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斜め上の存在 1青赤 エンチャント あなたがインスタント呪文かソーサリー呪文をプレイするたび、あなたはコインを1枚投げてもよい。あなたがコイン投げに勝った場合、カードを1枚引く。 人手不足解消のため、スポンサーが新たに研究員を連れてきた。 そいつは少し…いや、かなり変わった奴だった。 ──『オワタイトと私』 36版の91のカード。 [部分編集] 「あなたが非パーマネント呪文を2回プレイするたび、カードを1枚引く。」 確率に強い人ならこのカードをこう読みかえることができるだろう。 軽量インスタントやソーサリーを連打するデッキに入れておけばかなりおいしいカード。 寂しき諦めなどのバイバック呪文との相性はよい ちなみにルール上オワタやナナメとはカケラも関係ない。
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【作品名】MEN IN BLACK 【ジャンル】映画 【名前】宇宙の外の存在 【属性】宇宙の外の存在 【大きさ】宇宙がビー玉サイズになるぐらいの大きさの人間並み 【長所】オチ担当 【短所】こいつよりでかい生物が後2,3体居ればよかったのに…… 参戦 vol.1
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autolink VR/W22-058 カード名:謎の存在 アローン カテゴリ:キャラクター 色:赤 レベル:2 コスト:2 トリガー:1 パワー:10000 ソウル:2 特徴:《アローン》?・《謎》? 【自】このカードが手札から舞台に置かれた時、あなたは自分の山札の上から1枚を、クロック置場に置く。 健次郎「羽化しよった……!!」 レアリティ:U illust. 13/06/03 今日のカード。 ・関連カード カード名 レベル/コスト スペック 色 備考 羽型のあざ 2/2 EV 赤
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神の存在論的証明。その神を全ての人が信仰しているわけではないか、または、信仰し得ないような神は、完全な意味での神ではない。それゆえ、人間が自分自身を間違えて捉えているか、人間の考える神が自分自身を間違って捉えているかのどちらかである。しかし、前者では、認識を超越した内在が、後者では認識に内在した超越が、暗示されている。それゆえ、神は存在する。それゆえ、結論だけが正しい。 おいおい
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2012年06月17日 (日) 00時53分-御伽アリス 部屋の天井を見つめている。そこには赤茶色のシミができている。あんなもの、前はあったっけか? 今日も、本当にくだらない時間が過ぎて行った。馬鹿な、何の意味があるのかと思うような、どうでもいい時間が過ぎた。そうは言っても、くだらん、と一蹴してそこから逃げ出す勇気も出なかった。誰かからの復讐をいつも恐れている。誰かからの監視の目を、いつも感じているんだ。今この部屋に自分一人でいても、それでも誰かがいるような気がしている。 イライラする。自分のことが嫌いだ。殺してやりたい。しかし同時に僕は僕がかわいそうでたまらなく、こんなに苦しんでいる自分を誰かが労わってくれて、「君はよくやっているよ」と慰めてくれることを期待している。そんな自分の愚かさに絶望する。くだらない。そんなことを考えていること自体も。ああ、本当に無意味な、弛みきった、それなのにある瞬間ごとに急に張りつめもする、ぼやけた、そういう時と世界が、流れていっている。 なぜ、なんのために生きている? もう生きていても意味はないんじゃないか? 自分が生きていることにどれだけの価値があるというのか? 「死にたい」 そうつぶやくと、天井が僕の声を、いや、もっと別の、何か得体の知れないぼんやりとしたものを吸い込んだ。シミが、なんだか人の顔のように見える。 きっと、僕は不幸だ。周りで生きている他の人間たちはもっと幸せそうじゃないか。どうして僕だけが苦しまなければならない。この理不尽は何だ? 