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一般幹部候補生試験二次試験、航空身体検査 航空、ならびに海上飛行要員が身体検査とは別に受ける身体検査項目。 海上・航空飛行要員ともに脳波検査は三次試験にて実施。 航空身体検査マニュアル(国土交通省) http //www.mlit.go.jp/common/000011325.pdf 財団法人 航空医学研究センター 航空身体検査よくある質問 Q A http //www.aeromedical.or.jp/check/qanda.htm 空挺・航空身体検査 http //www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/f_fd/1959/fy19590513_00036_007.pdf (陸自パラシュート降下要員等への検査項目であり、試験の際の身体検査とは多少異なります) 主に2次試験(一部3次試験)で実施する項目について掲載しています 身長基準 158cm以上190cm以下 握力基準 2009年度航空学生採用試験より撤廃 血圧・心拍基準 血圧 坐位で収縮期(最高)血圧140mmHg未満100mmHg以上、拡張期(最低)血圧90mmHg未満50mmHg以上 起立性低血圧の検査も合わせて実施 5分横になり安静にした状態から起立し、2分後の血圧を測定 上記(坐位)の範囲内ならば大丈夫であろう 脈拍 安静時で100以下 アドバイス 緊張のため血圧、脈拍が上昇することは誰でも起こりうる鼻で吸い、口で吐く腹式呼吸を心がけ、苦しくない程度に息を止め、ゆっくり吐くこれだけでも多少は効果があるので困った時にはワラにもすがるつもりで試してもらいたい 視力検査 遠見視力 両眼とも0.2以上で矯正視力が1.0以上 レーシック等近視矯正施術(オルソケラトロジーを含む)を受けていないこと 中距離視力 裸眼視力又は矯正視力が0.2以上 近見視力 裸眼視力又は矯正視力が1.0以上 視野検査 次に示す範囲以上とする 上方60° 外上方75° 外方90° 外下方80° 下方70° 内下方60° 内方60° 内上方60° 両眼機能査 斜位検査 斜位についてマニュアル上は適合 斜視とは異なる 大半の人は多少の斜位を持っており、数値が大きくなければ問題ない模様 斜視は不適合 輻輳近点は100mm以内 深視力検査 三杆法による平均値が20mm以内 マニュアルによれば不同視を持つ者でも深視力検査が範囲内なら適合 脳波検査 海飛行は三次に行う てんかん(けいれん発作)の診断に用いられる。 てんかんの既往歴がある場合は不適合 脳波記録上、棘(spike)、徐棘波がある場合は不適合 遺伝性のてんかんもあるため、既往歴が無くとも脳波に波形として出る場合がある 血液検査 一般の血液検査は1本ですが、飛行要員は2本血液検査用に採血します ※一般幹部候補生募集要項に無い項目については航空学生募集要項、航空身体検査マニュアル(国土交通省)を参照した。
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面接カードは陸は無し、海・空はあり。 当日、試験会場で記入する。面接での質問に用いられるので、記入は慎重に。 H23年度 ※その18スレでの受験報告に基づく 海上 高校からの学歴 学生生活などで取り組んだこと 達成感を感じたエピソード 海上自衛隊の志望動機 自衛官となって活かせる能力 どんな自衛官になりたいか 転職の場合、その動機 外国語の資格(英検、TOEICなどの点) 公的資格 趣味、またその実績(競技会の成績など 航空 学科や専攻とその理由 卒論等のテーマ 志望順位と併願 趣味・得意なスポーツ・特技 幹部候補生募集を知ったきっかけ 航空自衛隊の志望動機 自分の技能で入隊後活かせるもの 現在の職業・アルバイト 資格・特技等の自己PR
