約 600 件
https://w.atwiki.jp/okayamasiro/pages/92.html
城主 遺構 所在地 総社市東阿曽 より大きな地図で 岡山県の城跡 を表示 歴史 概要 縄張り図 交通 遠景 出典 2010年02月03日
https://w.atwiki.jp/sengokuhime3-wiki/pages/7.html
武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0144 大田原 資清 弓 下野 統智政 467 578 689 7910 (1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。 0145 大田原 縄清 槍 下野 統智政 223 334 445 556 (1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。 0146 大田原 晴清 騎 下野 統智政 214 325 436 547 (1567-1631)那須七党の一。綱清の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉家の様子を探るなど活躍し、戦後加増された。 0147 大関 高増 弓 下野 統智政 345 456 567 678 (1527-1598)那須七党の一。大田原資清の子。大関・大田原・福原家を率い、伊王野・蘆野家と結び、大伯父として主君・資晴を後見するなど家中最大の勢力を築き上げた。 0148 福原 資孝 槍 下野 統智政 931 1042 1153 1264 (1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。 0149 那須 高資 騎 下野 統智政 652 763 874 985 (1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。 0150 那須 資胤 弓 下野 統智政 421 532 643 754 (1527-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。 0151 蘆野 資豊 騎 下野 統智政 512 613 724 835 0152 蘆野 資泰 弓 下野 統智政 811 922 1033 1144 (1529-1594)資豊の子。結城(白河)義親と那須氏の合戦の時、窮地に陥り負傷した資胤の劣勢を、資泰を中心とした下那須衆で挽回した。息子の資俊は旗本となっている。 0153 宇都宮 広綱 騎 下野 統智政 132 143 254 365 (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。 0154 宇都宮 国綱 弓 下野 統智政 234 345 456 567 (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。 0155 君島 高胤 槍 下野 統智政 744 855 966 1077 0156 塩谷 孝綱 騎 下野 統智政 312 423 534 645 0157 益子 勝宗 弓 下野 統智政 353 464 575 686 0158 益子 家宗 槍 下野 統智政 332 443 554 665 0159 武茂 守綱 騎 下野 統智政 442 553 664 775 0160 芳賀 高定 弓 下野 統智政 127 238 349 4510 (1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。 0161 芳賀 高継 槍 下野 統智政 342 453 564 675 (1526-1592)宇都宮家臣。高経の次男。父の横死により益子領へ逃亡するが、のちに芳賀高定から家督を譲られて帰参。宿老として家中の内政・外交全般を取り仕切った。 0162 壬生 綱雄 騎 下野 統智政 441 552 663 774 (1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。 0163 壬生 義雄 弓 下野 統智政 112 223 334 445 (1552-1590)宇都宮家臣。壬生城主。綱雄の嫡男。叔父・周良を討ち父の敵を取る。のち北条家に属す。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城、戦後間もなく没した。 0164 壬生 周長 槍 下野 統智政 531 642 753 864 0165 芳賀 高照 騎 下野 統智政 641 752 863 974 0166 皆川 俊宗 弓 下野 統智政 613 714 825 936 0167 皆川 広照 槍 下野 統智政 214 315 416 527 (1548-1627)下野の豪族。皆川城主。俊宗の子。北条家滅亡時に徳川家康に降る。のちに家康の六男・松平忠輝の付家老となったが、忠輝の不行跡を訴えて逆に改易された。 0168 小山 高朝 騎 下野 統智政 543 654 765 876 (1508-1574)下野の豪族。結城政朝の次男。小山政長の養子となった。兄・結城政勝の後援を得て小山家の威勢を回復する。北条家とも結び、安定した領国経営を行った。 0169 小山 秀綱 弓 下野 統智政 252 363 474 585 (1529-1603)下野の豪族。高朝の嫡男。弟・結城晴朝と協力し、上杉家や北条家と結んで小山家の命脈を保つが、豊臣秀吉の小田原征伐に際し北条家に属して所領を失った。 0170 佐野 昌綱 槍 下野 統智政 522 633 744 855 (1529-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。豊綱の嫡男。古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。 0171 佐野 宗綱 騎 下野 統智政 711 821 931 1042 (1556-1586)佐野家16代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。 0172 沼田 顕泰 弓 上野 統智政 711 821 932 1043 0173 猪俣 邦憲 槍 上野 統智政 411 511 621 732 (1549-1590)北条家臣。北条氏邦に仕え、沼田城代を務めた。真田昌幸の支城・名胡桃城を独断で奪取し、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。戦後、磔刑に処せられた。 0174 長野 業正 弓 上野 統智政 9105 10106 11117 11118 (70)統率号令(71)士気号令(27)不落砦 (1491-1561)山内上杉家臣。主家滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」と信玄を嘆かせた智将。 0175 上泉 信綱 槍 上野 統智政 1365 1376 1387 1598 (72)一番槍(70)統率号令(49)無刀取り (1508-1577)剣術家。はじめ長野家に仕える。主家滅亡後は、一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。門弟には柳生宗厳などがいる。 0176 長尾 憲景 弓 上野 統智政 232 343 454 565 (1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾家当主・景誠が殺されたため、その遺領を継いだ。主家滅亡後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。 0177 安中 忠政 槍 上野 統智政 511 621 732 843 0178 安中 忠成 騎 上野 統智政 232 343 454 565 0179 小幡 憲重 弓 上野 統智政 621 732 843 954 (1522-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛により流浪、武田信玄に属す。信玄の上野攻略に貢献、西上野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。 0180 小幡 信貞 槍 上野 統智政 521 632 743 854 (1541-1592)武田家臣。憲重の子。西上野先方衆の主力として活躍した。主家の滅亡後は北条家に仕え、北条家滅亡後は上田城主・真田昌幸のもとに赴き、庇護を受けた。 0181 山内 憲政 騎 上野 統智政 116 227 338 449 (1523-1579)山内上杉家20代当主。河越合戦に敗れて勢力を失い、北条軍に追われ越後に逃走。長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲った。御館の乱で上杉景勝に殺された。 0182 山内 憲重 弓 上野 統智政 421 532 643 754 0183 山内 憲景 槍 上野 統智政 112 213 314 425 0184 金井 秀景 騎 上野 統智政 413 524 635 746 0185 倉賀野 直行 弓 上野 統智政 432 543 654 765 0186 和田 業繁 槍 上野 統智政 411 512 623 734 (1531-1575)上野の豪族。はじめ山内上杉家に仕えるが、1560年より武田家に仕え、西上野衆の一員として騎馬30騎を率いた。1575年の長篠合戦で戦死した。 0187 横瀬 成繁 騎 上野 統智政 426 537 648 759 (1506-1578)横瀬由良家8代当主。泰繁の嫡男。由良姓に改める。上杉家に属し、北条・武田家の侵略に対抗した。のち北条家に属し北条家と上杉家との同盟を仲介した。 0188 由良 国繁 弓 上野 統智政 633 744 855 966 (1550-1611)横瀬由良家9代当主。成繁の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城した。子・貞繁が豊臣方に属したため、小田原落城後、常陸牛久に所領を得た。 0189 長尾 顕長 槍 上野 統智政 242 353 464 575 (1552-1621)足利長尾家当主。由良成繁の次男。長尾当長の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては北条家に従った。北条家滅亡後は流浪の身となった。 0190 赤井 照泰 騎 上野 統智政 412 523 634 745 (1510-1559)上野の豪族。1555年に館林城を築き大袋城から居城を移した。館林城は白狐が尾を曳いて縄張りを行ったという伝説が残っており、別名を尾曳城という。 0191 赤井 照景 弓 上野 統智政 342 453 564 675 (1533-1567)上野の豪族。館林城主。照康の子。父の死後、家督を継ぐ。上杉謙信の関東侵攻軍に従わなかったため、1562年に謙信の攻撃を受けて落城、忍城に逃れた。 0192 藤田 康邦 槍 武蔵 統智政 432 543 654 765 (1517-1555)山内上杉家臣。藤田家は武蔵七党の一・猪俣党の流れをくむ。のちに北条氏康に降り、氏康の三男・氏邦を娘婿として家督を譲った。隠退後は用土姓を称した。 0193 藤田 信吉 騎 武蔵 統智政 322 433 544 655 (1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。 0194 成田 長泰 騎 武蔵 統智政 543 654 765 876 (1508-1586)山内上杉家臣。忍城主。主家滅亡後は上杉謙信に属した。しかし、謙信が鶴岡八幡宮に参拝した際、謙信の怒りを買ったため離反し、その後は北条家に属した。 0195 成田 氏長 弓 武蔵 統智政 226 337 448 559 (1542-1595)北条家臣。忍城主。長泰の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐では小田原城に籠城。居城は石田三成の水攻めに抗戦、落ちなかった。主家滅亡後は蒲生氏郷に仕えた。 0196 上田 朝直 槍 武蔵 統智政 323 434 545 656 (1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。 0197 上田 長則 騎 武蔵 統智政 113 214 325 436 0198 太田 資正 弓 武蔵 統智政 876 987 1098 11109 (1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。 0199 太田 氏資 槍 武蔵 統智政 436 547 658 769 (1542-1567)北条家臣。岩付城主。資正の嫡男。父に疎まれたため、父と弟を追って岩付城主となった。三船山合戦の際、北条軍の殿軍を務めて里見軍と戦い、戦死した。 0200 梶原 政景 騎 武蔵 統智政 823 934 1045 1156 (1548-1623)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。 0201 富永 直勝 弓 武蔵 統智政 233 344 455 566 0202 遠山 綱景 槍 武蔵 統智政 324 435 546 657 (1494-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。 0203 遠山 政景 騎 武蔵 統智政 121 232 343 454 0204 太田 康資 弓 武蔵 統智政 951 1052 1163 1174 (1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。 0205 大石 定久 槍 武蔵 統智政 423 534 645 756 (1500-1549)扇谷上杉家臣。大石家は木曾義仲の子・義宗を祖とする。武蔵守護代を務めた。主家滅亡後は北条家に降り、北条氏康の次男・氏照に家督を譲って隠退した。 0206 師岡 昌景 騎 武蔵 統智政 742 853 964 1075 0207 中山 家範 弓 武蔵 統智政 654 765 876 987 (1548-1590)北条家臣。北条氏照に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、八王子城の二の丸を守り奮戦。前田利家が軍門に降るよう説得したがこれを拒否、自害した。 0208 笠原 信為 槍 武蔵 統智政 339 4410 5511 6612 0209 内藤 康行 騎 相模 統智政 222 333 444 555 (1532-1587)国人衆の頭領。一軍を率いて戦うなど強い影響力を持った。軍馬や鉄砲を売買する者もいたという。 0210 北条 綱成 弓 相模 統智政 1065 1076 1187 1198 (72)一番槍(71)士気号令(68)猪突猛進 (1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。 0211 北条 綱房 槍 相模 統智政 842 953 1064 1075 0212 北条 氏康 騎 相模 統智政 768 879 10810 10911 (77)騎兵号令(76)騎兵突撃(30)賢き統率 (1515-1571)後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。 0213 北条 早雲 弓 相模 統智政 6910 71011 81012 81113 (75)弓兵号令(89)将の資質(29)鉄壁の布陣 (1432-1519)今川家臣。小鹿範満の乱を平定し、発言力を持つ。堀越公方や扇谷上杉家臣・三浦家らを滅ぼして伊豆・相模を領国化した。「戦乱の梟雄」として名高い人物。 0214 大道寺 政繁 槍 相模 統智政 127 238 349 4510 (1533-1590)北条家臣。盛昌の子。行政に手腕を発揮し、河越城下の繁栄に貢献した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に降伏し、道案内を務めたが、秀吉によって自害させられた。 0215 垪和 氏続 騎 相模 統智政 332 443 554 665 (1540-1580)北条家臣。伊予守と称す。松山衆の1人で、千貫文を与えられていた。駿河興国寺城主となり、駿河方面の守備を担当。1571年には武田軍の攻撃を退けた。 0216 山角 定吉 弓 相模 統智政 523 634 745 856 (????-????)北条家臣。氏綱と氏康の代に戦奉行を務めた。又、山角氏は早雲の代から仕える最古参の家のひとつとされている。 0217 山角 定勝 槍 相模 統智政 754 865 976 1087 0218 松田 憲秀 騎 相模 統智政 115 216 327 438 (1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。 0219 松田 直憲 弓 相模 統智政 112 223 334 445 0220 笠原 政堯 槍 相模 統智政 344 455 566 677 0221 松田 康郷 騎 相模 統智政 1061 1172 1283 1394 (1540-1609)北条家臣。上杉謙信が下総臼井城へ攻めてきた際に、百騎を連れて援軍へと駆けつけ、上杉本陣直前まで切り込み、上杉軍を撃破した。「鬼孫太郎」の異名を取った。 0222 石巻 家貞 弓 相模 統智政 125 236 347 458 北条ルートそろそろ来ないかといわれつつ来そうにないですね。 小太郎はリストラされるし、北条の五色備えも「地黄八幡」の綱成しかいませんし。 五色備え全員だしたら戦隊ものになりそうなんで、氏康の軍師を務めた「黒備え」の多目元忠。 綱成と双璧をなした、「赤備え」の北条綱高のどちらかいれるとルート化の道もみえそうですよね。 by wiki作者 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nobu6/pages/15.html
