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読み だいかんこうか 正式名称 別名 和了り飜 役満 牌例 解説 159萬刻子、中カン、頭萬子か5筒。 成分分析 大韓紅花の48%は覚悟で出来ています。大韓紅花の39%は血で出来ています。大韓紅花の12%は白インクで出来ています。大韓紅花の1%は鉄の意志で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク
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大韓帝国(だいかんていこく、Template lang?、テハンジェグク)とは、1897年 - 1910年に李氏朝鮮が使用していた国号。大韓国(Template lang?、テハングク)、韓国(Template lang?、ハングク)とも言った。また、現在の大韓民国(韓国)と区別するため、「旧韓国」と呼ばれることもある。清の冊封国時代と日本統治時代の狭間の短い時期であり、朝鮮半島最後の専制君主国である。 {{基礎情報 過去の国 |略名 = 韓国 |日本語国名 = 大韓帝国 |公式国名 = Template Lang? |建国時期 = 1897年 |亡国時期 = 1910年 |先代1 = 李氏朝鮮 |先旗1 = Flag of Korea 1882.svg |次代1 = 日本統治時代の朝鮮 |次旗1 = Flag of Japan - variant.svg |次代2 = 大韓民国臨時政府 |次旗2 = Flag of South Korea.svg |国旗画像 = Flag of Korea 1882.svg |国旗リンク = 太極旗 |国旗説明 = 太極旗 |国旗コメント = 太極旗 |国旗幅 = |国旗縁 = |国章画像 = Ihwamun.jpg |国章リンク = 李王家 |国章説明 = 李花紋 |国章幅 = |標語 = |国歌名 = 愛國歌 |国歌 = |国歌追記 = (en) |位置画像 = Locationmap Korea.png |位置画像説明 = |公用語 = 韓国語 |首都 = 漢城 |元首等肩書 = 皇帝 |元首等年代始1 = 1897年 |元首等年代終1 = 1907年 |元首等氏名1 = 高宗光武帝 |元首等年代始2 = 1907年 |元首等年代終2 = 1910年 |元首等氏名2 = 純宗隆熙帝 |首相等肩書 = 首相(en) |首相等年代始1 = 1905年 |首相等年代終1 = 1905年 |首相等氏名1 = Template lang? |首相等年代始2 = 1905年 |首相等年代終2 = 1907年 |首相等氏名2 = 朴斉純 |首相等年代始3 = 1907年 |首相等年代終3 = 1909年 |首相等氏名3 = 李完用 |首相等年代始4 = 1909年 |首相等年代終4 = 1910年 |首相等氏名4 = 朴斉純 |首相等年代始5 = 1910年 |首相等年代終5 = 1910年 |首相等氏名5 = 李完用 |面積測定時期1 = |面積値1 = |人口測定時期1 = |人口値1 = |変遷1 = 朝鮮国より改称 |変遷年月日1 = 1897年10月12日 |変遷2 = 第二次日韓協約調印 |変遷年月日2 = 1905年11月17日 |変遷3 = ハーグ密使事件 |変遷年月日3 = 1907年6月 |変遷4 = 伊藤博文暗殺 |変遷年月日4 = 1909年10月26日 |変遷5 = 日韓併合により消滅 |変遷年月日5 = 1910年8月29日 |通貨 = ウォン |時間帯 = |夏時間 = |時間帯追記 = |ccTLD = |ccTLD追記 = |国際電話番号 = |国際電話番号追記 = |注記 = 註1 首相の肩書は初め総理大臣、後に議政大臣となった。 }} 概要 李氏朝鮮時代と日清戦争 Template Main2? 1875年(明治8年)の江華島事件により、翌年(明治9年)朝鮮国は日本と結ぶことになった日朝修好条規を始め、アメリカやフランスなどの欧米諸国と不平等な条約を結ぶことになった。