約 355,724 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4103.html
「没ね」 団長机からひらりと紙がなびき、段ボール箱へと落下する。 「ふええ……」 それを見て、貴重な制服姿の朝比奈さんが嘆きの声を漏らす。 学校で制服を着ているのが珍しく思えるなんて我ながらオカシイと思うが、普通じゃないのはこの空間であって、俺の精神はいたって正常だ。 「みくるちゃん。これじゃダメなの。まるで小学校の卒業文集じゃない。未来の話がテーマなんだから、世界の様相くらいは描写しなきゃね」 ハルヒの言葉に朝比奈さんが思わずびくりと反射するが、ハルヒは構わず、 「流線形のエレクトリックスカイカーが上空をヒュンヒュン飛び交ってるとか、鉄分たっぷりの街並みに未来人とグレイとタコとイカが入り混じってるとか。そーいうのがどんな感じで成り立っているのかをドラマチックに想像するの。将来の夢なんかどうでもいいのよ。それにドジを直したいだなんてあたしが許可しないわ。よってそれも却下」 グレイは未来の人間だって説もあるんだから、下手するとその未来は単に魚介類が陸上歩行生物に進化しただけの世界になるかも知れんぞ。まあ、どうでもいっか。 ハルヒは朝比奈さんに対し一通りダメ出しを終えると、ふてぶてしく頬杖をついてピッと朝比奈さんの指定席であるパイプ椅子を指さし、そこに戻ってもう一度やり直しという指令を無言で示した。 「うう」 朝比奈さんがカクンとうなじを垂れる。 それはハルヒの電波な未来観にへこまされているわけじゃあなく、いや実はそれもあるかも知れないが、今はもっと別の理由が考えられる。それはリテイクの厳しさを三倍程度にしちまう理由だ。 指示を受けてずるずると定位置へと引き返す朝比奈さんの後姿を見送りながら、ハルヒは団長机をパシンと叩き鳴らし、 「ちょっとみんな! 今回はノルマも少ないし、ページ数だってやたらになくてもじゅうぶんなの! 気張りなさい!」 俺はやや不機嫌なトーンを呈したハルヒの叱咤を半身に受けながら、パソコンを挟んで対面している古泉へと鋭利にこしらえた視線をありったけ突き刺し、それを受けた古泉は苦笑しながら、予想外でしたという陳謝を俺にアイコンタクトにて返信する。 しかし、これまた困ったことになっちまった。 ハルヒの腕章に黒マジックでしたためられた文字が今は何を表しているのかもう分かっている頃だと思うが、現在の涼宮ハルヒの役職は編集長である。 それはまさに肩に書かれているだけで、自称以外の何者でもないのは既に周知の事実であろう。 とゆうか、打ち上げ花火のような事件のときに作ったその布切れをよっくぞまあ今まで保管しといたもんだ。俺としてはそれが再び陽の目をみることなく、そのまま日に焼けない様に永久保存されといて欲しかったね。今からでも遅くないぞ。ついでにSOS団の皆が抱えてるトラウマも一緒に凍結しといてくれ。 「……それも良いかもね」 カチリ、何か良からぬものを踏んじまった音がした。 幻聴であって欲しいと俺の耳は切に願ったが、 「そうだわっ! SOS団の偉業を未来人に知らしめるために、あたしたちの功績を遺産として残すのよ! 今回の詩集だってもちろん入れなきゃね!」 俺の目は、今にも花びらが炸裂しそうなハルヒスマイルを映していた。 「何にだよ」 わかっちゃいるがな。一応。 「タイムカプセルに決まってるじゃない!」 ハルヒは色めきたって、やけに懐かしいワードを口に出した。 まあ正直なところ、俺もその計画自体に物言いをつけようとは思わん。が、それにはこれから書かされるであろう詩集は入れないぜ。 「なんでよ?」 「なんでだろうな」 そんなもん決まってる。他動詞的に作られたポエムがまともな形を成すとは思えんからだ。 それに前回の機関誌ならハルヒの論文が未来人にも有用だそうだからまだいいものの、今度の詩集ばっかりは後世の人間が見たところで「こいつぁクレイジーなヤロウだ!」とかいった驚嘆句しか出てこないだろう。未来に欧米かぶれがいるかは知ったこっちゃないが、無駄な驚きで寿命を無為に減らすのは気の毒である。なので、出来上がった詩集は俺が墓場まで持っていこうと思う。 「…………」 ――何だか長門の無言が聞こえた気がした。気のせいか? 「ってゆーか、そんなことを話してる場合じゃないでしょうが!」 ハルヒが不機嫌を取り戻す。それもやるけど、と続けて、 「みくるちゃんは受験生だし、あたしたちもボヤボヤしてらんないでしょ。学校があわただしくなる前に今年分の会誌は急いで仕上げないと困るの! これにつまずいてる様じゃ、これから先の団の活動に支障がでちゃうじゃないっ!」 一見まともなことを言っているようだが、よくよく考えればSOS団本位でしかない主張を団長もとい編集長はがなりたてている。 ――と、ここで一度、現在の俺たちの状況を整理しておこう。 場所はもちろんSOS団本部兼文芸部室である。 時の頃をおおまかに言うと、朝比奈さんが受験生なので俺たちは高校二年生ということになり、もう少しばかり掘り下げると一学期の初頭で、その時期に俺たちは二回目の機関誌の製作に取り掛かっているってわけだ。 我らが北校の学校方針から考えるにそれだけでも十分全員が忙しい身の上であることは想像するに難くなければ、朝比奈さんにとっては未来に帰りでもしない限り、この世界で生きていく上で至極当然にリテイクを重ねられている暇などない。 更に悩みの種となっているのが、今回の機関誌の企画である。 詩集だって? 冗談じゃないぜ。 そんなら前回の小説の方が幾分マシだったねと言えるもんだ。 それに古泉、こないだまで俺たちゃあ結構奔走してただろうが。イベントのスパンが短か過ぎる。 俺の視線に込められたそんな訴えを古泉は受信し、窮したように顔を苦ませる。なにか含む所がありそうだ。 ついでに俺たちがどんな奔走をしていたかと言えば、俺の旧友である佐々木との再会、そしてSOS団とは別種の異能、異性質な輩たちとのいざこざや、長門の病気だ。 長門が学校を病欠したとき、一時は天蓋領域とやらの侵攻を受けたのかと心配したのだが、本人いわく只の風邪だったらしい。そうは言っても、長門がウイルスですらも無い下等な雑菌に敗北を喫すること自体異常事態であるのに違いないのだが。 しかし何も知らないハルヒからしてみればそれは正常な状態異常でしかなく、俺たちにも懸念を抱く以上のは出来そうになかったので、長門には一般的な病人に対する普通レベルの介抱を行うことにした。 皆の心配を一身に受ける長門は、 「何か食べたいもんでもあるか?」 「お寿司」 などといった要求はしなかったが、心なしか、守られる側に立った状況を存分に味わっているようだった。 そしてハルヒは泊まり込みで看病するとガヤいだのだが(俺もそれには賛成だったが)長門の強い希望により、俺たちは日付が変わる前には渋々と部屋を出ることとなった。 そして何故か帰宅の途につけという要求は朝比奈さんに対して特に強かったようで、 「特に朝比奈みくる。あなたは早く帰って」 という言葉も賜った。 ……流石にショックだったせいか、次の日の朝比奈さんの挙動はかなり変だった気がする。 しかしまあ、既に出揃っている特殊な奴らは倍になったというのに、一向に異世界人は姿を見せんもんだ。 とは、俺が異種SOS団との諍い時に漏らしてしまった、会いたいという願望とは違った意味の言葉だ。 そのときの俺の言葉に対し、古泉は「もしかしたら、既に異世界人は僕たちと邂逅を果たしているのかも知れません」ときた。どういうことかと尋ねれば、 「異世界人は、異世界に存在することによってその定義を満たします。しかし、例えば未来人は時間を操作することよって、宇宙人は未知の知識によって、そして僕などは超能力の行使によって己の存在をより明確なものにしますが、異世界人はただ異世界から訪れたというだけで、僕たちにとって普通の人間以上の存在には成り得ない可能性があります」 もっとも、それが一般的な人類ならばの話ですがね。と続けて、 「なので、むしろ既にこちらの世界には別の世界へと渡る能力を持った者が存在し、そしてその者は、僕らの関知し得ない世界でSOS団に尽力しているのかも知れません。今の僕たちが存在するのも、その人物が異世界で頑張ってくれているからなのかも知れないのです」 つまり異世界人は異世界で頑張っているということなんだそうな。 どっちにしろ推察の域を出ない話だし、仮に現実だとしてもそれは認識の外だ。 まあ、もしそれが本当なら、一度は会ってみても良いかも知れん。 何だかんだいって、俺はハルヒが作ったSOS団とこの生活を気に入ってるんだからな。 そして異世界人が俺たちと同様同等の苦労をしているであろうことは身を持って分かることなんだし、俺が感謝の意を唱えてその苦労をねぎらっても悪くはあるまいて。 っと、話が脱線気味になっちまった。その軌道修正も兼ねて、少し時間を遡って今回の事の起こりから辿っていってみることにするか。 それでは回想列車、レッツゴー。 ……… …… … 放課後の文芸部室。佐々木たちとハルヒ以下俺たちとの一件も多少の落ち着きを見せ、俺たちSOS団全員が比較的普段通りの活動に従事していたときだった。 コンコン。 「失礼する」 扉をノックする音が聞こえたと思いきや、返答を待たずにすらりと長身な眼鏡の男とそれに伴う女性、つまり腹づもりの黒い生徒会長と喜緑さんが部室へと進入してきた。 「なにしに来たのよ。なんか文句でもあんの? 勝負事なら喜んで受け取るけどね」 生徒会からSOS団に対する文句などは重々にあるだろうし、勝負を受諾されても困る。 「ふん」 会長は入り口に立ったまま、 「君に対する苦言なら山のように持ち合わせているが、生憎そのようなものを言い渡しにこんな辺境までやって来る程私は暇ではないのだ。今日こちらへ足を運んだのは他でもない。一つ気になることがあるものでな」 「なによ。言ってみなさい」 ハルヒの方が偉そうなのは毎度のことだ。 「どうやら文芸部には新入部員が居ないようだが、その分で今年度の文芸活動は一体どうするつもりなのかね?」 「は?」 とは、俺の口をついて出た言葉だ。 ……以前にも、生徒会から文芸部的な活動を求められたことはあった。 それは文芸部およびSOS団潰しのある意味で真っ当な思惑によるものだったのだが、しかしてその実態は裏で古泉が根回しをしていたことによって発生したイベントで、しかも既に事の収まりを見ているはずだ。 それに文芸部部長の長門だって、新年度のクラブ紹介で分かる人が聞けば見事なのであろう論文を発表しているんだし、文芸活動はそれでオールクリアーにしときゃあ通るだろう。いいじゃん、それで。 しかもこれから進路の話やらで忙しくなるっちゅうのに、また機関誌でも発行しろとの一言が発せられるものであれば、ものの見事に層の薄いSOS団はペシャンコになっちまうぜ。本当に俺たちを潰す気か? 会長は。 そう思って俺は古泉に目配せしたが、何故だか古泉もハンサム顔に微小な驚きの色を浮かばせていた。 これは成り行きを見守っていくしかないなと思い、俺はそれ以上言葉を作らなかった。 「もちろん会誌を製作するわよ」 ハルヒは元から俺たちを潰す予定だったらしい。 「いや、それはもう良い。今回文芸部には、来年度用の我が学校のパンフを製作して貰おうかと思っている。潤沢に割り当てられた部費が、不明な団体の意味不明な活動で消費され尽くしてしまってはかなわんからな。それにこの時期は私も色々と忙しい。それもあって、例年は生徒会執行部が製作している学校案内書を君らに一任してみようとなったわけだ」 なるほど。来年用のパンフなら時間だって十分あるし、写真を切り貼りして文章をとってつければいいようなもんだから、苦になるほどじゃないだろうな。それで部費の分配に対する大義名分が得られるのなら、こっちの精神衛生面的にも好都合だ。まともに頑張っている他の部活動員に対し、多少は後ろめたさを感じることがなくなって良い。 「そんなのあんたたちでやってなさいよ。あたしたちもヒマじゃないの。もう会誌の内容も決めてあるんだから」 どうしてもハルヒは俺たちを潰したいらしい。 「まあ……キミたちが自主的に活動を行うと言うのなら、こちらはそれでも構わん。しかしそれが口からでまかせであった場合、私にも存在しないはずの団を抹消するための手間が生じてしまうのを覚えておくといい。そうだな、一度企画書を作成して明示して貰おうか。今から生徒会室まで来たまえ」 「ヒマじゃないって言ってんの! 無駄な心配してる余裕があるんだったら、あんたがここに書類持ってきなさいよ!」 どう考えても生徒会長の方が多忙を極めているはずであろうが、俺は別に会長の擁護をするわけもなく。 「何を言っているんだ君は。私は文芸部部長を呼んでいるのだ。部外者は口を挟まないでくれたまえ」 と……珍しく喜緑さんが長門に合図し、長門は生徒会長についていく。 「ちょっと、待ちなさいってばっ!」 二つのハリケーンが合流を果たしたかのような勢力で、会長の後姿をハルヒが追う。 おかげで残された俺たちと部室はいやに静かだ。 しかしまあ会長。企画書なんぞ出さなくたって、あの団長殿が言い切ったことが実行に移されるのは確実なんだがな。悲しいくらい否が応にも。 「おや、どうしたのですか? 何か他に用事でも?」 ん? 何故かまだ部室には喜緑さんが残っている。 前回の佐々木団との一悶着の際、病床に伏していた長門の代わりに我らSOS団の宇宙人ポストに入って奮闘してくれたので多少の親睦はあるが、 「すみません。実は、お話しておきたいことがあるんです」 身の上話でもするのだろうか? 喜緑さんが部室に取り残された朝比奈さん、古泉、俺に対して言い放つ。 「まずは長門さんの能力が弱体化している件についてなんですが、それは彼女と思念体との接続が弱まってきているためだと考えられます」 ――長門が自分でも制限をかけちゃいるが。 「ほう。しかし何故、長門さんと思念体との接続状況が芳しくないのですか?」 こういう説明を受けている時なんかの古泉の返答は助かるな。 喜緑さんは続けて、 「はい。実は、わたしたちのようなインターフェイスには上の方から一つ禁令が下されているのですが、その禁令に長門さんが少しずつ触れてきているがゆえに、思念体から敬遠されているみたいなんです」 どんな禁令を……ん? そういえば以前に長門から聞いた記憶がある。 「確か、死にたくなっちゃいけないってやつでしたっけ」 そのまま俺は疑問も口に出す。 「長門がですか? 俺にはそんな風には……むしろ、生き生きしてきたように感じますが」 そうだ。長門の鉱石の様だった瞳にも、だんだんと血が巡り出してきたかのような、柔らかさと温かみが度々見受けられるようになってきていた。春休みの映画撮影(予告編のみ)の最中なんか、長門的には最高にハッチャケていたような様だったぜ。死にたいなんて、そりゃ相反してる。 「死にたい、ですか。それはまたどういうお話なのでしょうか?」 確か、アポだかネクロだか、自殺因子って単語もあったかな。 「ふむ……PCD、のように聞き受けられますね」 「古泉。いったい何だ? それは」 「例えば生物の進化の過程において、あらかじめ死が決定された細胞のことです。オタマジャクシの尻尾が、カエルへと変態する際に失われるといったような。その例のようにPCDはむしろポジティブな細胞の消失ですし、これが行われなければ僕たちにも手指などのパーツが形作られません。これをアポトーシスと言います。このように細胞の自殺が計画的に行われる、それがプログラム細胞死なのです。他にもネクローシスという、」 よし解らん。次へ行ってくれたまえ。 喜緑さんが古泉の言葉を受けてコクリと頷き、 「わたしたちインターフェイスは人類と同じ物質で構成されています。我々が死ぬような事態は殆どないのですが、有機的な活動を行う過程によって死の概念が組み上げられてしまうといったことなどが憂慮されます。思念体は元より死の概念を持ち合わせていないので、わたしたちによって情報構成に自殺因子が紛れ込む可能性をひどく嫌っているんです。恐らく、良い変化は期待されませんので」 ニコリと笑って、 「ゆえに、わたしたちは死を思うことを禁じられています」 うん。長門の話もたしかそんな感じだった。 「なるほど。情報統合思念体は群体のような性質を持っていると思うのですが、多細胞生物に見られるPCDにも一応の懸念を発起させている訳ですね」 「そんなところです」 喜緑さんは続けて、 「あと、先日の長門さんの不調は病気などではありません。おそらく、上の方と何かトラブルがあったのだと思います」 まあ、原因が周防九曜じゃないならそんなところだろう。俺は得心したように頷いて、 「して、そう思う理由は?」 と質問した。喜緑さんは微笑を消し、 「……あの日以降、長門さんと思念体との接続が異常なほど軽薄なものとなっているからです。なので、今の長門さんには殆ど力の行使が認められていません。皆さん、どうか長門さんをよろしくお願いします」 無論だね。むしろ注文を受ける前から走り出してる程に気をつけてるさ。 「ありがとうございました、喜緑さん」 俺の言葉を最後に、喜緑さんはぺこりと退室の礼を尽くし部屋を退出した。 そして閉められた扉は程なくしてドバン!と破裂音を上げ、 「おっまたせー! 勢いで計画進めてたら、こんななっちゃった! まぁ、善は急げ!美味しいものははやく食え! ってことでいいわよね! 明日の団活からさっそく原稿の執筆に取りかかるから、みんな楽しみにしてなさい!」 そう声高々と宣言するハルヒの後には長門の姿があり、ハルヒが右手で俺たちへと提示する紙には、 『企画内容:詩集。上稿予定:今週中』 というデススペルだけが書きなぐられていた。 俺には、最早それが死神との契約書にしか見えていなかった。 そんなこんなでやっと次の日になったかと思やぁハルヒは、休み時間が来るたびに何やらハサミで紙をショッキリショッキリいわせていた。 一体お前は何やってんだと聞けば、 「ひみつ! 放課後まで待ってなさいっ!」 と、ニカリとした笑みを作りながら溌剌と意気の良い返事をするばかりだった。 恐らくハルヒは俺の妹のようにハサミを装備することで破壊衝動を満たす化身へと変貌しているわけでなく、なんらかの創作活動に勤しんでいるのだろうから、折角だし作品の完成まで楽しみにしておくか、と俺は自分の席にいるときも心して後のハルヒへ目をやらずにいた。 そうなると俺はこれといってやることもないので、隣の窓越しに広がる過剰に陽気の良い春模様の空を見やり、その余った陽射しを我が身に受けて体内に貯蓄し、無駄に消えゆくエネルギーを減らそうといった仕事に献身していた。 ああ、春ってのはなんでこんなにも素晴らしいのだろうね。爛漫。 そして放課後、文芸部室にて。 朝比奈さんは俺たちにお茶を配膳する業務を終え、既に部室の風景と化していた。長門は最初から風景だった。 部室なら長門に何事もなかろうと、俺はいまだ姿を見せぬハルヒを待つ事もなしに古泉とヘブンオアヘルという創作トランプゲームに興じていた。 どんなゲームかと言えば、最初から片方がジョーカーとエースを手に持ち、相手をかどわかしながら選ばせるといったもので、つまり二人で行うババ抜きの最終決戦だけを抽出しただけである。これは経験によって無駄を省かれた。 しかし、単純なゲームをいかに楽しく行うかというテーマに沿って繰り広げられる熾烈な心理戦も、単純作業の繰り返しには飽きが来るという人間の心理の前には立つこと敵わず、また古泉も俺に敵わず(逆にやり込められている感がないとも言いがたいが)いつの間にか俺たちのやっていることはカードを弄びながらの雑談へと変わっていた。 「しっかしハルヒの奴、何でまた詩なんかに興味を惹かれたんだろうな。俺たちが詩なんか嗜んだ所で、痛い目と身悶えするような駄文を見るだけだろうに」 古泉はカードを四隅の一点だけで倒立させようと試みながら、 「そうでしょうか。感性多感な時分の僕たちの心模様を紙へと投影してみることは、未来の自分がそれを見た際に、その時代の感傷を想起さし得る貴重な宝物になるのではないかと」 「どうだか。次の朝にでも目が覚めたら、貴重な資源をゴミに変えてしまったってのに気がつくだろうぜ。その後に色んな意味で後悔するだけさ」 実体験ですか?という古泉からの質問に対し、俺は見聞きした深夜のラブレター作成理論の応用だと答えておいた。 「それはさておき、今回涼宮さんが機関誌の内容に詩集という形を取ったのも、受験生の朝比奈さんや僕たちへのちょっとした配慮なのかも知れませんね。詩なら、文量が少なくて済みますから」 「それこそ問題だ。少ない文字で成り立たせにゃならんから、構想に余計時間がかかる。それにどんな詩を書くのかも考えにゃならんから、よほど手間だ」 ズバン! 「待たせたわねっ! みんなは一秒が千秋に感じる程に待ちわびていたことだと思うわ! 今回も時間がないから、みんなの詩のテーマはコレで決めちゃいましょうっ!」 心臓を打ち抜くような音を鳴らしてハルヒが扉を押し開いてきた。 驚きの眼を配る朝比奈さんとハルヒの途方もない思い違いに呆気に取られている俺に、ハルヒは何やら励んでいた創作活動の賜物と思われる物体を、左手で作ったOKサインのOを示す指に挟んで見せびらかしていた。 「サイコロ、ですか?」 多分古泉の質問はその通りの答えだろう。 俺にも、それは三角形の紙を八枚セロハンテープで繋ぎ合わせて作られたフローライトナチュラル八面体に見える。 「そっ。特にキョンなんか書き始めるまでにも時間かかりそうだから、今回も内容はアトランダムに決めるわっ! キョン。雑用でしかないあんたのために労を負った団長様に感謝しなさいよね!」 先程の俺の言葉を見れば感謝すべきであろうが、アトランダムの偶然性に対し不満があったので「すまんな」という謝辞にて言葉を終了した。 ハルヒはフッフンと得意げに天井へと高々にサイコロを掲げ、 「それぞれの面にお題が書いてあるから、これをホイコロリンッって投げて出たヤツを詩の内容にすること! 異議があるなら言いながら投げるといいわよ。そして忘れちゃいなさいっ!」 俺には言い捨てる言葉もないが、 「しかしまた何でサイコロなんだ? わざわざ紙を切ってゴミを増やさずとも(そして作らずとも)、前みたいにくじ引きかアミダで決めりゃ良かったじゃないか」 という小さな疑問を投げかけた。 それを聞いたハルヒはチッチッっと右手の人差し指をメトロノームにしながら、 「それじゃバラエティに貧するってものよ! SOS団たるもの、些事の決め方にも広く手をのばしていかなきゃ! そして、ゆくゆくは世界の森羅万象を掴み取るのよっ!」 グッと決めポーズ。ハルヒは今日も絶好調なようである。ま、絶不調でなくて何よりだろうね。世界の平和的に。 だが、恐らくこのネタは外部から、というかテレビから受信して閃いただけだろう。 と、俺は手元に落とされた八面体ダイスを見ながらそう推察してみた。 何故かと言えば、サイコロのやっつの面に書かれているワードはそれぞれ 『私の詩』『未来予想図』『恋の詩』『本音の詩』 『元気が出る詩』『褒められた詩』『失敗した詩』 とあり、後半のテーマが若干日本語として妙なのはハルヒに国語力がないからではなく、お昼の某テレビ番組で転がされているサイコロに書かれた『~話』をそのまま詩という言葉に変換したせいだと思われるからだ。 「じゃっ、順番は団への貢献度が多い人からね! 序列は大事よ! 大きな組織の中では特にねっ!」 じゃ俺からでいいだろ。 「なんでよ? はいっ! 最初は副団長からっ」 SOS団は小規模だから、と説く前に、ハルヒはひょいと俺の手からサイコロをつまみ取り、流れるような動きでそれを古泉副団長へと手渡した。 古泉は卵をのせるような手の平の中でそれを弄び、 「さて、なにがでるかな?」 合唱しようと思ったが、古泉が出す目は大体の予想が立つし、多分予想通りである。 スマイル仮面の古泉のテーマは多くて二択であり、およそ『私』か『本音』だと、 「……おやっ?」 俺と古泉が思わず言葉を漏らす。 「褒められた詩、ですか。僕が以前に書いたポエムの傑作を載せるということでしょうか?」 書いてる姿も含めてそれも見てみたい。が……何だ? 確率論が復活したのか? 本来ならおかしくはないはずなのに俺が妙に思っていると、 「ちがうちがうっ。褒められたときの気持ちやらをポエムにするのよ」 俺にとって古泉のそれは不愉快なポエムになるなと思っていたら、ハルヒは続けざまに、 「でも、振り直しっ。それは国木田が書くから」 国木田? 「そうよ。名誉顧問と準団員には既に振ってもらって、『元気』『褒め』『失敗』は決まってるから」 ハルヒはくるリとメンバーを見回し、 「みんなもカブっちゃったらもう一回! 同じことやっても良いものは生まれないし、SOS団はバラエティに富んでないといけないって言ったでしょ!」 それよりも近い過去に序列がどうのと言ってた気がするが、それは覚えていないらしい。 「って、じゃあ俺はサイコロの振りようもないだろうが。全員が振った後じゃ、必然的に残りの一つに決まっちまうだろ?」 「いいじゃん。特に変わらないわ」 実際問題どうでもよかったし、例え同じサイコロを八つ同時に八人が投げたところで結果は変わらないであろうから、俺はそこで閉口した。 そして古泉は『本音』を出し、次いで長門が『私』、朝比奈さんが『未来予想図』、ここで俺は再度口を開いて抗議の旨を団長、いや編集長へと必死に訴えたが、ハルヒはガイウス・ユリウス・カエサルがルビゴン川を渡った際に言い放ったのと同じ言葉で俺の訴状をねじ伏せた。 ――そしてまた次の日の放課後。現在に至る。 目の前のハルヒが何故こんなにも不機嫌なのかと言えば、 「ちょっとみんな! あの三人はすぐ詩を完成させて持って来たってのに、何でみんなはちーっとも筆が進んでないのよ!」 ハルヒが代わりに言ってくれた。その理由を申せと仰るのであれば、説明するまでもなく「そりゃそうだ」の一言に尽きる。 鶴屋さんは『元気』、国木田は『褒められた』、谷口は『失敗』の詩を書いており、言葉そのままでも違和感のない程にそれぞれピッタリはまった題目だ。 一夜で詩が書けた理由としては、各自それのネタなんていくらでもあるだろうし、万能である鶴屋さんの才の一つに詩的才能が含まれている予測は疑いようもなく、国木田と谷口なんかは適当に済ませたのだろう。 重ねて俺たちときたら、古泉と朝比奈さんのテーマはまるで名探偵にズバリズバリとトリックを言い当てられて言葉を失った犯人のようにアワワとしか言いようがなくなってしまうようなものであるし、『私』の長門なんか前回の小説で自分のことであろう作品を書いているので、俺と共に前回とお題がモロかぶりである。 言うまでもないとは思うが、俺は『恋』のネタである。 もう、そんなもん俺の在庫には最初っからないんだし、長らく入荷待ちの札が掛かってるだけだっつーのに。 それらの理由により、俺はもう一度ハルヒに儚い希望を提訴してみた。 「ハルヒ。じゃあ皆のテーマを変えてくれないか? 俺だって恋なんてもんは幼い頃、従姉妹に一方的に苦い思いをしただけだし、それ以来そういった甘そうなのは味わったためしがないんだ。だから俺の中にあるそんなネタは、前回の小説が最後っ屁でもうグウの音も出ん。終了だ」 却下。という二文字の一言が虚しく飛んでくると思っていたが、 「そうなのですか? むしろ味を感じないのは、あなたにとってそれが空気みたいな物だからなのでは?」 予想に反し、助け舟を渡してやった筈なのにそれを撃沈させるかのような言葉が古泉から飛んできた。 「うん? どういう意味だそれは」 特売アイドルみたいなスタイルのお前と違って、俺にはそんなに身の回りに溢れているもんじゃないんだよ。それにそんなことを言われるとな古泉。俺だって……泣くんだぞ。 「いえいえ、そうではないですよ」 若干苦味を持たせたスマイルで、 「あなたにとって必要不可欠であるにも関わらず、身近に存在しすぎてあなたが気付いていないだけ。ということです」 ほう。そいつは嬉しいじゃないか。つまり、俺に想いを寄せているがそれを伝えられずにいるうら若き乙女の視線が、恋の矢の如く俺の後頭部に突き刺さっているのが古泉には見えるってわけだな。 何だか涙が別の理由で出てきそうだと思っていると、 「古泉くん。それどういうこと? 団長に報告もなしに男女交際をしている輩がいるっていう告発?」 そう古泉に話しかけながらも、ハルヒの視線はまるっきり俺の方へと向いている。 そんな目をされても俺はなにも知らん。 「そうではありません」 今日が、古泉にとって初めてハルヒにノーと言えた記念日となった。 「僕はただ、恋とは意識して感じ取れるものではなく、無意識の内に自分が恋に落ちていたという事実を自らが認識した際に知り得るものだ、という考えを述べたまでですので、他意はありません。ご安心を」 「ああ、なるほどね。