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※この作品は作者が脳内妄想して書いたものです。谷川氏のものとは別物ということを踏まえて読んでください。 第4章 α-7 次の日。 数学の時間に行われたテストは、ハルヒに厳選された問題を少しばかりかじったお陰で危うい点数ではないはずだ。谷口は知らん。 放課後、いつも通りの部室で古泉が新しく持ち寄ってきた連珠とやらをやっていると、コンコンと扉を叩く音がした。 「はぁい」 パタパタとメイド姿の朝比奈さんが扉を開けると、 「あ」 目をぱちくりさせて言葉を失っている。 「これはこれは」 と、古泉は微笑と苦笑の入り混じった顔でアゴをさする。 「ああの、涼宮さん」 「どうしたの?」 ハルヒが廊下へ出る。この位置からじゃなにも見えないので俺も立ち上がってハルヒと朝比奈さんの間からのぞく。そこには。 五人の一年生徒がいた。男が四人、女が一人。 ちなみに、その唯一の女子生徒は俺が昨日品定めの最中に注目していた娘だった。 「あら、昨日より減った?まぁいいわ。とにかく入りなさい。少ないほうがやり易いし」 ぞろぞろと部室へ入る五人。昨日の電波演説を聴いてもなお来るなんて正気かこいつら。ていうかやり易いって例の入団試験か? 「そ。というわけだから、あんたたちにはこれからSOS団入団筆記試験を受けてもらうわ!」 圧倒されている一年生に向かって声高らかに宣言し、ハルヒはプリンターから吐き出された、現団員の誰も内容の知らないプリントを素早く取り、叩きつけるように長机に置いた。 「じゃ、ここ座って。みくるちゃん、お茶出してあげて」 「は、はい」 萎縮気味の一年生たちの向かい側にどかりと腰掛けたハルヒは、 「制限時間は50分。頑張ってあたしの期待に応えてちょうだい」 そう言って手にしたストップウォッチのタイマーを始動させた。「試験官」と書かれた腕章をつけたハルヒの顔が、どこか嬉々としているのは気のせいでもなんでもなく、その通りの心情なのだろう。 「そうですね。春休み最終日の閉鎖空間は杞憂だったのかもしれません」 ニキビ治療薬のおまえが言うんだからそうなんだろうよ。 「その例えはミステイクだったかもしれませんね」 古泉は微笑みを絶やさずにそう言った。 朝比奈さんは十人分のお茶を配り終えるとパイプ椅子に座って一年生たちをながめている様子で、俺と古泉はこれ以上余計なプレッシャーをかけるのもアレなので、連珠を再開させた。目の前でハルヒが見ているだけで重力の三倍は肩が重いだろうに。もちろん、長門は部屋の隅で静寂を体現させつつ、ハードカバーのページをめくっていた。 β-7 ハルヒを先頭に慌ただしく部室を後にした俺たちは、校門のところで意外な人物に会った。 「おおっ、本当に来たよっ」 なにやら驚いているのは鶴屋さんだった。 「どうしたんですか?」 「うん、キョンくん。キミにこれを渡しておこう」 まるで繁栄を極めた一国の王のような口調で四角に畳まれたハンカチを渡してくれた。 これは――― 「じゃあそれだけだからねっ。急いでるみたいだし、お姉さんはこれで退散するっさ」 と言って木枯らしのように走り去って行った。俺たちがしばしキョトンとしていると、 「なんだったのかしら・・・そんなことより、早く行きましょ!」 俺はハルヒが再び走り出すのを見てハンカチをポケットに突っ込み、それに続いた。 赤信号に引っ掛かってハルヒがイライラしている間、古泉が話しかけてきた。 「先ほどのハンカチはまず間違いなく、この騒動に一枚噛んでくるでしょう」 だろうな。 「ですが疑問なのは、なぜそのようなものを鶴屋さんが所持していたのか、そしてなぜそれをあなたに渡したのか、です」 おまえにわからんことが俺にわかるかよ。 信号が青に変わる。 古泉はフッと嘲るように笑い、 「そうとは限らないかもしれません」 と言った。ハルヒは朝比奈さんを抱えてすでに走り出していた。 古泉にわからないことは俺にもわからない。 それはヤツの言う通りそうとは限らない。実は、俺にはあのハンカチの正体がわかっているのだ。ハンカチを渡されたとき、明らかにそれの質量とは違った重みを感じていた。 畳んだハンカチに入る大きさでこの重さ。鶴屋さんが持っていたもの。間違いない。 ―――あのオーパーツだ。 α-8 その日は入団テストが実施されただけで、長門の合図とともに、 「じゃあ、今日は解散っ!」 ハルヒの号令で幕を閉じた。一年生たちはテスト終了後すぐに帰宅している。結局テストってどんな感じなんだ? 「秘密よ、ひ・み・つ」 そう言ってハルヒは答案用紙を回収してさっさと帰ってしまった。なんでそこまで隠すんだ。 「涼宮さんにだってプライベートなことはありますよ」 風力発電以上に無害なニヤケ面をした古泉が言う。一年生には見せてもいいプライベートってどんなことだ。 さぁ、どうでしょう?とでも言いたげな顔で古泉は両腕を広げた。 ・・・どうでもいいか。俺も帰って飯食って寝ちまおう。 こうして残された四人は帰路についた。 翌日。 三時限まで安泰に過ごし、四時限目に数学の答案が返却されて昼休みをむかえる。点数は・・・まぁ悪くはないな。少なくとも谷口よりは。 「たく、なんでおめーはそんな点いいんだよ」 嘆く谷口。努力の賜物だよ、谷口くん。 「でも昨日涼宮さんに教科書開いてなんか指摘されてたよね」 「涼宮ぁ?」 ああ、国木田。余計なことはいわんでくれ。 「俺もあいつに教わるっきゃねーかなー」 「朝倉さんがいればよかったのにね」 きっと、いや絶対に何気無くそう言ったのだろうが、俺には不自然に反応するだけの要素は十分にあった。 「どうしたんだい、キョン。箸が止まってるよ」 「あ、あぁ・・・」 朝倉涼子。表向きはカナダへ引っ越したことになっているが、実際は俺を殺そうとして失敗し、長門によって情報連結を解除された急進派インターフェース。 あれも去年の今頃だっただろうか。 五限、六限を睡魔のなすがままに過ごし、放課後。文芸部室。 俺がやって来たときには、ハルヒを除いた正式メンバー三人がすでにいつも通りの構図を描いていた。 「ハルヒは?」 「まだ来てないみたいです」 朝比奈さんがお茶を淹れつつ応える。 「そのうち来られるでしょう。それよりお相手願いたいのですが」 懲りねえな、昨日散々だったじゃねえか。とは言ったものの、最終的には相手する俺。 「ありがとうございます」 朝比奈さんの淹れた砂漠のオアシスをも超越するお茶をすすり、窓の外を眺める。 うむ。今日も平和だ。 こんな日はこう思っちまうのさ。 こんなモラトリアムで気楽な日々が続けばいい、とな。 しばらく各々の好きなことを過ごしていたが、ふと思いつく。 そういや、あの一年生たちの名前ってなんだろうな。 「僕もいちいち記憶していませんので名前はわかりかねますね」 団長机に目をやる。プリントが五枚置いてあるな。どうやらハルヒは昼休みにここで採点でもしていたようだ。 あれだけハルヒが隠していたものなので多少の罪悪感を感じつつ、名前くらいは知ってないと呼称に困るからな、と内心で天使と悪魔を対抗させ、プリントに目を通す。古泉と朝比奈さんも後ろからのぞいている。 一人目、二人目・・・と見ていき五人目。そこの名前蘭には可愛らしい、見覚えのある字体でこう書かれていた。 朝比奈みちる、と。 β-8 長門のマンションにレーザーポインタの照準を合わせ、そこへ目がけて撃ち出された弾丸のごとく到着した俺たちは、スピードを緩めることなく自動ドアへ突っ込もうとしたそのとき。 自動ドアが開き、二人の男女が現れた。 「あら、こんにちは」 こいつが朝比奈さんを誘拐した犯人です、と告げなければ気づく事のできない無垢な笑顔で挨拶したのは橘京子だった。もちろん、そいつの隣で苦虫を噛んだような表情をしている男は未来人藤原。 「長門はどうした」 俺は怒りの炎を奥底で煮えたぎらせつつ、あえて冷淡に尋ねた。そんな俺の様子にハルヒは首をかしげていが、説明は後回しだ。 「そんな怖い顔しないでよ。あたしたちは別にあなたたちに危害を加えようとしてるんじゃないんですから」 じゃあなんでこんなところにいやがる。精一杯威嚇して言ったのだが、 「それも、あなたたちにはわからないことです」 ひまわりのような笑顔で返された。どういう意味だ? 「キョン!こんなところで時間を潰してるヒマはないの。早く有希の部屋へ行くわよ!」 ハルヒが俺を引っ張る。 「そいつの言う通りだ。せいぜい、哀れな人形を演じてこい」 古泉が俺の後ろにいなけりゃ、藤原の左頬に思い切り右フックを見舞ってやるところだった。 「抑えてください。現段階では彼らと争うよりも、長門さんの救出が先決です」 わかってる。 こうして俺たちはすれ違い、マンションへ入った。 エレベーターで七階へ昇り、708号室前に来た。 おそらくこの部屋には天蓋領域、周防九曜が待ち構えているだろう。 玄関ドアを開け、室内へ上がる。 「有希ー?いるんでしょ?」 ハルヒが叫ぶ。が、その声は壁に跳ね返されて室内に響くだけだった。誰もいないのだろうか。 俺は畳の部屋のふすまを開けた。 そこには、和式の布団に顔だけ出し目を閉じた状態の長門がいた。 「長門!」 と叫んで近寄ろうとした刹那。 俺は吹き飛ばされ、フローリングの床の上で転がっていた。 「キョン!?」 ハルヒが振り向く。 何だ、何が起きた?脳が疑問を提示するより早く、俺の網膜には薄青いバリアのようなものの向こう側にたたずむ周防九曜と――― 不敵に微笑む佐々木が映し出された。 「佐々木・・・」 和室のふすまの形に沿って張られたバリアを抜けて、佐々木がゆっくりとこちらへ来る。 その右手にまがまがしいナイフを持って。 「なんの冗談だ佐々木!」 だが佐々木はなにも応答しない。仕方なく立ち上がって古泉たちに助けを求めようとしたが、俺と佐々木、そして九曜以外誰もいない。それどころか、部屋の壁に幾何学記号が浮かび上がって婉曲し、ねじれている。これはまさか。 「キョン、もう無駄な抵抗はよそう。この空間は彼女の管理下にあるらしい」 やっと佐々木がサイレントを解いたが、今度は俺の体が動かなくなった。ありかよ、反則だ。 「いくらコピーとはいえ・・・抵抗するキミを殺したくはないんだ」 そう言って勢いよく走ってくる。今回は長門はいない。終わった。 ナイフが腹まで数センチと迫ったとき――― ―――コピー? ナイフが刺さる。 第5章へ
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二人のハルヒ 第1部 二人のハルヒ 第2部 二人のハルヒ 第3部 二人のハルヒ ハルヒの気持ち
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涼宮ハルヒの切望Ⅲ―side H― 「ありがと……ハルにゃん……みくるちゃん……」 今日もどっぷりと日が暮れている。 あの後、妹ちゃんが起きるまで部室に残っていたあたしとみくるちゃんは妹ちゃんをキョンの家まで連れて行ってあげたんだけど、なんとも妹ちゃんが「今日は泊まっていってほしい」とフリじゃない涙で型崩れしているうるうる瞳で訴えてきたものだからあたしたちも断るなんて真似は出来なかった。 そりゃそうよね。妹ちゃんは標準的な小学六年生と比べるなら明らかに幼く、まだ年齢が二桁に達していないみたいな容姿なんだから。 そんな女の子の泣き顔を無碍にできる人間がいるとしたらその人は即座に鬼畜認定よ。 とと、今、この場にはいない古泉くんのことを少し話しておかなきゃね。じゃないとまるで彼が妹ちゃんをないがしろにしたと思われちゃうし。 …… …… …… …… …… …… 妹ちゃんがあたしの腕の中で寝息を立てている。 あたしは彼女を起こさないように、いつもはキョンが座っているパイプ椅子に腰かけていた。 普段なら、その正面にはキョンとボードゲームを勤しんでいる古泉くんがいるんだけれど。 「涼宮さん、少しよろしいでしょうか?」 今日はあたしの横に、いつもの爽やかな笑顔が消えたなんとも思いつめたような表情で佇んでいる。 「何?」 「僕の知り合いに探偵事務所を営む方がおりますので、その方にも彼の捜索をお願いしようかと思うのですが」 ……妹ちゃんがここに来て、岡部が知っているっぽいところをみるともう警察も探しているでしょうね……でも日本の警察って、ネズミ取りには並々ならぬ使命感を持って励むけど、もっと重大で危険な仕事になればなるほど疎かにする傾向があるし、特に行方不明者捜索となるとあまり役に立っているイメージもないわね…… 遭難者捜索なんかいい例だわ。 見つかる時は不明者当人が自力で脱出するか遺体になってからだもん。 それなら私立探偵の方がまだ信用できるわね。だって民間なら業績を上げることに必死になるわけだから。 「ん。分かった。古泉くんはそれでお願い。実はさっき、有希も自分の知り合いに頼んでみる、って言ってたのよ」 いちおー古泉くんには有希が宇宙人だってことを今はまだ伏せておく。 だって信じられないだろうし。 「そうですか。では僕もその探偵事務所に今から、お伺いします。電話で話すよりも直に話す方が信憑性があるでしょうし、我々の必死さも伝わるでしょうからね」 「お願いよ」 「むろんです。僕も彼がいないと寂しいですから。皆さんと同じで」 言って、爽やかな笑顔が戻った古泉くんも部室を後にした。 もっとも、その笑顔には並々ならぬ決意を感じたけどね。 …… …… …… …… …… …… キョンの両親に挨拶して今日の宿泊を、あたしとキョンの両親両方に承認してもらった後、あたしたち三人はキョンの部屋への扉を開けた。 相変わらず平凡な机とベッドとほとんど漫画かラノベの本棚と洋服ダンスしかないあまり広くない飾りっけない部屋なんだけど何でだろう。どういう訳か、あたしの胸も苦しくなる。この部屋も主を失って寂しくなっているんじゃないかと錯覚を受けるから? 「じゃ、じゃあ中に入りましょう。妹ちゃん、今日もみくるちゃんと一緒に寝る?」 てことで、あたしは自分の気持ちを押し殺して努めて笑顔で問いかける。 妹ちゃんはなぜかみくるちゃんがお気に入り。 この辺りは普段エロい目でみくるちゃんをデレデレ眺めているキョンの血縁者なのかと勘繰ってしまうんだけれど。 隣でもみくるちゃんが宥めるような温かい笑顔を浮かべているんだけれど。 今日の妹ちゃんの反応はまったく違っていた。 「ハルにゃんと……ひっく……一緒がいい……」 御指名はあたしだったり。って、どうして? いつもはみくるちゃんって言うのに? 「だって……キョンくんが好きなのはハルにゃん……だから……キョンくんが好きなものと一緒にいたいし……それならキョンくんが傍にいるみたいだし……」 あの……何かサラリと重要なこと言わなかった……? 標準よりも明らかに幼いこの少女は男女と経験の違いはあれど同じ両親から生まれた云わば、同じ血肉で構成されているもう一人のキョンな訳で、言いかえればこの子はキョンの気持ちを誰よりも察してやれるってことだから…… いやまあ……妹ちゃんのことだから自覚ないんだろうけど…… って、どうしてあたしの顔が熱いのよ! だいたい今はそんなことを呑気に考えていられる状況じゃないんだから! …… …… …… う……文字通り天国から地獄って感じね…… 妹ちゃんからキョンの気持ちを聞いて一瞬、舞い上がったのに、今、現実はキョンが居ないってことを再認識した途端、テンションが180度降下したし…… その日、妹ちゃんはあたしから片時も離れることはなかった。 御呼ばれした夕飯はあたしの隣、お風呂も一緒に入ったし、今、キョンの部屋に戻ってきたときもベッドに腰掛けるあたしの膝の上に座っているし、みくるちゃんはキョンの母親が用意してくれたお客用布団の上にちょこんと可愛らしく座ってこちらを見つめている。 ちなみにみくるちゃんはキョンのほとんど使っていないことが一目瞭然の新品に限りなく近いパジャマを勝手に拝借して着ていたり。胸のサイズはともかく全体像は小柄なみくるちゃんだけに男物のだぶだぶパジャマがなんとも萌え。 え? あたしは何を着ているかって? いやその……妹ちゃんは気を使ってくれて妹ちゃんの同級生から桃色のパジャマを借りてきてくれてそれを着てるの。 ちょっと……じゃないか……結構ショックだったけどね……さすがに胸元のボタンを全部止めると苦しいんで三つある内の二つは外しているけどサイズが思った以上に合うし…… ううん……キョンの言葉に嘘はなかったか…… もうすぐ十二歳の十一歳小学六年生ってことで、他人の家に一人にさせるわけにもいかないってのも本当だった。 もうお分かりよね。 そう、あたしが着ている妹ちゃんの友達のパジャマは、先週土曜日、キョンが連れてきていたあの女の子のものなの。 名前は吉村美代子で、キョンが言った通称はミヨキチ。前にSOS団で機関誌を発行した時のキョンが自分の書いた小説に登場させた子よ。 だ、だって仕方ないじゃない……まさか制服で寝るわけにもいかないし、妹ちゃんの服は着れないし……それにYシャツ一枚は妹ちゃんの教育上、よろしくないんだもん! って、あたしは何で言い訳してるのかしら? 「ホントはね……キョンくんも一緒に行く予定だったの……」 ん? 「土曜日……おばあちゃんの家……」 ああ、それ。 「うん……だけどね……キョンくん……SOS団の活動を優先させたの……おばあちゃんの家に行くのって……一ヶ月前から決まってたのに……」 あ……! あたしが先週の土曜日に市内パトロールを開催することを決めたのは前日の金曜日。 筋としては先に約束した方に優先権があるのが当然なんだけどキョンはそれでもあたし……もとい、あたしたちの活動を優先してくれたんだ…… なんだか罪悪感が胸の内を広がっていく。 もし、キョンが家族の予定通り、土曜日に親せきの家に行く方を選んでいたとしたら? そうすればキョンが土曜日から日曜日にかけて一人になる時間はなかったわけで消息不明になるような何かが起こらなかったかもしれない…… 「ご、ごめん……」 あたしは妹ちゃんに陳謝するしかなかった。 「ううん……ハルにゃんの所為じゃないよ……それにキョンくん……ハルにゃんと話してるときとか一緒に遊んでるときって、すごく嬉しそうだし楽しそうだし……」 「そう……」 妹ちゃんの無理に繕った笑顔にますます落ち込んでいくあたし。 そんなあたしの表情をみくるちゃんはどこか物哀しげに見つめていた。 その後も妹ちゃんはキョンのことを喋り続けた。 キョンがどれだけあたしとSOS団のことを好きなのかを―― 眠気に支配されるまでずっと…… 涼宮ハルヒの切望Ⅳ―side H― 涼宮ハルヒの切望Ⅲ―side K―
