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コウウン(高雲) 中国の五胡十六国時代の北燕の皇帝。
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コウウンインノミヤ(高雲院宮) 皇族の系譜に登場する女性。 関連: カズヒトシンノウ(2) (和仁親王、父) ニシノトウイントキコ (西洞院時子、母)
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ニシノトウイントキコ(西洞院時子) 皇族の系譜に登場する女性。 関連: ニシノトウイントキヨシ (西洞院時慶、父) カズヒトシンノウ(2) (和仁親王、夫) エイソウジョオウ (永崇女王、娘) コウウンインノミヤ (高雲院宮、娘) 別名: タイラノトキコ(2) (平時子)
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カズヒトシンノウ(2)(和仁親王) 皇族の系譜に登場する人物。 第107代天皇ゴヨウゼイテンノウ(後陽成天皇)となる。 関連: サネヒトシンノウ(2) (誠仁親王、父) カジュウジハルコ (勧修寺晴子、母) コノエサキコ (近衛前子、妻) ショウコウジョオウ (聖興女王、娘) コトヒトシンノウ (政仁親王、息子) コノエノブヒロ (近衛信尋、息子) ヨシヒトシンノウ(3) (好仁親王、息子) イチジョウアキヨシ (一条昭良、息子) テイシナイシンノウ(6) (貞子内親王、娘) モロチカシンノウ (庶愛親王、息子) ナカヤマチカコ (中山親子、妻) カクシンニュウドウシンノウ (覚深入道親王、息子) ショウカイホウシンノウ (承快法親王、息子) ヒノテルコ (日野輝子、妻) ソンショウホウシンノウ(2) (尊性法親王、息子) ジミョウインモトコ (持明院基子、妻) ギョウネンホッシンノウ (尭然法親王、息子) ニワタトモコ (庭田具子、妻) リョウジュンニュウドウシンノウ (良純入道親王、息子) ハムロノブコ (葉室宣子、妻) ソンセイジョオウ (尊清女王、娘) ニシノトウイントキコ (西洞院時子、妻) エイソウジョオウ (永崇女王、娘) コウウンインノミヤ (高雲院宮、娘) フルイチタネコ (古市胤子、妻) ドウコウホッシンノウ (道晃法親王、息子) ドウシュウホウシンノウ (道周法親王、息子) ジインホッシンノウ (慈胤法親王、息子) ゴヨウゼイテンノウ (後陽成天皇) 別名: カタヒトシンノウ (周仁親王)
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螢幕判官 Behind The Screen ACTADV 社会-近代台湾 ホラー 夢、精神世界的恐怖 1,000円(税込)543MB 世の中に流れているニュースは本当なのか… 『螢幕判官 Behind The Screen』は、まだインターネットが一般的でない時代の台湾を舞台に『ある殺人犯』の人生を辿り、歪められ見えなくなった真実を追うサスペンスパズルアクションゲームです。 父親を殺害した犯人として捕まった青年が、なぜそのような結末を迎えたか、自身の幼少期、少年時代、そして事件直前と振り返り、真実や葛藤と向き合っていきます。 神経質で大人びた幼少時代、現実と夢想の区別がつかず、世の中が不気味で不思議な世界に見えていました。 実直な学生新聞記者として権力を糾弾した少年時代、自分を奮い立たせるため、古代の戦士や政治家になりきっていました。 それでも抗い続けた、あの日『ある殺人犯』となってしまった青年は、自身と向き合った末に得たものはあるのでしょうか。 そして関係者によって歪められたニュースが次々とブラウン管を通じて流され、市民は先導されていき、どんどんエスカレートしていくのをどう感じていたのでしょうか。 プレイヤーは、犯人の人生を追体験し、様々な謎を解きながら、犯人の目を通して、自身で真実を探求していきます。 ゲーム中に流れる実写のニュースは、日本語版は吹き替えで、男性ニュースキャスター役に森田則昭さん、台北市議員高雲生役に大久保宇将さん、近所のおばさん役に友野恵さん、幼稚園の先生役に宮咲あかりさんが演じます。 【ゲームの特徴】 ストーリーに応じた複数種類のパズルやアクションゲーム、ステージ内には隠し要素もあります 現代社会にも通じるフェイクニュースをテーマにし、また台湾の歴史ともリンクするストーリー 1970年代の台湾を彷彿とさせる懐かしいデザインのキャラクターや舞台 配信日 2018年8月23日 メーカー 賈船 対応ハード Nintendo Switch 対応コントローラー Nintendo Switch Proコントローラー プレイモード TVモード, テーブルモード, 携帯モード プレイ人数1人 対応言語 日本語, 英語, 韓国語, 中国語 CERO B セクシャル, 暴力, 恐怖, 犯罪 セール履歴COSEN(賈船)ブラックフライデーセール 800円(20%off) 2018/11/22 00 00~2018/12/5 23 59 名前 コメント
