約 770,102 件
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2100.html
内閣 期間 第三次安倍内閣 2014.12.24-2015.10.07 第三次安倍内閣 (第一次改造) 2015.10.07-
https://w.atwiki.jp/asaahingaeaw/pages/99.html
戦後の事は第三次世界大戦戦後をご覧ください。 第三次世界大戦とはSTO(南太平洋条約機構とNTO(北太平洋条約機構)(第三次世界大戦時)とWTO(ワルシャワ条約機構)が戦った三つ巴の世界大戦で2036年に開戦し2110年に終戦した。 STO(南太平洋条約機構) 参戦国 日本(盟主)🇯🇵 パラオ🇵🇼 中国🇨🇳 台湾🇹🇼 韓国(2039年にNTOに寝返る)🇰🇷 朝鮮人民共和国🇰🇵 香港自治領🇭🇰 ドイツ🇩🇪 ノルウェー🇳🇴 フィンランド🇫🇮 サウジアラビア🇸🇦 インド🇮🇳 タイ🇹🇭 ベトナム🇻🇳 インドネシア🇮🇩 シンガポール🇸🇬 イラン🇮🇷 ルーマニア🇷🇴 ウクライナ🇺🇦 ブルガリア🇧🇬 セルビア🇷🇸 マケドニア🇲🇰 オーストラリア🇦🇺 ポーランド🇵🇱 NTO(北太平洋条約) 参戦国 アメリカ(盟主)🇺🇸 カナダ🇨🇦 イギリス🇬🇧 アイルランド🇮🇪 フランス🇫🇷 イタリア🇮🇹 イラク🇮🇶 パキスタン🇵🇰 アラブ首長国連邦🇦🇪 トルコ🇹🇷 エジプト🇪🇬 シーランド公国 ニュージランド アイスランド🇮🇸 メキシコ🇲🇽 ブラジル🇧🇷 アルゼンチン🇦🇷 ガーナ🇬🇭 スペイン🇪🇸 ギリシャ🇬🇷 オーストリア🇦🇹 ハンガリー🇭🇺 キューバ🇨🇺 マーシャル WTO(ワルシャワ条約機構) ロシア(盟主)🇷🇺 ベラルーシ🇧🇾 モルドバ🇲🇩 カザフスタン🇰🇿 アフガニスタン🇦🇫 モンゴル🇲🇳 ブータン🇧🇹 イエメン🇾🇪 エリトリア🇪🇷 ミャンマー🇲🇲 アルジェリア🇩🇿 チェコ🇨🇿 ポルトガル🇵🇹 アルメニア🇦🇲 クロアチア🇭🇷 ミクロネシア カンボジア🇰🇭 ルワンダ🇷🇼 パプアニューギニア ケニア🇰🇪 リベリア🇱🇷 チャド🇹🇩 コロンビア🇨🇴 エチオピア🇪🇹 レバノン🇱🇧 第三次世界大戦の会戦 2037年6月21日(開戦) 2037年6月30日(日本が韓国に絨毯爆撃を刊行) 2037年7月3日(漢城の戦いが勃発。日本軍死者4名。負傷者9名。韓国軍死者21名。負傷者32名。) 2037年7月3日(釜山の戦いが勃発。日本軍死者5名。負傷者13名。韓国軍死者36名。負傷者34名。) 2037年7月3日(トゥルグ・ムレシュの戦いが勃発) 2037年7月3日(朝鮮戦争が日本の仲介により、終戦)
https://w.atwiki.jp/vegetable104/pages/55.html
第三次欧州大戦 この項目では第三次欧州大戦について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(139年7月) System=ダイス 第三次欧州大戦(だいさんじおうしゅうたいせん、英 Europe Great War Ⅲ、統一歴139年 - 139年)は、反シェラルドを掲げるスミトラント連合王国とその同盟国による、シェラルド王国への宣戦布告を契機に始まった戦争である。欧州大戦、第二次欧州大戦に続き、第三次欧州大戦と呼ばれる。 第三次欧州大戦 目次[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. 第10回十字軍遠征 2-2. 中華経済崩壊による世界恐慌 2-3. プラハ窓外投擲事件 2-4. 第一回帝国会議 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. ドイツ同盟軍の防衛戦略 4-2. ライン川戦線 4-3. エムズ川戦線 4-4. ライン会議 4-5. エルベの守り作戦 4-6. アイゼルネの降伏 4-7. ライプツィヒの戦い 4-8. ノイベルリンの戦い 4-9. スミトラントの降伏 5. 終戦と講和 5-1. ポツダム講和会議 5-2. オラニエンブルク条約の締結 6. 影響 7. 関連項目 8. 