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ナーガールジュナ 宮崎哲弥氏が好きそうな辺りを研究する。 親鸞 中島岳志氏が好きそうな辺りを研究する。 空海 西行 日蓮 編集(管理者のみ) .
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活動内容 カルト 部室 文化系サークル会館2階 公式サイト [[]]
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概説 不二一元論 概説 初代シャンカラ(Adi Shankara)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想を背景とした不二一元論を提唱した。ヴェーダーンタ学派の代表的な哲学者である。 「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の教義を強化する最初の哲学者であった。彼の教えは、唯一にして真の実在であるブラフマン(梵)と、個々のアートマン(我)は同一であるという主張に基づく。スマートラの伝統において、インド神話ではシャンカラはシヴァ神の異名である。 全てが現存しているというサンスクリットで書かれた彼の著書は、アドヴァイタ(非二元性)の教義を確立することに関する。シャンカラは教えを説く際に、ウパニシャッドや他のヒンドゥー教の聖典の広範囲から引用を行った。更に、サーンキヤ学派や仏教に似た考え方を持つ一派の批判に対する反駁の内容を自身の著書に含めた。(ウパデーシャサーハスリー) シャンカラの思想は仏教の類似性が高く「仮面の仏教徒」と呼ばれることがある。彼は仏教哲学をヴェーダーンタ哲学に吸収する役割を担った。 不二一元論 不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学)とは、梵我一如の思想を背景として、現象世界(現実)はブラフマン(実体)から生じたマーヤー(幻影)にすぎないとし、真我と梵は絶対的に同一であるとする考え。シャンカラによって提唱された。 多様な現象世界や、多数存在するよう見える自我は、唯一のブラフマンと本質的には同一であり、ブラフマンから生じた現象であってマーヤー(幻影)にすぎない。マーヤーに過ぎないさまざまなものに固執することが罪であり、それを無明という。 シャンカラのこの思想は仏教の類似性が指摘される。
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※mono....私には難しすぎるテーマなので、関連記事のリンクのみ貼り付けます。詳細は各サイト記事で。 仏教 / 量子力学 +ニュースサーチ〔仏教と量子力学〕 <アプデ輪廻>たかくらかずきの独創的な着眼点:社会の異端としてのヴィランに - Qetic 鎌倉時代、禅僧・道元が「最新物理学の結論」にたどり着いていた!(吉田 伸夫) - 現代ビジネス 「量子論は仏教の教えと同じ」ダライ・ラマ14世が感動解説! “シュレーディンガーの猫”も一致、科学と宗教が統合へ!? (2017年5月15日) - エキサイトニュース ● 仏教と量子力学〔ノイズレスサーチ〕 ● 仏教と量子力学〔blog Google検索〕 ■ 岸部卓郎氏の説く「量子論と仏教の一致」とは 「佐武寛のブログ(2019年6月11日)」より ■ 仏陀の教え、その宇宙観は量子力学の理論を遥かに超えていた! 「今を切り取る 明日へのヒント(2019.5.11)」より ■ 仏教と量子力学 「Aquarian s Memorandum(2007/02/18)」より ■ なぜ「仏教」と「量子力学」が同じ、と言えるの? 「『開華』 【自分発振】量子力学的生き方 村松大輔のブログ(2018年12月14日)」より ■ 量子論と仏教pdf 「文学研究科哲学専攻博士後期課程修了 - 後藤蔚」より ■ 「量子論は仏教の教えと同じ」ダライ・ラマ14世が感動解説! “シュレーディンガーの猫”も一致、科学と宗教が統合へ!? 「TOCANA(2017.05.15)」より ■ 仏教を心底凄いと思う理由【量子力学と般若心経が同じこと言っててヤバすぎw】 「大人になってから学びたい日本の歴史(2018.09.13)」より ■ 量子力学と仏教思想 「世界を見ずに死ねるか(2011/8/31(水) 午後 4 25)」より ■ 唯識と現代物理学 「和田稠先生のことば(2007年5月17日)」より ■ 仏教と量子力学-世界を正しく見ることができるか 「杯が乾くまで(2014-11-13 13 09 00)」より ■ 量子力学と東洋思想 「INTHETIC(2016.4.9)」より ■ 量子論と仏法(1) 「Chohakkai’s diary(2019-04-01)」より ■ 量子論と仏法(2) ■ 量子力学の爽快さ -量子力学と仏教哲学- 「実体と表象の間で(2014年8月28日木曜日)」より ■ blankink 「禅者の世界観(2017年 04月 05日)」より ■ 量子論と禅問答の共通点(2) ■ 目的思考 「ICTソリューション総合誌 月刊ビジネスコミュニケーション」より ■ 輪廻転生の仏教的解釈について 「hasunoha」より ■ 量子力学によるパラダイムシフト(1) 「ひかりの輪」より ■ 量子力学によるパラダイムシフト(2) ■ 量子効果についての対話 初日 「ダライラマ法王14世公式ウェブサイト」より ■ 量子効果についての対話 2日目 ■ 量子効果についての対話 3日目 ■ 仏教と量子力学の関係について 「服部堂(25 10月, 2011)」より .
