約 1,629,236 件
https://w.atwiki.jp/2ch_ranobe/pages/70.html
◯ファミ通文庫 | 年/月 | 部数/ | 巻数 | 巻割部数/ | タイトル | 2011/01 | 430万部 | 12巻 | 35.8万部/巻 | バカとテストと召喚獣 | 2010/06 | 210万部 | 13巻 | 16.2万部/巻 | “文学少女”シリーズ (アンソロジーは含まない?) | 2003/07 | 150万部 | 21巻 | *7.1万部/巻 | テイルズシリーズ ノベライズ全累計 | 2009/07 | 100万部 | --巻 | --.-万部/巻 | 狂乱家族日記 関連書籍累計? *1 | 2008/09 | 100万部 | --巻 | --.-万部/巻 | まじしゃんず・あかでみい 関連書籍累計 *2 | 2001/08 | *50万部 | 11巻 | *4.5万部/巻 | 真・無責任シリーズ *3 | 2005/09 | *50万部 | 13巻 | *3.8万部/巻 | ファイナルファンタジーXI | 2006/04 | *40万部 | *8巻 | *5.0万部/巻 | 吉永さん家のガーゴイル | 2007/04 | *20万部 | *5巻 | *4.0万部/巻 | 学校の階段 *1 長編11巻・番外5巻・FBSP2巻・コミック2巻・アニメ公式本1巻・アンソロ1巻 *2 長編9巻・短編7巻・スピンオフ2巻・FBSP1巻・コミック1巻・画集1冊 *3 無責任黙示録・全5巻、無責任三銃士・全2巻、真・無責任艦長タイラー・4巻まで
https://w.atwiki.jp/gomdwhtragedy/pages/19.html
(暫定版) 当該事故の責任を誰が取るのか、どのように取るのかは未だ判明しないが、ここでは幾つかの知見を紹介する。 環境への影響がどれほどになるか。被害総額、対策費用総額が幾らになるのかも、現時点では不明である。暫定的な情報として、5月上旬時点で一日辺りの対策費用は600万ドル。総額費用の見込み値の一つとして、ワーストケースで125億ドル(1兆2000億円)という数値が出歩いている。 6月3日現在、クレディ・スイス・グループは、もしも流出が8月まで続いた場合の石油除去の総費用は150から230億ドルとみている。(損害賠償は140億ドルと見ているが、油濁法によると損害賠償については7500万ドルが上限とされている。今回の事故を受けて上限を100億ドルにまで引き上げる見込みであるが、罪刑法定主義の原則からみて、今回の事故にこの金額が適用される見込みはほぼ無い) 油濁法1990 ご参考程度に。 以下は5月4日のモルガンスタンレーのレポートより抜粋。部分部分に、WIKI作成者による解説や補足を追加。原文は、末尾のリンクからご参照されたし。 モルガンスタンレーは、Operator(BP)と、その他のリース契約者(つまりAnadarko、三井石油開発)が、油の流出に伴う損害、そして潜在的な損害への大部分の賠償責任を負うであろう、と結論づけた。 (解説。石油契約の国際的な常識を考えれば、妥当な結論となる。オペレーターと、その共同事業者であるパートナーは、リース契約によって取得した鉱区内で起こった石油開発に関わるトラブルに対して責任を負わなければならない。この場合、費用負担、賠償負担は権益比率(BP 65%, Anadarko 25%, Mitsui 10%)に順ずるのが一般的である。) BOPの建造者であるCameron International, 掘削泥水のハンドリングを行っていたM I Swacoが法的責任を負わされることはない。 (解説。このBOPは10年前にTranseoceanに購入されたもの、今までの井戸では機能していた(はずである)。BOPの機能テストと定期メンテナンスの現在の責任者は、Transoceanである。泥水についてみてみると、事故時の状況から、ライザー内の泥水の置き換えは予定通りのものである。つまり、M I Swacoの過失は、現時点では考えられない。なお、原文中ではM I SwacoではなくSmith Internationalと記載されているが、これは恐らく間違いである。M I SwacoはSchlumberger(40%)とSmith International(60%)の合弁会社である) リグの所有者にして掘削作業の実施者であるTransoceanの潜在的責任は比較的小さく、これは保険適用の範囲内 (解説。原則的に、掘削作業中の監督責任は、Companyにある。それはつまり、OperatorであるBPと、そのパートナーである(Anadarko、三井石油開発)。