約 2,208 件
https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/33.html
256 :神も仏も名無しさん:2016/06/14(火) 02 20 18.96 ID 3zsGkbGZ 予告- 地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む) 【前回わたしは、――まあ君たちはまだその説法聞いてないだろうが――ガティーカーラ経における偉大な真理勝者、 カッサパ真理勝者の教えと、それからティローパの教えにおいて、その本質というものが同じであることを説きました。 これは昨日のね、講話の内容だが。今日は、ティローパ、ナローパの教えが、もともと天界の法則であるという話を したいと思います。】 ここで麻原が引用する輪廻転生談とは!? 【(尊師)それはやはりヴァジラヤーナがいいよ。 (質問者C)それによって多少、法的な問題が生じるとしてもですか。 (尊師)法的な問題というと? (質問者C)例えば損害賠償の請求を起こされると。】 ついにヴァジラヤーナ指令発動か!? 380 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23 13 27.65 ID NkkCJJ65 地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む) 【つまり君たちはこう言われるだろう、天界に行ったら。「なんだ、やっぱりあなた方はステージが低いから、そのような高い法則をグルは教えてくれなかったのか」と。 「これは明らかに、観念的なもののとらわれ方ではなく、法則を法則としてとらえ、そしてそれを原理的に理解する能力があるとするならば、理解できたはずじゃないか」と。 「ということはあなた方の蓄積というのは、単なる観念的善行なるがゆえに、それが崩壊したときに、この天界の生活というのは終わるね」と。「哀れだね」と。 わたしは仏典において、そのような特別な教えを随所に見受ける。そしてわたしはそれを解説なしに信徒や一般の人に提供すると。なぜ、そうするのかと。 それは、経典というものはもともとグルが〈かいけつする〉解説する、要するに教科書みたいなものであって、それを傲慢にも解脱していない者が読み、 わたしは理解したんだと考えることそのものが、もうすでにその人は魔境だからである。】 魔境は誰だろうね~w 381 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23 18 02.91 ID NkkCJJ65 地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む) 【そしてその経典の読み方が理解できたとき初めて、人智の進歩、つまり智慧の発達というものが生じるのである。 つまり本質的に、最後の救済は何かというと、ヴァジラヤーナしかないと。そのまさにヴァジラヤーナの教えの エッセンスが、イッリーサ輪廻転生談であるとわたしは考える。】 無差別テロの説明にはなってないね 382 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23 27 13.37 ID 9my26LEj 生長の家の教祖、オウム信者のブログ見てるw自分のブログで引用してた。 383 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23 31 01.57 ID NkkCJJ65 【もう一度この話の内容を追っかけてみよう。まず偉大な真理勝者サキャ神賢が、瞑想なさると。そしてこの世界のどこかで救済される 対象はいないだろうかと考えられると。そして、イッリーサのヴィジョンが現われると。で、救済が始まると。そこで、縁の最も深かった、 偉大な成就者であるマハー・モッガッラーナが空中を飛来し、そして彼のもとに行くと。そして彼は非常にケチであると。そのケチを、 ケチから解放させるために、――なぜケチから解放させる必要があるのかと。ここでまた一つ法則が出てくると。今生で貪り、聖者に 対して布施をしなかった者は地獄であるという教えがあるからだ。】 空中を飛来の段階で、おとぎ話だ、ファンタジーだって考えてる麻原信者いなかったっけ^^ 自分達は成就者である、聖者である、だから信者は我々に布施しなければ地獄に落ちる、と思い込まないとやっていけない精神状態に 本部支部担当者(特に道場長)は追い込まれてたねぇ 384 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00 01 13.84 ID J1WEcguE 【もともとミラレーパは、母親の願いによって呪詛し、そしていとこの子供を呪詛によって殺すというカルマを積んでいる。 そしてミラレーパは魔術師と呼ばれていたと。彼は、偉大なる成就の系譜であるマルパ、あるいはマルパの弟子たちから 非常に珍重されたと。なぜ珍重されたのか。それは相手、法則を邪魔する者たちを呪詛によって殺すことができたからである。】 オウムでも、魔術師の代わりに医者や科学者が重用されていたことは皆承知している事実ですね 【もしマルパの存在がなければミラレーパは、次の生も人間、そして低級霊域・動物へと落ちただろう。しかしマルパはミラレーパの カルマを、完全に奉仕、奉仕イコール苦行と。苦行にも二つあるわけだが、一つは相手に対して、つまり弟子に対して、弟子のカルマ を落とす、というだけではなく、それが結果的にはグルに、功徳として還元されると。あるいはグルの息子――息子というものは当然 血が半分入っているわけだが、その血が半分入ってるということは、それだけ霊性が高いと。そうすると、血統が一番いいんだという ことになるわけだが、本当に悟ったり解脱をしたりする者の息子というのは、特別な霊性を有してると。――それに対する奉仕という ものは、それだけで功徳になると。】 オウムのドクターやサイエンティスト達は、麻原の存在がなければ、他人を傷つけたり殺したりしなかったと思う オウム事件の被害者は、麻原の存在がなければ、被害に遇うことはなかったと思う オウム事件とは、加害者である弟子のカルマを落とし、(被害者である無関係の人々のカルマを落とし)、結果としてそれは解脱者である グルに功徳として還元されるという考え方かな、これは 【聖者が慈愛によって、あるいは哀れみによって何かをなした場合、そのすべては肯定される。そのすべては完全に聖者の功徳になると。 しかし凡夫が貪りによって、自分で働いて自分で貯めたお金、あるいは自分で働いて自分で貯めた財産、これに対して執着し、布施を しなかっただけで地獄へ至ると。これが法則である。】 凡夫は聖者に会ったら、一目散に逃げる必要がありそうだ 都知事も似たような意識だったのかもしれない 385 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00 18 07.71 ID J1WEcguE 【もしミラレーパが、自分の魔術師的な要素を、グル・マルパや、あるいはマルパの高弟のために使わなかったとするならば、 ミラレーパの偉大なる成就、偉大なる解脱・悟りというものは当然なかったであろう。ではなぜかと。それは観念を放棄して いるからである。つまりグルとの合一とは何かというと、自己の観念を完全に放棄し、そしてグルの指示どおり、――たとえ それが地獄への道であろうともだ――実践する、ということになる。】 二人の間に強い縁が成立していれば、高度な実践という理屈は理解できなくもない、と頭で考えるのはOKだと思うが 解脱していない者が「私は体験して理解している」と言うのは、やっぱり魔境でしょう 同じ説法でもこう言ってるし 【一番いけないのは、きれいごとを並べ、そして法則を実践させるために少し強く出られたら、すぐ恐れ、逃げるような弟子である。】 【・・・救済のためのいかなる手段を講じたとしても、相手が真理から離れないというね、自信と確信が生じた場合、グルは弟子に 対して、まあ俗にいうところのひどいことを行なう。つまりこの「ひどいことを行なわれる弟子」が一人前であると。】 教団出入りが多くても不問扱いされるサマナが居たような・・ 386 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00 27 02.18 ID J1WEcguE 【地獄も同じだ。肉体に対してものすごい苦しみが与えられると。苦しみによって憎しみが生じると。苦しみによって恐怖が生じると。 苦しみによって邪悪心が生じると。しかし、この憎しみの状態がもしグルが与えたものであるとするならば、必ず安らぎであるグルが途中で 現われ、そこから地獄の要素である憎しみや邪悪心といったものを取り除いてくれると。それによってそこから救済されるのである。 つまり、ここで重要になってくるのは、「縁」なのである。そしてミラレーパがまさに解脱できたというのは、グルに対する奉仕、そしてグルの 妻に対する奉仕、そしてグルの息子に対する奉仕という要素があったからである。】 事件=グルに対する奉仕 結果=弟子は地獄へ 救済=グルが地獄へ行き、縁によって彼らを救う 弟子に対してはこれを、被害者に対しては(過去の)逆縁の説法を適用して、疑念を払拭できる信者が、教学のできている信者となるんでしょう でも、それは盲信と言わざるを得ない 本当にそうなるのか、わかるレベルの神通を得た者はいないのだから 401 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 05 30.16 ID J1WEcguE 【例えばSがAに対して愛著を持ったと。Aが熱を出したと。Sも出したと。 まさにこれはグルと弟子の関係が成立していると。このように心の方向性というものは、まさにその魂との、身体の動作において、 言葉において、心においての形成要素によって結びつきが生じ、そしてそれによって輪廻転生を失敗したり、あるいはいったん高い 世界へ行ったとしても、そこから落ち、そして苦しみ続けなければならないのである。したがってミラレーパの呪詛による動物の殺生 や人の殺生というものは、逆にミラレーパの解脱を早めたということになる。】 オウム事件の加害者となった高弟にも当てはめることができる オウム事件の加害者達は、彼らの解脱を早めるために、オウム事件の実行を指示されたんだという理屈になる 加害者、特に死刑囚となった弟子達は、このような麻原の説法に触れていたにも関わらず、逮捕後の麻原の発言に戸惑ったのは当然 こういった説法におけるグルや仏陀と、様子が違うではないか我がグルは、とならない方がおかしいと思う 教団に居て誰しもが思うだろうこと、「この教団って誰も責任を取らないんだよな、取れないし」 しかし潜在意識では、尊師は絶対、尊師は壊れない、尊師はカルマを受けてくださる(という責任を取り方ができる)という認識がある その麻原が逮捕後から弟子が唖然とする態度を取り始め、最終的に廃人となったのは、ティローパのしたように、(弟子の)絶対の信を 確信しているとか、試すといった意味があったのか?それとも説法自体が知識と妄想の賜物で、現実を受け止められずに精神崩壊を 深めていったからなのか?詐病とか拘禁反応とか様々な言われ方をし、実の娘の見解も違っていたりした 精神状態をもって解脱者としてあり得ない、解脱者で無かった証拠という意見も根強くある 402 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 06 49.23 ID J1WEcguE 【しかし、ナーローパは、偉大なグル・ティローパの弟子であり、絶対の信を具足していたと。そしてティローパが囁くと。 「君は、カルマムドラーの実践をする必要があるね」と。「女を買ってきなさい」と。そして、ナーローパは十六歳の少女を 買ってくると。そしてカルマムドラーの、カルマムドラーという名の、性欲の行使を始めると。ところが、もともとその十六歳の 少女には神性、つまり神の性質が備わっていないわけだから、煩悩だけ増大し、そしてナーディーは詰まり、ナーローパは 苦しむと。そして、絶えず勃起し続けるようなね、状態が生じたと。それを二年、三年と放っておいて、ティローパはナローパ のところへ行くと。「なんだ、君は修行者なのに性欲の破戒をしてるのか」と。】 地下鉄サリン事件72日前から32日前まで、このような説法をした事実がある。 そもそも麻原の語る天の法則というのは正真正銘の真理なのか?仏典の随所に見受けるというが、仏教学者は皆魔境だと言う麻原に 魔境の要素は無かったのか? オウム事件は、ナチスのユダヤ人迫害や独裁政権の(軍部による)自国民に対する弾圧や海外テロ組織によるテロ活動に通じる部分も あるが、サリンテロの特殊性は、大義名分の無さや無差別の完全性が突き抜けている面にあると思う 経典に伝わる「グルと弟子」と「カルト教祖とその信者」の違いも検討しないといけない 麻原をチベット密教のグル方や世界的宗教の始祖方と同列に語って良いのかと 麻原は神秘的な霊性を示せたと同時に病理的な特性も随所に見受けられた 聖俗併せ持つという言葉で、麻原の実態を見極めようとしない態度は改めないと検証は始まらないだろう 403 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 10 30.45 ID nH5jIwIX 法則を無間地獄に落ちる悪業を積むことにしか使えない 哀れな魂 404 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 27 10.03 ID J1WEcguE 【ヴァジラヤーナが、なぜ結果の道であるといわれるのか。わたしたちが修行する目的は何かというと、苦しみの生をできるだけ短くし、 喜びの生を増大させると。そして苦しみの生にたとえ存在したとしても、そこでの苦しみを全く〈け、〉関知しないような心の完成、つまり 悟りへ至ると。そのための結果、結果を求めて行なう実践がヴァジラヤーナであり、蓄積によって最終的にその結果へ到達する道、 これが蓄積の道と呼ばれているヒナヤーナ、あるいはマハーヤーナの見解である。 例えば例を挙げよう。「殺生するなかれ」という教えがあったと。ここに毒蛇【どくじゃ】がいたと。目の前に、グルが歩いていたと。毒蛇は まさにグルをかもうとした瞬間、自分はそのグルの後ろにいて、その毒蛇を握りつぶし、殺してしまったと。】 アストラル以上で行なわれたことが、現象界で結果として起こるのだから、結果の世界より 原因の世界にアプローチできるなら、そうするだろうね 弟子もそれを可能とするために現象界で解脱、悟りを目指して修行に励むわけで 405 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 34 10.58 ID L67WaC8F せっかく説法を貼り付けても、その意味を知ろうとせず 逆に邪悪見解によって誤解し誤読し話をねじ曲げ私怨を晴らすネタにしかしていないと。 それは単なる悪業ですよ。 406 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 39 25.70 ID L67WaC8F 404 アストラル以上で行なわれたことが、現象界で結果として起こるのだから、結果の世界より 原因の世界にアプローチできるなら、そうするだろうね 弟子もそれを可能とするために現象界で解脱、悟りを目指して修行に励むわけで 貴方の語っている内容は、全て蓄積の道です。 貴方は説法を引用しているけど、経験が無いが故に引用した説法の意味を全く理解出来ていないのではないでしょうか? 407 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06 41 52.66 ID J1WEcguE 【ここでいろいろな検討がある。例えばグルも毒蛇にかまれるカルマがあったんだと見る見解が一つ。それから第二番目は、 結果的にこの毒蛇は殺されることによって大悪業を積まなくて済んだんだという考え方。第三番目は、自分は不殺生の戒を 破ったと考える考え方。第四番目は、そうではなく、グルに対して危害を加えるものを阻害したという、偉大な善業を〈積んだと、〉 積んだんだという考える考え方である。もちろん、この見解はヒナヤーナとマハーヤーナによって違うと。まずヒナヤーナに おいては、見ない。マハーヤーナにおいては、その毒蛇の身代わりに、かまれる身代わりに自分がなると。ヴァジラヤーナに おいては、それを引き裂いてしまうと。】 【これだけの違いがあると。ではなぜ、この三つは違いがあるのかというと、新しい縁を生じさせない、これがヒナヤーナであると。 大いなる功徳を積む、これがマハーヤーナであると。そうではなく、自分の修行もそうだが、対象の蛇に対しても哀れみを持ち、 そして悪業を積ませず、修行者である自分自身が、そこで相手の意識を蛇の身体からより高い身体へと移し変えるという強い 決意をもって生命を断つことができるとするならば、その蛇にとっては全く素晴らしい蛇の生だということができるし、また逆に それを達成できなくとも、修行者によって断たれたというカルマによって、逆縁で、近い将来において必ずその蛇は生まれ変わり、 そして修行に励むか、あるいは修行の阻害をするはずである。そして次の段階で、例えば修行に励めば問題ないが、修行の阻害 をする場合、その逆縁である対象をしっかり調御し、そして救済に導き入れると。これが殺生に対する見解であると。】 修行者に殺されて良かったね、というのが麻原信者の本音 神が神と戦ったり、神が神を滅ぼす話があるように、アストラル以上の殺生は現象界の殺生とは違う意味があるんだろう 麻原は神の化身だから、現象界で弟子に殺生という奉仕をさせ、弟子の解脱という結果を早く招くと同時に、被害者は将来修行者 になる縁が生じるんだと、これがオウムのヴァジラヤーナの考え方だった 408 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 07 09.05 ID J1WEcguE 【したがって、ラトナサンバヴァの法則として「盗め」という教えがあると。ここでその「『盗め』という教えがある」と言うと、単純に盗んでしまうが、 それではまずいと。やはり未来においてできるだけ、盗まれた人が法則に対して疑念を抱かないような盗み方をする必要があると。