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***年**月[MEMO1] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江凌 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 [MEMO2] 【map】| :襄平:|:西涼:天水:街亭:安定: :平原:渤海:| :長安:洛陽:許都:陳留: 業 :濮陽:| :梓潼:漢中: 宛:上庸: :徐州:小沛:| :江陽: :新野: :夏口:寿春:下ひ:|:成都:江州:永安:襄陽:江夏:合肥:建業: 呉 :|:雲南: :江陵:柴桑: :会稽:| :武陵:長沙:| :零陵:桂陽:
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渤海国人崔宗佐門孫宰らの船2艘、薩摩甑島郡に漂着(H0873a) 貞観15(873)年5月、渤海国人崔宗佐門孫宰らの船2艘、60人を載せて薩摩甑島郡に漂着す。言語通ぜず。船長崔宗佐ら書して曰く、渤海王使を唐に遣わし徐州を平定するを賀す。不幸にして漂流ここに至ると。国司其の齎らす(もらたす)ところの公証を推験するに年期錯誤するを以て新羅人なるを疑う。既にして便風を得て逃げる。 同年7月、異船1隻、肥後天草郡に漂着す。大宰府唐通事張建忠を遣わし推験するに、前日逃るる所の渤海の船なり。宗佐、その日記及び蝋封の書函を呈す。遣唐入賀の言に符す。即ち糧を給して之を遣る。 貞観16(874)年6月、再び、石見に漂着す。また、之を帰す。 876年、渤海国使(渤海使29)楊中達ら、出雲島根郡にいたり、前年漂流賑恤の恩を謝す。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
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M-Tea*4_50-東洋歴史物語(五)藤田豊八 2012.7.7 第四巻 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八 二五、唐代(とうだい)の文化 二六、五代(ごだい)の世相(せそう) 二七、宋(そう)の国情(こくじょう) 二八、金(きん)の興起(こうき) 二九、蒙古(もうこ)の勃興(ぼつこう) 三〇、元(げん)の世祖(せいそ) imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第四巻 第五〇号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (1.1MB) 定価:200円 p.179 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(191項目)p.1302 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 大山鳴動たこ娘! 週刊むっくりこっくり坂* この時分にシナの東北方に一つの新しい勢力がおこりました。それは契丹です。(略)唐末には独立の状態となり、耶律(やりつ)阿保機(あぼき)という者が出てその契丹の八部を一統してついにみずから帝〔太祖〕と称し、(略)そのころ満州には渤海という大国がありましたが、太祖はついにこれを攻め亡ぼしてしまいました。 ここに、この渤海の話をいたします。 満州の東北部に靺鞨という種族がありました。それには七部ありましたが、そのうち粟末水すなわち松花江畔に拠(よ)った粟末靺鞨がもっとも勢力を得、それに大(たい)祚栄(そえい)という人が出て国を建てました。後唐から渤海郡王に封ぜられたので渤海をもって国号と定めました。この国がさかんに唐と交通し、その文化の輸入につとめたことは前に申したとおりであります。またこの国は一方、わが国と好しみを通じました。その使節のはじめて来たのは聖武天皇の世で、それから渤海が滅亡するまで交際はつづきました。その修交の目的の一面には、わが国から自分の国に物資を輸入しようということもあったようです。