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偽物語、小説版 偽物語(上) (講談社BOX) [単行本] 2008年9月1日発行、「かれんビー」集録 偽物語(下) (講談社BOX) [単行本] 2009年6月10日発行、「つきひフェニックス」集録 偽物語、アニメ版 放送期間 2012年1月7日 - 3月17日(全11話) DVD&Blu-ray(全五巻) かれんビー(第1-7話) DVD&Blu-ray(第一-三巻) つきひフェニックス(第8-11話) DVD&Blu-ray(第四、五巻)
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猫物語、小説版 猫物語 (黒) (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2010年7月28日発行日、「つばさファミリー」集録 猫物語 (白) (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2010年9月29日発行日、「つばさタイガー」集録
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鬼物語、小説版 鬼物語 (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2011年9月28日発行、「しのぶタイム」集録
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花物語、小説版 花物語 (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2011年3月31日発行、「するがデビル」集録
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傾物語、小説版 傾物語 (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2010年12月27日発行、「まよいキョンシー」集録
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囮物語、小説版 囮物語 (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2011年6月28日発行、「なでこメドゥーサ」集録
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恋物語、小説版 恋物語 (講談社BOX) [単行本(ソフトカバー)] 2011年12月20日発行、「ひたぎエンド」集録
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コテ達のポケットモンスター ダイパスレのコテハンがリアルポケットモンスターの世界に入ってく物語 ポケマンガ日和 月刊ジャンプのギャグマンガ日和のパクリ 物語とは言わないけど
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物語は以下の要素にまとめうる。 1) 人物 2) 場所 3) 文化 4) 構成 どの要素も欠くことはできないが、およそ数字の若いものが重要度は高い。 諸要素の概要は以下である。 1) 人物 物語は人物がいなくては成立しない。ここでいう人物とはキャラクタのことで、必ずしも「人」でないといけないわけではなく、犬や猫などの動物でも構わないし、桜や紅葉などの植物でも、石や電車のような無生物でも問題ない。もちろん宇宙人や亜人、神などの人外でもいい。つまり物語に出てくる登場人物であれば、その種は問われない。 (人物・キャラクタについて) 2) 場所 物語の舞台となる土地、建造物など。この要素は軽視されがちである。 (場所・舞台について) 3) 文化 文化とは、人物の成長の背景や、場所の歴史など、多くの過去を含んでいる。SFであれば人類が宇宙へ飛び出した時代背景があったり、ファンタジーであれば魔獣がはびこり戦士や魔術師が存在する異世界であったりする。これらすべての設定は、「その世界における文化」の設定である。 (文化・過去について) 4) 構成 この要素はあまり物語においては、さほど重要ではない。しかし物語を「おもしろくみせる」という点においては、上の3つのどれよりも大事である。 (構成・トリックについて) このなかで最重要なのが、「人物」と「場所」である。これさえあれば、良し悪しは別として、物語は発生する。あなたが今住んでいる町を離れて、新しい町へ引っ越す。それだけで物語りは始まるのである。すなわち「人物」は「あなた」であり、「場所」は「新しい町」である。 文化はある人物たちがその場所でつくりあげた過去の積み重ねである。キャラクタの過去というものも、両親や小学生の頃の友人、親友や幼馴染と、当のキャラクタ自身が積み重ねたものである。 そういう捉え方をすれば、人物や場所は一次的、文化とは二次的と見なすことができる。すなわち人類の創生の際にアダムとイヴが存在し、彼らの積み重ねが現在の人類という文化を生み出したと考えることもできる。 さらにいえば、文化は文化を生む。この文化とは、極論すれば「物語」自体と見なすこともできる。男Xと女Yが東京で恋に落ちる。これは1つの物語である。男Xと女Yが結婚して、息子Zを産む。夫婦は息子Zを連れて、アメリカへ渡る。今度はZが主人公の物語が始まる。このとき、Zにとって父Xと母Yとの物語は、自分の出生に関する物語である。つまりZにとっての文化になる。そしてZはアメリカで女Aと付き合う。このAにも過去があり、文化がある。Zのもつ文化とAのもつ文化が交差する。これはXとYのときも同様である。ZとAは結婚して娘Bをもうけるが、やがて2人は離婚する。娘BはAに引き取られる。ここで今度はBが主人公の物語が発生する。父は死んだと母に聞かされたとき、Bにとって父Zは隠された過去であり、B自身の出生の秘密である。 男Xと女Yは出会い、息子Zと女Aもまた出会い、そして娘Bを産み、ZとAは別れる。こうして出会いと別れを繰り返す。ときには子供を生むというように誰かを創造することもあれば、誰かを殺すというように破壊することもある。文化とは創造と破壊である。 さて、ここまでが全うな物語である。今、Bという女性の物語がつたないながらも創られた。さて、小説として叙述する場合、またドラマや映画のように映す場合、上述の説明のように「XとYが出会って息子Zを生み、そのZがアメリカでAと出会い……」のように、時系列に沿って描けばいいだろうか。それでも問題はないが、おそらく「おもしろく」はない。 たとえば、Bが自分の出生を知りたくて、父親を探そうとする。しかし父親はなかなか見つからない。懸命に探してようやく父親を見つけるが、父親はBとの再会をあまり喜ぶ様子はない……。 こういうふうにBが生まれ成長した後の様子を最後に置くのではなく、彼女が成長してから物語が始まる、というように順序を前後させれば、Bの父親Zと母親Aの確執や、Zの両親(Bの祖父母)との関係性を見せることもできる。必ずしも時系列の順に見せなければいけないものではない。 こういった構成の技術は、大それたものではない。構成の技術、というものを意識しないでも、多くの人々が駆使することのできるものである。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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終物語、小説版 2012年発売予定!