参考文献 ライプツィヒの戦い ポツダム講和会議 戦争 第三次欧州大戦 年月日 2020年07月16日 - 2020年07月30日 場所 ドイツ 結果 交戦勢力 シェラルド王国 スミトラント連合王国 ヴァルキア王国 アイゼルネ王国 ザーティエラ王国 指導者・指揮官 エリックⅠ世 ハインリヒⅨ世 ヨハン・カスパール・シシグノン 提督 シャルル・ド・リュッシュモン 提督 指揮官 提督 概要 見出し本文 画像の説明 背景 第10回十字軍遠征シェラルド王国はかつて、レグルス国との同君連合の解消の際に、聖地の保護を名目にイスラエル地域からは退去せず、シェラルド軍を駐留させ実効支配下に置いていた。これを取り戻したいレグルス国との間では度々戦争が起こり、第二次東地中海戦争では、イスラエルこそシェラルドが死守したものの、レグルス国は戦争に勝利し、アナトリア領アンティオキアの割譲と賠償金を得ていた。統一歴137年、レグルス国はイスラエルに対し過激な港湾封鎖を実施。これに対しシェラルドが強行突破で応えると、両国は再び一触即発状態となった。前回の敗戦を受けて、エリックは充分な戦力を揃えるべく、十字軍を発令。神聖ローマ帝国諸侯に対し、参戦と軍資金の供出を呼び掛けた。スミトラント連合王国やヴァルキア王国がこれに応え派兵。また、アナトリア軍の奮戦もあり侵攻を受けながら聖地の死守には成功したものの、アナトリア戦線では指揮官アルメニア辺境伯の戦死により劣勢に立たされた。しかし、機を同じくして中華連邦で地代が暴落し、これがきっかけで世界規模の大恐慌が発生。競うように投資していたシェラルド王国とレグルス国は揃って経済に大打撃をうけ、経戦困難となり講和を模索した。アンティオキアで結ばれた講和条約では殆ど白紙和平のような状態で合意がなされたが、劣勢の戦況や莫大な軍事費を考慮すれば、神聖ローマ帝国内外から、シェラルド王国は敗北したと見なされていた。 アナトリア領を通過し前線へ向かう皇帝エリックとシェラルド軍 中華経済崩壊による世界恐慌東トルキスタン戦争を経て荒廃した西北部の復興のため、中華連邦共和国は広く国内外に投資を集った。これに応えた世界中の投資家はこぞって中華の土地を購入、開発し、空前のバブル景気となっていた。史聖戦争に勝利し、holynationの教皇庁がため込んでいた莫大な財産を手に入れたエリックはその投資先を求めていた。折よくレグルス国が国家ぐるみで中華連邦へ7000億もの投資を行っていることを知ると、対抗するように投資を開始。神聖ローマ帝国内にも投資を呼び掛け、みるみる内にバブルへと飲み込まれていった。最終的にエリックとシェラルド王国からの投資額は5000億にのぼるとみられる。しかしバブルは長続きせず、137年には崩壊が始まった。続く失政により返済能力を失った中華連邦では革命が発生。社会主義政権へと移行し、政府は負債を全て踏み倒した。これにより中華連邦に投資していた全ての国家が大損害を被り、世界恐慌が発生した。シェラルド王国とレグルス国が特に大被害をうけたことで、先述のとおり第10回十字軍戦争が終結したが、その後もシェラルド王国の経済状況は回復せず、ただでさえ十字軍遠征で資金供出させた帝国諸侯をさらに締め上げることで、なんとか保っている状態であった。さらにエリックは帝国全体に対しブロック経済を強制した。これは反共産主義政策として、特に極東国家群との繋がりを重視するスミトラント連合王国から多大な不興を買うこととなった。 失意の表情で証券所から出てくる金融マン プラハ窓外投擲事件元来スミトラント連合王国の国民には新教徒の割合が多く、帝国宗教をカトリックに定め、新教徒を弾圧していたエリックとシェラルド王国への反発が広がっていた。そこに十字軍、世界恐慌と経済がらみの失政が続いたことで、反シェラルド運動は反カトリック運動と結びつき、暴動が多発した。137年7月、議員は全てカトリックではならないとの帝国法に準じているプラハ市議会に対する抗議として、新教徒の集団がプラハ市庁舎に押しかけた。彼らが議場に突入すると、条例案の作成で紛糾していた議会は混乱に拍車がかかり、反シェラルド議員を巻き込んでの暴動へと発展した。その最中で、中でも敬虔で知られる議員9名が捕らえられ、市庁舎8階の窓から突き落とされ死傷する事件が発生した。後にプラハ窓外投擲事件として語られるこの事件を重く見たエリックはスミトラント王ハインリヒに首謀者、実行犯への厳罰を命じたがハインリヒはこれを黙殺。さらにエリックは死亡した議員9名をローマ教皇庁を通じ殉教者として認定したが、これは火に油を注ぐことにしかならなかった。シェラルド王国とスミトラント連合王国の対立はますます深まった。 議会のある8階から突き落とされた議員は殆どが即死であった。 第一回帝国会議スミトラント王ハインリヒは帝国会議の開催を要求した。