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藤堂高虎 基本情報登場シナリオ 全合戦出陣開放条件 戦闘系データ戦技 武器 オススメの使い方 攻撃技一覧 イベント会話イベント 台詞 藤堂高虎攻略・編集報告 基本情報 名前/よみ 藤堂高虎/とうどうたかとら 性別 男 身長 187cm 立場 浅井軍所属武将、豊臣軍所属武将、徳川軍所属武将、藤堂家当主 武器 細剣 アクションタイプ 通常攻撃 固有属性 凍牙 声優/よみ 松風雅也/まつかぜまさや 備考 幸村との対比的なポジションで追加された今回のメイン新キャラ。近江国の没落した武家に生まれ、農民と殆ど変わらない生活から浅井長政に仕えて以降、幾つもの勢力を渡り歩いて武功を重ね己の実力で大名にまで昇りつめた英傑。秀吉に負けず劣らずの立身出世を果たした苦労人である。何度も主君を変えたことから不忠者のようなイメージがあるが、戦国時代は自分の実力を認めてくれる、将来性のある主君を探して仕えるのはよくあること。実際一度仕えた相手には忠誠を尽くしており、仕えた主が早逝してしまったことも多く経験したのである。江戸幕府下では外様大名でありながら、尾張の隣、伊勢を任され、譜代大名さながらに重用されている。戦国無双では、はじめは君主のためなら死をも厭わなかったが、長政とお市に諭されて以降、生きて忠を尽くす。この点においても、信玄から生きよと命じられながら、死をもってもののふの生き様を示した幸村とは対照的である。また、家臣の忠義を踏みにじる信長を非常に嫌う、民の万能品・三尺手ぬぐいはすぐに使えるよう首に巻く、長政から貰った太刀と小判、お市から貰った三尺手ぬぐいを大大名になっても肌身離さず大切にする、恩ある長政を自害に追いやった秀吉を良く思っておらず、仇討ちを考えているなど「忠誠心」「下から這い上がった身」などがキャラとなっており、長政や秀長に取り立てられた恩は決して忘れない。戦技も「立身」「献身」と高虎を象徴するものが揃っている。また、築城の名手としても有名で、ゲームでも同じく築城の名手である清正と張り合う。 登場シナリオ 味方に関しては、初期配置や自軍でプレイヤー武将として選択出来る場合は上の覧、援軍で登場し、全合戦出陣開放するまで選択出来ない場合は下の覧に記載しています。 味方として登場 初期配置 序章 ????年 合戦指南(豊臣軍) 浅井の章 1570年 金ヶ崎撤退戦(浅井・朝倉軍) 野田福島の戦い(三好軍) 1573年 刀根坂の戦い(浅井・朝倉軍) 刀根坂の戦い・改(浅井・朝倉軍) 徳川の章 1600年 関ヶ原の戦い・改(東軍) 徳川の章真田の章 1614年 大坂冬の陣(徳川軍) 徳川の章真田の章上杉の章 1615年 大坂夏の陣(徳川軍) DLC 1570年 姉川の戦い(浅井・朝倉軍) 自軍所属 豊臣の章 1585年 四国征伐(羽柴軍) 徳川の章 1600年 関ヶ原の戦い(東軍) 上杉の章 1614年 大坂冬の陣(徳川軍) 援軍 年 敵として登場 上杉の章 1577年 手取川の戦い(上杉軍) 毛利の章 1578年 上月城の戦い(毛利軍) 徳川の章 1584年 小牧長久手の戦い(徳川軍) 長宗我部の章 1585年 四国征伐(長宗我部軍) 豊臣の章 1600年 関ヶ原の戦い(西軍) 上杉の章 会津討伐軍追撃戦(上杉軍) ねねの章 おねね様乱入戦(ねね軍) 豊臣の章真田の章 1614年 大坂冬の陣(豊臣軍) 1615年 大坂夏の陣(豊臣軍) DLC ????年 新旧無双決戦(古参連合軍) 全合戦出陣開放条件 徳川の章:大坂夏の陣(徳川軍)クリア及び友好度:良好以上 戦闘系データ 戦技 戦技1 戦技2 戦技3 戦技協力 連舞 立身 献身 一閃 武器 タイプ 名称 攻撃力 取得場所 備考 ノーマル 大兼光・仁 35 初期装備 パワー 大兼光・勇 45 ── スピード 大兼光・智 25 ノーマル 凍刃月讀 40 野田福島の戦い(三好軍) レア武器属性:凍牙5 閃光4攻撃力89 防御力87 敏捷性88無双増加86 攻撃範囲85 間接攻撃90 スピード 雹神興雲龍王 30 徳川の章:大坂冬の陣(徳川軍) 第2レア武器属性 凍牙5 修羅4体力88 攻撃力90 防御力88攻撃範囲90 間接攻撃92 運90 レア武器取得方法詳細 入手のためには全ミッション成功はもちろん全ての民兵を守り切る必要がある。 民兵は非常に弱く、速攻敗走してしまうのでお市など特殊技で仲間を回復できる武将は連れていきたいところ。 ミッションの中でも難関なのが敵兵撃破ミッション。これは経過時間を遅くする戦技が是非欲しいところ。 金ミッションが発生したら信長は無視し、退却を妨害する秀吉、利家、勝家だけを倒し、民兵を全員逃がそう。 第二レア武器取得方法詳細 難関なのが真田丸守備頭ミッション発生中における幸村撃破。 赤ハイパーなので怯みにくく、長期戦になると守備頭が侵入し、ミッション失敗になるので修羅無双奥義を駆使するなど短期決戦で幸村を倒そう。 金ミッションは500コンボ決めた状態で幸村を倒さないといけないのでコンボ数増加戦技を使える武将は必ず連れていこう。 オススメの使い方 素早い通常連とタイマン向けのC9・ザコ散らしのC4・C7・C8あたりが主体となる。 高虎を使う上でポイントとなるのが、C9の氷塊をいかに3発当てるかである。 C9は本来ならまず細剣を6回振って敵を浮かせ、浮いた敵を氷塊単発でぶっ飛ばす技だが、 この氷塊を敵があまり浮いていない状態で当てるか、敵が壁方向にぶっ飛ぶようにして当てると、 最高3発の多段攻撃となり非常に強力となる。 氷塊を3発当てる手段としては、「壁際で使う」他、「凍牙で凍らせる」(=凍結C9)、 「ダウンさせておく」、「細剣6振りを当てない」(割込注意)などがあり、状況に応じ使い分けることが重要。 氷塊を3発当てる手段の中でも凍結は、2・3発目も地上判定で攻撃できるため、最も強力。 よって属性は、これを活かせる凍牙が良い。凍結C9を狙うため、装備アイテムで[凍牙]を補うとなお良い。 もう1つは、ダウンを奪える閃光も良いが、細剣6振りの攻撃が修羅と好相性なので、 タイマンで通常連+影技で攻めることも加味すると、凍牙×修羅を基本としてよいだろう。 