約 3,227,169 件
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/4725.html
人物 / いろいろブログ&サイト【陰謀論・裏の歴史・まさかの世界】 / 八咫烏 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ 「出エジプト」から「出ジャパン」へ!!コロナ禍で話題になった妖怪アマビエの正体は大預言者モーセの化身だった!!『失われたモーセの大預言「蘇民将来」の謎』発売 - PR TIMES 丸川五輪相のスポンサー忖度発言 恐るべきは巧妙な問題のすり替え - NEWSポストセブン 母なる地球からのメッセージ 想像力がよい未来をつくりだす! イマジンで世界は変わる湯川れい子さんからのメッセージ マス・メディアには載らない本当の情報がここにある! 『ザ・フナイ』vol.163 - Dream News 紙版ラストのコロコロアニキで「ペンギンの問題」復活、誌面連載作の今後も告知 - ナタリー 大槻ケンヂと上坂すみれがスプーン曲げに挑戦!!大槻ケンヂ「オカルト史に残る一日になったと思います」上坂すみれ「次は猫にまつわる緊急検証をやって欲しい」 - PR TIMES “ノストラダムスの日”に世界最速放送!『緊急検証!THE MOVIE ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー』 - PR TIMES 【制作現場レポート】オカルトの未来をかけた聖戦!大槻ケンヂら参加、映画「緊急検証!」収録レポ(写真13枚) - ナタリー CS放送人気オカルトバラエティ番組『緊急検証!』シリーズ、まさかの映画化へ!クラウドファンディングもスタート! - PR TIMES オカルト界の生きる伝説・飛鳥昭雄氏が謎の「卒業宣言」 - 東スポWeb あすかあきおが月刊ムー編集長と聖徳太子の予言書について語る、大阪にて - コミックナタリー ● ASKAZEERA 飛鳥昭雄が今の時代を鋭く読み解く!!辛口時事ネタコラム ● 飛鳥昭雄公式サイト ● 飛鳥昭雄〔Wikipedia〕 飛鳥昭雄氏の記事をよく取り上げているブログ ■ 日本や世界や宇宙の動向 【飛鳥昭雄】 ■ 飛鳥昭雄の妄想の八咫烏史観を斬る! 「サーティンキュー(2014.10.26)」より / 序 ★今の日本を観察すると魔王尊の影響が絶大なものである。それに日本人の殆どが気づかないのは、魔王尊とは何か?が全く解ってないからだ。安倍総理は意識的なのか?無意識なのか?魔王尊に従っている。魔王尊に従っている限りは安泰である。しかし、ロスチャイルドが背後にいる中国・韓国と友好すれば、魔王尊の裁きに遭い、2007年と同じ結果となるだろう。 ★今、八咫烏という言葉を使うロスチャイルド勢力がある。妄想家の飛鳥昭雄に言わせれば、多神教の神道は表で、裏神道とは一神教だという。聖書盲信の本末転倒もいいところだが、しょせんホルモン焼き教徒の妄想家の言うこと。マジに相手にしないで、軽く流すか。 (*゚▽゚*) ★今回は蘇る魔王尊と、それに対抗するロスチャイルド勢力が創作した闇のキリシタン族・八咫烏の正体を書いていくことにする。 1、八咫烏という言葉を使う闇のキリシタン族と、日本と天皇の起源 ★今日、本屋で精神世界分野のコーナーを見ていると、板垣英憲と飛鳥昭雄の本に「八咫烏」という言葉が使われていた。なんでも聖徳太子が創った秘密結社が八咫烏で、この秘密結社が紀元前660年から現在まで天皇制を支えているのだという。笑わせる妄想である。明治天皇は武器商人グラバーを使ってロスチャイルドと長州が誕生させた新興宗教だったが、再び、八咫烏とやらで、現人神天皇を復活をロスチャイルドは狙っているわけだ (*1)) が、それは無理だろう。今の天皇は象徴天皇制を維持するのもヤバイ。週刊誌ではいつもマイナスの話題しかない。 ★さて、秘密結社八咫烏を最初に結成したのは、聖徳太子らしいが、聖徳太子は古事記と日本書記という偽造文書が創作した架空の人物である。聖徳太子は百済の威徳王晶をモデルにして、氏と名を逆さまにして創作した架空の人物。飛鳥昭雄の特徴は聖書や記紀(古事記 日本書記)を真実の歴史として文字どおり一字一句盲信することである。かなりの馬鹿である。どこの国の歴史も時の権力により改竄され捏造されていることは常識。ホルモン焼き教徒は何でも信じる馬鹿野郎なんだろうか? ★しかし一般の日本人は歴史に疎い。天皇が朝鮮半島からやってきた侵略者から始まったことを、現代の日本人は誰も知らない。鷲がブログで書いているだけだ。初代天皇は新羅の文武王の金法敏の孫の金良琳である。663年に白村江の戦いがあり、新羅が百済を滅亡させたが、新羅は日本列島(倭国)まで侵略し支配し、倭国から【 日本 】に国号を変え、新羅の王族の金良琳が帝王の意味の天皇と初めて名乗ったのである!それが天皇の始まりである。そして史書を全て燃やし尽くし、歴史を改竄し偽造をした。倭国敗北の結果、新羅に侵略されて新国家の日本と天皇が誕生した。天皇は倭国敗戦の産物であったのだ! ★現代の日本史の中心に皇国史観が有り、これが日本史を非常に歪めている。だから日本人で本当の日本史を知る者は存在しない。天皇に北朝と南朝がある自体が、万世一系ではない。北朝の天皇は新羅系であり、南朝の天皇は百済系であり、朝廷とは朝鮮の宮廷という意味である。そして新羅の北朝と百済の南朝は常に戦争状態にあった。古代の朝鮮は現代日本人が思っているような感覚ではなかったと思うが、天皇は朝鮮半島からやってきた侵略者(北朝→新羅)から始まり、朝鮮半島からの亡命者(南朝→百済)もクーデターを起し天皇と称する者が現れた。そして今の日本史の基準である皇国史観は明治維新からのロスチャイルド製品。 ★倭国という国号から日本という国号に変わった時が日本という国の始まりである!日本という国号の言葉は、ボルネオ語のシラヒースの意味の「日の出るところ」からくる。日本は倭国が新羅と唐に負けた結果、新羅に支配された結果、出来た国ということ。それが真実。 日本という国は663年の白村江の戦いに倭国が新羅に負けて建国された、倭国の敗戦の産物であり、新羅の戦争の勝利より、新羅が列島を奪ったことで出来た新国家だったのだ! 2、皇国史観を土台とする八咫烏史観!は、闇のキリシタン族の国乗っ取り!工作! ★現在、オカルトマニアを攪乱しているのが飛鳥昭雄のホルモン焼き教日本史観である。煩悩君は飛鳥昭雄を心酔するから言論が難解で、さらに間違っているという、最近の内容が最悪になっている。