これは神聖ローマ帝国の選帝侯が一堂に会し、帝国内外の問題について協議する特設会議であり、専ら皇帝選挙を行うためのものである。これにドイツ大同盟に属し親スミトラントの立場をとるアイゼルネ王国、そしてシェラルドとの間にバスク問題を抱えているザーティエラ王国が同調し、エリックはこれを受け入れざるを得なかった。第1回となる帝国会議はシェラルド王国の首都パリースイィで開催された。会議ではハインリヒが第10回十字軍を失策と主張し、エリックを厳しく糾弾。選帝侯権を行使し退位を求める罷免選挙を行った。神聖ローマ帝国の選帝侯には7諸侯が割り振られており、過半数である4票を集めれば罷免が可能となる。罷免に賛成票を投じたのはスミトラント王、アイゼルネ王、ザーティエラ王のもつ三票であり、罷免は失敗した。もとより皇帝エリックはシェラルド王とアナトリア王としての二票に加え、サヴォイアは属国であったため実質的に3票を持っており、趨勢を委ねられたヴァルキア王アーリンは欧州大戦以来の大のドイツ嫌いであったため、投票は初めから不利であった。しかし、帝国内の決定的な分裂状態を明るみに出したことで、ハインリヒの目論見は達成されていた。対シェラルド戦争を覚悟し、会議後にアイゼルネ、ザーティエラと対仏同盟を結んだのである。 会議中を収めた一枚であるが、既に敵対陣営の相手には関心がないことが伺える。 開戦 スミトラント連合王国による宣戦布告帝国会議を終え、パリースイィから特急でベルリンへ戻ったハインリヒを一目見ようと、駅には民衆が押し寄せていた。反シェラルドに包まれたスミトラント国民にとって、皇帝に三行半を突き付けた国王ハインリヒは英雄であり、彼こそ皇帝にふさわしいと誰もが考えていた。この時点で既にスミトラント議会は戦線布告の文書を完成させており、あとは主人のサインを待つのみであった。統一歴139年7月21日、ハインリヒはベルリンの国会議事堂の議壇に上がると、全国中継のカメラの前で宣戦布告の文書を読み上げ、国民に対し、戦争協力を呼び掛けた。新聞各紙は国王の決断を英断と称え、スミトラントは熱狂の中で戦争に突入していく。対照的に、シェラルド王国の戦争準備は実に淡々としていた。ドイツとの戦争は最早手慣れたものであり、帝国会議の数時間後には、欧州最大の暴力装置たる大陸軍がライン川沿いに展開していた。あとは参謀部が入念な計画の下立案した作戦書が、主人のサインを待つのみであった。最前線へ向かったエリックは司令部のあるデュッセルドルフで宣戦布告を受け取ると直ちにスミトラントに戦線布告し、大陸軍が動き出した。ここに第三次欧州大戦が開戦したのである。 シェラルドの皇帝と元帥たち 開戦後の経緯 ドイツ同盟軍の防御戦略本来、スミトラントとシェラルドの両国間には戦力差が大きく、スミトラント同盟側はアイゼルネ、ザーティエラを加えてなお劣勢であった。そこで同盟軍のとった戦略は、宣戦布告をした側にも関わらず、国境線で防備を固めることであった。防御陣地と国土縦深で徹底的に消耗を強い、これにより戦争を長期化させ、疲弊したシェラルドを攻撃すべく、潜在的な敵国であるカレンテルニア帝国やトラキア・ローマ帝国、レグルス帝国などが参戦するのを待ち、協力してシェラルドを倒そうというものである。もし大陸軍の初動を防ぎきれば参戦するとの約束を得ていたとの噂もあり、実際にレグルス帝国を便乗宣戦させることには成功したものの、後述のとおり、この戦略は早期に破綻することとなった。シェラルド側もこの危険性は想定しており、第二次欧州大戦のような電撃戦による早期講和を目指し入念な作戦計画が練られていたこと、成功率を上げる為にアイゼルネに対し行った諜報、偵察が功を奏したことなどにより、防御戦略の片翼を担うアイゼルネ軍を一瞬で崩壊せしめたのである。 画像の説明 ライン川戦線開戦時、シェラルド軍はライン川沿いに、ヴァルキア軍はエムズ川沿いに展開し対岸のアイゼルネ軍と対峙していた。シェラルド参謀部は事前にアイゼルネ軍の配置をほぼ完璧に察知できており、それが極端にエムズ川方面、すなわちヴァルキア方面に偏っていることを知っていた。シェラルド軍は大軍を南ドイツ方面から迂回させての包囲殲滅を計画。これを察知されスミトラント領まで撤退されるのを防ぐべく、正面では散発的な攻撃の後わざと後退し、敵を引き込む作戦を取った。この困難な任務には精兵揃いの皇帝親衛隊と第1軍団が担当。親衛隊を皇帝エリックが直卒した。