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名稱:張俊 伺服器及顏色:1服綠 類型:武 性別:男 生命值:633 武力:43 智力:12 防禦:17 敏捷:39 運勢:25 敘述:張俊(1186年—1154年),字伯英,鳳翔府(今陝西鳳翔)成紀人。出身盜匪,後從軍抗金。
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347.宋の節度使 節度使はもとは唐の藩鎮の官名であった。宋初にもまだこの官が存在したが、職掌とするところがなかったので、もっぱら勲功ある賢者や故老および宰相で政事からしりぞいた者を遇する官としていた。あるいは宰相・枢密使が地方の大府をおさめるために出向したとき、また節度使の称号を帯びて、これを使相といった。元豊年間の新官制が始まると、改められて開府儀同三司となったが、その後にもしばしば節度使の官は復活した。文彦博が太師・護国軍山南西道節度使として致仕したようなのがこれである。徽宗のときにいたっては、宰相で朝廷にある者もまた節度使の官を兼ね、左僕射の蔡京が安遠軍節度使を兼ねたようなのがこれである。宋朝の南渡以後、功臣で大軍を率いる者が節度使となり、それにまた両鎮三鎮を兼ねる者があり、韓世忠が鎮南・武安・寧国節度使を兼ね、張俊が静江・寧武・静海節度使を兼ねたようなのがこれである。 347.宋節度使 節度使本唐藩鎮官名,宋初猶存此官,然無所職掌,專以待勳賢故老及宰相罷政者。或宰相、樞密使出判大府,亦繋此銜,謂之使相。元豐新官制始改爲開府儀同三司,其後仍復此官,如文彦博以太師充護國軍山南西道節度使致仕是也。至徽宗時,則宰相在朝者亦兼此官,如左僕射蔡京兼安遠軍節度使是也。南渡以後,則功臣爲大帥者爲之,并有兼兩鎮三鎮者,如韓世忠兼鎮南、武安、寧國節度使,張俊兼靜江、寧武、靜海節度使是也。
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358.宋の南渡のときの諸将はみな北方の人である 宋の南渡のときの諸将は、功績を江南で立てたけれども、かれらはみな北方の人である。張俊は、鳳翔府成紀の人である。韓世忠・張宗顔はともに延安の人である。岳飛は、湯陰の人である。劉光世は、保安軍の人である。劉錡は、徳順軍の人である。呉玠・呉璘・郭浩は、みな徳順軍隴干の人である。楊存中は、代州崞県の人である。王徳は、通遠軍熟羊砦の人である。王彦は、上党の人である。楊政は、原州臨涇の人である。牛皋は、汝州魯山の人である。曲端は、鎮戎の人である。成閔は、邢州の人である。解元は、保安軍徳清砦の人である。王淵は、熙河の人である。趙密は、太原清河の人である。李宝は、河北の人である。魏勝は、宿遷の人である。王友直は、博州高平の人である。李顕忠は、綏徳軍清澗の人である。諸名将を合わせても、山陜地方の出自でない者はひとりもなく、これは南宋の安泰が、北宋の余力で守られていたということである。そのほかにも城を守って節義を示したあまり著名でない人物たちも、また多くは北方の人である。建寧を守って死んだ楊震は、代州崞県の人である。隆徳府を守って死んだ張確は、邠州宜禄の人である。震武を守って死んだ朱昭は、府谷の人である。代州を守って死んだ史抗は、済源の人である。永興を守って死んだ郭忠孝は、河南の人である。そののち徳祐年間に国が滅んだとき、善戦した将として挙げられるのが張世傑であるが、張世傑はまた范陽の人であり、張柔に従って杞県を守っていたが罪に落ちて宋に逃れた者である。 358.宋南渡諸將皆北人 宋南渡諸將,立功雖在江南,而其人皆北人也。張俊鳳翔府成紀人。韓世忠、張宗顏皆延安人。岳飛,湯陰人。劉光世,保安軍人。劉錡,德順軍人。呉玠、呉璘、郭浩,皆德順軍隴干人。楊存中,代州崞縣人。王德,通遠軍熟羊砦人。王彦,上黨人。楊政,原州臨涇人。牛皋,汝州魯山人。曲端,鎮戎人。成閔,邢州人。解元,保安軍德清砦人。王淵,熙河人。趙密,太原清河人。李寶,河北人。魏勝,宿遷人。王友直,博州高平人。李顯忠,綏德軍清澗人。統計諸名將,無一非出自山陝者,是南宋之偏安,猶是北宋之餘力也。其他不甚著名而守城抗節者,亦多係北人。如守建寧死者楊震,代州崞人。守隆德府死者張確,邠州宜祿人。守震武死者朱昭,府谷人。守代州死者史抗,濟源人。守永興死者郭忠孝,河南人。其後德祐國亡時,能戰之將尤推張世傑,世傑亦范陽人,從張柔戍杞有罪奔宋者。
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1. rachel 192 138 雷納德 [雷納德] 這位...穿越荒野風沙的冒險家喔! 可以幫我忙嗎? [雷納德] 我無法接受所有的這一切, 只為了拯救我心愛女孩的心, 所以我必需到拉赫冰洞穴去拯救冰心臟, 這是一件很危險的事情。 承接委託 我不清楚這是什麼事,所以我無法承接你的委託 -接下列對話- [雷納德]唉.....你的心就和冰心臟一樣的冰冷,如果我再遇見你我會瞧不起你。[關閉] [雷納德] 感謝幫助我,你真的是一個善良的冒險家 [雷納德] 這件事超恐怖的,在冰洞裡 我遇到了毛茸耳小雪獸, 沒想到那無恥的生物對我施以魔法。 [雷納德] 這張俊俏的臉龐...被他施以魔法... 變成了非常醜陋的獸人... 我太害怕無法再說下去了。 [雷納德] 如果你也去了冰洞穴, 你就會發現這隻怪物, 如果你被他施以魔法變成獸人了, 你一定會非常難過且震驚。 [雷納德] 我不能讓這事恐怖的事情持續發生, 必需要勇敢擺脫掉小雪獸。 [雷納德] 我離不開這裡的人們,但還是必需去拯救 心愛女孩的心,可以幫我 擊殺30隻小雪獸嗎? 承接委託 不,我無法承接委託 -接下列對話- [雷納德]你的話語就像冰洞穴裡的冰柱一樣冷和蜂利刺著我。[關閉] [雷納德] 你真是個善良的人,謝謝。 [ 關閉 ] 新增任務 美麗的守護者 美麗的守護者_2
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トップページ>紀年論叢>宋俊浩教授停年紀年論叢 『宋俊浩教授停年紀年論叢』宋俊浩教授停年紀年論叢刊行委員会、1987年 尹徳香「南原笠岩里出土遺物」 崔炳云「新羅の昔氏王代(185-356 A.D.)の拓境活動」 鄭求福「武寧王誌石解釈についての一考」 柳浩錫「高麗時代の制科応試とその性格」 杜婷娜(Martina Deuchler)「朝鮮初期における妾子の儀礼的役割」 崔玉煥「朝鮮初期の文科の試験方式に関する論議:「講経製述是非論議」を中心に」 鄭杜煕「朝鮮成宗代臺諫の風聞弾劾に関する政治的論争」 李煕煥「老・少論の対立と粛宗」 鄭会善「景宗朝辛壬士禍の発生原因についての再検討」 全炅穆「朝鮮後期校生の身分に関する再検討:「頉校生所志」を中心に」 崔允榛「高敞郷校東・西斎儒生案についての検討」 李在云「茶山丁若鏞の農業論:『牧民心書』勧農条を中心に」 姜吉遠「日本農地会社の小作契約慣行:いわゆる農村振興運動期の全羅北道地域を中心に」 楊萬鼎「淳昌地方の両班家門についての考察」 李康五「全北地方の新興宗教」 柳在泳「「東海頌」訳注及びそれについての一考」 南成勲「司馬遷と知識人の苦悩」 張南植「北宋臺官の推鞫業務:太祖・太宗代を中心に」 宋正洙「明末清初賦役徴収と保甲制」 李洪吉「胡適の実験主義」 呉炳武「宋代性理哲学の成立過程」 金恵子「Thetesの市民権獲得の背景」 張俊哲「教皇権思想の成立過程に関する小考」 李景求「Friedrich I Barbarossaの皇帝権思想」 金平中「Thomas MoreのUtopiaに現れた宗教思想」 朴光宣「Hugh Knoxの教役活動とキリスト教教理観」 宋三燮「Philadelphia制憲会議代表達の性格に関する一考察」 李揆河「Hitler思想に関する研究(1)」 尹源鎬「ロシア及び中国の社会主義化に関する小考:生産様式関係と結びつけて」 趙新光「[資料紹介]ペリクレスの追悼演説」
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南宋・金・元 確定者(9名) 宗沢 岳飛 1103年-1141年 宣和年間に募兵によって参じる。 宗澤のもとに配属され、その勇猛さ、兵法、運用の妙を絶賛される。 宗澤が死んで後、汜水関において金将を討ち、その軍を大破。 精鋭300を伏せては金軍を夜襲し、潰走させる。 王善ら賊軍、合して50万には、わずか800で撃破した。 金の南下によって、高宗が逃げ回っている最中、金軍の後方にあって、その軍と6戦戦い皆勝ち、多くの将帥を捕らえた。 金軍が常州に再度やってきたときも4戦皆勝ち、清水亭での戦いでは敵の屍が15里にわたったという。 南宋が杭州を確保でき、政府として機能できた戦功の第一は岳飛。 これは張俊が奏上している。 華南の賊軍討伐に奔走したあと、襄漢を平らげ完顔宗弼の南下に伴いくだんの朱仙鎮の戦いで完顔宗弼を撃破し開封に追い返した。 朱仙鎮は開封から目と鼻の先だった。 結局開封奪回は、岳飛をおそれた金の謀略(と予想)と秦檜の横槍で実行できず。 民衆に慕われ、食料など進んで提供されている。 ~4スレ目 132より~ 完顔宗望(オリブ) 孟珙(キョウ) ?-1246年 伯顔(バヤン) 1236年-1294年 対宋戦にて総司令官に任命される。 その際、鄂州、常州、無錫、湖州などの都市を陥落させる。 南宋の都、臨安府を落とし、宋の恭帝ら皇族を捕縛。 南宋の武将、趙文義、范興を討ち取る。 南宋の宰相、賈似道を撃破。 ~4スレ目 42より~ 拖雷(トゥルイ) 1192年-1232年 阿朮(アジュ) 兀良合台の子、速不台の孫にあたる。 両淮を平定し、汴、臨安を陥とし、二十数州を降し、六十七県を支配した。23年、昔刺木の叛乱を平定に北伐し、翌年凱旋。 のち征西にも参加したが、まもなく病没した。享年54歳。河南王を追贈された。 阿朮は士兵に対して温厚であったが同時に厳格であり、部下が無辜の民を傷つけるのを厳しく禁止した。 ~4スレ目 50より~ 速不台(スブタイ) 1176年-1248年 察罕帖木児(チャガン・テムル) ?-1362年 字は廷瑞。 代々河南に定住するナイマン出身のウイグル人で、至正十二年に紅巾軍に対して自衛軍を結成。 李思斉とともに羅山の紅巾軍を打ち破り、朝廷に帰順して華北を確保し、その功により汝寧府達魯花赤に任ぜられた。また河北河南で幾度となく紅巾軍を撃破し、功により河北行枢密院事へと累進。 十七年には陝西に援軍として馳せ参じ、鳳翔で紅巾軍を撃破、関中を平定する。 十八年に軍を率いて京師に入りし、兵を晋南・太行の隘地に分屯させた。 陝西行省右丞・陝西行台侍御史・同知河南行枢密院事となる。 十九年、梁の大宋紅巾軍を攻め、開封を陥落させて紅巾軍の統一を崩壊させた。 二十一年、山東の紅巾軍の内紛に乗じて、兵を五路に分けて進撃し、田豊・王士誠らを降す。 二十二年、山東を転戦し益都包囲中の最中、田豊・王士誠に刺殺される。 ~4スレ目 191より~ 候補者(6名) 海山(カイシャン) 張弘範 郭侃 丞相史天沢に見出されその家で教養を学ぶ。知勇兼備し二十歳のとき百戸長となった。 金の伯撒が衛州を侵すとここを守り、大勝して敵軍4万を潰走させる。金主を襲い閼伯台を破った。 速不台の節度下に入り汴を攻め金の元帥・崔立を降す。のち再び史天沢の節度下に戻り太康に屯する。 フビライ即位後中国に戻る。国号を定めること、都城を修築すること、尚書省、御史台の設置、学校その他の創建、そして宋伐戦の方略などを上奏する。 宋伐戦の方略はやはり荊州、襄陽地方の攻略を要とするもの。中統二年、江漢大都督府理問官となる。 翌年、益都の李壇と徐州総管李杲哥の叛乱平定に出陣、李杲哥を殺す。南宋の夏貴が辺境を脅かすとこれを攻め破り軍民1万余を奪う。夏貴が3万の軍勢を率いて再度辺境を騒がすとこれを迎撃、1千余を斬り殺し、戦艦2百艘を奪った。 至元五年、呉乞児と道士・胡王の乱を平定、七年、改めて白馬に駐留して僧侶・臧羅漢、彰徳の趙当驢の叛乱を鎮める。 功績により万戸長。阿朮の襄陽攻めに従軍、襄陽・樊城が落ちた後、長江を渡って江南を平らげた。 寧海州の知州とされる。功績により千戸長とされた。 ~4スレ目 47より~ 阿里海牙(アリハイヤ) 張俊 南宋の高宗の時代にに活躍した武将。字は伯英。 元匪賊で朝廷に帰順後、抗金戦にて戦功を立て岳飛、韓世忠共に抗金の三大将軍に数えられている。 苗伝・劉正彦が乱を起こすと、韓世忠・呂頤浩らとともに鎮圧。 建炎元年、御営司統制官となり、三年には明州城を守り、金兵の来攻を阻止し、高橋にて勝利する。 その後、完顔宗弼が大軍を率い南下してくると、城を放棄逃走。 紹興初年、江淮招討使に任命される。 各地にて叛乱を鎮圧し、叛将李成を討つ。 紹興五年、淮西を宣撫し、斉の劉猊を打ち負かす。 十年には、部将の王徳を北上させ、亳州に勝利するも、高宗・秦檜の意を迎えて軍を引き帰させる。 紹興十一年、劉?・楊沂中と合流して、淮西を援護し、柘皐で金軍を破った。 同年には和議に賛同し、軍権を返上し、枢密使に任ぜられる。 晩年には清河郡王に封ぜられ、太師に上っている。 高宗に寵愛され、死後に循王に追封される。 優れた戦術家だったものの利に敏い処があり、将兵の略奪を禁止しなかったり、劉?を排斥や後に秦檜と結託し岳飛を讒言して逮捕の要因を作った。 ~4スレ目 172より~ 拡廓帖木児(ココテムル)
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【向日葵日記】 ⇒向日葵日記過去ログはこちら 2010.5.24 mon 去る5月13日、唐突に三国志onlineのサービス終了が発表されました・・・。 ◆えっ・・・・・・・・ 2010.2.23 tue 夕璃さんと共に部曲を立ち上げた向日葵創設者の一人であり、創部以来700日近くに渡って部曲長として君臨してこられた月影風鈴閣下が、事情により長期休養に入ることになりました;; 合戦では常に連合盟主として向日葵大陸部隊の先頭に立ち、個人レベルの戦闘テクニックでも部曲随一、おまけにPDや軍略の攻略にも精通しており、何をとっても部曲ナンバーワンという、まさにカリスマと呼ぶに相応しい部曲長様でした。 月さんの離脱により、向日葵の戦力は半減したと言っても過言ではないでしょう・・・>< ◆部曲砦にて、最後のご挨拶 月さん、長い間お疲れ様でした。 いつも先頭に立って部を引っ張って頂き、皆を楽しませてくれてありがとうございました。 月さんの休養は向日葵にとって計り知れない打撃ですが、これからは残ったメンバーで力を合わせて、なんとか部を盛り上げていければと思います。 ですので、いつかきっと戻ってきてくださいね。 しばしの間、さようなら、月さん。 部曲員一同、またお会いできる日を楽しみに待っています! ◆那由他連盟に栄光あれ!! (何故か匿名希望モード・・・) 2010.1.13 wed 昨年7月に実装された魏の連続クエのひとつ、九尾討伐。 思い出したようにトライしては返り討ち、の繰り返しでしたが、しばらく日本を離れる前さんの出発前になんとかクリアしよう!と、昨年末から少し本腰を入れて攻略に取り組んできました。 前夜の戦いでは、九尾本体を倒したかに見えたものの、それより早くパーティーが全滅したため残念ながらクリアには至らず。 しかし確かな手応えを感じながらの再挑戦です! ちなみに参加メンバーは 周聖真、機関車ハデス(盾) 前田慶事、心星葵、河童斎(主に丹) もんもん、須虎刃、普賢将、橘椿、張俊拳(主に火力) とりあえず時間短縮のために全員で祠までダッシュ。 そして登録。と思ったら椿さんが間違って外に出てしまい、やり直しw 今度は全員無事に決戦場に到着。九尾周辺の女兵を一掃し着替えのためいったん全滅。 そして祠で復活。と思ったら登録を忘れていた周さんがどっかに飛ばされて しばらく待機w しかしこの程度のアクシデントは想定内なのさ。 準備万端、全員配置について いざ九尾戦スタートです! ◆戦闘開始! 相変わらず手強い九尾さんですが、気力吸ったり、罵倒したり、逃げまどったり、死んだりしながら極めて順調に攻略を進めていきます。2分裂、3分裂・・・積み重ねてきた幾多の失敗の糧のおかげか、ここらはわりと安定しています。 5分裂の本体を痛めつけると正念場の9分裂となりますので、それに備えて装備や配置やを変更。周さん張さん前さんが囮となって分身8匹をひきつけ、その間に本体をタコ殴りにする作戦です。 そしていよいよ9分裂開始。しかし囮組は十分な時間を稼げないまま3人とも憤死・・・。 うわー いっぱいキター>< 囮組の3人を葬った分身たちが殺到する中、火力組は九尾本体に必死の集中攻撃。味方は次々に倒れていくが 九尾本体も瀕死だ。斬る・突く・殴る・蹴る。勢い余って味方に斬りつけてる人もいる。誰とは言いませんけどね。 九尾の一撃を受け、薄れていく意識の中で私は確かに見た。 九尾本体が閃光を発して崩れ落ちる様を! 思わず前夜のBBSの書き込みをコピペしたくなるような、まるで再現フィルムを見るかのような同じ展開。今度も紙一重でダメだったか・・・・。 ん? おおお? クリアできちゃったよ!? 前夜と同じ相討ちパターンでしたが、今回は九尾本体が力尽きるほうが ほんの一瞬だけ早かった模様。なにしろ全員ブッ倒れているので「勝った!」という感じはイマイチですが、ともかくようやくクリアに成功したのです。 ちなみに最後のトドメを刺したのは、連盟最強のジャンプ力を誇る橘椿さんの「火炎撃」でした。 死んだままではサマにならないので、丹さんの蘇生を受けて全員ムクムクと生き返ります。そしてお決まりの記念撮影。 ◆記念写真。みんないい顔してます! クリア経験豊富な人に事細かに手順を教えてもらえば、もっと簡単にクリアできたかもしれません。しかし敢えてそれをせず、大まかな情報だけを頼りに、後はみんなで あーでもない こーでもないと試行錯誤を重ねながらようやく果たした九尾討伐でした。 みんな、お疲れさま、ありがとう。 九尾のお姉さんもお付き合いありがとね^^
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330.宋の封王の制 宋初の臣下で王に封ぜられた者は少ない。石守信が亡くなると、威武郡王に封ぜられた。王審琦が亡くなると、琅琊郡王に封ぜられた。高懐徳が亡くなると、渤海郡王に封ぜられた。王景は生前に太原郡王に封ぜられ、亡くなると岐王に封ぜられた。これらはみな前代の功臣であり、位はもともと高く重く、いったん心を傾けて王朝を興すと、藩鎮を説得したので、このため封土でもって栄えさせたのである。宋の天子を助けた功臣では、ただ趙普が亡くなると真定郡王に封ぜられ、曹彬が亡くなると済陽郡王に封ぜられただけである。(趙普はのちに韓王に加封された。)徽宗のときにいたって、王安石が舒王に、蔡確が汝南郡王に追封されたのが、封爵の濫用の始まりである。ときに宰相何執中が亡くなると、清源郡王に封ぜられた。鄭居中が亡くなると、華原郡王に封ぜられた。はなはだしいところでは、宦官の童貫がまた生前に広陽郡王に封ぜられ、爵位とそれによって賜る車や衣服が汚されたことは、これほどひどいものはない。南渡後、武臣で王に封ぜられた者では、韓世忠が生前に咸安郡王に封ぜられ、のちに靳王に追封された。張俊は生前に清河郡王に封ぜられ、のちに循王に追封された。楊存中は生前に同安郡王に封ぜられ、のちに和王に追封された。呉璘は生前に新安郡王に封ぜられ、のちに信王に追封された。南渡後の武臣で死後に追封された者は、呉玠が涪王に、岳飛が鄂王に(寧宗のときに封ぜられ)、劉光世が安成郡王に(孝宗のときに封ぜられ)、また鄜王に加封された。文臣で王に封ぜられた者は、秦檜が生前に建康郡王に封ぜられ、のちに申王に追封された。史浩が会稽郡王に追封され、また越王を加えられた。韓侂冑は生前に平原郡王に封ぜられた。史彌遠は生前に会稽郡王に封ぜられ、死ぬとまた越王に追封された。鄭清之はまた魏郡王に追封された。もろもろの武臣は戦功が多く、封ぜられた理由も分かるが、文臣が権勢寵愛のために王位を得るのは、またたいそういやらしいことである。このほかに后族で王に封ぜられた者がいて、それが母后の族を尊崇すること子孫にいたった始まりである。太祖が杜太后の弟の杜審進が追封されて京兆郡王とし、真宗が母の李太后の父の李英を常山郡王に追封し、仁宗が真宗の潘皇后の父の潘美を鄭王に、郭皇后の弟の郭守文を譙王に追封したようなのがこれである。章献明肅劉皇后の父の劉通が魏王に追封されたのは、皇后が垂簾政治をおこなったためである。李宸妃の弟の李用和が隴西郡王に封ぜられたのは、また仁宗の生母だったためである。ただ仁宗の張貴妃(温成皇后と追冊された)の父の張堯封が清河郡王に封ぜられたのは、これは人主のために自ら后族を封じた始まりである。仁宗の慈聖光献曹皇后は、曹斌の孫娘であり、神宗のときにその曾祖父の曹芸を魏王に、祖父の曹彬を韓王に、父の曹玘を呉王に追封し、皇后の弟の曹佾はまた済陽郡王に封ぜられ、あわせて四代にわたったのである。英宗の宣仁聖烈高皇后があり、神宗はその父の高継勲を康王に、兄の高遵甫を楚王に追封し、高宗はまた皇后の弟の高士遜・高士林を追封し、甥の高公紀、高公繪をみな王とした。神宗の欽聖向皇后の弟の向宗回は永陽郡王に、向宗良は永嘉郡王に、みな徽宗のときに封ぜられた。哲宗の孟皇后の父の孟彦弼は咸寧郡王に、弟の孟忠厚は信安郡王に、高宗のときに封ぜられた。徽宗の王皇后・鄭皇后の后族は封ぜられることがなかった。韋賢妃は高宗の生母となり、高宗はその弟の韋淵を平楽郡王に封じた。欽宗の朱皇后の父の朱伯材は恩平郡王に、欽宗により封ぜられた。高宗の呉皇后の父の呉近は呉王に、弟の呉益は太寧郡王に、呉蓋は新興郡王に、孝宗の郭皇后の父の郭瑊は栄王に、弟の郭師瑀は永寧郡王に、みな子が皇帝となった後に封ぜられたものである。光宗の李皇后は三代にわたってみな王に封ぜられ、光宗のときに封ぜられたものである。寧宗の楊皇后の弟の楊次山は永陽郡王に、その二子の楊谷、楊石もまたみな王に封ぜられ、寧宗のときに封ぜられたものである。理宗の謝皇后は三代にわたってみな王に封ぜられ、度宗のときに封ぜられたものである。 330.宋封王之制 宋初臣下少封王者。石守信卒,封威武郡王。王審琦卒,封琅琊郡王。高懷德卒,封渤海郡王。王景生封太原郡王,卒封岐王。此皆前代功臣,位本崇重,一旦傾心興朝,宣力藩鎮,故榮之以茅土也。其佐命功臣,惟趙普卒封真定郡王,曹彬卒封濟陽郡王而已。(普後加封韓王。)至徽宗時,追封王安石舒王,蔡確汝南郡王,封爵始濫。時宰相何執中卒,封清源郡王。鄭居中卒,封華原郡王。甚至奄人童貫,亦生封廣陽郡王,名器猥褻,莫此爲甚。南渡後,武臣封王者,韓世忠生封咸安郡王,後追封靳王。張俊生封清河郡王,後追封循王。楊存中生封同安郡王,後追封和王。呉璘生封新安郡王,後追封信王。其死後追封者,呉玠涪王、岳飛鄂王(寧宗時封)、劉光世安成郡王(孝宗時封),又加封鄜王。文臣封王者,秦檜生封建康郡王,後追封申王。史浩追封會稽郡王,又加越王。韓侂冑生封平原郡王。史彌遠生封會稽郡王,死又追封越王。鄭清之亦追封魏郡王。諸武臣多戰功,疏封尚有説,文臣以權寵得之,亦太猥褻矣。此外則后族有封王者,其始皆子孫尊崇母后之族。如太祖追封杜太后弟審進爲京兆郡王。真宗追封母李太后父英常山郡王。仁宗追封真宗潘后父美鄭王,郭后弟守文譙王是也。章獻明肅劉后父通,追封魏王,則以后垂簾故。李宸妃弟用和封隴西郡王,亦以仁宗生母故。惟仁宗張貴妃(追册温成皇后)父堯封封清河郡王,此爲人主自封后族之始。仁宗慈聖光獻曹后,乃曹斌女孫,神宗時追封其曾祖芸魏王,祖彬韓王,父 呉王,后弟佾亦封濟陽郡王,則並及四代矣。英宗宣仁聖烈高后,神宗追封其父繼勳康王,兄遵甫楚王,高宗又追封后弟士遜、士林、姪公紀、公繪皆爲王。神宗欽聖向后弟宗回永陽郡王、宗良永嘉郡王,皆徽宗時封。哲宗孟后父彦弼咸寧郡王、弟忠厚信安郡王,則高宗時封。徽宗王后、鄭后無封。韋賢妃爲高宗生母,高宗封其弟淵平樂郡王。欽宗朱后父伯材恩平郡王,則欽宗所封也。高宗呉后父近呉王、弟益太寧郡王、蓋新興郡王,孝宗郭后父瑊榮王、弟師瑀永寧郡王,皆子爲帝後所封。光宗李后三代皆封王,則光宗時封寧宗楊后弟次山永陽郡王,其二子谷、石亦皆封王,亦寧宗時封。理宗謝后三代皆王,則度宗時封。
