約 9,615 件
https://w.atwiki.jp/tizusummary/pages/47.html
地図z番号順一覧(1751~1800) 地図zの作成番号が1751から1800までの一覧になっています。 試験作成など地図として機能していなかったのは、失敗作としてURLは載せていません。 今まで - 人が見に来てくれました。 番号 地図名 URL 用途 地域 都道府県 範囲 説明 1800 志愛 失敗作 失敗作 失敗作 1799 べじ市場案内MAP URL 紹介 関東 神奈川 県単独 べじ市場紹介 1798 渋谷 失敗作 失敗作 失敗作 1797 test 失敗作 失敗作 失敗作 1796 ファミリー均整沖縄 URL 紹介 九州 沖縄 県単独 ファミリー均整沖縄紹介 1795 ㈱ハマン・アドバイザーズ 失敗作 失敗作 失敗作 1794 焼肉ソウル 中町店 失敗作 失敗作 失敗作 1793 ロイヤル警備保障株式会社 失敗作 失敗作 失敗作 1792 北澤 失敗作 失敗作 失敗作 1791 NCCC URL 紹介 関東 東京 県単独 NCCC紹介 1790 極上創作}菓子 鴨立亭 失敗作 失敗作 失敗作 1789 株式会社宏信 パチンコ 栄プラザ 失敗作 失敗作 失敗作 1788 ファミリーマート 湯河原中央1丁目店 失敗作 失敗作 失敗作 1787 海席 魚國 失敗作 失敗作 失敗作 1786 医療法人社団 山本眼科医院 失敗作 失敗作 失敗作 1785 大阪 ★の家 失敗作 失敗作 失敗作 1784 有限会社 和田印房 失敗作 失敗作 失敗作 1783 エクセルシオール カフェ 失敗作 失敗作 失敗作 1782 ★の家 失敗作 失敗作 失敗作 1781 大滝ホテル 失敗作 失敗作 失敗作 1780 東急リゾート株式会社 失敗作 失敗作 失敗作 1779 東急リゾート株式会社 失敗作 失敗作 失敗作 1778 はん・印刷のOTANI 失敗作 失敗作 失敗作 1777 イフスコヘルスケア株式会社 失敗作 失敗作 失敗作 1776 ミニストップ 箱根仙石原店 失敗作 失敗作 失敗作 1775 釈迦堂切り通しから、江ノ電鎌倉駅まで。 URL 紹介 関東 神奈川 県単独 江ノ電鎌倉駅から釈迦堂切り通しまでの道案内 1774 鎌倉駅から釈迦堂切り通しまで。 URL 紹介 関東 神奈川 県単独 JR鎌倉駅から釈迦堂切り通しまでの道案内 1773 マンション駐車場案内図 失敗作 失敗作 失敗作 1772 Access Map URL 紹介 沖縄 沖縄 県単独 不明 1771 木場公園のマラソンコース URL 紹介 関東 東京 県単独 木場公園のマラソンコース紹介 1770 【いつもクネクネ】ケンタッキーフライドチキンのカーネルバフェ URL 紹介 関東 東京 県単独 不明 1769 キヤノン 失敗作 失敗作 失敗作 1768 テスト 失敗作 失敗作 失敗作 1767 【いつもクネクネ】はじめての上高地 URL 紹介 中部 長野 県単独 不明 1766 雪印乳業 関西チーズ工場 URL 紹介 関西 兵庫 県単独 雪印乳業 関西チーズ工場 1765 川田屋 URL 紹介 関西 大阪 県単独 川田屋紹介 1764 岩手医科大学附属病院 URL 紹介 東北 岩手 県単独 岩手医科大学附属病院紹介 1763 【いつもクネクネ】ランチはハンブルグステーキ 新宿つばめグリル新宿ルミネ店 URL 紹介 関東 東京 県単独 不明 1762 【いつもクネクネ】新大阪から帰ります。 URL 紹介 関西 大阪 県単独 不明 1761 【いつもクネクネ】京都その5 四条通・・・・・八坂神社 URL 紹介 関西 京都 県単独 不明 1760 ピアノ教室 失敗作 失敗作 失敗作 1759 大阪市北区曽根崎1-7-20津多家第2ビル2F 失敗作 失敗作 失敗作 1758 みのろ案内マップ 失敗作 失敗作 失敗作 1757 【いつもクネクネ】カウパレード東京in丸の内2006(No.01、No.65) URL 紹介 関東 東京 県単独 不明 1756 A 失敗作 失敗作 失敗作 1755 sdddw 失敗作 失敗作 失敗作 1754 小関越 山科から大津へ [京都・自転車ルートガイド 峠編・その2] URL 紹介 関西 複数 隣接県 サイクリングコース紹介 1753 小関越 大津から山科へ [京都・自転車ルートガイド 峠編・その1] URL 紹介 関西 複数 隣接県 サイクリングコース紹介 1752 東海補聴器センター清水店 URL 紹介 中部 静岡 県単独 東海補聴器センター清水店紹介 1751 【いつもクネクネ】金曜コンサート そして、10円カレーの告知 URL 紹介 関東 東京 県単独 不明 名前 コメント すべてのコメントを見る トップページへ戻る。
https://w.atwiki.jp/izayoiki/pages/4.html
◇将臣蜜月イベントについて ■蜜月1 二章春の京で下鴨神社で再会したあと、星の一族イベントを経て、 梶原邸に戻ると将臣のアイコンが出てくる。 そこで無責任な態度をとらないようにすると、奴がある過去を語りだす。 さらにそこで(´・ω・`)な態度をとったら(ベストではない)とりあえず成功。 ■蜜月2 四章熊野参詣の勝浦でのイベント。まず那智の滝で関越えイベントやってから 勝浦の拠点で将臣アイコン押してバーベキューイベやればオケ。 また蜜月3のため、那智の滝では将臣と一緒にいて、有川兄弟の昔話を 聞いておく必要あり。 なお2章の時点で[[ヒノエ]]を仲間に入れておかないと、 八葉が全員揃わず将臣蜜月イベントが起こらないので注意。 ■蜜月3 六章鎌倉で鶴岡八幡宮でのイベントを見て、梶原邸に戻るとイベントが起こる。 そのまま七章に進めば蜜月エンドが見れるはず 。 新熊野からはいけないから3章で福原を攻めない。 Q、那智の滝行っても何も起こらないんだがorz A、子供の頃滝に落ちた話聞いて将臣の関埋まる画面になった? そうしたら白龍のところ帰ると、次は6章鎌倉って言わなかったかな? Q、兄貴落とそうと熊野参詣まで行ったんだが温泉で屋内に入れない。 屋内に入れる場所って別の場所にあるの? A、将臣の場合旧熊野じゃなきゃだめだよ。 2章の関は関係ないのかな。4章の関は必要。3章ではヒノエつれて福原を攻めるとダメ。ずっと無印のルート辿っていくのが正解。4章で間章選んでもダメ。 Q、将臣の子供の頃の話って那智の滝の所で聞ける有川兄弟の奴? 聞いておかないと蜜月失敗するみたいだけど。 修学旅行の沖縄行った話の蜜月イベは成功したんだけど その後、白龍に情報聞きに行ったら 子供の頃の話聞かなきゃ駄目だとか言われた。 それで、有川兄弟イベ起こしてはみたんだけど その後、白龍の所行ったらまた同じ事いわれたから ひょっとすると別の話かなと思ったり。 A、那智の滝の子供の頃の話を聞いていればOK。 鎌倉へいくべし! Q、どこかの雑誌だったか何かの事前情報か何かで 蟹貴の制服姿立ち絵のアップ(近づいてるVer)で 夕方の教室にいるシーンのスクショがあったんだけど あれってゲーム内だとどこで見られますか? 蜜月終わったんだけどあのシーンが見られなくて (そもそも制服立ち絵が夜の屋上しか見れてない)泣いてます。 制服フェチで蟹貴萌えなんだよ(´Д⊂ A、「はじめから」で始まる神子の性格診断じゃないか? 確かアップだったと思う 夕方ではなかった気もするけど… Q、カレーの話のあるイベントってどこで見れるの? A、将臣蜜月6章鎌倉 将臣が買出しいくって話で「三人で行こう」みたいな選択
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/154.html
MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎 2010.1.16 第二巻 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 序記 国土成生の伝説 一 斉衡元暦(八五四)の地震、安元の火事 二 地震・海嘯の呪いある鎌倉 三 天正の災変、慶長の地震 四 元禄大地震、振袖火事、安政大地震 五 維新以後の災変 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第二六号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=51318) ※ ダウンロードサイト(http //www.dl-market.com)へジャンプします。 (764KB) 定価:200円(税込) p.166 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(81項目)p.663 飛び出せ! 目くそ鼻くそ! オリジナル版 ミルクティー*現代表記版 地震の記録をあさってみると、地震は政権に従って移動しているような観がある。藤原氏の手から政権を収めていた平氏が破れて、源氏が鎌倉に拠ると、元暦元年十月を初発として鎌倉に地震が頻発した。それは王朝時代には僻遠の地として、武蔵、相模の名で大掴みに記されていたものが、文化の発生と共に細かなことまで記される余裕ができたためか、それとも武蔵、相模方面の活動期になっていたのに偶然に遭遇したためであるか。その鎌倉には幕政時代の終りごろまで百四五十回の地震があって、骨肉|相食《あいは》んだ鎌倉史の背景となって、陰惨な色彩をいやがうえにも陰惨にして見せた。 