正面軍はライン川を渡河しては撃退されを繰り返し、少しづつアイゼルネ軍左翼を南方へ引き付ける。途中ヴァルキア軍が独断で突撃し撃退されるアクシデントがあったものの、むしろ反転攻勢に転じたアイゼルネ軍が北方に移動したことで中央にわずかだが、待望の空白地帯が生まれた。エリックはポーランド継承戦争から連れているフサリアを引き連れ敵中央にねじ込むと、すかさず正面軍で一斉に攻勢をかけた。大混乱に陥ったアイゼルネ軍は撤退を試みるも、時すでに遅く、撤退先にはシェラルドの迂回軍が待ち構えていた。大陸軍の全軍は突撃を開始し、アイゼルネ軍を地上から一掃すべく、北海を目指し猛進した。緒戦は完全にシェラルドの手に渡っていた。 快進撃を支えたシェラルド軍の新鋭戦車Kamv.127 エムズ川戦線シェラルド参謀部がヴァルキア軍に通達した作戦は、ヴァルキア軍はあくまで防戦に徹し、シェラルド軍の突破成功後に北海側から進出し包囲を補助することであった。開戦後、厚い戦力をもつヴァルキア方面のアイゼルネ軍はヴァルキア軍に対し攻勢をかけたが、これをしっかり撃退。順調な滑り出しに見えた。しかし、その後ヴァルキア軍はシェラルドに通達なく独断で反転攻勢の突撃を敢行した。反アイゼルネの色濃いヴァルキアでの政治的な要請を無視できなかったためだ。第1次欧州大戦で侵略をうけて以降、ヴァルキア王国は徹底的な反ドイツ国家となり、小学校教育から取り入れられているほどであった。それなのにドイツ相手に防戦一方というのは受け入れがたく、ヴァルキア議会ではタカ派が支持を集め議会を占領。政治的内戦を避けるべく、止む無しに逆侵攻作戦は承認された。第1騎兵師団、第5歩兵旅団に第9、10歩兵旅団を加えたヴァルキア軍の全力攻勢はアイゼルネ軍に多大な犠牲を与えたが、しかし最終的には阻まれてしまい、余力のないヴァルキアは一転危機的状況に陥った。あわや再び占領の憂き目にあうかといったところでシェラルド軍が突破に成功。ヴァルキアへ逆逆侵攻の用意をしていたアイゼルネ軍右翼は後退の機会を逃し、南からの津波に押しつぶされていった。結果としてヴァルキア軍はアイゼルネ軍撃滅に多大な貢献を果たした形となったが、北海方面の軍が消滅したことはこの後の追撃戦に深刻な支障をきたすこととなった。 画像の説明 ライン会議本文 画像の説明 エルベの守り作戦本文 画像の説明 アイゼルネの降伏本文 画像の説明 ライプツィヒの戦い本文 画像の説明 ノイベルリンの戦い本文 画像の説明 スミトラントの降伏本文 画像の説明 終戦と講和 ポツダム講和会議本文 画像の説明 オラニエンブルク条約の締結本文 画像の説明 影響 見出し本文 画像の説明 関連項目 ● ページ名● ページ名 参考文献 ● ページ名● ページ名
https://w.atwiki.jp/misumi_ran/pages/18.html
みすみの変【第三次ぬるっぱちの乱~ヒンヌー教戦記(2009[01]/12/24-2011[03]/1/1)※[ ]内はヒンヌー歴】 12/24 みすみの変終結より二ヶ月あまり、オナ禁のままの為に禁断症状に苦しみつつ 様々なスレを彷徨うぬる氏が、世界中のカップルが×××する中、突如として啓示を受け、 ヒンヌー教教祖として立ち、ヒンヌー教開祖となる。 (これを持ってHN0001年(ヒンヌー歴元年)と呼称変更) また、ぬるっぱち教祖は、秘密結社糖尿飲尿ヒンニョー教の教祖ではないか?との 未確定な話も散見さていれる。 HN0002 1~ ぬるっぱち氏、VIP/東亜を始め各板にて布教開始。巨乳信徒により多大な迫害を受けるも、 先のみすみの変の時の”貧ぬーは正義だっ”と言う支援者に助けられその声はさざ波のように だが、確実に広がってゆく。 2/14 みすみの変【第二次ぬるっぱちの乱】後に地下に潜伏していた当時の残存主力部隊が、 ヒンヌー教に合流を宣告。 これにより、ヒンヌー教は一気に勢力を伸ばすこととなる。 3/14 各スレでのヒンヌー教の広がりを受け、ぬるっぱち氏の復権を恐れた東亜連合軍は 大規模なヒンヌー教の弾圧に乗り出す。 この弾圧は熾烈を極め、みすみ嬢の 「私と遊びたい豚野郎はどこのどいつかしらぁ★」 や真紅嬢の 「ちょっとあなた。とりあえず私にスティンガー用意しなさい><b」 等に、多くの信徒が粛清や調教などの血祭りに上げられてゆく。 しかし、みすみの変と異なり、信徒達は 「(;´Д`)ハァハァ、おねーたまもっとぉ(ハート」 などとこの攻撃を喜んで受け入れながら倒れて逝くため、東亜連合軍に大きな動揺が走る。 