しかし、私見ではあるが、非常事態下でBOPが機能していないことについては、Transoceanの責任は決して小さくはないと思われる。もしも、BPのオペレーションに問題がなかったにも関わらずパイプの切断が出来なかった場合、トランスオーシャンはBOPの管理・テスト責任を負う可能性がある) セメント作業の実施者であるHalliburtonは、責任を負うことは無さそうだ。Companyは、セメントジョブの不備を指摘しているが、その不備を実証する事は極めて難しい。 (解説。Wiki作成者は、このモルガンスタンレーのコメントには異を唱える。最大の責任者がCompanyである事は間違いないが、セメントジョブの不備はこの事故の根本的、かつ最大の原因の一つである可能性が高い。少なくとも、現場でのセメントに関するテスト結果に対して、適切な助言をBPに行う道義的な責任がある) 業界全体への影響については、石油開発に使う設備の開発メーカーと、それを合わせた海洋掘削技術を所持する会社にとっては、長期的にはポジティブなものとなる (解説。今回の事故により、メキシコ湾での石油開発におけるレギュレーションが変更される可能性が高い。開発会社は、中古品を使うことができなくなるので、メーカーには利益になるであろう、というコメントかと思われる) 海上交通面では、一種の混雑・渋滞状態を引き起こすのではないか。 (以上、まとめ部分のみを意訳) (参考:http //www.ogfj.com/index/article-display/2323778238/articles/oil-gas-financial-journal/e-__p/offshore/Gulf_of_Mexico_oil_spill.html) 上記に記載されていないアメリカ政府内務省MMS(Minerals Management Service)の責任について 一定の責任がある。石油開発の監督責任を担当する行政部署は、新規開発計画に対して事前に評価する義務がある。 (解説 この開発計画・掘削計画において、BPはMMSに開発計画書を提出しており、掘削作業自体はこの手順に沿って行われていたものと思われるからである。 問題の一つとして言及されているBOPの音響式作動システムについての規制であるが、本事故では結果的にフェイルセーフ式の自動起動型の遮断装置(シェアラム)さえも機能していない事から、流出や噴出の防止に直接的に寄与をした可能性は低いと見られる) 上記に記載されていない、リグ建造者である現代重工業の責任について 責任の順序としては、BOPの製造元であるCameron,泥水のハンドリングを行っていたM I SWACOよりも下位、関連企業中で最下位に位置すると考えられる。 (解説 理由としては、(1)事故の原因である「暴噴」の技術的原因に関与していない (2)原油とガスの暴噴量は大量であったという証言があり、リグ側の防爆設計の許容範囲を超えていた可能性が高い(3)当該リグの引渡しは2001年に済んでおり、防爆機能の維持・点検の義務はTransocean社にある。(4)大部分の乗員が避難を終える程度には船体が浮遊状態を維持しており、構造上の欠陥を示す情報は現在のところ上がって来てはいない、という事が上げられる。 事故状況を考えると、もっとも類似したケースは英国でのPiper Alpha爆発事故であろう。この事故において生産施設の建造者が法的・賠償責任を問われたかについては未確認であるが、施設製造者の責任を理解する判例として有用と考えられる。 -
https://w.atwiki.jp/keio_quiz/pages/96.html
責任押し ①主にプレイバック形式の企画において、ボタンを押した次の問題がスルーとなった場合に前の問題の回答者が答えなければならないというルール。②特定ジャンルに精通している人がそのジャンルの問題を拾うべきである、という暗黙の了解。特にわざわざ差し込んだのに他の人に正解されたり誤答されると周囲からブーイングが飛ぶ。
https://w.atwiki.jp/damsite/pages/2006.html
