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天蓋領域との壮絶かつ困難なバトルの話は俺の中で整理がついた時にでもゆっくり 語ろうと思う…… 。 季節は三度目の桜がまるで流氷を漂うクリオネの姿で舞う光景を見ながら、 俺はシーシュポスの苦痛を3年間も続けたんだなという感慨にふけり、後ろを 振り返った。 北高に入り、ハルヒと対面したあの日が走馬灯のようによみがえってくる。 思えば「宇宙人、未来人、…… 」あの言葉を聞いた瞬間から俺は夢のような時を 過ごしてきたんだなとも思う。 まさに光陰矢のごとし、カマドウマにも五分の魂ってやつか…… 。 そんなこんなで今日は朝比奈さんの卒業式当日。 もちろん鶴屋さんもその満面に笑みを称え、卒業生の輪の中にいた。 「安定していますね、まさに一般人に戻ってしまった涼宮さんそのものですね。 あっ、それと僕の能力も消えてしまいました」 顔が近すぎるんだよ、古泉、あいも変わらずなぜそんなにくっついて話す 必要があるんだ? 「情報統合思念体も二次的なフレアの原因は涼宮ハルヒという生命体が持つ 内部の自己矛盾から開放されたと推測している。わたしの役目も終わりに 近づいているのかもしれない」 寂しそうな笑顔を向ける長門…… 寂しそうな笑顔? 長門、お前はいつから そんな感情を露にした表情ができるようになったんだ…… 。 「観察が終わればわたしはここから去らねばならない…… 」 その神のごとき能力を失ったハルヒは泣きじゃくる朝比奈さんと大笑いしている 鶴屋さんの真ん中で大いにはしゃいでいた。 卒業式の余興にあのバニーのコスプレでどうやら「GOD KNOWS」を 歌うらしいのだ。 もちろんSOS団内に結成したENOZⅡというバンド名なのはいうまでもない。 はしゃいでいるハルヒを俺はずっと目で追っていた。相変わらずハイテンション なハルヒ、昨日まで世界はお前を中心に回っていたといっても過言じゃないんだぜ! あの日を境にな、あの日を境にお前の能力が失われていることに気づいたのは つい最近なんだ、だが俺はなぜかほっとしている。これで、お前を、ちゃんと真正面から 見ることができるんだ。 不思議から開放されることが、いやもう二度とあの世界へは戻れないんだと してもだ、俺は心からハルヒ、お前が普通でいてくれることをありがたく思うよ。 この世界の創造主なんて役目はかわいい女の子には荷が重過ぎるだろ、違うか!? なんたって神様好きになっちゃバチが中るってもんさ、 卒業まで一年俺はこう思ってるんだ。不思議じゃない高校生活もきっといいもんだぜ…… 。 ハルヒ、告白しちゃいけないか、手をつないじゃいけないか、デートしちゃいけないか? この世界にたった一つ不思議があるとしたらめぐり合った奇跡じゃないのか? 「ハルヒ…… 俺は…… お前を…… アイシテル…… 」 了
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※注意書き※ 涼宮ハルヒの驚愕γ(ガンマ) のγ-7の続きとなります。 思いっきり驚愕のネタバレを含むので注意。 γ-8 翌日、火曜日。 レアなことに、意味もなく定時より早く醒めた目のおかげで、俺は学校前の心臓破り坂をのんびりと歩いていた。日々変わらない登校風景にさほど目新しさはないが、一年生らしき生徒どもが生真面目に坂を上っているのを見ると去年の自分の影がよぎる。 そうやってのびのび登校できんのも今のうちだぜ。来月にでもなりゃウンザリし始めることこの上なしだからな。 ふわあ、とアクビしながら、俺はやはり無意味に立ち止まった。 突然にSOS団に加入してきた佐々木、その佐々木を神のごとく信仰する橘京子、そして、何をしでかしてくれるか予測すらつかない周防九曜。 さて、これから何がどうなるのかね? 「ふむ」 俺は生徒会長の口調を真似てみた。考えていても前進せんな。まずは教室まで歩け。そこで団長の面でも拝むとしよう。俺の学校生活はそうせんと始まらん。いつしかそういう身体になっちまった。 その日の授業中、ハルヒはロープで繋いでおかないと宙に舞い上がりかねないほどソワソワした機嫌を維持していた。そのお眼鏡に適う新入団員を得られたのがよほど嬉しいようだ。 その日の昼休みも、ハルヒ謹製弁当と俺の母上作弁当との間の強制的おかず交換が実行され、クラスの連中から好奇の視線が向けられた。 ハルヒよ。これずっと続けるつもりか? 一緒にメシ食うぐらいならともかく、こんなことを毎日やっていたら本気で勘違いする奴が出てくるぞ。 校舎中のスピーカーが本日の営業終了を伝えるチャイムを鳴らし終えるとほぼ同時に、ハルヒは俺の腕をつかみ教室からすっ飛んで行った。目指すは、当然、我らが文芸部室である。 俺と古泉はUNOで対戦、朝比奈さんは部室専用メイド、長門はいうまでもなくいつもどおり。 ハルヒはパソコンを立ち上げるとなにやら印刷し始めた。 やがて、佐々木がやってきた。 「やあ、待たせたね、キョン」 おいおい、いくらなんでも早過ぎないか? 佐々木の学校からここまで来るには結構時間がかかるはずだが。 俺にしか聞こえない小声で古泉が答えた。 「『機関』から送迎の車を回してます。橘さんの依頼もありましたしね」 なるほど、そういうことか。 「団長に挨拶なしというのは、どういうことかしら?」 ハルヒがまるで姑が嫁をいびるかのようにそう言った。 「ごめんなさい。うっかりしてたわ」 「次からは気をつけなさい」 そして、唐突にこう宣言した。 「これから、佐々木さんには入団試験を受けてもらいます。今はあくまで仮入団段階。試験で落第点をとったら退団となるので、心して受けるように」 「おや、それは初耳ね」 いつものごとくハルヒの突発的思い付きだろう。 ハルヒは、ちょうどいい暇潰しネタを見つけてしまったようだ。佐々木も災難だな。 プリンタから吐き出された紙が一枚、佐々木に手渡された。 「試験は、ペーパーテストよ。制限時間は三十分。文字制限はなし」 そして指し棒をスチャッと伸ばし、 「始め!」 佐々木は、机に向かって、シャープペンを動かし始めた。 俺は、ハルヒが余計に印刷してしまったらしい紙を手に取ると、書かれている内容を確認した。 ・Q1「SOS団入団を志望する動機を教えなさい」 ・Q2「あなたが入団した場合、どのような貢献ができますか?」 ・Q3「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者のどれが一番だと思うか」 ・Q4「その理由は?」 ・Q5「今までにした不思議体験を教えなさい」 ・Q6「好きな四文字熟語は?」 ・Q7「何でもできるとしたら、何をする?」 ・Q8「最後の質問。あなたの意気込みを聞かせなさい」 ・追記「何かすっごく面白そうなものを持ってきてくれたら加点します。探しといてください」 これのどこがテストなんだ? 単なるアンケートだろ? それでも、佐々木は真面目に取り組んだようで、回答はA4用紙表裏2枚にわたる大作となった。 ハルヒは渡された回答用紙を読み終わって、 「まあ、及第点ね」 ハルヒは回答用紙を適当に畳んでポケットに収めた。 「おい、俺にも見せろ。あんな問題でどうやって4ページにわたる大作論文が書けるのか興味がある」 「それはダメ」 にべもない返事だった。 「守秘義務に反するわ。個人情報でもあるし、やたらと見せるわけにはいかないの。これはあたしが決めることだから、あんたに見せても意味がないってわけ」 よく輝くデカい瞳で俺を睨み、 「特に興味本位のヤツにはね。団員の選定は団長の仕事よ」 団長は断固拒否の態度を崩さなかった。 その後、俺は、朝比奈さんの豊潤な芳香立ち上るお茶で満たされた湯のみを片手に、UNOで古泉に連勝し続けた。 無事テストをパスした佐々木は、朝比奈さんとお茶の薀蓄を語り合っている。 さりげなく長門に目を向けてみた。 読書を続ける文芸部部長は、椅子から一ミリも離れず不動たるノーリアクションのままである。 長門が無変化で無言の体勢を崩していないということは、何の問題も起きていないということでもある。少なくても、あの九曜に動きはないようだ。 いつものように長門が本を閉じるのを合図として、団活は終了した。 昨日と同じように佐々木と帰路を共にすることになったが、いくら訊いても入団試験の回答内容は教えてくれなかった。 「団長の意向に逆らったら、退団させられるかもしれないからね」 佐々木の顔は、どう見ても自分の言葉を信じているようには見えなかった。 わざわざ学外の人間を入団させたんだ。ハルヒは、佐々木をそう簡単に退団させたりはしないだろう。 そのことは、佐々木も分かっているようだった。 γ-9 翌日、水曜日。 これが一時的なのか、この後も続いて加速度を増すのか、とにかくポカポカ陽気は春を超えて初夏というべき気候にホップステップという感じでジャンプアップを遂げていた。そういや去年もこんなんだったような。 どうやら地球はどんどんヌクくなりつつあるようで、それが人類のせいなんだとしたら早いとこなんとかしないと、シロクマや皇帝ペンギンから連名の抗議文が全国各地の火力発電所気付で届くに違いない。字の書き方を教えに行ってやりたい気分だ。 そんなわけでこの朝、登校ナチュラルハイキングに甘んじる俺のシャツは早くも汗で張り付くようになってきた。隣の芝は青々と茂って俺の目にうすら目映く、それにつけても冷暖房完備の学校が憎くてたまらん。 今度会ったら生徒会長に注進してみたい。実際的な予算の有無はともかく、喜緑さんの宇宙的事務能力ならエアコンの二十や三十、たちどころに設置完了となるかもしれない。 俺の足取りはいつものペースだが、多少早歩き気味なのは無常な校門が閉ざされてしまう時間ギリギリであるせいである。 いつものことなんだが、余裕をもっての登校がついぞ実行できてないのは、家を出発する時間がおおむね決まっており、遡れば起床の時間も一年から二年になっても変化していないという事実をもってその答えとしたい。 一回間に合いさえすれば、次からも同じ時間での発走となるのは、実は人間が持つ経験値蓄積の結果と言うべきだろう。用もないのに早朝の学校に行きたがる生徒なんざ、ボロ校舎に倒錯的な趣味を持つフェティシズムの持ち主だけさ。 本日、通学路の途中、毎度のことながらひいひい言いつつ坂道を上っていると、背後から意外な人物の声がかかった。 「キョン」 国木田だった。俺の後を急いで追ってきたんだろう、国木田は荒い息を吐きつつ、 「佐々木さんがSOS団に入ったそうだね」 なんでおまえが知ってるんだ? 「昨日、校内でばったり会ってね。あまり話す時間はなかったけど、中学時代と変わってなかった」 まあ、そうだな。 「でも、佐々木さんもキョンも最近、九曜さんと知り合ったと聞いたときには驚いたよ。こんな偶然もあるのかなって」 おいおい、なんでおまえが九曜を知ってるんだ? 「谷口の元カノだよ」 前に言ってたクリスマス前に交際が始まって、バレンタイン前に振られた彼女か? 驚いた。それは、本当に偶然なのか? 「世間は意外に狭いってことなんだろうけどね。ただ、谷口には悪いけど、九曜さんに最初に会ったとき、関わり合いにならないほうがよいと直感したんだ。なんか普通の平凡な人間とは違うような気がしたから」 鋭い────。とも言えないか。あの九曜を見てうさんくささを感じないまともな人間がいるとも思えんからな。国木田の感想は至極まっとうなノーマル人間のそれだろう。 「僕なら彼女と付き合ったりはしないね。谷口くらいのものさ。でさ、実はね────」 声をひそめた国木田の顔が接近した。 「ちょっと言いにくいんだけどさ。僕は似たようなことを朝比奈さんや長門さんにも感じるんだ。 気のせいだとは思ってるんだけど、どこかが違う。けれどあの鶴屋さんが足繁くキョンたちの輪に入っていることを考えると、それは警戒するものでもないだろうとも考えるんだけどね。 いや、ごめんよ、キョン。気にしないでくれよ。一度言っておきたかったんだ。SOS団でまた僕の活動が必要なときはいつでも声をかけて欲しいね。できたら鶴屋さんと一緒がいいな」 その後、教室まで、俺と国木田はどうでもいいような日常的会話に終始した。国木田は言うだけ言ってそれっきりすべての興味をなくしたように、中間試験の心配や、体育の授業でする二万メートル走への愚痴を語っていたが、なかなか見事な日常話題への切り替えだった。 こいつはこいつで俺にライトなアドバイスをしてくれているつもりなのか。特に鶴屋さんへの言及は、漠然としながらもなかなか核心をついた洞察力だと言わざるをえないだろう。 ここにも俺たちをよく解らないまでも心配の種としている同級生がいるわけだ。何しろ国木田は俺と佐々木を知っている唯一のクラスメイトだしな。俺たちの間に何か奇妙かつ歪んだ関係性めいたものがあると感づいていてもおかしくない。 聡く、親身になってくれる友人を持って俺はなんと幸せ者か。テスト前のヤマ張りでもお世話になっているし、中学時代からの付き合いでもあることだし、そろそろハルヒにかけあって単なるクラスメイトその一以上の認識を与えるべきだろう。 ただし谷口は除かせてもらうがな。奴には永遠の一人漫才師がお似合いだぜ。 