約 231,476 件
https://w.atwiki.jp/monamoro/pages/80.html
目次 目次 概要 国名 国歌 地理 歴史 地域・行政区画 代表的な都市 政治憲法 立法府 行政 外交 防衛・安全保障 法律・司法 経済農林水産業 鉱業 工業 金融業公定歩合 国際経済 科学技術 物価水準 交通航空 鉄道 道路 海運 民族 言語 宗教 文化祝祭日 教育 スポーツ メディア報道の自由 食文化 外部リンク 概要 国旗 五色旗 国の標語 五族共和の王道楽土 国歌 公用語 中国語、日本語、アルティス語、英語 首都 新京 最大都市 奉天 国家元首・大君 大日本帝國皇太子俊仁(としひと)親王殿下 執政 張恵英 国務院総理 李會 面積 1,133,437km² 総人口 36,933,206人(但し、漢武時代の統計) GDP(自国通貨表示) GDP(MER) 建国 皇紀2681年8月22日 通貨 満州国圓 国名 満洲國として、皇紀2681年8月22日に、大日本帝國東京の東宮御所において、皇太子俊仁(としひと)親王殿下が、建国宣言を報道陣を前に読み上げた。この際、大日本帝國において皇太子が発する公文書の「令旨」ではないことが言明されている。 国歌 現在、満洲國の行政機関としての国務院が、公募を行っている。 公募基準(天武元年11月31日国務院告示第5号) 一 五族協和、王道楽土の新国家の目標に沿うものであること 二 五島語、日本語、アルティス語の三言語で表示できるものであること 三 国歌の斉唱において三分以内におわるように努めること 四 公募は一年に渡って行われる 公募基準追加(天武2年3月6日国務院告示第二号) 一 公募基準天武元年11月31日国務院告示第5号)の二を以下の如く修正する 二 五島語、日本語、アルティス語及び英語の四言語で表示できるものであること 二 公募基準四を以下の如く修正する 四 公募は、この国務院告示の告示された日から二年以内に修正する 公募基準追加(天武3年1月6日国務院告示第二号) 一 公募基準追加(天武2年3月6日国務院告示第二号)の一を以下の如く改める 二 中国語、日本語、アルティス語及び英語の四言語で表示できるものであること 地理 新京特別市 吉林省 四平省 通化省 間島省 龍江省 浜江省 牡丹江省 東安省 三江省 北安省 黒河省 安東省 奉天省 関東省 錦州省 興安北省 興安東省 興安南省 興安西省 熱河省 歴史 この国の歴史は浅く、皇紀2681年4月1日より、日本北鮮軍が難民保護と満洲の治安維持を名目に正式に越境して以来、徐々に北鮮軍が統治の範囲を広げていき、5ヶ月近くたった8月20日頃には、全満洲を手中に収めていたとも言われている。 日本国との間の関係から、満州国では皇紀の暦を使用しており、それとは別に大君の治世を一元号とする体制がとられている。 関連する歴史項目 地域・行政区画 代表的な都市 新京:満州国の首都 奉天:満州国最大の都市。日本の朝鮮新議州との間に鉄道が開通 満州里;アルティスとの国境付近に位置する街 吉林 通化 ハルビン チチハル 営口 丹東 敦化 ハイラル 政治 満州国の政治は、行政機関たる国務院によって行われており、日本の官制が参考にされている。 大君 俊仁親王 執政 エドワード・ユイ・アルティス 国務院総理 空席 民政部総長 遠山重治 文教部総長 山本猛 外交部総長 森山直次 軍政部総長 エドワード・アイヒマン 司法部総長 古田正武 財政部総長 浅野浩 実業部総長 高橋康順 交通部総長 平井出貞三 憲法 満洲國憲法が存在する。 立法府 満洲国立法院第一回選挙.xls|選挙予想 行政 外交 公式に、日本の皇族を元首である大君に戴いている国であることから、日本の属領としての感覚が大きかったものの、満州国の官吏組織が確立するとともに自主外交を行うようにもなっていった。満洲國憲法の発布とともに、執政がほぼ現実には元首として扱われるようになったために、公式にも属領という見解は否定されている。日本国と大使級の外交関係を有している。 所属組織・締結条約 国際連盟 国際連盟憲章を批准 防衛・安全保障 法律・司法 経済 満州国の経済は非常に基盤が弱く、一国の経済としては非常に危機的状況にある。そのため、日本より数多くの援助などが行われている。法定通貨は満州中央銀行が発行した満州国圓(元、yuan)で、1元=1000厘である。 農林水産業 鉱業 工業 金融業 公定歩合 国際経済 科学技術 物価水準 国家予算規模 不明 総理大臣月額給料 不明 国務大臣月額給料 不明 国会議員月額給料 不明 公務員月額初任給 不明 国立大学授業料 不明 総合雑誌 1元500厘 新聞月額購読料 30元 映画館入場料 10元 白米10キロ 50元 白米100グラム:400厘 食パン一斤 500厘 ビール一缶 6元 日雇い労働者の時間給:200厘 交通 航空 鉄道 道路 海運 民族 満洲にすんでいた元漢武人をはじめ、日本人、アルティス人、蒙古人、五島人などが中心となっている。 言語 宗教 文化 祝祭日 教育 スポーツ メディア 報道の自由 食文化 外部リンク TR TD 執政 /TD TD エドワード・ユイ・アルティス /TD /TR TR TD 英語国名 /TD TD Manchoutikuo /TD /TR
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/482.html
男はどこにでもいる平民の風体だった。 しかしその男の雰囲気は明らかに平民のものとは別格だった。 なんというか・・・悟りを開いた坊主というか・・・そんな感じの雰囲気だ。 「あなた誰? この学園の人間じゃないわね、名を名乗りなさい」 しかし男はその質問には答えず、変わりにルイズを驚愕させる言葉を吐いた。 「彼は・・・ウェールズ君といいましたか、彼はもうすぐ死ぬ運命でした」 「! あんた・・・」 ウェールズ皇太子の死はまだ公にはされてないがキュルケを筆頭に噂として囁かれていた。 まだ噂のレベルではあるが。 しかしこれはそんな瑣末な問題じゃない。明らかに男は確信を持って言っているのだ『死んだ』と。 ・ ・ 「彼は自分の死の・・・いや死後の運命を知った。死んでもなお自分の愛する人を苦しめると知った彼は 岩を・・・運命を受け入れた。岩は彼を・・・二度と利用されぬよう粉々に叩き潰した。決して生き返れないように」 「あは・・・なにいってんのよあんたわけわかんない・・・要するにあなたが皇太子を殺したってことね」 ウェールズ皇太子が岩石につぶされて死んだのはまだ公になってない。知ってるのは城の一部の人間と犯人だけ。 必然的に目の前に不審者はウェールズ殺しの下手人となる。 「それは違う。言ったはずだ、彼は運命を受け入れたのだと。私自身何故ここにいるかは皆目見当がつかない。 考えられるとすれば私は岩が刻んだ相手に説明を行う・・・ただのメッセンジャーなのだろう」 「だから意味が分からないって言ってるでしょ! 人を馬鹿に・・・」 ルイズはその男が何を言っているのかさっぱりわからなかった。 いや全部分からなかったわけじゃない、ただ『岩』と言う単語だけは理解できた。理解してしまった。 「岩は死期の近いものの前に現れる。自らに彫られた運命の力で動くスタンド。 それが『ローリングストーンズ』」 「あ、あんたがなんでその名前を知ってるのよ・・・冗談でしょあいつは私が呼び出した使い魔・・・」 「ふむ、君も同じ名をつけたのか。私はこの世界のルールもしきたりも何も知らない。 君が呼び出したと言うならばそれは・・・不幸か、はたまた幸福か。どちらにしろ君の死期は近い」 「ふざけないでよ! 何で私が使い魔に殺されなくちゃならないのよ!」 「殺されるのではない、元より君は・・・」 「そんな話信じるわけないじゃない。だってあいつは・・・」 ゴトリ その時扉の側で物音がした。 その音にビクッして振り向くと、そこには岩が転がっていた。 ローリングストーン。彼女が昨日契約した使い魔だ。 ただ、今までと違うことは、 ゴトリ いつのまにか『いる』のでなく、 ゴロリ 確実に、 ゴロリ 『彼女』に近づいてきていることだ。 顔などない岩に表情があるわけないのだが今の彼女には岩が笑っているように見えた。 ・・・それも自分と同じ顔をして。 「あ、あ、あ・・・」 この時彼女はやっと理解した。 こいつは使い魔じゃない、使い魔よりもっとおぞましい『何か』だ。 「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 ルイズの絶叫が教会に木霊する。 バン! ルイズはローリングストーンをジャンプで飛び越しものすごいスピードで礼拝堂を脱出し夜の闇へと消えていった。 ゴロゴロ・・・ゴロゴロ・・・ゴロゴロ・・・ 岩もまた彼女の追跡を開始する。 今ここに、生死をかけた鬼ごっこが始まった。 一人残された男は、静かにつぶやいた。 「愚かな・・・運命を受け入れれば楽になれるというのに・・・何故人は運命に抗おうとするのだ・・・」 「あら、まるで殉教者のような台詞ですわね。答えは簡単、それが生きるってことなのよ」 今度は男が驚く番だった。 いつの間にか礼拝堂には赤々と燃える炎とそれに照らし出される二人の女性の姿が合った。 一人は妖艶な美女。一人は本を黙々と読んでいる小さな少女。 「初めまして不審者さん。私の名はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルスプトー。 生憎あなたは私の趣味ではないので単刀直入に用件だけ済ませますわ」 そう言って彼女はさらに手の上の炎を滾らせる。 「死にたくなければ、あの子の召喚した岩のこと洗いざらい白状なさい。もちろん解決法もね」
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/15.html