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1 代理 sage 2007/04/15(日) 09 45 49 ID Pj2Smi8z0 書き込めなくなった?らしいので立てました 2 代理 sage 2007/04/15(日) 09 47 37 ID Pj2Smi8z0 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2006/11/14(火) 13 26 14 ID cwVjzMAO0 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 前々々スレ 【みんなで】 中国名将百選 【決めよう】 http //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163478374/ 前々スレ 【中々】 中国名将百選 其ノ弐 【決まらんね】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167560946/ 前スレ 【確定は】 中国名将百選 其ノ参 【誰だ!?】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170812626/ 3 代理 sage 2007/04/15(日) 09 48 47 ID Pj2Smi8z0 時代区分 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間) 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間) 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) 三国~両晋(220年~439年 219年間) 南北朝(439年~589年 150年間) 隋・唐(589年~907年 318年間) 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) 明(1368年~1644年 276年間) 清(1636年~1912年 276年間) 4 代理 sage 2007/04/15(日) 09 49 41 ID Pj2Smi8z0 これまでのまとめ、はどうなってるか分からないので誰かお願いします。 以上。 5 ○ sage 2007/04/15(日) 09 59 03 ID D0oU8gsK0 代理の方 乙です 現在の状況 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共](孟sル)、 【候補】 成吉思汗(チンギスハーン)、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範 張俊、呉?、呉リン、劉キ[金奇] 、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、脱脱(トクト)、呂文煥 、完顔陳和尚、郭侃、李庭芝 bヨ雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)、木華黎(ムカリ) 前スレより >850 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/14(土) 07 12 11 ID 9iDv5RQB0 「誰某が名将としてどの程度か」と問うならば、 全ての手柄を斟酌してその手腕を量るべきだろう。 一部だけ切り抜いて量ることなど不可能だし意味がない。 そもそも漢人でも戦歴をぶつ切りにされるというのはおかしな話である。 蒙古帝国が中国ではない、というのは判る。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 それに1127年の靖康の変で宋は南北支那の統一王朝としての面目を完全に失っている。 燕雲十六州を支配したのみの遼を北朝と呼ぶことは難しいかもしれないが、 中原を完全に支配した金はそう呼んで差し支えないだろう。 支那史のお約束通りに考えるならば、 その金は1234年に蒙古の攻撃で滅んでいるので、北朝としての天命は蒙古勢力に移行したのだ。 以後の西征は紛れもなく北半分の統一王朝の遠征であるので除外する必要はない。 その論理は無茶だと言うならば、五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官、唐の外国人の客将は全て除いて頂きたい。 6 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 39 32 ID RJ3LHnlu0 1スレ立て乙です スレの流れをぶった切ってまで前スレ 777やら前スレ 788の定義を固めてもらっらんだから、 まずはそれを遵守して運用すべきじゃないですか?不満や不都合があるなら明確な改訂案を出すべきであって、 特定の将に対して抜け道探すような手法はせっかく決めた定義が無意味なものになってしまいます。 前スレ 838 郭侃は最終的に元にいたんだよね? 名将か否か判断するのに○○時はのぞくなんておかしい。途中どこにいようが関係ない、 趙亡命時の楽毅だけをみて燕時代を無視するのと同じだろ 全体を見て判断しないといけないと思う 名将の評価と言う意味ではその意見は正しいでしょうけど、 ここは「中国の」名将を選ぶスレなので評価する上で仕えた政権や活躍の場所の吟味は重要です。 燕時代の楽毅の活躍を、楽毅が最後に趙にいたんだから趙将の業績だというのはおかしくないですか? 前スレ 850 北半分の領土的抑えただけで、南朝への遠征放っておいて 西への遠征するような政権は中国政権とはいえないという見方もあるでしょう。 初期は首都すらない完全な遊牧民国家だし、オゴデイ~モンケまでは カラコルムに首都おいたとはいえ現モンゴル共和国で、 中華人民共和国内の内モンゴル自治区ですらないわけで、 中国政権とはみなせず、先行政権扱いが妥当と思いますが。 五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官 それらの政権は基本的に中国の領土獲得を主眼に行動しているので モンゴルとは性質が異なります。単に拡張期のモンゴルが特殊なだけだけど。 唐の外国人の客将 元朝より前のモンゴルと唐では国家思想も国家の形式も全く異なり、 唐は完全な中華統一帝国であるので、客将であっても中国の将からの 除外比較対象に上げること自体間違ってると思いますよ。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 その論理が正しいなら、異民族の名将は中国じゃなくて本来の民族の将だっていうのが正しいことになるんでは? 「既に確定に上がっている名将のうち、五胡やら突厥その他異民族出身の将は それぞれの民族の将だから選外にすべき」っていう意見が出てきたらどう反論しますか? 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 45 04 ID RJ3LHnlu0 前スレで決まった定義を再掲 前スレ 777 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/07(土) 22 00 07 ID G49b2+p90 そんでもって以前選定者の一人に選ばれたわけですが、 505と 761の折衷というだけでは具体的な形が見えないのでここに概論を書きます。 ・基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ・・・こんなんで。 俺の頭ではこれ以上波風立たせずに全員を納得させる案は立てられんです。 ◆RQdk7scN8sさんや○さんがもっと洗練された定義案を出してくれるのを希望。 前スレ 788 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/09(月) 00 22 27 ID 7CdWDV6X0 777を全時代に適応できる汎用定義にすることについてアップデート。 ・中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。 まだまだ完全な定義足りえないのは承知ですが、そこは諸兄に任せます。 本音を言うと他の人が完璧な定義を持ち出してくれると助かるんやけど、怠慢はよくないわな。 8 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 54 35 ID k9NPg/DdO 1 乙&㌧ 一応スレ立てチャレンジしてみたが俺には無理だったので 仕方ないのでに 1の方に代わりに立ててもらった 長文の所為で要領一杯になっちゃったんだから 心当たりがある奴が次スレぐらい立てろよと言いたい!! 9 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 00 35 ID u6nOquCr0 1 乙華麗 10 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 11 24 56 ID NIBuulv0O 原則的に 民族、出自に関わらず、中国本土での戦いに参加した者を対象とする。 国内平定後は、戦地が国内から国外に移るのは自然の理であり、 当然その場合は、その戦いも対象となる。 11 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 11 35 22 ID NIBuulv0O ただし、その人物、及び政権、王朝、国家が、中国の領土、 政治や経済、文化の継承をする意志がない場合、その対象より外れる。 12 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 36 30 ID RJ3LHnlu0 ここまでのまとめ 春秋戦国 其ノ弐 623 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 其ノ弐 831 【確定】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定) 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 其ノ参 171 【確定】 劉秀、馮異、樊崇、耿弇(エン)、呉漢、班超、段熲(ケイ)、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 三国~両晋 其ノ参 169 【確定】 鄧艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 南北朝 其ノ参 278、284 【確定】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋燾(トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 隋・唐 其ノ参 468、475 【確定】 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 【候補・議論中】 李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替) 五代~北宋・遼 其ノ参 786 【確定】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆(チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 13 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 39 42 ID RJ3LHnlu0 ごめんなさい、スレ番参照でミスがありました。 新・後漢 其ノ参 71です。 14 ○ sage 2007/04/15(日) 12 18 21 ID D0oU8gsK0 自分は西征での郭侃の功績を認めるべきでは無いと言うつもりはありません。 遠征での功績はもちろん考慮すべきだと思います。 自分が主張しているのはその範囲なんです。 モンゴル帝国の領土拡大は世界史から見ても類を見ませんよね? 当時の全世界の大半を征服したのは確かに凄いことです。 確かモンゴルを除く歴代王朝の遠征は東アジア圏(ベトナムを含む) に於いて行われていますよね? (西域は入れないのかいと言うツッコミはご勘弁を 西域の事を忘れてました…) だからあえて東アジア圏に限定してはどうでしょうか? と言うのが自分の主張なんです。 (個人的には中近東での活躍を含めるのは違和感がありますので) しかし諸兄がそんな枠に縛られずどの地域での功績を認めるべきだと 仰るなら自分はそれにしたがいます。 15 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 12 42 55 ID wwoVJMbhO モンゴルを先行政権と認めるか否かで決めるべきかな、と 認めるのであれば違和感どうのと言って個人的感情でその範囲に制限かけるのはおかしい 16 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 12 50 21 ID RJ3LHnlu0 15 先行政権止まりなら、 7に従えば遠征の業績は除外になるんでは? 元以前のモンゴルを中国統一政権として認めるか否かではないかと。 17 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 13 18 35 ID hQ7KfBf60 孫?、花木蘭、李廣、岳飛、鄭成功、戚継光、李陵、高仙芝 18 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 13 36 21 ID NIBuulv0O 前スレの850の主張って、 甲子園で活躍し、直接大リーガーになってタイトル穫りまくるも、 その後、日本プロ野球に移籍したときは、タイトルは穫れなかった選手にたいし、 大リーグでの活躍、成績をもって、日本プロ野球の10大名選手の中に入れろっていうようなもんだろ? 良識ある人ならば参考までにとどめ、話を先に進めると思うが。 19 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/15(日) 17 48 59 ID /WpUledx0 ええと… 出遅れました、すみません。 1の人および呼びかけてくれた人、ごくろうさまです。 容量制限あったの初めて知りました。 長文あったら早めにスレ立てなければならないことがよくわかりました。 以後、他所でも気をつけよう。 20 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 19 25 24 ID y8lnZW510 6 〇、政略 一、戦略 ↑はこのスレでは不要だが、真の名将たる者、自ら事を処し、自ら計を決めるべきだろうが、 このスレで問われるのは↓の五つだろう。 二、戦術 三、戦功 四、出身民族 五、所属勢力 六、三を立てた戦域 俺は二、三の条件を満たしたならば、 四、五はどちらか一つしか満たしてなくても入選を認め、 あまり意味のない六は除けと言っている。 18 野球の場合、大リーグ>日本プロ野球は明らかだが、近代以前の阿州、欧州、西亜、南亜、北亜、東亜は基本的に並列。 良識以前に比喩としておかしいことが自分で判らんのだろうか? 少なくとも貴方は良識を知る者ではないな。 21 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 20 48 16 ID RJ3LHnlu0 20 四、出身民族 五、所属勢力 なんで 7の定義が設定されたか、そこにいたるまでどれだけ議論が費やされたか理解してますか? 四、五が、万人が認めるように定義できるなら、その基準でも問題ないのですけど。 あなたの頭の中では明確な定義があるのかもしれないですが、 五胡や五代、遼や金や元や清あたりのカオスな状況を整理できる定義なんでしょうか? もしそうなら、ぜひ定義案として提示してください。 あとNIBuulv0Oさんの代わりにコメントしますけど、 なにか論旨を誤解してませんか?それとも意図的にすり替えてます? 大リーグ>日本プロ野球のレベル差なんて、 18の論旨には全く関係ないです。 大リーグ=日本プロ野球と考えて読み直してください。その上で反論してください。 22 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/15(日) 21 11 17 ID adogH1CA0 俺も長文で書けなくなるとか知らんかったです。すいません。 1さん、 8さん、他迷惑をかけた諸兄、申し訳ない。 でも俺スレ立て技術ないんよ・・・。 とりあえず今度からは訳文を出来る限り削る方向で行こうと思うんでお許しください。 23 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 12 00 ID y8lnZW510 選手(名将)のみを語るべきで、リーグ(戦域)はどうでもいい、境界線上の闖入者を決められる訳がなかろう。 また、 18の定義でも「日本人の野球選手」としては十分名手と言える。 俺は「日本リーグの選手」としてどうかなんて言ってない。 意図的に論旨を摩り替えているのはNIBuulv0O氏だろ。 このスレで語られる「中国名将」は複合的なものだし、比喩としては全く不適当。 24 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 25 03 ID RJ3LHnlu0 23 だから「中国人」とは何かを定義できるのかといってるんですがね。 西晋崩壊以降、いろんな民族の流入・混血が進んで中国人・漢民族の定義は困難だから、 スレの当初から一貫して所属政権でもって定義する方向で進めてきているわけですよ。 民族的な定義付けを主張するならば、まずは中国人とは何か?を明確に定義できる案を提示してください。 それがいいもので多少の修正で採用できそうなら、皆の意見を反映した上で採用されるでしょうし、 穴がありすぎるようなら議論するだけ時間の無駄なので却下になるでしょう。 25 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 21 34 58 ID NIBuulv0O 20 俺だした喩えで、その選手が外れる可能性があるぐらいは、分かるよな? 同じ選手が、同じ競技をしてても外れるように、 郭侃の功績が限定されのはしょうがない。 まず、過去スレぐらい嫁。で、その中には名将といえども外れた人物はいる。 何故か?そのぐらいは考えろよ。 郭侃を入れたら対象になる武将が、際限なく増えてしまう。 その中には中華風の国号を名乗り、中国本土まで攻め入ったような人物までいる。 だが一般的には、その人物を中国人だとは思わない。 そんなのまで認めたら、中国じゃなくて、アジア史だ。 完璧に板違いになる。だから皆が知恵出し合って定義を決めてきた。 それを自分のワガママで変えろと言うのであれば、良識がある人間とは思えない。 26 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 49 03 ID k9NPg/DdO 22 許すも何も俺は別に長文に対して怒ってる訳じゃないぞw >でも俺スレ立て技術ないんよ・・・。 俺の場合は技術じゃなくトライしたけどハード的問題でスレ立て失敗したのさ・・・orz スレ立てるのって環境さえ整ってれば簡単らしいけどな それと郭侃の参加した遠征は中国統一政権下における外征では無いのだから 功績としてはノーカウントにするのがが妥当だろうな それと 18での例えは結構的を得てると思うけど… あとねy8lnZW510氏がどう思うかは自由だが 良識を知る者ではないなとか言わない方がいいと思うぞ 逆にそんな風にカキコされたら憤慨しませんか? 現にNIBuulv0O氏は憤慨してますよ NIBuulv0O氏そう興奮せずモチツケ 27 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 22 17 48 ID NIBuulv0O ID y8lnZW510に素直に聞きたい。 郭侃は中国本土で全く功績がないとでも思ってるのか? 個人的に俺は、宋弼よりも郭侃の方が、このスレてきにふさわしいと思ってる。 宋弼は負けすぎてる。東西から攻めるなどの技量は評価できるが、 それならば郭侃の西での活躍をもって、その意見に答えたい。 こんな感じの議論をするのが、このスレの流れ。 都合よく定義を変えるのは、ルール違反だ。 26 俺は 850の意見が無茶苦茶すぎるから言ったまで。 自分の推す人物が入らないなら、やり直せと言うのなら、 せめて郭侃と同じように、統一以前の中国外の活躍をもって確定した人物を 具体的に取り上げ、その人物がいるから入るor外せ と言うのなら分かるよ。じゃなけりゃ誘拐犯が人質とって金を要求するのと変わらない。 850を正式に取り下げるなら、こちらも謝罪はする。 28 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 22 43 27 ID k9NPg/DdO 27 うんNIBuulv0O氏の主張は最もだと思うよ でもねあの人は自分の考えが絶対だと思い込んでる様に見えるよな ここではみんなで決めた定義に沿って議論してるはずなのにね… それと多分、あちらの方は人には侮辱的なこと言う割りには 自分が逆の立場になったらブチギレるであろうタイプの人間だから あえてNIBuulv0O氏にモチツケと振ったのさ おK? 29 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 01 28 ID y8lnZW510 野球の場合、その区別は容易い。 一、大リーグ 二、日本プロ野球 だが、文化圏は容易に区切ることは出来ないし、↓のように無理に分けるしかない。 一、東亜 二、東亜~北亜 三、北亜 やはりNIBuulv0Oの比喩は無茶苦茶過ぎる不適切なものだ。 まあそれはどうでもいい。 30 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 07 44 ID RJ3LHnlu0 ・・・なんかもう相手するだけ時間の無駄なような気がしてきた。 31 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 25 37 ID k9NPg/DdO 29 >まあそれはどうでもいい。 じゃあわざわざ刺激するようなレスよこすなよと言いたい… NIBuulv0O氏、RJ3LHnlu0氏 あの方の相手するのもうやめようぜ 32 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 36 47 ID bJsmtWF40 今更でなんなんだけど、「中国」の定義ってどうなってるの? 33 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 56 53 ID wwoVJMbhO 18 の例えは的外れだと俺も思う 34 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 00 02 17 ID RJ3LHnlu0 31 >まあそれはどうでもいい。 は、その後の反論なり、定義案なり考えてるのかと少しだけ期待したけど、 1時間近くたっても投下ないのでまともに議論する気ないのが確定ですね。 相手しないに同意します。NG登録したいくらいです・・・。 32 そこに踏み込むとスレの趣旨から外れるのと、結論出せないということで、 これが「中国」というみんなで合意した明確な定義っていうのは決まってないと思いますよ。 