飛鳥昭雄の日本史とは【 ホルモン焼き教徒の解釈の日本史 】に過ぎないのだが、オウム真理教の麻原彰晃を生み出した雑誌「ムー」というロスチャイルド系が飛鳥昭雄を売り出しているから、多くの馬鹿が騙さている。 ★明治維新からのニセ日本史の皇国史観の元祖はロスチャイルドと長州。天皇をメシアだと崇めるのは、ロスチャイルド創作の一神教メシアを崇めること。そして神秘系のロスチャイルド機関紙が、麻原彰晃を過去に売り出し、多くの馬鹿をいまだに騙し続けている、雑誌「 ムー 」であるのだ! ★さて飛鳥昭雄のニセ日本史の解読に入るが、最初に言っておくと、この謎を解くと、明治維新の国家神道の成り立ち、1851年から1864年に清(中国)で起きた「太平天国の乱」や地下鉄サリン事件を起し、1987年から1999年まであったオウム真理教の謎を解くことになる。飛鳥問題は実は非常に深い。世間の一般人は飛鳥昭雄なんぞ相手にしていないが、戦前の国家神道も、飛鳥昭雄も、太平天国も、オウム真理教も仕掛けの元はロスチャイルドだと鷲は見ている。 ★飛鳥昭雄の八咫烏史観は 1、明治維新が創作した皇国史観を土台にして、古事記や日本書記の記述を盲信する 2、多神教の神道は「表」の神道。一神教の神道は「裏」の神道。と間違った解釈をする 3、「裏天皇」という妄想を創作して、彼が世界を動かしているという 4、この「裏天皇」に忠実に従う秘密結社を八咫烏というらしい 5、秘密結社八咫烏を創ったのは聖徳太子だと云うが、聖徳太子は記紀が創作した架空の人物 6、日本史の謎を解いているふりをしているが、記紀は何十回も改竄された偽造文書なので無駄 7、日本の天皇は世界を救うメシアになるらしいが、これも妄想にすぎない 8、天照大神はイエスキリストらしいが、天照は記紀が創作した嘘の神であり、実のイエスキリストは十字架に磔になってない 9、ヤハウェは「ベルの目」を改竄して創作した旧約聖書の嘘の神であり、イエスは十字架には磔になってないがモデルがいた。ヤハウェ=イエスは妄想 ★ざっと妄想家の飛鳥昭雄に思うことは上の9点である。鷲が感じるにロスチャイルドは明治維新の時、現人神天皇を創作して日本を支配したが、その原点に戻ろうとしている、と感じる。飛鳥昭雄グループと雑誌「ムー」を使って。 ★飛鳥昭雄は気づいてないが、日本神話(古事記)と言われる書物は実は日本の話をしているわけではない。例えば、因幡の白兎で、兎は鰐の背中を渡って向こうの岸まで行くが、鰐は日本にはいない。この話は鰐の居るところの話を輸入してできたものである。輸入した話をさらに改竄しているから、その話を信じることは危険だ鰐(*゚▽゚*) 飛鳥昭雄の場合、なんでもかんでも信じるホルモン焼き教だから、こんな簡単なことにも気づいていない。 ★聖徳太子が架空の人物であったことは今では教科書にも掲載されている。教科書でも聖徳太子は架空の人物と書かれる時代に、まだ飛鳥昭雄は聖徳太子の存在を信仰して、秘密結社八咫烏を創ったのは聖徳太子とかいうクダラナイデマを世間に流布している。また大化の改新とは日本列島の事件でなく、朝鮮半島で起きたビドンの乱だった、ということもなってきている。つまり歴史認識はどんどん変わっているんだが、飛鳥昭雄は古い頭のまんま思考停止中にいる鰐(*゚▽゚*) ★聖書を盲信する馬鹿は、記紀も盲信して、物凄い妄想を世間に振りまいている。ヘブライ語の旧約聖書の創世記は単数の神という言葉は使われず、エロヒムという言葉が明記される。エロヒムの意味は「天から降りてきた神々」という意味だが、複数の神々を単数の「神」にヘブライ語以外の旧約聖書の創世記は変えた。ヘブライ語以外の旧約聖書は、一行目から偽造しているのだ。ヘブライ語の旧約聖書とて、バビロンの「ベルの目」の改竄だと思うが膿~ ★飛鳥昭雄によれば神道の元は原始キリスト教らしい。まずこれは間違いである。なぜならユダヤ教は旧約聖書の【 言葉 】を神の教えてとして信じる宗教であり、キリスト教は新訳聖書の【 言葉 】を神の教えとして信じる宗教。ユダヤ教もキリスト教も【 言葉を信じる宗教 】である。しかし神道は【 シンボル 】を直感的に読み、【 シンボルから天啓を受ける宗教 】であり【 言葉を否定する宗教 】である。これは聖書信仰の世界とは全く違う分野ということ。 ★飛鳥昭雄の屁理屈によりなんとか神道のキリスト教化をする行為は、1851年の太平天国という新興宗教や明治維新の時の日本の天皇を現人神とする新興宗教と同じで、 土俗宗教に化けたキリスト教の創造を飛鳥昭雄はやっている!ということ。 ★土俗宗教の中に潜り込んだキリスト教(一神教)で大衆を支配する!という戦術がロスチャイルドの国の乗っ取る方法であるのだ。飛鳥昭雄の背後にいるのはホルモン焼き教だが、それもロスチャイルドが経営していると簡単に解るのだ。 ★明治維新の時の現人神天皇を崇拝する国家神道とはキリスト教が潜り込んだ偽装神道であり、戦後の創価学会も法華経信仰を池田大作という偽装メシア信仰にすり替えた一神教であり、どちらもロスチャイルド製品である。土俗宗教の中に一神教(キリスト教のメシアニズム)が潜り込んだ新興宗教で大衆を支配するのが、ロスチャイルド戦術ということ。 3、飛鳥昭雄の言うことは全て間違い鴨!? ★飛鳥昭雄の妄言の覚えていることを羅列すれば 1、日本人はユダや人である 2、イエス・キリストは天照大神である 3、古代エジプト人は日本人だった 4、ナチスヒットラーは日本人の八咫烏がつくった 5、世界で一番古い書物は旧約聖書である とか覚えていることを書いたが、上は全て間違いだろう。 ★1の「日本人はユダや人」というのは完全な間違い。ユダヤ人の定義は1にユダヤ教の信者である、2にユダヤ人の母から生まれた、である。日本人でユダヤ教の信者は希だし、鷲は見たことがないし、また、ユダヤ人の母から生まれた日本人も非常に希な存在だ。ユダヤ人の定義は血統より思想や信仰を優先するから。 ★2の「イエス・キリストは天照大神である」。これも間違い。記紀は何度も書き直された偽造文書である。九鬼文書には「父のスサノオの子が男性の神である天照大神」だと書かれるが、それが元で、それを今のような姉が天照大神で弟がスサノオを書き直したのは道鏡である。道鏡が政治的な理由で書き直したから今のような姉と弟になった。それ以前に飛鳥昭雄の「イエスキリスト=天照大神」は同じ太陽神だから同じ存在というような安易な発想だろうが、お話にならない説である。 ★3の「古代エジプト人は日本人だった」というのも、もちろん間違い。日本人とは日本という国が出来てから誕生するもの。