きっと国木田もそう思っているのだろう。だから、先ほどのようなセリフを俺たち二人しかいない、このタイミングで俺に吐露したんだ。 どうも俺の周辺の一般人ほど、なんだか妙に勘がさえてくるみたいだな。誰の影響だろう。 午前午後の学業時間はこれということなく進行し、俺が授業の半分くらいをうつらうつらしている間にいつのまにか終業のチャイムが鳴っていた。 なお、本日の昼休みもハルヒ謹製弁当と俺の母上作弁当との間で強制的おかず交換がなされたことを付言しておく。 放課後。 ハルヒとともに団室に入った俺は、鞄を床に置き、古泉の向かいに座った。 「どうです? 一局」 古泉が、テーブル上の盤を俺のほうに寄せてくる。 「なんだ、これは」 一風変わった盤上に丸い石。刻まれている漢字は『帥』とか『象』とか『砲』などの、動かし方の検討もつかないチャイニーズミステリアスな様相を呈する駒だった。 オセロでも囲碁でも軍人将棋でも連戦連敗の古泉め、今度こそ勝てそうなボードゲームを搬入してきたということか。 「中国の将棋です。象棋(シャンチー)とも呼ばれていますね。ルールさえ覚えたら、気軽に誰でも楽しめますよ。たいして難しくはありません。少なくとも大将棋よりは手短に終わるでしょう」 そのルールさえ、という部分が問題なのさ。そいつを覚えるまで俺は連戦連敗の苦汁を舐め続けるに決まってるじゃないか。花札にしないか? オイチョカブでもコイコイでも母方の田舎ではちょいと鳴らした経験がある。 「花札は盲点でしたね。いずれ持参しますよ。それでこの象棋ですが、チェスや囲碁将棋と同じでゼロサムゲームだと解っていれば、それで充分です。あなたならたちまちのうちにルールを飲み込めます。 差し掛けの囲碁の盤面を見て、あっさり勝敗を看破できる実力があれば鉄板ですよ。これもボードゲームとしては運の要素があまりありませんから、あなた向きだと思いますよ」 余裕の笑みを浮かべ、 「では、最初は練習ということで、初戦は勝敗度外視でいきましょう。まずこの『兵』いう駒の動かし方ですが──」 俺は古泉に教えられるまま、駒を並べ、それぞれの動きの把握にかかった。将棋に近いが細かい部分はけっこう違う。まあチェスやオセロにも飽きていたことだし、新しいボードゲームに親しむのも悪くはないかな。 「お待たせしました」 天使のような声色とともに、お盆に湯飲み載せた朝比奈さんが視界の中に入ってきた。 「ルイボス茶といいます。カフェインゼロで健康にいいそうです」 朝比奈さんから湯飲みを手に取り、赤茶けた液体を一口すすり、同様の行動をとった古泉と数秒後に目が合った。 「……風変わりな味ですね」 微苦笑とともに感想を述べた古泉とまるごと完全に同感である。決して不味くはない。かといって刮目するほどの美味さでもない。むしろ口に合わない、妙な風味がする。 これなら煎茶や麦茶のほうが忌憚なくがぶ飲みできるだろうが、正直に舌の具合を報告するには俺はちと小心者すぎた。 「違うのとブレンドしたほうがいいかなあ?」 朝比奈さんはさらなる改良を思案しているようだった。 そこに佐々木がやってきた。 ハルヒは、佐々木がやってくるなり、 「佐々木さん、パソコン詳しい?」 「人並み程度だけど」 「そう? じゃあ」 団長机に鎮座するコンピ研印のパソコンディスプレイには、例のSOS団ウェブサイトが、かつて俺が作った状態のまま表示されている。 もちろんショボいレイアウトにチャチなコンテンツと、意味のある文字列などメールアドレスしかないという、今時日進月歩で進化し続けるネットの世界において、ほとほと時代遅れなホームページであると言わざるをえない。 ブログ? 何それ? って感じのデジタルデバイトっぷりである。 そのうちリニューアルすべし、とハルヒの意気だけは高かったが、もっぱらその役目は俺に任じられており、そしてそんなもんはまったくする気のなかった俺はなんやかんやと理由をつけて先延ばしにし続けていたわけで。 実際、SOS団の名がネットワークに流失して誰一人幸福な結果になりそうにないというのは、去年のコンピ研部長の件でも明らかだったため、ハルヒには適当に忘れていて欲しかったのだが。 アクセスががんがん増えてネット内知名度を高める野望を未だ捨てきっていなかったらしい。 もちろんハルヒは長門がロゴマークに細工したことを知らないし、気づいてもいない。 「サイトをもっと人目を呼ぶようなのにしたいだけど、できるかしら?」 と、ハルヒは付けっぱなしのパソコンモニタを指さし、 「SOS団のメインサイト。キョンが作ったきりのまるで殺風景な役立たずな代物なのよ。なにより美しくないわ。世界にはもっとスタイリッシュで情報満載なサイトがたくさんあるっていうのに、これじゃワールドワイドウェブの名が泣くというものよ」 悪かったな。 「ご期待にそえるかどうかは解らないけど、やってみるわ」 古泉と象棋に集中している間も、俺は他の団員の様子をちらちらと窺っていた。 長門は本を読んでいる。黙々と読んでいる。新しい団員が増えたところで所詮それは文芸部の新戦力ではないと達観しているのか、一年前からこの部室での態度はアイスランドの永久凍土のように不変だった。 膝に置いている単行本がやや薄茶けているが、古本屋から掘り出し物を入手した稀覯本なのかもしれない。こいつの行動範囲も市立図書館から広がりつつあるのか。 寂れた古書店を巡ってふらふらした足取りで本棚から本棚へと移動している長門を想像し、俺の精神はどことなく落ち着いた。 佐々木にウェブサイトデザイナーの才能はなかったらしく、SOS団ホームページは結局はあまり前と変わり映えしない感じに落ち着いた。佐々木に言わせれば細かい点ではいろいろと改良されたということらしいのだが、見た目では解らん。 帰り道。 俺と佐々木の今日の議題は、国木田が朝、話していたことだ。 周防九曜について、佐々木の率直な意見を聞いてみたかった。 「九曜さんについては、僕もいろいろと試行錯誤しながら考えてみたんだけどね」 佐々木はそう前置きしてから、 「僕は子供の頃から、地球外生命体がいるのなら、いったいどんな姿形をしているのかと想像していた。小説やマンガでは、光学的に視認できる形状のものが多かったし、ある程度の意思疎通も可能であることが前提条件だった。 たとえば素数の概念を理解してくれたりね。翻訳機という便利なアイテムが登場することも稀ではなかったな」 そこから始まる宇宙的対話がキモであるSFは枚挙のいとまがない。これでも俺は長門の影響で最近の小難しい海外SFを多少はたしなんでいる。フィクションから学ぶことだって多いのさ。 「ま、それはそれで置いとくとして、長門さんの情報統合思念体や、九曜さんの広域帯宇宙存在については、どうやら人間の紡ぐ解りやすい物語上の異星人とは根本的なズレがあるように思える」 火星や水星にヒューマノイドタイプの宇宙人がいたと書いていた前時代のSF作家たちに聞かせてやりたい言葉だ。たぶん当時よりもっと面白い物語活劇を書いてくれだろうにな。 「そうだね。SFに限定することもなく、例えばJ・D・カーがこの時代に生きていたら、現代技術を取り込んだ奇抜で新機軸な密室トリック小説を大量に生み出して、僕を読書の虜にしてくれたものなのにね。 いっそカーを時間移動で現在に連れてこられないものだろうか。キミの朝比奈さんに頼んでみてくれないかな。真剣にそう思うよ」 残念だが俺だって過去に連れて行かれたことがせいぜいで、未来には行けてない。きっと禁則事項やら何やらで、進んだ時間の世界には行けないことになってるんだろう。 「それは余談だけどね。思うに、彼女たちは僕たち人間の価値観と理屈が理解できないんじゃないかな。 高次元の存在が無理矢理、人間のレベルまで降りてきているわけだから、何を話しているのかは解っても何故そんなことを話しているのか解らない。あるいはどうしてそんな話をする必要があるのか解らない、みたいにね。 5W1Hのうち、誰とどこは判断できても残りが全然ダメだとしたら、そんな存在とまとな対話ができると思うかい?」 思わないね。長門の言ってることすら納得不能に近いのに、九曜に至っては5W1Hのどれも噛み合わない感じだ。 しかし、佐々木は、 「この手のコミュニケーション不全は特に難しい問題ではない。たとえばキミはミジンコやゾウリムシの価値観を理解できるかい? 百日咳バクテリアやマイコプラズマと一緒に談笑できると想像できるかな?」 俺の知能ではちと難しいことは確かだな。 「単細胞生物やバクテリアが人間レベルの知能を獲得したとしても、きっと同じ感想を抱くと思うよ。この二本足で歩く哺乳類はいったい何がしたくて生きているんだろう。人類はこの惑星と世界をどうしたいのか、と疑問以前に呆れるかもしれないな」 俺自身、何がしたくて生きてるのかなんて考えても解らんからな。全人類的に考えて圧倒的多数派であるとは信じているが。 「たとえばキョン、キミにとって一番大切なものは何だい?」 突然言われても、とっさには出てこない。 「僕もだよ。高度に情報の錯綜する現代社会において、価値観が定量化されることはまずないといっていい」 佐々木の表情と口調は変化しない。 「たとえば、ある人にとっては金銭かもしれないし、情報だと言う人もいるだろう。別の人は絆こそが最も大切だと主張するかもしれない。 それぞれ全然別の価値基準を持っているものだから、自分の価値観のみでこの世のすべてを判断することはできない────と、僕もキミも知っているだけの話さ。だからこそ、問われてすぐさま回答を出すことができないわけだ」 そうかもしれない。 「でも昔の人はそんな問いかけにそれほど悩まなかったと思うよ」 そうかもしれない。 今でこそ情報は好きなときに好きなだけごまんと手に入る。しかしほんの百年、いや十年前でさえ入ってくる情報は限られていた。これが戦国時代、平安時代ともなるとどうだ。 何かを選ぶことに対し現代人より躊躇いは深いものだっただろうか。当時、選びようにも選択肢は限られていたにちがいない。 多様性を増して選ぶ自由が増えたと言っても、逆に何を選べばいいのか悩むのであれば、むしろそれは多様化による選択の弊害になるんじゃないか? どれを選ぶべきなのか何の情報もないとき、人はより多くの人間が選ぶものを手に取るだろう。 それだと本末転倒だ。多様化どころか、実は一極集中が進んでいることになる。価値観の均一化だ。 「どうも異星人たちは拡散よりも均一化を正常な進化と考えていたようなんだ」 佐々木の声は常に淡々としている。 「でも、どうやら違う側面もあると気づいた気配があって、それはたぶん、涼宮ハルヒさんやキミと出会ったことがきっかけになっていると僕は推理するのだがね」 ハルヒはいい。あいつなら火星人に大統領制を承認させるくらいのことならやってのけるさ。しかし、俺にそんなバイタリティはないぜ。 「いやいや、実際、キミはたいしたやつだ。橘さんから聞いた話だけでもね。さすがは、涼宮さんと僕が選んだ唯一の一般人だ」 今の俺の意識は選民意識とはほど遠い地点にある。そんな自信満々に言われてもただ困惑するだけだ。選ぶだの選ばれただの、何なんだよそりゃ、と言いたい。叫びたい。 長門や古泉や朝比奈さんが俺を特別視したがっているのは解っているし、俺だってそこそこの覚悟を持っている。去年のクリスマスイブに腹をくくったさ。それは今でも作りたての豆腐のように心の深奥に沈んでいる。 ハルヒの無意識が何かをしでかした結果として俺がこんな立場に置かれているのは渋々ながらも認めざるを得ないとして、佐々木、お前までもが俺を選んだと言うのはどういうことだ。 ハルヒは徹底的に無自覚なはずで、お前はそうじゃない。神もどき的存在であるという、ちゃんとした自覚があるはずだ。理解しているんだったら教えてくれ。 なぜ、俺を選ぶ。 「ふっ、くく。キョン、キミの鈍重なる感性には前から気を揉ませてもらっていたが、この期に及んでまでそんなことを言うとはね」 愚弄しているのではなく、単に呆れているだけのようだった。 「まあ、それはともかくとして、キミの類稀なる経験を今回も生かしてもらいたいと思う。できれば、話し合いで解決してほしいね」 相手にその気があるのならな。 問題はその相手が何を考えてるのかすら解らないことだ。いきなり武力行使に及ぶ可能性だって否定できない。 相手がそうしてきたら、もう長門に頼るしかない。宇宙人的パワーの前には俺なんてミジンコ以下だろうからな。場合によっては、喜緑さんにも出張ってもらおう。 佐々木は、別れ際にこう言い残した。 「キョン。団共有のパソコンにMIKURUフォルダなんて隠しフォルダを設けるのは、あまり感心しないね。そういうのは、自分専用のパソコンでこそこそやるものだ」 驚愕の俺の顔を置き去りにして、佐々木は颯爽と去っていった。 γ-10 翌、木曜日。 朝から夕方まで普通にルーティーンな授業を受け続ける時間が、ひねもすが地を這うごときにだらりんと続き、ホームルーム終了の合図でようやく俺とハルヒは五組の教室から自由の身となった。 俺とハルヒは一目散に教室を飛び出した。言っておくが俺はあくまで団長殿に腕を引っ張られての強制連行に近いのだぜ。そこだけは勘違いしないでいただきたい。 そうしてハルヒと肩を並べて文芸部室まで行く道のりもいつも通りなら、学内の春的雰囲気も普段どおりである。