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明治維新を手本に近代化に着手しながら、共産主義に取り込まれて道を誤った中国 「 ありのままに言えば、私達の目的はヨーロッパ人の目的とは全く正反対である・・・私達は自由があり過ぎて反抗したのであって、私達には団結心も抵抗する力もない。私たちは砂粒に過ぎぬ。 」 孫文 (1905年 『三民主義』) ◇目次 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 4.参考図書 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑦ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑧ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑨ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑩ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑪ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑫ 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 1760年代の東アジア(乾隆帝治下:清朝最盛期)(1)濃い黄色部分⇒支那(China)…万里の長城以南の漢人の伝統的な居住地(=漢土)(2)薄い黄色部分⇒支那ではないが清朝(Qing Dynasty)の領土(満州人・モンゴル人・チベット人・ウイグル人など漢人以外の諸民族の居住地)※台湾が支那に含まれる一方、朝鮮が支那以外だが清朝の領土に含まれていることに注目 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 ※1.の動画の解説となります (1) 始まりは日清戦争:遅まきながら立憲君主制を目指した清朝(1894-) ・日清戦争(1894-95)敗戦に危機感を持った清朝は、康有為・梁啓超らの進言で日本を手本にした近代化改革(戊戌維新)を始めるが、守旧派の抵抗で百日で頓挫。康有為・梁啓超は日本に亡命し、立憲君主制樹立を目指して活動(保皇党) ・日露戦争(1904-05)での日本勝利により、ロシアによる満州・モンゴルの植民地化を逃れた清朝は、日本に傾倒。1万人以上の留学生を日本に派遣し明治維新を手本に本格的な近代化への準備を進める。(政治・経済・社会制度改革に着手、1913年の立憲君主制発足も約束) ・日本政府/民間団体は清朝の改革を熱烈に支援(共に近代化したアジアの強国となって欧米列強に対抗することを目指した) (2) 「滅満興漢」を旗印に民族主義革命を強行した孫文、「満州割譲」に釣られた日本右翼(1911) ・ところが日本で新思想に触れた漢人留学生の間に、民族主義(漢民族による満州王朝打倒)を訴える孫文・黄興らの革命党が台頭し、康有為らの保皇党(改革派・立憲君主制支持)を圧倒してしまう。 ・清朝の自己改革を支持する日本政府は、孫文ら革命党に否定的であり警戒していた。(革命による混乱/日本への影響を懸念) ・一方、攘夷論(反欧米主義)/大アジア主義を標榜する日本在野の右翼団体(頭山満の玄洋社、内田良平の黒竜会など)は、孫文・黄興の革命路線に共鳴。亡命中の孫文らを資金/組織両面で支え続けた。 ・玄洋社/黒竜会は、かって征韓論を唱えて下野し、維新政府に討伐された西郷隆盛に連なる在野士族を主体に発足し、明治・大正~昭和初期の政治状況に大きな影響力を及ぼした在野の政治結社で、日本の右翼運動の源流とされる ・特に内田系の黒竜会は、孫文の「革命が成功し清朝を満州に駆逐したあとは、満州を日本に任せる」との誓約を信じて、多数の壮士が大陸に渡航、辛亥革命の武力面での指導者として活躍・・・「辛亥革命は日本人がやったことだ」(内田良平) (3) 袁世凱による革命の簒奪~清朝皇室と革命派の妥協により「中華民国」発足(1912) ・清朝は北洋軍閥の巨頭袁世凱を起用し革命鎮圧を委ねるが、自身が皇帝に成り上がる野心を抱いていた袁世凱は、①清朝宮廷(北京)には紫禁城内での宮廷維持・皇帝成人後の復位の仄めかし、②孫文の臨時政府(南京)には清朝皇帝の退位・共和国樹立、を餌に妥協を強い、自身が大総統に就任。発足した「中華民国」の実権を奪う(1912.2) ・しかし袁世凱の帝政樹立の野望は、改革派(立憲君主制支持派)・革命派双方の支持を得られず失敗(1916.3) ・袁世凱は失意のうちに病死し(1916.6)、以降、中華民国は軍閥・革命派・独立派諸民族が割拠する分裂状態に陥る ・袁世凱の統治期に日本政府から出された所謂「対華21ヶ条要求」については1.動画及び5.動画を参照 (4) ロシア革命の波及~共産主義者に煽動された五四運動・五四文化革命(排日運動・伝統文化否定)(1919.5.4) ・清朝末期の留学生には、在野の日本右翼ではなく、幸徳秋水など日本の左翼運動、更に欧州の共産主義運動に共鳴する者も現れた。その代表格が陳独秀・李大釗である。(陳・李は、のちに中国共産党を結成(1921)) ・陳独秀は帰国後、雑誌『新青年』を刊行、徹底した儒教批判と近代思想の紹介を行う。これに魯迅・胡適らの「白話文運動」(口語文を用いて民衆教化を訴える運動、「文学革命」ともいう)が合流して新文化運動が始まる。(1916-21、「五四文化革命」ともいう。1960年代の文化大革命の先駆的運動) ・1917年11月(露暦10月)ロシア10月革命。1919年2月 ソ連は世界革命を実行するためコミンテルン(国際共産党組織)を設立 ・1919.5.4、第一次世界大戦の講和条約締結問題を契機に、陳独秀・李大釗ら左翼文化人に煽動された学生達による排日運動が暴発(五四運動、2005年の反日デモをイメージせよ)・・・辛亥革命に成功した漢族の民族主義が、日本を次の標的とし始める。 (5) 孫文、革命のために「連ソ容共」に転じ、日本右翼を裏切る(1923.1) ・1919年7月 ソ連がロシア-清朝間で結ばれた不平等条約の即時撤廃を表明(カラハン宣言)、中国民衆の好感を獲得 ・辛亥革命の失敗を味わった孫文は、「孫文=ヨッフェ共同宣言」(1923.1)を発表し、革命の主パートナーを日本の在野右翼からソ連に切り替え、中国共産党と協力関係を結ぶ(第一次国共合作:1924.1)・・・国内基盤の弱かった孫文は革命運動を進めるために常に外国勢力の支援を必要とした。 ・孫文の「満州譲渡の誓約」を信じていた内田良平の黒竜会はこれに反発。以降、満州独立派に接近。 ・一方、頭山満の玄洋社は、なお「同種同文」たる日中両民族が同盟して欧米列強打倒を目指す「大アジア主義」構想を捨て切れず、孫文(のち蒋介石)率いる国民党との関係維持・日本政府との提携推進に努めたが、大東亜戦争終結に至るまで彼らの期待は裏切られ続けた・・・戦前の右翼は「大アジア主義」に固執し大失敗を犯したと言える。ただし、頭山・内田らは孫文らを叱りつけるなどの対応や反撃をしている。※参照外交の基礎知識 (6) 清朝皇室の紫禁城追放、立憲君主制構想の消滅(1924.7) ・軍閥抗争が続く華北で、なお将来の復位を望んで存続していた清朝宮廷は、1924年 軍閥(馮玉祥)の反乱により紫禁城から追放され、中国の立憲君主制構想は最終的に消滅 ・前皇帝溥儀は自身の希望により、北京の日本公使館を経て天津の日本租界に亡命。将来の満州帝国復活に希望を繋ぐ(帝師を務めたR.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(1934刊)の記述から確実。しかし同書は東京裁判では戦勝国の建前に反するため無視された) (7) 蒋介石の北伐・国民革命(1926-28)、張作霖爆死(1928) ・孫文死去(1925)後の国民党(華南に基盤)は、蒋介石を指導者に北伐を開始。華中次いで華北を攻略し、不完全ながら漢土を制圧(国民革命)。その過程で蒋介石は、孫文の残した中国共産党との合作を破棄(上海クーデター、1927.7) ・蒋介石の北伐軍に敗れた張作霖は満州に退去するも、その途上で爆死(1928.6.4) ・張作霖の後継者で息子の張学良は、1928.12末に蒋介石の国民政府に帰服を宣言(易幟)。蒋介石は漢土・新疆に加えて満州も名目上統治することになったが、華南や陝西省などで共産党勢力との抗争が継続しており不安定な状態は続いていた。 ⇒以降の展開は中国はなぜ反日か?を参照 4.参考図書 紫禁城の黄昏―完訳 (上・下) R.F.ジョンストン (著), 中山 理 (翻訳), 渡部 昇一(監修)伊ベルトリッチ監督・坂本龍一音楽/出演でヒットした1987年公開の英・伊・中合作映画『ラスト・エンペラー』の重要なモチーフの一つであり、岩波文庫の翻訳本でも知られる名著ところが、岩波文庫本は、原著者R.F.ジョンストン(清朝最後の皇帝溥儀の帝師を勤めた英国人)が、自身の史観を述べた第1章~10章、第16章を完全に削除しており、序章も肝心の箇所を勝手に虫食い状に隠蔽、さらに訳文自体も少なからぬ意図的誤訳が検出されています。