それはあたしと似たような捉え方だから良くわかるわ」 うん? お前、恋愛は精神疾患だとか言ってなかったか? 「もちろん。風邪と同じでかかりたいと思ったときにはかからないし、忘れてる頃にはいつの間にやら患っているものってことよ。まさに病気じゃない。あたしは抗体持ってるから絶対かかんないけどね」 蝶がヒラヒラと舞い寄ってくるような古泉の思想が、ハルヒの例えによって一気に消毒液臭くなった。 俺は飛び去った蝶の採集を試みるように、 「じゃあハルヒ。抗体持ってるってんなら、以前に恋患いの経験があるんだな?」 「あるわよ」 「へっ?」 っと、俺がハルヒから思わぬクロスカウンターを喰らって目を丸くしていると、 「はしかやオタフク風邪と一緒よ。ちっちゃい頃に感染しとくべきなの。それは」 ……やれやれ。まったく、現実的なものにはどこまでも夢のない奴だな。非現実に見せる積極性をピコグラム単位でも振り分けてみたらどうかと提案するね。それだけでも、お前には男共がわんさと群がってくることだろうぜ。黙ってりゃあもっと良い。 「ド馬鹿キョン! つまんない奴らがいくら集まっても、あたしの欲求は埋めらんないのっ!」 壊れたミニカーのようにキーキー言っていたハルヒは、俺に近づいてきて急に止まったかと思えば、俺の心臓あたりをスイッチを押すようにしつつ不敵な笑みを浮かべ、 「だからね! あたしが集めて作ったSOS団は、みーんな粒ぞろいの精鋭なのっ! 全員一緒なら意図せずとも世界は盛り上がっちゃうって寸法よ! わかるわねっ!」 「……ああ、よく分かってるさ。もちろんだ」 ――そうだとも。佐々木の閉鎖空間をめちゃくちゃにしたあいつらなんかとは、SOS団は全く存在を異にする。 俺たちだってそれぞれ形は違っちゃいるが、いつの間にかそれはパズルのようにガッチリ組みあがって、今では全員で一つのものになっていたんだ。前回の事件で、俺たちはそれを身にしみて感じる事が出来たのさ。 ――そして、その中心にいるのは……ハルヒ。いつだってお前なんだ。 「なにアホヅラかましてんの! そんな暇あったらとっとと書きなさい! ちなみにテーマ変えはなしっ!」 それは変えて欲しかったが、俺はもうハルヒに抗弁をたれるまでには至らなかった。 ハルヒは憤怒しているように見えたが……その表情はまさに、楽しくて堪らないともの語っていたからな。 しかしいつまで経っても団員の誰一人としてポエムを完成させることはなく、修練の結果は翌日に現れるといったハルヒ理論により、詩の作成は宿題という形で団員に背負わされ、俺たちは普段よりも重い足取りながら、いつもの並びで帰路についていた。 「もしかしたら涼宮さんは、己の能力と僕たちの正体に気付いているかも知れません」 何の脈絡もなしに世界が終焉を迎えそうなことを言い放っているのは、もちろん古泉である。 「そりゃまた、えらく段階を踏まない話だな。なぜそう思う?」 ハルヒと朝比奈さんが先頭、次いでハードカバーを読みふけりながら歩く長門、そして最後尾の俺と古泉。 古泉は部室からずっと手に持っていた物を俺に見せるように掲げ、 「……これですよ」 「って、ハルヒが作った只のサイコロじゃないか」 テーマ決めの際に使用された八面体の紙製サイコロだった。 ちなみに、このサイコロ君は生まれて間もなく存在意義を失ってしまった可哀相な奴である。 というより、また使われるようなことがあっては堪らんので、俺としてはいち早く鉄のゆりかごの中で眠って頂き未来人に起こされる日を待って頂きたい次第である。……そういえば、タイムカプセルって自分たちで掘り起こすもんだったよな? 「その話はまた別の機会にしましょう」 古泉の提案を拒む理由は皆目なかったので、俺は話を聞く態勢に入った。 「何故、今回のテーマを涼宮さんがこのような物で抽選したと思います?」 「そりゃあおそらく、学食でテレビでも見ててネタを頂戴したんだろ」 ふむ、っと古泉は視線のみを数瞬だけ横に流して、 「たとえば、涼宮さん自身がクジの偶然性に疑問を持っていたとします。そして無意識の内に、確率を確認するのにはこの上なく最適であるサイコロという手段を取ったのであれば……涼宮さんは表層の意識に限りなく近い所で、己の能力の存在について勘付いているという可能性が示唆されます」 それを聞いた俺は「へえ、」と一呼吸おいて、 「考えすぎじゃないか? あと、お前たちの正体に気が付いてるという予測は何処から立つんだ?」 ほのかに微笑んだ古泉は手に持っていたサイコロを俺に渡し、俺がそれをつぶさに眺めていると、 「これに書かれているテーマですよ。偶然にしては……余りに、僕らが有する要素に対して的を射すぎている。なので涼宮さんは僕たちの正体を心の何処かで知っていて、これによって確証を得たいのかも知れません。これも多分、無意識の内の行動でしょうがね」 はん。年がら年中どこまでも特殊な存在と一緒に過ごしてたら、だれだって少しはそう思うだろうぜ。 「それも深読みし過ぎだろう。サイコロのネタだって、提供元はシャミセンの親類が経営する洗剤会社に違いない」 この言葉に古泉はいつものスマイルを取り戻し、 「そうですね。それに僕たちが一発で各自のテーマを当てなかった理由は、むしろ涼宮さんは自分にそんな能力があるということを否定したいからなのでしょうし、ひょっとしたら、単純に涼宮さんの力が弱まっているだけなのかもしれませんしね」 ん? ちょっと待て。一つだけ合点がいかない。 「……俺のテーマが『恋』になった理由は何だ?」 「それは本当は朝比奈さんが未来人であるように、あなたも本当は恋を」 「なあ古泉。だいたい生徒会長は何でまたこんな時期に文芸活動を要求してきたんだ? まあ当初の要求は文芸部的なんてのじゃてんでなかったが。機関が関係してるのか?」 「それなんですが」 と古泉はスマイルのレベルを最小にまで下げ、 「これは僕らの手回しによるものではありません。会長なりに考えてみた結果なのかも知れませんが、若干、あの人に生徒会長の仮面が定着し過ぎている感が否めませんね。いえ、もしかしたら、喜緑さんの手によるものだったというのも考えられます」 「ほう。まあそれなら重要だったよな。長門に何かがあったのは分かってたのに、俺たちはその何かまでは知らなかったわけだし」 古泉はフフフと不気味に笑い、 「それなんですが、僕にはおおよその見当が付いています」 一体それはなん、まで俺が言葉を出したときだった。 ゴスンッ! ――今の音は長門の頭から出たのか電柱から出たのか、一体どっちだ!? ……なんて、不毛な論議に変換している場合じゃない。 「ちょっと有希っ! あたま大丈夫!?」 ハルヒは長門がアッパラパーになっていないか心配しているのではなく、本を読みながら電信柱に頭部を強打した長門を案じながら、怪我の有無を確認している。 そして古泉と俺は長門が電柱にケンカを吹っかけた光景を目撃して目を丸くし、朝比奈さんはわたわたと長門に気遣いの言葉を途切れとぎれでかけていた。 「心配しなくていい、平気」 いやゴッツンコした所が小高い山を作って、まだ春だってのに紅葉を迎えてるぞ? 「大丈夫か?」 駆け寄る俺に、 「ありがとう。……みんなも」 たんこぶを抑えるのをガマンしている様に見える長門が答えた。 「でも、珍しいわね。有希が物にぶつかるだなんて。そういえば……見た覚えがないわ。いつも本読みながら歩いてるってのに」 「別のことでも考えてて、そっちに気がいってたんじゃないか? 詩とかポエムとか……ポエムを」 「そ、そうなのかな……」 俺のギャグにハルヒは悩ましい顔を作ってしまったので、 「すまん冗談だ。多分、まだ調子が戻ってなくてフラついたんだろ。長門も読書は中断してハルヒたちと歩くといい」 「…………」 沈黙する長門をハルヒと朝比奈さんに任せ、俺は古泉の話の続きを聞くために後列へと戻った。 「長門さんに怪我はありませんでしたか?」 「ん、おでこがプックリだが心配なさそうだ」 「そうでしたか」 そう話す古泉は、どこか嬉しそうな面持ちである。 「なにか良いことあったか」 ムッとした俺が硬質な感触のする言葉を作ると、 「……むしろ現在、機関はある懸念を抱えて悶然としています。ですが、確かに最近の長門さんの変化については喜ばしいことのように思いますね」 「弱っている長門が良いってのか?」 それでは語弊がありますね、と古泉は微笑をたたえ、 「近頃、というか先程の長門さんもそうなのですが……とても人間味を感じませんか? TFEI端末として弱体化してきているというのは、ちょっとずつ長門さんが人間に近づいていきるという側面があると思うのです。それはあなたにとって嬉しいことでしょう? もちろん、僕にとってもね」 俺を目で落としてどうするんだと言わんばかりの温和な視線で、古泉はふわりと柔和な笑顔を作った。 「……そうかもな。俺にとって、そりゃもちろん嬉しいことだ。それに俺たちだけじゃない。ハルヒに、朝比奈さんに、そして何より……長門自身にとってな」 そう。長門にむける心配は、そろそろ見方を変えなけりゃならんのかもしれん。 力を失っていく宇宙人に対するそれから、細腕で柔弱な少女への気配りへと。 「ところで、お前が抱えてる懸念ってのは一体なんなんだ? 俺以外に話せる奴なんていないだろうし、話してみるだけでも多少違うんじゃないか?」 俺の言葉に古泉はどんな表情を出して良いのか解らないといった顔つきになり、 「……そうですね。話しておいた方が良いかも知れません。あなたには」 「なんだ?」 俺の目を見て、 「程ない以前、閉鎖空間と《神人》が久しぶりに乱発された時期がありましたよね?」 「ああ、佐々木とハルヒが出会った日以降だったっけ。お前でも疲労の色が隠せてなかったよな」 「それなんですが、閉鎖空間の発生は二週間ほど前……特定すれば土曜日にまるっきり沈静化しました」 土曜日? ――ああ、俺が佐々木たちと会合した前日か。だが、 「良かったじゃないか。この言葉以外に何がある?」 古泉は全然良くないことを話すような顔で、 「それが、不可解な点がいくつかあるのですよ」 「一体どこにあると言うんだ?」 「まず、何故に突然閉鎖空間の発生が沈黙したのか。機関の諜報部をもってしても原因が判明しません。そして他に……これは閉鎖空間内で《神人》の討伐を担う役割の僕や仲間たちしか感じないのですが……」 古泉は前方で談笑しているハルヒを一瞥し、 「閉鎖空間は世界中の何処にも発生していないにも関わらず、僕たちにはそれが存在しているという確信が、沈静化した直後から心の隅の方で、こうしている今でもくすぶり続けているのです。……それによって一つの推測が立つのですが、これは多分、あなたは聞きたくもない話です」 「聞きたくないかは俺が判断する。さわりだけ言ってくれ」 古泉は眼に真剣をやつし、神妙な雰囲気でこう言った。 「――涼宮さんが、まさに神と呼ぶに相応しくなったのではないか? という内容です」 「そうか。そりゃ全くもって聞くだけ無意味な話だな」 ハルヒが神だって? あいつはいつだって奇想天外な行動を起こしちゃいるが、根っこの方は特に変わりのない普通の女の子じゃないか。お前だって良く知ってるはずだろ。そんなの、考えるだけバカらしいってもんだ。 「ええ、全くです。仮にこの推論が当たっていたとしても、何が起こるのか皆目見当が付かない故に対処の方法も思い浮かびません。なので案じたところでどうにもなりませんし、ただの杞憂であればなお良いだけです。すみません、あなたはこの話を忘れて下さい。それに僕も――」 古泉は、長門の後ろ姿を温もりさえ感じる視線で見つめながら、 「……いかなる憂いすら、今の彼女を見ていると消し飛んでしまいますよ」 そうだな。俺たちが憂うべきものは、今のところ帰ってからどうやったらポエムを書かないで済むか考えることだけだろうぜ。 「……まあ、そうですね」 古泉はまた思案顔を作り、悩ましげに顎を支えていた。これはこいつの癖になっちまったのかね? 「無駄な心配はしないに限るぞ。時間と神経を無為に減らすだけだ」 いつもより元気はないが、それでも十分爽やかなスマイルで、 「……そうすることにしましょう。まあ、詩は頑張って執筆してみますがね」 「ああ。やっぱり俺もお前にならって机の前で頑張ってみるかね。思えば、書かないで済むかなんて思案することだって無駄なんだしな」 「ふふ。お互い頑張りましょう」 そうやって、その日俺たちはそれぞれ自分の家へと足を辿り着かせた。 ……さて、無から有を創造するある意味で神的な作業に入るとするか。 ――俺はこのとき、この平穏は当分の間続くものだと信じていた。 SOS団は今までにない程まとまっていたし、ハルヒと長門が落ち着いてきているのは良い変化だと疑わなかったからだ。 だが、それは違った。それらの吉兆は、裏を返せば……最悪な事態が引き起こされる前兆でもあったんだ――。 第一章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4245.html
NG集 プロローグ 「気がついた!」 ハルヒが突然俺のネクタイを締め上げた。いつだったか似たようなシーンに遭遇した覚えがあるぞ。 「く、苦しい離せ」 「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかしら!」 「何に気づいたんだ?」 「自分で宗教を作ればいいのよ!涼宮ハルヒ教よ!」 誰がお前なんか拝むんだ。古泉が喜ぶだけだろ。 「お呼びに応えて参りました。ラマ僧の古泉です」 「いえいえ、わたしが巫女としてお仕えするわ」 「……いざなぎのぅ、アッラー南無阿弥アーメン華経~」 仮説1 十年後。 「ちょっとキョン、このロウソクの明かりでわびしく仕事するのなんとかならないの」 「電気代払ってねえからしょうがないだろ」 「えーい、こうなったら株に投資よ。新聞を過去の私に送ったら値上がり銘柄が分かるわ。もうウハウハよ」 「そんなことをしたら日本経済が混乱するぞ」 「そうだわ、これをネタに資金調達できるわね。市場を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの投信をよろしく!」 ブラックマンデー、再び。 仮説1 ── 敵の本拠地に潜入した。人影が多い。まだ武器は調達できていない。M9かMK22が必要。擬装用にダンボール箱も欲しい。誰か来る。目標を捕捉した。二十三才男性、身長体格髪の色、データと一致する。これより背後から襲う。まずい、目標がこっちにやってくる。偽装は完璧のはず。発見されたのか!? 「ロッカーの中でなにやってんだ長門」 仮説2 「おおジョン、ジョン、あんたはなぜジョンスミスなの?」 「は?何言ってんだこいつ」 「あたしのことが好きなら、あんたの親父さんを捨てて、苗字を捨てなさい。それがいやなら、あたしに愛を誓いなさい。そうしたら、あたしは涼宮家の人でなくなりましょう」 「す、すまんが、お前の気持ちには応えられないんだ」 「ひ、ひどいわひどいわっ。あたしをもてあそんだのねっ」 「あらら、女の子を泣かしちゃだめよキョンくん」 「まったく、女性を泣かせるなど火あぶりの刑に処せられるべきですよ」 「……この銀河始まって以来の、悪事」 お、おまえら……(ワナワナ)。 仮説2 「みんな、冒険の旅に出るわよ!」 「いきなり何なんだ。どこになにしに行くんだ」 「目的なんてなんでもいいわ、指輪でも聖杯でも。言っとくけど勇者はあたしだからね」 「僧侶なら僕にお任せを」 「……魔法使いなら、得意」 「じゃ、じゃあわたしは吟遊詩人で」 「ってキャラ全部埋まってんじゃん、俺はなにをすりゃいいんだ」 「あんたはただのしかばねでもやってなさい」 仮説3 「話ってハルヒのことか」 こういう内緒話はたいていハルヒの能力に関わることだが、俺はいきなり腹にボディブロウをかました。腹をおさえてうんうん唸っている俺(大)を尻目にセキュリティカードを取り上げドアを開けた。あいかわらず人を信じやすい性質だ。 俺は部屋に戻るなりハルヒに向かって叫んだ。 「ハルヒ、お前に言ってなかったことがある!」 「な、なによいきなり」 「じ、実は俺はジョンレノンなんだ!」 「バッカじゃないの、ギターかかえてイギリスに帰りなさい」 アワナホージョーハーン。 仮説3 「キョンくん、お話したいことがありますっ」 「キョンくん、わたしもお話したいことがありますっ」 「わたしはこの時代の人間ではありません」 「わたしもこの時代の人間ではないんです」 「ずっと未来から来ました」 「ずっとずっと未来から来ました」 「いいえ、わたしはそのまたずっと未来から」 「いえいえ、わたしはずっとずっとそのまたずっと」 もう二人とも未来に帰っちゃってください。 仮説3 「みんな、みくるにタイムマシンが戻ったようだから、時間を遡ってタイムマシンの破壊工作を実行するよ」 タイムマシンを使って別のタイムマシンを壊しに行くなんて、なにか間違っている気もするが。それを聞いて新川さんが真っ青な顔をして叫んだ。 「ま、待ってくれ」 「新川さん、どうしたの?」 「ダンボールだ、ダンボール箱がない。あれがないと戦えないっ」 「森軍曹、彼にちょっと眠ってもらって」 仮説3 「ここでいいよ」 俺は公園のベンチの前で別れを告げた。 「……そう。気をつけて」 「お前も元気でな」 長門は俺の目をまっすぐに見詰め、しっかりと親指を立てた。 「……I'll be back」 号泣。 仮説4 次の日、ハルヒからミーティングの召集がかかった。 「みんな、時間移動技術会議よ。キョン、記念すべき第一回なんだから居眠りなんかしてたら減俸だからね」 俺には懸念すべき、 「……誰がうまいこと言えと」 仮説4 「長門、給与明細作ってんだが、あんときのゴニョゴニョの部分を教えてくれ」 「……分かった。再生する」 『いいわ、いくらほしいの?』 『ええと、コスプレ技術者手当てとして、毎月の給与に十万円上乗せで』 『それはちょっと高いわ。じゃ、これくらいで……一日の初乗り五千円、以降三十分ごとに千円』 ってタクシーかよ!十万上乗せって未来人の金銭感覚はどうなっとるんだ。 仮説4 「東中より出ずる、やんごとなき雅な涼宮ハルヒにおじゃる。宇宙人、未来人、超能力者がおれば麿のところへ参れ。いぢゃう」 唐突になに言ってんだこいつは。 「涼宮さんはなってみたいんですよ、おじゃる丸に」 「これキョン!そちは麿のプリン食べたでおじゃろう!?」 「イタタ、杓で叩くでない。俺は食べておじゃりませぬ」 仮説4 そりゃそうと紙に書かれたもんがほとんどない。和紙みたいなごわごわした厚い紙があったが、丁寧に綴じてあった。紙がないってことは、トイレでかなり苦労するぞ。忘れてた、トイレはどこだ。 「すいません、トイレはどこでしょうか」 「はい?トイレとはなんでございましょうかミコ様」 「ええと、便所、カワヤ、いや雪隠、ええい御不浄」 「あ、バスルームのことでございますね」 って英語かい! 仮説4 ブゥードゥー伝来お寺にご参拝 鳴くよウグイスこけこっこー なんと平凡な平城京 涼宮がいい国作る鎌倉幕府 「す、涼宮さんのせいで歴史が……日本史が・……ああ」 「朝比奈さん、しっかりしてください。おい誰か救急車!」 仮説4 7年前。 「おかえり有希。内部的なエラーが頻発してたそうだな」 「……そう」 「無理なら誰かと代わってもいいんだぞ。一人娘に苦労させるつもりはない」 「……くそったれ」 「い、今なんと言ったぁああ!お前をそんな下品な子に育てた覚えはないぞ!ぺしぺしっ」 「……ごめんなさいごめんなさい」 「長門、どうしたんだ涙目になってるが」 「……あなたが、悪い」 仮説5 三人でいただきますを言って善哉を食った。餅がうまい。小豆もうまい。 「長門さん、おかわりたくさんあるからね」 「……うん」 心なしか長門の頬は緩みっぱなしなようである。長門はその後もおかわりを続けていたが、途中で顔を真っ赤にして箸が止まった。 「おい、長門どうした」 揺すってみるが目が点になったまま固まって動かない。まさか善哉がうますぎて機能不全とかじゃないだろうな。 「もしかして餅がノドに詰まったんじゃ」 「ええっ!?」 俺は長門の背中をドンドンと叩いた。 「長門、長門、しっかりするんだ」 「……ぷは」 創立総会議事録(未使用) 「ええと、株式会社SOS団の創立総会を開会したいと思います。議長はわたくしキョンでよろしいでしょうか。異論がなければ満場一致をもって、」 「裁判長、異議あり!」 裁判じゃないっての。 量子猫 吾輩は猫である。名前は呼ぶな。どこで生まれたのかとんと検討がつかぬ。 ただ、なんでも、暗いじめじめした箱の中でみゃーみゃー泣いていたことだけは記憶している。 目を開けると光の中にいた。そこがどこなのか吾輩には分からなかった。 誰かに呼ばれたような気がして、そちらに歩いていった。はて、吾輩の名前は誰も知らないはずなのだ。 吾輩は匂いをかいだ。人にしては匂いが違う。指をなめてみた。味も違う。 人の形をしたそれは吾輩に向かって「ミミ」と呼んだ。 それが吾輩の名前になった。 10年後 「なるほど。MOREってこんな雑誌だったんですか……スタイルごとにすべてキャッチがあって、洗練されていますね。まったく新世界です」 「よっ古泉じゃねえか。立ち読みか?」 「うわあ、こっこれはなんでもありません」 なんだアイツ、走って逃げやがった。 師走の朝、吐く息も白く曇る冷たい乾いた空気の中、長門が通りの向こうから歩いてきた。いつものダッフルコートを着ていない。 「おう、おはよう」 「……おはよう」 「そのコート、新しいな。買ったのか」 「……そう」 厚手のこげ茶のコートに身を包んでいた。フードはないが、生地が柔らかくて暖かそうだ。 「……」 おもむろに長門が俺の腕に寄り添った。 「……ぴと」 「なんだ?」 「……カシミヤ効果」 ハルヒのワームホール 四人は顔を突き合わせてあれやこれやと意見を出し始めた。 「これはミステリーですね。密室にあったはずの手紙はどこへ消えたのか?」 推理好きな古泉が安っぽいサスペンスドラマっぽく仕立て始めた。 「壁の向こう側から盗まれたんじゃないかしら?」 朝比奈さんが穴の奥の壁を探っていた。 「向こう側は廊下ですよ。それに穴は鉄筋で止まってますから」 「……」 長門だけはじっと考え込んでいた。 「どうした?」 「……この穴の内壁」 穴の内側をなぞっている。指先に、微妙に光を反射する粉がついていた。でこぼこを埋めたときの石膏かと思ったが、そうでもないようだ。 「……ぺろり。これは、エキゾチック物質。……うぐぐぐ」 「長門が泡吹いて倒れたぞ、おい誰か救急車!」 次回予告 「次回、涼宮ハルヒの経営Ⅱ!」 「え、次お水関係?」 「我が団には豊富な人材が揃っているわ。みくるちゃん、特注の衣装用意しといたわよ」 「こ、こんな裾の短いスカート履けません。それにこんなスケスケ!」 「では僕が着て進ぜましょう」 「あらっ似合うわよ古泉くん」 「俺は何すりゃいいんだ」 「キョンは芸がないんだから客引きでもしてなさい」 「はいっそこのお兄さん今日だけ千円ぽっきり!宇宙人未来人超能力者、いい子いるよっ」 「……シャチョサン、ビルノムカ」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1880.html
どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 次のページへ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1839.html
中庭が見えてくる。おお、居た居た。相変わらずのムカツク程の爽やかな笑みで古泉は俺を待っている。 ただいつもと違うことがあった。 古泉と一緒に、なぜか我が愛しのエンジェル朝比奈さんもセットでついてきている。 昨日俺は朝比奈さんにも涙ながらのご叱責を受けている。しかも平手打ちのオマケつきだ。 正直いってかなり気まずいな・・・更に歩を進めながらそう考えていると 「お待ちしていましたよ。わざわざご足労頂きまして恐縮の極みです」 お前の社交辞令じみた挨拶などどうでもいい。それよりなぜ朝比奈さんもいるんだ? 「それは、私が無理行って古泉くんについてきたからです。 昨日はキョンくんの気持ちも知らずひどいこと言って・・・しかも叩いたりまでして・・・ごめんなさい」 朝比奈さんは申し訳なさそうに小さな身体を折り曲げる。 「いえ、俺の方こそ申し訳ありません」 俺も素直に謝罪の意を示す。 「あと今日こういう場を設けたのは謝るためだけじゃないんです・・・」 朝比奈さんは言葉を続けようとするが・・・。 「実はですね――」 急に話に割り込んできた古泉がその笑みを途端真剣な表情に変え、語り出す。 「昨夜、閉鎖空間の発生が確認されなかったのです」 そうだった・・・アレだけハルヒを怒らせたんだ。灰色空間の1つや2つ発生してもおかしくない状況だったろう。 そんなことまで失念していたなんて本気で昨日の俺はどうかしてたらしい。 「まあ、そのこと自体は我々機関にとっては喜ぶべき事実です。 しかし、この事実は違う意味を持ってもいるのですよ」 何だって言うんだ。もったいぶらずさっさと言え。 「涼宮さんはあなたを信頼していた、そしてあなただけは何があってもついてきてくれていると信じていた。 しかし、昨日のあなたはその期待を裏切ってしまった。その時の涼宮さんの怒り、悲しみ、絶望は いかほどのものだったでしょう?想像も及びません」 俺だって少しは反省している。説教なら聞き飽きたんだがな。 「まあ、聞いてください。 とにかく涼宮さんのあの時の感情の起伏は凄まじいものでした。 正直あの後、僕はすぐにアルバイトに駆けつけなくてはいけないことも覚悟しました。 しかし、閉鎖空間は発生しなかった。このことが何を意味するかお分かりですか?」 全くわからん。 「つまり、涼宮さんは『力』を失ってしまったのかもしれないということです。 普通、あれだけの感情の起伏や不満が観測されれば閉鎖空間どころか世界の崩壊だって ありえますからね。しかしそのような自体にはならなかった。涼宮さんの『力』が消失したためだ、 と考えるのは当然の帰結というものです。僕にも俄かに信じられませんでしたが・・・。 機関の上層部はこの『何も起こらない』という不気味さに戦々恐々としていますよ」 俺は呆然としていた。ハルヒが『力』を失っただと? 今まで俺達、いや特に俺をアレだけ何度となく騒動に巻き込んでくれたあの『力』を? そんな話、信じろと言われて「はいそうですか」と信じられるもんか。 しかしあの灰色空間が発生しなかったのは何よりの証明のなんじゃないのか・・・? いや・・・しかし・・・そんなまさか・・・。 「と、まあそんな話は嘘なんですけれどもね」 おい、古泉一発殴らせろ。というか黙って殴られろ。直立不動で歯を食いしばれっ! 「ここから先は朝比奈さんに説明していただきましょう」 今にも古泉に殴りかからんか、という俺を尻目に朝比奈さんはおずおずと前に出てきて 戸惑った表情を見せつつも、ポツポツと静かに語りだした。 「キョンくんに涼宮さんの本当の気持ちを知ってもらおうと思ったんです・・・。 昨日は私もどうかしちゃってて・・・落ち着いて話せなかったから・・・」 ハルヒの本心ですか・・・。俺も考えてはみたんですがね・・・。 「涼宮さんがまだバンド結成すると言い出す少し前、部室で偶然2人きりだった時、私に話してくれたんです・・・」 『涼宮さ~ん・・・今度の撮影でもまたあの衣装を着て外に出なくちゃいけないんですか~?』 『当たり前じゃないのよ、みくるちゃんは2作連続での主演女優よ?光栄に思いなさい!』 『ふえ~ん、恥ずかしいですよ~』 『泣き言言わないの。それに今回の文化祭は映画だけじゃない、取って置きのサプライズプランを考えてあるんだから!』 『・・・さぷらいずぷらん、ですか?』 『今はまだ言えないけど、きっと成功すればあたし達SOS団が文化祭での主役になること間違いなしよ! 皆の驚く顔が目に浮かぶわ、特にバカキョンなんて余りの驚きにアゴが外れるんじゃないかしら?』 『それは、私もやらなきゃいけないことなんですか・・・?』 『勿論よ!今回のプランはあくまでもSOS団団員全員が揃って初めて意味があるんだから!』 『映画の撮影は・・・』 『勿論、同時進行よ。まあちょっと時間的にきついかも知れないけど高校生活のたった3年間、2度と訪れない青春の 1ページなんだからそれくらいの無茶はなんてことないわ!』 朝比奈さんの回想をまとめると、大体こんな感じの会話が交わされたそうだ。 「きっとそのサプライズプランがこのバンドのことだったと思うんです。 あの時の涼宮さんは、本当に楽しそうな笑顔でした。この1年半、涼宮さんの色んな表情を見てきましたけど その中でも1番って言えるくらいでした」 俺は朝比奈さんの話に黙って耳を傾けていた。 