4/01~8/×× 散発的にヒンヌー教狩りが行われる。時に何を勘違いしたかVANK帝国軍残党までがヒンヌー教 に対する集団的な迫害を行うが、逆に教化される者が続出してしまう。 kの国にまでヒンヌー教が普遍的に広まるきっかけとなり、 教化されたヒンヌー教信者がkの国で独自のヒンヌー文化を創り上げていく礎となる。 (これに関しては起源を日本だと声明文を、Kの国ヒンヌー教ソウル支部が発表している) 8/15 ◆KRW/Dead.Q氏率いる布教部隊がヒンヌー教信者の少ない数字板に布教に行くも 未帰還者が続出となり、数字板に対する布教を断念する事態となる。 9/18 東亜連合軍総司令官黒戸締り氏の発言で、東亜板に衝撃が走る。 それまで巨乳信徒ともヒンヌー教とも一歩距離を置いて 「絹のようになめらかな白い肌が、たまりません」 などと奥さんの惚気に終始していた同氏が突如、 「ま、まぁヒトそれぞれと言う事で(汗」 とヒンヌー教を容認するとも取れる発言をおこなう。 これにより東亜の一部のコテや名無しからヒンヌー教の保護やヒンヌー教に 帰依する声が出始める。 9/25 ぬるっぱち教祖は豆腐を至高神に捧げる唯一の供物とするが、ごま豆腐・豆腐プリン および杏仁豆腐の扱いを巡って一部の信者から不満の声が漏れ始める。 10/14 ヒンヌー教の危険性を世界に知らしめる事件が起こる。 一部のヒンヌー教原理主義者が、ぬるっぱち氏の唱える教義を曲解し、自慰縛テロを決行。 「ヒンヌーの女神に粛正されることこそ正義!」「オネータマァ(;´Д`)ハァハァ」と発言しながら 突如単身で東亜に突貫。全身を縄で縛ったAAを伴い「ヒンヌーは世界を救う!」との書き込みを 繰り返して荒らし認定を受けてしまいアク禁になる。 これを受けて、みすみ嬢も「私が許すとでも思った?… 」等と苛烈な粛正を断行するも ホロン部やネットアサヒとあまりにも違い、粛正をされればされるほど「喜び狂う」その様に 大きな精神的ダメージを負ってしまう。 これ以降、ヒンヌー教は危険視され、ひろ○き氏と2ch運営に危険団体として マークされる様になる。 10/15~12/×× 自慰縛テロが散発的に発生。みすみ嬢・真紅嬢・ルル嬢などの主力コテ部隊が狙われ、 アク禁も多発する事態となる。 これを受け、東亜連合軍全軍に非常事態宣言が発令される。教祖ぬるっぱち氏も 「ヒンヌーは愛と平和と(;´Д`)ハァハァの象徴であり、 自慰縛テロはうらやm・・・ゲフンゲフン 決して容認はできない!!」 と言う声明を表明するも、自慰縛テロのチン性化の兆しは微塵も見られなかった。 12/2 択捉島単冠湾から謎の暗号電文「チッパイヤマノボレ 一二二四 」が 全周波数帯に対して同時発信され、各地にて受信される。 (これが原理主義者に対する作戦開始の暗号電と解ったのは、同自慰多発エロ発生後だった) 12/6 喪下呂福造 ◆vo.HMogero氏が同日夜半過ぎ、 ヒンヌー教内で「眼鏡学・大人のお姉さんは履いているのを脱がせるのが至高」論文を発表。 一定数の支持・評価を信徒から得るに至る。 12/14 預言者 ◆bsSVR.MQtY氏がヒンヌー教分派宣言。(断固幼女派宣言) これにより、ヒンヌー教はさらに混乱の度合いが大きくなり、名無し信者の行動に 統率が見れなくなる。 12/24 ヒンヌー教の祝日となるこの日、尖鋭化した原理主義者により同自慰多発エロが発生する。 東亜板に留まらず、2ch各所で無差別自慰縛テロが発生。あまりの事態に各スレの女性コテが 一斉にアクセスをやめるという事態になる(またこの混乱でネカマコテが多数判明する) 特に既女板においては被害が著しく大きく、これ以降、既女板ではヒンヌー教はタブーとなる。 HN0003 1/1 ぬるっぱち氏が自慰縛テロをおこなった者を破門することを全板全支部に宣言。 これにより事態はやっとチン性化する。 しかしながら一部の先鋭化した物はさらに分派を宣言し、すずめちゃん(大阪民国) ◆lO/OI85qIE氏 を教祖として擁立した「おいど真理教」など多くの分派を生み出すこととなる。 1/3 同自慰多発エロを止められなかったとして、教祖のぬるっぱち氏は責任を取る為 大衆の面前でみすみ嬢直直に赤い液体に漬けこまれるお仕置きを受ける。 しかし苦悶の叫び声を上げながらも、その表情には至福の笑みを浮かべていたと言われる。 参考文献 【あの大乱に散った喪男達の魂の叫び】 【ヒンヌー教~分たれた道~すべてはヒンヌーの為に】 【おいど真理教とは】 【図解!!ヒンヌー教とヒンヌー神のすべて!!】 【絶対ょぅι゛ょ派の道しるべ~預言者 ◆bsSVR.MQtY様の言葉】