また日本のほうにもこの国から毛皮などが輸入されたようにも思われます。舞楽なども渤海楽といって輸入せられたようです。この渤海の使人なども唐文化の教養ある人が多かったので、わが国の平安朝の朝臣とのあいだに詩文の贈答をやったことは芸苑の佳話です。大江朝綱〔「あさつな」か〕が渤海の使臣にあたえた詩で、 前途程遠(ほどとお)し。思いを雁山(がんざん)の暮雲に馳(は)す。 後会(こうかい)の期はるかなり。纓(えい)を鴻艫(こうろ)〔鴻臚か〕の暁涙に霑(うるお)す。 と詠んだのは有名な話です。こうした文化国、シナ人のいいまわしを借りれば海東の盛国であった渤海も、契丹の太祖の兵をこうむってはひとたまりもなく、その国都忽干城(こっかんじょう)もおちいり亡んでしまいました。(「二六、五代の世相」より) 4_50.rm (朗読:RealMedia 形式 468KB、3'47'') milk_tea_4_50.html (html ソーステキスト版 240KB) 藤田豊八 ふじた とよはち 1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15) 東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 水島爾保布 みずしま におう 1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30) 画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。 ◇参照:Wikipedia 藤田豊八、恩地孝四郎、水島爾保布、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『東洋歴史物語』復刻版 日本児童文庫 No.7、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『東洋歴史物語』日本兒童文庫、アルス 1929(昭和4)年11月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1679.html NDC 分類:220(アジア史.東洋史) http //yozora.kazumi386.org/2/2/ndc220.html 難字、求めよ 粟末水 ぞくまつすい 忽干城 こっかんじょう 雲燕 うんえん 黒水 こくすい 黒龍江のほとり。 中央アジア人 侚祠 けんし 波斯寺 はしじ 暁涙 ぎょうるい 私誅 しちゅう 北方民族 むしとりホイホイ しんきじゅく → しんきじく 【ゅ削除】 抗州 → 杭州 【杭か】 いたました → いたしました 【し】 ちゅうこくひ → ちゅうごくひ 【ご】 ともつな → あさつな 【あさ?】 鴻艫 → 鴻臚 【臚?】「鴻臚」は中国の官名。外国の賓客の応接役。 互《たがひ》ひ → 互《たが》いに 【に、か?】 一《ひつ》つ → 一《ひと》つ 【と】 花刺子模 → 花剌子模 【剌】 察偵 → 密偵 【密か】 業蹟 → 業績 【績か】 元帥《けんすい》 → 元帥《げんすい》 【げ】 拔部 → 拔都 【都か】 バツ 帝恭《ていちよう》 → 帝恭《ていきょう》 【き?】 南安 → 安南 【安南】 アンナン 威勢《せいゝ》 → 威勢《いせい》 【いせい】 以上16件。底本は左辺のとおり。おお、大漁、大漁。 スリーパーズ日記* 図版は前回同様、『学研新漢和大字典』(2005.5)と『世界史年表・地図』(吉川弘文館、1995.4)、『最新図説世界史』(浜島書店、1988.3)を参照。東アジア年表テーブルは渡邊義浩『宗教から見る中国古代史』(ナツメ社、2007.12)をベースに、『東洋歴史物語』本文からトピックを追加。 かけ足でどうにか元まで到着。『平清盛』の平安末期まで追いついたので、シリーズはいったん中断。次回、次々回はファーブル『科学の不思議』。こちらはいよいよファイナル。 源氏、石清水八幡、ハト。八幡太郎、新羅三郎。八幡、やはた、絹。養蚕、桑、駒、馬。コマ…… 円仁(慈覚大師)は入唐して、武宗の仏教弾圧に遭遇する。道教への傾向。50年ほどのち、菅原道真による遣唐使廃止。