朝比奈さんは更に続ける。 「それに涼宮さんは『SOS団の団員全員でやらないと意味がない』って言っていました。 私達皆でやらないと意味がないって・・・。 私、それでわかりました。涼宮さんはどうしてもSOS団の全員で文化祭のステージに立ちたいんだなって。 そしてそれが実現することを何よりも楽しみにしているんだなって」 朝比奈さんは語りは止まらない。 「確かに昨日の涼宮さんは凄い怒っていたかもしれません。古泉くんの言うように世界が崩壊してしまっても おかしくないくらいだったかも知れません。それでもそうしなかったのは涼宮さん自身のどんな大きな不満や 怒りなんかよりも全員でステージに立ちたいっていう気持ちの方がずっと強かったからなんじゃないかって思うんです・・・」 朝比奈さんはそこまで語り終えると小さく息をつき、真剣な眼差しで俺を見つめた。 「つまり今の話を要約しますとですね、涼宮さんは閉鎖空間を発生・拡大させ、この世界を崩壊させてしまうことより SOSバンドとして文化祭に出場するためにこの世界を守ることを選んだ、という訳ですね。 まあ、僕も朝比奈さんからこの話を聞くまでは、正直本気で『力』の消失を疑っていたのですが。 そういう訳ならば僕も納得がいきます。実際その『力』のせいで僕のベースの腕前は未だプロ級を保ったままですしね」 古泉がすかさず解説を入れる。 朝比奈さんの熱弁を受け、俺はなんとも複雑な気持ちだった。 「俺はどうすればいいんでしょうかね・・・」 「涼宮さんに謝ってあげてください。きっと涼宮さんもキョンくんには悪いと思っているはずで・・・ 素直になれないだけなんだと思います。それで『また一緒に練習頑張ろう』って。 そう言ってあげてください」 俺は、ハルヒがなぜアレだけバンドにこだわったのか、どうしてあんな短期間の内に3曲も書くほどの熱意を見せたのか、 その理由がわかった気がした。 「わかりました、俺、ハルヒと話をしてみます」 俺がそう答えると、朝比奈さんの真剣だった表情が天使かと見紛う程の嬉しそうな顔になった。 「本当ですか?」 「ええ、昨日は俺もどうかしてました、何とかハルヒと話をして、謝ってみます」 「よかった~。キョンくんならきっとわかってもらえると思いました」 朝比奈さんは本当に嬉しそうだ。 そして古泉はやれやれといった表情を浮かべ、 「話もまとまったようですね。いやはや良かったです。 実は僕もですね、演奏しているのが何だか楽しくなってきてしまってですね、 こんなことでバンドが解散、なんてことになるのはいささか悲しかったんですよ」 よく言うぜ、お前はハルヒのご機嫌取りが最優先だろうに。 「そんなことはありません。機関の思惑やその一員としての使命感を抜きにして・・・ いちSOS団の団員として、僕は文化祭でのバンド演奏を成功させたいと思っていますよ それにベースを弾くのも楽しくなってきましたしね。何と言っても重低音がいいですね。 下半身にこう、グッと響きます。なんとも気持ちのいいものですよ」 古泉のその台詞が何とも変態的に聞こえたのは気のせいだろう。 「私もです。最初はキーボードなんか弾けないって思ったけど、 皆で演奏してたら、何だか楽しくなってきちゃいました。 本番のために、鍵盤に突き刺す用のナイフも買ったんですよ?」 本気にしてたんですか・・・朝比奈さん・・・。 「冗談です♪」 「僕も涼宮さんの言うとおりにステージ用の靴下を新調しましたよ。 ただ困ったのが、なかなかサイズに見合うものがなかったことですね。 こうなったら着けないで出演しようかと考えたくらいですよ」 五月蝿い古泉。お前は黙っていろ。大体何だサイズって。そんなにデカイのかよ。 とにもかくにも、俺がハルヒに謝るということで話は何とかまとまった。 「そういえば――」 俺には1つ疑問に思っていることがあった。 「長門がこの場に来ていないのはなぜだ?」 そうである。今後の世界の行く末にも関るかも知れないという非常に重要なこの昼休み会合だったはずだが、 なぜかそういった事情に一番精通しているはずの長門の姿が見えない。 「長門さんは一応お誘いはしたんですがね・・・」 古泉は溜息をつき、答える。 「行く必要はない、と断られてしまいましたよ。理由を聞いたんですがね、 『彼を信じている』と、ただ一言。それだけですよ。 あなたを信頼しているのは涼宮さんだけじゃない、ってことです」 昨日、教室で呆然としている俺に同じ台詞を言った長門の姿が思い出される。 そうか、ありがとな長門よ。お前の信頼にも応えてやらなきゃな。 (おまけ 古泉視点です) その後、教室へ戻る道すがら、僕は彼に語りかけました。 「知っていますか? バンドというと一見花形はボーカルやギターのように思われがちですが、 実はそれ以上にベースやドラムの役割が重要なんですよ」 「それは初耳だな」 「この2つのパートはリズム隊と言ってですね、 バンド全体の演奏のテンポやリズムを司る役割として、非常に重要なんです」 「なるほどな」 「だからですね、ベースとドラムの演奏があっていないと、どんなにボーカリストが上手かろうが ギタリストの技量が高かろうが、キーボードが火を噴くような壮絶な演奏をしようが、 バンド全体としての音は締りの悪いものになってしまうんですよ」 「それはそれは、責任重大だな」 「つまりですね、バンドにおいてはベーシストとドラマーのコンビネーションが何よりも肝心ということです。 結論として、あなたと僕は一心同体も同然!ということです。 早速今夜から2人きりでの夜の個人練習に励みましょ・・・」 「黙れ、変態が」 彼はそう言うと歩を速め、スタスタと自分のクラスの教室に向け、歩いて行ってしまいました・・・。 「・・・マッガーレ・・・」 (キョンたんは相変わらずツンデレですね。まあ、そういうところも愛しいんですけどねwww) 教室戻った俺はハルヒを探した。 しかしその姿を見つけることは出来ない。 結局、その日は放課後までハルヒは教室には戻ってこなかった。 もしかして帰ってしまったのか? タイミングを逃したのかもしれない・・・。 そう考えながら、廊下を歩いていた俺の視界に見覚えのある人影がうつった。 「長門・・・」 その人影とは誰あろう長門であった。 長門はいつもの液体ヘリウムのような目で俺をみつめ、静かに言葉を吐き出した。 「涼宮ハルヒは軽音楽部の部室にいる」 「ほんとか!?」 どうやら帰ったって訳じゃなかったみたいだ。 「涼宮ハルヒはあなたを必要としている。行ってあげて」 俺はその一言で完全に決心がついた。 「重ね重ね済まないな。長門よ」 「いい」 ふと気付くと長門は手に筒状の何かを持っている。 「ところでそれは何だ?」 長門は表情1つ変えず答える。 「ダイナマイト。ステージでアンプを爆破するために調達した」 オイオイ・・・。長門もハルヒに言われたことを本気にしていたのか・・・。 それにしても・・・。 「お前も文化祭の本番を楽しみにしているのか?」 俺は何気なくそんなことを聞いてみたい気分になった。 「それなりに」 俺はそんな言葉を呟いた長門の表情の中に少しの期待を見出すことが出来た。 そして俺は今、軽音楽部の部室兼SOSバンドの練習室の前に立っている。 長門の言うことが正しければ、ハルヒはこの中にいるはずだ。 ふと気付くと、教室の中から何かが聞こえてくる。 それは聞き覚えのあるメロディー、昨日俺が聴いたハルヒのオリジナル曲に相違なかった。 意を決して中に入る。 するといた。ハルヒである。 ハルヒは背を向け、アンプに腰掛けてギターをつま弾いている。 そのメロディーは、昨夜俺が聴いた3曲の中の1曲、 確か『ハレ晴レユカイ』とかいうタイトルの曲だ。 俺はしばらくハルヒの弾くギターの音色に聴き惚れてその場に立ち竦んでいた。 しばらくして、演奏がピタッと止んだ。どうやら俺が入ってきたのに気付いたらしい。 ハルヒは首だけ振り返り、俺の姿を認めるとすぐにまた背を向けてしまった。 気まずい沈黙が流れる。俺は再度意を決して言葉を発する。 「今の良かったぞ。何て曲だ?」 知ってるくせにな。我ながら白々しい。 ハルヒは背を向けたままだ。無視されているのかと思いきや、静かに口を開いた。 「何よ、あんた脱退したんじゃなかったっけ?」 何とも厳しいお言葉だ。しかし俺はめげない。 「その筈だったんだがな。どうもこのままだと寝覚めが悪い――」 ハルヒは黙って俺の言葉を聞いている。 「そりゃあ俺は音楽的な才能もないし、いつまで経ってもまともに演奏できてない。 だから、お前の要求はいくらなんでも無理だろうって思う時もある。 でも・・・それでも俺はこのSOSバンドでの文化祭を成功させたいと思ってる。 朝比奈さんや長門や古泉と一緒に・・・、 そしてハルヒ、お前と一緒に・・・文化祭のステージに立ちたいと思ってる。 だから・・・昨日は済まなかった。俺にもう一度ドラムを叩かせてくれ」 俺がそこまで言い終えると、相変わらず背を向けたままのハルヒが口を開く。 「何よ、そんなこと言って、あんだけ取り乱したあたしが何だかバカみたいじゃない・・・」 抱えていたギターをアンプに立てかけ、ハルヒはこちらを向く。 「でもまあ、あんたがどうししてもって言うなら・・・許してあげないこともないわ!」 「ほんとか?」 「た・だ・し!団長に逆らった罪は重いわよ! これからあんたには罰として寝る暇も惜しんでドラムの練習に励んでもらうわ! 勿論映画の撮影に力を抜くことも絶対許さないだからね!」 かなり重い罰を課されてしまったようだがそれでも俺は心底安心していた・・・。 その安心感が俺に不用意で思い出すだけでも恥ずかしい一言を言わせてしまった。 「よかった。これでまたお前の歌が聴けるんだな・・・」 言った瞬間顔から火が出そうな恥ずかしさに襲われた。 手元にショットガンがあったなら、すぐにそれを口にくわえて引金を引きたいぐらいだね。 そうして涅槃の境地に到りたいくらいさ。 「ふ、ふんっ!SOS団団長の神聖なる歌声をタダで聴けるのよ! 少しはありがたく思いなさいよねっ!」 ハルヒも心なしか顔を赤らめているように見えるし・・・。 俺は気を取り直し、ハルヒに話しかける。 「実はな、さっきお前が弾いてた曲は既に知っていたんだ。 昨日お前が落としてったMDでな」 ハルヒは特に驚いたこともなく答える。 「何よ、無い無いと思ってたらあんたが持ってたってわけ?」 「別に悪気があったわけじゃないんだがな。まあとにかく曲聴いたぞ」 「ふん、せいぜい私の作った曲のクオリティの高さに驚いたでしょうね」 ハルヒは吐き捨てるように言う。 「ああ、凄かったよ。アレならオリコン10位以内だって狙える」 これは俺の本音だ。 しかし、ハルヒは一層顔を赤らめる。茹で上がったエビみたいだ。 「あ、当たり前じゃないっ!今の日本の音楽業界は腐ってるわ! あんな有象無象のクオリティの低い曲が売れるぐらいならそれくらい当然よ! むしろ1位を取って然るべきね!」 それは流石に無理だろうが、ハルヒの機嫌も何とか少しは上向きになってくれたようだ。 「とにかく! あたし達SOSバンドが文化祭のステージをジャックするにはまだまだ練習が足りないわ! 今からすぐに練習よ!キョン!そうとなったら今すぐに他の団員達を招集しなさい!」 こうしてSOSバンドの活動再開が高らかに宣言されたというわけだ。 そこからの数日はこれまで以上の多忙を極めた。 まずは映画の撮影。文化祭本番3日前に何とかクランクアップしたものの、 超監督の理解不能な撮影方針によって取り溜められた映像の殆どが訳のわからないものであり、 ギリギリのウェイトレス衣装で未来人的なナゾのビームを目から発射させられている朝比奈さんや スターリングインフェルノとかいうショボイ棒切れをくるくる振っている黒ずくめの悪い宇宙人長門、 やっとのことで自分の持つ超能力を自覚したはいいものの、ニヤニヤ笑ってるだけで存在感のない古泉、 その他、再度脇役で登場した鶴屋さんのぶっ飛んだアドリブ、国木田や谷口のビミョーな演技、 今回は人語を話すという暴挙は犯さなかったものの、 それではタダの猫であり劇中に登場する意図が全くわからないシャミセンのあくび、 訳もわからずはしゃぎまわるだけの俺の妹、といったようなものであった。 こんなものを編集させられる俺は一体どうすりゃいいんだ? 本当にこれなら朝比奈さんのプロモーションビデオを作った方がマシってもんだ。 まあ、そのくらいにヒドイ出来だったわけである。 そんな状況に頭を抱えていた俺ではあったが、ハルヒも何だかんだいっては手伝ってくれた。 しかしそれでも映画としての体裁を整えるにはほど遠い。 これはもう本気で今年こそ朝比奈プロモーションクリップにするしかないと思っていた俺に救いの手が差し伸べられた。 それは誰あろう長門である。何か長門に頼ってばかりだよな・・・俺。 長門は大量のビデオテープを目の前にし、ウンウン唸っている俺を見かねたのか 「貸して」 と言うと全てのテープを家に持って帰ってしまった。 するとびっくり、次の日には長門は全ての映像編集を完成させてしまっていた。 朝比奈さんの目から出るビームのCGや効果音、BGMまでばっちりだ。 「完成した」 そう言ってマスターテープを俺に手渡す長門、これまた去年も同じようなことがあった気がするな・・・。 そして問題のバンドである。 ハルヒの作ったオリジナルの3曲が既存の2曲と共にセットリストに加わり、 SOSバンドは殆どのメンバーが初心者にも関らず、5曲も演奏しなければならないという重荷を課せられた。 いや、初心者といってもハルヒのトンデモパワーでプロ並みの腕前になってしまった古泉と朝比奈さんはまだいい。 結局初心者のままの俺は、毎日ヘトヘトになるまでドラムを叩き続けていた。 God Knows...とLost MyMusicの2曲に関しては何とか形になってきたものの、更に3曲を覚えるのは相当にキツイ。 しかしハルヒにアレだけの見得を切ってしまった以上、俺も諦めるわけにはいかない。 とにかく毎日、暇を見つけては軽音部の部室に出向き、寝食を忘れてといっていいほど練習を繰り返した。 そのおかげかこれまでペンダコすら出来たことのない俺の指には立派なマメが出来てしまったりもした。 更に、ドラムのことは同じドラマーに聞けばよいと考えた俺は週末、映画の撮影の後、独りで駅前のライブハウスに足を運んだ。 そう、あのENOZのライブを見に行ったのである。 率直に言って彼女達の演奏は相変わらず素晴らしかった。 狭いライブハウスではあったがその分観客の熱気も凄まじく、演奏中はあちらこちらでモッシュ&ダイブまで起こっていた。 そしてGod Knows...とLost MyMusicに関しては彼女らが本家であり、岡島さんのドラム演奏は非常に参考になった。 俺はライブ終了後、挨拶も兼ねて彼女達の楽屋を訪ねた。 ENOZの面々は初め俺を見たときは誰だかわからなかったようだったが、ハルヒの名前を出すや否や、合点がいったらしい。 俺はSOS団がバンドとして文化祭に出演すること、彼女達が本家である2曲をカバーさせてもらうこと、 ハルヒが作ったオリジナル曲のこと(勿論デモテープも聴いてもらった。すこぶる好評だった)等をつらつらと話した。 「そうかー、あの涼宮さんがねー」 ドラムの岡島さんが感慨深げに呟く。 「涼宮さんならきっとまたスゴイ演奏をしてくれると思うよ」 「私達、ほんと涼宮さんには感謝してるんだ。 あのステージが無かったら私達の曲を皆に知ってもらうこともなかった思うし・・・。 きっと卒業してメンバーも皆バラバラになって、バンドも自然消滅してたかも知れない・・・」 ベースの財前さんは遠い目をして語る。 「今私達が4人で活動を続けられるのもあのステージがあったからだと思う。 本当、涼宮さんには足を向けて寝れないわ。勿論ギターを弾いてくれた長門さんもね」 ひとしきりの会話を終え、俺は本題でもあるドラム演奏についてのアドバイスを求めてみた。 するとドラムの岡島さんはひとしきり考えた後・・・ 「口で言ってもわからないところがあるし・・・。そうだ! 実際に叩いてみるのが手っ取り早いと思うよ?」 と言うと、客のいなくなったステージに俺を上げてくれ、実演を交えた指導を行ってくれた。 時々、「ここの叩き方はこう!」とか言ってスティックを持つ俺の手を握られたりしてしまうなど、 何とも気恥ずかしいば場面もあったりもしたが、岡島さんは流石本家だけあり、非常に的を得た指導だった。 「本当にありがとうございました」 俺は懇切丁寧なアドバイスをくれた岡島さんはじめとするENOZの面々に頭を下げた。 「いいのよ、このくらい。私達が涼宮さんに受けた恩に比べればなんてことないわ」 岡島さんが恐縮する。なんて腰の低い良い人達なんだろう。少しはハルヒに見習わせたいね。 「最後に1つだけアドバイスさせてほしいんだけど・・・」 「何でしょう?」 「バンドっていうのは、メンバーが誰ひとり欠けても成り立たないものだと思うの。 私達も今でもこの4人でやれてることに凄い喜びを感じてるしね。 だから君もバンドのメンバーを・・・SOS団のメンバーを大切にしてあげてね。 そうすれば技術とか関係なく、きっといい演奏が出来ると思うよ」 朝比奈さんや古泉が同じようなことを言っていたのが思い出される。 SOS団のメンバー全員で・・・か。俺にもやっとハルヒの気持ちがわかってきたのかもしれない。 俺はもう1度彼女達に謝辞を述べ、帰途につこうとした。 すると財前さんがニヤニヤとした表情で近寄ってきて、俺に耳打ちをしてきた。 これまたちょっと恥ずかしいな・・・。 「そういえば・・・その後涼宮さんとはどうなのかな?『オトモダチ』の関係から進展した?」 「はぁ?」 俺は何とも間の抜けた声をあげてしまった。正直彼女の質問の意図するところが掴めない。 そんな俺の間抜けな表情を見て、彼女達は意外そうな表情を浮かべたかと思うと、 一様にやれやれと両手を挙げ首を振るジェスチャーをしている。「だめだこりゃ・・・」なんて言葉も聞こえたりする。 まだ状況を良く掴めないまま呆けてる俺に財前さんは更に言葉を続ける。 「まあ、君のペースでやればいいんじゃないかな? そんな所も君の味だと思うし・・・。 でも女の子を余り長く待たせるのは感心しないよ~?」 「はあ・・・??」 最後まで彼女達の言わんとするところはわからぬまま、その日は終わった。 そしてとうとう文化祭の当日になるわけだが、実はこの前日ちょっとした問題が発生していた。 というのも文化祭のステージにおいて何らかの出し物をする際は文化祭の実行委員と生徒会の許可を取らなくてはならないのだ。 俺達はバンド練習と映画撮影に夢中でそんな当たり前のことも忘れていた・・・。 出し物の申請期限はどうやら一昨日だったらしい・・・。あの時は映画の編集で忙殺されていたからな・・・。 さて、この事実をハルヒが知ったらそれこそ世界崩壊一直線だ・・・。 しかし、この件に関しては生徒会長と「太いパイプ」とやらを持つ古泉の口利きによって何とかなり、 特別に申請抜きでも文化祭のステージに出演できる運びとなった。 古泉には感謝したいところだが、そもそもそんな基本的なミスをお前が犯すとはな・・・。 俺達がどれだけバンドと映画だけに集中していたかが伺えるというものだ。 ちなみにあの毒舌生徒会長は、 「フン、またあのおめでたい女のご機嫌取りの為に使われるのはいい気はしないが、 今度はバンドだろ?せいぜいマトモな演奏になるように願うぜ。 まあ、あの女にはマジで音楽の才能はあるみたいだしな――」 と、相変わらずハルヒのご機嫌取りに利用されるのに不満げながらも 「そうそう、古泉。お前ステージで全裸になるんだって? あの女の歌を聴いているのも癪だし、お前がぶら下げている方の『ベース』でも見に行ってやるよ」 と、煙草をくゆらせながらのたまってくれた。 というか生徒会としては文化祭のステージでストリーキング行為を行うことにはお咎め無しなのか? 古泉も古泉だ。「是非楽しみにしていてください」なんて言ってんじゃねえ。 さて、本当の問題はこのことではない。 実は、俺の腕が限界に来ているということだ。 端的に言うと、凄く痛い。 この1ヶ月、慣れないドラムという楽器を叩きに叩きまくり、 特にこの数日間は寝食も忘れて練習に没頭していたこともあり、とうとう腕が悲鳴をあげたというわけだ。 「何も前日にこんなことになる必要はないじゃないか・・・」 風呂の中で腕をマッサージしながらひとりごちた。 果たして、明日のステージを無事こなせるだろうか・・・。 文化祭当日である。結局腕の痛みは取れないままだ。 勿論、このことはハルヒはじめ他の団員には話していない。 後で考えれば、長門あたりに頼めば一瞬で治療してくれたりしたのではないかとも思うが、 残念なことにその日の俺はそこまで頭が回らなかった。 ステージでの出し物が行われるのは午後からである。 それまで俺は去年と同じように谷口と国木田と共に校内をグルグル回っていた。 視聴覚室では俺達が制作した映画が上映されているはずだが、 あんなわけのわからない映画を、しかも編集段階でイヤというほど見たものを、 改めて見に行くほど俺はヒマではない。 「まあとりあえずはナンパだろ。今年は結構他校からも女の子が来てるからな」 相変わらず谷口はナンパにしか興味がないらしい。成功率ゼロのくせによく懲りないもんだ。 「それより僕はお腹が空いたな。なんか食べに行こうよ」 とは国木田の弁である。 「そういえばキョン、今年は朝比奈さんのクラスの出し物の割引券とか貰ってないの?」 そうだった。去年と同様、朝比奈さんのクラスは焼きそば喫茶をやるらしく、その割引券をしっかり今年も貰っていたのだ。 ついこの間朝比奈さんが鶴屋さんと共に俺のクラスまでわざわざ足を運んでまでくれたのに失念していた。 「おお!マジか!今年も朝比奈さんのあの衣装が見れるっていうならこりゃナンパどころじゃないな!」 谷口も飢えた魚のような食いつきを見せる。 うむ。確かに朝比奈さんと鶴屋さんのあの麗しいウェイトレス姿を見れるというのならば行って損はない。 もしかしたら余りの麗しさに俺の腕も癒されたりしてな。 結論から言うと、今年も朝比奈さんのクラスの焼きそば喫茶は素晴らしかった。 何が素晴らしいって、ウェイトレス姿の朝比奈さんと鶴屋さん以外にない。 基本的に去年の衣装と似たものだったが、それをベースに更なるバージョンアップを施したものらしい。 しかし、本当に朝比奈さんのクラスにはプロ並みのデザイナーか何かがいるに違いない。 これがSSなのが残念だね。是非皆にお見せしたいくらいさ。 ちなみに、食券のもぎり役である朝比奈さんは少し恥ずかしそうな面持ちであったが、 それとは対照的に今年も廊下にまで出て客引きをしていた鶴屋さんは何とも元気であった。 「お、キョンくんとそのオトモダチ!いらっしゃいっ!」 「今年も盛況ですね」 「去年があんだけ大繁盛だったからねっ!味を占めて今年もまったく同じ出し物にしたのさっ! いやぁほんとにボロ儲けだよっ!笑いが止まらないねっ!」 「鶴屋さんや朝比奈さんがいますからね」 「ありゃー、キョンくんも上手いこというねっ!おねえさん感激にょろよっ!」 いやいや、本心ですよ。 「そういえばキョンくん、今年はバンドやるんだってねっ!みくるから聞いたよっ! めがっさ頑張るにょろよっ!あたしも見に行くよっ!」 「ありがとうございます」 鶴屋さんは台風が過ぎた後の晴れ渡った青空のような笑みでそう言うと、俺の腕をバンバンと叩いた。 正直、痛めていた腕にはかなりの衝撃だったが俺は何とか表情を崩さずにいた。 その後、ナンパをしに行ってしまった谷口と他のクラスの出し物を見に行ってしまった国木田と別れ、 俺は独りで校内をブラブラとしていた。午後のステージまではまだ時間がある。 ちなみに、朝比奈さん以外の団員達のクラスの出し物についてもここで紹介しておこう。 長門のクラスは今年も占いの館とやらをやっている。 どうやらこちらも去年好評だったのに味を占めたようだ。 黒ずくめの悪い魔法使いの衣装に身を包んだ長門が相変わらず、一歩間違ったら未来予知とも言えるような 具体的過ぎる占いをして、客を引かせてしまっているのではないかとの心配もしたが、 チラッと覗いてみた感じ、何とかしっかりやっているようだ。 古泉のクラスは今年は演劇ではないようだ。 「映画にバンドに演劇、いくら僕でもちょっとこれは厳しいですしよかったですよ」 なんて古泉は前に言っていたが、果たしてアイツのクラスでは何をやっているのかというと―― 何と、『執事喫茶』であった・・・。これはアレか、所謂メイド喫茶の男版みたいなもんか・・・。 パリッとしたタキシードに身を包んで接客をしている古泉、ムカツクが似合っている。 「お帰りなさい、お嬢様」とか白々しい台詞まで吐いてやがる。 客層も女の子が殆どで、他校からきたと思しき子も見受けられる。 その殆どが古泉のタキシード姿に見とれているようだ。やっぱりムカツクな。 というかよく執事喫茶なんてやろうと思ったな。それだけ古泉のクラスにはイイ男が多いってことか。 古泉は俺の姿を見つけるや否や気味の悪い笑みを浮かべ、こう言った。 「バンドの出番までにはまだ時間がありますからね。 今までそちらの活動で忙しく、クラスの出し物の準備に貢献できなかった分、 こうして午前中だけでもクラスのために奉仕している、というわけです。 せっかく来たんですし、お茶でも飲んでいきませんか?」 断る。野郎に「お帰りなさい、ご主人様」とか言われて喜ぶような特異な性癖は持ちあわせちゃいない。 「それは残念です。 実のところ、今回の出し物は当初は執事喫茶ではなく『自動車修理工喫茶』に僕はしたかったんですけどね。 ウェイトレスの衣装はタキシードでなく全員ツナギでね。勿論ターゲットとする客層は男性です。 でもその意見はクラス会議で却下されてしまったんですよね・・・」 当たり前だ、変態め。大体何だツナギって。そんなもん喫茶店じゃねえ。ハッテン場になっちまう。 そんな変態古泉を無視し、更に俺は校内をブラブラしていた。 しかし特に目につくような出し物はない。 正直、それでもこうしてブラブラしていないと午後のステージのことが気にかかってしまう。 そして腕の痛み。コイツはとうとう最後までどうにもならなかったみたいだ。 そして午後、俺はステージに出演する生徒の控え室である舞台裏の楽屋に足を運んだ。 そこには俺以外の面子が既に顔をそろえていた。 「ちょっと遅いわよ!キョン!」 そう言うハルヒは何とバニーガール姿でギターを抱えている。どうやら去年と同じ衣装でステージに上がるらしい。 ちなみに長門は相変わらずあの黒ずくめの魔法使いの衣装。 当初はハルヒとお揃いでバニーガール服のはずだった朝比奈さんは、映画で着ていた戦うウェイトレスの衣装である。 ハルヒいわく映画の宣伝の一環らしい。 そして全裸での出演を宣言していた変態古泉はなぜかさっきの執事の衣装である。 「本当は全裸のはずだったんですが・・・急遽文化祭実行委員の方からクレームが入りましてね。 土壇場での衣装変更ですよ。靴下を着けても駄目だそうです・・・」 残念そうに語る変態。実行委員の皆さん、グッジョブです。 しかし、俺だけ普通に制服か。逆に浮くんじゃないか、コレ? 「いよいよ本番ね!あたし達SOSバンドが文化祭を牛耳る日がとうとうやってきたのよ! みんな、気合入れていくわよ!」 張り切って叫ぶハルヒ。 「練習の成果を見せるときです~!」 意気込む朝比奈さん。 「全裸でないのは物足りないですが、やるだけのことはやりましょう」 ニヒルに微笑む変態古泉。 「・・・」 無言ながらその瞳の奥には燃える意気込みが感じられる、ように思える長門。 「みんな準備はいいわね!さあSOSバンドの華々しいデビューの瞬間よ!」 最後にハルヒが俺達に再度気合を入れる。 準備は整った。こうなったら俺も覚悟を決めるしかない。 腕の痛みを忘れるくらい叩いて、叩いて、叩きまくってやるさ。 俺達、SOS団のためにも。 そして、何よりもこの日を楽しみにしていたハルヒのためにもな。 舞台の袖、俺達は出番を待っている。 さっきまで興奮気味だったハルヒも黙っているし、朝比奈さんも幾らか緊張したような面持ちだ。 ニヤニヤ笑っていた古泉も真剣な表情になっている。 長門は・・・相変わらずだろう。生憎、トンガリ帽子と舞台袖の暗さによって表情は伺えないが。 舞台では俺達の前の出番である軽音楽部のバンドが演奏している。 メンバー皆がデーモン小暮みたいなケバケバしい衣装を着込んで、グロテスクなフェイスペイントを施し、 騒音とも思えるような大きな音にのせて「SATSUGAIせよ!」とか「下半身さえあればいい!」とか連呼している。 オイオイ、物騒なバンドだな。というか、コイツら去年も出てなかったけ? サクラと思しき一部の男達は盛り上がっているが、正直それ以外の観客はドン引きだ。 会場の空気も薄ら寒いものになっている。 オイオイ・・・俺達の出番の前になんてことしてくれるんだよ・・・。 「テンキュウ!」 曲が終わり、ボーカリストが吐き捨てる。 やっと終わってくれたみたいだ・・・。 次が俺達SOSバンドの出番である。緊張が高まる ステージではいったん幕が閉められ、楽器やアンプ、音響のセッティングが行われているようだ。 朝比奈さんも古泉も長門も誰一人言葉を発しようとしない。 そんな中、ハルヒは緊張した面持ちを更にグッと引き締め、ウサミミのヘアバンドを揺らしながら じっと舞台の床に視線を向けたり、虚空を見つめたりしている。 こいつがここまで緊張するのははじめて見るんじゃないか? 「ハルヒ、緊張しているのか?」 俺は思わず聞いてしまった。ハルヒは俺の方へ振り返ると―― 「そんなわけないでしょ、それよりキョン!今日こそはショボイ演奏は許されないんだから、 しっかり叩きなさいよねっ!」 ああ、わかってるさ。その為に一度は脱退したこのバンドに戻ってきたわけだし、今日まで練習してきたんだからな。 今日こそはハルヒ、お前の信頼とやらに応えてやろうじゃないか。 「続いては、一般参加の『SOSバンド』の演奏です」 放送部の女子部員によるアナウンスが流れる。いよいよ出番だ。 観客は『SOSバンド』という珍妙な名に反応しているようで、少しザワザワしている。 クスクスという失笑もあちらこちらから聞こえたりして・・・まあ予想はついたがな。 そんな会場の雰囲気もどこ吹く風、ハルヒはギターを抱えて颯爽とステージへと歩いていく。 それに続いて朝比奈さん、同じくギターを抱えた長門、ベースを抱えた古泉、 最後に俺、がステージへと上がっていく。 観客が意外に多い・・・。それにステージってこんなに高かったのか? 俺は今更ながら、多くの観客の前に立ち、演奏をするという行為にどうしようもない緊張を感じていた。 チクショウ、足が微妙に震えてやがる。 ハルヒや長門、古泉といったギター組はシールドをアンプに接続し、チューニングを行っている。 朝比奈さんはキーボードの前に立ち、念入りに鍵盤の感触を確かめている。 俺は、ドラムセットに座ると、1つ息をつき、前を見た。 観客席となっている体育館のフロアにはいつのまにか大勢の人が集まっている。 この全ての人間の視線が自分に向くんだ。これで緊張しない方が嘘ってもんだぜ。 そしてこの位置だと、俺の真正面にはギター&ボーカルのハルヒが立つことになる。 正直言って、ハルヒはバニーガール服を着込んでいるわけであり、ここからだとお尻のラインや 露出しているキレイな肩などが丸見えであり、目のやり場に困るところである・・・。 メンバーの配置は観客から見て左から―― キーボードの朝比奈さん、ギターの長門、ギター&ボーカルのハルヒ、ベースの古泉 そしてハルヒの真後ろにドラムの俺、という形である。 と、そんなこんなしている内にギター組のチューニングも完了したようだ。 相変わらず観客はざわついている。そりゃそうだろう。 『SOSバンド』なんて変な名前の集団が出てきたと思ったら、 見た目だけは文句のないバニーガールに妖精のように可憐なウェイトレス、 置物のように静かに佇む黒い魔法使いにタキシードの変態執事がいるんだもんな。 去年の文化祭でハルヒと長門のステージを目撃している人間なら少しは驚きが少ないかもしれないが・・・。 ふと気付くと、メンバー全員が俺へ視線を向けている。 朝比奈さんは女神のような微笑を浮かべ、長門は相変わらず無表情ながらも真摯な瞳で、 古泉はコレまでにないくらい気持ち悪いニヤケ顔で・・・。 それぞれがこのステージに立てたことに言いようのない満足感を覚えていることがそこから伺えた。 そして、ハルヒ。客席に背を向け、俺を見つめるその顔は―― おそらく一生忘れることも出来ないだろうというくらいに、優しい、優しい笑顔だった。 ハルヒが俺に向かって頷く。ウサミミが揺れている。 その仕草をみた朝比奈さん、長門、古泉は途端に真剣な表情になる。 どうやら演奏開始の合図らしい。 俺はハルヒに向かい、黙ったまま頷き返し、スティックを振り上げた。 後編へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2502.html