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冷たい金属が抉り込まれるような感触がして、一瞬後にはそれが灼熱の棒を傷口に突っ込まれたような痛みに変わった。 俺の鼓動に合わせて血が噴出する。 「久しぶりに動いたから、動き方忘れちゃった」 ぶんぶんとナイフを振って確かめるような動作をする。 「お前は消えたはずだ。なんで……」 「うるさいなあ。黙ってて、永遠に」 そう言って朝倉はぼやけるほど高速に手を振った。 わずかに遅れて俺の頬肉が五グラムほどはぜる。 「んー。やっぱりおかしい」 頬と右腿の痛みに呻く俺の耳に早口言葉のような朝倉の声が届いた。 何が起こるかは分からんが、今より良くなることなどありえない。 俺はスペアポケットに手を突っ込んで、例のアレを取り出した。 黒い筒状の物体を手につけて、 「どかん!」 と叫んだと同時に先端から空気の塊が発車される。 空気砲ってやつだ。 風圧で朝倉の華奢な身体は吹っ飛ぶ……はずもなかった。 空気砲の一撃は朝倉の長い髪をわずかに揺らしただけに止まる。 「よし、終り」 呟くように言った朝倉は目にも止まらぬ速度で突っ込んできた。 それを狙い撃とうと構えた空気砲が金属と金属がぶつかる音を立てて消失する。 その衝撃で俺の後頭部が地面と激突した。それが効を奏して俺の首を刃が横断するといったことはなかったのだが、危機的絶体絶命的状況には変わりがない。 朝倉が一瞬背を向けた拍子にスペアポケットから適当に出したものを投つける。 朝倉の頭にあたって中身がばらばらと散らばった。 べちょべちょと俺の顔にも降り注ぐ。 もっとマシなのがあるだろ。せめて鈍器とか。 「何これ。コンニャク?」 ああ、カレー味だ。旨いぞ。食うか? 「君を殺した後にね」 そう言って朝倉は俺の腿を踏みつけた。 「ぐあっ」 大量の血を吸ったズボンが濡れた雑巾のような音を立てる。 「やっぱりおかしい。この空間のせいかな」 そう言って踏みつける足をどかさずに再びぶつぶつと呪文を唱え出した。 しかし、さっきはただの早口言葉にしか聞こえなかった言葉が今回は明確な意味を伴って耳に入る。 『本次元の物理法則に身体情報の適合化申請』 なるほど。さっき少し舐めたやつのせいか。 翻訳コンニャクカレー味だっけ。 『身体情報の強化申請!』 なんとなくの希望に駆られた俺は叫んでみた。 朝倉の顔が驚愕に変わり、ナイフが振り下ろされる。 ああ、これは死んだな。 走馬灯が頭の中を駆け巡る中でどこかから、 『承認』 という機械的な声が響いて朝倉のナイフが少しゆっくりになった。 わずかに首を捻ると、その真横をナイフがかすめる。 ならばと、俺は朝倉を蹴った。空気砲でもみじろぎさえしなかった朝倉が呆気ないほどに吹っ飛ぶ。 どうやら、俺の“身体情報”はほんとうに強化されてしまったようだ。 ここから怒濤の反撃が始まる。 というのはヒロイズムに駆られた若者だけで、俺は逃げも隠れもする一般人だ。 俺は朝倉から脱兎の如く距離をとると、スペアポケットからどこでもドアを取り出した。 その時、思い浮かんだのはニヤけた超能力者でも愛しい未来人でもましてや巨大バニーのハルヒでもない。 無表情に俺を助けてくれる頼れる宇宙人、長門の顔だった。 ドアを開けるとすぐにリビングがあり、真っ先に長門が無表情のまま迎えてくれる。 そんな妄想は半分当っていた。 長門が無表情にたたずんでいる。 ただし、長門の顔には外したはずの眼鏡があり、その奥には一人の少女と首が元の位置に戻ったドラえもんが大量のネズミの上に倒れていた。 ところどころ破けた北高の制服、ボブカットの髪。 それはどうみても眼鏡を外した長門だった。 愕然とその光景に立ち尽くす俺の肩口に強烈な痛みが走る。 ふり返らなくても分る。朝倉のナイフだ。 俺は肘で朝倉の頭部を強打してから、部屋に転がり込んだ。足でどこでもドアを蹴り閉める。 それに部屋を埋め尽くしていたネズミたちが驚いて、開け放たれていた玄関から逃げていった。 その残党を足でかき分けながら、倒れる長門に駆け寄った。 走る度に痛みが身体中の神経を飽和的に刺激する。 「長門、大丈夫か?」 「……問題ない」 長門は苦しげな声で喘ぐように言った。 「なんで、こんなことになってるんだ?」 「空間変異から私の異時間同素体が発生した。その異時間同素体は私に同期を求めてきた。それを拒否すると、私に対して敵対行動を行なった」 よく分からんが、格好から察するに過去の自分が現れて攻撃してきたってことだろう。 「そう」 と、長門のお墨付きも頂いたところで、どうしたもんかね。 過去の長門と今の長門を交互に見た。 過去の長門は眼鏡の奥で無表情にこちらを見つめているし、こちらの長門は裸眼で俺を見つめている。 たまには眼鏡でもいいかもしれん。 そんなことを思ったのが不味かったのか、長門が俺の背に手を回して、吐き気をもよおすような激痛が走った。 その手には柄の部分まで血に塗れたナイフが握られている。 げっ、刺さってたのか。 長門はこくんとうなづいてから、ぶつぶつと呪文を唱えた。 俺の耳には『局所的生体情報の時間逆行申請』だとか聞こえて、身体から痛みが引いていく。 「あなたはなに?」 その様子を見守っていた過去の長門がやっと口を開いた。 なにと言われてもな。 「そのバグを排除するのを阻害する?」 そう言って現在の長門を指差した。 「長門をバグだと? ふざけるな!」 俺は思わず怒鳴っていた。 普通の女子高生になろうとしている長門を馬鹿にする奴はたとえ、宇宙人だろうが未来人、超能力であろうがぶっとばす。やるのは俺ではないが。 「そう。ならば、あなたも排除する」 過去の長門が翻訳コンニャクを食った俺の耳でも聞き取れない高速呪文を詠唱すると、フローリングの床がぼこんと盛り上がり刺のようになって俺と長門に迫ってきた。 俺は長門に突き飛ばされて、なんとか串刺しにならずにすんだのだが、過去の長門は体勢を崩した長門にロケットのように突っ込んでいった。 長門は紙一重で過去の自分の足先をかわすと、ためらいのない蹴りを放つ。 過去の長門はその蹴りを首筋に受けてつんのめるように床に倒れた。 現在の長門はその上に覆いかぶさるようにマウントポジションをとると、過去の自分の殴り始めた。 あの細腕では信じられないような速度で伸びる拳は的確に過去の長門の顔を捕らえて、ごつごつと骨と骨がぶつかる音を立てる。 長門がこのまま決めるか。 しかし、過去の長門が恐るべき早口詠唱を唱えるとフローリングが上で殴り続ける相手を刺し貫こうと変形した。 そのヤリは腹部をわずかに削るのみに止まったが、長門の注意をそらすには十分な働きをした。 過去の長門は自分を上にのせたまま、肉体的常識が一切通用しない起き方で立ち上がり、無防備な長門の頭を鷲掴みにした。 間、髪を入れず壁に長門の頭を叩きつけ始める。 人外バトルに呆気に取られていたが、このまま長門がやられるのを手をこまねいて見ているほど今の俺は無力ではなかった。 恐らくは長門のパトロンの宇宙的パワーで強くなっている。 俺は目の前にあった朝倉のナイフを手に取ると、長門を壁に押えつける過去の長門に向って闇雲に切りつける。 しかし、ナイフの刃が届く前にみぞおちに過去の長門の踵がめり込んで、俺はダンプにでも轢かれたように吹っ飛ばされた。 壁に激突した俺の肺中の空気が喉を鳴らして、晩飯やらなんやらを吐き出した。 脂汗が噴き出し、歪む視界の中に過去の長門が今まさに必殺技を放たんと詠唱をする姿があった。 「やめろ!」 そう叫んだ俺は脇に転がっていたドラえもんの尻尾を引っ掴むと、過去の長門に向って放り投げていた。 火事場の馬鹿力か宇宙的パワーのお陰か、ドラえもんは水平に飛んでいった。 詠唱に気を取られていた過去の長門に百二十九.三キロの塊がまともに衝突する。 嫌な音を立てて過去の長門は壁とドラえもんにプレスされた。 ここで終ってくれ。 そんな願いも虚しく、過去の長門は頭から血を流しながら平然と立ち上がった。 化け物かよ。 あばらが折れたのか、息をするのも嫌になってきた俺に向って過去の長門は詠唱を始める。 『座標08514563、08965123、4213569のベクトル解除、及び変更申請』 それがどんな意味かはすぐに理解できた。 リビングにある唯一の家具のコタツが水平に飛んできやがった。 避ける間もなく、腹ばいになっていた俺の顔面に直撃する。 その衝撃でひっくり返された俺の喉に何かが流れ込んできた。 げほっと再び腹ばいになって吐き捨てると尋常ならざる量の血がフローリングに広がった。 今日は出血大サービスだな。 そんな下らないことを考える気力がどこにあったのかは分からんが、俺はまだ動ける。 ずりずりとまるでイモムシのように過去の長門に這い寄っていく。 「なぜ、あなたにそこまでしてこのバグを守る必要がある?」 唐突な問い掛けだった。 俺は肺から息を絞り出すように、 「なぜって長門が大事な奴だからだ」 「どうして?」 過去の長門の無表情な顔からは何も伺い知ることはできない。 「SOS団の団員は一人でも抜けたら駄目なんだよ」 俺はあの時の喪失感を思い出していた。あんなことは金輪際ごめんだ。 「SOS団とは?」 世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団だろ。 「涼宮ハルヒが結成した団? 私はその団員? あなたも?」 そうだ。それにしても、こいつは俺のことすら知らなかった。俺は四年前の七夕の日、長門に出会ったはずなのに。 「私は情報フレアの直後に生み出された個体」 通りで何も知らないはずだ、と俺が納得していると、 「そのバグはSOS団にとって……涼宮ハルヒの観察において重要?」 ああ。SOS団になくてはならない無口な読書キャラさ。 「そう」 過去の長門はそれだけ言うと呪文のように『自個体の情報連結解除』と、呟く。 その直後、さらさらと足元から過去の長門の身体が崩れていった。 「お前、何やってんだよ」 「観察に 私 は一人で十分。余計な混乱を招く必要はない」 そう言い残して過去の長門は完全に消えてしまった。 俺の胸中にはなんとも言えない後味の悪さだけが残っていた。 俺には朝倉、ハルヒには生徒会長、ドラえもんにはネズミ。 これから推測するにハルヒのでたらめな力は、自分が敵だと思うものを具体化したのか? だとしたら納得がいく。 長門は過去の自分をもっとも畏怖していたんだ。 俺たちと過ごした非常識で濃密な期間は長門の中に感情を作り出した、いや、元からあったものを外に出させたのだろう。 しかし、それをバグと切り捨てた過去の長門はどうだ。 自分の存在を軽視し、ハルヒの観察のために生み出されたことを享受していた。 俺はやり場のない感情をどこにぶつけていいかも分からずにただ過去の長門がついさっきまで存在していた場所を見つめた。 身動き一つしなかった長門がわずかに動いて、俺は正気に戻った。 大事なのは過去じゃなく今だ。 「長門、大丈夫か?」 「問題ない。私の異時間同素体は?」 消えちまったよ。影も形もなくな。 「そう」 長門の口からそれ以上の言葉が出ることはなかった。 何を考えてるのか一般人の俺には理解ができないし、しようとしても長門はそんなこと望まないだろう。 そう考えると妙にしんみりとした気分になってきた。 場の沈黙が重くのしかかってくるのから逃れるように、俺は長門から視線を外した。 その先には、俺に投げられてそれっきり忘れ去られていたドラえもんが縫いぐるみのように転がっていた。 こいつは、何しにきたんだろうな。 このまま置いて行こうかとも考えたが、一応はゲストであるのでほっとく訳にもいかず、せめてもの報復として叩き起こそうかと立ち上がった俺の身体が悲鳴を上げた。 よく考えれば朝倉に切り刻まれたのは長門に治してもらったからいいとして過去の長門に痛めつけられて一般人の俺が平気なはずがないというものだ。 だいたい痛みは気付くと酷くなるという性質をもっていやがるので、痛みが等加速的に増加する中、頼れる宇宙人にお願いを申し立てた。 「長門……治してくれ」 「推奨できない」 すまん。どういうことだ。 「あなたがなんらか力により我々のプロセスをもって情報の改ざんを行なったせいで、あなたの身体を構成する分子構造が不安定になっている」 端的に言うと無理ってことか? 「そう。もし行えばあなたが分子レベルで崩壊する可能性がある」 長門はそう言って『初期化申請』とかなんとか呟いて、自分の身体を治した。 いっそのこと自分でやろうかなとも考えたが、俺は分子レベルで崩壊なんて恐ろしいことにはなりたくないので諦めた。 死ぬよりはましさ、と達観すると動けるのが不思議だ。 立ち上がった俺は長門の細い肩に掴まりながら、役立たずの不良品の元に喘ぎながら近寄った。 「なあ、長門……これ死んでるんじゃないか?」 横たわるドラえもんは白目むき出し、口半開きでぴくりとも動かない。そんな時はたいていそういう状況か、それに近い状況であるというのが俺の見識である。 「電源装置を操作されて強制電源オフモードになっている」 「電源装置なんてあるのか?」 「これ」 と、長門は赤いボール付のドラえもんの臀部から生えた尻尾を引っ張った。 たしか、とっさにそれを掴んで投げたような気もするが、あいにく俺の記憶からはすでに消去されており、この件に関しては迷宮入りとする。 「そっか、じゃあ戻せるか?」 長門はこくんとわずかにうなずいてから、おもむろにドラえもんの尻に足をかけて思い切りよく引っ張った。 なんだかチェーンソーみたいな電源の入れ方をされたドラえもんの瞳に黒目が戻ってきた。 「ネズミ! ネズミが!」 人が切り刻まれて、蹴り飛ばされている間中のほほんと気絶しておいて第一声がそれか。 無性に腹が立った俺は平手でドラえもんの頭をぶん殴ってから、 「もういないから落ち着け」と叫んだ。 ぶん殴った手がひりひりと痛む。 よく青春ドラマなんかで、チープな効果音とともに生徒ぶん殴る熱血教師役が、殴ったこっちも痛いんだぞ、なんて理不尽極まるセリフをいうことがあるが、あの心境が分かった気がした。 あれは殴る方も心が痛いという暗喩を含んだセリフではなく、殴った拳が痛くてさらに腹が立ったという意味のセリフだ。 と、俺がつらつら無駄なことを考える間を置いてから、 「よかった」 なんてほざきやがった。 長門に今度は意識を保たせたまま、分解と組み立てを二三回やってもらうべきだろうか。 しかし、いつまでも怒っていては話が進まんし、さっきから頭の片隅にしつこい油汚れのようにこびりついていることがある。 ハルヒには生徒会長、俺は朝倉、長門は過去の自分、ドラえもんには大量のネズミとくると嫌がおうにも、ここに介在する人員にはすべからく敵対する存在が現れるような流れになっている。 だとしたら、ニヤけたエスパー野郎にも現れるだろうし…… 俺はその瞬間にどこでもドアを引きずり出していた。 思い浮かべるは恐怖に身を竦ませる愛しいバニー姿の未来人の泣き顔だ。 超能力者には自分でなんとかやってくれることを祈るしかない。古泉よ、骨は拾ってやるからな。 扉を開けるとそこは異世界だった。 思わず戸を閉めたくなるのを精神力でねじ伏せてから、俺はテーブルの上で発狂寸前の朝比奈さんの元へ走った。 ぐじゅぐじゅと嫌な音を立てて、俺の足元にいた不幸なやつらが潰れていく。 長い触角、てらてらと柔らかそうな背中、六本の足には用途不明なとげ……ああ、ゴキブリだよ。それも、床一面を埋め尽くすほど大量のな。 俺は朝比奈さんの肩を抱くと、そのままどこでもドアに逆戻りした。 わけも分からず連れ出された朝比奈さんは、足元のゴキブリを踏み付ける度にひゃあだのひぃだの叫ぶ。 部屋に戻った瞬間に、扉を蹴り閉じる。脱出しようとしていた数匹が挟まれて実に嫌な感触を残した。 「……ひぐっ……えぐっ……ゴっ……ゴキっ……」 バニー衣装の朝比奈さんはフローリングに座り込んでからさめざめと泣き始めた。 「もういませんから、落ち着いて下さい」 そう言って俺が朝比奈さんの頭をなでていると、 「翻訳コンニャクだそうか?」 いらんし、もう喰っとる。 どうやらこの役立たずのポンコツロボットはOSに重大な欠陥があるようなのでそれ以来無視すること二十分。やっと朝比奈さんが少しづつ語り始めた。 それを正確に書き記すとひぐっだのえぐっだのが数百回入ることになり、そんなことは読む方も書く方も面倒なことこの上ないので要約すると、 「キョン君から知らない所に押し込まれて、しかたないからじっと隠れてたら、ガサガサと音がして大量のゴキブリがなだれ込んできた」 と言うことになる。 しかし、相手がゴキブリでよかった。いくら見た目に嫌悪感を覚えるとはいえ、死ぬことはない。 いや、昆虫博士と言われた俺でさえ失神しかけたのだから、朝比奈さんならショック死してもおかしくないな。 この僥倖に感謝をして、長門に抱えられた朝比奈さんと、ドラえもんにおんぶされる形の俺は古泉のところへ行くこととなった。 こんどはなんだ。大量の〇〇だとしたらこの扉を閉める覚悟をもって、俺は慎重にドアを開いた。 その向こうは何かが蠢いている気配もなく、強めの風が流れ込んできた。 そこはどこかの屋上らしく、古泉は落下防止のフェンスに腰掛けて遠くを見ていた。 これで頭にタケコプターが乗っていなければサマになったのだろうが、これでは春先に出没する類の人である。 古泉は俺たちに気付くと、俺の姿と朝比奈さんの姿を見比べてから、 「僕がいない間に大変だったみたいですね」 と朝比奈さんに語りかけた。 それに対して朝比奈さんもこくこくとうなづく。 「見損ないましたよ」 どうもこいつはとんでもない勘違いしているらしい。 「え? 僕はてっきりあなたが誰もいないことをいいことに朝比奈さんを押し倒して、それを見つけた長門さんが救助したものとばかり」 だろうと思った。 で、お前には何が出たんだ? 「ええ、あれを見て下さい」 古泉が示した先には、巨大バニーハルヒとそれと同じくらい巨大な青黴人形がつかみ合いをしていた。 おい。あれは…… 「そうです。あれはご覧の通り、“神人”です」 こんなとこまでわざわざ出張してきたのか。 「いきなり出会ったときは驚きましたよ。さらに、いつものサイズより巨大ときています」 そりゃ、なあ。あんなものが出たらびっくりするわな。 だが、なんでハルヒが戦ってるんだ? 「僕がしばらく能力を駆使してやっていたんですが、涼宮さんが神人を見つけてしまったらしくいきなり割って入ってきました」 なんとなくその光景が目に浮かぶ。 古泉が火の玉になって仲良く巨大青黴と削り合いをやってる最中、これはあたしのオモチャよ、とばかりに青黴人形にタックルするハルヒの姿が。 「ええ、だいたいその通りです。ただし、最初の一手は見事なまでの飛び蹴りでしたけどね」 そうか、と言って俺たちは各々腰を落ち着けたが、朝比奈さんだけは「キョン君の怪我を治療しなきゃ」なんて嬉しいことを言ってくれ、どこでもドアで部室に救急箱を取りに行かれた。 ハルヒに相手を取られて余程暇だったのか、古泉はさらに話しかけてきた。 「ところで、僕には何が出たのかと言っていましたが、皆さんも何か出たんですか?」 俺には朝倉涼子、長門には過去の長門、朝比奈さんはゴキブリ、ドラえもんはネズミだったな。あっ、そう言えば生徒会長が出たぜ。 完全に忘れ去っていたが、大丈夫なんだろうか。 「ほんとうですか? だとすれば助けに行かないと……長門さん、彼がどこにいるか分かりますか?」 「この空間にはいない。元の空間に戻った」 「なるほど、涼宮さんの敵という役目を果たしたから帰っていったんでしょう」 可哀相な人だ。ハルヒの余興のためにこんな不思議空間まで連れて来られてボコボコにされるなんてな。 「そのために“機関”は彼をしたて上げたんですから、これは彼の仕事と言えます」 と、古泉が腹黒いことを言ってのけると同時に朝比奈さんが救急箱とお茶セットを持って帰ってきた。 「キョン君、痛くないですか?」 泣き顔の朝比奈さんに消毒液で顔面をなで回されると、痛みよりも微笑んでしまう自分がいる。 それからお茶を振る舞われた俺たちは、巨大バニーハルヒ対“神人”戦という怪獣対決を見物する運びとなった。 見たところハルヒの方が有利だな。 ハルヒは多少息が上がっているが無傷だし、青黴野郎の方は右腕が肘の辺りからもげている。 間合いをとっていたハルヒは唐突にタックルを敢行すると、“神人”を一気に抱えあげて真後ろに放り投げた。 回りの建物を粉砕しながら“神人”が吹っ飛んでいく。 半ば地面にめり込む形で止まった“神人”に駆け寄ったハルヒはここぞとばかりに蹴りあげていった。 それが続くこと五分、疲れたハルヒが距離を取ると“神人”は何事もなかったかのように立ち上がった。 なるほど、“神人”はどっかの生徒会長とは比べ物にならんほどタフらしい。 しかし、“神人”は攻撃をほとんどせずに立ち尽くすのみだ。 「もうかれこれ、一時間はこの状態です。恐らくは涼宮さんが不満を持っていないせいでしょうね」 だが、これじゃ終るのがいつになるか分からんな。長門、あいつをどうにかしてくれ。 長門は“神人”を見つめてから、『情報連結の連結力低下申請』だかなんだか呟いた。 それからハルヒの攻撃が決まる度に“神人”はボロボロと崩れていき、とうとう粉々になった。 誰に対してかは分からんが胸を張るハルヒに、痛みをこらえて大声を張り上げる。 「ハルヒ、こっちだ!」 ハルヒはキョロキョロと辺りを見渡してから俺たちの姿を認めると、のしのしと歩いてきた。 「なによ、あんた達もう出てきたの?」 疲れたからな。 「あたしも疲れたわ。みくるちゃん、お茶頂戴」 そう言ってハルヒは手を差し出した。 こいつの一口はどれぐらいの量なのかと概算してから馬鹿らしくなった俺は、 「そんなに飲みたきゃ貯水槽の水でも飲めばいい」 「冗談よ!」 少し不機嫌な顔をしてハルヒは自らにビッグライトの怪光線を当てた。 みるみるビルに隠れるように小さくなっていく。 とうとう元のサイズに戻ったハルヒがビルの下で叫ぶ。 「どこでもドアで迎えにきなさい」 俺は逆らうと後が面倒なので、素直に迎えに行ってやった。 扉を開けると上機嫌なハルヒは礼も言わずに座り込んでから、 「あー、疲れた。二連戦はやっぱり疲れるわね」 と言ってお茶を啜り始める。 「そう言えば、キョン。なんで怪我してるの?」 「タケコプターで事故った」 「もう、なにしてんのよ。便利なものほど使い方を知らないとダメなのよ。タケコプターも免許制にしなきゃね」 タケコプター免許制にはどちらでもいいが、これからどうするんだ。 無論、ハルヒがそろそろ休むというのを期待して言ったのだ。時間の止まっている“鏡面世界“は昼下がりでも、俺達の体感は明け方の四時くらいだし、この上なく満身創痍の俺は今にも倒れそうだ。 「そうね。やりたいことはやったから、もう一度ミーティングよ。部室に戻りましょう」 バイタリティーとか、無尽蔵とかいう言葉を某電子辞書で検索すると全てが涼宮ハルヒというページに行き着くんじゃないだろうか。 部室を思い浮かべてから、どこでもドアの扉を開く。 ハルヒによって運び込まれた雑貨品、朝比奈さんのお茶セット、長門の大量の本、古泉のボードゲーム、折り畳み式のパイプ椅子、パソコン。 しかし、扉の先には俺が思い浮かべた風景にはいない人物がいた。 自分の生み出した亡霊に俺は胸を貫かれた。 つづく