唐との国交を絶ったあいだも、新羅、高麗、渤海との交流はつづく。 保元の乱が1156年、平治の乱が1159年。1161年に金の世宗が、翌年に南宋の孝宗がそれぞれ即位。日宋貿易がさかんとなる。1168年、平清盛が厳島神社の社殿を造営、同年に栄西が南宋に留学、禅宗に感化。 おっと、藤原秀衡の家督相続が1157年かあ。藤原基成の娘と婚姻したのもこのころか。藤原基成の異母兄弟が“裸の大将”藤原信頼! 藤原基衡による毛越寺の伽藍建立、薬師像の仏師運慶への依頼も1156年には完了している。 ゾロアスター(Zoroaster)、ザラスシュトラ。 ツァラトゥストラ(Zarathustra)。 czar; tsar(ツァー、皇帝)+aster(アスター、星)=星の皇帝? 星の皇帝……ほしの王子さま? いやいや北極星? 拝火=北極星信仰? あ、光=火=星のアナロジーか。。。 二元論 dualism、デュアル。多元論 pluralism、プルーラル。 両義性、多義性。 ♪風と雲とわたし くまがいさちこ 7.6 ここ数日、下からつきあげるような弱震がつづく。 7.8 ロシア、クラスノダール洪水。死者180人。2014年冬ソチ五輪。 2012.7.7:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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第16期ラス戦 食べるラー油国と甘い桃の羽国の戦争をつづったページです。 【統一】[671年11月]食べるラー油国により中華大陸は統一されました。(2010年7月1日20時40分) 【開戦前】 ラー油 人数で下回りながらロクデナシ国、打倒昼活全力国といった有力国を撃破してきたラー油国 自国領土に食い込む合肥を考慮して江陵以南を全て堀とし、南西部を徴兵地、新野と夏口に拠点の予定であった しかし夏口部隊が集合ミスにより夏口ではなく江夏に守備付けしてしまう 桃の羽 【開戦】食べるラー油 拠 点:新野・夏口(江夏) 徴兵地:江陽 甘い桃の羽 拠 点:上庸・合肥 徴兵地:襄平(?) [開戦時] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江陵 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 【序盤】 ラー油は夏口に移動を失敗してしまったため、甘い桃の羽国の攻撃であっさりと夏口は陥落してしまう。 しかし逆に功を奏したのか、この時点での江夏は許さず新野部隊より桃の羽拠点である上庸を陥落させる。 ラー油国は集合を新野においた状態で拠点を上庸へと移動、そのまま北東方面を制圧に向かおうとした。 しかし、この時点守備が薄くなっていた江夏を陥落させられてしまい、その対応に追われる間に陳留に退却を許してしまう。 ラー油国はその後なんとか江夏をカウンターで取り返し再度拠点化しなおした。 [序盤経過] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江陵 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 【中盤】 双方拠点から遠い南東部や南部、北西部などを深夜から朝にかけて陥落させた。 しばしば甘い桃の羽側は襄陽からの徴兵地の裏抜きを画策したが、ラー油武将のカウンターに阻まれた。 双方陥落させてはカウンターされるカウンター合戦の様相を呈していたころ、ラー油側が陳留に13時から一斉を企画。 [中盤14時前ごろ] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江陵 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 ここで見事に陳留を陥落させることに成功したラー油国は一気にオン者で北東部を制圧してしまう。 ラー油側機動隊は徐州へ移動、江夏との二拠点体制で桃の羽国を農民のいなくなった南東部に追い詰めた。 