城データの仕様基本項目 兵士関連 特殊物件 城データまとめ最石順城一覧 最商順城一覧 各データ所持城 兵質 城データ詳細 城データの仕様 基本項目 どの城にも共通して存在し、内政で上昇するデータ。災害などで下がる。城によって初期値と最大値が異なり、それにより土地柄が表現されている。 メーターは最大値の80%未満が青色、80%以上で水色、100%で緑色になる。 石高 米収入と人口に関係。値の50~100%が米収入となる(変動は民忠によるもの)。最大値(最石)は190から2500までの間で幅広い値をとる。 商業値 金収入と人口に関係。値の500~1000%が金収入となる(変動は民忠によるもの)。最大値(最商)は100から200まで10刻みの値をとる。 城郭値 戦争での門・本丸の防御度減少率に関係。また、高い城ほどCPUが攻め込んできにくい。最大値(最城)は基本的に200で、巨城のみ250。 民忠 米収入・金収入・人口全てに関係。また50以上だと一揆が発生しない。最大値は一律100。 兵士関連 人口 最大値……(石高+商業×10)×(100+民忠)%(切り捨て)+徴兵可 次項の徴兵可増加量に関連し、人口の値それ自体は特に意味を持たない。 徴兵可 増加量……(石高÷200+商業÷20)×(100+民忠)%(四捨五入)たまに1ずれたりする……暇な人精査頼む。 人口最大値のほぼ1/200。限界が近づくと増え方が鈍る。 最大値……増加量×25(≒人口÷8)より少し多いくらい 999で打ち止めで、4けたには決してならない。 兵質 「良」「普」「悪」の3段階で、兵士の徴兵時における訓練・士気の高さを表す。 特殊物件 貿易港 国内貿易港は毎季節25の収入。国外貿易港の収入はキリスト教の布教を許しているか否かで異なり、許していないなら毎年350、いるなら毎年1100の収入。 馬産地・鉄砲鍛冶 領内にあると、馬・鉄砲が50%の値段で売買できる。あと有する城で徴兵すると、集まった兵の1/5が馬・鉄砲を持参してくる。 金山 毎季節の収入。Sは36、Aは24、Bは12。ゲーム内ではSとAは金山、Bは銀山と表示。 一向一揆頻発城 一向門徒の潜在する地域。ランダムで一向宗が蜂起し、近隣を巻き込む被害をもたらす。→季節・突発イベント 城データまとめ 城名は各シナリオ開始時点でのもの。特に書かれていなければ信長誕生シナリオ開始時点での城名を記す。 なお、城名が変わっても各パラメータや城内マップは変わらない。例外は安土・大坂で、シナリオ開始時からこの名前の時、またはイベントでこの名前の城になった時のみ城内マップが専用のものになる。 最石順城一覧 以上計 上2けた 下2けた:城名 4 25 00:名生・久留里・七尾・蒲池 8 24 80:安濃津 50:立花山 40:尾山 00:水ヶ江 9 23 50:黒川 9 22 12 21 50:大聖寺 40:川手 30:雑賀 16 20 80:富山 70:清洲 00:寺池・江戸 19 19 70:姫路 60:白石 30:水戸 25 18 80:米沢 50:稲村・春日山・勢福寺 40:那古野 00:北ノ庄 29 17 70:太田 50:観音寺 20:古処山 00:隈府 33 16 60:長島願証 1630:岩室・古麓 00:川越 47 15 50:飯山 30:岡崎・伊勢亀山・筒井・岩屋 20:魚津・石山本願 10:信貴山 00:尾浦・平井・大垣・躑躅ヶ崎・湯築・門司 52 14 90:山形・厩橋 70:一乗谷 40:多聞山 10:三戸 66 13 90:結城 80:不来方・岩付 60:小高・小谷 50:小田 40:一宇治 30:吉田郡山 20:千葉・宇都宮・箕輪・若江 10:増山 00:二本松 80 12 90:上月 70:府内 60:小田原 30:松山・清水 20:古河・府中・三木 10:琵琶島・水俣 00:大館・今浜・十河・日野江 91 11 90:坂本 80:烏山 70:湊 60:土浦・林・高嶺 20:忍 10:出水 00:高屋・神辺・城井谷 112 10 90:肝付 80:芥川 70:与板 60:且山・勝瑞 50:鶴首 30:後瀬山・三原 20:石川・岡山・平戸 10:滝山 00:高水寺・須賀川・小峰・曳馬・犬山・新発田・上野・林野・松葉 132 9 90:桧山・高田・富田若山・指月 80:八上・月山富田・岡豊 60:郡上八幡・伊丹・鳥取 50:高天神・葛尾・種子島 40:丹波亀山 30:丹生島 00:駿府・佐和山・室町・栂牟礼・人吉 145 8 90:加治木 80:垂水 70:古高山 60:韮山・三 30:鮭延 20:吉田・内牧 10:浪岡 00:鳴海・岩村・天神山・佐藤銀山 160 7 70:岩殿山・若桜鬼ヶ 60:中村 50:水口 40:小山・栃尾・堺・尾高 30:勝龍寺・牛岐 10:横山・高松 00:宮津・岡・門川 178 6 80:玉縄・此隅 70:岸和田 60:角館 50:沼田 40:高遠 30:羽衣石 20:九戸・槙島・洲本・天霧 10:益田 00:興国寺・二俣・本庄・大溝・八橋・大洲 191 5 80:上原・砥石 70:長篠 50:神西 40:津川・都於郡 30:小倉山 10:飫肥 00:三春・唐沢山・志賀・金ヶ崎・仏殿 203 4 90:坂戸・鞍掛山 80:横手・松倉・海部 70:白鹿 60:建部山・竹田 50:徳山 30:三本松 20:安芸 00:瀬戸山 210 3 50:鳥羽・来島 40:窪川 30:飯田 20:山吹 10:白地 00:本山 213 2 10:雑太・飯野 00:金石 214 1 90:木曾福島 最商順城一覧 以上計 最商 城名 10 200 江戸・川手・観音寺・室町・石山本願・若江・堺・佐藤銀山・立花山・平戸 20 190 小田原・駿府・清洲・春日山・尾山・北ノ庄・高屋・岸和田・三・清水 30 180 徳山・黒川・岡崎・勝龍寺・芥川・雑賀・勝瑞・府内・丹生島・水ヶ江 40 170 米沢・水戸・曳馬・那古野・安濃津・佐和山・姫路・岡山・日野江・隈府 50 160 湊・川越・今浜・筒井・高嶺・指月・岡豊・門司・金石・蒲池 70 150 石川・三戸・不来方・白石・山形・宇都宮・箕輪・長島願証・躑躅ヶ崎・飯山・林・新発田・富山・七尾・府中・槙島・丹波亀山・月山富田・三原・中村 90 140 千葉・岩付・玉縄・大垣・与板・魚津・一乗谷・坂本・上野・伊丹・多聞山・鳥取・富田若山・且山・洲本・十河・湯築・勢福寺・古麓・種子島 110 130 大館・太田・土浦・古河・稲村・小山・厩橋・忍・松山・滝山・高天神・吉田・犬山・鳴海・伊勢亀山・栃尾・松葉・水俣・都於郡・出水 130 120 二本松・尾浦・小田・結城・久留里・烏山・葛尾・木曾福島・松倉・建部山・林野・砥石・高松・神辺・吉田郡山・古高山・牛岐・大洲・栂牟礼・飫肥 150 110 名生・須賀川・小高・小峰・興国寺・上原・琵琶島・大聖寺・後瀬山・小谷・八上・信貴山・宮津・此隅・尾高・八橋・羽衣石・益田・三本松・肝付 214 100 浪岡・高水寺・九戸・寺池・三春・桧山・横手・角館・鮭延・唐沢山・沼田・平井・韮山・二俣・長篠・郡上八幡・岩村・鳥羽・岩殿山・志賀・高遠・飯田・本庄・津川・坂戸・雑太・増山・金ヶ崎・大溝・水口・横山・岩室・竹田・若桜鬼ヶ・神西・白鹿・瀬戸山・山吹・上月・三木・高田・天神山・鶴首・小倉山・鞍掛山・白地・海部・天霧・来島・仏殿・本山・窪川・安芸・城井谷・岡・岩屋・古処山・内牧・人吉・門川・飯野・加治木・垂水・一宇治 各データ所持城 巨城(最城が250) シナリオ1から:唐沢山・箕輪・江戸・小田原・高天神・那古野・長島願証・葛尾・春日山・七尾・尾山・北ノ庄・小谷・観音寺・八上・石山本願・月山富田・姫路・三木・吉田郡山・城井谷・立花山・隈府(23城) 稲葉山築城・シナリオ2から:稲葉山(計24城) シナリオ6から巨城でなくなる:八幡(計23城) 国内貿易港(内貿) 徳山・湊・尾浦・江戸・玉縄・小田原・駿府・那古野・長島願証・安濃津・鳥羽・琵琶島・春日山・雑太・金ヶ崎・後瀬山・伊丹・堺・白鹿・三原・且山・洲本・勝瑞・岡豊・門司・府内・金石・立花山・平戸・三・水俣・飫肥・清水・種子島(34城) 国外貿易港(外貿) シナリオ1から:金石(1城) キリスト教伝来・シナリオ3以降:堺・府内・立花山・平戸・三・内(計7城) 馬産地(国) 陸奥・陸中・陸前・羽後・羽前・甲斐・北信濃・南信濃・越後 鉄砲鍛冶 鉄砲伝来・シナリオ2以降 今浜・堺・雑賀・種子島(4城) キリスト教伝来・シナリオ3以降 府内・内(計6城) 金山S 韮山・興国寺・駿府・躑躅ヶ崎・岩殿山・松倉・本庄・新発田・雑太・竹田・山吹(11城) 金山A 徳山・高水寺・名生・湊・桧山・鮭延・太田・水戸・松山・上原・魚津・尾山・府中・一乗谷・伊丹・城井谷・勢福寺・一宇治・清水(19城) 金山B 石川・浪岡・三戸・不来方・寺池・横手・角館・小田・千葉・飯山・葛尾・志賀・林・津川・坂戸・増山・富山・大聖寺・北ノ庄・金ヶ崎・小谷・上月・姫路・三木・佐藤銀山・門司・出水(27城) 兵質 良 佐渡・越後・北信濃・三河・伊賀・土佐・肥後・薩摩・大隅 普 蝦夷・陸奥・陸中・陸前・岩代・磐城・常陸・上野・下野・下総・上総・安房・武蔵・甲斐・南信濃・加賀・能登・越中・越前・美濃・飛騨・北近江・丹波・阿波・豊前・筑前・肥前・日向 悪 相模・伊豆・駿河・遠江・尾張・伊勢・若狭・南近江・山城・大和・摂津・河内・和泉・紀伊・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門・淡路・讃岐・伊予・豊後・筑後 城データ詳細 城の評価は主観。籠城の際はD以下だと守るのは至難。C以上をおすすめする。 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 徳山館 蝦夷 450 180 普 金 内 ─ D D 最北端な為守備に有利だが石高がネック。本丸までの経路が2つと足軽では守り辛い 石川/大浦城 陸奥 1020 150 普 銀 ─ 馬 C D 左上の堀を渡って一気に二の丸へ。本丸へは1部隊のみ隣接 浪岡城 陸奥 810 100 普 銀 ─ 馬 C C 三戸城 陸奥 1410 150 普 銀 ─ 馬 C S 鉄砲籠城に最適な城の1つ。本丸まで遠いが、壁越えでショートカット可能 不来方城 陸中 1380 150 普 銀 ─ 馬 B C 守るポイントは3対1になる2個めの門 高水寺城 陸中 1000 100 普 金 ─ 馬 A B 柵に囲まれ非常に攻めづらい。籠城も入り口付近は守りやすい 九戸城 陸中 620 100 普 ─ ─ 馬 B E 攻めづらい割に守り難い。内政値も悪く使えない 名生城 陸前 2500 110 普 金 ─ 馬 D A 攻めやすいが、守りやすい。入り口が3方向から囲めみ櫓と本丸から鉄砲 白石城 陸前 1960 150 普 ─ ─ 馬 B A 右上から2回壁越えで即本丸へ。入り口は2つだが3方向から囲める左側しか使わない 寺池城 陸前 2000 100 普 銀 ─ 馬 D B 壁超えで二の丸へ。迎撃するなら最後の門の前 黒川城 岩代 2300 180 普 ─ ─ ─ C C 右の堀を超えて足本丸へ。ごく普通の城だが、内政値が高いため引篭りには良い 二本松城 岩代 1300 120 普 ─ ─ ─ C C 左から壁越で攻めるのが吉 須賀川城 岩代 1000 110 普 ─ ─ ─ D C 本丸下の草地から一気に場内を目指せ 三春城 磐城 500 100 普 ─ ─ ─ B C 小高城 磐城 1360 110 普 ─ ─ ─ B C 小峰城 磐城 1000 110 普 ─ ─ ─ B B 鉄砲籠城が強い 大館城 磐城 1200 130 普 ─ ─ ─ C D 湊城 羽後 1170 160 普 金 内 馬 A C 右上から堀から2回壁越えで即2の丸が最短か。本丸と本丸前櫓は1部隊のみ 桧山城 羽後 990 100 普 金 ─ 馬 D A 画面左上から2回の壁越で本丸へ行ける。唯一の入り口は3方向から囲める絶好の籠城ポイント 横手城 羽後 480 100 普 銀 ─ 馬 C D 角館城 羽後 660 100 普 銀 ─ 馬 C B 本丸まで長く騎馬隊には不利だが壁越で本丸へは行きやすい。鉄砲籠城○ 尾浦城 羽前 1500 120 普 ─ 内 馬 C C 絶対に本丸には籠もるな。入口付近で叩け 鮭延城 羽前 830 100 普 金 ─ 馬 D D 山形城 羽前 1490 150 普 ─ ─ 馬 D E 唯一本丸への攻撃が限定されることしか取り柄がない。最弱の部類の城 米沢城 羽前 1880 170 普 ─ ─ 馬 B C 内政値がそこそこ高いので引篭るのも良い 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 太田城 常陸 1770 130 普 金 ─ ─ C C 門の数は少ないが本丸は1対1なので注意。攻める際は足軽武隊を裏から回らせてもよいが堀が邪魔 小田城 常陸 1350 120 普 銀 ─ ─ D B 守備のポイントは2個目の門の手前。敵が少なければ入り口でも良い 水戸城 常陸 1930 170 普 金 ─ ─ B C 土浦城 常陸 1160 130 普 ─ ─ ─ B C 鉄砲籠城はそこそこだが、入り口付近の迎撃にはやや不向き 結城城 下総 1390 120 普 ─ ─ ─ E E 最弱候補の1つ。経路が2つ、本丸への接点複数、使える櫓も少なめと良いとこなし 古河城 下総 1220 130 普 ─ ─ ─ B C 本丸下から壁越えしないと本丸では1対1を強いられる 千葉城 下総 1320 140 普 銀 ─ ─ S B 経路が長く、ショートカットがほぼ無理で、本丸が1対1な攻めづらい城。入り口迎撃もやりやすい 久留里城 上総 2500 120 普 ─ ─ ─ C C 上の堀を抜けて行けば本丸は近い 稲村城 安房 1850 130 普 ─ ─ ─ C C 入り口付近に櫓が2つあるため、入り口付近で鉄砲籠城するには良いかも 宇都宮城 下野 1320 150 普 ─ ─ ─ C C 烏山城 下野 1180 120 普 ─ ─ ─ C D 守り辛い 唐沢山城 下野 500 100 普 ─ ─ 巨 ─ S C 巨城で硬い。本丸へのショートカットは敵部隊が入れば使えない。3個目の門が3対1で戦える 小山城 下野 740 130 普 ─ ─ ─ B C 左上のスペースから本丸を狙うよりは草地から門を2個分ショートカットの方が良さそう 沼田城 上野 650 100 普 ─ ─ ─ C D 本丸手前までの経路が2つで守り辛い 厩橋城 上野 1490 130 普 ─ ─ ─ B B 鉄砲籠城はしやすい 箕輪城 上野 1320 150 普 ─ ─ 巨 ─ S C 巨城で攻めづらいが、それほど守りやすいわけではない 平井城 上野 1500 100 普 ─ ─ ─ D C 忍城 武蔵 1120 130 普 ─ ─ ─ C C 右上から堀を渡って本丸を目指せ 松山城 武蔵 1230 130 普 金 ─ ─ C D 河越城 武蔵 1600 160 普 ─ ─ ─ C C 門は5つと多いが壁越えでショートカットすれば近い。防御のポイントは3つ目の門だが、壁越えで本丸を狙われるのは怖い 岩付城 武蔵 1380 140 普 ─ ─ ─ C C 右上の堀を抜けて即本丸へ。本丸手前の門が3対1で戦えるポイント 滝山/八王子城 武蔵 1010 130 普 ─ ─ ─ D C 本丸は多数で囲める 江戸城 武蔵 2000 200 普 ─ 内 巨 ─ A A 右入り口は3対1で囲め、即開門してCOMをおびき寄せると良い。内政値も高く、鉄砲で引きこもりもるのも良い 玉縄城 相模 680 140 悪 ─ 内 ─ B B 守備のポイントは2個目の門を過ぎた櫓に囲まれたポイント。櫓の上で3対1という絶好の迎撃ポイント 小田原城 相模 1260 190 悪 ─ 内 巨 ─ S E 超攻めづらい割に守りには不向き。無駄に広く鉄砲籠城×、足軽で囲めるポイントも無し 韮山城 伊豆 860 100 悪 金S ─ ─ A B 鉄砲籠城には良い形だが、櫓不足は否めない。 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 興国寺城 駿河 600 110 悪 金S ─ ─ B A 入り口は1対3の迎撃ポイント 駿府城 駿河 900 190 悪 金S 内 ─ C D 3つ並んだ櫓は面白いが、守るのには不向き 二俣城 遠江 600 100 悪 ─ ─ ─ B C ショートカットをすれば楽 曳馬/浜松城 遠江 1000 170 悪 ─ ─ ─ B D 高天神城 遠江 950 130 悪 ─ ─ 巨 ─ S E 物凄い攻めにくい反面守るのは最低ランク。鉄砲籠城など考えないほうが良い。 長篠城 三河 550 100 良 ─ ─ ─ B C 岡崎城 三河 1530 180 良 ─ ─ ─ B D 意外と守り辛い 吉田城 三河 820 130 良 ─ ─ ─ B C 犬山城 尾張 1000 130 悪 ─ ─ ─ C D 一本道だが直線過ぎで使える櫓も少ない。鉄砲籠城は× 清洲城 尾張 2070 190 悪 ─ ─ ─ D E 内政値も高く、強い武将が多ければ引き籠ろうと思えば出来ないことはないが基本不向き 那古野城 尾張 1840 170 悪 ─ 内 巨 ─ D C 上から二の丸へ壁越え 鳴海城 尾張 800 130 悪 ─ ─ ─ C C 郡上八幡城 美濃 960 100 普 ─ ─ ─ B C 大垣城 美濃 1500 140 普 ─ ─ ─ C C 川手/稲葉山/岐阜城 美濃 2140 200 普 ─ ─ ─ B E 左下から2回連続壁越えで二の丸へ行くのが最短 岩村城 美濃 800 100 普 ─ ─ ─ A B 渦巻状で攻めづらい。鉄砲籠城も◯ 長島願証寺/長島城 伊勢 1660 150 悪 ─ 内 巨 ─ B B 左から堀を超えて行けばやや攻略は楽。足軽で囲むのも鉄砲籠城も良いが、櫓の配置は微妙 伊勢亀山城 伊勢 1530 130 悪 ─ ─ ─ B D 鉄砲籠城は悪くないかもしれないが… 安濃津城 伊勢 2480 170 悪 ─ 内 ─ E D 迎撃ポイントがほぼ無い。本丸も囲み放題 鳥羽城 志摩 350 100 普 ─ 内 ─ C C 隣接が安濃津城しかなく、戦略面で攻められづらく守りやすい。 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 躑躅ヶ崎館/甲府城 甲斐 1500 150 普 金S ─ 馬 D E 清州城と同じく弱い 岩殿山城 甲斐 770 100 普 金S ─ 馬 D C 本丸左上より堀と壁越えで突入せよ 飯山/海津城 北信濃 1550 150 良 銀 ─ 馬 D D 入り口で2部隊で迎撃せよ 葛尾/戸石城 北信濃 950 120 良 銀 ─ 巨 馬 S B 鉄砲籠城はそれなりにやりやすい。本丸へは1部隊のみなので挑発を使うのも良い 志賀/小諸城 北信濃 500 100 良 銀 ─ 馬 C C 林/深志城 南信濃 1160 150 普 銀 ─ 馬 C D 本丸右方より攻めれば楽か 上原城 南信濃 580 110 普 金 ─ 馬 E E 最弱の城候補 木曾福島城 南信濃 190 120 普 ─ ─ 馬 E B 城が小さく意外と守りやすい。戦略的にも攻められづらい 高遠城 南信濃 640 100 普 ─ ─ 馬 C C 左側から一斉に壁越えで本丸を狙え 飯田城 南信濃 330 100 普 ─ ─ 馬 E E 構造的には最弱の城筆頭。利点は山に囲まれている為、突入部隊が限定されること 松倉城 飛騨 480 120 普 金S ─ ─ D D 本丸は囲まれ、経路も2つな為籠城には不向き 本庄城 越後 600 100 良 金S ─ 馬 E E 最弱筆頭。守り切るのはかなり厳しい 与板城 越後 1070 140 良 ─ ─ 馬 E B 本丸前は1対3が可能で鉄砲も打ち放題。武将さえ居れば籠城には持って来い 琵琶島城 越後 1210 110 良 ─ 内 馬 A C 攻めづらい割に守り辛い。 新発田城 越後 1000 150 良 金S ─ 馬 B B 鉄砲籠城○ 春日山城 越後 1850 190 良 ─ 内 巨 馬 S D 本丸前の櫓は敵に利用されたら最悪。鉄砲籠城も入り口迎撃もしづらい。 栃尾城 越後 740 130 良 ─ ─ 馬 A D 本丸前の狭路に大量に武将を並べられると厄介。櫓は多いが下には鉄砲は届かない 津川城 越後 540 100 良 銀 ─ 馬 D D 本丸へは右下からいけば近いが、強い武将がいるときは正攻法で囲め 坂戸城 越後 490 100 良 銀 ─ 馬 D C 鉄砲籠城はそこそこだが、足軽には☓ 雑太城 佐渡 210 100 良 金S 内 ─ B A 立地もさることながら入り口は1対3で櫓も2ヶ所。 増山城 越中 1310 100 普 銀 ─ ─ E D 富山城 越中 2080 150 普 銀 ─ ─ D D 魚津城 越中 1520 140 普 金 ─ ─ E B 2部隊の足軽部隊で守るには最適。 七尾城 能登 2500 150 普 ─ ─ 巨 ─ A D 攻めるなら上から 尾山御坊/尾山城/金沢城 加賀 2440 190 普 金 ─ 巨 ─ D B 鉄砲籠城オススメ。収入も多く引き篭もるならオススメ。本丸裏に挑発部隊がいれば尚良し 大聖寺城 加賀 2150 110 普 銀 ─ ─ E A 本丸前は櫓2つで1対3。