は広くこの名で全国民に知られ親しまれる事となった。 当部隊に配備されている一機はレストア機だが近代化改修されていて、エンジンや、武装、計器類、コックピットなどが最新の物アップデートされていて、性能と操作性が飛躍的に向上しているので寧ろレプリカに等しい。 性能はその辺のアクロバット用の飛行機に武装足したくらいです byミハエル ミハエル・コーネフスキー一等兵がウラジオ武器商社長から譲り受けた一機で彼の所有物である。
https://w.atwiki.jp/2chsiberiassf/pages/53.html
一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしきせんとうき)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。試作名称(機体計画番号。キ番号)はキ43。愛称は隼、 総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零戦に次いで二番目に多く、陸軍機としては第一位。 スペック 用途:戦闘機 分類:軽戦 設計者:小山悌 製造者:中島飛行機 運用者:日本(陸軍)、満州国(飛行隊)、タイ王国(空軍)、フランス(空軍)、インドネシア(空軍)など、数カ国 初飛行:1938年12月 生産数:5751機 運用開始:1941年12月 当機は皇紀2601年(1941年、昭和16年)に制式採用されたため、下二桁をとって「一式戦闘機」と命名された。 以前より陸軍内部や、その活躍を報道する新聞紙上やニュース映画等においては、航空部隊や戦闘機の比喩表現として「荒鷲」「陸鷲」「隼」といった猛禽類の呼び名を用いており[4]、後に一般国民に対する宣伝の為、一式戦闘機には愛称として「隼」が採用された。太平洋戦争中には各マスメディアによる報道や、1942年(昭和17年)10月公開の映画「翼の凱歌」、1944年(昭和19年)3月公開の映画「加藤隼戦闘隊」といった両ヒット作を通じ、「隼」は広くこの名で全国民に知られ親しまれる事となった。 当部隊に配備されている一機はレストア機だが近代化改修されていて、エンジンや、武装、計器類、コックピットなどが最新の物アップデートされていて、性能と操作性が飛躍的に向上しているので寧ろレプリカに等しい。 性能はその辺のアクロバット用の飛行機に武装足したくらいです byミハエル ミハエル・コーネフスキー一等兵がウラジオ武器商社長から譲り受けた一機で彼の所有物である。
https://w.atwiki.jp/aircraftdatabase/pages/12.html
戦闘機一覧第一次世界大戦期の戦闘機 戦間期の戦闘機 第二次世界大戦期の戦闘機日本 ドイツ イタリア フィンランド ルーマニア アメリカ イギリス ソビエト ラトビア フランス チェコスロヴァキア ユーゴスラビア オーストラリア スウェーデン 冷戦初期(大戦終結~朝鮮戦争)の戦闘機 冷戦前期(ベトナム戦争以前)の戦闘機 冷戦後半(ベトナム戦争以後)の戦闘機 冷戦終結から21世紀の戦闘機 戦闘機一覧 第一次世界大戦期の戦闘機 ドイツ帝国 フォッカー EIII フォッカー Dr.I フォッカー D II フォッカー D VI フォッカー D.VII フォッカー D.VIII ファルツ E ファルツ D XII アルバトロス D ジーメンス・シュッケルト D III/IV ハルバーシュタット D ハンザ・ブランデンブルク KDW ユンカース D.I ローランド D II ルンプラー 6B1 ルンプラー 8D1 オーストリア・ハンガリー帝国 アビアテック D.I フェーニクス D.II イギリス (RFC) デハビランド D.H.2 ソッピース トリプレーン ソッピース キャメル(空軍) RAF S.E.5 ブリストル F.2 ファイター フランス ニューポール11/16/17/21/23/24 モラン・ソルニエ N SPAD VII/XIII ロシア帝国 シコールスキイ S.XVI 戦間期の戦闘機 日本 海軍 一〇式艦上戦闘機 A1N 三式艦上戦闘機 A2N 九〇式艦上戦闘機 A3N 九〇式練習戦闘機 A4N 九五式艦上戦闘機 