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デモクリストやエピクロスの原子論 「同じ文字(アルファベット)から、悲劇も喜劇もできている」とデモクリトスは自分の原子論を説明した。 2400年前ギリシヤの哲学者デモクリスト(約BC460-約BC370)やエピクロス(BC342-BC271)たちは、物質は細かく分割できない小片にたどり着くと考えた。彼らはこの小片を分割不可能なものと言う意味でアトモスと名付けた。これが原子の由来である。アトモスの数は無数で、それらがいろいろな組み合わせで結合して多様な物質を作っていると考えていた。この世のものはすべて、多くのアトモスから出来ており、その間を空虚な空間すなわち真空が占めていると考えていた。 アリストテレスの四元素説 その後ギリシヤの哲学者アリストテレス(BC384-BC322)によって反対され、 地上のあらゆるものは4つの元素(火、水、空気、土)から成るとする4元素説を唱え、星や太陽などの天界は空虚な空間を嫌いエーテルで満たされていると考えていた。 アラビアでの発達 アリストテレスの四元素説は、ギリシャ・ローマ医学の基礎となる体液病理説「四体液説」と関連付けられ、医学・薬学においても重要な理論であった。キリスト教を国教とした東ローマ帝国では、6世紀頃、異教徒・異端の学者が激しく迫害され、学者たちが大勢亡命したことで、ギリシャ・ローマの学問はアラビアに伝わった。四元素説は、アリストテレス哲学の強い影響力と相まって、哲学、神学、錬金術(実質的にアラビアに始まるといわれる)、科学(アラビア科学)、医学(ユナニ医学)等に影響を与え、ビザンツ・アラビア、中世ラテン世界といった西洋世界で主流を占める物質観になった。 キリスト教と四元素説 12~13世紀になると錬金術が広くしられるようになり、ヨーロッパで錬金術に対する関心が異常に高まったことから、当時のキリスト教会の最も偉大な聖職者たちも、錬金術に強く関心を持つようになった。そして、 これまで排斥されていた錬金術やアリストテレス哲学が、神聖な現象の説明に役立つとして、キリスト教世界に受容されはじめ、その考え方は四大元素(土、水、気、火)に第五のエッセンス(本質、真髄)を加えることによって、天界のもの(神の意思)が地上に深く及んでいるという考えると、自然界のすべての現象がうまく説明できることから重要視されるようになった。 また、タロットのうち小アルカナは、「棒」、「聖杯」、「剣」、「硬貨」の四種類のスートから成るが、これはそれぞれ、アリストテレスの四元素のうち、「火」、「水」、「風」、「地」に対応したものである。タロットでは、大アルカナがカバラの生命の樹のパスに対応するが、小アルカナの数札の番号(1~10まで)は、はセフィラの番号(1~10まで)と対応する。コートカード(人物札)は、キングが第2セフィラ、クイーンが第3セフィラ、ナイトが第6セフィラ、ペイジが第10セフィラに該当する。 このようにキリスト教世界に受容されたアリストテレスの四大元素の考え方によって、デモクリストやエピクロスの原子論は中世からルネッサンスまで異端視され、日の目を見ることはなかった。異端視された理由は、原子論はすなわち唯物論につながり、神の否定につながると考えられたからである。 四元素説の終焉 四元素説は長く西洋世界の主流であったが、ルネサンス期に入ると思想の枠組みがゆらぎはじめ、古代ギリシャで唱えられた原子論も再び注目されるようになった。ヒューマニストたちの間で、古代ローマのルクレティウスの『物の本性について』が読まれるようになったことで、ギリシアの原子論的な物質観は徐々にヨーロッパに普及した。そして、デカルトのよき論敵として知られるピエール・ガッサンディによって、原子論は全面的に復活した。 ガッサンディによるキリスト教的原子論 ガッサンディはそれまで折り合いの悪かった原子論とキリスト教神学を統合した。 ガッサンディはいくつかの点でエピクロスの教えがキリスト教の教義に反していることを進んで認めた。 摂理の否定 非物質的なものを真空に限定すること(天使の存在が認められなくなってしまう) 原子の数を無限とすること(無限なものは神だけ) 原子は創造されず永遠の昔からあること 以上のような学説が信仰に反するとして退けられた。しかしだからといって原子論自体が否定されるわけではない。神が創造の時に十分な数の多様な原子をつくり、それに様々な現象を引き起こすことが可能な力を与えたと解釈すれば原子論は維持可能だと彼は考えた。(なお、現在の学説では、観測可能な宇宙の原始の数は10^80個程度であり、宇宙の大きさも無限に近いとはいえ有限であるから、全宇宙の原子の数も有限と考えられている。また、原子はビッグバンにより生まれたもので、永遠の昔からあるわけではない、という点もガッサンディの解釈と一致している。) 他にも、ガッサンディは宇宙論においてはプトレマイオスとコペルニクスとティコ・ブラーエが最も重要であるとし、その中でもコペルニクスが最も単純で徹底的に事実を表象したものと賞賛した。時間と場所は神による世界創造以前から存在し、物質(原子)は神によって最初の運動を与えられたのであるとも考えた。 科学的原子論 その後の原子論は、ドルトンの原子説に始まり、電子、陽子、中性子の発見、さらには物質の最小単位であるクォークの発見につながってゆく。
