約 21,880 件
https://w.atwiki.jp/avin_unicorn/pages/139.html
クエスト名 街 □ 北欧の覇 リスボン □ 古くからの教訓 アレクサンドリア □ 古き時代の王 リスボン □ ペルシャ寓話の語り部 ザンジバル □ バアルの宝玉 セビリア
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/3386.html
がんばれゴエモン外伝2 ~天下の財宝~ 【がんばれごえもんがいでんつー てんかのざいほう】 ジャンル ロールプレイングゲーム 対応機種 ファミリーコンピュータ メディア 4MbitROMカートリッジ 発売・開発元 コナミ 発売日 1992年1月3日 定価 6,980円 レーティング 【VC】CERO B(12才以上対象) 配信 【WiiU】バーチャルコンソール2015年5月20日/514円(税8%込) 判定 良作 がんばれゴエモンシリーズリンク 概要 ゲーム内容 ストーリー 評価点 賛否両論点 問題点 総評 余談 概要 『がんばれゴエモン外伝 ~きえた黄金キセル~』の続編。シナリオと登場キャラクターは一新されている。 システムは前作を踏襲したオーソドックスなRPGだが、世界観やシナリオ、キャラクター周りのコメディ色がより強くなっている。 ゲーム内容 前作同様のオーソドックスなRPG。 全4名のパーティー制で、ゴエモン・エビス丸・小竜太(*1)の3人が固定メンバーとなり、4人目はシナリオにより入れ替わっていくという『FF2』や『ギガゾンビの逆襲』のような構成となっている。 ストーリー 大江戸タウンで開かれる「世界ドロボウ大会」に参加することになったゴエモン・エビス丸。 順調に予選を勝ち抜いた二人は、やがて「天下の財宝」の存在とそれにまつわる陰謀に巻き込まれていく。 評価点 特殊カセットの採用により巨大容量を実現し、FCにも拘らず、SFCと比較しても見劣りしないグラフィック、音質、ボリュームを実現。 ストーリーは8つの鍵を集めて伝説の財宝を見つけるというありふれたものだが、世界は広大で地底世界や月まで冒険するというバラエティの多彩ぶり。 前作で掲示された「現代要素を含んだ奇想天外な時代劇」という要素が大きく前面に押し出されており、後のシリーズに続く作品カラーが色濃く見られている。 戦闘面での改善 戦闘のテンポアップ。 また、戦闘画面のレイアウトが大きく変更されており、前作の顔グラフィック表示から、ドット絵で描かれたちびキャラがグラフィック表示枠の下側に横並びで整列するという形になっている。これにより画面が横に広くなり窮屈さがなくなった。 更に敵のみならず、味方側も行動の度にアニメーションするという豪華仕様で、多彩な動きが見ていて楽しい。 めききダヌキというキャラを雇うことで、アイテムの鑑定や、装備可能な人を調べることが可能となった。 雇用料も10両と安く、序盤から終盤まで頼れる存在となっている。 『悪魔城ドラキュラ』シリーズからシモン、ドラキュラ、『ツインビー』シリーズからシナモン博士が友情出演したりとセルフパロも豊富。 オマケ・やりこみ要素の充実 買い物をすると「ベルクーポン」ポイントが溜まり、それを使ってミニゲームを楽しんだり、様々なアイテムと交換できたりする。 装備すると非常に不利な能力修正がつくが、その状態で50回戦闘をこなすと壊れ、同時に能力値がアップする「ウルトラギプス」など、ユニークなアイテムもある。 賛否両論点 ダンジョンが全体的に広く、エンカウント率も高い。 容量節約のためかダンジョンは使い回しのパーツが多く、同じ形状が何度も登場するため、またこの地形か…という印象を抱きやすい。 敵は堅めで出現数が多いため、特定の術が弱点になっている敵以外は非常に戦いづらい。後半は確実に逃げられるアイテムを使用して殴られながら逃走するゲームになりがち。 全般的に敵が強い。 雑魚敵もそうだが、ボスは前作での歯ごたえのなさを反省したのか今作はどのボスもかなり強い。しっかりとレベルを上げていない場合は、戦い方を練りアイテムをしっかり準備していないと勝負にならないほど。 一番の難点は敵がゴエモン達が使う術系を通常攻撃扱いでポンポン使うこと。術は相手の防御力を無視して一定のダメージを与えるのだが、これを味方全員に使ってくるうえ、威力も高い。