しばしば夏口から部隊の抜けた上庸に攻撃が来るもののラー油武将はオン者が確実に防ぎ危機を未然に防いだ [中盤17時ごろ] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江陵 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 【終盤】 何度となく甘い桃の羽国は合肥から江夏を攻撃、このとき幾度か守備なしまで追い込むもののあと一手が足りず陥落までは至らなかった。 徐州の近隣都市を一通り制圧しおえたラー油武将は急いで江夏に戻り、なんとか江夏陥落の危機を防いだ。 農民が厳しくなってきていた桃の羽国は合肥から、ラー油国徴兵地である南西部へとドミノを計画。 見事に一度は江州まで陥落させる。 しかし、ラー油国はオン者の素早い対応により拠点移動を成功させる前にカウンターを行いこの計画を防いだ。 この時点で桃の羽側の部隊長が永安付近に埋まってしまい人数が少なくなった合肥はラー油国からの集中攻撃をうけることとなった。 そして20時40分見事なオン者の一斉攻撃によりオフ者企画一斉を前にして全国統一となった。 [終戦直前] 襄平 西涼 天水 街亭 安定 平原 渤海 長安 洛陽 許都 陳留 業 濮陽 梓潼 漢中 宛 上庸 徐州 小沛 江陽 新野 夏口 寿春 下ひ 成都 江州 永安 襄陽 江夏 合肥 建業 呉 雲南 江陵 柴桑 会稽 武陵 長沙 零陵 桂陽 ラー油側から見た戦争なので桃の羽側から見た状況も書いてくださると嬉しいです。
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中国シナリオ#1-男性キャラクター(後編の後編) 入れ墨男とポニテ男。 入れ墨男、見た目とは裏腹に切ない人生を歩んでます。 そして一番男キャラで人口が多そうなポニテ男、無駄にかわいい性格してますねー。 途中出てくる盗賊が北斗の拳っぽいと思ったのは内緒です。 次回から中国女性キャラの話になります。 楼 狼教(ロウ・ランジャオ) 韓国版名:巴沙克 職業:入れ墨 年齢:36 巴沙克(日本版名:楼狼教)は幼いころから自分の体に刻まれている入れ墨の意味を良く知っていた。 育ての親が口癖のように自分のことを逆賊の落とし子だと言って自分を虐待したからであった。 巴沙克が親に対して分かっていることは、自分の祖父が逆賊の親分であり、まだ赤子であった自分は逆賊の子孫であるというしるしに恥辱的な入れ墨を刻む代わりに生かされたが、残りの家族は皆殺しにされてしまったということであった。 そして自分を育てている人は自分の遠い親戚で、祖父のせいで一家が滅びてしまったことを嘆いて毎日のように酒に溺れているような人であった。 巴沙克は自分の物心がつかないうちに全身に刻み込まれてしまった入れ墨を消してしまいたかった。 もう滅びてしまった家の過去などこれから生きていくのには不要であり、自分のことを虫のように眺める人々の視線から脱したかった。 人々はお金があれば何でもできるといった。自分の育ての親もお金があれば何でもできるといった。そして巴沙克は金持ちになって自分の過去の足かせである入れ墨を消すことを心に決めた。 巴沙克は10になった年に家を出た。毎日のように虐待を受けることにうんざりし、一日でも早くお金をもうけて人間らしい生活をしたかった。 家を出てから大きい都市に行き、自分ができることを調べたが、ひ弱そうな子供に金を払って雇おうと思う人は誰もいなかった。人々が残した残飯を漁ったり山に入って木の実を食べたりして飢えをしのいでいたが、ある日ついに村の中で空腹に気を失ってしまう。 どれくらいの時がたっただろうか。目を覚ますと自分よりもずいぶんと幼い子供が誰かを呼んでいた。 しばらくたって見てくれのいい男が巴沙克に近づき、額に手を触れてからおかゆを持ってきてくれた。 その男は巴沙克の入れ墨や生い立ち、どうして倒れていたのかなどを問うことはなかった。 ただ行くあてが無いのであれば自分達の宿所に止まっていっても良いと言い、部屋の外へと出て行った。 巴沙克は生まれて初めての好意に戸惑ったが、どっちにしろ良く当ても無かったのでここに泊めてもらいながら働き口を探そうと思った。 巴沙克を拾った男は流浪劇団を導く団長であった。子供は団長の息子で自分より6歳若く、名前を何笑天(日本版名:張吼劇、美白男)と言った。