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蒼藍星間連邦王国宙軍は、蒼藍王国の国防組織の一つである。 概要 広大な星間連邦国家である蒼藍王国の星間空間を防衛するために多数の航宙艦艇を有する。宇宙軍ではなく宙軍なのに特に意味は無い。 基本的に国軍の有事作戦を指揮する大本営総参謀部はここと基軍で構成される。 基本的には艦船での砲雷撃戦が主であるが、個々の身体能力などを活かした魔法戦や格闘戦もお手の物。というか、佐官以上は乗艦の副砲と化すことも多い。基軍の御山元帥に至っては、通常乗艦のコーウェリア臨時追加主砲をよく務める。ただこの際臨時追加主砲の方がやたら数が多い。 また、個々の格闘能力も非常に高く、上陸した駆逐艦から、尉官とか佐官がたくさん降りてきて、油断した敵特殊部隊が一般部隊員にぼこぼこにされると言うこともよく有る。元々、銃刀無効化能力に優れている蒼藍族に格闘を教えたらこうなることは火を見るよりも明らかだと専門家は語る。 何故か知らないが、毎年8月半ばに大規模な慰霊祭を行っている。そもそも、慰霊する対象は宙軍には存在しない。なのに慰霊祭を行う。 理由を広報に聞けば、日本から来た兵士がお盆の行事を行っていたら、それに興味を示した王国出身の兵士が一緒になってお盆の行事を行うようになりそれが広まり、いつの間にやら宙軍全体で行うようになったらしい。 ちなみに、この慰霊祭何でか知らんが、しっかりと茄子の牛とキュウリの馬と、回り灯籠まで用意されており、各鎮守府の大講堂や、艦隊旗艦では12日と16日には何人もの僧侶資格を持つ将兵による宗派を超えたお経の大合唱が繰り広げられ、15日正午には、関係ないのに太平洋戦争の戦没者に対して、黙祷する。 このとき日本の明石標準時ではまだ、8月になったばっかり。 ただ、問題もあり、このときに発射される各艦の空砲の衝撃が大きすぎて、一時的にお経が途絶えてしまうのだが、さらに問題なのは、この祷砲と呼ばれる空砲の前よりも後の方が読経音がでかくなること。そして、酸欠でぶっ倒れる馬鹿も居る。 最近は、コーウェリア級各艦乗員を除く全員がこの読経に参加している。 もちろん祷砲は、コーウェリア級各艦も撃つし読経は真朱彌や、神子がやる。まあ、神子はただ好きでやってるだけだし、真朱彌ものりなのだが。 ちなみに基軍でも同じ事を行う。 また遣日、遣瑞部隊では、8月6日、9日にも同様の慰霊祭を行うが、これまた、面倒くさいことに遣日部隊は全員女性のため、祷砲の直後、非常に姦しい。 遣瑞部隊は、祷砲のたびに、お経が大きくなる。そして、悪のりしやすい国民性なのか、この慰霊祭の期間中祈りの読経は広がり続け、何故か、祷砲のたびに近所のお寺が参加し、最近では瑞穂世界の全仏教寺院が読経をする日と見ている筋がある。 暇だからただそれだけの理由で関係ない国の戦争に首を突っ込む第三代主師初期メンバーに振り回される被害者諸君。ただ、ノリがあまりにも良いので、逆に「今度はどこに首突っ込みましょうか?」と宣う将官も居るほど。 また、機密なんて何それ美味しいの状態。というのも、兵装もカタログスペックの数十倍の能力を普段から出している上にそれでもまだ全力じゃないと言われるほど。だからカタログスペックじゃぱっと見しょぼい。下手したら、艦砲で、弾丸打ち出すより、兵士打ち出した方が効果的だという意見もあるほど。 ちなみに、機密作るぐらいなら毎年の次元戦争慰霊祭のスピーチ原稿作って秘密にする方がよっぽど国益だという考え(その上で、本来の機密情報を入れておけば、どうせ機密情報っていっても、前記のスピーチ原稿しかないから盗んでもしょうがないと思われ本来の機密情報の隠れ蓑になるのが狙い)が主流の、世界に類を見ない素っ頓狂な国の素っ頓狂な軍隊である。 最高司令官は摂津普明統括将長 保有艦艇 蒼藍王国宙軍保有艦級一覧 保有兵器 蒼藍王国宙軍保有兵器一覧 昇級 基本的に、大学、短大、専門学校卒で無ければ入隊できない。だが、それでもどんなに適正があろうと最初は最大で曹までの任官である。 最初から尉官以上になるためには、3歳時から、幼年士官学校に入る必要がある。 小学校に相当する初等士官学校卒業時に提出する論文により、少尉候補生。中等士官学校卒で、佐官候補生補。高等士官学校卒業で佐官候補生。将官への任官を目指す場合一度一般の大学に入り、卒業後幹部士官養成学校に入校するか、軍事理論に関しての論文を15以上大学在学時に王国政府と軍参謀本部、軍務省宙軍庁に提出し、認定を受ける必要がある。 とくに将長に関しては設置千年後より、幹部士官養成学校卒の者に限られている。まあ、緋色鉄天音将長や、高雲優太郎下将相当中佐の様な一般教育機関しか出ていないという事例もあるが。 下手すりゃ、オヤジオバさんだらけの艦、もしくは艦隊に小学生や中学生の艦長や司令が一人と言うこともまれによく有るから困る 作戦立案 統合軍令部