無双奥義は範囲が広くタイマンでもロック自体は楽な方なので積極的に使っていくといい。 第2ユニーク武器はスピード凍牙修羅付きの名刀なので、よほどこだわりが無い限りはこれがオススメ。 攻撃技一覧 N攻撃 武器こそ細剣だが、突く攻撃モーションより振るう攻撃モーションの方が多いので使いやすい。 1~3 刀を左右に振るう。攻撃速度は優秀。 4~7 引き続き振り回し。6・7段目は踏み込んでの突き。範囲は低下する。 8~11 素早い左右斬り払い。威力は低い。 12 薙ぎ払って〆。 C1 力をためた後、細剣を振る。ガード崩し。出が遅い。 C2 細剣で打ち上げ。ループがやりやすい。 C3 細剣のグリップ部分で殴る。気絶効果。リーチが短め。 C4 前方に蒼い真空波を放つ。あまり飛ばないが主力としては十分。根元で当てると威力が高くなる。 C5 前方地面から大きな氷塊を発生させる。浮かせ技。ダウン追い討ちも可能。見た目ほどの範囲は無い。 C6 氷の3連続突き。太刀筋が多段に見えるが3ヒットのみ。3段目に気絶効果。タイマンならそこそこ使える性能。 C7 前方に勢いよく突進し、細剣を振り氷塊を発生させる。かなり広範囲。ガード不能?(要検証) C8 前方に氷塊の波を直線状に発生させる。前方に射程が長く、見た目以上に横幅がある上ダウン追い討ち可能。隙が大きいのがネック。 C9 連続で剣を振った後、10個の氷塊を円形に発生。氷塊はダウン追い討ち可能最後の氷塊の範囲はかなり広いが、そこに至るまで連続斬りを出さねばいけないので足が止まる。敵を浮かせなかったり、壁際まで追い詰めて出すと最後の氷塊が多段ヒットして大ダメージ。 D攻撃 滑り込んで薙ぎ払い。 J攻撃 細剣でなぎ払う。 JC攻撃 普通のズドン。 騎乗攻撃 振りが独特で使いづらい。素直に降りて戦おう。 騎乗1~3 刀を振り回す。振りの速さは標準的だがテンポが悪い。騎乗攻撃は全て右側へ攻撃。 騎乗4~8 引き続き振り回し、8段目は突き。範囲が狭い。 騎乗C2 打ち上げ。 騎乗C3 突き下ろし。気絶効果。 騎乗C4 巨大な氷塊を右側に発生。敵は斜め上に浮き上がる。 特殊技 攻撃に凍牙属性を付加する。発動までに若干時間がかかる。割と持続する方。 無双奥義 無双奥義 前方に進みながらC4の真空波を連射。勝手に動くのでロック推奨。C4より長射程で殲滅力は高い。 無双秘奥義 無双奥義・皆伝 跳び上がり地面に向かって前方広範囲に氷塊連射→大氷塊。 殺陣 3段突き→バックステップからの真空波→とどめの一突き。とどめ時にカメラが思いっきりアップになる。火力が高いのはうれしい。 イベント 会話イベント 出現条件の覧には、友好度やイベントなどの出現条件があれば記載しています。 イベント名 出現シナリオ 選択肢 好感度上下 出現条件 太刀と小判 金ヶ崎撤退戦(浅井・朝倉軍) 見捨てるの? 変化なし 友好度:普通 裏切るの? よかったね! 上昇 自分も頑張った 変化なし 龍興、浅井家へ 稲葉山城の戦い(斎藤軍) 選択肢なし ── 「高虎と龍興」友好度:普通 長政の感状 刀根坂の戦い(浅井・朝倉軍) 龍興のこと嫌いだった? 上昇 「太刀と小判」友好度 良好 やはり愚か者だったな 変化なし 答えはきっと書状にある とりあえず読んでみようよ 死ぬな! 上昇 長政の命令に従え! 高虎放浪 長篠の戦い(織田軍)手取川の戦い(織田軍)木津川口の戦い(織田軍) ああ、笑いにきてやった 変化なし 「太刀と小判」友好度 良好 うまいものでも食べないか 上昇 もしかして、中身は長政にもらった小判? 上昇 それで支払わないの? 変化なし 羽柴秀長の下で 長篠の戦い(織田軍)手取川の戦い(織田軍)木津川口の戦い(織田軍) まあまあかな 変化なし 友好度 良好 高虎はどう? 高虎と幸村 第一次上田城の戦い(徳川軍)九州征伐(豊臣軍)忍城攻め(豊臣軍)忍城攻め(北条軍)小田原討伐(豊臣軍) 「真田幸村、すごい奴だ」 変化なし 友好度 信頼 「気にするな、高虎は高虎だ」 上昇 反りと高さ ── 「そうだ、不器用だな」 上昇 友好度 信頼 「高虎は世渡り上手だ」 変化なし 反逆者の娘 ── 「可哀想だ」 変化なし 友好度 信頼 「仕方ない、反逆者の娘だ」 高虎高野に登る 忍城攻め(豊臣軍)忍城攻め(北条軍)小田原討伐(豊臣軍) 「その忠義が惜しい!」 変化なし 友好度 信頼 「秀長がそれを望むの?」 七度主君を変えて 忍城攻め(豊臣軍)忍城攻め(北条軍)小田原討伐(豊臣軍) 「卑怯者扱いされるから?」 変化なし 友好度 親密 「怪しい関係だと思われるから?」 高虎は徳川に(西軍編) 伏見城の戦い(西軍) 選択肢なし ── 戦前イベント、友好度 親密「秀吉の死、天下の亀裂」 高虎は徳川に(東軍編) 伏見城の戦い(東軍) 「徳川につく」 変化なし 戦前イベント、友好度 親密「秀吉の死、天下の亀裂」 「高虎とともに進む」 大津城の高虎 関ヶ原の戦い(東軍)関ヶ原の戦い・改(東軍) 「三成に好意を感じたか」 上昇 友好度 信頼 「敵なんかに教えを請うのか」 変化なし 大大名へ 関ヶ原の戦い(東軍)関ヶ原の戦い・改(東軍) 「主君に認められたね」 上昇 「太刀と小判」「長政の感状」友好度 親密 「やったぜ、高虎!」 一番手 大坂夏の陣(徳川軍) 「他の家臣にも認められたね!」 上昇 「太刀と小判」「長政の感状」友好度 親密 「高虎は最高の武士だ!」 食育 ── 御用だ!尋常にお縄に付け! 変化なし 友好度 信頼 馳走になりに参上した 大きい口で食べる 小さい口で食べる 銃弾直撃 ── 怪我は大丈夫!? 上昇 友好度 信頼 大胆だな、高虎は 三尺手ぬぐい ── 「新しいのを買ってあげようか」 上昇 友好度 信頼 「もう使い物にならないな」 変化なし 台詞 状況 相手 セリフ 武将切り替え ── 任せておけ! 軍団撃破名乗り 敵将、討ち取ったり 功、また一つ… 軍団撃破を誉める50人撃破を誉める 目上 見事な。これが上に立つ者か 目下 よくやった。引き続き己の務めを果たせ 主人公男:信頼以上 よくやる。