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文化系サークル ALABAMA会 ArtPublicity CROSS CRS CUPO E.S.S Ea.Chiba Skill-up Program for Student Family KIDS CLUB U・S・O研究会 VISTA アニメーション研究会 イスラム文化研究会 インドネシア文化交流会 カラー写真をつくる会 ガラパゴス キリスト者の会 クイズ研究会 シネマウント・フィルムパーティー ジャグリングチーム”Possum” チェス研究会 のびのびの樹 ポートレート研究会 マジックサークル マンガ研究会 囲碁部 医用電子工学研究会 演劇部 華道部 絵画同好会 環境サークルSun&Co. 劇団NONNY 建築会 献血クラブ 考古学研究会 自然科学研究会 自然保護研究会 写真部 手話サークル「ウルトラマンの会」 将棋部 障害者問題研究会「おにっこ」 植物同好会 人形劇サークル「かざぐるま」 星を見る会 千葉大学推理小説同好会 禅の会 第三文明研究会 地域教育研究会「こめら」 地域子供研究会「あらぐさ」 茶道部 釣部 鉄道研究会 点字サークル 電子計算機研究会 尾瀬の会 仏教哲学研究会 文藝部 放送研究会 縫製技術研究会 民主主義と人権研究会・コペル 模型同好会 落語研究会
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〈メモ〉 道元・親鸞や儒学者等の体系的思想・頂点的思想家のみが日本思想史として記述されがちだが、思想に対するこの見方は根本的に倒錯している(亀山2003)。なぜなら、思想とは生活過程の諸事象・諸問題の観念的表現として第一義的には生活思想であり(正確には、「生活思想からの制約を受けており」)、その抽象化・理論化が体系的思想(さらには哲学)である。確かに体系的思想は一旦確立するとその“普遍性”故に生活過程の意味づけを規定する面がある。だが、それも生活過程にリアリテイをもつ故に可能であり、体系的思想の“真理”性によって必然的に生じるものではない。それ故思想の発展は第一義的には、生活過程の問題解決を軸として生活思想の次元でなされ,そのような生活思想は民衆自身の主体性の自己表現でもあった。体系的思想の発展はその理論的表出ないし問題解決の鏡(参照点)として生じ、それ故に意義をもつのである。 →亀山 和辻は、処女作から『倫理学』まで、デカルト以降の西洋近代哲学が「我」の確立とその完全な中心化によって発展したことに対して、一貫して対蹠的な態度をとる。その一方で徹底的な緻密さと理論を求めていた彼が注目したのが、道元の『正法眼蔵』である。前節で扱った「感受」において現れる「存在するものの法(=範疇・形式)」の原型となる思想が、道元の禅の議論に基づいていることを指摘し、環境プラグマティズムと生活環境主義に残されていた課題の克服の方法として位置づける。 →太田修論 本覚思想の自然観が現代環境思想に示唆する点の一つが、人間とコミュニケーション関係の内にある自然を示唆する点である。そのことは、先の引用からうかがえるように個別の自然現象の内に法(真理)を観ずるという関係に典型的である。それは逆に、13世紀の道元が先鋭的に言うように、今目の前にある山水がそのまま(真の)自己そのものであるという関係でもある(木村清孝、日本仏教学会編『仏教における共生の思想』平楽寺書店、2000年)。このような関係は人間と自然が静的に対時するのでなく相互に響感しあうあり方であり、法ないし自己はこの響感の内に現出する。このようなコミュニケーション関係は和歌の技法としても展開するが、この面を言うだけでは、欧米の神秘主義的自然観と同様に、観照的-情緒的関係や宇宙・真理との抽象的一体関係に還元されやすい。 1.道元における自然の問題 現代のエコフィロソフィーや環境思想論において西洋近代思想批判と一体となって東洋思想に学び日本の伝統思想を再評価すべきことがなお強調される。だがこの強調は、ともすれば情緒的な伝統思想賛美論や文化ナショナリズム論に傾斜する危険性ももつ。この危険を回避して東洋思想や伝統思想がどう積極的に寄与しうるかを、人間自然関係論と仏教思想を例にあらためて考える。 伝統的自然観を現代に生かすことを検討する場合、あらかじめ留意が必要である。東洋的自然観や日本的自然観はしばしば、人間と自然を融和・合一させる思想として、現代の環境問題を招いた西洋や近代の、人間と自然を対立させる思想を克服する普遍的思想だと称揚される。老壮思想や儒教哲学、仏教哲学、あるいは空海の密教哲学、親鴬の自然法爾思想、道元の自然観など、東洋のいろんな頂点的思想の普遍的意義が取りざたされてきた。なぜ鎌倉仏教はフィーチャーされているのか? 末木文美士「日本仏教史」(新潮社、一九九二年)は、研究者や一般の関心が鎌倉新仏教のみに注目し、平安仏教の研究や理解が「遅れて」いる理由を二点に整理してこう言っている。「第一は実践面で、易行化、すなわち誰にでも可能な容易な実践法をたて、それによって初めて仏教が民衆のものになった。これに対し平安仏教の修行は一般庶民とは縁遠く、所詮、貴族の仏教であり、鎮護国家の仏教であったと考えられた。第二は理論的で、親驚や道元の思想を宗教哲学として今日でも第一線で問題にされるような高度な内容をもっており、またそこに日本の社会に適応した仏教の日本化がみられる。これに対して平安仏教は、所詮、祈祷仏教であって、思想内容に乏しいと考えられた。」(新潮文庫版、86-87頁)。 人間とコミュニケーション関係の内にある自然を示唆する点は、個別の自然現象の内に法(真理)を観ずるという関係に典型的である。それは逆に、一三世紀の道元が先鋭的に言うように、今目の前にある山水がそのまま(真の)自己そのものであるという関係でもある(木村、前掲書)。このような関係は人間と自然が静的に対時するのでなく相互に響感しあうあり方であり、法ないし自己はこの響感の内に現出する。このようなコミュニケーション関係は和歌の技法としても展開するが、この面を言うだけでは、欧米の神秘主義的自然観と同様に、観照的情緒的関係や宇宙(真理との抽象的一体関係に還元されやすい。 2.仏教における自然の問題 3.如法的自然と科学的自然 4.万法と自己 5.渓声山色 6.山河をみるは仏性をみるなり