(岩波書店は月刊誌『世界』の発行元として知られる左翼傾向の強い出版社で、戦後GHQ職員が常駐し出版物を厳しく検閲したことで知られています)本書は、岩波文庫本で削除された章・誤訳された箇所も全て、1934年(溥儀、満州帝国皇帝に就任)当時の原著に忠実に訳出した2005年の新訳です。 近代中国は日本がつくった黄 文雄 (著) 自虐史観の刷り込みによる先入見とは全く無縁の著者が、当時の資料から浮かび上がる歴史事実を極力数値を用いて実証的に検証した目から鱗の名著。以下、数値による実証例。《1》中華民国南京臨時政府(1912年1月就任)内閣メンバー:18名中、9名が日本留学組《2》北京政府(1912-28)の閣僚経験者:1,447名中、556名が日本留学組《3》広州国民政府(1925-26)委員:24名中、14名が日本留学組《4》南京国民政府(1928-37)委員:81名中、40名が日本留学組《5》中国共産党創立大会の正式代表:12名中、6名が日本留学組 大東亜戦争への道中村 粲 (著) 特に中国(支那)・ソ連(ロシア)との歴史問題を事実関係の綿密な検証を通じて公正に解き明かした点で重要な平成2年(1990年)初版の名著但し、事実検証重視は、裏を返せば「歴史物語」的な面白みに乏しい(=演繹的ではなく帰納的)ということであり、余程の歴史マニアでなければ通読は困難か。興味のある人は図書館で捜すべし。下と5.の動画が同書の内容紹介となります。 続き⇒⑤、⑥ 5.「対華21ヶ条要求」の動画も参照 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 ◇動画による解説(【桜塾】大東亜戦争への道【第十回】第一次世界と日本(1):中村粲(獨協大名誉教授)) 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18① 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18② 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18③ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18④ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18⑤ ニコニコ動画版はこちら⇒① ② ③ ④ ■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史問題・解説ページ 中国の歴史・中国文明 辛亥革命~中国近代化運動の実際 中国はなぜ反日か? 自虐史観の正体 GHQの占領政策と影響 大東亜戦争への経緯 南京大虐殺の正体 沖縄戦集団自決命令問題 韓国はなぜ反日か? 日韓併合の真実 偏向教科書の正体 NHKの正体 靖國神社と英霊の御心 教育勅語とその精神 右翼・左翼の歴史 戦後レジームの正体 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 政治の基礎知識 歴史問題の基礎知識 ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ 当サイトは、日本人の自虐史観(東京裁判史観)からの完全脱却を応援します。 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています! ■セットで読む中国の民族問題解説ページ■東トルキスタン侵略の正体チベット侵略の正体南モンゴル侵略の正体台湾の真実中国の歴史・中国文明辛亥革命~中国近代化運動の実際
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明治維新を手本に近代化に着手しながら、共産主義に取り込まれて道を誤った中国 「 ありのままに言えば、私達の目的はヨーロッパ人の目的とは全く正反対である・・・私達は自由があり過ぎて反抗したのであって、私達には団結心も抵抗する力もない。私たちは砂粒に過ぎぬ。 」 孫文 (1905年 『三民主義』) ◇目次 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 4.参考図書 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑦ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑧ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑨ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑩ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑪ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑫ 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 1760年代の東アジア(乾隆帝治下:清朝最盛期)(1)濃い黄色部分⇒支那(China)…万里の長城以南の漢人の伝統的な居住地(=漢土)(2)薄い黄色部分⇒支那ではないが清朝(Qing Dynasty)の領土(満州人・モンゴル人・チベット人・ウイグル人など漢人以外の諸民族の居住地)※台湾が支那に含まれる一方、朝鮮が支那以外だが清朝の領土に含まれていることに注目 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 ※1.の動画の解説となります (1) 始まりは日清戦争:遅まきながら立憲君主制を目指した清朝(1894-) ・日清戦争(1894-95)敗戦に危機感を持った清朝は、 康有為 ・ 梁啓超 らの進言で日本を手本にした近代化改革(戊戌維新)を始めるが、守旧派の抵抗で百日で頓挫。康有為・梁啓超は日本に亡命し、立憲君主制樹立を目指して活動(保皇党) ・日露戦争(1904-05)での日本勝利により、ロシアによる満州・モンゴルの植民地化を逃れた清朝は、日本に傾倒。1万人以上の留学生を日本に派遣し明治維新を手本に本格的な近代化への準備を進める。(政治・経済・社会制度改革に着手、1913年の立憲君主制発足も約束) ・日本政府/民間団体は清朝の改革を熱烈に支援(共に近代化したアジアの強国となって欧米列強に対抗することを目指した) (2) 「滅満興漢」を旗印に民族主義革命を強行した孫文、「満州割譲」に釣られた日本右翼(1911) ・ところが日本で新思想に触れた漢人留学生の間に、民族主義(漢民族による満州王朝打倒)を訴える 孫文 ・ 黄興 らの革命党が台頭し、康有為らの保皇党(改革派・立憲君主制支持)を圧倒してしまう。 ・清朝の自己改革を支持する日本政府は、孫文ら革命党に否定的であり警戒していた。(革命による混乱/日本への影響を懸念) ・一方、攘夷論(反欧米主義)/大アジア主義を標榜する日本在野の右翼団体( 頭山満 の玄洋社、 内田良平 の黒竜会など)は、孫文・黄興の革命路線に共鳴。亡命中の孫文らを資金/組織両面で支え続けた。 ・ 玄洋社 / 黒竜会 は、かって征韓論を唱えて下野し、維新政府に討伐された西郷隆盛に連なる在野士族を主体に発足し、明治・大正~昭和初期の政治状況に大きな影響力を及ぼした在野の政治結社で、日本の右翼運動の源流とされる ・特に内田系の黒竜会は、孫文の「革命が成功し清朝を満州に駆逐したあとは、満州を日本に任せる」との誓約を信じて、多数の壮士が大陸に渡航、辛亥革命の武力面での指導者として活躍・・・「辛亥革命は日本人がやったことだ」(内田良平) (3) 袁世凱による革命の簒奪~清朝皇室と革命派の妥協により「中華民国」発足(1912) ・清朝は北洋軍閥の巨頭 袁世凱 を起用し革命鎮圧を委ねるが、自身が皇帝に成り上がる野心を抱いていた袁世凱は、①清朝宮廷(北京)には紫禁城内での宮廷維持・皇帝成人後の復位の仄めかし、②孫文の臨時政府(南京)には清朝皇帝の退位・共和国樹立、を餌に妥協を強い、自身が大総統に就任。発足した「中華民国」の実権を奪う(1912.2) ・しかし袁世凱の帝政樹立の野望は、改革派(立憲君主制支持派)・革命派双方の支持を得られず失敗(1916.3) ・袁世凱は失意のうちに病死し(1916.6)、以降、中華民国は軍閥・革命派・独立派諸民族が割拠する分裂状態に陥る ・袁世凱の統治期に日本政府から出された所謂「対華21ヶ条要求」については1.動画及び5.動画を参照 (4) ロシア革命の波及~共産主義者に煽動された五四運動・五四文化革命(排日運動・伝統文化否定)(1919.5.4) ・清朝末期の留学生には、在野の日本右翼ではなく、 幸徳秋水 など日本の左翼運動、更に欧州の共産主義運動に共鳴する者も現れた。その代表格が 陳独秀 ・ 李大釗 である。