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変若水(おちみず、をちみづ)とは、飲めば若返るといわれた水。月の不死信仰に関わる霊薬の一つ。人間の形態説明の一部としても形容される。 月夜見の持てるをち水 日本神話における月神、ツクヨミも変若水の信仰に関わりを持っており、『萬葉集』の中で「月夜見」は、若返りの霊水「をち水」を持つ者として登場する。巻13の歌には、 「天橋(文) 長雲鴨 高山(文) 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取來而 公奉而 越得之(旱)物」 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも(3245) 反歌 「天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文」 天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(3246) という歌が見られ、年老いていく人を嘆いて、どうにかして天にいる「月夜見」が持つという「をち水」を取り、あなたに奉りたいと若返りの願望を詠んでいる。万葉集中に「をち水」を詠んだ歌は幾つか見られ、 「吾手本 將卷跡念牟 大夫者 變水白髪生二有」 我が手元 まかむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり(巻4・627) 「白髪生流 事者不念 變水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行」 白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めてゆかむ(巻4・628) 「従古 人之言来流 老人之 變若云水曽 名尓負瀧之瀬」 古ゆ 人の言ひける 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ瀧の瀬(巻6・1034) とある如く、いずれの歌にも年老いた者を若返らせる「をち水」を求める切実な心が詠み込まれている。 新井秀夫は、論文「「月夜見の持てるをち水」小考」(「日本文芸研究」1991年4月)において、民俗学の見地から、元旦に一年の邪気を払う「若水」を汲む行事が日本各地で多数採取されていること、そして『延喜式』『年中行事秘抄』や佚書『月舊記』などの文献に平安時代の年中行事として、立春の日に行われる「供若水」が見られることを指摘し、古代日本に季節が新しく生まれ変わるのと同じように、春の始めに聖なる水「若水」を汲み、身心を清め生気をたくわえるいわゆる「若水」信仰の存在を考察している。そして、ある種の水を若返りの水として神聖視する信仰は、万葉集においては「変若水」や若返りを詠んだ歌に散見されており、単純な文学的表現とは考えにくいので、これらの歌表現の背景に「若水」信仰が存在したのではないかと考察している。 アカリヤザガマの若水と死水 「月と若返りの水」の結びつきは、ロシアの東洋学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキーが著した『月と不死』(東洋文庫)に採集された、沖縄の民族伝承にも語られている。 太古の昔、宮古島にはじめて人間が住むようになった時のこと、月と太陽が人間に長命を与えようとして、節祭の新夜にアカリヤザガマという人間を使いにやり、変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで下界に行かせた。「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもりである。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。それ以来、蛇は脱尾して生まれかわる不死の体を得た一方、人間は短命のうちに死ななければならない運命を背負ったという。 月と太陽の慈悲がかえって人の死という悲劇の誕生となったが、神は人を哀れみ、少しでも若返りできるよう、その時から毎年、節祭の祭日に「若水」を送ることとなった。これが「若水」の行事の起こりである。 若水信仰の起こり 中国の古い伝説には若返りの仙薬の話が幾つもあり、『淮南子』には、姮娥が西王母の「不死の薬」を盗んで月の世界に走った話がある。このような仙薬の話が、若返りの薬の発想の由来となったとも見られる。これと同じ発想の話は世界中に広がっており、フレイザーは死の由来話を分類して、蛇など脱尾する動物にからむ「蛇と脱尾(脱皮?)」型と、月の満ち欠けを人の死の由来を結びつけて考えた「月盈虚」型に分けている。アカリヤザガマの話は両者の結合した形となっており、しかもその話の結尾が若水の行事の由来話となっている。 このように古くから世界中で月と不死・再生が結び付けられて来たのは、月の盈虚が見せる死と再生の姿であろうと考えられている。月は新月から上弦の月、満月、下弦の月、新月…という満ち欠けのループを繰り返している。すなわち、月が満月という盛りを過ぎて衰え、下弦の月となってしまいには新月として消えてしまうが、また三日月として夜空に復活する、というループが直接に死と再生を想起させ、そこから更に不死と不老を願う観念と結びついて、「若水」の信仰が成立したと考えられる。