唐書巻五 本紀第五 睿宗 玄宗 睿宗玄真大聖大興孝皇帝は、諱を旦といい、高宗の第八子である。始め殷王に封ぜられ、冀州大都督・単于大都護を領した。成長すると温恭で学問を好み、訓詁に通じ、草書・隸書にたくみであった。豫王に徙封され、また冀王に封ぜられ、右金吾衛大将軍・洛州牧に累遷した。相王に徙封され、再び豫王に封ぜられた。武后が中宗を廃すと、立って皇帝となった。その国号を周と改めると、皇嗣となり、東宮に居住した。中宗が房州より還ると、再び皇太子となり、武后が皇嗣を封じて相王とし、太子右衛率を授けた。右羽林衛大将軍・并州牧・安北大都護・諸道元帥に累遷した。中宗が復位すると、安国相王に号を進めた。 景雲元年(710)六月壬午、韋皇后が中宗を弑すと、詔をいつわって温王李重茂を立てて皇太子とした。刑部尚書の裴談と工部尚書の張錫が同中書門下三品となった。吏部尚書の張嘉福・中書侍郎の岑羲・吏部侍郎の崔湜が同中書門下平章事となった。諸府の兵五万を発して京師に駐屯させ、韋温を総知内外兵馬とした。甲申、喪を発した。また遺詔をいつわって、自ら立って皇太后となった。皇太子が皇帝の位につくと、睿宗を参謀政事とし、大赦し、改元して唐隆といった。太后が臨朝摂政し、睿宗の参謀政事を解任して、太尉とした。嗣雍王李守礼を封じて邠王とし、寿春郡王李成器を宋王とした。丁亥、温王の妃の陸氏が皇后となった。壬辰、紀処訥・張嘉福・岑羲が節を持って関内・河南北を巡撫した。 庚子、臨淄郡王李隆基が万騎の兵を率いて北軍に入って乱を討ち、韋氏・安楽公主および韋巨源・馬秦客・駙馬都尉の武延秀・光禄少卿の楊均を殺した。辛丑、睿宗が皇帝を奉じて安福門に御し、大赦した。文武の官に階・勲・爵を賜り、天下の歳租の半分を免除した。李隆基を進封して平王とした。朝邑尉の劉幽求が中書舎人となり、苑総監の鍾紹京が中書侍郎となって、ともに機務に参知した。壬寅、鍾紹京および黄門侍郎の李日知が同中書門下三品となった。紀処訥・韋温・宗楚客・将作大匠の宗晋卿・司農卿の趙履温が処刑された。汴王李邕を左遷して沁州刺史とし、蕭至忠を許州刺史とし、韋嗣立を宋州刺史とし、趙彦昭を絳州刺史とし、崔湜を華州刺史とした。癸卯、太白(金星)が昼に見えた。平王李隆基が同中書門下三品となり、鍾紹京が中書令を代行した。張嘉福が処刑された。 甲辰、安国相王が承天門で皇帝の位につき、大赦し、長流・長任及流人未達者還之。内外の官に階・爵を賜った。再び李重茂を温王とした。乙巳、鍾紹京が宰相を退いた。丙午、太常少卿の薛稷が黄門侍郎となり、機務に参与した。丁未、平王李隆基を立てて皇太子とした。則天大聖皇后の号を復して天后といった。戊申、許州刺史の姚元之が兵部尚書・同中書門下三品となった。韋嗣立・蕭至忠が中書令となり、趙彦昭が中書侍郎となり、崔湜が吏部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。 七月庚戌、衡陽郡王李成義を進封して申王とし、巴陵郡王李隆範を岐王とし、彭城郡王李隆業を薛王とした。癸丑、兵部尚書の崔日用が黄門侍郎となり、機務に参与した。丁巳、洛州長史の宋璟が吏部尚書を検校し、同中書門下三品となった。岑羲が宰相を退いた。壬戌、蕭至忠を左遷して晋州刺史とし、韋嗣立を許州刺史とし、趙彦昭を宋州刺史とし、張錫を絳州刺史とした。崔湜が宰相を退いた。丙寅、李嶠を左遷して懐州刺史とした。姚元之が中書令を兼ね、蘇が尚書左僕射となった。丁卯、唐休璟・張仁亶が宰相を退いた。己巳、大赦し、改元し、内外の官および子為父後者に勲一転を賜った。崔日用・薛稷が宰相を退いた。乙亥、崇恩廟・昊陵・順陵を廃した。皇后韋氏を追って廃して庶人とし、安楽公主を勃逆庶人とした。 八月庚寅、譙王李重福および汴州刺史の鄭愔がそむき、処刑された。癸巳、罷墨敕斜封官。裴談を左遷して蒲州刺史とした。 九月辛未、太子少師として致仕した唐休璟を朔方道行軍大総管とし、突厥に備えた。 十月乙未、天后を追号して大聖天后といった。癸卯、出義宗于太廟。 十一月戊申、姚元之が中書令となった。己酉、孝和皇帝を定陵に葬った。壬子、蘇・韋安石が宰相を退いた。宋王李成器が尚書左僕射となった。丁卯、赦霊駕所過。己巳、宋王李成器が司徒となった。 二年(711)正月己未、太僕卿の郭元振と中書侍郎の張説が同中書門下平章事となった。甲子、李重茂を徙封して襄王とした。乙丑、妃の劉氏・竇氏を追冊して皇后とした。 二月丁丑、皇太子が監国した。甲申、姚元之を左遷して申州刺史とし、宋璟を楚州刺史とした。丙戌、太子少保の韋安石が侍中となった。劉幽求が宰相を退いた。復墨敕斜封官。辛卯、屠殺を禁じた。 三月癸丑、金仙・玉真観を作った。 四月甲申、韋安石が中書令となった。宋王李成器が宰相を退いた。辛卯、李日知が侍中となった。壬寅、大赦し、文武の官に階・勲・爵を賜り、民間に三日の宴会を賜った。甲辰、玄元皇帝廟を作った。 五月庚戌、昊陵・順陵を復し、官属を置いた。壬戌、殿中監の竇懐貞が左御史台大夫・同中書門下平章事となった。 八月乙卯、大赦し、三日の宴会を賜った。丁巳、皇太子が国学で釋奠した。庚午、韋安石が尚書左僕射・同中書門下三品となった。 九月乙亥、竇懐貞が侍中となった。 十月甲辰、吏部尚書の劉幽求が侍中となり、右散騎常侍の魏知古、太子詹事の崔湜が中書侍郎となり、ともに同中書門下三品となった。中書侍郎の陸象先が同中書門下平章事となった。韋安石・李日知・郭元振・竇懐貞・張説が宰相を退いた。 十二月丁未、作潑寒胡戲。 先天元年(712)正月辛未、太廟で享した。甲戌、并・汾・絳三州で地震があった。辛巳、有事于南郊。戊子、籍田を耕した。己丑、大赦し、改元して太極といった。内外の官に階・爵を賜り、民間に五日の宴会を賜った。版授九十以上下州刺史、八十以上上州司馬。辛卯、幸安福門、観酺三日夜。壬辰、陸象先が同中書門下三品となった。乙未、戸部尚書の岑羲と左御史台大夫の竇懐貞が同中書門下三品となった。 二月丁巳、皇太子が国学で釋奠した。 この春、日照りがあった。 五月戊寅、有事于北郊。辛巳、大赦し、改元して延和といった。賜内外官陪礼者勲一転、民間に五日の宴会を賜った。 六月癸丑、岑羲が侍中となった。乙卯、大聖天后に追号して天后聖帝とした。辛酉、刑部尚書の郭元振が朔方道行軍大総管となり、突厥を討伐した。甲子、幽州都督の孫佺・左驍衛将軍の李楷洛・左威衛将軍の周以悌が奚と冷陘山で戦い、敗れた。 七月辛未、有彗星入于太微。兵部尚書の李迥秀が朔方道後軍大総管となった。乙亥、竇懐貞が尚書右僕射・平章軍国重事となった。己卯、安福門に行幸して楽を観賞したが、三日で止めた。丙戌、旱害のため膳を減らした。 八月庚子、皇太子を立てて皇帝とし、以聴小事。自尊為太上皇、以聴大事。壬寅、追号天后聖帝為聖后。甲辰、大赦し、改元し、賜内外官及五品以上子為父後者勲・爵、民酺五日。丁未、立皇太子妃王氏為皇后。戊申、皇帝の子の李嗣直を封じて郯王とし、李嗣謙を郢王とした。己酉、宋王李成器が司徒となった。庚戌、竇懐貞が尚書左僕射となり、劉幽求が尚書右僕射を代行し、ともに同中書門下三品となった。魏知古が侍中となり、崔湜が中書令を検校した。戊午、劉幽求を封州に流した。 九月丁卯朔、日食があった。甲午、皇帝の子の李嗣昇を封じて陜王とした。 十月辛卯、驪山で狩猟した。 十一月丁亥、誥遣皇帝巡邊。甲午、幽州都督の宋璟が左軍大総管となり、并州長史の薛訥が中軍大総管となり、兵部尚書の郭元振が右軍大総管となった。 二年(713)正月乙亥、吏部尚書の蕭至忠が中書令となった。 二月、追作先天元年酺。 六月辛丑、雨霖のため正殿を避け、膳を減らした。丙辰、郭元振が同中書門下三品となった。 七月甲子、大赦した。乙丑、誥歸政于皇帝。 開元四年六月、百福殿で崩じ、年は五十五で、謚を大聖真皇帝といった。天宝十三載、玄真大聖大興孝皇帝と増謚した。 玄宗至道大聖大明孝皇帝は、諱を隆基といい、睿宗の第三子である。母は昭成皇后竇氏といった。性は英武で、騎射を善くし、音律・暦象の学に通じた。始め楚王に封ぜられ、後に臨淄郡王となった。衛尉少卿・潞州別駕に累遷した。 景龍四年(710)、京師に朝し、遂に留められて派遣されなかった。庶人韋氏がすでに中宗を弑逆し、いつわって詔して称制した。玄宗はそこで太平公主とその薛崇簡、尚衣奉御王の崇曄・公主府典籤の王師虔・朝邑尉の劉幽求・苑総監の鍾紹京・長上折衝の麻嗣宗・押万騎果毅の葛福順・李仙鳧、道士の馮処澄・僧普潤とともに計略をさだめて乱を討伐した。またはまず相王(睿宗)に願い申し上げて、玄宗は、「私たちに従ってください。これは王家の危事なのです。従ってくださらなければ、私達の計略は失敗してしまいます」といい、そこで夜に劉幽求らを率いて苑中に入り、葛福順・李仙鳧は一万騎の兵をもって玄武門を攻撃し、左羽林将軍の韋播・中郎将の高嵩を斬って従わせた。左万騎は左に入らせ、右万騎は右に入らせ、玄宗は総監羽林兵を率いて両儀殿に集合させ、梓宮宿衛兵は皆起ってこれに応じた。遂に韋氏を誅殺した。夜明けに馳せて相王のもとに謁し、先に申し上げなかったことを謝した。相王は泣いて、「お前のお陰で免れた。そうでなければ私にもまた難がおよんだだろう」と言い、そこで玄宗殿は中監、兼知内外閑厩・検校隴右群牧大使、押左右万騎に拝し、平王に進封され、同中書門下三品となった。 睿宗が即位すると、立って皇太子となった。景雲二年(711)、監国となり、六品以下の官の任命を聴した。延和元年(712)、星官が「五帝坐星(惑星)の前の星に変があります」と申し述べた。睿宗は、「徳を伝えて災を避けよう。我が意は決した」と言った。七月壬辰、皇太子に制して皇帝位に即位させた。太子は惶懼して願い出たが、睿宗は、「これはわが所に天戒があったのに答えたものなのだ」と言い、皇太子はそこで武徳殿に御し、三品以下の官を任命した。八月庚子、皇帝の位についた。先天元年(712)十月庚子、太廟に享し、大赦した。 開元元年(713)正月辛巳、皇后が親蠶した。 七月甲子、太平公主および岑羲・蕭至忠・竇懐貞が反乱を計画し、処刑された。乙丑、聴政を始めた。丁卯、大赦し、文武の官に階・爵を賜った。庚午、崔湜を竇州に流した。甲戌、大周万国頌徳天枢を破壊した。乙亥、尚書右丞張説を検校中書令とした。庚辰、陸象先が宰相を退いた。 