朝鮮国内では清との宗属関係を脱して近代化を求める者と清との宗属関係を維持すべきだという者とに分かれ、対立、そうした中で1882年(明治15年)、壬午事変が起こり、日本と清の双方はこれを鎮圧することを理由として出兵、日本と清の対立は決定的となった。こうして、1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、1895年(明治28年)に日本が清に勝利、下関条約を締結した。この条約により、日本は清に朝鮮が自主独立国であることを認めさせた。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等を廃止させた。これは、当時の朝鮮半島が明治日本及び清朝が共に自らの勢力圏におさめようと画策する日清両国の角逐の場であったため、この戦争の勝利により半島における清朝の影響を排して日本の権益伸張を確立するためであった。 冊封体制からの離脱 朝鮮国王高宗はロシア公使館に逃れていたが慶雲宮へ戻った。1897年(明治30年)にもはや清の服属国でなくなった以上、王号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い以下の改革が実施された。国号を大韓と改め、元号も前年のグレゴリオ暦への改暦にともなって定めた「建陽」から「光武」に改元し、高宗は10月に皇帝に即位した。清の冊封の象徴であった迎恩門や「恥辱碑」といわれる大清皇帝功徳碑を倒して独立門を立て独立を記念した。 近代化と日本の保護国へ 1899年(明治32年)には清と韓清通商条約を結び、独立協会を弾圧して、立法機関である校正所において国家基本法である9ヶ条の「大韓国国制」を制定、近代化を目指す光武改革を推進し土地調査や鉱山開発など殖産興業政策を実施するが、財源不足や諸外国の外圧により利権を奪われるなどして挫折する。 1905年(明治38年)、第二次日韓協約で韓国統監府が設けられて日本の保護国となった。この時、イギリスが大韓帝国の永世中立国化を提案した。Template 要出典? 韓国併合と併合後 1910年(明治43年)の日韓併合条約の締結により日本に併合され、大韓帝国は滅亡した。大韓帝国の皇帝は、日本において1910年(明治43年)の詔勅 ()により、昌徳宮李王に遇された。 年表 Template 朝鮮の歴史? 1897年(明治30年) 8月 年号を建陽から光武に改元。 10月 高宗が皇帝に即位し、国号が大韓帝国になる。 1898年(明治31年) 2月 大院君、死去。 9月 高宗の暗殺未遂起こる。 12月 独立協会の指導者の逮捕命令により、李承晩らが逮捕される。 1899年(明治32年) 6月 大韓国国制を制定。(8月に発布) 11月 韓清通商条約(韓清修好条規)を締結。 1900年(明治33年) 軍人勅諭を制定。 1904年(明治37年) 李承晩が釈放される。 2月 日韓議定書が成立する。 8月 第一次日韓協約が成立する。 1905年(明治38年) 第二次日韓協約が成立する。 1906年(明治39年) 韓国統監府が置かれる。 1907年(明治40年) 6月 ハーグ密使事件起こる。 7月 高宗が皇帝を退位し、純宗が皇帝に即位。 同月 第三次日韓協約が成立する。 1910年(明治43年) 日韓併合条約により、日本に併合される。 政治 大韓国国制 1899年の大韓国国制により、 大韓帝国が自主独立の国であること、 大韓帝国の政治は万世不変の専制のであること、 皇帝が無限の君権を享有すること、 皇帝は不可侵であること、 皇帝が統帥権を有すること、 皇帝が法律制定権、恩赦権を有すること、 皇帝が行政各部の官制及び俸給を定めること、 皇帝が官吏の昇任降格を決定し、栄典を授与すること、 皇帝が外交権を有すること、 関連項目 Template Commonscat? 朝鮮 - 朝鮮史 朝鮮の君主一覧 李王家 勲章 大韓帝国軍 宮内府 (大韓帝国) 消滅した政権一覧 東洋拓殖 大韓民国 日本統治時代の朝鮮(日本領朝鮮) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月15日 (月) 19 59。