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編集(管理者のみ) 世界文学ランキング 随想 1 2 3 4 5 6 7 草稿 草案 倫理とは何か 序 1 2 3 4 5 6 7 終 はじめての言語ゲーム これがニーチェだ 1 2 3 4 5 6 翔太と猫のインサイトの夏休み 1 2 3 4 ウィトゲンシュタイン入門 子どももための哲学対話 1 2 3 <子ども>のための哲学 オタクの息子に悩んでます 詐欺と詐欺でないもの シュタゲ論 好きな言葉 文学史 ~ 1400~ 1700~ 1800~ 50~ 1900~ 50~ 小説(趣味) 箱人 1 2 草稿 或矮人の記録 1 2 3 兎ぴょん吉くんの話 1 永遠の傍観者 1 草稿 誰でも知ってる人間の秘密 1 絵芝居(趣味) 箱人 プロット 人物表 椿姫/初恋/居酒屋/谷間の百合/ゴリオ爺さん/悪霊/アンナ・カレーニナ/戦争と平和/白痴/罪と罰/カラマーゾフの兄弟/赤と黒/パルムの僧院/嵐が丘/宝島/城/蠅の王/地下室の手記/ボヴァリー夫人/白鯨/サンクチュアリ/百年の孤独/デイヴィッド・コパフィールド/予告された殺人の記録/カンディード/ナナ/クリスマス・キャロル/大いなる遺産/オリバー・ツイスト/自負と偏見/怒りの葡萄/ハツカネズミと人間/動物農場/草の竪琴/狭き門/エーミールと探偵たち/父と子/緋文字/テレーズ・ラカン/ブリキの太鼓/ダロウェイ夫人/ドリアン・グレイの肖像/虞美人草/草枕/道草/吾輩は猫である/こころ/三四郎/行人/彼岸過迄/明暗/誠実な詐欺師/人間の絆/魔の山/オズの魔法使い/若草物語/夜の果てへの旅/なしくずしの死/日の名残り 小説の研究 赤目四十八瀧心中未遂/吃りの父が歌った軍歌/永遠の仔/甘い蜜の部屋/流れる/人間の絆/赤と黒/なしくずしの死/ホテル・ニューハンプシャー/鏡の国のアリス/ニュークリアエイジ/荒野のおおかみ 小説の周辺 死をポケットに入れて/若き詩人への手紙/人と人/権利のための闘争/夜と霧/アンネの日記 小説案内 文士の魂・文士の生魑魅/一億三千万人のための小説教室/童話/読みたい本 映画史 1800~ 1900~ 50~ ストーリーの類型 変身/入れ替わり/人造人間/宇宙人/美醜/白痴/ミュータント 社会 ベーシックインカム/自殺率/経済と金融/犯罪/法律/社会保障の歴史/批評家 いろいろ 街路樹/戦争/科学/聖書/仏教哲学/闘病ブログ/音楽/極楽/他のサイト/夢/メモ twitter凍結されましたw ブロマガ ust,ニコ生,pixiv total - , today - 編集(管理者のみ) リンク @wiki @wikiご利用ガイド 更新履歴 取得中です。
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■はっきり言ってプログラム等は苦手だが、わかりやすいnishimuraさんの本をすべて丁寧に読破するぐらいの気持ちでやれば、求められる大概のことは出来る気がする。 以下に西村さんのプロフィールより 1989年に東京外国語大学に入学。翌年念願のノートパソコンを購入。そしてソフトハウスでアルバイトを開始し、Pascalに出会う。いつしか学ぶ言語の中心がペルシア語からPascalへ移行し大学を中退!! 人生を(多分)変えた本は[[「どの宗教が役に立つか」と「MS-DOSを256倍使うための本」。人生を変えた曲はSteppin Into Asia。 まずサーバ管理についての心得(何事にも心得は大事です。というより自らのモティベーションをあげるため) 1 この世は解決を待っている魅力的な問題であふれている ハッカーでいるためには、問題を解決し、技術に磨きをかけ、知性を発揮するようなことに対して興奮するようでなくてはなりません。 2 同じ問題を2度も解決すべきではない 解決を待っている問題がそこかしこにあるのに、車輪を再発明するような無駄をするべきではありません。 情報を共有したり解決した問題の解決策を公開することはほとんど道徳上の義務でしょう。 3退屈なこと、単調なことは悪である(例外もある) 一般的に創造的な人は、退屈した単純作業をするべきではありません。そのような無駄はあらゆる人にとって損害となります。 4自由は善である ハッカーは本質的に反権威主義です。 5態度は能力の代わりにならない ハッカーになるためにはこれまで述べたような態度をとるようにしなければなりません。 しかし、態度だけを手に入れてもはっかーにはなれません。態度だけで勝利するスポーツ選手はいないのです。 ハッカーになるには、知性、実践、献身、そして勤勉であることが必要です。 by Eric S.Raymond 1996 [How to became A Hacker] 同じ問題を2度も解決すべきでない。 これがまず自分にとってのこのサイトの意義です。 ■ノートブックを利用し、作業効率を上げているらしい 今回は近所のファミレスでメルマガを書いています。