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「やれやれ」 あの言葉が愛しい もういちど聞きたい でももうあいつはいない ――――――― 北高を卒業、自然とSOS団は解散した。 あたりまえのことでしょうね。だって部活だもん あたしはあたしのレベルにあった大学へ進学した。 ホントはキョンといっしょの大学に行きたかったけど あいつは卒業とほぼ同時に田舎へ引っ越した。 おばあちゃんが亡くなったらしいわ。それでおじいちゃんひとりで可愛そうだからってキョン一家は田舎に帰った。 他の三人とは音信不通。あたしにまわりで変化したことってのは4人がいなくなった。それだけ。 それだけなんだけど、あたしにとってはそれだけなんてことばじゃ済ませられない。だってあたしはみんなの事がホントに・・・。 もうひとつ変わったような気がするのは、なんか最近おもいどおりに事が進まなくなったの。北高にいる時はなんだか自分が望む事が何気に上手くいってたような気がするの。結局宇宙人やら未来人。異世界人や超能力者が現れる事はなかったけど。 どうしてでしょうね 最初の何日かは。キョンと電話しまくったわ。 でも五日目からつながらなくなって・・・。 いったいどういうことよあたしのこと嫌いになったの?? 「・・・・・」 ひとりでイライラしてひとりで虚しくなる。 SOS団があればみんなにあたることもできるのに。 何で今日あたしがなんてこんなに憂鬱かというと、今日はあたしにとっていろいろなことがあった日なの。おかげで朝から思い出し憂鬱よ。朝からそんなことができたのは、今日は大学休んだから。北高を卒業してから3年間ずっとこの日は休んで思い出し憂鬱よ。嫌になっちゃう もうずっと会えないのかもなぁ・・・。 会いたいなぁ・・・。 「やれやれ」 あの言葉が愛しい もう一度聞きたい でもあいつはいない 「・・・・っ!」 あたしは駅前で人目をはばからず叫んだ。 「団長の命令よっ!SOS団集まりなさい!」 まわりの人がかわいそうな人を見る眼であたしを見ている。 「なにしてんのよみんな!早く来なさい!」 笑っている人もいる、でも全然きにならなかった。 「遅れたら・・えぐっ・・・罰金なんだからね!」 私は泣いた。みんなが来ないことなんて知っていた。 でもわたしはみんなに会いたかった。 とくにあのアホ面に・・・。 「うわぁーーんっ・・・・!」 わたしは大声で泣き叫んだ。 「みんなぁー!!古泉君!みくるちゃん!・・えぐっ・・・キョン!」 「わかったから、もう泣くな」 「え?!」 キョンが私を抱きしめていた。 「え?!なんで・・・?なんでここにいるのよ」 「まったく・・・・あれから携帯壊れちゃってな。お前の電話番号もわからなくなっちまったんだ。それでお前をどうやって探そうかと思ってたら、駅前で泣き叫んでるバカみつけて・・」 「そうじゃない!なんでここにいるのよ」 「じいちゃんがこっちに住みたいっていいだしてな」 「じゃ、じゃぁまたキョンここに住むの?」 「いま言っただろうが。そうだ」 「うわぁーん、キョン!!えぐっ」 あたしはキョンを力の限り抱きしめた。 嬉しかった。こんなに嬉しいのはSOS団発足を思いついたとき以来よ。キョン・・・! 「ハルヒ・・」 「ん?なによ」 「俺とはまた奇跡的に会えたわけだがなぁ。残念だが他の三人は無理だろう。お前も十分わかってるはずだ」 「・・・うん。そうよね」 「さすが元SOS団団長様だ。さてこれからどう」 「おひさしぶりですね。お2人とも」 「こっ・・・古泉くん!」 「なっ・・・なんでお前がここにいやがる」 そこにはひさしぶりにみたニヤケ顔があった。古泉くんだ。 「涼宮さんの能力が復活しましてね。また僕も神人狩りの重労働なアルバイトができます」 え?なにいってんの?? 「ってことは・・・」 「ええ、もうすぐ来ると思いますよ」 「あっ!」 ひさしぶりでもなんでも忘れない二人がそこにいた。 「お久しぶりですみなさん。また会えて嬉しいです」 あいかわらずのナイスバディにそれに似合わない可愛い顔。みくるちゃんだった。 「本当にっ・・・本当によかったです。またあえて・・・」 みくるちゃんは泣いていた。それ以上に私は泣いていた。 誰かがハンカチを手渡した。有希だ。 「拭いて。」 「ひさしぶりね・・」 「わたし個人としても大変嬉しく思っている」 「それより今日は七夕ですが。またみんなでなにかやりませんか」 「・・・みんな!」 あたしはみんなに抱きついた。もう絶対に・・・絶対にはなさない! 「SOS団、発進よ!!」 ――――――完
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「あ、キョンくん」 喜緑さん疑惑のある議事録のページをコピーしに走り、会長のところに議事録を返却しに戻り、そこで会長に俺が適当な理由を吐くまで拘束され続け、その足で部室に赴いてもう一度パソコンを起動させてみた。パスワードとあるからにはどこかにロックがかかっているのではと思ったのだが、あいにくどこも普通にデスクトップを表示するだけだった。そんなこんなしているうちに昼休みは終了してしまい、校外に逃亡しようという行為を教師に目撃されないように前後左右を確認の後抜き足差し足で、などとやっていたら脱出がかなり遅くなってしまった。 もちろん靴箱も探してみたが残念なことにラブレターはおろか手紙の類は一切入っていなかった。しかしそれも俺の右手に握られているものを思えばそれほどショックなことでもない。 俺がダッシュで校門を突破すると、朝比奈さんが急斜面の脇に生い茂る木々の隙間からひょっこりと姿を現した。 「もう、ずっと待ってたんですよー。学校の生徒さんたちに見つからないよう苦労しました」 「それは申し訳なかったです」 まるでデート的な状況ではないかと一瞬だけ思ったがすぐに萎えた。不謹慎だからとかいう以前の問題である。 俺は朝比奈さんを促して歩き出しながら話題を捻出し、 「それにしても朝比奈さんはよく誰にも咎められずに外に出てくることができましたね。仮病……演技はちょっと苦手そうに見えますけど」 「鶴屋さんに助けてもらったの」 朝比奈さんはよたよたと坂を下りながら答えた。 「あたし、演技なんて何もできないから。それでも風邪を引いたフリをしていたら、鶴屋さんが保健室に連れていってくれたんです。いえ、本当は保健室じゃなくて靴箱のところでした。何か言えない用があって帰らないといけなくなったんじゃないのって言われました」 感心を越えて笑いたくなってきた。 鶴屋さんはどこまでもできた人だ。むやみに完璧などという言葉を使いたくはないが、彼女ならあるいはと思いたくもなる。もしかするとこちらの思惑を完全に把握しているのかもしれん。だとしたら釈迦かキリストの生まれ変わりだ。パラメータ的に言うならば俺よりも一般人じゃないね。 「でも、鶴屋さんも知らないみたいです……」 朝比奈さんが憂鬱そうにうつむいたまま呟いた。 「知らないって、長門のことですか?」 「うん。訊いてみたんです。長門さんを知ってますか、って。でもダメでした」 朝比奈さんがいつになくふさぎ込んでいるのもよく解る。未来人なのに未来と関係が持てなくなったという根本的などんでん返しを食らった上に親友の鶴屋さんまでもがおかしなことになっているらしいからな。 「そんなに落ち込まないで下さいよ。大丈夫です、今までもそうだったんだから今回もきっとなんとかなりますって」 と、何の保証もない言葉を吐いてみて朝比奈さんを上の立場から慰めている自分に気づいた。 まあ、主観的にも客観的にもこんな事態は二度目であるし、慣れという恐ろしい不可抗力が働いているのだろう。それは俺の横でひたすら歩を刻んでいる朝比奈さんを見れば解る。冬の俺はこんな感じだったんだろうよ。 しかし、それだけではない確かな手応えを俺は持っていた。 喜緑さんのヒントメッセージらしきものを見つけたということだけではなくて、SOS団に味方してくれる人材についてである。ここに長門はいないらしいが、ハルヒはしっかりと俺の後ろに座っているしたぶん古泉もいる。朝比奈さんがいてこのメッセージを持っているのだとしたら、マイナス思考とかプラス思考とかを意識しなくてもそんなに落ち込む必要などないのではないかと思えてくる。 そしてまた、俺が一番に怖れているのはそのことでもある。ようするに俺はちょっとSOS団の戦力が増えたからといって調子に乗っているだけなのではないかということだ。世間は広いってことは春の一件で思い知らされたからな。やはり気を引き締める必要もあるのだろう。難しいものだが。 俺は顔を上げた。朝比奈さんは気にしていない様子だったが、いつの間にか俺と朝比奈さんの間には無言の空間が停滞していたらしかった。 * 向かったのは長門のマンションである。他に行くところなど一つも思いつかなかった。古泉に電話をかけ、朝比奈さん(大)からのメッセージがないことを確認し、生徒会室で喜緑さんのメッセージを見つけた。朝比奈さんにもそのことは話したが、全然解らないということらしい。できることならもう少し情報が欲しいところではある。 川沿いの桜並木、このまま進めば高級分譲マンションに突き当たる道を俺と朝比奈さんは進んでいた。 「何もねえか」 名探偵よろしく周囲に目を配りまくって歩いていたが、何も見つかる気配がない。あるのはサラサラなどと小気味いい音をして流れやがる川と、太陽を反射してキラキラ光る新緑の葉っぱだけ。まったく癪に障る。 川沿いの桜並木、思い出のベンチがあったりしていわくつきの場所であるし、朝比奈さん(大)が出てきたり変なものが落ちていたりするかと思ったのだが。 「どうかしたんですか?」 コマドリのようにちょこちょこと俺の後をついてくる朝比奈さんが言う。 「ここなら何か出てくるかもしれないと思っていたんです。未来からの指令とかでもよくこことか公園に来てますからね。春にも二月にも。だからひょっとしたらと思いまして」 朝比奈さんは短い吐息を漏らし、感慨深げに辺りを見回した。それから懐かしそうな目をして思い出のベンチに歩み寄り、ちょこんと腰を降ろす。 「そうですねえ。言われてみると、男の子を助けたときや亀さんを川に投げ込んだときも、最初にあたしがキョンくんにあたしのことをお話ししたのもこのベンチでしたねえ」 どれも忘れようにも忘れられそうにないSOS団的メモライズばかりだ。未来関連の話が多いような気もするが、これは仕様なんだろう。 「ところで朝比奈さん、あれから未来に連絡は取れましたかね」 「ううん」 朝比奈さんは悲しげに首を振って、 「全然ダメなの。時間平面のねじれはどんどんひどくなっていく一方で、あたしの力じゃこの先は見渡せないくらい。どのくらい分岐が増殖しているのかも解りません」 「どの分岐に入ったとかも解らないんですか?」 「……ごめんなさい」 「いえ、謝らなくてもいいんですよ」 これは俺の予想だが、今はどこかの分岐を通った状態にあるのではないかと思う。俺の鞄にねじ込まれている喜緑さんのメッセージを手に入れたのはかなり大きいはずだ。バッドエンドの分岐をとっとと切り抜けてくれるといいのだが。 * 長門のマンションには程なく到着した。道に地雷等が仕掛けられたりしていなかった代わりにヒントになるようなものもまったく落ちておらず、気がついたらマンションが目の前にあったという感じだった。 この高級マンションの長門の部屋になら何度となくお邪魔した経験があるため俺一人や朝比奈さんを連れていたとしてもすぐに行ける自信がある。しかしこのマンション、高級な故に玄関に鍵がかかっていやがり、一般人は部屋の前に行くことすら不可能な設定になっていた。かつてハルヒが朝倉の転校調査に乗り出したときのような犯罪すれすれの技をもってすれば侵入可能なのかもしれないが、俺は一般常識を一般人並に身につけているし何となく中に入りたい気分ではなかったのでやめておいた。あそこに違う家族が楽しそうに住んでいたりするのは見たくない。 玄関口にインターホンがついていたので、それで長門の708号室を呼び出してみた。 長門が出てこようなどとは思っていなかったが、やはり誰も出てこなかった。繋がりもしない。ノイズもなし。 「ダメか」 ついでに朝倉の部屋も押してみたがこちらも繋がらなかった。いてくれても困るが。 「ないとは思いますが外出中か、あるいは最初っからいないかですね」 「そうですか……」 さて学校をフケたはいいがもう行くところがなくなってしまったなとか考えていると、今までもじもじしていた朝比奈さんが意を決したかのように顔を上げた。 「あのっ、キョンくん」 朝比奈さんは真摯な瞳をしていた。 「あたし、今度こそ役に立ちたいんです。頑張って長門さんを見つけましょう。あたしとキョンくん、それに涼宮さんと古泉くんもいるかもしれません。……本当はずっと長門さんに頼りっぱなしで心苦しかったんです。一人だけ上級生なのにちっとも上級生らしい振る舞いができなくて、逆にみんなに助けられてばっかりで」 そんなことはない。 何度も言うようですが、朝比奈さんがいなかったらSOS団は成り立たないんですよ。いなかったら俺のストレスは溜まり放題でハルヒとしょっちゅうケンカして、そうしたら古泉のバイトも増えていたことでしょう。毎日が平和なのはいわば朝比奈さんのおかげなんです。 しかし朝比奈さんは哀愁を漂わせて弱く微笑むだけだった。 「キョンくんがいつもそう言ってあたしを励ましてくれるのはうれしいです。それだけでも頑張ろうって気になれます。でもね、あたしの役割はそれだけじゃないんです。涼宮さんが言うような、そのぅ……」 朝比奈さんはそこだけどもって少し赤くなりながら、 「マスコットみたいな人ならあたしじゃなくてもいると思うんです。だから、あたしがSOS団にいるには未来人って肩書きがないとダメなの。それなのに最初から今日までいざというときは長門さんやキョンくんや古泉くんに助けられてばかり。あたしが未来人として行動できたときなんてほとんどありません」 「それは仕方ないことなんですよ、朝比奈さん」 未来人として動こうにも、未来から何も教えられていないのだからそんなのは絶対に無理なのだ。それに、何も知らされていないのは決して朝比奈さんに実力がないからとかいう理由ではない、と俺は思っている。実際、彼女はもう何年かすると立場的にもグラマー度的にも大幅にプラス補正が施されることになるのだ。そりゃあ未来人なのに気の毒だと思ったことは数知れないが、それは知らされていないのだから仕方がないことなのだ。人間、自分の知らないことを知るには何かの情報に頼るほかないのだから。 「それに、朝比奈さんは自由に行動したくてもできないようにされているんでしょう。未来にそういうふうに干渉されてるんじゃないんですか?」 「だからなんです」 朝比奈さんは必死な声を出した。 「あたしは今まで未来から禁則という形で縛りが入れられていたから自分の思うように行動できませんでした。だからみんなに助けてもらわないといけないのも仕方ないと自分で慰めていたんですけど、それじゃどうしてもあたしがみんなに後ろめたいです」 さすがに俺も朝比奈さんの真剣な声に黙り込んだ。朝比奈さんの言葉を待つ。 「でも、今は違います。未来と接続を絶たれた今のあたしは、未来とは独立した存在なんです。禁則も解除されました。だから今度こそ、あたしは未来に影響されることなく自分の信じるように行動したいんです。みんなの力になりたい」 そのセリフは以前に誰かから聞かされたな。自分の能力を封印することで未来に束縛されることなく行動できるようになった、とか。未来なんてのは知らない方がいい。何かが起こった度に一喜一憂すればいいのだ。そんな感じの意味を持ったセリフをな。 背負うモノなんてないほうがいいに決まっている。事実、未来予知や超能力を使えない代わりにリスクや得失を考慮しなくてもいい俺はずいぶんと自由に行動できているのだ。 いつだかの俺は超能力者や宇宙人を万能の神だとか信仰していたように思うが、今ならそんな考えは一蹴できるね。万能の神には神なりの悩みがあるし、それは俺の悩みよりもはるかに重たいのだ。何の能力もないほどラクチンなことはない。 * 俺の鞄に入れてあった携帯電話が騒ぎ出したのは、過去に何事か事件のあった場所をすべて周り尽くすくらいしたときだった。川沿いの桜並木、近くの公園、ルソーの散歩道。 時間つぶしと大して変わらないのは重々承知である。しかし、もし何か可能性があるのなら行くしかない。とはいっても結局見つかったのは生徒会室のメッセージだけだったのだが。 『こらあっ、キョン!』 古泉かと思ったが違い、電話の主は俺に近所迷惑の大声で怒鳴りつけてきた。 『あんた今どこで何やってんの! 素直に言ったら極刑だけはやめにしてあげるから早く答えなさい』 「あー、まあとりあえず落ち着け」 落ち着くわけがない。電話線の向こうでハルヒはますますいきり立ち、携帯電話を思わず手放したくなるような音量になった。 『あんただけならいいわよ。いいえ、よくないけど、それにしたって何でみくるちゃんも古泉くんもいないのよ! ストライキなら諦めなさいよ。あたしはこれよりも譲歩するつもりはないから』 「ストライキなんかじゃねえよ。お前にそんなもんを仕掛けるような命知らずはいないぜ。そうじゃなくて、古泉はカゼで本当に休みなんだ。朝比奈さんは用事ができて今日は早退してるらしい」 ハルヒの直感力に勝とうとは思わん。俺はできるだけ事実に近いことを話した。 『古泉くんがカゼでみくるちゃんが用事ねえ。都合がよくて疑わしいわね』 「本当なんだよ」 『まあいいわ。で、あんたは何なのよ。午後の授業サボるなんて意外と度胸があるのね』 度胸も何も、俺が無許可で学校を飛び出したのは後にも先にも二回っきりだ。よほどの理由がなけりゃ、そんな教師の反感を真っ向から食らうようなマネはしないぜ。 