約 614,836 件
https://w.atwiki.jp/junrei/pages/17.html
ゆかりの寺社(御朱印視点) 引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。 都道府県 寺社名 所在地 備考 おススメ度 関連御朱印帳 御朱印 和歌山県 熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮1110 弁慶の父 4 あり 島根県 長見神社 島根県松江市長海町59 弁慶願文 5 不詳 和歌山県 大福院 和歌山県田辺市湊1054 弁慶出生地 6 - 島根県 弁慶島 島根県松江市野原町 6 - 島根県 華蔵寺 島根県松江市枕木町205 弁慶修行地 4 あり 島根県 澄水寺 島根県松江市福原町354 弁慶修行地 4 あり 島根県 鰐淵寺 島根県出雲市別所町148 弁慶修行地 4 あり 滋賀県 延暦寺 滋賀県大津市坂本本町4220 弁慶修行地 4 あり 滋賀県 園城寺(三井寺) 滋賀県大津市園城寺町246 弁慶に鐘を盗られた 4 あり 兵庫県 圓教寺 兵庫県姫路市書写2968 弁慶修行地 4 あり 京都府 五條天神宮 京都府京都市下京区天神前町351 五条大橋 4 あり 京都府 清水寺 京都府京都市東山区清水294 武蔵坊弁慶 1 あり あり 長野県 真楽寺 長野県北佐久郡御代田町大字塩野142 弁慶腰掛松 4 あり 茨城県 雨引山楽法寺 茨城県桜川市本木1 弁慶の写経 4 あり 兵庫県 弁慶の足跡 兵庫県三木市府内15 足跡 6 - 和歌山県 鬪雞神社 和歌山県田辺市東陽1−1 弁慶の父 1 限定 あり 和歌山県 海蔵寺 和歌山県田辺市南新町20 弁慶観音 2 関連 鳥取県 大山寺 鳥取県西伯郡大山町大山9 弁慶に鐘を盗られた 4 あり 福島県 弁慶の硯石 福島県伊達郡国見町大字石母田硯石77 出陣休憩地 6 - 石川県 布市神社 石川県野々市市本町2丁目14−16 弁慶の力石 5 不詳 石川県 安宅住吉神社 石川県小松市安宅町タ17 安宅の関 1 あり あり 新潟県 国上寺 新潟県燕市国上1407 大黒天奉納 2 関連 栃木県 名草厳島神社 栃木県足利市名草上町4990 弁慶の割石 4 あり 福島県 荒人神社 福島県耶麻郡猪苗代町字一本木 渋谷荒人 5 不詳 山形県 瀬見温泉薬研湯 山形県最上郡最上町大字大堀987−1 弁慶が発見 6 - 岩手県 中尊寺 弁慶堂 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関48 弁慶墓 4 あり 神奈川県 常光寺 神奈川県藤沢市本町4丁目5−21 弁慶墓 4 あり 神奈川県 鶴嶺八幡宮 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462 弁慶墓 4 あり 栃木県 弁慶下駄掛石 栃木県那須郡那須町大字睦家 6 - 群馬県 かぶと岩 群馬県沼田市 6 - 神奈川県 白旗神社 神奈川県藤沢市藤沢2丁目4−7 1 あり あり
https://w.atwiki.jp/ekidash/pages/4858.html
しが 西日本旅客鉄道 滋賀県大津市木戸字前田 JR湖西線 蓬莱←→比良
https://w.atwiki.jp/ekidash/pages/4855.html
おの 西日本旅客鉄道 滋賀県大津市湖青1丁目 JR湖西線 堅田←→和邇
https://w.atwiki.jp/kobetakigawa/pages/174.html
2007-09-21 22 33 終局 今日学校はマスコミの前でいじめを認めた 以上 自殺当時、生徒会役員だった者のHP日記 (学校側がはじめて公式にいじめを認めた9月21日の謝罪会見) 理事長 瀧川好庸(たきがわよしのぶ) 1942年9月11日、兵庫県西宮市に生まれる。趣味は読書。創立者 瀧川辨三の血を引く瀧川学園の理事長。 帝国データバンクの人名録によると、現住所は東京都品川区東五反田3丁目、清泉女子大学に程近い閑静な住宅街であり、板宿の学校へ訪れることは入学式、卒業式などの公式行事などに限られていた。 1965年、上智大学外国語学部フランス語学科を卒業後、翻訳業に就く。