https://w.atwiki.jp/souhei_world/pages/433.html
第三次聖帝戦争 [解説] アルカディア帝国とカーライル王朝・聖王国の三度目となる大戦。 聖華史上初となる陸上大艦隊による艦隊戦が行われた戦争でもある。 ホバー推進装置の普及と造船の効率化により戦術ドクトリンそのものが変わっており、この戦争において『艦隊戦』と呼ばれる戦闘形式が確立された。 [第三次聖帝戦争テーマ]
https://w.atwiki.jp/n-wikitrivia/pages/91.html
北海道新幹線がついに開業する。新青森~新函館北斗間の約149kmを約1時間で結ぶ。函館周辺では開業に向けて期待が高まっているようだ。ただし、北海道新幹線のゴール(終点)は新函館北斗駅ではない。札幌駅まで建設工事が始まり、2031年3月の開業目標である。しかし、札幌駅も北海道新幹線の終点ではない。計画上の終点はもっと先、旭川駅だ。 北海道新幹線の計画から着工、開業までの経緯をなぞってみよう。1964年に東海道新幹線が開業し、営業面でも大成功を収めた。そこで「全国に新幹線を」という気運が高まった。政府は1970年、「全国新幹線鉄道整備法」を制定した。この法律は新幹線の計画から着工までの手順を定めている。 北海道新幹線の基本計画と整備計画 「全国新幹線鉄道整備法」が定めた「新幹線の着工までの手順」は次の通りだ。 (1) 国土交通大臣が路線を決定する 第四条 国土交通大臣は、鉄道輸送の需要の動向、国土開発の重点的な方向その他新幹線鉄道の効果的な整備を図るため必要な事項を考慮し、政令で定めるところにより、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線(以下「建設線」という。)を定める基本計画(以下「基本計画」という。)を決定しなければならない。 (2) 国土交通大臣が基本計画の建設線の調査を指示する 第五条 国土交通大臣は、前条の規定により基本計画を決定したときは、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(以下「機構」という。)その他の法人であつて国土交通大臣の指名するものに対し、建設線の建設に関し必要な調査を行うべきことを指示することができる。基本計画を変更したときも、同様とする。 (3) 国土交通大臣が整備計画を決定して、建設を指示する 第七条 国土交通大臣は、第五条第一項の調査の結果に基づき、政令で定めるところにより、基本計画で定められた建設線の建設に関する整備計画(以下「整備計画」という。)を決定しなければならない。 第八条 国土交通大臣は、前条の規定により整備計画を決定したときは、建設主体に対し、整備計画に基づいて当該建設線の建設を行うべきことを指示しなければならない。整備計画を変更したときも、同様とする。 この手順で新幹線路線の建設が始まる。ただし、国土交通大臣(政府)が勝手に路線を発案して建設できるわけではない。それは第七条の2に定められている。 第七条の2 国土交通大臣は、前項の規定により整備計画を決定しようとするときは、あらかじめ、営業主体及び建設主体(機構を除く。)に協議し、それぞれの同意を得なければならない。整備計画を変更しようとするときも、同様とする。 つまり、営業主体となるJR各社と、建設主体が独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構ではない場合は、その法人の同意を得なくてはいけない。 1973年の計画変更で旭川市へ延長された 北海道新幹線の場合は、国土交通大臣が第四条にもとづいて基本計画を定めた。最初の基本計画では、「青森市から札幌市まで。途中の経由地は函館市付近、小樽市付近」だ。この段階ではかなり大まかに都市名を示しただけである。そして、終点は札幌市になっている。1973年には、第七条にもとづいた「整備計画」まで進んだ。 しかし、第四条に示した「基本計画」は、1973年11月に当時の運輸省(現在の国土交通省)から「昭和48年告示第465号」が公示されて変更となった。起点は青森県青森市、終点は北海道旭川市。主要な経由地は函館市付近、札幌市となった。この計画が変更されず、現在も有効になっているため、北海道新幹線の「計画上の終点」は旭川市となっている。