「そう、幸福とは相対的なものだよ」 ふと、そんな声が聞こえた。誰だ? 誰なのか、わからない。強いて言えばつまり、それは声が言ったことだった。 「幸福は相対的?」 「ああ、自分が幸福かどうかは、他人のそれと比べることでしか量り知ることができないのだ」 「ふうん。お前は誰だ」 「死にたい、と言ったな?」 「誰なんだお前は」 「覚えておくといい。死にたいと思うことは悪ではない。それはいわば、徳だ」 ……僕は、声の言うことを聞いてみることにした。 「いいか、およそ、他人の不幸ほど直接的に、そして逆説的に、己を幸福にするものはないのだ。人間は自分以外の者の不幸を見た時、もっと広く言えば他者の不幸を感じた時だが、その時に多かれ少なかれ幸福を手に入れることができる。これには二つの場合がある。一つは、純粋にその誰かの不幸を嘲笑すること。ざまあ見ろ、とスッキリする気持ち。もう一つは、不幸な誰かを憐れんで、さらには手を差し伸べることで、自分がその者から感謝されるのではないか、もしくは『ああ、この人は他人を思いやることのできる人だ』と評価されるのではないか、と思うこと。そうやって自尊心を保つことで得られる幸福感。そうだろう? だから他人の不幸は己の幸につながるのだ。 ところで、誰かを幸せにすることが自分の幸福になる、と言う輩がいる。それが本当だとしても、それはその自分ではない誰かの幸せが、自分の幸せの量よりも少ない時に限られるのだ」 僕は、いつの間にか声の言うことに集中して耳を傾けていた。そして自分でも少し驚いたのだけれど、今僕はわくわくしていた。それどころか、少しにやけているかもしれない。もっと声の話を聞きたい、とそう思った。 「もちろん、他人の幸福など己の目には見えない。他の人が自分自身のことを幸せな人間だと思っているかどうかなどわかるはずもない。己にとって感じることのできる他人の幸福感とは、つまりその人の表情や口調などから伝わる、幸福そうな感じのする度合いだ。この時にその他人の、幸福そうである度合いを決定するのは、その他者ではなく、己なのだ。己にとって、他者が幸福かどうかの基準は、己の幸福感だ。要するに他者と自分の幸福を比べるのだ。比べることでしか幸福は決定しない。 例えばこんな話はどうだ? 道を歩いていて、百円玉が落ちているのを見つけた。お前は百円玉を拾って、自分はラッキーだと思うだろう。しかし、そんなお前の目の前で、別の人間が五百円玉を拾って喜んでいるのを見たとする。するとどうだ? 百円しか拾えなかったお前は五百円を拾ったその人よりも、不幸ではないか。もちろん、硬貨を拾わなかった人間から見れば百円を拾ったお前だって幸運ではあるはずなのだ。それなのにきっとお前の中には幸福感ではなく、不幸感が渦巻くだろう。むしろ百円玉など拾わなければ、この不幸感というものは、あるいはそれほど強く生じなかったかもしれない。 わかったかい。つまり幸福とは比べて量られるものだということだ」 何か、何かがある。この話にはきっと何かの真理がある、そう僕は思った。今、僕の意識は声に対する聴覚に集中されている。 「さて、誰かを本当に幸せにしたい、と思う時、人はある覚悟をしなければならない。すなわち、自らが不幸になるという覚悟だ。なぜならば、幸せにしたい誰かよりも己の方が幸福であるのなら、その誰かはこちらにいる己、つまり“私”に対して不幸ということになるからだ。ここで少し注意しておくが、誰かに対して自分が不幸であることは、その誰かが決めることではない。他人に決められるものではない。誰かを幸せにするとは、“私”にとって、その誰かの幸福が、“私”の幸福よりも大きなものであれ、ということなのだ。あくまで幸福とは主観的なものだとも言える。だから覚悟と言ったのは、自分の中で自分が不幸になる事を受け入れる、というそれだけのことだ。 このことを少し見方を変えて話してみよう。つまりそう、どんな人間でも簡単に他人を幸せにすることができるのだ。それには自分自身をどこまでも不幸にすればいい。自分を不幸にするというのが、どういう手段で行うものなのかは、はっきりこれだと示すことはできない。不幸になろうとして果たしてなれるものなのか。だが思うに、人は自ら不幸になれるのだ。自分は不幸な人間だ、と感じる時と同じような状況を人為的に作り出せばいい。 