俺も負けてられないな 主人公女:信頼以上 それがあんたの実力か、見事だな 真田幸村 幸村、その真っ直ぐな心は評価できる 徳川家康 これが家康様の大器か 浅井長政 さすがは長政様、まったく揺るがない 加藤清正 清正、すべきことは心得てるようだな 50人撃破名乗り ── 足りんな。もっと手柄を挙げねば 1000人撃破名乗り 世が認めた。俺たちこそ天下無双だ! NPC時苦戦中 これぐらいの苦しみ、何度も味わってきた… 笑わせるな、これで追い詰めたつもりか 救援に対する感謝 目上 申し訳ありません。救援、感謝いたします 目下 すまんな。この恩、決して忘れん 主人公男:信頼以上 世話になった。借りは必ず返そう 主人公女:信頼以上 優しいのだな。救援、感謝している 真田幸村 俺は情けないか? 笑いたければ笑え 徳川家康 家康様に助けていただけるとは恐悦至極 浅井長政 このご恩、戦功にてお返しいたします 加藤清正 後れたな、清正…もっと早く来い 赤ゾーン侵入時警告 目上 目下 出過ぎてはならん 味方接近 ── 武士の戦、見せてやろう 命は無駄にするな 敵邂逅 ── 貴様を倒す…どんな手を使おうと 主人公男:信頼以上 己で選んだ道だ。後悔などあるまい! 主人公女:信頼以上 考えてどうなるものであるまい。いくぞ! 真田幸村 幸村「力の続く限り戦う、それがもののふの誇り!」高虎「死ぬのが名誉だと思っているのか!生きて戦い続けるのが武士だ!」 前田慶次 慶次「その手ぬぐい、傾いてるねえ!」高虎「あんた、これのよさをわかってくれるのか!」慶次「人と外れた格好するのは 並大抵の勇気じゃできねえさ」 織田信長 高虎「あんたを生かしておくわけにはいかん! 地獄へ落ちろ、信長!」信長「面白い! やってみせよ」 明智光秀 光秀「生半可な兵法では怪我をしますよ。散りたくなくば去りなさい」高虎「忠告かたじけない。だが、主命に反して逃げることはできん」 お市 高虎「お市様、刃を向けることお許しあれ」お市「今は敵味方。互いに己の力を出し切りましょう」 くのいち くのいち「お兄さん、かっこいい手ぬぐいしてますな。そのすすけた感じがイカしてますぜ」高虎「あんたの手ぬぐいもイカしている。だが、色が赤いのは残念だ」くのいち「そっすかね…。返り血が目立たなくて便利っすよ?」 伊達政宗 政宗「貴様は築城の名手じゃそうな。わしに仕えよ!」高虎「主を変えるのは主を選ぶゆえ。断る」政宗「ならば排除じゃ!貴様の造った城のみもらう!」 濃姫 高虎「そこをどけ。死ぬことになるぞ」濃姫「可愛いのね、見えを張っちゃって」高虎「無駄だ、挑発には乗らん」濃姫「若いのに美人に心が動かないなんて損ね」 服部半蔵 半蔵「主のため、消えてもらう…」高虎「断る。主のため、俺は消えぬ」 稲姫 稲姫 「次々に主を変える不忠者! そこに直りなさい!」高虎 「主を変えることも知らんひよっこが抜かす!」 浅井長政 長政「相手にとって不足なし! 高虎の力はそれがしが一番よく知っている!」高虎「長政様、胸を借りるつもりでいきます」 直江兼続 高虎「最近はハレとケを心得ぬものが多くて困る、その点、あんたはきちんとしている」高虎「戦場で死ぬと想定して、白装束とは潔い」兼続「違う! これは死装束ではない! 義と愛の清らかさを表す純白だ!」 前田利家 利家「いくぜ、若いの! 鬼柴田が軍の魂、見せてやンぜ!」高虎「暑苦しい漢だな、俺が冷ましてやろう」 長宗我部元親 元親「来い…貴様の反骨を見てやる」高虎「俺の反骨しか見られない奴に、俺が見切れるか…!」 柴田勝家 勝家「ここは戦場、若造の来る所ではない! 下がれ!」高虎「旧型の武士か。だが、こいつは確実に強い…」 加藤清正 清正「出たな、手ぬぐい虎野郎! 狩ってやるぜ!」高虎「貴様、手ぬぐいを馬鹿にしたなっ! その首、刈り取ってやるっ!」 甲斐姫 高虎「ふむ、めかし込むのはいいことだ。男は武芸を、女は容姿を磨かねばならん」甲斐姫「むっ…。自分じゃそう思ってるけど、他人に言われると何かムカツク…」 藤堂高虎 敵軍「その手ぬぐい、趣味がいい」自軍「あんたの手ぬぐいもだ。色といい、長さといい、丁度いい」 井伊直虎 高虎「なんて格好だ…」直虎「ごめんなさい! でもこれ、しきたりで…」高虎「首に手ぬぐいを巻けば、まあ見られるか」直虎「え…? ごめんなさい!」 敵逃亡 ── 辛酸をなめようと生きねばならんのだ…! アクションボイス 攻撃技 文字 セリフ 弱攻撃 ─ はっ 中攻撃 せいっ 強攻撃 やあっ 攻撃締め はぁーっ 無双奥義 凍 受けよっ! 無双秘奥義 兇 仕留めてやる!→これで終わりだ!設定資料集では「しとめてやるっ!→これで終わりだ!」 無双奥義・皆伝 失せろ!→くたばり損ないが!→消えてなくなれ!設定資料集では「失せろっ!→くたばりぞこないが!→消えてなくなれっ!」 ダメージ弱 ─ くっ ダメージ中 うぐっ ダメージ強 くううっ 死亡音 うわああっ 特殊技 とくと見よ! 交代登場時 任せておけ! 特殊台詞 状況 シナリオ 相手 セリフ 味方接近 敵邂逅 合戦指南(豊臣軍) 服部半蔵 半蔵「主のため…止める」高虎「あんたが服部半蔵か。一人の主君に尽くせて、幸せ者だな」半蔵「影に、幸も不幸もない…」高虎「本当に幸せも不幸せも感じないなら、それは幸せなことだ」 豊臣秀吉 高虎「秀吉様、ご無礼つかまつる!」秀吉「望むところじゃ! 相手になっちゃる!」高虎「長政様の仇…」秀吉「ん、何か言ったか…? しかし、鬼気迫る戦ぶりじゃな…」 本多忠勝 高虎「まさに東国無双の勇姿。家康殿に過ぎたるものというのも納得がいく」忠勝「愚問、君に過ぎたるなど臣の本分にあらず。拙者はただ殿のため、槍を振るうのみ」 稲姫 高虎「…っと、危うく射抜かれるとこだ。模擬戦だってのに殺す気か」稲姫「恥ずかしい戦をして、徳川の武名に泥を塗るわけにはいきません!」高虎「生真面目だな。だが、さすが徳川家だ。いい将がそろっている」 徳川家康 家康「高虎のごとき有能な将を得た豊臣家は、まこと幸運よな」高虎「畏れ多きお言葉。しかし模擬戦とは申せ敵味方、お慎みを…」家康「これはすまぬ。遠慮は無用…参られよ!」 