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一般幹部候補生二次試験、口述試験 二次試験の面接口頭試問。 受験者1人に対して面接官3人の形式で行われる。 質問の順序が決まっているかは不明だが、同じ面接官から連続で質問されることはほぼ無い模様。 時間は10分弱~20分弱。 面接カードをあらかじめ記入する場合、その内容に応じた質問が二・三投げかけられる。 面接の主旨は 「入隊意志の強さ」 「受験者の個性/人間性」 「幹部としての素養」 を把握するのであり、専門的な知識の判定を目的とするものではありません。 陸海空・試験会場・担当の面接官によって、無難な質問のみ~圧迫面接までスレに上がっている感想は色々。 不安な方は担当の広報官に相談し、面接練習をしてもらうと良いでしょう。 服装・態度 入室~退室 面接カード 予想設問
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一般幹部候補生試験三次試験 海上・航空の飛行要員(パイロット)のみ、 二次試験合格者を対象に三次試験が行われる。 試験日・会場の希望は、二次試験終了時に提出する。 一般採用区分とは完全に独立した試験となっており、 特に航空の飛行要員では実機に搭乗しての適性試験があるなど、 『自衛官幹部候補者として』ではなく『パイロットとして』の素養を本格的に問われる試験である模様。 海上の場合は、病院での身体検査のみで、三次試験の合格率は非常に高い。 なお飛行要員に関しては、ここでふるい落とされても 一次・二次試験の成績次第で一般復活合格の可能性は残るため、 最初から最後まで全力を尽くしましょう。 試験日 海:7月中旬から下旬の指定された1日(平日) 空:7月中旬から8月上旬の指定された5泊6日 試験会場 海:大湊or横須賀or舞鶴or呉or佐世保の自衛隊病院 空:静浜基地or防府北基地 合格者数 平成23年度 合格者数 海上二次合格:22人(うち女子1人) 最終合格:20人(うち女子1人) 航空二次合格:100人(うち女子4人) 最終合格:12人(うち女子0人) 平成22年度 合格者(≠採用者)数 ※二次合格者数はスレ住人による独自集計値(6スレより、非公表の地本もあるため実数より少ない) 海上二次合格:13人以上(うち女子2人以上) 最終合格:17人(うち女子2人) 航空二次合格:53人以上(うち女子2人以上) 最終合格:27人(うち女子1人) 平成21年度 合格者(≠採用者)数 海上:22人(うち女子2人) 航空:52人(うち女子2人) 平成20年度 合格者(≠採用者)数 海上:9人(うち女子0人) 航空:29人(うち女子1人) 平成19年度 合格者(≠採用者)数 海上:13人(うち女子不明) 航空:31人(うち女子0人)
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一般幹部候補生三次試験、医学適性検査 航空飛行要員が3次試験の際に受ける身体検査項目。 航空身体検査マニュアル(国土交通省) http //www.mlit.go.jp/common/000011325.pdf 財団法人 航空医学研究センター 航空身体検査よくある質問 Q A http //www.aeromedical.or.jp/check/qanda.htm 心電図検査 ※二次試験と同様のもの 眼科検査 色覚異常(※二次試験と同様のもの) 網膜撮影(レーシックの痕跡などを調べるものと思われる) 3次試験において視力検査は行われない。 脳波検査 てんかん(けいれん発作)の診断に用いられる。 てんかんの既往歴がある場合は不適合 脳波記録上、棘(spike)、徐棘波がある場合は不適合 遺伝性のてんかんもあるため、既往歴が無くとも脳波に波形として出る場合がある 問診