皇国史観ではなく、本当の歴史は、663年の白村江の戦いで、新羅の王族が列島まで占領して、金法敏の孫の金良琳が「倭国から国号を日本に変え、日本という国を建国し、金良琳が天皇と名乗る」。日本という国が存在しない、古代エジプトの時代に、エジプト人が日本人なわけがない。馬鹿杉。 ★4の「ナチスヒットラーは日本人の八咫烏がつくった」。秘密結社・八咫烏とは飛鳥昭雄とその背後だけの存在。お話にならない馬鹿杉の説。 ★5の「世界で一番古い本は旧約聖書」。お話にならない馬鹿杉の説。説明もメンドイ(*2)) ★飛鳥昭雄の説は「全て間違い」だと思えてくる! ★飛鳥昭雄の本の役割は多神教の神道や大乗仏教を一神教に創り変える(解釈変換)ことである。そして全ての元の神は「ヤハウェ=イエス・キリスト」という唯一神にして、日本人の中で騙される馬鹿杉信者を増やし、精神的にロスチャイルドが日本を乗っ取るという戦術のための本であるのだ。その戦術は「太平天国」や「国家神道」でロスチャイルドがやったことである!飛鳥昭雄の本と秘密結社・八咫烏という妄想は現代に現れた闇のキリシタンの日本侵略である。その神はイエスでもヤハウェでもなく、闇の神であるテスカトリポカである! 4、1930年代、魔王尊が蘇り、【 ユダヤ(ロスチャイルド)→闇のキリシタン族 】を裁いたが、それが繰り返されるのが今! ★鬼族の豊臣秀吉がキリシタンを排除したから江戸の260年間の平和があったと鷲は見る。しかし明治維新からはロスチャイルドというユダヤに支配され、日本はユダヤの手駒となり、日清・日露や第一世界大戦など、ロスチャイルドの権益を拡大するための戦争を10年に1度やらされた。しかし1929年10月24日から始まった世界大恐慌がロスチャイルドを大転落させ、日本でもロスチャイルド狩りが始まり、ロスチャイルドと関係の深い三井財閥系の政財界の要人が暗殺されるテロが繰り返される。 ★1928年からの 1、3、15事件(1928年) → アカ狩り 2、浜口尾幸暗殺事件 3、3月事件・10月事件 4、5、15事件 5、士官学校事件 6、2、26事件 7、東条英樹暗殺事件 などの事件は魔王尊が米国と日本の青年将校たちの背後に居て、ユダヤ狩りをした事件である。 ★繰り返すが、これらのアカ狩り、国家転覆事件は、魔王尊がホルスを使ってロスチャイルド(ユダヤ)の日本を転覆しよとした。魔王尊が背後にいる米国が深く日本の中枢に潜入したからできたことで、結局、米国の手下の山本五十六に真珠湾を攻撃させ、絶対に勝てる戦争を米国は始め、【 ロスチャイルド(ユダヤ)支配の日本 】に二発の原爆を落とした。広島の原爆がナチス製だったのは、太平洋戦争が明治維新から始まるロスチャイルド日本を壊滅させ、米国支配の日本に転換させる目的だったことが解る。 ★今は再び、魔王尊が日本に降臨して、ロスチャイルド(ユダヤ)を壊滅する時のサイクルに入ったと鷲は見る。左翼政党(左翼的言論人の全て→アカ)はユダヤに支配されている。また中国とロシアと関係の深い宗教団体、政治家、要人、は全てユダヤに操られている者たちである。またロスチャイルドが創った明治維新からの天皇を信じる者たちもユダヤ側である。しかし安倍総理は魔王尊に従っていると鷲は見る! 【 結び 】 ★飛鳥昭雄の秘密結社・八咫烏を考えていると、彼らは現代日本を侵略しようとする現代に現れた闇のキリシタン族だと解った。闇のキリシタンの特徴は多神教を一神教解釈で洗脳し変えて、国を乗っ取るという戦術である。鷲が考えるに、秘密結社・八咫烏とは飛鳥昭雄とそのグループだけに存在する妄想である。現実には存在しない。存在しても実体はホルモン焼き教だろう(*゚▽゚*) ★本物の太陽神は「 裁きの神 」として出現する。裁かれるのは、キリシタン(ユダヤ)に洗脳された者たちの全て。その裁きの現象が起きたのが1930年代の日本であったのだ。今は再び、ノストラダムスの諸世紀10章72番の四行詩を考える時である。 1999年7月 空から恐怖の大王が降りてくる その前後、アンゴルモアの大王を蘇らすために マルスは平和の名において支配するだろう 完 ■ 飛鳥昭雄は、モルモン教のエージェントだった!?:いや〜〜、参ったネ。 「Kazumoto Iguchi s blog(2013.4.2)」より / サイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏、この私も長らく彼のファンの一人なのだが、この間の話の中に「自分が所属するキリスト教会はアメリカにある」という部分があった。どうもそこが引っかかるので、どの教会なんだろうかと調べてみると、どうやらモルモン教会であった。これをメモしておこう。 まず、飛鳥昭雄氏の所属するキリスト教とは、 「末日聖徒イエス・キリスト協会」〔日本公式ウェブサイト〕 末日聖徒イエス・キリスト教会〔Wikipedia〕 というものらしい。 「末日聖徒イエス・キリスト教会」というから、なんと仰々しい名前なんだと感じたのだが、なんていうことはない。昔の「モルモン教会」のことではないか。何か懐かしいので、ここにメモしておこう。 このモルモン教の聖地はユタ州ソルトレークである。だから、私はユタ大学出身のため、4年間その聖地に住んでいた。初めてアメリカ大陸に宿泊した場所が、ソルトレークのフェアバンクのモーテルだった。私は週末にアメリカに行ってしまったため、大学が休みで、始まるまでの2日間そのモーテルで過ごしたのだった。私は右も左もわからず、大学内でトランク片手に困っている所にちょうど出くわした家族がいた。その家族が帰るついでだからといって、そのモーテルまでわざわざ送ってくれたである。 その家族がモルモン教徒だったかどうか知らないが、一般にモルモン教徒は実に親切な人達である。あまり悪い人はいない。 (※mono.--中ほど大幅に略、詳細はブログ記事で。) / まあ、普通の言い方をすれば、「飛鳥昭雄はモルモン教のエージェントだ」ということになる。モルモン教は日本の創価学会や統一教会や立正佼成会のように大組織である。だから、金がある。信者も多い。なるほど、なるほど。という感じですナ。 信じるものは救われる、というやつですナ。信じないものは救われない。 きっと私の額には666が印字され、腕には一生とれないバンドを付けられ、体内にはマイクロチップが埋め込まれてしまうのだろう。 世も末ですナ。 (※mono.--以下写真など略) ■ ~「飛鳥昭雄の大真実 ?!」って何?~ 「UNUNSOLVED(非公認飛鳥昭雄ホームページ)」より .