四月も半ばとなるとすっかり春という季節に飼いならされちまう。 さすがは四季、頼みもしないのに律儀に毎年現れて、悠久の歴史で地球上の生物をコントロールし続けるのも伊達ではないと言ったところか。 だが、毎日毎日、何もかもいつもどおりというわけではなく、 「あっ、涼宮さん。長門さんと古泉くんは今日は用事があって来られないそうです」 部室のドアを開けるなり、メイド姿の朝比奈さんが駆け寄ってきてそう言った。 「そう。なら仕方ないわね。今日は団活は休みにしましょ。佐々木さんにはあたしからメール入れとくわ」 ハルヒはそういうと身を翻して帰っていった。少々残念そうな顔だったな。 解るさ。いつものメンバーが揃わないと団活にならんからな。 メイド服から制服にお着替え中の朝比奈さんを残して、俺も帰路についた。 学校の玄関に到着した俺は、機械的かつ習慣的な動作で自分の下駄箱を開けた。 「ぬう?」 ずいぶんと久しぶりな物体が、揃えた外靴の上に載っていた。 ただし、いつぞやのものとは違って無味乾燥な封筒。宛先も差出人の名も書いてない。 封をあけると、一枚だけの便箋に印刷したかのような明朝体の文字が躍っていた。 ────本日、私の部屋にて待つ。 差出人はいうまでもないだろう。 俺は、すみやかに靴を履き替えると、長門のマンションに直行した。 すっかり馴染みになってしまった長門の部屋。 そこにそろったのは、俺、長門、古泉、喜緑さん、そして、橘京子だった。 いまさらこのメンバーが勢ぞろいしたところで驚きはしないさ。それぐらいの耐性が備わってるつもりだ。 「わざわざご足労いただきすみません」 古泉がいつものスマイルを崩さずに、社交辞令を述べる。 「さっさと本題に入ってくれ。このメンバーで話し合いってことは、なんかあったんだろ?」 「はい。実は、『機関』と橘さんの組織、両方で佐々木さんをSOS団から引き剥がそうとする動きが起きてます」 対立する組織で同じ動きが起きるというのは、奇妙なことだ。 古泉は、それとなく、橘京子に続きを促した。 「組織の中で、佐々木さんがそちら側に取り込まれてしまうことを懸念する勢力が増えているのです」 考えてみれば、それは当然だろうという気はする。 「おまえ個人の意見はどうなんだ?」 「私は、このまま佐々木さんをSOS団に留まらせるべきだと思います。聡明な佐々木さんなら、涼宮さんを近くでじっくり観察すれば、神の力を彼女に保持させ続けることの危険性を理解できると思うのです」 その言葉に嘘はないだろうと、俺は思った。橘の立場ならば、そういう判断もありだ。 「で、『機関』の方は、なんで佐々木をSOS団から引き剥がそうとしてるんだ?」 「佐々木さんの加入以来、涼宮さんの力が活性化しています。ポジティブな方向での活性化ですが、それでも活性化していることには違いありません」 確かに、最近のハルヒは機嫌がいいというか、何か張り合いみたいなのが出てきたというか、ポジティブな方向への変化は見られる。 「このままでは、秋に桜の花が咲いたりといった異常事態が頻発する恐れがあります。ひいては、世界そのものが改変されてしまうかもしれない。まあ、こんなふうに考える人たちが増えてるんです」 『機関』の役目は、ハルヒの訳の分からない力を抑えて、世界がこねくり回されることを阻止すること。 だとすれば、ハルヒの力の活性化原因を除去しようという動きは当然のことだ。 「おまえ個人の意見はどうなんだ?」 「僕は反対ですね。佐々木さんを無理やり引き剥がせば、涼宮さんの力がネガティブな方向に発現されかねません。まず、間違いなく閉鎖空間が頻発するでしょう。それを抜きにしても、SOS団の意思を無視して事を進めることには賛成いたしかねます」 「なんとも奇妙な話だな。敵対する組織同士の利害が一致して、敵対するはずの個人同士の利害も一致しちまった。そして、組織と個人は対立してる」 「僕たちの世界じゃ、別に珍しいことではありません。利害が一致すれば手を組み、反すれば手を切る。普通のことです」 「それじゃ、俺はおまえを信用するわけにはいかなくなるぞ」 「問題は、どこに基本軸を持つかということですよ。僕の基本軸はSOS団にあります。橘さんにとってのそれは、佐々木さんでしょう」 橘が無言でうなづいた。 古泉がいいたいことは、僕とあなたの基本軸は同じですといったところなのだろう。 まあ、その点に関しては、古泉を信用してやってもよいとは思っている。 「僕が気になるのは、現状が変化するとして、情報統合思念体がどう動くかです。長門さん、そこのところはどうでしょうか?」 「情報統合思念体主流派は、涼宮ハルヒの情報改変能力の肯定的な方向での活性化を好ましいものと考えている。それを妨げる行動は阻止することになると思われる」 「穏健派のご意見は?」 これには、喜緑さんが答えた。 「穏健派は、涼宮ハルヒの情報改変能力の否定的な方向への変化を望んではおりません。それは、情報統合思念体の存立を危うくする恐れがありますから。よって、それを誘発する可能性がある動きに対しては否定的にならざるをえません」 少なくても、この件に関しては、情報統合思念体はこっちの味方になってくれそうだ。 これもまた、利害の一致というやつだが。 「問題は、九曜の親玉がどう動くかだな」 俺は、一番の懸念材料を素直に口に出してみた。 「広域帯宇宙存在の行動原理は不明のまま。周防九曜がどう動くかも予測がつかない。現状では彼女は観測に徹しており、特段の動きは見られない」 長門が厳然たる事実だけを述べた。 「そこのところが不気味ですね。彼女たちの基本軸が見えないと、行動の予測もつかないですから。まったくのお手上げですよ」 「周防九曜への警戒は、私と喜緑江美里が継続する」 「現状では、それ以外には対処のしようもありませんね。よろしくお願いします」 事態がややこしくなってきたな。 九曜だけじゃなく、『機関』や橘京子の組織も要警戒か。 「『機関』は僕が多数派工作をしてみます。今のところ決定的な事態にはまだほど遠いですから、間に合うかもしれません。僕のところに『機関』内の情報が流れてこなくなったときが真の危機でしょうね」 「こっちの方は、私が何とかします」 橘はそう言ったが、こいつの組織内での立場からするとあまり期待できない。 となれば、せめて『機関』だけでも味方にとどめておかなければなるまい。いざとなったら、鶴屋さんを拝み倒すしかないだろう。 佐々木は、団長殿に認められたSOS団員なのだ。 その意思を無視して、勝手に引き剥がすなんてことは認められない。 γ-11 もう金曜日か。 この一週間はやたらといそがしかった気がするな。佐々木がSOS団に加わっただけだというのに、なんだか二週間分の人生を過ごしたような気がしている。 やはり九曜とか橘京子の組織とか『機関』とかがどう動くか解らないせいで、どうも気がそぞろになっていかん。 そんな気分で登校し自分の席についたわけだが、ハルヒの席はずっと空席のままだった。 やがて、担任の岡部がやってきて、こう告げた。 「今日は、涼宮は風邪で休みだそうだ」 ハルヒでも風邪を引くことがあるんだな。あいつなら、風邪のウィルスも裸足で逃げていきそうなもんだが。 と、いきなり、俺の携帯が震えだした。携帯の画面を見ると、古泉からだった。 ホームルームの時間中に電話をかけてくるとは、何かの緊急事態だ。 「先生、ちょっとトイレ行ってきます」 俺は、岡部の同意も取らず、教室を飛び出した。 すぐに電話に出る。 「どうした?」 「緊急事態です。至急、部室に集合してください」 いったい何が起きたんだ? γ-12 俺は、全速力で部室に駆け込んだ。 そこには、古泉、長門、朝比奈さん、そして、喜緑さんがいた。 「いったい何が起きたんだ!?」 「涼宮ハルヒが、周防九曜の襲撃を受けている」 長門が、あくまでも淡々とした声でそう告げた。 「なんだって!」 「いきなり本丸を奇襲してくるとは、意外でした。不意をつかれましたね」 古泉の冷静な口調が、俺をいらだたせた。 「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろ!?」 俺の叫びを無視するかのように、喜緑さんが口を開いた。 「長門さん、私は賛成いたしかねますね。周防九曜に対応するのは、私たち二人で充分ではありませんか? 人間がいても障害にしかならないでしょう」 「事は涼宮ハルヒにかかわること。不測の事態がないともいえない。可能な限りでの対応能力の確保が必要。それに、彼らがそれを望んでいる」 長門の言葉に古泉と朝比奈さんがうなずいた。 「わかりました。それが長門さんのご判断なのならば、これ以上は何も言いません。情報統合思念体への救援要請は私からしておきます」 長門は無言でうなずくことで、同意を示した。 「私がみなさんを現地に転送します。無断早退になってしまいますが、その辺は私が情報操作しておきますので」 喜緑さんが、呪文を唱えだした。 γ-13 喜緑さんの呪文が終わった瞬間に、俺たちは、ハルヒの家に転移していた。 「こっち」 長門がまっさきに階段を駆け上がっていく。 長門に続いて部屋に飛び込むと、そこにはハルヒと九曜、そして、なぜか佐々木もいた。 「きゃっ!」 ハルヒと佐々木の様子に、朝比奈さんが悲鳴をあげ、俺はしばし呆然とした。 「なんだ、これは!?」 γ-14 ハルヒと佐々木。二人の体の一部が、融合としかいいようがない状態でくっついていた。二人の意識はないようだ。 「てめぇ、何をした!?」 九曜は、こんなときでも、まるでやる気がないような声で、こう答えた。 「融合……完全化」 「なるほど。『力』の器の融合による『力』の完全化ですか。二人が接近するのを放置していたのも、同期率を高めるのに好都合だったからでしょうね」 九曜のあまりに情報量が少ない言葉を、こんなときでも嫌味なほど冷静な古泉が翻訳してくれた。 「私がさせない」 長門が攻撃をかける。 無数の光の矢が九曜に襲いかかるが、すべて弾き飛ばされた。 その間に、長門は一気に間合いをつめて九曜に殴りかかった。だが、九曜が右手がそれを難なく受け止めていた。 「なぜ……融合、望んでない?」 「強制的な融合は、力の対消滅をもたらす可能性がある。容認できない」 「対消滅とは何か」 九曜の髪がうなるように動き、長門が弾き飛ばされる。 長門は、部屋の壁に打ちつけられた。 「くっ」 長門は、何か重たい物が乗っかったかのように、床に倒れ伏した。起き上がろうとしているのに起き上がれない。息が苦しげだ。 「涼宮ハルヒとは何か」 そこに、唐突に銃声が響いた。 古泉がいつの間にか拳銃を握っていた。お前、そんなもんどっから持ってきたんだよ? その疑問に答える者はない。 飛び出した弾丸は、目に見えないバリアのようなもので弾き返された。 「やはり、こんなものは通じませんか」 続いて、一筋の光線が九曜に向けて飛んできたが、これも弾き返された。 その光跡を逆にたどると、そこには未来っぽい銃らしきものを握った朝比奈さんがいた。おそらく、光線銃かなんかなんだろう。 クソ。未来の武器も通用せずか。 ハルヒと佐々木の方を見ると、二人の体は、既に半分がくっついている状態だった。 突然、部屋がぐにゃりと歪んだ。 「その程度の物理攻撃は、九曜さんには通用しませんよ」 そして、空中から忽然と現れたのは、喜緑さんだった。 圧迫が解けたのか、長門がゆっくりと立ち上がった。 「遅れてしまってすみません。あのあと、この部屋が情報封鎖されてしまいまして、解除するのに時間がかかってしまいました」 「言い訳は後で聞く。今は、敵性存在の排除を優先すべき」 「そうですね」 二人は、そろって高速で呪文を唱えだした。 これでこちらの勝利は確実だと思ったのだが、そうは問屋がおろさなかった。 二人の呪文は延々と続き、止まることはなかったのだ。 やがて、二人の顔から汗がしたたり落ちてきた。 宇宙人同士の戦闘については素人の俺でも、これはまずそうだというのは分かった。二人がかりでも、九曜一人にかなわないというのか? 突然、喜緑さんが崩れるように倒れた。 同時に、長門の顔が苦悶で歪んだ。 そして、九曜がゆっくりと長門に近づいてきた。長門は一歩も動けない。 「力とは何か。答えよ」 「この野郎!」 俺は思わず九曜に殴りかかったが、俺の拳は九曜に届くことはなく、俺の体は九曜の髪の毛に巻き取られるように空中に固定された。 「キョンくん!」 朝比奈さんの悲鳴が聞こえた。 銃声が何度も聞こえた。だが、弾丸は九曜には全く届いていない。何度も放たれた光線も九曜の周辺ですべて消失していた。 「あなたは答えてくれる? 涼宮ハルヒとは何か」 九曜は、表情を────劇的と言ってもいい────変化させた。 微笑んだのだ。 とんでもなく玲瓏で美しい笑みだった。 感情の発露というよりは高度なプログラムが完璧に模倣したような笑顔だったが、こんな笑みを向けられた男はどんな朴念仁でも一瞬にして一目惚れ病に罹患する。 耐えられたのは俺でこそだ。事情を知らない谷口あたりなら即、墜落だ。 それは、唐突だった。 九曜の背後に何かが現れたかと思うと、九曜の口からコンバットナイフが飛び出した。それは、九曜の頭を完全に貫通し、俺の心臓に突き刺さる直前で停止した。 