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各国概略史32(便乗の便乗版)・大韓帝国 いわゆる朝鮮。日清戦争終了後の明治30年に国号を大韓、国王を皇帝と改め、 甲申政変の中心人物だった金玉均を日清戦争後に首相に据えて成立した。 しかし、両班層を中心とする守旧派の反発は根強く、国内の情勢は非常に不安定で、 国内のインフラ・生活水準は極めて悪かった。 そのため、日露の両国が情勢安定を行おうとしたが対立。日露戦争の発端となる。 日露戦争後は、特殊権益を獲得した日本が情勢安定を図り、 保護国として統監府を設置した。(後の韓国総督府。現在の韓国国立博物館) そして、明治43年に、日韓協約を結び二重帝国となる。これにより、日本の影響は強まり、 一般市民はインフラの整備や生活水準の向上を喜んで受け入れた。 しかし、半島北部を中心に反日勢力は残ってしまった。 昭和11年には満州事変が勃発し、在満米軍が反日派の手引きで半島北部を制圧。 在満米軍制圧作戦が行われ、組織的抵抗の終わる昭和17年まで、 ほぼ6年間にわたって占領して、反政府勢力を育成する。彼らの一部はゲリラ化。 この一連の行動は、後の軍のゲリラ化のお手本となる。 昭和46年には二重帝国は終了し、再独立。 しかし、韓国国内では独立派・存続派が真っ向から対立し、独立承認までにはかなりの時間がかかったようだ。 その後も、反日運動家金日成一派の同時蜂起、韓国版学生運動である光州事件など大きな事件が絶えない。 また、金日成一派の残党であり、半島北部を拠点としている反日・反政府組織は イラク、パキスタン、ケベックに次いで危険視されている。 大韓帝国は当初から日本に習った政体をとっていて「君臨すれど統治せず」 という象徴としての皇帝を名目上の元首としていただく議会制民主主義をとっている。 首相は日本と同様に直接選挙。共産勢力と接していることもあり、平成5年までは軍事政権だった。 また、産業・気候の違いから、北緯38度を目安に南北に分けることができる。 南部は昭和30~50年に大規模な経済成長を遂げ、大都市が数多く存在する。 朝鮮新幹線が開通しているため、本国との交流も盛ん。 北部は反政府組織の蜂起などで発展が遅れており、治安は悪い。 首都は京城。自治体の単位は道(南部9道、北部9道)。主な言語は朝鮮語・日本語。
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The Grand Korea Republic 元首 朴万世(終身大統領) 首都 韓城 領土 朝鮮半島 人口 約4000万人 建国 帝国暦612年 通貨 ウォン 政体 大統領党派独裁制 行政 首相(現在大統領兼務) 立法 革命評議会(評議員は大統領が任命、玄武派が圧倒的多数) 司法 三審制 憲法 大韓共和国憲法 帝国暦612年、大韓第一革命?によって滅ぼされた新百済国?と新高麗国?が統合されて作られた共和国。 大統領に大きな権限が集中する仕組みになっている。今のところ大統領が選挙で選出された事はなく、いずれも政変であった。 朱雀派?と玄武派?による党派抗争が激しいが、双方ともに秋津洲への敵視政策のみは一致している。 現在は玄武派の朴万世?が政権を握り、中華帝国を宗主国と仰ぎ東海制覇を目指している。 軍自体の規模・能力は秋津洲軍と比べ物にならないが、中華帝国の後援を受けた今、決して油断ならない相手であろう……たぶん。
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基本事項 国名 大韓共和国(韓国) 英文国名 THE REPUBLIC OF KOREA(KR) 時差 グリニッジより9時間早い 国土面積 日本占拠下 人口 同上 所在地 中国上海 制度 新民主主義 国の標語 大韓独立 国家元首 金一成大韓人民光復軍総司令 首相 金八首相 国旗 太極旗 国歌 愛国歌 公用語 韓国語 主要民族 韓民族 通貨 亡命政権につき無し 目次 基本事項目次 地理【編集中】 歴史変遷 地理【編集中】 歴史 変遷