「やさしいフランス語新聞(3)」「ヴェルサイユの歴史」などの翻訳出版も行っていた。また1991年まで、母校の上智大学仏文科で非常勤講師として「仏和翻訳演習」などの講義を担当していた。 1990年に学園理事長に就任。1992年~93年まで約1年間、学校長も務めた。名実ともに学園の最高責任者であったが、同事件に対する言及は最後まで見られなかった。 3月31日の教員学内処分報告では、4ヶ月間の減給処分となった。 ある大手学習塾HPに受験生へ以下のメッセージを送っている。 「12歳のチャレンジ!自信をもって扉を叩け。 瀧川好庸」 学校長 桐山智夫(きりやまともお) もともとは世界史の担当教諭。一教師時代の評判は悪いものではなかったが、「あほみたいに進学率を気にしていた」。 2005年4月に第11代学校長として就任。就任一年目の9月にウオッカ強要による校内アルコール中毒事件が起こるが、ウオッカを窃盗した生徒を自主退学処分、強要した生徒は停学処分とし、県教育課への報告を1年余り怠った。 生徒自殺後7月5日の学年集会では、 「目を瞑っても見えるものはあります」 「死んだ○○くんは心が弱かった、残念だ、皆さんは彼の分まで元気に生きてほしい」 「こんな時だが我が校は今、大事な時を迎えている、滝川ルネッサンスを進めなければならない」 と訓示したという。7月20日には県に対し「いじめは認められなかった。成績が落ちたのが自殺の原因」との報告をする。 Hが逮捕された9月17日直後の記者会見では、 「仲間内でのふざけあいだと思っていた」 「いじめがあったと断定できない」 「逮捕は青天の霹靂」 といじめが原因であったことを認めなかった。 H逮捕後に開かれた学年集会では、生徒の日記から以下のような発言をしていたことがわかる。 「弁当のおかずが増えていたそうですがそれはやはり(逮捕された)彼と仲がよく彼があげたんでしょうね!! そう考えるとまったく信じられないです」 「僕は親に頼んで棺を彼ら(逮捕されたグループ)に担がせてやりました」 「逮捕と言ってもただ聴取してるだけだから大丈夫」 なんか論点ズレまくって校舎の壁の色変えたとか言い出したからな 正直声聞き辛かったし、ほんま聞く価値なし。 私はメールとかは苦手で(笑)とか言って苦笑?笑いましたよこのおっさん? (生徒の日記より) 新聞記事によると、 「彼が果たせなかった人生の一部を引き受ける気持ちでがんばってもらいたい」 と3年生に呼びかけたという。 H逮捕後の2回目の学校調査後の記者会見では、 「再調査で男子生徒に対するいじめを確認した」 とし、初めていじめが自殺の原因の一つだったと認め、 「亡くなった生徒の冥福を祈り、遺族におわびしたい」 と謝罪した。 しかし10月2日に放送されたフジTV「とくダネ」のインタビューでは 「自殺した少年が『嘘をついたら1万円払う』という罰ゲームを作ったことが恐喝メールにつながった。 」 「それはクラスの1/3が言っていることで残り2/3はなかったと言っているのだから、いじめはなかったと考えられる。 」 「我々はあれをメモと言っている。遺書ではない。」 と答え、いじめについて再び否定した。 3月31日に発表された教員学内処分では、依願退職を申し出て受理、同日に退職した。この依願退職について、瀧川理事長は「引責辞任と考えている」と答えている。 自宅は滝川第二中学高校に程近い神戸市西区春日台。通勤ルートは被害生徒や逮捕された少年B、Yと同じ地下鉄であった。 教頭 徳元啓男(とくもとのりお) 親和女子高校から、滝川高校へ赴任してきた。教頭就任は校長と同じく、2005年4月と思われる。 生徒の自殺直後の記者会見では、 「今回のことは不幸な事故」 自殺直後の学年集会では 「校長先生がおっしゃったように今は前を見て、元気に生きていくことが大切です」 といい、 H逮捕直後の記者会見では 「陰湿なイジメがあったことは把握しているが(被害生徒と犯人は)仲の良い友達だった」 「ほかの生徒をできるだけ早く平穏な生活に戻してあげることが大切。」 と発言した。 3月31日に発表された教員学内処分では、桐山校長(当時)とともに依願退職を申し出たが受理されず、教頭職を解職、滝川第二中学高校へ一般教員として降職配転された。 