しかしそうは言っても、自分を不幸に陥れることで、自己犠牲として誰かを幸福にした、などと思っている間は、まだ誰も幸せにできていないと心得なければならない。そこには自己満足、つまり自分の幸福感がなおも残っているからだ。自分自身はもちろん、他の誰からも、『あいつは不幸な人間だな』と思われるような人間こそ、真に誰かを幸福にすることのできる人だと思わなければならない。 絶対的な幸福というものは、ありはしないのだ」 僕は、さっきから目には映っていたのに見えていなかった天井のシミを見た。やはり、どこか顔のように見える。声が言った。 「さて、今まで話してきたことをちょっとまとめてみよう。まず、誰でもいいから自分以外の人間の顔を思い浮かべるのだ。別に一人ではなくてもいいぞ。複数の人々を想像してもいい。社会の人々全体のイメージのようなものでもいい。ただ、具体的な顔を思い浮かべた方がわかりやすいであろうから、できることならそうしてくれ」 僕は、ある人物の顔を思い浮かべた。勉強ができて、あらゆることに機転が利き、しかも器用なので大抵のスポーツは良くできて、性格は明るく、思いやりもあるからみんなに親しまれ、おまけにルックスもなかなかという人だ。 「思い浮かべたか? そうしたら、そいつとお前との関係の中で、生じそうな幸福の値を考えろ」 「関係の中で生じそうな幸福の値って何だ?」 「そいつとお前が一緒にいて、どれくらいの意義があるかだと思ってくれ。これのことを自他間幸福定数、と呼んでいるが、あまり深く考えず、イメージでいい。0より大きく100以下の数で答えろ」 「……10、いや、12くらいかな」と僕は答えた。 「よし。では次に、そいつの幸福とお前の幸福とを比べて、そいつの幸福がお前の幸福の何倍かを考えるのだ。これもまあ直感でいいぞ」 「やつは僕より3倍は幸福そうだよ」と僕は答えた。 「わかった。これで、思い浮かべた人物に対してのお前の幸福の値を量ることができる。幸福方程式というものを使う。方程式と言ってもごく単純なものだが。 まず、求めるべきお前の幸福量をH(0<H)とおく。そしてお前の思い浮かべた人間の幸福量、つまりお前から見てその人物が幸福そうに見える度合いのことだが、それをh(0<h)とおく。そしてさっき言った自他間幸福定数をa(0<a≦100)とする。ちなみにこの自他間幸福定数はある二つの対象間で必ず決まった値を持っているそうだ。つまりお前と、お前の思い浮かべた人物との間の自他間幸福定数には、始めからしっかりと決まった数字があるはずなのだ。だがそれは神が決めるようなものだから、本人にもわからない。だからお前のイメージで決定することにする。さて、そして、肝心の幸福方程式はこれだ。 H=a/h これにさっきの質問から得た値を入れて、お前の幸福Hを量る。まず、a=12だったな。そして、思い浮かべたやつの幸福はお前の幸福の3倍だと言ったから、h=3Hだ。これを代入すると、 H=12/(3H) となるから、 H²=4 0<Hより、 H=2 となる。つまりお前の幸福は、2だ」 こうして、めでたく僕の幸福量は決定づけられたわけだ。2とは大きいのか小さいのか。おそらく小さいんだろう。 「2と言われてもピンと来ないだろう。つまりそれは、数字として幸福の量を言われてもわからないということだ。これが絶対的な幸福などというものがないことの証拠なのだ。比べてみなければ理解できないのだ」 声はさらに続けた。 「実は、話はこれで終わらない。まあ聞け。お前はさっき、死にたいと言ったな。そして私はそれを徳だと言った。というのも、死にたいと思っている人間こそ、最も生きている状態にあると言えるからだ。わかるか? 死にたいと望むのは、現在生きているからに他ならない。どうしようもなく、完全に生きている状態なのだ。死んでいる人間が死にたいなどと考えると思うか? 考えるはずがない。 生きることが楽しくて仕方ない、生活が何もかもうまくいっている、などという人間は非常に死に近い。死んでいる状態に近いのだ。辛うじて生きているだけだ。そのような状態で辛うじて生きているような人間は、死にたいと思いながら完全に生きている人間のようには、すぐれた行いをすることはできない。できるはずもない。毎日を楽しく生きるだけの人間は、その本人は幸福かもしれないが、他人にとっては害悪に他ならない。