ナイフの柄を握る手までもが見える。それだけで、人間技では不可能な力をもって突き刺されたことがわかる。 俺の心臓が無事で済んだのは、そのナイフが誰かの左手で白刃取りされていたからだ。 片手での白刃取りを成し遂げた主────長門はすかさずこう唱えた。 「パーソナルネーム周防九曜の情報生命構成を消去する」 九曜が砂が崩れ落ちるように消えていく。 その代わりに、ナイフを突き刺した人物の姿が明瞭に現れてきた。 北高の長袖セーラー服に包まれたかつての一年五組の委員長が、さっきの九曜に勝るとも劣らない笑みを浮かべてそこに存在していた。 「あら、残念。ついでにあなたも殺せると思ったのに」 「…………朝倉か」 「ええ、そうよ。他に誰かいる?」 ナイフの柄を握る朝倉の握る手と、その刃を白刃取りしている長門の手が、ともに震えていた。両者ともその手に尋常でないエネルギーを注ぎこんでいるようだった。 「協力に感謝する。また会えてうれしい」 長門がそう言った、本当にうれしそうな口調で。 言っておくが俺は全くうれしくないぞ。二度も殺されかけた相手を歓迎するほど、俺はマゾじゃない。 「命じられたから来ただけよ。でも、私も長門さんに会えてうれしいわ」 ナイフは依然として小刻みに震え続けていた。 「あなたの再構成は、敵性存在排除のための措置。彼の殺害は、情報統合思念体の総意に反する」 「そうですよ、朝倉さん」 俺の背後から喜緑さんの声が聞こえた。彼女もいつの間にかすっかり回復したようだ。 喜緑さんはさらに何か呪文のようなものを唱えた。 すると、朝倉と長門の間で震えていたナイフがまるで霧のように消え去った。 と同時に、宙に浮いていた俺の体が床に下ろされる。 「つまんないわね」 「喜緑江美里は私ほど甘くはない。次は有機情報連結解除ではすまなくなる。自重して」 長門が淡々とした口調でそう言った。 「そういえば、あのとき長門さんの処分が決まってたら、処分実行者は喜緑さんになる予定だったんだっけ?」 あのときって、昨年の12月18日のことか? 「情報統合思念体の総意は、不処分と結論付けました。現時点において過去に仮定を持ち込むことには意味がありません」 「まっ、そうだけどね」 朝倉は俺に視線を向けて、 「近いうちに二年五組に転入予定だからよろしくね」 そう言い残すと、部屋から去っていった。 「おい、長門。これはどういうことだ?」 「朝倉涼子は、私のバックアップとして再構成された。今後も広域帯宇宙存在の攻撃の可能性は否定できない。それに備えるため。私と喜緑江美里が監視するので危険性はない」 「そうは言ってもだな……」 たった今だって殺されかけたんだぞ。はいそうですか、ってわけにはいかないだろ。 「彼女は私の最初の友人。仲良くしてほしい」 長門、友達はよく選んだ方がいいぞ。 「さて、このお二人はどうしましょうか」 古泉が、ハルヒと佐々木を見下ろしていた。喜緑さんの呪文で元通りに切り離された二人の意識はまだ回復してない。この状態でいきなり目を覚まされても対応に困るが。 「二人の記憶は改竄しておく。最小限の情報操作でこの事件自体なかったことにする」 「まあ、それが無難でしょうね」 何はともあれ、最大の脅威と見られていた周防九曜は消滅した。 代わりに危ない奴が復活しちまったし、佐々木を巡る『機関』やらの今後の動きは気になるところだが、とりあえずこれはこれで一件落着だろうと、俺は思った。 しかし、それは甘い見通しだった。 γ-最終章 週明け、学校での昼休み。 毎日弁当を作ってくるのに飽きたらしいハルヒが以前のように学食に向けて飛び出していった後に、俺のクラスに朝比奈さんが訪ねてきた。 「キョンくん、ちょっといいですか?」 はいはい。朝比奈さんのお誘いならば、どこへでも参りますよ。 朝比奈さんに連れられて、俺は学校の屋上にやってきた。 朝比奈さんは、どこか元気がなさそうな様子だった。いったい何があったんですか? 「TPDDがなくなっちゃいました……」 ポツリとつぶやかれたその言葉の意味を理解するまで、十秒ほどの時間がかかった。 「どういうことです?」 「あの事件のあと、家に帰った直後でした。いきなりなくなっちゃったんです」 「どうして?」 「原因は分かりません」 「涼宮ハルヒの情報改変能力によるものと思われる」 突然、背後から聞こえてきた声に振り向くと、そこには、長門と喜緑さんがいた。 「我々も、広域帯宇宙存在、情報統合思念体及びすべての急進派インターフェースの消滅を確認した」 長門は、淡々ととてつもないことを告げてきた。 なんだって? 九曜の親玉と、長門の親玉と、朝倉とその仲間がまるごと消えただと!? 「記憶の消去ぐらいでは、涼宮さんの無意識は騙せなかったということでしょう」 長門たちの背後から、ニヤケハンサム野郎が現れた。 「俺にも分かるように説明しろ」 「要するに、涼宮さんは、我々SOS団を脅かす恐れがある存在を、丸ごと消去したわけですよ。二度とあんなことが起きないようにね」 さらに続ける。 「時間航行技術を奪い取って未来人の介入を排除し、強大な宇宙存在を消滅させ、危険な急進派TFEIも消し去った。そして、最後に、自分の『力』も封印した」 今、なんていった!? 「自分の『力』の存在こそが、危険を呼び寄せる原因になったと理解したのでしょう。ちなみにいうと、涼宮さんの『力』が封印されたのと同時に、我々の能力も消滅しました。類推するに、佐々木さんの『力』と橘さんたちの能力も、同様の経過をたどっているでしょうね」 あまりのことに、俺は声も出ない。 「とはいっても、『力』が完全に消滅したわけではありません。封印されただけで、また復活する可能性もあります。よって、『機関』も残ることになりました。 規模は最小限まで縮小されますが、鶴屋家がスポンサーとして残ってくれることになりましたので、資金的には困りません。僕の役割も今までどおりです。橘さんの組織も、同様でしょうね」 「私たちはどうするのですか?」 喜緑さんが、長門をにらみつけるように見ていた。 「我々は、情報統合思念体から与えられた任務を継続する。涼宮ハルヒの『力』が完全に消滅したわけではない以上、自律進化の可能性はまだ残っている。我々は観測を継続すべき。『力』の封印が解かれれば、情報統合思念体が復活する可能性もある」 その言葉に喜緑さんは目を見開いていたが、やがていつもの表情に戻ると、こう答えた。 「監査役として、プレジデントの御命令は、合理的なものと認めます」 「地球上の残存全インターフェースにこの旨を命ずる。……伝達完了」 「私はどうしましょうか……?」 朝比奈さんがポツリとつぶやいた。 そうだ。朝比奈さんは、帰る場所も手段も失った上に、組織のバックを完全に失ってしまったんだ。今まで生活費をどうしていたのかは不明だが、組織の支援がなければだいぶ厳しいことになるだろう。 「私の部屋に来ればよい」 意外なことに長門がそう提案した。 「いいんですか?」 「個体単体でも、生活費を捻出できる程度の情報操作能力は残っている。問題はない」 さらに、古泉が助け舟を出してきた。 「お金にお困りでしたら『機関』からも援助はしますよ。それに、鶴屋さんに頼めば、事情を詮索してくることもなく援助してくれるでしょう」 「ありがとうございます」 朝比奈さんは深々と頭を下げた。 放課後。 学外団員の佐々木もやってきて、団活となった。 長門は黙々と本を読み、朝比奈さんはメイド姿でお茶をいれ、俺は象棋で古泉を打ち負かし、佐々木は小難しい口調で俺と古泉の一手一手にツッコミをいれ、ハルヒはパソコンでネットサーフィン。 全くいつもどおりで、昼休みのトンデモ話が嘘じゃないかと疑いたくなるほどだった。 長門がパタンと本を閉じて、その日の活動は終了した。 あの下り坂を集団で下校し、やがてみんなと別れて一人になる。 釈然としない思いが脳裏を渦巻いていた。 今回のことは、古泉たちや橘たちにとってみれば悪くない結果だろうが、とてもじゃないがハッピーエンドとはいえない。 朝比奈さんは、帰る場所と手段を奪われた。何事にも前向きな朝比奈さんだが、さすがにこれはつらいだろう。 長門と喜緑さんは、親兄弟を殺されたも同然だ。今思い返してみれば、あのときの喜緑さんは、親を殺されたことに怒っていたんじゃないのか? 長門がああいうふうに言いくるめなければ、どんな事態になっていたことか……。 ハルヒよ、もうちょっとなんとかならなかったのか? 「納得してないようだね」 思わず振り向くと、そこには佐々木がいた。 「ずっと後ろをつけてきたのに気づかないなんて、よほど思考に没頭していたか、あるいは、上の空だったのか」 どっちも正解という気がするな。 「橘さんからだいたいの事情は聞いたよ。朝比奈さんや長門さんたちにとっては気の毒な結果になったけど、完全なハッピーエンドなんて、物語の世界にしか存在しないものだ。僕は、この結果はバッドエンドよりはマシなものとして受け入れざるをえないと思う。 それに、涼宮さんは意識してこうしたわけでもない。彼女を責めるのは酷というものだ」 それは解ってるつもりなんだが。 「それに、これは僕のせいなのかもしれない」 なんだと? 「涼宮さんと融合したときに、僕の意識が彼女の無意識に混入した可能性は否定できないってことだよ。涼宮さんが僕に課した入団試験の七番目の問いを覚えてるかい?」 なんだったかな? 「『何でもできるとしたら、何をする?』だよ」 ああ、確かそんな質問だったな。 「あのときは紙には書かなかったけど、それに対する僕の答えが、今の事態に近いんだ。時間航行技術を奪い取って未来人の介入を排除し、強大な宇宙存在を消滅させ、危険な宇宙人を消し去り、そして、最後に自分の『何でもできる力』を封印する」 そのまんまじゃねぇか……。 確かに、二人が融合したときに、ハルヒの無意識にそれが混入した可能性を否定はできんな。 「だから、恨むなら僕を恨んでもらいたい」 佐々木はそういうと、きびすを返した。 家に帰ると、自分の部屋に直行して、ベッドの上に寝っころがった。 釈然としない思いは解消されなかったが、それとは別に、脳の奥に何かが引っかかったような感じがとれなかった。 それの正体が判明するまで、五分ほどの時間が必要だった。 そうだ! あのいけ好かない未来野郎。 あいつは、結局、今回は俺たちの前に姿を見せなかった。 奴は、いったいどこに行きやがったんだ? ────ソシテ、トウトツニ、スベテガ、アンテン──── γ-エピローグ────あるいは、αおよびβへのプロローグ とある時間軸のとある時間平面。 ────報告受領。時間軸γの消滅を確認。原時間平面にすみやかに帰還せよ。 「フン。くだらん」 彼は、さきほど未来の組織に簡潔な報告を送信し終わったところだった。 分岐点のほとんどは安定的なものだが、たまにある不安定な分岐点はイレギュラーを引き起こし、規定事項を破壊する。だから、消去する。 まったくもってくだらない任務だった。 しかし、『力』を涼宮ハルヒから佐々木とやらに移し、その力で時空連続体を再構築する────そのときまでは、黙々と任務を遂行して、組織に忠実なフリをしておく必要がある。 彼──便宜上『藤原』の名を騙る彼──は、何か決意を固めたような表情をすると、TPDDを起動した。 『機関』時空工作部の保管記録より。 ────上級工作員朝比奈みくるより、最高評議会各評議員へ。消去対象時間軸237個のうち236個の消去任務完了。 ────時空観測局より、最高評議会各評議員へ。消去対象時間軸237個のうち236個の消滅を確認。 ────時空観測局より、最高評議会各評議員へ。消去対象時間軸γは、別組織による時間工作により消滅したことを確認。 ────最高評議会代表長門有希より、各評議員へ。統合時空補正計画SOSパート8パターンAフェーズ1の完了を確認し、フェーズ2に移行することに異議はないか? ────異議なし。 ────異議なし。 ────異議なし。 ────異議なし。 ────異議なし。 ────全会一致で可決と認める。 ────最高評議会代表長門有希より、上級工作員朝比奈みくるへ。統合時空補正計画SOSパート8パターンAフェーズ2へ移行せよ。なお、当該任務中は上級権限2級を付与する。 ────上級工作員朝比奈みくるより、最高評議会各評議員へ。命令受領。工作活動をフェーズ2へ移行します。