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本番で予想される設問の一例を記します。(thx 21スレ目 436、他) ☆:当日に実際に問われた(他の受験生も)andほぼ確実に問われる質問 ◎:かなりの高確率で問われる質問 ○:高確率で問われると思われる質問 ☆志望動機 ☆公務員試験、民間等の併願 ☆併願ありの場合、自衛隊幹部候補生の志望順位 ☆家族の入隊への意見、理解 ☆陸海空3つの中から選んだ理由 ☆幹部自衛官の理想像(幹部に必要なもの、資質) ☆集団生活について(経験の有無・大切なこと) ☆スポーツの経験(期間・実績など) ☆全国転勤・海外派遣が平気か ☆定年まで続けるか? ☆長所・短所(失敗談など) ☆趣味、特技、資格の有無 ◎希望職域、職種、理由 ◎希望職種になれない可能性が高いが大丈夫か ◎自衛隊でやりたい事 ◎自己PR・抱負 ○上司・部下と意見が対立した場合の対処(理由も) ○厳しい訓練や大変なことに耐えられるか ○これまでの人生での挫折の経験 ○大学での活動 ○大学、または専攻を選んだ理由 ○学校で学んだ事で生かせる事 ○気になるニュース(国内と国外、意見や解決策)
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一般幹部候補生一次試験、専門記述 試験時間は90分。 下に示した科目から1科目を選び、各科目ごとに用意された2問を回答する。 (1問目は英語、2問目は行政、などといった回答は不可) 解答用紙は1問につきA4一枚(裏面使用可)。 文系は教養のみで解ける問題が混じっていたり、理工系科目は各科目の一部が大学入試レベルであったり、サービス問題が存在する。問題は全科目を見て選べるので、最も高得点が狙えそうな科目を選択することが重要となる。 過去問にも迷彩本にも、掲載問題数は多くなく傾向を掴むことは困難。国家一般(旧:国2)や地上レベルの記述対策や、大学の勉強をしっかりしておくべき。 なお、 「2問のうち1問をほぼ白紙で提出したが一次通った」 「専門記述ほぼ白紙だった」 との報告があるが、『一次試験の段階では』専門記述の採点はされないので、1次が通過しても油断できない 専門記述は1次試験合格者を対象に、2次試験で採点されるので注意すること 『専門(記述式)の採点は、第1次試験合格者について行い、第2次試験の結果とあわせて最終合格の決定に用います。』(募集要項より) 科目 心理 教育 英語 行政 法律 経済 国際関係 社会 数学 物理 化学 情報工学 電気 電子 機械(造船を含む) 土木 建築 航空工学 海洋・航海
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今日の訪問者 - 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」 防衛庁 戦後資料 配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-194 収蔵文書名: 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 簿冊名: 沖縄方面部隊史実資料綴 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄021 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305194 現存する赤松嘉次による最も古い手記です。 