『だから、その理由ってのは何なのって訊いてるの。よほどのことがあったんでしょ? 長門なんとかって娘のこと?』 「ああいや……うん、そんな感じだな。えーとだな、今日の昼休みに電話がかかってきやがったんだよ。急に引っ越すって。だから最後に一目会いたいって言うんだが時間がないらしくてな、仕方なく俺が学校を抜け出してきたんだ」 我ながら苦しい嘘である。 というか、嘘のレベル以前にこういう話はハルヒ相手には禁物なのだ。どう禁物かというと、それは俺の口からはいろいろ葛藤の末言い難いことであるし俺自身よく解らないしハルヒもよく解っていないのだろう。結果論ならば古泉のバイトが増えるってことだな。 『ふうん』 ハルヒは半分疑っているような口調で、 『別にいいわよ。あたしは団員の諸事情には口をつっこんだりしないから。ちゃんとした理由があるなら部活を休むのも許してあげるわ』 「悪かったな、無断欠席して。なんなら今から戻ろうか? もう授業も終わっちまってるだろ」 『今日は休みでいい。どうせみくるちゃんも古泉くんもいないし。ただし埋め合わせはするわよ。今日は休む代わりに明日の土曜日、いつもの駅前に九時集合ね。今度はしっかり来なさいよ。あとこのこと、みくるちゃんと古泉くんにも伝えておきなさい。いいわね?』 「ああ解った解った。そんくらいならやってやるよ」 さて古泉にはどう伝えてやろうかと考えているうちに電話は一方的に切れた。もう帰ると言い残して。 俺も携帯電話をしまうと、マンションの日陰にたたずんでいる朝比奈さんに向き直った。 「明日、市内パトロールだそうですよ。九時に駅前集合です」 「そうですか。なんだかあれをするのも久しぶりですよねえ」 そりゃ、春にはこちとらいろいろあったからな。ようやく元の秩序を取り戻しつつあったわけなのだが。 「しかし、長門のことはきれいさっぱり消し去られてますね」 「はい?」 「電話でハルヒと話してても、やっぱり長門を知らないんです。明日駅前に集合するのは四人だけの予定なんですね。部室もそうです。あいつに関するものが一切なくなってるんですよ」 俺は目の前にそびえ立つマンションをあごでしゃくって、 「ここも空き部屋になってるらしいですし」 「あのう、キョンくん。もしかして部室であたしとか古泉くんの持ち物とかもなくなってたりしませんでしたか?」 「は? いや、ポットも急須も普通にありましたけど。何でまた?」 「ううん。ちょっと心配になったから。もしあたしのがなくなってたらどうしようと思って」 そうなんだよな。 まったく同じなのだ。長門がいないということを除けば、この世界で昨日と矛盾していることなんか一つもない。ハルヒも谷口も国木田も。長門有希という存在だけがなくなって、そこにポッカリと穴が開いているだけなのだ。 そしてその分の埋め合わせはされているらしい。文化祭のギターや映画撮影での朝比奈さんの敵役。長門という女子は最初からいなかったかのように、都合よく連中の記憶が変わっているのだ。 「本当に、何にも証拠がないんですよね」 そして長門が存在したという証拠は何一つとしてない。七夕の短冊にいたってまで、長門の分だけが不気味にも消え失せていた。 まるで存在そのものが抹消されちまったみたいにな。 * ハルヒが下校するときに俺と朝比奈さんが一緒にいるところを目撃されるのはまずそうだったので、適当に話をまとめて頑張りましょうと言ってから、ハルヒがやって来る前に別れて家路についた。 さんざん探し回った結果俺が見つけられたのはよく解らんパスワードが刻まれた生徒会議事録のコピーだけだったが、脈のありそうなところをすべて回ってこれしか出てこなかったのだから仕方ないだろう。証拠は早くも出そろってしまったらしい。後は推理するだけだ。 家に帰るとすでに妹が帰宅しており、俺の足音を聞きつけるなり眠そうにしているシャミセンを抱きかかえてひょっこり現れた。 「あ、キョンくん、おかえりー」 無邪気に笑う小学校六年生に俺はさしたる期待もせず長門のことを訊き、まったく芳しくない答えを投げつけられ、ついでにふと思い出したのでシャミセンが我が家に来た経路を訊いてみた。 「んー、シャミのこと? キョンくんど忘れ?」 さあね。お前の記憶が正しいかどうかテストしてやってるのさ。 「映画撮影でもらってきたんだよな?」 「そうだよ。ウチに来てよかったよね、シャミ」 ふむ。やはりそこらへんは正しいらしいな。長門に関する記憶と事実以外は昨日と同じなのではないだろうか。 「ねー、よかったねえ?」 妹にかかえられた災難猫は、どうでもいいから早く横にさせてくれと言わんばかりの顔で俺に懇願してくる。悪いな、今はお前に構ってらんないんだ。またいつかみたいに喋り出すならともかく、たぶん喋らないだろうことは解っている。まあこいつには映画撮影でも阪中の件でも借りがあるからいつか返さねばならんだろうが、少し待っててくれ。そのうちいらなくなった服をズタボロにさせてやるから。 人間にさえ伝わらないテレパシーが猫相手に通じるはずもなく、うにゃあとマヌケな声を出すシャミセンを後にして俺はさっさと二階に上がった。 * もはややり残したことはない。あらゆる可能性はたった一日で見事に潰れてしまった。俺の働きっぷりと疲労の割にそれがまったく報われないのもムカツクが、今は愚痴をこぼせるような相手すらいない。気が狂っていると誤解されるだけだ。 もしいるとすれば――と俺は携帯電話を手に取る。 あの超能力野郎しか思い浮かばないね。 何となく古泉がこの世界にいることは解っているのだ。ハルヒや九組の連中が古泉のことを知っていたし、ボードゲーム各種はきちんと部室にあって、七夕の『世界平和』『平穏無事』なる今日見たらひどい軽薄さを感じた四字熟語も風に踊っていた。 はたして、電話はスリーコールほどで拍子抜けするほどあっさり繋がってしまった。 『古泉です』 ああ。 何やら嬉しさのような達成感のようなものがこみ上げてきた。悟りの境地に達したのを自覚した瞬間の人間ってのはこんな感じなんだろうか。しかし悟りの境地ってのは何なんだろう。何しろ俺はいまだに悟ったものなどなくただ漫然と毎日を過ごしていたはずで気がついたらこんな事態になってたりして、放っておいても奇妙奇天烈な人生を送っている自分を客観視する自分がどこかにいるような、いやこれが悟りってものなのか。ふむ。 と、まったくどうでもいいことを考えて俺は頭を振った。違う違う。 古泉です。 向こうにいるのは古泉で間違いない。古泉の携帯電話にかけているのだから古泉以外の誰かが古泉の声マネでもして話していない限りこいつは古泉だ。 しかし何て言えばいいのだろう。ぶつけてやるべき質問と苦情が多すぎる。何だこの状況は。長門はどこだ。お前はどこにいる。俺に連絡よこせよ。ふざけんな。 俺がしばし黙していると、向こうから再び声がした。 『ええと、どこから申し上げるべきでしょうか。ああ、僕や「機関」の仲間はあなたと同じ、正常な記憶を持っていますから確認の質問はパスさせて下さい。こちらもあまり時間がありませんから。またそれ故にこちらからあなたに連絡している暇がなかったのですが、とりあえずそれを詫びておきましょうか。申し訳ありません』 「そんなことはどうでもいい。これはいったい何が起こってやがるんだ。なぜ長門がいない? お前はどこにいる。何で昼間かけたときに繋がらなかった?」 『おや、そんなことは解っていると思っていたのですが』 古泉は作り声で意外そうな声を出し、 『閉鎖空間ですよ。それも特大のね。昼間から、正確に言うと昨日の夜あたりからずっと異空間バトルの状態です。今はちょっと外にいますけどね。《神人》がわんさかいて、実に壮大な眺めでしたよ。ぜひあなたにもお見せしたい』 そんな軽口がたたけるようならずいぶんと余裕があったもんだろう。質問の嵐以上に怒りが沸いてきた。 「そんなことより長門はどうなってるんだ。それに喜緑さん。この世界から消えちまってるのか?」 『その通りです』 古泉は単純明快に答えた。相変わらず、丸一日サイキックバトルをしてたとは思えん爽やかな声である。 『実を言うと長門さんや喜緑さんだけではありません。推測するに、昨日から今日にかけて情報統合思念体製のすべてのインターフェースがこの世界から消えているのでしょう。少なくとも、我々「機関」とコンタクトを取っているTFEIはすべていなくなっています。そしてこの巨大な閉鎖空間。とんでもない事態ですね』 誰の仕業だ。やっぱり周防九曜か。 『さあ、そこまではさすがにね。まあ、僕は彼女の一派だと思っていますけど。そうでなかったら長門さんのような方々を一気に消し去ることができる存在は、僕の知る限りでは有り得ませんからね』 俺の知る限りでもそんなやつは九曜ぐらいしか思いつかん。あとハルヒにも可能と言ったら可能な気もするが、あいつは間違ってもそんなことはしない。 「どうすればいい。まさかお前だって長門が消えちまってるこの状態を放置する気はないだろ」 『当然ですよ。僕たちは共同体ですからね。五人で輪になって初めて意味を持つんです。今となっては、誰を引き抜くこともできません』 それは俺も何度となく考えた。ハルヒという巨大恒星を中心として公転する惑星の俺らはハルヒも入れて必ず五人なのだ。土星や火星でもいきなりなくなったら地球内外が大混乱するに相違なく、太陽が消え去った日には俺らはあっという間に全滅である。そんなことはあってはならないんだ。 『ただし』 古泉が真面目な声で付け加えた。 『どうすればいいと訊かれると僕は返答に詰まります。あなたや僕、それに朝比奈さんがこれからどう動けばいいのか、どんな方向を向けばいいのか、はっきり言って僕にはまったく解りません。非常に自己嫌悪に陥りますが、正直、長門さんがいないと僕たちだけではどうしようもないんです。感覚的な問題ではなく、冷酷な事実としてね』 俺が何とも言えないいらだちを覚えて黙っていると、 『おっと。そろそろ時間が厳しくなってきましたね。ごくわずかなハーフタイムももう終了してしまいそうです。それでは、またお会いしましょう』 「待て待て」 まだ肝心なことを言っていない。訊きたいことなら腐るほどあるが今その時間はないらしい。訊きたいことにはしばらく腐ってもらうほかないな。 『何でしょうか?』 「お前、明日は来られそうか? 市内パトロールだってよ。無理なら俺からハルヒに伝えとくが」 こんなときに市内パトロールもへったくれもない。不思議なことなら目の前にあるってんだ。 古泉はしばらく考えている様子で息づかいだけがこちらに伝わってきたが、 『行きますよ。それしかないでしょう』 そう答えた。 『僕の業務は「機関」の一員であってまた、SOS団の副団長ですからね。とにかく涼宮さんが最優先です。《神人》を狩る者はたくさんいますが、市内を涼宮さんと一緒に歩き回れるのは僕だけなんですよ。なんともありがたく、嬉しいことにね』 古泉はいまいち真意がつかみかねることを言ってのけ、今度こそさようなら明日お会いしましょうと言って電話を切った。 「キョンくん電話ー?」 携帯をしまい終えると妹がシャミセンを抱えたままノックなしに俺の部屋に立ち入ってきた。せめてノックだけはしてやってくれよ。俺にだってプライバシーってやつがあるし、そうじゃなくても訊かれちゃまずい会話ってのはあるんだぜ。 俺はしっしと妹を追い払いながら、 「まあな。俺もいろいろと忙しいんだ。お前も友人には気をつけろよ。友人によって一生楽しく過ごせるか一生後悔し続けなければならんか決まっちまうんだからな」 「はあい」 妹は解ったんだか解ってないんだかよく解らん顔になって、シャミセンを俺の部屋に放置すると最近リメイクされたごはんの歌(新バージョン)を口ずさみながら階下へと消えていった。どうせ我が妹はあんなやつだ。ミヨキチのようなできた友人がいてくれれば問題ないだろうが、心配にはなるね。もっとも、今心配すべきことは妹の将来ではないのだが。 「にゃう」 床に放置されたシャミセンが愉快そうな声を立てた。一日でもいいからシャミセンになりたいものだ。自分の部屋で(シャミセンにとっての自分の部屋は俺の部屋である)一日中ごろごろできたらどんなにリラックスできるだろうか。そんなことしても無気力感が増すだけだと解ってはいるがやってみたいと思うのはなぜだろうね。誰か教えてくれ。 「やれやれ」 俺は常套句を吐くと、床に寝転がるシャミセンをなでてから自分のベッドに倒れ伏した。疲れた疲れた。今はもう何も考えたくない。
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キョン「よ、おはよう」 ハルヒ「おはよ!相変わらず朝から気合の入ってない顔してるわねえ」 キョン「普通の朝はこれが標準なんだよ」 朝倉「あらキョン君、おはよう。今日も元気そうね」 キョン「あ、ああ。おはよう」 ハルヒ(フン!イヤなヤツがきたわ。外ヅラはかわいい顔してるけど、 腹の中じゃなに考えてるかわかったもんじゃないわね。この前 私の体操服が盗られたことだって、きっとコイツの仕業に違いないわ) 朝倉「あれ、涼宮さんどうしたの?急に静かになっちゃって。気分でも悪いの?」 ハルヒ(ええそうよ。あんたのせいでね!) キョン「朝倉、コイツの面倒はオレが見るから大丈夫だ」 そういうと朝倉は目をうっすら細くして答えた。 朝倉「あらそう?じゃ、キョン君にお願いするわ」 そういうと朝倉は女子の輪の中へ戻っていった。 キョン「おいハルヒ、朝倉のことがあんまり好きじゃないのは見ててわかるんだが、 せめて朝のあいさつぐらいしたらどうだ?一応委員長だしな」 ハルヒ「関係ないわ。私はね、アイツみたいに狸の皮をかぶって本性を隠してるようなヤツが 大嫌いなのよ!有希が言ってたけど、中学時代のアイツは今から想像できないくらい 荒れてたらしいわよ。アイツ高校に入ってからずっと猫かぶりっぱなしよ」 キョン「その話が本当だとしてもだ。あいさつぐらいは別にかまわんじゃないか。 それにお前は本性を現しすぎなんだよ。もうちょっとおしとやかにしてみろ。 きっと朝倉くらい人気が出ると思うぞ」 ハルヒ「フン!アホくさい。それに前言ったでしょ!アイツ私の体操服を」 キョン「しっ!・・その話は言わないっていったろ。朝倉がやったっていう確証がないんだ。 それに今お前が朝倉とおおっぴらに対立したら、ますますクラスで孤立することになるんだぞ?」 キョンは大きくため息をついた。 キョン(なんだってコイツは社交性が皆無なんだ?) 2時間目は体育だった。女子は体育館でバスケットボール、 男子はグラウンドでトラック競技である。 キョン(ハルヒのヤツ、朝倉とケンカしなきゃいいんだが・・・) 谷口「ようキョン、どうした?恋煩いか?」 キョン「ドアホ、・・・なんでもねえよ」 谷口「ははあ・・・お前、もしかして涼宮のこと考えてたな」 キョン(ドキッ) 谷口「お前は考えてることがすぐ顔に出るからな・・・ 今朝の涼宮と朝倉、一触即発だったじゃねえか」 キョン「な、なんでそんなことお前に・・」 谷口「バーカ、よく見てりゃそんぐらいわかるんだよ。涼宮が朝倉をにらむ目は ハンパじゃねえからな」 キョン(・・・・・・) 谷口「でも朝倉と対立するのはよくねえな・・・アイツは1年のアイドルとして 名前が知られちゃいるが、本性はなかなか黒い性格してるってウワサだからな」 キョン「それ、本当か?」 谷口「ああ。朝倉と同じ中学出身のヤツに聞いたんだが、中3のときアイツと ケンカした女子がいたらしいんだ。理由まではわからんがな。 そしたら次の日から、おそらく朝倉の命令だろうな。その女子が徹底的に 無視され始めたんだとさ。かわいそうに、その子は一週間あまりで 登校拒否になったらしい」 キョン「・・・マジかよ」 谷口「さあな。オレが真相を確かめたわけじゃないから断言はできんが、 ともかく朝倉だけは敵に回さないほうがよさそうだぜ。涼宮には お前からよく言って聞かせとけよ」 キョン「・・・一応、忠告として受け取っておくよ」 一方そのころ、体育館では・・・ 現在、ハルヒ率いる赤チームと朝倉率いる青チームの試合が行われていた。 別に二人がキャプテンをつとめているわけではないが、飛びぬけて 運動能力の高い両者は試合全般にかけて活躍し通しであった。 瀬能「涼宮さんて運動神経抜群ねえ」 阪中「そうよね。ちょっと憧れちゃうのよね」 瀬能「それに、朝倉さんもすごいよね。さっきから5回連続でシュート決めてるわ」 阪中「あの二人、あんなにすごいのに運動部入ってないのよね」 朝倉(涼宮さん、さっきから少し目障りね・・・) 朝倉はすっと目を細めてハルヒを見た。それからチームメイトに耳打ちをはじめた。 現在、オフェンスはハルヒチームである。ハルヒは華麗なドリブルで 敵ディフェンスの輪をかいくぐり、ゴール近くまで進んでいた。 ボールを奪いにきたディフェンスの一人がハルヒにすかされて 大きくバランスを崩し、派手に転んだときであった。 転んだと同時に朝倉はハルヒに体当たりをかけた。 ハルヒは大きく飛ばされ、床に倒れた。 ハルヒ「いったぁ・・・」 見るとハルヒはわき腹を痛めたのか、手を当てたまま動かなかった。 朝倉「涼宮さんッ!大丈夫!」 朝倉は大げさに声を上げると、ハルヒにかけよった。 朝倉「ごめんなさいね。ちょっと力が入りすぎてしまったの。さ、手を貸すわ」 ハルヒは一瞬朝倉を睨んだが、すぐに目をそらした。 ハルヒ「・・・いいわ。自分で立てるから」 朝倉「あらそう、それなら安心したわ」 そう言いながら、再び朝倉は目を細めた。 朝倉のタックルは、直前にころんだ女子のせいで審判の目が行き届かなかったらしく、 不問とされたようだった。 その後試合は、ハルヒがわき腹を痛めたせいで思ったように攻撃ができず、 防戦一方となった。 結果的には、朝倉チームにかなりの得点差をつけられた末、ハルヒチームは敗れた。 朝倉「まったく、うまいことやってくれたわね」 鈴木「アンタのタックルもかなりえげつなかったわよ?涼宮のヤツ、 かなり痛そうにしてたわね。骨にヒビでも入ったんじゃない?」 朝倉「そのときはね、お見舞いにでも行ってあげたらいいのよ」 女子A「キャハハハ!涼宮かわいそー!」 2限終了後、朝倉たちは水のみ場で、えらくわかりやすい悪事の解説を行っていた。 長門「・・・・・そこ、使っていい?」 朝倉「あら?長門さんじゃない。こんなところに何の用?」 長門「次の時間は書道。水を汲みにきた」 朝倉「ふーん・・・あ、そうそう。あなたのサークルの団長さんね、さっきの体育の時間に ケガしちゃったみたいなの。私が心配してたって後で伝えといてちょうだい」 長門「・・・そう」 水を汲み終わった長門はすぐに教室に帰っていった。 朝倉「あいかわらず愛想のない子ねえ・・・」 鈴木「なに?あの陰気なヤツ」 朝倉「私の幼馴染よ。無表情な子だから何考えてるのかよくわからないの」 女子A「涼子、あんなのとつるんでたの?」 朝倉「ま、腐れ縁てヤツね。住んでる場所も同じマンションだし」 鈴木「・・・ふーん。アンタとは全然性格あわなさそうね」 キョン(次は数学か・・・ま、授業を聞くだけ無駄だな。それにしても、 体育が終わってからのハルヒはいつに増して不機嫌そうな顔してるな。 まさか朝倉とケンカしたんじゃ・・・) キョン「おいハルヒどうしたんだ?浮かない顔して、具合でも悪いのか?」 ハルヒ「なんでもないわ。ちょっとわき腹を痛めただけよ」 キョン「運動神経のいいお前がケガしたのか。めずらしいこともあるもんだ。 保健室には行ったのか?」 ハルヒ「たいしたことないわ。ほっときゃすぐに治るわよ」 その後ハルヒは、昼休みまでずっと不機嫌オーラを放ち続けていた。 昼休みになると、すぐに教室を出て行った。 谷口「おいキョン、どうやら2限の体育でひと悶着あったらしいぞ」 キョン「まさか、ハルヒと朝倉がケンカしたのか?