金ヶ崎撤退戦(浅井・朝倉軍) 豊臣秀吉 高虎「出世のために、死ぬかもしれん殿軍を志願するとはな」秀吉「出世のためだけじゃねえ! 信長様が乱世を収めてくれると信じとるからじゃ!」高虎「家臣の忠義をないがしろにする奴がか…!?」 徳川家康 高虎「名のある武者とお見受けした。手柄となっていただく!」家康「よき目をした若人よ。だが、簡単には倒されてはやれぬぞ!」 黒田官兵衛 官兵衛「腕は立つようだな。何故浅井に味方する」高虎「別に。仕えるべき者があれば主を変えるだけだ」黒田「火種にもなりえん男ということか」 竹中半兵衛 高虎「あんた…浅井にいなかったか?」半兵衛「使える主がいたんで移ったんだよ」 刀根坂の戦い(浅井・朝倉軍) 織田信長 高虎「信長、ざんげなど要らん! 消えてなくなれっ!」信長「それがうぬの望みか。己の手でかなえてみせよ」 関ヶ原の戦い・改(東軍) 石田三成 高虎「秀長様や長政様の家をつぶした秀吉のツケ、悪いがあんたに払ってもらう…」三成「秀吉様に取り立てられた恩を忘れし犬が…!」高虎「秀長様や長政様に取り立てられた恩が忘れられないんだよ!」 大坂冬の陣(徳川軍) 真田幸村 高虎「真田幸村、退けと言っても、退かぬよな?」幸村「無論。互いにもののふ。ならば主君のために戦うのみ!」高虎「いい武士だ…。もののふの度量、お前と競いたかった!」 大坂夏の陣(徳川軍) 真田幸村 高虎「幸村、戦いは終わったんだ。いいかげん、槍を収めろ」幸村「豊臣は終わりかもしれない…。だが、真田幸村の戦いはまだ続いている!」高虎「馬鹿野郎! 死んでどうなる!? 死ねば、ほんとのおしまいだ!高虎「生きろよ! 生きなきゃいけないんだ!死んじまった者のために!」 大坂夏の陣(豊臣軍) 直江兼続 高虎「最近はハレとケを心得ぬものが多くて困る、その点、あんたはきちんとしている」高虎「戦場で死ぬと想定して、白装束とは潔い」兼続「ならば、私を討ってくれ」 姉川の戦い(浅井・朝倉軍) 可児才蔵 高虎「笹の才蔵。あんた、龍興の部下だったな。織田に鞍替えしたのか」才蔵「己の武勇を示せるところならばどこであろうと同じだ!」高虎「違いないな」 台詞が出た時の状況が不明なもの(情報提供・編集求む) 特定の武将名 台詞 判明している状況 藤堂高虎攻略・編集報告 救援長政「このご恩、戦功にてお返しいたします」 - 名無しさん 2012-10-31 00 44 29 会話イベント:「一番手」 選択肢「他の家臣にも認められたね!」でも友好度上昇 - 名無しさん 2012-11-09 02 41 03 藤堂高虎「あんたを生かしておくわけにはいかん!地獄に落ちろ!信長!」 織田信長「おもしろいやってみせよ」 - 敵接近野田福島の戦い 2012-12-23 16 14 54 大阪夏の陣徳川軍藤堂高虎で真田ゆきむらに接近 藤堂高虎「幸村戦は終わったんだいい加減槍を収めろ 真田幸村「豊よみは終わりかも知れない.....たが、真田幸村の戦いは続いている!」 藤堂高虎「馬鹿野郎!死んでどうなる!死んだらほんとうのおしまいだ!」 藤堂高虎「生きろよ!生きなきゃならないだ!死んじまった者達のためにも!」 - 名無しさん 2012-12-23 16 33 05 会話イベント「反逆者の娘」を本能寺の変(明智軍)で、「食育」を山崎の戦い(明智軍)で、「反りと高さ」を野田福島の戦い(浅井・朝倉軍)で、「銃弾直撃」をDLC姉川の戦いで確認。 - 名無しさん 2013-01-05 00 43 36 DLCダウンロードしていませんが、「銃弾直撃」はあるので、関係ないと思います。あともう書いてあります。 - 足軽のAさん 2013-01-05 20 47 15 12346910111213 - asa 2013-04-04 10 15 38 る - 名無しさん 2013-04-27 10 33 20 ねね - 名無しさん 2013-05-03 21 06 48 第二レア武器コンボむずかしすぎ! - 名無しさん 2013-06-16 15 26 15 「長政の感状」「やはり愚か者だったな」は変化なし、「長政の命令に従え!」は上昇でした - 名無しさん 2013-07-17 20 37 19 名前 全てのコメントを見る
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【元ネタ】史実 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】藤堂高虎 【性別】男性 【身長・体重】191cm・110kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷D 魔力E 幸運B 宝具C+ 【クラスキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 【保有スキル】 嵐の航海者:C+ 船と認識されるものを駆る才能。 集団のリーダーとしての能力も必要となるため、軍略、カリスマの効果も兼ね備えた特殊スキル。 反骨の相:C 一つの場所に留まらず、また、一つの主君を抱かぬ気性。 自らは王の器ではない流浪の星。 同ランクの「カリスマ」を無効化する。 【宝具】 『日本丸(にほんまる)』 ランク:D+ 種別:対軍宝具 レンジ:5~20 最大捕捉:100人 慶長の役で水軍を率いる際に乗船したとも、徳川家康に与えられたともされる安宅船。 速度は出ないが小回りが効き、重厚な装甲も相まって簡易の城郭施設にも匹敵する防衛力を発揮する。 まさに海上の城。 『白餅大名(しろもちだいみょう)』 ランク:C+ 種別:対軍宝具 レンジ:50 最大捕捉:500人 「三つ餅」すなわち三つの白餅が描かれた旗指物と、築城の名手としての逸話が昇華された宝具。 白餅は『城持ち』に引っ掛けられたものであり、 旗指物に描かれた餅を一つ消費することで、生前築城した城塞を召喚・設置できる。 【Weapon】 【備前国兼光(刀)】 【賀古黒(馬)】 【解説】 戦国、江戸時代の武将・大名。 はじめ浅井長政の下に足軽として仕え、姉川の戦いで功績を挙げるも、同僚を斬り殺して出奔。 