A5M 九六式艦上戦闘機 試作機 A3M/N 七試艦上戦闘機 八試複座戦闘機 九試単座戦闘機 陸軍 九一式戦闘機 九二式戦闘機 キ5 キ8 キ11 キ12 キ10 九五式戦闘機 キ18 キ27 九七式戦闘機 キ28 キ33 キ45 ドイツ共和国 アラド Ar 65 ハインケル He 51 アラド Ar 68 アラド Ar 80 メッサーシュミット Bf 109 ハインケル He 112 イギリス 空軍 (RAF) ブリストル ブルドッグ グロスター ゴーントレット グロスター グラディエーター ホーカー デモン ホーカー フューリー ホーカー ニムロッド ホーカー ウッドコック 海軍 (FAA) ホーカー アスプリー グロスター シーグラディエーター アメリカ 陸軍 カーチス P-1 ホーク カーチス P-6 ホーク ボーイング P-12 ボーイング P-26 ピーシューター セヴァスキイ P-35 カーチス P-36 ホーク カーチス・ライト CW-21 デモン ベル XFM-1/YFM-1 エアラクーダ 海軍 カーチス F7C シーホーク ボーイング F2B ボーイング F4B ボーイング XF6B(試作のみ) グラマン F3F ソビエト ポリカールポフ I-1 グリゴローヴィチ I-2 ポリカールポフ I-3 ツポレフ I-4 ポリカールポフ I-5 ポリカールポフ I-Z ポリカールポフ I-15チャーイカ ポリカールポフ I-152 ポリカールポフ I-153 チャーイカ ポリカールポフ I-16 フランス ドボアチン D.373 ドボアチン D.501 ドボアチン D.510 モラーヌ・ソルニエ MS.225 モラーヌ・ソルニエ MS.405/406/410 ニューポール 29 ニューポール・ドラージュ NiD.62 ポテ(ポテーズ) 630/631 イタリア フィアット CR.20 フィアット CR.32 フィアット G.50 フレッチア マッキ MC.200サエッタ オランダ フォッカー D.XVII フォッカー D.XXI フォッカー G.1 コールホーフェン F.K.58 フォッカー D.XXIII ポーランド PZL P.7 PZL P.11 チェコスロバキア アエロ A.18 シュコダ D.1 レトフ S.20 レトフ S.231 アヴィア BH-3 アヴィア BH-33 アヴィア B.21(BH-21) アヴィア B.534 アヴィア B.35 ユーゴスラビア イカルス IK-2 第二次世界大戦期の戦闘機 日本 海軍 A6M 零式艦上戦闘機 A6M2-N 二式水上戦闘機 J1N 夜間戦闘機「月光」 J2M 局地戦闘機「雷電」 N1K 水上戦闘機「強風」 N1K1-J 局地戦闘機「紫電」 N1K2-J 局地戦闘機「紫電改」 試作機 A7M 十七試艦上戦闘機「烈風」 J3K 十七試陸上戦闘機(計画中止、陣風の原設計) J4M 十七試局地戦闘機「閃電」 J5N 十八試局地戦闘機「天雷」 J6K 十八試甲戦闘機「陣風」 J7W 十八試局地戦闘機「震電」 S1A 十八試丙夜間戦闘機「電光」 P1Y2-S 夜間戦闘機「極光」(仮称:銀河二六型) P1Y1-S 夜間戦闘機「白光」(仮称:銀河二一型、銀河(夜戦型)の中島飛行機発注製作分を白光と称した) その他試作計画を伝えられる海軍戦闘機。試作機名称は判明しているが詳細は不詳の機体(出典:荻原四郎編・『日本軍用機三面図集"海軍機編"』㈱鳳文書林、1962年刊205頁) 局地戦闘機:迅電、飛電、栄電、彩電 甲戦闘機:陸風、春風、旋風、寒風 夜間戦闘機:紫光、緑光、翔光、閃光、旭光、陣月、弦月 陸軍 キ43 一式戦闘機「隼」 キ44 二式単座戦闘機「鍾馗」 キ45改 二式複座戦闘機「屠龍」 キ60 試作戦闘機 キ61 三式戦闘機「飛燕」 キ64 試作高速戦闘機 キ83 試作遠距離戦闘機 キ84 四式戦闘機「疾風」 キ87 試作高高度戦闘機 キ88 試作局地戦闘機 キ94 試作高高度戦闘機 キ96 試作双発戦闘機 キ98 試作高高度戦闘機 キ100 五式戦闘機 キ102 試作戦闘機/襲撃機(五式複座戦闘機) キ108 試作高高度戦闘機 キ108改 試作高高度戦闘機 キ109 試作特殊防空戦闘機 キ201 