35 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 00 05 43 ID TUPTWbh/0 この時代専門でないのに口を挟むのもなんだけど 現在の確定が宋3人に金1人 普通、防衛より攻め込む方がエネルギー要るもんでしょ 元贔屓の人にがむばってもらいたい バヤンとか確定主張しなくていいの? 36 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 00 07 43 ID 3oHnWORa0 間違った方向と雖も、半年間で培われた旧法に対して、新法を一時間で出せと言うのは無理な要求だなあ。 37 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 00 18 28 ID 6MwUiMrMO 33 俺が言いたいのは、 850で同じ人物が、 ある期間が入り、ある期間が外れるなんてあり得ないと言うから、 仮に「日本のプロ野球での10大名選手を決める」なんてスレがあって、 その選手がNPBでの実績が乏しいなら、大リーグでの活躍は外れる。 同じ競技でも、所属と場所により外さなくてはいけないこともあると言いたいだけ。 それでも的外れと思うなら、ここはそういうスレだからあきらめてもらうしかない。 28 おk 言い過ぎた。スミマセン。 じゃ、改めて郭侃を推挙。確かに西方での活躍が華々しが、 対金戦役に従事しているので、全くの無縁な人物ではない。 フビライのもとに使えた後のことは、その置かれた状況を考慮して欲しい。 一時的とはいえ、敵対してる人物の配下にいて、 多大な功績を残してる武将に対しては、与えるだけの活躍の場がなかっただけ。 郭侃が確定入りすることはあっても、候補から落ちることはないと思うので、 さほど必死になれず。 まだ席は空いてるし、伯顔が相手ならば、中国本土のみの活躍限定なら分が悪いが、 それ以外の人物であれば、十分に太刀打ちできると思う。 38 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 00 22 19 ID 27vtNhal0 36 別に定義案がすぐに出てくる必要はないけど、時間が必要ならその旨書き込めば済む話。 また彼の発言からすれば、彼なりの定義が彼の中で決まってないとおかしいので、概案くらい出せるはず。 それに直前の反論に対してろくに反論せず、自分の言いたいことと捨て台詞だけ残して去っていくようでは・・・ 35 前スレ817・818あたりで確定に推す意見があり、その後反対意見もないので伯顔は確定でいいんでないですかね。 39 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 01 13 05 ID 27vtNhal0 37 対金戦のトゥルイ、スブタイや、南宋戦のアジュ、張弘範あたりを超える東方の功績があるんでしょうか。 不勉強なので、できれば功績の詳細をご教示いただきたいです。そのうち◆oOLAqFKRB.さんが推薦文投下してくれるかな? あとスレ違いの話題かもしれませんがフラグの西征だと、バイバルスに負けるまでは無敗だったキトブカがまず思い浮かぶのですが、 郭侃がキトブカあたりと同格の将だったのか、フラグ・キトブカあたりの統率下での一武将だったのか、とかも興味あります。 ペルシャ側の集史には郭侃の記述がないらしいですが、逆に元史だとキトブカの業績がなかったりするんでしょうか? 40 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 01 24 40 ID 3oHnWORa0 32 中国が何かは知らないが、 支那大陸が支那海~崑崙山脈~戈壁沙漠の自然境界線の輪に囲まれた場所とは定義可能だろう。 その中心地が中原と呼ばれ、正統王朝なり統一王朝としての求心力はそこを支配することで生まれる。 問題は外への玄関口にあたる河西、関東、雲南~越南の、 三つの回廊地帯(と非漢文化の後背地)に割拠した西夏、遼、高句麗、渤海、朝鮮諸王朝、南詔、大理、越南諸王朝などの独立志向の地方政権を如何に捉えるかということだと思う。 また、支那の内側にも、長城という人為境界線に、 黄河、秦淮線、長江の三つの自然境界線が、合計四つ横たわっている。 北からの国防は上記の四つを防御コンプレックスとして行われた。 実際には南朝が反攻することは稀で、呑み込まれることがほとんどである。 その奇跡を成し遂げた君臣が存在する。 太祖開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊德成功高皇帝朱元璋とその忠実なる下僕徐達である。 41 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 07 11 44 ID hUp+9G4SO 37 そうなの?俺はあんまり詳しくないから偉そうなこと言えないけど 郭侃って西征での功績はすげぇ~ものがあるのはわかるけど 百人・千人長時代と遠征後の南宋攻めでの功績ってどうなんだろう? というのがあるね 俺も◆oOLAqFKRB.氏が推薦文を投下してくれるのを期待したい!! 35 これ又詳しくないから偉そうなこと言えないけど バヤンの南宋攻めでの活躍ぶりは確定入りに十分過ぎるほどのものがあると思うな で例の人はもう嫌なら無理に参加してもらわなくてもいいんじゃない? 42 ○ sage 2007/04/16(月) 17 47 54 ID 9IoQbNQZ0 自分は別に元贔屓じゃないけど一応投下。 伯顔(バヤン)の功績 対宋戦にて総司令官に任命される。 その際、鄂州、常州、無錫、湖州などの都市を陥落させる。 南宋の都、臨安府を落とし、宋の恭帝ら皇族を捕縛。 南宋の武将、趙文義、范興を討ち取る。 南宋の宰相、賈似道を撃破。 伯顔(バヤン)の活躍振りはこんな感じです。 ・・・十傑入り決定でいいのではないでしようか? あと南宋、平定後のモンゴル高原に置ける反乱鎮圧は功績に入れるでしょうか?。 諸兄の意見を伺いたいです。 なお異論を唱える方は持論なり理由なりを是非、書き込みしてほしいですね。 そうじゃないと今回な結果になっちゃいますよ・・・ 43 ○ sage 2007/04/16(月) 18 17 08 ID 9IoQbNQZ0 42の追記 自分はバヤンのモンゴル高原に置ける反乱鎮圧は功績に含めないが妥当かと。 7で示されてる定義に適合しないと思いますし。 44 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 20 33 34 ID areLor/Y0 次は明代か。 朱元璋を「名将」扱いするかどうかで一悶着ありそうだが 自分としては入れてもいいと思う。 何といっても江南から北伐して成功して中国統一に成功しているのが大きい。 45 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 21 28 18 ID hUp+9G4SO 44 まあそう慌てるな まだ南宋・金・元の審議中だ それに郭侃、バヤンの件についても話合ってる最中なんだし それに明の審議中に次は清か〇〇の扱いはどうなるんだろうみたいな 横槍入れられたら嫌だろ? 自分の得意な時代が待ちどうしい気持ちは分かるが 俺も以前に先走ったことして注意されたことがあるんだ だからもう少し我慢してくれよ 46 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 21 53 23 ID areLor/Y0 45 悪かった。反省します。 しかし元代で現代中国の領域内での活躍に限定するのは難しいな。 郭侃は言わずもがなだしバヤンも対ハイドゥ戦の功績もあるし。 取り敢えず史天沢を推薦しておく。 漢人世侯で終始中国内で戦った武将。 47 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/16(月) 22 00 26 ID Io2Ki5sF0 期待されてよーなので郭侃、落とします。ただし西域抜きで。 郭侃(あざなは仲和) 丞相史天沢に見出されその家で教養を学ぶ。知勇兼備し二十歳のとき百戸長 となった。金の伯撒が衛州を侵すとここを守り、大勝して敵軍4万を潰走させ る。金主を襲い閼伯台を破った。速不台の節度下に入り汴を攻め、金の元帥・ 崔立を降す。のち再び史天沢の節度下に戻り、太康に屯する。功績により千戸 長とされた。 フラグ汗の遠征に従軍。この時期の蒙古は先行政権と考えるのでこの期間の 活躍は無視。とりあえず無敵無敗で「東天の将軍、神人なり」と現地の人々に 畏れられた。 フビライ即位後中国に戻る。国号を定めること、都城を修築すること、尚書 省、御史台の設置、学校その他の創建、そして宋伐戦の方略などを上奏する。 宋伐戦の方略はやはり荊州、襄陽地方の攻略を要とするもの。 中統二年、江漢大都督府理問官となる。翌年、益都の李壇と徐州総管李杲哥 の叛乱平定に出陣、李杲哥を殺す。南宋の夏貴が辺境を脅かすとこれを攻め破 り軍民1万余を奪う。夏貴が3万の軍勢を率いて再度辺境を騒がすとこれを迎 撃、1千余を斬り殺し、戦艦2百艘を奪った。 至元五年、呉乞児と道士・胡王の乱を平定、七年、改めて白馬に駐留して僧 侶・臧羅漢、彰徳の趙当驢の叛乱を鎮める。功績により万戸長。阿朮の襄陽攻 めに従軍、襄陽・樊城が落ちた後、長江を渡って江南を平らげた。寧海州の知 州とされる。在任1年にして没した。 ・・・中国本土でも結構活躍多いですな。宗弼とどっち取るかって言ったら こっちやろーというぐらいには活躍しとります。 48 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 22 18 33 ID hUp+9G4SO 46 ありが㌧ よかったーareLor/Y0氏が物分かりのいい御仁で 47 ◆oOLAqFKRB.氏 ありが㌧郭侃は6MwUiMrMO氏が言う様にこれで十傑入りの地位は不動たろうね 49 ○ sage 2007/04/16(月) 23 05 12 ID 9IoQbNQZ0 47 ◆oOLAqFKRB.さん 乙です郭侃の件がようやく解決されましたね。 今度はバヤンのモンゴル平原での反乱鎮圧の件についての 諸兄のご意見お待ちしています。 あと自分はですね忠孝軍を率いてモンゴル軍を散々に打ち負かした完顔陳和尚を推します。 最終的にbヨ雷(トゥルイ)に破れてはいますが対モンゴル戦での 数々活躍振りは評価に値すると思います。 これがまた自分好みの武将なんですわw 50 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/16(月) 23 45 35 ID Io2Ki5sF0 伯顔の陰に隠れとるけど将才は伯顔以上と目されるこの人。 阿朮(アジュ) 兀良合台の子、速不台の孫にあたる。物静かで知勇謀略に長け、勇敢にして 果断、気は万人に蓋す。 フビライ即位後中統三年、李壇の乱を平定して功績を立てる。同年九月、 征南都元帥を拝命、汴で士卒を練兵する。至元元年八月、両淮を略して多大な 戦果を挙げ、南宋政権を恐怖に陥れる。 翌年八月、襄陽の兵を検閲、南郡から攻め入って僊人、鉄城などの塞を抜き、 俘虜五万を獲て軍を返す。南宋軍が襄陽・樊城で連携して元軍を挟撃する気配 を見せると再度南下してこれを阻む。安陽灘から長江を渡り、精騎五千を もって牛心嶺に布陣、南宋軍と交戦して斬首数万を数える。五年、漢水に塞を 築き、襄陽に張り付いて持久戦の構えを見せた。 翌年七月、宋将夏貴、范文虎らの襄陽救援軍を大破、斬首および漢水に溺死 したもの五千余を数え、戦艦百艘を鹵獲する。ここで水軍を練兵し、南征に 備えたのち襄陽を囲む。范文虎が戦艦百艘をもって百丈山に出陣するも、阿朮は 一撃でこれを破った。 九年三月、樊城の外壁を破り、これに迫る。張順(もと孟珙麾下の民兵武将) および張貴が船百艘で襄陽に救援物資を届ける任につくも、阿朮はこれを 察知して張順を殺す。阿朮と元帥・劉整は兵を分かって張貴を捜索、これを 擒らえ、余衆をことごとく殺した。補給路をことごとく扼し、援軍を遮断して 同年十二月、襄陽と主将・呂文煥がついに陥ちる。翌年淮東に出兵、揚州を 攻め、伏兵を持って南宋軍を破り王都統を擒らえる。 十一年正月、参政阿里海牙とともに宋伐戦出陣を請い、兵十万を率い丞相 伯顔、参政阿里海牙とともに南征する。 同年秋九月、南宋軍と交戦、阿朮はみずから槊をふるって勇戦、向かうところ 敵なしの勢いで南宋軍を破り、兵五百を斬る。趙・范統制を擒らえ、さらに 進軍して沙洋、新城を抜く。復州を攻め、守将翟貴を降した。同年、南宋の主将 夏貴と交戦、力戦のすえこれを破る。夏貴は阿朮が長江を渡ったのを知って 大いに驚き、麾下三百とともに戦艦に乗って退却した。南宋軍が退却したのち、 阿朮は陽羅堡を攻め抜き、軍事物資を鹵獲した。伯顔の慎重論に対して攻めの 姿勢を貫き、船三千を燃やし漢陽、顎州を降す。 十二年正月、黄州、蘄州、江州を降す。水軍を率いて安慶を落とし、范文虎 を降す。そのまま池州まで進み、南宋の賈似道と蕪湖で交戦、これを大破、 さらに2月、丁家州で南宋軍と激突、回回砲にものを言わせて孫虎臣、夏貴、 賈似道をことごとく破る。宋朝の主力が揚州に移ると阿朮は兵を分かって揚州 を囲み、揚州を攻めつつ、みずからは真州の珠金砂で南宋軍を破り、斬首二千級 を数える。揚州に合流、南宋の都統・姜才が二万の兵を率いて突出してくると 一事撤退、兵を建て直して再び姜才と交戦、副将張林を擒らえ敵軍一万八千を 覆滅した。 同年七月、南宋の張世傑、孫虎臣の水軍と交戦しこれを破る。戦艦七百を鹵獲した。 十月、中書左丞相となる。伯顔とともに臨安を落とし、伯顔が宋朝を降伏させたのち も残党討伐に奔走した。 十三年六月、揚州の李庭芝、姜才を伐つ。 阿朮は士兵に対して温厚であったが同時に厳格であり、部下が無辜の民を 傷つけるのを厳しく禁止した。田中某氏の小説(海嘯)とは大分イメージ違う。 生涯戦績。両淮を平定し、汴、臨安を陥とし、二十数州を降し、六十七県を 支配した。23年、昔刺木の叛乱を平定に北伐し、翌年凱旋。のち征西にも 参加したが、まもなく病没した。享年54歳。河南王を追贈された。 51 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 01 12 41 ID ywN+Wd4k0 老婆心ながら現在までの確定および候補確認。 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望、孟珙、郭侃、伯顔 【第一候補(推薦文あり)】 拖雷(トゥルイ)、速不台(スブタイ)、阿朮(アジュ)、張弘範、阿里海牙(アリハイヤ) 【第二候補(推薦文なし)】 韓世忠、呉玠・呉璘、劉錡、完顔宗弼、完顔陳和尚、劉整、呂文煥、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) ・・・さっぱりさせるとこんな感じやろか。 他にも候補おったけど、彼らには多分票が入らんと思って篩い落としました。 明日もあるし、今日はこれで落ちます。では。 52 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/17(火) 01 13 16 ID JKkEsWSdO 49 は?何も解決してねぇよ。結局西征抜きで確定とかいってるじゃないか。よく読め。 これからの時代、または一巡して残った枠決めるときに同じようなことで揉めるぞ。 何も分かってないのにしきんな、馬鹿。 53 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 01 17 31 ID f8DCfPly0 「あの方」乙。 新法を立てる実力も人間性もない分際の馬鹿がこのスレに来るな。 54 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 01 38 30 ID JKkEsWSdO プロ野球とかメジャーとか検討違いな例えしてた人ですかw? 55 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 02 18 28 ID f8DCfPly0 見当違いだろ日本語も出来ないのか?この馬鹿。 ルールに従えない非常識なワガママ野郎は消えろ。 56 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 02 30 47 ID JKkEsWSdO 携帯とパソコンを使った俺の自作自演でしたw すいませんw 57 ○ sage 2007/04/17(火) 03 13 45 ID ysRVHac90 52 郭侃の中国国内での功績を示してくれたので不明瞭な部分が解消されたので 解決したと言ったまでで誰も仕切ってませんが… 何も分かってないの貴方ですよ それに西征時期の蒙古は先行政権と考えるのでこの期間の活躍は無視 自分はこれに同意しますね。 7の>中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 に該当しないでしょう? 西征時にはまだ中国国内を平定してません。 馬鹿とか自作自演とか楽しいですか? wとか付けて誤魔化してますが笑えません(ry 58 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 03 24 55 ID q4p++dZp0 万度帰とかは実績云々以前に資格がないのかな? 59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 04 15 55 ID rIqTBJ8G0 もうメンドイから明に行きたい 60 ○ sage 2007/04/17(火) 04 17 07 ID ysRVHac90 まあ自分は仕切るつもりなど更々ないですが 58さんへ一言。 万度帰が 7で示されてる定義に適合する人物なら資格はあると思いますよ。 推薦文なり紹介文なり挙げてみればいかが? 61 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 07 57 34 ID wcWH7fA2O 58 万度帰は今話合ってる時代の武将かと思ったら五胡の武将かよ はっきり言うがこの武将の場合は資格はない 59 上の方でも言ったが今は南宋・金・元の審議中だ もし明の審議中に同じ事言われたら気分良くないだろ? 気持ちは分かるが暫らく我慢してくれよ 自作自演とか関係無い時代の武将の話とかいい加減ウザイ!! 62 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 12 07 50 ID Te6DeNrjO そういうのマルっと含めてマンドクセから明にいって空気変えちまおう 63 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 12 46 14 ID /mg0Xi7n0 61 ここで議論しようとかじゃなくて、例えばこいつには資格がないのかという程度の話。 万度帰は北魏太武帝が華北統一後に西域に派遣した将軍。タクラマカンを転戦して功績を挙げた人物。 64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 13 37 22 ID OgsQlBe80 テムジンとスブタイはリデル・ハートが(1920年頃の著書で)ベタ褒めしたせいで、マンシュタインやグーデリアン、ロンメル等々がスブタイ信者になっちまったくらい。 (何故かドイツの軍人が多いw) 著書では、「今次大戦(=第一次世界大戦)で初めて登場した戦車や航空機こそが、将来の戦争でこれらが蒙古騎兵の直系子孫である事を証明するだろう」と断じている。 (間接的ながら、後の電撃戦などに影響を与えている。 しかし、これを実現したのはアメリカ合衆国の軍隊だったりするわけだが。) 両者共に時代を超えた「世界史の名将」だとは思うんだけれど、「中国史」という枠には収まらないような気はする。 65 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 13 55 30 ID hRLHwESxO ◆oOLAqFKRB.氏 郭侃の中華地域での戦績が優れているのはよくわかります しかし、アジュとの軍功の差が確定と有力候補ほど離れているかは疑問ですがどうでしょうか? (あとチンギスは……中華地域限定でも同意得られそうにないですよね、やっぱり) 66 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 14 10 24 ID wcWH7fA2O 63 スマンちょっと乱暴に言いすぎたね うーん西域はアウトじゃないかな? タクラマカン砂漠はウイグル自地区だろ?だからこっちはセーフだとしたら 万度帰はギリギリ資格が有るのかな? アホな俺には判断付けかねるよ… 67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 15 41 00 ID hRLHwESxO いや中国史での西域って、およそウイグル自治区の辺りでは? 68 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 18 36 46 ID wcWH7fA2O 67 調べたら楼蘭(ゼン善)亀茲国(クチャ)、焉耆国(カラシャール)は現在の中国領新疆ウイグル自治区 となってた となると 7の定義にある 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 に適合するなら万度帰は資格有りということになるね 69 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 18 48 51 ID wcWH7fA2O 連投でスマン 7で示されてる定義に番号を振って再掲載 ①基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ②異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ③征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ④中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める プラス 10より 原則的に ④民族、出自に関わらず、中国本土での戦いに参加した者を対象とする。 ⑤国内平定後は、戦地が国内から国外に移るのは自然の理であり、 当然その場合は、その戦いも対象となる。 一応、こんな感じで番号振ってみたどうだうか? 70 ○ sage 2007/04/17(火) 19 28 26 ID ysRVHac90 65 ◆oOLAqFKRB.さんに援護射撃 確か、郭侃の西征以外の功績が不明瞭だった為、確定入りが決定的ではなかったですよね? (西征の功績をどうするかも揉めてましたが) で郭侃の中華地域での戦績が示された為、 郭侃の中華地域での功績なら十分、確定入りにしてもいいのでは? とみたいな意見が数名より挙がってますよね? このスレの今までの流れからすると まず十傑入りに相応しいであろう人物が浮上してきます。 そしてその人物を確定でいいのでは?と言うレスが挙がって来ます そしてその人物を推す複数のレスが決定の大きな要因となっていると思います。で十傑入りに反対の声がほとんど無い場合 今まではそれで十傑入りが決定してる様に思いますが… だから郭侃とアジュとの軍功の差が大差にしても 取り敢えず郭侃を先に確定入りさせたのではないでしようか? アジュも郭侃に劣らない功績があるのですから 何れは確定入りされると思いますよ。 ◆oOLAqFKRB.さんは皆さんの意見を参考に 郭侃を先に確定入りさせたのではないでしようか? 自分はそう思いますよ。 ◆oOLAqFKRB.さんは以前に「俺が一人で勝手に決める訳にはいかんよな」 みたいな発言なされてますし。 まあ◆oOLAqFKRB.