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マタイによる福音書 名前 マタイによる福音書 VP 20 効果 - 関連人物 イエスの母マリア 洗礼者ヨハネ 東方の三博士 トマス ナザレのヨセフ ペトロ ヘロデ大王 マタイ ヨハネ BPランキング 順位 BP 枚数 人物 1位 13万 1 イエスの母マリア 3位 11万 2 洗礼者ヨハネ, ヘロデ大王 5位 10万 2 イエス・キリスト, ペトロ 9位 9万 4 ダビデ, トマス, マタイ, ヨハネ 12位 8万 3 サムソン, ソロモン, モーセ 17位 7万 5 東方の三博士 20位 6万 3 ナザレのヨセフ 24位 5万 4 26位 4万 2 29位 3万 3 31位 2万 2 32位 1万 1
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新約外典の福音書である。別名ピラト行伝。ニコデモに帰せられているが、ニコデモが書いたとは考えられない。 4世紀ころに成立し、その後1000年かけて継ぎ足されてできた。ニコデモがヘブライ語の原本をギリシャ語に翻訳したという体裁の下に、ピラトによる裁判の場面のイエス、十字架上の最期、アリマタヤのヨセフによる埋葬、空虚の墓、ガリラヤでの復活のイエスの顕現を、おとぎ話風に拡大して物語る。ユダヤ人がイエスの処刑の責任を負うというのが特長である。 第二部ではイエスの冥府巡りが書かれているが、後世の追加と思われる。冥界へ下ったイエスが、アダム、セツ、アブラハム、ダビデ、イザヤ、洗礼者ヨハネなどの死者と出会い、彼らを冥界から天国へ引き上げ、代わりにサタンを冥界につなぐ。 ニコデモ ニコデモは新約聖書のヨハネによる福音書に登場するユダヤ人、イエスに共鳴した人物として描かれている。 ヨハネ福音書によればニコデモはファリサイ派で最高法院の議員であったが、イエスに敬意を払っており、夜ひそかにイエスを訪れ、問答をする。(ヨハネ3 1-21)ユダヤ人指導者たちがイエスを非難する場では「我々の律法では、罪の証が無ければ裁かないではないか」と、彼を弁護している。(ヨハネ7 51)イエスの処刑後は、使徒や他の弟子たち、アリマタヤのヨセフとともにイエスの遺体を引き取って、埋葬している。 正教会の伝承では、ニコデモはこの後キリスト教徒となり、ユダヤ人に殺されて殉教したとする。復活大祭の2週後の主日(日曜日)に、イエスの葬りに参加した他の人物、アリマタヤのヨセフ、携香女らとともに記憶される。 http //homepage2.nifty.com/butuUkai/bible/apocrypha4.htm http //www.ina.catholic.ne.jp/church/data/Father/other/gaiten/00.html
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『ルカによる福音書』(ギリシア語 Κατά Λουκάν Ευαγγέλιον [Kata Loukan Euangelion]、ラテン語 Evangelium Secundum Lucam)は、新約聖書中の一書で、イエス・キリストの言行を描く四つの福音書のひとつ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。 福音書中には一切著者についての言及はないが、それぞれの冒頭部分の献辞などから『使徒言行録』と同じ著者によって執筆されたことは古代から認められており、現代の学者たちのほとんどが本福音書と使徒言行録は著者による二巻の作品が新約聖書の成立過程でイエスの生涯を記す福音書と、イエス後の教会の発展史という観点から分離して配列されることになった可能性が高いと考えている。 ルカ福音書と使徒言行録はそれぞれ次のように始まる。 ルカ1 1-4 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。 使徒言行録1 1-2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。 ルカ福音書では "κράτιστε Θεόφιλε(敬愛するテオフィロさま)" とあるが、使徒言行録では "ὦ Θεόφιλε(テオフィロよ)" となり、テオフィロに対する扱いが明らかに変わっている。このことに関して、ウィリアム・バークレー(1907-1978)は次の三点を推測した。 テオフィロは本名ではない。当時、キリスト教徒になることは、危険であった。テオフィロは二つのギリシャ語から成っている。「神」を意味するセオスと、「愛すること」を意味するフィレインとである。よって、「神を愛する者」の意味となる。 テオフィロはローマ政府の高官であった。ルカはテオフィロに、キリスト教徒は善良で立派な人々であることを教えたかったのであろう。 医者であるルカはテオフィロのお抱え医者だった。テオフィロが病気で死にかけたとき、ルカは医術でテオフィロの命を救った。当時の医者は奴隷であったが、テオフィロはそのお礼にルカを自由にしてやった。ルカは、自分がこの恩恵をどれほど感謝しているかを何かであらわしたいと思った。ルカが持っているもので一番高価なものは、イエスの物語であった。ルカはそれを書き送った。ルカが受け取った自由への返礼として、テオピロに捧げるにふさわしい、一番大切なものだったからである。 著者 聖書に現れるルカは医師である。『コロサイ人への手紙』はパウロの作なのか、テモテとの共著なのかが問題となっているが、少なくともパウロと直接関連のある書であることは間違いない。そのコロサイ人の手紙には次のように書かれている。(コロサイ4 14) 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。 