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>今ココらか 陸機猛虎行原文 訳 解説 陸機 猛虎行 出典:《昭明文選/巻28(維基)》、《藝文類聚/巻41(維基)》 原文 渴不飲盜泉水。熱不息悪木陰。 悪木豈無枝。志士多苦心。 整駕肅時命。杖策將遠尋。 飢食猛虎窟。寒棲野雀林。 日歸功未建。時往歲載陰。 崇雲臨岸駭。鳴條隨風吟。 靜言幽谷底。長嘯高山岑。 急絃無懦響。亮節難為音。 人生誠未易。曷云開此衿。 眷我耿介懷。俯仰愧古今。 訳 「渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まず。 ところが悪木も枝が茂るので、志士らは(陰に対して)苦心がたえない」と古人言う。 帝王の馬車を整え、陛下の命に従い。鞭を振るえば馬は遠く、より遠くへ。 飢えれば猛虎の窟にて食し。寒くとも野雀の林に棲む。 太陽西に帰するとも、功未だ成らず。時は往き、歳月は秋冬を迎える。 沸き起こる高雲を、岸辺から臨み。草木の枝は秋風にしたがい、呻吟す。 奥深き幽谷の底に、声無き言葉を発し。高山の頂に、思いの丈を長嘯する。 張り詰めた琴弦に、緩んだ弦のか弱い響きはなく。信義貞節のゆえに、音を為す事すら難しい。 人生は誠に難しい。どうして心を開けと言うのか。 正直に生きていた昔の私を省みるほどに。俯き、仰ぎ、古今を恥じる。 論語、詩経、楚辞、古詩の影響あり。他にも、王粲など当時の有名な作の雰囲気が混じっている。 自分の意思に背く命令に従い、ついに何ひとつ成功しないまま、煩悶する志士の姿を描写している。 晋代の混乱する政局の中、行き場も無く彷徨いつつ、生き方を曲げてしまった男が、昔を思い恥じ入る。 【渴不飲盜泉水。熱不息悪木陰】【悪木豈無枝。志士多苦心】 李善が注釈した文選によると、《尸子》「孔子至於勝母暮矣。而不宿。過於盗泉渇矣。而不飲。惡其名也」 (孔子が「勝母」に着いたとき日が暮れたが、宿をとらなかった。「盗泉」を過ぎるとき喉が渇いていたが、飲まなかった。 母に勝つ、泉を盗む、それぞれの悪名を嫌ったのだ) 江邃《文釋》によると、《管子》「夫士懷耿介之心,不蔭惡木之枝。惡木尚能恥之,況與惡人同處?」 (正しい心を持つ士は、悪木の枝の木陰にやどろうとしない。悪木ですら恥じるのに、まして悪人と同じ所に寄れと言うのか?) 【駕】帝王の馬車。 【時命】時の支配者の命令。思玄賦曰:爰整駕而亟行,時君之命也。 【策】《杜預左氏傳》では馬檛(杖、鞭)とする。 【將】《廣雅》では「欲」の意とする。 【功未建】《陸賈新語》「以義建功(義をもって功を建てる)」 【載陰】《神農本草》では、「秋冬為陰(秋冬を陰と為す)」 【駭】《廣雅》では、「起」。 解説 『晋書(維基文庫)』陸機の項 /晋書日本語訳六朝文人伝―陸機・陸雲伝(晋書)―(長谷川氏) / 維基文庫 陸機作品一覧 / 日本語版wikipediaの解説 有名人なので、解説は程々にして。 陸機の「弔魏武帝文」における武帝の遺言は、(陸機による)偽作の可能性を指摘されている。偽作してまで曹操を貶めることで、中原における旧呉の優越性を示そうとしたのではないか、という(渡辺氏「三国志 演義から正史、そして史実へ」)。 陸機の詩才がどこで育ったか考えると、渡辺氏の説も一理はある。 1:陸氏の出身地である呉は、詩を育てる土壌がない 陸遜、陸抗ともに詩を残しておらず、陸氏に高度な詩を作る伝統があったとは考えにくい 呉で残っている詩は、呉の民謡と韋昭の宮廷音楽ぐらいであり、呉に詩を作る(ry 陸機が呉に隠遁していた時期の作品で有名なのは「弁亡論」、つまり論文であって詩ではない では、どこで詩を学んだか。陸機が詩を意識して読むようになったのは、洛陽に来てからだろう。 2:陸機の作品は張華の影響が大きい 陸機が洛陽に出仕したとき、張華に高い評価を受けている。 (晋書陸機伝、世説新語引用「晋陽秋」、呉志陸抗伝引用「機雲別伝」他) 張華は陸機を推薦、宴会で他の名士に会わせるなど、洛陽に出たばかりの陸機を支えている。 張華と陸機は親しく、陸機は張華を師とみなした(晋書張華伝)。 3:張華と陸機はふたりとも、晋朝廷の文章を作成する「著作郎(歴史書管理担当)」「中書郎(朝廷の文書担当)」だった。 「晉史及儀禮憲章並屬於華,多所損益,當時詔誥皆所草定,聲譽益盛,有台輔之望焉」 (張華は晉史、儀礼、憲章、詔の草書などを作成していた) 「齊王冏以機職在中書,九錫文及禪詔疑機與焉」 (斉王冏は、陸機が中書に勤めていたことから、九錫文や禅位の詔に陸機が関与していると考えた@晋書陸機伝) 特に張華は、泰始3年の宮廷音楽編纂にかかわっている。 (晋書楽志「晉初,食舉亦用《鹿鳴》。