約 1,312 件
https://w.atwiki.jp/hktw_ggxrdr2/pages/24.html
「審判就免了!」 ※紅字代表該處經過遊戲版本改動下出現變化的地方,後面會標示出更改的版本(S1.1→SIGN Ver.1.1,R1.04→REVELATOR Ver.1.04 R2→REV.2) 個人資料 治理イリュリア連王國三位「連王」的其中一人。 在聖戰期間與カイ是舊識,將他視為好友以及勁敵。曾經與自己帶領的部隊從瀕臨全滅的危機中生還,擁有十分優秀的統帥力和戰鬥力。性格與說話方式都十分的爽快,但意外的是個慎重派。有著極高的自尊心和不屈不撓,是個不會放過任何努力機會的努力家。興趣是製作「My字典(マイ辭書)」,會將現有的字彙和認識的人、事、物進行連結(例如,他在「惡魔」這一條目下記載著自己姐姐的名字)。(CV:稲田 徹) 身高 196cm 體重 83kg 出身 德國 血型 A型 誕生日 7月1日 重要的東西 紀錄、自尊心 興趣、嗜好 編輯My字典 討厭的東西 醃漬物、比自己更加優秀的人
https://w.atwiki.jp/deserteref/pages/635.html
フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー(宇宙暦?年 - )は銀河帝国の軍人。原作登場人物である。 略歴 前世 キルヒアイス配下の分艦隊司令官。その後、ミッターマイヤー配下の分艦隊司令官に転属。ハンス・エドアルド・ベルゲングリューンは親友 新版 宇宙歴802年2月、ローエングラム大元帥のクーデター時、ガルミッシュ要塞司令官代行に就任した。階級は宇宙軍中将。(96話) 同年、ジークフリード・キルヒアイス宇宙軍元帥がブラウンシュヴァイク元帥府を開くと元帥府査閲監に就任。階級は宇宙軍大将だったが、「皇帝陛下のご配慮」による昇進で上級大将となり、本家にあたるビューロー伯爵家を相続することとなった。(97話) 宇宙歴803年10月、、ローエングラム大元帥のクーデター(救国軍事会議のクーデター)後、救国軍事会議議員に名を連ねた。統帥本部第一次長に就任している。キルヒアイス派の彼がラインハルトに味方していることをもって、第一辺境総軍司令官エリヤ・フィリップス上級大将はキルヒアイスの生存を推測した。(117話)
https://w.atwiki.jp/arcana_heart3lm/pages/249.html
桃源郷で永きを生きた狼が高次の存在となった。 火を自在に操り、敵を咎ごと焼き尽くす能力をもつ。 絶えず変化を求めるランゴンは、美凰という今までにない存在に大きな変化の可能性を見出す。 美凰の契約アルカナ。 使いやすい必殺技を多く持つ。 EF中の特殊効果が少々厄介で使いにくいが、バースト回復時間は標準クラスなので フォースゲージはバーストに回すと考えれば初心者向けと言えるアルカナ。 分類 名称 効果 属性効果 操火将(そうかしょう) 最大タメ版がガード不能になる EF発動中の効果 操火統帥(そうかとうすい) 通常技ヒット時、追加攻撃が発生 分類 名称 コマンド シンプル 必殺技 火仙弋(かせんよく) ☆ +E 火攻焔(かこうえん) ☆ +E 超必殺技 轟天焦(ごうてんしょう) ☆ +E 火孔覇(かこうは) +E アルカナイクリプス 昇火太歳(しょうかたいさい) (EF中)+B+C アルカナブレイズ 插翅大聖(そうしたいせい) (EF中)+A+B+C ☆属性効果 操火将 最大タメE攻撃がガード不可になる。 当たれば美味しいがリスクも高い。慣れている人にはまず当たらない。 ☆エクステンドフォース効果 操火統帥 通常攻撃ヒットorガード時に追加の爆発が発生。 爆発は事前にヒットした通常攻撃に関わらず、独自の性能を持っている。 とにかくこの爆発が邪魔。邪魔すぎる。 爆発自体は大してダメージが高くない上に受身不能時間も短いので、空中コンボを控えめにせざるを得ない。 また、爆発そのものに(地上ヒットでも)浮かせ属性があるため、地上でヒット数を稼ぐこともできない。 以上の理由から、火力の高いアルカナなのに、EFコンボのダメージは低いという困った事態が起こりがち。 ☆必殺技解説 火仙弋 火の玉を発射。空中可。読みは「かせんよく」。 地上では斜め上に、空中では斜め下に火の玉を打つ。地上のほうが若干発生が早い。(地上13フレ、空中19フレ) 反射のできない飛び道具だが、相殺はできる。 また受身不能時間が長く、色々と面白いコンボが作れる。 火攻焔 炎の渦を発射。空中可。 地上の相手に当たると浮かせることができる。 隙が少なく、地上で近距離ヒットなら通常技で拾ってエリアルに移行が可能。 3段階までタメ可能。威力、ヒット数、射程が強化される。 なお、溜めるとHCが不可能になることに注意。 ☆超必殺技 轟天焦 発生8フレの無敵技。全方位攻撃。相殺不可。空中可。 当たるタイミングによりダメージが異なり、発生直後が一番ダメージが高い(5000)。 火孔覇 強化版火攻焔。空中可。 発生そこそこ(13フレ)、威力が高く隙も無いという便利技。 連続技にもいいし、削り量が大きいのでこれ目的で使ってもいい。 ☆アルカナイクリプス 昇火太歳 地面から3つの火の玉を出し、それらが爆発する。 当たる→爆発の2段技なので、状況によってはこぼしてしまう事もあるが、ダメージは優秀でとりあえずコンボの〆に入れてもいい。 爆発すればキャラクターが動けるので、ガードされても隙はあまり無い。 ☆アルカナブレイズ 插翅大聖 自キャラの背後の画面端からランゴンが走ってきて突進、そのまま画面を横断して消えていく。 画面端に到達するまでヒットし続けるため、当たる位置によってダメージはかなり変動する。 発生保障はあるが、狙って使えるような性能ではない。
https://w.atwiki.jp/konohamatome/pages/29.html
操火将 最大ためEがガード不能になる 火仙弋 【236+E】 火の玉を飛ばす 地上版は斜め上に、空中版は斜め下に飛んで行く 地上版地上カウンターヒットで浮かせ、空中版地上カウンターヒットでダウン、Ahc可能 火攻焔 【63214+E】 目の前に火の塊を出す ためが可能で時間に応じてヒット数+硬直が増える 最大10ヒット、ヒットで浮かせ 轟天焦(ゲージ消費) 【236236+E】 発生した瞬間空中判定になる完全無敵技 着地するまで一切行動出来ず、着地硬直もある ヒットで壁吹っ飛ばし、ヒットorガードさせるとAhc可能 火孔覇(ゲージ消費) 【632146+E】 15ヒットする巨大な火の塊 地上ヒットで浮かせ、Ahc可能 操火統帥 【ブラスト効果】 各種ステップと二段ジャンプをした時に、若干遅れて自キャラが居た位置に攻撃判定のある爆発が起こる 跳潤閻羅 【フォース効果】 空中判定になるホーミング動作に攻撃判定が発生 地上ヒットで浮かせ 插翅大聖 【ブレイズ】 自キャラの後ろの画面端からランゴンが駆け抜ける 最大27ヒット、ヒットで壁吹っ飛ばし
https://w.atwiki.jp/wiki11_f36/pages/26.html
目次 「戰爭責任」はない (H20.12.9) ヒットラーと吉田茂 (H21.4.14) 大日本帝國憲法の失敗-内閣と統帥權 (H21.5.2) 東郷大將の覺悟 (H21.8.21) 日本は謝つてはいけない (H21.12.31-H22.1.12, 1.15加筆) The Japanese - 階級のない民族 (H22.1.4, 2.28) 植民地日本 (H22.4.8-18) 統帥權干犯 (H22.8.29) 「戰爭責任」はない (H20.12.9) 「戰爭責任」といふのは、一般的に戰爭を防げなかった責任といふ意味ではなく、侵略戰爭である大東亜戰爭を行つた責任といふ固有名詞みたいなものに、今の日本では、なつてゐる。 そもそも戰爭に責任などない。やむにやまれずやるものであり、善惡を超えたのもであらう。 さうでない戰爭もある。ヒットラーの仕掛けたものは、そんなものではない。スラブ民族やユダヤ人などを殺すためにやつた樣に見える。つまり、戰爭ではない。虐殺である。 それで、ドイツ人は、あれはヒットラーが勝手にやつたことで、自分達には一切関係ないと主張した。自分達は強制されて仕方無く從つたまでで、また、さうしなければ殺されるのだからやむを得ないのだと。 であるから、自分達に責任はない。とはいへ、同じドイツ人のやつた事ではあるから、金だけは払いませうといふ。 本當は喜んで協力した者も澤山ゐると思ふが。 日本も、實は同じ論法で、國民や天皇は責めを逃れてゐる。つまり、少數の戰犯を作ることにより、大多數は無罪となつた。これは、アメリカの差金である。さうすることで國民を親米にしようとしたのか。元々、國民は親米なのだが、一部分子が惡かつたのだと。 