意外と籠城は悪くない 北ノ庄城 越前 1800 190 普 銀 ─ 巨 ─ A D 本丸近辺に使える櫓がなく鉄砲籠城☓ 府中城 越前 1220 150 普 金 ─ ─ C D 二の丸入り口が迎撃ポイント 一乗谷城 越前 1470 140 普 金 ─ ─ C C 騎馬隊はめんどくさい 金ヶ崎城 越前 500 100 普 銀 内 ─ C D 後瀬山城 若狭 1030 110 悪 ─ 内 ─ C C 迂回路が長いので壁越えオススメ 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 大溝城 北近江 600 100 普 ─ ─ ─ C D 鉄砲籠城したいが、本丸には櫓なし。本丸は包囲殲滅も可能 小谷城 北近江 1360 110 普 銀 ─ 巨 ─ B B 鉄砲籠城するには最適。鉄砲鍛冶が今浜城なのが… 今浜城 北近江 1200 160 普 ─ ─ ─ B D 鉄砲鍛冶があるが、鉄砲籠城には向いていない。本丸の防衛も弱い 佐和山城 北近江 900 170 普 ─ ─ ─ A C そこそこ経路が長く、本丸前、最初の櫓は1対1が可能 坂本城 南近江 1190 140 悪 ─ ─ ─ C C 鉄砲籠城はそこそこ。守るなら本丸より本丸前の櫓に陣取った方が良い 観音寺城 南近江 1750 200 悪 ─ ─ 巨 ─ B D 城郭値が高いことが多い。左右から攻められたら厄介。 水口城 南近江 750 100 悪 ─ ─ ─ D D 兵質悪い、石高商業低い、守りにくいの三拍子揃った糞城。ここを死守するなら他の城を守った方が良い 上野城 伊賀 1000 140 良 ─ ─ ─ C C 一個目の櫓が防衛ポイント。本丸もCOM攻撃だと1対1を作れる 室町御所 山城 900 200 悪 ─ ─ ─ D D 攻めやすく守りづらい。征夷大将軍になるには必須の城 勝龍寺城 山城 730 180 悪 ─ ─ ─ D A 鉄砲籠城向き。2個目の櫓は1対1ポイント。下の堀と壁を超えたら即本丸 槙島城 山城 620 150 悪 ─ ─ ─ C C 本丸手前の櫓に鉄砲を置く 本丸右にも部隊を置けるのでうまく活用しよう 横山城/福知山城 丹波 710 100 普 ─ ─ ─ コメ 八上城 丹波 980 110 普 ─ ─ 巨 ─ C C 下からだと最後の櫓に阻まれるので少し遠回りだが上から攻めるのが吉 本丸は囲みやすく攻撃が容易 丹波亀山城 丹波 940 150 普 ─ ─ ─ コメ 伊丹城 摂津 960 140 悪 金 内 ─ C C 歩兵科の高い武将は左下端の堀から壁を登ればすぐに本丸到達 守る方は本丸上下の櫓に武将配置しておけばよし 石山本願寺 摂津 1520 200 悪 ─ ─ 巨 ─ B D 城郭値が高いケースが多く攻めづらい。本丸は1対1だが、櫓なのでダメージも小さく放火も困難 芥川城 摂津 1080 180 悪 ─ ─ ─ C D 門と門の間の櫓、本丸を囲む櫓など、カッコいいけど守るには用途に困る。むしろ本丸防衛隊が攻撃側の鉄砲隊で火の車になる? 若江城 河内 1320 200 悪 ─ ─ ─ コメ 高屋城 河内 1100 190 悪 ─ ─ ─ コメ 堺町 和泉 740 200 悪 ─ 外 ─ D D 以東の大名(特に東北)が鉄甲船を入手するために必ず押さえておきたい拠点。ただし、攻めやすく、守りづらい 岸和田城 和泉 670 190 悪 ─ ─ ─ コメ 多聞山城 大和 1440 140 悪 ─ ─ ─ コメ 筒井城 大和 1530 160 悪 ─ ─ ─ コメ 信貴山城 大和 1510 110 悪 ─ ─ ─ B B 鉄砲籠城に向いている。壁越えも3回とそこそこ守りやすく、攻めづらい。本丸の防御力は皆無。最終門は死守せよ 雑賀城 紀伊 2130 180 悪 ─ ─ ─ D A 鉄砲籠城といえばココ。鉄砲鍛冶が有り、鉄砲購入が安くなる。本丸左の堀からショートカットすると攻めやすい 岩室城 紀伊 1630 100 悪 ─ ─ ─ コメ 宮津城 丹後 700 110 悪 ─ ─ ─ コメ 建部山城 丹後 460 120 悪 ─ ─ ─ コメ 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 此隅城 但馬 680 110 悪 ─ ─ ─ コメ 竹田城 但馬 460 100 悪 金S ─ ─ コメ 鳥取城 因幡 960 140 悪 ─ ─ ─ コメ 若桜鬼ヶ城 因幡 770 100 悪 ─ ─ ─ コメ 尾高城 伯耆 740 110 悪 ─ ─ ─ E E 本丸まで最短7マス。左右から挟撃されたら本丸防衛は絶望的。籠城は諦めろ 八橋城 伯耆 600 110 悪 ─ ─ ─ コメ 羽衣石城 伯耆 630 110 悪 ─ ─ ─ コメ 神西城 出雲 550 100 悪 ─ ─ ─ コメ 白鹿城 出雲 470 100 悪 ─ 内 ─ コメ 月山富田城 出雲 980 150 悪 ─ ─ 巨 ─ コメ 瀬戸山城 出雲 400 100 悪 ─ ─ ─ コメ 益田城 石見 610 110 悪 ─ ─ ─ コメ 三本松城 石見 430 110 悪 ─ ─ ─ コメ 山吹城 石見 320 100 悪 金S ─ ─ コメ 上月城 播磨 1290 100 悪 銀 ─ ─ コメ 姫路城 播磨 1970 170 悪 銀 ─ 巨 ─ A S 迂回路が多く、壁超えの回数も多く攻めづらい。3対1、1対1の足軽籠城も鉄砲籠城もこなせる万能城 三木城 播磨 1220 100 悪 銀 ─ 巨 ─ コメ 高田城 美作 990 100 悪 ─ ─ ─ コメ 林野城 美作 1000 120 悪 ─ ─ ─ コメ 天神山城 備前 800 100 悪 ─ ─ ─ コメ 岡山城 備前 1020 170 悪 ─ ─ ─ コメ 砥石城 備前 570 120 悪 ─ ─ ─ コメ 鶴首城 備中 1050 100 悪 ─ ─ ─ コメ 高松城 備中 710 120 悪 ─ ─ ─ コメ 三原城 備後 1030 150 悪 ─ 内 ─ コメ 神辺城 備後 1100 120 悪 ─ ─ ─ コメ 小倉山/日野山城 安芸 530 100 悪 ─ ─ ─ コメ 吉田郡山城 安芸 1330 120 悪 ─ ─ 巨 ─ コメ 佐東銀山城 安芸 800 200 悪 銀 ─ ─ コメ 古高山城 安芸 870 120 悪 ─ ─ ─ コメ 高嶺/山口城 周防 1160 160 悪 ─ ─ ─ コメ 右田岳/富田若山城 周防 990 140 悪 ─ ─ ─ コメ 蓮華山/鞍掛山城 周防 490 100 悪 ─ ─ ─ コメ 指月城 長門 990 160 悪 ─ ─ ─ コメ 且山城 長門 1060 140 悪 ─ 内 ─ コメ 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 洲本城 淡路 620 140 悪 ─ 内 ─ コメ 白地城 阿波 310 100 普 ─ ─ ─ コメ 勝瑞城 阿波 1060 180 普 ─ 内 ─ コメ 牛岐城 阿波 730 120 普 ─ ─ ─ コメ 海部城 阿波 480 100 普 ─ ─ ─ コメ 天霧城 讃岐 620 100 悪 ─ ─ ─ コメ 十河城 讃岐 1200 140 悪 ─ ─ ─ コメ 来島城 伊予 350 100 悪 ─ ─ ─ コメ 大洲城 伊予 600 120 悪 ─ ─ ─ コメ 湯築城 伊予 1500 140 悪 ─ ─ ─ コメ 仏殿城 伊予 500 100 悪 ─ ─ ─ コメ 松葉城 伊予 1000 130 悪 ─ ─ ─ コメ 本山城 土佐 300 100 良 ─ ─ ─ コメ 中村城 土佐 760 150 良 ─ ─ ─ コメ 岡豊城 土佐 980 160 良 ─ 内 ─ コメ 窪川城 土佐 340 100 良 ─ ─ ─ コメ 安芸城 土佐 420 100 良 ─ ─ ─ コメ 城名 国名 最大石高値 最大商業値 兵質 金山 港 巨城 特産 攻難易度 籠城 コメント 門司城 豊前 1500 160 普 銀 内 ─ コメ 城井谷城 豊前 1100 100 普 金 ─ 巨 ─ コメ 府内城 豊後 1270 180 悪 ─ 外 鉄甲船鉄砲 コメ 岡城 豊後 700 100 悪 ─ ─ ─ コメ 丹生島城 豊後 930 180 悪 ─ ─ ─ コメ 栂牟礼城 豊後 900 120 悪 ─ ─ ─ コメ 金石城 対馬 200 160 普 ─ 外 ─ コメ 立花山城 筑前 2450 200 普 ─ 外 巨 ─ コメ 岩屋城 筑前 1530 100 普 ─ ─ ─ コメ 古処山城 筑前 1720 100 普 ─ ─ ─ コメ 蒲池城/柳河城 筑後 2500 160 悪 ─ ─ ─ コメ 平戸城 肥前 1020 200 普 ─ 外 ─ コメ 勢福寺城 肥前 1850 140 普 金 ─ ─ コメ 水ヶ江城 肥前 2400 180 普 ─ ─ ─ コメ 三城 肥前 860 190 普 ─ 外 ─ コメ 日野江城 肥前 1200 170 普 ─ ─ ─ コメ 隈府城 肥後 1700 170 良 ─ ─ 巨 ─ コメ 内牧城 肥後 820 100 良 ─ ─ ─ コメ 古麓城 肥後 1630 140 良 ─ ─ ─ コメ 水俣城 肥後 1210 130 良 ─ 内 ─ コメ 人吉城 肥後 900 100 良 ─ ─ ─ コメ 門川城 日向 700 100 普 ─ ─ ─ コメ 飯野城 日向 210 100 普 ─ ─ ─ コメ 都於郡城/佐土原城 日向 540 130 普 ─ ─ ─ コメ 飫肥城 日向 510 120 普 ─ 内 ─ コメ 加治木城 大隅 890 100 良 ─ ─ ─ コメ 垂水城 大隅 880 100 良 ─ ─ ─ コメ 肝付城 大隅 1090 110 良 ─ ─ ─ コメ 出水城 薩摩 1110 130 良 銀 ─ ─ コメ 一宇治城 薩摩 1340 100 良 金 ─ ─ コメ 清水城 薩摩 1230 190 良 金 外 ─ コメ 種子島城 薩摩 950 140 良 ─ 内 ─ コメ
https://w.atwiki.jp/sengokuhime2-wiki/pages/110.html
(09)下野 武将 28名 (10)上野 武将 20名 (11)武蔵 武将 17名 (12)相模 武将 15名 域計 80名 累計 221名 追加 上泉 信綱 (上野) 北条 氏康 (相模) 削減 北条 氏照 (相模) 北条 氏邦 (相模) 武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0142 大田原 資清 弓 下野 統智政 467 578 689 7910 (1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。 0143 大田原 縄清 槍 下野 統智政 223 334 445 556 (1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。 0144 大田原 晴清 騎 下野 統智政 214 325 436 547 (1567-1631)那須七党の一。綱清の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉家の様子を探るなど活躍し、戦後加増された。 0145 大関 高増 弓 下野 統智政 345 456 567 678 (1527-1598)那須七党の一。大田原資清の子。大関・大田原・福原家を率い、伊王野・蘆野家と結び、大伯父として主君・資晴を後見するなど家中最大の勢力を築き上げた。 0146 福原 資孝 槍 下野 統智政 931 1042 1153 1264 (1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。 0147 那須 高資 騎 下野 統智政 652 763 874 985 (1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。 0148 那須 資胤 弓 下野 統智政 421 532 643 754 (1527-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。 0149 蘆野 資豊 騎 下野 統智政 512 623 734 835 0150 蘆野 資泰 弓 下野 統智政 811 922 1033 1144 (1529-1594)資豊の子。結城(白河)義親と那須氏の合戦の時、窮地に陥り負傷した資胤の劣勢を、資泰を中心とした下那須衆で挽回した。息子の資俊は旗本となっている。 0151 宇都宮 広綱 騎 下野 統智政 132 143 254 365 (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。 0152 宇都宮 国綱 弓 下野 統智政 234 345 456 567 (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。 0153 君島 高胤 槍 下野 統智政 744 855 966 1077 0154 塩谷 孝綱 騎 下野 統智政 312 423 534 645 0155 益子 勝宗 弓 下野 統智政 353 464 575 686 0156 益子 家宗 槍 下野 統智政 332 443 554 665 0157 武茂 守綱 騎 下野 統智政 442 553 664 775 0158 芳賀 高定 弓 下野 統智政 127 238 349 4510 (1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。 0159 芳賀 高継 槍 下野 統智政 342 453 564 675 (1526-1592)宇都宮家臣。高経の次男。父の横死により益子領へ逃亡するが、のちに芳賀高定から家督を譲られて帰参。宿老として家中の内政・外交全般を取り仕切った。 0160 壬生 綱雄 騎 下野 統智政 441 552 663 774 (1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。 0161 壬生 義雄 弓 下野 統智政 112 223 334 445 (1552-1590)宇都宮家臣。壬生城主。綱雄の嫡男。叔父・周良を討ち父の敵を取る。のち北条家に属す。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城、戦後間もなく没した。 0162 壬生 周長 槍 下野 統智政 531 642 753 864 0163 芳賀 高照 騎 下野 統智政 641 752 863 974 0164 皆川 俊宗 弓 下野 統智政 613 724 835 936 0165 皆川 広照 槍 下野 統智政 214 325 436 527 (1548-1627)下野の豪族。皆川城主。俊宗の子。北条家滅亡時に徳川家康に降る。のちに家康の六男・松平忠輝の付家老となったが、忠輝の不行跡を訴えて逆に改易された。 0166 小山 高朝 騎 下野 統智政 543 654 765 876 (1508-1574)下野の豪族。結城政朝の次男。小山政長の養子となった。兄・結城政勝の後援を得て小山家の威勢を回復する。北条家とも結び、安定した領国経営を行った。 0167 小山 秀綱 弓 下野 統智政 252 363 474 585 (1529-1603)下野の豪族。高朝の嫡男。弟・結城晴朝と協力し、上杉家や北条家と結んで小山家の命脈を保つが、豊臣秀吉の小田原征伐に際し北条家に属して所領を失った。 0168 佐野 昌綱 槍 下野 統智政 522 633 744 855 (1529-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。豊綱の嫡男。古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。 0169 佐野 宗綱 騎 下野 統智政 711 821 931 1042 (1556-1586)佐野家16代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。 0170 沼田 顕泰 弓 上野 統智政 711 821 932 1043 0171 猪俣 邦憲 槍 上野 統智政 411 511 621 732 (1549-1590)北条家臣。北条氏邦に仕え、沼田城代を務めた。真田昌幸の支城・名胡桃城を独断で奪取し、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。戦後、磔刑に処せられた。 0172 長野 業正 弓 上野 統智政 11105 12116 13127 14138 (70)統率号令(71)士気号令(27)不落砦 (1491-1561)山内上杉家臣。主家滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」と信玄を嘆かせた智将。 0173 上泉 信綱 槍 上野 統智政 1164 1265 1475 1585 (72)一番槍(90)強襲上手(70)統率号令 (1508-1577)剣術家。はじめ長野家に仕える。主家滅亡後は、一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。門弟には柳生宗厳などがいる。 0174 長尾 憲景 弓 上野 統智政 232 343 454 565 (1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾家当主・景誠が殺されたため、その遺領を継いだ。主家滅亡後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。 0175 安中 忠政 槍 上野 統智政 511 621 732 843 0176 安中 忠成 騎 上野 統智政 232 343 454 565 0177 小幡 憲重 弓 上野 統智政 621 732 843 954 (1522-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛により流浪、武田信玄に属す。信玄の上野攻略に貢献、西上野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。 0178 小幡 信貞 槍 上野 統智政 521 632 743 854 (1541-1592)武田家臣。憲重の子。西上野先方衆の主力として活躍した。主家の滅亡後は北条家に仕え、北条家滅亡後は上田城主・真田昌幸のもとに赴き、庇護を受けた。 0179 山内 憲政 騎 上野 統智政 116 227 338 449 (89)カリスマ(88)魅力(69)統率 (1523-1579)山内上杉家20代当主。河越合戦に敗れて勢力を失い、北条軍に追われ越後に逃走。長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲った。御館の乱で上杉景勝に殺された。 0180 山内 憲重 弓 上野 統智政 421 532 643 754 0181 山内 憲景 槍 上野 統智政 112 213 314 425 0182 金井 秀景 騎 上野 統智政 413 524 635 746 0183 倉賀野 直行 弓 上野 統智政 432 543 654 765 0184 和田 業繁 槍 上野 統智政 411 512 623 734 (1531-1575)上野の豪族。はじめ山内上杉家に仕えるが、1560年より武田家に仕え、西上野衆の一員として騎馬30騎を率いた。1575年の長篠合戦で戦死した。 0185 横瀬 成繁 騎 上野 統智政 426 537 648 759 (1506-1578)横瀬由良家8代当主。泰繁の嫡男。由良姓に改める。上杉家に属し、北条・武田家の侵略に対抗した。のち北条家に属し北条家と上杉家との同盟を仲介した。 0186 由良 国繁 弓 上野 統智政 633 744 855 966 (1550-1611)横瀬由良家9代当主。