さて紹介しよう。 新・長門有希である。 どこら辺が新しいのかは俺にも良くわからない。俺の隣にいる古泉も良くわかっていないようだ。 時に長門よ、自分ではどこら辺が変わったと思う? 「・・・脳の各所でいくつかの変化が発生している。それ以外は不明。ただ・・・」 「ただ?」 「性格、趣向等が確実に変化している可能性がある。残念ながら自分では観測できない」 つまり、お前が朝比奈さんみたいな愛らしくちょっとおっちょこちょいな未来人のようになったり、ハルヒみたいな迷惑極まりない 核融合ロケット女のようになったりしてる、ってことか? 「それはない」 長門はやんわりと否定し 「しかしながら、二人が持っている性格が確実に私に影響を及ぼしている」 いつにもましておしゃべりな長門はさらに言葉を紡ぎ 「これはある種の『自立進化』ともいえる。情報統合思念体にとってはある意味喜ばしきこと。 私にとって喜ばしきものかはまだ不明。これから精査が必要だと思う。まぁ、たいした問題では無いと思うけど」 そうかい。長門がもうちょっと外向的な性格になるんなら、それはそれで良いかも知れないな。 「そうかもしれない。それより」 なんだ。 「おなかの中身までは分離時持っていくことが出来なかった。かなりおなかが空いた。ちょっと食堂に行ってパン買ってくる」 来る?と言って長門は俺と古泉を見たが、ついてこないと判断したのかそそくさとドアを開けて行ってしまった。 取り残された俺と古泉、頭をねじ切らんばかりの勢いで捻る。 「長門の言動が変わった?」 「そのようです。まぁ、もうちょっと観察しないとなんともいえませんが。それより・・・」 そうだ、みるひ(仮)はどうなったんだ・・・っておい。 何だこいつは。 「長門さんが抜けたことで、涼宮さんと朝比奈さんが残りました。このみるひ(仮)さんは二人の融合体と見るべきでしょう」 そりゃそうだよな。 「にしてもまぁ・・・二人が融合したらこんな風になるんだな」 先ほど怪しい光を放ちながらモゴモゴ蠢く物体Xと化していたみるひ(仮)だが、現在は落ち着いて普通の人間もとい超絶美少女に変化していた。 黄色いカチューシャをつけたセミロングな栗色の髪に、愛らしい小さな口。そして巨乳。 ああ神様、どうか彼女には朝比奈さん譲りの優しく、ちょっとおっちょこちょいな性格をお与え下さい――! 「ほれはにゃいとおもふ」 ? 「長門さん、お帰りなさい」 「たふぁいま」 部室の戸口を見ると、長門が帰ってきていた。早いな。 アンパンを口にくわえ、ただの茶色い塊と化している袋詰めにされた大量のパンを抱えながら。 「どうしたんだそれ」 長門は食っていたあんぱんを小さい口に一気に詰め込み、ろくに噛まずに飲み込んで―――って! パンをのどに詰まらせて悶絶していた。 あの長門が、である。 「おい、水だ水!」 あわてて古泉はペットボトルの水を長門に投げてよこす。 見事に空中キャッチし、急いでふたを開けて苦しそうにグビグビと飲む姿は全然長門らしくない。 つーか、長門におっちょこちょい属性は無かったはずだ。 「・・・っはぁ・・・。古泉君、ありがとう。このパン?購買が閉店時間で見切りセールをやってたから大量に買ってきた」 食えんのか。見た感じ2、3キロありそうなんだが。 「私にとってこれくらいは朝飯前」 「ちゃんと栄養のバランス考えろよ」 「わかってる。心配ない。それより」 何だ。自分に変化が起こってるのやっと判ったか? 「いや。普通どおりだけど。そうじゃなく、キョン。あなたがさっき彼女に対して言ってたこと」 はて。優しくちょっとおっちょこちょいな性格でありますように、っていう祈りがどうかしたか? 「二人は完全に融合している。そんな都合のいい性格になるわけが無い」 ふん、とでも言いたげな表情の長門は 「主体涼宮ハルヒちょっと朝比奈みくる、な性格になるかと思われる。不満?」 さらにぶー、と一瞬口を膨らませ 「それに、さっきからあなたと古泉君の様子がおかしい。なんで半笑い?」 半笑いどころで済んでいたか。てっきり完全なるニヤケ顔になってるかと思ってたんだが。 てか、お前、自分がめちゃくちゃ変化してるのに気がついて無い? 「私はいたって普通のつもり」 「そうですか。これはこれは・・・以前の長門さんをビデオに録っておくべきでしたね」 「同感だ」 怪訝な顔をしながら首をかしげる長門。 「・・・すまない。以前の私はどんな風だったか、具体的に教えて」 俺と古泉はあらん限りの「以前の長門像」を叩き込んだ。 無口で内向的で、いつも本ばかり読んでる宇宙人。 だけど必ず困ったときは助けてくれる宇宙人。 迷惑ばかりかけてた俺とハルヒと朝比奈さんと古泉。 しかしながら、うんうんとか言いながらも、今にもはてなマークが頭上に飛び出しそうな顔となっている長門。 「どうやらお前が覚えてる記憶と、俺たちが覚えてる記憶とでは大分違うようだな」 「大まかなアウトラインは同じの様だけれど」 「・・・ともかく、感謝してる」 「たしかに・・・私はあなたたちを助けてきた」 長門は言葉を紡ぎだした。 「だけど、殆どが私のミスで起こるか、最初から不可避のものだった。だから、お礼なんていい。でも・・・」 長門は頬を赤らめ、ばつが悪そうに頭をかき 「こう面と向かって言われると、ちょっと照れちゃうな・・・」 俺はお前に惚れたぞおおおおおおおおおっ!!!長門おおおおおおぉぉぉ!!!! とは口が裂けてもいえない俺。 「しかし、そんなキャラだったのか私は」 「ええ。覚えていませんか?」 「恐らく私の記憶中枢、・・・もしくは、私を定義付けている基底現実内の情報まで書き換わっているのかもしれない。確認をとる。少し待って」 長門はかくん、と首をもたげて宇宙的な何かと交信を開始した・・・かと思ったら、すぐに元に戻り、部室のドアを開けた。 「こんにちは」 喜緑さん、お久しぶりです。 「お久しぶりです。長門さんからの呼び出しで来たんですが・・・?」 「私の様子、何処かおかしいか精査してもらうために呼び出した。何処か変?」 明らかに困惑している喜緑さん。 何やら小声で俺に 「あの・・・長門さん・・・ですよね?」 と怪訝そうな顔で聞いてきたが、多分そうですとしか答えるほか無く、さらに 「おかしなところは無い。そんなに私が不満?」 と、ぶーと頬を膨らませる長門を見て抱腹絶倒の装いを呈し始め、ついに 「これは・・・っ・・・流石に・・・ないです。ないですぅ!ないですぅぅぅ!!」 と笑い転げ回りだした喜緑さん。大丈夫か?って俺も大爆笑しかけてるわけだけどさ。 「そんなに変?」 ああ。変だ。俺は萌えまくりで嬉しいがね。 「僕の恋敵が増えたようですね」 黙ってろガチホモ。 「そう。そこまで変だとキョンが言うのであれば、情報統合思念体内にある私の構成情報を上書き初期化するけれど」 「無駄無駄無駄ァですぅ・・・!!ひぇっひぇっっひっく」 横隔膜痙攣を起こしシャックリまで出すほど笑いまくる喜緑さんは 「・・・っ!既に長門さんのバックアップを含めた構成情報はあっ、、完全に今のっ長門さんのっ・・・ひぇっ!データを元としたものと置き換わってるんですぅ」 どういうことですか。 ・・・と無駄なようだ。喜緑さんは笑いすぎて呼吸もままならなくなってる。そのうち笑い死ぬんじゃないか? この神様的宇宙人に死というものがあるのかは不明だが。 「恐らくです」 出たな解説員古泉。 「長門さんははじめからそういうキャラクターであった、という風にこの時間平面上の情報が書き換えられているのでしょう」 判らんぞ、もっと平たく言え。 「涼門みるきさんですが、彼女もまた同じように時間平面上の情報・・・主に来歴ですが・・・が完全に書き換わっていたはずです。涼宮さん、朝比奈さん、そして以前の長門さんとは似ても似つかないような来歴に」 そういや雨乞いしたり、ハゲの頭にオリーブオイルを塗りたくったなんて話は未だかつて聞いたことが無かったな。 「この長門さんにも同じことが言えます」 ・・・そうだな。よく考えればそうだ。 「だがな、喜緑さんはともかくなぜ俺とお前は元のハルヒも朝比奈さんも、長門のことも知っているんだ。書き換わるなら俺たちが覚えてるようなことも全部書き換わらないとおかしいだろ」 「それもそうですね。ですがあなたは既に同じようなことを経験している筈です」 とスマイル青年。 「・・・あれか」 長門が世界を作り変えちまい、俺以外の奴らが皆それぞれ別の人生を植え付けられて生活することになっちまった、あの12月18日。 「長門さんに必要とされていたから、貴方だけ時間平面の改変の影響を殆ど受けなかった。今回も、貴方がキーとして必要とされたから、時間平面の改定の影響を殆ど受けなかった」 「おい、今回に限ってはお前もだろう」 「たぶんそれはですね」 古泉は髪をガッと大げさに掻き揚げるしぐさをして 「貴方と僕は運命共同体だからですよっ!」 そうほざいた。 ・・・そろそろ肉塊に変えとくべきだろうか、なあ長門。 長門? 「私がキョンを必要として・・・確かにそうだけれど・・・必要・・・私にとって・・・キョン・・・キョン・・・」 頬どころか耳まで赤くなってやがるぞ、長門。 ああもう萌えるなぁ。 そうそう、長門以外にも別の萌えるべき存在が居たんだっけか。 俺の背後に。 どうやら覚醒モードに入ったようで、ふるふると体を震わせ静かなる唸りを上げていたかと思ったら 某巨神兵よろしく不気味なほどゆっくりと目を見開いた。 「ちょっとうるさいんですけど・・・あれ、ってここ何処?なんであたしここにいるんですかぁ?お腹が空きましたぁ、キョン」 やれやれ、また良く判らんのが出来ちまったようだ。 前 次
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1675.html
放課後、俺はいつものように階段を上っていた。 いちいち説明しなくても分かると思うが、文芸部の部室へ向かうためである。 しかしそこで文芸部的な活動をする分けではない。 SOS団なる謎の団体の活動をするのである。 廊下の窓から外を眺めると部活動に励む生徒の姿や、 その他に学校に残って友達と遊んでいる者、 さっさと帰宅して個人的な趣味や塾に通う者、 そして男女のカップルのイチャつく姿が見えた。 「はぁ、俺はいったい何をやってるんだか・・・」 俺は普通の高校生の姿を眺めながら溜息をついた。 俺は別に好きでSOS団の活動をしているわけではない。 活動をサボったら我がSOS団の団長、ハルヒに怒られるのであり、 ハルヒが怒れば神人という謎の化け物が暴れだすからであり、 そのハルヒの機嫌を損ねないために俺はSOS団に参加してハルヒを喜ばせているのである。 しかもそのSOS団の活動と言えば、平日は古泉とボードゲームをし、 休みの日には街を散策して未確認生物を探し回るという、まさに時間の無駄遣いであった しかし全てが無駄と言うわけではない。 その理由はSOS団の女神であり、全校の男子生徒のマドンナである 朝比奈さんのいれたお茶を飲めることである。 そのお茶のおかげで俺の憂鬱の8割は解消されてるね。 いつものようにドアをノックすると、いつものように朝比奈さんの 「はぁ~い」 という返事が聞こえ、俺はドアを開けて部室の中に入る。 その朝比奈さんは、いつものメイド服ではなく、黒い色のくノ一(女忍者)の格好をしていた。 「あ、キョン君、いっらしゃ~い。いまお茶を入れますね」 その女忍者の格好は、スカートが膝下より長いメイド服とは異なって、 太ももがほとんど露出しており、あと少しでパンツが見えそうなくらい短かった。 実際、少し前かがみになっただけでパンツが丸見えだった。 俺はお茶をいれる朝比奈さんの姿(特にお尻)を眺めながら朝比奈さんに尋ねた。 「朝比奈さん、その衣装、またハルヒが用意したんですか?」 お盆にお茶を載せてこちらに運びながら朝比奈さんは言った。 「いえ、これは自分で用意したんです。いつも長いスカートだったでしょ? だからお店の人に短いスカートの衣装をください、って言ったらこの黒いくノ一(女忍者)の衣装をくれたの」 「へ~、朝比奈さんが自ら衣装を買いに行くなんて驚きですね。 ところで、なんでスカートの短い衣装が良かったんですか?」 朝比奈さんは顔を真っ赤にしながらこう言った。 「だってキョン君・・・短い方が嬉しいでしょ・・?」 「そりゃ、まあ、そうですけど・・・」 「あの!触りたかったら触ってください。そのためにこの衣装を着てるんです!」 俺は一瞬何が起こったのか分からなくなり、数秒間考え、結論を出した。 「では、お言葉に甘えて」 俺は朝比奈さんの後ろに立った。 そしてお尻を触った。朝比奈さんの息が荒くなっていく。 それに飽きてきたので前を触ろうとする。 しかし朝比奈さんは両手を前で組んでいる。 「すみません、両手をどかしてもらえますか?」 「あっ、はいっ、すみません・・・」 その時だった。 バタン!!!!!! 扉が急に開いた。 「こらー!なにやってるのよ!SOS団は社内恋愛禁止なんだから!」 ハルヒだった。 いきなり登場して俺と朝比奈さんを怒鳴ったかと思ったら スタスタと自分の特等席に着席してパソコンの電源をつけた。 俺はハルヒなど無視して続きをしようと思ったが、 朝比奈さんは、「今日はもうダメ・・」と言って俺から離れてしまった。 続いて古泉と長門が来て、朝比奈さんは3人分のお茶を入れることになった。 古泉の席の後ろで、朝比奈さんはお茶を入れている。 そして朝比奈さんのパンツを見ることが出来る。 さすがの古泉も後ろで何が起こっているのかは分からないのだろう。 お前の後ろではパラダイスが広がってるんだぞ、と心の中で思っている時だった。 俺は横からの視線を感じ、横を振り向く。 その視線の主はハルヒだった。俺のことをギッと睨んでいた。 なんなんだよ一体・・・ 「キョン、今日あんた居残りだから」 「はぁ、なんでだよ?」 「いいから残りなさい!」 やれやれ、理由さえ聞かせてもらえませんか。 俺は仕方なく居残りすることにした。 長門と古泉と朝比奈さんが帰り、文芸部の部室にいるのは俺とハルヒだけになった。 「なんで居残りさせたんだ?」 「あんた、ひょっとしてミクルちゃんのこと好きなの?」 「なんなんだよいきなり。好きだったとしたらなんなんだ?」 「いいから答えてよ。好きなの?嫌いなの?」 「まぁ、どっちかと言えば好きだね。優しくて思いやりがあって、お前とは大違いだ」 しまった。口が滑って変なこと言っちまった。 きっとハルヒはこの言葉でご立腹だろうと思い、俺はハルヒを見た。 しかしハルヒは怒ってなどいなかった。 俺の勘違いかもしれんが、少し泣いているような気がした。 「そう・・・あんた、あーゆーのが好きなのね」 そしてハルヒは走って帰ってしまった。 次の日、教室でハルヒは授業が終わるまで顔を伏せていた。 そして放課後、いつもどおり、俺は放課後に文芸部室へ行った。 そしてドアをノックした。 「は~い」 という返事。 ドアを開けて室内を見た俺は、ドアを閉めた。 何が起こったのか理解できなかった。 「なんで閉めるんですか~」 そして内側から扉は開けられて、俺は混乱してるまま室内に入った。 部室に居たのは朝比奈さんではなく、ハルヒだった。 しかも昨日、朝比奈さんが着ていたくノ一の格好だった。 しかし黒色ではなく、白色だった。 これでは忍者的活動が出来ないぞ。もしかして雪国での忍者か? 「ハルヒ、頭でもぶったのか?」 それとも変なモンでも食ったのだろうか。 まさかまた不思議な力によって世界が改変されたとか、そんな面倒なことが起こったのだろうか。 「違いますよ~。頭なんてぶってませぇん。 昨日キョン君はこういうのが好きだって言ってましたよね? だからやってみたんです~。どうですか?似合ってますか?」 呆然と立っているとハルヒは 「あ、座って待っててくださいねぇ、今お茶入れますから」 と言った。俺は言われたとおり座って待ってることにした。 お茶を入れるために前かがみになったハルヒは、昨日の朝比奈さん同様、パンツが見えた。 しかも「好き」という文字がプリントしてあった。 俺は呆然とその文字を眺めていると、ハルヒが急に振り返り 「あのぉ、パンツ見ましたかぁ?」と言った。 これはひょっとして、あのコンピュータ研部長のときと同様、なにか恐喝でもされるのか? 等と考え、返答に困っていると、ハルヒが 「あのぉ、触りたかったら触ってもいいですよぁ」と言った。 やれやれ、俺の我慢の限界も低いもんだな。 「では、お言葉に甘えて・・・」 ハルヒに近づき、尻の穴を指で触ってとき、ドアが開いた。 朝比奈さんだった。 「あ、涼宮さん、キョン君、まさか、、こういう関係だったんですか? それ、私がこの前買った衣装と同じのですね」 「ええ、そうよ、ミクルちゃんがあまりにも可愛いから買っちゃった。 結構動きやすいし便利よねこれ」 「あの、、それよりも何をやってたんですか?」 「お茶入れてちょーだい」 「私の質問に答えてくだ、、」 「お茶入れてちょーだい」 ハルヒはいつも通りの乱暴な性格に戻った。 なんなんだ一体・・・ やがて古泉と長門もやってきた。 「キョン!なにか面白い話題とかないの! なんかこう、とてつもなく面白い話よ!」 ねぇよ。自分で調べろよ。 というとハルヒはネット巡回を始めた。 俺はいつもどおり古泉とゲームをしていた。そこに長門が俺のそばに来て本を渡した。 「・・家に帰ったらすぐ読んで・・・」 古泉は不思議そうな目で俺を見ていたが、それを無視して俺はゲームに戻った。 そして長門が部室から出て行き、その日のSOS団の活動は終わった。 家に帰った俺は長門に言われたとおり、本を読むことにした。 正確に言えばページをめくって栞を探していた。 それはちょうど真ん中らへんのページに挟まっていた。 「晩ご飯を食べる前にすぐに私の家に来て」 俺はダッシュで長門の家に向かった。 ハルヒの頭がおかしくなった事と何か関係があるのだろうか。 長門の部屋のインターフォンを鳴らし、ドアが開いた。 そこでまた俺は頭がおかしくなりそうになった。 「あ、キョン君、おかえりなさぁ~い」 長門が忍者の格好をしていた。しかもピンク。 俺は溜息をつきながら長門の部屋に入った。 「ご飯にしますか?お風呂に入りますか?それとも、、、うふっ」 なんか長門の頭もおかしくなってしまったようだが 俺はそんなことは無視してご飯を選択した。まずは飯だ。 そこで気がついた。 なんと長門の衣装はパンツがギリギリ見えるとかそんなレベルではなく、パンツ丸見えだった。 その衣装はヘソの辺りまでしかなかった。 「あのぉ、触りますかぁ?」 またこれだ。 「いや、断る。今は触るって言う気分じゃないんだ。 匂いを嗅ぎたいんだ」 そして俺は仰向けになって寝た。 そして俺の顔の上に長門がまたがった。 俺が匂いを嗅いでいると、玄関の扉が急に開いた。 「長門さん、、なにやってるの・・・?」 朝倉だった。 「ちょ、朝倉、違うんだって!これは、その・・・」 しかし俺の言葉を無視して、朝倉は走って自分の部屋に帰ってしまった。 とりあえず飯だけ食って俺も帰ろう。 次の日の朝、下駄箱の中に手紙が入っていた。 「今日の5時ごろに教室に来てください」 なんなんだろうね、まったく。 そして放課後、いつものようにドアをノックする。 「入っていいわよ」 そこにいたのは忍者姿の朝比奈さんだった。 「キョン、お茶入れてちょーだい」 「あの、朝比奈さん、どうしたんですか?」 「さっさとお茶をいれなさい!」 どうやら今度は朝比奈さんがハルヒの性格になってしまったようだった。 「あ、やっぱお茶はいいわ。コップだけ持ってきて」 そう言われたので俺は朝比奈さんのもとへコップを持っていった。 コップを床に置くと、朝比奈さんはパンツを下ろし、オシッコをした。 「さっさと飲みなさい!」 俺は一気に飲み干した。 「カレーがあるけど食べる?」 いえ、それは遠慮しときます。 そして古泉が部室にやってくると同時に朝比奈さんはいつもどおりの正確に戻った。 夕方の5時である。 教室で待っていたのは朝倉だった。 しかも忍者の姿。そして衣装は肩らへんまでしかなかった。 パンツも胸も丸出しである。 もはや忍者かどうかも分からない。 「お前か・・・」 「そ。意外でしょ」 俺は朝倉に聞いた。 「なあ朝倉。教えてくれ。長門やハルヒや朝倉さんがおかしくなってしまったんだ。 いや、お前もおかしくなった。何故だ!」 「みんなキョン君のことが好きなのよ。だからああいう格好をしているの。 そして私もあなたのことが好き」 「で、お前はなんの用なんだ?」 「人間はさあ、よく、やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい、って言うよね。 これ、どう思う?」 と朝倉は顔を赤らめながら言った。 「言葉どおりの意味なんだろう」 「じゃあ、やろっ!」 次の瞬間、さっきまで教室だったこの空間は ベッドルームになっていた。そして朝倉は俺に迫ってきた。 俺の服は朝倉の不思議な力によって消えていき、ついには全裸になった。 ベッドに寝た朝倉にいろいろやろうとしたその時、横の壁が爆発した。 そこに立っていたのは長門だった。 「情報連結解除、開始」 「そんな・・・」 朝倉は悲しそうな声で言った。 「そんな・・・」 俺も悲しそうな声で言った。 朝倉の体は消えていってしまった。 そして部屋はベッドルームではなく、いつもの教室に戻っていた。 どうやら教室を再構築したようだった。 しかし俺の服は再構築されなかった。つまり全裸である。 そして俺は全裸で帰った。 次の日、俺はいつもどおり文芸部の部室へ行き、ドアをノックした。 「どうぞ」 という古泉の返事が聞こえ、俺はホッとした。 そしてドアを開けた瞬間、俺はドアを閉めた。 なんと古泉が全裸で立っていたのである。 俺はドアノブを掴んで、ドアが開かないようにした。 逆に古泉は内側からドアを引っ張っている。 「開けてくださいよ、ねぇ、開けてくださいよ」 ドアの引っ張り合いをしていると、後ろから谷口と国木田の声がした。 「おい、谷口!国木田!助けてくれ!俺の全財産をやるから助けてくれ!」 しかし俺は谷口と国木田の姿を見て諦めた。 なんと二人とも全裸だったのである。 俺は谷口と国木田に抑えられ、ついに部室の扉は開いてしまった。 そして中に運ばれていった。 起きなさい、起きなさいってば! ハルヒの声がする。 助けてくれハルヒ・・・ 起きなさい! 「ああ、、夢か」 どこまでが夢だったのか俺は考えてみる。 そうだ、ハルヒが忍者の衣装をしていて、そしてお茶を飲みながら 他の団員が来るのを待ってる間に眠ったんだ・・・ 外は真っ暗だった。 ハルヒは他の団員が帰った後も俺が起きるのを待ってたらしい。 「あんたが気持ちよさそうに寝てたから、起こそうと思っても起こせなかったのよ」 今は10月の下旬で、昼間は暖かいが夜になれば寒い。 時刻はもう6時半である。 既に外は真っ暗で、街灯がついている。 俺は俺が起きるのを待っていたハルヒと一緒に帰ることにした。 ハルヒは忍者の衣装のままだった。 「なぁハルヒ、寒くないのか?」 「寒いわよ。でも着替えるの面倒だったからこのままでいいわ」 「でも上着を羽織るくらいなら面倒じゃないだろ?」 「このままでいいの!」 「そうか・・・」 夜道を歩く男子高生徒と白い忍者。 明らかに不審者である。 無言のまま帰り道を歩いているとハルヒが口を開いた。 「ねぇ、キョン。あんた告白ってした事ある?」 「ないね。お前はあるのか?」 「されたことなら何度でもあるけど、自分からしたことは無いわ」 俺たち5人組は街中を散策した。 特に目的も無かったので本屋に行って立ち読みをしたり 服屋をいろいろと見て回ったりした。 今日の女子3人は忍者の格好をしていた。 ハルヒは白、朝比奈さんは黒、長門はピンクである。 まぁ、服装の趣味はひとそれぞれだし、忍者の格好をしてはいけないという法律は無い。 それはいい。忍者だろうが気にしない。 女子3人は街行く人の視線を浴びながら一日を過ごした。 ハルヒと長門は特に気にすることなく歩いていた。 朝比奈さんはつねに人目を気にしながら歩いており 解散時間になる頃には精神的疲労で倒れそうなほど疲れている感じだった。 なんだかんだで解散時間である。 「とろこで古泉、なんでお前は全裸なんだ?」 古泉は全裸だった。 古泉は全裸のまま叫びだした。 「これは人類のありのままの姿ですよ! 僕を否定するということは人類を否定することになります! ここ数千年の間で人類は服を着ました! しかし!これは進化ではありません!退化なのです! 昔は人類は猿のように体中に毛が生えてたました! しかしある時期を境に人類は毛が抜け、裸になりました! まさに進化ですよ!しかし5000年ほど前から服を着だしました! そこからが退化の始まりです!我々人類は進化しているようで退化してるのです! 今の人間に出来ることはなんでしょうか!地球を汚すことしか出来ません! 我々は母なる地球のために生きています!いや、生かされてます! しかし人類は汚してばかりだ!これは母なる地球に対しての冒涜であり、地球上の生物として退化である!」 古泉は警察に逮捕された。 ハルヒは言った。 「逃げるわよ!」 これはさすがに逃げるのが一番いい選択だな。 俺たちも古泉の仲間だと思われて逮捕されるかもしれん。 古泉のことである。拷問をされても仲間を売るようなことはしないだろう。 安心しろ古泉、出所した後は鍋パーティーでもしようぜ。 俺とハルヒと長門は全力で走った。 しかし朝比奈さんは足をガクガクと震わせ、走れそうになかった。 「朝比奈さん!」 俺が戻ろうとしたらハルヒに止められた。 「私たちまで捕まってどうするの!とにかく逃げるのよ!」 朝比奈さんはパトカーに囲まれた。 「こちら北署、こちら北署、全裸男の仲間と思われし女を包囲しました」 「ひぇ~、私はこの人とは関係ないですよ~。ただの忍者ですよ~」 手錠をかけられた古泉が暴れだした。 「僕は新人類です!旧人類に僕を拘束する権利などありません! 自ら服を着るなど猿以下の存在ですよ!その女の子も離してあげなさい!」 「ひぇ~、あなた誰ですか~?私はただの忍者です~。あなたなんか知りませよ~」 結局、古泉だけが連行された。 「古泉・・・」 俺は胸が痛くなった。 仲間を見捨てた自分に対して胸が痛くなった。 「なぁハルヒ、お前、忍者の格好してるだろ? 古泉を助けに行かないか?」 「なんでよ!無理に決まってるじゃない!」 「長門!なんとかしてくれ!」 「・・・無理」 その後、俺たちはそれぞれの家に帰った。 リビングでテレビを見ていると妹が 「キョンくーん、古泉君がテレビに出てるよ~」と叫びだした。 俺は妹の目を隠し、テレビを消した。 どうするんだよ古泉。 次の日、俺とハルヒは文芸部室で喧嘩をした。 「おいハルヒ!なんで古泉を見捨てたりしたんだ! 古泉だけならともかく、朝比奈さんまで見捨てるとは何事だ!」 「だってしょうがないじゃない!警察に勝てるわけないじゃん!」 「それとこれとは別問題だ!例え勝てなくても助けるのが仲間だろ!」 朝比奈さんは泣いていた。 「あのぉ、、2人とも喧嘩はやめてください・・・うぅ」 俺はすかさず朝比奈さんへ言った。 「朝比奈さんもなんで古泉を裏切ったんですか!」 朝比奈さんは大泣きして俺の言葉は耳に届いていないようだった。 その日、俺は留置所に行った。 古泉が牢屋に閉じ込められているはずである。 5メートルはありそうな塀を眺めていたら 中から古泉の声がした。何を言っているのかは分からない。 しかしいつもの演説的なものであることは分かった。 俺は門番の人に頼んで古泉との面会を許してもらった。 何重もの門をくぐり、薄暗い廊下を歩き、何枚もの扉を通り、面会室へたどり着いた。 透明な防弾ガラスの向こうに古泉はいた。 「古泉、、元気か?」 「会いに来てくれたのですね。とても嬉しいです。 しかし僕のことはもう忘れてください。僕は犯罪者です。 僕に関われば世間はあなたのことも犯罪者だと思うでしょう。」 「そうか、、お前がそう望むなら俺は何も言わない。お前とはもう関わらない」 「ありがとうございます。僕にとってそれが一番うれしいことです」 じゃあな、古泉。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/6554.html