攻撃を無効化する手段は単体にしか効果が無いので、なおさら敵が強い印象を受ける。 加えてボスはかなりの堅さを誇っている。有効な攻撃手段がその時々の最高の攻撃になるため、回復をしつつひたすらそれを繰り返すだけという単調な作業になりがち。また後半の一部の街で買える術ポイントを中程度回復するアイテムはイベントクリア後には購入不可になるため、(*2)どれだけ温存出来るかでラスボス戦の難易度が変わる。 とはいえ、普通にダンジョンを探索し、出会った敵を逐一倒していけば戦えるレベルにはなる。問題は前述の通り敵が非常に堅く、いちいち倒すのが億劫に感じる点。 「スパークキセル」や「じごくぶえ」、「がんせきヨロイ」など、道具で使うことで術の効果が発動するアイテムがあり、これらを活用すると攻略が楽になる。ただし、「めきき」を使ってもこれらの効果はわからず、気付かずにクリアしたプレイヤーも多いと思われる。 物語の舞台がより多彩になったのはよいものの、和風な世界観からかけ離れた描写も多いため、和風RPG色は前作と比べるとやや薄め。 問題点 パーティメンバーの4人目はゲスト参戦扱いの枠になっており、仲間の入れ替えが激しい。 しかも4人目が入れ替わることにより、実質大きく戦力ダウンしてしまう場面がある。特に中盤で仲間になり強力な補助技「がんばって!」を使える「記憶喪失の女の子」と、低燃費高威力の攻撃技「ペモシューム」が使える宇宙人「ペモペモ」が抜けてしまうのはかなり痛い。 また、ラスト近くには仲間に関するかなり理不尽な展開がある上に初見ではまず回避不能で、そのことがラストバトルに響いてしまうのも痛い。 + 詳細についてネタバレ 問題となる仲間キャラは秘密特捜くのいち「ハヅキ」。 中盤から終盤にかけて何度かスポット参戦し、最終的には、ラストバトル間際というタイミングで最終固定メンバーとして加入するのだが、その際の装備とレベルがなぜか初期状態に戻っている上、最後に離脱した時点での装備アイテムは消滅したまま一切戻ってこない。このため、最後に離脱する直前に予め装備を剥ぎ取っておかないと低レベル化+装備弱体化という二重の仕打ちにより、直後に最終戦を控えているにも拘らず役立たずになりがちになってしまう。装備が初期化されるのはともかく、レベルまで初期化されるのはさすがに理不尽すぎだろう。(バグなのか仕様なのかは不明)(*3)さらに酷いのは、4人目の最強武器である「まさむね」の入手タイミングが離脱イベントの直前である点。ここまで来るともはや悪意すら感じる。 フィールドがストーリー展開の区切りに会わせて数個のエリアに分断されているため、お使いイベントなどとは違った意味で一本道感が強い。自由度の低さは強制的な4人目の仲間のチェンジと相まって、さらに気になってくるところ。 総評 ダンジョンの調整や戦闘の難易度などの問題点が目立っていることや、シナリオの自由度の低さ、4人目の仲間の入れ替わりが激しい点はマイナスである。 そうした欠点や微細な粗もある一方で、ロールプレイングゲームとしての大枠はきっちりと形作られている。ゲームバランスを著しく崩壊させるほどまでに破綻している点もなく、当時の技術的背景も鑑みれば十分良作といえる範疇に収まっている。 また、後のゴエモンシリーズに通じる個性的な世界観やネタ要素も多く、後のシリーズの方向性がこの作品によって決定付けられたといっても過言ではない。シリーズの中において地味に重要な立ち位置にある作品である。 余談 本作で登場した仲間キャラのコリュウタは後のシリーズにもゲスト出演している。 登場人物の一部に権利面で怪しいキャラが存在する。 レーティングを見れば分かるが、本作はVCで配信された際にCEROがB指定となっている。がんばれゴエモンシリーズの中では唯一。 というのも、作中では画面が真っ暗になって誤魔化されるとはいえ非常に際どいシーンが存在する為。それ故、付けられたコンテンツアイコンはセクシャルとなっている。 帯ひろ志氏による本作を基にした漫画「がんばれゴエモン外伝 天下の財宝編」がデラックスボンボンにて掲載されていた。帯氏によれば、単行本も出たものの元々の流通数が少なかった上、ボンボン編集部の売り上げ見込み判断によって極めて短期間の内に絶版になってしまったため、入手が困難との事らしい。 帯氏の作風らしくオリジナル設定も多く見られており、シモンは「臆病で見栄っ張り、卑怯なヘタレキャラ」と原作とは全くかけ離れたキャラとして描かれている。また、後の「新がんばれゴエモン 地獄編」では彼の祖父であり、容姿・性格共にそっくりな「ピエール・ベルモンド」というキャラが登場している。(*4) 本作でも「トラのコテ」は健在。前作を意識したのか、道具で使うと強力な技である「ひかりシュリケン」が発動する。