浅井家が滅ぶと、浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、磯野員昌に仕えるも長続きせず、 その後、織田信長の甥、織田信澄の家臣になるも、程なくして去った。 羽柴秀吉の弟、秀長に仕えると、その力量を高く評価され、高虎もまた彼への忠節を貫くようになる。 戦争、策謀、内政、いずれにおいても功績を挙げ、また心遣いも細やかな高虎は、 秀長のみならず、後の天下人である徳川家康にも高く評価された。 秀長が死去するとその養子の豊臣秀保に仕えるが、秀保が早世したため出家。 しかし、その力量を惜しんだ秀吉の命令で還俗させられ、朝鮮の役では水軍を率いて武功を立てた。 天下人・秀吉が没すると、高虎はそれ以前から自身を高く評価していた家康派に与して活躍。 関ヶ原の戦いでは脇坂安治をはじめとした西軍諸将の寝返り工作を担当して成功させた。 その後も徳川家への献身を重ね続けた結果、家康は高虎を外様大名ながら譜代と同格として重用するようになった。 家康の信頼の傍証として「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」との言葉が残っている。 二代目将軍・秀忠、三代目将軍・家光にも信任されていたという。 主君の見切りが早く、変節漢と看做される事もあるが、 当時は仕えるに能わないと判断すれば出奔することは珍しくなく、また自身の能力を評価してくれた人物には最大限の忠義を尽くした。 自身も部下に対しては温情を持って接し、それによって信望を得ていたという。
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#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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[真]藤堂高虎 [真]藤堂高虎 ★★★ (3) No:332編集 属性 騎馬 兵力(50) 908 兵力(200) 3629 コスト 5 攻撃(50) 45 攻撃(200) 177 シリーズ 真 防御(50) 60 防御(200) 238 兵法効果 騎馬の攻撃と防御が微上昇。 計略 保身:一定確率で兵力が回復。計略レベルに応じて発動確率と効果が上がる。 入手方法 絆ガチャ 名前 コメント
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#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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武将名 とうどう たかとら 流浪の士 藤堂高虎 浅井家臣。「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」との言葉を残し、浅井滅亡後も秀吉や家康など主家を転々とした。築城の名手でもあり、宇和島城、今冶城、津城など数々の築城に携わった。「犬のように忠義を尽くして、何になる。もう、そんな時代は終わったんだよ」 出身地 近江国(滋賀県) コスト 1.5 兵種 槍兵 能力 武力6 統率4 特技 攻城 計略 流転の構え すべての計略効果を消し、武力が上がる。計略効果を消した場合、さらに武力が上がる。 必要士気3 Illustration タカヤマトシアキ 武勇に優れ、築城に精通し、天下に名だたる名将の下を転々とした戦国武将の鏡とも言うべき名武将の若かりし頃。 既にその才の片鱗を見せてか、武力6かつ攻城の特技を持つハイスペックな武将である。 他のコスト比武力の高い武将は浅井朝倉においては騎馬の磯野、槍足軽の真柄直澄、足軽の富田しか居ないため非常に重要なポジションに居る。一人だけ1.5コストなのも大きい。 浅井朝倉家のスペック要員としてお呼びがかかることが多い一方で、同じく人気の雨森弥兵衛がメインとして採用される場合は 攻城の特技が重複することと朝倉家との連合を強めたい思惑によりC宮部継潤やC河合吉統が優先されることも多い。 計略の流転の構えは何も掛かっていない状態だと+2であるが、妨害や強化が掛かった状態で使用すると+8になる。 単色ならば力萎えの呪いを持つ山崎吉家や、金縛の呪いを持つ河合吉統などと相性が良い。 また妨害も無効化できることから相手の妨害を誘い士気3を払うことで簡単に武力14の攻城持ちが現れることは終盤、相手にとっては脅威であろう。 しかし、妨害を2回重ねられると浄化できない事と、妨害陣形には無力という事は注意しておきたい。 尚、計略の統率依存が並の単体強化より高く統率1につき1cほど伸びるようである。 統率強化計略からの流転の構えであれば武力14が戦場に長時間居座る事になるので覚えておくと役に立つかもしれない。 ただしわざわざ強化した統率が再び元の値に戻る為、使用時は良く考えて。 はまれば強力なのだが、通常の使い道では相手に依存してしまい、 罠など自軍の計略とコンボさせたとしても、所詮は中コストの単体強化に過ぎないので使い勝手は悪い。 流転系の計略としては采配のUC赤尾清綱、投げ計略のSRお市の方など、より効果の高い計略と被ってしまうのも欠点。 素のスペックが優秀なので、計略はあくまで保険程度に考えておこう。 優秀なスペックに、1.5コストで攻城を入れられる手軽さ、史実の武将としての人気から、 浅井朝倉単はもちろん、混色でも新Rながら高い人気となっている。 また罠計略の人気が高く、その相方としては士気の重い采配やSRお市の方と違い手軽にデッキに入れられることも一因のようだ。 ちなみに「七度主君を~」というのは武士道精神に反しているようだが、一人の主君に仕えるというのは江戸時代以降に生まれた考え。 当時は主君を何度も変えるのは、現代で例えるとヘッドハンティングを受けたようなものとして、有能の証とされていた。 事実、実力を認められ家柄の後ろ盾が無いにもかかわらず当時の天下人である秀吉や家康に重用されている。 ただし忠義立てした数多くの武将もまた美談美徳として後世にその名を残しており、安易に主君を変えて立場をなくした武将も多くいる。 何処の家風にもいち早く溶け込める才能が無ければ高虎のような大成は為せなかったのだろう。