ここでいう 盗みとは、別の言い方をすれば「はぎ取る」と言った方がいいのかもしれない。これはまさに、先程の『イッリーサ輪廻転生談』の、イッリーサに 対する前生のマハー・モッガッラーナの対応と同じである。経典にはそのような形で、わたしたちに多くの示唆を与えてくれるのである。】 406 麻原の目にはどの経典にも五仏の法則の示唆があるように映っていたのかもしれない だから、ジャータカでいうならイッリーサでなくても、うさぎでも麻原はヴァジラヤーナの話として語ることもできただろう 麻原信者はこの説法で何の経典が引用されていたか誰も答えなかったが、あなたは何だと思った? 409 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 09 25.22 ID nH5jIwIX ヴァジラヤーナの表面を見て邪推することはいくらでもできるだろう それしか出来ない魂はそれだけの器 ヴァジラヤーナを理解できる魂というのは、霊的資質があって 以心伝心によって崇高さ、清らかさ、歓喜、こういった高い世界の情報を 読み取る事が出来る魂のこと メクラには無理、悪業積んで無間地獄に落ちたいなら お好きな様にどうぞ 私達はカルマを落としてもらって先に行きますんで 410 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 19 58.78 ID nH5jIwIX 理屈をこねる事が理解だと思ってるなら大間違いだ 理解できる魂は理解するがいい 411 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 21 49.47 ID TNEZaAEO 喜び多い生にしたいと。 たとえ他者を害しても、喜びの生にしたいと。 そうなると一発でアウト。 412 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 22 52.16 ID J1WEcguE オウムを勧めるということは、あなたは殺された方が良い、あなたは盗まれた方が良いと言ってるのと同じ あなたの生命も財産も奪うが、私はその奉仕によって早く解脱が得られるし、あなたも将来そういう聖者の 立場になれる修行の道に入っていけるんだよ、やっぱりこういうことになるよね 【邪淫はどうか。性的交わりをなすなと。これは確かに性的交わりをなさない神聖行、これを実践し、心も神聖天へ至るような状態で あるとするならば問題ない。しかし、ナーディー・プラーナ・ビンドゥの関係からいくならば、まさに交わり、そしてそれによってエネルギー を上昇させることができる、意識を高い世界へいざなうことができるとするならば、それは肯定さるべきであり、逆に、意識を下降する、 例えば疑念が生じたり、動物のカルマが生じたりするような交わりであるとするならば、それは否定さるべきである。】 麻原が選り好んだ、若く美しい女性はそれだけ引き上がる可能性が高かっただけ、若いのも美人なのも徳の現れなのだから と麻原信者は言えばいいのに・・黙るよね、いつも 413 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 26 15.41 ID TNEZaAEO もうひとつ。 出来るだけ苦しみの生を少なくしたいと。 だったら忍辱と、悪業をなさず、善業をなし 他を害さず、戒を守り、静かに瞑想修行。 これでいいじゃないかと。諸々の真理勝者方の教えであるとダンマパダにある。 414 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 43 42.07 ID TNEZaAEO すべての真理勝者方に帰依いたしますと。 素晴らしいじゃないですかと。 しかし、実践してないなら意味がない。 415 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 55 34.99 ID J1WEcguE 個の完成という目的において、性的交わりを含む修行は不要という結論が出ている 修行の完成に必要な材料はこの身体の中にすべて揃っているという悟りが既に説かれている 空性大楽の体験させるという相手の利益を与えるテクニックの一つとして有効な面はあるのかもしれないが それは尚更、若く美人を選り好むことの矛盾を浮き彫りにする気がする 要素として美と霊的素質のどちらが重要なのか、麻原は美を重視したことはよく言われているが 若くて美人であるにも関わらず、麻原が交わろうとしなかった、声も掛けなかった女性信者も居たのかどうかは 知る由も無いし、美人か微妙なのにダーキニーだった人もいなかったとは限らない 初期は手あたり次第、権力増加に伴って美人専門だったと思っているが、性タントラを取り入れてる段階で 解脱、悟りの世界に精通した他の行者の智慧には遠く及んでいないことは確実である 416 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 57 22.41 ID nH5jIwIX お前、映像編集のダーキニーに喧嘩売ってるのか 417 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07 58 59.99 ID nH5jIwIX メクラの俺様はわかってる君だな 418 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 08 16 59.50 ID J1WEcguE 413 説法の結論はこうなんだよ 【つまり結果の道とは何かというと、先程述べた、高い世界へ至る、低い世界を短く終わらせる、そして苦しみの生の中に自己を置いていても、 その苦しみに対して全く頓着しないような悟りの境地を貫達【完達?】するという、このような状態のものについては、すべてが肯定され、逆に、 低い世界へ長引くと、真理と巡り合う機会がなくなると、高い世界へ至ってもすぐ低い世界へ落ちると、あるいは喜びの世界にあったとしても、 そこに苦しみしかないと、このような状況をつくる状態というのは、逆に忌むべき状態である。したがって、結果の道から考えるならば、先程 述べたとおり、初めのシチュエーション、状態に至るものを善となし、そしてあとの状態に至るものを悪となすと。結論はこれだけだ。これは 言葉のカルマ、妄語・綺語・悪口・両舌についても同じことがいえるし、心において貪・瞋・癡も同じことがいえる。】 カルトは、自分のみが真理を実践する正しい集団だと思うという問題がある 相対化によってオウムは真理にも非真理にも見える サリンを吸った人だけでなく、その身内も当然苦しむ、それだけのカルマを受けることで成立するヴァジラヤーナ 無限の光があればそれは可能かもしれないが、拘禁症状という精神崩壊の事実は、ヴァジラヤーナが成立して などいなかったこと、カルマを受けられる限界点があったことを意味している 矛盾を無視することは妄想を増大させる結果にしかならないことを忘れてはいけない 435 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 00 03.96 ID J1WEcguE 【(尊師)例えば、グルがある対象に対して、強い愛著をしたとしましょう。いいか。この愛著はいつでも解放されると、つまり切ることができるとした 場合、グルがその対象に愛著した、その愛著された対象は、それだけでエネルギーの上昇、意識の浄化が起きます。この場合、その愛著イコール 悪といえるかどうか、っていう問題だな。ヴァジラヤーナと、その他の〈違いの、〉ヤーナの違いは、例えば愛著してもいつでも切れる、邪悪心を生起 さしてもいつでも切れる、あるいは迷妄に没入しててもいつでもそっから脱出できると、この状態であって初めて、その三毒、心の三毒を使った救済 ができるということなんだ。 例えば悪業を積んでいる魂に対して、邪悪心の瞑想を行なったと。そうするとその対象は例えば呪詛によって死ぬかもしれない。で、死んだ場合、 それは罪になるのかと。ならないと。なぜかというと、その魂の下降するエネルギープラス、ま、かけ算になるのかなあ、足し算になるのか非常に 難しいわけだけど、プラス、グルの思念。これによってプラーナの流れは、下降が弱められたり、あるいは逆転して若干上昇したり、あるいは平行に なったりします。この場合その邪悪心は悪業と呼べんのかどうかと。その魂を救済したわけだから悪業ではないと。わかるか。】 麻原による救済を望む人に対して、いつでも切れる三毒を使う分には、理解できないことはない 麻原は、赤の他人を弟子の解脱の餌となってよい、苦しむことがわかっていても、縁が深くなって将来の修行に繋がるから良い、と考えていた訳だ 436 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 00 10.63 ID J1WEcguE 授記、ディクシャ、イニシエーション・・修行の本質が他力であることは事実 カルマを背負ってもらうという機会なく、魂は修行の道に入ったり、完達させることは不可能だと言われている 麻原流ヴァジラヤーナによって生命を絶たれることも、他力の強力な干渉、神の計画なのかもしれない しかし、それが正当であったという証拠は何も無い、麻原が聖者であった証拠、神通力者であった証拠、解脱者であり悟りを得ていた証拠、麻原は 証明できる機会が十分にあったが、試みることさえせず、ただ沈黙や不規則発言をするに留まった 威勢が良いのは信者に囲まれて法を説く時だけ、いつでも切れる筈の愛着はどこへ行ったのか、逮捕されたのは横たわることがやっとの隠し部屋 の中からだった、960万を抱えて見つからないように息を潜めていなければならない教祖について、そのカルマについてどう考えれば良い? それも受けたカルマが現象化したと考えるのだろうか? 437 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 26 18.81 ID al12gx6q 960万、剥ぎ取ったぞ! 438 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 46 49.62 ID J1WEcguE 【もう一度最後に復習しようね。ヴァジラヤーナとは結果の道であると。・・例えばここに大工さんがいたと。この大工 さんは、もう体で家を造ることを憶えてると。・・完全な家を造ると。これはヴァジラヤーナが成就した形であるという ことができると。・・大工の新人は、まず木の削り方から憶えていくと。これはまさにヒナヤーナの実践であると。・・ そこで、ヨーイドンとスタートしたと。一方は・・まあ二週間ぐらいでいいよ、で、だいたい三十坪ぐらいの家をどんと 建ててしまったと。・・もう一方は、・・つまり砂利と砂の混ぜ方からやっていると。この差がまさに、ヴァジラヤーナ とヒナヤーナの違いであるということができると。】 【・・例えば戒律というのは、その鉋の削り方についての議論であるということができると。・・しかしプロは例えば、 この条件においては、その削り方じゃなくて、別の削り方でいいんだとわかってると。しかし、ど素人が例えば家を建て る場合には、その原則、与えられた削り方でやっていけば、時間はかかるが必ず建てます、この構成そのものがヒナ ヤーナの特徴なんだ。】 【・・例えばこの部屋を五度あっためなければなりません。・・いろり・・焚火・・石油ストーブ・・ガスストーブ・・ 電気ストーブ・・空気の循環等を利用した暖房機によって、あっためることもできるだろう。とにかく目的としては、 部屋をあっためればいい、・・そのベストの状態を絶えず直観的に選択できる道、これがヴァジラヤーナである。】 439 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 47 20.62 ID J1WEcguE 【ところがヒナヤーナの場合そうではなくて、その一つ確定させると。もうその一つで十分であると同時に、人間の寿命 は短いんだから、その一つを固めてしまえばいいんだと。そのためにはこれはやってはいけないよ、あれもやってはいけ ないよ、これもやってはいけないよという戒律がびしっと固定されると。】 【で、ヴァジラヤーナの目的は、先程言ったとおり、部屋をあっためること、解脱すること、同じように解脱すること、 悟ること、他の魂を高い世界へ生まれ変わらせること、他の魂を悟らせること、他の魂を解脱させること。これがポイント である。】 【自分自身が実践することは難しい。・・Nだな。それはその人が悟っていなきゃなんない、解脱してなきゃなんないと 言ったわけだけど、まさにそれはそのとおりである。しかしヴァジラヤーナもどきを実践することはできると。それは グルの言われたことを黙々とこなすと。】 【大工の頭領がいて、例えばここに一本の木があって、この木についてはこのような削り方をした方が一番早いんだという 教え、でそれに従って黙々とやると。ここで例えばヒナヤーナの謬見解があると、「いや、しかし師匠」と。「こういう 削り方はマイナスではないでしょうか」と考える。「マイナスではないでしょうか」と言ってしまうと。まあこれはまさに、 真理勝者サキャ神賢に対する説法みたいなもんだ。】 440 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 14 47 53.36 ID J1WEcguE 【だからここのところを君たちがしっかり記憶修習すれば、ヴァジラヤーナが最高の道であり、そしてそれはすべてを包含し 超越したものであることがわかるはずだ。】 意味が通じるぎりぎりまで削ったつもりだけど、指示に従っていれば君達は最も早く解脱できる、その方法を麻原は完全に 理解し憶えているのだからと、言っているんだと思う 極秘ワークに関わっていた信者の中には、こういう法を聞いて必ずサリンは撒かれることになると奮い立っていた人もいた だろう、またグルの意思に従う過程がヴァジラヤーナであって、本当に撒くとは思っていなかったり、撒くとしても他カルト やオウムの敵に対してだろうと思っていた人も居たかもしれない、サリンが実際は無差別で地下鉄に撒かれることになると この段階で予想していた信者は居なかっただろう。(リムジン謀議は3月18)
https://w.atwiki.jp/yamatoimo/pages/18.html
概要 聖なる神を救世主とし、闇なる魔王を悪とする宗教『神魔信仰(カル・ムーシェ)』における地上世界のこと。直訳すると「涙の溜桶」であり、神話『殻のおくるみ、金の種』が由来になっている。 “魔素”という物質を媒体とした【魔法術】が存在する世界で、人間や動植物以外に魔物や亜人といった人ならざる者が存在する世界でもある。 ⚫︎こぼれ話 本来であれば溜桶(あるいは器)を表す言葉は“リューム”が正しいのだが、当時古文書の翻訳を担当していた学者の一人が誤って翻訳してしまいこの言葉が使われるようになった。なお、語感や響きの良さから長い間気付かれずそのまま定着してしまった模様。 神魔信仰(カル・ムーシェ) 守護たる神を信仰の対象とし、相反する存在である魔王を悪の象徴とする宗教。その両者の間には魔を討つ者として“勇者”が存在し、彼らは神からの使者として古くから英雄視されてきた。 名前の由来は、始まりの女神『カルナン』と終わりの魔王『ムーシェルエルム』より。 魔王の定義は地域によって様々で、人間の仇敵であったり、悪へと堕ちたかつての神であったり、あるいは闇に属する魔の者達を統率する帝王だったりと必ずしも特定の存在を指しているわけではない。 また、神話『殻のおくるみ、金の種』にもあるように本来魔王は悪の象徴ではなかったのだが、時代を経るごとにその関係が歪められいつしか経典にまで“討つべき悪”と定義されるようになった。 ⌘ 神話『殻のおくるみ、金の種』 古くから言い伝えられてきた神話の一つ。神魔信仰の起源とされており、世界の創造について記されている。絵画や御伽草子の題材にされたりと、多くの人々から愛されている物語でもある。 + 〔内容抜粋〕 何もない世界に、どこからともなく卵が転がり落ちた。 その卵から孵ったのは小さな赤ん坊の女神、彼女が泣くとその涙は種子となって世話役を生み出した。 余った涙は植物の種になり、次々に芽吹いていった。泣き声に合わせて草木は伸び、世界はあっという間に緑豊かな草原になった。 やがて世話役達は、幼い女神のために様々な玩具を創っていった。 魔物や動物、魚や爬虫類。 さらに世話役達は一匹の魔物を摘み上げると、女神の話し相手として彼女と同じ姿に作り変えた。姿を変えたその魔物は、魔物の長ということで“魔王”と呼ばれた。 女神と魔王は仲睦まじく、特に魔王は女神のことを妹として慈しんだ。だが、女神は魔王にすっかり頼りきりになり、気付けば自らが果たすべき役目すら彼に任せるようになった。 そのことに頭を痛めた世話役達は、苦肉の策としてある呪いをかけた状態で魔王を地上へと追放した。その呪いは『定期的に卵に戻る呪い』、永遠だった世界に終わりが生まれた瞬間だった。 しかし、ここである誤算があった。女神が魔王に世界の統率者たる証を手渡してしまっていたのだ。 証を取り込んだまま卵に戻ってしまったため、魔王は世界の理の一部になってしまった。理たる魔王を滅ぼせば共に世界も滅び、魔王が永遠を生きれば呪いの暴走によって世界が終わる。そのことを知った女神は世話役達を責め立てたが、自分こそが元凶だったことを知り逆に己の甘さと怠惰を恥じた。 後悔するも、時すでに遅し。 そんな中、自らを責める女神の姿に責任を感じた世話役の一人が人間として地上に降り魔王の守役になると名乗り出た。彼は女神から加護を受ける代わりに、定期的に訪れる魔王の終末を見届けるよう命を受けた。 そうして地上へと降り立った世話役とその一族は人間として暮らす中で様々な精霊や魔物と交わり、彼らの子孫は“種族”として多様な文化を育んでいった。 《神話『殻のおくるみと金の種』より》 国 ⚫︎ルフティーニの兄弟国 イゾラシア:【隔離】の国 パクト:【盟約】の国 フーゼ:【融和」の国 オーブスロック;【拒絶】の国 ⚫︎東の国 世界の果てにあると言われている極東の島国。国名は不明だが商人や錬金術師達には馴染みが深いようで、“彼の国”と言えば大体伝わるらしい。 時折、港の市場に渡来品が流れてくる他、かの大測量士『イノー・タカタカ』に感銘を受けた情報局員が同じ方法でイゾラシアの地図を制作したとの噂がある。 用語 準備中