地震の記録をあさってみると、地震は政権にしたがって移動しているような観がある。藤原氏の手から政権をおさめていた平氏がやぶれて、源氏が鎌倉に拠(よ)ると、元暦元年(一一八四)十月を初発(しょはつ)として鎌倉に地震が頻発(ひんぱつ)した。それは王朝時代には僻遠(へきえん)の地として、武蔵、相模の名で大づかみに記されていたものが、文化の発生とともに細かなことまで記される余裕ができたためか、それとも武蔵、相模方面の活動期になっていたのに偶然に遭遇したためであるか。その鎌倉には幕政時代の終わりごろまで百四、五十回の地震があって、骨肉相食(あいは)んだ鎌倉史の背景となって、陰惨(いんさん)な色彩をいやがうえにも陰惨にして見せた。 (略)永仁元年四月の地震も、正嘉の地震に劣らない地震であった。そのころは怪しく空が曇っていて、陽の光も月の光もはっきり見えなかったが、その日は墨の色をした雲が覆いかかるようになっていた。そして榎島の方が時時震い、沖の方がひどく鳴りだした。これはただごとではない、また兵乱の前兆か、饑饉疫癘の凶相かと、人人が不思議がっていると、午の刻になって俄かに大地震となり、海嘯が起った。倒壊した主なものは政庁、鶴岡若宮、大慈寺、建長寺であったが、建長寺からは火が起った。その時の死者は二万三千余であったと言われている。王朝時代のことは判らないが、これによって見ても鎌倉は昔から地震の呪いのある土地であるらしい。 (略)永仁元年(一二九三)四月の地震も、正嘉(しょうか)の地震におとらない地震であった。そのころは怪(あや)しく空がくもっていて、陽の光も月の光もはっきり見えなかったが、その日は墨の色をした雲がおおいかかるようになっていた。そして榎島(えのしま)の方がときどき震(ふる)い、沖の方がひどく鳴りだした。これはただごとではない、また兵乱の前兆か、飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)の凶相かと、人びとが不思議がっていると、午(うま)の刻になってにわかに大地震となり、海嘯(つなみ)がおこった。倒壊した主なものは政庁、鶴岡若宮(わかみや)、大慈寺(だいじじ)、建長寺(けんちょうじ)であったが、建長寺からは火がおこった。その時の死者は二万三千余であったといわれている。王朝時代のことはわからないが、これによってみても鎌倉は昔から地震の呪(のろ)いのある土地であるらしい。 2_26.rm (朗読:RealMedia 形式 380KB、3'05'') 田中貢太郎 たなか こうたろう 1880-1941(明治13.3.2-昭和16.2.1) 高知市生まれ。小説家、随筆家。漢学塾に学び、代用教員、高知実業新聞社の記者を経たのち上京。大町桂月、田山花袋、田岡嶺雲に師事。明治四十二年、嶺雲の『明治叛臣伝』の執筆に協力したのを機会に、やがて『中央公論』の「説苑(ぜいえん)」欄に情話物、怪談話などを掲載するようになる。作品は紀行文・随想、情話物、怪談・奇談などからなり、代表作には『田中貢太郎見聞録』『旋風時代』『日本怪談全集』『支那怪談全集』などがあげられる。 ◇参照:青空文庫・作家別作品リスト。 底本 底本:「貢太郎見聞録」中公文庫、中央公論社 1982(昭和57)年6月10日発行 底本の親本:「貢太郎見聞録」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 1926(大正15年)12月 NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html NDC 分類:453(地球科学.地学/地震学) http //yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html 年表 允恭天皇五(四一六)七月 河内国の地震。『日本書紀』 推古天皇七(五九九)四月 大和国の地震。 天武天皇(在位六七三〜六八六)のとき 大地震。一夜にして近江の地が陥没して琵琶湖ができるとともに、駿河に富士山が湧出したという伝説。 天武天皇六(六七八)十二月 筑紫に大地震。大地が裂け、民舎が多く壊れた。 天武天皇十二(六八四)十月 諸国に地震。土佐が激烈をきわめた。俗に白鳳の地震。土佐では黒田郡の一郡が陥没したと言い伝える。 霊亀元(七一五)五月 遠江国に大地震。山がくずれて?玉河をふさいだが、続いてそれが決壊。敷智、長下、石田の三郡の民家一七〇余区を没した。 天平六(七三四)四月 畿内七道みな地震。 天平十七(七四五)四月 美濃、摂津両国に地震。 天平宝字六(七六二)五月 美濃をはじめ、飛騨、信濃の諸国に地震。 天平神護二(七六六)六月 大隅国神造新島。 延暦二十(八〇一)三月 富士山噴火。 弘仁九(八一八)七月 相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野の諸国に地震。 天長四(八二七)七月 京都の地震。余震が翌年まで続いた。 天長七(八三〇)一月 出羽に地震。その他、三河、丹波、伊豆、信濃、出羽、越中、越後、出雲にも大きな地震があったらしい。 斉衡三(八五六)三月八日 大和地方もひどかったとみえて、『方丈記』に奈良の大仏の頭の落ちたことを記載。 貞観六(八六四)七月 富士山の噴火にともなうて大地震。噴出した鑠石は本栖、?の両湖をはじめ、民家を埋没。 貞観六(八六四)十月 肥後の阿蘇山が鳴動して、池の水が空中にわきあがった。 貞観九(八六七)一月 豊後の鶴見山が噴火。 貞観九(八六七)五月 阿蘇山、噴火。 貞観十(八六八)七月 地震。山城一円と播磨とにまたがる。 貞観十一(八六九)五月 陸奥に地震・海嘯。無数の溺死人を出した。 元慶二(八七八)九月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。 元慶四(八八〇)十月 地震。京都と出雲が震う。 元慶四(八八〇)十二月 京都付近が震うた。 仁和二(八八六)五月二十四日夜 安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動が徹宵止まず。小石や泥土が野や山に二、三寸の厚さに積んでいた。海中の噴火か、三原山の噴火か、原因は不明。 仁和三(八八七)七月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。 天慶元(九三八)(*1)四月 地震。京中を垣墻ことごとく破壊し、宮中の内膳司屋転倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱のきざしがあると奏した。 天慶二(九三九) 将門・純友の東西に蜂起。 貞元元(九七六)六月 地震。山城と近江がひどく、余震が九月まで続いた。 長元五(一〇三二) 富士山噴火。 延久二(一〇七〇)十月 地震。山城、大和の両国が強く、奈良では東大寺の巨鐘が落ちた。 寛治五(一〇九一) 山城、大和の強震。 永長元(一〇九七) 山城、大和の強震。 安元三(一一七七)四月二十八日 「風烈しく吹きて静かならざりし夜、亥の時ばかり、都の巽より火出で来たりて、乾に至る」『方丈記』。 治承元(一一七七) 山城、大和の強震。東大寺に災してまた巨鐘を落とした。 元暦元(一一八四)十月を初発として鎌倉に地震が頻発。幕政時代の終わりごろまで百四、五十回の地震。 元暦二(一一八五)七月 地震『平家物語』。九月まで余震。区域は、山城、近江、美濃、伯耆の諸国にまたがる。宇治橋が墜落し、近江の琵琶湖では湖縁の土地が陥落し、湖の水が減じたらしい。 建暦三(一二一三) 和田義盛が反逆。 建保元(一二一三)五月 鎌倉で大地震。大地が裂け、舎屋が破壊。この建保年間には、元年から二年、三年と続けて十数回の強震。 安貞元(一二二七)三月 鎌倉で大地震。地が裂け、所々の門扉・築地がたおれた。古老はこれを見て、去る建暦三(一二一三)和田義盛が反逆をおこしたころにも、こんな大地震があったと噂しあったという。 仁治元(一二四〇)四月 鎌倉地震・海嘯。由比ヶ浜の八幡宮の拝殿が流れた。 建長二(一二五〇)七月 鎌倉地震。余震が十六度におよぶ。 正嘉元(一二五七)八月 鎌倉地震。もっともひどい地震で、関東の諸国にも影響をおよぼす。 正嘉二(一二五八)八月 鎌倉大風。 正嘉三(一二五九) 鎌倉で大飢饉。 正元(一二五九〜一二六〇)に入ってから二年続けて疫病。日本全国の同胞は大半死につくしたように思われた。日蓮『立正安国論』はこのさいに出たもの。 永仁元(一二九三)四月 鎌倉で地震。正嘉の地震におとらない。 正中二(一三二五)十月二十一日 山城、近江に強震。日吉八王子の神体がおち、竹生島がくずれた。後醍醐天皇が、藤原資朝、藤原俊基らの近臣と王政の復古を謀って、その謀の泄れたいわゆる正中の変のおこった翌月のこと。 元弘元(一三三一)七月 紀伊に大地震。千里浜の干潟が隆起して陸地となり、その七日には駿河に大地震。富士山の絶頂が数百丈くずれた。この月、藤原俊基が関東を押送。 正平年間(一三四六〜一三七〇)は非常に地震の多い年で、約百回も地震の記録。 正平五(一三五〇)五月 京都の大地震。祇園神社の石塔の九輪がおちてくだけた。 正平十六(一三六一)六月 山城、摂津、大和、紀伊、阿波の諸国に大地震。摂津、阿波に海嘯。 正平二十四(一三六九)七月 京都に大地震。東寺の講堂が傾いた。 応永年間(一三九四〜一四二九)も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見える。 応永七(一四〇〇)十月 伊勢国に大地震。京都の地も震うた。 