(陳・李は、のちに中国共産党を結成(1921)) ・陳独秀は帰国後、雑誌『新青年』を刊行、徹底した儒教批判と近代思想の紹介を行う。これに魯迅・胡適らの「白話文運動」(口語文を用いて民衆教化を訴える運動、「文学革命」ともいう)が合流して 新文化運動 が始まる。(1916-21、「五四文化革命」ともいう。1960年代の文化大革命の先駆的運動) ・1917年11月(露暦10月)ロシア10月革命。1919年2月 ソ連は世界革命を実行するためコミンテルン(国際共産党組織)を設立 ・1919.5.4、第一次世界大戦の講和条約締結問題を契機に、陳独秀・李大釗ら左翼文化人に煽動された学生達による排日運動が暴発( 五四運動 、2005年の反日デモをイメージせよ)・・・辛亥革命に成功した漢族の民族主義が、日本を次の標的とし始める。 (5) 孫文、革命のために「連ソ容共」に転じ、日本右翼を裏切る(1923.1) ・1919年7月 ソ連がロシア-清朝間で結ばれた不平等条約の即時撤廃を表明( カラハン宣言 )、中国民衆の好感を獲得 ・辛亥革命の失敗を味わった孫文は、「孫文=ヨッフェ共同宣言」(1923.1)を発表し、革命の主パートナーを日本の在野右翼からソ連に切り替え、中国共産党と協力関係を結ぶ(第一次国共合作:1924.1)・・・国内基盤の弱かった孫文は革命運動を進めるために常に外国勢力の支援を必要とした。 ・孫文の「満州譲渡の誓約」を信じていた内田良平の黒竜会はこれに反発。以降、満州独立派に接近。 ・一方、頭山満の玄洋社は、なお「同種同文」たる日中両民族が同盟して欧米列強打倒を目指す 「大アジア主義」 構想を捨て切れず、孫文(のち蒋介石)率いる国民党との関係維持・日本政府との提携推進に努めたが、大東亜戦争終結に至るまで彼らの期待は裏切られ続けた・・・戦前の右翼は「大アジア主義」に固執し大失敗を犯したと言える。ただし、頭山・内田らは孫文らを叱りつけるなどの対応や反撃をしている。※参照外交の基礎知識 (6) 清朝皇室の紫禁城追放、立憲君主制構想の消滅(1924.7) ・軍閥抗争が続く華北で、なお将来の復位を望んで存続していた清朝宮廷は、1924年 軍閥( 馮玉祥 )の反乱により紫禁城から追放され、中国の立憲君主制構想は最終的に消滅 ・前皇帝 溥儀 は自身の希望により、北京の日本公使館を経て天津の日本租界に亡命。将来の満州帝国復活に希望を繋ぐ(帝師を務めたR.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(1934刊)の記述から確実。しかし同書は東京裁判では戦勝国の建前に反するため無視された) (7) 蒋介石の北伐・国民革命(1926-28)、張作霖爆死(1928) ・孫文死去(1925)後の国民党(華南に基盤)は、 蒋介石 を指導者に 北伐 を開始。華中次いで華北を攻略し、不完全ながら漢土を制圧(国民革命)。その過程で蒋介石は、孫文の残した中国共産党との合作を破棄(上海クーデター、1927.7) ・蒋介石の北伐軍に敗れた張作霖は満州に退去するも、その途上で爆死(1928.6.4) ・張作霖の後継者で息子の張学良は、1928.12末に蒋介石の国民政府に帰服を宣言( 易幟 )。蒋介石は漢土・新疆に加えて満州も名目上統治することになったが、華南や陝西省などで共産党勢力との抗争が継続しており不安定な状態は続いていた。 ⇒以降の展開は中国はなぜ反日か?を参照 4.参考図書 紫禁城の黄昏―完訳 (上・下) R.F.ジョンストン (著), 中山 理 (翻訳), 渡部 昇一(監修)伊ベルトリッチ監督・坂本龍一音楽/出演でヒットした1987年公開の英・伊・中合作映画『 ラスト・エンペラー 』の重要なモチーフの一つであり、岩波文庫の翻訳本でも知られる名著ところが、岩波文庫本は、原著者R.F.ジョンストン(清朝最後の皇帝溥儀の帝師を勤めた英国人)が、自身の史観を述べた第1章~10章、第16章を完全に削除しており、序章も肝心の箇所を勝手に虫食い状に隠蔽、さらに訳文自体も少なからぬ意図的誤訳が検出されています。(岩波書店は月刊誌『世界』の発行元として知られる左翼傾向の強い出版社で、戦後GHQ職員が常駐し出版物を厳しく検閲したことで知られています)本書は、岩波文庫本で削除された章・誤訳された箇所も全て、1934年(溥儀、満州帝国皇帝に就任)当時の原著に忠実に訳出した2005年の新訳です。 近代中国は日本がつくった 黄 文雄 (著) 自虐史観の刷り込みによる先入見とは全く無縁の著者が、当時の資料から浮かび上がる歴史事実を極力数値を用いて実証的に検証した目から鱗の名著。以下、数値による実証例。《1》中華民国南京臨時政府(1912年1月就任)内閣メンバー:18名中、9名が日本留学組《2》北京政府(1912-28)の閣僚経験者:1,447名中、556名が日本留学組《3》広州国民政府(1925-26)委員:24名中、14名が日本留学組《4》南京国民政府(1928-37)委員:81名中、40名が日本留学組《5》中国共産党創立大会の正式代表:12名中、6名が日本留学組 大東亜戦争への道 中村 粲 (著) 特に中国(支那)・ソ連(ロシア)との歴史問題を事実関係の綿密な検証を通じて公正に解き明かした点で重要な平成2年(1990年)初版の名著但し、事実検証重視は、裏を返せば「歴史物語」的な面白みに乏しい(=演繹的ではなく帰納的)ということであり、余程の歴史マニアでなければ通読は困難か。興味のある人は図書館で捜すべし。下と5.の動画が同書の内容紹介となります。 続き⇒ ⑤ 、 ⑥ 5.「対華21ヶ条要求」の動画も参照 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 ◇動画による解説(【桜塾】 大東亜戦争への道 【第十回】第一次世界と日本(1):中村粲(獨協大名誉教授)) 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18① 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18② 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18③ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18④ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18⑤ ニコニコ動画版はこちら⇒ ① ② ③ ④ ■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史問題・解説ページ 中国の歴史・中国文明 辛亥革命~中国近代化運動の実際 中国はなぜ反日か? 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明治維新を手本に近代化に着手しながら、共産主義に取り込まれて道を誤った中国 「 ありのままに言えば、私達の目的はヨーロッパ人の目的とは全く正反対である・・・私達は自由があり過ぎて反抗したのであって、私達には団結心も抵抗する力もない。私たちは砂粒に過ぎぬ。 」 孫文 (1905年 『三民主義』) ◇目次 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 4.参考図書 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑦ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑧ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑨ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑩ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑪ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑫ 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 1760年代の東アジア(乾隆帝治下:清朝最盛期)(1)濃い黄色部分⇒支那(China)…万里の長城以南の漢人の伝統的な居住地(=漢土)(2)薄い黄色部分⇒支那ではないが清朝(Qing Dynasty)の領土(満州人・モンゴル人・チベット人・ウイグル人など漢人以外の諸民族の居住地)※台湾が支那に含まれる一方、朝鮮が支那以外だが清朝の領土に含まれていることに注目 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 ※1.の動画の解説となります (1) 始まりは日清戦争:遅まきながら立憲君主制を目指した清朝(1894-) ・日清戦争(1894-95)敗戦に危機感を持った清朝は、康有為 ・梁啓超 らの進言で日本を手本にした近代化改革(戊戌維新)を始めるが、守旧派の抵抗で百日で頓挫。