楽しく生きるだけの、もっとも死に近い人間は、そのような人物が仮に死んだとしても、周りの社会にほとんど何らの悪影響を及ぼさない。むしろ、そいつの死は誰かの幸福感を生むかもしれない。 言っておくが、私は何も、死にたいと無理矢理にでも思え、ということを言っているのではない。自然に、あるふとした瞬間に死にたい、と思うくらいでいい。それから、もう一つ勘違いしないでほしいのだが、死にたいと思っても、本当に死んでは意味がないということだ。重要なのは、死を望みながら、それでも生き続けることだ。それによって、必ず大きな意味を持つ行いが可能になると私は信じるのだ」 声の話に、僕はただ頷くだけだった。 「思うに理想の社会とは、その構成員である人々が、自殺したいと考えながら生きて、そしてそういう状態で何かを為している社会なのだ。対して、最も良くないのは、誰もが自分以外の誰かを殺したいと思っているような社会だ。死ぬのが自分ではないのが良くない。そう、自殺でなければいけないのだ。誰かに殺されるということは、この上ない悪なのだ。それは誰かを殺すのと同じくらいに。自分のことを殺したいと思うのは、自分自身以外の何者であってもいけないのだ。 一日に一回、いや、一週間に一度くらいでもいい。己の自殺を思い浮かべてみたらいい。死にたいと願うことは人を生かす。実際に死んではいけないのだが、そのようにして自殺することを考えて生きていくのが、人間の最もよい生き方なのだ。そうすることで人は命を、生きていることを本当に意識することになり、それが生命力につながるからだ」 僕は、知らぬ間に涙を流していた。やはり、声の言うことには僕に必要な、僕が生きるために出さなければいけない、そう、答えがあるんだ。声が言う。 「さて、お前は、どれだけ死を望み、どれだけ生を望むか? ただし、両者の値の合計は10となるという条件としよう。つまりは全体を10として、死にたいか生きたいかの、割合だ。そのそれぞれを答えろ」 「死を3、生を7望むよ」 「そうか、わかった。ではこの情報から、お前の生命力を量り知ることにしよう。生命力方程式というごく簡単な公式を使う。まず、求めるべき生命力をV(0≦V)とおき、死を望む力をd(0≦d≦10)とし、生を望む力はl(0≦l≦10)とする。このとき、d+l=10だ。すると公式はこうなる。 V=dl どうだ、ごく簡単だろう。これにさっきの値を代入して、お前の生命力は、21になる。おそらくd+l=10の場合、生命力Vの最大は25だから、お前の生命力は高い方だということになるだろう」 声は、少し間をおいてから、続けた。 「さて、最後に、いちばん重要なことを言おう。今まで話してきたことは、これから言うことの下敷き、つまり土台となることだ。よく聞け、これからやるのは、お前の存在価値を量るということだ」 僕は、唾を飲んで声の話を待った。 「お前がさっき思い浮かべた人物がいたな。そいつに対するお前の存在価値だ。お前にとってのお前の存在価値だ。それにはお前の幸福と生命力が関係することとなる。その時々の自分自身、すなわち“私”の存在価値だ。それは、ある球体の、範囲、体積として示されることになる。“私”の幸福と生命力を半径とする、目に見えない球の体積だ。もちろん球の中心にあたるのが、それぞれの“私”なのだ。自分を中心とする球の体積の分、自分の存在の範囲、つまり価値があるのだ。いいか? “私”の存在価値をWとすると、“私”の存在価値方程式は、こうなる。 W=(4/3)・(H+V)³π さて、お前の幸福Hは2、生命力Vは21だったな。面倒を省いてπ=3ということにして計算すれば、 W=(4/3)・(2+21)³・3 =4・23³ =48668 となる。今回の場合、お前の存在価値は48668だ。この数字が大きいのか小さいのかの判断は勝手にするんだな。それよりも大事なのは、この数字が今後どう変化するか、ということだ。そしてこれはさっきお前の思い浮かべた誰か、一人のある人物に対する存在価値であるから、別の人間を思い浮かべれば当然ながら値は変わってくる。だから、もっと広い視野で見て、社会、そして世界全体に対してのお前の存在価値、それを考えることがいつか必要になるのだろう。 さて、わかったか。それじゃあ私はこれで失礼する。あばよ」 そして声は、急にいなくなった。僕は天井を見上げている。シミが。