これには二つの誤がある。先づ、戰犯などゐない。日本はやむを得ず戰爭に追ひ込まれたのであり、ヒットラーと一緒にされては困る。勿論、支那で泥沼の侵略を始めたのが惡いのであるが。それとて、先にやらねば、大國にやられてしまふといふ被害妄想が原因であらう。 日本に戰犯がゐるといふなら、アメリカにこそ戰犯がゐる。アメリカは、やむにやまれずではなく、故意に戰爭に導いた節がある。それこそ犯罪である。 第二に、國民も戰爭を嫌惡してはゐなかつた。軍部の獨走で始まつたかも知れぬが、國民も戰爭に協力した。勿論、勝てる筈ないと分つてゐた人もゐたらう。しかし、分つてゐても、やむにやまれず殆どの人は協力した。 歐米列強の世界植民地化の策略に抗すべくアジアの片隅で孤軍奮鬪して來た日本人は、ここにきて、清水の舞台から飛降りてしまつた。さうなれば、つべこべ文句を言つてゐる暇はない。食ふか食はれるかの時に、理窟を言つてごねる馬鹿はゐない。といふより、日本全体がそこまで追ひ込まれてゐた。 今の目で見れば何と愚かなと思ふ樣なことでも、それは済んだことであるからさう見通せるだけである。當時の人の気持になつて考へる必要があると思ふ。 ヒットラーと吉田茂 (H21.4.14) あるアメリカ人が言ふには、何のかんの言つても、戰犯は日本政府が犯罪人と認めたのであり、日本人が今頃になつて惡人ではないなどといふのはをかしい。 確かに、吉田茂は認めた。認めたくてかどうかは知らぬが。しかし、それは吉田がやつたことで、國民には何の關係もない。少くとも、私には關係ない。こんなことを言つたら話にならぬと呆れられるであらうか。 ドイツ人は、ヒットラーは、ドイツ人であるのに、自分達とは何の關係もない奴で、その行爲には自分達は一切責任はないといつて澄してゐる。賠償したりなど金は出してゐるが、責任を感じてではなく、ドイツ人として被害者の苦境を見るに忍びないから金位は出さうと言つてゐるだけである。 これが通るのなら、同じ論法で、吉田茂が何を認めようが、あんな非國民のしたことは俺には関係ない、といつても通りさうである。 しかし、そんなことが言ひたいのではなかつた。言ひたいのは、軍部が獨走して泥沼にはまつたのではあるが、國民も支持しての戰爭であつたと云ふことである。ドイツの樣に熱狂的に支持はしなかつたし、批判もあつたらうが、大多數の國民はやむを得ない戰爭として協力したのではなかつたか。 戰犯をスケープゴートにして自分達は關係ないとドイツ人は澄してゐる。そんな見苦しい眞似を日本人はしてはいけない。 大日本帝國憲法の失敗-内閣と統帥權 (H21.5.2) 戰前の日本は立憲君主制であつたが、天皇は形式的に裁可するのみで、臣下の決定を許否することはあり得ず、内閣が政治を行ふ體制であつた。當然、統帥權も内閣が持つてゐた筈である。ところがいつの間にか内閣から軍を獨立させてしまつたことが大きな過誤であつた。 しかも、内閣は責任を果せなければ罷免出來たが、軍人は、役人と同じで、一旦採用したら罷免も出來ない。癌細胞の樣に獨立してしまひ、國家内に別の國家が出來た樣なことになつてしまつた。 大日本帝國憲法は、天皇が黒田清隆首相に手渡すという欽定憲法の形で発布されたといふこともあつてか、天皇が大權を有してゐたことが強調され、天皇親政で民主的ではなかつたとされてゐる樣である。しかし、實際は國務は大臣に任されてゐた。また、立法は、貴族院は別として、公選された議員からなる議會の權限であつた。今日の體制と殆ど變らない。 第一條で天皇が統治するとあるが、第四條では、統治は憲法の條規に依り行ふとあり、天皇も憲法に從ふべきことが明記されてゐる。 第五條では、「帝國議会の協賛を以つて立法權を行ふ」とある。「立法權を行ふ」とは、少くとも今日では理解しにくい表現である。その前に「協賛」といふのも分りにくいが、協力するといふことであらうか。要は、議会に法律を作らせるといふことである。議會の議員は、少くとも衆議院は、天皇が指名した者ではなく國民の選擧で選ばれた者であるから、これを以つて民主制と言はなければ、何が民主制なのであらうか。 第六條には天皇が法律を裁可するとあるが、これが形式に過ぎぬことは、第八條を見れば明らかである。すなはち、緊急時には天皇が法律に代はる敕令を發することが出來るが、次の會期には議會に提出する必要があり、またそこで承認されない場合は失效するとある。また、第九條にも天皇が法律を変更できないことが明記されてゐる。 帝国議会については第三章第三十三條から第五十四條までと多くの條項がある。第三十五條には衆議院は公選された議員で組織されるとある。すなはち、民主制である。第三十八條では、法律案は政府または議員が提出すると規定されてゐる。「政府」といふ言葉は第八條で敕令が失效した場合にその事を公布する主體として初出する。ここで使はれるのが二囘目であるが、後の方にも何度か出てくる。定義ははつきりしないが、天皇のもとで政治を行ふ主體として使はれてゐる。 行政に關しては規定が少い。政府といふ言葉は頻出するが、その内容は何も書かれてゐない。恐らくそれを構成する者といふ事であらうが、第五十五條に國務大臣が天皇を輔弼するとあるだけである。しかし、凡ての法律等には國務大臣の副署が必要とあり、ここにも天皇が勝手にはできない體制であることが表はれてゐる。 氣になるのは、總理大臣の名前も權限も出てこないことである。そもそも、天皇の統治は立前に過ぎないのであり、實質は内閣が政権を持つ制度の筈である。内閣は天皇に對して責任を負ひ、また、内閣の權威を保證するのが天皇である。それなのに、内閣或は總理大臣の職務、權限が憲法に明確に規定されてゐない。國務大臣が天皇を補弼すると書けばそれで十分と制定當時の人達は考へたのであらうか。 確かに、本當に天皇親政なのであれば、國務大臣とか輔弼するとか書く必要はない。天皇が政府を直轄し役人を雇ふだけである。敢て書いたのは、國務大臣といふ制度を確立して權限を持たせるためである。輔弼といふのは控へめな表現にしただけのことであり、眞意は天皇に代つて政治を行ふといふことである。 内閣制度は憲法発布以前に発足しており、ここでは細部は書かなかつたのかもしれない。ひとつには、個人に權力が集中する樣な體制を避けたいといふ考へもあつたのかもしれない。内閣だけでなく、枢密院も含めた一種の合議制が頭の中にあつたのだらう。 さらに問題なのは第十一條(天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)と第十二條(天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム)である。何故こんな細かいところまで書き込む必要があつたのか分らぬ。これがこの憲法の出來の惡いところであり、後に統帥權干犯さわぎを引起すことになる。 軍を正當化するために、天皇の名前が必要だつたのであらうか。士族は自分達の権限を奪われたと僻み、平民はなんで兵隊に取られるのかと不滿だつたらうから、天皇の權威で抑へつけようとしたのかもしれない。 文字通りには天皇が軍を指揮するのであるが、この憲法の精神からすると、國務大臣は天皇を輔弼する義務と權限があるのであり、またそれは特定の分野に限定されてゐる譯ではないので、當然、統帥權に關しても輔弼しなければならないのである。すなはち、具體的な作戰などはともかく、軍を派遣するなどの統帥は國務大臣が行ふべきなのである。命令はすべて天皇の名で出されるが。 實際、日露戰爭の開戰は五人の閣僚と五人の元老が出席した御前會議で決定されてゐる。ところが、次第にすべてを軍が握る樣になつてしまふ。 それならば、天皇がそれを止めればよかつたのであるが、それは實際上出來ない相談であつたらう。天皇は臣下の決めたことを承認して權威を與へるだけで、それを否認することは全く想定されてゐなかつた。重要な問題の方針決定には御前會議が開かれたが、その場合でも、天皇が會議を主導することはなかつたのではないか。ポツダム宣言受諾のときには發言はあつたらしいが。 その上に、大臣なら簡単に辭めさせられるが、軍人は普通の官僚と同じで、氣に入らなくともおいそれとは辭めさせられない。かくして、軍部は國家内に國家を超える體制を作つてしまつた。 日本では、天皇親政は奈良時代までで、その後は傳統的に天皇は形式である。權力者の權威の裏付けとなるだけである。天皇に傷がついてはいけないので、政治など危ない世界からは離れてゐて戴かないと困るのである。 それにしても、ロンドン軍縮会議のとき、野黨政友會の犬養毅が政府攻撃のために統帥權干犯を言ひだしたといふ。こんな憲法をないがしろにした男が、今でも憲政の神樣などと言はれてゐるのだから出鱈目である。植民地化の恐怖に戰いてゐた幕末から明治には忠臣が現れたが、ちよつと危險が遠のくと、たちまち内輪もめに明け暮れして仕舞ふのが日本人である。 