康有為・梁啓超は日本に亡命し、立憲君主制樹立を目指して活動(保皇党) ・日露戦争(1904-05)での日本勝利により、ロシアによる満州・モンゴルの植民地化を逃れた清朝は、日本に傾倒。1万人以上の留学生を日本に派遣し明治維新を手本に本格的な近代化への準備を進める。(政治・経済・社会制度改革に着手、1913年の立憲君主制発足も約束) ・日本政府/民間団体は清朝の改革を熱烈に支援(共に近代化したアジアの強国となって欧米列強に対抗することを目指した) (2) 「滅満興漢」を旗印に民族主義革命を強行した孫文、「満州割譲」に釣られた日本右翼(1911) ・ところが日本で新思想に触れた漢人留学生の間に、民族主義(漢民族による満州王朝打倒)を訴える孫文 ・黄興 らの革命党が台頭し、康有為らの保皇党(改革派・立憲君主制支持)を圧倒してしまう。 ・清朝の自己改革を支持する日本政府は、孫文ら革命党に否定的であり警戒していた。(革命による混乱/日本への影響を懸念) ・一方、攘夷論(反欧米主義)/大アジア主義を標榜する日本在野の右翼団体(頭山満 の玄洋社、内田良平 の黒竜会など)は、孫文・黄興の革命路線に共鳴。亡命中の孫文らを資金/組織両面で支え続けた。 ・玄洋社 /黒竜会 は、かって征韓論を唱えて下野し、維新政府に討伐された西郷隆盛に連なる在野士族を主体に発足し、明治・大正~昭和初期の政治状況に大きな影響力を及ぼした在野の政治結社で、日本の右翼運動の源流とされる ・特に内田系の黒竜会は、孫文の「革命が成功し清朝を満州に駆逐したあとは、満州を日本に任せる」との誓約を信じて、多数の壮士が大陸に渡航、辛亥革命の武力面での指導者として活躍・・・「辛亥革命は日本人がやったことだ」(内田良平) (3) 袁世凱による革命の簒奪~清朝皇室と革命派の妥協により「中華民国」発足(1912) ・清朝は北洋軍閥の巨頭袁世凱 を起用し革命鎮圧を委ねるが、自身が皇帝に成り上がる野心を抱いていた袁世凱は、①清朝宮廷(北京)には紫禁城内での宮廷維持・皇帝成人後の復位の仄めかし、②孫文の臨時政府(南京)には清朝皇帝の退位・共和国樹立、を餌に妥協を強い、自身が大総統に就任。発足した「中華民国」の実権を奪う(1912.2) ・しかし袁世凱の帝政樹立の野望は、改革派(立憲君主制支持派)・革命派双方の支持を得られず失敗(1916.3) ・袁世凱は失意のうちに病死し(1916.6)、以降、中華民国は軍閥・革命派・独立派諸民族が割拠する分裂状態に陥る ・袁世凱の統治期に日本政府から出された所謂「対華21ヶ条要求」については1.動画及び5.動画を参照 (4) ロシア革命の波及~共産主義者に煽動された五四運動・五四文化革命(排日運動・伝統文化否定)(1919.5.4) ・清朝末期の留学生には、在野の日本右翼ではなく、幸徳秋水 など日本の左翼運動、更に欧州の共産主義運動に共鳴する者も現れた。その代表格が陳独秀 ・李大釗 である。(陳・李は、のちに中国共産党を結成(1921)) ・陳独秀は帰国後、雑誌『新青年』を刊行、徹底した儒教批判と近代思想の紹介を行う。これに魯迅・胡適らの「白話文運動」(口語文を用いて民衆教化を訴える運動、「文学革命」ともいう)が合流して新文化運動 が始まる。(1916-21、「五四文化革命」ともいう。1960年代の文化大革命の先駆的運動) ・1917年11月(露暦10月)ロシア10月革命。1919年2月 ソ連は世界革命を実行するためコミンテルン(国際共産党組織)を設立 ・1919.5.4、第一次世界大戦の講和条約締結問題を契機に、陳独秀・李大釗ら左翼文化人に煽動された学生達による排日運動が暴発(五四運動 、2005年の反日デモをイメージせよ)・・・辛亥革命に成功した漢族の民族主義が、日本を次の標的とし始める。 (5) 孫文、革命のために「連ソ容共」に転じ、日本右翼を裏切る(1923.1) ・1919年7月 ソ連がロシア-清朝間で結ばれた不平等条約の即時撤廃を表明(カラハン宣言 )、中国民衆の好感を獲得 ・辛亥革命の失敗を味わった孫文は、「孫文=ヨッフェ共同宣言」(1923.1)を発表し、革命の主パートナーを日本の在野右翼からソ連に切り替え、中国共産党と協力関係を結ぶ(第一次国共合作:1924.1)・・・国内基盤の弱かった孫文は革命運動を進めるために常に外国勢力の支援を必要とした。 ・孫文の「満州譲渡の誓約」を信じていた内田良平の黒竜会はこれに反発。以降、満州独立派に接近。 ・一方、頭山満の玄洋社は、なお「同種同文」たる日中両民族が同盟して欧米列強打倒を目指す「大アジア主義」 構想を捨て切れず、孫文(のち蒋介石)率いる国民党との関係維持・日本政府との提携推進に努めたが、大東亜戦争終結に至るまで彼らの期待は裏切られ続けた・・・戦前の右翼は「大アジア主義」に固執し大失敗を犯したと言える。ただし、頭山・内田らは孫文らを叱りつけるなどの対応や反撃をしている。※参照外交の基礎知識 (6) 清朝皇室の紫禁城追放、立憲君主制構想の消滅(1924.7) ・軍閥抗争が続く華北で、なお将来の復位を望んで存続していた清朝宮廷は、1924年 軍閥(馮玉祥 )の反乱により紫禁城から追放され、中国の立憲君主制構想は最終的に消滅 ・前皇帝溥儀 は自身の希望により、北京の日本公使館を経て天津の日本租界に亡命。将来の満州帝国復活に希望を繋ぐ(帝師を務めたR.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(1934刊)の記述から確実。しかし同書は東京裁判では戦勝国の建前に反するため無視された) (7) 蒋介石の北伐・国民革命(1926-28)、張作霖爆死(1928) ・孫文死去(1925)後の国民党(華南に基盤)は、蒋介石 を指導者に北伐 を開始。華中次いで華北を攻略し、不完全ながら漢土を制圧(国民革命)。その過程で蒋介石は、孫文の残した中国共産党との合作を破棄(上海クーデター、1927.7) ・蒋介石の北伐軍に敗れた張作霖は満州に退去するも、その途上で爆死(1928.6.4) ・張作霖の後継者で息子の張学良は、1928.12末に蒋介石の国民政府に帰服を宣言(易幟 )。蒋介石は漢土・新疆に加えて満州も名目上統治することになったが、華南や陝西省などで共産党勢力との抗争が継続しており不安定な状態は続いていた。 ⇒以降の展開は中国はなぜ反日か?を参照 4.参考図書 紫禁城の黄昏―完訳 (上・下) R.F.ジョンストン (著), 中山 理 (翻訳), 渡部 昇一(監修)伊ベルトリッチ監督・坂本龍一音楽/出演でヒットした1987年公開の英・伊・中合作映画『ラスト・エンペラー 』の重要なモチーフの一つであり、岩波文庫の翻訳本でも知られる名著ところが、岩波文庫本は、原著者R.F.ジョンストン(清朝最後の皇帝溥儀の帝師を勤めた英国人)が、自身の史観を述べた第1章~10章、第16章を完全に削除しており、序章も肝心の箇所を勝手に虫食い状に隠蔽、さらに訳文自体も少なからぬ意図的誤訳が検出されています。(岩波書店は月刊誌『世界』の発行元として知られる左翼傾向の強い出版社で、戦後GHQ職員が常駐し出版物を厳しく検閲したことで知られています)本書は、岩波文庫本で削除された章・誤訳された箇所も全て、1934年(溥儀、満州帝国皇帝に就任)当時の原著に忠実に訳出した2005年の新訳です。 近代中国は日本がつくった 黄 文雄 (著) 自虐史観の刷り込みによる先入見とは全く無縁の著者が、当時の資料から浮かび上がる歴史事実を極力数値を用いて実証的に検証した目から鱗の名著。以下、数値による実証例。《1》中華民国南京臨時政府(1912年1月就任)内閣メンバー:18名中、9名が日本留学組《2》北京政府(1912-28)の閣僚経験者:1,447名中、556名が日本留学組《3》広州国民政府(1925-26)委員:24名中、14名が日本留学組《4》南京国民政府(1928-37)委員:81名中、40名が日本留学組《5》中国共産党創立大会の正式代表:12名中、6名が日本留学組 大東亜戦争への道 中村 粲 (著) 特に中国(支那)・ソ連(ロシア)との歴史問題を事実関係の綿密な検証を通じて公正に解き明かした点で重要な平成2年(1990年)初版の名著但し、事実検証重視は、裏を返せば「歴史物語」的な面白みに乏しい(=演繹的ではなく帰納的)ということであり、余程の歴史マニアでなければ通読は困難か。興味のある人は図書館で捜すべし。下と5.の動画が同書の内容紹介となります。 続き⇒⑤ 、⑥ 5.「対華21ヶ条要求」の動画も参照 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 ◇動画による解説(【桜塾】大東亜戦争への道 【第十回】第一次世界と日本(1):中村粲(獨協大名誉教授)) 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18① 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18② 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18③ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18④ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18⑤ ニコニコ動画版はこちら⇒① ② ③ ④ ■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史問題・解説ページ 中国の歴史・中国文明 辛亥革命~中国近代化運動の実際 中国はなぜ反日か? 