朝ごはんをとってもう2 時間ほど粘っています。これからはファミレスと喫茶店のお世話になりそうです。 確かにネットにつながっていると、余計なことをすることも.... 参考 ■最近どうもやる気がでない方へ 自己暗示、結構効きます あなたはやる気がでるとか 右脳をはすごいらしい 左脳をとめ(リラックス)、右脳を使用 ■最終的には すべての技術を理解してから、細部に取り掛かるのではなく、 まず作り出してみよう!! プラモデルのパーツのように、ひとつひとつつくっていき 組み合わせることで全体が出来るはず。 論文等と同じ。腕を組んでいてもわからない。まずペンを持ち 書き始めることで、つながっていく。 信仰と同じ。頭で考えてわからない。信じ、祈りはじめることで つながっていく。 世界と自分とは、客観的に存在するものでなくACTIONを起こすことで 動的に生成されるものだ。 マタイ6章25節から34節 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」 ■Windowsは、「与えてもらえる文化」である。そして日本は子供に対してほとんどがお仕着せの文化である。by UNIXUSER 1998年2月 ルート訪問記 ■インタビューを受けた方は、「コンピュータ=プログラミングするもの」という図式ができていた、という。そのため「人が作ったソフトウェアを使うもの」としてパソコンを使う人々と出会い、カルチャーショックを受けたという。 ■研究会のあるメンバーが「人間は1日に24本以上メールを書いてはいけない」といっている。また『「24時間以内にメールの返事があることを期待されては困るから、わざとすぐに返事を出さないようにしている」というのもある。』ともいっている。わたしはこれらの意見に、激しく同意する(2chなら「禿同」というところだ)。商売ならば、すぐの返事がすばらしいと思う。しかし、こうやってどんどんメールの返事を早くすると、どんどんメールが来てしまい、メールの読み書きだけで人生が終わってしまうだろう。 ■「FAQで見るPC UNIXの常識」という大特集である。 PC UNIX,LINUX,FreeBSDに分かれている。PC UNIXのFAQは全部で53問ある。ざっと見て、わかるのは6割だ。今となっては、もうどんどん忘れてもいい知識かもしれない。それにしても、Windowsの知識がすぐに使えなくなるのに比べて(自分が単にしらないだけかもしれない)、 UNIXの息の長さの長さには驚くべきものがある。 ■Admin Tipsby Nさん Nさん 専攻はインド仏教哲学。筑波大学哲学・思想研究科を経て、現職。インターネットを通じた情報の共有や研究利用に関心を持ち、様々な実践的活動を展開。この6月に出版された『インターネット時代の宗教』(新書館)にも執筆している。 やる気を出す工夫 (1)目的意識を明確にする (2)目標達成の魅力を感じる (3)中間目標と締め切りを設定する (4)今できることをやる (5)助走して始める (6)かけ声をかけて始める (7)人を利用する (8)愉しんでやる (9)集中と休憩 (10)やる価値を考える
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451 :一:2007/10/03(水) 19 01 08 O また私の母は統合失調症であった 彼女と向き合った日々ほど私の思想を影響し決定づけたものはない そういえば智恵子抄の智恵子も分裂症だ ま、たまたまかな 452 :考える名無しさん:2007/10/03(水) 20 22 44 0 あれ、おわり? 453 :考える名無しさん:2007/10/04(木) 02 06 55 0 447 そういう青春真っ盛りな意気込みだけははそのままで、 そういう青春真っ盛りな思いつきは 大人になっても引きずったりしないように、 思想を創っていくことができたら、それは素晴らしいことですね。 448 もちろん誰でも自分の都合のいいように世界を解釈するもんで、 哲学史は解釈相互間の闘争の場のようなものなのだともいえるし、 影響力のある哲学者ほど自分の理念のもとにあらゆる物を解釈しているものですが、 その解釈作用をする理念が、強度があったり、創造的であったり、深く生を認識していたりしてこそ、 他の解釈を押しのけて新しい哲学として影響力をもつわけであって、 そうでもない状態の自分の哲学的な基盤を疑わずに信用しすぎて、 その基盤のもとにしかあらゆるものを解釈できない、何もかもを壱思想的にしか吸収できない傾向が強くなってしまえば、 哲学的基盤、自分の思想は豊かにならない、他の人の哲学から大事なものを吸収できない、 自分が認識しているだけのことしか自分は認識していないのであって自分が認識していないことを哲学者はたくさん認識しているということを忘れてしまう、 そういうことになってしまいそうだから、その壱思想というものに憑かれたままでは よくないのではないかな、という感想があったわけです。 同じ壱という一なるものに関する思想をあらゆる考えを抽象していって抽象化論理化していくにしても、 いろいろな多くの認識を手に入れた上でしたほうが、ずっとその思想は豊かになるでしょう。 勝手な批評、気を悪くされていたら申し訳ないです。 自分の思想という内側にあるものへの内向と、他の哲学者やその他世界に存在するいろいろな思想や芸術への外向の、 呼吸のようなリズムが、思想を豊かにしていくように思われます。 