さん本人の意見を聞くのが一番なのですが… 71 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 20 15 08 ID o8BwlyJn0 70 ○さん、援護射撃感謝。 実際アジュ>郭侃(西域除く)だとは思うんだわ。 でもアジュを入れろって声はほとんどなかったし、 郭侃は定義論含む話題の主役で10選入りを確定視する声が多かったので、 とりあえず暫定的に確定、ということで確定に入れました。 俺個人としてはアジュは多民族軍を見事に統御してのけた伯顔に統率力では劣るも、 戦闘力、破壊力なら上、と評価しとるんですよ。実のところ。 だから郭侃の確定は蒙古の漢人武将代表という抽象的な意味合いです。 南宋末、元初の名将たちは並べてみるとそうそう差がつくものでもないと思うし。 72 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/17(火) 21 25 53 ID f8DCfPly0 つ ttp //mixi.jp/ 73 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 30 29 ID GydVicnn0 金、西夏を滅ぼしたチンギスハーンも十分要件を満たしてるな。改めて推薦させてもらおう。 阿骨打はこの時代でいいのかな? 一巡したら漢代の冒頓、老上、軍臣の各単于も推薦することにするとしよう 74 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 34 09 ID GydVicnn0 あー阿骨打よりも呉乞買の方がいいかもこっちにしようかな 75 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 35 38 ID hRLHwESxO 73 いや金も西夏もチンギス生前には滅びてないでしょ そりゃ大打撃は与えてるけど 76 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 43 20 ID GydVicnn0 75 ほんとだ。まあ両国とも虫の息に追い込んでるんだからよしとしようよw 十二分に要件を満たしてるんだしさ 77 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 57 16 ID wcWH7fA2O ID GydVicnn0氏 ああだこうだこうだ言わずに推薦文あげりゃあいいじゃんw ん?冒頓単于とかに資格があるの? 69に示されてる定義の② ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 に該当しそうだが・・・ 78 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 05 48 ID rIqTBJ8G0 独立意識を持ってない他国の将って居るのか? 79 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 34 48 ID wcWH7fA2O 78 少なくとも冒頓単于は中国からの強い独立意識を持ってよな それに確か冒頓単于は中華の領土を支配しようとは考えてなかったのでは? でアナタの言ってる様な事言い始めたら切りがないと思うが・・・ まさか例の人じゃないよね? 80 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 36 29 ID GydVicnn0 77 チンギスくらい有名ならいちいち推薦文あげなくてもいいだろうさ。ウィキ、それが嫌ならぐぐればいくらでも出るでしょ。 阿骨打、呉乞買書こうかとも思ったけど粘没喝の名前があがってるんだよね。 実際動いた人間の方がこのスレ向きだろうし。名前挙げた人に推薦文は任せる。 78 同意。 モンゴルの武将が入るなら匈奴の武将も入っていいと思ったから。この2つの国の違いって相手国の政治力、外交力の 優劣でしょ。土下座外交してでも攻め込ませなかった漢、不味い外交で相手を怒らせ攻め込まれた金、宋。 政治力は名将か否か判断する材料にはならないと思う。 81 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 22 56 15 ID Fl1wk6yX0 76さん チンギスは確かに金、西夏に大打撃を与えたけれど、金も西夏もチンギスが 引き上げるとたちまち国力・兵力を盛り返し旧来の版図を取り戻しとーから、 彼は選外だと思います(十分な国土を切り取る、あるいは橋頭堡を作るに 該当せんから)。金なんかトゥルイとの戦役でおよそ40万かそれ以上の兵力 を動員しとるし、当時はまだ余力満々だったと見るべきかと。それにチンギス が中国経営にあまり熱心でなかったことも重要。むしろ金の支配からの独立を 目指した風が感じられる。ムカリに中国経略の全権を与えたとはいえ、河北が 取れれば御の字ぐらいにしか思ってなかったのでは? 69案、十分な国土を掠取する~以下略は十分な国土を掠取し、それを多年に わたって支配した、に手直ししたほうがいいかな? 82 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 02 28 ID rIqTBJ8G0 79 言いがかり付けるなっていいたいの? 杜撰な条件定義を立てておいて、指摘されたら逆ギレってコト? 83 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 02 51 ID wcWH7fA2O 80 >ああだこうだこうだ言わずに推薦文あげりゃあいいじゃんw と言ったのはチンギスの事じゃなく阿骨打か呉乞買か迷ってたから言ったんをだよ それに粘没喝の推薦文よかったら書いてみてよ 俺も書いた事あるから分かるんだけど 特定の人ばかりが推薦文挙げるの結構しんどいと思うよ で冒頓単于とか推薦したいなら俺はこれ以上、異は唱えないておくよ 84 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 08 18 ID uUTXiMcy0 80 そういう手抜きはこのスレでは認められないんじゃないかと。推薦したい場合はちゃんと業績あげてください。 特にチンギスの場合、中国以外の業績は省く必要があるし、拡張期のモンゴル軍は常勝すぎて 71の最後に言われてるみたいに、有力な名将の業績は凄すぎて比較が難しいでしょうし・・・ あとその後に元という統一王朝建てたモンゴルと、まともに侵入すらできなかった匈奴では、 このスレ的に扱いが全く異なります。 7か 69の定義を熟読お願いします。 85 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 16 47 ID wcWH7fA2O 82 なんですかアナタは言いがかり付けてたんですか? 異を唱えるのは別に反対しませんが例の人の様に 言うだけで何も持論を述べないのは如何なものかと・・・ で杜撰な条件定義と思うなら修正案をだせばいいじゃん 俺が言ってることそんなにおかしいか? 第一、俺は逆ギレなどしてませんが 86 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 24 06 ID uUTXiMcy0 80 あと、阿骨打は遼攻略までで、宋にまともに攻め入るまではいってないので対象外っぽいですね。 現状、遼が中国統一政権扱いではないですし、戦域も燕京の周辺までにとどまってたと思いますので。 呉乞買の場合は、業績のほとんどが宗望や宗弼のものなような気がするですが、不勉強で詳細がわからんです・・・。 87 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 24 15 ID hiwhGuyY0 >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 この一文、日本語として変なこと極まりないですが 逆説的に言えば、該当するのは 本人が中国外の武将でありながら、中国に対して強い帰属意識をもってる武将 ということになります。 とっとと中華政権に降伏でもして中国の武将になって戦えばいいんじゃないですか?ソイツ。そんなに中国人になりたいなら 88 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 38 33 ID 2qfHyaIq0 87 そこの解釈はそのときの中華政権から独立するという意味ではなく、 伝統的な中国文化に傾くかどうかかと思ってた。 モンゴルでいうと遊牧民的な志向だったモンケと中国的な志向だったフビライの差みたいな。 89 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 42 52 ID hiwhGuyY0 それはモンケとフビライの相対的な違いでしかないと思うんですが どちらもモンゴルとして中国的な文化とは相容れてない部分で自立してる訳で フビライは中国的なことに理解は示してるけど、それを中国というのは違うでしょう 90 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 52 21 ID v3udnKAUO 86ちと頭固すぎないか?遼は駄目で宋は良しって。燕京周辺まで行けば十分じゃない? 91 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 02 20 ID 2qfHyaIq0 89 いや、だから中国的な文化や支配体制に対して理解を示すか、否かが大きな違いなわけで。 モンケとか、匈奴あたりや契丹時代の遼あたりは中国的な志向が明らかにない。 元を王朝名に採用したり、中国式の政権作りを取り入れたフビライとは違います。 あと、できれば 87の意図を明確に示してほしいのですが。 その文は削除するべきだと言いたいのでしょうか。 92 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 10 01 ID 2qfHyaIq0 90 連投失礼 遼は結局異民族王朝扱いになって中原深くまで攻め入った太宗のみの入選に留まってる以上、 金の遼への侵攻は異民族同士のぶつかり合いで中国への侵攻にあたらないという解釈です。 遼が中国扱いに昇格するのなら、守勢の活躍という理由で選外になった耶律休哥や耶律斜軫あたりも入選すべきでは? 93 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 12 57 ID hiwhGuyY0 ちょっと待て ちょっと中国式を取り入れたぐらいで中国扱いなの? 94 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 18 29 ID 2qfHyaIq0 93 中国式を取り入れるか否かは大きな差ですけど・・・ どこまで中国に同化したら許容するかを定義できる、もっといい案があったら教えてください。 95 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 27 47 ID v3udnKAUO 92 それならばモンゴル対金も異民族同士の争いと言うことで除外と言うことになりますわな スブタイが候補に入っておりますが外れますか 96 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 29 07 ID UhreilvE0 近代以前の話をしてるんだから、「民族」てのはやめたほうがいいんじゃない? 97 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 40 40 ID hiwhGuyY0 87の意図 日本語変だから直せ(別にコレに限った話じゃないけど、最近はあんまり整理されてない文章が多すぎる) 中国式を頑なに取り入れないってのは、よほどの排他的民族主義であって 普通、人間社会・文明っていうのは他にいいところがあったら取り入れて進んでいくモノですが 家に畳が無いから日本人じゃないとか言わないですし、今使ってるパソコンはWinであれMacであれ日本のメーカーではないでしょう 逆に、アメリカ人がソニー製品使ってるから、その人は広義で日本人なのですか? 中国式を取り入れた国に属したアジュらは自分のこと中国人だと思って馬乗って兵隊を指揮してたのですか? それを取り入れるか取り入れないかが大きな差で、明確な分け方になるのでしょうか? 98 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 49 23 ID UhreilvE0 97 中国ってのは文明の名前であって、中国式を取り入れるってのはその文明システムを受け入れるってことでしょ windowsやらソニーとは全く次元の異なる話だよ 例えば、日本がキリスト教を受け入れて、「神の名の下に」正義をふるったり 裁判のときなんか聖書に手を置いて宣誓したりとかすれば(個々人の信仰は別の話) それはキリスト教文明を受容して、国家をその形に変えたって事になる。 中国式を取り入れるってのはそういうことでしょう。 中国式を思いつくままに列挙してみれば 洛陽あたりを中心とした華夷観 皇帝を頂点とした官僚機構 年号の設置 儒教システム 他には何があるだろうか、こういったものを受容しているかどうかが問題だと思うんだけど… 99 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 52 30 ID 2qfHyaIq0 95 金は北宋滅ぼしてて完全統一まで行ってないけど、 北部を制して統一政権に準じた扱いになってるという認識です。 この場合、金を滅ぼしたモンゴルとの違いは難しいのですけど、 郭侃の征西の扱いについての議論の中で、モンゴルは南宋をあくまで征服対象のひとつ、 という扱いだったので先行政権扱いが妥当、という解釈になってたように思います。(違ったらすいません) 自分としては、もし金が先行政権扱いになるのであれば、モンゴルの南宋攻め以外の功績は除外すべきかと思います。 その場合、ムカリ・トゥルイ・スブタイあたりは対象外になりますかね。 100 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 53 57 ID cQ7DeTg90 胡服騎射の実行者とその追従者である武霊王と李牧ほかは除外されるべきだと思うが。 こいつらは全部、中国的な文化からの離脱者だろ。 あと楚呉越もアウトとすべし。 南越や西夏、遼のような周辺国と同じ扱いでいいだろ。 101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 12 16 ID hiwhGuyY0 98 例で前半上げてるのは文明なのに、後半の例がシステムなのですが…… それは使えるもの、理に適ったものは使うという次元ですので、究極のところ、ソニーの話とそう代わり在りません あくまでモンゴルがシナを統治するのに便利だったから採用したというレベルでしょう 儒教システムなんて取り入れたなんて言えるもんじゃないですし。あることを許したに近いでしょう 途中で裁判の例が出てますが、ここは名将という個人を上げるスレなので、 むしろ国(裁判形式)よりはその武将個人(個人の信仰は別といった部分で)の背景・精神に寄る選考が正しいと思うんですがね(個人的には) 草原で育った、中国外で育った人間が、別段中国に生活を根ざした訳でもないのに、中国で戦ったから中国の武将なんですか?という話で 逆に唐なんかの外人武将は唐という国の中で生活して、その価値観の中で武将になったからそれは中国武将でしょうし まぁ別に選定条件なんて、もうウンザリしてきたんでどうでもいいんですけどね、ぶっちゃけ(休哥もモンゴル将も入れちゃえば?) ただどうも粗が目立つ文だったので、定義文。そういう突っ込みや疑問が持つような文章にするのが一番よくないですよ もっと言葉選んでくれないと。 (後ついでに、武将の紹介するときに、2レスも3レスも使うのも正直、国語力を疑いますね そのまんま本の写しを打ってるとしか思えない。文章の要約ぐらいは出来て当たり前だと思うんですがね 4096文字60行も使えるんだから) 102 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 12 19 ID 2qfHyaIq0 97 87の意図 日本語変だから直せ その文の意図がちゃんと理解できないから表現を見直してくれ、という解釈であってますかね? 自分の認識は既に述べたけど、正確なところは◆oOLAqFKRB.さんに確認した方がよいかもしれません。 (振ってしまってすみません) (別にコレに限った話じゃないけど、最近はあんまり整理されてない文章が多すぎる) 残念ながら、ご自身の 87も、意図する結論部分がきちんと記述されてなくて、 何が言いたいのかをきちんと伝達できてないと思いますよ・・・。 後半部分については、「中国とはなにか」を明確に定義する術がなく、 そこを突き詰めて議論してもどれだけかかるかわからず、全員が満足するもを作ることもできないので、 紆余曲折の末に、このスレでの便宜的なルールとして 69が決定された、という回答にならざるをえません。 (もしもっといい案がでてくればそちらに切り替えるのはありだとは思いますが) 103 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 16 31 ID Zjm71ruBO ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、質問したい >日本語変だから直せ それならアナタを含めみんなが納得いく様な代案を出すなり、もしくはその項目を削除するべきだと主張すれはいいのでは? 時間をくれと意志表示なされるなら待ちますよ だって杜撰な条件定義なんでしょ? もちろんそれなりの修正案なりこう改善すべきだと言う考えが御有りなんですよね? 出来ればアホな俺にでも理解可能な最善案を提示してほしいですね 104 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 17 33 ID 2gPLeexKO 91 イェケ・モンゴル・ウルスがダイオン・イェケ・モンゴル・ウルスに変わったのがそんなに大きいかな? それに中華地域を中華式のやり方で治めようとするのは、ある程度はオゴタイの頃に始まってない? 意外とショボいとか言われてるものの、耶律楚材の立場はどうなるの 105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 19 51 ID 2qfHyaIq0 101 五胡十六国や五代十国、遼、金、元、清あたりの入り混じった状況の人物を、 明確に分類できるのであればその方針の採用もよいと思います。 自分としては現状の政権ベースの定義案と比較して、あなたのおっしゃる 人物ベースの定義案の方が複雑になるのと、より揉める原因になるように懸念しますが。 時間が掛かってもよいので、皆が満足できそうな定義案を出していただきたく。 106 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 02 22 01 ID EnVX91ag0 http //page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g55753565 107 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 22 02 ID Zjm71ruBO 103の日本語がおかしいので訂正 × ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、質問したい 〇 ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、答えてほしい 108 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 27 49 ID 2qfHyaIq0 104 中国式の王朝名を使うこと、というのがこのスレ発足当初に固まった定義案の要件のひとつなのです。 オゴタイの頃にある程度中国的な文書行政が始まってるので、線引きをどこにするかは確かに難しいと思います。 国号の点と、首都がカラコルム、ていうのがネックになるんではないかと。 フビライ時代も上都と大都の併用ではあるんですけども・・・。 109 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 34 55 ID cQ7DeTg90 108 フビライ時代は、夏は遊牧国家、冬は中国国家でおk。 それ以前はそれこそ先行王朝として扱う形式でいいだろ。 あと、それとは別にその先行王朝に仕えた金の漢人をどう扱うかだ。 南北朝期の選考に準じればいいかと思う。 110 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 45 16 ID v3udnKAUO 定義に漢人であること、漢人でない場合は漢人相手に戦って勝つこと ってのを追加したほうがいいな 111 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 03 03 33 ID 2qfHyaIq0 101 (後ついでに、武将の紹介するときに、2レスも3レスも使うのも正直、国語力を疑いますね そのまんま本の写しを打ってるとしか思えない。文章の要約ぐらいは出来て当たり前だと思うんですがね 4096文字60行も使えるんだから) 推薦文投下してくれる方は、史料の漢文訳すだけで相当な労力を使ってるんだから、 そのくらい我慢してください。長文読むのがめんどくさいなら読みとばせばよいだけです。 このスレには推薦文を楽しみにしてる人も多くいるってことを理解してください・・・。 112 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 04 01 37 ID cQ7DeTg90 もともと黄河流域だけが漢人(の原型)の縄張りだった。 長江流域が漢化されたのは秦漢~六朝の長い時間をかけてのことで、 秦漢初期は、北部の勢力から送り込まれた諸侯王や太守を中心とする漢人植民地が巨大な蛮地の中に点々と存在した程度のものだったと思われる。 皮肉なことに五胡の南下によって、黄河流域という本拠地を失ってから長江流域の漢人化は促進された。 <黄河流域> 上:強い異民族 下:弱い漢人、弱い異民族 <長江流域> 上:強い漢人 下:弱い漢人、弱い異民族 そして上記のように、南北で玉突きのように強者が弱者を支配し混血し新しい漢人が二種類発生するという図式が出来上がる。 北部の場合では強い異民族も漢人と混血すると弱くなり、北からやってくる強い異民族に自分が征服される。 南部の場合は同化を拒んだ弱い異民族はさらに東南アジアに逃げ込む、と。 概して見ると、暴力に対する抵抗力は、南に遷るたびに、そして文化の恩恵に浴するたびに弱くなっていく傾向がある。 蒙古族は文化のうち便利なものを取り入れ、同化には興味を示さなかったし、漢人に参政権を与えることも例外的だった。 満州族は一度目は漢化し、二度目は辮髪や満州服などで自らに同化することを強制してから、参政権を与えた。 結論をいうと強い漢人(=士大夫)足り得るか、ということが彼らにとっての中国人の証明だと思われる。 その意味で宋は(最強ではなくとも)最高の中国だったし、王朝による定義制度は正しいと言わざるを得ない。 だが、南遷以後の六朝や南宋のみを、北朝が再統一するまでの間だけ中国とするのはいささか寂しい。 だから、五胡北朝と女真蒙古の支配した時期の北部中国は別の定義で適応する必要があるだろう。 漢人の王でなくとも、漢人の役人を起用さえすれば中国の王にはなれるのだから。 