赤茶色の、顔のように見えたシミが、消えている。いや……、最初からシミなどなかったのだろうか? 「そうか、あれはやはり僕だったのか」 そう思うと、どういうわけか勇気に満ちた自分自身に気が付いた。面白いじゃないか。確かに、少し面倒ではある。でも、この部屋を出てみよう。ドアを開いて、くだらない世界の時の中へと、帰ろう。 方程式を解いたら、一応の答えが出た。それは方程式の解じゃなく、むしろ方程式を解く過程で出て来た別の答えだった。生きるための答えだった。僕はその答えを、確かめに行く。確かめた結果、それが間違っていたって良い。その時はその時で、また別の答えが見えてくるんだろうから。 お題の出題者として、自分に書けないものを人に書かせるわけにいかないという思いから、どうにかこうにか作ったという話です。 どうも変な話になり、しかも慣れないことをしているので数学的なミスとか、数のミスとかを気付かないうちにしているかもしれませんが、お許しください。 次はもう少しまともなお題を出したいです。
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【作品名】MEN IN BLACK 【ジャンル】映画 【名前】宇宙の外の存在 【属性】宇宙の外の存在 【大きさ】宇宙がビー玉サイズになるぐらいの大きさの人間並み 【攻撃力】【防御力】【素早さ】宇宙がビー玉サイズになるぐらいの人間並み 【長所】無茶苦茶でかい 【短所】こいつよりでかい生物が後2,3体居ればよかったのに…… 参戦:vol.2 141 :格無しさん:2012/03/20(火) 19 57 30.51 ID cImZEun2 宇宙の外の存在考察 だいたい宇宙の50倍ほどの大きさ ○Almagest 大きさ勝ち ○アメリカ 5cmの芋虫よりはビー玉の方が小さい気がする=こちらの方が大きい? ×GREY GOO 無理 △エターナル・セーラームーン ほとんど全能防御なので分け ×右代宮戦人 世界改変負け GREY GOO>宇宙の外の存在>アメリカ
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お前の来週 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ____ ___ ___ ___ ___ ___ ___ / \ / \ / \ / \ / \/⌒ ⌒\/⌒ ⌒\ / _ノ ヽ、_ \ _ノ ヽ、_ \ _ノ ヽ、_ \ _ノ ヽ、_ \― ― \●) (●)\○) (○)\ / o゚((●)) ((●))゚o \)) ((●))゚o ヽ ⌒゚o \ ⌒゚o \) (●) \_人__)⌒ \_人__)⌒ \ | (__人__) |_人__) |__人__) |__人__) |__人___) |r┬-| |r┬-| | \ `⌒´ / `⌒´ / ` ⌒´ / ` ⌒´ /`ー __/ `ー ´ /`ーlj′ /
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「は…、何やってんだろ私」 今、伊達軍は敵軍の奇襲によって危ない。 …少なくとも、私は。 必死に戦ってはいたものの、女の体力はすぐに底をついた。 肩で息をする私を発見し、チャンスだと思ったのだろう。 いきなり後ろから 斬りつけられた。 「くっ…そ、政宗が危ないっていうのに… 政宗が…」 こんな時にまで政宗のコトを考えている。 あの人は今どこにいるのだろう。 無事に生き残っているだろうか。 …血が、止まらない。 ああ 私は死ぬんだな。と思った瞬間。 「…稚衣!」 ああ 政宗に会いたいと思う気持ちが、幻を見せているのか。 「まさ…むね?」 「ああ俺だ。お前…血が! Hey小十郎! 医者を…」 「大丈夫だよ政宗。 私はもぅ…無理そうだから」 「Fall silent!(黙れ!) 無理じゃねぇ! 俺が必ず助ける!!」 そう言ってもらえただけで嬉しいよ。 思わず涙が出る。 ああ この人の前だけでは泣かないと誓っていたのに。 「ねぇ政宗」 「Ah?」 「私、政宗のコトが好き。大好き」 「…俺も、好きだぜ。honey」 政宗は、ふっと笑ってそっと唇を重ねる。 優しい優しいそのキスは、涙の味がした。 「ありがとう政宗。 …愛してる」 そう言ってから私は眠りについた。 もう目覚めるコトのない、永遠の眠りに。 「稚衣…? Hey! 稚衣!! Get up…」 「くっ…」 段々と冷たくなっていく稚衣にもう一度キスをする。 その姿は、誓いを立てる騎士の様。 「稚衣、お前の仇は必ず俺がとってやる」 叫ぶように、そう誓う。 愛しいお前の為なら 何にだってなってみせよう はい、読んでくれてありがとうございました。 これは中学生のときに書いたヤツですね…。 文章がおかしいのです。 政宗は騎士って感じしませんよね…; あはは(汗