https://w.atwiki.jp/karasama/pages/80.html
- 『anan』№1622 「最新版血液型スーパーBOOK」という特集 「血液文化人類学/古今東西・血の文化講座<入門編>」を唐沢俊一が担当 【妖怪(血を吸う)】 日本には多くの妖怪やもののけが存在しますが、実は人の生き血を吸うものはいません。 唯一、山の中で木こりを誘い込み、脳天を割って血をすする土蜘蛛の話があるくらい。 確かに日本の妖怪の中で血を吸うものは少ないように思う。 しかし、「磯女」がいるではないか。 海辺を通りかかる者の血を吸い取って海の中に引きずり込んでしまうという妖怪である。 「血を吸う妖怪」としては、土蜘蛛よりもメジャーな気もするのだが…。 「唯一」だなんてわざわざ書かなければよかったのに。 【血にまつわる慣用句】 「血気盛ん」「血の気が多い」など、日本には血にまつわるいろいろな慣用句がありますが、 これらはほとんど中国から伝来したもの。 なぜ「血にまつわるいろいろな慣用句」から、わざわざ上の2つを選んだのだろう。 「血気」も「血の気」も同じ意味ではないか。goo辞書から引用。 ちのけ 0 【血の気】 (1)血の通っているようす。血色(けつしよく)。 「―が失せる」「―のない顔」「―が戻る」 (2)物事に激しやすい気質。興奮しやすい心意気。血気(けつき)。 「―の多い若者」。 これでは「血(の)気にまつわる慣用句」の例にはなっても、「血にまつわる慣用句」の例としては 適切ではない。大陸から伝来した血にまつわる慣用句ならば、他にもたとえば「血で血を洗う」 (「以血濯血」。出典は『新唐書源休伝』)というのがあるのだから、「血気」以外の「血」にまつわる 慣用句を紹介したほうがよかったのではないか。 文章に説得力を持たせることにもう少し心を配ったほうがいいと思う。 なお、血にまつわる慣用句として、「血は水よりも濃い」というのがあるが、これは西洋から 伝来したもの(“Blood is thicker than water.”)。 まあ、唐沢は妖怪のときと違って「ほとんど」と書いているから間違いとは言えないがw 上の唐沢の文章はこのように続く。 【血気盛ん】 中国の医学では、血は気とともに人の体の中を流れるエネルギーのひとつと捉えられています。 例えば、血の気は多ければいいわけではなく、エネルギーが一か所にとどまって溜まりすぎても 人間の体に不調をきたすと考えられています。 似たような言葉で、「血眼」は目にエネルギーが集まりすぎている様子をいいます。 このように日本には血を穢れとする一方で、血=エネルギーという捉え方も昔から混在しているのです。 「血気盛ん」や「血の気が多い」と「血眼」が似たような言葉だろうか? と思うし、 文章のつながりが若干ぎこちない(「似たような言葉で」が出てくるのが唐突)。 それに「血眼」というのは「血走った眼」のことを見たまま表現しているのであって、 「血(の)気」や血がエネルギーであるかどうかはあまり関係ないような気がする。 結局、血をエネルギーと捉える考え方が中国から伝わってきたという話を 強引にしようとしたために文章に無理が生じたということなんだろうか。 最後。 【血は穢れ】 古代人は血こそが生命や心の本体で、体はその入れ物と考えていた。 でも日本では血=死、すなわち穢れと結びつきます。 神道では、生理中の女性が鳥居をくぐることを禁じました。 この違いは、牧畜文化の有無によると考えられます。 食料は神によってもたらされるものと信じられていた古代、 牧畜が盛んな地域では血は聖なるものとされた一方、家畜を食べない日本では、 血を神聖視する信仰が根づかなかったわけです。 日本において血=穢れとする考え方が生まれ定着した事については、 血盆経という中国で編まれた仏教の経典が大きく影響していると言われる。 また、『古事記』では月経は不浄なものとして扱われていない。 したがって、血=穢れとする考え方が日本独自のものであるとすること、 また、日本に牧畜文化がなかったために血=穢れのイメージが生まれた ということは難しいと言わざるを得ない。 血=穢れとする考え方は大陸から伝来した宗教・思想(仏教や陰陽道など)の 影響によって定着したものと思われる。 検証blog
https://w.atwiki.jp/elenai/pages/84.html
~見習いの書・見習い冒険者の章~ 加護を受けられる装備は自分のクラス用のみ ページ 難度 対象LV エリア 対象モンスター 加護 冒険の第一歩 ☆2 05~06 アテーリア草原東 クリムスラブ L07/08ローズン L07/09/12 ファイター ブラスソード アルダーシールドウィザード アルダースタッフクレリック アルダーメイスシーフ アンティニーダガーガーディアン 衛兵の槍アサシン 暗殺団の爪(右)ビショップ 曹長教本ウォーロック まじないのワンドマジックナイト スチールエストックモンク 曹長のグローブ(右)ドラグバスター 衛兵の魔導銃ドラグランサー 槍兵の長槍ドラグセイバー 軽装兵竜刀(右) オーグル殲滅作戦 ☆3 08~09 アテーリア草原東 オーグル L09/10/12ハイオーグル L09/10/12 ファイター アイアンソードウィザード コーディアスタッフクレリック コーディアメイスシーフ リングダガーガーディアン フリップハルバードアサシン 黒塗りの暗器(右)ビショップ 皮表紙の古書ウォーロック 従者のワンドマジックナイト サイドワインダーモンク クンフーフィスト(右)ドラグバスター ビーストバスタードラグランサー ファイターランスドラグセイバー ブロンズククリ(右) 枯れた花 ☆2 12~13パ-ティ向け アテーリア草原東 セアンベルーヌ L10 ファイター ショートソード モレイラシールドウィザード オークスタッフクレリック オークメイスシーフ アイアンダガーガーディアン 漁師の槍アサシン スチールクロー(右)ビショップ 分厚い経典ウォーロック シーダーワンドマジックナイト 衛兵のフルーレモンク アイアンナックル(右)ドラグバスター アイアンバスタードラグランサー アイアンランスドラグセイバー アイアンククリ(右)全職 レザーチュニック スラプヨン大量発生! ☆2 15~17 エルロンド地下水路 ブルウジェリー L08プルージェリー L08プヨプリリン L09ブルウプリリン L10プループリリン L10グリンジェリー L13ゼレンジェリー L15※ブルウプリリン L10は水路に2匹しか居ない為、証取得が困難 ファイター 錆びた戦士の剣ウィザード 見習術師の杖クレリック 見習神官の棍棒シーフ 錆びたシーフダガーガーディアン 鉄のグレイブアサシン 鷹の爪(右)ビショップ 市販の歴史書ウォーロック アルダーワンドマジックナイト 鋼鉄のレイピアモンク 拳士のグローブ(右)ドラグバスター ショックバスタードラグランサー ヘビーランスドラグセイバー アイアンククリ(右) 脱獄計画を阻止せよ!! ☆3 15~18 アテーリア東兵舎跡 獄囚オーグル L13獄囚ハイオーグル L15獄囚レラオーグ L17 エルロンド旧式上衣 廃滅の兵舎跡 ☆4 15~18パ-ティ向け アテーリア東兵舎跡 バリエリーアイ L12/14レッシュアイ L12/14レードルシュカル L11/13煙霞のシュカル L11/13/15ホルツシュカル L16/18バダルシュカル L16/18ミスブローアイ L15/16/18ティラリーアイ L15/18 エルロンド旧式下衣 肥大化ウモー ☆2 16~18 エルロンド地下水路 ビーモ L14フラビーモ L14グリースビーモ L15フィラスビーモ L16 エルロンド兵装(下) 扮装カロック ☆3 17~20パ-ティ向け アテーリア東兵舎跡 カロック L10ドリーカロック L15トイスカロック L16フォラグカロック L18 エルロンド旧式帽 溢れ出した魔力 ☆2 18~20 エルロンド地下水路 バーミアイ L13クリムゾンアイ L14スカレットアイ L17ブロッソアイ L18ストームシューデル L18 エルロンド兵装(上) オルーグニックを討て! ☆7 20~23パ-ティ向け アテーリア草原東 オルーグニック L15 [BOSS] ファイター 戦士の片手剣ウィザード 術師の杖クレリック 術師の棍棒シーフ 盗賊の短剣ガーディアン 鉄のグレイブアサシン 鷹の爪(右)ビショップ 市販の歴史書ウォーロック アルダーワンドマジックナイト 鋼鉄のレイピアモンク 拳士のグローブ(右)ドラグバスター ショックバスタードラグランサー ヘビーランスドラグセイバー 蜂刺のククリ(右)全職 ハードレザーチュニック ハードレザーレギング 遺忘のエルロンド兵 ☆6 22~25パ-ティ向け エルロンド地下水路 スリールシュカル L08ホーミングシュカル L09エアルシュカル L10レイバシュカル L13シュカルソードマン L14酔狂のシュカル L18遺忘衛士 L18 [BOSS] ファイター グローヴィソードウィザード グローヴィスタッフクレリック グローヴィメイスシーフ グローヴィダガーガーディアン 錆びたトライデントアサシン 血塗れの爪(右)ビショップ 偉人の日記ウォーロック 闇精霊のワンドマジックナイト 騎士のフルーレモンク 激震のグローブ(右)ドラグバスター ペインバスタードラグランサー ペインインペイルドラグセイバー マーダーククリ(右) 久遠の幽閉者 ☆7 22~25パ-ティ向け アテーリア東兵舎跡 ペトラロングヌス L18 [BOSS] ファイター 見習戦士鉢金ウィザード 見習術師帽クレリック 見習神官帽シーフ 見習盗賊帽ガーディアン 戦士鉢金アサシン 見習盗賊帽ビショップ 見習神官帽ウォーロック 見習術師帽マジックナイト 見習戦士鉢金モンク 見習神官帽ドラグバスター 見習術師帽ドラグランサー 見習戦士鉢金ドラグセイバー 見習盗賊帽
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/30.html
■長部経典 第22経 「 大念処経 」 この経典は、中部経典 第 10 経 「 念処経 」 と、ほとんど同じ内容なのです。 唯一異なるのが、下記の 四聖諦の説明部分で、中部経典よりも詳細な説明になっています。 ですから、中部経典 第 10 経 「 念処経 」 に、下記の 四聖諦の説明部分を差し替えたものが、 長部経典 第22経 「 大念処経 」 なのだと理解してください。 ★部分訳 諦の部 15 さらにまた、比丘たちよ、比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住みます。 では、比丘たちよ、どのようにして比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住むのか。 比丘たちよ、ここに比丘は、 〈 これが苦である 〉と如実に知ります。 〈 これが苦の生起である 〉と如実に知ります。 〈 これが苦の滅尽である 〉と如実に知ります。 〈 これが苦の滅尽にいたる行道である 〉と如実に知ります。 (苦諦の解説) 16 では、比丘たちよ、「苦という聖なる真理」とは何か。 生まれは苦です。 老いも苦です。 死も苦です。 愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みも苦です。 愛さない者たちと結ばれることも苦です。 愛する者たちと結ばれないことも苦です。 求めて得られないことも苦です。 要するに五取蘊は苦です。 17 では、比丘たちよ、「生まれ」とは何か。 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類における生まれ・誕生・入胎・発生・諸蘊の出現・諸処の獲得です。 比丘たちよ、これが生まれと言われます。 18 また、比丘たちよ、「老い」とは何か。 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類における老・老衰・歯の欠落・白髪の生え・皺の寄り・寿命の減少・諸器官の老熟ですす。 比丘たちよ、これが老いと言われます。 19 また、比丘たちよ、「死」とは何か。 それぞれの生けるものたちの、それぞれの生けるものの類からの死去・死没・破壊・死死・命終・諸蘊の破壊・身体の放棄・命根の断絶です。 比丘たちよ、これが死と言われます。 20 また、比丘たちよ、「愁い」とは何か。 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、愁い・愁えること・愁える状態・内なる愁い・内に広がる愁いがあります。 比丘たちよ、これが愁いと言われます。 21 また、比丘たちよ、「悲しみ」とは何か。 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、嘆き・悲嘆・嘆くこと・悲嘆すること・嘆きの状態・悲嘆の状態があります。 比丘たちよ、これが悲しみと言われます。 22 また、比丘たちよ、「苦しみ」とは何か。 比丘たちよ、身の苦しみ、身の不快、身に触れて生じる苦しい不快の感受があります。 比丘たちよ、これが苦しみと言われます。 23 また、比丘たちよ、「憂い」とは何か。 比丘たちよ、心の苦しみ、心の不快、意に触れて生じる苦しい不快の感受があります。 比丘たちよ、これが憂いと言われます。 24 また、比丘たちよ、「悩み」とは何か。 比丘たちよ、ある何らかの災厄に伴われた者の、ある何らかの苦の法によって触れた者の、悩乱・悩み・悩乱の状態・悩みの状態があります。 比丘たちよ、これが悩みと言われます。 25 また、比丘たちよ、「愛さない者たちと結ばれる苦」とは何か。 ここに、かれに好ましくない、喜ばしくない、もろもろの色・声・香・味・触・法があり、あるいはまた、かれの利益を望まない、繁栄を望まない、安楽を望まない、安穏を望まない者たちがおり、それらとともに集合すること、出会うこと、結合すること、交際することがあります。 比丘たちよ、これが愛さない者たちと結ばれる苦と言われます。 26 また、「愛する者たちと結ばれない苦」とは何か。 ここに、かれに好ましい、楽しい、喜ばしい、もろもろの色・声・香・味・触・法があり、あるいはまた、かれの利益を望み、繁栄を望み、安楽を望み、安穏を望む母、あるいは父、あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは友人、あるいは知己、あるいは親族がおり、それらとともに集合しえないこと、出会えないこと、結合しえないこと、交際しえないことがあります。 比丘たちよ、これが愛する者たちと結ばれない苦と言われます。 27 また、比丘たちよ、「求めて得られない苦」とは何か。 比丘たちよ、生まれの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが生まれの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに生まれが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これが求めて得られない苦です。 比丘たちよ、老いの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが老いの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに老いが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 比丘たちよ、病いの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが病いの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに病いが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 比丘たちよ、死の法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが死の法の者でなければよいのに。ああ、われわれに死が来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 比丘たちよ、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みの法である生けるものたちに、つぎのような欲求が生じます。〈 ああ、われわれが愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みの法の者でなければよいのに。ああ、われわれに愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが来なければいいのに 〉と。しかしこれは欲求によって得ることができません。これも求めて得られない苦です。 28 また、比丘たちよ、「要するに五取蘊の苦」とは何か。すなわち、 色取蘊です。 受取蘊です。 想取蘊です。 行取蘊です。 識取蘊です。 比丘たちよ、これらが要するに五取蘊の苦です。 比丘たちよ、これが「苦という聖なる真理」と言われます。 (集諦の解説) 29 つぎに、比丘たちよ、「苦の生起という聖なる真理」とは何か。 これは再生を起こし、歓び貪りを伴い、ここかしこで歓喜する渇愛です。すなわち、 欲への渇愛、 生存への渇愛、 虚無への渇愛です。 では、比丘たちよ、この渇愛は、生じる場合はどこに生じ、とどまる場合はどこにとどまるのか。世界の愛しい色、喜ばしい色があります。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 では、世界の愛しい色、喜ばしい色とは何か。 