自虐史観の正体 GHQの占領政策と影響 大東亜戦争への経緯 南京大虐殺の正体 沖縄戦集団自決命令問題 韓国はなぜ反日か? 日韓併合の真実 偏向教科書の正体 NHKの正体 靖國神社と英霊の御心 教育勅語とその精神 右翼・左翼の歴史 戦後レジームの正体 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 政治の基礎知識 歴史問題の基礎知識 ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ 当サイトは、日本人の自虐史観(東京裁判史観)からの完全脱却を応援します。 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています! ■セットで読む中国の民族問題解説ページ■東トルキスタン侵略の正体チベット侵略の正体南モンゴル侵略の正体台湾の真実中国の歴史・中国文明辛亥革命~中国近代化運動の実際
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明治維新を手本に近代化に着手しながら、共産主義に取り込まれて道を誤った中国 「 ありのままに言えば、私達の目的はヨーロッパ人の目的とは全く正反対である・・・私達は自由があり過ぎて反抗したのであって、私達には団結心も抵抗する力もない。私たちは砂粒に過ぎぬ。 」 孫文 (1905年 『三民主義』) ◇目次 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 4.参考図書 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 1.百年経っても近代国家に成れない中国の現状 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑦ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑧ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑨ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑩ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑪ 【討論!】北京五輪後の中国と少数民族問題⑫ 2.清朝(Qing Dynasty)と支那(China)の区別 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 1760年代の東アジア(乾隆帝治下:清朝最盛期)(1)濃い黄色部分⇒支那(China)…万里の長城以南の漢人の伝統的な居住地(=漢土)(2)薄い黄色部分⇒支那ではないが清朝(Qing Dynasty)の領土(満州人・モンゴル人・チベット人・ウイグル人など漢人以外の諸民族の居住地)※台湾が支那に含まれる一方、朝鮮が支那以外だが清朝の領土に含まれていることに注目 3.辛亥革命~中国近代化運動の実際 ※1.の動画の解説となります (1) 始まりは日清戦争:遅まきながら立憲君主制を目指した清朝(1894-) ・日清戦争(1894-95)敗戦に危機感を持った清朝は、康有為・梁啓超らの進言で日本を手本にした近代化改革(戊戌維新)を始めるが、守旧派の抵抗で百日で頓挫。康有為・梁啓超は日本に亡命し、立憲君主制樹立を目指して活動(保皇党) ・日露戦争(1904-05)での日本勝利により、ロシアによる満州・モンゴルの植民地化を逃れた清朝は、日本に傾倒。1万人以上の留学生を日本に派遣し明治維新を手本に本格的な近代化への準備を進める。(政治・経済・社会制度改革に着手、1913年の立憲君主制発足も約束) ・日本政府/民間団体は清朝の改革を熱烈に支援(共に近代化したアジアの強国となって欧米列強に対抗することを目指した) (2) 「滅満興漢」を旗印に民族主義革命を強行した孫文、「満州割譲」に釣られた日本右翼(1911) ・ところが日本で新思想に触れた漢人留学生の間に、民族主義(漢民族による満州王朝打倒)を訴える孫文・黄興らの革命党が台頭し、康有為らの保皇党(改革派・立憲君主制支持)を圧倒してしまう。 ・清朝の自己改革を支持する日本政府は、孫文ら革命党に否定的であり警戒していた。(革命による混乱/日本への影響を懸念) ・一方、攘夷論(反欧米主義)/大アジア主義を標榜する日本在野の右翼団体(頭山満の玄洋社、内田良平の黒竜会など)は、孫文・黄興の革命路線に共鳴。亡命中の孫文らを資金/組織両面で支え続けた。 ・玄洋社/黒竜会は、かって征韓論を唱えて下野し、維新政府に討伐された西郷隆盛に連なる在野士族を主体に発足し、明治・大正~昭和初期の政治状況に大きな影響力を及ぼした在野の政治結社で、日本の右翼運動の源流とされる ・特に内田系の黒竜会は、孫文の「革命が成功し清朝を満州に駆逐したあとは、満州を日本に任せる」との誓約を信じて、多数の壮士が大陸に渡航、辛亥革命の武力面での指導者として活躍・・・「辛亥革命は日本人がやったことだ」(内田良平) (3) 袁世凱による革命の簒奪~清朝皇室と革命派の妥協により「中華民国」発足(1912) ・清朝は北洋軍閥の巨頭袁世凱を起用し革命鎮圧を委ねるが、自身が皇帝に成り上がる野心を抱いていた袁世凱は、①清朝宮廷(北京)には紫禁城内での宮廷維持・皇帝成人後の復位の仄めかし、②孫文の臨時政府(南京)には清朝皇帝の退位・共和国樹立、を餌に妥協を強い、自身が大総統に就任。発足した「中華民国」の実権を奪う(1912.2) ・しかし袁世凱の帝政樹立の野望は、改革派(立憲君主制支持派)・革命派双方の支持を得られず失敗(1916.3) ・袁世凱は失意のうちに病死し(1916.6)、以降、中華民国は軍閥・革命派・独立派諸民族が割拠する分裂状態に陥る ・袁世凱の統治期に日本政府から出された所謂「対華21ヶ条要求」については1.動画及び5.動画を参照 (4) ロシア革命の波及~共産主義者に煽動された五四運動・五四文化革命(排日運動・伝統文化否定)(1919.5.4) ・清朝末期の留学生には、在野の日本右翼ではなく、幸徳秋水など日本の左翼運動、更に欧州の共産主義運動に共鳴する者も現れた。その代表格が陳独秀・李大釗である。(陳・李は、のちに中国共産党を結成(1921)) ・陳独秀は帰国後、雑誌『新青年』を刊行、徹底した儒教批判と近代思想の紹介を行う。これに魯迅・胡適らの「白話文運動」(口語文を用いて民衆教化を訴える運動、「文学革命」ともいう)が合流して新文化運動が始まる。(1916-21、「五四文化革命」ともいう。1960年代の文化大革命の先駆的運動) ・1917年11月(露暦10月)ロシア10月革命。1919年2月 ソ連は世界革命を実行するためコミンテルン(国際共産党組織)を設立 ・1919.5.4、第一次世界大戦の講和条約締結問題を契機に、陳独秀・李大釗ら左翼文化人に煽動された学生達による排日運動が暴発(五四運動、2005年の反日デモをイメージせよ)・・・辛亥革命に成功した漢族の民族主義が、日本を次の標的とし始める。 (5) 孫文、革命のために「連ソ容共」に転じ、日本右翼を裏切る(1923.1) ・1919年7月 ソ連がロシア-清朝間で結ばれた不平等条約の即時撤廃を表明(カラハン宣言)、中国民衆の好感を獲得 ・辛亥革命の失敗を味わった孫文は、「孫文=ヨッフェ共同宣言」(1923.1)を発表し、革命の主パートナーを日本の在野右翼からソ連に切り替え、中国共産党と協力関係を結ぶ(第一次国共合作:1924.1)・・・国内基盤の弱かった孫文は革命運動を進めるために常に外国勢力の支援を必要とした。 ・孫文の「満州譲渡の誓約」を信じていた内田良平の黒竜会はこれに反発。以降、満州独立派に接近。 ・一方、頭山満の玄洋社は、なお「同種同文」たる日中両民族が同盟して欧米列強打倒を目指す「大アジア主義」構想を捨て切れず、孫文(のち蒋介石)率いる国民党との関係維持・日本政府との提携推進に努めたが、大東亜戦争終結に至るまで彼らの期待は裏切られ続けた・・・戦前の右翼は「大アジア主義」に固執し大失敗を犯したと言える。ただし、頭山・内田らは孫文らを叱りつけるなどの対応や反撃をしている。※参照外交の基礎知識 (6) 清朝皇室の紫禁城追放、立憲君主制構想の消滅(1924.7) ・軍閥抗争が続く華北で、なお将来の復位を望んで存続していた清朝宮廷は、1924年 軍閥(馮玉祥)の反乱により紫禁城から追放され、中国の立憲君主制構想は最終的に消滅 ・前皇帝溥儀は自身の希望により、北京の日本公使館を経て天津の日本租界に亡命。将来の満州帝国復活に希望を繋ぐ(帝師を務めたR.