塩田ダムをお気に入りに追加 塩田ダムのリンク #blogsearch2 ウィキペディア 塩田ダム 塩田ダムの報道 <みんなのスポーツ>グラウンドゴルフ - 佐賀新聞 知事「公益へ影響注視」 手取川ダム近くのホテル買収 金沢経済同友会と意見交換(北國新聞社) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 石木ダム工事現場から思う「無責任」 佐世保支局・岩佐遼介 - 西日本新聞 東条川周辺のダム、ため池など改修 加東に拠点事業所を開所 - 神戸新聞 塩田ダムの構造分析 塩田ダムの49%は根性で出来ています。塩田ダムの31%はカルシウムで出来ています。塩田ダムの20%は電波で出来ています。 powered by 成分解析 塩田ダムの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ 島根県/塩田ダム このページについて このページは塩田ダムのインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される塩田ダムに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/ikuminati/pages/32.html
最高責任者とは 秘密結社イクミナティの最高責任者、またの名を戯始皇帝 正体を知っている者は数少なく、イクミナティ内部の者しか知らない為外部の人間には正体は不明。 最高責任者の基本情報 誕生日 不明 年齢 27歳(2024年4月12日現在) 身長 162.8cm 体重 不明 髪型 束子ヘアー 出身地 北の国 主な活動場所 Twitch、YouTube、Twitter ペット 世界最高級の束子、青眼の白龍(ブルーアイズホワイトドラゴン)、モニカ 口癖 「許せサスケ、また今度だ」 最高責任者のその他のヒント チャームポイントはイキ顔 攻撃力B スピードA 防御C 狂度A+ 身長D ファーストでサマーな海の話題を振るとウイカを召喚する 愛人はフ○ーストサ○ーウイカ、○末○子、ギャ○曽根 pixivにマークされているため、違反作品として美術品が消されている 隙あればナルト語りをする 例えのセンスが激寒 タバコの銘柄は赤丸 ヒッサツワザはゴッドハンドによるヒトヅマブレイク 最高責任者の弱点 海に行くなどのワードを話すとブチ切れて来るぞ 参考にさせて頂いたサイトは こちら https //xn—w8t18x6yi.jp/hokkaido
https://w.atwiki.jp/damsite/pages/2073.html
塩田ダムをお気に入りに追加 塩田ダムのリンク #blogsearch2 ウィキペディア 塩田ダム 塩田ダムの報道 <みんなのスポーツ>グラウンドゴルフ - 佐賀新聞 知事「公益へ影響注視」 手取川ダム近くのホテル買収 金沢経済同友会と意見交換(北國新聞社) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 石木ダム工事現場から思う「無責任」 佐世保支局・岩佐遼介 - 西日本新聞 東条川周辺のダム、ため池など改修 加東に拠点事業所を開所 - 神戸新聞 塩田ダムの構造分析 塩田ダムの49%は根性で出来ています。塩田ダムの31%はカルシウムで出来ています。塩田ダムの20%は電波で出来ています。 powered by 成分解析 塩田ダムの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ 栃木県/塩田ダム このページについて このページは塩田ダムのインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される塩田ダムに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/masuzoerecallplan/
舛添都知事リコール計画書へようこそ 世間を騒がせている舛添都知事の政治資金不正流用疑惑ですが、本人には辞める意思もないし、都議会も不信任決議を議決する流れにはなっていないようです。残された唯一の方法はリコールしかないわけですが、リコールを成立させるためには200万近い署名を集める必要があり、現実的ではないとあきらめている人も多いようです。しかし本当に200万の署名を集めることは不可能なのでしょうか?私は可能だと考えています。署名を集める方法について計画書にまとめていきたいと考えています。 なぜリコールしなければならないか? 舛添都知事がやってきたことが不適切なことだということについては今更議論する余地のないことだと思います。しかし舛添都知事がやってきたことは政治資金規正法に触れていないから違法ではないため警察や検察は彼を捕まえて罰することもできないし、やめさせることもできません。こんなザル法は改正して政治資金を不適切に流用する奴は罰することができるようにしろという議論があります。この意見には私は賛同できません。政治家を国家権力が捕まえたり罰したりすることは独裁国家へとつながるリスクがあるためなるべく避けなければならないからです。政治家は国家が裁くのではなく国民が選挙という制度で直接裁くべきです。選挙に加えてもうひとつ国民はリコールという武器を持っています。舛添さんについては次の選挙を待つまでもなく今すぐ辞めさせたいと考える人が多いと思われるためリコールすべきということになります。 実は東京都知事リコールの署名集めはハードルが低い 東京都知事のリコールの署名集めについて集めなければならない署名の数だけが強調されてハードルが高いと言われています。しかし実際にはかなりハードルが下げられているところもあるのです。