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大韓帝国軍(だいかんていこくぐん)は大韓帝国の国軍である。皇帝の統帥権の下に置かれた。 概要 大韓帝国の基本法典である「大韓国国制」第5条によると「大韓国大皇帝におかれては、国内陸海軍を統率し、編制を定め、戒厳解戒を命ずる。」とし、大日本帝国軍に倣った国軍を編成することになっていた。しかし日本軍とは異なり、徴兵制度を採用せず、李氏朝鮮時代以来の志願兵制を採用していた。法制上の兵力は約9000人であった。 1907年(光武11年)7月24日に結ばれた第三次日韓協約に伴う秘密協定により、同年8月1日に国軍としての大韓帝国軍は解散され、皇帝を護衛する小規模な近衛兵としての「近衛歩兵隊及び近衛騎兵隊」に再編成された。これを不満とする元将兵の一部は、武力による抗日運動である義兵闘争に参加した。 なお、後身である近衛騎兵隊及び近衛歩兵隊は日韓併合後も「朝鮮騎兵隊」「朝鮮歩兵隊」として存続していたが、徐々に縮小され1930年に完全に廃止された。(詳細は近衛兵) 組織 解散直前の組織である。 軍部(国防省に相当) 侍従武官府 陪従武官府 将官会議所 憲兵司令部 憲兵部 陸軍法院 研成学校 武官学校 幼年学校 軍器廠 衛生隊 侍衛渾成旅団司令部 歩兵第1連隊本部 歩兵第1連隊第1大隊 歩兵第1連隊第2大隊 歩兵第1連隊第3大隊 歩兵第2連隊本部 歩兵第2連隊第1大隊 歩兵第2連隊第2大隊 歩兵第2連隊第3大隊 騎兵隊 砲兵隊 工兵隊 軍楽隊 輜重隊 洪陵守備隊 鎮衛歩兵隊 水原歩兵大隊 清州歩兵大隊 大邱歩兵大隊 光州歩兵大隊 原州歩兵大隊 海州歩兵大隊 平壌歩兵大隊 北青歩兵大隊 階級 韓国軍人 日本軍人 将校 なし 陸軍大将 陸軍副将 陸軍中将 陸軍参将 陸軍少将 陸軍○○正領 陸軍○○大佐 陸軍○○副領 陸軍○○中佐 陸軍○○参領 陸軍○○少佐 陸軍○○正尉 陸軍○○大尉 陸軍○○副尉 陸軍○○中尉 陸軍○○参尉 陸軍○○少尉 下士 陸軍○○特務正校 陸軍○○特務曹長 陸軍○○正校 陸軍○○曹長 陸軍○○副校 陸軍○○軍曹 陸軍○○参校 陸軍○○伍長 兵卒 陸軍○○上等兵 陸軍○○上等兵 陸軍○○一等卒 陸軍○○一等卒 陸軍○○二等卒 陸軍○○二等卒 関連項目 大韓帝国 朝鮮軍人 近衛兵 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年1月13日 (日) 14 25。
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トップページ>論文アンソロジー>大韓帝国史研究 梨花女大韓国文化研究院 編『大韓帝国史研究』白山資料院、1999年 第一章 大韓帝国時代の国際関係 구대열「大韓帝国期の国際関係」 홍순호「大韓帝国時代の韓独関係」 홍순호「大韓帝国時代の韓仏関係」 이배용「開化期の韓米関係」 第二章 大韓帝国時代の経済構造 이배용「大韓帝国時期列強の利権侵奪と朝鮮の対応」 김경태「大韓帝国の経済政策と米穀通商構造:帝国主義形成期の米穀問題」 김영희「大韓帝国時期の蚕業振興政策と民営蚕業」 第三条 大韓帝国時代の新文学運動 이혜순「英雄テーマ文学の台頭」 이혜순「新聞小説に現れた近代意識」 第四章 大韓帝国時代の女性意識の成長と新教育運動 이배용「韓国近代女性意識の変化過程:開化期から日帝時期まで」 유봉호「新女性教育論の台頭」 유봉호「実業教育の展開過程」
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韓 大韓 コマンド表/フレームデータ +目次 キャラ概要 ファイトスタイル 主力技牽制 差し込み 近距離戦 必殺技(コリア一号)使いどころあれこれ 連係地上コンボ 空中コンボ 対韓対策 キャラ概要 隙の少ない各種技を盾に、少し強引な攻めを展開できる。 反面、崩しに少し欠けるので、その点を如何にカバーできるかが問題となる。 守り気味に攻める、というちょっと変わったキャラクター。 ファイトスタイル このゲームでほぼ唯一の「ノーマルヒットで有利」のジャブがある故に、接近戦がとても強い。 下段は殆どないが、この各種上段を嫌がってしゃがむ相手を刈り取る豊富な中段も魅力的。 逃げ、攻め、守り、なんでもござれのミサイルと組み合わせて、相手に読まれない独特の攻めを展開していこう。 