成繁の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城した。子・貞繁が豊臣方に属したため、小田原落城後、常陸牛久に所領を得た。 0187 長尾 顕長 槍 上野 統智政 242 353 464 575 (1552-1621)足利長尾家当主。由良成繁の次男。長尾当長の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては北条家に従った。北条家滅亡後は流浪の身となった。 0188 赤井 照泰 騎 上野 統智政 412 523 634 745 (1510-1559)上野の豪族。1555年に館林城を築き大袋城から居城を移した。館林城は白狐が尾を曳いて縄張りを行ったという伝説が残っており、別名を尾曳城という。 0189 赤井 照景 弓 上野 統智政 342 453 564 675 (1533-1567)上野の豪族。館林城主。照康の子。父の死後、家督を継ぐ。上杉謙信の関東侵攻軍に従わなかったため、1562年に謙信の攻撃を受けて落城、忍城に逃れた。 0190 藤田 康邦 槍 武蔵 統智政 432 543 654 765 (1517-1555)山内上杉家臣。藤田家は武蔵七党の一・猪俣党の流れをくむ。のちに北条氏康に降り、氏康の三男・氏邦を娘婿として家督を譲った。隠退後は用土姓を称した。 0191 藤田 信吉 騎 武蔵 統智政 322 433 544 655 (1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。 0192 成田 長泰 騎 武蔵 統智政 543 654 765 876 (1508-1586)山内上杉家臣。忍城主。主家滅亡後は上杉謙信に属した。しかし、謙信が鶴岡八幡宮に参拝した際、謙信の怒りを買ったため離反し、その後は北条家に属した。 0193 成田 氏長 弓 武蔵 統智政 226 337 448 559 (1542-1595)北条家臣。忍城主。長泰の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐では小田原城に籠城。居城は石田三成の水攻めに抗戦、落ちなかった。主家滅亡後は蒲生氏郷に仕えた。 0194 上田 朝直 槍 武蔵 統智政 323 434 545 656 (1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。 0195 上田 長則 騎 武蔵 統智政 113 214 325 436 0196 太田 資正 弓 武蔵 統智政 8106 9117 10128 11139 (1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。 0197 太田 氏資 槍 武蔵 統智政 436 547 658 769 (1542-1567)北条家臣。岩付城主。資正の嫡男。父に疎まれたため、父と弟を追って岩付城主となった。三船山合戦の際、北条軍の殿軍を務めて里見軍と戦い、戦死した。 0198 梶原 政景 騎 武蔵 統智政 923 1034 1145 1256 (1548-1623)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。 0199 富永 直勝 弓 武蔵 統智政 233 344 455 556 0200 遠山 綱景 槍 武蔵 統智政 324 435 546 657 (1494-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。 0201 遠山 政景 騎 武蔵 統智政 121 232 343 454 0202 太田 康資 弓 武蔵 統智政 1161 1272 1383 1494 (1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。 0203 大石 定久 槍 武蔵 統智政 423 534 645 756 (1500-1549)扇谷上杉家臣。大石家は木曾義仲の子・義宗を祖とする。武蔵守護代を務めた。主家滅亡後は北条家に降り、北条氏康の次男・氏照に家督を譲って隠退した。 0204 師岡 昌景 騎 武蔵 統智政 742 853 964 1075 0205 中山 家範 弓 武蔵 統智政 654 765 876 987 (1548-1590)北条家臣。北条氏照に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、八王子城の二の丸を守り奮戦。前田利家が軍門に降るよう説得したがこれを拒否、自害した。 0206 笠原 信為 槍 武蔵 統智政 339 4410 5511 6612 0207 内藤 康行 騎 相模 統智政 222 333 444 555 (1532-1587)国人衆の頭領。一軍を率いて戦うなど強い影響力を持った。軍馬や鉄砲を売買する者もいたという。 0208 北条 綱成 弓 相模 統智政 1165 1276 1387 1498 (1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。 0209 福島 勝広 槍 相模 統智政 1242 1353 1464 1575 0210 北条 氏康 騎 相模 統智政 1064 1175 12810 131014 (75)弓兵号令(89)カリスマ(29)鉄壁の布陣 (1515-1571)後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。 0211 北条 早雲 弓 相模 統智政 61414 71414 81313 81212 (75)弓兵号令(89)カリスマ(29)鉄壁の布陣 (1432-1519)今川家臣。小鹿範満の乱を平定し、発言力を持つ。堀越公方や扇谷上杉家臣・三浦家らを滅ぼして伊豆・相模を領国化した。「戦乱の梟雄」として名高い人物。 0212 風魔 槍 相模 統智政 682 793 8104 9115 (83)騎兵弱体(83)騎兵弱体(85)弓兵弱体 (1560-1657)忍者衆の頭領。大名の依頼を受け各地に下忍を派遣し、情報収集や焼き討ちなど様々な任務を遂行させたという。 0213 大道寺 政繁 槍 相模 統智政 127 238 349 4510 (1533-1590)北条家臣。盛昌の子。行政に手腕を発揮し、河越城下の繁栄に貢献した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に降伏し、道案内を務めたが、秀吉によって自害させられた。 0214 垪和 氏続 騎 相模 統智政 332 443 554 665 (1540-1580)北条家臣。伊予守と称す。松山衆の1人で、千貫文を与えられていた。駿河興国寺城主となり、駿河方面の守備を担当。1571年には武田軍の攻撃を退けた。 0215 山角 定吉 弓 相模 統智政 523 634 745 856 0216 山角 定勝 槍 相模 統智政 754 865 976 1087 0217 松田 憲秀 騎 相模 統智政 115 216 327 438 (1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。 0218 松田 直憲 弓 相模 統智政 112 223 334 445 0219 笠原 政堯 槍 相模 統智政 344 455 566 677 0220 松田 康郷 騎 相模 統智政 1061 1172 1283 1394 0221 石巻 家貞 弓 相模 統智政 125 236 347 458 wiki作者コメント 山内上杉家 長野業正と上泉信綱はいいんですが、山内憲政はユニーク化の需要はないような・・・ 業正のイベントは~百華、戦乱辰風の如く~への移植で増えそうなのは嬉しいですけど信綱・憲政は存在が空気な気がします。(´д`) 北条家 氏康がユニーク化です、綱成は~百華、戦乱辰風の如く~でユニーク化するんですが、・・・男か。 元親みたいな衆道的な絡みがあるんですかね?それともいじられキャラとして登場かな~? 名前
https://w.atwiki.jp/sengokuhime3/pages/59.html
武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0144 大田原 資清 弓 下野 統智政 467 578 689 7910 (1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。 0145 大田原 縄清 槍 下野 統智政 223 334 445 556 (1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。 0146 大田原 晴清 騎 下野 統智政 214 325 436 547 (1567-1631)那須七党の一。綱清の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉家の様子を探るなど活躍し、戦後加増された。 0147 大関 高増 弓 下野 統智政 345 456 567 678 (1527-1598)那須七党の一。大田原資清の子。大関・大田原・福原家を率い、伊王野・蘆野家と結び、大伯父として主君・資晴を後見するなど家中最大の勢力を築き上げた。 0148 福原 資孝 槍 下野 統智政 931 1042 1153 1264 (1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。 0149 那須 高資 騎 下野 統智政 652 763 874 985 (1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。 0150 那須 資胤 弓 下野 統智政 421 532 643 754 (1527-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。 0151 蘆野 資豊 騎 下野 統智政 512 613 724 835 0152 蘆野 資泰 弓 下野 統智政 811 922 1033 1144 (1529-1594)資豊の子。結城(白河)義親と那須氏の合戦の時、窮地に陥り負傷した資胤の劣勢を、資泰を中心とした下那須衆で挽回した。息子の資俊は旗本となっている。 0153 宇都宮 広綱 騎 下野 統智政 132 143 254 365 (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。 0154 宇都宮 国綱 弓 下野 統智政 234 345 456 567 (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。 0155 君島 高胤 槍 下野 統智政 744 855 966 1077 0156 塩谷 孝綱 騎 下野 統智政 312 423 534 645 0157 益子 勝宗 弓 下野 統智政 353 464 575 686 0158 益子 家宗 槍 下野 統智政 332 443 554 665 0159 武茂 守綱 騎 下野 統智政 442 553 664 775 0160 芳賀 高定 弓 下野 統智政 127 238 349 4510 (1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。 0161 芳賀 高継 槍 下野 統智政 342 453 564 675 (1526-1592)宇都宮家臣。高経の次男。父の横死により益子領へ逃亡するが、のちに芳賀高定から家督を譲られて帰参。宿老として家中の内政・外交全般を取り仕切った。 0162 壬生 綱雄 騎 下野 統智政 441 552 663 774 (1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。 0163 壬生 義雄 弓 下野 統智政 112 223 334 445 (1552-1590)宇都宮家臣。壬生城主。綱雄の嫡男。叔父・周良を討ち父の敵を取る。のち北条家に属す。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城、戦後間もなく没した。 0164 壬生 周長 槍 下野 統智政 531 642 753 864 0165 芳賀 高照 騎 下野 統智政 641 752 863 974 0166 皆川 俊宗 弓 下野 統智政 613 714 825 936 0167 皆川 広照 槍 下野 統智政 214 315 416 527 (1548-1627)下野の豪族。皆川城主。俊宗の子。北条家滅亡時に徳川家康に降る。のちに家康の六男・松平忠輝の付家老となったが、忠輝の不行跡を訴えて逆に改易された。 0168 小山 高朝 騎 下野 統智政 543 654 765 876 (1508-1574)下野の豪族。結城政朝の次男。小山政長の養子となった。兄・結城政勝の後援を得て小山家の威勢を回復する。北条家とも結び、安定した領国経営を行った。 0169 小山 秀綱 弓 下野 統智政 252 363 474 585 (1529-1603)下野の豪族。高朝の嫡男。弟・結城晴朝と協力し、上杉家や北条家と結んで小山家の命脈を保つが、豊臣秀吉の小田原征伐に際し北条家に属して所領を失った。 0170 佐野 昌綱 槍 下野 統智政 522 633 744 855 (1529-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。豊綱の嫡男。古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。 0171 佐野 宗綱 騎 下野 統智政 711 821 931 1042 (1556-1586)佐野家16代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。 0172 沼田 顕泰 弓 上野 統智政 711 821 932 1043 0173 猪俣 邦憲 槍 上野 統智政 411 511 621 732 (1549-1590)北条家臣。北条氏邦に仕え、沼田城代を務めた。真田昌幸の支城・名胡桃城を独断で奪取し、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。戦後、磔刑に処せられた。 0174 長野 業正 弓 上野 統智政 9105 10106 11117 11118 (70)統率号令(71)士気号令(27)不落砦 (1491-1561)山内上杉家臣。主家滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」と信玄を嘆かせた智将。 0175 上泉 信綱 槍 上野 統智政 1365 1376 1387 1598 (72)一番槍(70)統率号令(49)無刀取り (1508-1577)剣術家。はじめ長野家に仕える。主家滅亡後は、一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。門弟には柳生宗厳などがいる。 0176 長尾 憲景 弓 上野 統智政 232 343 454 565 (1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾家当主・景誠が殺されたため、その遺領を継いだ。主家滅亡後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。 0177 安中 忠政 槍 上野 統智政 511 621 732 843 0178 安中 忠成 騎 上野 統智政 232 343 454 565 0179 小幡 憲重 弓 上野 統智政 621 732 843 954 (1522-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛により流浪、武田信玄に属す。信玄の上野攻略に貢献、西上野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。 0180 小幡 信貞 槍 上野 統智政 521 632 743 854 (1541-1592)武田家臣。憲重の子。西上野先方衆の主力として活躍した。主家の滅亡後は北条家に仕え、北条家滅亡後は上田城主・真田昌幸のもとに赴き、庇護を受けた。 0181 山内 憲政 騎 上野 統智政 116 227 338 449 (1523-1579)山内上杉家20代当主。河越合戦に敗れて勢力を失い、北条軍に追われ越後に逃走。長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲った。御館の乱で上杉景勝に殺された。 0182 山内 憲重 弓 上野 統智政 421 532 643 754 0183 山内 憲景 槍 上野 統智政 112 213 314 425 0184 金井 秀景 騎 上野 統智政 413 524 635 746 0185 倉賀野 直行 弓 上野 統智政 432 543 654 765 0186 和田 業繁 槍 上野 統智政 411 512 623 734 (1531-1575)上野の豪族。はじめ山内上杉家に仕えるが、1560年より武田家に仕え、西上野衆の一員として騎馬30騎を率いた。1575年の長篠合戦で戦死した。 0187 横瀬 成繁 騎 上野 統智政 426 537 648 759 (1506-1578)横瀬由良家8代当主。泰繁の嫡男。由良姓に改める。上杉家に属し、北条・武田家の侵略に対抗した。のち北条家に属し北条家と上杉家との同盟を仲介した。 0188 由良 国繁 弓 上野 統智政 633 744 855 966 (1550-1611)横瀬由良家9代当主。成繁の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城した。子・貞繁が豊臣方に属したため、小田原落城後、常陸牛久に所領を得た。 0189 長尾 顕長 槍 上野 統智政 242 353 464 575 (1552-1621)足利長尾家当主。由良成繁の次男。長尾当長の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては北条家に従った。北条家滅亡後は流浪の身となった。 0190 赤井 照泰 騎 上野 統智政 412 523 634 745 (1510-1559)上野の豪族。1555年に館林城を築き大袋城から居城を移した。館林城は白狐が尾を曳いて縄張りを行ったという伝説が残っており、別名を尾曳城という。 0191 赤井 照景 弓 上野 統智政 342 453 564 675 (1533-1567)上野の豪族。館林城主。照康の子。父の死後、家督を継ぐ。上杉謙信の関東侵攻軍に従わなかったため、1562年に謙信の攻撃を受けて落城、忍城に逃れた。 0192 藤田 康邦 槍 武蔵 統智政 432 543 654 765 (1517-1555)山内上杉家臣。藤田家は武蔵七党の一・猪俣党の流れをくむ。のちに北条氏康に降り、氏康の三男・氏邦を娘婿として家督を譲った。隠退後は用土姓を称した。 0193 藤田 信吉 騎 武蔵 統智政 322 433 544 655 (1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。 0194 成田 長泰 騎 武蔵 統智政 543 654 765 876 (1508-1586)山内上杉家臣。忍城主。主家滅亡後は上杉謙信に属した。しかし、謙信が鶴岡八幡宮に参拝した際、謙信の怒りを買ったため離反し、その後は北条家に属した。 0195 成田 氏長 弓 武蔵 統智政 226 337 448 559 (1542-1595)北条家臣。