https://w.atwiki.jp/marowiki001/pages/4023.html
目次 【時事】ニュースキリシマ アルペジオ 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース キリシマ アルペジオ 『World of Warships Legends』で『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』とのコラボが開催。“ハルナ”と“キリシマ”がコラボ艦艇として登場 - ファミ通.com 「World of Warships」にTVアニメ「蒼き鋼のアルペジオ」の戦艦“ARP Yamato”と重巡洋艦“ARP Maya”が登場。Musashi用のコラボ迷彩も - 4Gamer.net 『劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』の新デザインホログラムTシャツの受注を開始!!アニメ・漫画のオリジナルグッズを販売する「AMNIBUS」にて - PR TIMES 『蒼き鋼のアルペジオ』の名(迷?)コンビ・ハルナとヨタロウ(キリシマ)がそろってfigma化! - 電撃ホビーウェブ アスキーゲーム 難易度大幅ダウン! World of Warships×アルペジオコラボ第二弾発動中 - ASCII.jp 横須賀に着艦!「劇場版アルペジオ」スタッフ、キャスト舞台挨拶にキリシマ着ぐるみも大熱演 - アニメ!アニメ!Anime Anime 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 ピクシブ百科事典 ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/蒼き鋼のアルペジオ ★★★★ 登場作品 参考/内山夕実 ★★★ キャスト タグ キャラクター 設定 最終更新日時 2014-02-03 冒頭へ
https://w.atwiki.jp/matome3435/pages/1872.html
ロクシタンカフェにて 2009年4月20日 (月) クロックムッシュとスープロクシタン、カフェロクシタン。 2人でシェアしました。 パンはおかわりできます♪ LOCCITANE大好き☆ おいしい出来事 かなえキッチン : ごはん日記 2009年04月
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/62244.html
【検索用 ほくはしった 登録タグ 2012年 UTAU nwnw ほ 曲 曲は 綴音アルゴ】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:nwnw 作曲:nwnw 編曲:nwnw 唄:綴音アルゴ 曲紹介 曲名:『僕は知った』(ぼくはしった) 歌詞 僕は世界を敵に回せるだろうか 荒む心を抉った 牙は既に折れて 僕は 人を 恐れ 人は 僕を 拒む この溝は深まるばかり 僕は知った 僕は胎児(こども)のままで良いと 『産まれてこなければ……』なんて 贅沢なことは言わないから 僕は自分を押し殺せるだろうか? 暴れる心を宥める 腕も既に枯れて 僕でさえも騙し 僕を嘘で固め その嘘は真実(ほんとう)になって 僕は気付く 僕は孤独のままで良いと 『都合の良い人』(やさしいひと)を演じて 僕は僕を 見失う 僕は獣のままで良いと 優しさを知ってしまった 僕はどうすれば良いんだ……? 何時まで僕は此の侭? 弱さを盾に? 脆い箱には何も無くて…… 僕は嘆き そして言った 僕は化石のままで良いと 見付からなければ屹度 平穏なまま眠れたのに 僕は胎児のままで良いと 居場所も名前も捨てた 僕は何処で 泣けば良いんだ……? コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/matome3435/pages/2492.html
スープロクシタン 2009年5月14日 (木) ロクシタンカフェに行くと必ず注文する、スープロクシタン。 添えられたパンには、有機オリーブオイルをつけて食べます。 ブイヤベースっぽい魚介風味のスープなのですが、固形物はトッピングのチーズだけ。このスープ、真似できない美味しさです。 おいしい出来事 かなえキッチン : ごはん日記 2009年05月
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/184.html
キリスト教の影響を受けた欧米諸国では伝統的に、同性愛は性的逸脱であり、宗教上の罪(sin)としてきた。一方、近年の医学の発達により、同性愛も異性愛と同様に生まれつきの性的指向であり、不当な扱いをされるべきではないとの認識が広まっている。 まず、今回の項目を書くにあたり、当サイトが「聖書無謬説」を採用していないことを宣言する。聖書は人による神の記録であり、聖書自体は神ではないからである。 旧約時代の律法における同性愛(男色)の禁止 旧約聖書では、創世記のソドムとゴモラの逸話において、神が同性愛(正確には男色)を理由に、ソドムとゴモラを滅ぼしたとされている。 ソドムとゴモラの破滅の経緯は、創世記18 20-21にかかれている。 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」 その故に滅ぼすと、二人の御使いは言っている。創世記19 12-13より。 二人の客(二人の御使い)はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」 これについての明確な説明はないが、創世記19 4-9の記述から、男色などの姓の乱れが原因とされる。 彼ら(二人の御使い)がまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。 そして、後に神による律法としてまとめられたレビ記18 22に次の記載がみられる。 女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである。 このように、主は同性愛(正確には男色)を罪だとしていると解釈されてきた。 しかし、ここで留意すべき点が二つある。 一つ目は、ソドムとゴモラについては、レビ記の記載と合わせ、伝統的には「同性愛がはびこったゆえに滅ぼされた」とされてきたが、実際には天使にも性交渉を迫ろうとするほどの乱交や、エゼキエル書で示されているような高慢さを原因だと解釈するのが自然である。 エゼキエル16 46-50 お前〔エルサレム〕の姉はサマリアであり、彼女とその娘たちはお前の北に住んでいる。また、お前の南に住んでいるお前の妹はソドムとその娘たちである。お前は彼女たちの道を歩んで、忌まわしいことを行ったばかりでなく、やがて、すべての道において、彼女たちよりもいっそう堕落した。 わたしは生きている、 と主なる神は言われる。 お前の妹であるソドムも、その娘たちも、お前とお前の娘たちが行ったようなことはしなかった。