眼は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 耳は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 鼻は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 舌は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 身は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 意は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの色は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの声は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの香は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの味は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 もろもろの法は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 眼の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 耳の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 鼻の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 舌の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 身の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 意の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 眼の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 耳の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 鼻の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 舌の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 身の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 意の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 眼の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 耳の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 鼻の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 舌の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 身の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 意の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 色に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 声に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 香に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 味に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 触に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 法に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 色に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 声に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 香に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 味に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 触に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 法に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 色に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 声に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 香に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 味に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 触に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 法に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 色に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 声に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 香に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 味に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 触に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 法に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 色に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 声に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 香に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 味に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 触に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 法に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、生じる場合はここに生じ、とどまる場合はここにとどまります。 比丘たちよ、これが「苦の生起という聖なる真理」と言われます。 (滅諦の解説) 30 つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽という聖なる真理」とは何か。 その渇愛の消滅による完全な滅尽・捨棄・破棄・解脱・無頓着です。 では、比丘たちよ、この渇愛は、捨断される場合はどで捨断され、滅尽する場合はどこで滅尽するのか。世界の愛しい色、喜ばしい色があります。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 では、世界の愛しい色、喜ばしい色とは何か。 眼は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 耳は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 鼻は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 舌は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 身は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 意は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの色は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの声は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの香は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの味は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 もろもろの法は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 眼の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 耳の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 鼻の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 舌の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 身の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 意の識は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 眼の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 耳の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 鼻の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 舌の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 身の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 意の接触は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 眼の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 耳の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 鼻の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 舌の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 身の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 意の接触から生じる感受は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 色に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 声に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 香に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 味に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 触に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 法に対する想は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 色に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 声に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 香に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 味に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 触に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 法に対する思は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 色に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 声に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 香に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 味に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 触に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 法に対する渇愛は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 色に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 声に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 香に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 味に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 触に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 法に対する大まかな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 色に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 声に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 香に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 味に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 触に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 法に対する細かな考察は世界の愛しい色、喜ばしい色です。この渇愛は、捨断される場合はここで捨断され、滅尽する場合はここで滅尽します。 比丘たちよ、これが「苦の滅尽という聖なる真理」と言われます。 (道諦の解説) 31 つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」とは何か。 これは聖なる八支の道です。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定です。 では、比丘たちよ、「正見」とは何か。 比丘たちよ、 苦についての智、 苦の生起についての智、 苦の滅尽についての智、 苦の滅尽にいたる行道についての智、 があります。 比丘たちよ、これが「正見」と言われます。 また、比丘たちよ、「正思惟」とは何か。 欲を離れた思惟、 怒りのない思惟、 害意のない思惟、 です。 比丘たちよ、これが「正思惟」と言われます。 また、比丘たちよ、「正語」とは何か。 妄語から離れること、 両切から離れること、 悪口から離れること、 綺語から離れること、 です。 比丘たちよ、これが「正語」と言われます。 また、比丘たちよ、「正業」とは何か。 殺生から離れること、 偸盗から離れること、 邪婬から離れること、 です。 比丘たちよ、これが「正業」と言われます。 また、比丘たちよ、「正命」とは何か。 比丘たちよ、ここに、聖なる弟子は邪な生活を捨て、正しい生活によって生活を営みます。 比丘たちよ、これが「正命」と言われます。 また、比丘たちよ、「正精進」とは何か。 比丘たちよ、ここに比丘は、 未だ生じていないもろもろの悪しき不善の法が生じないように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。 すでに生じているもろもろの悪しき不善の法が捨断されるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。 未だ生じていないもろもろの善の法が生じるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます。 すでに生じているもろもろの善の法が存続し、消失せず、増大し、拡大し、修習が成就するように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、努めます 比丘たちよ、これが「正精進」と言われます。 また、比丘たちよ、「正念」とは何か。 比丘たちよ、ここに比丘は、 身において身を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。 もろもろの受において受を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。 心において心を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。 もろもろの法において法を観つづけ、熱心に正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。 比丘たちよ、これが「正念」と言われます。 また、比丘たちよ、「正定」とは何か。 比丘たちよ、ここに比丘は、 もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離 から生じる喜びと楽のある、第一の禅に達して住みます。 大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じる喜びと楽のある、第二の禅に達して住みます。 喜びが消えていることから、平静にして、念をそなえ、正知をそなえて住み、楽を身体で感じ、聖者たちが『平静にして、念をそなえ、楽に住む』と語る、第三の禅に達して住みます。 楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに喜びと憂いが消滅していることから、苦もなく楽もない、平静による念の清浄のある、第四の禅に達して住みます。 比丘たちよ、これが「正定」と言われます。 比丘たちよ、これが「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」と言われます。 32 以上のように、 内のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。あるいは、 外のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。あるいは、 内と外のもろもろの法において、法を観つづけて住みます。 また、 もろもろの法において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、 もろもろの法において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、 もろもろの法において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。 そして、かれに〈 法がある 〉との念が現前します。それは他でもない、智のため念のためになります。かれは、世のいかなるものにも執着することがありません。 このようにまた、比丘たちよ、比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住むのです。 〈 部分訳は、ここまで 〉