https://w.atwiki.jp/bluebird/pages/258.html
#blognavi その一言が言えない。 無責任とか、しなければならないこととか、 したいこととか、自分のできることとか、 色々考えすぎて、胃が痛い。 言わなくちゃいけないんです。 やめるって決めたから。 でも、2年以上続ける約束ではじめたバイト。 バイト先の人に無責任だと言われるかもしれない。 本人にとってはしょうがないことかもしれない。でも、 バイト先にとっては、無責任だとしか思えないと思う。 だったら最初からやるな、という話。 途中で無理になったから「はい、やまめす」なんて 都合のいい話。 はじめたからには、やりとおしたい。 でも、そうはいかなくなってしまった現実。 同時に2つはできない。できるものならやってるけど。 誰か代わりができるならいい。でもそれもだめ。 やめなくちゃいけない。 でも、それが言えない。 理由が、自分勝手で無責任だから。 信念を自ら裏切らなきゃいけない。 考えすぎですかね。 でもしょうがない。言わなきゃ。 カテゴリ [バイト] - trackback- 2006年04月05日 15 02 08 #blognavi
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/336.html
2011/07/25 亀山ゼミ テキスト輪読 亀山純生『現代日本の「宗教」を問いなおす』青木書店,2003 担当:小松美由紀 第4章 現代日本の宗教批判の視座 3 日本宗教の無責任主義の批判 従来の宗教批判:基本的には政治主義的・科学主義的 “実践としての宗教”:私的領域の問題・意味の次元こそが宗教の生命線 → 宗教の政治的イデオロギー的批判も、実はこの領域・次元での批判を介してこそ有意義 (宗教が)支配イデオロギー(ネオナショナリズム、新自由主義など)に鈍感で無自覚的に同調すること(抑圧加担への“無過失責任”)の批判の意義 → 日本宗教の“無責任”批判 日本の無責任主義と宗教 日本人の“無責任主義”、「無責任の体系」(丸山真男,1961) 日中・太平洋戦争での責任の回避は、行為責任が社会のどのレベルでも雲散霧消する 精神構造であった。 → 21世紀の今も、この思考様式の無責任さは日本社会と近隣諸国の人々の生活を左右する深刻な問題 (ex. 政・官・財の癒着と構造的汚職、企業倫理の“崩壊”) なかでも深刻なのは、日本国憲法の骨格の風化・空洞化 → 問題なのは、憲法理念に反する「戦争協力」「教育・福祉での弱者切り捨て」などに、知識人・ジャーナリズムの大半が何の原理的批判も行わず、無言の内に加担していること 無責任主義のとらえ方 ①日本人の精神の「基層」論(丸山真男) ②日本宗教、特に仏教における原理主義的倫理の不在の思想史的影響(加藤周一,1975) → 後者と見るほうが積極的意味をもつ ← 日本仏教の倫理不在が歴史的に形成されたものなら、その克服も歴史的に可能である 宗教の歴史的無責任 現代宗教の歴史的責任という点では、戦前の国家宗教(天皇教)への対応をどう反省し各宗教のあり方に生かしているかが、決定的である。 → 是なら是、非なら非として、各々の宗教原理に即して明確にしないなら、宗教的無責任 ex. 親鸞系:天皇制国家宗教や戦争への協力を、信仰原理からどう説明するか 神道系:侵略戦争へと国民を動員した宗教的責任をどう見るか 日本の宗教の自己消滅? 過去・現在の各宗教の社会的ふるまいは、各宗教の信仰原理とどう関わるのか? 各教団の専門的宗教者たちはその関係や意味をどう自覚して宗教行為をなすのか? → こうした問いに、各宗教(人)の相当程度が再び沈黙するのではないか ← 宗教界のオウム問題への沈黙、阪神大震災の救援活動での宗教的論理の欠如 (「日本宗教の自殺」(山折哲雄,1995) ) 専門的宗教者の無責任という問題 信仰者、特に専門的宗教者が、自己の信仰する宗教の論理で発言行動せず、自己の 信仰問題として問うことすらしない → さらに、特に既成教団(神道、仏教等)の専門的宗教家の相当数が、自らの宗教的行為の意味をどう見ているのか、どこまで自身の信仰を自覚しているのか、疑われる 宗教の無責任批判の意義 以上の批判は、各宗教はその固有の宗教性を明確にせよ、宗教専門家は自身の宗教行為・ 儀礼に対する社会的なアカウンタビリティ(説明責任)を果たせ、ということに尽きる ⇔ 自滅しかかっている宗教に“延命の手助け”をすることはないのでは? 