八月癸巳、劉幽求が尚書右僕射となり、軍国の大事を領知した。壬寅、宋王李成器が太尉となり、申王李成義が司徒となり、邠王李守礼が司空となった。 九月丙寅、宋王李成器が宰相を退いた。庚午、劉幽求が同中書門下三品となり、張説が中書令となった。 十月、姚巂蛮が姚州を寇し、都督の李蒙がここに死んだ。己亥、温湯に幸した。癸卯、驪山で武を講じた。郭元振を新州に流し、給事中の唐紹が処刑された。免新豊来歳税、賜從官帛。甲辰、渭川で狩猟した。同州刺史の姚元之が兵部尚書・同中書門下三品となった。乙巳、渭川から到着した。 十一月乙丑、劉幽求が侍中を兼ねた。戊子、群臣が尊号をたてまつって開元神武皇帝といった。 十二月庚寅、大赦し、改元し、内外の官に勲を賜った。中書省を改めて紫微省とし、門下省を黄門省とし、侍中を監とした。甲午、吐蕃が和を請うた。己亥、潑寒胡戯を禁じた。壬寅、姚崇が紫微令を兼ねた。癸丑、劉幽求が宰相を退いた。張説を左遷して相州刺史とした。甲寅、黄門侍郎の盧懐慎が同紫微黄門平章事となった。 二年(714)正月壬午、関内の旱害のため、直諫を求め、停不急之務、寬繋囚、祠名山大川、葬暴骸。甲申、并州節度大使の薛訥が同紫微黄門三品となり、契丹を討伐した。 二月壬辰、正殿を避け、膳を減らし、音楽をやめた。突厥が北庭を寇し、都護の郭虔瓘がこれを破った。己酉、慮囚。 三月己亥、磧西節度使の阿史那献が西突厥の都擔を捕らえた。 四月辛未、停諸陵供奉鷹犬。 五月辛亥、魏知古が宰相を退いた。 六月、京師で大風のために木が抜けた。甲子、以太上皇避暑、徙御大明宮。 七月乙未、錦繡珠玉を前殿で焚いた。戊戌、禁采珠玉及為刻鏤器玩・珠繩帖縚服者、織錦坊を廃した。庚子、薛訥が奚・契丹と灤河で戦い、敗れた。丁未、襄王李重茂が薨去し、追冊して皇帝とした。 八月壬戌、女楽を禁じた。乙亥、吐蕃が辺境を寇したので、薛訥が左羽林軍将軍を摂り、隴右防禦大使となり、右驍衛将軍の郭知運が副使となって、これを討伐した。 九月庚寅、興慶宮を作った。丁酉、京師侍老と含元殿の庭で宴し、賜九十以上几・杖、八十以上鳩杖、婦人亦如之、賜於其家。戊申、温湯に幸した。 十月戊午、温湯から到着した。甲子、薛訥が吐蕃と武階で戦い、これを破った。 十二月乙丑、子の李嗣真を封じて鄫王とし、李嗣初を鄂王とし、李嗣玄を鄄王とした。 三年(715)正月丁亥、郢王李嗣謙を立てて皇太子とした。降死罪、流以下原之。三日の宴会を賜った。癸卯、盧懐慎が黄門監を検校した。 二月辛酉、赦囚非惡逆・造偽者。 四月庚申、突厥部の三姓葛邏禄が来附した。右羽林軍大将軍の薛訥が涼州鎮軍大総管となり、涼州都督の楊執一が副総管となった。右衛大将軍の郭虔瓘が朔州鎮軍大総管となり、并州長史の王晙が副総管となり、突厥に備えた。 五月丁未、旱害のため京師の囚を録した。戊申、正殿を避け、膳を減らした。 七月庚辰朔、日食があった。 十月辛酉、巂州蛮が辺境を寇し、右驍衛将軍李玄道がこれを討伐した。壬戌、薛訥が朔方道行軍大総管となり、太僕卿の呂延祚と霊州刺史の杜賓客が副総管となった。癸亥、如郿、赦所過徒罪以下、賜侍老九十以上及篤疾者物。甲子、鳳泉湯にいった。戊辰、降大理繋囚罪。 十一月己卯、鳳泉湯から到着した。乙酉、温湯に幸した。丁亥、相州の人の崔子喦がそむき、処刑された。甲午、温湯から到着した。乙未、白衣長髪で会するのを禁じた。 十二月乙丑、降鳳泉湯所過死罪以下。 四年(716)正月戊寅、朝太上皇于西宮。 二月丙辰、温湯に幸した。辛酉、吐蕃が松州を寇し、廓州刺史の蓋思貴がこれを討伐した。丁卯、温湯から到着した。癸酉、松州都督の孫仁献が吐蕃と戦い、これを破った。 六月甲子、太上皇が崩じた。辛未、京師と華・陜の二州で大風のため木が抜けた。癸酉、大武軍子将の郝霊佺が突厥の默啜を殺した。 七月丁丑、吐蕃が和を請うた。丁酉、洛水が氾濫した。 八月辛未、奚・契丹が降った。 十月庚午、大聖真皇帝を橋陵に葬った。 十一月己卯、盧懐慎が宰相を退いた。丁亥、中宗を西廟に遷した。丙申、尚書左丞の源乾曜が黄門侍郎・同紫微黄門平章事となった。 十二月乙卯、定陵の寝殿で火事があった。丙辰、温湯に幸した。乙丑、温湯から到着した。 閏月己亥、姚崇・源乾曜が宰相を退いた。刑部尚書の宋璟が吏部尚書兼黄門監となり、紫微侍郎の蘇頲が同紫微黄門平章事となった。 五年(717)正月癸卯、太廟の四室が壊れたので、神主を太極殿に遷し、素服で正殿を避け、輟視朝五日。己酉、太極殿に享した。辛亥、東都にいった。戊辰、大霧があった。 二月甲戌、大赦し、従官に帛を賜い、給復河南一年、免河南北蝗・水州今歳租。 三月丙寅、吐蕃が和を請うた。 四月甲申、毀拜洛受図壇。己丑、子の李嗣一が亡くなった。 五月丙辰、詔公侯子孫襲封。 七月壬寅、隴右節度使の郭知運が吐蕃と戦い、これを破った。 九月壬寅、紫微省を中書省にもどし、黄門省を門下省とし、監を侍中とした。 十月戊寅、祔神主于太廟。甲申、命史官月奏所行事。 六年(718)正月辛丑、突厥が和を請うた。 二月壬辰、朔方道行軍大総管の王晙が突厥を討伐した。 六月甲申、瀍水が氾濫した。 八月庚辰、旱害のため慮囚。 十月癸亥、河南府と懐・汝・鄭の三州の父老に帛を賜った。 十一月辛卯、東都から到着した。丙申、太廟で享した。元皇帝以上三祖枝孫失官者授五品京官、皇祖妣家子孫在選者甄擇之。免知頓及旁州供承者一歳租税。乙巳、伝国の璽を改めて「宝」といった。この月、突厥が単于副都護の張知運を捕らえた。 七年(719)五月己丑朔、日食があり、素服で、音楽をやめ、膳を減らし、中書門下慮囚。 六月戊辰、吐蕃が和を請うた。 閏七月辛巳、旱害のため正殿を避け、音楽をやめ、膳を減らした。甲申、慮囚。八月丙戌、慮囚。 九月甲戌、宋王李憲を徙封して寧王とした。 十月、作義宗廟于東都。辛卯、温湯に幸した。癸卯、温湯から到着した。 十一月乙亥、皇太子入学齒冑、賜陪位官及学生帛。 八年(720)正月辛巳、宋璟・蘇頲が宰相を退いた。京兆尹の源乾曜が黄門侍郎となり、并州大都督府長史の張嘉貞が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。 二月戊戌、子の李敏が亡くなった。 三月甲子、免水旱州逋負、給復四鎮行人家一年。 五月丁卯、源乾曜が侍中となり、張嘉貞が中書令となった。 六月庚寅、洛・瀍・穀水が氾濫した。 九月、突厥が甘・涼を寇し、涼州都督の楊敬述が突厥と戦い、敗れた。丙寅、降京城囚罪、杖以下原之。壬申、契丹が辺境を寇し、王晙が検校幽州都督・節度河北諸軍大使となり、黄門侍郎の韋抗が朔方道行軍大総管となり、これを討伐した。甲戌、中書門下慮囚。 十月辛巳、長春宮にいった。壬午、下邽で狩猟した。庚寅、温湯に幸した。十一月乙卯、温湯から到着した。 九年(721)正月、括田。丙寅、温湯に幸した。乙亥、温湯から到着した。 二月丙戌、突厥が和を請うた。丁亥、免天下七年以前逋負。 四月庚寅、蘭池の胡の康待賓が辺境を寇した。 五月庚午、原見囚死・流罪隨軍力・徒以下未發者。 七月己酉、王晙が康待賓を捕らえた。 八月、蘭池の胡の康願子が辺境を寇した。 九月乙巳朔、日食があった。癸亥、天兵軍節度大使の張説が兵部尚書・同中書門下三品となった。 十一月庚午、大赦し、文武の官に階・爵を賜り、唐隆・先天實封功臣坐事免若死者加贈、民間に三日の宴会を賜った。 十二月乙酉、温湯に幸した。壬辰、温湯から到着した。 この冬、雪がなかった。 十年(722)正月丁巳、東都にいった。 二月丁丑、次望春頓、従官に帛を賜った。 四月己亥、張説が持節・朔方軍節度大使となった。 五月戊午、突厥が和を請うた。辛酉、伊・汝水が氾濫した。 閏月壬申、張説が辺境を巡視した。 六月丁巳、黄河が博・棣の二州で決壊した。 七月庚辰、給復遭水州。丙戌、安南の人の梅叔鸞がそむき、処刑された。 九月、張説が康願子を木盤山で破り、これを捕らえた。己卯、京兆の人の権梁山がそむき、処刑された。癸未、吐蕃が小勃律を攻め、北庭節度使の張孝嵩がこれを破った。 十月甲寅、興泰宮にいき、上宜川で狩猟した。庚申、東都にいった。 十二月、突厥が和を請うた。 十一年(723)正月丁卯、東都の囚人の罪を一等降し、杖以下を許した。己巳、并州にいき、囚人の罪を一等降し、徒以下を許した。侍老に物を賜った。庚辰、潞州に行き、囚人を許し、免税五年とし、故邸を飛龍宮とした。辛卯、并州に行き、并州を改めて北都とした。癸巳、太原府で赦し、一年間免税とし、下戸三年は、元従家は五年とした。侍老で八十歳以上に上県の令を、婦人に県君を版授した。九十歳以上に上州長史、婦人を郡君とした。百歳以上は上州刺史、婦人を郡夫人とした。 二月己酉、張嘉貞を左遷して豳州刺史とした。壬子、汾陰にいき、后土を祠り、文武の官に階・勲・爵・帛を賜った。癸亥、張説が中書令を兼ねた。 三月辛未、汾陰から到着し、免所過今歳税、京城で赦した。 四月甲子、張説が中書令となった。吏部尚書の王晙が兵部尚書・同中書門下三品となった。 五月乙丑、中宗を太廟にもどした。己丑、王晙が持節・朔方軍節度大使となった。辛卯、遣使分巡天下。 六月、王晙が辺境を巡視した。 八月戊申、宣皇帝に追号して献祖といい、光皇帝を懿祖といった。 十月丁酉、温湯に幸し、温泉宮を作った。甲寅、温湯から到着した。 十一月戊寅、有事于南郊、大赦した。賜奉祠官階・勲・爵、親王公主一子官、高年粟帛、孝子順孫終身勿事。天下で三日の宴会をおこない、京城では五日おこなった。 十二月甲午、鳳泉湯にいった。戊申、鳳泉湯から到着した。庚申、王晙を左遷して蘄州刺史とした。 十二年(724)四月壬寅、詔傍繼国王礼當廃而屬近者封郡王。 七月己卯、皇后王氏を廃して庶人とした。十月、庶人王氏が亡くなった。 十一月庚午、東都にいった。庚辰、溪州の首領の覃行章がそむき、処刑された。辛巳、申王李撝が薨去した。 閏十二月丙辰朔、日食があった。 十三年(725)正月戊子、降死罪、流以下原之。遣使宣慰天下。壬子、朔方・隴右・河西で戦没した者を葬った。 三月甲午、郯王李潭を徙封して慶王とし、陜王李浚を忠王とし、鄫王李洽を棣王とし、鄄王李滉を栄王とした。