お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。 二つ目は、レビ記において否定されているのは「男性同士の性交渉」のみであり、同性愛そのものが否定されているわけではないことである。 それに加え、そもそも律法は旧約の時代にのみ有効とされるものだという点も問題となる。 新約の時代の律法 ユダヤ人に対して宣教をしていたグループが書いたとされるマタイ福音書には、確かに新約の時代であっても律法は守らねばならないという趣旨のことが書かれている。(マタイ5 17) (イエスは言った。)「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」 しかしながら、イエスは律法を文字通り守らなければならないとは言っていない。 たとえば、律法では安息日には仕事をしてはならない、と書かれている。(レビ記23 3) 六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。どこに住もうとも、これは主のための安息日である。 安息日規定については律法だけではなく、最も重要な戒律である十戒にすら書かれている。(出エジプト20 8-11) 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 しかし、安息日の労働の逸話でもわかるように、イエスは律法至上主義に見られるような形式主義を批判しており、律法は人のためにあるのであって、人を批難する道具としてあるわけではないことをはっきり明言している。 パウロの見解 このような経緯を組んだのか、異邦人にたいして宣教をしていたパウロは、「ローマの信徒への手紙」の中で、律法は旧い契約であって、新約の時代に守る必要はないことが宣言されている。(ローマ10 4) キリストが律法を終わらせたので、信じる人はみな義と認められるのです。 このことから、イエスによる神との新しい契約により律法は終わらされたため、ユダヤ教の者はともかくとして、イエスを信じる異邦人(この場合ユダヤ人以外を指す)は、律法を守る必要はないということがわかる。 パウロの考える同性愛 パウロは、以下の二つの書簡において、同性愛について語っている。 一つは、ローマ1 20-28にある。 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼ら(不義によって真理の働きを妨げる人間)には弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。 ここではパウロは明らかに、「神を信じない」ことと「自然の関係でない情欲を行うこと」とを混同していることがわかる。すなわち、「神を信じるものによる同性愛」という観点が存在していないのである。では何をその根拠としているのか。 このことは、1コリント6 9-10でよりはっきりとする。 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼(μαλακοὶ)、男色をする者(ἀρσενοκοῖται)、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。 ※μαλακοὶ(malakoi)(pl.)とはμαλακός(malakos)(sg.)の複数形であり、「男娼」の意味。 ※ἀρσενοκοῖται(arsenokoitai)(pl.)とはἀρσενοκοίτης(arsenokoites)(sg.)の複数形であり、「他の男性たちと性行為に励む男」の意味。 この箇所をイエスの言葉と比較してみる。 マタイ15 17-20 すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。 イエスが語る「人を汚すもの」と、パウロが語る「正しくない者」の対応は具体的には次の通りである。 イエス パウロ 「人を汚すもの」 「正しくない者 悪口 人を悪く言う者 姦淫 姦通する者・みだらな者 みだらな行い みだらな者・男娼・男色をする者 盗み 泥棒・人の物を奪う者 悪意 なし? 殺意 なし? 偽証 なし? なし 偶像を礼拝するもの、強欲な者、酒におぼれる者 これを見ると、イエスが語ったはずの「悪意」と「殺意」と「偽証」については触れられておらず、代わりに「姦淫」や「みだらな行い」の内容ばかりが占めることがわかる。パウロの時代は福音書はまだ無く、イエスの言行録のようなものはあったかもしれないが、いずれにしてもイエスの説教は人づてにしか聞いていないため、そもそも細かい内容は知らなかった可能性はある。しかしながら、悪意や殺意や偽証に関する内容が一つもないにもかかわらず「みだらな行い」だけが三項目にも分かれているのは、パウロが性に関する問題ばかりを重視していたということを暗に示しているだけである。 また、なぜ「男色をする者」が「みだらな行い」であるのかの根拠は不明である。パウロがそう思ったということ以上の根拠はない。「自然の関係でない」から、「恥ずべき情欲」だから、という主観のみによって説明しているのであり、何ら神学的な根拠に基づいていないため、「なぜ自然でないのか」「何を以て自然であるのか」「何をもって恥ずべきなのか」という説明は皆無である。パウロは神ではないため、神学上の根拠なしに「パウロが否定するから認められない」という帰結にはなりえない。 そもそも、ここでパウロが指摘しているのはいわゆる「神殿男娼婦の腐敗」であり、「同性愛一般への否定」ではないという意見も存在する。 なお、福音書には、イエスが同性愛を否定したとする記述は見られない。 パウロの言葉は必ずしも正しくない また、パウロが非常に男尊女卑的な思想を持っていたことも知られている。(1コリント11 3) ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。 それどころか、女性には発言権すらないと述べている。(1コリント14 34-35) 婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。 イエスが律法を終わらせたと言っておきながら、まったく矛盾した発言である。この時点でパウロの言葉の正当性はかなり疑わしいものとなる。なぜなら彼は、律法の都合の悪い箇所は守る必要がないが、(彼にとって)都合のよい箇所は守れと言っているからである。 しかしながら、イエスは男女を差別するかのような発言は一切ない。特に、外典「トマスによる福音書」には次のようなアグラファが載っている。(トマス114) シモン・ペテロが彼らに言った、「マリハム(マグダラのマリア)は私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである。」イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るだろうから」 外典ではあるものの、近年の研究から、イエスの言葉を実際に記述した可能性が高く指摘されている福音書であり、イエスが男女平等を訴えていた強い根拠となるだろう。