紀元二世紀末の、いわゆる「ムラトリ正典目録」によれば、この福音書の著者は、「医者」であったルカである。(ムラトリ正典目録2-9) 第三福音書はルカによる。ルカは、"その"医師である。キリストの昇天の後、パウロが彼を彼の旅行の同行者として彼とともに連れて行ったとき、調査の上で、彼の名で書いた。―しかし彼らのいずれも自ら主にあったことはなかった。― かくして、彼が調査できたように、それゆえ彼もヨハネの生誕からの物語を話し始めた。 また、紀元後180年代の教父エイレナイオスも、パウロの「同行者」(フィレ24)ルカがパウロの福音を書にしたためたという。(エウセビオス『教会史』5巻8章3) また、パウロの同行者であったルカは、その書の中に、パウロが宣べ伝えた福音を記録した。 エウセビオスによれば、ルカはアンテオケの生まれという。(エウセビオス『教会史』3巻4章7節) ルカはアンテオケの生れで、医術を職業としていた。 因みに、医者ルカについては、4世紀頃の幾つかの資料が、ルカは生涯独身で、パウロの死後ギリシャに行き、アカイヤ、小アジアで伝道活動を行い、テーバイに於いて84歳で亡くなった、と伝えている。現在、東京築地の聖路加病院も含めて世界中にルカの名前を被せた病院は多い。 『ルカ福音書』の成立年代は未詳だが、その上限は(「二資料仮説」を前提とするが)『マルコ福音書』の成立時期であり、下限はマルキオンの正典編纂の試みである。紀元60年から80年までの間にかかれたことは確かであろう。 ルカが著者であることが疑わしい唯一の点はその職業にある。古代ローマ帝国では医師は奴隷身分の職業であった。しかし、ルカ福音書の著者は奴隷身分ではなかった。かなり裕福な家庭の出で、正規の教育を受けたことは、書かれたギリシャ語を見てもわかる。語彙も豊富で歴史の知識もしっかりしている。医師よりもより教養のある人物が、自らをルカに仮託して書いた可能性があるのである。 存在理由 加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイとルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。 マルコ福音書は、前提として、聖霊を受ける(神と直接つながる)人は、イエス以外にも現れうるとする。そして、そうした聖霊を受けた人がとるべき行動を、イエスという実例をもって語ったものである。そして、聖霊を受けていない者は、弟子たちですら、すべて否定的に書かれている。 ルカの時代において、キリスト教はユダヤ教との距離は、一層ひろがり、ユダヤ人以外にも信者が増えていった。こうした状況から、ユダヤ中心主義ではなく、普遍主義的なドグマが必要となってきた。この背景にあるのが、多くの民族を支配する、ローマ帝国の支配手法としての、普遍主義であった。 ルカは、マルコ福音書のように、聖霊を受けうる者が複数存在する、という前提をとる。しかし、聖霊を受けたとしても、その活動には程度の差があり、必ずしもイエスのような活動ばかりではない。 ルカは、脱ユダヤ中心主義のテキストを必要としたのである。 構成 献呈の言葉、プロローグ(1 1-4) 誕生の次第、幼年時代、イエス・キリストの系図、公生涯の準備(1 5-4 13)誕生の次第、幼年時代(1 5-2章) 公生涯の準備(3章-4 13) ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4 14-9 21) ガリラヤにおける私的な活動(9 22-9 56) ユダヤにおける活動(10-21章) イエスの死と復活(22-24章) 『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』 ルカ福音書におけるイエスの磔刑の場面では、イエスの次の言葉がある。 ルカ23 34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 この聖句は後世になって挿入されたものだが、ステファノの殉教の記事は本節を前提にしていること、ルカの神学とキリストの精神に調和していること、さらに、使徒教父であるイグナティオスの『エフェソ人への手紙』に現れることから、伝統的に正当性が認められている。(なお、同じ個所でペテロの手紙一2 23からの引用がある。) イグナティオス『エフェソ人への手紙』10章、563-565 我らの親切さによって我らに彼らを兄弟にさせなさい。汝らは汝らを憎しむ者へそう言うからこそ、汝らは、主の名が賛美されうる我らの兄弟なのです。また我らに主を真似させなさい。「ののしられてもののしり返さなかった。」彼(主)は磔にされたとき、彼(主)は「苦しめられても人を脅さなかった」とは答えませんでしたが、彼(主)の敵らのために、「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈りました。 http //www.tenryo.net/old/Luke01.htm Church History:http //www.newadvent.org/fathers/2501.htm http //keihanna-hills-chapel.com/menu/425565 http //www.sevenz.com/sevenZ/religion/lukas.html ムラトリ正典目録(ラテン語、英語):http //www.earlychristianwritings.com/text/muratorian-latin.html イグナティオスのエフェソ人への手紙(英語):http //www.ccel.org/ccel/schaff/anf01.v.ii.x.html
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『トマスによる福音書』は、1945年にエジプトで見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていた文書で、114の文からなるイエスの語録集である。本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名がある。 なお、現行の新約聖書には含まれないという点では、外典である。コプト語で書かれてた。 アフラファを多数含むことで有名である。 オクシリンクス・パピルス(Oxyrhynchus Papyrus)1/654/655 トマスの福音書との共通性が認められる断片である。こちらはギリシャ語である。 なお、オクシリンクス・パピルス1のことをオクシリンクス・ロギア(Oxyrhynchus Logia)と呼ぶ。 対照表 トマス マタイ マルコ ルカ ヨハネ OxyP Ⅰコリント 1 - - - 8 51-52 - - 2 5 43-487 7-12 - 6 27-3611 9-13 14 1-14 654-1 - 3 - - 17 2-37 - 654-2 - 4 - - - - 654-3 - 5 - - - - 654-4 - 6 - - - - 654-5 4 5 7 - - - - 654-6 - 8 13 44-52 - - - 654-7 - 9 13 1-9 4 1-9 8 4-8 - - - 10 10 32-37 - 12;49-59 - - - 11 - - - - - 15 12 12 - - - - - - 13 - - - 4 13-14 - - 14 10 5-15 6 7-13 9 1-6 - - 9 14 15 - - - - - - 16 10 32-37 - 12;49-59 - - - 17 - - - - - 2 9 18 - - - - - - 19 - - - - - - 20 13 31-35 4 30-34 13 18-21 - - - 21 24 36-44 13 32-37 12 35-4821 34-38 - - - 22 18 1-1419 13-15 10 13-16 18 15-17 - - - 23 - - - - - - 24 - - - 11 8-914 1-14 - - 25 - - - - - - 26 - - - - 1-1 - 27 - - - - 1-2 - 28 - - - - 1-3 - 29 - - - - 1-4 - 30 - - - - 1-5 - 31 13 54-58 6 1-6 4 16-30 - 1-6 - 32 - - - - 1-7 - 33 5 13-16 4 21-23 8 16-1811 33-36 - 1-8 - 34 15 1-20 7 1-23 6 37-42 - - - 35 12 22-37 3 20-30 11 14-36 - - - 36 6 25-34 - 12 22-31 - 655-1 - 37 - - - - 655-2 - 38 - - - - 655-3 - 39 10 16-31 - - - 655-4 - 40 - - - 15 1-11 - - 41 13 10-1725 14-30 4 24-25 8 16-1819 11-28 - - - 42 - - - - - - 43 - - - - - - 44 12 22-37 - 6 43-45 - - - 46 11 2-19 - 7 18-35 - - - 47 9 14-17 2 18-22 5 33-39 - - - 48 - - 10 5-7 - - 13 2 49 - - - - - - 50 - - - - - - 51 - - - - - - 52 - - - - - - 53 - - - - - - 54 5 3-12 - 6 20-26 - - - 55 10 37-39 - 14 25-35 12 25 - - 56 - - - - - - 57 13 24-30 - - - - - 58 - - - - - - 59 - - - - - - 60 - - - - - - 61 - - - - - - 62 6 1-4 - - - - - 63 - - 12 13-21 - - - 64 22 1-14 - 14 12-24 - - - 65 21 33-46 12 1-12 20 9-19 - - - 66 21 33-46 12 1-12 20 9-19 - - - 67 - - - - - - 68 5 3-12 - 6 20-26 - - - 69 5 3-12 - 6 20-26 - - - 70 - - - - - - 71 - - - - - - 72 - - 12 13-21 - - - 73 9 35-38 - 10 1-24 - - - 74 - - - - - - 75 - - - - - - 76 13 44-52 - - - - - 77 - - - - 1-5 8 6 78 11 2-19 - 7 18-35 - - - 79 - - 11 14-3623 26-31 - - - 80 - - - - - - 81 - - - - - 4 8 82 - - - - - - 83 - - - - - - 84 - - - - - - 85 - - - - - - 86 8 19-22 - 9 57-62 - - - 87 - - - - - - 88 - - - - - - 89 23 13-36 - 11 37-54 - - - 90 11 25-30 - 10 21-22 - - - 91 15 39-16 4 - 12 49-59 - - - 92 - - - - - - 93 7 1-6 - - - - - 94 - - - - - - 95 - - - - - - 96 13 31-35 - 13 18-21 - - 5 6 97 - - - - - - 98 - - - - - - 99 12 46-50 (3 20-21+)3 31-35 8 19-21 - - - 100 22 15-22 12 13-17 20 20-26 - - - 101 - - 14 25-35 - - - 102 - - - - - - 103 - - - - - - 104 9 14-17 2 18-22 5 33-39 - - - 105 - - - - - - 106 17 14-21 - - - - - 107 18 1-14 - 15 1-7 - - - 108 - - - - - - 109 13 44-52 - - - - - 110 - - - - - - 111 16 21-28 8 31-9 1 9 22-27 - - - 112 - - - - - - 113 - - 17 20-37 - - - 114 - - - - - - 関連性 3-113 10-16 21-103 54-68-69 55-101 (65-66) (63-72) 76-109 81-110 トマス福音書 - DTI:http //www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html トマスによる福音書 - apocrypha ページ!:http //apocrypha.jimdo.com/トマスによる福音書/ http //www.marino.ne.jp/~rendaico/jesukyo/christokyoshi_1/fukuinsyogaidenco.htm http //muso.to/h-seisyonokousei.htm http //agraphos.com/thomas/greek/poxy1/ http //www.agraphos.com/thomas/greek/poxy654/ http //www.agraphos.com/thomas/greek/poxy655/ イエスと弟子トマス:http //hosai.world.coocan.jp/bb-site/
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『ペトロによる福音書』は、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典福音書の一つ。 『ペトロによる福音書』は3世紀の教父文書に言及されており、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典に属する福音書として、その存在が知られていた。 19世紀末、エジプトで発見されたパピルス冊子の中に、その一部とみられる写本が発見された。写本は8-12世紀のものと推定される。 内容はイエスの受難劇のうち裁判の最後の部分に始まり、磔刑と埋葬、復活の場面が語られ、ガリラヤ湖でペトロたちの前に復活したイエスが姿を見せる直前で途切れている。これがキリスト教初期に著された『ペトロによる福音書』の一部ではないかとされる。 もともとの『ペトロによる福音書』は、『マタイによる福音書』などと同様に、イエスの生誕から受難、復活までを記した福音書の形態を備えていたと見られるが、現在知られるのは、上記写本にある受難劇の部分のみである。 教父たちの評価 アレクサンドリアの主教セラピオンは『ペテロによる福音書と呼ばれるものについて』と題した小冊子の中で、次のように述べている。 (エウセビオス「教会史」6・12・5) 〔その福音書を〕借りて一読することができました。そして、〔その教えの〕大部分は付け足されたものであることを知りました。 また、エウセビオス「教会史」の第三巻でエウセビオス自身も次のように書いている。 ペテロによる福音書とされるもの、彼の作とされる『教え』、『黙示録』と呼ばれるものなどが公認された〔文書の〕中で伝えられてきたことを全く知らない。 私のイエス伝「十字架」(39)ペトロ福音書1、2、3、4、5
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マタイによる福音書(ギリシア語 Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον [Kata Matthaion Euangelion]、ラテン語 Evangelium Secundum Mattheum)は、新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。 本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書(ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。 『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1~17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。 また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。 著者 『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。 この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。 