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天蓋領域との壮絶かつ困難なバトルの話は俺の中で整理がついた時にでもゆっくり 語ろうと思う…… 。 季節は三度目の桜がまるで流氷を漂うクリオネの姿で舞う光景を見ながら、 俺はシーシュポスの苦痛を3年間も続けたんだなという感慨にふけり、後ろを 振り返った。 北高に入り、ハルヒと対面したあの日が走馬灯のようによみがえってくる。 思えば「宇宙人、未来人、…… 」あの言葉を聞いた瞬間から俺は夢のような時を 過ごしてきたんだなとも思う。 まさに光陰矢のごとし、カマドウマにも五分の魂ってやつか…… 。 そんなこんなで今日は朝比奈さんの卒業式当日。 もちろん鶴屋さんもその満面に笑みを称え、卒業生の輪の中にいた。 「安定していますね、まさに一般人に戻ってしまった涼宮さんそのものですね。 あっ、それと僕の能力も消えてしまいました」 顔が近すぎるんだよ、古泉、あいも変わらずなぜそんなにくっついて話す 必要があるんだ? 「情報統合思念体も二次的なフレアの原因は涼宮ハルヒという生命体が持つ 内部の自己矛盾から開放されたと推測している。わたしの役目も終わりに 近づいているのかもしれない」 寂しそうな笑顔を向ける長門…… 寂しそうな笑顔? 長門、お前はいつから そんな感情を露にした表情ができるようになったんだ…… 。 「観察が終わればわたしはここから去らねばならない…… 」 その神のごとき能力を失ったハルヒは泣きじゃくる朝比奈さんと大笑いしている 鶴屋さんの真ん中で大いにはしゃいでいた。 卒業式の余興にあのバニーのコスプレでどうやら「GOD KNOWS」を 歌うらしいのだ。 もちろんSOS団内に結成したENOZⅡというバンド名なのはいうまでもない。 はしゃいでいるハルヒを俺はずっと目で追っていた。相変わらずハイテンション なハルヒ、昨日まで世界はお前を中心に回っていたといっても過言じゃないんだぜ! あの日を境にな、あの日を境にお前の能力が失われていることに気づいたのは つい最近なんだ、だが俺はなぜかほっとしている。これで、お前を、ちゃんと真正面から 見ることができるんだ。 不思議から開放されることが、いやもう二度とあの世界へは戻れないんだと してもだ、俺は心からハルヒ、お前が普通でいてくれることをありがたく思うよ。 この世界の創造主なんて役目はかわいい女の子には荷が重過ぎるだろ、違うか!? なんたって神様好きになっちゃバチが中るってもんさ、 卒業まで一年俺はこう思ってるんだ。不思議じゃない高校生活もきっといいもんだぜ…… 。 ハルヒ、告白しちゃいけないか、手をつないじゃいけないか、デートしちゃいけないか? この世界にたった一つ不思議があるとしたらめぐり合った奇跡じゃないのか? 「ハルヒ…… 俺は…… お前を…… アイシテル…… 」 了
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涼宮ハルヒの分裂 基礎データ 著:谷川流 口絵・イラスト・表紙:いとうのいぢ 口絵、本文デザイン:中デザイン事務所 初版発行年月日:平成19年(2007年)4月1日 本編290ページ 表紙絵:涼宮ハルヒ(付替えカバーも涼宮ハルヒ) タイトル色:赤色(付替えカバーは紫色、全体色も紫色) 初出:書き下ろし 初出順第26話 裏表紙のあらすじ紹介 桜の花咲く季節を迎え、涼宮ハルヒ率いるSOS団の面々が無事に進級を果たしたのは慶賀に堪えないと言えなくもない。だが爽やかなはずのこの時期に、なんで俺はこんな面子に囲まれてるんだろうな。顔なじみのひとりはいいとして、以前に遭遇した誘拐少女と敵意丸出しの未来野郎、そして正体不明の謎女。そいつらが突きつけてきた無理難題は、まあ要するに俺をのっぴきならない状況に追い込むものだったのさ。大人気シリーズ第9弾! 目次 プロローグ・・・Page5 第一章・・・Page101 第二章・・・Page155 第三章・・・Page219295ページに涼宮ハルヒの驚愕に続くとあり、上巻であることがわかる。 アニメ 全編未アニメ化 漫画 ツガノガク版(雑誌の発表号などの詳しい情報はツガノ版漫画時系列で) コミックス第16巻に収録第76話『涼宮ハルヒの分裂I』(原作P5-原作P70、最初から佐々木と会話するまで) 第77話『涼宮ハルヒの分裂II』(原作P70-原作P100、佐々木と会話している場面はプロローグ終了まで) コミックス第17巻に収録第78話『涼宮ハルヒの分裂III』(原作P101-原作P156、第1章から、第2章の風呂で謎の女性との電話をするところまで(α1)) 第79話『涼宮ハルヒの分裂IV』(原作P156-P169P、172-P173、P175-204、第2章の謎の女性との電話をするところから(α1)佐々木と電話する(β1)を経て古泉に電話をし(β2・3)橘・佐々木・藤原・九曜と会談し佐々木の閉鎖空間に入るまで(β4)) 第80話『涼宮ハルヒの分裂V』(原作P169-P172、P173-P175、P204-P235、P252-253、第2章佐々木の閉鎖空間の橘の会話から九曜VS喜緑さんを経て(β4)、古泉に電話をする・翌日は休日(α2・3・4)を経て月曜日まず長門に天蓋領域のことを聞き、キョンがハルヒから数学の小テストのヤマを教えてもらう場面を経て、SOS団部室に新入部員希望者が殺到している場面まで(α5) 第81話『涼宮ハルヒの分裂V』(原作P235-P251、P254-P295まで、第3章の新入部員希望者にハルヒが演説した場面(α6)を経てキョン中3時代の回想(夢):キョンと佐々木の雑談&目を覚ました後の国木田・谷口の雑談を経て部室に行き長門の不在に気づき長門のマンションへ全員へ向かうまで(β5・6) 第82話『涼宮ハルヒの驚愕I』(P294-P295、長門のマンションに向かう直前の古泉とキョンの会話(β6)) 登場キャラクター(原作のみ登場) キョン 涼宮ハルヒ 長門有希 朝比奈みくる 古泉一樹 鶴屋さん シャミセン 谷口 国木田 キョンの妹 コンピュータ研究部部長 生徒会長 喜緑江美里 佐々木 橘京子 藤原 周防九曜 『わたぁし』 あらすじ 後に繋がる伏線 刊行順 ←第8巻『涼宮ハルヒの憤慨』↑第9巻『涼宮ハルヒの分裂』↑第10巻『涼宮ハルヒの驚愕(前)』→
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※この作品は作者が脳内妄想して書いたものです。谷川氏のものとは別物ということを踏まえて読んでください。 第4章 α-7 次の日。 数学の時間に行われたテストは、ハルヒに厳選された問題を少しばかりかじったお陰で危うい点数ではないはずだ。谷口は知らん。 放課後、いつも通りの部室で古泉が新しく持ち寄ってきた連珠とやらをやっていると、コンコンと扉を叩く音がした。 「はぁい」 パタパタとメイド姿の朝比奈さんが扉を開けると、 「あ」 目をぱちくりさせて言葉を失っている。 「これはこれは」 と、古泉は微笑と苦笑の入り混じった顔でアゴをさする。 「ああの、涼宮さん」 「どうしたの?」 ハルヒが廊下へ出る。この位置からじゃなにも見えないので俺も立ち上がってハルヒと朝比奈さんの間からのぞく。そこには。 五人の一年生徒がいた。男が四人、女が一人。 ちなみに、その唯一の女子生徒は俺が昨日品定めの最中に注目していた娘だった。 「あら、昨日より減った?まぁいいわ。とにかく入りなさい。少ないほうがやり易いし」 ぞろぞろと部室へ入る五人。昨日の電波演説を聴いてもなお来るなんて正気かこいつら。ていうかやり易いって例の入団試験か? 「そ。というわけだから、あんたたちにはこれからSOS団入団筆記試験を受けてもらうわ!」 圧倒されている一年生に向かって声高らかに宣言し、ハルヒはプリンターから吐き出された、現団員の誰も内容の知らないプリントを素早く取り、叩きつけるように長机に置いた。 「じゃ、ここ座って。みくるちゃん、お茶出してあげて」 「は、はい」 萎縮気味の一年生たちの向かい側にどかりと腰掛けたハルヒは、 「制限時間は50分。頑張ってあたしの期待に応えてちょうだい」 そう言って手にしたストップウォッチのタイマーを始動させた。「試験官」と書かれた腕章をつけたハルヒの顔が、どこか嬉々としているのは気のせいでもなんでもなく、その通りの心情なのだろう。 「そうですね。春休み最終日の閉鎖空間は杞憂だったのかもしれません」 ニキビ治療薬のおまえが言うんだからそうなんだろうよ。 「その例えはミステイクだったかもしれませんね」 古泉は微笑みを絶やさずにそう言った。 朝比奈さんは十人分のお茶を配り終えるとパイプ椅子に座って一年生たちをながめている様子で、俺と古泉はこれ以上余計なプレッシャーをかけるのもアレなので、連珠を再開させた。目の前でハルヒが見ているだけで重力の三倍は肩が重いだろうに。もちろん、長門は部屋の隅で静寂を体現させつつ、ハードカバーのページをめくっていた。 β-7 ハルヒを先頭に慌ただしく部室を後にした俺たちは、校門のところで意外な人物に会った。 「おおっ、本当に来たよっ」 なにやら驚いているのは鶴屋さんだった。 「どうしたんですか?」 「うん、キョンくん。キミにこれを渡しておこう」 まるで繁栄を極めた一国の王のような口調で四角に畳まれたハンカチを渡してくれた。 これは――― 「じゃあそれだけだからねっ。急いでるみたいだし、お姉さんはこれで退散するっさ」 と言って木枯らしのように走り去って行った。俺たちがしばしキョトンとしていると、 「なんだったのかしら・・・そんなことより、早く行きましょ!」 俺はハルヒが再び走り出すのを見てハンカチをポケットに突っ込み、それに続いた。 赤信号に引っ掛かってハルヒがイライラしている間、古泉が話しかけてきた。 「先ほどのハンカチはまず間違いなく、この騒動に一枚噛んでくるでしょう」 だろうな。 「ですが疑問なのは、なぜそのようなものを鶴屋さんが所持していたのか、そしてなぜそれをあなたに渡したのか、です」 おまえにわからんことが俺にわかるかよ。 信号が青に変わる。 古泉はフッと嘲るように笑い、 「そうとは限らないかもしれません」 と言った。ハルヒは朝比奈さんを抱えてすでに走り出していた。 古泉にわからないことは俺にもわからない。 それはヤツの言う通りそうとは限らない。実は、俺にはあのハンカチの正体がわかっているのだ。ハンカチを渡されたとき、明らかにそれの質量とは違った重みを感じていた。 畳んだハンカチに入る大きさでこの重さ。鶴屋さんが持っていたもの。間違いない。 ―――あのオーパーツだ。 α-8 その日は入団テストが実施されただけで、長門の合図とともに、 「じゃあ、今日は解散っ!」 ハルヒの号令で幕を閉じた。一年生たちはテスト終了後すぐに帰宅している。結局テストってどんな感じなんだ? 「秘密よ、ひ・み・つ」 そう言ってハルヒは答案用紙を回収してさっさと帰ってしまった。なんでそこまで隠すんだ。 「涼宮さんにだってプライベートなことはありますよ」 風力発電以上に無害なニヤケ面をした古泉が言う。一年生には見せてもいいプライベートってどんなことだ。 さぁ、どうでしょう?とでも言いたげな顔で古泉は両腕を広げた。 ・・・どうでもいいか。俺も帰って飯食って寝ちまおう。 こうして残された四人は帰路についた。 翌日。 三時限まで安泰に過ごし、四時限目に数学の答案が返却されて昼休みをむかえる。点数は・・・まぁ悪くはないな。少なくとも谷口よりは。 「たく、なんでおめーはそんな点いいんだよ」 嘆く谷口。努力の賜物だよ、谷口くん。 「でも昨日涼宮さんに教科書開いてなんか指摘されてたよね」 「涼宮ぁ?」 ああ、国木田。余計なことはいわんでくれ。 「俺もあいつに教わるっきゃねーかなー」 「朝倉さんがいればよかったのにね」 きっと、いや絶対に何気無くそう言ったのだろうが、俺には不自然に反応するだけの要素は十分にあった。 「どうしたんだい、キョン。箸が止まってるよ」 「あ、あぁ・・・」 朝倉涼子。表向きはカナダへ引っ越したことになっているが、実際は俺を殺そうとして失敗し、長門によって情報連結を解除された急進派インターフェース。 あれも去年の今頃だっただろうか。 五限、六限を睡魔のなすがままに過ごし、放課後。文芸部室。 俺がやって来たときには、ハルヒを除いた正式メンバー三人がすでにいつも通りの構図を描いていた。 「ハルヒは?」 「まだ来てないみたいです」 朝比奈さんがお茶を淹れつつ応える。 「そのうち来られるでしょう。それよりお相手願いたいのですが」 懲りねえな、昨日散々だったじゃねえか。とは言ったものの、最終的には相手する俺。 「ありがとうございます」 朝比奈さんの淹れた砂漠のオアシスをも超越するお茶をすすり、窓の外を眺める。 うむ。今日も平和だ。 こんな日はこう思っちまうのさ。 こんなモラトリアムで気楽な日々が続けばいい、とな。 しばらく各々の好きなことを過ごしていたが、ふと思いつく。 そういや、あの一年生たちの名前ってなんだろうな。 「僕もいちいち記憶していませんので名前はわかりかねますね」 団長机に目をやる。プリントが五枚置いてあるな。どうやらハルヒは昼休みにここで採点でもしていたようだ。 あれだけハルヒが隠していたものなので多少の罪悪感を感じつつ、名前くらいは知ってないと呼称に困るからな、と内心で天使と悪魔を対抗させ、プリントに目を通す。古泉と朝比奈さんも後ろからのぞいている。 一人目、二人目・・・と見ていき五人目。そこの名前蘭には可愛らしい、見覚えのある字体でこう書かれていた。 朝比奈みちる、と。 β-8 長門のマンションにレーザーポインタの照準を合わせ、そこへ目がけて撃ち出された弾丸のごとく到着した俺たちは、スピードを緩めることなく自動ドアへ突っ込もうとしたそのとき。 自動ドアが開き、二人の男女が現れた。 「あら、こんにちは」 こいつが朝比奈さんを誘拐した犯人です、と告げなければ気づく事のできない無垢な笑顔で挨拶したのは橘京子だった。