あと余談だが、金、元、明、清は国号としては中国式とは言えないだろう。 113 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 12 05 15 ID fsUSOkQL0 101 文明を可視的に特徴付けているのはシステムでしょ あなたの例で言えば唐を中国たらしめているものは何?ってこと。 非漢族王朝の唐がどうして中国王朝なのか、それは中国文明のシステムを導入しているからじゃないかな? そうすることで被支配層の漢人の支持も集められるわけで。 それと、唐ってのは漢土からその外部まで広くに跨っていたから、草原育ちの将軍もいくらでもいたよ 114 ○ sage 2007/04/18(水) 19 59 45 ID SvSYsgGj0 もし 109-110で述べられてる提案で定義に関する諸問題が解決されるなら、 取り敢えず条項として起して頂けませんかね? >あと余談だが、金、元、明、清は国号としては中国式とは言えないだろう。 金については知らないのですが 元の国号の由来は蒙古は封じられた国が無いから四書五経から採ったんですよね? 確か宋までの王朝は始祖が封じられた土地の名前を元号に採用してたはずですよね? モンゴルは最初、蒙古と名乗っていたのですが中原国家からすると 二文字の国号は夷狄の国の元号と馬鹿にされたので 苦肉の策(?)で四書五経から採った言葉を元号を採用。 その流れを明、清も受け継いでたはず。 では金、元、明、清の国号は中国式で無ければ何式になるのですか? ・・・こちらも余談ですが 明治、大正、昭和、平成も書経から文字を抜粋して年号に採用してます。 115 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 20 05 40 ID OdKWoxd40 114 なんか途中から国号と元号がごっちゃになってない? 116 ○ sage 2007/04/18(水) 20 11 33 ID SvSYsgGj0 115 すいません元号になってる部分も国号の打間違えです 117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 20 48 25 ID HPxBBrN20 81 前にも書いたけど、チンギスは燕雲十六州に相当する地域は確保しているけど それでは不十分ということなんだろうか? 118 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 07 22 ID 9hNRKR7Q0 87さん >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 これ日本語としておかしいか? ID 2qfHyaIq0さんは 88以降普通に意味を理解して話を進めてくれとーし、 ID wcWH7fA2Oさんも 77においてちゃんとわかった上で定義に触れる、触れないの話題を展開してる。 むしろ貴方の文章のほうが俺にはおかしく思えるし、上記の一文に関しては単純に貴方の読解力の問題じゃなかろーか? やからこの一文は別段、書き改める必要ないと思う。 ・・・別に喧嘩売ってるわけじゃないよ。 ただ、直せってんならどーゆう書き方をすればいいか、提示していただきたいだけ。俺はそこらへんわからんのよ。 あと、長文に関して。 2レス3レスにまたがるのもしょーがない人おるんよ。一レスあたり所詮原稿用紙12枚分やろ? 列伝の長い人やったら30ページとかあるし、どー削っても訳文が2レスぐらいかかる人おるって。確かにほとんど正史の 丸写しやけど、だいぶ自己流に書き換えとーけん直接正史の直訳って訳でもないし、そこにそうツッコまれても困る。 まぁ、何処何処で勝って何処何処で負けた。戦績は○○。って書くのは簡単やけど、それじゃあ情緒がないやろ。 ただし、訳文がところどころ変なのは認めます。力量不足ってやつです。すんません。 99さん 金は先行政権か統一王朝か、ということなら、統一政権でいいと思いますよ。 南北朝時代で言えば北朝を完全統一しとるわけやし、 岳飛獄殺後の和平締結以後は南宋から朝貢を受けて南宋より金のほうが中国の実質的支配者やったことは間違いないし。 金の先行政権は金主が阿骨打やった時期、あるいは遼滅亡以前でいいかと。 その統一政権・金を打ち倒して次に来る時代を切り開いたトゥルイ、スブタイ、ムカリあたりは、やっぱり資格保持者やと思う。 117さん 不勉強ですんません。 燕雲に伍す領土を取りそれを放棄することなく確保したなら、チンギス本人にも資格はあると思います。 当時の金朝の人々に恐怖心を植え付けたという点では申し分ないし。 ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。でもまぁ、とりあえず推薦文なり紹介文なり落として諸兄に諮るのが一番かと。 で、完顔陳和尚の紹介文、落としていい? 119 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 22 54 ID 2gPLeexKO 114 そもそも、それまでのモンゴルは国号使ってなかったんじゃなかったっけ? 名無しに近い大蒙古国が、国号が決まって大元大蒙古国になったはずでは 120 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 21 23 01 ID urBhmHXx0 開封落とせなかった岳飛が確定で燕京落としたチンギスは駄目ですか 漢族マンセースレなわけだ。いわゆる異民族は漢族の武将の力量測るものさしでしかないって事か 121 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 27 20 ID HNr4X7gv0 チンギスのことは自分には分からないので脇に置いておくとして、 岳飛を推す人に岳飛の戦績を書いてもらいたい どうもぴんと来ない 関羽みたいに知名度が先行しすぎている気がしなくもない 122 ○ sage 2007/04/18(水) 21 31 37 ID SvSYsgGj0 87 >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 この項目が入っているのは西夏の李元昊みたいな人物がいるからじゃないのかな? こう言う一文を入れなきゃ自分みたいに李元昊を推薦した時の様な事態を 回避する為の措置と思いますが… 118 本来なら自分が完顔陳和尚の推薦文を挙げるのが筋なの様な気がしますが 代わりにお願いしようかな お願いしても おK? 123 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 34 04 ID 9hNRKR7Q0 完顔陳和尚(本名は彝、あざなは良佐) 豊州の人。二十歳を過ぎた頃母もろとも北に攫われる。蒙古の大元帥 は彼の驍勇を愛し、帳下に置いて護衛官とした。母が豊州に帰りたいと いうので従兄の完顔斜烈と秘かに計る。その後一年、大元帥の目を盗んで 監視の兵を殺し、馬を奪って母、斜烈とともに豊州に帰還した。馬が潰れ ると母を荷車に載せ、黄河を渡って金に帰投。宣宗より厚く嘉される。 陳和尚は文人王渥と交友を深めて甚だ資質があり、《孝経》、《小学》、 《論語》、《春秋佐氏伝》などを読んで略儀に通じた。軍中で事がないとき には牛の毛を筆にして詩文を書き、寒苦の士について賦したという。 正大二年、斜烈が罷免されると入れ替えで総領となり、方城に屯する。 旧斜烈麾下の兵たちは陳和尚を従兄同様、兄事した。このころ斜烈が病に かかる。軍中の李大和と方城の鎮将・葛宜翁が喧嘩を起こし、陳和尚に訴えた。 陳和尚は大和に理ありとして宜翁を杖打ちの刑に処したが、宜翁は生来凶悍で 杖刑にかけられたことを恥辱とし鬱々として死んだ。死に臨んで妻に必ず 陳和尚に復讐を果たせと言い残しており、彼女は陳和尚が私怨をもって夫を 殺したとして御史台・尚書省・近侍官に向けて訴訟を起こした。ために陳和尚は 獄に繋がれることとなる。獄中に書を持ち込んで閲読し、18ヶ月が過ぎた。 遡って正大三年、斜烈の病が好転、総帥として西(多分蒙古)に攻め込む ことを命ぜられたが、陳和尚が冤罪で獄に繋がれていることについて哀宗に 上奏、まもなく斜烈は病死するも、従兄の上奏により四年、陳和尚は許され、獄を出た。 哀宗は冤罪であったことを陳和尚に詫び、名将・斜烈の弟(従弟)として名将 たることを期待すると述べた。陳和尚は感涙して拝礼し、左右みな感動の涙を 流した。紫微軍都統となり、翌年“忠孝軍”を創建した。 正大五年、蒙古軍が大昌原に侵入すると平章・完顔合達の先鋒として出陣、 四百人を率いて八千の蒙古軍と交戦、三軍の士を鼓舞し、巧みな用兵手腕を もって蒙古を撃滅した。二十年ぶりの快勝に金国は欣喜雀躍、陳和尚は勲功 一等とされ、定遠大将軍の位を授かる。この一戦で完顔陳和尚の名は一躍 天下に轟いた。 忠孝軍の士卒は皆ウイグル人、羌族、渾族の亡命者でこれを統率するのは 困難を極め、陳和尚を置いて彼らを御撫することは不可能といわれた。攻め落とした すべての州県において秋毫も犯させることなく、治軍は厳正。戦うたびに 先鋒を務めて真っ先に敵陣を陥とし、その速さは風雨のごとし。諸軍の将帥 たちはいつしか陳和尚と忠孝軍を自軍の要と頼るようになった。正大七年、 衛州で捷ち、翌年倒回谷で勝つ。禦侮中郎将とされた。 正大九年正月、三峰山で蒙古のトゥルイ(実戦指揮官はスブタイ)に敗北、 鈞州に逃れる。城が陥ち、市街戦に突入すると非難して隠れる。騒乱が静まると トゥルイの前に出頭、「我こそは忠孝軍総帥・完顔陳和尚。大昌原の勝者は 我なり、衛州の勝者もまた我なり、倒回谷の勝者もまた我なり。人の我を国家を 負う将と謂い、乱軍の中に死すを望まず。今日死するは明白なれど、天下に必ず 我を知るものあり」と言って刑死を望んだ。トゥルイは陳和尚の将才を惜しんで 蒙古に仕えよと言ったが、陳和尚は腕を折られ足を折られても屈さず、口の中を 剣でえぐられて死んだ。享年41歳、金朝は鎮南郡節度使を追贈し、石碑を建てて その忠義と将才を称えた。 124 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 21 39 47 ID FHMP1W2rO チンギス・ハンは無しにしませんか? 日本語を解するモンゴル人(某力士等)が、このスレを見て、 モンゴルの英雄を中国の英雄扱いされてたら、あまり良い気分しないと思うんです。 阿倍仲麻呂を中国の英雄と紹介されてたら、少なくとも私は違和感を感じます。 後年のモンゴル人に対する影響力を考えたら、外すのが妥当だと思うのです。 125 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 41 04 ID v3udnKAUO 長文乙。でも前半部分はいらんだろ。 126 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 46 49 ID 9hNRKR7Q0 前半部いらんかな? 陳和尚の人格や教養を語るエピソードとして欠かせんと思ったんやけど。 127 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 52 34 ID 2gPLeexKO 124 征服王朝なんだからモンゴルが強い証じゃないの? 128 ○ sage 2007/04/18(水) 21 56 31 ID SvSYsgGj0 119 あくまで自分の知ってる範囲での話なのでこれが正しいとは断言できませんが モンゴルは最初、日本などへ書状を送り付けた際には蒙古と名乗っており、 「二文字の国号とは所詮は夷狄の国だな」 みたいな侮りを受け相手にされなかった為、 四書五経(書経?)から 言葉を選び出して元を国号にしたと読んだ記憶があるんですよ。 129 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 56 38 ID v3udnKAUO 名将である理由に人格、教養が条件に入るならいるだろうな。 でもそうじゃないだろ 130 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 57 46 ID H5dC65zb0 126 人格や教養は選考理由には関係ない。 関係あるのは武勲の量と質のみ。 131 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 22 23 25 ID Zjm71ruBO 129- 130 まあプラスαぐらいに考えとけばいいんじゃないか? やいのやいの言うほどの事でもあるまい 124 チンギスハーンを無しにする理由がモンゴル人があまり良い気分しないからなら 中国名将百選も止めとくか? 日本語を解する中国人(某ITの社長等)がこのスレを見て 東夷の蛮民ごときに中国の英雄、名将を勝手に討論されてる様子を見たら それこそ憤慨ものだと思うが… チンギスハーンを入れる入れないは定義に当てはめて判断すべき 阿倍仲麻呂は本人が嫌でも中国の臣下にされちゃっんだから仕方ない 個人の違和感とは別問題 132 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/18(水) 22 29 52 ID T9FrouWD0 岳飛は関羽などとは全然違う。それこそイメージの先行。 岳飛。 宣和年間に募兵によって参じる。 百人単位の部隊で賊(反乱軍?)を次々と撃ち破る。 宗澤のもとに配属され、その武勇を絶賛される。 ただ勇猛なだけでなく、その兵法、運用の妙を讃えられた。 宗澤が死んでから、各地の反乱を討滅に奔走。 汜水関において金将を討ち、その軍を大破。 精鋭300を伏せては金軍を夜襲し、潰走させる。 王善ら賊軍、合して50万には、わずか800で撃破した。 極めつけは金の南下によって、高宗が逃げ回っている最中 金軍の後方にあって、その軍と6戦戦い皆勝ち、多くの将帥を捕らえた。 金軍が常州に再度やってきたときも4戦皆勝ち、清水亭での戦いでは 敵の屍が15里にわたったという。 南宋が杭州を確保でき、政府として機能できた戦功の第一は岳飛。 これは張俊が奏上している。 華南の賊軍討伐に奔走したあと、襄漢を平らげ完顔宗弼の南下に伴い くだんの朱仙鎮の戦いで完顔宗弼を撃破し、開封に追い返した。 朱仙鎮は開封から目と鼻の先だった。 結局開封奪回は、岳飛をおそれた金の謀略(と予想)と秦檜の横槍で実行できず。 あとは知ってのとおり。 この人は掛け値なしの名将。とくに民衆には慕われ、食料など進んで提供されている。 本紀なみに長い記録なので、本当のところはこれの5倍くらいはあります。 133 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 23 09 ID HNr4X7gv0 岳飛については黙っておきます 漢族以外の武将を全員外してほしい こんな漢族マンセースレで添え物にされて哀れ、次からはスレタイに「漢族限定」の文字を入れてくださいね 134 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/18(水) 23 29 49 ID T9FrouWD0 133 中国史関連の書物をふつうに読んでいたら、そんなセリフは出てこないと思うが… 漢族ってなんですかね。 マンセーしているような人もいないと思うのだけど。 ちなみに自分は、民族の異種はあまり興味ないですね。 五代ではテュルクマンセーでしたがw 135 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 31 31 ID qDwJCv350 モンゴルに対して「中国」と関するのに違和感を感じているのがいるだけで、 漢人マンセーなんて誰もしてないだろ。非漢人の将軍がどれだけ入ってるかみてみろよ。 それと、煽り口調だとたとえ正しいことを言っていても誰も聞かんぞ 136 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 57 48 ID 2gPLeexKO 135 まあ今までも非漢民族の武将も入れてきたからね だからこそモンゴルだけ特別扱いするのも変なんじゃない? 137 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 58 57 ID ItMU0bN40 国号について。 大元大蒙古国が漢語での正式名称。 大元とか元しか言わないのは支那の学者先生方の史観に漬かり過ぎだ。 中国王朝としての「元」も「大元」も本来は存在しない。 元に取っての中国は最も重要な直轄植民地でしかない。 宋までは旗揚げの場所や封土がそのまま全国政権の王朝名に適応された。 金より後は「大○」の二字で一つの国号であって、慣例に反する。 従:大元 主:大蒙古国 と、あくまで大蒙古国がメインパートなのである。 これだけで全然中国的中国式とは言えないだろう。 経書から引いたのはあくまで道具として利用しただけで本質的に漢化した訳でも漢族志向に寄り添った訳でもない。 大元大蒙古国とは、元来の中国王朝とは一線を画する超世界帝国の国号なのである。 明は中国部分しか引き継げなかったが、支配制度は蒙古のシステムを継承していた。 宋ではなく、大元大蒙古国をより明確に意識していた証拠だろう。 1636年に北元から超世界帝国の帝位を継承したのであって、 中国王朝としての帝位の正統性は明朝滅亡のどさくさに紛れて誤魔化した感が大きい。 138 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 00 13 16 ID QZMqize90 (修正) 清は1636年に北元から超世界帝国の帝位を継承したのであって、 中国王朝としての帝位の正統性は明朝滅亡のどさくさに紛れて誤魔化した感が大きい。 <近世的中国> 満蒙:大北部 支那:大南部 <支那> 中原:小北部 江南:小南部 139 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 04 30 09 ID GM3M5UIHO そろそろ明に行こうぜ 140 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 07 42 13 ID QZMqize90 N16_11086.lzh に今までの過去スレをうpした。 パスは「過去スレ」 見れない人は参考にどうぞ。 141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 11 29 23 ID sOI9heFPO 133 ID HNr4X7gv0は自分がこよなく愛する関羽を貶されたから 逆ギレしてアホな事ほざいてる風にしか見えない 漢族(?)マンセーなんて奴なんかこのスレに居ないし、異民族武将を添え物なんかにしてねーよ 両方共評価してんじゃん 俺は鮮卑慕容部・拓跋部スキーだしw テュルク萌え~ で俺はアジュと完顔陳和尚に各一票入れとく 142 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 15 16 12 ID 1XOclV5U0 118 >ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。 これって名将か否かを語る上で必要ですか? 本当に必要な条件であるならば金はこのスレにおいては除外対象になりませんか? 金は中華の土地を欲していなかった。結果的に北宋部分を支配下に置きましたが。 金の建国は遼に対する反抗であって建国初期においてはその遼に対抗する手段として宋と手を 結びました。そのときの金は燕雲十六州など中華の土地を欲していなかったこと。 そればかりか独力で十六州を奪回できなかった宋の肩代わりをし、その土地を宋に返還していますよね。 その後紆余曲折あって金は宋に進攻して中華北部を領土にしますが直接統治せず楚、斉と傀儡国家を 立てて統治させ自分たちは北方に戻っています。 結局、金は中国からの強い独立意識持った、と言うより自分たちと中国は別物と考えていた国であり 大筋では匈奴等と同様に扱うべき 征服王朝の先行政権であるのも首都を燕京に遷し南征を起こした海陵王の時代からで統一王朝であった時期は無い。 言葉は変ですが先行政権の先行政権の武将である宗望、宗弼、宗翰、 先行政権同士、考え方によっては先行政権と異民族の戦い。である、モンゴルVS金で活躍した武将、陳和尚、スブタイ、 トゥルイ、ムカリもこのスレでは選考外になるのではと言うのが私の考えです。 長文失礼しました。 143 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 16 35 21 ID GM3M5UIHO どうでもいい話だが完顔陳和尚って最初お坊さんかと思ってた。 武将とわかった今でも脳内想像図は騎兵率いる将軍でなく花和尚魯智深みたいな豪勇な僧侶が浮かんでくる 144 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 18 17 54 ID LLMUQ9lF0 142 そんなに必死にならなくても・・・ チンギス・ハーンを候補入りさせたいなら推薦文を書き込みしたら いいだけじゃないの? 145 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 19 45 54 ID I9w1Tlat0 143 あるあるww 146 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/19(木) 20 06 20 ID dXElhxkd0 てっきり俺も坊さんだと思ってた 147 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/19(木) 20 13 32 ID AsiDAywz0 >ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。 はい、確かに言いました。実際名将の条件とは直接リンクしてないですね。 でもここで 7、 69の定義がものを言ってくるわけです。 異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 先日も問題になった最後の一行ですね。 この一行があるがゆえに、チンギスがただの反発心と独立心から金を攻めたのであればここで選外と言うわけです。 西夏の李元吴が名将でありながら中華からの独立を目指したために落選したのはご存知でしょう? あと、金は傀儡政権を立ててはいますが明らかに漢化しています。 アクダ時代はいざしらず、北宋との決別、対決姿勢に移行して以来は明らかに支配欲、征服欲をもって侵攻しています。 傀儡政権は漢人のほうが中国支配に向いているという適正の問題で立てただけのようなものですし、これが打破されると 自ら南進して河北を支配下に置いたわけですから。自ら北朝の主をもって任じ、和平後は南宋から多大な朝貢を受け 中国文明を取り入れ、中華の正統たることを主張したことから征服王朝と呼ぶに問題はないかと思います。 で、蒙古に話を戻しますがオゴタイ以降は蒙古が本気で中国本土を狙っているのは明らかですから、 となればこれは統一政権・金と征服王朝の先行政権・蒙古の戦いということになり、 この時期に戦った金の完顔陳和尚や蒙古のトゥルイ、スブタイらは資格保持者で問題なし、というのが俺の持論です。 まぁ俺が定めた定義案なんぞが完全なものなわけじゃないし、違うと思うなら手直ししてください。 実際俺なんかの定義に影響される必要はなく、貴方の胸にある“これが正しい定義だ”というのに照らし合わせて 諸兄に諮るのがいいと思います。 誰が資格保持者たりえるか、なんてことは俺が決めることじゃないし、 誰を推すにしてもまず推薦文、あるいは紹介文を挙げて諸兄と議論を交わすのが最善だと思いますよ。 