至武帝泰始五年,使傅玄、荀勖、張華各造正旦行禮及王公上壽酒、食舉樂歌詩,後又詔成公綏亦作焉。」) ここであがった傅玄、荀勖、張華の三人は、魏代の漢詩を「晋楽所奏」へ改ざんする作業を指揮していたことは考えられる。 そして、陸機も同じ部署で仕事をしていた。 上記のことを考えると、陸機が曹操の遺言を見る機会はありうる。魏代の資料をみる機会があったから、魏詩の影響を受け、詩才を磨いたと考えられる。 しかし意図や方向性はともかく、陸機による魏の話は100%信用できるものではない。少なくとも、師である張華、もしくは陸機本人によりフィルターがかかっている可能性も考慮すべきではある。 (曹丕の短歌行などからねつ造した、或いは曹操が公に発した遺言だけではなく、私人として家族に残した遺言全てをつぎはぎした上で、公人としての遺言にすり替えた、など) 何にせよ、1800年後に曹操ファンクラブ名誉会員扱いされていることを、彼は泉下でどう思っているのだろうか。
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yuya氏が作成した東方についての漢詩文まとめ。 蟲姫恋歌 風想儚声星想影 鈴調沈夕螢灯清 即雖幻郷幽渓見 必於永夜月下迎 風には儚声を想い、星には影を想う 鈴調、夕に沈みて螢灯清らげなり 即い幻郷幽渓に見ると雖も 必ずや永夜月下に於いて迎えん 風には貴女の儚げな声を想い、星には貴女の姿を想います 鈴虫の調は夕暮れに沈み、蛍の光はとても清らかである たとえ幻の郷、人里離れた渓で見たのであろうとも 必ずや明けない夜、月の下に迎えにいきましょう 神主夏便 凛誇向日葵 楽響祭鼓声 半夏為斑雪 万蛍成流星 暑昼求氷精 蒸晩欲半霊 請再注冷酒 惜夏干千瓶 凛誇る向日葵、楽響く祭鼓声 半夏斑雪を為し、万蛍流星と成る 暑昼氷精を求め、蒸晩半霊を欲す 請う、再び冷酒を注げ、夏を惜しみ千瓶を干さん 凛と咲き誇っていた向日葵、楽しげに響いていた祭囃子 半夏生は庭に斑雪を作り、幾万の蛍が流星を成していた 暑い昼は氷精を求め、蒸す夜は半霊が欲しがったものだ どうかまた冷酒を注いでくれないか、今はこの過ぎ行く夏を惜しんで千個もの瓶を飲み干そうではないか 旧縁之夢 屍体微睡朱門夢 醒眠零紡詩一句 不覚溢伝涙一片 吾与誰唄春暖愉 屍体微睡み、朱門の夢 眠り醒め、零れ紡ぐ一句の詩 覚えず、溢れ伝う一片の涙 吾、誰と唄うか、春暖の愉 死体、微睡み朱門(羅生門)の夢を見る 目覚め、ふと口ずさんでしまった詩の一節 理由も分からず溢れ頬を伝う一筋の涙 私は誰と春の暖かさの喜びを歌いあっていたのだろう 春暖…都良香の代表作の一つ。羅生門の逸話で有名。 惜春天弦 春雨鄙館聴幽弦 嬋娟寂調天上絃 朧月一条照奏姫 幼蝸覚暁春宵幻 春雨、鄙館、幽弦を聴く 嬋娟、寂調、天上の絃 朧月一条、奏姫を照す 幼蝸、暁を覚え、春宵の幻 柔らかく降り注ぐ雨、人の気配のない館、幽かな弦の音を聴く たおやか、そして寂しい調はまるで天上の世界から垂れる絃のよう 朧月が一条射し奏でていた姫を照す まだ幼い蝸牛が夢をから覚めた、全ては晩春の夜の幻だったのだろうか 春雨→二月(旧暦春)の季語 朧月→三月(旧暦春)の季語 蝸牛→五月(旧暦夏)の季語なのだが幼蝸とすることで春が終わり、夏が始まる直前をイメージ 覚暁→有名な春眠不覚暁(四月の詩)より、あれも春を惜しむ詩 死神夏夢 天高雲往彼岸花 船頭古舟流命河 貪眠遊夢覚一客 天楽獄苦不知我 天高く雲往き彼岸花 船頭古舟命河を流る 眠貪夢遊覚めて一客 天楽獄苦我は知らず 唐傘一怪 出舌開一眼 怖逃叫恐声 紛闇率百鬼 潜夜舞千京 畏々無愚智 驚々無主俾 勿遊霖雨晩 忘傘笑儚世 舌を出し一眼開く、怖がれ逃げろ恐声を叫べ 闇に紛れ百鬼を率い、夜に潜りて千京を舞う 畏々愚智と無く、驚々主俾と無し 霖雨の晩に遊ぶ勿かれ、忘傘儚世を笑う 舌を出して大きな瞳を開く、怖がれ!逃げろ!悲鳴をあげろ! 闇に紛れて百鬼夜行を率い、夜に潜って千の京を舞い翔ぶ 愚者も智者も皆畏れおののき、主人も奴隷も無く皆驚き叫ぶ 静かに続く雨の晩に出歩くことなかれ、忘れ傘は儚い人の世を笑う 星蓮船 蒼天広悠々 雲流供宝船 持宝何処往 抱欲何人辿 求妖魔倒伐 狙金銀玉銭 到墨夢乃跡 彼聖眠法園 蒼天悠々と広がり、宝船と供に雲流れる 宝を持ちて何処へ往く、欲を抱きて何人が辿る 求むは妖魔倒伐、狙うは金銀玉銭 到りて墨夢の跡、彼の聖は法園に眠る 青い空は悠々と広がり、何処からか来た宝船と共に雲は流れてゆく そんな宝を持って何処にいこうというのかね、欲を持った何人の人間たちがついてゆくだろう 求めるのは妖怪退治?欲しいのは金銀財宝? どうせ到るのは墨家(諸子百家のうちの一家。