マルコ2 14 そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 マタイ9 9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 ルカ5 27-28 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。 その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。 この「マタイ」著者説を支えるのは、紀元後二世紀中葉近くの、小アジアはヒエラポリスの司教パピアスである。彼によれば、「マタイはヘブライ語で(主)のロギア〔「言葉」「発言」「詞」の複数系〕を集大成した」という。 エウセビオス『教会史』3巻39章16節 マタイはヘブライ語で神託をまとめた。 エウセビオス『教会史』6巻25章3-6節 最初のもの(最初の福音書)は,かつて収税人であったが後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって……ヘブライ語で……書かれた。 つまり、はじめにヘブライ語で福音書を書き、その後ギリシャ語に翻訳されたとパピアスは考えていたようであるが、存在するはずのヘブライ語原典はいまだ見つかっておらず、はじめからギリシャ語で書かれたと一般的には考えられている。 しかしながら、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。現代、高等批評の立場に立つ学者たちでもっとも有力な仮説とみなされているのは二資料説と三資料説である。 二資料説では『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)から「Q資料(仮説上の仮想資料で、存在が証明されていない。)」という名前で呼ばれる)から成立したと考えられている。 また三資料説では、二資料(マルコ福音書とQ資料)に加えて、「M資料」というマタイによる福音書独自の資料(例えば、マタイ16章の教会の土台に関する箇所など)も執筆時に参考にしていると主張している。 以上のことから、執筆年代としては必然的にマルコ福音書より後となる。また、盛大な宴会のたとえにある以下の記述によりマタイ福音書著者は西暦70年のエルサレム陥落を知っていたと考えられる。 マタイ22 7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 存在理由 加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイとルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。 マルコ福音書は、前提として、聖霊を受ける(神と直接つながる)人は、イエス以外にも現れうるとする。そして、そうした聖霊を受けた人がとるべき行動を、イエスという実例をもって語ったものである。そして、聖霊を受けていない者は、弟子たちですら、すべて否定的に書かれている。 しかし、そのように否定されては、現実に教会で信者となっている人たちの行動は無意味なものとなってしまう。 そこで、聖霊は受けていなくとも、イエスが新たに課した掟を守れば、イエスを通じて、神とつながりうるという立場を、マタイはとることとしたのである。 構成 『マタイによる福音書』は、時系列ではなくテーマ別に構成されている。 1.イエスの降誕 イエス・キリストの系図(1 1-17) 誕生の次第、幼年時代(1 18-2章) 2.公生涯の準備と初期伝道(4章) 公生涯の準備(3章-4 16) 3.説教(5-7章) 4.奇跡(8-9章) 5.使徒に対する教訓(10章) 6.たとえ(13章) 7.五千人への食べ物の奇跡からダビデの子問答までの時系列(14-22章) 8.律法学者やパリサイ人に対する譴責(23章) 9.再臨に関する警告及び比喩(24-25章) 10.イエスの死と復活(26-28章)
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共観福音書 ヨハネ福音書 エルサレムの訪問 1回 4回(うち過越祭が3回、2,6,11章) イエスの活動期間 1年半? 約3年 イエスの活動開始 洗礼者ヨハネの逮捕後 洗礼者ヨハネと同時期 イエスの語り掛け 「わたしは」が100回以上 最後の晩餐 過越祭の食事 通常の食事 イエスの処刑の日付 過越祭の第一日(ニサンの月の15日) 過越祭の前日(ニサンの月の14日) イエスの処刑の開始時刻 午前九時 正午以降(午後) 使徒フィリポ 使徒言行録を除いては名前のみ 何度も出てくる 使徒トマス 名前しか出てこない 「不信のトマス」を印象付けている 使徒ナタナエル 出てこない 何度も出てくる サタン、悪魔、悪魔つきにまつわる話 あり なし 終わりのときの予言 あり なし 倫理的な訓話 あり なし https //ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネによる福音書