454 :一:2007/10/04(木) 17 17 46 O まあこれまでもそうだったように私の思想は今後も微妙に変化していくだろう 私は思想が完成したとは思ってないし、それにしがみつく気もないから ただ いろんな家具や調度品や芸術品の置かれた洋間のような豊満な思想よりも 畳と襖しかないガランとした空間に掛軸が掛かってるだけの和室のような思想に近付いていく気がする まあこれはどっちが正しいかじゃなく趣味の問題だわな 455 :考える名無しさん:2007/10/05(金) 19 04 22 0 age 456 :一:2007/10/05(金) 19 05 26 O まあでも例えば 料理の道を極めようと思ったら旨さとはこういうもんだとかいう思い込みを捨てて 初心に帰ってあれこれ食べてみるべきだろうし 俺もそんな風にして日々起こる事に接していきたいと思うよ それが、こだわらない自由人なんであって壱思想的生き方なのさ 457 :考える名無しさん:2007/10/05(金) 21 04 26 0 易や風水にもつながりそうだな 458 :一:2007/10/05(金) 23 06 07 O そういうのは全然詳しくないけど「気」というのは壱に近い気はするな 元気って言葉が俺は好きでね いろんな気のもともとの気 元気は無邪気で無尽蔵であり疲れを知らない そういうものが私の本体 そう思うと辛いときでもほんとに元気が出て来るのは不思議だ 459 :一:2007/10/05(金) 23 16 55 O 何かしら元気を阻害するものはできるだけ捨てていくべきだし ちゃんとしたメシを食ってちゃんと寝ることが何よりも大事だと思う今日この頃です 460 :一:2007/10/05(金) 23 28 10 O だから猪木さんが 元気ですか~っ!と叫び 馬鹿になれ とことん馬鹿になればほんとの自分が見えてくると語るのも 深いな~と思うな ほんとの自分とは元気そのものなのだ 461 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 01 31 47 0 いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。 新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。 ↑に萌えてる僕は負け組みですね・・・ 462 :一:2007/10/06(土) 02 35 39 0 その元気が私の心臓を動かし肺を動かしている 私の細胞一つ一つを動かしているのも元気である 元気こそ私の主人公であり私自身なのだ 元気としての私は宇宙ができたころから存在していて 未来永劫存在しなくなることはない そして常にあらゆる空間に元気としての私は満ちている だからその元気があなたの心臓も動かしている ということは結局私とはあなたでありあなたとは私である 463 :一:2007/10/06(土) 02 38 41 0 461 大丈夫だよ俺も少し萌えてたしw 464 :一:2007/10/06(土) 13 11 02 O 精神も肉体もぐにゃぐにゃにやらかくしとくのが元気をスムーズに流すのにいい 硬さ、凝り、こだわり、わだかまりは元気の流れを阻害する ヨガや気功も元気を滞りなく流すために身体を整える努力といえる 465 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 15 00 04 0 壱とは生命そのものという感じかな 466 :一:2007/10/06(土) 16 38 21 O んーそうだね近いかな より正確に言うと壱とは生命そのものの原動力みたいなもの ありとあらゆる現象の原動力が壱 だから天体の運行の原動力も壱 だから壱は生命にその対象を限定していない 467 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 17 32 22 0 原動力かぁ。 原動力の原理ってどんなん かな? 468 :一:2007/10/06(土) 17 48 06 O 宇宙が超巨大なドミノ倒しだとしたら その最初の一個を倒した力のことを私は原動力と呼ぶ 469 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 18 38 02 0 だからー、その原動力に原理はないの?と聞いたんだけど 470 :一:2007/10/06(土) 19 03 25 O そら失礼しますた 原理って言葉で君が意味したいことがまだつかめないけど 宇宙の最初のドミノを倒すってのは一回限りのことで再現することはできない 原理とは普通何回もある現象を観察して見出だすことのできる、 こうなったら必ずこうなるというような法則のようなものだと思うけど そういう意味でいえば壱に原理があるかはわからないな 壱に原理を見出だすには宇宙を何回か一番最初から始めさせて観察する必要があるだろうから 471 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 21 42 34 0 そだね。 すんまそんw 壱からあらゆる原理が発生しているということか。 ついでに、前に君が紹介してくれたOSHOって本探した んだけど、これ書店に置いてなかった。図書館にもなかった。 アマゾンで注文中。読んでみようと思う。 図書館にI AM THATという題名のインドの本があった んだけど、これも同じ部類かな? 仏教哲学は、どういった本? 