ただし、札幌市までだった整備計画は旭川へ延長されていない。 この状態のまま、2004年に青森市から函館市付近までを「2005年度に着工」と決まった。2012年には函館市付近から札幌市までの区間を着工された。ただし、札幌市から旭川市までは着工のめどが立っていない。現在はこの状態で、新函館北斗駅までの開業を迎える。 他にもある「基本計画」路線 北海道新幹線の基本計画で未着工の区間は、札幌~旭川間の他にもうひとつある。長万部町から室蘭市を経由して札幌市に至る「北海道南回り新幹線」だ。このルートは、北海道新幹線の構想段階からあったようで、基本計画が旭川市まで延長され、経由地から小樽市が外れたときに、対案としても検討されたようだ。 しかし、現在の特急「北斗」と似た「南回りルート」は、距離も所要時間も長い上に、札幌駅に西から進入する形になって、旭川駅へ延伸するとスイッチバックとなってしまうため、「昭和48年告示第465号」の基本計画には採用されなかった。ただし、同日、「昭和48年告示第466号」として基本計画に盛り込まれている。 「全国新幹線鉄道整備法第四条」による基本計画に盛り込まれなかった路線もある。構想段階で立ち消えとなったルートといえるだろう。1969年に閣議決定された「新全国総合開発計画」には、「新幹線鉄道を札幌から道北まで延長して, 北海道縦貫新幹線鉄道として整備するとともに, 道央から道東に至る北海道横断新幹線鉄道の建設を図る」と示されている。 具体的には北海道縦貫新幹線が旭川から稚内までと旭川から網走まで、北海道横断新幹線が札幌から釧路までだった。これらの路線は全国新幹線鉄道整備法による計画路線には指定されなかった。すべて実現すると、北海道のほとんどの幹線は標準軌に改軌されたも同然だ。もっとも、これらは景気の良い時代に考えられた大風呂敷といえそうだ。
https://w.atwiki.jp/doudan/pages/100.html
―――――――――――――――――――――――――――――――― 国土開発計画基本方針 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 施行日時:41218002 前文 藩国の成長には経済の伸長は国民が安定した生活を得るために必要不可欠な要素ですが、それと同時に伝統ある文化や、清廉な空気、心の故郷としての自然風景などの精神的支柱もまた必要なものであります。これらのバランスは一度崩れてしまえば、元に戻すために莫大なリソースと時間、そして国民の心が必要となります。そういった事態に陥らないために、満天星国では計画的な国土開発を行い、経済・国民・自然が共存できる国づくりを目指します。 1.満天星国環境アセスメント(DEA)の設置 満天星国は農業が盛んであり、以前より環境汚染への配慮は行われてきています。当基本方針では新たに満天星国環境アセスメント(Doudan Enviromental Assessment=DEA)の設置を行います。DEAは大規模事業に対して環境への影響を予測評価し、その結果に基づいて事業を環境に配慮するよう指針を決めるための評価方法であり、国内における大規模な公共事業及び民間事業に対応しており、大規模事業の検討などにおいて用いられます。同時に満天星国環境アセスメント法としての制定を行います。DEAは主に「大気汚染」「水質汚染」「土壌汚染」「騒音」「廃棄物」「日照」に関しての基準となり、これらは事業対象予定地における居住者、環境、在来生物などへの影響度を明確なデータによって定めることとなります。 また、DEAを合格した事業に対しては政府より認定と、認定証による賞賛を行います。 2.階層ごとの建築物基準の設定 満天星国の階層ごとに建築物に対しての建築基準及び環境保護基準を設け、過度な高層建築物の乱立や自然環境への悪影響などの問題への対策を行います。当基準に違反する建築物或いは建築群の建設は、特に記述が無い限りは違法行為として扱い、厳正な処罰を行います。 第1層:自然エリア 第1層は層の全てを自然保護区として定め、国民の保養地及び満天星国の自然の象徴的地域として扱います。 大規模な市街地区、商業地区の建設を禁止し、工業地区の建設は大小を問わず一切認可を行いません。観光地開発においては、事前に当地に存在する環境に対してのDEA基準による調査を行い政府へ報告する必要があります。 