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基本情報(E)Empires追加要素 紹介 攻撃方法 武将解説・性能考察武将解説 性能考察 武器データ基本性能 名称等の説明・故事来歴 技能考察 (II)技能盤 衣装 コメント欄 基本情報 名前 藤堂高虎(とうどうたかとら) 二つ名 冷徹なる氷刃 アクションタイプ 通常攻撃タイプ 使用条件(通常版) 近畿の章:「観音寺城の戦い」クリア (II)使用条件(4-II) 最初から使用可能 (S)使用条件(真田丸) 第三章:「野田福島の戦い(真田丸)」クリア 推奨メイン対象 (E)お市・徳川家康・(E)石田三成・浅井長政・(E)加藤清正・大谷吉継 推奨パートナー対象 (E)お市・徳川家康・浅井長政・(E)加藤清正・大谷吉継 声優 松風雅也 無双奥義文字 凍 秘奥義・皆伝文字 兇 公式動画 『戦国無双4』藤堂高虎 (E)Empires追加要素 生没年 1556-1630 登場年 1571 采配 7 智謀 8 政治 8 政略 全城普請 炮烙兵急襲・弐 戦場策 炮烙兵急襲・弐 紹介 近江・浅井家に仕えたのち、徳川家康のもとに参じる。低い身分からのし上がった実力者で、生き残るためには手段を選ばない切れ者。しかし心の奥底には、大切な主君や友への熱い思いが押し込められている。 攻撃方法 武器 細剣 通常攻撃 細剣(レイピアに近い)での物理攻撃。振りが非常に速い(今作最速クラス)上に横に振る攻撃が多く、細剣と言っても範囲はそれ程狭くない(奥に広い)。 N1~3 細剣を斜めに2回、横に1回振って前方を攻撃。癖もなく扱いやすい。 N4~7 細剣を斜めに2回振り、2回前方を突く。突きも十分奥に広いリーチ性能。 N8~11 横に振って斬り進む。 N12 くるっと1回転して横に斬る。 チャージ攻撃 氷塊を伴う攻撃が多いため、広い範囲を攻撃できる。広く前方を攻撃するC4、C8、横や周囲に広いC7、C9など。ガードを弾く技も多く、非常に強力。 C2 細剣で打ち上げる。あまり範囲は広くないので使いどころは皆無。 C3 細剣の柄で突く。こちらもあまり範囲は広くない。気絶攻撃。特殊技を使うと、敵が凍るのでやはりあまり出番はない...かも。 C4 氷塊を伴って前方を突く。右に一回転して初登場時のような青い衝撃波ではなく氷塊を発射。先端を爆発させる。そのため範囲がそこそこ。主力。ガード弾き効果有り。なお、発射時と爆発時で2ヒットする。 C5 地中から氷塊を出現させ、敵を突き上げる。わりと扱いやすい。 C6 氷塊を伴って前方を3回突く。全3ヒットし、最終段に気絶効果ありなのでこちらも主力になりうる。3回攻撃出来るのはやはり嬉しい。修羅などが入るとダメージがエグいことに。 C7 前方に踏み込み、大きめの氷塊を3つ落とす。主力。ガード不能かつ前方のかなり広い範囲を攻撃できる。密接の敵には当たらないことがあるが、これも修羅が入るとエグいダメージに。。 C8 細剣を地面に突くと同時に、長射程の氷塊を発生させる。セーピング効果あり。とにかく奥に攻撃できる。かなり威力も高い。 C9 細剣を逆X字に計6回振り回し、くるりと回って自分中心に巨大な氷塊(方陣に近い)を発生させる。主力。細剣での攻撃部分はガード不能で高火力・広範囲。そのまま氷塊で攻撃可能。特殊技を使用して、凍牙で固めておくと、氷塊が2ヒットする。 神速攻撃 比較的素早く横にも範囲が広い攻撃で、隙はあまりない。衝撃波による攻撃が主で性能はとても良い。 S1~3 2方向への氷塊攻撃・真空波攻撃を交互に行いつつ、前進する。 S4~5 同上。 S6 周囲に氷を降らせる。範囲は充分。コンボ稼ぎにも使える。 神速強攻撃 出が早いうえ、長距離系・広範囲系ともに揃っているのでかなり万能。 SS2 細剣で切り上げる。氷は伴わない。 SS3 地面を突き、長射程に氷塊を発生させる。氷塊はそこでしばらく留まり、滞留中に触れた相手はのけぞる。 SS4 SS2と同じ。 SS5 SS3と同じ。 SS6 自身を中心に巨大な氷塊を発生させ、神速攻撃で巻き込んでいない敵をも大きく吹き飛ばす。広く周囲攻撃。 ジャンプ攻撃 細剣を横に振るう。 ジャンプチャージ 細剣で地面を突く。 騎乗攻撃 標準的な性能(通常攻撃が速い彼にとっては遅く感じるが。)だが、特殊技が解除されるという致命的な欠点がある。(II)(E)4-II以降は彼のみ馬上でも特殊技が有効になるよう修正された。 R1~3 右側を斬る。 R4~7 同上。 R8 高速の三連突き。 RC2 打ち上げ技。 RC3 強く串刺し。気絶効果あり。 RC4 氷塊を発生させる。 無双奥義 無双奥義(前半) C4と同じモーションで移動しながら攻撃。 無双奥義(後半) 「これで終わりだ!」氷塊を前方地面から5回発生させて攻撃。 無双秘奥義 前半の移動攻撃回数が増加。紅蓮属性も追加。 無双奥義・皆伝 「くたばり損ないが!……消えて無くなれ!」その場で飛び上がって前方広範囲に氷塊を無数に飛ばした後、〆にこれまた広範囲に氷塊を発生させる。手数も多く威力も高いが、開始時に高虎の目の前にいる敵には当たりづらいため、少し距離を空けると良い。 特殊技 「とくと見よ!」無双奥義を発動可能な時、全ての攻撃に凍牙属性が付く。また、説明には無いがその他の武器の属性も全ての攻撃に付与される、凶悪なバランスブレイカー。このため、武器の余った技能枠には属性を入れられるだけ入れておくとよい。場合によっては連打ゲーになる。 影技 高速で突進する。 殺陣 C6のように氷を伴って突いた後に真空波を3回飛ばし、後ろに跳びながらもう1回、さらに〆の一突きをおみまいする。 無双極意 「失せろぉ!」全ての攻撃に凍牙属性が付く。 武将解説・性能考察 武将解説 幾度も主君を変え世渡りしたことで知られる武将。 また、築城の名手として知られ、よく清正と比べられる。伊勢津藩初代藩主。 