472 :考える名無しさん:2007/10/06(土) 21 45 48 0 もの こと の理を説明してみてくらさい イデアについて説明してみてくらさい 老子の道について説明してみてくらさい 473 :一:2007/10/07(日) 00 36 47 0 471 I AM THATは読んだこと無いけどざっとググって読んでみた感じでは 壱思想とある部分似たようなこと言ってるっぽいね よかったら読んでみてよ 仏教思想は俺もよく知らんけど 禅だったらOshoの「究極の旅」はおもしろかったかな でも彼の本はほんとにインド思想や仏教思想を勉強したいならおすすめしない 一般的な教養として読みたいならその専門スレの人に聞いてみるがよろし Oshoの本は勉強になるというよりはおもしろくて何か癒されるって感じかな 474 :一:2007/10/07(日) 00 42 28 0 472 ものの理ってのはいわゆる物理のことかな 物体のふるまいにおける法則といったところか ことの理ってのはなんだろね 形而上的なことにおける法則とか原理原則みたいな感じかね イデアや道に関してはその専用スレで聞いてみるとよろし 475 :一:2007/10/07(日) 01 10 34 0 ただ原理だとか法則とかいうのも 人間が四次元の思考の枠組を持つからその帰結として存在し発見されるのであって 宇宙人が十次元の枠組を持ってたらまた全然違う法則があるだろうし 魚や昆虫にはまた全然違った法則があるだろうし 我々の発見した法則というのが宇宙のデフォルトということはない だから極言すれば人間がいなければ我々に知られてるどんな物理法則も存在しない なぜなら人間がいなくなればこの世界をこのように把握する存在はいなくなるから 我々の見ている世界は純粋現象Xの一つの相にすぎない 我々の発見した原理や法則はその一つの相における原理や法則にすぎない 476 :一:2007/10/07(日) 09 45 42 O だから人間の意識下においてはどんな物理法則もカンケーない なのでUFOや幽霊のような物理法則を無視した現象が時々知覚されるのだ それもまた宇宙の一つの相 477 :一:2007/10/07(日) 13 13 17 O いろんな芸術のインスピレーションの源泉も 意識下での宇宙把握にあるのかもね 天才と狂気は紙一重だと言われるのも 478 :考える名無しさん:2007/10/07(日) 20 46 18 0 一は(和風)ポストユンギアンなのかい? 479 :考える名無しさん:2007/10/07(日) 21 53 57 0 本紹介してもらったもんだけど、 早速読んでみるわ。 それと、また間違えたw 仏教哲学じゃなくて、禅関係でおすすめ本なんかある? と書いたつもりが、、、、 480 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 00 07 41 0 人の認識の枠を超えた話は全部戯言 遊びとしては楽しいね かわいいね 481 :一:2007/10/08(月) 01 04 30 0 478 なんなんだろうね 好きなようにレッテル付けてくれたらいいよ 俺は何だとも思ってない 酔っぱらいの戯言でも結構 実際そんなもんさ 480 照れるじゃないかw 482 :一:2007/10/08(月) 03 40 41 O 私は認識できないことでもそれを想定して仮説を立てることができる それができてしまう限り私はそれをやめるわけにいかない なぜなら私は認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を 自分に納得させることがどうしてもできないから 483 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 06 48 32 0 認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を 自分に納得させることがどうしてもできないから それを想定して仮説を立てることができる ↑って書き方はおかしいのかな? 484 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 08 23 32 0 自分に納得させることができない・・・ 能力不足を補うための想像に頼った考え それが思想なのかもしれないな 思想を持つのは弱さの現われ、か 485 :一:2007/10/08(月) 09 43 41 O どんな科学者でもまず直感から仮説を立てる そしてそれが既知のものと整合性を持つかどうかを検証していく なぜ仮説を立てるかというと既知のものではどうしても納得できないから 486 :一:2007/10/08(月) 14 50 38 O 既知のものから未知のものを類推することが思考するということで 絶対に答えの出ないような問題を粘り強く考えることを愛することこそ本来の哲学 だから簡単に納得したり諦めたりしない人、 人がさっさと通り過ぎるとこでつまずき続けるような人が思想を持つ 487 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 18 36 07 0 あんこう鍋、美味しうございます 488 :一:2007/10/08(月) 19 39 57 O そりゃようござんした もうそんな季節なんですなあ 肝は召し上がられました? 489 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 19 44 21 0 肝は油分多いから少ししかたべてないよ 490 :一:2007/10/08(月) 19 53 58 O そりゃヘルシーでますます結構なこってす 491 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 20 02 17 0 「壱」と「一」の中の人って一人なの? 