大日本帝國憲法(拔萃) (http //homepage3.nifty.com/constitution/materials/mken.html より) 第一章 天皇 第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス 第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス 第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ 第五條 天皇ハ帝國議會ノ協賛ヲ以テ立法權ヲ行フ 第六條 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス 第七條 天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス 第八條 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス 此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ 第九條 天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス 第十條 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ條項ニ依ル 第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム 第十三條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス 第十四條 天皇ハ戒嚴ヲ宣告ス 戒嚴ノ要件及效力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム 第十五條 天皇ハ爵位勳章及其ノ他ノ榮典ヲ授與ス 第十六條 天皇ハ大赦特赦減刑及復權ヲ命ス 第十七條 攝政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル 攝政ハ天皇ノ名ニ於テ大權ヲ行フ (中略) 第三章 帝國議會 第三十三條 帝國議會ハ貴族院衆議院ノ兩院ヲ以テ成立ス 第三十四條 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス 第三十五條 衆議院ハ選擧法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス 第三十六條 何人モ同時ニ兩議院ノ議員タルコトヲ得ス 第三十七條 凡テ法律ハ帝國議會ノ協賛ヲ經ルヲ要ス 第三十八條 兩議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決し及各〃法律案ヲ提出スルコトヲ得 (中略) 第四章 國務大臣及樞密顧問 第五十五條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス 第五十六條 樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ國務ヲ審議ス (後略) 東郷大將の覺悟 (H21.8.21) 東郷平八郎は、明治天皇に、來るべきロシアとの海戰について聞かれて、聯合艦隊の半分を沈められても必ず勝つと答へたといふ。もつとも、映画の中での描寫であるが。 しかし、この言葉は核心をついてゐる。「肉を切らせて骨を切る」といふ。「虎穴に入らずんば虎兒を得ず」といふ言葉もある。眞劍勝負においては、身の安全を圖ることは、勝ちを捨てることである。安全に勝てる樣なら勝負ではない。相手も必死で來る戰ひに無傷で勝たうといふのは甘い。 昭和の海軍は、大艦巨砲で勝たうといふ考へは兔も角、實戰においても安全第一で危險を冒すことがなかつた樣だ。唯一、田中少將といふ人が果敢に突撃したといふ話があるが。 日本海海戰で勝つた驕りか、大事なことを忘れてしまつてゐたのではないか。身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれである。 日本は謝つてはいけない (H21.12.31-H22.1.12, 1.15加筆) 日本は韓国や中國から謝れとよく言はれる。その度に慌てて遺憾の意を表明したりする。しかし、何かあるとまた同じことを言はれる。いくら謝つてもきりがない。何故か。 謝つたところで、過去が元に戻る譯ではないし、消える譯でもない。謝られた方の腹の蟲が収ることもない。つまり、謝ること自體、元々、なんの效果も持たぬのである。從つて、いくら繰返しても終らぬのである。 であるから、要求する方も、本當に謝つて欲しいのではなく、政治的な思惑があつて言つてゐるのであらう。一應さう思はれるが、政府の煽動に乘せられて、本氣になつてゐる人もゐるのかもしれない。 日本人にも、眞劍に反省すべきだといふ人がゐる。例へば戰爭で誰々が亡くなつたのかとか、事實を確認するのは意味のあることである。しかし、それを反省するといふのは抽象的な言葉に過ぎず、その後に何らかの行爲が伴つて初めて反省したことになるのではないか。反省して謝つても、これは意味のある行爲ではない。何か獻身的な行動を起す積りなのであらうか。さもなければ、輕々しく反省などと口にすべきではない。 それはともあれ、日本は謝るべきではない。謝るといふことは、眞面目にやつてゐなかつたことを認めることになるからである。結果はどうあれ、精一杯やつたことを主張しなければならない。さもないと、自分自身を否定することになる。 アメリカの潛水艦が日本の水産高校の船を沈没させたことがあつたが、艦長は決して謝らなかつた。過失が全くなかつたとは言へぬであらうが、歐米では、ここで謝つてはいけないのである。海軍の責任になるとかいふ以前に、艦長自身の存在を懸けて、自分が誠心誠意やつてゐたことを強調するしかないのである。 日本では、何かあつたら、兔に角、先ず謝ればよい。それにより相手との關係を圓滑にして、それから交渉する。互いに氣心が知れてゐるのである。基本的に、すべての人は眞面目に行動してゐる筈であるといふ前提に立つてゐる。 しかし、そんな甘い考へが通用するのは日本だけである。世界では、いろんな民族が混じりあひ、せめぎ合ひながら暮してゐる。隣人は何を考へてゐるのか分らないが、相手から見た自分もさうであるから、兔に角、他人に對して自分が眞つ當な人間であることを常に主張してゐないといけない。隣人については、逆に、常に疑ひ、監視し、點檢してゐないといけない。 日本人はさういふ經驗が全くない。外國人から輕くジャブを入れられただけで、さういふ言ひ難いことを言つて來るといふことは、本氣で毆りに來たのだと思つてしまふ。相手は、ちよつと樣子を見ただけなのに、日本人がすぐに恐縮して謝るので、面食らつてしまふ。それどころか、謝るといふことは、もともと自分達を騙さうとしてゐたからだと、怒り出してしまふ。 笑ひ話の樣であるが、經濟の世界で實際に見掛けることである。經濟關係では、後でよく説明するなどして誤解の解き樣もあるが、政治の世界になると、こじれた關係を修復するのは容易なことではない。最初に毅然たる態度を取ることが肝腎である。しかし、今からでも遲くはない、毅然たる態度により日本の誠意を示すしかない。 歐米諸國は、さんざん惡事を働いて來たのに、近代文明を傳へたとか、キリストの光明を與へたとか、逆に恩着せがましいことを嘯いてゐる。日本は、まさか、そんな厚かましいことは言はないが、ただ恐縮だけしてゐるのでは、歐米以上に惡いことになる。すなはち、惡いと分つてゐて惡事を働いたことになるからである。日本以外では、さういふ風に見られるのである。 歐米の場合、本當に良いと思つてやつたのではないことは明らかであるが、彼らはあくまで善意だつたと主張してゐる。日本もその眞似をしろと言ふのではない。ただ、歐米の植民地支配に抵抗すべく、正に窮鼠猫を咬む思ひで立上つたことに、一片の眞實はあつたことは言はねばならぬと思ふだけである。もともとそんな力も経験もなく、やり方が拙劣を極めたのであるが。 日本の抵抗もむなしく、ではなく、抵抗そのものが彼らの筋書に乘せられてゐるのであるが、結局、世界は歐米の世界制霸戰略通りに動いてゐる。近代化の名の下に歐米化がどんどん進行し、援助の名の下に經濟支配が浸透していく。 それに加へて、近年は、グローバリゼーションの名の下に英米化、すなはち、金融資本主義化が急速に進行しつつある。金融資本主義徒とは、選民は天國に行くが、金を儲けない奴は地獄に落ちるといふ強迫觀念である(イエスはあの世での救ひなど約束しなかつた。喩へとして口にしたまでである。ただ、囘心すればこの世が即天國になると言つただけである)。