非攻『平和主義、但し自衛は可』、や兼愛『無差別の愛』を唱え戦乱の世に巻き込まれ消滅)の夢の成れの果てに過ぎないと言うのに、その念仏聖は法の園に静かに眠る 優曇華花 追兎入竹林 失道遭紅眼 酔脚不覚先 揺頭不頼腕 無知何処迷 無分何時還 夢醒咲一華 我疑真与瞞 兎を追いて竹林に入り、道を失い紅眼に遭う 酔脚先を覚えず、揺頭腕も捕らえず 何処を迷うも知ること無く、何時還るも分かること無し 夢醒めて一華咲く、我疑う真と瞞 兎を追って竹林に入り、迷子になって紅い眼をした化物に遭った 酔ったような脚では先に進むことも出来ない、揺れる頭では自分の腕すら頼ることすらできない 何処を迷っているのかも分からず、何時出られるのかも分からない 夢から醒めてみると、目の前には一輪の優曇華の花、これも夢か現か分からなくなる 唐傘恨節 一輪唐傘破 濡頬佇秋霖 到白宿精魄 覚生知哀淋 唯叫怨忘君 独悔恨壊身 其嘆誰届乎 雨中無戻人 一輪唐傘破れ、頬を濡らし秋霖に佇む 白に到りて精魄宿り、生を覚えて哀淋を知る 唯忘れた君を怨むと叫ぶのみ、独り壊れた身を恨むと悔いるのみ 其の嘆誰をか届くや、雨中戻る人は無し 一輪の破れた唐傘が、秋霖(秋の長く降る雨)頬を濡らして佇んでいる 九十九神になって(白と『百年に一年たらぬ九十九髪』=白髪を掛けている)魂魄が宿り、生きることを知ったが故に哀しさ、淋しさを知っってしまった ただ私のことを忘れてしまった貴方が怨めしい、ただ壊れてしまった我が身が恨めしい その嘆きは誰に届くことがあるだろう、雨の中取りに戻る人はいないのだった 白玉飯 鎮気睨好敵 俎上肉菜菓 踊材煌白楼 跳油舞鉄鍋 白米為銀嶺 汁物成黄河 然主求再飯 何由飽腹乎 気を鎮め好敵を睨む、俎上肉菜菓 材踊り白楼煌めき、油跳ね鉄鍋舞う 白米銀嶺を為し、汁物黄河と成る 然れど主再飯を求む、何に由りて腹飽くや 精神を落ち着かせ目の前の好敵手を睨む、まな板の上には肉や野菜や果物 食材は踊り、煌めく白楼剣が斬り刻んでゆく、油は跳ねて鉄鍋が舞うように食材を炒めてゆく 炊きあがったご飯は雪山のように盛り上がり、出来たお味噌汁はまるで黄河のよう でも私の主はそれでも御代わりを要求してくる、どうすればあの方の腹を満たすことができるのだろう 土夜熱狂 週終来土夜 心高煌鏡光 心労爆雷撃 身苦消酒泡 無礼酌少長 忘時躍人妖 此正有頂天 請無至月曜 週終り土夜来る、心高まり鏡光煌めく 心労雷撃に爆ぜ、身苦酒泡と消ゆ 礼を無くし少長と酌み、時を忘れ人妖と躍る 此、正に有頂天、請う、月曜の至ること無きを! 仕事も終わってサタデーナイトフィーバー、テンション上がってネオンも煌めく 心労は雷撃で弾け飛び、体の疲れはこの酒の泡のように消えてしまう 無礼講で上司とも後輩とも酒を酌み交わし、時間も忘れて人も妖怪も躍り狂う 此処がまさしく有頂天、お願いだから月曜などこないでおくれ! 酔仙乃幻 月下一美妃 欲逢迷妖宴 九尾奏玄象 二又舞胡旋 帰我弾泡影 戻現醒夢幻 唖惜逃甘露 唯我待再縁 月下、一美妃、逢うを欲し妖宴に迷う 九尾玄象を奏で、二又胡旋を舞う 我に帰りて泡影弾け、現に戻りて夢幻醒める 唖、惜し、甘露を逃す、唯我再縁を待つのみ 月の下に美しい婦人がいるという、逢おうと思って行ってみたら妖怪の宴に迷い混んでしまった。 九尾の狐が玄象(有名な琵琶の名器)を奏で、二又の黒猫が胡旋(ペルシアの激しく回る踊り)を舞っている。 ふと、我に帰ってみると全ては夢、幻のように消え去ってしまった。 嗚呼、惜しいことをした、私ということが甘露のような美酒を逃してしまうとは、ただ私は再会の縁があることを待ち望むことしか出来ない。 闇妖哀歌 欲君為其肉 求君為其肝 然舌不至満 然胃不達歓 何為痛吾胸 何以伝吾嘆 既君溶我腹 莫解人喰潸 君を欲するは其の肉が為、君を求めるは其の肝が為、 然れど舌は満ちるに至らず、然れど胃は歓するに達せず 何為れぞ吾が胸は痛み、何を以て吾が嘆きを伝えん 既に君は我が腹に溶け、人喰いの潸を解するものは莫し あなたを欲しいのはその肉を食べたいからのはず、あなたを求めるのはその肝を貪りたいからのはず、 それなのに私の舌は満足に至ってくれない。それなのに私の胃は歓びに達してくれない。 どうして私の胸は痛むのだろう。どうやってあなたにこの嘆きを伝えたらよいのだろう。 あなたはもう、私に食べられてしまったというのに。 人喰い妖怪の流れる涙を理解してくれる人はもうだれもいない。 双月宴 肴酒眺月湖 双鬼倣太白 酔友割天月 酔我砕湖核 舟壊即沈々 共笑又拍々 不亦宴楽乎 揺杯映三角 肴酒眺月湖 朱杯映三角 酔我割天月 酔友砕湖核 舟壊即沈々 共笑又拍々 不亦宴楽乎 溢酒笑太白 無題 古城鄙無訪 唯月明其跡 地獣数幾星 天梟数幾礫 塞心故其禍 閉門故其寂 今者不有知 独時待其幎 古城鄙びて訪れるもの無し、唯月のみ其の跡を明かる 地獣幾星を数え、天梟幾礫を数う 其の禍故に心を塞ぎ、其の寂故に門を閉じる 今者知るもの有らざるなり、独り時のみ其の幎を待つ 氷精凱歌 在故我最強 今無強於己 遇蛙則凍遊 遭人則惑嬉 誇力勝人妖 矜賢破神鬼 我夢正幻覇 故将進明日 在るが故に我最強なり、今己より強きものは無し 蛙に遇いて則ち凍らせ遊び、人に遭いて則ち惑わせ嬉ぶ 人妖に勝ちて力を誇り、神鬼を破りて賢を矜ず 我が夢正しく幻の覇なり、故に将に明日へ進まんとす 私が私であるから最強なのだ、今私より強いものは存在しない 蛙を見つけては凍らせ遊び、人に遭っては惑わせて喜ぶ。 人間や妖怪に勝って力を誇り、神や鬼を撃ち取って賢さを誇る そんな私の夢は正に幻想郷の覇者である、だから未来に向かって進んで行くのだ!