https://w.atwiki.jp/21seiki-kyougaku/pages/17.html
【広宣流布】 1、以下の御文の空欄を埋めなさい。 「大願とは( A )なり」 「日蓮無くんば( B )は虚妄と成らん」 2、「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」との、末法に妙法が一閻浮提(全世界)に広まる(=広宣流布)ことを予言した釈尊の「未来記」は、法華経のどの経典に出てきますか。次のうちから選びなさい。 ア、法華経法師品第10 イ、法華経如来寿量品第16 ウ、法華経薬王品第23 3、「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」 ①この御文はどの御書のものか答えなさい。 ②「普賢」とは、どのような意味ですか。 【立正安国】 1、以下の御文の空欄を埋めなさい。 「汝早く信仰の寸心を改めて速に( A )の一善に帰せよ」 「汝須く( B )の安堵を思わば先ず( C )の静謐を祈らん者か」 2、日蓮大聖人が立正安国論を提出された、当時の実質的最高権力者の名前を答えなさい。 3、「立正安国」について ①「立正」とはどのような意味か簡潔に答えなさい。 ②「安国」とはどのような意味か簡潔に答えなさい。 4、大聖人が「立正安国論」を提出された意義について、災難と邪法邪義への信という観点から論述しなさい。 【信行学】 1、以下の御文の空欄を埋めなさい。 「一念三千も( A )の一字より起り三世の諸仏の成道も( A )の一字より起るなり、此の( A )の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり」 2、次の問いに答えなさい。 「( B )をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」 ①Bの空欄を埋めなさい。 ②この御文を訳しなさい。 3、「学」とは何か。端的に述べなさい。 【自行化他】 1、以下の文章の空欄を埋めなさい。 「行」の実践には、「 A 」と「 B 」があります。 「 A 」とは、自身が仏の教えの利益を受けるための修行のことです。そのなかでも、「 C 」のことを正行といい、「 D 」のことを助行といいます。 「 B 」とは、他者に仏の教えの利益を受けさせる行いをいい、具体的には仏法対話や弘教、学会活動など、広宣流布を推し進める諸活動にあたります。 その実践の方法として、「 E 」と「 F 」の二つがあります。 2、大聖人は、「邪智・謗法の者の多き時は( F )を前とす」と述べられています。それはなぜですか。その理由を端的に述べなさい。 【法華経】 1、以下の文章の空欄を埋めなさい。 ○3種の法華経とは( A )( B )( C )のことをいう。 ○法華経は( D )巻( E )品から成り立っている。 ○天台は、法華経28品のうち、序品第1から安楽行品第14までの前半14品を( F )、従地涌出品第15から普賢菩薩勧発品第28までの後半14品を( G )と位置づけている。 ○序品第1から見宝塔品第11の前半までは霊鷲山が説法の場となっているので「前霊鷲山会」、その宝塔品の後半から嘱累品第22までは虚空(空中)で説法されているので「虚空会」、最後に薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、再び霊鷲山が説法の舞台になっているので「後霊鷲山会」という。霊鷲山と虚空の2カ所で、説法の会座(場所)は3つに分かれているので( H )という。 ○経典を解釈する一つの手段として、経典の内容を序分(序論にあたる部分)、正宗分(本論にあたる部分)、流通分(経典の流通を勧める部分)の三つに分けることがる。これを「三分科」あるいは「三段」というが、日蓮大聖人は「観心本尊抄」で、この三段を五重に立てられ、法華経寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経こそが、一代聖教の肝心であることを明かされた。 2、正しいものを語群から選びなさい。また、文章の空欄を埋めなさい。 ①法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある」と説いている。 ②見宝塔品第11では、六難九易を説いて、滅後に法華経を受持し、弘めることが困難であることを強調している。 ③勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を弘める者には、3種の増上慢による迫害が盛んに起こることが示されている。3種の増上慢とは( I )( J )( K )のことをいう。 (三類の強敵、猶多怨嫉 況滅度後、六難九易) 3、次の問いに答えなさい。 ①法華経迹門の中心的法理を2つ述べなさい。 ②法華経本門の中心的法理を1つ述べなさい。 ③従地涌出品第15で、釈尊の滅後弘経の勧めに応じて、大地から涌き出た無数の菩薩のことを何というか。 ④以下の空欄を埋めなさい。 「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、( L )の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の( M )は人の振舞にて候けるぞ」 4、法華経の七譬のなかから2つ述べなさい 【五重の相対】 以下の文章の空欄を埋めなさい。 1、( A )相対とは、( B )と( C )を比較相対して、( B )がすぐれていることを明かすもの。 2、( D )と( E )を比較相対して、( D )のほうがすぐれていることを明かすのが( F )相対。 3、( G )と( H )(法華経)に立て分け、( H )がすぐれていることを明かすのが( I )相対。 4、( J )相対とは、法華経28品を前半14品の( K )と、後半14品の( L )に立て分けて、両者を比較相対し、( L )の教えが( K )の教えよりもすぐれていることを明かすもの。 5、( M )相対とは、釈尊の文上の本門( N )と、日蓮大聖人の文底独一本門( O )を相対したもの。 【悪と戦う】 1、広宣流布を進めていく中で必ず起るのが「魔」の存在です。次の御文はその様相を大聖人が記された御文です。空欄に適切な言葉を入れなさい。 ①「智者の身に入って善人をたぼらかすなり、法華経第5の巻に『( A )其の身に入る』と説かれて候は是なり」 ②「浄土と云ひ( B )と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」 2、悪と戦うことで己心の悪を克服してきたのが我ら学会の強さです。次の御文は悪と戦うことについて示された大切な御文です。空欄に適切な言葉を入れなさい。 「若し善比丘あって法を壊ぶる者を見て置いて( C )し( D )し( E )せずんば当に知るべし是の人は仏法の( F )なり」 3、民衆の幸福を思えばこそ、悪に対して徹底して戦う――これこそ大聖人の立正安国の精神であり、一切衆生を救わんとの大慈悲でした。あらゆる難を受けてこらえれた大聖人ですが、その難に対する姿勢について当てはまるものを次のうちから選びなさい。 a)「日蓮一度も退く心なし」 b)「我等はやはらかに法華経を弘むべし」 c)「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」 4、民衆救済の使命を自覚し、謗法の輩を破折する――その精神を今日の創価学会に残されたのが歴代の会長であり、特に初代会長・牧口先生は、国中が戦争を礼賛や国家権力から「神札を受ける」ことに断固反対され、謗法の対治を叫ばれました。牧口初代会長が叫ばれた指導について、次の空欄に入る語句を語群から選びなさい。 「一宗が滅びることではない、( G )が滅びることを嘆くのである。宗祖聖人の( H )を、恐れるのではある。いまこそ( I )の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」 (広宣流布・一門・・仏土・国家諌暁・立正安国・一国・お悲しみ・お怒り) 5、日顕が犯した大罪につい以下の問題に答えよ。 イ、以下の空欄に年月・適切な事柄を入れなさい。 日顕は( J )年( K )月、学会を切り捨てて会員信徒を宗門に隷属させる為に( L )を企て、当時法華講総講頭であった池田名誉会長を罷免した上、( M )年( N )月に学会に対して「破門通告書」と「解散勧告書」を一方的に突きつけて学会を潰そうとした。 6、次の御文は、大聖人が「血脈」について記された御文です。空欄に適切な語句を入れなさい。 「日本国の( O )に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」 「( P )は嫌うべからず 法華経を持たせ給う人は一切衆生の主とこそ仏は御らん候らめ」 「( Q )なくんば法華経を持つとも無益なり」 7、日興上人は「日興遺誡置文」の中で「仏法に背いた法主を用いてはならない」と戒めれています。その趣旨に当てはまる御文を書きなさい。(平仮名でも可) 8、学会に多大な恩受けたにも関らず己心の魔に破れ、学会を利用して裏切った者に対して仏法上では一番重い罪であると説かれていますがそれは「五逆罪」のうち何でしょう?また、御聖訓に照らせば次の御文に当てはまります。次の空欄を埋めなさい。 「過去現在の末法の( R )を軽賤する王臣万民始めは事なきやうに終にほろびざるは候はず」 【要文50選】 以下の御文の空欄に適切な言葉を入れなさい。 如かず彼の万祈を修せんよりは此の( )を禁ぜんには (立正安国論、24ページ) 国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず( )を祈らん者か (立正安国論、31ページ) ( )が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び( )のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし (開目抄、202ページ) 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をご(期)せよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の( )とならむ我日本の( )とならむ我日本の( )とならむ等とちかいし願やぶるべからず (開目抄、232ページ) 我並びに我が弟子・( )ありとも疑う心なくば自然に( )にいたるべし、( )なき事を疑はざれ( )ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし (開目抄、234ページ) ( )晴れぬれば( )明かなり( )を識る者は( )を得可きか (観心本尊抄、254ページ) ( )が慈悲曠大ならば( )は万年の外・未来までもなが(流布)るべし、日本国の( )の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の( )に及ばず (報恩抄、329ページ) ( )の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の( )によると見えたり、( )と云うも( )と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば( )と名けたり (一生成仏抄、384ページ) 須く心を一にして( )と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき (持妙法華問答抄、467ページ) 邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事を閣いて( )を責むべし是れ( )の修行なり (聖愚問答抄、494ページ) ( )を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで( )の金言をまほるべきなり (如説修行抄、502ページ) とてもかくても( )を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は( )になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって( )になるべきなり、何にとしても( )の種は( )より外になきなり (法華初心成仏抄、552ページ) 言と云うは( )の思いを響かして声を顕すを云うなり (三世諸仏総勘文教相廃立、563ページ) ( )とは師匠授くる所の妙法( )とは弟子受くる所の妙法( )とは師弟共に唱うる所の音声なり (御義口伝、748ページ) 一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ( )の苦なるべし (御義口伝、758ページ) ( )を滅するを( )と云い( )を生ずるを( )と云うなり (御義口伝、762ページ) 一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂( )は精進行なり (御義口伝、790ページ) ( )自ら弘まらず( )・( )を弘むる故に( )ともに尊し (百六箇抄、856ページ) 仮令強言なれども人をたすくれば実語・なん語(なんご)なるべし、設ひなん語なれども人を損ずるは妄語・強言なり、当世・学匠等の法門はなん語・実語と人人は思食したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる( )に背く故なるべし (善無畏三蔵抄、890ページ) よき( )をもつときんば( )・仏果にいたり・あしき( )をたくはひぬれば( )・地獄にをつといへり、( )相違せばなに事も成べからず (華果成就御書、900ページ) 各各我が( )となのらん人人は一人もをく(臆)しをもはるべからず (種種御振舞御書、910ページ) 悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は( )の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば( )が如し (佐渡御書、957ページ) 涅槃経に云く「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は( )の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに( )は疑いなかるべし (曾谷殿御返事、1056ページ) 此の法門を申すには必ず( )出来すべし( )競はずは( )と知るべからず、第五の巻に云く「解既に勤めぬれば( )紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば( )を修することを妨ぐ (兄弟抄、1087ページ) しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひ(境) には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず( )と申す障いできたれ( )はよろこび( )は退くこれなり (兵衛志殿御返事、1091ページ) 強盛の大信力をいだして( )の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や( )ゆへの名をや (四条金吾殿御返事、1118ページ) ( )は( )と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり (経王殿御返事、1124ページ) 何なる世の乱れにも各各をば( )・助け給へと湿れる( )より( )を出し乾ける( )より( )を儲けんが如く強盛に申すなり (呵責謗法滅罪抄、1132ページ) 一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の( )は( )にて候けるぞ (崇峻天皇御書、1174ページ) 過去現在の末法の( )を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず (聖人御難事、1190ページ) 各各( )を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、( )は百獣にをぢず・( )・又かくのごとし、彼等は野干のほう(吼)るなり( )が一門は師子の吼るなり (聖人御難事、1190ページ) なにの兵法よりも( )をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく( )をとり給へ、あへて( )にては叶うべからず (四条金吾殿御返事、1192ページ) 軍には( )を魂とす( )をく(臆)しぬれば歩兵( )なり (乙御前御消息、1219ページ) 第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・( )と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、( )其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、( )一度もしりぞく心なし (べん殿尼御前御書、1224ページ) 此の( )全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の( )を持ちて( )と唱うる胸中の肉団におはしますなり (日女御前御返事、1244ページ) ( )とばかり唱へて( )になるべき事尤も大切なり、( )の厚薄によるべきなり仏法の根本は( )を以て源とす (日女御前御返事、1244ページ) 御みやづかい(仕官)を( )とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆( )と相違背せず」とは此れなり (檀越某御返事、1295ページ) 末法に入って( )を持つ男女の・すがたより外には( )なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず( )と・となうるものは我が身( )にして我が身又( )なり (阿仏房御書、1304ページ) 総じて( )が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して( )にして( )と唱え奉る処を( )とは云うなり (生死一大事血脈抄、1337ページ) 日蓮一人はじめは( )と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ( )の時は日本一同に( )と唱へん事は大地を的とするなるべし (諸法実相抄、1360ページ) ( )の二道をはげみ候べし、( )た(絶)へなば( )はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、( )は( )よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし (諸法実相抄、1361ページ) 受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・( )を学し( )を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる( )なり (松野殿御返事、1386ページ) 僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は( )と見えたり (椎地四郎殿御書、1448ページ) ( )が一類は( )なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども( )にかつ事なし (異体同心事、1463ページ) 其の国の( )は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ (高橋殿御返事、1467ページ) 仏になるみちは( )にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつ(温)きつめ(寒)たきばかりの智慧だにも候ならば( )たいせち(大切)なり (三三蔵祈雨事、1468ページ)
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/743.html
アルシノエ1世プトレマイオス朝エジプト前305~前248?統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス2世の共同統治者。マケドニア王リュシマコスの娘。しかし、マケドニアから逃れてきたアルシノエ2世の讒言で、プトレマイオス2世の暗殺を企てたとしてコプトスに追放された。追放後も「ファラオの妻」として豪奢な生活を送った。 アルシノエ2世プトレマイオス朝エジプト前316~前260?統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス1世とベレニケ1世の長女。リュシマコスと結婚してマケドニアの女王となるが、異母弟のプトレマイオス・ケラウノスと対立してエジプトに逃れる。そこでアルシノエ1世に夫の暗殺疑惑で離婚させ、自らが弟のプトレマイオス2世と結婚して共同統治者となる。 アルシノエ3世プトレマイオス朝エジプト前246?~前204統率:C 武力:D 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス4世の共同統治者。プトレマイオス3世とベレニケ2世の子で、プトレマイオス4世の姉。第四次シリア戦争のラフィアの戦いにも兵を率いて戦った。腐敗した宮廷の改革にも取り組んだが逆に暗殺された。 プトレマイオス1世ソーテールプトレマイオス朝エジプト(生まれはマケドニア王国・ラゴス)前367~前282統率:A 武力:B 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス朝エジプト初代ファラオ。マケドニアの貴族ラゴスの子。アレクサンドロス3世の側近で、東方遠征に従軍する。アレクサンドロス3世の死後はディアドコイとしてエジプトを統治し、大王をミイラにして首都のアレクサンドリアに埋葬した。ムセイオンとアレクサンドリア図書館を建設した。 プトレマイオス2世ピラデルポスプトレマイオス朝エジプト前308~前246統率:C 武力:D 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス朝エジプト第2代ファラオ。プトレマイオス1世とベレニケ1世の子。積極的な外征を行い、エーゲ海の諸島、シリア、アフリカと領土を拡大した。中央集権の統制経済を行い、文化人を保護した。ヘブライ語の経典をギリシア語に翻訳させ、現存する最古の旧約聖書となった。『兄弟愛』と呼ばれた。 プトレマイオス3世エウエルゲテスプトレマイオス朝エジプト前284~前222統率:B 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス朝エジプト第3代ファラオ。プトレマイオス2世とアルシノエ1世の子。シリアに侵攻し(第三次シリア戦争)、アンティオキアを占領した。文化活動の保護、暦法の改革を行い、プトレマイオス朝の全盛時代を築いた。『恩恵王』と呼ばれる。 プトレマイオス4世フィロパトルプトレマイオス朝エジプト????~前205?統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス朝エジプト第4代ファラオ。プトレマイオス3世とベレニケ2世の子。第四次シリア戦争を戦い、ラフィアの戦いで勝利するが、活躍した現地エジプト人に配慮せざるを得なくなった。大酒飲みで放蕩生活を送り、宮廷は腐敗した。『愛父王』と呼ばれる。 ベレニケ1世プトレマイオス朝エジプト(生まれはマケドニア王国)前340~前268統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------マケドニア王国の貴族。プトレマイオス1世の妻エウリュディケの侍女だったが、後に目をかけられてプトレマイオス1世と結婚してエジプトの最初の女王(共同統治のファラオ)となる。 ベレニケ2世プトレマイオス朝エジプト前267?~前221統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------プトレマイオス3世の共同統治者。キュレネ王メガスの娘。夫のプトレマイオス3世がシリアに遠征する間、内政を預かった。また、夫が無事に帰ったなら美しい自分の髪をアフロディー手に捧げると誓って神殿に奉納した。翌朝、髪が無くなっていたため、宮廷天文学者コノンが星座になったとファラオに報告した。
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/2061.html
第14-45章.第14-46章.第14-47章. 第14-46章. ブラフマナは言った、「上記の方法で、自分の力の及ぶ限りこのように勉強し、同様にブラフマチャリンとして生活する者、自分の秩序の義務に専念し、学識に富み、懺悔を守り、すべての感覚を抑制し、戒師にとって好都合で有益なことに専念し、真理の義務の実践に着実で、常に純粋である者は、戒師の許可を得て、それを批判することなく自分の食物を食べるべきである。托鉢で得たものから作ったハビシャを食べ、(指示された通りに)立ち、座り、運動をすべきである。 身を清め、心を集中して、一日に二度、火に捧げ物をしなければならない。常にヴィルワかパラサで作った杖を持つこと。 再生者の衣は、麻、木綿、鹿の皮、または全体が茶褐色の布でなければならない。また、ムンジャ草で作られた帯が必要である。頭にはつや消しの髪を結い、毎日沐浴しなければならない。聖なる糸を持ち、経典を学び、貪欲さを捨て、誓いを着実に守る。また、清らかな水を神々に捧げ、その間に心を静めなければならない。そのようなブラフマーチャリンは喝采に値する。生命力を高め、心を集中させ、このように献身する者は、天を征服することに成功する。最高の座に到達した者は、生に戻る必要はない。あらゆる清めの儀式によって清められ、バラモンチャリンとして生きてきた者は、次に村を出て、次に(あらゆる執着を)捨てて森の中で修行者として生きるべきである。動物の皮や木の皮に身を包み、朝夕沐浴を行う。常に森の中で暮らし、人の住む場所に戻ってはならない。賓客が来れば敬い、庇護し、自分自身は果実や葉、一般的な根、そしてSyamakaで生計を立てるべきである。怠けることなく、手に入れた水と空気とすべての森の産物で生計を立てるべきである。彼は自分のイニシエーションの規則に従って、正当な順序で、これらによって生活すべきである。 自分のところに来る客人には、果物や根の施しで敬意を表するべきである。そして、怠けることなく、他のどんな食べ物でも常に与えるべきである。言論を慎み、神々や客人に感謝してから食べるべきである。その心は妬みから自由でなければならない。少ししか食べず、常に神々に頼るべきである。自制し、普遍的な慈悲を実践し、寛容の心を持ち、(理髪師の施術に従わずに)髭と髪の両方をつけるべきである。犠牲を捧げ、経典の研究に専念し、真理の義務を着実に守るべきである。 真理である。肉体は常に清らかな状態にあり、聡明さを備え、常に森に住み、精神を集中し、感覚を従わせ、こうして身を捧げる森の隠遁者は、天を征服するだろう。奴隷解放を達成したいと願う家来、バラモン、森の隠遁者は、最良の行いと呼ばれるものに頼るべきである。すべての生きとし生けるものに対して、害を一切与えないという誓約を与えた上で、あらゆる行為を徹底的に放棄すべきである。彼はすべての生き物の幸福に貢献し、普遍的な友愛を実践し、すべての感覚を支配し、無欲であるべきである。頼みもせず、苦労もせず、自然に手に入った食物を糧とし、火を焚くべきである。托鉢は、煙が立ちこめなくなり、住民全員がすでに食事を済ませた場所で行うべきである。 解脱に至る行いに通じている者は、(料理に使う)器を洗った後に施しを求めるべきである。何かを得ても決して喜んではならず、何も得られなくても決して落ち込んではならない。生活を支えるために必要なものだけを求め、心を集中して托鉢に励み、適切な時を待つべきである。他人と同じように収入を得てはならないし、名誉を与えられても食べてはならない。托鉢生活を送る者は、名誉ある贈り物を避けるために身を隠すべきである。食事の際には、他人の料理の残りや、苦いもの、渋いもの、刺激的なものを食べてはならない。また、甘味のあるものも食べてはならない。生きていくのに必要な量だけ食べるべきである。解脱に精通した者は、いかなる生き物をも妨げることなく、自分の生計を立てなければならない。托鉢の巡回では、決して他の者(同じ目的を持つ者)に従ってはならない。自分の敬虔さを誇示してはならない。情熱から解き放たれて、人里離れた場所を移動すべきである。空き家か、森か、木の麓か、川か、山の洞窟か、いずれかに身を寄せるべきである。夏には、人の住む場所で一晩だけ過ごすべきである。彼は虫のように世界を動き回り、その行く手は太陽が指し示す。生きとし生けるものへの慈しみから、大地に目を向けて歩くべきである。決して蓄財をしてはならず、友人との同居も避けるべきである。解脱に通じている者は、毎日すべての行いを清らかな水で行うべきである。そのような者は、常に(川や水槽から)汲んできた水で沐浴を行うべきである。 害を避けること、ブラフマーチャリヤ、真実、簡素、怒りからの解放、他人を非難しないこと、自制、僻みからの解放を習慣的に行うこと、これら8つの誓いを、感覚を抑えて、着実に行うべきである。欺くことなく、曲げることなく、常に罪のない行いを実践すべきである。執着から解き放たれ、客として来た者には常に (少なくとも)一切れの食物を食べさせる。生計のため、生命を維持するために必要な分だけ食べるべきである。正しい手段で得た食べ物だけを食べるべきであり、欲望の赴くままに食べてはならない。衣食住以外のものを受け入れてはならない。また、自分が食べられる分だけ受け取って、それ以上は受け取ってはならない。他人からの贈り物を受け取るように仕向けられることも、他人に贈り物をすることもあってはならない。被造物は無力であるため、知恵ある者は常に他者と分かち合うべきである。他人のものを横取りしてはならないし、頼まれもしないのに何かを取ってはならない。何かを楽しんだ後、それに執着してもう一度手に入れたいと望んではならない。土や水や小石や葉や花や果実は、誰の所有物でもない。人は職人の職業によって生きてはならず、金を欲しがってはならない。人は憎んではならないし、教えてはならない(教えられようとしない者)。信仰によって聖別されたものだけを食べるべきである。論争を避けるべきである。甘露と言われるような行いに従うべきである。何ものにも執着してはならず、いかなる被造物とも親密な関係を結んではならない。実りを期待したり、生命を破壊したり、富や物品を蓄えたりするような行為をしてはならないし、させるべきでもない。あらゆるものを拒絶し、わずかなもので満足し、動くもの、動かないものを問わず、すべての生き物に対して平等な振る舞いを求めて(ホームレスのように)さまよい歩くべきである。人は決して他の存在を困らせてはならない。すべての生き物に信頼される者は、「解放」を理解する者の最たる者と見なされる。人は過去のことを考えてはならないし、未来に不安を感じてもならない。集中した心で時を待ち、現在を無視すべきである。 目、心、言葉によって何ものをも汚してはならない。また、公然であれ秘密であれ、悪いことをしてはならない。亀が四肢を縮めるように、五感と精神を減衰させ、徹底的に平和的な理解を養い、あらゆるテーマを極めようとすること。すべての対の対立から解き放たれ、敬虔に頭を曲げることなく、スワハの発声を必要とする儀式を避け、無心とエゴイズムから解き放たれるべきである。魂を清め、持っていないものを得ようとせず、持っているものを守らなければならない。期待から解き放たれ、資質から解き放たれ、静寂に包まれ、あらゆる執着から解き放たれ、何ものにも依存してはならない。自分自身に執着し、すべてのトピックを理解することで、人は疑いなく解放される。手も足も背もなく、頭も胃もなく、あらゆる性質の作用から自由であり、絶対的で、汚れず、安定しており、匂いもなく、味もなく、触覚もなく、色もなく、音もなく、(綿密な研究によって)理解されるべきものであり、無執着であり、肉もなく、不安から自由であり、色あせず、神であり、最後に、家に住みながら 家に住みながら、すべての被造物に宿り、死を免れる。そこには、理解も、感覚も、神々も、ヴェーダも、犠牲も、(至福の)領域も、苦行も、誓いも、到達しない。知識を持つ者がそれに到達することは、象徴を理解することなしと言われる。それゆえ、象徴のないものの性質を知る者は、敬虔の真理を実践すべきである。1 学識ある者は、家庭生活に身を置き、真の知識に適合する行動をとるべきである。惑わされてはいないが、惑わされた者のやり方で信心を実践すべきである。善良な者の行いを咎めることなく、他の者が常に彼を軽んじるようになるような敬虔な行いを自ら行うべきである。そのような行いをする人は、無欲の最たるものであると言われる。感覚、感覚の対象、五大要素、心、理解、エゴイズム、無常、プルシャ、これらを正しい推論によって正しく理解した後、人はあらゆる束縛から解き放たれて天国に到達する。真理に通じている者は、人生の終わりにこれらを理解し、ただ一点に集中して瞑想すべきである。そうすれば、誰にも頼ることなく、人は「解放」に到達する。あらゆる執着から解き放たれ、宇宙の風のように、蓄積を使い果たし、いかなる苦悩もなく、彼は最高のゴールに到達する』」。 第14-45章.第14-46章.第14-47章.