148 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 21 07 35 ID nU9GlXRu0 ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ↓ ・異民族による(中華外の)他国家の武将においては、対中華国家に対する自国の防衛戦の功績は除外する。 対して中国領を侵食し、土地を掠取する、またはそれに準ずる者は資格を有する。 これにおける異民族国家とは中国式の国家システムに好意・理解を示し、採用・継承しつつも、 民族としての独立性を失っていない、謂わば疑似中国国家である。(李継遷時代の西夏などの国粋主義時代の排中国国家は該当しない) 異民族武将にすると、中国国家に属した異民族武将の意にもなるので、訂正 高名、恐怖意識などの個人により定義が曖昧な言葉を削除 独立意識云々~は補足要項なので、()扱い 文章公正はこれでいいですかね 105 人物ベースの定義案が複雑で揉めるコトは判ってるから、(個人的には)と付けたんですが 113 唐がいつのまに非漢民族王朝になったんでしょうか?漢民族の血は入ってると思いますけど 祖先を辿れば~、母方や妻が~、唐の服装には~、っていうので唐は漢民族じゃない!っていうのが流行ってるのは判りますが 育ち云々の話は中国の倫理基準や社会システムの中で、本人がその価値観を持つという話なので 別に草原がどうとかいう話ではありません 149 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 21 46 47 ID sOI9heFPO 148 文章公正 乙 結局、定義に異論を唱えてた奴は何の返答も寄越さなかったな 時間が掛かるなら一言言って頂きたいと念を押しておいたのに… 結局は持論も改正案もなくああだこうだ言うだけで他人任せとは… で上の方でもカキコされてますが自分が推したい武将がいるなら(チンギス?) まずは推薦文か戦績をカキコすればいいと思う、入選か落選はそれからの話なんだし あとにわかは 140の過去スレうPをよく読んでからお越しください 150 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 22 03 45 ID LALhZm4W0 148 唐は建国したときから非漢族王朝でしょ。非漢民族と非中華を同一視しないことを求めたい。 南北朝時代から隋唐にかけて特徴的であったのは、非漢民族が中華帝国を形成したことにある。 例えば、杉山正明などは唐をタクバツ国家と位置づけているほど。 151 ○ sage 2007/04/19(木) 22 39 41 ID 3o9x59by0 142 自分としては 金が楚、斉と傀儡国家を立てて、統治させ自分たちは北方に戻っていたとしても それは金が中華北部を支配する手段の一つに過ぎないと思います。 だから金は統一政権として扱ってもいいと思いますが。 例えば南北朝の東魏、西魏には共に皇帝は存在していましたが、(孝静帝と文帝) 東魏は高歓が西魏は宇文泰が実際は影から支配してた訳なんです。 状況的には結構似てると思います。 それに高歓も宇文泰も支配しようする意欲がが無かったとは言えないでしょ? 実際に傀儡国家である東魏と西魏は高洋と宇文覚にそれぞれ併合されてます。 それと 142さんがチンギスを候補入りに相応しいと思うなら推薦文なり紹介文を挙げればいいんじゃないのかな? 152 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/19(木) 23 10 39 ID Ps/lvsnO0 148 粗の目立つ文章を改定していただいてありがとうございます。 自分の文章に責任持てと言われても、 自分視点からだとどう書き換えたものかわからんのですよね。多謝。 どーでもいいけど、丁寧語って疲れるわ。別段喋りよるわけでもないのに。 153 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 23 35 55 ID QZMqize90 149 新定義は 140を読んでから検討するよ。 その為にモリタポを購入して過去スレをうpした。 そっちもぐだぐだ言うのを止めてくれや。 古参のみが貴族化したスレなど不要。 入選の議論は開かれるべきだし、定義の検討は常に怠ってはならない。 154 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/20(金) 00 01 48 ID K+KiW1xh0 152 うあぁ、今気付いた。 “改定”じゃなくて“改訂”やが。俺はこーいうミスがやたらと多い。 155 105 sage 2007/04/20(金) 00 12 54 ID PCS1zf5Q0 148 文章修正乙です。 人物ベースの定義案が複雑で揉めるコトは判ってるから、(個人的には)と付けたんですが そこを理解してもらえてるのであれば、了解です。 ただ文章の正確さを求めるあなたならば、できればその旨をはっきり書いてもらいたかったです。 あくまで人物ベースの定義に固執しているかのように受け取ってしまってました。 153 定義の検討が大事なのは同意ですが、ここは中国武将とは何か、 を議論するのが主旨のスレではないのも事実。 定義論が主になってしまうようでは本末転倒です。 せっかく元まできててあと少しで一回りなので、ひとまずは現状の定義で清まで行くべきと思いますが。 その後、最終確定できてない部分や、確定組の見直しなど2週目のサイクルに入るはずなので、 その前に根本的に定義見直し議論の場を設けるということではいかがです? 異論のある人はそこまで定義案の推敲時間にしてもらうってことで。 156 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 04 42 10 ID ijKItsuG0 「意見の相違を受け入れるよりも、意見の相違を抑圧してしまう方が悪い結果を招く」 157 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 06 53 10 ID fZmu5ZmIO 153 過去スレをうpされた方ですか乙です >そっちもぐだぐだ言うのを止めてくれや。 >古参のみが貴族化したスレなど不要。 別にぐだぐだ言うつもりはないが文句言うばかりでは愚痴りたくもなるでじょ?それに古参のみが貴族化などしてませんが 入選の議論は開かれるべきだど思うよ、でも定義に関しては取り敢えず新法でいってみませんか? 不都合のある箇所は修正すればいいだけの話で異論があるなら代案なり、 修正案を出してくださいと言ってただけ 過去スレがうpされたからもう大丈夫だけど 以前は今までの流れが分からなかったら正直に聞けばいいだけなのに それを怠っている様な方が見受けられた感は否めなかった 俺は他スレで前スレが確認出来ない状態の場合は正直に教えて頂きたいと聞きますよ 普通は大体教えてくれる方がいますし、今まで流れが分からなければ聞けばいいじゃんと普通に思うけど またぐだぐだ言ってスマン 156 みんなは意見の相違を受け入れ様としているし、意見の相違を抑圧なんてしてるか? 捻た風に捕らえるのは良くないと思うが… 過去スレもうpされたんし、定義の不都合な部分も改正された ぶっちゃけそろそろ前に進みたいのだが… 158 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 07 12 00 ID AgQwTp+z0 じゃあ現行は旧法でいこう。 それ以前にココテムルは元じゃないのか? 彼の死とともに中原の失陥が確定された気がする。 確かに活躍したのは明初だけど、北元からのお客さん扱いも変な気がするが。 159 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 08 50 05 ID fZmu5ZmIO 158 >じゃあ現行は旧法でいこう。 ゴメン言ってる意味がよくわからないんだけど… アナタの言う旧法って隋唐まで適用された定義? それとも文章改訂前の新法の定義のこと? どっち? それによりいろいろと話が変わってくるんだけど 160 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 08 52 47 ID YmFEuclP0 ここで北宋の旧法派と新法派の争いが 161 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 13 25 23 ID 5vXvfyR80 張俊 群盗出身の南宋の名将。劉光世、韓世忠らがそうだったように皇帝即位前の 高宗に合流。建炎3年の金の侵攻ではその部隊の規模から積極的に 迎撃に出ることはなかった(但し他の将軍も似たようなもん)。 明受の乱を鎮圧する時は武官で中心的な役割を果たした。 その後宗弼の鋭鋒が陝西方面に向いている紹興1~4年の間に 各地の反乱勢力を鎮圧し軍勢を拡大。岳飛とともに李成、馬進を討伐。 宣撫使として国境地帯に駐屯し紹興4年9月からの金斉連合軍を 劉・韓両将と共に撃破。紹興6年に30万を号する金斉連合軍の南下に 際しても岳飛の軍や三衙軍(皇帝親衛隊みたいなもん)と共に 最も活躍した。 朝廷が劉光世の軍閥統制に失敗してからは東部防衛の最高責任者となる。 その時点で張俊の軍は最大の兵員を擁していた。 紹興10年からの金の侵攻に対しても善戦した。 しかし岳飛とは年を経るごとに不仲になっていき、秦檜の兵権回収に 協力したこともあり、その功績にも関らず不当に低い評価が定着してしまった。 他軍閥との連携も多く、南宋軍の中心的な役割を担っていた彼の戦略的立場は 岳飛小説などではすっかり岳飛のものになっている。 162 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/20(金) 13 43 34 ID SQuzy2fv0 沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です) 沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。 民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。 この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから… ※一国二制度 簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。 (つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。) さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。 3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。 そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。 今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。 自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。 発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。 163 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 15 40 15 ID uwmbANC30 チンギスの推薦文書こうにも、漢文が読めないから参考文献が元朝秘史だけ (読めもしない中文の元史とにらめっこしたが殆ど意味がわからない) で元朝秘史だけだとこうなる チンギス・カン (前略) 1211年、金国へ遠征。撫州、狐峠、宣徳府を抜く。 居庸関に到るまで敵軍を殺す。中都を包囲する。 1214年、潼関でイレ、カダという将を破る。 (後略) 対金戦の記述少ないなぁ(なんか食い違ってるところもある) 一応前スレ834にもチンギスの対金戦の概略は書いてあったが、 まっとうなのはちゃんとした人じゃないと無理か…… ただの歴史好きの理系学生の俺には手に余りすぎる 164 ○ sage 2007/04/20(金) 18 33 36 ID DTTgDqfg0 161 163 乙です 元朝秘史はフィクションの部分が多いですからね、記述が食い違ってるのは かなりいい加減な書物な為ではないでしょうか? 元史なんかも急造品みたいですし。 まあ自分もただの歴史好きの馬鹿なだけですし、大して漢文なんか読めません… このスレには五代を得意とする神と南宋・モンゴルを得意とする神が存在しますけどね。 以上寝言でしたw 165 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 18 56 35 ID UvqYF3jkO 寝言は寝てから言え 仲良しさんには気持悪いぐらいヨイショするわ、そうでない人の意見にはすぐ熱くなって喧嘩腰になるわで ○は本気でうざい 166 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 19 45 38 ID byUutMaK0 過去スレはどこで見れるのかな? 140の意味がよくわかんない 167 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 19 51 09 ID fZmu5ZmIO 俺もw 偉そうに言ってはみたもののどこのアップローダーか分からんかった・・・ 153氏お願い教えて 168 ◆RQdk7scN8s 2007/04/20(金) 20 03 48 ID VVhTjdec0 岳飛を誉めそやしているのは張浚という人なんだが 「岳侯,忠孝人也,兵有深機」 「岳侯神算也。」 とか、ベタ褒めなんすけど… この人について詳しく聞かせてくれる人はいないだろうか?(抗金名将のひとり?) 盗賊あがりの張俊も、最初は名コンビって感じだったけど 岳飛が最年少でもっとも戦功があって、しかも和平を巡っての意見の対立で、決裂したんでしょうかねぇ。 より権力をもった秦檜側についた張俊が残った、という感じ。 169 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/20(金) 20 13 50 ID VVhTjdec0 166 ロダはここです。 ttp //www6.axfc.net/uploader/16/ 今度から自分で探してみてね。 170 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 20 44 38 ID byUutMaK0 169 どうもありがとう。 171 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 21 20 53 ID fZmu5ZmIO 169 ㌧ でも携帯だからうPされてる内容が見れないorz 172 ○ sage 2007/04/20(金) 22 44 41 ID DTTgDqfg0 張俊は南宋の高宗の時代にに活躍した武将。字は伯英。 元匪賊で朝廷に帰順後、抗金戦にて活躍し、戦功を立て 岳飛、韓世忠共に抗金の三大将軍に数えられている。苗伝・劉正彦が乱を起こすと、韓世忠・呂頤浩らとともに鎮圧。 建炎元年、御営司統制官となり、三年には明州城を守り、金兵の来攻を阻止し、高橋にて勝利する。 その後、完顔宗弼が大軍を率い南下してくると、城を放棄逃走。 紹興初年、江淮招討使に任命される。 各地にて叛乱を鎮圧し、叛将李成を討つ。 紹興五年、淮西を宣撫し、斉の劉猊を打ち負かす。 十年には、部将の王徳を北上させ、亳州に勝利するも、高宗・秦檜の意を迎えて軍を引き帰させ、寿春に駐屯する 紹興十一年、劉?・楊沂中と合流して、淮西を援護し、柘皐で金軍を破った。 同年には和議に賛同し、軍権を返上し、枢密使に任ぜられる。 晩年には清河郡王に封ぜられ、太師に上っている。 高宗に寵愛され、死後に循王に追封される。 優れた戦術家だったものの利に敏い処があり、将兵の略奪を禁止しなかったり、 劉?を排斥や後に秦檜と結託し岳飛を讒言して逮捕の要因を作った。 別に馴れ合っては無いが投下してみた。 173 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/20(金) 22 54 23 ID VVhTjdec0 172 いや、それは張「俊」であって、自分が知りたいのは 張「浚」、あざなは徳遠という人なんです。 読みが一緒だから紛らわしいったらない。 174 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 23 13 56 ID 5vXvfyR80 168 その人は主戦派官僚として有名だが同時に初めての軍閥統制も行っている。 明受の乱に際して張俊が武官の中心的な役割を果たしたのに対し 文官の中心人物として鎮圧に貢献した。 明受の乱の後、陝西に派遣され富平で大敗北を喫するも戦時体制の整備などで 活躍した。 陝西で軍事政治を監督した後東部の国境地帯を指導することになった。 彼の指導のもと韓世忠や張俊、楊沂中は勇戦して金斉連合軍を撃破するが 当時最大軍閥であった劉光世が積極行動に出ず北進は遅々として進まなかった。 そのため劉光世を罷免したが後釜にすえられた人物が副将と対立し 殺害され、その軍団の大部分が斉に投降するという一大不祥事に発展。 この責任をとる形で解任されてしまう。 劉光世を罷免した政策は陝西で勇将の曲端を解任した政策を踏襲した ものであった。しかし当時の宋軍は大きく 前護軍(韓世忠の軍) 中護軍(張俊の軍) 右護軍(呉カイの軍) 左護軍(劉光世の軍) 後護軍(岳飛の軍) 三衙軍(楊沂中の皇帝親衛隊) 前護副軍(兵員が少なかった前護軍の補佐ということになる。詳細不明) で構成されていたが右護軍のみが旧北宋正規軍の流れを汲むもので 、そこで成功した政策が同じように他に通用するものでなかった事が 彼の軍閥統制が失敗した最大の要因である。 なお呉カイや劉金奇を抜擢したのもこの人。 175 ○ sage 2007/04/20(金) 23 30 23 ID DTTgDqfg0 173 失礼w 上で説明されてますがさっき間違えたので再投下。 張浚は張俊と同時期活躍した人物 政和年間に進士に及第し、 宋が抗州へと遷都後に国内の叛乱鎮定に転戦し、後に知枢密院事まで出世したが講和派らに排斥された。 劉?・楊沂中と共に淮西を援護、柘皐で金軍を破っていたりする。 176 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 23 47 43 ID 5vXvfyR80 あと劉キ(金奇)についてだがマイナス要因がある。 順昌府での戦勝以外はあまりパッとしないのに加え、順昌府の戦いで も知府の陳規が >4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 22 02 26 ID 6820HRkf0 >南宋初期の陳規 >もとは安陸の県令だったが文武諸官が逃走する中で住民に請われて残り >徳安府の行政と軍事を所轄するようになる。 >その地をおびやかす勢力から9度の防衛戦を戦いことごとく >耐えぬき守りぬいた。優れた政治家として、優れた防衛の将として >その才能を評価され最後の戦いでは順昌府の知府として劉錡と共に >防衛にあたる。 >劉錡なくしてあの大勝利はなかったであろうが、かといって劉錡がいなくとも >宗弼が順昌府を落せたかどうかはあやしい。 >講和が成立した後も文官であった事から順調な人生をあゆむ。 >単に清廉潔白な官僚と記憶されることが多い。 というように隠れた名将であること。つまり単独の見せ場に乏しい 177 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 03 19 41 ID oowaX0dDO 韓世忠はたった八千で金の完顔宗弼率いる十万の大軍を 退路に潜んで追撃し打ち破ったりしてるけど なんか数々の戦功が梁紅玉夫人とセット扱いされてるような希ガス ここでの評価としては張俊>韓世忠? 178 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/21(土) 07 10 50 ID dt26H9NUO 守備に回って領土を守り抜いた人物と、外部に打って出て 勢力拡大した人物とでは、後者の方が評価され易いため、 抗金の武将の中には不利な面がある。 これを言っちゃおしまいだが、たかがお遊びのスレで、 確定したから偉く、落ちたらダメなんてないんだから、 無理してねじ込む必要もあるまい。 179 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/21(土) 09 40 16 ID 1Noo2fNN0 174 感謝。唐の王忠嗣のような人か。 この時期は俯瞰しきれていないので、助かります。 175 サンクス。お手数かけました。 検索してもコレといったのがなくて。 178 それはそうだけど、やっぱり確定になると後々の印象には残る だから必死になってしまう。 しかし個人的に今は、候補に挙がるような未だ知らぬ人物の紹介こそ このスレの本質と思ってしまっている。 もっとしゃべって… 180 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/21(土) 10 41 55 ID +BVsWw6t0 177 韓世忠の軍は兵員が他より少なかったから大局的な評価だとどうしても 張俊>韓世忠 ということになる。韓世忠は他軍閥と協調姿勢を見せることが多かったが 本人の性格もあっただろうが軍の規模もその理由だったであろう。 自分としては抗金の名将に 岳飛:英雄 韓世忠:武人 呉カイ:軍人 張俊:政治家 というイメージがある セット扱いで思いだしたが呉カイも随分呉リンとセット扱いされているが、 南宋建国期の抗金戦争中は呉リンは副将格にすぎず、現に呉カイの死後 その軍は同じく副将であった楊政や郭浩と呉リンがそれぞれ継承し 宣撫使に胡世将を迎える形で処理されている。 181 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 12 59 36 ID u/tGwffr0 宋滅亡以後の将の名が挙がってないからいろいろネットで調べてみたが これぞってのがいない。というか資料が少ないorz漢文は読めないし どうだろうって思うのがカイシャン(海山)なんだが詳しい人いればご教授を 自分でわかったのは 長年元に叛き続けたハイドゥをカラコルム、タミールの戦いで連破。ハイドゥは傷を負って死亡 その後ハイドゥ派の分裂に乗じて、アルタイ山脈を越えメリク・テムルを降す 即位後の政治能力にはかなり?が付くが武将としてはかなりのものだと思ったので 182 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 13 28 41 ID oowaX0dDO ・・・まさかこんなに波紋を呼ぶとはorz 178 岳飛、張俊の推薦文が挙がってるからって 別に俺は韓世忠をねじ込みたいとかじゃなくて純粋にセット扱いされてるが 可愛そうだなと思っただけで… つーかこのスレじゃそうゆう人物不利でしょ? だから張俊>韓世忠になるのかな?と単純に思っただけ 韓擒虎と賀若弼も下手すりゃセット扱いされてたし… 180 ㌧ いい勉強になりました 183 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 15 54 29 ID pB9TdzsFO ウィキペディアを見てたんだが、書いてあることが事実ならチャガンテムルは有力な候補になると思う。 養子のココテムルは次の時代になるだろうか? 