主力技 牽制 ーしゃがみ、上(トゥーアックス) しゃがみ待ちから出せる中段、足を大きく振り上げるため判定が非常に強く、発生も11と非常に早い。 しゃがみ待ちを崩そうと中段を振ってくる相手には、先にこの技で牽制をしておこう。 ただし、この技の後は立ち状態となっている。立て続けにこの技を出そうとすると しゃがみ、上(立ち状態になる)しゃがみだと思ってGを押したまま上を押す立ち状態のG押しっぱなし上(ライトスケアクロウ)が出る。 と、連続で出すには少し難しくなっている。 強力な反面、擦りすぎると変に不利を背負うので気をつけよう。 基本的に牽制として使えるのはこの技くらいである。 差し込み 走り、上、上、上(ハンティングトマホーク) スカしの差し込みにとりあえず撃つ感じ。 初段と三段目がインタラプト不可、しかも三段目はガードさせて-8と脅威の数値を誇っているので、振った以上は出し切っていくこと。 ヒットガード問わず状況が良い技だが、スカされると痛いので、この技を振るときは必ず「当てる」こと。 立ち上がり、上(ターンランスキック) しゃがみからスカ確差し込みにはこっち。 思っているより前に出るので、当てやすい。 当てればおいしい空中コンボの時間なので、上記のトゥーアックスと絡めて下段警戒しゃがみ待ちを多めにしていこう。 ちなみに、この技はダウン回避やその場起き上がり読みとして起き攻めに使っても非常に機能しやすい。 下+必orしゃがみ下or歩き下(リングキック) 発生も遅く、当てたところでどうと言うわけではない。 が、他キャラの水面蹴りと同じように、姿勢の低さを生かすことは出来る。 近距離戦 上(キリングジャブ) なんといってもまずはコレ。ノーマルヒットで有利を取ることが出来る。 ノーマルヒットであれば一回転投げが、カウンターであれば上、上がつながるので、覚えておこう。 この技を軸に、韓は近距離の攻めを組み立てていく事になる。 単発、二発止め、三発出しからのジャスト、どれも強力なのでしっかり使い分けていこう。 G+上(イーグルヒール) とりあえずの中段、しゃがんでジャブをスカそうとする相手に使う。 ガードされても問題ないが、発生は遅めなので注意。 下、下、J下、上 or 下(インジャリー or ダイイングフレイル) 下段択その1、下×3からの中下択。 ダウンしないことを生かして強引に攻めていきたい。 G+下、下、J上(コンボブラッドハウンド) 下段択その2、特殊構えに移行できる。 ジャストが少々難しいが、出来ると強力なので是非覚えておこう。 レバー90°回転、上(ターンヒール) 暴れ読みに使う、ガード後の状況はそこまで悪くないので、そこそこ信頼出来る選択肢である。 下+上(スワローハンティング) 空中判定となるので、投げ読みの時に使う。 レバーを後ろに倒しながら撃てば、逃げつつ使うことも出来るので、ガードされたときにごまかしやすい。 反面、折角の近距離戦を逃してしまうことになる。 モーションチェンジ中、上(クロウピーク) 構え中の中段択。 単発止め、三発止め、五発止めなど、数は調節できる上、途中で下段を混ぜることも可能。 ただし、どの技からモーションチェンジしたかによって出せる技の数などは変わってくるので、しっかり覚えておこう。 モーションチェンジ中、下(スイッチキック) 構え中の下段択。 この技から中段にも派生できるので、単発止めだけでなく派生も出していきたい。 構え中の技は画面端に相手を追いつめたときに使うとより効果的だ。 必殺技(コリア一号)使いどころあれこれ 保険として使う リング端を背負っているときに、大ジャンプ頂点気味で撃つか、小ジャンプで上撃ち(必→上)をする。 相手がつっこんでくればステージ上を円を描きながら戻ってくるので、攻めに来た相手に当たる。 ジャンプの崩しとして使う 立っている相手には小ジャンプ即出し上撃ちがヒットする。 ノーマル撃ちだと角度と速度の問題でなかなか崩しとしては成立しないが、こちらは密着なら即当たるので、とても強い。 リバサで使う ミサイルが発射さえしてしまえば割と長く残るので、起き上がり時に必殺をおしてリバサでミサイルを打つのもあり。 起き攻めで使う ダウン中の相手に起き攻めとして使う。 ミサイル自身の持続、及び爆風の持続もあってとりあえずのその場起き上がりを狩りやすい。 