近江国の没落した武家に生まれ、農民と殆ど変わらない生活をしていたが、 足軽として浅井長政に仕えて以降、武功を重ねた。 幾度も君主を変え、己の実力のみで大名にまで昇りつめた叩き上げの猛者であり、 豊臣秀吉に負けず劣らずの立身出世を果たした苦労人。 江戸幕府下では外様大名でありながら、要所尾張の隣国・伊勢津藩を任され、譜代大名さながらに重用された。 戦国無双シリーズでは、真田幸村と対を成すキャラとして『Chronicle 2nd』より参戦。 はじめは幸村同様死をも厭わなかったが、長政とお市に諭されて以降、 幸村とは対照的に生きて忠を尽くすようになる。 己のため手段を選ばない冷徹な切れ者として描かれる一方、君主や友への熱い思いを心の奥底に持つ人物。 特に没落の身から取り立ててもらった長政への忠節は絶対的で、長政の死後も長政との夢を追い続ける。 生死への価値観のほか、彼を象徴する道具である「三尺手拭」もお市から授かったもの(*1)であり、 高虎のルーツはすべて浅井家にあるといった描写がシリーズを通じてなされている。 なお、戦国無双4における彼にはコーエー独自の設定・解釈が多い。 大谷吉継の墓を建てたのは事実だが、史実では浅井家からの同僚ではなく、特別仲が良かった訳ではない。同じ近江出身であることや墓のエピソードを拡大解釈したのだろう。 小牧長久手の戦いの時点で既に家康に仕え大谷吉継と敵対しているが、史実では羽柴軍として家康と敵対しており、秀吉が没したあと家康に仕えている。本作では本来の主君・豊臣秀長(秀吉の実弟)との描写が全くないため、少し誤解を招きかねない場面があるのに注意(*2)。 (II)4-IIでは「忠節の章」の主人公として活躍。 通常版では大谷との関係ばかりが取り沙汰されたが、今回は長政亡き後の放浪時代が主に描かれる。 信長の甥である津田信澄や、彼の本来の主君というべき秀吉の実弟・豊臣秀長との描写が一気に増え、 これに伴い、通常版の史実とは離れた設定の多くが修正される運びとなった。 (E)Empiresでの扱いは史実通りだが、彼が浅井家時代のシナリオは基本シナリオには存在せず、 関ヶ原以降は独立大名へと出世する。 このため、全体的に家臣としては豊臣家時代に活躍するため、その印象も強くなる。 戦闘力は安定して高いため、どの状態でも活躍可能なのは強みである。 政略面では、やはり築城家だけあり采配7と全城普請が優秀。 智謀8と炮烙兵急襲・弐も即戦力になる内容であり、立身出世や忠臣扱いも余裕の域であろう。 人間関係では、彼の旧主であり恩人でもある豊臣秀長が固有武将に昇格。 正室の久芳院も姫武将となった。 また、4-IIで扱われたお市や加藤清正(彼とは東軍繋がりでもある)との関係や、 石田三成への特別会話も追加。 関係の補強により、通常版における特殊な創作関係が幾分か薄められている。 「ほざくな! 貴様の意地が 奴らを殺したのだ。貴様の意地が茶々様を…」 (S)真田丸では、ヒロインの茶々が浅井家の出だけあり、 自軍側、敵軍側の双方を転々としつつも長期に亘って出番がある。 とは言え、史実通りに秀長没後は徳川方に移るため、互いの扱いに難儀する場面が目立つ。 また、大坂の陣では伊達政宗と並び、東軍・幕府軍の両翼として幸村と対峙。 本来のダークヒーロー・裏の幸村というべき立場が色濃く描かれている。 尤も、そのために重氏や内記の仇としての「汚名」も得てしまったが。 性能考察 今作では攻撃のスピードが2倍近くの速さになり、通常攻撃の振りが早さが特徴的となった。 通常攻撃が多段攻撃のような速さなので、通常攻撃→影技のループで十分通用する。 振りが早すぎてチャージ攻撃が出しにくいが、チャージはC4・C6・C7・C9が主力。 間接攻撃に近い神速攻撃も、雑兵掃討の戦力になる。 それ以上に重要なのは、主君の長政譲りの強力な特殊技。 凍牙属性が固定で発揮されるのみならず、他の属性も発揮されるという凄まじい内容。 属性が揃った武器一つで、連打ゲーになるほどの潜在能力を秘めた武将と言える。 武器データ 基本性能 武器名 攻撃力 備考 大兼光 35 (N)凍刃月讀 124(44) 猛攻4 勇猛5 神撃5 迅閃5 闘魂4 凍牙5 収集4 克己5攻撃技能の充実ぶりの他、凍牙があるため特殊技が順調に強化される。収集Lv4で稼ぎもそれなりに出来る。 (N)雹神興雲龍王 144(44) 猛攻5 破天4 真髄4 堅忍5 閃光5 凍牙5 快進5 克己5快進で無双ゲージを回収し、閃光と修羅家宝の特殊技で突撃すべし。鍔の部分に大きく六花をあしらった、ネタ色の濃い武器である。 (II)凍刃月讀・凍牙 93(44) 凍牙86 金剛81 体力84 攻撃87 敏捷81 無双増加78 攻撃範囲80 間接攻撃76修羅以外の必要技能は揃っており、凍牙と金剛の効果で防御面にも優れる。攻撃速度がないのは残念だが、他のキャラよりはフォローが利く。 (II)雹神興雲龍王・閃光 93(44) 閃光59 紅蓮55 体力62 防御63 練技増加61 攻撃速度60 間接攻撃55 運64凍牙が無い時点で実用には厳しいが、運と攻撃速度があるため回収作業には向く。 (II)雹神興雲龍王・凍牙 93(44) 凍牙99 烈空85 体力84 攻撃91 防御88 練技増加81 攻撃範囲82 間接攻撃86凍牙カンストを始め総合力に秀でるが、他の属性は烈空しかないので特殊技との不整合は否めない。高虎も、双剣エディットと同じく属性完備の汎用レア強化を主眼としたい。 (S)大兼光 15~35 (S)凍刃月讀 265(44) 凍牙88 金剛81 攻撃強化87 攻撃範囲80 間接攻撃78 神撃86 真髄86 迅閃83全体的に、重要技能の抜けが目立つ印象。4-II時代同様、強力な武器を鍛工した方がよい。 (S)雹神興雲龍王 272(44) 閃光91 紅蓮84 攻撃強化90 攻撃速度85 間接攻撃84 勇猛87 心眼83 明鏡89攻撃速度こそ増えたが、閃光と心眼の相性が良くないほか、肝心の凍牙すらない。作中の活躍とは対照的に、武器面では不遇である。 名称等の説明・故事来歴 大兼光 クロニクル2nd(初登場)からの高虎の武器の名前。 