ぶつたくつた金は、浪費してはいけない。慈善事業に使ふか、再投資するかしないとやはり地獄に落ちる。かくして選民達は際限のない競爭にあけくれし、この世を地獄にしてゐる。 これに對して日本人は全く無抵抗である。それどころか、積極的に流れに乗らうとしてゐる。そして散々にやられてゐる。いくらやられても懲りない。懲りない筈で、やられたことにすら氣がつかない。 元々、日本人は金が大事だなどと思つてゐない。日々あくせく働いてゐても、腹の底では金にしがみつく自分を馬鹿にしてゐる。損をしてもまた稼げばいいと思つてゐる。 日本は積極的に歐米文化を取入れて來た。ことに最近はアメリカの要求は殆どすべて受入れ、永年の習慣も無理矢理變へられて來た。 それでも日本人の特性は、本人の自覺しないところで殘つてゐる。本居宣長が言ふ樣に、「道あるが故に道てふ言なく、道てふ言なけれど、道ありしなりけり」なのであらうか。 これからもこの「道」は殘つていくのか。アジアには謝り續け、歐米の戰略に對してはされるがままの無手勝流でも、この道がある限り、日本人は何とかなるのかもしれぬ。しかし、この道は本當にこれからも生き續けるであらうか。この道を生かし續けるものは何なのだらうか。 私は樂觀してゐない。杞憂かも知れぬ。杞憂であればいいと思つてはゐるが。 といふのは、例へば、言葉をおろそかにする風潮が益々盛んである。現代假名遣ひや常用漢字が定着してしまひ、怪しむ者は誰もゐない。カタカナ語を安易に使ふ。昔なら、漢字を使つて譯語を造つた筈である。漢字なら、初めて見ても何のことかある程度の見当はつく。カタカナ語では知らない人には全く分らない。つまり、隱語である。根本的に仲間内でしか通じない言葉である。人に分らせようといふ氣持がまずないのであらう。そんな志はないのである。 隱語といへば、最近の日本語はすべてさうである。仲間内でなんとなく分つた積りになつてゐるだけで、誰も本當の所を理解してゐない。例へば、民主主義といふ言葉がある。これは何の譯語なのか。monarchy の譯は君主制で、aristocracy は貴族制であるが、democracy だけは民主制でなく民主主義と譯して誰も怪しまぬ。そして、政治体制であるはずの民主主義を、生活全般にまで浸透させねばならぬと思ひ込んでゐる。 民主主義とか、自由とか、舶來の言葉、實は舶來ではなく日本人が譯語として発明した隱語なのであるが、これを絶對の眞理と信じて疑はぬ。歐米で近代以降流行つてゐるだけのものに過ぎないのであるが、歐米は絶對正しいと刷込まれてゐるのか、後生大事に祀つてゐる。 困るのは、民主とか自由とか進歩とか唱へてさへゐれば、自分は絶對に正しいから、必ず勝利すると信じてふんぞり返つてゐることである。中立だの公正だのと言つてゐるが、政治の世界は公正などあり得ない、自分の主義主張を鮮明にするしかない。結局、何も考へてゐないのである。新聞にしろ、學者先生にしろ、兩者から批判される政治家にしろ、その點では皆同じである。 昔は言靈のさきはふ國といはれてゐたが、いまや、自ら造つた言葉の呪力に痺れて身動き出來なくなつて仕舞つてゐる。 The Japanese - 階級のない民族 (H22.1.4, 2.28) テレビで偶々英會話の番組をちらつと見たら、日本人はお宮に參つた時にああする、かうするといふ類のことをやつてゐたが、英語で、 The Japanese と言つてゐた When the Japanese end a ceremony, they often clap their hands in a certain rhythm. 英語で the Japanese といふ表現は offensive と言はれてゐる。the をつけていふのは、Japanese とか Russians とかに限られる。例へば、the French などとは決して言はない。といふ樣な話を聞いたことがある。しかし、それはアメリカでのことだといふ。その番組に出てゐるのはイギリス人で、イギリスでは普通にさう言ふのだとのことであった。アメリカは人種も多様であるから多樣性を認めないと差別になるかもしれないが、イギリスではそんなことはないのだといふ。分つた樣な分らない話である。 多樣といふなら、イギリスも多樣である。上流、中流、下流と階級がはつきり分れてゐる。階級により、風俗習慣も異なる。それから見ると、日本人は階級がなく一樣であり、the Japanese と呼べる存在なのであらうか。そこまで日本のことを知つてゐるのか疑問であるが。 それがアメリカではなぜ offensive と言はれるか。アメリカでも階級ははつきりとある。筆頭はWASPと呼ばれるイギリス系である。階級は、いつも、人種と結びついてゐる。アメリカでもさうである。ただ、最近は、他の民族出身でも、WASPの傳統に從ひ忠誠を誓ふものは仲間入りを許されるのであるが。アメリカでは、多樣性を認めないことは、WASPの獨裁を主張することに繋ると取られるのであらう。 逆にイギリスでは何故構はないのか。イギリスでも元々は階級は民族と結びついてゐるが、同じヨーロッパ人と云ふことか、或は永い年月が經つてゐるせゐか、民族の對立はそれ程強調されない。支配側と支配される下層階級とが互ひに違ひを認め合ひ、適當に折合ひをつけてゐるので、特に多樣性を強調する必要がないといふことなのか。日本の樣な一體感に對して、憧れはしないが、それもひとつの行き方と、特に蔑視してゐる譯でもないよといふのであらう。 アメリカでは階級間の折合ひがついてゐない。そもそも、階級が定着してゐない。それで常に餘計な心配が必要である。階級社會といふ點では同じことであるが。 個人のレベルで云へば、人間は皆一樣ではない。そんなことは當り前で言ふまでもないが。 ところで、民主制と云つても、歐米では、あくまで階級を前提としたものである。さういふ枠がある。フランスなどは貴族をなくしてしまつたが、支配階級は儼然として殘つてゐる。枠のない日本に民主制などを導入するものだから、をかしなことになつてしまつた。社會の安定性と云ふものが全くない。常に不安な状態で人々が暮してゐる。 植民地日本 (H22.4.8-18) 日本は幕末から明治の植民地化の危機をなんとか逃れた。その後も、戰爭に負けはしたが、植民地にはなつてゐない。しかし、それはただ、搾取の仕方が、直接の政治的支配から經濟的、文化的支配に變つただけなのかもしれぬ。尤も、それも日本が激しく抵抗した所爲かもしれぬのであるが。 ともあれ、政治的な植民地化は免れた。しかし、精神的にはどうなのか。思ひつくままに書けば、裁判員制度なんて、英米に固有の制度である。ドイツ式(?)の博士號、例へば工學博士をやめて博士(工學)としてゐるが、これもアメリカの眞似である。近年は完全にアメリカの植民地である。脅されて眞似するのもあるが、むしろ、これが世界の進むべき方向だ、乘遲れてはいけないと、嬉々としてやつてゐる。文化的に征服されるた植民地にはかういふ輩が輩出するのか。抵抗する輩は、田中角栄などの樣に、アメリカに蹴落されることもあらうが。アメリカの犬になり切つた小泉などは長期安定するが。 日本語の文法も、ヨーロッパ語文法を無理矢理當てはめただけのものである。過去だの未來だのと、そんなものは日本語にはない。それを、「た」は過去の助動詞だといふ。過去を意味するのであれば、「明日は休みだつた」などと何故言ふのか。「た」は確かにさうだといふ氣持を表してゐる。確かなのは過去のことが多いから、ヨーロッパ語の過去形の飜譯に使はれるだけてある。 さういへば、支那語には時制はないといふ。朝鮮語には過去形があるといふが、本當だらうか。 問題なのは、植民地化の自覺がないことである。 大東亞戰爭後、歐米列強は、軍事力による支配はもはや得策ではないと覺る樣になり、その結果、より巧妙に、經濟的支配を狙ふことになつた。それは、同時に、文明の征服でもある。則ち、世界を西歐文明一色に塗りつぶすことである。西歐文明とは、キリスト敎文明であり、現世を否定し、この世を神の國にしようとする文明である。神の國とは、つまり、死んだ人達の國なのであるが。 その結果、人間は神の國を建設するための煉瓦の一個に過ぎなくなつた。目的のための道具に過ぎず、人生は生きるに値しないものに成下つた。もともと、この世には意味はなく、天國に入る資格を得るのが生きることの目的なのであるから、彼らにとつてはそれでいいのであらうが。 この樣な大きな流れの中に巻込まれてゐることを認識すると同時に、現實の國際政治では、歐米は、單に、己の利益を主張するだけであることも理解せねばならぬ。彼らはそれも大義名分のために必要なのだと牽強附會するのである。 そんな歐米に、少くとも支那だけは抵抗してゐる。朝鮮は、北朝鮮はそれなりに抵抗してはゐるが、韓國は分らぬ。 