プロローグ 秋。 季語で言うならば7、8、9月に属するその季節も、時代の進行というか価値観の違いというかで、俺の中では9、10、11月が秋だと認識されている。しかしどういうわけか、今年は秋があったのかどうかを疑うような気温で、これもまたお偉い団長様が何かしでかす予兆ではないかと疑ったが、奴の精神専門である古泉曰く 「彼女の精神状態はとても良いままですよ。閉鎖空間も今のところ、大規模で発生しておりませんし」 らしい。しかし、ハルヒは温厚平和な日常が嫌いなはた迷惑な奴だ。いつ何をしでかすか分からん。秋といえば読書、芸術、食欲。映画が芸術に入るのなら、まだ2つも不安要素が残っている。これは何か来るぞ、と俺はノストラダムスの予言が今更になって頭上に降り注いでくるかもしれないと言った心持ちで待機していた。 つまり俺は、涼宮ハルヒという人物に出会ってから、確実に用心深い人間へと成長していたのだ。 ど素人が作った映画が公開し終わってから早3日。クラスの全員がそろそろ文化祭の余韻が無くなってきた頃辺り、俺はハルヒが授業中良からぬことを作戦立てているのを気配で察知した。これは数々の不思議体験、いや面倒くさい事柄を身を持って味わってきた俺だから分かるものだ。古泉や朝比奈さんより早く感づける自信がある。無論、長門には勝てないが。 「‥‥‥で、今度は何を企んでいるんだ」 「ふっふーん」 教えてくれないのかよ。 「今日のミーティングで発表するつもりよ。キョン、絶対に来るのよ。1秒でも遅れたら罰金だからね!」 ‥‥と、こちらの顔を一度も見ずにせっせと、まるで鶴の恩返しの鶴のようにこいつは何かを作っている。細長い紙の先端の穴の空いた場所からはリボンが、白紙の部分にはSOS団のサインが‥‥。 俺の勘も捨てたもんじゃないな。しかしこの勘がテストの時だけ怠けるのはいただけない。テストで良い点を取っているハルヒが妬ましい。 「じゃっじゃーん!お待たせ!!」 ドアを豪快に開けるハルヒに、誰も待ってねえよ、と思わずハルヒの後ろから声を出しそうになったが、律義にも独りでオセロを研究している超能力者、メイド姿の未来人、本に目を向けている宇宙人らは待っていた。古泉、その薄気味悪い笑みをこっちに向けるな。 「今日のミーティングは、こんな秋ならではの! ‥‥」 キュキュッキュー、とホワイトボードに文字をでかでかと書くハルヒをよそに、俺は古泉の前に座ってから荷物を床に下ろした。一生懸命戦略を練っていたようだが、生憎俺は負けん。お前は序盤で石を取りすぎるんだ。 「何が始まるんでしょうね?」 こいつがこう言う時は、大抵何が起こるか分かっている。だから俺は答える必要無しと最高裁判所の裁判官になったつもりで判断し、無言で目の前にあるオセロを1つずつ取り除いてやることにした。古泉も一緒になって、オセロを手元に戻していく。 「お茶をどうぞ、キョン君」 そう言ってお茶を差し出してくれるSOS団唯一の目の抱擁役である朝比奈さん。夏に別荘でメイドを目にして以来、どうやらメイドというものにいっそう影響を受けたらしい。本当に可憐で愛らしい。先輩とは思えないですよ朝比奈さん。 市販で買ってきたお茶よりも美味い緑茶をすすりながら窓際を見ると、黙々と本を読んでいる宇宙人がそこにはいた。その表情のまま蝋で固められてしまったかのように無表情のままページを捲っていくその様は、大地震が起きてこの学校が瓦礫の山と化しても、微動だにしない文学少女といったような雰囲気を釀しだしていた。といっても、長門ならこの学校が崩れる前に何とかしてくれるだろう。 「いい!? 我がSOS団は読書の秋を記念して―――‥」 すぅーっと、ビックボイスを叩き出そうとするハルヒ。またろくでもない考えを思いついちまったようだ。 「‥――SOS団主催、読書大会を始めようと思います!!」 ……相変わらず文字感覚のバランスが悪い奴だ。会って文字だけ下にいってやがる。 まあそれはともかく。馬鹿みたいにでかい声でそう宣言した後、やはり授業中作ってたのは栞だったのかと俺はひどく痛感した。よりによって読書がくるとは‥‥まあ本を書けと言われるよりはましか。 しかし、その全く持って伝統も歴史もない、部活としてもまともにOKサインをもらっていないこのSOS団が主催する大会が、後々とんでもないことを引き起こすとは誰も知りなどしなかった。 ‥‥もちろん、3学期に文章を書かさられるハメになることも俺は知らなかったことは周知の事実である。 →涼宮ハルヒの分身 Ⅰへ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1679.html
あの後、何とかセイバーと名乗る少女に剣を止めてもらった俺は、 驚きと共に怒りに打ち震えるハルヒにより、強制的に居間に連行された。 オイオイ、ハルヒよ、何をそんなに怒っているんだ? それにオマエの傍らにいるその赤い男は一体誰なんだ? そんな疑問も、今夜の出来事も、あの蒼い男のことも、セイバーと名乗る少女のことも、 居間でのハルヒのマシンガンのように連射される説明語りによって全てが解決をみた。 ハルヒが魔術師!? 「そう。隠してて悪かったわね・・・っていうかアンタも隠してたじゃない」 魔術師同士の戦争!? 「面白そうでしょ?」 目的は全知全能の願望器『聖杯』!? 「あたしは『世界をもっと面白くしてくれ』ってお願いするつもりよ」 召還される使い魔『サーヴァント』!? 「こっちの赤いヤツもさっきのあの蒼いヤツも、アンタが連れてるその子もそうでしょ」 しかもサーヴァントは英雄の霊!? 「そう。だからムチャクチャ強いのよ。ウチのは自分の真名を忘れてるけどね」 絶対命令権の『令呪』!? 「アンタの左手の甲にあるのがそうよ」 『セイバー』って何? 「サーヴァントのクラス名よ。アンタのは数多いクラスの中でも最強の剣使いね。羨ましいわ。 ちなみにウチのは弓使いの『アーチャー』、あの蒼いヤツはおそらく槍使い『ランサー』ね」 だいたい以上が、ハルヒの説明の中で俺が理解不明だった単語や事柄と、それに対するハルヒのお答えである。 しかし、これは本当に現実なのだろうか・・・。魔術師の戦争って・・・。確かに俺も魔術師だが・・・。 しかも人智を凌駕したサーヴァント!?俺は夢でも見てるんじゃ・・・。 頬をつねってみるがしっかり痛い。ああ、あとあの蒼い男にやられた傷もムチャクチャ痛い・・・。 一通り説明し終えたハルヒは満足げに手元の茶を啜っている。 ちなみにセイバーと名乗る少女は俺の横でちょこんと正座し、 アーチャーと呼ばれた赤い男は腕を組んで壁にもたれかかり、黙って事の成り行きを見守っている。 しかし・・・このアーチャーという男・・・セイバーを見つめる目が尋常じゃない。 何か信じられないものでも見ているような・・・例えると最初に俺が彼女を見たときのような、 隠し切れない動揺と驚きの眼差しを向けている。 「とにかく!説明することは以上よ!で、アンタどうするの?」 「どうするって・・・」 「だから!この聖杯戦争に参加するのかどうかってこと!」 そりゃあ、『戦争』だなんて銘打たれた血生臭いモンは遠慮願いたいところだが・・・。 隣に座るセイバーを窺うと、こちらは全くの無表情。 「セイバー・・・お前はどうしたい?」 俺が尋ねても、 「・・・あなたに任せる」 と答えるのみ。 仕方ないので、ハルヒへと視線を戻す。 「ハルヒ、お前は参加するんだよな?」 「勿論じゃない!『戦争』と名のつくものから尻尾を巻いて逃げ出すなんて、 魔術師として、そしてSOS団団長としてのあたしにとっては許しがたいことだわ! ぜーったいに勝ち抜いてやるんだから!!」 何ともハルヒらしい答えだぜ。思わず笑ってしまう俺。 見るとあの赤い男もなぜか俺と同じように、そんなハルヒの威勢のよさに苦笑いを浮かべていた。 「何がおかしいのよ?」 ヘソを曲げるハルヒ。 「いや、なんでもない。そういうことならこの聖杯戦争、俺も参加させてもらうぜ」 俺に迷いはなかった。 「いいの?アンタ、魔術師としては、てんで劣等生みたいじゃない。 そんなんじゃ死ぬかもしれないのよ?」 ついさっき死にそうな目にもあったしな・・・。しかし、 「それでもだ。ハルヒ、お前だけを危険な目にあわせるワケにはいかないだろう? 俺も団員として、せいぜい団長様の力になるだけさ」 俺の決意は揺るがない。 すると、ハルヒは一変、ブスッとした表情になる。 「アンタ、さっきの話聞いてなかったの?魔術師同士の殺し合いなんだから、 あたしとアンタは基本的には敵同士なのよ?」 俺は動じずに言い返す。 「ハルヒは俺を殺したいのか?」 「・・・・・・」 何も言わないハルヒ。俺は更に続ける。 「少なくとも俺はお前と戦う気はないぞ」 すると、ハルヒはニヤリと表情を変えた。 「アンタだったらそう言うと思ってたわ。安心なさい! アンタもセイバーもこのあたしの忠実なる僕として、協力させてあげるから! あたしとしてはサーヴァント中最強のセイバーを戦力に加えられるし、願ったり叶ったりよ!」 嬉しそうに言い放つハルヒ。最初からわかってはいたんだよな・・・コイツがこういうヤツだってことは。 「それじゃあ、同盟成立、だな」 「そうね」 俺達は固く握手を交わした。 その後、ハルヒは、 「それじゃあ、参加者登録をしに、教会へ行かなくちゃね」 と言い出した。 何でも、この聖杯戦争を監督するのが教会の仕事らしく、参加する魔術師はその登録のため、 必ず教会に1度は足を運ばなくてはならない、という決まりがあるらしいのだ。 ちなみに戦争に伴う諸々の雑務の処理も教会は受け持っているらしく、 例えば、戦いによって破損した公共物の修復等々の一般人から戦争を隠匿するための事後処理、 サーヴァントを失ったり、降参したりしたマスターの保護等々の内部の事後処理を行うらしい。 うーん、教会に行くのは俺としては問題ないのだが・・・ 「ちょっと待て、ハルヒよ。俺はさっきランサーとやらにボコボコにやられて、 身体が動かん。こんな状態で外に出るのは無理だ」 そう。ランサーから喰らった蹴りで俺のアバラは何本か骨が折れていてもおかしくないほど痛むし、 背中だって同様の状態だ。 「ったく仕方ないわね。じゃああたしが治療の魔術でもかけるわよ・・・。 こういうのは余り得意じゃないんだけど・・・」 そう言いかけたハルヒを押しとどめたのは、 「・・・待って」 というセイバーの一声だった。 「彼の治療なら・・・わたしに任せて」 そう言うと、セイバーは俺の腕を掴み、その小さな口を開けると、 かぷり、と噛み付いたのである。 「ちょ・・・セイバー・・・何を・・・!」 セイバーは数十秒の間、口を離さなかった。 ハルヒも赤い男も、唖然としてその光景を見ている。 「負傷治療用のナノマシンを注入した。これですぐにあなたの傷は回復する。 今後同様に負傷しても、そのナノマシンの効力によりあなたの傷は自然治癒する」 と、セイバーは静かに言いのけた。 次の瞬間、痛みに痛んだアバラからも背中からも、ウソのように痛みが消えた。 「『セイバー』ってのはこんなことまで出来るもんなのか?」 俺はハルヒに尋ねてみる。 「・・・ここまで高レベルな治療術を持つセイバーなんて・・・聞いたことないわ」 どうやらハルヒも驚いているらしい。 俺はふと、思い当たる節があり、今度はそのセイバーに尋ねてみる。 「こんなことまで出来るだなんて凄いな・・・。セイバーって一体どこの英霊なんだ? ほら、ハルヒが言ってた・・・『真名』ってやつか・・・。 もし良かったら教えてくれよ」 「・・・・・・」 セイバーは黙ったままだ。そこに、 「まあ言いたがらないのも仕方ないでしょうね」 と、割り込んできたのはハルヒ。 「サーヴァントにとって真名は己の能力、素性、弱点、全てを現すものだもの。 同盟関係とはいえ、あたしやアーチャーみたいな他の魔術師やサーヴァントの前で言うわけはないわ。 まあ、セイバーにいきなりそこまであたしを信用しろって言っても無理な話かもしれないしね」 そうなのか・・・と納得しかけた矢先、 「・・・長門有希」 セイバーは・・・その名を口にした。 そしてその時、俺やハルヒ以上にハルヒのサーヴァントである赤い男、アーチャーが、 一番の驚きの表情を見せていた。 「長門有希・・・それがわたしの真名」 再度、静かに言い放つセイバー。 何だろう・・・初めて聞く名前のハズなのに・・・どこか懐かしい響き・・・。 「セイバー・・・あなた・・・自分の真名、そんな簡単に言っちゃってもいいの?」 ハルヒが問いかける。 「・・・いい。この戦争において・・・わたしの真名が知れたところで発生するリスクは皆無」 長門有希もといセイバーが答える。 ハルヒはイマイチ理解しかねるという顔をしている。 そしてそんなハルヒ以上にアーチャーと呼ばれる赤い男は、何やら考え込み、複雑な顔をしていた。 そんなこんなで教会へと足を運ぶ俺達。 ちなみにハルヒのサーヴァントであるアーチャーは霊体化とかいう便利な技で、今ここには実体がない。 所謂霊魂みたいな状態でくっついてきているらしい。 そして、セイバーだが・・・彼女はなぜか霊体化せず、そのままの格好で俺とハルヒについてきている。 幸いなことに白髪にハデな赤い外套に身を包んだアーチャーとは違い、セイバーの格好はただの制服。 しかもなぜか我が北高のものだ。なのでどこから見てもただの高校生の女の子にしか見えない。 そんなこんなしている内に件の教会へと辿り着いた。 しかし、この街に教会なんてあったことは初めて知ったのだが・・・。 そもそも街の外れに寂しく建っている教会だったので、俺が普段の生活を営む上では全く縁の無い場所だったというワケだ。 ハルヒは教会に来るのは、魔術教会の絡みから、初めてではないらしいが、 1年位前に新しい神父が赴任してきたらしく、それから来るのは初めて、とのことだ。 そしてゆっくりと扉を開けると・・・、 「こんな夜更けに我が教会を訪れるとは・・・迷える子羊などでは・・・ないようですね」 予想外の人物――古泉一樹がそこにはいた。 ~interlude1~ 俺はさっきから、世界がひっくり返りそうな驚きの連続の中にいる。 『アーチャーのサーヴァント』なんていうワケのわからないものとして、 『魔術師』ハルヒに召還されたと思ったら、なぜかこの世界にも『俺』が存在してて、 朝比奈さんも古泉も勿論いて、なのになぜか長門はいなくて・・・。 そんでもって古泉に似た蒼い槍使い『ランサー』と戦い・・・、 そのランサーを追った先、『俺』の家では、長門に似た少女のサーヴァント『セイバー』に剣を突きつけられる。 いくら不思議な出来事に耐性がある俺とはいえ、この目まぐるしい展開にはついていけない。 しかもこっちの世界の『俺』は両親も妹もいない天涯孤独の身で、 なぜか朝比奈さんとハルヒが通い妻状態、しかも未熟ながらも魔術師であるという・・・。 朝比奈さんが通い妻だなんてウラヤマシ・・・ではなく、以前の世界の俺とは全くその境遇が違うのだ。 そして一番の驚きは、長門もといセイバーの存在だ。彼女が自らの真名を『長門有希』と名乗ったことには本当に驚いた。 なぜ長門が『セイバー』なんかに・・・。まあ、『アーチャー』とやらになってしまった俺も人のことは言えないが。 ちなみに俺はつい先程、自分の真名については思い出している。 『キョン』――それが以前の世界での俺の名前だ。微妙に本名じゃないのは・・・ツッコむな。 もしかしたら長門もといセイバーは俺の正体に気付いているのではないか・・・。 以前の世界と同じように、無表情を貫く長門からはその真意は読み取れない。 まあいい。俺は自分の真名とともに以前の世界での最後の記憶――あの忌まわしい出来事についても思い出した。 そして俺がこの世界で『アーチャー』として成すべきことは1つ。『俺』――つまりは『キョン』の抹殺だ。 俺の心は既に決まっている。ハルヒや長門の邪魔が入ろうが関係ない。俺は目的を成す。 なぜなら、あの『俺』は、生きていてはならない存在だ。 今は静かにチャンスを窺う身――せいぜい聖杯戦争とやらに邁進するとよい――『俺』いや『キョン』よ。 さて、件の教会に着いたようだ。どんな神父が出てくるのやら・・・って古泉!? どうやらこの世界は・・・本気で狂っているらしいな。 「やれやれ・・・」 以前の世界での『俺』の口癖が思わず出てしまう・・・。 カソックに身を包む目の前の男は・・・間違いなく俺達SOS団副団長の古泉一樹だ。 ヤツがこの『聖杯戦争』を監督する神父だったなんて・・・。 「古泉君・・・ウソでしょ!?」 ハルヒも驚きを隠せない。 そんな俺達を尻目に、古泉はいつもの調子でゆっくりと喋りだす。 「まあ、人間誰しも人に言えない秘密があるものです。 それが僕の場合、たまたまそれがこの事だったというだけですよ」 「秘密って言ったってお前・・・」 「そうよ。まさか古泉君、あたしやキョンが魔術師だってことも・・・」 俺とハルヒの戸惑いに、古泉は冷静に返答する。 「無論、知っていましたよ。僕は1年前、聖杯戦争の舞台となるこの街についての下調べの任務と共に、 この街にやってきました。そして北高に転入した。 勿論、北高には何人かの魔術師がいるということも把握済みでした。 そして、ひょんなことからその1人である涼宮さん、あなたに誘われ、SOS団に入団したのです」 そんな古泉の流れるような説明に、ハルヒが食いつく。 「じゃあ、あたし達のこと、今まで騙してたってワケ?」 すると古泉は、「おやおや」と両手を掲げ、首を左右に振る。 「騙しただなんて人聞きの悪い。僕自身SOS団での活動は楽しくて仕方ありませんでしたよ? それに、そもそも今回の戦争に涼宮さんには参加して欲しくありませんでしたし・・・」 「俺の名前が出なかったが、俺は別にいいって言うのか?」 思わずツッコむ。すると古泉は、 「実はあなたが魔術師だなんてことは予想だにしなかったんですよ。 これでも魔術を察知する能力には自信があったのですが・・・あなたの場合はかなり巧妙に魔力を隠していましたね?」 そんなことはない。要するに俺の魔力など微弱すぎて感知できなかったということだろう。 「とにかく!あたしとキョンはこの戦争に参加するわ。既にサーヴァントも召還したしね」 ハルヒが前ににじり出て、威勢よく言い放つ。 「あなたならそう言うと思っていましたよ。涼宮さん。それで、あなたはどうなさるおつもりで?」 古泉は俺に視線を飛ばす。 「俺も参加する」 きっぱりと言い放つ。 「そうですか・・・正直、僕としてはあなた方が参加するのはいささか複雑な心境だったんですが。 わかりました。ただ今を持っておふたりの参加は正式に受託されました」 高らかに宣言する古泉。 そうそう、古泉に会ったならば、これを聞かなくてはならないだろう。 「そう言えば・・・俺はお前によく似た顔のサーヴァント・・・ランサーとやらに襲われた。 あれはどう見ても古泉・・・お前にクリソツだったんだが・・・覚えはあるか?」 俺は緊張感を持たせた声で古泉に尋ねる。もしかしたらコイツが・・・という疑いがあったからだ。 「ああ・・・確かにいましたね。僕に良く似たサーヴァント。正直自分でもびっくりしましたよ。 生き別れの兄かと思いましたね」 「そういうことを聞いてるんじゃない!」 俺は思わず怒気を孕んだ声で言い放つ。 古泉はまたもや「やれやれ」というジェスチャーをし、 「あなたの疑いはごもっともですが、それは誤解です。ランサーと僕は何の関係もありません。 ランサーのマスターが参加登録をしに来た時に、その顔を見て、驚いただけですよ。 それに僕は監督役ですよ?戦争に介入する権利は与えられていません」 「わかった・・・」 そこまで言われれば、とりあえずは受け入れるしかないだろう。 すると古泉はまだ言い残したことがあるようで、俺とハルヒを交互に見つめる。 「何度も言いますが、僕はあくまでも監督役、中立の立場です。あなた方の戦いに介入することは出来ない。 『SOS団副団長』の僕としては何とも心苦しいことですけれど・・・」 「その心配は無用の長物ってモンだわ!!」 ハルヒが叫ぶ。 「古泉君、あなたの気持ちは嬉しいけれど、あたしはこの戦争で必ず勝者になるって決めたの。 古泉君はここで監督役としてあたし達の活躍をゆっくりと煎餅でもかじりながら眺めていればいいわ」 相変わらず威勢のいいことだ。まあ、ハルヒからこの威勢を取ったら何も残らないかもしれないしな。 「頼もしいことです。それではしかとこの目で見届けさせていただきますよ」 古泉はいつものあのニヤケ顔で、最後にそう言った。 「まさか古泉が監督役だったなんて・・・な」 教会からの帰り道。思わずひとりごちる俺。 「ふん!関係ないわ!古泉君には古泉君の、あたし達にはあたし達の、やるべきことがあるんだから、 それをしっかりと全うするだけよ」 ハルヒもさっきまではメチャクチャ驚いていたはずなのに・・・何とも切り替えの早いやつである。 俺は仕方なく、後ろをちょこちょこついてくるセイバーに話を振ってみた。 「なあ、お前は古泉・・・って言っても知らないか。 あの神父のこと、どう思った?」 セイバーは液体ヘリウムのような瞳で俺を見つめ、ただ一言、 「・・・別に何も」 と呟いた。まあ、セイバーに聞いても仕方ないか・・・。 「考えても仕方ないの!とりあえず今はこの戦争を勝ち抜く方法を考えるのよ! 幸いにもコッチにはサーヴァントが2体、しかも最強のセイバーまでいるんだから、 絶対に他のマスターには遅れを取らないはずよ!」 ハルヒの言葉はもっともだ。あの蒼い男との戦いを見てもわかる通り、セイバーは強い。 余程の相手でもない限り・・・と考えていた俺が甘かったということが、次の瞬間思い知らされた。 「ねぇ、お話はもう終わり?」 響くのは鈴の音のような・・・幼い幼い声。 その声がする方を見る―― 月光に照らし出された坂道の上には、1人の小さな女の子と―― 絶対的な暴力の化身が――立ちはだかっていた。 「・・・ウソ・・・何アレ・・・」 ハルヒがそういうのも無理はない。『アレ』はありえない存在だ。 その小さな女の子の傍らにいるのは・・・ 体長にして2メートル、いや3メートルはあるだろう巨大なケモノ。 狼とか虎とかライオンとか、そんな次元じゃない。 あたかも神話やRPGゲームに出てくるケルベロス・・・それのアタマがただ1つのヤツとでも言おうか。 とにかく、アレは・・・アリエナイくらい危険なモノだ。 そんな規格外のバケモノの傍らで、幼い少女は無邪気な笑みを浮かべ、 「こんばんは、キョンくんにハルにゃん!今日はいい夜だね!」 「ウソ・・・あの子なんであたし達の名前を・・・!」 俺も驚いた。初対面のはずの女の子は、俺とハルヒをまるで兄とその友人かのような気軽さで呼んだのだ。 「あっれ~?もしかしてキョンくん、私のこと知らないの~?」 知らない・・・はずだ。しかし、どこか遠い遠い記憶の中で・・・見覚えがあるような・・・。 答えない俺に少女はムスッとした表情になる。 「ひっど~い、キョンくん。わたしのこと忘れちゃったんだ~。 もういいもん!『お兄ちゃん』なんかキライ!」 『お兄ちゃん』・・・その単語に思わずビクッとする。 「そんな意地悪なキョンくんもハルにゃんも・・・死んじゃえばいいんだ! やっちゃえバーサーカー!」 「グオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーン!!!!!!」 無邪気に叫ぶ少女に呼応するかのように、四つんばいのバケモノが咆哮する!! 振り下ろされるバケモノの腕、その鋭い爪が迫る。 あんなの喰らったらひとたまりもないぞ・・・!身体がもげちまう・・・! 「アーチャー!!」 ハルヒの叫びに呼応して、霊体化していたアーチャーが姿を表す。 「・・・!セイバー!頼む!」 こちらも遅れじとセイバーを呼ぶ。瞬時に、さっと俺の前に立つセイバー。 迫り来る爪を間一髪で交わす。 そして、最初に斬りかかったのはセイバー、目にも留まらぬ速さでバケモノに突進し・・・、 サシュッ!! と、鋭い音と共にバケモノの右腕を切り裂く。 「よし!!」 思わず声をあげてしまう俺。これであの馬鹿でかい腕は使い物にならないはず・・・だったが、 「グルルルルルルル!!!」 バケモノはビクともしない。まるで斬られたこともわかっていないかのように咆哮する。 「何よアレ、反則じゃない・・・」 思わずハルヒが嘆く。その気持ちはよくわかる。あんなの・・・どうやって倒せって言うんだ・・・! 「あの子・・・さっき『バーサーカー』って言ってたわよね・・・」 呆然とするハルヒが、ふと呟く。 すると、その小さな女の子は、二カッと年相応の無邪気な笑みを浮かべ、言い放つ。 「さっすがハルにゃん、よく気付いたね~。この子が『バーサーカー』、 わたしがそのマスターだよ」 まるで同年代の友人に語りかけるように、絶望的な事実を述べる少女。 「あんな小さな女の子がマスターって・・・どうなってんだよ?」 思わず漏らす俺。 「知らないわよ・・・! アーチャー!セイバーの援護をしなさい!」 ハルヒは赤い男、アーチャーに指示を飛ばす。 さっきから全く状況が変わらない。 