応永三十二(一四二五)十一月 京都ばかりの大地震。 永享五(一四三三)一月 伊勢、近江、山城に大地震。 永享五(一四三三)九月 相模、陸奥、甲斐に大地震。 宝徳元(一四四九)四月 山城、大和に大地震。 文正元(一四六六)四月 山城、大和に大地震。 明応三(一四九四)五月 大和、山城に大地震。大和がもっとも強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害。 明応七(一四九八)八月 伊勢、遠江、駿河、甲斐、相模、伊豆の諸国に大地震。海に臨んだ国には海嘯。伊勢の大湊がつぶれて千軒の人家を流し、五千の溺死人を出す。鎌倉の由比ヶ浜にも二百人の犠牲者。また遠江の地が陥没して浜名湖が海と通じた。この月は京都にも奈良にも、陸奥にも会津にも強震があって、余震が月をかさねた。 明応九(一五〇〇)六月 甲斐の大地震。 文亀元(一五〇一)十二月 越後に大地震。 永正七(一五一〇)八月 摂津、河内、山城、大和に大地震。摂津には海嘯。 大永五(一五二五)八月 鎌倉に大地震。 弘治元(一五五五)八月 会津に大地震。 天正六(一五七八)十月 三河に大地震。 天正十三(一五八五)十一月 山城、大和、和泉、河内、摂津、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、讃岐の諸国に大地震。海に瀕した国に海嘯。 天正十三(一五八五) 秀吉が内大臣となる。 天正十七(一五八九)二月 駿河、遠江、三河にまた大地震。 慶長元(一五九六)閏七月 二回の大地震。はじめの地震は、豊後、薩摩の二か国がひどく、豊後の府内の土地が陥没して海嘯がおこった。その日は京都にも地震があった。つぎの地震は、山城、摂津、和泉の諸国の大地震で、伏見城の天守が崩壊して圧死者が多かった。この伏見の地震には、加藤清正が伏見城にかけつけ、城の内外の警衛にあたる。秀吉の勘気解ける。 慶長十九か年間に約八十もあった。 慶長五(一六〇〇) 関ヶ原の役。 慶長五(一六〇〇)から慶応二(一八六六)にいたるまで、全国にわたって四百七、八十回の大小の地震。 慶長九(一六〇四)十二月 地震。薩摩、大隅、土佐、遠江、伊勢、紀伊、伊豆、上総、八丈島など。海には海嘯。『土佐国群書類従』に載せた「谷陵記」には「まず一つに七月十三日大風洪水、二に八月四日大風洪水、三に閏八月二十八日また大洪水、四に十二月十六日夜地震、同夜半に大潮入って、南向の国はことごとく破損す、西北向の国は地震ばかりという。 慶長十六(一六一一)十月 三陸の地震。仙台、南部、津軽および松前の諸領に海嘯。 慶長十九(一六一四)十月 地震。越後、相模、紀伊、山城。越後に海嘯。 元和二(一六一六)七月 仙台に大地震。城壁・楼櫓が破損。 寛永三(一六二六) 温泉岳が噴火。 寛永七(一六三〇)六月 江戸に大きな地震。 寛永十(一六三三)一月 江戸、相模、駿河、伊豆に大地震。小田原は城が破損して、町は一里の間一軒の家もないようにつぶれる。熱海に海嘯。 寛永十六(一六三九)十一月 越前に大きな地震。 寛永十八(一六四一)正月 江戸大火。 正保元(一六四四)三月 日光山に大きな地震。 正保元(一六四四)九月 羽後の本荘で大きな地震。 正保三(一六四六)四月 陸前、磐城、武蔵に大きな地震。 正保四(一六四七)五月 武蔵、相模に大きな地震。 慶安元(一六四八)四月 相模、武蔵、山城に大地震。 慶安二(一六四九)二月 伊予、安芸、山城に大地震。 慶安二(一六四九)六月 武蔵、下野に大地震。江戸城の石垣がくずれ、諸大名の屋敷・町屋がつぶれる。江戸の人心に動揺のきざし。 慶安二(一六四九)七月 武蔵の大地震。 慶安四(一六五一)七月 由比正雪の隠謀、あらわれる。 明暦三(一六五七)正月十八、十九日 江戸大火。 万治二(一六五九)二月 岩代、下野、武蔵に大きな地震。 寛文年間も大きな地震の多い年。 寛文元(一六六一)十月 土佐に大きな地震。 寛文二(一六六二)三月 京都、江戸に大きな地震。 寛文二(一六六二)五月 山城、大和、伊賀、伊勢、近江、摂津、和泉、丹波、丹後、若狭、美濃、信濃、肥前に大きな地震。 寛文二(一六六二)九月 日向、大隅に大きな地震。海嘯。 寛文三(一六六三)七月 胆振に大きな地震。有珠岳が噴火。 寛文三(一六六三)十二月 山城に大きな地震。 寛文四(一六六四)六月 紀伊の新宮、京都に大きな地震。 寛文五(一六六五)五月 京都に大きな地震。 寛文五(一六六五)十一月 越後に大きな地震。 寛文八(一六六八)七月 仙台に大きな地震。 寛文十(一六七〇)六月 相模の大住に大きな地震。 延宝四(一六七六)六月 石見に地震と海嘯。 延宝五(一六七七)三月 陸中の南部に地震と海嘯。 天和三(一六八三)(*2)五月 江戸と日光山で地震。 天和三(一六八三)(*2)九月 日光山で地震。 貞享元(一六八四)(*3)二月 伊豆大島に地震。三原山が噴火。 貞享二(一六八五)(*3)九月 周防、長門で地震。 貞享三(一六八六)(*3)八月 遠江、三河、山城で地震。 元禄七(一六九四)五月 羽後の能代で地震。 元禄十(一六九七)十月 相模、武蔵に地震。 元禄十六(一七〇三)十一月十四日 江戸大火。 元禄十六(一七〇三)十一月二十三日 武蔵、相模、安房、上総に大地震。江戸と小田原がひどく、江戸には火事。小田原、鎌倉、安房は長狭、朝夷の両郡、上総は夷隅郡に海嘯。 元禄十六(一七〇三)十一月二十九日 江戸大火。 宝永四(一七〇七)(*4)十月 山城、大和、河内、摂津、紀伊、土佐、讃岐、伊予、阿波、伊勢、尾張、美濃、近江、遠江、三河、相模、駿河、甲斐、伊豆、豊後の諸国にわたって大地震。人畜の死傷するもの無数。土佐、阿波、摂津、伊豆、遠江、伊勢、長門、日向、豊後、紀伊などの海に面した国には海嘯。そのうちでも土佐などは海岸の平地という平地は海水があふれて被害が大きかった。 宝永四(一七〇七)(*4)十一月 駿河、甲斐、相模、武蔵に地震。富士山が爆発。噴火口のそばに宝永山を湧出。山麓の須走村は溶岩の下に埋没し、降灰は武・相・駿三か国の田んぼをうめた。 宝永五(一七〇八)十一月 浅間山が噴火。 正徳元(一七一一)二月 美作、因幡、伯耆、山城に大きな地震。 正徳四(一七一四)三月 信濃に大きな地震。 享保二(一七一七)一月三日 日向の鶴鳴山が噴火。 享保三(一七一八)七月 信濃、三河、遠江、山城に大きな地震。 享保三(一七一八)九月 信濃の飯山に大きな地震。 享保五(一七二〇)三月 江戸火事。 享保九(一七二四)二月 江戸火事。 享保十(一七二五)九月・十月 長崎に大きな地震。 享保十四(一七二九)七月 能登、佐渡に大きな地震。 享保十四(一七二九)九月 岩代の桑折に大きな地震。 宝暦元(一七五一)四月 越後に大きな地震。 宝暦五(一七五五)三月 日光に大きな地震。 宝暦十二(一七六二)九月 佐渡に大きな地震。 明和三(一七六六)一月 陸奥の弘前に大きな地震。 明和三(一七六六)二月 弘前に大きな地震。 明和六(一七六九)七月 日向、豊後に大きな地震。 安永元(一七七二)十二月 江戸火事。 安永七(一七七八)七月 伊豆大島の三原山の噴火。 安永八(一七七九)十月 桜島の大噴火。山麓の村落に火石熱土を流して、死亡者一万六千余人、牛馬二千余頭を斃した。島の付近に新島嶼が湧出。 天明二(一七八二)七月 相模、江戸に大きな地震。 天明三(一七八三)七月 浅間山の大噴火。 寛政四(一七九二)一月 肥前温泉岳の普智山の噴火。 寛政四(一七九二)(*5)七月 江戸火事。 寛政十一(一七九九)五月 加賀の金沢に地震。宮城浦に海嘯。 寛政十二(一八〇〇)閏四月 島(桜島)民六口をこの島に移す。 享和二(一八〇二)十一月 佐渡に地震。小木湊に海嘯。 文化元(一八〇四)六月 羽前、羽後に地震。象潟に海嘯。 文化三(一八〇六)三月 江戸火事。 文化九(一八一二)十一月 武蔵に地震。 文化十二(一八一五)三月 江戸火事。 文政四(一八二一)十一月 岩代の地震。 文政五(一八二二)閏一月 胆振に地震。有珠岳が噴火。 文政十一(一八二八)十一月 越後の地震。 天保元(一八三〇)七月 山城、摂津、丹波、丹後、近江、若狭に大きな地震。 天保二(一八三一)十月 肥前に大きな地震。 天保四(一八三三)十月 佐渡に大きな地震。 天保五(一八三四)一月 石狩に大きな地震。 天保七(一八三六)七月 仙台に大きな地震。 天保九(一八三八)四月 江戸火事。 天保十(一八三九)三月 釧路に大きな地震。 天保十二(一八四一) 駿河に大きな地震。 天保十四(一八四三)三月 釧路、根室、渡島に大きな地震。 弘化元(一八四四)正月 江戸火事。 弘化三(一八四六)十二月 江戸火事。 弘化四(一八四七)三月 信濃、越後に大きな地震。 嘉永六(一八五三)二月 相模、駿河、伊豆、三河、遠江に大きな地震・海嘯。次にくる安政大変災の前駆をなす。 安政元(一八五四)二月 江戸に大地震後、大きな地震。 安政元(一八五四)六月十五日 山城、大和、河内、和泉、摂津、近江、丹波、紀伊、尾張、伊賀、伊勢、越前の諸国にわたって大きな地震。 安政元(一八五四)十月 江戸に大地震。 安政元(一八五四)十一月四日 地震。その日に東海、東山の両道が震い、翌日になって、南海、西海、山陽、山陰の四道が震うたが、海に沿うた国に海嘯。この地震は豊後海峡の海底の破裂に原因があって、四国と九州が大災害をこうむる。 安政二(一八五五)十一月二日 江戸に地震、大被害。紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、豊前、豊後、筑前、筑後、壱岐、出雲、石見、播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、摂津、河内、若狭、越前、近江、美濃、伊勢、尾張、伊豆一帯が震うて、摂津、紀伊、播磨、阿波、土佐、伊豆の諸国には海嘯。江戸が非常にひどかった。変死人は七千人。 安政三(一八五六)七月 渡島、胆振に大地震・海嘯。 安政三(一八五六)十月 江戸に大地震。 安政四(一八五七)閏五月 駿河、相模、武蔵、大地震。 安政四(一八五七)七月 伊予、大地震。 安政五(一八五八)二月 越中、越前大地震。 安政五(一八五八)三月 信濃、松代大地震。 安政六(一八五九) 武蔵の槻に大地震。江戸時代のしんがり。 慶応二(一八六六) 江戸火事。 明治五(一八七二)二月 島根県浜田に大地震。 明治二十二(一八八九)七月 熊本に大地震。 明治二十四(一八九一)十月 濃尾に大地震。七千余人の死人を出す。 明治二十七(一八九四)六月 東京に大地震。 明治二十七(一八九四)十月 庄内に大地震。 明治二十九(一八九六)六月 三陸に大地震。海嘯二万余の死人を出した。 明治二十九(一八九六)八月 陸羽に大地震。 明治三十九(一九〇六)三月 台湾の嘉義に大地震。 明治四十二(一九〇九)八月 江州に大地震。 大正三(一九一四)三月 秋田の仙北に大地震。 大正十二(一九二三)九月一日 関東の大地震。約十万の犠牲者と約五十万の家屋とをうしなった。 (*1)テキストでは「元慶」となっているが、「天慶」とした。 (*2)テキストでは「元和」となっているが、「天和」とした。 (*3)テキストでは「貞保」となっているが、「貞享」とした。 (*4)テキストでは「寛永」となっているが、「宝永」とした。 (*5)この前後、江戸の火事に関する項目の年号の並びに不整合(年代順に並んでいない)。 ※ 確認のため Wikipedia「地震の年表」と比較したところ、九割以上は一致。若干(5〜8%くらいか)の項目に差異あり。 疑問点 元慶元年 → 天慶元年か? 【元慶元年は八七七年。天慶元年は九三八年。直後に将門・純友の乱(天慶二年(九三九))への言及があるので「元慶」は「天慶」の間違いでは?】 元和三年五月 → 天和三年五月か? 【元和三年は一六一七年。天和三年は一六八三年。直前に延宝四年(一六七六)があるので、「元和」は「天和」の間違いでは?】 貞保 → 貞享か? 【「貞保」という年号はない。「貞享」の間違いでは? 2か所。】 寛永四年 → 宝永四年か? 【寛永四年は一六二七年。宝永四年は一七〇七年。文中に「宝永山」の言及があるので、「寛永」は「宝永」の間違いでは?】 寛政四年七月 → 〓〓四年七月か? 【この前後、江戸の火事に関する項目の年号の並びに不整合(年代順に並んでいない)。 享保五年(一七二〇)三月 同九年(一七二四)二月 寛政四年(一七九二)七月 安永元年(一七七二)十二月 文化三年(一八〇六)三月 同十二年(一八一五)三月 並べてみると「寛政四年」の次に「安永元年」がくるのは不自然。 享保 元文 寛保 延享 寛延 宝暦 明和 安永 天明 寛政 享和 文化 単純な配列ミスの可能性もあるが、類似元号の誤植・誤入力の疑いもあり。】 残当 → 残党か? 普智山 → 普賢山(普賢岳)か? 以上、7件。 ※ 追記:入力担当の鈴木さんに底本確認を依頼。「すべて底本の通りでした。誤植、もしくは作者の間違いでしょう。/ちなみに「折り焼く柴の記」も底本通りです」との回答あり。確認ありがとうございます。(しだ/2010.1.25) スリーパーズ日記 16日(土)晴れ。山形へ。県立博物館にて考古学講座「釜淵C遺跡」(黒坂雅人)。タイトル「様々な石組と配石」。真室川町釜淵出土の土偶のように頭頂部へ髪をまとめあげているものを、結髪(けっぱつ)土偶と呼ぶらしい。縄文のヴィーナス(舟形町西ノ前遺跡出土、高さ45cm)も、おかっぱのようでもあり、ツルツルのマネキンのようでもあり。縄文のヴィーナスの頭部には数か所の小さい穴があいている。ほとんどの土偶は女性をかたどっているといわれるが、頭髪に関するかぎり「日本女性イコール、長い黒髪」という平安から現代にいたるイメージとはかなり異質に見える。また、調査報告書によれば縄文のヴィーナスの両足の裏には5cmくらいの深さの穴があいている。土偶の足の裏に穴があいている例は、よくあることなのだろうか。 2010.1.19:公開 2010.1.25:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 「榎島」を『日本歴史地名大系』(平凡社)などで探したが見あたらなかった。一応「えのしま」と読んでおいたが、江ノ島のことをさすのかは不明。 -- しだ (2010-01-19 15 26 13) 「鎌倉は昔から地震の呪いのある土地であるらしい」という一文ははげしく反発したいが、あえてそのまま引用。鎌倉在住あるいは出身者等々、不快に感じる人は多いはず。ここで考えたいのは「地震は政権に従って移動しているような観がある」という意味。鎌倉にかぎらず、日本列島そのものがこれほど地震・津波の常襲地帯でありながら、一億人をやしない文化や経済を築きあげていること。大切なものを奪うだけではなく、与えるもの・両義的なもの。 -- しだ (2010-01-19 15 26 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/hatakw/pages/78.html
カレブの会(2012年2月)記録 日時:2012年2月24日 18 00-20 40 会場:OCC 402号室 参加者:藤田兄(お話)、星野兄、伊藤兄、西山兄、来間兄、米本兄、 門谷兄、大坊兄、畠山(記) 司会:星野兄 (1)お話のタイトル:“川の流れに身をまかせ”(藤田達雄兄) 退職後、「鎌倉静養館」で、働かれたご経験をお話しされ、 今後、更に進む高齢化社会でどう生きていくか、という 参考になりました。 キリスト教の精神・・・ と表明されていることも特徴。 また、この状況のなかで、必要な情報をいかに集めて決断 してゆくか、が必要になるという思いが出てきた。 鎌倉静養館 http //www.seiyokan.jp/ (2)全員が自己紹介 特に、米本さんが初参加で、この3月に退職されて広島に 行かれるとのお話でした。 次回カレブの会:3月30日(金) 以上
https://w.atwiki.jp/kikipedia/pages/240.html
妖界にある地名のひとつ。 数々の店舗、社屋、施設などが櫛比している。俗に「首切れ馬の食道を抜く」と言われ、大変な繁華の地。表通りに並んだこそこそ岩造りの建物が有名。 施設・建造物 経橋(きょうばし) 裏銀座にかかっている橋で名所のひとつ。 猩妖軒 有名な妖怪西洋料理店。 鎌倉屋重兵衛 有名なからし店。藤澤蘿蔔堂の隣。 藤澤蘿蔔堂 ダイコン歯磨で知られる。鎌倉屋の隣。 妖界東西新聞社 妖界最大の絵入り新聞「妖界東西新聞」の発行所。 BOUKOBOUCO 鬼邑座(2009年1月に鬼田座から座名変更) 市遊座 早良崎座 【画像】裏銀座、経橋の景色(三世一立斎広重×氷厘亭氷泉) 来歴 2006年8月30日「妖怪料理」 美味しそう!? な妖怪でのGeorge氏の書込みが初出。(「妖怪料理」 美味しそう!? な妖怪 0172)
https://w.atwiki.jp/zeroya/pages/44.html
935年 平将門の乱 939年 藤原純友の乱 1156年 保元の乱 1159年 平治の乱 1185年 壇ノ浦の戦い 1185年 頼朝が守護・地頭設置 1192年 源頼朝が征夷大将軍になる 1221年 承久の乱 1232年 北条泰時が御成敗式目を作る 1274年 文永の役 1281年 弘安の役 1297年 永仁の徳政令 1333年 鎌倉幕府が潰れる 1334年 建武の新政 1338年 足利尊氏が征夷大将軍になる 問い1 鎌倉仏教の主な宗教を六つ答えよ ①______(法然) ②______(親鸞) ③______(一遍) ④______(日蓮) ⑤______(栄西) ⑥______(道元) ↑の宗派のうち、座禅をするのは何番と何番か。 ①__と__ 問い2 ↓の表を埋めよ。 注意 この表は年表ではありませんので、順番は違います 939年 1156年 1333年 1274年 1334年 1185年 935年 1221年 1159年 1232年 1185年 1281年 1297年 1338年 1192年
https://w.atwiki.jp/otmgstory/pages/58.html