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マルコによる福音書 +洗礼者ヨハネ、教えを宣べる 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる バプテスマのヨハネがイエスに洗礼を授ける イエス、洗礼(バプテスマ)を受ける 誘惑を受ける ガリラヤで伝道を始める 4人の漁師を弟子にする 汚れた霊に取りつかれた男をいやす 多くの病人をいやす 巡回して宣教する 思い皮膚病を患っている人をいやす 中風の人をいやす レビを弟子にする 断食についての問答 安息日に麦の穂を摘む 手の萎えた人をいやす 湖の岸辺の群衆 十二人を選ぶ ベルゼブル論争 イエスの母、兄弟 「種を蒔く人」のたとえ 譬えを用いて話す理由 「種を蒔く人」の譬えの説明 「ともし火」と「秤」のたとえ 「成長する種」の譬え 「からし種」の譬え 譬えを用いて話す理由 突風を静める 悪例に取りつかれたゲラサの人をいやす ヤイロの娘とイエスの服に触れる女 ナザレで受け入れられない 十二人を派遣する 洗礼者ヨハネ、殺される 五千人に食べ物を与えられる 湖の上を歩く ゲネサレトで病人をいやす 昔の人の言い伝え シリア・フェネキアの女の信仰 耳が聞こえず舌の回らない人をいやす 四千人に食べ物を与える 人々はしるしを欲しがる ファリサイ派の人々とヘロデのパン種 ベトサイダで盲人をいやす ペテロ、信仰を言い表す イエス、死と復活を予告する イエスの姿が変わる 汚れた霊に取りつかれた子をいやす 再び自分の死と復活を予告する 一番偉い者 逆らわない者は味方 罪への誘惑 離縁について教える 子供を祝福する 金持ちの男 イエス、三度自分の死と復活を予告する ヤコブとヨハネの願い 盲人バルティマをいやす エルサレムに迎えられる いちじくの木を呪う 神殿から商人を追い出す 枯れたいちじくの木の教訓 権威についての問答 「ぶどう園と農夫」の譬え 皇帝への税金 復活についての問答 最も重要な掟 ダビデの子についての問答 律法学者を非難する やもめの献金 神殿の崩壊を予告する 終末の徴 大きな苦難を予告する 人の子が来る いちじくの木の教え 目を覚ましていなさい イエスを殺す計画 ベタニアで香油を注がれる ユダ、裏切りを企てる 過越の食事をする 主の晩餐 ペテロの離反を予告する ゲツセマネで祈る 裏切られ、逮捕される 一人の若者、逃げる 最高法院で裁判を受ける ペテロ、イエスを知らないと言う ピラトから尋問される 死刑の判決を受ける 兵士から侮辱される 十字架をつけられる イエスの死 墓に葬られる 復活する マグダラのマリアに現れる 二人の弟子に現れる 弟子たちを派遣する 天に上げられる
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マリアによる福音書は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。 登場人物のマリハム(マリア)とは、内容からイエスの母マリアではなく明らかにマグダラのマリアと考えられる。この故に本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。 『マリアによる福音書』は、3世紀頃の原始キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。 エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された。 『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている。前半および中ほど数ページに欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。 構成 前半では、復活した救い主(イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。 マリアは文書後半部分に登場する。写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。 後半部分の概要は次のようになっている。 救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。 ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。 マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。 アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する。 レビがペトロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。 グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth017.html マリアによる福音書 - apocrypha ページ!:http //apocrypha.jimdo.com/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8/ †マリア福音書†(全文):http //acala-engei.kazelog.jp/data/Gospel_of_Mary.pdf 私のイエス伝(51)「マグダラのマリア」:http //blogs.yahoo.co.jp/kabanotakara/48603057.html 私の「イエス伝」(52)マグダラのマリア3:http //blogs.yahoo.co.jp/kabanotakara/48762448.html http //www.smile-kai.com/report/20120613matsuzakiresume.pdf
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キリスト教 概要 『マタイによる福音書』とは、キリスト教の聖典、新約聖書の1書である。 作者は、マシュウ(マタイの英語読み)じゃないらしい上 異邦人らしい。彼が、多分ギリシア語圏の西シリアで、80年頃書かれたと推定される。 『マルコによる福音書』書記の知らん「Q書簡」と呼ばれるものが使われている。 汝の敵を愛せとか、憐れみに関するものがほぼ前編を横溢している。十字架刑をそのように解釈している(*1)。