あのケルベロスみたいなバケモノの周りを、まずはアーチャーが素早く動いて撹乱し、 隙が出来たところをセイバーが斬りつける、という攻撃パターン。 しかし、いくら斬りつけられてもあのバケモノ、『バーサーカー』はビクともしないのだ。 あのバケモノ・・・タフすぎるだろ・・・! 「こうなったら・・・心苦しいけどあのマスターの方を狙うしかないわね」 ハルヒが静かに呟く。しかし、あんな子供を狙うのは気がひけるが・・・、 「仕方ないでしょ!それ以外に方法はないわ。 今ならセイバーとアーチャーに気をとられてるから・・・」 そう言うとハルヒは目を瞑り、何やら呪文を唱え始める。 「・・・喰らえっ!」 ハルヒは腕を掲げ、野球ボール大の魔力弾を放った。 さすが有能な魔術師と自負していただけのことはある。凄い魔術だ・・・! そして、弾がマスターの少女にぶつかろうとしたその時・・・、 あろうことか少女はまるで蚊を叩くかのように容易に、その魔力弾をはたき落としてしまった。 「ウソ・・・」 信じられないといった面持ちのハルヒに少女は語りかける。 「わたしだって一応魔術師だもん、これくらいは出来るよ~。 それにしても不意打ちなんて、ハルにゃん卑怯だよ~」 「何よ!アンタのサーヴァントの方がよっぽど反則よ! あの『バーサーカー』一体何者よ?」 ハルヒの気持ちももっともだ。あのバケモノはもはや、英霊とかそういう次元すら超えているように思える。 何か反則技を使ったとしか思えないタフさと凶暴さだ。 すると、女の子が・・・無邪気に言い放つ。 「わたしのバーサーカーが強いのは当たり前だよ~。あの子は『シャミセン』だもん」 ~interlude2~ 一度は認めかけたこの世界、しかし今ではやっぱり夢なんじゃないかとつくづく思えてくる。 教会の神父にして戦争の監督役がなぜか古泉だったのは百歩譲ってまだいい。 以前の世界でもヤツはワケのわからない『機関』とやらに属する超能力者だったしな。 問題は教会からの帰り、俺達の前に立ちはだかったバケモノとそのマスターの幼い少女だ・・・。 ・・・ってその少女・・・どう見ても俺の妹なのだ。 ああ、今こうして『アーチャー』となってしまった俺には勿論妹などは存在しない。 そしてこの世界の『俺』は天涯孤独の身らしいから、右に同じくだ。 しかし、アーチャーになる前、以前の世界の俺には確かに妹がいた。 小学6年生なのに低学年にしか見えない容姿で、毎朝人の腹にヒップドロップをかまし、 兄である俺を『キョンくん』というけったいな名で呼んでいたあの妹である。 なぜそんな妹がこの世界では『バーサーカー』なるバケモノを引き連れているのか。全くもって理解不能だ。 そしてこのバーサーカーとかいうバケモノ、強すぎる。 さっきから俺と長門・・・いやセイバーか、で剣撃を繰り返しているにもかかわらずビクともしやがらない。 反撃してくるあの大きな爪にかすりでもすれば一撃であの世行きだ。 しかも・・・妹もといマスターの少女が言うには、このバーサーカーには、 『シャミセン』という立派な立派な名前がついているらしい・・・ってシャミセン!? あの妹によーく懐いていた珍しい雄の三毛猫で・・・ 映画の撮影ではハルヒのトンでもパワーで渋いテノールで哲学的なセリフを吐いていて・・・ そんでもって古泉主催の推理大会や阪中が持ってきた幽霊騒動なんかでは大活躍して・・・ でも、家では飯食ってゴロンと寝っ転がってるだけだった・・・あのシャミセン!? どうやったらあんなただの怠け者の三毛猫が、こんな破壊の化身のようなバケモノになるっていうんだ!? やっぱり本気でこの世界は狂ってる・・・。 あ・・・そんなこと考えてる内に、また『シャミセン』の攻撃がやってくる・・・。 とにかく今は・・・この状況を何とかするしかない・・・! 『シャミセン』と謎の名で呼ばれたサーヴァントは、相も変わらず攻撃の手を緩めない。 その大きな腕と鋭い爪が振り下ろされる度、アスファルトにはクレーターが出来上がってしまう。 しかし、あの少女といい、『シャミセン』という名前といい、初めて見聞きした気がしない・・・。 「いっけ~!シャミ!セイバーとアーチャーをボコボコにしちゃえ~!」 少女が一層高らかに宣言したかと思うと・・・何と少女の体が眩しく光る。 そしてそれに呼応するかのように・・・ 「グオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーン!!!!!」 雄たけびと共に、更に暴れまわるバーサーカーことシャミセン。 「・・・!まさか・・・まだ狂化してなかったっていうワケ?」 「どういうことだ?ハルヒ?」 「バーサーカーのクラスには、そもそもそれほど強くないはずの英雄が割り当てられるの。 それを狂戦士として『狂化』させることで圧倒的なパワーを得るのだけれど・・・」 つまりは・・・アレが今からもっと凶暴に、そして強くなるってワケか。それは・・・マジで反則だ。 そして、ついにその鋭い爪が、セイバーを捉える! グシャ!!! 鈍い音共に宙に舞うセイバー・・・! 「セイバー!!!」 「長門!!!」 思わず叫んでしまう俺。そして何故か、真名の方を叫んでいるアーチャー。 アスファルトに叩き付けられたセイバーはピクリとも動かない・・・まさか・・・。 「あははは~、キョンくんのセイバーよわ~い」 無邪気に笑う少女。 そして駆け寄る俺は衝撃的なものを目にする。 それは、夥しい流血をものともせず、苦悶の表情を浮かべながらも、 その『見えない剣』を支えに、懸命に立ち上がろうとするセイバー、いや1人の少女の姿だった。 どうしてここまで・・・いくらサーヴァントとはいえ・・・ただの女の子がどうしてここまでする必要がある! 駆け寄る俺は、そんな理不尽な気持ちでいっぱいだった。 しかし、そんな俺を尻目に立ち上がり、なお剣を構えんとするセイバー。 「セイバー!?」 「・・・だいじょう、ぶ。問題、ない・・・」 「その傷のどこが大丈夫だって言うんだ!?ここはいったん・・・」 撤退するべきだ、という言葉は出なかった。いや、出すことが出来なかった。 俺を見つめるセイバーの瞳、その瞳が、初めて彼女と出会った時と同じような、 何もかもを見透かしてしまうかのようなキレイに澄み渡った、それでいてどこかで、 確固たる決意を秘めた、そんな瞳だったからだ。 「だいじょうぶ・・・あなたは・・・わたしが守る」 そう言うと、セイバーは己の剣を高く高く空に掲げる。 それと同時に、信じられないくらいに膨大な魔力がそこへと吸い寄せられるのがわかる。 「キョン!!セイバーは宝具を発動させるつもりよ!離れなさい! アーチャー!アンタ弓使いなんだから、距離を取って射撃して隙を作りなさい!」 ハルヒの声にハッとする俺。そういえばハルヒが言っていたな・・・ 宝具――それはサーヴァントの持つ武装であり、象徴であり、奥の手。 己の持つ武具から、己の持つ最高の必殺技を発動させる。 あの蒼い男、ランサーがセイバーに放った『ゲイ・ボルグ(刺し穿つ死棘の槍)』もその宝具の一種らしい。 つまりは、セイバーはここに来てついに自分の必殺技を発動させる、ということだ。 仕方なくセイバーから距離を取る俺。 目を凝らすと、今まで隠れていたセイバーの『見えない』剣が、徐々にその輪郭を現す。 そしてその剣に向け、大気中の魔力という魔力が、大きなつむじ風と共に吸い寄せられる。 そして肝心のバーサーカーはアーチャーの弓による遠距離攻撃で、上手いことセイバーから注意がそれている。 機は熟した――ついにセイバーの宝具が発動する・・・! マスターの少女はその只ならぬ雰囲気を察知したのか、顔を引きつらせている。 しかし――もう遅い。 セイバーの光り輝く聖剣――その真名が開放される! 「――エクスカリバー(約束された勝利の剣)――」 真名を開放するその声は――相変わらずの抑揚のない、静かなもの。 しかし、放たれる光は確実にバーサーカーの巨体を包み込む。 「グオーーーーーーーーーーーーー!!!!」 断末魔の叫びが響き渡る。 ・・・。 ・・・。 ・・・。 辺りを包んでいた眩しい光が消える。 そしてそこには、力尽きて横たわる巨大なケモノ、バーサーカーの姿があった。 「倒した・・・のか?」 呟く俺。身体中の力が一気に抜けたような錯覚を覚える。 「・・・みたいね」 ハルヒですらもその余りの威力に呆然とし、そう呟くのが精一杯なようだ。 しかし、すぐにいつもの威勢を取り戻し、 「どうやらあたし達の勝ちね!あなたのバーサーカーは見ての通り戦闘不能よ! さあ、お子様はお子様らしくさっさと降参しなさい!そうすれば命までは取らないわ!」 と、少女に向かって言い放つ。 少女はしばらく、横たわる己のサーヴァントを呆然として見つめていたが、 「さすがだね、セイバーは。わたしのシャミを『3回』も殺してみせるなんて」 それは随分と不思議な言い分だった。もうあのバケモノは戦闘不能だ。ほっとけばすぐに息の根が止まるだろう。 それなのに『3回』殺したとは・・・意味がわからない。 すると、横たわるバケモノ、バーサーカーは何事もなかったかのように起き上がった。 エクスカリバーを喰らったことによる身体中にあった無数の傷も、みるみる内に塞がる。 「そんな・・・まさか・・・」 ハルヒは信じられないといった面持ちだ。 「へっへ~ん、驚いてるみたいだね、ハルにゃん!じゃあ教えてあげるねっ! シャミセンの宝具は『ゴッドハンド(十二の試練)』なんだよ!ここまで言えばハルにゃんならわかるでしょ?」 そんな少女の言葉に、ハルヒは更に驚きの表情を見せる。 「いや・・・俺は全くわからないんだが・・・」 要領を得ない俺にハルヒは、 「つまり、バーサーカーは12回殺されない限り死なないのよ。所謂蘇生魔術の重ねがけってやつね」 何と・・・あのバケモノは12回までなら殺されようが勝手に生き返るっていうのか・・・。 反則もここまでくると言葉にならない・・・。 しかも、最強のセイバーの必殺技を持ってしてもたった3回しか殺せなかったというのか? 残りあと9回・・・気が遠くなるような数字だ。 「グルルルル・・・!」 完全に蘇生したバーサーカーは既に臨戦態勢だ。 セイバーは先程のダメージと宝具を開放した消耗で、立っているのがやっとという状態だ。 まともに動けるアーチャーはいるものの・・・1人では・・・、 そう絶望しかけた矢先、少女は意外な言葉を発する。 「今日は何かもう飽きちゃったな、帰ろ、シャミ。 キョンくんにハルにゃん、また遊ぼうね!その時はちゃんと殺してあげるから!」 え・・・と思う暇もなく、少女はシャミと呼ばれたバーサーカーの肩にちょこんと乗ると、颯爽と闇の中へと消えていった。 何とも気まぐれなマスターだことで。しかし、今回に限っては幸運だったと言う他ない。 「どうやら・・・助かったみたいね」 「ああ・・・って、そうだ!セイバー!」 俺は、傷を負い、消耗しきったセイバーの下に駆け寄る。 セイバーは、 「だい・・・じょう・・・ぶ」 と、呟くと力をなくし、アスファルトに再び倒れ込んでしまう。 「まずいわね、セイバーの魔力はもう空っぽ寸前よ。とにかくアンタの家まで運びましょう!」 ハルヒに促され、俺はセイバーをおんぶする。 帰途に着く俺達を見ているのは月だけ。どうか今夜はもうあんな怪物みたいなのとやりあうことはないように。 そして、俺の背で眠る少女、セイバーが無事であるように、とただそれだけを願っていた。 そして、そんな俺にやけに視線を飛ばしてくる赤い男、アーチャー。 まだ会って数時間ではあるものの、なぜだろう、俺はこの男が他人のような気がしないのだ。 そして、アーチャーもアーチャーで、やたら俺のことを凝視してくるような気配を醸しだしている。 そしてそれと同じくらいに、俺が背負うセイバー、いや長門有希という少女のことを見つめている。 もしかするとこの2人は面識でもあるのだろうか・・・。 とにもかくにも俺とハルヒの聖杯戦争、最初の夜は、こうして終わりを告げたのである。 ~interlude3~ セイバー、いや長門の活躍により、俺の妹に良く似たマスターとシャミセンと呼ばれたサーヴァントは、 一時撤退を強いられた。 俺達は何とか九死に一生を得たというわけである。 しかし、俺が気になってしょうがないのは長門が宝具を開放する前に、この世界の『俺』、 つまりは『キョン』に発した言葉だった。 『だいじょうぶ・・・あなたは・・・わたしが守る』 あの時の長門を見て、俺は以前の世界での数々の出来事を思い出す。 例えば朝倉涼子に襲撃を受けた時、閉鎖空間で巨大カマドウマに襲われそうになった時―― どんな時でも俺の窮地を救ってくれたのは長門だった。 そして、この世界でもまた、長門は『俺』の窮地を救ってくれると言うのだろうか? 長門よ、どこまでお前は俺に尽くしてくれるんだ・・・? そして俺は・・・この世界の『俺』を殺すという決意をますます固めることになる。 なぜならばいくら長門が『俺』を守ってくれようとも―― この世界の『俺』では――長門のことを守ってやることが出来ないからだ。 俺はその時を静かに待つ・・・。 第3章 完 第4章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/983.html
それは長かったのか短かったのか……実際にはとてつもなく長かったという、 よくわからない夏休みが終わって一週間が過ぎ、 無理やり一日で終わらせた夏休みの宿題の提出した日以降、 俺はひと時の安らぎを覚えていた。 次の大きなイベントの体育祭まではまだ時間があるし、 ハルヒの今までの行動パターンから考えて老人を敬う日などという発想はおそらくこの世に存在せず、 あるとしたらせいぜいお月見イベントくらいのものであった。 朝比奈さんとのんびりとお月見するシーンを想像しながら、 一つの不安材料の行方を案ずればどうしても5月以来のバニー姿になる朝比奈さんしか思いつかず、 それはそれでぜひ見たい気もするのでむしろ楽観視していた。 そんなことよりも俺は休みというにはあまりに疲れた夏休みを無事(?)に終え、 今ようやく母の手の中で安堵の眠りについた赤ん坊のごとくすっかり安心しきっていた。 大いに油断していたといっていいだろう。 それは何の前触れもなく突然訪れた。 「キョンくん! 起ーきーなよ! あーさだーよお!」 バシバシと俺の太ももを叩きながら徐々にその叩く位置を上の方へとずらしていく妹を感じつつ、 残暑の朝特有のじっとりとした汗ばむ掛け布団を跳ね除け、ゆっくりと俺は起きた。 実際にはまだもうあと5分くらいは眠りたいという体の欲求には勝てず、 とりあえずこの妹の前では起きたフリをしなければならないのだが、 俺は眠い目を開けずにゆっくりと起き上がり、いかにして朝の貴重な時間の侵略者を撃退する作戦を展開しようかと考えていた。 「あれ?お兄ちゃん?いつかの……なんだっけ、なんであのお兄ちゃんがここに?あれ?んー?」 お前のお兄ちゃんがここにいなかったら誰がここにいてほしかったのか。 それとも古泉がここにいて朝からあの引きつるような笑顔でさわやかに、 やあ、おはようなどと呼ばれたらよかったのか。 そんなことより早くこの部屋から出て俺に二度寝の幸福を味合わせてくれたほうが兄に対する最大の兄孝行になるのではないか。 まてよ。お兄ちゃん?今お兄ちゃんと言ったか妹よ。 数年前、叔母のきまぐれでついたあだ名をお前が広めたおかげで、 すっかり定着してしまったあの忌まわしきあだ名を使わずに今俺に向かって「お兄ちゃん」と発したのか。 「あのー、キョンくんは? どうしたの?」 はぁ? 意味がわからん。 もともとこのできの悪いお子様は、結局のところ俺と唯一血を分けた兄妹であり、 できの悪いところを含めて俺の責任が全くないとも言えなくもない。 いや、俺が遺伝子を分けてやったわけでもないし、 本当は両親がひた隠しにしていて実の子ではないということや、 赤ん坊のころ病院で取り違えてしまった可能性もなくはない。 「お母さーん。キョンくんじゃなくてお兄ちゃんがいるー。ねー、お母さんってばー!」 このような状態の妹をカタカナ二文字で表現するのもいい加減飽きがきた。 都合よく妹を追い出すことに成功した俺であったが、 妹の甲高い声と意味不明な言動のおかげですんなり目が覚めてしまい、 早起きは3文くらい得したのだか得していないのだかはっきりしないことをあまり考えようとせず、 ゆっくりと洗面所へと足を運んだ。 最近すっかり身の回りに変なことが起きるのが当たり前になりすぎていて、 異常現象というものに対して緩慢になっていた俺であったが、 実を言うとこの時点ですこし嫌な予感がしていた。 この予感はいつも俺の意識の奥底で淡く黄色信号を発するものであったが、 いつも黄色く感じた信号は実際は限りなく黒に近い赤であることが多かった。 その日の信号は黄色と黒の混じった色であったに違いない。 歯ブラシに適量の歯磨きをうまくのせて口へ運ぶ。 この作業をだいたい20秒くらいかけてゆっくりと行った俺は、 目を覚ますようにゴシゴシと力を入れて歯を磨いた。 実際にはあまり力を入れないほうが歯垢はよく落ちるのだが、 俺の中の公式では力の加減に反比例し、歯磨きは早く終わる一次関数になっており、 このときも10秒ほど磨いたらOKだろと思いつつ口に含んだ異物を吐き出そうと洗面台へと顔を向けた。 目の端に映った鏡の中の違和感に俺は思わずビクッと体を痙攣させた。 鏡の中に俺が ──いなかった。 いや、実際にはそこには俺はいたのだが、 その俺は本当の俺ではなく、俺という実体のない俺であった。 そこには眠たそうな目で歯ブラシを咥えた古泉がいた。 一瞬、頭の中が真っ白になったが、 体は無意識に鏡をなぞるように動いていた。 目の前にいる古泉が見たこともないような驚愕の表情でその行動をなぞりながら 餌を与えられた金魚のごとく口をパクパクとさせていた。 口から歯ブラシをポロリと落とし、半分涎をたらしながら凍りつく無様な姿の古泉は 他から見ればさぞ貴重な映像だったに違いない。 鏡の中の古泉は手を顔にこすったり体のいろんな箇所を叩きながらせわしなく動いていた。 手のひらに沸いた汗が夏だというのにいやに冷たく、 心臓の音が耳の外側から聞こえるほど大きく感じた。 俺はまた頭の中が白いもやの物に覆われ、徐々にそれが大きな雲になるに至り、体は動かなくなっていた。 永遠とも感じる長い時間が流れ、 いや、実際には30秒くらいだっただろうか。 その間俺は考えるということを放棄して、時間の把握という概念の損失を体感していた。 何が起こったかということはすぐに理解できた。 つまり朝起きたら俺が古泉になっていたということだ。 鏡が実際とは違うものを映す存在に変化したのではない限り、これしかない。 簡単である。 この状況自体はすぐに把握できた。 だがどうすればいいかなど考えもつかなかった。 これからどうすればいいのか考えるのにはまずゆっくりと頭を冷やす必要があった。 自分が自分でないという状況で冷静に立ち回れる人間がいたらすぐにでも俺の前に出てきていただきたい。 立場を変わってやるから。 「だーかーらー! お兄ちゃんがいるのー! 知ってたのー?」 さきほどから妹は母親に古泉(俺)の存在を告げているようであったが、 お兄ちゃんが俺を指す単語でもある以上、すぐにはこの古泉の存在に気づくことはないだろうが、 現在ここにある状況は妹の言動を要せずともはっきりとわかる異常な事態である。 あんた誰?という質問を受けて、はい古泉と申します、 などと返答したところで怪しさは天文学的数値に跳ね上がり、 泥棒!と叫ばれないようにするには俺の名前を出さざるを得ないだろう。 「違うよかーちゃん俺俺」 なんて本人を目の前にしての俺俺詐欺が通用するほど俺の母親はボケてはいない。 俺にはこの状況で冷静な嘘を考える余裕などなかった。 もちろんこんなところを両親に見られるわけにはいかない。 すぐさま飛び上がるように俺の部屋へと戻りカギをかけた。 そして右を見たり左を見たりと怪しげな挙動を示しながら「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、 耳から聞こえてくる声がたしかに自分の物ではないことを感じ、そのことで自分をますますパニックにさせていた。 言われてみればたしかに古泉の声のようにも感じるが、 自分の耳に聞こえる音はいつもの古泉のそれとは少しずれていたように感じた。 そしていつものところに置いてある携帯を見つけるのに一分近くかかり、 手につかない状態で携帯を落としそうになりながら番号を検索し、コールボタンを連打した。 呼び出し音を聞きながら机の上に置いてある手鏡をこっそり覗くと、 そこにはやっぱり今にも泣き出しそうな顔をした古泉がいるのである。 かける相手は一人しかいない。 この体の持ち主である。 3コールほどで相手が出たことを確認した俺は矢継ぎ早に用件を述べた。 「おい、古泉! どうなってんだこれは!いや、どうなってるのか俺には全くわからんがお前にはわかるのかこれは。 いや、そうだ! お前の方はどうなってんだいま! そこにお前はいるのかどうなんだ? そこにいる俺は本当に俺で合ってるのか!?」 混乱した頭である。 文章の体をなしていないことには目を瞑っていただきたい。 「わかってます。落ち着いてください。こっちも大変なんです。 とにかくすぐに家を出てください。 それからなるべく家族の方に見つからないように部屋の窓から出るようにしてください。」 といって一方的に電話が切れた。 だが、返答に出た人物は明らかに古泉ではなかった。 古泉が女性であった記憶は俺にはないからだ。 どこか聞いたことのある声であったが、 古泉の携帯に違う人が出たということで向こうの方にも同じような緊急事態が起こっていることを把握した。 寝巻きのまますぐにでも飛び出したい衝動に駆られたが、 とりあえず制服に身を包み、窓の外へと体を乗り出した。 靴を履いていないことなどこの際どうでもいいことであり、 それよりもどこへと向かったらよいものか。 どこへ向かうつもりなのかもわからずとにかくここではないどこかへ行きたかった。 二階の窓から一階の屋根に降り、 周りに見つかっていないかどうか辺りをうかがっていると玄関のすぐ脇から女性が出てきた。 見つかってはまずい状況であっさり見つかってしまい、部屋に戻ろうかどうしようかと思索していると、 「早くこちらへ!」 と道案内するかのように手を振った。 一見OLのような姿のその女性の手を借り、庭の塀伝いに地上へと足をつけた。 「あなたは?」 「『機関』の者です。お話は目的地についてから詳しく。」 その女性に背中を押され、道路へ出るとすぐ目の前に黒いタクシーが一台、勢いよく止まった。 いつしか古泉に連れられて閉鎖空間へ行ったときのあのタクシーと同じ型であるように見える。 でも、俺は誰だか本当にわかってるんですよね? 「ええ、詳しくは向こうで。まずは実際にその目で確かめていただかないと。それから」 それからといって女性が取り出したのは男物の靴だった。 「どうぞ履いてください。」 俺のいつもの靴より少し大きいような気もするが、履いてみると足にすっぽりと収まった。 すぐにこれが古泉本人の物であることがわかった。 そして今着ている自分の制服が少しキツい物であることにようやく今気づいた。 車内から外を見ようとすると窓ガラスにあの憎たらしい顔が不安そうな表情でうっすらと浮かんでいた。 試しに顎を人差し指と親指の間に置いて目を細めてみる。 むかつくほどキザな男の完成だ。 なるほど、たしかに自分自身の目で見てもいいツラはいいと感じるようだ。 しかし、こんなツラとは一秒でも早くお別れしたい。 せつにそう願ってやまないのある。 いい予感など何一つない、ただただ不安にいっぱいになるこれからの未来を考えているうちに 車は見覚えのある建物の前に止まった。 俺が車から降りるとそのまま女性を乗せた車は急発進してどこかへ消えた。 ついた場所が意外な場所で少し戸惑ったが、 この場所にいるということはどこへ行けばいいかはもうわかっている。 すぐにオートロックの玄関の前に立ち、7・0・8と呼び出しキーを押した。 「入って」 と声がかかり自動ドアが開いた。 声の主が長門ではない。 誰だかはすぐにわかったが、 実際に目で見てみないと俺は認めたくない。 エレベーターに乗って7階まで行き、 708の部屋をノックすると、すぐに部屋のドアが開いた。 開けてくれたのは無言の朝比奈さんであった。 リビングに通されるとコタツに座っている長門がいた。 「………」 少し引きつったような笑顔を見せる長門は間違いなくいつもの長門ではない。 俺の知る長門はそんな表情はしないはずだ。 そしてこの状況を理解しているのか、 いなくても長門と二人きりの状況を嫌うはずの朝比奈さんがいやに落ち着いていることが、 この状況が異常な事態であること決定付けた。 ところでこの中にあと誰がいないんだ? えーと、長門、朝比奈さんがいて…… 古泉は……俺が今使っている体だから…… あとは俺だ。 そうだ、俺自身がまだいない。 とっさに朝比奈さんが立ち上がると同時にピンポーンと呼び鈴が鳴った。 「入って」 そう、最後に登場したのが俺である。 いや、俺の体の持ち主であると言ったほうがいいか。 最後に来たその「俺」は扉をそ~っと開けるようにして、 ブルブルと震えながら上目遣いで突っ立っていた。 目の前に俺がいる。 しかもその俺は明らかにサイズの小さい女性物の服を着て、 大きな袋を抱えながら困惑した表情だった。 ワイシャツを下に着て上にカーディガンを羽織っているが、 服の端はピチピチにはちきれそうである。 それでありながらその服をきっちり一番上のボタンまできちんと留めているのである。 いまどきへそだしルックなんていう言葉はもう死語になって久しかった。 ああ……俺……何やってるんだよ、おい…… 「あの~……ここ、こ、これってどうなっちゃってるんですかぁ~~?」 俺の声はこんなにキーの高いものだったであろうか? いや、自分の声というものは他人が聞く音より若干低く聞こえるという話を聞いたことがある。 それがこの声だとしても、 ちょっと気持ちが悪い声のトーンである。 まるで新宿二丁目のママのようであった。 「うわ、私がい、いるう~……本物だぁ……」 ドアを開けて無言で立つ朝比奈さんを見て、 この俺はじーっと朝比奈さんを見つめながら、なぜか少し興奮しているようであった。 俺の体は朝比奈さんの顔をまじまじと見つめながら、 無抵抗な朝比奈さんの顔、手、腕などを触っていた。 その手が朝比奈さんの胸につつきそうになったところで手首を掴んだ。 「朝比奈さん、おちついて。とりあえず中へ」 この俺の中身は間違いなく朝比奈さんであろう。 中身が朝比奈さんになった俺をなんとかなだめながらテーブルの前に座らせた。 目を回すというのはこういう状況をいうのだろうか。 実際その俺でない俺はその場にいる3人を交互に見つめながら せわしなく目を動かしていた。 本当に目を回しそうな忙しそうな動きである。 あわてている自分というものを他者の目を通してみたからだろうか。 俺は幾分か落ち着いて周りの状況を把握できてきた。 どうやら入れ替わったのは俺と古泉だけではなかったようである。 ここにいる全員が元の体ではなくなっているのである。 「そうです。僕です古泉です。わかりますか?」 長門が手をW字のように広げて目を細めた。 間違いなくこの長門の体の持ち主は古泉である。 朝に電話したときの電話の主はこいつだったであろう。 普段長門の話すトーンが低すぎるため、長門の声であるということに気づかなかった。 こんな似合わない話し方をする長門は金輪際見たくはない。 すると残る無言の朝比奈さんの中身は長門なんだな? 朝比奈さんを見るとゆっくりと小さくうなづき返した。 「わ、わ、わ、わたし朝比奈みくるです! 本当なんです! 朝起きたらなんか、かか体がキョン君に替わってたんです! し、信じてください!」 俺(朝比奈さん)が必死の形相で訴えかけるが そんなことはこの場の誰もが理解しているところである。 むしろこの俺(朝比奈さん)に全員の中身をもう一度説明する必要がありそうだ。 状況を整理しよう。 つまり俺が古泉の体に、 古泉が長門の体に、 長門が朝比奈さんの体に、 朝比奈さんが俺の体に、 移り変わったということであった。 無茶苦茶である。 人が入れ替わるという小説や漫画をいくつか読んだことはあるが、 実際にその体現者になるとは思わなかった。 しかも一対一ではないのである。 やたらと大きな風呂敷を広げてあとで収拾のつかなくなる小説のような話である。 つかなくなるのか? これは? とにもかくにもここにSOS団が一応全員揃ったようである。 全員といっても団長様がいないが、 ここにハルヒがいないのはまだ事態は完全な最終局面ではないということの表れで、 ハルヒまでが入れ替わっているとすれば世界中の人々は今頃全て入れ替わっていることであろう。 