393 遙か3 梶原景時 2006/09/20(水) 19 45 40 ID ??? [692回発言] 遙か3景時投下~ 洗濯してたり、軽い性格だったり、四章熊野で花火を打ち上げてくれたりと、あまり武士らしくない景時。 三章三草山 平家の陣が偽物だったことを見抜いた景時。 源氏の兵達は、そんな景時をほめるが、元々平家にいて裏切り、頼朝を助け源氏についた景時のことを、 よく思ってない兵もいる様子。 望美は、頼朝を助けた時の事を、景時に聞きます。 景時は、逃げる頼朝に追いついたが、ただそれだけで、一緒に追っていた仲間が倒れるのを見ているしかなく、 それほどに力の差は歴然だった。そして、自分も死ぬか?と思ったが、頼朝は「景時いくぞ」と。 取引でも脅しでも、命令でもない。頼朝に逆らうことはできなかった。だから源氏に来たんだ。と、話してくれます。 五章福原 望美が景時の様子を見ようと、景時を探すと、深刻そうな顔の景時に出会う。 望美は景時に、平家との和平は結ばないつもりなんですか?と聞くと、しょうがない、頼朝の命令には逆らえない。という景時。 そんなに頼朝が怖いのか?と問うと、頼朝は確かに怖いし、自分はダメな武士だから… 昔から何やってもダメだった。ちゃんとした陰陽師にもなれなかった。 今までもきっとこれからも、何やっても最後までやり遂げることができない。悔しがってもどうにもならないから、 せめて笑ってる方がいいよね?という景時。 望美は励ますが、ごめん。オレはオレでしかないから。といい、九郎達とは別の場所に攻める為に出かけていってしまいます。 そんな景時を見ていられない望美は景時についていきます。 奇襲を仕掛ける側だし、勝てるだろうと、景時は言っていましたが、平家の反撃により、皆散り散りになってしまいます。 望美も平家の兵に発見され、体力もつきた望美はもうだめだ…と思いますが、景時が華麗に参上。華麗に救出。 そんな景時に、望美は、だめなんかじゃないですよ!といい、 景時も、オレも意外とやればできるって思ってもいいのかな?と言ってくれます。 その後もう一度平家の陣を攻め、勝利。平家の人たちは逃げて行きます。 六章鎌倉 平家により鎌倉へ放たれた怨霊と穢れをすべて鎮めた一行。京に帰ろうとする一行へ、頼朝から景時宛へ書状が届きます。 何だったのか皆が聞くと、景時は、京のお土産を頼まれたと話し、皆は先へいきますが、望美は景時の様子がおかしいのに気づき、 景時にさっきの話は作り話ではないのか?と問うと、隠せないかぁ。とつぶやく景時。 でも望美は、景時さんは意味のない嘘はつかないから、私たちが知ってはいけないことなんですね。といい、深く追求しませんでした。 394 遙か3 梶原景時 2006/09/20(水) 19 46 19 ID ??? [692回発言] 七章屋島 戦への準備のちょっとした見解の違いから、言い争ってしまった九郎と景時。 準備に手間取る景時に対し、今回の戦は迅速性が大事と、先に出発する九郎。望みは景時と共に残り、半日遅れで出発。 苦戦していた九郎達を助け、九郎から、頼朝の信頼を得ているのは景時ではないかと思い、焦っていた事を謝罪され、和解。隊列を整えるため、一旦引き返すことに。 そして、戦を一旦仕切りなおすために、逃げた方がいいのではないか?という景時の案を受け入れ、皆で逃げることに。 船を沖にだそうとした時、平家の追手に襲撃され、一行はピンチにたたされるも、一人ひそかに浜に残っていた景時は、 逃げるのは得意だし、捕まっても元々平氏だし、何とかなるんじゃないかな?だから、オレなんて放って逃げ延びてくれ… と言い、単騎で平家の大将に一騎打ちを挑みます。 景時がまだあそこにいるから引き返して!という望美の悲痛な叫びも 弁慶の、景時の覚悟を踏みにじるわけにはいかない。との言葉にかきけされ、一行は京へ帰るが、景時は帰ってこなかった。 そして、一人で源氏を救った英雄として、景時は理想の武士に祀り上げられる。 その後、望美と朔は源氏を離れ、京郊外の尼寺へ身を寄せていた。 朔は、兄上は満足していたんじゃないか。最後の笑みはいつもの作り笑いとちがい、穏やかに笑っていた。 弓も剣も馬も人並み以下でしかこなせなかった兄上が、武名を残した。悔いはなかったと思う。そう思いたい…。といいますが 望美は、本当に悔いがなかったかどうかはわからないけど、こんな終わり方でいいはずない。もう一度やり直せるなら… と、時空を超えます。 再び七章屋島 今度は一緒に逃げると言った景時の嘘を見破り、望美は景時が残るなら自分も残る!と言い、その話を聞いていた九郎達も景時一人見殺しにはできない、他の方法を考えます。 そして景時の陰陽術で軍隊の幻覚を作り出し、それに気をとられた平家の兵達を後ろから襲撃。撃破。 だが、残りの兵は皆逃げていた。けれど、九郎は戦の流れは源氏に傾いてる、後一戦で片をつけられる!といきまきますが、 景時は浮かない顔をします、なんだか様子のおかしい景時を気にかける望美。 395 遙か3 梶原景時 2006/09/20(水) 19 47 07 ID ??? [692回発言] 八章壇ノ浦 敵はもう目の前だというのに、まるで戦を避けるような慎重論を唱える景時。戦の決着をつけたくないような態度に、九郎たちはいぶかしみます。 その夜、景時は望美に 鎌倉で受けとったあの書状、本当は暗殺の命令が書いてあった。頼朝に従うようになってから、何度も暗殺の命令を遂行してきた。 この手は血にまみれている。けれど、これ以上手を汚したくない。楽になりたい。だから、お願いだ、一緒に逃げてくれないか。一緒にいてくれるって言ってくれただろう? と打ち明けますが、望美は、 逃げちゃだめだよ!あきらめちゃだめ。景時ならどんなことがあっても、知恵と勇気で乗り越えられる。屋島の時もそうだったじゃないですか!と叱咤。 けれど景時は買いかぶりすぎだ。自分は自分のことを信じられない。といったきり、口をつぐんでしまいます。 そして次の日。平家を攻める段取りの最中に、鎌倉から援軍がくるという話に。弁慶は、今になって政子が出てくることを怪しみますが、 九郎はあっさり戦のためだろう?と信じて疑いません。 平知盛も倒し、逃げていく還内府たちを追撃しようとした時、政子が現れ、 あの船は自分達が抑えるから、景時に鎌倉でのあの書状の命令を遂行しろと強要し、逆らえない景時は オレはこうするしかないんだ…と、望美に銃口を向けます。どういう事ですか?との望美の問いに あの書状には戦の勝敗が決した後、白龍の神子を亡き者にしろ…と書いてあったという景時。 さらに鎌倉の自宅は常に見張られ、母親が人質にされている。 裏切り者の自分が家族を守る方法なんて、他になかった。わかってくれとはいわないけれど…といい、涙ながらに望美を撃ち、胸から血を流し倒れる望美。 それを見て満足した政子は、他の皆は鎌倉殿への反逆の疑いで鎌倉へ送ると告げ、 景時は政子に、望美は大切な人だったから、せめて、オレの手で弔わせて下さいと頼み、了承をえます。 終章 一人壇ノ浦の側のお寺に来ていた景時は間違ってないはずだよね…?と一人つぶやきます。 そして息を吹き返す望美。実は景時は気絶させるだけの魔弾を撃ち、血は幻術で、政子の目をごまかそうとしたのでした。 そして息を吹き返した望美に、還内府と他の皆が捕まった事を話し、自分の母親も含め、皆を助けるために力を貸して欲しいと望美に頼みます。 そして鎌倉で朔と合流した二人。朔から皆は江ノ島に捕まってると聞き、助けに行こうとしますが、景時は、頼朝に呼び出されていて、 白龍の逆鱗をもってこいと言われてるといい、景時を信じている望美は逆鱗を渡し、望美達は江ノ島へ、景時は頼朝の下へ二手に分かれることに。 江ノ島で九郎と弁慶以外の面子を救出。弁慶達がドコにいるかわからないため、先に景時の母親を助けることにする一行。 一方、頼朝の前では九郎の謀反についての詮議が行われていて、他の御家人は頼朝の言いなり。九郎をかばうのは景時只一人。 そんな景時を気に入らない頼朝は、母親の命を盾に景時を脅しますが、望美が助けてくれると信じ、頼朝に屈しない景時。 一方望美達は、梶原邸の周りの見張りを倒しますが、中にも兵がいて、頼朝にばれる!!と思った直後、 中で捕らえられていた九郎や、還内府として捕らえられていた将臣達の加勢もあり、無事全員捕縛。 そこで景時の母親からダキニテンの話を聞き、きっとこの騒ぎもばれているだろうと言われ、皆は景時の安否を気遣いますが、 望美は、景時の頼朝は任せろとの言葉を信じて皆で鎌倉を出よう!と言います。 一方頼朝は景時の屋敷での騒ぎを察知。が、ダキニテンに皆食われるだけだ。今態度を改めれば家族だけは助けてやる。と景時を脅します。 鎌倉からの出口に差し掛かった望美達の前に政子が立ちはだかる。以前命乞いした景時だから、今回もまた同じことしてるでしょうね。 という政子に、今は違うよ!と否定する望美。 一方政子の力を盾に景時をさらに脅す頼朝。景時は白龍の逆鱗を頼朝に見せ、黒龍の逆鱗も自分の手にあると嘘をつき、 自分は逆鱗の力は操れないが、二つの逆鱗を干渉させれば強大な力が生まれるはず。何が起こるか試してみましょうか?と、一世一代の大博打を打つ。 ダキニテンに変貌し、襲い掛かってきた政子を撃退した一行。 望美は前の時空で一人全部抱え込んだ景時の姿を思い出し、あきらめないで!と願う。 頼朝は、そんな事をしたら、お前も巻き添えを食うぞ。と言いますが、景時は他の皆はもう鎌倉の出口付近にいるのだから、 自分がどうなろうと、仲間は助かる。と言い放ちます。そんな景時を見て頼朝は折れ、九郎達や、景時の母皆を逃がし景時の望むようにさせます。 そしてまったり京で二人で過ごすのでした。 396 遙か3 梶原景時 2006/09/20(水) 19 52 01 ID ??? [692回発言] あぁ追記。京EDです。 バッドEDで、八章での景時の逃げよう!の言葉に肯定すると、 二人で延々逃亡するEDがあります。 397 遙か3 有川譲 2006/09/21(木) 00 33 10 ID ??? [692回発言] 二章春の京 望美を励ます為に料理を作ったり(ドリア、天ぷら、オムレツ)意外と器用な譲。 だが、京にきてから夢見が悪い様子。 望美の気分転換にと、京の梶原邸に望美の好きな花を植えている譲とあい、その様子を見た白龍は、星の一族は庭を整えるの好き?と譲に話しかけます。 星の一族とか何もわからない二人は、景時に聞き、今も京に住んでることを知ります。 そして、八葉の宝玉は、普段は白い一つの石で、しかも譲がもってた事を白龍が話します。 それは譲の祖母の形見の石でした。