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トップページ>中国>中国古中世史研究 『中国古中世史研究』34、2014.11 金龍澯「古代中国の山川祭祀と国家権力」 朴漢済「『周礼』考工記の「営国」原則と前漢長安城の構造」 金珍佑「古代中国の国家授田関連法規定の再検討:『張家山漢簡』二年律令と『天聖令』田令の比較を中心に」 정병준「隋唐時代廷杖の淵源」 김종섭「唐人の首都、京師」 김정식「死亡の確認に至るまでの礼:『大唐開元礼』官人「凶礼」訳註1」 『中国古中世史研究』33、2014.8 최진묵「中国古代望気術の論理とその活用」 오정은「前漢初帝国の統治方向:『二年律令』の「津関令」と「秩律」を中心に」 오준석「漢代行政文書の叙辞形式と文書行政体系」 김성희「五胡十六国・北朝時期、母后の干政:慕容氏と拓跋氏の興亡を理解するための前提」 崔宰栄「隋唐初長安の皇城内官署配置とその特徴」 조재우「唐初期東夷都護府の設置とその意味」 李俊衡「唐代水利施設の営繕」 『中国古中世史研究』32、2014.5 朴載福「中国北方地域の甲骨占卜に関する考察:朱開溝文化と夏家店下層文化を中心に」 全惠蘭「秦・漢初の内史と郡」 金慶浩「秦漢時期書籍の流通と帝国秩序」 閔厚基「秦漢時期考古遺址の分布と特徴:居住地と交通路推論を中心に」 金鐸敏「漢律と唐律の姦罪比較」 金羨珉「西晋杜預の服喪論と『左伝注』疑惑」 梁鎮誠「南朝時期王言の構造と運営:詔書の事例を中心に」 金正植「『大唐開元礼』官人「凶礼」についての小考」 鄭淳模「唐後半期郷村地主研究とその対象:処士・遷徙士人・檀越を中心に」 『中国古中世史研究』31、2014.2 特集:第8回中国古中世史学会学術会議「古中世東アジアの地名変遷と境界」 閔厚基「西周・春秋・戦国時期居住地と交通路推論」 宋真「春秋・戦国時代国の境界とその性格変化」 金聖煕「南北朝時代東北アジア歴史地図をどう読み取るか:境界と疆域を中心に」 崔宰栄「現行隋唐時代歴史地図の構成と活用」 投稿論文 琴載元「秦統治時期「楚地」の形勢と南都の地域性」 王振華「『江陵鳳凰山西漢簡牘』述評」(中) 崔珍烈「西魏北周華州(同州)の政治・軍事的地位と役割」 裵允暻「隋唐時代「高麗伎」考察」 全聖植「唐代安南支配と南方交通網」 柳浚炯「唐幻宗~順宗時期翰林学士の活動と変化」 金相範「医術と呪術:唐代医療知識の拡散と禁巫措置」 金宗燮「五代王朝の対外関係」 『中国古中世史研究』30、2013.8 呉峻錫「里耶秦簡と秦代縣廷の文書行政」 林炳徳「『九朝律考』訳註3:刑名考」 朴漢済「陳寅恪の都城論補正:「宮城偏北論」と「北門関鍵論」を中心に」 洪廷妸「東晋南朝時代荊・雍地域人の出仕と僑旧の葛藤:南郡王劉義宣の反乱を中心に」 李磊「宋齐間の士林舆論と皇権権威」(中) 鄭淳模「唐後半期禅林の拡散と檀越」 金漢信「地域政権と民間信仰:唐末・五代時期江南地域藩鎮割拠勢力の民間信仰に対する後援」 『中国古中世史研究』29、2013.2 特集:第7回中国古中世史学会国際学術会議「礼と法の秩序から見た古中世東アジア世界」 王彦輝「「戸」と関連した立法から秦漢政府の人口統制を論じる」(中) 김용찬「漢代孔子祭祀と国家権力」 김택민「漢律と唐律の殺傷罪比較:唐律の「以禮入法」論についての解釈」 籾山明「長沙東牌楼出土木牘と後漢時代の訴訟」(日) 蘇鉉淑「皇権と仏教儀礼:北魏行像と梁の無遮大会」 姜波「圜丘と明堂:唐帝国の礼制建築遺址」(中) 金相範「唐末・五代時期具注暦日と地方祭祀」 投稿論文 심재훈「柞伯鼎と西周後期戦争金文に現れた王と諸侯の軍事的紐帯」 宋真「春秋時代国の出入りと通過祭儀:『左伝』分析を中心に」 任仲爀「漢・魏晋律における篇章体制の変化:賊律を中心に」 読史余論 朴漢済「覆轍不遠:回顧「私の中国史研究」」 『中国古中世史研究』28、2012.8 심재훈「応侯視工青銅器の年代及びその銘文の連読問題」 黎明釗「岳麓書院泰簡『為吏治管及黔首』と社会秩序:『論語・為政』篇を通じて」(中) 南英珠「漢初郡国制と琅邪郡の政治的位相」 金羨珉「魏晋南朝時期官僚のための皇帝の哀悼礼」 안순형「南朝時期の焼身供養」 李基天「南朝~宋代中国僧侶が見た「韓国系」求法僧」 金正植「唐前期官人父母喪の確立とその性格:心喪・解官を中心に」 李琓碩「唐・回紇の絹馬交易に関する研究」 林炳徳、김병진「『九朝律考』訳註2:漢律の律名2」 정병준「『唐会要』『通典』『新唐書』の「節度使」記事検討」 『中国古中世史研究』27、2012.2 特集:第6回中国古中世史学界学術会議「古中世東アジアにおける法と権力の空間 宋真「戦国時代辺境の出入者管理と符節」 金珍佑「古代中国皇帝権力の「私」と皇帝の財庫:御府の存在様態と変化を中心に」 