試作戦闘爆撃機「火龍」 陸海軍共同 試作機 キ200/J8M 十九試局地戦闘機「秋水」 ドイツ メッサーシュミット Bf 109 メッサーシュミット Bf 110 メッサーシュミット Me 163 コメート メッサーシュミット Me 210/410 ホルニッセ メッサーシュミット Me 310 メッサーシュミット Me 262 シュヴァルベ メッサーシュミット Me 263 フォッケウルフ Fw 187 フォッケウルフ Fw 190 ヴュルガー フォッケウルフ Ta 152 フォッケウルフ Ta 154 フォッケウルフ Ta 183 ブローム・ウント・フォス BV 40 ブローム・ウント・フォス BV 155 ドルニエ Do 17Z カウツ ドルニエ Do 215B カウツ ドルニエ Do 217(J・N型) ドルニエ Do 335 プファイル ハインケルHe 100 ハインケル He 162 ザラマンダー ハインケル He 219 ウーフー ハインケル He 280 ユンカース Ju 88(C・R・G型) メッサーシュミット Me 209 メッサーシュミット Me 309 アラド Ar 197 アラド Ar 240 ホルテン Ho 229 バッヘム Ba 349 イタリア フィアット CR.42 ファルコ フィアット G.55/56 チェンタウロ マッキ MC.200 サエッタ マッキ MC.202 フォルゴーレ マッキ MC.205 ベルトロ レジアーネ Re.2000 ファルコ レジアーネ Re.2001 アリエテ I レジアーネ Re.2002 アリエテ II レジアーネ Re.2005 サジッタリオ アンブロシーニSAI.207 メリディオナリRo.57 ブレダ Ba.27 フィンランド VL ミルスキ VL ピョレミルスキ ルーマニア IAR-80 IAR-81 アメリカ 陸軍航空隊(後に陸軍航空軍) ロッキード P-38 ライトニング ベル P-39 エアラコブラ カーチス P-40 ウォーホーク/トマホーク リパブリック P-43 ランサー リパブリック P-47 サンダーボルト ロッキード XP-49 グラマン XP-50 ノースアメリカン P-51 マスタング ヴァルティーXP-54スウースグース カーチス XP-55アセンダー ノースロップXP-56ブラックバレット タッカー XP-57 - 計画のみ ベル P-59 エアラコメット カーチス XP-60 ノースロップ P-61 ブラックウィドウ カーチス XP-62 ベル P-63 キングコブラ ノースアメリカン P-64 ヴァルティーP-66 バンガード マクダネル XP-67バット リパブリック XP-69 ダグラス P-70 カーチス XP-71 フィッシャー P-75イーグル ベル XP-77 海軍 ベル FL エアラボニータ - 試作のみ ブリュースター F2A バッファロー ヴォート F4U コルセア グラマン F4F ワイルドキャット グラマン F6F ヘルキャット グラマン F7F タイガーキャット グラマン F8F ベアキャット ボーイング F8B - 試作のみ カーチス F14C - 試作のみ グッドイヤー F2G - 試作のみ グラマン XF5F スカイロケット - 試作のみ ヴォート XF5U - 試作のみ カーチス XF15C - 試作のみ イギリス 空軍 (RAF) ウェストランド ホワールウィンド ウェストランド ウェルキン ブリストル ブレニム ブリストル ボーファイター ボールトンポール デファイアント スーパーマリン スピットファイア ホーカー ハリケーン ホーカー タイフーン ホーカー テンペスト ホーカー ホットスパー ホーカー トーネード デハビランド モスキート グロスター ミーティア 海軍 (FAA) スーパーマリン シーファイア ホーカー シーハリケーン ブラックバーン ロック ブラックバーン ファイアブランド フェアリー フルマー フェアリー ファイアフライ ソビエト ミグ MiG-1 ミグ MiG-3 ヤコヴレフ Yak-1 ヤコヴレフ Yak-3 ヤコヴレフ Yak-7 ヤコヴレフ Yak-9 ラーヴォチュキン・ゴルブノーフ・グトコーフ LaGG-1 ラーヴォチュキン・ゴルブノーフ・グトコーフ LaGG-3 ラーヴォチュキン La-5 ラーヴォチュキン La-7 ペトリャコーフ/ミャスィーシチェフ Pe-3 ポリカールポフ I-17 ポリカールポフ I-180 ポリカールポフ I-185 ポリカールポフ I-190 ラトビア VEF(イルビティス) I-16 VEF(イルビティス) I-19 フランス ドボアチン D.520 アルセナル VG.33 ブロシュMB.151/152/155/157 コードロン CR.714 チェコスロヴァキア アヴィア B.135 ユーゴスラビア イカルス / ロゴジャルスキ IK-3 オーストラリア コモンウェルス CA-12 ブーメラン スウェーデン サーブ 21 FFVS J22 冷戦初期(大戦終結~朝鮮戦争)の戦闘機 アメリカ 空軍 ノースロップ XP-79(試作のみ) ロッキード F-80(P-80) シューティングスター コンベア XP-81(試作のみ) ノースアメリカン F-82(P-82) ツインムスタング ベル XP-83(試作のみ) リパブリック F-84 サンダージェット/サンダーストリーク マクドネル XF-85 ゴブリン(試作のみ) ノースアメリカン F-86 セイバー カーチス XF-87(試作のみ) マクドネル XF-88(試作のみ) ノースロップ F-89 スコーピオン ロッキード XF-90(試作のみ) リパブリック XF-91 サンダーセプター(試作のみ) コンベア XF-92(試作のみ) ノースアメリカン YF-93(試作のみ) ロッキード F-94 スターファイア 海軍 ライアン FR ファイアボール マクドネル FH ファントム ノースアメリカン FJ(F-1) フューリー マクドネル F2H(F-2) バンシー コンヴェア FY ポゴ(試作のみ) コンヴェア F2Y(F-7) シーダート(試作のみ) ダグラス F3D(F-10) スカイナイト マクドネル F3H(F-3) デーモン ダグラス F4D(F-6) スカイレイ ダグラス F5D スカイランサー (試作のみ) チャンスヴォート F6U パイレート チャンスヴォート F7U カットラス グラマン F9F(F-9) パンサー/クーガー イギリス 空軍 (RAF) スーパーマリン スパイトフル スーパーマリン スイフト デハビランド ホーネット デハビランド バンパイア デハビランド ベノム ホーカー ハンター グロスター ジャベリン 海軍 (FAA) ホーカー シーフューリー スーパーマリン シーファング スーパーマリン アタッカー デハビランド シーホーネット デハビランド シーバンパイア デハビランド シーベノム ホーカー シーホーク カナダ アブロ・カナダ CF-100 カナック フランス ダッソー MD450 ウーラガン ダッソー MD452 ミステール シュド・ウェスト SO4050 ボートゥール イタリア フィアット G.59 ソビエト ラヴォチキン La-9 “フリッツ” ラヴォチキン La-11 ラヴォチキン La-15 ミグ MiG-9 “ファーゴ” ミグ MiG-15 “ファゴット” ヤコヴレフ Yak-9P “フランク” ヤコヴレフ Yak-15 “フェザー” ヤコヴレフ Yak-17 “フェザー” ヤコヴレフ Yak-23 “フローラ” ユーゴスラビア S-49 スウェーデン サーブ 29 トゥンナン アルゼンチン カルチーン プルキーI/II 冷戦前期(ベトナム戦争以前)の戦闘機 アメリカ 空軍 ノースアメリカン F-100 スーパーセイバー マクドネル F-101 ヴードゥー コンヴェア F-102 デルタダガー リパブリック F-103 サンダーウォーリア -計画のみ ロッキード F-104 スターファイター リパブリック F-105 サンダーチーフ コンヴェア F-106 デルタダート ノースアメリカン F-107 (試作のみ) ノースアメリカン F-108 レイピア -計画のみ ベル F-109 -計画のみ マクドネル F-110 スペクター ジェネラルダイナミックス F-111 アードヴァーク ロッキード