492 :一:2007/10/08(月) 20 28 20 O 一人だよ 493 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 20 33 30 0 別で「釣り(および指示)」とかしてないの? 494 :一:2007/10/08(月) 20 40 13 O してないよ 495 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 21 10 33 0 自然界はアートだな~ 色もそう 形もそう 配置もそう すんばらし 鍋の季節か~おいらはキムチ鍋が一番好きさ~ 496 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 21 18 59 0 はにゃー 497 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 22 45 02 0 不安や心配ってなんだろう? 498 :考える名無しさん:2007/10/08(月) 22 55 13 0 497 おせてくらさいな 499 :一:2007/10/09(火) 01 48 01 0 495 最近美しいと思った自然って何? それの何がどう美しかった? 497 最近不安や心配を感じたことって何? それの何がどう心配だった? 500 :一:2007/10/09(火) 02 42 45 O 一口に美しいと言ってもいろいろあるわな 俺の場合だったらこないだ釣ったソウダガツオが美しかったなー ソウダって鱗があんまなくて表面がツルツルの銀色の魚なんだけど 釣り上げたとき朝日が反射してキラキラ輝いてほんとキレイだった 人間は基本的にキラキラ輝くものを美しく感じ有り難がる習性がある 古代の人が鏡に神秘的な魅力を感じていたのも同じ習性からだろう この習性の源泉は太陽崇拝にあると思う 古代の人にとっては雨や嵐のあとの日光は実に有り難く神聖なものだっただろう その名残として光るものを好む習性が残ってるんじゃないかな
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M-Tea*6_29-明治宗教史(二)島地大等 2014.2.8 第六巻 第二九号 明治宗教史(二) 島地大等 六~一一 〔仏教〕 明治宗教の二大系統 初期の仏教対神儒二教 神仏判然 仏教迫害令 排仏毀釈 大教院の神仏雑糅 反キリシタン連盟 耶蘇教退治 西洋哲学と仏教哲学 忠実なる国家主義者としての仏教 政治心理の発動 外国伝道 天文問題 教学上の自大禍 仏教史学・教理学 反軍国主義的潮流 宗教心理の萌動 清沢と樗牛 幸徳事件 三教会同 〔結論〕 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第六巻 第二九号 ダウンロードサイトへジャンプ】 (1.9MB) 定価:100円(税込) p.111 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 PDF マガジン 週刊ミルクティー* 今や転じて、仏教を中心としたる明治時代の宗教を概観すべき順序となってきた。じつに明治時代の宗教としては、その大系を概括して二大分統となすことができる。一つは在来の宗教であって、他は新来の宗教である。平凡な分かち方ではあるが、きわめて常識的でわかりやすい分類である。前者のうちには仏教と神道と儒教とがあって、それぞれ相異なった分野を持ってはいるが、新来の宗教すなわちキリスト教に対しては、だいたいにおいて類似の態度に立ちて拮抗したものである。ただし、神道と儒教とは明治期を一貫してさして有力なものではなかった。なんとしても仏教が日本固有の宗教を代表してキリスト教と相対峙した一大勢力と見るべきである。(略)いま、明治時代の日本宗教もやはり、この二大宗教の対立交渉に興味ある意義を存する。そこで、固有の日本宗教を代表するものは仏教である、新来の宗教はキリスト教である。すなわち明治時代の宗教は、仏教とキリスト教との交渉史を内容とするものだともいえるのである。ただし明治宗教史の第一ページは、キリシタン邪宗門の新来を予想したる神儒対仏教の内訌よりはじまっている。(「六」より) ※ #ref(6_29.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x xx) ※ お休みしまーす。 ※ PDF 形式、6インチ判。Windows 7 およびソニー Reader にて確認済み。 ※ この作品は青空文庫にて校正待ちです。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain, 2014. 島地大等 しまじ たいとう 1875-1927(明治8.10.8-昭和2) 学僧。幼名等。越後中頸城郡三郷村西松之木真宗勝念寺住職・姫宮大圓の二男。学僧たる父に仏典を学び、明治22年上京、築地積徳教校に入学、26年京都本山大学校文学寮に入り前田慧雲らの教えを受け、32年卒業。在学中、岩手県盛岡市外北山願教寺・董島地黙雷の養嗣となり、35年終業、東京高輪仏教大学にインド仏教教理史を担当。同年インドに渡航して西本願寺法嗣大谷光瑞の仏教史跡探究の一行に加わり、翌年帰朝。比叡山延暦寺の天台座主・山岡観澄に就きて真言を研究し、39年上京、曹洞宗大学、浄土宗立宗教大学に教授し、のち天台宗大学、東洋大学、日蓮宗大学にも教授した。大正6年、西本願寺幼法嗣の教養を命ぜられ、妻篤子とともに熱誠これにあたる。18年、東京帝国大学文科大学仏教の講師となり、後進の輔導に尽くす。享年53。著『思想と信仰』『教理と史論』『天台教学史』『真宗大綱』『仏教大綱』『日本仏教教学史』など。