このことからも、性に関するパウロの言葉の正当性というものは極めて疑わしいものである。 字義的には異性愛もよくない そもそもキリスト教では、異性愛自体がよくないことであるとされている。 以下に例を示す。 マタイ5 29-31 (イエスは言った。)「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲(エピスミア)をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。」 ※エピスミアとは、ギリシャ語で「恋愛で相手に会いたいという感情」を意味する。 マタイ19 12 (イエスは言った。)「天の国のために自らを去勢する者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」 ※ローマ教皇が童貞に限られるのはこれが理由である。 これを字義的に読むと、異性愛も本来よくないものであり、去勢した方がよいという意味にさえなってしまう。 また、イエスの弟子ヨハネ、もしくはその影響を強く受けた「ヨハネ教団」の作によるとされるヨハネの手紙一には、次のような記載さえある。(一ヨハネ2 15-17) 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。 つまり、あらゆる俗世的な情愛の全てが本来はよくないということになる。同性愛だけを恥ずべき情愛だと訴えるパウロによる手紙の内容は、イエスの教えを正確には反映していないことがはっきりわかる。 ダビデとヨナタン ところで、男性同士の性交渉を禁じている旧約聖書には、後に王となるダビデと、サウル王の息子ヨナタンに関する逸話が書かれている。 サムエル記上18 1-4 ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。 その後、ヨナタンはサウロ王がダビデを殺そうとするたびに、ダビデを逃がすために手助けをした。 ヨナタンが戦いによって亡くなった時、ダビデは次の様に言っている。 サムエル記下1 25-26 ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。 ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。 あなたを思ってわたしは悲しむ 兄弟ヨナタンよ、まことの喜び 女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 こういった記述から、ダビデとヨナタンの間にあった愛は、わざわざ「女の愛」という表現を用いていることからも、単なる友情を超えた愛、すなわち同性愛関係であると解釈される場合もある。 旧約聖書の記述では、性交渉を含めた同性愛行為が認められるということはないが、ダビデとヨナタンの例が好意的に聖書で取り上げられていることからわかるように、神の目で見てプラトニックな同性愛は必ずしも否定されていない。 神の判断に委ねる したがって、次の結論が導かれる。 ソドムとゴモラが滅びた理由が高慢さであることの根拠はあるが、同性愛が理由であるとの根拠はない。 律法では「性交渉を伴わない男性同士の同性愛」も「性交渉の有無を問わない女性同士の同性愛」も否定されていない。 ダビデとヨナタンのように、男性同士の強いプラトニックな愛が認められる場合がある。 新約聖書では、律法の形式主義はイエスにより破棄されており、律法を根拠に「男性同士の性交渉」を常に否定することはできない。 新約聖書では、そもそも異性愛・同性愛を問わず、肉欲自体が肯定されていない。 複合的な理由から、パウロによる男性同士の同性愛の否定は根拠にならない。 このことから「同性愛である」という理由で罪になるとは言えず、それが許されうるモラルに適った関係か否かの判断につながるのである。その意味で、罪にならない行いを心がけ、その判断は神に委ねるのが正しいと言える。
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/2400.html
ぼくはしった【登録タグ nwnw ほ 曲 綴音アルゴ】 作詞:nwnw 作曲:nwnw 編曲:nwnw 唄:綴音アルゴ 曲紹介 じっとしていれば良かったと嘆きながら ただ,寂しい後悔の歌です(投稿者説明文より 歌詞 (動画歌詞より転載) 僕は世界を敵に回せるだろうか 荒む心を抉った 牙は既に折れて 僕は 人を 恐れ 人は 僕を 拒む この溝は深まるばかり 僕は知った 僕は胎児(こども)のままで良いと 『産まれてこなければ……』なんて 贅沢なことは言わないから 僕は自分を押し殺せるだろうか? 暴れる心を宥める 腕も既に枯れて 僕でさえも騙し 僕を嘘で固め その嘘は真実(ほんとう)になって 僕は気付く 僕は孤独のままで良いと 『都合の良い人』(やさしいひと)を演じて 僕は僕を 見失う 僕は獣のままで良いと 優しさを知ってしまった 僕はどうすれば良いんだ……? 何時まで僕は此の侭? 弱さを盾に? 脆い箱には何も無くて…… 僕は嘆き そして言った 僕は化石のままで良いと 見付からなければ屹度 平穏なまま眠れたのに 僕は胎児のままで良いと 居場所も名前も捨てた 僕は何処で 泣けば良いんだ……? コメント 凄く素敵です。もう何時聴いて最高! -- 名無しさん (2018-05-11 23 26 21) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/zetu0508/pages/231.html
キリシアの茶 [きりしあのちゃ] 飲料物:茶 トトル商国から輸入された物が好んで飲まれている。 存外庶民の中でもこれが手に入り易く、庶民がこれを口にする事も多い。 王侯貴族が購入したが、古く成って香りが薄くなってしまった物を商人が買い取り、それを安く庶民に販売した事が契機である。 ダヴェン地方ではこれに牛の乳を入れ、黍の粉末を少量加えて飲む事が一般的である。 または、蜂蜜を入れたり、ジャムを入れたりと地方色によって飲み方は異なる傾向が多い。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2198.html