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/66.html
新羅人、日本人漂流民を大宰府まで送る 845年(H0845a) 承和12(845)年、新羅人、日本人漂流民50余人を大宰府まで送る。 Map 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/keitainijiura/pages/40.html
無念 としあきNo.2970 「これでサバイバル生活も少しは楽になるぞ!ハッハッハ!」 そう言うと父は姿を消した。 「な…なんだったんだ今のは。」 呆然としながらとしあきが床を見ると、黒光りした圧力鍋が転がっていた。 「ありがとう…父さん!」 無念 としあきNo.2971 こうしてとしあきは父と甘い無人島生活をはじめるのだった! 無念 としあきNo.2972 「呼んだか?」 店のカウンターを見ると父がいた 無念 としあきNo.2973 訂正しよう 父からもらったちん毛と鍋で甘い無人島生活をはじめるのだった 無念 としあきNo.2974 謎の声「話滅茶苦茶じゃねーか!」 無念 としあきNo.2976 はっ、俺は何をしていたんだ としあきは我を取り戻した この際父さんはいてもいなくてもいい ちん毛と鍋は手に入れたし、ピザ屋もある 無念 としあきNo.2979 とまあ、俺の現状をまとめるとこうだ。 何故か無人島に漂流してしまった俺は、何故かこの無人島にポツンと佇むピザ屋で働いている父と共に生活することになったのだ。 まあ、何でここにピザ屋があってしかもそこで働いているのが父なのかなんて突っ込むのはやめとこう。 とりあえず食料には困らなさそうだしな。 無念 としあきNo.2980 謎の声2「まあまあ、お父さん…抑えて抑えて…」 無念 としあきNo.2982 「としあきよ、洞窟には近づくな」 父さんは言った 「決して18禁の同人誌は隠してないぞ」 父さんは言った 無念 としあきNo.2984 「秘蔵の児童ポルノなんかあるはずもない」 無念 としあきNo.2987 行きてぇぇ! としあきは心の中でさけんだ 無念 としあきNo.2988 「としあきよ、もし仮に洞窟へ入るなら…ズボンは降ろして行くんだにゃあ」 父さんはそう告げると ピザ作りに戻った 無念 としあきNo.2990 ピザ作りに厨房へ戻った父の姿を確認すると としあきは光の速さでズボンを降ろして洞窟へ向かった が 焦っていたためか間違って全裸にウサ耳という格好で向かってしまったのである 無念 としあきNo.2992 「わ!臭え!超イカ臭え!」 洞窟の中は男にしかわからないあの臭いで充満していた 我慢して奥へ進むとそこには… 無念 としあきNo.2993 スルメだ としあきの無人島生活第1章『としあき漂流』3へ
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/216.html
1752年 春日丸、中国舟山に漂着 宝暦2年(1752)、陸奥国本吉郡気仙沼村の船、春日丸、漂流し、中国浙江省寧波府定海県舟山に漂着。 参考文献 網野善彦ほか(編集), 1993. 海と列島文化別冊 漂着と漂流. 小学館.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/110.html
高麗済州の漂流民を送還 1269年(H1269a) 文永6(1269)年5月、高麗済州の漂流民を送還する。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/36.html
筑紫から新羅に漂流したものが帰国 735年(H0735a) 天平7(735)年、筑紫から新羅に漂流したものが日本に帰国する。 このとき日本に天然痘ウィルスがもたらされたとされる。 参考文献 吉村昭,1988. 雪の花. 新潮社