子の李涺を封じて光王とし、李濰を儀王とし、李澐を潁王とし、李沢を永王とし、李清を寿王とし、李洄を延王とし、李沐を盛王とし、李溢を済王とした。 九月丙戌、祥瑞を奏するのをやめた。 十月辛酉、兗州にいった。庚午、次濮州、賜河南・北五百里内父老帛。 十一月庚寅、泰山で封をおこなった。辛卯、禅を社首でおこなった。壬辰、大赦した。文武の官に階・勲・爵を賜り、致仕官一季禄、公主・嗣王・郡縣主一子官、諸蕃酋長来会者一官。通り過ぎた所で一年間の、兗州で二年間の租を免除した。天下に七日の宴会を賜った。丙申、孔子の宅に幸し、遣使以太牢祭其墓、給復近墓五戸。丁酉、徐・曹・亳・許・仙・豫の六州の父老に帛を賜った。 十二月己巳、東都にいった。 十四年(726)二月、邕州の獠の梁大海がそむき、処刑された。 四月丁巳、戸部侍郎の李元紘が中書侍郎・同中書門下平章事となった。庚申、張説が宰相を退いた。丁卯、岐王李範が薨去した。 六月戊午、東都で大風のため木が抜けた。壬戌、詔州縣長官言事。 七月癸未、瀍水が氾濫した。 八月丙午、黄河が魏州で決壊した。 九月己丑、磧西節度使の杜暹が黄門侍郎を検校し、同中書門下平章事となった。 十月甲寅、太白(金星)が昼に見えた。庚申、広成湯にいった。己巳、東都にいった。 十二月丁巳、方秀川で狩猟した。 十五年(727)正月辛丑、河西・隴右節度使の王君㚟が吐蕃と青海で戦い、これを破った。 七月甲戌、震興教門観、災。庚寅、洛水が氾濫した。己亥、降都城囚罪、徒以下原之。 八月、澗・穀が氾濫し、澠池県を破壊した。己巳、降天下死罪・嶺南邊州流人、徒以下原之。 九月丙子、吐蕃が瓜州を寇し、刺史の田元献を捕らえた。 閏月庚子、吐蕃が安西を寇し、副大都護の趙頤貞がこれを破った。庚申、回紇が甘州を襲い、王君㚟がここに死んだ。 十月己卯、東都から到着した。 十一月丁卯、城南で狩猟した。 十二月乙亥、温泉宮に幸した。丙戌、温泉宮から到着した。 十六年(728)正月壬寅、趙頤貞が吐蕃と曲子城で戦い、これを破った。乙卯、瀧州の首領の陳行範がそむき、処刑された。庚申、許徒以下囚保任營農。 三月辛丑、免營農囚罪。 七月、吐蕃が瓜州を寇し、刺史の張守珪がこれを破った。乙巳、隴右節度使の張志亮と河西節度使の蕭嵩が吐蕃の大莫門城を落とした。八月辛卯、吐蕃と祁連城で戦い、これを破った。 九月丙午、長らく雨が降ったため囚人の罪を徒以下は赦した。 十月己卯、温泉宮に幸した。己丑、温泉宮から到着した。 十一月癸巳、蕭嵩が兵部尚書・同中書門下平章事(宰相)となった。甲辰、弛陂澤禁。戊申、寧王李憲の邸宅に幸した。庚戌、寧王李憲の邸宅から到着した。 十二月丁卯、温泉宮に幸した。丁丑、温泉宮から到着した。 十七年(729)二月丁卯、巂州都督の張審素が雲南の昆明城・塩城を落とした。 三月戊戌、張守珪が吐蕃と大同軍で戦い、これを破った。 四月癸亥、降死罪、流以下原之。乙亥、大風、震、藍田山が崩れた。 六月甲戌、源乾曜・杜暹・李元紘を宰相から罷免した。蕭嵩が中書令を兼ねた。戸部侍郎の宇文融が黄門侍郎となり、兵部侍郎の裴光庭が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。 九月壬子、宇文融を左遷して汝州刺史とした。 十月戊午朔、日食があった。 十一月庚寅、太廟で享した。丙申、拜橋陵、奉先県で赦した。戊戌、拜定陵。己亥、拜献陵。壬寅、拜昭陵。乙巳、拜乾陵。戊申、乾陵から到着し、大赦した。この年の税の半分を免除した。文武の官に階・爵を、侍老に帛を賜った。旌表孝子順孫・義夫節婦、終身勿事。唐隆両營立功三品以上予一子官。供頓した県でこの年の税を免除した。諸軍の行人に勲両転を賜った。 十二月辛酉、温泉宮に幸した。壬申、温泉宮から到着した。 この冬、雪がなかった。 十八年(730)正月辛卯、裴光庭が侍中となった。 二月丙寅、大雨、雷震左飛龍厩、災。辛未、免囚罪杖以下。 四月乙卯、京師の外郭を築いた。 五月己酉、奚・契丹が突厥についた。 六月甲子、有彗星出于五車。癸酉、有星孛于畢・昴。乙亥、瀍水が氾濫した。丙子、忠王李浚が河北道行軍元帥となった。壬午、洛水が氾濫した。 九月丁巳、忠王李浚が河東道諸軍元帥を兼ねた。 十月戊子、吐蕃が和を請うた。庚寅、鳳泉湯にいった。癸卯、鳳泉湯から到着した。 十一月丁卯、温泉宮に幸した。丁丑、温泉宮から到着した。 十九年(731)正月、瀼州別駕の王毛仲を殺した。丙子、興慶宮で耕した。己卯、鯉魚を捕ることを禁じた。 四月壬午、降死罪以下。丙申、太公廟を立てた。 六月乙酉、大風で木が抜けた。 七月癸丑、吐蕃が和を請うた。 八月辛巳、以千秋節降死罪、流以下原之。 十月丙申、東都にいった。十一月乙卯、次洛城南、従官に帛を賜った。 この年、揚州穭稻生。 二十年(732)正月乙卯、信安郡王李禕が河東・河北道行軍副元帥となり、奚・契丹を討伐した。 二月甲戌朔、日食があった。壬午、降囚罪、徒以下原之。 三月己巳、信安郡王李禕が奚・契丹と薊州で戦い、これを破った。 五月戊申、忠王李浚が捕らえた奚・契丹を献上した。 六月丁丑、李浚が司徒となった。 八月辛未朔、日食があった。 九月乙巳、渤海靺鞨が登州を寇し、刺史の韋俊がここに死に、左領軍衛将軍の蓋福慎がこれを討伐した。戊辰、宋・滑・兗・鄆の四州で水が出たため、この年の税を免除した。 十月壬午、潞州にいった。丙戌、中書門下慮巡幸所過囚。辛卯、潞州で赦し、給復三年、賜高年粟帛。 十一月辛丑、北都にいった。癸丑、北都で赦し、給復三年。庚申、汾陰にいき、后土を祠り、大赦した。供頓した州でこの年の税を免除した。文武の官に階・勲・爵を、諸州の侍老に帛を賜り、武徳以来功臣後及唐隆功臣三品以上一子官。民間に三日の宴会を賜った。 十二月辛未、汾陰から到着した。 二十一年(733)正月丁巳、温泉宮に幸した。二月丁亥、温泉宮から到着した。 三月乙巳、裴光庭が薨去した。甲寅、尚書右丞の韓休が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。 閏月癸酉、幽州副総管の郭英傑が契丹と都山で戦い、郭英傑はここに死んだ。 四月乙卯、遣宣慰使黜陟官吏、決繋囚。丁巳、寧王李憲が太尉となり、薛王李業が司徒となった。 五月戊子、以皇太子納妃、降死罪、流以下原之。 七月乙丑朔、日食があった。 九月壬午、子の李沔を封じて信王とし、李泚を義王とし、李漼を陳王とし、李澄を豊王とし、李潓を恒王とし、李漩を涼王とし、李滔を深王とした。 十月庚戌、温泉宮に幸した。己未、温泉宮から到着した。 十二月丁巳、蕭嵩・韓休が宰相を退いた。京兆尹の裴耀卿が黄門侍郎となり、中書侍郎の張九齢、ともに同中書門下平章事となった。 →巻五 本紀第五つづき
https://w.atwiki.jp/awata/pages/68.html
(01)真宗の天禧三年(1019)六月、寇準を同平章事とし、丁謂を参知政事とした。 これ以前、準は謂と仲がよく、いつも李沆に薦めていた。しかし沆は謂を用いようとしなかった。準がわけをたずねると、沆、「謂は確かに才人だ。ただその性格を考えるなら、人の上に置いてはなるまい。」 準、「相公は謂ほどの男を人の風下に置いてよいとお考えですか。」 沆は「いずれ私の言葉を思い出すときがくるよ」と言って笑ったが、準は納得できなかった。謂は準のおかげで名を知られ、徐々に頭角を現していった。準と同僚になっても、恭しく従っていた。しかし中書省で食事をしていたときのこと、準の鬚があつもので汚れたことがあった。謂が丁寧にふき取ってやると、準は「参政は国の大臣。それが長官のために鬚を拭うのかね」と笑った。謂はひどく恥じ入り、このため準を怨むようになり、二人に隙が生じた。 (02)四年(1020)六月丙申(十六日)、寇準が罷免された。 当時、帝は風邪をこじらせ、皇后が政務を執っていた。寇準と李迪はこれを憂えていた。ある日、準は帝に休暇を願ったおり、「皇太子は人の嘱望するところ。陛下におかれましては、宗廟の重責に鑑みられ、皇太子に伝国の宝器を伝え、立派な大臣を選んで皇太子を輔弼させられませ。丁謂や銭惟演は佞人、とても若君を輔弼できますまい」と申し出た。帝も賛同し。そこで準は秘密裏に楊億に太子監国(皇太子が国政を見ること)の文を起草させ、ために億を宰相府に引き入れようとした。ほどなく寇準は酒に酔って密謀をばらしてしまった。 謂はこの謀略を聞きつけると、「最近は陛下の様態も良好だのに、〔皇太子を監国にするとは〕朝廷は陛下をどのように取り扱うつもりなのか」と非難した。 李迪、「太子というものは、国を出ては軍を統べ、国にいては監国する。これが古くからのやり方だ。駄目なことなどあるものか。」 しかし謂は執拗に準を批判し、宰相を罷免するよう訴えた。帝は準とのやり取りを覚えておらず、準を罷免し、太子太傅とした。 (03)七月丙寅(十七日)、李迪を同平章事とし、馮拯を枢密使とした。 (04)庚午(二十一日)、丁謂と馮拯を同平章事とした。 (05)癸酉(二十四日)、入内都知の宦官周懐政が誅殺された。 (06)丁丑(二十八日)、寇準を相州知事に左遷した。 これ以前、帝は病に倒れると、将来を不安に思うようになった。ちょうど周懐政の股に臥していたので、懐政と相談して、太子を監国にしようとした。懐政は東宮に勤めていたのである。その後、〔寇準らの〕事件が露見し、準は罷免され、丁謂らは準を帝の側から引き離した。このため懐政は不安でたまらず、こんな陰謀を練っていた。――帝を太上皇帝にして、太子に皇帝の位を譲らせ、皇后の権力を取り上げ、丁謂を殺し、再び寇準を宰相にしよう、と。 客省使の楊崇勲らがこの陰謀を謂に密告すると、謂はすぐさま服装を変え、夜中に牛車に乗ると、崇勲をともなって曹利用を訪ね、事後策を練った。明日、この事件について朝廷に報告した。詔を下し、曹瑋に訊問させたところ、懐政は罪を自白した。帝は激怒し、その問責は太子にまで及ぼうとしたが、誰一人として抗弁しなかった。しかし李迪だけは従容と進み出ると、「陛下には何人の御子があらせられますでしょう。それをご承知の上でそのような処置をなさるのですか。」