なぜ譲の祖母がそんな石を… 不思議に思った望美は、星の一族の居場所を突き止めそこへ行くことにします。 そこでは、宝玉を持つ当主が三年前に行方知れずになってから、星の一族としての力を持つものがいないので、神子の力になれない。 と謝られます。そして、その当主の名前は菫姫。譲の祖母の名前もスミレ。白龍も、譲は星の一族の血を引いているといい、 ひょっとしたら、その菫姫は、神子を探すために時空を超え有川兄弟の祖母になったのではないだろうか。 そして宝玉を託された譲が、星の一族として、神子を助けてくれ。と星の一族の人に頼まれます。 三章三草山 ずっと夢見が悪くて寝れず、調子の悪い譲。 それでも偵察に来てくれて、暗い中で矢を当てた彼に驚くと、京に飛ばされてから、那須与一に弓を習っていることを聞く。 那須与一といえば、屋島での扇落としが有名なのだが、屋島の戦いで…と口にしたとたん、様子がおかしくなる譲。 どうも夢見が悪いことと関係があるようだけど、その夢が何なのか教えてもらえず、気になる望美。 四章熊野 将臣と譲と三人で子供の頃の話をしたり、星の一族は星で占いをしてたという話をしたり。 五章福原 平家が逃げた後、平家の暗躍をとめるため、鎌倉に行くことにする一行。 だが、望美は譲の元気がないことに気がつき、彼を探す。見つけた彼は、師である那須与一が重傷を負ったことに心を痛めていた。 そして唐突にパンドラの箱の話をする。もう一つのバージョンで、箱の底に残っていたのは、希望ではなく、未来視で、 その力は、この世のあらゆる災いより恐ろしいものだった。そんな話をする譲。 自分の努力で未来を変えられるならまだしも、どんな努力をしても恐ろしい未来が変わらなかったら、人は絶望するしかない。 そしてついに自身の悪夢を話してくれます。 この世界に来てから繰り返し繰り返し自分が死ぬ夢を見る。星の一族には未来を見る力があるという。 この夢はいつか本当になるかもしれない。死ぬことが恐ろしいのではなく、望美を一人この世界に残して死にたくない。 戦場では簡単に人は死ぬ。でも自分は死にたくなんてない! だったら死なないって約束して?という望美に、最後まであきらめないことを約束する譲。 398 遙か3 有川譲 2006/09/21(木) 00 33 41 ID ??? [692回発言] 六章鎌倉 那須与一さんは命をとりとめたらしい。 鎌倉の怪異を探ってる合間に、譲の元気がないために、すこしは安心してもらおうと、お守りをもらってこようとする望美。 望美が一人で出かけるところに遭遇したヒノエが心配して付き合ってくれることに。 ずいぶん遅くに帰宅した望美に詰め寄る譲。望美に自分の事をどう思ってるかを聞き、望美が大切な人だよ?と答えるやいなや、 望美を壁に追いつめ、 「俺のことが大切だというなら、なぜ他の奴に微笑みかけるんですか。俺がこれまでどんな想いで貴方を見ていたと思うんですか。 ほんの子供の頃から貴方のことが好きだった。ずっとあなたの姿を目で追っていた。」 と、ついに今までの想い爆発。 「ずっと隠しておくつもりだった、この関係を壊したくなかった。けど、いつまで生きていられるかわからない。 この世界に来たことも、死ぬことも恐ろしくはないけども、貴方が他の誰かのものになるのが怖い。俺がいなくなったら、貴方は誰に微笑みかけるのでしょうね」 と自嘲気味に笑う譲に望美は、あきらめないって約束したでしょ?と一喝。 そして譲は、死んだりしない。すみませんおかしなことを言って、忘れてくださいと、望美に謝罪。 平惟盛の暗躍をとめた一行。次なる戦へ 七章屋島 鎌倉での一件いらい、望美を避ける譲。そんな譲に食い下がり、お守りを渡す望美。そして屋島の戦いを迎える 船で逃げた平家を追って、海岸までいく一行。知盛が望美を狙って放った矢から庇う譲。 矢は望美があげたお守りにつきささり、譲は無事だった。ひょっとして、譲の悪夢とはこの夢かも?助かったんだね!と喜ぶ二人。 平家を皆で追い詰めるが、清盛が現れる。そして余興にと、扇を掲げた小船を出し、之を射よと挑戦をする(那須与一が射る有名なアレですね) 那須与一は怪我をしているため、弟子の譲がすることに。見事譲は扇を射落とすが、清盛は側で見ていた望美を狙い、黒龍の逆鱗の力を放つ。 それを庇った譲。覚悟はしていたが、貴方の側を離れたくないのに…といい還らぬ人となってしまう。 譲の亡骸を抱えて呆然とする望美。譲を怨霊にするわけにはいかないと、強引に弁慶に亡骸を埋葬される。 望美を心配した朔に、譲はこの事を夢に見ていたんだよ。と話す望美。朔は、譲のことは定められていたのね…とつぶやくが、 一週目の京の事を思い出した望美は、この運命に変えたのは私だ。運命を上書きして歴史を変えて…私が譲君を殺してしまったんだ。 と嘆く。だが、黒龍の逆鱗の力のせいで、白龍の逆鱗は砕けてしまった。もう時空を飛ぶことはできない。もう運命を変える事はできない… 399 遙か3 有川譲 2006/09/21(木) 00 35 19 ID ??? [692回発言] 八章 京の梶原邸にいると、どこでも譲の事を思い出してしまう望美。 やってきたヒノエと敦盛は、景時を呼び出し、白龍の逆鱗を戻す方法があるという情報が入ったが、いまさらになって現れた情報だから、 どう考えてもおかしいよな。と話す。これは望美の耳には入れないほうが…と言っていたら、望美はそれを聞きつけ、少しでも望みがあるなら行く! と、うさんくさいが皆でその場所へ出かける事に。 だがやはりこれは平家の罠だった。待ち構えていた知盛に戦いを挑まれる一行。撃退するが、元に戻すなんて嘘だったことに落胆する望美。 そんな望美をみて白龍が自身の逆鱗を渡そうとしますが、逆鱗をはずすと白龍は死んでしまう。 誰かに犠牲になってほしいんじゃない。私が願うのはもう一度…本物の譲君に会いたい…っ。 望美の流した涙で逆鱗が復活。でも以前持っていたものかどうかわからない。でも一度でいい、時空を超えさせて!と時空跳躍をし、 六章の鎌倉まで戻る。 再び六章鎌倉。 鎌倉の景時の屋敷に来たことに気が付いた望美。台所へ駆けつけ譲の姿を確認すると、いきなり抱きつき泣く。 びっくりする譲に好きだよ。と告白する望美。さらにびっくりし、戸惑う譲。けど、子供の頃から望んでいたことだから、幸せです。といい笑顔になる。 その後、将臣と譲に先の屋島で起こったこと、扇の的あては白龍の神子である自分を殺すための罠だということを打ち明け、 譲に庇わないで、と告げる望美。何が起こるか知っていれば大丈夫だから、私を信じて!と譲を説得。将臣も信じ、次の日に屋敷を出て行った。 平家の陣に戻った将臣は、清盛から余興の話を聞き、望美の話の確信を得る。 終章 屋島での戦の前に、どうしても不安がきえない望美。譲は、望美を庇わない約束は守るけれども、自分なりに貴方を守る。と言います。 一方先の時空とはちがい、屋島についてきた将臣。怨霊に頼りすぎて正気を失いかけている清盛と言い争いをしてしまう。 そして運命の場所。どうしても不安が消えない望美。そんな望美を励ます譲。 そして再び扇の的当て。将臣にも助けられ、今度は清盛のもつ黒龍の逆鱗を射抜く。 裏切った将臣に激しく怒る清盛。将臣は大切な三つの物を守るために清盛を倒してでもとめる!と清盛に剣を向けます。 それをみてなお怒り一行に襲い掛かる清盛。清盛を浄化したことで白龍は元の姿に戻り、元の世界に帰れることに。 将臣は平家の為にここに残ると言い出し、両親と望美の事を頼むと譲に言います。 皆との別れを惜しみつつ、二人は元の世界へ。
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/281.html
重複掲載はそのうち淘汰します。 エリア 霊場名 リンク GoogleMap 専用納経帳 注意事項 とれっち 甲斐観音八十八札所 甲斐四國八十八札所 山梨県 甲斐国三十三観音霊場 甲斐の国三十三観音霊場 山梨県 甲斐之國都留郡三十三カ所 甲斐百八札所 山形県 寒河江三十三カ所 山形県 寒河江十カ所観世音霊場 山形県 寒河江西根長岡三十三観音霊場 島根県 掛合地下札三十三番 加古郡観音三十三札所 兵庫県 加西西国三十三観音霊場 東京都 葛西三十三観音霊場 兵庫県 加西大師巡り二十一カ所 笠岡四國八十八札所 京都府 加佐郡三十三カ所 栃木県 粕尾三十三所観音霊場 上総三十三観音霊場 千葉県 上総国三十四カ所 千葉県 上総国薬師如来霊場 霊場会 地図 あり 巡礼中 河泉地蔵二十四札所 葛飾板東観音三十三札所 茨城県 葛飾坂東三十四カ所 刈田新西国三十三カ所観音札所 秋田県 鹿角郡三十三カ所 長野県 金熊三十三カ所 石川県 金沢西国三十三札所 神奈川県 金沢三十四カ所観音霊場 石川県 金沢坂東三十三札所 可児郡四國八十八札所 可児郡二十一大師札所 神奈川県 鎌倉三十三観音霊場 地図 なし 巡礼中 神奈川県 鎌倉郡三十三所観音札所 鎌倉五山札所 鎌倉五山札所 鎌倉十三佛札所 鎌倉地蔵二十四札所 加美郡三十三番札所 福島県 上郷/下郷六観音霊場 神島四國八十八札所 神島八十八ヶ所 山形県 上ノ山三十三観音霊場 山形県 上ノ山拾躰観音霊場 山形県 上ノ山地蔵尊四拾八カ所霊場 熊本県 上益城郡矢部三十三カ所観音霊場 上山三十三観音霊場 蒲生観音三十三札所 滋賀県 蒲生西国三十三所 奈良県 川上郷三十三カ所 大分県 川筋三十三カ所 河内飛鳥古社寺十五札所 河内西国観音霊場三十三ヶ所 大阪府 河内西国霊場 霊場会 大阪府 河内三十三カ所観音霊場 山梨県 河内三十四所 大阪府 河内新西国三十三霊場 河内六観音札所 静岡県 川西三十三カ所 長野県 