大兼光は実在する刀・備前長船兼光(直江兼続の愛刀とは別)の別名で元々は秀吉の所有物であったが、 秀吉の死後に藤堂高虎へ譲られ、さらに高虎から徳川家に伝えられたとされる。 凍刃月讀 日本神話に登場する神・月讀命(ツクヨミ)から。 月讀命は伊坐那岐(イザナギ)によって生み出された神の一柱で、天照大神の弟、素戔嗚尊の兄といわれる。 ただし、男性神か女性神かは議論が分かれている。 また、その役割についても、月を神格化した神とする説の他、歴を司るとする説、時を司るとする説など意見が分かれている。 真田幸村のレア武器名が「炎槍素戔嗚」であることからも、武器名も彼と関連する対照的なものとなっているのが分かる。 雹神興雲龍王 「雹神」は日本ではこう呼ばれる神はいないが、中国の伝説に雹神(ハクシン)という名の雹を降らせる神が登場する。 「興雲」は雲が沸きたつさま。 「龍王」は龍や龍神の別呼称で、由来としては仏教の八大龍王や道教の四海龍王などが考えられる。 ちなみに、龍が現れる時には雲が沸きたったり嵐が巻き起こったりすると言われ、雹が降る際も当然雲が沸き起こっているので、 「雹神」「興雲」「龍王」はそれぞれが関連している名前であるといえる。 技能考察 技能名 相性 備考 猛攻 ◎ まぁ基本だな。手数の多い俺にはさらに重要になる。家康「高虎やわしのような通常攻撃タイプは攻撃力に依存するゆえにな。」 風撃 ◎ 振りの速い俺の通常攻撃と相性がいい。C9の剣の部分にもしっかりと乗るぞ。 勇猛 ○ 集団戦向けな俺の性能には合いそうだな。だが、そこまで優先するものでもなさそうだ。 波撃 ◎ 氷塊を使った攻撃は扱いやすい攻撃が多い。これを付ければ、さらに功を重ねられそうだ。 神撃 ○ 無双奥義はやや扱いにくい。皆伝の威力が上がるのはいいかも知れんがな。 破天 △ 通常攻撃主体なら浮かせ続けやすいが…属性を考えれば優先するほどでもないだろう。 迅閃 ○ 神速攻撃の性能の良さも考えると、高難度になればなるほど便利だろうな。 明鏡 ○ 出来れば克己と共につけたいところだ。それ以外なら優先する必要はなさそうだぞ。 真髄 ○ 明鏡と同じだ。克己と共につけ、俺の力を見せてやる! 怒髪 ◎ 属性の乗った特殊技は俺の生命線。ゲージは一刻も早く回収しないとな。 堅守 ○ あればいいだろうが、なくて困ることもなさそうだぞ。 不動 ○ 後ろ側が隙になりやすい俺のチャージ攻撃とは好相性だ。 滅流 × 吉継「高虎。これで敵の流れを止めろ」いや、吉継、お前は敵が属性攻撃をしてきたところを見たことがあるのか…? 波断 △ その場に留まって攻撃するチャージが多いのでな。だが長射程のチャージ攻撃もあるからそれほど優先することもないだろう。 堅忍 ◎ これは高難度ほど光る属性だな。確実に耐えて仕留めてやる! 不抜 × 生きて忠を尽くすのが武士のあるべき姿だ。簡単に死ぬような立ち回りをするんじゃない。 背水 × 闘志 △ お前の戦い方に合わせ、敵の攻撃をどう回避するか考えるといい。 闘魂 △ 再臨 ○ 潔く死ぬわけにはいかないからな。とはいえ追い詰められるような立ち回りは避けたいところだ。 俊敏 ○ 特殊技は馬上では使えんのでな。長政「某と事情は一緒だな!」 破竹 ◎ 神速攻撃との相性がとてもいいな。この俺を簡単に破れると思うなよ!秀長「戦いつつ回復もできる。正に一石二鳥だな!」 快進 ○ 同じく相性はいいが、破竹の方を優先すべきだ。 覚醒 △ くっ……微妙だな。あって困ることはないのだが…… 騎戦 × 忠勝殿のように有用な騎乗攻撃を持っていないものでな。 練騎 × 手ぬぐいを馬鹿にされること以上に、この技能の存在に腹が立つ……! 薬活 ○ 携帯道具に乗るため、味方の敗走を防ぐという意味では心強いだろう。 騎神 ◎ ちょっとした移動の時に、錬技を回復できるのはかなり便利だ。 霊験 ○ 持っている道具や家宝次第だな。克己と共にあれば、それに越したことはないが。 克己 ◎ 功を重ねるに打ってつけの技能と言えるだろう。これで終わりだ! 属性技能については、属性の頁を参照。 回収用技能四種は全員同一の効果なので割愛。 (II)技能盤 特徴 備考 横菱・八分型 開始位置は上。 衣装 名称 入手方法 備考・特徴 通常衣装 初期搭載 戦国無双4 (E)追加衣装 DLC 浴衣。 コメント欄 この掲示板はツリー方式です。レスをする時は、レスをしたい記事の先頭をクリックして選択してから書き込んで下さい。 それをしないとツリー表示されず、新規投稿になってしまいます。他の人が不快になる様な投稿は控えましょう。質問は質問掲示板で行いましょう。 C4で牽制してからのC7狙いかな。氷で安全圏から牽制できるからどういう戦い方しても有利に進められるくらいには強いキャラかと。 - 名無しさん 2016-11-10 00 24 13 真田丸では一貫してヒール役に徹してたように見える。夏の陣でのセリフを聞く感じ、高虎は高虎で結構つらい思いしてたんだろうなぁって思う - 名無しさん 2017-02-24 00 01 02 武器集めのために武将のレベル上げしてる時に触ってみたが強すぎる。これはバランスブレイカーと言われても仕方ないね。 - 名無しさん 2017-04-09 05 44 48 九州攻めで急に博打について語りだすのは、史実がもとになってるんだね。こういうの好きだわ。 - 名無しさん 2017-08-15 22 31 10 ほんとは小谷陥落前に織田についてるっていうね - 名無しさん (2021-02-06 03 03 35) 名前 全てのコメントを見る
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[闘]藤堂高虎 [闘]藤堂高虎 ★★★★★ (5) No:360編集 属性 槍 兵力(50) 678 兵力(200) 2712 コスト 24 攻撃(50) 43 攻撃(200) 170 シリーズ 闘 防御(50) 51 防御(200) 203 兵法効果 槍の計略発動確率が微上昇。 計略 警護:低確率でダメージが減少。計略レベルに応じて発動確率と効果が上がる。 入手方法 一撃必殺 敵陣突破 名前 コメント