幼い何笑天も金を稼いでいると聞いたとき、巴沙克は自分も踊りと歌を学んで公演をしてみたいと問うた。 何笑天の父は巴沙克をちらりと見、入れ墨があっても扮装をすれば見えないので無理でなければ今すぐにも演習を始めなさいといった。 思ったよりも歌劇演習は厳しかったが、早く金をもうけて自由になりたかった巴沙克には何の問題でもなかった。 そして愛想が良くて劇団の俳優の人気を独り占めしていた何笑天が、巴沙克にぴったりとよりそい、自分のことを兄さんと呼んで付きまとうことに、幼いころから軽蔑の視線しか受けてこなかった巴沙克は生まれて初めての温もりに疲れも忘れそうになるのであった。 数ヶ月の厳しい練習に何笑天の父は巴沙克に歌劇でひとつの役を与えた。これまでの努力の結果が認められた達成感はえも言われないものがあった。扮装に凝って顔にある全ての入れ墨を見せないようにすると自分が他人であるような感覚になった。 公演は演習よりも何倍も楽しかった。公演を見る人々が自分達の行動一つ一つに反応すること、自分を逆賊の子孫ではない別の人として見られているということが嬉しかった。 巴沙克は毎晩自分の貯めた金を数え、それを胸に抱いて眠った。初めははした金だったが数日が経つと結構な量になった。 劇団の人々は金を使えといったり自分に金を貸してくれと頼んだりしたが、巴沙克は彼らの言葉を聞かない振りをしていた。 ある日、高位官職の夫人が歌劇を見たいといい、巴沙克が属した劇団で豪邸まで公演をしにいくことになった。公演は成功に終わり、歌劇に使われた道具を片付けて外に出ようとしたとき、家の中で騒ぎがおき、巴沙克達を家の外に出ないようにしてしまった。 家の家宝である金仏像が消えたというのである。巴沙克達を指して犯人がこの中にいるので持ち物の検査をするといい、巴沙克の父は講演をした自分は金仏像がどこにあるかすら分からないので検査をするならしてくれといった。 話が終わるとすぐに家の人々が劇団の荷物を探し始めた。そして巴沙克の荷物から金仏像が出てきた。 巴沙克はそんなことが無いと、自分は建物の中に一回も入っていないと弁解したが、仏像が巴沙克の荷物から出てきた以上誰も弁護をすることができなかった。 仕方なく巴沙克は自分の貯めておいた金を出してそれで罪を減らしてくれるよう頼もうとしたが、その自分の財布も消えた後であった。 巴沙克は劇団員の中の誰かが自分の金を取った上に濡れ衣まで着せているということを気づいたが、自分ができることは何も無かった。結局巴沙克は仏像を盗んだ罰で刑罰を受ける代わりに家の奴隷として20年間働くことになった。 何笑天は涙を流して巴沙克が盗むわけが無いと訴えたが、幼い子供の言葉は誰にも聞き入れられなかった。 巴沙克は何笑天に自分の罪を償ってまた劇団に戻ることを約束した。 自由の身になったら必ず犯人を捕まえて敵を討つと毎日歯軋りしながらすごした巴沙克は、20年の年月が過ぎて自由の身になり、犯人を捕まえるため、そして何笑天の約束を果たすために劇団を探しに道を発った。 魏 圏(ウェイ・クァン) 韓国版名:公孫流云 職業:戦士 年齢:29 中国北東部の渤海国に面した場所に山城村という所があった。 山城村の人々は渤海国の人々との商売によって生計を立てる人々がたくさんおり、そのために中国の村ではあったが渤海人の姿がたびたび見られた。 公孫流云も山城村の渤海人と小規模な商売をする親のもとで生まれた。 ろくな学校ひとつとない村であったので、公孫流云は計算ができる年になってから親について商売の方法を学び、10になると父について渤海国へ行き、本格的に家の仕事に参加し始めた。 そうして数年がたち、公孫流云が15歳のある日、父と叔父とともに渤海国で品物を売るために荷物を担いで道を行っていた。数年間これといったことも無く通った道であるので彼らは談笑を交わしながら渤海国へと向かっていた。 ところが道中にある谷に足を踏み入れた時、急に周辺から叫び声が聞こえ、彼らは週住人の盗賊たちに囲まれてしまった。盗賊たちの襲撃に驚いた公孫流云の家族は、剣一つもっておらず、彼らは荷物を全部差し出して命だけは助けてくれと祈るばかりであった。 盗賊にとっても公孫流云の家族はたんなる金目当てであるので荷物だけを奪って退こうとした。 