相手の背後に当てるイメージで撃つと機能しやすいだろう。 特殊構えから使う 使用者も相手も忘れられがちな、特殊構えからのミサイル。 特殊構え中はガードが出来ないが、インタラプトは取ることが出来る。 インタラプト仕込みとして効率よく使っていこう。 連係 地上コンボ 上→一回転投げ 上単発が2F有利なので、繋がる。 ジャブの硬直中にレバーを回しておくといいだろう。 一回転投げは、相手が抜けてこないなら派生もしっかり出す。 上(カウンター)→上、上 ジャブ単発がカウンターヒットしたらこちら。 細かいダメージだが、しっかり取っていけるととても大きい。 空中コンボ 立ち上がり、上→上、上、上、上 安定コンボ、途中で受け身を飛られるが、二発目までなら読み合いに持ち込める。 立ち上がり、上→上+下、上 とりあえず悩んだらコレ 立ち上がり、上→G+上 どうしてもダウンが取りたいときにはこれ 立ち上がり、上→上、上、上、J上 相手が画面端を背負っているなら、こちらに派生して強力に起き攻めして行こう。 しゃがみ上(空中ヒット)→上+下、上 高めで当たると、繋がるときがある(?) 対韓対策
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概説 中華帝国同様、騎士はすべて騎士団に配属されることになっているが、地域の軍閥によって独自に編成される部隊も存在するので、一概には言えない。 実質、中華帝国の属国である大韓帝国軍の機能は中華帝国軍により管理・運営されている。 今次戦争においてもそれまでの例に漏れず、中華帝国軍の一部として各地に送れこまれ、多大な犠牲を強いられた。 その境遇故か、騎士達の志気は低く、前線においては逃亡者が続出したり、編める異は婦女暴行や略奪、虐殺の先兵として猛威を振るった。その行動は中華帝国軍司令部をして「軍の汚点」とまで言わしめた程だ。 大韓帝国王政党親衛騎士団【】 本来は宮廷騎士団と名乗るべき組織だが、王政党の支配下にある韓国王宮の現状から、王政党の親衛組織として機能していた。 大韓帝国国防魔法騎士団【】 米国の制度をまねた、皇帝直属にして韓国唯一の「公式」魔法騎士団。 兵力は公式3,000名というからかなりの規模だが、魔法騎士のスペックが、最高でA/B/B+というからちょっと情けない。 韓国史上、いくつものクーデターの鎮圧にかり出され、数多くの国民を殺害してきた。 戦争では対日を理由に派遣されないまま、大中華帝国軍により全滅。 捕虜になることを認められず、虐殺されたとまでいわれている。 近衛の不文律では、彼らと交戦したら必ず「殺す」こと、敗北は万死に値するといわれていた。
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登録日:2012/02/24 Fri 19 25 10 更新日:2024/02/24 Sat 18 56 36NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 1983年 アメリカ オッサンホイホイ項目 ソ連 テロ? 大韓航空 大韓航空機撃墜事件 旅客機 日本 航空機 韓国 概要 大韓航空機撃墜事件とは、1983年9月1日、ジョン・F・ケネディ国際空港(アメリカ/NY)発、アンカレッジ国際空港(カナダ)経由、金浦国際空港(韓国/ソウル)行きの大韓航空007便(ボーイング747-230型機)が、ソ連のサハリン南方の宗谷海峡付近にて防空軍戦闘機に撃墜された事件。 乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した。 大韓航空は事件の5年前にも、航法ミスでソ連領空に迷い込み機体を攻撃されており今回が二度目のソ連領空侵犯。 民間の旅客機をろくに調べもせず、無線にて警告を発せずに撃ち落とした行為という事で、 当時のソ連政府は西側諸国のみならずソ連寄りとされた東欧諸国やアラブ諸国からも厳しく非難された。 経緯 以下は日本時間。 8月31日 夜 007便、夜にアンカレッジを出発。 その後アメリカやカナダの航空当局の記録から、設定されている航路より北へ17キロ程逸脱していたが、両国は警告を出さなかった。 