忍城主。長泰の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐では小田原城に籠城。居城は石田三成の水攻めに抗戦、落ちなかった。主家滅亡後は蒲生氏郷に仕えた。 0196 上田 朝直 槍 武蔵 統智政 323 434 545 656 (1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。 0197 上田 長則 騎 武蔵 統智政 113 214 325 436 0198 太田 資正 弓 武蔵 統智政 876 987 1098 11109 (1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。 0199 太田 氏資 槍 武蔵 統智政 436 547 658 769 (1542-1567)北条家臣。岩付城主。資正の嫡男。父に疎まれたため、父と弟を追って岩付城主となった。三船山合戦の際、北条軍の殿軍を務めて里見軍と戦い、戦死した。 0200 梶原 政景 騎 武蔵 統智政 823 934 1045 1156 (1548-1623)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。 0201 富永 直勝 弓 武蔵 統智政 233 344 455 566 0202 遠山 綱景 槍 武蔵 統智政 324 435 546 657 (1494-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。 0203 遠山 政景 騎 武蔵 統智政 121 232 343 454 0204 太田 康資 弓 武蔵 統智政 951 1052 1163 1174 (1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。 0205 大石 定久 槍 武蔵 統智政 423 534 645 756 (1500-1549)扇谷上杉家臣。大石家は木曾義仲の子・義宗を祖とする。武蔵守護代を務めた。主家滅亡後は北条家に降り、北条氏康の次男・氏照に家督を譲って隠退した。 0206 師岡 昌景 騎 武蔵 統智政 742 853 964 1075 0207 中山 家範 弓 武蔵 統智政 654 765 876 987 (1548-1590)北条家臣。北条氏照に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、八王子城の二の丸を守り奮戦。前田利家が軍門に降るよう説得したがこれを拒否、自害した。 0208 笠原 信為 槍 武蔵 統智政 339 4410 5511 6612 0209 内藤 康行 騎 相模 統智政 222 333 444 555 (1532-1587)国人衆の頭領。一軍を率いて戦うなど強い影響力を持った。軍馬や鉄砲を売買する者もいたという。 0210 北条 綱成 弓 相模 統智政 1065 1076 1187 1198 (1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。 0211 北条 綱房 槍 相模 統智政 842 953 1064 1075 0212 北条 氏康 騎 相模 統智政 768 879 10810 10911 (77)騎兵号令(76)騎兵突撃(30)賢き統率 (1515-1571)後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。 0213 北条 早雲 弓 相模 統智政 6910 71011 81012 81113 (75)弓兵号令(89)将の資質(29)鉄壁の布陣 (1432-1519)今川家臣。小鹿範満の乱を平定し、発言力を持つ。堀越公方や扇谷上杉家臣・三浦家らを滅ぼして伊豆・相模を領国化した。「戦乱の梟雄」として名高い人物。 0214 大道寺 政繁 槍 相模 統智政 127 238 349 4510 (1533-1590)北条家臣。盛昌の子。行政に手腕を発揮し、河越城下の繁栄に貢献した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に降伏し、道案内を務めたが、秀吉によって自害させられた。 0215 垪和 氏続 騎 相模 統智政 332 443 554 665 (1540-1580)北条家臣。伊予守と称す。松山衆の1人で、千貫文を与えられていた。駿河興国寺城主となり、駿河方面の守備を担当。1571年には武田軍の攻撃を退けた。 0216 山角 定吉 弓 相模 統智政 523 634 745 856 (????-????)北条家臣。氏綱と氏康の代に戦奉行を務めた。又、山角氏は早雲の代から仕える最古参の家のひとつとされている。 0217 山角 定勝 槍 相模 統智政 754 865 976 1087 0218 松田 憲秀 騎 相模 統智政 115 216 327 438 (1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。 0219 松田 直憲 弓 相模 統智政 112 223 334 445 0220 笠原 政堯 槍 相模 統智政 344 455 566 677 0221 松田 康郷 騎 相模 統智政 1061 1172 1283 1394 (1540-1609)北条家臣。上杉謙信が下総臼井城へ攻めてきた際に、百騎を連れて援軍へと駆けつけ、上杉本陣直前まで切り込み、上杉軍を撃破した。「鬼孫太郎」の異名を取った。 0222 石巻 家貞 弓 相模 統智政 125 236 347 458 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/fuurinkazan_mvp/pages/97.html
内野聖陽 市川亀治郎 佐々木蔵之介 有薗芳記 高橋一生・田中幸太朗 有馬自由・真瀬樹里(葉月) テリー伊藤(回想)・井川哲也(回想)・榊英雄(回想) 水 谷原章介 河西健司(河原隆正) 田中実(妻鹿田新介) 大森暁美 柴本幸 花 石橋保(北条綱成)・小市慢太郎 長江英和・崎本大海 竹本純平(上杉朝定)・吉井有子(風魔)・下川ともこ(遊女) 市川左團次(上杉憲政) 騎馬軍団 松井誠 横内正 大門正明(倉賀野直行) 土 伊武雅刀 千葉真一
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/692.html
群雄伝時系列表 群雄伝で描かれている戦いの年表です。 下の年号時点での武将の年齢と比較すればそれぞれの戦いの時点での武将の年齢がわかります。 なお、開幕・終幕のイベントは時系列がずれている場合がありますが、基本は戦闘が行われた年を記載しています。 1560 尾張の風雲児 織田伝 武田伝 上杉伝 豊臣伝 1542年(天文11年) 第一章第一話 家督相続第一章第ニ話 諏訪平定 1544年(天文13年) 第一章第一話 景虎初陣 1545年(天文14年) 第一章第ニ話 黒田征伐 1547年(天文16年) 第一章第一話 信長初陣 第一章第三話 小田井原の戦い 1548年(天文17年) 第一章第ニ話 小豆坂の戦い 第一章第四話 上田原の戦い第一章第五話 塩尻峠の戦い 第一章第三話 家督相続 1550年(天文19年) 第一章第六話 戸石崩れ 1551年(天文20年) 第一章第三話 家督相続 第一章第七話 戸石城攻略戦 第一章第四話 政景謀反 第一章第一話 旅立ちの時 1553年(天文22年) 第一章第四話 美濃の蝮 第一章第八話 葛尾城攻め第ニ章第一話 越後の龍第ニ章第ニ話 村上軍掃討戦 第一章第五話 甲斐の虎 第一章第ニ話 今川家退転第一章第三話 小六との出会い 1554年(天文23年) 第一章第六話 晴信の謀略 第一章第四話 尾張の大うつけ 1555年(天文24年) 第一章第五話 清州城攻略戦 第ニ章第三話 犀川の戦い①第ニ章第四話 犀川の戦い② 第一章第七話 犀川の戦い①第一章第八話 犀川の戦い② 1556年(弘治2年) 第一章第六話 道三救援第一章第七話 長良川撤退戦第一章第八話 稲生の戦い 第一章第九話 出家騒動 第一章第五話 長良川撤退戦第一章第六話 稲生の戦い 1557年(弘治3年) 第一章第九話 兄弟相克 第ニ章第五話 影武者 第一章第十話 影武者 1559年(永禄2年) 第一章第十話 尾張統一 第ニ章第六話 徳栄軒信玄 第一章第七話 秀吉とねね 1560年(永禄3年) 第一章第十一話 桶狭間前哨戦第一章第十ニ話 桶狭間の合戦 第一章第十一話 関東管領就任 第一章第八話 桶狭間の戦い 1561年(永禄4年) 第一章第十三話 蝮の息子 第ニ章第七話 啄木鳥戦法第ニ章第八話 龍虎激突 第一章第十ニ話 血戦 川中島第一章第十三話 決死の防衛第一章第十四話 龍虎相打つ 1564年(永禄7年) 第一章第九話 小一郎参上 1566年(永禄9年) 第一章第十話 墨俣一夜城 1567年(永禄10年) 第一章第十四話 再び美濃へ第一章第十五話 稲葉山落城 1570 魔王、上洛す 年号 織田伝 上杉伝 雑賀伝 浅井伝 1560年(永禄3年) 第一章第一話 野良田の戦い第一章第二話 新九郎進撃 1561年(永禄4年) 第二章第一話 再び関東へ 1562年(永禄5年) 第二章第二話 峠を越えて 1563年(永禄6年) 第一章第四話 観音寺騒動 1564年(永禄7年) 第二章第三話 軍師の最期 1566年(永禄9年) 第二章第一話 南近江攻略戦 第二章第四話 西上野救援 1567年(永禄10年) 第二章第五話 北条の裏切り 1568年(永禄11年) 第二章第二話 勝竜寺城の戦い 第二章第六話 繁長謀反 第一章第五話 観音寺城の戦い 1569年(永禄12年) 第二章第三話 六条合戦第二章第四話 伊勢攻防戦 第一章第二話 京都撤退戦 第一章第六話 本圀寺の変 1570年(永禄13年)(元亀元年) 第二章第五話 朝倉討伐第二章第六話 金ヶ崎撤退戦第二章第七話 姉川の戦い①第二章第八話 姉川の戦い②第三章第一話 本願寺挙兵第三章第二話 比叡山の戦い 第一章第三話 金ヶ崎撤退戦第一章第四話 姉川の戦い第一章第五話 本願寺挙兵 第一章第七話 金ヶ崎の戦い第一章第八話 横山城防衛第一章第九話 姉川の戦い第一章第十話 宇佐山城の戦い第一章第十一話 比叡山の戦い第一章第十二話 横山城の戦い 1571年(元亀2年) 第三章第三話 比叡炎上 第一章第六話 伊勢長島の戦い 1572年(元亀3年) 第三章第四話 三方ヶ原の戦い 第二章第七話 巨星堕つ 第一章第七話 三方ヶ原の戦い 1573年(天正元年) 第三章第五話 刀根坂の戦い第三章第六話 朝倉滅亡第三章第七話 小谷城の戦い 第一章第八話 越前防衛戦 第一章第十三話 小谷城の戦い 1574年(天正2年) 第二章第八話 勇将の死 1576年(天正4年) 第一章第九話 三津寺の戦い 1577年(天正5年) 第二章第九話 手取川の戦い第二章第十話 天に帰る龍 第一章第十話 信長を撃つ 15XX 五畿七道の雄 年号 北条伝 毛利伝 島津伝 伝 1523年(大永3年) 第一章第一話 元就と経久 1530年(享禄3年) 第一章第一話 小沢原の戦い 1536年(天文5年) 第一章第二話 第一次河東一乱 1540年(天文9年) 第一章第四話 吉田郡山城の決戦 1542年(天文11年) 第一章第五話 出雲侵攻 1543年(天文12年) 第一章第六話 決死の逃亡 1544年(天文13年) 第一章第七話 元就の策略 1545年(天文14年) 第一章第三話 第二次河東一乱第一章第四話 河越前哨戦 1546年(天文15年) 第一章第五話 河越夜戦 1547年(天文16年) 第一章第六話 松山城急襲 1553年(天文22年) 第二章第一話 謀略の極み 1555年(天文24年) 第二章第二話 嵐の厳島 1557年(弘治3年) 第二章第三話 三本の矢 1560年(永禄3年) 第一章第十話 軍神の猛攻 1561年(永禄4年) 第一章第十一話 獅子と龍 第一章第一話 薩摩騒乱 1562年(永禄5年) 第二章第五話 天空の城 1566年(永禄9年) 第二章第六話 備前の梟雄 1567年(永禄10年) 第一章第二話 馬越城の戦い 1568年(永禄11年) 第二章第七話 山陰の麒麟児 1569年(永禄12年) 第二章第八話 謀神・元就 第一章第三話 大口城の戦い 1572年(元亀3年) 第一章第四話 島津の危機 1574年(天正2年) 第一章第五話 三州統一 1576年(天正4年) 第一章第六話 三国鼎立 1578年(天正6年) 第一章第七話 高城防衛線第一章第八話 耳川合戦 1579年(天正7年) 第一章第九話 水俣城の戦い 1581年(天正9年) 第一章第十話 相良の最期第一章第十一話 響野原の戦い 1584年(天正12年) 第一章第十二話 島原争乱第一章第十三話 沖田畷の戦い第一章第十四話 島津、勇躍す 武将列伝 年号 第一章 雑賀衆・無二 第二章 戦国の蝶 1542年(天文11年) 第一話 美濃の姫 1544年(天文13年) 第二話 朝倉、襲撃 1547年(天文16年) 第三話 稲葉山城防衛戦 1556年(弘治2年) 第四話 光秀との別れ 1566年(永禄9年) 第一話 その手に、銃を 1568年(永禄11年) 第二話 戦う理由 1571年(元亀2年) 第三話 軍神との戦い 1573年(天正元年) 第四話 最後の願い 1576年(天正4年) 第五話 水軍とともに
https://w.atwiki.jp/kasuga_basara/pages/122.html
前田慶次【恋の揉め事、おさめます】第一章 川中島 前田慶次【恋の揉め事、おさめます】第三章 小田原 まつ【妻の鑑】第四章 川中島 片倉小十郎【信じるもの】第一章 川中島 宮本武蔵【最強への道~剣客6番勝負~】最終章 巌流島 竹中半兵衛【戦国乱世策略戦】第三章 河越 前田利家【まつが消えた!】第五章 川中島 風魔小太郎【暗殺者】第一章 河越 風魔小太郎【暗殺者】第四章 川中島 北条氏政【北条家妄想物語】第三章 河越 今川義元【最悪上洛★危機一髪】第一章 川中島 いつき【いつき、女を磨くの巻】第三章河越 ザビー【開幕!ザビー・リサイタル】第五章河越
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/1675.html
ウンジャマ・ラミー 機種:PS 作曲者:河越重義, 鈴木禎久, 松浦雅也 開発元:七音社 発売元:ソニー・コンピュータエンタテインメント 発売年:1999年 概要 『パラッパラッパー』の続編。 主人公はギタリストのラミーに変更。 相変わらずいつもの感じの音楽が特徴 収録曲 曲名 作・編曲者 補足 順位 Serial O 鈴木禎久 Tag 松浦雅也 I Am A Master And You! 河越重義松浦雅也 Wait! 鈴木禎久 '??? more minutes until the show!' 鈴木禎久 Leave It To Lammy!! 鈴木禎久 Fire Fire!!! 松浦雅也 Effector 1 鈴木禎久 Treasure 鈴木禎久 Music Box 鈴木禎久 Baby Baby!! 河越重義松浦雅也 Effector 2 鈴木禎久 Fright Flight!! 河越重義松浦雅也 Effector 3 鈴木禎久 Casino In My Hair 鈴木禎久 Power Off! Power On! 河越重義松浦雅也 Effector 4 鈴木禎久 Parappa's End Roll In G Minor 鈴木禎久 Taste of Teriyaki 河越重義松浦雅也 Theme of Rammy 鈴木禎久 Effector 5 鈴木禎久 We Are Milkcan! 鈴木禎久 Got To Move! 松浦雅也 第3回231位ゲームソング126位第3回ゲームソング179位ラストバトル348位 Keep Your Head Up! 鈴木禎久 I Am A Master And You! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 On Monday 鈴木禎久 Fire Fire!!! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 On Tuesday 鈴木禎久 Baby Baby!! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 On Wednesday 鈴木禎久 Fright Flight!! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 Joe Chin's Natural Preservation 鈴木禎久 Joe Chin's Chainsaw 鈴木禎久 Power Off! Power On! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 On Thursday 鈴木禎久 Taste of Teriyaki (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 On Friday 鈴木禎久 Got To Move! (Parappa's Version) 河越重義松浦雅也 Joe Chin's Laptop Computer 鈴木禎久 Joe Chin's Shopping Now! 鈴木禎久 サウンドトラック ウンジャマ・ラミー Original Sound Track
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/40169.html