もちろん、そいつの隣で苦虫を噛んだような表情をしている男は未来人藤原。 「長門はどうした」 俺は怒りの炎を奥底で煮えたぎらせつつ、あえて冷淡に尋ねた。そんな俺の様子にハルヒは首をかしげていが、説明は後回しだ。 「そんな怖い顔しないでよ。あたしたちは別にあなたたちに危害を加えようとしてるんじゃないんですから」 じゃあなんでこんなところにいやがる。精一杯威嚇して言ったのだが、 「それも、あなたたちにはわからないことです」 ひまわりのような笑顔で返された。どういう意味だ? 「キョン!こんなところで時間を潰してるヒマはないの。早く有希の部屋へ行くわよ!」 ハルヒが俺を引っ張る。 「そいつの言う通りだ。せいぜい、哀れな人形を演じてこい」 古泉が俺の後ろにいなけりゃ、藤原の左頬に思い切り右フックを見舞ってやるところだった。 「抑えてください。現段階では彼らと争うよりも、長門さんの救出が先決です」 わかってる。 こうして俺たちはすれ違い、マンションへ入った。 エレベーターで七階へ昇り、708号室前に来た。 おそらくこの部屋には天蓋領域、周防九曜が待ち構えているだろう。 玄関ドアを開け、室内へ上がる。 「有希ー?いるんでしょ?」 ハルヒが叫ぶ。が、その声は壁に跳ね返されて室内に響くだけだった。誰もいないのだろうか。 俺は畳の部屋のふすまを開けた。 そこには、和式の布団に顔だけ出し目を閉じた状態の長門がいた。 「長門!」 と叫んで近寄ろうとした刹那。 俺は吹き飛ばされ、フローリングの床の上で転がっていた。 「キョン!?」 ハルヒが振り向く。 何だ、何が起きた?脳が疑問を提示するより早く、俺の網膜には薄青いバリアのようなものの向こう側にたたずむ周防九曜と――― 不敵に微笑む佐々木が映し出された。 「佐々木・・・」 和室のふすまの形に沿って張られたバリアを抜けて、佐々木がゆっくりとこちらへ来る。 その右手にまがまがしいナイフを持って。 「なんの冗談だ佐々木!」 だが佐々木はなにも応答しない。仕方なく立ち上がって古泉たちに助けを求めようとしたが、俺と佐々木、そして九曜以外誰もいない。それどころか、部屋の壁に幾何学記号が浮かび上がって婉曲し、ねじれている。これはまさか。 「キョン、もう無駄な抵抗はよそう。この空間は彼女の管理下にあるらしい」 やっと佐々木がサイレントを解いたが、今度は俺の体が動かなくなった。ありかよ、反則だ。 「いくらコピーとはいえ・・・抵抗するキミを殺したくはないんだ」 そう言って勢いよく走ってくる。今回は長門はいない。終わった。 ナイフが腹まで数センチと迫ったとき――― ―――コピー? ナイフが刺さる。 第5章へ
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第五章 α-9 朝比奈みちる。二月の初頭、ハルヒの陰謀巡る頃に八日未来からやって来た朝比奈さんに対して俺がつけた偽名だ。その偽名が今、目の前の用紙に書かれている。 「あの、キョンくん、これって・・・」 ええ、そうです。皆まで言わなくてもあなたの言わんとしていることはわかります。古泉、どういうことだ? 「確かに新一年生の書類には全て目を通しましたが・・・このような名前の生徒は存在しなかったはずです」 じゃあこれは誰だ? 「わかりません。新しいイレギュラー因子としか」 その顔はいつもと変わらないスマイルだったが、内心は苦笑しているのだろう。俺だってそうさ。せっかくいいリズムを刻んでいた平和な日常が早くも崩れようとしているんだから。 やれやれ。今度はなにが起きようってんだ? そのとき、蝶番が外れそうなくらいの勢いでドアが開いた。 「おっまたせ~!」 我らが団長涼宮ハルヒ様のご登場。ハルヒは団長机にたかる俺たちを退けると、パイプ椅子に仁王立ちしてエヘンと咳を払い、 「本日、我がSOS団の新入部員が決定しました!」 入っていいわよ、とハルヒが開きっぱなしの入り口に向かって言った。もうこの時点で誰が入ってくるのかはわかっていたが、一応振り向いてみる。 控えめに部屋に入って来たのは、やはりあの一年女子だった。 「朝比奈みちるです。よろしくお願いします」 今日のSOS団の活動は「用事があるから帰っていいわよ」と言って部室を飛び出して行ったハルヒの 一言により、即刻解散となった。が、解散命令が下されても俺たちはまだ帰れない。 そうだろ?古泉。 「ええ。積もる話もありますが、とりあえず場所を移しましょう」 そうだな。誰かに聞かれたら面倒だ。聞かれてわかる話でもなさそうだが。 「朝比奈みちるさん」 古泉は本日付で正式団員となった少女を一瞥する。 「あなたも」 解散命令後、ようやく部室を出た俺たちは誰一人として口を開くことなく長門の住むマンションへやって来た。 長門を除く四人で殺風景な居間の真ん中に置かれたテーブルを囲んで座る。 古泉が長門の淹れたお茶をすすり、単刀直入で申し訳ありませんがと前置きして、 「みちるさん、あなたは一体何者なのでしょうか?」 核心を突いた問いだ。だが俺の向かいに座った彼女は古泉の質問に答えず、こう言った。 「キョンくん」 「え?」 もはや誰が言ったのかわからないほどシンクロした。長門は除くが。 みちるさんは俺に向かって微笑み、 「わたしは、わたぁしです」 と言った直後、ふみゅう、と天使の吐息。いや違う。俺の左隣に座った朝比奈さんが目を閉じて寝息を立てたのだ。これってもしや・・・。 「一ヶ月ぶりですね」 みちるさんの微笑みが、俺の記憶のある人物と重なる。 「あなたもしかして・・・」 「そう。未来から来ました。朝比奈みくるです」 この世界の男性ならば誰をも恋に落としそうなウィンク。 姿形は大分変わっているが間違いなく、朝比奈さん(大)だ。 「そういうことでしたら、僕とは初めましてになりますね」 古泉も微笑みで返す。 「そう・・・ですね。初めまして。古泉くん」 また微笑み。 「それより朝比奈さん。なんであの日あんな電話を掛けてきたんですか?」 危うく未来人対超能力者モドキの微笑み合戦になりかけたところを引き戻す。 「ごめんなさい。失礼でしたよね。でもあなたには少しでも記憶の端にわたしを植えつけておかないと、あなたがわたしに注目することはなかったんです」 わかるような、わからないような理屈だ。 長門が朝比奈さん(小)を壁にもたれかけて空いた席に座る。 「これも全部、あなたたちを助ける為なんです」 助ける?なにからです?朝比奈さん(大)が顔を曇らせるのを感じ取れる。 「本当に緊急事態なんです」 この言葉で始まり、朝比奈さんはこんなことを語り始めた。 「端的に言うと、今いるこの世界は本当の世界ではなくて、ええと、パラレルワールドって言うのかな。つまり、元の時空間から隔離された並行世界なんです」 いきなりそんなこと言われても。 「信じてもらえないとは思いますが、本当なんです」 その後の朝比奈さんの話をまとめると、元の時空間のハルヒは異世界人の存在を望んだ。これは俺も知っていることだ。そして俺たちを異空間に運んだ存在は天蓋領域の周防九曜。俺たちと初めて出会ったとき、その超人的宇宙パワーを使ってハルヒの願望を抽出・再現し、異世界を作り出した。俺たちと別れてから三分後、この世界に放り込んだ。そのことにいち早く感付いた長門はやつらとの情報戦の末、この朝比奈さん(大)をこちらに送り込んだ。 どうもこの部屋は電波話の所縁の地らしい。 古泉の顔色を窺ってみる。元々、こいつと朝比奈さんの所属する機関と言うか、組織は相容れない関係にあったように思う。仕方なく結託しているというか。そんな間柄の人間に突然こんなにわかに信じがたい話をされて、この微笑みを崩さない超能力者はどう感じているのか。それに、この俺だって朝比奈さん(大)に対しては幾分信用の置けない節があるんだ。 古泉が俺の視線に気付き、軽く頷いて、 「何にしても、それを証明できる何か、出来れば手にとって触れる実物が好ましいですね。そういったものはないのでしょうか?」 と朝比奈さんに尋ねた。 「えっと、すこし証明力に欠けるんですが」 これを、と言って四角に畳まれたハンカチを差し出した。古泉はそれを受け取り、右に左にと見回している。怪しげな呪文が書いてあるわけでもないみたいで、今度は古泉が俺に渡す。 コトン。 何か光るものが落ちた。四角形の黄金色の板。 「朝比奈さん、これって・・・」 「そう。長門さんからキョンくんにって言われたの」 手に取ったそれは、鶴屋家所有の山から掘り起こされた謎のオーパーツだった。あの長門が持って行けと言うのだから朝比奈さんの話も本当なのかもしれん。 俺はオーパーツをポケットにしまい、こう尋ねた。 「元の世界の俺たちってどうなってるんですか?俺たちは存在してないんですよね」 「えっと、周防さんの力であなたたちをトレースしたあなたたちがいます。ただ、長門さんは・・・」 朝比奈さんが口ごもる。長門になにがあったというのだ。 「彼女の話が真実ならば、元の時空間のわたしは天蓋領域の手に落ちていると考えられる」 今まで一言も発しなかった宇宙人がさらりと言った。 「本当なんですか?」 朝比奈さんはうつむき加減に首肯する。向こうの俺は一体なにやってんだ。長門には迷惑かけないと誓ったじゃねえか。 そんなどこにやっていいのかわからない怒りを抑えつつ、 「とりあえず現段階ではなんとも言い難いので、保留ってことでどうでしょう?」 今日のところは解散することにした。 「はい、そうしましょうか」 なんかデジャヴを感じるな。眠り姫となった朝比奈さん(小)は長門に預かってもらうことにして部屋を後にした。 俺は帰り際にゼロ円スマイルの超能力者をとっつかまえる。 「どうしました?」 さっきのことに決まってるだろう。おまえは信じるのか? 「先ほどの黄金色のパーツがあるではないですか」 古泉はとぼけるように言う。 あれだけじゃなんの証拠にもならん。 「とおっしゃるからには、さしずめあなたにはあのパーツの正体がお解かりになっているのでしょう」 ああ、知ってるさ。 その後五分程度、無駄な部分を端折りつつオーパーツ発掘の経緯を話した。古泉はいつかの雪山遭難事件と同様に適度に相槌を打って聴衆に徹していた。そういやあのときも周防九曜にやられたんだっけ。 「それが本当ならば、朝比奈さんのお話もあながち嘘ではないかもしれませんね。それに、」 それに? 「今存在する涼宮さんには世界を改変する能力が備わってないんですよ」 一瞬納得しかけたが、頭を振って取り直す。 「それはハルヒが普通の少女に戻ったってことなんじゃないのか?」 俺がそう言うと、古泉は困ったような微苦笑を浮かべ、 「それですと、僕にいまだ異能的力が備わっていることに繋がらないんです。以前もお話しした通り、 僕の力は涼宮さんの願望と神にも例えられる力によって生み出された。ですから、彼女の力が自然消滅 した場合に限り、僕の能力も消えるんですよ」 と言った。 ということは、いよいよもって俺たちは異世界人ってわけか。 「そのようです。まあ、今日までの段階ではあなたのおっしゃる通り『なんとも言い難い』のでお互い 明日までに対策を練ってくるとしましょう」 それでは、と後ろ手を振って古泉は去って行った。 次の日、朝のホームルーム前にハルヒに話し掛けた。 「よう。おまえ最近部活も出ないでなにやってんだ?」 ハルヒは珍しく笑顔を作り、 「入団試験でみちるちゃん以外切っちゃったけど、一年生の中にはまだ才能のあるルーキーがいると思うのよ。だから一年のフロアを詮索してるわけ」 俺たちは別に運動部じゃないのだが、こいつが一番気に入った一年生にはトロフィーでもくれてやるつもりなのだろうか。 「馬鹿ねぇ。そんな金ないわよ。あんた払う?」 断る。俺の財布は劇的なダイエットに成功したお陰で夏目さんもとい、野口さんに飢えてるんでね。 「冗談よ。どっちにしてもあたしは今日も出ないけど、みちるちゃんにはちゃんとSOS団の規律を叩き込んでおくのよ」 そんなことしなくても、あの人にはみっちり染み付いてるだろうよ。もっともハルヒはそんなことは知るよしもないのだが。 丁度会話が終了したところで岡部教諭が入ってきた。 放課後、ハルヒは宣言通り教室を飛び出して行き、俺は俺でいつも通りに部室へ足を運んだ。朝比奈さんのいたいけなお姿を拝見する訳にはいかないのでノックをする。 ドアを開けて出てきたのは、これまたいつも通りのスマイルを引っさげた古泉だった。 「ちょうど良いところに来ましたね」 古泉は俺の背後を覗き見る。何もねぇぞ。ハルヒなら新人王を探しに一年のフロアを練り歩いてる。 「そうでしたか。いえ、今朝比奈さんに状況を説明しているところでしたので。ちなみにみちるさんは 長門さんの派閥の者としてありますので」 部室に入ると、古泉が朝比奈さんに説明を再開した。制服姿の朝比奈さんは終始うんうんうなずいているだけで本当に理解したのかは定かではない。例のオーパーツを見せたときも「綺麗・・・」と感嘆の声を上げるのみだった。ただし、 「どうりで未来と連絡が取れなかったんだ・・・」 と思い当たる節があったようだ。それによって俺はここが異世界なのだということを確認せざるをえなかった。 そこで、部屋の片隅で読書を続ける長門に尋ねる。 「おまえの親玉はなんて言ってるんだ?」 