https://w.atwiki.jp/soltlake/pages/178.html
マラベが授業中作った作品。 中身は多少なりと鴉天狗の影響を受けている。 ドス黒いカステラが流行しショッピングモールに大勢の人が押し寄せる70月のとある日。 メルシィは家の花壇に向かって味噌汁をぶち撒けると、満足そうに豆腐を花壇に植えた。 「嗚呼、そういえば今日は焼きそば記念日だということを忘れていたよ。こんなことをしている場合じゃないね。」 そう云うとメルシィは少し考えてから大急ぎで部屋に戻り執筆作業に取り掛かった。 「何だいクラックメイト。僕はおにぎりを買ってきてくれと頼んだのに君が買ってきたのはうどんじゃないか。バカじゃないのかい? これだからゆとり世代はダメなんだよ。(ずるずる)…うん。美味しいうどんだね、おかわりを頼むよ。」 そこまで書いたところで原稿用紙を窓から外に放り投げるとロベルトに電話をかけた。 「もしもし、ロベルトかい?今日連れてってほしいところがあるから車を出してもらえるかい?」 「やぁメルシィ、いいぜ、予定があるから今日は無理だが明日なら大丈夫だ。今からそっちに向かうからしばらく待っててくれ。」 電話を切るとメルシィは満足気に物置の中に入って寝てしまった。 一方ロベルトはメルシィとの約束などすっかり忘れ冷蔵庫から取り出した豆腐を1口齧りし、ポケットに入れた。 「今日はジャーイの丘でトランプタワー合戦があるんだっけ」 そう云うとロベルトはポケットから豆腐を取り出した。 当然のように豆腐はボロボロになっていたがロベルトは気にすることなく車庫に停めてあった辛うじて原型を留めているS2000のトランクにポケットの豆腐を放り込んだ。 「崩れた豆腐に意味はない。所詮冷奴になり損ねた屑の集まりさ。でも麻婆豆腐には崩れた豆腐しかあり得ない」 ロベルトは匿名でレミエール宛てに手紙を書くと、手紙を地面に埋めてから意気揚々と車を発進させた。 ロベルトはメルシィの自宅を目指したが、途中でイタリア産の豆腐が食べたくなったので車をUターンさせた。 当然のように車は道路脇の交番に突っ込み大破したがロベルトは「ツッラーイ新井が悪いんだ」と云って交番のテレビを自宅に持ち帰った。 次の日の朝、ロベルトは偶然家の庭で見つけたマラカスを捨ててしまうと日本酒を一気飲みし、愛車のハチロクでメルシィの家に向かった。 その道中で何度も電柱にぶつかりながら何とかメルシィの家に着いた。 そして家の壁に車を突き刺すと、庭に落ちていたバケツを被って家の窓を破壊して中に入った。 「やぁロベルト待っていたよ」 朝食に麻婆豆腐を食べていたメルシィは皿を窓から放り投げロベルトに小ダルマを渡した。 ありがとう、とロベルトは貰った小ダルマをゴミ箱に捨ててしまうと冷蔵庫にあった食べ物を片っ端から炒飯の具にしてしまった。 「うん、これは中々に不味い。それよりロマンヒーカゥ川に行かないかい?キャンプがしたいんだ」 メルシィはロベルトに出掛けるよう促し、愛車のプリウスのトランクにアルカリ電池を詰め、片栗粉を上から被せた。 「よし、出掛けるか!」 ロベルトがアクセルを踏んだ瞬間、車は爆発してしまったので仕方なく2人は歩いて川へ向かった。 紙コップが大量に撒き散らされた道を歩き、8度の野宿をしながら目的地に到着した。 「おや?こんなことをしている場合ではないね。今日はタイムサービスだったよ」 そう云うとメルシィは近くに置いてあったハイエースに乗り込み道路脇の交番に突っ込んで気絶した。 「メルシィ!ほらかき氷だ!」 ロベルトはメルシィの頭をフライパンで叩くと机の上に座ってピュリアチョモランマ教の経典を読み始めた。 「クラックメイト、胡椒を取ってくれないかい?おや、それは七味唐辛子じゃないかい。確かに両者は似てるけど用途が違うんだよ。 その違いに気付かないと人間はダメになってしまうんだ。分かったかいクラックメイト、どちらもふりかけだよ。」 経典を読み終えたロベルトはお供え物のキュウリを置いてあったラッパに詰めると演奏を始めた。 しかし当然のように音が鳴らなかったので機嫌が悪くなったロベルトはラッパを粉々に破壊した。 「このラッパはメルシィのお気に入りだったのに…。音が鳴らないのは仕様だったか。」 ロベルトがそんなことをしている間にメルシィが目を覚まし、阿波踊りを始めた。 「ロベルト!から揚げにレモン汁をかけられる夢を見たんだ!もうあんな悪夢は二度とごめんだよ」 そう云うとメルシィは壁に頭を打ち付け動かなくなってしまった。 ロベルトは安心したよ、と言い残し自宅へ帰ってしまった。 次の日の朝、朝食を食べようとして失敗したロベルトは自宅前でパターゴルフをしていた。 「やっぱゴルフはバターだな」 そう云うとロベルトは思い切りさとうきびをフルスイングして近くに置いてあったサニーの窓を破壊した。 ロベルトはそのまま近くに置いてあったレガシィに乗り込みメルシィの自宅へ向けて車を発進させた。 ロベルトの自宅からメルシィの自宅までは大した距離ではない。 だがロベルトはハンドルを引っこ抜いて窓から放り投げてしまったため、コントロールを失ったボルボは電柱にぶつかったきり動かなくなってしまった。 「こんなときにガス欠か…だからあれほど薄力粉にしとけと云ったのに。仕方ない、昼飯にするか」 ロベルトは空っぽの弁当箱を広げエア弁当を食べていた。 ちょっと味が薄いな、とロベルトは呟いたが、すぐに弁当箱を放り投げメルシィの自宅へ向かって歩き出した。 メルシィの自宅に着くとロベルトはドアをハンマーで破壊して中に入った。 「やぁロベルト、今日は新作の料理を作ってみたんだ。味見をしてくれるかい?」 そう云うとメルシィはざるそばを持ってきた。 「これがティルプレットン改だよ。前回はつけ麺だったからね、今回は世間でざるそばと呼ばれるものに仕上げたんだ。メルヘンだろう?」 そう云うとメルシィはざるそばを食べつくしてしまい、テレビを見始めた。 このニュースがおもしろくてね、とメルシィはテレビの画面に向けて麺つゆをぶち撒くと持っていた紙粘土で豆腐を作った。 そしてメルシィは唐突にしりとりをしようと云ってきたのでロベルトもしりとりを始めた。 「僕の番だね、カッパ」 「俺の番だな、流しそうめん」 「次は僕だね、トマト」 「俺の番か…フライパン」 俺の負けだ、とロベルトは云い、カレンダーの11月を破り捨てながら紙コップでラッパを作って捨てた。 「さて、遊びはこれくらいにして今日はバリントンモリントンのスーパーに行こうか。先月の閉店セールは随分安かったからね」 そう云うとメルシィは車庫にあったマークⅡを思い切り蹴り、蹴った場所にサインを書いた。 2人はマークⅡを早々に諦め、屋根の付いてないムーヴに乗り込み、街に向かって車を発進させた。 車は早々に道路脇の交番に突っ込んだきり動かなくなってしまったので2人は交番で野宿をすることに合意した。 「これはツッラーイ新井が悪いに決まってる」 ロベルトはそう口にすると交番の床に穴を開け始め、5分後に飽きたと云って窓ガラスをトウモロコシで割り始めた。 「おやロベルト、ドッヂボールかい?それならこの羊羹を食べるといいさ」 そう云うとメルシィはバスに乗り込み、車内に蜂蜜を撒き散らすと、サウナ讃歌を歌いながら自宅へ帰ってしまった。 そろそろ時間だな、とロベルトは一輪車に乗り込み、住宅街の家々を破壊しながら自宅へ帰った。 次の日の朝、ニュースを見ていたロベルトはこれだ!と云って家を飛び出した。 愛車のロードスターに乗り込み、何度も壁にぶつかりながら3日後にようやくメルシィの家に辿り着いた。 「おや、ロベルト。どうしたんだい?僕は今日昨日の朝食を食べる予定があってね、手が離せないんだ。」 そう云うとメルシィは小鉢に入っているサバの味噌煮を冷蔵庫に放り投げ、得意気な顔をしながらほら、手が離せないだろうと云った。 「そうか、すまないなメルシィ、実は今日レースなんだ。君の応援が必要だ。」 ロベルトはドヤ顔でそう云うと、持っていた茶碗を叩き割りながら冷蔵庫のマグロを焼き始めた。 「そういうことかい、ロベルトの勝利のために是非応援させてもらうさ」 「メルシィ!そこの椅子が応援席だ、君のために特等席を用意したんだ」 ロベルトはリビングの椅子にメルシィを座らせレースの準備に入った。 数時間後、ライバルたちが続々と庭に集まり始める。 ロベルトの新型マシン、GT-R18/SALT-Vも地鳴りのような排気音を響かせる。 そして…シグナルが鳴った! マシンは一斉にメルシィの自宅の壁を突き破り最初の長いストレート。 ロベルトは最後尾に落ち着いているが、 「直線で勝つのはマシンの性能のお陰だろう?上手い奴ならコーナーで勝つのが当然だろう!」 と余裕の笑みを浮かべ、ギアチェンジをした。 トイレの壁を突き破った先には5連ヘアピンカーブが待ち構えている。 しかしロベルトは余裕の笑みを浮かべ、コーナーを抜ける度にドアを破壊しライバル達を抜き去る。 その後も大小様々なコーナーがあったがロベルトは部屋の本棚や骨董品をぶち壊しながら猛スピードで走り抜けていく。 最後のコーナー、前方を走るのはレミエールのムーチカスタムDERA-STARのみとなっている。 ロベルトは襖を突き破って箪笥を破壊しながら最高のドリフトを決める。 レミエールも負けじとドリフトをするも落ちていたマッセイリョーシカ人形に足下を取られスピンしてしまった。 勝負あり。ロベルトはスピードを緩めることなくそのまま1位でゴールを駆け抜けた。 そして車から降りたロベルトはチームの面々に祝福をされている。 ライバルのレミエールとも健闘を称えがっちりと握手を交わしている。 また次も頼むよ、と車椅子に乗った佐々木社長も微笑んでいた。 その頃メルシィは破壊された自分の家を見つめ、ただただ呆然と座り込んでいるだけだった。
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/1823.html
第12-340章.第12-341章.第12-342章. 第12-341章. サウナカは言った、ヴェーダとその枝葉に完全に通じているあの輝かしい神、すなわち威厳あるナーラーヤナは、どうして犠牲の実行者であると同時に享受者でもあるのか?赦しに飽き足らず、再びニヴリッティ(禁欲)の宗教を採用した。実に、その神聖で尊い方こそ、自らニヴリッティの義務を定めた方である。それなのに、なぜ彼は多くの神々に犠牲の分け前を与えるようにしたのか。なぜ神はまた、禁欲の宗教の儀式に従う、反対の気質を持つ者を造ったのか?スータよ、我々のこの疑念を払拭してください。この疑念は永遠のようであり、大きな謎と結びついている。あなたはナーラーヤナに関するすべての説話、(他の)経典と一致する説話を聞いた。 サウティは言った、「優れたサウナカよ、聡明なヴィヤーサの弟子であるヴァイサンパヤーナが、ジャナメージャヤ王からまさにこれらの話題について質問されたときに言ったことを、私は汝に復唱しよう。すべての具現化された被造物の魂であるナーラーヤナの栄光についての講話を聞いたジャナメジャヤは、偉大な知性と知恵に恵まれ、ヴァイサンパヤーナにまさにこれらのテーマについて質問した。 ジャナメジャヤは言った、「ブラフマー、神々、アスラたち、そして人間たちと共に、全世界の生き物たちは、繁栄をもたらすと言われている行為に深く執着しているように見えます。再生した者よ、解放は最高の幸福であり、存在の停止であると汝は言った。功徳も悪徳も捨て去られ、解脱した者たちは、千の光線の大いなる神に入ることに成功すると聞く。ブラーフマナよ、永遠の宗教である解脱は、守るのが非常に難しいようだ。そこから目を背けて、すべての神々は、生贄の火にマントラとともに注がれた清澄化したバターの酒や、同じか類似の手段で捧げられた他の供物を楽しむ者となっている。そしてまた、ブラフマン、ルドラ、ヴァラを殺す威厳あるサクラ、スーリヤ、チャンドラマ(星の主)、風神、火の神、水の神、(生きている存在としての)無限の空間、(意識的な作用者としての)宇宙、そして天国の残りの住人たち--彼らは、自己実現によってもたらすことができる意識的存在の消滅を確保する方法を知らないようだ。 それゆえ、おそらく彼らは、確実で、破壊不可能で、不変の道を歩んでいないのだろう。それゆえおそらく、その道から背を向けて、時間によって測られる意識的存在へと導くプラブリッティの宗教を採用したのだろう。これは実に、行為に執着する者につきまとう一つの大きな過ちである。再生した者よ、この疑念は短剣のように私の心に植え付けられている。このテーマに関する古い説話を私に語ることで、この疑念を取り除いてください。汝の話を聞きたいという好奇心は大きい。再生者よ、神々はどのような理由で、マントラの助けを借りて捧げられた犠牲の供え物のそれぞれの分け前を取ると言われてきたのか。 神々は、さまざまな種類の犠牲の中で、マントラの助けを借りて捧げられた供え物のそれぞれの分け前を取ると言われてきたのはなぜか?なぜまた、天の住人は犠牲の中で崇拝されるのか?そして、最高の再生者たちよ、彼らの名誉のために行われる犠牲の供え物の分け前を取る彼らは、偉大な犠牲を捧げるとき、誰に供え物を捧げるのだろうか。 ヴァイサンパーヤナは言った、「人間の支配者よ、あなたが私に尋ねた質問は、深い謎に関連している。懺悔を受けたことのない者、プラーナに精通していない者は、この質問にすぐに答えることはできない。しかし、私の師であり、ヴェーダを分類した偉大なリシであるクリシュナ(ヴィヤーサとも呼ばれる)が、以前、私たちに質問されたときに言ったことを、あなたにお話して答えましょう。スマンタ、ジャイミニー、そして固い誓いを立てたパイラ、そして私が4番目、そしてスカが5番目で、高名なヴィヤーサの弟子であった。全部で5人いた私たちは、自制心と純粋な行いを身につけ、怒りを完全に抑え、感覚を制御していた。私たちの戒師は私たちにヴェーダを教え、その第五にマハーバーラタを与えた。ある時、私たちがシッダやチャラナたちが住むメルーという山の頂上でヴェーダを学んでいた時、私たちの心の中に、今日あなたが述べているような疑念が生じた。そこで私たちは、戒師にそれについて質問した。戒師が出した答えを聞いた。バラタよ、私は今、その答えを汝に告げよう。パラーシャラの子である福者ヴィヤーサは、弟子たちから彼に向けられたこの言葉を聞いて、次のように言った。私は過去、現在、未来に精通している。私のそのような苦行と、乳の海の岸辺に住む間、私が自分の感覚を抑えていたことの結果として、ナーラーヤナは私を満足させた。大いなる神の満足の結果として、私が望んだ過去、現在、未来に関する全知全能が私の心に生じた。諸君の心をかき乱したこの大きな疑念について、順を追って私が語るから、よく聞いてほしい。私は知識の目で、カルパの始まりに起こったすべてのことを見てきた。サンキャ派もヨーガに精通する者もパラマートマ(至高の魂)と呼ぶ者は、自らの行いの結果、マハプルシャ(大いなるプルシャ)と見なされるようになった。彼からは、学者がプラダナと呼ぶアビャクタ(顕れざるもの)が生まれる。この力強い「顕れないもの」から、すべての言葉を創造する「顕現者(ビャクタ)」が生まれました。彼はアニルッダと呼ばれる。