しかし荷物の品物を見ていた盗賊の一人が、自分達の初襲撃が容易く成功したことに喜んで悪戯をし、品物に指を差し込んだ結果怪我をしてしまう。 自分の血に驚いた盗賊は家族が荷物の中に危険なものを入れて自分を害しようとしたと言いがかりをつけて騒ぎ始めた。 しばらく後、その山賊の親分らしき人が騒いでいる盗賊を鎮め、公孫流云の家族に、自分達の仲間が血を見たのでお前達も血を見なければならないといい、一人腕を出すことを命じた。 あまりにもでたらめな状況ではあったが、公孫流云の父は抵抗せずに彼らの言葉に従うのが被害を減らす方法であることを知っていたので、何も考えずに自分の腕を出すといった。 その姿を見た山賊親分はあざ笑うような顔をし、大人の腕を切ったところで楽しみが無いので子供の腕を出せと言った。 悪質な奴に引っかかったと思った公孫流云の父であったが、抵抗する術がなかったので、盗賊にそれだけはだめなので自分の命を奪ってくれと哀願した。 しかしその盗賊親分はそんな父を足で蹴り飛ばし、剣で公孫流云の腕を切ろうとした。 そのときどこからか矢が飛んできて盗賊親分の振り上げられた腕を貫き、後ろに立っていたほかの盗賊の胸にめり込んだ。 苦痛のために悲鳴を上げる親分を見て自分達を狙っている者がいることを悟った盗賊は、いっせいに剣を抜いて2回目の攻撃に備えた。周囲を見回した盗賊の中で一人が自分達が降りた谷を指差し、皆がそこを見たときそこには巨大な弩を持った渤海の衣服を着ている一武士が立っていた。 腕を切られる恐怖のため打ち震えていた公孫流云が騒がしさのため目を開いたときには、一人対数十人の血統が始まっていた。 持つのも大変そうな巨大な弩を武士は軽く振り回して盗賊たちを倒していき、派手ではなかったが無駄一つ無いきれいな動きで敵を倒していく武士の動きは幼い公孫流云の心を完全に捉え、お茶一杯飲むほどの時間もたたないうちに戦闘が終わったころには、その渤海武士を欽慕する心まで生まれていた。 盗賊を全て処理した後武士はしばしの黙祷を掲げ、公孫流云の父に他の盗賊がいるかも知れないので早く旅に出るのだと忠告してあっという間に消えてしまった。 渤海武士の助けで慌ててその場を離れ、商売を無事に終えた公孫流云の家族であったが、彼らにはまた他の問題が待っていた。 その渤海武士の姿に完全にほれてしまった公孫流云はその日からずっと気が抜けたような姿をし、三度の食事も寝ることさえもせずにまともに仕事もなくなってしまった。 その時の公孫流云の頭にはその渤海武士しかいなかった。家庭の事情を良く分かっているのでどうしても家を出るという話をすることができなかったが、両親の承諾さえあればすぐにでも渤海国へ駆けつけてその武士の武術を学びたかったのである。 そんな状態で半年がたち、見るに耐えなくなってきた親は、結局公孫流云に家の心配はせずに渤海国へ言って武術を学んできなさいと承諾してくれた。 両親の思いやりを嬉しく思った公孫流云は両親に何度も礼をして、最強の男になって必ず股戻ってくると誓った。 翌日日が昇るとすぐに渤海国へと旅に出た公孫流云の足は軽やかであり、その武士を探す道程に少し不安があったが、彼の心は幸せで一杯であった。 しかし明るい未来に対する思いで膨れた期待とは違い、3年ほどの歳月をかけてやっとのこと渤海武士の消息を見つけたとき、公孫流云はおびただしい挫折感に倒れそうになった。 その渤海武士はすでに疫病により世を去った後であり、そこには彼の墓だけが残っていたのであった。 あまりの虚脱感に数日間墓場から動けなかった公孫流云の目に、横に立てられているもう一つの碑が目に入った。薄暗い目でその碑に書かれていた文を読んだ公孫流云の目は明るく光った。 その碑には渤海武士が天下を治めるという雄大な抱負が書かれており、そこに書かれている文字一つ一つがその文を読む公孫流云の胸を掘り下げて、よく分からないが自信を植え付けてくれたのである。 何度もその文を繰り返して読み、その文を完全に暗記してしまった公孫流云は礼を尽くして渤海武士の墓の前に跪き、自分はこれから一生その渤海武士を師父として仕え、師父が成すことができなかった夢を弟子が変わりに成すと誓った。 そして公孫流云は自分の誓いをこなすためにもっと多くのことを学ばなければならないので、師父の話しにしたがって当てのない旅を始めた。 こうして旅に出たある日、ある村の酒場で村人達と話をした公孫流云は、シルクロードという果てしない広い世界の話を聞き、そこでの経験が自分の誓いを守ることに大きな役に立つと思った。 そして数日後、公孫流云はいつの間にか長安に到着し、自分の手助けになる人々を尋ねるためにあたりを見回しながらシルクロードへと向けた旅を始めていた。