日本は、支那と米國といふ二大侵略國家に挾まれて、苦しくなる一方である。友愛などと念佛を唱へてゐても國際政治は動かない。核を持たないのなら、それに代る戰略を持たねば、潰されてしまふ。いや、今の世界では、潰されはしないが、巧妙に搾取され、奴隷化されるのである。 をかしな話であるが、現世利益にしか興味のない筈の日本人は現世にさへ執着せず、あの世での救ひしか眼中にない筈の歐米人は現世で生殘ることに熱中してゐる。日本人にとつて、この世は儚いものであり、懸命には生きるものの、どこか醒めた目で見てゐるところがある。歐米人は、地獄落ちの恐怖に戰いてはゐるが、先づはこの世で生延びることに執着する。彼らは、強い者が弱い者を皆殺しにする散々な世界に住んでゐる。そんな世界で、自分達の存在は永遠でなければならぬ。いつか消えてしまふものは、彼らにとつては存在ではない。 この存在についての考へ方はどこから來たものなのか。初めてこの考へに接した時、正直いつて全く理解出來なかつた。たとへ果敢なく消えても、その時に存在してゐたといふ事實は消えないではないか。なぜ永遠に續かなければ「存在」とは言へぬのか。 結局、自分達を記憶するものが全くゐなくなれば、かつて存在したといふ事實さへ消えたも同然といふことなのかと思つた。自分達が生殘り子孫を繁栄させないことには、いくら天國に行つても、祀つてくれる人がゐなくなる。自分が存在したことを記憶する人がゐなくなり、或はその記録を理解する人もゐなくなつてしまつたら、自分の存在は消え去つたも同然になつてしまふ。己が永遠に存在する爲には、己の子孫は永遠に續かなければならぬ。それならば、根本は、日本人の素朴な祖先崇拜と同じことになる。但し、永遠といふところを除けばであるが。 そんな「異敎」の信仰が根本にはあるかもしれぬが、そこに永遠といふ頑固な思想が入り込んだのは、弱肉強食の歴史を拔きにしては考へられぬ。日本人は將來の危險までは考へぬ。精々孫やひ孫までである。日本は依然としてひとり極樂に住んでをり、歐米は、そして支那も、相變らず弱肉強食の地獄で戰つてゐる。 歐米は、キリスト敎の衣を纏つてはゐるが、實質は徹底して現世のみの世界である。天國などといふ言葉はあるが、所詮、この世を自分達の天國にしようといふだけのことである。舊約の裁きの神に地獄に落されるのを心配しながらも、選民として世界を完全に支配しようと目論んでゐるのである。 自由、平等だとか、公正だとか言つてゐても、あくまで自分達の仲間内でのことであり、「異敎」の人間にはそんな恩惠に浴する權利はない。「異敎」の人間は、搾取と奴隸化の對象に過ぎず、それも、自分達の文明を世界に拡げるといふ使命の爲だとうそぶいてゐる。過去の植民地化を正當化した論法を未だに蹈襲してをり、反省する樣子など微塵もない。反省したら最後、地獄落ちが決定するとあつては、絶對にそんなことはあり得ないのである。 統帥權干犯 (H22.8.29) 統帥權干犯といふ言葉が昭和史に出てくる。立憲民政党内閣を攻撃するため、野黨立憲政友会の犬養毅が軍部に唆されて言ひはじめたとされてゐる。 確かに、明治憲法では軍の統帥は天皇が行ふとなつてゐる。 第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム 第十三條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス しかし、統治そのものがすべて天皇の権限なのである。 第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ 第十條 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス 但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各〃其ノ條項ニ依ル とはいへ、すべて、議会の協賛と國務各大臣の輔弼により行ふのである。 第五條 天皇ハ帝國議會ノ協賛ヲ以テ立法權ヲ行フ 第五十五條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス 第六十四條 國家ノ歳出歳入ハ毎年豫算ヲ以テ帝國議會ノ協賛ヲ經ヘシ 豫算ノ款項ニ超過シ又ハ豫算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ 後日帝國議會ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス つまり、實際は、國務大臣と議会が統治權を代行するである。勿論、天皇の名に於いてであるが。そこには軍の統帥は含まれぬとは書かれてゐない。軍費についても、國の豫算は議会で決めるのであるから(第六十四條)、當然、内閣が提案し議会の承認により決定すべきものである。 これに對して、統帥權については軍部が天皇を「輔翼」すると言つてゐた樣である。しかし、この樣な言葉も内容も憲法には出て來ない。軍はひたすら天皇の命令に從ふのみであり、その天皇を補弼するのは國務大臣であり、すなはち内閣である。 ただ、内閣總理大臣についての規定が何もなく、國務大臣の一人でしかなかつたのが拙かつた。それが昂じて、軍部が大臣を出さぬとか辞めるとか言つて内閣を脅かす樣なことにもなつた。もつとも、これも、内閣が勝手に指名すればよかつたのでないかと思ふが。 國務大臣の職務は第五十五條に規定されてゐるが、その選任方法は何も書かれてゐない。實際には、いはゆる元老などが協議して決めたのであらう。しかし、昭和になると元老は西園寺公望ひとりとなつてゐる。數が少いだけでなく、維新の激動を乘越えたといふ勳章もなく、威壓感が薄れたであらう。 元老たちによる支配が明治時代の特徴であつた。彼らがずつと居座つてゐて、首相を決め、また軍も統率してゐたので、國としての方針がぶれることが少なかつたのではないか。一種の貴族制であり、最も效率的な政治體制かもしれない。昭和になるとその體制が崩れ、安定した支配者がゐなくなつた。これが政治の亂れや軍部の横暴の元となつた。 今の世はどうか。議院内閣制といふことであるが、政權が安定せず、一貫した政策といふには程遠い、場當りの對應しか出來てゐない。そこで出て來るのが官僚なのであるが、それも何やら貧しい属吏ばかりの樣である。これでは本當にお先眞つ暗である。
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/93.html
永安王李孝基 りこうき ?-619 初唐の宗室・武将。李璋の子。李韶の弟。高祖の従兄弟にあたる。武徳元年(618)永安郡王に封ぜられ、陝州総管、鴻臚卿を歴任するも、罪によって官を剥奪された。武徳二年(619)劉武周に夏県の呂崇茂が呼応して夏県を占領すると、李孝基は行軍総管統帥となり、工部尚書独孤懐恩、内史侍郎唐倹、陝州總管于筠とともに夏城を攻略したが、尉遅敬徳が後詰として到着すると挟撃され、唐軍は大敗した。李孝基・于筠らは捕虜となり、李孝基は逃亡を企てて殺害された。晋陽平定後、死体を捜索するも見つからず、招魂して葬った。諡を壮という。子がなかったため、甥の李道立を後嗣とした。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 永安王孝基 『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 永安王孝基 外部リンク 維基百科 李孝基 (唐朝)(中文) 百度百科
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/2944.html
名稱:淵男建 伺服器及顏色:7服綠類型:武 性別:男 生命值:615 武力:43 智力:12 防禦:17 敏捷:44 運勢:23 敘述:高句麗人,淵蓋蘇文次子。唐高宗乾封元年(666年),與弟淵男產逐兄淵男生而自立為莫離支。總章元年(668年),唐朝聯合新羅的軍隊討伐高句 麗,大將薛仁貴率軍擊敗淵男建。淵男建逃回平壤。高麗王高藏命令淵男產率領首領九十八人持白旗向唐軍統帥李勣投降。但是淵男建拒絕投降,緊閉城門堅守,還 多次出兵向唐朝軍隊出擊,不過屢戰屢敗。後來他將一部份軍事任務交由僧人信誠,但信誠其實是淵男生派遣到淵男建身邊的間諜,在5日之後信誠大開城門讓唐朝 軍隊攻入焚城,淵男建企圖自殺但沒有成功。被俘虜之後隨高藏、同時被滅的百濟國王扶余豐等一同被獻俘於唐都長安太廟。唐高宗認為他是舉兵抗拒的元兇,下令 處死,後因淵男產的求情改判流放至黔州(今重慶市彭水縣)。淵男建死於流放地。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/213.html