「それはない」 朝比奈さん(長門)がほとんど口を開けずになんとか聞き取れるだけの声量で話した。 「今現在、入れ替わっているのはこの地球上でここにいる4人だけ。」 朝比奈さんがロボットのように無表情にかつ、冷静に話しているところを見るのは初めてである。 この中身が長門であるとわかっていても本来の朝比奈さんには永遠に無理な表情である。 なぜか思わず見とれてしまうものがあった。 それにしても……なぜ? 「今日午前6時12分47秒頃、小さな時空変換が行われた。」 これだけ大事になっているにも関わらず「小さな」と表現する朝比奈さん(長門)は 無機質な動きでテーブルの端に置いてあった急須でお茶を入れながら答えた。 やっぱり原因はハルヒなのか? 「そう」 そう答えて朝比奈さん(長門)はテーブルの上にお茶の入った湯飲みを並べてくれた。 「おそらくはこうですね」 長門(古泉)が手を横に広げながらやれやれといった表情で顔の前に人差し指を立てながら説明した。 やめろ。長門の体でそういうしぐさをしないでくれ。 長門に対するイメージが崩れる。 「時間から推測するに涼宮さんの夢の中で、 こんなふうに僕たちが入れ替わる状況を無意識的に望んでしまったのでしょう。 あるいはそんな夢を見ていたのでしょう。」 なぜ、こんなことを考えたんだ。 「さあ?あなたこそ涼宮さんの様子で何か変わったところに気づかなかったのですか?」 前兆など何もない。 ハルヒの変わったところを論文にして書き出したら史記全巻52万6千5百字をも上回る量の説明が必要だろう。 いまさらあのバカ女の思考構造について論じることは何一つない。 「ただ、そうなったら楽しそうだから。」 そんな理由が立派な理論として確立できるのだからこちらには勝ち目はない。 同じ夏休みを1万5千回繰り返すような望みを俺は持ったりしない。 「通常、この程度の時空変換であれば全て元に戻すことは可能。 もし、できなくとも他者および本体からの観測情報を操作すればいいだけのこと。」 通常……というかこういう事態は通常の世界では起こりえないと思うんだが、 長門たちの世界ではこの程度のことは日常茶飯事に起こせるというのだろうか。 ハルヒの力を借りずとも俺たち人類をまるっきり入れ替えることすら出来るのであれば、 こんなに脅威になることはない。 いや、俺たちが気づかなかっただけで今までもこういうことは起きていたのかもしれない。 ただ、長門が一瞬にしてそれを元に戻していたために誰も気づかなかったとも考えられる。 本当にこいつが敵に回ることがなくてよかったと痛感する。 「だが、今回の時空変換の際に時空間そのものへの干渉に制限がつけられた。 これにより9月12日の午前6時12分47秒頃まで私の能力の中で、 物質変換能力、物質構成能力、位相転換能力、情報同位能力、時空移行……(略)……に制限がついた。 つまり今は使えない。元に戻るせるのは9月12日午前6時12分48秒以降」 今日は何日だ? 「今日は9月8日ですから9月12日は4日後ですね。 今回の時空変換で起こったことをまとめると」 長門(古泉)が立ち上がりコタツ机の周りを周りながら解説した。 「僕たち4人の肉体のみを物質的に入れ替えたということです。 朝起きたら自分の部屋にいたでしょう? その際、服装などは変化がなかったですね。違いましたか?」 そうだ、俺の起きたときの服はいつもの服だった。 「つまり意識や記憶その他もろもろの物を置いて体だけがグルッと一回りしたということです。 その際持てる能力も全てその体に移したといえるでしょう。 僕の超能力も、今ここでは使えませんがこの長門さんの体に宿っていることはわかりますし、 基本的にいつもとほぼ同じだけの力が使えるようです。何かしらの制限はあるかもしれんがね。 朝比奈さんも同じような状態でしょう。」 俺(朝比奈さん)がうんとうなずく。 「ただし、物質的な入れ替えであるため、体力などはその体に依存するようです 現にこの長門さんの体では僕はいつもの半分くらいしか物を持ち上げられませんでした。」 長門の体に移ったのであればむしろ前よりも力が出そうなくらいなもんだが。 まあ、本人が使えばもっと体がうまく使えるということかもしれない。 もしくは長門の普段の怪力や素早さなどは情報統合思念体の力を使っているとも考えられる。 「そして周りの世界は何も変化しなかったということです。 僕たちは中身は変わりましたがその中身の変化にまだ周りの誰もが気づいていないということです。 僕のこの見た目を見て家族はみんな僕を長門さんだと思ったようです。 これなら涼宮さんも見ただけでは気づくことはないでしょう。 長門さんの話を信じるとすれば3日後まで、今日含めて丸々4日間我慢すれば あとは12日の朝方に長門さんの力によって修正すればよいのです」 長門(古泉)は長門さんと言って朝比奈さん(長門)の方を向いた。 朝比奈さん(長門)は首を2ミリほど下に動かした。 会話の内容はそれほど難しくないが、 とてもややこしい状況だ。 誰が誰に話しているかわからなくなる。 なるほど。 それはハルヒが9月12日までの間、 団員みんなの位置を入れ替えたいと夢の中であるいは無意識に願ったというわけか。 9月12日の期限の意味はわからないが、その日まで待てば、 長門の力で全員元に戻ることができるというわけか。 「そう」 その12日前後にいったい何があるというのだ? ハルヒの力が発動してキッチリ4日間ということかもしれないが、 とにかくその日、もしくは時間まで俺たちを拘束しておかなければすまないらしい。 それにしても長門の力の一部に制限をつけるとはすごい都合のいい改変だな。 ハルヒは無意識に長門の正体をしっているんじゃないのか? 「あ、あの~……」 俺(朝比奈さん)が言いにくそうな顔で質問してきた。 いつもなら満月のように明るく満面の笑顔で答えられるところだが、 何せ質問者が俺の体である。 どうがんばっても顔に引きつりが起こるのは必定であろう。 「着替えてもいいですか?」 そうだった。 心の主はそんなに違和感を感じないかもしれないが、 傍から見れば違和感バリバリである。 むしろ早く着替えてください。 朝来たときに持ってきた袋を持ってすぐに隣の部屋に入っていった。 俺(朝比奈さん)のそんな姿をハルヒに見せようものなら間違いなくSOS団サイトのトップにされ、 この日本全体にその噂をとどろかすことになる。 何せ、SOS団のサイトは何もないにせよ見る人だけは3万人以上いるのだ。 不思議なことに。 そうなったら俺の人生は終わりだろう。 俺(朝比奈さん)が女物の服を着てここに来たわけは簡単であろう。 起きてこの事態に気づいてとりあえず着替えだけはしておいたのだ。 俺がそうだったように。 当然部屋にある女性物の服に着替えて。 服はそれしかないのだからな。 道中家族どころか人に見られることがなかったかがたまらなく不安である。 少なくとも『機関』による車でここに連れてこられるまでの間にその『機関』の人間には見られている。 そこで『機関』の人間により服の入った袋を渡されたのであろう。 待てよ。そうなると今朝、朝比奈さんは俺の体を既に見ていたようである。 朝起きたときに見なかったのだろうか。 男の朝の生理現象をこの人は理解しているのであろうか? そんなことはどうでもいい。 俺の体でありながら朝比奈さんにいいようにされているというのは、 ある意味ではうらやましいことではあるが、 こんな形での夢の実現は勘弁してもらいたいところであった。 「ええー、うぅぅぅ……。」 隣の部屋の俺から声が漏れてきている。 俺としては自分の体がどういうことをしてるのか常に監視しておきたい気もするがそうも行かない。 頼むからパンツは着替ないでいてもらいたい。 ああ……でも女物の下着をつけている俺を想像するとそれもやめていただきたい。 ええい、クソ! これがダブルバインドというものなんだろうか。 「う~ん、えい! う、うううぅぅ、……うわぁ~……。」 うわぁ~って……何が? 終わった。 真っ白に燃え尽きた。 ああ……もし立場が逆だったのなら…… 朝比奈さんの体に俺が乗り移ってしまったのならどうなっていたことだろうか。 全員が入れ替わるのであればそれでも別によかったのではないか? もしそうだったなら朝比奈さんにお嫁にいけない責任とってねと言われる展開もあったんではなかろうか。 いまさらそんなことを願ってもしょうがない。 ハルヒの願望は叶っても俺の願望は1ピコメートルも叶わないのが現状だ。 なんにせよ卑怯である。 理不尽である。 俺が自分の体を失う替わりに得たものはこの世で最も見たくない男の体で、 その体の主はなんと長門の体に憑依しているのだ。 俺の元の体はというとこの世で最も見られたくない女性に見られ、 俺が最も見たい女性の体は人間の体の構造になど全く興味のない宇宙人に乗っ取られているのである。 これがハルヒの考えたストーリーだとすれば俺への嫌がらせとしては最高の物であろう。 それにこの古泉のいいところなどあるとすればただ一つ、 超能力が使えることくらいだろうが、 その能力さえ俺には使うことができないのである。 俺は丸損をしているだけなのだ。 横に座って変なつくり笑顔を作っている長門(古泉)は座ってゆっくりとお茶を飲んでいた。 「ところで古泉……まさか長門の体で変なことしなかっただろうな?」 「まさか……しませんよ。恐れ多い。 それに女性の体になって喜びなんかよりも絶望の方がはるかに上でした。 長門さんには失礼にあたるかもしれませんがね。 今もそうです。早くその体に戻りたい気持ちでいっぱいですよ。 それは今のあなたにもいえる事でしょう。」 長門の体と古泉の体が等価で交換できる世界はあの世にも来世にもない。 「むしろあなたがうらやましいです。 性別の変化もなく、いちいち性別を意識しなくていいのですから。 僕は今日から女子トイレに行かなければならないんですよ? まともな精神をしていれば単なる苦痛です」 そんな話を横で聞いているのかいないのか、 朝比奈さん(長門)は終始無言で焦点の合ってないような視点を前に向けていた。 長門は朝比奈さんの体になってどういう風に感じたのだろうか。 情報統合思念体の思考経路はわからないが何かの変異を感じ取っていたとは思うが。 着替え終わったようだ。 俺(朝比奈さん)が出てきた。 ブレザーの制服を着ている。 気づけば全員が制服である。 長門(古泉)も朝比奈さん(長門)も きちんとサイズの合った制服を着ているようである。 すでに古泉の関係者で手配していたということか。 おい、古泉(俺)の制服だけ自分(俺)のものだぞ。 サイズがかなり小さいんだが。 「それはすいません。 でもそんなに見た目は変ではありませんよ。 4日間だけの辛抱です。なんならまた後で手配しておきますので 今日のところはこれで我慢してください」 しかし、もし俺が制服を着ずに来てたらどうなっていたんだ? ちゃんと服を用意していてくれたのか心配である。 ……それで、やっぱり学校に行くのか。これから。 時間はもう2時間目に突入している。 「当然でしょう。他の方はともかくとしても涼宮さんの前の席にいるはずのあなたがいないのです。 しかも無断欠席です。今頃涼宮さんの頭の中にはあなたをどう尋問するかということでいっぱいになっているんじゃないですか? ……いや、この場合は朝比奈さんになるんですけど。」 俺(朝比奈さん)がビクッと体を震わせた。 普段ならおびえた小動物に怖くない怖くないなんて声を掛けたくなる光景も、 今俺の体を使ってやられると気味が悪いの一言である。 俺の中の何かが何もかもをどうでもよくしてしまいそうな感情になる。 全員で今日これからやるべき役割をチェックする。 長門(古泉)は非常に簡単だ。 しゃべらなければいいだけである。 長門の友達や知り合いは少ない。特にTFEI関係は 朝比奈さんに扮した長門がそのまま受信しているだろうからややこしいことはない。 ただ、正しく情報同位できないため、正確な連絡は取れないと言っていた。 むしろ今はそれでいい。 朝比奈さん(長門)はとりあえず一番の友達鶴屋さんにバレないようにする。 バレてしまってももう仕方がないかもしれないが、少なくともバレバレにならないように努力だけはしてほしいと 朝比奈さん(長門)に言い聞かせた。 朝比奈さんの演技は実際かなり難しいと思う。 それにあの長門である。 今もものすごい違和感を吐き出している。 朝比奈さんの友達を減らさないか心配である。 そして古泉に乗り移った俺だが、 これは『機関』に関する用件はすでに連絡が行っているためその点は心配ないらしい。 クラスの友人の名前とだいたいの関係を聞いてあとは適当に流しているだけでいいということだ。 さらに数人が協力者になっているとの事でフォローしてくれるらしい。 授業の内容については全くついていける自信がないため、 ノートを取るだけに徹すると言ったら、とても助かります。と偽笑いの笑顔を作った。 コイツは本当に演技でもなくこういう笑い方しかできないのか? もう少し長門らしくしろ。 そして俺の体を今所有しているのはあの朝比奈さんである。 うっかり八平衛を丸ごと吸収したカービィのような存在である。 この朝比奈さんに俺の全権を渡すというのか。 しかも今日のハルヒはどうなっているかはわからんし、 なんせあの唯我独尊女は自分が他人に与える被害には鈍いくせに変なところだけはやたらと勘がいい。 バレないようにするのはかなりの労力を要するはずだ。 それから俺には家族もいる。 両親と妹にはこのことは内緒である。 今朝は飯も食わずに靴も持たずに出かけているのだ。 カギは外からも簡単に開くものだからすぐに俺がいないことに気づくであろう。 教えたいことは山ほどあったが、 全てを正しく理解できるとは思えない。 要点を何点か伝えたが目がうつろである。 仕方がないのでとにかく教室が一年五組であること、 席順がどうなっているかを間違えないことだけを念頭に、 誤っても2年のクラスに行かないようにとだけ念入りに伝えた。 遅刻した原因は坂道を登っている途中、頭が痛くなり学校へ足を運べなかった。でもいい。 とにかく謝っていればSOS団の一員である。 関わりたくない先生方はなんとかなるだろう。 ハルヒには頭が痛くなったと言い通すしかない。 あとは中途半端に受け答えつつ、なんとか耐えるしかない。 朝比奈さんには申し訳ないがいずれ俺の身に回ってくることなのである。 最終的に損を食らうのは全て俺なのだ。 そんな状態で4日も。 4日間もこの状態でいなければいけないというのはあんまりではなかろうか そのとき突然、 ポケットに入っていた携帯が勢いよく震えた。 マナーモードにしていたがまるでけたたましい騒音を鳴らしているようであった。 誰から掛かってきたかは出なくてもわかる。 まだ電話をとってもいないのにすでに大声が聞こえそうである。 俺がとっさに出ようとしたところを長門(古泉)が制止し、 俺(朝比奈さん)に手渡すように合図を送った。 まだ出てないんだからしゃべってもよかろうにと思いつつ、 俺(朝比奈さん)に無言で携帯を手渡した。 見るとどうしていいかわからずオタオタとしている。 「あ、あの……」 「コラー!! キョーン! あんた何学校サボってんのよ! 団員がそんなことをしてSOS団が不名誉に晒されるのは許されないんだからねー!!」 携帯を耳につけていた俺(朝比奈さん)は突然の騒音に目をバツにして倒れそうになった。 この部屋にいる全員に内容が丸聞こえになるような大声であった。 長門(古泉)がその体を支える。 ごめん、朝比奈さん……なぜかとっさにその体を支えるところまで頭が回らない。 「あ…あの……その……」 長門(古泉)が口の前で手を前後にやり、 何でもいいから話すように促した。 「あんたねー! あんたん家に電話したらもう朝早くからいないっていうじゃない! これはもう完璧にサボリでしょ!! いい度胸してるじゃなーい! きっちり先生にはあんたがサボっていることを伝えて置いてあげたわ。 感謝しなさい。 どこにいるのよ! 今何してるの!? 正・直・に・言・い・な・さ・い」 朝比奈さんの役どころはハルヒにいじめられるという、 前とは大して変わっていない役目を獲得した。 あぅ~、うう~、くぅ~と弱った子犬のようなうめき声を上げながら必死に答えようとしている 俺(朝比奈さん)であったが、そのままずっとまごまごするしか術はなかった。 「コラー! キョーン聞いてんの?! あぁ、ちょっ!もう休み時間終わるー! あああとで覚えときなさいよー!」 俺が自分の体に戻るまで、その体が無事で居てくれるかが心配である。 「では、いつもどおりに」 長門(古泉)が言った。 俺たち4人は今ようやく学校の前につき、 校門から少し離れたところに集まっていた。 4人が一緒に登校しているところを万一ハルヒに見られでもしたら大変である。 これ以上嘘の上塗りはいくらなんでも怪しすぎるからな。 ハルヒが人伝えに聞く可能性もなくはないので、 全員バラバラに校舎へ向かうことにした。 そして4人とも授業を終えたらいつもどおりに文芸部の部室へ行き、 部活を終えたら最後にまた4人で落ち合おうという段取りを踏んだ。 まず校門へ向かったのは俺(朝比奈さん)である。 何よりハルヒをこれ以上待たせるのは危険だし、ハルヒの意識が俺(朝比奈さん)に向いていれば 他の3人は見つからないだろうという判断でもある。 このあと俺(朝比奈さん)はどのような理不尽な仕打ちを受けるのか想像するだに恐ろしい。 ハルヒにはサボりと思われているようだし、 先生にもそのように伝わっているらしいのだから明るい未来はない。 ここから先に待っている茨の道を、替われるものなら替わって差し上げたいところである。 そんなことを考えながら少し内股になって校門へ走っていく俺の後ろ姿をじっと眺めていた。 5日間連投してヘトヘトになっている投手をマウンドに送り込むような心境だ。 いつもどおりに投げろというのが無茶な話だ。 俺こと古泉一樹も遅ればせながら教室へ向かうとする。 しんと静まり返った一階の廊下を抜けていつもと反対側の階段を上る。 他の教室の前を通らないようにするためだ。 授業中の1年9組の静寂を破って中へと入る。 「あら、古泉くん。腹痛はもう大丈夫なの?」 英語教師がチョークを持った手を止めてこちらへ向く。 どうやら古泉はあらかじめそういう風に連絡を入れておいたらしい。 クラスの全員の視線を一身にあびて少し緊張する体を感じながら古泉の席を目指す。 みんなどこか心配そうな表情である。 仮病がバレないかという心配よりも、本当に周りの人たちに古泉に見えているのかがまず先に不安になる。 「あ、ええ病院行ったらなんとか治まりました。続けてください。」 と俺が言いつつ鞄を机に掛けたところで3時間目の終わりを告げる鐘が鳴った。 じゃあ、今日はここまでと先生が教室を出て行き、教室に賑わいが戻る。 ふぅ、と小さくため息をつき、鞄の中を確かめようとしたところで数人の女子が机の周りに集まってきた。 「古泉くん、大丈夫? もう平気?」 心配そうな表情で先に話しかけてきたのは後ろの席の女の子だった。 小柄で眼鏡をかけ、髪を後ろで二つに束ねたその風貌は、 よくあるまじめなクラス委員長といった感じの印象をうける。 後でわかるのだが、実際にクラス委員長である。 もちろん何も病気になどなっていない。 いや、実際は病気なんかより重い症状を抱えているのだが。 俺は古泉の真似をするように目を細めつつ、 「ええ、もう心配ありません。大丈夫です。ありがとう。」 とにこやかに答えた。寒気がするようなわざとらしい答え方に自ら鳥肌の立つのを感じたが、 周りの女子はそれを聞いて、こちらもわざとらしいまでに喚起の声と安堵の表情を浮かべた。 なあ古泉……お前、クラスでもいつもこんな感じなのか? 4時間目の授業も滞りなく進んでいった。 授業中に限って言えば俺は今、古泉一樹ではないような気がしてくる。 特別進学クラスといっても、授業の内容があまりわからないのは……まあいつものことだし、 一年のうちは基本的な授業内容のレベルにそれほどの差はない。 ただ、先生にこの問題を解けと当てられると非常にやっかいなことになる。 わかりません、では済まされないのがこのクラスの常識だ。 先生の気まぐれがこちらに向かないことをひたすらに祈りながら黒板の文字をノートに写していく。 授業の終了と昼休みの始まりを告げる鐘が鳴り、 まずひと段落つけることにほっとしたとき、 初めて俺は自分がお腹がすいていることに気づいた。 朝から何も食べていないのは古泉も一緒だったのかもしれない。 さっき鞄の中身を確認した際、弁当は入っていなかった。 古泉はいつも食堂で飯を食っているのかなと思いつつ、ふと気づいた。 しまった。俺は今日財布を持ってきていない。 何も入っていないポケットをさすりつつ次の行動を考えていた。 今、俺の体(朝比奈さん)はどうなっているだろうか。 ちゃんと無事に俺を演じていてくれているのだろうか。 何か助言することはないだろうか? どうせ昼飯を食えないのであれば、それを確認したほうがいいかもしれない。 いすに座ったまま固まっていると背中に何かが当たったような気がした。 後ろの女子がシャーペンでツンツンと背中をつついていた。 さっきの委員長がにこやかに話しかけてきたのである。 「ねえ、今日お弁当作りすぎちゃったの。古泉くんも一緒に食べない?」 出来すぎてる。 俺は自分の体(朝比奈さん)が今どういう状況であるかを少し確認してみるべきだったのかもしれないが、 空腹に耐えかねた俺の脳には選択肢が1つにしか残らなかった。 思考回路が凍結されてしまったのだ。 最初に声をかけてくれたこの委員長はよく見ると目鼻立ちもしっかりしていて、 長門よりも地味な印象だが、静かさの中にしっかりとした意思を感じる顔つきで美形であった。 眼鏡属性のない俺としては眼鏡を外した顔も見てみたいところである。 気づいたら女子数人に囲まれながらサンドイッチやらタコさんウィンナーやらをほおばっている自分がいた。 今日は昼飯がないことを告げたらそれを聞きつけた周りの女子が私の分もわけてあげる、と恵んでくれたのである。 おいしい?と聞かれて、はいとてもおいしいです。と答える。 そんなくだらないやりとりなのにいちいち喜んでくれる女の子たちを見るに、 まるで自分はハーレムの主になったような気分である。 季節は秋になろうとしているのに、ああ、ここには春が到来している。 なにか仕組まれているような気がしないでもないが、 これで嫌な気持ちになる人間などいるはずもなかろう。 知らない人間に囲まれているというのは少し戸惑う状況ではあったが、 古泉しかわからない話や難しい話を振られることもなかったので、 緊張もほぐれ、終始俺の顔からは笑みがこぼれた。 こうしてあっという間に時間が過ぎ、 放課後になった。 文芸部の部室について、いつものように扉を叩く。 ノックの返事にしばらくしてからどうぞと小さく答えたのはの長門の声であった。 中に入ると長門(古泉)と朝比奈さん(長門)がいた。 長門(古泉)は手前のパイプ椅子に座り特に何もせずただこちらを見ていた。 朝比奈さん(長門)の方に目をやると、 いつも長門が座っている奥のほうのポジションの椅子に座り、 いつもどおりのメイド服を着て、いかにも長門が読みそうな難解な言葉で書かれた洋書を読んでいた。 長門……それはまずいだろ。 朝比奈さん(長門)の肩に手をやって立つように促す。 さっと洋書を取り上げ、栞を挟んで本棚の上に置く。 朝比奈さん(長門)はキッとこっちを無機質に見つめ、 なんとなく寂しそうな顔をした。 ほんの数日間だけだからと言い聞かせ、 朝比奈さん(長門)を部屋に入って右側手前のお茶汲みポジションの椅子に座らせた。 これでいつもの光景にだいぶ近づけたというものであろう。 ただ、朝比奈さん(長門)がメイド服を着ていたのは少し意外だった。 自分から進んでそれを着る役目を長門がきちんと理解しているようだった。 長門が中身であろうと、朝比奈さんのメイド姿は似合っていた。 シャンとしてまっすぐ遠くを見ているような姿をみるとそれはそれでいつもと違った魅力がある。 「何事もなく無事でしたか?」 長門(古泉)がこちらを見ずに質問を投げかけてきた。 「特に何も。」 いつもあんな天国を味わっているのかと問いただしたかったが、 わざわざコイツの自慢話を聞くようなハメに陥る気がしてやめた。 「こんな風に人が入れ替わるなんて話を、誰かにしたところで誰も信じる人なんていません。 だから、いつもどおりにしていれば時は勝手に過ぎていくものですよ。」 それもそうだなと時計をちらりと見ながら考えた。 バーンッ!! 頑丈な扉が壊れんばかりの豪快な音とともに開かれて、 いつものごとく傍若無人な女が入ってきた。 「ねえ、ちょっと!」 ハルヒが不機嫌そうな表情をしている。 俺(朝比奈さん)がもう何かやらかしたというのか。 顔がこわばり、心臓が高鳴る。 「今は秋よね?」 はぁ? 意外な質問だったが、少しほっとした。 じっとこちらを見つめるハルヒに少し緊張を覚えながら、古泉の仕草を思い出しつつ答える。 「秋です。9月ですから秋だといえるでしょう。 気温だけはまだまだ暑いですが、暦の上では秋真っ盛りといったところです。」 うまく言えただろうか。まだ少し肩に力が入っている気がする。 遅れて俺(朝比奈さん)が入ってきた。 「お、お待たせしました。掃除当番だったもので……。」 朝比奈さん(長門)がすっと立ち上がりお茶を入れ始めた。 この朝比奈さん(長門)の入れるお茶の味も楽しみではある。 「じゃあ、全員いけるわよね。」 何がだ。 相変わらずコイツは主語を言わないのである。 思わずいつもの口調でつっこみを入れそうになる。 その役目はこの俺(朝比奈さん)のやらなくてはいけないところなのだが、 俺(朝比奈さん)はボーっとハルヒの方を向いて話を聞いているだけだ。 にいっと白い歯をこぼしてハルヒが右手に持ったチラシを見せてきた。 「第6回市内大食い選手権大会参加者募……」 とここまで読み上げたところでチラシを机の上に投げ捨てて大声をあげた。 「秋といえば食欲の秋!これしかないわよね?古泉くん」 「け、結構なことではないでしょうか。」 古泉(俺)はいつものとおり古泉らしくそう答えるしかなかった。 大食い大会だと……? 食欲の秋は認めるにしても大会にでるほどの食欲はない。 だが、いつものつっこみ役が機能不全ではしょうがない。 朝比奈さん(長門)は淡々みんなの前にお茶を並べていた。 「あんたたち4人分はちゃーんと登録しておいてあげたわ。 あたしは監督としてみてるだけだから。 明日午後5時開始だから明日授業が終わったら即ここに全員集合よ! 全員朝からご飯抜いてスタンバイしとくこと! いいわね!?」 否定という言葉が存在しないがごとく俺たちの意見を無視して決定事項にしてしまった。 私はこのあと用事あるから! じゃあね! と言い切ってハルヒは勢いよく部室を後にした。 用事って・・・なんだ? 机の上にある大会のチラシを見ながらいつものハルヒと どことなく雰囲気が違うような気がしていた。 それよりハルヒは俺(朝比奈さん)の様子を見て、おかしいところとかに気づかなかったのだろうか? 「えっと、3時間目の終わった後涼宮さんにどうして授業に来なかったか聞かれたんですけど……」 俺(朝比奈さん)申し訳なさそうに朝比奈さん(長門)の入れたお茶を飲みながら答える。 自分がいうのもなんだが、この俺(朝比奈さん)の仕草はちょっとかわいかった。 「急に頭が痛くなって言ったら素直に信じてくれたみたいなんです。 それに先生の方には涼宮さんからキョンくんは急病で遅れるって連絡がしてあったみたいです。」 なんと。今朝携帯で聞いた話と180度違うではないか。 それでお昼は? 「はい、実は私、お弁当もお昼代も持ち合わせていなかったんですけど、 涼宮さんが食堂で食事を分けてくれまして。」 おかしすぎる。意外である。ありえない。 地球の時点が逆回転していないか心配になる。 「でも谷口さんや国木田さんはちょっと私のこと今日はおかしいって言ってました。」 それは仕方ないだろう。 確かに誰が見ても今日の俺(朝比奈さん)はおかしい。 今話すときも手を口元にやりながらしゃべっている。 「やっぱり涼宮さんに何かあったのかもしれませんね。 そのおかげで僕たちの異変に気づいていないようですが。」 なあ、古泉、長門の格好で「僕」はやめないか? 俺には僕っ娘属性はない。 「ふふ、じゃあ、あなたも一人称は「俺」ではなく「僕」にしてくださいね。 僕……いえ、私もこれからはそのようにしますから。ふふ……」 ふふ、というよりニヤリといった表情を見せて長門(古泉)が笑った。 それから全員で今日あったことを確認しあった。 