生徒指導部長 亀田敦宜 ソフトボール部顧問。国語科担当。通称「鬼の亀田」 と「まとめwiki」には記されている。 少年B、Y逮捕直後の記者会見で 「いわゆるパシリについてですが、あれは仲のいい生徒同士で 『すまんけどあれ買ってきて』とお遣いを頼んだものでイジメとかそういう事ではない」 と弁明した。 2度の学校調査を行いながら、少年Bと少年Iを無関係だと結論付けていた。 3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。 生活指導主任(当時の2年5組担任?) 栫隆保(かこい) サッカー部顧問。被害生徒がいじめにあっているのを、自殺以前から知っていたとされ、校門で他の生徒が見ている前で、いじめについて注意をしたとされる。 68 :実名攻撃大好きKITTY :sage :2007/07/05(木) 07 04 23 (p)ID 7uLWE14KO 校門で ○○をいじめるなよ だけだぞ。 それにいじめがあった事をかこいは知ってるじゃないか。 学校の発表とは違いすぎる 弟は滝川第二高校サッカー部監督の栫裕保氏。2011年5月の県大会準々決勝では兄弟校かつ兄弟監督対決として、各種ニュース媒体に取り上げられた。 2年5組担任教諭 報道記事によると、生徒が2年次だったころに、被害生徒の名前を挙げて「もうこれ以上、彼をいじめるな」と教室で同級生の少年らに注意している場面を複数の生徒が目撃していたとされる。 また2年次の秋には、紙粘土の塊を被害生徒の机におかれているのを発見し、その場で「大丈夫か?」と尋ねたところ、被害生徒が「大丈夫です」と答えたため、嫌がらせをした生徒を注意することもなく、放置した。自殺後にもその事実を学校管理者に明らかにすることはなく、Hが逮捕された9月17日以降にようやく報告を行った。 3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。 3年5組担任教諭 三上健治(みかみけんじ) 自殺した生徒、少年H、少年Yのいた3年5組担任。少年Iが2年冬まで在籍していたアメフト部顧問。担当教科は化学および物理。 風貌は、めがねをかけ髭を生やし白衣をいつも着用していた。自身の学生当時は登山部だったという。 自殺前日の7月2日には、職員室に被害生徒が姿を見せ、何か言おうともじもじしていたところ 「はよ、帰りーや」 といって、生徒を追い返してしまったという。 3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。関西学院大学理学部卒。 小黒顕(おぐろあきら) 国語科教諭。アーチェリー部顧問。アーチェリーの腕前はかなりのもので、今でも社会人大会で出場している。 息子が当時高3に在籍しており、自殺事件以前に部内で起きた窃盗事件での不可解な学校処分が、息子の行為を隠蔽したとされ、自殺直後に リークされた。 H逮捕後には、兵庫県アーチェリー協会記録会事務局をしていたため、HP上に記載されていた連絡先(神戸市西区桜ヶ丘中町といった住所、 電話番号、FAX番号)が晒される。 4月28日におきたアーチェリー部での部員生徒の頭部に矢が刺さるという事故報道では、顧問としては取材に答えておらず若い教員が答えているが、複数顧問制をとっているためと思われる。現在も兵庫県アーチェリー協会理事を務めている。 3年学年主任 山本勝(やまもとまさる) 社会科教諭。剣道部顧問。生徒からの愛称は「勝海舟」、お受験板の過去ログでは「彼は真の武士さ。ジェントルマンさ。」との書き込みがある。 学年通信の発行責任者でもあり、生徒逮捕後に出された学年通信記事『「なに、くそっ」の精神』を書いた人物ともいわれている。 3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。京都大学卒。
https://w.atwiki.jp/ekidash/pages/4857.html
ほうらい 西日本旅客鉄道 滋賀県大津市八屋戸大字道皆頭 JR湖西線 和邇←→志賀
https://w.atwiki.jp/mishakuji/pages/362.html