184 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/21(土) 17 01 42 ID OMN1tw6R0 韓世忠(あざなは良臣) 延安の人。雄偉な体躯と雷のごとき眼光を持つ。若くして勇猛なこと絶人、馬を御するの技に長けた。 貧農の家に生まれたが家業を継がず、酒を飲んでばかりいた。 18歳のとき募集に応じて兵となる。強弓を引き騎射に優れ、勇は三軍に冠絶した。 靖康の変後、康王(高宗)を済州まで護送。 金軍が大暴れして手が付けられない状況下で韓世忠は西王台に割拠、力戦して金軍の勢いを削いだ。 翌日、数万の大軍を率いて再戦に打って出た金軍をわずか一千の寡兵で迎撃、敵中に突撃して力戦し、金軍を破る。 元節、長江の海戦でウジュと大戦の約束を交わす。 双方十回の戦いを経て勝負はつかず。韓世忠は利なしと見て退却しようとするウジュの退路を断ち、 黄天蕩で48日間、優位に戦を進める。ウジュは和睦を持ち出したが韓世忠は 「それなら徽宗、欽宗陛下を返せ」 とにべもなし。数日後、風が止まったのを見て取ったウジュは外輪船の強みを生かして的中突破、 それを阻もうとする韓世忠麾下、孫世詢と厳允が金軍の放った火矢のために死んだ。韓世忠は軍を収容し、楚州鎮江に戻った。 このときのウジュと韓世忠の兵力差、10万対8千。 同年建安の范汝為の反乱を平定、 捷報を聞いた高宗は「古の名将といえどなにをもって加(くら)べるか」と狂喜した。 さらに同年、各地の反乱平定に奔走、投降したものを自軍に取り込み、兵士18万を得た。 建康に帰還後兵士を再編成、驍勇絶倫の士をもって編成された“背嵬軍”を創立する。 紹興四年、劉豫と金軍が合同で南宋を犯した。韓世忠は詔書を下賜され自分が頼られていることに感涙、 鎮江から長江を渡り、解元らを派遣してまず金軍に一撃を食らわす。自らは後方に高い柵を立て退路を断ち、決死の決意を明らかにする。 五箇所に陣を敷き二十ヵ所に伏兵を設けて会戦に挑んだ。伏兵により金の別将撻孛也および将兵二百余人を擒らえ、 背嵬軍を率いて金軍を潰滅させる。そのうえで解元ら先遣隊の救援に赴き、大いに戦い大いに勝って女真族千余を擒らえた。 淮水に沿って追撃に移り、四分五裂した金軍を斬り捨て、淮水に落とし、使者無算という大戦果をあげた。 高宗より“中興の武功第一”と称えられる。 紹興六年十月、淮河を渡って金将・訛里也と激戦。しかし淮東を劉猊に扼されたため前進を阻まれた。 軍を移して山陽に駐留、三頭の豪傑たちに渡りをつけ、共同して金・偽斉の軍を駆逐する策を立てる。 今を逃せば北伐の機会はない、と朝廷に念押ししたが、和平派・秦檜の命令で鎮江に戻ることとなる。 和平に利のないことを十条の上奏文にして奉じたが、握りつぶされた。 一応の和議が結ばれて間もない紹興十年、金は盟約を破棄して南進を再開、ウジュが麾下の将軍たちを引き連れ三路から侵入して三京を奪う。 淮陽を囲んでいた韓世忠のもとに金の援軍が訪れるも、韓世忠は加口鎮でこれを迎撃、打ち負かす。 部下を派遣して潭城でも捷ち、千秋湖でも勝った。さらに淮陽城を抜く。英国公に封ぜられた。 紹興十一年、濠州危急の報せを受け援軍として出陣、しかし出立から五日目には城が落ち、韓世忠が到達したのはその三日後。楊沂中が南に逃げた後だった。 韓世忠は淮河の岸で金軍と戦って勝ち、部下を遣わして金軍の動向を調べる。 赤龍洲に寨を築いていると知ると全軍回頭して金軍を攻めた。金軍は渦口から淮北を渡り去り、以後二度と淮河近辺を侵すことをしなくなった。 韓世忠は楚州にあること十余年、兵はわずか三万でしかないにもかかわらず、金人に畏れられた。 同年四月、枢密使とされて軍権を剥奪されて引退、その後湖のほとりに東屋を建て、自ら清涼居士と號し悠々自適の人生を送った。それから十年で没。 死後皇室より朝服、貂蝉の冠、水銀を下賜され、皇陵に倍葬された。 185 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 18 10 21 ID EmteMphF0 すいませんどなたか呉カイと呉リンについて詳しく教えて頂けませんか? 186 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/21(土) 20 18 49 ID r0BhOqjs0 呉玠だけですが。 呉玠(王+介。字は晋卿) 若くして物静かで節度があり、兵法を知り騎射をよくした。読書を好み、熟読するのではなく大略を掴むのを善しとした。 家柄により未冠の年で軍属となり、しばしば西夏の軍と戦って戦功を上げた。方臘の乱平定にも活躍している。 建炎二年、黄河を越えてやってきた金軍に対して都統制曲端の先鋒として出陣、青渓嶺の戦いで金軍に逆撃を喰わせ、 三十里にわたって追撃した。金軍が伸安府を攻めると曲端に従って現地に急行、華州攻めを任されてその命を果たした。 建炎三年冬、大賊・史斌が漢中攻めを企むと、曲端の命令を受けてこれを伐った。宣撫処置使・張浚の覚えめでたく、 その場で統制の位を授かる。四年春、金の元帥・婁宿と撒里喝が長躯入関すると、彭原でこれを迎え撃つ。 呉玠は見事撒里喝を打ち破り、撒里喝は恐懼し泣いて退却した。そこでついたあだ名が「泣き虫(啼哭)郎君」。 盛り返して再戦を挑んだ金軍の前に、今度は呉玠が敗北する。曲端は涇原までの撤退を命じたが呉玠は聞かず、 曲端の節度下を離れる。曲端は呉玠の官籍を削ろうとしたが張浚は呉玠の才能を惜しみ、罷免の訴えを取り下げた。 その後戦火に巻き込まれた被災者たちを助けてしばらくをしのぐ。 建炎四年九月、金軍との一大決戦に参加するも敗北。しかし残存兵を集めて和尚原まで下がり、金軍を隘路に誘い込んで 上から岩を落とす。馬が使えなくなった金軍は周章狼狽して呉玠の前に大敗。さらに営寨を黄牛に移して仕切りなおすが、 台風と雹に出会った金軍はほうほうの体で逃げ去った。 巴蜀の地は朝廷から遠く、人々の志も固まらず、そんな土地であるから呉玠・呉璘兄弟が金に投降することを恐れた大臣が 現れた。呉玠は諸将とともに血盟して忠義の証とした。士卒はみな感涙し、呉玠に用いられることを願った。 張浚はこれを壮とし、呉玠を陝西諸路都統制に任命した。同年十月、ウジュが十万の兵を擁して和尚原に攻め入る。 呉玠は隘路に伏兵を敷き、崖の上に弓・強弩の扱いに長けた士卒を選抜して設置する。金軍は伏兵にかかって大いに乱れ、 上から飛んでくる矢に次々倒されて統制を失い、そこに呉玠の本隊が縦横に突撃してくるとなったらもはやなすすべなく敗走するしかなかった。 紹興二年、撒里喝が上津攻めると、呉玠は河池から三百里の距離を走って現地入り。敵の指揮官に呉玠がいると聞いて、撒里喝は顔色を失った。 饒風嶺で交戦、山頂に布陣する南宋軍は重い鎧を身につけてゆっくり上ってくる金兵を次々倒し、呉玠は弓を乱射しながら巨石を落とす。 死体の山が出来たが金軍は退く様子を見せない。呉玠は決死隊五千を募り、彼らにそれぞれ銀一千両を支給し、祖渓の小道に入から饒風嶺の 後背に入り、高みに乗じて敵を殲滅するよう命じた。この策が成功し、これをもって金軍は完全に潰滅、潰走した。 紹興四年二月、仙人関で金軍を翻弄、矢を雨のごとく降らす新兵器(正式名称が分からん。知っとる人がおったら教えて)を使って屍の山を 築く。金軍も負けじと震天雷を寨に投げ込む。翌日、呉玠は先鋒に王喜、王武を起用、精鋭を与え金の営寨に突撃させる。 速攻戦術に驚いた金軍は浮き足立ち、そこに呉玠率いる本隊が突撃、韓常が弓兵隊を仕切って矢を射掛ける。金軍は恐れおののき我先に退却、 南宋軍の勝利であり、呉玠はこのときも南宋の土地を一片たりと掠取させることがなかった。 十年以上にわたる戦場生活の中で民生にも意を用い、百姓を傷つけ、苦しめぬよう細心の注意を払い、しばしば問題ごとの裁決も行った。 屯田を興し、毎年十万国の収益をあげてそれを軍費に当てた。同年、仙人関で病死。享年四十七才。明集を賑恤するに熱心な人物であったが、 それでも余財が銀30万両ほどあったという。晩年は酒と女に溺れ、才覚も落ちぶれたという。 187 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 08 34 ID +BVsWw6t0 186 >矢を雨のごとく降らす新兵器(正式名称が分からん。知っとる人がおったら教えて) wikiのリンクから宋史を読むところをさがして読み (ttp //www.hoolulu.com/zh/25shi/20songshi/t-index.htm) その他いろいろ自分が持っている本などを参考に考えたのですが、 それは列伝第125の「璘以駐隊矢迭射,矢下如雨」 が該当部分だと思いました(違ってたらごめんなさい)。 多分その部分は呉リンが考案したジョウ陣という陣形で、 最前列に長槍、第2列に強弓、第3列に強弩、第4列に神臂弓という強化版の 強弩を持つ兵士を配列させ4→3→2・・・という風に間断なく攻撃を 加えて攻撃する戦術だと思われます。 (参考文献「武器と防具 中国編」新紀元社刊) この他にも陝西方面軍は 「玠急遣統領田晟以長刀大斧左右擊」(列伝125)というように 金の重装騎兵部隊に対抗する長刀や大斧(重量が5~25kg相当) を先駆けて配備しており、それが他の軍閥に大いに参考になったことは 想像に難くないです。但しこの戦術は迎撃に力を発揮したものの追撃には 不得手であり、その場で大勝利しても追加効果はあまり期待できないものでした。 この頃の南宋の将軍は戦術面でも創意工夫を凝らしており 韓世忠は神臂弓を改良した克敵弓を考案し、 陳規(列伝136に伝)は史上初めて火槍(先端に簡単な火炎放射機能をつけた槍) を使用したそうです。 (いずれも前出・新紀元社の「武器と防具 中国編を参照」) 188 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 32 44 ID gg3zCXI50 チンギス・カン 1211年2月に南下し定薛を野狐嶺で破り帰還。秋に再度南下しジュチ、チャガタイ オゴタイの三人に山西北部を襲わせ、自らは貛児嘴で紇石烈胡沙虎、完顔兀奴の軍三十万を 破り、これを聞いて退却した後続の完顔胡沙を会河で捕捉し殲滅した。この後守備隊 が逃走した居庸関を通過し中都に迫るが、城内の金軍の奮戦にあい撤退。冬に金の牧場を襲い 馬群を奪った。この年の冬は内蒙古に駐留した。 1212年春、宣徳府を占領し徳興府に進むが敗北し退却。トゥルイが徳興府を奪取して 帰った後、金軍がまた奪還する。秋に西京を囲み、来援した奥屯襄を密谷口に誘い込み反撃 して破る。奥屯襄は僅かに身一つで逃れた。再三西京を攻めるも落ちず、チンギスが矢にあたった ため囲みを解いて撤退。 1213年秋、徳興府を抜き懐来に至り、完顔綱、術虎高琪の兵十万を破り、死体が地を覆うこと 四十里(20キロ?)。居庸関に進むも金の精鋭が死守しているため抜けず。密かに迂回して紫荊関 を急襲し五回嶺で金軍を破る。軍を三つに分け、三皇子が右翼となり太行山脈に沿って河北を南下し 黄河に至る諸郡を抜き、反転して山西を襲う。弟カサル等を左翼として河北北部、遼西を攻略。 チンギスはトゥルイと共にみずから中軍を率いて河北東部から山東北部の諸郡を取って還る。この年 黄河以北で金の手に残ったのは中都を含む十一城のみだった。帰還した三軍は中都近郊に集結して 金の朝廷を威圧する。 1214年の三月に和議が成立してモンゴル軍は北に去ったが、五月になって金が開封に遷都したため 軍を送って中都を包囲し翌年五月に陥落。 1216年にチンギスはモンゴルに帰還。 チンギスの伐金は史料ごとにかなり記述が食い違うので、つじつま合わせるのがえらく難儀でした。 これで正しいか正直自信ありません。 1213年の侵攻の際には黄河以北のほぼ全てを奪取していますが、上で書かれているとおり 土地に興味のないモンゴル人は北に引き上げるときにほとんど放棄しています。チンギスが西に出かける 前に確保していたのはほぼ燕雲十六州に相当する地域だけだと思います。 189 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 50 56 ID pB9TdzsFO チャガン・テムル ttp //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A0%E3%83%AB 上でも書いたがウィキペディアなんで鵜呑みにするのもあれだが まあまるきり嘘ってわけでもないだろう。 あとは正史持ってる人なりこの時代に詳しい人に添削してもらうことにして、とりあえず推薦ね。 190 ○ sage 2007/04/21(土) 22 54 57 ID mzyLXI/v0 187 それは連弩を改良したものでは? もしくは床子弩、床弩と呼ばれる、 西洋のカタパルトに相当するものがあるとwikiには載っています。 連弩は中国では戦国時代から使われ始め、南宋期に最も使用されましたが、 元代に入ると火薬を利用した砲や火器などが導入され、 戦場から姿を消していった様です。 また明代には10発の矢を連射できる諸葛弩と言われるものが存在した様ですよ。 191 ○ sage 2007/04/21(土) 23 48 49 ID mzyLXI/v0 察罕帖木兒(チャガンテムル) 字は廷瑞。 代々河南に定住するナイマン出身のウイグル人で、 至正十二年に紅巾軍に対して自衛軍を結成。 李思斉とともに羅山の紅巾軍を打ち破り、朝廷に帰順して華北を確保した。 その功により汝寧府達魯花赤に任ぜられた。 また河北河南で幾度となく紅巾軍を撃破し、功により河北行枢密院事へと累進。 十七年には陝西に援軍として馳せ参じ、鳳翔で紅巾軍を撃破、関中を平定する。 十八年に軍を率いて京師に入りし、兵を晋南・太行の隘地に分屯させた。 陝西行省右丞・陝西行台侍御史・同知河南行枢密院事となる。 十九年、梁の大宋紅巾軍を攻め、開封を陥落させて紅巾軍の統一を崩壊させた後、 軍を返してボロテムルと山西・河北で争った。 二十一年、山東の紅巾軍の内紛に乗じて、兵を五路に分けて進撃し、 田豊・王士誠らを降す。 二十二年、山東を転戦し益都包囲中の最中、田豊・王士誠に刺殺される。 192 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/22(日) 00 08 21 ID e0LQrcakO さんくす。で、どーよ?確定かどうかはこれからだとして候補入りは間違いないと思うが。 このまま行くと抗金の将と金将で半分以上行きそうだからな。 それはもったいない 193 ○ sage 2007/04/22(日) 00 53 34 ID DgLVGMEW0 192 いいんじゃないでしょうか察罕帖木兒(チャガンテムル) 自分は大して詳しくないので偉そうな事、言えませんが 元と言えばバヤン、トゥルイ、アジュとかに目が行きがちですが この武将は掘出し物って感じですかね? よくぞ見いだしてくれましたねってところじゃないでしょうか。 ◆oOLAqFKRB.さんにはモンゴル武将をもっと紹介して貰いたいです。 194 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/22(日) 00 56 23 ID dgvngNYl0 187、ジョウ陣に 190、床子弩か。知らん事あったら教えてもらえるのが ここのいいところやわな。多謝。 192 抗金名将と金将の隙間をかいくぐって、俺は蒙古からトゥルイ、元からアジュ の二人を推しときます。トゥルイから統帥権を受け継いで最終的に金軍を蔡州 に追い詰めたスブタイもいいんやけど、三人推薦は多すぎやろーから上記二人で。 ところでいま空き枠いくつあるんやっけ? 暫定の郭侃外して5枠? そんだけ空けば入るべき人が残るやろ。抗金名将について知りたかった人も 推したいから知りたい、ってより知識として知りたいって感じやったし、 宗沢、岳飛に張俊、韓世忠、呉玠が伍するってわけでもなかろう。 新候補として挙がるのはチャガンテムルぐらいやと思う。 ・・・ところで俺の紹介文、やっぱあれでも長いかな? 訳文を削りに削り、文のニュアンスから可能な限り短い文章になるよう 注意しとーつもりなんやけど、どうしても1レスギリギリの文量になる。 まぁ、2レス3レスにまたがらんように気をつけとーから 許して欲しいところなんやけど、それでも長文やから、気を悪くする人おるよなぁ。 以上、駄文失礼。 195 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/22(日) 01 19 17 ID dgvngNYl0 連投。 193の○さんへ。 モンゴル武将をもっと、ということやけども、 俺も南宋滅亡後の元将はほとんど知らんのですよ。 頭ん中でこの時代は南宋成立~その滅亡、までで区切られとーから。 史天沢とか董文炳とか耶律阿海あたりなら挙げられるけど、 新鮮味はないしみんな知っとる有名人やから今更やしね。 それに史書を翻訳→自分の文章に→冗長な部分を削って落とすって作業は疲れるんよ。結構。 196 ○ sage 2007/04/22(日) 07 44 21 ID DgLVGMEW0 194 >三人推薦は多すぎやろーから上記二人で。 あれだけモンゴル武将に拘った訳ですから三人推すべし。 長文については昔、指摘しましたがこれ以上は縮めるの無理みたいだし、 情緒を大事にしてると言ってたので文句は自分は言いません。 推薦文を楽しみにしてる人がいるはず、煽りはスルー汁べし。 195 南宋が得意と1スレ目で公言なさってたから、 勝手にモンゴル武将はオールおKと脳内変換済みでした。 それに推薦文挙げる作業はしんどい気持ちは良く分かります。 無茶振りしてスマン・・・ あと個人的には張弘範、阿里海牙(アリハイヤ)、 完顔陳和尚、bヨ雷(トゥルイ)、察罕帖木兒(チャガンテムル)を推します。 特に完顔陳和尚はbヨ雷(トゥルイ)に負けてますが モンゴル軍相手に暴れ回った活躍振りは称賛に値するはず。 197 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/22(日) 09 01 30 ID +mtSmey6O 179 張浚は王忠嗣とは違う。張浚は文官。 その方針や施政は誤りもあり、現実と現状を無視して金に攻め入らせたりしてるが、 王忠嗣は無用な戦を止めるように進言してる。 彼が見いだした武将が唐朝を救い、中興を果たす役割を担ったように 自身の武勲、実績はもとより、その言行にいたるまで、名将の名にふさわしいものだった。 大袈裟な話、南宋の主戦派だからと「張浚は宋沢みたい人」と 言ってるのと同じぐらいムチャクチャ。 181 元から武宗まで入ると、元朝の短い期間から、成立期、中期、末期まで すべてフォローされることになる。 即位の過程から、オゴタイ汗国と元は抗争を重ねており、 フビライ、バヤン死後の混乱に乗じようと、オゴタイ汗国のハイドゥが 国力をあげて攻めてくると、ハイシャン(後の武宗)が 完膚なきまでに打撃を与え、これを撃退。 成宗死後の相続争いで、叔父のアナンダに勝ち、敗死させて自ら帝位についた。 在位わずかに4年の享年31。あたら有為の才能をもちながら、酒と女に溺れて身を崩したと言われる。 198 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/22(日) 11 16 31 ID 0Oqgf0RBO 187 ttp //w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-211-2p.html ↑ここにそれらしき武器が記載されてるよ(知ってたらスマン) そのサイトにも書かれてるけど諸葛亮が元戎なる新兵器(それは連射可能だったみたいだよ)を三国時代に 兵力を補う為に考案したと昔、なんかの本で読んだ記憶が… 199 ○ sage 2007/04/22(日) 19 10 41 ID DgLVGMEW0 史天沢、董文炳、耶律阿海以外にどんな武将がいるかちょっと調べてみたので、 参考程度に投下。 バルジュナ湖の十九功臣の一人で 対ケレイト戦でや金遠征では忽察虎破り、征西の際にムカリの副将となり 劉黒馬・史天沢らを率いて金と戦った、 元の契丹人武将で耶律阿海の弟である耶律禿花。 遼が滅亡後も華北に留まり金に抵抗し、 後にチンギス=ハーンに降り、ムカリの下で遼東攻略の手柄を立て、 ムカリの華北攻撃に参戦中し攻城戦の際に砲石に当たって命を落とした、 武略に秀でてた石抹也先。 モンゴル降伏後、義兵の清楽軍を率いムカリの許で各地を転戦、金の武仙を降伏させるが、 南宋と内通していた武仙に殺ろされた、元の重臣史天沢の兄である史天倪。 モンケの南宋遠征に従軍して戦功を立てた耶律楚材の子である耶律鋳。 変わりどころなら回回砲(投石機)製造に従事し、 アリハイヤの伐宋戦に従軍し樊城・襄陽を陥落させ、潭州・静江などの城を破った、 ペルシア人のアラー・ウッディーン(阿老瓦丁) うーんモンゴル人はやっぱり有名どころがほとんど挙がってるからいませんでした。 200 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/23(月) 22 16 17 ID unT4+AwWO そろそろまとめに入って次の時代に行こうや 201 ○ sage 2007/04/23(月) 22 44 43 ID Dnk/XawD0 186の >矢を雨のごとく降らす新兵器について 自分もさらに詳しく調べてみたところ床子弩、床弩の種類に 神臂床子連城弩、双飛弩、三弓弩と言うのがあるみたいです。 この三つのどれかではないでしょうか? ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sinheki.htm ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/souhi.htm ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sankyuu2.htm ちなみに 187さんが言ってる神臂弓がこれ ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sinhekido.htm 198さんが言ってる元戎がこれ ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/rendo.htm あと劉整の推薦文を挙げたいのだが準備が整ってないんですorz 202 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/24(火) 06 30 07 ID +6t4NV5xO 劉整 金の乱を避けて南宋に亡命。孟王共のもとで驍将となる。 愈興に嵌められ粛清されそうになり、モンゴルに亡命。 アジュと共に南宋を攻め、呂文煥を降伏させる。 その後も転戦するが長江を渡ることはなく没した。 こんな感じ。こんだけ端折ると、かえってイメージわかないか… 203 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 11 43 02 ID oZsdvqxL0 百度百科によると、孟珙の生年は1195年になってるね。 http //baike.baidu.com/view/67145.htm 204 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 19 17 34 ID Tt5Y20ix0 現行確定人数 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間)> 9 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間)> 9 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) >9 三国~両晋(220年~439年 219年間) >9 南北朝(439年~589年 150年間) >10 隋・唐(589年~907年 318年間) >10 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) >10 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) > 明(1368年~1644年 276年間) > 清(1636年~1912年 276年間) > 205 ○ sage 2007/04/24(火) 22 18 04 ID SCTYiMXU0 劉整 字は武仲。