川西三十四カ所 京都府 川東三十三霊場 川辺郡観音三十三札所 兵庫県 川辺西国三十三カ所観音霊場 鳥取県 河村郡三十三所観音霊場 関西神佛巡り壱百五札所 近畿 関西花の寺二十五ヶ所霊場 霊場会 霊場会公式の地図 あり Webサイトがブロックされます・・・ 鑑知国師西山上人十六霊場 関東観音三十三札所 関東九十一薬師霊場札所 関東三十三観音 関東 関東三十六不動霊場 あり 巡礼中 関東三聖天 関東四國八十八札所 関東十八壇林札所 関東親鸞二十四輩札所 関東地蔵百八札所 関東 関東八十八ヵ所霊場 霊場会 霊場会公式の地図 巡礼中 新潟県 蒲原観世音番外霊場 新潟県 蒲原三十三観音霊場 地図 紀伊十三佛札所 和歌山県 紀伊当国八十八カ所霊場 熊本県 菊池三十三カ所観音霊場 関東 北関東三十六不動尊霊場 霊場会 北國四國八十八札所 京都府 北桑田郡三十三観音霊場 山形県 北郡三十三観音霊場 北信濃十三佛札所 北豊島三十三ヶ所霊場 島根県 亀嵩三十三所観世音 滋賀県 繖五山 県観光協会 地図 岐葉弘法二十一札所 岡山県 吉備四国八十八カ所 岐阜観音三十三札所 関東 旧小机領三十三所子歳観音霊場 霊場会 あり 子年開帳 九州 九州西国三十三観音霊場 九州 九州三十三カ所観音霊場 九州三十六不動霊場 九州 九州二十四地蔵尊霊場 霊場会 九州二十四地蔵尊霊場 九州 九州八十八ヶ所百八霊場 霊場会 あり 九州八十八ヶ所霊場 九州不動三十六札所 九州 九州四十九院薬師霊場 霊場会 あり 九州四十九院薬師霊場 島根県 旧楯縫三十三番観音霊場 行田救済菩薩十五霊場 千葉県 行徳・浦安三十三観音霊場 京都五山札所 京都三庚申札所 京都三弘法札所 京都十三佛札所 京都十二薬師札所 京都府 京都十二薬師霊場 霊場会 あり 京都府 京都十六社朱印めぐり 霊場会 あり 京都六地蔵札所 近畿 近畿三十六不動尊霊場 霊場会 近畿三十六不動尊霊場 近畿十樂ぼけ封じ札所 和歌山県 近郷(和歌山)西国三十三カ所 近畿 近畿楽寿観音三十三ヵ所霊場 霊場会 あり 近畿楽寿観音霊場三十三ヶ所 和歌山県 近西国三十三カ所 静岡県 釘ケ浦浜三十三所 福島県 久保田三十三観音 秋田県 久保田三十三所 地図 1/16未明限定。近親者の戒名を札打する行事。 熊野観音三十三札所 三重県 熊野西国三十三観音霊場 和歌山県 熊野曼陀羅三十三カ所 鳥取県 久米郡三十三所観音霊場 くもとりやま33観音霊場 公式 - 舞台パフォーマンス 福岡県 鞍手郡中三十三カ所観音札所 黒川三十三カ所観音霊場 桑名観音三十三札所 桑名地蔵二十四札所 福岡県 郡中(嘉・飯・山)三十三所 福岡県 郡中(表糟屋郡)札所 福井県 郡内新秩父霊場 福井県 郡内新坂東霊場 群馬県 群馬郡三十三所観音霊場 京王三十三観音 広島県 芸州広島郷三十三カ所観音霊場 三重県 芸濃三十三カ所 気仙三十三観音霊場 千葉県 小糸作札三十三観音霊場 千葉県 小糸作札薬師霊場 滋賀県 甲賀三十三カ所観音霊場 甲賀四國八十八札所 熊本県 合志三十三観音霊場 滋賀県 江州伊香三十三所観音霊場 - 地図 山梨県 甲州八十八カ所霊場 江州観音三十三札所 山梨県 郷地札三十三所 東京都 江都三十三所 甲府五山札 山梨県 甲府・府内三十四カ所 兵庫県 神戸十三仏霊場 神戸六地蔵札所 弘法大師越後二十一ヶ所霊場 弘法大師巡鍚伊予二十一霊場 高野街道十札所 高野山備中札所 高野山薬師十二神将 高野長峰霊場 埼玉県 高麗三十三カ所観音霊場 高麗坂東三十三観音 東京都埼玉県 荒綾八十八ヶ所霊場 京都府 郡三十三観音霊場(綾部西国三十三観音霊場) 宝住寺 霊場会の地図 奈良県 郡山観音三十三カ所 国際親善平和観音霊場 国東三十三観音霊場 湖國十一面観音札所 滋賀県 湖国十一面観音霊場 滋賀県 湖西二十七名刹霊場 - 地図 びわ湖百八霊場の西部 越之國観音三十三札所 児島四國八十八札所 児島八十八ヶ所 御城下三十三所 越若善光寺如来四十八札所 島根県 御像入旧浜田領三十三観音霊場 埼玉県 児玉西国三十三カ所観音霊場 児玉三十三観音霊場 神奈川県 小机領三十三カ所 福島県 小手三十三所観音札所 滋賀県 湖東三十三所 滋賀県 湖東二十七名刹霊場 - 地図 びわ湖百八霊場の東部 五島八十八ヶ所霊場 滋賀県 湖南二十七名刹霊場 - 地図 びわ湖百八霊場の南部 千葉県 小櫃作観音札所 千葉県 小櫃作三十五カ所札所 山形県 五百川三十三所観音霊場 御府内八十八ヶ所霊場 湖北四國八十八札所 滋賀県 湖北二十七名刹霊場 - 地図 びわ湖百八霊場の北部 小牧観音十札所
https://w.atwiki.jp/azuryi0901/
てすと。質問・意見報告などはこちらへお願いします。 -- (御手洗 晴喜) 2007-09-29 00 40 18 みしぇ~るさん、書き込みありがとうございます^^発光式、参加歓迎しますよw -- (御手洗 晴喜) 2007-09-29 00 41 25 はじめまして~よろしくおねがいしますカキコミてすとw -- (ナナス) 2007-10-18 18 39 21 挨拶できなくてすみませんでしたTT神器終わって、せっかくだしアサ作り直すかってキャラデリしたもんで。。またフラフラ~っと戻ってくるかもしれんので、そのときはよろしくです!3週間くらいかな?ありがとうございましたー! -- (ナナス) 2007-11-03 09 17 31 ケンセイのあの子です(HNはっきりと覚えてないのです) -- (御影) 2007-12-05 18 55 08 文字切れた…最近INできなくてごめんなさい…仕事が忙しくINできてません…ひと段落しましたらINしますね(泣 -- (御影) 2007-12-05 18 56 16 LKおめでとう。特化剣にオラブレ付与狩りがウマウマですな。 -- (アシカガ) 2007-12-05 20 39 47 突然Gぬけてごめんなさい…イロイロと考えた結果キャラを少なくしてキャラ浮気しないようにとキャラを消しました… -- (鷺沢) 2008-02-22 20 16 04 @…おれんじ君に中型特化弓を貸してるのですが…なにかあれば連絡をくれると嬉しいです…最後まで変なメンバ(鷺沢)でごめんなさい マスターありがとうございました -- (鷺沢) 2008-02-22 20 17 17 いえいえ。お疲れ様でした。こちらもあまりいないマスターですみませんでした。 -- (晴喜) 2008-03-05 00 35 06 集中してるキャラが落ち着いたら、またいつでも声をかけてください。いつでも歓迎します。あと、おれんじさんの件については、また気がついたら伝言しておきます。 -- (晴喜) 2008-03-05 00 36 50 3/4「名もなき島」のアップデートがありましたが、アクセス集中しまくってるようで、自PCのスペックが弱くなかなかはいれません。落ち着くまで最悪金曜まで入れない可能性があります。ご了承ください;; -- (晴喜) 2008-03-05 00 39 20 長いこと音沙汰無しですみません。 -- (菊地真) 2008-04-21 12 32 13 一応朝とかにちょこちょこ繋いでます。 -- (菊地真) 2008-04-21 12 32 40 菊池さんはちょこちょこ会ってるので、大丈夫ですよ^^ -- (御手洗) 2008-04-22 13 06 23 足利さん・鎌倉さんもOKです。はいれない理由を知っていますので。対象は、音沙汰なしで去年の10月ごろから入っていない方です -- (御手洗) 2008-04-25 01 58 43 あまり名指しはしたくないので、よろしくです -- (御手洗) 2008-04-25 01 59 35 4/30と5/1の13~16時までイン予定です ネカフエ3倍らしいので~♪ -- (鎌倉) 2008-04-27 23 58 01 お久しぶりです。GW中に出来たらINしたいのですが、1Day切れてるので、そっちを確保してからで・・・。(さすがに一ヶ月課金はもったいないくらいのIN率になると思う・・・) -- (アシカガ) 2008-04-30 20 26 00 鎌倉さん、挨拶でもと思い4/30日に13:30まで待ってましたが、夜勤明けの眠気に負けました;-;お会いできずに残念でした。 -- (御手洗) 2008-05-03 22 59 14 GW -- (アシカガ) 2008-05-06 20 40 39 ↑書き込みミス。GW中にINしようかと1Dayチケ買いにネカフェ行ったら、店内を利用した客にしか売れないとか・・・いつの間にそんなふざけた事に。 -- (アシカガ) 2008-05-11 22 55 13 ↑どこのネカフェもそうだと思ってました。アシカガさんの所は利用しなくても買えてたんですね。 -- (菊地真) 2008-05-15 10 09 48 御手洗さんすみません、4/30はインが微妙に遅れてしまってました。また何かの折りにお会いできれば~! -- (鎌倉) 2008-05-16 16 17 02 私の近所のネカフェは、店内利用しなくても、何枚でも買えましたよー。ネカフェによって違うようですね -- (御手洗) 2008-05-21 22 33 38 期限が来ても連絡なかった方は、残念ながら本日追放、とさせていただきました。貸しっぱなしの装備もあったのですが、諦めました。 -- (御手洗) 2008-05-22 23 54 46 (´・ω・`)了解です・・・・・装備なんてモウイイヤ… -- (鷺沢) 2008-06-09 20 37 14 パスワードを教わってからだいぶ経ちますが、個人ページ作ってみました。