「宗教の無責任批判は現代日本の宗教批判の最重要課題の一つ」である理由と背景 ①“宗教延命不要”論の視点には、結局は宗教消滅への楽観や 科学主義・合理的態度への過信がある(→ 再び宗教を“聖域化”する) → 無責任批判は個の価値と生の領域(宗教の本来の領域)に定位した宗教批判 ②“宗教延命不要”論は、現代日本における私的領域・私事の 人間解放的意義の軽視につながる → 私事問題としての宗教の意義 → 宗教無責任の批判の意義 ③ 各人のライフスタイル・生き方の批判的問題化は、一面ではそれに浸透している思想・ 文化的伝統の批判と不可分であり、他面では各人の生と社会への自己責任を問うことと 不可分である → 宗教の無責任批判は、宗教の社会的役割の無自覚・無頓着への宗教内在的批判 ④ 日本人の無宗教意識における宗教行為のイデオロギー性 → 宗教の無責任批判の大きな意義は何よりこの問題のクローズアップにある 無宗教意識の宗教性がはらむイデオロギー性 日本の無宗教意識化での宗教性 日本人の無宗教意識:教団への帰属意識の欠如、信の宗教をもたない ⇔ そう自認しつつ、多くの人が術の宗教や儀礼宗教に関わり、神仏などを崇拝 =(極端にいえば)クレデンダ(教義)なきミランダ(儀礼/崇拝の身体的構え)の宗教 政治学者のメリアムが分析した、権力の大衆操作の2つの側面(川上和久(1994)) クレデンダ:権力正当化を理由づける信条の操作 ミランダ:情緒的感情的に服従させる操作 → 儀礼を中心に最もミランダを効果的に活用したのは宗教 → 宗教行為の身体感覚的な呪縛性 :象徴行為に参加することで“崇め拝む”感覚それ自体は身体に刻印され、くり返しと日常化の中で身体的構え・身体知として埋め込まれるようになる。(ex.神社仏閣で厳かな気分になる) 宗教的構えの相対化・流動化 無宗教意識の下で融通無碍に同調する身体的構えは、思想的無責任とリンクしこれを増幅 → 問題はこの宗教的崇拝の身体的構えの特権化・絶対化・固定化にある(宗教自体の解体に 批判の焦点を向けるのは無意味) → 他の身体的構えとの交流の中に相対化・流動化させることが肝要 一見逆説的だが、ミランダとクレデンダの結合を回復し身体的構えを特定の宗教と結合する → 他の宗教に関わる際に身体的緊張・抵抗感覚を喚起。聖域化され特権化された不定型の 宗教的構えの相対化・流動化が可能 4 市民社会における複眼的宗教批判の意義 市民社会からの宗教の内的批判の不可避性 以上の現代日本の宗教批判は、唯物論を理論的立場とする非宗教的市民社会に立脚する 市民社会からの宗教批判の各論点は、この社会に場所を占めこの社会の人間に関わる 各宗教・教団が、各々の宗教的アイデンティティをかけて自ら問うべき問題 ← 宗教内在的批判であり、各宗教内での自己批判 非宗教を原理とする市民社会では、宗教否定論、宗教真偽論が成り立たない(1章) → にもかかわらず市民社会が宗教の真偽を判定する場合、次の2つが暗黙のうちに 含まれている ① 市民社会の原理を無宗教・非宗教と称しつつ特定の宗教的立場を前提している ex.天皇教、儒教と融合した近代のプロテスタント(井上順孝,1992) ② 市民社会に服従する宗教を真の宗教とし、そうでないものを宗教と認めない → 市民社会を絶対的に正当化 ⇒ いずれも市民社会の原理に矛盾。原点をなす信仰と思想信条の自由を否定。 市民社会サイドから可能な宗教批判は、各宗教の自己批判・内的批判の有無・程度、 各宗教の意義と社会的アカウンタビリティ(説明責任)の追及とならざるをえない 宗教の“悪魔性”と内的批判の限界 人権侵害など現代宗教の否定的側面は、“超越=脱世俗原理=市民社会の論理の無視” という枠組みによる → この宗教行為が結果としてどう人間の救済・問題解決となるかと、宗教的説明の社会的責任を問い続ける過程で、たいていはこの結びつきは切断できる → しかしこの追及に、超越原理によって反人間的行為を是と答え、この追及自体が世俗原理の呪縛であり邪説であると答えたならば、宗教内的批判は行きづまる = 内的宗教批判だけでは決定的な限界がある 伝統的宗教・世界観宗教の場合も、歴史をふり返れば、多くが程度の差こそあれ 同じ要素を原理的に含んできた