https://w.atwiki.jp/kokodaketasekai/pages/2.html
メニュー トップページ 漂流者図鑑 テンプレ スレに参加する前に メニュー データ 地名 組織 種族 アイテム 用語集 事件・出来事 そのた ページ製作ガイド プラグイン紹介 まとめサイト作成支援ツール リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 2ch型掲示板レンタル 無料掲示板レンタル お絵かきレンタル 無料ソーシャルプロフ ここを編集
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/213.html
1744年 南部多賀丸、北千島に漂着 延享元年11月14日(1744/12/17)、陸奥国南部領北郡佐井(青森県下北郡佐井村佐井)を出発(17人乗り組み)。 大湊港(青森県下北郡大畑町)に立ち寄り、大豆・昆布・鰯糟などを積み江戸に向かう。 竹内徳兵衛 船主・船頭 佐井出身 磯次 八兵衛または七五郎 勝右衛門 竹内徳兵衛親族 伊兵衛 陸奥国閉伊郡宮古浦(岩手県宮古市)出身 久太郎または喜十郎 佐井村出身 三之助または佐之助または佐五兵衛 利八郎または利八(=イガチ?) 久助または長助、長松、長作、長之助 陸奥国宮古浦出身 長助または久助、長松、長八 陸奥国北郡大間村出身 利助 水主 ほか6名 延享1年11月28日(1744/12/31)、嵐で遭難。漂流中6名が死亡。 延享2年4月13日(1745/05/14)、残る11人は本船が使えなくなったので小船に乗り移る。 延享2年5月16日(1745/06/15)、北千島のオンネコタン島ウカモル湾に漂着。竹内徳兵衛、上陸後まもなく死亡。 1745/06/17、残る10名は同島に毛皮税徴収のためにやってきたマトベイ・ノヴォグラブレンヌイとヒョードル・スロボドチコフらに見出された。 一説には6月26日。 10名はボリシェレツクに連行され、カムチャツカ長官レベデフ大尉はこれを政府に報告した。ノヴォグラブレンヌイは1744年、マカンルル島に渡来。シムシリ島から来たアイヌに、国後島にある日本役人が同島での交易を望んでいるとの情報を得ている。 1745年、イガチという者が、カムチャツカのボリシュレツク港の柵に連行され、ロシア船に対して、ロシアの織物、ロシア皮、特に日本人の悦ぶ鯨油と塩漬けの魚を積んで、直接江戸の港を目指すようアドバイスした。 南部多賀丸の利八か。 1746年、10名全員が受洗。受洗名は以下のとおり 磯次 フォーマ・レペディエフ・メリニコフ 八兵衛 アンドレイ・レシェトニコフ 勝右衛門 グリゴリー・スヴィニン 伊兵衛 ヴァシリー・パノフ 久太郎 ピョートル・チェルノイ 三之助 イヴァン・イヴァノヴィチ・タタリノフ 利八郎 マトヴェイ・グリゴリエフ・ポポフ 久助 フィリップ・ニキフォロフ・トラペズニコフ 長助 ロシア名イヴァン・アファネシェフ・セメノフ 利助 ロシア名パヴェル・アレフィエフ 1746/08/31、ロシア政府と海軍参与会は、シベリア官憲を通じ、ベーリング探検隊の残務整理のためオホーツクに滞在していたスヴェン・ワクセリ中尉、ルティシチェフ少尉に対し、日本漂流民の中から優れた者5名を選んでペテルブルグに送ることを命じた。 1747/09/21、ドミトリー・コロステリョフの率いる船でオホーツクに到着。利助は病気のため、ボリシェレツクに残る。のちにボリシェレツクで没。 1747/09/25、アレクセイ・ウラドキン少尉補や、シュナヌイキン、フェネフらとともにオホーツクを出発ヤクーツクへ。 ここで2班に分けられる。 1747年、利助、ボリシェレツクで没 1748年、磯次、八兵衛、勝右衛門、伊兵衛、久太郎、ペテルブルグに送られ日本語教師となる。 1752年、三之助に、子 三八生まれる。ロシア名アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ 1753年、磯次、八兵衛、ペテルブルグで死亡。 日本語学校がイルクーツクへ移され、シベリア総督ミヤトレフの監督下に置かれる。これに伴い死亡者2人を除く3人(勝右衛門、伊兵衛、久太郎)がイルクーツクへ出発。