これは1945年8月米軍に投稿した赤松元第三戦隊長が沖縄の石川収容所に収容された後、同年12月末複員船で出港。翌1月はじめ、神奈川県浦賀に到着。そのとき復員局に提出したものです。 注目すべきは、 「敵の上陸に備え非戦闘員及緒資材を複廓陣地と予定せる留利加波東方高地に移動せしむ」以外、渡嘉敷島住民について何も言及がないことです。 集団自決に関してもなにもありません。 特攻艇を海に浮かべたのは、大町大佐の命令によって行なったとなっており、曽野綾子『ある神話の背景』とは完全に背理してます。 書き起こしに際しては、原文では○にレを入れた文字を「マルレ」としました。また、送りカタカナをひらがなにしました。漢字の左肩の「*」があるのは原文では旧字です。 (ni0615) 昭和21年1月9日調整 戦*史資料 海上挺進第三戦*隊 赤松印 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」一、編成装備関係1、海上挺進第三戦*隊 2、職員表 別紙の如し 3、人員兵器ノ増減ナシ 4、鮮人現地住民使役ノ関係 ニ、部隊履歴ノ概要 三、指揮隷属関係其ノ変遷ノ概要 四、作戦準備関係1、作戦計画ノ概要 別表 2、陣地の状況 3、作戦*準備に関する主要なる命令の内容 4、軍需品の集積状況 5、訓練の状況 五、戦*斗状況1、参加せる主要なる作戦*(戦*斗)の概要 2、機動部隊来襲状況 六、給養衛生 七、終戦*より帰還迄の行動の概要 別紙 海上挺進第三戦隊職員表 別紙 配備図 (コメント欄)転載ミスなどのご指摘 戦*史資料 海上挺進第3戦*隊(沖縄慶良間渡嘉敷島) 戦*隊長 陸軍少佐 赤松嘉次 一、編成装備関係 1、海上挺進第三戦*隊 編成 長 1 中隊長 3 附将校 11 下士官(船舶兵特別幹部候補生) 79 装備 マルレ艇 100 120瓩爆雷 210 一○○式機関短銃 5 仝弾薬 6、000 二六式拳銃 104 三○式軍刀 79 海上挺進第三勤務隊 編成 長 1 将校 7 下士官 兵 153 装備 三号無線機 1 五号 〃 4 電話機 8 九二式重機 2 仝弾薬 12000 九九式軽機 4 一一式軽機 2 八九重擲弾筒 7 小銃 152 黄色薬 550瓩 海上挺進第三整備隊 編成 長 1 将校 2 (内技術1) 下士官 兵 52 装備 軽修理車 1 小銃 45 特設第4水上勤務中隊の一小隊 編成 長(将校) 1 下士官 兵 13 軍夫(鮮人)210 2、職員表 別紙の如し 3、人員兵器ノ増減ナシ 4、鮮人現地住民使役ノ関係 鮮人並ニ現地住民ハ主トシテ作戦*準備ニ使用セリ 戦*況下ヲ除キテハ概ネ順調ニ作業進捗セリ ニ、部隊履歴ノ概要 昭和19年9月1日 宇品船舶司令部ニ於テ編成完結 昭和19年9月10日 第32軍司令官ノ隷下ニ入リ宇品出港南西諸島ニ向フ 昭和19年9月27日 慶良間列島渡嘉敷島ニ上陸任ニ著ク 昭和20年3月24日ヨリ沖縄天号作戦ニ参加 昭和20年8月24日 渡嘉敷駐屯米軍ニヨリ武装解除ヲ受ク 三、指揮隷属関係其ノ変遷ノ概要 編成完結直後第32軍司令官ノ隷下ニ入リ 昭和19年11月軍ニ船舶団ノ設立セラレルヤ 第11船舶団長ノ指揮下ニ入リ沖縄作戦ニ至ル 四、作戦準備関係 1、作戦計画ノ概要 別表 2、陣地の状況 部隊到着後直ニ本然ノ任務タル海上作戦*ノ為基地施設ノ作業ヲ実*施ス而シテ三月中旬ニ於テ概ネ完成シ敵機動近迫時ニハ全舟艇洞窟或ハ軽掩蓋ニヨリ秘匿掩護シ得タリ然レドモ地上戦闘ノ為ノ陣地ハ殆ト皆無ニシテ辛シテ蛸壺ヲ有スル程度ニシテ戦闘ニ入レリ (以下ひらがな表記とします---転載者) 3、作戦*準備に関する主要なる命令の内容 イ、軍は慶良間部隊に対しては海上作戦*の準備を第一とし陸上戦*斗は慶良間部隊は第二とする旨命じありたるを以て主として海上作戦*の準備に専念し陣地構築は殆ど実*施せず