登録日:2018/08/17 Fri 00 07 28 更新日:2024/09/01 Sun 17 46 30NEW! 所要時間:約 43 分で読めます ▽タグ一覧 ためになる項目 三十六計逃げるに如かず 中国史 兵法 兵法三十六計 兵法書 勉強になる項目 古典 基本にして奥義 基礎 忍術 戦争 戦法 戦略 戦術 所要時間30分以上の項目 攻略 教養 策略 謀略 軍事戦略 軍師 軍略 兵法三十六計とは、中国の兵法書で五世紀に東晋~南朝宋の将軍・檀道済が記したとされる書物である。 一旦歴史の中に埋もれてしまったが、1941年に再発見された。 三字または四字熟語の形で、戦争に役立つ戦術・戦略が36個書かれている。 戦術を6つごとに6つの段階に分けて書いてある。六計六組で三十六計。 日本なら「三十六計逃げるに如かず」の言葉が有名だが、三十六計とはこの兵法三十六計である。 誤解されがちだが、本当に第三十六計の全てを出し尽くして勝ち目がない場合の要点は「逃げるに如かず」である(後述)。 内容面は粗削りな部分もあるとされ、ガチで兵法を学びたいならこれよりも孫子や呉子などを読んだ方が良いとされる。実際、武経七書に本書は入っていない。 権威付けのために「易経」から引用しているがどれも名文とは言い難かったり、六計六組も入れ替えたほうが良いと指摘されたりもする。 そういった点も一旦歴史に埋もれてしまった理由だろう。 しかし、何といっても分かりやすいことが受けており、中国での浸透の度合いは孫子にも引けを取るものではない。 三十六計は中国の故事などに由来する熟語も少なくなく、その故事を知らないと「なんでこの熟語がこんな意味になるのか分からない」ということも少なくない。 他方で、三国志や春秋戦国時代をはじめ、古代中国の戦史をかじった人たちが読めば「もしかしてあの武将のこの計略は三十六計のこれなのでは?」とピンとくることも多いはずである。 戦記物の創作をするなどして軍師や参謀の頭脳戦を考えるならば、これらの戦略に目を通しておいて損はない。 また、戦争ではなくビジネス・生活においても応用できる考え方も少なくない。 「こういう考え方があると知っておく」というだけでもひらめきの源泉にはなる。 他方、これらの戦略を猿真似すれば勝てると言うほど戦争もビジネスも単純なものではない。 それぞれの計略にはそれぞれなりの弱点もあるし、自分が三十六計を学んでいるということは、相手も三十六計を学んで逆にハメてくる可能性があるということ。 騎兵や歩兵・伝令に頼る群雄割拠の時代と現代では状況が違ってしまい、そのまま使うには適さない例があるのもまた確か。 三十六計を知ったとして、それを生かせるかはまさしくアニヲタの皆さんにかかっていると言える。 三十六計の簡単な解説1. 瞞天過海(まんてんかかい) 2. 囲魏救趙(いぎきゅうちょう) 3. 借刀殺人(しゃくとうさつじん) 4. 以逸待労(いいつたいろう) 5. 趁火打劫(ちんかだこう) 6. 声東撃西(せいとうげきせい) 7. 無中生有(むちゅうしょうゆう) 8. 暗渡陳倉(あんとちんそう) 9. 隔岸観火(かくがんかんか) 10. 笑裏蔵刀(しょうりぞうとう) 11. 李代桃僵(りだいとうきょう) 12. 順手牽羊(じゅんしゅけんよう) 13. 打草驚蛇(だそうきょうだ) 14. 借屍還魂(しゃくしかんごん) 15. 調虎離山(ちょうこりざん) 16. 欲擒姑縦(よっきんこしょう) 17. 抛磚引玉(ほうせんいんぎょく) 18. 擒賊擒王(きんぞくきんおう) 19. 釜底抽薪(ふていちゅうしん) 20. 混水摸魚(こんすいもぎょ) 21. 金蝉脱殻(きんせんだっかく) 22. 関門捉賊(かんもんそくぞく) 23. 遠交近攻(えんこうきんこう) 24. 仮道伐虢(かどうばつかく) 25. 偸梁換柱(とうりょうかんちゅう) 26. 指桑罵槐(しそうばかい) 27. 仮痴不癲(かちふてん) 28. 上屋抽梯(じょうおくちゅうてい) 29. 樹上開花(じゅじょうかいか) 30. 反客為主(はんかくいしゅ) 31. 美人計(びじんけい) 32. 空城計(くうじょうけい) 33. 反間計(はんかんけい) 34. 苦肉計(くにくけい) 35. 連環計(れんかんけい) 36. 走為上(そういじょう) 三十六計の簡単な解説 考え方を示すのには有用なため、実例に限らず、創作あるいは真偽不明の事柄も例として挙げている。 これ史実じゃねーから!!系なツッコミはご勘弁願いたい。 以下は6つづつ組に分かれており、上から勝戦計(主導権を握っている場合の定石)、敵戦計(優勢な場合の作戦)、攻戦計(相手が一筋縄でいかない時の作戦)、 混戦計(相手がかなり手強い場合の作戦)、併戦計(同盟間で優位に立つための策謀)、敗戦計(非常に劣勢の場合の奇策)となっている。 1. 瞞天過海(まんてんかかい) 「『王手飛車取り』だ…すでにおまえの敗北の形…!」 「天を騙して海を渡る」の意味。天とは皇帝のことで、海を渡るのを嫌がる皇帝に対して船に土を盛り陸上に見せかけて海を渡ったという故事から。 戦術としては、あえて何食わぬ顔で何回も行うことで、敵に「なーんだ、ただの習慣か」と思わせる。 しかし、実際はそれは策略の仕込みであり、相手が油断を誘うためのものなのだ。 実例としては、太史慈が包囲を破った例がある。 まだ彼が孫策に降伏する前のこと、太史慈の恩人で北海郡の太守・孔融が、黄巾軍の残党に攻撃された。 太史慈は恩人の窮地に駆けつけたが、味方は弱くて敵は多く、このまま籠城しても勝ちはない。外に援軍を求めるにしても、包囲している黄巾残党を突破するのは困難だ。 そこで太史慈は、ある朝いきなり馬に乗って弓を片手に門を出た。黄巾残党が色めき立つが、太史慈は悠々と弓の練習を始めて、しばらくすると帰ってしまった。 この門前での弓馬術の練習を、彼は毎日繰り返す。 ある日、太史慈がまた弓を手に馬に乗って現れても、黄巾残党は「また練習か」と思って、のんびり過ごしていた。 すると太史慈は突然馬に鞭を入れると全力疾走し、黄巾の包囲網を突破してしまった。彼はそのまま、当時平原の相だった劉備の元に赴き、援軍を引き連れて戻り、黄巾残党を蹴散らした。 「ただの習慣か」と思われるまでの間は本腰を入れられてしまう可能性があり、その間をどうしのぐかがカギ。 あからさますぎるとバレやすいのもネック。 優勢の時の作戦なのも、「相手が本腰を入れてそちらに対応することが難しいからこそ仕掛けやすい」からであろう。 日本では「雨鳥の術」といい、「雨の日に鳥は飛ばぬ」という常識・考えの裏をかく技で「いつもと違う物事に対しては注意が働くが、いつも通りの事に対しては注意が行きにくい」という心理の裏をかいている。 破り方としては「微徴の術」があり、相手が何かしらの行動を起こせばそれがどんなに些細であっても変化となって現れる。 戦を仕掛けようとすれば増税があったり薬や炭の大量購入があったりするので日頃からよく観察しそれを見逃さない事が肝となる。 2. 囲魏救趙(いぎきゅうちょう) 「もっとだ、もっと、もっと来い!」 同盟国である趙の国の首都が魏国軍に包囲されてしまった。何とか趙の国を助けたいがどうしようか。 よし、趙を攻めている魏に兵を向けよう!!趙本国?ほっとけ!!という戦略に由来する。 本国を攻撃された魏は趙の包囲を解いて本国の救援に向かってしまったのだ。 その後救援に来た魏軍を大破し、趙を救うことに成功した。 包囲軍を攻める、というのは誰にも思いつく作戦であるが、敵を警戒させてしまう可能性がある。 場合によっては包囲軍こそ囮で本当に狙われているのはこちらだったという可能性すらある。 それよりも、敵に分散を余儀なくさせる戦略が有効だ、ということなのである。 またこちらが動くのではなく、相手を奔走させて疲れさせるという意味もある。 桶狭間の戦いにおいて、織田軍は今川軍に鷲津砦、丸根砦を攻撃されたが信長率いる本隊は義元のいる本隊を襲撃。 今川軍自体は25000人~45000人の兵力だったが本隊は精鋭揃いとはいえ非戦闘員である荷駄兵も含む6000人であり、対する織田軍本隊は2000人と兵力の差は拮抗、結果圧倒的不利を跳ね返し歴史的な大勝利を収める事となる。 3. 借刀殺人(しゃくとうさつじん) 「ジャック・ザ・リッパーは確かに暴走を始めているが、私が殺しの指令を送れば、まだ従う筈だ。そこを君たちが抑えれば良い」 群雄割拠だったり、こちらに有力な同盟国がいる場合などに取られる戦術。 要は、他人に肩代わりさせてしまえというものである。 正面切って戦うのは、例え勝っても自軍に大損害が起こりやすい。 そこで同盟者や第三者、敵国の内1つを恫喝したり、騙したり、利益で釣ったりして敵を攻撃させることで、自分以外に損害の多い役回りを引き受けさせるという方法である。 敵に多正面作戦を強いるというだけでも、戦略としては非常に有効である。 欠点としては、下手な恫喝や騙しは逆に同盟国まで敵に回す可能性があること。 同盟国だって都合よく刀を借りようとしていると思えば簡単にへそを曲げる。最悪の場合、同盟を破棄されて敵と同盟を組まれる可能性さえある。 いかに同盟国にそれを悟らせないか、あるいは悟られたとしても同盟国に「それでも乗ろう」と思わせるかがカギとなる。 自分勝手で目立ちたがり屋な敵兵がA、Bと二人いる場合、「A(B)には敵わないので降参したいけどB(A)が攻撃してくるので動けません」とそれぞれに言えば同士討ちが発生する事もある。 4. 以逸待労(いいつたいろう) 「弾幕が薄いぞ! 相手は動いてくれるんだ、なまじ狙わずに撃てと言え!」 敵を無理やり攻める手法よりも、「こちらの動きに敵が対応しなければならない」という状況を作り出して引きずり回し、主導権を握る方法が有効だよ、というもの。 三国志において、袁紹の幕僚である田豊は、曹操対策を問われて 「いきなり決戦を挑むべきではない。勢力的にはこちらが勝っている。あちこち代わる代わる攻めて曹操軍を対策に疲れさせた上で戦えば曹操軍は潰せますよ」 と答えた。 が、袁紹はこれに従わず短期決戦を挑み、結果官渡の戦いで大逆転負けを喫することになる。 そして田豊の計略を後に知った曹操は「それをやられてたらこっちの負けだった」と評したのだった。 (官渡でも曹操軍が勝てたのは奇跡的だったので、決戦策が間違いと言い切れないのも確かだが。当時の曹操は連戦でもっとも弱っていた時期 主要な敵が滅んでこれから回復していく時期だったので、むしろ「以逸待労」は今発動するべきだったとも言えるし) 現代だと湾岸戦争の初期における、イラク軍の防空用ミサイル陣地を制圧するために囮と対レーダーミサイルを使った例があげられる。 航空機にとって地上から発射されるミサイルというのは大変驚異である。回避機動によって回避できるのはほぼゲームの中の話であり、発射されたら欺瞞装置でやり過ごす可能性に賭けるか機体を捨てて脱出するしかない。 航空機のほうもやられっぱなしではなく、防空用のレーダーから出る電磁波に反応して誘導する対レーダーミサイルというのが開発されたが、レーダーを起動している対空兵器にしか誘導できない欠点があった。 湾岸戦争のときもイラク軍は対空ミサイル陣地を偽装しており、発射前に発見して攻撃するのは困難であった。 そこでアメリカ軍は訓練用の標的ドローンをイラクの上空に飛来させ、それに反応してレーダーを起動した対空兵器に対し対レーダーミサイルで攻撃するのという方法でイラク軍の防空網をほぼ完全に破壊した。 イラク軍にしてみれば事前情報なしでレーダー上に多数映る航空機が囮なのか中の人がいる攻撃機なのかを見分けるのは難しかったと思われる。 主導権を握って相手をコントロールするのが重要ということで、単に動かず待っていろと言うことではないことに注意。 5. 趁火打劫(ちんかだこう) 「赤木さん……あと4巡……ムチャさせてもらう。予感がする。地の鼓動。この龍、地に潜らせる……!」 敵が火事になっているときにつけこんで押し込み強盗してやれ!!というある意味ヒャッハーな戦略。火事場泥棒。 つまり、敵が何か被害に遭っていたり混乱が起きている間はチャンスなので攻め込もうという考え方。 ただし、敵の混乱の原因が内輪もめである場合は注意。 うまいこと混乱が助長されればよいが、一致団結させてしまう可能性が高い。 これでは9番「隔岸観火」に引っかかってしまう。 忍術においては「参差えの術」といい、混乱が起こっている時は当然人が動いており、出入りも激しくなる。 それを利用して忍び込もうという作戦。 6. 声東撃西(せいとうげきせい) 「だが我々は打倒する 君の未帰還を以って 我々はアーカードを打倒する」「さようなら中尉 ヴァルハラで会おう さようなら さようなら中尉」 部隊を分けて相手の注意を一方に向けさせ、そこから別の部隊が違う場所を攻める作戦。 例えば東の城付近で小競り合いを起こさせるなどして、「東の城を攻めるぞ東の城を攻めるぞ!!」と見せかける。 敵も警戒して東の城に兵力を集中する。 ところが、実際の主力軍は西におり、本当の狙いは西の城でしたという陽動戦術。 陽動戦術は割とポピュラーな作戦で、歴史小説などでも見かけるが、情報が漏れると逆用される可能性があったりする。そういったリスクの高い側面もある。 敵を騙すには味方にも真の目的をあまり伝えられない(相手に察せられたり間諜にすっぱ抜かれる可能性がある)が、そうすると味方内部で足並みが乱れる可能性が出て来る。 また、「声東」のためには本隊以外にも兵をある程度分けざるを得ないため、読まれて片方に電撃的に戦力を集中されると各個撃破される危険性もある。 第四次川中島合戦でこの応用である「キツツキ戦法」を取った武田軍が危機に陥ったのは、上杉謙信に計を読まれ、兵力を片方に集中され、さらに予想外の事態にパニックになってしまったのが原因であった。 7. 無中生有(むちゅうしょうゆう) 「お前、ボーザツラウフを知らないのか。曲がった銃身でも、弾を撃つ事は出来るんだ!」「こ、今度は本当だったのか……」 「犯行に使われたのは‥‥この小ビンだった!その、猛毒の小ビンからあなたの指紋が発見された。いかがですか、証人ッ!」 こちらの嘘を相手にわざと気づかせ、次の攻撃を嘘だと思わせる。 オオカミ少年の心理を戦略に用いたものだと思えばよい。 この無とはすなわち嘘であり、相手に嘘だと思わせて、有すなわち実で攻めるという意味。 まずハッタリをかます。 例えば「兵1万近くと見せかけて」大攻勢に立ったが、実際は兵1千程度で容易く追い散らされてしまう。 それを何度か繰り返す。 そうすると、敵は段々「1万近く攻めてきました!!」と言われても「どーせ1千程度だろ、容易く追い散らせるさ。敵は兵力が尽きてコケ脅ししかできないだけだよ。」と油断する。 その油断をついて本当に1万近い兵で攻め、油断した敵をフルボッコにさせる、という作戦である。 あまりに力を入れるとハッタリのために損害が増えるが、力を抜きすぎるとあっという間にハッタリと見破られ、裏で何か企んでいるのではと疑われるため、加減が難しい。 8. 暗渡陳倉(あんとちんそう) 「右と思い、左に動く。上と念じ、下へと動く。思念は読めても動きは読めまい!」 「だが、この程度じゃ盛大には出火しねぇだろう。オペ室で使われているのは、燃えづらい不織布だぞ」「でも煙は立ち上るだろうね。つまり、これを仕掛けた者の目的は……火事を起こすことじゃない。ガス式の消火器を使わせることにあったのさ」 声東撃西と似た考え方だが、向こうは攻撃開始を敵に知られるべき(*1)だが、こちらは攻撃開始を敵に悟らせないことが重要。 例えば、道路を作ることで、敵は「この道路を使って攻める気だな。当然道路の出口の近辺を守ろう」と思わせるが、実際は全く別の目標を狙うというもの。 本来は「明修桟道、暗渡陳倉」という。陳倉とは地名でありこれを行ったのはかの韓信。 項羽に対して翻意無しと示すために焼き払った蜀の桟道を、おおっぴらに修復しはじめる。 すると相手は「修復完了にはまだ時間がかかるな。」と考えるだろう。 その裏で密かに山脈を大きく迂回して陳倉に至り、そこから旧道を利用して関中を奇襲した。 結果、守っていた章邯らは次々に敗れることとなる。 9. 隔岸観火(かくがんかんか) 「敵は億……学び、団結し、増える億。片や百人、減る一方……30余りになっても、団結さえできない……」 「敵陣に火が立っているなら対岸の火事扱いにして何もするな」というものである。 敵陣で内部分裂などが起こっているときに無理に攻めたりすれば、外敵の存在によって敵の内部分裂は急速に収まってしまう。 無理に攻めないで内部分裂を大きくさせてやれ、という考え方である。 火事になっているときに攻めるのが有効!!という趁火打劫もあるので、見極めは難しい。 三国志において、袁紹の後を継いだ袁家三兄弟と従弟の高幹は、当初は共同して曹操と戦っていた。 袁紹死去と言えど元々の勢力自体が曹操より上であり、一丸となって向かってこられたら曹操と言えど危ない。 だが、曹操の参謀・郭嘉は「戦うと彼らは共同するが、放っておけば彼らは勝手に戦い始める」と進言。 曹操はある程度は戦ったようだが、その後は放置・様子見。三兄弟(というか長男の袁譚と三男の袁尚)は勝手にバトルを始め、ついには袁譚が曹操に降参。内部分裂の果てに自滅していったのだった。 10. 笑裏蔵刀(しょうりぞうとう) 「第八銀河系の中にあるザラブ星人。我々の言葉で『兄弟』という意味だ。仲良く平和に暮らしていく事が、我々のモットーだ。だから、地球の諸君とも兄弟同士という訳だ。」 「『なぜ、僕は今からこの子に殺されなければならないのか』だろ」 敵と事を構える前には友好的なふりをして油断させましょう!!というものである。 いわゆる面従腹背である。 荊州に陣取る蜀の関羽に対し、呉の呂蒙の後を継いだ陸遜は関羽にへりくだりまくり、関羽はすっかり油断。全兵力を樊城攻略に投入してしまった。 結果として呂蒙に背後をつかれ、関羽は敗死することになる。 日本では、河越城の戦いが有名か。 足利・上杉の連合軍に要衝・河越城を囲まれた北条家。 当主氏康は、わざと負けたり、和睦を持ち掛けたり、酒を秘密裡に敵陣に配ったりなどして、すぐに戦うことをしなかった。 それによって、連合軍が『氏康恐れるに足らず』と油断するのを待っていたのである。 そしてその目論見の通り、油断しきったところを奇襲した北条軍は、数倍もの敵軍を撃破したのである。 敵が油断してくれなかったり、状況が変化してこのまま友好的にしておいた方が得策になったなら、裏の刀だけをしまって形だけの友好を本物の友好にする…という手も取れたりする。 11. 李代桃僵(りだいとうきょう) 「グレート・デギン、どこへ配備されたのです?ズム・シティですか?」「沈んだよ。先行しすぎてな」 「戦争だから……私たち、軍人だから!? そう言われたら、そうやって死ななきゃならないの!?」 敵と戦うときには、どうしても損害をある程度は覚悟しなければいけない。 そんな時には価値の高い桃の木を守り、スモモの木(桃より価値が低い)を犠牲にしましょうと言うもの。 全体の損害を抑えつつ勝利するように図ろうということ。 現代で言うところのコラテラル・ダメージ、軍事目的のための、致し方ない犠牲である。 味方の犠牲が前提となるので、味方の士気の問題と切り離して考えられない。 犠牲前提に考えると、価値の低いと見なされた者はおろか、大事な主力にまで見限られる可能性がある。 見限られると敵に寝返られたり反乱を起こされたりでろくなことがないので、味方を統率する能力や将自身のカリスマが問われることになる。 島津義弘が関ヶ原の戦いで撤退した時の「捨て奸」もこの一つだが、逆に兵たちの士気は高く妖怪首おいてけらが次々と討ち死にしていく中、脱出に成功。 結果敗北した西軍の中で領土安泰を得ることとなる。 12. 順手牽羊(じゅんしゅけんよう) 「私がずっとずっと、一番伝えたかった言葉を言うよ。 梨花ちゃん、君を助けに来た!!」 「お前は足軽組頭だろう?気付かなかったのか?」 羊の大群から一匹の羊を盗んだ者がいたが、あまりに堂々としていたので誰にも盗人だと気づかれなかったという故事に由来する。 敵が大軍になってくると、どうしても細かい部隊の管理まで手が回らず、連絡がうまくいかない。 雑兵は何百、何千人といるし、装備は統一され入れ替わりも激しいので自身の隊以外の者の顔や名前を一致させるのは至難の業。 連絡がうまくいかないことにつけこみ、連携をさせずに各個撃破していこうと言うものである。 忍術では「賎卒の術」といい、敵の雑兵や使用人に紛れ込み情報収集や破壊工作を行うもの。 無線通信が発達した現代においては戦術レベルでは使い辛いが、敵に気付かれないように細かく損害を与えていく作戦という意味では今も生きている。 13. 打草驚蛇(だそうきょうだ) 「奴の怒りのすさまじさが分かる。どうやらおれたちは、触れてはいかんものに触れてしまったらしい……」 「オレはおこったぞー------!!!フリーザー--ッ!!!!!」 「てめーの敗因は…たったひとつだぜ……DIO…たったひとつの単純な答えだ………『てめーはおれを怒らせた』」 いわゆる「ヤブヘビ注意」。 不必要な挑発・仕掛けをした結果、思わぬ反撃を食らうことがあるので気をつけましょうね!というもの。 籔にヘビがいても事前に分かっていればそんなに問題はない。 そのため、「よく分からないならきちんと情報を収集せよ」という意味ともされる。 14. 借屍還魂(しゃくしかんごん) 「先帝の無念を晴らす!」 戦争における大義名分の重要性を示している。 既に実質的に滅亡していたり、形骸化してしまった権威を持ち出すことで、「自分の戦争」に大義名分を作ると言うもの。 大義名分のない私利私欲のための戦争では、部下もついてこないし同盟者もできない。 そして、下手に「本当に強大な権威」を持ち出すと、本当に強大な権威の言うことを聞かなければならなくなり、「自分のための戦争」が出来なくなってしまう。 その意味でも持ち出すのは形骸化してしまった権威による大義名分が望ましいのである。 この計略の弱点は形骸化した権威の使い方の難しさである。 権威を抱えていると周囲の勢力に「権威を自分で抱え込み操り人形にする佞臣だ!救出せねば!」という形での大義名分を与えてしまう可能性がある。 また、当の形骸化した権威も、ボスと仲良くやれていればよいが復権に動き出してボスと諍いを起こすと厄介になる。 