ピョートル・シュナヌイキン、アンドレイ・フェネフも同行。 1753/06/06、勝右衛門ら3名、イルクーツクに到着。同地の航海学校に併設された日本語学校教師となり、年俸150ルーブリを支給。 校長はロシア人アンドレイ・タタリノフ(ロシア人航海士)。 ピョートル・シュナヌイキン、アンドレイ・フェネフもイルクーツク着。日本語学校の生徒となる。 1754/01/09、三之助、利八郎、久助、長助、通訳として中尉相当官に任ぜられる。 1754年、三之助、利八郎、久助、長助、イリムスクで日本語教師となる。 1756年、久助に、子どもイヴァン・フィリポヴィチ・トラペズニコフ生まれる。のちに測地士となる。 1759年、イルクーツク日本語学校にあらたに6名の生徒が入学。 1759年、アファナシ・オチェレジン(ピヨドロまたはヒヨドロ、南部漂流民利八郎の妻の兄)、イルクーツク日本語学校で日本語を学ぶ。 1760年、イルクーツク日本語学校にあらたに2名の生徒が入学。 1761年、三之助、利八郎、久助、長助、生徒5名とともにイルクーツク日本学校に合流。この時点で、イルクーツク日本語学校に日本人教師7人学生15人。 1761年5月、ピョートル・シュナヌイキン、没。 1763/01/26、勝右衛門、イルクーツクで死亡 1764年、カルポフ(イルクーツク日本学校生徒)、没 1764年、イルクーツク日本語学校生徒17名になる。生徒カルポフが死亡。4名増員後フェネフとコトコフが死亡。 1765年、アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ、父三之助の請願によりイルクーツク日本語学校に入学。 1765/08/27、三之助、 イルクーツクで死亡 1766年、多賀丸漂流民勝右衛門(あるいは久太郎)の子、生年? 1771年、イルクーツク日本語学校の生徒8名となる。この年、アファナシ・オチェレジン、ボリシェレツクに派遣。オチェレジンは南部漂流民利八郎の妻の兄。ピョドロ、ヒヨドロともいう。 1772年、ピョートル・シモン・パラスを団長とする シベリア調査団がイルクーツクを訪れる。調査団に参加したドイツ系学者ヨハン・ゴットリーブ・ゲオルギーは「ロシア国旅行記」のなかで多賀丸漂流民にふれる。 1773年、伊兵衛、久太郎、利八郎、久助、長助、「日本語単語集」「日本語会話集」を編集 1777年9月、利八郎義兄アファナシ・オチェレジン,、レベデフ-ラストチキンの資金による聖ナタリア号に通訳として乗り込む。オホーツクを出帆。ウルップ島で越年。 1778/07/03~06、 利八郎義兄アファナシ・オチェレジン,、通訳としてノッカマップに同行 伊兵衛、久太郎、利八郎、久助、長助、1782~1786年の間にイルクーツクで死亡。 1782/11/04、アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ、「日本語単語集」を基礎として「レキシコン」と呼ばれる露日辞典を編集し科学アカデミーに提出。 イルクーツク日本語学校83年までに日本人教師3名となる。 1783年(天明3)、ピョートル・レオノヴィチ(多賀丸漂流民勝右衛門あるいは久太郎の子)、水主74名と蝦夷地方に航海し、樺太に着して原住民に殺される。 その船がウルップ島のアダットイに漂着した。 1785年、ミハイル・タタリノフ、多賀丸漂流民についての「現在イルクーツク市にいる日本人たちの知識について」を著す。 1785年(天明5)、多賀丸漂流民勝右衛門(あるいは久太郎)の子、最上徳内に同行 イルクーツク日本語学校の日本人教師は1786年までにはすべて死亡。あとに3名の生徒が残され年長のエゴル・イヴァノヴィチ・トゥゴルゴフ(31)が教鞭をとる。 1788/06/26、アファナシ・オチェレジン、南部多賀丸漂流民利八郎の義兄 通訳として光太夫らに同行 参考文献 木崎良平, 1991. 漂流民とロシア. 中央公論社.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/215.html
1752年 十三夜丸、台湾に漂着 宝暦2年(1752)、陸奥国相馬の船十三夜丸、漂流し台湾に漂着。歓待される。 参考文献 網野善彦ほか(編集), 1993. 海と列島文化別冊 漂着と漂流. 小学館.