また、米軍のレーダーも逸脱を示していたが、特に警告を発しなかった。 同日 23時前 無線通過ポイントに達した際にカナダ側が異常に気付くが、007便からの応答はなかった。 すでにカナダ側からの無線交信可能区域を出ていたためと推測されている。 米軍も異常に気付くが、管制指揮権がない空域であったため、警告を与えることが出来なかった。 9月1日 0時10分すぎ ソ連のカムチャッカ半島に接近する航跡をソ連防空軍が発見し米軍機と判断、 戦闘機がスクランブル発進するも、007便は2時間後にカムチャッカ半島上空から出る。このため、戦闘機は基地へ帰る。 ところが、この数分後に007便は再びサハリンのソ連領空に入り、サハリンから戦闘機がスクランブル発進。 このあと、ボイスレコーダーの記録が残る(*1)。この時、機長と副操縦士、航空機関士の3人は世間話をしていた。 また、全く同じ飛行プランであった大韓航空の後続便とも連絡をとりあっており、この時点で後続便と007便の風向きが違っていたが、 007便は誤差の範囲内として、航路の逸脱に気付かなかった。 この3分後… ソ連防空軍戦闘機が007便を視認するも、軍用機か民間機か区別がつかなかった。 なお、航空保安灯などは点灯していた。 東京航空交通管制部(東京コントロール)が007便からの上昇許可を求められ、高度三万五千フィートへの上昇を許可。 この時はすでに007便は、ソ連領空を出ていたため東京コントロールは領空侵犯をしていたとは知らなかった。 ただ、国籍不明の飛行体が007便に近づいているのは、レーダーで確認していた。 ソ連防空軍側は航跡を伴わない弾丸で警告を行うが、夜間ということもあり007便は気付かなかった。 ※本来は視認性に優れる曳光弾を使用して行うべきであったが、たまたま基地に在庫がなかった為搭載していなかった。 この頃… 稚内空港の空自担当官と三沢基地(青森)の米軍管制官が異常に気付く。高度を上げるために低速、戦闘機が007便に追い付く。 同日 3時23分 ソ連防空軍が撃墜を指示(正体を確認しておらず、国際ルールに反するのは言うまでもない)。 2分後に戦闘機から2発のミサイルが発射され、機体後部に命中、後部垂直尾翼と圧力隔壁が大破、007便が東京コントロールにスコーク77(緊急事態発生)を宣言。 「メイディ、メイディ。後部付近で重大な爆発、操縦不能になりました。緊急降下します」と絶叫しながら連絡を入れる。 東京コントロール、007便にどのような事態かと尋ねるも、応答が滅茶苦茶であったため、すぐに第三管区海上保安本部救難センターに一報を入れた。 この頃より稚内の空自が無線に割り込む。稚内は、稚内空港に緊急着陸できる旨を伝えるも返答なし。 ボイスレコーダーには、乗客の悲鳴が録音され、機長の緊急降下アナウンスを最後に録音が途絶えた。被弾の影響とされ、フライトレコーダーは生きていた。 この後007便は旋回しながら墜落、頭からであったため海面に叩きつけられる形となった。被弾からわずか2分30秒後のことであった。 この際、たまたま現場海域で操業中であった、稚内のイカ釣り漁船が、海上に007便が墜落する瞬間を目撃し、すぐに海上保安部に連絡を入れている。 当初ソ連は、撃墜そのものを否定したが、次々と遺留品が稚内市周辺に流れ着き、ようやく認めた。だが、スパイ飛行と言って聞かなかった。 ただしソ連はブラックボックスを密かに回収しており、また分析をしたらスパイ飛行だと断言できる証拠は何も出ず、 ソ連崩壊までブラックボックスを持っているという事実も伏せられた。 当時は韓国とソ連の国交がなく国際連合に加盟する前であったため、韓国はこの件に関する交渉や国連での非難決議へ向けた諸作業をアメリカや日本に委任することになった。 この際アメリカ初の女性国連大使であった猛女ジーン・カークパトリックが激しくソ連を非難する模様も知られたところである。 韓国内では当然猛烈な反ソ連デモが起こり、大韓航空も遺族から吊し上げを食らった。 しかし結局韓国内の遺族は和解案を飲まされる羽目になっている。 ソ連崩壊後、ロシア政府は韓国にブラックボックスの存在を認め韓国に返還された。 第三国であるフランスの事故調査委員会の解析で、パイロットが疲れや眠気を訴えており、 アンカレッジにて航路を設定する際に誤ってソ連の領空を通るように設定したと断定された。