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(1934刊)の記述から確実。しかし同書は東京裁判では戦勝国の建前に反するため無視された) (7) 蒋介石の北伐・国民革命(1926-28)、張作霖爆死(1928) ・孫文死去(1925)後の国民党(華南に基盤)は、蒋介石を指導者に北伐を開始。華中次いで華北を攻略し、不完全ながら漢土を制圧(国民革命)。その過程で蒋介石は、孫文の残した中国共産党との合作を破棄(上海クーデター、1927.7) ・蒋介石の北伐軍に敗れた張作霖は満州に退去するも、その途上で爆死(1928.6.4) ・張作霖の後継者で息子の張学良は、1928.12末に蒋介石の国民政府に帰服を宣言(易幟)。蒋介石は漢土・新疆に加えて満州も名目上統治することになったが、華南や陝西省などで共産党勢力との抗争が継続しており不安定な状態は続いていた。 ⇒以降の展開は中国はなぜ反日か?を参照 4.参考図書 紫禁城の黄昏―完訳 (上・下) R.F.ジョンストン (著), 中山 理 (翻訳), 渡部 昇一(監修)伊ベルトリッチ監督・坂本龍一音楽/出演でヒットした1987年公開の英・伊・中合作映画『ラスト・エンペラー』の重要なモチーフの一つであり、岩波文庫の翻訳本でも知られる名著ところが、岩波文庫本は、原著者R.F.ジョンストン(清朝最後の皇帝溥儀の帝師を勤めた英国人)が、自身の史観を述べた第1章~10章、第16章を完全に削除しており、序章も肝心の箇所を勝手に虫食い状に隠蔽、さらに訳文自体も少なからぬ意図的誤訳が検出されています。(岩波書店は月刊誌『世界』の発行元として知られる左翼傾向の強い出版社で、戦後GHQ職員が常駐し出版物を厳しく検閲したことで知られています)本書は、岩波文庫本で削除された章・誤訳された箇所も全て、1934年(溥儀、満州帝国皇帝に就任)当時の原著に忠実に訳出した2005年の新訳です。 近代中国は日本がつくった黄 文雄 (著) 自虐史観の刷り込みによる先入見とは全く無縁の著者が、当時の資料から浮かび上がる歴史事実を極力数値を用いて実証的に検証した目から鱗の名著。以下、数値による実証例。《1》中華民国南京臨時政府(1912年1月就任)内閣メンバー:18名中、9名が日本留学組《2》北京政府(1912-28)の閣僚経験者:1,447名中、556名が日本留学組《3》広州国民政府(1925-26)委員:24名中、14名が日本留学組《4》南京国民政府(1928-37)委員:81名中、40名が日本留学組《5》中国共産党創立大会の正式代表:12名中、6名が日本留学組 大東亜戦争への道中村 粲 (著) 特に中国(支那)・ソ連(ロシア)との歴史問題を事実関係の綿密な検証を通じて公正に解き明かした点で重要な平成2年(1990年)初版の名著但し、事実検証重視は、裏を返せば「歴史物語」的な面白みに乏しい(=演繹的ではなく帰納的)ということであり、余程の歴史マニアでなければ通読は困難か。興味のある人は図書館で捜すべし。下と5.の動画が同書の内容紹介となります。 続き⇒⑤、⑥ 5.「対華21ヶ条要求」の動画も参照 5.「対華21ヶ条要求」(1915年1月18日)の実際 ◇動画による解説(【桜塾】大東亜戦争への道【第十回】第一次世界と日本(1):中村粲(獨協大名誉教授)) 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18① 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18② 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18③ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18④ 大東亜戦争への道 Twenty-One Demands in 1915 Jan 18⑤ ニコニコ動画版はこちら⇒① ② ③ ④ 当サイトは、日本人の自虐史観(東京裁判史観)からの完全脱却を応援します。 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています! ■セットで読む中国の民族問題解説ページ■東トルキスタン侵略の正体チベット侵略の正体南モンゴル侵略の正体台湾の真実中国の歴史・中国文明辛亥革命~中国近代化運動の実際
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店舗HP/地図 【店舗外観】 【住所】千葉県我孫子市我孫子4丁目11番1号 あびこショッピングプラザ3F 【交通】JR常磐線 我孫子駅。 【駐車場】あり 太鼓の達人 太鼓9 1台 100円2曲 【筐体外観】 【太鼓稼動時間】10 00am〜9 45pm(年中無休) 【設置状況】子供が多いお店です。 【メンテ状況】反応は悪くありませんでした。 【最終確認日】2007年 QMA 設置されていません
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名前 コメント テスト -- 後藤田 (2015-03-14 14 48 51) テスト -- てすと (2015-03-14 14 40 28)
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あびかちゃん 携帯画像 都道府県 千葉県 肩書き あびこカッパまつりイメージキャラクター 公式サイト http //abikokappa.net/ 解説 頭の皿は手賀沼をイメージし、市の鳥のオオバンが乗っている。花は市の花のツツジ、浴衣の模様は市章がデザインされている。 攻略難易度 ★★★★やや難。あびこカッパまつりにて。 名刺の有無 ? 狙い目イベント あびこカッパまつり(8月) イベント情報
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運動時間で変わる筋肉 ご意見・ご感想はこちら yuefeel@live.jp 訪問販売詐欺に注意 意外と知られていない「筋肉の完成度」を紹介 腹筋/背筋/腕立て伏せ などの筋力強化運動 上記筋力強化運動全て連続100回出来るという人が A・朝・昼・晩に30回やる B・朝50回 夜50回やる C・いづれかに1発で100回やる 同じ「100回」でも出来上がる筋肉の質が変わる Aの場合は・・・柔軟性のある細い筋肉で器械体操や新体操や陸上競技などに適した「軽い筋肉」になる Bの場合は・・・バスケットボールや野球などに適した「持久力のある筋肉」になる Cの場合は・・・ラグビーや格闘技や重要あげなどに適した「重い筋肉」になる ※朝・昼・晩に100回やるとAの筋肉になりにくく B<Cの筋肉になる B・Cのやり方でAの筋肉を目指す場合は筋力強化運動の前後に柔軟運動や長距離走をすると柔軟性のある筋肉になりやすくなる 長時間走り続けると「痩せる・体重を落とす」という事にもなるので筋肉に必要な脂肪も必要以上に削減してしまう為「筋肉狙い」の場合は長距離走は控えた方が良い 必要以上に走ると長距離走者や水泳選手のような「痩せ型の筋肉」になる 同じ「スポーツ選手」でも筋肉が極端に違うのは体質もあるが筋力強化運動のやり方が根本的に違う為 過去に体験した空手・陸上競技・器械体操・水泳の4種だけで見ても筋力強化運動は全く異なる内容だった 例えば器械体操と空手では長距離走という練習内容が陸上競技と水泳の5分の1もしくはそれより少なかった 陸上競技と水泳の場合は長距離走が練習内容に大変多く含まれている為下半身強化と肺活量強化が優先されるので器械体操のような「上半身がすごい筋肉」という体系になりにくい 海水浴などで女の子にきゃーきゃー言われたい・痩せたい・持久力をつけたい・力持ちになりたい・足が速くなりたい・体育館でダンクシュートしたい などと「筋力を上げたい」にも様々なので計画的に筋力強化運動を心掛けた方が良い