花折トンネル 国道367号線にあるトンネル峠。 R367のピークで標高500mのはずが、ルートラボでは488mとなっている。 トンネル内は狭く危険。 トンネル上を花折峠の旧道が通っている。 いろいろと笠トンネルと似ている感がある。 峠位置 滋賀県大津市 道所在地 滋賀県大津市 距離 途中側 3.08km葛川側 5.51km 路面距離(計算値) 途中側 3.1km葛川側 5.54 最大標高 488m 最大標高差 途中側 186m葛川側 157m 平均勾配 途中側 6%葛川側 2.8% スタート 途中側 途中交差点葛川側 中村橋交差点 ゴール 途中側 トンネル口葛川側 トンネル口 地図 ルート地図 途中側葛川側 途中側からの花折トンネル。 自転車での走行は怖い。 途中側 花園橋からの緩やかなカーブが多い直線的な道とは打って変わり、この短い区間にヘアピンカーブが4つもある。 路面状態 良好 堆積物等 路側帯付近は多め 交通量等 多い トンネル400m手前から旧道が分岐している。 旧道には花折れ峠があり、ここを通ることでトンネルを迂回することは出来る。 スタート地点未撮影。 葛川側 途中側とは打って変わって全体的に緩やかな勾配の坂道。 3つのトンネルを抜けることになるが、迂回路もある。 迂回路は旧道? 路面状態 良好 堆積物等 少ない 交通量等 多い スタートを設定しづらい。 とりあえず手前のトンネル3つが入り、勾配があがり始めるポイントと言うことで、中村橋信号交差点とした。 スタート地点未撮影。 登坂走行ルート 途中側(○) 葛川側(○) 登坂未走行ルート 無し 葛川側スタート地点。 葛川側からの花折トンネル。 葛川側トンネル入口遠景。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/41134.html
サクナド(佐久奈度神) 佐久奈度神社の祭神。 祭神とする神社: 佐久奈度神社(滋賀県大津市)
https://w.atwiki.jp/ekidash/pages/4859.html
ひら 西日本旅客鉄道 滋賀県大津市北比良居本 JR湖西線 志賀←→近江舞子
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3951.html
オプテックスグループ 本店:大津市におの浜四丁目7番5号 【商号履歴】 オプテックスグループ株式会社(2017年1月1日~) オプテックス株式会社(1979年5月25日~2017年1月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>2003年6月2日~ <東証2部>2001年8月29日~2003年6月1日(1部指定) <店頭>1991年7月23日~2001年8月28日(東証2部に上場) 【沿革】 昭和54年5月 滋賀県大津市において、当社取締役社長 小林 徹、元取締役副社長 有本 達也が自動ドア用センサ、防犯用センサの開発、販売のため資本金1,200万円をもってオプテックス株式会社を設立。 昭和58年5月 自動ドア用センサ及び防犯用センサの生産を強化するため、福井県丹生郡清水町(現福井市三留町)にオフロム株式会社をサンエー電機株式会社との共同出資にて設立。 昭和59年3月 本社ビルを滋賀県大津市におの浜四丁目に新築し移転。 昭和60年9月 当社製品の米国での直接販売のため、カリフォルニア州にOPTEX(U.S.A.),INC.を設立。 昭和61年7月 東京都千代田区に東京営業所(現東京都新宿区)を設置。 平成元年4月 光電センサの開発を強化するため、京都市下京区に西ドイツエルヴィン・ジック社(現ドイツ ジックA G社)との合弁会社ジックオプテックス株式会社を設立。 平成2年1月 従業員の福利厚生を促進するため、滋賀県大津市にスポーツクラブの運営を主とするオーパルオプテックス株式会社(現連結子会社)を設立。 平成2年6月 滋賀県大津市に技術センターを開設。 平成3年5月 ヨーロッパ地域の輸出の拡大とニーズの把握を図るための販売拠点として、イギリスバークシャー州にOPTEX(EUROPE),LTD.(現連結子会社)を設立。 平成3年7月 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録。 