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前2世紀の作品。イスラエルの太古の族長ヤコブの十二人の息子が、それぞれ臨床の床で子孫たちに遺言を垂れるというもので、その内容はさまざまな善徳と悪徳についての倫理的教訓である。
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12小預言書のひとつ。3章からなる。預言の主題は宗教儀式の厳守、及び雑婚の禁止である。 マラキはおそらく「わが使者 (マルマーキー) 」 (3・1) を意味する人名で,あとから付されたものらしい。成立は前5世紀と思われる。内容は4章に分れ,神に対する不義および神への恐れのなさへの批判,契約の履行と律法の遵守の勧告,突然に来る神の裁きについて,そして裁きの前にエリヤが現れて父なる神の心を子供らに伝え,子供らの心を父に向けさせる役目を果すことが各章の主題となっている。 主はイスラエルの民を愛した(1章2節~5節) しかし彼らは犠牲の捧げ方を誤り(1章6節~2章9節) 異教の女をめとり、結婚の契約をないがしろにした(2章10節~16節) 審きの日は近い(2章17節~3章5節) 10分の1税を正しく納めよ(3章6節~12節) 主は悪を行う者を審き、神の名を畏れる者を救う(3章13節~4章6節)
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神のいつくしみへの祈りの花束(かみのいつくしみへのいのりのはなたば)は、聖ファウスティナ・コヴァルスカによって始められたカトリック教会の祈り。神のいつくしみのチャプレット、慈しみのチャプレットとも呼ばれる。「神のいつくしみへの礼拝」と云われる信心に属する。 ロザリオを用いて祈るのが特徴。 祈り方 聖母マリアへのロザリオの祈りと形式は似ているが、祈祷文が異なる。 十字架から環の始まりまで 初めに主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、信仰宣言を1回ずつ唱える。 環の始まりのところにくる 環の始まりから終わりまで 主の祈りの珠で次の言葉を1回唱える 永遠の父よ、私たちと全世界のすべての罪のあがないのために、あなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストのおん体とおん血、ご霊魂と神性をみ前に捧げます。 アヴェ・マリアの祈りの珠で次の言葉を10回唱える イエスの痛ましいご受難によって、私たちと全世界にいつくしみを注いで下さい。 これで一連が終わる。 同様にして第2玄義の瞑想から2連目を行う。 同様にして5連目まで行う 最後に次の言葉を3回唱える 聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、私たちと全世界を憐れんで下さい。
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『神学大全』(ラテン語:Summa Theologiae, Summa Theologica, Summa)は、「神学の要綱」「神学の集大成」という意味の題を持つ中世ヨーロッパの神学書。13世紀に中世的なキリスト教神学が体系化されると共に出現した。一般的にはトマス・アクィナスの『神学大全』が最もよく知られているが、他にもヘールズのアレクサンデルやアルベルトゥス・マグヌスの手による『神学大全』も存在する。 トマス・アクィナスの神学大全 『神学大全』は以下のような三部構成からなっている。第一部は119の問題が、第二部は303の問題が、第三部では90の問題が、合計512の問題が取り上げられている。 第一部 神について、119問 問1 聖なる教え 問2-26 神 問27-43 三位一体 問44-46 創造 問47 一般事物の区別 問48-49 善と悪の区別 問50-64 天使 問65-74 創造の7日間 問78-102 人間 問103-119 被造物(世界)の保全統率 第二部 人間について、303問 第1部 114問問1-5 目的 問6-21 人間特有の行為 問22-48 情念 問49-54 習性 問55-70 美徳と幸福 問71-89 悪徳と罪 問90-108 法 問109-114 恩寵 第2部 189問【対神徳】問1-16 信仰 問17-22 希望 問23-44 愛 【枢要徳(四元徳)】問45-46 知恵 問47-56 思慮 問57-122 正義 問123-140 勇気 問141-170 節制 問171-174 預言 問175 携挙 問176-178 恩寵 問179-182 観想的生活と活動的生活 問183-189 生活の分化 第三部 キリストについて、90問 問1-59 受肉 問60-90 秘跡 問66-71 洗礼 問72 堅信 問73-83 聖餐 問84-90 ゆるし Summa Theologiae Thomas Aquinas