ロ、三月二十四日甲号戦*備の命を受領す ハ、三月二十五日沖縄本島に転*進の命を受く 4、軍需品の集積状況 部隊全員に対する半年分の糧秣を集積す 其の他特記事項なし 5、訓練の状況 任地到着後主として海上作戦*の為舟艇訓練慣海教育を実*施す 五、戦*斗状況 1、参加せる主要なる作戦*(戦*斗)の概要 三月二十三、四日両*日の爆撃に引き続き二十五日には敵艦艇慶良間海峡にも進入し艦砲射撃を加ふ 連日の砲撃により舟艇に若干の損傷を受くるとともに泛水施設の大半は破壊され臂力搬送の止むなきに至る 二十五日二十時本島転*進に関する左の命令を受領し折りから阿嘉島より来島せられたる第十一船舶団*長大町茂大佐の命により遂に転*進を決し泛水に着手す 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦*隊を率い本夜中に本島に転*進すべし」 部隊は勇躍泛水を開始せるも敵艦艇の妨害を受け意の如く進捗せず阿波連に於ては敵艦港湾内に進入し遂に泛水不能となる 一方渡嘉志久中央基地も艦砲と加ふるに半島出身軍夫の訓練不充分と施設の破壊により予定の如く進捗せず全舟艇の泛水の完了セルは二六日○五○○にして転*進は不可能となりまた揚陸も不可能となる。 白昼*敵艦船に斬込んか他五戦隊の企図を暴露すべし涙を振ひ愛艇を自沈す誰か之が心情を察せらる 二六日亦砲爆撃前日に倍し敵上陸の算大なり 二三○○船舶団*長を率ひて揚陸せる二艇により本島に護送す 海上挺進の作戦*を断念を余儀なくされたる 部隊は敵の上陸に備え非戦*斗員及緒資材を複廓陣地と予定せる留利加波東方高地に移動せしむ 砲爆撃により全島火に包まれたりと雖も仝地域は樵深き山にして昼*尚暗く為に何れが所望の地点なるや判明せず 明くれば二十七日早朝戦*車数十輌を伴う約一ケ連隊の敵は留利加波 渡嘉志久 阿波連の三方から上陸す 部隊は一部水際戦*斗を実*施し二十八日早朝複廓陣地に撤退し配備を完了す 敵は三方より陣地の包囲*攻撃の態勢を示し攻撃し来るも密林の為小戦*斗を実*施せるも之を撃退すれば三方より攻撃し来る 之に対し部隊は夜間斬込を実*施す かくして数度攻撃し来るも之を撃退す 三十一日夜敵は戦*車並に艦砲掩護の下に撤退す時に敵情不明にして之に乗じ得ざりしを遺憾とす 敵撤退せると雖も眼下慶良間海峡には百数十の艦船並に飛行艇あり亦毎日の如く渡嘉敷島に上陸し部隊を捜索す時に部隊は糧秣の大部分部落付近にありし為大半焼却せられ一人一日平均マッチ箱一杯の米を以て現地自活を始め然るに五月十日約一ケ大隊の敵は上陸し来るを以て部隊は之と相待侍し戦*斗を開始す 幸ひにして部隊陣地は概成しありて敵の攻撃に微動たるにせず終戦に至る迄に前進陣地一を奪取せられたるのみなり 然るのみならず却って斬込により敵は陣地を構築し鉄条網地雷等障碍を設置し積極的なる行動をもなし得ず此の間部隊は第二の「ラバール」建設を目指し陣地構築と現地自活に邁進せり かくして陣地は益々l鞏固となりたると雖も糧秣方面の苦斗は実*に言語に絶す かくして終戦*に至る迄一ケ大隊乃至一大隊半の敵と戦*斗を続*行せり実*に此の間の戦*斗は敵と糧秣に対する戦*斗というべし 話に聞く南西諸島の状態に勝るとも劣らぬものと思考す 八月十五日諸情報を綜合し終戦*の確*実なるを知り十八日敵と協定 二十三日涙を呑みて調印を実*施す 2、機動部隊来襲状況 沖縄本島に仝じ 六、給養衛生 給養は前述の如く困難を極め雑草、蘇鉄、蛇、トカゲ等総*てを食し得るものは食し現地自活態勢整はんとする頃終戦*となれり 之が為多数栄養失調者を出し銃を持ちて起ち得るもの約半数とす 而して薬品の不足により亦食物の関係上脚気*、マラリア、下痢等に悩まされたり 七、終戦*より帰還迄の行動の概要 昭和20年8月18日 渡嘉敷島駐屯米軍指揮官 カンノリ中佐と会*見 