部下もボスと権威のどちらにつくか困惑することとなり、重大な内紛の種となる可能性がある。 劉備のように自分が形骸化した権威の子孫であると言う立場は、そういう諍いが起こりにくいと言う意味では便利と言える。 日本では、織田信長が将軍である足利義昭を担いで上洛したのが有名か。 もっともこちらは、室町幕府の権威がまだ有効だったこともあり、義昭に背かれ、信長包囲網に苦しめられることになるのだが。(異説あり? 15. 調虎離山(ちょうこりざん) 「お前は罠に嵌ったのだ! GUYSと分断されたお前は、いつも通りには戦えない!」 虎が本拠地である山にこもっているのを無理に攻めようとすれば、勝てないか勝っても大損害は必至である。 それなら、虎をうまく山からおびき出して離してしまえば、虎にも容易に勝てるというもの。 人間の戦争になおせば、城攻めが下策なのは古今東西言われていることなので、それなら敵を城や本拠地から打って出させ、釣りだして攻めるのが有効なのである。 三方ヶ原の戦いはこの典型例。 武田信玄は徳川家康のいた浜松城をスルーしたが、家康はそれなら攻めてやろうと出撃して籠城戦の有利を自ら放り出してしまう(坂道を下る武田軍を上から攻めるのを狙ったともいわれる)。 ところが、信玄はここまで計算。坂道を下る前に進軍を止め、兵を整えて待ち構えており、家康はフルボッコにされてしまった。 また、かの韓信の「背水の陣」は実はこれが目的。背水の陣なんか敷いてるアホ相手なんか楽勝!と思って相手が城から出てくることを狙っていたのだ。 実際に敵軍が総攻撃するも韓信の軍は耐え抜き、いざ城に戻ろうとしたら別働隊に城を占拠されていた。帰る「山」を失った敵軍は動揺し総崩れとなった。 16. 欲擒姑縦(よっきんこしょう) 「ネズミは逃げ道があるかぎり闘わない。逃げることだけ考える……。希望によってネズミは死ぬ……! 戦う意志を失い無力となる……!」 「敵に逃げ道をひとつ与えておいて、その逃げ道に敵が集中した時逃げ道もろとも叩きつぶす!! 兵法の基本だ」 「あんたがたはガンバのいいなりになって飢え死にしたいのか?せっかくこれほどのご馳走を用意したというのに。バナナ、パイナップル、リンゴ、メロン、米やあらゆる穀物…それに水や酒まで!どれも勇者のために選び抜いたおいしいものばかりだ!」 直訳すると「敵を捕らえようとするなら逃がしてやれ」という一見意味の分からない文章になるのだが、これも実はきちんとした理由がある。 もし敵が完全に包囲されてしまったと知ったらどうなるか。敵は死に物狂いで最後の抵抗をかけ、こちらの戦力を削ってくることだろう。 しかし、もしここでこれ見よがしに「はーい、こっからなら逃げられますよー」と出口が示してあったらどうなるか。 敵はこちらを倒して脱出することよりも出口に逃げ込むことに死に物狂いになる可能性が高く、こちらの損害を抑えられるのである。 逃がすと言っても別に放免してやれと言うことではない。逃げる道をこれ見よがしに示してやれ、ということなのである。その後闘志を失った敵を攻撃すれば良いのだから。 え?天下分け目の大戦が決着したと思ったら本陣めがけて突っ込んできた? 17. 抛磚引玉(ほうせんいんぎょく) 「安いもんさ……8000点なら安い買い物……。浦部は点棒を拾い、つかのまのリードを広げた。オレはこの8000で、「後の3巡」を買う……」 「よく聞けキラ、もし今おまえがテレビに映っていたリンド・L・テイラーを殺したのなら、それは今日この時間に死刑になる予定だった男だ。私ではない」 「海老で鯛を釣る」に近い言葉。 例えば食糧に余裕がある場合、敵にあえて「ここに食糧が貯めてあります!!」と情報を流す。 敵が喜んでそこに攻め込んで来れば待ち伏せして放火してフルボッコという手法。 敵をフルボッコにできるなら食糧ちょっとなくなるくらいはいいでしょ、ということなのだ。 もっとも、敵だって小さなメリットのためにリスクの大きい戦いはそうそう仕掛けてこない。 かといって大きなメリットをちらつかせると、こちらも失うものが大きくなってしまう。 いかに「こちらにとっては大して惜しくもないものを、敵にとっては美味しい餌と見せかけるか」がキモ。 18. 擒賊擒王(きんぞくきんおう) 「ウハハ、見ろ!! この切り刻まれた身体を!!」「風だけが、旅の終わりを告げていた」 「仕方ないですよ……総理も官房長官も花森大臣もみんな……もう、誰もいないんですから……」 「敵の大将さえとらえれば、その他は賊と同じ」というもので、要は「大将を狙え!!」ということである。 末端の部隊などいくら潰してもキリがない。大将に逃げられると、また兵を整えてこちらに歯向かってくる。 なら、その大将を戦死させるなり捕らえるなりすれば、下っ端の兵など山賊同然で雲散霧消というのを狙えと言うもの。 …といっても、それくらい大将が大事だからこそどこの軍でも大将はしっかり守っている。 現代戦ともなれば無線通信が発達して司令官はそもそも現場におらず狙いようがない場合が多い。また交代要員がすぐに準備され、個々の兵の力量も高く司令官がいなくても活動できるため、現代の戦争での出番はまずないだろう。 ただし特定人の技術などでもっているビジネスなどを想定した場合、その特定人を引き抜きすれば勝ち、なんて応用がきく。 19. 釜底抽薪(ふていちゅうしん) 「目の前の一勝でなく、全体……全体としてどう勝つか、考えたよなそんなこと。小市民のマイホーム購入計画、人生設計みたいなこと! 死ねっ! ズレてんだよ! そんな考えは安全なベッドの中、うたた寝しながらしろや!」 釜の水が煮えたぎる(=敵兵の戦意が強い)のは薪が燃えている(=エネルギー源がある)から。 なら薪(=エネルギー源)を抜いてやれば敵は怖くなくなるという作戦。 擒賊擒王の敵の大将以外バージョンとも言えるだろう。 敵が「殺されるのが怖いから必死」なら、「投降しても殺したりしないし、何なら故郷に返してあげてもいいし、取り立ててあげてもいいよ」と言って懐柔する。 そうすると「殺されるのが怖い」という薪を失った敵兵の戦意はあっという間にさめてしまうのである。 籠城戦においても救援や援軍・勝算の見込みがあれば長篠城や千早城の様にどんな弱い城、不利な状況でも守り通すが逆に見込みがないと大阪城や小田原城の様にどんな堅い城でも落ちるのである。 20. 混水摸魚(こんすいもぎょ) 「キールの檻の場所なんざ最初から眼中に無ぇよ……。要は、その場所を我々に知られたと覚らせ、奴らの脳天に恐怖の楔を打ち込む事だ……後は急いたハエどもが……どう飛ぶか……!」 水をばちゃばちゃとたたけば、水中の魚は混乱してしまうので、その魚を狙うと言う意味。 趁火打劫で想定されている敵軍のパニックをこちらが動いて起こしてやろうというのが混水摸魚とも言える。 敵がきちんと組織立っている間に攻めるのは容易ではない。 それなら、敵を混乱に陥れ、仲間割れを起こさせたり、パニックを起こさせたりしましょう、というもの。 敵陣に放火を仕掛けたり、裏切者が出ると言うようなデマを飛ばすのが典型だろうか。 敵がうまい具合に混乱してくれればよいが、勢い余って味方まで混乱させないように注意。 例えばデマを流して味方にそのデマが広まったりすると、敵どころか味方までパニックになってしまう。 日本では「蛍火の術」といい、偽の重大情報が書かれた手紙を持たされた忍者が捕縛されることでその情報が敵に伝わり混乱を発生させるもの。 重大情報を持っていたのでその忍者は口封じに殺される可能性が高く、何も知らなかったとしても真実は闇の中となる。 そのため、『敵将Aがこちらに寝返っている』と書かれていても確かめる術はなく、Aは潔白を証明すべくその忍者を自らの手で切り捨てたとしても「味方を自分の手で殺すことで疑われないようにする常套手段」として信じてもらえず互いに禍根を残すこととなる。 21. 金蝉脱殻(きんせんだっかく) 「バッカヤロー!そいつがルパンだ!」 蝉が脱皮すると中身はなくなるが、蝉の形の抜け殻が残ることになぞらえたもの。 敵が強大な場合にはいったん撤退して体勢を立て直したい。 あるいは、主力軍を移して別の所で戦いを始めたい。 しかし、こうした移動中を狙われると大損害が起こりやすいし、そうでなくとも戦略を読まれてしまいやすい。 なので「撤退はしていないよ」と見せかけるために、陣地の資材を残したり、僅かな人員を残してかがり火だけはそのまま焚かせるなどという方法で 「軍を動かしていないように見せかける」という作戦である。 太平洋戦争中、キスカ島撤退作戦において日本軍は天候などに恵まれ、キスカ島の兵員を全員撤退させることに成功した。 撤退されていたとは気づかないアメリカ軍は予定通りキスカ島に上陸して総攻撃を開始。 人がいないから占領には成功したものの、緊張のあまり100人以上もの同士討ちが発生し、大量の資材を無駄にした。 オマケにある日本兵がイタズラ心で残しておいた「この先、ペスト患者収容所」の看板に大パニック。 中身のいないセミの抜け殻を本腰を入れて潰そうとした結果、米軍は無駄な損害を重ねたのである。 22. 関門捉賊(かんもんそくぞく) 「あなたは今お金がとても必要なんでしょう?勝てばいいじゃないですか」「夜明けにはまだ間があります」 しっかりと門や関所を閉じ、敵の退路を断って攻撃しましょうというもの。 もちろん、逃げようとする敵を無理やり追撃しようとすると16番の欲擒姑縦にひっかかるので、見極めが難しい所。 ただ包囲したら包囲したで、逃げ道の無くなった敵は死に物狂いで反撃に出てこちらの被害が大きくなる可能性がある。 孫子は「敵兵の10倍いるなら包囲せよ」と言っており、基本的にはこちらが十分に優勢になって、敵が窮鼠猫を噛むこともできない状態で一気呵成に行いたい。 (このため、勝戦計などもっと優勢な時の計略に分類すべきという意見も強い) もし包囲するのに味方の戦力が不足だと感じるのなら、兵糧攻めにして相手の士気を鈍らすか、あえて包囲を解いて欲擒姑縦するのも手段の一つ。 ただし万が一にでも逃がすといろいろとまずい相手にはこっち。 まあ撤退するのに敵陣ド真ん中突っ込んでくる軍勢にはどうしようもないが…。 23. 遠交近攻(えんこうきんこう) 「大和田さん、あなたに頼みがあります」「死んでも嫌だね!」 近くの敵を片づけるためには遠くの勢力と手を結ぼうというもの。 遠くの勢力と自分たちの勢力。二正面作戦を強いられれば、敵も苦慮せざるを得ないことになる。 戦国時代の秦の外交政策として有名。 今でもよく使われる言葉であり、現代の外交戦の基本でもある。 日露戦争では日本と同盟国にあったイギリスがスエズ運河を封鎖したことでバルチック艦隊はアフリカ大陸南端の喜望峰を通るルートを余儀なくされる。 平均7ノットの低速、半年間の航海で乗組員は多数死亡、やっと日本海に来たところでボッコボコと最新鋭戦艦4隻を誇った巨大艦隊はその真価を発揮できぬまま沈んでいった。 24. 仮道伐虢(かどうばつかく) 「不二子を使えば、もし潜水艇が潰れても、自分は助かる。上手く金塊の回収に成功すれば、その後、不二子を始末すれば良い……」 攻略対象が複数ある場合の作戦。要は「多正面作戦をせず、各個撃破を狙え」というもの。 まず片方を買収するなり脅しつけるなりして味方につけ、味方にならなかったもう片方を攻め滅ぼす。 そして用が済んだらその味方も滅ぼしてしまえ、というえげつないやり方である。 もちろんバレると敵同士で手を組まれたり、「こいつらと組むとあいつのように使われるだけ使われて最後はポイだ。絶対組むもんか」と思われて次の同盟相手が見つからず孤立するリスクもある。 25. 偸梁換柱(とうりょうかんちゅう) 「仰る通りです、この程度の熱では無理……でも変えれば良いんです……! 一部分でも良いから、別の素材に……!」 「今回の委員長改選は六年生がそれぞれ戦えないような配置になっているんだ」 「あなた実は‥‥霊媒ができないんじゃないですか?」 梁(はり、建築で横棒などに用いる)を盗んで柱に交換してしまうと言う意味。 梁は柱より細く、梁の材料を柱なんぞにしたら家は一発で崩壊してしまう。 要は、敵にとって大事な柱となる部分を弱いものに入れ替えさせて弱体化させろということ。 春秋戦国時代の秦と趙の戦いである長平の戦いでは、秦は趙のベテランの将軍である廉頗の持久戦によって攻めあぐねていた。 そこで秦の宰相范雎は趙にスパイを送り込み「秦は廉頗よりも趙括が将軍になることを恐れている」という偽情報を流す作戦をとる。 趙括は頭は良いものの実戦経験が乏しく、将軍としては廉頗よりはるかに劣っていたので范雎はそこに目を付けたのである。 趙の王はこの偽情報を信じてしまい廉頗を更迭し趙活を将軍とした。そして目論見通り趙括は采配ミスを犯し秦の白起に大敗。趙は大きく弱体化するのである。 三国志演義で、魏にとっての大黒柱である司馬懿が何としても邪魔であったため、馬謖が手を打ち司馬懿が反乱を考えているという流言飛語を飛ばさせた。 これにまんまと引っかかった魏は司馬懿から兵権を取り上げてしまい、能力で劣る曹真らに迎撃を命じ、彼らは司馬懿が復帰するまで諸葛亮にフルボッコにされることになる(*2)。 落第忍者乱太郎51巻では学園長先生が6年生の生徒に対し使用。 火薬の扱いに長けた立花仙蔵を毒虫などを扱う生物委員会に、武闘派の潮江文次郎と食満留三郎をそれぞれ保健委員会と作法委員会に異動、他の3名も違う委員会に異動させた事で得物と行動を封じる事で自ずと主戦力は5年生以下の生徒となり実戦経験を積ませた。 このように味方に対しても不利な状況をどうにかする経験を積ませるために使うこともある。 現代のスポーツでいえばコンバートさせることも偸梁換柱の一つになりえる。 2010年、中日ドラゴンズの荒木雅博内野手は「打球を足ではなく目で追うようになった」としてセカンドからショートにコンバート。 セカンドの頃はショートを守る井端弘和内野手と共に華麗な守備を見せていたが、ショートになった途端にエラーが急増。 パワプロ2011では守備力こそ7段階中6のBランクであったが(*3)、エラー回避は最低のGランクと名手にしては厳しい数値になったがこれによって守備が鍛え直された。 2012年に再びセカンドへコンバートされてからは引退まで守備の名手として活躍した。 相手が使う場合となるとやはりFA移籍による引き抜きか。 2019年、巨人はカープの主軸打者である丸佳浩選手を獲得。 チームの主軸打者にして守備の要を失ったカープは前年までリーグ3連覇を成し遂げていたが大失速して5位に沈んだ。 一方移籍した丸も日本シリーズでは4タテ2回含めた12連敗を喫している。 26. 指桑罵槐(しそうばかい) 「か、勘違いしないでよね!あんたのことなんか全然好きじゃないんだから!」 「お任せください。前任者のような失敗は、繰り返しません」 敵をどうこうするのではなく、味方に対して向ける訓示の方法。 槐(えんじゅ)の木を罵倒したいなら、直接槐を罵倒するのではなく、桑の木を指して罵倒することで間接的に槐を罵倒しろ、というのである。 軍事をやっていれば、どうしても失敗をした者、これから失敗をしそうな者に対して厳しい叱責や罵倒をすることも必要になることがある。 だからといって、直接罵倒すれば、罵倒された側も意固地になり、逆に言うことを聞かなくなってしまったり、最悪機密情報ごと敵に寝返ってしまう。 桑を指して罵倒することで「これは自分も直さなければいけなかった!!」と気づかせるのが重要なのである。 本人に「これは自分も直さなければいけなかった」と気づく脳みそや直そうとする精神があるのが大前提であることを忘れてはいけない。 例えば三国志の魏の大将軍曹真の次男曹羲は父の跡を継いだ兄曹爽の専横を諌めようと、享楽に溺れる弟達への訓戒として間接的に兄を諌めた。しかし曹爽は不機嫌になるだけで態度を改めず、政治をさらに乱した。そのため司馬懿にクーデターを起こされ三族皆殺しとなってしまった。 また、罵倒される桑役にされた人のケアも忘れずに。自軍の誰かではない人の失敗談を使えるとベネ。 27. 仮痴不癲(かちふてん) 「誰が教えるか。世の中は無智なふりをしていた方が、立ち回りやすいのだ」 「台風がしでかしたことであれば、それが何であれ、責任がどうこうという問題にはならんと思いますが…。なんせ台風のすることですから…」 あえて愚か者や凡人を装うことで、敵からの警戒を緩ませる作戦。 「愚か者・野心のない者を装っておけ」という「能ある鷹は爪を隠す」とほぼ同じ意味。 敵はもちろん、同盟者であっても人は勢力の主を警戒する。敵に「こいつらこっちに攻めてくるんじゃないか」などと警戒されれば、やりにくくてたまらない。 なので、用もないのに能力を見せつけたりせず、自分たちは平凡な存在だと見せかけておくのが重要なのである。 あまり愚か者の装いが上手すぎると味方にまで「こんな大将についていくのは不安なので離れよう」と思われかねないリスクに要注意。 また「癲」とは気が狂っていることだが、この場合は「癲」ではなく「痴」でなくてはならない。 「癲」を演じて損得が関係ないように振る舞えば偽装に気が付かれるかもしれないが、「痴」を演じて「知らない、理解してない」前提で振る舞いとしては合理的だが愚かな結果になっている、ならばより欺きやすい。 敵以外でも身内からの警戒や疑いをそらすための作戦にも使える。 漢の三傑の1人である蕭何は主君である劉邦からの粛清から逃れるために、わざと悪政を行って自らの評判を落とすことで何とか難を逃れることが出来た。 同様に漢の丞相の陳平は時の権力者である呂雉(劉邦の妻)の粛清を避けるため、女色に溺れるなどの乱行をわざと行っている。 一番有名なのは「織田信長」の若い頃のうつけと呼ばれるエピソードの数々であり、多く家臣、一族、周辺国が彼を侮り後に信長に手痛い仕打ちを受けた。 中国では荘王 (楚)も有名。日本では「泣かず飛ばず」の由来の人物で、全く政治を見ず、酒に溺れていた。だが、荘王は3年間、愚かな振りをした演技をしていて、悪臣を数百人誅殺し、目を付けておいた者を新たに数百人登用した。 三国志では司馬懿が政敵である曹爽の警戒を緩ませるためにボケ老人のふりをしたのが有名。 曹爽一派の李勝の前でわざと聞き間違いをしたり、飲み物をダラダラをこぼしてしまう演技をしたりすることで曹爽からの警戒を解かせることに成功している。 また、曹操が袁紹と睨み合っていた頃に程昱が寡兵で守っていた城へ援軍を送ろうとしたところ、程昱が「援軍を送ったら却って警戒され攻められます。どうか援軍は送らないでください」と進言した。 言う通りにすると程昱の守っていた場所は無視され、程昱は城を無事に守り切ったという。 またこちらは三国志演義の話だが劉備が曹操を油断させるために、わざと雷に驚いたり、百姓の真似事などをしている。 28. 上屋抽梯(じょうおくちゅうてい) 「閣下、そんな事をせずとも、入れますよ。――さあ、何を躊躇うのです……中にお進みください……!」 日本語の「はしごを外す」の語源とも言われている。 言葉巧みに相手を屋上に上げた上ではしごを外してしまえば、敵はもう抵抗の術がない状況に追い込まれている。 しかも、追い込むのにガチバトルが必要ない。 言葉や利益などの方法で巧みに「梯子」をのぼらせ、敵を逃げ場のない場所に誘い出せ、という作戦である。 曹操の名軍師・賈詡は、当初は張繍に仕え、曹操軍と戦っていたことがあった。 張繍の立てこもる宛城を攻め落とそうと、曹操は6番、声東撃西の応用である「偽撃転殺の計」を用いた。 西門を集中攻撃して城兵の守備を西門に集中させ、実は東門を集中攻撃して落とそうという仕掛けであった。 ところが、賈詡はこれを見破り、上屋抽梯の応用である「虚誘掩殺の計」で逆に曹操をはめることを献策した。 曹操軍が本命である東門に突入してきた際、味方の損害を出させないようにしてわざと突入させた。 曹操軍は最初は作戦成功と思い勇んで突入していったが、城に招き入れて逃げにくくして死地に誘い出す策略。 自ら死地に飛び込んだ曹操軍はフルボッコにされてしまった。 賈詡は「敵の作戦に引っかかったふりをする」ことで曹操軍に危険な梯子を上らせたのである。 