そういやアイツ 体育が終わってからずっと不機嫌だったしな」 谷口「いや、ケンカってワケじゃないみたいだが、朝倉と涼宮が接触プレーしたらしいんだ」 キョン(それでアイツ、わき腹を痛めたって言ってたのか) 谷口「その接触プレーだがな。ただのハプニングじゃないらしいぞ」 キョン「どういうことだ?」 谷口「真相は不明だが、その接触プレーは朝倉が仕組んだってウワサが流れてるんだ」 キョン「おい、そりゃ本当か!」 谷口「だからウワサだって。しかし涼宮にとっちゃ、あまり状況はよくないみたいだな」 キョン(たしかに今のままでは、近いうちに大きな衝突が起きることは 火を見るより明らかだ。それにウワサが本当だとすれば、ハルヒに非はない。 一体どうすれば・・・) 谷口「ま、お前もそろそろ真剣に考えたほうがいいぞ。手遅れにならないうちにな」 なぜかこのクラスでは、オレはハルヒのお目付け役というポジションに付けられているようだ。 それというのも、オレたちが高校に入学して間もないころに、 オレはハルヒがでっちあげたSOS団などというオカルトサークルに 強制的に加入されられたからだ。 それ以来、オレは社交性0のハルヒとクラスとのパイプ役を勤めているってわけだ。 弁当を食い終わるとオレは文芸部部室に向かった。 ……表向きは文芸部であるが、その実体はハルヒが作ったSOS団などという わけのわからないサークルの巣窟となっている。 オレは部室のドアを開けると、中にいた少女に声をかけた。 キョン「よ、長門。いつもご苦労なこったな」 長門は奥の机でハードカバーの本を読んでいた。彼女はただ一人の文芸部員であったが、 ハルヒに目を付けられたのが運のつきであった。それ以来ハルヒがこの部室に居座るようになり、 文芸部は今や有名無実化していた。・・・まあ、長門にしてみればハルヒがいてもいなくても 読書できることに変わりはないのであろう。 キョン「ちょっと聞きたいことがあるんだ」 そういうと長門は本を閉じ、オレに視線を移した。 長門「なに?」 キョン「朝倉涼子・・・って知ってるだろ」 長門「私の幼馴染」 キョン「その朝倉について、詳しく教えてもらいたいんだ」 長門「なぜ?」 そういいながら長門はまっすぐにオレの目を見つめてくる。・・・うーん、なんだか居心地が悪いな。 キョン「その、うまく言えないんだが、ハルヒのヤツが朝倉と仲悪くてな。 どうにかして仲良くしてもらいたいと思ってるんだ」 長門「朝倉涼子と涼宮ハルヒの性格は水と油。仲良くするのは困難であるように思う」 それぐらいはオレにもわかるんだが。 キョン「うーん、そこをなんとかだな・・・そうそう、朝倉ってどんな性格してるんだ?」 長門「彼女の性格は表面に現れているものがすべてではない。常に本音を隠しながら 人と接している」 キョン「てことはだな。表面上は仲良く接しているように見えても、 実はソイツのことを嫌っているってこともあったりするのか?」 長門「今までの経験上、そういうことは多い」 やっぱりそうか・・・本性が黒いってウワサももしかしたら本当かもしれんな。 キョン「なんでそこまでわかるんだ?アイツはお前にだけは本音を話しているのか?」 長門「彼女は表面的には誰に対しても同じ接し方をする。・・・でも、私にはなんとなくわかる」 幼馴染だけに性格の深いとこまで理解してるってことか。 キョン「そうか・・・ありがとな、長門」 長門「気をつけて」 キョン「ん、なにがだ?」 長門「彼女は敵意を抱いた相手に、決して直接に敵意を見せるようなことはしない」 …なるほどな。こりゃハルヒでも手に負えないかもしれん。 結局その日はハルヒの機嫌が直ることはなかった。 次の日、ハルヒのことが心配だったオレは少し早めに学校に着いた。 朝倉「あら、キョン君おはよう」 キョン「あ、ああ。おはよう」 教室に入ると、なぜか朝倉がハルヒの机の上に腰かけていた。 キョン「なんでお前がハルヒの席にいるんだ?」 朝倉「あら、ちょっとぐらい貸してもらってもいいんじゃない?まだ涼宮さんきてないみたいだしね。 それより少しお話しない?」 キョン「それは別にかまわんが・・・」 オレは戸惑いつつも朝倉をの会話を楽しんでいた。しかし、やがてハルヒが 教室に来る時間となった。 ハルヒは自分の席に朝倉がいるのを一瞥すると、さっさと教室から出て行ってしまった。 朝倉「あれ、涼宮さんあわててどこ行ったのかな?トイレかな?」 キョン「・・・朝倉、お前に聞きたいことがある」 朝倉「なあに?」 彼女は目を細めて聞き返した。 キョン「お前、昨日の体育の時間にハルヒにケガさせたんだよな?」 朝倉「涼宮さんには悪いことしちゃったわね。・・・昨日から心配だったの」 キョン「そのことだがな・・・お前がわざとやったんじゃないかってウワサを聞いた。 まさかとは思うが念のため聞いておきたい。それは本当のことか?」 朝倉「・・・ひどいこというのね。私がクラスメートをわざとケガさせるように見えるの?」 朝倉は大げさに、心外だという身振りをしながらそういった。 心底、疑われたことが悲しいという表情をみせながら。 キョン「ウワサが気になったんでな。直接確認したかったんだ。・・・疑って悪かった」 朝倉「疑いが晴れたならそれでいいわ」 彼女はオレに満面の笑みを見せると、自分の席に戻っていった。 しばらくしてハルヒが戻ってくると、ほぼ同時に担任が教室に入ってきてHRとなった。 そして、1時間目の間中ずっとオレはハルヒの不機嫌オーラを背中で受け続けていた。 ハルヒ「あんた、委員長萌えだったの?」 キョン「なんのことだ?」 休み時間になると、さっそくハルヒはオレに喰ってかかってきた。 ハルヒ「さっき朝倉とうれしそうに話してたじゃないの」 キョン「別にうれしそうじゃねえよ」 ハルヒ「鼻の下伸ばしてたクセに何言ってんのよ。おかげで私が遅刻するとこだったのよ」 キョン「朝倉なんて気にせず教室に入ってきたらよかったんだよ」 ハルヒ「アイツの顔なんて見たくもないわ!」 キョン「お、おい、あんまりでかい声だすな。聞こえるだろ」 ハルヒ「知ったこっちゃないわよ!」 そういうとハルヒは、女子グループの輪の中心で微笑んでいる朝倉を睨んだ。 視線に気づいたのか、朝倉はハルヒのほうをチラっと見て、それからこのオレに 微笑みかけてきた。 ハルヒ「・・・ふーん、朝倉もまんざらじゃないみたいね。よかったじゃない!」 キョン「お前、なに勘違いしてるんだ?」 ハルヒ「フン!」 ハルヒは窓の外に目をやると、それ以上は口をきかなかった。 その後もダウナーなオーラを無差別に拡散するハルヒに耐えながら、なんとか午前の授業が終了した。 国木田「涼宮さん、今日も機嫌悪そうだったね。やっぱりウワサ本当だったのかな?」 キョン「さあな」 谷口「あの様子だとそろそろ全面戦争も近いぜ。・・・ところでお前、今朝朝倉と 仲良く話してなかったか?」 キョン「しらねーよ。向こうから話しかけてきただけだ」 谷口「涼宮を裏切ろうってのか?ま、お前がどっちにつこうが知ったこっちゃないが、 お前に見捨てられたら涼宮はこのクラスで孤立するってことは忘れるなよ」 キョン「人の話を聞かないヤツだな・・・そもそもハルヒが孤立してんのは、 アイツが自ら招いた事態じゃねえか」 谷口「あれでも中学のころに比べたらだいぶマシになってるんだぜ?・・・たしかに 朝倉がかわいいのは認めるが、安易な乗り換えはオレをはじめとする男子軍団が 黙っちゃいないぞ」 国木田「そうそう。キョンには涼宮さんがお似合いってことだよ」 勝手なことばかり言いやがって。涼宮にせよ朝倉にせよ、オレに選択権はないのか。 ……っと、こんなことコイツらに聞かれようもんなら公開処刑されかねんな。 教室で弁当を食い終わると、オレはまた部室へと向かった。 キョン「よ、長門・・・はいないみたいだな」 めずらしく今日は長門が来ていなかった。 やれやれ、ハルヒと朝倉のことを相談しようと思ったんだが。 オレはイスを引いて腰かけた。 しばらくすると部室をノックする音が聞こえた。 キョン「どうぞ、空いてますよ」 朝倉「ちょっとお邪魔するわね」 なんと、入ってきたのは朝倉だった。 キョン「こんなところまで何の用だ?・・・教室じゃ言えないようなことか?」 朝倉「あら、つれないこというのね。わざわざあなたに会いにきた女の子に対して」 朝倉は笑顔を崩さずに話を続けた。 朝倉「アナタ、長門さんに私のことを聞いたみたいね」 キョン「・・・長門がそう言ってたのか?」 朝倉「あの子はそんなおしゃべりじゃないわ。ただ昨日からのあなたを見てて そう思っただけ。影でこそこそされるのはあまり好きじゃないの」 えらくストレートにきたな。一瞬あっけにとられてしまった。 キョン「それは悪かった。じゃ、オレもストレートに言わせてもらうよ。 ・・・あまりハルヒを刺激しないでほしい」 朝倉「それこそ心外ね。私は涼宮さんと仲良くしたいと思ってるわ。 あの子、クラスで孤立気味だから・・・あなただけには心を開いてるようだけど?」 不意にそう言われて顔が赤くなってしまった。・・・コイツはなかなかの強敵だな。 オレの表情を見た朝倉は、満面の笑みで話を続けた。 今度はオレが朝倉を見つめる番だった。 朝倉「なあにキョン君?・・・そうね、もしかしたら私も彼女の気に障ることを してたのかもしれないわ。今後は気をつけるってことで、ここは納得してくれない?」 キョン「・・・わかった。くれぐれも頼む」 朝倉「あなたにここまで心配してもらえるなんて、なんだか涼宮さんがうらやましいわ。 じゃ、そろそろ私はこの辺で。あなたたちもほどほどに教室に戻るのよ?」 そういうと朝倉は教室へ帰っていった。 彼女が帰ったあと、オレは再びイスに座りなおして大きくため息をついた。 キョン「なあ長門、今の朝倉の言葉、どう思う?」 長門「なんで私に聞くの?」 キョン「いや、お前ならアイツが本心から言ったかどうかわかるかな、と思ってさ」 長門「あなたはわからないの?」 たしかに、アイツと付き合いの浅いオレでも今のセリフは本心から言ってないってことは なんとなくわかる。 しかし、今日の長門は妙に冷たい気がするな・・・ 長門「私はどちらの肩も持たない。だからあなたの味方はできない」 長門の言葉を聞いてオレは驚いた。長門がはっきりとした意思表示をするなんて、 かなりめずらしいことだからである。 ・・・まあ、考えてみればかたや幼馴染、かたやSOS団団長の揉め事だ。 どちらか片側につきたくない気持ちは察せられる。 キョン「すまなかったな長門。ま、相談ぐらいには乗ってくれよ」 そういうと長門は黙ってうなずいた。 2話
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「はーい、おっじゃっましまーす!」 ハルヒは二年――つまり立場上上級生のクラスにノックどころか、誰かにアポを取ろうともせず、大きな脳天気な声でずかずかと入っていった。俺も額に手を当てながら、周囲の生徒たちにすいませんすいませんと頭を下げておいた。 ここは二年二組の教室で、今は昼休みだ。それも始まったばかりで皆お弁当に手を付けようとした瞬間の突然の乱入者に呆然としている。上級生に対してここまで堂々とできるのもハルヒならではの傍若無人ぶりがなせる技だな。 そのままハルヒは実に偉そうな態度のまま教壇の上に立ち、高らかに指を生徒たちに向けて宣言する。 「朝比奈みくるってのはどれ? すぐにあたしの前に出頭しなさい」 おいこら。朝比奈さんを教室の備品みたいに言うんじゃない。いやまあ、確かにあれほど素晴らしいものを 常にそばに置いておきたくなる必需品にしたくなるのは当然だと思うが。 突然の宣言に、誰もが呆然とするばかり。ちなみに俺の朝比奈さん探知レーダーはそのお姿をキャッチ済みだが、 とりあえずご本人の意向もあるだろうからハルヒには黙っておくことにする。何せまだ入学式から一週間だからな。 この段階で朝比奈さんがハルヒと接触を望むかどうかわからないし。 しばらく沈黙が続いたが、次第にクラス内の生徒たちがじりじりとにある一点に集中し始める。 もちろん、そこには他の生徒と同じように唖然とした朝比奈さん――そして、そのそばには見知らぬ女子生徒二人に、あの何だか凄い人、鶴屋さんの姿もある。どうやらクラスの仲良しグループでお弁当タイムに入ろうとしていたらしい。 やがて集中する視線に耐えられなくなったのか、朝比奈さんがゆっくりと手を挙げてようとして―― 「はーい! みくるはここにいるけどっ、なんかよーなのかなっ?」 それを遮るように鶴屋さんが立ち上がり、ハルヒの前に立ちふさがった。昔から何となく感じていたが、この人は朝比奈さんの防御壁の役割を果たそうとしているような気がする。 だが、ハルヒは鶴屋さんに構わずに、腕を組んで、 「じゃあ、とっとと教えなさいよ。朝比奈みくるってのはどこ?」 「おやおや、自分の名も名乗らない人にみくるを渡すわけにはいかないっさ。せめてキミの名前ぐらい教えてくれないかなっ? でないとみくるもおびえてちゃうからねっ」 相変わらず歯切れの良いしゃべり方をする人だ。それでいて、きっちり朝比奈さんを守ろうとしている。 この場合、どっからどうみてもハルヒが不審者だから、そんな奴においそれと朝比奈さんを渡せないということだろう。 正体不明の人間にほいほいとついていってはいけませんというのは、子供の頃からしっかりと学ばされている重要自己防衛策だし。 「あたしは涼宮ハルヒ。一年六組所属の新入生よ」 なぜかふんぞり返ってハルヒが言う。どうしてこいつは意味のなくこういう偉そうな態度を好むのかね。 さすがの鶴屋さんも驚きの顔を見せていた。だって下級生という話はさておき、入学式からまだ一週間しか経っていない。 つまりハルヒと俺はこないだ北高に入学したばかりの生徒であって――いやハルヒは何回目か知らんが、俺は3回目になるが―― そんなピッカピカの新米北高一年生がいきなり二年の教室に殴り込みに来たんだから、そりゃ驚くだろう。 しかし、やられっぱなしの鶴屋さんではあるわけもなく、ここで反撃の姿勢に転じる。 「おおっ、なるほど。今年の新入生かっ! じゃあ、せっかく二年の教室に来たんだし、あたしがあだ名をつけて上げようっ!」 「は? あ、えと、そんなことより……」 ハルヒは予想しない展開に持ち込まれて言葉を詰まらせているが、鶴屋さんはそんなことはお構いなしに、 うーんほーうと腕を組み頭を振るというオーバーリアクションで考え始める。 やがてぽんと手を叩き、 「ハルにゃん! うんっ、いいねっ。これで決定にょろ!」 「ハ……!? ちょ、ちょっと待ってよ!」 ハルヒはそのあだ名が相当恥ずかしく感じたようで顔を赤くして抗議の声を上げるものの、 鶴屋さんは胸を張って、いいよいいよ、のわはっはっはと愉快そうに笑い声を上げてそれを受け入れる気全くなし。 さすがのハルヒも困惑してきたのか、俺のネクタイを引っ張って顔を寄せ、 「ちょっと、この人何なのよ? あんたの知り合い?」 ここで知り合いというと違うというややこしい話だが、俺の世界の話に限定すると知り合いでSOS団名誉顧問だ。 ちなみにその役職与えたのはハルヒだぞ。鶴屋さんのことを偉く気に入っているみたいだからな。 ま、確かに竹を割ったような裏表がなく、かなりの大金持ちだってのに全く嫌味のない良い先輩だよ。 俺の返答に、ハルヒはふーんとジト目で返してくる。 が、ここでようやく向こうのペースに巻き込まれていることにハルヒは気がついたようで、あっと声を上げると 再度鶴屋さんの方に振り返り、 「ああもう、あたしのあだ名はそれでいいから朝比奈みくるって言うのはどこにいるのよ。あたしはその人に用があって来たの」 「ハルにゃんでいいのかよ」 「うっさい、キョンは黙ってなさい」 ぴしゃりと俺の突っ込みは排除だ。 鶴屋さんはフフンっと鼻を鳴らし、俺とハルヒの全身を空港の安全確認用赤外線センサーのごとく見て、 「みくるはここにいるけど何の用なのかなっ? 誘拐ならお断りだよっ!」 「そんなことしないわよ。ただどんなやつなのか見に来ただけ」 「見に来ただけ?」 「そ。見に来ただけ」 二人は顔をじりじりと近づけて威嚇しあっている。あの強力な自信に満ちた眼力をぶつけるハルヒ、それを疑いの半目視線で 応戦する鶴屋さん。うあ、なんか凄い攻防だ。いつの間にか、クラス内もしんと静まりかえって、二人のやり取りを 息を呑んで見守っている。 数分間に上る二人の静かな攻防戦は、鶴屋さんのふうっという溜息で幕を閉じた。どうやら彼女なりに 俺たちが朝比奈さんに害をなす不審人物ではないと判断したらしい。 いや……鶴屋さん? ハルヒはどうみても朝比奈さんに害を与えに来ているんですけど。 そんな俺の不安な気持ちも知らずに、鶴屋さんは朝比奈さんを指差しこちらへ来るように指示する。 朝比奈さんはしばらくおどおどしていたが、おぼつかない足取りでこっちにやって来て―― 「うきゃうっ!」 案の定、近くの机に脚を引っかけて倒れそうになる。しかし、それをまるで予知していたかのように 鶴屋さんが見事キャッチして床への落下を阻止した。ほっ、顔でもぶつけてその美しい女神の微笑みに傷ができたら、 俺も泣いて泣いて嘆きまくっただろうから、ナイスです鶴屋さん。 朝比奈さんはおずおずと鶴屋さんに抱えられて、ハルヒの前に立つ。しばらく腕をもじもじさせて下を向いていたが、 やがてゆっくりと不安げな表情をハルヒに向け、 「あ、あの……あたしが朝比奈みくるです……何かご用でしょうか……?」 か細く弱々しい声。しかし、久しぶりの朝比奈さんのエンジェルボイスに俺の脳の音声に認識回路は焼き切れる寸前だ。 いいなー、もうかわいくていいなー、もう! 一方のハルヒはそんな朝比奈さんの姿にしばし呆然と口を開けたまま、硬直している。 そして、次に短い奇声を上げた。 「か」 「……か?」 朝比奈さんは何なのか理解できず、首をかしげてハルヒの言葉を復唱した。 だが、すぐに悲鳴を上げることになる。なんせハルヒが飛びかかるように朝比奈さんに抱きついた。 「かわいいっ! 何これ可愛すぎ! ちょっとキョン、これどうなんてんのよ! うーあー、もう可愛くて抱きしめたりないわ!」 ハルヒは顔を真っ赤にして、感情を爆発させた。どうやら朝比奈さんの言葉にできない可憐さに脳みそが焼き切れてしまったか。 もうめっちゃくちゃにすると言うようにもみくちゃに抱きしめている。 一方の朝比奈さんはうひゃぁぁぁあと手を振り回して泣き叫ぶだけ。 ハルヒはそんな状態を維持しつつ俺の方に振り返り、 「ね、キョン。この子、うちに持って帰って良い?」 ダメに決まってんだろ。お前一人が独占して良い訳が――そうじゃなくて! 朝比奈さんをおもちゃ扱いするんじゃありません! 「じゃあ、せめてあたしのクラスに転入させましょう! 隣の席においておきたいのよ!」 朝比奈さんを勝手に落第させるな! その後、ハルヒの朝比奈さんいじりはエスカレートする一方だ。胸をでかいでかいとか言ってモミ始め男子生徒の大半が 目を背けることになり、または今度は耳たぶを甘噛みして女子生徒すら顔を真っ赤にして顔を背けるはめになったりと もう教室内はずっとハルヒのターン!って状態である。 やれやれ。世界は違うとは言え、趣味や趣向は全く変わらんな、ハルヒってやつは。しかし、これだけ弾けたハルヒってのも 久しぶりだ。前回の古泉の時は、相手が異性って事もあるんだろうがここまではやらなかったし。 一方鶴屋さんはうわっはっはっはと実に愉快そうに豪快な笑い声を上げているだけ。こういったことは、 鶴屋さんの考えでは虐待やいじめには含まれないようである。 この光景に俺はしばらく懐かしさ込みで呆然とそれを眺めていただけなのだが、いい加減これで話が進まないことに ようやく俺の思考回路の再稼働させて、 「おい、そろそろいい加減にしろ」 そう言ってハルヒを引きずり教室外へと移動する。だが、朝比奈さんをハルヒは決して離そうとしないんで、 結果ハルヒと朝比奈さんを廊下に引きずり出すはめになってしまう。