停戦協定を結ぶ 昭和20年8月23日 武装解除調印式 昭和20年8月24日 武装解除 夜間行進(---解読不能---)移動 昭和20年8月25日 沖縄本島石川収容所に移動部隊は編成を解き 将校 下士官 兵別に収容さる 昭和20年12月30日 帰還の為乗船 昭和21年1月3日 沖縄出発* 昭和21年1月7日 浦賀上陸 別紙 海上挺進第三戦隊職員表 海上挺進第三戦隊職員表 職 官 氏名 期別 適用 戦隊長 陸軍少佐 赤松嘉次 53 附 陸軍中尉 張間興国 特18 同 陸軍少尉 知念朝睦 予 第一中隊長 陸軍中尉 中村 彰 57 群長 陸軍少尉 岸川岩男 予 同 同 高取徹昌 同 昭20.6.13戦死 同 同 佐藤博彦 同 昭20.3.27戦死 第ニ中隊長 陸軍中尉 富野 稔 57 群長 陸軍少尉 多里五郎 予 昭20.8.11戦死 同 同 連下政市 同 同 同 鈴木啓一郎 同 昭20.6.17戦死 第三中隊長 陸軍中尉 皆本義博 57 群長 陸軍少尉 池田恒茂 予 同 同 中島一郎 同 昭20.3.26戦死 同 同 小松原三郎 同 昭20.6.17戦死 配属部隊 第三勤務隊長 陸軍大尉 西村市五郎 予 附 陸軍中尉 田所季彦 同 同 同 辻 政弘 同 同 陸軍主計中尉 楠原利家 同 同 陸軍軍医少尉 浮田堅太郎 同 昭20.7.18戦死 小隊長 陸軍少尉 小泉英太郎 同 同 同 杉本庄太郎 同 同 同 高塚春次郎 同 昭20.3.27戦死 第三整備隊長 陸軍中尉 木林 明 予 附 陸軍少尉 日根芳一 同 同 陸軍技術少尉 小川俊夫 同 水上勤務隊小隊長 陸軍少尉 斎田重雄 同 別紙 配備図 (コメント欄)転載ミスなどのご指摘 これまでにいただいたコメント
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沖縄作戦 殉国日記(2) 赤松元部隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年1月17日 書信受信の経緯は沖縄作戦 殉国日記(2)をお読みください。 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 赤松元部隊長からの書信 謹みて 故陸軍中尉中島一郎殿戦死の状況を御報告致し併せて英霊に対し衷心より敬弔の意を表し奉り候 思へば一昨昭和十九年九月宇品に於て部隊編成されるや君は勇躍特攻隊員として之に参加、直ちに任地南西諸島は慶良間列島渡嘉敷島に上陸、若き船舶兵、特別幹部候補生の小隊長として朝に戦闘準備に夕に訓練に専念致され候、時に昭和二十年三月二十六日の夜連日の砲爆撃中來島中の第十一船団長大町大佐を本島に護送すべく敵艦艇の真只中を本島に向ひ特攻挺により出発せられ候し〓の后船舶団長共に消息不明と相成り恐らく前島北方海面に於て名誉の戦死を遂〓〓〓しものと推察仕り候 君は平素よく部下をいたわり亦将校としての能力優秀にして部隊戦力の中心として、部隊将兵尊敬の的と相成られ居候、これが報に接し哀惜に堪えざるもの之有候 厳寒の折柄御遺族の皆々様には御落胆もさることながら御自愛専一の程御祈申上候 右不敢取御報告傍々御悔迄如斯御座候 一月十七日 元球一六七七九部隊長 赤松嘉次 中島幸太郎殿 待史 沖縄作戦 殉国日記(2)