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Q資料の7番。 人を裁くなも参照。 ルカ6 37-38 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。 人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。 赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。 押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。 あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」 ルカ6 41-42 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」 マタイ7 1-5 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
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グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth014.html
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ヨハネ福音書のみに載っている、数少ないたとえ話である。イエスを羊飼いに、イエスを信じる者を羊にたとえている。 ヨハネ10 1-21 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」 この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。多くのユダヤ人は言った。「彼は悪霊に取りつかれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。」ほかの者たちは言った。「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」
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イエスの幼年時代の物語を述べる外典福音書の一つ。原文はギリシア語で、この書に最初に言及しているオリゲネスでは「ヤコブの書」と称され、「マリアの誕生・ヤコブの啓示」「ヤコブの物語・神の母聖マリアの誕生」「われらの主と聖母マリアの誕生」などとも呼ばれる。 『ヤコブ原福音書』の主人公は母マリアである。物語はマリアの誕生の次第から始まり、神殿へのご奉献、ヨセフとの邂逅(かいこう)、ヨセフとの生活、荒野におけるイエスの出産、そしてヘロデ大王による幼子の虐殺物語で結ばれている。マリアはダビデの血統から生まれ、汚れなき教育と成長を経て、すでに子持ちのヨセフと縁組みをする。やがてイエスを洞窟で出産するが、彼女の処女膜は破れないで残っていたと言う。 この内容から推測して、著者は母マリアにとても関心を持っていた人だと言えるだろう。事実、カトリックにおける聖母像はまさにこの福音書と共通のものといってよい。まだ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「洞窟の聖母」など、後世に影響を与えている。 構成 マリアの誕生までヨアキムの神殿からの逃避(1章) アンナの悲しみ(2-3章) アンナとヨアキムへのお告げ(4章) マリアの誕生から3歳での奉納までマリアの誕生(5章) マリアの成長(6章) マリアを神殿への奉納(7章) 12歳のマリアの結婚夫ヨセフの選定と結婚(8-9章) 主の神殿への垂幕作成(10章1節) ザカリアの声の喪失(10章2節) イエスの降誕マリアへの受胎告知(11章) エリザベト訪問(12章) ヨセフへの受胎告知(13-14章) 律法学者アンナスによる神妙裁判(15-16章) 洞窟でのイエスの出産(17-20章) イエスの誕生後東方三博士(21章) ヘロデ王によるザカリアの殺害(22-23章) ザカリアの代わりにシメオンの選定(24章) 俺のヤコブの原福音書 The Protoevangelium of James
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Q資料の30番。 ルカ11 37-44 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。 主は言われた。 「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」 マタイ23 25-30 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。