とにかく朝比奈さんには申し訳ないが、 こっちにも目的があるんだからついてきてもらわなきゃならんし、これ以上上級生の教室内を フリーズさせたままにしておくわけにもいかんからな。 朝比奈さんをいじくり倒すハルヒを何とか廊下まで連れ出すと――一緒に鶴屋さんもついてきている―― 「おい、本来の目的を忘れているんじゃないのか? そんな事しに来たんじゃないだろうが」 「んん? おっと、そうだったそうだった」 ハルヒはようやく萌えモードから脱したのか、口に含みっぱなしだった朝比奈さんの耳たぶを解放すると、 ばっと朝比奈さんの前に仁王立ちになり、 「ねえ、あたしと付き合ってくれない?」 「はうぅぅぅ……ええっ!?」 ハルヒのとんでもない言葉に、朝比奈さんはいじくられたショックに立ち直るどころか、 さらなる追い打ちをかけられてしまった。 っておいおい。それじゃ別の意味に聞こえちまうだろうが。ああ、でもそういやこいつ最初にあったとき辺りに、 変わったものだったら男だろうが女だろうが――とかいっていたっけ。ひょっとしたらバイの気が……ああ、何考えてんだ俺は。 「ようはハルヒや俺と一緒につるみませんかって言っているんです。いえ、別にどこかの部に入ろうとかでなくてですね、 朝比奈さんの噂を聞きつけてぜひ友達になりたいと、このハルヒが――」 「何よ、あんたも鼻の下伸ばしてぜひとも!と言っていたじゃない」 人がせっかくフォローしている最中に余計な突っ込みを入れるな。 俺はオホンと一旦咳払いをして会話を立て直すと、 「とにかくですね。俺たちはあなたと友達になりたいんです。いきなり言われて困惑してしまうでしょうが。 ご一考願えないでしょうか?」 いきなり押しかけて友達になれなんて、頭のネジがゆるんでいるか社会的一般常識が著しく欠落しているやつの やることだと俺自身ははっきりと認識しているんだが、善は急げというのがハルヒの主張だ。 とっとと朝比奈さんを仲間内に入れて、未来人の動向を探る。その目的のためには、確かに朝比奈さんをそばに置いておくのは 間違っているとは思わないが、いくら何でも性急すぎるんだよ、こいつのやることは。 さてさて。こんな不躾で無礼で一方的な頼みに朝比奈さんはオロオロするばかり。保護者代わりと言わんばかりに 立ち会っている鶴屋さんも笑顔で見ているだけ。彼女の判断に任せると言うことなのだろう。 だが、そんなもじもじした姿勢を続けていたら、脳神経回路が判断→行動→思考になっているハルヒが黙っているわけがない。 「ああっもうじれったいわね! とにかく最初が肝心なのよ、最初が! ってなわけで今から一緒に学食でお昼ご飯を食べない?」 また唐突なことを言いだしやがった。最初のコミュニケーションとしては間違っていないと思うが。 だが、朝比奈さんはちらちらと鶴屋さんと教室内のお弁当グループに視線を向けて、 「でもでもそのぅ……あたし一緒に食べる約束をしたお友達がいますので……」 そりゃそうだな。朝比奈さんとしては、クラス内の関係維持のためにもクラスメイトとのお弁当の方が何かと都合が良いだろう。 ハルヒはちょっといらだつように髪の毛をかきむしり、 「じゃあ、今日学校が終わったら一緒に帰るって言うのはどうよ?」 「あ、あたし実は書道部に入っているんで帰りは少し遅くなるんです……」 ハルヒはその初耳だという情報に、何で教えなかったと俺を目で睨みつけてきた。 ああ、そうだすっかり忘れていた。朝比奈さんは書道部だったんだっけ。その後ハルヒに拉致られて、結局SOS団入りしたが、 その理由が長門がいたからだったはずだ。そうなると、SOS団もなく長門もいない状況で朝比奈さんに書道部を辞めてもらうのは かなり難しいだろう。元々ハルヒに直接接触するつもりじゃなかったようだからな、朝比奈さんは。 さーて、面倒になってきたぞ。どうする? ここで鶴屋さんが朝比奈さんの肩を叩き、 「あたしとみくるは一緒に書道部に入っているんだよ。一年生の時からの付き合いさっ。現在も部員絶賛募集中!」 ほほう、確かに朝比奈さんに――失礼ながら、ちょっと書道というものは路線が違うんじゃないかと思っていたが、 鶴屋さんとのつながりがあったのか。確かに彼女が和服姿で筆と墨を持って正座で達筆な字を書いているのは容易に想像しやすい。 と、ここでハルヒがぽんと手を叩き、 「わかったわ。じゃあ、あたしとキョンも書道部に入部させてもらう。それなら文句ないでしょ?」 ……本気か? しかも俺まで巻き込まれているし。正座して字なんて書きたくないんだが。 だが、この提案に鶴屋さんが同意した。 「おおっ、それなら話は早いさっ。これでみくるともお付き合いできるし、うちも書道部も新入部員をゲットできて 両者ともに目的が果たせるよっ。でも入部するからにはきちっと部活動に参加してもらうからねっ」 あーあ、話が勝手に進んでいる。 俺はぐっとハルヒを引き寄せ、 「おい、いいのかよ。お前字なんて書けるのか?」 「大丈夫よ。あんなの墨と筆があれば何とかなるわ」 根拠もないのに自信満々に語るな、書道をなめるんじゃないと説教してやりたい。 が、字の汚さで有名な俺の俺が言えるはずもなく。 やれやれ。今回は書道部入部決定か。こんな調子じゃSOS団への道のりはアメリカフロンティアの進んだ距離より長いぜ。 と、ここでハルヒは腹をなで下ろしたかと思うと、 「あ、何かお腹空いて来ちゃった。じゃ、あたし学食に行ってご飯食べてくるから。じゃあまた放課後! 入部届を持って行くから待っててね!」 そう言ってばたばたと学食に向けて走っていってしまった。なんつー自己中ぶりだよ。まるでスコール大襲来だな。 俺はとりあえず朝比奈さんと鶴屋さんに頭を下げつつ、 「いきなりとんでもない頼みをしてすみません。あいつ、一旦思いついたら誰も止められなくなるんですよ」 「良いって良いって! みくると友達になりたいって言うなら大歓迎だよっ、それに書道部も新入部員を会得しないと いけなかったからねっ!」 「あ、はい。あまり人気のない部活なので、人が増えるのはちょっと嬉しいです。涼宮……さんが入ると にぎやかになりそうですし」 「そう言ってもらえると助かります」 全く寛大な心を持った人たちで助かったよ。一般常識が厳しめの人ならどんな文句を言われていた事やら。 「じゃあ、朝比奈さん、鶴屋さん。すいませんが、また放課後よろしくお願いします」 「はいわかりました、キョンくん」 「じゃあまた放課後にっ。じゃあねキョンくん!」 俺たちはそう言葉を交わすと、それぞれの教室に向かって歩き出した。しかし、一つ重要な問題が起きてしまっている。 ……やれやれ。自分で名乗る前に、あだ名で呼ばれるようになっちまったよ。 さて、何でこんな展開になっているのかまるっきり説明していなかったから、とりあえず俺が昼飯を食っている間に 回想モードでどうやってここまで来たのか振り返ってみることにしようかね。 ……… …… … ◇◇◇◇ 「未来人?」 「そうだ、未来人。お前が俺を見つけたときに一緒にいただろ? 茶色っぽい長い髪の小柄な女の人が」 「ああ、あのちっこくて可愛い子のこと。ふーん、あの子が未来人ねぇ……全然そういう風には見えなかったけど」 お前にとっての未来人ってのはどんな姿をしているんだ。やっぱりリトルグレイか謎のコスチュームに身を包んでいるのか。まあ、俺としても何で朝比奈さんが未来から送り込まれてきたエージェントなのかさっぱりわからん。失礼ながら言わせてもらうと、どう見てもそういった危険の伴う任務には不釣り合いだろ。俺がどうこう言っても仕方がないが。 機関の反乱により崩壊した世界をリセット後、俺とハルヒは時間平面の狭間で次についての打ち合わせを進めていた。幸いなことにリセットは無事成功し、情報統合思念体もハルヒの力の自覚を悟られていない状態に戻っているとのこと。 だが、ふと思う。 あんな地獄絵図の世界が確定したらたまらなかったから良かったと言える。しかし、考え方を変えれば、機関は人類滅亡を 阻止したとも言える。それは成功例と言えないか? 少数を切り捨てたとは言え、大多数は生存できたんだから…… いや、あんなことが平然と行われる世界なんて許されて良いわけがない。一体機関の攻撃で何千人が 死ぬことになると思っているんだ。 「ちょっとキョン。ちゃんと聞いているの?」 ハルヒの一声で俺はようやく目を覚ます。今更どうこう考えたって無駄だろうが。リセットしちまった以上は、 次の世界をどうするのかに集中すべきだろ? 俺は自問自答を終えると、ハルヒとの話に戻る。 「えーとどこまで話したっけ?」 「あんたの世界には未来人がいたって事だけよ。しっかりしてよね」 ハルヒはあきれ顔を見せるが、俺は無視して、 「とにかくだ。前回の機関を作った世界には未来人――正確には朝比奈みくるという人物はいなかった。 これも機関の超能力者と同じように、何かお前が手を加える必要があるって事になる」 「それがなんなのかわからないと話にならないわよ?」 ハルヒは団長席(仮)に座り、口をとがらせる。 確かにその通りだ。機関の超能力者はハルヒの情報爆発と同時に発生したと言うことを古泉から耳にたこができるぐらい 聞かされていたからわかりやすかったが、未来人が誕生したきっかけは何だ? 何度か朝比奈さん(大)の既定事項とやらを こなすためにいろいろ手伝わされたが、あれはハルヒとは直接関係のない話ばかりだった。ならそれ以外で何か…… ――俺ははっと思い出した。学年末にSOS団VS生徒会を古泉にでっち上げられて作った文芸部の会誌。 あの最後にハルヒが書いていた難解極まりない意味不明な論文が載っていたが、朝比奈さん曰くあれが時間移動の基礎理論に なったと言っていた。そして、朝比奈さん(大)の既定事項を考えると、やるべき事は一つだ。 「なあハルヒ、お前の近所に頭の良い年下の男子はいなかったか? たまに勉強とか教えていたり」 「んん? ああ、ハカセみたいな頭の良い男の子はいたわよ。家庭教師ってほどの事もないけど、確かにたまに勉強を 教えてあげていたわね。それがなんかあるわけ?」 よし、ならいけるはずだ。 「そのハカセくんに時間移動の理念を示した――なんだ論文みたいなのを書いて渡してくれ。それで未来人は生まれるはず」 「ちょ! ちょっと待ってよ! あたしだって情報操作とか情報統合思念体について理解している訳じゃないのよ!? ただ何となく使えるってだけで、それを字にして表せなんて無理よ、絶対無理無理!」 ここまで仰天するハルヒも珍しい。良いものが見れたと思っておこう。だが、それをやってもらわないと あの秀才少年に時間移動の理論が届かず、朝比奈さん(大)の未来も生まれない。亀やら悪戯缶、メモリーについては 朝比奈さん(大)の方から動きが出るだろうよ。あっちも既定事項とやらをこなすのに必死みたいだしな。 大元さえきっちりしておけば、後は勝手に広がる。機関と同じだ。 「そんなこといわれてもなぁ……どうしよ」 いつの間にやら紙とペンを用意したハルヒは、ネームに困った漫画家のように頭を抱えている。 なあに深く考える必要はないんだよ。俺の世界のハルヒだって、どう見ても思いついたまま書き殴っていたし、 俺が呼んでも耳から煙が立ち上るだけで全く理解不能な代物だったし。 「そりゃ、あんたがアホなだけじゃないの?」 「うるせぇ。さっさと書け」 そんなちょこざいな突っ込みをしている間に、がんばって書いてくれ。それがなきゃ始まらん。 ハルヒはうーんうーんと本気で唸りながら、得体の知れない図形や文字を落書きのように紙に書き始める。 だが、すぐにわからんと叫びくしゃくしゃに丸めては書き直し。 この調子だと当分かかりそうだな。やれやれ…… どのくらいたっただろうか。暇をもてあましたため、いつの間にやら椅子の上で眠っていた俺の脳天に一発の強い衝撃が走った。 完全な不意打ちだったため、俺の目から火花が飛び散ったかと思うほどに視覚回路に光の粒が発生し、 思わず頭を抱えてしまう。 「何しやがる……ん?」 抗議の声を上げるのを中断して見上げると、そこには仏頂面のハルヒの姿があった。その手には数十ページの紙の束が 握られていた。 「全く……人が頭を抱えているのにぐーすか眠っているとは良いご身分ね。ほら、あんたのご注文通り作ったわよ。 人が読めて理解できる代物かどうか保証はできないけど」 相当疲れがたまっているのか、半分ドスのきいた声になっている。俺はハルヒの書いた時間移動の論文をざっと見てみたが、 ………… ………… ……こ、これは確かこんな感じだったような憶えがあるが、今読んでもさっぱり意味不明だ。謎の象形文字と ナスカの地上絵もどきが大量に並びまくる宇宙からの電波をキャッチしてそのまま文字化したような得体の知れない カオスさである。あの少年は本当にこんなものから一瞬のひらめきを見つけられるのか? 全く天才ってのは 得体の知れない生き物だ。 ハルヒは達成感に身を任せうーんと一伸びしてから、 「何か疲れちゃったわ。それを使うのは一眠りしてからにするわね」 そう一方的に言い放つと、そのまま団長席(仮)に突っ伏してしまった。ほどなくしてかすかな寝息が聞こえ始める。 全く何だかんだで努力は惜しまないやつだ。どんなことでも全力投球、中途半端は大嫌い。わかりやすいったらありゃしない。 俺はとりあえず制服の上着をハルヒに掛けてやると、暇つぶしにハルヒの意味不明カオス論文の解析をやり始めた。 ◇◇◇◇ … …… ……… 以上回想終わり。そんなこんなでハルヒがあの少年にこっそりと論文を渡した結果、うまい具合に北高二年生に 朝比奈さんがいましたってわけだ。 ただし、それを少年の手に渡したのは、俺の世界では学年末ぐらいだったがハルヒが善は急げ!とか言って とっとと渡してしまった。ハルヒ曰く、高校一年のその時期まで情報統合思念体の魔の手から逃れて無事に過ごせる可能性は かなり低い――というか一度もなかったそうな。中学時代を乗り切るのはもう完全に可能になったものの、 高校になってからの情報統合思念体やその他の勢力――俺の知らないいろいろな勢力がいたりしたらしい――がちょっかいを出して それで結果ご破算になってしまうということ。朝倉の暴走もその一つに含まれているらしい。 結果予定を繰り上げて、入学前にあの少年に論文を渡すことになったわけだ。まあうまくいったから良いんだが。 「よっし、じゃあ乗り込むわよ!」 「そんなに気合いを入れて、殴り込みにでも行くつもりか?」 元気満々のハルヒに続いて、俺は嘆息しながらそれに続く。ドアの向こうは書道部の部室だ。 放課後、俺たちは約束通りここに入部するためにやってきたってわけさ。 「こんにちわ~! 入部しに来ましたー!」 でかい声でハルヒが部室に入ると、数名の書道部部員たちの注目の視線がこちらに集中した。 その中にはすでに朝比奈さんと鶴屋さんの姿もある。二人とも手を振っていた。 中には朝比奈さんたち二人を含めると、あと三人しかいない。まあ書道部っていう地味な活動を考えると 最近の若いモンには不人気な部活かも知れないから無理もないか。活字離れどころか、ワープロやパソコンの普及で 手書き文字すらなくなっている時代である。かく言う俺も相当な悪筆だけどな。 しかし、見れば全員女子部員ではないか。しかも容姿のレベルも中々高い。まるでハーレム気分だっぜ。 事前に朝比奈さんたちから話を聞いていたのか、部長らしい三年生が俺たちに仮入部の紙を手渡してくる。 さすがにいきなり入部って訳にはいかないらしい。大体、先週入学式があったばかりだしな。一年の大半もまだ部活を 探している生徒は大半だが、いきなり本入部っていう人間はスポーツ推薦でやって来た奴ぐらいで、大抵は仮入部だろう。 俺たちはさっさと仮入部の用紙にサインを入れると、とりあえず部室内を一回りしてどんな活動なのか紹介を受ける。 やっていることは単純で、普段は習字の練習を行い、たまに校内の掲示板に作品発表を行ったり、市で開催されている 展覧会っぽいものにできの良い作品を送ってみたりと、まあごく普通の地味な活動内容だ。ああ、そういえば、 今日北高の入り口におかれていたでっかい看板の文字もこの部で制作したものとのこと。書いたのは鶴屋さん。 すごい美しく見栄えのある文字だったことを良く憶えている。 「いやーっ、そんなにほめられるとテレるっさっ! でも、あのくらいでもまだまだにょろよ」 鶴屋さんは照れ笑いを続けている。一方のハルヒは部長の説明も聞かずに朝比奈さんをいじくりまわしている始末だ。 さすがに見かねた書道部部長(女子)が俺の耳元で、彼女は大丈夫なの?と聞いてくるが、 「あー、あいつはああいう奴なんて放っておいて良いですよ。むしろ関わるとやけどするタイプですから」 俺があきらめ顔でそう答えると、書道部部長は不安げな表情をさらに強くした。こりゃ結構心配性のタイプだな。 ハルヒには余り心労をかけるなよとこっそり言っておこう。 ついでにそろそろ止めておくか。 「おいハルヒ。朝比奈さんを弄って部活動の妨害はそれくらいにしておけ。余り酷いと退部にされるぞ」 「えー、でも凄いのよ。フニフニなのよ! あんたも触ってみればわかるわ」 何がフニフニなんだ。いやそんなことはどうでも良いからとにかくやめろ。 俺は無理やりハルヒの襟首をつかんで、朝比奈さんから引き離す。ハルヒはえさを止められた猫のようにシャーと 威嚇の声を俺にあげているが、 「まあいいわ。別に今日一日だけって訳じゃないしね」 「ふええぇ、毎日これやるんですかぁ?」 いたいけな朝比奈さんのお姿に俺も涙が止まらないよ。とにかく、仮入部とは言え入部したんだからきっちり部活動に 専念するんだぞ。朝比奈さんいじりは決して部活動の内容に入っていないんだから。いいな? 「部活動ねぇ……ようは墨で字を書けばいいんでしょ?」 子供の頃に中々うまくいかず、オフクロと一緒に泣きながら夏休みの課題の習字をやっていた俺から言わせると、 習字をなめるなと一喝してやりたい余裕ぶりだ。 ハルヒは手近な部員から習字一式を借りると、さっさと軽い手つきで書き始める。 そして、できあがったものを俺の方に掲げてきた。 「これでどうよ?」 まあなんだ。素直に言えば旨いな。しかし、書いてある文字が『バカ野郎』なのは俺に対する当てつけのつもりか? もう少しマシな書く内容があるだろう? ハルヒは俺の反応を受けて再度別の文字を書き始める。 そして、得意げな笑みを浮かべて掲げた作品『みくるちゃんラブ』――だからそうじゃねえだろっ! 「あのな、もうちょっとふさわしい文字があるだろ? 例えば、『祝入学』とか『春一番』とか」 「なによ、そんな普通の書いてもおもしろくないわ」 真性の変りもんだこいつ。普通の人と同じ事をやるのは自分のプライドでも許さないのか? ただし、その字は確かにうまい。俺の捻り曲がった不気味な字に比べれば雲泥の差だ。 俺はてっきり字の内容はさておきその技術には他の部員も感心していると思いきや…… 「うんっ、なかなかのないようだと思うよ。もうちょっと練習すればかなりうまくなるんじゃないかなっ」 鶴屋さんの言葉。決して絶賛ではない。どちらかというと、もうちょっと努力しましょうという意味である。 朝比奈さんや書道部部長(女子)も同意するように頷いていた。 ……つまりハルヒのレベルは実は大したことない? そこにちょうど顧問らしき教師がやってきた。部員の様子を見に来たらしい。 仮入部の俺たちの紹介を書道部部長(女子)が説明すると、ふむといってハルヒの書いたものをまじまじと見始めた。 そして、こう論評する。 まだ慣れていない部分が大きいね。そのために全体的に荒く自己流の悪いところが出ている。 さあこれを聞いたハルヒがどうなるかは、こいつの性格を知っていればすぐにわかるだろう。 世界一の負けず嫌い、相手に自分を認めさせる、あるいは勝つためにはどれだけの努力も惜しまない。 それが涼宮ハルヒという人間の性格である。 即座に習字に必要な一式をそろえるために専門店の場所を聞き出し、何を買えばいいのか、どこのメーカがお勧めか 顧問・部員に聞き出した後、俺もほっぽって学校から出て行ってしまった。店が開いているうちに、道具を買いそろえに 行ったんだろう。全く発射された弾丸みたいな奴だ。本来の目的忘れていないだろうな? 一同唖然とする中、さすがに居心地の悪くなってきた俺も帰宅の途につかせてもらうことにした。 その前に一応朝比奈さんに挨拶しておくことにする。 「今日はいろいろお騒がせして済みませんでした。しばらくご厄介になりそうですけど」 「ううん、大丈夫。きっとこれがこの時間――あ、えっと、そのとにかく大丈夫です」 危うくやばい話を暴露してしまいそうになってもじもじする朝比奈さんのもう可愛いこと可愛いこと。 ハルヒ、一度で良いからお前の身体を貸してくれ。そうすりゃ朝比奈さんを本気で抱きしめて差し上げられるからな。 あと朝比奈さんはすっと俺の耳に口を寄せて、 「それからどうぞあたしのことはみくるちゃんとお呼び下さい」 以前にも聞いたその言葉に、俺はめまいすら憶えるほどの快楽におぼれてしまった。 ◇◇◇◇ さて翌日の朝。俺は駐輪場前でハルヒと合流して、北高への強制ハイキングを開始する。しかし、この上り坂も 入学した当時は本気でうんざりさせられたものだが、今では慣れっこになっている自分の適応能力もなかなかのものだ。 ハルヒの片手には昨日買い込んできたと思われる書道部必需品セットが詰まった紙袋が握られていた。 本気でやる気になっているらしい。 「あったり前よ。あんな低評価のままじゃあたしのプライドが許さないわ! それこそ世界ランキング堂々一位に輝くほどの ものを書いてやるんだから!」 おいおい。熱中するのは構わんが、本来の目的を忘れるんじゃないぞ。 「何言ってんのよ。あたしは情報統合思念体がちょっかい出してこないように平穏無事に暮らせればそれで良いのよ。 だから書道部で世界一位を取ったって別に何の不都合もないわ。あたしから何かやるつもりはさらさらないんだからね」 その言葉に俺ははっと我を取り戻す。確かにそうだ。ハルヒの目的はそれであって、別にSOS団結成とか 宇宙人・未来人・超能力者を集めて楽しく遊ぶことではない。むしろそっちにこだわっているの俺の方じゃないか。 いかん。すっかり目的と手段が入れ替わっていることに気がつかなかった。 とは言っても俺の目的にはそいつらと一緒に仲良くすることは可能だと証明する事もあるんだから、なおややこしい。やれやれ。 と、ハルヒは思い出したように、あっと声を上げると俺に顔を近づけ、 「前回のことを考慮して、あんたに予防措置をやってもらうことにしたから」 「……嫌な予感がするが、その予防措置ってのが何なのか教えてもらおうか」 「簡単にわかりやすく言ってあげるから、一度で頭の中にきっちり入れなさい。まず、あんたの意識を2分先の未来と 常に同期しておくようにするわ。つまりあんたの意識は常に2分先の未来を見ていて、あんたが望めば元の時間に戻れるってこと」 うーあー、全然わからん。もうちょっとわかりやすく教えてくれ。歴史的などうでも良い雑学は昔にはまった関係で そこそこあるがSF科学についてはさっぱりなんだ。 ハルヒは心底呆れたツラを見せて、 「厳密には違うけど、あんた予知能力を与えたって事。それならわかるでしょ?」 おお、それなら俺でもわかったぞ。ってちょっと待て。 「何で俺がそんな役目を担わなきゃならんのだ? お前がやった方がいいだろ」 「あたしが予知能力なんて堂々と発揮していたら、即座に情報統合思念体に感づかれるわよ。だからあんたなら、 偶然、あるいは本当に未知の能力を持っているとして片づけられるはずよ。ただし、無制限って訳にもいかないから」 「なんかの条件とかあるのか?」 「予知能力が使えるのは二回まで。仮にも時間平面の操作を行うに等しい行為なんだから、余り連発すると 情報統合思念体も不審に思い始めるだろうから。二回予知したら、自動的にあんたからその能力は削除されるわ。 だからこの予知能力は切り札よ。安易には使わないで。宝くじとか競馬とかなんてもってのほか、論外よ! 二回目を使ったときはリセットを実行するときだと思っていなさい。わかったわね」 「使い方がわからんぞ」 「簡単よ。戻れって強く念じればいいだけだから」 ついに俺までハルヒ的能力者の仲間入りかよ。限定的だから情報統合思念体に抹殺されるって事はないだろうが、 どんどん一般人から離れていくことに自分に対して哀愁を禁じ得ない。さらば凡人の俺、フォーエバー♪ 俺たちはどんどん坂道を歩いて北高に向かっている。考えてみれば、意識はもう北高間近まで迫っているところにあるが、 俺の身体自体はまだ数十メートル後ろを歩いているって事になるのか。なんつーか、幽体離脱でもしている気分だ。 ところで、予知ってのはどういうときに使えば良いんだ? 前回の機関強硬派反乱みたいな自体だったら即座に 阻止するべき行動を取るが、今回の世界は機関はいないし時間という概念が俺たちとは異なる情報統合思念体に通じるのか わかったものじゃない。せいぜい、目の前で事故が発生したらのを阻止するぐらいしか…… ――唐突だった。俺の前方百メートルぐらいを歩いている一人の男子生徒が突然北高側から走ってきた乗用車に はねとばされたのは。しかも、その男子生徒はただ歩道を歩いていただけなのに、その乗用車がねらい澄ましてきたように 歩道に割り込んできたのだ。 しばし一帯が沈黙に包まれる。あまりに突然のことだったので、誰も何が起きたのか理解できなかったのだろう。 やがて、はねた自動車は止まることなく車道に戻ると、猛スピードで俺のそばを通り抜けていった。 同時にようやく事態を飲み込めた北高生徒たちの悲鳴が辺り一面にわき起こる。 はねられた男子生徒はその衝撃で車道まで転がり、中央分離線辺りで間接が崩壊した人形のようにありえない形で 倒れ込んでいる。辺り一面にはじわりと多量の血がアスファルトの上に広がって言っていた。 俺はしばらく呆然としていたが、とっさに戻れ!と叫んだ。思考よりもさきに感覚的反射でそう言った。 ――唐突に起こるめまい。そして、次の瞬間、俺の視界には二分前俺が見ていた光景が広がっている。 まだ事故も発生せず、北高生徒たちが和気藹々と坂を上って行っている。 俺は自然と足が動いた。さっき――いや、もうすぐはねられる予定の男子生徒まで百メートル。俺はそいつに向かって一目散に 走り出す。 「――あっ、ちょっとキョン! どうしたのよっ!」 突然の俺の行動に、ハルヒは声を上げて追いかけてきた。事情なんて説明している暇はねえ。目の前で起きる予定の事故を 阻止するだけで俺の頭は精一杯だった。 俺は事故を目撃してから数十秒――多分一分ぐらい思考が停止していたに違いない。そうなると、事故発生からは 一分ぐらい前までしか戻れない。あの男子生徒とは百メートル離れている。自慢じゃないが、帰宅部を続けてろくに運動していない 俺の足だと何秒かかる? ようやく半分の距離まで詰めた辺りで、北高側から一台の乗用車が走ってきているのが見えた。あのひき逃げをやった乗用車だ。 いかん、思ったよりも俺の呆然としていた時間は長かったのか? 「キョン! あんた一体なにやってんのよ!」 俺が全力で突っ走って息も絶え絶えになっているのに、俺の隣にはあっさり追いついてきたハルヒが大した疲労も見せずに 併走していた。だが、説明している暇も余裕もない。 ハルヒは必死に走る俺の姿に勘づいたらしい、 「あんたまさか……!」 「その通りだ!」 俺はそう言い返すと、震え始めている足をさらに加速させた。乗用車はすでに歩道へと割り込みを始めている。 もう少し。もう少しで……! ぎりぎりだった。本当にぎりぎりのタイミングで俺はその男子生徒の身体をつかむ。目の前に迫る乗用車に呆然としていた 男子生徒はあっさりと俺の腕に全く抵抗することなく身体を預けた。 俺は悲鳴を上げる足首を完全に無視して、車道側へと大きく飛び跳ねる。 その刹那、乗用車が俺と抱えている男子生徒の数センチ横を通り過ぎていった。 回避した。間一髪のところでこの男子生徒のひき逃げを阻止することに成功した―― だが、甘かった。歩道は車道の反対側は壁になっていたため、とっさに車道側に飛び跳ねてしまったが、 狙ったかのように俺たちの前に後続車である大型の引っ越し屋のトラックが迫っていた。 嘘だろ。せっかく避けたってのに、なんてタイミングが悪いんだよ―― 俺は観念して次に来るであろう全身への強烈な衝撃に備えて目を瞑った。 痛みはすぐに来た。しかし、全身ではなく俺の背中に誰かが思いっきり蹴りを入れたようなものだった。 その衝撃で思わず男子生徒が腕から抜けてしまっていることに気がつく。あわてて目を開いて状況を確認しようとするが、 その前に路面に身体が落ちたらしく勢いそのままに身体が転がり続け、固い何かが俺の背中にぶつかってようやく回転が止まる。 痛みと衝撃に耐えながら目を開けて振り返ると、俺はさっきまで歩いていた歩道の反対側のそれの上にいた。 背後には電柱がある。こいつのおかげで止まったのか。 だが、助けた男子生徒はどこに行った? それを確認すべくあたりを見回すと、俺のすぐ目の前を滑るように ハルヒが着地するのが目に止まる。勢いを減速するかのように、両足でしばらく路面を滑っていたが程なく摩擦力により その動きも停止した。見れば、ハルヒの脇には轢かれる予定だった男子生徒の姿もある。 つまり最初の轢き逃げを避けた俺たちだったが、さらに今度はトラックにはねられそうになったのを、 ハルヒが俺を蹴飛ばして逃がし男子生徒をつかんでかわしたってことか。あの一瞬でそれをやってのける――しかも、神的パワーを 使った形跡もなくできるなんて心底化け物じみているぞ、こいつは。 ハルヒはすぐに俺の元に駆けつけ、 「大丈夫、キョン!? 無事!?」 「あ、ああお前に蹴られたのが一番いたかったぐらいだ」 俺は別に抗議したつもりじゃなかったが、ハルヒは顔をしかめて脇に抱えた男子生徒――どうやら気絶しているらしい――を さすりながら、 「仕方ないじゃない。あんたとこいつ、二人を抱えるのは無理だったんだから。助けてもらった以上、礼ぐらいは欲しいわね」 「ああ、すまん。そしてありがとな、ハルヒ」 ハルヒはアヒル口でわかればいいのよと、男子生徒を歩道の上に寝かせる。やがてこの一瞬の大アクション劇に、 一方からは惨劇寸前だったための悲鳴と、見事な救出劇に対する拍手喝采が起きていた。 やれやれ、これでしばらくは注目の的だな。 だが、ハルヒはぐっと俺に顔を近づけ、 「あんだけ慎重に使えって言ったのに……使ったわね? 予知能力」 あっさりと見破ってくる。 仕方ないだろ。目の前で事故が起きようとしているのを阻止するのは、一般常識を持った人間なら当然の行為だ。 だが、ハルヒは納得していないのか、何かを問いつめるように言おうとしたがすぐに口をつぐんだ。代わりに、背後を振り返り 北高生徒たちが並んでいる歩道の方へ視線だけを向けた。そして言う。 「とにかく! この件の続きは後で話す。今は一切余計なことをしゃべらないで。事後処理に努めなさい。多分もうすぐ 警察や救急車も到着するだろうから」 ハルヒの言葉には強い警戒心が込められていた。それもそのはずで、俺たちを見ている北高生徒たちの中に、 あの朝倉涼子と長門有希――情報統合思念体のインターフェースの姿があったからである。やばいな、救出劇を切り取って 今の俺の行動を見てみれば、明らかに俺は不審な行動を取ったと誰でもわかることだろう。ハルヒはこれ以上のボロを出すなと 言っているんだ。 「それから、恐らく朝倉あたりはあんたに接触してくるはずよ。やんわりと予知したんじゃないかみたいなって事を言ってね。 学校についてそれを言われるまでにきっちり納得できる説明をでっち上げて起きなさい。いいわね」 ハルヒは俺の耳元にさらに口を寄せて話した。 程なくして誰かが通報したのだろう、救急車のサイレンがけたたましくこちらに近づいてくるのが聞こえてきた―― ◇◇◇◇ 俺とハルヒは警察とかの事情聴取――逃走中の乗用車の特徴・ナンバーは見ていないかとか――をようやく終え、昼休みに 自分のクラスの席に座ることができた。助けた辺りの状況についてはハルヒがうまい具合にごまかしてくれたおかげで、 予知能力についてボロを出さずに乗り切ることもできた。 ハルヒは程なくしてどっかに出て行ってしまうが、俺は机の上に弁当を取り出してとっとと昼食を取ってしまおうとする。 そこにここ一週間ぐらいでぼちぼち話す頻度も増えてきた谷口が国木田を伴ってやって来て、 「おいキョン、何か今朝は大変だったみたいだな」 「ああ、事故に巻き込まれて散々だった。ま、けが人もなくてよかったけどな」 しかし、谷口はどっちかというと事故よりも別のことについて興味津々らしい。突然にやついた表情に フェイスチェンジしたかと思えば、 「ところでよー。お前涼宮と一緒に朝登校しているらしいんだってなー。まさかお前らつきあってんのか? いや、そうでないと説明がつかねーよなぁ?」 「何でそんな話になるんだ。別にあいつと付き合っている訳じゃねぇよ。ただ一方的に振り回されているだけだ」 だが、俺の反論を完全に無視して今度は国木田まで、 「キョンは昔から変な女が好きだからね。そう言えば、彼女はどうしたんだい? てっきりあのまま続くと ばっかり思っていたんだけど」 「なにぃ!? お前二股してんのかよ!? 許せねえ奴だ。今すぐ俺が成敗してやる」 「違うって言っているだろうが。国木田も誤解を招くようなことを言うんじゃない」 勝手な妄想を並べて推測のループに突入する二人を諫める俺だが、こいつら全く俺の話に耳を傾けるつもりがねえ。 しかし、この世界でもあいつはいるんだな……一応、連絡ぐらい取っておくか? 俺の世界の時のように正月まで 放置っていうのもなんつーか後ろ髪を引かれる思いだからな。 さて、ここで真打ちの登場だ。俺と谷口、国木田の馬鹿話の間に、あの朝倉涼子が割って入ってくる。 あいつもあの現場にいたから確実に何か聞いてくるだろう。 「あら、あたしもてっきりあなたと涼宮さんが付き合っているものばかりだと思っていたけどな。 毎朝一緒に登校してくるぐらいだし」 それに対する反論はさっきしたばっかりだからもういわんぞ。 朝倉はお構いなしに続ける。 「でも、実はあたしもあの現場にいたのよね。突然あなたが背後から走ってきたかと思ったら、突然すぐ目の前の男子生徒を つかんで大ジャンプするんだもん。さらに、飛び跳ねた方に今度はトラックが突っ込んできたときはもうダメかと思ったけど、 涼宮さんが凄いファインプレーで二人を救出。まるで映画でも見ているようだったわ」 いつもの柔らかな笑みを浮かべる朝倉。さてさて、そろそろ言ってくるかな。いいか俺。慎重にだぞ、慎重に…… そして、朝倉は核心について話し始める。 「でも、どうしてあの男子生徒が事故に巻き込まれるってわかったの? あなたが走ってきたときには はねようとした車に不審な動きはなかったわ。まるであなたは事故が発生するのをわかっていたみたい」 「へー、キョンって予知能力があったんだ。中学時代から付き合いがあったけど、知らなかったよ」 国木田が言ってきたことは冗談めいているから相手にする必要なし。問題は朝倉の方だ。そのために、ハルヒの知恵も借りて それなりの理由を事前に準備してある。 「最初に言っておくが、俺があの男子生徒を助けられたのは完全な偶然だぞ。俺は朝ハルヒに言われて宿題をするのを忘れていた 事に気がつかされて、あわてて学校に向かっていただけだ。一時限目のものだったからな。早く言って適当に 少しでもやっておかないとどやされるし。それで途中で突然自動車が突っ込んできたら、とっさに近くにいた生徒を抱えて 逃げようとしたんだよ。だから走っていたのは別に事故を回避するためじゃない。まあ幸い――けが人がなかったからと言って 仮にも事故が起きかけたことを幸いって言うのもアレだが、警察の事情聴取とかで一時限目は出れなかったから、 宿題の問題は回避されたけどな」 「ふーん、ただの偶然だったって訳なんだ。だったらますますファインプレーよね。予測もしていないのに、あんな行動が取れる あなたに脱帽しちゃう」 これは嫌味なんだろうか。それとも正直な感想? 朝倉の変わらぬ笑みからは真意を読み取ることはできなかった。 ただこれ以上その件で追求するつもりはないらしく、それだけ聞き終えるとまた女子グループの中に戻っていった。 やれやれ、一応バレ回避はできたようだな。 と、ここで谷口が俺の前に割り込み、 「そうだキョンよ、お前部活どうしたんだ?」 「ん、書道部にすることに決めた。いい加減オフクロからも汚い字を何とかしろって言われていたからな。ちょうど良いと思って」 だが、谷口はお前が?と疑惑の視線を向けると、すぐに懐から一つのメモ帳をパラパラとめくり始めた。 そして、あるページを見てにやりといやらしい笑みを浮かべると、 「……なるほどな。キョン、お前の真意は読めたぜ」 何がだ。 国木田も不思議そうな顔で、 「何か良いことでもあるのかい、書道部にはいると」 「俺がチェックしたこのマル秘ノートに寄れば、書道部には女しかいない。しかも全員俺的ランクAA以上で、 その中には上級生では最高峰に位置する朝比奈みくるさんの存在もある」 「ああなるほど、キョンは部活と言いつつ可愛い女子目当てに入部したって訳か」 おい待て。勝手に人の目的を捏造するんじゃない。俺はただ単にこの煮えたぎる文字という魅力に―― 「んなことはいいから」 あっさり人の抗議を無視しやがった。 谷口はうんうんと頷き、 「確かにキョン、お前の見る目は間違っていない。あの書道部は美人揃いのパラダイスだ! ってなわけで俺も入部したいから 是非とも紹介してくれ」 「あ、それいいね。僕も混ぜてよ」 おまえら。女目的で入部する気かよ。ハルヒとは違う意味で習字をなめるなと言ってやりたい。 しかし、結局二人の熱意に押されまくり仮入部の紹介をしてやることを強制された辺りで、 「ちょっとキョン。話があるからこっち来なさい」 そう教室の入り口から俺を睨んでいるハルヒに、話を中断された。 ◇◇◇◇ 俺がハルヒに連れて行かれたのは、あの古泉と昼飯を食べていた非常階段の踊り場だった。 何のようかと聞くまでもない。今朝のことについてだろう。 「あんたね、あれほど言っていたのにあっさり切り札を使うなんて何考えてんのよ。残り一回は同じ事があっても 絶対に使わないこと。いいわね!」 ハルヒはそう説教するように睨みつけてくるが、正直なところ今後も同じ事があった場合自重できるかどうか はっきり言って自信がない。大体、目の前で人が死のうとしているのに、それを放置するなんていうのは 俺のポリシー――いや人としてのポリシーに反していると思うぞ。 だが、俺の思いにハルヒは呆れの篭もった嘆息で返し、 「あんたね、ちょっとは考えてみなさい。確かに本当に目の前で息絶えそうな人がいたら助けるのは当然のことよ。 でもあんたは通常知り得ない情報を元にそれを実行しようとしている。それは一種の反則技だわ」 「命がかかってんだぞ。守るためなら反則だろうが何だろうがすべきじゃないのか?」 「じゃあ、その行為で確かに目の前で死ぬはずだった人は生き延びたとして、その結果別の人が事故に巻き込まれたらどうする気? 最初に死ぬはずだった人は、その死因を作った人間の責任になるけど、その人を助かったばっかりに死んでしまった別の人の死の 責任はあんたが背負うことになるのよ? その覚悟はあるわけ?」 俺はその言葉にうっとうなるだけで反論できない。確かにその場合は、俺が責任を負うべきだろう。 助けたばっかりに別の人が不幸になる。十分にあり得る話なんだから。それはあまりに本末転倒な話と言える。 しかし……しかしだ。 「だったら使いどころがわからねぇよ。どうすりゃいいんだ?」 「あと一回だけにしているから、使いどころは簡単よ。リセットを実行する必要が明らかに発生した場合のみ。 前回で言うと、町ごと核でドカンっていう事態が発生した場合ね。