1939年にフィンランド、ソ連間で起こった冬戦争において、圧倒的不利だったフィンランド軍は自国の村を焼き払った上で撤退し続けソ連軍の進軍・占領を許した。 しかし、村の真ん中あたりに来たところで潜んでいたフィンランド兵が十字砲火を浴びせソ連軍は壊滅、生き残った兵も地元の人間すら迷う自然の中で行方不明となっていった。 武器・弾薬ともにソ連より劣っていたフィンランド軍はほぼ無傷でソ連製の武器を得ることに成功し、終戦まで戦線を維持し続けた。 29. 樹上開花(じゅじょうかいか) 「端的に言えば『張子の虎』。だが、張り子であっても虎は虎と言う事か。」 樹上に咲いている花は、実際以上に大きく見えることが多い。 転じて、実際以上に自分たちを強く見せかける作戦である。「示強の計」とも。 もちろん、こちらに十分な兵力が最初からあれば問題はないが、戦場においてそんな都合のいい話ばかりではない。 援軍到来までの時間稼ぎなどのためには、十分でない兵力で敵を迎え撃たなければならないこともある。 また、囮部隊をできる限り強く見せかけることで、敵に囮に対してたくさんの兵力を割かせ、あわよくば囮を本隊と見せかけたいということもある。 そんな時にはなんとかして兵力を大きく見せかけ、敵をビビらせると言う戦略が有効になることがある。 役に立たない傷病兵や女子供に旗だけ立てさせるとか、援軍到来の噂を流す、炊事の煙をたくさん出すなどという手がある。 一見すると「旗とか動いてないのに兵がいるのか?」と思うかもしれないが、逆に旗が動く=兵が動いている=統率が取れておらず混乱状態にあるという証でもあるので、 旗が動かない事は兵がみな統率され、規律の保たれた状態にある=迎撃用意は万全、殴り合い上等、来るなら来いと言っているようなものなのだ。 武田信玄は、プレゼントされた3700ほどの貝殻をまとめ、部下に見せて数を聞くと、部下たちの答えは1万以上というものばかりであった。 信玄はここから、「一目で全貌が見える貝殻ですら数が多く見えるのだから、戦いには多くの兵はいなくとも敵はこちらの兵力を過大に見積もる」と言ったという逸話が残されている。 三国志演義で、諸葛亮は北伐から撤退しなければならなくなった。当然撤退時を敵である司馬懿は狙っている。 そこで諸葛亮は撤退しながらも野営地に作らせるかまどを後になればなるほど増やしていくという作戦を取った。 引き払われた陣地を調べた司馬懿は「段々かまどが増えているのは援軍が来ている証拠では?撤退に見せかけて自分をつり出そうとしている?」と疑心暗鬼に陥り、追撃を諦めてしまったのである。 30. 反客為主(はんかくいしゅ) 「いいかい、今日からお前の主人はかぐやだ。言う事をよく聞くように。そして、かぐやの信頼を勝ち取り、一挙一動を報告しろ」 敵の臣下となって内側から乗っ取りを仕掛けよう!!というスパイ作戦。 敵の組織を丸ごと乗っ取るという壮大な計略のため、長期的なビジョンが必須となる。 考え方としては非常に分かりやすいが、当然「元敵」がやる以上相手も警戒するので、非常に慎重かつ時間をかけて行わなければならない。 計略者が無能だとすれば乗っ取りを仕掛けることが出来る地位に行くこともできないだろう。 急激に動こうとしても警戒されるのがオチである。 乗っ取る組織にどれだけの穴があるかどうかで成功が左右する計略と言える。トップが有能で結束が盤石な組織ほど難易度が高くなる。 日本では「身虫の術」という。身虫とは寄生虫の事で内部から食い荒らすように敵の弱体化を図る。 特に侍大将のような高い地位にいれば抜けたときの混乱も大きくなるので効果が増す。 31. 美人計(びじんけい) 「……そうだ、もっと良い和解案があるんだけど。お前、京子の事好きなんだろ? 今日うち来いよ」 古今東西女に弱いのが男の性。英雄色を好む。 相手の戦意を萎えさせるにはハニートラップ・色仕掛けである。 土地や財宝などで釣る手ももちろんあるのだが、それらはどうしても自軍に必要で渡しにくい場合も多い。また領土や金銀財宝を手に入れた相手がより軍備に力を入れることも大いにあり得る。 だが、女性一人なら渡しやすいのである。 現代で策略としてそれを行えばセクハラどころの騒動ではないが。 32. 空城計(くうじょうけい) 「気づく、気づくさ……優秀なんだから……! 優秀だから、気づいた後、疑うんだ……決してそのまま受け取ったりはしない……!」 「樹上開花」に近いが、これは三国志演義にある例を出そう。 諸葛亮は、司馬懿の10万の兵に小城に包囲されてしまった。 手持ちの兵力では出撃しても敗北確定であり逃げても追いつかれる。例え籠城しても守り切れない。 そこで諸葛亮はあえて城門を開け放ち、余裕の態度で琴をひいていた。 司馬懿は「突入すると罠でもあるのか?」と疑い、兵を引き上げてしまったのである。突入されたらアウトのハッタリ作戦であった。 戦国時代には三方ヶ原の戦い後の徳川家康が武田信玄の軍をこれで追い払ったともいわれる。 こんな風に、相手が知恵者である場合に相手の疑心暗鬼を誘発する計略。 相手が脳筋司令官なら「損害上等!ツッコめ!」となる可能性が高く、相手の司令官の力量の読みも必要になる心理戦である。 よって諸葛亮の様な空城計を実行するのなら、相手が司馬懿みたいな知恵者であるかどうか見極めること。そうでなければ「お! 開いてんじゃーん(歓喜)」で終了である。 日本では「驚忍の術」といい、人々の迷信や怪異なことを利用して驚かし、それによってできる心の隙や動揺に付け込んで目的を達成するというもの。 名探偵コナンでは犯人をおびき寄せるために使用 下着ドロやらカツアゲなどの演技をすることで犯人に「警察は張り込んでない」と思わせ御用とした。 33. 反間計(はんかんけい) 「行くぜ、チェシャ猫作戦だ!!」 「忍たまどもの動きをどう見るのじゃ?カワタレトキ忍者の動きをどう見るのじゃ?考えてもみよ」 反間の「間」は間者、スパイの意味。要は、敵のスパイを逆用してやれ!!という作戦である。 スパイは、自分の握った情報がニセ情報だと気づかない場合が多い。そしてスパイから流された情報を敵も信じ込みやすい。 つまりスパイに嘘情報を嘘と悟らせずに掴ませれば敵を騙すのが簡単、という作戦である。 嘘が露見しても「嘘の情報を持ってきたこのスパイは、実は敵側に寝返っているのではないか」なんて勝手に疑ってくれれば万々歳である。 日本では「天唾の術」といい、自分の持ち帰った情報がかえって自軍に損害を与えるもの。 毛利元就の厳島の戦い前のものが有名か。 ただし、誰が敵の間者か完全に分かっていれば楽だが、基本そんなことはあり得ない。 そうすると、敵の間者を騙すには味方にも同じ誤情報を流さないと意味がない。 それは味方の足並みを乱す重大なリスクとなる。 逆にこの計略の破り方としては、多数のスパイを用いれば様々な角度からの情報を得ることができ、その中には全く逆の情報も入ってくる。そうすれば他の情報と合わせてどちらが偽でどちらが正しいかの判断もできる。 このように多数の情報を精査・判断し客観的なデータとすることを「節を揃える術」という。 併せて覚えておこう。 34. 苦肉計(くにくけい) 「撃て! 撃つんだ狐門! ……うわぁっ!」 これも三国志演義におけるものが有名なので、例にとろう。 赤壁の戦いで、呉の周瑜は老将黄蓋と陣中でケンカし、百叩きにした。黄蓋は百叩きにされたことで周瑜を憎み、曹操に使者を出し、コッソリ投降。 曹操は最初疑ってかかったが、スパイからの情報で黄蓋が百叩きにあったことが真実であると知り、黄蓋への警戒を解いてしまった。(*4) しかし黄蓋は百叩きを我慢した上での偽装投降をする腹積もりであり、黄蓋への信用を逆用されて赤壁で大敗北を喫するのである。 人は、好き好んで痛い目に遭おうとはしない。痛い目に遭ったとすれば、それは本人に企みがないことの証明だ。 またある人を害そう、攻撃しようという人間が、そのある人の配下であるはずがない。 人間はついついそう考えてしまうことがある。 その心理を逆用してあえて自ら痛い目に遭うことで敵を騙すと言う戦略である。 欠点としては当然敵も疑っているため、その疑いを晴らし、信用を得る時間が必要なので短期決戦には向かない。 長年睨み合ってる時に使うべきと言える。 自分が痛い目に遭う度合いが大きいほど、敵も信じやすくなりやすい傾向がある。 戦国春秋時代の呉の刺客、要離はターゲットを信じ込ませるために自分の腕を一本斬り落とし、自分の妻子を殺害するという凄まじい苦肉計を実行。 こんなことをされたら疑うなんてことはできるはずもなく、要離は見事ターゲットに近づき殺害することに成功した。 逆に三国志演義の石亭の戦いでは呉の周魴が魏への投降を信じ込ませるために自らの髪を切る程度で済ませたが、1部の敵将から投降を疑われてしまった。(計略自体は成功したが) なお、一般には苦し紛れの戦略というような使い方をされることも多いが、本来の意味ではない。 創作物においては、この計であると明示されることは少ないものの ・身内にターゲットを襲わせてそこから救うことでターゲットと接触する ・逆に身内に自分を襲わせてターゲットに救ってもらうことで接触する ・連続殺人の途中で共犯者(や自動装置)に自分を襲わせることで容疑者リストから外れる ・卑怯な献策・行動をした部下・同僚を厳しく処罰することで自分自身は誠実であるように思わせ油断させた上でより決定的な場面で卑怯な行動をとる 等々この計に当てはまる展開は多い。 日本では「山彦の術」といい、同一の主をもちながら仲の悪い武将A,Bの二人が酷い仲間割れをしてBが敵軍に仕える。 この時、Bが「Aの面はもう見たくない!Aを仕えさせているような主のアホ面もイカのように輪切りにしてやりたいぐらいだ!」と憎しげに語るが当然敵軍も疑う。 そこである程度敵軍の中で功を挙げて信用を得たところでAに呼応し敵軍に反逆すれば地位も手伝い混乱の渦に叩き込むことができる。 似た名前に「山彦試聴の術」もあるが、こちらは「極秘の情報を流し、寝返っていれば当然極秘の情報が敵にも伝わっている、寝返っていなければ当然敵にも伝わっていないと判断する」ものなので異なっている。 35. 連環計(れんかんけい) 「ブラボー、ブラボー。さすがは星のカービィ。よく、ジャマなドラゴン…ランディアをたおしてクレタネェ。」 「まわりがみんな敵に見えるキモチ。ククク。オレにはよーくわかるよ。小さなキッカケで恐怖が爆発する。あとは‥‥みにくい共食いさ。オレはそのユカイなショーを、客席から見物させてもらっただけ。そして、アンタが最後のコマだ。アンタの推理がアイツらにトドメをさす凶器になったんだよ!」 どうしても敵の数が多い場合に正面から迎え撃つのは止めた方が良い。 鎖が連なるように複数の計略を用いて、戦うことをせずに敵が自分から疲弊したり、仲間割れしたりするように仕向けるのが得策だよ、というもの。 苦肉計の項目で記載した例は、敵の間者を逆用しており、反間計と苦肉計の合わせ技であることが分かる。 三国志の読者の方は、敵の船と船を繋げる計略じゃないの?と思われた方もいるかもしれないが、少なくとも三十六計の連環計はそのようなものではない。 36. 走為上(そういじょう) 「命あってこそ、また次の機会をねらえる」 「将が生きていれば、お前さえ生きていれば桂家は滅びぬ。臆病者と呼ばれてもいい。生き残れ小太郎。何と罵られようが儂らは知っている。お前は立派な将であると」 「逃げるんだよォォォー----ッ」 「三十六計逃げるに如かず」。 要は勝てないなら逃げろと言うことである。 戦って玉砕するなど愚策も愚策。降参してしまうと命を永らえたとしても戦力などは取り上げられるリスクが高い。 それなら逃げて戦力を温存しとけということなのである。 もちろん、ただの逃げ腰では勝てるものも勝てなくし、味方にも見限られるリスクがある。 大事なのは戦力を温存したまま逃げることであり、闇雲に逃げ回って戦力を霧散させては元も子もない。 「逃げる」という非戦的な行為ながらも、高い指揮力が必要とされる作戦と言える。 ちなみに著者の檀道済はこの逃げを多用し北魏に脅威を与え続けた。 前漢の劉邦、蜀漢の劉備、中華人民共和国の毛沢東といった歴代建国者も、格上の相手にはこの走為上を駆使して機を待ち続けた。 日本ではキスカ島撤退作戦が有名か。 撤退させようにも艦隊の陣容で大きく劣る日本軍は北太平洋独特の濃霧を頼って出撃したが、幾度となく途中で霧が晴れた結果、制空権も制海権も無い状況となったため断念していた。 軍部からの猛烈な批判を浴びる中、確実に濃霧が発生するとの予報を得て出撃。 対するアメリカ軍も出撃していたが、レーダーに映った謎の影を日本艦隊と誤認し砲撃、弾切れを起こすなどして一時撤退する。 この隙にキスカ島に突入した日本軍は見事無傷で守備隊を収容し帰投することに成功した。 追記・修正は逃げながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 三十六計逃げるに如かず、ってのは「兵法三十六計にあるどの戦術よりも逃げるに勝る作戦はない」って意味だと思ってた・・・ 36番目の作戦が「逃げるに勝る戦略はない」って意味の戦術だよ、ってことなのね -- 名無しさん (2018-08-17 06 35 35) 逃げるべき時に逃げるのが戦略的に有利に働くのであって、その逃げるべき時を見定めるには兵法を全て熟知していなければならない。三十六計、いずれも使い時を誤れば愚策にもなるし、その逆も然り。 -- 名無しさん (2018-08-17 07 02 33) ちなみに三十六計とあるが、それぞれ使うべき状況で六計六組に分けられる。具体的には最初の方はかなり優勢、後方は劣勢時に適用。つまり逃げるというのは三十六計においては降伏・停戦よりマシという程度の手段であるし、ただでさえ劣勢時に兵力を温存し退く決断ができるかという難しさもある。ただし上手に運用できれば、兵力を残し形勢逆転の機会を残すことができた。逃げることが全てに勝るのはガチで全く勝算がない場合なので、いつでも逃げたら何とかなるとかそういう話ではない。 -- 名無しさん (2018-08-17 07 17 54) 遊戯王ゼアルの遊馬vsアストラルで遊馬が仕掛けた「通れば自分が負ける自爆特攻を自信満々で仕掛ける事で相手に裏があると思わせ攻撃無効効果を無駄撃ちさせる作戦」も、ここでいう空城計に当たるのかな -- 名無しさん (2018-08-17 08 16 53) 反間計で有名なのは、厳島合戦かな。元就が、陶軍を厳島におびき寄せるために、『厳島に城を築いたのは失敗だった』と、間者に吹き込むって話。例にのせてもいいのでは? -- 名無しさん (2018-08-17 09 25 36) ↑2遊馬先生ほんとデュエルスフィンクス成長したよな -- 名無しさん (2018-08-17 09 39 16) 落乱(忍たまの原作)で見たことあるのもちらほらあるね。3.23.32は名前も出てた。33は天唾の術で34は山彦の術。35は十面埋伏の計が近いかも。 -- 名無しさん (2018-08-17 10 40 23) 苦肉の策の本来の意味がこういうこととは知らなかった。捨て身作戦みたいなものだったのね -- 名無しさん (2018-08-17 10 59 17) ???「へい……ほう……?」 -- 名無しさん (2018-08-17 12 31 45) 5と9の見極めは、相手方が問題の対処を後回しに出来るか否か、だな。 -- 名無しさん (2018-08-18 09 48 14) 「兵法三十六計逃げる勝ち」って言い回しならなんかの漫画で読んだ事がある -- 名無しさん (2018-08-18 18 09 26) ↑2中の人にまで心配された君はまずそのオツムをどうにかしよう -- 名無しさん (2018-08-20 10 54 29) 追記修正しますね。コメントはちょっと控えてくださると編集競合にならなくてすみます -- 名無しさん (2018-08-20 13 11 01) 編集終了しました -- 名無しさん (2018-08-20 14 55 21) 苦肉計が誤って >一般には苦し紛れの戦略というような使い方をされることも多い のは、「肉を切らせて骨を断つ」との混同があるのかもしれない。なお、本来の意味が「苦肉の“計”」誤った方は「苦肉の“策”」として使い分け可能 -- 名無しさん (2018-08-26 02 08 16) 「逃げ道をひとつ開けておいて、敵がそこに集中したとき逃げ道もろとも叩きつぶす!! 兵法の基本だ」 -- 名無しさん (2019-02-07 17 00 17) モンゴル帝国「逃げるが勝ちで~(弓矢ぶっぱ)」 -- 名無しさん (2019-06-25 17 04 24) ↑2 ヤンがヴァーミリオンで、包囲から逃げようとしたカルナップを袋叩きにしたのは、まさにそれだよね。 -- 名無しさん (2020-08-29 17 00 16) これを書いた著者の檀道済は自滅してんな。借刀殺人とか、書いてて気付かなかったのかな -- 名無しさん (2021-05-18 15 26 31) 各計略に、象徴的に合致しそうな一言を添えてみよう……と思ったものの、途中で挫折した。なるべく元ネタを散らしつつ、上手く合うようにしてみたつもりだけど、他の計に良いのがあったら誰か頼む -- 名無しさん (2021-06-23 20 48 21) 瞞天過海に関して思うところがある。FE烈火の剣でヘクトルが「侯弟は変わり者だと有名だからな。こういう時こそ日頃の行いがものを言うんだぜ」と言っていた。対外的にオスティアの統治をウーゼルに丸投げするどうしようもない奴と見せかけ、その実リキアの情勢が緊迫しているとき兄に代わって動けるよう準備をしていたのだろうか? -- 名無しさん (2021-07-14 21 33 23) 指桑罵槐で門倉立会人を思い出したが、セリフを入れるには長すぎるな -- 名無しさん (2021-07-16 13 25 23) 30や34のように敵方に寝返り前提の味方を送るのは 送ったが向こうを「そのまま寝返ってしまうリスクを考えないといけないのでよっぽどの信頼がないとできないな -- 名無しさん (2021-07-16 16 17 31) 函谷関の戦いでの桓騎(順手牽羊)のように、マンガ「キングダム」はこの36計そのままをやってるシーンが多い印象がある -- 名無しさん (2021-07-27 22 50 55) 項目の筆者と思ってしまった>著者の檀道済 -- 名無しさん (2021-07-27 23 39 07) 「ご心配めされますな。『偽撃転殺の計』あれば、『虚誘掩殺の計』がございます」この時の賈詡はめっちゃ格好良かったなぁ -- 名無しさん (2021-07-29 19 09 23) ↑4 古代中国はどうか知らんが、日本の戦国時代は寝返り、出奔はよくあることなのよ。むしろその主君のカリスマが低いんだなと思われる。だから主君としても感状という「あの戦では大手柄だったね。その武功を忘れないからいつでも再雇用するよ」って書状を用意してたりするし。藤堂高虎も7回主君を変えてるな -- 名無しさん (2021-08-01 17 22 30) ↑高虎が出奔したのは3回くらいだろ、水野勝成の方が出奔してるはず -- 名無しさん (2021-08-02 15 09 01) コナンの死亡の館回のは、空城計じゃなくて上屋抽梯の方じゃないのか? -- 名無しさん (2021-08-02 21 29 05) ↑ 大和警部と諸伏警部、コナンが「やっぱここは・・・空城の計だよね?」とそれぞれケータイのメモ機能で示し合わせるシーンがあるのよ。もちろん、本来は「近寄らせない」策であり、その裏をかいた「おびき出す」策って説明もされてる。 -- 名無しさん (2021-08-03 09 43 14) なんだか知らんが○○計ならいいけど、△△の術だと途端にダサく感じる -- 名無しさん (2021-09-18 07 54 36) 薩摩人類には効かないじゃねえか!w -- 名無しさん (2021-11-03 07 13 11) 名前 コメント