過労や時差ボケが根本的原因という。 その後、ロシア政府は大韓航空に賠償金と代替航空機を納入。また、多くの日本人(乗客28人)が犠牲となり、国内でも大騒ぎとなった。 当時の新聞やテレビでは、サハリンに強制着陸させられたなどの誤情報が伝わって、記事に掲載されたり、ニュースで伝えられるなど当時大混乱となった。 なお、事件後しばらくして宗谷岬に慰霊塔が建てられている。 墜落した際、真っ先に動いたのは海保で、公海上でソ連側が妨害活動をしたため、一時政府では海上警備行動の発令も検討されていたという。 航空機を撃墜した元ソ連パイロットは現在退役しており、何度か日本や米国の取材に積極的に応じている。 軍の命令とはいえ、旅客機を撃墜しなければならなかったことは今でも忘れられないと語っており、亡くなった方に遺憾の意を示している。 指命と感情の間で苦しんだ彼も、ある意味では事件の被害者の一人なのかもしれない。 原因 大韓航空機 パイロットの航路設定ミスによる航路逸脱が一番の原因とされている。 さらに、他の同ルート便との通信時に「風向きがおかしい」と気づいたにもかかわらず、航路逸脱と考えなかったこと、管制権のあるレーダーが航路逸脱に気づかなかったor気づいた時には交信可能区域を出てしまった後だった(=地上から警告できなかった)ルール違反を承知で交信に割り込んでいればまた違う結末となった可能性がある。 ソ連軍 徹甲弾のみの威嚇射撃を行っただけで、無線交信を試みるなど「より伝わりやすい方法」での警告を行わなかったこと、無線による警告や大韓航空機のコクピットから見える位置に出るなどしていれば、大韓航空機側も「何かがおかしい」と気づいた可能性がある。 さらに、航空保安灯などを点灯しているなど、米軍機にしては不自然な点があったにもかかわらず(あの程度のサイズの軍用機もある為大きさで判断するのは難しい)、機体マークを確認するなどせずに軍用機(「民間機を装った偵察機」と考えていたとされる)と断定、確証のないまま撃墜命令を下したこと事実、前述のパイロットは撃墜した後で「自分たちは民間機にミサイルを撃ち込んで撃墜してしまった」ことに気づいていた。機体に接近して正体を確かめさせていれば、夜間とはいえ塗装や航空会社のマークなどから民間機である事に気づくことが出来た可能性がある。 余談 ギタリストのゲイリー・ムーアのアルバム『Victims Of The Future』に収録されている『Murder In The Skies』は、 この事件について歌われたものである。 興味のある人は聴いてみてはいかがだろうか。 また、ジオグラフィックチャンネル「メーデー! 航空機事故の真実と真相」のシーズン9第5話(日本における放送。オリジナル版では総集編とかの都合でシーズン7第5話)にて本事件が扱われている。 動画で見たいならば探してみるといいだろう。 追記・修正は果たして本当に「修正するべき項目」で合っているか確認してから願います。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- 暴言、愚痴、誹謗中傷、レッテル貼りを行った場合、IP規制・コメント欄の撤去等の措置がされる可能性がありますのでご了承下さい。 ▷ コメント欄 [部分編集] 大韓航空ってまあ散々な目に遭ってるなぁ…… -- 名無しさん (2021-10-24 08 29 39) 国際問題になるほど有名な事件だが、原因自体は疲労したクルーのミスというシンプルさがあまりに残酷。航空機のシビアさが感じられた -- 名無しさん (2022-11-10 01 10 54) そもそもソ連自体が当時のパブリックエネミー№1国家で、他国があの手この手でスパイ行為してくるに違いないという疑心暗鬼状態だったのも大きいんだよな。 -- 名無しさん (2024-02-24 16 02 48) 歌手の川村カオリは子どもの頃、当時のクラスの担任がこの事件がきっかけでロシア人を侮蔑するような発言をしたため、その空気がクラス中に伝染し、ロシア人の血を引く彼女は一気に孤立して味方がいなくなった。 -- 名無しさん (2024-02-24 18 56 36) 名前 コメント