『新約聖書』はキリスト教の教典。正典は西暦1世紀半ばから2世紀にかけて作成された27の文書によって構成されている。 成立 個々の文書のうち、最も早い時期に属するパウロ書簡(第一テサロニケ書)は西暦50年前後に書かれたと考えられているが、もともとの聖書(現在のキリスト教徒が言うところの旧約聖書)に対し、キリスト教徒が独自の聖典をまとめようとする動きは鈍かった。 それを促した大きな契機がマルキオン聖書であった。マルキオンは現在では異端とされているが、彼は独自の基準によって、ルカ福音書と一部のパウロ書簡のみをまとめた「聖書」を2世紀半ばに作成したのである。これは異端として排除されたが、正統派も何らかの基準で正典を作成すべき必要が徐々に認識されていくようになったのである。 しかしながら、現在の27文書を正典とすることが最終的に認められたのはようやく4世紀末になってのことであった(*1)。 【画像】 田川建三 『書物としての新約聖書』 構成 『新約聖書』の構成は以下のように大別できる(*2)。成立年代などはリベラル派の聖書研究に依拠しているので、保守的な聖書学者の見解とは一致しない箇所も少なくないことをあらかじめお断りしておく。 福音書 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書が含まれている。最初の3つは共観福音書と呼ばれ、重なり合う要素も多いが、それぞれの視点で編集されている。 かつて最も評価されていたのはマタイであったが、19世紀以降の聖書学の発展の結果、マタイやルカの縮約版と過小評価されていたマルコ福音書が最古の聖書であることはほぼ確定している。その年代は西暦65年頃から70年代のいずれかに置かれるのが一般的だが、田川建三のように50年代にまで遡れる可能性を指摘する者もいる。 マタイ福音書とルカ福音書はマルコ福音書のほか、共通する別伝承に依拠したことが確実視されており、その共通する別伝承は一般にQ資料と仮称されている。マタイ、ルカとも、それぞれ独立におおむね80年代にまとめられたと見なされている。 ヨハネ福音書は西暦90年から125年までに作成されたと考えられており、福音書中で最も成立が遅く、しかも他の福音書と比べて思想上も相違が見られる。現存するヨハネ福音書は原著者とは別人によって大きく加筆されているとされ、ギリシア語本文にも明確な差が認められるという。この別人による改訂は、原著者と同じ思想的立場によると想定されることがしばしばだが、田川のように、原著者の思想が当時の主流派の思想と大きく異なるために、主流派の側に組み込むことを目的にしてなされたと推測する者もいる(*3)。 使徒行伝 使徒行伝(使徒言行録、使徒のはたらき)は、福音書に続いて収録されている文書であり、四福音書とまとめて新約聖書の中での「歴史書」と分類されることもある。 その内容は、イエスの昇天と復活のあとの使徒たちの宣教をまとめたものであり、著者がルカ福音書の著者と同一であることはほぼ確実である。成立は田川が西暦70年から80年頃、荒井献(岩波翻訳委員会)が80年代後半から90年代前半と見積もっている。 パウロ書簡、擬似パウロ書簡 パウロはもともとキリスト教徒を弾圧していたが、ある時に復活のキリストの声を聞いたことから回心し、熱心なキリスト教徒となった。新約聖書にはそのパウロが折に触れて書いた様々な書簡が収録されている。 全部で13通あるが、現在までの研究の結果、その中にはパウロに仮託して別人が執筆した書簡も少なからず含まれていることが確実視されている。これを第二パウロ書簡とか、擬似パウロ書簡と呼ぶが、ヘブライ書のみはかなり異質とされ、第二パウロ書簡にも含めないことが多い。 確実に真正パウロ書簡と認められているのは以下のものである。最も早いと考えられている第一テサロニケ書が西暦50年前後の成立で、それ以外の書簡も遅いものでも50年代後半から60年代前半までには成立していたものと考えられている。 ローマ書 (ローマの信徒への手紙) 第一コリント書 (コリントの信徒への手紙一) 第二コリント書 (コリントの信徒への手紙二) ガラテヤ書 (ガラテヤの信徒への手紙) フィリピ (フィリピの信徒への手紙) 第一テサロニケ書 (テサロニケの信徒への手紙一) フィレモン書 (フィレモンへの手紙) 以下は擬似パウロ書簡だが、中には第二テサロニケ書やコロサイ書などのように、かなり見解の分かれるものもある。ここではとりあえず、ギュンター・ボルンカム、岩波新約聖書翻訳委員会、田川建三が共通して擬似パウロ書簡としているものを挙げる。これらの推測成立時期は論者による推測の幅が大きい。真正書簡と考える論者が他の真正書簡と同じ時期に位置づけようとするのは勿論だが、擬似パウロ書簡に位置づける者にも、2世紀に入るか入らないかという時期にはあらかた成立していたと見る保坂高殿(岩波翻訳委員会)のような立場もあるし、牧会書簡(テモテ2通とテトス)を2世紀後半と見る田川のような立場もある。 コロサイ書 (コロサイの信徒への手紙) エフェソ書 (エフェソの信徒への手紙) 第二テサロニケ書 (テサロニケの信徒への手紙二) 第一テモテ書 (テモテへの手紙一) 第二テモテ書 (テモテへの手紙二) テトス書 (テトスへの手紙) このほか、前述のようにヘブライ書 (ヘブライ人への手紙) も伝統的にはパウロの書簡と位置づけられてきたが、批判的な意見が強い。パウロ本人の手になるものではないと見る論者たちは、パウロの死後、遅くとも90年代までには成立していたと考えている。 その他の書簡 聖書には、他にもいくつもの書簡が収められているが、それは一般に「公同書簡」と総称される。特定の教会に宛てたものではなく、広く一般信徒に読まれることを想定しているからで、おおむね1世紀末から2世紀前半にかけて成立した書簡である。イエスの兄弟であるヤコブとユダ、使徒であるペトロとヨハネの名を冠しているが、リベラル派の聖書研究ではほとんど(もしくは全て)が偽名書簡とされる。 ヤコブ書 (ヤコブの手紙) 第一ペトロ書 (ペトロの手紙一) 第二ペトロ書 (ペトロの手紙二) 第一ヨハネ書 (ヨハネの手紙一) 第二ヨハネ書 (ヨハネの手紙二) 第三ヨハネ書 (ヨハネの手紙三) ヤコブ書 (ヤコブの手紙) ユダ書 (ユダの手紙) 黙示録 『新約聖書』の巻末に置かれているのが『ヨハネの黙示録』である。西暦90年代頃に成立したと見なされている黙示文学であり、伝説的には使徒ヨハネの著書と見なされてきたが、古くから批判も根強かった。このヨハネは福音書を書いた著者とも、手紙を書いた長老ヨハネとも異なる人物であろうと推測されており、パウロの権威を持ち出した第二パウロ書簡などと異なり、自らの名で啓示を記した点にも特徴がある。 その終末論的ビジョンは、古来多くの亜流となる黙示文学や解釈を生み出してきた。この文書は正典に入れるかどうかでも大いに揉めてきた歴史を持っている。 校訂と翻訳 新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。もちろん、収録されている27文書のいずれについても原本は見つかっていない。その結果、4世紀以降の様々な写本 (ごくわずかな断片なら西暦125年ごろのヨハネ福音書の断片など、より古いものも確認されている) を校合して原文を確定させる必要が出てくる。 そうした校訂版の中で最も評価が高いのが、主要な異読を網羅する形でアパラトゥス (異読を記した欄外註) を充実させているネストレ版 (ネストレ=アーラント版)である(*4)。 【画像】 ネストレ=アーラント28版のうち、比較的評価の高い NRSV と REB という二つの英訳が併録されている版。 聖書の翻訳は世界中で刊行されており、英語版に限っても欽定訳をはじめ夥しい数が存在している。英語版では改訂標準訳 (Revised Standard Version, RSV) の評価が高く、田川建三は「古今東西の最高の聖書翻訳の一つ」とまで評している(*5)。フランス語訳ではエルサレム聖書(エルサレム聖書学院主宰のフランス語訳聖書)について、田川は「聖書翻訳史上、最高の貢献の一つとして今後長く評価され続けることになろう」(*6)と述べている。 