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登録日:2015/01/30 Fri 15 17 19 更新日:2023/05/20 Sat 15 08 12NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 3DS GC N64 Nintendo Switch Wii Wii U オーソドックス ギガクッパ クレイジーハンド ステージ スマブラ スマブラDX スマブラSP スマブラX スマブラfor マスターコア マスターハンド 戦場 百人組み手 神曲 終点 謎のザコ敵軍団 戦場/終点とは大乱闘スマッシュブラザーズシリーズに登場する2つのステージの事。 初代64から最新作SPまでの全作品に登場しているが、 対戦ステージとして使用可能になったのは2作目のDXからで尚且つ隠しステージとして登場していた。 3作目のX以降は最初から選べる初期ステージになっている。 いろんな任天堂(+他社)作品をモチーフにしたステージがある中で戦場と終点は完全なスマブラオリジナルであり、 これといったギミックもない純粋な実力だけの対戦向けステージとなっている。 ステージ構成は全作とも共通している。 戦場は基本の足場と空中に浮いている3つのすりぬけ床で構成されており、真ん中のすりぬけ床が一番高い三角状の配置。 基本的な立ち回り要素をすべて使うことができ、自分の実力を試すのにもっとも適しているステージ。 実はスマブラのプロトタイプ版「格闘ゲーム竜王」の頃から存在している基本構成である。 終点は基本の足場は戦場より少し広いが、すりぬけ床が一切ない。飛び道具といった何らかの特技を持つファイターにとって戦場より少し有利なステージ。 以下は各シリーズでの戦場/終点の扱いを記述する。 64 記念すべき最初のスマブラシリーズだが、この時は戦場と終点はまだ対戦ステージとして使用できなかった。 また、戦場はデュエルゾーンという名称、終点に至ってはゲームでは名称が不明であり、攻略本や公式サイトで名称が判明した。 戦場は組み手の元祖ともいえる謎のザコ敵軍団の専用ステージであり、背景やBGMは全体的に禍々しい。 終点はスマブラシリーズですっかりお馴染みのマスターハンド専用ステージであり、 マスターハンドの体力を減らすと背景が目まぐるしく変化。(曰く、現実世界に近づいてくるのだとか) 以降のシリーズで終点は現実世界との繋がりをイメージした背景、最後はシリーズ毎にパワーアップするマスターハンドとの戦いが定番になっている。 余談だがカービィのホームグラウンドステージであるプププランドも戦場とほぼ同じステージ構成をしており、 純粋な実力だけの対戦に選ぶ人も多かったと思われる。 一応、ギミックとして背景のウィスピーウッズがたまに息を吹いてファイターを押し出そうとするがほとんど気になるレベルではないので、 実質ギミックはあってないようなものである。 forのスマちしきでステージ構成に関する内容があったため、公式側もシリーズ当初から意識していたのかもしれない。 DX 対戦ステージとして使用可能になったのはこの作品からであり、 前述の通り隠しステージとして登場したが、解禁させるまでの道のりは険しい。 戦場はオールスターモードをクリアすれば解禁されるので終点よりはまだ楽だが、 オールスターモードは全ての隠しファイターを使用可能にしなければ出現しない。 そして隠しファイターの出現条件も現在と比べるとかなり厳しかった。 隠しファイターの出現条件には対戦回数によるものもあり、Xはウルフの450回、forはプリンの120回とシリーズ毎に楽になっているが、 DXでは最後の隠しファイターでもあるMr.ゲーム ウォッチを対戦回数で出現させるには何と1000回も対戦しないといけない。 対戦回数以外の条件ではミュウツーが対戦のべ時間が20時間を超えるというぼっちには出現させるのがもっとも厳しかったファイターでもある。 終点はすべてのイベント戦制覇で出現。ただし、最後のイベント戦51「ホントの最終決戦」までには全ての隠しキャラクターを出現させる必要があるうえ、51に限らず後半のイベント戦は全体的に高難易度である。 中でも48のピカチュウ&ピチューは勝利条件やDX当時としては非常に高いAI思考のファイターによって人によっては51より難しいとの声もあった。 戦場はシンプルではラスト前のメタル化した相手との戦いで使用されるが、 この時の背景は対戦モードでは見られない専用な仕様でありBGMも専用になる。 アドベンチャーでは終盤に謎のザコ敵軍団との戦いで使用されるが、何故か重力が軽くなっている。 背景は前作より暗くなっており足場も禍々しさが残っている。 全体的に真っ暗だが、時間の経過で燃えてるようになったりオーロラのように幻想的に変化したりする。 終点は主にシンプルではマスターハンド、アドベンチャーではギガクッパとの戦いで使用される。 背景は前作と似ているが今回は時間の経過で変化し、星空や電子的トンネルなどからワープして一気に現実世界風に戻りまたループする。 ちなみにこの作品からフィギュアが登場したが、戦場と終点のフィギュアがあるのはDXだけである。 また、戦場や終点に関係するBGMはX以降から導入されたオレ曲セレクトで選ぶ事ができる。 X 前作までと異なり今作からはどちらも最初から使用可能になった。 特に戦場は全体的に前作とイメージが正反対になり禍々しさが完全になくなり背景も開放的になった。 戦場は足場が全体的に自然物になり、背景も時間に合わせて朝昼夕夜と変化する。 終点は銀河、トンネル、星空、大気と目まぐるしく変化して、 オープニングや亜空の使者ラストと繋がる、光が照らす海の現実世界に戻り回転しながらまたループする。 今作から念願のオンライン対戦が可能になったのだが、当時は任天堂ゲームのオンライン対戦がまだ黎明期の真っ只中なのもあり、残念な事におきらく対戦が匿名性だったりステージ選択が投票制という仕様で下記の問題が発生してしまう。 今作では初心者にも勝ち目があるように、などといった配慮からステージギミックをはじめとした運ゲー要素が強くなったのだが、 「ステージギミックが余りにも強力過ぎて、ガチの勝負を阻害する」 といった考え方から、特に勝率を気にするプレイヤーが終点を好む傾向があった。 その結果、オンライン対戦において、モラルが低い行動をするプレイヤーが多発したのと同時に、ステージが終点ばかり選ばれる傾向が生じた。 これに対して、終点ばかりで飽きたプレイヤーは、今度は終点に決定した途端にやる気を無くして嫌がらせや切断による強制離脱に走るなどの問題行動を起こす。終点が選ばれなければ今度は終点を好む層が同様の行為を行う。 と言った問題が多発。スマブラXの評価やオンライン対戦のイメージを著しく下げる結果になってしまった。 それと同時に終点厨と言う言葉まで生まれてしまい、終点が嫌いになる人も続出してしまう事態になってしまった。 現在はニンテンドーWi-Fiコネクションは終了しており、公式側もこれらの反省を踏まえて以降の作品で様々な改善を行い、 完全とは言えずも少しずつ改善した事でこういった問題は以前よりかは着実に減少している。 for 4、5作目は携帯機のニンテンドー3DSと据え置き機のWii Uの2機種で発売した。 今作も戦場と終点は最初から使用可能だが、背景は機種によってある程度異なっている。 戦場は前作と同じく足場は自然物で背景は開放的で時間の経過で朝昼夕夜になるが、機種によって背景が僅かに異なる。 Wii U版では8人対戦モードがあるが、それに合わせて戦場を一回り広くした大戦場というステージが追加された。 終点は足場は両機種で共通するが形が左右非対称になり、 左側は青をベースに前作に近く右側は赤をベースにマグマのようなものが流れている。 ニンテンドー3DS版では宇宙のような背景から始まり青い惑星が登場し、次第に赤く膨張して最後に爆発した後は 前作と同じ海が広がる現実世界に戻り青空からやがて夕焼け、そして夜空になり最後はワープしてまたループする。 Wii U版でもやはり宇宙のような背景から始まり月のような1つの白い星が現れてしばらく後に急速に去り、 地球のような巨大な青い星と太陽のような巨大な赤い星が現れる。 やがて双方の星が回転しながら徐々に近づきあわや衝突寸前なところで、 眩い光に包まれ一筋の光が差す天空の現実世界に戻り回転しながらまたループする。 もはや恒例のマスターハンドのホームグラウンドだが、マスターコアとの戦いに突入すると禍々しい大気が渦巻く専用の背景になる。 前作の課題もあり今作ではエンジョイ乱闘とガチ乱闘に分けられた。 エンジョイ乱闘ではアイテムありで戦績もないので自由に遊べるが、ステージ選択は投票が廃止されて終点を除く全ステージからランダムで選ばれるようになった。 ガチ乱闘では逆にアイテムはなく戦績も事細かに記録されてステージも終点のみ。 今作は前作のオンライン対戦の問題を糧にいろんな部分が改善されたが、特に注目すべきは「ほぼ全てのステージを終点にできる」事だろう。 ディレクターの桜井氏がせっかくいろんな任天堂作品のステージがあるから他のステージも遊んでほしいと願い、 ほぼ全てのステージについて、「外観や背景をそのままにステージ形状のみ終点と同じにしたもの」が選べる贅沢仕様。 いつもの終点ももちろん素晴らしい事に変わりはないが、 たまには気分転換もしたくなるのが人の性ってやつなのでこれでガチ乱闘も思う存分に楽しめるはず。 尚、終点化ライラットクルーズは崖下からの復帰が難しいので注意。 SP X、forに続き今作でも前作から登場した大戦場を含めて最初から使用可能。 戦場の背景は引き続き開放的で時間経過による太陽が出ている明るい時間帯、日食により太陽が隠れて暗くなる時間帯の変化があり、今作は足元に巨大な滝が広がっている。 終点はお馴染みの宇宙のような空間でキューブ状の物体があちこちで流れており、次第にDXのような電子空間に広がった後にこれまたお馴染みの現実世界っぽい場所になり、海がかろうじて見えるくらいの厚い雲に覆われた空を今作から導入された要素のスピリットがたくさん飛び交い、次第に黒い渦が現れて雷雲と炎が燃えさかる暗黒の世界に包まれ、やがて奥で謎の光が発生してまたループする。 というのも今回の背景は今までと違ってアドベンチャーモードの灯火の星の世界をイメージしたもので、 対戦開始時の背景シーンがランダムになり、モード内のバトルで終点が使用される場合は対応する場面から背景パターンがスタートする。 