長門は何行にも渡る活字から目をそらすことなく、 「情報統合思念体との連絡回路が切断されている」 とだけ言うと再び文章の波に潜って行った。 てことは、やはりここは異空間なわけだ。 「やれやれ・・・」 俺は溜息を吐き出し、パイプ椅子に腰掛ける。ポケットからオーパーツを出してなんともなしに眺めることにした。俺の頭じゃどうすることもできんからな。 「あの・・・」 何分経ったかわからないが、控え目な声がした。朝比奈さんだ。 「どうしました?」 「キョン君のそのパーツ、ここに入るんじゃないかなぁって・・・あぁ、でも違うかも」 朝比奈さんの言うこことは、パソコンの脇に置かれているハードディスクのフロッピー挿入口だった。パソコンの詳しいやつに聞けばわかるがパソコンの本体はこっちらしいのだが、今はどうでもいい。挿入口とオーパーツの大きさを比較するとややオーパーツが小さいが問題はなさそうだ。 「大手柄かもしれませんよ、朝比奈さん」 「本当?よかったぁ、役に立って」 「パソコンに脱出装置、いかにも長門さんらしいではないですか」 古泉の言う通りだな。俺は長門の顔を窺う。長門がもはや単位のわからない数値でうなずくのを確認して、オーパーツを差し込む。頼むぜ。 ―――ピポ。 ハードディスクが音を立てることなく、ディスプレイに文字が映し出される。 Y.Nagato 緊急脱出プログラム起動。脱出する場合はENTERを、脱出しない場合はその他のキーを押して。ただし、このプログラムは一度限り起動できる。いずれかのキーを押した後消滅する。 何度もすまない長門。帰ったらSOS団慰安旅行に連れて行ってやるからな。 Y,Ngato Ready? 皆の顔を見回す。最後に古泉が微笑み返してきたの見て、俺はENTERキーを押した。 だが今回は目眩も立ちくらみも暗転もせず、代わりにディスプレイには新たな指示が提示されていた。 これもパソコンを扱う者なら誰でも知っている機能であり、かつて俺もMIKURUフォルダ隠蔽に使用した便利かつ難解なセキュリティシステム。 PASSWORD? 「パスワード、ですか」 古泉が顎をさすって言ったが、その顔は真剣さが三割増しという感じだ。 「あちらの長門さんがこのようなややこしい設定を付与する理由は見当たりません」 俺は溜息混じりに、 「あいつらか」 宇宙人モドキに超能力少女、そして憎たらしい未来人。 「このプログラムに時間制限がないとは限りませんし、一刻も早くパスワードを解析しましょう」 俺はみちるさんにアイコンタクトを送った。だがみちるさんは首を横に振り、なにも知らないことを告げる。 長門も朝比奈さんもほとんどただの人間に近い状況かつノーヒントの中パスワードをひねり出す猛者はおらず、わかったのはパスワード入力欄に全角六文字、半角十二文字打ち込めるということだった。 「困りましたね。我々にとってはヒントが与えられていませんので、経験者であるあなたに解決していただこうかと思いましたが・・・そうはいかないようです」 「んな無責任なことを言うな」 俺はニヤけつつ困った表情を作る超能力者モドキにそう返す。たしかに一度長門のキーワードを解いたことはあるが、あれはハルヒの身勝手が幸い答えになっただけであって俺の力ではない。だがやはり一度経験しておくと対応も変わるもので、俺はパスワードの大体の見当はつけることができた。 長門の非常にわかり辛い回答は、元の世界とこちらの世界で共通するものだと思う。思い出したくないあの冬の事件でもキーワードは共通事項のSOS団だった。ならばこちらの世界で怪しいポイントを突いていけばおのずと答えがでるはずだ。 「なにか心当たりがあるようですね」 「ああ、もう少しでパスワードが解けるかもしれん」 古泉は思案顔の俺を見て黙り込む。朝比奈さんの尊敬の眼差しでやる気も補充される。 考えろ。こっちの世界で怪しいことはなかったか。ハルヒたちと街を練り歩き、次の日に数学のテストをやり、ハルヒが入団試験をやり―――。 「そうだ!」 俺は思わず叫び、全員の視線を集めつつパソコンの前に慌しく座った。 「もしかして、わかったんですか?」 朝比奈さんが驚きつつ聞いてくる。 「ええ。たぶん、これでいけると思います」 そう答えながら俺はキーボードをタイプする。 PASSWORD? 朝比奈みちる 全角六文字。長門が俺たちのために送り込んだ未来の朝比奈さん。 「なるほど。あちらの長門さんとの接点は彼女しかありませんし、いけるでしょう」 古泉が賛同してくれたことによって俺は躊躇うことはなかった。 エンターキーを押す。 しかし。 画面には不吉な文字が浮かぶ。 PASSWORD? ERROR!! 突如ディスプレイが発光する。 やばい!外したのか!? 俺たちは目を細め、腕で光を遮る。 そして光が一層強まったところでたまらず目を閉じた。 β-9 鋭利なナイフの刃先が俺の腹を裂き、真っ赤な鮮血が床に滴る―――ことはなく、またしても俺は一命を取り留めたようだ。何故か。 それは俺の目の前でその長い髪を揺らし、佐々木のナイフを素手で掴む者がいるからである。 「・・・間に合ったようね」 にこやかに微笑むそいつは紛れもない朝倉涼子の姿だった。 「おまえ・・・どうして」 「あら、長門さんから聞いてない?」 狼狽する俺をよそに飄々と答える。聞いてないから尋ねたんだろうが。 「ふふ、そうね」 やはり朝倉は余裕綽々で微笑むが、もう一人混乱している人物がいる。 「あなたは一体・・・?」 佐々木は訝しげに問う。 「あなたが佐々木さんね」 朝倉はそう言うと、ナイフを握る手に力を入れた。その瞬間、ナイフが刃先から光の粒子となって消えていく。 「え・・・!?」 慌ててナイフを離す佐々木。 情報結合の解除。俺はもう何度も目の当たりにしたため耐性ができているが、初めて目撃する佐々木にとっちゃ仰天必死の映像だろう。事実、その表情に先ほどまでの冷静さはない。俺は佐々木に駆け寄る。 だが、相手は佐々木だけではない。奥にたたずむ周防九曜が動き出す。 「邪魔をするなら―――あなたも殺す」 九曜はバリアからすうっと抜け出し、その荒波のような髪を八つに分裂させ、槍状に変形させた。九曜が右腕を朝倉の方に突き出すと、その槍状髪が朝倉めがけて鋭く伸びていく。 「朝倉!」 思わずそう叫んでしまったのだが、当の本人は余裕の笑みを崩さない。代わりに幾何学文字の浮かぶ壁が崩れ、誰かが飛び込んできた。あまりに速い移動速度だったので確認できたのは北高の制服であることだけだ。 「パーソナルネーム周防九曜を適正と判定。情報結合の解除を申請します」 そう聞こえた後、九曜の髪がその先端から光の粒となっていく。同時に足も下から上へと粒子化している。 「――――――」 そして意外にもあっさりと天蓋領域は姿を消した。 α-10 「キョン」 授業が終わると不意に佐々木が語りかけてきた。 「先ほどの話だけどね、やや指針がズレていたみたいだ」 何の話だよ。 「キミが突然の自然災害に遭いたい、隕石の衝突がやってこないかと言っていたあれさ」 「エンターテインメント症候群てやつか?」 佐々木は喉の奥でくつくつと笑い、 「僕が勝手に作り出した言葉だから安易に用いるつもりはないけど、まあその通りだ。この年代になると自然とそういった考えが浮かんでしまうらしいのでとやかく言うわけじゃないけれど、僕は一度だってそんな考えを持ったことはないんだ」 たしかにおまえは達観した体があるしな。 「それはキミが僕よりも劣っていると無意識的に考えてしまっているからだ」 学業面じゃ特にそうだ。 「そんなことはない。キミがもう少し力を入れるだけで平均以上の成績は出せる。それに学業面ではなくキミが持っていて僕が持っていない特質だってある」 ほう。それは知らなかった。本人が知らないのにおまえが知っているってのは滑稽だな。 「おっと、また話が逸れてしまったようだ。結局、僕は前代未聞の大地震や隕石なんていらない。カタストロフな出来事に限らず、宇宙生命体と交流を図ろうなんていうのも求めてはいなんだよ」 じゃあなにが起こってほしいんだ? 「起こる、と言うよりは現状維持だ。今のままでいい。自分の知り合っている人間関係、環境で十分だ。もっと簡潔に言い表すのなら」 ここで佐々木は端整な顔を微笑みに彩り、 「平和かな」 そう言った。 俺はここで目を覚ました。目を覚ました? 「佐々木・・・?」 呟きながら辺りを見回す。先ほどまでの文芸部室だ。 どうやら俺は目をつむっている間に幻覚を見たようだ。いや、幻覚と言うよりは過去の記憶だな。 「大丈夫ですか?」 古泉が聞いてきたので、 「平気だ。少し目がチカチカするが問題ない。それよりも、この世界はどうなったんだ?」 「今のところなにも変化は見られない。元の空間へ帰還したわけでもない」 長門が部屋の隅から答える。 ディスプレイを見ると、パスワード欄にはなにも打ち込まれておらず、俺が朝比奈みちると打つ前の状態に戻っていた。だが、そのパスワードでは元の世界に帰れないことはわかった。 「しかし妙ですね」 珍しく思案顔の古泉が言った。 「そうだな」 このパスワード機能は間違いなく周防九曜が設定したものだろう。俺たちをここに閉じ込めておくために。そして俺はパスワードを間違えた。ならば、このまま脱出プログラムを消し去ってしまえばいいものをわざわざもう一度チャンスをくれている。いや、九曜はそう設定していたのだろうが、何者かによって阻まれた。俺たちを救おうとしている何者かに。 その日は終業のチャイムが鳴るまで全員でパスワードを考え合って解散となった。無論、しっくりとくる回答が得られたわけではないが。 帰宅途中、俺は違和感を感じ取った。少し前にもこんな感じがあったな。 ・・・あれだ。SOS団と佐々木たちが出会ってから別れ、不思議探索と称した街の練り歩きのときだ。俺たちから宇宙的要素を取り除いたらこんなふうになるんじゃないかと感じた不思議探索。よく考えればあれも異世界にやってきてからの感覚だな。そして今も、違和感を感じるまでに平和な世界が目の前に広がっている。 家に着き、夕飯と風呂をさっさと済ませ、自室のベットに仰向けになってパスワードの答えを考え続けた。小一時間程度考えたが、腹の上のシャミセンが丸くなって眠るだけでなにも浮かばなかった。 誠に不本意だが、ここでもあいつを頼るしかない。 俺は携帯電話で長門に掛ける。見事にワンコールで出てくれた。 「夜遅くすまん、俺だ。なにか向こうからの伝言みたいなのはないのか?」 「来ている」 至極あっさりと答えるので一瞬硬直してしまった。 「だが届いていない」 長門よ、一体どっちなんだ? 「現実空間でのわたしからの情報は幾度となく送られている。けれどこの空間には強力な情報フィルターが広域に渡って張られている。その正体は不明。情報統合思念体をも遥かに超越しているレベル」 親玉より上って、そいつはキツいな。 「天蓋領域だっけか?あいつらじゃないのか?」 「そうではない。あなたも既知のもの」 長門の親玉を超える存在を俺は知っていただろうか。 「涼宮ハルヒのそれと酷似している」 ―――! ハルヒの名前を聞いたこの瞬間、俺は二つのことを理解した。 「そうか。わかったよ。ありがとうな」 「いい」 それじゃ、と言って通話を切った。 そして俺はもう一度電話を掛けた。 「古泉、俺だ。パスワードがわかった。それについて一つ頼みがある―――」 「―――わかりました。では、ご健闘を祈ります」 通話後、俺はカーテンを少し開き、夜空を見上げた。この夜空も創られたものだ。 そうだろ?佐々木。 翌日。この世界にきてもう三日経つのか。 だが俺の考えが正しければ、こんな世界とは今日限りでグッバイだ。 教室に着くと、俺はまずハルヒに話しかけた。 「よう。今日も部活出ないのか?」 「今日は出るわよ。ちょっとほったらかしにしすぎたし。やっぱり団長がいなきゃ締まるもんも締まらないでしょ」 そう言って百ワットの笑みを作った。これで無理にでも部室に来てもらうことはなくなった。 その日の授業は正直言って集中できなかった。いつも真面目に聞いているわけじゃないがな。ハルヒにどう切り出すか、なんと言えばあいつは黙って聞いてくれるか、俺のボキャブラリーの範疇で推敲に推敲を重ねていた。 そして放課後。ハルヒと共に部室へやってきた。 「あら、まだ皆来てないのね」 そりゃそうさ。放課後の文芸部室には誰も入れないでくれと俺が古泉に頼んでおいたからな。 今しかない。 「ハルヒ、ちょっとここ座ってくれるか?」 俺は自分がいつも使っているパイプ椅子を広げて言った。ハルヒはアヒルのような顔をして、 「なによ。団長に平の椅子につけって言う気?」 「少し話があるんだ」 そう俺が言うと不機嫌そうな顔をしつつも黙って座ってくれた。 俺はパソコンにオーパーツを差し込む。音もなくパソコンが点き、パスワード入力画面になる。 「おまえ、中学のときに運動場に落書きしたんだってな」 「そうよ。あの頃はなにをしてもつまらないもんだったから、ちょっと一騒動起こそうかなって思ってやったの。で、それがなに?」 「『わたしはここにいる』」 「え?」 ハルヒの表情が驚きの色に変わる。それだけじゃないぜ、ハルヒ。 「織姫と彦星にそう願って描いたんだろ?」 「ちょっと・・・なんであんたがそんなこと知ってんのよ!」 