【画像】 エルサレム聖書(ポケット社版、2002年)。旧約・新約両方が収録されているが、最大の特色である本文の註は割愛されている。 日本語訳も当然多い。 最も多く流布しているのは日本聖書協会のものであろう。同協会は(前身の団体のものも含めると)明治にいわゆる明治訳、大正時代にいわゆる大正改訳(現在「文語訳」として知られるもの。新約のみで旧約は明治訳のまま)を刊行し、1954年から1955年にかけて口語訳、1978年に共同訳(新約のみ)、1987年に新共同訳を刊行してきた。同協会の公式サイトによると、新共同訳は「日本の教会やキリスト教主義学校で使用されている聖書の八割を占める」(*7)という。 田川建三は口語訳と新共同訳を比較して、こう述べている。「原典の意味をなるべく正確に理解するという目的のためには、口語訳の方が新共同訳よりもすぐれている。六分四分か、あるいはもっと口語訳の方がすぐれていると言える。しかし、新共同訳の方がすぐれている点も多いから、両者を比べて用いるのがよい、ということになろう」(*8)。 しかし、田川が日本聖書協会(および母体となったイギリスの聖書協会)の問題点として挙げているのが、註の欠如である。聖書は原文の確定自体に議論があり、その選定に宗派ごとの立場も影響する。翻訳においても同様であり、たったひとつの確定した読みを提示することなど不可能な箇所も少なくないし、また、原典に忠実に訳した場合に註釈なしには理解が著しく困難になる箇所もある。 ゆえに田川はすぐれた聖書の翻訳とは註が充実したものとして、自身 『新約聖書 訳と註』 シリーズを2007年から刊行し始め、2017年に完結させた(2018年に訳のみを集めた「本文の訳」も刊行)。このほか、註の充実した聖書としてはフランシスコ会聖書研究所のものがあり、これは田川も高く評価している。 日本聖書協会は2010年以降、新たな註釈つきの共同訳の刊行を計画しており、分冊のパイロット版の販売が行われた。それに寄せられた意見を元にして、2018年12月に聖書協会共同訳が公刊された。 【画像】 『聖書(旧約聖書続編付き) 聖書協会共同訳』 なお、新共同訳には教派的な視点からの批判もあり、福音主義に忠実な立場の専門家たちによって、新改訳聖書(日本聖書刊行会)が出版されている(2003年に第三版、2017年に新改訳2017が発刊)。 註つきの新約聖書ということでは、岩波書店が新約聖書翻訳委員会による『新約聖書』全5巻(1995年 - 1996年、のち合冊版2004年)を刊行している。自身が同委員会に参加した大貫隆はこれを学術的に重要なものとし、「最新の研究を踏まえた訳注が付されており、自主的な聖書研究に最適」と述べている(*9)。 他方で、各文書を担当した訳者ごとの力量差が大きいという田川建三の指摘もある(*10)。また、委員会の中心メンバーである荒井献訳の使徒行伝については、土岐健治が誤訳を指摘した論文を公表している(*11)。 以上のようにギリシア語原典自体、その原文の確定には数え切れない議論があり、立場を問わず共有された正しい原文など存在しない。その原文について、語学的あるいは教派的な立場から様々な翻訳がありうるのだから、特定の訳を無批判に利用するのは信仰上の理由からならば許容されるにしても、非キリスト者の接し方としては問題があるだろう。 総じて言えるのは、通俗的なオカルト本によく見られる、どの翻訳に依拠したのかすら明記せずに聖書を引用して独自解釈を滔々と述べるパターンは、そもそも聖書理解の入り口にさえ立てていないということである (ちなみに、依拠した訳の訳者なり出版社なりに一切触れないのは、著作権法上も問題となりうる)。 当「大事典」での翻訳の選択 当「大事典」では、2018年時点で最も流布している新共同訳、および今後広く流布するであろう聖書協会共同訳を軸に、岩波の新約聖書翻訳委員会訳、田川建三訳、フランシスコ会聖書研究所訳などから適宜引用している(黙示録についての佐竹明訳など、個別の文書ですぐれた註解書がある場合は、その訳を用いる場合もある)。 他方、新改訳は (訳語などの比較対象として言及することはあるが) 章句を引用する際の底本には用いない。それはプロテスタントの信仰との関わりを重視した翻訳であることが明記されているからである。 別に当「大事典」は田川建三の評価のように、新改訳をファンダメンタリストによる翻訳で詳述に値しないとまで位置づけるわけではないが(*12)、少なくともノストラダムスが公的には王党派カトリックの姿勢を一貫させていたことを踏まえるなら、ノストラダムスとの関わりを考察する場面で新改訳を主軸とする必要性は乏しいものと考えられるのだ。 もちろん、現在は本文批評(正文批判)などが大きく進歩していることもあり、新共同訳や田川訳などにしたところで、おそらく主にウルガータ (伝説的にはヒエロニムスに帰せられている古いラテン語訳だが、実際にはもっと複雑な経緯で成立した) あるいはテクストゥス・レケプトゥス(エラスムスらによって校訂されたギリシア語本文。1516年初版)しか目にしていなかったであろうノストラダムスが見ていた新約聖書とは、少なからぬ隔たりがあるだろう。その意味では、ウルガータからの訳だったフェデリコ・バルバロ訳を使うのも一つの手かもしれないが、それは現代イタリア語訳の影響をかなり受けていたとも言われる個人訳であるし(*13)、結局のところ隔たりを埋める決定打にはなりえない。 バルバロ訳を使っても、他の訳を使っても、隔たっていることに変わりないのであれば、より広く流布している新共同訳、今後広く流布するであろう聖書協会共同訳、カトリックによる学問的にも信頼されるフランシスコ会聖書研究所訳、聖書学者の訳である田川訳や岩波の翻訳委員会訳を使うほうが望ましいものと判断している。 ノストラダムス関連 ノストラダムス予言への聖書の影響については、聖書の項目を参照のこと。 なお、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの証言が正しいのなら、ノストラダムスが好んだ『聖書』の章句は Facite vobis amicos de mammona iniquitatis(*14) 不正のマモン(富)によってでも自分のための友人を作れ(ルカ福音書・第16章9節の一部、田川建三訳)(*15) であったという。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/kitigaywatch/pages/21.html
K-0008 拒むことを知った良コテ(百合厨) キチガイ度:C 荒らし度 :B 分類:Euclid 生息圏:東方板 特徴:ジョジョ厨 概要: 拒むことを知った良コテとは東方板に湧いた半荒らしである。 おもにジョジョのセリフの改変したものやAAを貼っていた。 ウィルスを貼ったこともあり危険性の高い人物である。 現在東方板で存在が確認されておらずNeutralizedに分類される。 東方板での活性化を確認。Neutralized指定は取りやめます。 名前 コメント