YF-12 海軍 ダグラス F6D ミサイリアー -計画のみ マクドネル F-4 ファントムII チャンスヴォート F-8(F8U) クルセイダー グラマン F11F(F-11) タイガー 輸出用 ノースロップ F-5 フリーダムファイター/タイガーII イギリス フォーランド ナット ※イギリス本国では練習機として使用 デハビランド シービクセン イングリッシュエレクトリック ライトニング ホーカー・シドレー ハリアー カナダ アヴロ・カナダ CF-105アロー(試作のみ) フランス ダッソー シュペルミステール ダッソー ミラージュIII ダッソー ミラージュ5/50 イタリア フィアット(アエリタリア) G.91 イスラエル ネシェル ソビエト MiG-17 “フレスコ” MiG-19 “ファーマー” MiG-21 “フィッシュベッド” Su-9 “フィッシュポット” Su-11 “フィッシュポット” Yak-25 “フラッシュライト” Yak-28P/PM “ファイアーバー” ユーゴスラビア J-1 ヤーストレブ スウェーデン サーブ 32 ランセン サーブ 35 ドラケン インド HAL マルート HAL アジート 冷戦後半(ベトナム戦争以後)の戦闘機 アメリカ 空軍 マクダネル・ダグラス F-15 イーグル ゼネラル・ダイナミクス F-16 ファイティングファルコン マクダネル・ダグラス YF-17(試作のみ) ノースロップ F-20 タイガーシャーク(輸出用、試作のみ) 海軍 グラマン F-14 トムキャット マクダネル・ダグラス F/A-18 ホーネット 海兵隊 マクダネル・ダグラス ハリアー II イギリス パナビア トーネード ADV フランス ダッソー ミラージュF1 ダッソー ミラージュ2000 日本 三菱 F-1 イスラエル ネシェル クフィル 台湾(米国と共同開発) F-CK-1 経国(チンクオ) 南アフリカ(イスラエルと共同開発) チーター チリ(イスラエルと共同開発) パンテーラ エルカン アルゼンチン(イスラエルと共同開発) ダガー/フィンガー マラー スウェーデン サーブ 37 ビゲン ソビエト ミコヤン MiG-23 ”フロッガー” ミコヤン MiG-25 ”フォックスバット” ミコヤン MiG-29 ”ファルクラム” ミコヤン MiG-31 ”フォックスハウンド” スホーイ Su-15 ”フラゴン” スホーイ Su-17/20/22 ”フィッター” スホーイ Su-24 ”フェンサー” スホーイ Su-27 ”フランカー” Yak-38 ”フォージャー” Yak-141 ”フリースタイル” ルーマニア IAR-93 オラオ(ユーゴスラヴィアと共同開発) IAR-99 ショイム ユーゴスラビア J-22(ルーマニアと共同開発) 中国 殲撃8/II(J-8/II) ”フィンバック” 殲轟7(JH-7) 冷戦終結から21世紀の戦闘機 アメリカ ボーイング F-15E ストライクイーグル ゼネラル・ダイナミクス F-16XL(試作のみ) ボーイング F/A-18E/F スーパーホーネット ロッキード・マーティンF-22 ラプター ノースロップ YF-23 ブラック・ウィドウ II(試作のみ) ボーイング X-32(試作のみ) ロッキード・マーティン F-35 ライトニングII(JSF) ロッキード・マーティンFB-22 ストライクラプター (開発中) ロシア ミコヤン MiG-29SMT/BM ミコヤン MiG-29K ミコヤン MiG-31M ミコヤン MiG-35 スーパーファルクラム スホーイ Su-27M/35 スホーイ Su-30M/K/MK スホーイ Su-33 フランカーD スホーイ Su-35 フランカーE スホーイ Su-37 フランカーF スホーイ Su-47 ビェールクト 日本(米国と共同開発) 三菱 F-2 フランス ダッソー ラファール ヨーロッパ共同開発 ユーロファイター タイフーン スウェーデン サーブ 39 グリペン 中国 成都 殲撃10(J-10/F-10) 成都 超七梟龍(FC-1) インド ADA テジャス (戦闘機) イラン HESA サエゲ (航空機) HESA アザラフシュ (航空機)