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機能の存在理由 それによって解決される問題
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☆ 商会長の導きたい結論 ☆ ロンドンだけでも130件も商会あるんだってね・・・w ショップ目的 ・ PK商会 ・ リアルフレの集いなど。。 色々目的あってやってるんだろうな。 うちの場合、なぜ 【海王伝】しなければならないのか? もしさ、うちと酷似してる商会が現状あったとして 入れてもらったら私もだいぶ楽やんね?www 商会長にとっての 【海王伝】 って 自分のプライドとか名誉とかのためにやってるわけじゃない。 皆そうかも知れないけども、 自分の生き様とか自身の歴史って 見ててくれる人が必要だろう。 Onlineやってて自分しか自分のこと知らないとかありえんw もう一歩進んでみれば 価値観や歴史などを共有できる仲間との出会いを 人任せや運任せではやりたくない。 そういう人が商会を立てちゃうんだろうな。 自分の価値観に近い人と一緒に暮らすことを前提にしたい? 必然をたぐりよせたいからこそ自分の旗立ててます。 究極の自己中と言われるかも知れないが 私色に染めたい思いが わざわざ設立した理由だろう。 商会 【海王伝】 の代用品は無い! 自分で苦労して仲間集めたり、 色々教えたり応援したりして労をとる。 まぁ商会長の自己満足ですw そんな苦労しなくても 居心地が良いとか楽しい時間ってのは ヨソの商会のお世話になっても得られるものだろう。 しかし 【海王伝】 の代わりってのが無いのだ。 新人に親切だとか 支援いっぱいしてくれるとか 仲良しでとか 雰囲気の良い商会が無いと言ってるのではない。 私が作ろうとしている 「 商会 」 ってのは ・全員主役、その自覚や実践を含む。 ・都合良いだけの仲間ではなく、家族でありたい。 根幹にそういったものがある以上、 何を犠牲にしようとも死守するつもりで商会長やってるからね。 言いまくってるけども 自分の存在や歴史に関わってくれる人が欲しいし、大事だ! というのは誰もが思ってることだろう、 ヨソの商会もそうだろう。 しかしそれへの強いこだわりってのが 【海王伝】 にしか無いものだし まだちゃんとはやれてない、残念ながら。 自分の歴史を知って欲しいとか 存在をリスペクトして欲しいだなんてそこらじゅうにあるものだろう。 【海王伝】 では仲間に対してもそこにこだわれ!と言っている。 ・自分の存在を大事にする。 ・仲間の存在を大事にする。 どっちも大事だ。 「 興味持って欲しい 」 「 興味もつ 」 そっから大事にしてもらって、 「 積極的に関わっていきたい 」 とお互いに願えるようになる。 所詮顔も見えない他人だし、 ゲームを生きてる自由人だからこそ何を大事にしても良いのだ。 しかし、 商会として前提に 「 大事にしろ! 」 ってものがこんなにはっきりしている。 まぁ、言うのは言うんだけども まだ思うようにはなってないからこんなHP作ってます。とかwww これだけ願い、愚直にも追求し続け無ければそんな環境にはならない。 ヨソに無いし、うちにしか出来ないって理由ね。 歴史なんだよ、結局のところ。 人が生きました、 何かしました、 そこには絶対何かしらの結果がある。 小さなことにせよ、 自分ひとりだけのものであったり 誰かと共有するものだったりする。 自分の歴史だったり仲間の歴史だったりを 興味もてないでどうする? 