試行錯誤中ですが… -- (菊地真) 2008-06-24 21 01 52 今見ましたが、獣兵衛さんLv98おめでとうございますー -- (菊地真) 2008-07-26 16 52 27 晴さん、こないだは短い時間でしたがドモでした。 -- (鎌倉) 2008-07-29 14 24 56 獣さん、発光式イツですか?呼んで下さいねw -- (鎌倉) 2008-07-29 14 25 23 獣兵衛さん転生おめでとうございます。気付かなくてごめんなさい。 -- (菊地真) 2008-10-11 14 03 52 両手騎士を作り始めています。他にネタがなくてスミマセン^^ -- (琴乃宮) 2009-01-31 20 42 11 借り物日記:中型と大型の両手剣を借りる 担保にマルクcとレイドcは少し気が咎めるのでカキコ 早めに返そうと思います。w -- (琴乃宮) 2009-03-10 00 13 04 あ↑借りたのギルマス -- (琴乃宮) 2009-03-10 00 15 35 借り物日記2:ギルマスが両手剣祭りに参加するそうなので大型剣のみ返却 -- (琴乃宮) 2009-03-21 20 41 06 大変ご無沙汰してます。1.5倍なので久々に騎士でインしました! -- (鎌倉) 2009-09-19 23 36 06 2倍+教範=ジオンの赤い彗星(通常の3倍)って訳でLv90になりました野牛解禁記念にカキコ -- (獣兵衛) 2009-11-14 23 44 22
https://w.atwiki.jp/jreast205/pages/18.html
横浜線置き換えの背景 横ナハ17編成組成 転用対象外車両の廃車 横浜線置き換えの背景 JR東日本で営業運転に使用されている最古参の通勤型電車となった205系電車の置き換えが進む中、埼京・川越線(川越車両センター)に続く置き換え路線には、横浜線(鎌倉車両センター)が選ばれた。導入発表は同時で実際の投入順は逆転したが、置き換え計画自体は横浜線のほうが先に検討開始されていたため、埼京・川越線向けよりも若い番台区分のE233系6000番台が8両編成28本投入され、横浜線の205系電車は全て置き換えられることになった。E233系電車はオール4扉車のため横浜線での6扉車の運転が終了するとともに、サハ204形がこれによって消滅することになった。 置き換えられた205系電車は、埼京・川越線の時と同様、ほとんどが廃車になり、一部がインドネシアのPT.KAI Commuter JABODETABEKへ譲渡されたが、2014年3月15日ダイヤ改正で南武線(中原電車区)が運用増になったことに伴って6両だけは廃車を免れて南武線へと転属した。 横ナハ17編成組成 2014年3月15日ダイヤ改正で南武線(中原電車区)が運用増になったため、廃車が進行していた横浜線(鎌倉車両センター)所属の205系電車のうち6両を転用して運用数増加分に充てることになった。 対象編成には横クラH26編成が選ばれ、付随車を抜いた6両編成が横ナハ17編成として転用された。転用に際しての改造は必要最小限に留められ、南武線では不要なATCが搭載されたままであるなどの差異が生じたが、共通運用となった。 転入前 鎌倉 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ204 クハ204 H26 136 367 367 232 369 369 126 136 2014.02.25 新1号車 新2号車 新3号車 廃車 新4号車 新5号車 廃車 新6号車 転入時 中原 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 クハ204 17 136 367 367 369 369 136 大宮 2014.02.25 転用対象外車両の廃車 横浜線(鎌倉車両センター)には8両編成28本が所属していたが、このうちの27編成と、横クラH26編成の付随車の合わせて226両は廃車になった。このうち8両編成22本は総合車両製作所新津事業所へ配給された後インドネシアのPT.KAI Commuter JABODETABEKへ譲渡され、残りの42両は長野総合車両センターへ配給された後41両が解体、1両は廃車体を鉄道総研に譲渡した。 廃車(PT.KAI Commuter JABODETABEKへ譲渡される車両) 鎌倉 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 廃車日 備考 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ204 クハ204 H6 66 191 191 126 192 192 106 66 2014.05.23 インドネシアへ輸出(181両目~188両目) H4 64 187 187 124 188 188 104 64 2014.05.30 インドネシアへ輸出(189両目~196両目) H24 84 227 227 144 228 228 124 84 2014.06.06 インドネシアへ輸出(197両目~204両目) H21 81 221 221 141 222 222 121 81 2014.06.13 インドネシアへ輸出(205両目~212両目) H7 67 193 193 127 194 194 107 67 2014.06.20 インドネシアへ輸出(213両目~220両目) H9 69 197 197 129 198 198 109 69 2014.06.27 インドネシアへ輸出(221両目~228両目) H12 72 203 203 132 204 204 112 72 2014.07.04 インドネシアへ輸出(229両目~236両目) H15 75 209 209 135 210 210 115 75 2014.07.11 インドネシアへ輸出(237両目~244両目) H13 73 205 205 133 206 206 113 73 2014.07.18 インドネシアへ輸出(245両目~252両目) H25 85 229 229 145 230 230 125 85 2014.07.25 インドネシアへ輸出(253両目~260両目) H23 83 225 225 143 226 226 123 83 2014.08.01 インドネシアへ輸出(261両目~268両目) H14 74 207 207 134 208 208 114 74 2014.08.08 インドネシアへ輸出(269両目~276両目) H18 78 215 215 138 216 216 118 78 2014.08.22 インドネシアへ輸出(277両目~284両目) H11 71 201 201 131 202 202 111 71 2014.08.29 インドネシアへ輸出(285両目~292両目) H19 79 217 217 139 218 218 119 79 2014.09.12 インドネシアへ輸出(301両目~308両目) H22 82 223 223 142 224 224 122 82 2014.09.19 インドネシアへ輸出(309両目~316両目) H2 62 183 183 122 184 184 102 62 2014.09.26 インドネシアへ輸出(317両目~324両目) H17 77 213 213 137 214 214 117 77 2014.10.03 インドネシアへ輸出(325両目~332両目) H8 68 195 195 128 196 196 108 68 2014.10.10 インドネシアへ輸出(333両目~340両目) H1 61 181 181 121 182 182 101 61 2014.10.17 インドネシアへ輸出(341両目~348両目) H27 30 88 88 59 90 90 30 30 2014.10.24 インドネシアへ輸出(349両目~356両目) 鎌倉 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 廃車日 備考 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 クハ204 H28 15 43 43 29 45 45 30 15 2014.09.05 インドネシアへ輸出(293両目~300両目) 廃車(解体など) 鎌倉 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 廃車日 備考 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ204 クハ204 H26 232 126 2014.02.05 解体(長野総合車両センター) H3 63 185 185 123 186 186 103 63 2014.03.03 解体(長野総合車両センター) H20 80 219 219 140 220 220 120 80 2014.04.04 解体(長野総合車両センター) H10 70 199 199 130 200 200 110 70 2014.05.15 解体(長野総合車両センター) H16 76 211 211 136 212 212 116 76 2014.05.20 解体(長野総合車両センター) H5 65 189 189 125 190 190 65 2014.05.21 解体(長野総合車両センター) 105 鉄道総研へ譲渡