金澔「唐代太医署の医学分科と医書:『天聖令』「医疾令」の関連条文に依拠して」」 金皓東「高麗の官僚制関連法令における唐令の影響」 投稿論文 任仲爀「漢初の田宅制度とその施行」 梁鎮誠「南朝の王言勅の成立とその運営」 趙晟佑「唐高宗・武則天時期国家儀礼と道教:投龍儀礼の再検討」 李俊衡「唐玄宗時期運が利用とその性格:江淮漕運の様相を中心に」 金成奎「『大唐開元礼』所載外国史関連諸儀礼の再検討」 資料 林炳徳、金炳辰「『九朝律考』訳註1」 『中国古中世史研究』26、2011.8 投稿論文 任仲爀「秦始皇31年の自実田」 尹在碩「秦・漢初の戸籍制度」 崔珍烈「北魏皇帝巡幸の性格:巡幸頻度・巡幸期間・巡幸活動の統計的分析を中心に」 李在成「麗唐戦争と契丹・奚」 批評論文 심재훈「周代を読む別の方法:資料と体系の両面性」 『中国古中世史研究』25、2011.2 投稿論文 금재원「秦漢代択日述の流行と普遍化過程:出土日書と暦日の分析を中心に」 李明和「秦漢女性刑罰の減刑と労役」 任仲爀「漢初の律令制定と田宅制度」 権五重「後漢安帝期(106-125)の遼東属国」 趙晟佑「中世中国生死観の一面と道教:殃禍の観念を中心に」 李椿浩「五胡時期北燕(407-436)の建国と君主権:高雲・馮跋の天王即位と「二十三人結謀者」の権力階層構成を中心に」 鄭在均「東晋・宋斉仏教の地域別展開様相:釈彗皎の『高僧伝』を中心に」 李永哲「唐徳宗時期冬薦の施行と藩鎮幕職官」 書評 李承律「楚地域出土戦国時代簡冊研究の指針書:陳偉、他『楚地出土戰國簡冊[十四種]』経済科学出版社、2009年」 海外踏査記 李俊衡「河西回廊歴史紀行、2010年度夏季中国中古世史学会学術踏査報告」 『中国古中世史研究』24、2010.8 特集:第5回中国古中世史学会国際学術討論会「古代中国の国家資源運用とその原理」 李成珪「計数化された人間:古代中国の税役の基礎と基準」 洪承賢「両漢時期月令類著作の編纂と性格」 金錫佑「魏晋時期水軍活動と自然災害:造船と環境の関係を中心に」 楊振紅「松柏西漢墓簿籍牘の考釈」(中) 徐世虹「秦漢の法律の編纂」(中) 鷹取祐司「秦漢時代の文書伝達形態:里耶秦簡J1(16)5とJ1(16)6を中心に」(日) 渡邊義浩「後漢「儒教国家」の成立」 渡辺信一郎「古代中国の身分制的土地所有:唐開元二十五年田令からの試み」(日) 投稿論文 閔厚基「商、西周時代商様式図象文字の推移:『殷周金文集成』整理を通じた商族推移の推論」 崔珍烈「北魏後期洛陽居住胡人達の生活と文化:孝文帝の「漢化政策」の再検討」 『中国古中世史研究』23、2010.2 朴載福「商代以前甲骨の特徴及び考古文化的分類」 이성원「秦漢社会楽舞の諸相:諸国の統合機制を中心に」 박건주「赤眉乱時期の士大夫社会と後漢王朝」 李椿浩「五胡時期漢人王朝冉魏とその性格:胡漢対立とその克服の限界を中心に」 康静雪「河西における政権の出現と河西の浮上」 崔珍烈「北魏後期胡語使用現象とその背景」 鄭勉「「爨蠻」の出現と構成:「西爨白蠻」と「東爨烏蠻」の区分問題」 김종섭「唐代治者の立場から見た婚姻」 朴根七「吐魯番文献の流散と整理:「新材料」の拡充」 『中国古中世史研究』22、2009.8 胡阿祥「東晋十六国南北朝の疆域変動と州郡県設置」(中) 王義康「唐代東北諸族の内附と突厥」(中) 村井恭子「唐代押蕃使の出現とユーラシア東部国際形勢の変化」(中) 金宗燮「唐人の領域認識:『元和郡県図志』を中心に」 Edward L. Shaughnessy、金錫珍 訳「眉県単氏家族青銅器を通じた膳夫克青銅器連帯再考察:晋侯蘇編鐘連帯付論」 金羨珉「『黄帝四経』における「名」の概念と「審形名」の意味」 任仲爀「秦漢律の庶人」 李成珪「「帳簿上の帝国」と「帝国の現実」:前漢前期南都の編戸斉民支配とその限界:湖北荊州紀南松柏漢墓出土簿冊類簡牘の分析を中心に」 李椿浩「五胡前期漢人士族の「克復神州」とその真相:劉琨の西晋再興のための諸努力を中心に」 朴漢済「隋唐代洛陽の都城構造とその性格:「中世的」都城構造の終焉」 『中国古中世史研究』21、2009.2 投稿論文 이성원「先秦諸子の礼論」 김선민「『礼記』「礼運」編に現れた礼と天との関係」 呉峻錫「里耶秦簡を通じて見た秦代文書行政方式とその特徴」 彭浩「数学と漢代の国土管理」(中) 劉華祝「張家山漢簡『二年律令』史律中小吏の「為更」について」(中) 趙凯「尹湾漢簡『集簿』の受杖人数と90歳以上人口数合計問題についての考察」(中) 張栄強「長沙東牌楼後漢時代戸籍簡についての補説」 平勢隆郎「「五服」論の生成と展開」(日) 金鐸敏「後漢の尚書と外戚・宦官」 崔珍烈「五胡諸国・北朝後継者の国政参与とその背景」 최재영「唐前期馬政と隴右牧地経営」 鄭炳俊「押新羅渤海両蕃使と張保皐の対唐交易」 김성한「唐後期各州における東都を経て京師へ行く交通路線」 1-20 21-40