第2層:農林水産業エリアA 第2層は農業地区として定め、満天星国第1次産業の奨励地区とし、農林漁業環境の保護を行います。 第1次産業従事者の居住地区と従事者の利用する商業地区以外の大規模な開発、農漁業生産地の別途目的での開発は政庁の認可を得ない限り認められません。高層建築物については景観保護のため、政府の認可が得られない限り建てることはできません。また、工業地区の建設は、DEAによる調査報告を行い政府による査定で合格しない限り認められません。 第3層:農林水産業エリアB 第3層は第2層と同様に扱うと同時に、各種研究所に対してはDEA基準による水質汚染、土壌汚染などへの対応を義務付けます。 第4層:産官エリア 第4層は、産業及び政府の機能中枢として扱い、満天星国らしい自然と調和した都市開発と国民の安全に努めます。 政治行政エリアに対しては公共事業と政府から認可された事業のみ開発が認められています。その他のエリアに関しては、軍事基地周辺への事業の査定の必要、高層建築に対してのDEA基準遵守の推奨、建築物密集地に対して火災報知機の設置の義務付けや消防活動ができるような道路の整備などを行います。 第5層:居住エリアA 第5層は居住エリアとして扱い、国民の安全な生活の保護と文化育成のための計画を行います。 市街地エリアへの上下水道、電気、ガスなどのライフライン設置を進め、市街地周辺への高層建築物の建設をDEA基準日照分野について遵守した事業のみとします。 第6層:居住エリアB 第6層は第5層と同様に扱うと同時に、公園を含む自然が残る地区に対しては大規模な居住区、商業区の建設の禁止と、工業地区の建設の禁止をお行います。また、開発地区(DevelopmentRegion)に対しては、今後の国民の増加を視野にいれた市街地及び商業区の開発を行っていきます。 第7層:産業エリア 第7層は産業エリアとし、満天星国の第2次産業の要としての開発を行うと同時に、環境への配慮を最も体現できる地区として扱います。 全ての建築物に対してDEA基準による過度な環境悪化を防ぐ事業努力を推奨します。 満天星国藩王:都築つらね 満天星国執政:里樹澪 満天星国摂政:らうーる
https://w.atwiki.jp/cyberpunksure/pages/68.html
第三次非核大戦 いわゆる第三次世界大戦。ただし、使われたのは核弾頭ではなく、それよりも殺傷力や環境汚染力が強い生物兵器やEMPによる電子的攻撃、ハッキングによるインフラの破壊やらなどの表裏で繰り広げられていた。 最終的にアメリカ合衆国は事実上アメリカ大陸そのものをアメリカとする事に成功する。 しかしそれは疲弊した政府の背中をメガコーポに刺させる要因にもなってしまった…… 世界に与えた影響 アメリカ合衆国:カナダやメキシコを抑え、アメリカ大陸そのものを国歌として樹立させた。南アメリカ大陸に緊張が走っている。 ロシア連邦:モンゴルやヨーロッパ北欧付近を制圧。事実上のソビエト連邦として先祖返りを果たす。 日本国:戦後需要などで大いに飛躍したが、闇市などの発生で治安が悪化。戦後初頭の混沌がまたしても押し寄せている。 中華人民共和国:共産党が事実上の崩壊。それに伴い、軍閥争いが発生。三国志が繰り返されている状態。 新たな政府勢力:企業 現在は国家政府の混乱に乗じて、企業が国家のシーソーゲームに乱入する形になっている。 現在の世論では国家は瀕死の病人と揶揄されているが、決して貧弱というわけではないのだ。
https://w.atwiki.jp/bbsdb/pages/17.html
第三次掲示板戦争(だいにじけいじばんせんそう)とはいつだか忘れたが、第二次掲示板戦争の次に行われた喧嘩である。 原因 詳細 結果 考察 前のwikiより引用できるデータが存在しません。正確な情報の提供をお願いします。 原因 詳細 結果 考察 掲示板 主な掲示板 pixiv - チャットランド 戦争 第一次掲示板戦争 - 第二次掲示板戦争 - 第三次掲示板戦争
https://w.atwiki.jp/pref-asami/pages/9.html
@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。 アーカイブ コメント ニュース 人気商品一覧 動画(Youtube) 編集履歴 関連ブログ これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください = http //atwiki.jp/guide/