そのアニルッダは、すべての生き物の間でマハト・アトマの名で知られています。そのアニルッダこそが、顕現して大いなるブラフマンを創造したのです。アニルッダは別の名前、すなわちアハンカーラ(意識)で知られ、あらゆる種類のエネルギーを備えている。地、風、宇宙、水、そして光は5番目で、これらはアハンカーラから生まれた5つのマハブータ(要素)である。マハブータ(5つ)を創り出したアハンカーラは、次にその属性を創り出した。 マハブータを組み合わせ、多様な具現化された存在を創造した。私がそれらを語るので聞いてほしい。マリーチ、アンジラス、アトリ、プラーシュティヤ、プラーハ、クラトゥ、高次の魂を持つヴァシシュタ、そして自生するマン、これらは8つのプラクリティスとして知られるべきである。これらの上にすべての世界がある。それから、すべての世界の大主、すなわちブラフマンは、すべての被造物の成就のために、すべての枝を持つヴェーダを創造し、また、その枝葉を持つサクリファイスも創造した。これら8つのプラクリティスから、この広大な宇宙が生まれた。そして、怒りの原理からルドラが生まれ、生命を宿し始め、彼に似た10人のルドラを創造した。これら11のルドラは、ヴィカーラ・プルシャと呼ばれている。ルドラ、(8人の)プラクリティス、そして数人の天界のリシたちは、生命を開始し、宇宙とその活動を維持する目的でブラフマンに近づいた。私たちは、聖なる者よ、偉大なる力あるあなたによって創造されました。大いなる者よ、私たちはあなたによって創造されたのです。それぞれの事務を監督するために、あなたによってどのような特別な管轄権が設けられたのか。われわれはそれぞれ、どのような意識を備え、どのようなことを担当すべきなのか。汝はまた、それぞれの管轄区域の職務を遂行するために我々が持つべき力の尺度を、我々それぞれに定めよ」。このように彼らに話しかけられた大神は、次のように彼らに答えた。 ブラフマンは言った、「神々よ、よくぞこのことを私に話してくれた。あなた方に祝福あれ!私は、あなた方の関心を引いているこの問題について考えていた。三界はどのように維持されるべきか?その目的のために、あなた方と私の力をどのように活用すべきか?私たち全員がこの場所を離れ、世界の目撃者である、顕現していない、最も偉大な存在のもとへ行き、その守護を求めよう。彼は何が私たちのためになるかを教えてくれるだろう。この後、これらの神々とリシたちは、ブラフマンとともに、三界に善を行おうと望み、乳の海の北の岸辺に向かった。そこに到着した彼らは、ブラフマンがヴェーダで宣言している厳しい苦行を実践し始めた。それらの厳しい苦行は、マハニヤマ(最上の誓いと遵守)という名で知られている。彼らは心を固定し、木の柱のように不動で、目を上に向け、腕を上に上げてそこに立っていた。天上の千年の間、彼らはその厳しい苦行に従事した。その期間の終わりに、彼らはヴェーダとその枝葉と調和した次のような甘美な言葉を聞いた。 「汝ら神々とリシたちは豊かな禁欲を持ち、ブラフマンを従えている。私はあなた方の心の中にあることを知っている。 私は知っている。本当に、あなた方の心にある思いは、三界の善のためである。私は、プラブリッティ(行為への憧れ)をもって、あなた方のエネルギーと力を高めよう。汝ら神々よ、汝らはよく私を崇拝する欲望からこれらの苦行を行った。最もすぐれた者たちよ、今、あなたたちが経験した緊縮の優れた果実を楽しみなさい。このブラフマンは万物の主である。力強さに満ち、すべての生き物の大祖である。汝らもまた、神々の第一人者である。心を集中して、私の栄光のために犠牲を捧げなさい。汝らが行う犠牲において、常に犠牲の供え物の一部を私に与えよ。そうすれば、創造の主である私は、汝らそれぞれにそれぞれの管轄権を与え、汝らのためになることを定めよう!」。 ヴァイサンパーヤナは続けた。「神々の中の神であるこの言葉を聞いて、すべての神々と偉大なリシとブラフマンは、体毛が逆立つほどの喜びに満たされた。彼らはすぐに、ヴェーダに定められた儀式に従って、ヴィシュヌに敬意を表して生贄を捧げる準備をした。その犠牲の中で、ブラフマン自身が供え物の一部をヴィシュヌに捧げた。神々と天界のリシたちもまた、ブラフマンに倣って、偉大な神にそれぞれ同じような部分を捧げた。こうしてヴィシュヌに捧げられた供物の一部は、その量も質も、クリタ時代に定められた決まりに従っていた。神々とリシとブラフマンは、その犠牲の中で、偉大な神を、太陽の顔色を備えた者として、タマスの手の届かないところに位置し、広大で、万物を貫き、万物の至高の主であり、恩恵の与え主であり、力を持つ者として崇めた。このように彼らに慕われ、恩恵を与える偉大な神は、目に見えず、肉体を持たず、天から集まった天人たちに語りかけ、彼らに言った:「この犠牲の中であなた方が捧げた供え物はすべて私に届いた。私はあなた方すべてに満足している。私はあなた方すべてに満足している。私はあなた方に報酬を与えよう。 これが今日から、神々よ、あなた方の特徴であろう。あなた方に対する私の恩寵と親切の結果である。すべてのユガにおいて犠牲を捧げ、多くの贈り物を捧げ、あなた方はプラブリッティから生まれる果実を享受する者となる。神々よ、ヴェーダの定めに従って犠牲を捧げる者たちは、その犠牲の捧げ物の分け前をあなたたち全員に与えるだろう。ヴェーダの経典において、私は(そのような犠牲の)受け手として、彼自身がこの犠牲において捧げたのと同じような分け前を与える。あなたがたは、それぞれの管轄に属する事柄の世話をするために創られ、あなたがたの力の尺度に従って、これらの犠牲の分け前に依存するように、諸世界を維持しなさい。本当にあなたがたは,諸世界で行われる儀式や行事から力を得て プラブリッティの果実から生じる諸世界の儀式と儀礼から力を得て、諸世界の務めを守り続けなさい。 人々によって行われる犠牲によって強められ、あなた方は私を強めるだろう。これが、私があなた方のために抱いている思いである。私がヴェーダと犠牲と植物と薬草を創造したのはこのためである。地上の人間がこれらを用いて奉仕すれば、神々は満足するだろう。神々の最たる者たちよ、この劫の終わりまで、私はあなたたちの創造を定め、あなたたちの体質をプラブリッティの宗教の結果次第とした。そして、三界の善を求めなさい。マリーチ、アンジラス、アトリ、プラスティヤ、プラーハ、クラトゥ、ヴァシシュタ、これら七人のリシは意志の命令によって創造された。彼らはヴェーダに精通した第一人者となる。実際、彼らはヴェーダの戒律者となる。彼らはプラブリッティの宗教と結ばれ、子孫を残すことに専念するようになる。これが、行為と遵守に従事する生き物の、私が開示する永遠の道である。すべての世界の創造を担う尊い主は、アニルッダ、サナ、サナツジャタ、サナカ、サナンダナ、サナトクマラ、カピラ、そして7番目のサナタナと呼ばれ、これら7人のリシはブラフマンの霊的息子として知られている。彼らの知識は、(勉強や努力に頼ることなく)自ずと身につく。この7人はニヴリッティの宗教に帰依している。彼らはヨーガに精通する者の中でも第一人者である。彼らはまた、サンキャ哲学の深い知識を持っている。彼らは義務に関する経典の訓戒者であり、ニヴリッティの宗教の義務を紹介し、それを諸世界に流布させるのは彼らである。無明(プラクリティ)から意識と三大属性(サットワ、ラジャス、タマス)が流れてきた。プラクリティを超越した者はクシェトラジナと呼ばれる。そのクシェトラジナが私自身である。アハンカーラから現れたカルマに縛られた者の道は、返り咲きに満ちている。その道によって、戻ることのない場所に到達することはできない。さまざまな生き物が、さまざまな目的をもって創造されてきた。ある者はプラブリッティの道を目指し、ある者はニヴリッティの道を目指す。生き物が辿る道によって、その人が享受する報酬が決まる。このブラフマンはすべての世界の主である。力強さに満ち、宇宙を創造する。 彼はあなたの母であり、父であり、祖父である。私の命令により、彼はすべての生き物に恩恵を与える。彼の息子ルドラは、彼の命令により、彼の眉から湧き出た、 力強さを備え、すべての被造物を支えるだろう。汝らそれぞれの管轄区域に行き、定めに従い、世界の善を求めよ。すべての経典の行いを、すべての世界に流せ。このことに遅れがあってはならない。汝ら天界の第一人者よ、すべての生き物の行為と、それゆえに彼らが到達すべき目的を定めよ。また、すべての生き物が生きるべき期間の限界を定めよ。現在進行中のこの時代は、あらゆる時代の中で最たるものであり、クリタという名で知られるべきものである。このユガでは、生け贄として生き物を殺してはならない。それは、私が命じたとおりであるべきであり、そうでないものであってはならない。この時代には、天人たちよ、正義は完全に栄えるだろう。 この時代の後には、トレタと呼ばれる時代が来る。そのユガでは、ヴェーダは4分の1を失います。ヴェーダは3つしか存在しなくなります。その時代に行われる犠牲では、神聖なマントラの助けを借りて捧げられた後、動物が殺されます。再び「義」に関しては、4分の1を失い、4分の3だけが栄える。トレタが終わると、ドワパラの名で知られる混合ユガがやってきます。そのユガでは、正しさは4分の2を失い、4分の2だけが栄えます。ドワパラが終わると、ティシャ星座の影響下にあるカリ・ユガと呼ばれるユガが始まります。正義は4分の3を失う。その4分の1だけがあらゆる場所に存在することになる。 大いなる神がこの言葉を述べると、神々と天界のリシたちは彼に向かって言った、「もし、その時代に正義の四分の一しかあらゆる場所に存在しないのであれば、聖なる者よ、私たちはどこへ行き、何をすればよいのか教えてください! 祝福された聖なるお方は仰せられた。「天上人の第一人者である諸君は、その時代に、ヴェーダと犠牲と懺悔と真理と自制とが、すべての被造物に対する慈愛に満ちた義務を伴って、なお栄え続けるような場所に行くべきである。罪は決してあなた方に触れることはできないでしょう」! ヴィヤーサはこう続けた。「このように偉大なる神に命じられた神々は、すべてのリシたちとともに神に頭を下げ、それから自分たちが望む場所に向かった。リシたちや天界の住人がその場所を去った後、ブラフマンはアニルッダの姿をした偉大な神々を見たいと思い、そこに留まった。神々の最たるものは、広大な馬の頭を持つ姿をとって、ブラフマーナに姿を現した。彼は鉢(カマンダル)と三重の杖を持ち、ブラフマーナの前に姿を現し、ヴェーダをその枝ごと唱えた。馬の頭を戴いたその姿の計り知れないエネルギーの偉大な神を見て、すべての世界の創造主である偉大なブラフマンは、被造物に善を施したいという願望に動かされ、その恩恵を与える主に頭を下げて礼拝し、敬虔に手を合わせて彼の前に立った。偉大なる神はブラフマンを抱擁し、次の言葉を告げた。 聖なる者は言った、「ブラフマンよ、被造物が従うべき行為の道筋をきちんと考えなさい。あなたはすべての被造物の偉大な命令者である。あなたは宇宙の支配者であり、主である。この重荷をあなたに負わせれば、私はすぐに不安から解放されるでしょう。しかしながら、汝が神々の目的を達成するのが困難な時には、私は自己認識に従って化身した姿で現れるであろう。この言葉を述べると、馬の頭を持つその大いなる姿は、その場で姿を消した。命令を受けたブラフマンも、すぐに自分の領域へと進んだ。祝福された者よ、臍に蓮を持つ永遠の神が、生け贄に捧げられた最初の分け前を受け入れる者となったのはこのためであり、それゆえ、彼はすべての生け贄の永遠の支持者と呼ばれるようになったのである。彼は自らニヴリッティの宗教を採用し、不滅の果実を渇望する被造物が追い求める目的である。彼は同時に、宇宙に多様性を与えるという観点から、他の人々のためにプラブリッティの宗教を定めた。彼はすべての被造物の始まりであり、中間であり、終わりである。創造主であり、瞑想の対象でもある。彼は行為者であり、行為者である。高い魂を持ち、三属性を超越し、不生であり、その姿は宇宙であり、天のすべての住人の住処または避難所であるその輝かしい者に、あなた方は皆お辞儀をする。アスウィンの主であり、マルツの主であり、ヴェーダで定められたすべての犠牲の主であり、ヴェーダンガの主である彼に頭を下げなさい。常に大海に住まわれ、ハリと呼ばれ、その髪はムンジャの草の刃のようである方にお辞儀をしなさい。平和と静寂であり、すべての生きとし生けるものにモークシャの宗教を授ける方に一礼しなさい。懺悔の主であり、あらゆる種類のエネルギーの主であり、名声の主であり、常に言論の主であり、あらゆる河の主でもある彼に一礼しなさい。カパルディン(ルドラ)と呼ばれ、大いなる猪であり、一角獣であり、大いなる知性を持っておられる方に頭を下げなさい。その御姿は明らかにされず、知識によってのみ理解することができ、不滅であり破壊可能である。不変である至高の神は、万物に遍満している。彼は、知識の目の助けのみによって知ることができる至高の神である。こうして、知識の眼に助けられて、私はその昔、神々の最たるものを見たのである。弟子たちよ、私はあなたがたに尋ねられ、すべてを詳しく話したが、あなたがたは私の言葉に従って行動し、ハリと呼ばれる至高の神に忠実に仕えるか。私の言葉に従って行動し、ハリという至高の神に忠実に仕えなさい。 ヴァイサンパヤーナは続けた。「偉大な知性に恵まれたヴェーダの編纂者は、その時私たちに質問され、このように語りました。彼の息子である非常に正しいスカと、彼の弟子たち全員(つまり私たち)は、彼がその講話をする間、彼の話に耳を傾けていた。王よ、私たちの戒師は、私たちとともに、四つのヴェーダから抜粋したリッチで偉大な神々を讃えました。こうして私は、あなたが私に尋ねられたことについて、すべてあなたに話しました。王よ、島生まれの戒師が私たちに語ったのはこのようなことであった。私は聖なる主にひれ伏す」という言葉を口にした者は、この説話を集中してよく聞き、あるいは人に読み聞かせ、あるいは朗読すると、知性と健康に恵まれ、美と強さを持つようになる。病気であれば、その病気から解放され、縛られていれば、その縛りから解放される。欲望を大切にする者は、(これによって)すべての欲望の成就を得、容易に長寿にも到達する。ブラーフマナはこれを行うことで、すべてのヴェーダに精通し、クシャトリヤは成功の栄冠を得る。毘沙門天はこれを行うことで、かなりの利益を得、スードラは大いなる幸福を得る。息子のない男は息子を得る。乙女は好ましい夫を得る。妊娠した女性は息子を生む。不妊の女は子を宿し、子や孫の富を得る。道すがらこの説話を唱える者は、道を何の障害もなく、幸福に通り過ぎることに成功する。実際、この説話を読んだり朗読したりすれば、人はどんなものでも手に入れることができる。この偉大なリシの言葉を聞くことは、結論が確実であり、すべての存在の中で最も優れたものである、高い心を持つ者の属性を語ることを体現しており、リシや他の天の住人の偉大なコンクラーベのこの物語を聞くことは、至高の神に献身する人は大きな幸福を得るのである。 第12-340章.第12-341章.第12-342章.