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「マルレ」とは:『陸軍船舶戦争』より 『陸軍船舶戦争』 松原茂生(元船舶参謀・自衛隊)/遠藤 昭 戦誌刊行会 1994(平成8)年 以下の文章は元船舶参謀という立場からタテマエに縛られている。その点、元特幹一期生で海上挺進第2戦隊員として沖縄阿嘉島に配属され、沖縄戦の生き残りとなった儀同保氏の調査は、現実を踏まえたタテマエに束縛されないものだから信頼がおける。必読である→海上挺進戦隊、特幹生、マルレ。(引用者) (引用者注)《マルレ》:書籍中では○の中にレの一字 第9章 比島攻防戦 7、《マルレ》の量産 7、《マルレ》の量産 《マルレ》、正式名称を四式肉薄攻撃艇と呼ぶらしいが記録は全て連絡艇となっている。 陸軍で唯一の量産特攻艇であり比島決戦以後使用されている。 全長五・六メートル、自重○・八三トン、速力二〇~二四ノツト、全力三時間、合板製の二人乗りモーターボートである。 (引用者注)自重は諸説あるようだ。試作機は軽かったかもしれない エンジンには日産やトヨタの自動車用エンジンを使用しており、甲、乙、丙、丁、戊、己の六型式がある。 昭和十九年五月に船艇研究専門機関として第十陸軍技術研究所が開設されたが、六月中旬に、自動車エンジンを用い、速力二〇ノット以上、一二〇キロ爆雷を両舷に各一個持った特攻艇の試作が発令された。 (引用者注)後段で触れられているように、2個の爆雷は結束して後端から落下させるようになった。 担当者の努力により、七月十日には甲一型が完成し、以後、小型化、又は、爆雷前装型(海軍震洋艇方式)、および爆雷後装型などを試作、甲八型迄に及ぶ。 昭和十九年八月以後十二月迄の間に三千隻が建造され、その後、本土防衛用に二千隻が追加建造された。 一276一 一277一 乙.丙・丁型については資料も無く、実在も明かでない。 ロケット噴進により短時間だけ高速を出すことを計画したのが五式肉薄攻撃艇(連絡艇戊)である。 艇尾に八本のロケットを附したが、重量過大(ニトン・全長七メートル)となり巡航速力が一〇ノットに低下した。ただし、二〇秒間のロケット噴射中は五〇ノットを発揮できた。乗員は一名である。 ロケット改良の必要があり、開発は中止された。 連絡艇戊三型は熱線誘導装置を装備した無人特攻艇である。資料では《マル戊》となっているが指揮艇とも呼ばれたらしい。 誘導装置や専用機関は終戦迄開発できなかった。 終戦直前の同研究所の作業計画があるので別表に要約してある。表中に五式雷撃艇とあるのが連絡艇戊五型であり、同砲撃艇とあるのが連絡艇己二型のようであるが断定できない。 開発担当者の戦後の解説、陸軍公式図、および研究所作業計画の各々を完全に特定するには新資料の発見が必要であろう。 昭和十九年八月頃から、《マルレ》一〇〇隻を持つ海上挺進戦隊とその基地を担当する海上挺進基地大隊が編成された。 海岸にトンネルを掘り、その中を基地とするのが《マルレ》隊の配置方式であった。 大発乗員の養成のために陸軍船舶特別幹部候補生隊が初め香川県三豊郡豊浜町に、やがて瀬戸内海の 一278一 小豆島に移転した。 昭和十八年十二月に、中学校(旧制)三・四年生(十五・六才)を対象とした新しい制度によったもので合格者四〇〇〇名中、第一期生として一八〇〇名が、続いて約四ヵ月後に残り二二〇〇名が第二期生として入隊、以下四期迄が入隊した。 (引用者注)筆者は記述を避けているが、一期生二期生の入隊は「海上挺進」の編成方針がきまるずっと前である。一期生においては大発乗員の養成過程を終了したと同時に「海上挺進隊」に組み込まれた。 昭和十九年八月、宇品の船舶司令部内の船舶練習部に秘密に「第十教育隊」が編成された。 陸軍船舶部隊の主任務が広い意味での輸送から攻撃、それも特攻に準ずる過激なまでの攻撃部隊に変身したのだ。 当然、陸軍船舶特別幹部候補生隊も、そして学徒動員で陸軍に入隊し、船舶兵に配属された多数の人々も、《マルレ》の要員としての教育を受けることになった。 (引用者注)陸軍船舶特別幹部候補生(特幹生)の、大発運行要員から海上特攻要員へと変わる運命の転回を、『当然』の2文字で有無を言わせず押し付けてしまう倣岸ぶりにはあきれる。