大日本帝國 国旗 準国章 菊花紋章 標語 (なし) 公用語 日本語(事実上の公用語)朝鮮語、台湾語なども使われていた。 首都 東京 面積 675千km sup 2 /sup (昭和初期の領土) 人口 9770万人 (昭和10年国勢調査での領土内の人口) 政府 1889年以前は絶対君主制、1889年以降は立憲君主制。1930年代以降は軍国主義の傾向。 国家元首 明治天皇 → 大正天皇 → 昭和天皇 内閣総理大臣 内閣総理大臣の一覧を参照 通貨 円 国歌 君が代 大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、旧字体 大日本帝國)は、1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布時から1947年(昭和22年)日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が統治する日本が使用していた国号のひとつ。1868年(明治元年)の明治維新から1945年(昭和20年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦時までの日本そのものを指す事も多い。最盛時には現在の日本国の領土に加え、南樺太、千島列島、朝鮮半島、台湾などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。 以下は大日本帝国憲法下の国家について記述する。 国名 経緯 明治天皇は1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や大久保利通らの画策の元で王政復古を宣言。1889年(明治22年)2月11日には大日本帝国憲法(帝国憲法)が発布され、1890年(明治23年)11月29日、この憲法が施行されるにあたり大日本帝國という国名を称した。初め伊藤博文が明治天皇に提出した憲法案では日本帝國であったが、憲法案を審議する枢密院会議の席上、寺島宗則副議長が、皇室典範案に大日本とあるので文体を統一するために憲法も大日本に改めることを提案。これに対して憲法起草者の井上毅書記官長は、国名に大の字を冠するのは自ら尊大にするきらいがあり、内外に発表する憲法に大の字を書くべきでないとして反対した。結局、枢密院議長であった伊藤博文の裁定により大日本帝國に決められた枢密院会議筆記明治21年(1888年)6月18日午後。。 帝国憲法の半公式の英訳(伊東巳代治訳)では「the Empire of Japan」 と訳され、「大」の意味合いはなかった。当時は国名へのこだわりがなく、帝国憲法と同時に制定された皇室典範では日本帝國、大日本國と表記し、外交文書では日本、日本國とも称したし、国内向けの公文書でも同様であった。その後、世界情勢の悪化などにより国名への面子に対する拘りが表面化した1936年(昭和11年)、外務省は外交文書上「大日本帝國」に統一した。国号参照。 第二次世界大戦後、日本政府が1946年2月8日に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) に提出した憲法改正要綱では、国名を「大日本帝國」のままにしていたが、2月13日、GHQ/SCAPのホイットニーにより、憲法改正要綱の不受理通知とGHQ/SCAP草案が吉田茂外務大臣、松本烝治国務大臣らに手交され、その草案の仮訳からは国名が日本國となり、1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法施行により憲法上は日本國の名称が用いられることとなった。 通称 通称では帝国と呼び、また皇国とも称した。日本海海戦での「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」が有名。もちろん日本や日本国とも称された。 現在「帝国」の文字が公的機関に記されているのは東京都千代田区に所在する日本水準原点標庫のみである。民間では帝国データバンク、帝国劇場(通称「帝劇」)、帝国ホテル、帝国書院、帝国制帽、帝国石油のように、「帝国」を使用しているものもある。 2004年に東京地下鉄(東京メトロ)が運営を引き継いだかつての営団地下鉄も、運営者の正式名称は帝国の首都を意味する「帝都」を冠した帝都高速度交通営団であった。京王電鉄も同様に、社名変更前は「京王帝都電鉄」(京王電鉄と帝都電鉄が合併した名称)と「帝都」を冠し、警備会社ではテイケイが「帝国警備保障」を、帝人が「帝国人造絹糸」と「帝国」を冠していた。 国土 大日本帝国の国土は、完全な領有権を有する領土のほか、領土に準じる区域として、他国から借り受けた租借地、国際連盟に統治を委任された委任統治区域があった。このほか、行政権及び自国民への裁判権を有する一部統治区域があった。 首都 憲法や法令に首都の規定はないが、大正12年9月12日詔書で「東京ハ帝国ノ首都」とされている。東京は大日本帝国の首都として帝都と称され、宮城(きゅうじょう、皇居)が所在し、内閣、各省、枢密院、大審院が位置し、帝国議会が開かれ、戦時には大本営が置かれた。 東京以外の首都機能としては、天皇の所在を示す高御座が京都御所に安置され、即位の礼や大嘗祭が行われていたことから、京都市がその一部を担っていたといえる。また広島は、日清戦争中に天皇の行在所や大本営が置かれ、帝国議会が開かれたので、臨時の首都を務めたとも言える。なお、大東亜戦争で本土決戦になる場合は天皇と大本営を長野県松代町の地下壕に移す予定であったが、本土決戦が行われることなく終戦したため実現しなかった。 領土 領土は完全な領有権を有する区域であり、内地、樺太(後に内地に編入)、台湾、朝鮮からなる。このほか一時遼東半島を領土としたことがあった。各領土の来歴は下記のとおり。領土面積は最大675千km2。各領土の概要は下記のとおり。 内地 日本列島及び周辺の島嶼からなり、現在の日本国の領土とほぼ一致する。内地の来歴は以下のとおり。 本州・九州・四国:日本の古来からの領土(東北地方は平安時代以降)。古事記は淡路、対馬、壱岐、隠岐、佐渡と合わせて大八島と呼ぶ。 北海道:中世以来徐々に統治権を及ぼす(参照:和人地)。1855年の日本国魯西亜国通好条約(安政元年12月21日締結)により択捉島と得撫島の間に国境を確定。 沖縄:日清両属の琉球王国だったが、1872年、第一次琉球処分により琉球藩を設置して琉球国王を藩王とし(明治5年(1872年)9月14日詔勅)、領土であることを確認(公文録明治5年外務省付録)。 千島:1875年千島樺太交換条約(明治8年太政官布告第164号)により得撫島以北の18島を領土に加える。 小笠原:1876年、官吏を派遣し実効統治する旨を各国に通知し、領土として確定(明治9年10月17日小笠原島ニ関スル在本邦各国使臣宛文書)。 このほか以下の島々を内地に編入した。 北大東島・南大東島:1885年調査隊を派遣し国標を建設。同年沖縄県編入(公文録明治18年内務省ノ部)。 硫黄島・北硫黄島・南硫黄島:1891年小笠原島庁の所轄とする(明治24年勅令第190号)。 南鳥島:1898年小笠原島庁の所管とする(明治31年(1898年)東京府告示第58号)。 魚釣島・久場島:1895年沖縄県の所管とし標杭建設を決定(明治28年内甲第2号閣議決定)。現在は尖閣諸島と呼ばれる。 沖大東島:1900年沖縄県に編入(明治33年沖縄県告示第95号)。 竹島:1905年島根県に編入(明治38年島根県告示第40号)。 中ノ鳥島:1908年小笠原島庁の所管とする(明治41年東京府告示第141号)。その後再発見できず、1946年水路図誌から削除。 沖ノ鳥島:1931年東京府小笠原支庁の管轄とする(昭和6年内務省告示第163号)。 樺太 日持上人が訪れるなど、古くは鎌倉時代から日本との関わりがあり、江戸時代は松前藩の陣屋やアイヌなどとの交易場所なども設けられていたが、樺太島仮規則などの不平等条約でロシアとの雑居地とされた後、1875年、千島樺太交換条約によりロシアに譲渡。1905年、日露戦争(樺太作戦)で占領し、同年のポーツマス条約(日露講和条約、明治38年勅令号外)により北緯50度以南を割譲させ回復。1943年内地に編入した(昭和18年法律第85号)。樺太庁を参照。 台湾 台湾本島と澎湖島を日清戦争で占領し、1895年、下関条約(日清講和条約、明治28年勅令号外)により、清国に割譲させて獲得。1938年、新南群島を台湾高雄市に編入した(昭和14年台湾総督府令第31号、台湾総督府告示第122号)。日本統治時代 (台湾)の項を参照。 遼東半島(奉天半島) 日清戦争で占領し、1895年、下関条約により清国に割譲させて獲得したが、三国干渉を受けて、同年中の奉天半島還付ニ関スル条約(明治28年勅令号外)により返還した。