前作から実装されたステージの終点化は続投、さらに今作から戦場化も実装された。 もちろん全てのステージで対応しており終点の戦場化も可能。 前作の終点化は一部ステージは画面外まで足場が届いていたが今作は戦場化を含め足場は全てのステージが浮島で統一された。 また、前作は一部ステージのみ適用された8人対戦も今作では戦場化、終点化を含めて全てのステージで適用されている。 前作からの仕様だが、5人以上で対戦すると終点化した時の足場が1.5倍に拡張される。 そして今作では設定した時間の経過でステージを変化させる事も可能で戦場から終点など様々なステージの組み合わせが楽しめる。 ちなみにギミックのオンオフも可能になり、戦場や終点以外の地形でフラットな勝負もできるようになった。 その為、大会などではこの機能を活用して以前よりも他のステージも使用することが増加した。 オンライン対戦は前作のエンジョイ部屋とガチ部屋は廃止され、自分が望む条件となるべく近いプレイヤーとマッチングされやすい優先ルールが導入された。 前作から登場した世界戦闘力がオンラインでも導入され世界で上位の腕前になるとVIPになれる事も。 自分で自由にルールを決めて専用部屋を作ったり他のモードを遊びながら対戦相手を探してくれるモードもある。 その後、2020年8月5日のVer.8.1.0で戦場の派生となる小戦場が新たに実装された。 戦場の一番上にあるすりぬけ床が撤廃されてすりぬけ床が左右の2つだけになった。 一見するとXから登場したポケモンスタジアム2のステージに近いが、実は戦場から一番上のすりぬけ床をそのまま撤廃した流用ではなく左右にある2つのすりぬけ床の高さや距離が僅かに異なり、上のバーストラインも低くなっているなど戦場よりさらにガチ対戦に特化した内容になっている。 その他に戦場化または終点化したステージのみをランダムで選べるようになったり戦場、終点、大戦場、小戦場のみ対戦ステージで流せる全てのオレ曲セレクトを選べるようになった。 何気にSPのメインテーマでもある命の灯火など一部のBGMも流せるようになっている。 追記・修正は終点の背景に毎作いつも感動してる人にお願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 全ステージ終点化は素晴らしいと思った -- 名無しさん (2015-01-30 15 57 15) ガチ名乗るなら全ステージ戦場化も欲しかったが、まあ公式側で「終点厨隔離したったww」なんてなんて言える訳無いからなあ -- 名無しさん (2015-01-30 16 32 32) DXの終点ステージがなかなか広くて良かったんだけど。以降の作品では狭く感じる。あと、DXでは終点解放条件が厳しかったぞ。X以降の作品では終点はすぐに使えるから、ロクにやり込んでない自称ツヨスのにわかが出まくって終点厨の問題が広がった感じがする -- 名無しさん (2015-01-30 17 15 38) ステージギミックを活用できる事も含めて実力だと思うよ -- 名無しさん (2015-01-30 17 37 55) Xの背景が一番好きだな。あの幻想的な雰囲気がいい -- 名無しさん (2015-01-30 18 04 13) まぁ製作者としてはそりゃいろんなステージを楽しんで欲しいとは思うよな。こればかりはサークライには同情しざるを得ないわ。 -- 名無しさん (2015-01-30 18 17 26) ガチ部屋はなぜ戦場じゃなくて終点にしたんだ… -- 名無しさん (2015-01-30 19 29 18) アイテム無しタイマンで殴り合いたい←わかる それ以外のルールを認めない←うんこ -- 名無しさん (2015-01-30 21 56 27) マジで強い奴はどんな状況でも文句言わずに戦う。だけど好む環境があるのも事実。しかし戦いに制限を要求してくる奴はカスばかり。強いって言われたいなら、どんなルールでも勝てよ... -- 名無しさん (2015-01-30 23 00 50) 昔、友達数人(全員やり込み組)とスマブラやろうと思ったら、ステージ「終点(アイテムなし)」を延々とやってたな・・・。しかも、そいつらが使うキャラの動きが凄いのなんのって・・・少なくともその時に見てたのは、自分が知ってるキャラのそれではなかったよ。 -- 名無しさん (2015-01-30 23 25 15) X以降になってから終点のありがたみを感じなくなった。最初から選べるし -- 名無しさん (2015-01-31 02 14 10) 本物のガチ勢はタイマンは勿論乱闘+アイテム有でどのステージでも普通に強いからな。チーム戦だけどニコニコのプレミアムファイトの上位勢がそれを証明している。 -- 名無しさん (2015-01-31 02 24 46) 一人用モードみたいなミスが許されないような戦闘ではこういうギミックの少ないステージの方が助かる。対戦とかならステージギミック強くても良いし、たまに終点やるくらいが好きだな -- 名無しさん (2015-01-31 02 42 53) なんで戦場ガチタイマンはないんすか・・・ -- 名無しさん (2015-01-31 02 44 05) 戦場はXだと高低差を利用した落下ジャンピングGとか出来るし色々楽しい -- 名無しさん (2015-01-31 09 20 46) 64から飛んでforで戻ってきたクチだから終点化や「ガチ部屋は実質隔離部屋wざまぁw」みたいな風潮もそれはそれでもにょる エンジョイ部屋はエンジョイ部屋で楽しいけど回線酷いこと多いし…… -- 名無しさん (2015-01-31 17 34 40) ↑3 大会モードで戦場のみがあるけど終点と違って背景や音楽は同じなのがね…。 -- 名無しさん (2015-10-27 23 07 38) スマブラ自体も終点かね -- 名無しさん (2016-01-08 08 30 45) 次回作あったら全ステージ戦場化も望まれそう。 -- 名無しさん (2016-03-05 11 15 33) ↑実現したね -- 名無しさん (2018-06-13 13 53 09) ↑↑預言者がいた -- 名無しさん (2018-06-13 14 17 22) スマブラSPの終点の背景いいね。今回は念願の戦場化の他にギミックオフや2つのステージを変化させる機能まであるけどスタッフの仕事量やばそう…。 -- 名無しさん (2018-08-09 13 10 11) 戦場化は浮遊型で統一との事。 -- 名無しさん (2018-11-02 18 05 01) SPの終点の背景が灯火の星と繋がりありそう -- 名無しさん (2018-11-24 10 09 31) 組み手モードでも好きなステージとBGMで遊べるようになったね。 -- 名無しさん (2018-12-30 13 34 04) メタ・クリスタルやデュエルゾーンなど初代のBGMを流せるようになって懐かしい気持ちになる。 -- 名無しさん (2018-12-30 20 51 08) 64プププランドをギミックなしにしたら実質戦場では… -- 名無しさん (2019-01-01 18 20 22) ワイリー基地もギミックなしにしたらほぼ終点みたいなもの。 -- 名無しさん (2019-01-15 13 46 13) ↑3 デュエルゾーンは現在の戦場で流すとちょっと浮くな。 -- 名無しさん (2019-01-20 13 43 45) 某所で見た「最も公平なステージは『ランダム』」って言葉が好き -- 名無しさん (2019-05-22 09 43 45) 次回作あったらポケスタ化やすま村化も実装してほしい。 -- 名無しさん (2019-12-30 13 56 39) ↑kofスタジアム化はありそう -- 名無しさん (2020-01-30 13 34 28) 戦場も終点も武器持ち飛び道具持ち高機動のキャラが有利になるという不公平な場所でもある。真の意味で平等はやはりランダムだな -- 名無しさん (2020-01-30 14 19 07) 勘違いでなければDXだと最後に解禁される要素だろうから、まさに終点なんだなと思った。条件としては厳しすぎるから最初から解放されてる方がありがたいが、なかなか洒落た感じだと思う -- 名無しさん (2020-06-11 04 31 47) アプデでポケスタの地形に近い小戦場が追加されてさらに戦場や終点で全てのBGMが流せるように。 -- 名無しさん (2020-08-05 11 12 41) 色々なBGM流せるようになったのありがたい -- 名無しさん (2020-08-08 10 44 37) ホムヒカ参戦ムービーでレックスが彼女を見つけた時の背景で察した。あの時はレックスと同じ反応をしましたわ。 -- 名無しさん (2021-05-10 21 50 39) DXの終点の曲がよすぎて今でも耳に残ってる -- 名無しさん (2021-09-04 22 28 51) スマブラfor終点の秩序と混沌を同居させたような足場デザインほんとすき -- 名無しさん (2023-05-20 15 08 12) 名前 コメント