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【元ネタ】史実 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】慕容皝 【性別】男性 【身長・体重】180cm・82kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷B 魔力C 幸運B 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:A 幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。 【固有スキル】 早駆けの乗法:B 騎馬民族に伝わる、特殊な乗馬技術。 騎乗物の敏捷性、持久性を向上させ、さらに本人の騎乗時中の魔力消費を抑える効果がある。 地形適応:A 特定の地形に対する適応力。 氷原や降雪地帯などでの行動・行軍に一切支障を来たさない。 カリスマ:C 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。 カリスマは稀有な才能で、小国の王としてはCランクで十分と言える。 【宝具】 『駆けよ天意の氷道(ビンシャンジュン)』 ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~60 最大捕捉:1000人 凍結した渤海湾を渡って慕容仁を奇襲し討った逸話からくる宝具であり、 仁が皝にそむくまで決して凍ることがなかった海を渡り、陸の仁を討てと言う天意の象徴。 真名解放によってライダーに天意の氷結を操る能力を授ける。 生物の凍結・応急処置や武器の補強、果ては氷の道を作り出す能力にまで及ぶ。 氷の道は、馬が乗っても割れない。 【Weapon】 『無銘・剣』 これ自体は普通の剣。 だが宝具『駆けよ天意の氷道』を用いれば氷結の概念を宿す即席礼装として用いることもできる。 『無銘・軍馬』 渤海湾の奇襲行軍にも耐え抜いた精強な軍馬。 【解説】 五胡十六国時代初期、鮮卑族が打ち立てた前燕国の初代王。 龍のような畏怖すべき顔立ちと勇猛さを誇り、尚且つ知謀にも長けていた。 父である慕容部の大人(たいじん)、廆が死ぬと、跡を継ぐが異母弟の慕容仁が庶兄らと結んで反乱。 だが、この反乱は高詡の進言で渤海湾を渡った奇襲により二年で鎮圧。 燕王となった皝は段部を討ち、後趙の大軍に怯むことなく挑んで風穴を空ける強さを示した。 後趙の薊から高陽にまで侵攻し、段部・宇文部・夫餘を滅ぼし、高句麗を支配下に置き、 そして数多くの漢民族を獲得し、前燕をアジアの強国として強くした名君であるが、 皝も前燕もこれからという絶頂期に、狩猟の際の落馬事故で急逝。 後継者の慕容儁も名君であったが、前燕は五胡十六国の例に漏れず、儁の次代で呆気なく滅んだ。
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コウエイショウ(高永昌) 中国の大渤海の皇帝。
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員:きょう 五山の一つ。 渤海の東方に聳え立つという。
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渤海人ら出羽国に漂着 779年(H0779a) 宝亀10(779)年、渤海人ら359名が出羽国に漂着(渤海使ではない) 参考文献 上田正昭, 1997. 東アジアと海上の道. 明石書店.
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古朝鮮 前朝鮮 渤海