こうして、少年・青年たちに『死』を押し付けた参謀閣下は、果たして、その行為に応じた責任を取ったのであろうか? 陸軍の《マルレ》は体当りボートではない。敵艦の舷側スレスレに口ープで結んで細長くした二箇の爆雷を投下したら反転退避することになっているが、当時《マルレ》乗員は、体当りするくらい近接しなければ攻撃効果は上らないと信じていた。 海上挺進戦隊は隊長以下一〇七名、《マルレ》艇も一〇〇隻、戦隊長と中隊長は一隻二名、他は一隻一名の乗務である。 一〇隻で一小隊、三小隊で一中隊となる。 一〇隻足りないのは戦隊長小隊であろうか。 一機一艦、一艇一艦を屠ることの研究が六月二七日から発足し、前者は生還を期しえないため軍令を 一279一 もって部隊を編成する迄に到らなかったが、後者は《マル八》(マルハチ)と呼び、爆雷投射後、転舵反転することが正攻法であるため軍令により挺進戦隊の編成となった。 《マル八》の試験は七月十一日に完了した。そして予定総数三〇〇〇隻の内第一回分として一〇〇〇隻分の建造が発令され、八月十九日には、初の海上挺進戦隊一〇隊の編成が下令された。 比島六隊、沖縄四隊である。 九月二二日に残り二〇〇〇隻分が発注され、比島十隊、台湾五隊、沖縄五隊の配属が追加された。 そして、比島作戦での成果が確認されたため、追加建造が決り、七月中旬迄に十箇戦隊、そして、九月上旬迄に追加十箇戦隊の編成を完結し、本土各地に配属されることになった。 昭和二〇年一月九日、リンガエン湾に配置の《マルレ》一箇戦隊の敵輸送船団奇襲は成功し、沈没三隻、大破九隻、中破四隻の大戦果をあげている。 即、駆逐艦「ロビンソン」「フィリップ」「イートン」が大破、「リーズ一「ホッジス一が中破、輸送船「コアホーブ一が大破、貨物輸送船「アルサイアニ」が中破、歩兵揚陸艦「三六五号」「九八四号」が沈没、戦車揚陸艦「六七四号」が沈没、「六〇一号」「六一〇号」「六二五号」「一〇二五号」「一〇二八号」大破、「五八八号」中破などが確認されているそうだ。 当時、同盟電で『《マルレ》が敵の輸送船三十数隻を撃沈した』との報道があったことからも確実であろう。 全艇体当りのため日本側記録では確認されていない。 この奇襲の後、連合軍は海岸線への砲爆撃を強化し、そのため、ほかの地点での《マルレ》隊は出撃数も減り、 一280一 戦果も散発的となった。 当時、海軍でも特攻艇「震洋」が量産されていたが、比島へ輸送中の航空母艦「雲龍」が撃沈され、配備数もほとんどなく、戦果も上っていない。 《マルレ》は建制の部隊であるが、その攻撃法が捨身に近いため、部隊への編入は原則として志願により、又、極小数ではあるが出撃後、爆雷を投下して帰投した艇員もあったそうだ。 基地部隊は、重機四、軽機十二、重榔弾筒十四を持ち、全員小銃で武装しており、中には大隊砲を持った部隊もあった。 《マルレ》出撃後は陸上戦闘に参加することを予定していたらしい。 尚、第一次挺進戦隊配属者三一二一名中、一七四三名の多数の戦死者を出している。これは出撃以外の戦闘での戦死者を含むが、戦闘場面の第一線配置のため、非常に高い被害率となっている。 尚、移動中の海没者は内、二八九名である。 注 比島作戦の特色として、陸軍独自に構想した潜航輸送艇(《マルゆ》)、駆逐艇(カロ艇・海上駆逐第一大隊)、特大汽艇(SS艇・機動輸送中隊)、伊号高速艇(高速輸送第一大隊第六中隊)が連絡艇(《マルレ》)の他に少数ずつ実戦配備されたことであった。 一281一 (引用者注)この記事を読んで、海上挺進部隊が「志願」を前提として兵員を集めたものか、そうではないのか、判断できるだろうか? 日本官僚主義の集大成とも言える「軍官僚」(筆者は元、広島の船舶本部参謀)らしく、「特攻」なのかどうか、断定せずに云い抜けできる仕掛けを、当時においても、また50年を経て書かれたこの文中においても施している。 海上挺進戦隊、特幹生、マルレ