一応全員うまくやれているらしい。 朝比奈さん(長門)と俺(朝比奈さん)は怪しいものだが、 ハルヒに気づかれないという最大の関門を無事にクリアできたらしい。 それから長門(古泉)は携帯をを取り出し古泉(俺)に手渡した。 「僕の携帯です。自由に使ってください。 それと今日の部屋です」 懐から取り出したのはホテルの鍵であった。 今日はここに泊まれということらしい。 「俺、いや僕はお前の、いや古泉家に泊まる必要はないのか?」 「ええ、家族はもう僕……いや、私のこの状態を知っていますから。 だから私は自分の家に泊まります。 それにこれは『機関』からの指示なんです。 すいませんが、今日はこのビジネスホテルに泊まってください。」 明日以降もこの流れで、もし何かあったら長門のマンションに集合ということで解散となった。 ビジネスホテルは光陽園駅のすぐ目の前にあるところだった。 長門のマンションに程近いところだ。 これなら長門にお願いして泊めてもらってもよかったんじゃないか? それに……今は長門は朝比奈さんの姿だ。 そう、間違いが起きないということもなくは……ない。 いや、ないない。もちろんそれはしないが。 と首を振りながら歩いていると、ホテルに向かう道の途中でさきほど長門(古泉)からもらった携帯が鳴った。 長門と表示されているが中身はもちろん古泉からだ。 さっき部室にいるときに話せばいいだろうに。 「あそこでは話せない用事なんですよ。 だからここで手短に申し上げます。 長門さんや朝比奈さんのことですが、 今回の件ではあの2人をあまり信用しないようにしてください。」 何を言い出すんだ本当に。切るぞ。 「ああ、いえいえそういうことではないんですよ。 全面的に全てを信じるともしかしたら痛い目にあうかもしれないということです。 今朝長門さん自身も言っていたことなんですが、 私たちの体を入れ替えることなんて元々彼女にしたら簡単なことなんですよ。 今回の件でも長門さんが全てを自作自演していないという保障はどこにもないんですから。」 長門が朝比奈さんになって何を得するというのだ。 それに能力に制限をつけてまですることか? 「いえいえ、それは相手の言うことを鵜呑みにしているにすぎません。 長門さんの能力が本当に制限されているかどうかなんて私たちにはわかりえないことなんです。 それに長門さんの目的は涼宮さんの観測です。 観測というものはいろんな視点からすることによってデータを浮き彫りにすることが出来るのです。 視点を変えるということ。 おそらくそれだけで十分彼女にとって有益な情報です。 もし長門さんが意図的に起こした騒動なら彼女に元に戻してもらうのは期待しない方がいいでしょう。」 あくまでこれは最悪の場合を想定してですよと付け加えながら長門(古泉)は続けた。 「それに朝比奈みくる、いえ朝比奈さんですが、 彼女にはもっと気をつけないといけないかもしれません。」 なぜだ? 彼女が俺の体に移ると何かすごいまずいことがあるのか? 「これはあなたにとっても大変不利益なことです。 もしも、涼宮さんが以前のような2人だけの閉鎖空間を作ったとしましょう。 そこにいるのは古泉一樹の体を持ったあなたですか? それともあなたの体に乗り移った朝比奈さんですか?」 もう二度とあんな空間にハルヒと2人だけで閉じ込められるのはまっぴらゴメンだ。 だがもしも……もしもが本当にあるとすれば俺はいったいどうなるんだ? 古泉の姿であのハルヒを止められるのか? それとも朝比奈さんの入った俺はあそこから脱出できるのだろうか。 「それに朝比奈さんの組織からしたら涼宮さんに直接干渉できる最大のチャンスを得たのです。 あなたの体を使って自分たちに有利な状況を作ることも出来るかもしれません。 だから朝比奈さんが今回の騒動を起こした原因ではないにせよ。 これからの朝比奈さんの動きには気をつけないといけないです。」 「もちろんお前の組織のいうことも全面的には信用できないわけだが。」 「そのとおりです。 僕の言っていることはあくまで『機関』の捉え方です。 あなたにはあなたの独自の考えがあって正しいのです。 ただ、そのためにも正しく今の状況を捉えてほしいのです。」 全員の入れ替え。 ハルヒの謎の行動。 考えることは山ほどあったが、 今の俺に出来ることはベッドに横になってただひたすら時が過ぎるのを待つしかなかった。 そして長かった一日が終わった。 第2章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5310.html
火曜日、朝。 ただの夢なのかそれとも悪夢なのか、そもそもこれは夜に見ているものなのだろうか、もしかしたら白昼夢のただ中にいるのではという感じの夢を見たあげく、妹の容赦ない目覚まし攻撃で俺はどうやらあれは夢であり、こっちが現実らしいという自覚を得た。内容は気持ちのよろしくない夢を見たという輪郭程度しか残っていないが、こちらで目覚めても俺はまだ夢の中にいるような気分だった。 朝食を喰って鞄をひっさげ家を出て、北高に続く地獄坂を登る俺の足取りは、ここ一年で最悪級の重さだった。どうせなら今日一日くらい仮病を使いたかったのだが、考えてみれば仮病は先週の金曜日に強行したばかりであるのでそうも言っていられず、俺はせめて不快感と疲労感を顔の全面に押し出して山登り集団に混ざった。 さて、学校に到着して最初に向かったところと言えば部室棟に他ならない。どうせ受け入れなければならん事実は早々に知っちまったほうがいいのだ。たぶんこう考えていられるうちは、俺は大丈夫だろうよ。 古泉のボードゲームがなくなっていたりした場合、俺はどういう反応を取るだろうかという何の役にも立たない想像をしながら、順当に部室に辿り着いた。こういうときばかり谷口や国木田とも会わない。仕方がないので俺はしばし呼吸をととのえ、注射器を目の前にした子供のように目を閉じて扉を開いた。 「あれっ?」 とまあ、のっけにそんな言葉が出たのも無理はないと思って欲しい。あとは絶句である。 いや、そう言うと語弊があるかもしれない。ただ言葉がでなかったのだ。隅々まで目をやっても、俺は三点リーダ状態から抜け出すことができなかった。 何が起こったのか。俺の頭はようやく稼働し始めた。 まず、俺は時間遡行でもしちまったんじゃないかと疑った。しかしそれはホワイトボードに書かれている文字によって否定できる。「明日合宿用品買い出し、費用各自持参」とハルヒの字で書いてある。昨日、俺とハルヒと古泉の三人の部室でハルヒが宣言した通りだ。つまり今日は昨日の明日であって、時間遡行ではないらしい。 次に俺は世界が変わっちまった可能性を考えた。しかしそれもどうかと思う。世界改変をやってのけるようなヤツは今、周防九曜ぐらいしか存在しないのだ。ただしあいつがそんな芸当をできるという保証はないし、それも今日のこのタイミングで今さら、とも思う。 最後の可能性として、俺はすべてが終焉を迎えてしまったということを考えた。俺の代わりに誰かが事件を解決してくれたとか、あるいは犯人――周防九曜が侵攻を中止したとか。 だってなあ。そうじゃなけりゃ、説明がつかんだろ。 部室には、長門の本、朝比奈さんのハンガーラック及びコスプレ、古泉のボードゲーム各種がすべてあったのだ。 何だそりゃ、と思ったね。気抜けしたと言えばその通りである。古泉のボードゲームが消えていたらどうしようなどと悲観的なことばかり考えていたから、さすがに元通りになっているというのは考えも及ばなかった。いまだに俺の頭の中と外にはハテナマークが飛び回っているが、力の篭もっていた肩からは力がどんどん抜けていった。 改めて部室を見回す。インスタントコーヒーのパックは茶葉の缶に戻っているし、立方体のようなハードカバーは十年も前からそこにあったかのように整然と本棚に並んでいる。古泉の持ち込んだボードゲームは昨日と同じ場所にあるし、中央の机には団長の三角錐がある。鶴屋山原産の七夕の笹には叶うかどうかも解らない五つの願いがぶら下がっている。まるで元通りである。俺は何か悪い夢でも見ていたのだろうかと疑いたくもなってくるね。もしかすると、先週の金曜日から催眠術か暗示にかけられて幻覚を見ていただけだったのかもしれん。思い出せばそんなもんだ。俺の中学校三年間並にあっけなく、そのあっけなさを疑いそうである。 「しかし、ほんとに元通りだよな……」 だが、疑うべきところは一つもないのだ。デスクトップパソコンはしっかり鎮座していて何代も前のものではないし、ここに人員が集まればそれで間違いないと思えるくらいに不自然な点はない。しかし俺の内部に魚の小骨が喉にひっかかって取れないようなわだかまりみたいなのが残っているのは、これがあまりにも唐突すぎたからなのだろうか。 なぜか元に戻った部室。俺が相応のことをしていれば納得もするだろうが、俺は本当に特に何もしていないのだ。それなのに、何故? 昨日の夜から今朝にかけて「何か」があったことは確かなのだが……。 まあいい。どうせ長門や古泉はいるんだろうから、昼休みか放課後にでもゆっくり話を聞かせてもらおう。 俺はどうも釈然としない気持ちのまま、気分を浮つかせることもできずに部室を後にした。 * いかんな。 冷静に考えなければならないだろう。長門の本があったり急須があったりボードゲームがあるだけでは本人が戻っているという確たる証拠にはならない。ここで全員元通りだと思いこんではアウトである。都合がよすぎることの裏には高確率で怪しいことがあるし、視覚情報による思いこみは最初っから疑ってかからなければならん。探偵が推理を行うときの基本事項である。 部室のあらゆるアイテムが元に戻ったように見えた。少なくとも俺の記憶、俺の目を信じるとするならば。 しかし俺は探偵などではない。古泉ほど思慮深い頭を持っているわけでもないから、せいぜい俺は探偵のパシリ止まりさ。考えすぎるのは性に合わん。行動に移すほうが案外、何倍も楽なのだ。 そしてその行動の予定なら立っている。別段難しいことではない。長門や古泉のクラスに行ってみればいいのだ。そこに奴らがいたら何が起こったんだと問いつめればいいし、いなかったらいなかったで対抗策を打つ必要がある。 俺はそんなことを一限二限を聞き流しながら考えていた。次の休み時間になったら行けるかと思っていたが、その計画はあえなく破錠した。 後ろのハルヒが俺を離さなかったからである。 「キョン、夏合宿に必要なものって、何だと思う?」 こいつの目の輝きは夏が近づくにつれて増していくようだった。考えていることはどっかの田舎の小学生とたいして変わらん。 「さあな。合宿を楽しむ心の余裕なんじゃないかな」 俺の適当な解答にハルヒはしかめっ面をして、 「そんな抽象的なことを言ってるんじゃないの。もっと現実的で具体的なことよ。バーベキュー用の木炭とか紙コップとか紙皿とかね。いいキョン? 心意気なんてのは後からついてくるものなのよ。合宿を楽しもうとしても肝心の合宿地がなければ合宿は楽しめないでしょ?」 そうかい。俺なら部室で合宿でもいっこうに構わんぜ。それに木炭ならガスコンロで代用可能だし、紙コップや紙皿だって向こうにはもっと豪華なグラスや食器類がいくらでもあるだろ。 「そんなんじゃ雰囲気が出ないでしょ。考えてみなさいよ、屋外のバーベキューで陶器の皿使って食事するヤツがどこにいるのよ。こういうのは雰囲気と心持ちが大切なんだから」 「さっきはそういうのは後からついてくるものなんだとか言ってなかったか?」 「いいのっ。とにかく今日はどっか大型のホームセンターとかに行かないとダメよ。木炭を買わないといけないし、紙コップも部室にあるやつだけじゃ足りないしね。行ってみたら他に欲しいものも見つかるわよ」 そういうのを無駄遣いと言うのだ。 「キョン、あんた他に夏合宿でやるのに必要なものとか思いつかない?」 「あー、UFO召喚の儀式」 と言ってから我に返った。ついワケの解らんことが口をついて出た。何を言ってるんだ、俺は。 「うーん。それもやってもいいけどさ。キョンに団員としての自覚が芽生えてきたのはいいことだけど、あいにくスケジュールが埋まっちゃってるのよ」 「構わねえよ」 投げやりに言って俺は前を向いてほおづえをついた。窓ガラスに映る俺は不機嫌なツラをしていた。 何を俺は今さら団員の自覚なんぞを獲得しているのだ。まったくもってどうでもいい。 ハルヒが俺の提案を却下したことが、俺の胸の奥に魚の小骨のようにチクチクと突き刺さっていた。なぜハルヒはそんなにもあっさりと非日常を捨てやがるんだ。 俺にはできない。 古泉に諭されて、ハルヒと話して、佐々木と語って、俺もようやく認める気になった。どうしようもない、自然の摂理みたいな不条理さによる葛藤の渦が俺の中にできあがっちまっていたのだ。俺の心理は今や非日常の基盤の上に成っている。中学生の頃とは違う。そして、それの崩壊は論理基盤の崩壊、ゲシュタルト崩壊と同意なのだ。しかもマジで壊れようとしている……。 俺は、憂鬱だった。 * 昼休みになった。 昼休みになったので俺はようやく動く気力を得た。というか、動かねばならなくなった。堂々巡りの俺の思考を断ち切るために俺は勢いよく立ち上がった。 「あ、おいキョン。俺昼飯は学食にしようと思ってるんだけどよ」 「そりゃいい。国木田も連れていってやれ。俺は部室で喰う」 谷口を一秒で処理すると鞄の中から弁当を取り出して教室を飛び出した。 長門がいるのだとしたら昼休みは部室にいるに違いない。もし教室にいたとしても俺が望めばそうしてくれるのが長門流なのだ。さんざん世話になった。 階段は一段とばしである。鬱屈して暗くなった頭を振り回して、廊下も駆け抜けた。 文芸部というプラカードがぶら下がっている部室の前で俺は立ち止まり、一応のことノックして、中から「どうぞ」と男の声がしたのを確認してから俺はドアを開いた。足を踏み入れるとともに、妙にどろっとした空気に包まれた気がした。 「どうしました」 そこには――、 「どうしたの、キョンくん」 古泉が、そして朝比奈さんがいた。 まるで俺が来るのを待っていたかのように。 * 「朝比奈さん……」 俺の口から声が洩れた。 パイプ椅子に座ってこちらを見ているそのお方は朝比奈さんで間違いなかった。栗色の髪の毛に可愛らしい顔、他の何者に真似できるものではない。視線をずらせばハンガーラックやコスプレ一式も朝に見たままの状態でちゃんとある。本当に戻ってきたのか。 「長門は」 窓辺にある長門の特等席に目をやる。しかし、そこに長門の姿を発見することはできなかった。本棚には長門本があり、七夕の短冊も長門の分が復活しているというのに。肝心の長門はどこにいったんだ。 俺が次に発する言葉をどうするか迷っていると、 「長門さんならいましたよ。廊下を歩いているのを見ましたから。珍しく部室には来てませんけど」 古泉が平淡な口調で言った。 「本当か!」 「本当です。どうしたんですか、そんなに驚くべきことでもないでしょう」 バカな。これが驚かずにいられるか。お前も金曜日から長門がいなくなってるらしいのは知ってるだろ。土曜日曜月曜とさんざん考え倒したあげくに、今日になったら突然長門が復活してるんだ。これは驚かないほうがおかしい。とすると、お前の頭はおかしいんじゃないのか、古泉。 「何を言ってるんでしょうかね。長門さんなら金曜日から今日までずっといますよ。おかしいのはあなたの頭のほうじゃないんですか?」 「なっ」 古泉にバカにされるのは稀以上に珍しいことだが、そんなことはどうでもいい。仕返しなら後日いくらでもしてやる。 「まさか、朝比奈さんもそうなんですか? 朝比奈さん、昨日も部室にいましたか?」 「いたけど、それがなあに?」 「古泉」 俺は嫌な予感を押し殺して再度古泉に問う。 「お前は昨日、この部室で何をやってた。パソコンをいじったりしてないか?」 「さて。昨日はあなたとオセロをしていましたけどね。ついでに、僕が全勝しましたよ」 最後の情報はどうでもいい。 「部室でオセロしてたってのは本当か?」 古泉は薄気味悪い笑いを浮かべて、 「はい」 俺は後ずさりして、今さっき入ってきたばかりの扉にもたれかかった。 何てこった。 刃物を手にした殺人犯に追いつめられた、悲劇の主人公のような心境である。全身の力が抜けて、そのまま床に尻餅をついた。古泉と朝比奈さんは俺の存在を無視するかのようにこちらには目もくれない。 違ったのだ。決定的な食い違いがあった。そうそう都合のいいことなんてありゃしない。皮肉にも、すべてが元に戻ったみたいな錯覚を受ける物品だけを設置しやがったのだ。そしてそれはやはり錯覚に過ぎず、砂上の楼閣のようにあっさりと崩れ落ちた。絶対に必要なものは、この部室には一つもない。戻ったかと思ったら古泉も朝比奈さんも、昨日や一昨日の記憶を持ってやがらない。 「まだだ」 しかし、古泉や朝比奈さんの記憶が正しくなかったとしても俺にはまだできることがある。後悔している暇などない。俺は床に手をついて立ち上がると、団長机にあるデスクトップパソコンに向かった。SOS団サイトに誰かのメッセージが残っていてくれればそれだけで心強い。古泉や朝比奈さんに証拠としてそれを示すこともできる。 パソコンが起動するまでのわずかな時間に、俺は二人に訊いた。 「古泉、お前は何者だ。ただの人間じゃないだろ。『機関』という言葉に聞き覚えはないか?」 俺の質問に古泉はまったく動じず、将棋の駒を二、三手動かしてから振り返った。 「さあ、何を言ってるんでしょうかね。僕はただの人間です。機関という言葉なら知っていますが、それがどんな意味を持つのかは知りません」 そう言った。俺は舌打ちして制服姿でパイプ椅子に腰掛けている上級生に向き直り、 「朝比奈さん、あなたは何者ですか。未来人ですか?」 朝比奈さんも全然動揺する様子を見せなかった。編み物の手を止めないまま、 「未来? 何のことでしょう。あたしはあたしですよ?」 「TPDDは? 時間平面とか禁則事項とか知らないんですか?」 「知りませんけど」 「STC理論はどうだ。全部あなたが教えてくれたことなんですよ」 「……キョンくん、どうしたの?」 朝比奈さんにまで頭を疑われた。ハルヒが消えたときに味わった恐怖が、全身を撫でるように走り抜けていく。 これは何だ。世界改変か? 俺を残して世界が変わったなんてのは金輪際ごめんだぜ。ハルヒも長門も朝比奈さんも古泉も、味方がいなくなって一人になったときどんなに大変かを、俺は知っている。 「おい古泉、長門は何者だ。あいつは宇宙人じゃないのか? 俺を朝倉から守ってくれたり、幽霊モドキを退治したりしてくれただろ。違うか?」 しかし古泉は面倒くさそうに首を横に振った。 「何を言っているのか解りませんね」 「じゃあ説明してやる。お前や長門がどんな人間だったのかを、すべてだ。古泉、お前はこういう話が好きなんだろ? ファンタジックで興味深い話だと思うぜ。どうだ、聞く気はないか?」 いくら記憶がないと言っても古泉のことだ、てっきり乗ってくるものと思ったが、 「けっこうです。そういうことなら勝手に一人語りでもしててください。僕は将棋をしていますので」 何ということだ。俺は驚いた。性格まで変わってるのか。古泉は微笑オフの状態で、ほおづえをついてつまらなさそうに将棋盤と対峙している。 やっぱりこいつは古泉ではない。昨日、ここで俺と一緒にいた正常な古泉は、消えちまったのだ。 おそらく、周防九曜によって。 消されちまったのか? いや、じゃあ目の前のこいつらは……。 パソコンが立ち上がった。 目的のページはすぐに見つかった。マウスをロゴマークに重ねると、やはりどこかのページにリンクされていた。クリックしてパスワードに『涼宮ハルヒ』と入力し、そこに昨日のままの文章があることを確認する。ひょっとしたらメッセージが変わってやしないか、と思ったがダメだったか。 俺は古泉と朝比奈さんをパソコンの前に呼んで、 「古泉、それに朝比奈さん、この文章に見覚えはありませんか? あるいは、長門がこんなページを作っていたのを見たとか」 「さあ、僕は知りませんね」 「あたしもです」 それだけを業務連絡でもしているかのような淡々とした口調で答えて、俺が他に何か聞くことはないかと考えているうちに二人ともパソコンの前から去ってしまった。 おかしい。二人ともまるで性格が変わっちまってる。感情が薄くなってるというか冷たいというか。確かにこいつらは本当の朝比奈さんや古泉ではない。性格が違うのは当然だ。こいつらは朝比奈さんや古泉ではないのだから……。 そこまで考えて、俺は何か引っかかりを感じた。 待てよ。じゃあこいつらはいったい何なんだ。 世界改変か。別の世界の古泉や朝比奈さんか。 ありえん。こいつらは性格まで変わっちまってるのだ。世界改変で長門の性格が変わったのを一度だけ見たことがあるが、それはその必要があったからで、こいつらの性格を変えたところで何の利益も生まれん。性格を変える必要などない。 じゃあ、こいつらは何者なんだ。俺の目の前で一人将棋を、編み物をしているこの二人はいったい誰なんだ。 朝比奈さんではない朝比奈さん。古泉ではない古泉。 俺の記憶の奥底で何かが騒ぎ立てている。以前、俺はこんな経験をしたことがある。 そうだ。朝比奈さんではない朝比奈さんと、俺は会った。 年末の雪山の夢幻の館で、算式の解読のために長門が俺たちに見せた幻影。 あの朝比奈さんには、左胸のホクロがなかった――。 「朝比奈さん、左胸を見せてくれませんか?」 俺がとっさに言うのと同時に、背後で部室の扉が開く気配がした。長門かハルヒか、まあどちらでもいい。 朝比奈さんはふふんと妖しく笑うと、ためらいもなしにセーラー服を脱ぎだした。その横では、古泉が何事もないかのように将棋を指している。やはりこれは朝比奈さんではないし古泉でもないのだ。こんなことはありえん。 朝比奈さんがセーラー服を脱ぎ終わり、ブラジャーの状態で豊かな胸を俺に見せつけてくる。失神モノではあるが、今は失神している場合ではない。抱きつきたい欲望を抑えて、胸を凝視する。 その左胸にはホクロが――。 なかった。 俺は言葉を失い、顔を引きつらせて後ずさりした。朝比奈さんが、そして古泉がこちらを見て不気味に笑っている。 こんなところにいてはいかん。 本能だ。朝比奈さんの胸を間近でもう少し眺めていたいなどという願望はカケラもなかった。早く逃げ出したほうがいい。この二人にどんな魔法が使えるのか知らんが、一般人の俺が太刀打ちできるようには思えない。 振り返って扉に手をかけようとしたところで、何かにぶつかった。部室に入ってきたハルヒか長門にぶつかったのだろうと思ったが、違った。俺はそいつの顔を見て驚愕し、戦慄が体を駆け抜けたのを感じた。気持ち悪い汗が滲んだ。 「お前――」 絶対零度の雰囲気をまとっているそいつは、衝突した俺に目もくれずに無言でたたずんでいた。 光陽園学院であるはずの制服が、北高のセーラー服に変わっている。 「やあ、長門さん」 古泉がそいつに声をかけた。長門だと? こいつが? 俺の思考は混乱しながらも、ようやく一つの答えをはじき出した。 犯人がようやくはっきりしたのだ。 「そうか……。やっぱりてめえが……」 「――わたしは――――観測する。力を――――わたしが」 観測する、じゃねえ。しらばっくれんな。長門を、朝比奈さんを、古泉をどこにやったんだ。代わりとばかりにこんなバケモノみたいな朝比奈さんと古泉を作りやがって。そして自分は長門になったつもりか。いい加減にしろ。 俺が罵詈雑言を並べ立てるのも無視して、そいつはひたすら突っ立っている。モップみたいな髪の毛で、大理石のような双眸で。 周防九曜が、ここにいた。 俺は弾かれたように部室を飛び出した。後ろを振り返らずに走り出す。 俺のたいしてアテにならない直感が、あいつと一緒にいるのは危険だとしきりに叫んでいたからである。あの幽霊以下の存在感を誇る九曜の後ろで、偽朝比奈さんと偽古泉が俺を見て嘲笑うような表情をしていたのも正直怖かった。相手は地球上の礼儀と一般常識が一切通用しない連中だ。あの朝比奈さんと古泉が何者なのかはっきりとは解らないが、九曜の手下的存在であることは間違いない。だとしたら、雪山で長門が見せた幻の朝比奈さんよりも遥かにタチが悪いだろう。 部室はひたすら遠ざかる。俺が人並みの速度で逃走したところで九曜が相手では逃げようもなさそうだが、俺の目がとらえる限りでは部室の扉が開いて中から誰かが出てくるようなことはなかった。 一安心か。 「おわっ」 後ろを振り返りつつ走っていたら、前方不注意でまた人にぶつかった。悪いな、と手を合わせて立ち去ろうとしたが、俺はその顔を見て立ち止まらざるを得なかった。 九曜が先回りしていたのでも、ハルヒが俺の腕をつかんでいたのでもない。まったく予想外な人物だった。北高のセーラー服をまとった女子。俺は牽制すべきかと一瞬思って距離を取ろうとしたが、今さら牽制してどうにかなるものではないと思い直して足を引っ込めた。 なぜお前が北高のセーラー服を着てるんだなど訊くべきことは山ほどあったが、意外なことに俺の口をついて出たのは疑問ではなかった。 「遅え」 絞り出すような声が出た。憎悪が破裂した水道管のごとく、止めどなく溢れ出した。 「遅えんだよっ!」 ドラマなんかでよくある、襟首を掴む力なんてのは俺には残っていなかった。そいつの肩に手を置いて俺は俯いた。その肩を突き放せば、そいつは窓ガラスに体当たりすることになったのだが、俺はしなかった。 ヤツは何も言わなかった。まるで俺に怒れと命令でもしているかのように、である。皮肉なもんで、俺は相手に言い訳する気がないのを知ると憎悪や怒りの類が醒めちまったのを感じた。 しばらくして俺は顔を上げた。 「橘京子。お前は何か知ってるんだろ。だからここに来たんだ」 その女――北高セーラー服仕様の橘京子はうっすらと微笑んだ。古泉のような超能力者と一緒にこいつまで消えてなかったのはなぜか。まあそんなもんはさしたる問題ではないが。 橘京子は廊下の壁にもたれかかったまま、 「ええ。空間座標と侵入コードをようやく解析できました。コードが複雑になっていたのでずいぶんと時間がかかってしまいましたけど。今日はあなたにそれを伝えるために来たんです」 だから、それってのは何のことだ。てめえは人をじらすのが趣味なのか。 「まさか」 橘京子は苦笑し、 「けど行けば解ると思うわ。そこにはあたしよりもずっと説明上手な人たちがいますからね。詳しい説明ならその人たちから聞いてください。あたしはそこまでの案内役です」 「馬鹿。遅えんだ。早く来やがれ」 橘京子は黙って頭を下げた。その頭頂をかかと落としで叩き割ってやりたかったが俺はやらなかった。とっとと案内して欲しかった。 橘京子が俺をどこかに案内するらしい。こいつが案内役になるというと、あそこしか思い浮かばないのは俺の頭が変なのか。そんなことはないだろう。超能力者、とりわけ橘京子の専門はあそこしかないのだから。 俺は充分に息を吸って、 「佐々木の閉鎖空間にでも連れていくつもりか?」 春の喫茶店で連れて行かれたクリーム色の空間を思い出す。ハルヒの閉鎖空間に比べれば平和的だったが、行こうと誘われて行きたい場所ではないね。 橘京子は胸のうちを読まれてしまったような表情をして、 「ええ。そんな感じの場所です。勘が鋭いんですね。ただし制作者は佐々木さんではなくて、別の人ですよ。だけど、なぜかあたしの持つ能力で入れるように作られていたの」 まさかハルヒと佐々木以外で意図的にあんな空間を作りたがる奴がいるとは思ってもみなかったが、今の焦点はそこではない。わざわざ橘京子が入れるようにしたのもとりあえず無視だ。 「それはどこにあるんだ。俺を連れてく気なんだろ? 前置きはいいから、とっとと案内してくれ」 「案内するまでもないんですけどね」 橘京子は俺が走ってきた廊下の向こうを指さし、 「その空間が発生しているのは部室です。もちろん、あなたがたSOS団の部室ね」 俺はハッとして息をのんだ。 『橘京子を連れてこの場所へ。わたしはここにいる……』 そういうことだったのか――。 部室に発生した異空間。橘京子が侵入できるのに佐々木が作った閉鎖空間ではなくて、創造主は別の人間らしい。そしてこの長門のメッセージ。わたしはここにいる。ここというのはピンポイントで部室のことなのだ。 間違いない。その空間には長門がいる。 「じゃあ行きましょうか。あなたもあちらの人も、早く会いたいでしょうからね」 「待てや」 橘京子が何でしょうと振り返る前に、俺はヤツの頭をはたいた。ヤツが驚きの色を隠せずにこちらを見ると、俺は言ってやった。 「お前が遅いせいで消されちまった二人と、それから俺の心配料をまとめて一発でいいにしてやる。ありがたく思うといいぜ」 とか言いながらも、俺は本当は顔を三発ぐらいぶん殴ってやりたかった。これでも、レディーに気を遣ってやったんだよ。 橘京子はまた黙って頭を下げると、俺が走ってきた廊下を引き返し始めた。