この間、ごく短期ではあるが、領土であった。 朝鮮 1910年、韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第3号)により領土に加え、(明治43年勅令第318号)により朝鮮に改称した。日本統治時代の朝鮮の項を参照。 租借地 租借地は領土とは異なり、潜在主権を租貸国が有し、租借期限があり、また在来の住民に日本国籍が与えられない。中国から関東州と一時膠州(青島)を租借した。 関東州 遼東半島先端の大連・旅順近辺。ロシアの租借地だったが、日露戦争で占領。1905年、ポーツマス条約により清国の承諾を条件に租借権を譲り受け、日清間満洲ニ関スル条約(明治39年勅令号外)により清国の承諾を得て租借した。租借期限は1923年までだったが、1915年、南満洲及東部内蒙古ニ関スル条約(大正4年条約第3号)により1997年まで延長(ポツダム宣言受諾により1945年に失効)。 膠州 山東半島南岸の青島近辺。ドイツの租借地だったが、第一次世界大戦で占領。1920年同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約(大正8年条約第1号)により租借地とするが、2年後の(大正11年条約第3号)により中華民国に返還。 委任統治区域 南洋群島 西太平洋赤道以北の広い範囲に散在する島々。ドイツ領であったが、第一次世界大戦で占領、1920年同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約(大正8年条約第1号)により、国際連盟の委任に基づき統治する委任統治区域とした。国際連盟脱退後も引き続き委任統治を行う。 一部統治区域 南満洲鉄道附属地(満鉄附属地) 南満洲鉄道(満鉄)の線路両側数十メートル程度の地帯、および駅周辺の市街地や鉱山などからなる。満鉄に関するロシアの権利を1905年のポーツマス条約で譲り受けた際に、その一部として鉄道附属地における行政権を獲得した。行政権のほか、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1937年、行政権を満洲国に移譲するとともに、治外法権を撤廃した(昭和12年条約第15号)。 租界 専管租界を1897年杭州と蘇州に、1898年天津に、1898年漢口に、1901年重慶に、それぞれ開設した。また、上海の共同租界に参加していた。北京には正式な租界ではないが、事実上の共同租界として機能した公使館区域があった。このほか沙市、福州、厦門に租界を設置する権限があったが設置しなかった。租界では行政権を行使するほか、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1943年、中華民国(汪兆銘政権)に対し租界を還付し治外法権を撤廃した(昭和18年条約第1号、同第2号)。 住民 大日本帝国の国籍を有する者を日本人又は帝国臣民といった。帝国憲法では日本臣民と呼ぶ。国籍の要件は国籍法(明治32年法律第66号)で規定された。下のいずれに属するかによって法制度上異なる取り扱いを受けることがあった。 国民 内地人 内地人とは戸籍法(明治31年法律第12号)の適用を受ける国民である。現在の日本国民にほぼ相当する。内地人には華族、士族、平民の別があり、華族は貴族院議員たる資格を有するなど特殊な地位にあったが、士族と平民の間に差異はなく、法的にも1914年(大正3年)に族籍記載が撤廃された。1947年の戸籍法改正により、これらの別は完全に消滅した。 樺太人 樺太人は樺太の在来住民であり、樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル件(明治40年法律第25号)などの法令では土人と呼ばれた。また樺太土人ともいう。樺太人は日本国籍を有しなかったという説(百瀬後掲書)もあるが、当時の憲法学書では日本国籍を有するものとしていた(美濃部後掲書)。樺太人のうち8割近くが樺太アイヌであり、他にニヴフ、ウィルタ(当時の通称はオロッコ族)などがいた。1932年、樺太アイヌが内地人になり(昭和7年勅令第373号)、他は1943年の樺太の内地編入(昭和18年法律第85号)の際に内地人になった。 台湾人 台湾人は台湾の在来住民である。本島人ともいう。1895年台湾割譲の際に日本国民になった。戸籍法の適用を受けず、民籍という籍を有した。本島人のうち9割が漢族、1割が高砂族である。行政上は日本国との平和条約の発効により日本国籍を喪失したものとして扱われたが、判例上は日本国と中華民国との間の平和条約の発効により日本国籍を喪失したとされている。 朝鮮人 朝鮮人は朝鮮の在来住民である。1910年の韓国併合の際に日本国民になった。戸籍法の適用を受けず、民籍という籍を有した。朝鮮人のうち旧大韓帝国の皇族は王公族、一部の両班や韓国併合に功績のあった者は朝鮮貴族に封じられた。これらの人々は1952年、日本国との平和条約の発効により日本国籍を喪失した。 国民以外 正式な領土とされなかった統治区域の在来住民は、日本国籍が与えられず、国民として扱われなかった。 国際連盟からの委任統治区域であった南洋群島の在来住民を島民といった。島民は国籍がなかった。島民の大部分はカナカ族であり、他にチャモロ族がいた。 租借地である関東州や満鉄附属地の在来住民は当初清国籍、後に中華民国籍を経て、1932年に満州国が建国されたあとは満洲国籍とみなされたただし満州国には国籍法が存在しなかったため、法的な「満州国民」は存在しなかった。満州国を参照のこと。。租界の在来住民は清国籍・中華民国籍とみなされた。これらの大部分は漢族である。 統治機構 大日本帝国は1890年帝国憲法施行に伴い立憲君主国家に移行した。帝国憲法上は国家元首である天皇が統治権全体を掌握する建前であったが(憲法第4条)、実質上は国家の各機関が権限を分掌していた。これは「統治構造の割拠性」といわれる(辻清明)。 内閣と宮中 統治権に関する天皇の権限は国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使された(憲法第55条)。内閣は国務大臣で組織され(内閣官制第1条)、帝国憲法上天皇大権とされた権限は原則として内閣の決定に基づいて行われた。 内閣総理大臣は国務大臣の首班であり、重要決定事項を天皇に報告し、その了解に基づいて行政を統制した(内閣官制第2条)。内閣総理大臣の選任方法については、明文の規定はなく、元老(のち重臣)とよばれる有力者たちが内閣総理大臣を選んだ。 天皇の実際の役割は、内閣の決定に従ってこれに形式的な裁可を与えて国家意思を確定することであった。ただし、天皇は単なる傀儡ではなく、当時のイギリス国王など他の立憲君主と同様、政治上の決定に関与していた(伊藤之雄)。天皇の側近には、侍従長や内大臣などがおり、特に内大臣は昭和期に天皇の政治秘書として活動した。その他、皇室の事務については宮内大臣が輔弼した。なお、内大臣と宮内大臣は国務大臣ではなく内閣に関与しない。 帝国議会と枢密院 立法権は、天皇が帝国議会の協賛(同意)に基づいて行った(憲法第5条)。帝国議会は貴族院・衆議院の二院制であり、貴族院は皇族華族と勅任議員(元官僚など)で組織され、衆議院は公選された議員から組織された(憲法第33 - 35条)。 帝国議会は法律の制定について協賛(同意)する権限を持った(憲法第37条)。国民の権利・義務に関わる事項は原則として法律によらなければ(すなわち帝国議会の同意がなければ)侵害されなかった(憲法第2章)。また、帝国議会は毎年の予算に対しても協賛権を持った(憲法第64条)。予算が不成立の場合は前年度の予算が施行されるが(憲法第71条)、前年度予算では行政が成り立たないため、帝国議会の予算審議が内閣の死命を制することとなり、これにより政党内閣への道が開かれた。ただし、他の立憲諸国と比較すれば、以下の点で議会の権限は弱かった。 政府は法律の定めのない事項につき独立命令により法規を定める権限を有した(憲法第9条)。 国際条約の締結に関して帝国議会の協賛は不要であった(憲法第12条)。 教育関係の規定は、国民の権利義務に関わる事項であっても、法律ではなく勅令で定められる慣習があり、帝国議会の協賛は不要であった。 皇室典範改正については帝国議会の協賛は不要であった(憲法第74条)。 憲法改正については帝国議会に発案権がなかった(憲法第73条)。 もっとも、これらの事項に関しても政府が自由に裁量できるものではなく、帝国議会の代わりに枢密院の審議を経る必要があった。枢密院は天皇の諮詢(相談)を受けて重要な国務を審議する機関にすぎないが(憲法第56条)、これらの事項に関して事実上の拒否権を有した。枢密院は行政への関与を禁じられたが(枢密院官制第8条)、しばしば政府に干渉した。 