騎射を得意とした。 金での戦乱を避けて南宋に亡命する。 孟[王共]の下で驍将となり、潼川安撫使・知瀘州軍州事に累進。 金が南下すると趙方の部下として出陣し奮戦する。 しかし、司令官の呂文徳らとそりが合わず、 また兪興に貶められて粛清されそうになったため、モンゴルに投降。 府行省兼安撫使に任ぜられた。 兪興を攻め破り、南京路宣撫使となる。 至元四年、アジュと共に軍を率いて襄陽攻略戦に参加し功績を立てる。 十年には樊城を陥落させ、襄陽の呂文煥を降伏させた。 功により行淮西枢密院事となる。 十二年、兵を率いて淮南に出撃したが渡江を果たせず、行中書左丞の地位のまま亡くなった。 202さんがこんだけ端折ると、かえってイメージわかないか… と仰ってるのでもう少し詳しく劉整について挙げてみました。 個人的にはアジュ、トゥルイ、張弘範、完顔陳和尚が確定でいいのではと思います。 うーんアリハイヤ、チャガンテムルも捨てがたいですね。正直迷っています。 206 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 22 39 58 ID u5e5Rgbm0 205 完顔陳和尚は実績不足じゃね? いくつかの局地戦で勝っただけだし、結局大勢を覆せなかったわけだし。 207 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 23 59 09 ID KLstqQiRO 抗金将たちもじゃね? 208 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 05 17 54 ID PG1Ac2DX0 このスレの定義なら局地戦の手腕だけでも入選には十分です。 スブタイとモンゴル軍団相手に、十分の一の戦力で勝ち星を挙げるなんて千年に一度の奇功ではないでしょうか? また、金は南宋以下の国力にもかかわらず、蒙古に隣接し、頼むべき天険もありません。 単純な戦力でも蒙古とは比較になりませんし、南宋を背後に抱えていては注意を二分せざるを得ません。 この亡国必死の状況で大局的な結果を要求するのは無理が有り過ぎます。 私ならさっさと蒙古に降伏するか、南宋に亡命するでしょう。 強敵相手に男を見せ、圧倒的な大勢力の進撃速度を己の将器を以って遅らせたこと。 それだけで十分に入選の資格は有ると弁護します。 209 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 13 37 30 ID Sj95AF4rO 周瑜、謝玄、韋叡、抗金名将達、ココテムル以下なのは間違いないな 210 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 15 52 23 ID 2rYlZ1grO 209 韋叡、ココテムルはともかく、周瑜、謝玄よりは下でじゃないだろ。 あと抗金名将は上下の差があるけどな。 それと同じ時代枠以外の武将と比較するのはナンセンスじゃねえの? 211 ○ sage 2007/04/25(水) 22 25 38 ID RZMxFa300 完顔陳和尚はたった400の軍勢で蒙古屈指の名将スブタイ率いる8000を打ち破ってる点や 河南・陝西にてモンゴル軍を相手に暴れ回り快勝を重ねていたり、 最終的にトゥルイに負けるまで蒙古の金侵略を食い止めていますし、 完顔陳和尚の功績はかなりのものではないかと思いますが。 212 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 12 38 53 ID FDDc5HdM0 210 同時代枠といえど百年の開きがあったり、 さらには勃興期の将と滅亡時の将を比較したりと現状は既にナンセンスなわけで 他時代ともある程度はバランス取らないといけないと思う 完顔陳和尚は候補止まり。 400で8000を撃破したっていっても、謝玄はヒ水の戦いに勝ってもランクインせず 正史か演義か忘れたけど張遼は800で10万しばいた その存在は奮戦したけど駄目でしたって言う亡国の悲哀を彩る武将って感じで 南宋の張世傑、演義における蜀漢の姜維と同程度ではないかと 他に人いなきゃ入れてもいいと思うけどね 213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 12 57 37 ID 0nVwOOWp0 完顔陳和尚に関しては、相手の質も評価に影響してるんじゃないの 当時最強のモンゴルの、その中でも最強クラスのスブタイを20分の1の兵力で撃退とかそういうの 214 210 sage 2007/04/26(木) 18 14 53 ID dalfdSpPO 212 そもそも同じ時代枠の中で無理矢理に優劣を付けようというのがこのスレの趣旨な訳でそこは理解してもらわないと。 今まで同じ時代枠の中で争って来たんだから 他の時代の武将と比べるのは俺はナンセンスだって言ったんだよ。 状況の似てるあの時代の武将が落ちてるんだからこいつも落とせというのはちょっと違うと思うし。 合肥の戦いで張遼は李典か楽進と呉の十万の軍勢を相手に戦っているとは云え一部を突き崩した程度だろ? 謝玄のヒ水の戦いでは前秦側のミスに助けられた部分が大きい。 呉軍も前秦軍も戦意が高揚してなかった訳だし、 陳和尚の方が条件がはるかに不利じゃないかな? 陳和尚は四狗の一人であるスブタイと当時、世界最強であったモンゴル軍を打ち破った実力を評価しているんだし。 それに南宋の張世傑はともかく、蜀漢の姜維の戦績はいまひとつだよね? 同じ次元として扱うのはどうなんだろう・・・ 陳和尚が十傑入りに相応しくないと思うなら 代わりの相応しいであろう武将を挙げてみてよ。 その方が議論しやすいと思うけどね。 215 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 17 52 ID 3NXwludm0 張世傑がともかくで姜維が今ひとつの差は何だろう? 似たようなもんこの上ないと思うんだが 216 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 47 37 ID gE/bzXdUO 400対8000がクローズアップされすぎで一発屋感が今だ拭いきれてない。 確かに凄いが率いた兵400ってのも少なすぎるわ。 過小過大スレや能力値スレとかで趙雲の統率が下げられるのと似てるかな。 他で勝ったと言っても規模や相手が推薦文からじゃわからんし。 確定にしたい人はもう少し頑張ってプッシュしなさいな。 217 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 58 03 ID dalfdSpPO 215 スマン張世傑を韓世忠と素で勘違いしてた 216 だから陳和尚が確定に相応しくないと思うなら代わりの相応しいであろう武将を挙げてみなさいよ。 218 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 20 10 28 ID gE/bzXdUO 代わり代わりってうるさい。反対してる奴の説得も出来ない癖に。 候補に残ってる奴は大概陳和尚より上だろうよ。 国も救えないような将軍はこのスレにはいらん。 219 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 21 27 35 ID FDDc5HdM0 少数で多数撃破ってのも 184見る限り韓世忠もやってるな 抗金名将からは多すぎるっていうのなら元中期からカイシャンかな 敵国の侵攻を防いだ点は完顔陳和尚より上だろうし 彼が負けてたら元がなくなるか南元ができてそうw フビライの高麗侵攻は元成立以前だからアウト? 隋が失敗して唐も苦労した半島進出に成功してるってのは かなりのプラスになりそうだけども後方総指揮じゃだめかな 誰が前線指揮だったんだろうか 知ってる人いる? 220 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 22 07 37 ID nih0KNwA0 功績なら南宋戦で活躍したアジュだな。 残り一枠はアジュでいいんじゃない? 221 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 22 22 41 ID nih0KNwA0 ごめんアジュじゃなく対金戦で活躍したスブタイを残り一枠に推すよ。 222 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/27(金) 06 27 45 ID jj9y3WUVO 張弘範は詰み状態の南宋を滅ぼしただけじゃないか? ならカイシャンは、フビライのウルス=元朝を外敵から守り、 アルタイ山脈方面まで外征し、共に戦果を残してる。 張弘範よりカイシャンを推す。 223 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 06 56 06 ID 7hiTYa3o0 一発が凄すぎるから完顔陳和尚を推したんだが。 全盛期ホラズムさえも瞬殺されるのに、 瞬殺を秒殺くらいにまで遅らせた陳和尚を「国も守れんヤツ」扱いは酷い。 蒙古帝国をも過小評価しているように思うが。 近代以前では史上最強の戦争集団なのに。 224 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 11 00 43 ID xIm6SS1DO 瞬殺を秒殺ってそりゃ五十歩百歩 モンゴル軍はたしかに強かったかもしれんがエジプトのバイバルス 大越のチャンフンダオ、日本、ジャワと勝ってるところもあるし 中国の対モンゴルの名将は孟[王共]でいい 陳和尚ごときを孟[王共]と同列に扱うってw それとモンゴルを過小に扱ってないからな どんなに注意しても小石につまづくこともあるしね 225 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 11 35 58 ID 7hiTYa3o0 孟珙でも金においては完顔陳和尚以上の仕事は出来ないだろ。 南宋、金、元>>>>>女真、蒙古 このスレ的には↑の順に決めるべきだ。 病んで滅亡寸前の国と史上稀に見る拡張期の国の将を並べるのはおかしい。 226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 12 25 27 ID GhBSHs0b0 騎兵戦でモンゴル(しかもスブタイ)に勝った意義はあると思う 少なくとも元寇と同日の談じゃないわな 227 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 13 11 04 ID lMFDcjyr0 224 陳和尚の勝利が局地的であるのは確かだが、兵力はたったの四百なんだから そこも考慮しないと。あれ以上を望むのは酷だろう。 222 カイシャンの外征はカイドゥの死後王国の乗っ取りを図るドゥアと連携して 劣勢なオロスを叩いたものだし、アルタイ方面を占領したのは周辺を支配する アリク・ブケ一族が寝返った後だから軍事的にはそれほどでもないのでは。 同時代ではトップかもしれないけど。 228 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 13 16 56 ID xIm6SS1DO モンゴル騎兵に騎兵戦で挑むところが陳和尚の限界 陳和尚推薦派はどう凄いかもっと必死になって説明しろやw 229 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 05 22 ID sV6gj+dw0 228 ああっ説得やら説明しろばっかりうるさい×3(お前の真似だw) 反論されたら逆ギレする品の無いゲス野郎はこのスレにはいらん。 それに小石につまづく様じゃスブタイも大したことない武将ってことになるな。 当時、世界最強のモンゴル軍を相手にまぐれや運だけで連戦連勝できるほど敵は甘くはない。 それに戦闘の内容を考慮して話をしているんだ。 陳和尚の稼ぎ出した五十歩は評価に値すると思うがな。 230 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 20 19 ID EPTGVBZ5O ただここの採点はかなり軍事業績の配点が大きいから、陳和尚が目立たなくなりそうなのは事実では? 何分同時期に世界征服者達が居るんで、守勢(それも守りきれなかった)の採点が辛くつけられるのもわかる 231 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 58 28 ID 7hiTYa3o0 姜維は洮水の戦いなどで大勝してはいるが、このスレでは選外だろう。 張世傑も関羽の同類だろうなあ。 悪くはないが敗死エピソードで得をし過ぎ。 232 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 18 17 57 ID UD6TKJZG0 227 カイシャンの将としての功績の幹は攻め寄せてきたハイドゥを撃破したことで その後の外征は枝葉じゃないかな 相手の隙に乗じるのは軍事的にも当然のことでそれをもって評価を低く するのはおかしい話だと思う 233 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 18 32 44 ID xIm6SS1DO 229 逆ギレ何てしてませんが?してるのはお前だろw 陳和尚の擁護も出来ずゲス野郎とか誹謗することしか出来ない人はこのスレに来ないで下さいねw あと、小石につまづいたからってスブタイがたいしたことのない武将だなんてことにはならんよ 常勝無敗が名将の条件ではないからな スブタイと陳和尚をセットで語らないでね 234 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 23 01 ID 7hiTYa3o0 いや、スブタイが凄いのが前提で、その凄いスブタイに勝ち、モンゴルの征服を遅らせたのが、陳和尚がこのスレで限定的に入選される理由だろ。 スブタイやツルイ、ジンギスカンが入るなら態々推薦しないって。 ただ彼らはローカルルールで弾かれる。 同じ要領で元将より金将を優先して入れるべきだと言ってる。 蒙古を退けたバイバルス、ハルジー、孟珙、陳興道といった世界百選級の名将にも、 当時の陳和尚と同じ状況で彼以上の活躍が出来るとは思えん。 完顔陳和尚とジャラールの類は世界百選は無理でも、 それぞれの地元の百選で入れないのはマズイだろう。 235 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 33 47 ID EPTGVBZ5O 234 あれ?結局ローカルルールで弾かれることになったのか? 逆に攻勢期の金・モンゴルや抗金組に比べると、数の関係でどうしても選に入れられないって感じだが 236 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 53 07 ID 7hiTYa3o0 世界百選、東洋百選、蒙古百選で確定でいいだろ。 その連中を中国百選に入れる場合蒙古百選との兼任となるが、 そこまでして入れるのは無理があるような… 237 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 59 52 ID EPTGVBZ5O 236 モンゴルの中華統治を黒歴史にするなよ 仮にも二十四史に記されている支配者だぞ それにモンゴルが駄目ならこの時代南宋と金だけになるじゃないか 238 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 41 51 ID sV6gj+dw0 ID 7hiTYa3o0さん 陳和尚を擁護してくれるのは有り難いのだが、 陳和尚の話とスブタイやトゥルイ、ジンギスカンが十傑入りするしないかは話が別だよ。 支持されればスブタイ、ジンギスカンだって入る訳で その二名は現時点ではあまり支持されてないのは否めません。 実際にアジュ、トゥルイは落とせと言う声は挙がってないし。 まあバランスを考慮している部分もあるとは思うけどね。 219 高麗の洪茶丘が文永の役では元軍の副司令官を 弘安の役にも東路軍の司令官を務めたそうだよ。 高麗の金方慶なる武将も 日本遠征にも参戦したらしい。 239 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 53 38 ID sV6gj+dw0 268の追記 文永の役での総司令官は忻都なる人物だそうです。 240 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 56 28 ID EPTGVBZ5O 238 いやスブタイが定義上駄目ならトゥルイも駄目だし、トゥルイが有りならスブタイも有りでは? トゥルイが死ぬのはスブタイが死ぬ前だし 241 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 19 12 ID /PoI3eH+0 240 多分主な活躍の舞台の差ではないかと推察 242 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 23 02 ID RcPINS3k0 金は統一政権扱いで落ち着いたはずだから、定義上、 トゥルイやスブタイの対金戦の功績はOKでしょ。 ローカルルールで弾かれてはいないはず。 もし金が統一政権扱いでなくなってトゥルイ・スブタイが外れるるなら、 遼の休哥と同様、守勢での活躍の陳和尚も資格なしになる。 243 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 31 45 ID /PoI3eH+0 今頃こんなこと言い出してなんなんだけど、「統一政権」ってどう定義されてたっけ 244 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 00 03 26 ID LNk8M4MQO 241 両者ともトゥルイが戦うようになってから死ぬまでに投入された戦線は似たようなものだと思うんだけどね ただどうしてもスブタイのイメージはヨーロッパ遠征なんかの西方が強くて トゥルイのイメージは三峯山の戦いなんかの東方のものが強くなるんだろうな 245 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 00 54 51 ID WFihsJm00 232 カイシャンらの元軍は優勢にも関わらずカイドゥを撃退するにとどまっている のでやや評価が低くなるように思う。カイドゥは勝ったけど帰る途中に病気で 死んだ、っていう歴史書もあったりする。 あと、敵の隙に乗じるのはもちろん当然だけど、内紛中の敵を攻略するのはより容易 なわけで、その分評価が低くなるのは仕方ない。 なんかけなしてばっかりだが上にも書いたとおり同時代でカイシャンがトップである ことは確か。ただバヤンや孟珙と並べるほどではない、と思うのだが。 246 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/28(土) 01 33 11 ID 8ygMLR39O 245 カイドゥがフビライ、バヤンの死に乗じて総力あげて攻勢に出てきたのを 過小評価し過ぎるのはどうだろ? 結果論として、カイシャンが撃退して元は存続したが、 死に物狂いの相手が多大な損害を与える可能性もあった。 元が国力を弱め、滅亡を早めるのをとどめたのは、 ひとえにカイシャンの功績だと思うが。 >カイドゥは勝ったけど帰る途中に病気で死んだ、っていう歴史書もあったりする。 その時の傷が元の病死では?少なくとも宮崎市定博士の見解はそうなんだが。 > あと、敵の隙に乗じるのはもちろん当然だけど、内紛中の敵を攻略するのはより容易 > なわけで、その分評価が低くなるのは仕方ない。 カイシャンは戦略家タイプの武将だから、勝つべく方策を練り、時と場所を選ぶ。 これをすべてラッキーとされて評価を落とされるなら、 名将の定義とはいったい何なのかを教えて欲しい。 247 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 06 49 17 ID 9HSuCpNr0 246 >カイシャンは戦略家タイプの武将だから このスレでは戦略家タイプのは評価が低いよ。戦術重視だし。 >名将の定義とはいったい何なのかを教えて欲しい。 このスレの定義では中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をした。 中国統一政権下における外征で活躍した。 というのが名将の条件じゃないかな? それと守勢はあまり高く評価されてないのが現状。 だから陳和尚の件で議論しているし。 248 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/28(土) 08 15 54 ID 8ygMLR39O 247 カイシャンは十分に条件を満たしてるだろ!?それでも外すなら理由が聞きたい。 勝つべくして勝ち、しかも功績がある人物に対して、あとは何が必要なんだ? 時代が課した命題の内、統治の面ではともかく、軍事面であれば十二分に果たしてるんだが。 国難を救い、国境を安定させた。バヤンが同じ状況で、これ以上の成果を残せたとも思えない。 出来るだけ多くの兵力を集めるのは兵法の基本。 己の長きをもって、相手の短きを打つのが基本のはず。 時期を待ち、機が熟したら一気に攻め勝つのが悪いのか? 兵が多くて悪いのであれば、王朝の創業期、全盛期の殆どの武将が評価を落とし、 亡国に身を起き守勢にまわり、防ぎ続けた武将こそ、確定されるべきだろ? つまり、過去に戻って選考し直すということで、宜しいか? 基準がブレすぎ。自分が気に入らない武将を落とすために、その都度、その都度 都合の良いように基準を変えてたら、作業が進まないよ。 ガキじゃないんだから割り切ろうや。 カイシャンを外したいなら、外すで良いから基準を明確にしてくれ。 で、大軍を指揮して勝ったらダメなのか? 寡兵で大軍を破らないと評価されないのか? ハッキリしてくれ。 249 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 09 26 47 ID fQFp1IyW0 俺はカイシャン等の元将を入れるなら陳和尚は落としていいと思います。 守り切れなかったのは事実だし。 だが、それだとローカルルールに抵触しないでしょうか? 後々面倒になることは必至です。 あと中国に脅威を与えたなら阿片戦争のジョージ・エリオットも時代的に入選の資格があるでしょう。 当時の英国は近代化してるけど太平天国の乱以前ですし。 蒙古帝国も大英帝国も基本的に同類の外夷。 ただ陸軍国と海軍国の性質の差が、両者の支那利権へのアプローチを変えたに過ぎないと思います。 元代は支那の全てが一時的に外人に植民地化されたと考えた方が良いのではないでしょうろうか? 日本人の我々が中国人に都合の良い歴史観を盲信する必要はないと思います。 250 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 09 39 28 ID RdoS1hu2O あんまり馬鹿なこと言ってないで過去スレ最初から見直してこい
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