自分の生き様を語りたい相手が居ない、 仲間のことをろくに語れもしない、 それで一緒にやってる意味があるか??? ダラダラ生きようが、 ボーっと時を過ごしてそれを 「 マッタリ 」 だと言おうが、 人と関わる以上はそれなりのものがついてくる。 生きてるからには何かしら結果があるんだから。 そうして何かのオマケのような 他人事のようなコトではなくて、 どうせ出てくる 「 結果 」 なんだったら、 自分らの望むものを追いかけてみようじゃないか! 出た結果じゃなくて掴み取る結果を常に追いかけて生きる。 それもだけど、 強く意識もたないと簡単には手に入らないものだ。 「 棚からボタモチ 」 とかあるよね? 待った結果がボタモチなら 「 ヨカッタね~ 」 でおしまいだが、 皆で心一つにして掴み取ろう!って得た結果がボタモチなら、 「 感動 」 とか 「 奇跡 」 とかが 皆の 「 財産 」 になり、 語りつぐことも出来る。 後から入ってきた新人さんにとっても そういう歴史や実力を持つ商会に参加できるって わかりやすい価値観だろう。 「 どういう商会ですか? 」 ってさ そういう活動をしている商会ですってコト言えるだけでも値打ちあるし、 実態がそうならば、発するオーラも別物になるだろう。 偉そうなコトを言うようだが、 まだちゃんとそういう商会に出来てもいないけども、 何よりそれを目指すよ。 一番言われたくない言葉 「 烏合の衆 」 大海戦だったりジェノバスクールだったりに参加するときに 「 野良即席艦隊 」 ってものを味わったことがあるだろう? そうした一回限りゆきずりの出会いにも ちゃんと連携はあるだろう。 皆さん、そこは一期一会であって欲しいね。 「 即席 」 にはその良さや必然はあるよ。 悪いって否定するつもり全く無い。 しかし、 「 商会 」 に居て 商会の活動が 「 即席 」 レベルのことしか出来ないんなら 色々反省すべきじゃないか?と。 何のための 「 仲間 」 だ? 「 腐れ縁 」 ってことで空気のように受け入れても良いのだろう。 しかし商会の仲間とやる連携が 「 即席 」 級なんだったら、 それは仲間との毎日の暮らしの中に 「 一期一会 」 が足りないんじゃないのか?と。 一回限りゆきずりの出会いに出来る連携ってのは 限られた時間や環境の中でお互いを理解しようとし、 そこにあわせるべき呼吸がある。 商会の仲間とは無制限に時間があるから、 ダラダラやっちゃって構わないと??? 「 ご一緒出来る時間を有難う 」 ってのは 仲間に向けても良い気持ちだと思うぞ? 前提に大事にしているもの 「 都合 」 共同作業や連携ばかりが値打ちの全てだ! と言われてるようで窮屈に思う人もいるだろう。 まぁ、あくまでやれてもしない 「 理想論 」 だからね。 まだ 【海王伝】 がどういう商会かわからない新人さんらには 必ず一度は言っていることだけども、 「 あなたの都合を最優先ですよ 」 「 あなたのスタイルで自由に楽しんでね 」 というような個人に商会組織が媚びたような言い方ね。 「 当たり前だろ? ゲームしてるんだ! 仕事してるわけじゃないぞ! 」 とかつまらんコト言わせるつもりは無いです。 「 当たり前だろ! 自分を大事にしろ! って言ってるだろ? 」 これが 【海王伝】 の常識というか全て。 自分の 「 都合を大事にして下さい 」 自分の 「 気持ちを大事にして下さい 」 自分の 「 楽しい! を大事にして下さい 」 自分の 「 歴史を大事にして下さい 」 自分の 「 仲間を大事にして下さい 」 総じて、 自分の 「 幸せを大事にして下さい 」 わざわざ言わせんな、照れるだろ。 自分のねプレイスタイルや日常生活を最大限に大事にする!っていう前提。 その上でよ? 仲間と共に掴み取りたい未来が持てて 仲間と共に懐かしく誇らしい過去が持てて ありきたりな今の 「 マッタリ 」 にすら張りがある。 そんな毎日を、 簡単に得られるとお思いか??? 商会長一人がヤイヤイ言ったところで叶わぬこと。 私が染めた商会員さんらも総出でそれは現実にしないと出来ないだろ? 都合の良い理屈ばかり並べてもさ 願うだけで手に入れるためのアクション持たないと やれるわけないだろ?! 出来てやしないけども あきらめたりしない 追い求め続けますよ!って頑張る それが 【海王伝】 という商会の存在理由であり、 「 唯一 」 を口にしても良い商会のあり方だ!