平成4年4月 セキュリティ分野におけるセンサメーカーからコントロールパネルのシステム化による総合セキュリティメーカーへの展開を図るため、MORSE SECURITY GROUP,INC.を買収し、OPTEX MORSE,INC.(米国カリフォルニア州)として発足させ、同時に米国の子会社を管理、統括するOPTEX AMERICA,INC.を同州に設立。 平成6年2月 部材調達のため、香港にOPTEX(H.K.),LTD.(現連結子会社)を設立。 平成9年1月 アジア地域への販売及び部材調達のため、台湾台北市にOPTEX ELECTRONICS(TAIWAN),LTD.(現連結子会社)を設立。 平成9年2月 OPTEX MORSE,INC.がOPTEX AMERICA,INC.と合併。 平成9年6月 OPTEX MORSE,INC.がOPTEX(U.S.A.),INC.と合併。 平成10年7月 OPTEX MORSE,INC.がOPTEX AMERICA,INC.に社名変更。 平成11年7月 米国におけるコントロールパネル事業からの撤退を決定し、それに伴い当社の米国子会社であるOPTEX AMERICA,INC.を平成11年8月に清算し、新たに米国カリフォルニア州にセンサとシステム事業に特化したOPTEX INCORPORATED(現連結子会社)を設立。 平成13年8月 株式会社東京証券取引所市場第二部に上場。 平成13年11月 当社子会社OPTEX(EUROPE),LTD.が、イギリスSECURITY ENCLOSURES,LTD.の全株式を取得し子会社とする。 平成14年1月 光電センサ事業を会社分割し、京都市山科区にオプテックス・エフエー㈱(現連結子会社)を設立。 平成15年2月 当社製品の販売のため、韓国ソウル市に現地法人OPTEX KOREA CO.,LTD.(現連結子会社)を設立。 平成15年4月 当社製品の販売のため、フランスサルバーニュに現地法人OPTEX SECURITY SAS(現連結子会社)を設立。 平成15年6月 株式会社東京証券取引所市場第一部に上場。 平成16年3月 滋賀県大津市雄琴に本社新社屋を竣工。 平成16年4月 来客者数管理システム技術の獲得と融合による事業拡大を目指し、技研トラステム㈱(現連結子会社)の全株式を取得し子会社とする。 平成16年12月 北・中・南米地域を担っているOPTEX INCORPORATED(現連結子会社)を防犯用製品に特化させ、自動ドア用製品の販売のため、米国カリフォルニア州に現地法人OPTEX TECHNOLOGIES INC.(現連結子会社)を設立。東欧及びロシア地域への市場開拓を狙い、防犯用製品の販売拠点として、ポーランドワルシャワ市に0PTEX SECURITY Sp.z o.o.(現連結子会社)を設立。 平成17年8月 当社グループの生産体制を強化するため、中国広東省東莞市に現地法人OPTEX(DONGGUAN)CO.,LTD.(現連結子会社)を設立。オプテックス・エフエー㈱(現連結子会社)が株式会社大阪証券取引所のヘラクレス市場に上場。 平成18年4月 中国国内における販売強化及びマーケティング強化を目指し、中国広東省深圳市にOPTEX(DONGGUAN)CO.,LTD.深圳営業所を開設 平成19年2月 オプテックス・エフエー㈱(現連結子会社)が画像処理システム分野への本格進出を目指し、日本エフ・エーシステム㈱(現連結子会社)を子会社化。 平成19年3月 防犯用製品において、遠隔画像監視モニタリングサービスに必要な現場ニーズを収集し、製品開発に活かすためにイギリスFARSIGHT SECURITY SERVICES,LTD.(現連結子会社)を子会社化。 平成19年4月 自動ドア用センサの拡販を目指し、OPTEX TECHNOLOGIES INC.(現連結子会社)が米国ノースキャロライナ州に営業拠点を開設。
https://w.atwiki.jp/kotokoto2/pages/3078.html
所在地滋賀県大津市馬場二丁目 開業日1880/7/15 接続路線東海道本線 隣接駅石山(東海道本線:東京方面) 大津(東海道本線:神戸方面) 訪問日2001/11/15 戻る