裁判所 司法権は天皇の委任により裁判所が行った(憲法第57条)。民事・刑事の裁判については、大審院を頂点とする通常裁判所が裁判したが(裁判所構成法)、欧州大陸型の司法制度に倣って、行政訴訟は特別の行政裁判所が扱った(憲法第61条、行政裁判法)。 陸海軍 陸海軍の統帥(憲法第10条)は国務大臣の輔弼の外に置かれ、統帥部が担当した(統帥権の独立)。統帥部は陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が並立し、戦時に両者は形だけ統合して大本営が置かれた。統帥部は内閣を経ないで天皇に決定を求める帷幄上奏権という特権を有した。陸軍大臣と海軍大臣は、国務大臣であるとともに統帥機関としての地位も有し、やはり帷幄上奏権を行使したほか、帷幄上奏を通じて統帥に関する勅令の決定を求め、これに副署する権限を有した。この勅令は総理大臣の副署を要しなかったが、1907年の公式令制定によって全ての勅令に総理大臣の副署が必要になると、勅令とは別に「軍令」という法形式を新設し(明治40年軍令第1号)、陸海軍大臣のみが副署する権限を保った。 この統帥権の独立によって陸海軍に対するシビリアンコントロール(文民統制)が機能せず、その結果軍部の独走を助長し、国内の混乱及び諸外国との軍事的衝突をいたずらに広める結果になったとする意見もある中曽根康弘、石原慎太郎共著『永遠なれ日本』(PHP研究所 2001年)p.115。 外地統治 内地以外の国土を総称して外地あるいは植民地などという。外地には朝鮮総督府、台湾総督府、樺太庁、関東庁、南洋庁といった官庁が置かれ、統治が委任された。これら外地官庁の要職は内地人で占められていた。外地官庁が定める法令は、法律に相当する規定であっても帝国議会の協賛を要しなかった。 Template Main? 国際連盟常任理事国 大日本帝国は1920年に発足した国際連盟の常任理事国であり、1933年3月27日(正式には1935年3月27日)に脱退するまで大きな役割を果たしてきた。 その他 台湾の領有により、日本最高峰は富士山から玉山(新高山)へと変わった。 第二次世界大戦中、軍部の使用に便を図るため、東京のタクシー会社は4社に統合させられた。これら4社大和自動車交通・日本交通・帝都自動車交通・国際自動車の各社名は、「大日本帝国」を分割したものに由来するといわれている。東京四社営業委員会を設立し、戦後も業界大手として営業し、タクシーチケット、タクシークーポンの共通化など連携した営業行動をとる。現在でも、東京四社営業委員会に属するタクシー会社4社の通称として「大日本帝国」と呼ぶことがある。 脚注 Template 脚注ヘルプ? Template Reflist? 参考文献 美濃部達吉著『憲法撮要』改訂第5版、有斐閣、1932年(復刻1999年) 百瀬孝著・伊藤隆監修『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』吉川弘文館、1990年 ジョン・トーランド著『大日本帝国の興亡』ハヤカワ文庫、毎日新聞社訳、1984年 関連項目 天皇 国体 天皇制 日本帝国主義 明治 大正 昭和 大日本帝国憲法 大日本帝国陸軍 大日本帝国海軍 軍服 (大日本帝国陸軍) 帝国 大東亜共栄圏 君主制 帝国議会 ポツダム宣言 日本国皇帝 統帥権 君主主権 植民地
https://w.atwiki.jp/kentaki_history/pages/18.html
苑禄財閥 苑禄財閥は主に金融業、サービス業で構成される。苑禄財閥を統括する不動産会社や銀行を中心としたグループ内の強力な資本関係があるわけではなく、苑禄財閥を起源とする独立会社の集合体である。苑禄財閥は「苑禄は苑禄家一個のものではなく、国家社会のための苑禄である」とする考えがある。この言葉は今でも引き継がれ、「苑禄は国家なり」として苑禄財閥が国家との結びつきが強いことでも知られている。現在、苑禄財閥の資本関係は希薄であるが、仮に一つの企業グループとみなした場合の総売上は約700兆円(2023年現在)に及ぶとされている。 沿革 2023年 夏 苑禄財閥として統合される。 創業以来今まで苑禄財閥統帥はM6氏となっている。 苑禄財閥の中枢 苑禄財閥の中枢とされる、苑禄UFK銀行(旧・苑禄銀行)・苑禄保険・苑禄不動産の3社をいわゆる 「苑禄財閥御三家」と呼ぶ。苑禄財閥の本社は苑禄市に置かれているが、各社の本社は都心近郊に 置かれていることが多い。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
https://w.atwiki.jp/fire_wiki/pages/106.html
Last up date 2010-02-14 17 11 06 (Sun) 任務 発展 安居楽業 / 順応民心 / 臨時徴収 / 百廃待興 / 政務勤労 / 商業貿易 / 官邸拡張 / 文明伝承 / 合縦連衡善隣友好 / 招賢納士 / 招兵買馬 / 兵強馬壮 / 盗賊征伐 / 知己知彼 / 難攻不落 / 千里沃野 / 略奪回避交通利便 / 開境拓土 / 烽火警訊 / 人口盛旺 / 衣食充足 / 声名鵲起 / 官爵加入 / 公輸墨子 / 戦への道奇珍異宝 / 入主州郡 / 戦場の小将 編集 日常 食君之禄 / 采食封邑 / 黄巾の乱 / 資源貢納 / 勤王部隊 / 宝玉貢納 / 駆回戦場 編集 名将 名将文欽 編集 史詩 御賜兵甲 / 犒賞三軍 / 貢献の売却 / 貢献の購入 / 失地回復 / 黄巾討伐物資献上 / 王城警護 / 宝玉献上 編集 戦場 編集 任務>発展>文明伝承 本城に知識人が訪れる機会は少なくなく、あなたは彼らの知識を発揮させる場として書院を建設するべきかもしれない。 彼らの研究は都市建築と軍事発展の役に立ち、あなたの覇業をより一層早く成就させることができるかもしれない。 技術の研究には大きな費用が必要だが、これにより後に半分の労力で倍の成果を挙げることができるだろう。 +データの編集について @wikiのプラグインはソート対応ではないためデータとデータの間に新規のデータを入れる場合、現状では直接編集しか出来ません。 お手数ですがデータの直接編集をされる方はコチラより編集してください。 直接編集の方法がわかりにくい方はそのままデータを追加していくかコメントにデータを残してくださると助かります。 任務 任務目標 報酬 備考 編集 兵糧 木材 石材 鉄材 声望 銭 その他 編集 書院の建設 書院を建設する 150 2500 1500 200 学者の図面1 編集 書院の昇級2 書院を2級に昇級する 300 5000 3000 400 編集 書院の昇級3 書院を3級に昇級する 1000 10000 5000 1000 編集 書院の昇級4 書院を4級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級5 書院を5級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級6 書院を6級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級7 書院を7級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級8 書院を8級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級9 書院を9級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 書院の昇級10 書院を10級に昇級する 2000 20000 10000 2000 編集 兵糧増産 兵糧増産を研究する 2000 編集 木材増産 木材増産を研究する 2400 編集 石材増産 石材増産を研究する 3000 編集 鉄材増産 鉄材増産を研究する 4000 編集 練兵技巧 練兵技巧を研究する 5000 編集 製造技術 製造技術を研究する 10000 編集 偵察技巧 偵察技巧を研究する 4000 編集 戦闘技巧 戦闘技巧を研究する 6000 編集 防御技巧 防御技巧を研究する 7000 編集 運送技術 運送技術を研究する 6000 編集 行軍技巧 行軍技巧を研究する 6000 編集 射出技巧 射出技巧を研究する 10000 編集 貯蔵技術 貯蔵技術を研究する 4000 編集 補給技巧 補給技巧を研究する 7200 編集 統帥能力 統帥能力を研究する 20000 編集 修復技術 修復技術を研究する 11000 編集 建築技術 建築技術を研究する 10000 編集 討伐技巧 討伐技巧を研究する 20000 編集 ▲ 名前