ハルヒの怒声の混じる発言を制してさらに続ける。 「そんとき、おまえのこと手伝った男がいた。可愛い女の子を背負った北高の生徒がな。つーかほとんどそいつが描いたんだろ?」 「キョン・・・あんた、もしかして・・・」 ハルヒは二の句が告げられないでいる。予想通りの反応だ。 俺はパスワード欄にこうタイプした。 PASSWORD? ジョンスミス 全角六文字。あとは目の前で絶句しているこいつに言うだけだ。 「俺がジョン・スミスだ」 エンターキーを押す。 またしてもディスプレイが輝き始めた。 そして、驚愕しているハルヒと共に部室の景色が色褪せていった。 「やっぱりそうだったのか」 今部室には俺しかいない。ハルヒはもう元の世界へ還っただろう。 このセピア調の世界を抜け出して。 「あーあ、解読しちゃいましたか」 不意に背後から声がして振り返る。窓の外に橘京子が浮いていた。 橘京子は窓を開けて部室に入ってきた。ツインテールがぴょこんと揺れる。 「まだなにか用があんのか?」 「いいえ。九曜さんも消されちゃいましたから、もう手を引きます」 そいつは意外だ。 「でもね、これだけは覚えておいてください。『敵を騙すにはまず味方から』って」 どういう意味かと考えていると、橘京子はフワリとジャンプしてどこかへ飛んで行った。恐らくこの世界から出て行ったのだろう。 そろそろタイムリミットのようで、俺の体が光り始めた。 そして―――。 β-10 「怪我はありませんか?」 優しいトーンで俺に問いかけるのは、たった今九曜を消し去った喜緑さんだ。 「ええ。お蔭様で」 「わたしには聞いてくれないの?」 朝倉はふてくされる様な表情で言った。 「あなたは攻撃されても平気でしょう」 あっさり受け流す。大人の対応である。 「それでは、わたしたちは戻ります。じきにこの空間も戻りますので、佐々木さんを頼みますね」 「はい。ありがとうございました」 「それと、朝倉涼子は家庭の都合として明日にもまた北高に戻りますので」 俺は思わず朝倉の方を向く。 「大丈夫よ。わたしはもう急進派でも穏健派でもない、いわばフリーエージェントなの。だから今は穏健派に借り出されてあなたを護衛する役目。以前のことはこれで許して?」 「・・・わかったよ」 両手を合わせて片目をつぶりながら懇願されちゃ許さないわけにもいかんだろう。俺ってお人好し過ぎるのか? 「ふふっ、ありがとう。それじゃあね」 と言って二人は崩れた壁の向こうへ消えていった。 「佐々木、大丈夫か?」 「・・・・・・」 佐々木は気力のない瞳で俺を見上げる。こんな佐々木はかつて見たことがない。しかも、それだけにとどまらず、 「キョン・・・僕は・・・」 その瞳から涙を流し始めたのだ。あの野郎共、佐々木をこんなにまでしやがってその償いもなしか? 俺は佐々木の肩を掴み、 「なにがあってこんなことをしたのかは知らんが、俺は気にしちゃいないしおまえとの縁を断とうなんてミジンコ程も思っちゃいない。おまえは悪くない。あの三人のせいなんだ。だからもう忘れろ」 そう言うと、佐々木は驚いたような表情を作った。 「・・・僕がなにをしたのかわかっているのかい?」 ああ、わかってるさ。わかっている上でそう言ったんだ。俺は重度のお人好しだからな。 「・・・やっぱりキミはなにも変わっていないね。いや、グレードアップしたのかな」 俺がこの一年でどれだけのことを経験してきたのか、今度話してやるよ。今日のことなんか蟻の眉間くらいにかわいいもんさ。 「楽しみにしておこう」 佐々木は涙を袖で拭った。自然と、お互いに微笑んでいた。 突然、ブレザーのポケットから金色の光が漏れた。 「なんだ・・・?」 俺は光を発するポケットからオーパーツを取り出す。光源はこれだった。 輝きが一層増し、そして―――。 α,β-11 ―――俺の意識が繋がった。 第6章へ
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作中で印象に残った台詞、気になるモノローグ、何について指しているのか等を掲載。 ※ネタバレがあるので、原作未読の場合は注意。 台詞 台詞 エマージェンシーを受け取ったわ。だからわたしが現れたの。不思議なことじゃないでしょう? (βルート)・朝倉涼子 「長門のバックアップ」である朝倉涼子。 長門が動けなくなったから、朝倉が復活した。これは異常事態であるとキョンは推測している。 長門さんは彼等との中継機器の役割を果たしています。今も実践中です。見守ってあげてください (βルート)・喜緑江美里 長門は、天蓋領域と言語を使わないコミュニケーションをとるために眠っていたらしく、それが長門の役目であると、彼女は言っている。 橘京子をつつけば何かでてくるかもしれませんが、推測するに期待薄ですね。 彼女たちの一派と長門さんのこの症状は無関係に等しい。 (βルート)・古泉一樹 第9巻『分裂』の「第3章」(βルート)にて、古泉は「天蓋領域の単体攻撃」であると推測。 後に橘京子の一派が攻撃を仕掛けてくることも予想される。 しばらくSOS団は活動休止にするわ (βルート)・涼宮ハルヒ 長門が熱を出して倒れたため、部室での活動を休止し、長門の家への集合宣言をしたハルヒの台詞。 ちなみに、SOS団の活動休止宣言をしたのは今回が初めてである。 キョン、キミはずいぶん立腹のようだが、今日明日中で頭を冷静にしておいたほうがいいだろうと僕は考えるね。 まさに今のキミの反応が彼等の計画の一環かもしれないからさ。 (βルート)・佐々木 第9巻『分裂』の「第二章」(βルート)にて、橘京子は佐々木とキョンの同意があれば力を佐々木に移植できると発言した。 藤原と九曜の目的はまだ判明していないが、3人はキョンが佐々木に連絡するのを待っていたフシがあったようだ。
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第六章 「これは・・・」 俺はいつの間にか幾何学文字の浮かぶ空間からも、平行世界からも抜け出て、元の長門の部屋にいた。 「まさか、あちらでの三日間がこちらでは半日にも満たないとは驚きですね」 古泉は自分の手を眺めて言った。今の俺たちの脳内には二つの記憶が混合しているため、体内時計が悲鳴を上げている。 「あれ?あたし部室にいたと思ったのに・・・でもこっちにもいたような気が・・・」 ハルヒも混乱しているみたいだったが、 「そうよ!有希っ!」 長門のことを思い出して和室に駆け込んだ。 予想に反して、長門はけろりと布団の上に置物のように立っていた。 「あなた熱があるって言ってたのに、寝てなくていいの?」 「・・・・・・」 なにも言わずに長門は俺の顔を見た。俺は迷惑かけた、すまんという意を込めて軽く頭を下げた。古泉と朝比奈さんもそうしているようだ。 「もう、へいき」 と長門は言うが、いつかの別荘事件のときのようにハルヒは無理矢理寝かしつける。 「明日また来るから、しっかり寝てなさい。わかった?」 これには長門も観念したらしく、おとなしく布団に入った。 「本当にすまなかったな」 俺は長門にだけ聞こえるように言って部屋を後にした。後にしてから気づいたが、いつの間にか佐々木がいなくなっていた。 マンションを出た後、ハルヒは朝比奈さんを抱えて俺たちと別れた。 「涼宮さんの力で元の世界に戻る、とはよく決行しましたね。僕は彼女には力がないと言いましたのに」 こいつ本来のスマイルになった古泉がつぶやく。 「そんなこと忘れてたさ。ただ、あの世界はハルヒの異世界人がいてほしいという願望で作られていて、なおかつ俺のこと、ここではジョン・スミスだが、そいつを異世界人だと思ってるんじゃないかと考えただけだ」 「どうです?僕の代わりに涼宮さんの監視役となるのは」 全身全霊をもって、お断りする。そんなことより佐々木を頼むぞ。 「ええ。あちらでも頼まれたことですが、忘れてはいませんのでご安心を」 人畜無害な微笑みを備えた超能力者モドキは、そう言って去って行った。 さて俺も帰るかと振り返ると、そこには佐々木がいた。 「お邪魔かと思ったので先に出ていたよ」 そいつはすまなかったな。 「僕が謝られる立場ではない。それと、言っておかなくてはならないことがある」 なんだ? 「何故、彼女らがキミたちを狙ったのかわかるかい?」 知らないし、知りたくもない。が、ここは聞いてやろう。 「何故だ?」 「涼宮さんに存在する神のような力を僕に植え付けようとしたみたいなんだ。そしてコピー体だったキミたちを消滅させればもう元の世界には帰ることができない。そのまま力は僕へ・・・そういう算段だ」 「・・・・・・」 俺は黙っていた。 「じゃあなんで俺を刺そうとしたんだって顔だね。言い訳にしかならないけど、僕はそうしなければいけなかったんだ。信じられないかもしれないが、僕は未来の映像を見せられたんだよ。あの藤原と名乗る人にね」 てことは、時間移動で未来に跳んだのか。 「その口ぶりじゃ、キミも体験したことがあるみたいだね。例の朝比奈さんて方かな?」 相変わらず鋭い。その通りさ。 「とにかく、僕は未来でキミを刺そうとする自分を見た。驚愕したよ。自分が人に刃物を向けることなんて一生ないと思っていたからさ。そこで僕は彼にこう言われた。『おまえがこうしなければ、あいつは還ってこない』とね」 それって、あの憎たらしい未来人が俺たちを助けたってことか? 「と言うよりは、僕に選択の権限を委託したということだろう。どちらにしても、キミの彼に対する印象は芳しくないようだし、これを機に改めてみてはどうかな」 どういう風の吹き回しだ。やはりあいつは協力する気はなかったってことなのか? いくら考えてもあの未来人の考えてることなんざ細胞の核ほどもわかるはずもない。 「それにしても、よく戻ってきてくれたよ」 俺は異世界での出来事を遡りながらこう言った。 「向こうの世界でおまえとの会話の幻覚を見た」 佐々木は意外そうな顔をした。 「元に戻るためのパスワードを俺は一度間違えた。本当ならそこでアウトだったんだろうが、そこで中坊んときのおまえとの会話の幻覚を見たんだ。おまえなんて言ってたかわかるか?」 「さあねぇ。なんと言っていたんだい?」 「『今のままでいい。平和でいたい』って言ってたんだ」 佐々木は思い出したようだった。宇宙人も未来人も超能力者も知らない、過去の自分の姿を。 「やはり、今の僕はどうかしていたようだ。こんな非日常な事態を楽しんでいるなんて」 「そいつは違う」 俺は即座に否定する。 「俺らはおまえの心の中に閉じ込められてたんだ。その世界は宇宙人も未来人も超能力者も変な改変能力を持った女も誰一人としていなかった。間違いなくおまえの本心が望む世界があった。さっき言ったエラーも、きっとおまえが俺たちを助けようと無意識にねじ伏せたんじゃないかって俺は思う」 「嘘でもそう言ってくれるのはありがたいよ」 嘘じゃねぇよ。思ったままの感想を述べただけだ。 「もう僕はキミに頭が上がらないな」 笑いながら佐々木は言った。 「そう言うな。俺とおまえはいつでも平等な立場の親友さ」 「・・・・・・」 佐々木は絶句していた。俺だってこんな歯の浮くようなこと二度と言う気はないぜ。 「キミからそんなことを言ってもらえるとは、少しは事件に加担した意義もある」 おいおい。 「冗談さ。それじゃあまた同窓会ででも会おう」 すっかり自分のペースを取り戻した佐々木は、住宅街へと消えた。 これで安心して俺も帰れるな。 エピローグへ
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製作中 基本情報表紙 タイトル色 その他 目次 裏表紙のあらすじ 内容 あらすじ「あてずっぽナンバーズ」 「七不思議オーバータイム」 「鶴屋さんの挑戦」 登場人物 後に繋がる伏線 刊行順 基本情報 涼宮ハルヒシリーズ第12巻。2020年11月25日初版発行。 表紙 通常カバー…涼宮ハルヒ、鶴屋さん 初回限定生産版で、かつての角川スニーカー文庫を再現したリバーシブルカバー仕様になっている。 タイトル色 通常カバー…赤 初回限定生産版…赤 その他 本編…440ページ 形式…短・中編集 目次 あてずっぽナンバーズ 七不思議オーバータイム 鶴屋さんの挑戦 裏表紙のあらすじ 初詣で市内の寺と神社を全制覇するだとか、ありもしない北高の七不思議だとか、涼宮ハルヒの突然の思いつきは2年に進級しても健在だが、日々麻の苗木を飛び越える忍者の如き成長を見せる俺がただ振り回されるばかりだと思うなよ。 だがそんな俺の小手先なぞまるでお構い無しに、鶴屋さんから突如謎のメールが送られてきた。 ハイソな世界の旅の思い出話から、俺たちは一体何を読み解けばいいんだ? 天下無双の大人気シリーズ第12巻! 内容 短・中編収録の巻 あらすじ 「あてずっぽナンバーズ」 + ... 「七不思議オーバータイム」 + ... 「鶴屋さんの挑戦」 + ... 登場人物 [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] 後に繋がる伏線 刊行順 <第11巻『涼宮ハルヒの驚愕(後)」』
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