ex. キリスト教:“悪魔性”への自戒(高尾利数,1997)、仏教:魔事教への堕落の戒め 外的な宗教批判の意義とスタンス 市民社会と敵対する宗教や反人間的行為を是認する宗教に対しては、外部からの 市民社会的批判が重要 → 問題の核心は、宗教者か否かを問わず、市民社会の原理を承認するか否か × 宗教一般・宗教界全体vs市民社会 ○ 市民社会の原理を認めない特定宗教vs市民的共同の立場 市民社会の外的宗教批判の根底 :宗教を含めて諸個人・諸団体の多様な思想・信条の 自由を徹底的に、しかも現実に確保する点にある → 批判のポイント:思想信条の無制約の自由とその共同保障の場の確保という矛盾する要請をどう両立的に現実に確保するか 批判の仕方における二つの次元 ① 問題の宗教が教義的に現実の市民社会・共同空間そのものを否定することの 思想的倫理的批判 ② 問題の宗教の行為や活動が市民社会・共同空間を現実に破壊していることの 行動的批判・実態的批判(強制的な法的抑制含む) ただし、信仰の自由と布教の自由は切り離せず、布教の自由の権力による制限は乱用されてはならない(→ 従来の市民社会論理による宗教批判は犯罪発覚まで行われなかった) ⇒ 法的権力的抑制の前段階として思想的倫理的批判が何よりも必要 これまで宗教への思想的倫理的批判が少なかった訳 報復攻撃を避けたい、売上げと国家的便宜が減少することへの恐れ さらに重要な背景:近代主義と奇妙に接合された日本社会の宗教観が宗教無批判を正当化 後者の日本社会の宗教観について ①市民社会の宗教批判が宗教否定・宗教界全体の敵視とイメージされがちだった (← 市民社会=無宗教社会との短絡) ②宗教批判の意義が政教分離を焦点としたため、政治に直接関係しない宗教は無条件に 批判対象から外れた ③伝統宗教の儀礼化形骸化=宗教の世俗化消滅過程の現れ、と短絡的に理解された ④これらのアマルガム的イメージとして、宗教(者)性善説ともいえる宗教への楽観があった ⇒ オウム真理教事件はこのような宗教観の“幻想”性を白日のもとにさらけ出した 市民社会の思想的倫理的宗教批判と宗教倫理 市民社会の思想倫理的な宗教批判の、方法に関わる論点 ①多様な宗教者と無宗教者の共同空間としての市民社会確立のための非宗教的原理による 批判である → ジャーナリズムに依存せず、市民諸個人が生活の場から批判の主体になる。宗教者自身も二重の意味で自らの信仰の自己批判的吟味を通して、その重要な批判主体となるべき (一方では:自らの信仰の立場から独自に批判、 他方では:市民社会における宗教の多元性と宗教的寛容の立場から批判) ②市民社会からの宗教への思想的倫理的批判は、市民社会の宗教倫理(市民社会が宗教に 関してもつ共通倫理)の形成に向かう必要がある → 倫理を理想的な(あるいは“本来の”)人間のあり方・ふるまい方と理解すると、 共有が困難 ⇒ 共通のミニマムリクワイアメンツ(最小限綱領)としての“倫理”(亀山1997を参照) ③宗教の文化的特権扱いをやめ、どこまでも一ヒラ文化として扱うこと(宗教軽視ではない) → 批判の焦点:巨大教団が宗教法人ゆえの特権的優遇によって、莫大な蓄財・利権・ 営利活動の隠れみのとしている点 市民社会と宗教の相互批判と永続的緊張関係の意義 市民社会は反市民社会宗教を徹底批判し、場合によっては法的強制的に厳しく 排除規制すべき。 ⇔ ある宗教が自己の教義と信仰にかけて現実の日本社会を批判するのなら、その信仰を まげるべきではない ⇒ 市民社会と宗教の永続的緊張関係 この非妥協性と敵対関係は、逆説的だが、市民社会の健全な発展の視点からも重要 (← 市民社会自身も理念と現実の間にギャップを抱えている) → 内的批判では不徹底・抑圧性に気づかないことも多い。市民社会への外的批判・攻撃と 市民社会の対応を通じて明るみになり、自覚されることもある。 ex. 9.11無差別テロとそれへの反応
https://w.atwiki.jp/kwbthrms/pages/725.html
責任開始期(せきにんかいしき)とは、 保険会社が保険契約上の責任を負いはじめる時期のことを指します。 保障が開始される時期です。 生命保険の加入は、保険会社がこの加入を認めるという承諾が出てはじめて契約が成立しますが、 承諾までには時間がかかる場合が多く、責任開始期は契約の申込、告知(診査)、第一回保険料(充当金)の払い込みの三点全てが完了したときから始ります。 会社によっては、責任開始日と契約日が相違する場合もありますが、責任開始日の考え方は各社とも同様です。 【参照】 http //www.nicezoop.com/hoken/2005/09/post_406.html 【担当】 高井