(1)帝は事態を悟り、処分を懐政の誅殺に止めた。 謂は皇后と共謀し、朱能の天書偽造を暴いた。かくして〔天書偽造に関与した〕準を太常卿・相州知事に左遷した。翰林学士の盛度、枢密直学士の王曙を罷免し、準と親しい官僚はすべて朝廷から追い出された。 準の左遷が決まったとき、帝は小州を授けるよう命じたが、謂はたちまち「遠小州を授けよ」と言い換えてしまった。迪は「陛下の御言葉に『遠』の字はなかったはずだ」と言った。このため二人は対立するようになった。 (07)八月乙酉(六日)、任中正と王曾を参知政事とし、銭惟演を枢密副使とした。 (08)壬寅(二十三日)、寇準を道州司馬に左遷した。 これ以前、朱能の逮捕のため使者を派遣したところ、能は使者を殺し、民を率いて反乱を起こした。すぐに叛徒は潰滅し、能は自殺した。準はこの事件の罪に問われ、再び道州司馬に左遷された。当初、帝は準を江淮近辺に左遷する予定だったが、謂はとうとう道州司馬にしてしまった。だれも反論しない中、王曾は帝の言葉を出して謂を質したが、謂は「仮屋の旦那よ、もう何もいうな」と言った。曾はむかし準に屋敷を借りていたことを言ったのであるる。 (09)九月、帝の病が癒えた。 (10)丙辰(八日)、帝は崇政殿に赴き、みずから政務を執った。朱能一派の罪を取り調べ、数十人を死刑・配流に処した。 (11)壬戌(十四日)、給仕の朱巽と郎中の梅詢は、朱能の悪事を察知し得なかったとし、罪に問われて左遷された。 (12)十一月戊辰(二十一日)、李迪と丁謂が罷免された。 これ以前、丁謂は権力を握ると、人事までも帝に報告しなくなった。そのため迪は憤慨し、同僚には「布衣の身から宰相にまで抜擢いただいたこの私だ、国恩に報いられるというなら死んでも怨みはない。それを権力者に阿諛して身の上の安全など望むだろうか」と言っていた。 たまたま二府(宰相府と枢密院)の大臣の俸給を増やし、東宮官の兼任を求める動議があった。しかし迪はこれを認めなかった。また謂が林特を枢密副使に抜擢しようとすると、また迪が反対した。このため謂はますます迪を怨むようになった。ほどなく謂は門下侍郎兼太子太傅となり、迪は尚書左丞兼太子少傅となった。故事では、宰相として左丞を兼ねたものはいなかった。謂らは長春殿で帝に謁見した。帝は制書を取り出すと、腰掛けの前に置き、輔臣に「これは諸君等が東宮官を兼任するための制書だ。」 迪は進み出ると、「東宮の官属を増やしてはなりません。これをお受けするわけには参りません。丁謂は陛下を騙して権力を握り、林特や銭惟演と結託し、寇準を妬んでおります。特の子供は人殺しですが、事件は葬られました。準は罪もなく遠方に退けられました。惟演は皇后の親族であるのに政治に参与させ、曹利用や馮拯と結んで朋党を作っております。陛下におかれましては、臣と謂とを罷免し、御史台に下して実情をお調べ頂きたい。」 帝は怒って制書を引っ込めると、迪を鄆州知事に、謂を河南府知事に左遷した。明日、謂が謝辞のため帝を訪ねると、帝は昨日のもめ事を咎めた。謂、「私が争ったわけではありません。迪が一方的に私の悪口を言っただけです。お願いでございますから、私を朝廷に留め置きください。」退出するとすぐ帝の言葉を伝え、また中書(宰相府)で政務を執るようになった。 この時、翰林学士の劉筠は、迪と謂に対する罷免の辞令書を書いていた。ほどなくまた謂が朝廷に止まることになったので、制書を書くよう命じられた。筠は命令を拒否した。そのため翰林学士の晏殊が制書の執筆に当たった。筠は学士院から退出し、枢密院の南門のところで殊と出くわした。殊は恥ずかしくなり、顔を伏せて会釈を避けた。 謂は宰相に復帰すると以前にまして権力を握った。筠は「奸臣が権力を握ったなら、一日たりともここに居れまい」と言うと、固く地方官を求め、廬州知事になった。 (13)庚午(二十三日)、詔を下した。「これ以後、軍国(軍事と国務)の大事は旧来の如く皇帝みずから判断を下す。それ以外は全て皇太子に委ねる。宰相・枢密との協議の上、施行せよ。」 太子はこれを固辞したが許されなかった。そこで太子が資善堂で政務を執り、皇后が宮中で決裁し、そして丁謂が権力を握ることになった。このため朝廷内外に不安が広がった。王曾は銭惟演にこう伝えた。――「太子はまだお若い。もし中宮が居られねば即位できないだろう。しかし中宮もまた太子が居られねば人々の心をつかめまい。皇后が太子を愛しまれるなら太子は安泰だし、太子が安泰とあれば〔皇后の〕劉氏も安泰だ。」そこで惟演がこっそり曾の言葉を伝えると、皇后は深く頷いた。 陳邦瞻の評語。国家の存立が危ぶまれ、人々の心に疑惑の生じたとき、社稷と君主を安定させたものは、天下の大忠である。しかしそれは智がなければできぬことである。そもそも扉を回転させるには軸が必要である。智者はこの安危の状態に対処するとき、よく軸をつかんで回転させるものである。宋の真宗が病に倒れたとき、政治はすべて劉皇后の決裁を仰いだ。しかも太子は皇后の実子ではなかった。丁謂は邪悪の心で政治を乱し、銭惟演は皇后の親族として丁謂を助けた。少しの動揺でもあれば、宋の天下は失われたであろう。当時にあって、寇準や李迪は忠臣ではあったが、彼等の心は「丁謂と惟演を放逐すれば皇后の権力を抑え込めよう、皇后を抑え込めれば太子の地位も安全だ」というものだった。しかしこれでは成功したところで母子の関係に亀裂が生じるであろうし、それに対する善後策もなかったのである。ましてやこれが失敗すればどれほどの災厄をもたらしたことであろう。周懐政が死んだとき、太子が廃されなかったのは、ただの幸運にすぎなかったのである。このときにあって丁謂を放逐するのは簡単なことだった。しかし皇后の心を落ち着けるのは難しかった。皇后の心が落ち着かないことには、呂武の禍はまた起こったことであろう。邪悪なものどもがみな丁謂たらんと欲するのは、みなこのためである。そのすべてを放逐などできるだろうか。しかし皇后の心が落ち着けば、丁謂を除くことなど、わずかに孤豚や腐鼠を逐うようなものである。王曾が銭惟演に告げた言葉は正しかった。「太子はまだお若い。もし中宮が居られねば即位できないだろう。しかし中宮もまた太子が居られねば人々の心をつかめまい。皇后が太子を愛しまれるなら太子は安泰だし、太子が安泰とあれば〔皇后の〕劉氏も安泰だ。」そもそも皇后が懼れたのは、劉氏一族が危機に陥ることであった。皇后にはかつて則天が革命を願ったような心など、なかったのである。太子の地位が定まれば、これに随って己自身の地位も定まるという通りが分かれば、どうして邪謀を画策する必要があろう。王曾の発言以後、利を狙う小人どもの計略は皇后に届かなくなった。王曾の一言が深く皇后の心を動かしたのである。しかしこの言葉、銭惟演から出るのでなければ、皇后は信じなかったであろう。これまた王曾が智者たる証拠である。莱公(寇準)は能く大事を判断したと称せられる。しかしこの点については、遠く沂公(王曾)に及ばなかった。 (14)丁謂を兼太子少師とし、馮拯を兼太子少傅とし、曹利用を兼太子少保とした。 (15)五年(1021)十一月、丁謂に司空を、馮拯に左僕射を、曹利用に右僕射を加えた。 当時、丁謂の権勢は日増しに大きくなり、朝廷の官僚はみな謂のいいなりだった。ただ起居注の李垂だけは謂に拝謁しようとしなかった。その理由をたずねられると、垂は「謂は宰相でありながら、正しい方法で天下の期待に応えようとせず、権勢を恃んでおる。彼のしていることを見れば、必ずや朱崖に赴くことになろう。私は彼の一味になどなりたくない」と答えた。謂はこれを聞くと、垂を悪み、罷免して亳州知事にした。 (16)乾興元年(1022)二月庚子(一日)、大赦した。 (17)癸卯(四日)、群臣が尊号を奉った。 (18)甲辰(五日)、丁謂を晉国公に、馮拯を魏国公に、曹利用を韓国公に封じた。 (19)甲寅(十五日)(2)、帝は病に倒れた。重篤の中、近臣に「長らく寇準を見ていないが、どうしたのだ」と問いかけたが、みな謂の権勢を畏れて、なにも答えなかった。 (20)戊午(十九日)、帝が崩じた。遺詔に従い、太子の受益が霊前で皇帝の位に即き、名前を禛に変えた。 王曾は遺詔を草すべく、宿直所に入ると、「皇后をして権(かり)に軍国の事を処分せしめ、太子を輔けて政を聴かしめよ」と書いた。丁謂は「権」の字を削るよう要求した。しかし曾が「皇帝はまだお若く、太后が政務を執られている。これだけでも国家の不運なのです。『権』とすれば後世の手本となりましょう。ましてや制書を増減するには決まりがあります。人の模範たるべき地位にいながら、人に先んじて典礼を乱すわけにはまいりますまい」と答えたため、ついに謂も折れてしまった。 太子は即位したが、まだ十三歳だった。皇后を尊んで皇太后とし、淑妃の楊氏を皇太妃とした。両府(中書省と枢密院)で太后臨朝の儀礼を議論した。曾は東漢の故事に従い、太后は帝とともに五日に一たび承明殿に赴き、太后は帝の右に坐し、御簾を垂れて政務を聴くべきだと言った。謂は権力を掌握すべく、同列の官僚が政治の機密に関与できぬように、秘かに入内押班の雷允恭と結託して太后に手書を降させた。その手書に曰く、「帝は朔日と望日に臣下らに見える。朝廷の重大事項は、太后が輔臣を召して決裁する。重大事項でなければ、允恭に禁中まで報告させ、それを見てから可否を下す。」曾は「皇太后と皇帝が違う場所におれば、政権は宦官に帰し、災禍が兆すことになろう」と言った。こうして允恭は権勢を恃んで威張りだし、謂の権力は朝廷内外を傾けるほどになり、もはや対立するものはいなくなった。ただ曾だけは毅然として朝廷におり、天下の期待を一身に引き受けていた。 (21)庚申(二十一日)、丁謂を山陵使とした。 (22)戊辰(二十九日)、寇準を雷州司戸参軍に、李迪を衡州団練副使に左遷した。 これ以前、先帝は崩御のときにあたり、寇準と李迪に後事を託していた。丁謂は準を怨んでおり、太后もまたかつて迪が自分の執政を諫めたことを怨みに思っていた。(3)そこで〔準と迪は〕朋党だと誣告し、二人を左遷した。多数の者がこの事件に連坐し、曹瑋も莱州知事に左遷された。 準らの左遷が結審する前、王曾は処罰が重すぎると言って疑問を呈した。謂はじろりと曾を見つめ、「仮屋の旦那、まだ言うのかね。君もただではすまんよ。」曾もついに口をつぐんだ。学士が辞令の草案を提出すると、謂はその文字を改めて「醜悪な逆徒が禁を犯したとき、先帝は病に倒れられた。そしてこの事件に恐懼され、ついに重き病に至られた」とした。また人を派遣し、迪に出発を急がせた。 ある人が「迪が左遷の地で死んだりすれば、貴方は世論をどうなさるおつもりです。」 謂、「後世の学者どもが『天下、これを惜む』と書くだけさ。」 謂は是が非でも二人を殺そうと、中使(宮中の使者)を送り、勅書を準のもとに運ばせた。錦の袋に剣を入れ、これを馬前に掲げ、誅殺の意向を示した。中使が道州に到着すると、人々は恐怖のあまり手足の置き場もなかったが、準は州の官僚と宴会を開き、平静と変らぬ様子だった。準は中使にこう伝えた。――「朝廷がもし準に死を賜るというのなら、願わくは勅書を拝見しよう。」中使はどうすることもできず、勅書を授けた。準は庭で礼拝して受け取ると、部屋にもどり、日暮れになるまで宴会を続けた。 丁謂は蔡斉を自分の一派に引き入れようと、知制誥を条件に出した。斉は謂の前から退くと溜息をつき、「先帝の知遇を得たれなこそ、今の私があるのだ。権臣に脅しに乗ってよかろうか。処罰など懼れはしない。」とうとう丁謂の申し入れを拒んでしまった。 (23)〔六月〕己酉(十一日)、参知政事の王曾に山陵を調査させた。 (24)庚申(二十二日)、内侍の雷允恭が誅殺された。丁謂と任中正が罷免された。 これ以前、先帝の山陵(墓所)を造営したとき、允恭は都監(4)になった。判司天監の邢中和が允恭に言うには、「山陵の上に百歩あれば、子孫に恩恵がありましょう。汝州の秦王の墳墓のようにするのです。ただ下に石もあるし水も出ますからねえ。」 允恭、「先帝には他にお子様がおられぬ。秦王の墳墓をまねるのに何がだめなものか。」 中和、「山陵は重大事ですから、実地に調査をすれば時間もかかり、七月の期日(埋葬の時間。ここでは九月を指す)に間に合わないと思います。」 允恭、「掘る場所を移せばよい。私は急いで太后に申し上げる。」 允恭には力があったので、誰も反対しなかった。そこで場所を変え、上の穴を掘った。允恭は宮廷にもどってこれを報告した。 太后、「これほどの重大事、なんと軽々しいことを。」 允恭、「先帝の子孫を思ってのことです。なぜいけないのですか。」 太后は納得せず、「もう一度行って、山陵使と相談しろ」と言いつけた。 允恭は〔山稜使の〕丁謂に相談すると、謂はただ頷くだけだった。允恭は太后の下にもどり、「山陵使にも異議はありませんでした」と答えた。そこで夏守恩に命じ、人足数万人を率いて地に穴を掘らせた。土と石が相半ばし、さらに水が出て来た。人足らの不満は日ごとに募っていった。守恩は失敗を懼れて工事を止め、意見書を提出して朝廷の指示を待った。 丁謂は允恭を庇って判断をためらっていた。内侍の毛昌達が山陵からもどり、事態を報告した。太后からの問い合わせで、謂はようやく使者を派遣し調査させた。するとみながもとの計画地にすべきだと言った。そこで太后は馮拯と曹利用に命じ、丁謂の自宅で議論させる一方、王曾を派遣して再調査させた。曾は山稜から帰還すると、太后と二人きりで報告したいと願い出ると、「丁謂は邪心を抱き、允恭を用いて先帝の墓室を絶地に移動させております」と言った。 太后は驚愕し、怒りのあまり〔允恭のみならず〕謂までも処刑しようとした。馮拯は進み出ると、「謂にも確かに罪はあります。しかし帝は新たに即位されたばかり。かくも性急に大臣を誅殺されては、世を騒がせることになりましょう。」太后の怒りは少しく解け、允恭らだけを誅殺することにした。 二日、太后は宰相を呼び、次のように申しつけた。――「丁謂は宰相でありながら宦官と結託していた。允恭から伝えられていた謂の発言には、いつもどの案件もあなた方(他の宰執)と協議して決定したことです、とあった。だから私はすべて許してきたのだ。ところが先帝の陵墓を造営しようというとき、勝手に墓室を移動させ、もう少しで大事を誤るところだった。」 拯らは進み出ると、「先帝がお隠れになって以来、政治はすべて謂と允恭の二人が決めておりました。しかし禁中の許可を得ていると言うので、私共には虚実のほどが判断できませんでした。聡明なる陛下が彼等の奸悪を察せられましたこと、まことに社稷宗廟の幸福にございます。」 しかし任中正だけは、「謂の任用は先帝の遺言を受けてのこと。罪があるとはいえ、その功績も考慮に入れねばなりません。」 曾、「丁謂は不忠をもって皇室に罪を得たのだ。これ以上もはや何を論ずる必要があろう。」 そこで謂を太子少保に降格し、西京分司とした。また中正を罷免し、鄆州知事とした。故事では、宰相の罷免には制書を用いていた。しかしこのときばかりは、すぐにも謂を罷免すべく、中書舎人に文章を作らせるだけで、それを朝堂に貼り付け、天下に布告した。 むかし謂が進士になったばかりのころ、許田に身を寄せていたが、胡則に世話になっていた。謂が貴顕となるや、則はすぐに重用された。しかし謂や失脚するや、則もまた地方に出され、西京転運使となった。 (25)山陵使を馮拯に改めた。 (26)七月辛未(三日)、王曾を同平章事とした。 (27)丙子(八日)、銭惟演を枢密使とした。 (28)辛卯(二十三日)、丁謂を崖州司戸参軍に左遷した。 これ以前、劉徳妙なる女道士がおり、占い師として丁謂の家に出入りしていた。謂が失脚すると、徳妙も逮捕された。内侍が訊問したところ徳妙は次のようなことを白状したという。―― 丁謂は徳妙に向かって、「お前はただの占い師にすぎぬ。それよりか老君のことに託して世の因果を説き、人の関心を買った方がよかろう」とそそのかし、家に神像を設け、夜中に園中で祈祷させた。雷允恭もしばしば来訪し、祈祷を頼んでいた。真宗が崩御すると、〔謂は徳妙を〕禁中に引き入れた。また土の中から亀と蛇を見つると、徳妙をつかって禁中に運ばせ、家の山洞で見つけたと嘘を言わせた。そこでまたこうそそのかした。―― 「もし帝がお前に『老君に仕えているとなぜ分るのだ』と問われたら、『相公は凡俗の人ではありません。御存知のことと思います』と答えるのだ」と。丁謂は功徳文を作り、そこに「混元皇帝が徳妙に賜う」と書き込んだ。 左道に関わる発言だったので、謂を崖州司戸参軍に左遷した。謂の財産を没収すると、数えきれぬほどの賄賂が見つかった。 謂は崖州に赴く途中、雷州に立ち寄った。寇準は蒸羊(羊を煮たもの)を州の境界に運ばせた。謂は準に面会を求めたが、準は堅く断った。準は報復を企む家人がいるのを知ると、家門を閉ざして賭博を開き、家のものの外出を禁じた。謂が他州に出たのを確認してから、ようやく止めさせた。 謂は機敏で知謀があり、その狡猾なこと常人を過ぎていた。崖州にいたとき、浮屠の因果の説を学んだ。謂の一族が西京(洛陽)に寓居していた。丁謂はこんな手紙を書いた。――自分の罪を責め、国恩に感謝し、家人には軽々しく怨みを抱くなと諭している、と。人をつかって洛陽長官(5)の劉燁に近づかせた。使いの者には「燁が同僚といるときに手渡せ」と言い含めていた。燁は勝手に書簡を開くこともできず、そのまま朝廷に報告した。太后と帝は手紙を読むと謂を不敏に思い、雷州に移すことにした。 (29)十一月丁卯(一日)、銭惟演が罷免された。 これ以前、丁謂が宰相として絶大な権力を握ると、惟演は謂に阿附し、これと姻戚になろうとした。寇準の排斥には惟演も尽力した。歴代の枢密直学士の姓名を石に刻んだとき、惟演は準の名前だけ削り去り、〔その由来書には〕「大逆の準の名は書かぬ」と記した。御史中丞の蔡斉は、帝にむかって、「寇準の忠義は天下に知れわたっております。社稷の臣と申せましょう。邪悪なものたちに覆い隠せるものではありません。」帝はすぐに〔準を批判した文字を〕削らせた。 謂が失脚すると、惟演は責任が及ぶことを懼れ、謂を売って罪を逃れようとした。馮拯はその人となりを悪み、太后に「惟演はその妹を劉美の妻にしております。ならば太后の姻戚です。祖宗の法――姻戚は政務に関わらせるな――を無みしてはなりません。罷免なさいませ。」このため惟演は保大節度使・河陽府知事に改められた。 年を越え、惟演は〔河陽から亳州に移るついでに〕朝廷に立ち寄ると、またも宰相の座を狙った。御史の鞠詠は意見書を提出してこれを弾劾した。太后は内侍を派遣し、その意見書を惟演に見せた。惟演はそれでも様子見を決め込み、都から立ち去ろうとしなかった。詠が右司諫の劉隨に「もし惟演が宰相になれば、白麻(宰相の任命書)を手に、朝廷で争うつもりだ」と言ったのを聴き、ようやく立ち去った。 惟演は貴族の生まれで、文辞流麗、その名は楊億や劉筠と拮抗していた。あらゆる書物に目を通し、後進の推薦を無常の喜びとしていた。しかしいつも「わが生涯で足らぬのは、黄紙に署名できなかったことだけだ」(6)と発言し、いじましく中書(宰相府)を夢見ていた。このため時人の笑いを買うことになった。 〔注〕 (1)真宗の子は男子一人しかいなかった。 (2)底本は甲辰に作る。 (3)『続資治通鑑長編』は李迪が劉氏を処分するよう皇帝に訴えたのを、劉皇后が聴いていたとする。 (4)都監は総監督のこと。『続資治通鑑長編』には同管勾山陵一行事とある。 (5)河南府知事のこと。 (6)宰相になれなかったという意味。
https://w.atwiki.jp/soysouso800/pages/712.html
英国王のスピーチ 『英国王のスピーチ』(えいこくおうのスピーチ、原題:The King's Speech)は、2010年のイギリスの歴史ドラマ映画。 人は往々にして自らより劣ったものを見て安心感を覚えるものであり、またそういった他人を求めるものである。 この映画はそのような劣った他人を求めるものの中でも、コミュ障と呼ばれるものたちに向け製作されたが、彼らコミュ障は皇太子が言語聴覚士とおしゃべりしてる様を見るだけでギブアップしてしまうのだ!ファック!ファック!おっぱい!うんこ!
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/138.html
<魏 251年> <蜀漢 251年> <呉 251年> 251年 延熙十四年(蜀漢) 皇帝 劉禅(後主・魏安楽公) 皇后 張氏(前の皇后の妹・車騎將軍張飛の娘) 皇太子 劉璿 三公(蜀漢) 丞相:(空位) 司徒: その他の要職(蜀漢) 錄尚書事: 尚書令:費禕 太傅: 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府: 大将軍:費禕(尚書令) 驃騎将軍:? 車騎将軍:鄧芝→(死亡) 衛将軍:姜維 主な事件 十四年夏、大將軍の費禕が成都に還る。《三国志蜀書後主伝》 冬、(大將軍の費禕が)また北へ向かい漢壽に駐留する。大赦。《三国志蜀書後主伝》 誕生者 死没者 鄧芝:車騎将軍・仮節。子の鄧良が爵位を継いだ。《三国志蜀書鄧芝伝》
https://w.atwiki.jp/nyan7/pages/79.html
その他大勢-シトリス村-ダリル一家 シトリスの村の一般住人。 ダリル、ビアンカ、ジュディ、エイミが住む。 テスト版リニューアルから参入の村の住人。 父親のダリルは苦労性タイプでそそっかい妻とマイペースな娘たちに いつも振り回されている。村での役割は長老の補佐役で、村の会議で 進行役を務める事も多いのだが、本人は雑用をする方が好きらしい。 ホームパーティでホスト役のはずなのに、気がついたら片付け物などを 一生懸命やっている。 妻のビアンカは早とちりやうっかりが多い。料理は上手なのだが、 量計算がいい加減で大量に作っては家族全員で村にお裾分けをしている。 テスト版ではパンを大量に焼いていた。しかし愛嬌があり明るい女性。 長女のジュディは村の若手ハンター。冒険にも興味はあるようだが、 今のところは村の中で過ごす事に不満はない様子。明るく元気なところは 母親譲りだが、家族や自分の性格や行動パターンを第三者的に批評するなど、 クールな一面も持っている。 次女エイミはおっとりした性格で、成人しているのに時々未成年と 間違われる事がある。現状特に仕事らしい仕事が決まっておらず、 家事手伝いの他には、アリスと一緒に村の家畜の世話をしたり、 ハンクの畑の作物の仕分けを手伝ったりしているらしい。 どうも酒場に就職したいらしいが、接客に向いている性格でもなく、 母親に似てそそっかしい事もありダリルに反対されている。
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1968.html
相手の船が貨物船に近接し、相手の船員が乗り込んでくる。 「空賊だ!抵抗するな!…おや、貴族の客まで乗せてるのか」 ルイズたちを下品に舐めるように見る。 「こりゃあ別嬪だ、どうだい、俺らの船で皿洗いでもやらねえか?」 男は下品に笑う。 「下がりなさい、下郎」 「驚いた、下郎ときたもんだ!」 男は大きくのけぞって笑う。 「おいてめえら、こいつらも運びな、身代金もたんまり貰えるだろうさ」 数人の男が無言で武器を奪い取り、船倉に押し込まれる。 「やれやれ、空賊に襲われるとはついてないな」 ワルドが呟く。 貨物船の船員たちと一緒に狭い部屋に詰め込まれた一行。 「急いでるのに…」 貨物船の船長がガハハと笑う。 「おい、娘ちゃんたち、あんたらも急ぎなのかい?」 「ええ、そうよ」 「だとよ、野郎ども。このバカな空賊どもは俺らの船に乗り込んだつもりらしいが…」 船長は口の中から工具を吐き出し、右手の義手を器用に外す。その義手の中から拳銃が出てくる。 「俺らをわざわざ案内して乗り込まれたってことを教えてやろうじゃねーか!」 船員が歓声をあげる。 一行はポカンと口をあける。 ダービーはトランプをいじって、特に興味は示していない。 船員が工具を受け取り、扉の鍵をこじ開けようとすると、ワムウが横に立ち、扉を蹴り飛ばす。 「な、貴様ら何を…」 ワムウが頭部に一撃を加え、見張りの男二人は一瞬で床に沈む。 「兄さんもやるねえ!」 船員が笑い、倒れた見張りの男の道具を拾い上げる。 「野郎ども!まずは武器庫を襲うぞ!この型の軍船ならおそらく甲板の直下部あたりにあるはずだ!」 船長が船員を率いて、走り出す。 ワムウたちもそれに続く。 「脱走だァーーッ!奴らの脱走だ!」 脱走に気づいた空賊員が叫び、直後に船長に撃たれる。 走りながらワムウが船長に尋ねる。 「船長室はどこだ?」 「なんでそんなこと尋ねるんでい、お兄さん?たぶんそこの階段をあがって大広間を片っ端から探せば見つかると思うが」 「頭を潰してくるのが手っ取り早いだろう」 ワムウは進路を変え、階段を上がっていく。 「ちょ、ちょっと待ちなさいよワムウッ!」 ルイズが追いかけようとするがワルドが制する。 「君は杖も無い、足手まといになるだけだ。彼なら空賊くらい敵じゃあないはずだ」 ワルドはスピードを元に戻し、ルイズの手を引きながら船長を追いかける。 船員は武器庫とプレートのある部屋の扉を蹴破る。 中に居る空賊は驚いて銃を向けるが、その引き金を引くよりも早く銃弾が空賊の肩を貫く。 「野郎ども、杖と武器を片っ端から集めろ!」 船長は銃で撃たれた空賊の襟首をつかみ、拘束しようとして相手の顔をまじまじとみる。 「お、おめー…アルビオンの兵士になったんじゃねーのか!シャチ!」 「…ってことは…貴方たちは王党派なのね?」 船長の息子であったその兵士は空賊に扮した王党派だということを話し、彼らは一息つく。 が、ルイズだけは一息をつけなかった。 わなわなと震え、その兵士に詰め寄る。 「あの筋肉バカを止めてこないとッ!船長室はどこなの!?」 「え、えっとここが地下ですから…階段を二つあがったフロアの奥に居るはずです」 「わかったわ、ありがとうね!」 ルイズは感謝の言葉もそこそこに、杖をひっつかんで部屋から駆け出す。 ルイズは船長室に行くまでにかなりの人間に会うことになり、一々説明することになると思ったのだがそんなことはなかった。 通路の兵士は倒れ、武器を折られ、呻き声を漏らし、積み上げられていた。 「何なんだあいつは…」 「助けてくれ…助けてくれ…化け物だ、畜生…」 「ザミエル…ザミエル…ザミエル…」 「落ち着いて素数を数えるんだ…」 日ごろの『教育』の成果かどうかはわからないが、とりあえず死者は見当たらなかった。 もっとも、ルイズはワムウが相手を見当たらないようにできることなどは百も承知であった。 おそらく船長室の真下に来たであろう、船の上からは叫び声が聞こえ、床が何度もきしむ。 「しょうがないわね、弁償代はワムウ持ちよ!」 ルイズは上に杖を振り上げ、船の天井を吹っ飛ばす。 いきなり大穴が空き驚いたのか、ワムウが上から覗き込んでくる。 「どうした、ルイズ」 「どうしたもこうしたもないわよ!その人たちは敵じゃないからやめなさい!」 ルイズの心からの叫びであった。 「ハハハ、間一髪助かったよ」 アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーは、気にしなかったように笑う。 「彼があと10人アルビオンにいたら、貴族派に負けていたことはなかっただろうね」 「ほ、本当にすみませんでした!」 ルイズが平謝りする。 「ほら、ワムウあんたも謝るのよ!」 「いや、いいんだ、試すためとはいえ、空賊などと名乗ったんだから反撃されるのは当然だ。 あの戦い振りは驚嘆に値するよ、君の使い魔だけでなく、君の父上もね」 皇太子は近衛兵であったシャチに声をかける。 「ま、誠にすみません!」 若い兵士は地面に手をつける。 「いいといっているんだ、それより君の傷は大丈夫かね?」 「はっ!数日のうちには完治すると思います!」 「そうか、では大事にな」 「失礼しました」 彼を見送った後、ウェールズはこちらに目を向ける。 「それで、トリステイン大使殿はどういったご用件かね?」 「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」 ワルドが頭を下げる。 「ふむ、それで君たちは?」 「僕はトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵と申します。そしてこちらが 姫殿下より大使の大任をおおせつかった、ラ・ヴァリエール嬢とその使い魔、そして友人たちです」 「なるほど、してその密書とやらは?」 ルイズはポケットの裏側を切り裂き、縫いこんだ密書を取り出し、一礼してウェールズ皇太子に渡す。 皇太子は真剣な面持ちで手紙を読み進め、途中で顔を上げる。 「姫は結婚するのか?あの、愛らしいアンリエッタが。私の可愛い…従妹は」 ワルドが無言で頭を下げ肯定する。 皇太子は最後の一行まで丹念に読み終えると、こちらに微笑んだ。 「了解した。姫はある手紙を返して欲しいということなのだな、そのようにしよう。 しかしながら、今その手紙はニューカッスルの城にあるのだ。多少面倒だが、ニューカッスル城までご足労願いたい。 シャチ、『イーグル』号の案内を頼む」 『イーグル』号は大きく迂回し雲の中を慎重に抜けていく。 ウェールズは向かうべき城の正面から砲撃を行う巨大な船を忌々しげに見つめる。 「あれが貴族派の艦?」 ルイズはシャチに尋ねる。 「ええ、かつての我々のアルビオンズ第一艦隊旗艦、『ロイヤル・ソヴリン』号です。 もっとも、奴らは我々を最初に破った地、『レキシントン』号と呼んでいますがね」 「そう、あの艦の反乱から全てが始まった、我々にとっては悪夢のような艦さ。『レヴァイアサン』号も 『ドレッドノート』号も奪われ、『ヴィクトリー』号は大破。残った船はこの『イーグル』号だけさ」 ウェールズ皇太子が話に割り込んできた。 「この『イーグル』号ではあの艦と殴り合いなどはとうてい不可能さ、だからこうして空賊に扮してこそこそと 通商破壊をするしかなかった。もっとも焼け石に水だがね。だからこうして雲中を通り、 大陸下からニューカッスルに近づく。そこに我々しか知らない隠し港があるわけだ」 艦はアルビオン大陸の下に入り込み、光がささなくなる。 シャチによれば薄々大陸の下に我々の隠し港があることは気づいているということだが、 視界もない大陸の下で座礁や衝突、同士討ちや奇襲の危険を犯すことを考えているのか、 それともこの程度の艦が一隻あったところでどうということはないと考えているのか、あるいはその両方か。 兎にも角にも、この隠し港だけは攻撃を受けていないということであった。 暫くの航海の後、真上に直径三百メイルほどの穴が空いている場所にでる。 「一時停止」 「一時停止、アイ・サー」 「3ノントで上昇」 「3ノントで上昇、アイ・サー」 ほぼ同じ速度でアルビオン兵士が乗り込んでいる貨物船も追従する。 「まるで空賊ですな、殿下」 「まさに空賊なのだよ、子爵」 岸壁に接岸した艦からルイズ達は降りると、背の高い年老いたメイジが近づいてくる。 「ほほ、これはまた、大した成果ですな。殿下」 「喜べ、パリー。硫黄だ、硫黄!」 ウェールズの言葉に集まった兵士が歓声をあげる。 「おお、硫黄ですと!これで我々の名誉も守れるというものですな! 先の陛下よりお仕して六十年、こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下!」 泣き崩れならが笑う臣下にウェールズも応じて笑う。 「ああ、これで王家の誇りを叛徒どもに示しつつ、名誉の敗北をすることができるだろう」 「栄光ある敗北ですな、この老骨、久々に武者震いをいたしますぞ。して、ご報告なのですがその叛徒どもは 明日の正午に城攻めを開始するとの旨伝えてきました。殿下が間に合ってよかったですわい」 「そうか、間一髪とはこのことだな!」 一しきり笑いあったあと、パリーは一行に顔を向ける。 「して、その方たちは?」 「トリステインからの大使達だ。重要な用件で、王国にお見えになられたのだ」 パリーはなるほどといった顔つきで頷き、こちらに微笑む。 「これはこれは大使殿、私めは殿下の侍従を仰せつかっておりますパリーでございます。 遠路はるばるようこそ、このアルビオン王国へ。この有様で大したもてなしはできませぬが、 今夜ささやかな祝宴が催されますゆえ、ぜひとも出席くださいませ」 こうして、老メイジは頭を下げ、去っていった。 「では、ついて来たまえ、僕の部屋に案内しよう」 To be continued.
https://w.atwiki.jp/kagemiya/pages/474.html
【元ネタ】史実 【CLASS】キャスター 【マスター】(何か大きなバックボーン組織を持つ、ブルジョアな魔術師) 【真名】グレゴリー・エフィモビッチ・ラスプーチン 【性別】男性 【身長・体重】174cm・61kg 【外見・容姿】 ボサボサの髭を蓄えた不気味な皺枯れた老人 【地域】 ロシア 【年代】 1900年代前半 【属性】混沌・悪 【天地人属性】 人 【その他属性】人型・魔術師・人を駒としか見てない外道 【ステータス】筋力:E 耐久:E 敏捷:E 魔力:D 幸運:A++ 宝具:A+ 【クラス別スキル】 道具作成:- 彼にとって道具とは、すなわち”民衆”たちである為、道具作成能力は存在しない。 陣地作成:B 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 魔術師としての"工房"の形成が可能。 【保有スキル】 戦闘続行:A+ 脅威的な生命力と往生際の悪さ。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、肉体を完膚なきまでに破壊しないかぎり生き延びる。 神の人:A 人々に病気治療を施して信者を増やし続けた事に由来するスキル。 他のサーヴァントによりかけられた呪いや後遺症を全て無へと帰すことができる。 また、他人の病魔や痛み、呪いを消し去ることも可能。 放蕩者:B 魔力を探知し、何処にいるかを調べようとしてもつかみきれないスキル。 気配遮断とは似て非なる物であり、”かつていた”というような魔力の残滓だけは残る。 居場所を突き止めてその場所に向かっても、すでにそこはもぬけの空…、という事態にもなる為 ある意味気配遮断よりも厄介である。 【宝具】 『我らが友(доверие)』 ランク:A+ 種別:対人 レンジ:1~2 最大捕捉:∞ 血友病を治癒したことで皇帝夫妻から絶大な信頼を勝ち取った事、 並びに宮中の貴婦人や宮廷貴族の子女から熱烈な信仰を集めた事に由来するスキル。 彼と対面したものは、誰であろうと彼のことを、あたかも旧知の親友のように錯覚し、受け入れてしまう。 そして彼を受け入れ、そして共に居続けることで彼への信頼感は自動的に増していき、やがては彼無しで生きていけない、 という強い依存感を持つようになる。彼曰く、”生きる麻薬”であり、マスターすらこの宝具に抗うことは出来ない。 そしてやがては、彼の為なら命をも投げ出すという驚異の”群集”という兵隊が出来上がる。 そしてこのカリスマ以上に異常な感情は、人をつたって伝染するため、ネズミ算方式に彼の手駒は増えていく。 民衆へ、国家組織へ、やがては国家の中枢へと彼の”友達”は増えていく。 そして増えていった”友達”は、彼の為に動き、そして彼の障害となる存在を排除するため動き出すだろう。 他のマスターやサーヴァントにとってこれほど恐ろしい存在は無い。 善なるマスターやサーヴァントならば、本来は無辜たる彼らを傷付けることなど出来るはずもない。 そして何より、誰が敵なのか味方なのか、てんで見当がつかないのだから―――。 なお、心に鋼のように強い芯が一本通っている魔術師や、高い対魔力スキルを持つ英霊、 もしくは彼よりも大きい魔力を持っているサーヴァントならば彼の術中にはとらわれない。 また、心眼や千里眼等をもつ英霊ならば彼の”友達”が何処にいるかをおおよその見当をつけることができる。 【Weapon】 『友達』 彼が宝具によって得た、たくさんの”友達”が彼の武器。 ”友達”は”友達”を呼び、次々に増えていき、国家の中枢から一般人まで幅広く根を張る。 敵に気付かれずに敵の隣に座り、そして何が起きたのかを把握するまでも無く敵を始末できる。 万が一に手段がばれても、次は相手に『誰が敵なのか』という強い疑心暗鬼を植え付けられる。 本当に恐ろしいのは、輝ける星の聖剣でも、天地を割る開闢の星でもない。群集なのだ。 【解説】 19世紀末~20世紀初頭のロシアの宗教家。 皇太子の血友病を治療した事により皇帝夫妻からの絶大な信任を得る。 それにより政治に関与し、帝政ロシアのロマノフ王朝の宮廷に君臨した『怪僧』。 ラスプーチンという名前の意味は、直接的には「三叉路に住む者」、また「放蕩者」という意味ももつ。 シベリアの貧しい農家に生まれたが、突然「巡礼の旅に出る」と言い出し姿を消した。 そして十数年に及ぶ旅の末に、彼は相手を圧倒させる眼力と自信に満ちた説教、すなわち”カリスマ”の力を手に入れた。 そのカリスマにより、彼に心服する信者も増える。その噂を嗅ぎつけた当時のロシア皇帝夫妻は、病弱だった皇太子の祈祷を依頼。 ラスプーチンが祈祷すると、たちまち皇太子の病状が治り皇帝夫婦から絶大な信頼を得る。 それ以来皇帝は、ラスプーチンを『我らが友』と呼び、黒装束姿の彼をそばに置き何事にも彼の占いや予言に頼るようになった。 権力が高まるにつれラスプーチンの悪評も高まっていき、業を煮やした一部貴族のグループが、ついに彼の暗殺を企てる。 しかし、彼は致死量をはるかに超えた青酸カリ、背後からの四発の銃弾を喰らうも何食わぬ顔で生存、、 更に逃走しようとするラスプーチンの頭を仲間が燭台で砕き、気絶した彼をネヴァ川の氷に穴を開けて放り込んだが、 3日後に氷の下から死体が引き上げられた時、彼の両肺は水で一杯だった。 これは川に放り込まれてからも、長い時間生きていた証拠である。 死の間際に、「貴族に私が殺されれば皇帝の地位も3か月で終わるだろう」と予知していたとおり、その後ロシア革命が発生。 ラスプーチンの葬儀後から3ヵ月後、実際に皇帝一家は惨殺されてしまった。 【人物・性格】 他陣営のマスターにサーヴァント、監督役、一般人、果ては自身を召喚したマスターすら 自分の計画の為の駒程度にしか思っていない腐れ外道。 武力による戦争では無く、あえて非力なる一般人たちを使い姑息なる戦争を仕掛ける、魔術師とも異なる存在。 それも、英霊ならば無辜なる民に手は出せまいという計算の内である。 願いはなんとまぁ子供のような大言壮語だが、『世界征服』。 しかも聖杯を使わずに、自身の宝具だけで行おうとしている。…まぁ、彼の宝具ならば可能だろうが。 無血のまま、口先だけで世界を征服しようとしている、 召喚した瞬間にマスターを篭絡し、自身の駒とする。 そしてそのまま、マスターのバックボーン組織を自身の物として征服。 更にそこから多数の一般市民へと自身のカリスマ性・素晴らしさを浸透させていき、 召喚からたったの数日で、聖堂教会や他の魔術機関、マスターやサーヴァントにばれずに 聖杯戦争の舞台となる町の一般人、警察組織、重要機関の心理を掌握した。 そして彼は言う。この街を埋め尽くさんばかりの”友達”に言う。 「この街に、ボクを殺そうとするわるいやつがやってくる」 「とてもこわい 怖くて夜も眠れない」 「だから」 「そいつらを殺してくれ」 イメージカラー:ドス黒い黒 特技:洗脳、篭絡、人間チェス(すなわち暗躍) 好きなもの: 簡単に篭絡される馬鹿 嫌いなもの: 信念の有る奴 天敵: まさに”正義の味方”っていうような奴 願い: 世界征服 【一人称】ボク 【二人称】キミ、アナタ 【三人称】あの(この)ひと、アイツ 【因縁キャラ】
https://w.atwiki.jp/sazae_yaruo/pages/442.html
_, -‐ ´ ̄ ̄ ̄``丶 ,. , '´, /, / i ,. 、 \丶 /, ' // 〃 / ,イ∥│ | l. ヽ \ /〃/ 〃 '/ ,/ / i i| | l |i ! iヘ /´ / / // ∠.../! ,' | l| ト ! !! |! ! ', ′〈 /i / ヒル」' Li l」 ! 」」」_ || !! | i '7,ir }, -rュミ、 \!ヾi`|ト.|| │ l ,',' !! i| ` ヒツ テ‐、`ヽ,! l |i ,',' ∥ .|| , マ,._/ ヽ|| |! !! r‐-、 ,',' ! l ! /|| |! || \ 丶 ,',' l | iト、 '、ヽ ∠_」! |! || ヽ ヽ , ┐ ',' ,i !∥!|丶 _, .ィi| i || |! || ,ム Y ! ',' i| !∥!| |!`ー‐ ' ´!. i l∥ | !! |! || / 、 \j l ,',' i! .|∥i !_」! { 」 | !! !l| |!i |i ノ 、 \__」 ,. ',' ∥ !」 '´ i ア ヽ.|| i|! |!.| !i ヾ、 丶__,〉 } ,',' ム │ | / \|l !!.| || ヾ _丿 ,' i ' r'´ ! i │ / /! || ! || 丶 ヽ | ! / | ト ヽ/ / | || |! !! MAIN DATA NAME エヴァンジェリン・マクダウェル JOB 皇妃、魔法総監 AGE アルバ±0 SEX 女 MIND SKILL 魔法(猫)LV4 地理Lv3 ロリプレイLv2 SUB DATA RACE 人間 SOURCE エヴァンジェリン(魔法先生ネギま) HOBBY REMARKS 子供は4人(うち1名死亡) 概要 アルバの妃、幼馴染。南にある大貴族マクダウェル家のお姫様。先祖代々魔法使いの一族で、魔法(猫)が得意。 幼少期のアルバとの会話がきっかけで魔法について積極的に勉強するようになった。 大砲研究においてマナミと共に大きく貢献した。 ユカリとはアルバを巡って恋の鞘当てを演じたが、最終的に二人そろって正妻になった。 妃になってからは仕事漬けであり、落ち着いた頃にアルバがデートに誘った際も仕事気分が抜けなかった。 後継者については先に生まれた方がなるとお互いに相談しており、その通りエヴァの子ローズレッドが皇太子になると思いきや、病弱の為夭折。 紆余曲折を経てユカリの娘ルビーが皇太子となった。 前世史 辺境伯の娘で幼馴染、ツンデレ。 仲が良かったが、戦争が始まり地元に連れ戻される。 地元に帰る直前に地元が邪教に襲われて、父親を嬲り殺しにされる。 魔女として辺境で邪教と戦うも捕らわれ死亡。 関連項目 アルバかっこいい姿に惚れている為、レイププレイを求められた時には引いた。 ユカリ幼馴染で恋のライバル。アルバを支える協力者。最終決戦の作戦については思うところがあった。