言っておくけど、前回は古泉くんが口を割ってくれたおかげで 助かったようなものよ。一歩間違えれば、あたしとキョンも巻き込まれて死んでいたんだから。 あくまでもそんな事態を回避する――その一点に絞りなさい」 ハルヒの指示は明確でわかりやすかった。取り返しのつかない事態、そしてそれは個人の事情とかそんなのではなく、 ハルヒがリセットを実行するための助けとなる場合のみか。 わかる。それはわかる。だけどな、 「でも、自信ねぇぞ。もう一度同じ事が起きた場合にそれを見て見ぬふりなんて」 「わかっているわよ。だけど――あんたしか頼れる人がいないの。悪いとは思っている……」 ハルヒの言葉に、俺はどういう訳だか心臓が跳ね上がった。 目線こそ合わせないが、ハルヒが俺に対して明確な謝罪を意思を示すのを目撃する日が来るとは思ってもみなかった。 それもこれも自分の能力のおかげで世界の危機に招いてしまっていることへの罪悪感――あるいは世界を救わなければならいという 使命感がなせる技か。 これが力を自覚したハルヒ、ということなのだろう。全く俺の世界の脳天気唯我独尊傍若無人SOS団団長様が懐かしいよ。 ◇◇◇◇ 翌日の放課後。 俺とハルヒ+谷口・国木田コンビを連れて俺たちは書道部部室やとやって来た。すでに朝比奈さんや鶴屋さん、 その他部員たちは勢揃いしている。 ハルヒは谷口たちがいることに最初は不平を漏らしていたが、やがてそんなこともどうでもよくなったのか、 昨日買ってきたばかりの書道部必須アイテムを使って、とっとと習字の練習を始めた。やれやれ、やる気全開だな。 一方の谷口と国木田は朝比奈さんのお美しい姿にしばし鼻を伸ばしていたが、俺がとっとと仮入部の手続きをしやがれと 背中を叩いて促しておいた。全く、これから毎日こいつら――得に谷口の視線が朝比奈さんに向けられるかと思うと 気が気でならないね。 ちなみに俺も一応入部したわけだから、この機会に字の練習をしておこうと道具を借りて練習していたわけだが、 ――君の字には覇気がないな。まるで老人のようにくたびれていないか? そんな顧問からの痛烈な評価をいただいてしまった。まあ俺の悪筆は自分でもしっかり自覚しているから、 別にどうこう思ったりはしないんだが、こっそりと朝比奈さんにまで同意されてしまったのは、ショックだったのは言うまでもない そんな俺に谷口が腹を抱えて笑いやがるもんだから、ならお前が書いてみろとやらせてみたところ、 ――君の字は煩悩でゆがんでいる。 まさに的確な指摘に、部室内が大爆笑に包まれてしまった。当の谷口は口をへの字にして顔をしかめていたが。 だが、鶴屋さんの豪快なのわっはっは!という笑いに加え、朝比奈さんも可愛らしくクスクスと笑みを浮かべていたのを 見れたことに関しては谷口に大きく感謝しておこう。口には出さないがね。 ◇◇◇◇ そんな日々が一週間続いたある日のこと。 俺とハルヒ、それに朝比奈さんは部活動を終えて下校の途に付いていた。すっかり日も傾き、周囲がオレンジ色に包まれている。 3人は和気藹々と談笑しながら――まあ、ハルヒは相変わらず朝比奈さんにことあるごと抱きつく・いじくりまわすなどの 破廉恥行為を加えながら――歩いていた。 「でも涼宮さんは凄いです。入ったばっかりなのに、もう他の部員の人たちと同じレベルになっているんですから。 顧問の先生もあと今のペースで旨くなっていけば、あと一ヶ月もかからないうちに完璧な作品が描けるようになるって 言っているぐらいですから」 「当然よトーゼン! あたしは一番でないときが済まないの。それがあんな墨で字を書くだけの地味なものであっても 妥協は一切なし! 絶対にコンクールだろうが何だろうが一番を取ってみせるわ!」 やれやれ。こいつのスーパーユーティリティプレイヤーぶりを発揮すれば、本気で書道家級に達しかねないから なおさらたちが悪い。ま、こういう才能のある人物というのはどこかしら人格に欠点があったりするものだから、 ハルヒにぴったりと言えるかもな。いや、ハルヒは最低限の常識はきっちりわきまえているから、真の意味での芸術家には なれなかったりするのか? よくわからん。 「それに比べてキョンや谷口の成長しないことったらもう。あんたたちやる気あるわけ? 国木田を見習いなさいよ。 あたしには及ばなくても着実に腕を伸ばしているわよ。あいつ、何だかんだできっちりやるタイプだから」 「お前と一緒にするな。ついでに部活動の目的を完全にはき違えている谷口とも一緒にしないでくれ、マジで」 俺とハルヒも朝比奈さんに近づくという点では、谷口と大差ないように見えるかも知れないが、あいつは煩悩100%で 入部したんだから根本が完全に違う。大体、一応まじめに練習している俺とは違って、ぼーっと女子部員の姿を 鼻の下伸ばして追いかけている時点であいつは論外と言っていい。 ……まあ、朝比奈さんに関してはそのお姿をフォーエバーな視点で見つめていたいという気持ちは、大きく同意しておくが。 「そう言えばみくるちゃん。今日は部活に遅れてきたけどなんかあったの?」 「ふえ? え、ええっと大したことじゃないんですけど、クラスで用事があったので……」 「ふーん」 聞いてみたものの、どうでも良さそうな返事を返すハルヒ。 そういや、珍しく朝比奈さんが部活に遅れて顔を出していたな。まあ、ここの書道部は体育会系みたいに 時間厳守だとかそんなのはないからとがめられるような話ではないが。 そんな話をしながら、俺たちは長い下り坂も中盤にさしかかった辺りで気が付く。この下り坂の終着地点には 自動車通りの多い交差点があるんだが、そこの歩道で一人の北高男子生徒が中年ぐらいのおっさんと言い争いをしている。 なんだトラブルか? 若いから血の気が多いのは結構だが、マスコミ沙汰にするのは止めろよ。学校の評判――ひいては 生徒たちの迷惑になるからな。 「ん? アレってこないだ助けた男子じゃないの?」 「なに?」 ハルヒの何気ない一言に俺は目を細めてそいつの姿を追う。しかし、俺には北高生徒ぐらいしか判別できないぞ。 一体どんな視力をしてんだ、お前は。 「これでも視力には結構自信があるのよね」 フフンと得意げに胸を反らすハルヒ。まあ、ここでハルヒが嘘を言う意味なんて無いし、そういう事はしない奴だから、 あれはこないだ助けた男子生徒なんだろう。何をやっているんだ? しばらくするとケンカ別れするようにその男子生徒は悪態を付きながら、横断歩道を渡ろうとする――いやまて! 今、その横断歩道の信号は赤だぞ。しかもでかいトラックが接近中だ。 しかし、男子生徒も危うくそれに気が付いたようで、飛び跳ねるように歩道まで戻った。あぶねーな。 一歩間違えれば俺が何で助けたのかわからなくなったところだった。 だが、まだ終わりではなかった。驚いたのに合わせて、さっきの言い争いによるイライラ感が増幅したのか、 近くにあった時速制限の標識――数メートルの高さに丸い奴がくっついているアレだ――を思いっきりけっ飛ばした。 なんだあいつ、実は素行の悪い野郎だったのか? それが仇となった。蹴ったことにより少しイライラが解消されたのか、そいつはまた横断歩道の前に立ち、 信号が青になるのを待ち始めた。そこでそいつは気が付いていなかったが、俺の場所からはあることが見えた。 けっ飛ばした時速制限の標識が不自然に揺れ動き、めりめりと音を立てて男子生徒の方に倒れ込んできたのだ。 しかも、ギロチンか斧のように標識が盾となった状態で襲いかかる。そういや、犬のションベンで標識やミラーの根元が 腐食して勝手に折れたという事故を聞いた憶えがある。 その音に気が付いたのか、男子生徒がちょうど振り返ったのと同じタイミングで、そいつの真正面を標識が通過した。 豪快な音を立てて、標識が歩道の上をバウンドする音が耳をつんざく。 俺は息を呑んだ。あの重さのものが頭や身体に接触すればただでは済まない。最悪命を落とす可能性も…… ふとそいつがあまりのことに驚いたのかふらふらとおぼつかない足で動き始めた。一瞬こちら側を振り返った姿を見ると 本当に数ミリ程度の誤差で身体には触れず、制服の腹の部分が避けているのが見えた。どうやら無傷らしい。 なんて運の良い奴だ。 だが、相当驚いたようで錯乱状態になって千鳥足で事もあろうか車道に侵入して、そこに通りかかったトラックに ぶつかってしまう――とは言っても、正面からではなく走っているトラックの側面に男子生徒の方から接触したと言った方がいい。 そのため致命傷にはならず勢いでくるくると回転して車道に倒れ込んでしまった。 そこに今度は普通の乗用車が突っ込んでくる。 「きゃあ!」 誰かの悲鳴が聞こえてくる。恐らく近くを歩いていた通行人のものだろう。このままでは自動車にはねられる―― キキーッとタイヤの鳴く音が一面に広がった。運転手が必死にハンドルを切りブレーキをかけたため、あと数十センチの というところで男子生徒を轢かずに停止した。 まさにぎりぎり。危機一髪。もうどんな言葉を並べても表現しがたい状況だろう。死の危機の連鎖をあの男子生徒は 全て乗り切ったのだ。 「……よかった」 ハルヒの声。俺たち3人とも気が付かないうちに立ち止まり、それを見つめていた。 男子生徒はようやく正気に戻ったのか自力で立ち上がり、ふらふらと歩道の方へ戻っていく。やれやれ。 自分のことでもないのに寿命が何年分も縮まったぞ。勘弁してくれよ。 ――がちゃん! 突如不自然な金属音が辺り一面に広がった…… 俺もハルヒも唖然として固まる。 男子生徒がふらふらと立った歩道。突然、そこに鉄の板が降ってきたのだ。見れば、男子生徒の正面にあったビルの屋上に あった看板がなくなっている。 ……つまり突然看板が落下して、男子生徒を押しつぶした。これが今目の前で起きたのだ。 そこら中から悲鳴が巻き起こった。度胸のある数人の通行人が男子生徒の無事の確認、あるいは救出のために 落下した看板の周りに集まってくる。中にはすでに携帯電話で救急車の手配をしている人もいた。 だが、もう無理だろう……看板の周囲には漏れだした男子生徒のおびただしい血液が広がり始めていたんだから。 俺はこの結果を見ても、決してハルヒにもらった予知能力を使おうとは思わなかった。昼間に受けた説教のためじゃない。 次々と襲ってきた危機からとどめの一発まで完全に二分を超えていたからだ。つまり今二分前に戻っても、 もう惨劇の序章は開始されている。しかも、場所が離れているためどうやってもまにあいっこない。 ここで俺ははっと気が付いた。呆然としているハルヒはさておき朝比奈さんがこんな過激なスプラッタ劇を見たら、 卒倒すること相違ない…… だが。 朝比奈さんは何も反応していなかった。 うつろな目でその惨劇の現場をただじっと見つめているだけで。 ~~涼宮ハルヒの軌跡 未来人たちの執着(中編)へ~~
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「あれは突然のことだったのさ……」 朝比奈さんが鶴屋さんの隣に腰掛けるのを見た俺は、適当な場所に座る。 「違和感を覚え始めたのは昼休みくらいからだったんだっ。どうも頭らへんがもぞもぞするっていうか。今までに味わったことない感覚が襲ってきてね。あまりに気になったからさ、鏡を見に行ったんさ。」 俺は聞き耳を立てる。やはり鶴屋さんの声には芯が通っていない。 「でもね、その時は何の変化も無かったのさ。気のせいってことにしてずっと帰りのホームルームまでそうしていたんだけど、やっぱり気になって。掃除当番だったんだけど、掃除が終わってからまた鏡を見てみたら……こういうことになってんさ。」 ……なるほど。全く原因が解からん。 「円形脱毛症とか……病気なんですかねぇ? キョンくん。」 できれば俺に問わないでいただけると助かるんですが、ここはそうも言ってられない。何といっても朝比奈さんの大親友、鶴屋さんの一大事だ。 「ストレスが溜まっていたんですか?」 「いいや、そんなことは無いと思うけど。いつも通りにしてたよ。」 「うーむ……」 とりあえず顎に手を当てて考えてみる。こりゃきっと何かが絡んでるな。宇宙的、未来的、超能力者的な何かの力が関わっていると見て間違いなさそうだ。 「俺なんかが力になれるかどうか解かりませんが、色々と調べてきますよ。」 「頼むよ、キョンくん。前髪が戻って来るとかそういうのは望んでないんさ……ただ、原因が知りたくてね。」 できる限りを尽くします。必ず。 その後俺は朝比奈さんと共に文芸部室へ帰還した。 「おや、あなたがたのペアとは珍しいですね。」 「悪いか?」 「いいえ、まったく。」 戻って来た部室にニヤケ面の顔はあったが、ハルヒの顔は無かった。 「ハルヒはまだなのか? てっきりもう来てると思っていたんだが。」 「どうやらそのようです。」 「まあいい。むしろ好都合だ。ちょっと話があるんだが、いいか?」 俺はパイプ椅子に腰掛ける。 「なんでしょう?」 「鶴屋さんの前髪についてなんだが……」 ――ぽとん。 唐突に古泉の後方から、物が床に落下したような音が俺の耳に届き、古泉と俺が音のした方向へ首を動かす。 「……あ……」 信じられない光景が広がっていた。見ると、長門が手をすべらせて本を落としているようだった。 「…………」 長門は無言でそれを取り直し、また読書に戻る。数秒の沈黙のあと、古泉が口を開いた。 「……それで、話とは?」 「あ、ああ、実はだな――」 「――ってことなんだ。何か知ってるか?」 「前髪が無くなるなんて……まず普通ではありえませんね。」 「だろ? また誰かの仕業なのか?」 「僕にはまだ解かりかねますよ。」 やはり解からないか……。 「そういえばハルヒのやつ、本当に遅いな。どっかで道草食ってんのか?」 ――ぽとん。 まただ。二度も説明する必要はないだろう。 「どうしたんだ長門? 今日のお前、おかしいぞ?」 「……ごめんなさい。」 謝られると何か自分が悪いことをしたような衝動に駆られちまう。 「いや別に、何も謝らなくても……」 「ごめんなさい……わたしは……」 俺はすぐに気付いた。長門がおかしい。 「ど、どうしたんだよ、長門。」 「……その前髪の件は、わたしがやったこと……」 「な、なんだって!?」 「………………。」 そのまま長門は黙り込んでしまった。しかし、ここぞとばかりに古泉が近寄る。 「教えてくれませんか? 詳しい事情を。」 「……わかった。」 そう言うと長門は、きちんと背筋を真っ直ぐに伸ばし、いつもの淡々とした声で語り始めた。 第二章に続く
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エピローグ あれから二ヶ月が過ぎた。ハカセくんは無事大学に合格し、実験を再開している。進捗状況はあまり目を見張るほどのものではなさそうだが、一歩ずつ時間平面について勉強しているようだ。あれこれ苦労しているハカセくんを長門と朝比奈さんが温かく見守っている。ハルヒの目が温かすぎてプレッシャーにならないようにいろいろと配慮はしているのだが。 「そういえばキョン、メモリカードどこにやったの?」 「あのメモリカード壊れてるぞ。今のパソコンだとちゃんと読めない規格だったらしい」 「むー」 ハルヒは口を尖らせて、どうしてもあの続きを見たい風だった。 「続きはそのうち分かるだろ、少なくともお前自身なんだから」 「そうね。未来のあたしが満足してるなら、それでいいわ」 なんとかあきらめてくれたようだ。ワームホールも無事閉鎖したし、しばらくはおとなしくしてくれると助かる。すくなくとも次の「ひらめいた」の号砲が出るまでは。 しばらくして朝比奈さんは自分の時代に戻ることになった。ハルヒのタイムマシン開発は俺と長門と古泉でコントロールできそうなので、問題はないだろうということだった。 「とりあえずは安全だということが分かったので、帰りますね」 「そうですか。俺としてはずっといてくれたほうが心強いですが」 「わたしがいなくても大丈夫よ。でも、あまり急いでタイムマシンを作ってしまわないようにしてね」 今すぐにでも欲しがっているハルヒを抑えるには、それはもっとも難しい問題ですが。 「また来るわ。必要なときが来たらね」 「ええ。じゃ、未来で」 朝比奈さんは右手をニギニギしてニッコリと笑った。俺が瞬きをすると、もうそこにあるのは可憐な姿の名残だけだった。 就業時間が過ぎ、日が暮れたので帰ろうとしたが長門の姿が見当たらなかった。カバンはまだ机の足元に置いてある。古泉もハカセくんも知らないと言っていた。 「有希ならエレベータの前で見たわよ。三階に行ったんじゃない?」 俺がさっき開発部の連中とミーティングしていたときにはいなかった。たぶん屋上だろう。俺は紙コップのコーヒーを二つ持ってエレベータに乗った。 今日の長門は少し変だった。なにか思いつめているような、俺にしか分からない微妙な感情のゆれがあった。 「長門、こんなところにいたら風邪ひくぞ」 ヒューマノイドインターフェイスがかかるようなウィルスがあったら、人類は壊滅してるかもしれない。などとどうでもいい突込みを思い浮かべつつ、長門にコーヒーを渡した。 「……」 長門は手すりに寄りかかって遠くを眺めていた。 「どうしたんだ?」 「……考えごと」 長門が思案にふけるなんて珍しい。 「愚痴だったら聞くぞ。心配ごとでもいい」 「……試算のこと。数々の失敗のこと」 「試算って、時間が分岐した二十九パターンのことか」 「……そう」 タイムマシン開発をどうやって進めるか、あの二十九回繰り返した時間は長門の手の中で行われたテストのようなものだった。 「時間をループさせるってどうやってやったんだ?」 「……正確にはループではなく、この銀河のスナップショットを取って当該ポイントに復帰させただけ」 簡単に言ってるが、えらく壮大な話だ。膨大な情報量だろう。 「失敗って、ひどかったのか」 「……時間移動技術によって文明が崩壊したパターンもあった」 「そうなのか」 「……人生が大幅に変わった人もいた」 「朝比奈さんに子供が生まれたときは正直驚いたが」 「……すまなかったと思っている」 「たしか本人は幸せそのものだったぞ。白馬の王子様みたいな人と結婚できたんだから」 「……あなたが覚えているのは、わたしがパラメータを変更してやり直したパターン。失恋する朝比奈みくるも存在した」 「そうだったのか」 「……」 いつになく、元気がない。どう慰めていいのか分からないが、俺の記憶にない部分でかなりこみいった経験をしたらしい。 「長門がどういう視点で歴史を見ているのか俺には分からんが、昔からよく言うだろ、後悔先に立たずって」 「……そう。時間は、やり直せないから価値があるのかもしれない」 「そうかもしれん。だから失敗しないように努力するのかもな」 簡単に修正できるなら、間違いもないだろうが成長もしないだろう。 「……わたしたちは十分に成長していないのかもしれない」 長門は夜空を見上げて言葉を継いだ。 「……時間を操作するほどには、まだ」 時間がなんなのか俺には分からん。それぞれの心の中にあるものなのか、それとも誰かが決めた一分一秒という単位なのか。本当はそんなものは存在しなくて、俺たちが時間だと思ってチクタクと長さを計りながら過ごしているだけなのか。 もしかしたら、誰かのコーヒーカップの上でぐるぐると渦を巻いているミルクの中の、小さな粒子のひとつのように人生を過ごしているだけなのかも。 「……そうかもしれない」 ── わたしたちの存在は、もっと大きななにかの一部に過ぎない。 長門のその言葉には、自戒と反省と懺悔と、それから未来へのなにかが込められていた。 「まあそう気に病むな。自分で言ったろ、お前はお前の思うところをやればいいんだと思う。未来における自分の責任は今の自分が負う、だったっけ。それが、」 「……わたしたちの、未来」 冷たい風に混じって粉雪が降り始めた。俺はコートを開いて長門の体を包んだ。二人で、舞い降りてくる雪をじっと見つめていた。 END 目次へ戻る