(日本人名)/「だいとう」(Wikipedia) ◇参照:Wikipedia 島地大等、『日本人名大事典』(初版第二刷、平凡社、1983.5)。 底本 底本:『解放』明治文化の研究号、大鐙閣。 1921(大正10)年10月発行 ※ うわづら文庫収録作品。 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1566.html NDC 分類:162(宗教 / 宗教史・事情) http //yozora.kazumi386.org/1/6/ndc162.html 難字、求めよ 分対 神祇神道 神儀 別頭 別当か 勅修の法会 下馬・下乗の制 勧請崇祀 敬神敬祖 連念 れんねん? 須弥山論 新運 棹尾 掉尾(ちょうび)か。 鄙教徒 ひな きょうと? 数の自然 仏骨奉迎 世界宗教大会 唯心論哲学 大乗哲学 釈尊伝 学動 仏教史 吾史 西欧新学 散克利 サンスクリットか 隔靴覚掻 かっか かくそう? 一厳頭 自家独得 解案 老驥? 露現 日蓮主義 明灯 自我霊性 即是 これ、すなわち? 求道主義 法王教 神性 ディビニティー? 霊格法身 超神 司造 発展仏教 反キリスト教 第三王国 第三帝国に同じか 神人一如 如来性 ドレパー ドレーパーか。Draper, Charlotte Prinkney 1832-1899 アメリカ人。 井上博士 井上円了? 井上哲次郎? 「東京文科大学における井上博士の釈尊伝の講義がもっとも有力にこの機運を醸成」(本文) 村上博士 → 村上専精 むらかみ せんじょう 1851-1929 仏教学者。 『真理金針』 しんり 〓 井上円了の著。明治19年から翌年にかけて著わし、キリスト教を批判し、仏教顕彰に努めた。(国史「井上円了」) 『両約書自語相違』 明治八年(一八七五)の刊行。 『学問と宗教との衝突』 ドレパーの著。 『仏教活論』 井上円了の著。明治二十三年(一八九〇)刊行。 『仏教小史』 藤井宣正の著。明治二十七年(一八九四)刊行。 『仏教統一論』 村上専精の著。明治三十四年(一九〇一)より三十八年にいたる満三年間にその三巻を刊行。 むしとりホイホイ である、?? → である。?? 【。か】 加へたものではない、 → 加へたものではない。 【。か】 畢寛 → 畢竟 【竟】 底本確認。要修正。 別頭 → 別当 【当か】 託鉢 → 托鉢 【托か】 廢彿 → 廢佛 【佛】 底本確認。要修正。 されて居る、 → されて居る。 【。か】 すべきでない、 → すべきでない。 【。】 新 → 新た 【た?】 二教も → 二教、 【、】 底本確認。要修正。 途に → 遂に 【遂】 底本確認。要修正。 唱導か → 唱導が 【が?】 出てしめ → 出でしめ 【で?】 咀む → 阻む 【阻か】 中心としたる。 → 中心としたる、 【、か】 包める。 → 包める 【。不要か】 棹尾 → 掉尾 【掉か】 ちょうび。 沈澱 → 沈沒 【沒】 底本確認。要修正。 覺悟したる。 → 覺悟したる 【。不要か】 北海道、 → 北海道 【、不要か】 移氏 → 移民 【民か】 一暼 → 一瞥 【瞥】 底本確認。要修正。 存せさる → 存せざる 【ざ?】 無能なる。 → 無能なる、 【、か】 驥麟 → 驥※[#「馬+鄰のへん」、第3水準1-94-19] 【※[#「馬+鄰のへん」、第3水準1-94-19]】 底本確認。要修正。 於ける。 → 於ける 【。不要か】 六年にした → 六年にして 【て?】 であつて。 → であつて、 【、か】 通つて居る、 → 通つて居る。 【。か】 起り。 → 起り、 【、か】 括目 → 刮目 【刮か】 宗教觀か → 宗教觀が 【が?】 出てざる → 出でざる 【で?】 動き進んだ。 → 動き進んだ 【。不要か】 流か → 流が 【が】 底本確認。要修正。 昭代 → 時代 【時か】 員數を越ゆる → 頁數を越ゆる 【頁か】 絡點 → 焦點 【焦】 底本確認。要修正。 崇巖 → 崇嚴 【嚴】 底本確認。要修正。 審判す、 → 審判す。 【。か】 迂餘 → 紆餘 【紆か】 ものである、 → ものである。 【。か】 精、 → 稍、 【稍】 底本確認。要修正。 遣憾 → 遺憾 【遺】 底本確認。要修正。 諒慈 → 諒恕 【恕】 底本確認。要修正。 スリーパーズ日記* 書きかえメモ。 重なる → 主なる ベンザム → ベンサム ストラウス → シュトラウス エローペリル → イエローペリル サ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]エー → ザビエル フランシス → フランシスコ 【コ】 まどもない → までもない 【で】 名あゐ → 名ある 【る】 棹尾 → 掉尾 【掉】 ちょうび。 移氏 → 移民 【民】 六年にした → 六年にして 【て】 括目 → 刮目 【刮】 員數を越ゆる → ページ数を越ゆる 【頁(ページ)】 昭代 → 時代 【時】 遣憾 → 遺憾 【遺】 2/04 外は嵐。北風の音。 2/07 図書館、ロビーがフェロモンくさーい。 2/08 大雪 西からの冷たい風。乾いた軽い雪。i-cafeへ。10時間パック。 翌朝、となりの家の屋根に積雪、目測で40センチぐらい。 2/10 晴れ のどのはげしい痛み。 オウム平田、サリンのあと、仙台、東北の温泉を女信者と逃避行。山形新聞によれば、1995年オウム事件の直後、国会図書館の貸し出し記録を警視庁が押収してたらしい。いままでまったく知らなかった。事実だろうか。 2014.2.8 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント